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「ひざが痛いから歩かない」は悪循環! ガリガリ音がするひざ痛を専門医が解説
「ひざが痛いから歩かない」は悪循環! ガリガリ音がするひざ痛を専門医が解説
加齢とともに関節軟骨がすり減ると、削られた軟骨のかけらが滑膜を刺激し、炎症が起こる。軟骨が完全になくなると、骨同士がぶつかり合い、骨がすり減るようになる  立ち上がるときや階段を降りる時にひざが痛むことはありませんか。ひざの関節軟骨がすり減る変形性膝関節症のかもしれません。進行すると骨も変形し、歩くのが困難になっていく病気です。発売中の週刊朝日MOOK「腰痛 肩こり ひざ痛のいい病院」では、専門医がひざの痛みの症状や治療法を紹介します。 *  *  *  中高年のひざの痛みの原因として、もっとも多い変形性膝関節症。日本における変形性膝関節症の推定患者数は2530万人といわれ、日本人の5人に1人がその予備軍、15人に1人が症状を感じているともいわれています。女性のほうが男性より約3倍も多く、女性は50代半ばから、男性は60代半ばから急増します。そして加齢とともに増加し、80歳以上の人のひざを調べると、症状がなくてもほとんどの人に変形性膝関節症がみられるともいわれています。  女性に多い理由ははっきりとわかっていませんが、もともと女性のほうがひざの構造が小さいため、体重が増えると負荷がかかりやすい、靱帯がやわらかく、筋力が弱い傾向がある、閉経によって女性ホルモンが減少することなどが影響すると考えられています。  変形性膝関節症の一番の要因は加齢で、関節軟骨や半月板がすり減ることで、次第にひざが変形していきます。そのほか肥満や筋力の低下、関節軟骨の代謝異常といった遺伝、O脚やX脚などが影響します。また、ひざに負担がかかる仕事やスポーツ、外傷が引き金となって発症することもあります。  最初に感じる発症のサインは、動き始めの痛みです。立ち上がったとき、ふりむいてひざをひねったときなどに痛みますが、少し休んだり、歩いたりしているうちに痛みはおさまります。痛みは、削られた軟骨の破片が関節包の内側にある滑膜を刺激して、炎症を起こすことから生じるものです。  炎症によって関節液が大量に分泌されるようになると、ひざが腫れて、外から見てもひざのお皿部分の輪郭がはっきりしなくなっていきます。朝起きたときに、ひざがこわばることがあるのも特徴です。   進行すると特に階段を下りるのがつらくなり、ひざを曲げたり伸ばしたりしにくくなるため、しゃがむのが困難になり、やがて正座ができなくなります。   軟骨が変性していくと、その下にある骨も変性、変形していき、関節の骨と骨の間が徐々に狭まり、一部が直接ぶつかるようになります。すると立っているだけのときや安静時、夜間にも痛むようになります。コリコリ・ガリガリといった音がすることもありますが、それは骨と骨がぶつかっている音です。   骨同士がぶつかって骨がすり減るようになると、骨はその分を補おうとしますが、元どおりには再生できず、横にはみ出した形で増殖していきます。これを「骨棘(こつきょく)」と呼び、増殖するとひざは節くれだっていきます。   いよいよ自力で歩けなくなってくると、むしろ痛みは感じにくくなっていくこともあります。 ■放置して歩かなくなると悪循環を招くことも   一度変形した関節はもとには戻りません。しかし運動療法や生活の工夫などによって症状を和らげ、進行を防ぐことはできます。ひざの変形が進むとこうした保存療法の効果が出にくく、手術を検討せざるをえなくなってくるため、早めに整形外科を受診することが大切です。   変形性膝関節症は徐々に進行していくため、原因がわからないまま市販の湿布薬などで対処してしまい、受診のタイミングが遅れることがあります。受診しないまま、痛みのためにだんだん歩かなくなる、すると筋力が落ちて体重も増えるといった悪循環を招くこともあります。   痛みを感じるようになってから1週間近く様子をみても、痛みが続くとき、もしくはいったんは症状が落ち着いても再び痛みが出るときなどのタイミングで、整形外科を受診しましょう。   変形性膝関節症はX線検査のほか、問診や視診、医師が手を添えてひざを動かし可動域や関節部の腫れなどを診る触診などによって診断できます。X線画像では変形の程度や骨棘の有無を診断することができますが、画像による進行度と症状の程度は、必ずしも比例しません。つまり画像上では変形がかなり進んでいても痛みはそれほど感じていないといったケースもあるのです。   治療はまず、生活の工夫や運動療法、薬物療法を中心とした保存療法を実施します。特に運動療法は、重度の変形性膝関節症の場合を除き、ほとんどの人に効果が表れることがわかっています。ひざのサポーターなどを利用する装具療法や温熱や電気での刺激を与える物理療法を実施することもあります。   一般的に保存療法を3~6カ月実施しても改善がみられないときは、高位脛骨骨切り術や人工膝関節置換術など、手術を検討します。 (文/中寺暁子) 監修/齋藤知行医師(横浜市立大学病院整形外科部長) ※週刊朝日MOOK「腰痛 肩こり ひざ痛のいい病院」から一部抜粋
シニア朝日新聞出版の本
dot. 2017/11/01 07:00
櫻井翔 嵐は「高校生活の思い出」という気持ちだった
櫻井翔 嵐は「高校生活の思い出」という気持ちだった
櫻井翔さんは、どんな高校生だったのか(※写真はイメージ) 「先に生まれただけの僕」(日本テレビ系、毎週土曜夜10時~)で4年半ぶりに連続ドラマに出演中の櫻井翔さん。演じる鳴海は、35歳にして高校の校長ということで、自らの高校時代を振り返ってもらった。 ──どんな高校生だったんですか?  チャラついてました。ピアス開けて、日サロ(日焼けサロン)に行って、渋谷で遊んで。ギャル男です(笑)。 ──意外です。高校時代、印象的な先生はいましたか?  ドラマの第1話で鳴海が「校長の話は長すぎるといつも思っていた。だからもう終わり」と、始業式の挨拶を数秒で済ませる場面があるんですが、僕が高校1年のときの校長先生も、まさに同じことをされて、盛り上がりましたね(笑)。けっこう人数の多い男子校だったので、体育館が地鳴りみたいになったのを覚えています。それから、高校1年のときの担任の先生にはお世話になりました。芸能活動と学校生活を両立させていて……、といっても当時ジャニーズJr.でまだ何者でもなかったのですが、前期の試験結果がイマイチよくなかったところ、先生のサポートで留年することなく進級できました。今でもお付き合いがあります。 ──商社マンとして活躍していた鳴海は、不本意ながらも経営難の高校に出向となり、そこで活躍していきます。櫻井さんは、自分の意思に反して始めたことだけどやってみたら成功した、よかった、という経験はありますか?  この仕事をしていることが、まさにそうかもしれませんね。もともと高校生のうちにやめて、普通に大学生になるつもりだったんです。高校生活の思い出、くらいの気持ちでしたから。まさかこの年まで続けられるなんて、思ってませんでした。僕が高校生の頃、この年までアイドルとして活動できるなんて、想像もつかなかった。先輩方のおかげですね。 ──「この仕事をやっていこう」と決意したのは、いつ頃でしょうか?  大学を卒業するくらい、「嵐」5周年の頃ぐらいですかね。でも、もしかしたらいまだに踏ん切りがついてないのかもしれない(笑)。そういう自分を納得させるために、がむしゃらにやってる面もあります。(構成 本誌・野村美絵) ※週刊朝日 2017年11月3日号より抜粋
週刊朝日 2017/10/31 16:00
タフすぎる学校行事「強行遠足」 制限時間24時間で100キロ超を踏破
タフすぎる学校行事「強行遠足」 制限時間24時間で100キロ超を踏破
甲府第一高校/午後2時、元気いっぱいに出発。その数時間後から、ただ足を前に出すことがどれだけつらいかを思い知る。最後尾がゴールするのは24時間後。極限状態での自分との葛藤は、どんなに卒業年次が離れていようと、同窓会で盛り上がる鉄板ネタだ。女子は男子のコースの30キロ地点から約40キロを歩く(撮影/写真部・今村拓馬) OBの堀内健太郎さん(撮影/工藤隆太郎)  ボクシングで世界を獲った村田諒太は試合後に言った。「高校の恩師が言っていた……」。そう。苛烈な人生を支えるのは数字ではない。教え、そして出会いだ。多感な中高時代、どう学校を選ぶか、手がかりを探してきた。  甲府市内にある校舎を昼間に出発、夜を徹して長野県小諸市のゴールを目指す。その距離、100キロ超(男子)。標高差1千メートル以上。それが山梨県立甲府第一高等学校(甲府一高)の「強行遠足」だ。  始まりは大正13年。91回を数える今年は秋晴れの10月7、8日に開かれた。「遠足」とはいうが、のんびり歩くと24時間の制限時間内にゴールできない。走っては歩きの繰り返し。先頭グループはほぼマラソンだ。  途中、足の皮はむけ、汗で濡れたシャツが体温を奪う。鉛のように重くなっていく足。一緒だった友だちの姿はもう見えない。30キロを超えると真っ暗な山道だ。霧で数メートル先も見えない中、額のヘッドライトだけを頼りに前進しながら「何のためにこんなことをしているのか」と自問自答する。完走率は6割弱だ。  この強行遠足を体験したくて甲府一高に進んだ3年生の岩瀬大周(たいしゅう)さんも、昨年は足の裏が疲労骨折状態となり、50キロ地点で涙のリタイアとなった。  陸上部の長距離選手の意地をかけ、高校生活最後はトップでゴールしたい。その一心で、今年は1カ月前から父親とともに毎週30キロ走を繰り返した。  生徒は経験を重ねるたび、何がダメだったかを反省し、次の戦略を練る。岩瀬さんは、前半のハイペースがたたった昨年の失敗を踏まえ、本番はペースを抑え気味に走った。しかし、山道のつらさは予想以上。 「痛くない。大丈夫、大丈夫」  暗闇の中、声を出して自分に言い聞かせた。  同校のOBでボストンコンサルティンググループに勤務する堀内健太郎さん(31)は、そうした経験が今の仕事にも生きていると話す。例えば組織改革のプロジェクトは長期戦。戦略を立て実行、修正の繰り返し。何度も壁が立ちはだかる。 「強行遠足も五里霧中にとにかく一歩を踏み出す。でもそれを続けることがゴールにつながると体感できた。それが踏ん張る時の原動力になっています」  実は堀内さんの現役時代、女子生徒が遠足中に暴走車にはねられ死亡するという悲惨な事故が発生。一時は廃止案まで出て、距離も半減された。だがOBを中心に100キロ復活運動が起き、OB・保護者総出で安全確保体制を整備。4年前、伝統は復活した。堀井昭校長は言う。 「学校がリスクを恐れがちな今の時代、強行遠足ができるのはOBの思いと歴史があるから」  スタートから14時間余り経った8日午前4時半。岩瀬さんは2年生の後輩と手をつなぎ、トップでゴールした。(編集部・石臥薫子) ※AERA 2017年11月6日号より抜粋
AERA 2017/10/31 11:30
“立ちそばガール”が案内 最強「立ち食いそば」厳選25!
“立ちそばガール”が案内 最強「立ち食いそば」厳選25!
小諸そば 値段や店の雰囲気、デザインなどを分析し、業界での「立ち位置」を示したチャート(週刊朝日 2017年11月3日号より)  早い、安い、うまいで支持を広げていた立ち食いそば。近年はさらに「快適」も加わり、4拍子そろった店も多い。今回は大手チェーンを含め、都内で食べられる25を厳選しました。コスパが高いところから高級店まで幅広いので、足を運んでみてください。 「かつてのイメージとは違う、女子でも気軽に入りやすいお店が増えています。味も快適さも進化しているんです」  喜びながら話すのは、1日3食そばという日もあり、時には自分で打つこともあるイラストライターのイトウエルマさん。店を巡って立ち食いそばの奥深さを紹介した『立ちそばガール!』(講談社)という著書もある。  そんなイトウさんも、数年前までは、立ち食いそばに「ぶっきらぼうで、みんな急いでいる」といったイメージを、なんとなく抱いていた。  その考えを打ち砕いたのが、渋谷にある「蕎麦 冷麦 嵯峨谷」。 「きれいな民芸調のお店で椅子席もある。店頭では石臼が回り粉をひいている。打ちたて、ゆでたての十割そばが、もりそばだと320円で食べられる。私にとっては、名人の打つそばだと勘違いするようなレベルでした」(イトウさん) 「立ち食い」とはいっても、嵯峨谷のように現在は多くの店が椅子席も設けている。一般の高級店のように、麺が自家製で、天ぷらは注文を受けてから揚げるところも目立つ。値段はほとんどがワンコイン程度。  夜は天ぷらなどをつまみに、ちょい飲みできるところもある。  今東京のあちこちで、こうした立ち食いそば店が、しのぎを削る時代に突入しているのだ。  イトウさんはそば店の状況を、三つの世界に分類する。1.いわゆる老舗の名店などのグルメおそば世界、2.カツ丼があったり出前をしてくれたりする街のおそば世界、3.立ちそば世界。 「これまでは、三つがはっきり区分された関係でした。現在はグルメおそばのこだわりと、街のおそばの快適さという両方の良さを、立ちそばが吸収して進化している。立ちそばは安っぽいものではない。ぜひ、曇りのない目で見てほしい」  イトウさんに店を判断するポイントを教えてもらった。 「やっぱりまず、『もりそばがおいしいといいな』というのがあります。天ぷらなどの種物も好きですが、そばとつゆをおいしく引き立ててくれるものであってほしい。男性に好まれるボリューム感も重要ですね。大手チェーンには、万人を納得させるクオリティーがあります」  イトウさんが選んだオススメが文末の一覧だ。そばやだし、天ぷらの特徴などを短くまとめている。店舗のデータは公式サイトなどをもとに、編集部で作成した。営業時間や休業日はそれぞれ異なるので、ネットなどで確認してほしい。  値段や店の雰囲気、デザインなどを分析し、業界での「立ち位置」を示したのがチャートだ。コスパが高いところや、伝統的な立ち食いそばの雰囲気を楽しめるところが一目でわかる。「立ちそばに無縁な女子にもウケるスタイリッシュな店」や、「ハイクオリティーでお洒落」な店もある。  なかでも注目は、江戸時代から続く老舗かつお節問屋が手掛ける「そばよし」だ。かつお節粉で作る「おかかごはん」も名物になっている。 「老舗の料亭にも卸しているようなかつお節屋さんだからこそできる濃厚で絶品のつゆ。自家製の江戸前の細麺、それに合うように塩梅(あんばい)された種物。季節限定メニューは江戸っ子の粋が詰まっています」(イトウさん)  西新橋の「そば処港屋」のように、長い行列ができる人気店もある。モダンな店構えで、従来のそばの概念を変えるラー油のきいたつけ汁のそばを出す。この店の登場をきっかけに、インスパイア店が続々誕生した。  京王線・JR南武線の分倍河原(ぶばいがわら)駅近くの「Always SO‐BA」は、コンクリート打ちっぱなしの外観で、茶室をイメージした入り口。男性の望むカッコイイと、女性の望むカワイイをうまく折衷しているという。  天ぷらを堪能したい人は、水道橋の「とんがらし」に行くべきだ。 「イカやエビ、なすの天ぷらの『もりあわせそば』が評判です。ボリュームもあるので、おなかいっぱい食べたい方はぜひ」(同)  機械を導入しつつ、手打ちそばに負けないクオリティーの「あきば」も外せない。  チャートで「新ジャンル」となっている「そば助」は、しょうゆを使わない“究極の塩だし”で勝負している。  ほかにも、細麺の田舎そばでインドカレーも名物の「よもだそば」。「がんぎ」の、へぎそばだからこそののど越し、歯切れの良さも魅力的だ。「みとう庵」の、職人さんによる包丁仕事の、角が立ったそばも捨てがたい。  立ち食いそばについて語りだせば、尽きないものだ。そばがのびるといけないので、今回はここまで。後はみなさんが25全てを制覇し、自分の中の「ランキング」を決めてほしい。(本誌・太田サトル) 《厳選25 オススメの立ち食いそば》 ■名代富士そば 出店場所のセンスの良さは業界でも評判。グルメ感を表に出さないが、実は素材にもこだわる。各店の店長によるオリジナルメニューも魅力。店内のBGMは社長の作詞による演歌。首都圏中心に120店以上(海外店舗もある) ■ゆで太郎 自家製麺(そば粉55%と小麦粉45%の割合)の美味しさが自慢。全国展開している。椅子席も増え、女性の利用者も増えた。汁そばには「ゆずパウダー」を振るのがおすすめ。全国に約200店 ■小諸そば 「さらしなそば」を茹でたてで提供し高級路線をつくり出したパイオニア。卓上に、ねぎ、小梅、わさび、ゆず七味を常備。高級志向のリニューアル店(東京・鎌倉橋)もある。首都圏に約80店 ■名代箱根そば 小田急電鉄系で、駅の外にも展開している。みんなに好まれる味の「つゆ」と、コシがあって喉越しのよい「そば」を追究。店内は明るく、若い世代にも入りやすい。小田急沿線を中心に約50店(箱根そば本陣を含む) ■吉そば 店内は明るく清潔感がある。そば粉や野菜などの食材は国産を使い、つゆは無添加にこだわる。食器も高級感があり、一般のそば店に負けない一杯を提供する。都内に14店(渋谷や銀座、日本橋など) ■かめや 上野の高級料亭が出した店。かき揚げと温泉卵を組み合わせた「元祖天玉そば」が名物。かき揚げの衣は油が十分に切れて美味しく、つゆは出汁の味がガツンと濃厚。都内に5店(新宿や新橋など) ■嵯峨谷 店内で丸抜き(殻を取り除いたそばの実)を石臼挽きし、製麺して、茹でたてを出す。そばのコシ、喉越しは上々。内装は民芸調の和の雰囲気で、落ち着いて食べられる。都内に7店(池袋や渋谷など) ■みとう庵 本格そば路線。国産そば粉(キタワセ種)を使った二八そば(そば粉8割小麦粉2割)を、包丁切りで出す。角がピンと立ち、盛り付けも美しいそばがいただける。都内に7店(品川や大手町、大塚など) ■いわもとQ 早く提供するより味を下げないことを優先。おすすめは天ぷらセット(650円)。衣はサックリ薄く、エビはレアな火入れで、高級天ぷら店さながらの味。都内に4店(新宿・歌舞伎町や神田・神保町など) ■そば助 しょうゆを使わない塩だしのつゆが自慢。北海道産のそば粉の十割そばを、細麺で出す。「激辛・ごま唐辛子」「にんにらタレ」など目新しい調味料も用意している。都内に6店(稲荷町や池袋西口など、「すたんどそば助」2店を含む) ■がんぎ 新潟の十日町などで食べられているへぎそば(布海苔をつなぎにしたうっすらグリーンのそば)が、もりなら360円と「お値打ち」。夜はツマミと共に新潟の酒が楽しめる立ち飲み店に。都内に3店(中央区新川1丁目や三田など) ■そばよし 江戸時代から続く鰹節問屋が始めた店。自慢は鰹節をたっぷり使った濃厚なかけつゆ。サイドメニューの「おかかごはん」が人気だが、もっとおすすめなのは季節の種物のそば。都内に3店(日本橋、京橋、神谷町) ■よもだそば 自家製の細麺の田舎そばを茹でたてで出す。色の淡いつゆは無添加で出汁がきいている。使用する野菜は全て国産。限定メニューもあり、インドカレーも名物。日本橋店(中央区日本橋2-1-20 八重洲仲通りビル 1F)と銀座店 ■信州屋 製麺したてを出す。そばもつゆも美味しく、器も品がよい。春と秋の期間限定メニューは必食。春には「根付き有機せりそば」、秋には「時価 松茸そば」があり、香りが楽しめる。渋谷店(渋谷区道玄坂2-6-4)と新宿南口店 ■あきば オーナーはミシュランの星獲得店で修業をされた方。機械も導入するが、肝心のところは人間の感覚で仕上げている。辛口のつゆには贅沢な食材を惜しげもなく使っている。東京都台東区台東1-10-3 第95新井ビル1F ■とんがらし 注文を受けてから揚げる、天ぷらが評判。衣はふわふわサックサク、イカやエビもプリプリしていて完成度が高い。つゆはあっさりと上品な味わいで、天ぷらによく合う。東京都千代田区三崎町3-2-10 風水神田三崎ビル1F ■東京バッソ 打つのが大変なさらしな粉100%のそばを製麺したて、茹でたてで出す。ランチは大盛りが無料。つゆは無添加。他に田舎そば、ダッタンそばがある。女性一人でも入れる内装。東京都中央区日本橋馬喰町1-3-11 ■白河そば しょうゆを使わない塩出汁の「元祖店」。高めの値段設定だが、つゆを一口飲めば納得。出汁が濃厚で鰹節や昆布等がふんだんに使われており、人気店であることが頷ける。東京都新宿区原町2-8 ■丹波屋 薄衣で歯触りを生かした春菊天と、ネパール人直伝のインドカレーが人気。そばも美味しく、そば粉は北海道幌加内産。出汁は鰹節や日高昆布等を使っている。もりがおすすめ。東京都港区新橋2-16-1 ニュー新橋ビル1F ■おくとね まいたけ天が大きく、形が特徴的。まいたけを裂いたものを薄く広げて揚げてある。注文が入ると、これを割って丼にのせる。冷凍麺を使用、そばがシコシコして美味しい。東京都港区新橋2-20-15 新橋駅前ビル1号館B1F ■蕎麦さだはる 自家製粉の十割そばを茹でたてで提供する。「ねぎ」をはじめ様々なトッピングが無料。「天ぷらそば」の海鮮かき揚げは、とにかくデカい。麺の量も多く、おなかを空かせて行くべし。東京都港区西新橋2-9-3 クレビル 1F ■加賀 タマネギなどの分厚いかき揚げが名物。注文を受けてからじっくりと揚げるので、少々待たされる。熱々なので火傷に注意したい。衣はサックリして口溶けが良い。東京都渋谷区本町1-2-3 ■そば処港屋 中は暗く、水盤の中心に生けられた花を間接照明が照らす。大テーブルを囲む客が無言でひたすらそばをすする様は荘厳。人気の「冷たい肉そば」は、既成概念を変えた。超行列店。東京都港区西新橋3-1-10 ■そばうさ 白いアメリカンな内装はまるでカフェ。名物は「バジル冷そば」で、ベーコンやレタス、スクランブルエッグやレモンなど、そばらしからぬトッピング。内装も料理もかわいくて女子に人気。東京都千代田区麹町2-5-2 金森共同ビル1F ■Always SO-BA モダンな外観で勝負する。コンクリート打ちっぱなしの建物に、背をかがめないと入れない入り口。中は広がりのあるスタイリッシュな空間で、女子好みのパーツがあしらわれている。東京都府中市片町2-21 ※週刊朝日 2017年11月3日号
週刊朝日 2017/10/31 07:00
ネットの高校「N高校」は教育界を変えるか
ネットの高校「N高校」は教育界を変えるか
N高校とは/学校法人角川ドワンゴ学園が運営。全国から入学可能でネットコースと通学コースがある。通学キャンパスは東京と大阪にあり、来年には名古屋や大宮などでも開校。各クラスに担任がおり、チャットツール「Slack」上で毎日ホームルームも行われる。部活はビデオゲーム「ウイニングイレブン」で戦うサッカー部や将棋部、美術部など。サッカー部の特別顧問は元サッカー日本代表の秋田豊さん。文化祭として10万人以上を動員するニコニコ超会議にブースを出す。写真は今年の入学式。東京・六本木の会場で生徒はヘッドマウントディスプレーを装着。沖縄本校の校長式辞などを仮想現実の中で体感した(写真:N高校提供) 昨年の音楽祭。さいたまスーパーアリーナで校歌「代数Nの方程式」を歌った。校歌はカラオケでも配信(写真:N高校提供) オンラインでの生授業では「なるほど!」の表示や挙手、質問もできる(写真:N高校提供) 「ネットの高校」として昨年開校したN高等学校。将来の夢につながる学びができるカリキュラムに惹かれ、異才が集結し始めている。日本の教育に風穴を開けられるか。  10月半ばの日曜日。東京・築地の高層ビルの一室から発声練習が聞こえてきた。声の主はN高等学校(N高)の男女30人。11月3日の音楽祭に向けた練習だ。音楽祭といえばクラス対抗の合唱を想像してしまうが、通信制の同校生徒は1、2期生あわせて全国に約4300人。当然「対抗」は無理なので、有志で校歌を歌う。会場はなんと「さいたまスーパーアリーナ」。動画配信サイトのニコニコ動画(ニコ動)のユーザーが歌や踊りを披露する「ニコニコ超パーティー」のステージに立つのだ。 「1万5千人の観客を前に歌うなんて、普通の学校じゃありえないでしょう」  大阪から日帰りで駆けつけた女子生徒はそう声を弾ませた。 「ネットの高校」というキャッチフレーズから、仮想の高校と誤解されることもあるが、N高は学校教育法第1条に定められたれっきとした「高等学校」だ。ニコ動を擁するドワンゴと出版大手のKADOKAWAが経営統合してできた「カドカワ」が、インターネット時代の新しい通信制高校として昨春開校した。  同校の最大の特徴は、高卒資格向けの勉強以外の“空き時間のカリキュラム”にある。 ●偏差値40台から70台も  高卒資格は、パソコンやスマホで映像授業を視聴して「確認テスト」を受け毎月ネットでリポートを提出。年5日程度、教室での対面授業を受ければ取れる。一方で空き時間には、プログラミングや語学、物語や音楽、ゲームの創作などの授業から好きなものを選べる。大学受験講座や中学の復習講座だってある。しかも教えるのはその道のプロたちだ。多くの授業はライブの双方向。もちろん挙手や質問もできる。  どんな生徒がいるのか。同校によると、通信制なので不登校経験者が半数以上だが、中学時代に生徒会や部活のリーダーだった子や、プログラミングコンテストで入賞し、IT企業でインターンとして働いている子など多士済々。学力も偏差値40近くから70超まで。通信制高校に10年以上勤めた経験があるN高校の奥平博一校長も驚いた。 「従来の通信制には『選ばざるを得なかったから来た』子が多かったですが、N高で目立つのは『自分からここを選んだ』という子です」 ●「評価軸も急速に変化」  多様性を絵に描いたような学校だが、さらに選択肢が広まった。通学希望の声を受け、今春からは通学コースを新設したのだ。すると既存の枠に収まりきらない「異才」や「異端児」たちが新たに仲間に加わった。  その一人、大野尚子さんは東大合格者数で全国の女子校トップに君臨する中高一貫の桜蔭に通っていた。大野さんによると、体調不良から通学がつらくなったのは中学2年の頃。ある時、医師に「受験一色になりがちな空気が合わなかったのでは」と言われ、息苦しさの理由がわかった気がした。  大野さんには、医師になる夢がある。両親はともに医師。日ごろから医療について話しているだけに、「精神疾患の診断には、脳波などの科学的データを取り入れるべき」「大好きな音楽を治療に役立てる方法を科学的に研究したい」など、見つめているのは医師になった先だ。そんな大野さんが欲しかったのは、進学のためだけではない学びだった。  桜蔭高校に進まないことには両親も反対し、自身も最後まで迷ったが、N高の存在を知り「これだ」と確信した。今では必修授業のほか、アクティブラーニング型授業を複数選択。作曲の授業も受け、校外の作曲教室にも通う。そんな日々に「N校に来たからこそです」と大野さんも満足げだ。  まだいる。同じく桜蔭出身、小林優子さんの目標は「声優」という。放送部の活動で制作したオリジナルドラマで、声で演じる面白さに目覚めた。  アニメやゲームなどにのめり込み、中学では勉強がおろそかになったが、勉強自体は嫌いではない。「自分のペースで学びたい」とN高に入り、半年で高1の範囲のリポートをすべて終わらせた。N高で「ゲーム・アニメ・声優」授業の選択も考えたが、いまは大学受験を第一に考えている。志望校は「どうせなら東大かな」。大学生になったら声優養成所に通う計画だ。  個人と組織の関係性が変わる中、どこの組織に属するかよりも、個人が何をやりたいか、どんな才能を磨いてきたかが問われる時代だ。「学校で学ぶべきことや評価軸も急速に変化している」と奥平校長。それゆえN高は、個々人が強みを見つけ、伸ばせるよう徹底してサポートする体制となっている。  取材中に授業ものぞいてみた。ディスカッションで一番発言していたのは田邉快哉(かいや)さん。実はつらい中学時代を過ごしていた。生徒を「クズ」や「ゴミ」呼ばわりする男性教師が怖くて登校が苦痛に。学校全体を覆う同調圧力にも違和感を覚え、別室登校となり勉強も遅れてしまった。  自信を失う中で支えとなったのは趣味の動画編集。高校進学時に親が望んだ先は公立高だったが、N高なら中学の復習授業がある、大好きな映像の勉強もできると知って、両親を説得した。田邉さんは「僕ははっきり言って学校の勉強は苦手。だからこそもっと職業に直接つながる勉強がしたかった」と話す。  いま、田邉さんが授業で学ぶのは映像制作やプログラミングだ。学外では「フリーランス映像ディレクター」の名刺を手に、仕事の請負も始めた。「いまは毎日『楽しい』が更新されている」という。 ●慶應藤沢や灘高と渡米  一方で、友達も増えた。N高の生徒は多種多様。同調圧力もない。趣味が同じ遠隔地の仲間とも校内コミュニケーションツールであるSlackを通じてつながる。「学校の教室の中だけで、気の合う仲間を見つけるのは大変だけど、ネットを使えば必ず仲間は見つかります」(田邉さん) “教室”はネットや校舎だけでなく世界にも広がる。将来を考えるには、様々な出会いや刺激も必要だ。宮下空唯(くう)さんが志望校を神奈川県立の上位校からN高に変更した最大の理由は、「スタンフォードプログラムに絶対行きたかったから」。  これはN高が提携する米スタンフォード大学が毎年夏の2週間、世界の14~17歳の高校生を対象に実施しているプログラム。宮下さんは前出の大野さんとともに英語の面接を突破。慶應義塾湘南藤沢高等部、灘高、早稲田実業学校高等部から来たメンバーと共に、カリフォルニアのキャンパスに足を踏み入れた。宮下さんは言う。 「見るものすべてスケールが大きくて驚きました。授業では仮想の国を作り上げるグループワークが特に面白くて、チリやインド、香港などから来た子たちとどういう経済や政治、軍事の仕組みや文化がいいか、語り合った。2回は無理だけど、来年も行きたいくらい楽しかった」 「未来の夢につながる学び」を掲げるN高には、チームでモノやサービスを作り上げるプロジェクト型授業もある。1年を通じて取り組み、最終成果はカドカワの川上量生社長、ドワンゴの夏野剛取締役、実業家の堀江貴文氏ら選考委員の前で発表。企業が手がける学校ならでは、優秀なプロジェクトには事業展開の資金1千万円を提供し、起業も支援するのだ。これに惹かれてN高を志望する生徒もいる。  その中間プレゼンで20チーム中、トップに立ったのが大平ひかりさんと延原琴乃さんのチーム。開発しているのは、発達障害で親や教師とのコミュニケーションに苦しむ子どものための連絡帳だという。 ●校歌は代数Nの方程式  大平さん自身、発達障害の特性で、わかっていても字を書けなかったり書くスピードが極端に遅くなってしまう。延原さんは極端な人見知りで話すのが苦手。「困った状況を周囲に言えなかった苦しみ」が発想の原点となった。  市販の連絡帳には罫線があるだけで、翌日の時間割や持ち物などを書き込む形式が多いが、2人が考える連絡帳は、字を極力書かずに済むようあらかじめ科目名が印刷してあり、◯をつけるだけ。夜、家でゆっくり自分が困っていることや伝えたいことを日記のように書くページも作った。大平さんは「発達障害の子って得意なことと不得意なことがすごく極端。私もそうです。でもN高では得意なことを伸ばせるし、勉強もパソコンとネットでできるので、字が書けないハンディがまったく気にならなくなりました」と話す。  人前でうまく話せなかったはずの延原さんも、プロジェクトのプレゼンでは堂々と発表。N高の校歌「代数Nの方程式」の最後はこんな歌詞だ。 「運命は自分で変えられるのさ 代数Nに自由な夢描こう」 (編集部・石臥薫子) ※AERA 2017年11月6日号
AERA 2017/10/30 16:00
私はこれで「電気」をやめました 「東電フリー」な電気代0円生活
私はこれで「電気」をやめました 「東電フリー」な電気代0円生活
染織作家であるフジイさんの仕事部屋。「東電フリー」でもミシンやライトは問題なく使える  2011年の東日本大震災と、それに伴う原発事故により、節電を意識するようになった人は多いはず。さらには、電力会社との契約を解除し、すべての電力を自力で賄っている人たちも存在する。そんな「東電フリー」な生活とは?  都内の公営団地に暮らす染織作家フジイチカコさんが「東電フリー」生活に一歩を踏み出したきっかけは、東日本大震災だった。日中と夜間に3時間ずつ、合計4回の計画停電を経験し、近所の友人とロウソクの灯るカフェに集まり、不安を分かちあった。 「たまたま私がキャンプ用に持っていたソーラー式ランタンが役立ち、電気を自給する『オフグリッド』やソーラーパネルの話で盛り上がりました。エネルギー問題について考えている人が多く、仲間と情報交換をしながら節電を始めたのですが、すっかり楽しくなっちゃって」  まず取り組んだのは、契約アンペア数を30アンペアから15アンペアに下げること。すると3千円台だった電気料金が、一気に2千円台に下がった。約半年後の2011年秋には冷蔵庫のプラグを抜いた。24時間365日使いっぱなしとなる冷蔵庫は、家庭での消費電力の約14%を占める。当初はハードルが高いと思ったが、結果は「なくても意外と大丈夫」だった。 「野菜や卵は常温でも保存できるし、生鮮品は近所のスーパーでそのつど買えば問題ありません。また体が野菜中心の生活になじんで、肉や魚はほとんど口にしなくなりました」  掃除は箒や雑巾を使えばいいし、お米は鍋で炊けばいい。ストーブにやかんを置けば加湿器代わりになる。掃除機、炊飯器、加湿器、ドライヤー、トースターなどの家電製品は、次々に押し入れ行きとなった。電話機も、昔ながらの電気の必要ないタイプに買い替えた。そして12年8月、契約アンペア数を最小の10アンペアに落とした。 「月の電気代は千円に下がりましたが、仕事上必須のアイロンが15アンペア必要なので、とても困りました。インテリアに買ってあった骨董品の炭火式アイロン(グラビア参照)が役に立ちました」  並行してソーラーパネルを12万円で譲ってもらい、ベランダに設置。そして12年9月1日(奇しくも防災の日)、ついに東京電力との契約を解除した。  現在、フジイ家はソーラーパネル4枚で、1日最大2キロワットの電力を賄う。発電効率が最も上がるのは黄道(太陽が通る軌道)が低くなる冬の晴れた日で、使い切れないくらい発電してくれる。 「化石燃料に頼らなくても、こんなに自給できるのかと驚きました。余った電力をみんなにおすそ分けしたいくらい(笑)」  ソーラー発電の欠点は、天候に左右されること。特に雨の日は発電量が乏しくなる。そんなときは知人から譲り受けたエアロバイク発電機で自家発電する。10分ペダルを漕ぐだけで、脱水機3分、扇風機3時間、5ワットのLEDランプ(白熱灯で40ワット相当)2時間分の発電が可能だ。  ここで、フジイさんが「東電フリー」生活から得たアイデアをいくつか紹介しよう。 ●ソーラークッカー  太陽熱で加熱する調理器具。驚くほどの熱量があり、食材のうまみが引き出せる。市販もされているが、ステンレスシートなどを使って手作りも可能。 ●手作りCDライト  電球の傘のようにCDをLEDライトのまわりに取り付ける。鏡面に反射して光量が大きくなる。 ●植木鉢ストーブ  金属製のバットの上に網を敷き、キャンドルを置いた上に植木鉢をかぶせると火鉢のような暖かさに。大小の植木鉢を組み合わせて二重にすると、さらに効果的。  現在は第二種電気工事士などの資格を取得しているフジイさんだが、最初は特別な知識など何もなかった。 「ゼロから始めた主婦としては、まずは身近な節電に目を向けていただければと思います。待機電力をおさえるために、こまめにプラグを抜く。バスタオルは洗濯時にかさばるのでフェイスタオルを使用する、乾きやすい麻の素材を使用することなども、節電につながります。また、ドライヤーやアイロン、電子レンジなどの消費電力の大きい家電を同時に使わず、使用時間を分けることで、アンペア数を下げることができます」  フジイさんの取り組みは『ソーラー女子は電気代0円で生活してます!』にまとめられている。  西武線飯能駅から車で約30分。埼玉県入間川の源流に位置する旧名栗村の下田家は、「東電フリー」を実践して5年目に突入した。夫の亘さん(58)、妻の洋子さん(53)、双子のさちさん、ゆきさん(20)の4人暮らしで、暖房、炊事、入浴と、必要な熱量のほとんどすべてを薪炭で得る。山間地だけに夏は涼しくてエアコン要らず。冷たい湧き水のお陰で冷蔵庫も必要ない。  建坪15坪の木造住宅は、棟上げ、屋根工事までは業者に任せ、内外装工事は自分たちで、1年半かけて仕上げた。当初から「無電化住宅」を考えていたので、開口部を広く取るなど採光に配慮。必要な電力は最小限にとどめ、いわゆる「白物家電」は洗濯用の脱水機だけ。1.2ワットのLED電球8個と、大工仕事に使う電動工具、スマホの充電などはソーラー発電で賄う。あまりの徹底ぶりに、娘のさちさんからはこんな本音も。 「環境にも健康にもいいのはわかりますが、トイレは臭いし……。両親はいいでしょうが、私はもう少し便利な暮らしがしたいです」  実は下田家は以前、埼玉県内のごく普通の住宅街で「オール電化」の家に住んでいた。 「25年前に建てた家で、ソーラー設備付きなので電気料金が0円と安上がりでしたが、電磁波について調べるうちに、幼い子供への影響が怖くなりました」  さらに3.11後の計画停電で、オール電化の脆さを痛感した。給湯器が動かず風呂が使えない、IHなので調理もできないなど、「まるっきりなにもできなかった」という。  2人の娘が飯能市の私立中学に進学するのを機に、電力に頼らない家を求めて近隣で古民家を探した。しかし売りに出ている物件はなく、ゼロから理想の住宅を建てることになった。  下田家のエネルギーの大半を担うのが、薪ストーブだ。ガスや灯油も使用しないので、災害時には特に強みを発揮する。しかし一方で膨大な薪が必要だ。 「1年で使う薪は軽トラック20台分ほど。近隣の森林ボランティア団体の活動に参加して、間伐材をもらってきたり、近所の製材店から、軽トラ一杯500円で端材を譲ってもらうなどして賄います」  地元民や移住仲間との交流が、今の暮らしを支える力になっているという。妻の洋子さんも地元で開催される朝市などのイベントを通して、自家製クッキーなどの販売をしている。 「人と関わらなければ暮らしは回りませんが、それこそがこの生活の楽しみですね」(洋子さん)  さらにワイルドな「東電フリー」生活を満喫しているのが、埼玉県秩父市の新井亮介さん(29)だ。「82坪で20万円。軽トラを買うよりも安かった」と本人も笑うほどの格安で土地を購入。ほぼ一人、独学で昨年建てた小屋に暮らす。 「全部で100万円かかってない」という家には、電気、ガス、水道はナシ。川の水を生活用水とし、飲料水は近所の道の駅で汲んでくる。煮炊きはたき火とカセットコンロ。トイレはブルーシートで囲ったバケツで済ませ、風呂は近所の銭湯へ。照明と、携帯などの充電は、ソーラーパネル2枚で賄う。オンラインでネットにもつながっているが、 「『電気がない家に光回線を引いたのは初めて』と、電話会社の人が呆れていました」  普段は9時5時勤務のサラリーマン。車で約40分の水源管理会社でダムの保全を担うが、休日は猟師となって山野に獲物を追う。最近は婚約者の青木翔子さん(28)が、武甲山の登山口に開店したカフェ「LOGMOG cafe&shop」の隣に建てる新居の建築に忙しい。婚約者の目に、彼の小屋住まいは、どう映っているのか? 「私もどちらかというと都会的な『モノを持ってナンボ』の世界に疑問を感じていたので、なににも縛られない生活を実行している彼が、東京の男子より断然、頼もしく見えます。トイレだけはいただけませんが」  そもそも新井さんが小屋暮らしを始めたのは、モノの少ない生活に憧れたためだ。県内の実家に住んでいたころ、「自分の部屋なのに、自分の動けるスペースが狭い」と思ったのがきっかけだった。それから洋服や靴、雑貨を捨てる「断捨離」を始めた。引っ越し時の荷物は、軽トラ1台分にも満たなかった。現在も、冷蔵庫、テレビ、エアコンは持たず、代わりに冷たい飲み物はコンビニへ、テレビが見たくなったらラーメン店へ、猛暑日は図書館でやり過ごす。いわば徹底的な「断捨離」の結果が、「東電フリー」の小屋住まいだったわけだ。  小屋の維持費は、固定資産税が年間7千円。月の生活費は5万円程度だ。 「新居を建てたら、のんびり子育てして過ごしたいですね。本来、定年してからやることを、やってしまいましたから」 「而立」の年を前に、早くもセミリタイアにシフトしつつある新井さんであった。 * * *  日本の電力需要は戦後、ほぼ一貫して増え続けてきたが、節電意識が高まった東日本大震災以降はその伸びは鈍化傾向にあるという。震災以降、東京電力管内では電力使用量が約600万キロワット減少した。 「電力会社と契約しない」「契約を解除する」には、相当な覚悟が必要だ。しかしソーラー発電の普及により、電力会社に頼らずとも照明や情報端末の充電など、最低限の電力を確保することが可能になった。  戸建て住宅の太陽光パネル導入は16年度に200万件を超えた。背景には、家庭用の太陽光発電システムの設置費用の低下がある。1キロワットあたりの設置費用は11年に50万円前後だったのが現在では30万円程度となり、4割程度下がっている。 「東電フリー」の暮らしは、意外と身近なところにあるのかもしれない。(ライター・中山茂大) ※週刊朝日 2017年11月3日号
週刊朝日 2017/10/29 07:00
ミニスカートで苦情殺到! 芳村真理さんが明かす美のワザとテレビ時代
ミニスカートで苦情殺到! 芳村真理さんが明かす美のワザとテレビ時代
芳村真理(よしむら・まり)/1935年東京都生まれ。人気ファッションモデルとして活躍後、「ザ・ヒットパレード」「小川宏ショー」「夜のヒットスタジオ」「3時のあなた」「料理天国」など、テレビの黄金時代を代表する数々の番組の司会を務める。NPO法人MORI MORIネットワーク副代表理事(撮影/家老芳美) 『夜のヒットスタジオ』などテレビの黄金時代に日本一お洒落な司会者として君臨してきた芳村真理さん。82歳の今もなお、その溌剌とした美しさと洒落たいでたちは健在だ。そんな芳村さんの初となる美容エッセイ『一生、美しく。今からはじめる50の美習慣』(朝日新聞出版)を刊行した。今回は、芳村さんに「一生、美しく」あるためのとっておきのワザを聞いた。 ――年齢から人を判断するのは本当に野暮だなと、芳村さんにお会いして思いました。そんな風にずっと美しくあるために、いったい何をやってらっしゃるのかなと(笑)興味津々です。 芳村:いじったりはしてないのよ(笑)。整形手術なんていうのは、一回やると、もうずっとやらないといけないようになっちゃうから。私は、ありのまま。ただ、モデルの仕事から始めましたから、メイクは上手になったかもしれません。それと、姿勢ね。モデルのウォーキングスクールのようなものに行くのはおすすめですよ。今は普通の人も受講できるようなものがあるそうですよね。 ――まずは姿勢についてうかがいましょう。そもそも長時間、デスクに悪い姿勢で座っている女性は私も含めて多いので。 芳村:一度、きれいな姿勢を思い出しましょう。膝と膝をくっつけて座ってみてください。すっと背筋と首筋が伸びるでしょう。なるべくそれをキープすること。せめて電車のなかで座るときだけでもいいから、まずはその姿勢を覚えてください。 ――なるほど、膝と膝が開いている女性は多いですね。 芳村:そうなの。私は子どもの頃、寝ている間に祖母が足首を紐で結わえてくれたりしたので、膝と膝をくっつける状態に慣れていたのです。まずはそこからね。 ――メイクで大事なこと、すぐできそうなことはありますか。 芳村:メイクで大事なことはふたつ。眉の形と、ファンデーションの色です。眉は、本当に難しいですね。眉ひとつで、本当に印象が変わりますから。一度、何人かでお金を出し合って、プロのヘアメイクさんに頼んで眉描き大会をやったらいいと思います。そして、「この眉が一番自分に似合う」と思っても、5年も10年も同じ眉でいないこと。太さも色も流行がありますから、時々はデパートの化粧品カウンターへ行って、流行の眉を描いてもらうのもいいですね。  もうひとつは、ファンデーションの色。「首の色に合わせる」とか言うけれど、それでも白すぎる人が多いでしょう。だいたい、自分の思っている1~2段階黒めのファンデーションを選ぶほうが若々しく見えます。顔の骨格を強調できますから。 ――なるほど。白すぎる肌はべたっと見えて、表情がわかりづらいかもしれませんね。仕上げはファッション。真理さんは本当にたくさんのハイブランドの洋服を着て来られたと思うのですが、今はどんなふうにお洒落されていますか。 芳村:昔はお洒落な洋服は本当に高価だった。番組でずいぶん着せていただきましたね。そこで学んだものは本当に大きいと思います。今はテレビのレギュラーに出ているわけでもありませんし、湘南に住んでいて、地元の友人たちとご飯を食べたりというような静かな暮らしですから、TPOを5段階くらいで考えて、いろいろなファッションを楽しんでいます。ゆるい普段着から、東京へ出ていくときのおしゃれ着まで。  でも流行を知ることは大事なので、まずシーズンの初めには、UNIQLO、ZARA、H&Mなどのファストファッションのお店は全部回ります。ラッフル袖が流行りだとか、グレンチェックが流行りだとか、一番わかりやすいですからね。それで、上着など目立つもの、流行色の物などはそういうお店で買っちゃう。この夏流行った黄色など、そのシーズン限りな感じがしますからね。でも、ベーシックな色のインナーや、靴やバッグはちゃんとしたブランドのもので「本物を知っている」ことを表すようにしています。 ――それはとても参考になりますね。芳村さんが今日着ていらっしゃるツィードのジャケット、シャネルかと思っていました。 芳村:ふふふ、ZARAなのよ(笑)。 ――その貫禄は、やはりテレビのいい時代に培われたものなのでしょうか。 芳村:そうね、いろんなことができた時代ではありました。その反面、テレビがお茶の間にどっぷり入ってたので、マイナスの反応もものすごかった。朝のワイドショーで初めてミニスカートを着て出たときは、局の電話が主婦からのクレームで鳴りやまなかったり。だけど、1年経ったら世間の女性はみんなミニスカートになった。だからやりがいがあった、と思いますよ。で、今もテレビ局の人と話してたんだけど、あの頃は、やっぱりテレビっていうのは、一つの立派なステージだったので、出ることに気構えがあったのですよ。「大変だ、全国に映っちゃう」って。今のテレビみたいに、生活の延長線上のような話をただペラペラしゃべって、というふうになると、別に着るものに主張も覚悟もいらないのかもしれませんね。でも、テレビに出る人は、季節やTPO、マナーといったことを意識してもらいたいなあと思います。 ――思い入れや覚悟をちゃんともって着るからこそ、視聴者に伝わるものもあるように思います。芳村さんには、これからもお元気で、素敵なファッションでテレビに登場していただきたいです。 (インタビュー・構成/森綾)
朝日新聞出版の本美容読書
dot. 2017/10/27 16:00
「周りはみんな敵」リポーター阿部祐二を助けた“鬼嫁”の存在
中村千晶 中村千晶
「周りはみんな敵」リポーター阿部祐二を助けた“鬼嫁”の存在
阿部祐二(あべ・ゆうじ)(左)/1958年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。83年にドラマデビューし俳優として活躍。94年、リポーターに転身。「ルックルックこんにちは」「ザ!情報通」など数々の番組でリポーターを務める。2007年から「スッキリ」に出演中。著書に『超ハードでも疲れない仕事術』(PHP)がある。阿部まさ子(阿部・まさこ)(右)/1960年、千葉県生まれ。15歳からゴルフのアマチュア大会に参加し、79年からプロゴルファーとして活動。80年から日本女子プロゴルフ協会に所属。現在はティーチングプロフェッショナルとしてゴルフ指導を行っている。23歳の長女・桃子さんはファッションモデル、タレントとして活動中。2017年ミス・ユニバース日本代表に選出された。(撮影/倉田貴志)  リポーターの阿部祐二さんと当時“美人プロゴルファー”として話題だったまさ子さんの出会いは、祐二さんが俳優だったころ。結婚後、兼業していた家庭教師として成功したときにリポーターの仕事が舞い込んできた。夫は大学時代から記者志望でもあった。やりたかった仕事をする千載一遇のチャンス。だがリポーターと家庭教師の両立は難しい。 ※「リポーター阿部祐二は“格差婚” 妻は美人プロゴルファー」よりつづく *  *  * 夫:「リポーターっていくらもらえるの?」って聞かれて、「いや、僕もやってみないとわからない」って。 妻:私は出産で仕事を休まなければいけないし、家のローンもある。どうしよう? 大丈夫?と思ったけれど、彼が「どうしてもやりたい」と言うから、「じゃあ、やってみてください」と心を決めたんです。でも最初の事件リポートはひどかったよね(笑)。 夫:1994年の「つくば母子殺人事件」の中継でした。その家には飼い犬のレトリバーが2頭いて、置き去りになっていたんです。僕は現場で何もコメントが言えなくて、ひたすら「ゴールデンレトリバーが歩いています!」「ゴールデンレトリバーが庭を横切りました!」と十数回も連呼した。プロデューサーに「阿部ちゃん、ゴールデンレトリバーはもういいから……」ってダメ出しされて。 妻:私も帰ってきた彼に「ゴールデンレトリバー、さすがに多かったわよ」。 夫:「やばい! このままでは干される!」と思った。そこから猛勉強し、鬼のような生活が始まるわけです。 ――阪神・淡路大震災、オウム事件──相次いで大事件が起こり、夫は全国を飛び回るようになる。妻は出産後、トーナメントプロを引退し、ティーチングプロに転向。子育てもほとんど妻に任せっきりだった。 夫:リポーターを始めたばかりのころ、夜の付き合いも重要だと思って無理して朝まで飲み歩いていたんです。でも明け方、家に帰ると彼女が怒って家に入れてくれない。 妻:ドアチェーンの隙間から情けない声で「入れてくださ~い」って。 夫:グデングデンの状態で家に入ると、まだ幼かった娘が顔に乗ってくる。2人からの制裁が待ってるわけです。そのとき「あなたは一体、何をしてるの」と彼女に聞かれた。「輪の中に入るための努力をしてるんだ」と言うと、「あなたはそんなこと好きじゃないでしょ?」と。これにはハッとしました。そう、僕はもともと外で楽しく飲めるようなタイプじゃないんです。 ――飲みに行くときは1週間前に申告する、全国どこにいても基本外泊はせず家に帰る──妻が決めたルールはなかなか厳しい。ゆえに“恐妻家”と言われることも多いが、目の前の二人の関係はとてもおだやかだ。 夫:結局、僕もそれで自己管理ができましたしね。それに僕は友達もいないし、外でのことを全部家に持ち込むタイプ。話し相手も彼女しかいないんですよ。 妻:世間では“鬼嫁”のイメージがあるみたいですけど、違うんですよ(笑)。 夫:彼女はイエス・ノーがハッキリしているんです。いやなことはいや、できないことはできない、とキッパリ言う。 妻:でも娘もこの性格を引き継いじゃって、人間関係で苦労しているみたい。 夫:いまの世の中は“無難”が主流だけど、ウチの2人は違うんですよ。僕にはそれはできない。処世術と人を蹴落とす戦いばかりの世界で働いて、家に帰って彼女のような純粋な人間がいてくれるとホッとするんです。仕事の愚痴も散々、聞いてもらってきました。 妻:それまでの番組が終わって、次に「ルックルックこんにちは」に抜擢(ばってき)されたのはいいけれど、すでに先輩リポーターが30人くらいいて、なかなか這い上がれない、とかね。 夫:実績も人脈もないから、声がかからないんですよ。 妻:「悔しい」「悔しい」って言って。そんなの外では言えないから、全て私が引き受けた。彼は英語力を生かしたがっていたけれど、それも「自分でアピールしてはダメ。周りが気づくまで辛抱して」って。 ――そんな妻の内助の功が夫の運勢を開いた。 妻:97年だったかな、私が仕事先で、彼の先輩で第一線で活躍していたリポーターさんに偶然会ったんです。思わず駆け寄って「阿部祐二の妻です。うちの人、あなたをすごく尊敬しています!」とあいさつした。 夫:そこからガラッと状況が変わりました。リポーターの世界で居場所ができたというか、いやすくなったんです。なぜかスクープを取ることも多かった。まあそれでもこの世界は、周りはみんな敵。その後もさんざん中傷や批判をされましたけどね。 妻:あの台風リポートへの批判はすごかったね。「暴風で立っていられなかったのに、カメラが止まった瞬間、スタスタ歩き出した」と批判された。たまたま突風がやんだだけなのに。 夫:「うそつき」「やらせ」「誇張」とたたかれた。 妻:でも07年、「スッキリ」に出演したころから、ようやく見通しが明るくなってきたよね。 夫:僕もやっと自分に自信がついてきたんです。特に6年前からは完全に開きなおりました。 ――11年3月11日の東日本大震災発生の13時間前、夫は交通事故にあった。 夫:明け方、タクシーで自宅に帰ってきて、家のすぐそばで真横から車にぶつかられたんです。 妻:私が駆けつけると車の中は血の海でした。電柱が曲がるくらいの衝撃で、第二頸椎骨折と診断された。 夫:その13時間後くらいに東日本大震災が起きた。意識がもうろうとしているのに揺れに驚いてベッドから飛び降りようとして、周囲に押さえられたらしいです。 ――取材に行くこともできず、1カ月以上の入院とリハビリの日々。復帰できたのは2カ月半後だ。しかし、焦りはなかったという。 夫:「悔しい」とは全然思わなかった。いい機会に恵まれたと思えました。これはもう神様が「休みなさい」と言ってるんだよと。 妻:入院中は毎晩、病院に食事を運んで娘と一緒に過ごしたんです。そんな時間、それまでの22年間、一度もなかった。 夫:僕はあれから本当に人生観が変わりました。一日一日ご褒美をもらっているようで、そのありがたみを感じるようになった。 妻:「生かしてもらった」と感謝しています。もう少しずれていたら下半身不随になっていたかもしれない。 ――いまの夫婦の最大の関心事は娘・桃子さんのこと。ミス・ユニバース世界大会に出場する。 夫:11月、現地について行きます。結果はどうあれ、ここまで来たことがすごいことだから。 妻:その後はまた二人でのんびり旅行に行きたいね。(聞き手・中村千晶) ※週刊朝日 2017年11月3日号より抜粋
週刊朝日 2017/10/27 11:30
10月から旬の「サバ」。「鯖街道」という道を知っていますか?
10月から旬の「サバ」。「鯖街道」という道を知っていますか?
10月も半ば。寒い日が続くようになり、冬の気配を感じるようになってきましたね。一年を通してスーパーなどに並ぶサバですが、9月から11月ごろが旬と言われています。 今回は、日本におけるサバの歴史と栄養についてご紹介します。 京は遠ても十八里。京都と福井を結ぶ「鯖街道」 徒歩で物資を運んでいた時代、海から遠い地域において魚はとても貴重な食べ物でした。傷みやすいサバを運ぶために、人々はサバに塩をふっていたそうです。京都に隣接している奈良の平城京跡地からは、「旧鯖(ふるさば)」と書かれた荷札が見つかっています。旧鯖とは、サバを塩につけた保存食のことです。 現在の福井県にある若狭は、朝廷に食料を納めていた「御食国(みけつくに)」の一つです。「京は遠ても十八里」という言い回しがあるように、若狭の人々は重い荷物を担いでおよそ80kmの道のりを歩いていました。若狭からはサバがよく運ばれていたそうで、サバが運ぶために使われていた道が、後に「鯖街道」と呼ばれるようになったのです。もちろん舗装されていない山道を通るわけですから、さぞ大変な仕事だったでしょうね。夜通し歩いて運んだサバは、京についた頃には塩がよくなじんで良い味になったと言われています。京都の名物「さば寿司」 DHAだけじゃない?サバにはたっぷり栄養が含まれているんです! みなさんは、サバに含まれている栄養と聞いて、何を思い浮かべますか?サバにはDHA(ドコサヘキサエン酸)がたっぷり含まれていることは、多くの方がご存知なのではないでしょうか。DHAには悪玉コレステロールを減らして血液をサラサラにしたり、アルツハイマーや認知症を防ぐなどの効果が期待されると言われています。 さらにサバには、セレンと呼ばれるミネラルの一種が豊富に含まれています。セレンはアンチエイジングに効果があると言われています。サバに含まれるセレンの量は、全食品の中でもトップクラスです。 サバが美味しいこの季節、焼いたりみそ煮にしたり、料理の仕方を変えながら、たっぷりの栄養を美味しくいただきたですね。 今回はサバの歴史と栄養についてご紹介しました。 鯖街道には昔の風情が漂う観光地がたくさんあります。鯖街道に赴き、当時の人々の暮らしを感じながら、美味しくて栄養たっぷりのサバをいただいてみてはいかがでしょうか。 <参考・参照サイト> ええやん!若狭の國 北陸物語 良好倶楽部
tenki.jp 2017/10/19 00:00
忖度する力あり? 埼玉県民の「魅力」3つと「トリビア」30!
忖度する力あり? 埼玉県民の「魅力」3つと「トリビア」30!
漫画「翔んで埼玉」作者、魔夜峰央さん  ヒット曲「恋」やエッセー『そして生活はつづく』で知られる星野源も、今年夏の高校野球で初優勝した花咲徳栄(とくはる)も、「このハゲー」の暴言女性議員も、みんな埼玉ゆかり。かつて「ダサイタマ」と呼ばれた地だが、最近は何かと話題が多い。日本をリードする大逆転劇か?  埼玉の話題や情報を発信するサイト「そうだ埼玉.com」を運営する、鷺谷政明さんは「今年夏は、県内のどこへ行っても花咲徳栄の話題でした」と振り返る。  埼玉県は東西に広く、市の数が40と全国で最も多い。でも、この夏は高校野球で一つになった。  JR東日本が今年夏に調査した「住みたい駅」ランキングでは、恵比寿や武蔵小杉を抑え、大宮が1位。「らき☆すた」(久喜市鷲宮)、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(秩父市)など、埼玉が舞台の人気アニメも多い。「都会と田舎と両方あって話を広げやすく、舞台にしやすい面があると思います」と鷺谷さん。アニメの舞台を巡る「聖地巡礼」で、来県者も増えている。  タモリがかつて名付けた「ダサイタマ」とは、もう言わせない。県庁などは近年、「彩(さい)の国」と積極的にPR。“LOVE埼玉”と胸をはってもいいような気もするが、そこは県民特有の愛のカタチがあるようだ。 「『嫌いじゃないけど』という言い方をよくします。ストレートに『好き』と言わない。『愛してます』って奥さんに言えますか?と聞かれたときの、『今さら恥ずかしい』みたいな感覚です。県民は地元の魅力をよく知りつつ、共感されないだろうとも思っている。『ダサい』『何もない』などとディスられても怒らないのは、それを誰よりもよく知っているし、好きだからなんです」(鷺谷さん)  埼玉県民には「空気を読む力、忖度する力、和を重んじる力」がある。そこが魅力だと鷺谷さんは言う。  快進撃の波は、かつてのレジェンドにも及ぶ。1981年のヒット曲「なぜか埼玉」を歌った、さいたまんぞう。ニッポン放送のラジオ番組「タモリのオールナイトニッポン」で紹介され、人気に火がついた。今はタレントや野球審判などマルチに活動するが、なんと埼玉をテーマにした新曲も構想中というではないか。 「埼玉のことを研究中で、まず40市の名前を全部覚えました。今でも埼玉の代名詞にして頂いているのに一度も住んだことはない。何百回も目の前でがっかりされるのを見ました(笑)。偶然頂いた名前と曲で話題になったのは、運命ですよね」(まんぞうさん)  長瀞や秩父に暮らし、山と川を見ながら仕事するのがまんぞうさんの夢だ。新曲が「なぜか」ヒットし、彩の国の話題の中心になるかもしれない。(本誌・太田サトル) ■あなたはいくつわかる?「さいたまトリビア30」編集部作成 【1】人口約7万人ながら面積はわずか5.11平方キロメートル。埼玉県内にある、日本一小さな市は 【2】店舗面積日本一の規模を誇る、越谷市のショッピングモールの名称は 【3】2007年8月16日、国内観測史上2番目の最高気温40.9度を記録した埼玉の都市名は 【4】浦和、大宮、与野の旧3市合併で生まれたさいたま市。公募時は2位の名称案だったが、1位だった案は 【5】ゆるキャラグランプリで2位に輝いたことがある「ふっかちゃん」。しなやかで豪快な角は何のデザイン 【6】星野源が著書『働く男』で、「これを流さないと眠れない日々があった」と紹介した埼玉ゆかりのアニメは 【7】全都道府県のなかで、一番最後にNHK連続テレビ小説の舞台になった埼玉県。その作品名は 【8】県庁職員が、スーパーアリーナを破壊するストーリーの企画をかつて映画会社に提案した。映画名は 【9】埼玉のFMラジオ局「FM NACK5」の長寿番組といえば、「FUNKY FRIDAY」。番組の名物DJの名前は 【10】春日部市は「クレヨンしんちゃん」の街で知られるが、新座市で特別住民登録したアニメヒーローは 【11】イトーヨーカドー春日部店が4月、看板の店舗名を「クレヨンしんちゃん」にちなんで変えた。その名称は 【12】埼玉で2020年に開催されるオリンピック4競技はサッカー、ゴルフ、射撃、そしてもう一つは 【13】さいたま市民の支出額が、全国トップの麺類は何か(総務省「家計調査」の2014~16年平均の支出額) 【14】衣料品通販「ゾゾタウン」の調査で、埼玉県の人の購入額が全国一多かった洋服の柄は 【15】命名権売却で、名称が何度も変わってきた西武ドーム。今年3月から5年契約の現在の名前は 【16】1973年、実験1号店を狭山市に開店した大手コンビニチェーンは 【17】川越に本店を構え、飯能、入間、上尾など埼玉各地で展開する、創業80年近い老舗百貨店といえば 【18】埼玉を拠点に、地元で「だうどん」の愛称で知られる「山田うどん」。人気の「パンチ定食」のおかずは何 【19】競輪、競艇、地方競馬、オートレースの4公営ギャンブルがそろう県は全国で2つ。埼玉と、もう1県はどこ 【20】良質な石灰石を産出し、埼玉県のセメント産業を支えた秩父地域の山(標高1304メートル)の名前は 【21】大宮で盆栽が盛んになったのは、1920年代の歴史的な出来事がきっかけだった。どんな出来事か 【22】戦国武将・石田三成が水攻めをしたが落とせなかった、小説『のぼうの城』で描かれた城の名前は 【23】埼玉県内のJR東日本の駅で、2016年度の乗車人員最多は大宮、では前年比伸び率が最も高かった駅は 【24】「浦和」の地名がついている鉄道駅は、埼玉県内にJRと私鉄合わせていくつあるか 【25】国鉄が1982~85年の3年間だけ運転した、上野─大宮間をノンストップでつないだ列車の名前は 【26】新座市の一角に、なぜか東京都内の自治体の飛び地がある。その地名は 【27】浦和名物といえば、うなぎ。浦和駅前に立つ像「浦和うなこちゃん」をデザインしたのはだれ 【28】草加せんべいは、茶店で団子をつぶして焼き餅にしたのが起源、との俗説がある。茶店の女性の名前は 【29】地元でおなじみの埼玉銘菓・十万石まんじゅうのCM。「風が語りかけます」に続く言葉は 【30】「まめの木」の愛称で親しまれるJR大宮駅コンコースの待ち合わせスポット。その正式名称は 【さいたまトリビア30の答え】【1】蕨市【2】イオンレイクタウン【3】熊谷【4】埼玉市【5】深谷ねぎ【6】らき☆すた【7】つばさ【8】ゴジラ【9】小林克也【10】鉄腕アトム【11】サトーココノカドー【12】バスケットボール【13】スパゲッティ【14】ヒョウ柄【15】メットライフドーム【16】ファミリーマート【17】丸広(まるひろ)百貨店【18】もつ煮込み【19】福岡県【20】武甲山【21】関東大震災【22】忍城【23】さいたま新都心【24】8【25】新幹線リレー号【26】練馬区西大泉町【27】やなせたかし【28】おせん【29】「うまい、うますぎる!」【30】行きかう・線 ※週刊朝日 2017年10月20日号
週刊朝日 2017/10/13 11:30
シニア・主婦の出番! 人材確保へのマック、ファミマの工夫とは?
シニア・主婦の出番! 人材確保へのマック、ファミマの工夫とは?
タスカジの掃除のサービス(同社提供) 有効求人倍率はバブル経済期並みの高水準(週刊朝日 2017年10月13日号より) 人材確保に向けた企業の取り組み例(週刊朝日 2017年10月13日号より)  空前の人手不足だ。8月の有効求人倍率は1.52倍で、1974年以来43年ぶりの高水準。主婦や元気なシニアが新たな働き手となるよう、企業は人材獲得に知恵をしぼる。短時間で気軽に、自分の生活スタイルに合うように。新しい働き方が可能になってきた。  焼き鳥屋で、人手不足がネックになっている作業がある。串を刺す仕込みだ。  神奈川県秦野市の「居酒やきとり 呑喜(のんき)」は、200~300本ほどの串刺しを、かつて従業員3人で5時間がかりでやっていた。店長の犬飼青空(はる)さんは「(仕込みが追いつかず)メニューに載せていても、用意できていない品があった」と話す。  仕込みの人ぐりがつかないため、6月に導入したのが自動串刺し機。切った鶏肉を機械の長方形状のトレーに置いてボタンを押すと、串が刺される。15秒ほどで5本分が完成する。  導入後、1人で2時間作業すれば仕込みを終えられるようになった。犬飼店長は「今はほとんどの焼き鳥メニューを用意できる。新しい料理を増やす余裕もできた」。  串刺し機メーカーのコジマ技研工業(神奈川県)は今年、居酒屋向けなどの串刺し機の販売が前年比3倍に。小嶋道弘社長は「ここ1年間で、機械を使わないと仕込みが間に合わないとの声が急増した」という。  近年は串を外して食べる人も多く、東京都内の焼き鳥屋が「串から外さずガブリついて食べてください」と訴えて話題になったほど。たかが串、されど串。居酒屋もメーカーも、実は苦心している作業なのだ。  人手不足は、外食の現場を変えている。東京都府中市にある「リンガーハット府中駅南口店」を訪ねると、厨房に中華鍋と熱い炎が見当たらなかった。  代わりに使うのが、自動鍋送り機付きの四つのIHヒーター。「ちゃんぽん、入りましたー」とオーダーが来ると、調理人は一番右のヒーター上に、野菜とスープを入れた鍋をセット。鍋は15秒ごとに左のヒーターに移りながら加熱される。三つ目に来たら解凍した麺を入れ、四つ目で強く加熱されて仕上げ。1分強で完成して客へ運ばれた。  厨房はかつて4~5人いたが、今や2~3人。熱気の中で重い中華鍋を振るイメージは裏切られ、店長は「汗もかきませんね」と涼しげだ。野菜は工場でカットされているので包丁も使わず、調理人の作業は麺を菜箸でほぐす程度だった。  リンガーハットは「マンパワーからマシンパワー」と掲げて自動化を進めており、9割の店で自動調理機を導入した。シニアや女性も働きやすくなり、広報担当の石田修啓さんは「採用した人が長く働いてくれる」という。  人手不足のなか、企業は元気なシニアに熱視線を送る。総務省「労働力調査」によると、労働力人口に占める65歳以上の高齢者の比率は2016年に約12%。10年前の06年は約8%で、年々伸びている。  ディスカウントストアのドン・キホーテは、開店前に商品陳列などの準備をする「ライジングクルー」として、シニアを積極的に採用している。早起きが苦にならない人の生活スタイルに合った働き方。「短時間、少ない日数で働きたい」との声が増えており、1日2時間・週2日から働けるようにした。学生が集まりにくい時間だけに、シニアの力が重宝されている。  モスバーガーは、直営店で働くスタッフの5%がシニア層。半数を占める店さえあり、今や「モスジーバー(爺婆)」と親しまれる存在にまでなった。  高校生以上ならば、募集時の年齢制限はなし。今春に退職したパート女性は、84歳まで厨房で週5日働いていた。野菜の仕込みなど家事経験をいかせる職場のため、長く働きやすいようだ。モスフードサービス社長室の金田泰明さんは「シニアの働く職場は、シニア客が利用しやすい」と話す。  日本マクドナルドが目をつけているのは、主婦パワー。9月から、主婦向けのクルー体験会を始めた。  東京都内であった体験会では、50代の女性2人が若手クルーと一緒にハンバーガーをつくっていた。 「オニオンはこれくらいの量です」「チーズは紙と平行にのせます」「お肉はこう持つと破れやすいので、気をつけてください」  クルーが見本を示しながら、作業手順を一つずつ丁寧に教えた。参加者の主婦は当初緊張していたが、途中から笑顔もこぼれた。  体験した東京都杉並区の54歳女性は、大学生の息子と娘がいる。出産で仕事を辞めたが、子育てが一段落し、復帰を考えていたという。久しぶりの仕事は不安だったようで、「どんな仕事をするかがわかり、参加してよかった」と話した。  マクドナルドの“主婦クルー”は、全体の約2割。店長の赤井麻友さん(35)は、娘の出産をはさんで約17年働いている。「時短で働いて出産した人が身近にいて、女性が働きやすい雰囲気だった」という。3歳になった娘を育てながら、現在は自らも時短で働く。「こうした(職場環境の)強みを積極的にアピールしようと思った」と長敦子人事本部長は体験会のねらいを話す。  働きたいと思いながらも求職活動をしていない女性は、16年に274万人(労働力調査)。求職活動をしない理由で最も多いのは「出産・育児のため」だった。主婦を職場に招くには、こうした課題を企業側がどう解決するかが問われる。  商業施設を運営するイオンモールは、「イオンゆめみらい保育園」を施設内に設置している。14年に千葉市の幕張新都心の店で開園したのを皮切りに、グループ全体で計15カ所に設けた。  店のある都道府県で、20年までに1カ所以上の設置をめざす。モール内のアパレル店は20~30代の若い女性従業員が多いため、保育園で出産後の職場復帰を支えるねらいだ。  開園日はモールの営業日に合わせ、365日朝7時~夜10時。遅番や土日に働く従業員も使いやすい。保育園がおむつの準備や着替えの洗濯などを担ってくれるため、利用者は手ぶらで送り迎えできる。  保育園立ち上げの担当者の東英衣子さんは「おむつに名前を書いて必要枚数を毎日持っていくのは大変。自分の経験から、これはなくそうと思った」と話す。  ファミリーマートも10万人の主婦の採用方針を掲げ、保育園開園を今後予定している。女性が働きやすい職場づくりの競争は続く。(本誌・大崎百紀、吉崎洋夫) ※週刊朝日 2017年10月13日号
週刊朝日 2017/10/10 07:00
バニラビーンズ、デビュー10周年記念ライブ開催&“初”の単独全国ツアーを発表
バニラビーンズ、デビュー10周年記念ライブ開催&“初”の単独全国ツアーを発表
バニラビーンズ、デビュー10周年記念ライブ開催&“初”の単独全国ツアーを発表  バニラビーンズが、10月7日にデビュー10周年を記念し【バニラビーンズ ~10th Anniversary Live~】を渋谷 duo MUSIC EXCHANGEで開催した。バニラビーンズ ライブ写真(全4枚)  10周年を振り返るセットリストになっているライブは、生バンドを従えて行われ、10年間の良質なポップスを届け続けてきたその活動が凝縮されたライブとなっていた。  代表曲とも言える「ニラコ」「サカサカサーカス」、デビュー曲「U▽Me」という初期の曲から始まり「バニラビーンズ10歳になりましたー!」の挨拶に温かい拍手が送られ、昔を振り返るMCも昔から変わらない温かなライブの進行。「10年間の感謝の気持ちを込めて歌います!」と盛り上げつつも、いつもどおりの和やかで雰囲気と心地よいバンドサウンドで、シングルや過去のアルバムの代表曲など、全18曲を歌唱。  さらにアンコールは、ちょうど夜の7時(のちょっと前)。ピチカートファイブのカバー「東京は夜の七時」を歌唱。この曲は、12月6日に発売になる10周年記念ベストアルバム『Vani Best?』では、小西康陽が新たにアレンジした新録曲として収録が決定している。  昔よりライブのトークも定評のあるバニラビーンズ。ふたりとも、司会やMCの仕事もするタレント活動もしていることもあり、終始トークはお客さんを巻き込み楽しい時間となった。そんななか、アンコールの間のMCで、「初」の単独全国ツアー開催が本人たちより発表された。いままで、各地でライブをやってきてはいたが、全国ツアーは初めて。10周年ということで、全国でバニラビーンズを応援してきてくれたファンへの感謝も込めて、ツアーで全国を回るということとなった。 リサ「10年目にして初のツアーです!」レナ「里帰りがてらでも、ぜひスケジュール入れてください!」  それぞれツアーへの意気込みを語り、ベスト・アルバムを引っさげてのツアーを楽しみにしていてほしいとファンに伝えた。10周年を迎え、アイドル×良質なポップスをベスト・アルバム、初の全国ツアーで、多くの皆さんにバニラビーンズを知られることになるだろう。 ※▽の正式表記は、白ハート ◎ツアー情報【バニラビーンズ LIVE TOUR 2018】2月18日(日) 仙台 enn3rd3月03日(土) 福岡 ROOMS3月31日(土) 大阪 ROCKTOWN4月01日(日) 名古屋 ell.FITSALL4月15日(日) 札幌 Spiritual Lounge5月20日(日) 東京 渋谷 glad ◎リリース情報バニラビーンズ『Vani Best?』2017/12/6 Release<CD+Blu-ray>5000円(tax in.)/ AVCD-93780/BCD:ニコラ東京は夜の七時(小西康陽氏リアレンジ)新曲を含む18トラック収録予定Blu-ray:ミュージックビデオ多数収録予定+10周年ライブダイジェスト<CD+DVD>4000円(tax in.)/AVCD-93779/BCD:ニコラ東京は夜の七時(小西康陽氏リアレンジ)新曲を含む18トラック収録予定DVD:10周年ライブダイジェスト+オフショットインタビュー映像を予定<CD>3000円(tax in.)/AVCD-93781CD:ニコラ東京は夜の七時(小西康陽氏リアレンジ)新曲を含む18トラック収録予定
billboardnews 2017/10/10 00:00
二十四節気「寒露」。すっと冷たい秋風に金木犀が香るころ
二十四節気「寒露」。すっと冷たい秋風に金木犀が香るころ
すっと胸の奥に沁みる冷たい空気に、さっと爽快に吹く秋の風に、金木犀の甘く切ない香りが漂ってきました。そう、この花の匂いと共にやってくるのが、二十四節気「寒露(かんろ)」。仲秋から晩秋へ、今年もわずか3カ月弱。駆け足で過ぎた歳月の早さに、改めて驚いてしまう時節です。 陰寒の気に合って、露むすび凝らんとすればなり。吹いてくるのは、雁渡し いつの間にか、秋がどんどん深まってきました。「寒露」とは、暦便覧によれば、「陰寒の気に合って、露むすび凝らんとすればなり」とあり、野の草に降る冷たい露のこと。朝晩の冷え込みに、冷たい風に、肌寒さを感じるころとなりました。 そんな冷涼な空気の中に漂う甘い香りが、金木犀の匂い。その姿は見えなくとも、千里先までも届くという芳香が、オレンジ色の可憐な花の存在を教えてくれます。中国では、この花の香りに包まれて観月をする風習も。月輝く夜、金木犀の花を浮かべた盃を重ねるのも一興です。 さて、この頃に吹きはじめる北風の名が「雁渡(かりわた)し」。七十二候では、寒露の初候「鴻雁来(こうがんきたる)」となり、晩秋の空に北の国から越冬に訪れる渡り鳥たちが、群れをなして翔び交います。実りの季節もたけなわとなり、日本全土が五穀や作物の収穫にわきたつ秋。凍てつく冬を前に、北から南へ、黄金色に、紅黄色に、深紅に、列島は次第に染まりゆくのです。 神無月の留守を守る恵比寿さま。10月19日・20日は日本橋恵比寿講べったら市へ 旧暦の10月の異称は、「神無月」。八百万の神々が出雲の国に集まる留守を、江戸で守っていたといわれるのが恵比寿さま。商家では、10月20日に商売繁盛を祈願する「恵比寿講」を盛大に行っていました。 現在も東京・日本橋「宝田恵比寿神社」を中心に旧大伝馬町一帯で続くのが、「べったら市」。これは、恵比寿講の準備をするための市が前日の19日に立ったことが起源。恵比寿さまの像や打出の小槌、酒宴につきものだった鯛、切山椒、そしてべったら漬などが売られていたそうです。今も人気のべったら漬は、大根を塩漬けにした後、麹と砂糖に漬けたもの。沢庵のおよそ三倍程度の厚切りにしたものを、江戸っ子たちは好んで食していたとか。 今年も多くの露店が連なる大伝馬町界隈。遠路はるばる訪れたり、仕事帰りに立ち寄って、「べったりつくぞー」と、振り回されていたという、甘く歯ざわりのいい漬物と江戸情緒を味わってみるのも秋の愉しみの一つです。 全国でダリア園が見ごろ。色艶やかな花の競演を愛でるも秋興の一つ 秋の花の代表格といえば、やはり菊でしょうか。同じキク科で、色の咲き方もさらに艶やかで表情多彩なダリアの花も、秋咲きの花時を迎え、全国各地で咲き誇ります。原産地はメキシコ、グアテマラ。アステカ文明では薬草として育てられていたダリア。スペインからヨーロッパ全土に広まり、日本には天保年間にオランダ船によってもたらされたとか。天竺牡丹(でんじくぼたん)という別称にも、華やかさと異国情緒が漂います。 花の色は赤、白、ピンク、黄、オレンジ、紫、黒紅など様々。形もデコラティブ咲き、カクタス咲き、ポンポン咲き、アネモネ咲き、ピオニー咲きなど実に多彩。各地のダリア園へ行けば、色とりどり、形もとりどりに美を競うダリアたちに出会えることでしょう。
tenki.jp 2017/10/08 00:00
妻の外泊に喜ぶ夫たち 怖いのは不倫よりも不機嫌?
妻の外泊に喜ぶ夫たち 怖いのは不倫よりも不機嫌?
「ダブル不倫報道」に関して記者会見で質問に答える女優の斉藤由貴(2017年8月3日) 不倫疑惑報道で「信頼を裏切った」として釈明する自民党の今井絵理子参議院議員(2017年7月27日、同党本部)(c)朝日新聞社  なぜ、この人が──。分別盛りで地位もある女性たちの不倫疑惑報道が続いている。『不倫の恋で苦しむ男たち』(WAVE出版)など、恋愛・不倫に関する多くの著書があるライターの亀山早苗さんに緊急寄稿してもらった。  不倫疑惑報道が止まらない。最近に限っても、今井絵理子参議院議員、山尾志桜里前衆議院議員、そして女優の斉藤由貴。奇しくも30代から50代までの女性たちが揃っている。 「男はいくつになっても浮気するものだが、女がしてはいけない。女は浮気などしないものだ」  誰の心の中にも、そんな思い込みや刷り込みがあるから、大きく報道されるのかもしれない。不倫を始めとした男女問題を18年ほど取材してきたが、今ほど既婚女性が不倫をしている時代はないのではないかと思う。  既婚女性たちが不倫に走るには、さまざまな背景がある。以前は既婚男性と独身女性の組み合わせが圧倒的に多かった不倫も、現在は双方が既婚のダブル不倫が主流だ。 ●「家庭にセックス持ち込まず」“掟”を平然と口にする女性  バブルがはじけ、リーマン・ショックが起こって男性たちは経済力も自信も失った。男性たちは「自分をわかってくれる女性」「心を癒やしてくれる女性」を求めるようになった。一方で、女性は社会進出が進み、経済的にはまだまだ同等と言えないまでも自分の手で経済力を持ち始めた。自分の欲望を認め、それを声高に言うことがいけないことではなくなった。  一方で中高年の夫婦のセックスレスは7割を超えているという。だが今のアラフィフはバブル世代。恋愛至上主義で育った。そこへもってきてスマホという強力なツールが現れた。結婚していても恋愛することが簡単になっているのだ。  さらにここ7、8年だろうか。かつて不倫をしていた男たちがよく口にしていた“掟”を女性たちが平然と言うようになった。 「恋愛と結婚は別」「家庭に仕事とセックスを持ち込まない」「浮気を追及されてもシラを切れ」  こうした女性たちに、自信を喪失した男たちが引っ張られるように恋愛にはまっていくケースが多いように思う。一見、男が主導権を握っているようで、不倫の場合、常に女性の決断力に負うところが大きいのだ。  50歳になるミカさんも不倫を続けて3年になるという。 「相手は仕事関係で知り合った5歳年下の既婚者。既婚同士だから、誰にもバレないように秘密を共有しながら“恋愛”をしています。彼も私も、それぞれの配偶者を嫌ってはいません。ただ、結婚して20年もたてば“家族”でしょ。男と女ではなくなっているんですよね。仕事と家庭でふっと疲れたとき、私は恋に落ちました。久々に恋をして感じたのは、細胞がひとつひとつふっくらしていくということ。身も心も蘇っていくような気持ちになりました。だから外で恋愛することがそんなにいけないとは思えない」  実感として、不倫の恋に落ちる女性の年代は40代後半がいちばん多い。女性は40代半ばになると個人差はあれ、誰でも「更年期」を意識するようになる。実際、体調不良に悩まされることもあるし、若いころと比べれば白髪やシミ、シワも増えてくる。  女としての旬が過ぎ去っていく。そう感じて焦燥感に襲われる。 「確かに40代から50代にかけての女性は心身ともに揺らぐ時期です」  産婦人科医で臨床心理士でもある、よしの女性診療所の吉野一枝さんはそう言う。更年期になってエストロゲン(女性ホルモン)が激減すると、生殖機能以外に、心血管系、自律神経系、脳機能、皮膚代謝など、個人差は大きいがさまざまな器官に影響が出てくる。 「しかも生活の変化が激しい年代なんですよね。仕事をしていれば責任も増す世代だし、親の介護の問題も出てくる。子どもの進学、就職、結婚などもあるでしょう。都心部だと晩婚の女性が多いので、自分の更年期と子どもの思春期がぶつかってバトルを繰り広げている人もいます」  心身共に変わり目、節目だが、ここは老年期に向かう大事な時期でもある。 「ただ、更年期は“女としての終わり”ではないんです。たまに月経がなくなるのは女でなくなる気がするから、月経を起こすようにしてほしいという患者さんがいます。子宮の病気があっても、どうしても子宮は残したいと願う女性もいる。月経があろうがなかろうが、子宮があろうがなかろうが、女は女です」  吉野さんはきっぱりとそう言う。 ●自立心と精神力が必要 女性は3カ月で覚悟決める  そうした身体的な衰えは、当然心理にも影響を及ぼす。大妻女子大学人間関係学部教授で心理学者の福島哲夫さんは、カウンセリングオフィスも主宰しているが、生きづらさを抱えてカウンセリングに来る既婚女性の中には不倫経験のある人が多いと言う。 「彼女たちの共通点は、孤独であること。現代人はみんな孤独かもしれませんが、家族がいても誰とも通じ合えない孤独感を抱えています。それと、よく言えば見た目も気持ちもかわいらしい。悪く言えば未成熟。仕事も友人関係もきちんとやってはいるけど、心の奥に小さなA子ちゃんを抱えていて、その子が満たされていないという感じを強く受けます」  人は誰でも心の中に小さな“自分自身”がいる。それは原始的な欲求やわがままな要求をもつ幼稚な自分だ。それとどうやって折り合いをつけていくかが大事なのだと福島さんは言う。 「自分で小さなA子ちゃんを満たしてあげることができれば、たとえ不倫をしてもそれは“人に迷惑をかけない楽しい不倫”になる可能性が大です。ただ、小さなA子ちゃんのままで不倫をすると、自分も恋愛に振り回され、相手の配偶者に嫉妬したり軽々しく関係を他人に話したりするので、結局、バレてしまい、いい恋愛にはならない」  不安定な関係を秘密にしたまま生きていくには、相当な自律が必要だ。人は弱い。だから、相手との関係を友人に話したり、写真を撮ったりして露見してしまう。  本来、不倫の恋は、自分の中の欠損感を埋めるためにするものではなく、依存するためにするものでもない。恋はまさしく「落ちる」ものであって、計算外、想定外に降りかかってくるのだ。だからこそ、「落ちて」からが勝負、非常に自立心と精神力が必要とされる恋愛なのである。 「ただでさえ恋愛初期って、すごく精神的に不安定になるでしょ。ふたりとも結婚していて恋に落ちたら、よけい気持ちが揺れます。私もそうでした。でも彼のことが好きだから、離れたくなかったから覚悟を決めたんです」  高校時代の同級生と再会して恋に落ち、5年つきあっているナツミさん(52)はそう話す。最初はぐらついても女性はほぼ3カ月くらいで覚悟を決める人が多い。そこからは「秘密の恋」を貫くのだ。  既婚女性の不倫が増えたのは、そうした精神力を持ち合わせた女性が増加したからではないかと思う。一方、夫たちの意識も変わった。 ●夫の恐怖は「妻の不機嫌」 妻の不倫で家庭が円満に 「うちの妻は毎週金曜日に外泊してくるんだけど……」  知人のヨシカズさん(53)からそんな話を聞いたのは1年前。同い年の妻とは結婚して24年。大学生の年子の息子たちがいる。共働きだったため、家事も子育ても協力しあってきた。ようやく子どもたちが成人したと思ったら、妻が帰ってこなくなったのだ。ただ、彼は最初に妻が朝帰りしたとき「友だちとカラオケで徹夜しちゃった」という言い訳を信じた。いや、信じたふりをした。  その後も毎週、金曜の夜は妻がいない。いつしかヨシカズさんは早く帰って夕食の支度をするようになった。大学生の息子たちもなぜか早めに帰宅、男3人で酒を酌み交わすことも増えた。 「あるとき始発で帰ってきた妻が、ちょっとやつれてはいるんだけど妙にきれいに見えた。ドキッとしました」  妻はそれまで、ときどき意味もなく不機嫌なことがあった。体調が悪いのか自分がいけないのかわからず、ヨシカズさんはおどおどと妻の顔色をうかがったこともある。だが、金曜夜の外泊が妻を変えた。妻はいつも機嫌がよく、夫にも優しい言葉をかけてくる。  不倫歴8年のベテラン既婚女性は、「私が不倫をしていることで、あくまで結果論ですが家庭がうまくいくようになった」と話してくれたことがある。不倫をする妻たちは、夫に対して罪悪感をもっていない。ただ、自分が恋をして幸せだから、周りにもごく自然に幸せのお裾分けをすることになる。だから家庭がうまくいくのだ。彼女が言うように、あくまで結果論だが。  ヨシカズさんの家庭もそうなのだろう。そして、彼は「妻が機嫌がいいならそれでいい」という結論に達し、いまだ外泊する妻を問い詰めてはいない。  年代を問わず、夫たちがいちばん怖いのは「妻の不機嫌」である。だから、妻がご機嫌でいてくれるなら、週に1度の外泊くらい大目に見るという夫は少なくない。 「うちも外泊まではしないけど、ときどき妻の行方がわからなくなる。仕事は終わっているはずなのに帰っていない。『今度の週末、友だちに会うから子どもの面倒を見てて』というから見ていると、妙に浮ついた感じで帰ってくることもある。友だちに会ったという雰囲気ではないんですよ。でもそんなとき、妻は僕にとても優しい。だったらそれでいいかと思うんです」  36歳の男性の言葉だ。家庭は家庭として「うまく」やっていければいいと男女ともに考えているとしたら、恋愛だけ切り離すのは、人としての知恵かもしれない。  誰にもバレない、誰にも責められない、そして好きな男性から熱烈に口説かれ求められたら、あなたは不倫をしますか。あるとき、さまざまな女性たちにそんな質問をしたことがある。70人ほどに聞いて、誰も「ノー」とは言わなかった。人の行動を縛っている「倫理観」というのは、そんなものなのだ、おそらく。 ●夫を恨むくらいなら恋する 恋と家庭をマネジメント  不倫が話題になると、「離婚してから恋愛すればいい」と言う人がいる。だが「結婚と恋愛は別」と考えている人にその意見は通らない。セックスレスや夫とのディスコミュニケーションを我慢して老後に恨みつらみを抱えて生きるくらいなら、恋に身を任せて「今」を生きるほうがいいと考える世代が現れているのだ。人は天災人災でいつ命を落とすかわからないとわれわれは身をもって経験しているのだから。  かつて「夫は生活のパートナー、彼は人生のパートナー」と言いきった女性がいる。彼女はどちらとも別れることなく人生をまっとうすることを望んでいた。一方でもちろん、不倫の恋が終わりを迎える人もいる。 「彼が奥さんに疑われ始めたとき転勤になってしまって。潮時だろうと別れました。つらいけど、もともと私の生活になかった恋を拾っただけなのだから、あの恋は宝物にしておこうと思っています。最後から二番目の恋かもしれないし」  2年間の不倫を終わらせたマサヨさん(49)はそう話す。どこにも迷惑をかけずに終わらせた恋は、彼女に「希望と生きる活力」を与えたという。ただ、この先も彼女は恋がやってきたら素直に落ちていくつもりがある。1度の恋で懲りるか、それを糧にしてさらに恋をするかは人それぞれ。いずれにしても、「結婚と恋愛は別」と考える人たちが増えていき、うまく恋と家庭をマネジメントすることができれば、世間の倫理観も変わっていくのかもしれない。「結婚したら身も心もひとりに縛られる」のが当たり前ではなくなっている時代が来ているのではないだろうか。(文中カタカナ名は仮名) (ライター・亀山早苗) ※AERA 2017年10月9日号
AERA 2017/10/07 07:00
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渡辺豪 渡辺豪
沖縄尚学の甲子園優勝を予想? 元保護者の不思議な進言
沖縄伝統の赤瓦屋根の上に立つ魔よけのシーサー。カミンチュのKさんが面談場所に指定した沖縄本島中部の住宅街近くで目に留まった(撮影/編集部・渡辺豪) 尚学学園の名城政次郎理事長(左)と政一郎副理事長。理事長室のカーテンと絨毯は今も赤で統一されている=那覇市の尚学学園理事長室(撮影/編集部・渡辺豪)  世の中に浸透する一方で、「非科学的」と眉をひそめる人も多い「占い」。しかし、個人の選択肢が増えすぎ、経験則が必ずしも通用しない現在、「信じる」「信じない」ではない「占い」とのつきあい方があるという――。AERA10月2日号では、「占い」を大特集。金融やマーケティング、カウンセリングなどの世界で「占い」がどう活かされているかを探り、現代社会における「占い」のあり方を多角的に取材した。  沖縄には古来、霊的能力を持つとされる「ユタ」と呼ばれる人たちがいる。その内実は宗教か、呪術か、それともメンタルケアなのか──。 *  *  * 「これまで20人ぐらいのユタにかかりましたが、私の感覚では当たる確率は3割か4割ではないでしょうか」  学校法人「尚学学園」(那覇市)の理事長室。名城政次郎理事長(86)は射抜くような視線でこう打ち明けた。  尚学学園の沖縄尚学高校といえば1999年に沖縄県勢初の選抜高校野球大会優勝を成し遂げた有名私立。沖縄有数の進学校でもある。1代で学園の名声を築いた辣腕理事長の経営判断にユタが影響してきたのか──。 「なるほど、来たな」 「ユタに振り回されていたら学校経営なんてできませんよ」  名城理事長はあっさりと否定した。ユタの判示はあくまで事業活動や健康管理の「参考材料」にすぎない。そう強調しながらも、ポツリとこぼした。 「魔物の世界があるんじゃないかと思わせられることがあるんですよ……そういえば、不思議なことがありました」  理事長はソファから身を乗り出し、淡々と語り始めた。  英語塾や予備校を経営していた名城理事長は50歳の頃、激しい目の痛みに襲われた。眼科治療も芳しくなくユタに相談した夜、こんな夢を見たという。  修行僧が玄関に立ち、帳簿を積み重ねた。一冊は何も書かれていない。ユタはこの夢を「教育の帳簿が降りている」と解析。白紙の帳簿は沖縄の教育界を牽引する理事長自身がこれから書き込む一冊である、と説いた。  2年後。「沖縄高校を助けてください」という話が持ち込まれたとき、名城理事長は「なるほど、来たな。このことだったのか」と受け止めた。  沖縄高校は当時、別の学校法人が運営。生徒の定員割れが続き、校舎の老朽も著しかった。名城理事長はこう振り返る。 「経営危機だった高校の運営を引き受けたときは、よほどの自信家と見られましたよ」  周囲は反対したが、理事長の意志は揺るがなかった。83年に経営を一手に引き受け、沖縄尚学高校に校名を変更。自前の講師陣を教員に加え、校舎も建て直した。経営は好転し86年に附属中学校も開校。91年に学校法人尚学学園の設立認可を得た。 ●甲子園優勝を「宣告」  沖縄尚学高校野球部は2008年のセンバツで2回目の全国制覇を果たした。このときも事前に「判示」があったという。前年秋の大会でセンバツ出場が決定的となった試合の直後、元保護者の女性が理事長室に駆け込み、「宣告」した。 「私には見えます。間違いなく全国優勝します。ただし、私の言う通りにしてください」  女性は理事長室の絨毯とカーテンの色を赤に替えること、理事長はネクタイや下着を赤に、理事長の長男で附属中学校長の政一郎副理事長(59)は茶色に統一することに加え、校歌も替えるよう進言。自分で作詞作曲した新しい校歌も持参していた。  理事長、副理事長は指示通りに着衣を改め、理事長室の絨毯やカーテンも張り替えた。しかし校歌は、おいそれとは変更できない。窮余の策として、甲子園に出発する際、野球部員全員がカセットに合わせ、女性が持ち込んだ「校歌」を合唱。甲子園の試合当日は、講堂に設置した大スクリーン前で合唱部員に歌ってもらった。  副理事長はこう振り返る。 「人事を尽くして天命を待つ、という心境でした」  甲子園での最大の関門は、東洋大姫路と対戦した準決勝。8回裏に集中打で一挙4点を入れて逆転するまで、0対2で負けていた。だが、スタンドで応援していた副理事長は当時、「どこで逆転するのかな」と思いつつ観戦していたと明かす。  この元保護者の女性(75)は本誌の取材に、私はユタではない、と断ったうえで「小さいときから霊感が強いので、周囲からは神人と呼ばれることはあります」と話した。  神人は、かつて琉球王朝に仕え、祭祀や儀礼を司るノロ(祝女)に通じる格式の高い響きがある。沖縄では社会的な蔑視にさらされることもあり、「ユタ」と呼ばれるのを好まない人も少なくない。  Kさん(女性、60歳)に指定された面談場所は、沖縄本島中部の住宅街の一角。沖縄で一般的なコンクリート住宅だった。 「これ以上、忙しくなりたくない」との理由で、名前などは明かさないよう求められた。 ●社員名簿持参の相談も 「私はユタではありません。神の世界の近くにいるから、カミンチュと呼ばれています」  Kさんはそう言って、畳敷きの居間でざっくばらんに取材に応じてくれた。壁際の床の間には、Kさんが「私の一番の守護神」という中国の関帝王の掛け軸や香炉などが置かれている。即席で可能な方法で運勢を見てもらうことにした。  記者の名前と住所、干支、家族構成を記入した紙札に両手をかざしながら、「特別困っていることとかないですか」と問うKさん。返答によどむと、先刻承知と言わんばかりに「ないですね」と断言された。仕事運が気になると告げると、Kさんは事もなげにこう即答した。 「来年からは上がってきますよ。新しいことをやるのであれば来年がいいですね」  四半世紀に及ぶ記者生活に光明が差す日はやってくるのか……。複雑な思いもよぎるが、心が軽やかになったのは事実だ。  那覇市内で不動産業の傍らユタの仕事をこなす人もいる。人の良さがにじむ朗らかな表情を浮かべる新崎美由紀さん(42)にも、権威ぶった様子はまったく感じられなかった。  ビジネス関係の相談はほぼ男性に限られ、県外から来る人のほうが多いという。中には、社員名簿片手に人事やリストラの相談に来る経営者も。  沖縄でも核家族が増え、拝みの意味を知らない人が目立つようになった。新崎さんは「数え切れないほどある」拝所を訪ねるたび写真に収め、グーグルマップにマークしている。地図上で「沖縄拝所」が一覧できるサービスをネット公開するためだ。新崎さんは「『神の文化』を次世代につなげたい」と意気込む。  沖縄には「医者半分、ユタ半分」という言葉がある。これを医療現場で実践するのが、沖縄県医師会常任理事の稲田隆司医師(61)だ。稲田氏は言う。 「ユタが私のところへ行くよう依頼者にアドバイスする場合もあれば、神がかり的なことに意識が強い患者さんには信頼できるユタを紹介するケースもあります」 ●痛みの共有と連帯  那覇市出身の稲田医師は本土で経験を積み、約20年前に同市内でメンタルクリニックを開業。沖縄の精神医療の現場では、ユタと診療の両方にかかる人も珍しくないことを知った。 「近代精神医学の知識や価値観だけでは沖縄社会の現実に対応できません」(稲田医師)  ユタにはつらい境遇を乗り越えた人が多い。そうした人がユタになり、カウンセリングを引き受ける。このシステムは「自助グループ運動と似ている」と稲田医師は解説する。  沖縄社会でのユタの存在感を示す、こんな数字がある。  琉球新報社が沖縄県内の20歳以上の男女を対象に実施した16年の県民意識調査によると、「あなたはユタへ悩みごとを相談しますか」との質問に、「よく相談する」「たまに相談する」と回答したのは16.6%。男女比は女性24.2%、男性8.7%。過去15年間の調査で同傾向を示し、女性を中心に一定の需要がうかがえる。  県内の30代女性はユタの癒やしの力をこうたたえる。 「説教くさい言い方ではなく、私も苦しいことを乗り越えてきたから何とかなる、あなたも頑張って生きなさい、と励まされたような感覚に包まれます」  稲田医師は言う。 「琉球古来の世界観に基づく原初的なカウンセリング機能を持つユタという存在は、『痛みの共有と連帯』という位置づけで沖縄社会に組み込まれています」 (編集部・渡辺豪) ※ユタ…『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社)によると、ユタは「神がかりなどの状態で神霊や死霊など超自然的存在と直接に接触・交流し、この過程で霊的能力を得て託宣、卜占(ぼくせん)、病気治療などをおこなう呪術・宗教的職能者。大部分が女性」などと解説されている ※AERA 2017年10月2日号
AERA 2017/10/02 11:30
京大の男性准教授が育休を取って知った“後悔”とは
柴田悠 柴田悠
京大の男性准教授が育休を取って知った“後悔”とは
柴田悠(しばた・はるか)/1978年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科准教授。博士(人間・環境学)。2017年5月に双子が生まれ、2018年1月まで育児休業を取得。著書に「子育て支援が日本を救う――政策効果の統計分析」(勁草書房)、「子育て支援と経済成長」(朝日新書)など。社会政策学会学会賞受賞 育児をするなかで、初めて「後悔する」ということを知った。柴田悠さんはいまの思いをそう綴る (※写真はイメージ)  どうしたら人々が幸せに生きられる社会をつくることができるのか?「幸せ」をテーマに研究を続ける社会学者、京都大学准教授の柴田悠さん(39)は今年5月に双子が生まれ、約半年の育児休業を取得している。夫婦2人で2人の子どもの育児に奮闘する日々の中で、初めて「後悔」を味わっているという。子育てで何が変わるのか。男性社会学者が考えた。 *  *  *  もともと私は、ポジティブな人間だと思う。というか、ポジティブにならないと今の社会ではやっていけない気がする。たとえ失敗をしたとしても、「次からは気をつけよう」「誰かに迷惑をかけてしまったのならその人には真摯に謝り、今後の行動で誠意を示していこう」と考えてきた。  だから、これまでは「後悔する」ということがあまりなかった。その時々で自分にできるかぎりのことをしてきたし、それ以上のことはできなかっただろうからだ。  しかし今年5月に双子が生まれてからは、育児をするなかで、私は初めて「後悔」を重ねる日々を送っている。 *  子どもの保護者として育児をするということは、その子どもに対して「取り返しのつかないかもしれない影響」を毎日与え続けるということだ。言い換えれば、「疲れが出てしまったときに、子どもの成長にとって良くない行動を無自覚のうちにしてしまう」というリスクと不安を、毎日抱え続けるということだ。  この子たちの人生で最も多感であろう「0歳」のこの時期は、今しかなく、「次からは気をつけよう」というような「次」のチャンスはもう二度と来ないかもしれない。  そのような、毎日24時間つづく緊張感のなかで、私はたびたび後悔を重ねている。「あのとき、もっと丁寧に扱ってあげればよかった」「もっと働きかけてあげればよかった」などなど、挙げればきりがない。  きっと世の親たちもみな、程度の差はあれ、このような後悔を重ねながら育児をしているのではないか。逆にいえば、そのように子育てについてどうしても後悔を重ねてしまうのが、「親」というものなのではないか。  そのように「親」になりつつある私だが、子どもへの妻の丁寧な接し方や語り方を見ていると、私自身の接し方の粗雑さや語りかける語彙の乏しさに情けない気持ちになる。だからその分、育児では(母乳授乳以外はミルク授乳やウンチのオムツ替えも含めてすべて分担しているが)腕力のいる抱っこをできるだけ多めに担い、家事では不得意な料理以外のすべては基本的に私が担うように心がけている。  しかし実際は、抱っこでのあやし方が下手だったり、料理以外の家事も(できるだけ機械化しているものの)私の手が回らないときは妻がせざるをえなかったりで、結局、育児も家事も、私よりも妻に大きな負担がかかってしまっている。  仕事については、妻も私もフルタイム(今はともに育休中)で大変さは同じなので、育児家事についても平等に分担するのが理想なのだが、実際は難しい。育休を取っていてもこうなのだから、もし育休を取っていなかったらますます分担は不平等になっていただろう。夫婦関係も悪化していたかもしれない。  また、我が家は「夫婦二人だけでの双子育児」なので、なおさら大変ということもある。「食事を最後まで座って食べられたら奇跡的」「夜間も交代制で育児をするので慢性的に睡眠不足」「一人を抱っこすればもう一人が泣くので抱っこ続きで腰痛」と説明すれば、なんとなく分かっていただけるだろうか。  私が用事で外出せざるをえないときには、ベビーシッターや遠方の親族に助けてもらっているが、やはりいろいろと制約があり頻繁には頼れない。結局は(保育所に通わせるまでは)主に夫婦二人だけで育児をするしかないのが実情なのだ。  ただ、育児が苦労だらけなのかというと、もちろんそんなことはない。最大の喜びは、子どもとのつながりが深まり、妻とも新たな苦楽を共にすることでつながりが深まることだ。  抱っこする腕のなかで安心して寝てくれたり、顔を覗き込むと微笑みかけてくれたりすると、親として認めてもらえた気持ちになれる。自分の至らなさに毎日直面しながらも、このような喜びを経験することで、私は「この子の親だ」という実感をもつことができるようになってきている。  しかし働く人々にとっては、育休を取得できなかったら、0~1歳時の育児にかけられる時間が短くなる。育児があまりできないと、育児の苦労も喜びもあまり経験できず、親である実感も得にくいのではないか。  私も、もし育休を取得していなかったら、今の育児家事のほとんどを妻が負担せざるをえなくなっていただろう。それでは育児の苦労も喜びも、この子たちの親である実感も、これほどまでには得られなかったはすだ。だから、自分の至らない育児行動に日々後悔を重ねてはいるが、育休を取ったこと自体は、後悔するどころかむしろ取って良かったと思っている。  今の日本では、子どもができた男性正社員の約36%は「育休を取得したい」と考えている(2015年厚労省委託調査)。しかし、子どもができた男性労働者のうち、実際に育休を取得した人はわずか3%(女性は82%)。しかもそのうち8割は「1ヶ月未満」の短い育休だ(女性は9割が「半年以上」)(2015年厚労省調査)。  男性正社員に「育休を取得しなかった理由」を尋ねると、その主要トップは、「職場が育休を取得しづらい雰囲気だったから」(27%)、「会社で育休制度が整備されていなかったから」(26%)、「残業が多い等、業務が繁忙であったため」(21%)、「休業取得による、所得減等の心配があったから」(19%)とつづく(2015年厚労省委託調査)。  たしかに、所得についていえば、育休を取得した期間は、手取り月収が8割ほど(生後半年目からは6割ほど)になり、取得期間に応じてボーナスも減ってしまう。  しかし、「会社で育休制度が整備されていなかったから」は、本来理由にならない。育休は、1年以上雇用されていて近々に契約満了しないならば、基本的に誰でも(非正規雇用労働者でも)制度上は取得できる。会社で育休制度が整備されていなくても、取得できるのだ。  この事実がもっと知られるようになれば、取得希望率はもっと高まるかもしれない。というのも、「休業制度・両立支援制度が会社に整備されていなくても法律上、制度の対象であれば利用できることを知っていた」のは、男性正社員のたった32%で、取得希望率36%とほぼ同率だからだ(2015年厚労省委託調査)。  所得の問題と制度の誤解を除けば、男性の育休取得を阻んでいる実質的な壁は、「職場の雰囲気」と「仕事の忙しさ」なのだろう。たしかに私の場合は、仕事の柔軟性が高いうえに、育休について職場にとても理解があったため、約半年の育休を取得できた。しかし日本全体では、子どもができた男性労働者のうち、3ヵ月以上の育休を取得した人はわずか0.1%にすぎない(2015年厚労省調査)。  まずは、さまざまな職場で「男性の育休」への理解がもっと広がればいいなと思う。それだけでも、育休を取得したい4割の男性は、もっと取得しやすくなるのだから。
出産と子育て
dot. 2017/10/02 11:30
カリスマYouTuber・ヒカキンが鈴木おさむに悩みを告白「動画投稿のペースを落としたい」
カリスマYouTuber・ヒカキンが鈴木おさむに悩みを告白「動画投稿のペースを落としたい」
AERAdot.5周年リニューアルを記念する対談で、日本のエンターテイメントについて語り合った鈴木おさむさん(右)とHIKAKINさん(撮影/写真部・大野洋介) 鈴木おさむ/放送作家。1972年生まれ。高校時代に放送作家を志し、19歳で放送作家デビュー。多数の人気バラエティーの構成を手掛けるほか、映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍(撮影/写真部・大野洋介) HIKAKIN/YouTuber。1989年生まれ。高校生のころからYouTubeに動画を投稿し、高校卒業後に上京。2010年に投稿した動画「Super Mario Beatbox」が日本国内月間アクセス1位に。11年、フジテレビのアカペラ甲子園「ハモネプボイパリーグ」で優勝。同年12月にチャンネル登録者数日本一に。13年にはエアロスミスと共演を果たす(撮影/写真部・大野洋介)  いま10代、20代の若者から圧倒的な支持を集めるYouTuber・HIKAKIN(ヒカキン)。人気絶頂ですべてがうまくいっているように見えるが、カリスマ的な存在になったゆえの悩みもあるという。YpuTuberを「日本の新しい文化」として注目している放送作家・鈴木おさむが、HIKAKINの”今”を聞いた。 * * * 鈴木おさむ(以下、鈴木):YouTubeで商品紹介をやりはじめたのはいつごろですか? HIKAKIN(以下、HI):2012年ですね。コンビニで売ってるジュースやお菓子などでやってました。当時はそれでも新しかったんです。 鈴木:僕は2009年に「お願い!ランキング」という番組を始めたんですけど、予算が少なく、タレントを使わずにCGで番組を作るというルールだったんです。困っちゃったんだけど「スポンサーを気にしなくていい」と言われたので、好きなことをやれた。食べ物のランキングでも、上位だけではなく下位の商品も紹介したり、「カップ麺に何を入れたらおいしいか」みたいなことをやったりしました。今のYouTuberの動画と似たような感じですね。 HI:たしかに似てますね。 鈴木:今ではタレント性のあるYouTuberもたくさん登場して、クオリティーもどんどん高くなった。これは一過性のブームではなく「カルチャー」になったと僕は思ってます。今では、HIKAKINさんを見て育った人がYouTuberになりつつある。 HI:若い女性のYouTuberに「小学生の時から見てます」と言われたことがあります。 鈴木:だからこそ、僕はHIKAKINさんには動画をアップするペースを落として欲しいなと思ってるんですよ。自分のペースを崩さずに、長くやり続けて欲しい。 HI:最近は減らしているんですけど、それでもけっこうしんどいですね……。もちろん仕事はうまくいっているし、とても楽しいんです。それに比例するように、疲れがたまっていくという部分も、正直あるんです。 鈴木:あれだけの量をアップしていると、そうですよね。 HI:だから、これからの課題は上手に休みをとること。そして続けることだと思ってるんです。 鈴木:編集は夜中にやっているんですか? HI:最近はアップする前の夕方にやることが多いですね。 鈴木:それはつらいなあ……。 HI:みんな同じような感じみたいですね。どこか焦りがあって、一日でも休むと忘れられてしまうと思っちゃう。最近は、みんなにちゃんと休むよう言ってます(笑) 鈴木:YouTuberってスポーツ選手に似ていると思うんですよね。テレビに出ると、すぐに年収聞かれるし(笑)。これからは、YouTuber界の選手会長として、みんなのモデルになってほしい。 HI:インタビューとかで、よく「次の目標は何ですか?」と聞かれるのですが、誰かとコラボするというよりは、継続することを目標にしています。継続することで、エアロスミスやSMAPとも共演できましたから。 鈴木:YouTubeって10代、20代が主な視聴者ですよね。でも、YouTubeはカルチャーになっているから、今後も続いていくと思う。というのも、10代だとクレジットカード作れないから、ネットでお金を払えない。その点、YouTubeは完全に無料なことが大きいと思う。 HI:たしかに、動画1回見るたびに100円でも払うとなると、ハードルは上がると思います。 鈴木:今後YouTubeはどうなっていくと思いますか? HI:ずっとバブルが続いていて一度も勢いが落ちていないので、自分でもどこまで行くのだろうと思っています。 鈴木:編集は自分でやる方がいいですよね。 HI:タレントさんでもアイドルでも、自分で編集する人は人気が出ます。でも、スタッフが撮影していると、すぐにわかっちゃうんですよ。テロップがキレイだったり、編集にこってたり。そうなると、企画も自分で考えているかどうかわからない。そうなると、ユーザーがなかなかつかない。 鈴木:インスタグラムも一緒ですよね。有名なタレントでも、人気がない人っているんです。見てみると、写真がキレイすぎる。オフショットもメイクがバッチリで美しい(笑) HI:少し雑なぐらいでいいんです。僕も自分の部屋で撮影してますから。 鈴木:テレビって、どうしてもボリュームの大きい40代、50代、60代といった層をターゲットに作ってしまうことも多い。それが10代、20代の層にYouTuber人気が出ている。この年齢層の人たちは今後もYouTubeを見続けていくだろうから、30代、40代向けのものも増えてくるんじゃないかと思うんですよね。 HI:僕ももう少しで30代ですが、僕らの世代はだいたいYouTubeを見ています。いずれそうなってくるだろうと思います。 鈴木:一方で、これだけ視聴者がいると番組にウソや誇張があると批判を受けやすくなるという厳しさもある。 HI:商品紹介の動画でも、正直に感想は言うようにしています。ただ、食べ物や飲み物を「おいしい」と言い切ってしまうと、「買ってみたけどおいしくねー」と批判されることもある。なので、「87点」って点数をつけたり、自分はおいしく感じても「味は薄めかもしれないですね」といった感想も付け加えるようにしています。スポンサー付きの動画は、冒頭にそのことをちゃんと知らせるようにもしています。 鈴木:昔、映画の推薦コメントを頼まれたんだけど、作品の内容がよく理解できなかったことがあったんです。それでも頼まれちゃったから、書いちゃったんですよね。そしたら、ある映画コメンテーターの方から「おさむちゃん、あの映画、本当に面白いと思った?」と聞かれた。それで「実は理解できなかったんです」と言ったら、「あなたの言葉を読んで1800円払っている人が今日いるからね」と言われた。それがグサッときた。今でも貴重な教訓です。 HI:YouTuberにも似たような葛藤や揺れがあると思うんです。うまくいっていると仕事はたくさんいただけます。でも、お断りしているYouTuberも中にはいます。テレビCMに出ているタレントとは違うんですよね。一時の収入に惑わされるのではなく、自分の番組にマッチングしない仕事は断った方が、長期的にはプラスになるだろうと思っています。 鈴木:CMタレントは「イメージ」を作るのが仕事で、「おいしい」とか「この商品は素晴らしい」とかを宣伝しているわけではない。YouTuberやブロガーとはそこが違うんですよね。僕は、自分のブログに広告は貼ってないんです。 HI:え、そうなんですか? 鈴木:自分の中でブログは「ネタ帳」と決めているので、読者のみなさんに質問を受けたり、それに答えたりすることで、情報収集をしているわけです。 HI:なるほど。鈴木さんはYouTuberのことをとても理解してくださっているので、僕らでは思いつかないアイデアをぜひ教えていただきたいです。テレビ収録の現場や編集の仕方とか。あとは、番組を作る時にどういう演出をするのか。ドッキリ番組はYouTubeでも人気ですけど、ひっかけられた人が本気で怒ってしまったらどうするかとか(笑)。 鈴木:いいですよ、どんどん聞いてください。でも、公の場では話せないテクニックもあるから、記者さん、ここのあたりで録音を止めてもらっていいかな(笑) (AERA dot.編集部・西岡千史)
週刊朝日 2017/10/02 10:30
田中みな実、「ぶりっ子」から脱皮 密かに好感度が上昇中!
丸山ひろし 丸山ひろし
田中みな実、「ぶりっ子」から脱皮 密かに好感度が上昇中!
田中みな実 (c)朝日新聞社  元TBSアナウンサーで、現在はフリーの田中みな実アナ(30)が、9月26日に放送された「5時に夢中!」(TOKYO MX)に代打MCとして出演した。番組冒頭、コメンテーターを務める作家・岩下尚史氏が「あなた(田中アナ)の同僚の人から、いろいろお噂は聞いてましたよ」と告げ、話題は田中アナのTBS時代のエピソードに……。岩下氏は「評判がよかったよ~」と、田中アナの噂について言及すると、田中アナは「いえいえ、怖いです。いいわけないんだから。分かってるんですよ」と自虐的に振り返った。  局アナ時代は“ぶりっ子キャラ”で知られた田中。2013年に雑誌「FLASH」(光文社)に掲載された、テレビ局員132人に聞いたアンケートでは「嫌いな女子アナ部門」で堂々の2位になるなど、「嫌われる女子アナランキング」の常連だった。最近では、9月に発売された雑誌「an・an」(マガジンハウス)で“肘ブラヌード”を披露し、その美しすぎる肢体が女性の間でも話題となったばかり。そんなアナウンサーらしからぬ行動に「お茶の間の人気は低い」というのが世間一般の印象だろう。だが、女性週刊誌の編集者は「そんなイメージとは裏腹に、実は彼女に好感を持つ視聴者が増えている」と証言する。 「2014年10月からフリーになった田中ですが、転身後も局アナ時代のイメージに加え、担当する番組が1年も持たず打ち切りになり、確かにネガティブな印象は強かった。ですが、本来は真面目な性格で、アナウンス技術も高く仕切りもうまいんです。TBSの先輩アナである吉川美代子(63)が、『注意しても翌週には修正し、頭の回転も速いので制作側から見れば貴重な人材』と絶賛したほど。その上、午前7時に起床し発声練習をしているそうで、これは局アナの頃から続けているといいます。そんな田中のひた向きな一面がじわじわと視聴者にも伝わり始め、『TBS時代は印象良くなかったけど、今は応援してる』という声も上がり始めているんです」  さらに、新人の頃はほとんど仕事がなく、週1のラジオのスポーツ番組程度だったが、逆にたっぷりとれる準備期間を利用し、野球のスコアを付けるなど勉強に励んでいたとか。 「仕事だけでなく、プライベートでも真面目でしたよ。規則正しい生活が自分に合っているそうで、見た目に反してあまり夜遊びもしないほうでした。食生活は基本的に自炊で、夜10時には就寝するとか。さらに、ネットからは一定の距離を置き、エゴサーチはもちろんブログやツイッターなどのSNSも一切やらないそうです」(スポーツ紙の芸能担当記者)  そんな田中アナだが、8月に発売された雑誌「美人百花」(角川春樹事務所)ではランジェリー姿も披露している。そんな“美ボディ”も真面目に努力を重ねた結果なのだという。前出の編集者が話す。 「30歳でお尻がたるみ始めたことから、週に2回ほど90分間のパーソナルトレーニングに通っていると雑誌のインタビューで答えていました。しかも、メリハリのあるボディを理想とし、パーツによって筋トレで鍛えたり、あえて脂肪を残したりと、粘り強くボディメイクに取り組んでいたそうです。そんな姿を知った女性読者からは、『努力家と聞いて大好きになった』という声もあったほど。そんな、ひた向きで真面目な性格が浸透し始めている。もともと、好感度が低かった分、より一層印象が良くなっているのは確かでしょう」  群雄割拠が続くフリー女子アナ界。もともとのスキルも高く、好感度も上昇となると、田中アナが一気に勝ち組の筆頭に躍り出ることになるのか? 注目したいところだ。(ライター・丸山ひろし)
dot. 2017/09/29 11:30
松尾潔×林剛が語る“90年代ブラック・ミュージック”のベスト・アルバムとは? ビルボードライブ10周年イベント・ダイジェスト対談
松尾潔×林剛が語る“90年代ブラック・ミュージック”のベスト・アルバムとは? ビルボードライブ10周年イベント・ダイジェスト対談
松尾潔×林剛が語る“90年代ブラック・ミュージック”のベスト・アルバムとは? ビルボードライブ10周年イベント・ダイジェスト対談  2017年9月24日、東京・二子玉川ライズ内の二子玉川 蔦屋家電にて、音楽プロデューサーで文筆家の松尾潔と、音楽評論家の林剛による対談イベントが開催された。  【BBL 10th Anniversary Talk Session 松尾潔×林剛 ~Revive 90s~】と題し、ビルボードライブ10周年を記念して行われたこの日のイベント。これまでも多くの90s以降のR&B、ヒップホップのアーティストのライブを開催し、10月以降もエリカ・バドゥ、ベイビーフェイス、フェイス・エヴァンスの単独公演も控えるビルボードライブ。その周年イベントに、その道の権威と言える二人が登壇し、終始和やかな雰囲気の中、幅広い話題が展開された。この記事では、そんな両者の対話をダイジェストでお届けする。 <松尾潔、林剛が選ぶ90年代のベスト・アルバム(TOP3)> 松尾:今日は事前に「90年代の名盤ベスト3を挙げてくれ」ってビルボードさんに頼まれて用意したんですけど、二人とも「3枚ずつ挙げて下さい」ってメールが来てるはずなのに、林さんも僕も10枚近く挙げていて(笑) 会場:(笑) 林:何かにつけて挙げたくなるんですよね。 松尾:3枚で収めるのは難しいよね。じゃあ、まずは林さんのTOP3からお願いします。 林:色々と前置きをつけたくなるところではありますが、僕の3枚は、トニ・トニ・トニの『サンズ・オブ・ソウル』(1993年)、メアリー・J. ブライジの『マイ・ライフ』(1994年)、キース・スウェットの『キース・スウェット』(1996年)ですね。 松尾:なるほどね。何の異論の余地もありませんけど…林さんってそういう人なんだ(笑) 林:「人生で1枚だけを挙げろ」って言われたらすごく困るんですけど、90年代に関しては、もし「1枚を挙げろ」って言われたら、トニ・トニ・トニの『サンズ・オブ・ソウル』を挙げますね。 松尾:あ、そうなんだ。良いアルバムだけど、そんなに思い入れがあったんですね。甘酸っぱい思い出があるとか? 「俺のピローで寝てみないか?(同アルバム収録のヒット“Lay Your Head On My Pillow”の日本語訳)」みたいな(笑) 林:いやいや、そんな感じじゃなかったですね(笑)。このアルバムがリリースされたのは20代前半の頃で、その頃はタワー・オブ・パワーとかスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンとかのベイエリアのファンク、70年代のファンクとかソウルがすごい好きだったんです。一方で、ニュー・ジャック・スウィングとかも聴いていて。トニ・トニ・トニは、映画『ハウス・パーティーII』(1991年)のサントラにも曲を提供していましたけど、彼らの音楽には70年代ファンクとニュー・ジャック・スウィングの両方を感じたんですよね。まだ学生で評論家でも何でもなかったのに「これは今後のR&Bシーンを占う作品だ!」って友達に力説してました。 松尾:そのお友達って迷惑がってませんでした?(笑) 林:ええ。就職活動をしている友達に語ってましたね(笑) 松尾:でも、いまでもその気持ちに揺るぎはないですか? 林:ないですね。今思うと、その後、ニュー・クラシック・ソウルとかネオ・ソウルと呼ばれたムーブメントの起点にもなっているアルバムなんじゃないかなと思います。 松尾:なるほどね。ちなみにキース・スウェットはなぜ? 林:僕はスロージャムが大好きなので、その代表作かなと。 松尾:これもまた「俺のピローで…」とか、そういう世界観ですよね(笑)。 林:僕って、そういうタイプに見えますか?(笑) 松尾:でも、基本的に、こういうのが好きな人って、そういう世界に憧れがあるんじゃないの? 林:そうですね。 松尾:なんてシンプルなカンバセーションなんだ(笑)。ちょっと真面目に話すと、オリンピックの年に開催地のアトランタから出てきたヒットアルバムで、当時のアトランタのシーンの活況ぶりを示す1枚ですよね。あの頃のキースの周辺には、TLCとか、本当に色んな人達がいましたからね。 林:そうですね。今回『キース・スウェット』は松尾さんとダブりましたね。 松尾:そうですね。じゃあ、先に答えを言われましたけど(笑)、私の3枚を。ジャネット・ジャクソン『ジャネット.』(1993年)、R・ケリー『12プレイ』(1993年)、キース・スウェット『キース・スウェット』。僕にとってはやっぱり『ジャネット.』が金メダルってことになるのかなぁ。 林:ある意味そうですよね。 松尾:彼女はメアリー・J. ブライジと同じように、その時々の自分の人生模様をアルバムに素直にプリントしてきた人だと思うんです。とはいえ“大スターの妹”っていう出自がまずあるから、メアリー・Jみたいに「シスターの代弁者」みたいな見方をされることは少ないんですよね。でも、このアルバムに関しては、タイトルのピリオドで「ジャクソン家とは一線を引いたひとりの大人の女」という決意表明を表現しているような気概を感じましたね。 林:なるほど。 松尾:あと、曲が良かったですよね。「That's The Way Love Goes」のすばらしさ。アシッドジャズっていうロンドン発祥のムーブメントを視野に収めていたともいえます。最近の90sリバイバルでアシッドジャズも再注目されてますよね。ジャミロクワイが日本武道館で追加公演までやったりとか、その影響を隠さないSuchmosって日本の若いバンドが人気を博していたりとか。アメリカのR&Bだけを軸に語るなら、「That's The Way LoveGoes」は “ジャネット流のネオソウル”とか、“ジャム&ルイスが生のグルーヴにも目を向けた作品”って言われがちですけど、当時を思い出してみると「イギリスのソウルファンの大好物を作ったなぁ」っていう印象が強かったですねぇ。  その頃の僕はアメリカで仕事することも多かったんですが、アメリカの、特にR&Bビジネスの世界に居ると、アメリカの中しか見ないんですよ。あの国って大きすぎて、州を跨ぐと外国みたいなものだから、海外旅行に行かないひとも多い。でも『ジャネット.』には、アメリカ産のR&Bとしては珍しくワールドワイドな視点もありました。まだR&Bがポップ・ミュージック全体の覇権を握るか握らないかくらいの時代で、アフリカン・アメリカンによるアフリカン・アメリカンのためのアルバムが大半を占める時代にあって、このアルバムには国際マーケットへの目配りがありました。 <松尾潔、林剛が選ぶ90年代のベスト・アルバム(&MORE)> 林:松尾さんのTOP10の残り7枚は、メアリー・J. ブライジの『What’s The 411?』(1992年)、Dr. Dre『The Chronic』(1992年)、Nas『イルマティック』(1994年)、ノトーリアス・B.I.G.『Ready To Die』(1994年)、TLC『CrazySexyCool』(1994年)、ディアンジェロ『ブラウン・シュガー』(1995年)、エリカ・バドゥ『バドゥイズム』(1997年)ですね。 松尾:評価も定まっているような歴史的名盤ばかりで、すごく初心者っぽいセレクションですよね(笑)。でも、メジャーもインディーもすごくたくさん聴いてきたうえで、この10枚に至ったと思っていただければ。この10枚全部で10章の物語だとしたら、どのチャプターから入っても良いんです。どこから聴き始めても、必ず他のアルバム全てにたどり着くはずなので。 林:僕が他に選んだものとしては、必ずしもTOP10というわけではないのですが、アリーヤ『Age Ain’t Nothing But A Number』(1994年)、ブラックストリート『ブラックストリート』(1994年)、モニカ『Miss Thang』(1995年)、ブランディー『ブランディー』(1994年)、SWV『イッツ・アバウト・タイム』(1992年)、エスケープ『オフ・ザ・フック』(1996年)、マックスウェル『アーバン・ハング・スィート』(1996年)あたりですね。 松尾:(アルバムジャケットを見ながら)ブラックストリートもモニカもストリートで撮影していて、コンセプトが共通しているんですね。SWVなんて土管にまたがってるぞ(笑) 林:この人たちもビルボードによく来ていて、素敵な年の重ね方をしてますよね。 松尾:ブランディーもビルボードで観ましたね。キレイでした。 <2017年の秋に観る“90年代R&B”の3アクト> 林:2017年は、シドとかブライソン・ティラーとか、松尾さんも年間ベスト候補に上げているセヴン・ストリーターとか、90年代の音楽をサンプリングしてるアルバムが多くリリースされていて、本格的に90年代リバイバルの波が来たなという気がしています。そんな中で、10月からは、エリカ・バドゥ、フェイス・エヴァンス、ベイビーフェイスが来日します。 松尾:林さんは、この中で誰に一番期待してますか? 林:僕はベイビーフェイスに実はかなり期待してます。2016年にも【エッセンス・フェスティヴァル】でベイビーフェイスを観て。それがリアルタイム体験派としては懐かしい、自分か作った曲とかをセルフカヴァーでメドレーで披露する場面とかがあって、ウルウルっと来てしまったというのがありまして。 松尾:作家としての実績が途轍もない人ですからね。今は作家さんってイメージよりも歌い手というイメージがまた強くなってきてる気がしますが、それでもアリアナ・グランデに曲を書いてたりしますからね。 林:そうですね。あと<デフジャム>からの最新作(『リターン・オブ・ザ・テンダー・ラヴァー』2015年)もすごい良かったので、あれを出してからは初来日だと思うので、それも楽しみですね。 松尾:僕はエリカ・バドゥですよ。だって、ビルボードに出るのは初めてですから。今日ご来場のみなさんは「でも(チケットが)お高いんでしょう?」って思ってますよね? 僕もそう思うんで(笑)。ただし1日1ステージに絞って全力投球するんだそうです。そう聞いて「じゃあどんな内容なんだろう?」って興味が湧いてます。 林:そうですね。やっぱり『バドゥイズム』20周年ということもあって、本国のセットリストを見ても『バドゥイズム』的な曲を各アルバムから選んだような内容になってますね。もちろん、来日公演でそのままやるかどうかは分からないんですけど、メンバーもほぼ一緒のようなので。 松尾:良いバンドで来るんですってね? 林:そうですね。RC&ザ・グリッツという、長年一緒にやっているダラスの地元のバンドのメンバーも来たりとか。あと『ワールドワイド・アンダーグラウンド』(2003年)で、「フリークエンシー」っていうプロデューサー・チームをエリカと組んでいたラシャッド・スミスもDJとして来たり。バック・バンドも確かな人たちが来るっていうのはありますね。 松尾:フェイス・エヴァンスはどうですか? 林:フェイス・エヴァンスは最近、元旦那さんのビギーとの擬似デュエット盤(『ザ・キング&アイ』)が出て、もしかしてそこからの曲もやるのかな? 松尾:まあ、ヒット曲も多いですからね。彼女の場合、ビルボードのステージに立ったこともあるから、痒いところに手が届くステージをやってくれるんじゃないですかね。単純にヒット曲のスケール感でいうと、「I'll Be Missing You」という破格のヒットを持っている人ですから。安心感がありますよね。 林:彼女の濡れたような歌声が聴けるのが、今から楽しみですね。 松尾:秋にR&Bを聴くのは、それ自体がもう最高ですから。R&Bを素敵な夜景と美味しいお酒と一緒に楽しめるビルボードライブ。そこでみなさんとお会いできるのを、今から楽しみにしております。 ◎イベント情報【BBL 10th Anniversary Talk Session 松尾潔×林剛 ~Revive 90s~】東京・二子玉川・二子玉川 蔦屋家電2017年9月24日(日)出演:松尾潔、林剛 ◎ビルボードライブ公演情報【BBL 10th Anniversary Premium Stageエリカ・バドゥ】2017年10月1日(日)&3日(火)&6日(金)&12日(木) ビルボードライブ東京2017年10月9日(月)~10(火) ビルボードライブ大阪 【フェイス・エヴァンス】2017年10月5日(木) ビルボードライブ大阪2017年10月9日(月・祝) ビルボードライブ東京 【BBL 10th Anniversary Premium Stageケニー “ベイビーフェイス” エドモンズ】2017年11月15日(水)~16日(木) ビルボードライブ大阪2017年11月18日(土)~20日(月) ビルボードライブ東京 詳細:http://www.billboard-live.com/ ◎その他公演情報【MTV presents SOUL CAMP】東京都 新豊洲エリア2017年10月7日(土)・8日(日)開場13:00/開演14:00 URL:http://soul-camp.jp/
billboardnews 2017/09/28 00:00
青田典子、杉田かおるをゲストに招いたトークショーが11/4に開催 12月には本人ワンマンライブも
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青田典子、杉田かおるをゲストに招いたトークショーが11/4に開催 12月には本人ワンマンライブも  青田典子によるトークイベントが2017年11月4日に東京・Shibuya LOFT9にて開催される。  【Noriko Aota presents ガールズトーク「LOVE&LIVE」】と題されたこのイベントは今回で第4回目。イベントでは杉田かおるがゲストとして登場する。  また、翌月の12月5日には東京・渋谷morphにて、青田典子のワンマン・ライブも開催。こちらは【blue's Night vol.2】と題した公演となる。以下、それぞれの開催に向けて、青田本人からのコメントを掲載する。 <11月4日トークイベント【Noriko Aota presents ガールズトーク「LOVE&LIVE」】に向けて>女性が色々な経験を経て話す含蓄には何よりも説得力があり、一番心に刺さるものであると思っています。数々の女性の言葉に支えれられてきた私。女性は歳を重ねるにつれて、いくつもの岐路を持ちます。社会人になり親元から離れること。一人暮らしからの恋愛。部署の移動。結婚。離婚。出産。更年期障害。親の介護などなど。そんな経験を経て大きく人間的に飛躍していくんだと思います。百戦錬磨の中、本能的に子供を産む能力を持つ女性は、最終的な開き直りや、まあなんとかなる、、というアバウトでなんの根拠もない支えによって、滑らかに悲しみとやさしさを携えながら生き抜いていく。そんな様々な場面に遭遇してきた女性達とのトークは、自分が気付かなかった心の闇に触れたり、私だけじゃなかったんだ、と共感出来て、泣いたり笑ったり。ちょっとラクになったり、勇気をもらえたり、、。理屈では測れない貴重な癒しの時になる気がしてなりません。今回はゲストに杉田かおるさんをお招きしました。ご一緒にお仕事をする機会も数々あった懐かしい想い出話しや、一女性として今の生活の中での暮らし方や、大切にしていることなど、「オーガニック」をテーマにあらゆる角度から話していきたいなと思っています。 トークのあとは、歌とギター演奏で、音楽を楽しんでもらおうと思っています。 男女問わず、気楽な癒しのひと時をぜひ一緒に過ごしてみませんか。 <12月5日ワンマンライブ【blue's Night vol.2】に向けて>12月5日に渋谷morphにて【blue's Night vol.2】LIVEをすることになりました。去年の同じ時期に、渋谷 Jz bratで開催したライブをダンサブルに助長させて、エレガントでエキゾチックなステージになればと思っています。 2016年10月26日に発売した「blue's」のアルバムの曲を中心に、C.C.ガールズ時代の曲、そしてバブル青田と銘打ったヒット曲「ジーザス」をスタイリッシュにアレンジして、ライブを煌びやかに飾ることが出来ればと願っています。 12月5日、火曜日、みなさんと共に熱くハートフルな夜を過ごせるよう、DJ and ダンサー達と共に、ダンサブルなサウンドでお迎えします。 ぜひ遊びに来てくださいね。 ◎イベント詳細【Noriko Aota presents ガールズトーク「LOVE&LIVE」】2017年11月4日(土)東京・Shibuya LOFT9開場12:00/開演13:00(15:30終了予定)料金:前売3,500円/当日4,000円(税込・要1オーダー500円以上)チケット(peatix):http://peatix.com/event/301269 <第四回>出演:青田典子ゲスト:杉田かおる 【blue.FN’s night vol.2】(ワンマンライブ)2017年12月5日(火)六本木morph-tokyo開場19:00/開演19:30料金:前売4,000円/当日4,500円(1ドリンク別)チケット:9/23(土)12:00発売URL:http://bit.ly/2fmBwmv
billboardnews 2017/09/23 00:00
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