AERA with Kids+ Woman MONEY aerauniversity NyAERA Books TRAVEL
検索結果3453件中 561 580 件を表示中

穏やかな在宅看取りを阻む人は誰? 救急車を呼んでしまう理由は「親族が納得しない」 95歳父を息子が介護
穏やかな在宅看取りを阻む人は誰? 救急車を呼んでしまう理由は「親族が納得しない」 95歳父を息子が介護 ※写真はイメージです(写真/Getty Images)   老衰でからだが弱ってきた親を、自然にまかせて静かにいかせてあげたい。家族がそのような看取りをするためには、いよいよ具合が悪くなっても、救急車を呼ばずに見守る決心が必要です。しかし、いざそのときになると決心どおりにはいかないことも多いようです。介護アドバイザーの髙口光子さんが体験した二つのケースを通して、看取りの難しさを紹介します。前編・後編の2回に分けてお届けします。 *  *  * 急に血圧が低下した95歳の父親に、「救急車を呼んで」  私が以前、介護の現場にいたころに、こんな体験をしました。  95歳の父親を、5年間在宅で夫婦で介護していたAさん(父親からみて息子)。家業は農家で昼間は留守になるため、おとうさんはデイサービスを利用して、入浴したり食事をしたりしていました。 髙口光子・元気がでる介護研究所代表    おとうさんはどこが悪いというわけではありませんでしたが、老衰で、いろいろな機能が低下していました。5年の間、いつなんどき、どこで何が起きてもおかしくない状況で、夫婦二人とも、そのことは納得して、家で亡くなっても施設で亡くなってもいい、何もせずに見守る、という覚悟をして、私たち介護職員もそのことを承知していました。  ある日、おとうさんはデイサービスに来ていたときに、血圧がすとんと落ちて、呼びかけにも応えない状態になりました。  私たちは、このデイサービスでこのまま最期を迎えられるだろう、医師にも連絡はするが、治療というよりは最期の確認のために呼ぶことになるだろう、と思っていました。ところが、Aさん夫妻に連絡を入れると、「救急車を呼んでください」という返事が返ってきたのです。 救急車を呼ぶということは何を意味するか  親の最期のときを「穏やかにいかせてあげたい」と思うのは、すべての子どもの希望だと思います。「穏やかに」とは、老いてさまざまなからだの機能が徐々に低下して、エネルギーを使い切って自然にすーっと死んでいく、おおよそそんな状態を指しています。人の死を自然に委ねる、そんな感覚だと思います。これを現実におこなうと、救急車を呼ばず、静かに見守るということになります。  一方、救急車を呼ぶということは、「なんとかして助けてください、生かしてください」という救命救急を望むことになります。救急車を呼んだその時点で、医療の力=人の力で親を生かすためのシステムが動き出します。 「延命処置」をどう考えるか  Aさん夫妻の救急車の要請に、私たちはびっくり仰天してしまいました。自宅でもデイサービスでもいいので、穏やかに自然に最期のときを迎えてもらうのではなかったのか。  救急車を呼ぶことは「延命処置」になります。延命処置は、例えば胃ろうや点滴による栄養の補給、人工呼吸器の使用などいろいろあります。どこからを延命処置とするかは、人によって考え方がさまざまです。なかには、バックバルブマスク(マスクに付いたバルーンのようなものを使って空気を送り込む)を使った人工呼吸からが延命だとイメージしている人もいれば、自分で食事ができない場合に、介助して食べさせることも延命処置だと考える人もいます。「救命処置」のとらえ方は、家族によっても異なります。  Aさん夫妻は延命処置をどうとらえていたのだろう。じゅうぶんに話し合ったはずだったが、もっと説明して、延命処置の内容をはっきりさせておいたほうがよかったのだろうか。 「救急車は親族のために呼んだんだね」  ところが、Aさん夫妻が救急車を呼ぶ理由は、まったく別なところにありました。Aさんは電話口でこう言いました。 「私たちはいい、納得している。けれど、高齢者施設、それもデイサービスで最期を迎えたというのでは、親族が何と言うか……」  結局、救急車を呼び、私は同乗しておとうさんを総合病院の救命救急外来に運び、病院にAさん夫妻がやってくるのを待ちました。  救命救急医は高齢者医療に見識のある人で、到着したおとうさんを見て、「本当に救急で処置をするのでいいの?」と私に確認されました。95歳のおとうさんに点滴を入れて、酸素吸入して、しかるべき検査をすれば何らかの異常はもちろん見つかるだろうから治療することになるが、本当にいいのか、との問いかけです。私から、いままでの家族の思いや今回の経緯を説明すると、医師はこう言いました。 「それじゃあ、救急車はおとうさんのために呼んだんじゃなくて、親族のために呼んだんだね」 第三者の説明で親族を納得させる  畑から駆け付けたAさん夫妻に対して、医師はこう話しました。 「点滴したから今は落ち着かれて、もう少しは頑張れるかもしれない。しかし、すぐに亡くなってもおかしくない状況であるのは変わりない。ここは病院で、私は医者だから、入院ということになると、検査も治療もしなくちゃいけない」  Aさん夫妻は「痛くないことだけやってください」と答えました。  この、「痛くないように、苦しくないように」という言葉も、親の最期に直面したときによく聞かれる言葉です。それを聞いて医師はこう言いました。 「それなら、点滴が終わったらおうちに連れて帰ってあげなさい。おとうさんはここまでよく頑張った。このデイの職員さんも一緒に行ってもらって、職員さんから、第三者の立場として、親族に説明してもらいなさい」  私たちがおとうさんと一緒に家に帰ると、すでに親族が集まっていました。そこで私は、おとうさんがどんなに頑張ったか、このうえは穏やかな死を迎えさせてあげてほしいことを説明しました。 「わかった、わかった、今度は本当にわかった。もう救急車は呼ばなくていい。なあ、よかろう、みんな」  おとうさんの弟という人がこう言うと、親族のみなさんも納得してくれました。 救急車を呼ばないという選択を尊重するために  救急車を呼ばないという重い選択は、老衰でいこうとする親が痛くないように、苦しくないように、静かな、眠るような最期にしてあげたいという家族の思いの証しです。  とはいえ、その家族・親族、あるいは地域の習わしなどによって、親と子どもだけの決定では済まないこともあるでしょう。そのときは、私たち介護職員を大いに利用してほしいと思います。第三者が入ることで、スムーズに事が運ぶこともあるからです。 (構成/別所 文) 後編に続く。 【後編の記事はこちら】 穏やかな在宅看取りを阻む人は誰? 見送り前に駆けつけた「遠くのきょうだい」が「なぜ救急車を呼ばないの」 https://dot.asahi.com/articles/-/208728   髙口光子(たかぐちみつこ)元気がでる介護研究所代表 【プロフィル】 高知医療学院卒業。理学療法士として病院勤務ののち、特別養護老人ホームに介護職として勤務。2002年から医療法人財団百葉の会で法人事務局企画教育推進室室長、生活リハビリ推進室室長を務めるとともに、介護アドバイザーとして活動。介護老人保健施設・鶴舞乃城、星のしずくの立ち上げに参加。22年、理想の介護の追求と実現を考える「髙口光子の元気がでる介護研究所」を設立。介護アドバイザー、理学療法士、介護福祉士、介護支援専門員。『介護施設で死ぬということ』『認知症介護びっくり日記』『リーダーのためのケア技術論』『介護の毒(ドク)はコドク(孤独)です。』など著書多数。https://genki-kaigo.net/ (元気がでる介護研究所)
上皇さま90歳 まるで女優のように美しい美智子さまが「世紀の結婚」からいつも傍らに
上皇さま90歳 まるで女優のように美しい美智子さまが「世紀の結婚」からいつも傍らに メキシコ訪問で大統領夫妻と記念撮影をする明仁さま(上皇さま)と美智子さま=1964年5月、メキシコ    上皇さまは12月23日、90歳の卒寿を迎えた。戦前の1933年(昭和8年)に長男として誕生し、戦時中は疎開生活も経験。19歳のときには英エリザベス女王の戴冠式に昭和天皇の名代として参列し、58年に美智子さまと結婚してからは65年の歳月を過ごした。背負ってきた重責を「平成」の終わりとともに下ろし、現在はおふたりで穏やかな生活を送っているという。 *   *   * 「自分は、普通の結婚の幸せを保証してあげられない。皇太子という特別な立場にあって一番大事なのは公の義務であって私事はその次の問題である」  長野・軽井沢での「テニスコートの恋」から、世紀の結婚へ。世間では皇太子の明仁さま(上皇さま)がひたすら美智子さまを口説いた、という印象が強かった。しかし、「幸せを約束する」と口にすることはできなかった。 訪れた宮崎市青島で、小さな貝を手にした美智子さまと語らう明仁さま(上皇さま)=1962年5月    上皇さまは2018年12月、天皇として最後に迎えた85歳の誕生日会見で、国民への感謝とともに、美智子さまへの想いをこう口にした。 「振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来(じらい)この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました」  そして、「天皇としての旅を終えようとしている」と語った。   視線の先にはいつも美智子さまがいた  若いころの明仁さまは、あふれる愛情を言葉にはしなかったが、その視線の先にはいつも美智子さまがいた。 イランの古都イスファハンの寺院を訪れた明仁さま(上皇さま)と美智子さま。奥には美智子さまを撮影する明仁さまの姿がある=1960年11月、イラン  1960年のアジア・アフリカ4カ国訪問で、イランの古都イスファハンのイスラム寺院を訪れた。市民の歓迎に手を振って応える美智子さま。その奥には、美智子さまの姿をムービーで撮影する上皇さまの姿がある。     【こちらも話題】 天皇陛下は今日的な「非マッチョ」男性 上皇后・美智子さまの子育ての姿勢を振り返る https://dot.asahi.com/articles/-/204513     17世紀後半に建てられ、アジア最大級の規模を誇るパキスタンのバードシャーヒ・モスクを視察する美智子さまは、赤い靴カバーをつけている=1962年1月、パキスタン・ラホール    1962年のパキスタン・インドネシア親善訪問では、明仁さまは発熱などで3度、体調を崩した。公務の傍ら、看病を続けた美智子さまも、疲労がたまったのか帰国間際に発熱してしまった。  帰国便が羽田空港に到着し、タラップを下りるおふたり。明仁さまは心配そうに何度も美智子さまを振り返り、気遣う様子をみせた。   西パキスタン州知事公邸に到着した美智子さま=1962年1月、西パキスタン(現パキスタン)のペシャワル   「上皇さまを最後まで支えることが私の役目」 「即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました」(上皇さまの85歳の誕生日会見)  重責を背負ってきた日々を、乗り越えたおふたり。現在は東京・赤坂御用地の仙洞御所で穏やかに暮らしている。  上皇さまは毎週月曜日と金曜日には皇居にある生物学研究所で、ハゼ科の魚についての研究も続けている。  美智子さまと20年以上の親交がある絵本編集者の末盛千枝子さんは、この夏に仙洞御所に美智子さまを訪ねた。部屋にはハゼが泳ぐ大きな水槽があった。  穏やかでとりとめのない話もあったが、美智子さまは戦火が続くウクライナ情勢などについて心を痛めていたという。  そしてご自分たちの生活については、「この赤坂の仙洞御所で上皇さまを最後まで支えるのが、私の役目だと思っています」と話したという。   全国高校野球選手権大会の開会式に出席した明仁さま(上皇さま)と、その横顔に笑顔を向ける美智子さま=1968年8月、阪神甲子園球場    12月、おふたりは私的に都内の劇場を訪れ、クリスマスの夜を舞台に少女クララの心を描くバレエ作品「くるみ割り人形」を楽しんだ。  終演後、穏やかにほほ笑みながら退席するおふたりに、場内では自然と拍手がわき起こったという。(AERA dot.編集部・永井貴子)   【こちらも話題】 ためいきがでるほど美しい美智子さま「24歳でこの道に招かれた」 雅子さまが受け継ぐ意志と気品 https://dot.asahi.com/articles/-/204358  
幕末から近現代まで、食の流行をたどれば時代の変化や社会情勢が見えてくる
幕末から近現代まで、食の流行をたどれば時代の変化や社会情勢が見えてくる 『おいしい食の流行史』阿古真理 青幻舎  「食」が私たちにおよぼす影響はとても大きいものです。個人の生活だけではなく、ときには社会情勢や政治体制にまで結びつくことすらあります。ということは、そのときそのときの食の流行をたどれば、当時のさまざまな状況も見えてくるのでは......? こうした食の文化を、背景にある社会と照らし合わせながら伝えるのが阿古真理さんによる書籍『おいしい食の流行史』です。  全部で13章からなる同書。第1章から第8章までは、幕末の開国期から20世紀の終わりにかけて、洋食や家庭料理といったテーマとともにそれぞれの時代の食トレンドを解説。第9章から第13章では、平成以降の食の流行の移り変わりがテーマごとに紹介されています。 たとえば、第2章のテーマになっている「パン」。パンは明治時代に開国してから入ってきた食品で、最初は日本にいる外国人目当てにパン屋が開かれたそうです。その後、日本人向けに作られたのが、まんじゅうをヒントにした「あんパン」。さらにはジャムパン、クリームパン、昭和に入ると初の総菜パンとなるカレーパンなど、次々に庶民向けのパンが誕生しました。ただし、メロンパンはどこの誰が開発したか発祥が定かではないというから興味深いですね。これほどまでに日本でパンが発展した背景について、「戦前の誕生史をひもといていくと、異質な西洋文化を何とか受け入れて自分たちの生活に取り込んでいった、先人たちの苦闘の歴史が浮かび上がる」(同署より)と著者は記します。 さて、同書で注目したいのが、女性の社会進出と食の関係についても触れられている点です。日本でいわゆる"主婦"が圧倒的に増えたのは第二次世界大戦後。戦前はサラリーマンが労働者の1割にも満たなかったため、主婦になれる女性も限られていたのだとか。しかし戦後、産業の急速な発展とともに日本は一気にサラリーマン社会に。高度経済成長期には、夫が稼ぎ、妻が家事や育児の責任を担うという性別役割分担が基本となりました。著者は戦後の家庭料理のトレンドやキッチン事情などを紹介しつつ、こう考察します。「この頃から、食のトレンドには、女性が果たす役割が大きくなっていきます。女性たちは、家事の担い手として期待される一方、自分自身が人生の主役となって仕事などで活躍する、あるいは必要に迫られて家計の一端を担うなど、いくつもの役割が期待され、また自分自身も求めるようになり、葛藤していく」(同書より) 特に専業主婦だった女性が自己実現欲求を叶えるひとつとなったのが「家事や子育てに力を入れること」であり、「料理はその中でも成果が見えやすい分野の一つ」(同書より)でした。しかし今、こうした主婦業メインだった母親の背中を見てきた女性たちのなかには、家事や子育てと仕事をどう両立するかというロールモデルが存在せずに悩んでしまう人も多いものです。このあたりは今後まだまだ議論され、模索が続く問題かもしれません。いずれにせよ、主婦が家庭の食事を担ってきた日本において、「食」は女性の問題とも密接に関係していることがわかります。 このほか、1980年代のエスニック料理ブームや平成のスイーツブーム、日本での韓国料理史、「食ドラマ」の変遷などについても取り上げている同書。「食」を切り口に日本の近現代史を横断する、他にはないユニークな一冊と言えるでしょう。[文・鷺ノ宮やよい]
「成長」が家族のキーワード 共に変化しながら対話を重ねるには尊敬の念が不可欠
「成長」が家族のキーワード 共に変化しながら対話を重ねるには尊敬の念が不可欠 梅田実生子さん(右)と三枝大祐さん(撮影/写真映像部・高野楓菜)    AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2023年12月25日号では、ミテモのディレクターで、ソトイク・プロジェクトで子育て支援関連活動もする梅田実生子さん、長野県塩尻市役所に勤務し、副業でクラフトビールづくりにも参画している三枝大祐さん夫婦について取り上げました。 *  *  * 2018年、夫29歳、妻28歳で結婚。現在、和花ちゃん(3)と3人暮らし。 【出会いは?】大学時代の部活の同期。京都大学応援団で、夫はリーダー部、妻はチアリーダー部の入団時に出会う。 【結婚までの道のりは?】出会いから7カ月後に交際を始め、9年半後に結婚。大学卒業後の6年間は、勤務地が名古屋と東京都などに分かれて遠距離恋愛になり、結婚後1年間も塩尻市と東京都で別居。妻の転職を機に、2019年から同居する。 【家事や家計の分担は?】洗濯は夫が、日用品の補充や子どもの保育園関係のことは妻がし、料理と掃除はどちらかに負担がかからないようにしながら、気づいたほうが行う。財布は別々で、夫は主に家のローンや光熱費などの固定費を払い、妻は消耗品費を払うほか貯蓄を担当する。 妻 梅田実生子[33]ミテモ ディレクター/ソトイク・プロジェクト メンバー うめだ・みおこ◆1990年、福井県出身。京都大学大学院農学研究科森林科学専攻を中退し、環境省入省。2019年に退職して塩尻市に移住し、23年から現職に就き、主に地方創生事業のプロジェクトマネジメントを担当。まちと育児をつなげる市民活動団体ソトイク・プロジェクトにも携わる  なんか目立つ、人を惹きつける、新しいことに向かって動いている。それが三枝という人で、結婚したら一生飽きずに成長できそうと思いました。実際飽きることなく、いい刺激をもらい続けています。  今勤めている「教育とデザインの力で、誰もが自創する未来をつくる」という会社との縁をつないでくれたのも夫です。本社は東京ですが、全社員フルリモートなので、塩尻市在住かつ子育て中でも自分の時間に仕事ができます。  家事と育児に割く時間が増え、自分の時間が仕事の時間になったため、仕事で自分を成長させたいという思いが強まりました。スナバという市内のコワーキングスペースで多様な人と関わったり、ソトイク・プロジェクトという子育て関連の活動をするのも同様の思いがベースにあります。と、繰り返す通り「成長」は私にとってのキーワードです。夫もよく口にし、娘も絶賛成長中なことから家族のキーワードですね。それぞれがしたいことを軽やかに実行する自信と力の獲得を目指します。 梅田実生子さん(右)と三枝大祐さん(撮影/写真映像部・高野楓菜)   夫 三枝大祐[34]長野県塩尻市役所勤務(一般財団法人塩尻市振興公社に出向中) さいぐさ・だいすけ◆1989年、福岡県出身。京都大学経済学部卒業後、AGCに入社し営業職に就く。2017年に塩尻市役所に入庁し22年から現職。たのめ企画を共同創業して地元のブドウを使ったビール「ナイアガラホップ」を企画販売し、長野県立大学大学院でソーシャル・イノベーションを学ぶ 大学の応援団で一緒にならなければ、一生接点がなかっただろう。そう思うほど、妻と自分は興味の対象も物事に取り組むモチベーションも異なります。異なるからこそ刺激し合えるのも事実です。  同居したのは結婚した1年後。自分が転職と移住を同時にした長野県塩尻市で、でした。なぜ塩尻で、営業マンから公務員になったのか。理由は二つ。一つは、妻が長野市に転勤していたことがあり、遊びに行くたび長野が好きになったこと。もう一つは、地域づくりのNPOに参画した経験から地域活性に興味を持ち、塩尻は先進的な取り組みをしていることから面白そうだな、と。副業で会社を共同創業し、クラフトビールづくりにも参画しています。  人って変わりますからね。学生から社会人、夫婦、親と立場が変われば考え方も目標も変わって然り。そうした変化を共にしながら成長するには対話が必要で、対話を重ねるには尊敬の念が不可欠。それができるのが梅田という人で自分にとって唯一の存在です。 (構成・茅島奈緒深) ※AERA 2023年12月25日号
オリラジ中田が「リアル半沢直樹!」 広島県安芸高田市長の配信動画 議会との“仁義なき戦い”
オリラジ中田が「リアル半沢直樹!」 広島県安芸高田市長の配信動画 議会との“仁義なき戦い” 定例会見の動画ながら毎回のように数十万回視聴される(安芸高田市の公式チャンネルから)    ユーチューブで公開されている「広島県安芸高田市公式チャンネル」がネット界隈(かいわい)で大きな注目を浴びている。内容は、同市の石丸伸二市長の定例記者会見や市議会の様子を配信しているのだが、チャンネル登録者は15万人に近づく勢いで伸びている。会見は再生回数が最高294万回とすさまじい数字に。なぜ、地方の小さな自治体の動画がこれほどまでに関心を引くのか。そこには市長のしたたかな戦略があるようだ。 「“炎上商法”が当たりました。広告収入だけで月100万円あります」 「東京都は人口2千万人でチャンネル登録が17万人、2位の茨城県が16万8千人、安芸高田市が2万7千人で登録者数は14万8千人。これってすごくないですか。もうちょっとで東京都を追い抜ける」  石丸市長は冗談交じりに笑いながらそう話した。  安芸高田市に生まれ育ち、京都大学に進学。その後、三菱UFJ銀行に勤務し、ニューヨークに駐在していたエリートだが、ある事件をきっかけに市長へと転身した。 「安芸高田市は終わってしまう」  広島県の北部に位置する安芸高田市は人口2万7千人弱。目立った産業はなく、山に囲まれたのどかな場所だ。雰囲気が一変したのは2019年7月の参議院選挙で、河井克行、案里夫妻が首長や地元県議らに計2900万円を配り、公職選挙法違反(買収)容疑で逮捕された事件だ。  当時の安芸高田市長が60万円を受け取り、丸刈りにして会見で謝罪し、その後に辞職。当時の市議会議長、副議長も議長室などで克行氏から現金を受け取ったことも発覚し、辞職に追い込まれるという市政はじまって以来の大スキャンダルに見舞われた。  石丸市長はそのニュースを見て出馬を決めた。 「市長辞任で次の選挙に副市長が出馬するという。(無投票で前市長の継承を掲げる)この人に任せちゃ安芸高田市は終わってしまう、と強く思いました。すぐに会社に電話して『市長選に出ますから辞めます』と。1~2日して安芸高田市に帰りました」  戻るとすぐにこんな行動を起こした。 【あわせて読みたい】 橋下徹「ツイッターは『正しい炎上』を目指せ」 https://dot.asahi.com/articles/-/100159 「市役所で副市長に面談を求めました。『私が市長選に勝ったとします。その時、副市長をやってくれます?』と聞いたら、『いや、まわりが……』とにごすばかり。この人は自分の意思ではなく、周囲に言われて仕方なく市長選に出馬するんだろうなと想像しました。ひょっとしたら、河井氏からカネをもらった市長が『みそぎが済んだ』と4年後にまた復活するんじゃないかとも考えました。だから自分が絶対に市長になる、と決意しました」  政治経験はゼロだった石丸市長は、選挙で「政治再建」を公約に掲げた。 「安芸高田市に必要なのは、まず政治を再建し、クリーンな状態で市を運営していく。それが河井氏の事件でボロボロになった市民には一番響く言葉でした」  と石丸市長は振り返る。 就任後すぐに「市長vs.議会」の構図に  2020年8月、相手候補の副市長に約2700票差をつけて圧勝した。安芸高田市民は、37歳が掲げる「政治再建」を支持したのだ。  石丸市長はさっそく動いた。市議会で居眠りしていた市議についてツイッター(現X)で指摘した。すると、ベテラン議員が「居眠りは国会でも県議会でもする」などと居眠りを容認するような発言をして大炎上した。  石丸市長のXによると、その後、議会側から「居眠り事件」について話があるとして、非公開での全員協議会に呼ばれた。そこで数人の議員から「議会批判をするな」「選挙前に騒ぐな」「敵に回すなら政策に反対する」といった「説得?」「恫喝?」があったという。議会側はそれに対し、「威圧的な言い方はしていない」「優しい言葉を使っていた」と反論。市長就任間もなくで「市長vs.議会」の構図ができあがった。  市長はその後も強気で突き進む。  議会での一般質問のあり方について、質問を事前に議員から受け、答弁を調整し、それを読み上げるようなやり方については意味がないとして、「対話意思のある議員の質問にのみ答弁する」などと発言すると、これにも議会は当然大反発した。 議会で発言している市議に視線を向ける石丸伸二市長(右)=2023年6月 【こちらもおすすめ】 “売れっ子”泉房穂・明石市長「今の日本の政治はひどすぎます」 引退後の計画を明かす【独自インタビュー】 https://dot.asahi.com/articles/-/13726  議会とぶつかることになった石丸市長の改革案の多くは、議会で否決されていく。  たとえば、市長肝いりの政策で新たに副市長を全国公募し30代の女性を選んだが、この人事案を否決。次の議会でも再度同様の人事案を出したがまた否決。「財政難のなか、副市長の月額70万円の給料が高すぎる」というのが議会の声だった。  そこで市長は、「財政健全化」のために、議員定数を16から8に減らす削減案を提出した。しかし、これについても「市民の声が届きにくくなる」「議会軽視」といった反対意見があり、否決となった。  今年に入ってからは、市内の「道の駅」に生活雑貨大手の「無印良品」を誘致しようと、店舗を運営する「良品計画」と4月に協定を結び、5月に改修の設計費などの関連予算450万円を専決処分で決めた。これに対し議会は「独断だ」「議員に説明がない」などと反発し不承認に。  こうした対応について石丸市長は、「自分たちの体面、プライドのようなものを重視しているんだと受け止めざるを得ない」と会見で述べた。  議会への根回しや調整といった従来のやり方を重視するベテラン議員と、ユーチューブやXを使い、議会では議員と“ガチ”で言い合う石丸市長。このわかりやすい構図がユーチューブではまった。 切り抜き動画なのに再生回数100万回超えも 「市長就任時からメディアファーストでやってきましたが、政治再建がうまく進まない一つの原因がメディアでした。きちんと報道してくれないのです。これだけ田舎で人口増なんてことは本当に困難です。そこで、安芸高田市を少しでも知ってもらいたい、関係人口を増やしたい、そのためにはSNSで直接発信をする“炎上商法”じゃないかと考え、舵を切りました」  安芸高田市の公式チャンネルでの月1回の定例会見をユーチューブでライブ配信すると、1日でチャンネル登録が5千人以上も増え、バズるように。Xでも石丸市長のフォロワーは激増し、約24万7千人を数えるほどになった。 登録者数が15万人に迫る安芸高田市の公式チャンネル 【こちらも読まれています】 「生配信力の強い人が勝つ時代」 モテクリエイター・ゆうこすが注目するインフルエンサー10人 https://dot.asahi.com/articles/-/60  議会でのやりとりや、週末に石丸市長自らが出演する動画をライブ配信すると、 「狙いは的中しました。まず、安芸高田市が広島にあることすら知らない人が出張で来ると、正確に『あきたかた』と言ってくれます。ふるさと納税でも寄付額はうなぎ登り。一度、安芸高田市に行ってみようという関係人口は爆発的に増えました。次にライブ配信をスタートさせると、こちらもコメントを追い切れないほどの支持をいただきました。市議会もユーチューブでライブ配信しており、こちらも二次使用、いわゆる切り抜き動画を自由にしたところ、数え切れないほどのサイトがアップされて、さらに知名度が上がりました」  ユーチューブの切り抜き動画の中には再生回数が100万回を優に超え、公式チャンネルをしのぐ動画もある。お笑いコンビ「オリエンタルラジオ」の中田敦彦さんが配信する人気ユーチューブチャンネルで「居眠り論争&恫喝疑惑…リアル半沢直樹こと石丸市長と議会のバトルから目が離せない」などと題し、複数回取り上げた。 議会に響いた「恥を知れ! 恥を!」  内容についても、 「半沢直樹型エンタメとも言われている」「普段だれも見もしない地方議会のユーチューブが回る」  などと解説。様々なチャンネルで人気コンテンツとなっている。 157万回視聴されている中田敦彦さんの動画=「中田敦彦のYouTube大学」から    人気の要因は、市長と議会との対立構造のおもしろさではあるが、それを際立たせているのが「石丸語録」だ。  先述した「居眠り事件」のとき、石丸市長は語気を強めてこう発言した。 「居眠りをする、一般質問をしない、説明責任を果たさない、これこそ議会軽視の最たる例です。恥を知れ!恥を!……という声が上がってもおかしくないと思います」  すると、テレビニュースなどでは、「恥を知れ、恥を」の部分が切り取られて全国に流れ、それがまたユーチューブでも流れてバズる。人口が3万人に満たない地方自治体の議会中継が全国の若い世代の目にも留まり、「石丸劇場」などと言われて興味を引くのだ。  石丸市長は、ユーチューブでの効果的な見せ方についてこう語った。 【あわせて読みたい】 進化した令和版“干物女” ありのままを見せるユーチューバーに「私も」と共感の声 https://dot.asahi.com/articles/-/39543 2度否決された副市長人事案を再議に付した理由を説明する石丸伸二市長=2021年6月   「『恥を知れ』はすっかり知れ渡りました。実は市議会で本気で怒ったことは一度もありません。劇場型と指摘されるような発言は、数日前から考えています。そして、起承転結となるように計算して話しています。恥を知れのときも、その前段で『これこそ議会軽視の最たる例です』と前振りし、最後は『どうか恥だと思ってください』と締めました」  回りくどい言い方はせず、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いでズバズバとベテラン議員に切り込む様子は、ユーチューブ視聴者の比較的若い世代にとってもわかりやすく、すっきりするのか、コメント欄には好意的な声が多く並ぶ。  今、国政では自民党安倍派のパーティー券キックバック事件で「政治再建」が求められている状況もあってか、ライブ配信では「国政に出ないのか」との質問も出ている。 来年8月で任期満了→2期目は?  その点について石丸市長は、 「ないです。誘いもないです。私に声をかけたら、すぐにSNSとかで言っちゃうから警戒されているのかな。国政となればどこかの政党に入ることになる。今の自民党、公明党とは一緒に仕事するのはしんどい。野党も維新がちょっと頑張っているくらいでしょう。国政は一人では何もできないけど地方政治はそこが違います。自分で種をまいて芽が出て、ちいさい畑でも育てていく。今はそういう思いです」  では、来年8月で4年の任期が満了となる。2期目はどうなのか。 「政治再建の公約は成果がでてきた。残り2つの公約は都市開発と産業創出。これをやるには10年、20年、それこそ5期もやらないといけない。うーん、どうかなと。いずれにしても、来年8月ですから1カ月前には決断するつもりです」 「石丸劇場」はまだ続きそうだ。 (AERA dot.編集部・今西憲之) 【こちらもおすすめ】 決断力、話し上手、根回し上手。三英傑に学ぶ“人を動かす”リーダー力とは https://dot.asahi.com/articles/-/438
ネトフリでそのまま配信しても世界でウケると鈴木おさむが感じた日本のテレビ番組とは
ネトフリでそのまま配信しても世界でウケると鈴木おさむが感じた日本のテレビ番組とは 放送作家の鈴木おさむさん    鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、世界に誇れる日本のテレビコンテンツについて。  * * *  この一週間でとんでもなくおもしろいテレビ番組を二つ見ました。一つは「プロフェッショナル仕事の流儀」の宮崎駿監督編。以前も、宮崎監督に密着していましたが、今回は引退を撤回してからの「君たちはどう生きるか」と制作する数年間を追いかけていました。  正直、映画館でこの映画を見た時に分からないことだらけで、ネットで考察読んで、分かったフリしていましたが、僕はなんも分かってはいなかった。いや、驚きました。  共にジブリを立ち上げた高畑勲監督。2018年に亡くなった高畑監督への宮崎監督の思いを中心に編集していた。  今までこの関係が深く語られたことはないと思う。宮崎監督の高畑監督への思いは、愛であり嫉妬でありリスペクトであり、時には憎しみさにも感じる。  もう亡霊のように自分からはりついて取れない高畑監督と決着をつけるべく、その思いを作品に入れていく。  82歳になられる宮崎監督は苦しみ苦しみぬいて作っていく。もう苦しむことなんかしなくていいのに、自らそこに突っ込んで作品を作る。  見ていると宮崎監督の思いがうつってくるので、もう見てるこっちが苦しくなるくらいのドキュメンタリー。いや、もうこんなものを見せてくれるNHK。受信料ちゃんと払おうよ!と言って回りたくなります。苦しみぬいて映画を作っていく宮崎監督と「君たちはどう生きるか?」というタイトルが重なっていく。   USJで妻の大島美幸さんと2人でアトラクションに乗る鈴木おさむさん 【あわせて読みたい】 USJのクリスマスショーが“アゲアゲ”で秀逸と感じた鈴木おさむ「会場中の家族がみんなで踊れる」 https://dot.asahi.com/articles/-/208993?page=1    僕は来年3月いっぱいで、放送作家を辞めることを決めましたが、どう生きるかは自分次第。  苦しみぬいて作品を作る人生を宮崎監督は選んでいるのですから。この番組を見て、もう一度映画を見なければという思いになる。  ちなみに、「君たちはどう生きるか?」は現在アメリカでとてもヒットしているらしく、映画評論家の松崎健夫さんによると、「もしかしたら、今度のアメリカのアカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートされるかも」と。宮崎監督。いつまでその可能性を見せつけるのだ??  そしてもう一つの番組はテレビ東京の「テレビチャンピオン」でやっていた「手先が器用選手権」。手先が器用な人たちが出てきて闘うのだが、今回はなんと5円玉を等間隔で190枚並べて、そのあとに5円玉でピラミッドを作り1列に並べていく。その並べた5円玉の穴に糸を通していくというとんでもない競技。  これぞ日本が誇る技術! 手先の器用さ!  並べて並べていいところで倒れる! うわーーと叫ぶ! 見てて緊張感がずっと続くし、「すげー」を連発するし、エンタメの基礎中の基礎が詰め込まれた番組。  おそらく、これをまんまNetflixで配信したら、間違いなく世界でうけるんじゃないかと思う。だってこんなことを出来る人は日本人しかいないし、こんなことを番組にして戦わせようなんてのも日本しかない。  宮崎駿監督と手先が器用な人。同じ日本人であることを誇りに思えるエンターテインメント。  テレビよ、ありがとう!! 是非見てほしい!! ■鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)、長編小説『僕の種がない』(幻冬舎)が好評発売中。漫画原作も多数で、ラブホラー漫画「お化けと風鈴」はLINE漫画で連載中。「インフル怨サー。 ~顔を焼かれた私が復讐を誓った日~」は各種主要電子書店で販売中。コミック「ティラノ部長」(マガジンマウス)が発売中 【こちらも読まれています】 秋元康が分析 AKB、新しい学校のリーダーズ 結成からブレイクまで数年かかった理由 https://dot.asahi.com/articles/-/206455?page=1
安倍派キックバック議員の一覧表や二重帳簿も提出? 金額上位ランキング表にあった3議員とは
安倍派キックバック議員の一覧表や二重帳簿も提出? 金額上位ランキング表にあった3議員とは 清和政策研究会(安倍派)の事務所に家宅捜索に入る東京地検特捜部の係官ら=2023年12月19日、東京都千代田区    とうとう派閥の事務所に東京地検特捜部のメスが入った。12月19日、特捜部は自民党の清和政策研究会(安倍派)と志帥会(二階派)の事務所をそれぞれ家宅捜索した。派閥のパーティー券販売でノルマを超えた分について、派閥から議員にキックバックし、そのカネを政治資金収支報告書に記載しなかった政治資金規正法違反の容疑だ。長期政権を敷いた安倍晋三元首相とそれを支えた二階俊博元幹事長という超大物を“直撃”したのだ。着々と進む捜査だが、国会議員の逮捕や起訴はあるのか、幹部議員の立件は……。国民が注目している。  家宅捜索が入った直後、安倍派の衆院議員が悲鳴を上げるようにこう話した。 「パソコンや帳簿など、段ボール箱で10箱くらいはもっていかれたようだ。事前に強制捜査に入るタイミングは報道されていたのでそこまで慌てることはないが、これだけニュースになると頭が痛い。ただ捜査妨害はしていない。どこかの誰かのようにハードディスクをドリルで破壊するようなことは絶対にない」  特捜部は強制捜査に乗り出す一方で、この日も安倍派の国会議員らから事情を聴いている。 「国会に近い3つのホテルも使いながら、議員が目につかないように調べているようだ」  と特捜部出身の弁護士や前出の安倍派の衆院議員はそう話す。 二重帳簿やランキング表も  一方、安倍派側は、検事総長も有力視されていた元敏腕検事の弁護士を中心に、ヤメ検弁護士たちが対応している。彼らは、2019年7月の参院選で2900万円を100人の広島県議や地方議員、有権者に配った罪に問われ有罪判決が確定した河井克行、案里夫妻の弁護もチームで対応した。自民党からの信頼も厚いとみられる。  安倍派は捜査段階で、会計責任者らがパーティーやキックバックについても詳細な資料を特捜部に任意提出している模様だ。 「キックバックした議員の一覧表、金額上位のランキング表、政治資金収支報告書に記載するための会計書類と、実際の売り上げを記した二重帳簿のようなものもあった。ランキングにはいつも報道されている3人の名前があった」  と自民党幹部が打ち明ける。 【あわせて読みたい】 「特捜部は資料をがっちり持っている」戦々恐々の自民関係者 岸田首相は“安倍派切り”で逃げ切り https://dot.asahi.com/articles/-/209085?page=1  なかでも注目されるのは、キックバックの金額がベスト3とも言われている大野泰正参院議員、谷川弥一衆院議員、そして池田佳隆衆院議員の3人だ。 参院本会議後、記者に囲まれる自民党の大野泰正氏=2023年12月13日 衆院本会議に臨む自民党の谷川弥一氏(右)=2023年12月12日 自民党の池田佳隆氏(中央)。写真は2018年3月    池田氏はすでに5年間で4千万円以上のキックバックを受け、政治資金収支報告書に記載していない疑いがある。12月に入り、事件化が濃厚になると、3200万円分を政治資金収支報告書に訂正する届けを出している。 「池田氏と政治の話はほとんどした記憶がない。年中、自分と派閥のパーティーのことばかり考えているようだった」  と話すのは、池田氏の地盤である愛知3区の支援者Aさん。スマートフォンを取り出し、 <次回の派閥のパーティー、前回同様の数でOKでしょうか>  と池田氏から送られてきたメールを見せてくれた。 決めぜりふは「安倍首相とツーショットが撮れるかも」  池田氏は家業の化学薬品会社を引き継ぎ、日本青年会議所(JC)でも熱心に活動し、2006年には会頭を務めた。その後、池田氏は自民党の公認を得る。そして愛知3区から出馬し、12年に初当選。安倍晋三元首相の長期政権時代に誕生し、不祥事などが相次いだ“魔の4回生”とも呼ばれる「世代」だ。  Aさんがこう話す。 「池田氏から問題になっている派閥のパーティー券を何度も買いました。お決まりが『安倍首相とツーショットが撮れるかも』でした。実際は安倍元首相との写真なんて無理ですよ。池田氏の政治資金収支報告書を見たことはないが、私が支払ったパーティー券代が書かれていないのなら嫌な感じです」  Aさんによると、池田氏はAさんに対して、派閥のパーティー券を売ってくれたらキックバックするとの提案をしたことがあるという。 【こちらも読まれています】 安倍派「5億円裏金」問題の根本は“劣悪な安倍チルドレン”が大量に生まれてしまったこと 青木理 https://dot.asahi.com/articles/-/209368?page=1 「『20枚売ってくれたら5枚分はキックバックします』と言ってきたことがあります。パーティー券を山のように持って歩く姿に“パー券大魔王”と呼ぶ人もいました。パーティー券を売るときに『パー券を売れば派閥の評価も高まり出世できる。当選回数が自分より少ない議員もすり寄ってきて、大臣の椅子も近くなる』と話していたことが印象に残っています。議員バッジをつけているんだから政治をしっかりやれよと言ってもパーティー券の方が大事って感じでしたよ」  とAさんはいう。  また、愛知3区の自民党の地方議員の一人は匿名を条件に、 「池田氏から『パー券を売ってくれ。キックバックを渡すから』と依頼を受けたことはありました。他の地方議員にも同じような話を持ち掛けていた」  と打ち明けた。 “萩生田氏イチの子分”  池田氏は、キックバックの事件が報じられると雲隠れした。  記者も議員会館の事務所を訪ねたが、まったく応答はなかった。電話をしても通じず、Aさんから池田氏の携帯電話を記者の前で呼び出してもらったが、それもダメだった。 池田佳隆衆院議員の地元事務所に掲げられていたホワイトボード=2023年12月14日、名古屋市天白区    なぜ池田氏が“パー券大魔王”と呼ばれるほど、大量のパーティー券をさばけたのか。  政調会長を近く辞任する、安倍派「5人衆」の萩生田光一氏の存在を指摘する声が少なくない。 「池田氏は萩生田氏のイチの子分というほど親しくしていた。池田氏は萩生田氏に紹介を受けた企業や個人にもパー券を売っていた。その分は池田氏が一度、派閥からキックバックをもらい、萩生田氏に渡していたという話を何人もの派閥のメンバーが指摘している。特捜部の捜査が進み、池田氏の全容が解明されてくると萩生田氏もどうなのか」  と安倍派の衆院議員。 【こちらもおすすめ】 安倍派はなぜ「裏金作り」に全力を注いだのか 安倍一強政治の“おごり”が生んだ不幸な結末 https://dot.asahi.com/articles/-/209065?page=1  そうなると、池田氏のキックバック分も「二重帳簿」となりかねない。今後の捜査について、元東京地検の落合洋司弁護士は、 「派閥が二重帳簿をつけていたとなれば、パソコンや携帯電話を押収する。それが強制捜査です。河井夫妻の事件で、私は、カネをもらった側、広島の地方議員に選任されて弁護をしましたが、あの時も押収したパソコンや携帯電話が重要な証拠になった。河井夫妻がカネを配った一覧表などがパソコンから出てきて、携帯電話の位置情報などでより補強されて立件となりました。今回も、特捜部は二重帳簿やキックバック不記載の経緯、指示、承諾などをパソコン、携帯電話などからさらに詰めていこうとしているのではないでしょうか」  との見方を示す。 「特捜部の調べを受けた際に携帯電話の情報を任意提出した」  とAERA dot.の取材に話す安倍派の議員秘書もいた。 カネの流れ、帰属をどこまで特捜部が立証できるか  特捜部は、安倍元首相の「桜を見る会」では強制捜査をせずに秘書らだけを略式起訴としたのは記憶に新しい。だが、今回は状況が大きく違う。 「桜を見る会」をめぐる問題について審議された衆院予算委で答弁する安倍晋三首相(当時)=2020年2月    落合弁護士は、 「特捜部は派閥の事務総長クラスの幹部をやるか、無理ならキックバックの金額が大きい上位3人とか5人を立件するか、今後はどちらかに絞ってくるはず。金額が大きい池田氏はターゲットになるはずです。ただ、キックバックのカネがどの政治団体で処理されるはずだったのかがポイントです。カネの流れ、帰属をどこまで特捜部が立証できるかでしょう。安倍元首相の『桜を見る会』は大騒ぎされたが強制捜査をせず、検察は最初から小さく収めるつもりだったはずです。今回、ガサに踏み切ったというのは、議員バッジを取るくらいの覚悟だとみられます。安倍派の事務総長クラスが立件となれば略式起訴では済まず、裁判になる可能性が大きいです。ここまで大きくなって、『桜を見る会』のように秘書だけの立件では世論がおさまらないでしょう」  と話している。 (AERA dot.編集部・今西憲之) 【あわせて読みたい】 「安倍派」元秘書らが語るパーティー券の怪しいさばき方 「“桜を見る会”とセットにして売っていた」 https://dot.asahi.com/articles/-/208994?page=1
20代より露出は減ったけど…「上野樹里」37歳で家族愛に包まれた“ほっこり感“が人気
20代より露出は減ったけど…「上野樹里」37歳で家族愛に包まれた“ほっこり感“が人気 上野樹里(写真:アフロ)    7年ぶりの主演映画「隣人X 疑惑の彼女」が公開された女優の上野樹里(37)。12月2日に行われた公開記念舞台あいさつでは、夫で人気ロックバンド・トライセラトップスの和田唱と公開日に一緒に鑑賞したことを明かした。和田は「おもしろかった。もう1回見たい。すごくいい映画ですね」と絶賛していたという。 「映画公開日は和田さんの誕生日でもあったそうで、自身のSNSで『Happy 48th Birthday Sho Wada!!!』とお祝いコメントをするとともに、傾けたワイングラスを見つめる和田さんの写真をアップしていました。ほほが赤く、ほろ酔いにも見える和田さんの表情は、飾ることなく自然体で、上野さんだから撮れる1枚といった感じでした。お2人のステキな関係性が垣間見えた気がします」(テレビ情報誌の編集者)  11月26日には、夫婦ふたりでインスタライブを行った際のアーカイブ動画を自身のインスタグラムにアップした上野。10月に上演されたミュージカル「のだめカンタービレ」について話をしたい上野と、「ふたりで生配信をするのは初めて」ということをしっかり説明してから本題に入りたい和田で、冒頭からかみ合わず、「夫婦ゲンカが始まるのでは」とヒヤヒヤした視聴者も多かったようだ。その後は、フォロワーからの質問に答える形で、ミュージカルについての思いや舞台裏をふたりで語ったり、一緒に歌を歌ったりと仲むつまじい様子に「素敵夫婦すぎる」「夫婦漫才みたいでウケた」などのコメントが寄せられた。 【こちらも話題】 平野レミ、息子と結婚するまで上野樹里を知らなかった! https://dot.asahi.com/articles/-/110761 撮影中の上野樹里(2014年、写真:アフロ)   平野レミとはまるで実母のよう  2016年の結婚から7年がたち、今ではおしどり夫婦ぶりが知られるようになった一方、義母で料理愛好家の平野レミとの関係も良好のようだ。12月9日に放送された「人生最高レストラン」(TBS系)にゲスト出演した平野は、結婚するまで上野の存在を知らなかったと告白。だが、「樹里ちゃんも私のこと知らなかったって。ちょうどよかった。ウィンウィン」と驚きエピソードを披露してスタジオを沸かせていた。 「上野さんのことをキャッチコピーのように『目がでっかい、背がでっかい、態度がでっかい』と各所で公言しているレミさんですが、それは心が通い合っているからこそ。上野さんもレミさんと食事に行ったり、長電話もする仲だと話していたこともあります。レミさんから掛かってくる電話の第一声は『もしもし』ではなく、『あのさ~』といきなり話が始まるそうです。中学生のときに実の母を亡くしている上野さんですが、実母は料理上手で、性格もさっぱりした美人だったと報じられたこともあるので、亡き母とレミさんが重なる部分があるかもしれないですね」(同)  こうした家族仲の良さは俳優業にもいい影響を与えていそうだ。10月には代表作「のだめカンタービレ」が舞台化され、自身初のミュージカルに挑戦し大盛況のうちに幕を閉じた。夫の和田が音楽を担当する“夫婦共演”も注目され、東京と長野での全37公演を完走した。上野は自身のインスタグラムで、「ずーっと怖くて恐ろしくて挑戦しなかった舞台を、克服できました」とも明かし、俳優人生においても転機となったようだ。  20代のころに比べたら露出は減ったが、「グッド・ドクター」(フジテレビ系・18年)では、自閉症スペクトラム障害とサヴァン症候群を抱える研修医のよき理解者として支える指導医役を、また「監察医 朝顔」(フジテレビ系・19年)では、優秀で博識な法医学者を好演。「朝顔」は第2シーズンやスペシャルドラマが制作されるほど人気を博した。 大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の主演を務めていたころの上野樹里   若いころはピリピリしていた 「結婚後はマスコミ対応にも変化がありました。短期間で一気に大女優の地位を築いたことや周囲のプレッシャーもあったのか、若いころは常にピリピリしていた印象があります。ある映画のPRイベントでは、熱愛報道など関係のない質問をした記者を強い言葉で注意したこともありました。結婚後、たまたま彼女が登場するイベントに行ったのですが、その時はかなり穏やかで、マスコミに対しても真摯に対応していて、随分丸くなったなというか、ほっこりした感じになっていました」(週刊誌の芸能担当記者)  芸能評論家の三杉武氏は上野の経歴をこう振り返る。 「上野さんはデビュー当時から演技力の高さに定評がありました。NHK朝ドラ『てるてる家族』で共演した岸谷五朗さんがその才能を見抜き、岸谷さんの所属事務所が、上野さんが当時所属していた事務所ごと吸収合併したことは有名です。そうした周囲の期待に応えるように06年放送のドラマ『のだめカンタービレ』では主人公の野田恵役を好演してヒットに導き、映画化も実現しました。また、『のだめ』と同時期に出演したドラマ『ラスト・フレンズ』でも性同一性障害の女性を熱演し、こちらも高い評価を受けています。そして2011年には、24歳にしてNHK大河ド『江〜姫たちの戦国〜』の主演に抜擢され、一気にスターダムを駆け上がりました。結婚後に出演した『テセウスの船』では、竹内涼真さん演じる主人公の最愛の妻と週刊誌記者を見事に演じ、注目を集めるなど女優として存在感を放ち続けています」  天然、天才、憑依型……さまざまな表現をされることが多い上野。30代で家族の温かい愛情に包まれた彼女が、また違う一面を演技で見せてくれそうで楽しみだ。 (高梨歩)
旧ジャニーズ新社名にファンは「特に感慨はない」 後手後手の対応に「タレントの価値が毀損している」という声も
旧ジャニーズ新社名にファンは「特に感慨はない」 後手後手の対応に「タレントの価値が毀損している」という声も 9日、都内で報道陣の取材に応じる福田淳社長。俳優ののんさんのエージェントで手腕を発揮したことでも知られる    旧ジャニーズ事務所が設立するエージェント会社の社名が決まった。世間が沸き立つ中、複雑な思いを抱くファンは少なくない。AERA 2023年12月25日号より。 *  *  *  待ちに待った、旧ジャニーズ事務所が設立するエージェント会社の社名が決まった。  その名は、「STARTO ENTERTAINMENT」(スタートエンターテイメント)。12月8日に公式サイトで発表され、社長には、かねてから噂のあったコンサルティング会社社長の福田淳氏(58)が就くとした。翌9日、福田氏は報道陣の取材に「日本の芸能界を近代化させるきっかけにしたい」と改革への意欲を語った。  新会社を巡っては10月2日、旧ジャニーズ事務所から社名変更したSMILE-UP.(スマイルアップ)社長の東山紀之さん(57)が記者会見で、「約1カ月以内に設立する」と公言。その後、新社名はファンクラブで公募していた。それだけに、待ち焦がれていたファンは少なくなかった。新社名が公表されると早速、SNS上では「いい名前! 期待しているよ!」「なんかいいづらいなぁ」など様々な声が飛び交った。 今でも「全部好き」  だが、こうした騒ぎをよそに、複雑な思いを抱いている旧ジャニーズファンは少なくない。 「新社名も、社長に福田淳さんが就任したことも、どうでもいいです」と、東日本に住む女性(39)は話す。  小学校4年生の時から、東山さんのファン。彼がホスト役を演じるテレビドラマを見て、その美貌に魅せられた。今でも東山さんのことは「全部好き」。その東山さんのことが、新社名や新社長より、気になって仕方がないのだ。  今年6月、東山さん個人のファンクラブが設立された。その時、東山さんはファンに向けた動画で、「あと20〜30年は現役でいられるんじゃないかと思います」とメッセージを送った。同女性もずっと応援するつもりでいた。そして、東山さんには旧ジャニーズ事務所を出て、妻で俳優の木村佳乃さんと一緒にプロダクションでも立ち上げてほしいと願っていた。それだけに、これまでのキャリアをすべて捨て社長になるというのは、予想もしないことだった。第一報を聞いた時、「嘘であってほしかった」と願った。 「しかも、東山さんもジャニー喜多川氏から性暴力を受けた被害者の一人かもしれないと思います。そうであれば、被害者である東山さんが社長になって加害者のジャニー氏の代わりに責任を取らされるのは……。考えれば考えるほど、暗澹とした気分になります」 新社名には14万156件の応募があった。社名には「STAR(スター)+と(未来へ向かう)」という意味がこめられているという   新社名「公募」に疑問  そもそも、新社名の決定の仕方がおかしい、というファンもいる。 「単なるイベントになっただけだと思います」  と話すのは、高校生の時からの旧ジャニーズファンだという女性(30)。3人組のNEWSの小山慶一郎さん(39)のファンで、彼の笑顔に元気をもらってきた。だが今年4月、元ジャニーズJr.のカウアン・オカモトさんがジャニー氏からの性被害を訴える会見をテレビで見て、衝撃を受けた。 「私がずっと応援していたタレントが所属している事務所で性暴力があったというのが、本当に信じられない気持ちでした」  この女性は、SMILE-UP.はジャニー氏の性暴力について時間をかけて検証し、再発防止について考えていくべきと思っていた。そんな中、新会社をつくるので社名をファンの皆で考えましょうというのは「イベント」のように思えて仕方がなかった。 「新会社を設立するのは、ジャニー氏の功績を後世に引き継がないのが目的のはずです。しかし、その真意が伝わってきませんでした」  新社名を「公募」にするのであれば、その理由と新会社の方向性を示し、それにふさわしい名前をファンと共に考えたいと言ってくるのなら理解できる。だが、SMILE-UP.から送られてきたメールには、新会社の社名案と、そこに込めた思いなどを100文字以内で記入する応募フォームがあっただけ。女性は応募しなかった。 「名前に込めた思いを、ファンである私たちが書く意味が分かりません。大切なのは、新会社をどのような会社にしたいかではないでしょうか」  実際、ファンの思いは悲喜こもごもだ。 「アイデンティティークライシスに近いものがあります」  揺れる思いを語るのは、大学院生の女性(20代)。嵐の櫻井翔さん(41)のファンだ。 コメントに「失望した」  櫻井さんのファンになったのは小学生の時。テレビのバラエティー番組で櫻井さんを見て「一目惚れ」した。  調べると、櫻井さんは高校や大学に通いながら芸能活動をし、政治や社会問題にも目を向けていた。そんな彼をリスペクトし、以来、櫻井さんの背中を追ってきた。大学に進み学問をする道を選び、いまは大学院で社会に目を向けた研究をしているのも、櫻井さんから受けた影響が大きかった。まさに、自身のアイデンティティーを形成してくれたのが櫻井さんだった。  だが、ジャニー氏の性加害問題で、櫻井さんがキャスターを務めるニュース番組「news zero」でコメントするのを聞いて失望した。歯切れが悪く、被害者や被害者に向けられた二次加害のことより、自身と事務所の立場を考慮したコメントだった。 「この問題について、櫻井さんがコメントすることは非常に難しいと理解しています。しかし、社会問題を多くの人に知らしめる役割が、アイドルがキャスターをやる意味だったわけです。なので、彼の背中を追ってきた人間としては、なんとも言えない思いがあります。はっきり言うと、失望したと言っても、過言ではありません」  そう語る同女性も、新社名も福田氏が新社長になったことも、「特に感慨はない」という。 「嵐のエンターテインメントを追求してきたのは、他ならぬ嵐自身です。嵐がやってきたことに対して好きだったという思いがあります」  ファンとしては、嵐がアイドルとして活動を続けられることが一番の喜び、と話す。 「それなのに、会社の対応が後手後手に回り、櫻井さんのCMが次々と打ち切られるなど、嵐の価値が毀損しているのが現状です。できるだけ速やかに、タレントがより良い仕事ができるよう対策を考えるべきです」  新会社は、来年4月に本格稼働の予定だ。(編集部・野村昌二) ※AERA 2023年12月25日号
自民党裏金の使い道とは「カネを配らないと票が集まらない」元国会議員秘書が語る
自民党裏金の使い道とは「カネを配らないと票が集まらない」元国会議員秘書が語る 首相官邸で記者会見する岸田文雄首相=2023年12月13日    連日報じられている自民党の派閥による裏金づくり。最も大規模に行われていたとみられているのは安倍派だが、キックバック方式は他の派閥でもあったようだ。5年間で計約10億円が裏金化された疑惑も報じられている。政党交付金があり、給与である歳費も多額の政治家が、なぜ裏金をつくる必要があるのか。元国会議員秘書で政治評論家の尾藤克之氏は「お金を配らないと票が集まらないという実態がある」と指摘する。お金を配る、とは? *  *  * 「自分のためにだれかに動いてもらうにはお金がかかる」  尾藤さんがそう話し、特にお金がかかると言われているのが選挙だ。  応援で駆けつけた秘書や後援会員、選挙運動員(ウグイス嬢)、地元議員らにお金を配る。選挙運動はボランティアが原則だが、議員が当選するために金銭を配っている実態があるという。  最近では2019年の参院選で、河井克行元法務相が妻の案里氏を当選させる目的で、地方議員ら100人に計約2870万円もの現金を配ったとして公職選挙法違反の罪に問われて有罪となり、実刑判決が確定した。  尾藤さんはこう指摘する。 「国会議員は、地元の市議や区議、後援会らに馬車馬のように働いてもらうことになります。アメとムチのようなもので、必死で働いてもらう代わりに、対価を渡すということです。派閥の長や二世議員の出馬の際には号令がかかることがあります。超党派で秘書が派遣されたりします。資金に余裕のある議員は当選もしやすくなります」   【こちらも話題】 安倍派はなぜ「裏金作り」に全力を注いだのか 安倍一強政治の“おごり”が生んだ不幸な結末 https://dot.asahi.com/articles/-/209065 記者の裏金問題の追及に「頭悪いね」と言い放った自民党の谷川弥一氏(右)    選挙の他にも政治資金収支報告書には記載されないような出費がある。  例えば、公務員である公設秘書とは違い、ボーナスがない私設秘書に対しては、臨時の奨励金としてお金を支払うことがあるという。  党の幹部が夜の会合でハイヤーを待たせる場合、運転手に寸志を持たせることも。 「委員会の理事や党の要職に就くと車をあてがわれます。定時になれば車を返す必要がありますが、料亭で夜の会合などがあれば、運転士には待っててもらう必要がある。そのときに運転手の了承が必要になるのですが、ここでお金が必要になってきます。羽振りがよくないと運転手の間で評判が悪くなりますので、見えを大切にする議員はよりお金を使うことになります」(尾藤さん)  議員たちからすれば「必要経費」ということなのだろうが、緩い実態がありそうだ。このようなお金の使い方が放置されていていいのだろうか。  尾藤さんの見解はこうだ。 「旧態依然とした金権政治が残っているのが現状でしょう。政治とカネの問題は以前から改革が求められていますが、まったく議論が進んでいません。今回のような問題を防ぐためには、履歴が残るようにお金の収支はすべて電子化したり、違反者に対する罰則を強化したりするなど対策が必要だと思います」 (AERA dot.編集部・吉崎洋夫)   【こちらも話題】 安倍派裏金疑惑で「アッキー」とは何者だったのか 日本を振り回した“印籠”使いの子どもたち 北原みのり https://dot.asahi.com/articles/-/208842  
皇后雅子さまの美しいお着物姿 お召し機会が増えたのは「体力の証」?
皇后雅子さまの美しいお着物姿 お召し機会が増えたのは「体力の証」? キルギスの大統領夫妻を見送る天皇陛下と皇后雅子さま。雅子さまの着物は、秋明菊や小菊の意匠が美しい=2023年11月、皇居    皇后雅子さまが、和服をお召しになる機会が増えてきた。それは「令和流」の皇室が本格始動を始めた証でもあり、さらに体調に波がありつつも、雅子さまが快復に向かっている兆しとも言えそうだ。 *   *   *   秋明菊や小菊が咲く、薄黄色の訪問着に、金箔(きんぱく)と菊の意匠の帯が艶やかだ。  11月17日、天皇陛下と和服姿の雅子さまは、来日したキルギスの大統領夫妻と皇居・宮殿で会見し、4年ぶりとなる昼食会を「連翠北(れんすいきた)」の食堂で開いた。 「令和流」と注目を集めたのが、両陛下の提案による「和」の接遇だ。  これまで外国の賓客を招いた宮中の料理といえば、フランス料理が主流だった。しかし、このときは前菜に手まりずしなど、旬の食材を用いた和食が提供されたのだ。  さらに同月28日のベトナム国家主席夫妻との昼食会では、冒頭に日本酒で乾杯し、押しずしも振る舞われた。    雅子さまは12月9日、還暦を迎えた。雅子さまの体調について医師団は「ご体調には波がある」と慎重な見解を守りつつも、「御快復の途上にあり」とした。  体調が快復の傾向にあるのはこの1年、国内外での大型公務に出席していることからも見て取れる。  そしてもうひとつの変化は、雅子さまが和服を着る機会が増えたことだ。    着物の着付けでは、肩から胸、腰の部分をガーゼや綿などで補うことがある。そうすることで、なだらかな美しい曲線の和装となるが、着慣れない人や体調によっては負担がかかる。長期療養が続いた雅子さまは、和服を着ることが難しいときがあった。  昭和の時代から皇室に着物をつくり、納めてきた「染の聚楽」代表の高橋泰三さんは、こう話す。 「一方で、令和に入り今年春の園遊会を始め、公務で着物をお召しの機会も増えておられる。喜ばしいことですし、それだけ体力もおありだと見ることもできるでしょう」     【こちらも話題】 別格の品格の雅子さまの着物姿 園遊会でもてなしの心あふれる着こなしを歴史文化学研究者が解説 https://dot.asahi.com/articles/-/194826   ベトナムの国家主席夫妻を見送る皇后雅子さま。夫人の民族衣装アオザイと、貝桶や絵本など宮中の意匠が描かれた雅子さまの着物が、優美な調和をみせる=2023年11月、皇居   着物に宝石はつけないもの  日本酒でもてなした、ベトナム国会主席夫妻との会見と昼食会。そこで雅子さまが着用していた着物も美しい。  淡い緑色の訪問着には、平安時代の宮中遊び「貝合わせ」の入れ物である貝桶や絵本といった吉祥文様が大振りに描かれている。菊や松、撫子に桔梗、藤といった四季の植物の柄も華やぎを添えている。泰三さんは「おそらく江戸友禅ではないか」と見る。  国家主席のタム夫人が着用したベトナムの民族衣装「アオザイ」にも、植物柄などの刺しゅうが施され、おふたりで優美な取り合わせとなった。  昼食会は成功だった。予定時間を45分もオーバーし、別れ際の玄関先で、両陛下と国家主席夫妻が7分間も話し込むほどの親密さをみせた。    今年2月にあったフィリピン・マルコス大統領夫妻との会見も、ほぼ通訳を介さず、英語で和やかな懇談が行われた。 フィリピンの大統領夫妻を出迎えた天皇陛下と、かずら帯が描かれた着物をお召しの皇后雅子さま=2023年2月、皇居、宮内庁提供    雅子さまが選んだのは、かずら帯が配された訪問着。かずら帯とは能衣装のひとつで、鉢巻きのように頭に巻いて後ろで結ぶ細いひも状の布のことだ。雅子さまは、二重亀甲や重ね菱(かさねびし)、竹や菊が描き出されたかずら帯で雅な装いだった。  先の高橋泰三さんは、雅子さまの装いに込めた思いをこう見て取る。  「末広(すえひろ)と呼ばれる縁起物の扇子も、左胸の正しい位置に差しておられる。また、園遊会のときもそうでしたが、帯留めもアクセサリーも身につけていらっしゃらないのはさすがです」  本来は、帯留めや宝石は正式な場ではつけず、観劇や食事会などおしゃれとして和服を着る場合に楽しむものだという。     【こちらも話題】 雅子さま 園遊会で「帯留め」をひかえたのはなぜ?主催者としての「おもてなし」の心 https://dot.asahi.com/articles/-/194788      京都の着物には、薄く削り出した貝の真珠層を糸状に細く切って帯や着物に織り込む「螺鈿(らでん)織り」と呼ばれる技術がある。金の合金を1万分の1ミリの薄さまで延ばす石川県の金箔や各地の染めや織り、刺しゅうなど、着物は日本の伝統技術そのものだ。 「着物は、きらきらと輝く螺鈿織りや金箔、刺しゅうといった技巧が装飾そのものでしたから、石の宝石は必要なかったのです。身につけたとしてもせいぜい、真珠の指輪くらいがよろしいかと思います」(泰三さん)   雅子さまの真珠の指輪  接遇する立場である雅子さまの和服の装いは、いずれも控えめだ。 ウズベキスタンの大統領夫妻を出迎える天皇陛下と皇后雅子さま。雅子さまは珍しく真珠の指輪を身につけている=2019年12月、皇居    令和皇室に代替わりをした2019年12月。ウズベキスタン大統領夫妻を招いての懇談と昼食会では、真珠の指輪を身につけていたが、以降の和装ではほぼ装飾品はつけていない。控えめだからこそ、「和」の美しさが際立つのだろう。  泰三さんは言う。 「不況もあいまって値段の張る品は売れにくい世の中です。日本の伝統文化を伝えてきた職人もずいぶん少なくなりました。そうしたなかで、皇后さまが、宮廷や各地で育まれた日本の文化に理解を示し国内外に伝えてくださるのは、職人にとっても励みとなるでしょう」 4回目の「饗宴の儀」に臨む天皇陛下と皇后雅子さま。女性皇族は華やかな着物をお召しになっている=2019年10月、皇居・宮殿「豊明殿」    両陛下が発信する令和流の「和」のおもてなしは、これからも明るい話題を提供してくれそうだ。 (AERA dot.編集部・永井貴子)   【こちらも話題】 雅子さまの姿勢はなぜ美しいのか 雨の中の佇まいが「感動するほど」マナーのプロ https://dot.asahi.com/articles/-/205025  
「いいじゃん、生きたいように生きれば」 吹っ切れる50代こそできる新たなチャレンジ
「いいじゃん、生きたいように生きれば」 吹っ切れる50代こそできる新たなチャレンジ 50代は体力面での衰えは出てくるものの、新たなチャレンジもまだ可能 写真はイメージです(iStock / Getty Images Plus)    より自分自身を尊重できるようになる、それが50代。体力面でキツくても、まだ新しい挑戦も可能だ。50歳の節目を前に新たな一歩を踏み出した人たちも少なくない。AERA 2023年12月18日号より。 *  *  *  ポスチャーウォーキング指導者の下田弘子さんは今年、50歳の誕生日をベルギーで迎えた。会社員の夫(46)に同行し、愛犬とともに海を渡って半年。フランス語のレッスンに通い、時々オンラインで日本の生徒にウォーキングの指導をする日々だ。 「いろんなことを経て迎えた50歳。たくさんのモノは不要で、思い出を共有できる家族と友だちと、健康が何より大事。身体が動くうちに、将来ボケないくらいの新しい刺激を楽しみたい」 吹っ切れるのが50代  充実した表情でそう話す下田さんだが、その心境に達するまでには、長い時間がかかったという。  役員秘書として働いていた31歳の時、4歳下の夫と結婚。「子どもができた時にすごくいいチームになれる気がした」ことが結婚の決め手だったが、33歳で椎間板ヘルニアを患ってから体調が悪化。35歳で子宮筋腫の手術を受けたが、なかなか妊娠せず、心身のバランスを崩した。一時は歩くこともできなくなり、仕事もやめ、夫とは「一緒にいる意味がない」と何度か真剣に話し合った。  これからどう生きるのか。ぐるぐると考える中で「まずは身体を治したい」と試行錯誤するようになったという。ポスチャーウォーキングに出合ったのは、30代後半。徐々に心身が回復し、40代で指導者の資格も取った。夫は、2人の暮らしを続けるためにも新たな環境が必要だと海外部門への異動を申し出た。 「まだ若いと思っていても、更年期の薬も飲んでいるし、変化を受け入れることは、そう簡単ではない年齢になりました。でも、大切なものがわかっていたので、ベルギー行きを決断することができた」(下田さん)  引っ越しのために、洋服や古いフィルム写真などを大量に処分できたことも、新たな生活に弾みをつけたという。  著書に『50歳から花開く人、 50歳で止まる人』がある文筆家の有川真由美さんは、「50歳」を節目とする理由をこう話す。 「組織の中の立ち位置、子どもの親や夫、妻であることよりも、個としての自分を尊重できるようになり、『いいじゃん、生きたいように生きれば』と吹っ切れるのが50代です」 生き方の軸をシフト  多くの50代を取材してきた経験から、体力面での衰えは出てくるものの、新たなチャレンジもまだ可能だと感じるという。 「60歳では腰が重くなるかもしれませんが、50代ならば生き方の軸を自己実現にシフトできる。自分のことを諦めずに、魅力的な自分で人とつながっていける。大切なのは、自分の本音に気づき、どう生きていきたいかを考えることです」(有川さん)  その言葉にうなずくのは、2021年に滋賀県近江八幡市でデイサービス施設「コンパスウォーク」を立ち上げた志村知美さん(50)だ。40代になってから離婚し、再婚をきっかけに、それまで一度も訪れたことのなかった同市で暮らし始めた。 「離婚する時、とても悩みました。でも我慢するのはやめよう、と。一度きりの人生で後悔したくなかった。知らない土地でのビジネスに不安もあったけど気力はまだあるので、踏み出せた」(志村さん) (編集部・古田真梨子) ※AERA 2023年12月18日号より抜粋
【2023年下半期ランキング社会編6位】「エホバの証人」元2世信者が公表した実態とは 母たちの前で「射精は?」「手か口か」と聞かれ
【2023年下半期ランキング社会編6位】「エホバの証人」元2世信者が公表した実態とは 母たちの前で「射精は?」「手か口か」と聞かれ 会見した元2世信者の綿和孝さん(仮名=右)と道子さん(仮名)    2023年も年の瀬に迫った。そこで、AERA dot.上で下半期に読まれた記事を振り返る。社会編の6位は「『エホバの証人』元2世信者が公表した実態とは 母たちの前で『射精は?』『手か口か』」と聞かれ」(11月29日配信)だった。(肩書年齢等は配信時のまま) * * *  宗教団体「エホバの証人」の元2世信者らで作る団体が28日、東京都内で会見を開き、教団内での児童に対する性的虐待についての調査結果を公表した。幹部や年上の信者から幼少期に性暴力を受けたり、未成年の時に幹部から性行為の経験の有無を問いただされたりしたなど、性的虐待を受けたとの回答が多数あったことを明かした。一般社会とはかけ離れた教団内の実態が垣間見えた。  アンケートを実施したのは元2世信者らでつくる「JW児童虐待被害アーカイブ」。今年7月、インターネット上で元2世信者らに対して行った。  同団体は28日午前、こども家庭庁に調査結果と、公的な調査などを求める要望書を提出した。  アンケートの質問は、 (1)信者による性暴力や性的虐待を受けたことはあるか (2)集会での大人たちの言葉や教団内の出版物に書かれていた文言について、性的虐待だと感じたことはあったか (3)信者が、教団の禁止事項を破った疑いを持たれた際に開かれる審判「審理委員会」で、性経験を話すよう強制され、それを性的虐待だと感じたことはあったか  3項目に分類して回答を求め、計159人から有効回答を得た。 「長老」からの被害も  さらに、「性的被害を受けた」と回答した人の中から、面接が可能だった女性10人、男性1人の計11人に、公認心理士の立ち会いのもと、被害について証言してもらった。 (1)について、「受けた」と回答したのは37人。うち35人(女性30、男性5)が被害当時、未成年だった。  主な被害の内容(複数回答可)は「性交渉をさせられた」=4件、「衣服の上から、または直接、体を触られた」=24件、「下着姿や裸を見られた、撮影された」=11件、「加害者の体などを触らされた」=8件、だった。  加害者との関係(複数回答可)で最も多かったのは「顔見知り」で23件。「長老」と呼ばれる地域の幹部からの被害も12件あった。場所は信者の自宅が最も多く、身近な場所での被害が多いことが明らかになった。 (2)について「性的虐待だと感じた」と答えたのは139人。このうち、6歳までに被害を受けた人が49人と最も多く、全体の8割以上が12歳までの幼少期に被害を受けていた。  地域の信者らの集会では、教団内で性的に禁止されている行為について、大人と小さな子どもが一緒に学ばされる。また、エホバの証人の出版物には、性的に禁止されている行為が明確に示されている。 【あわせて読みたい】 「ジュニアアイドル」経験者が語る 性的な不快感を言いづらい構造と性搾取を容認する空気感 https://dot.asahi.com/articles/-/204641  回答では、 「幼稚園のころからマスターベーション、セックスという単語を頻回に耳にしてきた。年齢にそぐわぬ性的知識を問答無用で与えられた」  「年端もいかない子供が(出版物に書かれていた)『オーラルセックス』『ペッティング』などの言葉を音読させられる辱めを受けた。今思えば完全な性的虐待」  「『マスターベーションがなぜだめか』を、場面を設定して説明させられた。大変苦痛だった」 「エホバの証人に参加していなければ、段階を踏んで性の知識を得ることができ、現在までに至る性的倒錯と自己嫌悪に悩むことはなかっただろう」  など、その行為がどのようなものかを知らないうちに、“学び”を強制されていたケースが大半をしめた。 (3)の「審理委員会での性的虐待があった」と回答したのは42人。うち未成年は15人だった。 教団の出版物。性について書かれている   親の前で「避妊具の使用は? 射精は?」  エホバの証人は婚前交渉を禁じているが、性行為をしたなど「罪」に当たる行為をした信者には、「審理委員会」と呼ばれる宗教裁判のような場が設けられ、地域の幹部たちに詰問される。反省が見られない場合、親や信者らとの関係を断つ最も重い「排斥」処分が下されることもある。  数々の回答は、未成年を根掘り葉掘り詰問する、社会常識からかけ離れた実態を表していた。 「性行為を行った回数、何月何日、何時に始めたか、何分に挿入したか。エクスタシーを感じたか。50代と70代の長老から、親の前で聞かれた」 「長老と母の前で、事細かく性行為の流れを話すよう強要された。キスの有無。避妊具の使用は。射精はどうしたのかなど」 「具体的に相手の性器に触れたか。それは手か口かを聞かれた」 「どのような性行為を行ったか。どんな気持ちだったか(興奮したかとか)。密室で長老3人を前に、話さざるを得ない圧力を感じた」  調査にかかわった元2世信者の道子さん(仮名)は、 「エホバの証人の子供たちは、たとえばパン屋さんになりたいだとか、将来の夢を語ることすら許されない。その状況で性被害を受けてきています。被害を訴えようという力がない人もいるはずで、もっとたくさんの被害者がいると思っています」  と氷山の一角である可能性を指摘する。 教団の出版物   【こちらもおすすめ】 「教団は『信者の感情が傷つく』という言葉を盾に使うな」 荻上チキ(評論家)×菊池真理子(漫画家)が語る「宗教2世」問題とは https://dot.asahi.com/articles/-/13233  聞き取り調査をした公認心理士によると、大人になってからも精神的な被害が回復していない被害者も多かったという。 「(ルールによって)抑圧された大人の性欲が、子どもに向けられている。教団の子供たちを救ってほしいと聞き取りをした全員から聞くことができました」  JW児童虐待被害アーカイブはあくまで任意団体で、活動には限界があり、当事者たちもそれを認める。  代表の綿和孝さんは、「公的調査をしていただき、被害者たちを救済する制度を作っていただきたい」と、国に期待を寄せた。 身近な相手から性被害  エホバの証人の児童に対する性的虐待の実態調査が公表されたが、定期的に集まるグループ内での被害が最も多く、行為の場所も「信者の自宅」が最多だった。  なぜ身近で被害に巻き込まれ、誰もそれに気づかないのか。調査にかかわった元2世信者は、 「エホバの証人には性暴力や性被害が起きやすい、特有の環境がある」  と口にする。  綿和さんらによると、エホバの証人の信者たちは「交わり」と呼ばれる、信者同士や信者の家族同士の親密な交流を大切にするという。  子どもたちの「お泊まり会」。「食事招待」と呼ばれる信者の家に招かれて食事をするイベントや、レクリエーションを催したりして親しく付き合うのだ。  良い関係づくりにも映るが、綿和さんら元2世が問題視するのは、家族同士の「距離感の異常さ」だという。  例えば、男性や思春期の少年がいる家庭に、幼い娘を一人で泊まりに行かせてしまう。 「今思えば不思議なほど、毎年のように他人の家に一人で泊まりに行っていました」と元2世の女性は振り返る。  家族で遊びに行った際、相手の家の男性や思春期の少年が、自分の娘を膝の上に乗せたり、身体接触を伴う遊びをしたりしていても、誰かがとがめることはない。  遊びに行った家で、男性や少年の部屋に、自分の娘が一人で入り、いわば閉鎖された状態で遊んでいても、親たちは不安を抱かずおしゃべりに夢中になっている。 【あわせて読みたい】 この世はサタンに毒されている、ハルマゲドンが来れば楽園に行ける…「カルト2世」が明かす生きづらさと解けない呪縛 https://dot.asahi.com/articles/-/15111 「小学生の娘を、他人の家の男性が膝に乗せてじゃれあっていたら、普通に考えたら『キモイ』と思いますよね。誰かの家に行っても、小さな子供は親の目が届くところで遊ばせるはずで、ましてや男性や少年の部屋で、娘を1人で遊ばせるなんてことはさせないでしょう。ところが、エホバの証人の親たちは、どこも我が家かのように安心しきってしまい、娘が膝に乗せられていても『きょうもかわいがってもらってよかったね』などと言ってしまうのです」(前出の女性)  事実、アンケートでも、 「食事招待で被害にあった。大人は大人同士のおしゃべりに夢中でまったく子供の様子を見ていなかった。加害者は信用ある年の若い2世で、加害者がいるなら安心と大人たちは思っていたのではないか」 「親とともに加害者宅に訪問。加害者の個室に呼ばれて被害にあった」 「我が家での『交わり』の際、私の部屋に入ってきて2人になりベッドに倒され、性交渉させられそうになった」 「若い夫婦の信者宅に泊まりに行き、定期的に被害にあった」  などの回答があった。 王国が第一、子どもは二の次  信者の家族同士の、根拠のない安心感に基づいた交流の場。加害者の立場から見れば、「疑いを持たない」心理を利用し、加害行為をする環境を容易に作ることが可能だ。「楽園ができてしまう」と元2世信者らも危機感をあらわにする。  さらに、性被害を訴えても2人か3人の目撃者がいないと、教団内の宗教裁判である「審理委員会」は開催されない。逆に訴えた側が処罰されたケースもあるなど、被害者の立場が圧倒的に弱い。 「仮に加害者が長老などの地域の幹部だった場合、『あの人がそんなことするはずがない』と親が聞く耳を持とうとしないケースもあるのです」(綿和さん)。  エホバの証人は婚前交渉を禁じるなど性的行為のルールが厳しく、性的にゆがみやすい環境にある。  綿和さんは、「エホバの証人の親たちは王国が第一で、子どもは二の次。人の扱い方にゆがみがある」と指摘し、こう続けた。 「子どもたちが性被害に遭いやすい構造的な問題は今も続いています。現役信者の大人たちにこそ知って欲しい事実で、信者だからと安易に信用せず、自分の子どもを守って欲しいと思います」 (AERA dot.編集部・國府田英之) ※記事の続きはこちら<<「ハルマゲドンが来たら意味がないでしょ!」エホバの証人の元2世信者が母に言われた最後の言葉>>へ続く 【こちらも読まれています】 ​妻の名前から職場までネット上に…ジャニーズ性被害「当事者の会」メンバーが語る二次被害 https://dot.asahi.com/articles/-/206882
ドジャース大谷誕生記念! どこよりも早いロサンゼルス紀行 ミッツ・マングローブ
ドジャース大谷誕生記念! どこよりも早いロサンゼルス紀行 ミッツ・マングローブ    ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの連載「今週のお務め」。27回目のテーマは「大谷翔平がいるロサンゼルス」について。 *   *   *  大谷翔平選手が、ロサンゼルス・エンゼルスからロサンゼルス・ドジャースへ移籍することが明らかになった今週。一報を聞いて、まず脳裏をよぎったのは、「あら。同じロサンゼルス市内なら引っ越ししなくていいじゃない!」という、おおよそ野球とは関係のない感想でした。  そもそも古巣エンゼルスは、「ロサンゼルス」を冠しているにもかかわらず、本拠地がロサンゼルス市内にはないことも初めて知りました。「エンゼル・スタジアム」があるアナハイム市は、ロサンゼルス市から45キロも離れているそうです。東京で置き換えれば、新宿から高尾(八王子市高尾町。高尾山で有名)ぐらいでしょうか。通えない距離ではないと思われますが、現時点で大谷選手がどの辺りに住んでいるのか知らないので、「引っ越しの有無」に関してはまったく分かりません。もしかしたら、すでに新宿(ロサンゼルス)にも高尾(アナハイム)にも出やすい「カリフォルニアの国分寺」的なエリアに住居を構えている可能性もあります。  それにしても、大谷選手がメジャー移籍して6年、私はいったい何を観てきたのでしょうか? 家は特大パネルに写真集、記念コインなどで溢れ返り、スマホの中には1000枚以上の選りすぐり画像や動画のスクショがメモリーを占拠しているというのに……。  何が自分でも驚いたって、彼の背番号が「17」だと初めて認識したことです。確か日ハム時代は「11」だったと記憶していますが、アメリカに渡って以降は、考えてみたら背番号など気にしたことがありませんでした。私は常に大谷翔平の顔と手、そしてユニホームの向こう側を見ています。よって燦然と輝く背番号「17」には、何の意識も注がずに6年もの月日が経っていたというわけです。     【こちらも話題】 ミッツ・マングローブ「大谷翔平、解禁されていくアメリカンな性(さが)」 https://dot.asahi.com/articles/-/69950      こんな調子で、来季からも私は大谷翔平を見つめ続けていくことだけは変わりません。何なら一度、現地で試合を観戦したいと毎年のように思っています。アメリカの地理はさっぱりですが、ロサンゼルスならばどうにか辿り着けそうです。  ロサンゼルス空港の北西側には「サンタモニカ」の街があります。桜田淳子ファンとしては、長年「来て来て来て来て」とお誘い頂いていたサンタモニカにも寄らない理由はありません。  サンタモニカから北東に進むと「ビバリー・ヒルズ」があり、そのもっと先には「ハリウッド」まであります。いけ好かない青春白書の若者たちを脅かした後、ハリウッド大通りの劇場前にあるYOSHIKIさんの華奢な手形に、自分の巨大な手のひらを合わせてみるのも一興でしょう。  ハリウッドから少し南東へ下ると、かつてドナ・サマーが歌ったことでも有名な「マッカーサー・パーク」があります。ドナの「マッカーサー・パーク」は、全米1位に輝いた1970年代ディスコサウンドの金字塔のひとつです。園内の池付近を歩きながら、曲の一節にある「誰かが置いていったケーキが雨に濡れている/悪いけど私は食べない/だって焼くのに時間がかかっただろうし/ましてやそのレシピは二度と手に入らないでしょうし……」という、文学的に捉えても意味難解過ぎる歌詞を、是非とも時間の許す限り噛み締めたいものです。  マッカーサー・パークからさらに南東方面へまっすぐ進むと「ダウンタウンエリア」に出ます。ちょっと危険なにおいとともに非常に魅力的な出来事が待っていそうな気もしますが、厄介なトラブルに巻き込まれないためにも、ここはさっさと北東に進路を変え、「リトルトーキョー」を目指しましょう。     「リトルトーキョー」は約140年前に、移民としてアメリカへ渡った先達が築き上げてきたアメリカ最大の日本人街です。あのジャニー喜多川、メリー喜多川の両名も、ここで生まれ育ちました。彼らの父親は、リトルトーキョー内に今もある「高野山米国別院」の第3代主監(1924~1934年)を務めた高野山真言宗の僧でした。  また1950年には、美空ひばりさんが初のアメリカ公演を、ここリトルトーキョーでも行いました。その時の会場もまた、今なお現存する「東本願寺ロサンゼルス別院」という別のお寺だったそうです。ちなみに東本願寺は浄土真宗の分派した宗派のお寺で、正式名称は「真宗大谷派東本願寺ロサンゼルス別院」なんだとか。宗教や宗派にこだわりのない人にとっては、なんとなく得した気分になれる偶然です。  リトルトーキョーの北側には、さらに大きなチャイナタウンが幅を利かせています。世界中どこへ行っても、中華街というのは独自の発展を成功させる根性を見せてくれるものですが、ロサンゼルスのチャイナタウンもしかり。縦長に鎮座するチャイナタウンを北西側から出ると、いよいよロサンゼルス・ドジャースの本拠地「ドジャー・スタジアム」の敷地になります。広大な駐車スペースが何重にも渦巻き、その真ん中に球場があり、そこで来春から大谷選手の勇姿が見られるというわけです。    ロサンゼルス空港からドジャー・スタジアムまで、グーグルマップで名所を巡りながら旅してみました。一度は訪れてみたい街であることは間違いありません。  ただ、妄想力の強い私はすでにお腹いっぱいです。きっと来季も日本でテレビに噛り付き大谷翔平を愛でるのだと思います。単身赴任夫の留守を預かる妻として。   ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する 【こちらもチェック!】 ミッツ・マングローブさんのコラム「今週のお務め」「アイドルを性せ!」はこちら!    
【2023年下半期ランキング皇室編6位】佳子さまの“パーフェクトスマイル”は現地で絶賛 「ほほ笑みのプリンセス」のペルー訪問
【2023年下半期ランキング皇室編6位】佳子さまの“パーフェクトスマイル”は現地で絶賛 「ほほ笑みのプリンセス」のペルー訪問   ペルーの「ろう学校」で、スペイン語の手話を披露される佳子さま(写真:AP/アフロ)  2023年も年の瀬に迫った。そこで、AERA dot.上で下半期に読まれた記事を振り返る。皇室編の6位は「佳子さまの“パーフェクトスマイル”は現地で絶賛 『ほほ笑みのプリンセス』のペルー訪問」(11月12日配信)だった。(※肩書年齢等は配信時のまま)  南米ペルーを公式訪問していた秋篠宮家の次女・佳子さまが、10日に帰国された。日本との外交関係樹立150周年を迎えたペルーへの訪問は、度重なる航空機トラブルや超過密スケジュールなどハードな局面もあったが、終始弾けるような“パーフェクトスマイル”で、現地の人々と親交を深められた。ペルーメディアから「ほほ笑みのプリンセス」と称賛された佳子さまの姿を、写真で振り返る。 *  *  *    1日午前、民間機で羽田空港を出発された佳子さま。エメラルドグリーンのスーツに光る真珠のブローチは、2019年に姉の小室眞子さんがペルーへ出発された際に着用していたものと同じデザインだったことから、「眞子さんから譲り受けたのでは?」と注目を集めた。 【こちらも話題】 佳子さまの絶妙なセルフプロデュース力「強い意思を感じる」皇室番組放送作家 https://dot.asahi.com/articles/-/203854 写真:ロイター/アフロ 写真:ロイター/アフロ 写真:ロイター/アフロ  経由地の米ヒューストンで、ペルー行きの便に搭乗した佳子さまだったが、機体レーダーの故障のため引き返すことに。さらに、乗り換えた便もエンジントラブルで離陸できず、予定より1日遅れの現地時間3日午前0時半ごろ、ようやく首都・リマのホテルに到着された。  それにも関わらず、3日は午前中からご公務スタート。日本とペルーの外交関係樹立150周年を記念した式典では、秋篠宮ご夫妻や姉の眞子さんも過去にペルーを訪問したことに触れ、「家にはペルーの本やアルパカのぬいぐるみがあり、ペルーの音楽を楽しむ機会も多くありました」などと明かされた。 【こちらも話題】 佳子さまの喪服姿はなぜ話題に? 安倍元首相国葬でのひと際目を引いた堂々たる気品 https://dot.asahi.com/articles/-/199223 写真:AP/アフロ  佳子さまは5日、ペルー南部の古都クスコを訪れ、インカ帝国時代の太陽神殿「コリカンチャ」の石組みの上に建てられたサント・ドミンゴ教会などを見学された。ターコイズブルーのお召し物は、姉の眞子さんがブータン訪問時に着ていたもの。  なお、この日の午前、サクサイワマン遺跡でアルパカの群れに出迎えられた際は、アルパカのペンダントを身につけ、「いろんな色のアルパカがいますね」「走る速度はどれくらいですか?」などとアルパカに興味津々のご様子だった。 写真:AP/アフロ 写真:AP/アフロ  現地時間の6日午前には、首都リマにある公立の「ろう学校」を視察。全日本ろうあ連盟の非常勤嘱託職員で、手話が得意な佳子さまは、訪問の1か月半前からスペイン語の手話も練習していたという。  小学4年生の算数の割り算の授業では、手話で「算数は好きですか?」などと児童に質問された。教諭によると、子どもたちは「なぜそんなにスペイン語の手話が上手いの?」と驚いていたそうだ。 【こちらも話題】 愛子さま「かっちり」佳子さま「ふんわり」 プリンセス・ファッションの違いの意味 https://dot.asahi.com/articles/-/203257 写真:ZUMA Press/アフロ 写真:ZUMA Press/アフロ  当初のスケジュールで最初のご公務として予定されていた、リマ市のマルテ広場訪問は、初日の航空機トラブルの影響により現地時間の7日午前に変更。広場には、1899年に初めて組織的にペルーに渡った日本人790人の名前が刻まれた記念碑がある。純白のスーツと手袋を身につけた佳子さまは、記念碑にバラやユリなどの花輪を供え、深々と拝礼された。 【こちらも話題】 「ねぇ、今日の夕食はなあに?」眞子さんと佳子さまもペロリと食べた 秋篠宮家元料理番の特製カレーレシピ https://dot.asahi.com/articles/-/202365 写真:ZUMA Press/アフロ 写真:ZUMA Press/アフロ  マルテ広場訪問を終えた佳子さまは、午後は着物に着替え、ペルー初の女性大統領であるボルアルテ大統領を表敬訪問された。この若草色の振袖も、以前姉の眞子さんが着用していたもの。大統領主催の昼食会では、「困難な時期もありましたが、両国はそれを乗り越え、友好親善関係を発展させてまいりました」などとおことばを述べられた。 【こちらも話題】 紀子さま 戴冠式での着物姿、なぜ「たるみ」と「よれ」が気になったのか【2023年上半期ベスト10】 https://dot.asahi.com/articles/-/197147 写真:AP/アフロ  滞在最終日となった現地時間の8日午前、佳子さまは、リマ市で日本文化を伝承する教育をしている「ラ・ウニオン学校」を訪れた。小学2年生の授業では、子どもたち一人ひとりに好きな食べ物を尋ね、「私も桃好きです」「おいしいですよね」などと交流を深められた。  またこの日は、同市内の日本人学校も訪問。児童からは「unlimited」という歌の合唱がおくられた。「箱庭の空ではもう足りない 未来の地図広げて」「たとえ道はわかれたって君を思うよ」などと歌い上げられると、瞳を潤ませるようなご様子を見せた。  約23時間に及ぶ長旅を経て、10日午後3時すぎ、民間機で羽田空港に到着された佳子さま。行きの航空機トラブルにより現地滞在日数は1日少なくなったが、スケジュールを調整し、当初予定していたすべての行事を完遂された。 (AERA dot.編集部・大谷百合絵) 【こちらも話題】 なぜ佳子さまの一人暮らしの理由が「税金節約」なのか 女性皇族が住む昭和な世界 https://dot.asahi.com/articles/-/196053
お墓は戦後に広がった一種の“ブーム”だった 少子高齢化で加速する「墓じまい」
お墓は戦後に広がった一種の“ブーム”だった 少子高齢化で加速する「墓じまい」 「墓じまい」とは、墓石を撤去し墓所を更地にして使用権を返還すること。行政手続きも必要になる(写真:amanaimages)    死んだら私はどうなるの──。『老後の資金がありません』など、現代社会が抱えるさまざまな問題に奮闘する人間ドラマを描く作家の垣谷美雨さんと、宗教学者の島田裕巳さんに話を聞いた。AERA 2023年12月18日号より。 *  *  * 「絶対にお父さんと同じお墓には入りたくない」  四十九日の法要を控えた頃、突然明らかになった亡き義母の遺言。作家・垣谷美雨さんの新作『墓じまいラプソディ』(朝日新聞出版、12月20日発売予定)では、その遺言をきっかけに、家族や親類を巻き込みながら、お墓をめぐるさまざまなハレーションが勃発していく。  せっかく立派な「先祖代々の墓」を建てたのに、「樹木葬」を望むなんて!  いやいや、必死の形相で告げてきた義母の遺言を無視するわけにもいかない。  そもそも妻が将来入る墓は、知らない縁者ばかりの夫の墓になるの?  女の子ばかりの次世代で、将来の「墓守役」は誰が担うの?  普段、つい見ないフリをしてしまいがちな「お墓」「家族」の諸問題。親子、夫婦、きょうだい、結婚を控えた男女、都会と地方……。垣谷さんは軽妙な筆致ながら鋭くメスを入れている。 とにかく自分は樹木葬 「日本じゅうで『墓じまい』が話題になっていて、テレビでは『樹木葬』のことを何年も前から取り上げています。私自身は科学で証明できないことは何も信じず、死生観にはまったく興味がないけれど、少子高齢化の進むなか、『墓じまい』は関心が高いと思います」  垣谷さんはそう語る。  執筆にあたって取材を進めるなか、垣谷さんが意外に思ったことがある。それは、占いを信じる人は多いのに、神仏のことはほとんどの人が信じていないことだ。 「お墓なんかどうだっていい。そう考える同年代の女性がすごく多い。息子がいようが、跡継ぎがいようが、とにかく自分は『樹木葬』で、と考える人が増えている。意外でした」(垣谷さん)  物語の中には、遠い地方の寺にある墓を東京の墓に移そうとする事例が登場する。元の墓から出るための「御魂(みたま)抜き」が30万円、檀家を離れる際の「離檀料」が150万円。お寺の住職にとって「墓じまい」は死活問題であることは承知しつつ、見えぬものに払う金額の高さに驚愕する。 「住職の言い値なので、いくらでもありえます。ただ同然のところから、びっくりするような値段まで。平均は取れません」(垣谷さん) 夫婦別姓の問題も  ところで、物語の中では、結婚を間近に控えた男女が、名字をめぐってすれ違う場面がある。「選択的夫婦別姓」の問題を、「お墓」の話に盛り込んだのには、深い理由があると垣谷さんは言う。 「結婚すると男性の名字を名乗らされる女性が96%います。昔からほとんど変わらない。女2人姉妹や、女1人っ子の家の名字がそれで消える。夫婦別姓でどちらも残っていれば、お墓はどちらも残るけれど、(現状では)女の家の方の墓ばかり消えていく。その不公平さに、もしかしたら男が気づいてないのかなって」(垣谷さん) 『墓じまいラプソディ』の物語の救いは、61歳の女性主人公・五月(さつき)が、因習や古い常識にとらわれない、合理的思考の持ち主であることだ。五月の言動に、はっとさせられ、迷う背中をドンと押してくれるような爽快感がある。その姿勢はどこか、垣谷さん自身の考え方にも繋がっているようだ。垣谷さんは、自身の遺骨を「ゴミ箱に捨ててもらってもいいぐらい」と笑って言い放った。 「最もお金がかからない、簡単な方法を考えているところです。元気なうちに遠慮なく、死んだらどうしてほしいかを話し合っておくべきです。遠慮なく、自分の姑だろうが、『死んだらどうしますか』って聞いた方がいいと思います」(垣谷さん) お墓は戦後のブーム  地方の過疎化と少子高齢化は、「墓守」の不足を加速させている。宗教学者の島田裕巳さんは、骨を引き取って墓に埋葬するという習俗自体、戦後の高度経済成長期以降に広がった一種の“ブーム”だったと話す。 「ブームというものは残念ながら必ず終わる。その結果が『墓じまい』です」(島田さん)  それまで供養の基本は仏壇に祀る位牌だった。戦後、地方から大都市への人口の流入が進み、都市では火葬が主流であること、墓石となる石材の輸入が可能になり石材の研磨技術も上がったことなどが「お墓ブーム」へと繋がったと島田さんは見る。 「マイカーの普及もあり、大都市の郊外の霊園の開発も進みました」(島田さん)  墓を建てた世代が高齢となり、少子化も進むと墓の維持は困難になってくる。 「後継者がいないのなら早い時点で『墓じまい』をした方がいい。墓参りに行った時や、親族が集まる年末に話し合ってみては。敷居は確実に低くなっています」(島田さん)  墓に代わるものとして「納骨堂」や「永代供養墓」という選択肢もあるが、懸念もあるという。 「納骨堂はメンテナンスが大変だし、募集に失敗し潰れてしまったところもあります」  そこで島田さんが提唱するのは「0(ゼロ)葬」だ。「通夜や葬儀は行わず、遺骨は火葬場で処分し、お墓も不要」とする、新しい弔い方だ。 「自然葬、散骨も選択としてはありますが、火葬した骨は実は強固で、簡単には自然に還りません。それなら、火葬場にすべてお任せして引き取ってもらう方が良いです」(島田さん)  西日本では遺族が遺骨の一部を持ち帰り、残りは火葬場で処分するケースが定着している。これが東日本でも増えつつあるという。(ライター・加賀直樹) ※AERA 2023年12月18日号
【2023年下半期ランキングスポーツ編7位】阪神「元エース」が東京・新橋の居酒屋で迎えた歓喜の瞬間 常連たちに支えられ「夫婦」で号泣
【2023年下半期ランキングスポーツ編7位】阪神「元エース」が東京・新橋の居酒屋で迎えた歓喜の瞬間 常連たちに支えられ「夫婦」で号泣 阪神優勝で感極まる元エースの川尻哲郎さん(右)と妻の陽子さん(撮影/上田耕司)  2023年もいよいよ年の瀬。そこで、AERA dot.で下半期に読まれたスポーツ記事のランキング上位を振り返りたい。ランキング7位に入ったのは「阪神『元エース』が東京・新橋の居酒屋で迎えた歓喜の瞬間 常連たちに支えられ『夫婦』で号泣」。9月15日に配信した記事を再配信する。(※年齢や肩書などは配信時)  18年ぶりの阪神タイガースのセ・リーグ優勝で沸いた14日。なかでも、ひときわ熱気を放つ店が東京・新橋にあった。阪神の元エース・川尻哲郎さんが経営する居酒屋「タイガースタジアム」だ。  試合開始後の18時半ごろに店内に入ると、すでに満席。記者は立ち見で取材したが、ファンたちの熱気で空気が薄く感じるほどだった。  阪神が得点するたびに店内からは大きな歓声が上がる。4点目を追加した7回裏には、黄色の風船が一斉に飛び交った。  いよいよ9回に入ると、あと3人、2人、1人とカウントダウンが始まった。途中で膨らませ過ぎた風船が暴発する音がするハプニングがありながらも、「アレ」の瞬間に向けて店内のボルテージが一気に高まっていく。  そして、9回裏。2アウトから巨人・北村をセカンドフライに打ち取った瞬間、歓喜の瞬間が訪れた。  白い風船が宙を飛び交うなか、川尻さんのもとに妻・陽子さんが駆け寄り、2人はがっしりと抱き合った。陽子さんは目に涙を浮かべ、哲郎さんの胸に頭をつけて号泣。哲郎さんも泣いている。夫婦で3年間、店を切り盛りしてきて、夢に見た瞬間だった。  哲郎さんはこう話す。 「このお店を開いて、これだけみんなが喜んでくれて、この日を迎えられてよかった。本当にうれしいです」  日本シリーズ優勝に向けては、 「クライマックスシリーズ(CS)は油断はできないけど、(阪神が)有利だと思います。日本シリーズはオリックスが相手なら、投手陣が強いので接戦になると思うけど、日本一を狙ってほしいですね」 【あわせて読みたい】 阪神・岡田監督が星野仙一超える“名将”か 戦略家の「知られざる素顔」とは 喜びを分かち合うように抱き合う川尻夫妻(撮影/上田耕司)    妻の陽子さんもこう続ける。 「待ちに待った“アレ”でしたから。気持ちが込み上げてきて、泣が止まらなかった」  店内にいるファンからも「ありがとう、ありがとう、川尻さん」とコールが鳴りやまなかった。  川尻氏が現役時代につけていた背番号「19」のユニフォームを着ていた安井元晶さん(61)はこう言った。 「私は寅(とら)年生まれで、西宮出身。私が生まれた1962年は阪神が優勝した年でした、もう最高です」  店の常連だという岩崎誠さん(61)は、「阪神優勝」と書かれた手作りの扇子とユニフォームを着て応援していた。 「私も1962年生まれで、2003年も2005年も甲子園にいた。今年は川尻さんと一緒に優勝を見ることができてうれしい。だって、川尻さんはかつて阪神のエースだった人ですよ。その川尻さんと優勝を分かち合えるなんて、本当に感謝しかありません」  過去の阪神優勝を知っている年配者だけでなく、若い人の姿もあった。立命館大学3年の酒井翔真さん(20)は、奈良からこの店に駆けつけたという。 「昨日は甲子園にいました。ファンのみなさんが心の底からエネルギーを放出している感じで、すごい熱気でした。岡田監督は“アレ”を封印すると言ってましたが、もう『日本一』でいい。かっこいいと思います」 【あわせて読みたい】 18年ぶりの優勝で伸びる意外な「阪神関連銘柄」は? 関西景気の恩恵や語呂合わせ効果も 優勝が決まった当日のタイガースタジアムの店内の様子(撮影/上田耕司)    翔真さんの父・宏一郎さん(47)は台東区在住で、店の常連。14日は人手が足りないので、ボランティアで店を手伝っていた。 「言葉にできないですね。もう涙が止まらなかったです。この18年間で、優勝を逃したのが2~3回あって本当に悔しい思いをしてきました。今年、岡田監督になって期待をしていたらその通りになってくれたので、その思いが爆発して涙が止まらなかった。たぶん、社会人になって初めての涙です。常連のメンバーと一緒に野球を見られて、喜びを分かち合えて、本当に幸せです」  同じく店の常連で、森下翔太選手の背番号「1」のユニフォームを着ていた田中孝さん(50)は興奮気味にこう話す。 「明日は仕事で来られへんかったから、絶対に今日優勝してほしかった。しかも、裏で広島とヤクルト戦をやっていて、その試合が終わるよりも早く、阪神が優勝を決めたのがナイスやった。今日はホームの甲子園で巨人に勝って優勝してほしかったし、巨人もそうされたくないから必死なのはわかった。本当にいい試合だった。長いペナントで優勝したんだから、もう95%達成。CSや日本シリーズはエクスビジョンやで(笑)」  今年、阪神が強くなったポイントについてはこう分析した。 「岡田監督に尽きる。査定額をフォアボールで出塁してもヒットと同じように30万円~100万円(推定)に上げたことは大きかった。あと、岡田監督は友達野球ではなく、上下関係があんねん。いい悪いは別として、それでしっかりとしたメリハリのあるチームをつくった。“アレ”っていうのはオリックス時代から言っていたけど、阪神に来てキャッチフレーズに仕上げたね」 優勝の瞬間には白い風船が宙を舞った(撮影/上田耕司)   「タイガースタジアム」では野球部をつくっており、オーナーの哲郎さんが監督を務めている。部員の1人である斎藤真吾さん(46)はこう話す。 「感無量です。もの心付いたときから阪神の帽子をかぶって少年野球をやっていました。バースがいたころからずっとファンです。今年は岡田監督がうまく選手を使っていたので、安心して見ていられました。調子が悪い選手をカバーする選手がいたことも大きいと思います。たとえば大山悠輔がダメなら佐藤輝明がカバーして、近本光司がケガした時には森下がいてくれた。CSはこのままの勢いで行くでしょう。というか、行ってくれないと困る」  夫婦で応援に来ている人もいた。豊島区から来た40代の夫婦は、夫が阪神ファンだという。 「私はファンというわけではないのですが、夫が『来たい』『優勝したら泣いてしまう』と言うので一緒に来ました。きょうは夫の12月のバースデーの前倒しプレゼントですね」  店に集ったそれぞれの人が、18年間の思いを抱えながら、歓喜の美酒に酔いしれていた。阪神のネクタイをした男性は「きょうは朝まで飲むつもりです。帰りたくないです」と話したが、店内の盛り上がりはしばらく収まりそうになかった。  店の外にでると、新橋の街はいつもと変わらない様子だった。だが、ガールズバーの呼び込みをしていた20代の女性はこんな“変化”を口にした。 「今日は阪神のユニフォームを着た人たちをちらほら見かけましたね。近くで外飲みをしていた人たちはパブリックビューイングを見て『ワーッ』と歓声を上げて盛り上がってましたよ」  大阪のような“騒ぎ”とはならないが、東京の阪神ファンにとっても、熱い一夜となった。 (AERA dot.編集部・上田耕司)
「あの小池か!」 バブル期の“怪物”が沖縄の一等地をめぐる贈収賄事件で再び“表舞台”に
「あの小池か!」 バブル期の“怪物”が沖縄の一等地をめぐる贈収賄事件で再び“表舞台”に 1998年1月、株主に訴えられた裁判で東京地裁に入る小池隆一容疑者    戦後の混乱期の沖縄で所有権があいまいとなっていたとされる土地をめぐり、便宜供与の見返りに現金計5千万円の賄賂を受け取っていたとして、那覇市の前市議会議長が収賄容疑で逮捕される事件があり、12月6日に収賄罪で起訴された。前市議長とあって大きな話題となったが、賄賂を供与したとして贈賄容疑で逮捕された人物に驚いた人も多いのではないだろうか。バブル全盛期に金融業界を揺るがし、戦後最大と言われる不正利益供与事件の中心人物だ。あの元総会屋がこの時代になぜ沖縄で……。  那覇地検が収賄罪で起訴したのは、那覇市議会前議長の久高友弘(75)、同市の飲食店経営の村山末子の両容疑者(71)。市有地とされる場所の所有を主張する市民らに便宜を図る見返りに、現金計5千万円を受け取ったとされる。  一方、現金を渡したとして贈賄罪で起訴されたのは、無職小池隆一(80)=鹿児島県=と、知人の会社役員、小原健司(70)=東京都=の両容疑者。那覇市の会社役員(73)も同罪で在宅起訴された(年齢はいずれも起訴時)。  このニュースが報じられたのを見て、 「小池って聞いて、あの小池か!と。跳び上がるほどびっくりした」  と驚いたというのが、元大和証券の役員Xさんだ。 四大証券を手玉に取った小池容疑者とは  1990年代、日本の金融業界、証券業界は小池容疑者にかき回され、大規模な経済事件が起きていた。  当時の小池容疑者は、総会屋として名をはせていた。第一勧業銀行(現みずほ銀行)の弱みに付け込み、1億円の融資を引き出すと、その後も融資額は迂回融資なども含めてさらに増し、400億円を超える不正融資にふくらんだ。  それを元手に、小池容疑者は当時の四大証券、野村証券、大和証券、日興証券、山一証券の株を買い増し、株主提案権を行使できる株主となった。 【あわせて読みたい】 反社会的勢力の脅威、どう見抜く? 会社の風通しを良くしてリスク回避を目指す https://dot.asahi.com/articles/-/128656  四大証券は株主総会での小池容疑者の追及をおそれ、株や先物取引で総額7億円あまりの利益供与をした。問題が表面化すると、第一勧銀、野村証券などの幹部は国会で参考人招致された。四大証券が小池容疑者に対して損をさせないために作った「一任勘定」「VIP口座」は何度も国会で追及され、流行語にもなった。  こうした小池容疑者への利益供与に対し、東京地検特捜部が強制捜査に乗り出し、小池容疑者のほか、証券や銀行の会長、社長ら幹部が商法、銀行法、証券取引法違反などの各容疑で次々と逮捕され、大手証券4社と銀行6行で計40人以上が起訴される大事件となった。この捜査の過程で、第一勧銀の元会長が自殺した。  それは官僚や政治家にまで飛び火した。大蔵省(現・財務省)と日銀に対する金融機関からの過剰接待問題が明らかとなり、同省が職員100人超、日銀も約100人をそれぞれ処分。現職の国会議員の新井将敬氏が証券取引法違反(利益供与)容疑で逮捕許諾請求され、自殺した。  昭和から平成時代にかけてのバブル時代を象徴する経済事件だった。 「ずっと見てなかった小池氏が今、またもや」  Xさんの話に戻る――。  小池氏の思い出について、Xさんはこう語った。 「私は以前、株主総会で小池容疑者と接触したことがありました。受付で上司が『小池が来る』と言うので、一緒に待っていました。スーツ姿でやってきた小池容疑者は『どうも』とあいさつし、優しそうな印象でした。たしか私は名刺を渡してあいさつをしました。その穏やかな雰囲気が株主総会になると一変し、徹底的に追及をはじめる。人が変わったかのように『どうなんだ! 答えろ!』と叫び、強烈でした」  こんなこともあったという。 「私の上司が『小池さんから電話があった』と右往左往していたことがありました。商法改正前、小池容疑者が絶頂の時期だったのでしょう。事件になって真相がやっとわかった。その後、ずっとメディアで見なかった小池氏が、今、『またもや』と。沖縄のニュースを見て、歴史は繰り返すのか、という感じがしています」 【こちらもおすすめ】 いま問われるバブルの失敗の本質 3人の特ダネ記者が激白 問題先送りが招いた「失われた30年」 https://dot.asahi.com/articles/-/117547  小池容疑者は1999年に懲役9カ月追徴金約7億円の実刑判決を受け服役。その後は妻の実家がある鹿児島県姶良市で暮らしていた。  筆者は10年以上前だが、小池容疑者を訪ねたことがある。  そのときの小池容疑者は、 「もうマスコミに話すことはないよ。田舎にいるので誰も私のことなんて知らないと思っていたら、まったく違うんだよ。子どももいるし、周囲からもありもしないことを言われるんだ。(総会屋という)仕事はいろいろなことがあったよ。政治家とも幅広く付き合った。みんなカネ目当てだよ。けど、今さらそんな話をしてもしょうがないだろう。今は、こうやって芝刈りでもしているのがいいんだ。遠くから来たんだろう。大変だね」  というだけだった。  表舞台からは消えたと思っていた小池容疑者が、なぜ再び逮捕ということになったのか。それも沖縄を舞台に……。 事件は那覇市の一等地が舞台に  那覇市北部の高台に位置し、市内でも最も地価が高い地域のひとつ、新都心。アメリカの占領下では軍の住宅が建っていたが、全面返還された後は沖縄では最も人気がある商業地のひとつに生まれ変わった。  中心の「おもろまち」には、日本銀行沖縄支店や県立博物館・美術館といった公的施設がある一方、高級ブランド店が軒を連ね、観光客も多い。広い県道の反対側には上下水道局の庁舎があり、その一角にある広大なコインパーキングが、所有権を争っている問題の場所だ。 タワーマンションが立ち並ぶ那覇市新都心。問題となったパーキング    話は今から20年ほど前にさかのぼる。  那覇市に帰属している1万7千平方メートルの土地の所有権をめぐる裁判があった。  古い時代から地元を知る高齢の男性に話を聞くと、 「地元に長年続く一族がいて、その墓なのかな。それが村山容疑者の関係先で、そこから書類が出てきた。コインパーキングの土地は自分の先祖一族が所有し、那覇市の土地ではないという内容だった。そこで、地元の不動産業者が新都心の一等地だと聞いて一族から委任状を取り、民事提訴したんです。しかし、裁判では那覇市の所有とされて退けられました。それで一件落着かと思いきや、また地元の不動産業者が委任状を取り付けて、久高容疑者に持ち込んだことが今回の事件の発端です」  という。 問題の土地について書かれた古い資料 【あわせて読みたい】 日産ゴーン事件とイトマン、堀江貴文に共通する人間の性とは?【平成経済事件史】 https://dot.asahi.com/articles/-/100703?page=1  久高容疑者は当選10回を数え、今年春まで3年半も議長を務めた沖縄政界の「重鎮」だ。問題の土地は、裁判で那覇市への帰属が認められていたのにもかかわらず、久高容疑者は5年ほど前から市議会で、「不当だ」「弱い者を潰していく」などと主張し、議長でありながら「所有権を訴える人に土地を戻すように」などと訴え続けた。賄賂に対する便宜供与だ。  前出の高齢の男性がこう話す。 開発できれば200億円はくだらない 「不動産業者は何度も久高容疑者に金銭をせびられたようだが、カネが尽きて最後に打診したのが小池容疑者だった。しかし小池容疑者もカネを用意できず、小原容疑者に依頼して5千万円を用立てたようだ」  問題の土地は、新都心最大のメインストリートに面した平地で、すぐにでも商業施設やマンションを誘致できる「新都心最後の目玉」とも呼ばれ、「もし個人や企業の所有で開発できるとなれば200億円はくだらない」とまで言われていた。  捜査関係者によれば、 「小池容疑者には200億円の10%、20億円をバックする約束で5千万円を出させた」  とのこと。日本を揺るがしたかつての利益供与事件とは規模が違い過ぎるが、総会屋とは別の顔の小池容疑者が、あれから20数年経ってなお、政治家を巻き込んだ贈収賄事件に絡んでいた。事件はさらに広がる様相を見せている。 (AERA dot.編集部・今西憲之) 【こちらもおすすめ】 「東大卒は潜在能力高い」で昇進に愕然…学閥・派閥を間近に見た作家 https://dot.asahi.com/articles/-/122530
【下山進=2050年のメディア第14回】『#居酒屋新幹線』自分で味わい伝える それこそが大事。
【下山進=2050年のメディア第14回】『#居酒屋新幹線』自分で味わい伝える それこそが大事。 「#居酒屋新幹線」は毎日放送・TBS系列で放送されネットフリックス等でも配信されている。来年1月9日からシーズン2「#居酒屋新幹線2」が毎日放送・TBS系列で始まる。シーズン2では金沢から敦賀まで来年3月に延伸する北陸新幹線と上越新幹線が舞台となる。写真はシーズン1より。(c)「#居酒屋新幹線」製作委員会・MBS    地元の美味しいものを聞くには地元紙の人にかぎる。  山形への日帰りの講演出張が決まったとき、そのアイデアに心が躍った。  というのは、「#居酒屋新幹線」という低予算ドラマにはまっていたからだ。 〈俺の仕事は内部監査。日本中をまわる日帰り出張の日々。身も心も疲れるが、俺には密かな楽しみがあった。発車ベルがなるまで酒と肴を探してまわる。そして始まる。主(あるじ)は俺、客も俺一人の居酒屋新幹線!〉  毎回決まったこのオープニングで始まるこのドラマは、いわゆる状況制限型のドラマだ。  主人公の進(眞島秀和)は、日帰り出張で内部監査の仕事をすませると、新幹線の時間までその土地、その土地の上手い肴、上手い酒を仕入れて、東京までの新幹線の中で「居酒屋新幹線」を開く。  三人がけの普通席の通路側に陣取り、テーブルクロスを新幹線の小さなテーブルに敷き、持参のお猪口、箸を整え、手に入れた戦利品を並べる。そして注いだ酒を掲げて言う。 「お疲れさま、おれ」  居酒屋新幹線開店! 脚本家が企画をつくり、売り込む  シーズン1は新青森、八戸、盛岡、新花巻、仙台、福島、郡山、とそれぞれの駅で、進が街を歩き、人に会い、仕入れた酒と肴の話が展開する。  仙台編は津波で多くの人がなくなり、住宅地が一掃されてしまった名取市の沿岸部で始まる。その跡地にできた「千年希望の丘」で進が「10年か…」とつぶやく。  震災の記憶を掘り起こす回だなあ、としみじみとしながら見た。というのは、文藝春秋にいた時代に、妻の実家が仙台であったことがきっかけで、『河北新報のいちばん長い日』というノンフィクションを震災が起こった年に出したからだった。  この本は一年後にテレビ東京でドラマ化された。そんなことを思い出しながら最後まで見るとタイトルロールに「脚本・横幕智裕」とあることに気がついた。  横幕さんは、テレビ東京のドラマ化の際に、実際に震災直後の気仙沼まで足を運び、シナリオを書いてくれた脚本家その人だ。  懐かしくなって電話をすることで、「#居酒屋新幹線」が四人の脚本家の発案で実現したことがわかった。 「日本シナリオ作家協会は、脚本家が原作を脚色するだけではなくて、オリジナルの脚本を書くことを奨励する取り組みを始めていました。このドラマは協会で仲のよかった木田紀生が、自分の体験からこの企画を閃いたんです」  木田紀生は、早稲田の映画サークル出身の脚本家だ。その映画サークルの先輩(週刊読書人勤務の編集者)が、出張のたびに友人たちに「居酒屋のぞみ開店したよー」と、その土地、土地で買った酒と肴を新幹線のテーブルに広げて写メして送ってきていた。 「これドラマになるよね」  こう木田が横幕に持ちかけたというのだ。  協会の会合があった帰りに、女性の脚本家二人(黒沢久子、阿相クミコ)に木田と横幕は声をかけ酒を呑む。その席でこの企画の話をして女性二人を引き込むことに成功した。  そうしてつくったグループの名前が「天宮さろん」。この天宮さろんが売り込み、のってきたのが映像制作もてがけるKADOKAWAだったという筋書きだった。  確かに女性を脚本家にいれたことで、ドラマのみならず、各地方で進が調達するものに華やかさが加わった。たとえばスイーツ。宇都宮編では、御当地スイーツの「サクレレモン」のシャーベット。これをデザートにたべるだけではない。食後酒として登場する蜂蜜酒に、シャーベットの中で凍っているレモンのスライスを投入するのだ。このレモンスライス入り蜂蜜酒のグラスを、進はゆっくりと味わう。  この回の脚本は、阿相クミコが書いているが、横幕は、日本酒ばかりを選んでしまう自分ではとても思いつかないチョイスと感心したそうだ。  その土地土地で選ばれる酒と肴は、四人の脚本家がそれぞれの地を歩いて、実際に味わい、その由来を聞いて選んでいる。  横幕の仙台の回では、「定義(じょうぎ)揚げ」が出てくる。三角定規のような形の油揚げで肉厚、「あぶってネギと七味をかければ日本酒のあてとして最高」と駅ビルの店員に勧められる。  が、新幹線の中ではあぶれない。あきらめかかった進に店員が、地下の惣菜屋さんで、この定義揚げを使って煮物にしている店があるという話を聞く。  これは横幕が実際に体験したことで、その地下の惣菜屋「扇亭」で仕入れた煮物を味わう。  この定義揚げ、120度の温度で一度あげたあとに、もう一度190度で揚げなおす。これによってカリッとした食感がでる。仕入れたそんなウンチクを、脚本の中にも入れ込む。 自分が味わってみたいものを自分の足で探す  KADOKAWAでこの企画の売り込みをうけた木之内安代は、JR東日本であればこの企画は実現できる、と思ったそうだ。JR東日本はジェイアール東日本企画という子会社をもっており、映画への出資もよくしている。個人的なつながりもあった。  新幹線の車内の撮影は、掃除の練習などに使うモックアップの車両を使っている。実際のものよりもすこし天井が高く撮影もスムースになる。  この企画を最初に思いついた脚本家の木田紀生はエピソードゼロの回で、新幹線で偶然進と隣り合わせた初老の男「師匠」(モロ師岡)にこんなセリフを言わせている。 「うまいだけなら東京でいい。流行りのものならネットが教えてくれる。売りたいものなら広告を見ればいい。私はね、自分が味わってみたいものを探して歩く。もちろん当たり外れもあるんですがね、それもこの店(居酒屋新幹線)の味わいの一つなんです」  これ、ジャーナリズムにも同じことが言えませんか?  他社がやっていることならネットが教えてくれる。原稿を取材相手に添削してもらうのなら広告と同じだ。自分が味わってみたものを他人に伝える。当たり外れはあるかもしれないがそれがジャーナリズムではないですか! 私の「#居酒屋新幹線」。お品書きは、山形産のハーブ鶏をつかったそぼろとモモ肉、だしまき玉子のお弁当。ずんだを使った生クリームパン。そして大吟醸「月山丸」。  さて、冒頭の山形出張、私の居酒屋新幹線で選んだのは、「月山丸(がっさんまる)」。  山形新聞論説委員の佐藤善哉(よしや)さんに、「一番の酒というならこれ」と勧められた銘柄。  西に霊峰月山をのぞむ河北町の小さな蔵元で作っている大吟醸。万年雪をいただく月山の伏流水を使った酒だ。  これを在来線を使って走る山形新幹線の中であけた。封を切ったとたん芳醇な香りがたちこめ、ぐびりとやると五臓六腑に染みわたる。  う、うまい。  ドラマ「#居酒屋新幹線」は「居酒屋新幹線に二次会はありません」ときっぱり言って家路につく進の姿で終わる。  しかし、このコラムでは二次会があるのです。  二次会では、もうひとつの旅のおとも、車内雑誌『トランヴェール』について書きましょう。  以下、次回。   ○下山進(しもやま・すすむ)/ノンフィクション作家・上智大学新聞学科非常勤講師。メディア業界の構造変化や興廃を、綿密な取材をもとに鮮やかに描き、メディアのあるべき姿について発信してきた。主な著書に『2050年のメディア』(文春文庫)など。 ※AERA 2023年12月18日号
60歳になった雅子さま 元外交官のセンスが光る「円卓外交」と“24時間戦わない”時代の皇室
60歳になった雅子さま 元外交官のセンスが光る「円卓外交」と“24時間戦わない”時代の皇室 国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭の開会式に出席される天皇、皇后両陛下=23年10月15日  皇后雅子さまは12月9日に60歳の誕生日を迎えられた。昨年、59歳の誕生日に「人生のちょうど半分ほどを皇室で過ごしてきたことに感慨を覚えております」と感想をつづられたが、還暦を迎える今年はご成婚から30年、令和になって5年の節目の年だ。雅子さまが皇室に、そして私たちのもたらしたものとは? 象徴天皇制に詳しい歴史学者で名古屋大学人文学研究科准教授の河西秀哉氏に聞いた。   *   *   *    長かったコロナ禍が明け、一般参賀や園遊会など復活した皇室行事も多かった2023年。コロナ禍は、私たちの実社会にさまざまな変化をもたらした。名古屋大学准教授の河西秀哉氏は、その変化が「雅子さまにとってよいほうに働いたのではないか」と指摘する。   「一般にお代替わりの儀式というのは大変ですから、雅子さまのご負担は大きかったかと思います。もし、雅子さまがずっとお代替わりの儀式後も様々な公務を継続せざるを得なかったとしたら、どこかでお疲れが出てしまわれたかもしれない。    コロナ禍があったことで、もちろん国民のことを思って精神的に気を使われた部分は多かったと思うのですが、さまざまな活動が制限されたことで、体調と相談しながら公務に関わることができる機会になったかもしれません。    コロナ禍も落ち着き、この一年、皇室行事や公務が再び行われるようになってきました。そうした公務が、雅子さまのご体調に過度な負担にならないようにしなければならないと感じます」 【こちらも話題】 愛子さま22歳に「ますます雅子さまにそっくり」の理由 写真で振り返る https://dot.asahi.com/articles/-/207770 ”働き方”を考える時代  河西氏はコロナ禍を経て、「いままでと同じでよいのか、私たちも考えるべき時に来た」と話す。   「私たちにとっても、“24時間働けますか?”という時代はもう終わりました。社会状況も働き方を問われる時代ですから、公務の在り方そのものも考えなければならないときにきていると感じます」    確かに、実社会でも働き方改革という視点があり、また、コロナ禍を経て、働き方にも変化があった。河西氏はこう話す。   「コロナ禍はオンライン行幸啓というのがありました。最近はほとんどなくなってしまいましたが、その経験を活かして、現在も公務にオンラインを活用するのも“あり”だと思うんです。 福島県三島町の「社会福祉法人みしま 特別養護老人ホーム桐寿苑」をオンラインで訪問する天皇、皇后両陛下=23年1月25日午後、皇居・御所「大広間」、宮内庁提供  例えば、いまや報道番組でもゲストのオンライン出演は当たり前になり、それで事足りていることもあります。皇室だけがすべてをオンラインからリアルに戻さなければならないというのは、違うなと感じます。もちろん、オフラインの良さもあります。それと、オンラインの良さを、雅子さまの体調を考えながら、両方とも採用できるといいですね。    コロナ禍を経て、私たちはオンラインとリアルのハイブリッドでやっている。雅子さまを含む皇族の方々の公務に関しても、そういう方法も検討しなければいけないのに、現在はあまりそのようにはなっていない。雅子さまをはじめ皇族の方々から“オンラインにしてください”と言うことはできないでしょうから、私たちや宮内庁が考えていかなければならないのではないか」 【こちらも話題】 愛子さまは赤いコートのクリスマスカラー 天皇陛下と雅子さまと「お忍び」でたずねたイルミネーションスポットはどこ? https://dot.asahi.com/articles/-/207282    河西氏が提案するのは、あくまでもリアルとオンラインのハイブリッドとそれぞれの役割分担だ。   「もちろん“来てほしい”という要望があれば検討するべきですが、オンラインには遠方とすぐにつながれたりするオンラインの良さもあります。また、天皇、皇后両陛下が、何が何でもお二人そろって行事に臨席しなければならないというわけでもないとも思います。    例えば、国体の開会式には天皇陛下だけが参加し、その前後の地方視察には雅子さまも同行されるのでいいと思うのです。    典型的な儀式ばったものへの参列ではなく、国民とのリアルな触れ合いの方を雅子さまが担われるのがいいと思います。    雅子さまは、病気療養があったからこそ人の苦しみがより理解できる部分もあったり、愛子さまを育てたことによる母としての考えなどをお持ちだったりすると思うのっで、“うちにも来て、こっちにも来て”という形で行事に参列するのではなく、国民との直接的な触れ合いを重視するよう、宮内庁が差配しながらやっていくべきではないかと思います」    令和になって5年がたち、雅子さまがもたらした変化を河西氏が感じることがあるという。 【こちらも話題】 雅子さまの姿勢はなぜ美しいのか 雨の中の佇まいが「感動するほど」マナーのプロ https://dot.asahi.com/articles/-/205025 印象的で大きな変化が 「ここ最近、海外から大統領夫妻など要人が訪問さだれたときに、その方たちと天皇、皇后両陛下は“円形”に並ぶようになりました。    例えば、他国の大統領夫妻が来日されたとき、いままでは皇后陛下は大統領夫人の隣に座り、夫人とお話しをするという座席の配置でした。いまは、円形に並び、テーブルを囲んでいます。 会見に臨むフィリピンのマルコス大統領夫妻と天皇、皇后両陛下=23年2月9日、皇居・御所「小広間」、宮内庁提供  小さなことのように見えますが、これは印象的で大きな変化です。天皇、皇后両陛下と来賓が一緒になって対等に話されているような印象を受けました。    天皇、皇后両陛下が立場上対等だとはいいませんが、雅子さまはご自身の立ち位置を理解されていて、これからも積極的に国際親善に取り組まれていかれるのではないでしょうか」    コロナ禍が明け訪日客が増えているが、さらに海外要人の来日も多くなるだろう。「そこはやはり外務省出身の雅子さまの持前のセンスが光るところだと思います」と河西氏は話す。   「雅子さまの様子を見ていると、海外の方との交流の中でも細やかな気づかいをされている。エリザベス女王の国葬でイギリスに訪問されたときや今年の6月にインドネシアの公式国際親善に行かれたときに、大切な方を雅子さまが呼び止められてあいさつされていたり、話しかけたりされている様子をお見受けしました。    さすがの心遣いだと思いました。雅子さまは、天皇陛下のパートナーとして、国際親善をはじめ、海外公務でも積極的に活躍されていくのだろうなと思います」    雅子さまの活躍の場は、今後一層広がっていくに違いない。(AERA dot.編集部・太田裕子)

カテゴリから探す