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40歳を過ぎて再び脚光「矢田亜希子」 好感度上昇で目指す新天地とは
高梨歩 高梨歩
40歳を過ぎて再び脚光「矢田亜希子」 好感度上昇で目指す新天地とは
矢田亜希子(C)朝日新聞社 矢田亜希子が丸山桂里奈に贈った結婚祝い/矢田亜希子公式インスタグラム(@akiko_yada)より  9月14日に放送された「有田プレビュールーム」(TBS)の企画「芸能界!駐車女王グランプリ」に出演した女優の矢田亜希子(41)の姿が話題となった。イメージとはかけ離れた高度な運転技術を披露し、SNS上では「カッコよすぎる!」「美人に加えて運転上手って非の打ち所がない」などの声があがったのだ。  1990年後半から2000年前半にかけ、ドラマ「やまとなでしこ」や「白い巨塔」(ともにフジテレビ)など数々のヒットドラマに出演し、絶大な人気を誇った矢田。結婚、出産、当時の夫の不祥事等をきっかけに一時は表舞台から姿を消していたが、最近バラエティ番組などで露出が増えているようだ。 「バラエティに出始めの時期は、プライベートを切り売りしている印象もありました。しかし、最近は『コストコが大好き』という庶民派の一面や、ぶっちゃけ話もでき、うまく返しもできるトーク上手な点が視聴者から高い評価を得ているようです。先日、明石家さんまさんとバラエティ番組で共演した際、トークテーマに沿って『スケベな笑い方で思い浮かぶ役者がいる』と切り出し、それが小林稔侍さんであると実名を挙げ、スタジオを沸かせていました。また、『結婚がゴールだとは思ってない』とも話し、周囲の結婚に対して『「おめでとう」って心から言えなくなってきました』と本音を明かす場面もありました。美人なのに変に飾らないところが、視聴者の好感に繋がっているようです」(テレビ情報誌の編集者)  一方、本業である女優業では悪役にもトライし、新境地を開いている。8月6日に最終回を迎えたドラマ「ギルティ ~この恋は罪ですか?~」(日本テレビ)では、娘に暴力を振るったり心ない言葉を浴びせたりし、精神的に束縛する“毒親”を怪演。その鬼気迫る演技に「矢田亜希子、原作の遥か上をいく怖さ」「キレイな顔だから余計に怖い」などSNSでも盛り上がりを見せた。 「怖い毒親を演じていた矢田さんですが、実生活ではシングルマザーとして12歳になる息子さんを育てています。先日出演した旅番組では、『もうママと2人はちょっと勘弁』と一緒にディズニーランドへ行くことを断られ『泣きそうになった』と、親離れしていくお子さんの様子を愛おしそうに話していました。また、ブログでは息子さんのお弁当作りが10年目になったことを報告したことも。仕事がある際は、矢田さんのお母さまがお弁当作りをサポートしてくださるそうで、『いつもいつでもどこでも感謝しかないです』と支えてくれるお母さまへの感謝をつづっていました。矢田さんのこうした普通の母親姿を見て、ママ世代からは共感の声も多くあがっています」(同) ■キャラの濃いあのタレントたちも「親友」  仕事に子育てにと忙しい矢田だが、芸能界では意外な交友関係もあるようだ。毎日メールのやりとりをしているのは、最近結婚を発表し、世間をにぎわせた元サッカー日本女子代表選手の丸山桂里奈。「かりちゃん」「あこちゃん」と呼び合い、お互いのSNSにも頻繁に登場。9月8日に更新された丸山のインスタグラムでは、矢田から結婚祝いを贈られたことを報告。スイスの高級時計メーカーのフランクミュラーのお皿であったことを明かし、「お洒落すぎて鼻血でます」とつづっていた。また矢田はタレントのMattとも親交が深く、矢田が桑田家のホームパーティに参加したり、2人でディズニーランドへ遊びに行ったり、コロナ禍以前は多いときに週1ペースで会うほどだったという。キャラクターの濃い2人を友人に持つ意外性もまた矢田の魅力といえるだろう。  ドラマウォッチャーの中村裕一氏は、女優としての彼女の魅力についてこう語る。 「コロナ禍による自粛期間中に『2020特別版』と題してリバイバル放送され話題を呼んだ、豊川悦司と常盤貴子主演のドラマ『愛していると言ってくれ』(1995年)がデビュー作だった矢田さん。豊川演じる画家の妹役としてフレッシュな演技と存在感がとても印象的でした。その後、当時の夫の逮捕と離婚によって世間的なイメージが悪くなってしまいましたが、2時間ドラマや刑事ドラマを中心に、女優復帰後もコンスタントに数多くのドラマに出演しているのは、それだけニーズがあるという証拠。同時に、女優としての実力も良い意味でまだまだ計り知れないところがある。子育てと並行してキャリアを重ねることは大変なこともあるかもしれませんが、映画やネット配信ドラマなどで重要な役を演じる機会も増えていくのではないでしょうか」  40代となっても変わらぬ美貌で同性ファンも多い矢田。バラエティで見せる親しみやすく飾らない魅力を武器に、再び好感度タレントの上位に返り咲きする日も近いかもしれない。(高梨歩)
dot. 2020/10/09 11:30
竹内結子さんの死と「母性」の重み 過去には女性アナウンサーの相次ぐ自殺も
宝泉薫 宝泉薫
竹内結子さんの死と「母性」の重み 過去には女性アナウンサーの相次ぐ自殺も
竹内結子さん(C)朝日新聞社 3児の母だという一般女性のツイートが話題に  竹内結子さんの死は、他の有名人の死とは違う衝撃をもたらした。自ら命を絶つという亡くなり方は同じでも、三浦春馬さん、芦名星さん、藤木孝さんが独身者や高齢者の死であるのに対し、彼女の場合、今年1月に第2子を出産したばかりの母親だったからだ。  しかも、前夫とのあいだに生まれ、彼女が親権を持つ中学生の第1子もいた。  9月1日には、出産後初めて公の場への登場となったイベントで、新しい夫と第1子の関係に言及。「一緒に夜食を作ってヒソヒソ男同士の内緒話をしていたり」と、ほのぼのとしたエピソードを明かした。  また、最近の雑誌インタビューでは、 「わかっていたつもりでしたが、眠れないし、もらった風邪はなおらないし……。赤ちゃんのお世話は本当に大変ですね。育児の常識も長男のときとは変わっていることが多くて、育児雑誌で離乳食について調べたりしています」(「LEE」)  戸惑いもみせつつ、前向きに語っていた。  にもかかわらず、なぜ自ら命を絶ったのか。じつは訃報のあと、こんなツイートがバズった。 「そっか子供産んだ経験あると”今年出産したばかり”と聞けば”あっ…”ってなるけど、世間的には”生まれたばかりの子供がいて幸せなのになんで子供を残して…”ってなるのか。産後の母親の死因1位は自殺ってもっと知られて欲しい」  3児の母だという一般女性のツイートで、15万近い「いいね」がつけられた。  実際、出産は今も昔も命懸けの作業であり、妊娠や乳児の世話も心身に多大な負担をもたらす。ホルモンのバランスも崩れ、産後うつや育児ノイローゼも起きやすいのだ。  2001年から10年にかけては、3人の女性アナウンサーが育休中に亡くなった。日本テレビ出身でフリーの米森麻美アナは第1子を出産直後に急逝(死因は明かされていない)、日本テレビの大杉(旧姓・鈴木)君枝アナ、山本真純アナは育休中にマンションから転落死した。アナウンサーという花形職業に就き、子宝にも恵まれた人たちの相次ぐ悲劇は、メディアや世間を驚かせた。  ちなみに、10月2日の「ノンストップ!」(フジテレビ系)で「頑張りすぎちゃうママ」についての議論が交わされた際「婦人公論」前編集長の三木哲男はこんな指摘をした。 「完璧主義の人ほどプレッシャーを受けやすい。頑張ってきた人ほど、自分への要求水準が高くなるんです」  女子アナたちはもとより、トップ女優として活躍してきた竹内さんにも当てはまることかもしれない。  また、自殺する人にはそれぞれが以前から抱えてきた欠落感や不全感が潜んでいたりもする。彼女の場合、デビューまもない10代後半にこんなことを口にしていたという。 「私、ちょっと複雑な家庭なんで戻る場所なんてないんです。だから、この世界で絶対に頑張らなきゃいけない」(「スポーツニッポン」)  この時点で彼女は、両親の離婚と母の病死、父の再婚にともなう、継母とその子供たちとの同居という経験をしていた。18歳のとき、桜井亜美の小説『サーフ・ スプラッシュ』(幻冬舎文庫)の解説を担当した際には、まさに「複雑な家庭」ゆえの胸中をそこにつづっている。彼女は自分のことを「連れ子という荷物」と呼び「その思いが自分の心に無理を課していたとは気付かなかった」と書いていた。  こうした事情を抱えての芸能界デビューは、彼女を強くもしただろう。しかし、強そうに見える人がじつはさびしい、というのもありがちなことだ。自分を「荷物」にたとえてしまうような心性は、往々にして、消えたい、いなくなりたいという衝動にもつながってしまうのかもしれない。  デビュー当時、彼女を取材した友人は「とにかく淡々とした人」だと評した。同世代の女優やアイドルのような、キャピキャピした感じがなく、どこか醒めたところが異色だったようだ。それでいて、芝居をやれば喜怒哀楽を豊かに演じる感受性も秘めていたわけで、女優としては「複雑な家庭」がプラスに働いてもいたのだろう。  ただ、感受性が豊かすぎるのも考えものだ。今回、母親の自殺ということから、金子みすゞのケースが思い起こされた。この童謡詩人は26歳のとき、3歳の娘をのこして自殺。夫との離婚が決まり、娘をとられそうになったことへの抗議の死でもあった。  その背景には、彼女が生きた時代に「母性」という概念が輸入され、彼女がそこに大きな影響を受けていたということもある。夫への遺書には「心の豊かな子に育てたい」「母が私を育ててくれたように」などと記されていた。  そう言いつつも自分をのこして旅立った母に対し、82年後、娘はこんな思いを語っている。 「ずっと母に置いていかれた子だと思っていた。詩人だから死んだのだと思っていた。今となっては、母の愛情もわかってよかったと思う」  竹内さんの遺児たちについても、そのショックが懸念されるが、母の愛情を感じながら生きていけることを祈りたい。  さて、みすゞがそうだったように、母性というものは女性にとって命を懸けてもこだわりたい、あるいはこだわらなくてはならないものなのかもしれない。それは人生を輝かせると同時に、重圧にもなる。妊娠や出産、育児といったものと自殺が無縁ではないのはそういうことだろう。  そもそも、自殺というもの自体、希死念慮などの病的心理が高じたものだとすれば、一種の病死である。わかりやすくいえば、自殺衝動は心の発作のようなものだ。そして、心臓の発作がさまざまな要因によって起きやすくなるように、心の発作にもそれを起こしやすくする要因がある。  欠落感や不全感、豊かすぎる感受性、妊娠出産育児のストレスに母性の重圧。竹内さんの死も、そういうものが積み重なり、連動しあった結果だったと考えることもできる。  もちろん、だからといって、彼女と彼女を知る人たちのつらさが軽減されるわけではない。自殺に限らず、すべての死にはそれぞれの事情があって、のこされた者にさまざまな気持ちを呼び起こす。なかでも彼女の場合は、女性、そして母親であるというところが大きな影響を及ぼしていて、そこが独特のつらさを感じさせるのである。  文明が進んでも、人間という種をつなぐための役割の大半を女性が担わなくてはならない現実。いやむしろ、文明が進めば進むほど、女性がその役割とは別の新たな負担も求められたり、その負担を自ら求めるようになったりするという現実もある。そうした現代女性の宿命が、彼女の死にも深く関わっているように思われるのだ。 ●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など ◇相談窓口 ■日本いのちの電話連盟 ・フリーダイヤル0120・783・556 (16時~21時、毎月10日は8時~翌日8時) ■よりそいホットライン ・フリーダイヤル0120・279・338 ・IP電話やLINE Outからは050・3655・0279 (24時間) ■こころのほっとチャット ・LINE、Twitter、Facebook @kokorohotchat (12時~16時、17時~21時、最終土曜日から日曜日は21時~6時、7時~12時)
宝泉薫
dot. 2020/10/07 11:30
【現代の肖像】フリーアナウンサー・宇賀なつみ「人生のスケジュールは私が決める」
【現代の肖像】フリーアナウンサー・宇賀なつみ「人生のスケジュールは私が決める」
高校時代、応援団の練習に励んだ公園で。今も変わらぬ熱意と元気で「エール」を送る(撮影/山本倫子) ※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。  昨年3月にテレビ朝日を退社し、フリーアナウンサーになった宇賀なつみ。テレ朝の看板アナの退社は話題になった。入社初日に「報道ステーション」の気象キャスターとしてテレビに登場したのを皮切りに、早朝から深夜まで引っ張りだこだった。楽しいけど、このままでいいのかな。旅先のベトナムで自由に生きる人を見て、心を決めた。もっと自由に生きていこうと。  白い割烹着がすっかり板についている。カウンターの常連客をあしらいながら、暖簾をくぐる客を「いらっしゃい!」と朗らかに迎える女将。ハイボールや焼酎のソーダ割りと杯を重ねるほどに、ほろ酔い気分で熱く語らう夜も更けていく……。  毎週火曜の深夜、テレビ朝日で“開店”する「川柳居酒屋なつみ」。常連客のムロツヨシ(3月31日から尾上松也)と共に宇賀(うが)なつみ(33)が女将として客に扮したゲストを迎え、お酒を飲みながらゲストの素顔に迫るバラエティー番組だ。宇賀は、2019年3月に同局を退社してフリーランスに。フリー転身後のレギュラー番組として社内で企画されたのが「川柳居酒屋なつみ」だった。 「若手の頃から『どういう番組やりたいの?』と聞かれると、夜の『徹子の部屋』と答えていました。お酒も好きだし、小料理屋の女将になりたい願望があるんです、と(笑)」  この日、1周年を迎えた番組では初回の気持ちを詠んだ川柳を披露した。<恥ずかしい 喋れなかった 一回目>。番組を卒業するムロツヨシのために「私はピアノ」を熱唱する一幕も。うっすら涙ぐむ姿もあった。  局アナ時代は、「報道ステーション」の気象キャスター、スポーツキャスターを経て、「グッド!モーニング」「羽鳥慎一モーニングショー」「池上彰のニュースそうだったのか!!」など情報・バラエティー番組を担当。池上彰(69)は、今も「ニュースそうだったのか!!」で共演する宇賀をこう評する。 「明るくてイジイジしないというか、あっけらかんと受け流すところは大したものだなと思います。ニュースを扱う番組はいろいろ大変なことがあり、殺伐とした現場でも飄々とやっている。彼女は『私が……』と前面に出ないで、ちゃんと相手を立ててくれます。それでいて引っ込み思案ではなく、バランス感覚も優れている。以前から彼女にはもっと表に出てほしいという思いがありましたね」 「川柳居酒屋なつみ」の収録現場には豊富な酒が揃う。「お酒を飲んで喋るのは私の趣味なので」と、宇賀も酔いが回るほどに飾らぬ本音をポロリ。3月末から常連客ムロツヨシは尾上松也にバトンタッチ(撮影/山本倫子) ■人を妬む自分が嫌い、少女漫画を真似て自分改革  局の看板アナウンサーであった宇賀の退社は注目を集めた。09年に入社してから10年。ある程度仕事もできるようになった宇賀は、これからどう生きていこうかと考えたという。 「もっと自分らしい生き方があるかもしれないと。だったら、個人的に働き方を改革していけばいいと思ったんです」  宇賀にとって身近な「働き方」のモデルは両親だった。建築家の父(66)は仕事の話をよくしてくれ、設計したビルやホテルを見せてくれた。保育士の母(59)もいつも楽しそうで、愚痴を聞いたことがない。好きなことを仕事にできる生き方に憧れ、自分も「早く大人になりたい」と願っていた。  東京・練馬で生まれ育った宇賀は「とにかく元気で負けん気の強い子。おしゃべりが好きで、自分で作った歌もよく唄っていました」と母は言う。休日には家族で公園や海辺へ出かけ、スキーや旅行も楽しんだ。旅先のホテルでは、「ビデオカメラを向けると、『こちらがリビングです』『お風呂場です』などとアナウンスしてくれました」と父も目を細める。  小学生の頃は、男の子たちと外で走り回り、足はあざだらけ。読書や物語を書くことも好きで、家族のために新聞を制作。卒業文集には「新聞記者かアナウンサーになりたい」と綴っていた。  3歳違いの妹とは仲が良く、ずっと交換日記を続けていた。妹にとって、姉はまぶしかった。 「めちゃくちゃ可愛かったし、スタイルが良くて勉強もよくできる。後輩や先生からもすごく人気がありました。私が同じ中学へ進むと、『あっ、宇賀先輩の妹が入ってくる』とざわめくような。それが羨ましくもあり、ずっと憧れていたんです」  そんな姉が、中学生になる頃から、家族とあまり話さなくなったという。学校から帰っても挨拶せずに自分の部屋へ入り、母親に反発してぶつかることも多くなった。宇賀は人知れず、苦しんでいた。小学校高学年の頃から上履きを隠されたり、校帽や体育着をとられたり、悲しい思いをすることが度々あったという。 「中学時代までがいちばんつらかった。私にも意地悪な心があって、嫌いな子や仲良くできないお友だちもいっぱいいたし、人を妬む自分も嫌だった。狭い世界が息苦しかったのだと思います」  そんなとき図書館で見つけたのが、医師でエッセイストの海原純子が書いた『ポジティブ思考が女を変える』という本だ。<「嫌いな自分」を「好きな自分」に変える><ひとりを上手に楽しめる人は、皆とも上手に楽しめる>……。そんな言葉が早熟な少女の心にぐさりと刺さる。  宇賀はさっそく「自分改革」を始めた。モデルにしたのは、少女漫画『天使なんかじゃない』の主人公の冴島翠(さえじまみどり)。明るく前向きな高校生だった。 「翠ちゃんみたいになれたら、学校も楽しくなるだろうなと思い、ちょっとずつ真似したんです」  嫌なことがあった時はどうやって立ち直るか、好きな子がいて失恋したら……と、シミュレーションをし、何があってもポジティブに考えるようにした。すると高校生活は一転する。  進学した地元の都立高校は共学で制服がなく、髪を染めるのも自由。友だちも面白い子ばかりだった。青春ドラマの世界に憧れ、応援団へ入部。学ランの先輩に朝から晩までみっちり鍛えられ、のどを潰すような練習に明け暮れた。さらにパワーアップしたのは大学時代だ。  立教大学時代からの親友で、ジュエリーデザイナーの林聖子(33)は出会った頃の宇賀を鮮明に覚えている。ショッキングピンクのTシャツにデニムのパンツ、トレンチコートを着こなし、パステルカラーのゆるふわ女子が集まるキャンパスで、宇賀の独自の華やかさは人目を引いた。 「彼女は太陽みたいな人。光を放って、みんなの視線を集めるし、明るく照らして周りの人を幸せにしたいと思っている。すごく度胸もあって、人並みはずれてポジティブなんです」 独立を決めた宇賀が報告したとき、池上は「きっとできますよ。そうしてごらんなさい」と背中を押してくれた。高校の先輩であり、フリーランスの大先輩である池上の励ましは何より心強いエールだった(撮影/山本倫子) ■田中将大の取材では楽天カラーの服で臨む  興味を持ったら即行動。仲間とエンターテインメントサークルを結成し、ワールドカップ観戦などのイベントを企画、一緒によく旅行もした。恋愛でつらい時期があっても、くよくよ悩むことはない。そんな宇賀がいつになく落ち込んだのは、就職活動で、あるテレビ局に落ちたときだった。  もともとマスコミ業界を志望していたが、たまたまアナウンサーの体験セミナーに参加すると思いのほか楽しく、ダメもとでテレビ局を受験。だが、落ちたショックは大きく、「私、本当にアナウンサーになりたいんだ!」と初めて気づいた。  落ち込む宇賀の背中を押したのは、林だった。学内でばったり会った2人は、おしゃべりするうちに「今から温泉へ行こう」と、そのまま鬼怒川へ。温泉に入り、林と話すうちに、宇賀は別のテレビ局も受験しようと思えるようになる。東京へ帰り、すぐにテレビ朝日へ願書を出した。1千人を超える学生が筆記試験を受験、アナウンサーの合格者は4人という難関をくぐり抜けた。  09年4月1日、宇賀は入社初日の夜、どしゃぶりの雨で雷も鳴る悪天候のもと、東京・六本木ヒルズにある毛利庭園に立っていた。看板番組の「報道ステーション」の気象キャスターに抜擢されたのだ。高まる不安をこらえ、ずぶ濡れのスタッフを前に心を込めて天気を報じた。「シンデレラ・アナ」と呼ばれた宇賀のまさに桜吹雪舞う夜のデビューだった。  11年夏からは「報道ステーション」でスポーツキャスターを務めることになるが、「実は12球団を全部言えず、ライトとレフトがどちらかわからない。サッカーのオフサイドも知らなくて」というほど、スポーツに関して知識がなかった。  毎日スポーツ新聞6紙を読み、わからないところは赤線を引いて、自分で調べて覚えていく。週2回は仕事前に神宮や横浜など各スタジアムへ通い、注目カードの試合を観戦する。最初は現場へ一人でぽつんと入っていくのが怖かったが、通い続けるうちに監督や選手から話しかけてもらえるようになる。スタッフと信頼関係が築かれていく中で、取材もだんだん楽しくなっていった。  プロ野球界で最初に取材したのが、当時、東北楽天ゴールデンイーグルスにいた田中将大(31)だ。 「40分という長いインタビューは初めての経験でした。私はとりあえず話の取っ掛かりを作ろうと思い、えんじ色のカーディガンを着ていき、『楽天カラーで来たんです』と(笑)」 東日本大震災後に福島県を取材で訪れてから、毎年通い続けて地域の人々と交流している。2月に開かれたシンポジウム「ふくしまウチ⇔ソト」でファシリテーターを務め、高校生と福島の未来を考えた(撮影/山本倫子) ■一度は断った結婚、親友とコインが背中押す  それが功を奏したのか、田中は中学時代の話をしてくれた。中2の夏、全国大会予選の決勝のとき、大事な場面で中途半端なスイングをしてアウトとなり、悔しい思いを残した。そして高校3年の夏。甲子園の決勝戦、田中は最後のバッターボックスに立つと、思い切り振った。結果は三振、試合は負けた。それでも、「最後は絶対に思い切り振ろうと決めていたので後悔はなかった」と語ったのだ。取材後、担当ディレクターに「すごいな」と褒められる。その全試合をよく知るスタッフにとっても、鳥肌が立つようなエピソードだった。 「スポーツには詳しくなかったけれど、インタビューは何か脱線したところに面白さがあり、素顔が見えるんだと気づかされたんです。だから私も素直に自分のままでいいんだなと思えました」  いつも次の予定に追われていたが、どんなに忙しくても仕事は楽しかった。14年の春から早朝の情報番組「グッド!モーニング」のサブキャスターになると、池上の番組に加えて深夜のバラエティー番組にも出演し、多忙を極めていく。午前2時に局入りし、朝5時前からオンエア、その後も仕事が入って深夜に帰宅。最初の数カ月はほとんど眠れず、さすがにつらかったと宇賀は洩らす。翌年9月には「羽鳥慎一モーニングショー」のアシスタントになった。  忙しい日々でも、時間を見つけては友だちと飲み、3日オフがあれば旅行に行く。活動的で決断も速い宇賀が迷ったのが、結婚だった。大学時代の同級生と付き合って数年が経っていたが、彼からのプロポーズに宇賀は「やっぱりできない」と答える。結婚願望がなく、互いに自立もしている。結婚することに意味を感じなかった。とはいえ、迷う気持ちもある。その宇賀の背中を再び押したのが、親友の林だった。  宇賀の30歳の誕生日を彼と林の3人で祝う席でのこと。煮詰まる様子の宇賀を見て、「だったら、コインで決めたらいいんじゃない?」と、林が手持ちのイギリスの硬貨を渡したのだ。宇賀は「表が出たら結婚する、裏だったらしない」と投げ上げる。出たのは、エリザベス女王の顔が刻まれた「表」だった。宇賀はそれを見て、「ホッとした」気持ちになった。林は言う。 「彼女の中でも揺らいでいたんでしょう。私たちの母親世代は、子育ては女性がするものという価値観があり、周りの友だちも家庭に入ったら変わってしまったから、結婚しない方が自由にどんなことでもできるだろうと。でも、今は彼女なりの結婚生活を楽しんでいるような気がします」  17年に結婚。夫が掃除と洗濯をし、宇賀は料理担当。得意なことを得意な方がやればいい。夫は宇賀をこう評する。 「彼女の性格をひと言で言えば、野球部のキャプテン。甲子園優勝を目指してまっしぐら、夕陽に向かって『みんなで走るぞ!』と突き進んでいく感じ。冷や冷やもするけれど、自分が中心になって周りを巻き込んでいくエネルギーはすごい」  入社以来、仕事は無遅刻・無欠勤。だが、アナウンサーとして経験を積めば積むほど、同じ場所でずっと足踏みをしている気持ちになってきた。 「会社にいれば仕事は楽しいし、十分幸せだったんですが……。ぼんやりと見えている10年後よりも、全然想像もできない自分になっていたいと思ったんですよね」 「彼女の運転は怖くて」と夫は苦笑するが、宇賀はどこでも気ままに出かける。海外もよく旅し、ドバイ、スリランカ、メキシコなど旅先では愉快な出会いがあった(撮影/山本倫子)  大学最後の年にリーマン・ショックが起き、大手企業とはいえ、決して安心できるとは限らないということも身にしみていた。世の中はあっという間に変わるものだから、自分自身がしっかり立っていなければダメだと思い知らされた。周りで起業した友人たちが活躍する姿を見ながら、いずれは独立したいという思いがつのる。  ついに心を決めたのは18年夏、夫と旅したベトナムでのこと。ハノイの街を歩いていると、地面に座り込んでお茶を飲んだりスマホをいじったり、マイペースに暮らしている人々に出会った。それでも毎日ちゃんと生きていけるんだと思ったら、自分は何を悩んでいるのだろうと吹っ切れた。  翌19年3月末、宇賀は入社10年の節目でテレ朝を退社。自分で会社を立ち上げスタートを切った。 「芸能事務所に入らず、一人でやっていこうと決めました。経理やギャラの交渉など大変なことは多いけれど、全部が取材になる。いろんな人の意見を聞いて最終的に自分で決めていく。どんどん外へ出て、個人の力を蓄えたいと思ったんです」 ■退社公表の日に決まったラジオのパーソナリティー  ちょうど退社を公表した日の夜、ある宴席で小山薫堂(55)と出会った。4月から始まるラジオの新番組、TOKYO FM「日本郵便SUNDAY’S POST」で相方を探していた小山に、「やってみたいですか?」と聞かれる。昔からラジオが好きだった。「絶対やりたいです!」と即答。その場で起用が決まった。実は小山は、それまで宇賀のことをよく知らなかったという。 「でも、仕事としてこなす人ではない方がいいと思ったんです。ラジオは愛が伝わるメディアだと思うので、ラジオが大好きだという彼女なら心を込めてやってくれるだろうと」(小山)  手紙を通じて、人や風景など日本の良さを伝える番組。局アナ時代はアシスタントとして聞き役にまわることが多かったが、ラジオのパーソナリティーには自分の言葉で自由に話せる楽しさがあり、リスナーとの距離感も近い。宇賀はフットワークも軽く、東北や九州まで取材にいく。地元の酒を飲み、一人でふらりと温泉に立ち寄ってくる。のびのびと楽しそうな宇賀を見て小山は言う。 「宇賀さんは、女手ひとつで看板を率いていくような『旅館の女将』が似合いますね」  この4月からは、情報番組の「土曜はナニする!?」がスタート、「宇賀なつみのそこ教えて!」という番組も新たに率いることになった。「川柳居酒屋」も2年目が始まった。働き方改革どころかますます忙しくなるが、ストレスはたまらない。自分のスケジュールは自分で埋めていく。「仕事も遊びも手を抜きたくないので」と。  人生のテーマは「ドラマチックに生きる」こと。中学生の頃は漫画やドラマの世界に憧れ、試練を乗り越えていくヒロインに自分を重ね合わせていた。だが、外の世界へ飛び出すと、現実の方がもっと面白くなった。今は自分が脚本家であり、演出家であり、監督にもなれる。ドラマチックに生きるヒロインはもちろん「宇賀なつみ」だ。 (文中敬称略) ■うが・なつみ 1986年 東京都出身。両親と妹、祖母と暮らしていた。週末は家族で出かける車の中でラジオを聞き、パーソナリティーの声を真似していた。  93年 練馬区の公立小学校へ入学。毎朝5時起きで、祖母を誘って散歩していた。ピアノ、習字、水泳なども習う。学級委員長やバトン部の副部長を務め、ネットボールのクラブチームにも参加。高学年になるとOL向けのハウツー本やビジネス書も読み始めた。  99年 中学では吹奏楽部でパーカッションを演奏。生徒会活動の劇で主役を演じるなど、後輩女子からもモテる存在だった。 2002年 都立大泉高校へ入学。応援団に入部。体育祭ではチアの衣装で華やかに活躍する。練習は厳しかったが先輩たちは優しく、冬のオフにはマクドナルドでバイトに励む。  05年 立教大学社会学部へ入学。仲間とイベントサークルを結成。温泉やスノーボード、海外旅行もした。  09年 テレビ朝日入社。初日から「報道ステーション」気象キャスターとしてデビュー。11年8月からスポーツキャスターに。  13年 プロ野球、サッカーなどトップアスリートへのインタビュー集『宇賀なつみ 戦士のほっとタイム』刊行。  14年 春から「グッド!モーニング」「初めて〇〇やってみた」のMC、「ここがポイント!! 池上彰解説塾」でアシスタントを務める。  15年 9月から「羽鳥慎一モーニングショー」のアシスタントに。翌年春、夜桜見物でうっかり転倒し、右肘を骨折したが、ギプスの包帯姿で休まず出演し、「宇賀ちゃん、骨折しました」と羽鳥に報じられた。  17年 大学時代の同級生と結婚。「穏やかで優しく飄々とした彼は父親に似ていて、居心地良かった」と宇賀。  19年 テレビ朝日退社。フリーランスとなり、会社設立。親友がつけてくれた社名はラテン語で「夏」を意味する。名刺は大好きなピンク色で作った。4月から初の冠番組「川柳居酒屋なつみ」ほか、TOKYO FM「日本郵便SUNDAY’S POST」、TBSラジオ「テンカイズ」のパーソナリティー、コラムの連載も始める。  20年 4月、フジテレビ系「土曜はナニする!?」など2本の新番組がスタート。 ■歌代幸子 1964年、新潟県生まれ。編集者を経てノンフィクションライター。著書に『一冊の本をあなたに 3・11絵本プロジェクトいわての物語』『100歳の秘訣』『鏡の中のいわさきちひろ』等。 ※AERA 2020年4月20日号 ※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。
AERA 2020/10/01 16:50
紀子さま、文書に見えた「実力」と「自信」 皇嗣妃2年目の変化
矢部万紀子 矢部万紀子
紀子さま、文書に見えた「実力」と「自信」 皇嗣妃2年目の変化
9月11日、54歳の誕生日を迎えた秋篠宮妃紀子さま。これに先立ち、宮内記者会に文書で回答を寄せられた(写真:宮内庁提供)  皇嗣妃となって2年目を迎え、誕生日にあたり記者会の質問に答えた文書に、秋篠宮妃紀子さまの変化が見て取れた。文字数は昨年の倍以上。ご自身の言葉で率直に思いや行動を語る姿に、強い意志を感じずにはいられない。AERA 2020年10月5日号から。 *  *  *  唐突で恐縮だが、鎌倉芳太郎(よしたろう)という人を紹介する。  1898(明治31)年、香川県生まれ。東京美術学校卒業後、沖縄県女子師範学校に美術教師として赴任。沖縄文化に魅了され、1924(大正13)年から1年間、東京帝国大学教授と共同で沖縄を調査、文化財や建築物、工芸品などを写真撮影した。後に紅型(びんがた)の染色家になり、73(昭和48)年、人間国宝に認定される。83年没。  文化庁の文化遺産データベースによれば、鎌倉氏が沖縄で撮った写真は「それ自体十分高い芸術性と資料性とを併せもった作品」で、首里城も含まれていた。戦火で焼失した首里城を92(平成4)年に復元した時の設計図面は、それが基になった。  以上は全て、ごく最近仕入れた知識だ。正確には9月11日、秋篠宮妃紀子さまの54歳の誕生日。この日、記者会の質問に答えた文書が発表され、そこに鎌倉氏の名前があったのだ。  1年間を振り返っての感想を求められ、紀子さまはまず、「即位礼正殿の儀」など一連の皇室行事を振り返り、次にラグビーW杯、そして昨年12月に訪問した沖縄を取り上げた。10月31日に首里城が焼失してから1カ月余りの訪問で、沖縄県立芸術大学から首里城方面を静かに望んだとした後、こう続けた。 「歴史的な建造物の修復と再建、貴重な美術工芸品の収集、復元や保存にむけて、今も励ましや支援が寄せられています。私もこうした取り組みに共感しつつ、沖縄文化研究者で紅型の染色家でもあり、首里城の再建に貢献した鎌倉芳太郎氏についての本や資料を再び読み返しました」  この一文に、すごく驚いた。訪問したという事実だけでなく、具体的な人物名をあげ、そこから自分のとった行動を明かしていたからだ。そして、こう思った。それはつまり、紀子さまの「実力」と「自信」の表れだ、と。  おおげさだと感じる方もいるかもしれない。そんな方のために、昨年の誕生日の文書を紹介する。 ■具体的に思いを語る  昨年は今年同様の皇嗣妃としての活動を振り返っての感想、加えて今後の抱負を聞かれた。それに対し紀子さまはまず、上皇、上皇后両陛下への感謝を述べた。次にこれまでの活動を支えてくれた人らへの感謝。それから令和になって新たに出席した会三つとポーランド、フィンランドへの公式訪問をあげ、こう述べた。「私にとりまして学ぶことが多く、新たな人々と出会う貴重な機会にもなり、感謝しながら務めました」  ほとんどが「感謝」で、「感想」はあまりない。それが1年経って、鎌倉芳太郎氏の名前をあげるまでになった。己を出す紀子さまがうれしく、「実力」と「自信」を見て取った。  実は紀子さまが誕生日に文書回答をするようになったのは、昨年からだ。皇嗣妃という立場になったからで、それまでは秋篠宮さまの誕生日会見に同席するだけだった。  それが、2年目にして大きく変わった。全部で2千文字にもいかなかった回答が大きく増え、今年は約5千文字になった。より具体的に、自分の思いを語るようになったから増えた。その典型が、先ほどから紹介している沖縄。そこにあった「共感」という言葉も、昨年にはないものだった。  翻って上皇さまは、皇太子時代から沖縄に心を寄せ続けている。「忘れてはならない四つの日」の一つは、沖縄戦が終わった6月23日。美智子さまと共に11回、沖縄を訪ねている。その心を子どもの頃から受け継いだ秋篠宮さま。結婚から7年、紀子さまは1997年の歌会始(お題は「姿」)でこう詠んでいる。 <染織にひたすら励む首里びとの姿かがやく夏の木かげに>  皇室に入って以来、紀子さまはずっと沖縄に心を寄せ、学び続けてきたに違いない。だが「実力」と「自信」を示したのは、長く取り組んでいた沖縄だけに限ったことではないのだ。  感想の中で多くの字数が割かれたのは、コロナ禍のオンライン交流についてだった。専門家から話を聞いたり、全国高等学校総合文化祭を視聴したりといった体験を語り、オンラインがコミュニケーションを広げる可能性も述べた。と同時に、情報通信機器を使うことが困難な人がいることにも触れていた。  言葉こそ使っていないが、情報格差が生じていることへの言及とも読める。世の中を見る目の広さと深さが感じられ、それを表明できるのも「自信」があるからこそだと思った。(コラムニスト・矢部万紀子) ※AERA 2020年10月5日号より抜粋
皇室
AERA 2020/09/30 08:00
日本女子サッカーの未来は大丈夫? なでしこリーグで選手は育っているのか
日本女子サッカーの未来は大丈夫? なでしこリーグで選手は育っているのか
今後、代表での活躍に期待したい宝田沙織 (c)朝日新聞社  10月のWEリーグ初年度参入クラブの発表を前に、なでしこリーグでも熱戦が続いている。その中心にあるのは、2014年以来のリーグ制覇を目指す、浦和レッズレディースだ。就任2年目の森栄次監督の下、10試合を消化して9勝1敗1分け。2位の日テレ・ベレーザに勝ち点6差をつけて、首位に立っている(成績等は全て9月27日(日)現在)。  昨季は、失敗を恐れない積極的な戦いを選択し、若い選手たちが持ち味を発揮しながら、自信をつけた。その一方で、リスクを包含した戦いぶりだった。今季は、パスワークはそのままに、局面への対応力が光っている。9勝のうち7勝は1点差勝ち。だが、試合内容では、対戦相手を圧倒しているケースが多い。  まず、誰の目にも留まるのは、絶対的なエース・菅澤優衣香の爆発力だ。強靭な体幹でDFを引きずるように突破したかと思えば、敵味方が林立する密集地帯のボールに誰よりも速く反応する。空中戦にも滅法強い上に、こぼれ球を狙い続ける集中力も切れない。開戦前には「菅澤に仕事をさせない」と意気込んでいた対戦相手も、いざ試合が始まると手の打ちようがなくなっている。  そして菅澤のゴールラッシュをおぜん立てしているのが、チーム全体の連動だ。とりわけ、相手に渡ったボールを、すぐに奪い返す、切り替えの速さが際立っている。ボランチの柴田華絵らが舵をとり、攻撃力に長所がある塩越柚歩ら、2列目の選手も労を惜しまない。ピッチ上の選手が、局面に応じて流動的にポジションを変えながら走り抜いている。ボールホルダーへプレッシャーをかけ続けて相手のミスを誘発し、ショートカウンターに結びつけることも多くできている。  森監督の選手起用も多彩だ。「裏へのスピードが欲しい時には清家貴子」「パワープレーの局面が増えれば高橋はな」など、ディフェンダーが前目のポジションに配されることもしばしば。今季から浦和に復帰した猶本光も、これまでのボランチではなく、トップ下を中心に、強烈なシュートでゴールを脅かしている。こうした豊富な戦術バリエーションも、連勝の原動力になっている。  一方、2015年シーズン以降、なでしこリーグ5連覇中の日テレ・東京ヴェルディベレーザは、8月半ば以降の4試合で25得点をたたき出したが、その後、連敗を喫し、勝ち点差では浦和に大きなビハインドを背負った。昨季の得点王・田中美南(→I神戸)、籾木結花(→レイン/アメリカ、現在はリンシェーピング/スウェーデン)が、活躍の場を外に求めた。さらにシーズン途中で清水梨紗、土光真代もケガで戦線離脱。小林里歌子、長谷川唯らがゴールを目指す気迫は、常勝チームのそれ。悪条件を克服し、大逆転を演じられるか。  今季からJリーグでも指揮を執ったゲルト・エンゲルス監督率いるINAC神戸レオネッサは、時間が足りていない。体制変更で起用選手も変わり、熟成度で劣るのは仕方がない。日テレから獲得した田中美南は、古巣との大一番で勝利につながる先制点を奪うなど期待通りの働きをしているが、チーム全体では11試合で17得点。昨季は18試合で28得点だから、課題は完全に解消していない。ゲームの組み立てにもエネルギーを使っている岩渕真奈が、ゴール奪取へ専念できるようになれば、状態は上向くと思われるが……。  そして、開幕からの4連勝で、なでしこリーグへ新風を吹き込んだのが、今季から1部に復帰したセレッソ大阪堺レディースだ。二十歳前後の選手がほとんどのチームで、もともとパスワークやテクニックは光っていた。2年前の苦戦は、完成された大人のアスリートにフィジカル差でねじ伏せられた感があった。そこでヒケをとらなくなったことも、躍進につながっているのではないか。  昨年の女子W杯で追加招集され、フランスのピッチに立った宝田沙織や、年末のEAFF E-1サッカー選手権で代表デビューした林穂之香は、世界を意識させる。1部復帰後も得点を積み重ねている矢形海優。16歳とは思えない落ち着きでゴールを陥れる浜野まいかなど、枚挙に暇がない。竹花友也監督の下、しっかりとした選手育成を続けてきたチームが、「なでしこリーグは、もはや『3強』だけでない」ことを証明している。  なでしこリーグの状況変化は、東京オリンピックで再起を図るなでしこジャパンの編成にも影響を及ぼしてくるのではないだろうか。女子W杯と東京五輪が別の大会であるように、2020年夏のベストチームが、2021年夏のベストチームであるべき理由もない。「チームは生き物」と語る高倉麻子監督のチームなら、フランスへ行けなかったメンバーが加わってくる可能性も高まる。  夏場の日本開催を考えれば「複数ポジションをこなせる」ことが第一条件になるだろう。実際、女子W杯までフォワード、サイドハーフで起用されていた遠藤純(日テレ)は、昨秋以降、サイドバックでも試されている。この逆ルートを描けば、前述した浦和の清家、高橋や、どの高さでもマッチアップ相手の脅威になる北村菜々美(C大阪堺)が浮かぶ。さらに、2列目へポジションを上げて、ゴールへの脅威が増した浦和の猶本。センターバックとボランチでの併用で、プレーの幅が広がっている松原有沙(ノジマステラ神奈川相模原)らも存在感を増している。  いわゆる「ゾーン」へ入ったストライカーにも、滑り込みの資格があるだろう。フランス落選組で言えば、移籍後も11試合で8得点とチームメートを選ばない活躍を見せる田中美南が、最右翼だ。年代別代表で得点王にも輝いた上野真実(愛媛FCレディース)、韓国のWKリーグからなでしこリーグへ戻った池尻茉由(マイナビベガルタ仙台レディース)らも、ラージグループでサバイバルを続けている。  個人的には、メンバー構成が大幅に変わったアルビレックス新潟レディースで、相手の最終ラインを食い破り、移籍初年度からゴールを量産している児野楓香の嗅覚に期待したい。高倉監督が指揮する2014年のリトルなでしこで、決勝戦(サッカーU17女子ワールドカップ)のダメ押し点を決めたストライカーである。I神戸戦で逆転ゴールを奪った直後の負傷退場はとても心配であるが、オリンピックまでにワンチャンス欲しいところだ。  なでしこジャパンも、世界一の座は明け渡したが、先行者に逆転不可能な差をつけられてはいない。再び、戴冠を目指すうえでも、国内リーグのたゆまぬレベルアップは必須条件だ。育成年代からトップの指導者まで、しっかりした技術・戦術指導が行われ、なでしこリーグの競技レベルは上がってきた。なでしこジャパンが優勝した2011年当時と比べても、数段上の戦いが繰り広げられている。  日本初の女子プロサッカーリーグ創設が決まり、選手にも「優勝したい」「世界大会に出たい」という従来の目標に「プロの女子サッカー選手=WEリーガーになりたい」が加わった。WEリーグへとバトンが渡った後も、考えられるすべての部分で右肩上がりを目指していけば、女王・アメリカや大躍進の欧州勢にも追いつき、追い越す余地は残されている。(文・西森彰)
dot. 2020/09/28 17:00
大人でも解けない? 有名私立小学校の入試問題に挑戦してみた
大人でも解けない? 有名私立小学校の入試問題に挑戦してみた
小学校受験のペーパーテストでは、どんな力が問われる?(写真はイメージ、撮影/小黒冴夏・写真部) (図1)「数の増減とやりとり」の問題 (図2)「交換」の問題  首都圏の私立小学校の「お受験」まで2カ月を切った。近年のペーパーテストは、子どもの「考える力」や「聞く力」が問われるという。5歳、6歳児にどんな問題が出題されるのか。現在発売中の『AERA English特別号「英語に強くなる小学校選び2021」』では、大手幼児教室「こぐま会」代表の久野泰可さんを取材。有名小学校の過去問を解説してもらった。 *  *  *  私立小学校が入試問題を公表することはない。市販の問題集はすべて、受験した子どもや保護者から入試内容を聞き取り、幼児教室が再現したものだ。  本番では、問題文は問題用紙に書かれておらず、試験官の先生が読み上げ、〇や×といった記号で解答していく。 文字の「読み書き」ができなくても解けるが、問題文が読み上げられるのは、一度だけ。集中して話を聞かなければならない。  まず、難関私立大学にエスカレーターで進学できる人気共学校の2020年度入試で出題された「数の増減とやりとり」の問題(図1)をみてみよう。 【問】 数の増減とやりとり クマとイヌとパンダが持っているリンゴの半分の数を、同時に矢印の方にいる動物にあげます。2回同時に、矢印の方にいる動物にリンゴをあげたとき、パンダのリンゴの数はいくつになりますか。下のお部屋に〇をつけてください。  リンゴがどうしたって? 「お部屋」ってどこだっけ? 問題文を聞き終えると、記者の頭の中は真っ白に。繰り返すが、問題文は読み上げられるだけなのだ。試験会場という慣れない場所で、緊張の中、問題を正しく理解し、解答までたどり着くのは大人でも難しい。  この問題について、久野さんはこう解説する。 「2者間で物をやりとりする問題は、よく出題されますが、これはパンダ、クマ、イヌと動物が3匹いるため難易度もアップ。『持っているリンゴを隣の動物に半分あげて、別の動物から半分もらう』という作業を2回繰り返さなければいけません。この問題で問われるのは、論理的な思考力の基礎となる『複数の視点を持つこと』。2回のやりとりで数がどう増減するのか、順を追って考えていく必要があります。物事を系統立てて考える『プログラミング的思考』が鍛えられる良問といえるでしょう」  この問題の答えは、5個の〇、となる。  続いて、カトリック系伝統女子校の2008年度入試で出題された「交換」の問題(図2)。 【問】 交換 左のお部屋を見てください。メロンパン1個は、ドーナツ2個と換えてもらえます。食パン1斤は、メロンパン2個と換えてもらえます。ハンバーガー1個は、メロンパン1個とドーナツ1個と換えてもらえます。 (1)メロンパン4個は、食パンいくつと換えてもらえますか。その数だけリンゴのお部屋に〇をかいてください。 (2)食パン2斤は、ドーナツいくつと換えてもらえますか。その数だけブドウのお部屋に〇をかいてください。 (3)ハンバーガー4個は、食パンいくつと換えてもらえますか。その数だけバナナのお部屋に〇をかいてください。  久野さんの解説。 「かけ算や割り算の考え方の土台となる『交換』は、定番の問題のひとつです。1問目は割り算の『包含除』。食パン1斤がメロンパン2個というルールから、メロンパン4個の中に『2のかたまり』はいくつあるか考えます。2問目はかけ算の問題ですが、食パンとドーナツの間にメロンパンという『仲立ち』を考えなくてはなりません。3問目の難問を解ける子は、受験者全体の3分の1ほど。親が正しい解法を先に教えると、思考力は伸びません。不正解でも『自分で作業できたこと』を評価してあげましょう」  答えは、(1)2個の〇、(2)8個の〇、(3)3個の〇となる。  3問目について、文系出身の記者は、最後まで正解がわからなかった。久野さんは、「全問正解しないと合格できない、というわけではない」とした上で、「子どもに一日何十枚もペーパー課題を課し、繰り返す方法では、本物の『思考力』は身につかないということが、問題内容からわかると思います。日々の遊びの中で、親子で一緒に具体物を使って手を動かし、試行錯誤する経験が大事なのです」と言う。  過去問を解いてみて、どう感じただろう。小学校受験で大切なのは、親子で対話を重ね、失敗も楽しむ姿勢なのかもしれない。 (文/曽根牧子・アエラムック編集部 取材協力/澤田聡子) ※『AERA English特別号 英語に強くなる小学校選び2021』より
AERA with Kids+ 2020/09/25 17:00
受かる子の共通点は? 費用は150万?「お受験」をめぐる近年の傾向
受かる子の共通点は? 費用は150万?「お受験」をめぐる近年の傾向
1都3県の志願者数推移をみると、私立志願者数が増えている。5年連続数値が判明した首都圏の学校(私立59校・国立5校)のみを集計(出典=お受験じょうほう) 「親の受験」と言われるほど、親の関わり方が結果を左右する小学校受験。今の「お受験」事情がどうなっているのか、見当がつかない親は多いだろう。現在発売中の『AERA English特別号「英語に強くなる小学校選び2021」』では、気になる「お受験」のあれこれを専門家3人に取材。最新情報を3回にわたって紹介する。第1回目となる今回は、近年のお受験の傾向や、受かる子の特徴、準備にかかる期間や費用等について解説する。 *  *  * ■「お受験」をめぐる近年の傾向は?  少子高齢化の一方で、私立小学校の受験者数は年々増加している。サラリーマンの共働きでチャレンジする家庭も今や少なくない。「お受験」する層が多様化した背景にあるのは、公教育では対応しきれない、学びに対するさまざまなニーズだ。  4月からの教育改革に伴い、新しい学習指導要領が小学校で実施された。公立小でも英語やプログラミングなどの新カリキュラムがスタート。受験情報サイト「お受験じょうほう」で小学校受験の最新情報を発信する野倉学さんは、「社会に出ても役立つ実践的な英語力を身につけてほしい、という保護者の思いに応え、教育改革前から低学年からの英語教育に力を入れてきた私立小は多い。大学入試改革で予定されている英語の4技能試験も視野に入れ、独自の英語教育を私立小に期待する家庭も多いのでは」と指摘する。  新指導要領で求められる「主体的・対話的で深い学び」についても、「自分でテーマをたてて卒業論文を書いたり、パワーポイントでプレゼンしたりする学校もあり、私立小の強みといえるでしょう」(野倉さん)。  都市部の私立大学の定員厳格化も、小学校の受験者数増加に影響を与えている。文部科学省は、入学定員に対して実際に入学する学生数が多い大学に助成金をカットするペナルティーを科している。合格者数が絞られ、大学入試の競争が激化したことで、慶應や早稲田、青山学院など大学までエスカレーター式で進学できる付属校の人気がさらに高まった。また、野倉さんは、過熱する中学受験を背景に、「洗足学園小や星美学園小、淑徳小のような、難関中学合格に実績のある学校を選ぶ家庭も増えている」と分析する。  さらに、今回のコロナ禍で注目を浴びたのは、私立小の先進的なICT教育だ。休校が長引いて各校が対応に苦慮する中、いち早くオンラインで授業を再開した小学校も。 「例えば宝仙学園小では、4月中旬にはオンラインで授業を再開していたようです。コロナ禍以前から、学校共有のタブレットや授業支援アプリ『Meta MoJi Class Room』を導入していたことが奏功したのでは。親同士が似た価値観であるため、私立小は校内改革にスピード感があります」(野倉さん)  小学校受験の対策に変化はあるのだろうか。大手幼児教室「こぐま会」の代表、久野泰可さんは、「学力試験では、早く、正確に解くのを是とする時代を経て、最近は、子ども自身の『考える力』を問う問題が出題される傾向がある」という。新型コロナウイルス感染症の状況によっては、入試の形態が変わる可能性もある。 「近年重視されている行動観察が、感染予防の観点からこれまでのように実施できないかもしれないため、面接重視の学校が増えるでしょう。『家庭での自粛生活を通して得た気づき』などがテーマとなるかもしれません」(久野さん)。  入試日程にも変化がみられる。全国一の受験者数を誇る筑波大学附属小学校は今年8月、例年12月に行われていた入試の日程を、約1カ月前倒しすることを発表した。「引き続き、各校の動きを注視する必要があるでしょう」(久野さん) ■受かる子どもの共通点とは?  複数の難関校に合格する子どもがいる一方で、なかなか結果が出ないことも。「合格する子ども」には、なにか共通点があるのだろうか。  久野さんは、「子どもの性格や学力以上に小学校受験で見られるのは、総合的な“家庭教育の質”です」とキッパリ。 「一般論としては『自分で考えて、判断して、行動できる』自立したお子さんが有利と言えます。しかし、受験で見られているのはどんな子育てをしてきたのか、ご家庭の考えが学校の教育方針にマッチしているのか、という点。多様性を考え、学校側もさまざまなタイプを求めています。『受かるタイプ』をめざしお子さんの個性を曲げるのではなく、ありのままの長所を伸ばしてあげましょう」(久野さん)  2人の子どもの小学校受験を経験したコラムニストの二宮未央さんも「求められているのは、型にはまった利発さよりも『素直な子どもらしさ』」と語る。 「大切なのは、親が基本的なことを教えていて、子どもにそれを素直に聞く力があるか。たとえば、『休日に家族でしたことを絵に描いてください』などの課題が出れば、家庭の雰囲気が分かってしまいます。また、『自己肯定感が強い子どもは合格しやすい』とも言われますが、自己肯定感も普段の家族のコミュニケーションで育まれるものですよね」(二宮さん)。  いずれにしても、小学校受験は「これまでの家庭教育の総決算」という意識で取り組む必要がありそうだ。 ■準備期間は最低1年?  首都圏の私立小学校の考査が始まるのが10~11月。スケジュールを逆算して、受験対策を年中の秋からスタートする家庭が多い。 「4歳から5歳は、抽象的思考の発達が始まる大切な時期。この期間に着実に対策することで、論理的な思考力が身につきます。少なくとも1年は準備期間と考えておきたいですね」と久野さん。家庭によっては、「直前で焦りたくない」と2~3歳から入試対策を始める家庭もある。こうした風潮に久野さんは、「小さなうちから、過去問を繰り返し解かせるようなトレーニングだけでは、本当の『考える力』は育ちません」と警鐘を鳴らす。 「子どもの発達段階に合わせ、積み木やボールのような具体物を使って、楽しんで学習を続けられるような環境づくりを心がけてください」 ■受験費用は150万円が相場?  幼児教室の月謝をはじめ、教材費、模試の費用、受験料、面接服……。どのくらい総費用がかかるのか。  野倉さんは「お金がかかるのはやはり幼児教室の授業料。ペーパー対策に加えて絵画、体操と習い事を増やすと費用がかさむので、『受験にかけるお金は月にこれくらい』と、予算を決めましょう」とアドバイスする。幼児教室の月謝を月10万円とすると、1年間で120万円。その他の費用を含めると総額150万~ 200万円が相場のようだ。  二宮さんは、「塾代は模試だけと割り切り、家庭学習中心にすれば、お金をかけずに受験対策できます。コツコツと家庭学習を続け、年長の夏から塾に通うなど、対策の期間を圧縮して費用を抑えるご家庭もあります」と話す。 ■詰め込み教育は「子どもらしさ」を奪う?  小学校受験といえばペーパー対策。「毎日ペーパーを50枚こなさないと合格できない」といった噂もあるが、小学校受験の変遷を48年間、つぶさに現場で見てきた久野さんは、そうした噂を一蹴する。 「限られた時間で30~40枚のペーパー試験を課すような入試がメインだった時代もありましたが、子どもたちに負担を強いていたこともあり、今は問題の質・量ともに変化しています」  最近の入試では「多くて10枚、平均8枚程度」であり、ペーパーを使わない学校も増えているという。問題内容も変わった。 「かつてのパターン化された知能テストのようなものから、自分で考え、作業し、答えを導く問題になっています。生活や遊びのなかで、実物を使って試行錯誤し、思考力を伸ばすことが大事です」(久野さん) 久野泰可(くの・やすよし) 幼児教室「こぐま会」代表。幼児期に大切な「思考力」を育てるため実践教育を追求し、独自カリキュラム「KUNO メソッド」 を確立。著書に『「考える力」を伸ばす AI時代に活きる幼児教育』(集英社新書)ほか多数。 野倉 学(のくら・まなぶ) バレクセル代表。リクルートを退社後、独立。専門サイト「お受験じょうほう」(https://www.ojuken.jp/)で小学校受験の実態や最新情報を発信。データを基に受験家庭や、私立小学校へアドバイスも行う。 二宮未央(にのみや・みお) コラムニスト。小中・専門学校保育科と、聖心女子学院の一貫教育を受ける。卒業後は幼稚園教諭を経て結婚。著書『小学校受験バイブル 賢い子育てをするために』(宮田紀子監修、あさ出版)に、自身の子どもの小学校受験の体験をまとめた。 (文/澤田聡子) ※『AERA English特別号 英語に強くなる小学校選び2021』より
AERA with Kids+ 2020/09/22 17:00
コロナ禍は婚活に追い風? 逆風? 結婚をつかむ人の特徴とは
コロナ禍は婚活に追い風? 逆風? 結婚をつかむ人の特徴とは
写真はイメージです(GettyImages) NOZZE.(株式会社結婚情報センター)代表取締役社長の須野田珠美さん  新型コロナウイルス感染拡大防止のため、リモートワークやオンライン飲み会などが定着し、外出や飲み会の機会が激減したという人は多いだろう。出会いも少なくなり、対面で人と会うことが減ったりしたことで、婚活も様変わりしているという。コロナ禍のこの状況は、婚活をする人にとって障壁になるのか、それとも後押しになるのか。大手結婚相談所「NOZZE.」の代表取締役社長・須野田珠美さんに、婚活の最新状況について話を聞いた。 *  *  *  会食での感染リスクが指摘されるようになり、合コンや婚活パーティーなど、これまでのような男女の出会いの場は激減してしまった。婚活中の人にとっては逆風のように思えるが、結婚相談所「NOZZE.」への女性からの問い合わせは、コロナ前と比較して2割ほど増えているという。 「特に、真剣に結婚を望んでいる人からの問い合わせが増えています。マッチングアプリや婚活パーティーなどでたくさんの人と広く浅く知り合っていたという女性が、コロナをきっかけに現実的に結婚を考えるようになり、『1カ月以内にお見合いを組んでもらえませんか?』と切実に訴えてきた例もありました」(須野田さん)  須野田さんによると、コロナの感染拡大で、婚活している人は二極化しているという。 「一つは、『感染が心配だし、こんな世の中だから、今は婚活を控えておこう』という“休戦派”。もう一つは、『この状況は長引くだろうから、早めにいい人と結婚して一緒に生きていきたい』という“短期決戦派”です。それまでは、合コンやマッチングアプリなどである意味「ゆるく」婚活していた人たちも、外出自粛で自分と向き合う時間が増えた結果、自分の婚活に対する考え方が明確になってきたのだと思います」  “短期決戦派”には、「一人でいるのは寂しくて心細い」という心理的な理由だけでなく、現実的な「コスパ」を考えて結婚したいという人も増えているという。 「コロナの影響で、収入減になる人が増えるのは確実です。収入が減少傾向にあるときは、1人分の収入だけで単身で暮らすよりも、2人分の収入で一緒に暮らしたほうが、コスパがいいと考える人が多いんです。特に、男性はそうした経済面を重視する人が増えています」(須野田さん)  入会から結婚に至るまでの期間はコロナ前より短い傾向にあるといい、1~6月の成婚数は前年比で10%増だったという。こうした社会不安の中で結婚を求める人が増えるということは、過去にもあった。 「東日本大震災の後にも、入会者や成婚率は大幅に伸びました。『絆婚』なんて言葉も生まれましたね。有事には、普段は意識していなかった自分の価値観が、あぶりだされていきます。例えば今なら、手洗いやマスク一つとっても、人によって考え方が全然違いますよね。そんなとき、自分と価値観が近く、ストレスなく一緒にいられるパートナーと支え合って生きていきたいという気持ちが芽生え、結婚を意識する人が増えるのではないでしょうか」  そうはいっても、コロナ禍でこれまでのような婚活ができない中で、どのように出会えばいいのだろうか。須野田さんの相談所では、会員それぞれのコロナに対する考え方に合わせて、対面とオンライン両方の婚活サービスを提供しているという。 「感染対策をしながら対面で人と会いたいという人に対しては、マスクや消毒、ソーシャルディスタンスなどを徹底したうえで、通常のお見合いのほか、男女合わせて10人程度の少人数のパーティーを開催しています。一方、人と直接会うのは抵抗があるという男女に対しては、オンラインでのお見合いや婚活パーティーを行っています」  オンラインでのお見合いも、実際のお見合いと流れは基本的に同じだ。ウェブ会議アプリを使って、男女各1人とそれぞれのアドバイザー計4人でまずあいさつなどを行い、その後アドバイザーは抜けて2人でトーク。終了間際に再度アドバイザーが参加してお見合いを終えたら、それぞれのアドバイザーが個別に相手への印象などをヒアリングするという。  コロナ前は100人近くが参加する婚活パーティーも行っていたが、今年はウェブ会議アプリを使ってオンラインで実施。男女計6~10人程度で、最初に参加者全員で説明を聞いた後は、男女1人ずつウェブ上の小ブースに分かれて10分間トークし、次々に組み合わせを替えていく。最後に気に入った人をスタッフに知らせて、カップリングが成立したら、連絡先の交換を行うという。  婚活パーティー等、同社のオンラインイベントでは、毎回数組がカップル成立するというが、結婚相手となる人をオンラインで見極めることは、難しくないのだろうか。 「オンライン婚活のいいところは、相手の見た目の印象やその場の雰囲気に流されることなく、会話に集中できるということです。私はオンラインの場合は、相手に対して聞きたいことをメモしておいて、そのメモを見ながら会話することを勧めています。対面のお見合いでメモを持ちながら話すわけにはいきませんが、ビデオ通話なら手元が見えないですからね。また、聞いたことを忘れないように書き留めておくこともできます。ただの印象だけではなく、会話の内容から相手の人格や価値観などを見極められます。これは婚活にとってとても重要なことですから、私はコロナが収束後も、オンラインでのお見合いは続けていきたいと思っています」(須野田さん)  また、このコロナ禍で婚活をする人たちに、ぜひ取り組んでほしいことがあると須野田さんは話す。 「なかなか思うように人と会えない時期だからこそ、充電期間と捉えて、自分の感性を磨く機会にしてほしいですね。女性におすすめなのは、恋愛ものの映画やドラマを見ることです。登場人物に感情移入して気持ちを練っていくことで、『恋をしたい』という気持ちを高めていってほしいと思います」  一方、婚活中の男性には、自分を動画に撮って見返す時間を作ってほしいという。 「自己紹介程度でいいので、毎日数分間、自分のしゃべっているところを録画してみてください。それを見ると、思っていたのと全く異なる自分の姿が映っているはずです。下ばかり向いていたり、声が小さくて聞き取りにくかったり。気になったところを直すように毎日気をつけて録画を続けていると、相手からどう見られているかを客観的に意識できるようになります。そうすればオンラインの画面越しにも、好印象を持たれるようになりますよ」  須野田さんは、「婚活では見た目の印象も大切」としながらも、「コロナ禍のオンライン婚活では、見た目以上に、会話の内容や人間性が問われる」という。 「相手に自分をわかってもらうには、まずは自分で自分を理解することが大切です。コロナで人と会えないと気落ちするのではなく、自分と向き合い、『自分はどんな人間で、どんな人をパートナーとして求めているのか』ということを考える期間にしてはどうでしょうか。そうなれば、コロナ禍は婚活にとって追い風にもなりうると思いますよ」 須野田 珠美(すのだ・たまみ) NOZZE.(株式会社結婚情報センター)代表取締役社長、一般社団法人結婚社会学アカデミー理事長。 東京都生まれ。幼稚園教諭を経て、亡き夫と共に進学塾、早稲田アカデミー(東証1部上場)を創設。引退後、専業主婦を経て、創業間もない結婚相談所・NOZZE.に入社。2013年12月に代表取締役社長に就任。のべ1万2000人以上に婚活や恋愛、結婚生活のアドバイスをおこなっている。著書に 『45歳からのプラチナ女子宣言!! 恋も仕事も最高に輝く46の習慣』『おふたりさま はじめました。』(幻冬舎)。 NOZZE. http://www.nozze.com (文/白井裕子)
dot. 2020/09/22 11:30
除染作業員、風俗店呼び込みも経験…作家・赤松利市が選ぶ“仕事本
除染作業員、風俗店呼び込みも経験…作家・赤松利市が選ぶ“仕事本
赤松利市(あかまつ・りいち)/1956年生まれ。作家。著書に『犬』『ボダ子』『鯖』など  人生の終わりにどんな本を読むか――。2年前に「住所不定、無職」で作家デビューする前、さまざまな仕事を転々とした赤松利市さんは、「最後の読書」に『仕事本』を選ぶという。 *  *  *  Withコロナと東京都知事が発言した。コロナと共存する新たな生活様式を考えようという提案だ。海外の研究者は科学的な根拠を以って、現在の状況が10年、20年と続いても不思議ではないと悲観的な観測さえ述べている。  私は今年の2月で64歳になった。おそらくこのままコロナと共存する人生が残されているのだと諦観している。コロナによる重症化で最期を迎えたくはないと願うのだが、それも詮無いことだろう。いずれは感染するだろうし、既に感染しているのかも知れない。  そんな私が末期の読書として選ぶとすれば、左右社刊の『仕事本』だ。440ページを超える分厚い本で、これを病床にあって読むのは大変だと思えるかもしれないが、読破するつもりはさらさらない。その必要もない。何故ならこの本はひとりの著者によって記されたものではなく、77人の著者によって記された日記だからだ。  77人には著名人もいれば無名の人もいる。年齢も20代から80代とバラエティーに富む。さらに職業に至っては医師、タクシードライバー、スーパー店員、小説家、映画監督、ライブハウス店員、葬儀社社員と様々である。女子プロレスラーまでいる。  どうしてこんな本が成立するのか?  彼らには、たったひとつの共通点がある。令和2年4月7日午後7時にコロナによる緊急事態宣言が発令された直後、出版社の依頼により彼らの日常を日記に綴り始めたという共通点だ。  本のタイトルにある通り、その日常は彼らの『仕事』を通じて綴られている。その仕事内容に応じて、彼らが世間や社会をどう観たのか、どう関わったのか、それぞれ違う視点で語られている。  私は『仕事』を転々とした。新卒会社員に始まり、会社を経営し、その会社を破綻させてからは土木作業員、除染作業員、風俗店の呼び込みも経験した。日銭を得ることに汲々とした日々だった。そんな私が『仕事』を懐かしむツールとして、この本を最後の読書として選びたい。 ※週刊朝日  2020年9月25日号
読書
週刊朝日 2020/09/21 11:30
【現代の肖像】ドキュメンタリー写真家・林典子 撮らない時間がチャンスを生む<AERA連載>
【現代の肖像】ドキュメンタリー写真家・林典子 撮らない時間がチャンスを生む<AERA連載>
衝撃的なテーマを扱っても、一瞬を切り取ることはしない。長い歳月をかけて全体像を描き出す(撮影/小山幸佑) ※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。  重要だが、普段あまり目に触れることがないテーマを深く掘り下げて記録し続ける。キルギス、イラク、北朝鮮。林典子が向かう先には、社会情勢や文化的背景に翻弄された人々がいる。だが、一目でわかるような写真にはあえて走らない。本質に近づくために対象に長期間密着し、あるがままの状態を写し出す。ドキュメンタリー写真家としての流儀がそこにある。  1月下旬。早稲田大学で開かれた東アジアの和平プロセスを考える公開シンポジウムに、林典子(はやし・のりこ)(36)は講師として登壇した。林の北朝鮮での取材の様子がスクリーンに映し出されると、聴衆は釘付けになった。自ら撮影したという移動中の列車の中での乗客との交流や、日本に向けて中距離弾道ミサイルが発射された直後の都市の様子などの写真と映像が流れ続けた。  林が追い続けているのは、北朝鮮で暮らす日本人妻。1959年から25年間にわたって、日本に住む在日朝鮮人の帰国を促す集団帰国事業が行われた。新潟港から祖国へ帰ったのは約9万3千人。その中にはおよそ1800人の日本人妻も含まれていた。高齢のためすでに亡くなった人も多いが、林は2013年から今までに12回訪朝して9人に面会。貴重な証言の数々や取材中に体験した北朝鮮での出来事を『朝鮮に渡った「日本人妻」』(岩波新書)として昨年6月に出版し、今秋には写真集にもまとめる予定だ。  北朝鮮では常に案内人が付き添い、写真撮影を許可されない場所もある。何より取材対象となる日本人妻が心を開いてくれなければ、シャッターを押すこともできない。ほとんど取材らしい取材ができないまま北朝鮮を後にするジャーナリストもいるなかで、1万枚以上の写真を撮ってきた。それが出来たのは、時間をかけた地道な取材があったからだと林は言う。 「目指している取材を100%とすると、最初の5回ほどはほとんど写真も撮れず5%も達成できなかった。それでも6回、7回、8回と繰り返していくうちに数パーセントずつ数字が上がっていく。数字は小さいけど積み上がっていくことにとても大きな意味があって、だんだんと取材ができるようになった。その繰り返しがあったからこそ、日本人妻からセンシティブな話が出ても、案内人にインタビューを止められることがなかったんだと思う。やはり、何度も何度も取材をしていくことが大切なんだと改めて感じました」 この1月、東京のニコンプラザ新宿でキルギスのナリン川をテーマにした写真展が開かれた。川と共にその流域で暮らす人々の生活を切り取った写真には穏やかさが漂う。今までの写真とは印象が違うとの声が多いが、林の中では繋がっている(撮影/小山幸佑) ■男の子のような小学生、ついたあだ名は「あきら君」  写真家として本格的な活動を始めたこの10年、衝撃的なテーマを次々と扱ってきた。結婚を拒否したために硫酸で顔を焼かれたパキスタンの女性、人さらいのように女性を力ずくで奪うキルギスの誘拐結婚、ダーイッシュ(イスラム国)に土地を侵略され多くの女性が性暴力を受けたイラクのヤズディ教徒。時間をかけた丁寧な取材が実を結び、完成度の高い写真集を出す。国内外を問わず受賞歴も多く、名取洋之助写真賞、フランス世界報道写真祭「報道写真特集部門」金賞、全米報道写真家協会「現代社会の問題部門」1位、山本美香記念国際ジャーナリスト賞など、写真家として高い評価を受けている。  林の特徴は、写真集を出して一つの結果を残しても、そこでプロジェクトが終わらないことだ。取材対象者とは交流を続け、必要なら「その後」を伝え続ける。渡航費も時間もかかる作業だが、手を抜くことはない。それでいて新しいテーマにも果敢に挑んでいく。粘り強さとチャレンジする姿勢がバランス良く両立している。  83年、神奈川県川崎市で会社員の父・林則孝(64)と専業主婦の母・英子(66)の長女として生まれた。4歳で埼玉県に引っ越し、その頃、アウトドア好きの英子に連れられて山登りによく連れて行ってもらったことを覚えている。幼少のころは集団行動が苦手で、幼稚園受験の面接のときにはあまりに泣き叫んだため先生たちに担ぎ出された。小学校に入ると友達も増えたが、短い髪にズボン姿で男の子のように見えたことから、ついたあだ名は「あきら君」。ジャングルジムやドッジボールが好きな活発な子どもだった。両親によると、「一度決めたら変えない芯の強さ」は、この頃から持ち合わせていたという。  今の仕事に就く遠因となったのが、中学・高校時代にテレビでよく見たドキュメンタリー作品だ。アフガニスタン紛争など海外で起きている自分の知らない世界を画面越しに知るうちに、社会問題や時事問題に強い関心を抱くようになる。高校生になるとNGOの勉強会にも顔を出すようになり、大国の利害に翻弄されるクルド難民のことなども知るようになった。  将来、やりがいを感じる仕事に就きたいと漠然と考えていた林は、この頃から国際関係の現場で活躍したいと思い始める。中学からエスカレーター式に昭和女子大学に入学するが、いずれは生きた国際政治学を学ぶためにアメリカの大学に行こうと高校時代から決めていた。ペンシルベニア州のジュニアータカレッジで国際政治学、紛争・平和構築学が学べることを調べ、20歳のときに編入した。 普段は東京暮らし。「ニューヨーク・タイムズ」など海外の新聞や雑誌社から依頼されるニュース取材の撮影もあり忙しい毎日だが、ときおり山梨県北杜市にあるセカンドハウスで息抜き。近くには両親が住み、家族団らんで過ごす時間も(撮影/小山幸佑) ■写真のことはほぼ知らず、ガンビアの新聞社で働く  22歳の春、アフリカ政治の担当教授が募集していた西アフリカのガンビア共和国での研修に参加したことが、林の大きな転機となる。2週間のツアーは国会や裁判所の見学など予定通り終わったが、ガンビアをもっと知ろうと、そのまま帰国せず一人だけ滞在を延長したのだ。  受け入れてくれる先を探すために「国連事務所や現地のNGOなどに片っ端から電話をかけまくり」、初めに見つかったのは小学校のボランティア。授業で子どもたちに英語を教えた。だが、ガンビアを知るためには他の経験をしたほうがいいと思い直す。当時のガンビアは独裁政権下で報道の自由がほとんどなかった。そこで働く記者たちがどんなことを考えているのか知りたかった。「働くなら報道機関だ」。そう考えた林は地元の新聞社「ザ・ポイント」にアポイントなしで出向き、編集長に面会するや否や、ここで働きたいと直談判した。  日本人の学生からいきなり仕事が欲しいといわれた編集長も驚いただろう。「何ができるの?」と尋ねられた林は咄嗟に「写真が撮れます」と答えた。カメラは、留学するときに買ったニコンの一眼レフ「FM3A」を持っていた。だが、写真のことなどシャッターボタンを押せば写るぐらいしか分かっておらず、写真を撮ったことすらほとんどなかった。それでも、そのときザ・ポイントに社員カメラマンがいなかったこともあり、「お金は要らないからとにかく経験がしたい」と熱心に訴えると採用になった。こうして林典子の写真家としての一歩が始まった。  翌日から記者と一緒に現場へ出て、撮影する日々が始まった。初めて大きく写真が載ったのはアフリカ系アメリカ人のビューティーコンテスト。中面に6枚ぐらい載り、素直に嬉しかった。この頃はまだ写真で食べていこうという考えはなかったが、カメラを介することで人々の生活に深く関われることに気がついた。  日本への一時帰国を挟み、大学を休学して翌年も再び同じ新聞社で働くことを決意する。同僚とも次第に打ち解けていくうちに、記者たちが命がけで仕事をしていることを知ることになる。 「政治家の汚職、貧困や人身売買などの深刻な問題を教えてくれた記者、ガンビアでは書けない内容の記事を身の危険を冒してアメリカのオンライン新聞に送っていることを打ち明けてくれた記者もいました。2人はその後、何者かに襲われ、1人は亡くなり、もう1人は隣国のセネガルへ亡命しました。彼らが私の生き方に与えた影響は大きかった。写真を通じて伝える仕事をしたいと考え始めたのはこの頃です」 普段は東京暮らし。「ニューヨーク・タイムズ」など海外の新聞や雑誌社から依頼されるニュース取材の撮影もあり忙しい毎日だが、ときおり山梨県北杜市にあるセカンドハウスで息抜き。近くには両親が住み、家族団らんで過ごす時間も(撮影/小山幸佑) ■向き合い方に悩み続けた、キルギスの誘拐結婚取材  3年間の大学生活を終えて24歳で帰国すると、日本の新聞社でアルバイトをしながらお金を貯めた。並行して海外のフォトワークショップにも積極的に参加し、世界の第一線で活躍するフォトジャーナリストたちから学んだ。そうするうちに、写真を撮り続けていく気持ちがこの先も保てるかもしれないと思えるようになってきた。  その後の林は、自分が興味を抱いたテーマの取材に、次々に取り組んでいく。  10年にはパキスタンで硫酸を顔にかけられた女性たちを取材する。首都イスラマバードにあるNGOが彼女たちの治療をしていることを知り、会いに行く。 「最初は写真を撮らず、一緒にテレビを見たり買い物に行ったりしました。そのうち、私を受け入れてくれて、カメラを向けてもこちらを振り向かなくなった。それでも顔の写真を撮ればダイレクトに被害が写ってしまう。ただれた顔よりも、彼女たちがどんな家族に囲まれてどんな時に笑い、どんなものを見つめているのか。そうした日常を知りたかったので撮影方法も工夫しました。嬉しかったのは、つらい状況にある彼女たちなのに、世界に伝えるという社会的な意義を理解して写真を撮らせてくれたこと。だからこそセンセーショナルじゃなく、きちんと伝えないといけないと思いました」  3週間の予定が3カ月に延び、15人ほど取材した。写真は海外の雑誌などでも発表した。それでも写真集にしていないのは、まだ取材が足りないと思っているためだ。  以前から気になっていたというキルギスの誘拐結婚(アラ・カチュー)の取材は、東日本大震災の取材を終えた12年に行った。誘拐結婚の瞬間を捉えたいという気持ちもあったが、それ以上に結婚した女性たちがその後どんな生活を送っているか関心があった。  いくつかの中央アジアの国々で行われている誘拐結婚は、男性が結婚目的で女性を力ずくで連れ去る慣習だ。キルギスでは94年に法律で禁止されたが、実態としては今も残っている。誘拐の現場が見つかれば逮捕されるが、その後に女性が結婚を承諾すれば罪に問わないなど、法律もどこか曖昧だ。  初めはどこにいけば誘拐の現場が取材できるのか分からず、誘拐結婚をした夫婦へインタビューを試みた。家に泊めてもらい、じっくりと話を聞き、生活の様子を撮影する。女性を誘拐するような人が果たして協力してくれるのかと思ったが、皆、協力的で夫婦仲も良さそうに見える。男性も良識人で友達になれそうな人たちだ。だが、誘拐結婚の話になると、恥じるどころか「男なら誘拐しなさい」などと言う人もいた。 「初めは『誘拐結婚などあってはならない』との見方で取材を始めたんですが、取材を進めるうちにどう向き合えば良いのかだんだんわからなくなって。住民たちには様々な考え方があり、誘拐結婚したカップルの結末もいろいろ。簡単に良い悪いというのは難しいんです。それでも、誘拐結婚で希望を失い自殺をした女性もいるし、幸せになった女性でも娘が誘拐されたら許さないという人がほとんど。最終的に私の中では『人権侵害』という考えに落ち着きました」 普段は東京暮らし。「ニューヨーク・タイムズ」など海外の新聞や雑誌社から依頼されるニュース取材の撮影もあり忙しい毎日だが、ときおり山梨県北杜市にあるセカンドハウスで息抜き。近くには両親が住み、家族団らんで過ごす時間も(撮影/小山幸佑)  出版した写真集『キルギスの誘拐結婚』には、林が言う難しさが反映されている。大勢に体をつかまれて誘拐した男の家に連れこまれる女性の姿などネガティブなイメージの写真と共に、誘拐結婚後に生まれた子どもたちと一緒に幸せそうな表情の夫婦の写真もある。  そのなかの一人ディナラは大学生のとき、知り合いの高校教師アフマットにドライブしようとウソをつかれて誘拐された。男の家には親族の女性たちが待ち受けていた。彼女たちが泣き叫ぶディナラに花嫁の象徴となるスカーフを被せる姿を撮影した。その後、ディナラは結婚を受け入れ、子どもを産む。林は結婚から1年半近くたった14年にキルギスを再訪問し、ディナラの出産シーンもカメラに収めた。  そのディナラが言う。 「典子は誘拐結婚の伝統を知らない外国から来た人なので驚くのも当然でしょう。誘拐結婚はときに不幸な結果を招くこともありますが、私たち夫婦はとても幸せです」  ディナラは林のことをはじめはアフマットの親類だと思ったそうだが、知らない家に連れてこられて不安な自分のことを常に気遣ってくれたことに感謝をしている。みんなが寝静まってから二人きりでいろんな話をするうちに次第に心を開いていった。いまでは、SNSを通じて他愛のないことでもやり取りをする関係になった。 ■複雑なものを複雑なまま、出来事の全体像を写し出す  イスラム国による略奪を受けたヤズディ教徒の取材では、15年から翌年にかけて4度のイラク入り。戦闘員に性奴隷として売られた女性たちにインタビューし、『ヤズディの祈り』としてまとめた。そのうちの一人、ナディア・ムラドは、イスラム国の性暴力の実態を国際社会に訴え、林が取材した後にノーベル平和賞を受賞している。  林はなぜ、他の人が撮れないような写真を撮り、貴重なインタビューが出来るのか。  林を早くから見いだし、『人間の尊厳』の編集担当をした岩波書店の編集者・安田衛(39)はこう指摘する。 「これだと思うテーマを探し出す力と、取材現場で時間をかけながら決定的瞬間を待つ力が優れている。それも、ただ漫然と待つわけではなく、繊細に相手の感情をくみ取りながら“その時”を待てる。それができるから、シャッターチャンスを引き寄せられるのです」  友人で海外メディアの取材コーディネーターとして働く斎木茜(37)も、林の他人の気持ちを察する能力を評価する。 「競争の激しいフォトグラファーの世界にはアグレッシブな人が多いが、典ちゃんは仕事中に相手の気持ちをきちんと考えて行動できる。被写体のことも事前によく調べているし、現場へ行けば鋭いカンも働く。だから良い写真が撮れるのではないか」  本人によると、取材の前には十分なシミュレーションをする。密着する相手への礼儀として、シャッターを押すときにはその場の雰囲気を壊さないように考える。だが、ひとたびその瞬間しかないと思ったときには、ひるまず写真を撮りに行くという。そうした押し引きのうまさに加えて、仕事で写真を撮るためなら1週間風呂に入らずとも平気。どこでも寝られるタフさも味方をしているのだろう。 北朝鮮の日本人妻の取材では、残された家族に話を聞き、ゆかりの場所を撮影するために日本全国を訪れる。写真集は今秋発売予定だ(撮影/小山幸佑)  だからといって、衝撃的な写真だけで物事を伝えないのも林の良さだ。『ヤズディの祈り』を出版した赤々舎の姫野希美は、分かりやすさをあえて提示しないところに共感する。 「ジャーナリズムは物事のピークを切り取り、分かりやすい写真を提示しがち。でも、それではインパクトのある部分に目がいってしまい、物事の複雑さや多面性が伝わらない。一緒に写真集を作ると、あえて衝撃的な写真を外したりする。そうして出来事の全体像を浮かび上がらせるのが彼女のやり方です。それが、被写体の人生を丁寧にすくい取ることにもつながるんだと思います」 「複雑なものを複雑なままに伝える」  あえてインパクトのある写真を排する意味を林はそう表現する。そこには、センセーショナルに伝えることで物事を単純化しがちな既存メディアへの疑問がある。世の中の事象は、白か黒かすっきり割り切れないもののほうが多い。だから林は、時間をかけて全体像を捉えようとする。 (文中敬称略)   ■はやし・のりこ 1983年 11月、神奈川県川崎市に生まれる。両親と妹の4人家族。父は家族の写真を撮るのが趣味。母方の祖母は学生時代、台所に暗室を作り写真を現像するなど写真好きだった。 2004年 昭和女子大学短期大学部を卒業し、8月、米国ジュニアータカレッジ(ペンシルベニア州)へ編入。国際政治学、紛争・平和構築学を学ぶ。  06年 5月、アフリカ政治の担当教授が募集していたガンビアでの研修に参加。プログラム終了後に滞在を延長し、新聞社「ザ・ポイント」でカメラマンとして3カ月働く。  07年 1月、米国の大学に復学。5月から7月まで再び「ザ・ポイント」で働いた後、大学へ戻る。12月に卒業。  09年 11月、カンボジアのアンコール・フォト・フェスティバル&ワークショップに参加。  10年 7月から3カ月間、パキスタンで硫酸の被害に遭った女性を取材。翌年、組み写真「硫酸に焼かれた人生~ナイラとセイダの物語」で名取洋之助写真賞を受賞。  11年 独・シュピーゲル誌の依頼で、東日本大震災の被災地取材を始める。  12年 7月、キルギスの誘拐結婚(アラ・カチュー)を取材。5カ月の間、誘拐結婚した人々の家に泊まり込みながら実態を撮影する。  13年 8月、北朝鮮の日本人妻の取材を開始。  14年 6月、写真集『キルギスの誘拐結婚』(日経ナショナル ジオグラフィック社)を出版。  15年 2月、イラクでダーイッシュ(イスラム国)に故郷を奪われた少数民族ヤズディを取材。11月、オランダの世界報道写真財団が主催するワークショップ「ジョープ・スワート・マスタークラス」に世界の若手ドキュメンタリー写真家12人の一人に選ばれて参加。  16年 12月、写真集『ヤズディの祈り』(赤々舎)を出版。  17年 5月、『ヤズディの祈り』が山本美香記念国際ジャーナリスト賞。  19年 6月、『フォト・ドキュメンタリー 朝鮮に渡った「日本人妻」-60年の記憶』(岩波新書)を出版。  20年 キルギスのナリン川沿いに暮らす人々の営みを記録した写真展催。イギリスの文芸誌「グランタ」で北朝鮮の日本人妻について発表。 ■桐島瞬 1965年生まれ。ジャーナリスト。週刊誌を中心に活動する。主な取材テーマは、原発、災害、エネルギー、沖縄など。共著に『福島原発事故の謎を解く』(緑風出版)。 ※AERA 2020年4月13日号 ※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。
AERA 2020/09/17 01:14
まるりとりゅうが、新曲「ONE STEP」青春恋愛ドラマの主題歌に
まるりとりゅうが、新曲「ONE STEP」青春恋愛ドラマの主題歌に
まるりとりゅうが、新曲「ONE STEP」青春恋愛ドラマの主題歌に  まるりとりゅうがの新曲「ONE STEP」が、2020年9月17日より配信開始となるABEMAの新ドラマ『17.3 about a sex』の主題歌に決定した。  新ドラマ『17.3 about a sex』は、永瀬莉子、田鍋梨々花、秋田汐梨がトリプル主演を務める17歳の女子高校生3人が恋にセックスに揺れ動くリアルな心情を描く、ひと夏の青春恋愛物語。主題歌「ONE STEP」は、ドラマために書き下ろされたアップテンポな応援ソングで、キスの先への期待と不安で揺れ動く主人公3人の“ワンステップ”を応援するポジティブなメッセージが込められている。 ◎MaRuRi コメント この楽曲はABEMA新ドラマ『17.3 about a sex』の主題歌のお話をいただいてからRyugaくんが書き下ろした新曲です!恋する女子高生達が色々なことを通して物語が展開していくので、23歳のわたしも歌ってる時は女子高生になりきって歌わせていただいてます!笑 楽しいだけじゃ無い恋愛だけど女の子の可能性は無限大だと信じているので、この曲を聴いて少しでも片想い中の女の子が自信を持ってくれたり、背中を押したりできればいいなとおもっております!是非ドラマと一緒に楽しんでください▽(サルの絵文字) ◎Ryuga コメント 「ONE STEP」は、女性が自分自身のコンプレックスや悩みなどを乗り越えるため勇気を出して踏み出す一歩を応援できるような曲になっています!この曲を聴いてくださった方々の背中を少しでも押せたら嬉しいです! ◎配信情報 新オリジナル連続ドラマ『17.3 about a sex』 2020年9月17日(木)夜11時~ 初回配信のみ1話から3話を一挙配信、以降1話ずつ配信 配信チャンネル:ABEMA SPECIALチャンネル https://bit.ly/2ZIgbYG
billboardnews 2020/09/17 00:00
タイBLドラマ俳優のイケメン度が高すぎる タイ語熱も上昇中
タイBLドラマ俳優のイケメン度が高すぎる タイ語熱も上昇中
“顔面国宝”“彫刻フェイス”と絶賛される「2gether」サラワット役のブライトさん/提供:コンテンツセブン/(c)GMMTV  新型コロナウイルス感染拡大で、外出自粛を余儀なくされた4~5月にかけて、Netflixで配信中の「愛の不時着」や「梨泰院クラス」などの“韓流ドラマ沼”にどっぷりハマる人が続出した。実はもうひとつ、“タイBL(ボーイズラブ)ドラマ沼”という、巨大で深い沼があるのをご存じだろうか?  今年3月、ある日本人ファンが四つのタイBLドラマの解説付きで「腐女子へ タイのBLドラマ見てください」というメッセージをツイートしたところ、約10万『いいね』が付くほどの大反響を巻き起こした(現在、当該ツイートは削除)。  以前からタイでは若い男性同士の恋愛を描いたBLドラマが数多く制作され、現在、それらの多くはYouTubeの公式チャンネルで英語字幕付きで無料配信されている。  その数日後には有志が各国語に翻訳して字幕を付けてアップし、もちろん日本語字幕版も存在。日本でもBL好きの間では数年前からひそかにタイBLドラマに着目していたが、コロナ自粛中に前述ツイートの後押しもあり、タイBLドラマを見はじめる人が一気に増えたという。  中でも、タイで今年2月から放送された「2gether(トゥゲザー)」(全13話、現在はRakuten TVで独占配信中)が爆発的な人気を集め、そこから別の作品にも波及しているというのだ。  その人気ぶりは、タイ語学校にも波及していた。タイランゲージ・ステーション(東京、大阪、タイ)では、緊急事態宣言解除後、授業の再開と同時に女性からの問い合わせが急増した。同校は生徒の約7割が男性で、タイ語学習の理由は「仕事でタイ語を使う」「旅行でタイにハマった」という理由が大半なので、女性から多くの問い合わせというのは前代未聞だった。 「体験レッスン参加者が書いたアンケートを見ると、彼女たちはタイ渡航歴がないのにタイ語に興味があるというのですが、その理由はわかりませんでした。でも入学後、レッスン中に先生が『どうしてタイ語を習い始めたの?』と聞いてみて、やっと『実はタイBLドラマにハマって……』とカミングアウトしてくれたんです。そうだったのか! とようやく謎が解けました」(代表取締役・早坂裕一郎さん)  同校ではタイBLドラマ流行の兆しを受け、「2Moons The Series」というドラマを題材に、タイ人女性講師が劇中のせりふや文化の違いなどについて解説する「タイのドラマを観る会」という特別レッスンを企画したところ、募集開始初日に満員となった。  このように、「ドラマで登場人物たちが話すタイ語を聞き取りたい」「俳優たちのSNSのタイ語が読めるようになりたい」と、タイ語習得熱も高まりを見せるほどのブームになりつつある。都内在住の40代女性もその一人で、以前から何度も旅行に行くほどのタイ好きだったが、自粛中にタイBLドラマのとりこになってしまったと話す。 「タイ好きの友人が毎日のようにSNSで『2gether』を薦めてくるので、軽い気持ちで見始めたらどっぷりハマってしまいました。とにかく登場人物の顔が圧倒的にいい! しかも外見だけでなく、物語の世界観がよく作りこまれていて、俳優たちの演技もとても上手。自粛期間中の先行きが見えない閉塞(へいそく)感の中、画面を通して見えるタイの日常の明るさにもかなり救われたような気がします。そこで字幕ではなく、タイ語を直接聞き取れるようになりたくなりました。今は授業で習ったフレーズや単語が聞き取れた時の喜びが、タイ語学習の大きなモチベーションになっています」(40代女性さん)  多くの女性たちを“沼”に沈めた「2gether」は、大学に入学したばかりの2人の男子大学生の物語。女の子にモテたいタインが、入学早々にゲイの同級生に一目ぼれされ、しつこくアプローチされてしまう。タインは、イケメンの同級生、サラワットに「偽装彼氏」になってほしいと頼み込む。無愛想なサラワットは冷たくあしらっていたが、最終的にタインのしつこい願いを承諾する。そして、いつしか2人の距離は縮まり……、という王道“胸キュン”ラブストーリー。  まず目を引くのは、2人の「顔面偏差値」の高さ。タインを演じるウィン(メータウィン)さんは、笑顔が印象的で品の良さが漂う21歳。サラワットを演じる22歳のブライト(ワチラウィット)さんは、眼力が強くて彫刻のような美しさ。ファンからは“歩くルーブル美術館”などと評されるほど。  どこまでも純粋な恋愛感情、サラワットのツンデレぶりに釣られる人が大半なのだが、それに加え、登場人物が脇役に至るまで魅力的で、ストーリー展開も巧み。話が進むにつれ、随所にちりばめられた伏線もきれいに回収され、最終的にはドラマ自体に魅了されてしまうという。 「タイのドラマは制作にすごく時間をかけます。撮影の前に役者同士がワークショップを行ってキャラクターを作り込みますし、監督の演技指導も丁寧で、映像表現にもこだわりを持っています。私もきっかけはBLドラマでしたが、今ではすっかりタイのドラマ自体のクオリティーの高さや面白さにハマっています」  そう話すのは、タイドラマナビゲーターのみすれいんさん。2018年からタイBLドラマを見始めてタイ語を学ぶようになり、今ではドラマや俳優たちがSNSで流す動画の字幕をつけたり、ある俳優の日本ファンクラブ(非公式)を仕切ったりするほどに。BLものをはじめとする約50本のタイドラマをチェック済みだ。 「日本人女性にとってタイの男性といえば、『ネプチューン』の名倉潤さんのような濃い顔のイメージだったかもしれませんが、まさかタイにあんな美しいイケメンがたくさんいるなんて! とかなりの衝撃でした。しかもみんなすごく礼儀正しくて、ファンを大切にしてくれるんです」(みすれいんさん)  タイの俳優はファンとの距離が近いのも特徴で、頻繁にファンミーティングイベントを行ったり、SNSでファンにリプライをくれたりすることもあるという。ドラマ完結後も、劇中でカップルを演じた俳優たちがSNSにツーショットをアップし、親しげに交流するところを見せてくれるので、ファンにとっては次々と垂涎(すいぜん)ものの燃料が投下されるようなもの。いつまでも“萌(も)え”が燃焼し続けられる構図が出来上がっている。 「タイの俳優たちはSNSを上手に活用して情報を発信し、出演したドラマの世界観を大切にしています。ファン側も彼らのプライベートに踏み込まず、節度を守って応援すれば、彼らと交流を持つことができます。私もタイに行き、ファンイベントに参加したことがありますが、あの距離の近さは日本では考えられません!」(みすれいんさん)  コロナ禍で、当分タイ旅行に行けそうにないものの、ドラマを通してタイの文化や生活習慣を垣間見たり、YouTubeやSNSでタイの俳優たちの活躍を身近に感じたりすることはできる。  今回、みすれいんさんに、「2gether」の次に見るべきドラマを以下に挙げてもらった。これからますます勢いを増す、タイBLドラマを今からチェックしておくのがいいかもしれない。 【みすれいんさんお薦めドラマ】 ●「SOTUS(ソータス)」(全15話、Rakuten TVなどで独占配信中) <あらすじ>  大学の工学部が舞台。新入生の教育を担当するアーティット(通称クリス/ピーラワットさん)をはじめとする3年生たちの厳しい指導に納得できないコングポップ(通称シントー/プラチャヤーさん)は、新入生の先頭に立って反発する。事あるごとに衝突する2人だったが、お互いを知るごとに引かれ合っていく青春と成長の物語。 「タイBLドラマの代表的な作品の一つ。3話くらいまでは先輩のしごきが厳しくて挫折しそうになりますが、そこを乗り越えると、アーティット先輩がコングポップにデレはじめるので一気にハマります。大学生活を通して、タイの文化がよく分かるのも見どころ。アーティットが社会人になったあとの続編「SOTUS S」も作られました」 ●「TharnType/ターン×タイプ」(全12話+スペシャルエピソード、Rakuten TVで独占先行配信中) <あらすじ> 大学生のタイプ(通称ガルフ/カナーウットさん)は、ルームメートのターン(通称ミュー/スパシットさん)がゲイだと聞かされる。ゲイ嫌いのタイプは、あの手この手でターンを追い出そうとするが、ターンも激しく対抗。ターンはいつの間にかタイプに恋心を抱く。そしてある時、タイプのゲイ嫌いな理由を知る。 「この作品は映像にこだわりが感じられ、とにかくきれいで美しい。2人のちょっと過激で濃厚なシーンがよく登場しますが、ストーリー上必然性があり、不自然さはありません。特にターン役のミュウくんの演技がうまく、役に憑依(ひょうい)しているよう。2人はドラマ終了後に合同ファンイベントで結婚式を執り行い、ファンを熱狂させました。現在シーズン2を撮影中なので、今のうちに“履修”しておくことをお薦めします」 ●「ラブ・バイ・チャンス/Love By Chance」(全14話、Rakuten TVなどで配信中) <あらすじ> 大学のキャンパス内で偶然知り合ったピート(通称セイント/スパポンさん)とエー(通称パース/タナポンさん)。ピートは、様々な場面で何度も助けられたエーに次第に思いを寄せていく。一方、エーも世間知らずで危なっかしいピートが気にかかり、友達以上の感情を抱き始めていたことでやきもき。 「ピートとエーのカップリングを筆頭に、4組の男子たちの恋愛模様を楽しめます。BLドラマが盛んなタイでも、自分がゲイであることを伝えられない悩みを抱えている人はいて、そうした苦悩もきっちり描いています。この作品の監督は、俳優たちの目線まで丁寧に指導しているだけあって、彼らの視線が印象的。ラブシーンも美しく、青年たちの思春期を丁寧に描いています。本国で続編が9月からスタートするので、ぜひチェックしてみて」 (本誌・吉川明子) ※週刊朝日  2020年9月11日号に加筆
週刊朝日 2020/09/06 17:00
フィル・ミケルソンがシニアデビュー、圧巻の優勝 丸山茂樹「僕と同世代…」
丸山茂樹 丸山茂樹
フィル・ミケルソンがシニアデビュー、圧巻の優勝 丸山茂樹「僕と同世代…」
丸山茂樹 ドイツの女子としてメジャー初優勝の快挙!(Getty Images)  ゴルファーの丸山茂樹氏は、フィル・ミケルソン選手、ソフィア・ポポフ選手らの優勝を祝福する。 *  *  *  6月で50歳になったフィル・ミケルソン(アメリカ)が、初めてシニアツアーの試合に出て、3日間ずっとトップに立ち続けて優勝しました。  レギュラーでやっていく中で、プレーオフ第2戦に進めなかったので、試合勘を養っておきたいのがあったんでしょうね。シニアに出て活躍すると、その流れでレギュラーでも活躍できるというのもありますから。そういうふうに自分を盛り上げるためにも、シニアに出たんじゃないかと思いますけどね。  それにしてもドライバーで350ヤードを打って1オンですか。恐ろしく飛びますね。僕と同世代なんですけどね……。もともとポテンシャルのあった人なので。たいしたもんだなと見てます。  米PGAツアーのフェデックスカッププレーオフ第1戦の「ザ・ノーザントラスト」(8月20~23日、マサチューセッツ州ノートンのTPCボストン)は、ダスティン・ジョンソン(36)が大会記録の30アンダーで優勝し、1年3カ月ぶりに世界ランキングのトップに返り咲きました。  前にも話しましたけど、もう30アンダーを不思議と思っちゃいけない時代になってますよ。この試合ではジャスティン・トーマス(27)も「誰かが56、57をマークする日は近い」とコメントしてましたけど、確かに、もはや驚くことじゃないという気がしてきましたね。  海外女子メジャーのAIG女子オープン(全英女子、8月20~23日、スコットランド・グラスゴー郊外のロイヤルトゥルーンGC)は、世界ランキング304位だったドイツの伏兵ソフィア・ポポフ(27)が初優勝を飾りました。  アマチュア時代に活躍して、鳴りもの入りで2014年にプロ転向。そのあとは原因不明の体調不良に悩み、マダニによる感染症と判明したそうです。  マダニが原因の感染症は、僕もテレビで見たことありますね。すごく恐ろしい話でした。彼女は体重が10キロ以上減ったみたいですけど、急にしゃべれなくなったりするケースもあるみたいで。どん底からの復活優勝を果たしたポポフの今後が楽しみですね。  国内男子ツアーの初戦となる「フジサンケイクラシック」(9月3~6日、山梨・富士桜CC)が迫ってきました。僕はテレビ解説のお仕事で現場へ行かせてもらいます。これまでに開催された無観客の試合を見てると、ある意味集中はできるんじゃないかと思うんです。盛り上がるかどうかという話は別にして、雑音がないですし、本当に静まりかえった中で全集中を高められるってのはあるんじゃないかと思うんですよね。  みんながどういう調整をしてくるのかは分からないですけど、こういうときこそ、勢いを持って優勝するチャンスだと思いますので、若手にはぜひ頑張ってほしいです。 丸山茂樹(まるやま・しげき)/1969年9月12日、千葉県市川市生まれ。日本ツアー通算10賞。2000年から米ツアーに本格参戦し、3勝。02年に伊澤利光プロとのコンビでEMCゴルフワールドカップを制した。リオ五輪に続き東京五輪でもゴルフ日本代表ヘッドコーチを務める。19年9月、シニアデビューした。 ※週刊朝日  2020年9月11日号
丸山茂樹
週刊朝日 2020/09/06 07:00
水球は相手をつかんでも押さえつけてもOKの「水中の格闘技」 水球のうんちく6連発!
水球は相手をつかんでも押さえつけてもOKの「水中の格闘技」 水球のうんちく6連発!
稲場悠介選手 棚村克行選手  話題になったニュースを子ども向けにやさしく解説してくれている、小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』では、毎号、一つのスポーツを取り上げて、やっても見ても楽しくなるうんちく(深~い知識)を紹介。9月号は、水球を取り上げたよ。 *  *  * 【競技の内容】 プール内につくられたコートで、2チームがボールを奪い合い、ゴールに投げ入れて得点を競う球技。コートのサイズは縦30m、横20mで、1チームの選手の人数は7人。試合時間は1ピリオド8分間の4ピリオド制。五輪では、男子は1900年のパリ大会(フランス)から、女子は2000年のシドニー大会(オーストラリア)から行われている。 【水球のうんちく6連発!】 (1)英語では「ウォーター・ポロ」  水球は英語で「ウォーター・ポロ」という。「ポロ」とは、馬に乗りスティックを使って球を奪い合い、相手のゴールに入れて得点を競う、イギリス伝統の競技だ。19世紀半ばにイギリスで、樽にまたがって水上の球を奪い合う競技が始まり、「ウォーター・ポロ」と呼ばれた。これが水球のルーツの一つなのだ。 (2)水球に似た競技は日本にもあった!  日本に水球が入ってきたのは20世紀初めだが、それ以前にも、「打球戯」というよく似た競技が行われていた。紅白に分かれたチームが、水に浮いた紅白2色のたくさんの球から自分のチームの色の球を選び、船上に設置されたゴール(球門)に入れる、運動会の玉入れのような競技だ。 (3)相手をつかんでも押さえつけてもOK  水球は、水中で手を使って行うサッカーのような競技だが、ルールではサッカーよりも激しいプレーが認められており、「水中の格闘技」ともいわれる。ボールを持っている選手をつかんでも、押さえつけてもOKで、水面下でヒジ打ちしたり蹴ったりすることもあるのだ。 (4)水中で足を回転させてジャンプ!  水球のプールは水深2m以上もあり、競技中、選手はずっと足を動かして泳いでいなければならない。それどころか、足をプロペラのように回して跳び上がり、シュートすることもあるのだ。 (5)新潟県柏崎市は「水球のまち」  新潟県柏崎市は古くから「水球のまち」として知られ、小学生から社会人までが所属する日本最大の水球クラブチーム「ブルボンウォーターポロクラブ柏崎」がある。東京五輪で活躍が期待される稲場悠介選手や棚村克行選手も所属している。日本初となる水球をモチーフにしたマンホールのふたも今年3月に10個、設置された。 (6)日本代表は「ポセイドンジャパン」  日本代表の愛称は男女共通で「ポセイドンジャパン」だ。ポセイドンとはギリシャ神話に出てくる海の神のこと。水中で力強く躍動してほしいとの願いから2012年に命名された。欧米との体格差をスピードと攻撃的な守備で補い、男子は世界大会で上位に食い込んでおり、東京五輪でも活躍が期待される。 【東京五輪で輝け! 稲場悠介選手 若きエース!】 2000年、富山県出身。小1から水球を始め、18歳でアジア大会の日本代表に選ばれて得点王となり、日本のエースに。現在はブルボンウォーターポロクラブ柏崎に所属し、レンタルの形でルーマニア1部リーグでも活躍。 【東京五輪で輝け! 棚村克行選手 ヒゲの守護神!】 1989年、沖縄県生まれ。23歳から日本代表の正ゴールキーパーを務める守護神。身長183センチメートルと世界の強豪国のキーパーに比べて小柄だが、ゴール付近からのシュートのセーブ率は世界トップクラス。ブルボンウォーターポロクラブ柏崎所属。 ※月刊ジュニアエラ 2020年9月号より
ジュニアエラ
AERA with Kids+ 2020/09/01 17:00
「風評被害という言葉使いたくない」 コロナ禍やトリチウム処理水問題を福島の漁師はどう乗り越えるのか
「風評被害という言葉使いたくない」 コロナ禍やトリチウム処理水問題を福島の漁師はどう乗り越えるのか
東京電力福島第一原発の敷地内には処理水をためるタンクが立ち並ぶ/2019年8月、福島県大熊町 (c)朝日新聞社  福島県相馬市の漁業が直面するコロナ禍とトリチウム処理水問題。漁師たちのジレンマが続く中、新たな取り組みが次々に始動しているという。AERA 2020年8月24日号では、本格操業を目指す漁師たちの今とこれからを取材した。 *  *  *  福島県漁連は、国の安全基準、1キログラム当たり100ベクレルより厳しい50ベクレルの自主基準を設定した。この年のヒラメは、厳しい自主基準を下回り、制限解除をするかどうか、国との話し合いが続いていた。しかし7月に「66ベクレル」が出て、結局1年後の16年6月の解除になった。  試験操業での漁獲量が、震災前の実績に届かない場合、差額相当の金額を東京電力は、漁師に補償している。だが、若い漁師らにとっては、これが「屈辱」でもある。 「獲ったら獲っただけ稼ぎになるのが漁師だ。いくらでも魚を獲ってくる自信はある」  そんな若手の不満を、相馬市で生まれ育ち、「清昭丸」(19トン)の4代目船主を継いで21年になる菊地基文さん(43)はしばしば聞く。高齢化と後継者不足に悩む漁協が多い中で、相馬双葉漁業協同組合は若い漁師が多い。正組合員818人、沖底船23隻、小型船415隻が所属(17年度末現在)するが、沖底船の乗組員は40歳未満が3割を占め、小型船でも少なくない。「沖底」では、震災後の苦しい状況の中でなお、18人が新たに後継者となった。  ただ、漁の実態は震災前と大きく異なる。深夜に出港した後、1~2泊の沖泊まりで8~15回網を曳いた震災前と違い、試験操業では、週2、3回の日帰り操業に限定された。このため、19年の漁獲量は3584トンと、震災前(10年)の2割弱にとどまっている。  若手のエネルギーを生かすべく相馬双葉地区の底引き網部会は、この9月から5年計画で「復興プロジェクト」を進める。水産庁の「がんばる漁業」事業に認定され、7隻の底引き船の新規建造支援が決まった。今後出航を増やし、震災前の2割弱にとどまっていた漁獲量を、5年後には6割まで回復させる計画だ。  一方で、処理水の放出方法で心配される風評拡大について、県地域漁業復興協議会の委員としてこの問題に関わってきた濱田武士・北海学園大教授(漁業経済)は「魚の買い控えが広がるだろうが、他県の水揚げ次第で正当な評価が得られる」と指摘する。  原発事故から6年後の17年1~4月期。イカナゴの幼魚である「コウナゴ(小女子)」の福島産の取扱量(築地市場)が約70トンに迫り、全国一になったことがあった。福島県以外では不漁だったという事情もあった。が、他の魚はセシウムが国の基準以下となっていたのに、価格は回復していなかった。 「風評の実態は計測できないんです。福島県の魚がきちんと評価された証明だった」と濱田教授は語る。「取引の現実」が「風評を消した」とも言える。  基文さんも言う。 「風評被害って言葉を使いたくない。そう言っておけば、ほかにモノを言わなくてもいい。便利で、逃げのような言葉だから。自分で考えて、現状を切り開いて行くことが先だろう」  コロナ禍やトリチウム処理水の問題もあり、試験操業は当面継続することになりそうだ。  だが、準備は怠りない。本格操業への新たなステップとして、相馬市は10月、公設民営の「復興市民市場」をスタートさせる計画だ。同市が造った施設で、基文さんら漁師と仲買業者、旅館など8者が出資した新会社が、魚介類を直売する。  試験操業で漁獲量が激減し、魚の販売ルートがすっかり細くなった現状を打開しようと、地元スーパーなどとのパイプを活性化する狙いがある。その一方で、都市部の消費者への直接販売を拡大するなど、全国に「相馬の魚」をアピールするにらみもある。  これまでにも、郡山市のイタリアンレストランや東京・赤坂、市ケ谷の料理屋など十数件に販路を広げてきた。昨年末にはバンコクのデパートで開かれた日本食材のイベントにも相馬のヒラメなどを送った。こうした実績を生かして「新市場」を活用していく計画だ。(朝日新聞社・菅沼栄一郎) ※AERA 2020年8月24日号より抜粋
AERA 2020/08/24 09:00
「バカ、アホ、頭悪い」暴力より暴言で威圧 スポーツ虐待根絶宣言後7年も、未だ根絶せず
島沢優子 島沢優子
「バカ、アホ、頭悪い」暴力より暴言で威圧 スポーツ虐待根絶宣言後7年も、未だ根絶せず
2018年に岩手の県立高校の男子バレーボール部で、顧問の男性教諭のパワハラを苦に自殺した新谷翼さんの遺影。このような悲しい事件は根絶せねばならない(撮影/島沢優子) AERA 2020年8月24日号より  日本のスポーツ現場における子どもたちへの深刻な虐待事案がなくならない。要因は「スポーツでは免責される」という例外主義と、指導者教育が進まないことにある。AERA 2020年8月24日号に掲載された記事を紹介する。 *  *  *  スポーツ界で深刻な虐待やパワハラ問題が指摘されながら、同様の事案が後を絶たない。  ノーベル平和賞共同受賞の実績を持つ国際人権NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」(HRW)が7月20日、日本のスポーツ現場における子どもの虐待やハラスメントの調査結果を発表した。オリンピック選手を含む800人以上にインタビューなどをしてまとめた報告書の題名は「数えきれないほど叩かれて」。25歳未満の回答者381人のうち、約2割が指導者などからの暴力の経験を訴えた。  大阪市立桜宮高校バスケットボール部の主将だった男子生徒(当時17)が、顧問の暴力やパワハラを苦に自殺した2013年以降、暴力の根絶を目指してきた日本スポーツ界に対し、グローバル構想部長のミンキー・ウォーデンさんはこう断じた。 「根絶宣言から7年間の改革は、国際基準・五輪基準にはるかに及ばない。虐待したコーチを免責する文化が蔓延している。根底には、勝利を目指すスポーツではこのくらい(の人権無視)は許されるというスポーツ例外主義がある。この状態は選手の成長を阻害している。オリパラ開催までに解決すべき問題だ」  世界最大級の国際団体から、いわば目をつけられたのだ。  女子バレーボール元日本代表の益子直美さん(54)もHRWのインタビューに協力した。6年連続で「子どもを怒ってはいけない」小学生のバレーボール大会を主催する。 「私自身、中高と、毎日(指導者に)ぶたれないよう過ごすことだけを考えていた。例えば、ラインぎりぎりを狙ってスパイクを打つことにトライすべきなのに、ミスすると怒られるので安全なプレーしかできなかった。圧迫しない指導を受けていたら、もっと伸びたと思う」  もっともな意見だが、今もまだ「どんな指導だろうが、強気にプレーできない選手が悪い」と考える指導者は少なくない。  18年に岩手の県立高校で男子バレーボール部の新谷翼さん(当時17)が、顧問の男性教諭(当時41)のパワハラを苦に自殺した。今年7月22日に盛岡市内で調査報告書を発表した第三者委員会によると、U18日本代表候補だった翼さんに、「バカ、アホ、頭悪い」「おまえのせいで負けた」「一番下手」「使えない」と発言。もともと強豪大学への進学に不安を抱いていた翼さんに絶望感を与え、バレーへの意欲を奪ったとして、顧問の言動が自殺の一因だったと結論づけた。  19年には、茨城・高萩市立中学校3年の女子生徒(当時15)が自殺。市教委は、卓球部顧問の「殺すぞ」「殴るぞ」といった暴言が一因になった可能性があると説明している。これら二つの自死事案は、ともに身体的暴力ではなく、言葉の暴力で子どもたちを追いつめている。(ライター・島沢優子) ※AERA 2020年8月24日号より抜粋
AERA 2020/08/22 09:00
【現代の肖像】ユニセフ教育専門官・井本直歩子「子どもの未来に最高の結果を出す」<AERA連載>
吉井妙子 吉井妙子
【現代の肖像】ユニセフ教育専門官・井本直歩子「子どもの未来に最高の結果を出す」<AERA連載>
教育は、係争地域や難民の子どもたちをリスクから遠ざける一番の武器、と信じてやまない(撮影/岸本絢) 「HEROs AWARD」の表彰式で。「アスリートは世界一を目指し、そのためにすべき努力の仕方を知っている。その武器をセカンドキャリアでも生かしてほしい」と後輩たちに力説(撮影/岸本絢) 日本に帰国し、旧知の友人たちと美味しいものを食べながら語り合うのが至福の時という。帰国するたびに会うのが岩崎恭子(左)を始めとする水泳仲間。たわいのない女子トークが延々続く(撮影/岸本絢) 帰国するたびに大学や高校から講演依頼が舞い込む。国際支援に関する鋭い質問が多く、仕事内容の具体的な説明をする機会が増えた。この日は上智大学で(撮影/岸本絢) ※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。  どんなに活躍しているスポーツ選手でも、やがては引退の日が来る。第二の人生をどう歩むか、みんな頭を悩ませる。水泳のオリンピアンでもある井本直歩子は、人道支援の道を選んだ。現役時代から、格差を目の当たりにした結果だった。「やっと自分の居場所にたどり着いた」と、ガーナ、シエラレオネ、ルワンダと渡り歩いた。今はギリシャで教育支援に携わる。  172センチの長身にロングドレスを纏い、その女性は厳かに壇上へ上がろうとしていた。会場には中田英寿、井上康生、佐藤琢磨、萩原智子など日本スポーツ界の名場面を飾った選手250人がブラックタイやドレス姿で集合し、その女性を凝視している。だが、階段に足を掛けた途端にヒールが脱げ、危うく転げそうになった。    煌びやかな会場で、いきなりズッコケそうになるのは、いかにも彼女らしかった。    2019年末、アスリートの社会貢献活動を称える「HEROs AWARD」の表彰式が都内のホテルで行われた。19年度受賞者の女性部門は、1996年のアトランタ五輪に出場した元競泳選手で、現在は国連児童基金(ユニセフ)職員の井本直歩子(43)が選ばれた。現赴任地のギリシャで受賞の知らせを受けた時、井本は「なぜ私が?」と戸惑ったという。紛争国の緊急支援や、貧困・難民の子どもたちへの人道支援の仕事を始めてから、すでに16年。その間、困窮を極める10カ国を渡り歩いてきた。「なぜ今?」と井本が不思議に思っても当然だった。 「私は国連職員。人道支援活動はいわば仕事ですから、アスリートの社会貢献活動とは違う。だから、賞を頂いていいのかなという迷いはありましたけど、久々に日本に帰れるし、私は日本では忘れられた存在だと思っていたのに、評価して下さる方もいるんだと嬉しかった」  この夏、東京五輪が開催される。出場する日本人選手は歴代最多の500人以上と目されているが、宴の後、彼らが決まって頭を痛めるのがセカンドキャリアだ。現役中はわき目も振らず競技に邁進するため、いざ実社会に出ようとすると、社会経験の浅さに戸惑い、就活に苦労する。現役引退後、国際支援の道を選び途上国を飛び回る井本の行動力と実績は、これからの日本人選手たちのロールモデルになると、焦点が当てられたのだ。 ■「出来ない」は許さない、何が出来るか考えさせる  一方、現在ギリシャで難民の子どもたちの支援活動をしている井本には、華やかな舞台に立つ自分への違和感があった。ドレスを纏っても、そんな思いを消せなかったからこそ、登壇途中でハプニングを引き起こしてしまったのだろう。  ギリシャは今、6万人超の難民がキャンプ生活を送っているという。シリア、アフガニスタン、イラク、イエメンの出身者が大半を占め、その子どもたちは3万人以上。近年、キャンプは定員の10倍以上に膨れ上がり、彼らの生活環境は大きく悪化していると言われている。  井本はギリシャに難民が増え始めた16年、前任地のアフリカ・マリ共和国からユニセフ教育専門官として赴任した。井本の仕事は、子どもたち全員が教育を受けられるようなシステムを考案し、ギリシャ政府と交渉すること。時には現地の公立の学校に通えるよう教育省と掛け合い、また難民の子どもを教える教員の研修、具体的な教育プログラムの策定と、やるべき仕事は尽きない。  当初は言葉で苦労した。これまでの赴任地はアフリカが多く、英語とフランス語でほぼ乗り切れたがギリシャは通用しなかった。 「赴任してすぐ、ギリシャ語を猛勉強。そしてアラビア語やダリ語も勉強しましたよ。難民の子どもたちは内戦や貧困で教育を受ける機会がなかった子が多く、まず母国語の読み書きを覚えてもらうことから始めました」  難民の大半は、ギリシャはあくまで経由国と考え、いずれは経済的に豊かなドイツ、オランダ、ベルギー、北欧諸国行きを希望している。そんな現実を踏まえ教育専門官としての井本は、彼らが希望国で順応できるよう基本的な知識や素養を身につける教育プログラムを考案している。だが、現実はEU諸国が彼らの受け入れを渋り、ギリシャに足止めされる難民が日々増え続けている。  井本が難民の教育支援と同じくらいに心血を注いでいるのが、現地スタッフの養成だ。井本のようにインターナショナルな国連職員は任期が1年ごとに更新され、より緊急性の高い国に赴任することが多いため、その国の実情に合った教育プログラムを策定し、それを持続可能にするには、現地スタッフの養成は何より重要になるからだ。 「4人のスタッフを育成していますが、ギリシャ人は面倒なことはやりたがらず、私の提案に対しすぐ『出来ない』『無理』と言う。でも私は許さない。『じゃあ、どうやったら出来るか考えて』と出来ることを前提で頭を絞ってもらう」  井本がどの赴任地でも現地スタッフに厳しい要求をするのは「自分たち次第で何千人もの子どもたちの未来が変わる。だから、一瞬たりとも立ち止まってはならない」という信念があるからだ。  アフリカ諸国では、血で血を洗うような悲惨な現場に足を踏み入れ、混沌とした社会でプロジェクトがなかなか上手くいかなかったこともあった。心が折れそうになった時は必ず、アトランタ五輪の舞台を思い浮かべたという。 「競技生活で培った絶対に諦めない心と、最高の結果を求める信念は、この道でも同じ。どんな困難があろうと諦めずに突き進み、子どもたちの未来に最高の結果を出すのが、私の任務」  東京都江東区で生まれた。両親は設計事務所を経営。姉、弟がいる。4100グラムで生まれたせいか子どものころから体が大きく、地域のガキ大将だった。一方弱者には優しく、いじめられる子を守り、障害のある子はおぶって幼稚園に通った。母・三恵子(70)が言う。 「善悪について厳しく躾けたつもりはないのですが、我が家の教育方針は“人と比べない”。だから、お誕生日会は分け隔てなくクラス全員を招待。その代わりプレゼント無しで、料理は大皿メニュー」 ■中2で国際大会に出場、満足な支援のない国を知る  水泳を始めたのは3歳から。体が大きい分すぐに頭角を現した。幼稚園の卒園文集に早くも「将来はオリンピック選手」と書いている。  小学校6年生の時にジュニアオリンピックで、学童新記録を樹立し優勝。直後に行われたシニアの大会でも3位につけた。すると、当時日本の水泳界を席巻していた大阪のスイミングスクール「イトマン」から勧誘を受けた。  12歳の少女は胸が潰れるほどに悩んだ。オリンピック選手を目指すならイトマンで練習した方がいいが、親元を離れるのは恐怖でしかない。一方母は密かに大阪行きを願い、父は幼い娘を手放すことに大反対だった。だが両親は、意見が違っていては娘を悩ますばかりと、それぞれの思いは口に出さず、「自分の進路は自分で決めなさい」と告げた。しばらく悩んだ少女は、泣きじゃくりながら「大阪に行く」と宣言。一昨年亡くなった父はその時、娘に背を向け肩を震わせていたという。 「中学に入学したばかりの頃はホームシックで泣いてばかりいましたけど、大阪行きは自分で決めたので泣き言は言えなかった。おかげでこの時に耐える力がついたと思います」  中2でジュニアの日本代表に選ばれ、国際大会に出場するたびに純真な心は揺れ動いた。同じ国を代表する選手なのに、みすぼらしいユニホームの選手や、極端にタイムが遅い選手がいた。片言の英語でそうした選手やコーチに事情を聞くと、国の支援が無くてユニホームが買えず、練習プールも満足に使えないという。一方、自分たちはメーカーから物品をふんだんに提供され、何不自由ない環境で練習が出来ている。たまたまその国に生まれただけでこんなに環境が違うのは、スポーツをやる上でフェアじゃない、と疑念を抱いた。後に貧困国支援の道に転じる萌芽でもあった。  高1で迎えたバルセロナ五輪の出場がかかる日本選手権。僅か0・1秒差で出場権を逃した。 「オリンピックのために24時間捧げてきたので、私の人生はもう終わったと思いました。次のアトランタ五輪の時は20歳。当時は中高校生が全盛だったので、もう諦めるしかないのかと……」  小6で学童新記録を樹立したことを思い出した。才能が無いわけではない。そしてもう一つ、引退できない理由があった。同じ自由形には1学年上に絶対的な存在だった千葉すずがいて、井本は多くの試合で千葉の後塵を拝した。シルバーコレクターを卒業したい――。そんな強い思いが、井本を再びプールに向かわせた。  広島で開催された94年のアジア大会。その選手村で、高3の井本が将来を決める決定的な出来事があった。栄養管理に気を使いながら食事をしている井本らの横で、途上国から出場した選手たちは、アイスクリームやプリンを山のように並べ頬張っていた。選手村の食事はすべて無料なため、パフォーマンスを上げること以上に美味しいものをたらふく食べることが優先されていたのだ。つらい光景だった。 ■水泳と勉強の両立目指し、慶大を休学し米国へ留学  同じころ、寮の食堂でコーヒーを飲みながら新聞を読んでいると、ユーゴスラビア内戦の記事の隅に、ルワンダで100日のうちに100万人の人が虐殺されたという記事を見つけた。1日で1万人。自分がまったりコーヒーを飲んでいる間に何千人何万人の尊い命が奪われていると思うと、いても立ってもいられなくなった。この時にはっきりと、将来は人道支援の道に進むと決めた。イトマンの選手は近畿大学に進むのが既定路線。井本は当時の会長に直談判し、国際関係を深く学べる慶応義塾大学総合政策学部の受験を認めさせた。  バルセロナ五輪金メダリストの岩崎恭子(41)は、日本代表の遠征や合宿で度々井本と顔を合わせた。2歳上の井本が凄く大人に見えたと語る。 「ほとんどが10代の女子ですから、皆つるんだりするんですけど、直歩ちゃんはいつもマイペース。選手は自分のタイムのことしか考えない。でも直歩ちゃんは勉強もしていたし、他国の選手に目を向けるなど、独特の世界観を持っていましたね」  大学2年でアトランタ五輪に出場。リレーで4位になったものの、専門の自由形は予選落ち。結果に満足できず帰路の機内で泣いていると、後部座席にいた橋本聖子(55)に声を掛けられた。 「納得できないのであれば、続けなさい」  水泳と勉強の両立を探り、井本は慶大を休学し、米国サザンメソジスト大学に留学を決めた。同大学は全米水泳選手権で常に上位につけ、国際関係論も学べた。この4年間は、人生で最も勉強した時期と振り返る。 「当初は満足に英語も話せないから授業がちんぷんかんぷん。友達にノートを借りて復習の毎日。成績が悪いと試合にも出場できないから、寝る間も惜しんで勉強していた。フランス語を学び始めたのもこの頃から」  卒業して慶大に復学。シドニー五輪を目指したものの、予選で夢が潰えた。それでも「やり切った」という充実感があり、次なる道である国連職員へ目標が定まった。国連職員の採用試験資格には、大学院修了が条件で国際支援の現地経験も必要だ。井本はまず、英国マンチェスター大学大学院を受験。合格したものの、実社会経験も必要とテレビ局の水泳リポーターやスポーツライター、橋本聖子の議員秘書などを1年間務め、渡英した。大学院では「貧困・紛争・復興」で修士号を取得した。  同時期、JICA(国際協力機構)がインターンを募集しているのを知り応募。貧困に喘いでいたガーナに赴任した。満足な食べ物も口にできず、明日へ命を繋ぐことで精いっぱいの人たちに触れ、中学時代から関心を抱いていたことが現実になり、井本は武者震いしたという。 「やっと自分の居場所に辿り着いたという高揚感ですね。私の仕事は学校や施設を建てるのではなく、現地の人たちが少しでも豊かに生きるために必要な持続可能な知恵を伝授すること。バスケットの生産をしているある村では、原価計算の考え方や売るためのデザインの見直しを指導。現地の人は識字率が低いので、中間搾取されている仕組みが分かっていませんでした」 ■怨みの連鎖を断つには子どもの平和教育が一番  農業を猛勉強し、トマトや落花生の栽培なども教えた。そんな働きぶりが認められ、半年後には有給の企画調査員として、紛争が終結したばかりのシエラレオネに赴任。映画「ブラッド・ダイヤモンド」の舞台にもなったシエラレオネは、同国で採掘されるダイヤモンドが紛争の資金源になり、捕まった敵地の住民の多くは両手を切断されていた。手が無ければ農業が出来ず、兵士としても戦えず、選挙用紙にもサインが出来ないからだ。だが井本は残忍な現実に怯まなかった。いや、怯んでいる暇がなかった。井本はたった一人で、シエラレオネに開設予定のJICA事務所の物件探し、現地政府への認可申請、スタッフの採用などに奔走しなければならなかったからだ。 「同国の大臣や政府高官クラスに、走りながら名刺を配っていましたね」  その半年後、当時のガーナ事務所長で現・JICA上級審議役の宍戸健一(58)がシエラレオネを訪ね、驚いた。事務所がすぐに稼働できるほど整っていたからだ。 「経験の浅い人が一人でここまでやれるもんかと。でも、一緒に仕事をして分かったのは、日本人には珍しい類い稀なコミュニケーション能力を持っていることです。僕らの仕事で最も難しいのは、現地の人と人間関係を作ることですが、彼女は電話一本で現地の大臣クラスを説得していた。人種、職種などの壁が無いからだと思います」  1年後にルワンダに赴任。ルワンダは高校時代に国際支援活動に目覚めるきっかけになった国。井本は胸をときめかせた。その一方、ジェノサイド(大量虐殺)から10年も経っているのに、住民の心の底にはその悲惨さが深く刻まれていることに心が痛んだ。平和を装ってみても、肉親を殺された恨みは消えず、他人に心を開かない。もっと工夫し暮らしを豊かに出来ることはあるのに、行動しない。彼らにしてみれば、コツコツ積み上げても、戦禍や搾取で一瞬にしてすべてが奪われてしまうことを体験的に知っているからだ。 「現地の人に先進国の理屈や正義を押し付けても始まらない。だからまず徹底して現地の人たちの声に耳を傾け、データにし、何が適切な支援方法か見いだし、そしてスピード感をもって実行する。支援方法は国によって違うけど、怨みの連鎖を断ち切るためには、現地の子どもたちに平和教育することが一番の方法、と思い至りました」  勉強して脳が発達すれば思考力が生まれ、自分の意思が表現できるようになり、少なくとも児童兵は減る。平和教育の大事さを身をもって知り、ルワンダ退任後に国連職員の試験を受け、ユニセフに配属になった。ユニセフ教育専門官として、07年からスリランカ、ハイチ、フィリピン、マリなど紛争や災害で学校に行けない子どもたちに教育を受ける機会を作り、テキスト、歌、演技、スポーツなどを通し「平和教育」を教えている。支援国を転々とする井本を、宍戸は、ドラマ「ドクターX」の主人公・大門未知子のようだと言った。「群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、専門医のライセンスと叩き上げのスキルだけが彼女の武器」というナレーションを耳にするたび、井本の姿が浮かぶと語る。宍戸の言葉に井本は照れた。 「オリンピックに辿りつくまでの努力を考えたら、今の仕事はまだ道半ば。それに水泳では金メダルを獲れなかったので、人道支援の道で世界一になりたい。私にとっての金は、すべての国の子どもたちが学校に行けるようになることですね」  途方もない挑戦に、井本は再び気力を奮い立たせた。(文中敬称略) ■いもと・なおこ 1976年 東京都江東区に生まれる。3歳で門前仲町のスイミングプールで泳ぐ。小6の時に学童新記録を樹立。  89年 大阪の近畿大学付属中学校に入学。中2でジュニア日本代表に選ばれる。中3の時にオーストラリアに短期留学。  92年 近畿大学付属高校入学。バルセロナ五輪選考に落選。  94年 10月、アジア大会の50m自由形で優勝。400mリレーで日本記録を樹立。  95年 慶応義塾大学総合政策学部に入学。  96年 アトランタ五輪に出場。800mリレーで4位。200m自由形は予選敗退。五輪後、米サザンメソジスト大学留学、国際関係論を専攻。  99年 12月、サザンメソジスト大学を卒業、慶大に復学。 2000年 シドニー五輪の選考に漏れ、4月、現役を引退。慶大在学中から執筆活動を開始。01年に卒業。参院議員・橋本聖子の秘書。  02年 英マンチェスター大学大学院に入学。サッカー観戦三昧の日々。  03年 マンチェスター大学大学院を修了。「貧困・紛争・復興」で修士号取得。JICAのインターンとしてガーナ共和国に派遣される。  04年 9月、JICAシエラレオネ企画調査員として従事。事務所開設に貢献。現地で農業指導も行う。  05年 JICAルワンダ企画調査員として従事。ジェノサイドの現場で、子どもたちへの平和教育の必要性を実感。  07年 外務省のJPO(ジュニアプロフェッショナルオフィサー)に合格し、その後国連職員に。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)やDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)の活動も志望していたが、第1志望のユニセフに配属。10月、スリランカに赴任。スマトラ沖大地震と内戦で壊滅状態になった現地の子どもたちに教育の機会を作る。除隊した少年兵の心のケアも。  10年 ハイチへ。22万人以上の死者を出した大地震直後の現地は悲惨を極め、テント生活を送りながら子どもたちのケアに奔走。  11年 4月、東日本大震災で被害を受けた岩手、宮城で、教育部門の支援を担当。  13年 12月、フィリピンへ。史上最強の台風で壊滅的な被害を受けたタクロバンで教育支援活動。  14年 9月、内紛が続く西アフリカのマリ共和国へ。気温40度の地域で子どもたちに平和教育を徹底するため、自ら教材も作る。提案した「平和コンクール」のイベントは評判を呼んだ。  16年 難民問題が深刻化したギリシャに赴任。渡航希望国で生活できるよう道徳教育などにも力を入れる。 ■吉井妙子 スポーツジャーナリスト。宮城県出身。朝日新聞社に13年勤務した後、1991年からフリーとして独立。著書に『松坂大輔の直球主義』『天才を作る親たちのルール』など多数。 ※AERA 2020年3月23日号 ※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。
AERA 2020/08/20 14:25
二十歳で芸歴10年永野芽郁 ゆるふわじゃない「男前女子」な素顔
丸山ひろし 丸山ひろし
二十歳で芸歴10年永野芽郁 ゆるふわじゃない「男前女子」な素顔
これからも楽しみな永野芽郁(C)朝日新聞社  8月2日にスタートしたムロツヨシ主演のドラマ「親バカ青春白書」(日本テレビ系)。大学の同級生となった父と娘の家族愛を描いたホームコメディで、父をムロ、娘を永野芽郁(20)が演じる。また、亡くなった妻役として新垣結衣が登場。新垣は約1年10カ月ぶりの連ドラレギュラー出演となり、話題を集めている。  娘役を演じる永野は、2018年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説「半分、青い。」でヒロインを務め、昨年放送のドラマ「3年A組-今から皆さんは、人質です-」(日本テレビ系)でも生徒役を好演。CMにも引っ張りだこで、12月公開予定の山田洋次監督の新作映画「キネマの神様」への出演も控えており、まさに旬な若手女優のひとりだ。そんな彼女だが、最近では一味違った個性が注目を集めている。 「おっとりした美人という印象が強いですが、意外と男っぽい一面があるんです。例えば、普通免許と中型二輪免許を持っていて、以前、バラエティ番組では『乗り物が大好きで夢は大型特殊など運転免許の項目を完全制覇すること』と告白していました。番組では教官から指導を受けて12トントラックを運転し、車庫入れも難なくこなしていました。将来はハーレーダビッドソンに乗りたいという願望もあるそうです。また、3月に放送されたバラエティ番組で『駐車する時にドリフトでできたらかっこいい』という理由から、サーキットでドリフトでの縦列駐車にチャレンジ。インストラクターから方法を教わって練習し、見事成功。別のバラエティ番組では、友達とドライブに行くことが多く、ヒップホップを聞きながら運転していると明かしていました」(テレビ情報誌の編集者) 「ゆるふわ天然女優」と称される永野がトラックを操る姿はインパクト大だが、さらに、サバサバした男っぽい性格の持ち主でもあるようだ。3月9日に放送された「痛快TV スカッとジャパン」(フジテレビ系)では、苦手な女性について「プライドが高過ぎるがゆえに、人の話を聞き入れない人は苦手」と告白。そのような人が近付いてきた時は「大丈夫です」と拒否するという。 「3月に放送された『VS嵐』では、LINEを使っていないことを明かしてました。限られた人だけと連絡先を交換するのが好きで、LINEだとフレンドリーに交換しやすくなるため、使うのをやめたとか。そんな言動を見ると、集団よりも少人数で行動するほうが心地よいのかもしれませんね。今どき、LINEを使っていない20代なんて相当、珍しい」(同) ■実は子役出身で芸歴10年以上  きっちり自分の意見は持ち、回りに流されない性格のようだが、異性についても個性的な考えを持っているようだ。 「以前放送されたバラエティ番組で『気が利かないお店のチョイスをする男性』『ハイスペックアピールをする男性』など、女性の気持ちが分かっていないと感じる男性についての街頭インタビューに対し、『女性って面倒くさいですね』『あんまり共感できなかったです』と持論を展開。気が利かないお店のチョイスについては『選んでくれてるんだから、いいじゃんって思う』と言い、ハイスペックアピール男性については『アピールしたいくらい、あなたに対してプライドを持ってるんだからいいと思う』など、独自の見解を明かしてました。永野の場合、見た目が可愛らしい女性ながら自分の考えをしっかり持ち、ドリフトを決めるような男っぽさもある。そんな人間性ゆえ、男女問わず好かれる可能性を秘めていると思います」  ドラマウォッチャーの中村裕一氏は、永野の魅力についてこう分析する。 「飾らない透明感あふれる笑顔に加え、ナチュラルに醸し出される清潔感があり、常にフレッシュな印象を与えてくれる彼女ですが、実はデビューが9歳という実力派。11歳の時、隠れた名作と呼ばれたNHKの子ども向け道徳ドラマ『時々迷々』で主演を務め、他とは違う存在感を放っていました。現在放送中の『親バカ青春白書』では、新垣結衣の娘という設定にもまったく違和感がないですし、アドリブとも演技ともつかない変幻自在の芝居を繰り広げるムロツヨシ相手にも堂々とした演技を見せています。ドラマが終わる頃にはきっと女優として一歩も二歩も成長していることは確実で、まだ20歳ということもあり、伸びしろは十二分にあると言っていいでしょう。これから先、どんな形で女優として大きくなっていくのか今から非常に楽しみですが、無理に背伸びをせず、年齢相応に役と実績を積み重ねて欲しいと思いますね」  インスタグラムでは「親バカ~」で共演している今田美桜や、「半分、青い。」で共演した奈緒との仲睦まじいショットなども披露。同世代の女優との交流も盛んなようだ。数々の話題作に出演している永野だが、同世代の女優とは一線を画す独自のポジションを確立するかもしれない。(丸山ひろし)
dot. 2020/08/14 11:30
人生を変える「沈黙」の時間とは? 普連土学園の教え
矢野耕平 矢野耕平
人生を変える「沈黙」の時間とは? 普連土学園の教え
東京都港区にあるクエーカー系中高一貫校、普連土学園(同校提供) 普連土学園の静黙室(筆者撮影) ■日本唯一のクエーカー系中高一貫校  現代は「情報過多」の時代と言われる。一説によると、いまの子どもたちが受け取る1日の情報量は、江戸時代の人たちが目にする1年分のそれに相当するという。スマホでLINEやSNSにどっぷりと漬かっている子どもたちは、他者のことばを絶えず意識せざるを得ない「張り詰めた」環境の中を生きている。  そんな時代の中にあって「沈黙」をその学校の軸に据えている中高一貫校が東京都港区三田にある。  その学校は「普連土(ふれんど)学園」。通称「クエーカー」と呼ばれるフレンド派(キリスト友会) に属する婦人伝道会の人々によって1887(明治20)年に設立された伝統ある中高一貫の女子校だ。普連土学園の宗派はローマ・カトリック教会(旧教)にも属さず、かといって伝統的なプロテスタント(新教)と断言するのも難しいという。同校は日本唯一の「クエーカー」系列の中高一貫校なのだ。  1学年約130人という少人数教育をおこなっている。そのためか、教員と生徒たちの距離が近く、ひとりひとりに応じたきめ細かな指導を実践している。ちなみに、「フレンド」に「普連土」の漢字をあてたのは津田梅子の父である津田仙。「普(あまね)く世界の土地に連なる」学校であってほしいとの願いが込められているという。この願いがいまの普連土学園の教育にも反映されていて、同校は外国語教育や国際交流にも力を入れている。 ■心の中の「泉」を思い浮かべる  同校には「静黙室」という森厳な静寂に包まれる空間がある。生徒たちは毎朝講堂や教室で礼拝をおこなうが、毎週水曜日は「沈黙」の礼拝となる。そして、希望者は毎月この静黙室を活用するという。瞑想する子、聖書を手に取ってそれを読む子……生徒たちは思い思いのスタイルで神の声を待つ。  同校の青木直人校長は説明する。 「クエーカーの創始者であるジョージ・フォックスは、教会という権威を通さなくても、ひとりひとりの心の内に神は語りかけると考えました。だからこそ、フレンド派の人々は神様の語りかけに耳を傾ける『沈黙』の時間を礼拝の中心に据えたのです。つまり、沈黙のうちに神からの内なる光(声)を待ち望んだのですね」  その静黙室でひとりの卒業生に話を聞いた。  山下美聡さん(33歳)。彼女は同校を卒業後、国際基督教大学に進学。その後、企業に就職したが、現在は育休中とのこと。1歳の女の子を持つ母親でもある。  彼女にとって沈黙の礼拝はどのような意味を持つ時間だったのだろうか。 「『沈黙』の礼拝は週1回20分程度ありました。正直、わたしは高校生になるまでこの時間に何をすればよいのか戸惑いました。しかし、あるとき先生から『沈黙の最初に泉を思い浮かべなさい。1週間かけてたまった心の中の水を少しずつ抜いて、そして、きれいな水を少しずつためていくイメージを持つ。その上で心を落ち着けて、神様との対話の時間が始まるのです』という話を聞いてから、沈黙に集中できるようになりました」  そのときにどんなことを考えていたのだろうか。山下さんはこう振り返る。 「たとえば、1週間の学校生活を振り返り、『あのときの友人に対することばづかいはよくなかったな』『もっと勉強がんばらないと……』、そんなことを考えていましたね。特に嫌なことがあったときに、この沈黙の礼拝の時間に助けられましたね。心が落ち着くのです」 ■他者の声に耳を傾ける姿勢を培う  山下さんは大学時代にある転機を迎えたという。 「わたしが大学時代に少し不真面目になってしまったとき、ふと沈黙してみたら『ああ、中高時代に先生方に教えられたことをいまの自分は全然実践できていないな……』、そんなふうに反省させられました。沈黙すると細かなことに気づくことができますし、いろいろなものに感謝することができます」  そして、社会に出ると沈黙することの大切さをさらに痛感させられたという。 「会社員になるとそれまで以上に価値観の異なる人と大勢出会うようになります。人間関係に悩んだ時期もありました。そうすると、沈黙の時間がより大切になるんですよね」  青木校長はこう言い添える。 「本校の生徒たちは『自分が、自分が』という自己主張をあまりせず、とにかく人の話をよく聴きます。誰かの意見、他者の声に注意深く耳を傾ける姿勢がこの学校の在校生たち、卒業生たちの成長の原動力になっていると思います」 ■アイデンティティーを喪失しやすい時代の中で  わたしはこれまでも何度か普連土学園を取材し、在校生たちや卒業生たちと話をする機会があった。同校で過ごした女性たちは、落ち着いた雰囲気を身にまとい、一度立ち止まって物事をしっかり考える「思慮深い」性格の持ち主が多いように感じられる。これは彼女たちが中高時代に「沈黙」の時間を体験してきたことと無縁ではないだろう。  山下さんによると、普連土学園の生徒たちには一脈相通じるこんな特徴があるという。 「芯のある子が多く、それを互いに認め合う雰囲気がある。特定の仲良しグループだけに属すのではなく、みんな交友関係が幅広いですね。少人数教育であるという点も大きいのでしょう」  冒頭に挙げたが、現代に生きる子どもたちは、同調圧力を日々感じたり、他者からの承認欲求が強かったりして、自己のアイデンティティーが揺らぎやすい環境に置かれている。  そういう時代であればこそ、「沈黙」の時間は、自身の心と向き合える贅沢なひとときになるのではないか。伝統的な普連土学園独自の教育観は、いまの時代にマッチしているのだ。
AERA with Kids+ 2020/08/10 17:00
70歳過ぎても「三度の飯より市民運動が好き」 オウム事件がきっかけで意識に変化
野村昌二 野村昌二
70歳過ぎても「三度の飯より市民運動が好き」 オウム事件がきっかけで意識に変化
50年前、女性たちも政治、社会を変えられるという思いでエネルギーをぶつけた東大紛争/1969年1月14日(c)朝日新聞社  1960年代後半、全国で広がった全共闘運動。現代以上に男社会だった当時、女性たちも闘った。今も変わらぬ信念で闘い続けている。AERA 2020年8月3日号から。 *  *  *  70年代に入ると、女性の社会進出や意識変革を目指すウーマンリブ(女性解放)運動が発火する。70年、女性解放のカリスマといわれる田中美津さん(77)が「便所からの解放」を唱えると、ウーマンリブが巻き起こり全共闘の女子たちも共感した。昨年末に上梓された『続・全共闘白書』(情況出版)には、女性解放運動について多くの女性が声を寄せている。 「個人の問題ではないことがわかった」(京都大学67年入学) 「女性の視点から物をみるようになった」(関西大学69年入学)  70年に東京都立大学に入学した佐久間やす子さん(68)は言う。 「自分が女であるということ、女性が女性であること、そのこと自体が素晴らしいんだと教えられました」 佐久間やす子さん(68)。都立大出身。今も介護の現場で働く。「リブ運動が乱反射していくエネルギーは、全共闘が持っているものと同質のものがあったと思います」(撮影/写真部・加藤夏子)  東京の出身で全共闘運動には「ちょっと遅れた世代」と自嘲するが、「革命」を叫び、一方で女性の生き方と地位を変えなければと考えた。  性別役割分業は当たり前で、バリケードの中で女性はお茶くみと雑用。今でいうセクハラもあった。女性は「第二の性」、つまり主体ではない。「じゃあ、私は何なんだ」と思った。  そんな時にリブ運動が起きた。友だちと一緒にリブ大会にしばしば出かけ、リブ運動に参加した。「第二の性」ではない自分を肯定でき、解放されていく感覚があった。 「特に『性』の問題。当時、性を扱うことは踏み外しているという意識がリブより上の人の中にありました。けれど私を含め多くの女性が、身体や性を通して自己発見、自己肯定していきました」  同時に女性解放の運動にも加わった。80年代初頭、出産を強要し、伝統的な家庭形態で介護など福祉的な役割を女性に負わせようという動きが強まると、携わっていた優生保護法改悪阻止運動と連携。出産・子育て、99年から目黒区議を2期8年務め、介護の現場に入り今もケアマネジャーなどとして働く。自由、公平、平等、平和を軸に置く価値観は変わっておらず、今の外国人受け入れ制度や処遇は問題だらけで、運動に取り組みたいと意欲を見せる。 「この社会も世界も『よくなった』とは決して言えません。だけど絶望はしてません。変えようと思い時間をかけて続ければ変わっていく。それが全共闘とリブ運動の体験から学んだことでもあります」(佐久間さん) 近藤ゆり子さん(71)。東大中退。アクティビスト(市民活動家)として、10近い市民運動に携わる。「自分の生き方を問う闘いは今も続いています」(写真/本人提供)  過去は今につながる──。今回話を聞いた、全共闘世代の女性闘士たちは声を揃えた。  岐阜県大垣市に住む近藤ゆり子さん(71)も、そんな一人だ。 「学生運動があってそこで終わったということでは絶対にありません。学生の運動で終わりたくないから、私は大学を中退した。全共闘運動は生き方全部、社会全部を問うた運動だと思っていますし、その矜持を今も持っています」  生まれは神奈川県。68年に東大に入学した。入学式後のクラスオリエンテーションで、近藤さんはこう言った。 「70年安保を闘うために東大にきた」  だが翌69年1月、安田講堂が陥落。やがて訪れた「学園正常化」の中で、ノンセクトの脆さを実感し、それを超えたいと思った。72年2月、大学に退学届を叩きつけた。その後、「職業革命家」としてある左翼セクトに入ったが、組織に絶望し東京を逃げ出し27歳の時に大垣市に来た。後に結婚する東大時代の活動仲間だった夫がいた。過去を断ち、政治活動とも距離を置き、学習塾を経営した。東大全共闘系の学生らが立てこもった東京・本郷の安田講堂。学生らは投石や火炎瓶で抵抗したが、機動隊の突入で「落城」した/1969年1月19日(c)朝日新聞社  転機は、95年に起きたオウム真理教事件だった。  殺人の実行犯となった信者たちが、連合赤軍の「戦士たち」と重なった。オウムの事件は、全共闘世代の自分たちが言葉を探しあぐね次の世代に伝えるべきことを伝えないで放置してきたから起きた。自分たちがしてきたことを自分たちで総括しなければいけない。しかし、整理できない言葉をいつまでも探している時間的余裕はない。言葉でできないのなら運動するしかない──。社会に向き合い、市民運動をやろうと決めた。  ダム建設反対、憲法改悪反対、脱原発……。アクティビスト(市民活動家)として、いま10近い市民運動に携わっている。 「三度の飯より運動が好き」  と近藤さんは笑うが、根底にあるのは「社会をよくしたい、社会正義を実現したい」という思いだ。  夫は98年に肝臓病の悪化を機に亡くなり、一人暮らし。年130万円の公的年金と年15万円ほどの投資信託からの収入で何とか生活できているという。  すでに古希を過ぎた。闘いを終える時はくるのか。 「社会が不条理のままで私の安逸はない、闘わない私は私じゃない。今はまだ、終われない」 (編集部・野村昌二) ※AERA 2020年8月3日号より抜粋
AERA 2020/08/02 17:00
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