働きながら学ぶ社会人が増加 空いた「時間」と社会人に配慮した「環境」が後押し?
AERAムック「大学院・通信制大学2021」から
仕事をしながら、退社後や土曜日に大学院へ通う社会人が増えている。大学院でも、社会人が受講しやすいカリキュラムを組んだり、通いやすい場所にサテライトキャンパスを設けたりするなど、受け入れ態勢を整えている。働きながら学ぶにはどういう点に注意すればいいのか。AERAムック「大学院・通信制大学2021」では、その現状を取材した。
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社会人大学院に詳しい関水信和客員教授よると、1990年代に大学院の修士課程に入学した社会人数は2000人に満たなかったが、2000年以降は7000~8000人の間で推移しているという。その背景を、関水客員教授はこう話す。
「日本型の終身雇用が見直され、会社にいれば安泰という世の中でなくなってきた。そんな風潮を受けて、高いスキルを身につけようという向上心を持った社会人が増えています」
18年に国会で成立した「働き方改革関連法」で残業が減り、プライベートな時間が作りやすくなるなど社会的な要因も大きい。大学も人口の減少で学部生の増加が見込めず、社会人を積極的に受け入れるようになった。授業を夕方から開講したり、通いやすいビジネス街にサテライトキャンパスを設けるなど、社会人に配慮した環境を整えている。
社会人大学院という言葉自体は、文部科学省に定義されているわけではない。関水客員教授は、次のように解説する。
「週末や平日の夜間に授業を行い、社会人を大勢受け入れている大学院を、一般的に社会人大学院と呼んでいます。以前は入学時に大学卒業見込みの学生と同等の試験を受け一緒に授業を受けていましたが、1990年代に社会人特別入試を行う大学院が現れ、そこから一気に社会人大学院が増えました」
関水客員教授も大学卒業後、大手都市銀行に勤務する傍ら五つの大学院に通い、修士と博士課程を修了ないし修了単位取得している。初めて通った95年は、社会人が大学院に通うこと自体がめずらしく、会社の理解もそう簡単に得られなかったという。
1999年に創設された専門職大学院はより実践に即した内容を学ぶ。特長として修了年限を1年以上としており、必要単位の取得を修了すれば修士論文を義務付けていない。資格の取得に有利なプログラムが組まれている大学院もあり、教員も実務家の出身者が多い。専門職大学院には会計、経営(MBA)、技術経営(MOT)、教職大学院、法科大学院などがある。
ビジネスパーソンに人気なのがMBAだ。「人材マネジメント」「マーケティング」「ファイナンス」など企業経営全般について学ぶ。MBAは資格ではなく、修士過程を修了すると学位として与えられる。
MBAとともに人気なのが、公認心理師と臨床心理士の資格を取るコースだ。公認心理師は国家資格、臨床心理士は民間資格で、両方とも大学院で2年間学び、一定のカリキュラムを履修する必要がある。大学院入試の個別指導を行っている四谷ゼミナールの鹿取護さんは、次のように話す。
「心理学系は女性に人気の分野。また人生の経験が生かせるため、セカンドキャリアとしてチャレンジする年配の方も多いですね」
心理学系の大学院は書類、面接に加えて英語、心理学、小論文などの学科試験が課せられる。社会人であっても授業は夜だけでなく、平日の昼も実習を受けることが必須となる。仕事と両立できるかどうか、事前にカリキュラムを確認することが肝心だ。
「入試で社会人への配慮はありますが、入学後の授業は新卒生と同等に扱われます。社会人だからと、甘くしてくれることはありません」(鹿取さん)
東洋英和女学院大学大学院人間科学研究臨床心理学領域の社会人カリキュラムは、授業は夜に開講されるが、1年次から週に1日学外実習が実施される。1年次の冬からは、学内での相談面接実習も実施。2年次からは医療だけでなく教育、福祉、産業など幅広い現場で実習を行う。
さらに毎週木曜日の15時からゼミ演習、17時からカンファレンスが必修となる。当領域には8人の専任教員がおり、全員が臨床心理士・公認心理師の有資格者だ。臨床心理担当の教員は次のように説明する。
「昼に実習などがあるため、働きながら学ぶにはフレックスなど時間に余裕のある勤務形態が望ましい。学期末にはレポートや試験、さらに2年次には修士論文研究を手がけることになります。多忙な日々ですがみなさんやりがいを感じており、修了してからもさまざまな場で活躍されています」
同科のもう一つの柱、死生学分野のコースも社会人に人気だという。日本で初めて大学院で「死生学」を開講し、伝統を蓄積している。「命の尊厳」「看取り」「遺族の喪の作業」「寄り添い」などを理論と実践の両輪で学ぶ。
「超高齢社会により、最期の迎え方が非常に重要なテーマになっています。いろいろな経験を積んだ社会人の方にこそ、学んでいただきたい分野だと思います」(研究科長・久保田まり教授)
高みをめざすなら博士課程を狙おう。大手企業で長年シンクタンクの業務に携わってきた酒向浩二さん(50)は、千葉商科大学大学院政策研究科の博士課程に通っている。進学したきっかけを次のように話す。
「仕事で外国人との交流も多いのですが、シンクタンクに携わっている外国人はほとんど博士号を持っています。それが刺激になって、かねてから自分も取得したいと思っていました」
実務の実績が修士修了同等として認められ、博士過程から入れるコースがあることを知って入学を決意した。
「シンクタンクの仕事は民間業務ですので、アカデミックな研究とはだいぶ乖離があります。実務を大学の研究に生かすにはどうしたらいいか、その手法を身につけることが課題でした」
最初の半年間は集中的に講義を行い、後期からゼミ形式の授業を行っている。現在酒向さんは、博士号の取得に向けて論文を執筆中だ。
「実務は短期の現状分析が主ですが、アカデミックの世界は『そもそも』論を重要視し、既存研究を踏まえた重厚な分析をする。両方体験したことで、実務とアカデミックを結びつけ社会に貢献したいと思うようになりました」
関水客員教授は社会人が通う条件として、キャンパスが自宅や会社から近いこと、上司や家族の理解を得ること、できれば仕事と関連する分野の履修をすることとアドバイスする。
「社会人が大学院で学ぶためには、仕事との両立が課題になります。周囲の理解がないと通うのは難しい。また、せっかく仕事をしながら学ぶのですから、大学院での学びを仕事にも生かせるような分野を選べば、会社での評価も上がります」
出身学部と異なる分野の大学院を選ぶと、前提となる知識が身についていないため苦労する。関水客員教授は、そのクッションとして通信制大学の利用を勧める。自身も三つの通信制大学で学んだ。
「費用もそれほどかからないので、通信で学んで大学院に備えるという手もあります。通信での学びを評価してくれる大学院もあります」
大学院の費用は、国立の場合は大学に準じており初年度は入学金と授業料で82万円程度かかる。ただし法科大学院は国立でも108万円程度。私立は110~130万円が相場だ。選考は秋と冬から春にかけて2回行われる。大学院ごとに日程が異なるので、国公立大学を複数受けることも可能になる。
関水客員教授は社会人が大学院に行く意義を次のように話す。
「会社だけだと、どうしても視野が狭くなります。苦労も多いですが、いろいろな業種の人と一緒に知的な研鑽を積むことで、人生が豊かになります」
思い切ってチャレンジしてみよう。新しい道が開けるかもしれない。
(文/柿崎明子)
※AERAムック「大学院・通信制大学2021」から
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2020/08/01 17:00