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「若さで乗り切ってきた」 ラーメン界の革命児「けいすけ」店主が明かす多店舗展開の裏側
井手隊長 井手隊長
「若さで乗り切ってきた」 ラーメン界の革命児「けいすけ」店主が明かす多店舗展開の裏側
中川會の「つけ麺」は並盛り200グラムで800円。2種類のチャーシューに味玉がのった一杯は格別だ(筆者撮影)  日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、名店店主が愛する一杯を紹介する本連載。夫婦経営で暖簾を守り続ける濃厚つけ麺の人気店の女将が愛する一杯は、ラーメン界の革命児が銀座の一等地で繰り出す贅沢なふぐだしラーメンだった。 「麺屋 中川會」は、中川大輔さん、陽子さん夫婦が2011年に江東区・住吉で開業し、現在は墨田区・錦糸町に本店を構える濃厚つけ麺の人気店だ。極太麺に濃厚な豚骨魚介スープを合わせたパンチのある一杯が自慢。修行なしの未経験での開業だったが、1年目からメディアに取り上げられ、女将(おかみ)である陽子さんの明るい接客も店の人気を加速させた。  人気とともにラーメンイベントにも呼ばれるようになり、早くも1年目から墨田区・曳舟にスープ工場を作り、イベントや多店舗展開に対応できるようにした。その後、13年に神保町店(千代田区)、16年には錦糸町店(現在の本店)をオープンさせ、順風満帆かと思われた。 麺屋 中川會 錦糸町店/東京都墨田区江東橋4-30-15/11時30分~15時00分、18時00分~22時00分/筆者撮影 「3店舗目を展開してからスランプに入ってしまったんです。結局、住吉店と神保町店は17年に閉店することになりました。人がなかなか育たなかったことと、場所を研究できていなかったことが原因だと考えています」(陽子さん)  住吉店は契約満期での閉店だったものの、神保町店は特に苦戦した。時間のないビジネスパーソンが多い神保町では、極太麺の長いゆで時間を待てず、途中で帰ってしまうお客さんもいた。「地域密着」できなかったのである。  その後、土地勘のある住吉に再び出店したが、ここでは貝だしに細麺を合わせて、新たなラーメンに挑戦している。陽子さんは言う。 「閉店を経験して、改めて他のラーメン屋さんを尊敬するようになりました。長く続けることは難しいんだなと思いました。旦那とは『1日でも長くやりたいね』とよく話しています」 「中川會」女将の陽子さん。行きつけだった「肉そば けいすけ」の店長に背中を押され、ラーメン屋開業を決意した(筆者撮影)  今は錦糸町本店に加え、曳舟店と住吉店の3店舗でラーメンを提供している。2人の目標は、最終的に1店舗だけになったとしても、死ぬまで店を続けること。お客さんがラーメンをおいしそうに食べている姿を見ながら商売できる喜びをかみしめ、「中川會」は元気に営業を続ける。 「未経験でも頑張ればできる。こんな我々を受け入れてくれるラーメン業界はありがたいなと思っています。旦那が突然ラーメン屋をやりたいと言い出したときは驚きましたが、この場を与えてもらったことに感謝しています。毎日ケンカ、仲直りの連続ですが、ラーメンを通して気持ちをしっかり交換できているのでここまで続けてこられたのだと思っています」(陽子さん) 店の歩みが刻まれている(筆者撮影)  そんな陽子さんの愛する一杯は、ラーメン界の革命児が作るふぐだしラーメン。アイデアあふれる新たなラーメンを次々に作り出す天才である。 ふぐだし潮 八代目けいすけ 東急プラザ店/〒104-0061 東京都中央区銀座5-2-1 東急プラザ地下2F/11:00~22:00(LO 21:30)【金土】11:00~22:30(LO 22:00)/筆者撮影 ■「若さで乗り切ってきた」 ラーメン界の革命児が明かす多店舗展開の裏側 「けいすけ」。フレンチや和食出身の店主・竹田敬介さんがその幅広い経験から考案するラーメンは、どれも新しく挑戦的で、業界の革命児と呼ばれる存在だ。東京と千葉に6店舗を展開し、海外にも進出するワールドワイドな店である。  広島出身の竹田さんは、幼い頃は父が転勤族で各地を転々としたという。その後、調理師学校に入るために新潟・長岡へ。17歳だった。中学卒業後に和食のお店でアルバイトを始め、飲食が働く場所として純粋に楽しかったのだという。  調理師学校でたまたま一緒になったのが、のちに新潟ラーメン専門店の「我武者羅」を率いる蓮沼司さんだった。学校ではケンカばかりで、将来は見えてこず、料理をしっかり学べている感覚もなかったという。  卒業後、結婚式場のレストランに入社。フレンチの技術を学び、今後の方向性を固める。その後、渋谷の老舗レストランに勤めたことで、さらにフレンチの世界にのめり込んだ。 ラーメン界の革命児・竹田敬介さん。和食やフレンチで腕を磨いた(筆者撮影)  その後、知人の誘いを受け、蓮沼さんと2人、渋谷区・松濤にあるレストランのシェフとして働き始める。24歳で料理長に抜擢(ばってき)。テレビにも多数取り上げられ、一時は時の人になった。  経験を積んで技術もあったが、考えはまだ甘かった。バブルの終わりとともにオーナーが店を続けられなくなり、倒産してしまう。八王子市にあるホテルの料理長に声をかけてもらい、副料理長として働いていたが、このままフレンチで独立できるのか不安な日々が続いていた。  その頃は、飲食業界全体で見ると、中級クラスの居酒屋業態が元気だった。高級店ではないが、こだわりの料理を提供しているような店である。竹田さんは一度フレンチ以外の業態を経験することで、店作りや経営のノウハウを学ぶことにした。こうして18店舗を展開していた大手の居酒屋チェーンに入社する。27歳だった。  居酒屋チェーンはその料理技術よりも、マニュアルがしっかり整備されていて、技術がなくてもおいしい料理が作れるシステムになっていた。竹田さんは自らの経験を生かしつつ、みるみる出世をし、2年で本社の料理開発担当に抜擢された。その後、新ブランドの立ち上げも担当し、34歳で退職するまで経営のノウハウをしっかり学ぶことができた。 「八代目けいすけ」が入る東急プラザ銀座店(筆者撮影)  いよいよ独立に向け動き始め、1年間の準備期間の後、04年3月、千代田区・神田で居酒屋「和食・炭火焼 美味川柳 炭香」をオープンした。「炭」をテーマにした店で、オープンから徐々に客足を伸ばし、9月頃からは利益が出始めた。店が軌道に乗り始めると、次はラーメン店の開業に向けて動き出した。もともとラーメンが好きで、食べに行っては味を再現していた竹田さん。初期投資のハードルがそれほど高くないこともあり、開店を決めた。 「八代目けいすけ」のふぐだし潮らーめん 美味玉たまり漬け入り。一杯1270円(筆者撮影)  こうして05年、文京区・本郷に「黒味噌ラーメン 初代けいすけ」をオープンした。「すみれ」「彩未」など札幌味噌ラーメンが好きだった竹田さんは、味噌で勝負すると決めていた。居酒屋でコンセプトにしていた「炭」の世界観を合わせ、「黒味噌ラーメン」を仕上げた。当時味噌ラーメンの専門店は都内にはそれほど多くなく、10席のカウンターは毎日開店と同時に埋まったという。  しかし、人気は長くは続かなかった。開店1カ月で閑古鳥が鳴き始めたのである。オープン当時1日170~180食出ていたのが、たちまち30~40食になってしまった。 「八代目けいすけ」のふぐだし潮らーめん 美味玉たまり漬け入り。一杯1270円(筆者撮影) 「単品勝負の怖さです。居酒屋やフレンチは、単品ではなくいろんな料理で総合的に評価されますが、ラーメンは単品で評価されます。80点ぐらいのラーメンだったら、お客さんは、2度目は来ないんです」(竹田さん)  その後ラーメンを改良し、ラーメン評論家・大崎裕史さんのラジオに出演したことをきっかけに少しずつお客さんが増え、取材も来るようになった。行列ができるようになってからは、味を落とさないよう徹底的に改良を重ねた。 「八代目けいすけ」は締めにふぐ茶漬けも食べられる。「ふぐ茶漬け用ご飯」は一食500円(筆者撮影)  竹田さんはその後、あふれるアイデアで数々の店をオープンし、成功させてきた。ラーメンの経歴だけではないからこそのアイデアが思い付くのだという。 「“他にないもの”を個性にして頑張ってきましたね。怖かったですが、若さで乗り切ってきました。トレンドや流行を作っては、その店を閉めて新しくするということをずっとやってきました。『けいすけは次は何をやるんだ?』と注目が集まるのが楽しかったですね」(竹田さん) 「中川會」の女将・陽子さんのお気に入りは、東急プラザ銀座内にある「ふぐだし潮 八代目けいすけ」のふぐだし潮らーめんだ。 「ふぐだしのラーメンだけでもおいしいのに、締めにふぐ茶漬けまで食べられる。銀座で特別な時間を味わえる素敵なお店ですね。けいすけさんはラーメンを以前よりワンランク上の食事にしています。ラーメンを丁寧に食べようとさせることはすごいことだと思います。次々にいろんなラーメンにチャレンジし、成功に導いていて素晴らしいと思っています」(陽子さん) 陽子さんもお気に入りのけいすけ「ふぐ茶漬け」(筆者撮影)  竹田さんは「中川會」こそラーメン店のあるべき姿だと言う。 「古くからのラーメン屋の良さを体現しているお店だと思っています。『中川會』こそがラーメン屋のあるべき姿です。それをノスタルジックなラーメンではなく、つけ麺でやり遂げていることも時代だなと思いますね」(竹田さん)  夫婦経営の店から多店舗経営の店まで、ラーメン店にもいろいろな姿がある。それぞれが刺激を受けながらラーメン業界を発展させているのだ。(ラーメンライター・井手隊長) ○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho ※AERAオンライン限定記事
ラーメン井手隊長
AERA 2021/04/25 12:00
【Vol.4】対話が紡ぐ未来への架け橋~エコ×エネ体験プロジェクトの輪
【PR】【Vol.4】対話が紡ぐ未来への架け橋~エコ×エネ体験プロジェクトの輪
エコ×エネ体験ツアー水力編(高専・大学生@奥只見)のひとコマ。お気に入りのブナの木にもたれて森の音に耳を傾け、静かな時間を体感する(写真提供/電源開発株式会社) 「小江戸」と呼ばれ、歴史を感じさせる蔵造りの町並みが観光客を引き寄せてきた川越に、60年も前から東京へ電気を届け続けてきたJ-POWERグループの施設がある。北日本・東日本の水力発電所および変電所を運転・操作する東地域制御所と、発電所から送られてきた電気を届ける南川越変電所だ(変電所は電源開発送変電ネットワークが運営)。ここには、新潟県と福島県の両県にまたがる奥只見ダムの水力で作られた電気が今まさに届いている。 「あ、来た来た!」  J-POWER広報部の小林庸一が弾んだ声を上げた。2年前の奥只見ツアーに参加した2人の女性がこちらに向かって歩いてくる。小林は、まるで10年来の友人に再会したかのような満面の笑顔で出迎えた。  J-POWERでは毎年、奥只見ダムや岐阜県にある御母衣ダムの水力発電所、神奈川県の磯子の火力発電所を間近に見学できる「エコ×エネ体験プロジェクト」を開催している。小学生親子向けのツアーや高専・大学生向けなど対象も多彩だ。小林が迎えた女性2人は、都内の小学校で教える秦さやか先生と星野光子先生。2年前から新たに始まった教師向けツアーのいわばOGである。 J-POWERグループの変電施設を見て回る教師向けツアー“OG”の2人  環境教育の研究会でツアーの存在を知った秦先生は、「エネルギーと環境を組み合わせたプログラムがあるなんて!」とその場で参加を決めたという。それを聞いて川越勤務で奥只見ツアーのスタッフでもある南栄助が傍らでうなずいた。 「たしかに環境教育と発電設備見学を合わせた体験プログラムをやっているところは、僕が調べた限りではほかにないんですよね」  小林がこう付け加えた。「このツアーはそもそも、J-POWERグループの事業をアピールすることだけが目的のツアーではなく、会社の社会貢献活動の一環として、エネルギーとエコロジー(環境)がつながっていることを一般の方々にも広く知っていただく機会を作りたいという思いから始まったものなんです」  小林は、2007年から始まったエコ×エネ体験プロジェクトの4代目の運営責任者だ。発電の業務に携わっていた時期もあるが、2017年に自ら志願してエコ×エネのスタッフに復帰。ライフワークのような情熱でプログラムの企画・運営に打ち込んでいる。 エコ×エネ体験プロジェクトの2代目運営責任者だった南(右)と小林。2人をはじめとするスタッフ・関係者の熱意とホスピタリティの心が、プロジェクトを支える大きな原動力になっている(写真提供/電源開発株式会社) 乗り気ではなかった。 なのにいつしか大ファンに  星野先生は、上司である校長からの勧めで奥只見ツアーに参加したという。 「週末の2日間を使うツアーなので、参加すると一週間休み無しで翌週の勤務に突入することになるんです。だから、正直なところあまり前向きな気持ちではなかったですね(笑)」  ところが、と星野先生は続けた。 「始まってみたら、小林さんの情熱あふれる語りと、電力と環境のつながりを体感できるプログラムの見事さにぐいぐい惹き込まれてしまって。終わった時には『来年は知人を誘って参加しよう』と心に決めていました」  年ごとにプログラムが違うわけではないのに翌年も参加したいと思わせる理由はどこにあるのだろう? 実は、秦先生は2018年に初参加し、翌2019年にも参加したリピーターだ。 「同じプログラムでも、参加者が違えば互いに話すことも変わってくる。同じものを見ても、最初は新鮮な驚きに圧倒され、2度目は落ち着いて深く理解することができる。1年目と2年目は、私にとってまったく違う体験でした。可能なら毎年参加したいぐらいです」 秦さやか先生(左)と星野光子先生(右) 奥只見で実施された教師向けツアーに参加した秦先生(写真左)と星野先生(写真右)(写真提供/電源開発株式会社)  エコ×エネではパッケージとして完成された何かを“教える”のではなく、“考えるきっかけ”を提供したい、と小林は言う。  発電所やダムの実物、それらを取り巻き、支えている自然環境を間近に見て、体で感じてもらう。エネルギーを作る現場の人の思いを聞き、環境教育のエキスパートの解説に耳を傾け、実験に参加し、スタッフやほかの参加者と語りあう時間をもってもらう。すべてはそこが終点ではなく、考えるためのきっかけ作りに過ぎない。  考える材料として、プログラムでは電力事業のネガティブな側面も包み隠さず話している。たとえば水力発電のためのダム建設時に湖の底に沈んだ村のこと、石炭火力発電のCO2排出のこと……。日本中が原発事故の恐ろしさを目の当たりにした東日本大震災の年にも、迷いはあったが「今こそ、エネルギーについて多くの方に考えてほしい」とプロジェクトを継続してきた。 「環境にも社会にも悪影響がない100点満点のエネルギーは存在しない。といって電力を使わない世界を目指すのも現実的でない。だから僕らの答えを押し付けるのではなく、一緒に考えてみよう、と呼びかけています」(南) 御母衣で行われている小学生親子ツアー。自然の川で手作り水車を回して電気が発生する仕組みを学ぶ(写真提供/電源開発株式会社) どちらを選ぶかではなく、 どう組み合わせるか  大学生の時に奥只見ツアーや磯子の火力発電ツアーに参加し、御母衣ダムの見学も企画・実施した澤渡麻帆さん。業界やビジネストレンドの情報を扱う仕事をする今も、その経験が生きていることを感じるという。 「よく知らないままだと、エネルギーとエコロジーは相反する関係に見えてしまいますよね。でも、ダムや発電所の見学を重ね、環境とのつながりを教えていただいて自分なりに考えるうちに、どちらかだけを追求するのは結局サステナブルではない、と思うようになりました」  小林が言葉を継いだ。「世の中にはこのように二律背反に見える問題がたくさんあります。たとえばコロナ禍における『健康か、それとも経済か』の問い。便利で清潔なペットボトルが引き起こす環境問題。でもどれも、『どちらを選ぶか』ではなく、良いバランスを探っていかなくてはいけない。若者や子どもたちにとっても身近なエネルギーは、世の中にはこういう課題が数多く存在することを知り、学ぶのに格好の題材ではないかと思うんです」 奥只見(上・中)と磯子(下)で行われた高専・大学生向けツアーの様子。五感を刺激する体験型プログラムは、学生たちにも大好評だ(写真提供/電源開発株式会社) 小さな「種」は 若者の中で芽を出した  体験を通して得る実感は、頭だけで理解した概念とはまるで質が違う。実物を見て、体で感じ、現場の人の話を生で聞くからこそ、自分の納得には誰のものとも交換できないリアリティが宿る。それが人に考えさせ、さらに「行動」へと後押しするのだろう。  大学1年の時に奥只見ツアーに参加した串田大亮さんは卒業して大手飲料メーカーに就職し、昨夏、念願だったCSV(Creating Shared Value=共通価値の創造)の部署に配属されたばかり。参加してから約10年が経つ今も、ツアーの終わり際のことをくっきりと覚えている。 「自分が今後何をしたいかを小さな紙に書いて、みんなと一緒にブナの木が描かれた大きな紙に貼っていく、という時間があったんです」と串田さんは話し始めた。 「その時、僕は『将来は子どもたちに環境のことを教える仕事をしたい』と書きました。もともと環境教育に興味はあったのですが、エコ×エネに参加したら、小林さん、南さんをはじめとするツアースタッフの皆さんがあまりにも輝いていて、自分も絶対こんな仕事をしよう、と強く思ったんです。その後もずっとその思いを持ち続けて、そういう仕事に向かって歩いてきて、今があります。エコ×エネは、僕の仕事の原点です」 学生時代に奥只見でのエコ×エネ体験ツアーに参加した澤渡麻帆さん(左)と串田大亮さん(右)(写真提供/澤渡麻帆、串田大亮)  小林たちが若者に手渡した「きっかけの種」は、小林自身も予想していなかった形で若者の中に根を張り、芽を出していた。少し目を潤ませながら小林は答えた。 「ありがとう。実は僕たちもあの時、目を輝かせて参加してくれた串田くんたちからエネルギーをもらっていたんです」  エコロジーとエネルギー。ツアーを企画する人と参加する人。教える人と学ぶ人。エコ×エネ体験プロジェクトは、「一方から他方へ」ではなく、両者が対等に影響を与え合ってよりよいものを生み出すことの希望を教えてくれる。 学生向けのツアーは基本2泊3日。“同じ釜の飯”の絆と体験は一生ものの財産だ(写真提供/電源開発株式会社) 小林庸一(こばやし・よういち) 東京都生まれ、埼玉県育ち。1996年、早稲田大学法学部卒業。電源開発株式会社入社後、2010年から本店広報室にて社会貢献担当としてエコ×エネ体験プロジェクトに携わったのち、兵庫県・高砂火力発電所での現場業務を経て、2017年よりエコ×エネ体験プロジェクト担当として“復帰”。ツアーやカフェの参加者には「ヨーコバさん」の愛称で親しまれている。 エコとエネが「自分事」になる体験プログラム J-POWERグループが「エネルギーと環境の共生」を目指して取り組んでいる社会貢献活動「エコ×エネ体験プロジェクト」。小学生から大人まで、年齢問わず楽しみながら学べる体験ツアーやワークショップ、ワールドカフェスタイルの語りの場「エコ×エネ・カフェ」などを開催しています。詳しくはこちら > 文:江口絵理 写真:今村拓馬 このページはJ-POWERが提供するAERA dot.のスポンサードコンテンツです。
2021/01/29 10:18
9月以降最も低い最高気温 12月並みも 酸ケ湯では0℃未満で真冬日か
9月以降最も低い最高気温 12月並みも 酸ケ湯では0℃未満で真冬日か
メイン画像 4日、15時までの最高気温は、9月以降最も低くなった所が多く、12月並みの所もありました。青森県八甲田山系の酸ケ湯ではマイナス1.2℃と、0℃未満になりました。 9月以降最も低い最高気温 金沢市では12月上旬並み 酸ケ湯は真冬日か 画像A 4日朝にかけて、本州付近の上空1500メートル付近では、12月並みの寒気が流れ込みました。日本付近は西高東低の冬型の気圧配置になっており、日中も西または北よりの季節風が吹いています。 15時までの最高気温は、札幌市6.4℃、仙台市13.3℃、金沢市11.4℃、高知市18.1℃、福岡市15.6℃など、いずれも、9月以降最も低くなっています。平年より低く、金沢市では12月上旬並みになりました。また、東京都心は18.6 ℃で平年並み、大阪市は17.0℃で11月中旬並みになりました。 ちなみに、全国で最も低かったのは、青森県八甲田山系の酸ケ湯でマイナス1.2℃で、このまま深夜0時にかけて気温が0℃未満で経過すると、今シーズン全国で初めての真冬日になります(真冬日は、日最高気温が0度未満の日)。 あす5日朝にかけて冷える 画像B 冬型の気圧配置は次第に緩み、あす5日朝にかけて、本州付近は移動性の高気圧に覆われる見込みです。北海道の日本海側から北陸では、雨や雪の所がありますが、北海道や東北の太平洋側、関東から九州では晴れる所が多いでしょう。風も比較的穏やかで、地面から熱が奪われる放射冷却現象が強まります。画像C 最低気温は、北海道や東北では、けさ(4日)より高くなる所があり、平年より高い所が多いですが、関東から九州では、けさと同じくらいか低く10℃以下の所が多いでしょう。11月下旬並みになる所もあり、内陸では霜が降りるくらいの冷え込みになりそうです。今夜も暖かくしておやすみください。
tenki.jp 2020/11/04 00:00
パク・セロイの店のチゲは少々お高め? 「梨泰院クラス」ロケ地巡礼でわかった意外な事実
パク・セロイの店のチゲは少々お高め? 「梨泰院クラス」ロケ地巡礼でわかった意外な事実
歩道橋から眺めるNソウルタワー。空気が澄む秋の日は特に美しく見える。手すりに肘をついてしばらく眺めていく人が多かった(写真・鈴木はな)  いがぐり頭の若者を、こんなに好きになると思わなかった。「愛の不時着」と人気で肩を並べる「梨泰院クラス」の舞台を新型コロナで行きたくても行けない今、現地ライターが歩いた。AERA2020年10月26日号の記事を紹介する。 *  *  *  曲がったことが許せない。たとえ友人だろうと警察だろうと、納得いくまで筋を通す──。  現在ネットフリックスで配信中の韓国ドラマ「梨泰院(イテウォン)クラス」は、真っすぐな性格のいがぐり頭の主人公が仲間とともに成り上がっていくストーリー。日本でも大ヒットし、「愛の不時着」同様、新たな韓流ドラマブームを巻き起こしている。筆者が今年3月から留学している本場・韓国では今年初めにケーブルテレビ局JTBCで放送され、話題になった。 イラスト・小迎裕美子  ドラマが人気になれば、そのロケ地も注目されるようになるのは、日本も韓国も同じ。舞台となった街、梨泰院を中心とするソウル市内を旅してみたくなるが、コロナ禍で日本から行くのは難しい。そこで今の梨泰院はどうなっているのか、留学中の筆者がナビゲートしよう。 六本木のような街並み  まずは、簡単にドラマのあらすじから。  パク・ソジュン演じる主人公パク・セロイは、巨大飲食企業・長家(チャンガ)の会長と息子によって父を殺され、セロイも殺人未遂の罪で服役する。刑期を終えたセロイはやがて、父の仇討ちを胸に、ソウルの飲食店激戦区である梨泰院に小さな居酒屋を開き、仲間とともに長家に挑むという青春群像劇だ。単純な復讐モノではない。恋愛や格差社会を生きる若者たちの苦しみをも描く濃すぎるストーリーに、ハマる人が続出している。 イラスト・小迎裕美子 イラスト・小迎裕美子  梨泰院周辺はバーやクラブの他、大使館やインターナショナルスクール、高級ホテルなどがあり、外国人や芸能人が多く暮らす高級住宅街としても知られている。日本で言えば東京・六本木のような場所だ。  ドラマで印象に残るのが、Nソウルタワーの見える歩道橋だ。 (写真・鈴木はな)  舞台となった歩道橋は地下鉄6号線の梨泰院駅の隣、緑莎坪(ノッサピョン)駅を降りてすぐのところにある。歩道橋からは南山(ナムサン)が見え、夜になると、ライトアップされたNソウルタワーがキラキラと、まるで暗闇に浮かんでいるように見える。筆者も渡韓して以降、コロナのために一度も日本に帰れていない。ソウルを代表するような美しい夜景を見ていたら「私もここで絶対に夢を叶えてやるぞ!」とセロイのような気持ちがじわじわと盛り上がってくる。 セロイが幼なじみのオ・スア(クォン・ナラ)をおぶって歩くシーンが撮影された階段。記念撮影する人もいた(写真・鈴木はな) (写真・鈴木はな) 外国人がこんなに!  取材で訪れた日は、カップルや女性グループが次々に来て、Nソウルタワーを背に写真を撮っていた。外国語を話す人の姿も目立つ。  今、ソウル市内で外国人の姿を見ることは、コロナ前に比べて大きく減った。コロナの影響で、韓国政府は海外からの入国者にPCR検査と2週間の隔離を義務づけているからだ。さらに8月半ば以降、ソウルを含む首都圏でコロナの新規感染者が再拡大し、飲食店の営業が一時期、午後9時までに制限されるなどしたため街を歩く人の数は減っていた。だがこの日の梨泰院周辺には、「こんなにいたのか!」と驚くほど、在住者や留学生であろう多くの外国人が屋外のテラス席でお酒やお茶を楽しんでいた。 タンバムの外観。看板も店内の様子も、ほぼドラマに出てきたままだ。通りすがりに写真を撮っていく人が多かった(写真・鈴木はな) ドラマを見て訪れたのだろうか。チゲを食べている人が目立つ。店内だけでなく、ドラマにも登場した屋上で食べることもできる(写真・鈴木はな) ドラマの店そのまま  歩道橋を渡り、カフェや飲食店が集まる道を5分ほど歩くと、セロイが最初に開いた店「タンバム」がある。看板も外観もドラマに出てきた店そのまま。入り口にはテレビでの放映当時からあったのか「JTBC 梨泰院クラス 多くの視聴をお願いします~」と書かれた黒板がかかっていた。  ずっと気になっていたのがタンバムの看板メニューとして登場する純豆腐(スンドゥブ)チゲだ。セロイと最愛の父の思い出の味でもあり、深夜、チゲを食べるシーンを見ながら「今すぐ純豆腐チゲを食べたい!!」と悶絶したのは私だけではないはずだ。 カボチャが入ったチゲ?  実はこのチゲ、リアルなお店でも人気のメニュー。ドラマと同じ銀色の丸テーブルに座り、メニューを開くと、一番上に純豆腐チゲとブタキムチ炒めのセットがあった。値段は3万ウォン(約2700円)と、韓国の家庭料理の定番でもあり、庶民の味である純豆腐チゲとブタキムチにしてはなかなか強気な値段。通常の1.5倍はする。  チゲは卓上コンロで火にかけて食べるスタイルで、運ばれてきた鍋には、純豆腐チゲではあまり見かけないカボチャが入っていた。少し不安がよぎったが、秋の風に吹かれながら熱々のチゲを口に運ぶと、辛すぎず、親しみやすい味でなかなかおいしかった。 イラスト・小迎裕美子  歩いてみてわかったのは、梨泰院は坂が多い街だということだ。ドラマにも坂道や階段が頻繁に登場する。それらのシーンは、個性的な店が並ぶ解放村(ヘバンチョン)でのロケが多い。  駅から続く坂道を10分ほど上がっていくと、レンガでできた低層住宅が並ぶレトロな街並みが見えてくる。ソウル中心部にしては珍しく高い建物がほとんどないので、階段や路地のあちこちからNソウルタワーが見える。若いアーティストや外国人も多く住んでおり、古い市場や食堂に交じって、オシャレな古書店やカフェもあり、デートスポットとしても人気らしい。この日も多くのカップルが秋の日の散歩を楽しんでいた。 (写真・鈴木はな) 日本の植民地支配から解放された後、海外から戻ってきた人が多く住んだという解放村。展望台からはソウルの街が見える(写真・鈴木はな)  息を切らしながら坂を上りきったところにある展望台にのぼると、眼下にソウルの街が広がる。そんな眺望を生かし、界隈には屋上やテラスに席を設けているカフェも多い。 ド派手「長家」実は遠い  ロケ地の多くが梨泰院周辺に集まっているが、セロイの宿敵、長家が経営する居酒屋のロケ地となった建物は、地下鉄2号線弘大入口(ホンデイック)駅近くにある。梨泰院からは電車で20分ほどの場所だ。駅名にもなっている弘益(ホンイク)大学校(弘大)は芸術系学部が特に有名で、大学周辺にはクラブや飲食店など若者に人気の飲食店が多い。 長家が経営する居酒屋として登場する建物がある弘大も、梨泰院と並ぶ飲食店激戦区。週末には多くの人で賑わう(写真・鈴木はな) イラスト・小迎裕美子 イラスト・小迎裕美子  そのなかでもひときわケバケバしい建物が長家だ。実際に居酒屋なので、店内で食事をすることもできる。  韓国も日本と同様、コロナの影響で厳しい状況が続いている。ソウル市では8月下旬以降、自宅以外でのマスクの着用が義務化され、10月13日以降は違反者に10万ウォン(約8900円)以下の罰金が科されることになった。またカフェやレストランなどで飲食をする場合は、アプリによる本人認証か名簿に連絡先の記入を求められるなど、ものものしい雰囲気が続いている。  以前のように観光客が自由に行き来できる日が来るまでにはまだ時間がかかるかもしれないが、コロナ禍が過ぎたら、その時はぜひ梨泰院の街を訪ねてみてほしい。(文・鈴木はな 取材協力・金洋見) イラスト・小迎裕美子 ※AERA 2020年10月26日号
梨泰院クラス韓国
AERA 2020/10/25 17:00
熱暑を乗り切るエアコン術、約54%もの人が誤解している機能とは?
熱暑を乗り切るエアコン術、約54%もの人が誤解している機能とは?
※写真はイメージです(GettyImages) 【図1】サーキュレーターのファンを窓に向けて室内の空気を外に出す 画像提供:ダイキン工業 【図2】「画像のように部屋に窓がない場合は、ドアを開けて外に向けて扇風機を使いましょう。換気扇を使ったり別の部屋の窓を開けたりすると、より効率的に換気できます」(野呂氏) 画像提供:ダイキン工業 【図3】「2つの窓を開けて換気をする際は、なるべく遠くにある窓を開けます。開放する窓が近すぎると、全体に空気が行き渡りません」(野呂氏) 画像提供:ダイキン工業 【図4】風向を下向きにすると、部屋の中で“温度ムラ”ができやすくなる。風向を「下向き」にすると、部屋の上に温かい空気がたまり、設定温度に達しないので、余計に電力を消費してしまうという  画像提供:ダイキン工業  命の危険を感じさせる酷暑の夏が続いており、エアコンは手放せない。その一方で、今年は新型コロナウイルスの流行を防ぐために、こまめな換気が叫ばれている。暑さをしのぎつつ、換気をする方法はあるのだろうか。(清談社 真島加代) ■54.4%の人が知らない事実 ほとんどのエアコンにない機能とは?  夏を快適に過ごす必須アイテム、エアコン。エアコンで部屋を冷やすには、なるべく窓やドアを閉めて換気をしないのが通説だが、2020年の夏は勝手が違う。 「今年は新型コロナウイルスの感染を防ぐためにも、こまめな換気が必要といわれています。ただ、窓を開けているだけでは涼しくならないですし、熱中症のリスクもあるので、エアコンを使いながら換気をする必要がありますね」  そう話すのは、ダイキン工業の広報・野呂朋未氏。今夏は、熱中症を防ぎながらも室内の空気を入れ替える工夫が必須。そのためにも、まずはエアコンに対する、1つの誤解を解かなければならない。 「『エアコンには換気もできる』というイメージを持つ人もいるかもしれませんが、ほとんどのエアコンは換気機能を搭載していません。エアコンは、室内の空気を吸い込んで冷やしたり温めたりする冷暖房機器なので、部屋の空気を循環させているだけで、室外の空気と入れ替えるものではないんです」  ダイキンが実施した調査(※)でも、54.4%の人がエアコンでは換気できないことを「知らなかった」と回答しているそう。冷風が出ていると清々しさを感じるが、空気が入れ替わっているわけではないのだ。 (※)「コロナ禍における『換気に対する実態調査』」/2020年4月24~26日/全国の男女500名 ■換気は30分に1回が理想 2つの窓を開けるのが基本  そして、野呂氏は「換気の回数は多ければ多いほどいい」と話す。 「一般的な目安は最低1時間に1回、5~10分間の換気です。理想は30分に1回、5分間の換気ですが、夜眠っている間や外出中は窓を開けられないので、起床時と家を出る前、そして帰宅後も空気を入れ替えましょう」  30分に1回は少し大変かもしれないが、感染リスクを下げるためにも、こまめな換気は心がけたい。そして「短時間で効率よく換気をするにはコツがある」と野呂氏。 「空気を入れ替えるには外気を入れるだけでなく、こもった空気を排出しなければならないので、2つの窓を開放して空気の通り道をつくりましょう。なるべく遠くに位置している対角線上にある窓を2つ開けておくと、より効率的に換気できます。さらに、窓の外に向けて扇風機やサーキュレーターを設置すれば、より早く室内の空気を外に逃がせます」※【図1】  窓が1つしかない場合は、これらの送風アイテムに加えて換気扇の併用がおすすめだ。 「細長い1Kの部屋はベランダの戸が1つしかない部屋が多いです。その場合はベランダを開けて扇風機のファンを外に向け、台所の換気扇を回します。空気の入り口がベランダしかなくても、換気扇が室内の空気を外に出してくれます。間取りによって空気の流れは違うので一概には言えませんが、『部屋の汚れた空気を外に出す』というイメージを持って工夫すれば、最適解が見つかるかもしれません」※【図2】 ■コロナ対策で換気しながら節電する4つのポイント  しかし、クーラーを使用しながら空気を入れ替えるとなると、気になるのが「電気代」だ。 「たしかに、換気をしない場合に比べると多少電気代はかさみますが、いくつかのポイントを押さえれば節電も可能です」 ●帰宅後はクーラーをつける前に換気  感染症防止の目的だけでなく、夏はエアコンの電源をONにする前に換気をしてほしい、と野呂氏。 「熱気がこもった部屋をエアコンで冷やすには、かなりの電力を消費します。まずは外の涼しい空気を室内に取り入れてから、エアコンに電源を入れましょう。先述のように、窓を2カ所開けて扇風機やサーキュレーターを使うと、部屋の熱気を逃がすことができます」※【図3】 ●換気中もエアコンの電源は切らない 「エアコンは電源を入れて起動するときに、最も電力を消費します。なので、短時間でONとOFFを繰り返すと、逆に電気代がかかってしまうのです。換気中もエアコンはONのままにするのがベスト。その際は、リモコンで設定温度を下げて冷たい風を保ち、熱中症対策を心がけましょう。温度設定は、寒すぎず暑すぎないお好みの温度を探ってみてください」  電気代節約のために熱中症になっては本末転倒。エアコンの電源ではなく、リモコンで温度を調節するのが鉄則だ。 ●換気後は「風向」と「風量」の調節が肝  換気が終わって窓を閉めた後に、早く部屋を冷やすのが節電への近道。リモコンでの「風向」と「風量」の調節がカギを握る。 「換気後、風量は『自動』に設定します。節電のためにずっと『弱』に設定している人もいますが、『弱』のままだとなかなか設定温度に到達できないので、長時間一定の電力を消費し続けてしまいます。『自動』設定なら、換気直後は強風になり、部屋が冷えたら弱に切り替わるので、より効率的に部屋を冷やすことができます」  一方、風向は「上向き」か「平行」に設定してほしい、と野呂氏。その理由は、温かい空気は軽く、冷たい空気は重いという“空気の性質”に起因しているという。 「冷風は重いので、部屋の下に溜まっていきます。そのため、風向を上向きや平行にすると、自然と冷風が降り注いで室内の“温度ムラ”をなくすことができます。また、エアコンの中には温度計があり、部屋の上部が冷えれば自動で風量を抑えて、冷えすぎを防いでくれます」※【図4】 ●扇風機、サーキュレーターを使って空気をかき回す  部屋を早く冷やすには「室内の空気をかき回す」のもポイント。換気の際に使った扇風機やサーキュレーターなどの送風アイテムは、ここでも活躍する。 「『L字型』の間取りで部屋の隅に冷風が届かない場合は、熱気が溜まっている場所に風を当てて空気を散らしましょう。また、冷たい空気が溜まっているところに扇風機を当てれば、冷気が拡散して温度ムラがなくなります」  送風アイテムはファンが回るだけなので、電気代があまりかからないそう。ぜひエアコンと併用してほしい。 「今年の夏は、自宅勤務のビジネスパーソンも多いと思います。しっかり換気をしながら、エアコンで熱中症対策をしてみてください」  酷暑が続くコロナの夏。しかし、コツをつかめば、換気と節電の両立も夢じゃない!
ダイヤモンド・オンライン 2020/08/24 15:43
パン屋の本屋、韓国本専門も 「御書印」のユニーク書店4選
パン屋の本屋、韓国本専門も 「御書印」のユニーク書店4選
 今年3月から始まり、全国135の書店が参加する「御書印プロジェクト」。寺社の「御朱印」のように、書店員が「御書印」をしたためてくれる。参加店の中から、個性的な4店を紹介します! パン屋の本屋/芝生を挟んで向かい合うパン屋と本屋。絵本をモチーフにした菓子パンやカレーパン、もちもちの食パンが人気 (撮影/写真部・小黒冴夏) *  *  * ■パン屋の本屋 芝生広場のある、街の本屋 日暮里の住宅街にあったフェルト工場が、地域密着型の複合施設に生まれ変わったのは2016年のこと。書店の約半分は絵本や児童書などで、パンや食、ライフスタイル系の本も充実している。購入後、敷地内のカフェですぐ読む人も。「御書印を始めて初来店の方が増えました。集めている人は本好きが多く、会話もはずんでいます」(店長の近藤裕子さん) パン屋の本屋 (撮影/写真部・小黒冴夏) おすすめの一冊 『マカン・マラン 二十三時の夜食カフェ』(古内一絵) パン屋の本屋/おすすめの一冊『マカン・マラン 二十三時の夜食カフェ』(古内一絵) (撮影/写真部・小黒冴夏) ある街に元エリートで、今はドラァグクイーンのシャールが営むカフェがある。様々な悩みを持つ客に、シャールはどんな料理を提供する? 「御書印に書いているのは、この本の一節。人間の機微が詰まっている小説です」 パン屋の本屋 「御書印」 (撮影/写真部・小黒冴夏) 住所:東京都荒川区西日暮里2‐6‐7ひぐらしガーデン1F/影響時間:10:00~18:00 /定休日:月 ■チェッコリ 韓国語の原書や翻訳本の宝庫 チェッコリ/御書印にハングル文字で記されるのは、韓国の大型書店・教保文庫創業者のシン・ヨンホさんの「人は本を作り、本は人を作る」という言葉 (撮影/写真部・小黒冴夏) 神保町の一角にあり、「韓国と本でつながる」がキーワード。韓国語の文芸書やエッセー、児童書、実用書、韓国語学習書などが豊富に揃う。広報の佐々木静代さんが、SNSで御書印プロジェクトのことを知り、「面白くていい企画だ!」と参加を決意した。「“韓国の本”に特化して扱っているので、この店を知らない人に来てもらえてうれしいです」 おすすめの一冊 『それでも、素敵な一日』(ク作家) チェッコリ/おすすめの一冊『それでも、素敵な一日』(ク作家) (撮影/写真部・小黒冴夏) 幼い時に病気で聴覚を失い、視力も失うことがわかった著者が、自らの分身であるうさぎのベニーを通して、今を生きる大切さを綴ったエッセー。「韓国で5年前にベストセラーになり、今年日本語版が発売。原書も扱ってます」 チェッコリ 「御書印」 (撮影/写真部・小黒冴夏) 住所:東京都千代田区神田神保町1‐7‐3三光堂ビル3F/営業時間:12:00~20:00 (土曜は11:00~19:00)/定休日:日、月 ■青猫書房 絵本や児童書、猫がたくさん 青猫書房/店名のとおり猫に関するものもたくさんある。ギャラリーとカフェスペースがあり、随時原画展なども開催 (撮影/写真部・小黒冴夏) 図書館の児童書担当だった岩瀬惠子さんが開いた同店。約4500冊の児童書や絵本があり、コロナ自粛中も土日だけ営業し、客にも喜ばれた。御書印に記す「絵本から児童文学に続く、ゆきて帰りし物語」という一文は、岩瀬さんが尊敬する児童文学者・瀬田貞二さんの言葉から。店をいつでも来て帰れる場所にしたいという岩瀬さんの思いが詰まっている。 おすすめの一冊 『空猫アラベラ』(アティ・シーへンベーク・ファン・フーケロム) 青猫書房/おすすめの一冊『空猫アラベラ』(アティ・シーへンベーク・ファン・フーケロム)があり、随時原画展なども開催 (撮影/写真部・小黒冴夏) 猫天国に召された猫が、宇宙カゴに乗って飼い主のおばさんに会いに行くと──。翻訳者の女性がオランダで見つけて一目惚れし、日本語版を刊行。「死別した猫と飼い主の話ですが、あっけらかんとした、楽しい絵本です」 青猫書房 「御書印」 (撮影/写真部・小黒冴夏) 住所:東京都北区赤羽2‐28‐8 Timber House 1F営業時間:11:00~19:00(日曜は~17:00)/定休日:火 ■本とコーヒーtegamisha 暮らしを豊かにする本が見つかる 本とコーヒーtegamisha (撮影/写真部・小黒冴夏) 趣味や食、旅などのライフスタイル全般を中心に、センスよく選書された本が充実している。7月中旬にリニューアルし、ケーキや軽食、自家焙煎のコーヒーやクラフトビールなどがテイクアウトできるように。「コロナ自粛中は書店を閉めてテイクアウトだけでしたが、その間も御書印のお客さんが来てくださり、うれしかったです」(店長の城田波穂さん) 本とコーヒーtegamisha/御書印プロジェクト共通の3つの印とは別に、オリジナルのスタンプも用意。一筆は絵本『めがねこのぼうけん』の一節から (撮影/写真部・小黒冴夏) おすすめの一冊 『ボッティチェリ 疫病の時代の寓話』(バリー・ユアグロー 訳/柴田元幸) 本とコーヒーtegamisha/おすすめの一冊『ボッティチェリ 疫病の時代の寓話』(バリー・ユアグロー 訳/柴田元幸) (撮影/写真部・小黒冴夏) NY在住の作家バリー・ユアグローさんが、コロナでロックダウン中に感じたことを短編小説にし、翻訳者の柴田元幸さんに送ったところ、「読者に届けたい」と緊急出版。「不思議な物語で、読むたびに印象が変わります」 本とコーヒーtegamisha 「御書印」 (撮影/写真部・小黒冴夏) 住所:東京都調布市菊野台1‐17‐5 1F/営業時間:11:30~18:30/定休日:月、火 ※営業時間等は変更の可能性あり (取材・文/吉川明子) ※週刊朝日  2020年8月7日号
週刊朝日 2020/08/03 17:00
炊飯器でプリン?保温スイッチ押すだけ!ガス・IHナシで猛暑を乗り切る浜内千波さんのレシピ
炊飯器でプリン?保温スイッチ押すだけ!ガス・IHナシで猛暑を乗り切る浜内千波さんのレシピ
炊飯器に材料を入れて保温しておけばできあがり!(撮影・石田健一)  暑い日が続くと、毎日の炊事で火を使うのがおっくうになってきます。火を使わず調理したいものですが、そうなると料理のバリエーションも限られてきます。簡単レシピの草分け的存在、料理研究家の浜内千波さんは著書『炊飯ジャーでおかず革命』(双葉社)で、保温スイッチを押すだけで料理ができる“炊飯ジャーレシピ”を紹介しています。 「炊飯ジャーの保温機能を活かせばいろんな料理を作ることができるんですよ。材料を入れて保温スイッチを押せば、後は“ほったらかし”。火を使わないので夏の調理に向いていますし、火加減のチェックやそばについている必要もありません」(浜内さん)  焦がしたり、煮すぎたりという失敗もないので、料理初心者にも向いているという。浜内さんオススメの、「これ、炊飯器で作れるの!?」と思わず叫んでしまうような驚きの3品を紹介します。 ■ 炊飯ジャーまるごとプリンプリンもこのとおり炊飯ジャーで作れます(撮影・石田健一) [材料](4人分) 卵…4個 砂糖…大さじ2 牛乳…2カップ弱 [カラメルソース] 砂糖…大さじ6 水…大さじ3 [作り方] (1) カラメルソースを作る。フライパンに砂糖を入れ、中火から中火強であめ状の茶褐色になるまで火にかける。火を止め、水を入れ、再び中火で全体を煮溶かす。水の中に数滴たらし、水あめ状になったらOK。 フライパンに砂糖を入れる(撮影・石田健一) 中火から中火強であめ状の茶褐色になるまで火にかける。火を止め、水を入れる(撮影・石田健一) 水の中に数滴たらし、水あめ状になったらOK(撮影・石田健一) (2) 内釜に1を入れ、冷蔵庫で固まるまで冷やす。 (3) ボウルに卵を割り溶き、砂糖を入れてよく混ぜ合わせる。牛乳を注いでさらに混ぜ合わせ、ざるでこす。 (4) 2に3を注ぎ入れる。保温スイッチを押し、4時間おく。 (5) 器に裏返して盛る(崩れやすいので注意してください)。  プリンは裏返さず、すくって小さな器に盛ってもいいでしょう。。また、カラメルソースを作る手間を省きたい場合は、カラメルソースなしで作り、食べるときにメープルシロップやアガペシロップなどをかけてもおいしくいただけます。 ■ インパクト大! 塩釜の中からチキン 塩釜チキンの見た目(撮影・石田健一) 塩釜を割ると中からチキンが(撮影・石田健一) [材料](4人分) 鶏もも骨つき肉(大きめの場合は、骨に沿って切り込みを入れる)…2本 塩…2キログラム 卵白…2個分(卵の大きさによって加減する) キャベツの葉(できれば外葉、レタスでも可)…2~4枚 [作り方] (1) 塩に卵白を半量ずつ入れて(一度に入れるとやわらかくなりすぎるので)、空気を含ませるように混ぜ合わせる。塩と卵白がよく混ざり、握って固まればOK。 塩に卵白を半量ずつ入れて(一度に入れるとやわらかくなりすぎるので)、空気を含ませるように混ぜ合わせる(撮影・石田健一) 塩と卵白がよく混ざり、握って固まればOK(撮影・石田健一) (2) 内釜にクッキングペーパーを敷き、1の塩を半量入れて広げ、塩が隠れるようにキャベツの葉をかぶせる。鶏肉をのせ、鶏肉が隠れるようにキャベツの葉をかぶせて残りの塩で覆い、しっかり押える。 内釜にクッキングペーパーを敷き、塩を半量入れて広げる(撮影・石田健一) 塩が隠れるようにキャベツの葉をかぶせる(撮影・石田健一) キャベツの上に鶏肉をのせる(撮影・石田健一) (3) 保温スイッチを押し、4時間おく。 (4) クッキングシートを持ち上げ、ゆっくりと炊飯ジャーから取り出す。  塩釜を割る前は、まるで生クリームのホールケーキのようなたたずまい。食べるときは、塩釜を割り、それを取りのぞいてキャベツもはずしてから、どうぞ。。塩と鶏肉の間にキャベツを敷くことで、塩加減がちょうどいい塩梅になります。 ■ 保温40分でできる本格ローストビーフ 本格ローストビーフも炊飯ジャーでできる(撮影・石田健一) [材料](4人分) 牛もも塊肉…500g 塩…小さじ2弱 こしょう…少々 好みの葉野菜…適量 粒マスタード…適量 わさび…適量 しょうゆ…適量 [作り方] (1) 牛肉は塩、こしょうをふり、まんべんなくすり込む。 塩、こしょうをすりこむ(撮影・石田健一) (2) フライパンで中火で4面を1分ずつ焼く。 それぞれの面を1分ずつ焼く(撮影・石田健一) (3) 炊飯ジャーの内釜に入れ、保温20分で裏返し、さらに20分保温する。 (4) 3を取り出してアルミ箔で包み、冷めるまでおいておく。 (5) 薄切りにし、野菜と粒マスタード、わさび、しょうゆを添える。  炊飯ジャーの保温温度は70度前後。肉のうま味成分を閉じ込めるのがこの温度帯です。保温スイッチを入れれば徐々に温度が上がり、形が崩れたりすることもありません。炊飯ジャー調理は肉料理に向いています。 ※炊飯ジャーの保温機能の温度は70度前後です。機種によって若干温度が違いますので、保温時間は目安です。使用する炊飯ジャーによって保温時間を加減してください。 (撮影/石田健一、取材・文/スローマリッジ取材班 時政美由紀) ■浜内千波さん Instagram:https://www.instagram.com/chinami_hamauchi/ Youtube:https://www.youtube.com/channel/UCXKiYWKMbuVe6fhlqA8_u5w
グルメレシピ
dot. 2020/07/28 11:30
こんな時期は「家ヨガ」で気分爽快! 漫画家大日野カオルコさんが3ポーズを伝授
こんな時期は「家ヨガ」で気分爽快! 漫画家大日野カオルコさんが3ポーズを伝授
ヨガをすると、心が上ずっているわけでも、落ち込んでいるわけでもない、フラットでニュートラルな気持ちに(マンガ/大日野カルコ)  漫画家の大日野カルコさんは、勤めていた会社が倒産し、失業。揚げ句に離婚し、実家に出戻るが、漫画家業はうまくいかず、焦るばかり。さらには、実家の階下に住む老夫婦がクレーマーで、心療内科に行くまでに……と、ここ10年ほど、底辺の日々を送っていた。そんなとき、出会ったのが「ヨガ」。意識の変化が大きかったという。大日野さんに、新型コロナウイルス感染予防のために自宅で過ごす人でも取り入れやすい「家ヨガ」を教えてもらった。 *  *  * ■意識が低い人こそ、ヨガの世界に飛び込んでほしい 「ヨガは、意識が高い人がするもの、と思っていました。でも、やってみて、私のように“意識が低い”人間にこそ、向いているんじゃないかと思ったんです」  と大日野さんはヨガを「意識が低い人」にも勧める。きっかけはネガティブな姉の変化。口を開けば、「しんどい」「眠い」「もう動かれへん」といった言葉ばかり発していた姉が、「ヨガ、めっちゃ気持ちいい!」とニコニコ顔で言うので、「これは何かある!」と、大日野さんもヨガスタジオで体験してみたという  すると、独身、実家暮らしに変わりはないが、意識はまったく変わった。ダメな自分も「これが私なんだから」と受け止められ、気持ちがフラットになって、焦らなくなった。いつ老夫婦からクレームを言われるかわからない自宅でビクビク過ごすより、ヨガスタジオに出かけることで、“逃げ場所”ができ、ヨガをしているときは気分転換できた。大日野さんはヨガにどはまりし、その体験を『意識低い系ヨガのすすめ ~ヨガを始めたら自分を好きになれました~』(ナツメ社刊)にまとめ、出版したほどだ。 「『興味はあるけれどなんとなく敷居が高い』『病気ではないけど体に不調を抱えている』といった人も、思いきってヨガの世界に飛び込んでみればいいと思います」  と大日野さん。ヨガはどんな人も包み込む包容力が半端ないのだ。 ■普段の生活にもヨガのポーズを取り入れられる! 「新型コロナの影響でヨガスタジオも休講しているところが多いですよね。スタジオに行けなくても、ヨガはどこでもできるのもいいところです」  実際、大日野さんは在宅での仕事が基本なので、仕事の合間にすることもある。ここ数カ月、運動不足の人も多いだろう。同じ姿勢でいると体が凝り固まり、頭痛、肩こりなどを引き起こす。普段の生活にもヨガのポーズは取り入れることができるので、大日野さんに、オリジナルのやり方をいくつか教えてもらった。 ・洗濯物をたたむついでに開脚&ねじりポーズ (1)息を吸いながら、背筋を伸ばす。つま先は立てる。 背筋を伸ばす。つま先は立てる。「吸」のマークは、そのポーズをとる際に、意識して息を吸ってださいという意味(マンガ/大日野カルコ) (2)背筋を伸ばしたまま、気を吐きながら腰からねじる。 腰からねじる。「吐」のマークは、そのポーズをとる際に、意識して息を吐いてくださいという意味(マンガ/大日野カルコ) ・赤ちゃんをあやしながら、獅子のポーズ (1)腰を立て、前かがみで座る。背筋を伸ばし、お尻の穴を上に向けるイメージで。 腰を立て、前かがみで座る(マンガ/大日野カルコ) (2)顔を中心に寄せるイメージで、息を吸いながら顔をグシャッとする。 息を吸いながら顔をグシャッとする。「吸」のマークは、そのポーズをとる際に、意識して息を吸ってくださいという意味(マンガ/大日野カルコ) (3)目線は上、思いきり口を開け、息を吐きながら舌を出す。 )目線は上、口を開け、舌を出す。「吐」のマークは、そのポーズをとる際に、意識して息を吸って、吐いてくださいという意味(マンガ/大日野カルコ) ・落ち込んだら、キャットストレッチ (1)息を吐きながら背中を丸める。 背中を丸める。「吐」のマークは、そのポーズをとる際に、意識して息を吸って、吐いてくださいという意味(マンガ/大日野カルコ) (2)思いきり息を吸い、体を反らす。 背中を丸める。「吐」のマークは、そのポーズをとる際に、意識して吐いてくださいという意味(マンガ/大日野カルコ) (3)息を吐きながら背中を丸める。 背中を丸める。「吐」のマークは、そのポーズをとる際に、意識して息を吐いてくださいという意味(マンガ/大日野カルコ) ■自分の体と心に向き合い、生活を整えよう  家ヨガは、やる気になった時だけでいいという。大日野さんも自分に強要はしていない。  ヨガをして、クリーンな頭と心で1日を始められる。「これ以上の幸せってあるのかな?」と思うそうだ。朝、パッと起きられる、ゴミ出しができる、自分からあいさつができる、同居する家族や飼い猫とも、機嫌よく接することができる。そんなとき、「あ~、気持ちいい!」と幸福感を感じるという。  えたいの知れないウイルスが蔓延し、日常生活が足元からぐらついている。そんな今だからこそ、自分の体と心に向き合って、生活を整えたい。ヨガは救世主になるかもしれない。(マンガ/大日野カルコ、取材・文/スローマリッジ取材班・時政美由紀)
新型コロナウィルス
dot. 2020/04/18 11:30
幻想的な景観を楽しむスキー&スノボ旅!絶景スノーリゾート5選
幻想的な景観を楽しむスキー&スノボ旅!絶景スノーリゾート5選
スキー&スノーボードは元来、大自然の中で楽しむもの。スポーツではあるけれど、その大自然の絶景もぜひ堪能いただきたい! ということで、今回はこれからでもまだ間に合う! そんな幻想的なスノーリゾート5選をご紹介します。極寒の地に広がる氷の街「アイスヴィレッジ」。星野リゾート トマム(北海道) トマムの絶景を彩るアイスヴィレッジ&霧氷テラス 絶景スノーリゾートの代表格が星野リゾート トマム。グリーンシーズンは雲海テラスで人気ですが、その雲海テラスが冬は霧氷テラスへ。霧氷とは氷点下の環境で、空気中の水蒸気や霧が樹木に着く現象。本来、茶色や深緑の木々が真っ白になることで、空の青とのコントラストも相まって、とても素敵な空間へと様変わりするわけです。 山麓から雲海ゴンドラに乗って約13分。もちろん、下山もゴンドラが利用できるので、滑らなくてもこの絶景を堪能できます。そして、テラスから約200m歩くと、断崖絶壁にせり出すような「Cloud Walk(クラウドウォーク)」が出現。ちょっとしたスリルと雄大な冬の景観を楽しめると評判です。スリルと絶景が楽しめるCloud Walk(星野リゾート トマム) そして、トマムを語る上で忘れてはいけないのは、アイスヴィレッジ(営業期間:~3/14)。氷の教会や氷のホテル、さらにはアイスリンクや氷の滑り台など、大人も子供も楽しめるコンテンツが満載。マイナス30度にまで気温が下がるトマムならではの氷の街で、素敵な体験をしてみませんか? 【星野リゾート トマム】 ◆住所:北海道勇払郡占冠村中トマム ◆アクセス:[車]道東道 トマムICから約5km [電車]JR石勝線 トマム駅から送迎バスで約5分 ◆詳細情報はこちらアイスヴィレッジの氷の滑り台(星野リゾート トマム) 車山高原に“映え”写真スポットが続々登場! 日本百名山「霧ヶ峰」の最高峰、標高1,925mの車山山頂から扇状に広がるのが、車山高原SKYPARKスキー場。車山はスキー場のリフト2本を乗り継いで、山頂までは徒歩約5分と、日本一登りやすい日本百名山としても有名。もちろん、2本のリフトはスキーやスノーボードを履いていなくても、登りも下りも乗車可能です。 山頂からは八ヶ岳連峰や北・中央・南の各アルプス、浅間山、さらには、富士山まで、360度の大パノラマを堪能できます。しかも、晴天率は80%を誇り、“車山ブルー”と呼ばれる濃紺の青空とのコントラストで、そこは、まさに幻想的な空間。絵馬台も登場した車山神社(車山高原SKYPARKスキー場) さらに、今シーズンはフォトスポットが続々登場しています。山頂のフォトフレーム「SKY frame」や山麓の「BLUE me」、そして、スキーセンターSKYPLAZA前の「to BLUE」など、映え写真が撮れること間違いなし。この冬、最後の“映え”写真撮影は、車山高原SKYPARKスキー場でキマリですね。 【車山高原SKYPARKスキー場】 ◆住所:長野県茅野市北山3413 ◆アクセス:[車]中央道 諏訪南ICから約40分、中部横断道 佐久南ICから約60分 [電車]JR中央本線 茅野駅から路線バスで約60分 ◆詳細はこちら絶景フォトフレーム SKY frame(車山高原SKYPARKスキー場) 北信五岳と野尻湖の景観が素晴らしいタングラム 5歳から乗車可能なスノーモビルやスリル満点のスノーラフティングなど、多彩なスノーアクティビティ。さらには、ゲレンデベースにあり、スキーイン&アウトが可能なリゾート感満載のホテルタングラムで、ファミリーに人気のタングラムスキーサーカス。 そんなタングラムの絶景スポットといえば、野尻湖テラスと野尻湖ラウンジ。野尻湖テラス観光リフトに乗って、約10分の空中散歩。もちろん、滑走具をつけずに乗車可能。フード付きなので、少々の寒さなら気になることはありません。山頂からは北信五岳の絶景を一望(タングラムスキーサーカス) 山頂駅に着いたら、標高1,100mの展望デッキへ。眼下に野尻湖、目の前には妙高山や戸隠連峰など、北信五岳の素晴らしい冬景色が広がります。野尻湖に向いた大きな窓が特徴的な野尻湖ラウンジで、入れたての香り豊かなコーヒーでまったりするのがおすすめです。 【タングラムスキーサーカス】 ◆住所:長野県上水内郡信濃町古海 ◆アクセス:[車]上信越道 信濃町ICから約10km [電車]JR北陸新幹線 飯山駅から路線バスで約45分、長野駅からタングラムバス(有料・要予約)で約60分 ◆詳細情報はこちら大きな窓からの絶景が魅力の野尻湖ラウンジ(タングラムスキーサーカス) 竜王「KAMAKURA POT dining」で気軽にかまくら体験を! 竜王スキーパークに来たら、まずは、世界最大級の166人乗りロープウェイで、標高1,770mの山頂へ。グリーンシーズンには多くの観光客が訪れる、雲海発生率64.3%(スキー場調べ)というSORA terraceからの、斑尾山や妙高山、北アルプス、空気の澄んだ日には佐渡島まで見渡せるという絶景探訪がおすすめです。 そんな竜王にも今シーズン、映え&美味スポットが誕生しました! その名も「KAMAKURA POT dining」。日本の伝統文化であるかまくらを現代風にアレンジ。幻想的な雪景色を味わいながら、暖かいコタツに入って、気軽にお食事を楽しむことが可能です。SORA terraceで冬の雲海を堪能しよう(竜王スキーパーク) メニューも豊富で、3種類から選べる鍋にデザート、1ドリンクが付いたかまくらダイニングセットもあります。コタツだけでなく、暖房設備完備なので、気軽にかまくら体験ができると注目を集めています。 【竜王スキーパーク】 ◆住所:長野県下高井郡山ノ内町夜間瀬11700 ◆アクセス:[車]上信越道 信州中野ICから約16分 [電車]長野電鉄 湯田中駅から無料シャトルバスで約25分 ◆詳細はこちらNEW映えスポット KAMAKURA POT dining(竜王スキーパーク) 八方うさぎ平で真冬にビーチラウンジを堪能! HAKUBA VALLEY白馬八方尾根といえば、最長滑走距離8,000m! 標高差1,000m超という国内最大級のスケールを誇ります。その絶景スポットもスケール・内容ともにハンパなく、標高1,400mのうさぎ平にこの冬、なんと!ビーチラウンジ「HAKUBA MOUTAIN BEACH」が登場しました。 ラウンジではゆったりと寛ぎながら、白馬豚や白馬産ブルーベリーを使ったオリジナルフード&ドリンクを堪能できるのはもちろんのこと、サウナやジャグジーでリフレッシュも可能。絶景でココロを癒すだけでなく、本当にカラダのケアまで! ❝絶景+リラックス❞をテーマにした、まさに絶景リラクシングテラスなのです。スキー場にビーチ?! HAKUBA MOUTAIN BEACH(白馬八方尾根) もうひとつ、ビール党の方におすすめしたいのが「Corona Escape Terrace」。世界で最も飲まれていると言われるメキシカンビール、コロナビールを飲みながら、白馬の絶景を堪能してみてはいかがでしょうか? 【HAKUBA VALLEY 白馬八方尾根(長野)】 ◆住所:長野県北安曇郡白馬村八方 ◆アクセス:[車]長野道 安曇野ICから約50km、上信越道 長野ICから約45km、北陸道 糸魚川ICから約47km [電車]JR大糸線 白馬駅から路線バスで約10分、JR北陸新幹線 長野駅から特急バスで約60分 ◆詳細情報はこちらCorona Escape Terraceでコロナビール&絶景を堪能(白馬八方尾根)
tenki.jp 2020/02/28 00:00
すぐに使える「ペット写真」の撮影テクニック【犬編】
すぐに使える「ペット写真」の撮影テクニック【犬編】
ソニーαIII・35ミリF1.4・ISO100・絞りf1.4・500分の1秒(撮影/小川晃代)  『アサヒカメラ』2019年12月号では「動物写真の世界へようこそ」と題し、動物写真の撮り方を75ページにわたって大特集!「シーンごとの最適なカメラやレンズ構成」「絞りやシャッター速度、ピントの合わせ方」といった初心者向けの基本のテクニックから、「背景の扱い方や画面の切り取り方」そして「動物と対峙する姿勢やマナー」までを、第一線の動物写真家たちが教えてくれました。  前回の記事「03 今から始める 野鳥撮影実践講座」に続き、今回は犬や猫など、大切な家族の姿を写真にとどめておきたいと考える方のために、「活発に動きまわるペットをじっとさせるコツ」から「流し撮りのテクニック」までを、その道のプロ、小川晃代さんが段階を追って具体的に伝授してくれます。 *  *  * 【レベル1】動きをコントロールして表情をとらえる  ふだん扱い慣れているはずの自分のペットをいざ撮影しようとしても、なかなか難しかったという経験はないだろうか。とにかく、こちらが思うように相手は動いてくれないものだ。犬や猫の場合なら、撮り手である飼い主はある程度のやりとりができるものと感じているだろう。    しかし、撮影においてはまるで別のコツがある。ポートレートを撮ってきた経験があるならば、赤ちゃんや子どもを撮影する場合と比較すると把握しやすいだろう。こちらの思惑と違って動き回るペットをいかに引きつけ、コントロールできるかが何より大切になるからだ。  以上をふまえて、ペット写真の第一人者、小川晃代さんにさまざまなコツを教えてもらった。基礎的なポイントを身につけてから、次第にレベルアップした撮影にステップアップする構成にしているので、本企画を参考に、ぜひじっくりとペット撮影に取り組んでほしい。 ■動きを制限して撮影する  まずは動きをとめることから。生態を理解してじっくり撮ることでその先にも応用できる。 <箱状のものを用意する> キヤノンEOS 5D Mark IV・70~200ミリF2.8・ISO2000・絞りf2.8・320分の1秒(写真/小川晃代) 小川:活発に動いている元気な子犬は動きを制限しないと撮りにくいものです。そこで手軽で見栄えのいい箱状のものを用意し、そこに入れます。おとなしくなった瞬間がシャッターチャンスです。 <屋外では小さな台を用意> キヤノンEOS-1D X・70~200ミリF2.8・ISO100・絞りf2.8・絞り優先AE・+0.7補正(写真/小川晃代) 小川:屋外でしばしば選ばれるお花畑での撮影シーン。できれば花が密集している場所で撮りたいものです。これだ、という位置を決めたら、用意しておいた台にのせます。小型の犬の場合、花の位置と高さを合わせるのにも有効。 <椅子などのインテリアを使う> ソニーα7III・70~200ミリF2.8・ISO2000・絞りf6.3・400分の1秒(写真/小川晃代) 小川:室内で撮影する場合、犬がそのまま床にいるとつい動き回りがち。そこで背景に合うインテリアを使うと撮りやすくなります。この作例の場合は、椅子に座らせて動きを制限しています。 ■視線を誘導し撮影する  いかに注意を引き寄せるか。子どものポートレートと比較すると把握しやすい。 <遊具で遊びながら片手で撮影> キヤノンEOS-1D X・24~70ミリF2.8・ISO1250・絞りf2.8・絞り優先AE・+1.3補正(写真/小川晃代) 小川:24~70ミリのレンズを使い、近い距離で遊びながら撮影します。右手にカメラ、左手におもちゃなどを持ち、遊びながら撮ると生き生きとした表情がねらえます。 <表情を声色で誘い出す>キヤノンEOS 5D Mark IV・24~70ミリF2.8・ISO1250・絞りf2.8・絞り優先AE・+2補正(写真/小川晃代) 小川:カメラを構えたら、犬の鳴き声をまねた声を発します。すると、「何だろう?」と一瞬とまってくれます。バッチリ目線をもらえたところがシャッターチャンス。うまくいくと、声をよく聞こうとして首をかしげてくれます。 <二人一組で誘導> キヤノンEOS 5D Mark IV・70~200ミリF2.8・ISO500・絞りf2.8・絞り優先AE・+0.3補正(写真/小川晃代) 小川:犬のポートレートとして雰囲気を出したいときには、カメラ目線以外もほしいもの。その場合は、別の人に見てほしい方向の先にいてもらいます。名前を呼んだり、おもちゃで気を引いたりした瞬間をキャッチ。 【レベル2】光とボケの扱い ■毛並みが映える光をみつける  可愛いパートナーがもっとも輝くようにするには、どんな光を選べばいいのか? 大きさや毛並みに配慮しつつ最適な条件で撮ってみたい。 <室内で使いやすい逆光と半逆光> キヤノンEOS 5D Mark IV・70~200ミリF2.8・ISO500・絞りf2.8・絞り優先AE・+0.3補正(写真/小川晃代) 小川:半逆光は毛の輪郭もきれいに出るし、質感もよく出るのでおすすめです。ただし、どうしても顔の部分が暗くなりがちに。光をそこにプラスするためには、A3サイズぐらいの白い厚紙などを用意し、レフの代わりにするといいですね。 <斜光を意識する>   小川:順光で撮ると犬はどうしてもまぶしがるし、毛並みもペッタリしがちでナチュラルな表情はねらえません。斜光だとそれほどまぶしそうな目にならず、ほどよい影が出て有用です。いちばん使いやすい光だと思います。 ■望遠とボケの生かし方  望遠とボケの効果はポートレートの一大要素。ペット撮影では人を撮るシチュエーションと比較し試してみると、のみこみやすい。 <背景をしっかりぼかす> キヤノンEOS-1D X・70~200ミリF2.8・ISO100・絞りf4・絞り優先AE・+0.7補正(撮影/小川晃代) 小川:屋外では70~200ミリの望遠レンズが便利で、ひんぱんに使います。とくに花畑で撮る場合は望遠レンズの力は大きく、圧縮効果によってスカスカ気味の花畑でも密集感が出せますね。 <前ボケを入れ込んで> ソニーα7III・70~200ミリF2.8・ISO250・絞りf2.8・絞り優先AE・+0.3補正 小川:望遠レンズによるボケと圧縮効果による作画ができたら、加えて前ボケを入れると、より華やかな印象に。撮影の状況に余裕があったり、前ボケに適した花があれば、作品の力もアップしていく、という方向で試してみてください。 (構成/編集部・池谷修一) 写真・解説:小川晃代(おがわ・あきよ) 1980年埼玉県生まれ。トリマー、ドッグトレーナーなど、さまざまな動物に関する資格を持つペットフォトグラファー。東京都世田谷区でペット専門の写真スタジオ「アニマルラグーン STUDIO」を運営。著作多数。 ※『アサヒカメラ』2019年12月号より抜粋。本誌では「レベル3 絞りのコントロール」「レベル4 素早い動きを追いかける」など、より上級者向けのテクニックも紹介している。
アサヒカメラペット撮影動物写真
dot. 2019/12/28 11:30
【レンズレビュー】写真家8名が徹底解説「風景撮るならこの1本!」
【レンズレビュー】写真家8名が徹底解説「風景撮るならこの1本!」
F2のボケは雑草をアートに変える。詳細は本文で。撮影:中西敏貴■キヤノンEOS R・RF28-70ミリメートル F2 L USM・ISO100・絞り開放・2000分の1秒 「風景写真は、『最初の一歩』がいちばん難しい。最初の一歩というのは着眼点」。風景写真の作品で問われるのは、いかにほかの人とは違うものを見つけられるか、それは「何を面白がれるか」といっても過言ではない――。『アサヒカメラ』2019年10月号では、62ページにわたって「紅葉と秋の風景の撮影術」を大特集しています。風景写真家の辰野清さんが解説する撮影ガイド「朝の放射霧が生み出す 光芒と紅葉」に続き、「国産カメラメーカーのレンズレビュー」を抜粋して紹介します。 *  *  *  むちゃ振りとは思いつつ、国産カメラメーカー8社に「風景写真向きのいち推しレンズを紹介してほしい」と、お願いしたところ、真摯でアツい反応が返ってきた。「風景写真を愛好するユーザーに評判のよい製品です」。その新型もある。描写力と使い勝手をベテラン風景写真家が解説する。 ■オリンパスM.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO ●焦点距離:12~100ミリ(35ミリ判換算24~200ミリ相当) ●レンズ構成:11群17枚 ●最短撮影距離:0.15メートル ●フィルター径:72ミリ ●大きさ、重さ:Φ77.5×116.5ミリ、561グラム ●価格:税別標準17万5000円(税込実売14万9700円) 十二本ヤス(青森県五所川原市)■オリンパスOM-DE-M1 MarkII・M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100ミリメートル F4.0 IS PRO・ISO400・絞りf4.5・AE・マイナス1.3補正  プロアマ問わず、不動の人気を誇るレンズ。フルサイズ換算24~200ミリ、高倍率の小型ズームながら、全域F4.0の開放F値を実現。隅々まで圧倒的な高画質はもちろん、「5軸シンクロ手ぶれ補正」対応で最大6.5段の補正効果が得られるため、1、2秒程度のシャッター速度なら迷わず手持ち撮影できるのも人気の理由のひとつ。  過酷な環境に強い防塵・防滴性能を備え、近接撮影はレンズ先端から1.5センチ(広角時。望遠時は27センチ)と、小さな世界から大自然まで対峙できるのは風景写真家にとっては大きなメリット。星やハイレゾ以外、ほとんどのシーンで手持ち撮影ですむため、三脚も小型・軽量化し、これまで以上に機動力が増した。年齢とともに衰えてくる体力の低下を考えれば「総重量の軽量化を図る」ことで心と体力に余裕が生まれ、新たな撮影イメージも浮かんでくる。「これ一本」と割り切ってしまえばレンズ交換も不要になり、シャッターチャンスにも強くなる。(清水哲朗) ■キヤノンRF28-70mm F2 L USM ●焦点距離:28~70ミリ ●レンズ構成:13群19枚 ●最短撮影距離:0.39メートル ●フィルター径:95ミリ ●大きさ、重さ:Φ103.8×139.8ミリ、1430グラム ●価格:オープン(税込実売40万4000円) ニュージーランドの濃密な空■キヤノンEOS R・RF28-70ミリメートル F2 L USM・ISO200・絞りf4・1250分の1秒  キヤノンからEOS Rが発表されたときに、最も気になったのがこのレンズだった。カメラが小型化したというのに、この重量と大きさは一体どうしたのかと。と同時に、このレンズはきっと恐ろしいほどの描写をするのではないか、と期待が膨らんだ。発売後すぐに手に入れ、実際に撮影してみた感想は想像のはるか上をいくものだった。  全域F2で撮れるというのはスペック上の飛び道具ではなく、まさに開放から極めてシャープ。このレンズにおいて絞るという行為は、被写界深度を調整するという目的では必要だが、描写を向上させるというためであれば必要ない。安心してF2を全ズーム域で堪能できる。撮影スタイルにも変化が現れた。森の中を手持ちでさまよい、開放絞りで撮っていくということが増えたのだ。単焦点レンズを数本持っていくことを考えれば、この一本でほとんどのシーンをまかなえるわけで、その重量や大きさも気にならなくなったというわけだ。(中西敏貴) ■シグマ14mm F1.8 DG HSM | Art ●焦点距離:14ミリ ●レンズ構成:11群16枚 ●最短撮影距離:0. 27メートル ●フィルター径:使用不可 ●大きさ、重さ:Φ95.4×126ミリ、1120グラム ●価格:税別標準21万9000円(税込実売18万5200円)  シグマは14ミリの先駆者である。1991年には14mmF3.5(AFとMF)を発売。当時の感覚では、超広角を追い越した超超広角であり、なんとも新鮮であった。以来シグマの14ミリは歴史を重ね、シグマファンにとってはスタンダードな超広角になっている。もちろん、現在のまなざしでも、フルサイズ114.2°という画角は新鮮だ。その14ミリが最新Artシリーズに至り、開放F値は1.8と、驚きのハイスピードレンズに変化。というわけで、超広角にボケ味まで楽しめるというのがこのレンズ。  合焦部からアウトフォーカスに至るまで、まろやかでそのなかに切れ味のあるレンズに仕上がっている。ここでは、APS-C機であるシグマsd Quattroを使用したが、それでも21ミリ相当の画角があり、切れのある超広角を楽しめる。なお、現在の機種は1120グラム(シグママウント用)とヘビー級。暗くてもよいので、小さくて軽い超超広角レンズも作ってください、シグマさん。(三宅岳) 丹沢山地・湯船山で■シグマsd Quattro・14ミリメートル F1.8 DG HSM | Art・ISO200・絞りf11・20分の1秒 ■ソニーFE 24mm F1.4 GM ●焦点距離:24ミリ ●レンズ構成:10群13枚 ●最短撮影距離:0. 24メートル ●フィルター径:67ミリ ●大きさ、重さ:Φ75.4×92.4ミリ、約445グラム ●価格:税別標準19万8000円(税込実売19万4000円) 四国・石鎚山系、瓶ケ森付近で■ソニーα7III・FE 24ミリメートル F1.4 GM・ISO200・絞りf11・50分の1秒  ソニーFE 24mm F1.4 GMは“理想のレンズ”であると言い切りたい。フルサイズミラーレスのα7シリーズ、α9に装着したバランスは非常によく、大事な見た目も格好がいい。スナップ撮影はもちろん、風景のジャンルにおいてもデジタルカメラの性能が向上したいま、手持ち撮影率は高まっている。この小型・軽量なレンズなら、カメラを首にぶら下げても疲れず、登山中にハッと心が動いた瞬間にシャッターを切ることができる。  肝心の描写力は有効約6100万画素を誇るソニーα7R IVの性能をあますところなく引き出し、高精細でリアルな風景を届けてくれる。細密な描写で画面周辺部の像はもちろん美しく、朝日、夕日の撮影や逆光の場面でも、フレアやゴーストなんてまったく気にならない。また、拡大MF時のピントのヤマもはっきりつかめる。本当に素晴らしすぎて、この感じで28ミリ、35ミリ、50ミリあたりのGマスターレンズが登場してきてくれないだろうか。(福田健太郎) ■ニコンNIKKOR Z 14-30mm f/4 S ●焦点距離:14~30ミリ ●レンズ構成:12群14枚 ●最短撮影距離:0.28メートル ●フィルター径:82ミリ ●大きさ、重さ:Φ89×85ミリ、約485グラム ●価格:税別標準16万9500円(税込実売16万4700円)  積極的に太陽を画面に入れて撮ろうと思うようになったのはニコンからZシリーズが出て、このようなレンズを使うようになってから。完全逆光のシーンでもNIKKOR Z 14-30mm f/4 Sはゴーストやフレアがほとんど出ない。だから、いくら明るく写してもクリアな画面が得られる。ニコンによると「光学設計の配慮と相まって逆光耐性に優れている」という。いままで、こんな明るさで撮ることはなかった。実際はかなり暗い条件でも、光があるかのように撮れる。これは新しい撮り方だな、と思う。  絞り込むと光芒がはっきりときれいに出るのも特徴。レンズのコントロールリングの機能をカメラのカスタムメニューで絞りや露出補正に設定することで、撮影に集中しやすくなる。ズーム全域で最短撮影距離28センチと、近寄れるから小さな被写体でも大きく、背景も広く入れて撮れる。約485グラムと軽くてかさばらず、長時間でも手持ち撮影しやすいのもありがたい。(三好和義) 八丈島で■ニコンZ 7・NIKKOR Z 14-30ミリメートル f/4 S・ISO400・絞りf5.6・8000分の1秒 ■パナソニックLUMIX S PRO 24-70mm F2.8 ●焦点距離:24~70ミリ ●レンズ構成:16群18枚 ●最短撮影距離:0.37メートル ●フィルター径:82ミリ ●大きさ、重さ:Φ90.9×140ミリ、約935グラム ●価格:税別標準27万5000円 大雪旭岳源水(北海道東川町)■パナソニックLUMIX S1R・LUMIX S PRO 24-70ミリメートル F2.8・ISO50・絞りf16・AE・-0.7補正  パナソニック初のフルサイズカメラ、LUMIX S1とS1Rは風景写真における撮影動線が考えられたカメラで、とても使いやすく、すぐ手になじんだ。解像度の高さなどの優位性だけではなく、これまでのパナソニックのカメラに受け継がれてきた描写性、つややコクのような味を継承している。それを相乗効果で高められるのがこのLUMIX S PRO 24-70mm F2.8だ。  周辺部の像の流れはとても少なく、解像力も申し分ない。先に書いたように、しっとりとしたコクと鮮やかさを合わせ持った色のりのよい写りをする。上の写真の植物など、微細部分を再現する能力は非常に優れている。絞り開放時の解像力の高さはもちろんのこと、大きなフルサイズセンサーを搭載しているので思い切り絞り込んでも描写のあまさを感じない。立体感のある再現性、極めて自然なボケによって被写体の存在感が高められる。作品づくりがとても楽しくなるレンズだ。(高橋真澄) ■富士フイルムFUJINON XF8-16mmF2.8 R LM WR ●焦点距離:8~16ミリ(35ミリ判換算12~24ミリ相当) ●レンズ構成:13群20枚 ●最短撮影距離:0.25メートル ●フィルター径:使用不可 ●大きさ、重さ:Φ88×121.5ミリ、約805グラム ●価格:税別標準27万7500円(税込実売26万220円)  XF10-24mmF4 R OISの上級バージョンとして発売されたレンズ。全焦点域で開放絞りがF2.8と明るくなり、広角側の画角も広がった。重量約805グラムと、手にすると重く大きなレンズだが、スーパーEDレンズを多用した13群20枚構成の光学系からも、描写への妥協ない仕上がりが感じられる。厳密な比較撮影を行ったわけではないが、解像力のキレは別格である。  画像の中心と周辺部とのピントのズレを補正する像面湾曲補正レンズが組み込まれ、絞り開放から画面周辺部まで像の流れも極めて少なくシャープだ。また周辺部での色ズレ(倍率色収差)もほとんど気にならないので、超広角特有の画質の安っぽさもない。最短撮影距離は25センチと一般的だが、絞り開放で見るボケは輪郭もやわらかく滑らかな描写となっている。各可動部にはシーリングが施され、写真のような厳しい条件下では高い防塵・防滴性能が発揮される。まさに風景撮影向きレンズといえるだろう。(辰野清) 菊池渓谷(熊本県)■富士フイルムX-T3・FUJINON XF8-16ミリメートル F2.8 R LM WR・ISO80・絞りf16・7分の1秒 ■リコーイメージングHD PENTAX-DA★11-18mmF2.8ED DC AW ●焦点距離:11~18ミリ(35ミリ判換算17~27.5ミリ相当) ●レンズ構成:11群16枚 ●最短撮影距離:0.3メートル ●フィルター径:82ミリ ●大きさ、重さ:Φ約90×100ミリ、約704グラム ●価格:オープン(税込実売17万1900円) 十勝岳、安政火口(北海道)■リコーイメージングPENTAX KP・HD PENTAX-DA ★ 11-18ミリメートル F2.8ED DC AW・ISO200・絞りf10・AE  描写性能で妥協しない「スターレンズ」の名にふさわしい高い解像力と画像周辺部まで安定した写りが魅力。超広角レンズ特有の強い遠近感を生かした迫力ある写りを楽しめ、景色をより魅力的に見せる。いわゆる「大三元レンズ」の超広角のパートをしっかりと担ってくれる製品となっている。最近流行の星景写真を写す際にもイチオシの性能を発揮し、開放絞りでも画面周辺部までにじみのないきれいな星像が得られる。  ただし、同社カメラの「アストロトレーサー機能」を併用した場合、画面周辺は星の動きとセンサーの動きが完全に同期しないため、星が流れて写る。完璧な点像を求めるには、開放絞りと高感度の組み合わせか、赤道儀の併用がベストだ。ピントのズレを防ぐ「フォーカスクランプ機能」の搭載や、結露防止用ヒーターを巻きやすいレンズ筐体のデザインなど、実用面を重視した設計が行われていて、使ってみるとそのよさが実感できる。(小林義明) 写真と文=清水哲朗、中西敏貴、三宅岳、福田健太郎、三好和義、高橋真澄、辰野清、小林義明 ※『アサヒカメラ』2019年10月号より抜粋
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紅葉シーズン到来! 見れば必ず撮りたくなる、長野県の美しすぎる「水鏡」10選
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長野県は紅葉と水鏡の宝庫だ(写真/五島健司)  長野県には紅葉の名所がたくさんあり、それを映し出すすばらしい湖沼の宝庫でもある。水鏡をきれいに写すいちばんのポイントは風。少しでも風があると波立ってしまい、水面の反射が白く目立ち、美しい水鏡にはならない。経験上、太陽が昇ると上昇気流が発生するためか、風が出やすい。条件がよいときは日中でも水鏡になるが、どちらかといえば早朝と暮色の時間帯は風がやみやすい。また、水面の面積が小さいほど風の影響は受けにくく、水鏡の状態になりやすい。各地の撮影時間帯の目安も書いたが、「この場所は朝だ」「夕方だ」と決めつけないで、光線を自分なりに読んで撮影することも大切だ。ここでは、写真家・五島健司氏がオススメする紅葉と水鏡の宝庫・長野県の「水鏡10選」をお届けする(「アサヒカメラ」10月号から)。 *  *  * 【鎌池】アクセス:白馬村から糸魚川へ至る国道148号から県道114号線へ入り、小谷温泉方面へ進み、 標識に従い5キロほどで鎌池の駐車場へ。そこから徒歩5分ほどで鎌池に着く。  撮影時期:10月中旬(写真/五島健司) 1. 鎌池(長野県小谷村・雨飾高原)  鎌池は新潟県境に近い雨飾高原の標高1190メートルにある紅葉の名所で、池を一周する約2キロの遊歩道が整備されている。近くに駐車場はあるが、人気の撮影地なので紅葉の時期はすぐに満車になってしまう。雨飾山を背景にした池のまわりは黄葉するブナがメインの原生林に覆われているが、写真のように赤い紅葉もある。池の周囲を覆う木々に光がよく当たるトップライトの時間帯が水鏡をいちばんきれいに撮影できる。撮影場所によっては天狗原山や堂津岳など、周囲の山々を入れて空抜けの構図で写すこともできる。大きな池ではないので、対岸の木々までの距離が近く、標準ズームレンズ1本で撮影を楽しめる。 *  *  * 【鏡池】アクセス:県道36号線で戸隠高原方面へ。鏡池の標識を左折して現地へ。例年、10月の土日祝日は交通規制があり、シャトルバス運行になる。平日に撮影したい。  撮影時期:10月中旬(写真/五島健司) 2. 鏡池(長野県長野市・戸隠高原)  戸隠高原を代表する絶景スポット。標高1200メートルに位置する池からは荒々しい山肌の戸隠連山が水面に映る。池のまわりはモミジやダケカンバ、カラマツで覆われている。秋の朝は、戸隠連山とそれを背景にした紅葉の斜面に正対して光が当たるので、木々を鮮やかに染め上げる。靄(もや)が漂う光景は幻想的。夕方はカメラマンは少ないが、戸隠連山をバックに星の日周運動を撮影する人もいるので、薄暗くなったころから南側の堤防には三脚がびっしりと立ち並ぶ。撮影ポイントの右の湖面に人工物があり、それを外して撮るのが定石。背景の山が見えれば、山を入れて広角から標準レンズで写す。山が雲に覆われていれば望遠レンズで紅葉を切り取る。 【小鳥ケ池】アクセス:鏡池同様、県道36号線を戸隠高原方面へ。戸隠神社を過ぎたあたりに駐車スペースがあり、徒歩10分ほどで現地に着く。 撮影時期:10月中旬(写真/五島健司) 3. 小鳥ケ池(長野県長野市・戸隠高原)  鏡池のほど近い場所にあり、標高も鏡池とほぼ同じ。ここもミズナラやダケカンバ、カラマツが池のまわりを覆っている。湖水の向こうには戸隠連山がそびえ、水面に映る。鏡池よりも戸隠連山からの距離が離れているうえ、木々が山すそを遮るため、目の前に山の岩肌が立ちはだかるようなイメージとはならない。そのため、大勢のカメラマンや観光客で喧騒を極める鏡池とは違い、訪れる人も少なく静寂、穴場である。戸隠連山を入れた定番写真ではなく、紅葉と水鏡をメインに写すならば、鏡池より小鳥ケ池のほうが岸辺にいろいろな木々があり、バリエーション豊かに撮れる。撮影には望遠ズームレンズが重宝する。 *  *  * 【長池】アクセス:中野市から国道292号を志賀高原へ。丸池、蓮池を通り過ぎると、下の小池の手前に数台ほどの駐車スペースがある。そこから徒歩5分程度。 撮影時期:10月中旬(写真/五島健司) 4. 長池(長野県山ノ内町・志賀高原)  志賀高原に大小点在する湖沼のなかでは3番目に大きな池。周辺は信州大学教育学部付属の志賀自然教育園になっている。園内には遊歩道が整備され、資料館もある。長池は標高1584メートルに位置し、周囲はシラカンバやダケカンバに覆われている。これらの木々は黄色く染まり、シラビソなどの針葉樹が緑の彩りを添える。この黄と緑のハーモニーが美しく、長池の水鏡の撮影ポイントとなる。カメラマンでごった返す人気のある定番撮影ポイントとは違い、静かな場所で、穴場。撮影は遊歩道のある池の北側、東側からとなる。朝日は東側にそびえる山に遮られ、池は影になってしまうため、撮影には午後の時間帯がよい。 *  *  * 【木戸池】アクセス:中野市から国道292号を志賀高原へ。長池、三角池、田ノ原湿原を過ぎると、すぐ右手に木戸池が見える。木戸池温泉ホテル付近の駐車場に車を止める。 撮影時期:10月上旬(写真/五島健司) 5. 木戸池(長野県山ノ内町・志賀高原)  志賀高原に大小点在する湖水のなかで最も人気のある撮影ポイントで、標高1600メートルに位置する。駐車場のすぐとなりが撮影ポイントなので早朝から大勢のカメラマンが三脚を立てる。カメラマンの多くは山の稜線、斜め前から差し込む光と、靄(もや)が水面を漂う幻想的な朝の光景をねらい、一喜一憂する。朝の喧騒がうそのように、夕方は人影もまばらで静けさを取り戻す。夕日が沈む瞬間、対岸のシラカンバに一瞬だけ光が差し込み、その姿を浮かび上がらせる。シラカンバの林の奥、岸辺に沿って国道292号があるので、走行している車両が写り込まないようにしたい。 【雲場池】アクセス:JR軽井沢駅から北西へ1.5キロほど離れた場所にある。軽井沢町六本辻の円形交差点近くにある雲場池駐車場から徒歩3分程度。 撮影時期:10月下旬~ 11月上旬(写真/五島健司) 6. 雲場池(長野県軽井沢町六本辻)  有名観光地・軽井沢を代表する紅葉の名所で、標高は940メートル。大正時代、この周囲一帯を別荘地として開発したホテルの敷地内の湧水「御膳水」を源とする小川をせき止めて造った人造池で、南北400メートルの細長い形をしている。周囲は真っ赤に色づくモミジが覆い尽くす。植樹されたものであるが、とにかく見事。自然のなかではこれほど赤だけの紅葉に出合うことはない。撮影時間帯としては、西側の岸辺を彩るモミジに朝日が当たるころがベスト。というより、朝いちばんでないと観光客でごった返して撮影は難しい。レンズは標準ズームがあれば撮影できる。周囲の道路は渋滞し、近くの駐車場はすぐに満車になるので気をつけたい。 *  *  * 【白駒池】アクセス:茅野方面から国道299号を麦草峠へ。峠を越えて約1キロ先に駐車場があり、そこから遊歩道を徒歩10分程度で到着する。 撮影時期:9月下旬から10月上旬(写真/五島健司) 7. 白駒池(長野県佐久穂町/小海町・北八ケ岳)  北八ケ岳の原生林と苔の森に囲まれた、標高2115メートルにある神秘的な池である。高度2100メートル以上の湖としては日本最大の天然湖という。標高が高いので関東周辺で水鏡の撮れる場所としてはいちばん早く、9月下旬から紅葉し、カメラマンで混み合う。湖水のまわりにはドウダンツツジやナナカマド、ダケカンバが茂る。特に真っ赤に色づくドウダンツツジが見事で、主役の被写体となる。池の西側にある白駒荘付近から時計回りで、北側にある青苔荘までの遊歩道から撮影すると水面に紅葉が映り込む。山の上なので、なかなか無風にはならない。撮影時間帯としては波風の弱い朝夕がベストであろう。レンズは望遠ズームがよい。 *  *  * 【御射鹿池】アクセス:茅野方面から県道191号線を奥蓼科温泉郷方面へ。明治温泉旅館手前の道路沿いにある。池を少し通り過ぎた場所に立派な駐車場が整備されている。 撮影時期:10月中旬~下旬(写真/五島健司) 8. 御射鹿池(長野県茅野市・奥蓼科)  八ケ岳の山すそ、奥蓼科の標高1540メートルに位置する。農業用のため池であるが美しく、2010年に農林水産省の「ため池百選」に選ばれた。周囲は紅葉の時期に黄金色に染まるカラマツで覆われている。湖水は強酸性のため魚は住まず、湖底には酸性水を好むチャツボミゴケが繁茂し、水面にまわりの木々が映る要因となっているという。日本画の巨匠、東山魁夷の「緑響く」のモチーフになった場所として有名で、観光客の人気も高い。池の西岸から東側をねらう構図になるため、撮影時間帯は靄(もや)が漂う早朝か、光が木々を照らす夕方がよいだろう。対岸を切り取る構図なので望遠レンズによる撮影となる。 【明神池】アクセス:上高地バスターミナルから河童橋を越え、梓川沿いの平坦な遊歩道を1時間ほど歩くと穂高神社奥宮に着く。拝観料300円が必要。 撮影時期:10月中旬(写真/五島健司) 9. 明神池(長野県松本市・上高地)  梓川の上流にある標高1425メートルに位置する湖水である。上高地バスターミナルからここまではよく整備された遊歩道を歩く、軽いトレッキングコースだ。湿原や梓川の流れも美しい。穂高神社奥宮境内にある神域の池で、ひょうたん形をしており、一之池と二之池に分かれている。下流側の二之池には明神岳の岩峰が映る。池のまわりの樹木はカラマツが占め、紅葉時には水面が黄色に染まる。水面に遊ぶオシドリもポイントとなろう。まるで箱庭のような雰囲気だ。南側から北側に向かっての撮影となるため、光線は朝昼夕いずれでもよい。広角から望遠までさまざまなレンズを使って撮影できる。 *  *  * 【まいめの池】アクセス:松本から国道158号、県道84号線を経由して乗鞍高原へ。乗鞍観光センターの交差点を左折して数分。一の瀬園地駐車場に車を止め、徒歩3分程度。 撮影時期:10月中旬(写真/五島健司) 10.まいめの池(長野県松本市・乗鞍高原)  乗鞍高原には美しい池がたくさんある。まいめの池は一の瀬園地にある小さな池で、標高は1450メートル。池のまわりにはシラカンバやカエデなどが点在している。紅葉時には赤や黄色が水面を彩る。早朝には靄(もや)が流れ幻想的な光景を見せてくれる。湖畔の東側から撮ると乗鞍岳が水面に映る。ただし、対岸(池の西側)にカメラマンが大勢いることが多く、自分の姿が相手の画面に入ってしまい、撮影のトラブルになりかねないので、撮影のチャンスはなかなかない。撮影時間帯は朝夕を問わないが、言うまでもなく風のない日がベストだ。まいめの池のすぐとなりには湿原化した「偲ぶの池」がある。 (写真・文/五島健司) ※「アサヒカメラ」10月号「秋色を極める」特集から
アサヒカメラ旅行
dot. 2018/10/16 07:00
気象予報士が教える!登山で気をつけたい天気のはなし ~夏の立山へ行ってきました~
気象予報士が教える!登山で気をつけたい天気のはなし ~夏の立山へ行ってきました~
夏山シーズンも残りわずかとなりました。 普段はハードルが高い3000m級の山に挑戦できるこの機会を逃すまいと、tenki.jpチームの山好きメンバーが、夏山登山へ行ってきました。今回の目的地は・・・北アルプスに位置する立山! そこで今回は、夏山に限らず、快適かつ安全な登山のための、天気のチェック方法やポイントを解説します。美しい立山の絶景もご紹介しますよ。 山の天気の特徴とチェックの仕方 私たちがよく目にする天気予報は標高が低い「ふもと」の天気予報で、「ふもと」からの距離がそれほど変わらなくても、山の天気は変わりやすく「ふもと」とは大きく異なります。 なぜ、山の天気が変わりやすいかというと、風が吹いて山の斜面にぶつかると、風は斜面に沿って空気を押し上げます。水蒸気を多く含んだ空気が押し上げられると雲となって雨を降らせます。逆に風が斜面に沿って吹き下りると、下降気流となって天気は良くなります。 このように、山岳部の起伏によって風の流れが複雑になるため、天気が変わりやすいのです。そのため、「ふもと」の天気予報だけで判断せず、高層の天気も確認するようにしましょう。 高層の天気は、一般的には高層天気図や気象データの数値計算結果で、気温や風などのおおよその傾向を把握することができます。さらに、提供される予報に関して知識を持っている方を対象に、より詳細な山岳の天気予報を提供しているサービスもあります。「tenki.jp 登山天気」アプリもそのひとつで、400の山について、登山口や山頂など登山ルート上における、天気や登山指数・登山服装指数・落雷指数などの情報を提供しています。 こうした情報を活用しつつ、「山の天気は変わりやすい」を常に念頭に、登山計画を立てるようにしましょう。「tenki.jp 登山天気」では山頂の天気や落雷指数をチェックすることができる また、前述した山の天気の特徴に加えて、この時期ならではの注意点があります。 夏は太平洋高気圧に覆われるため、シーズンを通じてみれば天気が安定しやすい時期ではありますが、一日でみると、日中、夏の強い日差しで地面が温められ、午後は大気が不安定になりがちで、急な大雨や雷雨になる可能性があります。午後は雨や雷の確率がぐっと高くなりますので、朝早くから上り始めて、お昼には下山できるよう計画しましょう。山では、夏の間ほぼ毎日雷に注意! 前日までの準備 目的の山が決まったら、上に記載した方法で、数日前から天気予報のチェックをはじめます。予報は日々更新され、予報対象日が近づくほど確度が高くなるため、毎日のチェックが基本です。なお、悪天が予想されている場合、山では平地以上に悪天の影響を受けやすいため、「少しくらい天気が心配でも…」という考えはやめましょう。さて、ここからは登山レポートのスタートです。今回の目的地は、北アルプス北部に位置する標高3015mの立山です。 <今回の登山ルート> 『立山三峰縦走コース』 室堂ターミナル(2450m) → 雄山(3003m) → 大汝山(3012m) → 富士ノ折立(2999m) → 真砂岳(2861m) → 別山(2874m) → 雷鳥平 → 室堂ターミナル 登山前日、私たちは、高層天気図や天気予報から天気や落雷指数などが良好であることを確認した後、立山の登山口となる室堂(標高2450m)へ移動し、周辺の宿で前泊しました。室堂からは、山肌が夕焼け色に染まった美しい景色を見ることができました。室堂付近からみた、夕焼け色に染まる立山と月 いよいよ登山開始! 翌朝、いよいよ登山開始です! と、その前に、もう一度天気のチェックをします。山の天気は変わりやすいこともあり、予測も逐次変わっていく可能性があるため、定期的にチェックするのがおすすめです。 また、登山口や山小屋を離れると携帯電話の電波も悪くなりやすいため、なるべく電波が入りやすい状況下で天気予報をチェックするクセをつけておくと良いでしょう。 あわせて、事前に、登山道の電波状況も確認しておきましょう。各キャリアの山岳における電波状況は、以下のページからご確認いただけます。(2018年8月現在) ●NTT docomo https://www.nttdocomo.co.jp/support/area/mountains/ ●SoftBank https://www.softbank.jp/mobile/network/area/mountains/ ●au https://www.au.com/mobile/area/ ちなみに立山周辺は、3キャリアとも、一部のエリアを除いて電波状況は良好でした。出発前に山の天気をチェック! また、出発地点の室堂ターミナルでは、現地の気象や山岳状況に関する情報が掲示されていました。各地のビジターセンターや山小屋では、登山者の安全のため、独自にこうした情報を提供してくれているところもあります。このような現地の情報を、積極的にキャッチすることもお忘れず。 それでは、実況・予測ともに問題なさそうということで、いざ出発です!室堂ターミナルに掲示されている山岳情報 登山に最適な服装は? 早朝、気温は13℃ほどでしたが、山影で少し風があったことに加え、雪渓を歩いていることもあり、気温よりも肌寒く感ました。このため、レインウェアがとても重宝しました。 この時期、つい軽装で行きたくなりますが、天気や風などの状況によって体感温度は大きく変わるため、調整がきくベース・ミドル・アウターのレイヤリング(重ね着)が基本です。(Tシャツ1枚なんてもってのほか!)また、雨が予想されていなくても、雨や風を防いだり、防寒着の代わりにもなるレインウェアは上下必須です。 なお「tenki.jp 登山天気」アプリの「登山服装指数」では、気温をはじめとした天気や風などの要素を考慮した、服装に関するアドバイスをチェックすることができます。(※「登山服装指数」は、最も気温が下がる時間帯を基準にしています。)早朝、万年雪が形成する雪渓を歩く 絶景稜線コースで注意したいポイント 途中休憩を挟みつつ、登山開始から2時間ほどで雄山山頂(3003m)に到着しました。なんとこの山頂には、霊峰立山の「雄山神社」峰本社があり、7月から9月の間だけ開山され、多くの登拝者で賑わいます。こんな空の上に神社があるなんて、驚きですね。 私たちも登山の安全を願い、御祈祷を受けてきました。標高3003mの雄山山頂にある雄山神社の峰本社 そこから立山最高峰の大汝山(3015m)、富士ノ折立(2999m)、真砂岳(2861m)、別山(2874m)へと続く縦走路はほぼ稜線で、晴れて視界がよければ、写真のようなとても美しい景色を拝むことができます。終始絶景の中の登山で、まるで空を歩いているような気分になれますよ。 さて、この稜線上の道、この日はよく晴れて日差しが強かったため、実際の気温よりもかなり暑く感じました。一方で、風強い場合、状況は一変します。体感温度が一気に下がる上、稜線に出たとたん突風に襲われることもあります。このように、稜線は気温だけではなく、天気や風の影響を強く受けやすい場所でもあるため、注意が必要です。雄山山頂から室堂方面をのぞむ 登山中、雲行きが気になったら… 途中、下層に雲が増えてきました。晴予報ではありますが、少し心配になり、念のためチェックしてみることに。 そんなときは、「雨雲の動き」などの雨雲の観測・予測情報が便利です。また、山の上では雷も心配ですから、雷ナウキャストや発雷確率などの情報もチェックするとよいでしょう。 確認すると、現在・この先も周辺に雨雲はなく、どうやら雨を降らせる雲ではないようです。安心して、予定通り登山を続けることにしました。 このように、山の上では、常に雲や風の動きに注目し、天気の変化を見ながらの登山するように心がけましょう。スマートフォンで気象レーダによる雨雲のようすを確認中 こうして私たちは、事前・登山中に天気をチェックすることで、約7時間の道のりを無事に下山することができました。 最近は、山の上でも携帯電話やスマートフォンの電波が入る場所も増えてきました。山の天気は平地の天気よりも予測が難しく、それを知るための情報も複雑ですが。今回お伝えした情報を上手に活用しつつ、残りの夏山シーズンや、これから始まる紅葉シーズンの登山を楽しんでくださいね! ※スマートフォンや携帯電話を操作する際は、必ず安全な場所で立ち止まってご利用ください。上手に情報を活用しよう!
tenki.jp 2018/08/18 00:00
[連載]アサヒカメラの90年 第24回
[連載]アサヒカメラの90年 第24回
2015年11月号。表紙の写真は森山大道の作品 1935年1月号表紙 安井仲治「寫眞家は無くなる」掲載 2009年1月号「デジタル一眼レフに動画撮影機能は必要か?」から 2009年1月号「デジタル一眼レフに動画撮影機能は必要か?」から タカザワケンジ「写真家の仕事2013」から 伊東豊子「写真市場の最前線」から(ともに2013年1月号) 2014年12月号 尾仲浩二「写真家が写真を売ること 海外の写真イベントでの出会い」 2014年7月号「ホンマタカシの今日の写真 2014」から 2014年8月号 松江泰治「JP-01 SPK」から 2014年8月号表紙 「都市を撮る」掲載 安井仲治の予想 「アサヒカメラ」の歩みをたどってきた本稿も最終回。毎月バックナンバーを繰りながら写真作品や記事に目を通してきたが、そのなかに、どうにも忘れがたい小文がある。  1935(昭和10)年1月号で、未来を占う「百年後の写真」という特集が組まれたとき、浪華写真倶楽部の安井仲治が寄せたものだ。ほとんど正確に、2010年代のことを言い当てているように思われるそれは、「寫眞家は無くなる」と題されていた。 「技術の進歩は、科学者の努力によって著しく、たとへばゼラチンや銀の代りに何かが使用され、非常な高感光でレンズは口径が小さくてもよくなり、焦点の問題は解決され、現像は気体を使用されるかも知れません。カメラは無論小さくなりませう。そして其機構は徹底的に単純に、技法は簡易になり『寫眞家』と云ふ特殊な称呼はなくなり、全く普遍化します」  幸いにもまだ「写真家という特殊な称呼」はなくなってはいない。だが世界中の人々がSNSの写真でコミュニケーションし、ときにそれが報道や広告として活用されているように、写真家という特権的な立場が「全く普遍化」したことは疑いようもない。  もちろん、慧眼(けいがん)の安井にしても予測できなかったことがある。それは静止画と動画の融合だ。もともと動画機能はコンパクトデジタルカメラに早くから備えられていたが、フルハイビジョンでの本格的な撮影は、08(平成20)年発売のキヤノンEOS 5DmarkIIによって可能となっている。同年10月号に同機が初紹介されたさいは、あくまで静止画メインだとされているが、すぐ実用として使われたようだ。翌09年1月号特集「是か?非か? デジタル一眼レフに動画撮影機能は必要か?」では、「1000万円クラスの映画用ビデオカメラにも匹敵」するカメラが30万円弱で購入できる、という動画関係者の声が紹介されたのだ。  さらに14年発売のパナソニックLUMIXGH4からは、より高精細な4K動画から静止画を切り出せる機種が相次いで登場する。以降、動画と写真との境界は低くなり、シャッターチャンスという言葉の意味を変えつつある。  こうしてデジタルカメラの性能が進化し続けるのに反比例して、カメラ市場自体は急速な縮小に見舞われている。一般社団法人カメラ映像機器工業会の統計によればデジタルカメラは出荷数量(10年)、金額(08年)をピークにして減少に転じ、16年のそれは前者で約20%、後者では約33%にまで落ち込んでいる。「普遍化」の主役、iPhoneに象徴されるスマートフォンに、普及型のコンパクトカメラは駆逐されたのだ。またフィルムカメラは出荷台数が少なすぎるとして、08年から公表は取りやめになった。カメラメーカーは、高性能の一眼レフや伸長著しいミラーレス一眼で事業を維持しつつ、蓄積した技術で産業用や監視用カメラ、あるいは医療分野への進出を加速させている。  安井はまた表現についても予想しているが、それは冷静というより悲観的でさえある。「しかし其芸術としての立場は恐らく余り進歩しますまい。時代を経ることによってだんだん高くなるとは云えません。人間のすることの芸術性は、千年前と今日と比較して横には広がるけれ共、深くはなっていない事に誰でも気付きます。百年の歳月はあまり長いとは云えませんから、実際あまり期待出来ないと思いますが、一人の天才の仕事で、吾々凡人の想像力は完全に覆され得る事をせめてもの慰めとして居ります」  考えてみれば、これが書かれた1930年代半ばは、戦前における写真界のピークである。ライカやコンタックスなど、精細な描写力を持った小型カメラが広まり、アマチュアの写真人口が増え、写真雑誌の部数が大幅な伸長をみせていた。なにより安井を筆頭とする才能豊かな芸術写真家たちが、日本写真史上の精華と呼びうる作品を多数発表していた。そのような状況をふまえてなお、彼は美術史をふまえ時代の先を冷徹に見ていたことに驚く。  確かに2010年代になって、写真の表現ジャンルもその裾野も横に大きく広がっている。ただ皮肉だと思えるのは、そのような状況が、あの写真産業の変容を背景にしていることだ。 写真文化の変容  写真産業の宣伝や支援は、日本の写真文化を支えてきた大きな柱だ。アマチュアのクラブを主宰し、ギャラリーなどの発表の場を設け、ときに機材や資金面で写真家の活動をサポートしてきた。もちろん本誌をふくめた写真雑誌も、その広告出稿に大きく頼っている。カメラ市場の縮小はこの構造に変化を迫り、それとは別の写真文化のありようを模索させる要因のひとつだといえよう。  たとえば13年1月号のタカザワケンジによるリポート「写真家の仕事2013」はそのことをよく伝えている。ここではインターネット上での活発な写真コミュニケーションから生まれた作品、ユニークな写真イベントやトークショーの増加、さらに写真集制作のための資金をクラウドファンディングを利用して集める動きなどが紹介された。  同号には前年のパリフォトに関する伊東豊子のリポート「日本の写真家は世界へどう向かうのか 写真市場の最前線」が掲載されている。すでにイベントの熱気をリポートする時期は過ぎ、国際市場にアクセスすることのシビアさが中心となっている。写真マーケットは拡大しつつも、「(作家一人当たりの)マーケットはすごく小さい」という日本のギャラリー主宰者の率直な声の一方で、マーティン・パーのそれでもなお「世界に出たければ来るのは当然。そういう投資も必要」という写真家としてのアドバイスが語られる。  尾仲浩二はその投資を行ってきたひとりである。伊東がリポートした12年のパリフォトでベルギーのキュレーターと知り合い、16年にブリュッセルの美術館で個展を開催している。そんな海外での体験は14年12月号の情報欄「イメージステーション」で語られている。  尾仲が初めてパリフォトに参加したのは08年で「僕の日本の旅写真なんてヨーロッパの人たちに理解されるとも思えず」不安だったが、持参した写真集はすべて売れてしまった。そこで帰国すると英会話レッスンに通い始め、さらにほかの写真イベントにも積極的に顔を出すようになった。その結果、海外のネットワークは広がり、写真作品の販売が好調になった。その体験から尾仲はこう語る。「作家がみずから作品を売ったり、お金の話をすることは下品なことだとする風潮が、いまだに日本にはあるように思う。(中略)写真家が写真を売るのは真っ当なことだと思う」  翻ってみれば、日本におけるオリジナルプリントの販売は1960年代後半に細江英公らによって始められるのだが、その主眼のひとつは写真家の自立だった。雑誌や広告のために写真を提供するより、自らの作品による活動、つまり写真を市場で売ることで正当な評価も、対価も得られると考えられた。ただ、そのためには尾仲のようにコミュニケーション能力と手段を強化し、営業も自分でこなすタフさを必要とする。もちろん、それでも成果を得られる保証はない。  海外の写真マーケットで評価される基準は「国際性と歴史性だ」と、2015年1月号の「『見る』側からの視点、そして『文脈』と評価」でタカザワはそう断じている。「二つの軸で普遍性を持ちうるか、あるいは、その反対に異端として個性を発揮できるか」が重要なのだと。  とはいえ、その基準に適さない写真に価値がないということではない。たとえば歴史的な史料性が大きいが、市場にはなじまないものも少なくない。考えてみれば、それをすくい取る役割を果たしてきたのが、カメラメーカーのギャラリーや写真雑誌のグラビアページだった。そしてこの混然とした場では、さまざまな写真の価値観が互いに影響を与え合うことも多く、それが西欧から見てユニークな日本写真が生まれる母体のひとつだったといえる。  写真市場のなかで位置を求める写真家の姿勢がよく表れているのが、ホンマタカシがホストを務める対談連載「今日の写真」である。たとえば14年7月号では、銀座と大阪のニコンサロンで開催された金村修「AnselAdamsStardust(You are notalone)」を俎上(そじょう)に載せている。この年の伊奈信男賞を受賞した同展をホンマは評価しながら、展示する場が違うのではないかと問う。「ちゃんと美術館につながっていて、アーティストがアーティストの活動だけで生きられる状況のなかにいたほうがいいと思う」からだ。それに対し、ゲストの批評家倉石信乃は、ニコンサロンはいまも一定の重要な位置を占めており「ああいう空間で展示することで生きる良質な作品は依然としてある」というが、同時に限界はあっても「時代とともにメーカー系ギャラリーも変わっていかなきゃいけない」と述べている。  この回では倉石も参画する写真分離派が、京都の大学で開催した「日本」展の場も話題になっている。これをなぜ首都圏で開催しないのかとホンマが尋ねると、倉石は、東京には「手頃なスペースがないんです。ノンプロフィットで展覧会の助成をしてくれて、グループ展ができるくらい広くて、というところがない」からとのことだった。  また同連載では、現代美術のアカデミズムが写真家から買いかぶられすぎているのではないか、という懸念が美術関係者のゲストから示されることもあった。写真を発表する場の変化は、その時代における写真文化の位相を如実に語るのである。 写真雑誌か、カメラ誌か  メーカー系のギャラリーと同じく、本誌にも大きな変化が迫られていた。写真というジャンルの幅と裾野が拡大してそれぞれの階層が分化する一方、発行部数が減少して広告出稿も減じたからだ。  もともと総合写真雑誌は、編集部が「中華丼」と自称するほど多彩で細かなコンテンツの集合体である。バイヤーズガイドと写真評論のように関連性が薄いページが混在し、それぞれのコンテンツに読者がつくことで成り立っていた。だが部数の低下局面では、逆にその立ち位置のあいまいさがマイナスとなってきた。では、その変化にどう対応すべきなのか。  14年4月1日付で編集長に就いた佐々木広人の結論は、多様なコンテンツをひとつのパッケージにすることだった。佐々木自身の言葉でいえば、読者が「グラビアを見て刺激を受け、写真家の撮影術や心構えを学び、カメラを使いこなして『納得』の一枚を撮る」(同年8月号編集後記)ことを促す誌面構成にすることである。  それを試みたのが、8月号のグラビア連動企画「都市を撮る」だった。ここでは松江泰治と北野謙のランドスケープ作品をベースに、二人への取材、都市写真の流れの歴史、都市写真の祖といえるウジェーヌ・アジェについてなど5項目を重層的に並べた。それは「即物的な撮影術とは一線を画した、『写真と向き合うための心得』」であり、茶道や武道の「心技体」に通じる写真愛好者の、基本的な所作だと佐々木はいう(同右)。  同年12月号では「『史上最高』の読みやすさへ」とのコピーを掲げて誌面刷新を予告。「『昔の名前で出ています』ではもはや通用しなく」なったとし、「学べる写真雑誌、使えるカメラ誌」をモットーにすると宣言している。  そして翌15年1月号からは「都市を撮る」を発展させた、毎回50ページを超える総力特集が組まれるようになる。「第1特集が巻頭グラビアから記事までぶち抜くスタイル」(佐々木、同年7月号編集後記)のなかに、そのテーマについての撮る・読む・知るの3要素を詰め込む、いわば一点突破全面展開の戦術ともいえよう。  佐々木はまた創刊90周年を迎える16年1月号で、安井が予測した、写真家が「全く普遍化」した時代、つまり「総写真家時代」でも、人の心を動かすには「プラスα」が必要だと書いた。もしそうなら、その部分は歴史のなかにヒントを見つけられるだろう。  たとえば15年11月号の総力特集「『肖像権時代』のスナップ撮影」から始まる、話題を呼んできた肖像権をめぐる企画でもそうだ。スナップショットは、時代の風景を記録するための、写真でしか成し得ない手法だ。そこであらわにされた人と場所の意識的あるいは無意識的な関係は、もはや社会を理解するのに欠かせないアーカイブとなっており、間違いなく今後も機能し続ける。それゆえ法律やマナーにグレーな部分は解消しつつも、スナップショットは重要な文化だと訴える責務が総写真家時代の写真関係者には生じている。  そして、このことを証明する重要な資料のひとつが、本誌90年間の歩みのなかで積み上げられた膨大なバックナンバーなのだ。これをひもとけば、豊富すぎるほどの実作と理論、そして実験と議論に突き当たり、しかもそれを時系列で理解することができる。 おそらく本連載は、このために企画されたのだろう。もっとも、それに応えたという自信はない。しかも当初予定していた1年の倍の期間を費やしながら、なお語れていない分野やエピソードは多く、掲載後に知った事実も少なくない。  その幾つかは稿を改め、近いうちにぜひ紹介したいと思っている。
dot. 2017/11/17 00:00
「20世紀少年」「PLUTO」誕生秘話まで 浦沢直樹×糸井重里対談を全文公開!
「20世紀少年」「PLUTO」誕生秘話まで 浦沢直樹×糸井重里対談を全文公開!
「本職の前で」と言いながら、ペンを取る糸井さん(右)。手塚先生の目の描き方に時代がみえると、実際に描いてみせる。ステージ後ろのスクリーンに映しだされた絵を見ながら説明を聞く浦沢さん(左)(撮影/今村拓馬) 【写真2】手塚先生の「掛け合わせ」を実際に描いてみせる浦沢さん(撮影/今村拓馬) 【写真3】影の描き方を実践する浦沢さん(撮影/今村拓馬) 【写真4】影で寂しさを表現することもできる(撮影/今村拓馬) 【写真5】上段左のアトムがはいている海パンにベルトがある。二段目の真ん中が、着陸しようとしているアトムだ(撮影/今村拓馬) 【写真6】ゴルゴ・ブラックジャック。新しい方向にちょっとでも向かおうとする手塚先生の姿勢を感じられる(撮影/今村拓馬) 【写真7】糸井さんが描いたミッキーマウスの目。丸で囲むと杉浦茂先生になる(撮影/今村拓馬) 【写真8】うーーーん(撮影/今村拓馬) 【写真9】かっきーーん!(撮影/今村拓馬) 【写真10】荒木さんの「あしたのジョー」を再現(撮影/今村拓馬) 【写真11】だらーんとしたジョーの腕が荒木伸吾だという(撮影/今村拓馬)  2016年5月29日に有楽町・朝日ホール行われた、第20回手塚治虫文化賞(朝日新聞社主催)贈呈式と記念イベントは、盛況のうちに幕を閉じた。20年の節目を記念して行われた特別イベント「漫画家という仕事~描線ということば~」浦沢直樹×糸井重里対談で、「実は昔漫画家になりたかった」と紹介された糸井さん。2度の手塚治虫文化賞受賞経験のある浦沢さんとともに、漫画家という仕事の、謎と魅力に迫った。貴重な対談を、ほぼ全文の形で紹介する。 *  *  * ■本当は漫画家になりたかった? 浦沢直樹(以下浦沢):漫画家になりたかったんですか? 糸井重里(以下糸井):なりたかったですよ。 浦沢:いくつくらいのとき? 糸井:中学のときが一番なりたかったかな。消去法の面もあるんですけど、働くのがいやだったので(笑)。 浦沢:あはは。漫画家だって仕事ですよ? 糸井:そうなんです。気づいてなかったんですよ、それに。 浦沢:漫画を描くのは遊びで仕事じゃないと? 糸井:そう。上司がいるのが嫌だったんですよ。怒られるのが嫌だった。で、編集者が締め切りだからって催促に来る漫画をいっぱい読むんですけど、それも楽しそうに見えたんですよ。 浦沢:でもそうやって追い込まれたり、何やかんや一番ひどい仕事ですよ。 糸井:知っていれば思わなかったかもしれないね(笑)。結局のところはなれないと思ったので、よかったです。浦沢さんなんかはまだ社会人として人に接しようとしてるけど、僕がやってたら無理ですね。 浦沢:あはは、社会に出ない? 糸井:社会から断絶しちゃったかもしれないなあ。だって、アシスタントがいるかいないかは別にして、背景の絵まで描いているわけじゃないですか。漫画家が描かないものは漫画の中に一切出てこないわけですよね。白紙から、それを毎週何本も描いているわけですよね。 浦沢:地獄ですよ。 糸井:本当になれなくてよかったし、今も、尊敬してます。浦沢さんばかりでなく、すごく簡単なように描いている人も含めて、漫画に対するリスペクトというのは、ぼくはものすごく高いですね。 ■漫画家と締め切り 浦沢:以前、糸井さんのラジオに出たころが、僕がメディアに少しずつ出始めた時期で、あの時に糸井さんがラジオで「浦沢さんそんなにしゃべるのに、今までどこで何やってたの?」ってね。言ってましたよね? 出る時間がなかったんですよ。月6回締め切りがありましたので。外に出る時間がなくて。 糸井:はあ。月に6回……。もちろん、1枚ずつ原稿を渡すわけじゃないんですよね? 浦沢:原稿を1枚ずつ渡す漫画家さんもいるにはいるらしいですよ。 糸井:間に合わなくて? 浦沢:間に合わなくて。それ一番ダメな仕事の仕方なんですよ(笑)。描いちゃ渡し、描いちゃ渡しみたいなね。 糸井:最低でも何ページですか? 浦沢さんがやっているのは。 浦沢:週刊誌は18枚ですね。 糸井:18枚だから、札束のようにこうトントンとやって、渡すわけでしょ? 浦沢:トントンとやりたいんだけども、雑誌の折りの具合ってのがあるんですよ。製本するにあたって、反対側のページの原稿が描き上がってる場合、こっち側も入れてくれってことになるんですよ。で、反対側の作家さんに、早い人がいるんですよ。あっち側ができてるから「とりあえず刷りたいから、こっちも描いてくれ」って言われるんだけど、それが最後の2ページだったりするんですよ。今から描こうとしてるのに、いきなりクライマックスを描かなきゃいけなくなったりするんです(笑) 糸井:いきなりね。 浦沢:そう。頭で考えて、「あー!」みたいなクライマックスの演技を描くんですけど、できあがってみると、だいたいダメなんですよ。 糸井:時間の流れが違うんですね。 浦沢:前から描いていかないと、ちゃんとした演技にならないんです。演技のつながりだから。だからいきなり最後の2ページのクライマックスをぱーんと描いても、最初から今度描いていくと、演技が合わないんです。 糸井:違う芝居をつなげたみたいになっちゃうんですね。 浦沢:そうなんです。 糸井:それは読者でも気づく人いるんだろうか? 浦沢:どうなんですかね。だから単行本の時に描き直したりするんですけどね。 ■作品でわかる漫画家裏事情 糸井:浦沢さんは他の方がそういう目に遭っていそうだなってわかるでしょ、きっと。よその漫画家さんの仕事が、何か事情があったな、みたいな。 浦沢:まあ事情はずいぶん見えますよ。 糸井:でしょうね。 浦沢:異様に空が広いな、とか。見開きで空かあ、とかね、ありますね(笑) 糸井:アシスタントが途中で辞めたんじゃないかとか。 浦沢:いいアシスタントが入ったなとか、いいアシスタントが抜けたなとかわかりますね。後は、よほどのことがあったんだなという絵のときもありますね。 糸井:よほどのこと(笑)。だいたい週刊単位で連載があるということ自体がすごいですよね。だって1週間なんて、みなさんそうだと思いますけど、今日日曜日だなと思っても、すぐ次の日曜日が来るじゃないですか。この速度の中で原稿を渡しているわけですからね。 浦沢:一番ひどいのが、ある雑誌が木曜日校了なんですよ。木曜日に締め切りがあってそこに入れられない場合、「ごめんなさい! ごめんなさい!」って言うと、「じゃあ翌日金曜日」なんて言うんですよ。だけどそれも無理な場合、「本当ごめんなさい!」って言うと、週明けて月曜日っていうのが奇跡的に大丈夫なときがあるんですよ。 糸井:中3日使えるんだ。 浦沢:はい、製版所が土日休みとかで。それで、ひーひー言って月曜日に納めるじゃないですか。寝てないような状態で。ハッって気づくと、もう次の木曜日が目の前なんですよ。これはもうねえ、地獄ですよ。 糸井:なんか聞いてるだけでドキドキする(笑)。落ちたことはないんですよね。 浦沢:ぼくは落ちたことはないです。きっちり向こう3カ月くらいのスケジュール作って、それでわりとぴったり合わせているんですけど、スケジュール上で「MONSTER」と「Happy!」がどうしても重なっちゃうなという。そこはどっちか休み。 糸井:それはあり得たんですね。 浦沢:3カ月前に休みを入れるのは、落ちたってことにはならないんですよ。別の人を用意しますから。 糸井:なるほどなるほど。計画的にそこは…… 浦沢:目次とかに載っちゃってるのに載ってないのが落ちたってことです。表紙にいるのにいない、みたいな(笑) 糸井:あり得るでしょうねえ。 浦沢:そういうやつが落ちたっていうんですよね。 ■最初の読者でなければならない 浦沢:ぼくこの間、手塚プロダクションで手塚治虫さんのスケジュール表を見せてもらったんですよ。 糸井:残っているわけですか? 浦沢:1977年11月ってやつ。「マガジン」「チャンピオン」で毎週描いていたのが「三つ目がとおる」と「ブラックジャック」なんですよ。さらに「漫画少年」でも「火の鳥」を描いていたんです。で、「希望の友」で「ブッダ」。「ビッグコミック」が「MW(ムウ)」、「サンリオ」って書いてあるのが「ユニコ」ですね。それが、同じ月の中に入ってるんですよ。異常ですよね。 糸井:異常ですねえ。それ締め切りいくつあるんだろう。 浦沢:まず週刊誌だけで8本ですからね。 糸井:そういうケースって浦沢さん自身に当てはめたときに、原稿を渡した次の週の案は頭にもうあるんですか? それともコンテぐらいはあるんですか? 浦沢:うーん、ありそうでない。 糸井:浦沢さんでも? 浦沢:うん、描いてるうちに「こうじゃねえな」と思いだしちゃったりすると、もう全部なしになっちゃうから。日本漫画の素晴らしいところは、即興性ですね。 糸井:そう!(笑) 浦沢:パッと思いついたら、もうストーリー全体もバッと変わっていくみたいな。 糸井:そこをまあものすごく利用したのは赤塚不二夫さんだとは思いますけれど。 浦沢:そうですよね(笑)。実物大バカボンとか、思いつきで描いちゃう。7年とか8年とか連載が続く状態で、最初に思ったことを7年間貫徹するというのはすごく立派な感じがしますけど、絶対飽きますってそんなの。 糸井:自分が飽きていくわけですよね。 浦沢:作り手が飽きちゃった作品ってのは、絶対面白くないですから。描きながら作り手が、「えっ、こうなるんだ」ってワクワクドキドキしながら描かないと、作品絶対面白くないですから。予定調和でこうなるんだって作ってるとね。だから、あれだけ年月かけられたのはやっぱり、作者が驚いていたということでしょうね。 糸井:俺が描いているものを「いいなっ!」って思うってことですね。 浦沢:最初の読者じゃなくちゃいけない。「えー! そんなことになるの」とか言いながら作ってますから。 ■二人の天才がひらめくとき 糸井:へとへとに苦しくなったときって、基本的にはひらめかなくなると思われがちですが、逆もあるんでしょうね。もうダメだ何も出ないっていうときに……。 浦沢:「もうダメだ何も出ない」を越えると、何か出ますよね(笑) 糸井:そうやって言語化できるような世界ですか? 浦沢:端的によくあるのは、「もうダメだあ」ってバタって倒れて、「うぅ~」って起きると「わかったあ」ってなるんですよ。一瞬寝るんです。外界の音とかちゃんと聞こえてるんですけど、本当に気を失うんですね。そんで「うぅ~」って起きると、「わかったあ」って言って描き出す。 糸井:そのわかったの内容は、まるまるわかってないですよねきっと。わかったことだけがわかった、みたいな状態になるんじゃないですか、一回。 浦沢:いやでも何かね、バラバラなジグソーパズルがあって、途方に暮れてて気絶して、起きたら組み合わさってたみたいな感じ。それは何度も体験してます。 糸井:浦沢さんの中でも、もう何度もあるの? 浦沢:うん。 糸井:そうやって最初から新しい漫画ができることだってありますよね、きっと。他の漫画の連載をしているときにひらめいたことが、今はできないけど次の漫画へってことはないですか? 浦沢:それもありますね。ずっとイメージはあるんですよ。「これは一体何だろう」みたいなのがずーっと。ひらめくといえば、こんなことがありました。新人のときに、ストーリーが浮かばない漫画家は一発でクビになると思ってたんですよ。だから編集者が「来週打ち合わせしよう。それまでに何か考えてきて」って言って、それで「考えてきました」って何か提示できなければ、「はい、君はもう来なくていいよ」って言われると思ってたんです。 糸井:面白い話を考えるやつが、漫画家の中心なんだと。 浦沢:はい。「何も思いつきませんでした」って言ったら、「もう君結構」って言われるんだろうなと思い込んでいたので。 糸井:デビューしてから? 浦沢:そう。それで翌日打ち合わせなのに、何も浮かんでなくて、「うーわあ、何にも浮かんでないわー」って。短編なんですけど。本当にね、夜公園に行って星空を見上げて、「神様ぁ」って言いましたもん、本当にね(笑)。「ぼく何も浮かびません」って。「何かアイデアをください」 糸井:それはその自分が間違ってたんですかね? 今にして思えば。アイデアなんてなくてもいいやぐらいに今はなるんですか? だって、ずっと(アイデア)出してるじゃない。事実は。 浦沢:はい。その後、その日のことが自信になっていくんです。その翌日、打ち合わせの日になって、電車に乗って神保町の小学館に向かってるんだけど、まだ何も浮かばないんですよ。で、遠足の子どもたちがぞろぞろぞろって(電車に)乗ってきて、おっ何かネタになりそうだと思ってじーっと見てたら、ただうるさいだけで(笑)。うるせーなーとか言って、考えがまとまんねーじゃねーかとか思っているうちに神保町に着いちゃって。それで「着きました~」って今も一緒にやっている長崎(尚志)さんが、当時担当編集者でしたから、公衆電話で連絡して、「じゃあ喫茶店で話そうや。歩いて行くから途中で落ち合おう」って、向こうから長崎さんが歩いてきちゃうんですよ。で、わーダメだ、もう一巻の終わりだ、何もないって。それが、交差点のところで「おぅ! 何か浮かんだ?」って言われたときに、「えーとですねえ、悪党がですねえ、ウサギのぬいぐるみを被ってですねえ」って何かしゃべってるんですよ、自分が。何言ってんだろうなと自分でも思ったんですけど(笑)。それで長崎さんが「お、何か面白そうな話じゃん。詳しく聞かせて」なんて言って、喫茶店で「それでその悪党がウサギのぬいぐるみに入って何やってんのそれ?」みたいな話で打ち合わせが始まったんですよ。その時に、これはここまで考えると何か出てくるなっていう。そういう自信にはなったんですよ。 糸井:違う次元かもしれないけど、実はぼくも浦沢さんと同じようなことを繰り返してきましたね。例えば今回時間をたっぷりもらったから、一番いいのを作ろうと思っても、出てきたためしがないですよね? 浦沢:そうですよね(笑)。そんなものは必要ない。 糸井:それこそ神に祈ったらおりてきたということも、ない。 浦沢:ない(笑)。そんなもん、神様なんていないですよね、創作の神様。 糸井:テレビを見ていてヒントを見つけるということもない。そんで本棚の全然関係ない本を出してみても、ない。何にもないなーって言って、ちょっと寝たとか。 浦沢:そうですねー。ぼくの場合はよくガラスを拭きますね。 糸井:いいですねえ(笑)、何ですかそれ。 浦沢:ガラス磨きをしたり、ほこりをとったりしている時間。あの人掃除ばっかりしてるなっていう。それとなんか寝るっていうのはちょっと似てるかなって感じがしますね。 糸井:お風呂はどうですか? 浦沢:あ、お風呂は1回あります。 糸井:お風呂はいいですよね。 浦沢:三谷幸喜さんと話していて、「お風呂はある」って。お風呂も、三谷さんいわく、お風呂からあがって体を拭いている瞬間とかそのぐらいがいいんだよねって(笑)。一番何にもなくなる瞬間。 糸井:あー、から拭きね。 浦沢:ふぁーって何か頭のなかで考えるという作為がぽーんと飛んだ瞬間に、ふぁって何か浮かんでくる。考えようとしていること自体が、すでに浮かばない状態にしちゃっているという。禅問答みたいですけど。 糸井:そこはみんなね、ちょっと何かやってる人はわかると思うんだけど。ロジックで追い詰めていって、「~のはずだ」ってものに答えはないんですよね。お風呂が何でいいかっていうのは、ぼくはお風呂がとても多いんだけど、いま考えたいテーマじゃない、別の“いいこと”を考えるんですよ。で、それをメモしておくと、後で使えるんですよね。 浦沢:浮かんじゃうんですよね。 糸井:浮かんじゃう。やっぱり比重が(笑) 浦沢:あ、お風呂でね(笑) ■「20世紀少年」「PLUTO」誕生秘話 浦沢:ぼく「20世紀少年」がそれなんですよ。「Happy!」の最終回を描いて、やったー! 終わったー!って。「YAWARA!」から「Happy!」にかけて、14、5年週刊誌でやってたので、もう二度と週刊誌なんかやるもんかって、最後の原稿渡して。「わー! かんぱーい!」ってやって、それで「やれやれ~」ってお風呂入って、あーもう週刊誌なんか二度とやるもんかーって湯舟につかってたら、国連総長みたいなのが「彼らがいなければ、21世紀を迎えることはなかったでしょう」って演説するシーンが浮かんだんですよ。 糸井:おぉ! 浦沢:それで、ん!?何だこれ!?って、その「彼らを紹介しましょう」って国連総長が言うと、メンバーが出てきて、「20世紀少年」っていうタイトルが出て、っていうのをお風呂あがってからメモに書きとめたんですよ。で、何だろうこの話はっていう、そこから始まったんですよ。二度とやるもんか、週刊誌なんか描くもんか、もう何も考えたくないってなった瞬間に、わって浮かんだんですよ。 糸井:その時に、国連が出ちゃったんだ。しゃべった? そのことはすぐに誰かに? 浦沢:そのメモを、スピリッツ編集部にFAXしたんですよ。こんなのが浮かんじゃいましたって。 糸井:は~。よかったですねえ。 浦沢:いや、描く気ないですよ(笑) 糸井:そうなの? 浦沢:もうこりごりですから。でも浮かんじゃったからしょうがなく描いたんです。週刊誌なんてもう二度とやりたくない! あんなスケジュールの世界はやだって思ってたけど、浮かんじゃったんで。 糸井:何で週刊誌に送ったんだろうね(笑)。飛んで火に入る夏の虫じゃないですか。 浦沢:しかもね、1998年くらいに浮かんだんですよ。で、このドラマは1990年代中に、20世紀中に始めなければいけないドラマだなって思って、うわーもうすぐ始めなきゃいけないじゃんってなって(笑) 糸井:状況は自分の首を絞めるようなことばっかりですよね。俺はやらないって言っておいてね(笑)。いちいちもう、ぼくもそういうのあるよなと思うんだけど。これ誰かがやればいいのにっていうアイデアがよく出るんですよ。読みたいなとか、そういうのあったら俺絶対お客になるんだけどな、買いたいなとか、それを自分でやることになるんですよ。 浦沢:ほんとそれ。「PLUTO」はそれですもん。 糸井:あれも読みたかったんですか!?(笑) 浦沢:「PLUTO」も、鉄腕アトム生誕2003年に、生誕年なので、みなさんで鉄腕アトム生誕をお祝いする何かをやりましょうよっていうことをアナウンスされて、何かやりませんかって言われたときに、ぼくが鉄腕アトムの中で一番人気の「地上最大のロボットの巻」のリメイクとかに真っ向から挑むような、気骨のある漫画家はいないもんかね」なんて言ったんですよ。そしたらまわりにいた編集者に「自分で描きゃいいじゃない」って言われて。 糸井:その一言だよね。 浦沢:で、いやいやいやいや、とんでもないとんでもないとんでもないって言ってて。ぼくはだからそういうものが見たいって言っただけなんですよ。 糸井:それ、ぼくも相当近いなあ。 ■自分が読みたい漫画を自分で描く 糸井:話を聞いてて、他の漫画家のこと語るときの浦沢さんすごいいきいきとしてますよね。 浦沢:あ、楽しいですよね(笑)。人の漫画は楽しいですね。 糸井:ねえ。で、同時に自分が漫画家なんですよね。 浦沢:うん、だから世の中にこんな漫画があったらいいのになーって思う自分がいるじゃないですか。こういうの読みたいな、で一番手っ取り早いのが自分で描いちゃうっていう。それは子どものときからですね。こういうのがあったらいいんじゃないかって、じゃあ自分で描いちゃえばいいじゃないかっていう。「あしたのジョー」の単行本を1巻2巻って買ったんですけど、3巻買うお小遣いがなかったんですよ。小学校3年くらいのときに。それで、じゃあいいや自分で描いちゃえって描き出したんですよ。 糸井:あはは。お話は知ってたの? 浦沢:うん、少年マガジンで読んでましたから。 糸井:読んでいたのを再現したんだ、自分で。 浦沢:そう、それで単行本の大きさに紙を切りまして、こういうふうにやればいいのかな、なんて折って(笑)。それ描き出したんですよ。サイズ小せえなとか言いながら。 糸井:いいなあ~。 浦沢:で、数ページ描いたところで、それ最終的に頓挫したんですけど、単行本ってこう見ると、背中のところで何か糊(のり)みたいなもので束ねられてるじゃないですか。この糊なんだろうなと思って。で、不易糊(ふえきのり)じゃねーよなあなんて言いながら(笑)。指でぐっぐっとやって、硬いなあって、これは素人が手に入れられるやつじゃないなあって。それでやめたんです。 糸井:はあ~。そんなのとっておいたら面白いだろうねえ。 浦沢:ね(笑) 糸井:捨てちゃうんですよねえ。製品っていうか商品としてあるもの、例えば漫画とかを自分で作ってみようと思う気持ちそのものが、なんかすごく面白いですね。ぼくは小学校のときにボールの硬球を見たことがなかったので、革でできていて縫い目が108つあるっていうのを本で読んで、靴屋さんに作ってもらったことがあるんですよ。 浦沢:形を? 糸井:そう。縫うのも全部やってもらったんで、今の自分とそっくりなんですけど、自分ではやらないんですよ。これをこうやってって言って、中にコルクが入ってて、ゴムが巻いてあるとか読んでたんで、それも全部準備して靴屋さんに渡して、これでどうかなって言ったら、やっぱり緩いんですよ。ピチっとならないんですよ、革も違うし。本当に出回っているものを自分で作るのは大変なことだなって。浦沢さんがそんなことやってたくらいの歳のときにぼくもやってましたね。 浦沢:何だろう、あるものを自分で作ってみたいっていう。そんな感じなんじゃないですかね。 糸井:そうそうそう(笑)。電気洗濯機を作ってみたいっていう気持ちも、自作パソコンを作ってみたいっていう気持ちも同じかもしれないですね。 浦沢:その感覚すごく近いですね。本というものを自分の手で作ってみたいっていうのが自分で描く作業としての始まりなんですよ。 糸井:間のプロセスで、ものすごくいろんな大人の苦労があるっていうのはあんまりよくわかんないから、できるんじゃないかなあって思う。地上最大のロボットを自分で描くときに、絶対できないって思ってたら始めないわけだから。 浦沢:そうですね。 糸井:ちょっとできるんじゃないかなあっていう(笑) ■手塚治虫漫画から受けた影響とは 浦沢:小学生のころから、手塚先生がどういうふうに描いているのかを分析するわけですよ。「掛け合わせ」ってどうやってやるんだって。ジーっと見て。実際に描いてみましょうか?(プロジェクターに向かう) 糸井:わあ、便利な講演会ですね。 浦沢:掛け合わせって、ざっくりいうとこうなんですね(※写真2参照)。これが掛け合わせっていうんですよ。手塚先生はこれがとってもきれいで、掛け方によると、模様みたいなものが出るときがあるんですよ。微妙に斜めにする、こうやってやると、モアレが出てくるんですよ。 糸井:手作業なのにねえ。 浦沢:そう。これを、ずーっと練習したんですよ。 糸井:はぁ~。世界中にそんな子どもが何人かはいたんでしょうね。浦沢さんだけじゃないんでしょうね。 浦沢:そうですね、たくさんいたと思いますよ。 糸井:たくさんはいないと思いますよ(笑)。スクリーントーンっていう発想はなかったんですか? 浦沢:スクリーントーンは20歳過ぎて新人賞をとった作品で初めて使ったんですけど、あまりにたくさん種類があって、どれを使ったらいいかわからない。まず、点々みたいなやつがあるんですよ。それを1センチ四方計りまして、点の数を数えたんですよ。 糸井:うん。 浦沢:それで印刷物は、120%で縮小されますので、それを計算して、この点でいけば、71番かなってぼく算出したんですよ。そうしたらね、実際は61番だった。 糸井:(笑、拍手) 浦沢:でそれを貼って、雲のところとかかすれたようになったのをホワイト筆で丁寧に消していったんですよ。 糸井:あ、多すぎる点をね。 浦沢:うん。したら編集者が、「浦沢くんこれホワイトで消してるけどさ、カッターで削るんだよ」って。あんときすっごいショックだったんですよ。うわー、カッターで削んのかーって。うーわー、削れるーって。 糸井:その技術があったら、またガーッと進化するわけだ。全くそれファンの目線ですよね。自分で描いてる漫画に対して、もう自分じゃなくてファンとして見てますよね。 浦沢:うん、漫画ファンですよね。 ■手塚さんからもらった「かっこいー!」 糸井:浦沢さんとぼくは全然違うタイプの人だと思ってたけど、自分が普段人に言ってることも同じような話ですよ。ぼくは文章書くときとか、企画するときには、コピーライターは依頼があって仕事するわけだけど、依頼があった人の一番いい所にいっては、いいことをしては駄目だと思っていて。その人が言いたいことがあるときは、一番前の列で聞いている人がいるから、その人の立場で考えるっていうことをしてきたんです。会社でも、みんなに文章を書くときとか、立ち位置の話をよくするんだけど、お客さんに近いところの一番前で書きなさいと。今のお話は、自分で描くごとに客席にちゃっと回ってますね(笑) 浦沢:そうですね。「かっこいー!」って思ったら、そっくりそのままいただくっていう。なんてことないんですよ。手塚先生の描いている……(再びプロジェクターに向かう)。 糸井:手が動くのは都合がいいねえ。 浦沢:そうねえ。簡単に説明すると、たとえば、なんだろう(絵を描き始める)。 糸井:あ、なんか手塚っぽいですよ。これ、火の鳥の人かなあ。 浦沢:人が立っているのを上から見た構図で、ここにこういうふうに影がこうやって入っているんですよ。この影を見た段階で、「かっこいー!」ってなるんですよ(※写真3参照)。 糸井:影によって季節を感じますよね。太陽の位置を。 浦沢:太陽の位置、そう、これが濃ければ濃いほど夏になったりとか。 糸井:これ手塚さんが考えたわけですよね、あるとき。 浦沢:そう、なんかね、こういうふうにした段階でこの男がどういうふうに地面に立っているかっていうそこに立体空間が出てくるっていう。それが、「わー! かっこいー!」って思って、それを一生懸命まねしたんです。 糸井:じゃあ浦沢さんの漫画にもこの影響はずばり出てるんですか? 浦沢:もうもろに。 糸井:その目で見てみたくなった。これ冬だったら長くなるし。 浦沢:影ってすごいんですよ。 糸井:影の話をするのに人体ぜんぶを描いたってところに、浦沢さんの誠実な人柄を見ました。棒1本だって描けるのにね。あ、また全部描いた。あーいいねー。 浦沢:これで、これだけ(影を入れる)でかなり寂しい絵になります(※写真4参照)。 糸井:寂しいですね。寒くなりますね。 浦沢:うん、これ半袖だけどね。 糸井:あ、長袖が買えない子だったんだね(笑) 浦沢:影はね、本当に大事ですよ。 糸井:そのもとは、手塚さんにもらったの? 浦沢:そうです。 糸井:手塚さん、あげた覚えないんでしょうけど(笑)。すっごいですねそれ。 浦沢:そういうことがかっこいい。 ■糸井重里さんがもらった「ま、」 糸井:ぼく自分のことでそういうことあるかなって思ったんですけど、「ま」って書いて点を打つんですよ。「今日は浦沢さんに会った。ま、前にも会ったことがある人だから」っていうその「ま、」っていう。その「ま、」は土屋耕一さんって人にもらったんですよね。「いいーーー!」って思ったんですよ。「ま、」一つで、本気で文章を書いてない感じが出るんですよ。 浦沢:あー。そうかー。 糸井:プラモデルのバリみたいなところですから。なきゃないで飛ばしちゃえばいいわけ。新聞記事には絶対「ま、」とは書いてない。「猿が逃げた。ま、その猿も長年……」って、その「ま、」一つでね。で、それを印刷される言葉に「ま、」って入れたことに、かっこいいー!って思ってね。今でも多用してますね。「ま、」は。 浦沢:丸つけるとかってあるじゃないですか。 糸井:あれも広告の中で、確か単語一つのっけて、「乾きに。」っていうのがあったんですよね。それも土屋耕一さんです。 浦沢:その丸つけただけで、かっこいー!って。 糸井:文章のようになるんですよ。 浦沢:そのかっこいー!って響くっていうのがすごく重要ですよね。 糸井:そうですね。だから丸っていうのはコピーライターがやるものだって思い込んでる人もいるんですけど、コピーライターがやるというよりは、誰かが書いたものですよっていう気がするんですね。俳句の最後に丸をつけたら、誰かが書いたっていう、誰かさんの匂いがするわけですよ。「不思議大好き」とか書いても丸って打たないと、不思議大好きって言葉は部品ってことになっちゃうんです。どう使ってもどこにはめてもよくなっちゃうんですね、不思議大好きが。でも「不思議大好き。」って丸を入れると、これ1個で全部のこと言いたいんですよっていう表現になるわけです。わけですっていうか、たぶん感じ方がそうなんだと思います。今の影の話も、見つけたから浦沢さんのところにDNAとして残って伝わったけど、浦沢さんが見逃してたら、そのままですよね。 浦沢:うん、そうですね。 ■手塚治虫の目の描き方にみる時代の変遷 糸井:目玉の描き方とか手の描き方って、漫画家の人が自分の記号としていっぱい持ってますけど、さっき楽屋でちょっとお話したしたんだけど、手塚さんの目の描き方の発明とその変遷があるんですよね。 浦沢:いろいろぼく今日テキストを持ってきたんですけど。糸井さん世代はやっぱりアトム? 糸井:アトムです。「少年」っていう雑誌にアトムが連載されていて、「少年」を読むにはぼくはちょっと幼かったので、「幼年ブック」ていうのを読んでいたんですけど、でも「少年」はお兄さんの雑誌で読んでました、憧れで。 浦沢:これ、復刊ドットコムさんで、当時のそのまま復刻してるんで。 糸井:このアトムです。この海パンにベルトがついてるっていうのがね(※写真5参照)。みなさんお笑いになりますけど、当時の海パンにはベルトがついていました。この真ん中の着陸しそうなアトムとかいいですよね。 浦沢:これ? 糸井:そう、手からシャーッと出てる。 浦沢:これねえ。なんかもうこれ見てるだけで、あのころのSF感っていうか、心躍る何かがありますね。 糸井:高さを子どもが感じられるんですよ。 浦沢:そう! こういうのかっこいー!ってやつですよ。 糸井:かっこいい(笑)。速度出してたらこの姿は見えないんですよね。 浦沢:そうですね、このページだけでもうご飯3杯くらいいけちゃう(笑) 糸井:ほんとだね(笑)。目の話は? 浦沢:さっきちょっと糸井さんと楽屋で話してたんですけど、『手塚治虫 原画の秘密 手塚プロダクション編』の後ろに載っているブラックジャックの目の周りが、変に黒々となってるんですよ。これ実は、ブラックジャックが登場する最初のコマなんですけど、これ印刷だと白いんです。でも原画で見ると黒々となってるんですよ。貼ってある修正の下に、大きい目が描いてあるんです。ブラックジャックを描くにあたって、目を小さくしようとしてるんですよね。で、これがどうやら時代に合わせていく手塚的なものであって、さっき糸井さんが楽屋で「あっ、これって!」って言ったのはこの絵ですよね。 糸井:この絵(※写真6参照)。 浦沢:どっかで見たことある状態になってる。 糸井:特にこの筋がね(笑) 浦沢:これゴルゴさん(会場笑、拍手)。眉毛がね。 糸井:眉毛まさしく筆で描いた一文字なんですよ。 浦沢:いわゆる時代は劇画になりつつあるところに、手塚先生がどのくらいそこにコミットできるか。自分の絵としてどこまでコミットできるかっていうことの実験なんでしょうね。 糸井:よく見てみると口の描き方もさいとう・たかをさんっぽいですよね。 浦沢:そうですよね。だからそこにリアリズムみたいなのを、背景もそうですけど、リアリズムが出てきてるわけですよ。だからやっぱり劇画というものと対抗してやっていこうとしていたんですが、そこにやっぱり自分も、自分の中で何ができるかっていうチャレンジをされていたんだろうなって思って。 糸井:あの忙しさの中で、新しい方向にちょっとでも向かおうとすること自体が……。 浦沢:漫画界の中で、手塚先生ほど絵柄が変わった人はいないんじゃないかって思うくらい、すごくフレキシブルに変わってる。 糸井:変わることで手塚治虫であり続けられたっていう。 ■日本漫画と海外漫画の違いとは? 糸井:これ、今ここで気づいたんだけど、戦後日本とアメリカですね。 浦沢:はあ。 糸井:あの、ごめんなさいね、本職の方の前で(筆をとる、会場笑)。違う紙にしましょうか、もったいないから。おおもとのもとに、この目があるんですよね(※写真7参照)。 浦沢:あー、はいはい、あります。 糸井:ミッキーやらなんやらの目ですね。で、これを丸で囲むと杉浦茂さんになるんですね。で、おおもとはこれなんですよ、一番が。もうちょっと点みたいになってるやつもあったんですけど、ミッキーの最初のころっていうのは、パックマンみたいだったりするんですよね。 浦沢:それだけだとね。 糸井:で、囲んで、これもミッキーだったんですよ。あと杉浦さん。手塚さんの初期のあたりっていうのは、このミッキーの流れじゃないですか。これがどんどん貸本漫画の劇画を媒介にして、ブラックジャックの目に至るわけですよ。 浦沢:そうですよね。 糸井:それは、手塚さんの動きかなにか全部、アメリカの動画の動きらしい描法から、手塚さんが離脱していくプロセスですね。電気製品から何から全部アメリカのデザインだし、アメリカから来たものをそのまま使っていた。それが唯一の価値だった時代から、日本ならではのデザインだとか生活という方向にいった歴史と、重なるじゃないですか。 浦沢:いわゆる日本漫画の形になっていくってことですよね。オリジナルの形になっていく。 糸井:そうですね。今の日本の漫画っていうのは、途中からアニメーションが入るんで、アニメーションって大量生産するための記号化がすごく激しく行われたので、そうなるとちょっとまた、もう一つ分かれると思うんですけど。個人が漫画家として描いてきた絵の変化っていうのは、アメリカと日本の関係に非常に符合するんじゃないでしょうかね。 浦沢:そういう初期の絵っていうのは、1枚でもTシャツのイラストになりますけど、1枚絵としての存在感が強いのは、やっぱりアメリカやヨーロッパの漫画なんですよね。 糸井:まったくその通りですね。 浦沢:日本の漫画は連なりなので、1枚ずつ取り出すと、それでは弱いんですよ。めくって、めくっていく。向こうは1枚を取り上げて、カレンダーになったり、まあタンタンとかもそうですけど。ミッキーなんかもそうなんですけど。1個取り上げてもそれでもう十分イラストになるんですよね。日本の場合は連なりに、1枚ではなく、何コマ、何ページで成立するっていうのはありますよね。 糸井:劇画の前まではみんなその丸っこい柔らかい描法で少年雑誌っていうのは描かれていましたよね。ちばてつやさんなんかも、デビューのころはまだそのにおいがしますもんね。 浦沢:そうですね。 糸井:あと何だろう、動きを面白くしようとしてか何だかわかんないけど、昔のアニメで崖のこっち側から走ってきて、崖を越えてるのに空中に浮いてて、気づいたら落ちるってあるじゃないですか。意識と現実のDelay(遅れ)ですよね。 浦沢:はい。 糸井:人体の動きも全部Delayしてる気がするんですよね。手塚さんの初期のころでも、スローモーションの遅れみたいに見えるんですよ。それ今もう全く日本の漫画にはないですよね。 浦沢:なくなりましたね。宮崎駿さんが、ルパン三世でタタタタタタタって下りて行って、普通だったら落ちちゃうのにそっからひょいーんっていっちゃうのは、あれはもう、アニメがもう……(映画「ルパン三世 カリオストロの城」、ルパンが屋根から屋根へジャンプするシーン)。 糸井:ひっくり返したってやつですね。 浦沢:うん、ひっくり返した。 ■アニメは漫画のDNAを途絶えさせた? 糸井:アニメっていう新しい流派が生まれて、ぼくの代わりに君が描いても「巨人の星」は成り立つよねっていう文化が入った気がするんです。あそこからはまた描法についてのDNAが途絶えるようにも思えるんですよ。 浦沢:あの、描き手としての? 糸井:描き手としての。 浦沢:ところがぼく、いろんなところで言ってるんですけど、「巨人の星」のアニメチームを、東京ムービーというところがやってたんですけど、ぼく当時まだ10歳くらいで、あれが4チームか5チームで描いてるのを見抜きまして。 糸井:すごい(大笑) 浦沢:うまい人、うまい人、普通な人……下手な人みたいな感じのチームで(笑)。で、指折り数えていくと、花形(満)が大リーグボール1号を打つ回は、下手な人になっちゃうわって……。 糸井:あー、順番が。 浦沢:やばいぞと。あの人でもつのか、って思ったら、間になんか、何その話っていう雑誌で見たことのないグランドキーパーのおじさんの話みたいなのが入ったりするんですよ。 糸井:うんうん(笑) 浦沢:で、間延びして、あ、ここにこれが入るってことは、お、もしかしてあの人、みたいな感じでちゃんとクライマックスは一番うまい人が、荒木伸吾さんって人なんですけど。荒木伸吾さんが描いた花形満が大リーグボール1号を打つシーンっていうのがね、それをぼくもう、ビデオがない時代じゃないですか。もうジーっと見てね。 糸井:観察して(笑) 浦沢:(放送が)終わってから新聞広告の裏に、もう何枚も何枚もそのアニメのセル画のように、こうなって、こうなって、こうなったっていうのを描きましてね。 糸井:すごいですねそれ。なるほど。 浦沢:はい。今でも描けますよ(笑いながらプロジェクターに向かう) 糸井:描き分けをするわけですね。大量生産できるようになったのに、個性の描き分けを。 浦:(描きながら)あのこれが、花形が…… 糸井:あ、もう花形を感じます。 浦沢:こうなって、こういうふうにきて、ここに、ボールが当たるんですよ。 糸井:うんうん。 浦沢:それで、うぅーんって、うにって。こうなる。阪神(ユニフォームに棒を引く、会場笑、※写真8参照)。それで、次このざっくりいきましょうね。これがね……こんな感じでこう……ボールが上に……。 糸井:あーーーー! 浦沢:で、こうでしょ?(※写真9枚目参照) 糸井:(絵を順番に見せながら)うーーーん、かっきーーん!(会場笑、拍手) 浦沢:これね、これ小学校のとき何度も描いたんですよ。 糸井:いい! そうか、その作画演出っていうジャンルがもう一つ生まれたんだね。 浦沢:そうなんです。こんなふうに見えるんだ、こういうふうに描くと、って。 糸井:うれしかった? 浦沢:うれしかった! 糸井:それを自分でもう漫画とかで描いてたんですね? 浦沢:描いてました。 糸井:応用したわけですねきっと。 浦沢:こういうの見たらそれ全部応用されて、自分の作品に使われるんですよ。 糸井:はー。 浦沢:眉毛太くなっちゃって(会場笑) 糸井:はあー。この時代にね(笑) 浦沢:うん(笑) ■面白いアニメにはいつも同じ名前が! 糸井:自分はアニメになったときに、がっかりしたタイプの人間だったんですよ。ぼくの親しんでいたうまい下手、好き嫌いは手塚さんが中心だったんで、手塚さんから離れていくと、ちょっと違うなって思っちゃった。劇画側の人にも慣れていったんで両方受け取るんですけど、どっちにしてもこのくらいの完成度みたいな基準が何となくできていたんで、アニメーションで見ると、これ違うじゃないかと。 浦沢:はい、うん。 糸井:で、アニメにぼく近づかなくなったんですよね。 浦沢:はいはいはい。 糸井:でも浦沢さんはそこは貪欲に。 浦沢:貪欲に。面白いアニメだな~って思うと、「みやざきしゅん」って人の名前が入ってるんですよ(会場笑) 糸井:そこも見てたんだ。 浦沢:見てました。 糸井:録画とかなくて? 浦沢:はい。 糸井:はあ。 浦沢:面白いって思うところには、なんかいつも同じメンバーがいて。さっき話した東京ムービーが「巨人の星」を作っていたころに、虫プロダクションが作ってた「あしたのジョー」を見て、明らかに同じ人が描いてるって思ったんですよ。それで、後に「YAWARA!」をアニメーション化するにあたって、もうあのころから30年後くらいですかね、マッドハウスの丸山(正雄)社長とお話ししていて。で、丸山さんって「あしたのジョー」とかでバーンと制作者で名前出ますよね。で、「巨人の星」の花形満の回を描いた人が、「あしたのジョー」も描いていたような気がするんですって言ったら、そしたら、それ荒木伸吾だよって。 糸井:異動したんですね。 浦沢:いや、同時に描いてたんですよ。 糸井:はー。そしたら「あしたのジョー」でも、さっきの花形のホームランみたいに、相手が飛んでくシーンとかあった? 浦沢:あのね、えっと荒木伸吾さんの特徴としてね……(筆を持つ。会場笑、拍手)。荒木伸吾さんの特徴としてね、こう(※写真10参照)。 糸井:おー。ジョーだ。ジョーだじょー(会場笑) 浦沢:でね、これ、腕はね、こういう感じでね。 糸井:だらーんですか? 浦沢:だらーんがね、ちょっと手がでかめなんですよ。 糸井:ほうほう。 浦沢:わりとね、こういう感じの手なんですよ。 糸井:だらーん感が出るんですかね。 浦沢:そう、こうやるとね、この手の感じ、これがね、荒木伸吾さんなんですよ(※写真11参照)。 糸井:これはね、急に「はい」って言えないよ(会場笑) 浦沢:これね、わかる人は「うんうん!」って言ってくれると思う。 糸井:素手でもいいんですかこれ。ボクシング。 浦沢:あ、これ、これは少年院の服です(会場笑) 糸井:あ、少年院だから。なるほど。 浦沢:や、これね、わかる人はにはわかるはず。ちょっと手がでかいんです。 糸井:動画になっても浦沢さんの追跡は続いていた。分類されても、されても、あらゆるジャンルでこういうふうに見るようになったってことですね。 浦沢:そうです、そうです。 糸井:それが今の浦沢漫画に生きてると。 浦沢:「侍ジャイアンツ」にどうも、あれは何だったかな、「ハイジ」だったかな。 糸井:あはは。 浦沢:「ハイジ」やってる人が「侍ジャイアンツ」にいるって思ってたら、ジブリの鈴木敏夫さんが「侍ジャイアンツのオープニング、宮崎駿だよ」って(会場笑、拍手) 糸井:それなら、おまけみたいな話だけど、マリオの中に宮崎チームがあるのはわかりますか? 浦沢:え、なになに? 糸井:小田部(羊一)さんっていう人が、後に任天堂に入ったんで、任天堂のゲームの動きは、小田部さんの指導を受けてるんですよ。 浦沢:あー、そうなんですか。 糸井:社内に入ってますからね。 浦沢:あの「ひょーい」が(会場笑) 糸井:そう、そうなんですよ。 浦沢:「てぃてぃてぃてぃひょーい」ってやつが(会場笑) 糸井:宮本(茂)さんが動きをつけるときに、小田部さんの指導を受けてるんですよ。 浦沢:あのチームの動きなんだ。それは面白いわけだね。 糸井:そうです。東映動画からの流れです。終わりにしないと怒られそうなので(会場笑、拍手) 浦沢・糸井:ありがとうございました。
糸井重里
dot. 2016/06/18 16:00
第53回 音楽評論家・歌謡曲研究家の馬飼野元宏さんと真鍋新一さんを迎えて、アイドル・ファン3世代座談会 その3
第53回 音楽評論家・歌謡曲研究家の馬飼野元宏さんと真鍋新一さんを迎えて、アイドル・ファン3世代座談会 その3
80年代アイドル カルチャー ガイド (洋泉社MOOK) 監修・馬飼野元宏 昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979(シンコーミュージックエンターテイメント)  監修・馬飼野元宏 ホットワックス第2号 リメンバー ゴジラ プラグド・ニッケルのマイルス・デイヴィス キングレコードが出したローリング・ストーンズの編集盤 梅木マリ「可愛いグッド・ラック・チャーム」 ベニ・シスターズ・ヒット・パレード 斎藤チヤ子vs富永ユキ 加山雄三のすべて 第三集 バッファロー・スプリングフィールド「アゲイン」 よい子の歌謡曲 <その3 「リメンバー」と「よい子の歌謡曲」は毎号、読んでいました>  引き続き、馬飼野元宏さんと真鍋新一さんとの座談会をお送りしたい。おふたりとも音楽評論家であり、歌謡曲の研究家である。過去2回ではアイドルをテーマに語ってもらったが、今回はより範囲を拡げてうかがった。映画のこと、雑誌のこと、アナログ・レコードのこと、「レーベル聴き」や「事務所聴き」のことなど、話題は尽きない。 ■俺をキネ旬に入れろ! ―― 馬飼野さんはいつごろから歌謡曲について文章を書くようになったんですか? 馬飼野 「ホットワックス」(ウルトラ・ヴァイヴ)の2号目、梶芽衣子の特集からですね(2006年)。その編集長が、かつて「リメンバー」(1982年 創刊、87年 休刊)を出していた高護さん。昔から大ファンだったんですが、知り合って、「歌謡曲がすごく好きなんですよ」と言ったら「書いてよ」といわれた。最初に書いたのは梶芽衣子の歌について。それが初めての音楽に関する仕事です。 ―― 真鍋さんは? 真鍋 紆余曲折ありましたけど、歌謡曲について本格的に書くようになったのは、映画を通じて馬飼野さんと知り合ってからです。学生時代に作った同人誌を見ていただく機会がありまして……。大学ではずっと映画研究をやっていたので、社会の役にはなかなか立てないだろうとは自覚しつつも、いろんなところにしぶとく持ち込んで。 馬飼野 それでキネマ旬報を受けたんだ。 真鍋 受けたというか、「俺を入れろ」と言いに行ったというか……。戦前の怪獣映画についての研究です。 ―― 戦前の怪獣映画? 真鍋 変でしょ? ふつうは大人になれば、(怪獣映画から)卒業しますよね。でも、いろいろ映画のことをまじめに勉強しようと思ううちに、怪獣映画に戻っちゃったんですよ。子供の頃読んだ『大特撮―日本特撮映画史』(朝日ソノラマ)という本に、『ゴジラ』(昭和29年)以前の歴史がまとめられていて、そこに載っていたいくつかのタイトルをずっと憶えていたんです。当然フィルムは残っていないんですけど、都内の図書館を当たってみたら、詳しいストーリーはもちろん、スチール写真まで見つかったんです。同人誌を作ってコミケにも出ました。 馬飼野 (真鍋さんは)「映画探偵」(河出書房新社)の高槻真樹さんに協力しているんです。 ―― ラピュタ阿佐ヶ谷の上映企画「映画探偵の映画たち ~ 失われ探し当てられた名作・怪作・珍作」(2015年12月20日~2016年2月27日)を監修された方ですね。 真鍋 高槻さんが『戦前日本SF映画創世記: ゴジラは何でできているか』(河出書房新社)を書かれていたときに、僕の同人誌をどこからか見つけてきて、連絡をくださったんです。そんなことを繰り返すうち、同人誌が流れ流れて『映画秘宝』の馬飼野さんまでたどり着きまして……。 ―― 真鍋さんは子供の頃からいきなりディープな方面に行ってしまったんですね。子供の頃の自分を顧みても、ディープであればディープであるほど話の合う友達っていない。 真鍋 まあ、いないですよね(笑)。ひたすら内にこもって黙々と活動しておりました。 ―― 先ほど(前回)、キャンディーズをBSの特番で見て感銘を受けて、昭和のアイドル歌謡を遡って聴くようになったとうかがいましたが。 真鍋 あれがひとつのきっかけでしょうね。もちろんそれまでも大滝詠一さんや山下達郎さんは大好きだったし、ニューミュージック側のアーティストから見た歌謡曲というつながりは意識して聴いていました。中学生の頃にビートルズで音楽が好きになってから、アナログ盤しか買ってないんです。それも変な話なんですが(笑)。CDなら2500円かかるものが、中古レコードなら300円とか500円で手に入る。昔の音楽を聴くならレコードの方が早いってことに気がついちゃったんですね。キャンディーズ、太田裕美、岩崎宏美を聴いて、これはもっと真正面から体系的に(昭和アイドルを)聴いていかねばならないなと思い始めた頃に、馬飼野さんに会った。「CBSソニーのレコード番号の規格が切り替わるのはいつ?」という話を、いきなりしたのを覚えています。邦楽のレコード番号がSOLLから25AHになったのは、いつからだろうと。 ―― 洋楽だと25APという規格になります。その最初は25AP-1の『プラグド・ニッケルのマイルス・デイヴィス』、76年6月新譜です。 馬飼野 彼(真鍋さん)に会ったとき、「メーカーで聴く人なんだ」と思ったんですよ。そのことからヒントを得て「昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979」(シンコーミュージックエンターテイメント)を作ったんです。 真鍋 「家にあるレコードはどのメーカーが多いですか?」「ぼくは東芝が多いです」という話もした。ビートルズやビーチ・ボーイズを聴いていると当然レコード棚は東芝が増える。ローリング・ストーンズを集めるとキングが増える。サイモン&ガーファンクルやボブ・ディランを聴くとCBSソニーが増える。 ―― いわゆる英デッカ、ロンドン・レコード時代のストーンズ。 真鍋 そうですね。『スティッキー・フィンガーズ』以降だとワーナー・パイオニアだとか。レーベルとメーカーに着目して洋楽を聴いていたら、歌謡曲を聴くときもついメーカーを見るようになってしまった。「東芝のアーティストだから、この曲のカヴァーは期待していいんじゃないか」とか。 馬飼野 ぼくは「リメンバー」のバックナンバーを全部持ってるんですけど、その中に東芝特集とかあったんですよ。そこで「こういう見方(=会社で聴く)もある」ということを知った。あと芸能プロダクションによってタレントの出方が違うという。渡辺プロだと都会の不良向け、あか抜けないのは芸映で、ホリプロだと田舎の兄ちゃん姉ちゃん向けにわざとダサく出しているとかそんな分析がされていた。レコード会社とか芸能プロで聴くという見方もあるんだということを、「リメンバー」で教わりましたね。 ―― 復刻CDでしか聴いてないのですが、それでも60年代の東芝音楽工業のモノラル録音の音の厚みは格別な気がします。梅木マリ、ベニ・シスターズ、斎藤チヤ子とか。 馬飼野 新しい会社でしたし。日本ビクターは吉田正、日本コロムビアは古賀政男、そういう巨匠作曲家が専属でいる伝統的な会社だとああいう風にはしにくかったんでしょうね。 真鍋 「ミュージック・ライフ」(1951~98年発行の雑誌)と直結していましたし、洋楽に対する感受性がほかの会社よりも高かったと思うんです。 馬飼野 新興音楽出版社(シンコー・ミュージック)が版権を持っている洋楽曲を日本語で歌わせて、その一方で外国の歌手が歌ったオリジナル・ヴァージョンも売る。両方を売りだすという点で東芝がいちばん秀でていた。 真鍋 大滝さんの「ゴー・ゴー・ナイアガラ」(75~83年放送のラジオ番組)の再放送を聴いていたんですが、ザ・ピーナッツがかかったことがあるんです。「彼女たちはセンスがあるけどレコード会社がキングだった。東芝だったら良かったのに」というようなことを言っていました。 馬飼野 キングはちょっと保守的なんだよね。セブン・シーズ(=ヨーロッパのポップスを中心に紹介したレーベル)が出てくる前は。 真鍋 ビクター、コロムビア、キング、東芝、グラモフォン。聴き比べるとヴォーカルとバックの演奏のバランスに差が出ちゃうんですよね。東芝のレコードが一番楽器の音が前に出てるんじゃないでしょうか。 馬飼野 加山雄三も東芝だし。 真鍋 若大将も「聴き直さなければいけない」と思った人ですね。俳優としてはもちろんですが、ミュージシャンとしても本当にすごいです。シンガーソングライターの草分けと言われていますけど、それだけじゃないです。海外のサウンドをこっちに持ってくる速さ、斬新さ。《二人だけの海》とか、当時まだウォール・オブ・サウンドなんて言葉は一般化してなかったと思いますけど、そういうのにチャレンジしている曲もありますし、『加山雄三のすべて 第三集』(67年12月)の《Cool Cool Night》にはバッファロー・スプリングフィールドの《折れた矢》(67年10月全米発売のアルバム『アゲイン』収録)と似た音のオルガンを使ってるんですよ。バッファローのLPは日本ではまだ発売されていなかったので、輸入盤を聴いていたと思うんですけど。 馬飼野 加山さん、お金持ちだし進取の気風もあるから。 真鍋 きっと周りにも優秀なブレーンがいたんでしょう。東芝が新しい音楽的感性に寛容な社風だったというのも大きかったんじゃないでしょうか。 ■「リメンバー」と「よい子の歌謡曲」 ―― 馬飼野さんが編纂された「80年代アイドルカルチャーガイド」(洋泉社MOOK)は、今の写真が載ってないのも一つの見識だと思いました。 馬飼野 単に、80年代に出ていたような本にしたかったんですよ。僕は「リメンバー」のほかに「よい子の歌謡曲」(1979年 創刊、91年 休刊)も毎号読んでいて、その筆者たちに書いてもらいたいというのもありました。最初は「よい子」を復活させたらどうなるかというのを考えていたんです。 ―― 「よい子の歌謡曲」、名前は知ってるけれど後追いです。僕の田舎(旭川市)で見た記憶はありません。 馬飼野 都内の中古レコード屋さんなどにおいてありましたね。自主ルートだから。榊ひろとさんの連載「ひろとんのAnalzing歌謡曲」とか好きでしたね。編集長の梶本学さんにも寄稿いただいたし、「80年代アイドルカルチャーガイド」に書いていただいた岩切(浩貴)さんも「よい子」の筆者です。お兄さんたちが歌謡曲を楽しそうに語ってる感じが好きだったんですよ。当時、世間一般のアイドル歌謡に対する扱いは本当に低かったんだけど、「よい子」では良いものとしてきちんと紹介されていた。そこに救われましたよね。 ―― 昔ほどではないのかもしれませんが、アイドル歌謡が低く扱われる風潮は本当に納得いきません。僕は今、アイドルから「プロ根性」を教わっていますよ。 馬飼野 ずいぶん昔、デパートの屋上でよくアイドルイベントを見たんですよ。たまに控室が見えちゃって、そこではブスーッとしているんだけど、本番では満面の笑顔で、逆に感動しましたね。 真鍋 僕の父もデパートのオープニングイベントかなんかの舞台裏で「出たくない」と泣きまくっているアイドルを見たことがあるそうです。それでも司会者が紹介するとすごい笑顔で、歌って踊った。プロってすごいなと思ったそうです。 ―― 親子でそういう話ができるのっていいですね。 真鍋 当時のことを知ってるから、きけば教えてくれますしね。 馬飼野 うらやましいよ。僕は親とは芸能の話はしなかったから。 真鍋 キャンディーズの番組もオヤジとふたりで見ました。僕が《その気にさせないで》を聴いてたまげてると、「この時点でソウル・ミュージックを取り入れてるんだよ」、って教えてくれた。 [次回4/18(月)更新予定]
2016/03/22 00:00
タムロン SP 35mm F/1.8 Di VC USD(Model F012) SP 45mm F/1.8 Di VC USD(Model F013)
タムロン SP 35mm F/1.8 Di VC USD(Model F012) SP 45mm F/1.8 Di VC USD(Model F013)
新路線は高性能単焦点レンズ タムロンのレンズといえば、高倍率ズームと90mmマクロが思い浮かぶことだろう。しかし、かつては17mmの超広角から500mmの超望遠レンズまでをラインアップしていた。 現在、一眼レフ初心者が最初に使うレンズといえば、キットになった純正のズームレンズがほとんどだ。初心者に限った話でもなく、ズームレンズ主流の今日、純正かレンズメーカー製かを問わず、単焦点レンズが話題になることはまれだ。趣味性が高く数が売れないからだ。せいぜい、話題にするのは本誌のようなカメラ専門誌くらいのものだ。●焦点距離・F値:35mm・F1.8 ●レンズ構成:9群10枚(非球面レンズ2枚、 LDガラス1枚、XLDガラス1枚) ●最短撮影距離:0.2m ●最大撮影倍率:0.4倍 ●画角:63°26′ ●フィルター径:Φ67mm ●マウント:ニコン用、キヤノン用、ソニー用 ●大きさ・重さ:Φ80.4×80.8mm ・480g(キヤノン用) ●価格:税別9万円(実売8万3700円)  ところがシグマが大口径の単焦点レンズを続々と発売、コシナ/カール ツァイスも大口径の55mmや85mmのレンズを発売するなど状況は少しずつ変化しつつある。いずれも高性能がウリであり、タムロンもこの分野に参入する。今回発表されたのは、35mm判フルサイズのイメージサークルをカバーするとともに開放F1.8の35mmと45mmの手堅い焦点距離と明るさのレンズで派手さには欠けるが、同社で高性能なレンズのSPシリーズの刷新の意味もあるという。 絞り開放でのスナップショット。コントラスト、シャープネスも良好で、開放とは思えない良質な画像だ。歪曲収差はきっちりと補正されている。明暗差が大きい条件だが、ハイライトからシャドー部までの階調のつながりもよく、ボケの素直さも魅力的。AFも速く、スナップワークに適したレンズだ●キヤノン EOS 5D MarkII・AE(絞りf1.8・320分の1秒)・ISO400・AWB・RAW  大口径ズームレンズの開放F値はF2.8がほとんど。F1.8は、これより1段以上明るい。デジタルカメラでは感度の設定が自由自在だから、低照度下撮影用というより、開放絞りでの浅い被写界深度を応用し、個性ある写真制作が可能になることに注目したい。 今回タムロンは、徹底した高性能化を打ち出している。キヤノンEOS 5Ds/5Ds Rの約5060万画素など高精細なカメラが登場し、従来のレンズではポテンシャルを最大限に発揮するには限界があり、新たに高性能レンズを用意する必要がでてきたこともある。ここで、超高性能の単焦点レンズを用意することでタムロンの光学設計技術を広くアピールしようとしているようだ。 機能面では、両レンズともVC(手ブレ補正機能)を搭載していることは注目したい。そのほか、AFにUSD(超音波モーター)を採用したり、独自のeBANDコーティングに加え防汚コートを施したり、簡易・防滴構造も共通の仕様だ。鏡筒は金属製、フォーカスリングを幅広くしMF時の操作性を向上させている。カメラを掲げるようにし、至近距離で絞り開放で撮影。ライブビューに切り替え、ピントを攻めた。たが、至近距離での性能低下はない。広めの画角に浅い被写界深度。ボケ味も自然で奥行き感を表現するのにぴったり。標準ズームと異なる雰囲気の写真になる●キヤノン EOS 5D MarkII・AE(絞りf1.8・250分の1秒)・ISO200・AWB・RAW 右は今回の新製品。左は、キヤノンのEF35mm F2 IS USM。どちらも手ブレ補正を内蔵するため、両者ともに鏡胴は太め。ただし、タムロンの35mmのほうが長い。決して小型ではないものの、実際に使うとバランスがよい大きさだ ●焦点距離・F値:45mm・F1.8 ●レンズ構成:8群10枚 ●(非球面レンズ2枚、LDガラス1枚) ●最短撮影距離:0.29m ●最大撮影倍率:0.29倍 ●画角: 51°21′ ●フィルター径:Φ67mm ●マウント:ニコン用、キヤノン用、ソニー用 ●大きさ・重さ:Φ80.4×91.7mm・540g(キヤノン用) ●価格:税別9万円(実売8万3700円)  また、今回デザインも一新された。従来のゴールド/シルバーのリングを廃し、シンプルになった。代わりに、マウント側に梨子地でゴールドのリングを設けた。微妙なアールが美しく、高級感を演出するが、カメラに装着すると目立たないようにもなっている。「TAMRON」の文字も、メーカーロゴとは異なる。こうした性能とは直接関係ないところにもコストがかけられていることもモノとしての存在感を高めている。左はキヤノンEF50mm F1.8 STM。今回のタムロンがいかに大きいかわかる。EF50mmは伝統のガウスタイプ。対してタムロン45mmは目指す方向性が異なる設計だ。数値上の性能差よりも両者の描写の雰囲気が異なることに着目したい 至近距離、絞り開放での撮影。性能低下は確認できない。ハイライト部分でも球面収差によるにじみは見られない。合焦点の花弁の位置の芯のあるびしっとした描写が気持ちいい。開放F1.4クラスのレンズと比べれば被写界深度は深くボケは小さくなるが、ズームとは異なる再現性を感じる●キヤノン EOS 5D MarkII・AE(絞りf1.8・3200分の1秒)・ISO100・AWB・RAW  SP 35㎜ F/1.8 Di VC USD(Model F012)は、最短撮影距離が0.2mと短く、フォーカスはフローティング機構の採用で至近距離での性能低下がないとアナウンスされている。実写した印象では、絞り開放からコントラストが高く、すかっとヌケた写真になる印象だ。合焦点も繊細な描写で、絞りによる性能変化は感じない。歪曲収差補正も良好。非球面レンズを採用したレンズにありがちなボケのクセがないことも評価したい。やや太めの鏡胴で、重量は480g(キヤノン用)とこのクラスのレンズとしては重量級だが、バランスがいい。 SP 45㎜ F/1.8 Di VC USD(Model F013)は、一般に標準レンズとして販売されている50mmよりもわずかに短い焦点距離。35mm判フルサイズの標準レンズの焦点距離(画面の対角線の長さに等しい)とされる43mmに近い。こちらもフローティング機構を備える。太さは80.4mmと共通だが、若干長くなっている。約540g(キヤノン用)と重いが、レンズ構成は、35mmとも異なり、旧来の標準レンズに多いガウスタイプではなく、レトロフォーカスタイプ。最近のシグマやカール ツァイスのOtus(オータス)などと同様に高性能化を追求している。実写でもこれは確認でき、絞り開放から驚きの高性能で、コントラストが高いうえ、合焦点は針で突いたように線が細く、かつ良質なボケ味と同居する。撮影距離は約1m。絞り開放ではボケが大きく独自の雰囲気になる。周辺光量は十分ある。ライブビューに切り替えて、精度とAFの動作をみたが、AFの動きは遅く少し厳しい。動きのあるものは位相差AFを使い、静止した被写体で確実なピント位置を求める場合はライブビューに切り替えるなど、臨機応変に対応したい●キヤノン EOS 5D MarkII・AE(絞りf1.8・5000分の1秒・-0.3補正)・ISO100・AWB・RAW  どちらも高性能のレンズだが、大口径レンズはカメラの相性によっては位相差AFでわずかにフォーカスにずれが生じることがある。ここぞというときジャストのピントを目指すため、レンズごとにボディー側のフォーカスの微調整をチェックしたり、ライブビュー時のコントラストAFを使用することを念頭に入れたりと、ユーザーにも工夫が必要だ。 ひと昔前まで、レンズメーカーがこの焦点域の単焦点レンズを発売するなど考えられなかったが、ズームレンズ全盛時代を迎えたことで、逆に単焦点レンズの効用が見直される傾向にあることは間違いない。◆ 赤城耕一
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