

野上祐
(のがみ・ゆう)
プロフィール
1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中
野上祐の記事一覧





難治がんの記者が大事にするコラム執筆の3つの流儀
野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中 2018年11月10日に公開したコラム、「『もう食事はとれない』そう告げられた難治がん記者の心の支え『カレーは裏切らない』」 うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は、「執筆の流儀」について。


「もう一度、一揆を起こします」 難治がんの記者が忘れられない同僚の行動
野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中 眺めるたびに色々な表情を見せてくれる福島の空と雲。福島市内のあづま総合運動公園。福島から東京に引っ越す直前の一昨年2月14日に撮影した うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は、いつものコラムとはちょっと違う、野上さんが忘れられない思い出のエピソードをお届けします。

「ナポレオンが3歳で死んでいたら…」予想外の展開に難治がんの記者が忘れられない高校時代の歴史の授業
野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中 近年ベストセラーになった『君たちはどう生きるか』。ナポレオンの没落についても書かれている うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は世の中を変えていくsomething、「何か」について。高校時代の忘れられない授業とは?

「ひとはなぜ生きるのか」と考えたことがない 難治がんの記者と寅さんが語った「人が死ぬ理由」
野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中 フーテンの寅像と筆者。2016年11月13日、東京・柴又の柴又駅前 うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は「ひとはなぜ生きるのか」という問いについて。

「もう食事はとれない」そう告げられた難治がんの記者の支え「カレーは裏切らない」
野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中 閉店の8日前に入れたラーメン店の一杯。福島県の「白河ラーメン」を味わえる貴重な店で、夫婦でよく行った うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は「もう食事はとれない」と伝えられたことについて。
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