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それでもやっぱり「路上飲み」 小さな“掟破り”をルポ
それでもやっぱり「路上飲み」 小さな“掟破り”をルポ
新橋駅前では路上飲み禁止を呼びかける見回り隊が目を光らせていた(撮影/鈴木裕也)  見回る警備員、公園に規制線…それでも「ここしかない」。ルポ「路上飲み哀歌(エレジー)」をお送りする。 *  *  * 「3人で『マジかよ~』ってユニゾンしちゃいました」と苦笑いするのは、東京・池袋で働く20代の男性3人組。コンビニエンスストアで酒とつまみを買い、駅西口の公園で仕事帰りの一杯を楽しもうと思っていたのに──。  緊急事態宣言が発出され、飲食店での酒類の提供が禁止された4月25日の夜も、彼らはこの公園で仕事終わりの飲み会をした。しかし、この日(28日夜)は公園内に規制線が張られて侵入できなくなっていたばかりか、見張りの警備員までいたのだ。だが彼らは公園の隅、規制線の外に場所を確保して地べたに座りこみ、慣れた様子で酒を飲み始めた。話題は飲めないことの不満ばかり。 「家に帰っても一人だし。飲んで帰りたくても店はないし」 「花見の時期以来、いつも外飲みしてたけど、誰も感染してないし」 「外は密にもならない!」  予定は一人ロング缶2本。飲み終わったらまっすぐ帰宅するという。  周辺には同じような外飲み組が集まり、それぞれが数メートル間隔で場所を取り、静かな酒盛りを始めた。会社員風の男女4人は立ち飲み。 「お疲れ~って会社を出て、すぐ電車に乗るのが寂しくて」、誘い合うように飲みに来たという。  渋谷センター街は、緊急事態宣言前に多かったコンビニ周辺で立ち飲みする人々も消え、閑散とした様子。歩き回ってやっと見つけたのは、コンビニ横で一人で缶ビールをイッキ飲みする30代男性会社員だった。 「仕事終わりに、ビールとラーメン、餃子が俺の定番。酒を出してくれないから、先にここでビールだけ飲んでから食べに行きます」  街では居酒屋の呼び込みが客引きに必死。手にした店のプラカードには「生ビール、ハイボール1杯目150円」とある。どうやら酒を飲ませる店もあるようだ。  サラリーマンの聖地・新橋。SL広場前では警備員たちがマイクで帰宅を促す。外飲みスポットだった桜田公園にも警備員が数人いて、柵が張られ立ち入り禁止。当てが外れて“歩き飲み”していた中年2人組。 「しょうがねえな。今日は帰って女房と家飲みだ」 「飲ませてくれるかね」 「さあな。初めてのことだからな。ハッハッハ」  ギャングが暗躍したアメリカの禁酒法時代とはまったく違う、小さな“掟破り”が各所で展開されているようだ。(本誌・鈴木裕也) ※週刊朝日  2021年5月21日号
新型コロナウイルス
週刊朝日 2021/05/12 17:00
「何にもない国」ナウルの美しい海と幸せに暮らす人々 写真家・小澤太一
米倉昭仁 米倉昭仁
「何にもない国」ナウルの美しい海と幸せに暮らす人々 写真家・小澤太一
撮影:小澤太一  写真家・小澤太一さんの作品展「NAURU HORIZON」が5月12日から東京・両国のピクトリコギャラリーで開催される。小澤さんに聞いた。 *  *  *  作品の舞台は赤道直下、太平洋に浮かぶ小さな島国、「ナウル共和国」。 「行ってみたらすごく面白くて。もう10年前ですけれど、3年間で5回、のべ90日くらい訪れたんですよ」  世界の珍国を旅する「国マニア」が憧れる「謎の国」らしく、インタビューを始めると、小澤さんは思いもよらない話を語り出した。 「難民ビジネスは間違いなくあるんです。基本的にそこしか働き口はないですから」撮影:小澤太一 ■オーストラリアの難民キャンプがあるわけ  外務省のホームページによると、ナウルは東京都品川区とほぼ同じ面積で、そこに約1万3000人が暮している。さらにこんな記述があった。 <国家の主要外貨獲得源である燐鉱石(りんこうせき)がほぼ枯渇し、他にナウル経済を支えるめぼしい産業もなく、経済状況は厳しい状態である>  そんなナウルを長年支援してきたのがオーストラリア。島では豪ドルが使われ、病気の治療や大学進学でオーストラリアに行くのも一般的という。そこで出てきたのが「難民ビジネス」の話だった。 「ナウルにはオーストラリアの難民キャンプがあるんですよ。難民を受け入れる代わりに、ナウル人は仕事とお金がもらえる。ただ、難民にとっては、オーストラリアに亡命したつもりなのに、何だかよくわからない国に連れて行かれて、しかも、扱いもひどい、みたいな。人権団体の間で問題になっているみたいです」  恥ずかしながら、この問題を私はまったく知らなかった。  イギリスの新聞、「ガーディアン」電子版によると、いまでもオーストラリアは莫大な費用をナウルに支払い、「ナウル地域処理センター」(正式にはこう呼ぶ)を維持しているらしい。 「ナウルに行くと、あらゆるところが見られるんです。例えば、刑務所を訪ねると、『ああ、中を見ていくか』みたい感じで案内してもらったり。大統領に会いに行ったり。それくらいゆるい国なんですけれど、難民キャンプだけは、近寄るだけで、『ここには来るな』、みたいな感じで、すごくナーバスな場所」 撮影:小澤太一 ■人はパンのみにて生きるにあらず?  小澤さんによると、燐鉱石は掘りつくしたことにはなっているが、いまでもほそぼそと採掘しているそうで、そこで働いている人もいるという。  ということは、ナウルの全国民は難民キャンプか鉱山で働いているのだろうか? 「いや、ほとんど働いていない、というのが正解かな。みんな、ふらふらしてますから。ほんとうに何にもしていないんですよ。びっくりするくらい」 「でも、みなさん、どうやってご飯を食べているんですか?」 「それは国からのお金、年金というか。給料日みたいに、銀行にすごい人が並んでいるときがあって、ああ、今日はその日なんだなと」  小澤さんはナウルを訪れる前、この国のことが書かれたさまざまな本を読んだ。 「崩壊した国とか、だれも働いていないとか、糖尿病がすごく多いとか。そんなことばかりが羅列されていた。とんでもなく悲壮感がある、マイナスイメージの国だと思っていたんです。ところが、行ってみたら、ぜんぜんそうじゃなくて、みんな幸せそうだし、海で楽しそうに釣りしてるし」  そこで思い出したのが、以前、聞いた生活保護の話だった。  大阪府・西成に暮らす女性は、「受給者に食事は提供できても、生きがいや、やりがいを届けることはできない。『人はパンのみにて生きるにあらず』ですから」と、目の輝き失った人々のことを寂しそうに語っていた。  そのときは、(そのとおりだよなあ)、と思ったのだが、ナウルの人はまるで違うらしい。  国から生活資金を支給され、ご飯を食べ、ただ、ぶらぶらしてみんな幸せに生きている。  すべての人に無条件で現金を配る「ベーシックインカム」制度がこんなところで実現し、しかも、それなりに機能していたとは……。撮影:小澤太一 ■何もないんです。海しかない  ナウルの人々はびっくりするほど親切で、とても安全な国という。 「なので、朝、起きてから日が暮れるまで、どころか、夜通しふらふらするような生活。海辺で寝たりすることも多かったですね。赤道直下だから夜も寒くないし。もうずっと、四六時中撮っていた感じ。これは、もう楽しいな、と」  話を聞いていくと、治安のよさの背景には島の人々の濃厚な人間関係があるらしい。 「バイクに乗っていて、『それ誰に借りたの』って聞かれて、ちょっと説明すると、ああ、誰って。もう、ほぼみんなわかっちゃう。夜中、酔っ払いに絡まれて、バイクを持っていかれたことがあったんです。けれど、朝には誰が犯人か、ちゃんとわかるんですよ。警察に太ったやつで、こんな感じでと説明すると、ああ、あいつだなと。すぐにバイクが戻ってきた」 撮影:小澤太一  展示される作品は、島の周囲に広がる水平線を軸に、美しい景色と幸せそうな人々の姿で満ちあふれている。  海辺で遊ぶ子ども、釣りをする人、小舟を操り魚を捕る人、そして燐鉱石の積み出しに使う鉄橋のような「カンチレバー」。  詰まるところ、この国には「何もないんです。海しかない。何もないというのはこういうことか、と思って。だけど、太陽がちゃんと昇って、時間の変化があって、人がいる。それだけで、ぼくは面白かった。逆に、それをゆっくりと見られた感じですね。90日間、ふらふら」。  何もないので、「バイクでクルクルまわりながら被写体を探すんです。30分で国を1周(19キロ)できちゃう。渋滞なんてもちろんない」。撮影:小澤太一 ■いまだに新型コロナ感染者はゼロ  冒頭、ナウルのことを「謎の国」と書いたが、観光ツアーもなく、ビザが取りづらいため、現在も入国はかなり難しいという。 「たぶん、日本から年間10人も行ってないと思うんです。なぜ、そう言えるかというと、イミグレーションに台帳が置いてあって、何月何日にどこの国の誰が来た、と書いてあって、ふつうに見られる。で、それを見ていたとき、(あっ、日本人が来ている)、と思ったら、前に来た自分だった(笑)。それくらい入国者が少ない」  ちなみに、ナウルでの新型コロナ感染者はゼロという。 「『鎖国』していますから。いまはほんとうに入れない。でもまた、行きたいですね」 (文=アサヒカメラ・米倉昭仁) 【MEMO】小澤太一写真展「NAURU HORIZON」 ピクトリコギャラリー 5月12日~5月22日 写真展に合わせてオンライントークイベントも開催。詳細はピクトリコギャラリーのホームページ参照。 5月14日(金)17:00~18:00 写真やプリント、ギャラリーについて知りたい! ゲスト:三村漢(アートディレクター) 5月18日(火)17:30~18:30 謎の国・ナウルを知りたい! ゲスト:持田貴雄(フィジー野球・ソフトボール協会会長)
NAURU HORIZONアサヒカメラナウルピクトリコ写真家写真展小澤太一
dot. 2021/05/11 17:00
女優・尾野真千子「現場で死にたくはない」 彼女を再生させた企画書
女優・尾野真千子「現場で死にたくはない」 彼女を再生させた企画書
尾野真千子 [撮影/写真部・小黒冴夏、ヘアメイク/黒田啓蔵(Iris)、スタイリスト/江森明日佳(BRUCKE)、衣装協力/ottod’Ame/STOCKMAN(オットダム/ストックマン)、BRUCKE(ブリュッケ)] 映画「茜色に焼かれる」は5月21日からTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開(c)2021『茜色に焼かれる』フィルムパートナーズ 「現場で死にたくはない」  昨年の春から夏にかけて、コロナ禍での自粛生活を余儀なくされたとき、女優の尾野真千子さんは連日、そんなことを考えていた。“仕事したくない病”にかかったのは、生まれて初めてのことだった。 「突然現れた見えない敵のことが怖くて怖くて……。去年、緊急事態宣言が発令されて、私の仕事は完全な撮影ストップにはならなかったんですが、現場にいるときは集中できても、ふと我に返ると、『やめたいなぁ』『怖いなぁ』って思ってた(苦笑)。自分が罹患するのも嫌だけれど、自分のせいで誰かにうつしてしまうかもしれないことも恐ろしかったんです。いっそ1年ぐらい仕事を休んで、この見えない敵がどこかに消えるのを見届けてから復帰するのが、一番スッキリするんじゃないかと思っていました」  そんな中、一本の企画書が尾野さんを再生させることになった。石井裕也監督が書いた「茜色に焼かれる」。コロナ禍を舞台に、夫を事故で亡くしたシングルマザー・田中良子が、これでもか、これでもかと降りかかる試練に立ち向かいながら、つらい時代を生き抜く物語だ。 「企画書をいただいたとき、『ああ、これはやらなきゃな』と思っちゃったんですよね。かなり詳細にストーリーが描かれていたんですが、石井裕也という人の変態さ加減がモロに出ていた(笑)。その変態な部分が私は大好きで、『こんな激しい作品をやってくれるんだ!』『これはきっと今撮らなきゃいけないものなんだろうな』って、ワクワクしたんです」  映画の中で良子は、コロナ禍で経営していたカフェが破綻し、花屋と夜の店のアルバイトで生活費を稼ぐ。毎月の支出の中には、13歳になる息子と2人の生活以外に、義父の老人ホーム入居費、亡き夫が他の女性との間に作った娘の養育費までが含まれていた。その上、さらなる試練が良子と息子に次々と降りかかる。 「ストーリーを追いながら、彼女がたくましく生きてることに、励まされたような気がしたんです。私だってここで止まっているわけにいかない。“生きなきゃ”って。『自分が納得するものをやっているのなら、現場で死んだっていいじゃないか』と考えるようになった。俳優にとっては、作品は“生きた証し”になりますからね。この作品をやって死んだとしても、恨んで出てくることもないだろうな、と(笑)」  良子は芝居が得意な人間という設定だ。石井監督は、尾野さんを想定してこの台本を書き下ろしたと思われるが、尾野さんに「なぜ良子を尾野さんに演じてほしいと思ったかという説明はあったのですか?」と聞くと、「あったと思う! でも、詳しい内容は私の口から言いたくない! 恥ずかしい!」と言って、豪快に「ヒャハハハ」と笑った。照れ屋なのだ。  良子の生き方は愚直なほどにひたむきだが、やはり、大事な人を守りながら尊厳を持って生きるためには、働いてお金を稼ぐことが大切になる。それがどれほど大変かということにもあらためて気付かされる内容だ。ただ、尾野さん自身は、女優になってからお金のために仕事をした記憶はほとんどないという。 「良子は、息子や義理の家族のために必死になってお金を稼いでいます。私が女優をやっているのも、突き詰めれば生活のためですが、『お金をもらうために仕事をしよう』と思ったことはなくて。まだ若かった頃、奈良から東京に出てきたものの、収入が少なくて、食べたいものも我慢して、節約しながら細々と暮らしていたときは、『お金を稼がなきゃなぁ』『バイトしようかなぁ』みたいな考えが頭をかすめたことはあったけれど、いざ、お仕事をいただいて撮影の現場に入ると、お金のことなんか一切忘れてしまうんです。良子とはお金に対する執着は違いますが、ただ私も、当時何のために頑張っていたのかを考えると、『お芝居が好き』という気持ち以外に、親を喜ばせたくてやっていた感はすごくある。そこは、良子との共通点だと思いました」 (菊地陽子 構成/長沢明) 尾野真千子(おの・まちこ)/1981年生まれ。奈良県出身。97年、河瀨直美監督「萌の朱雀」でデビュー。2007年、「殯の森」がカンヌ国際映画祭コンペティション部門グランプリ。NHK連続テレビ小説「カーネーション」(11~12年)、「最高の離婚」(13年)、大河ドラマ「麒麟がくる」(20~21年)、藤井道人監督「ヤクザと家族」(21年)などに出演。瀬々敬久監督の「明日の食卓」は5月28日公開。 >>【後編/尾野真千子、嫌いだった「頑張る」が生きるための合言葉になった理由】へ続く ※週刊朝日  2021年5月7-14日号より抜粋
週刊朝日 2021/05/08 11:30
【独自】酒井法子YouTube密着ルポ「私は基本、ポンコツで昭和のノリ。21万回再生は『馬場うれピー』」
上田耕司 上田耕司
【独自】酒井法子YouTube密着ルポ「私は基本、ポンコツで昭和のノリ。21万回再生は『馬場うれピー』」
撮影に臨む酒井法子(撮影・上田耕司)  5月1日に自身初のYouTubeチャンネル「1億のスマイル!!」を開設し、21万回の再生回数を記録したのりピーこと、酒井法子。次作のYouTubeロケを密着取材し、その意気込みを独占インタビューした。  ロケが行なわれたのは5月4日。埼玉県飯能市の大自然に囲まれた場所で行なわれた。杉や檜が生い茂る山間地帯で、晴れていたので、木々の葉の緑がまぶしい。鳥のさえずりが聞こえる山々の谷間の一軒家に、酒井がやってきたのは午後1時半頃。  車から降りた酒井は、日差しが強いために日傘を差し、動きやすいランニングシューズを履いていた。撮影前、手や足にスプレーをかけていたので、何ですかと尋ねると、「虫よけ」と言ってニコっと笑い、撮影に向かって行った。そんな会話からロケ取材がスタートした。  初回の配信では再生回数は初日で13万回、4日目で21万回を超える人気ぶり。撮影の合間に、本人に感想をたずねると、 「メチャクチャうれしいですよ。東京ドームで3~4回コンサートをしたくらい、たくさんの人が見て下さったのではないでしょうか。私自身、夜中の0時に自分のYouTubeがアップされるのをすごい楽しみにしていたんですが、(チャンネル名の)『1億のスマイル』で検索したら、昔の動画ばっかり出てきてなかなか見つけられませんでした」  酒井は自分のことを、「基本的にポンコツなんで、ホントにおっちょこちょいなので」と謙虚に表現した。現在、長男(21)と2人暮らし。 メイクを直す酒井法子(撮影・上田耕司) 「長男は専門学校を卒業し、もう社会人です。YouTubeがとても好きで、うちにいる時は四六時中見てますね。私の初回の動画を見て、『シンプルな塩おにぎりでもおいしいというくだりから、モツ鍋がおいしいという映像に変わって行くところが笑った』とか感想を言っていました。『あーでも、めっチャ、カッコ良かったよ。がんばれ』ってほめてくれました」   長男はYouTubeに詳しいが、酒井本人はあまり見ていないらしい。はじめしゃちょー、ヒカル、東海オンエア、ゆきりぬ、てんちむ…など有名YouTuberの名前を次々に上げてみたが、ほとんど見たことがないという。 撮影の合間の酒井法子(撮影・上田耕司) 「まだまだ勉強不足ですね。もっと勉強しなくちゃな、と思います。筋トレ動画は見ています。安井友梨さんとか」  1986年に所属事務所サンミュージックからアイドルデビュー。愛くるしいルックスで、自ら「のりピー」と名乗り、「うれピー」(うれしい)、「はずかピー」(恥ずかしい)、「くやピー」(くやしい)などのピー語が一世風靡したこともあった。  初回のYouTubeが良かったので、今の心境をピー語で表すとどうなりますかと聞くと、10秒くらいの間があり、返答があった。 「『おもしろピー』でも『マンモスうれピー』でも『お疲れピー』でもないですね……」  さらに10秒の間。 「メッチャうれしい時、使うんですが、マニアック過ぎて全然、浸透しなかったんですけど、ジャイアント馬場さんからとった『馬場うれピー』」  それを聞いた周囲のスタッフは思わず吹き出した。プロレスラーの故・ジャイアント馬場の靴のサイズは破格に大きく、必殺技の「16文(38.4センチ)キック」で知られた。昭和の時代を駆け抜けたプロレス界のヒーローだった。 「私は昭和のノリなので(笑)」(酒井)  ロケ地では気配りの人だった。記者が口ごもると、「私、高ぶってますか?」とすぐにフォロー。喉が乾いたと思うと、ノリピーからペットボトルの水を手渡された。スタッフたちは「酒井さんの人柄に惹かれて付いていってる」と言った。  09年にサンミュージックを離れ、12年から他の事務所に所属した。ロケが終わり、YouTubeプロデューサーを交えて車の中でのインタビューとなった。 走るシーンでは撮り直しもした酒井法子(撮影・上田耕司) ──2012年から8年間所属した事務所を4月末で退社し、5月1日に個人事務所「株式会社スマイル」を立ち上げましたが、前事務所からは引き止められたのでは? 「引き止められました。8年間、お世話になって、社長と一緒に歩いてきたので、えーっという寂しい気持ちと、なぜ、という気持ちもおありになったでしょうし…。私は事務所では古株で、ホームページでも良い位置でバーンと出てきますからね。だけど、新型コロナウィルスの影響のためにイベントとかコンサートも開こうと思っていたけれども、できなかったし、そういった中で残念なこともありました」    ロケ現場に入る酒井法子(撮影・上田耕司) 今年2月で50歳になって、「下っ腹にドーンって歳を感じちゃうなー」と笑ってみせた。 「40代まではそこまでは考えませんでした。のりぴーフォーティエイト(48)とか言って、ディナーショーで踊って歌ってましたから(笑)。さすがに50の声を聞くと、あと何年仕事ができるのかなと思うようになりました。このまんま終わっていくのも幸せなんだろうけれども、あとひと踏ん張り。所属事務所を離れて一人で1度やってみたかった。円満退社なんです。機会があれば、一緒にお仕事をさせて頂くこともあるだろうと思います」 ──5月末にはこれまでのファンクラブも解散すると発表されました。YouTubeを見たのは、昔からのファンも多いのでは? 「そう思います。私以上に私を知ってくれているような、ありがたいファンの方ばかりです。私のことを4コマ漫画にしたり、イベントで私の若い頃の写真を”遺影”のように持って来てくださる方もいるんですよ(笑)。ファンの方がいらっしゃらなければ何をやったっても意味がないわけで、ファンの方がいて下さって初めて私がいられる。ずっと応援して下さるファンのことを最優先に考えていきたいです。始まりがあれば終わりもある。閉じてしまうものはあると思うんですけれど、これからの新たな挑戦を温かく見守っていただければと思います。中国のファンサイト『weblo』はそのまま残します。新しいファンクラブも考えています」 ──現在は株式会社スマイルの社長? 「ははは、いやいやいや、私一人しかいない会社ですから。一人ぼっちの出発です」 ──長男と2人暮らしだそうですが、遊んだりしますか。お母様とは一緒に住んでいないんですか。 「長男が大人になっても、一緒に温泉とかも行くし、意外と一緒に行動してくれますね。母は別のところに住んでいます」 ──初回のYouTube動画はクオリティの高い映像が印象的でした。 「テレビと変わらないねって、あちこちで感想を頂きました。こんなYouTube見たことないとも(笑)。スマホで自撮りするのかなーて思ったら、そうじゃないんですもの。ベテランのスタッフの皆さんに支えてもらえて心強いです。ここまで来ちゃうと、もう後ろを振り返らずに前だけ向いて突き進むしかないですねー」 酒井法子(事務所提供) ──更新の頻度ですが、これから毎日というふうになって行くんでしょうか。 「毎日というのはさすがに厳しいかと思います。週1でもけっこう大変で。15分間の1本の動画に10時間以上の撮影3日間ってものもありました(笑)」 ──ロケ地にいる人を数えたら、酒井さん以外に10人いました。こんなに大勢で撮影しては赤字では? 再生回数に応じたギャラはちゃんと入って来るんですか? 「そうですね、今は考えてません。のちのち結果が付いてくればと思っています」 ──YouTuberは企業からの広告案件での収入の割合が高いものですが、広告案件は? 「企業案件は今回、受けない形でやらせていただいてます。“先に与える”をテーマにして“先にお金ありき”は止めようと。良いものをこだわって追求すれば見て下さってる方の心に刺さると信じています」  現場を指揮するプロデューサーが酒井のギャラについてこう話し始めた。 「酒井さんのギャラは事務所のスマイルに直接振り込まれるようになっていますので中間搾取はありません」  企業案件をやらないという点に関しては、こう説明した。 「1回目の動画でも冒頭で、ご本人が話していましたが、得る喜びもあれば与える喜びもあるのではないでしょうか。こんな世の中だからこそ、誰かを笑顔にしたいとそれだけを掲げて活動を続けて、みんなで助け合えばどんな世の中も誰も困らないはずというのを体現したいです。エンターテイメントの持つ力は間違いなく誰かを笑顔にするための力ですからね」  この日のロケでは、20年、30年とテレビ局で撮影現場を引っ張ってきたベテランもいた。 「あえて、YouTube寄りのスタイルで制作しないのも面白いかなと考えています。iPhone一つで自撮りしたYouTuber達が一時代を築きましたが、逆にオワコンやオールドメディアと言われる平成を支えてきた映像職人とも言うべきクリエイターが新たな土俵で本気で戦ったらどうなるのか。その辺りも楽しんでいただけたらと思います。画面の裏側には実は大勢のスタッフが手間ひまかけてる。そんなベテラン職人の息吹を画面越しに感じていただけるよう、挑戦していくつもりです」(同) ドローンを飛ばすスタッフ(撮影・上田耕司)  初回動画ではドローンを飛ばす映像があったが,二作品目でも、ドローンを飛ばし、その下を酒井が走る雄大なシーンがある。そして、酒井が手にする本の中表紙には「絶望の日まで 希望のタネを蒔く」と、対談相手のメッセージが書かれていた。  2回目の配信は5月7日午前6時に予定されている。2作目から真価を問われそうだ。(AERAdot.編集部 上田耕司)
dot. 2021/05/06 11:00
レシピも人生もバズった料理研究家リュウジの「年収」は? 本人が明かした成功の秘密
中島晶子 中島晶子
レシピも人生もバズった料理研究家リュウジの「年収」は? 本人が明かした成功の秘密
リュウジ(りゅうじ)/料理研究家。1986年、千葉県生まれ。ホテルマン、イタリア料理店(厨房)、高齢者専用の賃貸住宅(コンシェルジュ)などに勤務したあと、独立。会社員時代から料理が好きで、趣味としてツイッターなどでレシピを紹介。2017年に「大根のから揚げ」がバズり、ツイッターのフォロワーが激増。フォロワーは「ペッパーチーズ枝豆」で5000人、「無限キャベツ」で1万人……と増え続け、今や178万人(2021年3月)。『バズレシピ』 シリーズ(扶桑社)、『リュウジ式 悪魔のレシピ』(ライツ社)、『1人分のレンジ飯革命』(KADOKAWA)などレシピ本を多数出版、テレビ出演も爆増中(撮影/写真部・加藤夏子) 太陽の光が苦手。夜昼逆転で料理写真の撮影をすることもあり、窓には常時段ボールが……(撮影/写真部・加藤夏子) 「バズる」とはネット用語で、特定の人物や話題に関心が集まり、過熱気味の盛り上がりを見せること。「AERA Money 2021春号」に6ページのインタビューで登場しているリュウジさんは、手軽でおいしい創作料理のレシピがバズった料理研究家だ。      ツイッターのフォロワーは180万人を超え(2021年4月現在)、YouTubeの動画再生回数は2億回を突破した。2018年まで介護の仕事をしていたが、当時300万円だった年収が数十倍に跳ね上がったという。「でも僕が自分の会社からもらっている役員報酬は、会社員時代と同じ300万円なんですけどね」。レシピがバズり、人生そのものもバズった34歳——。  リュウジさんは高齢者向け住宅でコンシェルジュとして働いていた。カウンターで入居者の出入りを記録したり、介護サービスを手伝ったりすることもあった。「高齢者向け住宅では、僕は輝けなかったです。  お年寄りと話すのは好きでしたが、事務作業ができない。というか、できるけど、やらない。先輩職員にどうして事務をしないのかと問われ、この事務は必要がないと思うからだと答えました。すると『こいつはやる気がない』と怒られた(笑)」  それでも高齢者住宅では7年働いた。入居者に人気があったのと、人と接する仕事が好きだったことが理由だ。「入居者用のレストランがあるのですが、食事がおいしくなかった。  そこで僕は会社に提案しました。月1回、ディナーの日を設けて、僕のメニューを採用してほしいと入居者の満足度をアップしたいと思って」    リュウジさんの提案が実現したディナーメニューの中で一番人気だったのは「おでん」。特におでんの汁の味が好評だった。 「年をとると若いときに比べて足腰が弱っていきますが、味覚も鈍くなっていくようです。実は高齢者ほどパンチの利いた味つけを好み、おいしいと思ってもらえる傾向があります。  メニューを考えるとき、入居者にどこの店の何が好きかをヒアリングしたら、近所のコンビニで売っている濃い味の弁当がナンバーワンでした。だったらその『濃いめ』に寄せれば受けがいいはず。  塩分を考えると毎日はよくないですが、たまにはしっかりした味で『おいしかった~』って満足することも大事でしょう。  だからおでんの汁も、だしと塩分をビシッと利かせたものに仕上げました。大好評だったのは、狙い通りです」          ただ、リュウジさんがどんなに入居者を喜ばせても、給料は上がらなかった。高齢者を満足させる一方で、勤務評定をする上司の目線では事務が落第点なので、評価はプラスマイナスゼロ。たっぷり残業をしても年収300万円のままだった。    リュウジさんは介護の仕事に就く前、イタリア料理店で働いていた時期もある。 「僕は高校中退のフリーターでした。千葉県内のホテルに4年勤めましたが、2011年の東日本大震災のあと、閉鎖されてしまいました。その後、料理が好きだったのでコックをやろうと思い、イタリア料理店に入りましたが、3カ月で辞めました」    イタリア料理店の労働環境は「地獄」だったという。ランチタイムの開店に合わせて朝9時出社。夜11時から片づけはじめて帰るのは午前0時を回り、休みは月3回。 「お客が1日100人を超える繁忙店でした。毎日同じものばかり作って、家に帰ると疲れ切っていて……。飲食店で働き、生活を店に合わせると、自分の好きな料理を作る時間がなくなることに気づきました」    店でのリュウジさんへの評価は高く、月20万円でスタートした給料は1カ月で5万円も上がった。「すぐに店を任せられるようになる」とも言われた。だが、リュウジさんは「このままでは料理が嫌いになってしまう」とイタリア料理店を去った。    飲食店の新人は多忙を極める。掃除からはじまり、下仕事がほとんどの場合も多い。この現状にリュウジさんはピシャリ。 「調理場の人が修業と称して新入りに面倒な雑用をやらせているだけなのが実態ですよ。料理人に修業なんて必要ない」    上の者が正しい知識を教えてあげれば、きつい「修業」はなくなり、定着率が低い飲食業の労働環境も少しは改善されるかもしれない。なんとも小気味いい論。  リュウジさんは以前からネットに自分のレシピをアップしていた。料理研究家として名を売るきっかけとなったのは「大根のから揚げ」だ。  白だしで煮た大根に片栗粉をまぶして揚げるだけ。外はカリッと、中からジュワッとうま味がほとばしる。身近な食材を使った、意外でおいしい料理を紹介する「リュウジスタイル」の原点だ。 「大根のから揚げに賭けてバズらせようと思ったわけではないのに、驚くほど反応がありましたね。ツイッターのフォロワーが100人から一気に2000人、3000人と増えていきました」    次のバズりメニューは「ペッパーチーズ枝豆」。冷凍の枝豆を炒めて粉チーズと黒コショウをかけて食べる。このレシピでフォロワーは5000人に増えた。    極めつきは「無限キャベツ」。千切りのキャベツを湯通ししたあと、しらすを混ぜ、ゴマ油や塩コショウで味つけしたものだ。確かに無限に食べられるほどおいしい。そもそも「無限」というネーミングがいい。  ツイッターに投稿したところ「いいね!」あっという間に10万件を超え、フォロワーは1万人の大台に乗った。その後もフォロワーは増え続け、今や200万人突破も見えてきた。雑誌の取材やテレビ出演も激増。成功の秘訣(ひけつ)について、こんな例え話で説明してくれた。  リュウジさんはさらに続ける。 「次にツイッターのフォロワー数が威力を発揮するだろうと考えました。日本人は肩書で人を判断する傾向があります。でも僕には肩書なんて何もない。  そもそも日本には数え切れないほど料理研究家がいます。そんな中でフォロワーが何万人、何十万人といれば『フォロワー数が異常に多い料理研究家』っていう肩書になる」    料理はもちろん、プロデューサーとしても天才的な男なのである。  意外なメニューで注目され、フォロワーを増やしたあとは? 「レシピのブランド化です。どんなに上手に伝えても、ユーザーに作ってもらわなければはじまりません。そのため、大げさなキャッチコピーをつけることにしました。 『100年に1度』とか『世界一うまい』とか。  疑心暗鬼でもいいから実際に作って食べてもらう。おいしい!と思った人は僕のファンになってくれるわけです。  でもこれって両刃の剣ですよ。『世界一うまい○○』と名づけても、おいしくなかったら二度と作ってもらえない。  料理の腕で味が左右されるようなレシピは危険なので出せません。誰が作ってもほぼ同じ味で、おいしくないとダメです。レシピを出すのは毎回真剣勝負ですね」    大げさなキャッチコピーをつけるようになったのは祖父の言葉も影響している。 「大好きだった祖父に、人間はハッタリがすべてだから、お前もどんどんハッタリをかましなさいと言われて育ちました。  子どもの頃はよく理解できませんでしたが、今ならわかります。自分を大きく見せないと、そもそも誰も見てくれない。大きく見せてからが勝負です。  もし実力が伴わないと、見かけ倒しだと言われて終わりです。まずハッタリ、そこからがんばるという戦略はいろいろな場面で応用が利くと思います」    料理研究家と料理人には大きな違いがある。料理人はアーティスト。自分の腕前と発想で最高のものを作る。料理研究家はエンジニアに近い。食材や時間の制約がある中で最高の料理に近いものを作るシステム(レシピ)を考える。 (取材・文/大場宏明、編集部・中島晶子、伊藤忍) ※アエラ増刊『AERA Money 2021春号』より抜粋
AERAマネー
AERA 2021/05/05 08:00
瀬戸内寂聴「もう生きているのが厭」それでも食欲は衰えず
瀬戸内寂聴「もう生きているのが厭」それでも食欲は衰えず
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。近著に『寂聴 残された日々』(朝日新聞出版)。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。(写真=横尾忠則さん提供)  半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * ■横尾忠則「これから先の人生も何が起こるか楽しみです」  セトウチさんへ  最近は五感全滅で残っているのはかろうじて六感ですかね。元々、六感で絵を描いているので五感消滅もさほど苦になりません。子供の頃からひとりっ子で遊び相手がいなかったので、独りで絵ばかり描いていました。わんぱく少年ではなかったけれど勉強が大嫌いで、高校出た頃、先生が「よくお前、落第しなかったなあ」と絵だけ5で、あとはほとんど2と1、時々3がある程度だったけれど、絵が上手かったので、他の悪い成績がカモフラージュされていたみたい。とにかく本を読むのが大のニガ手。これは両親の尋常小学校出の無学という遺産を受けついでいたように思います。  僕は貰いっ子だったので、老両親は子供が成長して偉くなると、きっと家を出てしまうに違いない。だから学校の成績が悪い方が安心するという変った両親でした。そのことをいいことに、僕は絵ばかり描いて、残った時間は小川でコブナ獲りに夢中でした。そんな頃、怪奇探偵小説の江戸川乱歩と密林冒険小説の南洋一郎だけは夢中、と言っても一年間だけで、あとはまた絵とコブナです。  そんな経験が別になりたくもなかった画家をやっているといえばウソみたいですが、絵は好きだったけれど、それでメシを食うなんて地方では考えられないことです。前にも書きましたが、夢は郵便屋でした。「なんで?」とよく人に聞かれますが、切手蒐集や文通や外国の俳優へのファンレターなどを書くのが好きだったので、大人にならないで子供のまま生きていく職業といえば、やっぱり夢のある郵便屋さんしかないんじゃないかと思っていたのです。  それが僕の宿命だったのに、色んな人がいじくり廻して僕をデザイナーから画家に運命転換を計ってしまったのです。そんな後遺症が80歳を過ぎて出てきて、今は絵を描くのがメンドー臭くって、イヤイヤ描いているとは、この往復書簡の中でもうるさいほど言っているのでセトウチさんも、「ああ、聞いた、聞いた」と耳にタコだかイカができているはずです。  人間の運命は本当にわかりません。僕の宿命は郵便屋さんになることなのに、運命が絵の方に持っていってしまったのです。だけどですね。これが結局僕の中の魂が求めていたことだったのかも知れません。上京してデザイナーになった頃、周囲はインテリばかりで、難しいことばかり言う人種だらけでした。世間ではデザインで評価されていましたが、本心はデザインなんてちっとも面白くなかったのです。でも描くと面白がってくれるアングラのお兄さん達が結構いて、いつの間にかそんなわけのわからぬ人種の仲間入りです。この連中も変り者が多いくせに難しいことを言うのが好きでした。僕は、そんな会話に興味なかったので、いつも沈黙でした。彼等は、何もしゃべらない僕が神秘的か不気味に見えたのか、色んなところに引っぱり出されました。人生なんていい加減なもので、それらしくしていると、それらしく見えて、それらしくなっていくものです。新種の珍獣に見えたんじゃないでしょうか。その結果が今です。これから先の人生も、何が起こるか楽しみです。セトウチさんの百歳目指して、それを越えましょう。では。 ■瀬戸内寂聴「才能不滅! 才能万歳!」  ヨコオさんへ 「これから先の人生も、何が起こるか楽しみです。」と結ばれた今回のお便りを拝見して、ヨコオさんは凄いなあ!と感心しました。だってヨコオさんは、もう八十五歳でしょう。これから先といってもね。  十四歳年長の私は、何と来月で九十九歳。寂庵では二言目には「百だもの!」とスタッフたち。  私が二言目には「ああ、しんどい!」と言っても、「百だもの」とすましています。  私がものを忘れてうろうろしても、「だって百だもの!」。体調の悪さも、時々転んでけがをしても、「だって、百だもの!」。  締め切りに、仕事が間に合いかねても「百だもの」と平然。  百前には、もうこれ以上、珍しいことも起きるまいと思っていたのに、百になるやならずで、コロナが押し寄せ、国中にマスクをかけた人間が沸き起こり、連日、コロナに感染した人間の数が報告されています。  国民はこぞって大きなマスクで顔を隠し、美男美女もあったものではありません。  連日、コロナに感染した人の数が報告されていますが、人間は何事にもすぐ馴れて、ちょっとやそっとの数ではビクともしなくなりました。  次から次へと、人間を困らせる不都合を生み出すのは、神仏でしょうか。悪魔でしょうか。神仏は、人間の思い上がりをたしなめる為に、コロナなど、うっとうしいものをばらまくのでしょうが、ちょっとした手加減で、自分の方にコロナが押し流れて来ないともかぎらないので、気が気でないことでしょうね。  これから先の人生も、何が起こるか楽しみにしてらっしゃるようですが、私はもう、この世は飽き飽きした上、連日、躰がだるく痛く、腰は曲がり、脚はにぶく、頭の動きも日々刻々衰えて、つくづく、もう生きているのが厭になっています。そのくせ、食欲ばかりは衰えず、日に二食はしっかり食べているし、お酒も冷やで一合余りは、夜の食事に呑んでいます。二合以上呑むと、酔って調子が狂うので、一合余りで控えています。呑み友達は不要です。独り酒ほど、美味しいものはありません。自分で作った日本酒の冷やを呑みますが、あっさりとして美味で、目下これ以上に、口に合う酒は、ありません。  酒の肴は、全国の珍味を、私の小説の愛読者さんたちが送って下さり、不自由をしたことはありません。  お酒の好きな面だけはヨコオさんより、私の方が幸せですね。  子どもの時、ヨコオさんは友達がいなくて独り遊びしたようだけど、それは私も似ています。ただし、私は小学校に上がってからは、成績優秀で、通信簿(ヨコオさんの頃は何と言った?)に甲ばかり、つまり六年間「全甲」でした。  ヨコオさんの頃は、1から5まで、数字で成績を表していたのですね。  世の中に出て、学校の成績など、何の役にもたたないことを、嫌と言う程味わいました。世の中でひとかどになるには、本来、本人に備わっている才能だけです。一に才能、二に才能、三、四も才能、死ぬまで才能です。  ヨコオさんも私も、才能のおかげで百近くまでこの世でウロウロしてるのですよ。  才能不滅! 才能万歳! ※週刊朝日  2021年5月7-14日合併号
週刊朝日 2021/05/04 16:00
弘中綾香アナが見定める「独立」のタイミング 写真集5万部超え、フォロワー100万人突破で実績十分
藤原三星 藤原三星
弘中綾香アナが見定める「独立」のタイミング 写真集5万部超え、フォロワー100万人突破で実績十分
テレビ朝日の弘中綾香アナ(C)朝日新聞社  昨年の「好きな女性アナウンサーランキング」(オリコンニュース)で2年連続1位に輝いたテレビ朝日の弘中綾香アナウンサー(30)。現在は「激レアさんを連れてきた。」「ノブナカなんなん?」「あざとくて何が悪いの?」など同局の人気バラエティー番組にレギュラー出演する傍ら、女性誌でモデルデビューするなど大忙し。2月には初となるフォトエッセー「弘中綾香の純度100%」を発売したが、現在5万部を超えるヒットを記録している。  かつては「30歳定年説」など根拠のない評価をされてきた過去もある女性アナウンサー。今年で30歳になった弘中アナが、こんなにも多方面で活躍している理由は何か。週刊誌の芸能担当記者はこう語る。 「女子アナといえば、長らく“キレイな人”が圧倒的勝者でしたが、弘中アナはキレイというよりかわいい系。そして、人気番組では単なる進行役ではなく、実体験にまつわるエピソードも赤裸々に語ることができる。だから女性からの支持率が高いんです。いわゆるモデル体形ではないですし、幼顔のファニーフェイスという点も、女性からの好感が得やすい。昨年、番組で超都心の新築マンションを購入したことを明かした弘中アナ。会社員としては安定した生活を送っているようですが、今後フリーになるなら、人気絶頂の今が“売り時”かもしれません」  自身のインスタグラムも局アナとしては異例のフォロアー100万人を突破。いち女子アナというよりも、すでに立派なインフルエンサーでもあるのだ。 「100万人突破記念で、自身の半目写真を投稿して話題となりましたが、これこそ彼女の強み。女子アナでありながら、半目や変顔など惜しげもなく披露してくれるのが人気の秘訣です。人気番組『テレビ千鳥』で『出張!顔面テープ選手権』という人気企画があるのですが、彼女はテープでとてつもない変顔を作り上げ、爆笑をさらっていました。やはり、あの思い切りの良さこそ、彼女の武器でしょう。いま、レギュラー番組は4本ほどありますが、弘中人気にあやかって新企画が続々と持ち込まれているそうです。しかし、『これ以上弘中アナのレギュラー番組が増やせない』という上層部と、『フリーになってくれたらもっと番組を提案できるのに』という現場サイドで、弘中アナの取り合いが巻き起こっているとも言われています」(前出の週刊誌記者) ■裏方に転向? 独立は2年後?  はたして、弘中アナの独立は時間の問題なのか。多くの番組を手掛ける放送作家は「まだテレ朝でやり残したことがあるはず」と語る。 「弘中アナがもともとアナウンサーではなく総合職志望だったのは有名な話です。実際、昨年の正月にオンエアされたNHK特番『新春テレビ放談2020』に弘中アナがテレビ朝日を代表して出演した際、『出演にとどまらず、制作者としてこれからやっていきたいという思いが個人的にはある』と発言。今でも制作に対する熱い思いは変わらないはず。一方、テレ朝のアナウンス部は管理が厳しいことで有名。赤裸々キャラなのにフォトブックでは恋愛話などはほとんどなく、肩透かしをくらったファンも多かったはず。おそらく、上層部の“検閲”がいろいろと入り、あの内容になったのではないかと推察します。弘中アナは局アナとしての立ち位置に息苦しさを感じている可能性は高いでしょう。局に残れば裏方志望の夢をかなえられる可能性もある。しかし局のアナウンサーでいる限りは厳しく管理されてしまう……。そのバランスを見極めて、独立の道を選ぶまでにあと2年ぐらいはかかるでしょうね」  弘中アナにインタビュー経験のあるTVウオッチャーの中村裕一氏は、昨今の彼女の快進撃を次のように解説する。 「今から3年前、『激レアさんをつれてきた。』が注目を集め始めていたタイミングでインタビューした際、『自分がレアだなんてまったく思わない』『単なるイチ社員』と語っていたのがとても印象的でした。つまり、周囲の持ち上げぶりを好意的に受け止めつつも、本人は冷静で、自分を客観視できる性格であるということ。そこが“あざとい”という評価にもつながるのだと思いますが、一緒に仕事をする人たちからすればパートナーとして十分な信頼が置けるのでは。アナウンサーである以上、表に出てあれこれ言われるのは彼女も承知の上。自分を捨てて笑いを取りに行くアグレッシブな姿勢は、深夜番組『ゴッドタン』で、志村けんの“変なおじさん”を完コピしたテレビ東京の松丸友紀アナウンサーにも通じる、狂気に近いプロ意識を感じます」  女子アナ界を制した彼女が次に向かう先はフリーへの道か、それとも裏方か。いずれにせよ、まだまだ注目を集め続けることは間違いなさそうだ。(藤原三星)
弘中綾香激レアさんを連れてきた
dot. 2021/05/04 11:30
【独自】消防団員たちが告発!「パワハラ、全裸飲み、コロナで大会実施」の理不尽
【独自】消防団員たちが告発!「パワハラ、全裸飲み、コロナで大会実施」の理不尽
消防団の操法大会(C)朝日新聞社 毎年数千人の人が集まる「全国消防操法大会」(YouTubeより)  新型コロナの感染拡大が続く中、地域住民たちで構成される消防団が消火の技術を競う「全国消防操法大会」が、予定どおりの実施を見込んでいる。全国大会は10月だが、それに伴い市大会や都大会も控えており、すでに訓練を始めているところもある。50年以上の歴史があるこの大会。だが、コロナ禍で中止を決めない運営側のスタンスに、SNS上では全国の団員たちから不満の声が噴出している。  コロナを機に批判が強まった形だが、消防団の「理不尽な組織風土」を非難する声も散見される。全国約2200の消防団の活動の多くは健全に励んでいると思われるが、取材した各地の団員たちが口にしたのは、パワハラ、訓練への強制参加、コンパニオンを呼んだ全裸の飲み会、退団拒否といった、数々の理不尽だった……。 「このコロナ禍での全国大会実施については、疑問しかありません」  こう話すのは、長野県に住む自営業の30代男性(入団14年目)だ。全国大会は例年、応援も含めれば数千人規模の団員が参加する一大イベント。必然的に、全国各地から消防団が集うことになる。 「感染が広がらないか心配です。開催するとなれば、大会当日だけでなく、大会に向けて数カ月前から練習を重ねます。当然、家族や会社の人間にも感染リスクを背負わせることになる。私も高齢の母と同居しているので、不安でしかありません」  東京都の50代会社員男性(入団20年目)も、「コロナ禍での実施は理解ができない。中止にならないことが非常に残念」と嘆く。「都大会も実施予定ですし、その出場隊を決めるために、市の大会も実施することになる。変異種が増えている上、夏になってもワクチンは打てないでしょうから、とにかく不安」  こうした声に対して、大会を主催する日本消防協会はどう捉えているのだろうか。協会側に実施の理由などを問い合わせたが、期日までに返答は得られなかった。  地域差はあるだろうが、大会に向けた訓練には相当の負担を強いられる。前出の30代男性の分団では、大会の2カ月前から週に5回、早朝5時からの訓練を実施するという。感染に不安があっても、訓練は強制参加だ。市大会→上位大会→県大会→全国大会と勝ち進んだ場合は、約6か月間、120回ほどの早朝訓練を続けることになる。 「選手は朝4時に集合して、ウォーミングアップや準備をしています。朝が早いので、仕事にも支障が出る。自動車通勤中や勤務中、何度も寝そうになりました」  別の地域ではどうか。熊本県に住む自営業の20代男性(入団4年目)の分団では、例年、大会の1カ月前から毎日訓練があるという。平日の訓練は18時半ごろに開始し、23時ごろまで続く。 「大会に向けた訓練は基本的に強制参加。その間は残業ができないので、皆、バタバタと仕事を済ませ、急いで練習に駆けつけるような状況です。そもそも、コロナの感染拡大のリスクをとってまでやる大会なのだろうか」 そう疑問を呈し、こう続ける。 「今年に限らず、操法大会は廃止にした方がいい。実施しなくても、困ることはありません。実際の火事場では役に立たないと思う点がたくさんあります」  この男性が「(廃止しても)困らない」の一例として挙げたのは、実践的とは言いがたい訓練方法だ。 「選手は4人だけなので、全体練習の時も、選手以外の団員はサポート役として見ているだけ。若手たちは『回れ右』や足並みをそろえて歩く練習をさせられることもあり、ポンプを触らないまま年月が経っていく。実際の火事場では全員がある程度ポンプを使えなければいけませんが、こんな状況では、技術が行き渡ることもありません」  前出の50代男性によれば、操法大会用の訓練は器具の取り扱いや消火の基本的な流れなどを網羅しているので、本来であれば入団3年目ぐらいの人に適した内容だと話す。だが、実際の大会では、入団十数年の団員が何年も続けているような状況で、「もはや競技のようになってしまっている」と嘆く。  勝ち進むための評価基準の一つとなっているのが、動きを綺麗に見せる「規律」という項目。だが、実際の火事場ではまったく役に立たないという。 「それでも大会に勝つためには必要なので、動きを揃えるシンクロなどを徹底的に練習します。例えば、4人の動きをシンクロさせるために、何十回もポンプ車に乗り込む練習や、指先やかかとの向きが揃っているかなど、何度も同じ動きを練習するのです。それに割く時間があるくらいなら、近隣の消防署との連携訓練や、複数のポンプを使った訓練などを行ったほうが、はるかに現場で役に立つはずです」(前出の30代男性)  地域や団によるだろうが、話を聞いた消防団たちからはいずれも、団の「組織体質」を疑問視する声が挙がった。前出の30代男性は、「過去には、パワハラととらえかねない出来事は何度も見てきました」と訴える。 「ミスをすれば、『怒鳴る』『蹴る』『練習を切り上げて帰る』。練習に出てこない団員を恫喝するといったこともありました。大会が近づくと『気合いを入れるため』と選手を集め、意味のない説教をすることも当たり前のようにあります」  訓練中にはケガがつきものだというが、公務災害として申請しづらい雰囲気があるという。 「消防団の公務災害の7割は操法練習中に起こると言われていますが、軽いけがは報告されないことが多く、氷山の一角でしかない」(前出の30代男性)  さらに、「断れない飲み会」が、団員たちの重い負担になっているという声もある。 「今はコロナで控えていますが、例年は1カ月のうち10回近く飲み会がありました。訓練が23時過ぎに終わるので、深夜1時すぎまで飲むこともあります。役職についたら、飲み会に来られない場合は代理をたてないと欠席させてもらえません。上の人が帰らないと帰れない雰囲気があって、翌日の仕事に支障が出るほどの睡眠不足になります」(20代男性)  話を聞いたこの消防団の飲み会は、年に何度もコンパニオンを呼んでいるという。 「20代の私にとってはコンパニオンを呼んで楽しむ感覚が理解できませんし、金額だってかさむはず。大会の時などは泊まりなので、コンパニオンを呼んで、選手は全裸にさせられたこともあります」  団の資金繰りについても問題が浮上している。政府が全国1719団体を対象に実施した実態調査(2020年4月実施)によれば、報酬や手当を団員個人に直接支給していない消防団は約6割。その多くは団が預かる形をとっているといい、飲み会や慰安旅行などに使われているという。前出の20代男性の団でも、個人に支払われる日当は、団が預かって運用する形をとっているという。 「会計報告はないため、どういう用途で使われているのか定かではありません。地域住民からも消防費という名目でお金を徴収していますが、派手な飲み会やコンパニオンに使っている可能性もありますね」  組織にこれだけの不満を抱いていれば、おのずと「退団」が選択肢に入るはずだ。しかし団員たちの多くが、「退団は難しい」とこぼした。 「辞めたいと切り出しても、『最低でも班長まで務めあげて、代わりの人間を勧誘すること』を求められます。若手同士ではよく、『県外に引っ越すしかないよな』という話をします。村八分覚悟でばっくれることも考えましたが、家族ぐるみでつながりがあるので、それもできずにいます」(20代男性)  20代の若き団員は取材の最後、消防団を統括する消防庁に伝えたいこととして、こう切実な思いを吐露した。 「(地元の消防団は)内から変わるような組織ではありません。上から変えていかないと変わらないと思います。本気で組織を存続させたいのであれば、まずは団員の負担軽減を第一に考えてほしい。無駄な行事を無くして、実際の火災現場で役立つ技能を、無理のない範囲で習得できるような体制を作ってほしいです」  団員不足が慢性的な問題となっている消防団。若手を確保するには、強制的な囲い込みではなく、組織の変革が必要なのではないか。健全に活動に励まれる団もある一方、令和においても「理不尽な古い慣習」を持つ団が残ったままでは、前途有為な新人の加入はますます遠ざかってしまう。 (取材・文=AERA dot.編集部・飯塚大和)
dot. 2021/04/30 12:01
4月29日はナポリタンの日 大物俳優が「衝撃的なおいしさ」といったナポリタン店とは?
4月29日はナポリタンの日 大物俳優が「衝撃的なおいしさ」といったナポリタン店とは?
ホテルニューグランド ザ・カフェ スパゲッティ ナポリタン(撮影/写真部・小黒冴夏) ホテルニューグランド ザ・カフェ/神奈川県横浜市中区山下町10/新型コロナウイルスまん延防止等重点措置に基づき、当面の間、営業時間は10:00~20:00 (L.O. 19:00) (撮影/写真部・小黒冴夏)  4月29日は「昭和の日」という国民の祝日だけでなく「ナポリタンの日」。「昭和の日」→「昭和の食べ物」→と言えば、ナポリタン! なんだそう。トマトケチャップを発売して100年以上の歴史のあるカゴメ株式会社が、この日を「ナポリタンの日」に制定し一般社団法人日本記念日協会より、正式な記念日として認定を受けた。  そんなナポリタンの日に、著名人がその人生において最も記憶に残る食を紹介する連載「人生の晩餐」から「ナポリタン」を紹介する。それは、俳優・黒沢年雄さんの「ホテルニューグランド ザ・カフェ」の「スパゲッティ ナポリタン」だ! *  *  *  僕は男4兄弟の長男として、横浜で育ちました。16歳の時、働き者のおふくろが病気で亡くなったので、弟たちを食べさせるために高校を辞めて働きに出た。昼間は港近くの貨物会社で働いて、夜はキャバレーのボーイをやったりして。朝から晩まで仕事を掛け持ちしていました。それを知った会社の上司が「黒沢、お前頑張ってるな」と言って、ご馳走してくれたのがこのナポリタンでした。  当時はホテルの本館5階に眺めのいい「スターライトグリル」というレストランがありました。まだ10代の若造には、そりゃあ敷居が高かったですよ。緊張しながら生まれてはじめて食べたスパゲッティの味を今でも忘れません。何しろ今から60年近く前の話ですから、それまで洋食なんて口にしたことがなくて。麺と言えばラーメンばかり食べていましたから、真っ赤なトマトソースは衝撃的なおいしさでしたね。これをきっかけに、ホテルがあまりにも気に入ったものだから、一番下の弟を就職させたくらいです(笑)。 (取材・文/沖村かなみ) ※週刊朝日  2019年11月1日号 【ホテルニューグランド ザ・カフェ スパゲッティ ナポリタン】  昭和2年、西洋式ホテルとして港町・横浜に開業。「スパゲッティ ナポリタン」は同ホテル発祥のメニュー。戦後、米軍の占領下で進駐軍文化の影響を受けて生まれた。2代目料理長の入江茂忠氏が、当時米兵が食べていたトマトケチャップ味のスパゲッティをアレンジすべく、生、水煮、ペーストの3種類のトマトを合わせてひと手間かけたソースを考案。麺は前日にゆで置くことで、もちっとした食感に、バターのコクを加えてまろやかな味に仕上げた/「ホテルニューグランド ザ・カフェ」神奈川県横浜市中区山下町10
ナポリタンの日ナポリタンスパゲッティ
週刊朝日 2021/04/29 11:00
小室さん親子のズレた金銭感覚 母は婚約者にメールで「トイレットペーパー買って」
永井貴子 永井貴子
小室さん親子のズレた金銭感覚 母は婚約者にメールで「トイレットペーパー買って」
眞子さまと婚約が内定している小室圭さん(c)朝日新聞社 「おつきあいは、遠慮したい」  宮内庁に長くいた人物によれば、旧皇族、そして旧華族があつまる霞会館からは、そうした声がささやかれ続けているという。声は、小室圭さんとその母親に対して向けられたものだ。  秋篠宮家の長女、眞子さまと婚約が内定している小室さんは、母の佳代さんの元婚約者と小室家との金銭トラブルについて28枚に及ぶ「反論文書」を出した。だが、小室家のためにお金を出した元婚約者に対する誠意や感謝の見られない内容に対して、世間の批判はより一層強くなっている。  ふたりが結婚すれば、小室さんは「内親王の夫」に加え、将来の天皇の義兄になる。  皇室と元・旧皇族でつくる菊栄親睦会。上皇ご夫妻と天皇、皇后両陛下と愛子さまら名誉会員、皇族や元皇族から成る会員、その家族や親族ら準会員で構成される組織だ。眞子さまと小室さんは会員、母の佳代さんも準会員として交流の輪に加わることになる。   先の人物がこう話す。 「皆さまが、おつきあいは……と口にするのは、家柄や資産の優劣ではないことは、十分におわかりでしょう」  世論も同じだろう。国の象徴であり、国民統合の象徴である天皇。その天皇の縁戚となるにふさわしい常識と感覚、品位を備えたご家族なのか、という点に国民が納得しないからだろう。  元婚約者との金銭問題だけではない。母の佳代さんが元婚約者に、メールで「指南」した「遺族年金」の問題や、元婚約者と他のやり取りからも、違和感はにじむ。  小室さんは、「文書」のなかで、高級志向の元婚約者の要求に負担を感じるようになった小室家というストーリーを書いている。当時のやり取りはどうだったのか。  小室さんの母、佳代さんと男性が婚約をしたのは、2010年9月だ。  小室さんが文書で訴えたのは、元婚約者は、お互いの友人を呼んでクルージング婚約パーティーを提案したが、母の佳代さんは、豪華なパーティーを開くことよりも他の使い道を考えた方がよい、と提案した、という内容だ。これだけを目にすれば、贅沢を好む元婚約者に、堅実な人生設計を望む小室家というイメージが浮かぶ。  一方、記者が元婚約者に取材した当時の資料を読み返すと、また違うストーリーが浮かびあがる。  このとき、佳代さんが元婚約者に送ったのは、次のメールだった。 <クルージングパーティ調べて頂き有難うございます。50万円とは‥大金ですね。友人達へのお披露目に使うか、私達onlyのアニバーサリーに使うか悩むところですが‥ふたりでフランスでひっそりあげるのもいいかもです>  また、小室さんは文書で、元婚約者が食事に連れて行く店は金額が高く、応分の負担を求められる母は、困難を感じ始めた、と書いてあった。    果たして、元婚約者の男性は、経済的に余裕のない親子を高級店に連れ回していたのだろうか。  婚約の翌10月は、小室さんの誕生日というイベントがあった。佳代さんは、元婚約者にこんなメールを送っている。 <さて、圭は明日19歳のバースデーを迎えます 今年は圭の大好きな恵比寿ウェスティンH○○○(※)でお祝いdinnerしたく思いますが如何でしょうか? 少しリッチな誕生日会食となると思われ、ご負担をお掛けしスミマセン><パピーのご都合次第で早速予約を入れるつもりです>    この高級中華料理店のメニューを見ると、最も安いコースで一人1万2千円から、とある。息子の誕生日を祝うために、息子が大好きな高級レストランでのお祝いを提案する母親。小室さんに対する、佳代さんの愛情が伝わる内容だ。  そして、小室さんが、大学の学費は、すべて自分の貯金と奨学金で賄ったと説明している通り、小室家の家計管理は、堅実だ。          婚約前の8月。すでに、家族のような親しさがにじむメールを、元婚約者の男性へ送っている。 <‥又又面目ないですが  トイレットペーパーがキレてしまいました。もし購入して頂けたら幸いです>  そして2か月後、クリスマスを一週間後にひかえた夜、元婚約者男性は、佳代さんからこんなメールを受け取った。 <仕事帰りに食料品を買い込み、薬局でトイレットペーパー等も買ったら凄い荷物になってしまいました タクシーで帰宅したのですが‥次回そのような時は、(車マーク)助けて頂いてよいですか?><図々しいでしょうか?でも700円が勿体なくて 10回利用したら7000円 一緒にフレンチ頂けます>  もちろん、4月8日に小室さんが公表したのは、小室家から見た真実だ。双方それぞれ主張があり、どちらか一方が正義とは限らない。  だが、小室さんの文書を読んで、「理解した」と口を開いたのは、眞子さまと宮内庁長官らと、あと誰であったのだろうか。(AERAdot.編集部 永井貴子)
元婚約者小室圭さん文書皇室眞子さま結婚金銭トラブル
dot. 2021/04/27 07:00
土門拳賞受賞作品展 森と湖の世界にオオカミを探し求める雄大な写真日記
米倉昭仁 米倉昭仁
土門拳賞受賞作品展 森と湖の世界にオオカミを探し求める雄大な写真日記
島の上のウッドランド・カリブー。和名ではシンリントナカイと呼ばれ、1年を通して森で暮らし、湖上も難なく泳ぐ。まさに森と湖の世界、ノースウッズを象徴する野生動物である(撮影:大竹英洋)  写真家・大竹英洋さんの土門拳賞受賞作品展「ノースウッズ-生命を与える大地-」が4月27日から東京・新宿のニコンプラザ東京 THE GALLERYで開催される(大阪は5月27日から6月9日)。大竹さんに聞いた。 *  *  *  私は昔、「ノースウッズ」と呼ばれる北米大陸北部の森の片隅をカヌーで巡ったことがある。  日本からアメリカ東海岸行きの旅客機に乗ると、カナダ上空を左上から右下へ斜めに横切るように通過する。眼下に広がるのは大海原のような濃い緑の針葉樹の森。湖が点々と見えるだけで、道はほとんどない。まるで変化がない景色の上を何時間も飛んでいく。それが大竹さんが撮影するノースウッズだ。  最初、大竹さんのことを知ったとき、(無謀というか、よくこんな「撮れ高」の悪い場所に取り組もうと思ったものだな)というのが、正直な感想だった。  動物写真家という職業は猟師のようなもので、自分の撮影フィールドを熟知し、そこに生息する野生動物の行動をつかんでいなければ成果は得られない。そう考えると、ノースウッズはあまりにも広大で、とらえどころがなく、ここで何かを撮影するのはとてつもなく難しいことが容易に想像できた。  そんな感想を本人に伝えると、「はい、そうなんです。まさにそのとおり(笑)」。冬の旅。朝日が昇ってくると、雪片が星のようにまばたいた。これから2週間、野営の道具や食糧を載せたソリを引きながら、野生動物を探す旅が始まる(撮影:大竹英洋) ■撮影開始から3年目、心が折れた  20年ほど前、ノースウッズの撮影を始めたころ、大竹さんの夢は膨らんでいた。 「この地域をまとめた写真集は見たことがなくて、未知の世界というか、自分のフロンティアみたいなものを見つけたな、と」  当時はなぜ、この地域をテーマとする写真家がほとんどいないのか、知る由もなかった。 「写真家として動物を撮って、生きていくということがどういうことか、まったくわからず、とにかく『オオカミに合いたい』『写真家になりたい』という思いだけ」が体を突き動かしていた。  ところが次第に「撮るのが非常に難しい場所だということがわかってきた」。そして、撮影開始から3年目、心が折れた。 「これはダメだ、と。(ああ、ここを写真集にまとめるのは途方もないことだな。写真家になるのはとても無理だ)。そう、思ったとたん、ばーっと、すごい恐怖が襲ってきた。うつっぽい、というか、精神的にちょっとおかしくなった。こんなことでつまずいているようでは精神力的にも作家になるタマではないんだ、と思った。それがとてもショックで、いったんは写真家の道を諦めた」 オジロジカの子ジカ。地面に伏せて動かなかったため、危うく踏んでしまうところだった。じっとして気配を消すフリーズという行動で、オオカミのすむ森で生き延びるための本能だ(撮影:大竹英洋) ■オオカミの写真集との出合い  しかし、そもそもなぜ、そんな場所を撮ろうと思ったのか? きっかけは「夢のお告げ」だったという。1998年秋、大学4年の大竹さんはある夜、不思議な夢を見た。 「夢の中で木造の小屋にいたんです。窓から外を見ると雪が降っていて、木が並んでいて(ああ森だ)と思った。そこから大きい犬みたいなのがぱっと出てきて。こっちを見た。(あっ、オオカミだ)。で、目が合って、そのまま森に消えちゃう。ただそれだけなんです。そこで目が覚めたんですけれど、すごく鮮明にオオカミの姿を覚えていた」  オオカミのことが気になって、すぐに近所の図書館を訪ねた。動物コーナーを探すと、「そこでジム・ブランデンバーグのオオカミの写真集と出合ったんです。衝撃を受けました」。ジムは「ナショナルジオグラフィック」誌で活躍していた著名な写真家である。 「それはまさにぼくが夢で見たようなオオカミだった。森の中でオオカミが生きている姿、そういう世界を見てみたいなと思って。彼に弟子入りして、オオカミを最初のテーマにするのはどうだろう、と考えたんです」  大学時代に山登りをしていた大竹さんにはジャーナリストへの憧れがあり、自然の魅力をカメラで伝えたいと思っていた。同時に、何を撮るべきか、撮影テーマに悩んでいた。「そんなとき、夢にオオカミが現れた」。それをきっかけに、夢は一気に手触りのある現実感を帯びていく。世界最大のシカ、ムース。9月下旬の繁殖期に、発情したメスの声をまねして森に響かせると、オスを呼び寄せることができる。見通しのきかない森で、音は重要な情報伝達手段である(撮影:大竹英洋) ■3年間、オオカミの写真は一枚も撮れなかった 「ぼくの旅はイリーから始まりました」と、大竹さんは言う。  イリーというのはノースウッズの南端、ミネソタ州の小さな町で、ジムはここに住み、カナダ国境付近の森でオオカミを撮影していた。  99年5月、「最初にイリーを訪れたとき、(なんて地の果てまで来たんだろう)と、思ったんです(笑)」。けれど、そこがノースウッズのほんの入り口にすぎないことを知るのはずっと後のことだ。  ジムの弟子になることはかなわなかったものの、大竹さんはイリー周辺でオオカミの姿を追い求め始めた。 「現地に2、3カ月滞在して、日本に帰ってアルバイトして、お金をためて、また向こうに行って全部使う。それを繰り返して、3年通った」  しかし、結果は無残だった。「撮れているな」という実感はなく、オオカミを探す途中でほかの野生動物は少し撮れたものの、肝心のオオカミの写真は一枚も撮れなかった。  失意に打ちひしがれ、01年の暮れ、「『これでここには戻ってこないぞ』と言って、最後の旅をした。写真家の道は諦めた」。 カラフトフクロウの給餌。子育てには役割があり、オスが狩りをして巣で待つメスへ獲物を届ける。メスは肉片をちぎってヒナに与える間、常に周囲へ警戒の目を光らせていた(撮影:大竹英洋) ■誰も反応してくれなかった写真展  帰国後は編集プロダクションで働き口を見つけ、ほそぼそとした撮影で暮らす日々。ところがひょんなことから再起への歯車が動きだす。  ある日、いつものように仕事を終え、近所の喫茶店でコーヒーを飲んでいたときだった。 「このあいだ写真を撮りに来た人だよね」と、マスターから声をかけられた。以前、フリーペーパーの仕事でこの店を訪ねたのだ。 「それで、昔、北米で自然の写真を撮っていたんですよ、という話をしたら、『店内で写真展をすればいいじゃない。お客さん来ないし。盛り上げてよ』と、言われて。それじゃあ、という気になったんです。まだ発表もしていないうちに写真を諦めた、やり残したという気持ちがふつふつと湧き上がってきたんでしょうね」  気合を入れて、デザイナーの友だちに頼んで写真展案内のチラシを作ってもらい、出版社にも配った。  ところが、「誰も反応してくれなかったんです。雑居ビルの2階の喫茶店で、無名の人間が撮った、撮影場所もわからない、『ノースウッズ?』という写真展――ただ、その人だけは、ビビッときたみたいで」。 「唯一来てくれた」、その人は絵本で知られる福音館書店の編集者で、小学生向けの科学雑誌「たくさんのふしぎ」をつくっていた。ピカンジカムの町からムース狩りのキャンプにやってきた父と息子たち。受け継いできた食文化と狩猟民の伝統を、次の世代へと伝えてゆく(撮影:大竹英洋) ■「大竹さん、早くフィールドに戻ってください」 「実はぼく、『たくさんのふしぎ』に憧れていたんです。尊敬している星野道夫さん、今森光彦さんもよく出されていた本で、何冊か写真集を出した後に、そういうところで仕事ができるようになるんだろうな、というくらい遠い存在だった。それが、編集部の人から『いっしょに本をつくりませんか』『ぼくはあと、2年で定年なんだけれど、なんか、やっと見つけた気がする』みたいな感じのことを言われたんです」  たいへんなよろこびを感じるのと同時に、40ページ、20場面の本を構成できるだけの作品があるか、不安にもなった。  そんな気持ちを正直に打ち明けると、「大丈夫ですよ。とりあえず、あるもので、組んでみてください」と、ベテラン編集者らしい落ち着いた言葉が返ってきた。 「じゃあ、ということで、四季の流れを追いながらオオカミを探す、というストーリーを組んだんです。オオカミを探す途中でオーロラを見上げたり、小鹿と出合ったり、ムースがわっと出てきたとか。でも結局、オオカミとは出合えない。これからも旅は続く、というストーリーにして、お渡しした」  すると、「やっぱり、大丈夫ですね。もっとよくなりますよ」と、太鼓判を押してくれた。  さらに正式に出版が決まると、「大竹さん、早くフィールドに戻ってください」と、力強く背中を押された。「大丈夫ですから。大竹さんなら大丈夫ですからと、ほんとうに励まされた」。 バウンダリー・ウォーターズ・カヌー・エリア・ウィルダネスに囲まれた森。オオカミたちが、川の中で仕留めたオジロジカの肉を囲んでいた(撮影:大竹英洋) ■まわり道をする旅に意味がある 「1度挫折して諦めたチャンスが戻ってきた。これはもう人生をかけて行くしかないということで、04年5月、イリーに住むカヌーの達人といっしょに、地球上に二人ぼっちみたいな旅に出るんです。それがぼくの復活の旅になった」  翌年、大竹さんのデビュー作「たくさんのふしぎ ノースウッズの森で」(福音館書店、05年9月号)が発刊された。そのページを開くと、今回の作品展のまさに原形を見る思いがした。  展示作品にはカヌーにキャンプ道具を積み、森の中にわけいっていく旅の魅力や、何千年も前から狩猟採集を営んできた先住民の生活や文化も盛り込んでいる(土門拳賞の審査では「見る側も旅をして移動するような新鮮な感覚を覚えた」ことが評価されたという)。  実をいうと、いまだ大竹さんはオオカミにほとんど出合えていない。 「でも、究極的に、いつもぼくの頭上に星のように輝いている、それがオオカミなんです。それを目標としながら、まわり道をする旅に意味があるんじゃないか、と。その途中でさまざまな野生動物や自然と出合ったり、先住民の暮らしが見えてきた。そうやって、もがいて、ようやくここにたどり着いたんです」 (文=アサヒカメラ・米倉昭仁) 【MEMO】大竹英洋写真展「ノースウッズ-生命を与える大地-」 ニコンプラザ東京 THE GALLERY 4月27日~5月10日、ニコンプラザ大阪 THE GALLERY 5月27日~6月9日
THE GALLERYアサヒカメラニコンプラザノースウッズ写真展写真集大竹英洋
dot. 2021/04/25 17:00
天龍源一郎が語る“娘” 小さい頃は冬木や小川や三沢が子守 いまや「男前だな!」と思える存在に
天龍源一郎 天龍源一郎
天龍源一郎が語る“娘” 小さい頃は冬木や小川や三沢が子守 いまや「男前だな!」と思える存在に
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子) スタッフから近況報告が(天龍源一郎公式インスタグラム(@tenryu_genichiro)より)天龍プロジェクトが2021年4月25日より新木場1stRINGで再始動!Live&アーカイブ配信で楽しめます。【開催日時】4月25日(日)OPEN18:00/GONG18:30【会場】東京・新木場1stRING【詳しくは】https://tenryuproject.zaiko.io/_item/337314  50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「娘」をテーマに、飄々と明るくつれづれに語ります。 *  *  *  今日、2021年4月25日は天龍プロジェクトが再始動して、1回目の大会がある日だね。そこで、今回は天龍プロジェクトの代表でもあり、俺の一人娘・紋奈のことを話そうと思う。なぜ、娘が天龍プロジェクトの代表になるまでプロレスにどっぷりになったのか、その理由が少~しはわかるかな?  実は俺が娘と遊んだという思い出は、自転車の練習に付き合ったことぐらいしかないんだ。俺も全盛期だったから毎日のように試合があって忙しかったからね。家で子守をする女房に任せっきりだったね。そこで、彼女がプロレスというものを認識する前から全日本プロレスの道場に連れて行ったもんだ。  道場に行くと娘は、俺が練習しているのを見ていたり、ベンチプレスの器具に座っておにぎりを食べたり、スープレックスの練習用の人形をバシバシ叩いたりしてね。俺はすっかり忘れていたんだが、冬木や小川が言うには「天龍さんにはよく『娘を風呂に入れてくれ』と言われた」そうだ。子守も後輩任せだったか(笑)。  それから、娘が小さい時は、夏になると庭にプールを広げて遊ばせるくらいかな。俺も日焼けできるしね。プールのあるホテルにもよく行ったね。娘は浮輪で浮かんで、同行している三沢や冬木がその浮輪を押して泳ぐ係だ(笑)。みんな、かわいがってくれたね!  娘と通った全日本の道場はもうないから、今の全日本の若いレスラーは知らないだろうな。娘は物心つく前から道場を体感していて、プロレス界のキャリアでいえば小川(良成)や小橋(健太)と同期くらいじゃないかな(笑)。娘が小さいころのイメージが強いから、会うたびに「紋奈ちゃん、何歳になったの?」と聞いて、30歳超えたあたりから「え~! そんなになったの!?」なんて、毎回驚いているよ。娘が幼稚園の時からイメージが更新されていないんだ。  かくいう俺もいまだに娘に「いくつになったんだっけ?」と聞いてしまう。どうも、天龍プロジェクトの代表としては認識できるけど、いざ娘となると、自転車に補助輪をつけて乗っていた時のままらしい(笑)。最近も年齢を聞いたら「大将が天龍革命も終わって、SWSに行くくらいの時と同じ年齢だよ」と言われて驚いたね!  娘が成長してからは、よく一緒にランニングしたり、ジムでトレーニングしたり、一緒に遊んだと言えるかはわからないが、娘との思い出はそういうことばかりだ。ちょっとスタミナが衰えたなと思うと、娘を誘って走ったり、ジムに行ったりしたもんだ。俺がウエートレーニングしている間は、娘はプールで泳いだり。終わったらアイスクリームやアップルサイダーを買ってやったりしていたね。  WAR時代は巡業に帯同していたからリング周りで練習したり、俺がWWFの試合に出場したときも向こうのジムで一緒にトレーニングしていたよ。脊柱管狭窄(きょうさく)症の手術後のリハビリも一緒にランニングしたりと、娘とのコミュニケーションは基本的に道場やジムやランニングだね(笑)。小学生、中学生、高校生、20代、30代と娘の節目にはなにかと一緒に走っている。そんな環境で育ったから、娘がマッサージに行くとよく「なにかスポーツをしてましたか?」とよく聞かれるんだって。彼女がやっていたのはスポーツじゃなくてトレーニングだ!  そんな交流ばかりだから、俺は東京ディズニーランドも、遊園地も娘と行ったことはない。一方で、高速道路のサービスエリアにはいっぱい行ってるんだ。車で遠出することが多いからね。  ハワイのハンバーガー店「クア・アイナ」の日本一号店が東京・青山にできた時は、「おいしいハンバーガー屋ができたから食べに行こう」と娘を誘って、店でハンバーガーを買ってから、遠出のつもりで東名高速の港北SAに行って駐車場で食べたんだ(笑)。そこまでドライブしてね、「うめえな! よし、帰ろう!」って(笑)。  普通の人がどう娘と接しているのか俺には分からなくて、そういう家族サービスの仕方しかできなかったんだ。だって、俺は13歳で相撲の世界に入って、それからプロレスに行っただろう。クセの強い男ばかりの世界にいたから、娘が生まれてもどうしていいかわからなかったけど、娘も娘で、父親の“天龍”は忙しい人だと女房から聞かされていたし、たまに俺と外出すると「え? お父さんも行くの?」と緊張していたようだ(苦笑)。  そうだ! 娘との思い出がもうひとつ。俺が寿司屋をやっていた時、主に女房が店に立っていて、夜11時半ころに終わって、娘と一緒に迎えに行くんだ。それまでテレビで放送している映画を娘と見ていて、マイケル・ダグラス主演のサスペンス『ダイヤルM』をよく放送していたんだ。それで、いつも二人で見るんだけど、決まってクライマックスで女房から連絡があって迎えに行くことになる。だから、いつまでたっても結末がわからない! たぶん、俺と娘が世界で一番『ダイヤルM』を楽しんだ人間だと思うよ(笑)。  そんな彼女をたまに娘じゃなくて、息子みたいに思う時がある。女房の気風の良い性格を継いだのかな。ボケないようになのか天龍にガンガン仕事をさせるしね!(笑)  俺から見ても時々「お、男前だな」と思うことがあるよ。これは娘としてなのか代表としてなのか、どちらもかな。天龍プロジェクトの大会で俺が欠場しているときに帰ってくる場所を守らないとって言って大将代行って形で選手に声かけて後楽園大会をしたり、引退試合も「絶対、両国国技館でやる!」って、きかなかったからね! だから俺が唯一、「男前だな!」って言ったのは娘なんだよね。  最近なんか「大将が笑顔でテレビに出るのも歳をとったからこそできる素敵な事かなって、よかれと思って仕事を入れていたけど、角を丸くしすぎちゃって申し訳ない」なんて言うようになったよ(笑)。そんなことまで考えてくれるんだから、たまんないよね!  娘として、息子として、代表として、あいつは役割が多くって大変だろうけど、我が娘ながら大したもんだ。  天龍源一郎の娘ということで、小さい頃からからかわれたり、ずいぶん苦労もかけたが、今もこうして天龍プロジェクトの代表として取り仕切ってくれて、本当によくがんばっていると思う。そして、本当にプロレスやプロレスラーをリスペクトしてるよね! 自分の居場所はプロレス界しかない! とか言ってるね。ある意味バカだね(笑)。  そのうえ、最近では天龍プロジェクトに留まらず藤波選手の息子のLEONA君、長州選手の娘婿の池野君たちと二世会を作って、「日本プロレス殿堂会」の活動もしている。2021年4月に開催した日本プロレス殿堂会の1周年イベントには、俺は緊急入院で参加できなかったが、娘の取り仕切りで安心できる部分は多いよね。これからも殿堂会に参加する機会も多くなるだろうし、お互いにもっと働かないとね。  小さい頃はなかなかかまってやれなかったが、勝手なオヤジを嫌いもせず、女房同様、ずっと支えてきてくれて、こうしてプロレスを好きでいてくれて、その仕事ももう11年目だ。よくこなしているし、よくここまでちゃんと育ってくれたもんだよ。二世といえども嶋田家の娘はなまくらじゃないし、自慢の娘だよ! ちょっとほめすぎて本人が調子に乗りそうだが、入院中の俺だからおとなしく調子に乗らせておこう! (構成・高橋ダイスケ) 天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。
プロレス天龍プロジェクト天龍源一郎相撲
dot. 2021/04/25 07:00
「何かを残して帰ろう」は必要なし? 光石研、俳優の役割語る
「何かを残して帰ろう」は必要なし? 光石研、俳優の役割語る
光石研 (撮影/写真部・小黒冴夏) 光石研さん(左)と林真理子さん (撮影/写真部・小黒冴夏)  ドラマや映画で活躍する名バイプレイヤー(脇役)、光石研さん。これまで演じた人物は数知れず。「知名度はぜんぜん上がってない」と笑いますが、誰もが一度は目にしたことがあるはず。光石さんの役者人生に、作家の林真理子さんが迫ります。 *  *  * 林:このあいだ、光石さんと仲良しの松重豊さんにも、このコーナーに出ていただいたんです。 光石:そうですよね、読みました。 林:松重さん、女性編集者にファンが多くて、「キャー素敵!」というLINEをいくつかもらっちゃいました。 光石:すごいですよ、彼の勢いは。本も書いちゃって。 林:「バイプレイヤーズ~もしも100人の名脇役が映画を作ったら~」という映画がいま公開中ですけど、松重さんや光石さんを始めとする、4人の名バイプレイヤーと言われる方たち(光石研、田口トモロヲ、松重豊、遠藤憲一)を中心に、たくさんの脇役の方たちが実名でお出になっているんですね。みんな楽しそうに映画をつくってらして、映画の現場っていいなあと思わせる作品でした。 光石:そう言っていただけると、とってもうれしいです。これはテレビ東京の深夜枠のドラマ(「バイプレイヤーズ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~」2017年)から始まったんです。大杉漣さんがみんなのまとめ役になって、当初から「これが映画になればいいね」みたいなことをおっしゃってたんです。途中で大杉さんが突然お亡くなりになりましたけど、映画にしたいという大杉さんのその思いがスタッフにも伝わって、何とか実現したんですね。 林:そういうことなんですか。脇役の皆さん、すごく楽しそうに演じてらっしゃいましたけど、皆さんほんとにあんなに仲いいんですか。 光石:仲いいですよ。同世代のおじさん連中がこんなに集まることってなくて、映画一本でこの中のせいぜい二人とか、ドラマだったら一人とかなんです。おじさんってそんなに需要があるわけじゃないですからね。それなのに、同じ年ぐらいの人たちがこんなにいっぱい集まったから、そりゃ楽しかったですね。 林:役所広司さんとか天海祐希さん、有村架純ちゃん、菜々緒さんなども何げなくお出になっていて、バイプレイヤーズの皆さんを盛り上げてらっしゃって。 光石:今まで大杉さんと共演なさった主役の方々が集結してくださったんだと思います。大杉さんの遺志を継いで集まったみんなでつくった映画ですからね。 林:いろんな番組のパロディーも出てきて、「半沢直樹」以外の何ものでもない演技をしている方もいて、笑っちゃいましたよ。 光石:あれは僕も「怒られるよ」って言ったんですけどね。テレビ東京だからできたようなもんで。 林:そうそう、この映画の宣伝を見たら、「テレ東だから視聴率を気にしないでやれて楽しかった」とか平気で言ってましたけど、いいんですかね、あんなこと言って。 光石:ねえ(笑)。テレビ版のときから、そういう自虐的なセリフをいっぱい言ってるんですよ。「どうせテレ東だろ?」とか(笑)。 林:映画の現場って、本当にあんなふうに和気あいあい楽しくつくってるんですか。 光石:映画の現場の風景って、当たらずとも遠からずで、あんな感じですよ。 林:それが好きで、ずっとやってこられたんですね。 光石:そうですね。できあがる映画はともかく、現場でどう楽しめるかが一番ですね、僕は。 林:「蒲田行進曲」(1982年)なんか見ると、序列があり、スターの人は下の人にすごく意地悪しますけど、今はスターの人もやさしいし、脇の人とも仲良しなんですか。 光石:そうですね。そういう意地悪な人はいないんじゃないですか。そんなことをしてると仕事がなくなっちゃいますからね。昔はそれが個性だったんでしょうけどね。 林:今はバイプレイヤーの方も主役をなさったりして、主役と脇役を行ったり来たり、境界が曖昧になってますよね。遠藤憲一さんなんかも、このごろ主役をなさってますし。 光石:ええ、たくさんやってます。 林:光石さんも主役をやられることありますよね。 光石:ま、なくはないですけど、ほとんどないです。主役とか脇役って自分で決められるものじゃなくて、いただいた仕事をやるということですからね。 林:光石さんは何かのインタビューで、「脇役というのは、自分は二枚目の主役じゃありませんと宣言することです」みたいなことをおっしゃっていましたね。 光石:僕らの世代のホンモノの主役の方って、たとえば高倉健さんみたいな方を言うのであって、僕がやる主役なんていうのは、たまたま画面にいっぱい映るので、便宜上いちばん最初に名前が書いてあるというだけなんです。ふつうの小市民をやってるんで、僕らにとっての本当のスターさんがやる主役とは違うという意味で、そう言ったんだと思います。 林:でも、脇役の方の立ち位置っていいなと思いますよ。主役の方はすぐに、視聴率や観客動員数がどうだとか言われるし、スキャンダルは大々的に取り上げられるし、人気が下がるとああだこうだ言われるし。それに比べると、脇役の方は自由自在で楽しそうですよね。 光石:まあそうですよね。 林:樹木希林さんが「脇役ぐらいいいものはない。いろいろかけもちできるし、お金は入るし、時間も節約できるし」とおっしゃったのを聞いたことがあります。 光石:ハハハハ、そうですか。僕らは希林さんほど自由自在にはやれませんけどね。 林:光石さんはデビュー映画で主役をなさったんでしょう? 光石:そうですね。「博多っ子純情」(78年)という映画でしたね。 林:大ベストセラーの漫画が原作ですよね。 光石:そうです。たまたま友達に誘われてオーディションに行ったら受かったんですけど、それがなかったら絶対に役者になんかなってないです。その撮影現場がほんとに楽しかったんですよ。田舎の少年がいきなり映画の現場に放り込まれて、楽しくないわけがないですよね。その体験が今につながってるような感じですね。 林:お父さん役はどなただったんですか。 光石:小池朝雄さんです。お母さん役が春川ますみさんで。 林:名優のお二人だったんですね。「博多っ子純情」への出演をきっかけに、このまま芸能界に行けちゃいそうだな、という感じだったんですか。 光石:芸能界というか、映画界に行きたいと思ったんですね。映画の現場に役者として参加した中で、裏方さんは大変そうだなとも思って。音声さんや照明さんは、親方が上にいて、助手がものすごく怒られてたんです。「ここのいちばん下についたら怒られるだろうな」というのはありましたね。 林:でも、俳優さんだって大変そうじゃないですか。 光石:そうですねえ。たまたま最初の作品で演じたのが、主役の中の一人だったんで、大切にしてもらったのがよかったのかもしれないですね。「俳優さんは大切にしてもらえるんだ」って思ったかもしれないです。それで役者になろうと思って上京してきたんです。 林:上京したあと、お仕事はあったんですか。 光石:それが、上京してすぐにスタッフの方々がよくしてくださって、今の事務所を紹介してくれたり、ドラマに出させてくれたり、皆さんのおかげで20代前半はお仕事をいただいてましたね。事務所に緒形拳さんがいらしたんですけど、緒形さんの番組に出させていただいたり。 林:藤真利子さんも同じ事務所ですよね。私、仲良しなんです。 光石:そうですか。最近お会いしてないんですが、真利子さんはずいぶんよくしてくださったんです。林 これまで演じた役はもうン百人近いんじゃないですか。 光石:うーん、何人やったかわかんないですねえ。 林:刑事さんの役もやれば、NHK連続テレビ小説の「エール」で音ちゃん(二階堂ふみ)のお父さんの役もやって、大河ドラマにもいくつもお出になってるし、民放各局も総なめですよね。 光石:いやいや、まだまだほんとの名脇役と言われている人たちには負けます。 林:バイプレイヤーズの方たちって、いい仲間であると同時に、ライバルでもあるわけですよね。「あの役、俺がやりたかったな」と思うこともあります? 光石:いやァ、ここまで来るとそれはないですね。特に「元祖バイプレイヤーズ」と言われているこの4人は、ここ二十数年ずっと同じ時代を過ごしてきたという意識があるので、やっかみとかはないです。 林:脇の方って、主役の方の周りを取り囲むふつうの人々を演じるわけで、そこで見てる人に強い印象を残したり、「この人いいな」って思わせるのって大変なことですよね。 光石:ただ、どうなんでしょう。若いころはそうやってアピールして帰らなきゃと思ってやるんですけど、たいがい肩透かしにあうんですね。その作品にとってはそれが邪魔になるんでしょう。20歳ぐらいのころ、相米慎二監督の映画にちょこっと出させていただいたんですけど、怒られまくったんです。 林:何か残して帰ろうと思ったんですか。 光石:いま考えると、そういうのが見えてたんでしょうね。こいつ、疲れて思考停止になるぐらいまで何回もやらせて、そのあと撮ろうと思ったんじゃないかと、今は思ってるんですけどね(笑)。 林:ほぉ~、なるほど。 光石:俳優がそこで何かを残して帰ろうなんて、そんな個人的なことは、その映画にとって何も必要ないことなんですね。 (構成/本誌・松岡かすみ 編集協力/一木俊雄) 光石研(みついし・けん)/1961年、福岡県生まれ。78年、16歳のときに映画「博多っ子純情」のオーディションを受け、主役に抜擢される。以降、さまざまな作品に出演し、NHK大河ドラマや連続テレビ小説でも名バイプレイヤーとして活躍。最新出演作の映画「バイプレイヤーズ~もしも100人の名脇役が映画を作ったら~」が全国映画館で公開中。放送中のドラマ「桜の塔」(テレビ朝日系)、「珈琲いかがでしょう」(テレビ東京系)にも出演。 >>【後編/光石研「作業着に埋もれてしまう俳優なんです」 脇役への本音】へ続く ※週刊朝日  2021年4月30日号より抜粋
週刊朝日 2021/04/24 11:30
光石研「作業着に埋もれてしまう俳優なんです」 脇役への本音
光石研「作業着に埋もれてしまう俳優なんです」 脇役への本音
光石研さん(左)と林真理子さん (撮影/写真部・小黒冴夏) 光石研 (撮影/写真部・小黒冴夏)  今年、還暦を迎えた名バイプレイヤー(脇役)として活躍する光石研さん。新型コロナの影響や私生活など、作家の林真理子さんとの対談で語りました。 >>【前編/「何かを残して帰ろう」は必要なし? 光石研、俳優の役割語る】より続く *  *  * 林:岩井俊二監督の作品にもお出になってますよね。「Love Letter」(95年)拝見しましたけど、そのころからいろんな名監督の作品にお出になってたんですね。 光石:岩井さんは90年代のあたまに新星のように出てらして、岩井さんが深夜ドラマを何本か撮られてるときに、たまたま僕、出させていただいて、そこから何本か続けて呼んでいただいたんです。 林:ほかにも有名な監督さんというと……。 光石:青山真治さんとかですね。35歳ぐらいのころに、青山さんの「Helpless」(96年)という映画に、僕、それまでやってこなかったヤクザの役で呼んでいただいたんです。それから、はぐれ者みたいな役が増えたんですよね。当時、Vシネマが全盛だったんで、そういうのにも呼んでいただいたり、そこでまたちょっと役の幅がひろがったというか。 林:知名度が上がったんですね。 光石:いや、知名度はぜんぜん上がってないんですけど(笑)。 林:光石さんって、作業服がすごく似合うというイメージがあるんですけど。 光石:ああ、よく言われます。作業着を着てると、「着こなしてるねェ」って(笑)。これが高倉健さんだと、同じ作業着を着てても、その作業着を超えて“高倉健”になってるんだけど、僕は作業着を着こなして、作業着に埋もれてしまう俳優なんですよね(笑)。スタッフが僕を捜しに来て、気がつかないときがありますからね。 林:アハハハ。 光石:漁師の役でガンガン(石油缶での焚き火)にあたってると、目の前にいるのに「光石さ~ん」って(笑)。 林:でも、それってほめ言葉なんじゃないですか。 光石:当初はほめ言葉だと思って「ありがとうございます」って喜んでたんですけど、言われすぎてきて、「そこから何か出てこないとダメなんじゃないか」と思うようになってきたんですね。それを超えて何かをかもし出してないと。 林:でも、先日亡くなった田中邦衛さんは、役になり切るために黒板五郎のあの格好で富良野の町をフラフラして、ラーメン食べたりしてたっておっしゃってましたよ。 光石:ねえ。でも、田中邦衛さんもあの帽子の脇から“田中邦衛”が出てたんだと思いますよ、やっぱり。僕は衣装に埋もれてますから、埋もれないようにしなきゃ。 林:そういう意味では、ご自分とかけ離れたヤクザの役なんて楽しいんじゃないですか。 光石:ヤクザの役、実はちょっと苦手なんです。ヤクザ独特のセリフ回しというか、独特のワードがありますよね。「うちの若いのがチャカを」とか専門用語がいっぱい出てきて、あれをまくしたてるのが苦手なんですよ。あの熱量がね。むしろ半グレみたいな、ヤクザでもなく、“お薬”を服用してる人のほうが好きかもしれないです(笑)。 林:台本が送られてくると、ご自分で選ばれるんですか。「これはイヤだな」とか「これはオッケー」とか。 光石:いや、それはマネジャーと相談して。僕が好きなのばっかりやってるのもよくないなと思って、「わかんないからまかせる」ってマネジャーに言いますね。 林:光石さんは今年還暦ですか? 光石:はい。9月で60歳です。 林:まだお若いから、お芝居のセリフを覚えるのも大丈夫ですよね。 光石:いや、苦労してます。だから舞台は数えるほどしかやってないです。映像って「オッケー」になったらどんどんセリフを忘れていくという作業なんで、舞台みたいに同じことを毎日やったり、稽古を何日もやることのほうが、役者にとっては勉強になるのかなと思いますね。僕、若いころそういうことをまったくやってこなかったので、ボケ防止もあって、「舞台もちょっとやらなきゃな」とこの年になって思ってるんですけどね。 林:光石さんも、コロナの影響はあったんですか。 光石:おかげさまで、去年の6月ぐらいに再開してからは、ずっと撮影現場に行ってました。 林:さすがですね。いま撮影中のものも、おありなんですか。 光石:今、「桜の塔」というテレビ朝日のドラマに入ってるんです。警察の内部抗争を描いたドラマですね。警視総監の座を狙っている東大出のインテリで、ぜんぜん似合わないんだけど(笑)。 林:でも、作業着が似合うのと同じように、公務員の役もお似合いになりますよ。高級官僚の役も。 光石:いやいや、ぜんぜん(笑)。 林:そうそう、このあいだ女性誌がバイプレイヤーの特集をやってて、「名バイプレイヤーと言われる人たちには、主役の人にはない色気がある」って書いてましたけど、たしか光石さんもその中に……。 光石:ああ、入ってました。「anan」だったかな。 林:私、なるほどなと思いました。主役の人は二枚目だから、色気をまとう必要がないけど、バイプレイヤーの人たちにはなんとも言えない色気があるよな、って私も思ってましたから。 光石:「anan」の方にインタビューで「どうやったら色気が出るんですか」みたいなことを言われて、どうやってって言われても、男の色気なんて考えたこともないんで、「何を聞いてるんだ、この人は」と思いました(笑)。 林:仕事から離れた日常は、どんなふうにお過ごしなんですか。 光石:ごくごくふつうですよ。仕事して帰ってきて、お酒飲んでグチ言って寝るという。 林:役者仲間とお酒飲んだりもなさるんですか。 光石:僕、お酒を覚えたのが遅かったんです。40代になってからよくお誘いを受けるようになって、下北沢の安酒場で楽しく飲んでました。最近はコロナもあって、それはないですけどね。 林:となると、うちで映画やネットフリックスを見たり……。 光石:それもしますし、ユーチューブを見たり。くだらないのを延々見ちゃうんです。軽自動車を自分でDIYして、後ろで寝られるようにする動画とかやってると、ついつい見ちゃって、気がつくと深夜とか(笑)。 林:わかります。どんどんオススメが出てきて、見ちゃうんですよね。でも早く皆さんで集まってお酒を飲める日が来るといいですよね。今度のドラマも楽しみにしています。 (構成/本誌・松岡かすみ 編集協力/一木俊雄) 光石研(みついし・けん)/1961年、福岡県生まれ。78年、16歳のときに映画「博多っ子純情」のオーディションを受け、主役に抜擢される。以降、さまざまな作品に出演し、NHK大河ドラマや連続テレビ小説でも名バイプレイヤーとして活躍。最新出演作の映画「バイプレイヤーズ~もしも100人の名脇役が映画を作ったら~」が全国映画館で公開中。放送中のドラマ「桜の塔」(テレビ朝日系)、「珈琲いかがでしょう」(テレビ東京系)にも出演。 ※週刊朝日  2021年4月30日号より抜粋
週刊朝日 2021/04/24 11:30
ファスティング提唱者に聞く空腹対策は? アルコールOK? 医師からは注意点も
ファスティング提唱者に聞く空腹対策は? アルコールOK? 医師からは注意点も
撮影/写真部・張溢文  空腹時間を一定の間隔で設けるファスティング。興味はあっても踏み出せない人もいるはずだ。AERA 2021年4月26日号は、専門家らに空腹にまつわる心配、アルコールはOKなのかといった疑問、そして注意点などを聞いた。 *  *  *  いざファスティングを始めるとなると、疑問点が湧いてくる。気になるのは、空腹に耐えられなくなったときだ。 「『空腹で眠れなくなったらどうしよう』とよく質問されるのですが、経験者から『朝まで眠れなかった』という話を聞いたことがありません。みなさん、『意外に空腹を感じなかった』と驚かれます」(鍼灸治療院「ハリエット」代表の関口賢さん) 「朝食を抜くと仕事にならなくなりそう」という心配もある。 「頭がぼーっとするなら黒糖などの糖質を少量取ってください。ただ、朝食抜きは力が出ないというのは単なる思い込みの場合も。力士は空腹で猛烈な朝稽古を数時間も行いますから」(「イシハラクリニック」院長の石原結實さん)  一方、ファスティングをネット検索すると「酵素ドリンク」というキーワードが多々出てくる。飲まなくてもよいのか? 「市販品の酵素ドリンクは野菜や果物を大量の砂糖に漬け込み発酵させたもの。酵素ドリンクの栄養成分表示を見てください。炭水化物(糖質)の量が多く、甘味料が使われているものもあります」(サムライフ代表取締役、薬剤師の坂田武士さん)  酵素ドリンクは糖質がメイン。空腹時に飲めば血糖値が急上昇・急降下し、すぐに空腹を感じてしまう。さらに坂田さんは「瓶詰の酵素ドリンクの酵素は生きているのか」という疑問も投げかける。長期保存の瓶詰は加熱殺菌が法律で定められているが、酵素は熱で活性が失われる。 「そもそも体内で消化や代謝を助ける酵素は体内酵素と呼ばれるもので、材料になるのはたんぱく質です。野菜や果物から取れる酵素は体内酵素を直接増やしません」(同)  仕事終わりの一杯を楽しみにする人もいるだろう。ファスティング中のアルコールとの付き合いはどうすればいいか。 「酒は飲む量によって薬にも毒にも変わる。日本酒なら2合、ワインならグラスで2~3杯、焼酎ならお湯割り3~4杯程度ならいい。私も夕食には必ずアルコールを飲みますよ」(石原さん)  関口さんも、1週間を「不食」「良食」「美食」の三つに分る「月曜断食」では、「良食」「美食」期間中のアルコールはOKの立場。ただし、日本酒やビールではなくワインや蒸留酒(焼酎、ウイスキー)にし、1日の量を「この一杯」と決める。  ファスティングを始めると、ふらつきや倦怠(けんたい)感、頭痛などが生じる場合がある。関口さんによれば、普段から血糖値を乱高下させるような食習慣だった人に起こりやすい。ファスティングで食べ物が入ってこないため血糖値が上がらず、これまでの乱高下の幅の大きさのギャップから不調が生じる。 「状況が許せば少し横になって体を休める。仕事中でできないようなら、スポーツドリンクなどを少量口にするといいでしょう」(関口さん)  ファスティング中の運動は、特に本人が支障を感じなければいつも通りやってよい。1日1食の石原さんは週2回のウェートトレーニングと週4~5回のジョギングを欠かさない。  ファスティングで固形物を取らないと便秘になる? 「腸内環境が良くなるので、大抵の人がファスティング中も便通があり、便の状態も良くなります。気になる人は、こまめに水分補給を心掛け、リラックスした状態でファスティングを行ってください」(坂田さん) ■押さえるべき注意点  これまでファスティングのメリットについて述べてきた。各専門家が挙げる方法は豊富な経験に裏づけされた安全性の高いものではあるが、押さえておくべき注意点もある。石原さん、関口さん、坂田さんのいずれもが口をそろえて言うのは、妊娠中の人、何らかの病気を抱えている人、何らかの薬を飲んでいる人、医師から特定の栄養素の制限を受けている人、痩せ過ぎている人、18歳以下の人は、ファスティングを自己判断で行うべきではないということ。プロテインを活用するなら乳・大豆アレルギーの有無の確認も必要だ。  国際医療福祉大学三田病院内科部長・地域連携部長の坂本昌也さんは「ファスティングには基本的には反対の立場。少なくとも高齢者には勧められません。ただ、それをいったん横においても、これは頭に入れておいてほしい」と、こう続ける。 「絶食の健康効果に関する論文が複数発表されていますが、欧米人を対象にした研究結果が、日本人をはじめとする東アジア人にも当てはまるとは限りません。欧米人と東アジア人ではインスリン抵抗性(インスリンの効き具合)が異なるからです」  絶食によって痩せた、糖尿病、高血圧、脂質異常症といった生活習慣病が改善した、心血管疾患のリスクが減少した……という研究結果が欧米で出ていても、日本人が同じようにやったからといって同様の結果を得られるかは分からない。長期的な効果に関しても不明な部分がある。また、欧米の研究結果にしても、これまでの研究が太り過ぎの若者や中年を対象にしており、もっと幅広い層の人にも安全で有効かは今後の確認が必要と指摘されている論文もある。 ■消化機能への弊害も  坂本さんは、「ものすごく太った人が、医師や看護師、栄養士の管理の下、ファスティングで体質をリセットするのは、多少ありの部分もあるかもしれません」と言う。しかしそれにしたって、食事以外に原因がある肥満もある。だとすれば、ファスティングだけでは問題解決にならない。 「ファスティングを行うなら、肥満の原因を追究し、その人の基礎疾患、性格、生活スタイルなどすべて加味した上で、医師らと手を組んで行うべき。さらにはファスティング後の生活指導も欠かせません」(坂本さん)  消化器外科専門医の立場からファスティングの注意点について語るのは、蓮田病院(埼玉県)理事長の前島顕太郎さん。 「消化器外科の医療は、絶食期間をなるべく短くすることで進化してきました。絶食が長いと、消化器機能においてさまざまな弊害が出てくるのです」  かつて胃がんや大腸がんの手術では、計1週間ほど絶食した。しかし今では絶食は手術当日だけか長くても2~3日。栄養分を吸収する小腸の絨毛(じゅうもう)の機能を衰えさせないためだ。前島さんは、食事の取り方いかんでいかに小腸の機能が落ちるかを、身をもって経験。コロナ太り解消のため20年春から独自のダイエットを開始し、昼はそば、夜はフルーツゼリーを半年間続け、その後は昼のそばだけにした。最初は緩やかに体重が落ちていたが、次第に体重減少スピードが加速。食事を元に戻してもしばらくは下痢が続き、体重が戻らず、一時はがんも疑った。 「栄養成分が豊富なドリンクなどに置き換えるならいいですが、完全に抜く方法を長期間やるのはやめた方がいい」(前島さん)  正しいファスティングで、夏を前に心も体もスッキリしよう。(ライター・羽根田真智) ※AERA 2021年4月26日号より抜粋
AERA 2021/04/23 11:30
糖質制限信者も「ファスティング」に切り替え! 「スイーツOK」働きながら続けられる
井上有紀子 井上有紀子
糖質制限信者も「ファスティング」に切り替え! 「スイーツOK」働きながら続けられる
【津田塾大学総合政策学部長、教授】萱野稔人さん/1970年生まれ。専門は哲学、社会理論。著書に『暴力と富と資本主義』『国家とはなにか』など多数(撮影/写真部・張溢文) 【パーソナルトレーナー兼フィットネスインストラクター】吉岡詩織さん/1994年生まれ。「PLAYGROUND」などスポーツジムに勤務後、独立。関西を拠点に活動。畳1畳でできるマンツーマン式自重トレーニングのオンラインセッションも実施(写真:本人提供) 【イシハラクリニック院長】石原結實さん/1948年生まれ。長崎大学医学部卒。85年に保養所「ヒポクラティック・サナトリウム」を設立。『「空腹」の時間が病気を治す』など300冊超の著書がある(写真:本人提供)  在宅勤務中には、ついついお菓子に手が伸びて……。薄着になる夏に向けてダイエットを始めたいあなた、無理せず働きながら続けられるファスティングにトライしてみませんか。特集では、高齢者や妊娠中の人、18歳以下の人には勧められないなどファスティングのデメリットも解説。押さえるべき注意点についても医師に取材し、併せて掲載しています。AERA 2021年4月26日号「ファスティング」特集から。 *  *  *  関西を拠点にパーソナルトレーナー兼フィットネスインストラクターとして活動する吉岡詩織さん(27)は、お酒やスイーツが大好き。揚げ物も食べるし、ラーメンでシメることも。 「飲むときは飲む。食べるときは食べる。これを我慢するとストレスでかえって太ってしまう。とはいえ、仕事柄、また女性としても、理想のカラダを維持、進化させたいので……」  飲んで食べた翌日に実践しているのが、“置き換えシェイプアップドリンク”だ。朝食をプロテインに置き換えるだけ。ただし、おいしくなければ継続できない。吉岡さんは元々プロテインを愛飲してはいなかったが、以前勤務していたスポーツジムで会員向けのプロテインがフワフワしてスムージーのようでおいしかったことから、自宅でも作るようになった。 ■腹持ちよく仕事に集中  ポイントは、氷を入れてミキサーにかけること。特にお勧めなのは、プロテイン1回分、低脂肪牛乳(または無調整豆乳か水)100ミリリットル、氷6個、バナナ1本、素焼きのナッツ適量、あればハチミツ小さじ1杯をミキサーで攪拌(かくはん)し、最後にオートミール10~20グラムを上から振りかけて完成。  プロテインだけだとほぼたんぱく質になるが、牛乳、バナナ、ナッツ、オートミールが入っているので、糖質、ビタミン、ミネラル、食物繊維など他の栄養素も取れる。食物繊維は水溶性、不溶性ともに豊富で、飲んで15分もするとトイレに行きたくなる。何より利点は、腹持ちがよいので仕事に「全集中」できること。朝に飲むことで、1日をスッキリ気持ちよく過ごせるのも気に入っている。 「食べ過ぎたからといって1食を完全に抜くと、次の食後、血糖値の急上昇を招き、脂肪を蓄えやすくなる上、血管にもダメージを与えます。だから、私は『置き換え』なんです」  ただし、お勧めは1食だけ。以前は「2食プロテイン置き換え」を提案することもあったが、反動で翌日にドカ食いする人が結構いるので勧めなくなった。プロテインの摂取のしすぎは肝臓に負担をかけるとされるので1食がいい。継続できる方法が一番だと考えている。 ■プロテイン市場が拡大  リクルートライフスタイルの「ホットペッパービューティーアカデミー」が行った女性約3万人を対象にした「ジム・フィットネスに関する意識・実態調査」によると、「コロナ太りしたと思う」と答えた人が43.1%に上った。また、運動不足やコロナ太りを改善しようという人の需要もあってか、「プロテイン」市場も急速に拡大。2020年は販売金額が前年比140.8%と伸長。月別では、緊急事態宣言解除後の6月以降、9月を除き前年比140%超で、今年3月に至っては209.3%(「インテージ」調べ)だった。  そんな中、関心が高まっているのが「働きながらできるファスティング(断食)」だ。本来、ファスティングとは一定期間すべての食物を断つことだが、現在、国内外で広く行われているのは、12~24時間程度の空腹時間を一定の間隔で設けたり、プロテインやジュースなどを取り入れたりして1日の食事量を減らす方法だ。比較的トライしやすく、文字通り「働きながら」でもOKだ。先の吉岡さんの「置き換え」もファスティングの一種だ。  津田塾大学教授の萱野稔人(かやのとしひと)さん(50)もファスティングを実践中。だが、羊羹(ようかん)を食べない日はない。自宅と研究室に大量に常備している。それでも体脂肪率は8%。腹筋は割れているらしい。この食生活を始めてから頭痛も減ったという。いったいどんな食生活なのか。  萱野さんの1週間の食事と活動を見てみよう。例えば、4月1日はゆっくり起き、朝食は軽め。この日は原稿の締め切りで、一日中自宅で執筆。ランチは大好きな霜降り牛肉のステーキとじゃがバターで満腹に。糖質とカロリーがたっぷりだ。運動不足解消のために、立ってキーボードが打てる机を使用。立ちっぱなしで疲労がたまってきた午後4時半、おやつを食べ始めた。羊羹2切れと干し芋。おやつまでしっかり食べて心配になるが、この日の食事はここで打ち止め。夕食は食べない。  萱野さんが行っているのは、「16時間ファスティング」。いたって簡単で、1日のうち16時間は何も食べず、食事は1日7、8時間の間に済ませる。空腹の間に体内では脂肪を燃やし、古くなった細胞が生まれ変わるという「オートファジー(自食作用)」効果を利用したものだ。  萱野さんが断食を始めたのは糖質制限に限界を感じたから。元々10年ほど前から、糖質制限をしていたという。 「糖質制限はすぐに体の水分が抜けて体重が減る。効果が出るのが嬉しく、『糖質制限信者』にもなりましたが、エネルギー切れになるんです。頭痛がすることもありました。炭水化物を食べないから、結構食べても満腹にならない。肉好きなことも手伝って、脂肪分の多いステーキを1日1キロ食べることもありました。体脂肪率は10%の壁を切らず、切ってもすぐに戻っていました」 ■目覚めがよくなった  コロナ禍で昨春から大学の講義は全てオンラインになり、通っていたジムも休業に。 「家から出なくなって体重が増え、体脂肪率も数%増えました。これはどうにかしないと、と思いました」  昨年9月にファスティングを始めたところ、3カ月ほどで、体脂肪率が11%から8%に。何より楽だったという。 「ほとんど我慢しなくてよく、食べる時間だけ気にすればいいのが、自分に向いていました。糖質を取って満足感があるので、食欲を抑えられるようになりました。糖質不足による頭痛もほとんどなくなった。気を付けているのは、カロリーの取りすぎ。毎日、基礎代謝の1800キロカロリーより収支がマイナスになるよう考えています」  ファスティングを始めてから、割とぱっと目が覚めるようになった。内臓を休ませているからか、睡眠時間が多少短くなったという。自宅で仕事をした後、プロテインや焼き芋を食べて、ジムへ筋トレにも行く。 「食べる量が減って、ある時、ダンベルが上がらなくなったときがありました。筋肉、体力が落ちやすくなったと思います。軽い運動だけでもした方がいいです。私もジムに週2~5回くらいは行くようにしています」  夜に自宅でデスクワークをする日もある。もっとも空腹を感じるのは、この時間帯だという。 「たまに『ああ、おなかがすいた』と思うときはあります。お茶やゼロカロリーのコーラを飲むと収まるので、夜中に何か食べちゃうようなズルをしたことはありません」 「イシハラクリニック」院長の石原結實さん(72)は「空腹こそ究極の健康法。近年は『ネイチャー』や『サイエンス』など世界トップクラスの学術誌でも、空腹や断食の最新研究結果が掲載されています」と言う。  石原さん自身、朝昼は生姜と黒砂糖入り紅茶やニンジンジュースで過ごし、夜だけ好きなものを食べる1日1食生活を35年以上続けている。 ■ダイエット以外の効果  ファスティングといえば、ダイエットが頭に浮かぶ。しかし、ファスティングの健康効果はそれだけにとどまらない。 「着目すべきは病気のリスクを下げ、寿命が延びる点。1999年に米マサチューセッツ工科大学のレオナルド・ガランテ博士らがサーチュイン遺伝子(長寿遺伝子)を発見し、00年に『空腹において長寿遺伝子が活性化する』と発表しています」  米ジョンズ・ホプキンス大学のマーク・マトソン教授は、人間や動物を対象にした過去の研究結果を検証。毎日16~18時間絶食する、あるいは1週間のうち2日は500キロカロリー程度の食事にする方法で、血圧低下や体重減少の健康効果がみられ、寿命が延びるという報告を米医学誌ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンで発表している。 「空腹状態が続くと、細胞の中の不要なたんぱく質やウイルスなどを集めて分解、消化する『オートファジー』が働く。16年には、大隅良典先生がオートファジーのメカニズムを分子レベルで解明し、ノーベル賞を受賞。この研究が進めば、がんやアルツハイマー病などの病気予防に役立つのではないかと期待されています」(石原さん)  食べ過ぎが続くと、内臓は消化のために休まず働くことになる。やがて内臓は疲弊し、本来の働きを十分に発揮できず、消化能力や老廃物の排出能力が低下。腸内環境が悪化して免疫力が下がり、不調を招く。 「活動量が減り、食事内容も豊かになった今、1日3食は食べ過ぎです。まずは朝食を生姜紅茶やニンジンジュースなどに変えてみてください。きっと体が気持ちいいと感じるはず。そうしたら1日2食や1日1食にトライするといい」(同) (ライター・羽根田真智、井上有紀子) ※AERA 2021年4月26日号より抜粋
ダイエット
AERA 2021/04/22 08:00
精神科医が「絶対にやるべきだ」と断言する朝のベスト習慣
精神科医が「絶対にやるべきだ」と断言する朝のベスト習慣
写真はイメージ(GettyImages)  コロナ禍や自粛生活などの「環境の変化」により、多くの人が将来への不安を抱え、「大きなストレス」を感じています。  ストレスを溜め込みすぎると、体調を崩したり、うつなどのメンタル疾患に陥ってしまいます。  19万部を突破した『ストレスフリー超大全』で、著者の精神科医・樺沢紫苑氏は、ストレスフリーに生きる方法を、「科学的なファクト」と「今すぐできるToDo」で紹介した。 「アドバイスを聞いてラクになった!」「今すべきことがわかった!」と、YouTubeでも大反響を集める樺沢氏。そのストレスフリーの本質に迫る――(この記事は2020年7月3日付け記事を再構成したものです) ■「朝の30分」で人生が変わる  いま、YouTubeなどで有名人によるモーニングルーティンが話題ですが、精神科医としておすすめの最高のモーニングルーティンがあります。  それが、「朝散歩」です。  方法は簡単です。朝起きてから1時間以内に15~30分の散歩をするだけです。それだけで、セロトニンが活性化し、体内時計がリセットされ、「副交感神経」から「交感神経」への切り替えがうまくいき、自律神経が整えられます。  ストレスフリーを目指すのに、こんなに効果的な健康習慣はありません。 ■朝散歩の科学的根拠とは  私は25年間以上、精神科医として、メンタル疾患が治りやすい人と治りにくい人の特徴を観察してきました。メンタル疾患が治りにくい人の特徴は、「昼まで寝ている」ことです。  実際に「昼まで寝ている」という患者さんが、「朝散歩」をはじめた途端に、症状が急激に改善する事例を多数観察し、現在では一般の人にも「朝散歩」をおすすめしています。何年も治らなかったうつ病やパニック障害などのメンタル疾患が、朝散歩をするようになってから「ものすごくよくなった」という報告をたくさんいただいています。  メンタル疾患がない人でも「朝散歩」をすることで、午前中の仕事のパフォーマンスがアップし、睡眠も深くなる効果が得られます。  朝散歩は健康になるためのすべての要素を含んでいます。朝散歩は、メンタルにおける最強の健康法といっていいのです。  朝散歩が効果的である科学的な理由を3つ紹介しましょう。 (1)セロトニンの活性化  セロトニンは、「朝日を浴びる」「リズム運動」「咀嚼」によって活性化します。朝の散歩は、「朝日を浴びる」「リズム運動」(ウォーキングなどの規則的なリズムを刻む運動)の2つを兼ねているので、セロトニンを十分に活性化することができます。  セロトニンは、覚醒、気分、意欲と関連した脳内物質で、セロトニンが低下するとうつ的になります。セロトニンが活性化すると、清々しい気分となり、意欲がアップし、集中力の高い仕事ができます。  そして、セロトニンを材料に夕方から睡眠物質のメラトニンが作られます。セロトニンが十分に分泌されることで、結果、夜の睡眠が深まるのです。  普通の人でも、仕事が忙しくてストレスフルな生活をしていると、セロトニンを分泌するセロトニン神経が弱ってきます。朝散歩によって、毎日、セロトニン神経をしっかり活性化することで、ストレスを受け流し、脳の疲労を回復できます。 (2)体内時計のリセット  人間には体内時計があり、平均24時間10分前後といいます。体内時計をリセットしないと、毎日10分ずつ寝つきの時間が遅くなり、昼夜逆転生活となってしまうのです。  体内時計をもとに、睡眠、覚醒、体温、ホルモン、代謝、循環、細胞分裂などがコントロールされているので、体内時計がズレると、「指揮者のいないオーケストラ」のように体内がバラバラの状態になり、高血圧、糖尿病、がん、睡眠障害、うつ病など、さまざまな病気の原因となります。  体内時計をリセットするには、太陽の光(2500ルクス以上)を5分浴びるのが効果的です。だからこそ、朝に外に出ることがいいのです。 (3)ビタミンD生成  ビタミンDは、カルシウムの吸収を助け、骨を丈夫にするホルモンです。ビタミンDは、非常に欠乏しやすい栄養素として知られ、日本人の8割がビタミンD不足ぎみで、4割で欠乏していると言われます。  ビタミンDが欠乏すると、骨粗鬆症になります。骨粗鬆症になると、ちょっとした転倒で簡単に骨折します。骨折するとしばらく安静が必要なため、一気に筋肉が衰えます。高齢者の場合は、それがきっかけで「要介護」「寝たきり」になる人も多いのです。  ビタミンDは食事から摂取もできますが、必要量の半分は自分で生成することができます。原料は「紫外線」です。皮膚に日光(紫外線)が当たると、ビタミンDが生成されます。  15~30分の朝散歩をすれば、1日に必要な量のビタミンDの生成が行われます。紫外線が気になる女性も多いでしょうが、だからこそ日差しの強い昼ではなく、日光が比較的弱い朝がベストなのです。  以上をまとめると、メンタル疾患のある人から、夜の寝つきが悪い人、仕事でパフォーマンスを上げたい人まで、すべての人に朝散歩がおすすめです。少しでも身体的・メンタル的に不調がある人は、必ず習慣として取り入れてください。 ■具体的な朝散歩の方法  基本的な方法は、「起床後1時間以内に、15~30分の散歩を行う」です。午前中(できれば10時まで)に行いましょう。雨の日でも効果があります。サングラスはかけず、紫外線を防御しすぎないのがポイントです。  健康な人であれば、15分ほどでセロトニンが活性化します。「メンタル疾患のある人」「メンタルが弱っている人」「睡眠に問題がある人」などであれば、セロトニン神経が弱っている可能性が高いので、30分を目安にしてください。  ただし、30分を超えるとセロトニン神経が疲れてしまい、逆効果になるので注意しましょう。  また、起きて3時間以上が経ってから朝散歩をすると、体内時計が後ろに3時間ズレてしまうので逆効果です。必ず、起きて1時間以内に行ってください。  健康な人の場合は、室内でも日光の入る明るい部屋にいれば、ある程度体内時計はリセットされます。しかし、体調の悪い人、メンタル不調の人は室内では不十分ですので、起床後、1時間以内に屋外に出るべきです。  朝散歩の後には朝食を食べましょう。朝食を食べることで、さらに「脳の体内時計」と「体の体内時計」のズレが補正されます。  また、よく噛んで朝ご飯を食べましょう。「咀嚼」もリズム運動なので、それだけでセロトニン神経を活性化します。 「リズム運動」であれば、セロトニンは活性化するので、悪天候で外に出られないときは、室内で「ラジオ体操」で代用してもいいでしょう。 ■さらに効果的な方法  朝散歩なので、ジョギングをする必要はありません。歩くときの「リズム」が重要なので、「ワン、ツー、ワン、ツー」と同じテンポでリズミカルに歩きましょう。体力に余裕のある人は、「早歩き」で軽快に歩くといいでしょう。  先ほど、午前中(できれば10時まで)にすべきだと書きましたが、それは午後に散歩しても、セロトニン活性効果が小さいからです。  体内時計がリセットされてから、15~16時間後にメラトニンが分泌されて「眠気」が出ます。逆算すると、午前7時に体内時計をリセットすると、22~23時に眠気が出るということです。午前8時に体内時計をリセットすると、23~24時に眠気が出ます。だから、午前11時に朝散歩をすると、体内時計のリセットが遅れてしまいます。  サングラスをかけるのがNGなのは、セロトニン神経が活性化するためには、ある程度の明るさの光が「網膜」から入らないといけないからです。  また、肌を覆う紫外線対策(UVクリームなども含む)をすると、ビタミンDは活性化しません。注意しましょう。 ■まずはハードルを下げて習慣化しよう  朝散歩をするといっても、「朝5時に起きなさい」ということはありません。「朝の調子が悪い人」「お疲れモードの人」「メンタル疾患の人」が、無理して早起きをすると、逆に調子を崩す可能性があります。最初は、自分に無理のない時間に起きて、その時間から朝散歩をすれば十分です。  毎日するのがベストですが、週1~2回でも、やっただけ効果があります。不定期でも、徐々に朝の目覚めがスッキリと改善していきます。  テンポよく「リズム」に集中するために、音楽を聴きながら歩くのもいいでしょう。好きな音楽であれば、寝起きの気分も上がるでしょう。  どうしても歩くのがしんどい場合、ベランダや庭に出て日向ぼっこをすることからはじめましょう。そこから、5分の散歩、10分の散歩、15分の散歩……と、少しずつハードルを上げていけばOKです。やればやっただけ効果が出ます。
モーニングルーティン朝習慣
ダイヤモンド・オンライン 2021/04/20 06:00
ベストオブ「可愛すぎ」な有岡大貴(Hey! Say! JUMP)が週刊朝日表紙とグラビア&インタビューに登場!
ベストオブ「可愛すぎ」な有岡大貴(Hey! Say! JUMP)が週刊朝日表紙とグラビア&インタビューに登場!
週刊朝日4月30日号 表紙はHey! Say! JUMPの有岡大貴さん! ※アマゾンで予約受付中  今週の週刊朝日の表紙を飾ったのは、Hey! Say! JUMPの有岡大貴さん。4月からのドラマで単独初主演を果たす有岡さんは、「ポジティブで、嫌なことがあっても一晩寝れば大丈夫」と自己分析します。軽やかに道を切り開く姿を、カラーグラビアとスペシャルインタビューで捉えました。特集企画では、「小室文書」が波紋を呼ぶ小室圭さんに関連して、「ヤバめの男性」に惹かれる女性の心理を気鋭のライターが分析。コロナ禍で移住熱が高まる中、災害に強くてお得な町を徹底調査しました。毎年恒例の大学合格者高校ランキングは、歯学部、薬学部、看護学部の結果を掲載。マスターズ日本人初Vを果たした松山英樹さんについてのプロゴルファーの丸山茂樹さんのスペシャルコラムなど、充実のラインナップでお届けします。  まもなくスタートする日本テレビ系の深夜ドラマ「探偵☆星鴨」で、ドラマ単独初主演を果たすHey! Say! JUMPの有岡大貴さん。演じるのは、不器用で女性にタジタジな探偵役。共感する部分はあるかと尋ねられると、「女心には疎いかもしれないです。メイクとか髪型の変化に、パッと気づくタイプではないので……」。ドラマで演じる探偵という仕事については、過去に銭湯で「尾行」に挑戦するなど、役と重なる意外な一面も明かしていただきました。今後については「声のお仕事をしてみたい」と、ナレーターなどにも挑戦したいと宣言。自身も認めるポジティブな性格とあって、読めば前向きなパワーをもらえるようなインタビューとなりました。  その他の注目コンテンツは、 ●小室文書の波紋 「ヤバめの男」が放つ魔性とは 緊急アンケートには約3万人が回答 秋篠宮家の長女・眞子さまとの結婚が延期となっている小室圭さんが28ページ・4万字という長文の文書を公表し波紋を広げています。女性の生き方や恋愛に詳しいフリーライターの亀山早苗さんが、心をざわつかせる空気をまとった「ヤバめの男」に惹かれてしまう女性たちの心理に迫りました。「小室文書」についての感想を聞いた緊急ネットアンケートには、2万8641人が回答。特に40~50代、親世代の女性から「自分の子どもだったら、この結婚は絶対NO!」との意見が圧倒的でした。寄せられたご意見の数々を紹介します。 ●人気のあの町、安全ですか? 土地の値段と災害リスクを総点検 「安全でお得な移住先88」 コロナ禍でリモートワークの普及が進んだことに伴い、都会を離れて郊外や地方に移住することに興味を持つ人が増えています。どうせ暮らすなら災害に強く、お買い得な町に住みたいところ。地価が上昇中の街や、各種調査で人気の移住先として名前が挙がるあの町は、災害に強いのか。地盤の強さや水害時の浸水リスク、今後30年以内に震度6以上の地震に見舞われる確率などのデータを元に、88の街について一覧表にまとめました。読めば移住のヒントになるかもしれません。 ●祝!松山英樹マスターズ日本人初V 丸山茂樹が「コロンブス級の偉業」と祝福 米男子ゴルフ「マスターズ・トーナメント」をアジア人として初制覇し、王者の証しであるグリーンジャケットに袖を通した松山英樹さん。親交のあるプロゴルファー・丸山茂樹さんは、歴史的偉業に号泣した一人。週刊朝日のコラム「マルちゃんのぎりぎりフェアウェー」スペシャル版で、今回の勝利について詳しく分析しました。グラビアページでは、アマチュア時代のマスターズ初挑戦から、松山さんの10年間の歩みを写真で振り返ります。 ●大学合格者高校ランキングは第8弾「歯学部・薬学部・看護学部」の結果を一挙掲載 毎年恒例の大学合格者高校ランキングは、第8弾として歯学部・薬学部・看護学部についての、高校別の合格者数ランキングを掲載。東大、京大、東京医科歯科大、千葉大、東北大、筑波大、慶應義塾大、自治医大、北里大、国際医療福祉大、昭和大、東京薬科大、星薬科大、明治薬科大、東北医科薬科大など、有名大学への合格者数が一覧できます。 週刊朝日 2021年 4/30号 発売日:2021年4月20日(火曜日) 定価:440円(本体400円+税10%) ※アマゾンで予約受付中!
dot. 2021/04/19 10:19
中学で統合失調症 実名告白「自分なりに病気と闘っている葛藤をわかって」
中学で統合失調症 実名告白「自分なりに病気と闘っている葛藤をわかって」
※写真はイメージです(写真/Getty Images)  統合失調症は脳の機能がうまく働かなくなり、考えや感情がまとまりにくくなる病気です。およそ100人に1人がかかり、10代後半から30代前半の若い世代に発症しやすいという特徴があります。  榛澤裕一さん(32)は、中学のときに統合失調症を発症して入退院を繰り返しました。現在は、ほぼ症状が見られない安定した状態になり、東邦大学医療センター大森病院メンタルヘルスセンターのデイケア、イルボスコで、若い世代のデイケアを運営する仕事をしています。発症当時の様子やその後の経過を語ってもらった前編に続き、後編では病気を受け入れていった心境や精神疾患に悩む若者やそのご家族に伝えたいことを語ってもらいました。 (匿名は精神疾患に対する偏見・差別を助長しかねないとの考えのもと、本人の承諾を得て実名で紹介します) *  *  * ――どのあたりから快方に向かわれたのでしょうか?  高校を卒業しても具合が悪くなることが多くて入退院の繰り返しだったんですけれども、ようやく統合失調症の診断がつき、ある薬を使って治療していこうということになって少しずつ症状が改善していきました。その流れで25歳くらいから若者向けのデイケア(病気を抱えながら生活していくための対処法や工夫を学ぶ場)に通うようになって、本格的によくなってきたという実感があります。  デイケアは軽症の患者が通常の生活に戻っていくためのステップなのですが、以前の僕は病気が慢性化していて、その対象ですらなかった。デイケアに通えるくらい回復したということですね。  デイケアで病気について学ぶようになって、「なぜこのような症状が出るのか」をきちんと理解することができました。それまでは客観的に自分を見ることはできなかったんですよね。  また、病気を再燃させないための知恵を身につけてから、ごく自然に無理のない生活を心がけるようになりました。再燃の兆候やその対処法も学んでいるので、ちょっとおかしいなというときに早めに気づくことができます。上手に病気と付き合えるようになり、自信もつきました。  デイケアで同病の仲間と出会えたことも、宝物です。つらかった経験を話してわかってもらえたときは、スッと気持ちが楽になった。結果論ですが、精神科の主治医だとかデイケアの仲間とか、この病気になったからこそ出会えた人もたくさんいます。前向きに考えられるようになったことも、デイケアのおかげかもしれません。 ――病気を徐々に受け入れていったのでしょうか?  統合失調症という病名がはっきりわかったのは20歳過ぎでしたが、それまで病名はあまり気にしたことはなくて、むしろ症状が気になりました。高校の頃だったか、精神疾患の本を見ると「こういう症状が出る場合は統合失調症が疑われる」というようなことが書いてあって、その通りのことが自分に起きているんですよね。「ああ自分の病気はこれだな」と病名を推測できました。あとから病名がついてきた感じでしょうか。  病名がある程度推測できたことで、半分はスッキリしました。不可解な症状が病気のせいだとわかれば、納得できますからね。だけど「自分は統合失調症なんだ」と認めるのはきつくて、現実を受け止めるまでにはかなりの時間がかかりました。 ――現在はどのような生活を送っていますか? 「寛解」といって、ほぼ症状が見られない安定した状態になり、東邦大学医療センター大森病院メンタルヘルスセンターのデイケア、イルボスコで、若い世代のデイケアを運営する仕事をしています。再発する可能性もありますから、体調を維持するため、夜更かしをしない、お酒は飲まない。羽目を外すような遊び方はしません。気をつけることが当たり前の生活になりました。仕事をして終わったら一休みして家に帰ってご飯を食べてお風呂に入って寝て……つまらない生活だと思われるかもしれませんが、そんなありきたりの毎日が今はすごく楽しい。働けること、そして社会とかかわりがあることがうれしいんですよね。昔はそういうことすらあきらめていましたから。  自分で収入を得られるようになったことで、将来のために貯金をしようといった地道な目標もできました。 ――ご自身の経験を踏まえて、精神疾患に悩む若者やそのご家族にどのようなことを伝えたいですか?  精神疾患にかかると「とにかく早く治したい」と焦ってしまいがちですが、治療が長期間に及ぶことも少なくありません。長い闘いになることは覚悟しておいたほうがいい。焦らないこと、そして腰を据えて「きっとよくなる」「必ず元気になる」と信じて、あきらめずに治療に取り組むことが大切です。  本人は自分なりに病気と闘っているんですよね。何とかしなければならないと思っているんだけれど、自分一人の力ではどうにもできなくて、それが反抗的な態度になってしまうんです。だから家族など近くにいる人は、本人の葛藤をわかってあげてほしいと思います。  また、家族は本人の将来を心配するあまり「中学や高校は絶対行かなきゃダメ」とか、「大学に進学するのは当たり前」などと押し付けてしまいがちです。でも精神疾患によって日常生活にはリスクが生じているときに、そんなことを言われたら、さらに負担がかかってしまうことになる。  近くにいるからこそ本人の話にじっくり耳を傾けて、どういう形で社会とつながっていくのがよいのかを一緒に考えてほしい。形にこだわることなく、無理のない方法を選んでほしいと思います。あきらめなければならないこともあるけど、いろいろな道がありますから。  また僕自身はかなりこじらせてしまったのですが、早く症状に気づいて適切な治療を始めれば、回復も早い。でも具合が悪くても、なかなか精神疾患と結びつけることができません。特に中学生など若い世代では、気づけないんですよね。  本人はもちろん、親でも先生でも友だちでも誰かに精神疾患の知識があれば、ちょっとした変化でも気づき、受診につなげることができるのではないでしょうか。一人でも多くの人に精神疾患について知ってほしいと思っています。 前編(中学生で統合失調症を発症「計算ができない」「暴言を吐く」「死にたい」今振り返る当時の僕)はこちら https://dot.asahi.com/dot/2021041300073.html (文・熊谷わこ)
子どもの心の病気病気病院統合失調症
dot. 2021/04/18 10:00
ジオラマの線路に寝そべる猫に、ローカル線の猫駅長…鉄道好きも猫好きもトリコにするテツとモフの不思議
野村昌二 野村昌二
ジオラマの線路に寝そべる猫に、ローカル線の猫駅長…鉄道好きも猫好きもトリコにするテツとモフの不思議
ジオラマ食堂の猫たちの様子は、ツイッターやユーチューブでも公開している。「猫家族は私たちに生きる希望を与えてくれました」とオーナーの寺岡さん。今後は「保護猫活動に力を入れたい」(ジオラマ食堂のツイッター画面から)  猫がいるところに鉄道があり、鉄道があるところに猫がいる──。一体、なぜ。猫と鉄道の不思議な関係が見えてきた。AERA 2021年4月19日号の記事を紹介する。 *  *  *  線路上に寝そべり、山肌で爪を研ぎ、猫パンチで電車をなぎ倒す……。これは一体!! 電車より巨大に成長した猫なのか。 「保護した4匹の猫たちです」  と話すのは、「ジオラマ食堂」(大阪市天王寺区)のオーナー寺岡直樹さん(56)。豚キムチ定食やオムライスがおいしい店だが、店の真ん中に1970年代の日本の高度経済成長期の地方都市をイメージした総延長約50メートルの大きな鉄道模型「Nゲージ(150分の1)」がある。そう、猫たちがいるのは鉄道ジオラマの上だ。 「ジオラマ食堂」のジオラマの上で寝そべる猫。猫を実物大に換算すると、70メートル近くになるという(ジオラマ食堂のツイッター画面から)  食堂は、鉄道好きの寺岡さんが2018年に開業。そんな店に猫たちがやって来たのは昨年6月のこと。店の隣にある保育園の保育士が、生まれたばかりの瀕死状態の子猫を園の前で見つけて保護し、連れてきた。  犬派で猫を飼ったことがなかった寺岡さん。それが、子猫の愛くるしさに惹かれ、引き取ることにした。すると翌日、母猫らしき猫がガラス越しに店内を覗きに来るようになった。7月に入ると、店のそばで3匹の子猫が見つかった。先に引き取った子猫と毛並みなどが似ていて、きょうだいと見られた。  家族をバラバラにするのはかわいそうや──。  こうして、寺岡さんは母猫と子猫4匹を保護。子猫1匹は寺岡さんが自宅で飼い、母猫と子猫3匹を食堂の一角で飼うことにした。当初、猫たちはケージで育てていたが、狭くてかわいそうだと思い夜はケージから出すことに。すると、ジオラマが猫たちの遊び場になった。その様子をSNSで配信したところ、予想外の反響があった。線路や電車で遊ぶゴジラ化した「巨大猫」の様子が人気を呼んだのだ。 「猫を助けたつもりがまったく逆で、助けられました」  と寺岡さん。 ■破壊されても平気  実は、店は新型コロナウイルスの影響で大打撃を受け、閉店を考えたこともあった。それが猫たちに会いに次々とお客が来るようになった。猫たちはジオラマを「破壊」することもある。でも、寺岡さんは明るく話す。 ジオラマ食堂の猫たちの様子は、ツイッターやユーチューブでも公開している。「猫家族は私たちに生きる希望を与えてくれました」とオーナーの寺岡さん。今後は「保護猫活動に力を入れたい」(ジオラマ食堂のツイッター画面から) 「僕らはジオラマ製作に長年携わってきたプロですから。直すのは苦にならないです」  猫と鉄道──。日本全国、猫がいるところに鉄道があり、鉄道があるところに猫がいる。 「猫と鉄道」と言えば、和歌山を走るローカル線、和歌山電鐵貴志川線の終点・貴志(きし)駅(紀の川市)の三毛猫駅長「たま」だ。  もともと、たまは貴志駅に隣接する商店の飼い猫で、駅売店横の猫小屋で飼われていた。しかし猫小屋が公道に置かれていたため立ち退きを迫られ、困った飼い主が同電鐵の小嶋光信社長(76)に駅舎で飼ってほしいと直談判。こうして07年、駅にすまわせるため「貴志駅長」に抜擢。すると、そのかわいらしさから国内外からファンが駅に。たまは「招き猫」になり、利用客の減少から廃線危機にあった貴志川線を救った。 和歌山電鐵貴志駅の駅長「ニタマ」(各社提供) ■ローカル線の救世主  たまは15年に永眠。後を継いだのが、同じ三毛猫の「ニタマ」だ。岡山県の国道で車に轢かれそうになっていたところを、通りかかった女性に保護された。その後、和歌山電鐵の親会社である岡山電気軌道(岡山市)に引き取られ同電鐵に来て、たまが亡くなると駅長に就任した。「たまに似た二番目のたま」ということから名づけられた。  ふさふさした毛並みに凛々しい顔立ち。ニタマの魅力は? 「美猫です。気品たっぷりです」  と、同電鐵広報担当の山木慶子さん。  今や、たまに負けない存在感を示すニタマ。米タイム誌の「最も影響力のある100匹」(16年)に選ばれ、今年1月には同電鐵の「執行役員」にも昇格した。普段は駅長室にたたずみ、観光客をお出迎えする。  貴志川線には、日本を代表する工業デザイナー水戸岡鋭治氏が手掛けた初代たま駅長をモチーフにしたラッピング車両「たま電車」も走っていて、こちらも人気だ。  それにしても、なぜ猫と鉄道はこんなにも相性がいいのか。 『ねこ鉄 ~猫と鉄道の出会いの風景~』(講談社)の写真集がある、カメラマンの花井健朗(たけお)さんに聞いた。 会津鉄道芦ノ牧温泉駅の駅長「らぶ」。ローカル線にとって、猫駅長がもたらす経済効果も大きい。地域の活性化としても期待されている(各社提供) 「野良猫にしてもそうですが、猫は人が住んでいるところにいます。鉄道も同じで人が生活しているところを走っています。つまり、猫も鉄道も同じ空間にいて、一つの景色のようになっているからではないでしょうか。犬も人の生活圏内にいますが、猫の持つ柔らかさが、人をほっとさせるのだと思います」  旅情と郷愁を感じる鉄道と、見ているだけで目を細めたくなる猫──。猫のいる鉄道情景は、それだけで、見る人に癒やしを届けるのだろう。  同じく、猫駅長がいることで知られる福島県会津地方を走る会津鉄道の芦ノ牧温泉駅(会津若松市)。同駅を守る会の小林洋介さん(36)も、こう話す。 ■テツに溶け込む散歩姿 「猫が気ままにノホホンと散歩したりしている姿が、鉄道の風景となじむのだと思います」  ここの猫駅長はアメリカンカールの「らぶ」(雄、7歳)で2代目だ。初代は16年、推定18歳で猫としては大往生で亡くなった。らぶが駅に来たのは、初代が亡くなる2年前の14年。高齢になった初代の補佐役としてやってきて、翌15年12月に駅長を引き継いだ。  当初はわんぱくだったが、今ではすっかり落ち着いているというらぶ。主な仕事は駅ホームのベンチに座り朝9時台の列車を見送るのと、駅構内のパトロール。駅長の帽子をかぶり小さな姿で見送る姿は、実に癒やされる。先の小林さんは言う。 「静かな駅に猫が気ままにいると、都会にはないのどかな雰囲気に癒やされるのではないでしょうか」  芦ノ牧温泉駅は会津地方の静かな山間にあり、旧国鉄時代の昭和2(1927)年に建てられた。小林さんによれば、猫駅長がいるのはこうした小さな古い駅が多いという。  ただこの1年、コロナ禍でどの鉄道も観光客が激減した。ようやく緊急事態宣言が解除となり芦ノ牧温泉駅にもお客が戻ってきた。らぶも喜んでいるのでは?  聞くと、小林さんはこう言った。 「本人ならぬ本猫の口から聞けないのでわからないですが、うれしいニャンと言っていると思います」 (編集部・野村昌二) ※AERA 2021年4月19日号
ねこ動物
AERA 2021/04/18 08:00
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女性は、月経や妊娠出産の不調、婦人系がん、不妊治療、更年期など特有の健康課題を抱えています。仕事のパフォーマンスが落ちてしまい、休職や離職を選ぶ人も少なくありません。その経済損失は年間3.4兆円ともいわれます。10月7日号のAERAでは、女性ホルモンに左右されない人生を送るには、本人や周囲はどうしたらいいのかを考えました。男性もぜひ読んでいただきたい特集です!

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学校現場の大問題

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クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

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