
「サンクチュアリ -聖域-」「幽☆遊☆白書」――なぜ坂本和隆はNetflixで世界でヒットする作品を作れるのか
社内では敬愛を込めて「Kaata」と呼ばれる。名だたる俳優や映像監督たちが彼を慕う(撮影/横関一浩)
Netflixコンテンツ部門バイス・プレジデント、坂本和隆。「全裸監督」「今際の国のアリス」「First Love 初恋」「サンクチュアリ -聖域-」と、すべてがNetflixで大ヒット。坂本和隆はこれらの作品のエグゼクティブ・プロデューサーでもある。いくつもの壁を乗り越えて作り上げた作品ばかりだ。日本のエンターテインメント業界に強い危機感がある。世界で勝負できる作品を作る。そして日本にその力はあると信じている。
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まるで人を惹きつける磁力のようなものを持っているように見えた。
2023年12月13日。この日、東京・有明アリーナではNetflixが企画・製作するNetflixシリーズ「幽☆遊☆白書」の最速上映会イベントが行われていた。集まった観客は5千人。出番を控え、楽屋には主人公の浦飯幽助(うらめしゆうすけ)を演じる北村匠海ら俳優たちが次々と集まる。坂本和隆(さかもとかずたか・41)は、その一人ひとりに握手し、ハグをしていた。関係者たちが坂本に代わる代わる声をかけ、談笑する。
物腰は柔和で、声は穏やかだが、思わず目を引く存在感がある。そのスラリとした体躯(たいく)が、いつの間にか場を掌握していた。
「5年かかりました。5年もかけてしまいました」
全体挨拶ではそう声をかけた。坂本は本作のエグゼクティブ・プロデューサーとして製作を牽引(けんいん)してきた。
「幽☆遊☆白書」だけではない。Netflixコンテンツ部門バイス・プレジデントをつとめる坂本は、日本市場のトップとして実写・アニメ・バラエティ・映画など、Netflixの日本発のコンテンツ全てを統括する。
15年にNetflixが日本でのサービスを開始して以来、坂本は数々のオリジナル作品の製作に携わってきた。山田孝之の熱演でNetflixの名を日本に知らしめた19年の「全裸監督」にはじまり、海外でも大きな注目を集めた「今際(いまわ)の国のアリス」(20年)、宇多田ヒカルの楽曲をもとにしたラブストーリーの「First Love 初恋」(22年)、相撲ブームを巻き起こした「サンクチュアリ -聖域-」(23年)など、話題作の数々でエグゼクティブ・プロデューサーをつとめてきた。
突き抜けた企画は反対意見が多くあるべき
坂本は、作品の着想から企画開発、脚本、撮影、編集を経て完成に至るまで、製作の全ての工程に携わる。それぞれの作品の製作期間は平均で3、4年かかり、中には「First Love 初恋」のように監督と共に自ら原案を練ったものもある。
「幽☆遊☆白書」最速上映会イベントではアジア最大級の特注巨大スクリーンを設置。撮影に使用された衣装の展示や霊丸(レイガン)を撃てる体験型ゲームなども展開された(撮影/横関一浩)
なぜ彼はここまで人々が夢中になる作品を作り続けることができたのだろうか。「まだ語られたことのないストーリー、見たことのない映像表現を常に探求している」と彼は言う。
「良い企画、突き抜けた企画というのはやっぱり反対意見が多くあるべき。なぜならば見たことのないものなので、わからないし、怖いんですよ。逆に全員が素晴らしいと思う企画は、ほとんどヒットしない。悪くない、というくらいのそれなりの結果で終わるんです」
「サンクチュアリ -聖域-」の企画を立ち上げたときも周囲は疑問だらけだったという。題材もニッチであるし、主演の一ノ瀬ワタルも当時は無名で、登場人物にイケメンもいない。けれど、それが一周回った新しさになると思った。ストーリーとクオリティーがあれば勝負できると信じてきた。
「僕は『打席』という言葉をよく使うんですけど、Netflixというのは、一打席一打席で結果を出さないといけない会社なんです」
Netflixは「企画を通す」という概念のない会社なのだと坂本は言う。制作を進めるにあたって上司の許可をもらう必要はない。そのかわり責任が問われる。シビアな環境でヒットを生んできた。
坂本を敬愛する俳優やクリエイターも多い。
その一人が、「幽☆遊☆白書」で戸愚呂(とぐろ)弟役を演じた綾野剛(41)だ。綾野は数年前に出会った坂本のことを「心の友であり、クリエーションのパートナーである」と言う。製作期間を振り返って「大人に青春があるんだったら、今俺たちは青春をしているんじゃないかと感じた」と語る。
「同い年というのもあって、打ち解けるまでには時間はかからなかったです。彼は想像することをあきらめない。そして、それを可視化し、具現化する胆力がある。そこに僕は魅せられています」
「幽☆遊☆白書」で怪物じみた姿が異彩を放つ戸愚呂兄弟の映像表現にあたっては、国内外の企業と手を組み日進月歩の最先端VFX技術を惜しみなく注ぎ込んだ。監督の月川翔(41)は「自分のベストを出させてくれる人。誇りを持って一緒にお仕事したいと思う人です」と称賛する。
「幽☆遊☆白書」や「今際の国のアリス」のプロデューサーとして仕事を共にした森井輝(50)は、坂本を「人生のランニングパートナー」だと言う。
「僕らの電話は大体5分以内なんですよ。すぐに意図が伝わって『じゃあこうしましょう』と決まる。彼は常に何手か先が見えている。想像力があって、頭の回転が速い。それが魅力だと思います」
テレビ局や映像制作会社でドラマ作りに携わってきた精鋭たちが坂本のチームに集う(撮影/横関一浩)
明確なアイデアがあり情熱の吸引力を持つ人
Netflix社内でも坂本を慕うスタッフは少なくない。福井雄太(37)もその一人だ。
福井は09年に日本テレビに入社。若くしてドラマプロデューサーとして頭角を現し、「3年A組-今から皆さんは、人質です-」などの人気作を手掛けてきた。23年に同局を退社しNetflixに移籍した福井は、その理由を問うと「作り手としての坂本和隆に惚れてしまったんです」と告げた。
「坂本さんは明確なアイデアと明確な方針を持っている。一人のクリエイターとして、その構築の仕方や思考を学びたいと思った。僕自身、テレビのドラマの世界でいろんな仲間たちに恵まれてやってきたんですけれど、こんなに情熱の吸引力を持っている人に出会ったのは人生で初めてでした」
映像業界や芸能プロダクションに幅広い人脈を持つ福井は「びっくりするくらい、坂本さんのことを悪く言う人が一切いないんです」と言う。
「パッションがあって、新しいことをしようとしている。面白いものを作ることにひたむきである。皆さんそうおっしゃっていた。ゆえにすごく興味を持ったんです」
なぜ坂本はここまで人を惹きつけるのか。どのようにしてエンタメの世界に革新をもたらすキーパーソンになったのか。
坂本は1982年、静岡生まれ。東京・下北沢で育った。母親の実家が映画館を経営していたこともあり、子どもの頃から映画に親しんでいた。設計デザイナーをつとめていた父親は「ぶっ飛んだ人だった」という。
幼い頃はとても裕福な家庭だった。坂本の父親は名家の生まれだ。曽祖父が山口で鉄鋼業の企業を立ち上げて財を成し、会社を継いだ祖父は政界関係にも携わったという。
父が家業を引き継ぐことはなかったが、その縁もあり、政治家と芸能関係のつながりが深かった。交友関係も派手だった。音楽をこよなく愛し、名だたる映画監督や俳優、芸能プロダクションとも親しかったという。
「たとえば、ある日家に帰ったら『今日は舘ひろしさんとゴルフに行ってきたよ』と言ったりする。周囲に芸能人の方が多かった。エンタメを身近に感じる環境で育ってきたのは親父の影響ですね」
しかし、豊かな時期は長くは続かなかった。少年時代になると、父親の会社が傾き、経済環境は悪化。みるみるうちに生活に困窮するようになる。
「幽☆遊☆白書」最速上映会イベントの楽屋で。監督の月川や海外チームのメンバーと談笑する(撮影/横関一浩)
「中学の時、親父に『ごめん、和隆、金がなくなったから、お前は中学を卒業したら働け』と言われたんですよ。しかし、母親は『高校だけは卒業してほしい』と言い、病弱の父の代わりに母が働き、なんとか高校を卒業することができました」
自衛隊で過ごした2年でエンタメを学ぶと決める
しかし高校を卒業してもやりたいことは見つからなかった。大学に進学する余裕もない。家に仕送りをしなければいけない。悩んだ末、自衛隊に入隊することを決意した。
「迷っていたんです。何をしようか決まってなかった。性格として明確なものを持たないと嫌なタイプで、だからこそ苦しかった。中途半端に『とりあえずここに行こう』と言えなかった。そうなると自分で研ぎ澄ませるしかない。自分の精神を鍛えながらやりたいことを探そうと思いました」
陸上自衛隊の練馬駐屯地で自衛官として過ごした2年間は、坂本にとって人生の転機になった。特に記憶に残っているのは米軍との合同演習だ。
「ハワイの海兵隊との訓練で、富士の演習場を走り回るんです。僕はカタコトの英語を臆せずに話してたんで、日米の間に入って調整する仕事を任された。そこから必死で英語を勉強した。異文化交流をそこで学びました」
自衛官のうちにやりたいことを見つけようと探した結果、自分の中に強くあったのは「エンタメが好きだ」という思いだった。
その頃に祖父の政界での業績を新聞で調べて知ったことも大きな気付きになった。
「祖父は政治家の裏方として、人を育てて押し出していくことに力を入れていた。それを知って腑(ふ)に落ちたんです。サッカーの授業でも率先してゴールキーパーをやりたかったし、野球もキャッチャーだった。バンドでも憧れるのはドラマーだった。ずっと縁の下の力持ちになりたかった。自分の興味関心は裏方にあった。そのことがつながって、スイッチが入った瞬間でもありました」
せっかくならエンタメの本場のアメリカで学びたい。自衛官の任期を終えたらアメリカに行こうと決めた。手元に残った数十万円の退職金を握りしめ、アメリカ人の友人の伝手(つて)を頼って、ブロードウェイミュージカル「アニー」の全米ツアーの現場に裏方として潜り込んだ。
(文中敬称略)(文・柴那典)
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