お店を支える従業員さんたち。右から杉本雄彦さん、武田由美子さんと鈴木節子さん、店長の中島望さん
「いらっしゃいませ」「おはようございます」──。
セブン-イレブン豊洲店は、いつも多くの来店客でにぎわっている。オーナーの山本憲司さんが店頭に立つと、「おはよう」と、常連客らしき年配の女性が微笑みかけた。「おはようございます」と頭を下げた山本さんも、満面の笑みだ。
豊洲店がセブン-イレブン国内第1号店として、この地に明かりを灯して50年になる。山本さんや従業員、そして途切れることなく訪れるお客様のたくさんの笑顔が、この店が地域にしっかりと根を張り、住民から愛されてきたことを物語っている。
「50年はあっという間。好きな商売を続けていけるのは、地域のお客様をはじめ、多くのみなさんのおかげです」
山本さんは目を細め、そう語った。
オーナーである山本さんが最初にコンビニエンスストアという業態に興味を抱いたのは、1970年代はじめ、日本が高度経済成長に沸いていたころだ。父親が急逝したため大学を中退し、家業の酒店を継いだ山本さんは「もっと世の中を知りたい」と、意欲的に学んでいた。
「商店会の先輩に商いのいろはを教わったり、外部のセミナーや研修に通ったりするうちに、流通先進国のアメリカにコンビニという“近代化した小売店”があると知ったんです。日本にきたら、ぜひやってみたいと思いました」
活気づく街、忙しくなる人々の暮らし──そうした社会の変化を感じ取り、「自分も新しいことにチャレンジしたい」と考えていた折、新聞で1973年にイトーヨーカ堂が米サウスランド社(現7-Eleven, Inc.)と提携し、日本でセブン-イレブンを始めるという記事を見つけ、迷わず手を挙げたという。そうできたのは、学ぶ意欲を持ち続け、心のアンテナを張っていたからにほかならない。山本さんがセブン-イレブンに加盟したのは、必然だったとも言える。
そして、1974年5月15日、家業の酒店を改装してセブン-イレブン豊洲店がオープンした。同時に、本格的なフランチャイズシステムによる日本のコンビニエンスストアの歴史が始まった。
「前例がないため、最初は品揃えや商品の管理方法など、どうすればいいのかわかりませんでした。でも、つらいなんて思わなかった。楽しかったですよ、毎日がチャレンジ。本部の人たちと一緒に知恵を絞り、毎日試して、検証して、また試してを繰り返しました」
豊洲店の立地は埋め立て地で、オープン当時は土埃の舞う道路と裏手に沼が広がる寂しい場所だった。だが、近隣に造船所や企業の独身寮があったため、晩になるとその人々が銭湯帰りに冷えたビールとおつまみを買いに来た。そんな日々の光景が積み重なり、夜でも営業しているセブン-イレブンの存在が口コミで広まっていったという。
「当時、周囲の商店は夜6~8時には閉まりましたから、お客様がセブン-イレブンの便利さに気づいて来てくださるのがうれしかった。しだいに同じセブン-イレブンを経営する仲間も増え、開店してから2年後に店舗数が100店を超えたときは、『これでやっていける』と、他のオーナー仲間や本部の人たちと手を取り合って喜びました」
当時、コンビニエンスストアは「深夜スーパー」と呼ばれていた。その状況下でセブン-イレブンの知名度を上げ、フランチャイズビジネスを展開するには、加盟する仲間を増やすことが不可欠だったのだ。ちなみに現在の店舗数は全国2万1500店を超えている。創業当時、セブン-イレブンがここまで成長するとは、誰が予測できただろう。
山本さんは、成長できた理由を「加盟店オーナーの頑張りズムと本部のイノベーションの相乗効果」と言う。商いの心得のあるオーナーたちが熱心に取り組み、本部は「共同配送」や業界初の「POS(販売時点情報管理)システム」など、従来の商習慣を覆す独自の仕組みを構築。手巻おにぎりやおでんに始まり、セブンプレミアム、セブンカフェなど、質が高く、おいしい商品を生み出し、さらに公共料金の収納代行サービスやATМといった時代のニーズに合った「便利」を、加盟店と本部が一体となり社会に提供してきたのだ。それらが今も続いている。
この50年間で日本のマーケットは成熟した。小売店で言えば、コンビニエンスストアだけでも全国5万5000店を超え※、小型スーパー、ドラッグストアなど、多くの店舗が街中にあふれている。一方、社会は人口減少に転じ、人々の働き方やライフスタイルは多様化して、消費者ニーズもさまざまになった。
「従来の商売のままでは生き残れない難しい時代になりました。セブン-イレブンはこれまでも社会の変化に対応して進化してきましたが、大切なのはこれからです」
50年を迎え、51年目に向けてさらに変わっていかなければならないという。世界的なパンデミックとなった新型コロナウイルス感染症を経て、社会環境の変化を感じとるだけでなく、行動に移すことの重要性をさらに意識するようになったという山本さん。
コロナ禍による外出自粛で在宅勤務が定着し、マーケットがオフィス街から住宅地へ移行したことを、多くのビジネスパーソンが感じたのではないだろうか。それまで会社やその周辺でランチを食べていた人々が自宅で食事をとるようになって、近所の店舗を利用するようになったり、飲食店の配達サービスを活用し始めたりと、「人々の生活様式ががらりと変わり、私たちが対応すべきお客様のニーズも変わった」と、山本さんは商環境の変化をいち早く察知したという。
また、変化は消費者ニーズだけではなかった。
「コロナ禍で生活スタイルが変わったことにより、これまでのマーケットに、新たにいろんな業態が進出してきた。私たちを取り巻く商環境はますます厳しくなったのです。だからセブン-イレブンの明るい未来をつくるために、本部と私たちオーナーがこれまで以上に信頼し合って社会の潜在ニーズをとらえ、新しい変化を起こしていくことが重要だと思います」
そのためには、1人ひとりがさらに学ぶ姿勢も大切だという。コンビニエンスストアは、もうどこも同じじゃない。郊外で売れる商品が都市部で売れるとは限らず、都心で好調な商品やサービスが、地方で受け入れられるとも限らない。地域に密着した業態だからこそ、街や人々の生活と今一度向き合うことが肝心で、1店1店が地域のお客様の暮らしの役に立つ存在になれるよう、いっそう努力しようと声を上げる。
「ただね、変えてはいけないものがあるんです」と、山本さんは続ける。
店の経営を軌道に乗せようと無我夢中だった創業当時、セブン&アイ・ホールディングス名誉会長の故・伊藤雅俊氏に教わった商いに対する“志”だ。
「商売人に必要なことは『情熱』『努力』『継続』『勇気』。これを『志四原則』と呼んでいます。好きで始めた商売と向き合い、日々創意工夫して精進するということ。この考え方は、これからも大事にしなきゃいけないと思っています」
基本を徹底していれば、変化にも柔軟に対応できる。誠実に商売に打ち込んでいれば、信頼される店になる──そう肝に銘じて歩んだ半生を改めて振り返り、山本さんは「伊藤さんや現・名誉顧問の鈴木敏文さん、そして先輩方から、商売や人生で大切な『ものの考え方』をたくさん教えていただいた。セブン-イレブンをやってよかったと心から思っています」と話す。そして「これからは、この志を後進へ伝えるのが私の役目」と、力強くうなずいた。
最後に、山本さんは本当にセブン-イレブンが好きなんですね、と尋ねてみると「ええ。生涯セブン-イレブンを続けますよ!」と、弾けるような笑顔が返ってきた。
※一般社団法人日本フランチャイズチェーン協会 2024年2月度調べ