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カンニング竹山“安倍と小沢一郎のニアミス”に遭遇して「いいことだな」と思ったワケとは?
カンニング竹山 カンニング竹山
カンニング竹山“安倍と小沢一郎のニアミス”に遭遇して「いいことだな」と思ったワケとは?
カンニング竹山/1971年、福岡県生まれ。お笑い芸人。2004年にお笑いコンビ「カンニング」として初めて全国放送のお笑い番組に出演。「キレ芸」でブレイクし、その後は役者としても活躍。現在は全国放送のワイドショーでも週3本のレギュラーを持つ(撮影/今村拓馬) ニアミスした小沢一郎氏(左)と安倍総理(C)朝日新聞社  同じ日に同じ場所にいた安倍総理と小沢一郎氏の“ニアミス”にカンニング竹山さんは、今の政治離れの根源を改めて考え、さらにはメディア分散化時代のテレビ番組のあり方に痛烈に苦言を呈す! *  *  *  先日、僕が出演しているAbemaTVの「カンニング竹山の土曜TheNIGHT」という番組に、小沢一郎さんが来ました。その日の午前中に小沢さんの収録があって、スケジュール上、そうなったと思うんですけど、夜には橋下徹さんのAbemaTVの番組に、安倍総理が来たんですよ。偶然ですけど、安倍さんと小沢さんがある一日に同じ建物来たということになった。  政治的考えは別にして、なんか、いいことだなと思ったんですよね。どうしてかって言うと総理とか、小沢さんみたいな政治家の大物の人って、NHKの堅い番組だとか、民放だったら報道番組だとかそういうのには出演するけど、そんな堅い番組はなかなか若い子は見ない。政治に興味ない人も見ない。そうすると、今回の安倍さんや小沢さんのことは、ある一定の人しか見なくなる。それがイコール政治離れになると思うんです。  総理や大物政治家が今回のような番組に出るということは若い人や政治に興味がない人も見る機会が増えるかもしれないですよね。政治離れとかって言われているけれど、政治家の人たちももっと積極的にそういう番組に出るっほうがいい。もちろん、政治評論家の人と話すような堅い番組に出ることも大事ですけど、それだけだと、正直、そんな堅い番組見ていても、話に追いつけない人ってたくさんいますよね?わからない人をわからないまま放っておくということでいいのか?  そういう人たちにも政治の話をわかるように、例えば“人間そのもの”を見せていくとか、小沢さんを「このおじちゃん、こんな人なんだ」って興味を持ってもらったらいいと思う。今回、小沢さんは僕と番組で話して、安倍さんはサバンナの高橋くんと話していましたけど、僕や高橋くんが話すことで、小沢さんや安倍さんとの距離感が縮まると思うんですよね。  それを批判する人も結構いるんですけど、それ、批判していたら今までと何も変わらないと思うんですよ。アンタら政治の話がわかっているからいいけど、意外とわかっていない人、いっぱいいるよ。  そういうことが、AbemaTVでパッとできちゃうのって素晴らしいし、でも本当は地上波のテレビでできればいいのになって思いますよ。僕はテレビが大好きだし、今でも影響力を持っていると思っている。テレビで政治をわかりやすくすれば、もっとみんな考えるようになるし、「これ、なんかおかしくない?」ってもっと気軽な話題になってくると思うんですよね。今回の都知事選だって盛り上がると思う。「演説やるらしいから、見に行かない?」ってなるかもしれない。もっとそういうふうになっていったらいいなと思う。  どうして、テレビでできないのか?今、テレビは難しい番組が多くなっちゃっているんですよね。視聴率も15歳から49歳までのコア層を狙うっていう方針に変わっているから、そこに向けての番組作りになってきているんですよ。  だから、なるべく若いタレントのキャスティングしたい、金がないから予算を落としたい、なおかつ視聴者から文句言われたくない、スポンサーにも文句言われたくない……そうなったら何を作るかって言えば、学校の授業の延長ですよね。学校で習っている勉強バラエティですよ。それが親世代にも文句言われないですよね。クイズ番組とか教科書からのネタとか、この漢字がどうだとか。バトルしてみせたり、有名大学出身というキャラを作ったり、見せ方を変えるだけですよね。悪いことではないけれども、そういう番組ばっかりになってきてる。でもそれはみんな悩みながら作っているからしょうがない事なんですよね  どんどん、民放のテレビ番組が“教育テレビ化”していますよね。今、親が子どもに見せたくない番組って放送してないでしょ?そういう番組もないと子どもの成長にとってダメだと思いますよ。子どもが見ていると親が怒る番組。親も怒るんだけど、たまに笑っている番組。(笑)「こんなの見たらバカになるよ!」って親に言われるような、バカになる番組も必要ですよ。(笑)  芸人を空から飛ばしたり、水車に貼り付けられて水をかけられてバンバン回されたり、我々はそういうのやりたいわけですよね。爆薬をガンガン爆発させて「やめろー!」って炎の間を駆け抜けるときにものすごい幸せを感じるわけです。(笑)「仕事してんなー」っていう。そういう番組はできなくなっているから、結局、優良な番組ばっかりになっていく。  優良な番組って考えたとき、安倍さんや小沢さんを番組に呼んだときに、僕とか、サバンナ高橋くんには回させないですよね?報道部のデスクとか、解説委員とか、エライ感じの名前の人が回すと思うんですけど、そうなると、どんどん見なくなるのに、そのほうが安パイですよね。若い子は見なくなる、そうなると政治家は呼ばなくなる、政治の話からどんどん離れていく。  小沢さんが番組に出てくれて面白かったのは、はっきり赤裸々に、他のメディアでは言わないことを話すんですよ。選挙には絶対勝つとは以前から語っていましたが、野党連合ではなくて、新しい党を作るってことまで話していた。連合じゃない、政党を作るんだと。秋に選挙があるかもしれないから夏までには候補者も決めなきゃいけないって。なかなか普段発言しないことをはっきり話すし、そういう面もあったりするから、こういう斬り方をする番組も大切かなと思った。  いい悪いは別として、小沢さんの政治に対する考え方がすごくわかりやすかった。政治記者によっては「いいや、あいつは嘘つきだ」「建前だけ話している」とか言う人もいるかもしれない。でも、番組では小沢さんの話はわかりやすかったし、たぶん、普段、政治家が話している番組を見たことない人も見た可能性はありますよね?  今回のAbemaTVがあるように今メディアが分散化している。だからテレビが王様っていう時代が徐々に薄れてきているのは確かですよね。でも、影響力は一番あるんだけど、いまはオンタイムで見る影響力でなく、ネットニュースでの拡散なんですよね。特に、若い子たちは、番組そのものを見ていなくて、放送されたものを文字で起こされたSNSという中で拡散したものを見て「あーだ、こーだ」言っているっていう。それが若い子の中でのシステムとして完全に構築している。  だから、“そこ”なんじゃないじゃないか?って思う。テレビは学校の授業の延長番組を作ることばかり考えていないで、ネットで拡散っていう、SNSで発信を担当する部署が、テレビには必要なんじゃないか?そこに金使って、スポンサー入れたほうが若い子への影響はあって、確実に個人に届いていくじゃないですか。  安倍さんや小沢さんが出演したのはAbemaTVの深夜番組だし、自分で探さない限り見ないかもしれないけど、どこかで誰かがSNSで書いて拡散することによって見出す人がいるわけですよね。AbemaTVって生放送してその後一週間は視聴無料だから、オンタイムで見ていなかった人も見られるわけですよね。  今回のAbemaTVのように安倍さんや小沢さんを番組に呼んで攻めたことしてくるし、違った方法で視聴を拡げていくし、そうしたメディアとテレビは闘っていかないといけない。影響力はテレビが一番だって僕は思っているけど、安パイ番組を作っているだけでは、離れていく若い子を取り戻すのは無理だということに気が付かないいけない時代に入ってきているような気がしています。お笑いどさくさ世代のオジサン芸人が生意気にすみません。
安倍政権
dot. 2020/06/24 11:30
「今や日本では公務員が上流」…三浦展が説く「新・格差論」
首藤由之 首藤由之
「今や日本では公務員が上流」…三浦展が説く「新・格差論」
消費論を語る三浦展氏。予定されていた講演がすべてキャンセルになるなど同氏も被害者の一人だ 『下流社会』の著者で消費社会研究家の三浦展氏が、ますます進む日本の下流化に警告を発している。コロナ禍で格差が可視化されるなか、今や日本では「中流以上」と「中流未満」への二極化が進み、しかも二つの間に深い「溝」ができつつあるというのだ。最新の格差論を三浦氏に聞こう。 *  *  *  4月下旬、福岡市の高島宗一郎市長はYouTube上で市が運営する「福岡チャンネル」で、同市内の新型コロナ新規感染者の分析結果を明らかにしながら外出自粛を訴えていた。おおよそ、次のような内容だった。 「男性は30~50代が多く、女性は20~30代が多い。特徴的なのは8割が男性、約34%が経営者・役員で、行動歴として夜の繁華街へ行っていた人が多い……」  三浦氏はこの動画を見て、すぐ非正規雇用者への連想が働いたという。 「詳細なデータがないので確たることは言えませんが、地位のある男性が夜の繁華街へ行ってコロナに感染している。20、30代の女性は非正規雇用者も多く、中には飲食店で接客している人もいます。そういうことが関連しているのかもしれない、と思ったのです」  あくまで推測だ。しかし現実を見ると、同じようなことがあちこちで起きていた。  正社員はテレワークで自宅で仕事ができるのに、非正規雇用の人々は危険な現場に出続けなければならない。フリーランスは仕事がなくなり、緊急事態宣言が出て休業を余儀なくされたのは飲食店主などの自営業者らだった……。 「コロナの被害は弱い立場の人たちに集中しているのです。クルーズ船から感染が広まったわけではありませんが、クルーズ旅行に行く余裕がある人々から始まったコロナ禍が弱い人に被害をもたらしている。その対比が象徴するように、コロナはさまざまな格差を可視化しました」(三浦氏)  三浦氏は2000年代初頭から格差問題を研究し、05年に出した『下流社会』が80万部を超す大ベストセラーになった。タイトルは三浦氏の造語。それが「日本は中流社会」が広く浸透していた当時の日本に衝撃を与えた。 「下流」の主役こそ、バブル崩壊以来増え続けた非正規雇用の人々である。三浦氏によると、それでも当時はミニバブルといわれる好景気のさなかであったためか、当の非正規雇用の人々も「年収は300万円ないけど、好きなことができているからいいじゃん」と「下流」と呼ばれることに反発しなかったという。  ところが、08年のリーマンショックがそうした浮ついた風潮を吹き飛ばした。「派遣切り」が横行、多くの非正規雇用者が職を失い、生活苦に見舞われた。 「リーマンショックを経て『非正規ニアリーイコール(≒)下流』が定説になり、私が唱えた『下流社会』が現実として日本で確立したと思っています」(同)  19年の総務省労働力調査によると、今や非正規雇用者は雇用者数5669万人のうち2165万人と実に全体の38%を占めるまでになった。  格差はあらゆる面で意識され、その解消が叫ばれる。しかし現実は、いったん非正規雇用になると正社員に戻ることは難しく、階層の固定化が指摘される始末だ。そして、コロナがその固定化をくっきり浮かび上がらせた。  そんな中、三浦氏は「(『下流社会』から)15年経って、社会はまた少し変わったかもしれない」とした上で、次のように言う。 「今や日本では『中流以上』と『中流未満』への二極化が進んでいるように思えてならないんです。まだ仮説ですが、いろいろ分析を進めていると、どうも階層意識の『中の中』は真ん中ではなく、真ん中以上のように感じるんです。そして、『中の中』と『中の上』の差はあまりないのに、『中の中』と『中の下』には大きな差がある、そんな傾向が出ていると感じるデータがしばしばあるのです」 「中の中」以上が「上流」で「中の下」以下が「下流」とする、新しい格差論だ。  居住地域別の階層意識を集計していて、このことに気付いたという。「中の上」以上と答えた人が多い地域を集計しても納得がいく結果が出ないのに、「中の中」以上と答えた人が多い地域を集計すると、上位が神奈川の湘南や田園都市線沿線など、所得が高い人が住んでいることで知られる地域とピッタリ一致した。全国に広げて集計しても同じ結果だった。 「『中の中』までいったら、昔の感覚でいえばちょっとアッパーな気持ちになれる、そういう時代になりつつあるのかもしれません」(同)  1億総中流時代は「中の中」が6割程度と断トツだったが、下流化がどんどん進み、社会全体が下方向にシフトダウンしているということなのか。  三浦氏は、このほど上梓した『コロナが加速する格差消費』(朝日新書)の中で、新しい格差論とそれに基づく分析結果を論じている。同書は、三菱総合研究所が毎年行っている3万人を対象にした大規模調査「生活者市場予測システム」の最新の結果をもとに、世代ごとに階層意識や消費意識を探るものだが、格差論でいえば同書での「公務員」という職業に対する分析が興味深い。  どの世代でも男性は7割以上、女性は7割弱から8割強が「中の中」以上と答えている。特に1973~84年生まれの「氷河期世代」で夫婦ともに公務員である人は89%と9割近い人が「中の中」以上と答えたという。今や日本では公務員が上流なのだ。 「つぶれなくて利益やコストという観念もない、相対的に高収入で退職金も年金も高い、これだと、そうなっちゃいます。最盛期のJALみたいなものです」(同)  公務員と真逆の結果が出たのが同世代の非正規雇用の人々だ。この世代は就職氷河期をくぐってきているが、男性の非正規は「中の下」と「下」の合計が75%を占めた。 「公務員を最近『上級国民』と呼ぶ傾向がありますが、氷河期世代の階層意識を見ると、対する非正規雇用の人たちは長期間続いた不況の中で、まるで『下級国民』のように扱われ続けたと見ることができます」(同)  二極化の結果は人々の消費行動にも表れる。  例えば自動車。三浦氏がよく使う言葉に「いつかはクラウン」がある。かつては階層アップと共にカローラから最後のクラウンまで乗る車もグレードアップした。それを表すトヨタ自動車の有名なキャッチフレーズだ。 「それが今では、明らかに上と下に分かれています。2千万円以上の外国車がどんどん売れる一方、数が出るのは軽自動車やリッターカーばかりです」(同)  下方向へのレベルダウンからか、中流でも「消費は下流化」が当たり前になってしまった。 「誰でも大手衣料チェーンの服を着る時代ですし、作業服販売の新興企業が高成長を続けているのも同じ文脈です。以前は『中の中』の人は『中の上』的な消費をめざしたものですが、そういう上昇志向はなくなり、階層は『中の中』で十分、消費は『中の下』でOKなのです」(同)  どうやら日本の下流化は止まらなそうに見えるが、三浦氏は格差に歯止めをかける一つの手段として大学教育をオンライン化せよと訴える。 「コロナ禍で一部の学生が大学を退学しようとする動きがあることが報じられましたが、絶対に大学を辞めてはいけません。今回の調査結果でも出たことですが、若い人ほど大学を卒業するかしないかが将来、『下流』になるかならないかの大きな条件になっているからです。あらゆる伝手をたどってお金を工面し、学生生活を続けてください」  こうした学生を出さないようにするのがオンライン大学の狙いという。全国どこでもいつでも講義を受けられるようになれば、地方の学生は東京などの大都市に行く必要はなくなる。つまり、学費以外の費用はかからなくなる。 「東京の学校に行きたいが東京で暮らす経済力がない子どもたちを進学させられるのです」(同)  格差解消という大きな目標への着実なステップになるというのだ。(本誌・首藤由之) ※週刊朝日  2020年6月26日号
週刊朝日 2020/06/23 09:00
柴門ふみ『恋する母たち』は「10年寝かしたネタ」 ママ友の不倫実態とは?
柴門ふみ『恋する母たち』は「10年寝かしたネタ」 ママ友の不倫実態とは?
柴門ふみ(さいもん・ふみ)/1957年、徳島県生まれ。お茶の水女子大学卒。79年漫画家デビュー。あらゆる世代の恋愛をテーマにして『東京ラブストーリー』『あすなろ白書』『同窓生 人は、三度、恋をする』など多くの作品を発表。現在、「女性セブン」(小学館)誌上で名門中学に子どもを通わせる3人の母たちの物語『恋する母たち』を連載中。また漫画を原作にしたドラマ「東京ラブストーリー」がFODとアマゾンプライム・ビデオで配信中。 (撮影/写真部・掛祥葉子) 柴門ふみさん(左)と林真理子さん (撮影/写真部・掛祥葉子)  あの「東京ラブストーリー」から29年。恋愛漫画の名手、柴門ふみさんが40代の恋をテーマに描く『恋する母たち』が注目を集めています。マリコさんとは40年来のお付き合いで、互いの歴史を見守り合う仲。乳がんを乗り越え、あらためて人生を考えたという柴門さんの今に、作家の林真理子さんが迫ります。 *  *  * 林:柴門さん、自分が望んでるか望んでないかわからないけど、最近、また何回目かの“柴門ブーム”という感じですよね。「東京ラブストーリー」もリバイバルされたんでしょ。 柴門:そうなんです。令和版が。昔の「東京ラブストーリー」と、新しい令和版「東京ラブストーリー」が、FODとアマゾンプライムの配信サービスで見られるんですよ。若い人なんか昔のをぜんぜん知らないから、両方比較して見てるみたい。 林:まあ、ぜいたくな。 柴門:今回の令和版は、平成の織田裕二、鈴木保奈美より原作に忠実なんです。比較して見ると、平成版はカンチとリカのスターとしてのピカピカ感がすごい。令和版は青春群像劇で、逆にリアルで。若い役者さんたちの演技も自然でとても良い。続けて見るとハマると思いますね。 林:令和版のリカとカンチは誰がやってるんですか。 柴門:リカ役が石橋静河さん。原田美枝子さんのお嬢さんね。カンチは伊藤健太郎君。令和版を見てて、あらためて恋愛しかしてない話だなと思った。仕事してる場面がほとんどないんですよね。こういう真剣に恋愛して傷ついたり不安になったりする気持ちって、もう自分にはないなと思いましたよ。 林:最初のは何年前だっけ。 柴門:あれを「ビッグコミックスピリッツ」に描いたのが30年ぐらい前かな。あのころは私も31~32歳ぐらいだから、恋愛してる若者たちの気持ちもまだ描けてたんですよね。 林:そして、今「女性セブン」で連載してる『恋する母たち』もすごい人気ですね。あれは月に1回休むから、どうなるかと思ってヤキモキしてますよ。もうじき終わるんですか。 柴門:夏に終わって、そのあと年内はスピンオフみたいなのを短編でやります。もう体力的に無理です、週刊誌連載は。 林:柴門さんが「女性セブン」って、めずらしくないですか。 柴門:コミック誌と一般週刊誌はぜんぜん畑が違うんで、縁がなかったんだけど、私、53歳のときにごく初期の乳がんをやったんです。そのときに、「漫画を描き切ってない。女性を描き切ってないな。まだ死ねない」と思ったんですね。ずっと青年誌で男性読者を相手に男性編集者と打ち合わせして描いてたので、女性を描きたいと思っても、「男性読者に受け入れられません」と言われることも多くて。 林:そうなんだ。 柴門:思い切り女性を描きたいなと思って、自分から「女性セブン」に「女性向けの漫画を描きたい」と言ったら、編集部が受け入れてくれて。 林:そりゃうれしいですよ。柴門さんから「描かせてほしい」と言われたら。 柴門:「女性読者に向けて好き勝手描いてください。何も注文つけません」って言われたんです。 林:私、いつも不思議に思うんだけど、柴門さんってうちから外に出ない人じゃないですか。夜も遊ばないし。それでなんでこういうことが描けるのか。 柴門:けっこうよく会う女友達の話を聞いたり。 林:だけど、それだって限界があるでしょう。 柴門:10年ぐらいため込みましたよ、ネタを。 林:そうそう、うちの娘を幼稚園に入れたとき、柴門さんに「おもしろいネタいっぱいあるだろうけど、10年は寝かさなきゃダメよ」って言われました。 柴門:『恋する母たち』は、私が40代のころに周りにいたママ友から「ちょっとちょっと、聞いてよ」みたいな相談を受けて、すぐ描いたらバレちゃうから、ちょっと寝かさなきゃと思って、10年寝かしたの。 林:そのころそういう奥さんたち、みんな不倫してたわけ? 柴門:結局不倫しなくて、「ギリギリまで行ってやめて戻ってきた」みたいな話を聞いてました。その当時、主婦はわりと戻ってきてたんです。もしバレたら失うものが大きすぎるというんで。でも、仕事を持っている女の人は、「バレたら離婚すればいいや」みたいな感じで、仕事を持ってる既婚の女子のほうがむしろ不倫してた。 林:『恋する母たち』でも、キャリアウーマンの優子も、肉食系ですごいですよね。 柴門:キャリアウーマンのほうが肉食系が多いですね。エネルギーがすごいのと、仕事ができる女って自分で時間もマネジメントできるし、気持ちの切り替えもできる。専業主婦って、ほかに考えることがなくて不倫相手のことばっかり考えるからバレちゃうんです。 林:なるほど。 柴門:それと、キャリアウーマンは自分が稼いでるお金だから。後ろめたさが少ない。専業主婦はどこかで「旦那に悪いな」という気持ちがありましたね、私が相談に乗ってたころは。 林:読者の反応はどうなんですか。「私のことみたい」という感じ? 柴門:不倫してる読者って実際はあまりいない。「私も不倫してます」みたいな反応はなくて、読みものとしておもしろいという感じかな。 林:年上のキャリアウーマンと不倫してる若い男の子、あの関係いいですよね。ふつうは途中で若い男に捨てられるのがパターンなんだけど、若い男のほうが夢中になって、「ご主人と別れてください」と言って。 柴門:年増女の妄想の友(笑)。昔、ルノー・ベルレーの「個人教授」というフランス映画があったでしょう。 林:はい、ありました。私が高校生のころかな。 柴門:あの映画が大好きで、あのカップルを元にしてるんです。年上の人妻と若い真っ直ぐな純情青年との恋。あれが王道なんですよ。 林:でも、実際はないですよね。 柴門:いや、フランスのマクロン(大統領)とか。 林:あ~、マクロン! 奥さん、高校のときの先生ですよね。いい話じゃないですか。 柴門:妄想の友(笑)。 林:でも、ベッドシーンのあのいやらしさって、どこでどうやって知ったんだろうと思って(笑)。 柴門:ベッドシーンは映画とか写真とか、DVDを一時停止したり、あと浮世絵。春画の足の指の反りかえりとか、ほんとにリアルなの。浮世絵師は男と女を実際にまぐわいさせてスケッチしたんじゃないかと思うぐらい。林さんは? 林:私はすごく遊んでる男の人にメールして聞いたりしてる。微に入り細に入り教えてくれるから、ほんとにありがたい。 柴門:でも、男の言うことは自慢話でホラ話が多いから、あまり聞かないほうがいいかもしれない。私、すごいプレーボーイに取材したときに、「俺は前戯だけで2時間かける。だから女は俺から離れられないんだ」とか自慢されたので、「2時間って、それ途中で女寝てますから」と突っ込みました(笑)。 林:そうなんだ。 柴門:女の子はおもしろい、正直で。それも『恋する母たち』にけっこう投影してるんです。 【後編/「東京ラブストーリー」で再ブームの柴門ふみ、究極の好みは「あすなろ白書」の筒井道隆】へ続く (構成/本誌・松岡かすみ、編集協力/一木俊雄) ※週刊朝日  2020年6月26日号より抜粋
林真理子
週刊朝日 2020/06/19 11:30
コロナショック「解雇しか選択肢がない」を変える 雇用を守る「従業員シェア」の仕組み
渡辺豪 渡辺豪
コロナショック「解雇しか選択肢がない」を変える 雇用を守る「従業員シェア」の仕組み
アソビューからランサーズに出向した南部彩乃さん。テレワークで新たな顔ぶれとともにオンラインの打ち合わせに臨む(写真:ランサーズ提供) 出前館で注文を受けた商品をタクシーで宅配する日の丸交通の乗務員、手塚峻平さん。届ける際は出前館の帽子を着用するのがルールだ(写真:日の丸交通提供)  需要が激減する会社があれば、人手が足りない会社もある。そんな危機を前に、従業員をシェアして雇用を守るというアイデアが出てきた。人材の流動性を高め、社員の成長にもなると期待する声が上がる。AERA 2020年6月22日号は「コロナ時代の働き方」を特集した。 *  *  * 「このネットワークの構築は、アフターコロナでの新しい雇用のあり方の提言につながっていくと確信しています」  レジャー関連のオンライン事業を展開する「アソビュー」社長の山野智久さん(37)が、投稿ウェブサイト「note」で「災害時雇用維持シェアリングネットワーク」構想を発表したのは4月21日。新型コロナウイルスの緊急事態宣言が全国に拡大されて5日後のことだ。  一人でも多くの雇用維持を実現させる──。山野さんがこう力強く宣言し、社員の出向と受け入れを希望する企業を同時に募ると、瞬く間にフェイスブックやツイッターでシェアされた。「参加したい」という経営者らの声が1日で約300件も寄せられた。山野さんが打ち出したのは「従業員シェア」という新しい仕組みだ。企業間ネットワークを生かし、新型コロナの感染拡大で休業状態にある企業の従業員が、「巣ごもり消費」に伴う需要増で活況を呈する宅配やオンライン系の他業種で一時的に働くことで収入や雇用の維持を図る。  山野さんは、4月の売上高が前年比95%減という苦境に直面し、社内で議論を重ね、独自の雇用維持策を練り上げた。構想が具体化するにつれ、こんな思いが膨らんだ。 「これを活用すれば、他の企業も『解雇しか選択肢がない』という状況を変えられるんじゃないか。このアイデアを一人でも多くの経営者に知ってもらいたい」  仕組みの概略はこうだ。企業間の人材マッチングは、登録メンバー内で閲覧、発信できるフェイスブックのグループ機能を活用。元の会社に籍を残して別の企業で働く「在籍出向」とし、出向期間は1年以内。給与は出向先企業が全額負担。支給額は出向先企業の基準に則るが、出向前の給与維持を原則とする。  現在、出向元企業は約10社、出向先企業は約50社が登録。受け入れ企業は、新型コロナで急激な需要増になった遠隔医療やWeb会議システムなどの業務を展開する都内のITベンチャーが主だ。このため今回は、一定のITスキルのある人材のマッチングに絞り込んだ。  山野さん発案の従業員シェアの特徴は、社員の成長の機会と位置付けている点だ。  アソビューで営業担当の南部彩乃さん(23)は5月1日から、フリーランスと企業のマッチングサービス会社「ランサーズ」に出向。事業プランニングなどのオンライン業務を任されている。南部さんは、「レジャーを通じて人を幸せにするアソビュー」と、「自分らしく働ける場を提供することで人を幸せにするというランサーズ」は根底でつながっている、と気付いたとき視界が開けたという。 「当初は戸惑いましたが、モチベーションを維持したままキャリアアップを図ることができる、と今は確信しています」  山野さんが目指すのは「人材の流動化が加速度的に進み、誰もが不自由なく仕事を選択できる社会」の実現だと言う。  従業員シェアはコロナ禍を機に、国内外の様々な企業間で同時多発的に広がった。 「今までなかった領域のサービス。これからも日本で定着していくのではないか」  5月27日の衆院国土交通委員会。国土交通省の担当局長は、タクシー事業者に9月末期限の特例として認めた飲食などの貨物配送を、恒久的に認めることも検討する考えを示した。  この特例は、タクシー利用者が激減する一方、飲食店から食事の宅配需要が高まり、4月下旬に導入。開始から約1カ月間の申請件数は1300事業者、車両約4万台分にのぼった。  飲食デリバリー「出前館」と業務提携したタクシーアプリ運営会社「モビリティテクノロジーズ」を通じ、5月に約2週間、「タクシーデリバリー」をした日の丸交通の乗務員、手塚峻平さん(27)は言う。 「タクシーとフードデリバリーのピーク時間が異なるため、タクシーの予約や路上のお客様がいないタイミングで出前館の注文をとるなど、バランスよく稼働できました。緊急事態宣言後、特に夜は人の移動が減って夕食時間のフードデリバリー需要は大きく、タクシーの減収を補う一助になりました」  企業間の従業員シェアは契約内容によって雇用形態や給与システムが異なるものの、人材の受け入れ側が人件費を負担する点は共通する。 先駆けは中国だ。受け入れ企業が従業員の元の所属企業に賃金分を払い、従業員は元の職場から賃金を得る形の従業員シェアで、3月末時点で400万人以上の収入を維持したという。行政の後押しも進む。広東省深セン市は従業員シェアを支援するオンライン上のプラットフォームを整備。需要側と供給側のマッチングや、就職までのプロセスも管理するシステムが企業や個人に開放されている。他市でも同様の動きがあるという。 野村総合研究所上級コンサルタントの李智慧(りちえ)さんは「感染がほぼ収束した後も中国でこのような仕組みづくりが進むのは、アフターコロナにも柔軟な雇用形態を迅速に構築できれば、より効率的に経済を回せるとの判断が官民双方にあるからです」と背景を解説する。 従業員シェアの導入に当たっては労働者の権利が損なわれないことが重要だ。中国では、日本の厚生労働省に相当する「人力資源」と「社会保障部」が3月23日に公式アカウントで法規制面の見解を発表。その中で、労働者には従業員シェアを拒否する権利があること、労働災害の際は原則として送り出す企業側に補償義務があるといった法的論拠を明示したという。(編集部・渡辺豪) ※AERA 2020年6月22日号より抜粋
仕事
AERA 2020/06/19 09:00
【現代の肖像】小説家・朱野帰子「サラリーマンだからこそ見える社会を描く」<AERA連載>
【現代の肖像】小説家・朱野帰子「サラリーマンだからこそ見える社会を描く」<AERA連載>
「普通のサラリーマン」たちが抱える葛藤を真摯に汲み上げ、咀嚼(そしゃく)し、物語を紡いでいく(撮影/東川哲也) ※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。  働き方改革が進む中、話題になったドラマ「わたし、定時で帰ります。」の原作者は、どんな人生を生きてきたのか。広告会社で働く父に植え付けられた仕事中毒への恐怖。就職氷河期で数十社から落とされ続けて生じた自己否定。自ら経験し、見てきた全てのリアリティーが、創作の源だ。仕事で受けた傷は、仕事を頑張る人の話でしか癒せない。    てのひらを空へ空へと振るように、常緑樹の並木の葉は亜熱帯の雨風になびいていた。2019年11月末、台北・信義新都心。バイクやバスの行き交う大通りの一角にそびえる大型書店「誠品書店」のフロア内には、コバルト色の表紙カバーをまとった繁体字の本が平積みにされていた。タイトルは『我要準時下班!』。日本語の原題は『わたし、定時で帰ります。』。  絶対に残業しないと決めた主人公の会社員・結衣、仕事最優先の元婚約者、体調を崩しても休まない同僚、何かにつけ「辞める」と言い出す新人の後輩。そこに、無茶な仕事を振る「ブラック」な上司が現れて――。  日本での刊行は18年3月で、折しも「働き方改革」をめぐり議論がわき起こっていた。啖呵を切るようなタイトルの物語は反響を呼び、連続ドラマ化。主人公を演じる吉高由里子が、定時退社後に中華料理店に駆け込み、豪快にビールをあおる姿も話題を呼んだ。  著者の朱野帰子(40)はこの日、台北の街をめぐり、現地の出版社と書店で市場動向をリサーチして回っていた。市内にある大手書店の文芸部門では、軒並み売り上げ1位を記録し、特に若い読者層に人気を博していた。 「読後に不思議な爽快感を覚え、やる気が湧いた」 「労働問題にまで切り込む小説。会社のための自分ではなく、自分のために会社があると気付いた」  先の誠品書店の販売主任・劉怡宏(39)もこの本を絶賛する一人だ。企画を担当していた前の部署では毎日残業続きだったのが、異動により定時で帰る日が増え、ワーク・ライフ・バランスの重要性を噛み締めている。 「それに、登場人物のキャラが痛快。私たちにも通じるものが多い本だと思います」 仕事場は東京都心のコワーキングスペース。編集者や作家、クリエーターが集まってくる。創作は1人でもできるはずだが「『同僚』がほしくなったのかな。サラリーマン経験が長かったから」(撮影/東川哲也) ■親の金で遊んでいるのか、4歳で感じた強迫観念  翻訳出版した台湾の版元「采實文化」の編集担当・何玉美(47)は「主人公が葛藤を乗り越え、仕事の効率化を模索していくさまに、国を越えて共感を覚えます。世代によって仕事観が異なるところも私たちと似ている。それに、仕事を終えてからビールを飲み、小籠包を頬張る瞬間の喜びは一緒!」。それを聞いた朱野は笑顔を見せた。 「皆、まったく同じ悩みを抱えるんですね。日本特有のものではなかった」  新宿駅から私鉄に揺られ、ほんの数分。庶民的な商店街の広がる界隈で朱野は育った。広告会社に勤務する父親は「24時間戦えますか」という往年のCMを地でゆく日々を送り、「定時で帰る」どころか土日も不在でゴルフに明け暮れていた。 「私の結婚式のスピーチで、『父親なんていうのは不要な存在ですね』なんて父は話していました。場内は笑いに包まれたのですが、うちの家族は沈黙。『冗談じゃなくその通りだ』と」(朱野)  母親はかつて写真を学んでいたが、結婚後は専業主婦に。親族はいわゆる「手に職」がある人ばかりで、父方の祖父は東京・上野で屋根の修繕工を営んでいた。借金を作り、賭けごとが好きで家族から白眼視された末に亡くなった。学資の蓄えもない朱野の父は工業高校を出てすぐに就職。文字通り「たたき上げの死ぬほど働く人」になった。  その父がある日、幼稚園に行こうと玄関で準備していた4歳の朱野を呼び止めた。 「待て、お前は何で幼稚園に行くんだ」  一瞬迷った末、朱野が「勉強しに行きます」と答えると、父は一喝した。 「違うだろ! お前はお父さんが稼いだお金で遊びに行くんだろ」  衝撃を受けた。私は親の金で遊んでいるのか。ならば、親が自分に投資した分だけ返さなければいけない。そんな強迫観念にも似た思いが、朱野の心に初めて芽生えた。そして長らく尾を引いた。  幼稚園の砂場で穴掘りに熱中していた日。気が付けば自分以外の園児が皆、消えていた。彼らはいつの間にか講堂に移動し、自分を除いた全員で鯉のぼりを作っていたのだ。その時も身構えた。「しまった、怒られる」。今さら入っていくわけにもいかない。怯えと疎外感を抱え込んだ。  友達との距離をつかめないまま過ごしたが、書く行為なら自由になれる。そう気付いたのは小学校3年生の頃のことだ。朱野は振り返る。 「童話『ながいながいペンギンの話』を読み、なぜか『私も書こう』と思い立ったんです」  当時、妹や妹の友達を捕まえて「Wink」や「光GENJI」の振り付けを教え込むべく熱中しても、その過剰な熱意を疎まれ、逃げられた。自らが書く世界の中でなら、何もかもが思い通りになる。先生にだって褒めてもらえるかも知れない。どんな話にしよう。ペンギンが旅に出る話はどうか。旅に出るなら食べ物が必要だ。魚を携えよう。何匹必要か。この日数だと何匹、1日増えれば何匹……。リアリティーを追求するうち、頭がパンクしストーリー構成どころではなくなった。 台北の出版社・采實文化で打ち合わせ。日本と台湾の仕事観について議論は白熱(撮影/東川哲也) ■新聞の投書欄を読む日々、同級生に興味がなかった  中学に進んだ朱野が熱心に読んだのは、新聞の投書欄だ。「無職と言われたくない」「『老人会』という呼称がイヤだ」。そんな論争がわき起こり、連日、おじいちゃんたちの多様な意見が紙面に躍っていた。いつまで「現役」を引きずるのか。ここまでこだわる肩書とは何だろう。家系に「元会社員」がいない朱野には新鮮に映った。この感情を共有しようと教室で話を振ってみても、周囲の反応は「この子は一体何を言っているんだ」とすげなかった。朱野は振り返る。 「遠足の時も班に入れてもらえなかった。でも、よくよく考えると、私自身が周りの人たちに興味がなかったのかも知れません」 「ドラゴンボール」「幽遊白書」「スラムダンク」。少年漫画誌の発売日にはコンビニで立ち読みに没頭し、そして棚に戻した。街には漫画専門の古書店が軒を連ね、漫画や本というものは中古で買い、売るものという概念が定着していた。のんびりした校風の都立高校に入学してから、朱野は京極夏彦、島田荘司の本を偏愛し、総合文芸誌「ダ・ヴィンチ」を愛読するようになる。  ベーカリーから郵便局へ、そして神社の巫女。バイトを掛け持ちしていたある日、虫の居所の悪かった先輩に「お前はどうせワセダに行くんだろ」となじられた。周囲のバイトは皆、専門学生やヤンキーばかり。皮肉にもその時初めて、考えてもいなかった「都の西北」への憧憬が朱野に芽生える。ただ、コストを考えると、現役合格しか道はない。階下では母と反抗期の妹が夜間外出をめぐり大喧嘩している。耳をふさぎ勉強に没頭した。  高校で所属したオーケストラ部で、共にビオラを担当した親友の女性(40)は当時をこう語る。 「『こんなの書いたんだ』と言って彼女が見せてくれたのは、自分自身の将来を書いた年表でした。すごく驚きました。『何年に早稲田入学』『何年に作家になる』って」  年末年始、昼夜を通しバイトを続けたある晩、過労で身体を壊した。床に就いたが一睡もできない。数時間後には年賀状の仕分け作業に行かなくてはならない。呆然としていた時、帰宅して珍しく枕元に立った父親が一言、朱野に言い放った。 「その程度働いたぐらいで……。大したことない」  おそらく父は励ましてくれた。でも、植え付けられたのは、仕事中毒への果てなき恐怖だった。 台北の大型書店・誠品書店でサイン会(撮影/東川哲也) ■「拾ってもらった」会社で自分をブラックに追い込む    現役で早稲田大学第一文学部に入学し、3年次に念願の文芸専修へ。ところが、ある教授から「ビジネスとしての作家」の不経済性を延々説かれ、作家への道を諦めてしまう。これでは親からの投資が回収できない。第一、食べていけない、と。  就職氷河期の寒風が吹き荒れていた。20社、30社、40社。ここまで否定され続けるか。「自分が悪い」「頑張りが足りない」。深夜、近くの線路わきで回送電車を見つめ続けた。4年生の秋、ようやくマーケティング会社に内定する。「拾ってもらった」。そんな思いが安堵と共に心を蝕んだ。  文芸専修の卒論は小説執筆だった。旧満州(現・中国東北部)に渡り、引き揚げてきた母方の祖母を描こうと、一代記を書き上げた。すると、教授から「あなたの文章にはまったく魅力はないが、本屋に並んでいる小説にこれより面白くないのはいくらでもある」と言われた。学内文芸誌への掲載を打診されたが、史実やデータ確認をもっと徹底したかった朱野は固辞し、教授に手紙を書いた。 「私に才能があるのなら、今回載らなくてもいつか小説家になるでしょう。遠慮させて頂きます」  謙遜か、大きく出たのか不明だった。でも、もう怖くない。私には就職先が決まっているのだ。  初めて勝ち取ったサラリーマン生活。取引先は乳飲料メーカーや生活家電、住宅設備など多岐にわたった。裁量労働制だから何時に来ても怒られない。その代わり、通常の倍の仕事が急に入れば「精神力で乗り切ろう」というモードに突入する。繁忙の予測がつかず、体調を崩す人が出始めた。それでも朱野は自身を鼓舞する。「ブラック企業とは、朝礼で怒鳴られたり、回し蹴りされたり、帰れない日が1年以上続いているようなところ。うちは違う」。自らを「ブラック」に追い込み、仕事にのめり込んだ。  6年後、心身困憊の末、「半年後に退職します」と宣言。その3日後に「リーマン・ショック」が起きた。転職戦線にも暗雲がかかる。仕事上の義憤を結婚前のパートナーに延々と喋り続けたある晩、こう言われた。 「相槌を打つのが辛い。首が疲れた。リポートにして提出してくれ」  愚痴をそのまま書けば暗くなる。ならば面白く書いてしまえ。  そんな思いを秘め、超高速で綴った物語が、なんと「ダ・ヴィンチ文学賞大賞」を受賞した。高校時代から憧れだった文芸誌だ。奇跡は終わらない。ほぼ同時に、約100倍の倍率を勝ち抜き、製粉会社から内定の知らせが届いたのだった。 「勤め先に知られるとまずいというので、(受賞者の)写真や名前を出すか相談しました。名前を変えれば、写真が見つかっても『違う人です』と言い張れる。そう話したのを覚えています」  デビュー作となった受賞作「マタタビ潔子の猫魂」の編集を担当した、「ダ・ヴィンチ」現編集長の関口靖彦(45)は振り返る。 「満場一致で受賞が決まりました。新人賞に応募してくる小説の多くは、私小説モデルに近い作品が多い。朱野さんはエンターテインメントとして、読み手の目線を持つ点で、ずば抜けていた」  一方、働き始めた製粉会社はじつに「ホワイト」な会社だった。ボーナスは満額出るし、定時には退社させてもらえる。上司は的確に指示し、やりがいのある業務をバランス良くこなせた。働きながら小説を書く生活が始まった。忙しくとも充実した日々。ところが入社半年で、会社が関西の同業社に吸収合併され、東京の事務所を畳むことになる。当時の上司・宮原雄祐(47)は申し訳なさそうに振り返る。 「面接時、僕が強く彼女を推したんです。優秀な人を採用したくて待ち続けた末に採用を決めました。それなのに……」  大阪に転勤し、戻ってこられない。その暮らしに実感がわかず、辞表を提出した。 「会社がのみ込まれる様子をまざまざと見た。得難い経験でした。職は失いましたけど」(朱野)  退路はない。作家で生きる。そう決めた。結婚したパートナーに「申し訳ないけれど無職にさせてくれ」と告げた。表計算ソフトで算盤を弾き、「今、引っ越さないと家計的に危ないから」と説得し、築年数の経過した狭い家に転居した。  デビュー作の筆力に驚いた文藝春秋の編集者・篠原一朗(41)は、朱野をこう評す。 「世の中に対し、違和をどう感じられるかが、作家の一つの特性。彼女は繊細にそれに気づく。世の中へのルサンチマンや怒りを物語にできる」  当時、幻冬舎にいた篠原は朱野と共に案を練り、半年以上の取材を経て『海に降る』を刊行した。海洋研究開発機構の有人潜水調査船「しんかい6500」の運航チームに属する女性を主人公にした物語だ。 台北・士林夜市へ。カスタマイズできるスマホ装飾の店で夢中に(撮影/東川哲也) ■土日は携帯に出たくない、新しい発想にパンチ食らう  その後、東京駅の新人駅員の葛藤と成長を描いた『駅物語』も話題に。「朱野=仕事小説」との印象が強まった。そんな折に出会ったのが、当時、新潮社の小説誌「yom yom」の編集部にいた佐々木悠(31)だ。佐々木は朱野にこう伝えた。 「普通のサラリーマンが勤める会社で、弱者や底辺だからこそ見える社会を書いてほしい」  佐々木自身、第2氷河期で就職活動は厳しく、周囲では「内定切り」も見聞きした。ただ、命を削る仕事は無意味だし、土日はきっちり休み、携帯には出たくない。 「ゆるい働き方をしている人が主人公でも良いのではないでしょうか」  朱野は言葉を失った。職人の家系の血を引き、「猛烈社員」の父のもとで育ったからか、自身を追い込むことさえ、理想の「仕事人」の姿だと捉えていたふしがあった。 「自分のやりたいことをやる、まったく新しい合理的な世代の発想にパンチを食らった」(朱野)  一方、佐々木はこう強調する。 「朱野さんと私の仕事に対する概念は8割一緒です。ただ、臨界状態から先に進む道だけが違う。初めから全部違ったら仕事できないですから」  改めて考える「普通の会社員」とは何か。自分のそれは辛い記憶ばかりだった。だから深海の研究員や駅員など、自分とは距離を置いた仕事で表現してきた。腹を括り、正面から会社員を書くために、何ができるのか。 「そういえば、1日1回は必ず『今日は定時で帰りたい』と考えていた」  その瞬間から物語が動き出した。自己肯定感が下がり気味だった時だからこそ冷静に分析でき、これまで自らの仕事観にはなかったキャラクターが語り始めた。 『わたし、定時で帰ります。』の単行本化に際し奔走した新潮社出版部の照山朋代(38)は、社内企画書にこう記した。「第2の『逃げ恥』を目指します! 火曜10時枠のドラマ化を狙います!」 「タイトルがキャッチー。何が書かれているか一発で分かる強みがあった。これはいける、と」(照山)  営業と宣伝部門が会社員の立ち寄るエキナカ書店などに重点的に配本し、読者を獲得していった。 徹底した取材に基づいた軽快な筆致が持ち味。小学館「本の窓」での連載執筆のため、同社若手社員にヒアリング。丁寧に質問を連ね、真意をくみ取っていく(撮影/東川哲也)  同世代の作家で「会社員小説の名手」と呼ばれる安藤祐介(42)は朱野をこう評する。 「ブラック耐性が強く、自分を追い込む一匹狼の印象があるけれど、意外と組織が好きなのかも。変化を意識し、自分のマネジメントに長けたひと」 『海に降る』で取材した海洋研究開発機構で微生物を研究する鈴木志野(44)は、朱野の親友になった。高知の研究所では唯一の女性で、生後間もない子どもを研究員の夫や親に託し、遠洋の研究に従事した経験がある。鈴木はこう話す。 「ギリギリの時に何を優先するか、彼女の視点に触れると心が整理される。絶対的な答えや善悪を決めない姿に励まされる」  朱野の作品は、電車の中で読む人が多い。仕事場で付いた厄を落とすように、ため息を自宅に持ち込まぬように、そっと本を開く。タブレットを灯す。仕事で受けた傷は、仕事で頑張る人の話でしか癒されない。わが家に帰る前の、気晴らしのような文章が書けたら。そう考え、朱野は「帰子」という筆名を選んだ。 (文中敬称略) ■あけの・かえるこ 1979年 東京都中野区に生まれる。広告会社勤務の父、専業主婦の母、2歳下の妹、犬の「どんべい」、猫の「寅次郎」とともに育つ。「寅次郎」は後のデビュー作「マタタビ潔子の猫魂」のモデルに。  98年 早稲田大学第一文学部入学。第2外国語で中国語を選択した。1、2年次に単位の多くを取得し、3年次、念願の文芸専修へ。就職活動で苦難の日々を送る。 2002年 早稲田大学第一文学部卒業。マーケティングの会社に入社。仕事のかたわら小説執筆を続ける。  08年 夏、あまりの激務から転職を決意し、2社目が決まらないまま「半年後に退職します」と社長に告げた。その数日後に「リーマン・ショック」が発生。結婚を決めていたパートナーからは「本当に派遣社員になるのか」。友人からは「正社員にしがみついた方がいい」と諭され、仕方なく転職エージェントへ。コンサルタントからは「3カ月でもブランクができたらもう正社員に戻れないと思え。愚の骨頂だ」とたしなめられた。  09年 2社目の製粉会社内定通知とほぼ同じタイミングで「マタタビ潔子の猫魂」(「ゴボウ潔子の猫魂」を改題)で第4回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞し、翌年、小説家デビュー。製粉会社を退職。  12年 『海に降る』(幻冬舎)、『真実への盗聴』(講談社)を刊行。『海に降る』はのちに有村架純主演でWOWOWが連続テレビドラマ化。『真実への~』は文庫化の際に『超聴覚者 七川小春 真実への潜入』に改題。  13年 『駅物語』(講談社)を刊行。  15年 『真壁家の相続』(双葉社)を刊行。  16年 『賢者の石、売ります』(文藝春秋)を刊行。  18年 『わたし、定時で帰ります。』(新潮社)、『対岸の家事』(講談社)、『会社を綴る人』(双葉社)を刊行。  19年 『わたし、定時で帰ります。ハイパー』(新潮社)を刊行。TBSテレビドラマ「わたし、定時で帰ります。」(吉高由里子主演)でブレーク。 ■加賀直樹 1974年、東京生まれの北海道育ち。元・朝日新聞記者。「AERA」「好書好日」「J:COMマガジン」などの媒体で執筆中。本欄では阿部海太郎、ヨシタケシンスケ、清水ミチコを執筆。 ※AERA 2020年2月3日号 ※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。
現代の肖像
AERA 2020/06/18 15:32
6月21日は部分日食☆そのとき絶対にしてはいけない行為とは!?
6月21日は部分日食☆そのとき絶対にしてはいけない行為とは!?
2020年6月21日(日)夏至の夕方に、日本全国でみられる「部分日食」。西の空に輝くお日さまが、ハムハムと食べられちゃうようです! …ところで、そもそも日食とはどういう現象なのでしょうか? 日食には3つの種類があり、見ると病気にかかる人もいるって、本当!? 日食を観察するときに絶対してはいけない行為とは? 日食を知って、貴重な「欠けた太陽」をぜひ楽しんでみませんか。食べられたお日さま 太陽と月が同じ大きさに見える奇跡 「日食」とは、お日さま(太陽)が、まるで食べられたように欠けてしまう現象です。かじりとられた黒い部分は…地球から見たとき、月が太陽に重なって隠している部分。でもなぜ、そんなことがおこるのでしょうか? 月と太陽には、それぞれの道があります。月は1ヶ月ごとに地球を一周し、太陽は1年かけて「黄道」を進んでいるのですね。日食は、そんな月(新月)と太陽そして地球が、一直線に並ぶときにおこります。それにしても、巨大な太陽と、地球よりずっと小さな月が同じ大きさに見えるなんて…!? じつは、両者の直径と地球からの距離(太陽は、月の約400倍大きくて、月の約400倍地球から遠い)が、絶妙なバランスで重なり合っていたのです。なんという奇跡! もしや地球から眺める人類へのプレゼント?などと思えてくるではありませんか。 月の軌道は、ちょっと歪んだ楕円形をしています。動きながら地球との距離が変化するので、月はほんの少し大きく見えたり小さく見えたりします。月が地球から遠い時は、小さくなるというわけですね。そんな事情で、日食の見え方が変わってきます。月が太陽をぴったりと隠す大きさのときは『皆既日食』。月が小さいとき重なり、周りにはみ出した太陽がリング状に見えるのが『金環日食』。それらは非常に狭い範囲でしかおこりません。その範囲外で、部分的に欠けて見えるのが『部分日食』です。金環日食で輝くゴールドリング 皆既日食を見ると「日食病」にかかる!? なかでも皆既日食は、もっともドラマチック! 太陽と月が重なる数分間は、空が夜のように暗くなり、月の周りに花びらのような光「コロナ(太陽の大気層)」が見えます。そして日食の始まりと終わりに一瞬だけ輝く「ダイヤモンドリング」も見どころ! 空にあらわれる婚約指輪のようですね。 皆既日食は、この世のものとは思えないほど美しく神秘的な現象として、古くから人々を虜にしてきました。聖書など古い書物に記載されている天変地異に関わっているともいわれています。日本では、古事記・日本書紀で有名な「天岩戸」伝説(天照大神が岩屋に隠れたので世界が暗闇に包まれてしまい、にぎやかな踊りでなんとか戸を開けてもらったら明るくなった…というお話ですね)は、皆既日食の始まりから終わりを語っている、という説もあります。 そして現代人のなかには、神秘的な太陽を見てしまったために、日射病ならぬ「日食病」にかかる人が後を絶たないというのです。いちど皆既日食を体験してしまうと、あまりの美しさにもう一度見たくてたまらなくなり、日食を求めて世界を旅してしまうことを、俗に「日食病」というそう。旅費を工面し、仕事を調整し、晴れる保証などなくても出かけずにはいられないといいます。いまはなかなか自由に旅するのも難しいですが、じつは年に1、2度くらいは世界のどこかで皆既日食や金環日食がみられ、それ用のツアーなども人気なのだとか。人類にとって太陽のパワーはやはり偉大なのですね! 国立天文台報「『天の磐戸』日食候補について」(谷川清隆・相馬 充) 皆既日食を見てしまった人は… 決して肉眼で太陽を見てはいけません!! 2020年6月21日、インド北部や台湾などでは金環日食がみられます。日本では、夕方16時ごろから18時ごろにかけて、全国で部分日食がみられます。夕方になったら、ぜひ西の空に注目してみてはいかがでしょうか。 ところで日食の観察には、とても大切な注意事項があります。それは「絶対に肉眼で太陽を見ないこと」! とくにカメラや望遠鏡などのレンズを覗いて太陽を見ると、目が焼けて失明する恐れさえあります。太陽は、どんなに欠けていても普段とほぼ変わらないまぶしさ。我慢してチラッと…なんてこともやりがちですが、目を傷めるのでとっても危険、サングラスや黒いフィルムもNGです。必ず日食観察用のメガネを使用するようにしましょう。 専用の道具がないときは、ピンホールで太陽の変化を見る方法がおすすめです。厚紙に画鋲などで小さな穴を開け、光を通して紙などに映します。穴がレンズのような働きをして、映る光はちゃんと日食で欠けた形に! またもしそばに木があったら、木漏れ日を見てみてください。地面に散らばる光も、欠けた太陽の形をしていますよ。全国各地の科学館などでは、日食の時間にあわせて観察会やオンラインのライブ配信をおこなう施設も。興味のある方はぜひチェックしてみては? ※安全な観察方法は こちら日食専用のメガネを使いましょう 未来には地球から見られなくなる日食も 6月21日のつぎに日本で日食が見られるのは2023年4月20日ですが、皆既日食がみられるのは、2035年9月2日(皆既帯は北陸~北関東)です。じつは月はだんだん地球から遠ざかっているため、遠い未来には、地球から皆既日食は見られなくなってしまうのだそうです。 この時代に生きている地球人の特権として、ぜひ日食を楽しんでみてはいかがでしょうか? <参考サイト> 国立天文台「日食とは」 AstroArts(アストロアーツ)「2020年6月21日(夏至)夕方 部分日食」 三菱電機 「星空の散歩道」 (渡部潤一) 皆既日食のダイヤモンドリング
tenki.jp 2020/06/17 00:00
33歳で人生リセット 女優・斉藤とも子が気づいた「生きていくための勉強」
33歳で人生リセット 女優・斉藤とも子が気づいた「生きていくための勉強」
斉藤とも子(さいとう・ともこ)/1961年、兵庫県生まれ。76年デビュー。「青春ド真中!」「ゆうひが丘の総理大臣」などで人気を博す。38歳で東洋大学社会学部社会福祉学科に入学。その年から3年連続で、こまつ座「父と暮せば」に出演。著書に『きのこ雲の下から、明日へ』がある。 「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」は7月25日から新宿K’s cinemaほか全国順次公開  母親の死をきっかけに、「明るくたくましく生きる」ことを模索し続けた波瀾万丈の人生。女優であり、社会福祉士としても働く斉藤とも子さんは人生の先輩たちから、人生で大切なことは何かに気づかされた。  11歳のとき、母をがんで亡くした。 「私が死んでも、お父さんの言うことをよく聞いて、妹と力を合わせて、明るく生きていきなさい」。自分の命が長くないことを知っていた母は、とも子さんに、病床から何度となくそう言い聞かせた。明るく生きていくとはどういうことなのか。小学生だったとも子さんには、言葉の意味がよくわからなかった。 「その数年後、日本テレビで高峰秀子さんと千秋実さんが夫婦を演じた『微笑』というドラマが放映されていました。がんに侵された妻と、献身的に尽くす夫、子どもたちへの眼差しや周囲の人々との触れ合いなどが描かれていて、『お母さんが言いたかったのは、こういうことだったのかな』と、少し、母のことを理解できたような気がしたんです」  どうせ死んでしまうのだから、好きなことをやって死にたい。女優が人を元気にする仕事だとしたら、携わってみたい。そう思って、俳優養成所に入った。 「10代の頃は、すごく仕事に燃えていました(笑)。ただ、優等生の役が多くて、私自身はそう見られてしまうことに抵抗がありましたね。それで、“優等生”というレッテルを貼られることへの反発から、高校を中退してしまったんです」  1979年には、鶴田浩二さん主演のドラマ「男たちの旅路」の第4部「車輪の一歩」に出演。脊髄損傷によって車椅子生活を送る少女の役だった。 「仲間に誘われて、勇気を振り絞って外出してみたら、踏切の線路に車輪が挟まって抜けなくなる。すんでのところで健常者に助けられるのですが、帰り際に排泄のコントロールが利かなくなって失禁してしまうんです。深く傷ついたけれど、仲間に励まされ、最後にまた外出して、駅の階段で、『誰か私を上まで上げてください』と叫ぶ。とても難しい役でした。鶴田浩二さんの『世の中には、かけてもいい迷惑があるんじゃないかな?』というセリフが腑に落ちたのは、それからずっと後のことです」  喜劇俳優の芦屋小雁さんと結婚し、子宝にも恵まれ、神戸で暮らしていたとき、阪神・淡路大震災が起こる。神戸では、ライフラインが途絶え、必要な物資が手に入らなくなり、多くの人がパニックに陥っていた。 「私自身、何もできずに、水道や電気、ガスが通るのを待って、お店に物資が届くのを待って、不安でいっぱいでした。社会のこともちゃんとわかっていなくて、自分の頭で考えて行動するということをしていなかった気がします」  そんな折、ドキュメンタリーの仕事で、タイの山岳民族の村を訪れた。 「そこで私は、タイの人たちの、とても根源的でタフな暮らしぶりと出会いました。自分たちで食べ物を生産して、家畜を飼って、井戸の水を運ぶ生活。もしここで震災が起きたら、誰かの助けを待つのではなく、火をおこしたり、バラックを建てたり、何かを植えたり、まずは自分たちでできることから始めたでしょう」  子どもたちは、夜、自家発電できる部屋に集まって勉強し、「将来はお医者さんになって自分の村を救う」「学校の先生になって、教育に携わりたい」と夢を語っていた。 「恥ずかしながら、それを聞いて、33歳にして初めて気づいたんです。『そうか。社会に役立てるため、生きていくために勉強は必要なんだ』って」  もう一度自分の人生を生き直したい。もっと勉強したいと心から思った。 「日本に戻って、主人に自分の思いを伝えて、じっくり話し合いました。それで、一緒にいないほうが、お互いのためになるという結論に達して、離婚することになったんです」  では何を学びたいのかを考えたとき、やはり11歳の、母を亡くしたときの記憶が蘇った。自分が困っているとき、近所の人や学校の友人、そのお母さんたちにどれだけ助けられたか。困っている人を助ける社会の仕組み、すなわち社会福祉について学びたいと思い、子どもを連れて上京した。大学入学資格検定を受け、子育てと勉強に専念したものの、大学に合格するまでには4年の歳月を要した。  合格した年、ある舞台との運命的な出会いがあった。原爆投下後の広島を舞台にした井上ひさしさんの代表作の一つ「父と暮せば」だ。 「被爆者の気持ちを感じるために広島を訪ね、偶然、被爆者の方とお会いする機会を得ました。皆さん、大変な苦労をされて、今もその苦しみを抱えているのに、すごく明るくて優しい方ばかりで。どうしてこんなに苦しいことを経験しても、こんなに明るくたくましくいられるんだろうと、その理由が知りたくなって、広島に通いました」  被爆者の人たちの生活史を大学の卒業論文にまとめた。大学院に進学すると、「きのこ会」という、胎内被爆による小頭症患者とその家族の会と出会い、その歩みを修士論文にした。 「当時は、まだ私も子育ての真っ最中でしたが、『きのこ会』の人たちからは、思いやりを持って生きることはどういうことかを学びました。食べ物を送っていただいたので、お礼を送ると、『お礼なんかしなくていい!』と叱られましたね。『私は、今はあなたよりも余裕があるんだから、そういうときは甘えればいい。いつか、あなたに余裕ができたとき、周りの困っている人がいたら、私がやったことをしてあげてね』って」 (菊地陽子 構成/長沢明) ※週刊朝日  2020年6月19日号より抜粋
週刊朝日 2020/06/14 16:00
「介護大崩壊」コロナで起きた負の連鎖…“倒産”へ、そして“認知症進行”
「介護大崩壊」コロナで起きた負の連鎖…“倒産”へ、そして“認知症進行”
休業状況調査結果/経営への影響について (週刊朝日2020年6月19日号より) (週刊朝日2020年6月19日号より)  ケアマネジャーのAさん(東京都)は、医療機関から依頼があった男性(70代)のケアプランの作成に頭を抱えていた。  ケアプランは、介護サービスを利用するために必要な介護計画書で、ケアマネジャーが当事者やその家族らと話し合って作る。  男性は3月、新型コロナウイルスのPCR検査で陽性が確認された。入院して治療し、2度のPCR検査で陰性だったことから、退院。だが、後遺症で呼吸器障害が残ったため、自宅療養をしながら訪問リハビリや訪問介護を定期的に受けなければならない状態になっていた。  Aさんは訪問介護を行っている事業所に連絡し、男性の介護を依頼しているが、男性が感染者だったことを伝えていることもあり、どこからもいい返事がもらえていない。 「陰性になった患者さんが再度、陽性になったという報道もある。新型コロナについてはまだわかっていないことも多く、陰性になったとしても、受け入れる事業所にとっては不安やリスクが残ります」(Aさん)  新型コロナは、利用者にも事業者にも影を落としている。  今年2月末、名古屋市のデイサービス(通所介護)事業所でクラスターが発生し、63人の高齢者が感染、12人が亡くなった(3月15日時点)。  居宅系介護サービス(デイサービスなどの通所系と、訪問介護の訪問系がある)に詳しい東洋大学ライフデザイン学部の高野龍昭准教授は、 「これ(名古屋の件)で一気に通所系、訪問系の事業所に緊張が走った」  と振り返る。クラスターは3月末には封じ込められたが、その後、全国で休業する事業所が相次いだ。  厚生労働省のまとめによると、全国への緊急事態宣言が出た4月13~19日に、感染防止などのためにサービスを休業した事業所の数は全国で909件。その1週間前の約1.7倍に増えた。  休業とまではいかなくても、サービスの提供時間を短縮したり、受け入れ人数を減らしたりした事業所は多い。 「一人でも感染者を出したら休業しなければなりませんし、風評被害によって利用者が減るリスクもある。多くの事業所が、自身の運営するデイサービスがクラスターの拠点になることを恐れて、サービスを縮小しています」(高野准教授)  こうした休業や事業の縮小は、介護の現場に負の連鎖を引き起こしている。  一つは、事業所の経営面だ。  利用者が入居し、毎月決まった額が入る特別養護老人ホームなどの施設系の事業所とは違い、居宅系は、提供したサービスの内容や量によって介護報酬の額が決まる。当然だが、利用する人や量が減れば、額も減る。  事業所に報酬が入るのは、サービスを実施した月の2カ月後。緊急事態宣言が出た4~5月の収入減が実際に事業所の経営を圧迫するのは、6月末~7月だ。 「そもそも、居宅系の介護報酬は、度重なる介護保険制度の改正で、かなり引き下げられてきた。以前から、赤字覚悟で事業を継続しなければならないという状況が続いていました」(同)  そこに、新型コロナが追い打ちをかけた。もともと体力がない小規模の介護事業所は、倒産や閉鎖などに追い込まれる可能性が非常に高いという。  切迫した状況は数字からも見て取れる。  全国介護事業者連盟の調査では、回答を寄せた約1800カ所の事業所のうち、4月上旬の時点で、経営に影響を受けている、と答えたのは、通所系が82%、訪問系が31%。対して、施設系の特養は23%にとどまっていた。  もう一つの負の連鎖は、利用者に対するものだ。  前述した、デイサービスで集団感染があった名古屋市は3月上旬、市内の二つの区(緑区、南区)の通所系の事業所など126カ所に、2週間の休業要請を出した。高齢者の外出自粛も求められ、介護を必要とする人たち(要介護者)がサービスを受けられない事態となった。  緑区の居宅介護支援事業所でんじやまのケアマネジャー、水野勝仁さんが担当している要介護者(要介護1)のBさん(80代)は、デイサービスを利用していたが、休業要請が出たことで通えなくなった。  要請が解除された後、水野さんはBさんの自宅を訪れ、家族に様子を尋ねたところ、Bさんはずっと自室に引きこもり、認知症が進んでいた。食も細くなり、2週間で4キロ減っていた。 「Bさんは入院して様子を見ることになりましたが、食事量が戻らなくて。デイサービスを再開するどころか、家に戻ることさえ難しい状況で、今はご家族と施設への入居を前提に検討しています」(水野さん)  こうしたケースはほかにも見られたため、水野さんは休業要請でデイサービスに通えなくなった利用者21人に聞き取りなどの調査をした。  すると、全体の6割にあたる13人に、何らかの悪影響が出ていた。具体的には、「昼夜逆転の生活になり、認知症も進んで、夜中にみそ汁を作るようになった」「外出先で転倒していた」「(認知症が進んだことで)外に出て空き缶を拾うようになった」「一日中寝ている」などだ。Bさんのほかにも入院が必要となった利用者がいるという。  一方、デイサービス以外にも外出の機会があった人ほど、影響は小さかった。  デイサービスの役割は、食事、入浴、排泄といった日常生活を送るために必要な部分を支援するところにある。 「その部分を訪問介護などで補えば、利用者さんの健康状態は維持できると思っていましたが、そうではなかった。デイサービスに行くことで人と交流し、生活リズムを整える。それができなくなったことのダメージは予想以上に大きいことがわかりました」(同)  ヘルパーも日々、不安を抱えながら、サービスを提供している。  NPO法人グレースケア機構(本社・東京都三鷹市)の副所長で介護福祉士の加守田久美さんは、週に数回、訪問介護に出向く。  最初に新型コロナの影響を感じたのは、東京都が企業に対して在宅ワークを推奨し始めたころだ。 「仕事が在宅に切り替わり、家族で介護ができるので、訪問介護はキャンセルしてほしい、という連絡が相次ぎました。利用者さんの数が3割ほど減ったという印象です」(加守田さん)  キャンセル理由のすべてがそうだとは思わない。感染リスクを避けるため、家に人を入れたくないという気持ちもあるのではないか、と加守田さんは推しはかる。 「介護サービスの利用者さんは高齢の方が多く、持病もあります。感染した場合に重症化するリスクが高いので、たとえヘルパーでも家に入れるのは不安なのでしょう」(同)  淑徳大学の結城康博教授(社会福祉学)は、利用者の利用控えについて、介護関係者約500人にアンケートを実施した。  在宅サービスの利用を控えている利用者がいる、と答えたのは、82.3%。利用控えなどによって心身の機能低下が起こっている、と答えたのは、62.3%だった。 「機能低下が起こると、介護だけでは立ちゆかなくなり、医療機関での治療が必要になります。しかし、今は医療側のキャパシティーの問題で、受け入れてくれる医療機関を見つけるのが難しい」(結城教授) (本誌・山内リカ) ※週刊朝日  2020年6月19日号より抜粋
介護を考える新型コロナウイルス
週刊朝日 2020/06/14 08:00
おなかの赤ちゃんを危険にさらす罪悪感も…医療現場で働く妊婦の過酷な現実
おなかの赤ちゃんを危険にさらす罪悪感も…医療現場で働く妊婦の過酷な現実
※写真はイメージ(gettyimages) AERA 2020年6月15日号より ほとんどの母子手帳の中にある「母性健康管理指導事項連絡カード」。医師に必要な指導を書いてもらい、事業主に伝える役割がある (c)朝日新聞社  コロナ禍で特に不安を抱いている働く妊婦たち。休職や在宅勤務を希望していても、様々な事情からそれがかなわないことも多いようだ。新型コロナウイルスの感染への不安が妊婦やその胎児に影響を与える恐れがある場合、医師が母性健康管理指導事項連絡カード(母健連絡カード)に「指導」を記し、その内容を事業主に守らせる仕組みがあるが、それすら活用できない人もいる。AERA 2020年6月15日号では、不安を抱えながら働く妊婦たちを取材した。 *  *  *  現在妊娠中で、東京都内の病院の救急科で働く、高橋美由紀の名前で活動する20代の女性医師は言う。 「厚労省の指針は、妊婦が働くか休むか自分で考えて、休みたい、配置転換してほしいと思ったときに、自分から産婦人科医にお願いして、指導を母健連絡カードに書いてもらって、そのカードを勤務先に提出し措置を申し出なければなりません。特に医療現場は人手が足りなくて、自分から休ませてほしいと言い出せず、出勤し続けている医療従事者は今もたくさんいます」  高橋さん自身は、救急搬送されてきた患者がコロナ陽性である可能性もあるのに、マスクや防護服が不足する中で働き続けることに危機感を覚え、おなかの赤ちゃんの命を危険にさらすような行為に罪悪感もあったが、休むことで同僚に負担がかかることを懸念して自分から配慮を言い出せずにいた。そんな中、同僚の医師が働きかけてくれて陽性患者には接しないようにしてもらえるようになった。 「その人の人生やキャリアにかかわる重要な決定が、個人の判断やたまたま置かれた環境によって大きく変わってしまうのは非常に危険」  と感じた。高橋さんは4月、オンライン署名サイトで、妊娠中の医療従事者を感染リスクの高い仕事に従事させることを禁止することや、休業となった場合の経済的な補償を求める呼びかけを始め、現在までに4万1千人以上の署名が集まっている。署名の際のコメントや、高橋さん宛てに届いたメールには、当事者たちの切実な思いが寄せられているという。  医療現場では、新型コロナ以前から、自分から配慮を申し出にくく、出産直前まで夜勤を続ける医師や看護師は少なくないという。休めたとしても無給で、キャリアを投げ出さざるを得ず、中には有給休暇を使わせてもらえず、休むなら退職してもらうことになると言われた人もいる。  病院で相談業務を担当する医療従事者で、妊娠6カ月の30代の女性は、患者と密室で面談する業務で、電車通勤も怖く、精神的に不安定な日々を過ごしていたという。職場に在宅勤務をしたいと申し出たが、「医療従事者に在宅での仕事を認めるわけにはいかない」と言われた。結局、つわりがひどいこともあって病気休暇をもらって休んだ。  前出の高橋さんはこう話す。 「妊娠中の労働者に対する平時からの制度の不十分さが新型コロナウイルスによって浮き彫りになっています」  日本労働弁護団の嶋崎量弁護士は言う。 「医療現場は人手不足で仕事量自体も多い。結果的にそのつけを妊婦が負わされている。医療に限らず、人手不足が常態化した職場は多くあって、社会を支えるエッセンシャル(必要不可欠な)ワーカーは同じような問題を抱えています」  同じ職場でも正社員の妊婦は在宅勤務が認められるのに、派遣社員には認められずに出勤している人もいる。また、5月25日に全国的に緊急事態宣言が解除されて徐々に日常が戻ってくる中で、それまで在宅勤務や休業ができていたのに職場に戻らざるを得なくなることを不安に感じている妊婦もいる。  妊婦に関するリサーチセンター「ニンプスラボ」が5月11~13日に実施したインターネットアンケート(有効回答数1275人)では、医師に母健連絡カードへの記入を断られたという回答が9.7%あった。措置を希望しても、“医師ブロック”にあっている妊婦が1割もいる。  たとえ医師に母健連絡カードに記入してもらえて、勇気を出して事業主に「休ませてほしい」と伝えられたとしても、休暇が有給か無給かは事業主の判断に委ねられていて、経済的な不安から、感染を恐れながら働き続けている妊婦も多い。  日本労働弁護団は5月15日に「厚労省は、労働者から事業主への申し出がなくとも、事業主側から積極的に妊娠した労働者に対して措置を講じるよう、要請を出すべき」と幹事長声明を発表。休業中の賃金の補償などを行う企業への助成も求めた。  その後、厚労省は事業主に助成金を支給する制度を創設する方針を決めた。1人当たり最大100万円を払うという。  日本労働弁護団の新村響子弁護士は言う。 「日本では妊婦のための権利や制度はありますが、マタハラにあふれた社会では雰囲気的に使えず、使おうとしても利用を阻害するような言動を医師や会社から受けてしまう。妊婦を助けるためには権利や通達だけでは足りない。国はもっと事業主に義務づけさせるなど強く打ち出さなければ本当の補償にはなりません」 (編集部・深澤友紀) ※AERA 2020年6月15日号より抜粋
新型コロナウイルス
AERA 2020/06/11 08:00
【現代の肖像】哲学者・國分功一郎「社会が揺らぐと哲学が必要となる」<AERA連載>
大越裕 大越裕
【現代の肖像】哲学者・國分功一郎「社会が揺らぐと哲学が必要となる」<AERA連載>
学生にはいつも「哲学者は賢者ではない。知ることが好きな人間なんだ」と教えている(撮影/篠田英美) ※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。  今の日本は不安だらけだ。政治への不信、不安定な雇用、原発の問題……。考えれば考えるほど、先が真っ暗にしか見えない。この混迷深まる日本で、どう生きていけばいいかを考えるために、國分功一郎の哲学や言葉が求められている。「哲学がない時代は不幸だが、哲学を必要とする時代はもっと不幸だ」と言う國分の言葉が重く響く。  一人の哲学者を紹介するにあたり、何から書き始めるべきかを考えたとき、その哲学の一端を知ってもらうに勝る方法はない。そこでまず読者の方々に、一つの哲学的な問いを提示したい。暗い夜道を歩いているあなたの前に突然、ナイフを持つ男が現れ「金を出せ」と脅してきた。いわゆる「カツアゲ」だ。命が惜しいあなたは、ポケットから財布を取り出して金を渡すと、男は走って去っていった。  さて、このときあなたは、自らの意志によって金を払った(能動)と言えるだろうか。それとも脅された結果、金を払わされた(受動)と考えるべきか? 確かに男は暴力をちらつかせあなたを畏怖させた。しかし金を渡す行為自体は物理的に強制されたものではない。あなた自身がポケットに手を入れ財布を出し、男に金を渡したのだ。これは自発的行為と言えるのではないか?  國分功一郎(45)は、「この問題を考えるためには、我々が慣れ親しんでいる『能動態』と『受動態』という言葉の枠組みから離れる必要があります」と語る。そのかわりに國分が提示するのが、ギリシャ語や英仏独露語などの母体となった数千年前の古代インド=ヨーロッパ圏の諸言語で、広く用いられた「中動態」という言語様式である。 「カツアゲされてお金を渡す人は、一見『お金を払う』という行動を自分で決めたように見えますが、その行為は本人の意志や能力の表現ではありません。むしろカツアゲする側の意志と暴力が自分の体を通じて表現された結果の行動なのです」  そうした「自分自身の意志は関係ない状況だが、その行為の中心に自分がいたときの行動」が中動態という様式でかつては表現されたのだという。國分は古今東西の哲学者、言語学者が残した文献を渉猟し、この「中動態」という古くて新しい概念を再発見した。その成果をまとめた2017年刊行の『中動態の世界――意志と責任の考古学』は哲学書としては異例の3万6千部を売り上げ、同年の小林秀雄賞を受賞している。優れた評論やエッセーに贈られる賞だ。 昨年6月、國分が座長を務めたドゥルーズ学会のサマースクールでは、能のワークショップも行われた。海外の学会で発表を続けたことで「東京の回は國分が座長をやって」と頼まれたという(撮影/篠田英美) ■長髪に黒い服を着た姿、教室でも異様に目立った  探検家の角幡唯介(43)は『中動態の世界』の書評で「(自分も)妻に銃を突きつけられたわけではないが、状況に従ううちに気がつくと結婚しており、子供ができて、この前など家まで買うことになってしまった。完璧に中動態で記述されるべき事態なのだ」と我が身に引き寄せユーモア交じりに解説した。中動態という概念を知ると、確かに私たちの日々の行動も、自分の意志で決めているとは言えないことが多々あることに気づく。  古代ギリシャの哲学者プラトンは「哲学は驚きから始まる」と述べたが、國分の哲学の大きな特徴も「人々がハッと驚くような新たな視点」をもたらすことにある。その思考領域は、民主主義や原子力などの大問題から、若者の恋愛や就職の悩みなどの身近な話題まで及ぶ。過去の偉大な思想をわかりやすく紐解きながら、複雑にこみいった問題の本質を提示できる識者として、メディアに意見を求められる機会も増える一方だ。 「ドイツの劇作家ブレヒトは『英雄がいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ』と述べました。最近よくそれをもじって『哲学がない時代は不幸だが、哲学を必要とする時代はもっと不幸だ』と言うんです」  そう笑う國分は、1974年、千葉県柏市に生まれた。父は市の公務員で母は専業主婦。公立の小中学校から早稲田実業高等部に入学すると、通学電車で安部公房や遠藤周作の小説を読みふけった。成績は優秀で早稲田大学政治経済学部に進学。入学後は「政治経済攻究会」というサークルに入り、そこで初めて本格的に「思想」と出会った。 「ホッブズやルソー、マルクスなどの著作を読んで、政治思想についてあれこれと議論するのが活動の中心でした。間違った意見や差別的な考えには容赦ない反論が飛んで、そこで鍛えられた。そういう自分の考えを批判される機会を持たぬまま大人になる人も珍しくないと後で知り、得難い経験になりました。後輩には政治学者になる白井聡君もいて、僕は幹事長も務めました」  大学で國分と同級生だったTBSラジオプロデューサーの長谷川裕(45)は、印象をこう語る。 「黒い服を着て長髪を後ろでまとめ、大教室でいつも最前列に座っていたので異様に目立ちました。3年時に同じゼミに入ると、カントなどの課題図書を僕は日本語訳で読んでいくのに、國分君はドイツ語やフランス語の原典で読んでくるんです。彼を中心としたゼミの仲間の議論がものすごく知的レベルが高くて、聞くだけで楽しかった」  ときは90年代半ば。「ニューアカ」と呼ばれた現代思想ブームの残り香が漂い、社会学者の宮台真司が売春する「ブルセラ女子高生」を論じ、漫画家の小林よしのりが『ゴーマニズム宣言』で薬害エイズ訴訟やオウム真理教問題を描くなど新たな思想の潮流が起きていた。國分らの議論はそうした現実の問題も俎上に載せた。ゼミには12人所属していたが、後に國分を含め5人が研究者となったことからも、そのレベルの高さが窺える。  研究者の途を志した國分は、フランス語で卒論を書いて早稲田を卒業すると、東京大学大学院に進学。東大に籍をおきながらフランスに留学し、政治哲学を本場で学ぶ。留学の壮行会でTBSに就職した長谷川は、「いつか國分君たちのような若い学者が活躍できる番組を作る。その日を楽しみにしてほしい」と語ったという。 「留学前から自分が関心を持っていたのが、17世紀のヨーロッパの思想でした。16世紀の宗教戦争で焼け野原になった社会をどう立て直すかという時代で、現代に通じる国家や主権といった概念が形作られていったのがその時期なんです」(國分) ドゥルーズ学会には現代思想の大家、アルフォンソ・リンギスも来日した(撮影/篠田英美) ■同世代の活躍を横目に、もやもやした30代前半  國分がとりわけ関心を抱いたのがオランダのスピノザという哲学者だった。17世紀の有名な思想家には近代を支配する科学的思考の礎をつくったデカルトがいるが、スピノザの思想は「科学的思考では扱えない領域を考えるところが魅力だった」。「真理はエビデンスによって証明でき万人に共有できる」と考えるデカルトに対し、人間の「主体」や「意志」といった、形はないが確かにある重要な存在についてスピノザは思索を深めた。 「スピノザの『エチカ』に、厳しい親に育てられた子どもが、成長して暴君のもとで勇猛な兵士となる話が出てきます。その兵士は自分の意志で戦っているように見えて、実は親や暴君の意志を表現している。現代にも通じる話ですよね」  留学時には現代思想界を代表する哲学者、ジャック・デリダの最晩年の授業に出席した。 「授業のテーマは『死刑』でした。デリダといえば日本では難解な哲学者として知られていますが、実際の人物はきわめて明快で、フロイトの精神分析をはじめあらゆる知見を総動員して自由に物事を考える人でした。その授業で一人の生意気な学生が『死刑を考えるのに哲学が必要なんですか?』と質問したことがあったんです」  デリダはその問いに「私は哲学が好きだからです」と答えた。國分はそれを聞き「いい答えだな~。やっぱりそうだよな」と感動したという。  帰国して東大の研究員となってから2年後、33歳のときに國分は高崎経済大学に講師の職を得る。東京から半日かけて鈍行電車で高崎まで行き授業をして、また半日かけて帰るという日々を送った。その電車の中でも國分は先人の哲学書を読みふけった。後に『中動態の世界』を書きはじめるにあたり、國分は「ギリシャ語を学ばなければこの本は書けない」と考え、1年半にわたって東京・駿河台のアテネ・フランセに通い古典ギリシャ語を学んだ。哲学の祖ソクラテスが説いた「知を愛すること」を國分は自らも実践し続けてきた。 「30代前半はなかなか仕事も決まらないし、同世代で世に出る人もいて、もやもやする時代でしたね。2004年に翻訳書の『マルクスと息子たち』を出版してから、自分の名前で本が出せるまで7年かかりました。今思えば、自分の思想をまとめるのに必要な時間だったと思います」  11年、國分は本格的な哲学書の『スピノザの方法』と、一般の人々を対象とした『暇と退屈の倫理学』という2冊の本を著し、一気に世の注目を集めた。そしてその年、先の長谷川がディレクターを務めていたTBSラジオの番組「小島慶子キラ☆キラ」に、國分をゲストとして招くと、その語りを聞いたマスコミ関係者が、続々と彼に出演や執筆を依頼するようになっていく。メディアで國分は、哲学の視点から現実の問題を鮮やかに解説していった。國分自身は11年3月11日に東日本大震災と福島の原発事故が起こり、日本が混乱状態に陥ったことが、自分に発言機会が与えられる契機となったと考えている。 「ギリシャで哲学が生まれたのは政治が腐敗して乱れたときです。社会がうまくいっていれば哲学は必要ない。物事の基礎を問い直すからこそ、基礎が揺らいだとき哲学が必要となるんです」 今も2週に1度、高崎経済大学の授業に東京から新幹線で行く(撮影/篠田英美) ■依存症や原子力発電など、哲学は現実生活と結びつく  12年の初頭、国会前で原発反対デモが起き、それに対して「デモなんかに意味はない」という冷笑的な意見がネットに多数書き込まれると、國分は「みんなデモの本質がわかっていない」と感じた。そしてフランス留学時代に何度も見た、群衆がゴミを撒き散らして行進するデモの光景から始まる次の文章を記した。 <デモとは何か。それは、もはや暴力に訴えかけなければ統制できないほどの群衆が街中に出現することである。その出現そのものが「いつまでも従っていると思うなよ」というメッセージである><デモは、体制が維持している秩序の外部にほんの少しだけ触れてしまっていると言ってもよい(中略)そうした外部があるということをデモはどうしようもなく見せつける。だからこそ、むしろデモの権利が認められているのである>  スタジオジブリの雑誌「熱風」12年2月号に掲載されたこの文章は、ネット上で拡散され、国会前デモに集まった人々の相当数が読んだという。  立命館大学准教授で哲学者の千葉雅也(41)は、02年ごろの東大大学院在籍時に飲み会で國分と初めて会った。雑誌「批評空間」最終号で、ちょうど國分が執筆したフランスの現代思想家、ジル・ドゥルーズについての論考を読んだときだった。 「論文の怜悧な筆致から物静かな人かと思っていましたが、江戸っ子のようなべらんめえの口調で話す快活な人で、そのギャップに驚きました」  それ以来、千葉は國分と交流を持つようになり、研究者となってからは雑誌の対談やイベントで仕事を度々ともにするようになった。 「國分さんの哲学は、頭の中だけで遊んでいるんじゃなく、哲学を人生の問題として引き受けることにある。人間の実生活と哲学との結びつきを、鮮やかに強烈に見せてくれる人です」  千葉の言葉通り、先の『中動態の世界』は医学書院の雑誌「精神看護」に連載された原稿が元になっているのだが、実際に『中動態の世界』を読んだ医療関係者から、「依存症や慢性疾患の治療に役立った」という声が多数届いているという。 高崎で教える学生たちと書店イベントへ向かう(撮影/篠田英美)  近年、著名人が違法薬物の所持や使用で逮捕される度に報道で「本人の意志の問題だ」と叫ばれる。だが医療の専門家の間では、アルコールや薬物などの深刻な依存がやめられないのは「意志の問題ではなく自己のコントロールを失う病」であることが常識となりつつある。編集を務めた白石正明(62)が國分の講演を聞いて「中動態という概念は哲学や言語学の世界の話だけではなく、依存症など現実の問題に向き合う人にもヒントになるのではないか」と考えたことが発刊に結びついた。  自閉症と哲学の研究にも力を入れている。昨年6月、國分は東京大学駒場キャンパスで行われた「第7回アジア・ドゥルーズ/ガタリ研究国際会議」の座長を務めた。ドゥルーズを研究する世界中の学者が100人以上集まったこの会議で、國分は「自閉症とドゥルーズ」の研究について発表した。 「この20年程の間に、自閉症の当事者の方々が、幼少期から自分が世界をどう認識していたかを語ることが増えました。自閉症の場合、他者の存在を想定せずに世界を知覚していることがありますが、ドゥルーズの哲学は、そもそも人間の知覚のあり方はそのようなものだと考えるんです」  現在、國分はこのテーマで、東京大学先端科学技術研究センター准教授で医師の熊谷晋一郎とともにジャンルを超えた共同研究も行っている。  最新刊『原子力時代における哲学』では題名通り、哲学の観点から原子力発電の問題を考察した。登場する哲学者はプラトン、ピタゴラス、ヘラクレイトス、スピノザ、ハンナ・アーレント、ハイデガーなど数十人に及ぶ。 「原子力問題を考える上で重要なのは1950年代です。当時、日本に落とされた2発の原爆の被害から、核兵器に対して世界中で大きな反対運動が巻き起こりました。しかし原子力発電に対しては『原子力の平和利用』というスローガンのもとで人類を救う技術のように喧伝されていました」 『ヒロシマ・ノート』を後に書く作家の大江健三郎ですら茨城県東海村の日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)を訪問し、原子力という新たなエネルギーに人類の希望の光を見ていた。しかし世界でただ一人、ハイデガーだけは「原子力の平和利用」という言葉の欺瞞を見抜いていたことを國分は同書で解説する。 「ハイデガーは1963年に日本人研究者に宛てた書簡の中で、たとえ原子エネルギーを管理することに成功したとしても、その管理の不可欠なことが、この力を制御し得ない人間の行為の無能をひそかに暴露している、と指摘したのです」 國分は学生への授業を一番大切にしている。「僕は学生のとき、『世の中にそんな考え方があったのか』と知ってハッとするのが何より面白かった。今の学生も、打てば絶対に響いてくれるんです」と語る(撮影/篠田英美) ■答えが出ない問いを考え続けるのが哲学者  このハイデガーの指摘は60年近くの時空を超えて、未だ終息の途が見えない福島第一原発事故の処理問題を抱える日本人の胸に突き刺さる。一方で國分は「ただ原発はダメだと言っているだけではいけない」とも語る。 「原発のような問題は一人ひとりが自分の頭で考え続けることが大切なんだ。それが本書を通じて伝えたいことなんです」  同書の担当編集者である晶文社の安藤聡(59)は國分について、 「真理の探究のために平凡な日常生活を維持する努力を全力で続け、社会の具体的な課題に対して哲学者として取り組む姿勢に敬意を覚えます。願わくば、政治に携わる人間に、このような哲学を期待したいところです」と語る。  哲学者とはどんな人間なのか。國分に問うと、「答えが出ない問いをじっと考え続けることができる人だと思う」と返ってきた。 「ハンナ・アーレントは『答えが出ない問いを考え続けることで、人は問うことができる存在になれる』と語っています。民主主義や立憲主義も決して絶対的に正しいわけではありませんが、今の世の中の根本を支えている制度です。それがダメになったとき、きちんともう一度定義し、説明し直す必要がある。そういう役割を、哲学者が担っていると思うんです」 「知を愛すること」は哲学者だけの特権ではない。政治や社会が混迷を深める今の日本で、我々一人ひとりにも求められている。 (文中敬称略)     ■こくぶん・こういちろう 1974年 千葉県生まれ、柏市で育つ。地元の小中学校を卒業後、当時ファンだった小室哲哉が卒業生だったことから、早稲田実業高等部を受験し入学する。  93年 早稲田大学政治経済学部入学。政治経済サークルの部室で仲間と議論する毎日を過ごす。卒論は17世紀の思想家ライプニッツについてフランス語で執筆。  97年 研究者になると決め、東京大学大学院総合文化研究科に入学。この年、仏ストラスブール大学哲学科に留学し、以後長きにわたるスピノザの研究を始める。「自分は日本の大学では一度も哲学科の学生であったことはない。それが、他の人と少し違う視点でものを考えられる理由かもしれません」 2000年 パリ第10大学哲学科DEA課程入学。  04年 初めての翻訳書としてジャック・デリダ著『マルクスと息子たち』を岩波書店から刊行。  06年 東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。同研究科の「共生のための国際哲学交流センター」(UTCP)特任研究員に就任。  08年 高崎経済大学経済学部の講師となる。  09年 博士論文「スピノザの方法」で東京大学大学院の博士課程を修了。同論文は2年後みすず書房から書籍として刊行。  11年 高崎経済大学経済学部准教授。TBSラジオ「小島慶子キラ☆キラ」への出演を皮切りに、「荻上チキSession-22」「文化系トークラジオLife」などに次々ゲスト出演。『暇と退屈の倫理学』で第2回紀伊國屋じんぶん大賞受賞。  12年 NHK Eテレの哲学トークバラエティー「哲子の部屋」にメインパーソナリティーとして出演。  13年 本格的な哲学書『ドゥルーズの哲学原理』、現実の政治の諸問題を扱った『来るべき民主主義』、読者の人生相談に答える『哲学の先生と人生の話をしよう』など多様な本を刊行。  15年 『近代政治哲学――自然・主権・行政』刊行。  17年 『中動態の世界――意志と責任の考古学』を刊行。同書で第16回小林秀雄賞、第8回紀伊國屋じんぶん大賞受賞。  18年 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授に就任。  19年 『原子力時代における哲学』刊行。 ■大越裕 1974年生まれ。フリーライター。理系ライター集団チーム・パスカルに所属し、研究者や先端企業を取材。本欄では「哲学者 鷲田清一」「京都大学総長 山極壽一」などを執筆。 ※AERA 2020年1月20日号 ※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。
現代の肖像
AERA 2020/06/10 18:41
今年はご利益3倍 コロナ禍で激減も日本の再生願う「四国遍路」
今年はご利益3倍 コロナ禍で激減も日本の再生願う「四国遍路」
遍路は春と秋が人気のシーズン。季節の花々に癒やされる=香川県観音寺市 杖や菅笠などの遍路装束を身につけた筆者=香川県観音寺市 あちこちにあるこけむした石仏が時の流れを物語る=高知県土佐清水市 道しるべに山道の木に時々かかっている短冊=愛媛県内  あれから13年になる。生き方に迷った私が四国遍路に飛び出してから。今、新聞社のデスクとして東京で紙面作りに追われつつ、思い出されるのは、あの旅路のことである。空と海の青に包まれ、寺から寺へ、思うままに歩いた。コロナ禍後の、往来復活を願わずにはいられない。行く人の心を開く、それぞれの道筋。 「遍路」は春の季語。四国霊場八十八カ所をうるう年に反時計回りに回ったら、ご利益は「3倍」になる。そんないわれから今年はお遍路さんが多くなる、とみられていた。花咲く季節に人々はめいめいの祈りを届けるはずだったが、新型コロナウイルスの影響でままならなくなった。  弘法大師・空海ゆかりの寺88カ所を巡るのが四国遍路。一周の距離は1200キロともいわれる。かつて寺を巡った証しに、参拝者が納札を柱に打ち付けていたことから、寺を「札所」といい、参ることを「打つ」という。時計回りに順番に回ったら「順打ち」。逆なら「逆打ち」。一度で一周するのを「通し打ち」、時々訪れて少しずつ進んでいくのを「区切り打ち」という。  年間10万から15万人ほどが巡礼に訪れているといわれ、近年はバスツアーが多い。特にうるう年の今年は旅行会社も「稼ぎ時」になるはずだったが、コロナ禍で、人気プランを手がける阪急交通社(本社・大阪市)は4月7日からしばらくの間、お遍路ツアーの中止を余儀なくされた。緊急事態宣言が全国に拡大され、四国八十八ケ所霊場会(香川県善通寺市)も5月10日まで、御朱印などを授ける納経所を閉鎖するよう各寺に求めた。  参拝客が「9割は減った」と話すのは、徳島県阿南市の四国霊場第22番札所、平等寺の住職、谷口真梁さん(41)。「このような中で宗教、仏教にできることは人々の心に静けさをもたらすよう、祈る、行動する、指導することしかない」。コロナ禍による犠牲者供養のため竹灯籠でできた巨大な曼荼羅を二つ建立するべく、竹の切り出し作業を始めている。  そもそも、うるう年に巡ると「ご利益が3倍」というのはこんな逸話からだ。  むかしむかし、伊予の国(愛媛県)に豪農の衛門三郎という人がいた。四国を巡り托鉢中の僧を門前で追い返す非礼を重ねた。  すると、その後自分の子どもらが次々と死んでいくではないか。その僧が弘法大師だったことを知った三郎は、わびるために後を追うが、何度巡っても会うことができない。そこで逆回りで歩いてみるのだが、12番札所の焼山寺のふもとで倒れてしまう。  そこへ弘法大師が現れる。わびる三郎から、生まれ変わりたい、という願いを聞き入れ、手に石を握らせる。三郎は人のために生きると誓って息を引き取る。後年、伊予の国の領主の家に、石を手にした子が生まれる。51番の石手寺(松山市)にはそれと伝わる石が残る。  三郎が遍路道を逆に回って、弘法大師に会えたのがうるう年だったとの説があり、その年の逆打ちはご利益が大きいというわけだ。 ◆  コロナ禍で春の参拝はままならなくなったが、お遍路はそもそも病気や厄災と無縁ではない。 「衛門三郎の伝説は、生まれ変わるという『死と再生』の話でもある」  愛媛大学四国遍路・世界の巡礼研究センター長の胡(えべす)光さん(54)はそう語る。いまの日本ではほぼ感染する人はいないハンセン病(らい病)に特効薬がなかった時代、集落内では生きられず、治癒を願いながら「職業遍路」として四国を巡り続けていた人たちもいた。太平洋戦争や東日本大震災の後に、故人をしのんで遍路をした人たちも少なからずいたという。  胡さんはさらに言う。 「コロナ禍が落ちつけば、遍路をする人は増えるのではないでしょうか。日本の再生を願って遍路をするのは意にかなっています」  愛媛大による札所での調査では、遍路をする理由について、親族の供養、自分探し、治癒など様々な目的が語られている。そこには自分を「再生」させようという共通の認識がみられるという。 『四国遍路』(中公新書)や『四国遍路の近現代』(創元社)の著書がある三重大学教授(地理学)の森正人さん(44)は、遍路は「伝統的な宗教」あるいは「既成宗教」の営みと見られがちだが、宗教的な教義は持っていない、と指摘する。礼拝の仕方、巡拝の仕方などもかつては規定されていなかったといい、「何にでも結びつくことができる」という。  近代では観光と積極的に結びついて愉楽や娯楽という意味を持ち、戦中はナショナリズムや国家政策と結びつき、衛生的な健康のためという意味も帯びた。  1990年代からの「失われた30年」や新自由主義の時代には、「自分探し」や「癒やし」と結びついた。社会のニーズの中で、社会のある特性と結びつき、新しい意味を持つ。つまり四国遍路は常に「新しい」と指摘する。  四国八十八ケ所霊場会の公認先達、奈良県大和郡山市在住の山下正樹さん(75)も、そんな遍路の“懐”の中に飛び込んだ一人。  元銀行員で、現役時代は朝から晩まで働いて出世競争をした。45歳のある日、系列会社への出向を命じられた。敗北感を感じつつも、何か前向きになれるものを探していた。50歳のとき、尿管結石で1カ月入院。そのとき偶然、遍路の体験が書かれた本を手にした。子育てや家のローンが一段落して、57歳で早期退職。初めて歩き遍路の旅に出た。「人生を切り替えるため」だった。  四国にはお遍路さんへの「お接待」という文化がある。水や茶を差し入れたり、ミカンを手に持たせたり。そんな優しさに心打たれ、山下さんは遍路道を13回も歩いて巡った。今では88歳までは歩き遍路をするのが目標になった。  逆打ちはこれまで4回した。順打ちの場合は、遍路道の木の枝に協力会が下げた札や、道順を示す看板、「道しるべ石」と呼ばれる石柱などが所々にあるが、逆打ちではそれらが背を向けていて、すぐ迷子になる。いきおい地元の人に話しかける機会が多くなる。 「逆打ちは苦労して行くからありがたみがあると言われてきた。人に道を尋ねて進むことが遍路の本来の姿ともいわれる。だから人の優しさに出会えるのです」 ◆  13年前の秋、香川県の高松総局に勤務していた記者は一念発起して、歩いて通し打ちをした。振り返ると、人生の谷間にいたり、区切りを迎えたりした人々が多くいた。道中に何かを見いだしたい、という祈りを持っていたように思う。  そのときに出会った人たちとかわした何げない会話が深く心に染みこんでいる。  妻を亡くした60代の歩き遍路の男性と、大雨で駆け込んだ高知の民宿で出会った。喪失感にさいなまれていたというが、歩くうちにこう思い至ったそうだ。 「自分が健康に暮らし、少しでも妻との思い出を生きて守る。それが、この世と妻の縁を長くつなげる自分の役目だ」  カバンに妻の写真を入れ足首にテーピングをして、しっかりと歩いていた。  60代のある夫婦の遍路とは愛媛の札所で会った。家の中をすっかり片付けて覚悟を決めた。 「二人で体の限界を感じながら、同じ苦労を改めてしたかった。不測の事態で戻れなくなってもいい」  夫は糖尿病で、道中苦しくなることも。急な坂道を歩いているとき、見ず知らずの人に車の「お接待」に誘われた。乗せてもらったのに「乗ってくれてありがとう」と言われた。 「逃げずに進めば、誰かが見てくれている」  と妻は思った。印刷所の営業マンの夫は、 「真心があれば裏切られることはない」  と、長年仕事をしてようやく知ったことが再確認できた気がしたという。  山河を巡る遍路道。先を急げば足を痛める。路傍のこけむした石仏、行き倒れて死んだ遍路の古い墓が見つめている。野宿をして星空を眺め、虫や動物の亡骸をみて生命のはかなさを知った。  こうした出会いを重ね、 「人生で何が大切なのか」  と、私は確かめていたのかもしれない。  当時35歳で、それまでの記者生活の半分以上が事件・事故担当だった。6年いた大阪社会部では汚職や詐欺、金融犯罪、調査報道の取材などに時間を費やした。激しい時期は、事件関係者に取材するため日付が変わるまで夜回りをし、午前3時すぎに他社の朝刊で特ダネを抜かれていないかを確認。朝6時には、出勤する捜査員らへの接触を狙ってタクシーに乗り込むという日々。  協力するようなふりをして事件関係者に接近しては「取材にこう話した」と記事を書いて「背中から斬る」ようなこともした。もちろん家事や子育ては任せきり。何度取材してもうまく行かず、記事も載らず、ストレスで飲み続けて愚痴をこぼす日々もあった。  すべて、社会に潜む「構造的不正の追及」のためと自分なりに思い込んだゆえだった。  地方都市の高松へ異動して、そんな目標を見失っていた。時間に余裕はできたが、家族への接し方も不器用なままで、不摂生も続いていた。四国はそのとき、うどんブーム。映画「UDON」が公開されてまもない頃で、朝うどん、昼うどん、夜うどん。飲んだ後には締めうどん、という炭水化物天国。心も体もだぶついた。  そのせいだろう。杖を片手に歩く菅笠姿の歩き遍路の姿を見て、「行かなくては」とひかれた。  体験記事を書きながら遍路に出ることを許され、1番霊山寺で初めて白装束に袖を通した。住職にこう言われ、送り出されたのを思い出す。 「『私の毎日は人のためになっているのか』ということを見つめたいのではないかな」  2日目に山のふもとの駐車場にあったベンチで夜を明かし、満天の星空を見たとき、なるべく野宿をすることを決めた。室戸岬への海沿いの道は長かったが、どこまでも広く、青い海に何かが洗われる気分だった。汗だくになって登った山の上の空気はどこよりも澄んでいた。  出会った市井の人々が、ふと語りだす。  一緒に坂道を上がった遍路の女性が「自分のためではなく、他人のため、ほかのもののために祈ることができなくなったらだめだと思うの」とつぶやく。境内にいた老女は「自分を押し上げてくれるものがあるやろう。それが『おかげ』なんよ」と教えてくれた。  なまりきった体で連日歩くのはきつい。リュックは12キロほどで筋肉痛、それから関節痛。足裏が腫れ、眠れぬ日も続いた。  すると、「修行とはこつこつと積み重ねることです。草木も水を毎日きちんとあげなければ花は咲かないでしょう」という僧侶の言葉が腑に落ちた。  愛媛まで来たとき、ある寺の法主に「遍路で何か変わりましたか」と尋ねられた。「焦りが薄れ、親切を感じたときに合掌することが増えたような気がする」と言うと、「心とは命です。心が備わって命が存在するのです」と説かれた。そのころには山登りもそれほど苦痛ではなくなっていた。体も軽くなり、少しずつだが自信を取り戻しつつあったのだろうと思う。  香川県の88番大窪寺から1番へ戻って1周し、和歌山県の高野山へお礼参りをするまで1カ月半。がらにもないことだが、心から思った。 「生きていることはありがたい」 ◆  それから愛媛県出身の早坂暁さん(故人)に取材する機会があった。テレビドラマ「夢千代日記」「花へんろ」や映画「空海」の脚本で知られる作家だ。 「遍路をすると、向日性の人間になる。いい方向へ考える精神状態になる」  遍路道を歩いている人は悩みと正面から向かい合う。ふてくされても、誰も返事はしてくれない。夕方に寺に着いて拝んでいたら、ふと涙が出てきて、自分が悪かったと慟哭し、心のしこりが浄化されるのだ、と。  空海は、民衆が何に悩み、迷っているか、その痛みや苦しさをどう和らげるのかということを考えていたという。 「まるで臨床医のような僧侶だった。歩きなさい、歩いて歩いて、祈りながら歩けば、あなたは悩みから解放される」と教えたそうだ。早坂さんは歩くことの自由を説き、こう語った。 「日本人は千年以上、この道を歩いて悩みを解消してきた。どの宗教も行き着くところは一緒だ」  その話に強く共感した。「遍路に行く」と言うと、いぶかる人もあるかもしれないが、決してそれは現実逃避の場ではない。道中はまさに自問自答の繰り返しで、自分と向き合い続けるからだ。自然に身を委ね、汗をかき、偽りのない自分を見つめられる。  人をあやめたり、だましたり。傷つけられたり、損をしたり。取材で接してきたそんな現実も森羅万象の一端であり、自分もまたそんな広大な世界の網目の小さな小さな一つでしかない。暴風雨の石鎚山で山頂近くの岩にしがみついていたとき、そうとしか思えなかった。眉をひそめるようなことが起きない世界を希求しながら、自分ができることは限られている。  ただ、そうであっても自分は歩いていく。それでいいのだ、と。  記者はまた、数年に一回、区切り打ちをしに四国へ出かけている。次回は高知市の31番札所・竹林寺からだ。このウイルス禍が落ちついたら、その次の社会で自分のすべき役割を、遍路の中に確かめに行きたい、と思っている。みなさんも疲れ果てた心を、四国で開放しませんか。(朝日新聞社会部・島俊彰) ※週刊朝日  2020年6月12日号
新型コロナウイルス
週刊朝日 2020/06/09 17:00
アメリカの慈善マッチで22億円! 丸山茂樹「さすがスポーツ王国」
丸山茂樹 丸山茂樹
アメリカの慈善マッチで22億円! 丸山茂樹「さすがスポーツ王国」
丸山茂樹(まるやま・しげき)/1969年9月12日、千葉県市川市生まれ。日本ツアー通算10賞。2000年から米ツアーに本格参戦し、3勝。02年に伊澤利光プロとのコンビでEMCゴルフワールドカップを制した。リオ五輪に続き東京五輪でもゴルフ日本代表ヘッドコーチを務める。19年9月、シニアデビューした。 タイガーとマニングとは豪華!(Getty Images)  丸山茂樹氏は、緊急事態宣言解除後の心境を語る。 *  *  *  さあ6月! 読者のみなさん、元気でお過ごしでしょうか? 2013年に始まったこの連載も350回目となりました。これからもみなさんに元気を受け取ってもらえるような発信を続けていきます。よろしくお願いします!  5月25日で全国的に緊急事態宣言が解除になりました。でも、僕自身は何も変わらないですね。人混みに行かないし、夜の盛り場にも行こうとは思わないですね。  宣言が解除された根拠がよく分からないですね。感染者数が減ったっていうだけで、どこに危険が潜んでるか分からないじゃないですか。だから、やっぱり調子に乗ってはいけないって自分で思ってます。ゴルフと夜に軽く食事に行くぐらいはしますけど、席同士が近い食事の場には行かないようにしようかなと思ってますね。僕の決めごとの中では、まだまだじゃないかなと。  まあ経済がすごく大変なんで、宣言を解除しないと困る人が多いからでしょうね。だから解除自体が間違ってるとは思わないですよ。でも自分の中では自粛中ですね。まだまだ。大手を振ってはいろんなとこには行けません。  さて、5月24日にはアメリカで豪華なチャリティーマッチが開かれました。「Capital One’s The Match:Champions for Charity」(フロリダ州ホープ・サウンドのメダリストGC)です。タイガー・ウッズ(44)とフィル・ミケルソン(49)が、それぞれ、NFLのスターだったペイトン・マニング(44)、現役のNFL選手を代表する存在のトム・ブレイディ(42)とペアを組んでラウンドしました。  ウッズ、マニング組が1アップで勝ったんですけど、ケーブルテレビ史上最多の平均580万人の視聴者が観戦したそうです。そして新型コロナウイルス対策支援のために2千万ドル(約22億円)が寄付されました。  これだけのスーパースターが並んで出てくるなんて、もうアメリカならではですね。さすがスポーツ王国ってところを改めて見せてくれた気がします。みんながスポーツに飢えてるから、大注目を浴びるのは分かってるんですね。  そしてオンラインで集めた分も含めて大金の寄付。こんなに経済が大変だって言われてる中で、あれだけのお金が出るんですから、ちょっと意味不明ですよね。日本だったら批判買いそうですよね。どっからこんなお金出てきたんだ、って。そういう意味では、すべてがアメリカならではのイベントでした!  話は変わりまして、すでに今シーズンの18試合が中止になった国内女子ツアーが、来年のシーズンと統合することを決めました。  一つ難しいところがあって、今年のプロテストで合格した人たちが翌年度のツアー出場資格をかけて臨むQT(クォリファイングトーナメント)が、どうも従来の形では開催されないみたいなんですよね。  もし開催されないとなると、ひらたく言えば就職はしたけど仕事はない、みたいなもの。ちょっとこの件はよく考えないと、問題が多発するんじゃないかと思いますね。 ※週刊朝日  2020年6月12日号
丸山茂樹
週刊朝日 2020/06/07 07:00
「愛する者にリスクを負わせない」 堂本光一、コロナ禍で「SHOCK」公演中止の英断
塩見圭 塩見圭
「愛する者にリスクを負わせない」 堂本光一、コロナ禍で「SHOCK」公演中止の英断
20年3月20日、再開を予定していた帝国劇場での公演中止が発表された (c)朝日新聞社  堂本光一さんが菊田一夫演劇賞大賞に選ばれた。20年にわたり、「SHOCK」シリーズを率いてきたことが評価された結果だ。AERA 2020年6月1日号掲載の記事で、その魅力と歴史を振り返った。 *  *  *  4月27日、堂本光一さん(41)が舞台「SHOCK」シリーズを20年にわたり牽引してきた功績により、第45回菊田一夫演劇賞大賞に選ばれたと発表された。現在の総上演回数は1760回。日本の演劇界で、同一演目の単独主演では森光子さんの「放浪記」の2017回に次ぐ記録だ。 “生みの親”ともいえるジャニー喜多川さん亡き後に迎える20周年──。2020年は「SHOCK」にとって特別な年だ。  映画・演劇評論家の萩尾瞳さんは今年2月初旬、「Endless SHOCK」を観劇した。 「一人で責任を背負う心細さと自由さ、そして20年の意気込みを堂本さんから感じた。ある種、完成形を見たと思った。彼は主役・演出など、舞台人としての役割を全方位的に果たすことができる稀有な存在だと思う」  しかし、新型コロナウイルスの感染拡大により、「SHOCK」は2月28日に公演を中止した。そして再開を予定していた3月20日朝、夜の公演中止を急遽発表。その後、31日までのすべての公演を中止すると発表し、東京・帝国劇場における今年の「SHOCK」は幕を閉じた。  堂本さんは舞台の公式インスタグラムで「今回の中止は自分の意向が強いです」と伝えている。 「SHOCKは全国から多くのお客様が集まります(略)そしてキャストだけでも50人 作品の特性として終始息を切らしながら地面も這いつくばり 演者同士近距離で発声し続けます フライングもお客様の近くに行く事になります」「今はまず何よりも第一に考えなくてはならないのは(略)感染を広げてはならないという事です そして愛するファンの方や愛する共演者にリスクを負わせて舞台に立たせる事は今の状況で自分にはできません」 「SHOCK」は、ブロードウェーを目指す若者たちが切磋琢磨し、ときにはぶつかりながら成長していく物語だ。堂本さん演じる主人公のコウイチは「ショー・マスト・ゴー・オン(何があってもショーは続けなければならない)」を信条にカンパニーをまとめている。圧倒的なスター性を持ち、最高のエンターテインメントを作るため、ストイック過ぎるほど真っ直ぐに舞台に向き合う。その姿は、堂本さん自身にも重なるものがある。  2000年の初演時、堂本さんは21歳。帝国劇場の当時最年少座長だった。伝統のある帝劇で若いアイドルが主演を務めることに批判の声もあったが、「黙らせてやる」という気持ちで挑んだと本誌のインタビューで語っている(20年2月10日号)。  座長として前に立ち、決断しなければならないときもあった。帝劇開場100周年となった11年の3月11日、昼の部の幕間に東日本大震災が発生。28公演が中止となった。  15年には舞台装置が倒れ、出演者やスタッフら6人がけがを負う事故もあった。だが翌日には公演を再開。堂本さんは公演の冒頭で「あってはならない事故が起きてしまった」と述べ、「幕を開けることで批判を受けるかもしれないとも思いましたが、起きたことをしっかり受け止め、また一歩を踏み出すことも大切と思い、幕を開くことにしました」と語った。  舞台は生ものであり、何が起きるかわからない。だがこの20年、堂本さん自身の事情で公演が中止になったことは一度もない。高さ4.8メートルの大階段を転落する「階段落ち」、命綱をつけず腕の力だけで体を支える「フライング」、舞台上で入り乱れる激しい殺陣やダンス。これを約2カ月間、ときには1日2回公演で続ける。  05年以降は演出・脚本・音楽などのステージ面の指揮をジャニーさんに委ねられ、本質的なストーリーはそのまま、演出を進化させてきた。前出の萩尾さんはこう語る。 「初演から観続けていますが、キャラクターを明確化するためにミュージカルナンバーやコーラスを増やしたり、舞台上のポジショニングを変えたりするなど、毎年何かしらの進化が見られる。堂本さんがいろいろなものを見て聞いて吸収し、勉強してきたことがわかる。18年に『ナイツ・テイル─騎士物語─』で演出家のジョン・ケアードと仕事をしたことも大きいのでしょう。20年間、毎年即日完売する公演のカンパニーを引っ張っていくのは並大抵のことではない」  公演中止後も、堂本さんは「今自分にできること」を模索している。3月22日には舞台の公式インスタグラムで「SHOCK」の一部を約3時間にわたって生配信、視聴者は延べ40万人を超えた。  受賞後の5月2日には本人いわく「上だけ」黒のスーツを着用し、改めて受賞の感謝と現状の気持ちについて、率直に話した。 「何ができるかなあ、と毎日考えています。それが100個考えたところで、形にできるものは1個できたらいいほうだと思いますよ。でもエンターテインメントってそういうものだと思うんですよ。(略)明日がどうなるかわからない時代なので、毎日刻々と状況が変わるしね、そこを敏感にとらえて生きていかなきゃいけないかなと思います。(略)きっとここを乗り越えたときに、さらに何かいいものが待っていると自分は信じています」 (編集部・塩見圭) ※AERA 2020年6月1日号
新型コロナウイルス
AERA 2020/05/27 11:30
不倫の末出産した息子…父親についてどう説明すべきか悩む34歳母親に、鴻上尚史が伝える「絶対に言ってはいけない言葉」
鴻上尚史 鴻上尚史
不倫の末出産した息子…父親についてどう説明すべきか悩む34歳母親に、鴻上尚史が伝える「絶対に言ってはいけない言葉」
作家・演出家の鴻上尚史氏が、あなたのお悩みにおこたえします! 夫婦、家族、職場、学校、恋愛、友人、親戚、社会人サークル、孤独……。皆さまのお悩みをぜひ、ご投稿ください(https://publications.asahi.com/kokami/)。採用された方には、本連載にて鴻上尚史氏が心底真剣に、そしてポジティブにおこたえします(撮影/写真部・小山幸佑) 写真は本文とは関係ありません(※イメージ写真/iStock)  不倫の末息子を出産したという34歳母親。幼稚園に通うようになった息子に父親の関係を聞かれたときの答えに悩む相談者に、鴻上尚史が伝える「子供に絶対に言ってはいけない言葉」とは。 【相談68】不倫のすえ出産した息子に、どのように説明すればいいでしょうか?(34歳 女性 ゆかり)  初めまして。私は30代半ばの未婚女性です。私は4年前に未婚で男児を出産しました。子供の父親とはいわゆる不倫の関係でした。6年交際していて4年は知らず、知ってからは彼からの必ず離婚するという言葉を信じていました。愚かだと思います。現在、関係は解消しています。私自身は不動産収入もあり1人でも生活の不安はないこと、宗教的な理由から中絶はしたくなく、結局出産する道を選びました。  子供の父親からは認知してもらい、また毎月決まった額の養育費振り込みと子供との月1回の面会の約束を公正証書にて取り交わし、続けています。子供と一切会わせずに関係を断つことも何度も考えましたが、会う/会わないどちらにしても不満が出てくるはずなので、本人の意見が出てくるまではどちらか選べるよう、現時点では、会える道を残しています。子供は彼をパパと呼んで遊びに行く日を楽しみにしているようでもあり、全く忘れているような時もあります。  子供も幼稚園に通うようになりました。まだ聞いてはきませんが、自分の父親との関係は? なぜ一緒に住んでいないのか? どのようにして生まれたのか? などの話を、今後子供にどのように説明していけばよいのか悩んでいます。また、私自身は、自分の決めた道ですので、世間から何をいわれても目の前のことに誠実にひたすら精進してゆくのみであると心得ていますが、子供が世間からの誹(そし)りを受けたり、悩んだり苦しむことを考えると大変申し訳なく、夜眠れずに悩んでいることもしばしばです。  鴻上先生でしたら、いつごろ、どのように説明しますか? この先、子供に対してどのようにしたらいいでしょうか? ぜひご意見をお願いいたします。 【鴻上さんの答え】  ゆかりさん。そうですか。「夜眠れずに悩んでいることもしばしば」ですか。でも、僕は、ゆかりさんの「私自身は、自分の決めた道ですので、世間から何をいわれても目の前のことに誠実にひたすら精進してゆくのみである」という文章に感動しました。こんな言葉を書けるゆかりさんなら、きっと息子さんとうまくやっていけると感じます。  さて、僕なら、いつごろ、どう説明するか、ですね。  まず、幼い時の説明と、物心がついて考えることができるようになった時の説明と、思春期の説明と、そして大人になった時の説明は変えると思います。  それは、ゆっくりゆっくりと、その時その時に合った言い方で事情を説明することがいいと思っているからです。  また、息子さんのタイプによっても変えると思います。  幼い時から大人びていろいろと神経質に考えるタイプと、天真爛漫(らんまん)でノンキな性格では説明も違ってくるだろうと思うからです。  幼い時は、聞かれない限り、事情を説明する必要はないと思います。  もし、「どうしてパパは家にいないの?」と聞かれて、息子さんが天真爛漫なら、「パパは仕事で忙しいから、家にいられないの」と答えることで納得するんじゃないかと思います。  基本的に嘘をつくことは避けたいと思いますが、幼くて天真爛漫な子供に「大人の事情」を説明する必要はないと思います。しても理解できないでしょうしね。  でも、幼い時から大人びていて、この答え方に満足できない様子だった場合は、「ママとパパは仲良くできなかったので、別々に住んでいるの」と言います。「でも、ママもパパもあなたのことが大好きなのよ」と付け加えながら。「どんなふうに生まれたか?」については、何も言いません。まだその時期ではないと思います。  物心つく頃、小学生の3、4年でしょうか(人によって違うでしょう)。この時に、「どうしてパパは一緒に住んでないの?」と聞かれたら、「ママとパパは仲良くできなかったので、別々に住んでいるの。そうすると、お互いがケンカをしなくてよくなったの」という説明をします。 「どんなふうに生まれたの?」という質問が来ても、「不倫」だとは言いません。月1回の面会が続いていて、パパにもうひとつの家庭があると知り、「どういうこと?」と聞かれたら、「ママと別れたパパは別の人を選んだの」と言います。「でも、パパはパパだからね」と付け加えながら。  どの時期も、「質問をはぐらかす」ことと「答えを先送りにする」ことだけはやってはいけないと思います。  例えば、無視して別の話を始めるとか「また今度ね」とか「大きくなったら分かるわよ」とか「そのうち説明するね」という言い方です。  その時その時、相手を見ながら、相手の理解できる範囲で伝えます。  そこから先は、息子さんの状態次第だと思います。月1回の面会を希望し続けるのか。父親とどんな会話をするのか。  思春期になった時に、ゆかりさんとどんな関係になっているのかも重要です。より繊細な状態なら、まだ「不倫」であるという説明はしないと思います。「ママとパパは恋をした。その結果、あなたが生まれた。でも、恋は終わり、お互いを傷つけないように別々に生活を始めた。そして、パパは別な人を選んだ」という説明です。  やがて息子さんが大人になり、どんな会話ができるかは、楽しみにとっておいた方がいいと思います。  じつは、ゆかりさんの相談の文章を読んで感動した点がもうひとつあります。  それは、男に対する悪口が一言もないことです。「6年交際していて4年は知らず、知ってからは彼からの必ず離婚するという言葉を信じていました」というのは、男を責めて当然のことです。それをゆかりさんは「愚かだと思います」という言葉で表現しているのです。  親しい友達には、どんなに男の悪態をついても、子供には絶対に言ってはいけない、と分かっていらっしゃるんじゃないでしょうか。だから、この相談でも悪口を避けたのではないかと僕は思いました。違いますか?  悔しいですが、つらいですが、どんなに男に腹が立っても、子供に父親の悪口は言ってはいけないと僕は思っています。子供にとっては、母親を裏切ろうが嘘をつこうが父親なのです。父親の悪口を言うことは、そのまま子供を傷つけてしまうことになるのです。  それは、結果的に母親との関係も悪化させてしまうことになると僕は思っています。 「子供が世間からの誹りを受けたり、悩んだり苦しむことを考えると大変申し訳なく」とゆかりさんは書きます。  息子さんがどんな人と出会い、何を言われるかは分かりません。でも、日本でもシングル・ペアレントが珍しくなくなって来ました。軽率なことは言えませんが、だんだんと理解は広まっていくんじゃないかと期待します。 「あなたのことが大好きで、幸せになりたいから、ママはあなたと二人で住むことを選んだの」という思いをちゃんと伝えれば、子供はきっと理解してくれるんじゃないでしょうか。  世間で子供が何かを言われたとしても、「自分は母親に愛されている」という確信と「二人で住むことがベストチョイスなんだ」という母親の判断に対する信頼があれば、子供は大丈夫だと僕は思います。  大変でしょうが、どうか負けないで。ゆかりさんの一日一日を応援します。 ■本連載の書籍化第2弾!『鴻上尚史のもっとほがらか人生相談』が発売中です! ★Amazonでも予約受付中!
読書鴻上尚史
dot. 2020/05/26 16:00
英国直輸入の技術がアムラーで花開く… 第一人者が見たヘアカラー25年の軌跡
英国直輸入の技術がアムラーで花開く… 第一人者が見たヘアカラー25年の軌跡
「kakimoto arms(カキモトアームズ)青山店」カラーマネージャーの岩上晴美さん  1990年以前、日本人の髪色はそのほとんどが黒だった。50年頃から多くの人に親しまれるようになったパーマに対し、ヘアカラーが広まったのはそれから40年も後のこと。長らくの間、ただ白髪を染めるための行為としか認識されていなかったのだ。  しかし90年代に入り、日本のヘアカラーはすさまじい勢いで進化を遂げ、街では多様なヘアカラーの人が行き交うようになった。そこにはアジア人独特の髪質をコントロールし、日本人が似合うヘアカラーを追求し続けた「ヘアカラーリスト」(以下、カラーリスト)たちの存在があった。ヘアカラーはどのようにして進化し、浸透してきたのだろうか。日本のヘアカラーの第一人者として発展に力を注いできた美容室「 kakimoto arms(カキモトアームズ)青山店」のカラーマネージャー岩上晴美さんに話を聞いた。   ■イギリスから伝わった技術「ウィービング」  岩上さんがカラーリストとなったのは94年。その頃もまだ白髪染めか、脱色しただけの金髪ぐらいしかバリエーションがなく、夜の街で働く人やバンドマンなどの一部の人に需要がある程度であった。kakimoto arms に入社して2年ほどがたった頃、 岩上さんは会長(当時は社長)の柿本榮三氏からいきなり、「カラーリストにならないか」と打診された。 「はじめはお断りしたんです。もともとはスタイリストになりたくて入社した訳ですし、カラーリストが何をするのかも想像できなかった。当時は、カラー=アシスタントの仕事だという認識でしたから」(岩上さん)   しかし、本場イギリスから招いたカラーリストに出会ったことで岩上さんの考えは一変した。カラーリストは、柿本会長の要望でイギリスのサロン「ダニエルギャルビン」から招かれた。ダニエル・ギャルビンは、60年代から活躍し、ヘアカラー専門店を欧州で初めてオープンした人物だ。日本でも一世を風靡したモデルのツイッギーや、映画「時計じかけのオレンジ」の際にヘアカラーを担当するなど、ヘアカラーのパイオニアとして一目置かれ、今なおハリウッドスターや王族関係者など世界中に顧客をもつ。そんな彼の独自のテクニックを学ぶ実習を、岩上さんをはじめとする3名のスタッフが受けることになった。  そこで習得した技術は「ウィービング」という技術だ。筋状に毛束を染めるためのテクニックで、明るく染めた部分は、「ハイライト」とよばれる。均等な厚みで髪を引き出し、幅3ミリ、深さ3ミリの三角形の形で髪をすくう。それを連続して、リズミカルにすくっていく。すくった髪にだけ薬剤を塗布し、それ以外の部分に薬剤がつかないように毛束を銀紙で包む。そうすることで銀紙に包んだ部分だけ髪が染まるのだ。 筋状に毛束を染めるためのテクニック「ウィービング」(提供/kakimoto arms) ■ヘアカラーの概念が変わった日  初めてカラーのスペシャリストを目の前にし、高い技術力、そして彼らのカラーリストとしてのプライドを目の当たりにした岩上さん。パーマとカラーは同時に施術させない、客にケア方法を指示するなどカラーリスト主導のカウンセリングに驚かされた。当時の日本では、客の要望に合わせて施術するのが当たり前だが、彼らにとって最も重要だったのは「この髪にいかに美しくヘアカラーを施すか」ということだった。 「これがプロフェッショナルなんだ」  岩上さんはそう感じ、カラーリストになると心を決めた。  kakimoto armsはカラーリストとスタイリストを分業し、それぞれの専門性を高める「スペシャリスト制」を導入した。そして95年、ついにカラー専門店(現自由が丘クレオ店)をオープンさせた。しかしどんなに技術を磨いたとしても、待てど暮らせど客は来なかった。しかも社長からの指示で、仕事がなくてもカラー以外の仕事をすることは禁止されていたため、他のスタッフからの風当たりは日に日に強くなるばかりだった。  そんな日々が半年続いたのち、転機が訪れた。岩上さんが田園調布店でウィービングをしていた時のことだ。その頃、クレオ店ではカラーの注文が少なく、他店舗に出向いてカラーを行うことがほとんどだった。岩上さんがウィービングをする様子を見て「私もあのカラーをやってみたい」と、フロアにいる人から注文が相次いだのだ。 「スピーディーに、規則正しくアルミホイルが折りたたまれていく様子を見て、『すごいテクニックだ』って感じてもらえたんだと思います。地毛より2レベル明るいハイライトを入れることで、髪に毛流れが出たり、硬い髪が柔らかくつやっぽく見えたり。ナチュラルだけど髪が美しく見える仕上がりに、どの方もとてもよろこんでくれました。田園調布のお客様は海外と関わる仕事をされている方も多く、インテリジェンスな方たちも多かった。そんな方々にフィットしたんだと思います」(岩上さん)  技術だけでなく、カウンセリングも功を奏した。一見、同じ黒に見える瞳や地毛の色は、人によってそれぞれ。その違いによって、似合う色や明るさも異なる。そのことを伝えると「私に似合うカラーをしてほしい」と、さらにオーダーが入った。一人ひとりに合わせたオーダーメードのヘアカラーは、人が人を呼び、客数はその翌月に3倍、3カ月後にはその3倍と急増した。1年後には全店舗にカラーリストを置くことが決まった。 ■「アムラー」が起こしたヘアカラーブーム  その勢いを時代が後押しする形となった。90年代半ばに歌手の安室奈美恵さんをまねたファッションが大流行。ミニスカートに厚底ブーツを履いた“アムラー”と呼ばれる女性たちが、「ヘアカラーも安室さんのようにしたい」とお店に押し寄せたのだ。 「安室さんは、当時メッシュと呼ばれた、白っぽくなるまで脱色した明るいハイライトを入れたヘアカラーをしていました。ハイライトは明るければ明るいほど、どの場所にどの太さで入れたかがはっきりとわかります。技術力が必要なカラーが流行したおかげで、世間でもお店の中でもカラーリストとして確固たるポジションを築くチャンスとなりました」(岩上さん)   ここからさらにヘアカラーのブームは続く。2000年代に入ると全体が明るく、透明感のある「外国人風」のヘアカラーがトレンドとなった。ヘアカラーが社会的にブームとなり、家で手軽にできるホームカラー製品が各社から販売されるようになった。美容室では「ミルクティ」や「アッシュ」と色の名前をオーダーする人も増えた。同時に、髪に対するトラブルも多発するようになった。  もともと日本人の髪は、一度の脱色では明るくなりにくい。そのため、強力なブリーチ剤を使用し、時間をかけなければ透明感のある髪色にはならない。髪にも頭皮にも大きな影響を及ぼし、繰り返しカラーすることでダメージは深刻になった。 ■カラーで髪をデザインする時代へ  そこでkakimoto armsでは髪全体をブリーチするメニューを全店で廃止し、代わりに「質感コントロール」というテクニックを打ち出した。ツヤや輝きをヘアカラーで作るテクニックだ。細かくとった毛束に、色や明るさの違うカラー剤を塗りわける。そうすることで細かく取った毛束が混ざりあい、全体を見た時に髪にツヤや輝き、立体感が生まれるのだ。 (提供/kakimoto arms)  この質感コントロールというテクニックは、脱色で髪がボロボロになってしまった人だけでなく、今までカラーを敬遠していた人からも支持されるようになり、2000年からおよそ7年もの間、オーダーが絶えなかったという。店舗も拡大し、青山店、銀座店、六本木ヒルズ店と相次いでオープン。カラーリストの数は岩上さんを含め、100名を超えた。「ヘアカラーといえばkakimoto arms」という評判が美容業界だけでなく、他の業界でも広まるようになり、モデルをはじめとする芸能人や著名人がこぞって訪れた。ファッション誌、テレビなどにもカラーリストの活躍の場は広がっていった。      新たな技術の発信も意欲的に行った。09年に発表した根元は暗く、毛先につれて徐々に明るくなる「グラデーションカラー」は、若者を中心に大流行。インスタグラムで個人が情報を発信できる時代となったことも、追い風となった。モデルやインスタグラマーから発信される情報を元に、ヘアカラーをオーダーする人も増え、多くの人が最新のヘアカラー情報を手軽に取り入られるように。ハイラトを駆使し、髪の動きを立体的にみせる「3Dカラー」や、顔周りを明るくする「ミランダライツ」などはモデルのkakimoto armsのカラーリストが発信するヘアカラーがトレンドとなり、雑誌の一面を飾ることもあった。 根元は暗く、毛先につれて徐々に明るくなる「グラデーションカラー」(提供/kakimoto arms) ■年齢を重ねる女性に寄り添うヘアカラーを目指して  カラーリストとなって25年。今なおトップを走り続ける岩上さんが、これから最も力を入れて取り組みたいと考えているのは「白髪を活かしたカラーデザイン」だ。  「カラーリストになった20代の頃から、なぜ日本の女性は年齢を重ねると地味になっていくのだろうと疑問に思っていたんです。年齢を重ねたからこそ楽しめるファッションやヘアがあれば、女性はずっと輝いていけるはず。だから私は白髪を隠さず活かすヘアカラーを提案しているんです。大人の女性たちと新たなヘアカラーの文化を作りたい。私はこのために、キャリアを積んできたといっても過言ではないんです」(岩上さん)  カラーリストの存在によって、年々進化を遂げるヘアカラー。kakimoto armsはそのパイオニアとしての役割を果たしてきた。しかし、「ヘアカラーは日本の女性たちのおかげで進化してきた」と、岩上さんは断言する。社会でも、家庭でも自分の役割を全うし、社会的地位を向上させてきた。そんな女性たちが自己表現の一環として、ヘアカラーを選んだ。ヘアカラーの技術の進歩は、日本の女性が自由を勝ち取ってきた証であるのかもしれない。そして活躍する女性の「自分らしく美しくありたい」という希望を、ヘアカラーの技術をもって答えてきた岩上さんのような存在があったからこそ、たった25年で日本のヘアカラーは進化できたのだろう。(文/三上由香利)
dot. 2020/05/23 11:30
介護漫画「ヘルプマン!!―取材記―」最新刊5月22日(金)3巻同時リリース
介護漫画「ヘルプマン!!―取材記―」最新刊5月22日(金)3巻同時リリース
ヘルプマン!!-取材記-4巻 ヘルプマン!!-取材記-5巻 ヘルプマン!!-取材記-6巻  介護漫画の人気作品「ヘルプマン!!―取材記―」(くさか里樹著)の最新刊が5月22日(金)、電子書籍限定で株式会社朝日新聞出版から3巻同時リリースされます。ことぶき新聞生活部記者の鯱浜良平が取材を通して介護現場の「今」に斬り込むシリーズは週刊朝日連載時から話題を呼びました。今回は第4巻「鯱浜の祖母」「注文をまちがえる料理店」、第5巻「ミライ塾」、第6巻「介護現場1992」「インフォーマルケア」を主要電子書籍書店で同時に配信します。ぜひご一読ください。 ◆ヘルプマン!!-取材記-4巻 「鯱浜の伯母」「注文をまちがえる料理店」  世界中の話題をさらった「注文をまちがえる料理店」誕生ストーリーを漫画化。  飲食店で接客する人は全て“認知症を抱えた人たち”。“まちがえることを受け入れて、まちがえることを一緒に楽しむ”というコンセプトの中で起こる客と店員の奇跡。本作は“認知症”という固定観念を覆すためにリアルなレストランを作ったヘルプマンたちの物語。  テレビディレクターの小国士朗は、グループホーム「株式会社大起エンゼルヘルプ」で、統括マネージャー・和田行男に取材。和田は小国たちに、昼食にハンバーグを用意していた。しかし、認知症の女性が給仕した料理は餃子だった。メニューと異なる料理にすぐに気付いた小国だったが、提供された料理はおいしく、“間違っても誰も困ってない”ことで、認知症について一般的な知識程度だった小国は、認知症はモンスターではなく“同じ人間”だと思い知り、ある企画をひらめく。  それから数年後、ことぶき新聞記者の鯱浜良平は、「注文をまちがえる料理店」の情報を知る。早速、イベントの開催準備会議を訪問した鯱浜は、イベントを担当する市役所職員に対し、認知症の参加者の家族が反対している光景を目の当たりにする。担当者は、認知症ご本人も参加の意志があり、介護現場のプロが彼ら認知症ご本人達を推薦したのだと言う。家族側は、介護のプロが認知症の言葉を鵜呑みにしたのかと抗議。認知症の親を抱える家族たちから猛反対を受ける。しかし、市役所、企業、大手広告会社、テレビ局ディレクター、介護福祉の専門家など、多くの専門家を巻き込んだこのイベントは、参加者の家族たちに、認知症の親のキラキラした笑顔を見せることに成功。終始和やかな接客で、認知症以前の親をほうふつとさせるシーンを何度もうかがわせることに。家族のみならず、興味を持って訪れた地域の人々なども、認知症に対する固定観念を払拭でき、イベントは大成功を収めた。本作は、数多の問題を抱えながらも、どのようにして開催までこぎ着けることができたのか、そのプロセスの一端を描いた意欲作。前代未聞のプロジェクトを成し遂げた人々の裏舞台がここにある!! ◆ヘルプマン!!-取材記-5巻 「ミライ塾」 「自分の力で、進学する」をスローガンに介護インターンシップ型自立支援プログラムを行う「ミライ塾」の塾長・奥平幹也は、自らが新聞奨学生として大学を卒業した自身の経験から、「卒業後に返済を残さない奨学金制度」を介護施設と連携する形で実現できないかと考え、学ぶ意欲はあっても進学を諦めざるを得ない若者と、人材不足の介護業界を結びつけるため奔走。ついに鈴木映司という1人の学生と出会う。   在学中に介護の仕事で、毎月5万円の生活費を差し引いて、432万円を貯蓄可能な奥平のプログラムの本当の狙いは、“介護体験できることで人として大きく成長できる”こと。介護未経験の映司は、親に迷惑をかけず社会貢献もできる「ミライ塾」を体験することに。認知症の高齢者と間近で接したことのない映司だったが、入所者から笑顔で挨拶され、思っていたほど大変ではなさそうだと感じ手応えをつかむ。  その矢先、独居の高齢者がベッドの中で糞尿まみれの状態で強烈な異臭を放っている場面に遭遇。躊躇するが大学進学のために踏ん張ろうと、清掃の手伝いをしようとした。しかし、介護職員は映司に廊下へ出るよう指示。学生にはヘビーな体験はさせないのかと思った映司だが、とんでもない間違いだった。  映司は、この時給千円の強烈な体験から、要介護になっても人間として心があることを学ぶことになる。奥平が「ミライ塾」を立ち上げた本当の目的、それは、単なる進学支援ではなく、「介護×◯◯のふたつの専門性」「やる抜く力」「社会人基礎力」からなる“人材教育”にあった。  そんな矢先、映司は入所者の一人から激昂され、さらに転倒事故につながる危険な状況に追い込まれることに。心折れ“辞めたい”と思った映司に、施設長は初任者研修の時に学んだ3つのキーワードを思い出すようアドバイスするのだが――。 「ミライ塾」の卒業生には、接遇などの経験を介護業界から学びホテル業界で活躍する者や、東京大学大学院に進学し、その後、特別養護老人ホームに就労した者など、塾生の躍進は続いている。 ◆ヘルプマン!!-取材記-6巻 「介護現場1992」「インフォーマルケア」 ヘルプマン!!-取材記-6巻は、「介護現場1992」と「インフォーマルケア」の二部構成。  第一部「介護現場1992」では、介護保険法が施行された2000年より8年前、老人保健法が改正された頃の体験を元に描かれたエピソード。大学で社会福祉士を目指す女子大生・八木裕子は、当時“措置制度”と呼ばれていた介護現場を目の当たりにし、その後の人生を大きく変えたることに。  彼女の実習先となった施設内では、高齢者たちの手足は、ベッドに縛り付けられ身体拘束をするのが当たり前。施設職員たちは、認知症の高齢者たちを“痴呆”と呼び、オムツを外して便をつかんだり、食べたりしないよう、鍵付きの服を着せ、入浴の時は入所者の男女を丸裸にして放置。いくら記憶力や判断力が低下する病気とは言え、これまで八木が、学校で専門的に学んできた情報では到底言い表すことができない世界が広がっていた。  今では考えられないような常識がまかり通る介護施設は、まさに“地獄絵図”そのもの。夜勤では、スタッフも少ないため、職員たちは、実習生の八木にも遠慮なく仕事を振り、施設内でひとり歩きを続ける認知症の高齢者を寝かしつけるよう指示。  仕方なく、刑務所の独房のような部屋で老婆を寝かしつけることに。その時、共に横になっていた八木に、コミュニケーション不能な老婆が語りかけてきた。“痴呆の人は何もわからない人”と学んできた八木が聞いた「すごく寂しい」という老人の訴え。この施設の夜勤で、八木は、現場主義の教育者となる貴重な経験をする――。  第二部は、「インフォーマルケア」という介護保険外サービスを提供する青年実業家のエピソード。一見、介護サービスを高齢者に押し売りしているかのように見える生活支援をビジネスにした“生活サポートもみじ”代表の岡林正樹。彼が提供するサービスを待つ高齢者は、若い頃から日本舞踊を習い、足腰が弱ってからも、思い出の着物を“虫干し”にする事が生き甲斐だった。  しかし、介護保険サービスでは適応外の“虫干し”は我慢するしかなく、老いと共に、生きた証さえ失うしかなかった。そんな高齢者たちに岡林は、生活の質を向上させる有料サービスを提供していた。活きいきと生きるために必要不可欠な選択肢とは何かを問う!! 書名:『ヘルプマン!!―取材記―』4~6巻 著者:くさか里樹 販売価格:510円+税(書店により異なる場合があります) 発売予定電子書店:Kindleストア、楽天kobo、iBooks Store、Reader Store、他電子書籍ストア くさか里樹(りき) 通所授産施設勤務後、1980年に漫画家デビュー。2003年から講談社の漫画誌で「ヘルプマン!」を連載。11年に第40回日本漫画家協会賞大賞を受賞。14年末、朝日新聞出版の「週刊朝日」に発表の場を移し、「ヘルプマン!!」を連載開始。19年11月から新シリーズ「新生ヘルプマン ケアママ!」を好評連載中。代表作に「ケイリン野郎」などがある。高知県在住。 介護漫画「ヘルプマン!!」 2003年から11年間、講談社青年漫画誌にて連載してきた介護漫画の金字塔「ヘルプマン!」。第40回日本漫画家協会賞大賞受賞の本作は、これまでに、認知症の当事者目線から見た「認知症編」や高齢者の性問題を扱った「高齢者性問題編」、定年退職後の人生を描いた「セカンドライフ編」など、高齢化社会の実情を描いてきた。2014年末、週刊朝日に移籍し、新生「ヘルプマン!!」として単行本化。移籍第1巻「介護蘇生編」は、日常的に高齢者が抱える「誤嚥」に関した問題を取り上げた。第2・3巻「高齢ドライバー編」、第4・5巻「排泄編」、第6・7巻「密愛編」、第8・9・10巻「介護ボランティア編」と介護問題に様々な角度から光を当てた。実話を元にした「ヘルプマン!!-取材記-」として第1巻「開業の章」ほか、第2・3巻「のりあい車の章」ほか、を発行した。 本作は、「すべての人間のさけられない老いと死の闇、光と救いを与える奇跡の漫画!!」(瀬戸内寂聴氏より)、「この漫画を手にとって、介護の世界の「ワクワク」を体験してみて下さい!」(イケダハヤト氏より)など多くの文化人・著名人から絶賛されている。
dot. 2020/05/22 10:37
黒川検事長は「ギャンブル依存症」か 専門家が指摘する「人生を賭けても止められない」心理とは
黒川検事長は「ギャンブル依存症」か 専門家が指摘する「人生を賭けても止められない」心理とは
辞任の意向を固めているという黒川弘務検事長(C)朝日新聞社  東京高検の黒川弘務検事長(63)の「賭けマージャン」疑惑が世間を震撼させている。黒川氏の検事長辞任は既定路線とされているが、なぜ黒川氏はそんな「リスク」をおかしてまでマージャンに出かけたのか。コロナ禍で外出自粛が呼びかけられるなか、そして検察庁法改正が世間の耳目を集めるなか、それでも「賭けマージャン」が止めらないというのは、一種の「依存症」の兆候なのではないか。「ギャンブル依存症問題を考える会」代表理事の田中紀子氏に話を聞いた。 *  *  * ――黒川氏は法務省の内部調査に対して「賭けマージャン」を認めたと報じられています。コロナ禍の非常事態で、しかも日本中から自分が注目されている状況で黒川氏はなぜこのような行動をしてしまったとお考えですか。 田中氏 まずこの方(黒川氏)は相当なギャンブル好きだと思われます。自分一人のために法律を変えようという緊張感の中にいる時に、賭けマージャンに手を出してしまうというのは、ものすごく思い切った行動です。お金を賭けているだけではなく、人生も賭けているわけですから。  黒川さんは検察組織のナンバー2という立場です。これまで検察組織の中で出世競争を勝ち抜き、安倍政権からも信頼を勝ち得てきたのでしょう。それだけの能力があり、世渡りをこなしてきた判断力を持ちながら、簡単なモラルが守れない。立場を省みず、優先順位をひっくり返してギャンブルに突き進んでしまう時点で、依存症予備軍と言ってもいいと思います。 ――賭けマージャン疑惑を報じた「週刊文春」では検察関係者の「黒川氏の犬の散歩以外の趣味は麻雀とカジノ。休日にはマカオや韓国にカジノに出掛けることもあるそう(以下略)」という証言も掲載しています。これが事実ならば、マージャンという「娯楽」が好きというだけではない気がします。 田中氏 マージャンとカジノはパチンコなどと比べて、グループ的な要素が強い。マージャンは特にそうです。一緒に座っている人の行動次第で、戦局がいかようにも変わります。相手の行動を読み、新たな手を考える心理戦なのです。駆け引きが好きなタイプのギャンブラーなのだと思います。    またマージャンは、一人で興じるパチンコのようなギャンブルとは、孤独感の埋め方が異なります。パチンコ依存症者の場合、パチンコ店という、その空間自体がほっとできる居場所なのです。誰にも干渉されずに打ち続けることで、心が安らぎます。  一方、マージャン好きの場合は複数人かつ、頻繁に集まることが多い。孤独感が強く、嫌な感情を忘れるために、常に人に囲まれていたいタイプが多いのです。組織の中で地位を築き上げてきた人に、いかにもありそうなパターンと言えます。 ――今回のコロナ禍でパチンコ依存症者の存在はクローズアップされましたが、賭けマージャンでも依存症になる人は多いのでしょうか。 田中氏 マージャンの依存症者は、最近の若い人にはほとんど見られません。マージャン依存は今の50代以上、60~70代が中心で、まさに黒川さんの世代です。  彼らの多くが、大学のころからマージャンを始めていた世代です。ギャンブルは、若いころから始めたほうがやめにくいと言われています。実際に、「依存症者」と「愛好家」では、ギャンブルを開始した年齢に違いがあります。依存症者のギャンブル開始年齢は、平均18.1歳。一方の愛好家は、平均30.1歳。ギャンブルを早く始めれば始めるほど、依存症になるリスクは高くなるのです。  また、マージャンは夜から深夜、朝方までと、多くの時間を費やすことになりがちです。これまで私が見てきた依存症者の中には、仕事を犠牲にする人も多くいました。  そこに役職は関係ありません。例えば、元大王製紙会長の井川意高さんのように、役職があって高いポストについていながら、マージャンに溺れてしまう人もいます。  一方の記者はお付き合いでしょう。マージャンは接待。取材対象者が釣り好きなら釣りをするし、登山が好きだったら登山に行きます。今回のマージャンは黒川さんが主導していたと考えるのが自然です。 ――では、黒川氏は賭けマージャンの「依存症」だった可能性はあると思いますか。 田中氏 まだ依存症ではなく予備軍かもしれませんが、程度の違いに過ぎません。メンタリティーは依存症者と一緒です。依存症の特徴である「モラルが守れなくなって優先順位が逆転している」「不安とかネガティブなことに対して、ギャンブルに集中することで忘れようとしている」「大事な勝負時に行動が制御困難になってしまっている」といった点で、該当基準を満たしています。  心配なのは、検事長を引退した後です。検察幹部の立場でチヤホヤされてきたのに世間から見放され、心にぽっかり穴が空いてしまう。本格的なギャンブル依存症者になってしまわないか、心配です。  高い地位についている人ほど、定年退職した後に依存症者になってしまう人は多い。黒川さんがギャンブル依存に陥らないためにも、退職金は支払わない方がいいのではないか、とさえ思ってしまいます。 (構成=AERA.dot編集部・飯塚大和)
dot. 2020/05/21 17:30
お家時間に読みたいマンガ12選 書店員がおすすめ!
お家時間に読みたいマンガ12選 書店員がおすすめ!
(左から)火の鳥、孤独のグルメ【新装版】、二月の勝者(c)高瀬志帆/小学館「週刊ビッグコミックスピリッツ」連載中 書店員イチ推しマンガはこれだ!(1/2) (週刊朝日2020年5月29日号より) 書店員イチ推しマンガはこれだ!(2/2) (週刊朝日2020年5月29日号より)  日々の新型コロナウイルス感染者数も減り、緊急事態宣言の全面解禁が近づいてきた。しかし、第2波の恐れもあり、今後も“お家時間”は増えそうだ。そこで充実した売り場で定評のある都内4書店のコミック担当者たちが、コロナの憂鬱を忘れさせてくれるようなおすすめマンガを紹介! 今回は「アクション、アドベンチャー」「グルメ」「その他」のジャンルです。 ■アクション、アドベンチャー  閉塞感あふれる今の空気を吹き飛ばすには、こちらを。「ゴールデンカムイ」(集英社)は、痛快で先の読めない展開にハマる人続出。 「面白い要素がこれでもかと詰め込まれた、サバイバル歴史冒険マンガ。癖の強い登場人物、迫力あるバトルシーン、狩猟グルメ、暑苦しいくらいの熱量……。一言で言い表せないけど、とにかく面白い!」(紀伊國屋書店・山崎陽子さん、以下(紀))  38年前の作品ながら、2020年の東京オリンピック開催や伝染病の蔓延などが描かれ、SNSで「予言書か?」と話題なのが「AKIRA」(講談社)。 「マンガ家に多大な影響を与えた源流のような作品で、今改めて読む価値大。精緻な作画は画集のよう」(ジュンク堂書店・山口由香里さん、以下(ジ))  壮大なSFファンタジー叙事詩「ファイブスター物語」(KADOKAWA)もかなりの読み応えあり。 「設定の細かさ、登場人物の多様さなどじっくり読み込むには最適。連載開始前に作品世界の年表が公開されており、照らし合わせて読む面白さもあり」(今野書店・コミック担当チーム、以下(今))  壮大さといえば、やはり「火の鳥」(朝日新聞出版)も外せないだろう。 「読む時々によって受け止め方が変わる作品。今ならどう感じるか。火の鳥という永遠の象徴に対して自身の命の小ささ、運命への抗いや共存は生命賛歌のようでも、鼓舞されているようでもあります」(往来堂書店・三木雄太さん、以下(往)) ■グルメ  読むだけで猛烈に食べたくなってくるのがグルメもの。「孤独のグルメ」(扶桑社)はドラマ化で有名に。 「どこかの町並みから物語が始まり、散策の中で見つけた飲食店での気取らない食事を見ていると、日常の貴重さを思い出させてくれる。一日も早い外食の機会が待ち遠しいです」(往)  山頂での料理を描いた「山と食欲と私」(新潮社)も自粛後の楽しみにしたい。 「自分でも実践したくなるアウトドア飯がたくさん出てくるので、簡単なものならベランダや庭で再現できそう。外出できないからこそ、アウトドア系マンガが息抜きになります」(ジ)  自粛中は健康管理もおろそかになりがち。そんな人におすすめなのが「孤食ロボット」(集英社)。 「人間臭いロボットがくれるのは、自炊や栄養管理の知識だけでなく、人との関わりでもたらされる心の健康。料理も試してみたくなるものばかり。物語が自分に寄り添ってくれるような温かみを感じます」(紀)  シェフが戦国時代にタイムスリップする「信長のシェフ」(芳文社)は、食材や道具が乏しいはずなのに、どれも美味しそうに見える。 「凄腕フレンチシェフが織田信長の料理人となり、腕と知識を武器に、戦乱を生き抜いていきます。歴史として知る戦国時代とは違った面が楽しめます」(今) ■その他イチ推し!  最後に、ジャンルを超えたイチ推し作品を聞いた。往来堂書店の三木さんは、野球好きにおすすめの「ドラフトキング」(集英社)。 「野球ができず、スカウトマンも頭を悩ませているはず。こんな状況でも新人選手の才能と人物を見抜き、キャリアに付き添い、責任を取らないといけない。そんな人間関係のドラマチックさが凝縮しています」  ジュンク堂書店の山口さんは、中学受験の世界を描いた「二月の勝者─絶対合格の教室─」(小学館)を紹介。 「学習参考書売り場での売れ行きがよく、リアルに描かれた作品。登場人物の塾講師の言うことを受験期に理解していれば、人生の選択肢に広がりが出たのかな」  紀伊國屋書店の山崎さんは、「諸星大二郎劇場 第2集 オリオンラジオの夜」(小学館)を挙げる。 「夜中に聴いていたラジオの曲に夢中になった記憶が蘇るような、懐かしさのある作品。60~70年代の名曲が登場し、曲を知る世代ならより一層味わい深いはず」  今野書店コミック担当チームは「よつばと!」(KADOKAWA)。5歳の女の子と“とーちゃん”を取り巻く日常を描いた作品だ。 「何気ない日常が面白いのは、大事に暮らしているのが伝わるよう丁寧に描かれているから。日々のかけがえのなさに気付かされます」 (ライター・吉川明子) 【「鬼滅の刃」だけじゃない!書店員おすすめマンガ「歴史、時代もの」「お仕事もの」「医療もの」「サスペンス、ミステリー」編へ続く】 ※週刊朝日  2020年5月29日号より抜粋
週刊朝日 2020/05/21 11:30
「アマビエさん」が手洗いうがいアベノマスク!?こうの史代さんが新作漫画を特別公開した理由
「アマビエさん」が手洗いうがいアベノマスク!?こうの史代さんが新作漫画を特別公開した理由
 大英博物館「マンガ展」で案内役をも担った『ギガタウン 漫符図譜』やアニメ映画も大ヒットした『この世界の片隅に』などで大人気の漫画家・こうの史代さん。このたびこうのさんが話題沸騰のアマビエを主人公にした新作漫画を描きました! 本作をAERA dot.で特別無料公開するとともに、こうのさんにちょこっとお話を聞いてみました。 *  *  * ――アマビエに興味をもたれたきっかけは?  元々妖怪は好きですがアマビエのことは知らなかったんです。人から聞いて江戸期に描かれたというその絵を見て、あまりのインパクトの強さに惹かれました。  日和坊(ひよりぼう)や白髭水(しらひげみず)など妖怪の中には未来を予言するものがおり、アマビエもその一種と言えると思います。でも病が流行る(かもしれない)ということに加え、その際には「自分を描いて見せよ」と対処方法まで教えてくれているのが面白いですよね。  ちょうど仕事の切れ目でもあったので少し調べている内に面白くなり漫画を描いてみたくなりました。イラストはいろいろな方が描いていたのでやっぱり漫画で、と。 ――実際に調べられて、どんなことが面白かったのですか?  アマビエについての史料は少ないのですが、アマビエの元となったとも言われているアマビコという存在がいるんです。こちらの方が文献ももう少し残っていて。『古事記』でも「~ビコ(~比古)」という神様はよく出てくるので、親しいというか想像しやすいと思いました。アマビコは、猿に近い頭に毛むくじゃらの三本足と、アマビエとはまた少し異なる見た目だったようです。 ――「アマビコ」の存在も興味深いですね! 今回の漫画「アマビエさん」のディテールは江戸の原画にほぼ忠実ながら、こうのさんのふんわりしたタッチが入っていますね。  当初は、たとえば手を付け加えるなど、少しアレンジした容貌で描くつもりでした。でもコンテができた頃にたまたま見た伊藤潤二さんの描かれたアマビエの絵が、伊藤さんの筆致ながら原画にとても忠実だったことに心を打たれました。それで私もオリジナル要素を加えるのはやめにしました。  長い髪、三本足、うろこの付いた体、ひし形の目などできるだけそのまま描きました。ただ口の中(?)とか描かれていないところは想像をふくらませて(笑)。 ――目はひし形なんですね。  はい、史料に「海中に毎夜のように光るものがあり」という記述もあり、きっとアマビエ(アマビコ)はキラキラした印象の外見をしていて、それを表すために目をひし形にしたんだろうと思っています。 ――なるほど。「アマビエさん」の細部もぜひ読者の方に見ていただきたいですね。最後に何か読者の方へメッセージはありますか?  アマビエ、あるいはその元となったアマビコさんは、たぶん今もこの世界のどこかにいるような気がするのです。でも社会にすっかり溶け込んでいてみんな妖怪として受け止めていないのかも。そんな感じで「アマビエさん」は気楽に楽しく読んでもらえたらうれしいです。(終)
新型コロナウイルス
dot. 2020/05/18 11:30
わずかな時間でコンビニ飯を立ち食い…過酷な医療現場の食事をシェフが支援
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調理中はソーシャルディスタンスを保つ、配送時は院内に立ち入らないなど、新型コロナの感染を防ぐため、独自のガイドラインに則って作業を進めている(写真:Smile Food Project提供)  レストランのシェフたちが、新型コロナウイルスに対峙する医療従事者に無償で食事を届けている。営業自粛で厳しい状態にあっても、それでも料理を作りたい。AERA 2020年5月18日号では、医療現場を支援する料理人たちの活動を取材した。 *  *  * 「決して医療従事者だけがつらいわけではなく大勢の皆さんが大変な中、このような温かいお気持ちとプロフェッショナリズムに触れ、再度、やる気、勇気、覚悟があふれました」  新型コロナウイルスと対峙する医療従事者から届いた一通のお礼のメール。受け取ったのは、レストラン経営者、料理人で結成された「Smile Food Project(スマイルフードプロジェクト)」のメンバーだ。彼らは今、週に5回、1日最大450食の手作りのお弁当を、東京都内・近郊の医療機関に無償で届けている。届け先にはコロナ対策の最前線である「感染症指定医療機関」も多数含まれている。  活動のきっかけは、発起人の一人、CITABRIA(サイタブリア)のCEO石田聡さん(53)が目にしたフランス発のあるニュースだった。 「ヨーロッパで感染爆発が起きた当初、レストランのシェフが、病院に食事を届けていることを知ったのです。ほぼ同時期に知り合いのフランス料理店のオーナーシェフが、日本でも同じことをやろうとSNSに書き込みました。すぐそのシェフと連絡をとり、翌日にはオンラインでミーティングを開催して当面の活動の方針を決定したのです」  石田さんは東京都内に5店舗のレストランを経営し、東京都中央卸売市場(豊洲市場)の近くに、大量調理が可能なケータリング専門のセントラルキッチンを有していた。これがプロジェクトのスタートアップに有効だった。 「日頃から100人規模のケータリングを手がけていましたので、調理はもちろん、テイクアウト用のパッケージ、温度管理ができる冷蔵庫付きの配達用のトラックまで揃っていたのです」(石田さん)  事務局業務を担う、フードジャーナリストの佐々木ひろこさん(49)は、持続可能な海洋資源のあり方を考える若い世代の料理人ネットワーク一般社団法人Chefs for the Blue(シェフズ・フォー・ザ・ブルー)の代表だ。石田さんが目にしたSNSの投稿の主は、佐々木さんが率いる団体の中心メンバー。普段から社会問題に向き合ってきた彼らの行動は早かったと語る。 「料理で人を幸せにしたいという思いが彼らのDNAには染み付いています。もちろん、自分たちも休業に追い込まれ大変なのですが、私たちの社会を守るために、感染というリスクを背負って治療に専念している医療関係者の力になりたい。その思いが休業中の彼らをまた厨房に立たせたのだと思います」  4月13日、最初の100食が届けられた。ウェブサイトには、配達を希望する問い合わせが相次いだ。いずれも医療機関で働く関係者からだった。  なぜ、問い合わせが殺到したのか。東京都内の拠点病院で医師として働く男性(38)は、3月中旬にあのダイヤモンド・プリンセス号からの陽性患者を受け入れた日から、家族のいる自宅に帰ることができたのは、わずか2日だと語る。 「医師も看護師も、残業時間が100時間を超えています。仕事が終わるのは深夜。公共交通機関は動いていません。タクシーという選択肢もあるのですが、そもそも病院の車寄せに、コロナ以前は待機していたタクシーの姿が見当たらないのです。結局、今は病院が借り上げた近くのビジネスホテルを生活の拠点にしていますが、新規の患者が運び込まれるなどすれば、すぐに呼び戻されてしまいます」  病院内は院内感染を防ぐための「ゾーニング」が徹底されている。「レッドゾーン」はウイルスに汚染されている場所。「グリーンゾーン」はウイルスに汚染されていない清潔で安全な場所。「イエローゾーン」は汚染区域と安全区域の緩衝区域。レッドゾーンからグリーンゾーンに移動する際は、その都度、イエローゾーンで防護服と手袋を脱ぎ、防疫を徹底させる。問題は防護服などの備品には在庫に限りがあるということだ。 「防護服は貴重な上、入院患者の容体は短時間で一変するので、一度、レッドゾーンに立ち入ったら、ぶっ通しで10時間働き続けることもあります。防護服を脱いで、食事ができるのはグリーンゾーンだけ。それも、わずかな時間を見計らって、立ったまま、病院内の24時間営業のコンビニで調達した、おにぎり、サンドイッチを食べるのが精一杯です。栄養は偏る上、食事を楽しむ余裕などありません」  こうした環境が1カ月以上も続いていることを考えれば、問い合わせが相次ぐのも無理はない。ただ、課題もあった。院内感染防止を理由に、多くの病院が宅配そのものを禁止しているのだ。そこで石田さんは、個別の医療機関と相談を重ね、例えば「調理をするスタッフを通常の半数にして、ソーシャルディスタンスを保った環境で調理する」「お弁当の受け渡しは、病院側が指定した屋外に限定し、配送を担当するスタッフは病院の館内には絶対に立ち入らない」など独自のガイドラインを作った。(編集部・中原一歩) ※AERA 2020年5月18日号より抜粋
新型コロナウイルス
AERA 2020/05/17 11:30
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