井手隊長
「若さで乗り切ってきた」 ラーメン界の革命児「けいすけ」店主が明かす多店舗展開の裏側
中川會の「つけ麺」は並盛り200グラムで800円。2種類のチャーシューに味玉がのった一杯は格別だ(筆者撮影)
日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、名店店主が愛する一杯を紹介する本連載。夫婦経営で暖簾を守り続ける濃厚つけ麺の人気店の女将が愛する一杯は、ラーメン界の革命児が銀座の一等地で繰り出す贅沢なふぐだしラーメンだった。
「麺屋 中川會」は、中川大輔さん、陽子さん夫婦が2011年に江東区・住吉で開業し、現在は墨田区・錦糸町に本店を構える濃厚つけ麺の人気店だ。極太麺に濃厚な豚骨魚介スープを合わせたパンチのある一杯が自慢。修行なしの未経験での開業だったが、1年目からメディアに取り上げられ、女将(おかみ)である陽子さんの明るい接客も店の人気を加速させた。
人気とともにラーメンイベントにも呼ばれるようになり、早くも1年目から墨田区・曳舟にスープ工場を作り、イベントや多店舗展開に対応できるようにした。その後、13年に神保町店(千代田区)、16年には錦糸町店(現在の本店)をオープンさせ、順風満帆かと思われた。
麺屋 中川會 錦糸町店/東京都墨田区江東橋4-30-15/11時30分~15時00分、18時00分~22時00分/筆者撮影
「3店舗目を展開してからスランプに入ってしまったんです。結局、住吉店と神保町店は17年に閉店することになりました。人がなかなか育たなかったことと、場所を研究できていなかったことが原因だと考えています」(陽子さん)
住吉店は契約満期での閉店だったものの、神保町店は特に苦戦した。時間のないビジネスパーソンが多い神保町では、極太麺の長いゆで時間を待てず、途中で帰ってしまうお客さんもいた。「地域密着」できなかったのである。
その後、土地勘のある住吉に再び出店したが、ここでは貝だしに細麺を合わせて、新たなラーメンに挑戦している。陽子さんは言う。
「閉店を経験して、改めて他のラーメン屋さんを尊敬するようになりました。長く続けることは難しいんだなと思いました。旦那とは『1日でも長くやりたいね』とよく話しています」
「中川會」女将の陽子さん。行きつけだった「肉そば けいすけ」の店長に背中を押され、ラーメン屋開業を決意した(筆者撮影)
今は錦糸町本店に加え、曳舟店と住吉店の3店舗でラーメンを提供している。2人の目標は、最終的に1店舗だけになったとしても、死ぬまで店を続けること。お客さんがラーメンをおいしそうに食べている姿を見ながら商売できる喜びをかみしめ、「中川會」は元気に営業を続ける。
「未経験でも頑張ればできる。こんな我々を受け入れてくれるラーメン業界はありがたいなと思っています。旦那が突然ラーメン屋をやりたいと言い出したときは驚きましたが、この場を与えてもらったことに感謝しています。毎日ケンカ、仲直りの連続ですが、ラーメンを通して気持ちをしっかり交換できているのでここまで続けてこられたのだと思っています」(陽子さん)
店の歩みが刻まれている(筆者撮影)
そんな陽子さんの愛する一杯は、ラーメン界の革命児が作るふぐだしラーメン。アイデアあふれる新たなラーメンを次々に作り出す天才である。
ふぐだし潮 八代目けいすけ 東急プラザ店/〒104-0061 東京都中央区銀座5-2-1 東急プラザ地下2F/11:00~22:00(LO 21:30)【金土】11:00~22:30(LO 22:00)/筆者撮影
■「若さで乗り切ってきた」 ラーメン界の革命児が明かす多店舗展開の裏側
「けいすけ」。フレンチや和食出身の店主・竹田敬介さんがその幅広い経験から考案するラーメンは、どれも新しく挑戦的で、業界の革命児と呼ばれる存在だ。東京と千葉に6店舗を展開し、海外にも進出するワールドワイドな店である。
広島出身の竹田さんは、幼い頃は父が転勤族で各地を転々としたという。その後、調理師学校に入るために新潟・長岡へ。17歳だった。中学卒業後に和食のお店でアルバイトを始め、飲食が働く場所として純粋に楽しかったのだという。
調理師学校でたまたま一緒になったのが、のちに新潟ラーメン専門店の「我武者羅」を率いる蓮沼司さんだった。学校ではケンカばかりで、将来は見えてこず、料理をしっかり学べている感覚もなかったという。
卒業後、結婚式場のレストランに入社。フレンチの技術を学び、今後の方向性を固める。その後、渋谷の老舗レストランに勤めたことで、さらにフレンチの世界にのめり込んだ。
ラーメン界の革命児・竹田敬介さん。和食やフレンチで腕を磨いた(筆者撮影)
その後、知人の誘いを受け、蓮沼さんと2人、渋谷区・松濤にあるレストランのシェフとして働き始める。24歳で料理長に抜擢(ばってき)。テレビにも多数取り上げられ、一時は時の人になった。
経験を積んで技術もあったが、考えはまだ甘かった。バブルの終わりとともにオーナーが店を続けられなくなり、倒産してしまう。八王子市にあるホテルの料理長に声をかけてもらい、副料理長として働いていたが、このままフレンチで独立できるのか不安な日々が続いていた。
その頃は、飲食業界全体で見ると、中級クラスの居酒屋業態が元気だった。高級店ではないが、こだわりの料理を提供しているような店である。竹田さんは一度フレンチ以外の業態を経験することで、店作りや経営のノウハウを学ぶことにした。こうして18店舗を展開していた大手の居酒屋チェーンに入社する。27歳だった。
居酒屋チェーンはその料理技術よりも、マニュアルがしっかり整備されていて、技術がなくてもおいしい料理が作れるシステムになっていた。竹田さんは自らの経験を生かしつつ、みるみる出世をし、2年で本社の料理開発担当に抜擢された。その後、新ブランドの立ち上げも担当し、34歳で退職するまで経営のノウハウをしっかり学ぶことができた。
「八代目けいすけ」が入る東急プラザ銀座店(筆者撮影)
いよいよ独立に向け動き始め、1年間の準備期間の後、04年3月、千代田区・神田で居酒屋「和食・炭火焼 美味川柳 炭香」をオープンした。「炭」をテーマにした店で、オープンから徐々に客足を伸ばし、9月頃からは利益が出始めた。店が軌道に乗り始めると、次はラーメン店の開業に向けて動き出した。もともとラーメンが好きで、食べに行っては味を再現していた竹田さん。初期投資のハードルがそれほど高くないこともあり、開店を決めた。
「八代目けいすけ」のふぐだし潮らーめん 美味玉たまり漬け入り。一杯1270円(筆者撮影)
こうして05年、文京区・本郷に「黒味噌ラーメン 初代けいすけ」をオープンした。「すみれ」「彩未」など札幌味噌ラーメンが好きだった竹田さんは、味噌で勝負すると決めていた。居酒屋でコンセプトにしていた「炭」の世界観を合わせ、「黒味噌ラーメン」を仕上げた。当時味噌ラーメンの専門店は都内にはそれほど多くなく、10席のカウンターは毎日開店と同時に埋まったという。
しかし、人気は長くは続かなかった。開店1カ月で閑古鳥が鳴き始めたのである。オープン当時1日170~180食出ていたのが、たちまち30~40食になってしまった。
「八代目けいすけ」のふぐだし潮らーめん 美味玉たまり漬け入り。一杯1270円(筆者撮影)
「単品勝負の怖さです。居酒屋やフレンチは、単品ではなくいろんな料理で総合的に評価されますが、ラーメンは単品で評価されます。80点ぐらいのラーメンだったら、お客さんは、2度目は来ないんです」(竹田さん)
その後ラーメンを改良し、ラーメン評論家・大崎裕史さんのラジオに出演したことをきっかけに少しずつお客さんが増え、取材も来るようになった。行列ができるようになってからは、味を落とさないよう徹底的に改良を重ねた。
「八代目けいすけ」は締めにふぐ茶漬けも食べられる。「ふぐ茶漬け用ご飯」は一食500円(筆者撮影)
竹田さんはその後、あふれるアイデアで数々の店をオープンし、成功させてきた。ラーメンの経歴だけではないからこそのアイデアが思い付くのだという。
「“他にないもの”を個性にして頑張ってきましたね。怖かったですが、若さで乗り切ってきました。トレンドや流行を作っては、その店を閉めて新しくするということをずっとやってきました。『けいすけは次は何をやるんだ?』と注目が集まるのが楽しかったですね」(竹田さん)
「中川會」の女将・陽子さんのお気に入りは、東急プラザ銀座内にある「ふぐだし潮 八代目けいすけ」のふぐだし潮らーめんだ。
「ふぐだしのラーメンだけでもおいしいのに、締めにふぐ茶漬けまで食べられる。銀座で特別な時間を味わえる素敵なお店ですね。けいすけさんはラーメンを以前よりワンランク上の食事にしています。ラーメンを丁寧に食べようとさせることはすごいことだと思います。次々にいろんなラーメンにチャレンジし、成功に導いていて素晴らしいと思っています」(陽子さん)
陽子さんもお気に入りのけいすけ「ふぐ茶漬け」(筆者撮影)
竹田さんは「中川會」こそラーメン店のあるべき姿だと言う。
「古くからのラーメン屋の良さを体現しているお店だと思っています。『中川會』こそがラーメン屋のあるべき姿です。それをノスタルジックなラーメンではなく、つけ麺でやり遂げていることも時代だなと思いますね」(竹田さん)
夫婦経営の店から多店舗経営の店まで、ラーメン店にもいろいろな姿がある。それぞれが刺激を受けながらラーメン業界を発展させているのだ。(ラーメンライター・井手隊長)
○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho
※AERAオンライン限定記事
AERA
2021/04/25 12:00