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青田典子、杉田かおるをゲストに招いたトークショーが11/4に開催 12月には本人ワンマンライブも
青田典子、杉田かおるをゲストに招いたトークショーが11/4に開催 12月には本人ワンマンライブも
青田典子、杉田かおるをゲストに招いたトークショーが11/4に開催 12月には本人ワンマンライブも  青田典子によるトークイベントが2017年11月4日に東京・Shibuya LOFT9にて開催される。  【Noriko Aota presents ガールズトーク「LOVE&LIVE」】と題されたこのイベントは今回で第4回目。イベントでは杉田かおるがゲストとして登場する。  また、翌月の12月5日には東京・渋谷morphにて、青田典子のワンマン・ライブも開催。こちらは【blue's Night vol.2】と題した公演となる。以下、それぞれの開催に向けて、青田本人からのコメントを掲載する。 <11月4日トークイベント【Noriko Aota presents ガールズトーク「LOVE&LIVE」】に向けて>女性が色々な経験を経て話す含蓄には何よりも説得力があり、一番心に刺さるものであると思っています。数々の女性の言葉に支えれられてきた私。女性は歳を重ねるにつれて、いくつもの岐路を持ちます。社会人になり親元から離れること。一人暮らしからの恋愛。部署の移動。結婚。離婚。出産。更年期障害。親の介護などなど。そんな経験を経て大きく人間的に飛躍していくんだと思います。百戦錬磨の中、本能的に子供を産む能力を持つ女性は、最終的な開き直りや、まあなんとかなる、、というアバウトでなんの根拠もない支えによって、滑らかに悲しみとやさしさを携えながら生き抜いていく。そんな様々な場面に遭遇してきた女性達とのトークは、自分が気付かなかった心の闇に触れたり、私だけじゃなかったんだ、と共感出来て、泣いたり笑ったり。ちょっとラクになったり、勇気をもらえたり、、。理屈では測れない貴重な癒しの時になる気がしてなりません。今回はゲストに杉田かおるさんをお招きしました。ご一緒にお仕事をする機会も数々あった懐かしい想い出話しや、一女性として今の生活の中での暮らし方や、大切にしていることなど、「オーガニック」をテーマにあらゆる角度から話していきたいなと思っています。 トークのあとは、歌とギター演奏で、音楽を楽しんでもらおうと思っています。 男女問わず、気楽な癒しのひと時をぜひ一緒に過ごしてみませんか。 <12月5日ワンマンライブ【blue's Night vol.2】に向けて>12月5日に渋谷morphにて【blue's Night vol.2】LIVEをすることになりました。去年の同じ時期に、渋谷 Jz bratで開催したライブをダンサブルに助長させて、エレガントでエキゾチックなステージになればと思っています。 2016年10月26日に発売した「blue's」のアルバムの曲を中心に、C.C.ガールズ時代の曲、そしてバブル青田と銘打ったヒット曲「ジーザス」をスタイリッシュにアレンジして、ライブを煌びやかに飾ることが出来ればと願っています。 12月5日、火曜日、みなさんと共に熱くハートフルな夜を過ごせるよう、DJ and ダンサー達と共に、ダンサブルなサウンドでお迎えします。 ぜひ遊びに来てくださいね。 ◎イベント詳細【Noriko Aota presents ガールズトーク「LOVE&LIVE」】2017年11月4日(土)東京・Shibuya LOFT9開場12:00/開演13:00(15:30終了予定)料金:前売3,500円/当日4,000円(税込・要1オーダー500円以上)チケット(peatix):http://peatix.com/event/301269 <第四回>出演:青田典子ゲスト:杉田かおる 【blue.FN’s night vol.2】(ワンマンライブ)2017年12月5日(火)六本木morph-tokyo開場19:00/開演19:30料金:前売4,000円/当日4,500円(1ドリンク別)チケット:9/23(土)12:00発売URL:http://bit.ly/2fmBwmv
billboardnews 2017/09/23 00:00
待機児童解消の切り札となるか? 企業内保育所にできること
作田裕史 作田裕史
待機児童解消の切り札となるか? 企業内保育所にできること
ワークスアプリケーションズ 「WithKids」 定員19人/0歳~就学前/8~20時30分/2016年12月開設/管理栄養士が作る昼食や夕食を親子一緒に保育所内で食べられる(撮影/写真部・岸本絢) ママスクエア 京王八王子SC店/「ママが子どものそばで働ける、保育園でもない在宅でもない新しいワーキングスペース」がコンセプト。全国に17カ所を展開(撮影/岡田晃奈)  仕事と子育ての両立は、どうしてこんなにつらいのか。そう感じながら、毎日必死で走り続けている人は少なくない。待機児童のニュースを聞くたびに、上司や同僚に気を使い、後ろ髪をひかれながら会社を後にするたびに、いつになったら楽になるの?と思ってしまう。小学生になっても、ティーンエイジャーになっても新たな「壁」があらわれると聞けば、なおさらだ。AERA 2017年9月18日号では、そんな「仕事と子育て」を大特集。待機児童解消の切り札といわれる、企業内保育所を取材した。 *  *  *  午後5時45分。岡田花子さん(30)は仕事を終えて、もうすぐ1歳になる娘の花音(かのん)ちゃんを迎えに行く。娘のいる保育所「WithKids」までは、片道1分。それはWithKidsが岡田さんの勤務先の中にある「企業内保育所」だからだ。  普通ならここからが魔の時間。できるだけ早く帰宅して夕飯を食べさせ、お風呂に入れて、一刻も早く寝かせなければ。ところが、岡田さんは保育所内で、花音ちゃんと二人で晩ご飯を食べ始めた。管理栄養士が作ったホカホカの親子メニューは、白身魚のあんかけにじゃがいもとにんじんと玉ねぎの煮物。豆腐と鶏そぼろのスープにご飯。岡田さんは言う。 「1センチ角にカットした野菜を娘がモグモグ食べて。もうこんなに食べられるようになったのかってうれしくなりました」  食べ終えると、東京・六本木一丁目の会社を後にして帰路に就く。着替えやおむつは保育所が用意するので仕事用のほかに大きなバッグを持つ必要もない。お風呂タイムをゆっくり楽しんで、絵本を読んで寝かしつける。 「ワーキングマザーというと、髪をふり乱しているイメージがありますが、そういう感じではないですね」(岡田さん)  フレックス出社でラッシュの時間帯を避けられるので、子連れ通勤もあまり負担ではない。 ●今年度は7万人が目標  岡田さんが勤務するワークスアプリケーションズは、企業向けソフトウェアの開発・販売を手掛ける会社。2016年12月、独自に企業内保育所を開設したことで話題になった。  牧野正幸CEOの発案で有志50人が集まり、「企業内保育所は必要か」というところから議論を始めた。「社員にとっての理想の保育所」を徹底的に話し合った結果、外部の保育事業者への委託ではなく、保育所を自社で運営することを選んだ。 「月額30万円。募集は4人」  社員と同じ待遇の保育士募集には550人もの応募があった。自らも2児の母である、WithKidsプロジェクトマネジャーの谷口裕香さん(33)は言う。 「従来の保育所の枠にとらわれない理想の保育所を、社員、保育士とともに作り上げたい。保育士は同僚。保育の質を確保するうえでも適正な待遇は不可欠だと考えました」  小泉純一郎首相(当時)が「待機児童ゼロ作戦」を打ち出してから16年。都市部を中心に待機児童解消のきざしは見えないが、ここに来て切り札とされるのが「企業主導型保育事業」による企業内保育所だ。  企業内保育所には大きく分けて3タイプがある。国はこれまでも民間活力に期待をかけてきたが、「従来型」は企業の負担が大きく、思うように増えなかった。15年4月からは地域住民の枠を設けることを条件に自治体が認可し助成する「地域型保育事業」も組みこんだが、そもそも認可事業には時間がかかる。  そこで16年4月、内閣府は一定の基準を満たして保育事業を始める企業を、認可保育所並みに助成する「企業主導型保育事業」を始めた。ワークスアプリケーションズやSGホールディングスもこの制度を活用。1年で871施設、定員にして約2万人分を助成するという好調な滑り出しを受けて、今年8月、松山政司少子化対策担当相は、17年度末までの定員目標を、当初の5万人から7万人に拡大すると発表した。  第一生命経済研究所の的場康子さん(49)はこう説明する。 「企業主導型保育事業は、整備費の4分の3に加え運営費も助成される。従来の企業内保育所に比べて企業の負担が格段に軽い。働き方の多様化に対応すべく開所時間も柔軟に設定できる。自治体が関与せずスピーディーに開設できる点も、企業の勢いにはずみをつけました」 ●肝心の東京には1割  運営は保育事業者への委託が多く、そこに商機を見いだして参入する企業も出てきた。  03年、東京・汐留に企業内保育所「カンガルーム汐留」を開設し、注目を集めてきた資生堂。今年2月、保育サービス大手のJPホールディングスと合弁会社「KODOMOLOGY」を設立し、企業内保育所の運営受託を始めた。参入の目的は何か。小林貞代代表(51)は言う。 「これまで『保育の質』は経験則で語られることが多かったのですが、科学的な根拠に基づく『保育の質』を追求したいと思っています」  加えて、企業内保育所の、出産前の人たちや管理職と接点を持てるという特性にも着目。 「保育所がハブとなって、受託企業の風土も変えながら、子どもと共にある生活を支えていきたい」(小林代表)  育休取得経験者で男性の育休についての情報発信をする、ワークスアプリケーションズの高橋俊晃さん(35)も、企業内保育所の影響力は大きいと感じている。子育ての現場は職場と切り離されていて、子どものいない人にとってはブラックボックス。結果、子育て中の人とそうでない人は気兼ねや臆測をし合ってギクシャクしてきた。  企業内保育所は、そんな子育ての現状を「見える化」し、職場ではしづらい子どもの話をしやすくする効果がある。ふだん子どもに接する機会のない若手社員にとっては、将来の子育てを考えるきっかけになる。 「そこから相互理解の循環が生まれます」(高橋さん)  もちろん、企業主導型保育事業にも課題はある。  自治体が関与しない認可外施設で、保育士の配置基準も認可保育所に比べて緩い。「保育の質」を監督し担保する体制づくりは不可欠だ。16年には東京・日本橋の従来型の認可外企業内保育所で子どもの死亡事故も起きている。  全国の待機児童の約3割を占める東京の企業主導型保育事業の施設数は、3月末時点で全国の同事業による保育所全体の1割未満。ネックは土地やスペースの確保だ。東京都は今年5月から最大300万円の設置促進助成を開始した。 ●働きたい主婦の受け皿 「待機児童解消に向けた、シンボル事業にしたい」  小池百合子東京都知事が開設にあたってそう意気込みを語った「とちょう保育園」。16年10月に都議会議事堂の1階にオープンした。企業主導型保育事業と並行して政府が推進する「地域型保育事業」の企業内保育所で、企業主導型との大きな違いは、認可保育所であることと、地域住民のための「地域枠」が義務づけられていることだ。  とちょう保育園の対象は0~2歳で、定員は48人。半分の24人は新宿区民枠で、残りを都職員と近隣企業の社員で分け合っている。新宿に本社を置く日本ロレアルも提携企業。昨年7月に出産し、産後4カ月で復帰した太田典子さん(44)は言う。 「認可外保育所しか子どもを預けられるところがなかった。保育料も月に20万円もかかって大変でした。それが3分の1になって助かりました」  後藤祥代さん(31)は、通勤ラッシュを避けて毎朝7時過ぎに登園。後藤さんのような親子向けに有料で提供される朝食サービスを利用している。 「第7希望だった地元の認可保育所にも入れましたが、家から遠くて。通勤途中に送り迎えできるとちょう保育園にしました。災害などがあってもすぐに迎えに行けて安心」(後藤さん)  延長保育は夜10時まで。一時保育枠もあって、都庁来庁者の子どもも利用できる。看護師も常駐していて、登園後に体調を崩した場合は必要に応じて、ライブカメラで医師のアドバイスを受ける態勢も整っている。  第1子出産後、女性の約5割が離職する。いったん仕事を失うと保育所への入所は難しく、保育所に子どもを預けられないことには再就職もできない。そうした「二重苦」に苦しむ女性たちの受け皿となって急拡大中なのが、仕事と託児の両方をセットで提供するママスクエアだ。  京王八王子ショッピングセンター内にも今年4月にオープン。メーカーのコールセンター業務を代行している。働く親たちからは、ガラス越しにキッズスペースで遊ぶ子どもたちの様子が見える。専任のキッズサポートスタッフがいるが、おむつ替えや食事の世話は親がする。  2歳と4歳の子を持つ宮代千香子さん(36)は大学院卒。高校で教えていたが、夫の転勤に伴って退職。働きたいと思っても、求職中の身で保育所に子どもを預けることは叶わず、働けずにいた。いまは週に3~4日、長子が幼稚園に行っている間にママスクエアで勤務する。時給940円。一般のコールセンターの相場より安いが、それ以上のものがあると言う。 「子どもが病気になったときは休んでいいと言われていて。その安心感は大きいです」  キッズサポートスタッフも子どもを持つ親だ。元保育士の佐藤舞さん(28)は病院内の託児施設で働いていた。24時間365日稼働の職場で、出産後も働き続けることは難しかった。 「保育士を続けるには娘を保育所に入れないといけない。フルタイムが前提になり、またパート勤務では収入が娘の保育料に消えてしまいます。その点、ママスクエアは子どもも預けられ、託児費も1日300円ですむので、お金もきちんと手元に残ります」 ●企業主導育児にしない  ママスクエアでは「働きたいのに働けていない子育て中の主婦は全国に150万人以上いる」と見ている。  待機児童問題解消の突破口として政府は民間に期待をかけるが、「見落としてはいけない視点がある」という人がいた。 「保育園を考える親の会」代表の普光院(ふこういん)亜紀さんだ。  保育所は、子どもの利益を代弁する役割も果たしてきた。保育時間の融通がきかなかったとしても、それによって子どもたちが守られてきた側面もある。企業が保育所を設置することで、社員が言われるままに働かされ、子どもにも過重なしわ寄せがいくことは、避けなければならない。 「企業内保育所の拡充が“企業主導型育児”につながってはいけないのです」(普光院さん) (編集部・作田裕史、石田かおる) ※AERA 2017年9月18日号
待機児童
AERA with Kids+ 2017/09/17 16:00
議員会館内保育所に夜間保育園… 働く母の「最後の砦」に見る現実とは
作田裕史 作田裕史
議員会館内保育所に夜間保育園… 働く母の「最後の砦」に見る現実とは
「第2どろんこ夜間保育園」定員55人/0~5歳/11~22時(最長7~26時)/1982年5月開設/20年以上前から玄米給食、モンテッソーリ教育などを導入(撮影/江藤大作)「第2どろんこ夜間保育園」定員55人/0~5歳/11~22時(最長7~26時)/1982年5月開設/20年以上前から玄米給食、モンテッソーリ教育などを導入(撮影/江藤大作) 衆議院議員 金子恵美さん(39)/早稲田大学卒。新潟県議などを経て2012年の衆院選で初当選。2期目。夫は元衆議院議員の宮崎謙介氏。16年2月に長男を出産(撮影/門間新弥) SGホールディングス「SGH Kids Garden」 定員20人/0~2歳/7~18時(延長19時)/2017年4月開設/グループ会社が保有する森林の間伐材を施設や玩具に使用(撮影/岡田晃奈)  仕事と子育ての両立は、どうしてこんなにつらいのか。そう感じながら、毎日必死で走り続けている人は少なくない。待機児童のニュースを聞くたびに、上司や同僚に気を使い、後ろ髪をひかれながら会社を後にするたびに、いつになったら楽になるの?と思ってしまう。小学生になっても、ティーンエイジャーになっても新たな「壁」があらわれると聞けば、なおさらだ。AERA 2017年9月18日号では、そんな「仕事と子育て」を大特集。「職育接近」が最後の切り札になりそうだ。 *  *  *  自民党の金子恵美衆議院議員(39)の一日は、午前6時に始まる。1歳半の長男がムズムズと起きだすと、眠い目をこすりながら朝食の準備。ほぼ大人と同じものが食べられるようになって、食事の支度は少し楽になった。それでも、自身の身支度をしながら子どもにご飯を食べさせ、着替えさせて保育園の登園準備をする朝の時間帯は、目が回りそうな慌ただしさだ。  東京・赤坂の議員宿舎を出るのは午前8時30分過ぎ。約1キロ離れた議員会館内にある認証保育所まで約20分、ベビーカーを押して坂道を上る。 「夜は地元の新潟県での会合も多い。だから私は主に送りを担当し、迎えは夫。夫婦でどうにもならないときは実家の母を頼っています。私4、夫3、母3の割合で育児を分担し、何とか回しています」(金子さん) ●国会議員ばかりズルい  今年6月、週刊新潮が、当時総務政務官だった金子さんが議員会館内の保育所への息子の送迎に公用車を使っているのは公用車の私的利用にあたる、と批判したことは記憶に新しい。  批判、擁護から同情までさまざまな声が上がったが、都市部を中心に多かったのは「私たちは雨の中、傘を差しながら必死でベビーカーを押しているのに、国会議員が公用車で登園なんてズルい」という声だ。金子さんは、公用車での送迎はその前後に公務があるときのみだったと説明しつつ、謝罪した。 「以前から徒歩でも送り迎えしていたし、『謝るべきではない』というご意見もいただきました。ただ、批判は真摯に受け止めて公用車を使うのをやめ、政治家はもちろん、誰もが堂々と子育てしながら仕事ができる環境づくりをしなければならないと思ったんです」(同)  金子さんへの批判は、仕事と子育ての両立がまだ多くの当事者にとって決して楽なことではないという現実の裏返しだ。待機児童問題を筆頭にいつまでも状況が変わらないから、政府が「女性活躍」や「子育て支援」を声高に叫び、多くの企業が産休や育休、復帰後の時短勤務などの制度を整えても、私たちは国会議員が出産や子育てで仕事を休むことに寛容になれない。  だが、子育て政策や待機児童問題に関する立法を担う国会議員に妊娠や出産、育児を認めない社会が健全だと言えるのか。7月にも、無所属の鈴木貴子衆議院議員(31)が、切迫早産と診断されて安静を余儀なくされたことをブログで報告したところ、「任期中の妊娠はいかがなものか」「辞職すべきだ」などの声が届いた。金子さんは言う。 「議員にはいろんな立場の人がいるべきで、出産、子育てをしながら働くことの大変さを肌で知る政治家も必要です。代理人制度やテレワークの導入はできないか。国会議員の働き方にも議論の余地はあるはずです」  そもそも、国会議員や「特別職国家公務員」にあたる公設秘書などは原則として労働基準法の適用外で、産休や育休の制度がない。妊娠や出産で国会を休んでも歳費や手当が満額支給されることが、逆に批判の的となっている。議員秘書歴20年以上で『国会女子の忖度(そんたく)日記』(徳間書店)の著書がある神澤志万(かみざわしま)さんも、こう話す。 「出産後に復帰した公設秘書はほとんどいません」  数少ない子育て中の秘書は、国会が遅くなるときは子どもを保育園から議員会館の事務所に連れてくる。共謀罪法案の審議中は、夜10時くらいまで子どもたちが走り回っていた。神澤さん自身、議員会館内を子どもを抱っこして歩いていてベテラン男性議員に「けしからん」と怒られたり、元保育士だった女性議員に「出ていけ」と言われたりしたこともあるという。 ●大量着信の夢を見る  国会議員は24時間365日国民のために働き、公設秘書も同様に働く。その結果、議員の原稿草案を作成する各省庁の官僚や公務員、それを報じるマスコミなどが長時間労働を強いられる。こうした人々の受け皿になっているのが夜間保育園だ。  テレビカメラマンの女性(37)は、今年4月から1歳半の長男を福岡市内の第2どろんこ夜間保育園に預けている。飲食店経営の夫の帰りは深夜で、毎日の迎えは女性がするしかない。  出産前は早朝7時から深夜2時までという「ありえない働き方」をしていたが、出産後は夜の仕事をセーブ。それでも通常の認可保育園の時間内に迎えに行けず、夜10時までの夜間保育園に行きついた。毎日の迎えは9時半くらい。長男はいつも、起きて帰りを待っている。 「撮影中はどうしても電話に出られない。気づいたら保育園から何十件も着信があって息子が大変なことになっている、という悪夢を見ます(笑)。子育て中の女性カメラマンはゼロに近く、私もこの園がなければ、仕事は諦めていたと思う」  この園の園長で、全国夜間保育園連盟会長の天久(あまひさ)薫さん(67)は言う。 「夜間保育園というと、いわゆる夜の仕事をするシングルマザーが子どもを預ける場所というイメージが強いかもしれないが、いまは違う。残業が多い公務員、マスコミ、医者なども多くいます。うちの園に通う46世帯のうち、約5割は会社員で、あとは飲食店などの自営業です」  夜間保育園は、働き方を変えられない業界で働く親たちの「最後の砦(とりで)」なのだ。  夜間保育園が国の制度として認められたのは、1981年。それ以前は劣悪な環境で子どもが死亡する事故などが相次ぎ、行政も対策に乗り出した。だがいまも、認可の夜間保育園は全国でわずか82園。増えないのは、 「行政側に『夜間保育園が増えると育児放棄を助長する』という間違った認識が残っているから。子どもにとってよくないのは夜間保育ではなく、『夜間に子どもの世話をする人がいない』という環境です」(天久さん)  ソフトウェア企業に勤務する三浦孝之さん(30)は、長女(6)が1歳のときからこの園に預けている。クライアントの都合に左右される仕事で、急な対応を求められると断れない。飲食店で深夜まで働いていた妻とは、昨年10月に離婚した。 「ここに預けている限りは、クライアントの急な依頼にも対応できる。それに、園にはいろいろな立場の人がいるし、シングルでも引け目は感じません。ただ、小学校に上がった後が不安です。小学校内の学童では遅くまで預かってはもらえないので、仕事を変えることも含めて、どうするか考えています」  本田彩子さん(33)も3歳の長男と1歳の次男を預けて西日本新聞の記者として働く。事件や事故が起きれば現場にかけつける社会部員。小さな子を持つ女性記者は少ない。しかも夫の勤務地は鹿児島県で、平日の育児は本田さんのワンオペだ。  入社5年目で長男を出産した後は極端に仕事をセーブして午後6時前にはお迎えに行った。 「周りが過度に気を使ってくれる分、こちらも遠慮して、仕事は中途半端になった。心が仕事に残ってしまうせいで育児にも全力投球できない。これでは働いている意味がないと思った」  次男の出産後は土日勤務の際は夫に預け、平日は夕食を終えるまで保育園に預けるスタイルに。会社の残業制限制度を利用しつつ、興味のある教育分野を重点的に取材している。 「園の夕食は栄養バランスも緻密に考えられていて、私が作るより健康的(笑)。子育て政策を検証する立場の私たちも、変わるべきです」(本田さん) ●風土が変わらなければ  実際、社内に色濃く染みついた「男性的価値観」を変えようと試みる企業もある。  今年4月、佐川急便などを擁するSGホールディングスは、東京事務所近くの自社ビルにグループ初となる企業内保育所「SGH Kids Garden」をオープンした。2011年にトップダウンの女性活躍推進プロジェクトが発足。従業員の8割が男性で、社内は圧倒的に男性社会だったが、「収益の30%を女性が担う」を目標に従業員や管理職の女性比率アップを目指す方針に舵を切った。  各営業所に女性専用トイレや更衣室を設置することから始め、育休や時短勤務の期間も延長。企業内保育所の開設は懸案だった。人事部シニアマネジャーの小林香織さん(43)は、保育所の開設は女性従業員の復職支援だけでなく、男性従業員の意識改革という狙いもある、と話す。  次男(1)を預けるグループ会社社員の中島佑介さん(36)は江戸川区在住。認可保育所の年長に在籍する長男(6)のときはなかなか入所できず苦労した。次男も同様で、送り迎えの利便性も考えて企業内保育所を選んだという。 「家事と送迎は妻と分担。自宅から1駅なので、私の職場近くにすれば便利だと思いました」  男性社員にはこんなふうに育児に参加するよう促したい、と小林さんは言う。 「制度をつくっても、風土が変わらないと実効性を持ちません。理解は体験から生まれます」  8月には栗和田榮一会長、町田公志社長をはじめ国内各事業会社の社長がイクボスを宣言。男性の育児休業取得の目標値設定も検討しているという。 「女性が働きやすい職場は男性にとっても働きやすい。女性の活躍推進がひいては従業員全体のワーク・ライフ・バランス向上につながります」(小林さん) (編集部・作田裕史、石田かおる) ※AERA 2017年9月18日
AERA 2017/09/16 11:30
兄は脳出血、弟は大腸がん…あの兄弟デュオが大病から復活!
兄は脳出血、弟は大腸がん…あの兄弟デュオが大病から復活!
兄の菅原孝さん(右)と弟の進さん=都内の自宅近くで、横関一浩撮影  兄弟デュオとして知られ、本誌とも意外なつながりがあるビリー・バンバン。3年前、兄は脳出血、弟は大腸がんに倒れ先行きが心配されたが、今年3月には復活コンサートを開くまでに回復した。兄は依然、車いす生活だが、病気に悩む人々を励ますことができればと、闘病とこれまでの音楽活動を本にまとめた。  タイトルは『さよなら涙リハビリ・バンバン』(秀和システム)。兄の菅原孝さん(73)と弟の進さん(69)が書き下ろした初の自伝エッセーだ。リハビリ・バンバンは、孝さんが休んでいて進さんが一人で活動していたときに使っていた言葉という。 「ふと思いついたんです。兄が元気になるまではビリー・バンバンと名乗りたくなかった。兄はリハビリに頑張っているから、『リハビリ・バンバン』だなと。そしたら、受けましてね。それからは、お客さんへの受け狙いで使っていました」  ビリー・バンバンは1969年、「白いブランコ」でデビューした。その後、「さよならをするために」がヒットし、NHKの紅白歌合戦出場を果たすなど活躍。76年にいったん解散するものの、84年の再結成後は着実な音楽活動を展開してきた。  とりわけ、87年に始めた焼酎「いいちこ」のCMとのコラボは、これまでの30年間で14曲を発表するに及んでいる。2007年オンエアの「また君に恋してる」を、2年後に坂本冬美がカバーして大ヒットしたことは記憶に新しい。  14年には、デビュー45年を記念したコンサートを開く予定だった。ところが、そんな2人を立て続けに病魔が襲う。  まず同年5月に、弟の進さんに大腸がんが見つかった。手術前はステージIIとの診断だったが、実際にがん細胞を生検にかけるとステージIIIまで進行していることがわかった。術後は順調だったものの、進さんは自らの信念から抗がん剤治療を拒否。がんとの闘いが始まった。  2カ月後の7月、今度は兄の孝さんが脳出血で倒れた。当時、94歳だった母親の介護のために帰った実家のトイレの中での出来事だった。深夜だったため発見が遅れ、左半身にマヒが残った。  こちらは、つらいリハビリ生活の始まりだった。立ち上がるために、ベッドに座って手すりを触ることだけから始めた。一人で杖をついて歩く練習をしたり、トレーナーと一緒に腹筋運動やスクワットを100回ずつ行ったり。並行して言葉のリハビリも行い、倒れてから10カ月後にラジオの生番組に出演し、その1カ月後にはテレビの公開収録で歌声を披露した。その後も着実に回復し、今年3月には3年前に開く予定だった45周年コンサートを「復活祭」としてやり直すまでになった。  しかし、左半身が動かないため、孝さんは車いすの生活だ。 「毎日の生活そのものがリハビリなんです。こうやって話をするのも。車いすに座っていると、体重の重みでお尻が痛くなってくるけど、それを経験するのもリハビリなんです」  弟の進さんは毎月、定期的に血液検査を行い、がんが再発していないかを調べている。 「手術してから3年経ち、主治医の先生は『もう大丈夫』と言ってくれますが、毎月、ヒヤヒヤものです。検査結果でセーフがわかるたびに、『良かった』とホッとします」  発病から復活までの軌跡に加えて、本には48年に及ぶビリー・バンバンの「歴史」もつづられている。  2人は作曲家の故・浜口庫之助さんの弟子だった。浜口さんが作りマイク真木が歌ってヒットした、元祖フォークソングの「バラが咲いた」。この歌を最初に歌ったのは、マイク真木ではなく2人だったという。孝さんが言う。 「デビュー前、先生から『フォークソングとは何だ』と聞かれたので、長引くベトナム戦争を背景に、花がきれいとか、女性が美しいとかを歌って平和を訴えるものですと説明したんです。しばらくすると先生に呼ばれて、『できたから歌え』とおっしゃいます。それが『バラが咲いた』でした」  いいちこのCMソングを手掛けるようになったのは、いいちこをプロデュースするアートディレクターの河北秀也氏と進さんの出会いがきっかけだった。 「いいちこのポスター展が東京・銀座であって、そのイベントに呼ばれて『白いブランコ』など数曲を歌ったんです。すると、河北さんが僕のところへ来て、『あなたの声は、いいちこの透明感のあるイメージとぴったり一致する。ぜひ一緒に仕事をさせてほしい』とおっしゃったんです。それがすべての始まりでした」(進さん)  そのいいちこを通じて、2人と本誌は意外な「ご縁」がある。20年ほど前、ビリー・バンバンは「週刊朝日」のテーマソングを作り、歌ってくれていたのだ。  河北氏が当時の本誌編集長と仲が良く、その関係で話が持ち上がったという。東京での本誌発売が毎週火曜日であることにちなんで、曲名は「TUESDAY’S LOVE」。河北氏が詞を作り、進さんが曲をつけた。 「メロディーは、すぐできました。何も悩まなかったことを覚えています」  ちなみに、テーマソングは当時、8センチCDとして製作され、本誌編集部はそのCDを読者プレゼントなどに使っていた。現在は、2人が手がけたCMソングなどを集めた「40周年記念ベストアルバム テーマ・ソングコレクション~また君に恋してる~」に収められている。  閑話休題。仕事でずっと一緒にいなければならなかったことなどで、ぶつかることも多く、決して仲がいい兄弟とはいえないが、そんな2人の橋渡し役を務めたのが、昨年、96歳で大往生した母親だった。口をついて出てくるのは感謝の言葉だ。 「きれいでおしゃれで、明るい人でした。僕たちのことをよく理解してくれ、方向性の違いなどでいったんは別れた2人を再びひっつけてくれたのも母の一言がきっかけでした」(孝さん) 「母自身が音楽好きでしたが、音楽に本当に理解がありました」(進さん)  本の読者へのメッセージはどうか。孝さんが、 「僕らの年代で病気になる人が増えている。僕は車いす生活だけど、ぜひ自分におきかえて読んでほしい。困ったときにどうすればいいか、参考になることがいっぱいあるはずです」  と言えば、進さんは一言、 「ポジティブに読んでほしい。ただ、それだけです」  どこまでも前向きな2人。今年でデビュー48年だが、50周年どころか、60周年を迎えられるまで音楽活動を続けていきたいとのことだ。 ※週刊朝日 2017年9月22日号
がん
週刊朝日 2017/09/16 07:00
〈中秋の名月〉十五夜お月さまが満月とは限らないって本当?
〈中秋の名月〉十五夜お月さまが満月とは限らないって本当?
はやいもので9月ももう12日。都心でもトンボの姿を見かけるようになって、秋の訪れを感じます。 秋といえば、十五夜で知られる中秋の名月ですが、2017年の中秋の名月は、10月4日です。でも、十五夜のお月さまだからといって、必ずしも満月になるとは限らないってご存じですか? 暦の上での中秋の名月と、天文学でいうところの満月とは、実はまったく別のものなのです。 そこで今回は、中秋の名月にちなんで、お月さまのあれこれをご紹介します。中秋の名月だからといって満月とは限らない? お月さまをめでる風習、中秋の名月とは? 中秋の名月とは、旧暦の8月15日の月をいいます。秋のすみきった空に浮かぶお月さまをめでるこの風習。日本では平安時代に中国から伝わったといわれています。 江戸時代までは月の満ち欠けをもとにした暦を使っていましたが、明治に入って、太陽の動きをもとにした暦に変更しました。そのため、月の運行と暦にずれが生じるようになり、中秋の名月も9月中旬から10月上旬の間で毎年変化するようになりました。 また、中秋の名月を「芋名月」ということもあります。芋の収穫を祝うという意味が込められていますが、ここでいう芋は里芋のことです。とれたての里芋を月にお供えすることもあります。収穫を祝って「芋名月」と呼ばれることも 十五夜と満月はまったく別のもの? さて、中秋の名月というと満月を想像してしまいがちですが、十五夜だからといって満月とは限りません。例えば今年の中秋の名月は10月4日ですが、満月はその2日後、10月6日です。どうしてこのような違いが出るのでしょうか? 旧暦では、毎月、月がまったく見えない、新月となる瞬間を含む日を「1日」と定義しています。つまり中秋の名月とは(旧暦の)8月1日の新月を基準に15日を数えた日=十五夜ということになります。 一方、満月というのは月と太陽が地球を挟んで一直線に並んだ状態をいいます。月は地球の周を楕円形の軌道で回っています。そのため、新月から満月までの日数は月の位置などによっても変わり、13.9日から15.6日と、必ずしも15日ではありません。 このような理由で、暦の上での十五夜と実際の満月とでは、日がずれてしまうといったことが起こるのです。意外と複雑な月の満ち欠け。十五夜=満月とは限らない 餅つき中のウサギ? 水を汲む女性? 読書をする女性? それともカニ?…… さて、日本では月というと餅つきをしているウサギの姿を連想する方が多いのではないでしょうか。ウサギはたくさんの子どもを産み育てることなどから、諸外国でもおめでたい動物と考えられていて、春の復活祭でも卵と並んでシンボルとなっています。 しかし、月に映るものの姿はそれぞれの国によっても異なります。例えば北アメリカでは「水を汲む女性」といわれますが、北ヨーロッパでは「読書をする女性」をイメージするといわれています。さらに同じヨーロッパでも南の方では「カニ」、東では「女性の横顔」が見えるという具合。同じ模様を見ても連想するものが違うのです。 ちなみに、中国や韓国では日本と同様、ウサギに見えるようですが、餅つきはしていないそうです。ウサギの餅つきだけじゃない。月の模様の見え方は国によって違う? ──いかがでしたか? 今年の中秋の名月、10月4日は水曜日です。お天気がよかったら、お仕事帰りの夜空、ちょっと月を見上げてみてはいかがでしょうか? 満月より少しやせたお月さまが浮かんでいるはずです。 参考HP:国立天文台
tenki.jp 2017/09/12 00:00
夏目雅子の母の後悔 「女優だから」とためらった白血病の治療とは?
夏目雅子の母の後悔 「女優だから」とためらった白血病の治療とは?
夏目雅子さんは海外に行っても家族によくハガキを送っていた(提供/夏目雅子ひまわり基金) 夏目雅子さんの兄・小達一雄さん(撮影/西岡千史)「夏目雅子ひまわり基金」ホームページhttp://www.himawari-kikin.com/  2017年9月11日で32回目の命日を迎える女優・夏目雅子さん。急性骨髄性白血病という、当時は「不治の病」と呼ばれた病におかされ、27歳の若さでこの世を去った。生きていれば今年の12月17日で60歳。今なお「昭和の名優」として愛され続ける夏目雅子さんの闘病生活を、実の兄である小達一雄さんが語ってくれた。 *  *  * 「ここから飛び降りてでも私は劇場に行く!」  1985年2月、体調不良で都内の病院に緊急入院した雅子さんは、4階の病室で半狂乱になっていた。上演中の舞台『愚かな女』は初の主演で、ドラマ『西遊記』、映画『鬼龍院花子の生涯』などで女優としての評価を確固たるものにしていた雅子さんにとって、途中降板は受け入れることができなかった。 「飛び降りようとする雅子をみんなで羽交い締めにして、何とか治療を受けさせようと必死でした。雅子は舞台の仕事がとても好きでしたから」(一雄さん)  今とは違い、当時はがんは本人に告知しないことが一般的。雅子さんも例外ではなく、病名は医師や家族から「重度の貧血」と説明され、亡くなるまで告知はなかった。しかし、急性骨髄性白血病は抗がん剤の副作用に耐えないと完治しない。中途半端な気持ちでは病に勝つことはできない。でも、病名を告げることもできない……。  そんな時だった。『愚かな女』の演出を担当した福田陽一郎氏が、病院に訪れた。一雄さんは、福田氏と雅子さんの激しいやり取りが今でも忘れられない。福田氏は雅子さんを叱り飛ばしたのだ。 「ふざけるな! 『愚かな女』はお前の舞台なんだ。だからどんなことがあっても、お前が復帰するまではこの舞台は再演をかけない! 芸能人は、支持してくれるファンの方のために、きちんと対応できる体力を持ってないとプロとは呼べない。今、お前はその体力をつける時に来てしまったんだ。がんばるんだ!」  雅子さんは目には涙が浮かべ、泣きながら言い返した。 「本当ね!」  福田氏も応じる。 「当たり前だ!」  その言葉を聞いた雅子さんは「わかった」と言った。一雄さんは言う。 「その日以来、雅子は最期まで弱音を吐きませんでした。女優として復帰する日を夢見て、後ろを振り返らず、ただ明日だけを見るようになりました」  雅子さんの病で家族も変わった。母・スエさんは娘が芸能界で仕事することをずっと認めていなかった。女優として評価を高めたあとも、テレビや映画はおろか、雑誌記事すら目を通さなかったほどだ。自宅で女優の振る舞いをすることは絶対に許さない。ある日、撮影のあとに化粧を落とすのを忘れて家に帰ってきたときは、玄関に入れずに「出て行け!」と追い返したこともあった。  それが、入院してから変わり始めた。きっかけは、医師から「病気になった時に、一番大事なのは『気』です。気持ちがしっかりしていれば、奇跡は起こります」と言われたことだった。 「その話があった後です。私が夜の12時ごろに家に帰ると、居間にポッと明かりが灯っていました。何をやっているのかなと思ってのぞいたら、おふくろがずっと雅子が出演したビデオを見ていましてね。『雅子って、演技がうまいんだねえ……』と言うんです。それからでした。雅子に『今はからだを休める時間。たくさん勉強しなさい』と言って、病室には常に本を2冊、そのほかにレンタルビデオ屋で借りてきた映画やドラマをずっと見せていました。雅子もとてもうれしそうでした」  奇跡を起こすために、家族は懸命の看病をした。ただ、「不治の病」と呼ばれた急性骨髄性白血病の治療薬が進歩したのは、雅子さんが亡くなったあと。当時は効果の高い新薬が出始めたころで、副作用も激しかった。  一雄さんも医師から新薬の説明を受けたが、『副作用で髪の毛は抜け、30%以上の確率で命を落とす』と言われたという。スエさんは「髪は女の命よ。女優なのに髪の毛がなくなるなんて、冗談じゃないわ」といって、新薬の治療に反対した。  だが、入院してから2度の抗がん剤治療を受けても病状は改善しない。そこで、いよいよ新薬を検討することになった。  女優が髪の毛を失う。完治すれば生えてくるとはいえ、その決断は容易ではない。  おそるおそる副作用について雅子さんに伝えると、反応は意外なものだった。ドラマ『西遊記』で三蔵法師を演じた雅子さんは、こともなげにこう言った。 「私、日本で一番坊主頭が似合う女優って言われてるのよ。そんなこと気にならないわ」  いざ治療を始めると、副作用は想像以上だった。 「髪の毛はすべて抜け落ち、吐き気、倦怠感、めまい、眼底出血。この世のものとは思えない苦しみだったと思います。でも、雅子はずっと耐え続けました」(一雄さん)  幸いにも、白血病の症状が消え「寛解」に入った。ところが、8月中旬に風邪を引いてしまう。抗がん剤治療で免疫力が最も低下した時で、肺炎を併発してしまった。 「肺炎になってから意識が混濁し始めて、肺不全となり数日の間で亡くなりました。僕らも、病院の先生も、ここまで病状が悪化するとは予想できませんでした。雅子の最期の言葉も、覚えていないんです。それほど予想外の出来事でした」  85年9月11日。若く才能あふれる女優は、27歳で帰らぬ人となった。奇跡まで、あと一歩だけ及ばなかった。 「母は『髪の毛のことなど気にせず、私が最初から新薬で治療をさせていたら……』とずっと気にしていました。今と違って、当時はとても死亡率の高い薬だったから、母の判断ミスではなかったのですが」(一雄さん)  雅子さんが亡くなってから5年ほどたったころ、一雄さんは脱毛を怖れて新薬の治療を受けない人たちがいることを知る。その時、雅子さんの闘病中にかつらを準備していたことを思い出し、無料で貸し出す事業を始めようと決意した。  新薬を早く使っていたら、と悔いていたスエさんも基金設立に賛同し、自ら代表に就いた。雅子さんが残した約4千万円の遺産をもとに、事業は93年12月1日にスタートした。  雅子さんの死後、かつらの無料貸し出し事業で精力的に活動したスエさんは、08年に亡くなった。基金は一雄さんが引き継ぎ、現在でも毎年500~700人にかつらを無料提供している。(AERA dot.編集部・西岡千史)
がん病気
dot. 2017/09/11 07:00
共働き家庭の中学受験 妻はダウン、夏の個別指導塾に16万2000円
共働き家庭の中学受験 妻はダウン、夏の個別指導塾に16万2000円
お弁当持参の塾では「塾弁」も大変。おかずを詰めた弁当箱を冷蔵庫に入れておき、タイマーで炊いたご飯を帰宅した子どもが詰めて出かけるという家庭も(撮影/鈴木愛子)  子育て中の多くの親が中学受験を意識するのは、子どもが小学4年生になるタイミング。共働き家庭も、この流れを無視できなくなっている。  小学生最後の夏が終わった。  東京の中学受験本番といわれる2月1日まで、 「あと150日です」  スマホで開いたエクセルの表を見ながら話すのは、金融機関で働く東京都世田谷区の女性(40)だ。息子の受験までに母親である自分がやるべきことのリストは、昼休みに作った。秋からの模試の日程や学校説明会、複数の受験校の願書の締め切り日などがずらりと並ぶ。  志望校別模試の申し込みの日には、申し込み開始時間の10分前にアラームも設定。本番さながらに志望校の校舎で模試を受けられる権利は、先着順だからだ。  少し前までは、専業主婦のように付きっきりでサポートする人がいないと中学受験は無理、が共通認識だった。つまり、 「共働き家庭に中学受験は無理」。それが、「共働き家庭でも中学受験」が珍しくなくなったのはいつからだろうか。 ●2週間で新聞1週間分  保活を制し、小1の壁も乗り越えた。次に登る山として中学受験を目指すというよりは、放課後の遊びや学習の質への不安、学童保育に通えなくなる4年生を前にその代替として塾通いを考えることなどが、中学受験を考えるきっかけになっているようだ。  都内には、文京区や港区など児童の4割前後が中学を受験して地元の公立以外に進学するというエリアもあり、周囲に流されて受験を決める親子も少なくない。  冒頭の女性もこう話す。 「友だちがみんな受験するから勉強したい、と言い出した息子に、経済的なこと以外でダメだと言う理由もなかった」  むしろ、経済的にはまかなえてしまうからこそ、子どもがそうしたいと言えば「共働き」を理由にあきらめさせる親は少ないだろう。結果、日々の仕事と塾への送迎、平日の面談や保護者会、志望校の説明会などあまたの行事をこなしつつ、日々の子どもの勉強にも伴走することになる。親のサポートなしに自主的に勉強する小学生は、いないに等しいからだ。  冒頭の女性の家庭では、夫はもっぱら、保育園に通う長女の世話を担当。入塾時に講師から「男の子にはプリントの整理は無理。お母さんの役目です」とはっきり言われて以来、受験のサポートは主に、女性が担当している。  文京区に住む公務員の男性(50)と会社員の妻(48)夫婦の場合、塾のプリント整理は男性の担当。長女(15)が受験したときと同様に、小6の長男の国語と社会は妻が、算数と理科は男性がサポートしている。  ただ、進学実績にひかれて決めた、長男が通う塾は、長女が通った塾と違って、「働く親にフレンドリー」とは言いがたい。ほぼすべての教材が冊子ではなくプリントで、その量は2週間で新聞1週間分ほど。勉強をサポートする場合、そのすべてを整理するだけではなく、目も通すことになる。もう、居間はファイルだらけだ。  男性は言う。 「この塾のプリント整理の大変さは有名で、週末ごとにやらないとわけが分からなくなる。宿題も親のフォローが必要で、それも量が多くて終わりません」 ●子どもの人生への投資  妻の職場近くの繁華街にあるその塾には、夫婦のどちらかが迎えに行く。小6になると、授業が終わる夜9時近くまで「残業できてしまう」状況に。 「この春、僕が毎日終電で帰るほど忙しい部署に異動になってからは、同じタイミングで正社員になった妻がギリギリまで働いて、迎えに行っていました」  妻が過労で体調を崩すのに、そう時間はかからなかった。5月にはダウン。帰宅後に宿題も見ていて、疲れやストレスがたまったのだ。  やむなく密着サポートを中断すると、成績はみるみる下降。長男は反抗期で勉強には集中しないが、「じゃあ受験はあきらめたら」と諭しても「どうしても受験する」と譲らない。悩んだ末、夏休みは「塾のための塾」に頼ることにした。  朝はお弁当を持たせて個別指導の「塾のための塾」に送り届け、午後はそこから、通常の塾の夏期講習に転戦する。成績は御三家レベルも狙えるほどにアップしたが、個別指導塾から届いた請求書は、 「16万2千円でした」(男性) ●大学入試にも役立つ  子どもには最良の教育環境を与えたい。地元の公立中学に進学して高校受験を目指し内申点を取るほうが、共働き家庭には大変そう。そんな思いが、どんどん財布のひもを緩ませる。  お金だけではない。親たちを最も悩ませるのは、仕事とのバランスだ。江東区在住でメーカー勤務の女性(45)は、会社からの「管理職になれプレッシャー」に悩む。  夫は単身赴任中だが、長女(16)に続き、小5の次女も中学受験の準備中だ。 「中学受験に親のエゴがゼロだとは言いませんが、9割は子どもの豊かな人生への投資だと思っています」  長女とおなじ進学校を狙いつつ「ダンスも続けたい」という次女のために、社会は自宅で女性が教えることにして塾に通う日を減らし、ダンスに通う時間を捻出している。  女性自身は、これから受験までの1年半は仕事量を抑えたいと考えているが、会社はそれを許してくれない。管理職になるための研修への参加を促されるたび、逃げ回っているという。 「子どもにとって一度きりの中学受験を支えられなかったら、一生後悔すると思う。いまはそう割り切って、受験に向き合いたいのに」  子どもを支えたいと思いつつ、思う存分、仕事もしたいという葛藤を抱える親も多い。  千代田区で官僚として働く女性(50)も半年ほど前、小6になる長女の受験を見据えて上司に業務の軽減を相談した。返ってきたのは「つまらない仕事ばかりになることを覚悟して」という言葉。落ち込んだが、なぜか異動先は海外出張もある部署だった。やりがいは申し分ない。でも、受験のフォローは十分にできない。  それでも受験はさせる、とこの女性。 「娘はしっかり者で、夏休みも一人で頑張れた。それに万一失敗しても、中学受験の勉強は、大学入試などで活用できる内容だと確信しました」  実際、中学受験はその後の人生にプラスだという経験者の声は少なくない。渋谷区に住む共働きの男性(43)もこう話す。 「中学受験で勉強したことが、人生で一番役に立った」  自分自身も、30年以上前に中学を受験。その後、いわゆる一流大学に進学した。振り返ると、考え抜いて問題を解く能力は、方程式や定理を使えない中学受験の算数などで培われたと感じている。それが、就活にも役立った。子どもたちにも中学受験を経験させたい。現在、長男はトップレベルの中高一貫校に在学中。小6の次男も、御三家を狙って勉強中だ。  中学受験の「塾ソムリエ」を名乗り、塾に関する著書も多い西村則康さんも、35年以上の受験指導経験からこう話す。 「中学受験のゴールは合格ではありません。“学ぶ姿勢”を身につけることが一番大切です。これが身につけば、将来の大学受験にも役立つのはもちろん、生き抜く力も身につきます」  とはいえ、多くの子どもは放っておくと勉強しない。仕事と受験サポートに伴う過労とイライラ、「十分にサポートできていない」という罪悪感から、 「これまでの子育ての中で最大の負荷」(会社経営の女性・45)  という声も上がる。 ●長期の予定は挫折する  やはり、働く親に中学受験のサポートは無理なんでしょうか。 西村さんの答えは、 「長期の学習スケジュールは親子で挫折しがち。まずは1週間ほど、やった勉強を日々書き出して、通常モードで子どもがやれる勉強量の把握を。その後は週単位で作ってもいいですが、出勤前にメモ程度でその日にやることを書かせてチェックするだけでいい」  ホントですか? 「あとは、親が合格のために自分を犠牲にしていると思わず、楽しく仕事にも取り組めたら、子どもは最終的には大丈夫。素晴らしい学歴の上司が素晴らしいとは限らないでしょう(笑)」 (ライター・三宮千賀子) ※AERA 2017年9月18日号
AERA 2017/09/11 00:00
台湾の若者たちの“防空壕で町おこし”
台湾の若者たちの“防空壕で町おこし”
梓桑巷防空洞から外を見てみる。普段は暗いばかりの防空壕がイベントの主役になった=2017年4月23日(撮影/ジャーナリスト・松田良孝)  日本統治期の建築や構造物をリノベーションしたり、戦後もそのまま使ったりすることが当たり前の台湾。北部を代表する港町、基隆では日本時代に掘られた防空壕を町おこしに活用しようと、若者たちが動き出している。  日台間を行き来した観光客は2016年に606万3千人。東日本大震災の翌年にあたる12年の2倍だ。50年間にわたった日本の植民地統治が終わって72年。アニメなどのサブカルチャーや、ラーメンなどのグルメが台湾の人たちを日本へ誘い、台湾では植民地統治期に建てられた建物のリノベーションエリアが日本人観光客を引きつける。なかには、こんなものまで?と、うなってしまうようなスポットでも再生の動きが進む。 ●壕内でクイズイベント  日本統治期の構築物が今も使われているケースは台湾では珍しくない。日本の植民地統治が終結した後、台湾を統治するためにやってきた中華民国の国民政府は、植民地統治当局や日本人の資産を接収し、日本人は原則として日本に帰還させることにした。ただ、統治の移行をスムーズに行うため、建物の多くを再利用し、「留用」と呼ばれる制度によって技術者など日本人の一部を期間限定で台湾に残す方策を採っている。  旧台湾総督府が総統府として使われていることはよく知られている。台湾を観光すれば日本時代の建物に必ず出合うと言ってもいいくらいだ。  台湾北部の物流拠点として発展してきた港町、基隆(キールン)。暗くて、じめじめして、ちょっと不気味で……そんなイメージがつきまとう防空壕に目を付けたのは建築を学ぶ大学院生たち。近くにある日本統治期の、これも長い間人が住まないままになってちょっと怖い感じになっていた民家の再活用に取り組むグループがドッキングして、足元を探るようにそろりと前に進みだした。  真っ暗な穴。縦横どちらも1.8メートルほど。家族連れや若者のグループ、カップルが中をうかがうようにしながら入っていく。4月下旬の週末、基隆市内にある防空壕のひとつを開放し、クイズに答えながら中を歩くイベントが開かれた。この防空壕のすぐそばに住んでいた詩人、許梓桑(シュツサン)(1874~1945)の名前から、通称「梓桑巷防空洞(シアンファンコンドン)」という。  懐中電灯を持っていても中はやはり暗い。水っ気もあるから足元が滑りそうだ。 ●日本時代も台湾の一部 「気をつけて」  若者の声がした。台湾大学の大学院生、侯建呈(ホウチエンツェン)さん(24)だ。  侯さんら都市や農村と建築の関係について学ぶ台湾大学の大学院生5人は、都市の発展について研究するため昨年9月から基隆で調査しており、基隆に多数の防空壕があることを知った。その数は、基隆市がまとめた「基隆市年鑑」によると、約680カ所。詳しい内訳ははっきりしないが、日本統治期に構築されたものがほとんどである。  アジア太平洋戦争で連合国は、1944年10月の台湾沖航空戦から台湾への攻撃を本格化させる。軍事や物流の拠点都市だった基隆も当然ターゲットになった。この前年には神戸からの高千穂丸が基隆沖で米海軍の魚雷で撃沈されており、基隆に向けられた照準は徐々に狭められていた。軍都であればこそ、基隆に多数の防空壕が掘られたとみていいだろう。  5人のグループ名は「化被洞為主洞(フアベイドンウェイチュドン)」。意訳すると、防空壕を脇役から主役の座へ、といったニュアンスになる。メンバーの林佩儀(リンペイイ)さん(24)は日本統治期の構築物に対する「負の遺産」という位置づけにとらわれず、 「日本統治期の建物の中には台湾にプラスの影響を与えたものもあるし、設計やデザインの面から見て、美しいものがある。日本統治期は台湾の歴史の一部分で、その当時のことを知ることによって私たちはより深く台湾のことを知ることができる」  と話す。 ●港湾都市として再興を  侯さんは「この活動には二つの意味がある」と話す。そのひとつは、防空壕の保存や、防空壕にまつわるエピソードの収集。そのいくつかを紹介しよう。 「2012年、密輸グループが闇物資を隠していた場所」 「戒厳令下、政府はこの防空壕に大陸反攻のための物資を保管し、真夜中に台湾全土に送り出した」 「牛肉麺の店があった場所」  1947年2月に国民党が民衆を弾圧した2・28事件では「官憲の手を逃れるため、防空壕に身を隠す人がいた」と記録された文献があり、こうした点は引用する形で取り上げている。  人びとが防空壕とどのようにかかわってきたのかを丹念に調べていくことを通じて、基隆という町の成り立ちを見つめ直そうとしているのだ。  基隆市は昨年11月、市内にある防空壕のうち、市内を一望できる公園の地下にある1カ所について、防空壕を核とするリノベーションのアイデアを募集するコンペ形式の催しを行った。林右昌(リンユウチャン)基隆市長は「防空壕は都市の歴史と記憶が残されたスペースである」と指摘し、防空壕を保存する価値を積極的に見いだそうとする。防空壕はここでも主役になるかもしれないのだ。  基隆港の利用客数は確かに多い。2016年は台湾の港湾で最多の78万2134人となり、5年前の約1.7倍に増えた。台湾の北の玄関にふさわしい数字である。  しかし、港湾管理を行う台湾港務股フェン(にんべんに分)有限公司(ガンウグフェンヨウシエンゴンス)のデータで、基隆、台中(タイツォン)、高雄(ガオシオン)、花蓮(フアリエン)の4大港湾に、09年に新北(シンベイ)市八里(バリ)区で本格供用した台北港を加えた5港の状況を確認すると、基隆は16年までの10年間で、貨物の取扱量が31.12%も下落し、港湾都市としてのステータスを失いつつあるという現実に直面していた。そこで若者たちが目をつけたのが、防空壕など日本統治期から残るリソースなのだ。  2015年から毎年、音楽やフリーマーケットなどを組み合わせたイベント「梓桑文化祭」を開き、基隆の再興に取り組む若者たちのグループ「基隆青年陣線(チンニエンツェンシエン)」(基隆ユースフロント、基青陣)は今年、化被洞為主洞が梓桑巷防空洞で開いたイベントでコラボした。基青陣は許梓桑古(グ)ツオ(がんだれに昔)の周辺をめぐるスタディーツアーを企画し、梓桑巷防空洞前を通る細い路地にはちょっとした人波さえ出現した。 ●町おこしの足掛かりに  基青陣には高校生から40代まで20~30人のメンバーが参加しており、そのほとんどが基隆出身だ。張之豪(チャンツハオ)理事長(36)は母親(66)が基隆出身。5年ほど前、母の実家近くを散歩していて偶然、古い建物が残っていることを知った。「夜だったので、ちょっと怖い感じ。大きな場所なのに、人は住んでいませんから」。赤レンガづくりの美しさに気づいた張氏は、3年ほど前から仲間と掃除を始め、この古い建物を町おこしの足掛かりにしていった。  では、若者が町おこしに取り組む意味はなんなのか? 基隆で町おこしを行う意味は?  張氏が答える。 「仕事などの関係で、基隆出身の若者の多くは台北に住んでいる。若い人で基隆に帰ってくる人は少ない。町はますます高齢化していく。これでは悪循環だ。私はこの建物(許梓桑古?)を見つけた時、基隆には実際は文化や歴史があると分かった。基隆の良さが分かるんです」  基隆を再発見していく営みが、町おこしにつながっていく。一方で、寂莫とした思いもよぎる。  台北近郊にある日本人の人気観光スポットを挙げてみると、にぎやかさと坂の町の風情が同居する九フェン(にんべんに分)や、山間を走る鉄路やランタンを揚げるアクティビティーが人気の平溪(ピンシ)があるが、どちらも、基隆の目の前をスルーするようにして到達する場所にある。 「日本人は九フェンが大好き。みんな九フェンには行くが、基隆には来ない」  素通りされてしまう「置いてきぼり感」は、基隆に焦燥感を掻き立てるのか。 ●ひまわり運動の影響も  張氏は、学生らが立法院(国会に相当)を占拠した2014年3月の「ひまわり運動」など台湾の社会運動にかかわった。その後は蔡英文(ツァイインウェン)総統のスピーチライターを経て、現在は来年予定される基隆市議会議員選挙への立候補の準備中だ。化被洞為主洞のメンバーは、ひまわり運動とは「関係がない」(侯さん)。ただ、田畠真弓・国立台北大学社会学系副教授(社会学)は、ひまわり運動が「学生たちが(社会問題に)関心を持つことになった大きなきっかけにはなっていると思う」とみており、ひまわり運動と無関係の若者たちが、基隆という地域にコミットしていこうとする姿が「ポストひまわり」とでも呼びたくなるような現象と絡めて語られるときが来ないとも限らない。  化被洞為主洞のメンバーはいずれも基隆出身ではない。前出の林さんは、だからこそとでもいうように胸を張る。 「私たち5人は基隆のことを知らなかった。だから、広い視野と探究心を持ってこの興味深い町と向かい合うことができる」  李徳郁(リダユ)さん(26)は「基隆の活力は弱っているが、今は基青陣が盛り上げようとしていて、少しずつ変わってきた」と話す。  そして、「防空壕を保存すれば、ひょっとすると、ほかの利用方法があるかもしれない。たとえば、博物館や観光名所。地方の発展にとってとてもいいこと」と侯さん。  そもそもは暗くてなんぼのスペース。若者たちはこの先、どうやって防空壕を“日の当たる”場所にしていくのか。梓桑巷防空洞はまぶしそうに目を細め、外の様子をじっとうかがっているのかもしれない。 (ジャーナリスト・松田良孝) ※AERA 2017年9月11日号
AERA 2017/09/09 11:30
結婚前に実家で同居?! 横森理香夫婦の不思議ななれそめ
結婚前に実家で同居?! 横森理香夫婦の不思議ななれそめ
"増田勝行(ますだ・かつゆき)(左)/1965年、静岡県生まれ。東京造形大学卒業。後に渡米し写真・美術・デザインなどさまざまな経験を積む。2007年からSIGNOに所属。広告、ファッションなどのジャンルで活躍。人物のキャラクターをうまく引き出した躍動感と幸福感にあふれる写真は、モデルやエディターなど多方面から高い支持を得ている。横森理香(よこもり・りか)(右)/1963年、山梨県生まれ。多摩美術大学卒業。代表作『ぼぎちん バブル純愛物語』は海外でも翻訳出版されている。『40代♥大人女子のための“お年頃”読本』『コーネンキなんてこわくない』『人生を踊るように生きて行こう』『50歳から誰よりも輝くアンチエイジング魂』など女性を応援するエッセーに定評がある。「ベリーダンス健康法」の講師でもあり、コミュニティーサロン「シークレットロータス」を主宰する。(撮影/倉田貴志)"  作家・エッセイストの横森理香の小説『ぼぎちん バブル純愛物語』は、日本のバブル時代を描いた数少ない優れた作品として評価を得た。2歳年下の増田勝行とは約10年間一緒に暮らした末に結婚。一人娘を授かり、バブル期の狂乱とはほど遠い健やかな夫婦生活を送ってきた。 *  *  * 妻:大学生時代から、ダディ(夫の愛称)とは夜遊びしているときにたまに会う美大仲間だったんです。その後『ぼぎちん』のモデルとなった年上の彼と別れてニューヨークに住んでいたとき、なぜか私のアパートに転がり込んできて(笑)。それからだよね、一緒に住みはじめたのは。 夫:アメリカにいた友人の友人の家に居候していたから、そこにずっと居続けるわけにいかなくなって。 妻:だから大恋愛とかじゃないんです、私たち。でも美大系ってみんなそんな感じ。ちょっと変わっているから普通の人に相手にされなくて、仲間うちでひっついたり離れたり。私はもともと結婚したくなかったんですよ、誰とも。 夫:僕は一緒に住むなら結婚したほうがいいと思っていたんです。相手がもし病気やけがでもして集中治療室に入ったとき、家族じゃないと面会できないとか面倒なことになると知っていたので。でも当時、まだ無職に近くて自分自身が自立できていなかったので、奥さんが嫌なら仕方ないと。 妻:カメラマンはアシスタント時代が長いから、朝早くから夜中まで働いて大変だったよね。しかも薄給で。私はとにかく早く自立したくて、20代から30代にかけては仕事一筋でした。ダディとは、たまに一緒に夜遊びするぐらい。結婚する前、私の実家で一緒に住んだこともあったんですけど、私より彼のほうが母と仲良かったですね(笑)。 夫:静岡から上京した後、他人の家によく居候していたから、そういうのにまったく抵抗がないんですよ。 妻:途中で別れ話が出るようなこともなく、結婚まで自然と10年間続いたのは、きっとお互い恋愛体質じゃないから。美大系の人ってアンチセクシュアルな人が多いんです。一見、センスが良くて格好良く見えるかもしれないけど、そっち系は苦手(笑)。 夫:やっても気に入らなくて、結局やりなおされるからイヤなんですよ。その人なりのやり方があるから、手を出夫:人づきあいが得意じゃないんですよね。ゲイの友だちも多くて、よく一緒に遊んでいました。 妻:そうこうしているうちに、高齢出産といわれる年齢になってしまって。35歳ごろ、バリを旅行中に「ここに子どもがいたら楽しいかも」とふと思って、私から「結婚しない?」と言ったんです。 夫:自分は結婚したほうがいいと思っていたので、「いつでもどうぞ」と。 妻:結婚した後で知ったんですけど、お互い実家が曹洞宗で家紋も同じだったので、結局はご縁なのかなと思いましたね。結婚式は人前式で、仲人は共通のゲイの友だちと私の親友にお願いしたんです。 夫:二人とも独身なので、「結婚式の仲人なんて一生やることないわ」と(笑)。ゲイの友だちはかなり緊張したみたいで、泥酔して大変なことになりましたけど。 妻:二人とも情に厚いんですよね。お祝いに10万円のルネ・ラリックの花器をくれたり、彼の師匠・久保田一竹の着物を貸してくれたり。友だちを通り越して家族みたいな存在なんです。そういう仲間うちで、たまたま私とダディがストレートで縁があったから結婚したような感じですね(笑)。 夫:お互い共通の友人が多くて大家族みたいな関係でいることも、長く続いている理由かもしれません。 ――妻は、無農薬玄米食、運動、セラピーなどの自然療法に取り組み、39歳で子どもに恵まれた。自由気ままな二人暮らしから子ども中心の生活に一変したが、お互いの性格は知り尽くした仲。家事が得意な妻と子どもの相手がうまい夫の二人で協力し合い、子育ての大変さを乗り越えてきた。 妻:子どもが生まれてからは、毎日が戦争みたいでしたね。日中はフィリピン人のベビーシッターさんにもお願いして。 夫:自分は家のことは何もやらないんですよ。でも子どものオムツを替えたりお風呂に入れたりするのはすごく楽しくて大好きでしたね。ウンチが汚いとか思ったことないですから。 妻:美大出身だから、何でもきれいに仕上げるのが好きなのよ(笑)。でもほかのことは頼まなきゃ何にもやってくんない。 さないようにしてるだけ。 妻:夫婦ゲンカはお互い避けるようになりましたね。若いころのようにやり合っても疲れるだけですから。ありがたいのは、彼は、女だからどうしろとか、こうあるべきだっていう価値観が一切ないことです。友だちに、旦那さんが「必ず5品以上料理が並んでいないとイヤだ」と言う人がいて、かわいそうですね。 夫:僕はみそ汁をときどき飲めれば満足(笑)。この人はもともときれい好きで、手料理も何でもおいしい。不満はまったくないんです。それはすごく大きなポイントですね。 妻:家事が上手なのは、料理が得意だった父や、父方の叔母ちゃんたちの影響かもしれません。母は仕事一筋で料理も苦手で、父が亡くなってからは毎日3食外食でしたから。そのせいか、今でも外食が続くと嫌になるんです。簡単なものでも家で作って食べたほうがおいしい。 夫:自分も田舎育ちで、外食するところもないですし、母親の手料理を食べるのが普通でしたから。 妻:私、バブル時代も自炊してましたよ。バブルがはじけた途端、高級ブランドやファッションにも興味なくなりましたし。ダディのほうが仕事柄流行に敏感で、今日のお洋服も買ってくれたんですよ。 夫:年をとってから楽で安い服に流れていくと、見た目もどんどん老けていきますから。お互い無理のない範囲でおしゃれは意識したいですよね。 ※「夫婦は気が合わなくて当然 美大系夫妻が続く意外な理由」へつづく ※週刊朝日 2017年9月8日号より抜粋
週刊朝日 2017/09/05 11:30
「前向きな別居」も有効? 熟年離婚を回避する“夫婦円満の秘訣”
「前向きな別居」も有効? 熟年離婚を回避する“夫婦円満の秘訣”
この人と添い遂げる、と決めたところから、道は開ける(※写真はイメージ)  長く連れ添った夫婦が熟年離婚することも珍しくない時代となった。様々な背景があるだろうが、できることなら離婚は回避したい。修復可能な夫婦にお勧めの対処法を探った。  互いに興味をなくした夫婦が、病気や事故、親族の死などの苦難に向き合いながら乗り越えていくうちに、夫婦のきらめきを取り戻すこともある。  新潟県在住の稲森良子さん(仮名・79歳)は、23歳の時に中学の同級生と再会して結婚。夫は長女が誕生すると、車の修理工場を設けた。次女が生まれると、会社の接待も増えて深夜帰宅が続き、けんかが絶えなくなる。 「子供たちが成長して家を出たら、別れるかもしれないと思っていました」  ところが夫が60歳で突然パニック障害になった。経営がうまくいかず、仕事一筋だった夫はうつ病になる。夫婦の話し合いの結果、夫は経営権を創業メンバーの一人に譲り、会長職に就く。稲森さんが夫の病気に向き合うと、次第に歩み寄れるようになった。 「7年前、有料老人ホームに入居しました。『ありがとう』と感謝の気持ちをやっと言葉にできる夫婦になれました」  一方、東京都大田区でネットサポート業務会社を営む鮎川美奈子さん(仮名・60歳)は2歳年上の夫が父親の介護をまめにやってくれたことで夫婦の絆が深まったと感じている。  15年前に母親が急死し、74歳の父親が一人残ると、夫が同居を決めた。父親はその後、多発性がんを発症し、入退院を繰り返すが、夫が献身的に看護した。そして77歳になった父親が鮎川さん夫婦の家で一緒に暮らすようになると、多忙を極める鮎川さんに代わって、帰宅後の夫はヘルパーから受け継ぎ、つきっきりで介護した。父親は2年後に他界した。 「子供がいない夫婦は合宿生活をしているようなもの。でも父親の同居でかけがえのない時間を過ごすことができ、『(夫と)もっと家族になれた』という実感が湧きました」  一緒に介護することで、「相手のために」という奉仕の気持ちが生まれる。夫婦の絆が深まり、まさに「琴瑟(きんしつ)調和」の関係を築いていっているという。  男性と女性とでは、熟年カップルの温度差が顕著だ。若いころは、あふれ出る情熱のままにいつも一緒だったのに、時の流れと共に、適度な距離感が夫婦円満の秘訣(ひけつ)になっていく。  東京都杉並区の主婦中川佳代子さん(仮名・62歳)は、26歳の時に2歳上の建築業界の営業マンと結婚。バブル時代に猛烈社員だった夫は深夜まで働き、中川さんは近所でパートをしながら2人の息子を育てた。夫の両親を看取り、子供たちが家を出た50代後半から自分の時間を持てるようになった。ところが夫が定年退職してから、一日中家にいる。うんざりした。外食や野球観戦に誘う夫に、とうとう中川さんはある提案をした。 「夕食は別々にしようと言いました。朝は作りますが、昼食は適当に食べてもらい、夜は完全に別々。夫と外食するより、お友達と一緒に食べたほうが楽しいですから」  妻の提案を受け入れた夫は友達とネットビジネスを起こし、以前のように家を空けるようになった。中川さんは「ほっとしています」と表情を緩める。  1992年から離婚カウンセラーとして延べ3万7千人の相談を受けている「離婚110番」の澁川良幸氏は「熟年カップルの場合、夫は5メートル、妻は50メートルがいいんですよ」と、距離感を指摘する。 「夫は定年退職するとロマンチックになって妻と食事や趣味を楽しみたくなるんです。一方、妻はなるべく一緒にいたくない。例えば夫が『カーテンを替えようか』と勧めても、20年前に自分の提案を無視したことを思い出し『今さら何よ』とムカついてしまう。夫が現役で働いていたころの生活になじんでいるため、夫が外食や旅行に誘っても戸惑ったり拒否したりする。夫を嫌っているわけではないが、家では少しだけ見えるところにいてほしい。それが本音ですね」  澁川氏は、熟年夫婦が適度な距離感を保つために、場合によって「前向きな別居」を提案する。  横浜市に住むブライダルアドバイザーの和泉明子さん(74)は、55歳から70歳まで夫と別居して仕事場に近い都内で一人暮らしをしていた。4年前に夫が軽い脳梗塞(こうそく)で倒れてから自宅に戻ったが、15年間の別居生活でリフレッシュできたと語る。 「22歳で結婚しました。相手は8歳年上で公務員。妹の上司でした。夫の実家の敷地内に、私たち夫婦、夫の両親、そして夫の姉で出戻りの小姑と3世帯が隣り合っていました。性格のきつい小姑の陰湿な監視に耐えられませんでしたが、夫は姉をかばい、一切ノータッチでした」  27歳で長女を出産した和泉さん。だが長男、次男、長女、次女という夫のきょうだいと両親の結束が固く、次第に疎外感が募っていった。また、読書が好きなインドア派の夫と、旅行好きなアウトドア派の和泉さんとは趣味が合わず、会話も少なかった。小姑から逃れるためにせっせとアルバイトをし、40歳の時に出会った心理学に傾倒した。勉強をしながら、公共施設のアドバイザーとして働く。 「55歳で今の職に就くと、経済的に自立できました。勉強会や仕事などで深夜帰宅も増えたので、別居したいと夫に申し出ると、承諾してくれました。これで離婚ができると喜んでいたところ、長女が泣いてしまったのであきらめましたが、15年間の別居はとてもよかった」  高齢の小姑は認知症が進み、以前のようにつらく当たることもなくなった。夫は復職するほど快復し、和泉さんは仕事が生きがいとなっている。  千葉県在住のコピーライター菊池小夜子さん(70)は一つ年下のフリーカメラマンの夫と25年ほど前から、自然と仕事中心の別居状態に。大学卒業後、広告会社に就職した菊池さんは25歳で結婚。2年後に大手企業のクリエーター部門に転職すると、31歳で長女、35歳で次女を出産。結婚後、800万円の中古の一軒家をはじめ、不動産投資で都内の四つの中古マンションを購入。そのうち、渋谷区にあるマンションが夫の事務所兼住居となった。夫は半月を海外で仕事し、帰国すると利便性の高いエリアにあるマンションで、早朝から深夜まで撮影や現像にあたった。子育ては同居の母親に手伝ってもらった。 「クリエーター同士の結婚ですから、互いに応援し合います。親族の行事は必ず参加しています。イギリス人と結婚した次女が出産したので、今年の春は孫の顔を見に夫婦でヨーロッパに旅行しました。老後はなるべく子供の負担にならないように夫婦で協力していく約束をしています」  経済的に自立する女性であれば、前向きな別居という選択も可能だが、主婦の場合は離婚のリスクを無視するわけにはいかない。  静岡県の主婦清瀬由紀子さん(64)は33歳の時に6歳年下の男性と社内結婚して、翌年長女を、2年後に長男を出産。転勤族だった夫を支えていたが、50歳の時、長女が夫の携帯電話をのぞき、夫の浮気が発覚した。数年前から女性と関係が続いていたのだ。夫に別れてほしいと言えずに1年以上悶々(もんもん)としていた。すると大学生になった長女が夫にメールをした。「私が援交してもお父さんは何も言えないよね」と。それがきっかけで、夫は女性関係を清算すると決意。その直後、夫は東南アジアに単身赴任し、数年後に帰国したが、女性の影はみじんもなかった。 「離婚しないでよかった。でも娘を傷つけてしまったのではと心が痛みます」(清瀬さん)  なるべくなら離婚は回避したほうがいい。ただ、離婚しても、そこから学んだ熟年カップルがふさわしい夫婦の形を築くこともある。  東海地方に住むカーサ・久美子さん(仮名・59歳)は、5年前に10歳年上でカナダ人の家具デザイナーと再婚。シングルマザーとして育てた息子が社会人となり、英語力を磨いて第二の人生を歩もうと、英語の先生をインターネットで探したところ、今の夫と出会った。夫はバツ2で、最初の結婚はカナダ人、2度目は日本人だったが、仕事に専念するあまり、妻のことは二の次だったという。久美子さんと再婚してからは、食事やホームシアターを楽しみ、2人の時間を大切にしている。 「夫に対する尊敬の念が彼を安心させていると思います。私が1カ月のうち10日ぐらい上京して派遣で働いていることも適度な距離感があっていいみたい。その間、都内にある実家で高齢の母親に親孝行もできますしね」(久美子さん)  この人と添い遂げる、と決めたところから、道は開ける。うまくいく熟年夫婦のヒントが隠れているかもしれない。 (作家・夏目かをる) ※週刊朝日 2017年9月1日号より抜粋
週刊朝日 2017/08/30 07:00
久本雅美 下積み時代を思い出す「スナックの焼きそば」
久本雅美 下積み時代を思い出す「スナックの焼きそば」
焼きそば西武新宿線田無駅南口から徒歩数分の雑居ビルの地下にある老舗スナック。久本さんが「お父さん」と呼ぶ、マスター・福重正弘さんとの会話も楽しい。焼きそばは薄焼き卵が敷かれ、醤油で味付けしたおつな味。締めの一品としても人気。700円。ウイスキー700円~。税込み(撮影/倉田貴志) でんえん東京都西東京市南町5-6-18 イングビルB1/営業・12:00~17:00、19:00~翌1:30(昼夜共にカラオケあり)/休日・不定(撮影/倉田貴志)  著名人がその人生において最も記憶に残る食を紹介する連載「人生の晩餐」。今回、タレント・久本雅美さんが紹介するのはでんえんの「焼きそば」だ。 *  *  *  このスナックは中野の新井薬師にあった時代からの長年のおつきあい。私が24歳で上京したての頃、店の目と鼻の先にある風呂なしの小さなアパートに住んでいたんですね。ある日、たまたま先輩が飲みに連れていってくれたのがきっかけでした。  今でもそうですが、とにかくアットホームなお店でしたね。当時はまだ劇団員の下っ端でお金もなくて……そんな私を見かねてマスターが「マサミちゃんは僕の娘みたいなもんだから、いつでも店に遊びに来たら」って言って飲み食いの面倒をみてくれた。いちばんつらい時代に支えてくれた、まさに東京のお父さんのような人なんです。  その頃、好きでよく食べたのがこの焼きそばでした。一般的なソース味じゃなくて、さっぱりとした醤油味でお酒にも合う。今もたまに食べると、励ましてもらった言葉が懐かしくよみがえります。そして、マスターに喜んでもらえるような仕事をしていきたい、もっと頑張らなきゃと思う。それが娘としてのいちばんの親孝行ですからね。 「でんえん」住所:東京都西東京市南町5-6-18 イングビルB1/営業時間:12:00~17:00、19:00~翌1:30(昼夜共にカラオケあり)/定休日:不定 ※週刊朝日 2017年9月1日号
人生の晩餐
週刊朝日 2017/08/28 16:00
夏の疲れがたまって、眠りにトラブルを抱えていませんか
夏の疲れがたまって、眠りにトラブルを抱えていませんか
夏の時季は冷房を一晩中つけているのもためらわれるし、扇風機の風を体に直接当てていると、起床時にだるさを感じるなどの理由によって、眠りにつきにくい、眠りが浅いという方も多くなっています。夜中に目が覚めてしまう……、疲れすぎて眠れない……といった状態は精神的負荷が大きいうえ、懸命に寝ようするあまり逆に眠れなくなり、焦りの中で明け方を迎えてしまうことも。 そこで、夏の睡眠トラブルを自分にあてはめてみて状況別の解消法を理解し、体のためにも、脳のためにも、心のためにも大事な睡眠を、うまくとれるよう工夫してみましょう。何度も何度も時計を見て、気づいたら朝……。そうした経験をもつ人もこの時季多くなります 人生の3分の1は寝ている よく人は人生の3分の1は眠っていると言われますが、時間的に見ても、体にとって睡眠はとても大事なもの。 人間は何時間連続で起きていられるか……といったサバイバルともいえるゲームが、海外のテレビ番組で実施されたりしていますが、ある報告によると最長不眠記録は、アメリカの高校生が樹立した「264時間12分」といわれています。これは22日に相当する長さになりますが、驚異的ですね。 人は眠らない状態が続くと「脳を休ませる」「ストレス解消」「体の成長」「病気の予防」「記憶の整理」といった、生命活動を維持するうえで大事なことが損なわれることになります。 命にもかかわる大切な睡眠ですが、暑さゆえ夏の時季にうまく眠ることができない人が多く、そのせいで体に不調に悩まされる人も多くなっています。眠れないと、翌日の体調と仕事にまで悪影響が 日常のなかで今日からできる「不眠対策」 【体温調節】 夏の不眠対策として一番に挙げられるのが、体温調節です。 人は体温が高くなったあと、徐々に体温が低くなっていくなかで眠気を催します。しかし、冷えた室内に長時間いる、あるいは冷たいものを飲食する……という日常が常態化すると、体が慢性的な冷えに陥ってしまうことになります。このため、体温が徐々に下がるという循環モードに陥ることができず、眠りにうまくつけなくなってしまうのです。 この悪循環を解消するひとつの方法が、「入浴」になります。 夏はシャワーのみで過ごしがちですが、それだと体がなかなか温まりません。ぬるめの湯船でいいので、お湯に浸かってしっかり体を温めることによって、お風呂から出たあとに徐々に体温が下げるようにしてみましょう。このサイクルで、自然と眠たくなる効果が見込まれるからです。 この時に気をつけたいのが、お風呂から出た時の室内の冷房温度です。 入浴後、思いっきり冷えた部屋に入るのは最高!と言う人もいますが、こうした環境に身を置くと、徐々に体温を下げるとことができません。つまり、入浴後しばらくの間は、少し汗が出てくるくらいの環境に身を置いたほうが、実は眠りに入りやすくなるのです。こうした体の働きから、自然な眠りを誘うために寝る前の1時間くらい前に入浴するのがよいと言われているのです。夏こそ、ぬるめの湯船に浸かって、体を快眠モードに 【朝日を浴びる】 睡眠のゴールデンタイムは22時から2時と言われており、この時間に眠ることが大事と言われていますが、実は1日の中での最も重要な不眠対策は、起床時に太陽の日を浴びることと言われています。 しかし、夏はついつい夜遅くまで起きていることが多くなりがちです。快眠がとれない負のサイクルに陥っている人は、あえてゴールデンタイムに眠るようにしてみてはいかがでしょうか。そうすれば、自然と早起きになり、朝日を浴びることができることに。要は、眠れない人の場合、逆療法で「早起き」を習慣化すると、自然と入眠時間が早くなるので、眠れない、眠れないことで疲れが取れない人ほど、「早起き」を意識することが大事なのです。 【食事に気をつける】 暑い日ほど夕食時のビールは格別ですよね。そうした人に「眠りのために飲まないで!」とは言いづらいので、アルコールが好きな人は、次の方法を試してみてはいかがでしょうか。 ●「就寝2〜3時間前には、アルコールをやめてみる」 さらに、アルコールをやめたあとに、冷たい飲み物をとることは体に負荷がかかるので、なるべく避けましょう。朝日を浴びながらのストレッチは、交感神経にも◎ 眠りにいざなうアイテム 眠りは生命維持活動に加え、脳をリラックスさせる効果があります。 寝苦しい日が続くと「寝なければいけない」「寝ないとまずい」と強迫観念にかられて、かえって脳が緊張し、眠れないこともあります。こうした悪循環に思い当たる節がある人は、自分にとってお気に入りのリラックスアイテムを作ってみましょう。例えば「枕元に◯◯があると眠りに入りやすい」という意識付けのようなものを置くと、精神衛生上、効果があると言われています。◯◯は例えば、次のようなものがあります。 【眠りにいざなうアイテム/香り】 眠りにいい香りの代表選手として知られるのがラベンダーです。そのほかにも「カモミール」「ゼラニウム」「スイートオレンジ」などもあります。ただし、あまり強く香るとかえって気になってしまうので、あくまでもほのかに香るよう、アロマデフューザーなどを使うのがいいかもしれません(※体調によって合わない香りもあります)。 【眠りにいざなうアイテム/音楽】 また、リラクゼーション効果がある音楽も快眠効果があるもののひとつですね。 デバイスなどをうまく活用すれば、音量やオフタイマーなどを設定もできますし、さらに、You Tubeなどでも長時間再生に特化した音楽コンテンツが豊富にあるので、「レム睡眠」「睡眠BGM」「α波」「瞑想」「ヨガ」「ヒーリング」などのキーワードで検索して、お気に入りの音楽を探すのも楽しそうですね。アロマキャンドルなど火を使うものは、睡眠時は避けましょう
tenki.jp 2017/08/25 00:00
秋に観たい!静かに感動、大人のファンタジー映画
秋に観たい!静かに感動、大人のファンタジー映画
今年の夏は、梅雨らしい梅雨がなかったり、各地大雨に見舞われたり、8月に入り気温が上がらなかったり。そうこうしてるうちにお盆も過ぎ、秋の足音が聞こえてきた…と感じてらっしゃる方も多いのでは。筆者も毎日仕事に追われ、短い夏季休暇もアッという間に終わってしまい、今年も短い夏が終わってしまいそうです。 しっとり落ち着いた大人の映画を観て秋を迎えたくなってきました。 「タイムトラベル」が共通点、後味爽やかな感動作です ◆「オーロラの彼方に」(2000年・アメリカ映画) 亡くなった、消防士の父親と父親の趣味だったアマチュア無線機を通して交信できるようになった刑事の息子の交流を描いた「オーロラの彼方に」。 幼い頃、父親を亡くした主人公の刑事は、優しい看護師の母の愛情を受け、ちょっと頼りないですが、実直な青年へ成長していました。しかし突如現れたオーロラがきっかけで、無線を通じて亡くなった父と交信できるようになります。勇敢で優しかった父親に導かれ、彼らを運命づけた様々な悲しい出来事を未然に防ぎ、最後は父と共に悪党と向き合い…という物語。最後の結末は言えませんが、心温まるハッピーエンドで終わります。次々とタイムパラドックス(過去を変えたことにより起こる現実世界のねじれ)が起こるので賛否両論はあるかもしれませんが「大人のファンタジー」として観賞すれば、爽やかに感動できる物語です。大人になれば誰しも「あの時、こうしてれば」「あの人が生きていてくれたら」と思ったりするものですよね。過去に起こった事件の謎を解くミステリーの要素もあり、又主人公が父親との交流を通して、勇敢で優しい父親に近づいていくかの如く成長していくのも見所です。秋の夜長にじっくり腰を据えて観たい一本です。主人公の住む街・NY郊外に突如現れたオーロラ。このオーロラがきっかけで父親と交信できるように… ◆「バタフライエフェクト」(2004年・アメリカ映画) 題名の「バタフライ効果」はカオス理論の一つで…日本でいう「風が吹くと桶屋が儲かる」だそう。まさに、日常の何気ない決断が後々の運命に大きな影響を及ぼすという事を描いた作品です。 主人公の大学生は自分が書きためてきた日記を読み返すと、その日記を書いた時点にタイムトラベルができる能力を発見し…自分や周りの人々の人生を運命づけてしまう出来事が起きた時点に行き運命を変えていくのですが、変えて現実世界に戻ってくると、代わりに他の人物や自分が悲惨な運命になっているのです。その度にタイムトラベルを繰り返しますが、尽きない周りの人々不幸に、主人公の勇気ある行動で、運命を受け入れることにします。「オーロラの彼方に」はタイムトラベルを続け、幸せを掴みますが、「バタフライエフェクト」は「あの時ああしていたら…」を繰り返し、結局は無意味であり運命を受け入れる…どちらも「タイムトラベル」の大人のファンタジーですが最後の主人公の結末は真逆なような気がします(あくまで筆者の見解ですが)。両方の作品を改めて見較べたくなってきました。どちらの作品もその時の自分の置かれた状況や気持ちによって共感する部分が違ってくる、筆者は何度も観たい作品です。 どちらの作品も「タイムトラベル」で物語が進む、ファンタジー…現実には起こりえない事です。でも、大好きだった家族が蘇ってくれたら、もしあの時の決断を変えられたら…大人になってはじめて願う気持ちではないでしょうか。まさに大人でしか味わえないファンタジーです。又、どちらも大スター(「バタフライエフェクト」主演のアストン・カッチャーは公開当時はアイドルスターの全盛期でしたが…)が出演しているわけでもなく、派手な展開があるわけでもありませんが、この秋はしっとり大人のファンタジーで、静かな感動を味わってみませんか。
tenki.jp 2017/08/25 00:00
就職率の高い大学の実力は、群を抜く「企業開拓力」
就職率の高い大学の実力は、群を抜く「企業開拓力」
福岡工業大学 下村学長はこの日1千枚の名刺を配った。就職率の高さに加え、学費が全国の私大理工系平均より4年間で約80万円安いことも魅力で志願者が増えている。(撮影/江藤大作) 5年連続実就職率90%以上の大学・学部(1/4)【表の見方】データは、各大学発表による就職状況。医学部・歯学部を除き、実就職率が5年連続90%以上の学部を抽出、2017年の実就職率が95%以上の学部を率の高い順に並べた。所在地は大学本部の所在地で、学部所在地と異なる場合がある。卒業者数は2017年の人数。授業料(円)は2017年度のもの。学科ごとに授業料が異なる場合は平均の額(小数点以下は四捨五入)を掲載した。実就職率(%)は、就職者数÷(卒業者数-大学院進学者数)×100で算出。現在、北海道科学大学空間創造学部は工学部に改組、福井大学教育地域科学部は教育学部、中部学院大学子ども学部は教育学部に改称されている(調査・大学通信) 5年連続実就職率90%以上の大学・学部(2/4)【表の見方】データは、各大学発表による就職状況。医学部・歯学部を除き、実就職率が5年連続90%以上の学部を抽出、2017年の実就職率が95%以上の学部を率の高い順に並べた。所在地は大学本部の所在地で、学部所在地と異なる場合がある。卒業者数は2017年の人数。授業料(円)は2017年度のもの。学科ごとに授業料が異なる場合は平均の額(小数点以下は四捨五入)を掲載した。実就職率(%)は、就職者数÷(卒業者数-大学院進学者数)×100で算出。現在、北海道科学大学空間創造学部は工学部に改組、福井大学教育地域科学部は教育学部、中部学院大学子ども学部は教育学部に改称されている(調査・大学通信) 5年連続実就職率90%以上の大学・学部(3/4)【表の見方】データは、各大学発表による就職状況。医学部・歯学部を除き、実就職率が5年連続90%以上の学部を抽出、2017年の実就職率が95%以上の学部を率の高い順に並べた。所在地は大学本部の所在地で、学部所在地と異なる場合がある。卒業者数は2017年の人数。授業料(円)は2017年度のもの。学科ごとに授業料が異なる場合は平均の額(小数点以下は四捨五入)を掲載した。実就職率(%)は、就職者数÷(卒業者数-大学院進学者数)×100で算出。現在、北海道科学大学空間創造学部は工学部に改組、福井大学教育地域科学部は教育学部、中部学院大学子ども学部は教育学部に改称されている(調査・大学通信) 5年連続実就職率90%以上の大学・学部(4/4)【表の見方】データは、各大学発表による就職状況。医学部・歯学部を除き、実就職率が5年連続90%以上の学部を抽出、2017年の実就職率が95%以上の学部を率の高い順に並べた。所在地は大学本部の所在地で、学部所在地と異なる場合がある。卒業者数は2017年の人数。授業料(円)は2017年度のもの。学科ごとに授業料が異なる場合は平均の額(小数点以下は四捨五入)を掲載した。実就職率(%)は、就職者数÷(卒業者数-大学院進学者数)×100で算出。現在、北海道科学大学空間創造学部は工学部に改組、福井大学教育地域科学部は教育学部、中部学院大学子ども学部は教育学部に改称されている(調査・大学通信)  オープンキャンパス真っ盛りのこの季節。最近では親同伴で学内を回る姿も珍しくない。教育環境や入試倍率、学費もそうだが、“出口”の就職率なども気になるところ。AERA 8月28日号で、コスパのいい進学先を調べてみた。 *  *  *  むせ返るような熱気の中、オープンキャンパスを目指し続々と人が集まってくる。「受付はこちらでーす」。学生に交じって声を張り上げ、保護者を見つけては駆け寄る男性がいた。差し出す名刺には「福岡工業大学学長 下村輝夫」の文字。驚く相手に、にっこり笑って付け加える。 「学生を見ていただければうちの大学のことがわかります。ご連絡をくだされば何なりと対応いたします」  その様子を見ながら、山下剛事務局長がつぶやいた。 「うちは学長以下、全職員が営業部隊なんです」  20年ほど前まで福岡工業大学(福工大・福岡市)はラグビーは強いが、学業や就職では国立の九州大学や九州工業大学に遠く及ばず、志願者は年々減少していた。1997年、元福岡ダイエーホークス球団社長の鵜木洋二氏が理事長に就任。再生のために強く打ち出したのが就職力の強化だった。今や同大の実就職率は全国でもトップクラス。志願者も11年連続で増加中だ。 ●東京と大阪に常駐  アエラは今回、大学通信の協力を得て、5年連続で実就職率が90%超の全国の大学・学部を抽出した。より実態を反映させるため、実就職率は、就職者数÷(卒業者数-大学院進学者数)×100で出した。一般的な「就職率」の場合、分母を「就職希望者」とするため、フリーターになったり、就活の意欲をなくしてしまったりした学生の数を除外できる。意図的に数字を高く見せることも可能なのだ。ちなみに今春大卒の「就職率」は97.6%(文部科学省・厚生労働省調べ)。サンプルが違うため単純比較はできないが、ごまかしがきかない「実就職率」(大学通信調べ)は87.3%だ。  今回、工学部がランクインした福工大。三澤礼一郎・就職部事務部長は「数だけでなく、最近では質も向上しています」と胸を張る。就職先にはソニーや富士通、本田技研工業や日本放送協会(NHK)などが名を連ね、上場企業と大手・中堅企業が占める割合は2014年の58.2%から昨年は70.3%に上昇した。  強さの裏にあるのは、ずば抜けた「企業開拓力」だ。地元はもちろん、東京と大阪に企業開拓専門の職員が常駐。他の教職員も精力的に企業を回る。職員の行動規範は、「Just Do It!」。学生のためになることであれば、即実行との意識が徹底している。職員のほとんどが、民間企業からの中途採用組であることもフットワークの軽さにつながっている。その結果が、西日本で最大規模の年間800社が参加する大学主催の合同企業説明会だ。しかも8割の学生は参加企業から内定を得る。  希望の分野があれば、関西や関東の企業にもどんどんチャレンジできるよう、新幹線代や宿泊費も補助。1回最大3万6千円で、2回まで出す。年間300人強がこの制度を使い、最近は6割の学生が関門海峡を越えるようになった。地元での就職にこだわる親の説得係も買って出る。昨年からは「企業向けのオープンキャンパス」も始めた。 「東京や大阪で企業向け説明会をやっていましたが、実際に来ていただいて、教育環境と学生の姿を見てもらったほうが効果的ですから」(山下事務局長)  営業でどんなに企業を開拓しようと、学生が企業の求める人材でなければ就職は成立しない。同大の学生は入学時点での偏差値はそれほど高くないが、 情報工学部の前田洋教授は自信を持って言う。 「フックさえ見つかれば必ず成長するし、チャンスはうちの大学にはゴロゴロあります」 ●教授が放課後補習  同学部4年の古賀大騎さんは、大学進学者が少ない高校の出身だ。放送通信関係の仕事につき、女手一つで育ててくれている母を楽にさせたいと同大に進学。入学して驚いたのは、サポートの手厚さだったという。 「就職にも有利になる無線関係の資格を取ろうとした時、教授が放課後、何度も補習してくださいました。難関でしたがおかげで合格でき、学内で表彰されて3万円の報奨金まで出た。それで受験料を払い、次の資格取得の教材も買えました。応援されるから頑張ろうと思えました」  古賀さんは念願かなって、来年からはNHKの技術職として一歩を踏み出す。 ●アルバイト先に出向く  福工大と対照的に、地元志向が強いのが福井大学(福井市)だ。同大は国立大学のなかでここ10年、実就職率のトップを独走。さらに大卒後3年以内の離職率が全国平均31.9%に対して、福井大は9.2%と極めて低い。その背景についてキャリア支援室の大橋祐之室長はこう話す。 「福井県は幸福度が全国1位。県内に進学した学生は地元で満足し、あまり外に出ない。人口あたりの社長の割合も全国1位で、規模は大きくなくても、優良な企業が多くあります」  国立大としては珍しく10年以上前からキャリア支援を充実させてきた。各学科から1人ずつ教員を出して就職委員会を結成。入学から3年生までは4~5人の学生に対し1人の教員がついてさまざまな相談に乗る。4年生は卒業研究担当の教員が引き継ぐ。なかなか連絡の取れない学生とコンタクトするため、深夜にアルバイト先のコンビニに出向いたこともあるという。  一方、キャリア支援室のスタッフは企業へこまめに足を運び、時にはPRが苦手な中小企業に、どのように発信すれば今の学生に伝わるのかもアドバイスする。企業説明会では、学生と企業の担当者がより密接に話ができるよう1社に絞った個別説明会も開く。長期休みには、県内外の企業を訪問するバスツアーも開催する。3年生を対象にした就職ガイダンスは年に60回以上。「ぶっちゃけトーク」など若者ウケするタイトルで動員を図る。  教育地域科学部(16年度から教育学部と国際地域学部に再編)の4年生で、福井県出身の女子学生は第1志望の地元の金融機関から内定を得た。 「個別と合同、合わせて6回説明会に参加しました。公務員から志望を変えたので十分な準備ができていなかったのですが、支援室のスタッフがいろいろと相談に乗ってくれて、精神的にも助けられました」  教育地域科学部は県の公立学校教員、市役所のほか、福井信用金庫など地元金融機関への就職が多い。工学部の学生は最近は福井県出身より東海地区出身が増えている。  特に愛知県の学生はUターン志向が強く、自動車関係をはじめ愛知県企業とのパイプを太くして実績を上げている。そのほかアイシン・エィ・ダブリュ、JR西日本、大林組などへも就職している。就職委員長の葛生伸教授は言う。 「学生とは、教職員の誰かが必ずつながっています。就職率100%とはいきませんが、学生は100%把握しています」 (編集部/石臥薫子、ライター/柿崎明子) ※AERA 2017年8月28日号
大学入試
AERA 2017/08/23 16:00
高齢でも年収1千万が夢じゃない! 65歳からのハローワーク
高齢でも年収1千万が夢じゃない! 65歳からのハローワーク
高齢者向け求人の実例(週刊朝日 2017年8月18-25日合併号より)  高齢者の採用を積極的に行う企業が増えている。大手スーパーやファストフード店だけでなく、意外な仕事でもシニアが活躍している。どんな仕事があるのか実際にどうやって仕事を探せば良いのか、取材した。 *  *  *  高齢者向けの仕事にはいろいろある。勤務時間や賃金などを比較して、やりたい仕事を探せばいい。  高齢者の仕事といえば、マンションなどの管理人や清掃業務を思い浮かべる人が多いだろう。マンションの清掃業務を手がけるパイオニア・サービスは、求人広告で「60~70代の方が70%活躍中!」とアピールする。担当者は、 「以前から高齢者の勤務は多い。こういった業務は若者からの応募が限られる。定年退職した人のほうが、もう少し働きたいと応募してくれる。住民と毎日顔を合わせるので、あいさつなどがしっかりできる方を採用したい」  給食サービスの馬渕商事は、会社の独身寮などの運営もしている。寮の住み込みスタッフには高齢者が多いという。 「清掃や建物の管理だけでなく、材料の買い出しや調理もしてもらう。夫婦で住み込んでいるケースもある」  建物管理や清掃関連は求人がいろいろあり、選択肢は増える。未経験者でも始めやすく、短時間の勤務でも可能だ。  変わったところでは、日本語学校もシニア人材が支える。東京・高田馬場にある新宿日本語学校では、約60人の先生のうち65歳以上が13人いる。60歳を過ぎてからなった人も少なくない。  森恭子副校長は、 「シニアは経験や知識が豊富。その能力を生かせて、若い学生の役に立てる職場に魅力を感じるのではないでしょうか」  と期待する。  ただ、教えるのはそう簡単ではない。文化庁は日本語教師の条件として、大学で日本語教育を専攻していることや、養成講座を修了していることなどを挙げている。希望の仕事に就くには勉強も必要なのかもしれない。  ほかにも、工事現場や工場では、技術がある経験者が望まれている。自動車の整備士や薬剤師といった資格を持っていると有利だ。語学が堪能で海外で営業や技術指導ができる人は、高齢であっても年収1千万円は夢ではない。  では、仕事探しの具体的な方法を説明していこう。  ハローワークは全国に500カ所以上ある。国が高齢者の就業に力を入れていることもあって、65歳以上の求職者を重点的に支援する「生涯現役支援窓口」が一部に設けられている。現在全国に110カ所あり、国は2020年度までに200カ所まで増やす計画だ。  生涯現役支援窓口のあるハローワーク池袋の高橋大弐職業相談部長は、 「65歳まで同じ会社で働き、一度も履歴書や職務経歴書を書いたことがない人が多い。書き方のアドバイスや、面接の対策もしている」  として、気軽に訪れてほしいと訴える。  ハローワークにはパソコン端末があり、毎日大量の情報が更新されている。自分の希望する条件で求人を検索できるので、とりあえず試しに行ってみてはどうだろうか。  自治体から業務委託を受けて、高齢者の就業支援をしている組織や団体もある。 「東京しごとセンター」は、就業のための知識や技能を身につけるセミナーやイベントを行っている。東京・飯田橋のセンター1階には、55歳以上向けの「シニアコーナー」があり、相談にも対応している。平日夜8時まで開いているので、利用しやすい。  65歳以上が職場体験できる「しごとチャレンジ65」も実施している。インターンのような制度で、企業と就職希望者のギャップを解消しようとしている。16年度は約100人が利用し、半分近くが就職した。  センターでは7月28日にシニア向けの再就職応援セミナーがあり、約30人が参加した。支援を受けて保育補助員として働き始めた内田佳納子さん(57)が講演。「センターの面接対策は絶対に受けたほうが良い」と実体験をもとに助言していた。  商社を定年退職した男性(60)は、 「私は雇用延長の話もあったが、新しいことに取り組むなら早いほうが良いと思い参加した。介護職などに興味をもっています」  と話していた。  こういった組織や団体は、大阪や名古屋、福岡など大都市を中心にある。セミナーなどは基本的に無料なので、利用しない手はない。 ※週刊朝日  2017年8月18-25号
シニア企業働き方
週刊朝日 2017/08/21 07:00
今田耕司、陣内智則、東野幸治らが吉本新喜劇でみせるすごいアドリブ力
今田耕司、陣内智則、東野幸治らが吉本新喜劇でみせるすごいアドリブ力
今田耕司 (c)朝日新聞社  吉本新喜劇に入団し、お笑い芸人として舞台に立つなど活動した新津勇樹さん。今回は吉本新喜劇の知られざる稽古の舞台裏をリポートする。 *  *  *  私が所属していた頃の東京の吉本新喜劇は、大体半年から一年で作品が変わっていく。大阪だともう少し早く、毎月変わることもあると聞いた。当時の東京の吉本新喜劇の座長(お芝居の中の主人公、中心となる人物)は、今田耕司さん、東野幸治さん、陣内智則さん、板尾創路さん、木村祐一さん、ほんこんさん、石田靖さんという錚々たるメンバーだった。  吉本新喜劇といえば、笑いあり、涙ありで、最後にオチありというのが基本の流れである。定番のギャグから、歌やダンスをはじめ、とにかく多くの笑いで観客を笑いの渦に巻き込む集団コメディーである。  今回は、吉本新喜劇の稽古の話をしたいと思う。稽古は大体22時頃から始まり、早朝までというのが通例である。これは、日中から夜にかけてはタレントのスケジュールがつきにくいため、深夜早朝に稽古があてられるのであろう。  劇場に入ると当時はお弁当があった。一番乗りで劇場入りする若手は、先輩方が来る前に弁当を流し込むように食べる。そして、若手は事前に渡された台本を初稽古までに何百回も熟読してきたが、楽屋の外でセリフ読みや動きの確認をしておく。  徐々に出演者が集まり、座長が楽屋に到着すると、本読みが始まる。  その時の座長によって違うが、ほんこんさんや木村祐一さんが座長の時は、楽屋の空気が緊張感に包まれ、逆に今田耕司さんや石田靖さんは、後輩にもフレンドリーに話しかけてくるため空気は明るいと感じた。これはあくまで私の経験した上での感想である。  初稽古の際には、スタッフから挨拶があり、新喜劇に入りたての若手は、本読みの前に全員の前で、自己紹介をする。私の時は、インパクトを残そうと、バカでかい声で「吉本新喜劇に入団致しました。新津勇樹と申します。よろしくお願い致します」と挨拶してみた。 「でかいな声が、何時だと思うてんねん!」というツッコミを期待したが、「お願いします」という皆さんのトーンの低い反応に、ある意味、“事故”紹介になってしまった……。  本読みで驚いたことは、皆さん声を最小限にしか出さないのだ。こちらは、新人なため腹から声を出してセリフ読みするが、先輩方はヒソヒソ話レベルの声量だ。座長クラスになると、ほとんど聞こえない。しかもマスクをしていたら、尚更だ。  寝てるんじゃないかと思うくらい、聞こえない。大変なのは、座長と掛け合いがある相手である。座長の声が小さくて聞こえないため、セリフを合わせるの大変だ。余りにも声が小さいため、もしかしたら、こういうものかと私も声を落としてみると、「若手声小さいぞ、聞こえないわ」と劇の構成作家さんに怒られる。恐らく座長などは、本番に備えて喉を潰さないように最小限の声量なのだろう。  そして、何度か本読みをしたら、すぐに舞台に立つ。そう、本読みしてから数時間後にだ。これは、役者経験者ならわかると思うが、すごいことである。普通のお芝居なら本読みだけで一週間くらいかけて、台本を作り直していき、それからようやく動きをつけた稽古がはじまるのではないだろうか。少なくとも2、3回読んで、すぐ立ち稽古はしないはずだ。しかも、本番まで稽古も2日か3日しかやらない。さらに驚きである。下手したら、舞台本番2日前に初稽古があり、前日、当日朝と3回しか稽古をやらず、本番というパターンさえある。  これは、役者さんの常識からすると考えられないかもしれないが、芸人はそれで本番を迎えられるのだ。  いわゆる役者さんのやるお芝居は、本番のために何カ月も作り込んでようやく一つの作品にする。しかし、吉本新喜劇は、稽古もそこまで決め決めできっちりやらないように思う。それも、座長によって違うが、舞台は生もの故にその時の観客の反応に合わせたりするのだ。逆に、ほんこんさんは、きっちりセリフや動きを決めて芝居する人だと何度か出させてもらった中で感じた。  座長によって、作り方は様々であるが、結局は、笑いを取ることこそが、芸人の使命であり、笑いが取れれば、ある程度の事は許されるというのが、お笑いの世界という独特な社会である。  役者経験もある私にとっては、吉本新喜劇の稽古は衝撃であった。    最近、細川たかしさんのモノマネでブレイク中のレイザーラモンRGさんは、吉本新喜劇で陣内さんの公演の時に、3回公演で、3回とも違うモノマネをしていたことがあった。しかも、本番前に「今日は、このモノマネでやります」と言って、それに毎回対応していた陣内さんの対応力には驚いた。  さらに、その公演には野性爆弾のくっきーこと、川島邦裕さんも出演しており、毎回セリフを変えてきたり、いきなり絡むはずのない若手に本番中、絡んできたりとかなり自由な方だったため、対応する陣内さんの懐の深さには感心した。  さて、実際の立ち稽古が始まると座長を中心に台本が作られていく。今田耕司さんの班の話をすると、作家さんや演出家さんもいるが、みんなが今田さんの一挙手一投足に注目する。  また、驚くことにあれだけ多忙な売れっ子の、今田さんは立ち稽古の際には、台本をほとんど持たないのだ。たった本読みを2、3回やっただけで、全体の流れを把握している。これには驚いた。おそらく自宅で台本を読む時間などないくらいテレビの仕事などで多忙なはず。本読みの時間で集中して叩き混んでいるのだろう。多忙な人ほど、集中力が半端ない。座長となれば、舞台に出ずっぱりなのでセリフの量が断トツに多いうえに、台本を訂正しながら、より笑いを作りこんでいくのだから、労働力は想像に絶する。それを僅か2回か3回の稽古でやり遂げるのだから、やはり座長たるゆえんなのである。  私は常々芸人の凄さを感じていたが、その一つは夜中でも早朝でも、笑いが起こることである。深夜2時にでもなれば、欠伸が止まらずテンションが一番低いはずなのが人間だ。しかし、面白ければ常に舞台上でも、舞台袖でも、客席から見ているスタッフからも笑い声が起こる。面白いに時間は関係ない。だから、芸人は元気なのだ。そして、周りにも元気を与える。ある意味、24時間笑える環境というのは、芸人を辞めたいまだからこそ、有り難い時間だったのだとつくづく感じる。  深夜から早朝まで行われた稽古は、始発前には終わる。そして、座長から順番にタクシー券が配られ、次々と諸先輩方が帰っていく中、末端の若手は電車の始発待ち…と思いきや、我々にもタクシー券が!  現在は、わからないが、私が所属していた当時は若手にまでタクシー券が配られていたのだ。これは若手も売れっ子になったと勘違いするはずだ。  人生初めてのタクシー券を手に、業界人ぶって新宿の繁華街でタクシーを停め、本当にタクシー代が無料になるのかと内心ヒヤヒヤしながら、小平まで爆睡して帰路についた夜だった。 (文・新津勇樹)
dot. 2017/08/20 11:30
怖さの質が違う? 春風亭一之輔が考えた「一行怪談」は深いのか
春風亭一之輔 春風亭一之輔
怖さの質が違う? 春風亭一之輔が考えた「一行怪談」は深いのか
 落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は、「怪談」。 *  *  *  私が小さいころ、毎年夏休みには日本テレビの『おもいッきりテレビ』で『あなたの知らない世界』というコーナーがあった。内容は心霊現象や現代の怪談の再現ドラマ。心霊写真を検証したり。  正午からは家族が必ずそれを見ている。怖いのが苦手な私は番組が終わるまでちゃぶ台の下に隠れて、耳をふさいでいた。 「新倉イワオ」というおじさんが心霊現象についていろいろと解説をしている。 「この男は死神博士! あの世からの使者にちがいない!」  と私は忌み嫌ってた。新倉のせいで『笑っていいとも!』を見ることができない。  ただ『笑点』を見ていても、オープニングロールに「構成 新倉イワオ」と出てくる。いつも楽しい『笑点』になぜ死神博士の名が出てくるのか不思議。邪魔するな! 死神! 聞けば、新倉さんは『笑点』の立ち上げ以来のスタッフなんだそうだ。大変失礼しました……。  以前『一行怪談』なるナレーションの仕事をした。ワンセンテンスで終わる、ごく短い怪談噺。例えば……、 「深夜に友人から電話があり、『今から会えないか』と言うので、『いいよ』と言って電話を切ってすぐに、彼は先週事故死したことを思い出した……」  みたいな。  これを低い調子で間をとって喋ると、読み手からしてもけっこうゾクッとする。短文だと余計にイメージが膨らむのかも。  同じテンポの短文を同様の調子で語ると、当たり前のどうってことない内容でもゾクッとくるのではないだろうか? ちょっと暇潰しにやってみよう。 (1)「店員が『ポイントカードはございますか?』と聞くので、食い気味に『ありません』と答えると、『大変失礼しました!』と謝られ、『謝るほどのことか?』と釈然としないまま、店を出た……」 (2)「『次、外すぞ』とキャッチャーが囁くので、『その手は食うか』と振りにいくと、やはり外され、『俺、野球に向いてないのかな?』と、帰宅してから妻にグチをこぼした……」  (3)「催促の電話をすると『今、出ました』と言ったのに、40分も待たされ、サービスで餃子を持ってきたことを、喜んでいいのか、怒るべきなのか……」 (4)「『ビール以外の人!』と後輩が聞くので、『ウーロン茶を』と答えると、『ハイですか? ソフトドリンクですか?』と返され、『茶っつってんだろ!』と思ったが、私以外は皆ビールなので、肩身が狭くて我慢した……」 (5)「田舎から親父が出てきて、二人で先方に頭を下げに行くと、おもむろに野菜を取り出した親父に向かって、先方が問いかけてきたので、ボクは『誠意ってなんだろう?』と、思ったわけで……」 (6)「『人という字はぁ、人と人が支えあってできているんですぅ』と、長髪の国語の教師が熱弁を振るっている、ドラマの再放送を、子供のころ夏休みに、よく見た気がする……」  どうだろう? ひとつの文章につき、50回くらい声に出して読むとだんだんと怖さが染みだしてくる……かもしれない。(5)はちょっと特殊な怖さ。(6)は過ぎ去った少年時代の夏休みへのオマージュ。  暑さでアタマがくらくらしてきた。夏よ、終われ。 ※週刊朝日 2017年8月18-25日号
春風亭一之輔
週刊朝日 2017/08/14 16:00
高橋一生「とにかく笑顔でいよう」 30歳の転機とは?
高橋一生「とにかく笑顔でいよう」 30歳の転機とは?
週刊朝日6月16日号 表紙の高橋一生さん(撮影/馬場道浩) 撮影:馬場道浩/スタイリング:部坂尚吾(江東衣裳)/ヘア&メイク:田中真維(マービィ)/アートディレクション/福島源之助+FROG KING STUDIO 撮影:馬場道浩/スタイリング:部坂尚吾(江東衣裳)/ヘア&メイク:田中真維(マービィ)/アートディレクション/福島源之助+FROG KING STUDIO 撮影:馬場道浩/スタイリング:部坂尚吾(江東衣裳)/ヘア&メイク:田中真維(マービィ)/アートディレクション/福島源之助+FROG KING STUDIO  NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」で、井伊家筆頭家老・小野政次を演じている高橋一生さん。8月、政次が最後の出演を迎えるにあたり、作品への思い、役者としての在り方などについて語ってくれた。 *  *  * ──クランクアップ(撮影完了)を迎えたとのことで、お疲れさまでした。  いえいえ、ぜんぜん疲れてないです(笑)。 ──長丁場を終えて、いかがですか?  大河ドラマは以前にも出演したことがあるのですが、今回は約10カ月の撮影でしたから、これまでとは全く違った感慨深さがあって、離れがたかったです。クランクアップした日の夜、お風呂に入りながら「終わったんだよな……」と思った瞬間、寂しさがこみあげてきました。この現場で、「今が自分の役者人生で最高だ」と思う瞬間が、何度もあったんです。「もう死んでもいい」って思えるくらいの。 ──具体的には、どんな場面で?  次郎法師(後の井伊直虎。柴咲コウ)と直親(なおちか=三浦春馬)と3人で井戸端にいるシーン。幼少期の関係性、すれ違いというものを経て3人が集まっている。その描写が、脚本に本当に美しく描かれていたんです。「この世界観を邪魔してはいけない、できるだけフラットにやらなくては」と思っていたんですが、実際にお芝居に入ると、そんな余計なことを考えることもなく、政次として幸福な時間を過ごせました。 ──政次は井伊や直虎のことを考えているのに、「裏切り者」「信用ならない」と思われてしまう不憫(ふびん)な役どころです。そんな政次について、どう思いましたか?  雄弁であることよりも沈黙を選ぶから、一番近しい人でさえも彼が何を考えているのかわからないときがある。そういう男って、僕は好きです。美しいと思います。ただ、僕は今、思考が政次のままなので。次にものすごくしゃべる男の役をやったら、「やっぱり男は雄弁でないと」とか言うかもしれませんが(笑)。 ──演じていて、苦しくなることは?  ぜんぜんなかったです。生きている実感というものを、政次から得る瞬間があって、俳優をやっていてよかったと思いました。 ──政次は喜怒哀楽をはっきり表しません。政次の表情については、能面を参考にしたそうですね。  たとえば同じ一つの能面であっても、見る角度やその人のそのときの気持ちによって、怒っているようにも悲しんでいるようにも見えると思うんです。実際の人間って、そんなにいろんな表情をしているわけではないのかなと。人の心なんてわからないから、見る人はそのわからない部分を埋めようとして、相手の表情に自分の気持ちを反映させたり想像したりする。僕は突飛なことをするのではなく、あくまで標準なことをやって、そこから見る人に感じ取ってもらえればいいと思っていました。 ──政次を演じたことで、何か変化はありましたか?  受け身でいることって実は最大の“動”かもしれない、そう思うようになりました。自分で自分をコントロールしようとするのではなく、誰かにコントロールされることによって、逆に自分の本質が浮き彫りになるんじゃないかと。抗えない波に対して、不平不満を言って卑屈になるのではなく、その流れにのっていくことこそ、能動ではないかと。政次からは、そんなことを感じました。 ──高橋さん自身は、不満を感じたり、イライラしたり、怒ったりすることは?  ものごとにもよりますが、あまりないんです。昔はもっと、怒ったりイライラしたりしていたんですけれど。僕はそういう感情を自分に向けてしまいがちで、自己嫌悪したり自分を傷つけてしまう。これはマズイと思って、「とにかく笑っていよう」「ふにゃふにゃでいよう」と。そう思うようにしてから、だいぶ変わりました。 ──それはいつ頃から?  ここ5、6年です。自分以外の人って“外界”なわけですが、若い頃……、20代の前半くらいまでは、他人も自分も同じような感覚があったんです。「なんでうまくいかないんだろう?」って思っていました。30歳手前くらいから、ようやく人を他者として認識するようになりました。「みんな違うんだ」と。そう思うようになって、だいぶラクになりました。人を100%理解することなんてできない。そんな諦観みたいなものが、自分をすごく柔軟にしてくれた気がします。と同時に、相手に対して感じていることは、自分のある一面を映しだしているのかもしれないと考えたり。自分の気持ちの変遷を振り返ると、不思議な気がします。 ──何が、高橋さんを変えたんでしょうか?  人との出会いも大きいのですが、それ以上に芝居による経験が大きい気がします。お芝居って、別の誰かを生きようとするわけですから、そのフィードバックがもらえるんです。「ああ、こうしたらダメだよね」「でも、そうなっちゃうよね」……。そういう体験を、少しずつ自分の中に取り込んでいくんです。すごく豊かですよ、自分の人生自体が。 ──政次という役も、高橋さんの中に取り込まれた?  そうです。取材で「政次はどういう人間だと思いますか?」って聞かれても、うまく答えられないんです。役と自分が切り離せていないから。そんな役と出合えることは本当に幸運なことで、幸せな時間を過ごさせてもらいました。 ──長いキャリアのなかで、役者という仕事がイヤになったことは?  ないです。 ──仕事が楽しくて仕方がない?  というより、お芝居って呼吸みたいなものなんです。僕にとっては、“する”か“しない”かという選択ですらない。反射です。実際、お芝居させていただいているときの感覚って、呼吸と同じなんです。やらないと気持ちが悪くなる。「休みたいですか?」って事務所の人に聞かれるんですけれど、「いえ、息とめたくないんです」って答えてます(笑)。 ※週刊朝日 2017年8月11日号
週刊朝日 2017/08/08 16:00
盛夏に効くビアガーデン&ビアテラスはここだ! 専門家が旨い飲み方指南
熊澤志保 熊澤志保
盛夏に効くビアガーデン&ビアテラスはここだ! 専門家が旨い飲み方指南
西武池袋本店9階屋上、食と緑の空中庭園は2015年4月末にオープン。屋上担当の佐藤栄一さんによると、「年間の来場者数は約140万人で、リニューアル前の5倍。ファミリー層のお客様が増えた」という(撮影/今村拓馬) 「天空のビアテラス」では、スタッフがサーバーの注ぎ方をレクチャーすることも。異なる種類のビールを掛け合わせ楽しむ人もいた(撮影/今村拓馬) キリンが今夏から全国展開を始めた新サービス「ホームタップ」の専用サーバー。工場直送の本格的な生ビールを家庭などで気軽に楽しめる(写真部・岸本絢) 仕事帰りの会社員で賑わう、新丸ビル1階のSTAND T。7月末から、クラフトビールの種類も増やし、提供する予定という(撮影/伊ケ崎忍)  ビアガーデン人気が止まらない。デパートやビルの屋上のみならず、レストランやバーのテラス席が人気を博し、見渡せば、駅でも、屋上でも、人々は杯を交わしている。人はなぜ、ビアガーデンに向かうのか。  7月の土曜日。営業開始の16時前から人が集まりだしていた。家族連れ、女性同士、男性同士のグループ。緑化された壁面の緑が目を引くが、日はまだ高く、熱気が残っている。  東京・西武池袋本店9階屋上の食と緑の空中庭園では、4月末から10月初旬まで「天空のビアテラス」と銘打ち、ビアガーデンを営業している。あちこちから聞こえるのは乾杯の発声。サーバーのもとにはジョッキ片手に客がひっきりなしに訪れる。ビール、黒ビール、サワー、ワイン、各種ソフトドリンク。  この日、「どうしてもビアガーデンに行きたい」と訪れた20代の女性2人連れは、中高時代の同級生で社会人4年目。バーベキューをつつき、時折スマホを覗きこみながら、懐かしい話に花を咲かせていた。  女性客は多い。友人と屋台料理を楽しむ30代女性がここを選んだ理由は開放感だという。 「最近、野球観戦にハマっていて、週末は頻繁にホームチームの屋内ドームにいます。先日、はじめて明治神宮野球場に行ったのですが、格段によかった。ここもそう。屋外は気分の上がり方が違います」(30代女性)  見渡すといつの間にか満席。宵が深まり、庭園を彩るウォーターテーブルや草花がライトアップされる頃合い、空は茜や紫が混じり、マジックアワーのような趣が出る。  子どもを遊ばせながら語らう夫婦もいれば、豪快に飲み続ける男性グループや老紳士の一団、見つめ合う恋人同士もいる。晴れた夜空の下、それぞれがそれぞれの世界に没入している。 ●「レジャーとして定着」  ビアガーデンといえば今、異変が起こっている。もはや、会社帰りのおじさまたちが訪れるレトロな飲みの場ではなくなり、老若男女が訪れる憩いの場所に進化した、というのだ。  ビアガーデン評論家でトレンドウォッチャーのカシハラヒデコさんは、10年以上にわたり、全国のべ500軒ものビアガーデンを訪ね歩いてきた。  カシハラさんによると、ビアガーデンの変化はまず、リーマン・ショック後に現れた。 「今でこそ当たり前ですが、食事と飲み放題がついて4千円前後という価格設定に、お得感もあったのでしょう。屋外の開放感と、バーベキューや屋台料理などイベント感も味わえる手近なレジャーとして定着した印象です」(カシハラさん)  5、6年前になると、女子会ブームも重なり、2007年当時は都内で30軒足らずだった都内のビアガーデンが、現在は200軒に迫る勢いという。 「客層の女子率もかなり上がりました。以前は3割程度という印象でしたが、女子層をターゲットにしたビアガーデンも登場し、客のほとんどが女子というところもあります」(同)  主宰する「東京ビアガーデン制覇クラブ」の会員は男女半々だが、実際の飲み会に参加するのは7割が女性だ。  主役のビールにも変化の兆しが現れた。カシハラさんは言う。 「一番のトピックは、海外産や地ビールなど、(小規模醸造の)クラフトビールが飲めるビアガーデンが増えたことです」  クラフトビールは単価が高いため、提供するビアガーデンは昨年まで数えるほどだった。ところが、今年は飲み放題に取り入れる店も目立つ。ビール大手5社によると、ビール類の上半期出荷量は5年連続で落ち込んでいるが、クラフトビールはここ数年順調に増えている。 ●予約なしでは入れない  ビール大手・キリンも力を入れており、同社の広報担当も「今年から11種類のクラフトビールから選べるサーバーの提供をはじめ、すでに首都圏500台。年内に1千台に到達する見込みです」と話す。  喉越しがよい日本のビールは、「夏の屋外で飲むのにぴったり」(カシハラさん)というが、味わい深さやバラエティーを求める層も増えている。  出店スタイルも多彩になった。カシハラさんによると、さっぽろ大通ビアガーデンは、大通公園が丸ごと会場の日本最大級のビアガーデン。京都の「祇をん 新門荘」は舞妓さんが付く。名古屋の「マイアミビアガーデン」にはビアガーデンアイドルがいて、整理券が配布されるほどの人気だとか。  一方で、切ない事態もある。  今春に「キリンビール大学」が実施したインターネット調査によると、今夏、ビアガーデンに行きたいと答えた人は92.1%で、5年連続で9割を超えた。 「人気が過熱し、予約なしで入れるビアガーデンはほとんどなくなってしまいました。会社帰りに団体でふらりと立ち寄れる場ではなくなった。どうしても行きたい場合は、一人席のあるビアガーデンもいくつかあります」(カシハラさん) ●気軽なスタンド飲みも  賑わうビアガーデンで一人飲むには修業が足りない。まずは同僚と気軽に飲めないものか。  ある金曜日の昼すぎ、有志が電話を入れてみたが、都内は軒並み満席。予約なしで入れるところはほぼない。ビアガーデン人口はいつの間に膨らんだのか。気軽に、ビール片手に開放感を味わいたい。そんな人々はどこへ行けばいいのか。  東京・丸の内の新丸ビル1階のビアスタンド「STAND T」は、テラス席の眼前には東京駅やビル群を望む。18時をまわる頃から来店客が増えてきた。店長の岸川洋之さんは、「立地柄、外資系企業の方や近隣の会社員がよく来店します。テラスはテーブル席よりもスタンド席が早く埋まります」という。  この日、会社の先輩たちと18時ごろに来店した20代の女性会社員は言った。 「暮れていく空を見ながら飲むのが、風情があっていいんですよね。先輩たちに連れてきてもらって、スタンドで飲むのもいいなと思うようになりました」  思い思いのビールを掲げ、乾杯で泡が弾け、笑い声も飛ぶ。その傍らを通るだけで、なんだか無性に飲みたくなってきた。  テラスでもいい。スタンドでもいい。一人だって、いいかもしれない。街に出て、ビアガーデンに行こう。(編集部・熊澤志保) ※AERA 2017年8月7日号
グルメ
AERA 2017/08/03 16:00
稲垣えみ子「昔はみんなスーパーマン 長屋の片付け&コミュ力」
稲垣えみ子 稲垣えみ子
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稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年、愛知県生まれ。2016年1月まで朝日新聞記者。初の書き下ろし本『魂の退社 会社を辞めるということ。』(東洋経済新報社)が発売中  元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。 *  *  *  そんなわけで「実はリッチかもしれぬ江戸の貧乏長屋」に先行き不透明な退社生活の光明を見いだしたアフロは、その実物大見本が江戸東京博物館にあると知り、これは見ておかねばとトコトコ出かけたのでありました。  いやーもうね、参った参った。その狭さはわかっていたつもりだったんだが、実際に見るとさらに凄まじい。  中でも驚いたのは収納設備ゼロということ。「押し入れ」って庶民の家の標準装備と思ってたら実は贅沢品だったのね……。布団はたたんで隅に置き、衝立で隠さねばならぬ。着物は衣紋掛にかけて壁に下げる。いわば「見せる収納」だけど、こんなとこまで見られちゃうなんて! これじゃあ断捨離もなにもモノの増やしようもありゃしない。  そして、この少ないモノたちを動かしながら、ただ一つの部屋を、夜は寝室、昼は居間、場合によっては仕事場にと、クルクル用途を変えながら暮らしていたわけですな。いやいやこれは相当な「片付け力」が必要です。  そしてもちろん風呂もトイレもない。トイレは長屋の一角にある共同便所。再現されたそれを見て、これが汚かったらここで暮らすのはイヤだなーと想像してしまいました。すなわちこれを美しく保てるかどうかが暮らしのキモなんだが、じゃあ一体誰が掃除をするのか。行政や業者に頼るなんてのは現代の発想です。ご近所で掃除当番を決めていたに違いない。しかし普通に考えてサボるやつとか絶対いたはずで、しかしモメながらも何とかするしかないわけで。そう思うと当時の人々のコミュニケーション能力の高さにも驚かざるをえません。  なるほど貧乏長屋で暮らす人とは、それだけでもう並大抵の人間じゃないのです。すなわちそれは惨めさに耐えるなんて次元の話じゃない。自分もその「並大抵じゃない人間」になれるかどうかが問われていたのであります。  そう思ったらですね、俄然やる気が出てきた(笑)。うじうじ後ろを向いてる場合じゃないよ。これぞ人生後半のビッグチャレンジである。 ※AERA 2017年7月31日号
AERA 2017/07/30 16:00
更年期をチャンスに

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女性は、月経や妊娠出産の不調、婦人系がん、不妊治療、更年期など特有の健康課題を抱えています。仕事のパフォーマンスが落ちてしまい、休職や離職を選ぶ人も少なくありません。その経済損失は年間3.4兆円ともいわれます。10月7日号のAERAでは、女性ホルモンに左右されない人生を送るには、本人や周囲はどうしたらいいのかを考えました。男性もぜひ読んでいただきたい特集です!

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学校現場の大問題

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クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

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働く価値観格差

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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

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