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「文春も完全ノーマーク!(笑)」 はしのえみ“密会デート”秘話
「文春も完全ノーマーク!(笑)」 はしのえみ“密会デート”秘話
子どもが生まれて、生活はがらりと変わりましたね(※写真はイメージ)  バラエティやドラマで活躍するはしのえみが、夫の俳優・綱島郷太郎と結婚したのは2009年。二人の出会いは、連続ドラマ「みこん六姉妹」。すでにタレントとして活躍していた妻は主役に抜擢(ばってき)され、夫はその「元婚約者役」だった。 ※「はしのえみ 成功のきっかけになった萩本欽一からの言葉とは」よりつづく *  *  * 妻:それまで、彼のことは知らなかったんです。顔合わせの時も、顔がわからないから、他の人を彼だと思いこんで……(笑)。 夫:僕はもちろん彼女のこと、知ってましたよ。 妻:姫と猿の人だ、って思ってたんでしょ。そのころ情報番組「王様のブランチ」で「姫様」のキャラクターをやってたんですよ。ピンクのドレスで、金髪のかつらで。それと「サルヂエ」っていうクイズ番組で、猿の扮装をしてたんです。 夫:だから、もっとコケティッシュでかわいい感じかと思ってたら、意外とおとなしくてきれいな人だなあと。それが第一印象でした。 妻:私は青年座に知り合いがいたんです。その方に「今度、綱島さんとご一緒するんです。私、大根役者なので、ご迷惑おかけするかもしれませんが、よろしくお伝えください」って事前に連絡したら、ちゃんと伝言してくださって。 夫:そうだった! 妻:顔合わせの時、あらためてあいさつしたら、開口一番、「僕も大根なんで、こちらこそよろしくお願いします」って言ってくれて。初めての主演ですごく緊張してたんだけど、ほっとしたんです。ああ、優しそうな人で良かった!って。 ――ドラマ撮影に生放送の「ブランチ」と忙しかった妻だったが、二人の交際がスタートした。 夫:ドラマの収録は名古屋だったんですけど、ハードな日々でしたね。 妻:月~木が名古屋。金曜は「ブランチ」のロケ。土曜は「ブランチ」の生放送でスタジオ。日曜は別の仕事をして、夜のうちに名古屋へ移動……。 夫:彼女は本当に大変そうでした。主役だから、出番もセリフも膨大で。 妻:毎日が受験勉強並み!「ブランチ」のロケなんて、立ったまま寝てました。 夫:当時、僕と彼女のマンションがひと駅しか離れてなかったんです。それで、お互いのオフのタイミングが合った日に、気晴らしに散歩しない?って誘って。 妻:ちょうど中間が代々木公園だったんです。でも、どんなこと話したか覚えてないなあ。 夫:少なくとも、ドラマの話題は避けるように気を使ったよ。俺は。 妻:自然な形で付き合い始めたんですけど、周囲には内緒にしてました。出演者がみんな、本当に家族みたいに仲が良くて。あのチームワークを乱したくなかったのよね。 夫:みなさんに気を使わせちゃうからね。でも、デートは堂々としてたよね。 妻:文春も動かなかった!(笑) 完全ノーマーク。 夫:街の人は、気が付いてざわざわしてたけど、そっとしておいてくれた。今じゃ無理でしょうね。すぐSNSにアップされちゃいますから。 妻:だからドラマの収録が終わった時の安心感はすごかったね。 ――ドラマは好評を博し、約1年半後、パート2が放送された。プロポーズはその撮影中だったという。 夫:結婚を意識した瞬間は、僕、覚えてるんですよ。 妻:あら。 夫:公園を歩いていてね、子どもが遊んでるでしょ。すると彼女、ごく自然に話しかけて、一緒に遊び始めるんですよ。 妻:そうだったかなあ。ドラマの子役と遊んでたのは覚えてるけど……。 夫:それを見ていて、「ああ、この人はいいお母さんになるだろうな」って思った瞬間に、心のスイッチがぐぐーっと……(笑)。 妻:私は……あなたがオーストラリアの占師さんに書いてもらったメモのことを覚えてる。 夫:映画の仕事で、オーストラリアで撮影してたんです。その時、現地のカメラマンの人が「有名な占師に会いに行くんだけど、一緒に行く?」って誘ってくれて。警察の捜査にも協力するような霊能者だっていうんです。 妻:その人が「あなたが結婚する人はここにいます」って地図を書いてくれたんですって。見せてもらったら、彼の家から私の家までの順路そのものなの! あれにはびっくりしました。 夫:婚姻届を出したのは、プロポーズから1年後の1月1日でした。 妻:お仕事でお世話になった皆さんには、マスコミに発表する前日に、二人で手分けして電話してご報告しました。実は……って。 夫:僕はまず、青年座の大先輩、西田敏行さんに報告しました。大河ドラマでご一緒して、撮影終了後の打ち上げ旅行に連れていってくださったので、そこで。 妻:欽ちゃんには、ただ一言。「間に合った!」って言われました。何かにつけて遅い子だから心配してたみたい。デビューしてからテレビで知られるようになるのにも時間がかかったし。結婚も35歳で、このまましないんじゃないかと思ってたって。 ――結婚して7年目に、第1子となる長女を出産。今は家族みんなで協力しあいながら、育児に仕事に奔走する日々だ。 妻:子どもが生まれて、生活はがらりと変わりましたね。何より、朝起きられるようになった! 夫:それまでは、起き抜けはぐずぐずしてたのにね。 妻:娘が目を覚まして、ニコッと笑おうもんなら、こっちもパワー全開! 「おっはよう!」って。 夫:お互いの仕事の都合を調整して、親族の力も借りながら、なんとか保育園にも預けずにここまで。 妻:彼の両親がすごく協力的で、本当に助かってます。おかげで、子どもはとても丈夫なんですよ。 夫:たくましく育ってるよね。犬にベロベロなめられても平気だし。子どもって、見ていて飽きないですよね。それだけで1日が過ぎちゃうぐらい。 妻:母親になってみて、自分の親はすごかったなって思います。よく高校2年の娘をたった一人、東京へ出したなと。同じことを娘がしたいって言っても、私、できないだろうな。 夫:自分の夢を押し付けるわけじゃないけど、世界に飛び出していってほしいと思いますね。仕事でも留学でも、何でもいいから。 妻:どうする? カウガールになりたい、って言いだしたら。 夫:うーん。それはちょっと……(笑)。 ※週刊朝日 2017年6月2日号より抜粋
夫婦
週刊朝日 2017/05/29 11:30
中古マンション「築20年以上」が実はお得なわけ
中古マンション「築20年以上」が実はお得なわけ
3LDKを、リビングの広い2LDKに間取り換えした会社員の夫婦。深夜に仕事をする夫の書斎を防音仕様にしたり、壁収納を設置したりと注文住宅のように希望を実現できたという(撮影/伊ケ崎忍) 中古マンション選びのチェックリスト(AERA 2017年5月29日号より)  日本にマンションが誕生して60年以上。今も年に10万戸ずつ増えている。たが一方で、建物と居住者の「二つの老い」や運営管理への無関心などにより、荒廃するマンションが急増している。何が起きているのか。防ぐ方法はあるのか。AERA 5月29日号では「限界マンション」を大特集。  新築ではなく中古のマンションを購入する人が増えている。価格が手ごろなうえ、新築に比べ自由に立地を選ぶことが できるからだ。管理の実績が確認できる点もメリットだ。 *  *  *  東日本不動産流通機構の調査によると、2016年の首都圏の中古マンションの成約件数は、3万7189件と2年連続で前年を上回り過去最高を記録した。しかも、不動産経済研究所が発表する同年の新築マンションの成約件数を初めて上回った。今やマンションは新築より中古が売れていることになる。 ●自分好みの間取り  不動産コンサルタントの長嶋修・さくら事務所会長が言う。 「首都圏で契約成立した中古マンションのうち、データに登録されるのは1割程度で、実際にはその9倍は売れていると考えられます」  国土交通省の住宅市場動向調査(16年度)によると、中古マンションを選択した理由として、約7割の回答者が「価格が適切だったから」、約6割が「住宅の立地環境が良かったから」と回答した。 「新築と中古のマンションの価格には平均して2千万円ほどの価格差があります。リフォームに1千万円かけたとしても、まだ1千万円も安い。また、新築は限られた場所にしかできないが、中古は駅近でも市場に出てくるので利便性を求める人にも人気がある」(長嶋さん)  こうした人気を裏付けるように、中古マンションの成約価格は4年連続で上昇している。不動産にも携わるファイナンシャルプランナーの久谷真理子さんは、「このところの『リノベーション』人気も価格を押し上げている」と分析する。  リノベーションとは古い物件に手を加えて新たな魅力をプラスすることで、単に古い内装を更新するだけのリフォームとは異なるとされる。 「専門業者が古い物件を買い取って改装し再販するケースと、個人が古い物件を買い取って自分で工事を手配するパターンがあります。最近は、業者が個人と同じ物件をめぐって競ったり、売り主が強気な価格をつけても売れていったりするケースも見受けられます」(久谷さん)  前者の場合は新築と同様に業者から買うので面倒がなく、ピカピカの部屋を購入できるのがメリットだ。後者の場合は工事の手配を自分で行うため手間がかかるが、自分好みの間取りやインテリアを実現できる。  後者のパターンで物件探しから工事のコンサルティングまで行う「リノベる」広報の田尻有賀里さんは、同社でリノベーションを行う人の理由で最も多いのはデザインの自由度と話す。 「一度スケルトンという骨組みだけの状態にして間取りから自由に設計できるので、注文住宅のように自分好みの住まいをデザインできます」(田尻さん)  同社顧客の平均リノベーション費用は886万円だが、とことん費用をかけてこだわりを実現する人も多いという。  同社にサポートを依頼した会社員の夫妻は、JR阿佐ケ谷駅から徒歩3分という好立地に築17年のマンションを購入、リノベーション工事を施した。 「新築は住んだその日に価格が2割下がると聞き、抵抗がありました。予算には限りがあっても、立地は譲れなかった」(会社員の夫婦) ●強度のピークは50年後  この夫妻が選んだのは築浅物件だが、田尻さんは、「価格メリットを重視するなら築20年以上の物件が狙い目」と話す。マンションは新築時から年数が経つほどに価格が下落していくが、20年程度で「上物」の価値はほぼゼロとなるので、それ以降の下落リスクが小さいという。  しかし、中古といっても、新築同然の築浅から40年以上経過する古いものまで流通している。そもそもマンションにはどのぐらい「寿命」があるのだろうか。長嶋さんはこう解説する。 「鉄筋コンクリートのマンションは、定期的な点検やメンテナンスが適切に行われていれば100年は十分住めます。逆に、それを怠ると50年も持たない」  長嶋さんによると、マンションは新築時が最も丈夫というわけではない。鉄筋を覆っている厚さ30ミリ程度のコンクリートはもともとアルカリ性で、1年に0・5ミリずつ中性化して強度を増していく。強度がピークに達するのは50年後という。 「ただし、それを過ぎると中性化に伴い水が浸透しやすくなるのでメンテナンスが必要です。現実には、それより早い段階でコンクリートがひび割れて水が入るので、その対策を怠ると鉄筋がさびついてくる」(長嶋さん)  管理が不十分な築浅物件より、築年数が古くても必要な修繕がなされている物件のほうが、寿命も長く安心して住めるという。しかし、売りに出される中古物件の修繕計画や実績は、確認できないことも多い。 「築年数が同じなら良い物件も悪い物件も同じ価格がついているのが現状。これではロシアンルーレットと同じで、何をつかまされるかわからない」(同)  こうした事態を改善しようとする動きもある。国交省は不動産取引に必要な情報を集約・管理し、中古住宅の流通を促進する「不動産総合データベース」の構築を進めている。すでに横浜市や大阪市などで試行運用されており、18年に本格スタート予定だ。中古マンションの修繕計画や履歴、組合運営、収支会計といった情報も、確認可能になる見込みだ。 ●修繕積立金をチェック  中古マンション購入は、このシステムが活用できる来年まで待つのが得策なのか。長嶋さんはそうとも言い切れないと言う。 「このシステムが活用できるようになれば、良い物件にも悪い物件にもそれに見合った価格がつくようになる。今、古くても適切に管理されている『掘り出し物』を購入できれば、将来価値が上がることが考えられます」  数多く流通する中古マンションの中から優良物件を選び出す方法として、長嶋さんはまず点検・修繕の履歴や計画を確認することを勧める。 「実際に見せてくれる物件は1割程度しかない印象ですが、それでも5年ほど前は3%程度だったことを考えると確実に増えています。開示する物件はそれだけで評価していい」  修繕積立金の額についてもチェックしたい。積立金が安すぎる、あるいは滞納者がいるなどで大規模修繕に必要な額が貯まっていないと、修繕時に多額の一時金を支払う羽目になる。マンション管理に詳しいさくら事務所の土屋輝之コンサルタントはこうアドバイスする。 「一時金を払って修繕できればよいほうで、現実には払えない入居者のせいで管理組合で借金をすることに。無駄な手続きや利息の負担が生じます」  これまでの管理の実績が見られる点は、中古の大きなメリットだ。土屋さんは住民で組織される管理組合の活動状況もチェックするよう助言する。議事録を見れば、理事会の頻度や活発なやり取りがなされているかどうか、不良入居者や修繕積立金の滞納者がいるかどうかもわかる。  また、30年が交換の目安とされる電気の配線や上下水道の配管についても要チェックだ。リフォームやリノベーションを自分で行う場合は、業者選びにも注意が必要になる。リフォームサイト「リノコ」を運営するセカイエの東貴士EC事業部長は、こう指摘する。 「リフォーム代には一定の相場はあるが、相見積もりでなければ高めの料金を提示されがち。かといって極端に安い業者を選ぶと、後から追加請求されることも。リフォーム業は参入障壁が低く、日曜大工の延長のような質の低い業者も実際にある」  玉石混交の中古マンション。賢く選べば宝をつかむことも可能なのだ。 (ライター・森田悦子) ※AERA 2017年5月29日号
住宅
AERA 2017/05/27 11:30
「ベビーシッターくらい雇えるように…」キャリア女性転職のリアル
「ベビーシッターくらい雇えるように…」キャリア女性転職のリアル
左近充ひとみ(さこんじゅう・ひとみ)/1960年、北海道生まれ。テキサス大学卒業後、国際ピーアール(現ウェーバー・シャンドウィック)、米系広告代理店、コンサル会社、ジャガー日本法人などを経て、2011年、横浜市広報担当部長に。転職は6回。現在は企業顧問や広報アドバイザーとして活動(撮影・市岡ひかり)  AERA5月22日号の大特集は「転職のリアル」。空前の人手不足もあって、転職はかつてよりもぐっと身近なものになってきた。転職の数だけ、人生ドラマがある。本誌で紹介しきれなかった、人生の転機を乗り越えてきた「達人」のインタビューをご紹介したい。 *  *  *  広報コンサルタントの左近充ひとみさん(57)は、短大卒業後、3年間アメリカに留学してメディアプランニングを学び、24歳の時に帰国しました。帰国したのは5月で就活シーズンも終わっていましたし、当時は男女雇用機会均等法施行前だったこともあり、多くの企業で門前払いに。ようやく7月に知り合いのすすめで外資系のPR代理店に入社できました。  31歳で結婚、翌年出産。社長が時短勤務で働ける制度をつくってくれ、私がその第一号に。ただ、子供を育てるからには「フルタイムで働いて、ベビーシッターを雇えるくらいにならないと」という思いがあったんです。勤続13年で退職し、広告代理店、コンサル会社を経て、2001年にジャガーの日本法人にPR責任者として入社しました。  途中で夫が病気で働けなくなってしまったこともあり、私にとって転職は「生きていかなきゃ」という、常に人生のハードルを乗り越えるための手段でした。実際、最初のPR代理店以降、マネジメント待遇で転職できたので、その都度、年収を上げることができました。  子育ては夫や夫の親、北海道に住む私の親などがシフトを組んでまで支えてくれたんです。それでも何かあれば、やっぱり私に連絡が来る。海外出張中、真夜中に学校からの電話でたたき起こされることも……。そんな時、ある先輩から「子どもはいつか大きくなるから」と励ましてもらったのを覚えています。今、子どもが成人して、その通りだったと実感しますね。  その後、ダイエー会長時代から付き合いのあった林文子横浜市長から誘いを受け、横浜市の特定任期付職員として、4年間、市広報部長として働きました。役所には、外資系企業から市長肝いりで入庁した自分を「何者?」と警戒する人も。そこで、御用聞きに自分から足を運ぶようにし、「この人は、話しても大丈夫な人」という信頼を勝ち得ることができました。  任期を終えた後、人生の折り返しも地点を過ぎ、子どもも成人して、これからどうしようかと考えたんです。そこで、自分で仕事を選択したい、ユニークで意義のある仕事をお手伝いしたい、と思いました。現在はパソナキャリアのサービスを通じての企業顧問や、日本広報協会の広報アドバイザーとして自治体などで講演をしています。  PRの仕事は、広告のおまけでも総務のぶら下がりでもなく、会社の評価を決める戦略的なマネジメントとしての重要な役割がある。もっと理解を深めてもらい、職業選択の一つにしてもらいたいなと思っています。(編集部・市岡ひかり) ※AERAオンライン限定記事
仕事企業働き方転職
AERA 2017/05/26 07:00
増える利益優先の“ブラック保育園” そのカラクリ
増える利益優先の“ブラック保育園” そのカラクリ
保育所数は増えたが、待機児童が減らない(週刊朝日 2017年6月2日号より) 保育施設での死亡事故の件数(週刊朝日 2017年6月2日号より) 「保育園落ちた日本死ね!!!」  昨年2月、ある母親のブログの書き込みが話題を呼び、待機児童問題が国会も巻き込む大論争となった。  保育所数は10年の約2万3千から16年には約3万1千と増えている。それでも、施設が増えると子を預けたい保護者も増え、待機児童数は減らない。  保育所を増やす方策として、00年代以降に新規参入への規制緩和が進んだ。保育所は増えた一方で、質が十分保たれず、現場のブラック化を招いている面がある。全国福祉保育労働組合の小山道雄・副中央執行委員長はこう話す。 「規制緩和によって、保育を福祉事業でなく利益事業と考える企業が次々に参入しました。保育園は一般に、支出の約7割が人件費。しかし、一部の株式会社は5割を切る。国や自治体から補助金をもらっても人件費に充当せず、利益を捻出しているのです」  介護、出版、パチンコなど異業種から続々と新規参入した。もちろん、株式会社だからといって、必ずしも保育士に劣悪な環境を強いるわけではない。ただ、利益を求める圧力が高まりやすいのも実情だ。  都内で社会福祉法人の保育園を経営する男性は言う。 「全国チェーンの株式会社の保育所は、補助金と保護者からの利用料など年1億円の収入があると、1千万円ほどを運営会社に本部管理費として支出します。運営会社に入ったお金まで、監査する自治体の目は届きにくい。利用料金と税金が、ブラックボックスの中に消えていくのです」  資金を運営会社に還流する方法は、ほかにもある。 「英語の授業や給食事業などをグループ会社に丸投げして、さらに数千万円支出する。原価は外部からわかりません」(同)  前出の角川さんも、給食の受託企業の営業マンからこんな売り込みを受けた。 「昼の給食とおやつをセットで、1食100円で提供します。それを500円分の食事として園児に出してはどうでしょうか」  そんな安価な食事では、何が入っているかわからない。角川さんは、もちろん断ったという。  保育士の平均月収は約22万円。全職種平均より10万円以上安い(平成28年賃金構造基本統計調査)。園児の命を預かる仕事なのに低水準で、16年の参院選で与野党の争点にもなった。給与は近年上がる傾向だが、それでも15年から約4千円アップにとどまる。  保育士に十分な賃金を払えるように、国や地方自治体は運営費の約7割を人件費に充てることを想定し、補助金を支出している。しかし、対応は施設によってまちまち。待遇改善が進まぬ一因になっている。  保育士の使命感につけ込む経営者もいる。 「ほとんどの保育士は、子どもを育てることにやりがいを感じています。サービス残業や休日出勤など劣悪な環境で働いていても、『子どもを置いて保育園を辞めるのか』と言われると、我慢して働き続ける。パワハラやセクハラに悩みながら働く人も多い。そんな性格を利用する経営者もいる」(前出の経営者男性)  保育園への保護者の要望は、年々増えている。 「アレルギー対応の食事、夜間や休日の保育だけではなく、おむつ教育やしつけも保育園に求められます。近所づきあいが少ない都市部では、親が地域から孤立している。子育てをアドバイスする人が近所におらず、保育園の親同士のネットワークが頼り。保育園問題は、社会の“ゆがみ”を映す鏡なんです」(前出の元経営者)  前出の小林氏は「新規参入が増えたのは、自治体としてはコストが抑えられてありがたい。ただ、保育所というハードは増えた一方で、質を支える人材育成が進んでいません」と指摘する。 ※週刊朝日  2017年6月2日号
出産の子育て待機児童
週刊朝日 2017/05/26 07:00
第67回 おニャン子解散30周年、“歌姫”が振り返る栄光の日々<内海和子さんインタビューその2>
第67回 おニャン子解散30周年、“歌姫”が振り返る栄光の日々<内海和子さんインタビューその2>
『セーラー服を脱がさないで』おニャン子クラブ 『KICK OFF』おニャン子クラブ 『Lunch Time』内海和子  1985年4月から87年8月にかけて、月曜~金曜の夕方5時からフジテレビ系で生放送されていたバラエティ/情報番組、「夕やけニャンニャン」。当初のオープニング・テーマ曲はチェッカーズの「あの娘とスキャンダル」、司会進行は片岡鶴太郎と松本小雪が担当していたが、次第に番組のマスコットガール的存在だった"おニャン子クラブ"への注目が高まり、85年7月にデビュー・シングル「セーラー服を脱がさないで」を発表。群雄割拠のアイドル界(当時はソロ歌手が主流だった)の中に集団で乗り込み、現在へと続く大人数アイドルの元祖といえる存在になった。  内海和子さんは、初期・中期のおニャン子クラブでメインヴォーカルを務めたひとり。今年で解散30周年を迎える同グループにちなんだエピソードを、いろいろうかがった。 ■おニャン子時代は、どう睡眠時間を確保するかが問題でした ――おニャン子クラブに抜擢される前は、オールナイターズ(フジテレビ系で土曜深夜に放送されていた番組「オールナイトフジ」のマスコットガール的存在。女子大生で構成されていた)にいらっしゃったんですか?  私の場合、逆です。おニャン子クラブに入った時は、大学一年生でした。その後「君は大学生なんだから、ちょっとオールナイトフジにも出てみない?」と誘われて、3回くらい出ました。こういうケースは私しかいないと思います。 ――そしてデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」(1985年7月5日発売)が登場します。メインヴォーカルは内海さん、新田恵利さん、福永恵規さん、中島美春さん。この4人は、どうやって選ばれたのですか?  おニャン子専属のボイトレの先生のピアノにあわせて、ひとりずつワンコーラス歌った時がありました。そのときは「なんだろう、これ?」と思っていたのですが、どうやらそれがオーディションだったみたいですね。 ――おニャン子に入ったきっかけは?  歌手になるために平尾昌晃歌謡教室で頑張るか、どうしようかと考えていた時に、とんねるずさんの「おニャン子クラブ募集」というCMを見て応募しました。大学に入る直前の春休みのことです。 ――内海さんは「夕やけニャンニャン」内のコーナー「ザ・スカウト アイドルを探せ」で合格し、おニャン子クラブの会員番号13番になりました。おニャン子への注目が日々高まっていく中で、自分たちが社会現象になる予感は?  まさか、夢にも思っていませんでした。びっくりしました。 ――池袋のサンシャイン噴水広場で行なわれるはずだった「セーラー服を脱がさないで」のリリースイベントが、ファンが集まりすぎて中止になったり……(85年7月4日。当初の予想は500人だったが、4000人が殺到したという)  メンバー全員サンシャインに到着して、準備も終えていつでも出られる状態だったのですが、おニャン子が登場するとパニックになってしまうかもしれないから、中止にしようとスタッフが判断したのだと思います。私たちは楽屋から一歩も出られない状況となり、帰る時も迷路のような通路を通って地上に出た記憶があります。 ――サンシャイン噴水広場が「アイドルイベントの聖地」として決定づけられたのは、その"イベント中止"があったかもしれないですね。  おニャン子時代のことは……もう忙しすぎてほぼ記憶がないですね。どう睡眠時間を確保するかが問題でした。学校に行って寝て、講義中に寝て、通学中の電車のなかで立ちながら寝ていたほど。大変な時期でした。 ■数万人の声援のなかで歌う解放感、臨場感は、なんていいものなんだろう ――今はデジタル画像が主なので加工や修正がしやすくなりましたし、CGもありますが、当時はフィルムの時代です。メンバーが全員そろっている写真は当然、1回で集まって撮影していたわけですよね? たとえばファースト・アルバム『KICK OFF』のジャケットとか。  みんなで集まったところを撮影してもらいました。このジャケット(『KICK OFF』、85年9月21日発売)は広いスタジオに車を2台用意して並べて、みんなが座って。まったく合成はしていません。おニャン子は学業優先なので、みんなそれぞれ学校が終わったらスタジオに飛んで来て着替えて、でも(労働基準法で)おそくまで仕事はできない。だから『KICK OFF』のジャケットも、当時のメンバー全員が揃ったほんの一瞬をとらえたものだと思います。 ――コンサートの映像を見ると、みなさんの後ろで生バンドが伴奏していて、前を見ると何千何万ものファンが声援を送っている。30数年前、まだイヤモニ(音楽家等がマイクロホンで収録した音声や音響をチェックするために使用するヘッドフォンの一種。カスタムインイヤーモニター)もなく、PA設備も現在より整っていなかったであろう時期に、あれほど歌うことのできた、おニャン子は「実力派」だと断言したいです。  難易度は高かったと思います。気持ちよく歌いたいというのが歌手活動のベースにあり、2万人、3万人の声援の中で歌う解放感、臨場感はなんていいものなんだろうと感じていましたので難しさは気になりませんでした。忙しすぎてツアー中の移動のことや今どこで歌っているのかもわからないままツアーをしていましたが、大きな会場でのあの声援のすごさはしっかり記憶に残っています。 ――86年11月にはソロ・デビュー曲「蒼いメモリーズ」、87年3月にはアルバム『LUNCH TIME』がリリースされます。  周りの方は「遅い」と言っていましたが、私は以前にもソロ曲がありましたので(アルバム『夢カタログ』の「シーサイド・セッション」、「お先に失礼」のB面「プリントの夏」など)、順番が回ってきたという感覚でした。「蒼いメモリーズ」はTVアニメ「タッチ」の挿入歌で、本当に忘れられない一曲です。中森明菜さんなどの楽曲を担当されていた売野雅勇さん(作詞)と芹澤廣明さん(作曲)のコンビに楽曲を作っていただいたのも本当に嬉しかったですし、歌いこなすことにすごい責任を感じましたね。『LUNCH TIME』も、今でも大好きな一枚です。キーの高い楽曲や音域の広い楽曲など、おニャン子クラブで歌っていた楽曲とは違う難しさがあって、すごく勉強になりましたね。 ――そして今年はおニャン子解散から30年です。個人的には「もうそんなに経つのか、あっという間だった」という印象を受けます。  本当にあっという間ですよ。今は当時よりもっと、「歌いたい」という気持ちでいっぱいです。待ってくださっているファンの方がいらっしゃるし、ご期待に添えるようにがんばっていきたいと思います。もっとみんなに会える場所を作って、歌を続けていきたいですね。
2017/05/25 11:00
波瑠主演「あなそれ」 東出昌大「ワインぶちまけ」鈴木伸之「カニの悪夢」に戦慄…第6話視聴率は自己最高
波瑠主演「あなそれ」 東出昌大「ワインぶちまけ」鈴木伸之「カニの悪夢」に戦慄…第6話視聴率は自己最高
東出昌大 (c)朝日新聞社  女優の波瑠が主演する連続ドラマ「あなたのことはそれほど」(TBS系)の第6話が5月23日に放送された。主人公の不倫を描いたドラマで、ここのところは東出昌大演じる主人公の夫・涼太の驚きの行動が話題になっていたが、今回も涼太の“奇行”が際立つ回だった。  ドラマは「FEEL YOUNG」(祥伝社)に連載中のいくえみ綾の漫画が原作。“2番目に好きな人”渡辺涼太(東出昌大)と結婚した主人公・渡辺美都(みつ・波瑠)は、ずっと思い続けていた中学時代の同級生・有島(鈴木伸之)と偶然再会し、一線を越えてしまう。しかし実は有島も結婚しており、さらに有島は妻・麗華(仲里依紗)との間に子供が生まれたばかりだった……という内容だ。  これまでの展開では、美都の浮気を知ってもなお、涼太は美都に“永遠の愛”を誓い、笑顔で結婚生活を続け、さらには浮気相手の有島に自ら接触し……と、涼太の驚きの行動や「昼ドラ的展開」が話題になっていた。  第6話では、麗華の勘の良さが怖いと別れを切り出そうとする有島に対し、美都は夫も了承しているから別れない、と食い下がったために、二人の関係は途切れずにいた。涼太の方はというと、「二人で楽しく暮らすため」と家で美都にさまざまなルールを提示する。しかし、それを窮屈に感じた美都はついに家出を決行、友人・香子(大政絢)の家に泊まることに……。一方で、麗華も有島の浮気にどこか気づいている様子。有島はそんな麗華とともに麗華の実家に帰っていたが、仕事があると偽って一人家に戻り、美都と密会する。そんな有島に、美都は「逃げよっか。二人で」と言い出し、二人は夜の街に消えていく……という展開だった。  毎回、終盤に衝撃的なシーンが待ち受けている「あなそれ」だが、今回もネットがざわつくシーンが控えていた。香子の家に泊まっていることを知っている涼太が、香子の元に「(美都を)そろそろ迎えに行こうかなぁと」と電話すると、「ちょっと遅かったかもです……逃げました」と告げられる。美都はすでに有島の元へと向かった後だった。それを聞いた涼太は、叫び声をあげながら、それまで飲んでいたワインを家中にぶちまけ、最後はワインボトルを壁に向かって投げつける、という衝撃的なシーンが待ち受けていた。  これに対して、視聴者からは「最後の涼ちゃんがワインぶちまけるとこめっちゃ怖かった」「最後のワインシャワーは狂気に満ちてました」「涼太さんやば……心臓凍りついた」と、恐怖する声が多数あがっていた。東出の“怪演”が注目されている「あなそれ」だが、今回の演技も話題になりそうだ。  さらに、視聴者のコメントで散見されたのが「カニ」というキーワードだ。これは劇中で有島が見た悪夢に出てくるもの。ある日、有島が家に帰ると、家の中から悪臭がすることに気づく。リビングに行くと、そこには妻も幼い子供もおらず、床には埋め尽くさんばかりの大量のカニが……という悪夢にうなされるシーンがあったのだ。  このシーンに視聴者からは「有島くんの夢に、カニいっぱい出てくるシーンがいちばん怖かった……」「録画してあるけど、カニが怖くて見返せない」といった恐怖する声があがる一方で、「大量のカニのシーン笑ったんだけど」「カニ祭り盛大過ぎて笑う」と、一周回って笑える、という声もあった。ドロドロの不倫劇に加えて、恐怖を通り越してコメディーに見えてしまうシーンも、このドラマの新たな魅力となるのかもしれない。  「あなそれ」は初回は平均視聴率11.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と好スタートを切ったが、第2話の9.0%と一桁代に転落。しかし、二桁台にあと一歩まで復調し、24日に明らかになった第6話は11.5%で自己最高となった。(ライター・朝比奈ゆう)
dot. 2017/05/24 11:30
「おまえなんか辞めちまえ!」上司の暴言でブラック出版社から中国へ
「おまえなんか辞めちまえ!」上司の暴言でブラック出版社から中国へ
初田宗久(はつた・むねひさ)/1970年生まれ。出版社勤務、中国留学を経て2012年から中国系ニュース通信社の日本語ニュースサイト編集記者に。サイト閉鎖に伴い転職活動を経て昨年から現職。著書に『ブラック企業やめて上海で暮らしてみました』  2020年の東京五輪に向けて、新卒採用だけでなく、40代以上も含めた転職市場が活況だ。気になるのは転職後の年収のアップダウンだが、自己実現を優先しようと地方に移る人、お金に価値を置かない転職も増えている。AERA 5月22日号では「転職のリアル」を大特集。転職をまじめに考えている人、うっすら意識している人にも読んで欲しい。  転職に迷いはつきものだ。うまくいくのか、この選択肢で良かったのか。不安さえ前進する力に変える人は、何が違うのか。ブラック企業を退社後、中国へ渡り、みごと転職を成功させた初田宗久さんに、転職成功の秘訣を伺った。 *  *  *  昨年9月から香港で、中国系機械部品メーカーの会長アシスタントの仕事をしています。昨年夏に日本企業を合併したため日本人とのやり取りや取引が増え、中国語をしゃべれる日本人スタッフが必要になり入社することができました。  中国での仕事は6年目、これが2社目です。それまでは東京の出版社で編集の仕事をしていましたが、売り上げが落ちて少人数で大量の雑誌を作るようになり、会社に泊まり込みトイレに突っ伏して寝る日々が続くように。徹夜作業中に上司から校正のミスを1時間近く責められ「お前なんかいつでも辞めちまえ!」と怒鳴られたことで糸がぷつんと切れ、退職を決断しました。  中国語で仕事をした経験はそれまでまったくありませんでしたが、台湾旅行が好きで退社1年ほど前から中国語のレッスンに週1回通い、中国語検定4級をとっていました。発作的に退職を決めたのですが、その経験から「中国に留学しよう」と思いついたのです。 ●人の縁を大切にする  台湾は日本語がかなり通じるのでよりハードな道をと考え、上海の東華大学に進学しました。最初のうちはまったく会話が聞き取れず、和食屋で1人涙したこともあります。1日8時間の語学レッスンを続けていくと、3カ月で日常会話がなんとなくわかるように。9カ月で中国語能力検定試験「HSK」最高級の6級に合格しました。  40歳を超えての、中国での転職はやはり困難でしたが、私は1社目の中国系ニュース通信社も2社目も知人の紹介で入ることができました。人の縁を大切にすることが、転職成功の秘訣だと思います。中華圏は特に人の紹介、コネが大事。日頃の付き合いはもちろん、日本に来るときはおむつや薬など大量の買い物を頼まれますのでいつも大量の荷物を抱えて中国に帰っています。「愛されキャラ」でいるほうがいいというアドバイスももらいました。中国人の中で日本人が仕事をするとよくも悪くも目立ちます。どんな仕事でも引き受け、積極的なあいさつやコミュニケーションといった気遣いを欠かさず、自分を通して日本を知ってもらおうという意識でやっています。  仕事のやり方も日本と中国とはかなり違います。ただ、「だから中国の人はダメなんだ」「日本ではこんなことはしない」といったものの言い方はNG。「日本のユーザー向けには、こういったやり方でやったほうがいいんじゃないかな」といった言い方でお願いするほうがいいですね。語学力だけを見れば日本語ができる中国人のほうがハイレベルで人件費も安いのですが、よくも悪くもストレートなものの言い方をする中国人、中国流のやり方に戸惑う日本人の懸け橋になることを意識してやっています。 (構成/編集部・福井洋平) ※AERA 2017年5月22日号
働き方転職
AERA 2017/05/21 16:00
中途で採るなら狙い目は「元社員」 出戻り転職が強い
中途で採るなら狙い目は「元社員」 出戻り転職が強い
片野笑さん(36)は2016年に森永乳業に出戻り転職を果たした。「転職を経験して、改めて自社製品っていいな、と思いました」(撮影/加藤夏子) 6年ぶりにエキサイトに出戻った藤田毅さん(45=写真右)。「以前よりも会社が成長していて、新しい会社で働くような新鮮な気持ちです」(撮影/編集部・市岡ひかり)  2020年の東京五輪に向けて、新卒採用だけでなく、40代以上も含めた転職市場が活況だ。気になるのは転職後の年収のアップダウンだが、自己実現を優先しようと地方に移る人、お金に価値を置かない転職も増えている。AERA 5月22日号では「転職のリアル」を大特集。転職をまじめに考えている人、うっすら意識している人にも読んで欲しい。 「辞めた人=裏切り者」なんて過去の話。企業にも出戻る社員にもメリットが大きい、意外とハッピーな転職の形として定着しつつある。 *  *  *  離れてみて、初めて魅力に気づいた。つらいこともたくさんあったはずなのに、胸をよぎるのは楽しい思い出ばかり──。  往年の恋愛ソングばりに思い出されるのは、別れた夫ならぬ「辞めた会社」。見切りをつけて辞めたはずなのに、退職するとこれまで気づかなかった良いところが見えてくるものだ。  ただ、いざ元の会社に戻るとなると、目に浮かぶのは元上司や同僚の冷たい視線。「出戻り」転職は、そんな心理的なハードルもあって、なかなか一般化しなかった。しかし、そんな事情が変わってきた。  エン・ジャパンが2016年1~2月に行った調査によると、回答した220社のうち67%の企業が「一度退職した人を再び雇用したことがある」。NTT西日本、横浜銀行、ニトリなど、業種を問わずさまざまな企業が、退職者を再度雇用する制度を設けていた。エン・ジャパン「エン転職」編集長の岡田康豊さんは、背景をこう語る。 「空前の売り手市場でなかなか若手を採用できない。教育コストがかからず、企業文化にもなじみがあってマッチングを図りやすい元社員の再雇用という選択肢が浮上してきたようです」 ●求めたのは夢だった 「出戻った」人たちは、幸せに働いているのだろうか?  07年から再雇用制度を導入している森永乳業では、30~50代の7人が制度を利用して再入社。当初は出産などの理由に限定していたが、08年に自己都合退職にも間口を広げた。 「他社で働いている元社員から『話を聞かせて』と、よく問い合わせを受けるんです」  晴れやかな表情でそう語るのは、16年に制度を利用して再入社した片野笑さん(36)。03年に新卒で同社に入社し、新卒採用や新商品のマーケティングなどを担当した。なかでも、内定者の相談に乗るなど人の悩みを解決できる人財部の仕事にはやりがいを感じていた。 「もっと人のお世話ができる仕事をしたい」という気持ちが強くなり、入社4年目の26歳でホテル業界に飛び込む決意をする。 「未経験でしたし、体力勝負な仕事なので『若いうちに転職しなきゃ』という焦りがありました。当時は夢があるだけで、不安はなかったです」  転職活動の末、都内の高級ホテルに内定。念願のベルスタッフとして働いた。フロアを通りかかる人すべてが接客対象。目の回るような忙しさだったが、仕事の醍醐味を味わえた。  だが、夢のような日々はそう長くは続かなかった。夜勤は午後4時から翌日の午前7時まで。休憩も2時間ほどしかない。定時を迎えても忙しければすぐには上がれず、体調を崩した。  やむを得ず2年で退職。その後、食品メーカーや酒類メーカーで営業として働いたが、一生続けたいとは思えなかった。気づけば35歳。周囲の友人は、結婚や出産など新しいステージに進んでいるのに、片野さんは将来のビジョンを描けずにいた。 ●同僚たちとの心の距離  そんな頃、退職後も時々会っていた森永時代の後輩からリターンジョブ制度について聞き、心が動いた。 「受けてみようかな」  気になったのはやはり元同僚の目。思い切ってこの後輩に相談すると、「いいじゃん!」。意を決して応募した。  面接では、前職で営業を経験したことで即戦力になれる、転職して改めて人事に興味があると自覚し、未経験の労務管理部門に挑戦して人事担当として研鑽を積みたい、と訴えた。  晴れて16年5月に再入社が決定。グループ会社に出向し、労務などを担当することになった。入社初日、緊張しながら自席に座ると内線電話が鳴った。受話器を取ると、人財部時代の先輩から。 「あれぇ、お前何してんの?」  緊張する自分を気遣ってくれたのだろう。冗談めかしてからかってくれた。心の距離は遠くなっていない。また一緒に働ける、と実感できた。  給料は前職より少し下がったが、ワークとライフのバランスは取れている。もともと商品や社風には愛着があったが、最初に入社した当時よりも森永乳業が好きになったという。  人事課の荒木久宜マネージャーによると、同社にはいわゆる生え抜き社員が多く、かつては中途採用もあまりしていなかった。経験を重ねた社員が戻ってくることで多様性が増し、企業としての競争力アップにもつながっているという。 ●土産を持って帰りたい  実際、他社で積んだ経験を新たな武器として持ち帰り、貢献している出戻り社員もいる。  ポータルサイトなどを運営する「エキサイト」でITエンジニアとして働く藤田毅さん(45)。00年にソフト開発の会社からエキサイトに転職し8年間在籍。14年に再び入社した。  最初の入社はITバブル全盛期。社員は50人足らずだったが、勢いがあった。ジャスダック上場や子会社立ち上げなど、会社の成長に応じて新しい仕事にチャレンジできる喜びも大きかったという。 「業界全体もイケイケで。仕事はものすごく忙しかったけど、『好きなこと=仕事』というタイプ。楽しかったです」  5年が過ぎたころだろうか。 「ここでできることは、やりつくしたんじゃないか。独立して力を試したい」  という思いに駆られた。上司には引き留められたが08年に退職。友人と2人でウェブ開発の会社を立ち上げた。  しかし、現実は厳しかった。独立当初こそ順調だったが、リーマン・ショックの影響もあり、次第に受注件数が落ち込んだ。スマートフォンアプリの開発に切り替えて一時は浮上したものの、やがて会社をたたまざるを得なくなってしまった。  データ解析のITベンチャーに転職したがこちらも1年半ほどで経営が傾いた。2人の子どもを育てる身として、そろそろ安定した職に就きたいと考え始めていた直後、エキサイトの元同僚からフェイスブックを通じてこんなメッセージが届いた。 「うちの会社、エンジニアが足りていないようです。戻ってきませんか?」  退職してからも時々会っていた、他部署の同僚からだった。すぐに面接が決定。面接担当者はかつて一緒に働いたことのあるCTOだった。 「久しぶりですね」  和やかな調子で面接は始まった。通常の中途面接のように人柄や実力を試すような質問はなく、過去の退職にも特に触れられなかった。藤田さんが時間を費やしたのは、起業して身につけたアプリ開発技術やデータ解析会社で培ったAI関連技術など、エキサイトの外で培ったものをいまのエキサイトにどう生かせるかを説明すること。 「出戻るからには『退職した時と同じ自分ではまずい』というプレッシャーがありました。せっかく戻るなら、“お土産”を持って帰りたいですから」  再入社後はディープラーニングの技術を組み合わせたレコメンドシステムを開発し、新規ビジネスも生み出した。 ●コストも抑えられる  エキサイトと藤田さんを再び結びつけたのは、14年から採用拡大の一環としてスタートさせた社員からの人材紹介制度。人事担当の高橋直美さんは言う。 「出戻り促進の制度ではないんですが、始めてみたら元社員を紹介してくれる人が多かった(笑)。ただ、結果オーライ。元社員は定着率も高いんです」  IT企業では、エンジニアの採用争奪戦が激化。採用強化のため同様の制度を設けている企業は多い。中には紹介した社員に50万円以上の謝礼金を支払う企業もあるという。それでも、エージェントへの成功報酬より安く、コストを抑えられる。 「エキサイトではできないことをしたい」と一度は会社を飛び出した藤田さん。今度は本当にやりたいことができてますか? 「仕事なんて、作ろうと思えばいくらでも作れる。当時は、このことに、自分が気がついていなかっただけでした」 (編集部・市岡ひかり) ※AERA 2017年5月22日号
働き方転職
AERA 2017/05/21 16:00
鈴木直道「安定の都職員を辞め30歳で夕張市長になった理由」
鈴木直道「安定の都職員を辞め30歳で夕張市長になった理由」
鈴木直道(すずき・なおみち)/1981年生まれ。99年に都庁に入り、働きながら、法政大学で地方自治を学び、卒業。2008年から約2年間、夕張市に派遣。11年の同市長選で初当選。現在2期目  2020年の東京五輪に向けて、新卒採用だけでなく、40代以上も含めた転職市場が活況だ。気になるのは転職後の年収のアップダウンだが、自己実現を優先しようと地方に移る人、お金に価値を置かない転職も増えている。AERA 5月22日号では「転職のリアル」を大特集。転職をまじめに考えている人、うっすら意識している人にも読んで欲しい。  転職に迷いはつきものだ。うまくいくのか、この選択肢で良かったのか。不安さえ前進する力に変える人は、何が違うのか。安定の都職員を辞め、北海道夕張市の市長となった鈴木直道さんに、転職についてお話を伺った。 *  *  *  東京都職員を辞し、北海道夕張市長選に立候補を決めたのは29歳のときです。私は2008年1月から2年2カ月間、都から夕張市に出向しました。その後、約半年ぶりに夕張に戻った際、一緒に地域活動をしていた仲間から出馬要請されました。  とても悩みました。というのも、当時交際を続けていた現在の妻との結婚を控え、出身地の埼玉県三郷市に新居を確保したばかり。07年の財政破綻以降、夕張市長の給与は70%カットされています。月額25万9千円。退職金はゼロです。しかも、選挙運動には数百万円の費用がかかります。法律上、都職員を退職しないと立候補できません。片道切符なんです。当選しても身分が保障されるのは4年間。落選したらすべてを失う。  一方、都職員としての当時の年収は約500万円。市長に当選しても半分近くに減ってしまいます。悶々と考えていましたが、答えを出せませんでした。これだけ断るべき要素がたくさんあるのに、断れない自分がいた。何でだろうと考えたとき、こうした不安をいったんテーブルからおろして自問してみたのです。そうしたら、挑戦したい自分がいるから断れないんだ、と気づいたんです。 ●高校生で母子家庭に  見ず知らずの人たちにも支援者になってもらうぐらいの熱意がなければ、どんな仕事も成し遂げられません。そう考え、自分の中で答えが出るまで誰にも相談しませんでした。こんな考え方をするのは、高校生のときに母子家庭となり、経済的苦境に陥った経験が大きいと思います。当然視していた大学進学を一旦断念し、食べるのにも苦労することになり、世の中は自分で切り開いて渡らなければいけないものだと痛感したのです。  出向時は土日も深夜まで働きました。財政破綻後、約260人いた市職員が半分以下になり、仕事は常に山積みでした。忘れ難いのは、都から市に出向した勤務初日。赴任は1月21日、最も寒い時期でした。配属先は市民の窓口対応をする市民課でしたが、午後4時になると、周りの職員がおもむろに席を立ち、スキーウェアを着込み、手袋を着けてパソコンに向かうんです。  この時間になると、経費節減のため暖房が切られるんですね。屋外はマイナス20度近く。市民課のある1階は入り口から風が入りこみ、氷点下になります。私は初日、こうした「装備」を持参していなかったので、午後10時ぐらいには指先がかじかんでキーボードを打てなくなりました。限界だと思い、同僚の人たちに、今日は早退させてくださいと申し出ました。  国内最大の石炭供給地として日本の近代を支えた夕張の歴史は理不尽そのものです。国のエネルギー政策の転換に伴い、炭鉱から観光へシフトしたのが裏目に出て財政破綻の憂き目に遭いました。約3千人が炭鉱事故で死亡しています。かつて夫を炭鉱事故で亡くした女性が「私はそんなに悪いことを、この人生でしてきたんだろうか」と嘆く姿を見て、申し訳ない、見て見ないふりはできない、絶対この状況を変えてやる、と思いました。夕張市の子どもたちにまで責任を負わせるのはあまりに理不尽ではないですか。 「大義ある逆境に挑戦する」が私の持論です。逆境でもそこに大義があれば必ず道は開けます。財政破綻から10年を経た今年、「不可能」とされた財政再生計画見直しを図ることができました。信じて身を投じるのが大事と思っています。  収入の多寡とは別に、人生でやりたいことと仕事が重なるのはすごく幸せなことです。もちろん仕事は苦しい。でも、人間は99%苦しい中で、1%楽しいことがあれば救われます。厳しい環境に身を置くことで見えてくるものもあるし、自分が成長している実感を得られます。もっと頑張らなきゃと思います。 (構成/編集部・渡辺豪) ※AERA 2017年5月22日号
働き方転職
AERA 2017/05/20 11:30
走りすぎるとEDに!? 医師が教える適切な“月間走行距離”とは?
走りすぎるとEDに!? 医師が教える適切な“月間走行距離”とは?
走りすぎると男性機能が低下するとなると、ドキッとする人もいるのではないか (※写真はイメージ)  日本のマラソンとジョギングの参加人口はレジャー白書(2016年版)によれば2190万人。街のそこかしこをランナーが駆け抜けていくのは、いまや日常の風景となった。しかし、走りすぎると男性機能が低下するとなると、ドキッとする人もいるのではないか。驚愕のリポート──。  アロマテラピーの第一人者である日下部知世子さんのもとには連日、ストレスを抱えた相談者がやってくる。目的はストレステストによるカウンセリングのメンタルドック。最近多いのが、30代から40代の男女による性についての悩みだという。 「カップル間の性について悩んでいるという相談が、ここ1年半くらいで大幅に増えたんです。相談に来る方の多くは女性で、内容は深刻ですよ。男性側に問題がある方が多いのです」  これまでに約80人から同様の相談を受けたという日下部さんは、ある男性に会って、詳しく聞いてみた。すると、男性は決して不健康というわけではなく、ストレスによるうつ状態なども見られなかったという。では、どこに問題があるのか。ストレスチェックなどをしながら、日下部さんは男性側にある共通点を見つけた。 「『仕事のストレスとかは走っていたらなくなりますよ』とみなさん言うんです。活力があって、日常的に走っているという共通項があったんですね。それも趣味程度にというものではなく、毎週大会に出るだとか、毎日仕事帰りに必ず走るだとか、本格的に取り組んでいるという点も同じでした」  33歳の歯科衛生士の女性A子さんは、1年以上交際している38歳の税理士の男性といまだに関係がなく、自身に魅力がないのかと悩む毎日だ。旅行先でも“何事も起きず”に朝を迎えた。 「東北に彼と旅行した際、夜に湖畔を走りたいと言い残して2時間も出かけてしまったんです」  カップルでの旅行中にさえランニングの練習を欠かさない。その男性のマラソン歴は10年以上で、アスリート並みに練習しているのだという。  ハードに練習を重ねるランナーと性交渉に至らないことの因果関係は何か。  相談者の一人である38歳の商社マンBさんはマラソンのほか、自転車レースやトライアスロンにも参加する。Bさんは緊張気味にこう話した。 「恥ずかしい話ですが、ストレスとED(勃起不全)に関係はあるのか聞きたいんです。実は男性としての機能が衰えてきて……」  メンタルドックでは、活力もあり疲労感も見られなかったため、日下部さんはある疑問を抱いた。  過度な運動が男性機能の低下を招いているのではないか──。  よこすか女性泌尿器科・泌尿器科クリニックの奥井伸雄医師は言う。 「走りすぎることでEDになりますよ」  どういうことなのか。 「血液の中にテストステロンという男性ホルモンがあるのですが、これは血管のむくみをリカバリーする働きがあります。テストステロンが減少すると血液の流れが悪くなるので、男性器は勃起しなくなります」  体に過剰なストレスがかかると、血液の流れが悪くなり血管がへたってしまう。テストステロンはそれを回復させる効果があり、運動により筋肉が刺激されると分泌されるという。減少する原因はどこにあるのか。 「走りすぎによる極度の疲労です。体にストレスがたまり、テストステロンを作る能力も落ちるのではないかと考えます。テストステロンは疲労した筋肉や血管のリカバリーなどに使うので、需要と供給のバランスがおかしくなるんです」 “走りすぎ”と言われてしまう距離はどれほどなのか。奥井医師によれば、月間200キロがそのラインだという。グラフを見てみよう。市民ランナーの1カ月あたりのランニング距離とテストステロン値の関係を調べたところ、100キロまでは数値が高いが、200キロを境に数値がガクッと落ちているのがわかる。 「この調査は45歳から55歳の男性を対象に実施したのですが、これは男性更年期になりやすい年齢層でもあり、テストステロンの数値の低下が顕著に表れています。ちなみに30代や40代前半だと、男性ホルモンにまだ余裕がある。危険信号がともりやすいのは45歳が境でもありますね」  一方、生理学に詳しい別の医師は、テストステロンの過剰な産生が脳に影響してEDになる可能性があると指摘する。 「EDは脳の自律神経を介した機能がうまく働かないことで起こります」  この医師は、1986年にミシガン大学が「男性マラソンランナーは性腺刺激ホルモン放出ホルモンの放出が減少している」と発表した論文を例に出し、 「このホルモンは脳から分泌され、テストステロン生成の鍵となります。過度な運動でテストステロンが過剰に産生されすぎることで、脳が高濃度のテストステロンに繰り返しさらされ、反応不全のような状態になります。その結果、男性ホルモンのコントロールがおかしくなり、勃起しなくなるという可能性があるのでは」  と説明する。  奥井医師による調査結果では、月間200キロ以上走る人たちの中には循環器系異常(虚血性心疾患や不整脈)が見られた人もいた。これはどういうことか。 「心臓の冠動脈と男性器の血管は、大きさや形、性能がすごく似ているんです。だから男性器の血管が詰まり始めたら、心筋梗塞(こうそく)の前触れとも言われています」(奥井医師)  マラソン中に突然死してしまう例もある昨今、奥井医師はドクターランナーとしてマラソン大会の医療支援もしている。 「月間200キロを超えるランナーはたくさんいます。市民マラソンランナーは仕事のように走ってしまう傾向があって、異常に練習してしまうんです。特に40代後半の人は自分の体がまだ若いと思っていて、タイムが伸びなくなってきたことを練習不足が理由だと思ってしまう。休息を取らなきゃ、とはならないんですね。過度な練習でランニング距離を増やしてしまう人は非常に多いです」  月間200キロのランニングは、毎日6~7キロ走ると到達する数字だ。テストステロン値が低下してしまう前に“走りすぎ”に気づきたいところだが、何か目安はあるのだろうか。 「早朝勃起が弱まったなと感じたら、それは健康の危険信号。EDになるかもしれないサインです。走りすぎかなと振り返ってみてほしい」  早朝勃起は、寝ている間に尿がたまる刺激により起こる。しかし、テストステロン値が低く、血流が改善されていない人は勃起しない。早朝勃起は血流のバロメーターになる。  もし早朝勃起がすでに弱まっていると感じても、休息を取れば、テストステロン値は戻るそうだ。毎月フルマラソンを走るような人なら、一度走ったら2カ月はリカバリー時間を設ける、3週間しっかり練習したら1週間は休むなど、メリハリをつけることが肝要、と奥井医師は言う。 「性機能は人間の一生とパラレルな関係です。自分の体の変化を注意深く観察して、楽しく走ってほしいですね」 ※週刊朝日 2017年5月19日号
健康
週刊朝日 2017/05/14 16:00
ひきこもる人たちの高齢化問題、親が亡くなった後…
ひきこもる人たちの高齢化問題、親が亡くなった後…
ひきこもりは長引けば長引くほど解消が難しくなる。家族との食事や会話すらしなくなることもある(撮影/写真部・岸本絢)  ひきこもり期間が長期化し、親が死亡して生活に行き詰まるケースも出てきた。ひきこもる人たちが生きていけるようなマネープランの立案や支援は喫緊の課題だ。  高校卒業以来、ひきこもっている29歳の息子を持つ田中庄子さん(仮名、61)は、がんに罹患したこともあり、息子の将来を案じている。息子は、深夜にチラシのポスティングの仕事をして月5万円の収入を得ているが、国民年金保険料は払っていない。 「マンションもローンが残っており、家も仕事も不安定な状況で、将来の年金ももらえないと……。考えなければいけないことが多すぎてどうしたらいいか分からない」(田中さん)  KHJ全国ひきこもり家族会連合会では2004年から会員を対象にアンケート調査を行っている。「16年ひきこもりの実態に関するアンケート調査」によると、ひきこもり期間は平均10.8年で、調査を始めた04年以来、過去最長となった。また、親の平均年齢は64.1歳で、定年を迎えるケースも増えている。  茨城県では16年6月から12月にかけて初めてひきこもりに関する実態調査を実施した。調査は県内の全民生委員、児童委員5261人に対して実施し、48.3%にあたる2542人から回答を得た。県は今年2月14日に調査結果を発表した。 「自分の受け持ち地域に引きこもり該当者がいる」と答えた人は約38%。該当者の年齢は40代がもっとも多く446人(30.4%)、次いで30代が378人(25.8%)、50代が237人(16.2%)だった。ひきこもり期間は10年以上が628人(42.8%)を占めた。 ●いつ貯金が底をつくか  同県障害福祉課精神保健グループの担当者は、 「内閣府でもひきこもり実態調査を行っているが、対象が39歳までにとどまる。今回の調査で県内にも40代、50代のひきこもりが一定数いることが分かり、長期化しているケースも多いことが把握できた」と話す。 「ひきこもり=不登校」のイメージがあるが、これらの調査結果からはひきこもりの高齢化が浮き彫りになった形だ。  ひきこもり問題に25年間関わってきた、ファイナンシャルプランナーの畠中雅子さんが言う。 「“いずれ働き始めるはず”“何とかなるだろう”と楽観視している親が多いが、相談を受けているケースでは、親が亡くなる人も出てきた」(畠中さん)  大学卒業後、就職できずに10年以上ひきこもっている35歳の長男をもつ鈴木浩一さん(仮名)は、定年間近の59歳。年収580万円で、妻(57)はパートで96万円の収入がある。ローンを払い終えた持ち家に住み、預貯金800万円があるほか、退職金も1千万円ほどもらえる予定だ。鈴木さんは長男の国民年金保険料を払い続けているので、このまま払っていけば長男は年金を満額もらえる。  長男が一生働けなくても何とか暮らしていけるように思えるが、「働けない子どものお金を考える会」に所属する、ファイナンシャルプランナーの村井英一さんは「貯蓄が底をつくリスクをはらんでいる」と指摘する。  日本人の平均寿命を参考にして、鈴木さんが80歳、妻が85歳で亡くなった場合、長男は63歳で1人暮らしになる。持ち家と預貯金を相続し、国民年金も満額受給できるが、生活費を年間125万円に抑えたとしても、村井さんの試算では貯蓄は78歳で底をつくという。年金の受給額は年78万円と少なく、自宅改修費や固定資産税なども響く。 ●相続でもめる可能性  さらなる障壁は、きょうだいの存在だという。「親の労力や資産はひきこもりの子どもに注がれることが多く、きょうだいから不満が漏れることもある」と村井さんは注意を促す。親が「死後は家も預貯金もひきこもりの子にあげよう」と思っていても、相続時にきょうだいが遺留分を請求するケースもあり、ひきこもりの子に思ったほど財産がわたらないことがあるからだ。鈴木さんも資産をすべて長男に譲るつもりだが、鈴木さんの死亡時、さらに妻の死亡時に、それぞれ長女が自分の相続分を主張して遺産分割(合計1250万円)すると、貯蓄は63歳でマイナスに転じてしまう。頼りの存在に思えるきょうだいだが、リスクになるケースは意外に多いという。  貯蓄が底をつかないようにするためには、「親が元気なうちに、ひきこもりの子のライフプラン、マネープランを家族で話し合うことは重要」(村井さん)だという。  また、村井さんは「親はひきこもりの子の国民年金保険料を払うだけでなく、少しでも収入を得る道を探ると、貯蓄が底をつくリスクを軽減できる」と助言する。田中さんの息子のように、月5万円でも収入があれば年収60万円、10年で600万円になる。36歳から59歳まで年収60万円の収入を得て、半分を生活費に、半分を貯蓄とした場合、97歳まで貯蓄は底をつかないという。  ひきこもりの就業を支援する団体は全国に点在している。たとえば、「若者と家族のライフプランを考える会」(京都市)では、ファイナンシャルプランナーや臨床心理士、就労コーディネーターなどと連携してひきこもりの就労や社会参加を支援する。ビジネスマナー研修やグループワーク体験、市内の企業と連携した体験就労などへの紹介も行う。同会のキャリア相談には年間のべ100人が参加しており、40代、50代の参加者もいるという。 「ライフプランを立ててみて“月数万円稼げば生活できる”と分かると、安心して踏み出せる人もいます」と代表の河田桂子さんは話す。 ●役所に行く練習も  とはいえ、重度のひきこもりの中には、公共料金の引き落とし手続きすらできない人もいる。こうしたケースでは、親が元気なうちに、公共料金の契約をひきこもりの子ども名義に変え、料金の引き落としを子どもの口座に変えておくなど、段階を踏んで少しずつ準備をする必要がある。 「将来ひとりになったら健康保険などの手続きにも自分で行くことになるので、一緒に電車やバスで役所に行き、役所内の食堂や喫茶でランチやお茶をするのが第一歩。これを繰り返すと役所までの行き方を覚え、出かける精神的なハードルが下がる」(畠中さん)  慣れてきたら窓口で必要書類をもらったり話をさせたりする。こうした手順を踏むことで、少しずつサバイバルへの道がつながる。畠中さんは子どもが働けないことを前提に、まずは持っている資産で生き延びる術を講じるほうが現実的という。 「働かない=無収入という最悪の事態を見越してマネープランを立てておけば、少しでも働けるようになるともっと安心できる」と訴える。  ひきこもりの姉(52)をもつ木村一恵さん(仮名、40代半ば)にも話を聞いた。2年前に母が亡くなり、父と姉は2人で暮らす。 「てきぱきと何でもこなす母の下で姉はほとんど何もせずに30年間ひきこもっていた。でも母が病気がちになってから母に頼まれて近所に買い物に行けるようになった」と木村さんは話す。  今はご飯を炊いたり味噌汁も作ったりするし、美容院にも行くようになった。木村さんがときどき通って掃除したり話し相手になったりして、穏やかな日々を送っているという。「ひきこもりだから何もできない」と決めつけ、腫れ物にさわるように接するのでなく、役割を与えて任せることで少しでも社会に出る可能性を開くことはできるのかもしれない。(ライター・加納美紀) ※AERA 2017年5月15日号
おひとりさまシニア介護を考える貧困
AERA 2017/05/12 07:00
将来“稼げる”から? 看護学部人気はなぜ続くのか
将来“稼げる”から? 看護学部人気はなぜ続くのか
高齢化で看護師のニーズは増えている(※イメージ) (c)朝日新聞社  高齢化が進み、各地の大学で看護系学部が毎年のように新設されている。歯学部、薬学部が昨年より志願者を減らしたのに対し、看護系学部は微増で人気が続く。その秘密を探った。 「最初の3年間は札幌市内の病院の病棟看護師として、ほぼ全診療科で働き、3年目に年収が500万円を超えました。この春から東京都内で訪問看護師になり、1日4~5軒、訪問しています。一人の患者さんとじっくり向き合って生活をサポートできることと、夜勤が原則的にないことがいいですね」  私大の看護系学部を卒業後、看護師4年目となる坂本諒(りょう)さん(25)は、訪問看護師の魅力をこう語る。 「富裕層の中には、自費で24時間、交代制の訪問看護師を頼み、年5千万~6千万円支払う方もいます。20代のうちに起業し、訪問看護ステーションを立ち上げたいと考えています」  2014年の看護師の平均年収は473万円で、サラリーマンの415万円を上回る。副院長クラスの看護師や訪問看護師には、1千万円を超える人もいるという。なぜ高いのか。  医療ガバナンス研究所理事長で、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日』などの著書がある上昌広医師は説明する。 「看護師不足だからです。医師と同様に看護師の数も西高東低で、東京都の人口10万人あたりの就業看護師数は727人で、埼玉、千葉、神奈川、茨城、愛知に次いで少ない。東京都では、夜勤手当を含め1年目から500万円を超える看護師もいます。看護師が多いとされる九州や四国でも看護師は不足しており、国家資格である看護師は全国どこでも求人があります」  高収入に加え、高度専門職なことも人気の理由だ。 「今後20年間ぐらいで、約半分の仕事がAI(人工知能)に奪われると予測されています。でも、高度なコミュニケーション能力が必要な看護師はAIに負けません。大学院まで進み、専門知識と教養、確かな技術を身につけ、さまざまな医師とパイプを持てば、富裕層の訪問看護師というニーズが今後あると考えます」  就業看護師のうち訪問看護師が占める割合は、14年時点で3.35%の約3万6千人。訪問看護師のニーズが高まり、訪問看護ステーションは年々増えている。  看護系学部・学科を設置する大学は、1991年度には11あり、定員558人だった。翌92年、看護師不足の対策として、「看護師等の人材確保の促進に関する法律」がつくられ、文部省(当時)も「看護系大学の整備・充実を一層推進していく必要がある」との方針を発表した。それ以降、看護系の大学数と入学定員は右肩上がりに増えた。  06年度の診療報酬改定で、「7対1入院基本料」が導入されたことも看護師人気の追い風に。入院患者7人につき看護師1人以上を配置する病院に対し、一患者あたり1日1万5550円が支払われることになり、看護師争奪戦が始まった。  看護系学部・学科を新設する大学は一昨年15、昨年6、今年11。今や大学数は約250に増えた。定員数は91年度と比べ、約40倍まで増えた。  大学通信の安田賢治ゼネラルマネージャーは、看護系学部人気をこう語る。 「新入生が卒業するのは21年春。東京オリンピックが終わって景気減退が予測されています。将来を見据え、看護系学部・学科が人気なのだと思います」  志願者数を昨年と今年で比べると、同様に資格を取得できる歯学部は1.8%減、薬学部は1.7%減。看護系学部・学科は1.2%増だった。国公立大は0.2%減だが、私大が8%増。安田さんはこう話す。 「理高文低(理系人気・文系不人気)が長らく続きましたが、一昨年ごろから文系人気が回復しています。理系志願者が軒並み減るなかで、看護系は文系でも受験できる大学があります。志願者増の理由のひとつだと考えられます」  17年入試で志願者数が大きく増えた大学と志願者の伸び率が高かった大学をまとめた。  志願者増加数1位、伸び率2位の聖路加国際大看護学部長の松谷美和子教授は、人気の理由をこう分析する。 「一般入試での入学者に進学理由をアンケートした結果、1位『教育内容・環境』、2位『英語・国際交流』、3位『歴史と信頼』でした。歴史ある伝統校として培ってきた本校への憧れがあると考えます。入試制度の改革で、定員増や一般入試方式の追加、受験料の値下げなども進め、受けやすくなったと思います」  定員は75人から100人に。従来の一般入試のA方式の「理科」を、2科目(化学基礎と生物基礎)必須から、1科目(化学・化学基礎または生物・生物基礎)選択に変えた。新方式のB方式は外国語(英語)と小論文のみ。文系の生徒も受けやすくなり、志願者増につながったようだ。  伸び率1位の宮崎大の看護学科も入試科目を変えた。 「後期試験は、センター試験の数学が昨年まで2科目必要でしたが、今年は1科目選択に変え、志願者が増えました。また、昨年の志願者が少なかった反動もあり、前後期とも増えたと考えています」(入試担当者)  安田さんは、入試科目の違いに注意が必要という。 「国公立大のセンター試験の理科の科目は、基礎2科目、専門1科目、専門1科目+基礎2科目、専門2科目と4パターンあります。志望校の入試科目をしっかりとチェックしましょう」  オープンキャンパスへの参加もお勧めだ。 「出産や子育てで休んだ後、再び働けることも看護師の魅力のひとつ。やりがいのある仕事ですが、人の死に直面するなど大変さもあります。看護師の仕事、教育内容、教員、実習病院などもオープンキャンパスで話を聞くといいですね」(安田さん)  上医師は、大学を選ぶときには卒業生に着目するとよいという。 「個人で活躍する卒業生がいるかどうかは、大学の教育力をみる指標です。看護系大学に進学した先輩に話を聞くことも、大学選びの参考になるでしょう」  高齢化社会が進むなか、看護師のニーズはさらに増える。看護学部の人気も続いていくだろう。 ※週刊朝日  2017年5月19日号
大学入試
週刊朝日 2017/05/12 07:00
向井理 子どもが生まれて感じたこと…
向井理 子どもが生まれて感じたこと…
向井理(むかい・おさむ)/1982年、神奈川県生まれ。俳優。2006年「白夜行」で俳優デビュー。映画、ドラマ、舞台、CM、ナレーションなど幅広く活躍(撮影/加藤夏子)  俳優・向井理の祖母の半生を綴った珠玉のラブストーリーが映画「いつまた、君と ~何日君再来(ホーリージュンザイライ)~」になった(6月24日公開)。脳梗塞で入院した祖母の頼みで、手記をパソコンで入力することになった大学生の理。そこに綴られていたものは……。脚本を手がけた山本むつみと祖父を演じた向井が映画の魅力を語り合った。 *  *  * 山本:映画の原作となった向井さんのおばあさん(朋子さん)の手記「何日君再来」について私が初めてお聞きしたのは、2010年のことでした。NHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の撮影の最終日に「今、すごくやりたいものがあるんです」って向井さんがおっしゃったんです。 向井:「ゲゲゲの女房」のむつみさんの脚本が素晴らしく、ぜひお願いしたいと思い、お話ししたんです。 山本:一読して素敵なラブストーリーだと思いました。読み込めば読み込むほど、朋子さんご一家が大好きになるんです。戦後の貧しい時代を生きた市井の人の話だけれど、家族愛など普遍的なメッセージが込められていますよね。 向井:それから約7年たった今、映画になり、それが結果的に、とてもよかったと思っているんです。僕はこの作品で祖父にあたる吾郎を演じているんですけど、結婚をし、父親になるころの吾郎と僕自身が今、同世代。この年齢で、偶然にも吾郎を演じられたことがありがたいと思っています。 山本:この間に、向井さんはたくさんの作品に参加し、さまざまな役を演じられ、プライベートでは結婚をしてお子さんにも恵まれ……不思議な巡り合わせみたいなものがあるんじゃないでしょうか。 向井:そんな気がちょっとするんですよ。僕が祖母の手記に出会ったのは大学生のときでした。手記を自費出版して祖母の卒寿のお祝いにしようと母たちが考え、僕がパソコンでデータ化する作業を引き受けたんです。 山本:向井さんはおばあちゃん子だったんですよね。 向井:はい。母が仕事をしていたので、祖母と過ごす時間も多く、かわいがってもらいました。でも祖父の話は聞いたことがなくて、手記ではじめて祖父母が戦前から戦後にかけて経験したことを知ったんです。ただ、当時は感情移入がそれほどできなくて、祖父母はこんな経験をしたんだと淡々と受け止めていました。 山本:それが変わった? 向井:変わりましたね。祖母が脳梗塞になり退院の日に、祖母に「祖父はどういう人だったの?」と聞いたら、何十年も前に亡くなった祖父のことを「今も愛している」と言ったんです。 山本:素敵! 向井:びっくりですよ。80歳を過ぎた祖母が愛してるって言うなんて。同時に祖母は祖父への思いをずっと胸に秘めて生きてきたんだって感動しました。会ったこともない祖父のことも急に、すごく身近に感じられて、祖母の手記を作品として残せたらという思いが膨らんでいったんです。 山本:見合い結婚が多かった時代に、おふたりは恋愛結婚なんですよね。それもひと目惚れ。出会ってすぐ、朋子さんは「南京に一緒に行きます」と言うんですもの。すごい行動力ですよ。そして一生、その愛を貫いた。朋子さんが50代半ばのころに、理さんの伯父さんの奥さんが「どうして再婚しなかったの?」と尋ねたんだそうです。すると、「私、やっぱり父ちゃんがいいわ」とおっしゃったんですって。 向井:祖母は若くして寡婦になったのに、再婚しなかったですからね。でも、祖父の人生は成功からは程遠かった。苦労も多かったと思います。 山本:本当に大変な人生ですよね。南京から上海に移り、戦後、引き揚げ船で帰国して、失敗や不運が、これでもかというほど次々に、押し寄せてくるんですもの。騙されてお金を巻き上げられたり、入った会社がことごとく潰れたり、けがをしたり病気になったり……。でも、おふたりとも貧しくても人間として品がありますよね。貧乏しても卑しくならない。いつだって凛としていて、明るいんです。 向井:祖父はコンプレックスも抱えていたはずなんです。僕にとっての高祖父は一代で財をなしたけれど、そのせいで村の人たちの恨みを買った。曽祖父は家からチフスを出したために、それを苦にして自殺した。そんな境遇に育った祖父は、貧しい人の味方になりたいと一流大学を退学し、中国に渡ったのに、自分自身が食べていかれない状況に陥って、そこから抜け出すことができなかったんですから。 山本:不運続きでしたけど、吾郎さんは正義感が強く、曲がったことが嫌いで、損をしてでも一本筋の通った生き方を貫きましたよね。 向井:ある意味、貧乏というものへの危機感があまりなかったんだと思います。当たり前すぎて、同居しているみたいな感じだったんじゃないかって。 山本:貧乏をも笑ってしまう朗らかさがあったんだと思いますよ。 向井:家族が元気で一緒にいられるだけで、十分幸せだったんでしょうね。でもあの時代、ふたりと同じような思いで生き抜こうとした日本人が、ほかにも大勢いたと思うんです。 山本:戦争に翻弄され、戦後は貧しさに直面し、もがき、乗り越えてきた日本人は少なくないはずです。漫画家の水木しげるさんご夫妻もそうでしたね。 向井:「ゲゲゲの女房」のクランクインの前、水木しげるさんとお会いしたときに、「戦争で片腕を失い、仲間を失い、大変な思いをしたけれど、こうやって生きて饅頭を食って息を吸っているだけで僕は幸せです」と笑いながらおっしゃったんですよ。だから演じていて、水木さんの貧乏な時代も全然違和感がなかったんです。貧乏でも同じように笑って暮らしていた身内がいたわけですから。でも水木さんは漫画家として大成功しましたが、祖父は成功に縁のないまま、若くして亡くなりました。ですから、祖父の話はちょっと切ない。でも僕は、祖父に、どこか羨ましさを感じてしまうんですよ。 山本:わかります。私も脚本を書きながら羨ましかったですから。一緒にいるだけで満たされる相手と巡り合い、家族を愛し、自分の人生を生ききった。素晴らしいと思います。 ご自分のおじいさんの役を演じられて、いかがでしたか。 向井:親がいて祖父母がいて、その先に生きていた人がいるから今の自分があると、改めて実感しました。 山本:お子さんに恵まれて感じられたこともあるのではないですか。 向井:子どもが生まれて、本当にしっかりしなきゃいけないと思いましたね。そういうプレッシャーを、親も、そのまた親も感じていたと思うと、自分が今こうして生きていることに対して感謝の気持ちが湧き上がってきました。 山本:先人がいたから、今があるんですものね。おふたりを身近に感じることで、向井さん自身の生き方、考え方も少し変化したんでしょうか。 向井:そうですね。人を愛するということは、捨てたもんじゃないな、と。この映画を見てそんなふうに思ってもらえたら、すごく嬉しいですね。(構成/五十嵐佳子) ※週刊朝日 2017年5月19日号
週刊朝日 2017/05/11 11:30
5月に増加、孤立死はどうすれば防げるか 23区内で一人で亡くなる人が増えている
福井洋平 福井洋平
5月に増加、孤立死はどうすれば防げるか 23区内で一人で亡くなる人が増えている
家族がいるから大丈夫、仕事をしているから安心──そんな人でも孤立死のリスクは十分にある(撮影/写真部・松永卓也) ※キーパーズ「おひとりさまでもだいじょうぶノート。」から 東京23区内で自宅で死亡した65歳以上の1人暮らし  この国で、誰にも迷惑をかけずひっそり死ぬという自由はいまや存在しないのかもしれない。貧困で社会から疎外される前に、自ら社会との扉を閉ざす前に、何ができるのだろうか。 *  *  * 「孤立死が増えるのは、実は5~6月なんです」  遺品整理業「ロード」(川崎市)の鎌田爵宏(たかひろ)社長は、そう語る。ずっと暑い夏よりも、気温の上下が激しい5~6月に水分補給を怠り熱中症などで体調を崩す人が多く、結果として孤立死につながるという。  年々地域コミュニティーが薄れている中、人が「孤立」するきっかけはそこここにあふれている。会社からのリストラ、配偶者との離死別、子どもの独立。年を取ると新しい人間関係を築きにくくなり、体調を崩したり認知症を発症したりすれば外出もできなくなってますます孤立する──。東京都監察医務院によれば、2015年に東京23区内の65歳以上の単身世帯者で自宅で亡くなった人の数は3116人と、10年前の倍近くに。23区内65歳以上の死者数全体は7万人程度なので、死者22人に1人は孤立死という計算になる。  死んだらあとのことは知らないでは済まない。夏場なら遺体は3日で腐り始め、1週間もすれば体液がにじみだす。「高齢者孤立死のほとんどはアパートのワンルームや1DK住宅で起こっている」(鎌田さん)ため部屋の清掃やリフォーム費用、葬儀費用などに数百万円、遺体の腐敗が激しいとDNA鑑定が必要で、これ以上腐らないように遺体を長期間保存するため費用がさらにかさむこともある。 「完全に身寄りのない孤立死の案件は10人か20人に1人程度。警察はかなり徹底して親戚や係累を捜してきます」(鎌田さん) ●こんな死に方はいやだ  孤立死は周りの住人だけでなく、会ったこともない遠くの親戚にまで迷惑を及ぼすのだ。遺品整理業の草分け的存在「キーパーズ」の吉田太一社長は、孤立死の実態を克明に描いた啓発DVDを作製した。周りとコミュニケーションを取ろうとしなかった高齢男性がアパートで孤立死し、関係を絶っていた息子は高額の清掃費や近隣住人の引っ越し費用を請求されて途方に暮れる。だが、死んでしまってはその迷惑をつぐなうことができない──。人の形に体液が床に染み込みウジのわいた写真もそのまま見せる。 「こんな死に方はいやだ、これだけ迷惑がかかるという実態を認識すれば、自分でなんとかしなければと思うようになる。やらされていると感じていることは長続きしないんです」  吉田さんは孤立死回避のために、「おひとりさまでもだいじょうぶノート。」を作った。最期の場所や方法、葬儀の希望などに加え遺言の執行人を誰にするか、所有不動産の詳細、遺品の整理方法、ペットの行き先など具体的なポイントを簡潔に書き記せるようになっている。 「いつ死ぬかが分かっていれば準備もできますが、これだけは誰もわからない。だからひとつの考えですが、仮にあと何年と寿命を決めて、それまでにしたいことは何か、何をしないといけないのか、誰に何をお願いしないといけないのかを考えるといい。そうすれば自分が明日何をすべきかはっきり意識でき、人とのコミュニケーションも生まれ、社会から孤立しにくくなると思うのです」(吉田さん)  東京都健康長寿医療センター研究所は、高齢者福祉のよろず相談窓口である「地域包括支援センター」への聞き取り調査をもとに、見守りのチェックポイントを整理した。「新聞や郵便物がたまっている」「夜、電気がつかない」「同じ洗濯物が何日も干しっぱなし」といった危険な状況の察知につながる項目もある。最低限地域の中でコミュニケーションを取っていれば、こういったSOSをチェックしてくれる人も出てくるだろう。同センターの藤原佳典さんは言う。 「趣味や習い事などのネットワークをうまく地元でのつながりに結びつけていく努力も必要です」  SNSやメーリングリストで定期的に連絡を取りあう仲間を見つけるなど、ちょっとした工夫でも深刻な孤立死は防げるだろう。気持ちの持ちようや自助努力で回避できる孤立死は間違いなく存在する。 ●貧困により孤立に  一方で見過ごせないのは、高齢者が貧困により孤立に追い込まれるという構図だ。家計が苦しくなり交際費がなくなると、親戚の冠婚葬祭にも行けなくなり、近所付き合いもなくなる。親族や地域との関係が希薄化する、と『老人に冷たい国・日本』などの著書がある明治学院大学の河合克義教授(社会福祉学)は説明する。  貧困による孤立の問題は単身者だけにとどまらず、高齢者と未婚の子どもといった親子世帯にまで拡大している。親の年金を頼りに暮らす子ども世帯が増えてきているためだ。12年にはさいたま市で、60代夫婦と30代の長男がアパート内で孤立死したというニュースもあった。周辺住人とほとんど会話をせず、父と子が体調を崩し仕事を失った末のことだったという。 「高齢者の年金額を含め、子ども世代の雇用を安定させ、各世代の生活基盤を安定したものにしなければ、孤立の問題は解決しない」(河合さん) ●外から異常は感じない  いま仕事があって家族がいても、ひとたび貧困に陥ればコミュニケーションが遮断され孤立死する可能性は十分にあるのだ。 「思い切って、家賃が安い公営住宅への引っ越しは有効かもしれません」と前出の鎌田さん。民間のアパートに比べ、比較的コミュニティーがしっかりしている公営住宅は孤立死する割合が低いと鎌田さんは言う。とはいえ、引っ越しもなかなか気軽にはできない。今後増加が予想されるコミュ障高齢者の孤立死を防ぐために重要となってくるのが、自治体の役割だ。  都内で孤立死が最も多い足立区は13年から「孤立ゼロプロジェクト」を展開。介護保険サービスを利用していない70歳以上の単身世帯、75歳以上のみの世帯の住民情報を自治会や民生委員などに提供し、訪問活動をする。同区千住河原町自治会の山崎明子女性部長はこう話す。 「外から見ると異常は感じないが、玄関に入ると中はごみ屋敷だということもあった。奥さまが認知症が進み、いわゆる老老介護の状態だった。地域包括支援センターにつなぎ、適切な支援が行われるようになりました」  民間事業者との連携で早期発見を目指しているのが前出の一家孤立死事件があったさいたま市だ。「郵便物や新聞がたまっている」などの通報基準を設け、東京電力など計31業者と連携。民間事業者からの通報が全体の約38%と最も大きいという。  自治体の取り組みが鈍い場合はどうすればいいのか。宅配などの民間事業者を活用することでコミュ障でも孤立死を防げると語るのは、遠距離介護支援を続けているNPO法人「パオッコ」理事長の太田差惠子さんだ。 ●自分で異変を通報する 「例えば食事の宅配サービスを週1、2回入れておくと、たいてい安否確認もかねて手渡ししてくれるので安心です。訪問介護サービスに慣れることもできます。利用回数に融通が利くか、緊急通報サービスと連携しているかといったポイントを確認しましょう」(太田さん)  倒れてしまう前に自分で異変を通報する、いわゆる「緊急通報システム」の活用も大切だ。多くの自治体では条件付きで、ボタンを押すと警備会社や消防などが駆けつけられる「緊急通報システム」を持っている。大手警備会社のALSOKではボタンにより警備員が駆けつけるほか、「相談ボタン」で自社のヘルスケアセンターの相談員と24時間会話ができる「みまもりサポート」を月2400円(税別、設置費用別)で展開する。 「倒れていたり、冷蔵庫の裏に挟まっていたりするのを助けたこともありました」(担当者)  この金額ならば、年金暮らしでもぎりぎり対応できるかもしれない。  通報以上に正確に行動を把握できる「見守りサービス」は、孤立死防止以外にも効果を発揮する。前出の藤原さんは14年、見守りセンサーが高齢者支援にどの程度役立つかを調査した。ちょうどいい時間の訪問や的確なケアができるようになったため、要介護度の悪化を防ぐ効果を確認できたという。  とはいえ、「高齢者自身が見守りサービスの導入を嫌がるケースが多い」とも藤原さんは言う。特に認知症が進めば、そういった機械を家に入れること自体を拒むケースが非常に多くなる。30分ごとの電力使用量の推移の変化から異常を察知する「はぴeまもるくん」(関西電力)など特別な装置がいらないサービスも増えつつあるが、異常を察知しても家族が遠方にいる場合など、誰が訪問するのかも問題になる。現時点では一軒家などだとカーテンがそよいでもセンサーが反応することもあり、見守る側の労力を考えると普及は簡単ではない。  どんなコミュ障高齢者でも体調の急変や孤立死を防げるようになるためには「高齢者の動きをより正確にモニタリングできるセンサーの精度向上が不可欠」と藤原さんは言う。 ●福音をもたらすAI  センサーによる生産性の向上をもたらす鍵はAI(人工知能)の活用だ。国際医療福祉大学大学院の高橋泰教授(医療経営)は、「介護業界の深刻な人手不足を解消する切り札はAIです」と語る。 「AIにより正確に要介護者の行動を認識し必要なときだけアラームを鳴らせるようになれば、例えば夜勤の人間を減らせるようになります。技術的には今でも可能で、予算とマンパワーがつけばすぐ動き始めるはずです」  的確な見守りが可能になればサービスも普及し、廉価な提供も可能になるだろう。コミュ障高齢者にとっての福音は、AIがもたらすかもしれない。 (編集部・福井洋平、澤田晃宏) ※AERA 2017年5月15日号
おひとりさまシニア終活貧困
AERA 2017/05/08 16:00
夜間でも在宅でもOK 「人工透析」最新事情
夜間でも在宅でもOK 「人工透析」最新事情
生活スタイルに合わせて、夜間や宿泊型も広がっている(※写真はイメージ)  腎不全で失われた腎臓の働きを代替する人工透析。大半の患者が利用する血液透析では、生活スタイルに合わせて、夜間や宿泊型が広がっている。もう一方の腹膜透析も機器が便利になり、患者の負担が大きく減っている。  平日の夕方6時すぎ、JR日暮里駅前にある東京ネクスト内科・透析クリニック。仕事を終えたスーツ姿のサラリーマンが続々と来院する。ロッカーでパジャマに着替え、透析室のベッドやリクライニングチェアに横になりながら、4時間の血液透析を受ける。 「腎不全は60歳前後で発症するケースが多いのですが、働き盛りの40~50代でなる人も少なくありません。昼間に4時間の透析は難しいので、仕事後に受けられるよう夜間透析を実施しています」(同クリニック院長・陣内彦博医師)  腰の付近に左右一つずつある腎臓は、主に体内の老廃物(尿毒素)や過剰な水分を排出するため、尿を生成する働きを担っている。しかし、糖尿病や高血圧などから慢性腎臓病(CKD)になると、尿毒素や水分が血中に蓄積し、さらに進行すると腎不全になる。  腎不全の患者は血液を浄化する人工透析療法か、腎移植が必要で、現在は約32万人が人工透析を受けている。人工透析には血液透析と腹膜透析がある。  大半の患者が選択する血液透析は、はじめに腕の動脈と静脈をつなぐシャントという手術をおこなう。次に、つなぎ合わせた血管に注射針をさし、ここから取り出した血液を「ダイアライザー」という透析機器に循環させる。尿毒素や余分な水分をろ過したうえで、患者の体内に戻す。  透析は基本的に1回4時間、週3回実施する。ただし、効果の薄い人には6時間以上の長時間透析をおこなう場合がある。 「長時間透析は、体内の尿毒素が多い人に向いています。時間をかければその分、尿毒素が多く排出されるからです。しかもゆっくり排出されるので、からだへの負担も軽減されます」(同)  血液透析にはさらに時間をかけた、宿泊型の「オーバーナイト透析」もある。終夜の医療スタッフの確保などの課題があり、実施できる施設は限られるが、首都圏を中心に全国30ほどで実施している。同クリニックでは、毎週金曜日の夜11時から翌朝の7時までの8時間おこなっている。 「オーバーナイト透析も会社員の方がよく利用されます。この透析は時間をかけるので尿毒素がよく抜ける分、有用な成分まで抜けてしまうことがあります。そのため透析後に数値のチェックをすることが重要です」(同)  ほかにも、ダイアライザーを自宅に設置して、在宅で血液透析をする人も増えている。この場合、注射針のさし方など、患者自身が3~6カ月ほどクリニックでトレーニングを受ける必要がある。万一のための介助者(血縁・同居者)も必要だが、医師ら医療スタッフは不要だ。機器の運搬・設置の費用がかかるほか、電気代や水道代で毎月2万円ほどが別途かかる。  陣内医師はこう話す。 「在宅血液透析の患者さんのなかには、週に6回透析し、富士山に登ったり、マラソンに挑戦したりしている人もいます。血液透析の選択肢はさまざまあるので、自分に合ったものを選び、人生を楽しんでほしい」  人工透析には、自宅や職場でできる腹膜透析もある。  胃や腸がある腹腔内(各臓器の間)に男性で2リットル、女性で1.5リットル程度の透析液を入れ、約4~6時間そのままにしておく。すると腹膜を通して、血液中の尿毒素や余分な水分が透析液のほうに出てくる。これを取り出し、新しい透析液と交換する作業を1日約4回繰り返すのが、CAPD(連続携行式腹膜透析)だ。  日本大学板橋病院腎臓・高血圧・内分泌内科部長の阿部雅紀医師は、メリットについてこう説明する。 「透析液を腹腔に入れた後は、買い物をしたり映画を見たりなど、普通の生活ができます。腹膜透析は長時間かけてゆっくりおこなうので、4時間の血液透析に比べて、からだへの負担が少ない。腎臓の残存機能も低下しにくい。また、血液透析は血圧が低下しやすいので、血圧が低い高齢の患者さんにも腹膜透析を勧めています」  腹膜透析ははじめに、カテーテルを腹腔内に挿入する手術を受ける必要がある。また、カテーテルと透析液の袋をつないだり、切り離したりする作業には約30分ずつかかる。とはいえ、作業としてはそれだけだ。 「透析液を自分で交換する必要があるので、これまでは若い人が腹膜透析を利用していました。近年は訪問看護ステーションのサービスを利用した高齢者の実施も増えています」(阿部医師)  夜、寝ている間に、透析液を自動で交換するAPD(自動腹膜透析)も普及し始めている。家庭用プリンターほどの大きさの特殊な機器が必要だが、寝る前に回数設定をしておけば、就寝中に透析液を交換してくれる。  ただし、夜間のAPDのみで対応できるのは尿量が1日800ミリリットルほど確保されているような、比較的早期の患者や、腹膜透析を初めて実施する患者だ。 「APDを始めても、尿量が減ってきたら、昼間にCAPDを追加します。さらに尿量が減ってきたらCAPDの回数を増やす、といった患者さんの状態に合わせて対応することが必要になります」(同)  通院が難しい患者に便利なAPDとCAPD。だが、腹膜は徐々に劣化するため、5~8年で血液透析に移行する必要がある。 「腹膜透析が可能なうちに、血液透析を併用する方法もあり、2010年に健康保険の適用となっています。血液透析が必要になっても、腹膜透析も継続することで通院回数を減らして、自分の時間を確保することもできるわけです」(同)  東京都在住で料理店経営の横山正さん(仮名・63歳)は、腎不全で人工透析が必要だったが、通院するのが難しく、11年4月に阿部医師のもとを訪れた。  阿部医師は腹部にカテーテルの挿入手術をおこない、腹膜透析の方法も指導。横山さんはAPDから始め、2年後には腎機能低下に合わせて、CAPDを加えた。就寝前と昼間に1回、透析液を交換した。  16年7月、腹膜透析だけでは対応できなくなり、血液透析も加えるようになった。現在は夜間のAPDのほかに昼間にCAPDを2回おこない、血液透析の通院は週1回にとどめることができている。  阿部医師は言う。 「腹膜透析の利点は自宅や職場、旅行先でもできること。仕事が忙しい人や、近くに透析クリニックがない人などは、うまく活用してほしいです」 ※週刊朝日  2017年5月5-12日号
健康病気
週刊朝日 2017/05/06 07:00
だいすけお兄さん「ロス」 母親たちが引きずる理由
だいすけお兄さん「ロス」 母親たちが引きずる理由
横山だいすけ(よこやま・だいすけ)/国立音楽大学声楽科卒業。劇団四季を経て、2008年4月から17年3月までNHKの幼児番組「おかあさんといっしょ」で11代目うたのお兄さんを務めた。9年間は歴代最長。のびやかで心のこもった歌声が持ち味で、三枚目のキャラクターに全力で挑む姿も人気が高い(撮影/写真部・大野洋介)  思うようにいかない子育てを支えてくれたのは、だいすけお兄さん、あなたの歌と笑顔と変顔でした。NHKの幼児番組「おかあさんといっしょ」で11代目うたのお兄さんが今年3月末に卒業して、早くも1カ月がたとうとしている。それなのに、母親たちは「だいすけロス」から抜け出せずにいる。どうしてそんなに、熱い視線が集まるのか。その背景には、“孤育て”に悩む母親たちの切実な思いがあった。  朝8時。テレビから聞こえてくる「みんな、元気ー?」という声は滋賀県に住む女性(30)にとって、心の支えだった。  結婚して地元を離れ、新しい土地での子育ては予想していたよりずっと孤独だった。夫は仕事で長期の出張が多く、近所に親しい友達もいない。娘は1歳ごろまで1時間おきに泣き、周りの子と比べたくなくて、支援センターからも足が遠のいた。  夜泣きに付き合ったあと、明るい部屋でお兄さんの声を聞き「あ、無事に朝が来た」と、毎日ほっとした。夕食を作るときは、娘が好きな「かぞえてんぐ」の曲をキッチンから大声で歌った。お兄さんは子育てを一緒に乗り越えてきた「戦友」だった。  AERA編集部は3月末から、だいすけお兄さんへの質問とメッセージを募集。96通の手紙とメールのほかSNSでもコメントが寄せられた。 「番組と、だいすけお兄さんに救われました」  手紙にそうつづったのは鹿児島市に住む35歳の女性だ。「テレビやスマホに子守をさせないで」という母親学級でのアドバイスに縛られて、イライラと自己嫌悪で苦しくなったころ、最初は諦めの気持ちでつけたテレビ。お兄さんの歌声に子どもも喜び、気持ちが軽くなったという。 「夫よりも子育てしてもらった」 「卒業を知りながらどんどん好きになってしまった」  寄せられたメッセージにはそんな声があふれた。  この9年間で、きっと“孤育て”は進んだ。だからこそ毎日家の中で会えるお兄さんはときにパパになり、きょうだい役もこなした。一緒に歌った曲には子どもとの思い出が詰まっていて、母親にとっては戦友……いや、それ以上に何年ぶりかの恋だったのかもしれない。(dot.編集部・金城珠代) ※AERA 2017年5月1-8日合併号
AERA 2017/05/03 11:30
第48回 ピンク・フロイドのドラマー、ニック・メイソンが『狂気』の創作を語る
第48回 ピンク・フロイドのドラマー、ニック・メイソンが『狂気』の創作を語る
『インサイド・アウト:ア・パーソナル・ヒストリー・オブ・ピンク・フロイド(ニュー・エディション)』ニック・メイスン著 『インサイド・アウト:ア・パーソナル・ヒストリー・オブ・ピンク・フロイド(ニュー・エディション)』 ニック・メイスン著 ●第6章 ゼア・イズ・ノー・ダーク・サイドより  1971年の末期、バンドのモチベーションが上がったように感じられた。ロジャー(・ウォーターズ)が『メロディー・メイカー』誌に語っている。 「僕の中には確かに重圧感がある。僕たちは実際、いろんなことを恐ろしく成り行き任せにしてきた。そのせいで、気が狂いそうになるんだ。だから、グループでそれを共有しようとしているところだ」。    彼はまた、次のイギリス・ツアーをもう一つのプレッシャーと捉えていた。 「今から1月19日までに、とにかくツアーが始まるまでに、何かを完全なものにするには時間が足りない。1時間を通して本当に素晴らしいものを創り出すのはとても難しいことだ」  とはいえロジャーは、意欲的に取り組み、新しいアルバムのアウトラインを描きはじめていた。彼にはアイデアと作りかけの曲がいくつかあった。  例えば《タイム》は、歌詞をつけていなかったが、ヴァースとコーラスをすでに書き上げていた。また、7/8拍子の斬新なベース・リフを思いついてもいた。  バンドは『ザ・ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン(狂気)』の構想を練るため、セント・オーガスティンズ・ロード(カムデン)の私の家に集まり、キッチン・テーブルを囲んでミーティングを開いた。  常に顔を合わせているメンバーが、そうした話し合いの場を持つことは珍しかった。それぞれが、気分を一新して次のプロジェクトに集中する必要性を感じていたに違いない。  私たちにはロジャーの曲の他にも、以前のリハーサル・セッションの断片やより完成した素材も少なからずあった。だが、ロジャーのコンセプトを助長する一貫性のあるテーマがなかった。そして、バンドのミーティングで共通項として持ち上がったのが、ストレスという問題だった。  私たちは当時、円満な家庭生活を送り、特に不安や苦悩を感じていたわけではなかったが、現代の生活の中で認識する重圧や困難を列挙したー仕事の最終期限、長旅、飛行機による移動のストレス、金銭的誘惑、死の恐怖、狂気の引き金になりかねない精神的な不安……。  ロジャーは、そういったさまざまな要素を念頭に置き、歌詞を書き表した。  それは、従来のアルバムのどちらかと言えば断片的なアプローチに比べて、かなり建設的な取り組み方のように思われた。私たちはそれまで、閃くというよりも考えあぐねて作っていたこともあった。  だがこのアルバムでは、メンバーがそれぞれの意図や願望について活発に意見交換を行い、意気込みを見せた。  私たちは、ロジャーの独創的な歌詞を用いて、リハーサル・スタジオで、さらにはレコーディング・セッションを通して、曲を徐々に発展させていった。  ロジャーはその過程で、曲や歌詞のギャップに気づき、それらを補完することができた。  1968年にシド(・バレット)がバンドを去るとすぐに、ロジャーが、歌詞の大半を書くという義務を負った。デイヴィッド(・ギルモア)やリック(リチャード・ライト)はまだ、たまに書く程度だった。  リックがかつて、「歌詞が曲のように出てくれば、僕たちは他にすることがなく、かなり多作になるだろう」と語っている。   『ザ・ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン』では、ロジャーが作詞をすべて手掛けた。彼は独自の言葉で、重要なアルバムのコンセプトをきわめて明確に表現した。彼自身は後に、“高校2年生レヴェルの代物”と語り、謙遜することがあったものの、それによって、傑出したコンセプト・アルバムが生まれた。  私たちは初めて、アルバムのジャケットに掲載するべき歌詞と考え、全文をプリントした。  バンドは『ダーク・サイド』の演奏可能な初期ヴァージョンを、数週間のうちに作り上げた。また、初演時にはすでに『ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン、ア・ピース・フォー・アソーティッド・ルナティックス』というタイトルをつけていた。ただし、このタイトルと『エクリプス』の間で何度も思い悩むことにはなった。  私たちは1972年2月中旬に、ノース・ロンドンのレインボウ・シアターで4夜連続公演を行い、組曲を初めてステージで披露した。 Inside Out: A Personal History Of Pink Floyd / New Edition By Nick Mason 訳:中山啓子 [次回5/29(月)更新予定]
2017/05/01 00:00
映画『プリティ・ウーマン』には後味の悪い別エンディングが用意されていた
映画『プリティ・ウーマン』には後味の悪い別エンディングが用意されていた
※写真はイメージ  先日、アメリカで発行されているエンターテインメント専門の業界紙『バラエティ』の取材にハリウッド俳優リチャード・ギアが応じ、1990に公開された大ヒット映画『プリティ・ウーマン』には別のエンディングが用意されていたことを明かした。  公開された映画は当然のように“ハッピーエンド”で終わるのだが、当初考えられていたのはきわめて“重苦しい”エンディングだったとのことだ。 「そう、たしかにあるんだ。でも、ぼくは(オリジナルの脚本は)見たことがないよ」  ヒロインを演じたジュリア・ロバーツも言っている。ジュリアはオリジナルの脚本を目にしているのだ。 「本当に暗くて、気が滅入る話だった。すごく嫌な二人の、本当にひどくて恐ろしい話」  映画『プリティ・ウーマン』が公開されたとき、世界中の男性がジュリア・ロバーツに恋をした。映画好きに言わせればその前年にゴールデングローブ助演女優賞を受賞した『マグノリアの花たち』があるが、ジュリアを一躍スターダムにのし上げたのは『プリティ――』の“娼婦役”だ。  私と同じアラフィフ世代は高校生から大学生くらいのときにヴァン・ヘイレンがカバーした『オー・プリティー・ウーマン(原曲はロイ・オービンソン)』を聴き、二十代半ばでこの映画を見ているはずだからストーリーを知らないという人はいないと思うが、もうひとつの“エンディング”に触れる前に、物語を簡単に――。  リチャード・ギアが演じているのは、ニューヨークで買収ファンドを手がける遣り手の青年社長エドワード・ロイスだ。造船大手のモース社を買収するため、LAを訪れている。ホテルはハリウッドに取っているが、退屈なパーティーを抜け出して帰宿しようとした際、帰り道がわからなくなって道を尋ねたのがジュリア・ロバーツ演じる新米娼婦のヴィヴィアン・ワードだった。  エドワードが実業家になったのは、外に女を作って母親につらい思いをさせた父親に復讐するためで、初めての買収が父親の会社を乗っ取って解体、転売することだったという暗い過去を持つ。企業買収を次々と成功させるが、全てをビジネスと割り切り、部下にも絶対服従を強いる冷徹な社長だ。だが、心はちょっと寂しい(妻とは離婚し、恋人には映画の冒頭で、服従と命令に耐えられないと言われ電話で別れを告げられている。パーティーでも、いまは結婚して幸せなミセスになった元カノも出てくる)。  ヒロインのヴィヴィアンは、3番目につきあった男を追いかけ、高校を2年で中退してジョージア州からLAに出てきた。が、すぐに捨てられ、ファーストフード店や駐車場で働くがやがて家賃も払えないくらいに困窮する。故郷に帰る金もなく途方に暮れていたとき、現在同居しているキット・デ・ルカと知りあい、いまの仕事に誘われた。ハリウッドの街角に立つ仕事である。  娼婦たちは、ハリウッド名物の歩道に埋め込まれた星形のプレート(ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイム)の位置で縄張りを決めている。ヴィヴィアンとキットの客引きが許されるのは、ボブ・ホープのプレートからエラ・フィッツジェラルドのプレートまでの間だ。  だが、娼婦たちに未来はない。彼女たちが春をひさぐハリウッドブールバードでは、スキニー・マリーという娼婦が殺害され、警察の聞き込み捜査に住人らが答えている。 「ヤク中のフッカー(売春婦)だった。街角に立って、コカインと交換条件で寝てた」  娼婦にまで落ちぶれたヴィヴィアンにも未来はない。足を洗いたくても、洗えないのだ。劇中には、エドワードとのこんな会話もある。 「初めての日は泣き通しだった。そのうち固定客がついたけど、夢とは大違いよ」 「仕事は他にもある」 「屈辱に耐えるだけの人生だわ」 「きみはとても賢くて……、特別の女性だと思う」 「甘い言葉は信じないわ」  DVDの特典映像でも、監督のゲイリー・マーシャルはこんなことを言っている。 〈ヴィヴィアンには何もない、あるのは夢だけ。エドワードは夢以外、全てを持っている。夢と希望は誰でも持っている、そして、ときに叶う。この二人のようにね〉  ハリウッド界隈の地理に詳しいと言うヴィヴィアンを助手席に座らせ、20ドルで道案内を請うが、ホテルに着いたとき、エドワードが尋ねるのだ。 「ところで、夜の相場はどのくらい?」 「軽く100ドル」 「一晩で?」 「1時間よ」 「もし先約がなければ、ホテルに寄っていかないか」 「いいわ。あなた、何て名前?」 「エドワードだ」 「わたし好みの名前だわ。めぐり会ったのも何かの縁ね」  これが二人の出会いだが、エドワードが投宿するホテルの豪華さに、ヴィヴィアンはあ然とする。 「気に入ってくれたかな」 「見くびらないで。こんなホテル、常連客とよく来るもの」 「だろうね」  スイートルームではしゃぐヴィヴィアンだが、ここで『プリティ・ウーマン』を代表する名場面が登場する。バブルバスにつかり、ウォークマンでプリンスを聴きながら熱唱する場面だ。そしてヴィヴィアンは、娼婦だから身体は許すが、くちびるへのキスはしないと言う(役柄が娼婦だから、エドワードとの濡れ場もあります)。  ヴィヴィアンはテレビのコメディ番組を見ては大口を開けてゲラゲラと笑い、食事を用意すれば椅子ではなくテーブルに尻を乗せて食べようとするような女性だが、型にはまらない奔放さが気に入ったのか、エドワードは契約を申し出る。買収相手の社長から会食に誘われ、エスコートする女性が必要になったのである。 「ビジネスの話をしよう。日曜日までぼくと過ごさないか。従業員として雇う。1週間いてほしい。ぼくの言うとおりに動け」 「嬉しい提案だけど、リッチな二枚目は女性にモテモテでしょ」 「いや、プロの女がいい。買収が最終段階に入ってね、今週は恋愛どころじゃないんだ」 「24時間態勢だから高くつくわよ」 「いいとも、ギャラを決めよう。望みの額は?」  一週間の恋人契約料は3000ドルだ。普段の収入から見れば、破格の報酬である。  映画は、ここで中盤のクライマックスに突入する。ディナー用のエレガントな洋服を買うよう言われ、ヴィヴィアンはハリウッドの有名ブランド店に出かけるが、夜の街角に立つ恰好で出歩いたものだから通行人にはじろじろと見られ、ブティックではけんもほろろに追い返されてしまう。 「一流品ばかりね、これはいくら?」 「似合いませんわ」 「値段を聞いているのよ」 「高いですよ」 「お金ならあるわ」 「当店にはお客さまに似合う服はありません。よその店へ、どうぞ、お引き取りください」  ホテルに戻って支配人に泣きつくが、支配人からもヴィヴィアンは白い目で見られている。が、この『プリティ・ウーマン』だけでなく後にリチャード・ギアとジュリア・ロバーツが再び共演する『プリティ・ブライド』やアン・ハサウェイ主演の『プリティ・プリンセス』にも出演のヘクター・エリゾンド扮するバーニー・トンプソン支配人がヴィヴィアンの良き協力者になり、理解者にもなるのだ。 「当ホテルは連れ込み宿ではありません。ルイスさまは特別なお客さまです、我々の大切な友人です。ですが、何とかしましょう。あなたは彼の……、ご親戚で、なるほど、つまり、姪御さんですな。ルイスさまがホテルを引き払えば、あなたも出て行く。よろしい、あなたに相応しい服装を用意いたしましょう」  テーブルマナーも支配人に教わり、蓮っ葉な娼婦から見違えるようなエレガントな女性に変身したヴィヴィアンはそつなくディナーをこなす。だが、買い物に行ったらみんなに意地悪されたと愚痴ると、翌日、エドワードはヴィヴィアンを連れてブティックをまわる。大金持ちにエスコートされたヴィヴィアンは、今度は店内のスタッフ全員にちやほやされ、次から次へと洋服の試着を勧められるのだ(このときBGMでロイ・オービンソンの“プリティ・ウーマン”が流れて映画は盛り上がります)。  買い終えたブランドショップの紙袋を両手に持ち、きれいに着飾ったヴィヴィアンを通行人がまたもやじろじろと見るのだが、今度は羨望が入り交じった視線だ。そして、前日ヴィヴィアンを追い払ったブティックを訪れる。店員の態度は慇懃なものに変わっている。 「ねえ、あたしを覚えてる?」 「いえ、初めてお目にかかるかと」 「あら、昨日、コケにしてくれたじゃない。あなたは歩合給で働いてるの?」 「ええ、まあ」 「ほほ、逃がした魚は大きいわよ。それじゃ失礼するわね、他にも買い物があるの」  惨めな思いをしたヒロインの意趣返しは、視聴者も快哉を叫ぶところだ。  企業買収の契約を結ぶ前夜、ヴィヴィアンは眠りについたエドワードのくちびるにそっと自分のくちびるを重ねる。エドワードは目ざめ、二人はくちづけを交わす。娼婦のルール違反だが、翌日には二人に“契約満了”の別れが訪れるのだ。 「今夜でお別れだ。明日はきみに捨てられる」 「手が焼ける客だったわ」 「ニューヨークへ帰る。また会いたい、本気だ。きみのためにアパートと車を用意した。買い物をするとるときは歓待するよう店に言っておいた。手配済みだ」 「他には? 枕元にはお小遣い?」 「違う。きみは誤解している」 「何がよ」 「もう街角には立つな」 「わたしに“囲われ女”になれって言うの」  二人は互いに惹かれあっているのだが、現実がそれを許さない。ヴィヴィアンが言う。 「子どものとき、悪いことをすると屋根裏に閉じ込められたわ。でもわたしは塔に幽閉されたお姫さまになった気がした。いつか白馬にまたがった騎士が剣をかざして助けに来るって。そうしたらわたしは手を振る。騎士は塔をよじ登り、わたしを救い出してくれる。でも夢の騎士はこうは言わないわ、ベイビー、高級アパートに囲ってやるなんて」 「受けてほしい。これがいまのぼくにできる精一杯の気持ちだ」 「わたしにはもったいない申し出だわ」 「街の女扱いはしていない」 「したわ」  エドワードが進めていたモース社の企業買収だが、いざ契約成立という土壇場でエドワードは翻意し、買収から“業務提携”に切り替える。知りあったころにヴィヴィアンが言った“あなたの会社は買収ばかりで何も生み出さないの? 何も作らないの?”の言葉が頭に残っていたからだ。  これに顧問弁護士のフィリップ・スタッキーが激怒し、帰り支度をしているヴィヴィアンのホテルに怒鳴り込んでくる。エドワードは、旧友でもあるこの弁護士だけにヴィヴィアンの正体を明かしていた。 「やあ、また会ったな。エドワードは?」 「あなたと一緒じゃないの」 「ぼくなんかお構いなしさ。もしエドワードがぼくを尊重し、アドバイスに従っていれば10億ドルの商談を不意にせずに済んだんだ。彼はここにいるのかと思った、きみに毒されているからな」  そしてスタッキーは、好色そうな目でヴィヴィアンを見やる。 「相談だが、ここは家じゃない。ホテルの一室だ。しかもきみはただの小娘じゃない、売春婦だ。さぞ上手いだろうな。十億ドルを棒に振った罪滅ぼしだ、抱かせろ。きみのせいで大金が水の泡だ。わかるか、ぼくは頭にきてるんだ。身体がムズムズする。一発やれば憂さが晴れてすっきりする」  スタッキーはヴィヴィアンに襲いかかり、ヴィヴィアンも必死で抵抗するが、そのときエドワードがホテルに戻り、スタッキーを殴り倒す。スタッキーを部屋から追い出したあと、ヴィヴィアンにもう一晩、一緒にいてくれと頼むが、ヴィヴィアンはそれをやんわりと断るのだ。 「無理よ。だってあなたは騎士じゃなくて、幸せな王子さまだもの」  ヴィヴィアンは恋人契約料の3000ドルを受け取ってホテルを後にし、エドワードもニューヨークに戻る準備をする。そしてチェックアウトの際、すっかり事情を知っている支配人が独り言のように言うのだ。 「美しい宝は手放すのがつらいものです。そうそう、そういえば、昨日、当ホテルでドライバーを勤めますダリルが、ヴィヴィアンさまをご自宅までお送りしましたな」  空港へ向かう途中、エドワードがダリルに命じて行き先を変更するのは説明するまでもないが、街頭の花売り店で小さなバラの花束を買い――、以降の説明は省くが、リチャード・ギアの出世作『愛と青春の旅立ち』のエンディングのような感動的なフィナーレが『プリティ・ウーマン』にも待っていることだけは触れておこう。幸せな王子さまは、白馬ではなく、真っ白なリムジンに乗る騎士になるのである。  当初、この映画には『3000』というタイトルがつけられていたらしい。エドワードがヴィヴィアンに払う金額の“3000”だ。オリジナルの脚本がタッチストーン社に1700万ドルで売却されたために“後味の悪いエンディング”は書き換えられたが、オリジナル原作について、ジュリア・ロバーツはヴォーグ誌の取材に応えている。 「本当に暗くて、気が滅入る話だった。すごく嫌な二人の、本当にひどくて恐ろしい話。わたしの役は麻薬中毒で、気性が荒くて、口汚くて悪趣味で、知性のかけらもない売春婦だった。エドワードはすごくお金持ちでハンサムだけど、でもすごく嫌な人物だった。そのすごく嫌な二人の、本当におぞましい、ひどい話だったのよ」  当初、リチャード・ギアは出演依頼を断ったのだそうだ。しかし、彼の自宅に監督のゲイリー・マーシャルとジュリア・ロバーツが一緒に訪れて説得し、主演がかなったとのことだ(この映画でのジュリアの出演料は30万ドルだったが、現在では一本450万ドル以上になっている)。  リチャード・ギアが出演を断った脚本というのは、ヴィヴィアンが麻薬中毒という設定はジュリアが言ったとおりだが、エドワードにはニューヨークに恋人がいて、ヴィヴィアンと“契約”するところまでは変わらないものの、は虫類のような性格で、売春婦のヴィヴィアンを終始見下し、一週間分の報酬も“くれてやる”ような男に描かれていたらしい。  エドワードは恋人が待つニューヨークに戻るが、残されたヴィヴィアンは再び街角に立って客引きをし、揚げ句は薬物中毒で死んでしまう――、というエンディングだった。これは、映画の冒頭で登場するスキニー・マリーだ。 〈スキニーはヤク中のフッカー(売春婦)だった。街角に立って、コカインと交換条件で寝てた〉  映画が『3000』の脚本で制作されていたら、『プリティ・ウーマン』ほどのヒットを飛ばしただろうか――? オリジナルのほうがより現実的な物語のように感じられはするが、オリジナル原作のままだったら誰もこの物語に共感することも、ヴィヴィアンの逆転した人生に思いを馳せることもしなかっただろう。ジュリア・ロバーツだってこんにちの名声を得られなかったかもしれない。  この映画が公開されたとき、“できすぎてる”“あり得ない”と批判する向きもあった。だが、映画はやはりハッピーエンドがいい。娼婦にまで身を沈めたヴィヴィアンが、子どものころから憧れていた騎士に手をさしのべられるようなシンデレラストーリーがあってもいいではないか。  まだ『プリティ・ウーマン』をご覧になっていない方は是非このGWに。特に若い方は。情熱的なロマンスを学ぶ、いい機会です。最後に、映画のエンディングを飾るエドワードとヴィヴィアンの台詞を紹介して終わりにしましょう。 「騎士が塔をよじ登ってきみを助けたら、その後はどうなる?」 「もう二度と離れない」  でも、本当は、ハッピーエンドの先が大事なのですけどね。 参考記事:vogue.com2014年10月30日付、Techinsight4月13日付、シネマトゥディ2012年1月12日付・2017年4月24日付他 (ノンフィクションライター 降旗 学)
ダイヤモンド・オンライン 2017/05/01 00:00
木村拓哉「プレッシャーは、武器にするしかない」
木村拓哉「プレッシャーは、武器にするしかない」
木村拓哉の“今” (※写真はイメージ)  4月29日公開の映画「無限の住人」で、望んでもいないのに不死身にされた侍・万次を演じる。原作は沙村広明氏の同名漫画、メガホンをとるのは三池崇史監督。アクションあり、ドラマありの超ド級エンタメ作品だ。映画や仕事に対する思いについて、語ってくれた。 *  *  * ──この作品に挑戦しようと思ったきっかけは?  出演していたFNS歌謡祭の会場に、三池監督が来てくださったんです。そこで沙村さんの画集を渡されて、「これやらない? やろうよ」と。そのときの三池さんの目、それを見たらもう「お願いします」という言葉しかなくて。その後、原作漫画を大人買いして読みました。「この世界観を表現するのか。すごいものを引き受けちゃったな」と思いましたが、やれてよかったです。 ──三池監督は「この役は木村拓哉しかいない。何十年も日本を代表するスーパースターであり続ける彼と、不死身の万次が重なる」と。この言葉について、どう思われますか?  その重ね方はどうなんだろうと思いますけど(笑)。でも、監督がそういうふうに捉えてくださったことは、万次をやらせていただく上で何物にも代えがたいと思っています。 ──どんな思いで万次を演じられましたか?  万次が生きる理由って、杉咲花さん演じる凜の存在なんですよね。だからメイクをして、カツラと衣装を着けて現場に入ったあとは、凜の存在を頭のてっぺんから足の先まで全身で感じようと。それしかなかったですね。 ──独眼で顔にも傷のある役。メイクには相当時間がかかったのでは?  最初の1週間くらいは1時間半くらいかかりましたが、だんだんメイクさんの手順がわかるようになるんです。だから「次、これだよね?」って顔にのせて待ってたりして(笑)。最終的には40分にまで短縮できました。 ──見どころの一つである300人斬り、そのシーンを撮る朝はどんな気持ちでしたか。  ロケ中はほぼ毎晩、撮影が終わると宿泊先のホテルにあるバーで台本を読んでいたんです。たぶん前日の夜もそこで台本を読んでから部屋に戻ったんですが、目覚ましが鳴る1時間前に目が覚めましたね。そのまま起きて、朝食も食べませんでした。撮影とはいえ、命のやりとりをする場に赴く前に食欲が満たされると、どこか動物になりきれない気がして。 ──現在を生きる我々も、気持ちの上で闘わざるを得ないことがありますが、闘いの場面ではそういうご自分の思いと重ねたり?  そこまで闘っている意識、ないですから(笑)。 ──俳優さんによっては役が抜けず、日常生活でも役っぽくなるという方もいますが、木村さんは?  そういえばこの映画の撮影中、長年番組のスタッフをやってくださっていた方に、「なんか最近、怖いんだけど」と言われましたね。自分ではまったく意識していないので、わからないんですけど。 ──木村さんと三池監督とのタッグということで注目が集まっていますが、主演としてのプレッシャーを感じることは?  プレッシャーはぶら下げていてもなんの得にもならないし、もしぶら下がったままどうしても離れないとしたら、それを武器にするしかないですよね。 ──今回はどうでした?  ちょうど撮影に関係のないことでゴタゴタしていた時期でもあったので、まったく必要のない、変なプレッシャーはありました。だからこの撮影があったことで、現場で思い切り爆発させてもらえたのはよかったですね。 ──撮影は2015年11月から16年1月、真冬の京都と聞きました。衣装は着流し、素足に履物のスタイルですから、寒くて過酷だったのでは。  過酷とは思わないし、「寒い」というのは、作品に必要のない要素ですから。たとえば斜光や逆光の場合、各出演者のところに氷を入れた紙コップが回ってくるんです。それを口に含ませて、息が白くならないようにする。みんなそうで、俺だけじゃないですからね。たとえキツイことであっても、思い返してみると言葉が全部変換されてるんです。「楽しかった」「充実してた」と。 ──その原動力になるものは?  現場が自分を必要としてくれること、そして作ったものを吟味してくれる人たちがいてくれることかな。 ──ゼロ号試写を見終わったとき、立ち上がって三池監督と握手を交わしたと聞きました。  自分が現場で感じた不安や悔しさ、負担がキレイに消えたゼロ号でした。「本当にありがとうございました」という思いでした。フィジカルな面で100%で臨めなかったところもあったので。 ──撮影で右膝じん帯を損傷されたそうですね。 「あれ?」という方向に脚が曲がったんですよ。自分は「クニャッ」、監督は「ボキッ」とやりまして(三池監督は左足首を骨折)。撮影後は僕たち2人だけ、他の人たちが去ったあとの現場を同じ速度でゆっくり後にしてました。プレーヤーが試合中にケガをするなんて、監督としては「何やってんだ」という感じじゃないですか。そのあたりが自分のなかでひっかかっていたんですが、それもすべてゼロになりました。 ──ドラマ「A LIFE~愛しき人~」の放送が終わったばかりで忙しい日々が続いていると思いますが、リラックスする時間は?  ありますよ。いつでもリラックスしてます。 ──忙しすぎてイヤになることは?  一緒にやってくれているスタッフさんは、もっと忙しいですからね。とくにドラマの場合、1日2時間寝てない人もいたんじゃないかな。次の日の撮影のために、何を聞かれても大丈夫なように準備しなくちゃならないし。でも僕の経験から言うと、フィジカルもメンタルも女子のほうが強い。たとえぶっ倒れても「すみません、大丈夫ですから」と、メンタルは壊れてないんですよ。すごいです。 ──そういう姿に気づいてもらえることが、スタッフの方の励みになりそうです。  だって、本当にそういう方が現場にいてくれるので。ドラマで医療監修の方に「医師を演じる上でとても大切なことが三つある」と教えていただいたのが、「見る、聞く、感じる」ということ。それは医師だけじゃなくて、自分たちの仕事にも言えると思います。演技は相手を感じて何を返せるかだし、現場のスタッフさんや、周りとの関係もそう。もちろん、それぞれの考えがあるし、「俳優はこうあるべき」なんて思いません。でも僕はそうなってしまうし、そうありたいですね。 ※週刊朝日 2017年4月28日号
週刊朝日 2017/04/25 16:00
古賀茂明「電通事件でわかる労基法のザルぶり 連合は“経団連労務部”」
古賀茂明 古賀茂明
古賀茂明「電通事件でわかる労基法のザルぶり 連合は“経団連労務部”」
著者:古賀茂明(こが・しげあき)1955年、長崎県生まれ。東京大学法学部卒業後、旧通産省(経済産業省)入省。国家公務員制度改革推進本部審議官、中小企業庁経営支援部長などを経て2011年退官、改革派官僚で「改革はするが戦争はしない」フォーラム4提唱者。元報道ステーションコメンテーター。主著「日本中枢の崩壊」など。「シナプス 古賀茂明サロン」主催。  4月20日、厚生労働省が電通の山本敏博社長から任意で事情聴取したというニュースが報じられた。    これだけ見ると、「ついに電通社長まで捜査の手が伸びた、当局は本気だな」と思ってしまった方も多いだろう。しかし、それは、まったくの間違いだ。2016年10月、電通の女性社員、高橋まつりさんの過労自殺が日本中の話題となった。文字通りの「殺人的」残業が原因で、才能のある一人の若者が犠牲になったのだ。    その後、電通本社やその支社などに、立て続けに厚労省が立ち入り調査を行ったが、驚いたことに、電通では、これまで何回も労働基準法違反が繰り返されており、当局もそれを再三問題としていたということが明るみに出た。実は、電通は法律違反の常習犯だったのだ。  こうした勤務実態を会社の上層部が知らなかったかというと、とてもそんなことはありえない。世の中の人々は、会社の社長以下幹部に責任があるのは当然だと受け止めた。その見方は決して間違ってはいない。  是正勧告を立て続けに受けたのだから、社長もこの問題を深刻に受け止めたはず。そうであれば、その後の社員の勤務実態について強い関心を持っていたに違いない。深夜まで働く社員がいたことに気づきませんでした、などという言い訳が通用するわけがない。 ●労基法は天下のザル法  では、そんな悪質な会社の社長には、どんな罰が下されるのであろう。  まず労働基準法では、会社が労働組合との協定(三六協定と呼ばれる)に書いてある上限を超えてはたらかせることはできない。もし、これを超える労働をさせたら、労基法32条(労働時間)または、35条(休日)違反となって、使用者(上司)が罰せられることになる。ただし、その場合でも、1度目からいきなり刑事罰が科されることはほとんどないというのが、日本の労基法がザル法といわれる所以だ。まずは労働基準監督署から是正勧告が出され、それにしたがって改善措置を取ればよいという、ほとんど意味のない処分で終わる。  しかし、高橋まつりさんの場合は、過去に同様の案件で是正勧告を受けたばかりの事件、しかも尊い若者の命までが奪われている。社長が10年くらい牢屋に入るべきだとご遺族が思ったとしても、不思議ではない。  そう思って労基法を見ると、この違反に対しては、119条で「六箇月以下の懲役又は三十万円以下の罰金」と書いてある。つまり、一番重くても半年の牢屋入りで終わりだ。会社が黙認していたら罰金が会社に科されるが、それも30万円。残業時間を偽って報告するなどの罪が加わっても数十万円罰金が増えるだけ。電通にとっては、下っ端社員が一晩に使う接待費と変わらず、痛くもかゆくもない。    本件では、2017年1月に、高橋さんの当時の上司だった幹部社員が書類送検されたが、冒頭に紹介した4月20日の報道によれば、東京本社の幹部の追加の立件は捜査が難航しているという。  電通の社長を聴取したと言っても、それは、法人である電通に罰金を科すかどうかの判断のための確認に過ぎないようだ。つまり、当時の責任者である前社長を牢屋に入れることは難しそうだ。 当初は、派手に、「電通を告発」とメディアでも大きく報じられたが、結局はこの程度で幕引きである。  やはり、日本は変われないのか。  そんな気がしてならない。 ●先進国になれない残念な自民党の成長戦略 「過労死させる企業、電通」の問題は、ひとり電通だけの問題とは言えない。実は、この原因は、元をたどれば、自民党の政策の誤りによる部分も大きい。 自民党は、ずっと昔から、常に「成長戦略」を掲げ、それを実現するために「改革」の必要性を強調してきた。  しかし、これまでどうしてもうまくいかなかった。原因はいくつかあるが、収入を増やすための主役となる企業が変わるための長期的な条件整備を自民党政権が怠ったからだ。労働条件もその重要な一部である。  どの国も、先進国になる過程で出生率が下がり、少子化が進む。少子化が進むと、当然、人手不足が生じる。欧州諸国では、「人が足りないのだから、人は貴重な存在。つまり、人件費は高くて当たり前だ」という考え方に基づき、労働条件の引き上げなどの変革を進めた。経済的に豊かになったことで、より個人の尊厳を重視しようと考えるゆとりが、社会に生まれたという面もある。  実は、この考え方こそ、「先進国」の証(あか)しだ。日本にも「先進国への転換」のチャンスはあったのではないかと思う。それは、日本が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた1980年代から90年代である。 ●25年前に提出された「時短」報告書  実は25年前、私は旧・通商産業省(現在の経済産業省)で、労働時間短縮のための政策提言を行った。長時間労働は女性のキャリア形成や男性の家庭参画を阻み、仕事と子育ての両立を難しくし、少子化の一因となるので、「時短」は日本にとって喫緊の課題だと、強く指摘する報告書を出したのだ。  この政策提言は1992年2月4日の衆議院予算委員会総括質疑で、共産党の不破哲三委員長(当時)によって好意的に取り上げられた。不破氏は「通産省でさえ、労働時間の短縮を提言している。日本政府は長時間労働の是正に着手すべきだ」「通産省(の報告書)がいっているような恒常的残業を抜きにした生産システムを組むためには、残業の上限を法で決める」べきだと政府、特に労働相に迫った。  25年も前に、経団連を所管する通産省でさえ深刻な問題だと指摘していたのに、この問題は、その後25年間も放置されたのである。自民党の罪は非常に大きい。 単純比較は難しいが、統計では、ドイツの年間の労働時間が1370時間程度。日本の1730時間より350時間以上短い。1日8時間労働で計算すれば、年間で40日以上短いということになる。  日本は、途上国の追い上げから逃れるために、「人件費を下げる改革」を進めた。派遣や請負を使いやすくし、その結果、企業は何とか生き延びたが、非正規社員がどんどん増えた。それでも途上国の追い上げが続くと、万策尽きて、安倍政権は、円安政策(1ドル80円から120円へ)を発動した。世界で競争する時、賃金が3割以上下がった効果が生まれ、企業は一息ついた。  しかし、今も、120円が110円になっただけで「円高」だと大騒ぎするくらい、日本企業は昔と同じ、コスト競争の能力しかないという状況が続いている。 ●経団連の御用聞きでしかない安倍総理  安倍政権の働き方改革案の柱は、「残業時間の上限を月平均60時間とする」、つまり、年間720時間残業。国際標準から見ると先進国とはとても言えないひどい水準だ。  しかも、繁忙期には、「月100時間未満」まで残業可。100時間といえば、過労死ライン。過労死ギリギリまでは認めましょうと国がお墨付きを与えるというのだ。欧州では当たり前になった、勤務間インターバル規制(前日の退社時間から翌日の出社時間までの間に一定の時間を空けることを義務付ける規制。過労死を防止するために最も重要なもののひとつ)に至っては、義務化は最初からあきらめて、罰則なしの努力義務にしかならない。    労働時間を短縮するためにも、賃金を上げるためにも、生産性向上が必要なのは確かだ。しかし、政府はそのために、もっぱら労働者に「ペイが欲しければ、もっと働け」と強要している。政府・経団連にとって、「改革」の真の狙いは、実は残業代ゼロ法案などの労働強化策の方にあり、政府はその実現を狙っている。  ここまで来ると、安倍内閣の働き方改革の焦点は、最初からずれていたということに気づく。労働者の働き方を変えれば問題が解決されるという発想の「方向」が逆なのだ。  労働時間の短縮や最低賃金の引き上げなどは正しい政策だが、上述した企業経営の変革、そして、その結果としての企業の淘汰こそが成長戦略のカギを握るという本質が、理解されていない。安倍総理は、経団連の御用聞きをやめるべきだ。  そして、「働き方改革」の本丸は、労働条件がよくても儲かるビジネスを築き上げる「経営者たちの自己変革」、そして、それができない「無能な経営者の淘汰」にあることを、しっかりと認識してもらいたい。  ところで、こんなにひどい労働条件が、先進国である日本で許され続けた理由については、連合という労働組合の存在抜きには語れない。  ここでは詳述しないが、連合が基本的に、大企業正社員の既得権保護団体であること、また、労働コストカットでしか生き残れないという経営者の言い訳をそのまま受け入れる御用組合であり続けたことなどが大きな影響を与え続けたことは明確にしておかなければならない。  連合の正式名称は、「日本労働組合総連合会」。しかし、もはや、「組合」ではなく、「経団連労務部」と改称した方がよいのではないだろうか。(文/古賀茂明)
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dot. 2017/04/24 07:00
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