優生学とは19世紀に誕生した“人類を遺伝的に改良する”ことを目的とした学問だ。ナチスは優生思想に基づいたさまざまな政策を押し進め、ホロコーストを引き起こした。日本も無縁ではなく、遺伝性とされた病気や障がいのある人たちに強制不妊手術や中絶を強いる優生政策は戦後まで続いた。
「今でも遺伝という言葉は、差別や偏見に容易に結びつきます。教育の話でいえば、本人の思いや行動と関係なく『頭がいいのはあの親だから』と決めつけられることもあるし、逆に本人が『親は頭がいいのに自分は違う』と傷つき思い悩むこともある。決してうれしい話には結びつかない。だから、『この人がこのような人間であるのは、遺伝もあるかもしれないけど、やっぱり環境だよね』と考えることが正義だと思われていたんだと思います」
なんらかのバイアスがないと人は選択できない
多くの人が抱いている遺伝に対する最大の誤解は、「親と似ること」が「遺伝」だと思われていることだ。この捉え方は、科学的に正確ではない。
一つの形質にかかわる遺伝子の数は膨大で、しかも親から子へどのような遺伝子が伝わるかは完全にランダムだ。だから同じ両親からも、違った遺伝子の組み合わせ、違った素質をもつきょうだいが生まれる。その組み合わせはどちらの親ともちがう。あることについては他人より優れていながら別のふつうのことについてはとても苦手というアンバランスな素質を抱えて生きづらさを感じている「ギフティッド」がしばしば生まれるのも、おそらく遺伝子伝達がランダムな組み合わせを生むためだろう。一つの遺伝子が複数の形質にかかわっていることも明らかになっている。
「今回の本で強調したかったのは、同じ親からでも、ものすごく多様な子どもが生まれうるということです。それはほとんど、私たちが住んでいるこの社会全体の遺伝的なバリエーションと同じくらいの確率です。つまり、親と似るのが遺伝だと思われているけれども、似ないのもまた、遺伝だということです」