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「あと1年楽しもう」安室奈美恵と歩んだ26年、ヘアメイクが明かす細眉の秘話
「あと1年楽しもう」安室奈美恵と歩んだ26年、ヘアメイクが明かす細眉の秘話
中野明海(なかの・あけみ)/ヘア&メイクアップアーティスト。幼少期から化粧品やメイクアップ・ファッションの世界に憧れ、1985年よりフリーのヘア&メイクアップアーティストとしてのキャリアをスタート。年齢にかかわらず、その人らしさや、本来持つ可愛さ、魅力を最大限に引き出すメイクで、多くの女優・アーティストを担当。雑誌、広告、映像でのヘアメイクをはじめ、「KOBAKO ホットアイラッシュカーラー」など化粧品やツールの開発も手がける  来年9月の引退を表明した歌姫を「奈美恵ちゃん」と呼び、デビュー前の26年前から彼女の「美」を支え続けてきたヘア&メイクアップアーティスト・中野明海さん。おそらく業界内で最も古くから安室奈美恵の素顔を知り、彼女が信頼を寄せ続けてきた1人だ。アムラー現象から始まり、伝説と化した「美」はどうやって生まれ、進化してきたのか。メイクのコツは?「平成の歌姫」の誕生秘話をAERA dot.が独占インタビューした。 *  *  * ――安室奈美恵さんと出会ったのはいつごろですか。  デビュー前の26年前になりますね。アイスのCM撮影で、沖縄からデビューする予定のかわいい女の子たち5人が踊る、というものでした。そこで会った、14歳になったばかりの彼女はもう既に“安室奈美恵”でした。体のバランスも、踊りのスケール感も、見せ方もすべてが特別で、私には1人だけ違う時空にいるように見えました。「何だこの子は! こんな逸材見たことがない!」って。その後、デビューしてからも雑誌やCDジャケット、CM撮影、ライブツアーなど、機会があれば喜んでやらせてもらっています。 ――現在放映中のテレビCM「安室奈美恵×docomo 25年の軌跡」は1992年のデビューから現在までの“安室奈美恵”を再現しています。どうやって挑んだのでしょうか。  いつも私と彼女は、あまり「ああしよう、こうしよう」と話し合ったりしないんです。特にヘアメイクは現場で微調整ができるので、「とにかく仕上げてみるね」っていう感じで。  昔、彼女がこう言ったことがあります。「ヘアメイクにはヘアメイクのプロフェッショナルがいて、衣装のプロ、映像のプロ、企画のプロがいる。私は歌って踊る音楽のプロ。メイクについて嫌か良いかはわかるけど、ここをこうしてほしいという具体的な言葉は持ち合わせていない」と。つまり、アイラインを2ミリ短くしてとか、このブランドのこの服を持ってきてとか、指示をするなら自分でやればいいわけです。奈美恵ちゃんは昔から、自分の趣味をわかってくれて、もっと専門的なことを知っている人に任せたいと考えていました。そうすることによって、自分が思ってもみないような素敵なものが出来上がる、って。なので私も「私に頼んでくれたんだから、私は私の世界で奈美恵ちゃんが嫌じゃない、もっと良く見える方法を考えればいい」と、私なりに120%の力を出すことを考えてやってきました。  今回のCMでは監督さんたちとの打ち合わせで、いまの奈美恵ちゃんの1992年風をつくるのではなく、「そこまでやるの!?」っていうぐらい徹底的に再現しようということになり、細部までこだわっています。過去のものも、私がやらせてもらったメイクが多くあるので必要な情報は頭の中にあるんです。そこから緻密に再現しました。 東京・渋谷のスクランブル交差点を舞台に、安室奈美恵さんと携帯電話の進化を振り返るテレビCM「安室奈美恵×docomo 25年の軌跡」。最初のシーンは1992年。安室さんがデビューし、NTTドコモが誕生した年だ。手にするのは、それまでのショルダーホンに比べて超小型化した携帯電話。安室さんはこの後、95年に小室哲哉プロデュース第1弾「Body Feels EXIT」をリリース、96年に「Don't wanna cry」で日本レコード大賞を史上最年少受賞、97年「CAN YOU CELEBRATE?」がダブルミリオンを記録した(写真:NTTドコモ提供) ――1992年のヘアメイクは、96年に新語・流行語大賞のトップテンに入った「アムラー」現象の原型のように見えます。特徴を教えてください。  髪はセンターパート(真ん中分け)で、カラーは白っぽいメッシュが入っています。髪の長さはいまよりも全然短いので、緻密に長さを決めてウィッグをつくりました。毛先にはレイヤーが入っています。  アイシャドーはシルバーブルーです。このときはまだまつ毛を上げて目元を強調する時代ではなかったので、ビューラーは使わず、リップはダーク。当時はもっとダークだったのですが、今回はフレッシュさを出すために少し明るめにしました。 ――懐かしいですね! 当時、このメイクはどのように生まれたのでしょうか。  モード界でもこういうメイクの流れはありましたが、細眉は奈美恵ちゃんが自分でキレイに整えていて、ご本人の好みから生まれたものです。  当時は黒人女性がかっこいい時代でした。スーパーモデルブームがあり、日本でもナオミ・キャンベルが大ブレイクし、音楽界ではジャネット・ジャクソンが人気でした。少し前ですが、スポーツ界にはジョイナー(米陸上選手、88年ソウル五輪で3冠)もいましたよね。  彼女はジャネットに影響を受けて歌とダンスを始めたぐらいジャネットが大好きだったし、彼女自身もこういうメイクが似合ったんです。私は「THE夜もヒッパレ」(日本テレビ系)や「ポップジャム」(NHK総合)などテレビ番組のお仕事はご一緒していなかったのですが、自分でダークめのリップを塗って、眉を描いて出ていたと聞きました。奈美恵ちゃんがそういう感じのメイクが好きだからと、私たちヘアメイクはそこに寄り添って、メイクをすることが多かったですね。毎回こうだったわけではありませんが。この時代に奈美恵ちゃんがいたからこそ日本中に広がったメイクだったと思います。 ――再現してみて、どうでしたか。  ご本人も鏡の前で「うわー、この色久しぶり!」って(笑)。「こうだったよね」って話しながらアイシャドーを塗り終えた瞬間、彼女がティーン・エイジャーの顔になったんです。「メイクってすごいね」って二人で話しました。ああ、久しぶりにこの顔に会ったって、奈美恵ちゃんも懐かしく思っていたと思います。 次に再現されるのは2000年。前年に始まった「iモード」が爆発的にヒットし、折りたたみ式の携帯電話も登場。ストラップをつけたり、本体にデコレーションしたり、カスタマイズされた携帯電話を持つ人たちが街に溢れたのはこのころだ。安室さんが九州・沖縄サミットのイメージソング「NEVER END」をリリースしたのも00年。翌年には小室哲哉プロデュースを離れ「Say the word」を発表、03年にはZEEBRAやVERBALらと「SUITE CHIC」としてオリジナルアルバムをリリースした(写真:NTTドコモ提供) ――2000年はまた雰囲気が変わりました。「NEVER END」が九州・沖縄サミットのイメージソングになったのがこの年です。  ちょうどこの頃から、小室哲哉さんのプロデュースを離れ、ご自身でプロデュースを始めたころでした。バラードが続いた後、久しぶりにアップテンポな「Say the word」という曲で、ツインテールはご本人のアイデアです。雑誌の撮影などでやっていたので、お気に入りのアレンジだったんだと思います。このツインテールもブームになりましたね。  00年のメイクは目元にブラウン系のグラデーション。しっかり細めに描いていた眉毛は、自然な感じになりました。メイクは全体的にクールでかっこいい感じから、柔らかく可愛い方向に幅が広がっていった時代だと思います。  こうやって抜き出してみるとガラッと変わっているように見えますが、「さあ、今日から新しい方向で」と変えていたわけではありません。ヘアメイクは日々のことですし、やってきたことがすべてつながって、自然に変わっていく感じです。ジャケット撮影の間に雑誌やCMの撮影なども挟まっていくので、時代の空気感とか流行を吸い込みながら変わってきたんだなと、今回振り返ってみて改めて感じます。 2007年にアルバム「PLAY」をリリースした安室さんは、翌年、ベストアルバム「BEST FICTION」をリリースし、そのアリーナツアーでは50万人を動員。2010年を再現したのがこのビジュアル。手にするのはスマートフォンだ。この年にはドコモの「Xi」がサービス開始した(写真:NTTドコモ提供) ――2010年は黒い衣装で、力強い雰囲気が出ています。  このときは奈美恵ちゃんがやりたいことを思いっきりやっていて、女性アーティストとして一つの王国を築いたような印象を受けていた時期でした。"安室奈美恵"ってこんな感じ!という方向に、突き進んでいるような。髪はかき上げて雰囲気を醸し出すというよりは、前へ走っていくようなイメージです。どう動いても髪が本人の動きを邪魔しない。強さや疾走感を大事にしていました。  アイシャドーはトープ(灰色がかった茶色)っぽい、グレーブラウンやチャコール系の色をよく使っていました。眉は自然な感じに整えていることが多いですね。 ――アリーナツアーで50万人を動員するなど、ライブも忙しい時期ですね。ライブで思い出に残っていることはありますか。  実は私は2000年ごろまでしかライブを一緒に回っていません。私自身も子どもを2人育てながら働いていて、1人目のときは東京・大阪・名古屋、ほか10カ所ぐらいのライブを回っていました。2人目を産んだときには、彼女は全国で何十公演もやるようになっていて、2人を育てながらライブを回るのは厳しくなってきていました。これは女性が働きながら子育てをして生きていくうえで、避けては通れない悩みですけれど……。  そんなときに彼女が「明海さんはもうライブツアーを回らなくていいですよ」って声をかけてくれました。アシスタント2年目の子が育ってきていたので「その子で頑張ってみましょう」って。そして「いつでもどこでも遊びに来てくださいね」って言ってくれました。人として深い人で、「来られないならもういいです」っていうことは一切なく、みんなでうまくやりましょうと考える人なんです。 ――新しい人にも任せられる懐の深さがあるんですね。  本人が強いから、ちょっとしたことで揺らがないんですよね。私のアシスタントから独り立ちしていった子たちと3、4人で奈美恵ちゃんのヘアメイクをほとんどやらせてもらってきましたが、彼女たちが育っていったのは本当に奈美恵ちゃんのおかげなんですよ。初めての人に顔を触らせるのって、怖いじゃないですか。メイクはお習字と同じで、同じお手本を見て描いたところで手が違うと全部違うものが出来上がるもの。どんな仕上がりになるのか不安があって当然だと思う。でも彼女は、どうしても私の都合が悪いときに「あの子にやってもらいましょうよ」ってサラッと言うんですよ。「不安じゃないの?」って聞くと、「だって明海さんのメイクをずっと見てきたんだから、変になるわけないじゃないですか」って。そういうところが本当にカッコイイんです。 CMの最後に登場するのは現在、2017年のイメージ。安室さんはデビュー25周年を迎えた4日後の9月20日、公式サイトで18年9月16日をもって引退することを発表。オールタイム・ベストアルバム「Finally」をリリースした(写真:NTTドコモ提供) ――2017年は異彩を放っていますね。これは現在の安室さんを表しているのでしょうか。  今の彼女が好きなスタイルというよりは、ちょっと先の未来をイメージしています。こんなの流行るといいなっていう提案でもなく、自由と広がりがあって、どうにでも創造していける感じですね。いままでにあまりない感じ、というのが裏テーマです。  奈美恵ちゃんは何でも似合うので、CDのジャケット写真のアイラインの引き方だけでも、すべて違う提案をしてきました。買ってくれた人に「いつも違って、いつもキレイ。いつもカッコイイ」って思ってほしいじゃないですか。でも、私がどんなメイクをしても彼女は瞬時に消化して、自分の表情や動きでもっと素晴らしいものにしてきてくれました。人に見せるというポテンシャルが非常に高いんです。引き出しが多くて、同じ撮影をしていても振り幅が広い。ご本人は「私は服とメイクを変えると違って見えるから得してるんです」って、言うだけなんですが(笑) ――そうやって26年以上、一緒に仕事をしてきた安室さんが引退を表明しました。その後のインタビュー番組では、悩みや不安を抱えていたことも率直に語っています。今の彼女をどう見ていますか。  引退を表明したからといって彼女が別人になるわけでもなく、この撮影のときも「あと1年楽しみましょ」って、いつもと変わらない様子で言っていました。ご本人の中で悩んでいた時期はあったのかもしれませんが、どんなときも自分の意思で仕事を選び、セルフプロデュースをしているなと私は感じていました。  よく「この時期はCDが300万枚売れた」とか「この時期はどうだったか?」って聞かれますが、そういうことはなにも関係なかったんです。彼女との関係で人生の山や谷を語るなら、私にとっては14歳の奈美恵ちゃんを見たときが1番の山だったかもしれません。本当にビックリしたんですよ。それからは、撮影するごとに感動の山が何度もやってきています。お洋服もヘアメイクも何でもハマる彼女と一緒にやれることが、楽しくてしょうがなかった。  そういう意味では、私の大好きなミューズの1人がいなくなるのは寂しくてしょうがないですね。でも彼女が元気で幸せでいてくれさえすれば、私はそれでうれしいです。 ――自分の素材を棚に上げてお聞きしますが、どうすれば安室ちゃんに近づけるか教えてください。「安室ちゃんみたいになりたい!」という女性たちに向けて、何かアドバイスを。  私は、自分の好きなものをちゃんと見極めるセンスの良さや自由さが、人生においてとても大事だと思っています。好きなもの、信じるものがその人の個性になる。それは26年以上、彼女を見てきて実感するのですが、いわゆるアムラー現象だって、その後の「奈美恵ちゃんっぽさ」だって、彼女が好きなことをやり続けて作ってきたものです。  私は人は見た目だと思っているんですよ。外見は中身が外に現れたものだし、外側がちゃんとしている人は中身もちゃんとしていると思う。奈美恵ちゃんがTシャツとデニムしか着ない人だったら、こんなにたくさんの女性たちが憧れ続ける存在にはならなかった。それは、メイクひとつを取ってもそうです。  メイクをしないで生きていく人はもちろんいるし、それはそれで全然いいと思う。テクニックも二の次。自分を信じるものをちゃんと貫き通すことが、素敵な個性と人格を形成していくと私は信じています。 (聞き手/AERA dot.編集部・金城珠代)
女子美容
dot. 2017/12/10 11:30
「血圧サージ」による脳卒中や心筋梗塞を防ぐ10カ条
「血圧サージ」による脳卒中や心筋梗塞を防ぐ10カ条
高齢者や血管年齢の高い人にとって、血圧の大きな変動は要注意だ 脳卒中イベント発生率(週刊朝日 2017年12月15日号より) 血圧サージによる脳卒中や心筋梗塞を防ぐ10カ条(週刊朝日 2017年12月15日号より)  血圧が急上昇する「血圧サージ」に今、注目が集まっている。血圧の変動自体は生理的な現象なので健康な人には問題にならないが、高齢者や血管年齢の高い人にとって大きな変動は要注意だ。脳卒中や心筋梗塞の発症リスクを高めることにつながるからだ。命を脅かす危険もある血圧サージについて専門家に取材した。 「今朝、午前中に救急車の出動が多いと、救急隊と話したばかりです」  おもむろにこう話しだしたのは、横浜労災病院(横浜市港北区)院長で循環器内科医の梅村敏医師。救急車の出動が必要となる脳卒中や心筋梗塞は、動脈硬化によって脳や心臓の血管が詰まったり、破れたりして発症する代表的な病気だ。こうした病気の原因の一つとなるのが、サイレントキラーとも呼ばれる高血圧だ。  高血圧といえば、10月29日に放送されたNHKスペシャル「“血圧サージ”が危ない~命を縮める『血圧の高波』~」が波紋を呼んでいる。血圧サージとは“一過性の著しい血圧上昇のこと”で、これが繰り返されることで、心筋梗塞や脳卒中の発症リスクが高まるというのだ。  サージとは「急上昇する、急に高まる」といった意味。NHKで取り上げられたことで、血圧における新しい概念のような印象を受けるが、実は専門の医師らは以前から注目していた。 「“モーニングサージ”というもので、時間帯ごとの脳卒中や突然死の頻度を比較すると、朝の6時ごろから正午ごろまでが高い。これには、朝方の急激な血圧上昇であるモーニングサージが関与していると言われているのです」(梅村医師)  番組では血圧サージのリスクについて専門家が解説し、その予防として家庭血圧計による血圧測定や、非薬物療法としてタオルを軽く握る「ハンドグリップ法」などを紹介している。一方で、高血圧ではない若い男女、つまり、血圧サージがあまり問題とならないようなタイプの人たちに血圧測定をさせ、その3割に血圧サージが見られたという実験結果を提示。“1回でも血圧が135mmHg(単位は以下省略)を超えると血圧サージ”と述べるなど、一部では誤解を与えるような内容もあった。  東京都健康長寿医療センター(板橋区)顧問で臨床研究適正評価教育機構理事長の桑島巖医師は、「(同番組は)視聴者を不安に陥れ、降圧薬の過剰処方をもたらす恐れがある」と、問題を適切に取り上げなかった点に異議を唱えている。ただ、血圧サージは人によってはやはり危険で、気を付けないと命取りになりかねない。 「血圧の変動は生理的な現象で、若くて血圧も高くない健康な人では、あまり問題にはなりません。しかし、喫煙者やコレステロール値が高い人、高齢者では、血管の壁の弾力性がなくなってもろくなるので、サージと呼ばれる血圧の急上昇が脳出血や心筋梗塞の引き金になります」(桑島医師)  そこで命を脅かす危険もある血圧サージについて専門家を取材。リスクが高いのはどんな人なのか、血圧の急上昇がどんな病気をもたらすのか、その対策などを紹介しよう。  まず、血圧サージとは何か。同番組に出演していた自治医科大学附属病院(栃木県下野市)循環器内科教授の苅尾七臣医師は、押さえておきたい3点を挙げる。 【1】 血圧の変動には、生体に必要な“生理的な変動”と病気の原因となる“病的な変動”の2種類がある。血圧サージは後者の病的な変動のことを指す。 【2】 乳幼児でも、泣いているときなどは血圧サージが起こっている。だが、血管に柔軟性があり、動脈硬化やプラーク(血管内にできたコレステロールなどが蓄積したコブ状のもの)がないため、脳卒中や心筋梗塞のリスクとならない。 【3】 1回の血圧サージが問題なのではなく、回数やその大きさ、連続性などによってリスクの程度が変わる。 「生理的な変動は、血管の内皮を刺激して、内皮を柔らかくする一酸化窒素を放出させるなどの役割があり、身体にとって必要なもの。どこまでが生理的で、どこからが病的なのかについては、まだはっきりしていませんが、目安として『55以上の血圧の上昇はリスクが高い』と考えていいと思います」(苅尾医師)  血圧サージがなぜキケンなのか。われわれの血管の内皮は年齢とともに変化し、弾力が失われて硬くなっていく。その上にコレステロールなどのアブラが蓄積し、プラークというコブを作るようになる。このプラークが何らかの理由で破裂すると、血管が詰まり、脳卒中や心筋梗塞などの病気を発症する。この過程のなかで、血圧サージは“動脈硬化を加速させ”“プラークを破裂させる”という。  苅尾医師が話を続ける。 「血圧が急上昇するというのは血管の壁が強い力で押されているということ。それによって内皮がダメージを受けて傷が付き、硬くなっていきます。動脈硬化を加速させてしまうわけです。また、サージの圧はプラークを潰す力があるので、血管が詰まったり破れたりして、脳卒中や心筋梗塞を起こしてしまいます」  強い圧が末梢の細い血管に及ぶと、そこが詰まって血流が滞る。脳血管性の認知症の発症リスクを高めることもあるそうだ。苅尾医師らが高血圧患者を対象にして検証したところ、血圧サージがある人(46人)で脳卒中を発症した割合は17%で、サージがない人(145人)は7%だった。  血圧サージの発生に関係するのは、交感神経系の活性化だ。交感神経は自律神経の一種で、血圧や呼吸、消化など生命の維持に欠かせない機能を調整する。  身体が緊張、興奮すると交感神経が優位になり、心拍数が上がったり、血管が収縮したりする。それによって血圧が上がる。反対にリラックス状態となると副交感神経が優位になって、血圧は下がる。活動している日中は交感神経が優位に、睡眠中は副交感神経が優位になるため、ふつう血圧は日中が高く、夜は低くなる。  梅村医師は「明け方の覚醒にともなって、交感神経系が活性化されると血圧が上昇します。その幅が大きい場合、モーニングサージを起こして、重大な病気を発症するケースがあるのです」と説明する。  朝だけではない。力仕事やトイレ(用便)、ダッシュ、筋トレ、喫煙、くしゃみや咳、怒る、冷たい床を歩く、冷水で洗顔する、低い気温、月曜日、朝跳び起きる……など、日常的に行っている行動でも血圧は急上昇することもある。そのトリガー(引き金)を引いたときに、血管が詰まったり破裂したりして、大きな病気を引き起こす。 「血圧が大きく上下することでよく知られているのは、入浴や排便です。寒い脱衣所で服を脱いで熱い風呂に入った直後は、血圧は20以上も上がります。排便でいきんでいるときも血圧は大きく変動します。冷たい水に手をつけたときもやはり血圧は急激に上がります」(梅村医師)  血圧は季節によって異なり、夏と冬では20ほども違うという報告もある。冬はそれだけで血圧が高くなりやすいのだ。  では、血圧サージの危険から身を守るにはどうしたらいいか。知っておきたいポイントは二つ。「自分の血管年齢、血管状態を把握しておくこと」「血圧サージを起こすような行動をとらないこと」だ。  血管年齢が重要なのは、血圧サージは動脈硬化と負の循環関係にあるからだ。サージは動脈硬化を進め、動脈硬化はサージを招きやすい。加齢による血管の変化は10代から始まるため、どれだけ血管年齢の進行を遅らせるかが、血圧サージの予防につながる。  血管年齢、血管の硬さを知る目安になると桑島医師が紹介するのは、“上の血圧(収縮期血圧)と下の血圧(拡張期血圧)の差”だ(専門的には「脈圧」という)。血圧が140/80だとしたら、その差は60となる。年齢が高くなるほど上の血圧は上がり、下の血圧は下がる傾向がある。血圧といえば上の数値を気にしがちだが、実は両者の差も重要なのだ。 「上の血圧が140以上でかつ、脈圧が70以上の人は血管が硬くなっている可能性が高いので、急激な温度変化やストレスには注意が必要です」(桑島医師)  血圧以外で血管年齢を知ることも可能だ。例えば、プラークの有無は「頸動脈超音波(エコー)」で確認できる。頸動脈は首の左右を走っている動脈で、皮膚から近くプラークができやすい。この動脈の壁の厚さやプラークの有無を調べることで、全身の動脈硬化の程度が推測できる。  そのほか、血管の物理的な硬さをみる「脈波伝播速度(PWV)」や「心臓足首血管指数(CAVI)」や、左右の手と足の血圧と血圧の波形を比較することで、血管の硬さと詰まり具合をみる「ABI(足関節上腕血圧比)」という検査などがある。いずれも一般的な検査であり、多くの医療機関で受けられる。公的医療保険の対象だ。  血圧サージが起こっているか調べる方法もある。「24時間血圧(ABPM)」だ。高血圧を専門とする医療機関で受けられる検査で、これも公的医療保険が使える。苅尾医師によると、上の血圧の最も低い値と高い値の差が55以上だと、危険なサージが起こっている可能性が高いそうだ。  ABPMを測定するのがむずかしい場合は、家庭血圧計を有効活用しよう。測り方は、朝、起床後1時間以内の朝食や服薬前に、トイレを済ませてから1~2分イスに座って安静にして測る。1度に2回測定してその平均を取る。これだけでは実際に血圧サージが起きたかわからないが、早朝に血圧が高く、日々の差が20以上の場合は、その危険性があるという。  自身の動脈硬化やその誘因、大きな血圧変動の有無がわかったら、予防に生かすことが大事だ。 「ぜひ、結果をしっかり分析してほしい。人によって血圧サージが起こる誘因は違います。ですので、24時間血圧をみて、どんなときにどんな行動をとったらサージが起こったのか、“魔のサージ行動・時間”をしっかりチェックし、そういう行動はなるべく控えるようにするなどの対応をしましょう」(苅尾医師)  血管年齢が高い、つまり動脈硬化が進んでいる人はどうしたらいいか。 「多くの人は、動脈硬化は治らないと思っています。確かに内皮の加齢による変化の改善や、一度できてしまったプラークの除去はできません。しかし、ゴワゴワした皮膚を保湿剤で柔らかくできるように、血管の柔らかさを取り戻すことは可能です」(同)  そのためには、糖尿病や脂質異常症、睡眠時無呼吸症候群などの持病をしっかりコントロールすること。減塩や禁煙、節酒に努め、ウォーキングなどの運動をして、積極的に野菜やくだものをとろう。肥満を指摘されている人は、減量から始めたい。6時間以上の良質な睡眠も大事だ。 「最近は、歯周病菌や腸内細菌が動脈硬化の進行に影響を及ぼしていることが指摘されています。口腔ケアをしっかりし、歯周病を予防することも重要と考えられています」(梅村医師)  続いて、トリガーを避ける工夫について。桑島医師、梅村医師がポイントを挙げてくれた。それが図表の10カ条だ。 「早朝に血圧が高い人は、起床後にトイレや新聞を取りに行くなどで寒い外気に接すると、血圧がさらに上昇して、脳卒中の引き金になりやすい。また、血圧サージのある人は、入浴で急激に血圧が下がって意識を失い、死に至ることもあります。つまり、動脈硬化が進んでいる人、血圧サージが起こりやすい人は、血管年齢やリスクに応じた生活を心がけることが大切です」(桑島医師)  朝は目覚めて跳び起きるのではなく、ゆっくり起きる。スケジュールをびっしり詰め込むのではなく、余裕を持って動く。また、朝の急激な血圧上昇は諸外国より日本に多いという報告もある。これは、日本の昔からの家屋は断熱性が不十分であることを物語っている。しっかり部屋を暖めることを重視すべきだろう。  梅村医師は、深呼吸をすることで血圧が下がることや、血圧が高めな人ほど下がり幅が大きいことを、報告している。 「効果は一時的ですが、朝やイライラしているときなど、血圧サージが起こりそうなときに深呼吸をすることで、血圧の急激な上昇が抑えられるかもしれません」  降圧薬の使い方にもコツがある。薬の作用が切れるとサージを起こす可能性があるからだ。朝に服用した薬の効果が切れるタイミングが明け方であることが多いため、寝る前に降圧薬を飲んでおくと、サージが抑えられる可能性がある。一度、かかりつけ医に相談してもいいだろう。  冒頭でお伝えしたように昔から知られている血圧サージだが、新たに“サージの共振を避ける”のが大事という考え方も出てきた。 「例えば、寒い朝に跳び起き、冷たい床を素足で歩いて洗面所に行き、冷水で顔を洗うという場合、いくつもの血圧サージがほぼ同時に起こっている可能性があります。複数のサージが同時に起こると、血圧の上昇の幅が大きくなるため、脳卒中や心筋梗塞の発症リスクはさらに高まります。自分のサージが起こる行動を知ったら、それが重ならないように気を付けることも大事です」(苅尾医師)  血圧サージには降圧薬が効かないとも言われる。きめ細かな生活習慣の改善と、リスクとなる持病のコントロールこそ、サージやその先にある脳卒中や心筋梗塞を防ぐ術なのだ。 ■血圧サージによる脳卒中や心筋梗塞を防ぐ10カ条 *1~6は冬の間のみ 1 起床時間に合わせて部屋を暖かくしておく 2 床は素足で歩かず、スリッパや靴下をはく 3 目覚めてしばらくは寝床でゆっくりする 4 冷水ではなく、ぬるま湯で顔を洗う 5 新聞を取りに外に出るときは暖かい格好で 6 入浴時には脱衣場を暖めておく 7 薬は効果が24時間以上続くものに。短ければ2回服用する 8 血圧が高いと感じたら深呼吸をして落ち着かせる 9 排便はあまり力まない。便秘をしない 10 月曜日の朝はゆとりをもって行動する (本誌・山内リカ) ※週刊朝日  2017年12月15日号
シニア健康病気
週刊朝日 2017/12/10 07:00
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秦正理 秦正理
栄養ドリンクも焼き肉も逆効果! 死を招く“隠れ疲労”とは?
東京疲労・睡眠クリニックの梶本修身院長 疲労をためてしまう行動(週刊朝日 2017年12月8日号より)  やる気はあるのに、なんだかだるい。仕事も趣味も楽しくて「疲れを感じてない」のに朝起きられない……。そんな自覚のない“隠れ疲労”に心当たりはないだろうか。その状態を放置していると、最悪の場合は突然死、過労死に至ると警鐘が鳴らされている。  損保会社役員の男性(56)は昇進後、夜中に何度も目を覚ましてしまい、朝は目覚まし時計が鳴ってもすぐに起きられなくなった。接待や残業で深夜に帰宅することが増えたが、仕事は充実していて愚痴や不満もなく、家族に疲労感を訴えることもなかった。  異変に気づいたのは男性の妻。男性を連れて東京疲労・睡眠クリニックの梶本修身院長の元を訪れた。 「“隠れ疲労”の典型的な例です。隠れ疲労とは心身の疲れがたまっているのに、それを本人が認識できていない、疲労感のない疲れのことです」(梶本さん)  現代病ともいえる疲れ。疲れを自覚している場合はまだいいほうで、隠れ疲労こそ注意が必要だ。特に、やる気と行動力に満ちあふれる中高年が危ないという。梶本さんは、疲労のメカニズムと回復法をまとめた『隠れ疲労』(朝日新書)を出版。「現代人は自分で思った以上に疲れている」と警鐘を鳴らす。 「隠れ疲労はきちんと向き合わないと、命を奪いかねない危険な症状です」(同)  隠れ疲労はなぜ起こるのか。それを理解するには、心身が疲れている状態の「疲労」と、それを疲れと自覚する「疲労感」の違いがポイントになるという。  梶本さんによると、仕事を頑張ったり、運動したり、精神的ストレスを受けたり、睡眠不足になったりすると「疲れる」が、それは脳の真ん中にある自律神経を酷使することで起こる。自律神経は心拍、血圧、体温、睡眠など体のあらゆる動きをコントロールしている、体の司令塔だ。 「自律神経が疲弊すると、脳の眼窩前頭野という部分に『あなたは疲れていますよ』と情報が送られて、そこで“疲労感”として認識されます。眼窩前頭野は体の危険信号を出す場所です。しかし、人間の脳は、意欲や達成感といった知的機能を司る前頭葉が発達しているため、眼窩前頭野が認識している疲労感を覆い隠してしまうことがあるのです。実際には疲れているのに、疲労感を認識しない状態。これが隠れ疲労の正体です」(同)  隠れ疲労は、「気持ちいい」「もっと頑張れる」といった快感や意欲による興奮が脳にもたらされているときに起こりやすい。冒頭の男性のように責任感が強くて意欲的な人ほど隠れ疲労をためやすいのだ。だが、「やる気」や「充実感」に疲労感が紛らわされているだけで、心身は確実に疲れている。隠れ疲労は放置すれば、過労死に至ってしまうリスクが高いという。自覚がないまま疲労を蓄積し続けてしまうからだ。 「司令塔である自律神経が疲労によってその機能を失えば、心臓が暴走して心筋梗塞を起こしたり、血圧が異常に高くなって脳卒中を起こしたりするリスクを飛躍的に高めてしまう。中高年の自律神経機能は20代の半分以下に落ちるため、何事にも精力的に楽しんで取り組む人こそ注意してほしい」(同)  隠れ疲労に気づくには、「無意識のうちに出てくる兆候を見逃さないで」と梶本さんは話す。例えば、寝落ち。 「電車の中で、隣の駅に着くまでに眠ってしまうとか、ベッドに入って1、2分とたたないうちに眠ってしまうことがよくある場合は要注意です。寝つきがいいと思われている方の中にこそ、実は隠れ疲労を抱えた人が多いですね」(同)  そして、毎日の習慣が面倒に感じるようなときも隠れ疲労を疑ったほうがいい。 「自宅から駅までなど、普段歩いている1、2キロの距離を、『なんか今日は歩くのがだるいな』と感じて、タクシーやバスに乗ることを考えてしまう。そういった衝動は隠れ疲労が氷山の一角として表面化した可能性が高いでしょう」(同)  普段は楽しいデートが「今日は気乗りしないな」というような感覚も、一例に挙げる。 「日ごろ、自分が楽しいと思っている行動を面倒に思ってしまうなど、衝動的に起こってくる感情もひとつのヒントです。疲れを自覚することができなくても、何らかの変化を見逃さないことが大事です」(同)  隠れ疲労のサインをキャッチしたら、速やかに疲労回復に努めたい。だが、疲れをとるつもりの行動にも落とし穴がある(表)。 「もうひと踏ん張りだというときに栄養ドリンクを飲み、頭がさえて疲労が軽減されたような感覚を持つ方は多いと思います。実際には疲労回復効果は極めて低く、カフェインの覚醒作用によって、疲労ではなく疲労感が軽減されているだけです」(同)  さらに、「ストレス解消のお酒」「精をつけるための焼き肉」はむしろ隠れ疲労を起こす原因だという。アルコールは気分を高揚させて、疲労感を紛らわしているだけで、疲れはとれておらず、焼き肉などの脂っこい食事は消化のために内臓に負担をかけるため余計に身体が疲れてしまうと指摘する。  疲労回復には、疲労感をとるのではなく、疲労そのものの軽減を──。そのためには二つの方法がある。まずは日中の自律神経の疲れを軽減すること。 「イミダペプチドという成分が自律神経の疲労軽減に効果があります。鶏の胸肉に豊富に含まれているので、サラダチキンなどを意識して食べることをおすすめします。食べ続けることで疲れに強い体をつくることができますよ」(同)  二つ目は、質の良い睡眠だ。睡眠の質と時間を確保して自律神経を休ませる。就寝前の入浴も大事なポイント。熱いお風呂につかるとぐっすり眠れると思いがちだが、体温が急激に上がるのを抑えようと自律神経が疲弊するので逆効果だ。 「寝る1、2時間前に、40度以下のぬるめのお湯で15分程度の半身浴。自律神経に負担をかけることなく、これでスムーズに入眠できます」(同)  冒頭の56歳の男性は、休日の運動を控え、イミダペプチドを豊富に含む食事を毎日とり、入浴も半身浴に変えたことで疲労度が顕著に減少したという。  放置すれば死を招く隠れ疲労。この機会に自分の生活を振り返ってみてはどうだろうか。 【意外!! 実は疲労をためてしまう行動】 1.追い込みたいときに栄養ドリンクを飲む 2.熱いお風呂につかる 3.仕事疲れのリフレッシュのために毎日の運動 4.精神的ストレスをお酒で解消 5.焼き肉やウナギを食べて精をつける (本誌・秦正理) ※週刊朝日 2017年12月8日号
週刊朝日 2017/12/04 16:00
田村耕太郎が明かす「政治家になったことを心から後悔した日」
田村耕太郎が明かす「政治家になったことを心から後悔した日」
「この本は『不戦の書』である」  元政治家であり、現在はシンガポール・リークワンユー政治大学院で教鞭を執る田村耕太郎氏がそう表する自著『頭にきてもアホとは戦うな!』(朝日新聞出版)は、“アホ”と戦わないための本だ。  田村氏は「人生で最も貴重な資産は『時間』」だという。さらには、その貴重な資産をアホのために使うこと以上にもったいないことはこの世に存在しない。アホは上手にスルー。それなりに力があって利用価値のあるアホは、こちらがコントロールできる戦術でこちらの仲間に引き入れて活用すべきだと主張する。  こうした考えの背景には、老獪な政治家たちと戦ってきた田村氏の実体験があった。そこからわかったアホの共通点、そして「政治家になったことを心から後悔した日」すらあった苦い経験とは……。 *  *  *  アホとはどんな人物だろうか? 一言で言えば、あなたがわざわざ戦ったり、悩んだりする価値のない人間である。そして不条理な人物である。あなたにとって一見、目障りで邪魔である。時として正当な理由もなくあなたの足を引っ張ってくる当たり屋でもある。あなたに体当たりして絡んで、自分の価値を上げようとする人物だ。  あなたにしつこくアタックしてくるアホの特徴は、まず暇であること。暇に加えて、これはあなたが知らねばならない大事な特徴だが、このアホはあなたに強い関心がある。しつこく嫌なことをやってきたり、言ってきたりする人は、実はあなたに興味があり、かまってほしかったりする。つまり、あなたに振り向いてほしいから理不尽なことを言ってくるのだ。  表向きは気付いてはいないかもしれないが、深層心理では多分あなたが好きだ。嫌いというケースもあるだろうが、深層心理では、好きも嫌いも、強い関心があるということで同じである。あなたがアホだと思うくらいだから、その人物の実力を認めていない。しかし、それなりにあなたの未来に影響力を持っている場合がある。だからあなたは気にしてしまう。  こうした人物には、もうすでにこちらから“嫌いオーラ”を送ってしまっている可能性が高い。向こうはあなたに関心があり、潜在意識では好きかもしれないのに、あなたが嫌いオーラを発していたら、向こうの愛は憎しみに変わる。そして、すでに決戦の火ぶたは切られてしまっている。  私の周りにもそういう人間がいた。企業で働いているときも政界に入ったときも。そして多くの場合、自分の未熟さゆえにそういう人物と戦っていた。  政界というのは不条理の塊みたいなところがある。政治家としての優秀さというのは数字では公平公正にはかれず、人事や発言権というのは、よくわからない基準で決まっていた。  はたから見ても閣僚人事やテレビに出てくる政治家の発言を聞いても、なんでこの人が……と思う場合が多いと思う。実際に政党や政府の中に入ってみると、各種の手練手管を駆使して地位や権力を獲得する先輩や同僚の姿を目の当たりにすることが少なくなかった。  私のような30代で民間から政界入りしたナイーブな若造はそんな彼らを「清濁(せいだく)併せ呑む」のはなんともできかね、時として嫌悪を感じる日々であった。納得いかない気持ちで寝付けない夜もあった。政治家という職業は素晴らしい仕事だと思うし、志を立ててせっかくなったものだが、当時は政治家になったことを心から後悔した日もあった。その嫌悪感から、アルコールに頼って体調を悪くしたり、酔って腹いせにその人たちの悪口を言い触らして自分の評価をさらに下げたこともあった。  先輩や同僚の不条理な発言や行動を見ていると尊敬するどころか軽蔑したくなり、それ以上に、たまに成敗(せいばい)したくなっていた。与党の会議や会食の席で論破してやろうと挑戦したこともあって、周りをヒヤヒヤさせたこともあった。当然、こうして真正面からかかわることで、いいことや成長機会はなかった。  今冷静に考えれば、権力にすり寄る彼らの努力は、洋の東西を問わず、さらに上に近づく最も大事な準備作業であり、彼ら自身不本意ながらも、清濁併せ呑む覚悟でそれを積み重ねていたのかもしれない。むしろ、その先輩や同僚を非難するより、称賛すべきだったのかもしれない(つまり、あなたがアホと思っている人は、実は誰よりも賢い可能性があることを忘れてはならない。ただ、本当のアホもいるので注意が必要だ)。  権力にすり寄る行為に嫌悪を感じて、そういうことをする人たちと戦おうとしていた自分はとてつもなく青臭く、今思えば情けない。  幸い先輩が常に守ってくれていたので事なきを得た。それ以上に幸いだったのが、そうした政界で長いキャリアを持つ先輩たちからアホと戦う無駄さを教えていただいたことだ。  その結果、頭に来たり恨んだりすることで、本来はステップアップに使うべきエネルギーや時間を相当浪費してしまっていることに気がついたのだ。
仕事朝日新聞出版の本読書
dot. 2017/11/30 16:00
ジェーン・スー「適度な記憶喪失になっておく必要がある」のはなぜか?
ジェーン・スー「適度な記憶喪失になっておく必要がある」のはなぜか?
ジェーン・スー/1973年、東京生まれ東京育ち。作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストとして活躍中 (c)朝日新聞社 2017年11月28日開催「ワーキングウーマンのための“新ライフマネジメント論”」イベントには200人超が集まった  2017年11月28日に東京・日本橋にて、働く女性を応援するAERA(朝日新聞出版)のプロジェクト「ワーキングウーマンのための“新ライフマネジメント論”」が開催された。参加してくれたのは、20代~60代の女性約200名。AERAでもコラムを連載中のジェーン・スーが「人生は臨機応変!!」について講演した。 *  *  *  AERAで『先日、お目に掛かりまして』という連載をやっていますが、その前の連載タイトルは『今夜もカネで解決だ』でした。テーマは、「疲れた時に誰も癒してくれないんだったら、自分でカネで慰めよう」だったんですね。  「結婚してる/してない、仕事してる/してない、子供いる/いない」と、2×2×2で最低でも8パターンあるんですよ。さらに介護がある。介護も、自分の親の介護と、伴侶の方の親の介護とある。すべてうまくやれるわけがないじゃないですか。しかも、隣の芝生は青いのか緑なのか黄色なのかも分からない。なぜなら、ひとりひとりの置かれている状況があまりにも違うからです。事態はどんどん変わっていって、ロールモデルなんていやしない。今回は、『リソースは有限 未来は不確定 だから臨機応変に』というテーマでお話をしたいと思います。  時間は有限ですよね。1日は24時間で、睡眠にはショートスリーパー/ロングスリーパーがありますけど、パフォーマンス時間の差はそこまでないと思うんです。  体力に自信があるという方はこの中でいらっしゃいますか? 私は先日、「これが老化か」とびっくりしたことがあったんです。これまで言っていた老けとか、しわとか、背中の肉がって言うのは寝言の範疇でしたね。40代半ばになりましたら、「やる気はあるのに目が閉店」が始まったんです。焦点があわなくなり、頭痛になり、涙でにじんでもいないのに画面がにじんで見える状態が、いつも夕方6時半くらいにきちゃうんです。まるで定時退社じゃないですか。  ここで、いつもの私のスケジュールをお伝えしましょう。朝は7時半に起きます。お風呂に入りまして、朝ご飯を食べて、9時半くらいに家を出て、毎日同じ電車に乗ってTBSに出勤。ラジオは11時に始まって1時に終わります。その後に1時間くらい反省会。それから、執筆をしたり、会議をしたり。生活スタイルは今までで一番サラリーマンなんですよ。毎朝、みなさんがスーツという戦闘服を着て会社行くのをみて「大変だな」って思うわけです。40年も50年も続けるわけですから。体力がいかに有限かということが身に染みる毎日なんですよ。  体力と関係しているのが集中力です。これがもうぜんぜんだめ。やる気はあるんですが、気が付けば同じところを読んでいるとか、おもしろいことを思っていたはずなのに、書き出したら忘れてるとか。ペンを取りに行き、消しゴムを置いて帰ってきて、次に入った部屋で私はなんでここにいるんだっけ?と思う。   『時間、体力、集中力』この3つのリソースが有限だってことを、みなさんすぐ忘れられちゃうと思うんです。私もそうです。  さらに『未来は不確定』です。何が不確定か。  勤め続けていれば給料が上がるというのは10年くらい前になくなりましたし、みんながみんな正規社員というのもなくなりました。そんな中、頼んでないのに寿命が延びました。そうすると、国からのサポートが自動的に減ります。私は現在44歳で年金は払ってきていますが、私たちの世代がもらえるのはたぶん10万くらいだろうなと思ってます。 ●やった気にさせるシステム  そうなると不安しか残らないんですよ。だから今、みなさんがざわざわする気持ちを持っているのはもう当然。でも、これがデフォルトなんじゃないかと。何かをし損なっているからこうなっているわけでもなんでもない。  どういうことかというと、誰も生きたことのない未来を私たちは生きているわけですよ。かっこいい言い方をすれば。お手本がいないですよね。お手本がいないとなると、だれかがお手本にならなきゃと思うかもしれないけど、それともちょっと違って、とにかく臨機応変に状況がかわっていく度に、自分の生き方を変えていかなきゃいけないんで、適度な記憶喪失になっておく必要があると思うんです。  もうすでになっているところもありますけれども(笑)。去年まではあれが上手くいったとか、これで成功してたとか…、に縛られると、いろんなものから取り残されていっちゃうんじゃないかなと思います。テクノロジーがものすごいスピードで進化している中で、法の整備が間に合わないという話があるじゃないですか。法律が間に合ってないのに、私たちが間に合うわけないんですよ。自分のことをかいかぶっちゃいけない。  今日参加してくださった方やこのイベントに応募してくださった方からの質問を、全部読みました。そうしたら質問に傾向があることに気が付いたんです。 『現在の問題の傾向』 ◇時間がない ◇モチベーションが足りない ◇やりたいことが分からない ◇バランスがとれない ◇優先順位が付けられない ◇キャリアアップと家族の両立  思いあたるふしございますね。結局、共通しているのは『足りない』ということじゃないかと。やりたいことが分からないというのも、やりたいことが足りない状態。バランスがとれないというのも、キャパが大きければバランスが取れるということだし。優先順位も一緒です。キャリアップと家族の両立も、誰かからの助けがたりないとか。でも、一番最初の話に戻っていただきたいんですけど、『リソースは有限』なんですよね。  なので、時間が足りないのは当然。モチベーションが足りないっていうのは、真面目すぎかなと。モチベーション、別になくてもよくない?  「それいる?」というのをよく考えたほうがいいと思ってます。世の中にはやった気にさせるシステムがたくさんある。カタカナをたくさん使うとか、なんらかのサークルに参加するとか、朝活を否定するわけじゃないけど、やってる気、やってるムードっていうパッケージがたくさん売っているんですよ。あんまりそこ、向上心持ちすぎないほうがいいんじゃないかなと思います。やるなということではなくて、加減が必要かと。  質問を見てもうひとつ気づいたのは、「それ今に始まったことじゃなくない?」ってことで。これって15歳くらいから悩んでいることですよ。「時間がない」とか、「モチベーションが足りない」とか、「まるで学校の先生と個人面談で話してたことじゃない?」っていう。つまり、解決できないことなわけですよ。解決してこれなかったんじゃなくて、そもそも解決できないこと。その程度の捉え方が健やかだと思いました。 (2017年11月28日開催のAERAイベント「ワーキングウーマンのための“新ライフマネジメント論”」より)
AERA 2017/11/30 00:00
「主人の遺骨は山手線の網棚に」 夫に殺意を抱く妻たちすさまじい“怨念”
小林美希 小林美希
「主人の遺骨は山手線の網棚に」 夫に殺意を抱く妻たちすさまじい“怨念”
なぜ、妻は夫に殺意が生まれるのか…(※写真はイメージ)  料理、風呂、着替え、寝かしつけ。朝も夜も家事・子育てに追われる。疲労困憊する妻を尻目に、夫は――。こうして殺意が生まれる。  カチャッ。  時計の針が22時を過ぎると、決まって玄関のカギを開ける音が聞こえる。まるで、子どもたちが寝静まったのを見計らったかのように帰ってくる夫に、金融機関に勤める妻(40)は、「またか」と、怒りが爆発する。 「ちょっと。大変だったんだけど。今頃帰ってくんじゃねーよ」  思えば、朝から夫は地雷を踏みまくっている。  4歳と2歳の息子2人を保育園に送り出すまでは戦場のよう。ご飯を食べるのも、着替えをするのも子どもは「ママがいい」と、だだをこねる。少し離れたソファで「自分の出番はないな」と踏んだ夫が新聞を読んでいると、妻は激高する。 「私は自分の着替えも化粧もできてないのに、なんであんたは優雅に新聞なんか読んでんのよっ! こっち来て子ども見てよ!!」  そして、夫がコーヒーでも飲んでいようものなら「死ね、コノヤロー」と絶叫してしまう。この瞬間、“殺す!”と思う本気度は高い。  保育園にお迎えに行き、子どもを連れての買い物。途中で騒ぐ、兄弟げんかも始まる。帰宅後すぐに「おなか空いたー」の大合唱。料理、食事、風呂、着替え、寝かしつけ。どれも至難の業だ。時計を見ながら、「早く帰ってきてよっ!」とイライラが止まらない。  夫がいても、「パパ、イヤ! ママがいいー!」と2人が口を揃えるため、夫は「どうせ、僕がいたって何の役にも立たない」と、プチ“フラリーマン”(=まっすぐ家に帰らない男性)化した。 「1分1秒でも早く帰ってきて! できないなら離婚です」と冷たく言い渡すと夫は少し早く帰ってくるようになったが、「もうあとは寝るだけ!」というタイミングで帰ってくるから迷惑なだけ。子どもは興奮して、寝なくなる……。  休みの日、殺気立つ妻のご機嫌をとろうと夫は料理や食器洗い、買い物をこなすが、実は、それが逆効果でもある。 「私は、子どもから離れて家事をしたいんですけど!」  妻にとっては「子どもを見ているよりマイペースでできる家事は100倍も楽」だったのだ。ああ、夫よ。子どもを連れて公園にでも行ってくれればいいのに――。  こうした妻の殺意は、普段は隠れていても、ふとした会話に垣間見える。ある女性医師(30代)が「うちの主人はよく料理を作ってくれて、SNSでも評判みたい」と夫の顔を立てるのは表向き。話をするうち、「主人」が「あいつ」に変わっていく。 「週末だけなら、そりゃあ凝ったものを作れるでしょ。毎日作っていれば、いちいちSNSに写真なんてアップしてられないから! 友達に褒められて、あいつ、いい気になって」と、怒り心頭のご様子。その女性は、産後は当直ができないことでパート医師にならざるを得ず、「第一線から離れ、学会発表する機会もなくなった。あいつは男というだけで、キャリアを積める」と納得いかない。  今でこそ「働き方改革」も医師の世界に押し寄せるが、医師の労働実態は旧態依然としている。常勤であれば「妊娠や育児で当直ができません」とは言いづらく、やむなく非常勤になるなどキャリアを断絶させられる女性は少なくない。  筆者が『夫に死んでほしい妻たち』(朝日新書)を上梓すると、女性医師の集会で著書のタイトルそのままのテーマで講演依頼を受けた。50~70代の女性の医師も男社会で生き抜いているだけに恨みは根深い。質疑応答では、「育児や家事は男性も同じようにすべきだ」「私も何度、夫に死んでほしいと思ったことか」という声が次々とあがった。  看護師夫婦の妻も「自分は夜勤明けで疲労困憊していても子どもを見ているのに、夫の場合は堂々と寝ている」と、夫の寝顔を見ると殺意を抱くという。医療関係者が「夫に死んでほしい」と頭をかすめる姿を想像すると、洒落(しゃれ)にならない。  そして、殺意を超えた怨念ともいうべき凄みを見せるのは、美容師の熟年妻だった。妻(60代)は、「夫と同じお墓には絶対に入らない。あの人の遺骨は、山手線の網棚に忘れたふりして置いてこようか」と考えている。  若い頃、夫(70代)は“髪結いの亭主”そのもの。夫婦で美容院を開業しても、ろくに働かず、お金がたまるとそれを持ってキャバレー通いをしていた。「俺の金だ、文句あるか」と、ふらりと一人で海外旅行に出てしまう。絵に描いたような亭主関白で家事はもちろん育児もしてこなかった。 「私の人生、このまま夫の言いなりではいけない」  60代に入って妻は反撃に出た。夫は加齢で「濡れ落ち葉」になってきたタイミングでもあった。まず精神的な離婚を図り、話しかけられても無視するようになると効果はてきめん。老後を心配する夫は、捨てられないようにと思ったのか、今では弱った自分をアピールしながら、せっせと部屋を掃除し、仕事もするようになった。 「ま、低姿勢でいるなら、生かしておいてあげるわ」  妻はムカッとすると、夫の歯ブラシでトイレを掃除するというひそかな仕返しをして気晴らししている。  妻に殺意を抱かれた夫に起死回生のチャンスはあるのか。  結婚してからずっと専業主婦だった女性(65)も、典型的な猛烈サラリーマンの夫(68)に愛想を尽かしていた。家事と子育てをするだけの人生。誕生日や結婚記念日のプレゼントもなく、「夫が早く死ねばいいのに」と願っていた。  ところが、夫は定年退職後、料理教室に通い出して家事をするようになった。どうやら夫の同僚が定年退職の直後に、妻に退職金を根こそぎもって逃げられ、夫も恐怖を感じたらしい。今では、夫が朝食と昼食作り、皿洗いと掃除、ごみ出し、買い物などをこなす。  この女性は今までできなかった習い事や旅行に出かけ、ほどよい距離を保っている。夫は家事の大変さを実感し、女性がお茶を出すと「ありがとう」と口にするようになった。その一言で、「やっと私のありがたみが分かったのね。だったら、ま、いっか」と思えるようになった。今では、夫は「何が食べたい?」「寒くない? エアコンつける?」と、至れり尽くせり。「これなら、夫が死んだら困るかも」と、すっかり夫婦円満の生活を送っている。(ジャーナリスト・小林美希) ※AERA 2017年12月4日号
AERA 2017/11/28 16:00
徳洲会が日本最大グループになった背景 「異形の病院王」徳田虎雄の戦略
徳洲会が日本最大グループになった背景 「異形の病院王」徳田虎雄の戦略
 アサヒグラフ1972年6月2日号の特集記事「救急病院の素顔」。首都圏でも夜間や休日は救急患者の受け入れ先が見つからないことがあると報じている。写真は72年4月~6月合本版(撮影/写真部・片山菜緒子) 京都府と埼玉県では2倍以上の隔たりがある(AERA 2017年11月27日号より) 1984年12月ごろ撮影。徳田虎雄は、「年中無休」「24時間オープン」など、医療改革を掲げた (c)朝日新聞社 数年前、「政治とカネ」の問題で、多くの公職選挙法違反者を出した医療法人「徳洲会」。だが、いまなお日本最大の民間病院グループとして存在する。徳洲会を生んだ時代を、医療の側からノンフィクション作家・山岡淳一郎氏が3回に分けて読み解く。 *  *  *   医師の数は、地域によって大きな差がある。厚生労働省によると、人口10万人当たりの医師数で最多の京都府と最少の埼玉県の隔たりは2倍以上だ。  地方の医師不足の解消に向けて、厚労省は来年の通常国会に都道府県の権限を強める法案を提出する準備を進めている。憲法に「職業選択の自由」が謳われたなかで、いかに医師の偏りを均(なら)し、無医地区をなくしていくか。  医療過疎地への対応は官民挙げてのテーマである。超高齢化社会が到来したいま、この難題にどう向き合うか。そこで改めて徳田虎雄(79)が創業した徳洲会に焦点を当てたい。徳洲会はわざわざ医療空白地域に病院を建て、巨大化したグループなのである。  徳田は2000年代前半に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、全身不随になってからも文字盤を目で追う意思伝達法でグループを統率した。その姿から「異形の病院王」とも呼ばれる。いまは自力で瞼(まぶた)を開けられないほど病状が進行しているという。 ●人口集中と自由な病院開設が医療砂漠を産み落とす  数年前、徳洲会事件が起き、徳田一族の女性問題や「政治とカネ」のトラブルが露呈した。大勢の公職選挙法違反者を出した徳洲会は、傘下の医療法人の認定が取り消され、解体されるのではないか、とささやかれた。だが、徳洲会は徳田一族との関係を断ち、いまもグループの一体性を保っている。  その規模は群を抜く。病院数は71、診療所や介護、福祉系施設が145、職員数3万800人。1日の平均入院患者数1万7300人、外来患者数2万4千人。グループ全体の年商は、4201億円に上る(17年6月現在)。何が徳洲会を日本最大の民間病院グループに成長させたのか──。  時代は高度経済成長期にさかのぼる。1973年1月、大阪府松原市で徳田病院(当時70床、現松原徳洲会病院)が開院の日を迎えた。松原市は診療所数、病床不足率で大阪府下ワースト自治体だった。徳田病院の目の前は近鉄の線路が走り、車庫が連なる。人の住まない線路は空白の診療圏。常識的には病院経営には最悪の土地である。  ところが、徳田は逆の発想をした。「医療砂漠」と呼ばれる空白地帯だからこそ、患者が集まると確信していた。いざ、病院を開いてみると……。開院初日に公立病院から祝いの花束を持って駆けつけた看護師(73)は、こう語る。 「日が暮れて病院に行くと、電灯が煌々とついて、患者さんでごった返していました。待合室に入れない患者さんが狭い廊下に50人以上溢れていた。うわぁ、これはいかん、と白衣を借りて患者さんをさばきました。徳田先生は救急患者も断らなかったから、夜中も救急車のサイレンが鳴りっぱなし。野戦病院みたいでしたよ」  大都市圏にも医療砂漠は点在していた。背景には、医療の制度的支柱「自由開業医制」が横たわる。医師は、施設基準を満たせばどこでも病院を開設でき、診療科も自由に標榜できる。70年代には「医療計画」のしくみも発足しておらず、医師が好きなところに病院をオープンできた。  一方で、高度経済成長を追い風に都市に人口が集中する。都市計画は後手に回り、大規模な団地や宅地が近郊へ無秩序に拡大した。新興住宅地はインフラ整備が遅れ、なかなか病院が建たない。つまり都市への人口集中と自由な病院開設のギャップが、医療砂漠を産み落としていたのである。  その弊害は生死を分ける救急医療を直撃した。首都圏でも夜間や休日は救急患者の受け入れ先が見つからず、医療過疎地と同様の惨状を呈する。アサヒグラフ72年6月2日号の「救急病院の素顔」は、23区内で2年間に亡くなった交通事故被害者の追跡データ(東京消防庁)をもとにこう記す。 「千二百人の死亡者のうち、最初に収容された病院から六時間以内にその病状の治療に適した病院に適切に送られたのはわずかに三十七例三.三%しかなかった。しかもその半数近くは小病院から小病院への転送だった。開頭、開腹などの手術が行われたのは、中小病院では死亡者の一二%、総合病院では四二%と顕著な差をみせている」 ●「全部、受けよう」ナースやスタッフを鼓舞  大阪大学医学部を卒業し、麻酔医として立った徳田は、「患者さんが苦しんでいるのに、なんで救急車を断る。全部、受けよう。朝まで状態を診て、他に移してもええんや」とナースやスタッフを鼓舞して救急患者を受け入れる。75年に医療法人徳洲会を設立し、大阪府大東市に野崎病院(現野崎徳洲会病院)を開院した。「徳洲」とは徳田の故郷、奄美群島の「徳之島」を指す。  徳田は、小学3年のときに弟を病気で亡くしている。島の医師に往診を頼んだが、来てもらえず弟は死んだ。弟の死への「怒りと悲しみ」を度々口にし、医療過疎地の奄美群島に総合病院を建て、離島医療に貢献したいと唱える。その発想は医師偏在に視点を置くとマーケティングの理にかなっていた。  都市の医療砂漠は、自由に開業したい医師側の都合で生じたものだ。そこに暮らす住民は病院を渇望していた。潜在的な医療ニーズは高かったのだ。 ●借り入れが頼みの綱、徹底した低コスト主義  徳洲会は、医療の供給側ではなく、住民ニーズの側に立っていた。これは医療観のコペルニクス的転回をもたらし、スタートダッシュにつながる。  大阪府の岸和田市、八尾市、沖縄本島南部の東風平町(現八重瀬町)と徳洲会は用地を確保し、病院の建設を進める。資金面で打ち出の小槌を持っていたわけではない。金融機関からの借り入れが頼みの綱だった。それなのに次々と病院を建てられたのは「低コスト主義」を徹底していたからだ。  八尾徳洲会病院(現八尾徳洲会総合病院)と、ほぼ同時期に開院した埼玉県の越谷市立病院の建設費を比べると違いが明らかだ。どちらも当時約300床で、八尾病院の建設費は16億5千万円。越谷市立病院は69億7千万円。4倍以上の開きがある。  徳田は、低コストのカラクリをこう語っている。 「僕に言わせれば、市立病院は市民のためのものではなくて、働く職員のためということです。デラックスで広々とした院長室、副院長室、総婦長室、外科医長室……これらはことごとく、患者にとっては無縁の設備ですよ。これに比べて、僕たちは患者のために病院をつくるわけですから、副院長室、総婦長室なんてものは、最初からつくってないわけです。理事長室なんてものもありませんよ。僕が病院に行ったら、絶えず会議室にいるわけです。だから、(略)越谷市立病院の場合は、五十平方メートル(十五坪)に一床、僕たちの八尾病院は二十平方メートル(六坪)に一床です」(「現代」79年4月号)  徳田は白衣を脱いで理事長職に専念し、自伝『生命だけは平等だ わが徳洲会の戦い』(光文社)を出版する。マスメディアは徳田を医療の革命児ともてはやす。しかし徳田が脚光を浴びる裏で、徳洲会は難題に直面した。「医師の確保」に苦しんでいたのである。  当初、徳田は阪大医学部の先輩や同輩を招いて病院を立ち上げたが、「白い巨塔」といわれた大学病院はそうそう人材を派遣してはくれない。そこで白羽の矢を立てたのが「アメリカ帰り」の医師である。岸和田徳洲会病院の初代院長・山本智英、現徳洲会理事長の鈴木隆夫らアメリカで研鑽を積んだ医師たちを招聘したのだった。  現在、アメリカ帰りと聞けば、読者は「神の手」を持つカリスマ医師を連想するかもしれない。が、そのころ、アメリカ帰りの多くは「白い巨塔」の前で茫然と立ち尽くしていた。  大学病院は、いわゆる「医局講座制」というピラミッド構造で成り立っている。これは明治時代中期、帝国大学(現東京大学)がドイツを真似て取り入れたシステムだ。大学病院では診療科ごとに教授が頂点に立ち、助教授(現准教授)、講師、助手(現助教)を従え「医局」を束ねる。診療と教育の組織が一体化し、どちらも医局単位で行われた。 ●年中無休、24時間診療「アメリカなら当然」  その結果、閉鎖的で家父長主義的な医局ができあがる。教授の胸三寸で配下の医師の勤務先や序列が決まり、忠誠心が試される。医局は、医師を派遣する市中病院への影響力を強め、不満があれば引き揚げる。医局間の交流はなく、利権と結びついて権力闘争が展開される……。  そんな医局を飛び出してアメリカで修業した医師は、帰国しても力量にふさわしいポストを与えられなかった。  ある内分泌内科医(80)は、大学を卒業後、ロードアイランド州の病院で内科レジデント(泊まり込み医師)を務めた。心筋梗塞から糖尿病、食中毒とあらゆる患者を診て、月に15日の当直をこなす。地獄の2年間を終え、指導医の推薦で名門大学の病院に移る。臨床的医学者のトップクラスにランクされた。  名声が日本にも届き、出身大学の教授から「就職口の世話をする」と声がかかり、帰国した。ところが、である。 「ボスは僕の顔を見るなり、『外来の尿検査をやれ。嫌なら辞めろ』と言いました。だまし討ちにあったようなものです。『おまえは臨床の腕はいいかもしれんが、医局への貢献度が低い。なかなか入れない大学院もボイコットして米国に行った。けしからん』と、理屈も何もあったもんじゃない」  と、内分泌内科医はふり返る。彼は1年間、尿検査を担当した後、慢性病の研究センターに転じた。たまたま大学の同期が徳洲会の病院に勤めていて、臨床指導をしたのが縁で徳田と会う。 「日本の医療を変革したい。手伝ってほしい。古い世代には任せられない」と徳田は口説く。何度も足を運び、三顧の礼で迎えた。  内分泌内科医は「医師の仕事のやり方、臨床教育のデタラメさを変えましょう」と徳洲会に入った。  総じてアメリカで腕を磨いた医師は、向上心が旺盛で厳しい環境にも耐えている。何よりもタフだった。  別の血液内科医(79)は、ペンシルベニア州フィラデルフィアの医学センターでレジデント生活を経験した。1年目、英語が十分に話せなかった彼は、病理に回され、毎日、遺体の解剖を命じられた。ひとりで1体を受け持ち、主に胸部、腹部を開いて臓器を、必要に応じて脳や脊髄も取り出す。摘出した臓器は肉眼観察して写真に撮り、ホルマリンに漬ける。組織標本を作って顕微鏡で観察し、異常を調べる。カルテをまとめて解剖を終えると心身ともにくたくたになるが、指導医は、容赦なく「はい。次」と遺体を送ってきた。  夜を徹して解剖、また解剖。その後、一般内科に回り、メリーランド州の病院でICU(集中治療室)、CCU(心疾患集中治療室)を担当する。1日交代の当直を4カ月続け、やっと「奴隷」のような境遇を脱した。  3年目にチーフレジデントに昇格し、「人間らしい生活に戻れた」と言う。血液内科医はアメリカの内科専門医の資格も取得した。「このまま残って開業すればいい。稼げるのはこれからだ」と誘われるのを振り切って帰国。恩師の勧めで徳洲会に入職した。  血液内科医は、日米の医師の働き方の違いを、こう語る。 「私たちは検査重視の科学的な医療を仕込まれました。無駄な投薬、薬漬けはしない。大げさではなく、日本育ちの医者の2倍、3倍は働きましたね。年中無休、24時間診療もアメリカなら当然ですから」  徳洲会の基盤は、旧態依然とした日本の医療に辟易し、変革を求めるアメリカ帰りの医師が築いた。そこに「全共闘世代」が加わり、若い研修医を巻き込んで医師団が形成される。徳洲会は一種の社会運動体として医療過疎地に進出していった。  と、そこに既得権益集団がたちはだかる。医療界最大の圧力団体、医師会であった。(文中敬称略、以下次号)(ノンフィクション作家・山岡淳一郎) ※AERA AERA 2017年11月27日号
AERA 2017/11/27 07:00
「難治がん」の記者 27日のAbemaTV出演が決まって考えた「道具」としての笑顔
野上祐 野上祐
「難治がん」の記者 27日のAbemaTV出演が決まって考えた「道具」としての笑顔
野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた昨年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中 笑顔は仕事の幅も広げてくれるようだ…(※イメージ写真)  働き盛りの45歳男性。がんの疑いを指摘された朝日新聞記者の野上祐さんは、手術後、厳しい結果を医師から告げられる。抗がん剤治療を受けながら闘病中。 *  *  *  今から20年以上前のことだ。大学の道場のドアを開けると、カッターナイフを握りしめた男が目の前に立っていた。  その向こうで、同じ合気道サークルの同級生がなだめようとしているのがみえる。彼を残して警備員を呼びにいくのも気の毒で、男の様子に注意しながら道場に入った。  男は貧弱で、へっぴり腰。一夜の宿代わりに道場に潜り込み、私たちに出くわしたようだった。1対2になって焦ったのか、男は唐突に口走った。「僕は君たちみたいに柔道をやってないから、こうするしかないんだ!」  つい心の中で突っ込んだ。自分が柔道をやっていたのは中学と高校で、今は合気道なんだけど――。  カッターを手に突っ込んできてもたぶん抑えられるが、もしものことを考えたらこないほうがいい。ここはひとつ相手に余裕を見せ、そんなことをしても無駄だとわからせよう。 「ハハハッ」。大きめの笑い声を聞かせると、男は逃げ出した。どこかで暴れるといけない。すぐに警備員に連絡するよう、同級生に頼んだ。   ◇  私とすい臓がんとの付き合いはもう1年10カ月にもなる。あの時の男と違って刃物こそ持っていないが、笑えば逃げ出してくれるほどやわな相手でもない。  にもかかわらず、これまでと変わらず笑顔でいることの大切さを感じることは多い。  それは「明るく元気に」といった精神論よりも、心をコントロールするための実務的なコツとか道具のようなものだ。  治療のことでいうと、がん患者になって驚いたのは、自らがある治療法や検査を受けることに同意するか、選択を迫られる場面が多いことだ。それに先立ち、副作用や代替手段の説明を医師から受ける。  そのとき、眉間にしわを寄せて「闘病」していたらどうだろう。病気で頭がいっぱいになっていて、冷静に物事を判断できるだろうか。  私の場合、見舞いに来てくれる方が多かったことに助けられた。延べ人数は身内を除いても昨年6月に200人を超え、今は500人に近づいている。相手が余計な気を使わないように笑い話をしながら、病状を説明することを繰り返す。それによって、自分を他人のように突き放してみることが前以上にできるようになった。  それが執筆につながっている。  昨年7月、病気になって初めて書いた「リスクも語ってほしい がんと闘う記者が感じた参院選」(紙面用の短縮版は「リスク説明 政治も医療のように がん患者になって見つめて」)はもともと載せる場が用意されていたわけではない。  ただ、これまで通りの顔をしていると自然とアイデアが浮かび、書かずにはいられなくなった。  患者は一定の範囲で医師に信任を与える。その関係は有権者と政治家のそれに似ている。だとすれば政党や候補者は選挙戦で医師と同じように、政策の効用と一緒に副作用も語るべきではないか――といった内容だ。  笑顔は仕事の幅も広げてくれるようだ。  頼むほうにすれば、いかにも元気がなさそうながん患者に仕事を任せて倒れられたら、後味が悪いだけでなく、成果物も回収できない。ふつうは二の足を踏むのではないか。  どこまで「顔」のおかげかはわからないが、最近、仕事の声がかかることが多い。23日には、医療関係者向けの講演会に画像出演するための撮影を自宅で終えた。来年2月に朝日新聞に載る予定の原稿も任された。これなら満足に指が動かず、体調が急に悪くなるおそれがあっても、対応できる。今のうちに――。そう、今のうちにできるだけ書き、しゃべらなければならない。  がん患者でいることは面倒くさい。  私にとって「死」は日常生活の延長線上にあり、それほど特別なものではない。だが多くの人は違うから、コラムで何気なく書いたことを読んで「思いつめているのではないか」と誤解する人が出てくる。私からすると、「体を第一にしたほうがいい」という心遣いだろうと、暴力による脅しだろうと、コラムを載せにくい状況になるのは困る。  かといって、自分は思いつめていないとわかってもらうには手間がかかる。手っ取り早く誤解の芽を摘むには、笑顔でいることが一番だ。  もちろん、楽しそうにしていることにも「副作用」が付きまとう。「好きな仕事だけやって楽をしている」と勘違いされる心配だ。配偶者に話したら「そんなこと、誰も思わない」と笑われた。まあ、私の様子を毎日見ているからそう思うのだろう。  先ほど笑顔をコツ、つまりテクニックと表現した。笑顔にも体力がいるから、最小限のやりとりしかしてこなかった医療関係者は私に対して、どちらかといえば不愛想な印象を持っているのではないか。発病前に苦手だった人間は苦手なままだ。先輩記者と話していた時、共通の知り合いの悪口を言ったら「お前、変わってないな」とあきれられた。「病気は人を聖人にはしないのです」と返したら、ひどくウケた。   ◇  大学時代に小さな映画館で「サリヴァンの旅」(1941年、米国)という作品を見た。  主人公サリヴァンはコメディ映画の監督。これからは社会派のドキュメンタリー作品を撮ろうと決心し、社会の現実を見るための旅に出る。トラブルで刑務所に入った彼は、慰問でかかった映画に笑い転げる受刑者を目の当たりにし、自らも笑い出す。なんとか脱出に成功すると「笑いは、誰もが持っている無限の力だ」と、映画づくりの仲間に宣言。改めてコメディの世界で生きていこうと決心する――という内容だ。  最も価値がある職業は何か。それは人を楽しませたり、いい気分にさせたりする仕事だと、映画を見終えた私は考えた。それができないとしたら、楽しめる世の中を支える「社会派」として生きるしかないのではないか。そんな思いが新聞記者という現在の仕事につながっている。  実を言えば「サリヴァンの旅」は少々説教臭く、あまり好きな作品ではない。なのに時々思い出す、不思議な映画だ。   ◇  笑いと社会派を対比させたこの作品を久しぶりに思い出し、パンフレットに載っている脚本を読み返したのは、お笑い芸人の村本大輔さん(ウーマンラッシュアワー)がMCをする社会派のネットテレビ番組に27日に出演することになったからだ。  SMAPの元メンバーによる「72時間ホンネテレビ」が話題になったAbemaTVの「Abema Prime」(午後9~11時放送)。村本さんは、私のコラムが9月に朝日新聞デジタルから朝日新聞出版のサイト「アエラドット」に移った後、ある回をツイッターで紹介してくれたこともある。  笑顔の延長線上で巡り合った貴重な機会である。がんになって以降、この時間帯に表にいること自体が初めてだが、体調を崩さずに最後まで楽しみたい。  よければご覧ください。
がん書かずに死ねるか病気野上祐
dot. 2017/11/25 16:00
読書の秋!公立図書館は癒しのデートにもおすすめです〈レジャー特集|東京2017〉
読書の秋!公立図書館は癒しのデートにもおすすめです〈レジャー特集|東京2017〉
図書館なんて学校の調べ学習以来、存在すら忘れてたわ…そんな方もぜひ、この機会にお近くの公立図書館を訪れてみてはいかがでしょうか? いまは設備もサービスも、驚くほど充実していますよ。近頃では、大人がくつろげる無料文化スポットとしてデートコースにも人気なのだとか! 今回は、紅葉など癒しの風景もあわせて楽しめる、東京都内のおすすめ公立図書館をご紹介します。 ドリンク片手にのんびり読書♪ ここは図書館?/千代田区立 日比谷図書文化館(千代田区) ■千代田区立 日比谷図書文化館 オフィス街の真っ只中、日比谷公園内にある図書館です。館内のあちこちには座りごごちのいいイスがあり、ビジネスマンのちょこっと休憩にも重宝されています。こちらではなんと、貸出前の本を館内のカフェに持ち込んで読みふけったり、テイクアウトした蓋つきのドリンクを片手に、窓に向かった閲覧イスから紅葉を眺めながら読書したりもできるんです!! しかも、平日は22時まで開館。お仕事帰りにもゆったり利用できますね。貴重な古書の閲覧やミュージアムの歴史展示も無料。おしゃれなブックカバーや文具、絵本などが並んだショップもあります。本好きな大人のオアシスといえる図書館です。 ●所在地:東京都千代田区日比谷公園1番4号(旧・都立日比谷図書館) ●問い合わせ:03-3502-3340 ●アクセス:東京メトロ 千代田線「霞ヶ関」駅より徒歩3分 他 ※施設詳細は公式サイトをご参照ください あの頃にタイムスリップ!歴史ある建物となつかしい絵本/国立 国際子ども図書館(台東区) ■国立国会図書館 国際子ども図書館 上野公園を通り抜けたところにある、国立の児童書専門図書館です。レンガ棟の建物は、もとは明治39年に建てられた帝国図書館。美しい大階段や漆喰装飾やシャンデリア、窓から見える木々など、大人がひとりで訪れてもくつろげる落ち着いた上質空間になっています。リーズナブルなカフェテリアも人気。「児童書ギャラリー」では、昔の絵本を手にとって読むことができます。子どもの頃好きだったあの作品と時間旅行はいかがでしょう? 『日本の絵本の歩みー絵巻から現代の絵本まで』展(11月30日まで)も開催中です。 ●所在地:東京都台東区上野公園12-49 ●問い合わせ:03-3827-2053 ●アクセス:JR線「上野」駅公園口より徒歩約10分 他 ※施設詳細は公式サイトをご参照ください 今日スグ読める! 合間には公園散策&カフェからの紅葉もぜひ/東京都立 中央図書館(港区) ■東京都立中央図書館 広尾に住む外国人ファミリーにも人気の有栖川宮記念公園。その中にある、都立の図書館です。国内の公立図書館では最大級の、約202万冊の蔵書を所蔵しています。館外の貸し出しをしていないため、人気の本も朝イチに行けばほぼゲットできるのも嬉しいポイント! 年齢制限などもなく誰でも利用できます。入口カウンターで入館証(首にかけるタイプ)をもらい、大きな荷物はロッカーにあずけてから入りましょう。広くて落ち着いた閲覧室は、本を読むのに最適な環境。5階の食堂はお弁当持ち込みOKです。窓際の席から見える紅葉や夜景も絶品ですよ。 ●所在地:東京都港区南麻布5-7-13 ●問い合わせ:03-3442-8451 ●アクセス:東京メトロ日比谷線「広尾」駅より徒歩8分 他 ※施設詳細は公式サイトをご参照ください 音楽資料が充実!心ふるえるレコードとの出会いがあるかも/文京区立 小石川図書館(文京区) ■文京区立小石川図書館 小石川植物園にもほど近い、文京区立の図書館です。こちらは音楽資料がたいへん豊富なことで知られています。4階には図書館独自のホールがあり、レトロな雰囲気の中、講演会・映画会・落語会やコンサートなどが開催されています。CD、DVD、楽譜…なかでも、2万枚近いレコードがひしめくレコード室は必見! 館内で視聴も可能です。温かくまろやかなアナログの音が見直されている今日。大人世代にはなつかしく若者には新鮮なLPレコードの響きに、心癒されるひとときを楽しんでみては。館内には、小石川ゆかりの文人・石川啄木関係の書籍が常時展示されたコーナーもあります。 ●所在地:東京都文京区小石川5-9-20 ●問い合わせ:03-3814-6745 ●アクセス:東京メトロ丸の内線「茗荷谷」駅より徒歩6分 他 ※施設詳細は公式サイトをご参照ください
tenki.jp 2017/11/25 00:00
性被害告白「#metoo」広がる 東京新聞・望月記者、村木さんも
性被害告白「#metoo」広がる 東京新聞・望月記者、村木さんも
<小学生の時、電車の中でウトウトしていたら、隣に座る男性が私の服の中に手を入れて体を触っていた。それ以後その時に着ていた服を着られなくなった。そしてその状況を目にしてた大人達が、何も声を上げてくれなかった事が何よりも悲しかった。今でもまだ恐怖心は染み付いている> <20代前半の頃に務めていた会社の社長に長期的にセクハラされていた。部署の部屋に一人でいるときに、体を触られた> <自分が被害を受けた事も加害者が実父である事も、言える様になる迄40年以上かかった>(原文ママ)  ハッシュタグ「#metoo」を付けたツイッターの投稿には、こんな声が溢れている。米・ハリウッドの大物プロデューサー、ハーベイ・ワインスタイン氏に対するセクハラ疑惑報道をきっかけに、性被害やセクハラを受けた体験を告白する「#metoo」が世界中に広がったのは先月。日本では別の動きも重なった。元TBS記者・山口敬之氏からの性暴力被害を告発したジャーナリストの伊藤詩織さんが手記『Black Box』(文藝春秋)を出版。素顔だけでなく、フルネームを公表したのだ。SNSだけでなく現実世界でも、女性たちが語り始めている。  東京新聞の女性記者、望月衣塑子さんも「metoo」の声を上げる1人だ。  若手記者として地方で警察担当をしていた冬、事件や捜査について取材する「夜回り」のため、自分で運転してきた車に警察官を乗せた。「寒いから」と相手に促されてのことだった。相手は妻子がいる50代の男性で、周りに人がいず二人きりで話したのはその時が初めてだった。「それでこの事件は……」と、質問を投げていると、助手席に座った男性が不意に抱きついてきた。 「最初は『え?』とビックリしました。一瞬何が起きたか分からず、はっと我に返って、その後、男性を突き返しました。家に戻り、少し冷静になると、本当に失礼なやつだと怒りが徐々に湧いてきました。でも、どう対応するかはかなり悩みました」  相手は取材先。情報を持っているため記者より優位に立つ反面、記者には情報源を守るというルールもある。翌日、上司に相談すると「相手の家族にも迷惑をかけるし、情報源を売ったと言われて自分の仕事にも影響が出ることになる」と言われ、組織として正面から抗議をすることを断念した。職場では、その警察官には二度と接触しないことになったという。  望月さんは数日後、電話で本人だけに直接抗議をして謝罪を引き出した。 「私のケースは、レイプや性虐待とは違うかもしれません。問い詰めた際、相手が真摯に謝罪をしたので許しました。過去のことですが、自分が嫌だと思ったことやその基準をさらけ出すことで、社会や男性たちの意識も少しずつ変わっていくと思う。日本の社会も刑法もまだまだ男性優位に作られていて、そのことは性的被害を経験した人の5%しか警察に被害届を出さないという現実にも表れています。自分の経験を話すことは恥ずかしいことではあるけれど、いまこそ必要な時なのかなと思います」  元厚生労働事務次官の村木厚子さんも今月13日、東京・大田区で開かれたシンポジウムで、就学前の幼いころに中学生の男の子に体を触られた経験を語っている。主催者によると、貧困や性的搾取など悩みを抱える少女や若い女性と支援者をつなげる「若草プロジェクト」の呼びかけ人を務める村木さんは、性被害者に向けられた誤解や偏見など現状を説明。その中で、自身の経験について告白し、「できるだけ性犯罪が起こらないようにすると同時に、傷ついた人たちが泳いでいく水の温度を1度でも上げたい。それは普通の市民にもできることかなと思います」と話したという。  レイプや性虐待など性暴力の被害者から電話相談を受け、警察や病院、弁護士への相談につなげる活動をするNPO法人「性暴力救済センター・東京」の平川和子理事長は、この動きを「被害者の大きな力になる」と歓迎する。同センターが受けた電話相談は今年4月からの半年間で2799件で、その3分の1が被害から1週間以内の急性期対応だった。相談者のほとんどは20代前半までの若年層の女性で、30歳未満まで年齢を広げると、相談者の7割を占める。この相談の電話をかけてくる女性のほとんどは、その前に友人や同僚など、身近な人に話しているというのだ。 「最初に電話をかけてくるのは、被害者の友達というケースは少なくありません。話を聞いた友達がネットでこちらの相談窓口を見つけて電話をかけてきてくれるのです。人に話すというハードルが下がれば相談につながる可能性が高くなるのです」(平川さん)  内閣府男女共同参画局が今年3月に発表した「男女間における暴力に関する調査」によると、異性から無理やり性交された女性の約7割はどこにも相談していないことがわかっている。 「過去の被害をカミングアウトする『#metoo』は視野の長い動きですが、自分の性被害を話していい、訴えていいという考えが広がれば、急性期の被害者にとっても、ものすごい大きな力になると思います」(平川さん)
男と女
dot. 2017/11/23 16:00
2025年には人口1億2千万人を切る! 人口減少が日本にあたえる影響
2025年には人口1億2千万人を切る! 人口減少が日本にあたえる影響
京都府南丹市美山町では五つの小学校を統廃合してひとつにすることになり、そのうちのひとつ宮島小学校では、閉校式が行われた(2016年3月)。毎年、約500校の公立小中高校が消えているのだという (c)朝日新聞社 【集落が消える】稲子集落。住人がいなくなり、取り壊された家もある=2016年11月 (c)朝日新聞社 【鉄道や路線バスがなくなる】JR留萌線(留萌―増毛間)は2016年12月に、95年の歴史に幕を下ろした (c)朝日新聞社 【伝統文化が消える】愛知県東栄町で行われた花祭 (c)朝日新聞社  日本の人口は、2029年には1億2千万人を切り、53年には1億人を下回ると予想されている。人口がどんどん減ると、どんなことになるのだろう? 毎月話題になったニュースを子ども向けにやさしく解説してくれている、小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』に掲載された、日本国際交流センター執行理事・毛受敏浩さん監修の解説を紹介しよう。 ■問題は地方から始まっている  都道府県によって人口の増え方、減り方はちがう。2010年から15年までの5年間に、東京など8都県では人口が増加する一方で、多くの県で人口が減っている。人口減少率がいちばん大きいのは秋田県で、次いで福島県、高知県、青森県となっている。すでに人口減少が起きている地域の事例を参考にしながら、これから起きることを考えてみよう。 (1)社会保障制度が成り立たない!  年金や医療保険、介護保険などの社会保障制度は、主に15~64歳の現役世代が保険料を払ったり税金を負担したりすることで、高齢者世代を支えるしくみだ。1965年には、1人の高齢者を10.8人の現役世代が支えれば成り立っていたが、2015年には1人の高齢者を2.3人で支えていた。そして、このままでは、65年には1人の高齢者を1.3人の現役世代で支えることになる。特に、人数が多い団塊の世代全員が75歳を超える25年が乗り越えられるかどうかが、心配されている。  1965年/おみこし型/10.8人で1人の高齢者  2015年/騎馬戦型/2.3人で1人の高齢者  2065年/肩車型/1.3人で1人の高齢者 (2)介護する人が足りない  高齢者の増加に伴い、介護の担い手不足が深刻だ。そのため、フィリピンやインドネシアなどから来た外国人が老人ホームなど介護の現場で働いている。2025年には介護の必要性が高まる75歳以上の人が今の1.3倍にあたる約2200万人(国民の5人に1人)に達し、介護職員が約38万人不足すると予想されている。 (3)診療所の医師がいない  人口が減ると、地域の診療所が成立せず、岐阜県ではへき地診療所の3割で常勤医師がいない。周囲を山に囲まれた河合診療所(飛騨市)の常勤医師・根尾実喜子さんは、自治医科大学(栃木県)の出身。卒業後の義務となっている9年間の地域病院・診療所での勤務で、最後の3年間をこの診療所で過ごし、その後も1人で診療所を担っている。 (4)集落が消える  地方では消える寸前の集落がある。福島県境近くに位置する宮城県七ケ宿町稲子は、1960年に人口127人だったが、2016年には3世帯4人に減ってしまった。最年少は70代で、高齢化率100%だ。ここに暮らす住民は、11年から冬になると町の中心部の高齢者生活福祉センターにある施設などに入ることになった。町が冬の除雪作業を続けられなくなったからだ。 (5)IT(※)産業も人手不足に  1995年に約8700万人いた現役世代(15~64歳)は、2015年には約7700万人と約1割も減った。そのため、建設業、介護サービス、接客・外食業などでは、すでに人手不足が深刻だ。今後はすべての産業で労働力が不足することが予想され、日本の重要な産業として期待されているIT産業でも必要な人が集まらなくなる恐れがある。 (※)ITとは、英語の Information Technologyの頭文字。情報に関する、特にコンピューターなどの技術のこと。通信を含めて情報通信技術(ICT)という言葉も使われる。 (6)鉄道やバス路線がなくなる  鉄道やバス路線の経営は、主に乗る人が払う料金で成り立っている。しかし、地方では人口減少や自家用車の普及のため、鉄道やバス路線が消えていっている。2016年にJR北海道は、全路線の約半分の10路線13区間を単独では維持困難と公表した。地元では住民の交通手段を確保しなければと対策に頭を悩ませている。 (7)農業が衰退する  農業の仕事をする人は、1970年代には1千万人以上いた。ところが、2000年には400万人を切り、16年には200万人を下回ってしまった。若い人たちが農業の仕事を選ばなくなり、高齢化が進んだからだ。規模を大きくして機械で効率よく農業をする方法も進められているが、おいしくて質のよい農作物をつくるには人の手が欠かせない。 (8)伝統文化が消える  古くから伝わる祭りが各地で危機的な状況だ。愛知県奥三河地方には700年以上前から伝わる「花祭」という祭りがある。五穀豊穣、無病息災を祈りながら夜通し踊り続けるユニークな祭りで、国の重要無形民俗文化財にも指定されている。東栄町と豊根村、設楽町で行われているが、担い手が少なくなり途絶えた地域もある。 ※月刊ジュニアエラ 2017年11月号より
ジュニアエラ朝日新聞出版の本読書
AERA with Kids+ 2017/11/21 07:00
NGT48中井りか「抱いてあげるよ」と勘違い!? ロス・インディオスと「抱いてやっちゃ桜木町」コラボ
NGT48中井りか「抱いてあげるよ」と勘違い!? ロス・インディオスと「抱いてやっちゃ桜木町」コラボ
NGT48中井りか「抱いてあげるよ」と勘違い!? ロス・インディオスと「抱いてやっちゃ桜木町」コラボ  中井りか(NGT48)が、ロス・インディオスと「抱いてやっちゃ桜木町」をレコーディング、12月6日リリースのNGT48シングル『世界はどこまで青空なのか?』Type-Bのカップリング曲として収録される。完成したミュージックビデオと共に、この世代を超えたコラボレーションによるサプライズ情報が解禁となった。 NGT48中井りか キュートMV画像(8枚)  この企画は、NGT48の2ndシングルを制作するにあたり、中井りかとコーラスグループで、新たなムード歌謡曲を作るアイデアがあがり、1960年代から今日まで第1線で活動を続ける大御所コーラスグループ ロス・インディオスへ共演を申し入れ、実現したもの。なお、ロス・インディオスにとって、大ヒット曲「別れても好きな人」で初代女性ボーカルをつとめたシルヴィアから、中井でちょうど10人目の女性ボーカルとしての共演曲となるという。  「抱いてやっちゃ桜木町」のミュージックビデオの撮影は、横浜の元町で1946年に創業した老舗ダンスホール“クリフサイド”にておこなわれた。生まれ育った富山から歌手を夢見て上京してきた中井りかが、ロス・インディオスの女性ボーカルオーディションに挑戦し、見事、勝ち抜き、新女性ボーカルとしてステージで共演を果たす、という内容で、ロス・インディオスのメンバー自ら審査員役を務めるなど、コミカルなシーンも見所となっている。  なお、楽曲タイトルにある「抱いてやっちゃ」とは、富山弁で、「だいてやっちゃ」=「お金を出してあげるよ(おごってあげるよ)」という意味で使われているのを、富山弁を知らない人が初めて聞いて、「だいてやっちゃ」=「だいてあげるよ」=「抱いてあげるよ」と言われたと勘違いするという、“富山弁あるある”を盛り込んだ内容となっており、富山出身の中井りかの地元、富山県でもロケがおこなわれ、実際に歌詞に出てくる、“総曲輪通り(そうがわどおり)”や富山県一の歓楽街と言われる“桜木町”などでも撮影がおこなわれた。赤いスパンコールのドレスに身を包み、夜の桜木町に降り立った中井りかの姿にも注目だ。 ◎中井りか コメント 「今回の企画を初めて聞いた時はすごくびっくりしました! ひとりの楽曲参加は、すごく嬉しいのと同時に、緊張でドキドキしました。この曲の歌詞には富山弁がたくさん出てくるので、歌っていてすごく楽しいです。 また、歌謡曲の歴史を創ってこられたロス・インディオスさんとコラボレーションさせて頂けて、さらに、富山の言葉をロス・インディオスさんが歌ってくださってるというのが、富山県出身者としてすごく嬉しかったです。 ミュージックビデオは横浜と富山とで撮影させていただいたのですが、やはり富山でのロケはすごく思い出深いです。自分の育った街でいつも歩いていた場所にいる自分が、ひとつの楽曲の作品の中にいるということ、とても不思議で貴重な経験でした。昔の自分に、ここで将来ミュージックビデオ撮影するんだよ!って言っても100%信じてもらえないだろうなと思います。(笑) 富山の皆さんならわかる街並みがたくさん映っていると思うので、富山の方々には一層楽しんでいただけると思います。」 ◎ロス・インディオス コメント 「最初、AKB48グループのNGT48さんから、このお話をもらった時には、びっくりしましたね。てっきり、うちのメンバーになってくれるのかと(笑)。 富山には何度も仕事で行ったことがありますし、歌詞に出てくる桜木町や総曲輪通りとかも歩いたことはありますが、「抱いてやっちゃ」という富山弁のことは初めて知りました。面白いですね。 中井りかさんの印象はもう「かわいい」の一言。まぁ、孫みたいなものですからね(笑)。 実は、初代のシルヴィアから数えて、女性ボーカルは、中井さんが、ちょうど10代目くらいになるんじゃないかな。「別れても好きな人」も一緒に歌いたいね(笑)。 中井りかさんと我々ロス・インディオスのこの最高の組み合わせ、とても新鮮で面白いので、是非、ご期待下さい。この歌もどこかのステージで歌えたら、と思います。富山にも是非、一緒に行けたらいいですね。」 ◎NGT48「抱いてやっちゃ桜木町」〈中井りか と ロス・インディオス〉MUSIC VIDEO Short ver. / NGT48[公式] http://www.youtube.com/watch?v=FehA0oYMqBY ◎リリース情報 シングル『世界はどこまで青空なのか?』 2017/12/06 RELEASE <Type-A CD+DVD(初回仕様)> BVCL-847~848 / 1,528円(tax out.) <Type-B CD+DVD(初回仕様)> BVCL-849~850 / 1,528円(tax out.) <Type-C CD+DVD(初回仕様)> BVCL-851~852 / 1,528円(tax out.) <NGT48 CD盤> BVCL-853 / 972円(tax out.) <Loppi・HMV限定パッケージ> http://bit.ly/2xwcQ2H
billboardnews 2017/11/21 00:00
テレビも原因? 「キレる老人」にならないための習慣とは
テレビも原因? 「キレる老人」にならないための習慣とは
和田秀樹(わだ・ひでき)/1960年生まれ。精神科医。和田秀樹こころと体のクリニック院長。著書に『一生ボケない脳をつくる77の習慣』『感情的にならない気持ちの整理術(ハンディ版)』(共にディスカヴァー・トゥエンティワン) 冴えた脳をキープするためには、一日の行動ノートを毎日書くのが一番!(出典・『定年認知症にならない 脳が冴える新17の習慣』著・築山節〈集英社〉)(週刊朝日 2017年11月24日号より)  理性の中枢が衰え、生命の中枢の働きも低下し生まれる「オールドボンバー」=「老爆」。できることなら、そうはなりたくないもの。  では、ブチ切れ老爆にならないためには、どんなことに気をつけて暮らしていけばいいのだろうか。 「まず身体機能を正常に保ち、生命の中枢(第一層)=脳幹に負担のかからない生活を心がけることです。毎日の睡眠時間はきちんと確保しましょう」  と、脳神経外科専門医の築山節さん。築山さんは今まで1万人以上の、脳の病気の患者の診察治療に携わってきた。  そして次に大切なのは、規則正しい生活リズムにのっとって暮らすことだ。 「生活リズムを崩すと、その崩れたところから感情が崩れてくるものです。何歳になっても、朝起きる時間、夜眠る時間は一定にしたほうがいいですね。決められた時間の中で、余裕を持って行動することも大事です。今の時代、定年してからも働く方が多いと思いますが、日々たくさんの仕事を抱えたりしないことです。若いときと同じように仕事しようとしても、体力が違うのです。それを無理していろいろ考えようとするから『もういい加減にしろよ』という気持ちが湧いてきて、キレてしまう。定年後は、一日にこなす仕事は三つくらい。そのくらいの気持ちで、生きていきましょう」  また、社会性を失わないために理性の中枢(第三層)=大脳新皮質を鍛えていくことも必要だ。 「感情の中枢(第二層)=大脳辺縁系をうまくコントロールするには、大脳新皮質の力が必要です。大脳辺縁系の異常興奮に対しては、大脳新皮質の一部である前頭葉を活性化することでその興奮を抑えることができることがわかっています」  では大脳辺縁系を制御できる前頭葉の活性化には、どんなことをすればいいのか。一番いいのは瞑想や座禅、マインドフルネスなど、「今、この場だけを感じる」トレーニングだ。 「休みなくクルクルと考えを巡らせている前頭葉を活性化するには、なにもその回転数を増やすことに躍起にならなくていいのです。それよりもあえて活動を抑え『デフォルト・モード・ネットワーク』という、脳が本当にリラックスしてボーッとしている状態を瞬時に作り出すトレーニングをすることです。すると情報が整理され、脳がすっきりするので、キレにくくなります」  最後に最も大切なことは、「一日の行動ノート」をつけること。 「このノートは、自分の中にある情報を時間軸で整理するためにつけるのです。活動の記録を毎日簡潔に書き記していくと、いろいろな気付きが生まれます。たとえば病院に行ったときも、診察が済んでから会計まで30分かかったと記しておく。そうすると次からは、『この病院は診察後、会計まで30分はかかる』という予測ができます。予測を持って行動をすれば、人はキレないものです」  ノートをつけることは、理性の中枢(第三層)を鍛え、感情の中枢(第二層)を制御する上で大切な手段。 「ぜひ、多くの方にやってみてほしいと思います。感情の中枢(第二層)は急にはしつけることはできません。若いうちから、自分がキレない暮らし方を身に着けることです。感情の中枢(第二層)=大脳辺縁系がストレスなどで異常興奮し、感情が抑えきれなくなってしまうと、人は社会の中で正しく冷静な対処ができなくなってしまいます。普段からストレス解消につながるような手段はなるべく多く持ち、こまめに意識して実行していきましょう。コーヒーの香りを嗅いだり、音楽を聴いたりといった手軽な方法でいいんですよ。これは『ストレス・コーピング』といって、脳の疲弊を防ぐ合理的な方法として新しく注目されています」  精神科医の立場からはshould thinking(べき思考)を捨てることが、ブチ切れ老爆にならないことにつながると和田秀樹さんは言う。 「自分はこうあるべきだ、こうでなくてはという思い込みがあると、それができなかったとき、自分に腹がたつでしょう? それと同じように、まわりもこうあるべきとガチガチに考えていると、それが自分の思い描くレベルでないと、ムカつき、キレてしまう。should thinkingは自分で自分を追い込むことになります。こういう『べき思考』は持たないよう、心がけましょう」  そして和田さんは、テレビの見すぎにも注意を呼びかける。 「テレビ番組というものは、結論を急ぎますし、物事の白黒をつけたがりますよね。それに慣れてしまうと、人は普段の生活の中でも『待つ』ということができなくなってしまう。でも実生活の中では、なかなか結論が出ないことも多いでしょう? 待ちきれない→キレる→人間関係をめちゃくちゃにして、孤独になる。そんな負のスパイラルに陥らないためにも、テレビの視聴は適度にすることです」  それでも人間、イライラするときもある。そんなときは「7秒間深呼吸」をすることだ。 「イライラしているときの脳は、酸素が不足していて窒息状態にあるのです。そこで、脳に酸素を送ることを、意識してみましょう」  具体的には7秒間の深呼吸をする。窓を開けるか、ベランダに出るなどして、外の新鮮な空気を7秒間吸う。  そしてイライラした感情を吐きだすイメージで7秒間息を吐きだすのだ。 「これだけでも、気分がリフレッシュできますよ。また、イライラしてキレそうになったときは、やはり甘いものを食べることです」  甘いものを食べると血糖値が上がり満足感を覚える。 「胃を刺激することで副交感神経が働き、イライラも抑えられるのです。食べている間は食べるという行為に意識が向きますから、気持ちを落ち着かせ心をフラットな状態に戻せるのです」  年をとって怒鳴ったりする人は、自己愛が満たされていない場合も多い。 「自分はまわりから大事にされていないという飢餓感から、感情が暴走してしまう高齢者も多いのですよ。年齢と共に自分の気持ちを上手にコントロールしていくことも大事ですが、自分と同年代の人にちょっと気をつかってあげること、お互いにいいところを褒め合って、互いの存在意義を認め合うこともキレる老人を増やさないためには、大事なことなのです」  老爆問題は、他人事と思ってはならないのだ。(エディター・赤根千鶴子) ※週刊朝日 2017年11月24日号より抜粋
週刊朝日 2017/11/20 07:00
「どうやって死ねばいいの?」“死に方”に悩むシングルマザー、非正規労働者、フリーランスの現実
野村昌二 野村昌二
「どうやって死ねばいいの?」“死に方”に悩むシングルマザー、非正規労働者、フリーランスの現実
シングルマザーのA子さん(44)。70歳から先の人生が見えないという。「とりあえず借金もなく、平穏に人生が終わってくれたらそれでいいかな」(撮影/鈴木芳果) 「人生100年時代」に突入するニッポン。住み慣れた地域で老いて安心して死ぬことができたのは、もはや過去の話だ。非正規労働、シングルマザー、フリーランス、LGBT……。生き方が多様化する中、老後、そして「死に方」の不安とは。 *  *  * 「孤独死が頭をよぎります」  関東地方に暮らすA子さん(44)は、そう話す。小学2年から高校2年までの4人の子どもを育てるシングルマザーだ。  離婚の増加を背景に、シングルマザーも増加傾向にある。15年の国勢調査では、母子世帯は約75万世帯で、95年より約22万世帯増えた。  A子さんは4年前、夫の子どもへの暴力が原因で離婚した。今は近所のファミレスで、パートとして朝から晩まで働く。月220時間近く働いても、給与は手取りで月約15万円。生活はギリギリだが、今はまだ健康で、働き口もあるので何とか生活できている。だが、20年後、30年後を考えると不安で押しつぶされそうになる。  子どもたちには親の都合で離婚し苦労をかけてきたから、将来は絶対に頼らないと決めている。かといって配偶者もいない。貯金はなく、老後の公的年金もどうなるかわからないので、パートで働いて補うしかない。だが、体力も衰えていくので今みたいに働けないだろう。そもそも、今の職場は70歳までしか働くことができない。子どもたちが巣立った後、70歳でポックリ死ねたらいいが、それ以上長生きしたらどうしよう。老人ホームに入るお金などなく、「孤独死」の3文字が頭をよぎるのだという。A子さんは言う。 「どうやって死ねばいいのかわかりません。シングルマザーの多くが、同じ不安を持っていると思います」  終身雇用が夢物語となった今、職を失うリスクも伴うようになった。解雇やリストラは、将来の不安、死に方に直結する。労働組合「東京ユニオン」の関口達矢書記長によれば、解雇などの相談は年400件近くあり、40代、50代が多いという。  大手予備校で英語講師をしていた男性のBさん(50代)は3年前、リストラされた。少子化に伴う受験人口の減少と現役志向の強まりの中、大幅に業務を縮小せざるを得なくなったというのが解雇の理由だ。講師時代、Bさんの年収は1千万円余。失職したBさんは家庭教師でしのぐことにしたが、収入は月10万円程度に。専業主婦の妻と幼い2人の子どもがいて、住宅ローンも抱える。妻には心配をかけたくないので、解雇になったことを言い出せない。Bさんはつぶやくように言った。 「これから先を考えると……」  現役世代が抱く生きづらさの正体は何か。共通するのは、先が見えない漠然とした不安だ。  8万円──。通帳の残高が10万円を切った時、イラストレーターの上田惣子さん(53)は、通帳を持つ手がぶるぶる震えた。3年前の秋のことだ。  25歳の時、自由な働き方に憧れ、勤めていたデザイン事務所を辞めてフリーランスになった。仕事の依頼は決して断らず、締め切りは厳守。仕事は順調に伸びていき、30代は年収1千万円前後をキープ。38歳で同業の男性と結婚し、ローンを組んで住宅も購入した。しかし、40歳の時に乳がんを発症。幸い治療はうまくいったが、1年間のブランクの後、転がり落ちるのは早かった。仕事の依頼は減っていき年収は600万円、500万円、400万円……とじわじわと下降。46歳の時、ついに年収はピーク時の3分の1の約300万円になった。このままでは無収入になってしまう。そう思い、出版社に営業をしまくったが全滅。不安で怖くて、夜中に目が覚めインターネットでアルバイトを探した。夫がいて住む家があっても、絶望感しかなかったという。 「結婚してからずっと財布は別々で食い扶持は自分で稼いでいたので、夫に『頼る』という考えは、不思議とありませんでした」(上田さん)  正体不明の不安に押しつぶされていた時、知り合いの編集者から本を書かないかという依頼がきた。それが『マンガ 自営業の老後』(文響社)。今年4月に発売されると11刷にまでなった。  実は、上田さんは年金未加入だった。面倒だったのと、仕事が順調だったので、この調子でいけば老後も稼げると思ったからだ。しかし今回、老後を考えて加入することに。昨年11月「改正年金機能強化法」が成立し、年金の受け取りに必要な「受給資格期間」が25年から10年に短縮された。最近は不安もだいぶ落ち着いたが、それでも心配は消えない。今は、75歳で死ぬことを願っているという。上田さんは言う。 「75歳が体力の限界のような気がするからです。後はボケたり健康も損ない始めたりしますから、寝たきりになって人様に迷惑をかけない死に方をしたいです」 (編集部・野村昌二) ※AERA 2017年11月20日号より抜粋
貧困
AERA 2017/11/16 11:30
医師・看護師らが明かす“いい死に方”“悪い死に方”
医師・看護師らが明かす“いい死に方”“悪い死に方”
家族や友人に囲まれて死ぬのが一番だが…(撮影/鈴木芳果、写真部・東川哲也)  病院やケア施設、患者の自宅など、看取りの現場で働く人に悲惨な職場環境と理想の死に方について聞いた。病棟勤務を経て6年前に訪問看護ステーションの看護師になったAさん、病院勤務を経て現在、訪問看護ステーションを経営するBさん、某大病院で緩和ケア病棟の立ち上げに携わった医師Cさん、病院系列の在宅医療支援アパートに勤務する介護福祉士のDさんの匿名座談会を公開する。 ──現在、厚生労働省は終末期の患者が自宅で療養できるよう在宅医療を推進しています。 A:自宅で人生の最期を迎えたいという患者さんは着実に増えていますね。私が訪問看護に携わるようになった6年前にはご家族から直接お問い合わせをいただくことはなかったのに、ケアマネジャー経由で患者さんを紹介されることも多くなった。 B:ただ、この業界は非常に未成熟。需要はあるのに、ビジネス経験のない病院勤めだった医師や看護師が思いだけでステーションを立ち上げたりするから、営業ができなくて潰れていくケースも非常に多い。 C:自分が病院で緩和ケア病棟の立ち上げに携わった医師だから言うわけではありませんが、厚労省が、さも自宅で最期を迎えるのが一番いいように宣伝していることには少々疑問を感じますね。どこの緩和病棟もそうでしょうけど、「訪問診療と家族のサポートで頑張ってきたけど、やっぱり家族の負担が大きすぎた」という理由で入棟を希望される患者さんは多いんです。最先端の高度医療を受けたいと思っても、医療費適正化を理由に厚労省は在院期間を短縮するよう指導しているじゃないですか? こうした方針は、誤解を承知で言わせてもらうと、「独り身の老人は家で孤独死しろ」と言っているようなもの。 D:私は地方の病院が開設した在宅療養支援アパートで介護福祉士として末期がん患者さんや神経難病の患者さんの介護を行っているんですけど、在宅と緩和病棟の中間みたいな立ち位置なので、在宅復帰されたけどまた戻ってきたり、入居されているけど頻繁に自宅に帰ったりする患者さんも多いんです。要は、患者さんや家族にいくつもの選択肢が残されていることが重要だと思う。 B:正直、医師会の姿勢に問題があると思いますよ……。緩和ケアを中心に行っている訪問診療専門クリニックを「ロクな治療もしないくせに」と“下”に見ている医師もいます。そもそも在宅診療の経験がある医師も少ない。訪問看護もそう。地域医療に貢献してますよっていうアピールのために訪問看護ステーションをつくって、使えない看護師をそっちに入れるという病院は少なくない。 D:医療と介護の断絶もありますよ。 B:うちは居宅介護支援事業所からの患者さんの紹介が8割を占めるので、その話はケアマネジャーさんからよく聞かされます。政府が推進する「地域包括ケア」のためにも、医師や看護師とケアマネの連携は不可欠なのに、医師は介護出身のケアマネを「医療知識もないくせに」と蔑んでいます。在宅医療を推進してくれている政治家の方も、この問題の深刻さを理解できていません。例えば、訪問看護のコストは1時間9千円で、介護は4500円と倍の開きがありますが、看護師は介護の領域の仕事もできてしまいます。だから、しばしば介護福祉士の仕事を奪い取ってしまって、医療保険負担が膨らんでいるんです。 ──多くの方を看取ってきた皆さんはどんな死に方が「いい死に方」だと思いますか? C:やはり、家族や友人に囲まれながら最期を迎えるというのが、一番だと思いますね。場所は、自宅でも病院でも、どちらでも構わないと思う。 B:私はさらに、その人らしく死ねるのがベストだと思います。最近も末期の乳がん患者さんを看取らせてもらったんですけど、その方はお風呂が大好きだったんですね。ただ、入浴は血中の酸素飽和度を下げるので、呼吸が苦しくなるなど体への負担が大きい。だから、病院だと患者さんをお風呂に入れないんですけど、「最後は好きにさせてあげたい」という家族の意向もあって、毎日のように私たちの介助でお風呂に入ってもらったんです。最後は雪が降った日で、「雪の日もお風呂に入れてうれしい」と喜んでいたのを覚えています。明らかに病状は悪かったのに、その日は珍しく深夜まで饒舌に家族とお話をされていました。その翌朝に息を引き取ったんです。これは在宅でしかできない死に方だなと印象に残っています。 ──逆に、「悪い死に方」は? A:先日、小さなお子さんのいる40代の末期がんの女性を自宅で看取らせてもらったんですけど、その方は本当に痛みが激しくて苦しまれたんです。若かったせいもあると思いますが、先生(担当医)の問題が大きかった。とにかく、痛みのコントロールが下手くそだったんです……。食欲がないからとドバドバと点滴を打つので、皮膚の間から水が漏れだすほど体がぶくぶく膨らんでしまい、美しいお顔も歪んでしまった。こういうセンスのない先生に当たってしまうと、不幸な最期となってしまう可能性はありますね。 (構成/ジャーナリスト・田茂井治) ※AERA 2017年11月20日号より抜粋
病気終活
AERA 2017/11/16 07:00
年収1億円の投資家になった元商社マンが、苦悩、挫折、絶望を経て会社を辞めるまで
年収1億円の投資家になった元商社マンが、苦悩、挫折、絶望を経て会社を辞めるまで
2014年3月 アメリカ・アリゾナ州のセドナにて  人生100年時代。何もしなければ、いずれジリ貧になるのを感じている人は多いのではないだろうか。投資家、経営コンサルタントとして収入源を18個まで増やし、年収1億円、世界を旅する生活を実現し、『ただのサラリーマンから財布を18個まで増やしたお金のルールチェンジ』を著した北川賢一さんにも、つらい商社マン時代があった。 新卒で入った商社の何がつらくて、どのように会社を辞めて独立する決断をしたのか──。会社を辞める一歩を踏み出すまでの「苦悩の日々」について、北川さんに話を伺った。 ■地獄のような会社員時代の日々  会社員時代。朝は、目覚まし時計の音からはじまります。午前6時、強制的な目覚めです。満員電車に押し込められ、朝から身体はぐったりし、気分はいつも最悪でした。しかも仕事は同じことのくり返しです。経理という究極のルーティンワーク。  もともと私が商社に入社したのは、『金持ち父さん貧乏父さん』(ロバートキヨサキ著)から学んだ「学ぶために働く」や「セールススキルを身につけろ」という発想を実践するため、営業スキルを磨こうと考えてのことでした。  しかし、現実は残酷です。希望していた営業職にはつけず、当初の目的とはかけ離れた経理部に配属されました。私が最も苦手とする部類の仕事です。何度も同じ失敗をくり返しては、上司に怒鳴られました。その度に、自らを責める日々。  私のプライドはズタズタに引き裂かれました。そして、この仕事を続けている未来を想像しては、死にたくなるほど憂鬱になるのです。自動再生の映像を見ているかのような、ただ時間を消化しているだけの毎日でした。  社内での人間関係も最悪です。定期的に行われていた飲み会では、一気飲みの強要や一発ギャグの強制が常でした。酒を注がなければ「気が利かない」、参加しなければ「付き合いが悪い」と言われ、ストレスは溜まる一方です。  「もう辞めたい……」。その言葉が口癖になったとき、私は自分の生活を変える必要があることに気づきました。「会社に頼る人生は、もう、やめよう」。私は、もはや時代遅れとなったレールに沿って生きる人生を、根底から覆そうと決意したのです。 ■投資への挑戦。そして挫折  それからは、会社の給料はすべて、自分のために「投資」すると決めました。お金には、「生活費などに使う(消費)」、「遊びや趣味に使う(浪費)」、「お金を増やすために使う(投資)」という3つの選択肢があります。私はそのうち、投資に注力することにしたのです。  朝食を抜き、昼食や夕食はできる限り節約する。「付き合いが悪い」と言われても飲み会を断る。そのようにして支出を減らし、教材の購入やセミナーへの参加など、未来につながることにお金を使うようにしました。  飲み会に参加しなくても、家に帰るのは21時ごろが普通。そこから深夜2時まで、ひたすらPCの前に座る日々が続きます。睡眠不足になり、毎日、目が血走っていました。孤独で貧乏な日々。泣き言を言いたいこともありました。  同僚たちは、給料を好き勝手に使っています。それを羨ましく思うこともありました。でも、人生は一度きり。後悔しないためにも、ギリギリまで自分を追い込んで、チャレンジしたいと考えていたのです。  しかし、副業や在宅ビジネスに挑戦しても、稼げるようにはなりません。やがてモチベーションが下がり、挫折してしまいます。さらに、ろくに勉強もせずに株式投資に手を出し頻繁に売り買いをして稼ごうと博打的な投機をしたせいでお金を失うことに……。夜も満足に眠れず、私は絶望の淵に立たされました。 ■わずかな希望とともにチェンジを意識する  悩み、苦しんだ結果、私は「お金を稼ぐやり方(テクニック)を探すのではなく、成功者に“なる”ための思考・考え方を身につけるべきだ」と気づきます。同時に、出会いを大切にするようにしました。  そんなある日、偶然の出会いが訪れます。私にとっての「メンター」との出会いです。私はそのメンターから特殊な投資法について教わりました。そして、開始から3か月で8万円稼ぎ、複利で運用を続けた結果、1年後には150万円の利益を得ることになります。  私はついに、希望を見出すことができたのです。それからというもの、副業で稼ぐことが楽しくなりました。給料と同じぐらい稼げるようになると、会社を辞めることも考えるようになります。もちろん、不安はありました。  「失敗したらどうしよう」「収入が減るかもしれない」。そのような恐怖と、今を変えたいという思いが交錯し、私は悩み続けました。そして気づいた自分の弱さ。「変わるなら今しかない」。私はそう決断して、逃げるのをやめました。  ここで諦めれば、私は自分を呪ってしまいます。そうなったら、もう、立ち直ることはできません。一生、負け犬のまま過ごすことになります。私は強い決意とともに会社に辞表を提出し、独立することにしたのです。  独立後も順風満帆に年収1億円を達成できたわけではありません。小さなチャレンジを繰り返し、財布(収入源)を一つずつ増やして、30代になって年収1億円に到達することができました。  今、会社にいる日々に何の希望も見出せない人は、一度きりの人生、本当に自分が求めることを見つめ直して、勇気をもって前向きに生きて行って欲しいと思います。(取材・構成/ライター・山中勇樹)
仕事働き方朝日新聞出版の本読書
dot. 2017/11/15 07:00
もう始まっていますよ!東京のイルミネーション〈レジャー特集・2017〉
もう始まっていますよ!東京のイルミネーション〈レジャー特集・2017〉
各地で点灯式が行われるなど、街のあちらこちらでイルミネーションが見られる時季がやってきましたね。 そこで今回は、お仕事帰りやお買い物ついでにも気軽に立ち寄れる、東京のイルミネーションをご紹介します。もちろんデートにもオススメのスポットばかりですので、大切な方と東京の夜を彩るイルミネーションはもちろん、ファミリーで外食した際にも、少し足を延ばしてみてはいかがでしょうか。台場のイルミネーションと夜景のコラボは必見です! 恵比寿ガーデンプレイス(渋谷区) 今年18回目を迎える恵比寿ガーデンプレイスのイルミネーション。恵比寿の冬の風物詩として、今年も大人のクリスマスを演出しています。 時計広場の高さ約10メートルの豪華なクリスマスツリーをはじめ、総数約10万球のイルミネーションが恵比寿ガーデンプレイス全体を彩ります。センター広場では、「timeless-時代を超えた永遠の価値-」をテーマに、高さ5メートル、クリスタルパーツ数8472、ライト総数250灯、世界最大級のバカラシャンデリアが、永遠の美しさで人々を魅了します。 恵比寿ガーデンプレイス/ウィンターイルミネーション2017 ●所在地:東京都渋谷区恵比寿4-20 ●アクセス:JR山手線「恵比寿駅」徒歩5分、東京メトロ日比谷線「恵比寿駅」徒歩7分 ●開催期間:2017年11月3日(金・祝)~2018年1月8日(月・祝) ●点灯時間:16:00~24:00(バカラシャンデリアは12:00~) ※詳しくは公式HPをご確認ください今年も大人のクリスマスを演出しています 丸の内イルミネーション(千代田区) 丸の内エリアのクリスマスシーズンを華やかに彩る「丸の内イルミネーション」。 ブランドショップが並ぶ丸の内仲通りの約1.2キロメートルの街路樹が、シャンパンゴールドのLED約93万球で飾られます。16年目を迎える今年から、有楽町エリア(国際ビル、新国際ビル前)では従来のイルミネーション装飾に加え、アール・ヌーボー調のデザインをモチーフにした高さ約6メートルの光のゲートが新たに登場! これは見逃せませんね。 丸の内イルミネーション2017 ●所在地:丸の内仲通り、東京駅周辺ほか ●アクセス:JR「東京駅」からすぐ ●開催期間:2017年11月9日(木)~2018年2月18日(日) ●点灯時間:17:30~23:00(12月は17:00~24:00まで) ※詳しくは公式HPをご確認くださいシャンパンゴールドに輝く丸の内 東京ドームシティ(文京区) テーマは「ときめくスイーツ・光り輝くあま~い贈り物」。 巨大なお菓子の家やキャンディ、アイスクリームが、光り輝くオブジェとなって大変身! ビスケットやマカロン、チョコレートの装飾が輝く「お菓子の家」の高さは約6メートル。内部には、著名パティシエたちによる本物の飴細工やチョコレートの作品が展示されています。ほかにも、全長約140メートルの光の回廊「ミルキーウェイ」や、約12メートルのヒマラヤ杉の「ドルチェツリー」など、見て楽しいイルミネーションに心躍ること間違いなし! 東京ドームシティ/ウィンターイルミネーション ●所在地:東京都文京区後楽1-3-61 ●アクセス:JR中央線・総武線、都営三田線「水道橋駅」ほか ●開催期間:2017年11月9日(木)~2018年2月18日(日) ●点灯時間:16:00~24:00 ※詳しくは公式HPをご確認ください期間中は、17時以降アトラクション3回券の特別チケットもあります! お台場イルミネーション(港区) クリスマスシーズンに限らず通年で楽しめるお台場のイルミネーション。 レインボーブリッジを背景に、夜のお台場を全長約200メートルに広がる樹木が、約22万個のイルミネーションで飾られています。高さ約20メートル幅10メートルの、生木としては都内最大級の「台場メモリアルツリー」を中心に、記念撮影スポットとして大人気の「ハート型オブジェ」では、メモリアルツリーと都心の夜景、レインボーブリッジをワンカットで撮影可能! せっかくなのでクリスマスシーズンに、東京を代表する夜景スポット「台場」を訪れてみては! お台場イルミネーション ”YAKEI” ●所在地:東京都港区台場1-6-1 デックス東京ビーチ3F シーサイドデッキ ●アクセス:ゆりかもめ「お台場海浜公園駅」から徒歩2分 ●開催期間:通年 ●点灯時間:日没~24:00(季節により変更あり) ※詳しくは公式HPをご確認くださいイルミネーションと夜景がともに楽しめるお台場
tenki.jp 2017/11/14 00:00
出会いは“ストリップ劇場” モロ師岡夫妻の下積み時代
出会いは“ストリップ劇場” モロ師岡夫妻の下積み時代
モロ師岡(もろ・もろおか)(右)/1959年、千葉県生まれ。専修大学在学中からアマチュア劇団に所属。六本木のショーパブ立ち上げやストリップ劇場でのコントで活動。90年ごろからテレビに出演しはじめ、96年、映画「キッズ・リターン」(北野武監督)に出演。東京スポーツ映画大賞助演男優賞を受賞。以後、多くのドラマ、CM、映画で活躍。2018年1月2、3日、東京・下北沢の「劇」小劇場で「新春恒例初笑い演芸会」を開催。楠美津香(くすのき・みつか)(左)/1962年、東京都生まれ。横浜放送映画専門学院卒。コントグループ「ピックルス」「ふらみんご」、放送作家、ラジオDJを経て、実験的一人コント「東京美人百景」を連続公演。2000 年からは一人芝居「ひとりシェイクスピアの会」を定期公演。17年12月2日、東京・浅草リトルシアターで「超訳トロイラスとクレシダ」を公演。18年1月7日、横浜市大倉山記念館で「落語とコントの独演会」に出演。(撮影/写真部・大野洋介)  存在感のある役者として、映画にドラマに引っ張りだこの夫、モロ師岡さん。妻、楠美津香さんは演劇や演芸の枠組みを超越した「超訳シェークスピア」の一人芝居をライフワークにする俳優。しかし、お互いの出会いはストリップ劇場で…。 *  *  * 夫: 夫婦の一品、って何かある? ほら、二人で作った作品とかさ。 妻:ああー。からくり箱とか、作ったね。 ――その昔、高田文夫さん(放送作家・演芸評論家)プロデュースのギャラリーに、夫婦の作品を出展したという。現物はすでにないが写真は残っているはずだ、と話したが……。結局、写真も見つからなかった。 妻:昔、浅草に「のぞきからくり」っていう見せ物があったんですよ。それを再現しようってことで。 夫:大きな木の箱を作って、中に僕らのヌード写真をいれたんです。脇のハンドルを回すと、中で豆電球がチカチカ光って、運が良ければ裸が見られるっていうね。 妻:千葉まで写真撮りに行ったのよね。 夫:九十九里まで行って。早朝の誰もいない海で、すっぽんぽんの撮影大会。 妻:街の写真屋さんに現像してもらうわけにもいかないから、写真勉強してる学生に頼んでね。 ――出会いはストリップ劇場。朝から晩まで劇場にいた。 妻:私は役者になりたくて、故・今村昌平監督が設立した学校の演劇科に通ってたんです。そこの授業に内海桂子・好江師匠が来られて、漫才をやってみなさいと。 夫:それが始まりだね。 妻:面白かったんでしょうかねえ。あんたはお笑いをやるべきだって、ずいぶんいろんな方から勧められて。そのうちテレビの「お笑いスター誕生!!」っていう番組に出ることになった。そのころ、関東には女の子だけの漫才ユニットって少なかったんですよ。 夫:それで8週連続で勝ち抜いちゃった。 妻:もともとはアングラ演劇がやりたかったんです。お笑いは1年ぐらいでやめようと思ってたのに、勝ち抜いたらお仕事が来るようになっちゃって。 夫:もう後には引けず。 妻:つらかったですよ。とにかくニコニコ、いつも陽気でいなきゃいけなくて。 夫:当時は漫才ブームのほんの少し前。コントっていうのはわかりやすくズッコケたりするのが主流でしたからね。それには僕も抵抗あったなあ。 妻:今みたいにお笑いライブなんてないですからね。練習の場もなくて。 夫:それでストリップ劇場に出る仲間はいっぱいいました。僕は新宿、彼女は渋谷の一派だった。 妻:女の子が漫才をやっても、そのうち脱ぐと思ってるから、誰も笑わないの(笑)。 夫:コントになると、お客さんはタバコ吸いにロビーへ出ちゃうし。 妻:モロさんはコンビじゃなくて一人芸だったんだけど、面白い人がいるなあと。 夫:そう? 妻:暗かったんですよ。なんて言うか、社会でやっていけなさそうな人(笑)。 夫:それ! よく昔、まわりから言われたんですよ。なんでだろうなあ。普通のつもりなのに……。 妻:それにしても朝から晩まで劇場にいたね。ストリップは年中無休だし。 夫:ショーは昼からなんだけど、10時に入って掃除。出番が終わっても帰れないんです。いつ用事を言いつかるかわからないからって。 妻:ちょっとした軟禁状態ですよ。 夫:夜10時で舞台が終わって、今度は片づけ。あんまり家に帰れないから、アパート引き払って楽屋で寝泊まりしてました。 妻:ギャラは安かったけど、外へ出ないからお金を使う機会もなかった。 夫:ワンステージ500円で1日4ステージぐらい。それに食事代が500円。月に7万5千円ぐらいなんですけど、ご飯もお酒も先輩がおごってくれるし。 妻:あのころのほうが、いい服着てた気がする(笑)。(聞き手・浅野裕見子) ※「『憎しみはいつか、愛に裏返る』妻の“名言”にモロ師岡困る!?」につづく ※週刊朝日  2017年11月17日号より抜粋
週刊朝日 2017/11/13 11:30
「タイトルだけ決めて僕自身がオファー」 藤田社長が語る「72時間ホンネテレビ」誕生の舞台裏
「タイトルだけ決めて僕自身がオファー」 藤田社長が語る「72時間ホンネテレビ」誕生の舞台裏
藤田晋(ふじた・すすむ)/1973年生まれ。青山学院大学を卒業後、インテリジェンス(当時)入社。98年にサイバーエージェントを設立し、社長に。AbemaTVでも社長を務める(撮影/工藤隆太郎) AbemaTV 利用者数の推移(AERA 2017年11月13日号より) 「AbemaTVにかけている」と話す藤田晋社長が取材に応じた。目標は「ネット発のマスメディア」。「わざわざAbemaTVをつけたくなる企画」を求めた結果が「72時間ホンネテレビ」だった――。  9月24日日曜日、午前9時。ある「緊急告知」にツイッターが揺れた。  稲垣吾郎さん(43)、草なぎ剛さん(43)、香取慎吾さん(40)の3人が生出演する「72時間ホンネテレビ」が、11月2日午後9時から5日午後9時までの72時間にわたり、AbemaTVで放送されるという、同局公式ツイッターを使った告知だった。  以後、詳細が明らかになるたびに大きな話題に。放送を1週間後に控えた10月25日、番組の実現につながった「突破力」の源泉を、藤田晋社長が語った。 *  *  * ──「72時間ホンネテレビ」はどんな経緯で生まれたのですか。  発想としては、誰もが思いつくものだと思うんですよ。これまで一切インターネットに出ていなかった3人がネットで本音を語る。これは多くの人が見たいと思ってくれるんじゃないか、と。そういう番組を、最初にAbemaTVでやらせてほしいと思ったんです。もしNetflixやAmazon Primeに先を越されたら、悔しいですから。 ●会いに行って直接交渉 ──オファーはいつだったんでしょうか。  ファーストコンタクトは、3人が事務所を退所した直後の9月上旬。こちらも「本気度」を伝えなければ、と僕が直接会いに行って交渉しました。「72時間ホンネテレビ」というタイトルだけ決めて、企画書なんか全くない状態だった。どのメディアも互いの出方をうかがっているような空気を感じていたので、ここは正面突破できるな、と。  一番最初に会いに来たということもあったのか、そこから先は結構すんなり決まりました。いや、本当に誰でも思いつくことだと思うんですけどね。 ──思いついても、実現するのは難しいものです。  そこがチャンスなんです。当時というか、いまもそうかもしれないですけど、誰も何も言ってないのに、勝手に周囲がいろんなことを気遣ったり何かを恐れたりして腫れ物に触るような空気があった。  本当はそんなことないのに、「手がつけられない」とか言われてめちゃくちゃ恐れられている不良、昔の漫画によくいたでしょう。あんな感じでしょうか(笑)。僕はこういう「しがらみ」や「忖度」というものに、非常に強い疑いを持っている。そこを正面突破すれば、鮮やかな仕事ができると思ったんです。 ──突然の発表は、まさに鮮やかでした。  正式発表まで、僕以外に知っていたのは2、3人でした。出資を受けているテレビ朝日にも、申し訳ないと思ったけれど伝えなかった。正直、誰にも止められたくないという思いが強くありました。  僕はこのAbemaTVにかけているし、腹をくくってやろうと覚悟していますが、影響が読めない部分も多かったので、周りを巻き込まないようにしていたんです。とはいえ、秘密にしておくのは本当に大変で、そのストレスを和らげるために大人用レゴを黙々と組み立てたりしていました。 ●わざわざつけたくなる ──「72時間ホンネテレビ」以外にも、羽生善治三冠(当時)と藤井聡太四段の対局など、既存メディアに先んじる、あるいはひと味違う企画が話題です。「トンガリスト会議」の名前が象徴するように、「尖っている」ことを重視しているのですか。  僕たちの「尖っている」の定義は「地上波でできない企画」ではなく、「それを見るためにわざわざAbemaTVをつけたくなる企画」です。尖ってないものって、やったのかやってないのか分からないうちに終わっちゃうんですよね。  いま尖っているなぁと思う番組は、「おぎやはぎの『ブス』テレビ」です。ブスと言われる人たちがすごく楽しそうにポジティブに話していて面白い。人気もあります。 ──番組では、女性の外見に辛辣なコメントをして笑いを誘うシーンもあります。傷つく人もいるのではないですか。  あえてそういう発言をすることで討論になる。それってけっこういいんじゃないかと思ってるんですけどね。もちろん大問題になってマイナスが大きいようならやめます。今のところ批判もそうはないので、童貞について考える「DTテレビ」というのも始めました。 「マスメディア」として広く認知されるようになったら、こういう尖り方や、夜中のお色気系番組は減らしていくつもりです。でもいまは、テレビに「飽きた」とか「わざわざ見たいとは思わない」という人たちに独自の姿勢を示して、視聴者を集める時期だと考えています。 ●やりながら模索する  藤田社長はAbemaTV開局当時から、「ネット発のマスメディアを目指す」と公言している。自身の「マスメディア」の定義は、「1週間の利用者数1千万人」。社会性や信頼性を確保するため、力を入れている分野の一つが「報道」だ。テレビ朝日報道局と協力しながら、震災や事件など突発的なニュースにも対応する。  一方で、総選挙公示直前の10月8日には、幻冬舎の見城徹社長がホスト役を務めるトーク番組「徹の部屋」に安倍晋三首相がゲスト出演。見城氏は「僕はずっと安倍さんのファン」とその政策を絶賛し、「メディアは報道すべきことを報道しない」と既存メディアを批判した。 ──この番組の放送後、マスメディアとしての「公平性」を問う議論が巻き起こりました。  批判精神も大事だし、権力の監視も必要だとは思います。でも、僕も同じリーダーとして、文句ばかり言われたらつらいだろうな、と。そういう問題意識で安倍総理の良いところを伝えました。 ──権力を監視し批判するのはメディアの役割の一つです。  僕は、これでバランスがとれたと感じています。嫌な人は見ないでしょうし。中立や公平を意識しすぎると全てが討論になりますが、闘う必要がない議題だってあるはずです。正直、あそこまでやるとは思わなかったですけど。 ──既存メディアに取って代わろうというわけではない、と。  そうですね。ただマスメディアを目指してはいるので、今後は中立公平についてももっと考えないといけないでしょう。教育番組もやりたい。今後のメディアのあるべき姿なんて見通せている人はいないんじゃないですか。いまは楽しいというよりプレッシャーのほうが大きいですが、僕自身もやりながら模索していきたいと思っています。 (構成/編集部・竹下郁子) ※AERA 2017年11月13日号
AERA 2017/11/07 07:00
知りたい! 医師が実践する「認知症予防法」
知りたい! 医師が実践する「認知症予防法」
認知症予防のために取り組んでいることがあるか(週刊朝日 2017年11月10日号より) 認知症予防のために取り組んでいること(1)(週刊朝日 2017年11月10日号より) 認知症予防のために取り組んでいること(2)(週刊朝日 2017年11月10日号より) 認知症予防のために取り組んでいること(3)(週刊朝日 2017年11月10日号より)  情報があふれる認知症予防法。専門知識を持ち、日々患者と向き合う医師は、どんなことを有効と考え、実践しているのだろうか。本誌は、医療情報サイト「MedPeer」の協力を得て、独自に調査。現役医師300人超が明かした「私の認知症予防法」を紹介する。  ペインクリニックの第一人者、JR東京総合病院(渋谷区)名誉院長の花岡一雄医師は、71歳のいまも現役で、日々患者と向き合う。担当する患者の顔を見ただけで、プライベートな些細な会話や患者の悩みなどを、つぶさに思い出す。 「医者の不養生で、何もしていないですよ」  と笑うが、その記憶力はどうやって保っているのだろうか。 「しいて言うなら、週に1回、その週に起こったことを振り返るようにはしています。その日のことは思い出せるけれど、1週間前となると記憶があいまい。それを、日記やスケジュール帳をチェックして、修正しています」(花岡医師)  ほかにも、ほぼ同じ時間に寝起きする、通勤の電車はひと駅分歩く、休日は趣味のガーデニングにいそしむなど、頭も体もしっかり動かしている。 「認知症は病気ではなく、さまざまな症状が集まった現象のようなもの。だから、先々を悲観するより、前向きに生きることに重きを置いています。それが予防といえば予防。僕が診ている患者さんの中には100歳近い人がいる。その姿からも、元気をもらっていますね」(同)  超高齢化を迎えたいま、関心がますます高まる認知症予防。ちまたにはさまざまな情報があふれているが、現役の医師はどんな予防法を有効と考え、実践しているのだろうか。  本誌は今回、10万人以上の医師が参加する情報サイト「MedPeer(メドピア)」の協力を得て、医師へのアンケートを実施。「実践している認知症予防の取り組み」と「有効だと考える予防法」について聞き、一部の医師に直接、取材した(※1)。なお、結果は医師個人の見解であって、エビデンス(科学的根拠)に基づくものとは限らない。だが、考え方や参考にした知識は役立つだろう。  まずは、「認知症予防のために取り組んでいることがあるか」という質問から。「ある」と答えた医師は88人で、全体の約3割だった。当然ながら、年代が上がるほど高かった。  取り組んでいる予防法で最も多かったのが、ウォーキングなどの運動系で45人。「取り組んでいることがある」と答えた医師の約半数にのぼった。具体的には、「自転車で丘を登りながら『100−7』の連続計算や川柳、一人しりとり」(一般内科・70代男性)、「定期的な運動を、一人ではなく仲間と行う」(整形外科・スポーツ医学・50代女性)などがあった。  湘南中央病院(神奈川県藤沢市)院長で整形外科医の池田全良医師(50代)も、自宅周辺での散歩を日課にする。散歩中はいろんなことを考え、頭を働かせる。 「“体を動かせば認知症にならない”ということではありません。体を動かせるということは、活動性を高い状態に保っている証拠。ひいては寝たきりが防止できます。これが結果的に認知症の予防に大きく影響していると考えています」  と池田医師。活動的で積極性がある患者のほうが、しっかりしていて「認知症から遠い」(池田医師)という印象はあるという。 「整形外科医の立場からすると、寝たきり防止にはやはり足腰の健康を保つこと。腰やひざの痛みは、早めに治療をすることをおすすめします」(同)  食事系では、EPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)を意識してとっている医師が目立った。「ポリフェノールを多く摂取。EPA、DHAは毎日魚介類から摂取」(一般内科・80代男性)、「EPAによる予防効果」(循環器内科・60代男性)などだ。  運動や食事のほかには、▽脳トレ系:「ランダムな数字を数ケタ覚えるようなトレーニング」(腎臓内科・泌尿器科・50代男性)、「車のナンバーで四則演算をする」(精神科・60代男性)、「好きなパズルを週末にして、頭を使う」(血管外科・循環器外科・50代男性)▽コミュニケーション系:「若い人と交際し、話す」(一般内科・消化器内科など・60代男性)▽仕事系:「生涯現役を目指すため、医療職を続ける」(消化器内科・60代男性)▽生活習慣病対策:「糖質制限、塩分制限、高血圧や動脈硬化予防」(一般内科・腎臓内科など・70代男性)などがあった。  目を引いた回答の一つが、「毎日笑う」(消化器内科・40代男性)というもの。笑いは本誌でも以前取り上げたことのある予防法の一つだ。いつも笑っている人のほうが、そうでない人より認知症の発症リスクが低いという研究データもある。 「脱水予防」(小児外科・救急医療科など・50代男性)にも注目したい。一見、認知症と関係なさそうだが、「脱水と認知症は深い関係があることが分かってきた」(同)と述べている。実は、脱水を起こすと意識障害が起こりやすく、それが認知症の発症や進行につながるというのだ。  一日の中で、大きな時間を占める睡眠にも予防のヒントはありそうだ。「良眠をとるための環境作りと、メラトニン摂取」を心がけているのが、稲田胃腸科(宮崎市)院長で消化器内科医の稲田享介医師(50代)だ。予防医学や東洋医学などにも造詣が深い同氏は、眠りは「気力」を保つために必要という。 「睡眠によって脳が一度クリアになり、気力がストックされる。これで翌日、その気力を十分に使うことができます。逆に眠りの質が悪くて気力がたまらないと、昼間にぼーっとして集中力が落ち、記憶力の低下につながります」(稲田医師)  高齢になるほど失われやすい気力を充実させる眠りのために、稲田医師が実践するのが“光の遮断”。夜はインターネットやテレビを控え、アイマスクをして寝る。夜勤で眠りが浅くなるときは、睡眠ホルモンとも呼ばれる「メラトニン」のサプリメントをとるという。(本誌・山内リカ) ※1 回答者数315人。年代別は30代以下45人、40代79人、50代115人、60代65人、70代以上11人。性別は男性265人、女性30人 ※週刊朝日 2017年11月10日号より抜粋
シニア
週刊朝日 2017/11/07 07:00
更年期をチャンスに

更年期をチャンスに

女性は、月経や妊娠出産の不調、婦人系がん、不妊治療、更年期など特有の健康課題を抱えています。仕事のパフォーマンスが落ちてしまい、休職や離職を選ぶ人も少なくありません。その経済損失は年間3.4兆円ともいわれます。10月7日号のAERAでは、女性ホルモンに左右されない人生を送るには、本人や周囲はどうしたらいいのかを考えました。男性もぜひ読んでいただきたい特集です!

更年期がつらい
学校現場の大問題

学校現場の大問題

クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

学校の大問題
働く価値観格差

働く価値観格差

職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

職場の価値観格差
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