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江戸時代にはタブーとされた明智光秀の「信長討ち」 はたして裏切りと呼ぶのは正しいのだろうか?
江戸時代にはタブーとされた明智光秀の「信長討ち」 はたして裏切りと呼ぶのは正しいのだろうか? ※写真はイメージです(gettyimages)  秀吉との決戦に敗れ、失意の中落ち延びた光秀。その胸に去来したのは死に場所か、再起への決意か……。諸説ある最期と、死してなお日本人に遺した光秀の思いとは? 週刊朝日ムック『歴史道 Vol.13』から、戦国武将の生き死にを見つめ続けてきた歴史・時代小説作家の江宮隆之による読み解きを前後編に渡ってお届けする。この後編では、光秀の死が後世に遺したものを読み解く。 *  *  *  勝龍寺城を脱出して本拠地・坂本城を目指した光秀主従は、六月十三日深夜、山科付近を抜けて近江との国境に近い小栗栖(現在の伏見区小栗栖)に至った。一般に知られている光秀の最期は『太閤記』(小瀬甫庵)によるものであろう。  光秀主従が乗馬で小栗栖付近を通過中に、藪の中から突き出された鑓で右脇腹を突かれ落馬。重傷を負った光秀は家臣の溝尾庄兵衛に「我が首を打って知恩院で火葬せよ。胴は田に隠せ」と命じて自害。庄兵衛が首を打ったという。光秀の死は、場所も小栗栖の他に「醍醐の辺り」「山科」など諸説ある。また、死の状況も落人狩りに遭って撲殺された、とか一人で逃げ迷った挙げ句に殺された、など諸説ある。ただ現在でも、光秀が討たれたという一帯は「明智藪」と呼ばれ、鬱蒼とした竹藪が残されている。  いずれにしても光秀の遺骸は首と胴を繋ぎ合わされ本能寺の焼け跡に晒された後に、三条粟田口で改めて磔刑に処せられたという。  光秀の享年にも諸説がある。『明智軍記』という軍記物には、光秀の辞世があり、その中に「五十五年の夢」という一節がある。ここから光秀の五十五歳享年説が生まれた。だが他にも、六十七歳説(『当代記』)・六十三歳説(『織田軍記』)などがあるが、人生五十年といわれた時代に、いくら何でも六十七歳でのクーデターは考えにくいのではないか。光秀の生年を享禄元年(1528)とすると、五十五歳になる。信長とは6歳年長になるのだが、どうであろうか。 光秀の謀反と死が後世に遺したものとは?  光秀の信長討ちを、謀反とか裏切りとか呼ぶのは正しいのだろうか。戦国時代の倫理観には「下剋上」はあった。それ以上に光秀が信長を討ったことは「正しい道理」と受け止められていた観がある。前述したが、本能寺の変の数日後に朝廷が光秀に京都の護衛を任せたということは光秀を「不義の人・謀反人」と朝廷が見なしていなかったことを示す。朝廷ばかりでなく、上賀茂神社・興福寺などの寺社も慶賀の使者を光秀に送っている。「本能寺」的な行為が、謀反とか不忠とか呼ばれるようになるのは、これ以後(主に江戸時代に入ってから)のことになる。つまり光秀は、江戸時代には禁忌行為(タブー)を犯した人間ということにされた。「五常の徳(道)」という儒教の徳目がある。人間が行わねばならない徳目をいう。「仁・義・礼・智・信」の5つであり、最も重視されていた「仁」は他への慈しみを示す気持であるという。「信」は「誠」にも通じて、武士道では「信なくば立たず」というような使われ方をした。しかし、ここには後に武士の生き方として最重視されてくる「忠」や「孝」という概念はない。  特に「忠」は、徳川時代に入って朱子学が官学となってからの概念となった。徳川家に忠実であれ・徳川家に弓を向けるのは謀反である、という考え方で武家社会を統制しようとしたからだ。江戸時代は、この「忠」に最も反したのが「光秀」という捉え方をしたのである。  一方で、有職故実を知る光秀には鎌倉時代の『貞永式目』の内容が頭にあったとも思われる。この法令には「器量(能力)の劣る支配者への謀反・下剋上はあってもよい」という考え方がある。光秀はこうした古典(武士の法令)をも、信長討ちに当たって自らの行動の正当化に使ったであろう事は十分に考えられる。つまり、光秀には信長討ちは「悪」ではなく「正義」だという意識があったと思われる。(これは本能寺の一因「信長非道説」を裏打ちする考え方であろう)。 だが、その後に来る秀吉・家康の天下では、光秀の信長討ちは「悪」と規定される。いわゆる「本能寺の変」は、下剋上が当たり前の世の終焉を告げる出来事でもあったといえよう。 武士にとっては謀反人なれど江戸の庶民には愛された光秀  江戸時代になって、光秀は謀反人という見方をされるようになったが、それは(江戸時代の)武士道の世界での見方であった。 これが庶民・一般町人の世界になると、「謀反人・光秀」を取り巻く景色が変わってくる。現代のテレビ・映画・小説などに当たる庶民文化は、人形浄瑠璃・歌舞伎・絵草紙などの類であり、こうした「媒体」によって、江戸の庶民文化は芽生えた。「明智光秀」への一般市民の思い入れは、これら媒体によって増幅した。光秀を扱った浄瑠璃は『本朝三国志』(近松門左衛門)『祇園祭礼信仰記』『三日太平記』(近松半二)など10作品以上に上る。また後に歌舞伎の当たり狂言になる浄瑠璃『絵本太功記』(近松湖水軒など合作)は、タイトルこそ「太閤記」だが、本当の主人公は光秀である。また『時桔梗出世請状』(鶴屋南北)は通称「馬盥の光秀」といい、現代でも演じられる歌舞伎の名作である。  これらは謀反人光秀というよりは、光秀の人間性に着目した芝居であり、光秀を「悲劇の人」と捉えている。歌舞伎の世界は、元来「忠臣蔵」「曾我物語」「平家物語」など悲劇を扱う趣向になっており、民衆はこうした悲劇を好んだことから「光秀の悲劇」も生まれた。  光秀の悲劇とは、敵役の信長(小姓・森蘭丸)に徹底的にいじめ抜かれ、最後に堪忍袋の緒が切れて本能寺の変に至るという描き方から来る。民衆には、光秀の我慢・忍耐・耐える力が好まれた。そして信長と蘭丸を討つ場面では、興奮し、涙を流して光秀を声援したというのである。 因みに歌舞伎の世界は本名を使うことを禁じられていて、信長は「小田春長」秀吉は「真柴久吉」光秀は「武智光秀」という役名であった。そして信長は、秀吉・光秀の単に主君で、しかも敵役といった立場で演じられた。  このように江戸時代は、浄瑠璃・歌舞伎・絵草紙ばかりか俳句・川柳・狂歌でも光秀は人気の対象になっていた。江戸の民衆は「時は今」「三日(天下)」「桔梗」「(明智)藪」という言葉は全て光秀に関連する事柄と知っていた。  俳人・芭蕉にも良妻賢母といわれた光秀の妻を詠んだ俳句がある。貧しい弟子の妻の心尽くしに感動した芭蕉が詠んだ句だが、光秀の妻が自らの髪や着物を売って光秀主催の宴に心を尽くしたという逸話を例に引いている。「月さびよ明智が妻の咄せむ 芭蕉」という句である。「光秀の江戸時代」は、こうして民衆人気の中に溶け込んでいたのであった。 ◎監修・文/江宮隆之(えみや・たかゆき)1948年山梨県生まれ。歴史・時代小説作家。『経清記』で第13回歴史文学賞を、『白磁の人』で第8回中村星湖文学賞を受賞。『明智光秀「誠」という生き方』(KADOKAWA 新人物文庫)、『満州ラプソディ 小澤征爾の父・開作の生涯』(河出書房新社)他、著書多数。 ※週刊朝日ムック『歴史道 Vol.13』から
King & Princeが「週刊朝日」新年号表紙に登場! カラーグラビア10ページ+インタビュー怒涛の大特集
King & Princeが「週刊朝日」新年号表紙に登場! カラーグラビア10ページ+インタビュー怒涛の大特集 「週刊朝日」2022年1号目の表紙には、国民的アイドルグループへの階段を駆け上がるKing & Princeが登場! 一人ひとりがチャンスをつかみ、大きな成長を遂げたこの1年。カラーグラビアでは、お正月らしく着物姿のメンバーが、それぞれ胸に抱く決意を四字熟語で表現するなど、5人の魅力を堪能できるページとなりました。他にも、ゲッターズ飯田さんの「五星三心占い」で見るあなたの2022年の運勢、気鋭の論者が綴る皇室の「過去と未来」、夫婦間の性のすれ違い問題について考えた「妻が夫を拒絶する理由」、「非CG」で復活するサンダーバードの新作の魅力、400人を看取った森鴎外の孫とともに考える在宅死など、「おせち料理」のようにバラエティーに富み長く楽しめるラインナップでお届けいたします。 週刊朝日1/7-14合併号 表紙はKing & Prince※アマゾンで好評発売中  初の冠番組に、全28公演の有観客アリーナツアー、24時間テレビのMC──。2021年はグループにとっても、メンバーにとっても充実した年となったKing & Prince。各々が多忙を極めるなか、スペシャルインタビュー中も5人で語りあうひとときには笑顔が咲き、互いへのリスペクトとねぎらいが滲みました。平野紫耀さんはメンバーについて、「個々の活動ばっかりだったので、集まった時の安心感はより強く感じましたかね。ホーム感というか」。岸優太さんは「みんなで集まると、暗いときってなくて。どんなに疲れてても、楽屋でしゃべったりゲームで盛り上がったりするうちに忘れちゃいますね」。2年ぶりだった有観客ライブの思い出や、1月に発売されるライブDVDの推しポイント、4度目の出場となる紅白歌合戦についてなど、気になる話題についてたっぷりとうかがいました。  その他の注目コンテンツは、 ●幸運の波に乗れ! ゲッターズ飯田の「五星三心占い」であなたの1年の運勢を見てみようやってきました、毎年恒例の占い特集! “芸能界最強の占い師”と呼ばれるゲッターズ飯田さんが、2022年の見通しを解説します。「10~20代の若い人が中心となり、既存のものとは全く異なる新たなものが誕生する一年になる」という今年、あなたの運勢はどうなるでしょうか? あなたの星を調べられる早見表付きの「五星三心占い」で22年の運勢を占い、過ごし方をアドバイスします。自分から積極的に、幸運の波に乗っていきましょう! ●2022年皇室の「存亡危機」に美智子さま、愛子さまはどう向き合うのか皇室にとって激動の年となった2021年。「存亡の危機」とも言える事態の中、新たな年を迎えるにあたって、あらためて皇室の過去と未来について考えます。コラムニストの矢部万紀子さんは、「言葉の人」美智子さまの静かな迫力としなやかな強さを、過去に美智子さまが答えた新聞記事などから読み解きます。ジャーナリストの友納尚子さんは、成年皇族となった愛子さまと、黒田清子さんとの「共通点」について考察。「皇室がなぜあるかを深く考えてこなかった不可解さ」について憲法学者の木村草太さんは鋭く言及します。日本人にとって皇室とは何なのか、じっくりと考えさせられる特集です。 ●「性のすれ違い」知ってるつもり? 妻が夫を拒絶する本当の理由「最近、妻が触らせてもくれない」。そう嘆いているアナタ、何が原因だと思いますか?「女性は閉経すると性欲がないからでは」と考える男性もいるかもしれませんが、夫との関係がよければ、性行為はなくても触れ合うことは多くの妻が望んでいるといいます。それでも触れられたくないと女性側が感じてしまうのは、なぜなのでしょうか。2年ぶりに夫婦の「夜のふれあい」が復活したという50代男性への取材など、実例を元に、夫婦の「性のすれ違い」について研究しました。 ●伝説の名作が「非CG」で復活! 「サンダーバード・アー・ゴー!!」1960年代後半、子どもたちを夢中にした伝説の名作「サンダーバード」が、55年の時を経て映画「サンダーバード55/GOGO」で復活します。「007」シリーズや「ウルトラセブン」などにも影響を与えたこの作品を、あえてCGを駆使せず当時の手法で撮影した野心作。そこに込められた制作者の熱い思いとは──。平成「ガメラ」シリーズや「シン・ゴジラ」の監督で、本作で構成担当を務める樋口真嗣さんらに、魅力を語っていただきました。 ●400人を看取った「森鴎外の孫」・小堀鴎一郎医師と考える“死に方”の課題「みんなで考える在宅死」シリーズの最新記事は、70歳まで外科医としてメスを振るっていた小堀鴎一郎医師(83)が登場します。小堀医師は、あの明治の文豪・森鴎外の孫。2005年には外科医から活動の場を在宅医療に移し、以来16年間、400人近い患者の最期の日々に寄り添ってきました。蓄積されたその豊富な実例から、在宅死の現場の実情や、病院死が主流になったことで死が身近でなくなり、自分や自分の親が死ぬということへの実感が持てないまま最期を迎えてしまうといった課題などについても考えます。 週刊朝日 2022年 1/7-14合併号発売日:2021年12月27日(月曜日)定価:470円(本体427円+税10%) ※アマゾンで好評発売中!
大家の旦那に日本語で「おべっか」も 猫と落語の深い関係
大家の旦那に日本語で「おべっか」も 猫と落語の深い関係 春風亭一之輔・落語家  落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は「猫」。 *  *  *  恒例の「猫」号が今年もやってきた。「猫」はそんなに売れるのか? 「動物と子どもにはかなわない」というが、こう毎年続くんだから恐れ入る。編集長のご丁寧なお手紙には「ほんの少しでもいいから『猫』に触れて頂けるとありがたい」の旨。実に丁重。いや、ぜんぜん問題ないですよ。 「猫」の落語はたくさんある。「猫と金魚」「猫の災難」「猫の忠信」「猫の皿」「猫怪談」「猫定」「猫久」「仔猫」……犬より多いんじゃないか。猫好きな人はぜひ聴いてみてください。  脇役でも出てくる。「長屋の花見」という落語。冒頭で貧乏長屋の店子が集まって「大家からの小言」を心配する。「ことによると大家んところの猫を食った一件じゃねえか?」。まさにキラーフレーズ。「いつ?」「お前が『あー、肉が食いてえ……人間の肉って食えるかな?』って言ってたろ? 長屋で共食いが始まるといけねえから、猫を鍋にして食ったら『うめえうめえ!』って泣いて喜んでたじゃねえか!」。物凄い長屋。私は好きなクスグリなんだが、今のお客さんはだいたい引く。猫には申し訳ないが、並外れた貧乏が伝わってくるよね。でも何回かお客さんに怒られたことがある。「可愛い猫を食べるなんて!(泣)」って。オレが食べたワケじゃない。酷いのは落語世界の奴らですよ。だいたいこのくだりは教わったとおりのクスグリなのだ。文句は先人に言ってもらいたい。  私の噺にはよく猫や犬が登場する。元々は出ないけど自分でぶっ込んでいる。「笠碁」では退屈を持て余した老人が猫と戯れようとするがスカされたり、引っ掻かれたり……名前はタマにした。猫ならタマだろう。  私の「粗忽の釘」の助演男優賞は犬だ。彼は主人公の股間に噛み付いたせいで、怒髪天を突いたその妻に尻尾を掴まれブルンブルン振り回される。遥か彼方へ飛んでいく犬。最早これまでか、と思いきや、スックと着地し、夫婦目掛けて突進してくる。それに追われて二人は流浪の旅に……犬の名はペロだ。スペイン語で犬のことを「ペロ」と言うらしい。マドリードで演ったら現地の人が教えてくれた。マグレ当たり。 イラスト/もりいくすお 「寝床」では、とうとう猫が喋ってしまった。義太夫を語りたい大家さんが猫に語りかける。「お前はどうだ? 聴きたくないか? 私のぎだ……」「シャーッ!」。顔面を引っ掻かれ「あいつを三味線屋に売り飛ばせっ!」。言われる猫。みんなに拒絶され泣きじゃくり、店子・奉公人の面会を拒む大家に対して「ヤッパリ、ダンナノ、ギダユウガ、キキタイニャ~」とおべっかを使う猫。旦那はご機嫌で義太夫を語りはじめ、皆から「お前やりすぎだ」と言われる猫。名前はミケだ。そりゃあ、猫ならタマorミケさ。  そういえば「代脈」「ろくろ首」「幇間腹」「火事息子」にも出てくるな、猫。落語はもう週刊朝日なんか目じゃないくらい動物に頼っている。その気になれば他のネタにもいくらでも出せそうだ。こういうのは開き直り。ですかね? 編集長!?  ライネンモ、ネコデ、カキタイニャ~。 春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/1978年、千葉県生まれ。落語家。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。新刊書籍『人生のBGMはラジオがちょうどいい』(双葉社)が発売。ぜひご一読を!※週刊朝日  2021年12月31日号
『拾い猫のモチャ』『猫の菊ちゃん』 ツイッター発の猫「あるある」マンガが人気
『拾い猫のモチャ』『猫の菊ちゃん』 ツイッター発の猫「あるある」マンガが人気 モデルになった猫たち。左がミュウ  猫が題材のマンガは昔から多くあるが、今回紹介する『拾い猫のモチャ』と『猫の菊ちゃん』は、猫を飼うごく普通の中高年家庭で起きる、日常の「あるある」を描いているのが特徴だ。いずれもツイッター投稿がきっかけで書籍化された。 *  *  * ◆『拾い猫のモチャ』 『拾い猫のモチャ』作者・にごたろさん(45) 『拾い猫のモチャ』は、お父さんとお母さん、高校生の娘(現在は進学し、親元を離れて一人暮らし中)と三毛猫のモチャ、白猫ミルク、子猫のノリ吉の「あるある」な日常をユーモラスに描いた4コママンガだ。作者のにごたろさん(45)は福岡県在住。2018年3月からツイッターに一日一作品を欠かさずアップしている。 「子どものころから猫がずっと一緒にいたんです。実家は熊本の田舎で有名な猫屋敷で家には常時5~6匹、多いときで20匹の猫がいました。両親は捨てられた猫たちの去勢・避妊をして世話をしていたんです」  そんな環境で育ったにごたろさんは、小さいころから漫画家を目指していた。23歳で初めて描いた4コママンガで新人賞を獲得し、その後、漫画家のアシスタントをしながら創作を続ける。しかし商業誌デビューはかなわず、30歳を前に夢を諦めた。4人の子の父となり、マンガからは離れていた。再びペンをとったきっかけは4年前にがんで母を亡くしたことだという。 抜群の観察力で猫の自然なしぐさを描く 「最初のマンガで賞をとったときに『これからマンガで楽をさせてあげるよ』と約束したのに、それを実現させてあげられなかった。母は病床で『孫を育ててくれたんだから、それで十分』と言ってくれましたが、葬式のとき『自分はこれまで、何をやっていたんだろう』と目が覚めた」  晩年の母は薬の影響で記憶が翌日までもたないこともあった。そのなかでも欠かさず趣味の俳句を一日一句、作っていた。 「『似たような俳句になってもいい、毎日書くことで、私が今日一日生きていたという証しになる』と母は言っていた。なるほど、と思いました。自分も一日一本、俳句の代わりに4コママンガで、その日生きた証しを残したくなったんです」 モデルになった猫たち  10年のブランクを埋めるため、1年半かけて準備をした。何作か描くうちに、猫にまつわる作品の反応が抜群によかったことから、猫を題材にすることを決めた。タイトルの「拾い猫」は捨て猫、というネガティブな言葉ではなく猫を拾ったことによって人の人生が変わっていく、という意味を込めたものだ。  猫を擬人化することなく自然のままの姿で描き、猫好きや猫を知る人に共感を呼べるものを目指した。多くの人に見てもらいたいという思いからツイッターで発表を始めた。  自身と猫の関わりや、家族とのやりとりなどをモデルにしているが、お父さん・お母さんのキャラクターは自身の両親に似せているという。 「父はメガネくらいですが、母は髪形も風貌(ふうぼう)もそのまんまです」  投稿に大きな反響があったのは始めて2カ月ほど経ったとき。寝っ転がって本を読む娘の胸にモチャがドン!と乗ってきて、また弾みをつけて去っていく、という作品だ。 「10万以上の『いいね』がついて、いわゆるバズった状態になった。直後に数社から連載や書籍化のご連絡をいただきました」 中年夫婦と猫のあるあるが笑いを誘う  ツイッターでの投稿を続けることを条件に書籍化。現在までに電子版を含めシリーズ6作で10万部を超えるヒットとなった。3年間で作品は1300本以上。ツイッターのフォロワーも17万2千人を超えた。当初は別の仕事と兼業だったが徐々に執筆の依頼も増え、最近、専業漫画家になった。  猫のしぐさや謎の行動、それに振り回される家族たち。猫好きなら誰もがうなずく瞬間がリアルに描かれ、笑いを誘う。 「いまネットには猫のおもしろい動画があふれていますよね。同時に猫飼いには『ああ、いま動画を撮ってればよかった!』っていう瞬間が絶対ある。『なんでいまカメラ構えてなかったんだろう』『なんなら、うちの猫のほうがもっとすごいことするし』って(笑)。そんなシチュエーションはマンガだったら再現できる。そうすることで見る方々も『あるある』と共感してくれるかなと」 マンガはツイッター「にごたろ」@vriGOpzvmMRE5Dvで読むことができる  実際「ああ、誰かカメラ持ってきて……」という瞬間もマンガにおもしろおかしく描かれている。  かくも猫への愛情深いにごたろさんだが、実はいまは猫を飼っていない。マンガに登場する猫たちはかつて飼っていた猫たちと、近くにある妻の実家の猫たちがモデルだ。特にモデルになっているのは最後に飼っていた三毛猫の雌・ミュウ。残念なことに交通事故で亡くなってしまい、以来猫は飼えなくなったという。 「本当に僕になついていて、家に帰ると玄関まで飛んできて、首元にくっついて離れなかった。10年以上前のことなのですが本当につらくて、ずっと猫を見ることもできなかった。でもマンガを描き始めてミュウを思い出すことで『ああ、まだ自分のなかに生きているんだ』と思えるようになった。同じように猫を亡くして苦しんでいる方は多いと思います。そういう方にも猫との時間を思い出してもらえるような作品になればとも思っているんです」  マンガに登場する猫たちはいずれも保護猫。昨年から登場した子猫・ノリ吉は鼻の下にちょびひげのような模様があるのが特徴だ。 「『保護猫の譲渡会では変わったところに柄のある猫が残る』と聞いたんです。それならばそういう猫をマンガで活躍させれば、そういう子にも人気が集まるかなと」  保護猫や地域猫の問題にも心を寄せる。大きなきっかけになったのは今年出版した『ミケちゃんとやすらぎさん』だ。千葉県市川市に実在する鍼灸(しんきゅう)マッサージ治療院のオーナーやすらぎさんと、看板猫として暮らす3本足の猫のやさしい交流をマンガにした。 「やすらぎさんとミケちゃんの関係は、決して可哀想な猫とそれを助ける人ではない。小さくとも強く尊敬すべき命の存在を2人から教わりました。猫から学ぶこと、もらうものはあまりに多い。笑いも提供してくれるし、何げない癒やしを常にくれますから」  不安でとがった気持ちだらけの世の中で、読んでふっと力が抜けたり、穏やかな気持ちになったりする作品を描き続けたい、とにごたろさん。 「しあわせな猫がもっと増えるように、僕のマンガを読んで猫と触れ合い、『ああ、マンガのとおりだ』と思ってもらえればとも思います。その相乗効果も狙っているんです」 絵そのままの菊ちゃん(湊文さん撮影) ◆『猫の菊ちゃん』 『猫の菊ちゃん』もまたツイッターの投稿をきっかけに書籍化された猫マンガだ。作者は作中の「おじいさん」「おばあさん」である湊文(そうぶん)さん。2人が保護猫カフェから引き取った三毛猫の菊ちゃん(5歳)とマンションで暮らす日々がほのぼのとやさしいタッチでつづられる。 マンガはツイッター「湊文『猫の菊ちゃん』」@sobun_nekomangaで読むことができる  おばあさんがお話を考え、おじいさんが作画を担当。2018年5月からツイッターで公開し、20年に単行本1巻が発売された。現在フォロワーは11万8千人。書籍の担当編集者は話す。 「穏やかでほのぼのとした家族の生活の描かれ方、猫をいわゆる“キャラクター”にするのではなく、家族の目を通して見た菊ちゃんの姿がそのままに描かれている点が魅力だと思います」 マンガはツイッター「湊文『猫の菊ちゃん』」@sobun_nekomangaで読むことができる  菊ちゃんを迎え入れた経緯や保護猫カフェについての描写が、保護猫活動について広く知らせるきっかけづくりにもなっているという。22年1月31日に待望の2巻の発売も決まった。この冬はツイッターとマンガで猫にぬくぬくと癒やされたい。(中村千晶) ※週刊朝日  2021年12月31日号
「大東亜帝国」「MARCH」「日東駒専」は誰がいつ名づけた? 知られざる「大学グループ」誕生秘話
「大東亜帝国」「MARCH」「日東駒専」は誰がいつ名づけた? 知られざる「大学グループ」誕生秘話 まもなく大学入試シーズンが本格化する。写真は2021年の大学入学共通テストの様子  大学生の就職活動にとってSNSは欠かせないツールとなった。ネット、メールを駆使しての情報収集が、希望する会社から内定を得られるカギとなるといっていい。  就職情報会社・マイナビも学生にとって貴重な情報源となる。ところが今年12月、マイナビが就職活動中の学生約1万6千人に、「大東亜以下(9)」というタイトルが記されたメールを送信し、大騒ぎとなった。同社は誤送信であることを認めたが、ネットでは「大学間で格差をつけるようなもの」「学歴フィルター」という批判が出た。 「大東亜」は大東文化大、東海大、亜細亜大を指している。  そもそも、「大東亜」というくくりは、いつ、誰によって名づけられたのだろか。  大学をその名称の一部をとって並べて、グループ分けして呼ばれるようになったのは、1960年代後半の「早慶上智」であろう。この頃、予備校が設置した「早慶上智コース」、受験関連の特集記事「早慶上智対策」などが見られた。  1970年代から80年代にかけて、「MARCH」(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)、「日東駒専」(日本大、東洋大、駒澤大、専修大)、「関関同立」(関西大、関西学院大、同志社大、立命館大)などのことばが受験業界に登場する。 「MARCH」は文部科学省の審議会議事録にも出てくる。  また、2011年、東京都教育委員会による「進学指導重点校等における進学対策の取組について」という報告書にも記載されていた。都立高校に「進学指導改善計画」を提出させ、難関大学への現役合格者の目標数値が掲げられている。  以下、2013年度の合格者目標だ。*都立三田高校 国公立25人、早慶上理50人、MARCH150人*都立竹早高校 国公立25人、早慶上理60人、MARCH140人(上理は上智大、東京理科大)  ■「MARCH」「日東駒専」の発案者は 「MARCH」「日東駒専」を発案したのは、長年、旺文社の『螢雪時代』編集長をつとめた代田恭之さんである。 従来の大学カテゴリー (週刊朝日 2019年1月4-11日合併号より)  いまから10年近く前、代田さんを訪ね、大学グループ名の誕生秘話を聞いたことがある。 「全国の高校や大学をまわって、大学受験について講演をすることが多かった。よく出張で長旅に出たものです。そんなとき、旅館で酒を飲みながら、大学名で語呂合わせをよく考えました。講演で聴衆が眠くならないよう、インパクトがある名称を考えたかったのです。受験生に大学を身近に感じてもらうよう、そして、つらい受験勉強を和ませてあげようという思いからです。いくつかの大学を同じような難易度、似たような歴史と伝統、そして近隣地域を組み合わせて、グループ分けしました」  代田さんは大学受験業界で名コピーライターぶりを発揮し、数々の作品を生み出した。 ○「日東専駒成成神」(にっとうせんこませいせいしん)。「日東駒専」に成城大、成蹊大、神奈川大を加えた。 ○「大東亜拓桜帝国」(だいとうあたくおうていこく)。「大東亜帝国」に拓殖大、桜美林大を入れたもの(帝=帝京、国=国士館)。 ○「関東上流江戸桜」(かんとうじょうりゅうえどざくら)。関東学園大、上武大、流通経済大、江戸川大、桜美林大をさす。 ○「流淑関白麗山上江」(りゅうしゅくかんぱくれいさんじょうこう)。流通経済大、淑徳大、関東学園大、白鴎大、麗澤大、山梨学院大、上武大、江戸川大だ。 ■産近甲龍、摂神追桃…関西の大学も  関西の大学もこう名づけた。 ○「産近甲龍」(さんきんこうりゅう)、「産近佛龍」(さんきんぶつりゅう)。京都産業大、近畿大、甲南大、龍谷大、佛教大のグループ。 ○「摂神追桃」(せっしんついとう)、「神桃追帝」(しんとうついてい)、摂南大、神戸学院大、追手門学院大、桃山学院大、帝塚山大をまとめたグループ。 ○「六甲の龍谷峡の大螢光」。六甲の龍谷=甲南大と龍谷大、峡=京都産業大、大=大阪学院大、螢=大阪経済大、光=大阪工業大をさす。  叙情的なネーミングである。漢詩のようにも聞こえる。  代田さんの最高傑作はこれであろう。首都圏の女子大をまとめたものだ。 ○「津田の東の本女(ぽんじょ)には、セイント・フェリスの泉あり。大妻・実践・共立の昭和女(しょうわおんな)の白百合は武蔵野跡に咲き乱る」  津田塾大、東京女子大、日本女子大、聖心女子大、フェリス女学院大、清泉女子大、大妻女子大、実践女子大、共立女子大、昭和女子大、白百合女子大、武蔵野女子大、跡見学園女子大。  これは1980年代の命名だが、いまでは通用しなくなった。武蔵野女子大から「女子」がとれて共学になったからだ。  代田さんが「日東駒専」「大東亜帝国」を発案したのは、1970年代だが、当初はそれほど広まったわけではなかった。予備校、受験情報誌以外のメディアで使われたのは、1980年代になってからだ。  こんな週刊誌の見出しがある。 「大学下克上 日東駒専は偏差値で旧帝大に並んだ」(「週刊現代」1990年3月10日号) 「『日東駒専』『大東亜帝国』は国立大学を超えたは嘘」(「週刊文春」1992年4月2日号) 「MARCH」もこのあたりからじわりと浸透しつつあったが、「日東駒専」「大東亜帝国」よりもやや後発である。週刊誌の記事見出しにこういうのがあった。 「早慶・MARCH・関関同立 伸びている私立高校」(「週刊朝日」2004年4月30日号) ■関関同立「はやらせや」  グループの名づけ親は代田さんだけではない。 「関関同立」という、いまでは古典の類に属する名称を考えたのは、1960年代~70年代、大阪の夕陽丘予備校理事長を務めた白山桂三さんだ。  命名にいたる経緯を、同校の学校史でこうふり返っている。 「関学、関大、同志社、立命館、この四つの私立大が、関西では入試レベルも高く、人気もある大学なので、これを総称して“関関同立”と言うことにしようや。『大学へアタック』で、はやらせや」(『創立三十年 夕陽丘予備校史』1981年) 『大学へアタック』とは、1970年に大阪新聞に掲載していた受験関連の連載記事のことである。関西の予備校、大阪の夕刊紙が発信した「関関同立」が、全国区になったのは興味深い。 ■昨今登場した「SMART」とは  代田さん、白山さん以降も大学コピーライターは現れたが、「日東駒専」「MARCH」のように全国的に普及した作品は登場していない。  首都圏の予備校職員がこんなフレーズを教えてくれた。 「中東和平成立は就職支援に力を入れています」  中央学院大、東京国際大、和光大、平成国際大、立正大の5大学のことである。ローカル色が強く、全国区にはなりにくい。 新しい大学カテゴリー (週刊朝日 2019年1月4-11日合併号より)  昨今では、新しい大学グループ名として「SMART」が生まれている。中学受験雑誌の編集長による命名だ。Sはソフィアの上智大、それ続いて明治大、青山学院大、立教大、東京理科大を並べたものである。  だが、いまひとつ定着しきれてはいない。  大学のグループ名について、当の大学はどう思っているか。  話題になることで知名度が上がると好意的に受け止めるところはある。しかし、「この大学と一緒にされたくない」と反発する大学は少なくなかった。大学グループ名でくくられてしまっては、大学のほんとうの姿は伝わらないと、訴えていた。  2020年、ネットニュースでこんな見出しが登場した。 「大学の序列 明治大がMARCH、SMARTから抜け『早慶明』に?」(「NEWSポストセブン」2020年10月18日 )  この記事に明治大関係者は喜んでいた。  こうしたグルーピングについて、大学は黙って見守るしかないのだろうか。いや、そんなことはないと言わんばかりに、攻めの姿勢を見せた大学があった。  2017年正月、近畿大は大手紙の関西版で「早慶近」と見出しをつけた全面広告を掲載している。インパクト十分だった。  大学をグループのなかで位置づけられること、まして、それで評価されることは、どの大学も望んでいないはずだ。しかし、同じグループのなかで切磋琢磨してレベルを向上させるという効果はある。大学グループより、一大学として常に語られるように教育、研究で際立った特徴を出してほしい。 (教育ジャーナリスト・小林哲夫)
【独自】日本プロゴルフ協会のお家騒動で倉本昌弘会長を「解任」?24日理事会で一触即発も
【独自】日本プロゴルフ協会のお家騒動で倉本昌弘会長を「解任」?24日理事会で一触即発も トム・ワトソン選手と日本プロゴルフ協会の倉本昌弘会長  会員数5千人を超す、日本最大のゴルフ組織、公益社団法人「日本プロゴルフ協会」(以下PGA)がお家騒動で揺れている。PGAの倉本昌弘会長が「解任」に追い込まれる可能性もあり、12月24日に予定されるPGA理事会の行方が注目されている。  PGAは2013年5月1日に内閣府の公益社団として法人化、シニアツアーの運営もしている。問題になっているのは、PGAのホームページなどIT化、ウェッブ戦略をめぐるカネの流れだ。AERAdot.編集部は2021年5月13日付と同年12月10日付に提出された2通の第三者委員会報告書、関連資料を独自入手した。そこにお家騒動に至る経過が報告されていた。  コトの発端は2017年にB社に発注したアマチュアとプロゴルファーを結びつけるマッチングサイト構築だ。契約金額は2000万円だった。  PGA会長の倉本氏はツアー30勝、永久シード権を持つ、尾崎将司、青木功らと一時代を築いたレジェンドだ。  2014年に会長に就任すると女子プロに流れていたゴルフ人気を男子に呼び戻そうと奔走。現役時代の人気をバックに、スポンサーに営業攻勢をかけ、シニアツアーが年間10試合ほどだったのを、倍に増やし、賞金総額も7億円と10年前の1・7倍までに増加させた。  マッチングサイトはシニアツアーの人気をさらに拡大させようとした新しい試みだった。2017年11月にほぼ完成したマッチングサイトがPGA理事会でお披露目された。  だが、エンジニアがセキュリティーホールの有無をチェックすると、重大な欠陥が判明。第三者委員会の報告書によると、PGAの倉本会長はその場で、エンジニアに<マッチングサイトに外部からアクセスできないように応急処置を施すように依頼>、<B社との契約を解除して1日も早く、本件欠陥の修復及びマッチングサイトの完成・実用化ができるように>と指示を出した。  その後、欠陥を発見したエンジニアが所属するC社がマッチングサイト構築に不可欠と判断。PGAは業務委託契約を締結し、マッチングサイトの委託先をC社に変えることになった。契約金額は約1000万円で、他の関連費用を加えて合計で1300万円余りとなった。 12月10日付の第三者委員会報告書  C社はPGA副会長の井上建夫氏の妻が社長で、実質的には息子が経営していた。第三者委員会の報告書によると、倉本氏らが契約前に顧問弁護士と相談したところ、井上氏がC社の経営には関与していないことから「問題がない」との意見だったという。  しかし、C社に委託したマッチングサイト構築や同時に依頼をしていたPGA公式ウェッブサイトの改修も進まなかった。  理由はC社の業績が芳しくなかったことだ。井上氏の息子とも連絡がとれなくなってしまい、C社は2019年夏頃に実質的に経営破綻してしまった。その結果、C社に支払った1300万円が消えてしまい、倉本氏や井上氏への責任追及の声が大きくなったのだ。  今年5月の第三者委員会の報告書では倉本氏ら理事会がC社へマッチングサイト構築費を支出したことについて「利益相反には該当しない」との結論になった。  だが、納得しない一部のPGAのメンバーが、今年10月には、倉本氏や井上氏の解任のために社員総会を開催するように求めた。 「社員総会招集請求書」が20人の連名で出されるなど、対立は先鋭化。公益社団法人であるPGAの監督官庁・公益認定等委員会からも報告書の提出を求められる事態となった。  混乱が収まらないことから、倉本氏らの「道義的責任」についてさらに意見が噴出。第三者委員会が再度、調査に乗り出すという異例の展開になった。  12月の第三者委員会の報告書では、C社側に支払ったうち756万円に関して、<倉本会長には、任務懈怠責任(にんむけたいせきにん)が発生する。因果関係が認められる損害は330万円である>と5月の報告書から一転、倉本氏に責任があるとされたのだ。  任務懈怠責任とは、PGAのような公益財団法人なら理事、会社なら取締役が任務を怠った場合、組織に損害賠償責任を負うと、一般法人法や会社法で規定されているものだ。  倉本氏の今回のケースは該当するというのだ。24日に開かれるPGA理事会の最大の焦点は12月の第三者委員会の報告書が承認されるかだという。   AERAdot.が倉本氏を直撃するとこう答えた。 「PGAでスキャンダルのような事態になって会員、ファンに申し訳ない気持ちでいっぱいです。私の不徳の致すところだ。12月に2回目の第三者委員会の報告書が出され、私に任務懈怠責任があるという内容でした。とても不満があります、納得できません。確かにPGAからC社側に代金を支払ったが理事会で決定したことが前提です。私が稟議書にサインをしたのは既に支払いが終わってからです。第三者委員会の報告書では、理事会で決まっていても、止めなかった私に責任があるという。理事会がきちんと手続きをして決まったことを会長の一存でひっくり返すようなことを公益社団法人でやれるわけがない。それに5月の報告書では、私には責任がないとされていたのにおかしい。12月の報告書が、24日の理事会で認められ、私の会長解任につながるというなら断固、戦います。私はすでに来年春の任期満了で会長職を辞することを公表している。その後、新会長を決める選挙が行われます」  PGA理事の一人がこう話す。 「第三者委員会で2度も倉本氏や理事たちの責任追及をするというのは、妥当なのか、やりすぎではという意見も多々ありました。正直、5月の第三者委員会の報告書で倉本氏らの責任追及は必要ないという空気感だった。だが、PGAの内部が倉本氏派、反倉本氏派に割れてしまい、主導権争いになってしまった。反倉本側の巻き返しで、10月の社員総会招集請求書、12月の第三者委員会の報告書につながったんですよ」  この理事によると、騒動には2011年までPGAの会長を務め、現在は顧問となっているプロゴルファーの松井功氏も関わっているという。  日本の女子プロで初めてLPGAのメジャータイトル、全米女子プロ選手権で優勝した樋口久子さんの元夫としても知られる松井氏。日本ゴルフツアー機構(JGTO)の副会長という要職にもあった。   元PGA会長の松井功氏  松井氏はAERAdot.の取材に対し、こう語った。 「倉本氏の後釜の会長に3人くらい立候補すると聞いている。私が関わったことはない。ただ、私はPGA会長を辞めた後も、顧問を務めている。『松井がお家騒動を穏便に治めろ』という声があるなら、何らか力にはなりたいという思いはあります。お家騒動になったのは、理事会運営に問題があるのではないか」  24日の理事会は、12月の第三者委員会の報告書の取り扱い次第で大騒動に発展しかねないと危惧する声が上がる。 「反倉本側が司法の場で会長解任に持ち込むことも考えられる。倉本氏側も解任なら法廷闘争も辞さない構えのようだ。一触即発になりかねない」(前出の理事)  ファン、スポンサーあってのプロゴルフ。一刻も早いお家騒動の収拾を願うばかりだ。 (AERAdot.編集部 今西憲之)
選択的夫婦別姓はリベラルじゃない? 「先祖のため名字を変えたくない」は保守の価値観ではとの指摘も
選択的夫婦別姓はリベラルじゃない? 「先祖のため名字を変えたくない」は保守の価値観ではとの指摘も 自民党の財政政策検討本部役員会で発言する安倍晋三元首相 「あの人は保守だから」「あの組織はリベラルだから」主義主張で何となく線を引いて、敵と味方に分ける。そんな風潮が、世の中にはびこっている。その本質を探ると──。AERA 2021年12月27日号の記事を紹介する。 *  *  *  政治も社会運動もマスメディアも“保守”と“リベラル”で区分する傾向が目立つ。自民党は保守で、立憲民主党はリベラル。反原発はリベラルで、嫌韓・嫌中は保守──といった具合だ。  だが、世の中は“二項対立”でくくれるほど単純ではない。「立憲民主党の支持者で原発維持派」はいるし、岸田文雄首相はリベラルを掲げる自民党の派閥「宏池会」の会長でもある。なぜ、こんな「矛盾」がまかり通るのか。 「保守とかリベラルとか、そういう話じゃないんです」  こう話すのは、選択的夫婦別姓の実現を国に求めるよう地方議会に陳情活動している「選択的夫婦別姓・全国陳情アクション」事務局長の井田奈穂さんだ。井田さんは2018年に団体を立ち上げる際、活動内容を紹介するサイトに「当アクションは、どの政党・会派もバックグラウンドにしていません」との一文を盛り込んだ。地方議会に陳情すると、「共産党とつながりはないですよね」と保守系議員から探りを入れられることが多かったからだ。 「党派間の駆け引きの話ではない。当事者の生活上の困りごとを解決してほしい、という本質を理解してもらうため、明記したんです。右とか左とか、関係ないと」(井田さん)  とはいえ、選択的夫婦別姓の導入に立ちはだかってきたのは自民党だ。改姓に伴う様々な問題点はかねて指摘されており、法制審議会は25年前に法改正を提言した。だが、自民党の反対でたなざらしになってきた。昨年末に策定された政府の第5次男女共同参画基本計画では、00年の最初の計画からあった「選択的夫婦別氏(姓)」という用語が、自民党の求めで消された。今年10月の衆議院議員選挙でも、多くの野党と公明党が導入を公約に掲げる一方で、自民党は「改姓による不利益の解消」を主張するにとどまった。 所信表明演説をする岸田文雄首相 「私たちは立憲民主党や共産党の支持者と見られがちですが、イデオロギーの面から今の制度を変えたがっている人は、ほとんどいません」(同) “選択的夫婦別姓”は保守の価値観と言える  井田さんは今回の衆院選で、選択的夫婦別姓(別氏)制度の早期実現を目指す自民党内の議員連盟に所属する党公認候補の応援に回ったという。 共産党にあいさつに訪れた立憲民主党の新執行部 「私は自民党員ではないですし、衆院選の自民党のスタンスも非常に残念だと思っています。しかし『議員連盟』の幹事らは何とか党の中から変え、法改正を進めようと本気で頑張ってくれた。だから応援しました」(同)  現行の民法は夫婦に同じ姓を名乗るよう強制している。約95%の夫婦は、妻が姓を変えている。井田さんはジェンダー平等の観点で、「女性に苦痛を押し付けている構図から、同じ権利を持って結婚に臨めるようにするには、選択的夫婦別姓にするしかない」と唱える。この主張は「リベラルっぽく」聞こえるが、内実はどうなのだろう。 「私たちの活動に参加する人の中にも、先祖から受け継いできた名字を絶やす罪悪感にさいなまれ、結婚後も名字を変えたくないという人が結構います。これは、『保守』の価値観といえるのではないでしょうか」(同) 「保守」の側からは、「戸籍制度が大事」との理由で、選択的夫婦別姓に反対する意見もある。だが、これも矛盾がある、と井田さんは言う。 「夫婦同姓を強いることで戸籍に載らない事実婚家族が増えていますし、自民党や日本維新の会が唱える『旧姓の通称使用の拡大』も戸籍制度の形骸化につながります。選択的夫婦別姓のもと、実態が伴った家族戸籍にしたいと考える私たちのほうが、戸籍制度を大事にしているといえると思います」  にもかかわらず、井田さんはSNSなどで、保守の側から「反日活動家」といった言葉を浴びることも多い。 再稼働で賛否を呼ぶ関西電力の高浜原発 「戸籍上の名前を変えずに幸せに結婚できる選択肢を一つ付け加えてほしいと言っているだけなのに、なぜ反日なのか分かりません。社会の価値観が変わるなか、現行制度の維持は非婚や少子化にもつながり、国力を衰退させる要因になっていることに、なぜ目を向けようとしないのか。本質から目をそらさせるためにイデオロギーを持ち出しているとしか思えません」(同)  全国の約7割の米軍専用施設が集中する沖縄でも、辺野古新基地建設に反対する人を「左翼」とレッテル貼りする風潮がある。沖縄戦の遺骨混じりの土砂を辺野古埋め立てに使わないよう求めている遺骨収集ボランティアの具志堅隆松さんは「保守の人にこそ理解してもらえるはずだ」と訴えているが、その声は届いているだろうか。  そもそも保守やリベラルとは、どういう概念なのか。政治学者の中島岳志・東京工業大学教授は「それぞれの概念をしっかり整理し直すことで、いま一度、保守とリベラルの枠組みを疑ってみる必要があります」と話す。 自民党の有志議員でつくる「選択的夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟」設立総会 「保守主義」を定義したのは、フランス革命を批判したアイルランド出身の政治哲学者のエドマンド・バークだ。 「どれだけすぐれた人たちが革命を実行しても、理想的な社会を作ることはできない。なぜなら人間は不完全だから、という考え方です。むしろ伝統的な慣習や良識といった経験知の中に英知があると考え、漸進的改革を唱えるのが保守の思想です」(中島教授)  リベラルはどうか。ドイツで1618年から30年間続いた「三十年戦争」が大きな意味を持つという。欧州のキリスト教徒の価値観をめぐる戦争は、48年のウェストファリア条約締結でようやく収まった。このとき欧州の人々が確認したのが、リベラルの概念だ。 「宗教上の思想信条の違いによって、相手をせん滅するまで戦い続けざるを得なくなった経験をしたことで、価値観の異なる他者に寛容になり、互いの権利を保障する概念を確認し合ったのが近代リベラルの起源です」(同)  中島教授は「リベラルと保守は相性が良い」と言う。 「保守派の懐疑的な人間観は自分にも向きます。自分も間違えているかもしれないので、自分とは異なる見解にも耳を傾け、落とし所を見つけて合意形成を図る。これが『保守政治』です」  1990年代前半までの自民党の保守本流の政治家は「リベラル」を自認し、野党とも合意形成を図ってきた。転機は冷戦の終結だ。左派を指す“革新”がリベラルに置き換わったのだ。96年に民主党が「リベラル新党」として旗揚げした頃から、リベラルが自民党に対する、もう一極の政治勢力を指す言葉になった。だが、「これは誤用です」と中島教授は言う。 「左派がリベラルだという認識になり、保守はアンチリベラルのようになっていきましたが、リベラルの反対は保守ではありません。リベラルの反対語は“パターナル”です」  リベラルは他者への寛容と、それぞれの価値観の自由を重んじる。その反対は、強権によって個人の価値観に介入するパターナル(権威主義)だという。  中島教授は、いまの政治家をリスクの“社会化派”か“個人化派”か、価値観が“パターナル派”か“リベラル派”か、という枠組みで分類すべきだと唱えている。リスクの個人化、社会化は「小さな政府」か「大きな政府」を志向するかの違いだ。リベラル派は夫婦別姓や同性婚など個人の価値観に寛容である一方、パターナル派は特定の価値観を強制する。 「安倍・菅政権では、『パターナルな価値観』でかつ『リスクを個人化する』政治が続き、これが自民党の主流になりました。私たちがいま、『保守』と認識している政治家はこのゾーンの人たちであり、本来の保守とは大きく異なります」(同) 2015年の安保法制反対デモ  米国政治に詳しい上智大学の前嶋和弘教授は「米国政治も価値観と経済政策のスタンスで区分できます」と話す。  米国では80年代のレーガン政権以降、「小さな政府」の流れが顕著になった。軍事費を拡大する一方、社会保障費を抑制し、規制緩和と大幅減税で市場原理を重視する政策は「レーガノミクス」と呼ばれた。こうした共和党の政策に、同性婚や妊娠中絶に強く反対するキリスト教右派が同調し、中東政策にも影響を及ぼすようになる。  米国のリベラルとは何か。  米国の政治学者ルイス・ハーツは欧州の政治史と比較し、王政の封建的伝統を持たない米国は「生まれながらの自由主義社会」だと分析した。これが変化したのは50~60年代だという。 「貧困や差別と向き合い、所得の再分配や公民権運動を進めるのがリベラルだという認識が浸透しました。つまり、平等主義です」(前嶋教授)  もう一つの流れが、レーガン政権を嚆矢(こうし)とする“リバタリアン(新自由主義)”だ。語源は同じだが、平等主義のリベラルとは正反対の価値観といってよい。 「政府が所得を再分配する『平等の押し付け』から自由になる、という意味での『リベラル』です」(同)  米国では「王権の支配からの自由」から「平等主義」、さらには「政府からの自由」という捉え方にリベラルの意味が変化してきた。日本にはこのうち、「平等主義」のリベラルが流入した、というわけだ。 FOXニュースの登場で“真実”が見えなくなる  米国では、共和党が保守、民主党がリベラルというイメージが定着しているが、マスメディアも大統領選などで旗幟(きし)を鮮明にする傾向がある。この流れは96年に保守系メディア「FOXニュース」が設立されたのがきっかけだ。  ジャーナリズムの伝統に基づき、是々非々で「権力監視」してきた米国の報道機関で保守に肩入れするメディアは存在しなかった。ところが80年代以降、“宗教保守(福音派)”の影響力が全米で広がり、空白だったこの層に寄り添うメディアが現れたのだ。 「市場があり商業的に儲かると分かったのです。しかし、これはとんでもない問題を社会にもたらしました。何が真実か見えなくなったのです」(同)  この状況は日本も重なる。 「各報道を読むと、モリ・カケ問題は何だったのか、『安倍さんすごい』なのか、『安倍さんとんでもない』なのか評価が分かれています」(同)  インターネットの検索サイトが提供する「自分が見たい情報」しか見えなくなるアルゴリズムの機能や、似た意見をもつ人どうしがつながりやすいソーシャルメディアの特性は、社会の分断を助長する、との見方もある。 「ソーシャルメディアは人の意識に刺さるだけでなく、実際よりも主張が増幅されてしまう結果、分断が深まります。正確な報道は民主主義社会の血液ですが、ニセの血液が増えると、二項対立の機能不全に陥ります」(同)  メディアリテラシーはすぐには身に付かない。ソーシャルメディアの改善措置も過渡期といえる。では、どうすればいいのか。前嶋教授は「デジタルデトックス」が必要と言う。 「いまは情報のバランスを図るため、適度な距離を保って、バイアス(偏り)をデトックス(解毒)するしかありません」 (編集部・渡辺豪)※AERA 2021年12月27日号より抜粋
田中角栄から「取っとけ」と札束100万円 田原総一朗、最大のピンチ!?
田中角栄から「取っとけ」と札束100万円 田原総一朗、最大のピンチ!? 田中角栄(たなか・かくえい)/1918年、新潟県生まれ。47年に新潟3区から出馬、初当選。岸信介、池田勇人、佐藤栄作の下で蔵相などを歴任した。72年、日本列島改造論を掲げて総裁選に勝利し、首相に就任。在任中は日中国交正常化、日ソ共同声明、第1次オイルショックなどの課題に取り組んだが、74年に「金脈問題」が露呈し、退陣に追い込まれた。76年、ロッキード事件で5億円を受け取った疑いで逮捕され自民党離党。その後もキングメーカーとして政界に影響力を持ち続けた。  首相にズバッと切り込んできたジャーナリスト、田原総一朗氏。週刊朝日100周年の記念企画として田中角栄氏以降、秘話を交えて振り返り、“独断”と“偏見”で歴代首相を採点してもらう。「宰相の『通信簿』」第二回は田中角栄氏。金権政治で頂点を極め、金権によって失脚した首相の素顔とは。(一部敬称略) *  *  * 田原総一朗氏  1980年、自宅である東京の“目白御殿”でやった「文藝春秋」の企画インタビューの出来事が忘れられない。田中角栄とはそれまでも何度かオフレコで会っていたけど、(76年のロッキード事件で収賄容疑で逮捕され)世の中みんな“田中大批判”の時だからね、事件で失脚後、公にいっさいものを言わなかったから。本人がきちんと話す機会となった。  部屋に通されて待っていると、開始時間が過ぎても、1時間経っても現れない。秘書の早坂茂三に尋ねると「実は昨日、おやじ(角栄)から『田原総一朗についての資料を一貫目(いっかんめ)集めてこい』と命じられた。その資料を朝から読んでいる」というのだ。  重さにして3.75キロもの資料、すごいなと。人に会う時には、相手のことをできる限り知らなきゃいけない。角栄から得た最大の教訓。それ以降、僕は財界人、政治家とはあらゆる資料を読み込んでから会う。相手も「こいつ、ここまで知ってるのか」と本音をしゃべってくれる。  角栄は僕の質問を聞いて、全部答えてくれたの。ところがその後、本人が全部訂正してきて、つまんないインタビューになった。(ロッキード事件の裁判で)不利になることは一切出さないという考えだったようだ。その時の取材のことは後で書いたけどね。  そして、インタビューが終わると、角栄本人が突然、「取っとけ」って封筒に入った100万円の札束を出した。  この時に断ったら“けんか”だよね。ためらいながらもその場は受け取って、東京・麹町の田中事務所を訪れ、秘書の早坂らに「悪いけどこの金を返したい」と申し出た。すると、「そんなことしたらおやじが怒って、自民党や政界の取材は一切できないぞ!」って怒鳴られた。 (週刊朝日2021年12月24日号より)  しかたなく最敬礼して、「ジャーナリストとして自殺行為だ」と告げて返せぬまま帰宅した。  家では、妻と娘が見たこともない札束を前にして、「ドラマのようなことを一回やってみたかった」なんて冗談を言って、その札束でパンとほっぺをたたき合ったんだよ。  すると2日後、早坂から電話がかかってきた。「田原君、おやじが認めてくれたよ」と言うんだね。  この時に角栄が(返金を許さずに)怒ったら、僕はもう終わりだったのね。ジャーナリストとしての最大のピンチの一つでもあったから、認めてくれて大感謝。結果的に野党からも信頼された。  とにかく理由はわからないけど、やっぱり角栄の器の大きいところだね。あの時にね、角栄が救ってくれた。“ジャーナリスト田原総一朗”をつくってくれた。  その後、政治家から金を出されるような場面があっても「田中さんにも返したから受け取れない」と言うと、みんな引っ込めた。かつて右翼の大物からは「そういうことを言ったのは君が初めてだ」と褒められた。  ジャーナリストたちが官房機密費を受け取った、と騒がれたことがあった。真偽のほどはわからないけど、角栄との一件がある僕は「あり得るな」と思った。けんかができないやつが受け取ってしまうんだね。受け取らなかった僕は、与党にも野党にも信用されるようになった。  僕は、角栄が逮捕されたロッキード事件を取材して、まさに冤罪(えんざい)だと思っていた。贈賄側の米ロッキード社の連中は言いたい放題で、本当かうそかも調べていないんじゃないかと感じていたからだ。 「金権政治」で総理になって、その金権のために失脚した。  角栄は自らの田中派だけじゃなく、敵対派閥にも配った。野党にも金を渡した。つまり角栄は、表面的には敵対する野党まで、金権政治で全部抱き込んでいた。秘書の早坂が角栄に対して「自民党でも野党でも、金をもらった相手に裏切られても許すのは、どうしてなのか?」と聞くと、「裏切るかどうかは、もらったやつの勝手だ。俺は渡すほうだから、何をしようが関係ない。裏切ったやつを怒らない」と答えたという。 ◆六法全書に精通 議員立法も多数  実は角栄は国会議員時代、議員立法を30以上つくっているんだよね。ある時、僕が「何であなたはこんなにいっぱい議員立法をできるんだ」と尋ねたことがある。  理由は二つあった。一つはね、彼は子どもの時から吃音(きつおん)があった。毎朝、畑に出て、六法全書を大きい声で読み上げて、彼いわく「六法全書を丸暗記した」そうだ。  ちなみに、角栄が初めて国会議員になった当時、いつも六法全書を抱えているから、吉田茂首相がからかって法律のことをいろいろと質問したら、全部答えられたというんだ。吉田はそれに感心し、角栄をいきなり法務省の役付きにしたのね。  もう一つの理由は「米国が(戦後に進めた)日本を弱くするための法律改正と、(朝鮮戦争の勃発で一変した)日本を強くするための法律改正、その両方を俺はよく知っているから詳しいんだ」というものだった。  自民党都市政策調査会長としてまとめた『都市政策大綱』がすばらしい論文だった。  これは、日本を一つの都市として考え、過密や過疎をなくす。交通の便をよくして、高速道路や新幹線、鉄道網を発達させる。それを太平洋側だけじゃなくて、日本海側もどんどん発達させる。今で言う「地方創生」みたいなもので、過疎地域、とくに日本海側をどうすれば豊かにできるかというものだった。  総理になる前、『日本列島改造論』を出す。大ベストセラーになった。  ただ、列島改造論と都市政策大綱には大きな違いがある。都市政策大綱は、個人の欲望を制限するものだった。日本で都市計画がうまくいかないのは、私利私欲が強いため。だから、どこを発展させるかという地名も出さなかった。  ところが、列島改造論は地名を全部出した。例えば、東北のどこを開発する、太平洋側のどこを開発する、というように。そんなふうに地名が書かれたところは土地が値上がりしていった。私権の制限もしなかった。  要するに、列島改造論は“医師の処方箋(せん)”だと。都市政策大綱では処方箋にならず、抽象的で誰も喜ばないと考えた。みんなが喜ぶように地名もはっきり出し、公共のために私権を制限するのもやめた。  田中角栄という人物は、小学校しか卒業してなくて、総理大臣になった。前代未聞のことで、こんなケースはこれからもないだろう。 ◆権力と富の亡者「戦争はだめだ」  とにかく名前を覚える天才だった。新潟に帰れば、何百人という支持者らを名前で全部呼ぶ。国家公務員の課長以上の名前や誕生日、結婚記念日まで全部覚えていて、記念日には贈り物を渡す。だからみんなファンになった。  さらに、「田原君、人間の頭の中にはモーターが何十台も入っているんだ」と言うわけ。今ではコンピューターのことだけど、「一般の人はこのモーターを5、6台しか使わない。いくら使うかは、本人が努力すれば何十台も使える」と説くくらい、努力家だった。  もっとも、娘の真紀子をすごくかわいがっていた。「あいつは俺と違って大学を出ているのに、わざわざ俺のところへ漢字を聞きにくる」とね。娘を同行させてソ連(現ロシア)を訪れた時、風呂場でお湯が出なかったという。「お湯が出ない」と真紀子に言ったら、「どうせ盗聴されているから、お湯が出ないよ!と声を上げれば来るわよ」と答えたそうだ。大声を出したら、本当に関係者が駆けつけたというエピソード。要するに、娘を褒めてたわけね。  そんな角栄だったけど、竹下登が派閥を飛び出して「創政会」を旗揚げした“竹下の反乱”で、本当に参っちゃったのね。権力というのは角栄にとって一番大事なものだった。竹下の反乱で権力から追われて、生きがいがなくなったんだね。  権力の世界というものは、織田信長もしかりで、勝たなきゃだめ。負けたらどんな弁解をしても通用しない。だからどうやって権力をとるか。信長は敵を全部殺した。角栄の場合は金ね。けれども、権力と富という一番の生きがいを奪われた。  彼はやっぱり戦争を知っている世代だから、ハト派だった。彼は戦争にも参加した経験があって、多くの仲間が戦死するなか、病気になって入院して生きていた。本当なら死んでいた身だ。 「田原君、戦争はだめだ」と言っていた。だから、改憲反対。(かりに存命で現在の政治状況を見たら)やっぱりちゃんと、やるべきことをやるんじゃないだろうか。(構成/週刊朝日編集部) *次回は福田赳夫・康夫です※週刊朝日  2021年12月24日号
テレワーク明け「出社がきつい」の相談増 医師が教える“在宅時差ぼけ”解消法
テレワーク明け「出社がきつい」の相談増 医師が教える“在宅時差ぼけ”解消法 イラスト 小迎裕美子  緊急事態宣言が解除されて約3カ月。テレワークから出社に切り替わったという人も少なくないだろう。テレワーク明け以降、「出社がきつい」と不調を訴える相談が増えているという。どう対策すればいいのだろうか。AERA 2021年12月20日号から。 *  *  *  テレワーク明けの出社でメンタルやられ気味……。こう苦笑するのは、大手食品メーカーに勤務する48歳男性だ。  約1年半のテレワーク期間は快適だった。朝は始業時間の9時直前まで寝ていられ、昼の休憩時間にはソファで仮眠できる。家事に「夫の昼食作り」という新たな仕事が加わった妻(50)が始終イライラしているのとは対照的だった。  しかし、10月にテレワークが解除。起床時間が一気に2時間早まり、朝起きるのがつらい。満員電車に揺られての片道1時間の通勤は、コロナ前よりも耐え難く感じる。 ■深夜までゲームに没頭 「テレワーク明けの出社がきついと訴える社員にどう対応するべきか、人事部からの相談が増えています」  こう話すのは、複数の企業の産業医を務める「産業保健メンタルヘルス研究会」代表理事の鈴木安名さん。「明け」以降、仕事の能率が低下したり、ミスやトラブルを頻発。疲れた様子で、笑顔がなく、欠勤が目立つ。しかし体の病気があるわけではない──。メンタル不調が頭に浮かぶが、鈴木さんはその原因を、自身の造語「在宅時差ぼけ」という言葉で説明する。 「テレワーク中に体内時計が乱れ、海外旅行で時差ぼけが起きた時のような不調が生じているのです」(鈴木さん)  大学院修了、入社3年目、一人暮らしの上場企業社員のケースでは、テレワークで通勤時間がなくなり時間に余裕ができたため、平日も深夜過ぎまでゲームに没頭。テレワーク明けに生活を元に戻そうとしたものの、夜眠れず、朝起きられず、遅刻や欠勤が増えた。メンタル不調を心配した上司の勧めで、鈴木さんへの相談につながった。 「メンタル不調が疑われる同僚や部下で、始業前後にメールやLINEで欠勤連絡が入り、その理由があいまいなようなら、かなりの確率で在宅時差ぼけが考えられます。本人としては、朝起きた時だるく、仕事に集中できないといった自覚症状があるはず」(同)  体内時計は25時間周期で動いており、朝の太陽の強い光を浴びることで、地球の24時間周期に合わせてリセットされる。在宅時差ぼけ対策としては、とにかく朝は決まった時間に起き、カーテンを開け、太陽の光を存分に浴びる。 ■うつ予防にABC  休日も寝だめをせず、決まった時間に起きる。さらに「同じ時間に食事を取る。特に朝食は必ず取る」「朝にストレッチをする」「夜、パソコンやスマホなど明るい光を浴びない」ことも、体内時計を乱れさせないために重要だ。 「体内時計の乱れはうつ病や肥満、糖尿病なども招く。放置してはいけません」(同)  結局は「規則正しい生活」が重要なのか……と思った人もいるだろう。残念ながら、そうなのだ。国立精神・神経医療研究センターなどの研究グループが2018年に発表した日本人約1万2千人対象の大規模な調査結果もそれを裏付けている。うつ病になったことがあると答えた人はそうでない人と比較してストレス症状が強く、2型糖尿病や肥満、脂質異常症といった生活習慣が関係する病気の割合が多かった。また、うつ病患者では朝食を食べる頻度が有意に低く、間食・夜食の頻度が有意に高く、運動不足も多かった。  労働衛生コンサルタントとしてメンタル疾患の予防方法や休職者に対する復職支援策を多くの企業に提供する医師の櫻澤博文さんは、テレワーク明けのメンタル不調はもちろん、うつを予防する3大要素として「ABC」を提唱する。Aは有酸素運動であるエアロビクス(Aerobics)、Bは朝食(Breakfast)、Cはたばこ(Cigarette)、禁煙だ。 「運動には、中等度のうつ病の治療において抗うつ薬と同程度の治療効果があるという研究結果がありますし、再発防止効果は抗うつ薬より高いことも示されています。運動によって睡眠の質も良くなり、以前は耐えられなかった負荷に対して、楽に耐えられるようになる。これは、体と心両方に当てはまります」(櫻澤さん)  朝食の重要性は、すでに述べた通り。栄養バランスに富んだ内容であれば理想的だ。中でも月経がある女性は、赤血球の成分ヘモグロビンを作るために必要な鉄分が欠乏しやすく、貧血から疲労感や、頭がぼーっとする、集中力や持続力が途切れるなど、うつに似た症状が出やすい。これを「鉄欠乏性貧血」というが、その回避のために、朝からしっかりと鉄分が取れる食事を心がけたい。 ■専門家につなげる行動  たばこに関しては、ニコチンの作用で脳からドーパミンが放出され快感が得られるが、一時的な作用。ニコチンが切れるとイライラや集中力低下といった心身の不調が起こる。たばこが原因の心身の不調を、たばこで解消する悪循環に陥る。禁煙でうつ病リスクを非喫煙者と同程度まで下げられることも分かっている。 「ABC全てを一度にできなければ、一つずつできることを増やしていくのでもいい。テレワーク明けをきっかけとし、『始める』ことが大事です」(同)  とは言え、テレワーク明けのメンタル不調が深刻な場合は、産業医や職場のメンタルヘルス対策に精通した医師の治療が必要だ。自分ではそれが判断できないことも珍しくない。周囲に「もしかして」と思う人がいたら、あなたが、専門家へとつなげる行動を起こすべきだ。(ライター・羽根田真智)※AERA 2021年12月20日号
『鬼滅の刃』 “遊郭の鬼”の言葉ににじむ「生きること」への苦悩――なぜ堕姫は“人間”の遊女として働くのか
『鬼滅の刃』 “遊郭の鬼”の言葉ににじむ「生きること」への苦悩――なぜ堕姫は“人間”の遊女として働くのか 上弦の陸(ろく)の鬼・堕姫(画像は「鬼滅の刃」遊郭編公式YouTubeより) https://kimetsu.com/anime/yukakuhen/movie/ 【※ネタバレ注意】以下の内容には、今後放映予定のアニメ、既刊のコミックスのネタバレが含まれます。『鬼滅の刃』アニメ2期「遊郭編」の第3話では、ついに遊郭に潜む鬼「堕姫(だき)」が登場した。堕姫は鬼でありながら人間に擬態し、遊郭で人気を博す華やかな花魁を「演じて」いた。だが、“人間”としての堕姫の言葉からは、周囲へのいら立ちと激しいストレスが感じられる。「人を喰う」ことが本能である鬼が、無理をして人間社会に適合し、遊女として仕事までしていたことは異様とも言える。なぜそこまでして堕姫は“人間の遊女”として振る舞ったのか。堕姫の行動、セリフを掘り下げることでその理由を考察してみる。<本連載が一冊にまとめられた「鬼滅夜話」が発売されました> *  *  * ■なぜ“遊郭の鬼”はあれほどいら立つのか?  「遊郭編」は、放送前の一部からの懸念をよそに、遊郭の美化は行わない、という姿勢が貫かれている。それどころか遊郭を棲家(すみか)とする鬼の視点を通じて、「苦界」に身を置かざるをえなかった人々の悲憤が伝えられる。  遊郭の鬼は、鬼殺隊隊士・我妻善逸(あがつま・ぜんいつ)が潜入捜査している「京極屋」という店に潜んでいた。その名を堕姫(だき)といい、最高位の遊女である“花魁”・蕨姫(わらびひめ)として、客からの人気を博していた。  しかし、蕨姫(堕姫)は、その愛らしい容貌に反していつもいら立ち、周囲の者たちに当たり散らしていた。 <五月蝿い(うるさい)!ギャアじゃないよ 部屋を片付けな>(堕姫/9巻・第73話「追跡」)  まだ幼い禿(かむろ ※花魁の世話をする見習いの少女)を叩き、罵倒し、いじめる。耳がちぎれるほどにひねり上げる。これらの堕姫の暴力シーンに出くわした善逸は、周囲への警戒を一瞬忘れ、少女をかばってしまう。堕姫はそんな善逸を一撃で殴り倒した。 <気安く触るんじゃないよ のぼせ腐りやがってこのガキが>(堕姫/9巻・第74話「堕姫」)  これまでにも怒り口調の鬼、本能に忠実で直情型の鬼は登場してきたが、堕姫ほどのいら立ちは珍しいといえよう。堕姫はたびたび「癪(しゃく)に障る」という言葉を繰り返す。彼女の耐えきれないほどの怒りや不快感はいったい何に起因するのだろうか。 ■強い鬼が「遊女」に化ける理由  遊郭は人の出入りが多く、喧騒の陰でひっそりと殺される者、重篤な病にかかる者、逃亡を試みる者など、行方不明者や死者が少なくない。鬼が人を喰っても見つかりづらいというメリットがある。しかし、なぜわざわざ「鬼」が遊女に化けようとしたのか。  人間を食い荒らすのが目的であれば、鬼が遊郭に「潜入」する必要はないはずだ。人間の姿で、それも花魁という目立つ姿で堂々とひとつの場所に留まり続けることにはリスクがともなう。しかも、堕姫は遊女であることを自らが望んでいたわけではないように見える。 <最近ちょいと癪に障ることが多くって><酷いこと言うわね 女将さん 私の味方をしてくれないの 私の癪に障るような子たちが悪いとは思わないの?>(堕姫/9巻・第74話「堕姫」)  単なるワガママや、鬼としてのむき出しの本能だけで、いら立っているわけではなさそうだ。 ■遊女としての堕姫の働きとその実態  そもそもの前提だが、堕姫は遊女として「働いて」いるのだろうか。鬼と一般の人間の戦闘力の差を考えれば、遊郭で人間を殺害・捕食することだけが目的だとしたら、「遊女としての働き」までは不要だったのではないのか。しかし、吉原の店の女将に対する、堕姫の言葉から考えると、やはり彼女は遊女として仕事をしていることが分かる。 <誰の稼ぎでこの店がこれだけ大きくなったと思ってんだ婆(ババア)>(堕姫/9巻・第74話「堕姫」)  つまり、彼女は強い鬼であるにもかかわらず、人間として働き、「仕事」までして、成果も残してきた。他の鬼には「人間としての労働」シーンはほぼ描かれておらず、堕姫以外で人間社会に溶け込んでいるのは、新興宗教の教祖として活動している、上弦の弍の鬼・童磨(どうま)くらいであろう。  上弦の鬼が表の世界で「仕事を持つ」のは異様なことのように思える。しかも堕姫は強い不快感といら立ちに耐えながら、遊郭で生きているようにしか見えない。  彼女が働く「京極屋」の主人が「どうか俺の顔を立ててくれ…」と土下座すると、堕姫はいったん怒りをしずめ、花魁らしい美しい表情に戻っている。強い鬼でありながら、人として煩わしい「仕事」にとらわれる。これが堕姫の毎日の生活なのだ。 ■誰が堕姫を遊女として「働かせて」いるのか?  そんなある日、鬼を統べる鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)が、堕姫のもとを訪れてこう言っている。 <私はお前に期待しているんだ><これからも もっともっと強くなる 残酷になる 特別な鬼だ>(鬼舞辻無惨/9巻・第74話「堕姫」)  無惨は鬼殺隊の戦闘の要である「柱」たちを遊郭におびき寄せ、殺害することを堕姫に命じていた。つまり無惨は彼女の美貌を「遊女としての仕事」に生かすように仕向けていたのだ。無惨の姿を見ただけで頬を赤らめる堕姫。そんな堕姫に無惨は「調子はどうだ?」「良いことだ」と優しくねぎらう。堕姫といる時の無惨は、他の鬼に対するようないつもの高圧的な態度はとらない。無惨は堕姫の顔を両手で包み込み、「お前は誰よりも美しい」と言葉をかけ、まるで悪魔が「人」を堕落させるように、彼女を誘惑する。堕姫は美貌を使って人間の男を「遊女」として利用する。その一方で、彼女がいら立ちを抱えながら客の相手をするのも、鬼殺隊との戦闘を重ねるのも、無惨への心酔ゆえなのだ。結局、堕姫には自由がない。無惨のために、客のために、そして自分が自分であり続けるために、遊女としての勤めを果たしている。誰も堕姫に「遊女」以外の生きる道を示してやろうとはしない。教えてやることもできない。 ■鬼が“遊郭”で「生きる」理由  遊女の仕事は、男にその身を差し出すこと。堕姫の日々には「癪に障る」という言葉だけでは言い表せないほどの不満が蓄積されていただろう。堕姫を遊女として働かせているのは無惨なのだが、堕姫の日々のストレスは、他の遊女たちや、「京極屋」の女将、か弱き者たちへとぶつけられる。  堕姫は人間だった頃、遊郭の最下層の貧困区域で生まれた。人間の時も、鬼になってからも、彼女の眼前に広がる世界は、人が金で売買される「遊郭」だったのだ。 <鬼は老いない 食うために金も必要ない 病気にならない 死なない 何も失わない>(堕姫/10巻・第81話「重なる記憶」)  そんな堕姫の悲痛な叫びは、貧困にあえぎ、腹をすかせ、病気に苦しみ、若さも命も手のひらからこぼれ落ちるままの「不幸せ」のただなかで、彼女が生きてきたことを表している。失ってばかりの人生……そこには彼女を人間から「鬼」に変えた”絶望”がある。  美貌に恵まれながらも「不幸せ」に終わった人間時代の自分。鬼として生きることを決めた後も、人間に擬態して「華やかな生」を甘受する自分。堕姫の中には、複雑に入り組んだ「自分」が存在している。そのはざまで運命に絶望し、もがいている姿が堕姫の言葉からはにじみ出ている。  物語が進むにつれて、この堕姫だけではない、登場人物たちの不幸な半生も語られる。堕姫やそれらの人物から発せられる“いら立ち”の言葉は、遊郭という世界で生きることの「現実」を突き付ける。  畢竟、『鬼滅の刃』で描かれているのは、決して美化されることのない遊郭の姿なのである。 ◎植朗子(うえ・あきこ)1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。AERAdot.の連載をまとめた「鬼滅夜話」(扶桑社)が11月19日に発売されると即重版となり、絶賛発売中。
柄本時生が「仕事をやらないという選択肢を試してみたい」理由
柄本時生が「仕事をやらないという選択肢を試してみたい」理由 柄本時生 [撮影/写真部・張溢文、ヘアメイク/住友由香(MARVEE)、スタイリスト/矢野恵美子、衣装協力/CURLY&Co.(The Weft)]  ジュリエットから三蔵法師まで。突拍子もない役も不思議となじむ俳優・柄本時生さん。二世俳優が多い世代の中で、独特の存在感。どこまでが本音なのかわからない語り口も、親譲りなのだろうか。 【前編/柄本時生が感じた父・柄本明の影響「俳優業が楽しい……? うーん」】より続く *  *  *  二世俳優といえば、世間はつい親の庇護のもとで、甘やかされて育っているイメージを持ちがちだ。でも、柄本家の場合、誰もが想像する「親の背中を見て俳優に憧れた」といったほのぼのストーリーはまったく当てはまらない。七光りもない。現に、時生さんは、「いまだに、自分のやっていることに誇りが持てないタイプですね」と語る。 「去年、コロナになって、『俳優として心境の変化は?』みたいなことも質問されたんですが、特に何も感じなかったです。元々、自分の職業に対してマイナス思考が強くて、コロナになる前から、『芝居なんて、人が生きていく上では、なくてもいいものの一つだよな』って思っていた。だから、コロナ禍で『芝居は不要不急』みたいなことを言われたときも、『やっぱりな』としか思わなかった。もちろん、『仕事ないなぁ、どうしようかな』というのは考えましたけど」  とはいうものの、今年は出演映画が3本公開され、地上波のテレビドラマにも、春から秋まで3クール連続でレギュラー出演している。紛れもない売れっ子だが、「何か一つの作品が自分のターニングポイントになったことはないです」と言い切る。 「バイトはしなくても食っていけるようになりましたけど、けっこう長いこと、皿は洗ってました。30までは、事務所から、『こういう役の話がきてるけど、どう?』とか相談されたことがない。『仕事が決まりました!』と言われて、台本を渡されて、現場に行く。お仕事はすべて『ありがたくやらせていただく』感覚でした」  それが、30歳を境に、「こんなオファーが来てるけど、どうする?」と、事務所からやるやらないを打診されるようになった。 柄本時生 [撮影/写真部・張溢文、ヘアメイク/住友由香(MARVEE)、スタイリスト/矢野恵美子、衣装協力/CURLY&Co.(The Weft)] 「でも、いちおう相談されるだけで、結局いただいた話は、スケジュールさえ何とかなれば、今のところ全部やってますね。1回、足踏みしたのは、昨年、コクーンでやった、『泣くロミオと怒るジュリエット』という舞台ですかね。『ジュリエット役です』と言われて、『そっか、ジュリエットか~』と思って(笑)。でも結局やりましたけど」 ◆僕は親父より和枝ちゃん似  俳優業の入り口は映画。しかも、受験には失敗したものの、大学では映画を専攻したいと考えていた。やはり、映画には並々ならぬ思い入れがあるのだろうか。 「監督をやりたがっていたのは、兄ちゃんです。兄ちゃんは小学校6年生から、映画監督志望でした。僕は、俳優としては、映画を中心にやっていきたい気持ちがあります。で、たまに舞台とかドラマとかに出るのがベストですね」  そんな時生さんが、次に挑戦する舞台が、KAATカナガワ・ツアー・プロジェクト「冒険者たち」だ。誰もが知っている最強コンテンツ「西遊記」をモチーフに、天竺を目指す三蔵法師一行が、その道中で時空を超えて神奈川県に紛れ込むという冒険ファンタジー。演出は、神奈川芸術劇場芸術監督の長塚圭史さんだ。  実は時生さん、事務所経由でオファーを聞くより前に、下北沢で偶然、長塚さんからこの作品のことを聞いていた。 「たまたま道でパッタリ会ったときに、『話聞いてる?』っていきなり言われて、『面白いやつを集めて、神奈川県を巡る“西遊記”ができないかと考えてて、ぜひ時生にオファー出そうと思ってるんだ』って。そのときに思ったのは、『直接オファーされたら“無理っす”とは言えないな』ってことでした(笑)」  照れなのか、本音なのかわからない語り口は、父親である明さん譲りだが、本人は、「僕は、(母の角替)和枝ちゃん似です」と断言して憚らない。 「演出家から『一緒にやろう』と誘ってもらえることは嬉しいですが、30を過ぎてからの自分の課題としては、『何でもやります』から、『やりたくない』とか『やらないほうがいい』ことも考えてみたい。やらないという選択肢を試してみたい時期かもしれない(笑)」  21年春に公開された映画「BLUE/ブルー」では、プロボクサーの役を演じ、俳優として初めて本格的なトレーニングに取り組んだ。 「俳優業界では、『関西弁とボクサーはやっちゃいけない』と言われているらしいんです。なんでかっていうと、付け焼き刃でやると、下手なのがすぐバレるから(笑)。日本人ってボクシングのタイトルマッチをすごく見ているから、体の動きは知らなくても、目で見て世界タイトルの人の動きを知っちゃってるんですって。でも、そのオファーを受けたとき僕はまだ30前だったので、断る権利がなかった(笑)。ただ、そのときのトレーニングは全然続かなかったんですが、今32で、腰とか膝とか痛いんですよ。それで何かのときに重い荷物が持てなくなるのはちょっとなぁと思って、1日30回腕立てをするようになりました」  日々のルーティンはもう一つ。午前中に仕事がない日は、夫婦で必ず喫茶店に行く。 「昔から、うちの和枝ちゃんと親父が『夫婦で行ってます』なんて雑誌のインタビューなんかで話してたんですが、それ、実は僕らもセットだったんです。実家の近くに行きつけの喫茶店が三つあって、暇な人が行って、誰かがいたら、そこで一緒にお茶をする。その習慣が僕は今も残っていて、仕事のない日は10時半に起きて、妻と一緒に行ってます」 (菊地陽子 構成/長沢明) 柄本時生(えもと・ときお)/1989年生まれ。東京都出身。2003年「Jam Films S 『すべり台』」のオーディションに合格し俳優デビュー(映画は05年公開)。近年の出演作品に映画「BLUE/ブルー」「CUBE」、Netflix「全裸監督シーズン2」など。ドラマ「真犯人フラグ」(日本テレビ系)、「会社は学校じゃねぇんだよ 新世代逆襲編」(ABEMA)が放送中。22年1月13日からNetflixで「新聞記者」が一挙配信。※週刊朝日  2021年12月24日号より抜粋
コロナ禍の上海で出会った手負いのボス猫を家猫に 「幸せにしたい!」日本人夫婦の願い
コロナ禍の上海で出会った手負いのボス猫を家猫に 「幸せにしたい!」日本人夫婦の願い 貫禄たっぷり。椅子に座る元ボス猫ニャジラ(提供)  飼い主さんの目線で猫のストーリーを紡ぐ連載「猫をたずねて三千里」。今回お話を聞かせてくれたのは、上海の医療機関に勤めている50代の医師、コダマさん。自宅アパートに隣接する公園に暮らすボス猫と心を通わせ、怪我(食欲不振)を機に家に迎えました。 *    *  * 私は医師として2019年より中国・上海で仕事をしています。  上海の自宅アパートは大きな公園が隣接していることもあり、以前からたくさんの野良猫が近くに暮らしていることに気付いていました。  毎日顔を合わせているうちに、それぞれの猫の特徴や性格がわかるようになってきたため、1匹1匹に勝手に名前をつけるようになりました。  その野良猫のグループの中に、ひときわ体が大きく落ち着いた、ふてぶてしい茶白柄の猫がいました。誰が見ても“一番偉いな”とわかるような佇まい。その一方で、妙に愛嬌があり憎めない性格をしている。私はすぐに虜になり、「ニャジラ」と名付けました。  名前は、高校生のころに読んでいた小林まことの漫画『What’s Michael?』に登場する最強の雌猫「ニャジラ」から。初めて会った瞬間に「あ、ニャジラがいる!」と思ったのです。  当初は中国での野良猫との共生ルールが解らないこと、無責任な餌付けは避けるべきとの認識で“観察”するだけに留まっていましたが、ある時期からニャジラの方から私に興味を持って近付いてくるようになりました。朝晩の通勤の際に向こうからあいさつに顔を見せ、目の前で撫でてもらうために寝転がったり、体を寄せて自分の臭いを擦り付けてきたり。そうなると情もどんどん湧いて、世話をはじめ……。  昨年12月20日、私たち夫婦はボス猫であったニャジラを家猫にして、“誕生日”とました。まもなく1年が経つのですが、じつはニャジラは現在、動物病院で闘病中なのです。  ニャジラの身に何が起きたのか…。振り返ると、彼に対する私たち夫婦の気持ちもずいぶん変化し、彼との出会いが私たちに多くのことをもたらしてくれたことに気づきます。仲間思いのニャジラ、私たちが愛してやまないニャジラの“生きた証”を残したく、また地域の保護活動について知らせたくて、このコーナーに応募しました。 ◆ 甘えてもボス猫として威厳のある態度で 見かけによらず膝枕が好きなニャジラ(提供)  実はニャジラと出会った時には、自宅でニャジラを飼おうと思っていませんでした。  元々、動物好きですが、医師の仕事が忙しすぎて十分なケアができそうにないこと、犬・猫アレルギーもあったからです。しかし、家猫は難しくても、地域猫として夫婦で見守ることはできるのではないかと考えました。  ちょうどそのころ、流行したのが新型コロナウイルスです。私も自宅と職場の往復以外にすることがなくなり、自由に使える自分の時間ができました。奇しくもコロナにより、外の猫の世話ができる余裕ができたのです。  ただし、無責任なかわいがり方をしたり、単なる餌やりさんになったりしないよう気を付けました。主な世話は、誰かが与えた餌の食べ残しや汚れやゴミの清掃、猫が食べない餌の廃棄など、生活環境を整えてあげることに終始していました。猫好きな人が設置した猫用シェルターも清掃し、毛布なども準備しました。  ニャジラはプライドが高く、私たちとの距離を詰めて甘える仕草を見せるものの、数分も経つと根城(ねじろ=行動の根拠地)に戻っていきました。ボスとしての威厳のある態度をとっていたのです。  そんなニャジラが去年9月、後ろ脚を引きずっていることに気づきました。外から侵入した猫とけんかをしてけがをしたのです。  しばらくして正常に歩けるようになりましたが、ジャンプをしなくなり、木に登らなくなったことから、脚に後遺症があるようでした。それでも、猫同士のけんかの仲裁などで“キレた”時にはすごい勢いで走っていましたから、日常生活には支障はなかったようです。  けんかの後の9月後半、ニャジラは仲間を引き連れて、私たちのアパートの敷地内に根城を移したのですが、食欲が落ちて、疲れた顔を見せることが多くなりました。カリカリを与えても、左側の歯を使わずに咀嚼するようになってきたのです……。  妻と2人で気にして、「今日、ニャジラはいた?」「今朝は居た」「今晩、カリカリを少し食べた」というような会話を毎日していました。  そうこうしているうちに12月になりました。上海は海沿いの街ということもありただでさえ風が強めですが、高層ビルの谷間を根城にするニャジラたちにとって、冬は厳しい季節です。 ◆   後ろ姿が、自分の人生と重なって見えた  ある日、ニャジラは帰宅した私に(数分ですが)ひとしきり甘えた後に、いつものように距離を取って独りでぽつんと佇みました。その後ろ姿を見た瞬間、自分の人生と重なって見え、心が動いたのです。 寂しそうに見えた“孤高のボス”ニャジラの後ろ姿(提供)  勝手な想像ですが、ニャジラは本当に疲れ切っていたけれど責任感から仲間を見捨てることできずにがんばっていたのではないか。そのつらさを紛らわすために、私たち外国人にだけ弱さを見せてくれたのかもしれない。そして、少しだけ甘えた後に、気を取り直してボス猫としての自分に戻っているのだ……と感じてしまいました。  それまでは、自分たちに猫を飼えるか? ボス猫が家猫になれるのか? 外猫のほうが自由があって楽しいのではないか? という疑問に答えを出せず、踏ん切りがつかなかったのですが、その後ろ姿を見た瞬間に、この猫に温かい家で平和に長生きをしてもらいたい、安全な環境で幸せにしたいと思ったのです。 「お前はもう十分に仲間のために尽くした。これからは自分の幸せのためだけに生きたらいい、そのために全力で手を貸してあげよう」  そんなふうに考え、妻に「やっぱりあの猫を飼おう」と伝えました。  妻は妻で悩んでいたようで、「彼は孤高のポジションですごく寂しそうに見えてかわいそうに思っていた」と明かし、「お家に入れて寂しさを感じさせないようにしてあげたい」と、自分の思いを私に伝えてくれました。それで決まったのです。  そして、12月20日に我が家に招き入れ、その日をニャジラの誕生日としました。 ◆ 次々と明らかになるニャジラの「物語」  ニャジラには最初、用意したテントの中で過ごしてもらったのですが、「にゃん、にゃん」と顔に似合わない可愛い声で、少し鳴きました。  3日後、少し慣れたところで病院に連れていきました。すると、ニャジラは診察室で大暴れ。獣医さんと看護師さんが3人掛かりで押さえつけたのですが、採血どころか体の診察もさせないほど……。(引っ掻いたりして)獣医さんにけがをさせ、ニャジラ自身も傷ついてしまいました。  何とか鎮静剤を打ち診療してもらうと、いくつかのことが判明しました。  ニャジラは4歳くらいの雄であること(それまで雌と思っていた!)すでに去勢済みであること。猫エイズに罹患していること。猫エイズのために口内炎や歯肉炎を起こし、咀嚼時に強い疼痛があること。  口の炎症がある程度治まるまで、入院をさせることにしたのですが、生粋の野良猫と思っていたニャジラが「去勢済み」であったことは驚きでした。  ニャジラが入院している間も(ニャジラの仲間の)地域猫を世話していましたが、その過程で、アパートの人たちから、ニャジラについての“ある事実”を知ることとなりました。  以前、ニャジラは私たちと同じアパートに住むアメリカ人に可愛がられていて、そのアメリカ人が帰国する時に「一緒に連れて帰るため」に去勢手術を施していたというのです。  しかし、コロナ禍によって、アメリカ人に緊急帰国の命令が出て、ニャジラを連れて帰る手続きができなくなってしまった。そのため、ニャジラはそのまま(地域猫として)置いていかれたのです。  おそらく、去勢されたことで、けんかでけがを負わされるほど劣勢に立たされたのでしょう。去勢前であれば余裕で返り討ちにしたしょうに、けんかでエイズにも罹患してしまったのです……。 外にいたころのニャジラ。名前を呼ぶとやって来た(提供)  また、ニャジラのボスとしての行動についてもわかったことがあります。ニャジラは小さな猫をとても可愛いがって守るボスであり、また、腹違いの弟がよその猫にいじめられた時、わざわざ相手の猫を探しに出掛けて“仕返し”をしたことがあったそうです。  そんな話を聞くにつけ、私たち夫妻はますます、ニャジラを強く思うようになりました。 ◆  「人間と共存できない猫もいる」ニャジラはどうか?  ニャジラは5日ほどで退院し、昨年12月28日、ニャジラをあらためて家に迎えました。  晴れた日には気持ち良さそうにソファーに寝転がって日向ぼっこしたり、妻の膝枕でリラックスしたりするようになりました。外では私によくなついていたけど、家の中に入ったら妻の方にばかり甘えるようです(笑い)。  ただし、布団の中に入ってきたりしません。なんだか彼の中で「一線」をひいて、ここまではしていいけど、夜は人間の邪魔をしないと決めているようなところがありました。  ニャジラは適応能力が高い猫だと思います。しかし、獣医さんには当初、心配されていたのです。最初に診察室で大暴れした後、獣医さんは私たちにこうおっしゃいました。 「君たちはこの猫を本当に飼い猫にしたいのか?猫の性格は子猫のころに決まるため、その時点で人間と共存できる猫とできない猫がいる」 「もし、私がこの猫は人間と共存できないと判断した場合は地域猫に戻すことを強く勧める」  幸いなことにこの心配は杞憂に終わりました。それどころが、ニャジラは人間が思う以上に懐の深い猫だったのです。 日に日に信頼が深まっていくニャジラとマイケル(提供)  その後、私たちにはまた気になる猫が現れました。地域猫の中で“次のボス猫候補になるかも?”と考えていた、マイケルという2歳くらいの茶トラ猫が別の猫に追い回されるようなり、生活の場を失ってしまったのです。  マイケルも『What’s Michael?』から名づけました。赤ちゃんの頃から妹猫のジャネットとともに私たちに懐いており、何時間も一緒に遊んでいたイケメン猫でした。  マイケルをすぐに家猫にしたい気持ちがありましたが、葛藤もありました。多頭飼いができるのか、ニャジラの猫エイズが伝染するのではないか、グループでの2匹の階層が異なりすぎて上手くいかないのではないか、ようやく訪れたニャジラの平穏な日々の邪魔にならないか……。  最終的に6月30日、マイケルを家猫として迎え入れました。当初のマイケルは不安で落ち着かない様子。たびたび悲しそうな声を上げました。すると、その度にニャジラが様子を見に来て、落ち着かせるなどしてくれたのです。ニャジラの父性のおかげで、マイケルはスムーズに家猫になりました。 日向ぼっこをするニャジラ(右)とマイケル(提供)  マイケルはフレンドリーな猫でしたが、ボス猫になれなかったのは、猫同士のコミュニケーションが少し下手な面があったからと感じています。このあたりの欠点を、ニャジラは根気強く正してくれています。ニャジラはやはり、年下の猫の面倒をみるのがうまいのだと思いました。  ニャジラは老成したところがありますが、病院の見立てでは4歳。私と妻は5歳くらいかなと感じていました。いずれにしてもまだわりと若い猫なのです。  そのまま、私たち夫婦と2匹と楽しく平穏な日々が続くと思っていたわけですが、今年の10月、ニャジラに異変が起きました。目やにが目立つようになってきて、食欲も落ちてきたのです。 「なんでニャジラにばかりこんな試練が」というのが、私の気持ち。ニャジラに病魔が忍び寄ってきていたのです。 >>【後編:「おとなの猫を飼うのですか?」上海のボス猫と日本人夫婦の保護活動が日中友好の懸け橋に】に続く 家猫になったマイケルを可愛がるニャジラ(提供) (水野マルコ) 【猫と飼い主さん募集】「猫をたずねて三千里」は猫好きの読者とともに作り上げる連載です。編集部と一緒にあなたの飼い猫のストーリーを紡ぎませんか? 2匹の猫のお母さんでもある、ペット取材歴25年の水野マルコ記者が飼い主さんから話を聞いて、飼い主さんの目線で、猫との出会いから今までの物語をつづります。虹の橋を渡った子のお話も大歓迎です。ぜひ、あなたと猫の物語を教えてください。記事中、飼い主さんの名前は仮名でもOKです。飼い猫の簡単な紹介、お住まいの地域(都道府県)とともにこちらにご連絡ください。nekosanzenri@asahi.com
「おとなの猫を飼うのですか?」上海のボス猫と日本人夫婦の保護活動が日中友好の懸け橋に
「おとなの猫を飼うのですか?」上海のボス猫と日本人夫婦の保護活動が日中友好の懸け橋に 家で甘えるニャジラ。外では見せない表情をしだす(提供)  飼い主さんの目線で猫のストーリーを紡ぐ連載「猫をたずねて三千里」。今回お話を聞かせてくれたのは、上海の医療機関に勤めている50代の医師、コダマさん。自宅アパートに隣接する公園に暮らすボス猫と心を通わせ、怪我(食欲不振)を機に家に迎えました。治療をして穏やかな日が訪れますが、新たな病が判明……。前編から「ニャジラ」の物語は続きます。 >>【前編:コロナ禍の上海で出会った手負いのボス猫を家猫に 「幸せにしたい!」日本人夫婦の願い】から続く <これまでの概要> コダマさん夫婦が出会った地域のボス猫。ひときわ体が大きく落ち着いた、ふてぶてしい茶白柄の猫で、誰が見ても“一番偉いな”とわかるような佇まい。その一方で、妙に愛嬌があり憎めない性格をしている。コダマさんはすぐに虜になり、「ニャジラ」と名付けました。ニャジラはプライドが高く、甘える仕草を見せるものの、ボスとしての威厳のある態度をとっていたのです。ところがある日、コダマさんはけがを負って食欲も落ち、疲れ果てたニャジラの姿を目にしました。「幸せになってほしい」と夫婦はニャジラを家猫として迎えました。しかし、ようやく落ち着いてほっとしたのも束の間、ニャジラの体に異変が起きました。 *    *  * まず、目やにが増えました。私たちが目やにの除去をしようとしても絶対に顔を触らせてくれず、どうしようも無くなりました。同時期から食事量も減少し、体調不良が気になるようになりました。  ニャジラは、猫エイズのキャリアでした。ですから発症したのではないか、と気が気でありませんでした。そこで、動物病院で目薬や口のスプレーを処方してもらい、自宅での投与を試みましたが全く投与はできませんでした。  そのため、入院による治療を選択せざるを得ませんでした。  入院時の診察で、口内炎・歯肉炎がひどいため、犬歯を除く全抜歯を勧められ、全身麻酔で手術を受けました。  しかし、術後に口腔内の状態が改善しても、食欲の戻りは今ひとつでした。入院生活によるストレスを考えて、早期退院に踏み切りましたが、帰宅後も食事はほとんど手を付けないようになり、獣医さんと相談して、強制給餌を行うことになりました。  毎日、何時間も格闘しながらご飯を与えましたが、十分な量には届かずみるみるうちに痩せ細り、体重は5.5kgから4.5kgまで減少。当初は、捕まえて押さえつけるのも大変だったのが、簡単に捕まえられるようになり、抵抗力も失って「これが、あのニャジラなのか?」と涙する日々が続きました。  食欲減退の原因となりうる口腔内感染症も治し、(入院生活のせいで抑うつ的になったのかと)ホルモン剤を耳の内側に塗り、食欲増進剤も試しましたが、効果がありませんでした。  何度も動物病院に足を運び病状について報告し、獣医さんたちに病態を検討して頂きました。 入院して点滴と経管栄養をしていた時のニャジラ(提供)  その結果、付いた診断はFIP(猫伝染性腹膜炎)でした。  FIPとは、猫コロナウイルスが原因で起こる、感染症のひとつです。多くの猫が保有していますが、(集団でいると起こりやすく)このウイルスがある時、突然変異することがあります。その突然変異したウイルスで生じた病気がFIPと呼ばれ、食欲を失い、意気消沈し、そして衰弱していき、致命的な症状を起こします。ニャジラの場合はウエットタイプで腹水もたまりました。  10年くらい前のガイドラインには、治療をスタートして3日間で効果がなかったら安楽死を考慮する必要があると書かれていたほど、難しい病気です。  ニャジラは11月19日から再び入院となり、日本では入手が困難な「Mutian(ムティアン)」という薬を毎晩、皮下注射することになりました。期間は8週間から12週間です。2019年に「Mutian に治療効果があるのではないか」と言われてから、期待が持てるようになっています。  ニャジラに不足している栄養は点滴と経管栄養で補っていましたが、それだけでは不十分だったし、経管栄養を自分で抜いてしまうため、経口摂取をするしかありませんでした。それで、妻と交代で、毎日、何時間も動物病院に詰めて、根気強く強制給餌を行いました。  病院でも看護師さんたちが与えてくれますが、食べるのに時間がかかり(ニャジラだけにつきっきりになれず)そうなると「食べませんでした」となる。だから夫婦で病院に通いました。  そうこうしているうちに11月25日、私たちのアパートがロックダウンされました。上海は人口2500万~3000万人くらいですが、(北京オリンピックを前に)コロナの感染者が数人でもロックダウンされる厳しい状況なのです。  この日以降、妻はアパート内に隔離され、私は仕事場からアパートに帰れなくなったため、(職場近くに泊まる)私だけがニャジラに面会にいっていました。その2週間後にロックダウンが解除され、12月9日に私はアパートに戻ることができました。  妻は「ロックダウン解除から1週間の健康観察期間」を課されているため、16日まではニャジラの面会を控えています。ですから、妻は現時点(14日時点)で病院からの動画や、私がお見舞いに行った際にビデオ通話で様子を見ている状況です。 ◆「日本人だと思わなかった」ニャジラが日中友好のかけ橋に とある中国人の親子に「大黄」と呼ばれていたニャジラ(提供)  闘病中のニャジラですが、私たちにもたらしてくれたものがあります。  私たちがニャジラを保護したのは昨年12月ですが、その時、他の住人が心配することを考えて、アパートの警備員や掃除スタッフの方々に「あのボス猫は私たちが家に迎えるために病院に連れて行きます。誰かに聞かれたら、そのように答えてください。」とお願いをしていました。  しかしこの情報は当時、十分に浸透していなかったのです。それである中国人夫婦を慌てさせてしまいました。  ニャジラが最初の入院をしていたある日のこと。妻が他の地域猫のお世話をしていたところ、突然、中国人女性2人が話しかけてきたのです。2人は親子でした。  彼女たちは、「大黄(だーほぁん)のこと知ってる?」と妻に聞いてきました。「大黄」とは、まさしくニャジラのことでした。  姿が見えなくなったニャジラを、ずっと泣いて探し回っていたというのです。誰に聞いても見つけられず、「猫と遊んでいる外国人夫婦がいる」といううわさを頼りに、コンタンクトを取ってきたのでした。  妻と、その中国人の親子と、お互いに写真を見せ合って、「大黄」=「ニャジラ」ということを確認したあと、彼女たちはこう言ったそうです。 「大黄のような立派なボスが、死ぬわけないって信じていた。きっと誰かが保護しているって信じていた。だけど、それが日本人とは思わなかった」と。  中国語で野良猫のことを、流浪猫(りょうらんまお)と呼ぶのですが、日本と違って、中国では野良の成猫をひきとる習慣があまりないようです。だから私たちがニャジラを家に迎えたことに対し、「おとなの猫を飼うのですか?」と驚いてもいました。  私たちはその出会いを機に、ニャジラの情報を交換するだけでなく、アパート内の野良猫の保護活動を“共に”するようになりました。 誰か猫好きさんが設置しくれたシェルター(提供)  たとえば、TNR(捕獲、避妊去勢、リリース)活動のほか、病気や怪我をした猫を病院に連れて行き、里親探しなどを積極的に行っています。先週も2匹の猫を里親さんの元に届けました。近々、別の1匹をお届けする予定です。  WeChatのグループチャット機能を使いながら、地域猫の健康状態、餌やり状況、里親募集の打ち合わせ、里子のフォローアップなども行っています。  そんな私たち夫妻に対し、今ではすっかり“保護活動仲間”となった先の中国人女性が、こんなことを言ってくれたのです。 「私たち人間が猫の世話をしていると思われるけど、猫が人間の関係を良くして繋いでいるよね。ニャジラが日中友好の懸け橋になっているよ」  今回ロックダウンして、アパート内で数人が集まっている時にも、「中国人でも猫をときどきかわいがる人はいるけど、あんなふうに継続してかわいがる人は今まで見たことがない。中国にもいい人がいるように、日本にもいい人はいる」と話していたと、妻から聞きました。  中国での動物愛護に関する法律は、日本ほど厳密な決まりがなく、情報も乏しいようです。猫をいじめたり、猫が食べないフライドチキンやチンジャオロースや火鍋、小籠包も外に置いたりしています。猫とどのように接するのがいいのか、糞尿や食べ残しの始末をどうするか、どうやって遊ぶか、皆が勉強していく過程にあるのだと思います。  私たちが日本で知られているような地域の保護猫活動を積極的に行うことで(地元の皆さんにもいい影響があると)、認めてくださっているのかもしれません。  ニャジラがいるおかげでこうして地元の中国の人たちとも交流ができ、コロナ禍でも生活にハリが出たし、けっして悪いことばかりではありません。皆さんと仲良くできているので、ニャジラに感謝しています。 ◆  ガラス越しに体を寄せて…回復の兆し  最後に、最近のニャジラについて報告したいと思います。  なんと、コロナ禍の落ち着かない中で、ニャジラが快復の兆しを見せはじました。 カラーも点滴も取れた最近のニャジラ。がんばって(提供)  一時期は目つきもおかしく元気もありませんでしたが、カリカリや「ちゅーる」を食べてくれるようになり、カラーも点滴もはずれました。面会に行くとすぐに立ち上がってガラス越しに体を寄せてくるようになりました。強制給餌をしていたころは、近づくと怖がってベッドの陰に隠れたりしていたことがうそのようです。  友好の懸け橋になってくれたニャジラ。退院は、もう少し先かな……。  これからも毎日、面会にいきます。 家に戻って、またこんなふうにくつろげますように(提供) (水野マルコ) 【猫と飼い主さん募集】「猫をたずねて三千里」は猫好きの読者とともに作り上げる連載です。編集部と一緒にあなたの飼い猫のストーリーを紡ぎませんか? 2匹の猫のお母さんでもある、ペット取材歴25年の水野マルコ記者が飼い主さんから話を聞いて、飼い主さんの目線で、猫との出会いから今までの物語をつづります。虹の橋を渡った子のお話も大歓迎です。ぜひ、あなたと猫の物語を教えてください。記事中、飼い主さんの名前は仮名でもOKです。飼い猫の簡単な紹介、お住まいの地域(都道府県)とともにこちらにご連絡ください。nekosanzenri@asahi.com
八嶋智人がジョージ・ルーカスに英語で質問 アドリブが功を奏したエピソード
八嶋智人がジョージ・ルーカスに英語で質問 アドリブが功を奏したエピソード 八嶋智人(撮影/写真部・高橋奈緒)  明るい笑顔と気さくなパーソナリティーで、場を和ませてくれた俳優・八嶋智人さん。作家・林真理子さんとの対談では、次の舞台「ミネオラ・ツインズ」の話や、ジョージ・ルーカスに英語で取材したエピソードを明かしてくれました。 *  *  * 林:八嶋さんはシス・カンパニー(舞台制作・俳優のマネジメントなどを行う芸能事務所)に所属なさっているんですね。初めて知りました。今度のシス・カンパニー・プロデュース公演の「ミネオラ・ツインズ」(スパイラルホール 2022年1月7~31日)というお芝居、ちょっと難しそうな作品ですね。 八嶋:1950年代から80年代にかけてのアメリカを舞台にしたお話で、ミネオラという小さな町で育った性格が真逆の双子の姉妹を、大原櫻子さんが一人で演じるんです。そして小泉今日子さんが、その時代その時代の大原さんのパートナーを演じます。それは時代によって、女性であったり男性であったりさまざまなんです。そして、大原さんが演じる双子の姉妹にはそれぞれ14歳の息子がいるんですが、僕はなんとその役なんです。今回の舞台は、ちょっとトリッキーな仕掛けになってます。 林:へぇ~、おもしろそう。 八嶋:そのときどきの時代を背景に、双子の姉妹の片方は、結婚こそが人生のゴールで、男性に追従して生きるタイプ。もう片方は真逆で、男の子たちと自由につき合ったり、酒場でウェートレスとして働いたりする奔放なタイプなんです。 林:そうなんですか。私たち日本人からすると、アメリカの女性は自由で生き生きしてるように見えるけど、実はアメリカでも、50年代から「女性は家庭にいるべきだ」という意識がずっとあったんですよね。 八嶋:そういう家庭生活に憧れる女性もいる一方で、反発する女性もいて、60年代になるとヒッピーの運動とかフリーセックスという概念が出てきたんですね。そういう時代背景の移り変わりの中で、まったく性格が違う双子の姉妹の生きざまをギュッとコンパクトにお届けしたいので、僕ら3人は相当忙しく動かなきゃいけないんです。 八嶋智人さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・高橋奈緒) 林:双子の姉妹を一人でやる大原櫻子さんって、すごいプレッシャーじゃないですか。八嶋さんと小泉今日子さんを相手にやるわけですから。 八嶋:僕自身は役柄的にそんなに大変じゃないんですけど、大原櫻子ちゃんはとっても大変だと思うので、僕はスタッフさんのように作品を支える側としてやっていきたいなと思います。 林:小泉今日子さんはどうなんですか。 八嶋:小泉さんは肝が据わった「おねえさん」なので、この作品の世界観というか、とらえ方をいちばんわかってる気がしますね。 林:これは本邦初演なんですね。楽しみ。必ず行かせていただきます。 八嶋:ぜひぜひ。 林:私、昔、アメリカの田舎を1カ月回ったことがありますが、そこでは保守的な空気を感じることがありましたね。 八嶋:そうですね。僕、NHKの「英語でしゃべらナイト」という番組に出ていて、アメリカのコロラド州の田舎に行って撮影したことがあるんです。「このダイナー(食堂)でお客さんとちょっと会話してみましょう」みたいな企画だったんですが、番組なので僕、少し大げさにやってたら、お皿を洗ってた女性が「ガシャーン!」と大きな音を立てるんです。「よそ者が騒ぐな!」ってことだったみたいで。 林:いまの話で、悪夢がよみがえってきましたよ。もう10年以上前かな、NHKの女性プロデューサーに「英語でしゃべらナイト」に出てくださいって頼まれて、私、英語はイヤだな、と思ってお断りしたんです。でもその後、「日米の恋愛について話してください」って再度お願いされたので、日本語で話すものとばっかり思ってスタジオに行ったら、いきなり英語でディスカッションが始まったんですよ。私、血の気が引きました(笑)。 八嶋:アハハハハ。ホント、そういうムチャぶりをする番組なんです。 林:あのとき、ロバート・キャンベルさんが真っ青になってる私に気づいて、ぜんぶ日本語に訳してくれたんです。だからあの方にはずっと頭が上がりません(笑)。私、あのときの放送見られてない。コワくて。 八嶋:ハハハハ。「英語でしゃべらナイト」にキャスティングされたきっかけは、アメリカで製作されたアニメの吹き替えでした。僕が担当したキャラクターは、俳優のアシュトン・カッチャーという人が声を演じていた役で。彼、当時は、デミ・ムーアの年下の夫だったんです。 林:まあ、デミ・ムーアの。 八嶋:それで、アメリカでそのアニメの試写イベントをやるということで、呼ばれて行ったんです。そのとき、僕がアシュトン・カッチャーにインタビューをすることになっていたんですが、早めに行ってずーっと待っていたのに、なかなか来ない。やっと「彼が来たから行ってください」って言われて、あわててイベント会場に出ていったら、じつはデミ・ムーアが家族で来るというウワサがあったらしくて、パパラッチがいっぱいいたんです。みんな一瞬カメラを構えたのに、僕がパッと出てきたから、「クソガキ! 出てくるんじゃねえ!」みたいな罵声を浴びちゃって(笑)。 林:ひどいじゃないですか。 八嶋:しばらくしてアシュトン・カッチャーが「ハロー」って軽い感じで来たので、僕のほうが年上だし、待たされたり罵声を浴びたりしてイライラしてたから、「ハローじゃねえだろ! まず謝るもんだろコノヤロー!」って言ったんです。 林:英語で? 八嶋:日本語で。半分冗談で、逆ギレ芸みたいな感じで言ったら、向こうも「ソーリー」みたいなことを言っていました。それをNHKの方が見ていたらしくて、「英語ができないのに、外国人に対してフルオープンで怒ってる人、見たことがない」って言われて(笑)。それで、この人が英語を覚えたらいいんじゃないかって思ったらしいんですね。 林:それはすごいことですよ。 八嶋:でも、あの番組では何度も冷や汗をかきました。ジョージ・ルーカスが「インディ・ジョーンズ」のプロデューサーとして、日本にプロモーションに来たときに、「英語でしゃべらナイト」でインタビューに行かされました。取材時間が15分あったんですが、15分って、日本語ならあっという間ですけど、英語で場を持たせるのはけっこうつらいんですよ。 林:そうですよね。 八嶋:準備として、自分で日本語で言いたいことや質問案をつくって、それを英語に直してもらったんです。それを丸覚えして、妻(女優の宮下今日子さん)がちょっと英語ができるので、前の日に聞いてもらったら、「うーん、何が言いたいかわかんない」って言うんです。 林:どうしてですか? 八嶋:たとえば、「僕の英語、つたなくてごめんなさい」みたいな話から始めてたんですけど、相手はそんなこと言わなくても「この人英語できないな」ってわかるから、時間がもったいないって。「聞きたいことをなるべく単純な日本語にして、それを英語にして伝えて」って言われました。だから、もう一度単純な英語に直して、必死で練習して行ったんです。 林:ええ、ええ。 八嶋:そうしたら、ジョージ・ルーカスさん、頭がいい人で、そっけないくらい端的に答えるので、当日は5分ぐらいで用意していた質問のストックが終わっちゃったんですよ。 林:あら、困っちゃうじゃないですか。どうしたんですか。 八嶋:まずい、と思ったけど、事前に調べていた話のなかに、彼が昔、育休をとってたという話があったのを思い出して。僕もちょうど子どもが生まれたばっかりだったので、「プリーズ ティーチ ミー ユア ペアレンツ ポリシー?」と言ったんです。そうしたら、「ン?」って興味を示してくれて、そこからすごく生き生きと話してくれたんですよ。変に頭で考えた質問より、その場でエイ!と思いついた、実感のこもった質問のほうが相手に響いたという経験をして、それがあの番組でよかったことですね。 林:それは素晴らしいですね。 八嶋:だから林さんもあと2、3回出ていただいていたら……。 林:いやいや、けっこうです。私の「人生の悪夢ベスト3」の一つですから(笑)。 八嶋:アハハハハ。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 八嶋智人(やしま・のりと)/1970年、奈良県生まれ。90年、中学の同級生・松村武主宰の劇団カムカムミニキーナに参加。以降、舞台、ドラマ、映画などで幅広く活躍するほか、「トリビアの泉~素晴らしきムダ知識~」などバラエティーでも活躍。近年の出演作に、舞台「月光露針路日本」「あなたの目」、ドラマ「ラジエーションハウス」など。2022年、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出演予定のほか、1月7~31日、舞台「ミネオラ・ツインズ」(スパイラルホール)の出演が控える。 >>【後編/八嶋智人はお坊ちゃん? 「人生で一度もお金に困ったことがない」】へ続く※週刊朝日  2021年12月24日号より抜粋
八嶋智人はお坊ちゃん? 「人生で一度もお金に困ったことがない」
八嶋智人はお坊ちゃん? 「人生で一度もお金に困ったことがない」 八嶋智人さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・高橋奈緒)  ドラマ、映画、舞台、バラエティなど幅広いジャンルで活躍する俳優・八嶋智人さん。作家・林真理子さんとの対談では、俳優を目指した少年時代の話、脚本家で演出家・三谷幸喜さんとのエピソードなどを語ってくれました。 【前編/八嶋智人がジョージ・ルーカスに英語で質問 アドリブが功を奏したエピソード】より続く *  *  * 林:私、「マッサン」(NHK朝ドラ 14年9月~15年3月)に八嶋さんがお出になってるのを見て、すごくおもしろい人だなと思いましたけど、もともとは舞台の方ですよね。 八嶋:そうです。 林:奈良にいた少年時代に、東京から「劇団四季」なんかが来て、それを見て俳優になりたいと思ったとか? 八嶋:いや、そういういいエピソードはないんです(笑)。小学校のときから運動会の司会をやったりとか、とにかく目立つことが好きで、モテたかったし、キャーキャー言われたかったんですね。関西だからかもしれないですが、おもしろくウケを狙い続けていれば、女の子からも「八嶋、おもしろいんちゃう?」ってなるんですよ。僕、自分のことをずっと覚えておいてもらいたいという思いが大きかったんです。だから、人前にたくさん出続けたら、覚えていてもらえるな、と思って。そこからだんだんお芝居に興味を持つようになりました。 林:でも、奈良だとなかなかお芝居を見る機会がないですよね。 八嶋:大きなお芝居はそうなんですが、当時、小劇場ブームだったので、大阪に見に行ってました。扇町ミュージアムスクエアという、今はなくなってしまった小さな劇場があって、その上に「劇団☆新感線」と「南河内万歳一座」という劇団の稽古場と事務所があって、すごく目立ってたんです。僕はとくに後者のほうが大好きで、たくさん見に行ってました。 林:なるほどね。 八嶋:そこから野田秀樹さんの「夢の遊眠社」を見に行って、「野獣降臨(のけものきたりて)」なんて、難しい作品がおもしろいと思えたんです。中3か高1ぐらいから、ああいうのをやりたいなと思い始めて。 八嶋智人(撮影/写真部・高橋奈緒) 林:でも、大学は日大の文理学部でしたよね。芸術学部の演劇学科に行こうとは思わなかったんですか。 八嶋:演劇学科に行こうと思って、高2から高3になる春休みに一人で東京に来て、日芸の人にも会ったんですよ。「どんな芝居をやりたいの?」って聞かれて説明したら、「キミ、頭がいいなら東大か早稲田に行きなさい。東大には『遊眠社』があるし、早稲田には鴻上尚史さんの『第三舞台』がある。いま僕らがやってるのは古い演劇の勉強だから、キミがやりたそうな芝居をやってるやつらは、学校に来ないで外に出て小劇場でやってる」って言われて、けっこうショックだったんです。 林:まあ、そうなんですか。 八嶋:「僕、東大や早稲田に行ける頭のよさはないんで」って言ったら、「それじゃ授業がラクなところに行けばいい。哲学科がいいんじゃない? 実験もないし授業料も安いよ」って言われて、それで哲学科に行ったんです。 林:そうだったんですね。それでお芝居のほうは? 八嶋:僕の中高の同級生の松村武が早稲田大学にいたので彼にまぎれて演劇倶楽部というインカレサークルに入りました。そのサークルを母体に大学2年のときに「カムカムミニキーナ」という劇団を旗揚げしました。 林:でも、演劇一筋っていろいろ大変でしょう? 八嶋:学生のころは「養徳学舎」という奈良県出身者向けの安い学生寮に住んでましたし、先輩からいいアルバイトも紹介してもらえたので、じつは僕、やりたいことばかりやってきたけど、人生で一度も、お金に困ったことがないんです。 林:実家がお金持ちなんですか。 八嶋:金持ちじゃないですけど、中学のときから、「人より長くスネをかじるかも」って、親にジャブを打ち続けてたんです。そしたら感覚がまひしてきたのか、けっこう長いあいだ仕送りしてくれました(笑)。いまはもう返しましたが、僕はそんなに苦労しなかった気がしますね。 林:なんかお坊ちゃんの雰囲気、出てますよ。 八嶋:そうなんです。深みがないんです(笑)。 林:三谷幸喜さんとは、いろいろお仕事をなさってますよね。 八嶋:僕は「三谷組」だと思われがちですけど、それほど出てないんです。事務所に入って最初のころ、三谷さんの「古畑任三郎」にファミレスの店員の役で出たことが印象的だったからでしょうか。 林:でも、三谷さんからの信頼が厚くて、いざというときに八嶋さんをお呼びになるんでしょう? 八嶋:使い勝手のいいやつというか、「呼んだら来いよ」というポジションかもしれません。歌舞伎に出たときそう思いました。 林:ああ、「三谷かぶき」ですね。あれは松本白鸚さんをはじめ幸四郎さん、(市川)猿之助さん、(片岡)愛之助さん、(尾上)松也さんとか、そうそうたる方々がお出になったんですよね。あのイケメンの(市川)染五郎さんも。 八嶋:「月光露針路日本(つきあかりめざすふるさと) 風雲児たち」(19年)という作品でしたが、全員が歌舞伎役者さんの中に僕、急に呼ばれて、あれはびっくりしました。歌舞伎の人って、自分のセリフ以外は動きをとめて、邪魔しちゃいけないという暗黙の了解があるみたいなんですよね。 林:ああ、なるほど。 八嶋:三谷さんは「ほかの人が演じてるあいだに、自分もやることがたくさんあります。彼が見本です」と僕を指名して、「とにかくいろんなことをいっぱいやれ」って言われたので、物を落としたり、転げたり、本当にいろいろやったんです。そうしたら、三谷さんが「はい、いまのはすごく悪い見本だけど、やろうと思えばあそこまでできるんです」っておっしゃって(笑)。 林:ハハハハ、そんなことを? 八嶋:三谷さんが僕に「染五郎さんを見ていてほしい」とおっしゃるので、千穐楽まで彼をずっと見てて、気になるところをアドバイスしてたんです。彼、一個ハードルを上げると必ず越えてくるんですよ。毎日いろんなことを言ったら、どんどんそれを越えてきて、千穐楽、僕、母親みたいな気持ちになって舞台のソデで泣いてました。「ステキだわ、あの子」って。 林:へぇ~、そういうことがあったんですか。 八嶋:染五郎さん、お芝居も踊りも楽しくなられたのか、すごく素敵になりました。この前「大河」の撮影でお会いしましたけど。 林:そうだ、八嶋さんは来年の大河ドラマ(「鎌倉殿の13人」脚本・三谷幸喜)にお出になるんですよね。 八嶋:源頼朝が鎌倉幕府を開くまでを最初に描かれていて、僕はわりと前のほうで武田信義という人をやります。甲斐源氏の武田氏の初代当主で、そこからやがて信玄が出てくるんですね。 林:小池栄子さんも「大河」お出になりますよね。小池さんとは、「マッサン」で共演されて以来仲良しですか。 八嶋:はい、仲良しです。「マッサン」で思ったのは、彼女はどんな球を投げてもバシッと返してくれるんですよ。僕、妻に「『マッサン』で芝居がいいとか言われてるけど、小池栄子さんがよく見せてくれてるだけだから」って言われました(笑)。 林:福田雄一さん(恐妻家で知られる放送作家・映画監督)の奥さんみたい。 八嶋:アハハハ。僕は、実年齢より中身が幼いというのがあるかもしれない(笑)。 林:八嶋さんはラジオで自分の番組も持ってらっしゃるし、お話がおもしろくて。きょうは人気の秘密がわかりましたよ。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 八嶋智人(やしま・のりと)/1970年、奈良県生まれ。90年、中学の同級生・松村武主宰の劇団カムカムミニキーナに参加。以降、舞台、ドラマ、映画などで幅広く活躍するほか、「トリビアの泉~素晴らしきムダ知識~」などバラエティーでも活躍。近年の出演作に、舞台「月光露針路日本」「あなたの目」、ドラマ「ラジエーションハウス」など。2022年、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出演予定のほか、1月7~31日、舞台「ミネオラ・ツインズ」(スパイラルホール)の出演が控える。※週刊朝日  2021年12月24日号より抜粋
遺影に向かって「ごめんね」 森友公文書改ざん訴訟で国の”終結宣言”に赤木雅子さんが怒り
遺影に向かって「ごめんね」 森友公文書改ざん訴訟で国の”終結宣言”に赤木雅子さんが怒り 非公開の進行協議の後に記者会見した赤木雅子さん。「悔しい」と声を詰まらせた 「頭が真っ白になるくらいびっくりして、怒りも沸き上がりました」  赤木雅子さん(50)は振り返る。夫の元近畿財務局職員の俊夫さん(当時54歳)が2018年3月、学校法人「森友学園」(大阪市)への国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざんを命じられたことを苦に、自ら命を絶った。  昨年3月、雅子さんは、夫の死の真相を知りたいと、国と改ざんを指示したとされる当時の理財局長・佐川宣寿(のぶひさ)氏に対し、あわせて1億1000万円余の賠償を求め提訴。国と佐川氏は、これまで争う姿勢を示してきた。  それが、一転したのだ。  15日、午後2時から大阪地裁で開かれた訴訟の非公開の進行協議。開始直後、国側の代理人は立ち上がり、雅子さんと雅子さんの代理人弁護士、裁判官に対し、国への請求を「認諾します」と伝えた。認諾とは、被告が原告の請求を全面的に受け入れることで、裁判所の調書に記載されると確定判決と同じ効力を持つ。つまり国は、雅子さん側の請求を全面的に受け入れると申し出たのだ。 ■あえて高額にしたのは認諾させないため  この日は本来、双方の主張を整理する場だった。それが、提訴から約1年9カ月で、事前のすり合わせもなく突然の「終結宣言」だった。  異例のことで、雅子さんの代理人弁護士は、「認諾するわけにはいかない」  と、その場で抗議。雅子さんも、 「また夫を殺すんですか」  と訴えたが、国側の申し出は認められた。  国側は同日付の準備書面で、「(赤木さんが)精神疾患を発症し、自死するに至ったことについて、国家賠償法上の責任を認めることが相当」と、自死との因果関係を初めて認めた。  裁判が終結したことで、国は赤木さんに1億円余の賠償金を支払うことになる。雅子さん側が賠償請求額をあえて1億円以上と高額にしたのは、認諾させないためだった。だが、それでも国は裁判を終わらせることを選んだ。  雅子さんは言う。 「お金を払ってでもしゃべりたくなかった、本当のことを追求されたくなかったんじゃないかと思います」 財務省近畿財務局職員だった赤木俊夫さん。妻の雅子さん提供  協議後の記者会見で、雅子さんの代理人弁護士もこう述べた。 「これ以上解明されると、不都合な事実があったのではないかと思わざるを得ない」  その日、自宅に帰った雅子さんは俊夫さんの遺影に向かい、 「ごめんね」  と伝えたという。 ■終わらせるわけにはいかない  今後どうなるのか。  一夜明け、雅子さんは、気持ちを切り替えまた頑張っていこうと決めた。提訴した別の訴訟を通じ、真相を明らかにしていこうと思いを新たにしたという。  まず、佐川氏を相手とした訴訟は今後も続く。佐川氏を証人として法廷に呼ぶことができれば、新たな事実が明らかになる可能性がある。  さらに今年10月、雅子さんは、改ざんに関連する行政文書が開示されないのは不当だとして、国に不開示決定の取り消しを求める訴えを大阪地裁に起こしている。この訴訟で文書が一部でも開示されることになれば、新たな事実が明らかになる可能性がある。  雅子さんは力を込める。 「まだ裁判は残っています。これからも戦いつづけます。終わらせるわけにはいきません」 (編集部・野村昌二) ※AERAオンライン限定記事
純資産1兆円ひふみ投信の藤野英人が「ポッキーを目指す」と語るワケ
純資産1兆円ひふみ投信の藤野英人が「ポッキーを目指す」と語るワケ レオス・キャピタルワークス会長兼社長の藤野英人さんの趣味はピアノ。藤野さんは超人気アクティブファンド「ひふみ」シリーズのファンドマネジャーでもある(撮影/写真部・馬場岳人)  社長は何を食べ、財布の中身はいくらか。「AERA Money 2021秋号」では資産運用会社レオス・キャピタルワークスの藤野英人社長に取材している。  藤野さんが運用する投資信託「ひふみ」シリーズの高い実績は評判を呼び、会社全体の純資産総額は今年5月に1兆円を突破した。 「次は100兆円を目指す」と意欲的な藤野社長。目標は運用業界の「アップル」であり、投信業界の「ポッキー」だという。 ■タワマンを売って葉山へ   藤野社長の自宅は神奈川県逗子市の、海の見える高級住宅街にある。コロナを機に都心のタワーマンションを売り、もともと別荘だった家に生活拠点を移した。  藤野さんが約50キロメートル離れた東京駅前のオフィスに足を運ぶのは週2~3日。あとは自宅で勤務。  さっそく「メシ」を見せてくださいと言ったら冷凍庫を開けてくれた。低糖質・低塩分で人気の冷凍ミール「nosh(ナッシュ)」が整然と並んでいた。ヘルシーな食事を短時間で確実に取る。  レオス・キャピタルワークスは金融業界でかなり早くテレワーク体制に切り替えた企業の一つだ。 「コロナ流行前の2019年4月には在宅勤務を標準にする準備をはじめていました。ラッシュ時の満員電車は従業員から体力もやる気も奪ってしまうからです。おかげでコロナ感染拡大により政府が1回目の緊急事態宣言を出す前の昨年2月、いつ会社に行ってもいい『コアタイムなしのフレックス、かつ在宅勤務体制』に切り替えられました」  リモート化は女性の離職を食い止める効果もあるという。 「夫の海外赴任、九州に住む親の介護、3人目の出産などを理由に優秀な女性従業員を失いそうになったことがありました。働く場所の制約をクリアすれば、米国でも九州でも働き続けられます。妻の実家のある和歌山で海を見ながら働き、たまに東京に出てくるなんて社員もいます。ライフスタイルに合わせて通勤ラッシュと無縁の生活になったほうが、優秀な従業員を雇用できて、会社の長期的な成長にもつながる」 葉山の自宅で語る藤野英人さん。レオス・キャピタルワークス会長兼社長、同社が運用する投資信託「ひふみ」シリーズの会社全体の純資産総額は2021年5月に1兆円突破(撮影/写真部・馬場岳人) ■満員電車に乗らない生活を誓った  藤野さんの「脱ラッシュ構想」は若手サラリーマン時代にさかのぼる。大学を卒業して最初の勤務先は野村投資顧問(現野村アセットマネジメント)だった。千葉県北東部の柏市から職場のある東京・日本橋まで、通勤時間は1時間40分―。 「会社の近くに住んでも、タクシーを利用してもいい、満員電車に乗らない生活をしようと、すし詰めの車内で心に誓いました」  27歳で外資系運用会社のジャーディンフレミング投資顧問(現JPモルガン・アセット・マネジメント)に転職した。 「その頃には会社の近くに住めるようになり、満員電車から解放されました。レオスの従業員にも、通勤ラッシュを経験させたくありません」 ■レオスを運用業界の「アップル」に  「ひふみ投信」は有望な銘柄を厳選し、市場平均を超えるリターンを狙う。正統派のアクティブ型投資信託(以下、投信)だ。  一方、資産運用の世界では米国のS&P500や日本のTOPIX(東証株価指数)の銘柄構成通りに銘柄を組み入れるインデックス型投信が、驚くほど安いコストを武器にシェアを伸ばしている。  藤野社長はインデックス型投信を認めたうえで「レオスを『運用業界のアップル』に」と言った。 「携帯端末の世界シェアはアンドロイドとアップルが、ざっくり7対3。でも収益はアップルが7~8割を押さえています。アップルの製品はすごく高いけど、付加価値を認めてお金を払うユーザーがいるからです。インデックス型はコスト面以外での差をつけにくい。でもアクティブ型なら、他と違う、レオスの独自性をアピールできる」  ファンドの付加価値といえば、高い運用成績ということになるだろう。そのためには組み入れ銘柄の選択眼が重要。藤野さんが企業のよしあしを見極める源泉となったのは野村時代の最初の配属先で担当した中小企業調査だ。 「大企業の人たちと違い、中小の人たちはパワフル。自分の人生で会ったことのない人たちばかりで、最初は抵抗がありました。でも、3年ほど中小企業に足を運ぶうちに、抵抗感が憧れに変わりました。自分も起業して、証券会社から訪問される側になりたい、と」 ブラックカードに免許証、銀行のキャッシュカード。現金はもしものために10万円ほど持ち歩いている。小銭入れは別。財布はこまめに買い替える。「風水的に金運がよくなる財布の形」などを気にしたこともあったが、藤野社長いわく「何も変わらなかったから、もう、好きなデザインのものを使ってる」(撮影/写真部・馬場岳人) ■ひふみを投資信託業界の「ポッキー」に  藤野さんは運用業界の変革に関しても、訴えた。 「いいものをできるだけ安く提供し、長く持ってもらうのがどの商売でも一般的です。でも対面営業型の投信は、スーツ姿のおじさんが人間関係と信用で高い手数料を取り、住宅や美術品を扱うように販売されています。理想の投信はグリコの『ポッキー』ですよ。誰でも知っていて、どこでも買えて、一定の高品質。要するにおいしい。ポッキーを目指します」  取材日は猛暑だったが、気温と同じくらいアツく語る。若い頃から熱血漢だったのだろうか。 ■勉強ができる人が偉いと思ったら違った 「大学はギリギリで単位を取って卒業しました。検察官志望でしたが、在学中の司法試験合格はかなわず、腰かけのつもりで運用会社に就職しました」  早稲田大学法学部出身。 「実は第一志望ではなかったので落胆し、前半2年は家にこもってピアノを弾いていました。『弾きこもり』ですね(笑)。その後、『日中学生会議』での2つの出会いが人生を大きく変えました」  一つは学生のF君。日中学生会議に参加してすぐ「渡航費用を稼ぐため営業に行け」と言われた。 「企業を回って協賛金のお願いをするわけですが、簡単にお金は出してくれません。途方にくれていましたが、F君が年300万円を10年間という支援を財団から取り付けました。彼のおかげで10年の活動が保証された。勉強のできる人が偉いと思っていましたが、自分の魅力を感じてもらい、売り上げや出資を伸ばす力が社会人として最も重要なんだと思った」  二人目は訪中先で1時間半ほど会った、数学専攻の大学教授。数学オリンピックでメダルを取った俊才だが、「知識人狩り」の嵐が吹いた文化大革命の頃、辺境の新疆(しんきょう)ウイグル自治区に連行され、強制労働を強いられた経験があると聞いた。受験の失敗で腐っていた自分を小さく感じた。 「教授は、つらい思いをしたのに笑顔を絶やさない。聞けば、『当たり前だ。君が日本から来てくれているんだから』と。衝撃的でした。あなたがいるから僕は幸せと言える人って最高ですよね」 在宅の仕事が増えたが、仕事量は変わらず。会議の合間にパパッと食べる食事は冷凍ミールの「nosh(ナッシュ)」。栄養バランスのとれた糖質30g以下、塩分2.5g以下の60種類を超えるメニューから選んで宅配。電子レンジで5分前後温めて出来上がり(撮影/写真部・馬場岳人) ■藤野さんが引退したらひふみはどうなる  話が弾んだところで、財布を見せてもらった。薄い長財布に現金10万円。アメリカン・エキスプレスのブラックカード、運転免許証、銀行のキャッシュカード。 「経営者は長財布なんて話もありますが、二つ折り財布を使っていた頃も会社はうまくいっていました。財布の形は何でもいい」  藤野さんという異才が、ひふみ投信をここまで育てた。そこで聞きたい。藤野さんが遠い将来、引退したらどうなるのだろう。何十年も長期保有をするつもりで投信を買った人には気になる。 「僕は人の目利きには自信があります。たとえば……見て、レオスの名刺のロゴ。東京五輪の聖火台を手がけたnendoに頼んだんですよ。佐藤オオキさん(代表)のとこ。当時はまだ大卒の兄ちゃん二人の会社で、このロゴは彼らの初期の作品だと思います。ロゴとか起業関連のいろいろを含めて、100万円で受けてくれた」  nendoといえば、日本でも指折りのデザイン会社。その金額では、今はとても無理だろう。 「僕はデザインのよしあしはわからないけど、約20年前に佐藤オオキさんが、なんだか天才だとわかった。レオスの僕以外のファンドマネジャーも、他部署の人間も、キレッキレの人しかいません。僕以上に才能がある。だから、ひふみの今後が楽しみなんです」 ◎藤野英人(ふじの・ひでと)/1966年、富山県出身。1990年、早稲田大学法学部卒業後に野村投資顧問(現野村アセットマネジメント)、ジャーディンフレミング投資顧問(現JPモルガン・アセット・マネジメント)、ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントを経て、2003年にレオス・キャピタルワークスを創業。現在、代表取締役会長兼社長、CIO(最高情報責任者)、「ひふみ投信」シリーズのファンドマネジャー。社名の「レオス」は古代ギリシャ語で「流れ」という意味。日本にある人財・資本・知恵・技術など多くの資産(キャピタル)の「流れ」をつくる工房(ワークス)。神奈川県・逗子のご自宅で取材させていただいたが、学生時代からのピアノはかなりの腕前だった (文/大場宏明、綾小路麗香) ※『AERA Money 2021秋号』から抜粋
「子どもの進学費用が…」37歳で手取り20万円 首相は保育士の悲鳴が聞こえているか
「子どもの進学費用が…」37歳で手取り20万円 首相は保育士の悲鳴が聞こえているか 保育の現場からの声は届くのか(写真と本文は関係ありません)  岸田文雄首相が保育士に対し、平均給与の3パーセントに当たる月9000円の賃上げ方針を掲げている。ただ、現役保育士たちからは「9000円では焼け石に水」と冷ややかな声も聞こえる。薄給の上、ギリギリの人員配置に疲弊する保育士たちの現実が、首相は見えているだろうか。 *  *  * 「毎月、生活はかつかつですよ」  都内の保育園に勤務する保育士・三枝健太郎さん(37=仮名)は給与明細を見ながら言葉をしぼりだした。  月約40時間の残業代込みで、手取りは20万円をやっと超える程度。2児の父で、都内の賃貸住宅に妻と4人で暮らす。都心ほどではないが家賃相場は低くない。家賃と光熱費だけで10万円を軽く超える。  7年間の幼稚園勤務を経て、今の保育園は5年目。経験を生かし、リーダー職を担う立場だ。三枝さんはこの園で勤務を始めた後、労働組合「介護・保育ユニオン」に加入。団体交渉によって保育士全員の月給が2万円上がった。さらに、横行していたサービス残業も一定の改善があり、残業代もつくようになった。それで、この手取りである。 「今後も給与はほとんど上がりません。50歳まで頑張っても年収は400万円に届かないでしょうね。子どもの進学費用をどう工面していくか…」 ■「天の声」に保育現場は疲弊  お金だけが問題ではない。職場にも“ブラック”な現実が垣間見える。  株式会社が経営する保育園なのだが、現場の声は上に届かない。そればかりか、突然降ってくる“天の声”に現場は疲弊する。 「教材が全然売れていない。何をやっているんだ!」  2年前、三枝さんたち保育士は、会議の席で運営会社の社員からこう詰め寄られた。  会社が突然決めた、ある教材の採用。それを、園児の親全員に売るように圧力をかけられたのだ。 「保育士はみんな子どもが大好きで、子どもの成長を一生懸命考えています。なのに、使う意義すら分からない教材の販売をなぜ一方的に強いられるのか。本当に悔しかったし、辛かったですよ」  同僚たちも憤ったが、会社からの圧力で次第に心を病むようになり、一気に5人が退職した。職場の保育士の2割もの人員、しかもみんな20~30代の若者だ。  会社の方針転換で、その教材は1年もたたずに扱わなくなった。 「さらに問題なのは、その後の人員補充がないこと。薄給のため、募集しても人が来てくれない。現場が少人数で疲弊していくなか、それでも会社は給料をあげようとせず、人員補充に本気の姿勢を示さないんです」(三枝さん)  本来は4種類のシフトがあるが、今はなし崩し。保育士同士で時間を融通しあい、ギリギリの状況で仕事を回しているという。 ■人件費を削って会社が潤う現状  給料が低すぎるといわれ続けている保育士。岸田首相は、保育士の月給を9000円上げるとうたっている。だが、現状は国の制度の運用に大きな欠陥があり、その9000円ですら保育士に届く保証はない。  私立の認可保育所には、市区町村から毎月、国の「公定価格」に基づき、運営に関する「委託費」が支払われており、これが主たる財源だ。この公定価格自体が低すぎるという指摘はかねてあった。さらに2000年までは「人件費が全体の8割」と使途が定められていたが、同年に国が待機児童解消を名目に株式会社の保育参入を解禁し、同時に委託費の「弾力的運用」を認めた。  この「弾力的運用」をいいことに、保育士の人件費を削り、経営者や会社ばかりが潤っている保育園がある。委託費の恣意的な運用が許され続けているのだ。  会社の姿勢に疑問を募らせた三枝さんは労働組合を通じ、会社に運営費の書類を開示するよう求めたが、当初は拒否された。最終的に開示に応じたが、ほとんどの数字が黒塗りされ、人件費の割合はおろか、経営実態はなにも分からなかったという。  三枝さんは、「会社は保育士たちに『本当はもっと給料をあげたいんだけど』などと不可抗力かのように言うのですが、まったく信用できません」と憤り、疑問を口にする。 「委託費の運用にルールを作らないと何も変わらないと思います。それと、保育士の平均月収が30万円ちょっとで、その3パーセントで9000円だそうですが、ボーナスを入れても月収30万円に達している保育士は少ないと思いますよ。この平均月収はどういう計算で出したものなのか」 ■「休憩つぶしたのは勝手な判断」と言われ  東京23区内の保育所に勤める吉岡明美さん(50代=仮名)。5年前、まったく別の仕事から転職を果たした吉岡さんが見たのは、薄給と激務に希望を失い、息子や娘のような若者たちが次々と職場を去っていく、むごい現実だった。 「保育士がみんな20代で辞めていく。2年前には、職場の半数に当たる保育士が一斉に退職しました。キャリアを積んだ中堅の保育士が、ただの一人もいません」  約30時間の残業代込みで、手取りは20万円代。年2回のボーナスも手取りで数万円だ。昇給はほとんどなく、サービス残業も横行している。 「保育士の仕事は、日誌や個々の園児のようすの記録など、書類の処理業務が非常に多いんです。やむなく休憩時間をつぶしてそれをこなしていましたが、会社側は『休憩は取ってください』の一点張りでした」  昨年、運営会社に異議を訴えたところ、幹部はこう言い放った。 「休憩時間をつぶしたのは、あなたの勝手な判断でしょ?」  離職する保育士が相次ぐ現状に、 「ギリギリの人数では、安全で安心な保育はできませんよ。ずっとこのままでいるつもりですか」と問いただしたが、幹部の対応はそっけなかった。  若い労働者が辞めていく前提で、薄給で使い倒す。まさにブラック企業と似た構図である。 「10年、20年とキャリアを積んだ質の良い保育士がいた方が、園児の成長にもつながりますし、預ける親たちだって安心です。この当たり前のことを会社は考えようともしない。社会経験が長いと会社に意見するようになるので、ベテランがいない方が好都合なんでしょうね」  12月19日の日曜日、「介護・保育ユニオン」が東京・新宿で保育士たちによるデモを行なう。 (1) 委託費の使い道のルール化(2) 国が定める保育士の人員配置基準の改善(3) 上の(1)(2)を実現したうえでの公定価格の引き上げ  の3つの柱を訴える。  三枝さんも吉岡さんもこのデモに参加するという。 「委託費や人員の問題が全然改善されない。保育士らの待遇改善を岸田首相自らが打ち出した今がチャンスだと思って、声を上げる決意をしました。野党も文句だけを言うのではなく、新しい仕組み作りにしっかり動いてほしい」(三枝さん)  吉岡さんもこう強調する。 「保育士に転職して、若い保育士たちが、子どもたちの成長をどれほど真剣に考えているのかを身をもって知りました。その子たちが希望を失い去っていく現状を何とか変えたい。年上の私が、行動しなければと思ったんです」  岸田首相と与党だけではなく、野党も知恵を絞り動かねばならない。彼らの苦しみを知らず、文通費などを“ごっちゃん”してる場合ではないのだ。(AERAdot.編集部・國府田英之)
「看護師の愛子」に「ごきげんよう弁当」まで 愛子さまが継いだ文才と“孤高”
「看護師の愛子」に「ごきげんよう弁当」まで 愛子さまが継いだ文才と“孤高” ティアラや勲章を着用したロングドレス姿で成年の行事に臨む天皇、皇后両陛下の長女愛子さま/2021年12月5日、皇居  愛子さまが成年を迎えた12月1日、成年にあたってのご感想の文書が公表された。この文書に加え、これまでに書かれた作文などから見えてくるのは、確かな文才とぶれない姿勢、そして人柄だ。AERA 2021年12月20日号の記事を紹介する。 *  *  * 「愛子内親王殿下ご成年に当たってのご感想」が12月1日に公表された。愛子さまは、ぶれない。読んでわかったことだ。  20年を振り返り、多くの人々への感謝を綴(つづ)った愛子さま。これからのことは、こうあった。 <成年皇族の一員として、一つ一つのお務めに真摯に向き合い、できる限り両陛下をお助けしていきたいと考えております。そして、日頃から思いやりと感謝の気持ちを忘れず、小さな喜びを大切にしながら自分を磨き、人の役に立つことのできる大人に成長できますよう、一歩一歩進んでまいりたいと思います> ■通底している価値観  愛子さまらしいな、と感じた。言葉遣(づか)いやトーンに見覚えがあったのだ。少し考え、学習院女子中等科の卒業記念文集に愛子さまが書いた作文「世界の平和を願って」を思い出した。  修学旅行で訪れた広島を書いたものだが、「感想文」ではなく、「平和論」になっている。「ご感想」と特に重なると感じたのは、ほぼ最後のこの一節だ。 <空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか> 「空が青い」は作文の書き出しを踏まえていて、巧みな構成なのだが、ここでは「ご感想」との重なりを見てみる。文字遣いはやや違うが、共通する言葉がある。「一つ一つ」「感謝」「思いやり」だ。「日常の生活一つひとつに感謝し」という表現は、「ご感想」の「小さな喜びを大切にしながら」に重なる。  通底しているのは、「小さなことを大切にし、互いを思いやり、努力を積み重ねる」といった価値観だと思う。そういう営みへの信頼感がトーンとなっている。それが平和への道で、成年皇族の日々。言い換えるなら、成年皇族の道は、平和に通じる。愛子さま、深い。 皇太子ご夫妻(当時)と共に学習院女子中等科入学式場に向かう愛子さま/2014年4月6日、東京都新宿区 ■人柄がにじむ記述  この作文、昨年8月12日に中満泉(なかみついずみ)国連事務次長がツイッターで紹介している。前日、陛下と雅子さまに核軍縮について話をした席で渡されたという。進講に関連して娘が立派な作文を書いていたら、ついつい渡したくなる。そんなお二人の親の気持ちが伝わって、ほっこりしたことも思い出した。  ところで愛子さまの「言葉の力」だが、「世界の平和を願って」に限った話でない。学習院女子高等科の先生が、太鼓判を押しているのだ。成年にあたり宮内記者会が「在学中で印象深かった思い出」を中学、高校時代の恩師に尋ねた中で、高3のクラス担当教員がこう答えている。 <現代文の授業の感想では人生は有限だということを再認識され時間は戻らないものなので今を充実させたいということ、休み時間に学内で販売されている「ごきげんよう弁当」を注文して楽しみにしていること、高3になるまで無欠席であった友人の急な欠席を非常に心配していることなど、お人柄がうかがえる記述が思い出されます>  きっと作文の話だろう。人生の有限性からお友だち、そして「ごきげんよう弁当」。幅広く、具体的な記述から人柄がにじむとは、まさに「文才」だ。  ということをお誕生日当日の朝に報じたのが、「めざまし8」(フジテレビ系)。皇室担当解説委員も出席、紹介したのが中学1年時に執筆したという“短編小説”だった。学習院女子中等科・高等科「生徒作品集」(2014年度版)に掲載されたものだそうだ。 ■看護師愛子を包む空気 「私は看護師の愛子。最近ようやくこの診療所にも患者さんが多く訪れるようになり、今日の診療も外が暗くなるまでかかった」と始まる。  待合室で居眠りをしてしまった愛子が気づくと、診療所は海の上。流されたのか、町が海に変わったのか。助けを呼ぶにも電話が通じない。翌朝、扉を叩く音がする。片足を怪我したカモメだ。手当てをしたら、それから次々と海の生き物が来るようになる。治療するうち、愛子の名は海中に知れわたる。そして、話はこう終わる。 <そう。愛子の診療所は、正に海の上の診療所となったのだ。今日も愛子はどんどんやって来る患者を精一杯看病し、沢山の勇気と希望を与えていることだろう> 「塩山蒔絵(まきえ)十種香道具」を眺める愛子さま/2021年11月22日、三の丸尚蔵館  愛子さまは「ご感想」で、「人の役に立つことのできる大人に成長できますよう、一歩一歩進んでまいりたいと思います」と綴っていた。海の上の診療所における「愛子」そのものだ。愛子さまはぶれていない。冒頭でも書いたが、また書いた。  この小説を読んで、もう一つ感じたことがある。愛子さまも看護師愛子も、落ち着いているのだ。全体が、しーんとした空気で包まれている。そこはかとない寂しさと言い換えてもよい。この感覚を表すにふさわしい言葉を探してみた。浮かんだのは「孤高」だった。 ■美智子さまから継いだ  愛子さまの文才はどこから来たのかと聞かれたら、「上皇后美智子さまから」と答えたい。美智子さまが語り、書いた美しい言葉は枚挙にいとまがないのだが、中から『新・百人一首 近現代短歌ベスト100』に収録された御歌をあげることにする。 <帰り来るを立ちて待てるに季のなく岸とふ文字を歳時記に見ず>(12年歌会始)  お題は「岸」。前年に起きた東日本大震災を詠んでいる。亡くなった人々を岸で待つ人々に、思いを致す。「岸」が歳時記にないというのは、つまり待つ人の心は季節を問わないということ。とは、選者で日本を代表する歌人、故・岡井隆さんの解説からの受け売りだ。岡井さんは美智子さまを「技芸すぐれた歌詠みでいらっしゃる」と書いている。  この才能をまず受け継いだのは、娘の黒田清子さん。愛子さまが今回ティアラを借りた、叔母にあたる人だ。清子さんの才は結婚直前に『ひと日を重ねて 紀宮さま 御歌とお言葉集』という本が出版されたほどだが、中からある短歌を紹介する。 <遠い海今は見えないこの目でも波の音しかきこえない海>  小学校2年生の清子さんが初めて歌会始に詠んだものだと、元東宮女官の和辻雅子さんが巻末で紹介している。すぐに「海の上の診療所」を思い出した。題材が同じだという以上に、そこはかとなく漂う寂しさのようなものが共通しているのだ。  清子さんも愛子さまも、「皇太子の長女」として生まれ、「天皇の長女」として成年した。2人がまとう、孤高の空気。皇室に生きる厳しさを幼い頃から感じているのだろうか。  来年の歌会始には、愛子さまの歌も披露される。お題は「窓」だ。(コラムニスト・矢部万紀子)※AERA 2021年12月20日号
加藤雅也 “イメージが二枚目役に定着“していた頃を振り返る
加藤雅也 “イメージが二枚目役に定着“していた頃を振り返る 加藤雅也 [撮影/小黒冴夏、ヘアメイク/結城春香]  子供の頃から、映画が大好きだった。 「遠い親戚が、地元の奈良で映画館をやっていて、そこの子供が幼稚園の同級生だったこともあって、夏休みになると、『ゴジラ』なんかの怪獣ものを見るのが楽しみでした。少し大きくなると、山口百恵さんと三浦友和さんが主演した文芸作品や、松田優作さんのアクションもの、菅原文太さんの『トラック野郎』……。そこから、角川映画にも夢中になった。外国映画も、スピルバーグ監督の『ジョーズ』(1975年)が公開されるまでは、どちらかというとフランス映画のほうが人気だったように記憶しています」  63年生まれの加藤雅也さんが、大学進学のために横浜に出てきてしばらくすると、世の中にはビデオデッキが普及し始めた。 「それからは、貪るようにいろんな映画を見ました。子供の頃は、いくら映画が好きでもなんでも見せてもらえるわけじゃなくて、自分でお小遣いをやりくりして、『今回はこれを見よう』と決めた。そのときに、だいたいお小遣いが足りなくて泣く泣く諦めた映画があったんです。ビデオが普及してからは、その、子供の頃に見逃した映画を片っぱしから、本当に、貪るように見ました」  大好きだった世界に足を踏み入れるようになって30年余り。20代の頃から今の今まで、「いい映画に出たい。いい役に出会いたい」と、その二つだけを願って生きてきた。今月10日に公開される映画「軍艦少年」では、最愛の妻を失って失意の中にいる主人公の父・玄海を演じた。長崎・軍艦島の見える街で暮らす父と息子の、喪失と再生の物語だ。 「今まで自分がやったことがないような役のオファーが来たときには、猛烈に『やりたい!』と思いますね」と加藤さんは話すが、今回の役はまさに、一般人の多くが加藤さんに抱いている知的でカッコよくて渋いイメージを覆すようなキャラクターである。 「実は、知られていないだけで、案外こういうダメな父親の役もやっているんですが、そういう作品というのは大体が公開規模も小さかったりして、あまり大勢の人に知られないものなんです。だからどうしても、何か新しいことにチャレンジしたいとなったら、インディペンデントの作品や短編になってしまう。そういう仕事をやる役者とやらない役者がいると思うんですが、僕の場合は、常にチャレンジできる役を選びたいほうです」  あまり固定観念を持たずに、「面白い」と思った作品には出るようにしているという。「チャレンジする気持ちを忘れたくはないのですが、一方で、『〇〇と言ったらこの人だよね』と誰もが思うような定番の役があるのも、役者としては素晴らしいこと。ただ、僕自身の目標として、『この人に“こんな役をやらせたい”と言われるような役者になること』というのがあったので。年齢的にも、いろんな役をできる準備が今やっと整っているということかもしれない」 映画「軍艦少年」は、10日からヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開 (c)2021『軍艦少年』製作委員会 「イケメン」などという言葉がなかった時代。その端正なルックスは、加藤さんの俳優としてのイメージを二枚目役に定着させてしまった。 「駆け出しの頃はとくに、『こういうものしかやれないでしょう?』という固定観念からきた役が多かったと思います。ただ、演技力のこともあり、いくら『変わった役がやりたい』と主張したところで、やれないことも多々あったはず(笑)。それが最近は、突然70歳の役が来たりするようになった。ありがたいことではあるんですが、『70歳の役』なんて言っても、見る人は僕を『この人70歳』と思って見ていないですからね。大体、舘ひろしさんも奥田瑛二さんも70過ぎなんですから、年齢なんてあくまでも物理的な記号に過ぎないことがわかるでしょう? 僕はとにかく、『若い』とか『かっこいい』と言われるよりも、役者として『面白い』と言われるようになりたい。年齢に関係なく、この人にこれをやらせたら面白いと思われる役者に」  自分のイメージから脱却するために、ある時期から、積極的に映画やドラマのクリエーターと会うようになった。映画監督を紹介されて、「もっといろんな役をやってみたい」とアピールしたこともある。 「(『軍艦少年』のYuki)Saito監督も、何年か前にショートフィルムフェスティバルで出会ったときからのご縁です。撮影は1カ月足らずでしたが、この映画は、『軍艦島が見える街』というロケーションに、ものすごい説得力があったと思う。役者って毎日をどう過ごすかがすごく大事。人として、普通の暮らしをしていなければ、普通が演じられないように、ロケーションが醸し出してくれる雰囲気っていうのがあるんです」 (菊地陽子 構成/長沢明) 加藤雅也(かとう・まさや)/1963年生まれ。奈良県出身。ファッションモデルとして活躍後、88年主演映画「マリリンに逢いたい」で俳優デビュー。95年にLAに拠点を移して英語での演技、メソッド演技の勉強をする。帰国後、映画、テレビ、舞台などで活躍。海外の監督の映画に積極的に参加。国際交流基金アジアセンター事業諮問委員、なら国際映画祭特別顧問、奈良市観光特別大使なども務める。※週刊朝日  2021年12月17日号より抜粋

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