ここで、最初の問いに戻る。多くの親は、できれば子どもが持っているものを伸ばしてあげたいと思っている。受験にしろ習い事にしろ、向いていないことを強制したくはない。ただ、今ここで諦めてしまったら、将来のよりよい環境を逃すことになるのではないかと思って迷う。
「適性を見つけることは、依然として難しいと思います。ただ、少なくとも、できないのは本人の努力不足とか、学習方法や指導の仕方が悪いと言って、心がすり減るほど無理をするのは合理的ではないということは、わかると思います。さらに言えば、適性の萌芽は、必ずしも期待した通りに現れるのではなく、本人すら気づいていないうちに、その人にしかないような、まさに“個性的”な形で発現することもありうる。それが、(『教育は遺伝に勝てるか?』に書いた)写真家になった一卵性双生児の実話で示したかったことです」
彼らは、自分に自信が持てずこのままでいいのだろうかと迷う、ふつうの青年だった。別々のタイミングで写真と出合うのだが、その衝撃を語る言葉は不思議なほど似通っている。
安藤さんによれば、そもそも自分が持っている素質にぴったり合う環境に出合うことは理論上あり得ない。
「たいていの人は、どの環境もちょっとは合うけど、完全には合わないという状態をずっと続けています。幼い頃にパッとひらめいてしまう人もいれば、一生さまようことだってあるのが現実だと思います」
親がどのような環境を与えたところで、子どもは子どもなりに反応する。好きなら夢中になるし、嫌いなら反発する。それぐらい遺伝の力は強い。
「子どもにどのような環境を与えるかは、基本的に親の趣味と子ども自身の趣味をそれぞれ前面に出してぶつけさせればいいと、僕は思っているんです。親がロックを好きなら、徹底的にロックのすばらしさを教えればいい。裏切られることがあるのを承知の上でなら、受験に邁進してもいいと思います。子どもが嫌だと思うこともあるかもしれないけど、嫌だと思わせることも教育だと思っているので。そこがあやふやで、いつまでたっても親が何をやっているかわからず、最終的に『全部きみの自由だよ』と放り出されるほうが、子どもには酷だと思う。なんらかのバイアスを作ってあげないと、人は選択できないですから。そのバイアスというのが、一つは本人の好みで、もう一つが親の持っている“本物”の社会です。親が経験してよかったと思うこと、自分にしっくりくるものを、多少意図的に示してあげてもいいんじゃないか。そうすると、自分自身を振り返ることになる。親にとっても恩恵になるのではないでしょうか」
(構成/長瀬千雅)