
穏やかな在宅看取りを阻む人は誰? 救急車を呼んでしまう理由は「親族が納得しない」 95歳父を息子が介護
※写真はイメージです(写真/Getty Images)
老衰でからだが弱ってきた親を、自然にまかせて静かにいかせてあげたい。家族がそのような看取りをするためには、いよいよ具合が悪くなっても、救急車を呼ばずに見守る決心が必要です。しかし、いざそのときになると決心どおりにはいかないことも多いようです。介護アドバイザーの髙口光子さんが体験した二つのケースを通して、看取りの難しさを紹介します。前編・後編の2回に分けてお届けします。
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急に血圧が低下した95歳の父親に、「救急車を呼んで」
私が以前、介護の現場にいたころに、こんな体験をしました。
95歳の父親を、5年間在宅で夫婦で介護していたAさん(父親からみて息子)。家業は農家で昼間は留守になるため、おとうさんはデイサービスを利用して、入浴したり食事をしたりしていました。
髙口光子・元気がでる介護研究所代表
おとうさんはどこが悪いというわけではありませんでしたが、老衰で、いろいろな機能が低下していました。5年の間、いつなんどき、どこで何が起きてもおかしくない状況で、夫婦二人とも、そのことは納得して、家で亡くなっても施設で亡くなってもいい、何もせずに見守る、という覚悟をして、私たち介護職員もそのことを承知していました。
ある日、おとうさんはデイサービスに来ていたときに、血圧がすとんと落ちて、呼びかけにも応えない状態になりました。
私たちは、このデイサービスでこのまま最期を迎えられるだろう、医師にも連絡はするが、治療というよりは最期の確認のために呼ぶことになるだろう、と思っていました。ところが、Aさん夫妻に連絡を入れると、「救急車を呼んでください」という返事が返ってきたのです。
救急車を呼ぶということは何を意味するか
親の最期のときを「穏やかにいかせてあげたい」と思うのは、すべての子どもの希望だと思います。「穏やかに」とは、老いてさまざまなからだの機能が徐々に低下して、エネルギーを使い切って自然にすーっと死んでいく、おおよそそんな状態を指しています。人の死を自然に委ねる、そんな感覚だと思います。これを現実におこなうと、救急車を呼ばず、静かに見守るということになります。
一方、救急車を呼ぶということは、「なんとかして助けてください、生かしてください」という救命救急を望むことになります。救急車を呼んだその時点で、医療の力=人の力で親を生かすためのシステムが動き出します。
「延命処置」をどう考えるか
Aさん夫妻の救急車の要請に、私たちはびっくり仰天してしまいました。自宅でもデイサービスでもいいので、穏やかに自然に最期のときを迎えてもらうのではなかったのか。
救急車を呼ぶことは「延命処置」になります。延命処置は、例えば胃ろうや点滴による栄養の補給、人工呼吸器の使用などいろいろあります。どこからを延命処置とするかは、人によって考え方がさまざまです。なかには、バックバルブマスク(マスクに付いたバルーンのようなものを使って空気を送り込む)を使った人工呼吸からが延命だとイメージしている人もいれば、自分で食事ができない場合に、介助して食べさせることも延命処置だと考える人もいます。「救命処置」のとらえ方は、家族によっても異なります。
Aさん夫妻は延命処置をどうとらえていたのだろう。じゅうぶんに話し合ったはずだったが、もっと説明して、延命処置の内容をはっきりさせておいたほうがよかったのだろうか。
「救急車は親族のために呼んだんだね」
ところが、Aさん夫妻が救急車を呼ぶ理由は、まったく別なところにありました。Aさんは電話口でこう言いました。
「私たちはいい、納得している。けれど、高齢者施設、それもデイサービスで最期を迎えたというのでは、親族が何と言うか……」
結局、救急車を呼び、私は同乗しておとうさんを総合病院の救命救急外来に運び、病院にAさん夫妻がやってくるのを待ちました。
救命救急医は高齢者医療に見識のある人で、到着したおとうさんを見て、「本当に救急で処置をするのでいいの?」と私に確認されました。95歳のおとうさんに点滴を入れて、酸素吸入して、しかるべき検査をすれば何らかの異常はもちろん見つかるだろうから治療することになるが、本当にいいのか、との問いかけです。私から、いままでの家族の思いや今回の経緯を説明すると、医師はこう言いました。
「それじゃあ、救急車はおとうさんのために呼んだんじゃなくて、親族のために呼んだんだね」
第三者の説明で親族を納得させる
畑から駆け付けたAさん夫妻に対して、医師はこう話しました。
「点滴したから今は落ち着かれて、もう少しは頑張れるかもしれない。しかし、すぐに亡くなってもおかしくない状況であるのは変わりない。ここは病院で、私は医者だから、入院ということになると、検査も治療もしなくちゃいけない」
Aさん夫妻は「痛くないことだけやってください」と答えました。
この、「痛くないように、苦しくないように」という言葉も、親の最期に直面したときによく聞かれる言葉です。それを聞いて医師はこう言いました。
「それなら、点滴が終わったらおうちに連れて帰ってあげなさい。おとうさんはここまでよく頑張った。このデイの職員さんも一緒に行ってもらって、職員さんから、第三者の立場として、親族に説明してもらいなさい」
私たちがおとうさんと一緒に家に帰ると、すでに親族が集まっていました。そこで私は、おとうさんがどんなに頑張ったか、このうえは穏やかな死を迎えさせてあげてほしいことを説明しました。
「わかった、わかった、今度は本当にわかった。もう救急車は呼ばなくていい。なあ、よかろう、みんな」
おとうさんの弟という人がこう言うと、親族のみなさんも納得してくれました。
救急車を呼ばないという選択を尊重するために
救急車を呼ばないという重い選択は、老衰でいこうとする親が痛くないように、苦しくないように、静かな、眠るような最期にしてあげたいという家族の思いの証しです。
とはいえ、その家族・親族、あるいは地域の習わしなどによって、親と子どもだけの決定では済まないこともあるでしょう。そのときは、私たち介護職員を大いに利用してほしいと思います。第三者が入ることで、スムーズに事が運ぶこともあるからです。
(構成/別所 文)
後編に続く。
【後編の記事はこちら】
穏やかな在宅看取りを阻む人は誰? 見送り前に駆けつけた「遠くのきょうだい」が「なぜ救急車を呼ばないの」
https://dot.asahi.com/articles/-/208728
髙口光子(たかぐちみつこ)元気がでる介護研究所代表
【プロフィル】
高知医療学院卒業。理学療法士として病院勤務ののち、特別養護老人ホームに介護職として勤務。2002年から医療法人財団百葉の会で法人事務局企画教育推進室室長、生活リハビリ推進室室長を務めるとともに、介護アドバイザーとして活動。介護老人保健施設・鶴舞乃城、星のしずくの立ち上げに参加。22年、理想の介護の追求と実現を考える「髙口光子の元気がでる介護研究所」を設立。介護アドバイザー、理学療法士、介護福祉士、介護支援専門員。『介護施設で死ぬということ』『認知症介護びっくり日記』『リーダーのためのケア技術論』『介護の毒(ドク)はコドク(孤独)です。』など著書多数。https://genki-kaigo.net/ (元気がでる介護研究所)