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「男性の産休? いらねー」 厚労省がまさかの新制度、働く妻たちの本音とは
鎌田倫子 鎌田倫子
「男性の産休? いらねー」 厚労省がまさかの新制度、働く妻たちの本音とは
写真はイメージです(Getty Images)  厚生労働省が実施を目指している「男性産休」がさまざまな議論を呼んでいる。子どもが生後8週までなら2週間前までの申請で休めるというもの。男性の育児参加を促す狙いがあるが、共働きで子育て中の女性からは冷ややかな反応も。働く妻たちの本音を探った。 *    *  * 「男性の産休? いらねー、というのが率直な感想でした」  小学生の子どもがいる女性は、出産時に夫が転職活動中で図らずも「男性産休」を経験した。この女性の場合、妊娠中の10カ月間は、大きな体調の崩れもなかった。そのため、特に夫に手伝ってほしいことはなかったという。 「妊娠後期だとうつ伏せができない、足の爪がきりにくい、靴下をはくのに時間がかかるなど不便なことはありましたが、それを男性が手伝ってくれるのでしょうか」  夫がしたことといえば、子どもが産まれると行きにくくなる映画などレジャーのお供。女性は男性の育休は必要だが、産休はいらないと考えている。  厚労省が新設を検討しているという「男性産休」は、妻の産前にも休暇が申請できるのかなど、詳細はまだあきらかになっていないものの、女性の産休期間である子どもの生後8週まで男性も休暇を取りやすくする制度のようだ。報道によると、最大で4週間休めるという。狙いは、男性の育休取得の促進。育休は男女ともに子どもが1歳になるまで取得できるが、2019年度の男性の取得率は7・48%と伸び悩んでいる。 「男性産休」新設を伝える記事は、朝日新聞12日付け朝刊3面の左下に掲載された。紙面では目立つ位置ではなかったものの、8時30分に朝日新聞デジタルの記事として、ネットに配信されると、瞬く間にコメント数が急上昇。賛否両論沸き起こり、当事者の働く女性からは辛辣なコメントや夫の育児参加に関する残念なエピソードの書き込みも目立った。  そこで、働く女性に「いらない」の真意をじっくり聞いてみることにした。  ゼロ歳児と3歳児の母親で、現在育休中の女性は、「子どもが一人目のときは、妻にとって夫は家にいてもイライラするだけの存在になりがち」と指摘する。その理由を聞くと、 「もちろん家にいてサポートしてくれたらありがたいんだけど、一人目のときは夫はやるべきことをわかっていないんだよね……」  例えば、どんなことだろうか。 「母親は授乳があるからどうしても24時間子どもにつきっきりみたいな状態になる。夜も昼もないから疲れてくるし、2時間くらいまとまった昼寝がしたいんだけど、夫にその発想がないの。だから妻からお願いしなきゃいけない。けっこうイライラするよ。ふと気づいたときに夫は昼寝していて……」  ほかにも日常のさまざまなシーンで、「イライラ」は起こるという。   「食事も子どもをみながらだと、満足に食べれないから、私が食べている間に抱っこしてほしいんだけど、そのことに気づかない。何で気づかないんだろうって。自分事にできないんだろうね、だから妻はイライラする。だから下手に一日中いられてもなあ」  女性は、子どもが1人目のときの家事は、仕事が終わって帰宅してから夫が手伝うのでも十分間に合う量だと感じており、新設の制度に関しては「休み」か「時短勤務」を選べるといいという意見だ。 「友人の話になりますが、夫は何時間もかけてやたら凝った料理を作り、妻がキレていました。何時間もかけてつくる料理はいらないのよね。そんな時間あるなら、2時間子ども抱っこしといてくれという……時短勤務ならさすがに何時間も料理しないでしょ」  また、2人目、3人目となると、勝手が違ってくるからでもある。 「子どもが2人、3人となると、夫がいたほうが物理的に助かる場面は多いと思う。上の子の幼稚園や保育園の送迎、スーパーへの買い出しとか。特に産後すぐは、赤ちゃんから目が離せないし、母親の身体もまだ回復途上だから、外出しにくいからね」  小学1年の子どもを育てる女性は、「夫は基本的に役にたたない」とばっさり。それでも「いないよりはマシ」と話す。自分の親がいつでも手伝いに来れるとは限らないからだ。 「産後って出産の際に骨盤が開いているので、ビックリするくらい歩けないの。2週間後くらいで近所のスーパーに行ったときに驚いた。妊娠と出産は病気じゃないといわれるけど、体がしんどいのは同じなんだよ。自分が熱を出しても、おむつ変えやミルクや母乳あげないといけないからしんどくて。誰かいてほしい。役立たずの夫でもマシかな」  誰とも話さない日々もきつかったそうだ。 「いわば、慢性睡眠不足での引きこもり状態。手伝いにきていた母親が帰ったあと、子どもをあやすのがつらかった。なぜか、赤ちゃんって夕方の黄昏時に泣くんです。夕焼雲を眺めながら、ああ、今日も誰とも話さなかったな、と思ったりして。毎日夕方が来るのが憂鬱でした。いま思うと、産後うつだったのかな」  だから、役立たずだとしても話し相手としているだけでもいいのだという。さらに、この女性いわく、長い目でみれば、新制度を「夫の教育期間」とみなして、力不足でも夫に育児に参加してもらった方が、のちのち妻は楽になるそうだ。    こうした考えになったのは、このコロナ禍で夫に変化がみられたことも大きい。 「夫が朝ごはん係になりました。はじめはみそ汁の具が生で殺意を覚えましたが。でもいまではみそ汁を沸騰させなくなりました」  子育て以上に、夫育てには忍耐がいるとしながらも、こう話す。 「夫にイラッときて育児や家事の参加をあきらめると、夫婦でスキルがどんどん差が開き、手際の悪い夫にますますイライラして、妻が背負い込むという負のスパイラルにはまるので。最初は役立たずでも、下手でも、不安でもがまんして任せた方が、妻はあとあと楽ですよ」  ただし夫の両親とは、「戦った」という。義両親は昭和の価値観で、「息子に育児をさせるなんて」と眉をひそめられたという。 「女は仕事をやめて子育てって信じている人たちはいまだに存在しますよ」  となれば、さまざまな価値観が混在する時代に、あえて「男性産休」制度化には意味があるのかもしれない。  一方、女性ではないが、管理職の男性からはこんな意見があった。 「批判されることを承知でいいますが、もし部下が産休をとりたいといったら、おまえにはほかにやることがあるだろう、と言いたいです。その分、奥さんが稼ぐならいいでしょうけど。つまり、男女問わず、稼げる人は稼いだ方がいいと思います」  確かに、休めば収入は減る。お金の問題をリアルに考えた発言かもしれない。雇用保険から育児休業給付金がでるが、おおざっぱに説明すると180日目までは賃金日額の67%、それ以降は50%に相当する額だ。  報道によると、来年の通常国会に、育児・介護休業法の改正案を提出し、2022年度からの実施を目指すという。当事者にとって使いやすい制度になるか、今後の審議から目が離せない。(AERAdot.編集部/鎌田倫子)
dot. 2020/12/13 17:00
渋谷女性ホームレス死亡事件「決して怠け者ではない」素顔 困窮者見えにくい“排除アート”の影響
渡辺豪 渡辺豪
渋谷女性ホームレス死亡事件「決して怠け者ではない」素顔 困窮者見えにくい“排除アート”の影響
事件の現場となったバス停。傷害致死容疑で逮捕された近くに住む容疑者の男(46)は「痛い思いをさせればあの場所からいなくなると思った」と供述している(撮影/写真部・加藤夏子) 事件後、花が手向けられた現場のバス停。大林さんの知り合いだった記事中の女性も、菓子パンや乳酸菌飲料などを供えた(写真/女性提供)  11月16日、夜明けまで都内の幹線道路沿いのバス停のベンチで過ごしていた64歳の女性が、頭を殴られて死亡した。所持金はわずか8円だった。事件が映し出したのは、社会が抱える「歪み」だった。AERA 2020年12月14日号の記事を紹介する。 *  *  *  路上生活をしていたとみられる大林三佐子さん(64)が東京都渋谷区内のバス停で男に頭を殴られて死亡した事件は、私たちの社会の暗部を幾重にも映し出す。それは、コロナ禍の今だからこそ直視すべき現実でもある。  その人が現場のバス停に現れたのは、事件から10日後の11月26日だった。女性は持参した供え物をバス停のわきに置き、静かに手を合わせた。 「あんなに話し好きだった人が、こんなに狭い場所で、一人でポツンとされていたのかと思うと可哀そうで……」  女性は生前の大林さんの足跡をなぞるように一気にこう話した。 「コロナ禍でも非正規が真っ先に切られます。年休も取れません。体がぼろぼろになるまで働いても大した収入にはならない。そこから家賃や光熱費、税金を払っていたらどんなに節約してもほとんど残りません。病気になったり仕事がキャンセルになったりしたら家賃を払うのが困難になるのは仕方がないと思うんです」  女性が大林さんと知り合ったのは約10年前。業務請負や業務委託の仕事を斡旋する都内の会社に登録し、同じ仕事場で働くこともあった。明るく、話し好きの大林さんは試食販売員を希望し、スーパーで働くことが多かった。店内の一角でお菓子や飲料の試食を買い物客に勧め、販売を促進する仕事だ。 「若い頃は大手百貨店で販売スタッフをしていたそうです。スリムで可愛く、若いころは男性にもてただろうと思います。今も身なりを整えておられたら40代で通る感じです」  年下のこの女性が大林さんを「可愛い」と言うのは、外見を指してのことだけではない。登録会社の最寄り駅や道端で会うと、大林さんのほうから屈託なく話しかけてきた。  忘れ難い場面がある。大林さんが駅の近くで紙切れをひらひらさせながら駆け寄り、こんな事情を明かした。 「私、税金の支払いをためてしまって。延滞金を請求されているので少しずつ払ってるんです。いまバイト代もらったからコンビニに払いに行ってきまーす」  おどけるような口ぶりだった。 “紙切れ”は役所から届いた税金の振込用紙だった。女性によると、当時の日払いのバイト代は7千円。単発の日雇い仕事のため当日キャンセルも多い。しかし、文句を言うと仕事を回してもらえなくなるので泣き寝入りすることがほとんどだという。 「大林さんが『あれもこれもキャンセルされて、もう生活できません』と登録会社の窓口で訴えるのを聞いたこともあります。そんなギリギリの生活でも、大林さんは納税の義務を果たそうとしていたんです」  大林さんの身なりが変化したのは約3年前。ウエストポーチとキャリーバッグが必携になり、ジャージ姿でバイト代を取りに来ることもあった。 「家賃を滞納し、ある日突然、鍵を替えられて入れなくなり荷物も外に出されていたそうです」 ■弱い立場の人を差別するまなざしが社会に浸透  大林さんはこの頃、ホームレス生活を強いられたとみられるが、茶目っ気たっぷりにこう振る舞ったという。 「『アパートを追い出されたんです、フフ』みたいな感じで陽気に話しておられました。ホームレスというと悲惨な弱者というイメージかもしれませんが、大林さんはまったく違うんです」  女性は、大林さんが「職業不詳」と報じられることに心を痛めている。 「日払いの仕事とはいえ少なくとも3社に登録して掛け持ちし、ずっとフル回転で働いていた大林さんが『職業不詳』では可哀そうです。大林さんは長年たくさんの方に試食を提供し、たくさんの方と会ってきたのです。決して怠け者ではなかった」  女性は他にも、大林さんの「変化」を感じ取っていた。 「長期間の困窮生活で追い詰められ、精神的に不安定になってしまったように思えることもありました」  大林さんは今年春から夏にかけて現場のバス停で夜を明かすようになった。女性には思い当たる節があるという。 「大林さんは勤務先でのトラブルで、私が登録している会社からは春先に仕事を受けられなくなっていました。もしかすると、コロナ禍で他の登録会社でも対面型の試食販売の仕事ができなくなったのでは」  追悼のためバス停を訪れた日。女性は金具で仕切られたバス停のベンチに座った。表面がツルツル滑り、深く座ると足が地面に届かなかった。 「私と同じくらいの身長の大林さんが、どうやって座っていたのかと驚きました。よほど疲れていない限り、あのベンチでは眠れません」  女性が花とともに供え物に持参した乳酸菌飲料と菓子パンは、大林さんが試食販売でよく扱っていた商品だ。 「最後にスーパーで見かけたとき、大林さんは乳酸菌飲料の試飲を小さな男の子に勧めていました。若いパパとチビっ子に試飲を渡して楽しそうでした。別れるとき、男の子に手を振っていました。大林さんが働いていた証しに、と心を込めて置きました」  事件から5日後、傷害致死容疑で逮捕されたのは、近くに住む46歳の男だった。  NPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」の大西連理事長が、2014年に都内の支援団体と連携し、約350人の野宿生活者を対象に実施したアンケートでは、約4割の人が襲撃を受けた経験がある、と回答した。殴る、蹴るといった暴力のほか、花火を打ち込まれたり、ペットボトルやたばこの吸い殻を投げ込まれたり、水をかけられたりと被害は多岐にわたる。 「若者や子どもが、友だちにはできないこともホームレスの人にはやってもいいという意識が働いて行動がエスカレートしてしまうケースが主でした。今回、近隣の大人が暴力に及んだのは、弱い立場の人を差別するまなざしが社会に浸透している現実を象徴的に示すものだと思います」  そう話す大西さんは、ホームレスが「迷惑な存在」という記号のように扱われている、と感じるという。 「当たり前のことですが、ホームレスの一人ひとりにも名前があり、人生があり、殴られれば痛い。しかし相手がホームレスだと認識した瞬間、生身の人間であるという想像が働かなくなる。これは深刻な差別です。外国人や障害者、セクシュアルマイノリティーなどにも波及していくのを恐れています」 ■「排除アート」の影響で不可視化された困窮者  ホームレス排除を具現化したとも取れるのが、いわゆる「排除アート」だ。目的外の利用を防ぐようデザインされた公共空間の建造物を指す。 「大林さんが仮眠に使っていたバス停のベンチもそうですが、都心部では寝転べない構造のベンチが圧倒的に多くなり、そこに身を寄せていたホームレスの人が居づらい環境や空気を醸すツールになっています」(大西さん)  実際、ホームレスの居場所は少なくなっている、と大西さんは言う。  19年の国の調査では全国のホームレスの数は前年度比8.5%減の4555人。近年は減少傾向にある。これはホームレスの自立を支援する法律や基本指針の制定、民間支援団体の活動の成果に加え、「排除アート」の普及によって街中で野宿しにくい環境がつくられたことも一因だと大西さんは見る。 「野宿者を街で見かける機会は減りましたが、困窮者が不可視化されたと捉えるべきでしょう」  08年のリーマン・ショック時は、地方の寮に住んでいた人が「派遣切り」と同時に野宿生活に陥るケースが目立ったが、今は様相が異なるという。  都内のネットカフェなどで寝泊まりしながら生活する人は18年の調査で1日約4千人。コロナ禍でこれらが休業し、路上生活に陥る人も増えている。  また、今年7月の総務省の調査では女性就業者は前年同月比で54万人減少、24万人減だった男性の2倍強に上った。女性が多い非正規労働者への影響が大きいことが背景にある。女性は「隠れたホームレス」になりやすい、と指摘するのは女性ホームレスに詳しい京都大学大学院の丸山里美准教授だ。 「国の調査では路上生活者に占める女性の比率は3~5%ですが、ネットカフェや格安ホテルを転々としたり、シェアハウスや友人宅に居候したりしているホームレス状態の人も含めると女性の比率はぐんと上がるはずです」 ■女性の路上生活者には男性とは異なる「不安」も  女性の貧困は、もともと世帯の中に隠されているため見えにくいとされる。DVで困っていても経済的自立が困難なため、なかなか離婚に踏み切れないケースもある。 「女性は離婚後も、低賃金の仕事を掛け持ちするなどして高齢になるまで切り詰めた生活を送り、そのために体調を崩す人が多いのも特徴です」  自らも路上生活を送り調査研究に当たった経験のある丸山さんは、路上には危険が多く、女性は路上生活者になるのは難しい、と話す。 「暴力の危険は男性ホームレスとは異なる重みがあります。暴力に遭うかもしれないという不安や恐れも女性のほうが強い。大林さんがバス停のベンチで夜を明かしていたのも、他の場所には居づらい理由があったのでは」  女性ホームレスは、男性よりも精神疾患を抱えている比率が高いのも特徴という。この場合、対話を拒んだり状況をうまく整理できなかったりして生活保護の受給資格があっても活用できていないケースもある。受給資格がないとの思い込みや、身内に連絡がいくのを避けたいと考え敬遠する人も少なくない。だが、女性であれば使える制度は他にもある、と丸山さんは言う。 「たとえばDV防止法の枠内で、緊急保護してもらえる制度もあります。大林さんもうまく支援につながれば、路上生活から逃れる手立てを見つけることはできたと思います」  事件現場から数キロしか離れていない都庁の地下では、「もやい」を含む民間支援団体が定期的にホームレスへの支援物資の配布や相談会を開いている。しかし、大林さんは支援の網からもれてしまった。このことに前出の大西さんは忸怩たる思いを抱えている。 「大林さんのように所持金が8円という切羽詰まった状況に追いやられた人が今夜もバス停や路上にいるかもしれない。そう考え、気づいた人が声をかけ支援につなげてほしい」と訴える大西さんは、困窮者にこう呼び掛ける。 「私たちは今、コロナ禍という世界的な災害の渦中にいます。一人で乗り越えられないのは当然です。症状が軽いうちに病院に行ったほうが早く治るのと同じで、自助努力で頑張ろうとしないで公的機関でも民間支援団体でも遠慮せず早めに相談に来てください」 (編集部・渡辺豪) ※AERA 2020年12月14日号
AERA 2020/12/11 08:02
「被爆2世」のネットニュースに違和感 福山雅治が“時代”や“人間”を歌う理由とは?
「被爆2世」のネットニュースに違和感 福山雅治が“時代”や“人間”を歌う理由とは?
AERA 2020年12月7日売り表紙に福山雅治さんが登場  1990年に「追憶の雨の中」でデビュー。今年、30周年を迎えた。亡父の名前を冠した6年8カ月ぶりのアルバムには、父との別れによって芽生えた音楽への初期衝動が描かれている。AERA 2020年12月14日号に掲載された記事を紹介する。 *  *  * ——「時代」や「人間」を歌ってきた福山雅治。こうした言葉は主語の大きさ故、ともすれば空虚に聞こえてしまう。しかし、福山の歌の根源にあるのは、大きな時代の流れと対峙し、ときに翻弄される「個」としての生々しい感情、心の揺らぎだ。 福山雅治(以下、福山):「クスノキ」という歌があるんです。長崎に投下された原子爆弾の爆心地から数百メートルの場所に自生している「被爆クスノキ」を歌っているんですが、そもそもこの歌を作ろうと思ったきっかけは、世の中の被爆者に対するイメージに違和感を覚えたことでした。  自分のラジオ番組で何げなく自分が被爆2世だと話したら、「福山、被爆2世であることを告白!」みたいな見出しでニュースになって……。「おや?」と思ったんです。一般の人からすると、被爆というのは未知の恐怖の対象でしかないんだなと。僕は、正しい知識を伴わずに被爆という言葉だけが独り歩きしていくことのほうがよほど恐ろしかった。自分が、当事者の視点からメッセージを発信することにこそ、社会的な意味がある。そう思ってあの曲を作りました。 ——その当事者性は、一貫して揺らがない。最新アルバムのテーマは「血」。タイトルの「AKIRA」は、亡き父の名前だ。 福山:父は、僕が17歳のときにがんで他界しました。あの頃が人生で一番苦しかったと思います。父がこの世からいなくなってしまったことはもちろんですが、それ以上に、苦しむ姿を見ることに耐えられなかった。  インターネットもなかったから、家族としては病院側の言うことを信じるしかない。父は50代前半でまだ若かったので、きっと乗り越えられると当初は希望を持っていたのでしょう。でも、当時のがん治療は、QOLという考え方もまだ周知されておらず壮絶で、積極的な治療や薬の投与により父は日に日に衰弱していきました。10代の僕でも「これは治らないのでは?」とわかりました。きっとみんな、途中からわかっていたと思います。もう無理だって。でも、「治療をやめよう」と僕から提案するなんてできるはずもなく……。 ——過酷な闘病生活は約1年に及んだ。母親は毎晩、父親の病院に寝泊まりするようになる。 福山:母は、仕事から帰ってくると、すぐに病院に行って、父親のベッドの横で寝ずの看病を続けていました。夜中も「痛い、痛い」と父が呻(うめ)くから、あまり眠れていなかったと思います。それでも朝、病院から帰ってくると、僕と兄の食事を欠かさず作ってくれて。それからすぐに仕事に出かけて、帰ってきたらまた病院に行って……。僕は、そんな生活を続ける母の姿をただ見ていることしかできなかった。つらかったし、腹立たしかった。自分はなんて無力なんだと。両親を助けるお金もなければ知識もない。そんな自分にいら立って、親に優しい言葉をかけることさえできなかったんです。 ■セルフカウンセリング ——やり場のない憤りを、福山はギターにぶつけた。音楽を聴くことで忘れたかった。当時、何度も聴いた曲が「Mother」。ビートルズ解散後、ジョン・レノンが初のソロアルバムの1曲目に収録した曲だ。幼い頃に蒸発した父。自分を捨てた揚げ句、交通事故死した母。両親への愛憎と別れを歌ったこの曲は、当時、ビートルズの人気と比較すれば全くと言っていいほど評価されなかった。それでも福山は、ジョンの言葉に心を揺さぶられ、涙した。曲の中でジョンは繰り返す。「Mama don’t go 母さん、行かないで/Daddy come home 父さん、帰ってきて」 福山:「Mother」は、ジョンが自身の精神の救済のために書いた曲ではないかと思います。そしてあの頃の僕も、音楽の力にすがっていた。音楽が、無力感やいら立ちから僕を一時、解放してくれた。だから自分もいつかそんな音楽を作りたいと、強く憧れたんです。 ——デビュー30周年を迎え、父が亡くなった年齢に近づいたいま、自分が音楽に求めるものを再確認したい。そんな決意を込めて、アルバムに父の名を付けた。 福山:このタイミングで自分と音楽の関係性をもう一度見つめ直したいと思いました。でも、これが結構しんどい……。楽しんで曲を作る方もたくさんいらっしゃいますが、僕はいまだに苦しみのほうが大きい。もうひとりの自分がそばに立って、「お前は真実を告白しているのか?」と尋問してくるような感じで(笑)。 ——福山は、「僕にとってソングライティングは、セルフカウンセリングのようなもの」と話す。曲を書くことは苦しいが、自身を救済するのもまた音楽だ。 福山:なんでこんな苦しいことをずっとやっているのか、自分でも不思議なんですけど。どうやら僕は幸福感を得にくい体質のようで……。「何を贅沢(ぜいたく)なことを言ってるんだ」と、お叱りを受けるかもしれませんが。でも、金品で満たされる、人と話して満たされる、表現で満たされるって、実は全部バラバラで。物質的に満たされていても、精神的な充足はなかったりする。僕の中から違和感や生きづらさといったものが消えない限り、音楽を作り続けていくんだろうなと思います。終わりのない修行というか。一体、いつになったら楽になるんだよ?って思いながら(笑)。 (ライター・澤田憲) ※AERA 2020年12月14日号より抜粋
AERA 2020/12/10 11:32
「土門拳賞」写真家の記録 韓国に移住した日本人漁民の村と唯一残された神社
米倉昭仁 米倉昭仁
「土門拳賞」写真家の記録 韓国に移住した日本人漁民の村と唯一残された神社
日式住宅(南浦洞乾物卸売市場)2019(撮影:藤本巧) 写真家・藤本巧さんの作品展「寡黙な空間 韓国に移住した日本人漁民と花井善吉院長」が12月8日から東京・新宿のニコンプラザ東京 THE GALLERYで開催される。藤本さんに聞いた。  今春、藤本さんは写真集『寡黙な空間 韓国に移住した日本人漁民と花井善吉院長』(工房 草土社)で土門拳賞を受賞した。今回はそれを記念した作品展。  この写真集を手にしたときは驚いた。表紙の写真には日本の象徴ともいえる神社が、その下にはキムチを漬ける特徴的な大壺がいくつも写っていたのだ。反日感情の強い韓国にこんな場所があったとは、信じられない思いがした。  ページをめくると、「岡山村」「広島村」「千葉村」(いずれも韓国に残る通称名)など、日韓併合以降、盛んになった日本人漁民の朝鮮半島への移住の痕跡があらわになる。  藤本さんは韓国だけでなく、彼らを送り出した故郷の漁村も訪ね歩いた。  写真集はそんな韓国と日本の風景が交互に現れるつくりになっているのだが、そこで気になったのが神社の存在だ。  漁の安全を願って建てられた旧日本人村の神社はことごとく取り壊され、土台しか残っていない。 「この作品は見方によっては神社の物語。日本人は韓国に行っても、箱庭のように神社をつくったんです。それは日本の統治時代に、韓国に日本人村をつくった象徴だと思う」と、藤本さんは語る。  表紙に写し出された神社は韓国に残された唯一のものという。韓国南部の小島にあるハンセン病療養施設、国立小鹿島病院(旧小鹿島慈恵医院)の敷地内に建てられたもので、そこを訪れた藤本さんは2代目院長・花井善吉の偉業を知る。写真集はその功績を紹介するページで終わるのだが、そこへ行きつくまでは半世紀にわたる長い道のりがあった。 日式住宅(旅館)2015(撮影:藤本巧) 軍事政権下の韓国にも穏やかで美しい風景があった  藤本さんが初めて韓国を訪れ、撮影を始めたのは1970年。朴正煕政権時代。当時はまだ夜間外出禁止令が敷かれ、日本統治時代を経験した人も大勢いた。  そんななか、藤本さんは民芸運動(※1)に引かれ、30年代に朝鮮半島を旅した柳宗悦(※2)の足跡をたどり、工芸をなりわいとする集落を訪れた。 (※1、2:美術品ではなく、庶民の日用品にこそ美があるとする「民芸」の考えに基づく運動。民芸は「民衆的工芸」の略。工業化や生活様式の西洋化に危機感を抱いた思想家、柳宗悦らが1925年に考え出し、提唱した) 「そこで本当に美しい風景を発見した。なんとも言えない曲線美を持った建物。それが自然と融合して存在していた」  それは何気ない茅葺屋根の農村風景だったのだが、藤本さんは夢中でシャッターを切ったという。  当時の写真雑誌は藤本さんの作品を「詩的すぎる」と、批判した。軍事政権下のもっと緊張感のある世界を撮るべきだ、と。 「けれど、あの時代にも田舎にはおだやかな風景があったんです。私はそちらを写すことを選んだわけです」  風景だけでなく、素朴な人たちの姿もカメラに収めた。 「レンズを向けると、人々は直立不動になって、モデルになってくれました」  しかし、このころから農村を近代化する「セマウル(新しい村)運動」が始まり、藤本さんの愛する自然と同化した風景は次第に姿を消していった。 「ソウルオリンピック(1988年)が終わったあたりから、だんだん撮影テーマを失って、何を撮ったらいいか、わからなくなったんです。家族に『もうこれが最後だと思う』と言って韓国に行ったこともあります」  そんなわけで、国内にも目を向けるようになり、コリアンタウンを訪ね、在日韓国・朝鮮人の祭りや婚礼などを撮影した。そこには古くからの伝統や風習が残っていた。  だが、在日社会も時代とともに変化し、伝統的な風景は急速に消えていった。 九龍浦神社跡(現九龍浦公園)2014(撮影:藤本巧) 40年以上写した全カットを韓国国立民族博物館に寄贈  転機がおとずれたのは2011年ごろだった。「また撮影テーマがいくらでも出てきまして」。  きっかけは韓流ブームだった。写真集を出すと、念願だったソウルでの展覧会が実現した。  写真展を訪れた20代から40代の人には「われわれの民族の風景をよく撮ってくれた」と感謝された。韓国国立民族博物館からは写真の寄贈を依頼された。 「当初、『展覧会を見て』と言われたものですから、展示作品40、50点を寄贈すればいいと思ったんです。ところが、そうでなくて、ネガフィルムから資料まで全部ほしいという。1970、80年代の韓国の農村風景や一般の人々を写した写真は珍しく、貴重だったんです」  当時は韓国人が自由にカメラを持ち歩くことは難しい時代だった。プロの写真家にとっても「日常を撮る」ことは仕事に結びつかず、写す人はほとんどいなかった。 「その写真を出版社などに貸し出すことでお金が入ってきたので、ずいぶん悩みました」  最終的に「私が持っていても」と決心し、40年以上にわたって撮影した約4万6000カットが写ったネガフィルムなどをすべて寄贈した(それらは専門家によってデジタル化され、藤本さんに手渡された)。  韓国に関するネガフィルムが手元からなくなると、「すっきりして、風通しがよくなるというか、新しいテーマに自分自身が向かっていることに気がついたんです」。 病棟跡(旧小鹿島更生園)2015(撮影:藤本巧) 朽ち果てていく日本人漁民が住んでいた「日式住宅」  そのころ、古本屋で『韓国内の日本人村 九龍浦で暮らした』(浦項市発行)という本を見つけた。そこには100年以上前に韓国に移住した日本人漁師の村のことが書かれていた。藤本さんは目から鱗が落ちるような思いをしたという。 「かつて日本人が住んでいた『日式住宅』の存在を初めて知ったんです。向こうでいうところの『敵産家屋』」  調べてみると、86年に木浦で撮影した写真の中に日式住宅が見つかった。しかし、撮影当時はそれが日本人が住んでいた家とは気づかなかった。 「1910年の日韓併合からもう100年以上になりますから、みな、朽ち果てていました。それが、なくなる前に撮ろうと思ったんです」  日式住宅に関する資料を探して読み、それをたどるかたちで現地を訪ね歩いた。しかし、その間にも開発の波が押し寄せ、まったく痕跡が消えてしまったところもあった。  旧岡山村を訪れると、まだ日式住宅が残っていたものの、「広島村」「千葉村」の痕跡は完全に消滅していた。 「千葉村はほんの数年前まではあったんですよ。ところが、高速道路ができてなくなってしまった」 ――現地に行って、がっかりしましたか? 「実はGoogle Earthで見て、道路になっていることはわかっていたんです。ですが、『ない』ということを確かめるために行きました。それも事実ですから、証拠写真のように写しました」 当初の撮影テーマとは異なる写真で作品で終えた理由  当初、「韓国に移住した日本人漁民」の痕跡をたどる旅から始まった作品の流れは終盤で突然、「花井善吉院長」の足跡へと変わる。その接点というのが、冒頭に書いた「神社」なのだが、いかにも唐突な感じがする。しかし、藤本さんはそれも承知のうえという。 「花井善吉という人はテーマから外れている。それでもこの人物を入れたかったのは、花井さんはハンセン病の患者たちに自由を与えた人だからです。統治時代、日本の様式を押し付けた日本政府とは反対の思想で韓国の人たちと接した。その存在を入れることで、作品に深みを出したかったんです」  国立小鹿島病院にはいまも花井院長の善行を知らしめる「彰徳碑」が建っている。患者たちは日本への排斥運動が高まると石碑を密かに地中に埋め、破壊から守ったという。その敷地内に韓国で唯一、神社が残されているのは偶然でない気がした。                    (文・アサヒカメラ米倉昭仁) 【MEMO】藤本巧写真展 「寡黙な空間 韓国に移住した日本人漁民と花井善吉院長」 ニコンプラザ東京 THE GALLERY 12月8日~12月14日
アサヒカメラニコン写真展土門拳土門拳賞韓国
dot. 2020/12/07 18:00
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国士舘大学 世田谷キャンパス(政治学研究科、経済学研究科、経営学研究科、工学研究科、法学研究科、総合知的財産法学研究科、人文科学研究科)  国士舘大学大学院は、1965年に政治学研究科と経済学研究科を開設以来、時代とともに高度な教育研究を推進してきました。現在では、10研究科を設置し、高度な理論探究と実践的研究との両面から真理を究明し、それぞれの分野におけるプロフェッショナルの養成を目指しています。また、社会人入試を各研究科で行っており、研究意欲の高い社会人を積極的に受け入れています。 ●社会人向け選考の特徴 修士課程(一部の研究科を除く)では、社会人選考試験を各研究科で実施しています。一般選考試験に比べ試験科目を軽減し、面接を重視しています。また、授業料を一般選考区分より10万円減免しています。 ●教育訓練給付制度の適用 修士課程の「政治学専攻」「経済学専攻」「経営学専攻」「法学専攻」「総合知的財産法学専攻」「機械工学専攻」「電気工学専攻」「建設工学専攻」「教育学専攻」「グローバルアジア専攻(ビジネスコミュニケーション分野)」「スポーツ・システム専攻」「救急救命システム専攻」は、厚生労働省から教育訓練講座の指定を受けており、所定の条件を満たすことで給付金を受けることができます。 ●教員専修免許状の取得 各研究科(経営学および救急システムを除く)において、教職に関する所定の単位を修得することにより、中学校専修免許状および高等学校専修免許状が取得可能です。また、人文科学研究科教育学専攻は、幼稚園教諭および小学校教諭の専修免許状も取得可能です。 ※専修免許状は、既に1種免許状を取得していることが条件となります。免許教科の種類については事前にご確認ください ■国士舘大学大学院 10研究科の概要 ○政治学研究科 政治学専攻[修士、博士] 政治学研究科は、専門的な研究者や教育者の養成を目指し、政治の主要分野をはじめ、政治行政やアジアを取り巻く政治・文化をテーマにした問題にも取り組んでいます。また、高度な専門的知識を身につける社会人のリカレント教育の場として活況を呈するとともに、教員免許の専修免許状も取得できます。【昼間・夜間/土曜日開講】 ○経済学研究科 経済学専攻[修士、博士] 経済学研究科は「公正でしかも学生に親切、そしてオープンで先進的な大学院」という理念を掲げ、魅力ある研究科作りに積極的に取り組んでいます。修士課程では、研究者養成のほかビジネスの場において「ハイ・ポテンシャル(高能力)なビジネスパーソン」の育成を目指しています。また、本研究科では税理士の養成にも力を入れています。「税法」に関するテーマで修士論文を完成させた場合、税理士国家試験科目の一部免除申請ができます。【昼間・夜間/土曜日開講】 ○経営学研究科 経営学専攻[修士、博士] 経営学研究科は、経営・会計の高度職業人および研究者の養成を目指しています。「経営コース」と「会計コース」を設け、最新の経営理論・研究成果・ケーススタディを学ぶ授業を通じて、実社会で活躍する社会人のリフレッシュ教育を行っています。経営グローバル化に対応する教育・研究も行っています。また、「会計学」に関するテーマで修士論文を完成させた場合、税理士国家試験科目の一部免除申請ができます。【昼間・夜間/土曜日開講】 ○法学研究科 法学専攻[修士、博士] 法学研究科の修士課程では、「スポーツ法コース」「税法・ビジネス法コース」「基幹法コース」の3コース制を導入しています。社会の要請に応えて、より高度の法理論および実務理論の教授・研究を通して、高度な専門職業人の養成に取り組んでいます。特に、税務や登記をはじめ、財産管理、少年問題、その他の法的仕事に従事している職業人を、社会人学生として積極的に受け入れ、法理論に裏付けられた事務処理能力を身につけられるように指導しています。また、「税法」に関するテーマで修士論文を完成させた場合、税理士国家試験科目の一部免除申請ができます。【昼間・夜間/土曜日開講】 世田谷キャンパス アトリウム ○総合知的財産法学研究科 総合知的財産法学専攻[修士] 法律の基礎である憲法、行政法、民法、民事訴訟法などを修得した上で、経営学や工学などを包括的に学ぶことで、知的財産法の専門家を育成しています。内外で知的財産の実務に携わる専門家を教授陣に迎え、理論と実践の融合を図る指導を行っています。特許事務所における実務研修「エクスターンシップ」も取り入れています。また、修士論文のテーマを、例えば著作権法・不正競争防止法関連にした場合は、弁理士国家試験の2次試験における選択科目の免除を受けられることがあります。【昼間・夜間/土曜日開講】 ○工学研究科 機械工学専攻/電気工学専攻/建設工学専攻[修士]、応用システム工学専攻[博士] 工学研究科は、基礎学力を身につけ、優れた応用開発能力を有し、創造性豊かでユニークな技術者、研究者の養成を目的としています。修士課程では、機械工学専攻、電気工学専攻、建設工学専攻を設置し、各専攻に3~5コースを設けています【昼間・夜間/土曜日開講】。また博士課程にはより広い視野から、それぞれの専門的知見を発展できるように、修士3専攻を統合する形で応用システム工学専攻のみを設けています。【昼間/土曜日開講】 ○人文科学研究科 人文科学専攻/教育学専攻[修士、博士] 人文科学研究科は人文科学の諸分野研究を究められるように、修士課程および博士課程から構成されています。修士課程では研究能力開発とともに時代の要請に応える高度な知見を身につけた職業人の養成を目指し、博士課程では特に研究者養成に力を入れています。【昼間・夜間/土曜日開講】 多摩キャンパス(スポーツ・システム研究科、救急システム研究科)授業風景 ○スポーツ・システム研究科 スポーツ・システム専攻[修士、博士] 修士課程並びに博士課程に、スポーツ教育コースとスポーツ科学コースを設置し、競技スポーツから生涯スポーツまで、多種多様なスポーツ事象を研究対象とし、院生の興味や関心に応じた研究活動ができる環境を整えています。世界各国・地域が抱えるスポーツの諸問題をシステム的にとらえ、それを解決できる高度職業人や研究者を目指すことができます。【昼間・夜間/土曜日開講】 ○救急システム研究科 救急救命システム専攻[修士、博士]、救急救命システム専攻(1年コース)[修士] 救急システム研究科は、医師や看護師、救急救命士といった病院前救急医療に携わる国家資格有資格者に対する高度な教育と研究を行うことを主眼としています。現在の病院前救急医療体制における多種多様な事象を研究対象とし、各自の興味・関心に沿って研究を行うことができます。日本のみならず、世界各国・地域が抱える病院前救急医療に関する諸問題をシステム的にとらえ、それを解決できる専門能力と豊かな学識を有する高度専門職業人の育成を目指しています。【昼間・夜間/土曜日開講】 国士舘大学 町田キャンパス(グローバルアジア研究科)授業風景 ○グローバルアジア研究科 グローバルアジア専攻[修士]、グローバルアジア研究専攻[博士] グローバルアジア研究科では、グローバル化が深まるアジアを研究対象とするため、経済学、経営学、歴史学、国際関係論、言語教育、文化研究、先史学、考古学、保存科学、文化政策論といったさまざまな学問領域が連携・融合する、総合的かつ先端的な研究に取り組むことができます。現代世界の複雑性と流動性に対処するための基本概念として、「コミュニケーションの重要性」に改めて注目しており、経済やビジネスコミュニケーション上のつながりの拡大、共通言語の確立、文化遺産の共有という「新しいグローバルなコミュニケーションシステム」の構築に関わる3分野を最重点においた教育・研究を展開しています。【修士:昼間/土曜日開講、博士:昼間開講】 ☆各研究科の詳細や2021年度入試情報は、国士舘大学大学院公式ホームページでご確認ください 【お問い合わせ】 国士舘大学 教務部 大学院課 所在地:〒154-8515 東京都世田谷区世田谷4-28-1 TEL:03-5481-3140 【アクセス】 世田谷キャンパス 多摩キャンパス 町田キャンパス 提供:国士舘大学大学院
2020/12/07 00:00
「渡鬼」新作ではコロナ描く…94歳現役・石井ふく子「あんまり深刻にはしない」
「渡鬼」新作ではコロナ描く…94歳現役・石井ふく子「あんまり深刻にはしない」
石井ふく子(撮影/写真部・小黒冴夏) 石井ふく子さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・小黒冴夏) 「肝っ玉かあさん」「渡る世間は鬼ばかり」など数々のヒット作を世に出し、戦後日本のお茶の間にテレビのホームドラマを浸透させた石井ふく子さん。94歳の今も現役で活躍しています。作家・林真理子さんとの対談で、「渡る世間は鬼ばかり」の誕生秘話や新作の構想などについて語りました。 *  *  * 林:私、このあいだ同一雑誌のエッセー最多掲載回数でギネス世界記録に認定されて喜んでたら、先生はなんとギネスの記録を三つも持ってらっしゃるんですね。テレビ番組の最多プロデュースと、世界最高齢の現役テレビプロデューサーと、初演舞台の最多演出本数。だから今日は自慢もできないなと思って(笑)。 石井:いいえ、大したことないです。ここまであっという間でした。 林:今年は親友の橋田壽賀子先生も文化勲章を受章されて良かったですね。皆さんコロナにもめげず大活躍で。 石井:来年、「渡る世間」(TBSドラマ「渡る世間は鬼ばかり」)をやるんです。本当は今年10月にやることになってたんですけど、コロナで撮影ができないので、来年に延ばしてやるつもりでいます。3時間番組で。 林:安心しました。来年も石井先生と橋田先生のゴールデンコンビがお仕事をなさるんですね。橋田先生、「安楽死したい」なんておっしゃってるけど、お元気じゃないですか。 石井:だからいつもケンカになっちゃうんです。「年中病院に行ってるのに、そんな話をすることないじゃない」って言うと、黙っちゃいます。 林:来年の「渡鬼」、どうなるか楽しみです。 石井:今、コロナでいろんなことが変わってきましたでしょ。このあいだも、ある方から「粗品」って書いた箱をいただいたんです。和菓子にしちゃ軽いなと思って開けたら、マスクだったんです。こういう時代なんだなと思って。 林:すると今度の「渡鬼」にもコロナが出てくるわけですか。 石井:出てくると思います。岡倉家の姉妹の中で旅行会社で働いているのもいるし、食べもの関係の「幸楽」とか「おかくら」は、自粛で出前が多くなってきてるだろうし、いろんなことがあると思う。あんまり深刻にはしないようにしようと思ってますけどね。暗く終わりたくないですから。 林:先生は、テレビではプロデューサーですけど、舞台のほうでは演出をなさるんですね。 石井:はい。きっかけは父(伊志井寛、新派俳優)です。父は、「日曜劇場」で高峰秀子さんと共演して、私がプロデューサーとして入った小島政二郎先生原作の「君は今どこにいるの」(1968年)というドラマがすごく好きで、「新派でもホームドラマをやりたい。おまえ、作家に頼んでホンをつくってくれ」って言うんです。つくってもらって渡したら、突然「おまえが演出しろ」と。舞台の演出なんて初めてですから最初は断ったんですけど、何日も言われ続けて、とうとう引き受けることになったんです。それが68年のことで、私の新派での演出のスタートになりました。 林:新派とはそんなご縁があったんですね。今度は、「女の決闘」(12月13日、新橋演舞場)という朗読劇の演出をなさるんですね。 石井:これは八木隆一郎さんの作品で、ずいぶん前からおやりになってるんです。私も、何回もやらせていただいていて、はじめに演じられたのは杉村春子先生と初代の水谷八重子先生でした(73年)。川口松太郎先生が演出だったんですが、川口先生はお具合が悪くて車いすで、私がずっとそばについていたんです。そしたら急に「おまえ(演出を)やってくれ。俺は客席で稽古を見てるから」とおっしゃって、「先生、私でよろしいんですか?」「やってくれ」ということで、夢中でやりました。今回は初代水谷さんの娘で、二代目の水谷八重子さんと波乃久里子さんで。 林:私、波乃久里子さんのファンで、新派はわりと見てますので、今回もとても楽しみです。先生ははじめ新東宝にお入りになったんですよね。 石井:ええ。新東宝で女優を2年やったけど合わなくて、日本電建という建物販売の会社に入ったんです。宣伝部にいてラジオ東京(現TBSラジオ)の「人情夜話」というのを担当してまして、スポンサーだから収録の立ち会いだけなんですけど、企画を出すこともやっていて、テレビのほうから誘われたんです。それで日本電建をやめずに嘱託でTBSのほうに行って、しばらくして「日曜劇場」というのをやりだしたんです。第1回が三島由紀夫さんの「橋づくし」(58年)で、これが私のテレビでの演出の1本目なんです。 林:私、「日曜劇場」を見るのが楽しみでした。いろんな名作シリーズがありましたよね。森光子さんの「天国の父ちゃんこんにちは」(66~78年、不定期放送)とか、石井先生と橋田先生の「おんなの家」(74~93年、不定期放送)とか。あと、「女と味噌汁」(65~80年、不定期放送)とか。池内淳子さん演じる芸者さんが、お味噌汁をつくってライトバンでお店を出すんですよね。長山藍子さんが可愛かったです。 石井:遠藤周作先生もゲストで出たんですよ。お客さんの役でお出になっていただいたんです。 林:そうなんですか。遠藤先生、演劇がお好きでしたからね。「渡る世間は鬼ばかり」(90年~)も長いですよね。そろそろギネスに載るんじゃないですか。 石井:もう30年ですからね。「日曜劇場」を単発で1877回やったら、スポンサーが「連続ドラマをやりたい」と言ってきたんです。私、連続ものはやりたくなかったので、「誰かほかの方に」と言って香港に遊びに行っちゃったら、編成の人が追っかけてきて「どうしても1年間の連続ものをやってほしい」って言うんです。それで東京に帰ってきて、橋田さんに「やれますか?」って聞いたら、「いいわよ」と言ってくださって、どういうドラマにしようかと考えてたら、局のほうから「二人で海外旅行に行きながら案を練ってください」って言われて。 林:まあ、ぜいたくな。どこへ行かれたんですか。 石井:橋田さんがバンコクに行きたいと言うからバンコクに行ったんですけど、私、熱を出して4日間寝込んじゃって、橋田さんにはその間コーディネーターをつけていろんなところに行って遊んできていただいて、私は寝ながらずっとドラマについて考えたんです。そして4日目に橋田さんに「こういうものをやりたいけど、どうですか」と言ったら、「やろう」って言って、それで二人でやり始めたんです。 林:岡倉家の物語は、石井先生の発想から始まったんですね。 石井:「肝っ玉かあさん」も「ありがとう」もそうですけど、女手一つみたいな核家族のドラマが多かったので、両親がちゃんとそろっていて、お父さんは会社員で、というふつうの家庭のドラマをやりたいなと思って橋田さんといろいろ話をしたんです。きょうだいは何人にするかも話し合って、男の子はお嫁さんをもらうと向こうへ行っちゃうから、女の子だけにしようと言って娘5人にして。 林:タイトルは? 石井:いろいろ考えて、「渡る世間に鬼はなし」という諺があるけど、相手のことを鬼だと思う自分がすでに鬼なんだ、だから鬼ばかりにしようということで、「鬼ばかり」というタイトルになったんです。 林:キャスティングもほとんど石井先生ですか。 石井:はい。長女は誰にするかとか、いろいろ考えました。 (構成/本誌・松岡かすみ 編集協力/一木俊雄)  石井ふく子(いしい・ふくこ)/1926年、東京生まれ。父は新派の俳優、伊志井寛。母は元芸者で小唄の家元となった三升延。50年、日本電建に入社し、宣伝部に配属。61年、TBSにプロデューサーとして入社。「東芝日曜劇場」を皮切りに、「肝っ玉かあさん」「ありがとう」「渡る世間は鬼ばかり」など数々のドラマをヒットさせた。68年から舞台演出も手掛けるように。著書多数。演出を手掛ける朗読劇「女の決闘」(新橋演舞場)が12月13日に上演予定。 >>【後編/水前寺清子を口説くため「トイレで4回」待ち伏せも 石井ふく子の仰天秘話】へ続く ※週刊朝日  2020年12月11日号より抜粋
週刊朝日 2020/12/06 11:32
水前寺清子を口説くため「トイレで4回」待ち伏せも 石井ふく子の仰天秘話
水前寺清子を口説くため「トイレで4回」待ち伏せも 石井ふく子の仰天秘話
石井ふく子さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・小黒冴夏) 石井ふく子(撮影/写真部・小黒冴夏) 「渡る世間は鬼ばかり」をはじめ、多くの名作を生み出してきた石井ふく子さん。作家・林真理子さんとの対談で、俳優のキャスティングや大物作家たちとのエピソードを明かしました。 【前編/「渡鬼」新作ではコロナ描く…94歳現役・石井ふく子「あんまり深刻にはしない」】より続く *  *  * 林:私、週刊誌で連載されていた先生のエッセー、楽しみに読ませていただきましたけど、水前寺清子さんを「ありがとう」(70~75年)のヒロインに口説くために、TBSのトイレで待ち伏せしてたエピソード、おもしろかったです。 石井:ほかのキャスティングは全部決めてたんです。でも、主役が見つからなくて探してるときに、友達のディレクターに用事があってサブ(副調整室)に行って、ふと下のスタジオを見たら、すごくチャーミングな子が司会をしてたの。「あの人、誰?」って聞いたら、水前寺清子さんだって言うんです。 林:当時、超人気者ですよね。 石井:私、知らなかったんですよ、ドラマばっかりやってるんで。「紹介して」と言ったら、「とんでもないです。歌一本ですごく忙しい人です」って言うの。どうしたらいいかなと思って、スタジオの扉に貼ってある収録のスケジュール表を見たら、休み時間が書いてあったんです。ここで必ずトイレに行くだろうと思って、彼女がトイレに入るのを待ってお話ししたら「歌だけやりたい」って言われて、それから4週間4回、収録のたびにトイレで待ち伏せしたんです。 林:ほかの女優さんではダメだったんですか。 石井:ふつうの女優さんじゃおもしろくないと思ったので。 林:石坂浩二さんの恋人役ですよね。私は石坂さんがハンサムすぎるように、子どもごころに思ってましたけど、そこがよかったんですかね。 石井:そうですね。あるとき舞台を見に行ったら、何もしゃべらない役でしたが、目がとってもきれいな男の子がいて。それで楽屋に呼んでもらって、「テレビに出ませんか」という話をして、名刺を渡したんです。 林:石坂浩二さんの「石坂」は、先生の「石井」から一字取ったんだそうですね。 石井:はい。武藤兵吉というのが本名で、何となくおじさんの感じがするから、私の「石」が欲しいと言ってたし、石坂洋次郎先生(小説家)の「石坂」がいいかなと思って。下の名前の「こうじ」も、漢字でいろんな字を書いて、その中から「自分で選びなさい」って。 林:先生は作家の方とのお付き合いもいろいろあったんですか。 石井:私、山本周五郎さんの作品が好きで、周五郎先生の「こんち午の日」という作品をドラマ化したいと思って、横浜にあった先生の仕事場にうかがったんですけど、扉を開けていただけないんです。何回もしつこくうかがったら、ガラッと開けてくださって「入れ」とおっしゃるんです。入って黙ってたら、「うちには酒か水しかないぞ」「私、お酒飲めません」「そこに水道があるから、自分で水を飲め」とおっしゃって、それが先生との初めての会話だったの。 林:ほぉ~、昔の作家ってけっこう威張ってたんですね(笑)。今だったらまずお通しして、お茶とお菓子ぐらいは出しますけど……。 石井:そんなのとんでもない。とにかく一生懸命お願いしたら、先生は一言「やれ」とおっしゃって、「今日午の日」(59年)というタイトルで放送されることになったんです。 林:それがご縁で「山本周五郎アワー」が始まったんですね。 石井:おもしろい話があって、うちの父に周五郎先生の話をしたら、「銀座に山本周五郎という質屋がある」って言うんです。「質屋?同姓同名なのかな」と思ってその話を周五郎先生にしたら、「そこにちょっといたことがある」とおっしゃるんです。「その質屋から小説の原稿を出版社に送るときに『山本周五郎方清水三十六』(清水三十六は本名)と書いたら、『山本周五郎』のほうをペンネームにされちゃったんだ」とおっしゃってました(笑)。 林:ひょえ~、そんなエピソード、いま初めて知りました。向田邦子さんともお付き合いがあったそうですが、なかなかホンを書いてもらえなかったそうですね。 石井:「日曜劇場」で何本もやってますけど、原稿をいただくのが大変でした。お宅にうかがうと、「ねえ、おなかすいてない?」とおっしゃるんです。私が黙ってると、「すいてるでしょ」と言ってごはんを食べさせられて、しばらくすると「下町の話を聞かせてよ」って言うので、私、下町育ちなので下町の話をして、なんだかんだで夜中になっちゃって、「じゃあ」と言ってうちに帰ってきて、「あ、やられた。原稿を催促に行ったのに」(笑)。 林:橋田先生は早くいただけるんですか。 石井:早いです、わりと。セリフが長いから、早くもらわないと俳優さんが覚えられない。 林:先生はこれまでいろんな女優さんを見てこられて、どなたがいちばん印象に残ってますか。 石井:私、新東宝にいたので、香川京子さんとわりあいお付き合いしていて、今でもお付き合いしてますけど、きちっとしてらっしゃる方ですよね。 林:香川京子さんって品があってきれいな方で、たしか読売新聞の方と結婚なさって、ニューヨークにいらしたんですよね。 石井:ええ。私、一度ニューヨークまで行きました。あと、私はジョージ・チャキリスと佐久間良子さんの舞台の演出を日比谷の宝塚劇場でやって……。 林:えっ、あの「ウエスト・サイド物語」(61年)のジョージ・チャキリスと佐久間良子さんが? 何というお芝居なんですか。 石井:「白蝶記」(79年)という舞台で、佐久間さんが女郎、ジョージがお客の役で、佐久間さんをだんだん好きになっていくんですけど、稽古中、二人で向かい合ってると、いきなり抱こうとするんです。「ちょっと待って。だんだん好きになるんだから、すぐ抱こうとするのは困る」と言ったら、考えて、「トゥモロー」と言って帰っちゃったんです。 林:まあ、ジョージったら(笑)。 石井:次もまたダメで、「トゥモロー」と言って帰っちゃって、4回目「トゥモロー」と言ったところで、私は「ノー! ステイ!」と言って怒ったんです。そしたらジョージが私のこと「コワい」って言ったの(笑)。それから何だかんだ、長い付き合いが続いています。 林:話が変わりますけど、先生、踊りは西川流ですか。 石井:若柳です。ずいぶんやってました。林さんは藤間ですか。 林:私は藤間です。30年近く前、石井先生に初めてお目にかかったとき、私が「今度『藤娘』を踊るんです」と言ったら……。 石井:拝見しにうかがいました。 林:失礼しました、先生にあんなものをお見せして(笑)。あのあと一生懸命お稽古して、いちおう名取になりましたけど、市川海老蔵さんも高校生のときにあれを見て、去年この対談にゲストで来ていただいたら、「一体どういうつもりでああいうことをやったの?」って(笑)。 石井:うちの母は花柳界で育ってますから、踊りのほかに小唄とか鼓をやってまして、私は踊りとかお茶とか太鼓をやってました。 林:今も踊ってらっしゃるんですか? 石井:京マチ子さんが亡くなる何年か前に、京さんと二人で「水仙丹前」というのをやったのが最後でした。 林:京マチ子さんで思い出しましたけど、京マチ子さんが亡くなったときの報道で、昭和を代表する女優さんたちが集まる「やすらぎの郷」(倉本聰脚本のテレビドラマ)のようなマンションが実在すると知って、びっくりしました。 石井:ふふふ。若尾文子さん、奈良岡朋子さん、亡くなった京マチ子さん、それと私が住んでるんです。都心でとにかく便利なんです。大きな病院も近くにあるし。 林:皆さん仲良くごはん食べたりなさるんですか。 石井:元旦だけ、うちに皆が集まっておせちを食べます。奈良岡さんはご自分で料理するのがイヤなので、出前みたいに「何かちょうだい」ってうちに電話がかかってくるんです(笑)。 林:普段は皆さん独立して暮らしてらっしゃって、何かあったら助け合おうという感じなんですか。 石井:はい。階はみんな違うので、つかず離れずで。 林:いいですねえ。都心の一等地のマンションに、仲のいい人たちと、もちろん部屋は別々で、一緒に住むというのが私の夢なんですよ。イヤな夫はどこかに行ってもらって……(笑)。 石井:私たち、年中は会わないんです。うるさいから(笑)。普段はお互い自由にして、何かあると集まる。つかず離れずの距離感で。 林:楽しそう。先生、来年も再来年もお元気で、ずっとお仕事をなさってくださいね。 (構成/本誌・松岡かすみ 編集協力/一木俊雄)  石井ふく子(いしい・ふくこ)/1926年、東京生まれ。父は新派の俳優、伊志井寛。母は元芸者で小唄の家元となった三升延。50年、日本電建に入社し、宣伝部に配属。61年、TBSにプロデューサーとして入社。「東芝日曜劇場」を皮切りに、「肝っ玉かあさん」「ありがとう」「渡る世間は鬼ばかり」など数々のドラマをヒットさせた。68年から舞台演出も手掛けるように。著書多数。演出を手掛ける朗読劇「女の決闘」(新橋演舞場)が12月13日に上演予定。 ※週刊朝日  2020年12月11日号より抜粋
週刊朝日 2020/12/06 11:32
医学部合格高校ランキングでわかる、地域の特色と強豪校を徹底分析
医学部合格高校ランキングでわかる、地域の特色と強豪校を徹底分析
国公立大合格ランキングの2位である、1927年創設の灘高等学校。授業のほかに医学関連の話題も取り上げる土曜講座を開催することで知られる(写真/長谷川拓美) 2020年 国公立大医学部医学科合格高校ランキング。高校名の◇印は国立、〇印は私立、無印は公立、☆印は中高う一貫校を示す(協力/大学通信) 2020年 私立大+大学校医学部医学科合格高校ランキング。高校名の◇印は国立、〇印は私立、無印は公立、☆印は中高う一貫校を示す(協力/大学通信)  現在発売中の『医学部に入る2021』では、2020年の入試において医学部受験に強い全国の高校を調査し掲載している。どの医学部に何人合格したのか、「国公立大学」と「私立大学+大学校」別の合格者数を、都道府県ごとに一覧にしている。どんな傾向があるのか……合格実績を見て、学校選びの参考にしよう。 *  *  * ■制度改正によって中高一貫校が台頭  医学部進学に強い高校の特徴として挙げるとすれば、私立の中高一貫校が強いということだろう。  1960年代後半から、学力格差を是正するために全国各地の公立高校で学校群制度が導入された。67 年、この制度が取り入れられた東京都では、都立のエリート校に優秀な生徒が入学する流れは崩れたという。結果、関東圏の場合は、中高一貫を掲げる開成や筑波大附などが台頭してきた。 ■実利を重んじる風潮、東海と灘の強さとは    2020年の国公立大医学部医学科(以下、国公立大)、私立大+大学校医学部医学科(以下、私立大)それぞれの合格者数トップ40と、合格者数トップ38の高校をランキングにした。    国公立大への進学でトップなのは、愛知県にある東海で、私立大ランキングでも全国9位だ。もともとは、法然上人が開いた浄土宗の僧侶を育成するための学校として、1888年に創立された。    高校の1学年は約400人で、卒業生には予備校講師でタレントの林修や作家の大沢在昌がいる。医系予備校の進学塾ビッグバンの松原好之代表は、こう話す。 「トヨタ自動車やデンソー、ホシザキなど、愛知県はものづくり産業が盛んで実利を重んじる風潮があります。地に足を着けた商売戦略気質もあり、医学部受験においても、国公立大も私立大も等価とみなす富裕層ならではの考え方を持っています。以前、医学部の学費の値下げが起きた際も、それに伴って偏差値が上昇することをきちんと視野に入れて、偏差値を高めるチャンスも可視化した。東海は、医学部受験に強い高校という看板を不動のものにした結果、進学したい人気校として飛躍したのです」    国公立大の2位は、兵庫県にある灘だ。もともと難関大に強いのが特徴で、授業のほかに医学関連の話題も取り上げる土曜講座を開催することで知られる。 「以前、息子の受験のために灘中学の学校説明会に行ったことがありました。学校の説明を受けた後、校長先生がこう話したのです。『高校2年の後半ごろになると、多くの灘校生は私たち教師を抜くんです。まあ、教師を抜けないようでは、私たちレベルの人間で終わってしまいますから』、と。私はこの言葉に、とても感銘を受けました。灘校には“余裕”があると思いました。それは、生徒の多くが卓越した素質を持ち、教師陣も生徒に対して信頼を持って接し、個性を存分に伸ばそうとする気概を強く感じたからです」(松原代表) ■男女がともに高め合う、共学校が強い理由は  国公立大3位の洛南は、京都駅から徒歩圏内にある。約1200年前に空海(弘法大師)が創ったといわれる「綜藝種智院」(日本初の私立学校)が源流だ。    1962年の発足時は男子校だったが、2006年に男女共学校となった。 「共学校にしてから、さらに医学部志望の生徒が増えたそうです。やはり、男子よりも女子のほうが真面目で勤勉で、コツコツと努力を重ねます。その姿に、男子がいい意味で意識をし、ライバル心を持つようになるんですね。日々の生活や学びでお互いに刺激し合うことが、医学部進学率を押し上げているのではないでしょうか」(同)    国公立大、私立大ともにトップ10に入ったのは、東海、四天王寺、ラ・サールの3校だ。では、北から南に向けて地域ごとに詳しく見ていこう。 【北海道】  国公立大合格者数ランキング40 位内に入ったのは、北海道大に13人、旭川医科大に7人の合格者を出した札幌南で全国で11位だ。私立高校は、北海道大に5人、東京大に2人が合格した北嶺が27位となった。    北嶺は、医学部志望者に向けて「北嶺メディカルスクール」を立ち上げており、受験の指導にとどまらず「医療人」として日本や世界で中心的な役割を担う基盤を提供。早期から医療や福祉の現場に触れる機会を設けているという。 【東北】  東北地方でランキングに入ったのは、国公立大16位の仙台第二で東北大に12人、山形大に13人が合格した。私立大医学部においても東北医科薬科大に17人、獨協医科大にも5人が合格した。   【関東】  関東には国公立大が6大学、私立+大学校が19大学もある。国公立大の10位内に関東の高校名はないが、私立大ランキングには、豊島岡女子学園、暁星、開成、海城、女子学院といった都内の私立高が並ぶ。また、6位には聖光学院もランクインしている。 「進学にしても就職にしても、東京には多様かつ一流の受け皿があります。では、医学部に強い進学校は、どう選んだらいいのでしょうか。その目安として私が話すのは、国公立大医学部だけではなく、むしろ私立大医学部に何人の生徒を合格させているのかが重要ということです。国公立大に合格させる以上に、私立大医学部に入学させるには生徒の家庭の経済面および、家庭環境も整っていることに加えて、学校自体の戦略、ノウハウが必要ですから」(同)    合格ランキング全体を見てみると、国公立大43校中で首都圏にある高校は7校、私立大の場合は28校もランクインしている。    なかでも豊島岡女子学園は国公立で22位、私立大の合格ランキングだとトップに君臨し、国際医療福祉大に23人、日本医科大に17人、順天堂大と昭和大、東邦大に13人ずつなど、139人が私立大医学部合格を勝ち取った。    東京の女子校としては、桜蔭も医学部進学に強い。20年には、順天堂大に24人、東京慈恵会医科大は20人、慶應義塾大と国際医療福祉大にはそれぞれ17人が合格している。    千葉県内では昨今、千葉大へ14人、東京医科歯科大に4人、私立大は国際医療福祉大に21人、順天堂大へ14人が合格するなど、渋谷教育学園幕張の医学部合格者数が飛躍的に伸びている。   【中部】  国公立大ランキングに、東海、新潟、浜松北、滝、南山、旭丘、藤島、岐阜の8校がランクインした。静岡県立浜松北高等学校 進路指導部長の高林英次先生は、こう話す。 「静岡県は有力な関東、関西地域の大都市圏に比べ、優秀な生徒たちが自然と公立高校に集まる傾向が高いといえます。本校は、医学部受験向けのコースなどは設けていませんが、ひと学年400名の生徒のうち130名ほどが医療系の学部を目指します。学区内に国立大の浜松医科大学があり、自宅から通える医学部として進学率も高いです。地方の場合、一定の社会的地位を満たす仕事として、医師という職業は強い。もしかしたら、地域の風土などが反映されて、医学部を目指す生徒が多いのかもしれません」  私立の東海、滝、南山は、私立大医学部合格ランキングにも名を連ねている。    男子校である東海は、中部地方一円から優秀な男子生徒を集めているが、南山はカトリック系の中高一貫男女併学校であり、男女別々の校舎でそれぞれの授業が行われるため、実際は男子校+女子校である。 【関西】  医学部人気が高い関西では、東京大に14人、京都大に24人、大阪大に11人が合格した灘を筆頭に、国公立大トップ10には洛南、四天王寺、東大寺学園、甲陽学院の5校がランクインした。    このうち、中高一貫の女子校である四天王寺は、私立大ランキングでも2位。2014年には医師を目指す生徒のための「医志コース」を中学に設置した。独自の英語教育で学力を伸ばし、四天王寺病院の見学や卒業生でもある医師たちの講演会など、日ごろから医療に触れる機会を設けている。    9位の東大寺学園は、1926年に勤労青少年のために東大寺の僧侶たちが東大寺の境内に夜間学校を開いたのが出発点だ。 【中国・四国】  国公立大トップ40の6位にランクインした愛光は、70周年の記念事業として現在、新校舎・新キャンパスの建設が進む。21位の広島学院は広島大へ21人、私立大医学部にも30人が合格した。    私立大のランキング35位の岡山白陵は、大阪医科大や川崎医科大ほか私立大医学部に45人が合格した。 【九州・沖縄】  国公立大トップ40には、久留米大附設、青雲、ラ・サール、熊本、昭和薬科大附、宮崎西、鶴丸、大分上野丘の8校がランクインした。熊本と宮崎西、鶴丸、大分上野丘は県立高校だが、あとの4校は私立の中高一貫校だ。久留米大附設は九州大へ26人が合格した。    私立大合格ランキングでも8位に入り、寮のあるラ・サールは、全国から成績優秀な生徒が集まることでも知られており、毎年東京大や京都大への合格者を出している。 (文・長谷川拓美/編集部) ※『医学部に入る2021』本誌では、医学部に強い238高校を一覧にして掲載。合格者数は高校への調査による人数。
dot. 2020/12/05 17:00
瀬戸内寂聴「仕事のはかどりが、のろくなって唖然」 退院後を語る
瀬戸内寂聴「仕事のはかどりが、のろくなって唖然」 退院後を語る
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。近著に『寂聴 九十七歳の遺言』(朝日新書)。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。(写真=横尾忠則さん提供)  半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * ■横尾忠則「三島さん『君の絵は無礼だけどそれでいい』」  セトウチさん  僕が物心ついた頃、両親はすでに老人でした。実の両親を知らないまま老人の養父母に育てられました。二人共、尋常小学校しか出ていない無学の徒ですが、面白い言葉をよく知っていました。いわゆる故事・ことわざの類です。そんな言葉が日常の慣用句として、ポンポン出るのです。僕は一人っ子で人と話す機会がなかったので自然に両親の語ることわざを真似(まね)ていました。一日中、絵ばかり描いているので、本を読むことなどは十代にはほとんどなかったために、小学校を卒業する時、先生は親に、「中学に進学するというのに幼児語が抜けないのが心配」と伝えた。そういえば中学に入っても親には「ターちゃん」と自分のことを三人称で呼んでいましたね。  だけど、友達に対しては面白がって、「聞いて極楽見て地獄」とか「蛙(かえる)の子は蛙」とか「鬼の目にも涙」とか「短気は損気」とか「万事休す」とか、こんな古臭い言葉や、自作のオノマトペを使っていました。  今でも僕は絵の主題に困った時は、ことわざを形象化したり、画面にオノマトペを書き込んだりしています。そんな僕の言語感覚や視覚言語を面白がってくれる三島(由紀夫)さんは、「君の絵は実にエチケットのない、無礼な絵だけれど、それでいい。俺と君の共通点は、ブラックユーモアだなあ、日本人は真面目過ぎて、この良さが判(わか)んないんだよな」。  三島さんのこうした考えの背景にある愚に徹した生き方を自らの浪漫主義と主張して、この意識は魂に忠実に従うことで全てが許されるとしていました。つまり、生きるのにいちいち理屈は必要ない。真理を求める心こそが愚であるとしています。思わず「知者は惑わず」なんてことわざがふと浮かんできました。  芸術の核のひとつに、何(な)んでもチャカしてやろうという精神があります。マルセル・デュシャンが画廊に便器を持ち込み、ダダやシュルレアリストは本来の言葉や事物の意味を転倒させ、慣例や常識を根底から崩してしまいます。ことわざにもそれに似た力があります。僕がことわざが好きなのは、すでに手垢(てあか)のついた民衆の中から生まれた言葉だからです。小説家の創作する言葉ではない、レディメイドのありふれたどこにでもある言葉です。その言葉を効果的に使うことで、日本語が生々と、血の通った豊かな言葉に変(かわ)ります。ポップアートの魅力にも共通していたり、鶴見俊輔さんの「限界芸術」にも通底するものがことわざにもあります。  僕は将来画家になるなんて考えたこともなかったです。だから絵は最初から遊びです。今もその延長上で描いています。でも飽きっぽい上に、この年になると描くのが面倒で、どうでもよく、嫌(い)や嫌や描いています。感性だけで描いているので職業というより趣味です。人に感動を与えようなんて、考えたこともないです。サッサッと未完のままで仕上げて、あとは無為な時間を遊んでいます。  絵は芸術の枠をはずすことで長く存続します。文学は思想云々(うんぬん)言いますが、絵は死想です。理屈を超えて死と向き合う芸術です。その一方で「四角な座敷を丸く掃く」手抜きのいいかげんな横着さも芸術に必要です。ナンチャッテ! ■瀬戸内寂聴「自決から五十年 三島さんの声聞こえる」  ヨコオさん  人間は生きている限り、自分では思いもよらない日を迎えるものですね。  私は、この間、寂庵の廊下ですべって転んで、頭から倒れて入院騒ぎをしたばかりです。運が強いのか、しぶといのか、今は寂庵に戻って、平然と過ごしています。頭を余程打ちつけて、相当阿呆(あほう)になったらしく、仕事のはかどりが、のろくなって唖然(あぜん)としています。この調子では、もう商売も店終(みせじま)いをするほかないのかなと思案しています。でもそんなとり越し苦労をしないでも、そのうち、余命がつきて、けろりと死んでくれるかもしれません。  でも、死んでしまったら、本が読めなくなるのが一番淋(さび)しいですね。どんな大けがをしても、目が見えることが有難(ありがた)いと思います。  私はこの数日、朝から晩まで、夢の中までも三島さんの本ばかり読みふけっています。衝撃のあの自決の日から五十年の節目のこの年になって、なぜか、あの世からの三島さんの声が夜な夜な聞こえてくるのです。私はヨコオさんのように、生きていた三島さんから可愛がられた仲でもありません。三島さんが小説家になり始めた頃から、ファンレターを出し、それに全く予期していなかった返事がすぐ来て、びっくり仰天しながら文通が始まったのです。 「自分はファンレターに一切返事を書かない主義だが、あなたの手紙はあんまりのんきで面白いので、返事を書く気になりました。」  という文面で、返事が来たのです。それ以来、私たちはお互いの顔も声も知らないまま、手紙のやりとりが続く間柄になったのでした。  私が小説を書き始めたとき、最初にそれを読んだ三島さんから、 「あなたの手紙は、あんなに面白いのに、小説は何とまあつまらないのだろう」  という手紙が来たことをはっきり覚えています。それでも私が少女小説を書き始めた時、三谷晴美というペンネームをつけてくれ、その小説が活字になり生まれてはじめて原稿料というものを貰(もら)ったとき、 「こういう時は名付け親にお礼に何か贈るのが礼儀ですよ」  と言ってきたので、私はあわてて、煙草が好きそうな三島さんに、ピースの缶入りを三個送ったのをとても喜んでくれ、 「でも、このことは世間には内緒ですよ」  と折り返し手紙が来たのを覚えています。  ヨコオさんは、三島さんから、世間との付き合いの礼儀作法などを教えられたそうですが、あの人はそういうことを教えたがるおせっかいな面があったのかもしれませんね。でも自分より若い者、弱い者、おろかな者に対しては、ほんとにやさしい人だったですね。私と三島さんの間柄が、ある時からぐっとちぢまったのは、彼の「英霊の声」が雑誌「文芸」に載った時からでした。この話は長くなるから、今日の手紙はここまでにしましょう。  昨夜、徹夜で、佐藤秀明氏の『三島由紀夫 悲劇への欲動』という岩波新書を読んだので、興奮が冷めず、まだ少しも眠くありません。でも今日はここまでにしますね。  おやすみなさい。 寂聴 ※週刊朝日  2020年12月11日号
週刊朝日 2020/12/03 11:32
カンニング竹山が懸念 「桜を見る会」疑惑再燃でいま政権揺らいだらどうする?
カンニング竹山 カンニング竹山
カンニング竹山が懸念 「桜を見る会」疑惑再燃でいま政権揺らいだらどうする?
カンニング竹山さん(撮影/今村拓馬) 昨年の「桜を見る会」での安倍元首相(C)朝日新聞社  安倍元首相の後援会が主催した「桜を見る会」前夜祭をめぐり野党が安倍氏の国会招致を求め疑惑追及が再燃している。こうした中、お笑い芸人カンニング竹山さんは、いまこの時期にそこを突っつきだすとこの国はどうなってしまうのだろうと心配している。 *  *  * 「桜を見る会」の前夜祭をめぐり、またいろいろもめているじゃないですか。たしかに、安倍さんがカネを出していたのだとすると、それやっぱりシャレになんないし、責任問題だと思うんですよ。  それは責任取らないといけないけど、森友・加計問題もちゃんとやらないとマズくねぇってことになってしまう。いちからもう一度調べないと、あの時も国会で“インチキはしていない”みたいなことを言っていたわけじゃないですか。でも、桜でこんなことになるんなら、森友・加計問題も調べ直さないといけないんじゃないの? っていうことになると思う。  菅総理も安倍元首相の官房長官だったから、その責任問題にもなってくるよね。そこで思うのは、どちらの肩を持つということはないんですが、ひとつだけ心配しているのは、また安倍さんの問題がどんどん再燃していって、いまの政権ががたがたになって揺らいで、政権が交代となってしまうこと。もちろん、きちんと正していってそうなったらいいんですけよ。ただ、関わった人たちを辞任させていって、それは辞めさせることを望んでいる人たちやそれを望んでいるメディアは喜ぶだけかもしれない。僕はどっちの肩を持つとかは一切ないんですけど。  だから心配しているのはコロナの感染拡大も長引いて、経済もどんどん落ち込んでいる時に、またその問題で国の根幹がぐちゃぐちゃっとなるのは、これどうなんだろうな……。でも、このことを放っておいていいかって言えば、放っておくわけにはいかないとも思うんですよ。それに加え、2021年の東京オリンピック・パラリンピックの開催も懸念される中、国の根幹が崩れるってことはないの? あるの? って。それ、崩れちゃったとき大変じゃない? というのがすごく心配というのがありますよね。  この時期に最悪のパターンとして別の政権が誕生したとして、その政権で大丈夫なの? とか、そもそも、その別の政権を選び出すための選挙とかどうすんの? 金と手間もかかるわけじゃないですか。菅政権じゃなければ、野党だってなったときに、野党ができるの? とも思ってしまう。この最悪なときに。  だから、「桜を見る会」の問題を突くようないらんことするなって言っているわけではないんですよ。もちろん、安倍さんが裏でカネを出していたってことになったら、あれだけ“カネは出していない”って言っていたのにやっていたら責任問題でしょ。それは、普通の考えじゃないですか。そうなったら、森友・加計問題はどうなってんの? と思うのも普通の考えだと思うんですよね。    これらを発端に国の根幹がぐちゃぐちゃになってしまうと、我々国民の生活は大丈夫なの? いまコロナの感染拡大がなければ、「桜を見る会」のことだって、どんどん追及して、正しい人たちが政権を担っていけばいいんだけど。いま、菅政権でしっかりやっていこうとしているさなか、政権が変わってしまうようなことになるのは、国民にとっては得なんだろうか、どうなんだろうか? それが個人的な心配というか、そこまで考えてしまいますね。。  それと同時に、東京五輪をやるのに追加費用が2000億円と報じられましたが、それ、中止にして2000億円を他のことに使ったほうがいいんじゃないの? と思う。生活に困っている人がたくさんいるいま、時短営業要請をうけている飲食店の補償も問題だし、そんな時に東京五輪に追加で2000億円ってどうなの? 世界中が東京五輪をやってくれ! って言ってて頑張っているというのではなく、世界中から人が移動できないかもしれないでしょ? そんな時に2000億円ですよ。2000億円あったら医療従事者が働く大変な現場にお金を渡さないとみんな辞めてしまわないか? きつい仕事や危ない仕事は報酬が高いからやるというのもあるじゃないですか。  順番としては、お金はまず医療従事者にいくべきじゃない? それって、普通の国民の感情だと思うんですよね。元々、復興五輪と言われていたけど、震災の被害を受けた人もコロナの被害も受けていて。それ考えたら、東京五輪にまた追加でお金を出すって、みんながつらい思いをしてまでやらなきゃいけないとこなの?   もし、東京五輪を辞めるという選択肢もあるのであれば、いま決めちゃったほうがよくない? 来年3月まで待って、やるやらないを決めたり、そもそも3月まで待ったところで物理的に開催できるのか? 規模小さくしてやりますって言ったって、開催するとカネはかかるわけだから。それだったら、そのカネ、もっと違う使い道というか困っている人を救わないと。国がやらなきゃならないことの一番って、国民の命を守るっていうことと、国民が幸せに暮らせるようにすることじゃないですか。  そうなると、国民が楽しむという意味においても、いまやり遂げなければいけないことしても、それが東京五輪ってどうなの? コロナを乗り越えた東京五輪の開催とうたっているけど、いやいや、乗り越えていないでしょ? 目の前にそういう課題がある状態なのに、政権がもめたり、前の総理がウソついたウソついてないって、いろんなところにメス入れ出したり……我々国民はどうなるの?  ■カンニング竹山/1971年、福岡県生まれ。お笑い芸人。2004年にお笑いコンビ「カンニング」として初めて全国放送のお笑い番組に出演。「キレ芸」でブレイクし、その後は役者としても活躍。現在は全国放送のワイドショーでも週3本のレギュラーを持つ。竹山報道局は、ネットでCAMPFIRE を検索→CAMPFIREページ内でカンニング竹山を検索→カンニング竹山オンラインサロン限定番組竹山報道局から会員登録
dot. 2020/12/02 11:30
ズキンズキンと脈を打つような「片頭痛」 頭痛専門医が勧める頭痛ダイアリーとは?
ズキンズキンと脈を打つような「片頭痛」 頭痛専門医が勧める頭痛ダイアリーとは?
※写真はイメージです(写真/Getty Images) 埼玉精神神経センター・埼玉国際頭痛センター長 坂井文彦医師  多くの人が悩まされる頭痛。日本では約4000万人の潜在患者がいると言われている。そのなかでも約840万人の患者がいるという片頭痛は、頭痛のなかでも最もつらい症状に見舞われ、医療機関を受診する人の比率が高い。本人にしかわからないつらさを、周囲になかなか理解してもらえずに苦しむ人も多い。そんな片頭痛の現状について、専門医に解説してもらった。 *  *  *  片頭痛に悩む患者は、日常生活においてさまざまな支障を抱えながら暮らしている。日本頭痛学会顧問で、埼玉精神神経センターの埼玉国際頭痛センター長である坂井文彦医師は、こう話す。 「1次性頭痛と言われる慢性頭痛は、患者さん本人がどれほどつらいのかが医療者であってもなかなか理解してあげられません。家族や周囲の人、職場の人などはなおさらだと思います。“たかが頭痛”と第三者は思っているかもしれませんが、本人にとっては重大な問題なのです」    片頭痛は、20~40代の女性に多い頭痛だ。ズキンズキンと脈を打つようなひどい痛みが起こる。動けないほどの発作が数時間から数日続き、吐き気や嘔吐などを伴うことも多く、寝込んでしまうほどのつらさに見舞われる。しかし、そのつらさのなかで仕事や家事・育児をおこなう人が多いのも実情だ。遺伝的な側面もあり、10代から悩んでいる人もいる。 「女性ならではの月経、そしてストレス、不規則な睡眠、天候、飲食物などさまざまな要因がきっかけで発症します。薬物による治療は必須ですが、患者さん本人がどういうときに痛みが出るかを知ることもセルフケアの第一歩として重要です」    坂井医師が、自分の症状について知るために、頭痛の患者へ強く勧めているのが、「頭痛ダイアリー」を日常的に書くことだ。 「頭痛の程度を3段階、午前、午後、夜に記入し、頭痛以外の症状も記述して、薬を服用した場合には、どういう薬か、効果はどうだったかということも書きます。頭痛発症時の天候や発作の起きた時の状況、発作によって生活にどのような支障があったかなどについても記述してもらいます」   「頭痛ダイアリー」は日本頭痛学会のホームページからもダウンロードできる。記述したものを持参して頭痛専門医を受診すると、症状の説明がスムーズになる。まずは頭痛専門医を受診して、「頭痛ダイアリー」の記入方法について医師から説明を受けるのもいいだろう。 「頭痛の度合いや生活への影響は、患者さん本人にしかわかりませんので、克明に記入してあればあるほど、医師は診断に役立てることができ、その後の治療戦略においても大いに参考になります。『頭痛ダイアリー』に基づいて、ていねいにアドバイスをくれる医師に診てもらうのが良いと思います」  現在、片頭痛の治療薬は進化している。片頭痛は、セロトニンが減少し、そのことによって三叉(さんさ)神経が興奮して血管拡張物質を放出するために発症すると言われている。  セロトニンの減少に対して働くトリプタン系の薬が5種類あり、患者の病状に応じて処方されている。さらに最近では、抗CGRP抗体という三叉神経から放出される血管拡張物質自体を抑える抗体薬の治験が日本でもおこなわれた。米国ではすでに承認されている薬で、日本での保険承認が待たれている。  薬物療法以外にも、理学療法(体操指導)、作業療法(生活療法)、心理療法(心理カウンセリング)、ヨガ、鍼(はり)治療など、自分にとって必要と思われる治療を選択して、積極的に受けることも大切だと坂井医師は語る。 「大事なことは、自分で自分の病状をよく知り、生活をコントロールできるようになることです。自分の病状を管理できるようになると、精神的にも安定して、病状の改善にもプラスに働くと思います」    現在、さまざまな企業で“ヘルシーカンパニー”を目指す動きが活発になりつつあるという。これは社員の健康管理と企業経営を一体とする考えを導入する企業のことだ。社員の健康状況が業務成績に大きく関わることを鑑み、さまざまな施策を積極的に考えている優良企業のことを指す。 「そのような企業では、近年、片頭痛の予防に対する取り組みも重要と考えられています。企業においての片頭痛による欠勤はもちろんのこと、出勤してはいても仕事に対するパフォーマンスが著しく落ちてしまうということがさまざまな研究で立証されてきたためです。また、片頭痛は、WHO(世界保健機関)などが提唱する、損失生存年数という、ある疾患による障害で損失してしまう年数が多いという点でも注目されています」 “たかが頭痛、されど頭痛”が、世間に認知されるようになってきている。頭痛もちの人は、我慢をせずに症状を訴えて、早急にしかるべき頭痛専門医を受診してほしい。 (文・伊波達也) 【取材協力】 埼玉精神神経センター・埼玉国際頭痛センター長 坂井文彦医師
病気病院
dot. 2020/12/01 08:02
3人に1人が悩む国民病「頭痛」 慢性と脳や頭の病気による頭痛の見分け方は?
3人に1人が悩む国民病「頭痛」 慢性と脳や頭の病気による頭痛の見分け方は?
※写真はイメージです(写真/Getty Images 埼玉精神神経センター・埼玉国際頭痛センター長 坂井文彦医師  日本人の潜在患者数が約4000万人とも言われる頭痛。人口の3人に1人が悩んでいるという国民病だ。頭痛にはさまざまな原因があり、生命の危機に関わるものもある。たとえ生命の危機がなくとも、「たかが頭痛、されど頭痛」と言われ、日常生活のQOL(生活の質)に大きく影響する 。 *  *  *  頭痛は、医学的には367種類に分類されるというが、まず重要なのは、1次性頭痛か2次性頭痛かを鑑別することだという。日本頭痛学会顧問で、埼玉精神神経センターの埼玉国際頭痛センター長である坂井文彦医師に話を聞いた。 「一口に頭痛と言っても、その原因はさまざまです。たかが頭痛とは考えずに、医師による正しい診断を受け、すばやく対処していくことが、日常生活を支障なく過ごしていくためには大切です」  1次性頭痛とは、慢性頭痛とも言われるもので、“頭痛もち”と一般的に言われる病態だ。脳の一時的な異常による頭痛で、頭痛の9割はこの1次性頭痛だ。  一方の2次性頭痛は、脳や頭の病気の症状として表れる頭痛で、その裏には脳腫瘍やくも膜下出血、脳炎など、生命にも関わる病気が隠れている。   「医療機関を受診して、問診、画像検査などにより、重篤な病気が見つかった場合には、専門的な治療を早急に受けなければなりません。一方、慢性頭痛と判明した場合にも頭痛の種類によって対処法が異なりますので、専門医による正しい診断に基づいた治療を受けるべきです」    先述したとおり、頭痛の種類は367種類だが、多くの人が悩む慢性頭痛は、緊張型頭痛、片頭痛、群発頭痛の三つに大きく分けられる。     なかでも最も多いのは、緊張型頭痛だ。頭痛もちの半数近くはこの頭痛だという。仕事や日常生活におけるストレス、運動不足、無理な姿勢などによる筋肉や血管の収縮で血行が悪くなり、痛み物質や疲労物質が筋肉にたまると発症する。日常的に経験している人が多い頭痛で、頭を締めつけられるような痛みがあり、首や肩のこり、めまいなどを伴うこともある。  症状の度合いは人それぞれで、抗不安薬や抗うつ薬などを医療機関で処方してもらわなければならない人がいる一方で、市販の頭痛薬の服用や、リフレッシュすることで対処している人も多い。    これに対して片頭痛は、寝込んでしまうほどで、吐き気や嘔吐などの症状も伴う、QOLが極めて悪い頭痛だ。緊張型頭痛の3分の1程度の患者数だが、頭痛で医療機関を受診する人の8割は片頭痛だと言われる。女性に多く、20~40代で発症することが多い。    群発頭痛は、緊張型頭痛、片頭痛に比べると患者数が少ない。片頭痛の10分の1程度だ。  年に1~2回程度、1~2カ月持続する頭痛で、一日に2~8回の発作を伴う。発作は、夜間、睡眠時に起こりやすく、目の奥をえぐられるような激しい痛みがある。痛む側の目の充血やまぶたの腫れ、鼻水などの症状もある。発症のきっかけは飲酒による。男性に多く発症し、20~40代に群発期が頻発する。    群発頭痛には通常の鎮痛薬はほとんど効かない。原因と思われる三叉神経や局所自律神経の異常興奮に対して作用するトリプタン系の薬や在宅酸素吸入を医療機関で処方してもらう必要がある。症状がひどい場合には、副腎皮質ホルモンの内服や後頭神経ブロック療法といった治療が必要な場合もある。  ひどい頭痛もちの人は、痛みが起こっている場合はもちろん、痛みが起こるのではと常に不安に思い、ついつい薬を飲み過ぎている人もいる。その結果、薬物乱用頭痛という状態になってしまうことも多々あるという。 「そのようなケースでは、薬の服用を抑えて、医師のアドバイスを受けるなどして、頭痛についての正しい情報を入手するべきです。そして、頭痛を正しく理解し、安易な自己療法に頼らないことが大事なのです。そのためにも長く続く頭痛の場合には、市販の頭痛薬に頼りっきりになるのではなく、内科や神経内科、そして最近増えている頭痛専門外来、頭痛専門クリニックなどを受診してください」    頭痛に対する医療機関の受診については、日本頭痛学会のホームページを見て、頭痛専門医が在籍する医療機関をチェックしてほしい。 (文・伊波達也) 【取材協力】 埼玉精神神経センター・埼玉国際頭痛センター長 坂井文彦医師
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dot. 2020/11/30 08:02
朝の情報番組は見てはいけない…感染再拡大で“コロナうつ”を防ぐ5つの新習慣
西野一輝 西野一輝
朝の情報番組は見てはいけない…感染再拡大で“コロナうつ”を防ぐ5つの新習慣
朝が気分いいと、一日がいい日になる気がする(写真:TAKA-HERO / PIXTA) 西野一輝さんの似顔絵  コロナが続く状況に気が滅入る……と嘆く声をよく聞きます。現在の状況はさまざまな不安を抱かせる要素が多く、不安に駆られて意欲が下がりやすいのは間違いありません。『モチベーション下げマンとの戦い方』(朝日新聞出版)を上梓した経営・組織戦略コンサルタントの西野一輝氏が、仕事を始める朝に、やっておくとやる気が出る(気がする)お勧めの新習慣を紹介します。 *  *  *  JTBコミュニケーションデザインによる「ウィズコロナ時代のモチベーション調査」の報告書によると、会社の業績が下がって収入が下がり、さらにその状況が続くことに対する不安は相当に多いようです。  もしかしたら、さらに悪い状況が先にまっているかもしれない――。 そんな不透明さが不安を助長し、鬱屈した思いを抱えている人は少なくありません。  でも、何とかがんばり、前向きに何事も取り組んでいけるように自分を鼓舞していきたいもの。そこで大切なのが、「朝の過ごし方」です。感染再拡大の今こそ、朝の習慣を見直してみませんか。5つのポイントを紹介します。 1    パリッとしたビジネス仕様の服に着替える コロナでリモートによる対応が増えると、「誰にも見られていない」と服装に対する頓着が薄れがちです。 ある企業の人事部の方が、面接を受けている人に対して「ここで起立してください」と立ち上がったら、スーツを着ていたのは上だけ。下はスェットだったという話を教えてくれました。顔しか映らない社内会議ではカジュアルウェアで問題ないと考える人が多いくらい、服装が適当になってきている気がします。  でも、人は服装で気分が大きく変わります。 あえて、この時期に新調のビジネススーツやファッションウェアを着こなし、朝から仕事に向かう機会をつくってみましょう。適度な緊張感を生んで、仕事に対する意欲も高まるはずです。 2   一年前のスケジュールが書かれた手帳を開いてみる 去年の今ごろ何をしていたか。今年をどう乗り切ってきたか。手帳を見て、スケジュールを振り返ってみましょう。 おそらく忙しく仕事をするなど、自分や家族のために頑張ってきたはず。そのことを懐かしく思うことに加え、こんな大変な時代でもよくがんばって生きてきたと自分を慈しむ気持ちが生まれるのではないでしょうか? 先ほどの調査でも「被害状況を見ると、自分は今の仕事をがんばってやらなければと思う」「コロナ後も現在の仕事を続けたいと思う」というコメントがあったとのこと。 自分でどうすることもできないことに無力感を感じていても、何も生まれません。自分にできることが何かに気づく機会をつくっていきましょう。   3    これまでよりも1時間早く始業する  在宅勤務も増えて、「自宅で長時間過ごせる環境を整えたら夜更かしになった」との声をよく聞きます。  例えば、ゲーム端末を買ってしまい遅くまでやってしまう。ネットフリックスのような有料チャンネルに加入したので米国のドラマを朝まで観てしまった。そんな眠そうな状況で始業時間から仕事しても頭は回りません。仕事に対する意欲も下がるだけでしょう。  仮に9時が始業であれば8時から仕事を始める。こうすると、眠い状況も1時間くらいすれば解消します。あるいは、眠すぎる状況にならないため早く寝る習慣に変える機会になるかもしれません。  こうした1時間前倒しの始業は、いいコンディション(体調)で仕事に取り組める状況を生む出すことになります。すると気分も高まり、やる気が出るのは間違いありません。 4   毎日朝食を食べる(これまでとらなかった人こそ)  毎日朝食を食べてから仕事をする人は6割くらいと言われています。とれない理由は時間がない、準備が面倒など。在宅勤務が増えれば前日に準備する時間が取れるようになった のではないでしょうか?  そもそも朝食を食べるメリットは何か? それは、体内時計が整い、脳と身体を起こし、仕事モードに切り替える機会になると言われています。たまに食べていた人やまったく食べなかった人は、この機会に習慣づけて、仕事でやる気を高める機会に活用しましょう。 5   テレビの情報番組は見ない  朝の習慣でテレビをつけて情報番組を見ながら仕事の準備をする人は多いと思います。この習慣は根本的に悪いとはいいませんが、コロナの時期には気が滅入るニュースばかりが流されます。そこで「海外ニュースにチャンネルを変えたら悲惨な状況が映し出されて、萎えてしまった」という話もよく聞きます。  当面は、気分が高まるような音楽を選んで流していくようにしましょう。自分はスキマスイッチのヒット曲『全力少年』を好んでかけていますが、各自のお好みで選んでみてください。  ちょっとした行動の変化や緊張感を促す仕掛けで気分は大きく変わります。ぜひ試してみてください。 ■西野一輝(にしの・かずき)/経営・組織戦略コンサルタント。大学卒業後、大手出版社に入社。ビジネス関連の編集・企画に関わる。現在は独立して事務所を設立。経営者、専門家など2000名以上に取材を行ってきた経験を生かして、人材育成や組織開発の支援を行っている。
西野一輝
dot. 2020/11/30 07:02
ドリフ「8時だョ! 全員集合」の真実 スタッフ反乱にラクダ失禁も
菊地武顕 菊地武顕
ドリフ「8時だョ! 全員集合」の真実 スタッフ反乱にラクダ失禁も
宿でくつろぐドリフターズ。土曜日の「全員集合」本番を終えると、翌日曜から火曜までは全国各地をめぐって、コントと歌謡ショーによる公演を毎日2回ずつこなした(写真提供=イザワオフィス) 高木ブー(写真提供=イザワオフィス) 仲本工事(写真提供=イザワオフィス)  コロナ禍の巣ごもりで、「愛の不時着」などネット配信番組が人気を博している。でも生放送の迫力で視聴者の心を鷲掴(わしづか)みした番組がふと懐かしくなる。土曜午後8時、テレビの前に「全員集合」させたお化け番組の制作秘話を、いま明かす。  昭和の時代、お笑い番組制作に「死ぬ気で」頑張った男たちがいた。  毎週木曜の午後3時。東京・赤坂のTBS局内の一室で、「8時だョ!全員集合」のネタ会議が始まる。参加者はドリフターズのメンバー、ディレクター、放送作家のほかに、セットを作る美術スタッフなど合わせて30人ほど。  皆が思う。今日の会議は11時ごろで終わるのか、朝の4時5時までかかるのか──。  1969年10月4日にスタートした「全員集合」。途中半年間の休止期間をはさみ、85年9月28日まで放送。最高視聴率は73年4月7日の50.5%! 毎週の番組の制作は、翌週土曜のネタを決めることから始まった。 「全員集合」の一番のウリは、冒頭約20分のコント。会議は、放送作家が用意した台本を読むことから始まる。  仲本工事さんが語る。 「人生において一番苦労する日でしたね。あれがなければ、僕はたばこを吸うこともなかったのに(笑)。台本を読んだいかりや(長介)さんが1~2時間、考えるんです。美術などのスタッフはすることがないから、将棋を指したりして時間をつぶしていました。ようやく『これでいこう』と言うんですけど、それは放送作家のものではなく、いかりやさんが考えたものなんです」  どんな台本でも、それがそのまま採用されることはまずない。番組の立ち上げから最終回まで参加した、放送作家の田村隆さんが回想する。 「いかりやさんの口癖は『俺たちは死ぬ気でやってんだから、死ぬ気でやってくれよ』。こちらも必死に台本を作るんですが、『死ぬ気でやってこの程度かよ』と言われるとつらかったですね。1週間で辞めた人もいます」  おおまかな方針が決まると、詳細を詰めていく。生放送の舞台だから制約も多いが、ここでもいかりやさんの要求は厳しい。美術を担当した西川光三さんが苦笑する。 「長さんはできないことを言ってくるんです。でも『できない』と答えたらそれまでなので、何ならできるかを説明します。たとえば『空を飛びたい』と言われたら、『レールを使ってつって動かすことならできます』と答える。『それでやろう』か『じゃあ、やらない』か決まります」  金曜も午後3時に集合。翌日の本番に備え、前週の木曜に決めたコントのリハーサルをする。 「稽古は必ずGリハ(リハーサルルーム)で。隣のHリハも他の番組で使っていて、そちらの出演者がよく見学に来ましたが、決して来なかったのが萩本欽一さん。萩本さんはトイレでばったり会うと、『うちで麻雀やろう』とかいろいろと話しかけてくれましたが、番組の話は一切しませんでした」(田村さん)  ドリフが稽古をしている間、西川さんらは準備に追われた。いかりやさんの要求はコロコロ変わる。ギャグを思いつくたび、大道具の改変や小道具の追加を命じたのだ。  変更は本番の土曜日にも行われた。 「現場に着いてから長さんが何を言うかわからないので、土曜は朝からおなかの調子が悪かった。会場までの途中駅のトイレの場所を調べておきました。思いつきで何を買いに走らされるかわからないから、ポケットには常に10万円を。仏壇が欲しいと言われて仏具屋に走ったときは、高いから諦めてパネルでそれふうのものを作りました。急にゴリラの人形が欲しいと言われたこともあります。あちこち探したけどないので金髪の女の子の人形を買ってきて、和紙を貼って、塗って作りました」(西川さん)  これは「長介人形」として人気に。仲本さんはいかりやさんへの怒りを込め(?)殴った。  セットの雨どいをめぐり、美術スタッフが反乱を起こしたこともある。 「前の日にも確認。現場でも確認した。それなのにまた違うことを言いだして。これはダメだと思って『お茶に行くか』と言ったら、50人ほどいた美術担当が全員付いてきました」(西川さん)  現場を放棄して喫茶店にこもった美術スタッフを説得に、何度もアシスタントディレクターが足を運んだという。  夜8時。ようやく本番を迎える。生放送だけにハプニングも続出した。  ジャングルのセットのヘビが燃えだしたことがあり、西川さんは消防署から調書を取られた。ラクダを登場させようと運んだが、ホールに向かうエレベーターを怖がり大量に失禁。登場を諦めたこともあった。  84年6月16日の入間市市民会館では、ちょうど8時に停電が発生した。視聴者もびっくりしたに違いない。テレビ画面は真っ黒。ドリフの面々は機転をきかせ、懐中電灯を持ってきていかりやさんの顔を照らして驚いてみるなど、見事な場つなぎ。9分後に明かりがつくと、いかりやさんがせりふを言った。 「8時9分半だョ!」  生放送だからこそ続いたのではないかと語るのは、高木ブーさん。 「撮り直しができない危機感が、ミソなんじゃないかなあ。この1時間頑張れば終われるという気持ち。終わると皆『お疲れ様』って、すぐにいなくなっちゃった」  競うようにして会場を去っていく中で、高木さんは最後まで残った。 「誰か忘れ物をしてないか気になってね。すると長さんが、『ブー、行こう』と声をかけてくるんだよ。僕と長さんは同年代。10歳ほど下に仲本と加藤(茶)、その10歳ほど下が志村(けん)。長さんが一緒に飲み食いするのは、僕しかいない。よく焼き肉屋に行ったね。仕事の後だから、僕はレアでもいいから早く食べたい。長さんはゆっくりと焼いて食べる。僕が焼けていない肉を取ろうとしたら、長さんは『そうじゃない』とマジで怒りだしたねえ。話題は愚痴。長さんには、メンバーやスタッフの愚痴をこぼす相手が僕しかいなかったから」  荒井注さんが74年3月で脱退。代わりに坊や(見習い)をしていた志村さんが、正式にメンバー入りした。  坊やはそれなりの待遇しか受けられない。高木さんが語る。 「トンカツ屋で食べたり出前を取ったりするときは、メンバーの5人はカツライスを頼み、志村はライスだけ。ただし皆、2切れずつ残して志村にあげたんです」  待望のメンバー入りした喜びで張り切りすぎたか、志村さんは当初、空回りが目立った。仲本さんが説明してくれた。 「僕たちはバンドマンだから、リズムがあるんです。志村は若いからアップテンポのリズム。つまり8ビートのコントの中に16ビートが入ってきたわけで、なかなか合致しませんでした。それが変わったのが、『カラスの勝手でしょ』。あれはちょうどドリフのリズム。それから志村がうまく絡まってきました」  高木さんも続ける。 「生放送だから、台本どおりにやらないといけない。アドリブは許されなかった。時間がオーバーしちゃうんでね。でもアドリブをするのが志村。加藤と志村のコントは素晴らしいものでしたよ」  ただし問題も発生。ゲスト出演した歌手の麻丘めぐみさんによれば、 「コントが長くなっちゃうと、歌の時間が削られてテンポが速くなるんです。イントロを聞いて『えっ、今日はこんなに速く歌うの』とあせることもありました」  81年、重大危機に見舞われた。仲本さんと志村さん、番組プロデューサーの3人が、競馬のノミ行為をしていたことが発覚したのだ。  その日は土曜。会場の小田原市民会館に警察がやってきて、その場でマスコミに発表があった。現場は大混乱におちいったが、いかりやさんは「最後の全員集合になるかもしれない。全力でやろう」と決断。5人全員で舞台を行った後に、記者会見。仲本さんと志村さんの謹慎が決まった。  高木さんが語る。 「その後どうするか。ゲストを頼んで5人でやろうという話も出た。でも、それじゃあドリフじゃなくなっちゃう。なんとか3人で頑張ろうよと。コントで整列して、長さんが『番号』と言うと、加藤が『1』、僕が『4』と答える。で、長さんの『総員異状なし』でウケました」  謹慎明けまで「3人ドリフ」が踏ん張った。 「皆さんが努力してくれたことで、復帰できました。ありがたかったです」  今にしてそう振り返る仲本さん。ドリフターズに入ったときのことを教えてくれた。  学習院大学に通いながらジャズ喫茶で歌っていた仲本さんは、東京商工会議所への就職の話も出ていた。だが音楽の道に進みたかった。 「親から『そんな不良みたいなこと』と反対されたんですが、いかりやさんが交渉してくれたんです。『工事が辞めるときは、俺が辞めるとき。責任を持ちますから』と」  濃密な人間関係で作られてきた「全員集合」だが、ついに終幕が。  高木さんは「寂しいけど、ドリフがなくなるわけではないから」と受け止めた。放送期間中は忙しく「子どもと遊ぶ時間がなくて、罪滅ぼしのため買ったリカちゃん人形が36体になったね」。  仲本さんは「女の子と付き合う暇なんてまったくなかったですよ。番組が終わってから。それは加藤も同じ。年の差婚は『全員集合』のせい」と苦笑する。  多くの人間ドラマとハプニングに彩られた、濃密な番組。その現場で汗を流した人の述懐は、実に新鮮に響く。それは五十路(いそじ)の記者の、年齢のせいばかりではないだろう。(本誌・菊地武顕) ※週刊朝日  2020年12月4日号
週刊朝日 2020/11/29 11:32
浅野和之、自粛中に韓流ドラマ鑑賞で“ロス”を体感
浅野和之、自粛中に韓流ドラマ鑑賞で“ロス”を体感
浅野和之 (撮影/写真部・張 溢文) 浅野和之さん(左)と林真理子さん (撮影/写真部・張 溢文)  名脇役俳優として、ドラマや映画、舞台に欠かせない存在の浅野和之さん。今年はドラマ「半沢直樹」でも、ベテランの風格漂う存在感を見せつけました。作家・林真理子さんとの対談で、次の作品となる三谷幸喜さん演出の舞台、韓流ドラマ鑑賞で感じたことなどを語りました。 *  *  * 林:「半沢直樹」、お疲れさまでした。後半の非常に重要な役でしたけど、歌舞伎の方たちはすごいテンションが高くて、ガンガンぶつかり合ってる感じでしたね。 浅野:香川(照之)君に続け!」みたいな感じで、いとこ(市川猿之助)同士で頑張ってましたが、僕は敵対するほうじゃなくて、仲間のほうだったので、静かにやらせていただきました(笑)。 林:堺雅人さん、NGをまったく出さないって本当ですか。 浅野:カメラが回ったときにはないですね。本番まではぜんぜん緊張を見せないんですよ。すごくフレンドリーで、本番のときに集中するみたいな。 林:そしていよいよ三谷幸喜さん演出の「23階の笑い」(12月5~27日 世田谷パブリックシアター)というお芝居が、ほぼ100%に近いお客さんを入れて始まるんですね。私を含めて演劇好きは「待ってました!」という感じです。しかも、原作がニール・サイモンで演出が三谷幸喜さんときたら、そりゃあ見に行きたいですよ。 浅野:三谷さんの師匠みたいな人ですからね、ニール・サイモンというのは。コメディーですから、このコロナ禍のときに、笑って年末を過ごせたらいちばんいいんじゃないかと思いますね。皆さん笑いに飢えてるでしょうから。 林:1950年代のテレビの業界が舞台なんですね。50年代の「赤狩り」のころの話ですか。みんなが「あいつスパイじゃないか」みたいな疑心暗鬼になっているころの。 浅野:そうです。マッカーシズム(マスメディア、映画人、演劇人などを標的にした共産主義者排除運動)のころの話です。 林:今、「ビッグコミックオリジナル」で「赤狩り」という漫画が連載中で、これがけっこうおもしろいんですよ。俳優や脚本家が、リベラルと保守の二手に分かれて争ってるという。 浅野:へーえ、そんな漫画があったんですか。読んでみます。 林:浅野さんはどんな役ですか。 浅野:僕は小手(伸也)君がやる人気コメディアンを精神的にもずっと支えてきた老練の作家なんです。瀬戸(康史)君がニール・サイモン自身を投影した役ですね。 林:(チラシを見ながら)浅野さんや青木さやかさんなんかは三谷さんの常連ですけど、瀬戸康史さん、松岡茉優さんは……。 浅野:瀬戸君は初めてです。松岡さんはおととしだったか、「江戸は燃えているか」という三谷さんの作品に出演されてましたね。 林:私、見ました。松岡さん、芸達者でびっくりしました。今回また起用されたんですね。 浅野:はい。まだお若いですが、彼女はほんとに達者です。 林:瀬戸さんは、ドラマ「ルパンの娘」で見てますけど、このお二人、緊張してるんじゃないですか。世田谷パブリックシアターって、今やシモキタ(下北沢)と並んでお芝居の聖地になってますから。 浅野:いい劇場です、あそこは。でも、彼らは臆することなく楽しそうに稽古してますよ。 林:役者の皆さんも、演じることに飢えてたでしょうから、喜んでいらっしゃるでしょう。 浅野:それはもう、楽しみにしてましたからね。 林:コロナでどうなるかわからないままお稽古をして、初日の4日前ぐらいに急に中止になったお芝居がいくつもありましたけど、役者の皆さんはどんなにつらかったでしょうね。初日に向けてテンションを高めてきたわけでしょう? 浅野:今までならそのまま本番に突入するところですからね。断腸の思いというか、ほんとにつらかったと思いますよ。 林:劇場って世の中になくてもいいように言われてますが、実は違っていて、私たちの生活にとって劇場とか映画館に行くことがどんなに大切か、みんなこのコロナ禍でわかったんじゃないですか。 浅野:僕、自粛のとき韓国ドラマを見てすごくハマって、何本も見終わったときに、よく「ロス」って言いますけど、そういう気持ちになったんです。見た物語が心の中に宿るっていうか、残るんですよね。この仕事をしてる自分でさえ、こういう素敵なドラマを見たときに心の中に宿るんだから、お客さんも同じように心の中で感じてるんだなと思って、あらためて自分はすごくいい仕事に携わっているんだと今更ながら実感しましたね。その人の人生を左右することもあるかもしれないような、何かの役割を自分も果たしてるんだなと感じました。 林:そうですよね。救いといえば救いですよね。私も、せっかく買ったチケットを払い戻しするときは「え~っ、どうして?」って思いましたよ。だからうれしいです、お芝居がだんだん戻ってきて。 浅野:この夏、川平慈英君とシルビア・グラブさんの二人で、三谷さんの「ショーガール」をやってたんですよ。 林:へぇ~、それは知らなかったです。 浅野:僕、見る機会があって夜の部に行ったんですけど、パッと明かりが入って音楽が鳴ったとたんにブァーッと出てきちゃって。 林:涙が? 浅野:ええ。3月から芝居を見てなかったんですけど、お客さんが感じるものってこういうものなんだなと思いました。 林:私も歌舞伎の幕が久しぶりに上がったときに見に行ったんですが、一緒に行った友達泣いてましたよ。「また見られてよかった」って。 浅野:今年のシーズンの幕開けに、僕、三谷さん演出で「大地」というのをPARCO劇場でやったんですけど、音楽もかかっていない客席にお客さんが静かに入ってきて、1人おきに座って、水を打ったようにシーンとしてるんです。すごい緊張感で、その緊張感をこっちももらっちゃう感じが最初はちょっとありましたね。 林:あれは三谷さんが考え抜いて、これだけ空いてりゃいいだろう、という感じでコロナ禍を逆手にとったんですよね。私は行けなかったんですけど、写真を見ると俳優さんがすごく離れて演技したみたいですね。 浅野:自分のテリトリーみたいな枠からなるべく出ないような芝居になってました。僕、近寄っていって手を差し延べかかったときがあって、「あ、ダメだ」と思ってスッと手を引っ込めました、わからないように(笑)。 林:舞台上のソーシャルディスタンスは大変ですよね。セリフにも工夫があったんですか。 浅野:ふつうだったら取っ組み合って乱闘するようなところは、ものを投げただけで終わるとか、ちょっと工夫してましたね。 林:今、楽屋にも人が来ないようにしてるんでしょう? 浅野:そうですね。お花とか、いただきものもダメみたいです。 林:ファンの方からいただいた差し入れを広げて皆さんで食べる楽しみも、なくなっちゃったんですね。 浅野:終わって楽屋に来られた方に感想を聞いたりもできないですしね。僕ら出演者もスタッフも、万全な感染対策をしてますが、万が一誰か感染者が出たらそこでストップしなければならないので、そこはほんとにみんな気をつけてます。自分を律するしかないです。 林:自粛のときは韓流ドラマにハマったとおっしゃってましたが、ネットフリックスに入って「愛の不時着」とかごらんになってたんですか。 浅野:はい、「愛の不時着」から始まって「梨泰院クラス」、そして最近見終わったのが「恋のスケッチ~応答せよ1988~」。こ~れがおもしろかったんですよ。 林:へぇ~、それは私、見てないです。 浅野:笑いあり、涙ありの家族愛と友情と恋のお話なんです。ほんとにいいドラマでした。42話あって……。 林:それ、全部ごらんになったんですか。 浅野:1話40分ぐらいなんで、わりとさらっと見られるんですけど、とにかく俳優さんがうまい。コメディーって相当の技量がないと難しいんですよね。それでいて泣かせる。セリフが洒落てるんですよ。日本のドラマはセリフをわりとストレートに伝えていくんですけど、韓流は西洋のドラマと似ていて、言葉を置き換えるというか、たとえ話をするんですよね。それが洒落てて、あれは聖書から来てるんじゃないかなと思うんです。 林:なるほど。浅野さんは、いろんな演劇人から「いちばん頼りにできるのは浅野さんだ」と言って尊敬されている俳優さんとも聞きました。 浅野:いやいや、そんなことないです。 ※【井上ひさしさんの舞台で疲弊…名脇役・浅野和之を襲った“後遺症”とは?】へ続く 浅野和之(あさの・かずゆき)/1954年、東京都生まれ。安部公房スタジオを経て、87年、野田秀樹主宰の劇団「夢の遊眠社」入団。同劇団解散後、小劇場から商業演劇まで多くの舞台作品に出演。映像にも活躍の場を広げ、バイプレーヤーとして注目の存在となる。三谷幸喜作品には、舞台「12人の優しい日本人」をはじめ多数出演。2006年、11年に読売演劇大賞最優秀男優賞。最新舞台「23階の笑い」(作:ニール・サイモン、演出:三谷幸喜、世田谷パブリックシアター)は12月5~27日上演。 (構成/本誌・松岡かすみ 編集協力/一木俊雄) ※週刊朝日  2020年12月4日号より抜粋
週刊朝日 2020/11/28 11:32
中高年患者急増で病床が不足する 現場が警戒する施設内クラスターと院内感染
井上有紀子 井上有紀子
中高年患者急増で病床が不足する 現場が警戒する施設内クラスターと院内感染
高齢者施設や病院内でクラスターが発生した場合などに感染者を集団で受け入れれば、その病院のコロナ対応病床は一気に埋まっていく(撮影/写真部・東川哲也)※写真はイメージです  高齢者の新型コロナウイルス感染が増加している。第3波では患者の重症化と治療の長期化が懸念される。AERA 2020年11月30日号から。 *  *  * 「11月に入って2週間で、コロナ病棟は一気に臨戦態勢に変わりました」  11月17日、新型コロナウイルスの入院患者を受け入れている東京都内の病院で副院長を務める50代の医師はこう語った。コロナ病床16床のうち14床が続けざまに埋まったのだ。 「病院近くの特別養護老人ホームでクラスターが発生して、80、90代の高齢者が入ってきました。同じタイミングで、ある病院で院内感染も起こり、患者が転院してきました。高度治療室で人工呼吸器管理が必要な重症者や透析患者もいます。第3波がきたと思いました」  この病院では、今年春から新型コロナ患者を受け入れてきた。 「第1波とされる4、5月も、コロナ病床は埋まり、忙しかった。けれどもその時は、無症状者や軽症者も入院していた。無症状だと急変のリスクが低く、治療やケアの手間もかからないから、忙しくてもまだよかった。第2波とされる夏以降に増えた若い患者は体力があり、短期間で退院するケースも多かった」 ■中高年の感染者増えた  10月の2週目の3日間だけ、入院患者がゼロになり、その後は4、5人が続いた。そして、11月上旬、感染患者が急増した。 「以前と違うのは、入院患者に中高年が増えたことです。介護施設や病院で集団で感染しているため、すぐに病床が埋まります。多くの患者に基礎疾患があり、中等症が増え、重症化の恐れがある。治療期間が長くなるので、とても10日では退院させられません」(副院長)  医療体制はいま、どの程度逼迫しているのか。厚生労働省が週に1回発表するコロナ病床使用率によると、東京都は27%、うち重症者向けは31%を占める。大阪府の使用率は33%、うち重症者用は26%。宮城県の使用率は19%、うち重症者用は14%(11月11日時点)。病床使用率は多くて3割で、まだ余裕がありそうに見える。  だが、この病床数は都道府県が新型コロナ対応用に病院と取り決めをして確保している数のことで、常に稼働できる数ではない。大阪府は11月18日、新規感染者が現状に近いペースで増え続けると、12月1日には重症者病床の使用率が70%を超えるとの試算を発表した。宮城県でも10月半ばまでの累計で500人ほどだった県内の感染者は、1カ月で倍増し、病床使用率は75%に上ると公表された。  高齢患者の増加に、すでに現場からは悲鳴が上がっている。冒頭の病院で、今月半ばに行われたコロナ対策会議では、看護師が「コロナ禍になってから今が一番疲弊している」と訴えた。  高齢の患者は、ケアに手間がかかる。人によってはトイレ介助や食事介助も必要だ。認知症のある人が病室から出ようとするのを止めなくてはならない。マスクを顔に着けてくれない人もいる。治療の際、患者の最も近くでケアを行うのは看護師だ。 「防護具を着けて万全の感染対策をしなければならないだけでも大変なのに、重度の認知症であればさらに手間がかかります。感染拡大防止のため、限られた看護師が担当するので、一般病棟の看護師が仕事を交代することもできない」(同)  看護師の疲弊は深刻だ。都内の大学病院に勤務する看護師の清水明子さんは言う。 「コロナ病棟の看護師は、業務後、シャワーを浴びて帰るのですが、全身をしっかり洗っているようでした。一般病棟の看護師もコロナ病棟に人を出すために、常に人員不足です。夜勤の回数が増え、休みを消化しにくくなり、有給休暇どころではありません。コロナが猛威を振るうかもしれない冬より前に、疲れてしまいました」  清水さんが勤める病院でも、11月中旬、30床あるコロナ病床が埋まってきた。 「近くの大病院で院内感染クラスターが起きて、多くの患者さんを受け入れました。一般病床はほぼ満床です。病院にとって院内感染は致命的で、一時的に機能を停止することになるので警戒しています」(清水さん) (ライター・井上有紀子) ※AERA 2020年11月30日号より抜粋
新型コロナウイルス
AERA 2020/11/26 07:02
まるで現代の魔女狩り? 性被害を訴えた草津町議会女性議員へのリコール
北原みのり 北原みのり
まるで現代の魔女狩り? 性被害を訴えた草津町議会女性議員へのリコール
草津町のいたるところに新井議員のリコールを求めるポスターが貼られている 作家の北原みのりさん 草津町議会(c)朝日新聞社  作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、群馬県草津町で賛否が問われている女性議員に対する解職請求(リコール)について取り上げる。 *  *  *  12月6日、群馬県草津町で、一人の女性議員に対するリコールの賛否が、住民投票で決定される。  発端は、この女性議員が町長から性被害を受けたと昨年の11月にメディアに告発したことだ。町長は性被害の事実はないとし、女性を刑事と民事で訴え、その後、草津町議会は彼女を「議会の品位を傷つける発言をした」と除名処分にした。その後、群馬県がこの処分を取り消し、女性議員は議会に戻れたのだが、改めて議会で議員辞職勧告を受け、さらに町議等が先導して今回のリコールにつながった。   現在の草津町議会は12人。女性は町長を訴えた新井祥子さんただ一人で、彼女は草津町議史上初めての女性議員でもある。小さな地方議会で、「性被害の事実はない」という町長の声が一方的に通ってしまう現実、さらに現職の町議等が町民にリコール投票を求める力には、やはり違和感しかない。日本有数の温泉地でありながら、女性がたった一人の議会。そこはどのような空気で、何が語られているのだろう。気になり、草津町議会の動画を何げなく見た。これがかなりの衝撃的な内容だった。  まず、男性が圧倒的多数の歪(いびつ)さは映像で見るとやはりインパクトがある。議員12人のうち11人が男性で、ペーパーを配る係に女性が一人いるが、15人ほどいる役所の担当者等も男性ばかり。議場が新しく見えるせいか、まるで女性が生まれない未来社会に来たかのような強烈な世界観だ。視聴したのは新井議員に辞職勧告が出された今年3月2日の議会だが、そこで映されていたのは、男性たちが徒党を組むように、新井議員をおとしめる様子だった。 「(セクハラ告発は)草津町議会にとっても、町民にとっても、経済にとっても、対外的にも非常に迷惑!」と大声をあげる議員がいれば、「レイプされたというのなら、なぜ即刑事事件にしなかったのか?」と、新井議員の告発の真偽を疑う発言も繰り返された。こういう発言に新井議員は「裁判中だから発言を控える」と言い、時には「性被害者はすぐには訴えられないものだ」などと感情を交えず静かに反論していた。  また過去に新井議員が草津町の権力者をパロディー化(欲深い豚の顔に似せたりなど)したマンガを自身の活動誌に掲載していたことに触れ、「あなたは人を豚にしたりロバにしたりしているんですよ? これほどのパワハラはないんですよ!」と声を震わせる議員もいた。それはパワハラとは言わない……と思ったが、理屈よりも感情がものをいう世界のようで、「草津町議会にはセクハラもパワハラもない」と、何の根拠もなくこの議員はただ大声で言い切った。    衝撃だったのは町長だ。彼は性被害があったと新井議員が訴えた町長室の写真を大きなパネルにして、「どこで私にいかがわしい行為をさせられたのか答えてください」と目の前で迫った。「裁判で明らかにしていきます」と新井議員が答えても「答えなさいよ!」と大声を何度も出した。さらに新井議員の告発によって、「本当に被害にあった女性が声をあげられなくなる、大変な罪作りだ」と責め、こう言った。 「私に犯された女性ならば、とても(加害者と同じ空間の)ここにはいられない」「それがあなたは平然として、平気で私の目を見る」「神経が分からない」。このセリフは何度も繰り返された。  町長にたとえ加害の事実がなかったとしても、この議会そのものが十分に性暴力でミソジニーだった。「この議会の様子はYouTubeで世界に配信される!」と町長自身が動画内で言っていたので、自身の正しさを証明する機会として、新井議員をおとしめる発言を繰り返したのだろうが、「世界的」には完全にアウトなのは草津町議会そのものではないか。男性ばかりの歪な議会で、性被害を訴えた女性を「嘘つき」とののしる姿を世界にさらしてしまった。  日本には女性議員がゼロの市区町村が、311あるという(2020年内閣府調査)。全1741市区町村中なので、この国の約18%の“あなたが暮らす街”は、男性だけで大切なことが決められているということになる。日本全国でならすと、市区の女性議員率はたったの16.6%で、町村にいたっては11.1%。草津町のように女性がたった一人しかいない議会は地方にいけばいくほど珍しくない。  国政に出るより町議や区議のほうがハードルが低そうだし、女性も多そう……ということは全くなく、地域に根づけば根づくほど、そして田舎であればあるほど「女性は家に」の圧力が高く、政治参加が難しい現実があるのだ。  日本有数の温泉街で繰り広げられるミソジニー議会。温泉街は女性の働き手抜きには語れない。一昔前は、住み込みでの旅館の仕事は、身寄りのない女性の自立の道でもあった。夜のサービス業も過去は非常に盛んで、今もコンパニオンの需要は少なくない。女性議員があげた性被害の声と、それを数の力で潰す光景に、女性たちは何を思うのだろう。  性被害告発に対する町議等の過剰な反応は、町民たちにどのように届くのだろうか。12月6日の結果を見守りたい。 ■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表
dot. 2020/11/25 16:00
コロナ禍で海外インターンもオンライン化 高校の授業と両立する参加者も
コロナ禍で海外インターンもオンライン化 高校の授業と両立する参加者も
AERA 2020年11月23日号より カンボジアのインターン受け入れ先企業のミーティング風景。伊藤さん(パソコン内画面右下)もZoomで日本から参加(写真:タイガーモブ提供)  コロナ禍のオンライン化の波は、海外インターンにも及んでいる。現地にいないので仕事は限られるが、オンラインならではのメリットもある。AERA 2020年11月23日号から。 *  *  * 「海外インターンの中止が決まったあと、2、3日は何も手につきませんでした。高校時代から照準を定めてきましたので。すでに荷造りを始め、予防注射も12本打っていました」  そう語るのは、今年4月からベトナムで半年間、インターンシップを予定していた関西学院大学3年の伊藤励さん(21)だ。新型コロナウイルスの感染拡大で、3月下旬、中止が決まった。  伊藤さんが開発途上国の問題に関心を持つようになったのは、高校2年のときカンボジアを旅行したのがきっかけだ。参加したいインターンのプログラムがあることから関学に進学。中学、高校は運動部だったが、大学ではインターンに選抜されるため、国際社会貢献の勉強に専念した。  中止が決まったあともインターンをあきらめられなかった伊藤さんは、4年時に休学することも考えた。そんなとき見つけたのが、“オンライン”による海外インターンだ。自宅で携わることができる。カンボジアで事業を営む日系商社が募集していた。希望していた新規事業の立ち上げに関われることもあって、すぐさま応募した。面接を経て4月末から仕事に就いた。 「大学の講義をかためて取り、授業のない日を2日作り、土曜日も加えて週3日を就業日にしました」(伊藤さん) ■60社以上からオファー  最初は会社の事業内容を把握するのに必死だった。朝から上司とZoomをつなぎっぱなしにし、わからないことがあれば尋ねた。間もなくしてカンボジアの情報サイトの運営を任され、さらに観光客の途絶えたカンボジアのホテルを有効活用するワーケーションの事業に従事。現地スタッフと営業活動をした。 「現地に割安で電話できるアプリがあって、それを使い日本からも電話営業しました」  4カ月のインターンでの収穫は自身の課題がわかったことだ。 「新規事業を立ち上げられるようになりたいと思いましたが、発想するためのスキルが足りないことを実感。インターン終了後、思考法の講座を受講したりして勉強しました。同時に、現場にいることの重要性もあらためて感じました」  中止された大学のインターンプログラムは、来年の秋に再開予定になった。いまは就職活動に専念し、来秋行けるようにしたいと伊藤さんは願っている。  文部科学省の2018年調査では、11万人以上の大学生が留学やインターンで海外に渡航している。しかし、新型コロナの影響で渡航が難しくなったことから、大学や語学学校は続々とオンラインにシフトしている。  就業を体験するインターンについても、オンライン化の動きが出始めた。伊藤さんに案件を紹介した、海外インターン大手のタイガーモブの古田佳苗さん(27)は言う。 「今年、100人がインターンで海外に渡航予定でしたが、全て中止になりました。この人たちのために何かできることはないか。受け入れ先企業とも相談し、4月中旬、オンラインのインターンを始めました。今では60社以上からオファーがあり、150人以上が参加しています」 ■高校1年生も参加  オンラインでのインターンはビデオ会議などでの業務参加が中心になり、現地での生活体験はできず、携わることのできる仕事も限られる。だが、渡航費や滞在費がかからないため手軽というメリットがある。日本での生活と両立しながら参加できるため、社会人や高校生など新たな層も加わった。  長野県の諏訪清陵高校1年の國枝蒼太郎さん(15)の一日は、朝4時50分に始まる。インターン先のインドとは3時間半の時差があり、夜送られるメッセージを受信するのは深夜になるため、生活を朝型に変えた。國枝さんは言う。 「貧困女性の経済的自立を図る家事代行のソーシャルビジネスに携わっています。本当なら、今年7月にインドに行き3カ月間、別のソーシャルビジネスのインターンに就く計画でした」  平日は高校の授業があるため、帰宅後の時間を仕事に充て、週に3~4時間ほどフレキシブルに働いている。最初に手がけたのは、家事代行の予約や決済のオンラインシステムの構築だ。プログラミングが好きで、その知識や技術が生きた。次に任されたのが、グーグルへの広告出稿だ。広告コピーや画像の試行錯誤を重ね、週の初めにはその週の家事代行の予約が全て埋まるようになった。さらに法人需要の取り込みが必要と考え、企業向けの提案書も作成。現地ではいまその受け入れ態勢を整えている。國枝さんは言う。 「事業に携わるほどにインドに行きたい思いは募ります」  一方、オンラインのインターンには細く長く関わることができる利点があるという。いまの経験をベースに、現地に渡航できるようになったらさらにステップアップしたいと考えている。(編集部・石田かおる) ※AERA 2020年11月23日号より抜粋
AERA 2020/11/19 07:02
写真家・水口博也 「遺書」として出版した写真集で訴えたかったこと
米倉昭仁 米倉昭仁
写真家・水口博也 「遺書」として出版した写真集で訴えたかったこと
南極半島の空と海、雪山のすべてが薔薇色に染まる夕暮れ。風景に変化を与えたのは、海面に跳ね泳いだジェンツーペンギン(撮影:水口博也) クジラの作品で世界的に有名な写真家・水口博也さんが写真集『黄昏 In the Twilight』(創元社)を出版した。南極からアフリカのサバンナまで、世界中を巡り、黄昏どきの光のなかで写した作品を収めている。水口さんに話を聞いた。  水口さんは本書をつくった動機について、あとがきでこう書いている。 <ふと、「黄昏」について撮りたく、そして書きたくなった。こうしてできた本である。(中略)自身が生を終えたときにどんな残照が風景を飾ってくれるかについても、いまという瞬間をどう輝かせるかと深く関わっている> 「つまり、自分の遺書です。この歳になると、まわりで亡くなっていく人間が多くて、自分もいつ死ぬか、わからん。だから、撮りたいことは撮っておこう、書きたいことは書いておこうと思って」  67歳の水口さんは、そう言って笑う。これからも「遺書2、遺書3を出すつもりです」。  写真家としての「遺書」で水口さんは何を訴えたかったのか。その一つが「風景の中の動物をとらえる」ことだという。 「こういう取材がいいのだろうか、この仕事のスタイルを変えないと。そう、ずっと思っていました。『これが仕事だから』という理由で続けるならば、ぼくらが批判してきた人間と同じになってしまう」  そんな反省の弁を口にし、これまで野生動物を追い写してきたこと、そして最近の動物写真を取り巻く状況の変化について語った。 「例えば、クジラの水中写真なんていうのは、むちゃくちゃ強引に寄って、という撮り方をせざるを得ない。そのインパクトは相当大きい。それを意識せざるを得ない。だから、そういう撮り方はやめようと。実際、ぼくはもう10年くらい水中写真を撮っていないんです」 太陽が水平線に沈みゆく瞬間。海面に突き出されたミナミセミクジラの尾びれの濡れた皮膚が、鋼のように夕焼けの空を映しだす(撮影:水口博也) いま、クジラの写真は世の中にあふれかえっている  海の豊かさを象徴するクジラの姿。水口さんはその息づかいが伝わるような作品を世に送り出してきた。そこにはクジラの素晴らしさを知ってもらうことで、保護につなげたい、という目的があった。 「まだクジラの情報が少ないときは、その写真を啓蒙や教育に使った。それが唯一の免罪符だった。でも、そんな写真は、もう世の中にめちゃくちゃあふれているんですよ。啓蒙的な意味で写真を撮ることと、それが生み出すマイナス面とを天秤にかけて考えると、ちょっと言い訳できない。もう、必要ないでしょう、と」  昔は必要な写真は自分で撮影していたが、最近はそのような目的であれば、他の写真家と融通し合い、使うことができるという。だから、「一から撮らなくても、啓蒙、教育活動に使う写真を入手できる環境がすでに出来上がっているんです」。  しかし、アート、創作活動として水中でクジラの姿を撮り続ける写真家もいる。 「それは否定しません。こう表現したい、という気持ちがあれば当然でしょう。でも、それは相手に対してシビアなことを要求することになる。相手とは自然です。動物です。その、やっていることに意味はあるのか、作品性に必要なのか、相当に自問せざるを得ない」  写真集にはクジラやイルカ、シャチのすてきな作品がたくさん収められているが、水中で写したものは1枚もない。 「遠くからとか、きれいな風景の中で、『ああ、いいなあ』と感じられる作品を写していけるのであれば、その方法がいいと思って。それでつくった1冊なんですね」 ケニア、アンボセリ国立公園の夕暮れ。ヌーが休む前を、ゾウの群れが夜をすごすキリマンジャロ山麓に向けて移動を開始する(撮影:水口博也) クジラを追いかけてきた水口さんがアフリカを訪れたわけ  一方、「黄昏というと、アフリカのサバンナがあまりにもきれいなので、その写真をたくさん入れることにしました」。  今回、とても意外だったのは、クジラ類の作品で知られる水口さんがこれほど多くの陸上動物、しかもこれまでの作品とは関係なさそうなアフリカのサバンナで撮影してきたことだった。しかし、その理由を聞くと、(やっぱり、水口さんだなあ)と、納得した。  話は恐竜時代が終わった後、約5000万年前にさかのぼる。それまでクジラの祖先は陸上に住んでいたという。その後、彼らは海に入り始め、初期のクジラが生まれた。 「クジラの祖先にもっとも近いといわれている動物がカバなんですよ。それから、ゾウの社会のかたちと、マッコウクジラの社会のかたちがものすごく似ているんです。だから、カバとゾウを見たいというのが、そもそものアフリカ行きの大きっかけだったんです」  マッコウクジラは血縁関係のあるメスだけで緊密な群れをつくるという。子どもは母親だけでなく、群れ全体で面倒をみる。メスの子どもは成長しても群れに留まる一方、オスは群れを離れ、1匹で暮らす。 「それが、ゾウとそっくりなんです。だからゾウの社会を勉強すると、クジラの社会が想像できる。全部見えるじゃないですか、水中にいるクジラと違って。だから、ゾウを見ていると、すごく楽しい」 「それで写真集の2枚目の写真をゾウにしたんですか?」と、たずねると、満面の笑みで、「はい」。 針葉樹の深い森が茂る島々を散在させるアラスカの沿岸水路。陰に沈む森を背景に、シャチのポッドが背びれを連ねる(撮影:水口博也) 「ぼく自身がめちゃくちゃCO2を出して自然に影響を与えている」  では、出だしの1枚は、というと、これまた、とても意外だったのだが、北海道・美瑛で写した黄昏の風景なのだ。 「去年までは1年の半分を海外で過ごしていたんですが、今年はこんな状況で、一気に国内取材が増えました。日本の森を回ってみると、楽しくて。森やきれいな水と空気。それはものすごく貴重な日本の宝。これまで、クジラとかを啓蒙的な意味合いを持って撮影していましたけれど、それ以上の意味を持つと思いました。今回の写真集はそのテーマに向けての第一歩でもある」  冒頭、あとがきについて触れたが、ここではコロナ禍を背景に<「旅」をはじめとする自分自身の取材や仕事のしかたについて、じっくりと考えなおす時期>だったと書いている。その一つが温暖化への影響だ。  2000年以降、南極半島では温暖化の影響が目に見えるかたちで進んだという。その現場に水口さんは通ったわけだが、「ぼく自身がめちゃくちゃCO2を出して自然に影響を与えている。年に何十回も海外に行くんですよ。空撮だ、といって、ヘリや飛行機を使う。サファリカーを乗り回す。ですから、普通の人よりもCO2をはるかに出している」。  コロナをきっかけに国内に向かい始めると、そこには興味深いテーマがあった。エネルギーをあまり使わない取材方法にも合致していた。 「実は、この写真集はそんな大きな過渡期の1冊になったとも思っているんです」                   (文・アサヒカメラ 米倉昭仁)
アサヒカメラ写真集動物動物写真環境問題
dot. 2020/11/18 19:00
安田顕 ダメな自分を肯定する処世術「適度に適当に、でも的確に」
安田顕 ダメな自分を肯定する処世術「適度に適当に、でも的確に」
安田顕(撮影/張溢文) 映画「ホテルローヤル」は、13日からTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開/(c)桜木紫乃/集英社 (c)2020映画「ホテルローヤル」製作委員会  スタジオに現れた安田顕さんは、撮影が始まるまで、ずっと楽しそうに周囲のスタッフと談笑していた。フォトグラファーが、「そこに立って、キリッとした表情でカメラを見てください」と言うと、「はい」と答え、カメラを見た瞬間に、辺りの空気が一変する。求められるものに即応じることができるのは、役者の優れた才能の一つだ。ほんの数分の出来事なのに、多くのクリエーターが「一緒に仕事をしたい」と切望する旬な役者の能力に触れた気がした。  映画「ホテルローヤル」で、安田さんは波瑠さん演じる主人公・雅代の父・大吉を演じた。 「私は、波瑠さんの父親で、ラブホテルの経営者ですが、途中で、夏川結衣さん演じる妻・るり子に逃げられてしまう。登場する人物それぞれに抱えている荷物があって、ホテルの部屋ではその荷物を下ろし、見た目じゃなく心を裸にしていく。そういう映画です。人の秘密を覗き見している割には、意外とカラッとしていて、そこがいいんですよ(笑)」 「登場人物全員が、情けないけど愛おしいですね」と言うと、「ああ、嬉しいなあ。それはすごくいい言葉ですね」と言って微笑んだ。 「見終わったときに、一歩踏み出すときの背中を押してくれるような、そんな映画になればいいな、と。私は北海道の人間なので、北海道の情景も楽しんでいただきたいと思います」  新型コロナの影響で、4月にスタートするはずだった連続ドラマが、来年度のスタートに変更になったりしながら、緊急事態宣言が明けた7月からは主演舞台「ボーイズ・イン・ザ・バンド~真夜中のパーティー~」で全国を回った。 「試練が立ちはだかったとき、火事場の馬鹿力のようなものは湧きましたか?」と質問すると、「自粛期間中は、自分の弱さに気づきました」と、透明なアクリル板の向こうで眉毛をハの字にして頭を掻いた。 「何か自分のプラスになることをやりたいと思ったけれど、何もできなかった。多分、世の中には、身体を鍛えた人や本格的に語学を勉強した人、技術を身につけた人、本をたくさん読んだ人とか、いろんなことを新たに始めた人がいたと思う。でも僕の場合は、全く何かに手をつけることはありませんでした。仕事があることはあったので、それを有り難いことだと感じながら、仕事をしないでいい時間は、平々凡々と、ウジウジしながら過ごしていました(笑)」  そう言うと、今度は気を取り直したように顔を上げてこう続けた。 「もちろん、マイナスの局面をプラスにできた人は立派です。でもきっと、僕のような何もできなかった人だって少なからずいると思うんです。何もできなかった人たちに、僕は言いたい。『あまり悲観せず、“こういう人間がいたっていいじゃないか”と自分を肯定して、傷を舐め合いましょう』と(笑)」  ユーモアたっぷりの情けなさは、果たして地なのか芝居なのか。よくよく話を聞いてみると、それも、かつての失敗から学んだ安田さん流の処世術であるらしい。 「過去に、作品世界に入り込みすぎて、周りが見えなくなることがあったんです。芝居って、真面目にやりすぎるとどうしても『我が』『我が』になってしまう。でも本来、役のキャラクターというのは、頭で考えて作り込んだものより、その場にいるスタッフや共演者とのやり取りの中で、自然に生まれてくるもののほうが魅力的なんです。私もこれまでに、自意識が働きすぎて、自分のダメな部分に直面して、袋小路に入ってしまったことがありました。今は、そういう自分を反省したので、適度に、適当に、でも的確に物事を捉えるよう意識するようにしています」  自分自身を見つめるより、周りを見たほうがよっぽど前に進む力になる。いつだったか、そう気づいた瞬間があったのだそうだ。  年齢と共に役柄が広がっていることには、「とても有り難いことだと思っています」とポツリと呟く。 「ただ、俳優には定年がないとはいえ、テレビや映画や舞台の作り手に、『この役を演じてほしい』と求められなければ開店休業状態です。いつまで役者を続けられるんだろう、という日々の漠然とした不安は、昔も今もこれからもずっと抱え続けるんでしょうね。じゃあどうしたら求められる役者でいられるのか? それを突き詰めようとすると、さっきの役に対しての話と同じで、頭でっかちになってしまう。生き方についても仕事についても、私のような単純な人間ほど、その辺は、“適度に適当に”を意識していかないといかんな、とも思います」  プロフェッショナルな人たちと共同作業をしながら、非日常的な経験ができる今を、俳優としては幸福に感じている。 「でも、この先俳優としてどうありたいかとか、そういうことは全く考えていなくて……。昔から、一度始めたことを途中でやめるってことができない質(たち)なんです。小学校の頃に、算盤と書道を習っていて、周りは、算盤なら三級、書道なら初段になった直後に、みんなやめていって、中学まで続けたのは僕だけでした。不器用なせいで、どちらもなかなか上達しなかった割に、自分で決めて始めたことに、『もういいか』とは思えない。大して努力していたわけでもないのに、変ですよね。あ、でも大学卒業後に就職した会社には、どうしてもなじめなくて、すぐ辞めてしまいましたけど(苦笑)」 (菊地陽子 構成/長沢明) 安田顕(やすだ・けん)/1973年生まれ。森崎博之、戸次重幸、大泉洋、音尾琢真と演劇ユニット「TEAM NACS」を結成。舞台、映画、ドラマなどを中心に幅広く活躍中。主演映画に、「俳優 亀岡拓次」(2016年、横浜聡子監督)、「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。」(18年、李闘士男監督)、「愛しのアイリーン」(18年、吉田恵輔監督)、「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」(19年、大森立嗣監督)など。 >>【後編/安田顕「老けメイクをするとどんどん親父に似てくる(笑)」 波瑠の父親役を演じて】へ続く ※週刊朝日  2020年11月20日号より抜粋
週刊朝日 2020/11/14 11:32
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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

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