ちなみに、集団内での差異(=個人差)を遺伝要因と環境要因に分けた時に、遺伝で説明できる割合を「遺伝率」と言う。
内向的か外向的か、勤勉であるかといったパーソナリティーの遺伝率は3割から6割ほど。おもしろいのは、家庭環境の要因がほぼ見られないことだ。じゃあ残りの4割から7割は何かというと、「非共有環境」といって、ふたごがそれぞれ異なる影響を受けるものを指す。例えば、友人関係や部活動、アルバイトなど、ふたごであっても別々の経験をすれば、それらが非共有環境となっていく。
子どものパーソナリティーに、親の育て方は影響しなかった(繰り返すが、親や家庭以外のさまざまなできごとは非共有環境として影響する)。「こう育てればこう育つ」式の子育てマニュアルがすべての時代に、安藤さんの主張は新鮮に響いた。
教育を語る時に、遺伝のことを誰も語らなかった
遺伝の影響はなぜ、ほとんど顧みられなかったのだろうか。みんな本気で「早期教育を正しく行えば子どもの能力はどんどん上がっていく」「親が育て方を間違えなければ必ずいい子に育つ」と信じていたのだろうか。
「というより、遺伝については誰も語らなかったということだと思います。もちろん、教科書には最初に『遺伝と環境』というチャプターがあり、遺伝と環境どちらも大事という話が載っている。でも、どういう教え方をすれば学力が伸びるかとか、どういう家庭環境だと子どもがどうなるかという研究をしている人が、教育学や心理学では圧倒的に多く、その中に遺伝という変数を入れようとは考えなかったんです。そういうリサーチクエスチョンを持たずにすむ知的風土があったし、今もあると思います」
その背景には、遺伝に対するある種のタブー感があったと考えられる。巨大な負の歴史があるからだ。
「社会科学で遺伝を扱おうとすると、優生学が頭にちらつくどころか、『お前は虐殺を正当化するのか』と言われることすらありました」