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「ヴェネツィアは疫病の教科書」内田洋子、コロナ禍の“デカメロン”制作秘話
「ヴェネツィアは疫病の教科書」内田洋子、コロナ禍の“デカメロン”制作秘話
内田洋子 (撮影/写真部・掛祥葉子) 内田洋子さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・掛祥葉子)  40年超イタリアに住み、現地で通信社を営みながら、数々の著書を紡いできた内田洋子さん。コロナ禍のイタリアについて、作家・林真理子さんとの対談で明かしました。 *  *  * 内田:(花束を渡しながら)10年前、私のエッセー(『ジーノの家 イタリア10景』)を講談社エッセイ賞に選んでくださってありがとうございました。選考委員だった林さんにお礼を申し上げる機会がこれまでなくて、今日やっとお会いできました。 林:まあ、きれいなお花。ありがとうございます。 内田:あのとき林さんが「食べ物の書き方が上手だ」って選評に書いてくださったでしょう。あれ、すごくうれしかったです。 林:本当に食べ物の描写が素晴らしいと思いました。内田さんは40年余にわたってイタリアを拠点に活動されてきたんですよね。今度はイタリアの露天商賞の「金の籠賞」というのをいただいたんでしょう? イタリア人以外では内田さんが初めての受賞だそうですね。 内田:ありがたいことに。露天商賞はイタリアの本屋さんが選ぶ賞なんですけど、ヘミングウェーの『老人と海』が第1回の受賞作なんです。 林:す、すごいです! 今日は最新作の『デカメロン2020』(方丈社)のお話もうかがいたいと思います。この本は、新型コロナウイルスの猛襲を受けてロックダウンが発令されたイタリアに住む若者24人が、自身の体験や思いを綴った記録集ですが、とても興味深く拝読しました。この24人はどうやって選んだんですか。 内田:昨年1月末にイタリアで非常事態宣言が発令されて、このままロックダウンになるかもしれないという話が流れたときに、イタリアの若い人たちはこの動きをどう見てるのかなと思ったんです。これは仕事でなく、純粋に親戚のおばさん的な心配で何人かに電話をしたんです。 林:ええ。 内田:最初に電話をしたヴェネツィアの大学院生の女の子が、実家のミラノに戻ったほうがいいのか、このままヴェネツィアで待機したほうがいいのか迷っていたので、「ペストの大流行のときに世界で初めて公衆衛生学をつくったのはヴェネツィア共和国なんだから、ヴェネツィアにいたほうがいろんな意味で参考になるんじゃない?」と言ったら、「わかった。待機の時間も長くなりそうだから古典を読んでみる」って言うんです。イタリアでは小中学校のときから「判断に迷ったら古典に戻る」ということを、耳にタコができるぐらい教えられるんです。 林:へぇ~、そうなんですか。 内田:「何を読むの?」って聞いたら、イタリアにおける疫病文学の第1号である『デカメロン』(14世紀中ごろ、ペスト大流行時に、フィレンツェの青年と淑女10人が、10日間1日1話ずつ物語を語るというボッカチョの短編小説集)だと。それをきっかけに、ヴェネツィアのこの娘(こ)だけじゃなく、イタリア各地に住んでいる私の知り合いの娘さん、息子さん、妹さん、甥、姪、孫も含めて、赤ちゃんのころから知ってる若者たちの声を集めれば、疫病が広がる中での一般市民の声を拾うという意味で、速報になるんじゃないかと思ったんです。 林:なるほど。 内田:私は、42年間、日刊紙を除く定期刊行物にデータ原稿を売る仕事をやってきたんですが、そういう立場の人間としてやるべきだと思って、イタリア各地にいる若い人に「気が向いたときに、生きてる証しにメッセージを送ってくれない?」と連絡して、コンスタントに返事が来るようになった24人を選んだんです。 林:それをウェブで連載したんですね。内田さんの『ボローニャの吐息』というエッセーを読んだら、ヴェネツィアが今までいかに疫病で苦しんできたかがわかりました。 内田:ヴェネツィア共和国ができて1300年超ですが、ヴェネツィアは疫病の教科書とも言えるんですね。キリストの復活祭までの46日間は禁欲生活を送るんですけど、その前夜祭として飲めや歌えの大騒ぎをするわけです。謝肉祭(カーニバル)ですね。そのとき無礼講にするために生まれた仮面が、ペストの大流行のときにも利用されて、それがマスクの始まりとされているのです。 林:あの仮面、コワいですよね。長~いくちばしの。 内田:あれはソーシャルディスタンスそのもので、お医者さんが杖を持って、その杖でペストにかかった人の服をめくって確認するんです。ペストは黒死病と言われたように体じゅう真っ黒になるんですね。そのときに死臭がするので、くちばしの中にミントの葉っぱを詰めて臭い消しに使ったんです。 林:だからイタリア人はある種疫病に慣れているというか、DNAに組み込まれてるんですね。 内田:理論とかお医者さんの知識だけでは説明がつかないDNAがしみついていて、自分で自分を守らないとよその人も倒してしまうという教訓が中世の時代からあるのでしょうね。記録としては古代ローマから残っていて、非常事態宣言下でも一般市民として何が発信できるかということを、早い時期からやってたんだと思います。 林:今回のコロナでも、テノール歌手の男性が自宅のベランダで「誰も寝てはならぬ」(オペラ「トゥーランドット」の中のアリア)を歌っていたシーンが話題になりましたよね。こういうときにオペラを歌うって、すごくイタリア人らしくて感動しちゃいましたよ。 内田:現地の人の話をよく聞いたりすると、イタリア人ってそういうときに歌ったりすることで「生きてるよ」というアピールをしてるんです。一人暮らしのおばあさんが窓辺に立って鍋をたたいたりする。それは周りに住んでる人に「私は生きてますよ」という信号なんですね。 (構成/本誌・松岡かすみ 編集協力/一木俊雄) 内田洋子(うちだ・ようこ)/1959年、兵庫県生まれ。通信社ウーノ・アソシエイツ代表。東京外国語大学イタリア語学科卒業。2011年、『ジーノの家 イタリア10景』で日本エッセイスト・クラブ賞、講談社エッセイ賞を受賞。19年、ウンベルト・アニエッリ記念ジャーナリスト賞を受賞。20年、イタリアの「露天商賞」から、外国人として初めて「金の籠賞」を受賞。近著に『サルデーニャの蜜蜂』(小学館)、『イタリアの引き出し』(朝日文庫)、『デカメロン2020』(方丈社)、『十二章のイタリア』(創元ライブラリ)など。 >>【後編/パパラッチに本人がタレコミは「99%」 イタリアのスキャンダル特ダネ事情】へ続く ※週刊朝日  2021年2月19日号より抜粋
週刊朝日 2021/02/15 11:32
トラックに跳ねられ、片足に残った障害… 「リハビリだと思って」始めたラーメン店が人気店に上り詰めるまでの道のり
井手隊長 井手隊長
トラックに跳ねられ、片足に残った障害… 「リハビリだと思って」始めたラーメン店が人気店に上り詰めるまでの道のり
池袋「桑ばら」の塩そばは一杯800円。塩角をビシッと感じるスープが美味しい(筆者撮影)  日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、名店店主が愛する一杯を紹介する本連載。繁華街・池袋で、塩ラーメンで勝負に出た店主の愛する一杯は、愛弟子が大ケガから打ち勝って作る塩生姜ラーメンだった。 ■券売機にはない「裏そば」を作り続ける理由  ラーメン激戦区・池袋。学生や若者が多く、濃厚系やデカ盛り系の店が多い中、塩ラーメン専門店として行列を作る店がある。「塩そば専門店 桑ばら」だ。  濃厚な豚骨魚介が全盛だった2006年頃、池袋生まれの桑原雅紀さん(45)が流行と逆をいく戦略で塩ラーメン専門店として勝負に出た。タレを作らず、岩塩をそのままスープに溶かして、塩角が立ったしょっぱくてクセになる一杯。「博多豚骨ラーメンを塩で表現する」というイメージで、かための細麺を合わせ、替玉もある珍しいスタイルだ。 かために上げた麺もラーメンを引き立てている(筆者撮影)  インパクトのある味を目指したため、賛否両論が集まることはわかっていた。しかし何を言われても頑なに味を変えず、「桑ばら」は少しずつファンを増やしていった。そして、名店が群雄割拠する池袋で人気店の仲間入りをした。  塩ラーメンの味を守り続ける一方で、同じラーメンばかりでは飽きてしまうと、限定ラーメン「裏そば」を出すことにした。券売機にはない日替わりの裏メニューで、この2月も「ホタルイカの唐揚げと焼きあごだしの中華そば」「白子と帆立の塩バターそば」など趣向を凝らす。この「裏そば」は10年以上続いていて、今や裏そばファンの常連もたくさんいるという。 塩そば専門店 桑ばら/東京都豊島区東池袋1-27-5/[昼の部]11:00、[夜の部]17:00~。※スープ売切れ次第終了/筆者撮影 「常にレシピを考えることで飽きないでいられるし、それで心のバランスを保っています。今日はどうしようかと考えるのは楽しいし、この仕事はやめられないなと思います」(桑原さん)  自分の作ったものを目の前で褒められるのが何よりもうれしく、それがラーメンにのめり込む理由だと桑原さん。オープン当時はほとんどがサラリーマンのお客さんだったが、池袋がサブカルチャーの街として知られるようになり、若者客も集まるようになった。それにつれて家賃も上がるなかで、新型コロナウイルスの感染拡大。個人店にとって厳しい状況が続くが、テイクアウトメニューの導入など、できる範囲で店を続けていきたいという。 「塩そば専門店 桑ばら」店主の桑原雅紀さん。賛否両論を覚悟して貫いた一杯が多くのラーメンファンを魅了している(筆者撮影)  そんな桑原さんが愛する一杯は、「桑ばら」から巣立った弟子の作る“塩生姜ラーメン”だ。 塩生姜らー麺専門店 MANNISH 浅草店/〒111-0043 東京都台東区駒形1-9-9/11:00~18:00/筆者撮影 ■「ラーメンは嫌いだった」店主に訪れた転機 「塩生姜らー麺専門店MANNISH(マニッシュ)」では、淡麗の塩スープに熊本産の生姜をたっぷり合わせた、さっぱりと上品な一杯を提供している。2016年、神田でダイニングバーの昼営業としてオープン。いまや3店舗を展開する人気店だ。  店主の柴田和(やまと)さん(41)は東京・浅草の出身。両親は自宅に近い三筋町で町中華を営んでおり、幼少期は店の奥の小部屋で過ごすことが多かった。店が忙しく、外食することはほとんどなく、週2~3回は夕飯に店のラーメンを食べさせられていた。幼いながらラーメンは嫌いだったという。  そんな柴田さんのラーメン観が変わったのは、17歳の頃。高校の先輩に連れて行ってもらった「らーめん 弁慶」で食べた背脂がたっぷり浮かぶ豚骨ラーメンに衝撃を受け、店でバイトを始めることになった。  当時の「弁慶」は社長が自ら厨房に立っていて、目の前でラーメンを作る姿を見ることができた。ひっきりなしにお客さんが入るなか、いかに早く作れるかが全て。負けず嫌いの柴田さんは必死で食らいつき、アルバイトからそのまま社員になり、1年半働いた。 MANNISH店主の柴田和さん。事故を経て、今や都内にラーメン店を多店舗展開している(筆者撮影)  その後、同じ背脂系の「涌井(わくい)」で1年半修行し、「塩そば専門店 桑ばら」へ移る。そこで出会った桑原さんのクリエイティブな姿に大きな刺激を受けた。柴田さんは言う。 「桑原さんは、自分が食べて美味しいと感じたものをコピーするのがとても上手い人。それを『裏そば』としてアレンジし、毎日新作を出しているんです。すごい職人だと感じました」 「桑ばら」で2年の修行の後、「節骨麺 たいぞう」「一兆堂」「麺処 くるり」「我武者羅」と渡り歩く。数々の名店での修業を経て、いよいよ独立だという時に、柴田さんは交通事故でトラックに跳ねられてしまう。33歳だった。  一命はとりとめたが、片足を失う可能性もあった大事故。足の切断には至らなかったものの、運動障害が残ってしまった。  厨房に立てなくなった柴田さんは退職し、フリーランスとしてラーメン店のPOPやメニュー表を作る仕事を始めた。知り合いの店の依頼を少しずつこなしていたが、とても食べていけるレベルではない。不安な時期を過ごした。  ある日、チャンスが訪れる。内神田でダイニングバーをやっている古くからの友人が、店が空いている昼間の時間帯にラーメン屋をやらないかと誘ってくれたのだ。まだ杖をついて歩く状態だったが、医師から「1日3~4時間は運動せよ」と言われていた時で、昼だけならとやってみることにした。こうして16年3月、「MANNISH」が生まれた。 MANNISHの塩生姜らー麺は一杯850。  完全に独立という形ではないが、奇しくも自分のラーメンで店をやることになった柴田さん。せっかくなら人がやっていないことをやろうと、「桑ばら」の塩ラーメンと「我武者羅」の生姜醤油ラーメンからヒントを得て味作りをした「塩生姜ラーメン」を生み出した。当時、塩生姜ラーメンの専門店は北海道に「信月」というお店があるぐらいで、都内にはなかった。  3年のブランクがあり、体も回復途中。椅子に座りながら営業していた。宣伝もしなかったため、当初は1日3~4杯しか売れなかったが、リハビリだと思って店に出続けた。先は見えないが、毎日こなしていくしかないという感覚だったという。  そのうち、「塩生姜ラーメン」「バーの間借り」が珍しいと、雑誌などでも紹介されるようになり、少しずつ口コミも増えた。お客さんが増えるとともに、「またラーメンで食べていけるかもしれない」と自信がついた。  こうして18年、店を神田司町に移転。社員も採用して、本腰を入れて営業を始める。今では店舗展開も行い、人気店に成長した。 浅草店もオープンした(筆者撮影) 「桑ばら」の桑原さんは柴田さんの才能に一目置いている。 「『桑ばら』の立ち上げから3~4年経った頃に働いてくれたんですが、彼は優秀でとても頭が良い。色々な知識を仕入れては、私にも教えてくれました。『MANNISH』は『桑ばら』とは別のアプローチをしたラーメンですが、とても美味しい。発想力がさすがだと思います」(桑原さん)  柴田さんにとっても、「桑ばら」での修業時代が一番思い出に残っているという。 「桑原さんは、商売は“人間対人間”で成り立つものだということを教えてくれました。『自分がされて嬉しいことはやれ。逆に自分がされて嫌なことはやるな』というシンプルで当たり前だけど、意外とできていないことを学びました。経営手法やお客さんへの接し方、味作りに至るまでたくさんのことを教えていただきました」(柴田さん)  大けがに打ち勝ち、ラーメンを諦めなかった柴田さん。桑原さんが教えてくれたラーメン店の魅力が心に深く刻まれていたのだろう。(ラーメンライター・井手隊長) ○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho ※AERAオンライン限定記事
AERAオンライン限定ラーメン井手隊長
AERA 2021/02/14 13:00
旭川医科大学長、超・長期政権が続くか 学長で比べる大学ランキング
小林哲夫 小林哲夫
旭川医科大学長、超・長期政権が続くか 学長で比べる大学ランキング
旭川医科大学病院院長の解任問題などについて会見した旭川医科大学・吉田晃敏学長((c)朝日新聞社) 学長の出身大学  新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、医師、看護師、保健師ら医療従事者は、日夜過酷な勤務状況で献身的な仕事をされている。私たちはいつもたいへんな敬意を払っている。 こうしたなか、残念なできごとが起こった。 日本で最北端の医学部、国立の旭川医科大の吉田晃敏学長が、付属の旭川医科大学病院の古川博之院長を解任したのである。学内の会議の内容を外部に漏らした、また新型コロナウイルス感染症患者の受け入れをめぐる吉田学長とのやり取りを恣意的に報道機関に話した―――というのが解任理由だった。 これに対して、古川博之前院長は、情報漏洩はなかった、学長の「患者を受け入れるなら辞めてください」という発言はパワハラにあたる、と反論している。 コロナ禍という緊急事態において、こうした問題は速やかに解決し、緊急事態に対応してほしい。 今回の問題で注目されたのが、旭川医科大学長の強い権限と、長い任期だ。 吉田学長は同大学の1期生(1979年卒)。2007年に学長となった。その後14年にわたって大学トップの座にある。現在、国立大学のなかで、学長在任期間はもっとも長い。 国立大学長は2期6年務めるのが一般的である。多くの大学で学長の任期に上限を設けているからだ。ところが、昨今、任期を撤廃する大学が増えている。旭川医科大、筑波大、東京芸術大、東京工業大、大分大などである。 2020年、筑波大では永田恭介学長の再任が決まった。2021年4月から2024年3月まで学長を務めることになり、任期をまっとうすれば11年間の長期政権となる。同大学には学長の再任回数の上限がなく、定年制もないため、永田学長はそれ以降も引き続き筑波大トップであり続けることができる。 国立大学の学長任期のあり方についてはさまざまな意見がある。 任期撤廃の根拠は「大学改革で長期計画を進めるため、学長は長くリーダーシップを発揮し大学運営を安定させるべきだ」といったものなど。その逆に任期を定める理由は「長期になるほどまわりの意見に耳を傾けず独裁的になり、大学運営を誤ってしまう」などである。  一方、私立大学では、事情がかなり違ってくる。オーナー系つまり創設者の親族が学長を務めている大学では、2代目3代目で10年選手、20年選手の学長がいる。オーナー系学長の長期政権であっても、大学運営がしっかりなされているところはいくつかある。が、独裁色が強すぎてまわりの意見を聞かずに新しい学部づくりに失敗し、定員割れで苦労する大学もある。「大学ランキング2021」(朝日新聞出版)では、学長の在任期間、学長の最年少と最高齢、学長の出身大学ランキングを掲載している(2020年1月現在。カッコ内は就任期間) 在任期間の長さでは次の学長が紹介されている。 大阪学院大・白井善康(43年) 名古屋商科大・栗本宏(39年) 武蔵野音楽大・福井直敬(39年) しかし、3学長はいずれも2020年内に新しい学長と交代し、親族が後継者となった。 現在、在任期間が長い学長は次のとおり。(2021年1月現在。カッコ内は在任期間) 至学館大・谷岡郁子(35年) 北海商科大・森本正夫(30年) 東邦音楽大・三室戸東光(28年) 玉川大・小原芳明(27年) 岡山商科大・井尻昭夫(26年) 次に学長の年齢を見てみよう。キャリアを積んだ50代、60代を想像しがちだが、40代も活躍する。たとえば以下の学長だ。 松山大・新井英夫 函館大・野又淳司 大阪経済大・山本俊一郎 帝京大・冲永佳史 名古屋産業大・高木弘恵 名古屋女子大・越原もゆる 若い学長のなかには、創設者の親族も多い。 一方、学長の最高齢は、横浜薬科大の江崎玲於奈である。1925年生まれでまもなく96歳になる。大正、昭和、平成、令和を生き抜いたノーベル賞学者だ。 最後に学長の出身校を見てみよう。 東京大、京都大がかなりの数を占めるが、10年前に比べると出身校にバラツキが見られるようになった。 東京大出身 2009年 127人、2019年 79人 京都大出身 2009年 70人、2019年 45人 大学間の人材交流が進んだ結果ともいえる。学問を発展させる、最先端研究を進めるにあたって、アカデミズムの世界をタコツボ化させないためには、良いことである。 地域ブロック別に見ると、かつては、たとえば北海道地方の大学は北海道大出身、東北地方の大学は東北大出身の学長が多かった。が、これも多様化が見られる。 前出・旭川医科大の吉田晃敏は、同大学が1973年に開学して以来7代目の学長になるが、それまでの6人中5人は北海道大医学部出身であり、「北大の植民地」と揶揄されることもあった。 吉田学長は旭川医科大出身である。同大学では初めて母校出身者が大学トップとなり14年が経った。リーダーシップを発揮しすぎ、周囲と軋轢が生まれたようにも思える。 コロナ禍という緊急事態において、医学部、大学付属病院の役割は大きい。学内でもめることより、コロナ禍で不安を抱く地域住民に目を向けてほしい。(文中敬称略、文/教育ジャーナリスト・小林哲夫)
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dot. 2021/02/11 08:02
瀬戸内寂聴「生き過ぎたと思います」
瀬戸内寂聴「生き過ぎたと思います」
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。近著に『寂聴 残された日々』(朝日新聞出版)。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。(写真=横尾忠則さん提供)  半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * ■横尾忠則「池田満寿夫と熱く交わした、ぜんざい論争」  セトウチさん  ムカシ、池田満寿夫が生きていた頃、箱根の温泉旅館で対談することになりました。彼は僕より二歳年長で初対面でした。彼は版画家、僕はまだグラフィックデザイナーの頃です。さて、何から話そうかということになって、いきなり芸術論というよりも、先(ま)ずお互いの性格が表われ易(やす)い食べ物の話から、どうですかと編集者。  グルメではない僕は食べ物音痴なので料理の話はニガ手だ。ぜんざいの話ならできるけどと言うと池田さんも、「俺もぜんざい大好きだ」と、いきなり話が合ってしまった。でも、僕はツブあんでないとぜんざいとは言わない、と言うと彼は、コシあんこそぜんざいだと言う。コシあんはぜんざいではなく、おしるこだと反論すると、彼は「おしるここそがぜんざいだ」と主張し始めた。  そこでぜんざい論争になってしまった。彼は長野出身で、ツブあんを否定する。僕にすればコシあんこそ否定的対象だ。コシあんは口の中でもコシあん、胃袋に入ってもコシあん。それに対してツブあんは、口の中でツブあんだけれど噛みくだいて胃の中に流し込んだ時にはコシあんにメタモルフォーゼして、二度感触が味わえる。まさに芸術ではないか、と僕。池田さんは最初から最後まで変(かわ)らないのが伝統だと言い張る。僕はあくまでもブルトンのシュルレアリスムで応戦。池田さんの信奉するピカソも、君の作品だって変化するのに、変化しないコシあんが好きだというのは、君の芸術観は不正直過ぎると再び突っ込む。  彼は僕のツブあんがコシあんに変化するのは一貫性がないと言う。それに対して僕は一貫性に固執するその態度は権威主義的で人間としても面白味がない、作品はコロコロ変化する多様性こそ現代社会に対応しており、固執するのは停滞の証拠だ。  とかなんとか、お互いに、口から出まかせに自己主張。ぜんざいから芸術論争に発展してしまった。編集者は大満足で、版画の芸術性とデザインの大衆性、まさにハイ&ローの実に今日的な課題だと喜ぶが、こっちは、カリカリ。「対談は成立しない」打ち切ろう、ということになってしまった。  箱根温泉まで来て、仕事が成立しなくなってしまった編集者は、マッ青。「まあ、まあ、温泉でも入りませんか」ということになって三人で大浴場に入ることになった。お互いに裸になって言いたいことを言ったが、本当の素裸になると、先(さ)っきまでのぜんざい論争がバカバカしくなってしまった。やっぱり素裸になると対談は仮面の告白で、お互いにつっぱり合っていたことがわかって。池田さんと顔を見合せて、湯船の中で大声で笑いころげたものだ。  こうして、本気で自己主張することで、お互いに吐き出すものを吐き出して、なんだか、お互いのカルマが解脱したように思えた。池田さんとはこの日以来、気心の知れた仲になって、ニューヨーク、サモア、タヒチ、フランスへと度々、旅行などして、一度ももめることはなかった。本当の友人とは言いたいことを言い合って空っぽになった時、親密になるように思えた。精神の裸と肉体の裸を両方見せたら、問題(対立)がなくなった。 ■瀬戸内寂聴「スイーツ好みでスマートなヨコオさん」  ヨコオさん  今朝の京都の新聞は、一面の真中に、塗椀(ぬりわん)に、大きなお餅の浮(うか)んだ「ぜんざい」の写真が坐(すわ)り、「節分は“ぜんざい”で厄除(やくよけ)招福」と、大文字で謳(うた)っています。  その写真の美味(おい)しそうな「ぜんざい」を見たとたん、ヨコオさんの和んだ顔が浮かびました。  ヨコオさん御夫妻と一緒に温泉へ旅した時、一夜を明かした朝の食事に、ヨコオさんは味噌(みそ)汁の替(かわ)りに「ぜんざい」を要求し、それが運ばれてくると、さも美味しそうに三杯くらい、あっという間に食べてましたよね。いつもすっきり痩せていて、スマートなヨコオさんが、若いムスメのように、甘いぜんざいをペロリと召し上がるとは!  そのあと、街へ散歩に出たら、目につく菓子屋に、必ずはいって、ぜんざいを召し上がるのでした。あんまり美味しそうなので、つい、つられて、私も注文してみますが、とてもヨコオさんの何分の一も食べきれません。その甘党ぶりと、スマートなほっそりとしたスタイルの違和感に、まずびっくりさせられたことでした。  以来、つきあう度に、ヨコオさんの甘党ぶりに慣れて、どこかの旅先や、散歩の途中で、甘い物屋の店先を通ったりすると、必ず、ヨコオさんの甘い物を食べている時の、和やかで無邪気な表情を想(おも)い出すのです。そんなに甘い物好きなのに、ヨコオさんはいつだって、ほっそりスマートなのは、どうしてだろうと、寂庵ではよく話題になっています。  もの心ついた時から、ひどい偏食の私の数少ない好物に、小豆飯があります。それもあたたかい炊きあがりではなく、さめた冷たい小豆御飯(ごはん=古里の徳島では“おこわ”と呼んでいた)が大好きで、さめたおこわのお茶漬けが何よりのお気に入りでした。小豆御飯をお茶漬けにすると嫁入りの時、雨になると、年寄りたちが言い習わしていました。それでも私は「おこわのお茶漬け」が止められませんでした。ところが嫁入りの時は、一滴の雨も降りませんでした。  赤飯のお茶漬けなど、消化が悪いに決まっているので、子供に食べさせまいとしたのは、大人の知恵でしょう。私の命がみじかいと信じきり、わがまま一杯に育ててしまった母の、無教養を、私は一度だって怨(うら)んだことはありません。二十の時、自分で気づいて、断食寮へ入り、四十日かけて、本式の断食をして、すっかり体を仕立て直したのがきいたのか、今や数え百歳まで長生きしています。  最近、さすがに体が弱ってきて、歩く旅はあきらめきっています。  脚の丈夫だった頃、インドへ何度も行ったことなど夢のよう。それもヨコオさん父子と御一緒したのは夢のようですね。  いつ行ってもインドは、ここを昔々、お釈迦さまは、御自分の脚で歩いて通られたのだと思われる路が至るところにありました。歩きつかれて、傷んだ靴で、一歩一歩踏みしめながら、この道をたしかにお釈迦さまは歩いて行かれたのだと想うと、不思議な体力が疲れ切った自分の躰(からだ)にみなぎってきた感覚を、忘れることができません。  御一緒したインドの旅も、二十年も昔の想い出になりました。生き過ぎたと思います。 寂聴 ※週刊朝日  2021年2月12日号
週刊朝日 2021/02/08 11:32
32万回再生 京大ライブ授業の第2弾がスタート コロナ禍を哲学・倫理学・社会学で読み解く
32万回再生 京大ライブ授業の第2弾がスタート コロナ禍を哲学・倫理学・社会学で読み解く
2月4日にはシーズン2のオリエンテーションが行われ、シーズン1の振り返りと7日から始まる講義への意気込みが語られた(写真部・張 溢文)  YouTubeの画面をクリックするだけで、誰もが京都大学の特別講義を視聴できる、昨年話題になったシリーズの 第2弾が2月7日から始まる。刻一刻と変化する現実を、哲学、倫理学、社会学などの人文科学で読み解く試みだ。 シーズン1で講義する出口康夫教授。チャットではコメントや質問が続々と寄せられ、映り込んでいる背景について聞く人もいた *  *  *  人気芸能人が登場するわけでもゲーム実況でもない、地味な大学の講義が、YouTubeライブで配信され、ここまで話題になると誰が予想しただろう。 「京都大学オンライン公開講義“立ち止まって、考える”」の第1弾が行われたのは、昨年7月から8月。コロナパンデミックを題材に、人文・社会科学分野の教授陣10人が毎週末、1時間程度の授業を配信した。無料で、事前申し込みも不要。誰もがクリック一つで京大の授業に参加できるとあって、初回はのべ1万5600人がリアルタイムで視聴した。  アーカイブされた動画を好きな時間に見ることもでき、シリーズの累計再生回数は32万回を超える。視聴者は男女半々で44歳以下が66%を占め、講義期間中は3万近いツイートが飛び交った。子育て中と思われる女性からはこんなつぶやきもあった。 「主婦が在宅仕事しながら洗濯機回しながらしまじろうが流れるTVの横で京大の講義が聞ける世の中。すごいなあ。20年前の自分に伝えたいよ」  スタートアップのPR支援などを行う「みずたまラボラトリー」の代表取締役で、2019年から米国ポートランドに家族で移住した松原佳代さんも、哲学や文化心理学などを視聴した。講義が始まるのは現地時間の夜9時。2人の子どもの寝かしつけを夫に頼み、パソコンに向かった。 「コロナ禍で、SNSやニュースで目にする一過性の情報に振り回されるのはとても危険だと感じていました。データ開示が早かったアメリカに比べ日本の状況が掴みづらく、不安が募っていたタイミングでもあったので、講義で冷静な視点を得ることで心を落ち着けたかったんです」(松原さん)  オンライン無料講義シリーズの企画・運営を担うのは同大学の「人社未来形発信ユニット」。人文・社会科学分野で蓄積された知を、社会に向かって開き、課題解決へのビジョンを提示する目的で18年に設立された。ユニット長を務める出口康夫・文学研究科教授は、シーズン1の反響に、人文・社会科学に対する期待の大きさを感じたと話す。 「コロナ禍で多くの人がストレスを感じ、これまでの自分の生き方や社会のあり方が正しかったのか自問自答しています。問い自体があまりにも大きいために、深く考えるためには社会で共有できる言葉や座標軸が必要です。人文科学は、長い時間をかけて蓄積してきた人類の知恵ですが、目の前の現実とリアルタイムで結びついてこそ真価を発揮するもの。であれば我々は事態が落ち着いた後で、安全地帯から物を言うのではなく、刻一刻と事態が動く中で、人文知の考え方を現実にぶつけながら、座標軸を提供していくべき。それが我々の使命だと考えました」  内容を少し具体的に振り返ってみよう。例えば児玉聡・文学研究科准教授による「倫理学」。取り上げられたのは、「ダイヤモンド・プリンセス号と隔離の問題」「人工呼吸器を誰に配分するか」「自粛か強制か」などまさにこの1年で私たちが直面してきた課題だ。公衆衛生を守るために、どこまで個人の自由の制限が許されるのか。制限してよい場合、その根拠や条件とは何か──。それらを考えるために「毎年餅を喉につまらせて亡くなる人がいるのに、餅を禁止しなくてよいのか」といった問いが投げかけられ、参加者はチャット画面で自分の考えを書き込んでいく。児玉准教授は、講義の中でアプリを使ったアンケートも実施。瞬時に500人近い受講生が回答した。 「受講者の中には、アンケートに回答するだけでなく、その選択肢を選んだ理由をチャットに書き込んでくださる方もいて、相当深く考えているなと。これぞ集合知だと感じました」(児玉准教授)  対面の教室では、受講者同士の「私語」は授業の邪魔でしかない。だが、オンラインのチャットでは、受講者同士が互いのコメント内容を補い合ったり、コメントから新たな議論が始まるなど、「私語」が議論を活性化させる場面も多々見られた。  前出の松原さんが「腑に落ちた」と感じたのは、内田由紀子・こころの未来研究センター教授の「文化心理学」の講義だ。コロナに対する日米の政策や人々の行動の違いが、「幸福観」の文化差という視点から分析された。 「コロナは台風などの自然災害と違い、コミュニティー内での感染がリスク。だからこそコミュニティーの文化やそこで生きる人々の心理から考えるアプローチに納得感がありました。普段は主観的に見ている現実を、客観的に捉え直すための新たな視点を得られました」(松原さん)  出口教授は「自己とは何か」という哲学の講義で「われわれとしての自己」という新しい概念を提示した。 「コロナ禍では一人一人がマスクをするか、行動変容するかというミクロの行動が、マクロの感染状況に直結する。『私』と『われわれ』はダイレクトに繋がっていて、『私』について考えることは『われわれ』について考えることでもある。両者を切り離して考えることはもはやできなくなっている」(出口教授)  話し出すと止まらないという同教授は予定の5回で終わらず「補講」まで開いた。 「『人生で初めて補講があると聞いて嬉しかった』なんて言ってくれる人もいました(笑)。ネットにあるような3分で読める安くて早いカップラーメン的な情報に対して、こちらは1時間×5、6回のガチの講義です。でもそこに潜在的なニーズがあることを確信しました」(同)  前回、教授陣が一様に驚いたのは、質問の多さだった。公開の場で質問を躊躇する傾向が強いと言われる日本人。しかし、チャットというツールがあれば話は別で、しかも質問の質が高いことがわかったという。倫理学の授業では、千本ノックさながらの驚異的なスピードと丁寧さで答えていく児玉准教授の姿も圧巻だと話題になった。   一方的に教授の話を受講生が聞くのではなく、チャットを通じた双方向のコミュニケーションの中から新たな知が立ち上がっていく──。昨年の取り組みから感じ取った「21世紀型の新しい教養」の可能性を、2月7日から3月21日までのシーズン2ではさらに追求したいと出口教授らは意気込む。  応用哲学や倫理学に加え、前回シーズンにはなかった社会学や文化遺産学、美術史や美学にまで分野の幅を広げたという。もちろん、それぞれの分野に、現在進行形のコロナパンデミックを掛け合わせて、思考を深めていく手法は変わらない。 「立ち止まって、考える」の授業の一部は今年の8、9月頃に書籍化を予定。YouTubeライブの映像に英語字幕をつける作業も進められている。 (編集部 石臥薫子) 「立ち止まって、考える」第2弾 講義期間:2月7日(日)~3月21日(日)毎週土・日曜に開講 講義時間:各日2回、各1時間(11:00~12:00, 14:00~15:00)
AERA 2021/02/07 09:02
「銀座クラブ通い」公明党議員を辞職に追い込んだ 「創価学会婦人部」の怒りのマグマ
作田裕史 作田裕史
「銀座クラブ通い」公明党議員を辞職に追い込んだ 「創価学会婦人部」の怒りのマグマ
議員辞職した公明党の遠山清彦衆院議員(C)朝日新聞社  緊急事態宣言下で、「銀座クラブ通い」をしていたことが発覚した公明党の遠山清彦衆院議員(51)が、2月1日、議員を辞職することになった。遠山氏はクラブ通いだけでなく、自らの資金管理団体がキャバクラ店などに支出してことも明らかになっており、これらの責任を取る形となった。問題発覚からわずか1週間で議員辞職にまで追い込まれた背景には、公明党の支持母体である創価学会の「婦人部」の怒りも大きく影響したようだ。 *  *  * 「極めて不適切な行動と、資金管理団体の過去の不祥事で、国民の政治への信頼を深く傷つけてしまった。改めて心からおわびしたい」  2月1日、遠山氏は記者団に対してこう陳謝した。次の衆議院選挙には立候補しないことも明らかにした。  1月22日の深夜に遠山氏が銀座のクラブを訪れていたと週刊文春電子版が報じたのは、同月26日のこと。遠山氏はすぐに事実を認めて謝罪したが、29日には自身が代表を務める資金管理団体「遠山平和政策研究所」が、2019年度のキャバクラなどの飲食費を政治資金から支出していたことも判明。すぐに党の幹事長代理を辞任したが、世間からの批判は一向に収まらず、結局、議員辞職にまで追い込まれた。  ただ、同時期に銀座クラブ通いをしていた自民党議員3人は離党届は出したものの、議員辞職にまでは至っていない。その違いは何なのだろうか。政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏はこう解説する。 「公明党が他の政党と異なるのは、支持母体が創価学会であることです。特に選挙における最強の集票組織である『婦人部』は、こうしたスキャンダルを特に嫌います。高級クラブ、キャバクラなど女性がからむ不祥事は特にタブーです。今回は、公明党や遠山事務所に婦人部から『選挙で応援できない』などの突き上げがかなりあったようです。婦人部の協力がなければ公明党は選挙を戦えません。このままでは、次の衆院選で比例九州ブロックから小選挙区の神奈川6区にくら替えする予定だった遠山氏は勝てる見込みが薄い。そうなら早めに進退を決める必要があると、公明党執行部も遠山議員本人も判断したのでしょう」  現在の遠山氏の選挙区である九州地方に住む60代の現役学会員の男性も、地元婦人部の反発は強かったと話す。 「私の周りの婦人部の方たちは『とんでもないことだ』『こっちは手弁当で(選挙を)がんばっているのに銀座のクラブとは』と怒り心頭でした。そりゃあ、そうでしょう。コロナで仕事が激減して、私たちは居酒屋にも行く余裕はない。それが一晩で10万円くらいする高級クラブに行ってるんだから、怒らない方がおかしい。20年前に遠山さんが参院選に初出馬したとき、皆で盛大に送り出してあげたんだけど、膝に顔がつくほどお辞儀して、すごく腰が低い好青年でした。英語もペラペラで顔もいいから、婦人部からはひときわ大きい歓声と拍手がわいていました。婦人部から人気が高かっただけに、今回はより裏切られたという思いが強かったのだと思います」  選挙となれば口コミや横のネットワークで縦横無尽の活動を繰り広げる創価学会の婦人部。庶民感覚が強い創価学会員のなかでも、特に生活者の視点を大切にしているといわれ、彼女たちの動きが選挙結果に大きく関わることはずっと指摘されてきた。東京都に住む60代の女性は学会「2世」で、50年以上創価学会員として活動してきた。地域の婦人部で「バリ活」として積極的に選挙運動もしてきた。長年選挙では公明党を支持してきたが、今回の遠山氏の行動には怒りを覚えているという。 「私が憤っているのは、銀座のクラブへ行ったこともそうですが、キャバクラやガールズバーで政治資金を使っていたことです。今回だけたまたま発覚したとは考えられず、ずっと行っていたということでしょう。それにこのお金は国民の税金の一部でもあります。お金の使い方があまりにもずさんで、議員として信用できません。公明党も最初はかばおうとしていた節があります。でも、SNSなどでも次々と遠山議員の悪い話が出てきて、次の選挙で不利になると思ったから執行部が守り切れなくなって、議員辞職したのでしょう。遠山議員への怒りとともに、以前から少しずつ感じていた公明党への不信感もピークに達しました。これから公明党を応援できるかといえば、NOと言うしかありません」  こうした怒りの声が全国からわき起これば、次の総選挙で全国の比例票にも影響することは明らかで、遠山氏が議員辞職に追い込まれたのも無理はない。だが解せないのは、婦人部をはじめ支持母体の学会員からそっぽを向かれたら選挙では戦えないのに、なぜ緊急事態宣言下で銀座のクラブなどに行ったのか、ということだ。遠山氏を知る永田町関係者はこう話す。 「公明党の世代交代の象徴であり、党からの期待は大きいものがありました。神奈川6区で落選すれば公明党は比例では復活できないので、背水の陣で臨む覚悟だと話していました。次の選挙に向けて相当必死だったことは確かです。財界から芸能界まで人脈も豊富な人ですが、ちょっと軽いというかミーハー的なところもあった。そうしたフットワークの軽さと、選挙へのあせりが一番悪いタイミングで出てしまったのかなとも思います」  遠山氏の行動に学会員から批判の声が上がっていることに対し、創価学会本部はどう受け止めているのか。質問状を送ると、書面でこう回答した。 「様々なご意見があることを承知しております。(遠山氏の行動は)政治不信をもたらしたことを遺憾に思います」  行為自体は決して許されないが、批判の声に耳を傾けて遠山氏が議員辞職したことは、潔い決断だったともいえる。政治家が道を誤った際には、支持者といえども「厳しい声」を上げるべきだ。今回の騒動はその契機になってほしい。(取材・文=AERAdot.編集部・作田裕史)
dot. 2021/02/03 08:02
写真家・山下大祐 ぼくはこんな思いで鉄道写真を撮ってきた
米倉昭仁 米倉昭仁
写真家・山下大祐 ぼくはこんな思いで鉄道写真を撮ってきた
撮影:山下大祐 写真家・山下大祐さんの作品展「描く鉄道。」が2月4日から東京・新宿のオリンパスギャラリー東京で開催される。山下さんに聞いた。 (※名前の「祐」は旧字体。「示」に「右」) 「描く鉄道」というのは、山下さんがオリンパスOM-Dシリーズのプロモーションの仕事でよく使ってきたキーフレーズだそうで、それは「写真を描くように撮るような感覚。頭の中で絵を組み立てて、それをカメラの機能をあれこれ駆使して撮る」。  ただし、今回の展示作品はそれに寄せたものというより、「ぼくがこれまで撮ってきた鉄道に対する思いを伝える象徴的な作品を選んでいます」。  ちなみに、「モーニング娘。」のように「描く鉄道。」と、末尾に句点(「まる」)をつけたのは、今回の写真展でひと区切りつけたいという気持ちの表れという。  山下さんはこれまで撮り続けてきた作品を、こう振り返る。 「幾何学的なものを撮っているんだけど、それとは違うものが写真のどこかに入ってくる。それが、すごく気持ちいいんだろうな、と。そういう魅力に引かれて鉄道を撮ってきた」 「要するに、同じ形のものがばーっと連なって、同じように動いていく美しさ。そこに人のぬくもりや自然が重なってくる」  もちろん、同様な思いで鉄道写真を撮っている人は大勢いる。「みなさん、『鉄道といい風景』というのは、たくさん撮られていると思うんです」。それを承知したうえで、「自分はこういう目線で鉄道を撮っている」ことを伝えたいと言う。展示作品は50点弱。代表的な作品を見せてもらった。 撮影:山下大祐 機械的な造形と人間模様  山下さんは先頭車両のアップをよく撮るそうだが、なかでも「お気に入りの写真」というのが、西武鉄道の特急「Laview(ラビュー)」。「UFOみたいな、不思議な形をした電車なんです」。 「電車」というより、「宇宙船」のコックピットのような印象。丸みをおびた銀色の車体。ドーム型の運転席の窓ガラス。側面のシャープな正方形の窓。それらを青空をバックに写し出している。周辺にあるごちゃごちゃしたもの――車両の配管や台車、電線、地面などはいっさい省き、造形的にフレーミングしている。  撮影地は西武秩父駅の近くで、「出発してそれほど速度が上がらないところで撮っています。帽子をかぶった運転手さんのシルエットが機械的な造形の中でアクセントになりました」。  それに連なる中間車両の写真には、窓の内側に見える人間模様が影絵の紙芝居のように写っている。 「いい光線のときに撮ったな、とつくづく思うんですけれど、手前の座席のカーテンを引っ張る手に光が当たって、肌の色が見えている。光が当たっていない奥のシルエットの人のポーズもばっちりだった」 撮影:山下大祐  幾何学的なイメージの魅力は列車の形だけにとどまらない。 「鉄道は地上設備も幾何学的で、すごくすてきだなあ、と。いつもそういう思いで撮影しています」  その一つがレール。「これも好きなんです」と言って見せてくれたのは一面の雪景色。そこに2本の黒いレールが緩やかなカーブを描いている。線路ぎわで除雪作業をする黄色いヘルメットを身につけた人。 「北海道の石北本線です。遠軽駅のすぐ近くに跨線橋があって、その上から撮っています。平面的な白い世界に限られたシルエットが置かれている」  雪に包まれた静寂の世界。湿った冷たい空気。そこにじんわりとした温かさが感じられる。 撮影:山下大祐 「わけあってこういう形をしている」トンネルや鉄橋の美しさ  トンネルや鉄橋は「理由のある造形」に引かれるという。 「わけあってこういう形をしている、というのが素敵なんですね。鉄道はそういうものに囲まれている」  伊豆急行の連続したトンネルを覗き込むように写した作品には、「馬蹄型(馬の蹄の形)」に山をくり抜いた断面がはっきりと見える。その形にはちゃんと理由がある。トンネルの断面は岩盤の圧力に対しては円形が最適となるが、電車を通すには矩形(四角)が適している。この二つを折衷したのが馬蹄形なのだ。 「これは『トンネル抜きの風景』(または単に『トンネル抜き』)と呼ぶんですが、けっこう好きな撮り方なんです。そういう『理由のある形』を見せながら、トンネルの向こう側の景色を撮る。トンネルとトンネルの間にある小さな駅に朝の光が差し込み、ホームに小鳥がとまった瞬間にシャッターを切りました」  そして、鉄橋。というより、森の緑に映える赤い鉄骨の写真だ。  撮影地は岩手県北上市と秋田県横手市を結ぶ北上線。鉄道ファンにはよく知られた鉄橋だそうで、軽量なうえに強度のある「トラス構造」を採用している。作品は、その特徴である鉄骨を三角に組み合わせた造形を写しとっている。 「超望遠レンズで、鉄橋の一部分をほとんど奥行き感をなくして撮っています。そこに走ってきた電車が擬人化されて見えるというか、赤い直線のなかに少し柔らかさをもたらしてくれました」 撮影:山下大祐 カメラの進化が動く鉄道の見せ方を変えていく  一方、列車や関連設備を幾何学的な造形に着目した作品とは異なる、抽象的なイメージの作品も展示する。 「こちらは造形を見せる、というよりも疾走感ですね。『スピード』というものの抽象的表現。例えば、新幹線といえばスピード、スピードといえば新幹線みたいな」  真っ黒な背景に浮かび上がる東海道新幹線。超低速シャッターによる流し撮りで、シャープな感じではなく、躍動するように写している。  それとは対照的に、真っ白な背景で写したのが秋田新幹線。 「これはくまなく雪が積もっているところを撮っています。さっきの真っ黒な写真よりも、こちらのほうが撮る条件としては難しいです」  黒と白を基調とした新幹線の作品に対して、「これは、色を持ってきた写真です」と言うのが、新緑のなかを走る西武鉄道のニューレッドアロー。「先ほどのラビューの先代の特急電車です」。  画面いっぱいに流れる緑なかで、列車がその存在感をアピールしている。車体が姿がくっきりと見えるのは先頭車両のオデコや屋根の部分にくっきりとしたコントラストあるからだ。 「流し撮りは、空が白っぽかったり、天気が悪いときによくやるんですけど、意外と日差しのあるコントラストが強いときにやるのも面白いなと。この写真でその楽しさに気づきました」 撮影:山下大祐  そして最後の写真は……こりゃなんだ? あまりにも大胆な流し撮りで何が写っているのか、よくわからない。  山下さんいわく「水槽を漂うナマズのような、光を放つ深海魚のような」(笑)。  雪の舞う夜を疾走する列車をほぼ真上から、止まりそうもないようなシャッター速度で流し撮りをしている。最新鋭のデジタルカメラの強力な手ブレ補正は極端なスローシャッターに挑戦させてくれる。撮影機材の進化が動く鉄道の見せ方を変えているのだ。 「見た人は、おそらく鉄道なんだろうけれど、と。それくらいの理解でいいんです。この車両が何であるかはそれほど重要ではなくて、ぼくが鉄道の世界を表現するうちの一枚なんです」                   (文・アサヒカメラ 米倉昭仁) 【MEMO】山下大祐写真展「描く鉄道。」 オリンパスギャラリー東京 2月4日~2月15日
アサヒカメラオリンパス写真展山下大祐鉄道
dot. 2021/02/02 18:00
カナダの路上生活者向け滞在施設で過ごした8カ月間を写した記録
米倉昭仁 米倉昭仁
カナダの路上生活者向け滞在施設で過ごした8カ月間を写した記録
撮影:久保田良治 写真家・久保田良治さんの作品展「A Door of Hope」が2月4日から東京・新宿のリコーイメージングスクエア東京で開催される。久保田さんに聞いた。  インタビューの前、久保田さんとメールでやりとりをした。私がインターネットを介したオンライン取材を提案すると、こう返事があった。 <ぼくは、作品の魂が宿るのは「プリント」だけであると考えています。つまり、データをお見せしても、作品の最も重要な部分が伝わらないと思うのです>  インタビュー当日、東京・東神田の喫茶店に入ると、日に焼けた顔の久保田さんと目が合った。声をかけると、つい先ほど、展示プリントの検品が終わったところだという。  そこで話し始めたのは作品の内容ではなく、プリントの「黒」のことだった。久保田さんは2年前にカナダから帰国して以来、デジタルカメラで撮影したモノクロ画像の黒をどう出すか、試行錯誤してきた。 「いろいろなチャンスはあったんですけれど、黒が出ない、というのがずっと引っかかっていたんです」  写真集の出版や展示会の話はあったものの、それを断り続けてきたのは、納得のいく黒が出なかったからだという。 「日本に帰ってきて、この写真をどうかたちにしようかと考えると、やはり、銀塩プリントだろうと」  そして、たどり着いたのが深みのあるモノトーンを再現できる「バライタ印画紙」へのプリントだった。  展示プリントのチェックには久保田さんを推す写真家・内藤明さんも加わり、黒の濃度を測るスケールをあて、確認作業を行った(プリントの担当者はさぞ大変だっただろう)。 撮影:久保田良治 「正統的なノンフィクションの記録」とは違う切実さ  B4判ほどの大きさに引き伸ばしたテストプリントを見せてもらう。厚みの感じられる印画紙の縁には、焼き込み指示が書かれたたくさんのふせんが貼られている。  その束を両手でつかむと、路上に寝そべりながら宙を見上げる男の顔が目に入った。生活用具が男を囲み、その向こうのビルの上に並ぶ看板が見える。ちょっと微笑んだ表情。そこに座って会話するようにカメラを向ける久保田さんの姿が感じられた(後で知ったのだが、実際にそのように写したという)。  写真展案内には「カナダにある路上生活者向けの滞在施設『シェルター』で過ごした、8カ月間を記録した作品」とある。 「最近ではあまり見なくなったような気がする正統的なノンフィクションの記録」「遠巻きに眺めるのではなくて、そこの人々と一緒に生活するという、(中略)最も根源的な方法」と、内藤さんは書いている。  それを読んだ私は最初、ジャーナリストの鎌田慧さんや横田増生さんらによる「潜入取材」のような撮影手法を思い浮かべた。  しかし、本人から話を聞いていくうちに、「正統的なノンフィクションの記録」とは違う切実さを感じた。そんなカッコいいものではない。久保田さんは決して「彼ら」とは言わず、「ぼくら」と言う。さらに「ホームレス」という言葉でくくらないようにと訴えた。 「その言葉は単なる『ラベル』であって、何も表現していない。ぼくらのありのままの姿を、人間として見てほしいんです」 撮影:久保田良治 「A Door of Hope」。毎日、この標語の下をくぐった  2018年、久保田さんは写真の仕事を探すため、片道航空券とわずかな資金を持ってカナダに渡った(カナダを選んだのは、所持していた労働ビザの事情による)。 「それまではニュージーランドにいたんです。写真スタジオで下働きをしていた。でも、先がないなと思って」  カナダ東部の大都市、トロントで写真の仕事を探した。写真に関わる仕事だったらなんでもやろうと、手当たり次第にやってみたが、収入には結びつかなかった。生活に困った。 「そんななか、シェルターにたどり着いた。帰国せずにシェルターに入ったのは、そこまでしてでも写真の仕事をしたいという、強い覚悟があったからです」  トロント市のホームページによると市内には約50カ所のシェルターが設けられ、何らかの理由で家を失った人に夜寝る場所や食事を無料で提供している。  久保田さんが滞在していたのはどんな場所ですか? と、たずねると、「けっこう広かったですね。あのビルくらい」と言って、窓の外を指さす。「お世辞にもきれいとは言えないですけど」。  返す言葉に詰まった。手にした写真に目を落とすと、(ここで暮らしていたのか)と思う。そこに写った建物の内部は説明以上に無機質で、陰鬱な空気で満ちている。  久保田さんがそのうちの一枚を指さす。「A Door of Hope」とある。作品の題名だ。シェルターのあちこちにあった標語という。「ぼくは毎日その下をくぐっていた。だから、タイトルはこれしかない」と。 「ここでいっしょにいたのは60人くらい。私物は最低限。なけなしの金とタバコ、服とか。でも、携帯電話は案外持ってましたね。どういう入手経路かはまったくわからないですけど」  問題を起こして出入り禁止になる人など、入居者の入れ替わりがけっこうあり、盗難や喧嘩は日常茶飯事だったという。 撮影:久保田良治 GRIIなら同じ目線、同じ高さで撮れるのを感じた  そんな場所にカメラを持ち込み、撮影するのは危険ではないか? 聞くと、やはりそうだと言う。 「カメラを盗まれるのが怖くて。今回の撮影はGRII(リコーイメージングのコンパクトデジタルカメラ)なくしてありえなかった。カメラが小さかったせいか、それほど狙われなかった」  一眼レフも持ってはいたが、ほとんど使わなかった。それは標的になりやすいというほかに、もう一つ理由があった。 「直感的に(ああ、これは違うな)と思ったんです。同じところにいて、そのへんの路上に寝そべっていたりするような仲なのに、立派な大きなカメラで写したら、上から目線で撮るみたいな感じになってしまう。(これじゃあ、ダメだ)と思った。でもGRIIなら同じ目線というか、同じ高さで撮れるのを感じた」 撮影:久保田良治  しかし、久保田さんはどういうつもりで彼らを撮影したのだろう。最初から作品化する目的で撮影したのであれば、「同じ目線」と言うのはちょっと違う気がする。そんな疑問をぶつけると、「そのときは作品を撮っているつもりは全然なかったんです」と言う。 「ぼくは感じたものを常に撮っているタイプの人間なんです。毎日撮っている。それを昔からずっと続けている。日記を書かない代わりに、記録みたいな意味合いがあるんでしょう。考えないで、(これ、いいな)というものを忠実に撮っている」  結果的にこの作品は、路上で出会った人々から学び、生きることの意味を発見していく過程の記録になったという。だから、レンズを向けたのは自分を含めた、ぼくらなのだろう。  先ほどの写真に路上で寝そべっていた男、「ティム(仮名)は友だち。ぼくもここに寝転んで。年末年始はけっこういっしょにいました。すごく寒くて、服は10枚ちかく着込んでいます。ここはトロントのタイムズスクエアみたいな場所。人が多いからぼくらも集まってくる。お金をもらえるチャンスがある。生き残るための技術なんです。もちろん、競争も激しい」。 「ぼくが困難を乗り越えてこられたのは、さまざまな人たちとの出会いがあり、助けられてきたから。みんな、心とか、体とか、なんらかの問題を抱えていた。だから、働くのは難しい。特に悲劇的なことがあって、帰る場所もないと絶望的になってくる。それでも自分の道を歩もうとする生きざまを目にしてきました。そんな彼らはぼくの友人であり、人生の師でした」 撮影:久保田良治 情報の多い色は物事の本質を見えにくくしまう  この作品にはゴールがあるという。それは、プリントを完成し、展示することで、「仲間たちの、ありのままの姿」が現れ、会場を訪れた人と出会うこと。すばらしいプリントにはそんな力があるはずだと。  もともとカラー情報を含むRAWデータで撮影したものを、手間をかけてモノクロの銀塩プリントにしたのには「人間の奥底にある真実を見てほしいという願い」が込められている。  色は多くの情報を与える一方、物事の本質を見えにくくしてしまうのではないか。だからこそ「色がない不自由さ」を選んだという。                  (文・アサヒカメラ 米倉昭仁) 【MEMO】 久保田良治写真展「A Door of Hope」 リコーイメージングスクエア東京 2月4日~2月22日
アサヒカメラリコーリコーイメージング久保田良治写真展
dot. 2021/02/02 18:00
「突然、涙があふれ出た」 発達障害のある子どもと親のコロナ禍
野村昌二 野村昌二
「突然、涙があふれ出た」 発達障害のある子どもと親のコロナ禍
篠田玲さん(45)一家。左から夫(42)、長男の唯君(5)、玲さん、長女(3)の4人家族。「夫は一緒に子を育てる同志です」と玲さん(写真:篠田さん提供) 女性(38)の夫(41)と手をつないで通学する小学校2年の娘(8、写真中央)。女性は精神的につらかった時、「一緒にいる時間が増えてラッキー」という気持ちでやってきた(写真:本人提供)  コロナ禍で、発達障害のある子どもと親が、心身共に追い詰められてしまうことがある。発達障害のある子どもに親はどう向き合えばいいか。大切なのは何か。AERA 2021年2月1日号で掲載された記事から。 *  *  *  涙は突然、あふれてきた。 「いっぱいいっぱいだったんだと思います」  都内の会社で働く篠田玲(れい)さん(45)は当時をそう振り返る。  それは、昨年4月下旬、緊急事態宣言から2週間ほど経ってからのことだった。  保育園に通う唯(ゆい)君(5)は、発達障害の特性の一つ、人の気持ちを読み取るのが苦手な「自閉スペクトラム(ASD)」と「知的障害」とがある。全国に緊急事態宣言が出た4月16日とほぼ時を同じくして、唯君が通う保育園は休園となり、篠田さんはテレワークになった。  夫(42)は一緒に子育てをする「同志」だが、日中は会社に行っていないため、どうしても昼間は篠田さんが家で唯君と長女(3)の3人で過ごすようになった。しかし、パソコンで仕事をしていると子どもたちが邪魔をしに来る。話しかけてきたり、パソコンに触ったり。注意してもやめないのでイライラすることが増え、カッとなり「うるさい」と怒鳴ったり、「やめてよ」と手を叩いたりした。その都度、自己嫌悪に陥った。 ■心身の不調が増えた  結局、昼間は仕事ができなくなり、夜中から明け方にかけ仕事をするようになると睡眠時間は3、4時間になった。  夕ご飯を食べたあと台所に立ち、やっと一人で洗い物ができると思ったら、子どもが走ってきた。そのときだ。突然、うわーっと涙があふれ出たという。 「これはよくない」と考え、会社に緊急事態宣言の間は休ませてほしいと伝え、5月いっぱい仕事を休んだ。子どもにだけ向き合えるようになると、精神状態は落ち着き、子どもと普通に向き合えるようになってきた。篠田さんは言う。 「本当に気持ちの浮き沈みが激しくて。いま思うと、息子も外に行きたがっていたのでストレスを感じていたと思います。私も息子も、追い込まれていたのだと思います」  発達障害は、脳の発達に関する先天性の障害と考えられている。症状はさまざまだが、たとえばASDの場合、ルーティンで行動する傾向があるため、変化に適応しにくいことがある。コロナ禍で「いつも通り」の毎日が過ごせなくなると、不安やストレスをためやすくなる。  国の「発達障害情報・支援センター」が昨年7月から8月にかけて当事者とその家族に対し行った「新型コロナウイルス感染症の影響についてのアンケート」によれば、当事者352人から寄せられた「最近の状態」では、「睡眠の問題が増えた」が43%と最も多く、次いで「怒りっぽくなった/気分の浮き沈みが大きくなった」(42%)、「お金に関する心配ごとが増えた」(41%)と続く。背景には、これまでの生活が大きく変化し、心身の不調を感じている人が多いことがあると指摘する。  当事者が子どもの場合は特に、保護者への影響も大きい。発達支援教室「るりえふ」(東京都渋谷区)代表で、20年近くにわたり発達障害の子どもを支援する郡司真子(まさこ)さんは、コロナ禍の今、当事者も親も心身共に追い込まれていると指摘する。 「とくにASDやADHD(注意欠陥・多動性障害)の傾向がある子どもはこだわりが強いため、それまでできていたことが急にできなくなると不安を感じ、気持ちが不安定になります。その結果、かんしゃくを起こしたり、自分の顔を殴ったり手をかんだりする自傷行為をしたり、排泄物を正しく扱えなくなったりもします。一方で、いつもより子どもと過ごす時間が増えた親も、過度に負担がかかって余裕がなくなり、叱ってはいけないとわかっていながら叱責したり虐待傾向になったりするなど、悪循環に陥ります」  都内の会社員の女性(38)もそんな一人だ。ASDなどがある小学校2年の娘(8)は、コロナ禍で春先から学校が休校になったことでストレスをためていき、女性もイライラを募らせていった。 「娘は家で遊んでいると、突然ものを投げ出し叫んだりしてきました。娘は希望や拒絶をうまく言葉にできないのでよくわからなかったのですが、いつも通り学校に行けなくなり、『どうしてなの?』とフラストレーションがたまっていたのではないでしょうか」  一方で女性も、娘と一緒にいた4月上旬から6月までの約2カ月は、「一日一日をどう過ごすのが良いのか毎日悩んでいた」と振り返る。 ■メッセージを出す  きつかったのはやはり睡眠不足だ。自宅で過ごすとどうしても運動不足になるため、娘は夜なかなか寝てくれない。寝かしつけるのに3時間近くかかり、自分は眠くても寝られなかった。さらに娘はストレスからか、女性の手をかんだり、ひっかいたりする頻度が多くなってきた。そんな時は思わず、娘の手を叩いたりした。女性は言う。 「感染の不安もあり、つらかったです」  6月からは学校も再開し、娘は元気に通学している。だが、いつまたコロナの感染拡大によって学校が休校になったりするかと思うと、不安が募る。 「勉強が遅れるのも心配ですし、ルーティンが乱れると、娘にどういう反応が出るか心配です」  コロナの収束の見通しが立たない中、発達障害のある子どもに親はどう対応すればいいか。先の郡司さんは、「普段から子どもとかかわり、小さなサインを見逃さないでほしい」と話す。 「こだわりが強くなったり、過眠や不眠になったり、独り言が増えたり、泣いたり叫んだり、子どものイライラのサインは表れ方が一人一人違います。一番良いのは、子どもがイライラしないように前もって対策することです。例えば、スケジュールを目に見える形で提示したり、切り替えさせる時は事前に具体的に予告したりすることで子どもの不安は軽減します」  重要なのは、親は「怒りや不機嫌で子どもをコントロールしないこと」だという。 「イラッときて『どうしてできないの』と叱ったり、『これをやらなかったらお菓子をあげない』などと罰を与えたりすると、逆に子どもの問題行動が増えます。そうではなく、褒めること。例えば、箸を上手に使えただけでも『すごいね!』と褒めてあげ、いつもあなたのことを大切に見ているというメッセージを出すことが大切です」 ■上手に付き合っていく  そのためにも親には「息抜きをつくってほしい」と、郡司さんは呼びかける。 「散歩をしたり新しい料理に挑戦したり、子育て以外でのことで楽しむことが大切です。体を動かすだけで脳がリラックスして、子どもとぶつかることも減っていきます」  冒頭で紹介した篠田さんは、救いになったのは同じ発達障害のある子どもを持ち普段からなんでも話すことのできるママ友たちとのLINEだったという。精神的に追い詰められ、子どもたちにつらく当たってしまった時、 <つらい、しんどくなってきた>  とママ友たちにメッセージを送ると、 <うちもそう。しんどい><一人じゃないね、一緒にがんばろう>  という返事が来て、それでずいぶん気持ちが楽になった。 「LINEでつながるだけでも救われ、外とつながる大切さを実感しました」(篠田さん)  発達障害は、「治すものではなく、上手に付き合っていくもの」といわれる。郡司さんはこうアドバイスする。 「子どもは必ず成長します。3歩進んで2歩下がり、一瞬、後退しているように見えてもちゃんと成長しています。子どもがこうしないと困ると思ってしまうのは親の不安。親が育児を楽しいと思わないと、子どもはつらくなります。親の不安を子どもに投影させ、ちょっとした子どもの失敗で嘆いたり怒ったりするのではなく、日々の変化を一緒に楽しんでください」 (編集部・野村昌二) ※AERA 2021年2月1日号
発達障害
AERA 2021/01/29 08:02
自民・金田勝年元法相が高級ホテルで「4人会食」 本人直撃すると「2人」と“ウソ”【独自】 
上田耕司 上田耕司
自民・金田勝年元法相が高級ホテルで「4人会食」 本人直撃すると「2人」と“ウソ”【独自】 
「4人会食」の後、会計を済ませる金田勝年・衆院予算委員長(撮影・上田耕司) 秘書らと4人で会食する金田勝年氏(右手前)(撮影・上田耕司)  1月27日の正午過ぎ、国会に近い都内の高級ホテルのレストランに赤いネクタイを締めた自民党の金田勝年・衆院予算委員長が現れた。  レストランのランチは人気らしく、入り口には席を待つ人たちの行列ができている。そんな混雑した店内で、2つのテーブルを囲んで座ったのは金田氏を含む男性3人、女性1人。「4人での会食」が始まった。  記者が確認したところ、金田氏は食事が運ばれてくるとマスクを外し、レンゲでスープを口に運びながら、同席者たちとの会話を楽しんでいた。  国会ではまさに、「自民党のマツジュン」こと松本純・元国家公安委員長と公明党の遠山清彦元財務副大臣の2人が夜8時以降に銀座の高級クラブをハシゴしたことが発覚し、処分などをめぐって紛糾している最中。  金田氏の場合はランチではあるが、コロナ対策を担当する西村康稔経済再生相は1月の緊急事態宣言発出後、「昼間も、ランチは皆と食べてもリスクが低いわけではありませんので、昼間もできる限り不要不急の外出自粛をお願いしたい」などとして、ランチ会食についても国民に自粛を求めていた。  また、自民党と立憲民主党は当初、「午後8時まで、4人以下」なら可とする国会議員の会食のルールを定めようとしていたが、日本医師会の中川俊男会長は「4人以下の会食なら感染しないというのは間違いだ」と批判。世論の反発も考慮して見送った経緯もある。  こうした状況下で金田氏はなぜ、「4人会食」の席を設けたのか。事情を知る国会関係者はこう語る。 「前日に第3次補正予算案が無事、衆院を通過したんです。予算委員長の金田さんとしては、重要な役目を果たしてホッとしたんでしょうね。一緒にがんばってくれた事務所のスタッフを慰労する食事の席だったと聞いています」  26日に開かれた衆院予算委員会で総額19兆円にものぼる第3次補正予算案が自民、公明、日本維新の会の賛成多数で可決された。実はこの日の夜、「明日昼頃、都内のホテルで、金田氏が多人数会食の予約を入れたらしい」という情報が寄せられたため、本誌は現場に向かった。そして、情報の通り金田氏が現れたのだ。  約1時間の会食を終え、レストランの外に出てきた金田氏に直接、話を聞いた。 ──会食をどのように考えていますか。 「会食?」 ──今、4人で会食されていましたが。 「いや、4人じゃない、2人なんですよ」 ──お知り合いの女性がいましたが? 「いえいえ、知っている人なんで。たまたま、知っている人が向こうで連れて来られた」 ──じゃあ、2人? 「はい、2人」 ──何を食べていたんですか。 「ラーメン、ラーメン。ここで一番安いラーメンを食べました。だから、会食はできるだけ避ける」 ──食事のお相手はどなた? 「うちの事務所の事務局長。だから仕事です。仕事の延長でラーメンを食いに行ったの」  そう言って、黒塗りの車に乗り込み、去って行った。  その後、本誌の取材で、金田氏と会食をしていた3人は全員、金田事務所の秘書たちだったことがわかった。  金田氏は安倍晋三政権時代の2016年から17年にかけて、約1年間にわたって法務大臣を務めた。その後は自民党幹事長代理を務め、菅内閣発足後の昨年10月に衆院予算委員長に就任した。そんなキャリアを持ちながら、記者の質問には、会食は「2人」とごまかすしかなかったのだろうか。  本誌はその後、会食の席にいた金田事務所の事務局長だという秘書の男性にも経緯をたずねた。秘書は28日、会食の席にいた3人がみな事務所の秘書であったと認めた上で、こう語った。 「昨日(1月27日)は議員会館10階のうちの事務所で会議をやっていて、会議が長引き、もう食事をしようということになって、階下に降り、そのまま向こう(ホテルのレストラン)に行きました。私は代議士と2人で行ったけれど、みんなバラバラに向かいました。向こうで落ち合ったというか、そうなったということですね。前夜に予約を入れていたかどうかは、私はわからないです」  4人の「ラーメン会食」が適切であったかどうかについては、こう続けた。 「議員会館の地下食堂とかへ、うちの事務所の者で行っても同じことになりますよね。そこはなるべく分けていかなければいけないんでしょうけども……」  ちなみに、金田氏が食べたと言った「一番安いラーメン」の値段をホテルのレストランにたずねたところ、消費税込みで1人約3300円、ランチのセットで注文すると約4500円とのことだった。 (本誌・上田耕司) ※週刊朝日オンライン限定記事
週刊朝日 2021/01/28 19:36
40代男性の告白「自殺を考えた」 ”コロナ後遺症”に悩む患者の深刻な現実
40代男性の告白「自殺を考えた」 ”コロナ後遺症”に悩む患者の深刻な現実
 新型コロナの感染が拡大するなか、その後遺症について注目が集まっている。東海地方に住む山田たかしさん(仮名、40代)は、2020年4月に感染して数週間後に退院したが、体調は改善しなかった。体全体が不快感と倦怠感に覆われ、「感染前の生活を送れない」と話す。患者団体の「筋痛性脳脊髄炎の会」によるアンケートでは、約4割の人が「仕事(学校)に戻ることができない」と回答した。同法人の篠原三恵子理事長は「当時、PCRを受けられなかった人で後遺症を発症している人たちは、行政の補填から落とされてしまうのでは」と訴える。コロナ後遺症の患者たちに何が起こっているのか。各地に取材をした。 *  *  *  山田さんは退院後、10月にME(筋痛性脳脊髄炎)と診断を受けた。MEを発症すると、体に鉛をつけたような強い倦怠感に悩まされるという。 「動くと、息苦しさと疲れ、同時に皮膚のヒリヒリが続きます。3日間寝れない時もあって、ちょっと無理をすると、一日の最後にダメージがきてしまいます。自殺を何回も考えました」(山田さん)  コロナに感染する前、山田さんは寺の住職、そして地域の自治会長として多忙な毎日をおくっていたという。 「感染前は毎日朝早くから夜遅くまで仕事していました。犬の散歩や体力作りのための筋トレが日課でしたが、いまは一切できません。少しでも体に負担がかかることをすると、その疲れと息苦しさ、皮膚の痛みが襲ってくるんです」  山田さんは持病に気管支ぜんそくを患っていたが、そのときに感じた息苦しさは、これまでのものとは異なり、違和感がある”息苦しさ”を感じるものだったという。検査の結果、陽性反応が現れ、そのまま感染症指定医療機関へ入院した。  幸いなことに、山田さんは重症化せず、検査結果は2回連続で陰性。3週間ほどで退院した。だが入院時と退院時の症状が変わっていなかったという。 「息苦しさはもちろん、37度前後の微熱が続き、目は充血したまま。加えて頭の奥がずっと痛かった。まさかこの状態で陰性になるとは思いませんでした。変わらない症状に不安を抱き、先生に質問すると、『大丈夫だ』と言われました」  退院後、担当医から「1カ月ほど安静にして、外出を控えるように」と指示を受けたが、自身の症状に不安を抱き、2カ月の自粛生活を続けた。当時、買い物は友人や恋人、山田さんの姉がしてくれたが、自粛を終えた後も、山田さんに感染前の生活スタイルが戻ることはなかった。 「ヒリヒリ感といった肌の痛みと体全体に走る激痛、37度前後の微熱、鉛を付けられているかのような体のダルさ、熟睡ができないほどの睡眠障害、そして、記憶障害があります。物事をパッと思い出すことができず、考え事をしても頭の中が真っ白なんです」  入院時の担当医を受診しても「あとはメンタルの問題」と言われた。メンタルクリニックへの受診を勧められ、そこでうつ予防の薬をもらった。だが、その薬を飲んだ後、山田さんは救急車で病院に運ばれてしまう。症状に危機感を覚えた山田さんは、インターネットで症状を調べ続け、ある病名へとたどり着く。それが、筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)だった。難病の一種で、体力の極度な消耗、息苦しさ、全身の倦怠感、頭のふらつき、眠気などを合わせた疲労がでるという。そして体の痛み、集中力や記憶力の低下といった症状が6カ月以上続くという。  実はこの”筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)”は、新型コロナウイルスが原因で発症する可能性があると言われている。アメリカやヨーロッパでは流行当初から注意喚起がなされている難病だった。国立精神・神経医療研究センターの山村隆医師はME/CFSについて、こう説明する。 「新型コロナはME/CFSを引き起こす可能性があります。極度の体力消耗といった身体的負荷、作業後の消耗、認知機能障害、過眠や不眠といった睡眠障害など、いくつもの症状が同時に発生します。これが6カ月以上続くと、ME/CFSの可能性が高い。中には歯ブラシを持つことすら不自由な人がいたり、腕を持ち上げれず、髪の毛を3カ月間洗えない人もいました。症状の一番のポイントは、”集中力や思考力の低下”といった認知機能障害です。本を読んでも集中して読めない。2~3行読んだら疲れてしまい、読んだ内応を忘れてしまう。学校へ行っても教科書を読めないですし、仕事をやられている方は書類をきちんと読めない。頭の中にモヤがかかっていると言われることもあります」  ME/CFSを発症すると脳にどのような影響があるのか。そもそも原因は何か。山村医師が話す。 「ME/CFSにかかると脳(中枢神経系)に異常をきたします。認知、言語、ワーキングメモリーで重要な役割を果たす右上縦束という大切な部分に異常が出ることはわかっています。ME/CFSが起こる原因は、まだよくわかりません。しかし、体内から排出されていないウイルスに免疫系が過剰に反応して暴走し、脳の中で炎症反応を起こし、症状が起きているのではないでしょうか。ME/CFSは全身の脱力により、発症前の日常生活に戻ることができない病気ですが、周囲の人には患者さんの訴えが理解できず、怠けているのではないかと言われることすらあります。また、病院で受ける血液や脳の検査では異常が出にくく、患者さんによって症状の組み合わせが異なったりもしますため、医師も診断がしにくいのが現状でしょう。ME/CFSに詳しい医師の数も日本では少ないのも問題点のひとつです」  こうした実態を受け、患者団体の「筋痛性脳脊髄炎の会」は、COVID-19後の体調不良(後遺症)が続いている人がME/CFSを発症する可能性を調べるため、20年5月31日~8月31日にインターネット調査を実施し、326人から有効回答数を得た。検査数抑制のためにPCR検査を受けられなかった人や陰性となった人も調査対象とした。その調査では、40.5%(132人)が「仕事(学校)に戻ることができない」と回答し、11.3%(37人)が「身の回りのことができない」、12.6%(41人)が「寝たきりに近い」、3.7%(12人)が「基本的動作(飲み込みや歩くなど)を学習する必要がある」と答えた。その後、専門医の診察や検査を経て、5人(陽性1人、未検査4人)がME/CFSの確定診断を受けた。また、ME/CFSの症状を呈した人は全体の27.9%(91人)だった。PCR検査陽性の人が6人(陽性患者全体の22.2%)、陰性が26人(陰性患者全体の31.7%)で、未検査が59人(未検査患者全体の27.2%)という結果だった。  同団体の理事長を務める篠原三恵子さんは、調査結果についてこう話す。 「日本においても、新型コロナ感染後にME/CFSを発症した人が確認されました。さらに、多くの人がこれまでの生活を送れなくなった実態が浮かび上がってきたのです。私たちが一番心配をしているのは、20年1月から5月あたりのPCR検査が抑制されていた時期に、PCR検査を受けられなかった人たちが後遺症に苦しんでいることです。新型コロナに感染してもPCR検査すら受けられなかった方たちは、治療の面でも精神的な面といった違う意味で、より困難な状況に追いやられています。こうした問題を解決するためには、PCR検査を希望する全ての人が検査を受けられるよう、今からでも検査体制の拡充が大切ではないでしょうか」  20年1月18日、聖マリアンナ医科大学は新型コロナウイルスの後遺症についての専門外来を開設した。各病院による専門外来の開設が続く中、厚生労働省は同年8月から21年3月までの予定で、実態調査に乗り出している。国による調査・研究結果が出ない一方で、後遺症についての不安が続く。(板垣聡旨)
dot. 2021/01/28 17:00
老舗ホテルが生き残りをかけ、テレワークや終電対応 “苦渋の選択”で 休館・営業縮小も
老舗ホテルが生き残りをかけ、テレワークや終電対応 “苦渋の選択”で 休館・営業縮小も
宇都宮グランドホテルの外観=同ホテル提供 庭園に面したカフェ=宇都宮グランドホテル提供  新型コロナウイルスの感染拡大の影響に昨年来、振り回されてきた宿泊業界。年が改まっても主要都市圏に再び緊急事態宣言が出されるなど、苦境が続く。長年、多くの観光客らに愛されてきた老舗ホテルも例外ではない。一部に休業や営業縮小の動きが見られる一方で、生き残りをかけて新たなサービスを打ち出すホテルもある。それぞれの取り組みを追った。 「苦渋の決断をいたしました。せめて今よりは感染者数が減少し終息の兆しが見えるまで、すべての営業を休むことといたしました」  1月16日付の栃木県の地元紙にこんなメッセージを載せ、同18日から2月28日まで休館することを発表したのが、宇都宮グランドホテル(宇都宮市)だ。皇族をもてなす割烹(かっぽう)旅館から始まり1971年に開業した名門ホテル。日本庭園を含む約2万坪の敷地面積を誇る。 「年末年始、新型コロナの感染状況やその報道を見ながら、休館すべきかどうかで悩んでいました」  同ホテルの小林博昭副社長はこう振り返った。「昨春の緊急事態宣言中、都内の百貨店は休業していましたが、今年は初売りも行われ、買い物や食事を目的に人が出ていくのだろうと思いました。宇都宮にも東京同様、百貨店やショッピングモールがあります。私どもの宿も一定の規模面積を持っていて、人の流れを生み出す一因になっている。それなら、せめて私どもだけでもそれを止めたいと考えました」  栃木県や宇都宮市の営業時間短縮の要請に応え、1月8日には館内のレストランなどの短縮営業を開始。まもなく13日には、同県が緊急事態宣言の対象地域に追加され、「中途半端に営業を続けるより、もう施設を閉めるべきだ」(小林副社長)と決断した。  約1カ月の売り上げがゼロになるのは、覚悟の上だ。 「昔から『二兎(にと)を追う者は一兎(いっと)をも得ず』と言います。仮に従業員やお客様に感染者が出て、それが全国区のニュースになってしまえば、“イメージダウン”によるリスクのほうがはるかに大きい。休業期間中、宴会などの予約のあったお客様には営業再開後に予定を移してもらえないかと、アプローチをかけています」(同)  一つのリゾート地にいくつものホテルを抱えるプリンスホテルは、エリア内での「営業集約」を進める。長野県軽井沢町を拠点とする「ザ・プリンス軽井沢」は2月8日まで臨時休業するものの、「軽井沢プリンスホテル」は営業を継続。後者が、前者の宿泊予約を束ねる。  軽井沢地区で事業戦略支配人を務めるプリンスホテルの別府敏直氏は、「感染拡大防止」と「営業効率向上」を両立するため、こうしたやり方にしたと説明。営業再開後は「(仕事と休暇を兼ねた)ワーケーションや近場旅行の需要に応えるサービスを充実させ、アフターコロナ時代の新たなホテルの使い方を提案していきたい」という。  一方、今回の緊急事態宣言をきっかけに、テレワーク対応などのサービスを強化した老舗ホテルもある。  ホテルニューオータニ大阪(大阪市)は、平日限定のテレワークプランを提供する。午前9時から午後6時まで滞在でき、料金は1室あたり1万3千円(2人まで同料金)。昨年の緊急事態宣言下で同様のプランを提供して反響が大きかったため、抗ウイルス・抗菌スプレーやホテルオリジナルのマスクケースをつけるなどしてプランをリニューアルした。開始1週間で、50件超の予約があったという。  品川プリンスホテル(東京都品川区)も、チェックイン時間を客自身が自由に決められるプラン「フレックス10」を開始。料金は8千円からで、最長10時間滞在できる。テレワークだけでなく、“終電繰り上げ”にも対応する。 「事前予約はテレワーク利用が多く、宿泊直前に予約されるのは終電を逃したケースだと思われる。今後は日中と夜間、いずれの時間も予約が増えると見込む」(ホテル担当者)。プリンス系列の都内8ホテルでも提供され、予約も上々だ。  料理のテイクアウトに力を入れるのは、福山ニューキャッスルホテル(広島県福山市)だ。年明け後、宿泊や宴会場・レストランの予約キャンセルが相次いだ。 「通常、企業の例会などで地元客の利用が多い時期ですが、今年は新型コロナの影響で控える傾向が強い。全国的な自粛ムードの強まりが、地元客の心理にも影響を与えている」と総支配人の萩原直純さんは話す。そこで、昨年の緊急事態宣言を機に始めたテイクアウト商品を強化。「今後はケータリングなど、ホテル側からお客様のところに自ら出向く取り組みに力を入れていく予定です」  コロナ禍における、老舗ホテルそれぞれの選択ーー。ホテル評論家の瀧澤信秋氏は「どのホテルも『災い転じて福となす』という発想が根底にある」としたうえで、次のように解説する。 「『営業停止』というと悲惨なイメージを持たれがちですが、施設のクローズはホテル側にとって管理費削減や自社サービス見直しのチャンスです。営業集約をすれば、同じグループ内のホテルで従業員の行き来ができて効率的な営業が可能となる。また、テレワークなどの新規プランを打ち出せば、世間の注目が高まり、緊急事態宣言解除後の集客を期待できます。どのホテルも、コロナ『後』を見据えての選択であることに変わりはないでしょう」  そして、観光・宿泊へのニーズは再び高まるはずだと強調する。「今は外出を自粛せざるを得ない状況でも、『コロナが収まれば旅をしたい』と思っている方は多い。時間はかかるかもしれませんが、旅への潜在的な欲求を多くの人が持ち続ける限り、観光産業は時間をかけて復活していくと思います」 (本誌・松岡瑛理) *週刊朝日オンライン限定記事
新型コロナウイルス
週刊朝日 2021/01/28 08:02
遺族を先々まで悩ます 「親の死」という反面教師
旦木瑞穂 旦木瑞穂
遺族を先々まで悩ます 「親の死」という反面教師
写真はイメージです(C)GettyImages 親の背を見て子は育つ。子どもは親の生き様から学ぶという意味だとすれば、おそらく死に様にも同様なことがいえるだろう。だが、死に方を親から学ぶのは難しい時代だ。元気な頃から死後について話し合うのははばかられるし、離れて暮らしていればその機会すら得られない。しかし、死は誰にも必ず訪れる。「親のような死に方はしたくない」という人がいる。「親の死」を反面教師にする人は、親を看取るまでに何を感じ、何を学び取ったのか。 親の死に目の後にしか得られない、先の話に耳を傾けてみたい。 ■元自衛官の父親の異変 「お義父さん、さっきからずっとしゃっくりしてない?」  こう妻が言ったのは、2010年の年末のことだった。東海圏にある実家に夫婦で帰省し、両親と夕食を食べた後、父親が洗面所に立ったまま、ずっとしゃっくりをしていたのだ。  現在関東在住の高木大樹さん(仮名・40代)は気にもとめなかったが、妻が「病院へ行ったほうがいいよ」と言うので、高木さんも両親に受診を勧めた。  当時、高木さんの父親は70歳。母親は66歳。高木さんは月に1回、実家に電話をかけて両親の様子を伺っていたが、父親は一向に病院へ行く気配がない。高木さんが受診を促しても、決まって「俺は自衛隊で鍛えられてきたから健康には自信がある。心配いらん」と言われるだけだった。  しかしその後、2012年5月に帰省したが、高木さんから見ても、父親は明らかに調子が悪そうだった。妻の両親との会食時、大好きな刺し身もお酒も進まず、会話もぎこちない。高木さんは改めて受診を促して帰った。  6月に電話をすると、父親の方から「ちょっと胃の調子がおかしいから、検査に行ってくる」と言った。  そんなある日、突然母親から電話がかかってきた。「お父さん、病院へ行って検査してきたんだけど、先生から電話があって、『家族に説明があるからすぐに来てほしい』って言うの。1人だと不安だから来てくれない?」  高木さんは嫌な予感がした。  すぐに新幹線に乗り、母親と病院で落ち合うと、医師は言った。「お父さんはステージ4の食道がんです。おそらく半年保たないでしょう」。  母親は、「お父さんには余命は伝えないで」と言う。そのため高木さんは、「末期の食道がんらしいから厳しいよ」とだけ父親に伝えた。  高木さんは仕事があるため、その足で関東へ戻る。帰りの新幹線の中で、その日病院に来られなかった姉に電話した。 「姉は泣いていました。新幹線のデッキでの通話は電波が悪く、よく途切れましたが、何度途切れてもすぐにかけ直したくてたまりませんでした。冷静に考えれば、新幹線を降りてからゆっくり話せば良かったと思いますが、今思えば、そのくらい動揺していたのだと思います」(高木さん、以下同) ■死を受け入れない父親  父親は抗がん剤治療を開始。高木さんは両親を気遣い、月に1度帰省した。  ある日、高木さんが主治医と話していると、「私は自衛隊の人をたくさん見てきました。お父さんは軍人だから、不測の事態も覚悟していると思いますよ」と言われる。高木さんは違和感を覚えた。父親に、覚悟をしている様子が全く見られなかったからだ。 「父は会うたびに、『俺は自衛隊で鍛えられてきた』『奇跡は起こる。元気になる』と繰り返すばかりで、全く死を受け入れていない様子でした。しかしそう言われ続けると不思議なもので、言われた方は『元気になるかも』と思えて来るんです。だから私も、『元気になるよ。頑張って』と返していました」  父親は宣告された余命半年を超え、2013年の3月頃には本当に元気になっていた。顔色も良く、ずっと調子が悪くて思うように食べられなかった好物の落花生も、好きなだけ食べられた。「言っただろ。俺は復活するんだ」と父は言い、高木さんは「良かったね」と笑った。  ところが4月。高木さんが会いに行くと、父親は別人のように変わり果てた姿でベッドに横たわっていた。目はうつろで顔は土気色、声をかけても反応が薄く、がんによる疼痛にひたすら耐えて唸っている。 「父は死を受け入れていなかったため、緩和ケアを受けていません。母も、父は回復すると信じ、一縷の望みをつないでいたため、緩和ケア病棟に移るという選択肢を考えてもいませんでした」  4月に主治医が変わったことをきっかけに、父親はがん性うつを発症。高木さんが病室に入ってきても、持ってきた妻や娘の写真を見せても、ほとんど意識を向けず、「痛い痛い、辛い辛い」と、痛みに耐えるのに精一杯の様子だった。  そして5月。夜中に母親から「父危篤」の電話が入る。翌朝の新幹線に乗るため、準備をしている最中に父親は亡くなった。72歳だった。「お父さん死んじゃった…」という母親に、高木さんは「ああ、そう。今向かうから」とだけ答えていた。 ■父の最期の姿  高木さんは喪主として、通夜も葬儀も粛々と、そして淡々とこなした。  しかし、通夜も葬儀も火葬も、一周忌になっても三周忌になっても、父親の墓前や仏壇に手を合わせるときに思い出されるのは、自分のことで精一杯になり、ベッドで苦しんでいる姿だけ。「親父、帰ってきたよ」と心の中で声をかけても、対話ができる状態ではなかった。 「3月に一度、奇跡のように回復したのは、今ならラストラリーだったのだとわかりますが、当時は分かりませんでした。父と話す時間は十分あり、本当は『死ぬとしたら最後に誰に会っておきたい?』という話をしたかった。よくドラマにあるような、『俺はもう長くない、母さんを頼むぞ』とか、『今までありがとな』とか、『ありがとう』『さよなら』みたいにピリオドを打てるような場面がなかった。父だけでなく、家族皆、死に向き合っていなかったからです。最期まで父は死をタブー視していましたが、それは私たちも同じでした」  高木さんが会いに行くと、「よお!」と手を上げ、別れ際は「車に気をつけろよ」「健康第一だぞ」と父親は元気なときから紋切り型だった。そのことに高木さんは、どこか他人行儀なよそよそしさを感じ、残念な気持ちを隠しきれない。 「父はもともと、自分のことをあまり話したがらない人でした。私は、父のことは嫌いではありませんが、とても遠い感じがします。だけどもちろん尊敬しているし、感謝もあります。反面教師にしているのは、家族に『遺言』的なものを遺さなかったことです。復活するつもりでもいい。テンプレートでもいいから、『俺はまだ生きる。生きるつもりだが、万が一のときは母さんを頼むぞ』みたいな言葉がない。別れの挨拶がないのは、料理を作ってもらったのに『ごちそうさま』を言わないのに似ている気がします。遺していく家族に対して、最後の責任が果たされていなかったように感じるのです」  高木さんは、「父は、アイデンティティが保てないほどの苦しみに襲われることも、予想していなかったように思う」と語る。 「苦しむ姿を見せるのは仕方ない。だけどもしも『ありがとう』『さよなら』という場面があったなら、私が父に手を合わせるときに思い出すのは、その場面の父の姿だったと思います…」 ■理想の死に方  最後に高木さんに、自分が死ぬときは、どういう死に方をしたいかたずねた。 「『独りよがりではない、後悔のない死に方』です。例えば隕石が落ちてきて死んだら、私自身『仕方ない』と思えるし、親しい人たちもそう思ってくれるはず。しかし、死につながる病気や怪我を抱えながら、『俺は大丈夫だ。絶対に復活する』と言って誰にも何も伝えずに亡くなるのは無責任。実現可能なレベルでの、最善を尽くすべきだと思うのです」  高木さんは、「まだ余命宣告されたことがないから言えるのかもしれませんが」と断りを入れた上で、「普段の生に責任を持って生きていたい」と力を込めた。つまり父親は、「自分の生に責任を持っていなかった」と高木さんはいう。 「父は死を、“自分の死”としてしか捉えていませんでした。父の死は私たち家族にとって“家族の死”であり、定年はしていましたが、“仕事仲間や友だちの死”でもあったはずだと思うのです」  さらに高木さんは、「健康な頃から死をタブー視せず、死に対して覚悟を持って生きたい」という。確かに、死をタブー視すると家族に変な配慮をさせてしまう。父親の場合も、家族がメンタルに配慮してはっきり余命を伝えなかったために、ピリオドが打てなかった可能性もある。 「自分の死はもちろん、親しい人の死でも、最低限想定して生きたいと思います。それでも、父のステージ4を知ったときには動揺したので、どれだけ備えても動揺はするでしょう。しかし、死の宣告を受けるときや、死に至るときは、自分が消失するだけではなく、周りにもショックやストレスを与えるということ。人間社会で生きている限り、『自分の死は自分だけの死ではない』と思って生きるべきということを念頭に置いて、生きていこうと思っています」  高木さんは、父親の死を経験したからこそ、母親にはタブーを取り払い、「人間はいつかは死ぬんだから、今のうちにやりたいことをやっておきなよ」と言えるようになった。  ひと昔前は、胃がんなのに胃潰瘍だと言われて亡くなるケースも少なくなかった。  理想の死に方は人それぞれだが、死を前にして、心や持ち物の整理をして死ぬのと、それをせずに死ぬのならどちらがいいだろう? 「死んだ後のことなど…」と思わず、一度向き合ってみてはどうだろうか。 (文・旦木瑞穂)
がん病気親の死
dot. 2021/01/28 08:02
早期退職後の「第2の人生」成功のカギは? 経験者“疎外感”に悩む
早期退職後の「第2の人生」成功のカギは? 経験者“疎外感”に悩む
※写真はイメージです (GettyImages) 早期退職後の人生を成功させる5カ条 (週刊朝日2021年1月29日号より)  新型コロナウイルスの影響で企業の業績が落ち込み、大手が相次いで早期退職を募っている。新たな人生を歩むきっかけになる半面、安易に決断すると後悔しかねない。“折り返し”の人生を楽しく走り続けるポイントとは? 早期退職の経験者たちが直面した悩みなどから学ぼう。  西日本で暮らす男性は52歳だった2年前、大手メーカーを早期退職した。30年ほど働いた会社では、管理職だった。  当時は責任ある立場で、朝から夜まで飛び回って「心身ともだいぶ疲れていた」。さらなる昇格も難しくなり、辞める数年前から退職を考え始めていたという。資金準備も進めていたところ、会社が早期退職を募集し、割り増し退職金も出たので、「自分から手を挙げて応募した」。  会社都合による退職で、辞めて1年ほどは失業手当をもらえた。妻や子どもとの4人暮らしは、そうしたお金などでまかなえている。家族と旅行を楽しんだり、仲間と飲み会を開いたりして、自由で気楽な身分になったと感じていた。  だが、そんな自由さを満喫できたのは、最初の1年ほどだったという。「退職して、会社や会社員の居心地の良さをつくづく感じた。不自由になりたいわけではないが、次に何かやることを探さないと……」。会社中心の生活は、ある意味で楽だったと振り返る。  いまはやることなすこと、すべて自分で決めないといけない。早期退職の決断を改めてたずねると、「良かった面もあるが、正直なところよくわかりません」。  東京商工リサーチがまとめた上場企業の「早期・希望退職募集」によると、実施見込みを含む2020年の判明分(速報値)は91社にのぼり、リーマン・ショック直後の09年の191社に次ぐ高水準だった。91社のうち、半数ほどが直近の決算で赤字に陥ったという。募集人数は確認できただけで1万8635人と、12年の1万7705人を上回った。  具体的には、日立金属が1030人、レオパレス21が1千人、コカ・コーラボトラーズジャパンホールディングスが900人、ファミリーマートが800人、東芝が770人、シチズン時計が750人──などだ。  関東在住の40代女性は、新型コロナで経営悪化した健康食品会社の早期退職に応じた。失業手当を受けてハローワークに通うものの、なかなか再就職先が見つからない。このまま仕事が見つからないと、「生活保護を受けることも考えている」と話す。 「早期退職して次の仕事をどう考えるか、が課題です。収入が低くなった仕事をすんなりと受け入れられる人は少ない。ホワイトカラーの人が、いきなりブルーカラーの仕事を受け入れることはできない」  自らファイナンシャルプランナー(FP)の資格を持つ、ファイナンシャルリサーチの深野康彦代表はこう指摘する。  早期退職は、自分の意思で辞めるケースと、リストラなど外部要因で辞めるケースの二つに大きく分けられる。  とくに後者は、住宅ローンや教育費などが残っていることが多く、再就職などで収入を得る道を考えなければならない。  もちろん、前者のケースでも「成功するポイントは『家』にあり、住居費のかさむ人はかなりの金融資産を持っていないと厳しい」(深野氏)。いずれにしても、早期退職の成功には、生活自体を“ダウンサイジング(縮小)”することが必要だとされ、生命保険や通信費などを大胆に見直したほうがいいそうだ。逆にいえば、普段から生活をコンパクトにし、やりくり上手な人が成功しやすいという。  関東に住む男性は20年3月、55歳でコンサルティング会社を早期退職した。53歳のときに病気で妻に先立たれ、いまは一人暮らし。辞める前の早い時期から服や家具、本やCDなどを“断捨離”し、生活のダウンサイジングを実践していた。月16万円で暮らせるようになっていたため、仕事をいつ辞めても大丈夫だったと振り返る。  資金面にそれほど心配がなかった男性にとって、予想外につらかったのは“疎外感”にさいなまれたことだという。退職して数カ月後は、とくに「気持ちがどん底に落ちた」。かつての職場の同僚がコロナ対応に忙殺されていたことから、罪悪感にも襲われた。  それを乗り越えられたのは、学生時代の仲間とのつながりを再開したことがきっかけだ。いまはZoomを通じて、こうした仲間や職場の同僚たちとコミュニケーションをとるようにしている。  同11月以降、人材教育関連会社からの業務委託で仕事も舞い込んだ。人材教育を担当した経験を生かし、幸せを実感できるようになった。 「仲間づくり」も大事なポイントだ。 「暇で何もすることがなく、母親と話すぐらい」  58歳で早期退職したという中部在住の男性は、退職直後の様子を振り返った。かつての仕事仲間を訪ねたところ、「何をしに来たのか」と言わんばかりの雰囲気で“邪魔者扱い”。図書館で新聞や雑誌を読みまくっても、時間を持て余した。「暇で暇でしょうがなかった。誰かとつながりがないとすごくさみしく、社会とのかかわりを断ち切るのは無理と思った」  そこで男性は、異業種交流会などに参加。いまでは自ら交流会を主催することもあり、生活に潤いが戻った。  48歳で早期退職した北海道在住の男性も、「仕事以外の友人関係が希薄で、仕事を辞めてそれに気づいた」という。退職直後は一人暮らしでも大丈夫だとたかをくくっていたが、「自分が無力だとわかり、引きこもりになると感じた」。  人との交流を求めて、地元の飲み屋にも通うようになり、高校の同窓会にも久しぶりに顔を出した。すると、経営者の同級生から「手伝ってほしい」と声をかけられ、その会社に再就職したというのだ。引きこもってばかりいては、人生は損をしてしまう。(本誌・浅井秀樹) ※週刊朝日  2021年1月29日号より抜粋
週刊朝日 2021/01/24 08:02
「スポンサーの意向が絶対」民放の地上波ドラマから飛び出した WOWOWドラマプロデューサー・岡野真紀子<現代の肖像>
「スポンサーの意向が絶対」民放の地上波ドラマから飛び出した WOWOWドラマプロデューサー・岡野真紀子<現代の肖像>
「行き過ぎ」といわれるほど、現場に通う。「目撃していないと、大事なことが分からなくなるから」(撮影/今祥雄) 「トッカイ」主演の伊藤英明(右)とロケの合間に。関係者とはきめ細かいコミュニケーションを欠かさない。毎年、手書きのメッセージを添えた年賀状を1200枚ほど出す。「八方美人」の呼称は、いまや「万方美人」に拡大(撮影/今祥雄) 「コールドケース~真実の扉~」シーズン3のプロモーションイベントで司会を務める(左)。主演の吉田羊とともに三浦友和、永山絢斗、光石研、滝藤賢一が登場(撮影/今祥雄)  プロデューサー、岡野真紀子。WOWOWで初めて作ったドラマが、山口県光市の未成年者による母子殺害事件の被害者を描いた「なぜ君は絶望と闘えたのか」。それからも「しんがり」「コールドケース」「坂の途中の家」など重みあるドラマを多く手掛け、1月から「トッカイ」がスタート。プロデューサーの岡野真紀子は、怒りをもって闘う人間が好きだと言う。有意義なドラマを作りたいと、使命感を燃やす。 *  *  *  群馬名物、赤城おろしが吹きすさぶ12月、前橋市内でテレビドラマ「トッカイ~不良債権特別回収部~」のロケが進んでいた。コロナ禍が続く中、俳優もスタッフもみな、マスク姿で本番を待つ。一人の感染者も出さないように。それでいて、人と人がぶつかりあう、ドラマならではの臨場感を損なわないように。戸外で音を立てる北風は、その困難な状況を覆って、なお冷たい。  昨年来のコロナ禍は、私たちの日常からさまざまな楽しみを奪っている。当たり前のように生み出されてきたテレビドラマもその一つだ。緊急事態宣言下にあった4月から5月は、撮影中止、放送延期に追い込まれる作品が続出した。  それ以前に、日本のテレビドラマにはすでに大きな逆風が吹いていた。動画配信サービスが急激に浸透する中で、ネットフリックスやアマゾンが豊富な資金でオリジナルのドラマを制作し、話題を取る。地上波では「半沢直樹」のような勝ち組ドラマとその他、のようにいびつな視聴率格差が出現している。  その中で異例の存在感を発揮しているのが、WOWOWドラマ制作部のプロデューサー、岡野真紀子(おかのまきこ)(38)である。  男性優位のテレビ界で、まだ40歳に手の届かない岡野が手がける作品は、「トッカイ」をはじめ、「しんがり~山一證券 最後の聖戦~」「石つぶて~外務省機密費を暴いた捜査二課の男たち~」と、昨今の地上波ではすでに見ることのない重みのある“社会派”だ。  一方、昨年5月、自粛期間の只中に打ち出した「2020年 五月の恋」では、リモート時代におけるテレビドラマの新しい形を率先して示した。岡田惠和の脚本、1日15分の4夜連続、ネット上で無料配信。吉田羊、大泉洋が演じる元夫婦が、間違い電話をきっかけに、二人だけに通じる辛辣な会話を交わしながら、コロナ禍の中で奇跡的に仲を取り戻す予感で終わる。  苦しい現実と、その先にある希望が交差する物語は、自粛のプレッシャーにさらされる人々から「このご時世に、こんなに素敵な最終回」「何げない面白さに励まされた」という共感を呼んだ。  岡野はドラマを次のようにとらえている。 「震災、コロナ禍、または家族の病気と、つらい現実に直面した時に、人を救ってくれるものの一つがドラマです。私にとっては現実逃避であり、同時にエンターテインメントで、テーマが暗いか、明るいかは関係ありません。そして、自分が作るならば、少しでも有意義なものにしたい」  今から10年以上前。鬼怒川温泉で岡野は警官の職務質問にあっていた。直前までスタッフとともに、吊り橋からマネキンを何度も川に投げていたというから、警官だって見逃せないだろう。 「はい、人をどう殺せばいいか、それを考えていました」  04年に新卒でTBSテレビ系の制作会社テレパックに入社。ドラマ制作のAD(アシスタント・ディレクター)を経て、AP(アシスタント・プロデューサー)を務めていたが、そこで直面していたのは、民放の地上波ドラマに課せられた宿命的な制約だった。 「端的にいうと、殺し方が限られていたんです。なぜならスポンサーの意向が絶対だったから。製薬会社なら毒殺、自動車メーカーなら交通事故はあり得ない。もちろん当たり前のことではありますが、その結果、崖や吊り橋からの投身しかできなくなっていたんですね」  殺し方だけではない。家電メーカーがスポンサーなら新しい冷蔵庫なりを、どこかで必ず映さねばならない。そうなると、本筋とは関係ないところでドラマが停滞する。仕事に打ち込んでいた分、フラストレーションは大きかった。  そんな時、WOWOWで観たドラマに衝撃を受けた。同局の看板プロデューサー、青木泰憲(やすのり)が制作した「パンドラ」。がんの特効薬をめぐる医療サスペンスで、そこでは毒殺をはじめ、あらゆる禁じ手が堂々と使われていた。  なぜそれが可能だったか。WOWOWがスポンサー収入ではなく、契約者が支払う加入料金で経営される有料ペイチャンネルだからだ。ここに新天地を感じ、09年、同社に中途採用で入社する。  1982年生まれの岡野には、ドラマ好きの素養があった。子どものころから無類の読書家で、中高大は演劇部に所属。思春期に夢中で観た安達祐実主演のドラマ「家なき子」は今も原点にある。  岡野が10代だった90年代は「愛していると言ってくれ」「ロングバケーション」など、ラブロマンスも輝いていた。岡野自身も、放課後にミニスカート、ルーズソックス姿で、友達とプリクラ三昧という、キラキラな青春を送っていた。  スポンサーの制約から逃れ、新天地を得たのであれば、そのような「女子ドラマ」を志向してもおかしくなかった。しかし、岡野がここで選んだデビュー作は「なぜ君は絶望と闘えたのか」。山口県光市で起きた、未成年者による母子殺害事件の被害者を、門田隆将(62)が描いたノンフィクションが原作で、重すぎるほど重いテーマである。  この事件は、残虐な罪を犯しても、加害者が未成年であれば少年法に守られる一方で、被害者遺族の苦しみや、知る権利が置き去りにされているという制度のねじれを内包していた。被害者の夫、本村洋が全力を振り絞って、遺族の権利保障を世に訴える姿は、メディアを通して全国に伝えられ、注目度は抜群だった。 (文・清野由美) ※記事の続きはAERA 2021年1月25日号でご覧いただけます。
AERA 2021/01/23 17:00
瀬戸内寂聴「100歳」を理由に言い訳!? 「いい気持よ」と感慨も
瀬戸内寂聴「100歳」を理由に言い訳!? 「いい気持よ」と感慨も
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。近著に『寂聴 残された日々』(朝日新聞出版)。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。(写真=横尾忠則さん提供)  半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * ■横尾忠則「極楽トンボでコロナと共生共存しよう」  セトウチさん  2021年が明けましたね。顔面は如何ですか。もうすっきりされたと思いますが? 僕は数年前、顔面神経麻痺(まひ)になってあわや福笑い顔になるところでした。その少し前に描いた自画像は目鼻口がキュビズムみたいにデタラメに付いた絵でした。そしてその通りになりました。想念は一度四次元を通過して三次元に物質現象となって現れます。だからデタラメの想像は危険です。ですから、セトウチさんもスッキリした美人顔を過去完了形で想念して下さい。必ず想(おも)い通りになります。  コロナは最低最悪ですが、日夜このことを思念すると、相手のコロナはますます、増長します。無視しましょう。と言う僕はムチャクチャの絵を描いています。画家に転向した時ムチャクチャからスタートして、少し見れる絵を描いたら、それに飽きて、またムチャクチャの絵にマッシグラです。ガキの描いた絵のような色も形もテーマもテクニックも全てデタラメを目指しています。というか身体が言うことをきかないので、その言うことのきかない身体にまかせた結果がムチャクチャというわけです。  と、そんな風に居直ったら、ええ絵を描こうという気が抜けてしまったので気分爽快です。最初から腐(くさ)される絵を目的にしているので気が楽になりました。このまま子供になってしまいたいですね。意欲、好奇心、努力、やる気、評価、ガンバリをはずすと、なんと楽なことでしょう。アホになったのか悟ったのかその境界がない状態です。そのアホ悟り作品が今年は名古屋、大分、東京を巡回します。2022年は上海の現代美術館での個展が控えています。東京ではうんと下手くそな新作20点も発表します。  セトウチさんの百歳目前も驚きますが、僕はもう歳を忘れることにしました。セトウチさんとは競えませんからね。もう、歳のこと言わんことにしました。死ぬ時は何歳で死んでも百歳だと思いましょう。魂がこの世に肉体化した時から数えると、46億年です。地球とどっこいどっこいの年齢です。そう思えば、肉体年齢はあってないようなものです。人間は肉体年齢にしばられているから、年齢を気にするんです。だから、逆にそこに芸術が発生するのかも知れませんねえ。芸術の発生のために人間には年齢が必要なのかも知れませんが、死んだら人間の作った芸術なんて、ちっぽけなもので、死者から見ればどうでもええことだと思いますよ。  まして、世の中の出来事を白黒で論じようとしていることが、何ほどの役に立つんですかね。死んだ時に問われるのはそのような思想や理屈ではなく、自分がどう生きたかという小さい問題が意外と向こうでは大きい問題として評価されるんじゃないでしょうか。ダンテの『神曲』でダンテが、地獄、煉獄(れんごく)を旅させられながら巡る時、生前、社会的に功績を残した人が、意外と自分のエゴで地獄のどん底で苦しめられていたりしているけれど、あれが比喩だとしても笑えないリアリティがありますよね。と考えると、今年もコロナと共生共存しながら、ほどほどに生きていければ、よしとするしかないんじゃないでしょうか。となるとラテン的極楽トンボで生きたいと思います。今日はこの辺で。 ■瀬戸内寂聴「百になってみてごらんなさい いい気持よ」  ヨコオさん  新しい年が明け、早くも一か月が過ぎようとしています。京都は今年は無闇(むやみ)に寒くて、朝、庭が雪で真白(まっしろ)になっている日が多いです。  奥嵯峨と呼ばれるこのあたりの寒気はきつく、数え百歳の年寄には、さすがに応えます。今年に入って、私は二言目には「百になったから…」を口癖にしています。大正十一年、千九百二十二年生まれの私は、今年数えで百歳になったのですよ。まさかね、私が百歳なんて!!  うちのスタッフたちは、私の新語にすでに馴(な)れきって、私がそれを口実に、仕事を遅らせたり、昼過ぎまで起きなかったりしても、「ハイ! 百婆さん、そこに居たら掃除の邪魔になります」と、電気掃除機の柄を容赦なく、私目掛けて掃きつけてきます。  編集者も、もはや原稿の遅れの理由に、「何しろ、百になったからねえ…」と言いかけても、聞(きこ)えなかったふりをして、冷たいさいそくの口調をゆるめたりはしてくれません。百歳なんて、この地球では、もう珍しい出来事ではなくなっています。新聞の死亡通知に、故人の年齢が百いくつとあっても、「あ、そう」と、口の中でつぶやきもしません。  でも、まあ、百になってみてごらんなさい。ちょっと、いい気持(きもち)ですよ!!  私はもう、これから死んでも、百いくつと逢(あ)う人ごとに言うつもりです。  ところで、この往復書簡はよくつづきますね。天才の気まぐれのヨコオさんがつづけるのも不思議なら、飽きっぽい代表選手の私が、黙々とつづけているのも、もっと不思議です。  今年こそヨコオさんに倣って日記をつけようと大決心をしたのに、一日だけ長々書いて、二日からは、頁(ページ)は真白です。この飽きっぽさ名人の私が、原稿を書くことだけは、七十年近くつづいているのが不思議です。大人になったら小説家になろうとは、誰にすすめられたわけでなく、小学校の二年生あたりから、はっきり決めていました。  その頃の小学校は、二年生から「綴(つづ)り方」の時間があったのです。私は「綴り方」が大好きで、いつも、先生が私の綴り方をほめてくれていました。この先生がお産で学校を休み、代(かわ)りにどこかの若い先生が来るようになりました。  この先生は、私の綴り方を見たとたん、私を教員室に呼びつけて、どの本から、この文章を盗んできたかと叱りつけました。こんなりっぱな文章が、二年生のお前に書ける筈(はず)はないと責めるのです。私は泣きだして教員室を飛び出し、走って五、六分のわが家に駆け込み、口惜しさを泣いて母に訴えました。聞き終わるなり、母は割烹着(かっぽうぎ)をつけたまま、私の手を取って小学校へ走り、教員室で若い先生に噛(か)みつきました。「うちの子は生(うま)れつき文才に恵まれて、こんな綴り方くらいお茶の子さいさい。将来は小説家になるつもりでいる」とわめく母を見て、私の将来は決(きま)りました。この母が生れつきそそっかしくて、徳島が空襲された時、日本はもう負けたと、早合点して、防空壕(ごう)から出ず、五十一歳で焼死してしまったのです。近くあの世で逢ったら、「百まで生きるなんて、何と不細工な!!」と笑われることでしょう。はい、では、またね。 ※週刊朝日  2021年1月29日号
週刊朝日 2021/01/22 17:00
自粛めぐる社会の分断を埋めるカギは「想像力」 批判する前に自分も「想像してみる」ことが重要
自粛めぐる社会の分断を埋めるカギは「想像力」 批判する前に自分も「想像してみる」ことが重要
箱根駅伝の沿道で声援を送る人々。主催者は沿道での応援自粛を呼びかけたが、各所で「密」になる場面がみられた/1月3日、横浜市鶴見区 (c)朝日新聞社 年越しの直前、混雑する東京・渋谷のスクランブル交差点/2020年12月31日午後11時58分 (c)朝日新聞社  自分はずっと自粛しているのに、街に繰り出して「密」を作る人が許せない。だがその人たちにも事情があるのかも。互いに想像力を持ち合いたい。AERA 2021年1月18日号では、社会の分断を避けるための「想像力」について取り上げた。 *  *  *  菅義偉首相らが「静かな年末年始」を呼びかける中で迎えた新年。箱根駅伝のテレビ中継には、主催者の応援自粛要請をものともせず幾重にも沿道を埋め尽くす観衆が映し出された。選手が目指すゴール地点で、苦楽をともにしたチームメートや関係者の出迎えがたった1人に限られていたのとは、あまりに対照的だった。  年末年始、自粛を貫き自宅で過ごした人も多いだろう。一方で、一部の神社やデパートなどでは駅伝の沿道と同様、人々が密集していた。  東京都文京区の会社員男性(47)は1日、自宅でおせちを食べながらビールとワインを楽しみ、気持ちの良い正月を妻と2人の娘と迎えていた。  近所には、“ひかわさま”と呼ばれて地元の人たちに親しまれている簸川神社がある。初詣に出かけて良いものかどうか。少しは考えたが、結局、現地の混雑ぶりを確認してから判断することにした。午後2時ごろに神社に着くと、例年と変わらない「密」だった。  家族には少し離れた所で待っていてもらい、参拝の列には男性1人が並んだ。周りの人たちはそれぞれにマスクはしているが、「ソーシャルディスタンス」などあり得ない。それでも男性が列に並んだのには、根拠のない確信があったからだ。 「僕はコロナには感染しないんです。インフルエンザにかかったこともないですから。これまでも普段通り外で仕事をしてきたから、感染するならすでに感染しているはずでしょう」  翌2日は、埼玉県にある妻の実家を訪れた。高齢の義母がいるが、参拝にも帰省にも躊躇はなかったという。  こんな様子がメディアを通じて伝わると、ネットやSNSでは激しい反発も起きる。 「こんな時期なのになぜ?」 「感染しても病院に行くな」  そしてこう責めたてる。想像力が足りない──。 ■実感は危険より「共存」  昨年秋以降、政府は感染拡大に直面していたにもかかわらず制御のための強い対策をとらず、「Go To」事業を中心とする経済対策を優先させた。年明けに緊急事態宣言へと重い腰を上げたが、それまでの間に「大丈夫」という誤ったメッセージが伝わった可能性は見過ごせない。だが一方で、私たちが求められている「想像力」とは何だったのだろうか。  ヒントをくれたのは、元日本テレビディレクターの水島宏明・上智大学教授(テレビ報道論)だ。  水島教授は2017年、上智大学と法政大学の学生たちによるドキュメンタリー映像作品の制作を指導した。その内容を著書としてまとめたものが『想像力欠如社会』(弘文堂)だ。10編のルポルタージュで、他人の痛みや苦境に対する理解が深まらない現代社会の人間模様が描かれている。  制作を通じて学生たちに伝えたかったことについて、水島教授はこう説明する。 「メディアのニュースから伝わる情報は一面的で、今の社会は世の中のディテールが分かりにくくなっています。世の中は白か黒ではなく、ディテールも単純なものではありません。ドキュメンタリーの制作で、社会の現実は伝わってくるものとは少し違うということを知ってもらいたかったのです」  私たちが直面するコロナ禍の社会に置き換えても、同じことが言えそうだ。水島教授も、感染者の苦しみや医療現場の逼迫状況について、詳細が正確に伝わっているのか疑問に感じていると言う。 「最近ではコロナの変異種もそうですが、危険が本当にどの程度あるのか、受け手側は切実には実感できていないのかもしれません。ある意味、逆にコロナと共存できるという実感の方を持ってしまっているのではないでしょうか」 ■メディアの発信も問題  共存可能という実感はいくつもの場面で行動に表れてくるから、批判を浴びる。  イベントは中止されたものの、東京・渋谷のスクランブル交差点では年越しの瞬間にやはり若者が集まった。フランス西部の町・リユロンでは、大規模な集会や夜間の外出が禁止されている年越しのダンスパーティーに2500人が集まり、警察と衝突する騒動もあった。  立正大学心理学部の高橋尚也准教授は、コロナの危機にもかかわらず、こうして普段通りに生活しようとする人たちが出てくるのは、いくつかの理由があると考えている。  一つは、心理学で「心理的リアクタンス」と呼ばれるものだ。感染症の拡大によって自由な行動に制約を受けると心の健康に影響が出やすくなる一方で、外に出て行動することがより貴重な体験に思えてくる。そこで、自由を回復させるための行動につながるのだという。他にも、他者との同調傾向も動機の一つかもしれない。  想像力の欠如についてはどうか。高橋准教授はむしろ、想像するための正確な情報を最初から持ち合わせていない可能性を指摘する。背景として、水島教授と同様、メディアの報道のあり方が関係している可能性があるとみる。 「メディアの議題設定、ないしは取り上げるフレームが劇場型になっていて、個人の行動を方向づける情報が少ない可能性がある。むしろ分科会の発信の方が具体的になっているようです。実行してよい行動の提示も少なくなっており、視聴者が選択肢を持ち得ていないのではないでしょうか」  想像力の欠如があったとしても、それは単に個人の問題ではないというわけだ。 ■一方的な論調には注意  とはいえ、今は再度の緊急事態宣言下にある。自分が感染のリスクが高い人や医療機関の従事者でなくとも、他者に対して一定程度の想像力を発揮するべきだと期待するのは自然なことだろう。 「自分とは異なる人たちが置かれた困難な状況について、関心を持って知ろうとし、また、想像力を働かせるようにしてみてください」  放送大学の北川由紀彦教授(都市下層の社会学)は昨年5月27日、同大で制作した動画で想像力の大切さについてメッセージを出していた。  コロナのような感染症や災害などでは、弱者がより困難な状況に陥ってしまう傾向にあるという現実を踏まえて発した言葉だった。年末年始にみられたような、街に出る人を非難する自粛警察のような動きを踏まえて、あらためていかに想像力を持つべきか考えを聞くと、こんな答えが返ってきた。 「『気付かないうちに自分が感染を拡大させてしまうかもしれないという想像力がないからけしからん』という批判もあるかもしれませんが、そこには様々な見落としがある可能性もあります。例えば家庭内暴力などの事情から家の中が安全ではなく、やむなく外に出ている人たちもいます。他者への想像力とともに、一方的な論調にあおられない心構えも必要です」  これもまた、想像力。密を作る集団の中の個人というディテールは、一筋縄にはいかない。神経質になるタイミングだが、分断をあおる攻撃は避けたい。 (編集部・小田健司) ※AERA 2021年1月18日号
AERA 2021/01/17 08:02
沖縄移住で「大正解」 地方のケアハウス入居がうまくいくケースは?
沖縄移住で「大正解」 地方のケアハウス入居がうまくいくケースは?
※写真はイメージです (GettyImages) 移住者を受け入れる各地域のお薦めケアハウス (週刊朝日2021年1月22日号より) 移住者を受け入れる四国のお薦めケアハウス (週刊朝日2021年1月22日号より) 移住者を受け入れる九州のお薦めケアハウス (週刊朝日2021年1月22日号より)  コロナの感染拡大で、東京都からの転出者が転入者を上回る「転出超過」が、7月以降5カ月連続で続いている。シニア層も希望者が多い地方移住。介護福祉士でもあるライターの栗原道子さんが、年金だけで暮らせる高齢者ホーム「ケアハウス」地方移住編をお届けする。  8年前に大阪から沖縄に移住し、「大正解」と振り返るのは70代のCさんご夫婦。  Cさん夫妻は大阪の泉北ニュータウンのマンションに20年暮らしたが、定年後、夫婦で沖縄旅行に行ったことがきっかけで移住を真剣に考えるようになった。  沖縄市役所で「どこかよい老人ホームはないか?」と相談すると、うるま市の「ケアハウスふくぎ苑」を紹介された。  当初、有料老人ホームと同じと思っていたが、ケアハウスは費用が安く、年金で暮らせるところが多い。その上、県や市など公の補助金で成り立っているので倒産する心配はない。女性の施設長は明るく、スタッフは親切だったので入居を決めたという。ふくぎ苑は自立支援型と介護型の混合型で看取りまで可のケアハウスだ。Cさんの話。 「ここは自立と介護の混合型なので介護の必要な人も一緒に暮らしています。要介護になってから入ると施設内の移動で精いっぱいで、地域に溶け込んで楽しむことは難しいかも。早く決断して移住してよかったと思う」  Cさん夫妻が暮らす2人部屋は35.64平方メートルにミニキッチン(小型冷蔵庫付き)、トイレ、シャワー、洗面台、エアコン、収納、洗濯機置き場がある。1人部屋だと23.4平方メートル。入居一時金は30万円、月費として居住費1万7150円、3食含む生活費4万2490円、事務費(1万円~)などを含めても1人約7万円で暮らせる。 「大阪よりずっと過ごしやすい。沖縄の夏は酷暑と思うでしょうが、ここ(うるま市)では、夏も冬もエアコンは使いません。11月でも半そでのTシャツ1枚。沖縄は別天地のようです。お正月にはお雑煮も出ますし、ゴルフも行けます。病院に行く人はケアハウスの車で送迎してくれます」  Cさんによると、運動会があったり、カラオケ大会があったりと楽しみも多い。  Cさん夫妻は5年10カ月、ふくぎ苑で暮らした後、他の入居者とちょっとしたトラブルがあり、沖縄市の賃貸マンションに移り住んだ。しかし、ふくぎ苑が忘れられず、2年後に出戻り入居。現在も暮らしている。 「戻りたいと相談したら、施設長らが大歓迎してくれた。終の棲家にしたい」(Cさん)  筆者の塾生の中には遠方のケアハウスに行って「地方文化が合わなかった」と退去した人もいた。ケアハウス生活相談員はこう分析する。 「ケアハウスは地方自治体の補助金などで運営されているので、地元の入居者が多い。移住先が故郷や仕事で住んだ経験があるというケースはなじみやすい。親類や頼りになる知人が近くにいれば、こちらも助かります。移住する場合、体験入居制度がある施設を選んで雰囲気をつかむことをお勧めします」  一方、岩手県から瀬戸内海の傍らにある香川県の「ケアハウス屋島」に移住したのは、大正14年生まれの女性Dさん(95)だ。Dさんが移住を決意したのは88歳のとき。 「夫が亡くなり岩手の家で一人暮らしをしていましたが、香川県に嫁いでいる娘が心配して、今のケアハウスを探してくれたのです」  Dさんは現在、自立支援型の1人部屋(24平方メートル~)で暮らし、洗濯や部屋の掃除は自分でする。入居一時金は24万円、3食付きで月費は8万7千円(独自の特別サービス費を徴収)。  もし、軽中度の要介護状態になっても併設の小規模多機能居宅介護施設を利用でき、夜はケアハウスの自室で休める。さらに介護が重度になったら敷地内の「サービス付き高齢者向け住宅」に移り、看取りまで対応できる。 「仲間とコーヒーを飲んだり、併設のデイサービスに行くのも楽しみ。思い切って移住してよかったです」(Dさん)  ケアハウス屋島のスタッフによると、県外からの入居希望者はコロナ感染拡大以降、休止していたが、今後はPCR検査で陰性であれば、受け入れる方向という。 ※週刊朝日  2021年1月22日号より抜粋
週刊朝日 2021/01/15 17:00
東京03飯塚悟志 コンビニ店長も教師役もハマるコント以外でも光る芸人力
丸山ひろし 丸山ひろし
東京03飯塚悟志 コンビニ店長も教師役もハマるコント以外でも光る芸人力
東京03飯塚悟志(C)朝日新聞社  霜降り明星、EXIT、ハナコなど、「お笑い第7世代」と言われる芸人たちの起用が増えている昨今。バラエティ番組からドラマまで活躍を見せる一方、最近は40代、50代の中堅になってさらに人気に火が付くという芸人も多い。  お笑いコンビ・ずんの飯尾(52)は「ぺっこり45 度」「忍法メガネ残し」など、独自の世界観から繰り出されるギャグがお茶の間に浸透。アラフィフなってブレイクを果たした。ピン芸人のヒロシ(48)は自身のYouTubeのソロキャンプ動画が話題に。現在、チャンネル登録者数 100万人を超え、屈指の人気となっている。また、お笑いトリオ・東京03の角田晃広(47)は昨年、高視聴率を連発したドラマ「半沢直樹」(TBS系)で東京中央銀行・証券営業部の三木重行を好演。「半沢」後から角田はCMに引っ張りだこだが、「今年は東京03・飯塚悟志(47)の人気も跳ね上がる」と話すのは週刊誌の芸能担当記者だ。 「東京03のリーダーで、脚本力も高くコント職人という印象が強いですが、一方、昨年12月に放送された『アメトーーク!』(テレビ朝日系)の『ついつい深夜に食べちゃう芸人』で、毎回突っ込みを担当しているアンジャッシュ・渡部建の代役で出演し、的確かつ優しさを感じさせる突っ込みが大好評でした。SNS上でも、『なごんだよ~』『おもしろかった! 神回!』と称賛の声が目立っていましたね。また、昨年12月、雨上がり決死隊の宮迫博之が自身のYouTubeで、『芸人の中でいちばん演技が上手い』というトークテーマにおいて飯塚の名を挙げ、『ただそこに立ってるだけの芝居がめちゃくちゃ上手い』『普通に歩くっていう芝居がいちばん難しかったりするわけ。でもそれが普通に自然にできている』とベタ褒めしていました」  実際、昨年10月期のドラマ「この恋あたためますか」(TBS系)で、コンビニの店長役を好演。現在、CMでは受験生役の加藤清史郎を見守る教師役も見事にこなしている。話題作に出演すれば、角田のように俳優としての知名度もアップするだろう。一方、笑いに対する情熱も凄い。「ザテレビジョン」(2019年8月19日配信)では角田が飯塚について、「お笑い以外の趣味がない人」「四六時中、お笑いが頭から離れないからネタの直しが早い」と語っていたこともある。 「売れない頃、角田が当時組んでいたトリオが解散して『辞める』と言い出したため、才能のある角田を辞めさせずに世に出すことが自分の使命だと思ったとインタビューで明かしていました。また、今までは『どうすれば自分が面白くなるか』ばかり考えていたが、最近は『その場が面白くなればいい』という考えに変わったとも話していましたね。空気を読むのが重要なバラエティ番組で、より力を発揮しそうですし、何より面白い人に対するリスペクトがあるので、見ていて不快感を覚えませんよね」(前出の記者) ■劇団ひとりが慕う理由  加えて、お笑い界では飯塚を慕う芸人も多いという。バラエティ番組を手掛ける放送作家は言う。 「例えば、劇団ひとりさんは、飯塚さんから自分に合うと思うネタを書いてくれたことがあったそうで、披露すると大ウケしたことがあると以前、バラエティ番組で話していました。人の良いところを引き出す能力があるのでしょう。また、昨年、女芸人No1決定戦『THE W』で優勝した吉住さんも、事務所の先輩である飯塚から『自分が面白いと思ったことをやり続けた方がいい』と助言をもらっていたとテレビで言ってました。飯塚さん曰く、舞台の裏で一人体育座りをしていたりと、吉住の暗い性格を案じて声をかけていたそうです。飯塚さんの場合、やりとりが自然で面白くて不快感もないので、視聴者もリラックスして楽しめる。また、同業者ウケも良く、演技の仕事でも活躍が期待できる。テレビに出れば、自ずとその名がお茶の間に浸透していくと思います」  お笑い評論家のラリー遠田氏は、飯塚に関してこう評価する。 「コントを専門にしている若手芸人にとって、東京03は今や憧れの存在になっています。毎年、大規模な単独ライブツアーで全国を回っており『コントで食っていく』という夢を実現している数少ない芸人だからです。飯塚さんは角田さんと共にネタ作りを担当していて、トリオの司令塔的な存在です。演技力があるのはもちろん、シンプルな言葉で力強く放つツッコミの技術は超一流です。その実力が最近になって、皆さんに知られるようになったということでしょう」  質の高いコントで、お笑いファンから支持を集めている飯塚。そのお笑いスキルに加え、最近のおじさんブームも追い風となり、2021年はさらなるブレイクを果たすかも!?(丸山ひろし)
dot. 2021/01/15 11:32
ママYouTuberのなーちゃん「2度目の緊急事態宣言。でも必ず良い時期が来る」
なーちゃん なーちゃん
ママYouTuberのなーちゃん「2度目の緊急事態宣言。でも必ず良い時期が来る」
 2020年から続く新型コロナの猛威や影響は、2021年も続いています。2度目の緊急事態宣言は多くの業種にとって大打撃です。夜20時までの時短営業は、飲食業にとっては相当なダメージです。夕方に営業する場合、家族連れを対象とした飲食店以外は、利益を出すのが難しい営業時間となります。観光地では宿泊客のキャンセルが相次ぎますし、観光地の高級路線のホテルやレストランの場合、地元の人々の利用を促すのも難しいです。昨年からあらゆる業種の人々が改めて実感したのは、「この世に安定なんてない」ということではないでしょうか。今このコラムを読んでいる方々のなかにも、ご自身やご家族が厳しい状況にあっている人は少なくないと思います。 「たかだかYouTuberに苦しさがわかるのか」と思われるかもしれませんが、YouTuberほど不安定な仕事はありません。YouTuberの人気は水物ですが、それ以上に怖いのは、広告収益はプラットフォーマー(Google)のサジ加減で没収されたり単価が大きく変わったり、ルールが変更されることです。人気は自分でコントロールできるとしても、プラットフォーマーであるGoogleの規約やYouTubeのアルゴリズムは不可抗力です。6年以上YouTuberをしていますが、今までに広告の単価が9割落ちたこともありますし、広告を剥がされたこともあります。再生回数がガクッと落ちることは日常茶飯事ですし、ガイドラインの変更により動画が削除されたり、自主的にヒット動画を5億回分削除したりしたこともあります。直近でも、私ではありませんが「無効なトラフィック」という判定エラーで2カ月分の収益が没収されたYouTuberもいます。不測の事態は常に起こりうるので、常に最悪の事態を考えながら仕事をしています。  実店舗を経営していて、ある日突然法律が変わったり、在庫が処分されていたり、売り上げが消えていたり、店舗の移転を求められたり、店舗がなくなることは、普通は起こりません。。YouTubeだと、チャンネルや動画が消えたり、広告収益がなくなったり、ガイドラインの変更は起こります。新型コロナが発生する前は、飲食店やサービス業の経営者や不動産投資をするママ友の旦那さんや公務員の方々を羨ましく思っていました。YouTubeで稼いだお金で飲食店をオープンしようと画策していた時期もあります。しかし新型コロナが発生し、「最も不安定な職種」のひとつであるYouTuberが、コロナの影響を受けにくい仕事として注目されたので、世の中や時代は生々流転なのだと実感しました。どんな仕事に就いても、「安定なんてない」のだと思い知りました。  よくも悪くも時代は変化するので、やり過ごすしかないと思います。YouTubeでも、スランプや再生回数が伸びない時期はありますが、耐えるしかない時期は淡々と仕事をしていました。実店舗はテナント代や人件費などの固定費がかかるので、一旦はお店を閉める方が良い場合もあります。そして、良い時期が来るまで待ちます。おそらく3~5年ほどで、また元の仕事ができる日が来ます。それまでは他の仕事で食いつないで耐えます。YouTubeでうまくいかない時期は、必死に色々と考えて工夫を凝らしました。今回のコロナ禍で、通販やYouTubeやSNSなどのインターネット事業に活路を見いだしたり、新商品を開発したり、全く違う業種の新事業を始める人もいました。耐えること、挑戦すること、この2つが不可抗力な事態に対抗する手段です。  苦境を乗り切るコツは、自分に起きていることを他人事として捉えることです。あるタイミングにおいて、自分の人生を自分事として受けとめると、プレッシャーに押しつぶされることがあります。鬱になる可能性も高いです。コロナ禍の苦境は、そのくらい重いです。状況を俯瞰的にみて、「あー、大変だなぁ」と人ごとのように捉えて淡々と対処する方が、精神的に追い詰められることが少ないかもしれません。真剣に悩むほど心は疲弊しますし、いくら悩んでも状況は変わりません。時代は巡るので、必ずまた良い時期がきます。これは、不安定すぎるYouTuberという仕事を6年以上やってきた私なりの”答え”です。
dot. 2021/01/15 07:00
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女性は、月経や妊娠出産の不調、婦人系がん、不妊治療、更年期など特有の健康課題を抱えています。仕事のパフォーマンスが落ちてしまい、休職や離職を選ぶ人も少なくありません。その経済損失は年間3.4兆円ともいわれます。10月7日号のAERAでは、女性ホルモンに左右されない人生を送るには、本人や周囲はどうしたらいいのかを考えました。男性もぜひ読んでいただきたい特集です!

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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

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