「ヴェネツィアは疫病の教科書」内田洋子、コロナ禍の“デカメロン”制作秘話
内田洋子 (撮影/写真部・掛祥葉子)
内田洋子さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・掛祥葉子)
40年超イタリアに住み、現地で通信社を営みながら、数々の著書を紡いできた内田洋子さん。コロナ禍のイタリアについて、作家・林真理子さんとの対談で明かしました。
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内田:(花束を渡しながら)10年前、私のエッセー(『ジーノの家 イタリア10景』)を講談社エッセイ賞に選んでくださってありがとうございました。選考委員だった林さんにお礼を申し上げる機会がこれまでなくて、今日やっとお会いできました。
林:まあ、きれいなお花。ありがとうございます。
内田:あのとき林さんが「食べ物の書き方が上手だ」って選評に書いてくださったでしょう。あれ、すごくうれしかったです。
林:本当に食べ物の描写が素晴らしいと思いました。内田さんは40年余にわたってイタリアを拠点に活動されてきたんですよね。今度はイタリアの露天商賞の「金の籠賞」というのをいただいたんでしょう? イタリア人以外では内田さんが初めての受賞だそうですね。
内田:ありがたいことに。露天商賞はイタリアの本屋さんが選ぶ賞なんですけど、ヘミングウェーの『老人と海』が第1回の受賞作なんです。
林:す、すごいです! 今日は最新作の『デカメロン2020』(方丈社)のお話もうかがいたいと思います。この本は、新型コロナウイルスの猛襲を受けてロックダウンが発令されたイタリアに住む若者24人が、自身の体験や思いを綴った記録集ですが、とても興味深く拝読しました。この24人はどうやって選んだんですか。
内田:昨年1月末にイタリアで非常事態宣言が発令されて、このままロックダウンになるかもしれないという話が流れたときに、イタリアの若い人たちはこの動きをどう見てるのかなと思ったんです。これは仕事でなく、純粋に親戚のおばさん的な心配で何人かに電話をしたんです。
林:ええ。
内田:最初に電話をしたヴェネツィアの大学院生の女の子が、実家のミラノに戻ったほうがいいのか、このままヴェネツィアで待機したほうがいいのか迷っていたので、「ペストの大流行のときに世界で初めて公衆衛生学をつくったのはヴェネツィア共和国なんだから、ヴェネツィアにいたほうがいろんな意味で参考になるんじゃない?」と言ったら、「わかった。待機の時間も長くなりそうだから古典を読んでみる」って言うんです。イタリアでは小中学校のときから「判断に迷ったら古典に戻る」ということを、耳にタコができるぐらい教えられるんです。
林:へぇ~、そうなんですか。
内田:「何を読むの?」って聞いたら、イタリアにおける疫病文学の第1号である『デカメロン』(14世紀中ごろ、ペスト大流行時に、フィレンツェの青年と淑女10人が、10日間1日1話ずつ物語を語るというボッカチョの短編小説集)だと。それをきっかけに、ヴェネツィアのこの娘(こ)だけじゃなく、イタリア各地に住んでいる私の知り合いの娘さん、息子さん、妹さん、甥、姪、孫も含めて、赤ちゃんのころから知ってる若者たちの声を集めれば、疫病が広がる中での一般市民の声を拾うという意味で、速報になるんじゃないかと思ったんです。
林:なるほど。
内田:私は、42年間、日刊紙を除く定期刊行物にデータ原稿を売る仕事をやってきたんですが、そういう立場の人間としてやるべきだと思って、イタリア各地にいる若い人に「気が向いたときに、生きてる証しにメッセージを送ってくれない?」と連絡して、コンスタントに返事が来るようになった24人を選んだんです。
林:それをウェブで連載したんですね。内田さんの『ボローニャの吐息』というエッセーを読んだら、ヴェネツィアが今までいかに疫病で苦しんできたかがわかりました。
内田:ヴェネツィア共和国ができて1300年超ですが、ヴェネツィアは疫病の教科書とも言えるんですね。キリストの復活祭までの46日間は禁欲生活を送るんですけど、その前夜祭として飲めや歌えの大騒ぎをするわけです。謝肉祭(カーニバル)ですね。そのとき無礼講にするために生まれた仮面が、ペストの大流行のときにも利用されて、それがマスクの始まりとされているのです。
林:あの仮面、コワいですよね。長~いくちばしの。
内田:あれはソーシャルディスタンスそのもので、お医者さんが杖を持って、その杖でペストにかかった人の服をめくって確認するんです。ペストは黒死病と言われたように体じゅう真っ黒になるんですね。そのときに死臭がするので、くちばしの中にミントの葉っぱを詰めて臭い消しに使ったんです。
林:だからイタリア人はある種疫病に慣れているというか、DNAに組み込まれてるんですね。
内田:理論とかお医者さんの知識だけでは説明がつかないDNAがしみついていて、自分で自分を守らないとよその人も倒してしまうという教訓が中世の時代からあるのでしょうね。記録としては古代ローマから残っていて、非常事態宣言下でも一般市民として何が発信できるかということを、早い時期からやってたんだと思います。
林:今回のコロナでも、テノール歌手の男性が自宅のベランダで「誰も寝てはならぬ」(オペラ「トゥーランドット」の中のアリア)を歌っていたシーンが話題になりましたよね。こういうときにオペラを歌うって、すごくイタリア人らしくて感動しちゃいましたよ。
内田:現地の人の話をよく聞いたりすると、イタリア人ってそういうときに歌ったりすることで「生きてるよ」というアピールをしてるんです。一人暮らしのおばあさんが窓辺に立って鍋をたたいたりする。それは周りに住んでる人に「私は生きてますよ」という信号なんですね。
(構成/本誌・松岡かすみ 編集協力/一木俊雄)
内田洋子(うちだ・ようこ)/1959年、兵庫県生まれ。通信社ウーノ・アソシエイツ代表。東京外国語大学イタリア語学科卒業。2011年、『ジーノの家 イタリア10景』で日本エッセイスト・クラブ賞、講談社エッセイ賞を受賞。19年、ウンベルト・アニエッリ記念ジャーナリスト賞を受賞。20年、イタリアの「露天商賞」から、外国人として初めて「金の籠賞」を受賞。近著に『サルデーニャの蜜蜂』(小学館)、『イタリアの引き出し』(朝日文庫)、『デカメロン2020』(方丈社)、『十二章のイタリア』(創元ライブラリ)など。
>>【後編/パパラッチに本人がタレコミは「99%」 イタリアのスキャンダル特ダネ事情】へ続く
※週刊朝日 2021年2月19日号より抜粋
週刊朝日
2021/02/15 11:32