映画『プリティ・ウーマン』には後味の悪い別エンディングが用意されていた
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先日、アメリカで発行されているエンターテインメント専門の業界紙『バラエティ』の取材にハリウッド俳優リチャード・ギアが応じ、1990に公開された大ヒット映画『プリティ・ウーマン』には別のエンディングが用意されていたことを明かした。
公開された映画は当然のように“ハッピーエンド”で終わるのだが、当初考えられていたのはきわめて“重苦しい”エンディングだったとのことだ。
「そう、たしかにあるんだ。でも、ぼくは(オリジナルの脚本は)見たことがないよ」
ヒロインを演じたジュリア・ロバーツも言っている。ジュリアはオリジナルの脚本を目にしているのだ。
「本当に暗くて、気が滅入る話だった。すごく嫌な二人の、本当にひどくて恐ろしい話」
映画『プリティ・ウーマン』が公開されたとき、世界中の男性がジュリア・ロバーツに恋をした。映画好きに言わせればその前年にゴールデングローブ助演女優賞を受賞した『マグノリアの花たち』があるが、ジュリアを一躍スターダムにのし上げたのは『プリティ――』の“娼婦役”だ。
私と同じアラフィフ世代は高校生から大学生くらいのときにヴァン・ヘイレンがカバーした『オー・プリティー・ウーマン(原曲はロイ・オービンソン)』を聴き、二十代半ばでこの映画を見ているはずだからストーリーを知らないという人はいないと思うが、もうひとつの“エンディング”に触れる前に、物語を簡単に――。
リチャード・ギアが演じているのは、ニューヨークで買収ファンドを手がける遣り手の青年社長エドワード・ロイスだ。造船大手のモース社を買収するため、LAを訪れている。ホテルはハリウッドに取っているが、退屈なパーティーを抜け出して帰宿しようとした際、帰り道がわからなくなって道を尋ねたのがジュリア・ロバーツ演じる新米娼婦のヴィヴィアン・ワードだった。
エドワードが実業家になったのは、外に女を作って母親につらい思いをさせた父親に復讐するためで、初めての買収が父親の会社を乗っ取って解体、転売することだったという暗い過去を持つ。企業買収を次々と成功させるが、全てをビジネスと割り切り、部下にも絶対服従を強いる冷徹な社長だ。だが、心はちょっと寂しい(妻とは離婚し、恋人には映画の冒頭で、服従と命令に耐えられないと言われ電話で別れを告げられている。パーティーでも、いまは結婚して幸せなミセスになった元カノも出てくる)。
ヒロインのヴィヴィアンは、3番目につきあった男を追いかけ、高校を2年で中退してジョージア州からLAに出てきた。が、すぐに捨てられ、ファーストフード店や駐車場で働くがやがて家賃も払えないくらいに困窮する。故郷に帰る金もなく途方に暮れていたとき、現在同居しているキット・デ・ルカと知りあい、いまの仕事に誘われた。ハリウッドの街角に立つ仕事である。
娼婦たちは、ハリウッド名物の歩道に埋め込まれた星形のプレート(ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイム)の位置で縄張りを決めている。ヴィヴィアンとキットの客引きが許されるのは、ボブ・ホープのプレートからエラ・フィッツジェラルドのプレートまでの間だ。
だが、娼婦たちに未来はない。彼女たちが春をひさぐハリウッドブールバードでは、スキニー・マリーという娼婦が殺害され、警察の聞き込み捜査に住人らが答えている。
「ヤク中のフッカー(売春婦)だった。街角に立って、コカインと交換条件で寝てた」
娼婦にまで落ちぶれたヴィヴィアンにも未来はない。足を洗いたくても、洗えないのだ。劇中には、エドワードとのこんな会話もある。
「初めての日は泣き通しだった。そのうち固定客がついたけど、夢とは大違いよ」
「仕事は他にもある」
「屈辱に耐えるだけの人生だわ」
「きみはとても賢くて……、特別の女性だと思う」
「甘い言葉は信じないわ」
DVDの特典映像でも、監督のゲイリー・マーシャルはこんなことを言っている。
〈ヴィヴィアンには何もない、あるのは夢だけ。エドワードは夢以外、全てを持っている。夢と希望は誰でも持っている、そして、ときに叶う。この二人のようにね〉
ハリウッド界隈の地理に詳しいと言うヴィヴィアンを助手席に座らせ、20ドルで道案内を請うが、ホテルに着いたとき、エドワードが尋ねるのだ。
「ところで、夜の相場はどのくらい?」
「軽く100ドル」
「一晩で?」
「1時間よ」
「もし先約がなければ、ホテルに寄っていかないか」
「いいわ。あなた、何て名前?」
「エドワードだ」
「わたし好みの名前だわ。めぐり会ったのも何かの縁ね」
これが二人の出会いだが、エドワードが投宿するホテルの豪華さに、ヴィヴィアンはあ然とする。
「気に入ってくれたかな」
「見くびらないで。こんなホテル、常連客とよく来るもの」
「だろうね」
スイートルームではしゃぐヴィヴィアンだが、ここで『プリティ・ウーマン』を代表する名場面が登場する。バブルバスにつかり、ウォークマンでプリンスを聴きながら熱唱する場面だ。そしてヴィヴィアンは、娼婦だから身体は許すが、くちびるへのキスはしないと言う(役柄が娼婦だから、エドワードとの濡れ場もあります)。
ヴィヴィアンはテレビのコメディ番組を見ては大口を開けてゲラゲラと笑い、食事を用意すれば椅子ではなくテーブルに尻を乗せて食べようとするような女性だが、型にはまらない奔放さが気に入ったのか、エドワードは契約を申し出る。買収相手の社長から会食に誘われ、エスコートする女性が必要になったのである。
「ビジネスの話をしよう。日曜日までぼくと過ごさないか。従業員として雇う。1週間いてほしい。ぼくの言うとおりに動け」
「嬉しい提案だけど、リッチな二枚目は女性にモテモテでしょ」
「いや、プロの女がいい。買収が最終段階に入ってね、今週は恋愛どころじゃないんだ」
「24時間態勢だから高くつくわよ」
「いいとも、ギャラを決めよう。望みの額は?」
一週間の恋人契約料は3000ドルだ。普段の収入から見れば、破格の報酬である。
映画は、ここで中盤のクライマックスに突入する。ディナー用のエレガントな洋服を買うよう言われ、ヴィヴィアンはハリウッドの有名ブランド店に出かけるが、夜の街角に立つ恰好で出歩いたものだから通行人にはじろじろと見られ、ブティックではけんもほろろに追い返されてしまう。
「一流品ばかりね、これはいくら?」
「似合いませんわ」
「値段を聞いているのよ」
「高いですよ」
「お金ならあるわ」
「当店にはお客さまに似合う服はありません。よその店へ、どうぞ、お引き取りください」
ホテルに戻って支配人に泣きつくが、支配人からもヴィヴィアンは白い目で見られている。が、この『プリティ・ウーマン』だけでなく後にリチャード・ギアとジュリア・ロバーツが再び共演する『プリティ・ブライド』やアン・ハサウェイ主演の『プリティ・プリンセス』にも出演のヘクター・エリゾンド扮するバーニー・トンプソン支配人がヴィヴィアンの良き協力者になり、理解者にもなるのだ。
「当ホテルは連れ込み宿ではありません。ルイスさまは特別なお客さまです、我々の大切な友人です。ですが、何とかしましょう。あなたは彼の……、ご親戚で、なるほど、つまり、姪御さんですな。ルイスさまがホテルを引き払えば、あなたも出て行く。よろしい、あなたに相応しい服装を用意いたしましょう」
テーブルマナーも支配人に教わり、蓮っ葉な娼婦から見違えるようなエレガントな女性に変身したヴィヴィアンはそつなくディナーをこなす。だが、買い物に行ったらみんなに意地悪されたと愚痴ると、翌日、エドワードはヴィヴィアンを連れてブティックをまわる。大金持ちにエスコートされたヴィヴィアンは、今度は店内のスタッフ全員にちやほやされ、次から次へと洋服の試着を勧められるのだ(このときBGMでロイ・オービンソンの“プリティ・ウーマン”が流れて映画は盛り上がります)。
買い終えたブランドショップの紙袋を両手に持ち、きれいに着飾ったヴィヴィアンを通行人がまたもやじろじろと見るのだが、今度は羨望が入り交じった視線だ。そして、前日ヴィヴィアンを追い払ったブティックを訪れる。店員の態度は慇懃なものに変わっている。
「ねえ、あたしを覚えてる?」
「いえ、初めてお目にかかるかと」
「あら、昨日、コケにしてくれたじゃない。あなたは歩合給で働いてるの?」
「ええ、まあ」
「ほほ、逃がした魚は大きいわよ。それじゃ失礼するわね、他にも買い物があるの」
惨めな思いをしたヒロインの意趣返しは、視聴者も快哉を叫ぶところだ。
企業買収の契約を結ぶ前夜、ヴィヴィアンは眠りについたエドワードのくちびるにそっと自分のくちびるを重ねる。エドワードは目ざめ、二人はくちづけを交わす。娼婦のルール違反だが、翌日には二人に“契約満了”の別れが訪れるのだ。
「今夜でお別れだ。明日はきみに捨てられる」
「手が焼ける客だったわ」
「ニューヨークへ帰る。また会いたい、本気だ。きみのためにアパートと車を用意した。買い物をするとるときは歓待するよう店に言っておいた。手配済みだ」
「他には? 枕元にはお小遣い?」
「違う。きみは誤解している」
「何がよ」
「もう街角には立つな」
「わたしに“囲われ女”になれって言うの」
二人は互いに惹かれあっているのだが、現実がそれを許さない。ヴィヴィアンが言う。
「子どものとき、悪いことをすると屋根裏に閉じ込められたわ。でもわたしは塔に幽閉されたお姫さまになった気がした。いつか白馬にまたがった騎士が剣をかざして助けに来るって。そうしたらわたしは手を振る。騎士は塔をよじ登り、わたしを救い出してくれる。でも夢の騎士はこうは言わないわ、ベイビー、高級アパートに囲ってやるなんて」
「受けてほしい。これがいまのぼくにできる精一杯の気持ちだ」
「わたしにはもったいない申し出だわ」
「街の女扱いはしていない」
「したわ」
エドワードが進めていたモース社の企業買収だが、いざ契約成立という土壇場でエドワードは翻意し、買収から“業務提携”に切り替える。知りあったころにヴィヴィアンが言った“あなたの会社は買収ばかりで何も生み出さないの? 何も作らないの?”の言葉が頭に残っていたからだ。
これに顧問弁護士のフィリップ・スタッキーが激怒し、帰り支度をしているヴィヴィアンのホテルに怒鳴り込んでくる。エドワードは、旧友でもあるこの弁護士だけにヴィヴィアンの正体を明かしていた。
「やあ、また会ったな。エドワードは?」
「あなたと一緒じゃないの」
「ぼくなんかお構いなしさ。もしエドワードがぼくを尊重し、アドバイスに従っていれば10億ドルの商談を不意にせずに済んだんだ。彼はここにいるのかと思った、きみに毒されているからな」
そしてスタッキーは、好色そうな目でヴィヴィアンを見やる。
「相談だが、ここは家じゃない。ホテルの一室だ。しかもきみはただの小娘じゃない、売春婦だ。さぞ上手いだろうな。十億ドルを棒に振った罪滅ぼしだ、抱かせろ。きみのせいで大金が水の泡だ。わかるか、ぼくは頭にきてるんだ。身体がムズムズする。一発やれば憂さが晴れてすっきりする」
スタッキーはヴィヴィアンに襲いかかり、ヴィヴィアンも必死で抵抗するが、そのときエドワードがホテルに戻り、スタッキーを殴り倒す。スタッキーを部屋から追い出したあと、ヴィヴィアンにもう一晩、一緒にいてくれと頼むが、ヴィヴィアンはそれをやんわりと断るのだ。
「無理よ。だってあなたは騎士じゃなくて、幸せな王子さまだもの」
ヴィヴィアンは恋人契約料の3000ドルを受け取ってホテルを後にし、エドワードもニューヨークに戻る準備をする。そしてチェックアウトの際、すっかり事情を知っている支配人が独り言のように言うのだ。
「美しい宝は手放すのがつらいものです。そうそう、そういえば、昨日、当ホテルでドライバーを勤めますダリルが、ヴィヴィアンさまをご自宅までお送りしましたな」
空港へ向かう途中、エドワードがダリルに命じて行き先を変更するのは説明するまでもないが、街頭の花売り店で小さなバラの花束を買い――、以降の説明は省くが、リチャード・ギアの出世作『愛と青春の旅立ち』のエンディングのような感動的なフィナーレが『プリティ・ウーマン』にも待っていることだけは触れておこう。幸せな王子さまは、白馬ではなく、真っ白なリムジンに乗る騎士になるのである。
当初、この映画には『3000』というタイトルがつけられていたらしい。エドワードがヴィヴィアンに払う金額の“3000”だ。オリジナルの脚本がタッチストーン社に1700万ドルで売却されたために“後味の悪いエンディング”は書き換えられたが、オリジナル原作について、ジュリア・ロバーツはヴォーグ誌の取材に応えている。
「本当に暗くて、気が滅入る話だった。すごく嫌な二人の、本当にひどくて恐ろしい話。わたしの役は麻薬中毒で、気性が荒くて、口汚くて悪趣味で、知性のかけらもない売春婦だった。エドワードはすごくお金持ちでハンサムだけど、でもすごく嫌な人物だった。そのすごく嫌な二人の、本当におぞましい、ひどい話だったのよ」
当初、リチャード・ギアは出演依頼を断ったのだそうだ。しかし、彼の自宅に監督のゲイリー・マーシャルとジュリア・ロバーツが一緒に訪れて説得し、主演がかなったとのことだ(この映画でのジュリアの出演料は30万ドルだったが、現在では一本450万ドル以上になっている)。
リチャード・ギアが出演を断った脚本というのは、ヴィヴィアンが麻薬中毒という設定はジュリアが言ったとおりだが、エドワードにはニューヨークに恋人がいて、ヴィヴィアンと“契約”するところまでは変わらないものの、は虫類のような性格で、売春婦のヴィヴィアンを終始見下し、一週間分の報酬も“くれてやる”ような男に描かれていたらしい。
エドワードは恋人が待つニューヨークに戻るが、残されたヴィヴィアンは再び街角に立って客引きをし、揚げ句は薬物中毒で死んでしまう――、というエンディングだった。これは、映画の冒頭で登場するスキニー・マリーだ。
〈スキニーはヤク中のフッカー(売春婦)だった。街角に立って、コカインと交換条件で寝てた〉
映画が『3000』の脚本で制作されていたら、『プリティ・ウーマン』ほどのヒットを飛ばしただろうか――? オリジナルのほうがより現実的な物語のように感じられはするが、オリジナル原作のままだったら誰もこの物語に共感することも、ヴィヴィアンの逆転した人生に思いを馳せることもしなかっただろう。ジュリア・ロバーツだってこんにちの名声を得られなかったかもしれない。
この映画が公開されたとき、“できすぎてる”“あり得ない”と批判する向きもあった。だが、映画はやはりハッピーエンドがいい。娼婦にまで身を沈めたヴィヴィアンが、子どものころから憧れていた騎士に手をさしのべられるようなシンデレラストーリーがあってもいいではないか。
まだ『プリティ・ウーマン』をご覧になっていない方は是非このGWに。特に若い方は。情熱的なロマンスを学ぶ、いい機会です。最後に、映画のエンディングを飾るエドワードとヴィヴィアンの台詞を紹介して終わりにしましょう。
「騎士が塔をよじ登ってきみを助けたら、その後はどうなる?」
「もう二度と離れない」
でも、本当は、ハッピーエンドの先が大事なのですけどね。
参考記事:vogue.com2014年10月30日付、Techinsight4月13日付、シネマトゥディ2012年1月12日付・2017年4月24日付他
(ノンフィクションライター 降旗 学)
ダイヤモンド・オンライン
2017/05/01 00:00