母が蒸発、父は自殺…アダルトビデオ店の実家が全焼した極貧少年が、大手広告代理店マンに上り詰められたワケ
壮絶な人生を歩んできたサノ氏(写真=本人提供)
サノ氏のツイートは次々とバズっていった
「実家が全焼したサノ」(@sano_sano_sano_)をご存じだろうか。Twitterで「日常生活で起きた切なかった出来事」を投稿し、平均2000以上の「いいね」をたたき出すなど、「バズ」(拡散)を連発。2019年5月の始動からわずか3カ月で、フォロワー数は3万人を超えた。現在は6万人超のフォロワーを持ち、「インフルエンサー」として勢いを伸ばし続けている。「人よりも悲しい出来事や、切ない出来事が多かった」と語るサノ氏。実家の全焼、母の蒸発に父の自殺。ドッグフードを食べて飢えをしのぐこともあった幼少時代。壮絶なバックグラウンドを持ちながらも、京大大学院に進学し、29歳で大手広告代理店に新卒入社。激動の人生を歩んできたサノ氏の30年には、「先の見えない時代」を生き抜くヒントがありそうだ。
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「家」がなくなったのは、小学4年生のときだった。
隣人の寝たばこが原因で実家が全焼。この火事で、実家に併設していた父経営の「アダルトビデオ店」も全焼し、家具も服も写真も、大量のアダルトビデオも全てが灰となった。売れ残っていたAVがすべて燃えたことで、父は「その分保険金の額も増えた」と喜んでいた。
「永遠なんてない。ある日突然、日常だと思っていたものがなくなることが何度もありました」
サノ氏がこう悟るのは、これまでの人生でのあまりに壮絶な経験があるからだ。
まず、両親の出会いからして特殊だった。きっかけはデート商法に長けた母親が、父親に高級布団を売りつけたこと。女遊びにたけていた父親は、高級布団を買うことを口実に母親とデートを重ね、最終的に結婚に至った。そんな両親ゆえなのか、夫婦げんかは絶えず、幼いサノ氏もそれに巻き込まれていく。
「僕が小学生の時、居酒屋で泥酔していた父を、僕と母で軽トラで迎えに行きました。案の定、父と母は口論になり、母が『もう離婚する!』と言った途端、父は『じゃあ俺が出て行く!』と言い、走行中の軽トラから飛び降り8回転しました。翌日、2人は離婚しました」(Twitterより)
両親は離婚と再婚を繰り返した。結局、母親は他の男性と再婚する形でサノ氏が小学2年のときに“蒸発”。残されたサノ氏は父親のもとで幼少期を過ごした。
「父はアルコールとギャンブルに溺れるダメ人間でしたが、心根は優しくて、決して僕を手放そうとはしなかった。それは今でも感謝しています」(サノ氏)
とはいえ、父親との生活は常軌を逸するものだった。
格闘漫画「グラップラー刃牙(バキ)」に感化されるあまり、「世界最強の子」を育てようと、近所の子供にサノ氏とケンカするよう申し入れていた。
また、ある時は父のナンパの手伝いに駆り出された。「カラオケボックスで女性客の部屋に間違えて入る」という役目を与えられ、ナンパの手助けを通して行動力を磨いていった。
父親はリサイクルショップを経営していたが、商売は下手だった。ギャンブルに明け暮れて数百万円の借金を背負うことになった父親は、一念発起して店の「改革」に着手。男性客を取り込もうとアダルトビデオの販売を主力とすることを思いつき、リサイクル品の家具に収納する形で、アダルトビデオを陳列するという大胆すぎる戦略をとった。結果的に、お得意さんだった主婦層が離れていき、たちまち経営不振に陥った。次第に家賃も払えなくなり、父子で飼い犬のドッグフードにお湯をかけて飢えをしのぐこともあった。
実家が全焼したのは、そんな時だった。サノ氏はコツコツとためていた貯金箱が丸焦げになったことで、ひどく落ち込んだ。全財産を失った息子を思いやってか、なぜか父が、その貯金箱を数千円で買い取ってくれた。だが実は、父親は貯金箱の中身は無事だと知っており、サノ氏のお年玉や小遣いが詰まった約9万円分の中身を出して、パチンコ店へ直行した。
「あまりの大人げなさにあっけにとられました。でも、子どもから強権的にお金を取り上げるのではなく、“交渉”という手段を踏むことについては学びがありました。『人も物も、見た目だけで判断するな。中身を確認しないと、本当の価値はわからない』という父の言葉は今でも教訓となっています」(サノ氏)
だが、そんな父親はサノ氏が中学2年のときにこの世を去る。アルコール依存症が年々悪化して精神を病んでいき、飛び降り自殺をした。わずか14歳で天涯孤独になったサノ氏。こうした体験が、冒頭のような「永遠なんてない」という人生観を形成し、ときには成り上がる原動力となっていく。
その後は叔母や祖父母などを頼り、親戚の家を転々として暮らした。大学は祖父母の家から通ったが、あえて布団では寝ず、床で寝ていたという。将来ビジネスに失敗したら、帰れる家はどこにもないと覚悟し、将来のホームレス生活に備える必要性を感じていたからだ。
この頃から「自分の力で生きていく」ことを強く意識するようになり、どうやったら金を稼げるかを常に考えて生活していくようになった。
学費を稼ぐため、大学在学中は大阪ミナミと歌舞伎町のホストクラブでホストをして稼いだ。売れっ子ホストの言動を観察したことで、入店から1カ月で「新人王」に輝き、最終的にはNo.2に上り詰め、十分な額を貯め込んだ。その分、夜型の生活が染みついて早起きが苦手に。大学卒業後は、「夕方まで寝ていられる」という理由で、バーの経営を始めた。
数年かけてお得意さんを獲得してバーの経営は安定し始めたが、今度は「店舗拡大をするにはどうすればいいか」など、経営にまつわる数多くの疑問がわいてきた。当時の交際相手が京大生だった縁で、京大の大学院で経営学を学ぼうと一念発起。マンツーマンで教えてもらいながら猛勉強をして、見事に進学を果たした。
バーの経営を学ぶために進学したつもりが、在学中にサラリーマンに興味を持つようになったことで、店は在学中に閉店。卒業後は大手広告代理店に入社し、29歳で晴れて新卒のサラリーマンになった。
広告マンという仕事柄、若手としてSNS施策などの意見を求められる機会が多かったが、ツイッターをやっていなかったため、答えに困ることもしばしば。勉強のため、昨年の5月から「日常生活で起きた切なかった出来事」をつぶやくことにすると、開始からわずか1週間でツイッターの通知が鳴りやまなくなる「バズ」を経験した。
Twitterを始めて3カ月後にはフォロワー数は3万を超えるまでに。「どうやったらバズるの?」と社内外から相談を受けるようになり、Twitterがきっかけで、切ないエピソードをまとめた本も出版されるまでになった。サノ氏は言う。
「多くの切ない経験をしてきたことで、何の仕事をしても、どんな失敗をしても、なんとか食いつないでいけるだろうという自信がつきました。僕の人生は変化の連続で、変化を力に変えてきた。悲しい出来事もたくさんありましたが、災難への耐性がついた。失敗や災難を前提に生きているので、失敗を恐れず前に進めるのだと思います」
まさに今、コロナ禍で世界中の人が「日常」を奪われ、迷い、悩んでいる。サノ氏の壮絶な生き方は、そんな現状を“突破”するヒントにもなるのではないか。
「コロナそのものをポジティブにとらえようとは思いませんが、先が見えないことって、チャンスでもある。(仕事や生活など)ゲームのルールが一変するので、僕のような『持たざる者』にとっては、逆転するうってつけのタイミングだと思います」
(取材・文=AERAdot.編集部・飯塚大和)
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2020/10/03 17:00