「あと1年楽しもう」安室奈美恵と歩んだ26年、ヘアメイクが明かす細眉の秘話
中野明海(なかの・あけみ)/ヘア&メイクアップアーティスト。幼少期から化粧品やメイクアップ・ファッションの世界に憧れ、1985年よりフリーのヘア&メイクアップアーティストとしてのキャリアをスタート。年齢にかかわらず、その人らしさや、本来持つ可愛さ、魅力を最大限に引き出すメイクで、多くの女優・アーティストを担当。雑誌、広告、映像でのヘアメイクをはじめ、「KOBAKO ホットアイラッシュカーラー」など化粧品やツールの開発も手がける
来年9月の引退を表明した歌姫を「奈美恵ちゃん」と呼び、デビュー前の26年前から彼女の「美」を支え続けてきたヘア&メイクアップアーティスト・中野明海さん。おそらく業界内で最も古くから安室奈美恵の素顔を知り、彼女が信頼を寄せ続けてきた1人だ。アムラー現象から始まり、伝説と化した「美」はどうやって生まれ、進化してきたのか。メイクのコツは?「平成の歌姫」の誕生秘話をAERA dot.が独占インタビューした。
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――安室奈美恵さんと出会ったのはいつごろですか。
デビュー前の26年前になりますね。アイスのCM撮影で、沖縄からデビューする予定のかわいい女の子たち5人が踊る、というものでした。そこで会った、14歳になったばかりの彼女はもう既に“安室奈美恵”でした。体のバランスも、踊りのスケール感も、見せ方もすべてが特別で、私には1人だけ違う時空にいるように見えました。「何だこの子は! こんな逸材見たことがない!」って。その後、デビューしてからも雑誌やCDジャケット、CM撮影、ライブツアーなど、機会があれば喜んでやらせてもらっています。
――現在放映中のテレビCM「安室奈美恵×docomo 25年の軌跡」は1992年のデビューから現在までの“安室奈美恵”を再現しています。どうやって挑んだのでしょうか。
いつも私と彼女は、あまり「ああしよう、こうしよう」と話し合ったりしないんです。特にヘアメイクは現場で微調整ができるので、「とにかく仕上げてみるね」っていう感じで。
昔、彼女がこう言ったことがあります。「ヘアメイクにはヘアメイクのプロフェッショナルがいて、衣装のプロ、映像のプロ、企画のプロがいる。私は歌って踊る音楽のプロ。メイクについて嫌か良いかはわかるけど、ここをこうしてほしいという具体的な言葉は持ち合わせていない」と。つまり、アイラインを2ミリ短くしてとか、このブランドのこの服を持ってきてとか、指示をするなら自分でやればいいわけです。奈美恵ちゃんは昔から、自分の趣味をわかってくれて、もっと専門的なことを知っている人に任せたいと考えていました。そうすることによって、自分が思ってもみないような素敵なものが出来上がる、って。なので私も「私に頼んでくれたんだから、私は私の世界で奈美恵ちゃんが嫌じゃない、もっと良く見える方法を考えればいい」と、私なりに120%の力を出すことを考えてやってきました。
今回のCMでは監督さんたちとの打ち合わせで、いまの奈美恵ちゃんの1992年風をつくるのではなく、「そこまでやるの!?」っていうぐらい徹底的に再現しようということになり、細部までこだわっています。過去のものも、私がやらせてもらったメイクが多くあるので必要な情報は頭の中にあるんです。そこから緻密に再現しました。
東京・渋谷のスクランブル交差点を舞台に、安室奈美恵さんと携帯電話の進化を振り返るテレビCM「安室奈美恵×docomo 25年の軌跡」。最初のシーンは1992年。安室さんがデビューし、NTTドコモが誕生した年だ。手にするのは、それまでのショルダーホンに比べて超小型化した携帯電話。安室さんはこの後、95年に小室哲哉プロデュース第1弾「Body Feels EXIT」をリリース、96年に「Don't wanna cry」で日本レコード大賞を史上最年少受賞、97年「CAN YOU CELEBRATE?」がダブルミリオンを記録した(写真:NTTドコモ提供)
――1992年のヘアメイクは、96年に新語・流行語大賞のトップテンに入った「アムラー」現象の原型のように見えます。特徴を教えてください。
髪はセンターパート(真ん中分け)で、カラーは白っぽいメッシュが入っています。髪の長さはいまよりも全然短いので、緻密に長さを決めてウィッグをつくりました。毛先にはレイヤーが入っています。
アイシャドーはシルバーブルーです。このときはまだまつ毛を上げて目元を強調する時代ではなかったので、ビューラーは使わず、リップはダーク。当時はもっとダークだったのですが、今回はフレッシュさを出すために少し明るめにしました。
――懐かしいですね! 当時、このメイクはどのように生まれたのでしょうか。
モード界でもこういうメイクの流れはありましたが、細眉は奈美恵ちゃんが自分でキレイに整えていて、ご本人の好みから生まれたものです。
当時は黒人女性がかっこいい時代でした。スーパーモデルブームがあり、日本でもナオミ・キャンベルが大ブレイクし、音楽界ではジャネット・ジャクソンが人気でした。少し前ですが、スポーツ界にはジョイナー(米陸上選手、88年ソウル五輪で3冠)もいましたよね。
彼女はジャネットに影響を受けて歌とダンスを始めたぐらいジャネットが大好きだったし、彼女自身もこういうメイクが似合ったんです。私は「THE夜もヒッパレ」(日本テレビ系)や「ポップジャム」(NHK総合)などテレビ番組のお仕事はご一緒していなかったのですが、自分でダークめのリップを塗って、眉を描いて出ていたと聞きました。奈美恵ちゃんがそういう感じのメイクが好きだからと、私たちヘアメイクはそこに寄り添って、メイクをすることが多かったですね。毎回こうだったわけではありませんが。この時代に奈美恵ちゃんがいたからこそ日本中に広がったメイクだったと思います。
――再現してみて、どうでしたか。
ご本人も鏡の前で「うわー、この色久しぶり!」って(笑)。「こうだったよね」って話しながらアイシャドーを塗り終えた瞬間、彼女がティーン・エイジャーの顔になったんです。「メイクってすごいね」って二人で話しました。ああ、久しぶりにこの顔に会ったって、奈美恵ちゃんも懐かしく思っていたと思います。
次に再現されるのは2000年。前年に始まった「iモード」が爆発的にヒットし、折りたたみ式の携帯電話も登場。ストラップをつけたり、本体にデコレーションしたり、カスタマイズされた携帯電話を持つ人たちが街に溢れたのはこのころだ。安室さんが九州・沖縄サミットのイメージソング「NEVER END」をリリースしたのも00年。翌年には小室哲哉プロデュースを離れ「Say the word」を発表、03年にはZEEBRAやVERBALらと「SUITE CHIC」としてオリジナルアルバムをリリースした(写真:NTTドコモ提供)
――2000年はまた雰囲気が変わりました。「NEVER END」が九州・沖縄サミットのイメージソングになったのがこの年です。
ちょうどこの頃から、小室哲哉さんのプロデュースを離れ、ご自身でプロデュースを始めたころでした。バラードが続いた後、久しぶりにアップテンポな「Say the word」という曲で、ツインテールはご本人のアイデアです。雑誌の撮影などでやっていたので、お気に入りのアレンジだったんだと思います。このツインテールもブームになりましたね。
00年のメイクは目元にブラウン系のグラデーション。しっかり細めに描いていた眉毛は、自然な感じになりました。メイクは全体的にクールでかっこいい感じから、柔らかく可愛い方向に幅が広がっていった時代だと思います。
こうやって抜き出してみるとガラッと変わっているように見えますが、「さあ、今日から新しい方向で」と変えていたわけではありません。ヘアメイクは日々のことですし、やってきたことがすべてつながって、自然に変わっていく感じです。ジャケット撮影の間に雑誌やCMの撮影なども挟まっていくので、時代の空気感とか流行を吸い込みながら変わってきたんだなと、今回振り返ってみて改めて感じます。
2007年にアルバム「PLAY」をリリースした安室さんは、翌年、ベストアルバム「BEST FICTION」をリリースし、そのアリーナツアーでは50万人を動員。2010年を再現したのがこのビジュアル。手にするのはスマートフォンだ。この年にはドコモの「Xi」がサービス開始した(写真:NTTドコモ提供)
――2010年は黒い衣装で、力強い雰囲気が出ています。
このときは奈美恵ちゃんがやりたいことを思いっきりやっていて、女性アーティストとして一つの王国を築いたような印象を受けていた時期でした。"安室奈美恵"ってこんな感じ!という方向に、突き進んでいるような。髪はかき上げて雰囲気を醸し出すというよりは、前へ走っていくようなイメージです。どう動いても髪が本人の動きを邪魔しない。強さや疾走感を大事にしていました。
アイシャドーはトープ(灰色がかった茶色)っぽい、グレーブラウンやチャコール系の色をよく使っていました。眉は自然な感じに整えていることが多いですね。
――アリーナツアーで50万人を動員するなど、ライブも忙しい時期ですね。ライブで思い出に残っていることはありますか。
実は私は2000年ごろまでしかライブを一緒に回っていません。私自身も子どもを2人育てながら働いていて、1人目のときは東京・大阪・名古屋、ほか10カ所ぐらいのライブを回っていました。2人目を産んだときには、彼女は全国で何十公演もやるようになっていて、2人を育てながらライブを回るのは厳しくなってきていました。これは女性が働きながら子育てをして生きていくうえで、避けては通れない悩みですけれど……。
そんなときに彼女が「明海さんはもうライブツアーを回らなくていいですよ」って声をかけてくれました。アシスタント2年目の子が育ってきていたので「その子で頑張ってみましょう」って。そして「いつでもどこでも遊びに来てくださいね」って言ってくれました。人として深い人で、「来られないならもういいです」っていうことは一切なく、みんなでうまくやりましょうと考える人なんです。
――新しい人にも任せられる懐の深さがあるんですね。
本人が強いから、ちょっとしたことで揺らがないんですよね。私のアシスタントから独り立ちしていった子たちと3、4人で奈美恵ちゃんのヘアメイクをほとんどやらせてもらってきましたが、彼女たちが育っていったのは本当に奈美恵ちゃんのおかげなんですよ。初めての人に顔を触らせるのって、怖いじゃないですか。メイクはお習字と同じで、同じお手本を見て描いたところで手が違うと全部違うものが出来上がるもの。どんな仕上がりになるのか不安があって当然だと思う。でも彼女は、どうしても私の都合が悪いときに「あの子にやってもらいましょうよ」ってサラッと言うんですよ。「不安じゃないの?」って聞くと、「だって明海さんのメイクをずっと見てきたんだから、変になるわけないじゃないですか」って。そういうところが本当にカッコイイんです。
CMの最後に登場するのは現在、2017年のイメージ。安室さんはデビュー25周年を迎えた4日後の9月20日、公式サイトで18年9月16日をもって引退することを発表。オールタイム・ベストアルバム「Finally」をリリースした(写真:NTTドコモ提供)
――2017年は異彩を放っていますね。これは現在の安室さんを表しているのでしょうか。
今の彼女が好きなスタイルというよりは、ちょっと先の未来をイメージしています。こんなの流行るといいなっていう提案でもなく、自由と広がりがあって、どうにでも創造していける感じですね。いままでにあまりない感じ、というのが裏テーマです。
奈美恵ちゃんは何でも似合うので、CDのジャケット写真のアイラインの引き方だけでも、すべて違う提案をしてきました。買ってくれた人に「いつも違って、いつもキレイ。いつもカッコイイ」って思ってほしいじゃないですか。でも、私がどんなメイクをしても彼女は瞬時に消化して、自分の表情や動きでもっと素晴らしいものにしてきてくれました。人に見せるというポテンシャルが非常に高いんです。引き出しが多くて、同じ撮影をしていても振り幅が広い。ご本人は「私は服とメイクを変えると違って見えるから得してるんです」って、言うだけなんですが(笑)
――そうやって26年以上、一緒に仕事をしてきた安室さんが引退を表明しました。その後のインタビュー番組では、悩みや不安を抱えていたことも率直に語っています。今の彼女をどう見ていますか。
引退を表明したからといって彼女が別人になるわけでもなく、この撮影のときも「あと1年楽しみましょ」って、いつもと変わらない様子で言っていました。ご本人の中で悩んでいた時期はあったのかもしれませんが、どんなときも自分の意思で仕事を選び、セルフプロデュースをしているなと私は感じていました。
よく「この時期はCDが300万枚売れた」とか「この時期はどうだったか?」って聞かれますが、そういうことはなにも関係なかったんです。彼女との関係で人生の山や谷を語るなら、私にとっては14歳の奈美恵ちゃんを見たときが1番の山だったかもしれません。本当にビックリしたんですよ。それからは、撮影するごとに感動の山が何度もやってきています。お洋服もヘアメイクも何でもハマる彼女と一緒にやれることが、楽しくてしょうがなかった。
そういう意味では、私の大好きなミューズの1人がいなくなるのは寂しくてしょうがないですね。でも彼女が元気で幸せでいてくれさえすれば、私はそれでうれしいです。
――自分の素材を棚に上げてお聞きしますが、どうすれば安室ちゃんに近づけるか教えてください。「安室ちゃんみたいになりたい!」という女性たちに向けて、何かアドバイスを。
私は、自分の好きなものをちゃんと見極めるセンスの良さや自由さが、人生においてとても大事だと思っています。好きなもの、信じるものがその人の個性になる。それは26年以上、彼女を見てきて実感するのですが、いわゆるアムラー現象だって、その後の「奈美恵ちゃんっぽさ」だって、彼女が好きなことをやり続けて作ってきたものです。
私は人は見た目だと思っているんですよ。外見は中身が外に現れたものだし、外側がちゃんとしている人は中身もちゃんとしていると思う。奈美恵ちゃんがTシャツとデニムしか着ない人だったら、こんなにたくさんの女性たちが憧れ続ける存在にはならなかった。それは、メイクひとつを取ってもそうです。
メイクをしないで生きていく人はもちろんいるし、それはそれで全然いいと思う。テクニックも二の次。自分を信じるものをちゃんと貫き通すことが、素敵な個性と人格を形成していくと私は信じています。
(聞き手/AERA dot.編集部・金城珠代)
dot.
2017/12/10 11:30