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SNSで顔にアザの写真を公開し取材殺到も…「単純性血管腫」の26歳女性が抱えた葛藤
今川秀悟 今川秀悟
SNSで顔にアザの写真を公開し取材殺到も…「単純性血管腫」の26歳女性が抱えた葛藤
フォトグラファーとして活躍する彩さん(提供)  さかのぼること5年前。当時21歳の女子大生だった彩さんは、顔の右半分にアザがある自身の顔をインスタグラムに投稿したことで、取り巻く環境が大きく変わった。「単純性血管腫」という病気を抱えながら、メディアで取り上げられると、瞬く間に新聞、テレビ、ネットニュースと取材依頼が殺到。様々な媒体で紹介されたが、数カ月もするとメディアの前から姿を消した。  26歳となった彩さんは現在、フォトグラファーとして活動している。今回、取材に応じてくれた理由を明かしてもらった。 「当時はインスタグラムのフォロワー数が1日で1000人から3000人以上に増えるなど、スマホが壊れるかと思うぐらい、通知音が鳴り続けていました。ひたすら誰かが『いいね』を押してくれたり、フォロワーになったという連絡が来たり。そんな経験、人生でないじゃないですか。今だから言えるんですが、気持ちがいっぱいいっぱいになっちゃって。自分はそんな素晴らしい人間じゃないし、メディアで取り上げられると、そのスタンスで居続けないといけないと考えると怖くなって。『単純性血管腫がなくなったら声を掛けてもらえないんじゃないか』と不安になりました」  単純性血管腫は血管が拡張したり増殖したりすることによってできるもので、アザのように血の色が皮膚に浮き出て見える。彩さんは生まれついた時から顔の右半分に症状が出ていた。1歳の頃から病院で1年に3度の治療を受けてきたが、中学1年の時に自らの意思で治療をやめた。「効果が出ていた実感がわかなかったし、治療の痕を聞かれて説明するのが面倒くさくなって。一番の問題は気まずさだと思うんです。アザのことを触れていいのか、話しかけるほうも気にする。それなら、このままの印象で周りに慣れてもらえればいいかなって」と振り返る。  大学生の時に自身のインスタグラムで顔を露出し、メディアに出演したのも「私が表に出れば、気まずさ問題が解決されるかもしれない」という思いの延長線だった。だが、周囲の受け取り方は違った。「どんなつらい思いをしてきたか」、「アザを理由にいじめられたことがあるか」など聞かれる。「一番驚いたのは、ある取材の方から『結婚まで密着できる?』って聞かれて。私は自分みたいな人間が気にならない世界を望んでいるのに、『単純性血管症の人も結婚できる』というストーリーを敷かれているような気がして。顔にアザがあっても結婚する人はするし、しない人はしないじゃないですか。なんで自由に生きられないんだろうと……」 幼少期の彩さん(提供)  顔にアザがあるから大変な思いをして生きている――取材する立場としてこういった思い込み、先入観がゼロだったとは言い切れない。自戒しなければいけないと考えると、こちらの気持ちを見透かすように続けた。 「取材する方が私を見て、病気で大変な思いをしたっていうストーリーを作る気持ちは分かるんです。いじめの話で言えば、もしかしたら陰で言われていたかもしれない。でも、私は自分の容姿がいじめの原因だと思いたくなかった。見た目が原因で不幸を背負って生きていくのは嫌だなって。強がっていると捉えられるかもしれないけど、実際に容姿でいじめに悩んだというのはないんです」  小学校の時から、学校行事でも遊びでも常にリーダーだった。担当教諭から児童会長を勧められた時も、違和感を覚えなかった。部活動は金管クラブでトランペットのパートリーダーに。中学、高校はバスケ部で打ち込んだ。思春期の多感な時期に、アザがあったことが全く気にならなかったわけではない。試合で他校に行くと視線を感じる時もあった。しかし、思い悩むのとは違う。「見た目の問題で言えば、私だって身だしなみをあまりにも整えない方やだらしのない方が苦手だし、顔や見た目の好みもある。顔にアザがある人を怖いと思う人がいるのも現実です。無自覚レベルで恐怖心を持ったり気持ち悪いと思ったりする人に、『差別しないで』とは思わない。誹謗中傷するのはよくないですけど、相手がどう受け止めるかはコントロールできないですから」と思いを語る。  外見で心ない言葉を直接ぶつけられたこともあった。高校生の時に派遣のバイトで面接を受けた際には、担当者から「その顔でもできる仕事を探そうね」という趣旨の言葉を掛けられた。驚きのあまり、言葉を失った。「当時はまだ高校生だし、うまく立ち回る方法も分からない。怒ることすらできなかった。でも、この会社で働いてもうまくいかないなと感じて……。『有名になって恨みを晴らしてやろう』とちょっと思いましたけど」と笑う。  ただ、日本の社会で生きづらさを感じていたわけではない。小さい頃から考えが同世代の子どもたちより大人びていた。「いろいろな人が世の中にはいる」と達観して物事を考えるようになっていた。価値観が揺さぶられたのは、フィリピン・セブ島の語学学校でのインターンシップ体験だった。 「大学に入って、世界を回った方たちの話を聞いて自分も行ってみたいなと思って。セブ島で感じたのは楽に生きていいということでした。外国に行ったらアジア系の人や移民がたくさんいる。良い意味でも悪い意味でも固定観念がないんですよね。『顔にアザがあるのに表に出るのがすごいね』と一度も言われませんでした。ある一点の印象で『何とかなのにこうだよね』と言われるのが窮屈で。『アザがある私』を背負いすぎるとつらくなんです。表現が難しいけど、アザ抜きの自分という人間の時もある。変わることを許すというか、流動的でいい世界があることを知って暮らしやすかったですね」  5年前に、様々なメディアで取り上げられ、「アザがあるのに強く生きる女性」のアイコンとして注目された。本意でなかった部分は正直ある。だが、マイナスだけではない。病気を理解してくれる人が増え、同じ症状に悩む人たちにも出会えた。「取り上げていただいたことには感謝しているんです」と語る。ただ、月日の流れとともに心境に変化が生じるようになった。 「あの時は『個性を武器にしよう』と言っていましたけど、使うタイミングと度合いは気を付けたほうがいいかなと。同じ症状で個性として使いたくない人もいるし、無個性で悩んでいる人もいる。目立つことは嫌じゃないけど、自分がアイコンになるのは必ずしもいいとは言えない。いろんな人が声を上げたほうがいいと思いますし、私が目立たない社会が一番いいんですよ」  多様な価値観に触れたいと旅を続け、離島で数カ月間暮らしたことも。景色を撮り続け、興味を覚えたのが写真の世界だった。大学卒業後に、写真撮影や編集ソフトの勉強に取り組み、プロフォログラファーのアシスタントとして学ぶ日々。自身がフォトモデルを務める仕事もある一方で、モデル、俳優から撮影依頼が舞い込むなど仕事の幅を広げている。 「写真を撮ってほしい理由は様々だと思うんです。病気や障害で悩んでいる方が、私に頼みやすいなどの理由でお役に立てるなら喜んで撮影します。また、見た目を意識してきた私だからこそできる表現を、モデルや俳優、アーティストなどと共創できる機会をいただけることもうれしいです。人が前進して喜んでいる顔を見るのが好きなんです」  彩さんはフォトグラファーの話題に及んだ時が、最も楽しそうに映る。主役を輝かせることが性分に合っているのかもしれない。「スターの看板を背負う器じゃないんですよ」と苦笑いを浮かべる。  彩さんがインスタグラムに投稿したメッセージに、以下の文章が綴られていた。 「25年経って、ようやく私の顔にある #birthmark は、『他の誰かに対して“見た目で判断しないで”という訴えをするため』ではなく『私自身に対する、"本質を見抜けるひとになりなさい、見た目だけで判断してはいけないのよ" という自戒のマーク』なのかもしれないと思うようになった。だから、隠したり、消したりする運命を辿ってこなかったし、むしろ表現に使っているのだと思う。私は私と向き合ってるだけなのね。気づかせてくれてありがとう」             ありのままの自分を受け入れられる姿は、周囲を包み込む柔らかさがある。新型コロナウイルスの感染が収束し、今後は世界各国で活動したいという。未来への可能性は、無限に広がっている。 (今川秀悟)
病気
dot. 2023/04/24 11:00
「声なき声を聴いてほしい」労組役員の責務 アサヒグループホールディングス・小路明善会長
「声なき声を聴いてほしい」労組役員の責務 アサヒグループホールディングス・小路明善会長
青山界隈の風景は昔の面影も残す。ここへ来ると、労組役員時代に聴いた先輩の「遺言」が頭に浮かんで、また自らを戒める(撮影/狩野喜彦)  日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA 2023年4月24日号の記事を紹介する。 *  *  *  1980年3月、朝日麦酒(現・アサヒビール)の仙台支店を休職し、東京・青山の表参道交差点近くにあった労働組合本部の専従役員になった。28歳。苦しい業績が続き、ほどなく経営陣は約530人の希望退職者を募ることを決断した。年長の社員たちに照準を合わせた、いわば指名解雇だ。労組も会社の苦境を考えると、受け入れざるを得なかった。  ここから、想像もしたことがない「茨の道」が始まる。対象の年長者に退職を促す「肩たたき」をするのは、会社だ。でも、受け入れた労組も協力し、本部役員らが手分けして会って、退職の意向を確認した。  それまで、労組が何をしているのか知らなかったし、関心もなかった。岩手県と福島県の営業を担当し、酒類の卸会社や大事な取扱店を回り、市場シェアを回復すること以外に考えたこともない。ある日、仙台の労組支部長に東京である組合大会へ出るように言われた。「若手として発言してこい」とのことだった。  仙台支店は東北の拠点。物流、経理などの担当者もいて、総勢は約50人。なかで20代の営業マンは自分だけ。大会で何か言った覚えはあるが、たいした内容ではない。ところが後日、労組の支部長に本部役員になるように言われた。2度、断った。労組の仕事をやるために、入社したわけではない。すると、支店長に呼ばれた。朝日麦酒では全社員が労組に加入する制度なので、断って労組を除名されると会社を辞めなくてはならなくなる、と説かれる。「本部役員を引き受けろ」との示唆だ。 ■希望退職で面談 胸に染み込んだ大先輩の言葉  希望退職の意向面談で、ある工場の50代の先輩に言われた。 「状況は、分かった。私は辞めていく。ただ、声の大きい人の話を聴くだけでなく、声なき声、コツコツと真面目に仕事をしてきたのに辞めていく人たちの声を聴いてくれ。それを、会社に伝えてくれ」  が~ん、と頭を叩かれた気がした。胸に染み込む言葉だった。これが、小路さんのビジネスパーソン人生を定めた『源流』となる。  2011年7月、持ち株会社アサヒグループホールディングスの傘下で、ビール事業を展開するアサヒビールの社長になった。出した三つの方針で、最初の一つが「社員は会社の命である」との表明だ。これは、あの希望退職の体験から出た。50代の先輩の言葉は、忘れたことがない。あのようなことは、二度としたくない。そう思い続けていたから、社員たちに「約束」したかった。 苦難のときも明るく(写真:本人提供) ■本社工場売却で相談に乗った組合員らの将来  難局は、希望退職の問題だけで終わらない。会社は、東京・吾妻橋にあった本社工場の売却も表明した。キャッシュを手に入れ、資金繰りを楽にするためだ。これも、組合は了解せざるを得なかった。  当時、工場で働く人たちは朝日麦酒へ入社するのではなく、工場と雇用契約を結んでいた。だから転勤がない一方、もし工場がなくなると辞めるか、別の工場へ移籍するしかない。毎晩、工場の人たちと会い、将来の相談に乗った。思うようにいかなかった例も、少なくない。この体験も『源流』に合流する。  本部役員は4年程度の見通しだったのに、後任がこなくて、89年秋まで10年近くやった。ナンバー2の書記長も務めた。それなりの規模の企業の経営者で労組役員を経験したことがある人はいても、これほど長くなった例は珍しいだろう。厳しい年月だったが、道の進み方を学んだ。  1951年11月、長野県松本市で生まれる。両親は公務員で、5歳下の弟と4人家族。キリスト教系の幼稚園へ通い、教会に入った瞬間、独特の雰囲気を感じた。賛美歌を歌うと、別世界にきた気がした。園児たちに寄り添ってくれた先生は「たけみつ」と言い、家族以外の名前を覚えた最初の人だった。  市立中学校と県立松本県ケ丘高校では、長身を生かしてバレーボール部で過ごす。東京五輪で「東洋の魔女」と呼ばれた日本の女子チームが金メダルを獲り、バレーボール人気が高まったころだ。  大学は青山学院大学法学部。表参道交差点の西で、組合本部があったところと逆方向だが、同じ青山界隈。「青山」は、小路さんの歩みのキーワードになる。青山学院はプロテスタントのメソジスト派で、教会がなくて、地味な講堂に礼拝場がある。入学式にいったとき、それを目にして、幼稚園時代を思い出す。そして、賛美歌に「再会」する。クリスチャンにはならなかったが、キリストの教えが無意識のうちに生き方の一つになっている。  1975年4月、朝日麦酒に入社。衣・食・住・金融の分野を1社ずつ受け、最初に内定をくれた朝日麦酒を選ぶ。大学受験でも、四つ受けて最初に合格したところに決めた。これも縁、縁を大事にしたい人間だ。 ■先輩に教わった「非凡な努力」重ねた営業現場  入社研修を終えると1カ月、先輩について営業に回って仕事のイロハを教わる。そこで30歳過ぎの先輩が言ったのは「まだビールのこともよくわからないだろうが、きみにできることが一つある。それは、努力だ。知識がなくても1日に20軒、250日の全営業日に10年間、得意先を回り続けたら、間違いなく一流の営業マンになる」という言葉だ。これを、先輩は「非凡な努力」と呼んだ。 「能力×努力=成果」で、仮に能力が誰かの半分でも、3倍も4倍も努力すれば「能力×努力」は大きく上回る。創意工夫して取り組めば、成果は大きくなっていく。東京支店の千葉営業所を経て仙台支店へ配属になった間、1日に20軒との教えを、守り続けた。  38歳で、大激戦区の東京・銀座の営業担当課長になった。その3年半前、メーンバンクの住友銀行(現・三井住友銀行)の副頭取だった樋口廣太郎氏が、社長に就任した。樋口氏は古くなりかかったビールを思い切って廃棄し、大胆な新製品を次々に投入。社名も古さを捨てて「アサヒビール」へ改称した。まだ労組幹部のときで、何度も衝突したが、好きなトップ像だった。  樋口氏の最大の功績が、87年3月に発売して爆発的にヒットした「スーパードライ」だ。これを武器に、銀座地域で他社製品を扱っていた飲食店に、アサヒへ切り替えてもらう。自転車で、銀座八丁の路地裏やガード下を巡った。「非凡な努力」とまでは自賛しないが、手応えは忘れない。  2016年3月に持ち株会社の社長となり、一昨年に会長兼取締役会議長に就任。1年前には経団連の副会長となり、「Well−being」という言葉を口にするようになる。辞書に幸福、福利、健康とあるが、物質的な豊かさだけに目を向けるのではなく、もっと心の豊かさ、幸せ感を大切にしよう、と言いたい。  なぜ、いまそんなことを言うかというと、所得が安定して伸びていくことは大切だが、それを確保したなら社会的にも精神面でも満たされるところへ、目を向けなければいけない。経済界にとっても、重要な宿題だ。所得格差、教育格差、医療格差、男女格差など、探してみるとたくさんの格差がある。その拡大を止めることがスタートライン。『源流』からつながる答えだ。(ジャーナリスト・街風隆雄) ※AERA 2023年4月24日号
AERA 2023/04/24 07:30
スターズ・オン・アイスでトップスケーターが熱演 羽生結弦は初日と異なるプログラムで魅了
スターズ・オン・アイスでトップスケーターが熱演 羽生結弦は初日と異なるプログラムで魅了
羽生結弦(写真映像部・松永卓也)  3月30日から大阪公演で始まり、全国3カ所計10公演が行われたアイスショー「スターズ・オン・アイス」。羽生結弦さんは多彩なプログラムに全身全霊で挑み、国内外のスケーターたちもそれぞれの魅力を存分に発揮した。AERA 2023年4月24日号の記事を紹介する。 *  *  *  羽生結弦さん(28)の「プロ意識」の高さが示されたのは、スターズ・オン・アイスの初日を終えた翌日以降の公演だった。なんと2日目、3日目とそれぞれ違うプログラムを披露し、幅広い人間性を見せたのだ。  2日目は、東京ドームで初披露した「阿修羅ちゃん」(Ado)。赤いサテンのシャツに青いネクタイというクールないでたちで、自ら振り付けたキレキレのダンスを披露するナンバーだ。初日の「過去との向き合い」とは趣を変え、ファンを盛り上げたいという気持ちがあふれていた。東京ドームでは4万人に向けて演じていたナンバーを、この日はリンクすれすれのアリーナ席の観客にアピールするなど、エンターテインメント性も抜群。演技後の公式コメントは、 「音が聞こえなくなるくらいに歓声がすごかったので、すごくうれしかったです」 ■東北人の誇りを忘れず  さらに3日目は、東京ドームで初披露した「千と千尋の神隠し」の「あの夏へ」。白装束風の衣装で、あでやかに舞った。 「違うプログラムも見たいという声があったので、三つのプログラムを披露しました」  と羽生さん。毎日違うプログラムを完璧に演じる姿は、昨年からの公演で培った体力や精神力がいかに大きいかを感じさせた。  続いて岩手県で行われた奥州公演でも3プログラムを披露。演技後にはこうコメントした。 「やっぱり僕は東北の地が好きなんだと、岩手に来て改めて感じました。東北のためにできることをして、東北人の誇りを忘れずにこれからも一生懸命スケートを滑っていきたいです」  アイスショーを単なるエンターテインメントとはせずに、プログラム一つ一つに意義を求め、プロとしてできることを模索する。  また一歩、前進していく羽生さんの姿があった。 坂本花織/女子で平昌五輪6位入賞、北京五輪銅メダル。22年と23年の世界選手権で日本女子初の連覇を達成した(写真映像部・松永卓也)  一方、世界選手権で活躍した選手らも全力で演技に臨んだ。日本女子初の連覇を果たした坂本花織(23)は、初日公演で「マトリックス」を披露。 「私といったらこのプログラム。試合だけでなく、もう一度披露したいという気持ちがありました。お客さんもこのプログラムのみどころを間近で体験できるのを楽しんでほしいです」 宇野昌磨/男子で平昌五輪銀メダル、22年北京五輪銅メダル。22年と23年の世界選手権で日本男子初の連覇を果たした(写真映像部・松永卓也) ■「りくりゅう」も出演  日本男子で初めて連覇した宇野昌磨(25)は「Great Spirit」を披露。右足首の負傷の影響で難しいジャンプを抜きながらも、力強い演技を見せた。 「今回は(羽生)ゆづくんと久しぶりに一緒に滑らせてもらい、目標にできる存在を『自分もこういうスケーターになりたい』と思って見させていただいています。この機会で、自分がスケーターとしてどうありたいかを深く考えたいです」  日本ペア初の世界王者となった三浦璃来(21)・木原龍一(30)組は「I Lived」で息のあった滑りで魅了した。 三浦璃来、木原龍一組/ペアで北京五輪7位入賞、22年世界選手権銀メダル、23年世界選手権では日本勢初の金メダル(写真映像部・松永卓也) 「結成4年目。たくさんの歓声をいただき、頑張ってきて良かったなと思いました」(木原) 「世界選手権後はご褒美(ほうび)で食べたいものを食べたので、(4月の)国別対抗戦までには絞りたいと思います(笑)」(三浦)  4回転半ジャンパーの18歳、イリア・マリニン(米国)や世界ジュニア女王の島田麻央(14)らも出演し、豪華なスケーターらがショーの魅力を存分に伝えるひとときとなった。 (ライター・野口美恵) ※AERA 2023年4月24日号より抜粋
AERA 2023/04/19 11:00
名古屋大「女性限定公募」を実現させた研究者の覚悟 教授選に2度応募「次世代に苦労はさせません」
高橋真理子 高橋真理子
名古屋大「女性限定公募」を実現させた研究者の覚悟 教授選に2度応募「次世代に苦労はさせません」
森郁恵さん  教授や准教授への応募を女性に限る。こうした「女性限定公募」を昨年、東北大学と東京工業大学が相次いで実施して話題になった。先駆けること10年余、名古屋大学でこれを推し進めたのが、当時大学院理学研究科でただ一人の女性教授だった森郁恵さんだ。線虫という小さな生物を使って、行動をコントロールする神経の仕組みを解き明かしてきた。その業績が評価され、今年3月、江崎玲於奈さんを始め多様な分野のそうそうたる研究者が受賞している東レ科学技術賞を贈呈された。日本を代表する神経科学者の一人である。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子) * * *――大学に女性研究者を増やそうと積極的に取り組んでこられましたね。  私は研究者なので、研究をちゃんとしたい。そのために日本の女性研究者問題を解決しなければならなかった。大事なのは、意思決定する場に女性を増やすことです。名大は35人の評議員のうち7人は女性から選ぶことをルール化しました。残りの評議員は部局長。こちらで3人の女性が選ばれたので、2022年度は合計10人の女性がいました。私はルール化されてからずっと評議員を務めていましたが、35人中10人が女性だと、女性の意見も反映されるので、やっぱり変わりますよ。「メンズクラブ」で決めるというのは通用しなくなります。  ――そうでしょうね。2011年には女性限定の教授公募で、上川内あづささんが採用されました。東京薬科大学の助教から36歳でいきなり名大教授になった。夫を東京に残し、赤ちゃんを連れての赴任でしたね。私はご本人に取材したことがありますが、「女性のみという条件が、応募する気持ちを後押ししてくれた」と語っていました。  彼女は東京大学薬学部で博士号を取り、ドイツで3年研究してきた神経科学者です。彼女が名大に来たことで、実は私が解放された。頭がひらめくようになって、すごくびっくりしました。それまでは(女性が)1人しかいなかったので、どこか緊張していたんでしょうね。  上川内さんの能力が発揮されるんだったら、私は子守でも何でもする。それは私には苦にならない。大事なのは女性の研究力を強化することです。結果として上川内さんの子が私に懐いちゃって、「森先生隠し子説」が出た(笑)。 ――ご自身は独身を通してこられた。  そうですが、結婚を捨てたとか、そういうのは一度もないんです。今でも、いい人がいれば結婚したい。 ――ほうー。  これまでの人生で私を好きだった人はたくさんいたと思う。でも、結局、私が振ってきた。というか、研究者として生きていこうとしている私の足を引っ張りたくないと相手が遠慮していた。たぶん、私のことを好きだから遠慮する、みたいな感じ。そんなのばっかりです。 ――ご本人から「この人ステキ」と思った人はいなかったんですか?  いたけど、ライバルにとられた(笑)。アメリカにいたときの話です。私はよく「結婚を捨て、子どもも犠牲にして研究に生きた女」みたいに描かれるんですが、私は何も犠牲にしていない。好きなことをやっているだけです。私は、好きな人がいたら積極的に行くタイプです(笑)。行動力があるので。結局、ずうーっと、研究のほうが好きだった。子どもが欲しかったという思いも全くない。人間にはそういう多様性があっていいんじゃないかと思うんですけど。 東レ科学技術賞の贈呈式=2023年3月15日、東レ科学振興会提供 ――研究者になりたいと思ったのは、いつごろですか?  お茶の水女子大学に入ってから研究者を意識しましたね。あのころは国立大の授業料がすごく安くて、国立に入るのが親孝行っていう意識があった。絶対浪人したくなかったので、お茶大を受けた。生物学科に入ると、助手、今でいう助教ですけど、そういう立場の女性の先生が何人もいらして。その先生たちが、研究者になりたい学生を集めて座談会みたいなのをやってくださったことがあるんです。  1年生だったか2年生のときだったか覚えてないですけど、そこに私は参加しました。そしたら「男の3倍できないと平等に認めてもらえない」と言われたので、「あ、3倍できればいいだけか」と思ったんです。だって、パワハラとかセクハラとか知らなかったですから。優秀の定義もわかっていなかったですけど、3倍できるだけでいいんだったら簡単だなって思ったんですよ。ま、そんなマインドで来ましたね、基本は。 ――その自信はどこから?  小さいころたくさんの人に可愛がられて自己肯定感が高かったことが影響していると思います。  私は普通のサラリーマン家庭に生まれたんですが、父方も母方も私が初孫だったんです。母は3姉妹の末っ子で、おじいちゃんは私が生まれる前に亡くなっていて、だからおばあちゃんはすごく苦労しています。でも、明るい感じで、母のお姉さん2人は、妹の子どもである私をものすごく可愛がってくれた。  父は長男だった。良いか悪いかは別問題として、長男を重んじる日本文化の影響を受けることで、私も私の弟もみんなに大事にされた。それはやっぱり自己肯定感につながる。  母方の2番目の伯母は生涯独身で、おばあちゃんと一緒に住み、働いて生計を支えた。私には何でも買ってくれました。ランドセルを買いに行ったときも伯母さんと一緒。デパートみたいなところに行くと、赤と黒のほかに黄色があったんです。私、当時は黄色が大好きだったから、これがいいって言ったら、親も伯母さんも「郁恵ちゃん、本当にこれでいいの?」って何度も聞く。すごく念を押されるんですよ。不思議に思いましたが、「そう、これがいいの」って言って、買ってもらって、6年間黄色ですよ。 中学、高校、大学とソフトボール部で活躍し、名古屋大学での生命理学専攻ソフトボール大会にも毎年出場した=森郁恵さん提供  何ていうか、私は否定されたことがないんですよ。学校で否定されることはあって、小学校でいじめにあったこともある。クラスのみんなが一時期まったく口をきいてくれなかった。中学校では先生から言葉の暴力を受けた。そういう嫌なことがあっても、私は間違っていないということは親たちが証明してくれるんです。私を肯定してくれるから。だから、親とか親族にはすごく感謝しています。 ――なるほどね。生物学に興味を持ったのはいつごろですか?  高校のときにコンラート・ローレンツの動物行動学の本を読んで、ですね。日本語訳された彼の本は全部読みました。それと、時間があるとよく上野動物園に行っていました。動物好きなので。休講があると一人で行って、サル山を見ていました。ぼんやりとサルたちの動きを見ていると、人間社会の縮図のようで、とても面白いんです。  あるとき、オスのサルが子守しているのを見て、きっとこれ、血がつながっているんじゃないかなって考えた。これは私の直観です。おじさんが甥っ子とか姪っ子の面倒を見ているんじゃないかって。絶対、遺伝子を残しているんじゃないか。それで遺伝学をやらないとダメだって思った。で、お茶大の遺伝学っていうのは、集団遺伝学だったんです。 ――集団遺伝学というのは、数学を駆使して集団の中でどんな遺伝子がどのように広まっていくかといったことを調べる学問ですね。  私は集団遺伝学をやりたいわけではなく、遺伝学をやりたかった。でも、もともと数学は好きだったので、集団遺伝学を修士までやりました。指導教官の石和貞男先生は博士号をアメリカで取られていて、「研究をやりたければ外国に行け」とみんなに言う先生だった。  修士課程のときにイギリスに1年留学しました。お茶大に戻って修士を取ったあと、集団遺伝学の先生の紹介でアメリカのセントルイスにあるワシントン大学の博士課程を受験しました。  ここでは、1年で3つのラボをローテーションする決まりになっていた。一つ目はショウジョウバエを使うけど本命じゃない進化生物学の研究室にした。私は修士課程でずっとショウジョウバエをやっていて、本命の集団遺伝学の研究室には3つ目に行く予定にしました。 2001年の遺伝学会でシドニー・ブレナーと並んだ記念写真=森郁恵さん提供  2つ目をどうするか、ワシントン大学にいらした日本人研究者に相談したとき、せっかくだから違う動物もやってみたいと言ったら、そういえば線虫の新しい教授が来たので行ってみたらと勧められた。線虫の研究は新しい分野で、始めたのは分子生物学の創始者の1人でもあるシドニー・ブレナー(2002年ノーベル医学・生理学賞を受賞)です。その最初の弟子であるロバート・ウォーターストンが来たところだった。  この先生は、本当に厳しかった。線虫業界では、もっとも厳しい先生で通っていた。私は「どこの馬の骨?」って感じでジロッと見られて、「ラボに入るまでにどんな論文を読んでおけばいいですか?」と聞いたら、「論文より何より、君は英語の勉強をしておけ」って言われた。何だコイツは、ですよね(笑)。でも、ここにいるのは3カ月間だけだからまあいいか、と思った。  ラボに入って最初に読めと言われたのが、シドニー・ブレナーが線虫の遺伝学を確立した論文です。アメリカでは学部卒で博士課程に入ってくるから、一緒に入った大学院生は集団遺伝学の勉強をしていない。私はすでに修士を取っていたから、質問すべきポイントがわかっていた。論文を渡されてから1日で読み終えて、「私を誰だと思っているの」みたいな感じで質問しました(笑)。  それから、私はショウジョウバエの実験をしてきたから、小さいものを見分けるのは慣れていた。線虫には、オスと雌雄同体の2種類いて、遺伝学のかけ合わせをするには、これを見分ける必要がある。また、動きがちょっとおかしい個体だけ取り出すとか、そういう、実験に必要な基本的な作業を、練習だからとやるように言われました。午後いっぱい使ってやるように、って言われても、私はそんなの30分か1時間でできちゃう。論文は読めちゃうし、手先は器用だし、観察力もいいってことになっていった。そういうのを見て、ウォーターストンが「イクエ、うちで博士号を取らないか」って言ってきたんです。  線虫の顕微鏡写真。線虫の体長は1ミリ程度=森郁恵さん提供 ――3つ目のラボで取る予定だったのに。  そう、だから最初は断った。でも、だんだん線虫のすごさに気がついたんです。  上野動物園のサル山を見ていたときから、動物行動ってすごく面白いと思っていましたけど、誰に教わったわけでもなく、感覚的に「動物行動を遺伝子の言葉で語りたい」と思っていた。当時は脳の研究となると、サルの脳に電極を刺す。でも、電極を入れられちゃったら行動できない。ところが、線虫なら行動を見て遺伝子を調べられる。遺伝と行動が結びつくんです。 「見つけた」と思った。集団遺伝学の知識も、生命現象を定量的、統計学的に見ることに役立つし、「今までの全ての経験は、線虫に辿り着くためにあったんだ」と思った。 ――それで、そのまま居残った。  そうです。大学院の中で物議は醸しましたけど、やると決めたら3つ目のラボに行くのは時間がもったいないときっぱり断りました。それからは楽しくて楽しくて。 ――米国に6年いらしたんですね。  ずっと海外に、と考えたんですが、その頃、母ががんで亡くなって、これは人生で最大に悲しい出来事でした。それで心が沈んで、日本で就職かなあという気持ちになって。ちょうどそのとき、九州大学で公募が出たので応募しました。  実は、このときジェンダーがらみの出来事があった。九大の公募では、線虫を扱える人を募集していたんですが、そのポジションに応募を考えている日本人男性がいた。その恩師に、国際電話で「森さんはもともと東京の人だよね。関西出身の人間が応募すべきだから、森さんは九大の応募を控えてほしい」と言われたんです。「あれ? 何これ」ですよね。こういうことが、この辺から始まりました。 ――無視したんですか?  無視しました。逆に、私はそういうことで萎えちゃう女の人の気持ちがわからない。何で自分の意思を通さないのか。いや、森さんみたいに強い女の人ばっかりじゃないって言われるんですけど、科学の世界では男も女も関係なく、研究者おのおのが自己表現をしているわけです。研究の最前線では国際競争も激しくなるので、どんな場合でも、自分を見失わずに、自分を大事にし続ける強さが必要だと思うんですよね。 ――それはそうですね。で、応募したら見事に採用されたんですね。  後から聞いた話ですけど、ウォーターストンの推薦状が素晴らしかったみたいです。私は見ていないからわからないですけど、もう感動的な推薦状だったらしく、これで決まったようです。 ――九州は、日本の中でも男尊女卑の気風の強い地域ですよね。  そうなんですよ。アメリカでは男女差別を感じなかったので、九州に行ったら全部がカルチャーショックでした。まあ、いろいろありましたけど、助手という立場だったから、という面も大きかったかもしれない。だから、自分の研究室を持ちたいと自然に思いましたね。  あるとき、懇意にしていた東大教授を訪ねて「私は独立したい」って言ったら、「森さん、それは言わなきゃだめだよ」って助言されたんです。「自分が職探しをしている」と信頼できる人たちに開示する必要があるって。なるほどと思って、そういうふうに心がけていたら、「こういうポストが空く」といった情報が入ってくるようになった。それで、名大の教授選に応募したら、助教授で採ってもらったんです。 ――教授選に手を挙げたんですね?  そうです。助手がって思うじゃないですか。やっぱり自分を過小評価しているんですよ。研究では一歩も引かないんですけど、人に選んでもらうというところになると、私も引いている。助手の分際でって、私自身が思っている。で、応募したら、教授に選ばれた人は別にいるんですけど、私も助教授として研究室を持っていいよって言われた。半講座で研究室を持たせてくれたんです。  ただ、名大は教授会には教授しか出られないんです。ラボのメンバーは20人、25人と増えました。教授にならないと、私と一緒に研究したいとラボに来てくれた学生やポスドクに責任をもてない、と思った。それで、アクションを起こして、結局、名大で教授に昇格しました。 ――どんなアクションを起こしたんですか?  ほかの大学の教授選に応募しました。いつも最後の3人に残るんですが、最終的には選ばれなかった。ただ、こちらが応募していないのに教授候補になったこともあって、このことを名大に伝えたら、教授になれました。よそに取られたくないってことでしょうね。  私は助教授でも独立した研究室を持って、研究費も潤沢に取れていたから、それで満足していると思われていたんでしょうけど、それは、私に対して甘えているというか、私を軽く見ている表れだと思う。意図せずに、無意識にやっていることだとしても。  教授になれたって言いましたけど、それは私が名大の教授選に応募したからです。九大助手のときに続いて、2度目(笑)。教授として名大でラボを維持するのか、他の大学に移る準備をすべきなのか、どっちつかずの中途半端な状態が続きました。実際、この一連の教授人事をやっている時期は、神経がすり減って激痩せしました。  こういう苦労を次の世代にはさせたくないと思って、女性限定公募をするとき最初から教授で採ったほうがいいと言ったんです。  ただ、私自身は別の大学に移ったほうがもっと花開いたんじゃないか、という思いはあります。 ――でも、名大だから改革ができたんですよね。  それはそう。こぢんまりしていたから。2017年にニューロサイエンス研究センターを創設してセンター長をやってきましたけど、これは東大や京大だったらできなかったかもしれない。組織が大きいから。名大だと、筋を通して交渉を続ければ、総長までスッと話が通る。そういう意味で、女性の施策が進んだ面もあります。 退官記念シンポジウムを名古屋大学で開いた日、ホワイトボードには親(P0)のシドニー・ブレナーから一代目の子(遺伝学でF1と書く)のロバート・ウォーターストンが生まれ、2代目(F2)のイクエ・モリが生まれ、3代目(F3)がたくさん生まれたという「家系図」が書き込まれた=2023年3月22日、森郁恵さん提供 ――この3月で定年を迎えられました。  これからも、ニューロサイエンス研究センターに所属して、線虫の研究を続けます。生き物というのは、住む場所が居心地が良いと思ったらそこに居続けますよね。でも、その場所の環境が悪くなって食べ物がなくなったら、ほかの場所を探す。保守的に振る舞って同じ状況にとどまるか、変化を求めて探索行動に出るか。この2つの生きるための行動戦略の切り替えを、線虫も人間もやっている。この仕組みを神経ネットワークのレベルから神経細胞や遺伝子のレベルまで落とし込んで全体像を理解したい。それは線虫ならできるんです。  あと、10年ぐらい前から、私たちは腸が脳にすごく影響していることを線虫の研究から見つけているんです。最近、「腸脳相関」と言われて、社会的にも注目されている。これは大事なことで、それも研究しようと思っています。 森郁恵(もり・いくえ)/1957年東京都生まれ。お茶の水女子大学理学部生物学科卒、1982年に英サセックス大学に留学、1983年お茶の水女子大大学院修士課程修了。同年米国ワシントン大学(セントルイス)大学院博士課程に入学、1988年修了、PhD。1989年九州大学理学部生物学科助手、1998年名古屋大学大学院理学研究科助教授、2004年同教授。2017年から理学研究科付属ニューロサイエンス研究センター・センター長。2023年に定年、名大名誉教授・シニアリサーチフェロー。
名古屋大学女性科学者インタビュー森郁恵高橋真理子
dot. 2023/04/18 17:00
「コロナ後」景気回復のカギに? 「大人女子」の消費が大きく伸びる可能性
首藤由之 首藤由之
「コロナ後」景気回復のカギに? 「大人女子」の消費が大きく伸びる可能性
ボクシングジムでトレーニングする山本貴代さん(本人提供)  コロナ禍を経て元に戻るもの戻らないものがありそうだが、50代から70代の「大人女子」たちの元気ぶりはどちらか。様子を探ると活発さは相変わらずで、コロナ後の生活を見越してウズウズしている向きもある。さらなるパワーアップも垣間見え、「女性は年を重ねるほど元気になる」とする仮説まで登場している。 *  *  * 「最初は“コロナ太り”解消が目的だったんです」  女性生活アナリストの山本貴代さん(57)は、ボクシングを始めた動機についてこう話す。 「巣ごもり生活」で少し体重が増えた。ボクシングは究極の痩せるスポーツとは聞いていた。事務所の近くに元世界チャンピオンの川島郭志氏が経営するジムがあることも知っていた。ただ、「男の世界」を前にあと一歩が踏み出せないでいた。 「でも一昨年の暮れ、今やるしかないと思って入門しました。『カッコよくなりたい』という欲望がありましたから」  以来、週4~5日、まるで学校の部活のようにジムに通う。縄跳び、サンドバッグ、パンチングボール、シャドー……。約1時間半、みっちり汗を流す。  最後は決まって、元世界チャンプがミットでパンチを受けてくれる。バチーン。その音を聞くだけで気持ちがよくなり、その日の「マイナス」が全部消えていく。 「ボクシングは『自分との闘い』の面があり、それが楽しくなって続けています。おかげで体幹が鍛えられた気がします。ゴルフも飛距離が伸び、100を切るスコアを出せるようになりました」  つくづく「いい時代」を生きていると思う。ボクシングのように、やりたいことは何でもできる、いや、やれる時にやっておいたほうがいい……。 「私だけじゃありません。今の50~70代の女性って総じて元気で、『もう一花咲かせたい』とか『最後まで「女子」でいたい』とか思っている方がいっぱいいます」  マスクの着用が個人の判断に委ねられ、5月にはコロナの感染症法上の位置づけが2類相当から5類に下げられる。今後、いろいろなものが徐々に「日常」に戻っていくとみられるが、「コロナ前」に勢いがあったものは再び活気を取り戻すのか。  その一つとして気がかりなのが高齢世代、とりわけ「大人女子」といわれる女性たちの活発な活動ぶりである。対象は、75歳の節目を迎えつつある「団塊の世代」以降、山本さんが言うように50~70代の女子たちだ。  日本に若者文化をつくり、お見合いではなく自分の意思で相手を選ぶ恋愛結婚を主流にした団塊は、それ以前の世代とは意識がまったく違う。「OL→結婚して“寿退社”→専業主婦」が多かった彼女たちが、子育てを終えて自由になったころから活発な活動ぶりが目立ち始めた。2000年代の「韓流ブーム」を主導したのを皮切りに、旅行やグルメなどで旺盛な活動を展開、以降の世代もパワーアップしながら同じ路線を歩み、「大人女子」は注目度合いを高めていた。  そこに襲ったコロナ禍。「重症化リスク」を抱える世代でもあり、この3年間、「大人女子」の活発な活動はしぼんだ格好になっていた。冒頭の山本さんが言う。 「もちろん、このままではないでしょうね。そろそろどのマダムも、うずうずしていらっしゃるのではないですか」  山本さんは「女の欲望」の研究家でもある。 「女の欲望は広くて深い。私のボクシングのように新しい活動を始めたり、旅行などの計画を立てたり……。コロナがいろいろ考える時間を与えてくれたといえるのかもしれません」  元気な「大人女子」たちはコロナ以前と同じ生活をしたがっている。  例えば神奈川県に住むA子さん(65)は、週3日程度「チョイ働き」したお金で趣味を楽しむ「名人」だ。 「50歳から乗馬を始めました。子育てをしている時からの夢だったんです。韓国で食べ歩きするのが好きで、年に4回は行きますね。温泉は夫と月に1回ぐらい。いいものに出会えば買っちゃいます」  毎月の稼ぎは8万~9万円程度。物産展の販売員をしたり、フードショーで調理補助をしたり……。派遣から始めるケースが多いが、よほど「売る」のがうまいのだろう、働き先から次々に「ご指名」が入るという。ジビエの会社から鹿肉の販売を頼まれた時は、各部位を試食するために自ら北海道行きを志願し、解体から調理まですべて体験したという。 ■同じ趣味で集う一大社交クラブ  今は来年、夫と行く「パリの美術館巡りの旅」に思いを巡らしている。2人ともアート好き。2週間程度の滞在でルーブルには4日間、オルセーは……、などと計画中だ。 「75歳までは、今のような『働いて遊ぶ』生活をしていたい」  趣味といえば、同じ趣味を持つ人たちがネット上で集まり、オンラインやリアルで交流する「一大社交クラブ」が存在するのをご存じだろうか。  50~70代を中心に会員数36万人を誇る「趣味人(しゅみーと)倶楽部」がそれ。主宰者となる「管理人」が仲間を募り、「コミュニティ」を組織する。その数は約3万5千。最近はリアルイベントもすっかり復活していて、ここでも人気を集めるのは「大人女子」のコミュニティだ。  60代後半のリンダ・ミーアさんが主宰するコミュニティ「ラヴィアンローズ(薔薇色の人生)」の会員は2千人を超す。リンダさんが次々に繰り出すイベントが人気なのだ。 「観劇や美術展、コンサートなど文化的なものにお食事会をくっつけるイベントが多いですね。イベントは月に15程度で、コロナ前に戻りつつあります。今まで我慢していたのを発散させたいのでしょう、最近は参加希望が多い。20人ぐらいはすぐ集まってしまいます」  計画はリンダさんが一人で立てる。いろいろな劇場の会員になって早めにいい席が取れる体制を整えたり、観光ならネットで実際に訪問した人のブログを読んだりして日程を組んでいく。以前、旅行会社にいた経験が生きていて、「大変わかりやすい」と評判だ。 「自分がプログラミングしたものを参加者が楽しんでくれるのが嬉しい。快感です。もはやコミュニティを運営するのが生きがいになっています。これがなくなれば、どうやって生きていけばいいのか、とすら思います」  こうした声に、趣味人倶楽部を運営するオースタンスの菊川諒人社長(35)はこう言う。 「言ってみれば、趣味人倶楽部には小中学校の学級委員長みたいな人がいっぱいいらっしゃるんです。報酬はなくても誰かに喜んでもらえるのが好き。そんな人が『この指とまれ』でコミュニティを立ち上げ、そこにフォロワーが集まり一つのテーマを楽しむ。大人世代の皆さんがデジタルで交流するのに、とてもいい『場』になっています」  大人世代のスマホ保有率が飛躍的に上がったのもコロナ禍の最中だったが、「大人女子」たちはデジタル時代にもしっかりついていっている。 「趣味」だけではない。そこから発展させる格好で「社会活動」に取り組む人もいる。  都内の殿村りんごさん(61)はマンションの一室を借りて、元ママ友らが習い事を教える場として有償で提供している。 「皆さん、いろいろな資格があったりして教えることをお持ちなんですが、一人で場所を借りて家賃を払うとなると採算を取るのが大変になります。元保育士の当の私も『ベビーマッサージ』を教えたかったので、それなら私が借りて皆で使ってはどうかと思ったんです」 ■「年をとるほど元気度アップ」  英会話の先生は殿村さんの隣人だ。元航空会社のCA(キャビンアテンダント)で英検の検定員も務める。ほかにも習字、アロマなどのカルチャーからワイン、カラオケなどのエンタメまで十数講座がある。 「私たちの世代って、仕事ができても結婚すると専業主婦にならなくちゃいけなかった。だからスキルが眠っているんです。子育てを終えてふと考えると、得意技があるのだから、それを使って新しいコミュニティを作ろうとなったわけです」  まだコロナ前の4割程度の稼働状況というが、より若い世代も巻き込んで心が通じ合える場所にしていきたいという。 「福祉」に貢献したいとする「大人女子」もいる。都内の三竹眞知子さん(75)で、長年、障害者にコンピューターを教えるボランティアをしてきた経験などから、社会に役立つ事業を手掛けたいという。 「親の住んでいた土地が茨城県にあるので、そこを拠点にしたい。高齢者か女性支援か、あれこれ模索中です」  どうだろう、元気な「大人女子」たちは、コロナ後を見据えて準備万端整っているようだ。こうした姿に、先の女性生活アナリストの山本さんは持論である「女性の年齢別パワー度」とでもいうべき仮説に自信を深めている。 週刊朝日 2023年4月21日号より 「これまでは高齢になるほどパワーダウンして先細りしていく感じでしたが、団塊以降は丸きり逆で、年齢を重ねるほどに元気度がアップしています。リタイアする夫とは正反対に、羽が生えたように外を飛び回っていらっしゃるマダムたちが大勢います。『見せたい』や『磨きたい』、『見渡したい』といった『み』のつく“み力”もどんどんオンされています」  確かにコロナ前の勢いが復活すれば実現しそうなイメージだ。 「イメージだけではありません。実際、それが現実になりつつあります」  こう話すのは、大人女子に詳しい「人生100年時代 未来ビジョン研究所」の阪本節郎所長だ。 「わかりやすいのが女性誌の世界です。以前なら考えられなかった60代向けのファッション誌が登場していますし、今や漫画誌を除く全雑誌で販売部数第1位は50代以上向けの女性誌です」  ファッション誌は19年に創刊された「素敵なあの人」(宝島社)で、全雑誌で部数1位は“老舗”の女性生活情報誌が名前を変えた「ハルメク」だ。それぞれ発行会社の発表によると、「ハルメク」は昨年12月号で定期購読者数が50万人を超え、「素敵なあの人」も昨年9月時点でコロナ下にもかかわらず売り上げが前年比で1.5倍を記録したという。 ■雑誌や旅行から消費爆発の予感 「素敵なあの人」の神下敬子編集長が言う。 「3回目のワクチン接種を終えたあたりから潮目が変わったように思います。近場のお買い物から始まって、60代の素敵な読者がおしゃれして街に繰り出すようになっています。必要なものには、お金を使う傾向も以前と変わっていません」  女性誌の好調さが「先行指標」になっているとすると、「大人女子」の活動、とりわけ消費は今後大きく伸びる可能性がある。大人女子に的を絞った統計はないが、高い可能性を予見させるのが京都市が毎年行っている「京都観光総合調査」である。男女ごとに40代、50代など年代別の観光客シェアが載っているのだ。 「平常時」を知るためにコロナ前の19年の同調査を見てみよう。それによると、この年、同市を訪れた日本人観光客は日帰り・宿泊の合計で4466万人。このうち半分近い44.8%が50代以上の女性、すなわち「大人女子」だった。その数、実に「2千万人」。同年に同市を訪れた外国人観光客(インバウンド)は886万人だから、軽く2倍を超えている。先の阪本所長が言う。 「インバウンド消費がコロナ後の日本の景気回復を左右するなどとよく言われますが、本当かと言いたいですね。『大人女子』の消費のほうがよほどインパクトは大きいと思います」  阪本所長によると、日本人全体の国内旅行消費のうち50代以上の消費額は全体の44.7%、約10.3兆円(推計)。男女合わせてこの数字だから、仮に京都市のように「大人女子」が大挙して全国の観光地を訪れるようになれば、旅行消費は跳ね上がることになる。  さらに可能性を高めるのが「大人女子」への「新勢力」の参入だ。80年代のバブル経済を知っている「新人類」世代が60代に突入し、その下で就職バブルを経験した「バブル世代」が50代の中盤になりつつある。  先の阪本所長が、 「新人類は若者消費がもっとも活発化した時代に青春を過ごしました。バブル世代はさらに強烈で、日本人の中で唯一、『貯蓄より消費』と言われるほどの消費好きです。しかも、すでに『40代女子』というトレンドワードを生み出した実績もある。そんな世代の『大人女子』たちが自由を獲得したらと思うと大いに楽しみではあります」  と期待を示せば、先の山本さんも、 「彼女たちはディスコでお立ち台に上って踊った世代で、今でも意識の上では『ずっと舞台に乗っていたい』と思っている人が多い。彼女たちが消費を引っ張るようになると大きな波及効果を望めそうです」  やはり「大人女子」たちからは目が離せそうもない。(本誌・首藤由之)※週刊朝日  2023年4月21日号
週刊朝日 2023/04/17 11:00
進路指導教員が語る「高校に必要な情報のカタチ」ーAERAサポーター高校・座談会
【PR】進路指導教員が語る「高校に必要な情報のカタチ」ーAERAサポーター高校・座談会
多様化する入試制度やキャリア形成に対応するために、高校の進路選択では情報収集が要となる。求める情報のキャッチアップはどのように行っているのか。どのようなツールが求められているのか。「AERAサポーター高校」に参加する4校の進路指導担当教員が、現場のリアルを語り合う。 【「AERAサポーター高校」とは?】 「AERA」とともに様々な企画に取り組む高校。第2期(2023年度)は全国から70校以上が参加中(詳しくは本座談会企画最下部へ)。 ■多様化する入試・キャリア形成の情報とツール 木村恵子(AERA編集長):進学や就職、キャリア形成を考える時、情報収集については先生方は生徒のみなさんにどのような指導を行っているのでしょうか。 松永太志さん(日本福祉大学付属高等学校):生徒たちは、やはりインターネットで調べる機会が多くなりました。勉強や課外活動などで忙しく、web検索なら時間のない中でも気軽にたくさんの情報を得られることに魅力を感じているようですね。しかし、インターネットでは興味ある事柄がAIに選別、誘導され、似たような情報ばかりになりがちです。 各大学のホームページや大学受験用のポータルサイトを活用するとともに、その大学がどのようなことに取り組んでいるのか、どんな研究室があるのかなど、より深い情報を知ってもらうために、教員側からは新聞や雑誌の記事など紙媒体の情報を紹介することも多いですね。「AERAサポーター高校」になって紹介していただいた書籍の『日本の「学歴」』(朝日新聞出版)は、どの大学がどの業界業種に多くの人材を輩出しているかが分かりやすくまとめられており、図書室の生徒の目につきやすい場所に置くようにしています。 坂田充範さん(兵庫県立加古川東高等学校):受験しようと思っている大学には、どの程度の科学研究費助成事業があるか、研究論文数はどうか、教員一人当たりの学生数は何人かといった切り口から具体的な情報に注目すると、自ずと大学の中身が分かってくると生徒たちに話しています。こうした情報を参考に、選択に迷っていた生徒が進学先を決定することもあります。 面白いところでは、各大学が教育・研究活動を紹介する広報誌からも踏み込んだ情報を得ることができます。例えば、東京大学の広報誌「淡青」(たんせい)46号(2023年3月)では「GX入門」と題して、一つのテーマについて、学内の多彩な先生方が専門的立場や視点から言及されているのですが、興味深く読み進めるうちに、どのような研究をされているのかが分かってきます。本校の進路指導資料室には様々な大学の広報誌もそろえてあり、生徒自身でも調べられるよう案内しています。 二田貴広さん(奈良女子大学附属中等教育学校):進路指導では大学・大学院のホームページをよく参照します。進路指導部の教員が、実際に大学に足を運ぶことにも力を入れており、大学説明会、講演会などの機会に直接お話を聞かせていただきます。各大学の教育・研究活動、企業との連携、就職支援などについて、こちらから質問できるのでとても有意義で重要な情報収集の場だと考えています。他には、「東洋経済ACADEMIC」、リクルート進学総研の「キャリアガイダンス」、ベネッセの「VIEW next」や「ハイスクールオンライン」など、冊子やwebなども活用しています。 青木潤士さん(星野高等学校):これまでにないスピードで世界が変化する中で、SDGs、グローバル教育、AI・データサイエンスなど新しい情報があふれ、接する機会が多くなっていると感じます。生徒たちが自分ごととして捉え、どのようにキャリア形成につなげていけるか。従来の紙媒体やインターネットなど、様々な媒体からの情報を参考に検討を続けているところです。 木村(AERA):AERAでは昨年度、「AERAサポーター高校」のみなさまに「AI・データサイエンス」「グローバル教育」「SDGs」をテーマにした「大学×企業 スペシャル座談会」(※1)の小冊子をお届けしました。教育情報としていかがでしたか。 ※1 “今、考えるべき”テーマについて、その分野に強い大学と企業が語り合う座談会企画 https://dot.asahi.com/ad/21063001/ 坂田(加古川東):最も印象に残っているのはSDGsについての冊子で、繰り返し読ませていただきました。2030年の目標達成期限にはどうなっているのか、インセンティブも罰則もなく達成できるのか、法整備が必要ではないか、大学と企業もそういったところに踏み込むべきではないかなど、同僚の教員とも真剣に意見交換する機会ができました。最近は環境問題、気候変動、人権、平和などに関心を持ち、農学や水産学などの学部を志望する生徒が増えているように思います。 二田(奈良女子):小冊子を追加注文させていただき全校生徒に配りましたが、読みやすいと好評でした。読んでおしまいにならないよう、生徒みんなに自分の考えをまとめ言語化してもらうためにも感想アンケートを実施しました。言語化することで、生徒たちにどんな行動が起こるのか、そんな観点からも活用したいと思っています。「文系からもデータサイエンスへの道があることが分かりとても参考になった」という声も上がってきています。 松永(日本福祉):小冊子を読んだ生徒たちは、同じ学部でも大学によって柱となる取り組みの違いや特色があることに気づき、進路選択の参考として活用することができました。各テーマについて大学と企業の方々が共に語り合い、それぞれの立場の切り口を知ることができる特集でしたので、学びの先、社会とのつながりまで見えて、私個人としても勉強になりました。 青木(星野):AERA座談会の冊子は、社会課題に取り組む大学と企業の具体的な事例を知ることができとても参考になりました。さらに、大学生が社会課題について、どのように学び活動しているのか、社会にどうつながっていくのかというところまで踏み込んでいただくと、高校生にとって近い将来がよりリアルに感じられるようになるかと思います。今後も、こうした情報を使って生徒の視野を広げ、具体的に働きかけていきたいです。 ■情報と知識が選択肢を広げる 木村(AERA):視野を広げるという観点から、高校生にはどのような情報や知識を取り入れて進路選択をしてほしいと考えますか。 二田(奈良女子):生徒だけでなく教師も視野を広げて、これから我々が暮らすちょっと先の世界や社会を知る情報を取り入れることが大事だと思います。今盛んに取り上げられているChatGPTは、少し前までは話題にもなっていませんでした。進学では教育や研究の内容についてはもちろんですが、“暮らす場所”としての大学を知ることも重要です。退学率はどうか、学業とアルバイトは両立できるかなど、キャンパスライフに直結する情報です。 坂田(加古川東):志望する大学で自分をアップデートしていけるか、その環境があるかも事前に調べておきたいですね。大学で学び進めるうちに、興味や希望が入学時と変わっていく学生は少なくありません。そうなった時に、志望する大学に柔軟な対応をしてもらえるかどうか知っておくことは大切です。 青木(星野):職業の横のつながりについても、生徒には知っておいてほしいです。例えば看護師を目指すのであれば、臨床検査、臨床工学、理学療法、管理栄養など医療系の職業にも幅があり、チーム医療というつながりを知ることは重要です。目指す進路が明確に決まっているのはいいことですが、その近くにある分野が意外に見えていないことがあります。同系統の仕事の中にも向き不向きはあります。できるだけ多くの具体的な情報と知識を取り入れて進路を選択してほしいと考えています。 松永(日本福祉):将来の仕事を見据えて進学する場合、生徒たちは目指す職業の良いイメージばかり追いがちです。実際にはそれぞれの職業、業界が抱える社会問題があり、そのことを大学が研究課題として取り組んでいて、学べるかどうか。進学先でいい面も悪い面も学んだ上で、社会に出ることが大切だと生徒には話しています。 ■求められるプラスアルファの情報 木村(AERA):高校生の進路選択やキャリア形成のために、どんな情報や媒体があればより役立つと思われますか。 坂田(加古川東):探究学習(※2)で興味を持った事象が大学や学部を選ぶ動機になる生徒が増えているのですが、関連する研究論文をwebで見つけて読もうとしても、高校生にはちょっと難しいですね。もう少し高校生向けに噛み砕いた著作、論文紹介、出張講義、公開講座に繋がれるような検索システムがあるといいですね。 ※2 生徒が主体的に課題を設定し、解決に向けて情報を収集・整理・分析し、意見交換・協働して進めていく学習活動。教科や科目の枠を越え横断的・総合的に学ぶ「総合的な探究の時間」は2022年度から新設された高等学校の必履修科目 松永(日本福祉):ニュースを見て、興味ある社会現象を自分の進路に重ね合わせる生徒がいます。その事象について学ぶには、どの大学のどの学部のどの研究室がいいのか。ニュースでコメントされている大学の先生から紐付けて調べることもありますが、さまざまな切り口があり細分化されている学問の中から、生徒の興味にマッチするところにスムーズにたどり着けるといいですね。 二田(奈良女子):大学と企業が連携し社会課題の解決に取り組んでいる事例は数多くありますが、一般にはなかなか見えてきません。社会現象に興味を持ち進路を考える生徒には、産学連携に関する情報がとても役立つと思います。また、高校の教科にはないけれど大学の学部にある分野、例えば工学分野の学問とはどういうものかが参照できるツールがあると、進路選択の際にとても参考になると思います。 青木(星野):学びの分野の横のつながりの情報も得られるといいですね。希望する分野がおぼろげな生徒も、興味ある分野の周辺まで網羅して大学や学部を紹介するようなサイトがあれば選択の参考になります。情報系の進路は文系理系が混在している状況ですから、どちらからも職業につながる学びのルートが分かる情報ツールがあれば指導しやすくなります。 ■現実と将来像とのバランスをとるには 木村(AERA):私も保護者の立場になってみると、子どもの教育について偏差値や学歴のような現実的なことと、希望する将来像との間で揺らぎが起こります。進路指導では、どのようにそのバランスをとっていますか。 二田(奈良女子):本校は比較的小さな規模で、中高6年間を通して生徒一人ひとりとじっくり話をする機会に恵まれています。何をしたいのか。どんなことに関心があるのか。同じ大学の中でも、偏差値を考えて本来の希望とは違う学部に入ったとしてやりたいことはできるのか。そんなふうに話を詰めていき、生徒本人の「気付き」につながるよう心がけています。希望と現実、それぞれの情報をできるだけ集め、個々人の事情も加味し、それを自分たちなりに解釈して、どの選択肢を選ぶかになりますね。 青木(星野):本校では1年生の早い段階からキャリア形成や目指す学問分野につながるカリキュラムを選べるようになっています。得意なこと、自分の強みを生かして学び、現実的な大学受験を見据えつつ、自ら希望する将来像をかなえる。そんな選択をしてもらえるよう指導を進めています。 松永(日本福祉):大学付属の本校には、学校推薦で入学し、そのまま推薦で大学に進み、社会福祉や保育、医療系の道に進む生徒が多い傾向にありました。しかし、入学時の15歳の時の選択が18歳になっても変わらなくていいのか、高校3年間の意味を問いたいという声が教員側から上がりました。そこで、大学での学びが視野を広げ、将来の選択肢を広げるということを積極的に生徒に伝え、揺さぶりをかけるようにしました。その結果、例えば、単に「大学で留学をしたいから」と進学先を選択していたのが、「公共経済の視点から環境問題を考えたいので、進学し留学する」というように、大学で学ぶ意味、プラスアルファを考えて答えを見つける生徒も出てきました。 坂田(加古川東):以前に比べると、自分の進路や将来像にこだわりを持つ生徒が多くなりました。探究学習で主体的に調査する機会を得て、SDGsやグローバル社会、データサイエンスなどの情報を分析し興味を持ち、自分の将来に関連づけて考える子も増えています。学校推薦型の入試でのことですが、面接担当者が偶然にも目指す分野の先生で、探究学習で学んだことや志望動機をしっかりアピールして、合格できた生徒がいました。これは理想的なケースでした。 【木村恵子の編集後記】 「AERAサポーター高校」4校の先生方から、教育現場の生の声、AERAが発信する教育情報についての率直なご意見をうかがう貴重な機会をいただきました。いかに学び、どんな仕事に就き、社会でどのような役割を果たすのか。子どもたち一人ひとりの生き方を見据えた教育が進んでいます。目まぐるしく変化する社会を生きる子どもたちに対する先生方の熱い思いと、深化し多様化する進路指導の取り組みについて知ることができました。一歩先の未来を示す情報の責務。その役割をしっかり果たしたいと、改めて意を強くしました。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - AERAサポーター高校 まだまだ募集中! 【第1期(2022年度) 参加校一覧はこちら】 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2023/04/13 00:00
「女性は“誰かに属している”ことを求められる」 地方女子が感じる「生きづらさ」の正体
「女性は“誰かに属している”ことを求められる」 地方女子が感じる「生きづらさ」の正体
※写真はイメージです。本文とは関係ありません(写真:violet-blue / iStock / Getty Images Plus)  辻村深月著『傲慢と善良』が大ヒットしている理由のひとつに、ストーリーを読みすすめるうちに現代社会における生きづらさが次々と浮かび上がってくる点があるだろう。  ひと組の男女がマッチングアプリを通して出会って、婚約する。本作の主人公である坂庭真実(まみ)と西澤架(かける)。すべてが順調に見えた。それなのに、真実は突然失踪する。  架はその行方を追い、真実を知る人に会って、話を聞く。それは真実がどう生きてきたかをたどる旅でもあった。そのなかで架は、婚約者が抱えていた生きづらさにまるで気づいていなかった自分を突きつけられる。ふたりが生きてきた環境に共通点が少なかったことも、その一因だ。  架は東京に育ち、小さいながら親から継いだ会社を経営し、社交的な性格も手伝って学生時代からの友人は男女問わず多い。一方の真実は群馬県に生まれ公務員の父と専業主婦の母のもとで育ち、地元の女子高、女子大を経て、やはり地元の県庁に臨時職員として就職して、親元から通った。  地元にいたときの真実は息苦しさに喘ぎ、しかし自分ではそうとは気づいていないようだった。  ここで、同じく地方に暮らし息苦しさを感じている女性たちの話を紹介しよう。北陸地方在住のモモエさんは、こう話す。 「このあたりではいまでも、女性は“誰かに属している”ことを求められます。独身なら●●さんのところの娘さん、結婚すれば▲▲家に嫁に行った。特に冠婚葬祭で親戚が集まるときに、それを強く感じます。私は未婚で両親と同居しているのですが、そうなると40代になっても“あそこの家の娘”としか認識されない。私がなんの仕事をしているとか、何が好きで、どんな人間であるとかは、誰も興味がない感じです」  結婚した女性は、たとえ仕事をもっていてもそこには注目されず、夫の勤め先などが話題になる、とモモエさんは付け加える。作中の真実は親のすすめに従ってお見合いをしたが、母親は相手の職業への思い入れが強かったようだ。その身上書を自分の友人に見せ、真実から怒られたこともある。 ※写真はイメージです。本文とは関係ありません  モモエさんが生まれ育った地域では、地縁と血縁が強い。適応すればそれはそれで楽なのかもしれないが、モモエさんのように疑問をもつと途端に息苦しくなる。でも、自分ひとりがその息苦しさを訴えたところで、変わるものではない。モモエさんの淡々とした口調には、あきらめの色が混ざっている。  地縁と血縁は、しがらみになりやすい。 「私が育った家では、プライバシーの概念というのがまったくなかったんですよ」と話してくれたのは、30代のアリサさん。現在は東京在住だが、山陰地方に生まれ育った。 「うちは祖父母も親族もみんな県内にいるのですが、しょっちゅう電話し合っては、母が『アリサが学校でこんなことしてね』『先生にこんなことを言われてね』と何から何まで話すんです。子どもながら、自分のことを勝手に言いふらされることに強い反発を覚えました。よかれと思ってなんでしょうけど、自分は世間話のネタでしかないんだと感じられたし、母親同士の集まりなど家族以外にも私のことを話しているのではないかと不安になって。結果、自分のことを一切知られたくないと思ってそれが態度にも出ていたので、親からすれば秘密主義の困った子どもに見えていたと思います」  30代のレナさんも同じく、生まれ育った東海地方でプライバシーのなさに苦手意識を感じていた。 「ご近所のあの子はどこの大学に行ったとか、あそこのうちの長男は仕事を辞めたらしいとか……。それを知って何になるんだろう、と思いますね。その噂になっている人のことを私はよく知らないし、興味もない。それでも耳に入ってくる煩わしさがありました」  口さがない人は、どこにでもいる。しかし地方でこうしたことがより起きやすいのは、同質性の高いコミュニティーでは、ひとりの情報をその他全員で共有することがよしとされる傾向があるからだろう。そして、自分の周囲はすべて同質だと思っているからこそ、学歴や職業、婚家といった“違い”が話題になりやすい。  加えて、コミュニティーが小さく、それでいて密であるためにこんなことも起きるという。 ※写真はイメージです。本文とは関係ありません 「友だちと出かけた先で、母親の同級生に会うとか知り合いに見られているとかもしょっちゅうで、『レナちゃん、来てたわよ』というのがウチにまで伝わってくる。デートをしたくても誰かに見られて、親にも知られるかもしれない……と考えると、出かけるのもためらわれますよね」  いたるところに大小さまざまなしがらみがあって、行動するたびそれに引っかかる。作中での真実も、人間関係はすべて地元で築いてきたものだった。職場でも、お見合い相手と出かけたショッピングセンターでも、古い知り合いに出会う。  レナさんは、大学進学を機に上京した。祖父は「女の子には学問はいらん!」と言っていたが、両親の考えは違った。 「地元では、女性の働き口が少ないんです。ほとんどが非正規雇用だし、正社員でも給与が信じられないほど低い。女性がひとりで生活をすることが想定されていないんでしょうね。そこそこのお金を得るとなると医師、看護師、薬剤師などの医療関係か、教職以外にない」  女性は人生の早いうちからそれを知り、人生の選択を迫られる。 「高校生のとき進学を考えるにも、女子は『あの学科にいって、あの資格を取って、将来はあの職業に就く』って具体的な想定をしている子が多かったと思います。男子はもっと漠然としていたけど、きっとそれでもなんとかなるんですよ。私は大学進学時に奨学金を利用することになっていたので、地元の大学に進み地元で職に就くと将来きっと返済に困るだろう、という考えが両親にもあったようです」  作中の真実は、県庁勤めとはいえ臨時職員だった。契約は1年更新。経済的に困ることはなさそうだが、それは親元で暮らしているからだろう。  女性と職の問題は、結婚とも無関係ではない。  モモエさんは職場で、複雑な思いに駆られたことがある。「仕事がデキる」と評判の女性がいた。年のころは30歳手前。上司の覚えもよく、同僚や後輩からも人望があるが、昇進することはない。そんな彼女が辞表を出したと聞き、モモエさんは耳を疑った。しかも結婚を機に辞めるのだという。 ※写真はイメージです。本文とは関係ありません 「その3カ月前には彼氏がいないと言っていたのに……。お見合いをして、あれよあれよという間に話が決まったそうです。私、彼女が退職のあいさつが忘れらなくて。『これからは主人のためだけに生きていきます!』って言ったんですよね」  前時代的なセリフに驚かされはしたが、彼女の気持ちもわからなくもない。 「勤め先には女性社員が20人ほどいるけど、そのなかで既婚者は2人だけ。どちらにもお子さんはいません。そうした光景を見ていると、この先、結婚して家庭を維持し、人によっては子どもを育てながらこの会社で働いていくっていうイメージが持てませんよね」  そのような環境で、生活の安定を求めて結婚するケースをモモエさんはいくつも見てきた。しかし周囲に漂っている「結婚すれば幸せになる」「養われるのが女の幸せ」という考えには懐疑的だ。先のことは誰にもわからないし、人の妻となったことで安定を得られるとは思えない。  モモエさんは、今後も働きつづけたいと思っている。生きていくには当然のことだ。しかし40代で未婚、両親と同居している自分が、狭くて密なコミュニティーではどのように言われているのかは、だいたい想像がつく。本人が結婚を望んでいなくても周りからは「していない」ことだけが取り沙汰され、仕事をつづけたいということについては話題にものぼらない。モモエさんはその話しぶりからも自立した女性だとわかるが、地元でそれは評価されない。  その人の評価は、その人自身によってでなく、しがらみのなかのどの位置にいるかで決まる。真実の出身大学は、県下では有名な“お嬢さん大学”で、地元企業にはわざわざ就職の枠を設けているところもあるという。真実の姉から、それは「お嫁さん枠」を意味するのだと聞いて、東京育ちの架は驚く。  ただし真実はその枠には入らず、親の伝手で県庁に就職する。同じく臨時職員の同僚には、出産で一度辞めたが経験値を買われて再契約した女性もいる。キャリアを築くことはむずかしくとも、それなりに長く勤められたかもしれない仕事を辞めてまで、真実は地元から出た。 ※写真はイメージです。本文とは関係ありません  地元を離れるのは、簡単なことではない。今回お話を聞いたレナさんとアリサさんは、大学進学を機に親元、地元を離れて都市部に出ている。アリサさんは振り返る。 「母は自分が高卒で就職して悔しい思いをしたことから、四年制大学には絶対に行きなさいという教育方針だったのですが、県外にいくのは親も親戚も大反対。願書を出すギリギリまで電話がかかってきて『地元の大学じゃダメなの?』『県内でひとり暮らしして、通えるところにすればいいじゃない』といわれました」  アリサさんには高校生のときから将来就きたい職業が明確にあり、それに向けて資格をとるプランも立てていた。そのことは尊重されず、ただ地元にいることを求められる。押し切って大阪の大学に進学したアリサさん、ここではじめてのびのびできたのではないだろうか。 「それが、頭のなかにずっと親や親戚がいるんです。親がすぐには来られない遠くにいて、誰にも見られてないとわかっていても、ずっと口を出され干渉されている感じ。苦痛でしたね。そのうち、不思議なことが起きたんです。洋服がピンクやパステルカラー、フリルやレースといったファンシーなものばかりになってしまって……。地元にいるときは干渉されたくない、女の子らしさやかわいらしさを押し付けられるのを嫌って、ずっと無地で黒色の服ばかり着ていたんです。幼児がえりみたいなものですかね。同時に、私こういうのが実は好きだったんだと気づいて、少し泣いて、自分のなかの小学生の女の子が成仏した感じです」  レナさんは、大学の夏休みで帰省中に、水害に見舞われた。 「そのときは隣近所の人が声をかけあって物資をフォローしあったりして、地元のよさも感じました。つながりが密なのって、いい面も悪い面もありますよね。就職後に親元を出て地元でひとり暮らしという人もいますが、見ていると出たいのは親元ではなく地元そのものなのだろうなと思います。でも出たい気持ちがあっても、給料が全体的に低いので貯蓄もできない、ひとり暮らしをはじめる資金を貯めることもできない。タイミングもむずかしいですよね、進学や就職、それから結婚など、わかりやすいタイミングでないと、なんで?って言われちゃう」 辻村深月著『傲慢と善良』(朝日文庫)※Amazonで本の詳細を見る  作中の真実の上京も、周囲からは「なんで?」と思われた。母にも姉にその理由がわからない。彼女らから話を聞いた架も当然わからない、が、そこにこそ真実という人を知るヒントがあるように思えてならなかった。  地元のつながりのよさも知っている。そのうえでレナさんは、首都圏で就職し、いまのところ地元に帰る予定はない。連絡を取りつづける幼馴染は2人ほどいるが、同窓会の案内があっても出ようと思ったことはない。血縁はともかく、地縁が自分に必要だと思えない。ご近所、同級生、親の知り合い……「私のことは放っておいて!」と思う。レナさんにとって地元は「放っておいてくれが通じない場所」だった。  アリサさんは大学卒業後、山陰の地元に帰って就職する。息苦しさはすぐに復活した。地縁と血縁の強さを思い知らされた。母親は、無断でアリサさんの職場を覗きにきて「がんばってたわね」などという。これも親心、とは思えない。「逃げなければ」と思い続け、かわいがってくれた祖父母が他界したのを機に、今度は東京に出た。資格を活かした仕事に就き、やがて独立。もう地元に戻ることはないだろう。 「いまは、私のバックボーンを知っている人が身近にいない環境に逃げてこられたのだと感じて、それだけで楽です。今後地元に帰ることはあるか……そうですね、両親が自分の足であちこち行くことができなくなったら、考えられるかな。ひどいことを言うと思われるかもしれませんが、動けるかぎりは私がいくつになっても干渉してくると思うんです」  地元から出ることを、アリサさんは「逃げる」と表現する。進路を自分で決め資格を取り、一度は地元に戻ったものの、転職とともに再び地元を出る……すべて自分で獲得したものであるにもかかわらず「逃げた」という感覚が強いようだった。それほど“しがらみ”が怖いのだろう。いま暮らしている東京では、地域に根ざしたいと思いながらも地元の人たちと関係を築くことに及び腰になっている。 ※写真はイメージです。本文とは関係ありません  自分で選び、獲得した場所でも、しがらみができる可能性はもちろんある。  真実も、実家を、地元を出ることで何かから逃れることができたのだろうか。断ち切りたいしがらみはあったのだろうか。そして上京することで何かを獲得できたのか。ともかく結婚がしたくて、架と出会い、婚約した。架の友人たちとも何度かあった。その人間関係は、真実にとって新たなしがらみとなるものだったのか。  その後、真実は失踪してしまう。真実の地元で知人らから話を聞き歩くことで、架にはこれまで見えていなかった真実の輪郭が見えてくる。 『傲慢と善良』は二度読みたくなる小説だ。一度目は、真実の行方、そして架との関係がどうなるのかが気になってページをくる手が止まらない。二度目は、真実がずっと抱えてきた生きづらさをつぶさに拾い、自分や誰かと重ねながらじっくり読む。何度読んでも発見があり、だからこそ「人生でいちばん刺さった」と感じる人が、きっと多いのだろう。 (取材・文/三浦ゆえ)
傲慢と善良婚活恋愛書籍朝日新聞出版の本結婚読書辻村深月
dot. 2023/04/07 17:00
坂本龍一さん「政治に期待できないなら、芸術とか文化で示すやり方もある」 YMO「散開」20年で語っていた成熟と喪失
坂本龍一さん「政治に期待できないなら、芸術とか文化で示すやり方もある」 YMO「散開」20年で語っていた成熟と喪失
音楽家・坂本龍一さん/1952年、東京都生まれ。映画「母と暮せば」(山田洋次監督)の音楽担当。東北ユースオーケストラの代表理事・監督も務める(撮影/写真部・松永卓也)  音楽家でアーティストの坂本龍一さんが3月28日、死去した。所属事務所が4月2日に発表した。71歳だった。  坂本さんは、2014年に中咽頭がんを患っていることを発表。コンサート活動の中止を強いられ、療養生活を送った。その後、20年6月には直腸がんが発覚した。  昨年12月にはオンラインで全世界にピアノコンサートを配信。公の場に姿を見せた最後の姿になった。所属事務所によると、がんの治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動を続け、最期まで音楽とともに過ごしたという。  幼い頃からピアノと作曲を学び、東京藝術大学に入学。大学院を修了後、1978年にはミュージシャンの細野晴臣さん、高橋幸宏さんとともに「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」として活躍し、“テクノポップ”という新たなジャンルを築いた。  YMOが83年に「散開」したあと、坂本さんは「戦場のメリークリスマス」で俳優としても活動。手がけたテーマ音楽は代表曲の一つにもなった。  アエラでは、YMOが散開して20年がたった2003年、坂本さんにインタビューをした。バブル、冷戦終結、失われた10年…自らの音楽やYMOのこと、YMO以後の「成熟と喪失」の時代を語っていた。ここでは当時の記事を再掲する。 *  *  *  テクノポリス・トーキョー、だったよね、あの頃は。  携帯電話もファミコンもなかったけれど、老若男女がインベーダーゲームに熱中し、デジタルという新しい感覚が私たちをしだいにとりこにしていった。70年代後半から80年代初めは、日本がいちばん元気だった時代。ウォークマンが世界を席捲し(79年)、自動車生産台数はアメリカを抜いて世界一になった(80年)。フジヤマ、ゲイシャにかわって、「ソニー、ホンダ」がテクノロジーの国・日本の新しいアイコンになった。  アメリカ、ヨーロッパ進出を果たし、逆輸入という形で日本に「テクノポップ」旋風をまきおこしたYMOは、そんな新しい潮流の中心にいたスーパーユニットだった。斬新なテクノカットにキッチュな人民服。ビジュアル系なんて言葉はなかったが、YMOは間違いなく時代を先取りしていた。 「ニュージーランドへ撮影に行ったとき会った白人がね、なんか目のなかに星がキラキラしているような状態で。戦後、日本から何かを発信することはなかったから、ほんとは僕らもドキドキしているし、向こうもドキドキしててね」 音楽家・坂本龍一さん/1952年、東京都生まれ。映画「母と暮せば」(山田洋次監督)の音楽担当。東北ユースオーケストラの代表理事・監督も務める(撮影/写真部・松永卓也) ○インディーズの元祖  今年は、そのYMOの結成から25年。“解散”ならぬ散開をしてから20年。この8月6日に出た『UCYMO』は、坂本龍一がリマスタリングした2枚組ベスト。通常版は5万枚売れ、シャツとバンダナがついた2万円の特別版もすぐに1万5000セットを完売した。だが、坂本さんの視線は、けっして懐古に彩られてはいない。 「こういう機会でもないとYMOを聴くなんてことはないし、家で25年前のYMOを一人で聴いてたら結構、怖いよね(笑い)。ただ、YMOを聴いて音楽を始めた世代が30代になっていて、さらに彼らに影響を受けた若い音楽家たちがいて。単なる懐メロではなくて、YMOがまいた種が、いまも育っている。ハタチくらいの音楽をやっている子たちと、僕はいま音楽でコミュニケートできる」  いまでこそ、YMOの3人はそれぞれ「巨匠」だが、結成当初は違った。細野晴臣氏は知る人ぞ知るポップスの伝道師に過ぎなかったし、高橋幸宏氏はサディスティックスというバンドの一員。坂本さんはスタジオミュージシャンだった。現在では「インディーズ出身」のメガバンドは珍しくないが、YMOは25年も前に正真正銘、インディーズの元祖だったのだ。 「やっぱり印象に残っているのは初期の楽曲かな。『東風』とか『中国女』ですね。録音機材もいまとは全然違うし、YMOも録音の方法論を試行錯誤してた段階だから、ちょっといま作れないような音になってますね。アナログ録音ですし、音色というか、質感が独特のもので難しい」 ○東洋人による新世界 『テクノポリス』『ライディーン』に代表される初期の“ピコピコ”テクノポップから、3人が独自の音楽性を追求し、結果として歪みの美学とでもいうべき世界観を提示した中期の作品、そして『君に、胸キュン。』でいきなり“いけないオジサン”の歌謡曲路線に転じての「散開」……その過激というか、カオスな足跡は、YMOが「面白いものは自分たちで作る」という生粋のインディーズ精神を持っていたことの証明だ。 「細野さんがよく言ってたのは、『イエローマジックとは善と悪の対極を統一するニュートラルなパワーで、東洋人こそがそうした新しい世界を創出できる』ということ。ブッシュのいうような、単純な善悪の二元論がこんなに世界を悪くしている現在こそ、大きな意味を持つ考えだよね。ただ、『日本には多神教の伝統がある』と言葉で言っても何も変わらない」  多くの日本人は、明治と戦後の高度成長を「いい時代だった」と振り返る。しかし、それはいわば「一神教の時代」でもある。多神教的な価値観でなおかつ「いい時代」というモデルを、いまだに日本人は作ったことがないと坂本さんは指摘する。 「岡本太郎さんが縄文時代に新しい美を発見したように、僕らは音楽というメディアでは自由に表現できる。YMOの音楽にも、アニミズムの要素がある。『この曲は縄文みたいな感じ』とかいろいろ言っていいわけだし(笑い)。政治に期待できないなら、芸術とか文化で示すやり方もある」 ○時代を動かす主体  YMO散開の年、83年の『戦場のメリークリスマス』を皮切りに、アカデミー賞を受賞した『ラストエンペラー』『シェルタリング・スカイ』などの映画音楽を通じ、坂本さんは世界的に揺るぎない地位を築いていく。  89年、坂本さんは著書『SELDOM ILLEGAL~時には、違法』のなかで、バブル絶頂の東京について「お金はあるからガラパゴス諸島の生物のように奇妙な進化をしていくかもしれない」と予言していた。 「あんな短期間に、あれだけの富が小さな島国に集中したことは歴史上なかった。富が集まれば情報も集まる。僕が当時驚いたのは、女子高生がイランとかマリ、トルコの映画をふつうに見ていたこと。ニューヨークでもめったにかからないような映画です。世界中でも東京でしか手に入らないレコードも山ほどあった」 「その蓄積の芽はまだ育っているわけで、当時の女子高生がいまお母さんになって、これまでとは違う価値観で子供を育てて、これから面白いものが生まれてくる可能性はありますよね。唯一、バブルでよかったのはそういう間接的な利益かなと。スローフードとかフェアトレードとか、ボランティアとか、日本の社会になかったようなオルタナティブな動きが増殖していくことに期待を持っている」  失われた10年を嘆くのではなく、だれもが時代を動かす主体であるという感覚。ジャパニーズ・ジェントルマン、スタンドアップ・プリーズ! YMOの名曲『タイトゥン・アップ』に入っているおどけたシャウトは、いまこそストレートに私たちの胸に響く。  近年の坂本さんの活動のなかでとりわけ大きな反響を呼んだのは、「リゲイン」のCMで癒しの旋律として使われた「energy flow」の大ヒット(99年)と、9・11のテロ直後に「報復しないことが勇気」とメッセージを投げかけた『非戦』の出版(01年)だろう。 ○強まる音楽への気持ち 「最初は『癒しの音楽家』といわれることに反発したかったんだけど、実際に癒される人がいるんならいいんじゃないかと思うようになった」 「『非戦』に詰まっているメッセージは、9・11だけに有効なのではなく普遍的なもの。イラクでの戦争は終わっていないし、日本では支援法が通ったり。イヤな時代になればなるほど、自分は音楽をしっかりやらなくてはという気持ちが強くなってきますね」  その坂本さんの今後の活動に、「YMO再生」という5文字は入っているのだろうか。昨年は、細野氏と高橋氏の新ユニット「スケッチ・ショウ」のレコーディングに坂本さんがゲスト参加した。 「人間関係って薄氷みたいなものだから、いまのまま触らないほうがいいかもしれませんね。でも、3人で『じゃ再結成しようか』なんて冗談みたいに言う時もある。再結成するんだけど、3人で食事するだけとか、テレビに出て健康談議をするとか。そういう再結成はどうだろうってね(笑い)」 (編集部・宇都宮健太朗) ※AERA 2003年9月8日掲載
AERA 2023/04/03 13:50
「あの恵泉が」と関係者も衝撃 “名門”恵泉女学園大が「募集停止」に至った背景は?
「あの恵泉が」と関係者も衝撃 “名門”恵泉女学園大が「募集停止」に至った背景は?
写真はイメージ (c)GettyImages  恵泉女学園大の学習募集停止は、教育関係者に大きな波紋を投げかけた。  大学は募集停止について、こう説明している。 「18歳人口の減少、とくに近年は共学志向など社会情勢の変化の中で、入学者数の定員割れが続き、大学部門の金融資産を確保・維持することが厳しくなりました」(大学ウェブサイト)  社会情勢の変化に対応しきれなかった、ということである。  これは昨今、女子大への志願者が少なくなったことが大きい。  女子大の多くは学生募集で苦戦している。名門とされる津田塾大、東京女子大、日本女子大も例外ではない。10年前に比べて難易度が下がった、つまり人気が低下している。予備校関係者によれば、津田塾大と東洋大に合格すれば、いまでは東洋大を選ぶ受験生がいるという。以前では考えられなかったことだ。  実践女子大、昭和女子大、白百合女子大、聖心女子大、共立女子大のような歴史があるところでも入学者数の定員割れが起きることがあり、大学関係者は先行きに相当な危機感を抱いている。  1980年代以降、短期大学から生まれた女子大がいくつかある。これらはさらに厳しく、入学者数を大きく減らしている。  学習院女子大は2017年431人から2022年358人、東洋英和女学院大2019年504人から2022年327人、そして恵泉女学園大は2019年361人から2022年162人となった。愛国学園大は定員100人で22年入学者は11人となっている。  東京女学館大は2002年に開学したが、定員割れが続き、2013年で大学経営を断念して募集を停止し、2017年に閉学している。  女子大離れの原因はさまざまだ。単純に「男子と学びたい」という高校生が多くなったという面もあるだろうが、少子化で私立男子校・女子校の男女共学化が進み、女子大に対するイメージが湧かなくなった、とみる高校教員もいる。  そして、「女子大だから」というより、「女子大には学びたい学部がなかったから」という理由も大きい。いま、法、経済、経営、商、政策などの社会科学系学部で学びたいという学生が多い。社会で女性が活躍する場が増えたことによって、経済や会計を学んで企業でさまざまなビジネスに挑戦したい、法律を習得して公務員や法曹で世の中に役立ちたい、と思う女子高校生が増えたからだ。 恵泉女学園大学=同大ホームページから ■早慶MARCHは年々、女子学生が増えている  早慶MARCHは年々、女子学生が増えており、その原動力となったのは、女子の比率が高くなった社会科学系学部である。2022年、学部ごとの女子比率をみると、青山学院大法学部48.9%、早稲田大政治経済学部34.5%、立教大経営学部50.5%、中央大商学部34.8%、慶應義塾大総合政策学部40.9%となっており(各大学ウェブサイトから作成)、いずれも5年前に比べると上昇している。2023年、東京大文科一類(主に法学部進学コース)の女子合格者が初めて3割を超えたのも、象徴的といえよう。  残念なことに、女子大にはこうした社会科学系学部がほとんどない。  恵泉女学園大は人文、人間社会の2学部で、たとえば将来、自分で会社をつくりたいと夢を抱く女子高校生にすれば、選択肢には入りにくくなる。これも「社会情勢の変化」といえよう。  これに対応するために学部設置に動いた女子大がある。京都女子大法学部、共立女子大ビジネス学部、武庫川女子大経営学部、昭和女子大グローバルビジネス学部などだ。  また、社会科学系ではなく、看護、薬学、医療、福祉など専門職養成に特化した学部をつくった女子大もあった。だが、こうした分野でも思うように学生が集まらないところがある。  女子大そのものをやめてしまった大学もある。10年以降では、文化女子大、東京純心女子大、広島文教女子大、東北女子大などだ。  恵泉女学園大が募集停止、という一報を聞いて、「あの恵泉が」と驚く大学、高校、企業関係者は少なくなかった。「あの」には恵泉は「名門」という思いが込められており、ブランド力があったからだ。  恵泉女学園大は1988年に開学しており、古い歴史と伝統があるというわけではない。50代以上の教育関係者にすれば、恵泉女学園短期大、恵泉女学園中学高校のイメージが強い。短期大学は1950年、中学は1947年、高校は1948年に開校した。その起源は1929年設立の普通部5年制学校にさかのぼる(短期大は英文科が1999年、園芸生活学科が2005年に廃止)。 ■名門短大に優秀な女子学生が集まった時代  1990年代ぐらいまで、「名門短大」というくくりがあった。  入試難易度が高く優秀な女子学生が集まった。そして、就職先は著名企業ばかりだった。恵泉女学園短期大もそこにカテゴライズされていたといっていい。  1983年、旺文社は「全国主要短期大学の入試難易度」を発表している。おもな上位校の「偏差値」は次のとおりだ(学科は英文、英語、人文など)。  上智短期大62.1、立教女学院短期大60.4、青山学院女子短期大59.9、恵泉女学園短期大59.9、東京女子大短期大学部59.2、学習院女子短期大56.7、東洋英和女学院短期大54.6  当時、明治大、法政大、中央大に合格したが、上智、青学、恵泉、東洋英和の短大に不合格というケースも見られた。  1983年、恵泉女学園短期大の就職先も見ておこう。  三菱商事6人、住友商事5人、東邦生命4人、朝日生命4人、三井物産3人、安田生命保険3人、日本興業銀行3人など(「週刊サンケイ」1983年4月27日号)。   男女雇用機会均等法以前の話であり、そのほとんどは総合職採用ではない。しかし、恵泉はこうした大手商社、生損保から絶大な信頼を得ていたことがわかる。  それは恵泉女学園大学が開学してからも同じだった。教育、進路指導は熱心に行われており、みずほフィナンシャルグループには2016年5人、2017年8人、2018年3人が採用されている(「大学ランキング」2018~2020年版)。  また、短大以上に恵泉のブランド力を支えていたのが、恵泉女学園中学高校である。教育熱心な保護者に人気があり進学校として知られている。難関大学合格者は次のとおり。  1993年:東京大1人、一橋大1人、東京外国語大3人、慶應義塾大10人、上智大9人、早稲田大19人  2022年:東京大1人、東京外国語大1人、防衛医科大学校1人、慶應義塾大6人、上智大18人、早稲田大9人 (1993年は大学通信調べ、2022年は学校ウェブサイトから引用) ■「恵泉」ブランドを守る最善の策では  もっとも、恵泉女学園中学高校から恵泉女学園短期大、恵泉女学園大に進む生徒は少なかった。フェリス女学院、神戸女学院などのように付属、系列校が進学校として確立しているケースと同じである。  恵泉女学園大の募集停止をどう見たらいいか。  大学の世界から退くという経営判断は正しいといえる。他の女子大では、コンサルタントの指南で需要があるとされる看護学部を設置したが、そこでも定員割れを招き失敗しているケースもある。恵泉がこうした分野に手をださなかったのは賢明だった。いつまでもブランドにしがみついて大学経営を続けることをしない、というのは、「恵泉」ブランドを守るために最善の策であろう。  それでも、「恵泉」の一つがなくなるのは、さびしい。  学校法人恵泉女学園は、第1次世界大戦後の1929年、「広く世界に向って心の開かれた女性を育てなければ戦争はなくならない」と考えた女性キリスト者、河井道によって設立された。  この思いは、いまに伝えられている。  2015年、安保関連法案をめぐって、当時の学長は安倍政権を次のように厳しく批判していた。 <創立者の平和への希求に思いを寄せつつ、大学建学以来、平和をつくりだす女性を育てることを使命としてきた私たちは、現在国会で審議されている安全保障関連法案(以下、この法案)に対して、反対の意をここに表明します。この法案は、従来長らく、政府解釈によっても憲法違反とされてきた「集団的自衛権」の行使を容認し、時の政権の判断によって際限なく自衛隊の武力行使を可能とするものです。今回のように審議を尽くすことなく、また世論の強い反対にもかかわらず、時の政権が解釈のみで憲法を空洞化してしまうことは、立憲主義への明白な挑戦であり、戦後日本の議会制民主主義をも根底から破壊するものです。(略) 私たち恵泉女学園大学の教職員有志は、それぞれの専門領域における学知と個人の良心にもとづき、大学に対して歴史や社会から付託された使命に思いを致しながら、民意と著しく乖離し、戦後日本の基本理念に背馳する安倍政権の政治手法を強く非難します。そして、この法案に反対し、その強行採決に断固として抗議します。2015年7月23日 恵泉女学園大学 学長 川島堅二 教職員有志一同>(大学ウェブサイト)  恵泉女学園大はリベラルで自由な校風として知られていた。  時の政権にものを言う大学がなくなってしまうのは、いまの世の中だからこそ、残念でならない。 (教育ジャーナリスト・小林哲夫)
恵泉女学園
dot. 2023/03/31 06:00
どうしたら女性が管理職に挑戦しやすくなる? 昇進を阻むハードルとその乗り越え方
松岡かすみ 松岡かすみ
どうしたら女性が管理職に挑戦しやすくなる? 昇進を阻むハードルとその乗り越え方
管理職のオファーを受ける30代前後は結婚や出産などライフイベントの時期とも重なる。育児との両立に悩み、ためらう女性も少なくない(撮影/写真映像部・高橋奈緒)  国が掲げていた女性管理職の割合を2020年までに30%とする「2030」はあっけなく先送りされ、いまだ低水準にとどまっている。女性が管理職に就く心理的・物理的壁を越えるにはどうしたらいい? AERA 2023年3月27日号の記事を紹介する。 *  *  *  男女雇用機会均等法が施行されて40年近く。大手企業を中心に女性が働きやすい環境は整ってきたものの、女性“活躍”推進の重要なポイントでもある「女性管理職比率」は、いまだに低い水準でとどまっている。2021年度厚生労働省「雇用均等基本調査」によると、課長相当職以上の女性の割合は12.3%、係長相当職以上の割合は14.5%と、いずれも前年度より0.1ポイント低下している。  若い世代を中心に、管理職になりたくないと考える人も増加傾向にある。三菱UFJリサーチ&コンサルティングで執行役員を務める矢島洋子さんは言う。 「管理職になりたがらない傾向は、女性のみならず若い男性にも見られます。働き方改革によって、部下を早く帰らせるために自分が仕事を引き受けるなど、管理職の仕事量が以前より増え、ハードになっている傾向も要因の一つ。管理職になると、時間管理対象ではなくなって仕事量も増え、責任が重くなる。その割に、見返りが少ないと考える人が多いのだと思います」  実際に管理職になると、一般社員よりも労働時間が長くなる傾向にある。「日本の多くの企業に、長時間労働が評価される傾向がある」と指摘するのは、結婚・出産・子育てなどを経済学的手法で研究する山口慎太郎教授(東京大学・労働経済学)。山口教授によれば、経済学の研究の中でも、残業時間が上がるにつれ、昇進機会が上がることが明らかになっているという。 「つまりフルタイムで働いているだけでは昇進のチャンスが巡ってこず、残業をするほどに昇進機会が上がる。それも並外れて残業をする人ほど、昇進機会が上がる傾向も見られます。そのため、家事育児などの負担が大きく残業が難しい女性は昇進機会が下がり、女性自身もキャリアを積みたくても自分には難しいと諦める人が出てくるのは当然です」(山口教授) AERA 2023年3月27日号より ■シッター代も回収可能  実際のところ「管理職になりたくない、なれない」と考える理由は、どこにあるのか。前出の三菱UFJリサーチ&コンサルティングによる女性管理職の育成・登用に関する調査(20年発表)によれば、「ストレスが増えるため」(50%)が最も多く、次いで「責任が増えるため」(43.2%)が挙げられる。また男性と比べて女性の方が、「家庭(プライベート)との両立が難しいため」「忙しくなる(業務量が増える)ため」を挙げる割合が多い傾向にある。 「年収ベースで言えば、課長職である程度上がる企業が多い一方、子育て期と同時期になりやすい係長や主任クラスでは、そこまで大きくは上がらない。その割に、仕事量が増え、時間的な拘束も生まれる。こうしたことから、給料と責任のバランスが伴わないと感じる人も少なくないのでしょう」(同)  給料という視点で言えば、「実際に管理職になれば、どの程度収入が上がるのかが分からない」という一般社員の声も多く聞かれる。とかくお金の話はタブー視されがちな日本では、同じ組織内であっても「誰がいくらもらっているか」は・聞いてはいけない暗黙のルール・というところが多いだろう。男女間の雇用問題に詳しい周燕飛教授(日本女子大学)は言う。 「管理職のデメリットばかりが目につきがちなのは、“頑張れば報われる”という風土がないのも大きい。アメリカや中国では、役職が上がれば具体的に年収がどれぐらい上がるなど、動機となる条件をもっと分かりやすく提示します。日本のように“実際になってみないと分からない”という状態では、管理職になりたいと思う動機が不十分なままではないでしょうか」  一方、「長い目で見れば、管理職になった方が“コスパが良い”」と判断し、現在子育てと両立しながら課長職をこなしているのが都内に住む女性(37)だ。5歳と2歳の幼い子どもを育てながらの平日は、「息をつく隙もない戦争状態」と笑う。夫婦共働きで、互いの親は遠方暮らし。いざという時に頼れる身内がそばにいない。そこで活用するのがベビーシッターや家事サポートなどのアウトソーシングだ。最初の頃は「家事も子育ても仕事も、全部自分でやらないと」と抱え込んでいたが、ある時、幼い子どもに対しても、常に余裕がない自分にはっとした。 「これはまずい、何とかしないといけないと思いました。アウトソーシングは金額も高いし、他人にお金を払って子どもを見てもらうなんて母親失格では、と気が引ける自分もいましたが、案ずるより産むが易し。給料の大半がアウトソーシングに飛んでいったとしても、長いスパンで考えたら、キャリアを積んでいく過程の中での必要経費。それにキャリアを積めば、後から回収できると思う。夫とも話し、頼れるものはどんどん頼ろうと決めています」(女性)  女性の管理職についての議論には、「この人のように働きたい」と思えるロールモデルの存在が大切だとよく言われる。 「ただし、自分にぴったりなロールモデルを探しすぎるのも考えもの」と言うのは、会社で女性初の役員になった前出の矢島さんだ。いわく、自分の志向に100%合うロールモデルは存在しないと思った方がいい。その代わり、ロールモデルは一人に絞るのではなく、いろんな人を部分的なロールモデルとして学ぶのも手だ。 「私自身、女性だけでなく男性からも、そして社内だけでなくクライアントや同業他社の人からも、たくさん学んできました。女性たちに言いたいのは、全ての環境が整うのを待つのではなく、できるチャンスがあればぜひ挑戦してほしいということ。今の時代のリーダーシップは、自分が方針を決めて引っ張っていくスタイルだけではなく、チームメンバーの能力を引き出す環境をつくる“調整型”も大切。そうした視点を生かせる女性は数多くいるのでは」(矢島さん) (ライター・松岡かすみ) ※AERA 2023年3月27日号より抜粋
AERA 2023/03/26 09:30
“黄金世代”の選手にも徐々に明暗 女子ゴルフ界の一大勢力の現在地
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“黄金世代”の選手にも徐々に明暗 女子ゴルフ界の一大勢力の現在地
“黄金世代”の渋野日向子 「あ、また勝った」  これは先日、女子ゴルフの国内ツアーを見ていた時に頭に浮かんだ言葉だ。  本原稿のテーマは“黄金世代の現在地”。ここ数年、国内女子ツアーは20代前半の若手が席巻しているが、その筆頭といえる“黄金世代”の面々が、どのような現状にあるのかをまとめようというものだ。  で、冒頭の言葉。ここまで言えば、ゴルフファンならこれが誰のことを指しているか想像がつくだろう。  12日まで高知県の土佐カントリークラブで開催されていた国内女子ツアー第2戦の明治安田生命レディス ヨコハマタイヤゴルフトーナメントを制したのは、“黄金世代”の一人、吉本ひかるだった。  吉本は、2打差単独トップで最終日をスタートすると前半で1つスコアを落とし、ささきしょうこに逆転を許す場面もあった。しかし、後半に4つのバーディを奪い通算19アンダーでプレーオフに突入。ささきとのプレーオフでは2ホール目にバーディを奪ってツアー初優勝を飾った。  2019年のフジサンケイレディスでも今回と同じく最終日を2打差の首位で出たが、この時は申ジエ(韓)に逆転されて涙を流した。今回は、プレーオフにもつれ込む接戦となったが、最後は4年前の悔し涙を嬉し涙に変えた。  では、ツアーを席巻する“黄金世代”はどのような活躍をしているのか? 個々に見ていきたいと思う。いわゆる“黄金世代”は、一般的に1998年4月から1999年3月までに生まれた女子プロゴルファーを指す。吉本のツアー制覇で、“黄金世代”のツアー覇者は12人目となったが、今回は吉本のように優勝歴のある12名についてチェックしていきたい。 “黄金世代”の中で最も早くツアー優勝を果たしたのは、勝みなみだった。勝が優勝したのは2014年のKKT杯バンテリンレディスで当時の勝は高校一年生。15歳293日でのツアー勝利は、ツアー史上最年少優勝記録という偉業だった。  2017年のプロテストに合格した勝は、2018年の大王製紙エリエールレディスオープンでプロとして初勝利すると2020年以外は毎年2勝しており、ここまでメジャーの日本女子オープン2勝を含むツアー通算8勝を記録。今季からは米女子ツアーに本格参戦し、海外メジャーVを目指している。  2023年3月現在、“黄金世代”で一番優勝回数が多いのは畑岡奈紗だ。初優勝は2016年の日本女子オープン。これは国内メジャー史上初のアマチュア優勝という偉業だった。  そんな畑岡はプロ転向してから米国を主戦場としており、2018年には19歳で、NWアーカンソー選手権でツアー制覇を達成。昨年はDIOインプラントLAオープンでも優勝するなど、ここまで国内5勝、海外6勝と“黄金世代”を牽引する活躍を見せており、今季もさらなる活躍が期待されている。 “黄金世代”において日米両ツアーの合計優勝回数で畑岡に続くのが小祝さくらだ。2017年のプロテストに合格した小祝は、本格的な参戦となった2018年から4シーズン連続で、賞金ランクでトップ10入り。2020-21シーズンは2億円以上を稼ぎ出し3位にまで躍進した。  鋭いショットとは対照的な素朴でおっとりとしてキャラクターはファンの間でも人気だが、実力は上記の通り折り紙付き。2019年の初優勝を皮切りに昨季も2勝するなどここまで通算8勝しており、こちらも“黄金世代”を代表する女子ゴルファーの一人。そろそろメジャー優勝も果たしたいところだ。 「“黄金世代”といえば?」と聞かれたら、一番この女子プロの名前が多く挙がるのではないだろうか。渋野日向子だ。渋野は2019年のAIG全英女子オープンで、樋口久子以来、42年ぶりに日本人メジャー優勝を果たすと一躍ヒロインに。国内で2勝すると海外メジャー初挑戦となった大舞台で、当時の国内ゴルフ界で最大の快挙を成し遂げた。  同年の渋野はツアーで4勝し賞金ランクは2位。LPGAメルセデス最優秀選手賞などツアーの各賞も多数受賞し、日本中に「シブコ」のニックネームが知れ渡ったことは記憶に新しいだろう。  そんなシブコは、コロナ禍の2020年こそ未勝利だったが、2021年に2勝しツアー通算6勝をマーク。2022年からは舞台を米女子ツアーに移し全英女子オープンに続く海外メジャー2勝目を目指しているが、いまだに国内では“黄金世代”の顔としてその存在感はピカイチと言える。  ツアー屈指の人気を誇る原英莉花も“黄金世代”の一人だ。ツアーの優勝回数こそ4回と、ここまでに挙げた4選手と比べれば劣るが、2020年に日本女子オープン、JLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップとメジャーで2勝しており大舞台に強い。  2021年の大王製紙エリエールレディスオープンで4勝目を挙げた後は未勝利で、2022年のメルセデス・ランキングも31位と納得がいくものではなかっただろうが、その存在感は抜群。昨年はツアーのアンバサダー役「JLPGAブライトナー」6名のうちの一人に選出されており、ツアーのPR役としても期待されている。こちらもツアーの顔として、2シーズンぶりの優勝が待たれるところだ。  渋野と仲の良い大里桃子も“黄金世代”の一角だ。2017年にファイナルQTの資格でツアー参戦していたが、2018年7月にプロテストを3位で通過すると翌月のCAT Ladiesでいきなりツアー初優勝。その後2年間、勝利から遠ざかっていたが、2021年にはほけんの窓口レディースでツアー2勝目を挙げている。身長171センチと体格にも恵まれており、これからさらなる飛躍が期待できるだろう。  植竹希望と高橋彩華は、昨年、念願のツアー勝利を挙げた“黄金世代”だ。植竹はKKT杯バンテリンレディスオープンで優勝し同世代10人目のツアー覇者になると、高橋はフジサンケイレディスクラシックで勝利し同世代11人目の優勝メンバーに。ともにコロナ禍でも安定した成績を挙げており、今季はさらなる飛躍が求められている。  一方、ここまで取り上げた“黄金世代”に少し差をつけられ始めているのが、新垣比菜、河本結、淺井咲希の3名だ。新垣は2018年にツアー初勝利を飾ると、河本、淺井は2019年に初優勝。その勢いでさらなるステップアップが望まれたが、3者ともこの1、2年は厳しい戦いを強いられている。  まず新垣は、2022年に富士通レディースで単独3位になったものの、予選落ちが続きメルセデス・ランキングは85位。ステップアップツアーの京都レディースオープンで優勝する明るい話題もあったが、2シーズン連続でシード権を失い今季はQTランキング14位での出場となった。  河本は、2020年に主戦場を米国に置いたが、思うような結果が出せず2021年5月に帰国。その後も、調子がなかなか上がらず2023年シーズンもフルシードとはならなかった。前半戦で好成績を残さなければ、後半戦の出場は難しい状況。今季は開幕から3試合連続予選落ちとなっているが、奮起が待たれる。  淺井は2020-21シーズンにメルセデス・ランキングで56位に落ち込むと、2022年は同114位と低迷した。QTランキングも111位となっており、優勝経験がある他の“黄金世代”にやや水をあけられた状態だ。  しかし今年1月下旬になり自身のインスタグラムでプロキャディの栗永遼さんとの入籍を発表した。栗永さんは、淺井が初優勝した2019年のCAT Ladiesでバッグを担いだ存在。レギュラーツアーでの出場機会は限られるが、夫婦で力を合わせ復活したいところだろう。  ツアーを彩る“黄金世代”だが、このように優勝者12名の現在地には明暗がある。日本、そして海外で、彼女たちの2023年はどのようなシーズンになるのだろうか?
ゴルフ
dot. 2023/03/25 17:30
【下山進=2050年のメディア第34回】紙からWEB、リアルへ 女性誌は活動の場を移しつつある
下山進 下山進
【下山進=2050年のメディア第34回】紙からWEB、リアルへ 女性誌は活動の場を移しつつある
「MORE」編集部時代の日高麻子。念願のファッション班に配属され、「東京コレクションから女の生き方を学ぶ」という大特集もてがけた。 「MORE」が、1980年と1981年に行った女性の性に対する調査「モア・リポート」は大反響を呼んだ。  もともと、「MORE」が創刊された1977年ごろ、米国で行われて大きな反響を呼んでいた『ハイト・リポート』にヒントを得たものだった。  これは若い女性の性の意識と実際をアンケート記述形式で、編集部によせてもらうというものだ。編集部内に女性だけの特別チームがくまれ、質問づくりから始まり、「MORE」誌上でアンケートが募集された。  二回の募集で寄せられた回答は日本全国から5770通、回答者は13歳の中学生から最年長は60歳の主婦まで。<年齢、職業、性体験、環境などじつに幅広い層にわたっていた>(『集英社70年の歴史』)  その回答の一部が雑誌に掲載されるが、こんな感じだ。 <19歳 OL パートナーは複数(婚約者・友人)  ──性交中、最もオーガズムを得やすいのはどんな体位や方法ですか。 「私の後ろから彼のペニスが入ってきて、右手では私の腰を支えて、左手は私のクリトリスを刺激する。最初は恥ずかしかったけれど、今、すごく好き」>  集英社の最終面接で、自立する女性を象徴するカルバン・クラインの服に身を固めた日高麻子は、ここで、面接官の一人から「モア・リポートについてどう思うか?」と聞かれたと記憶している。  ここで、麻子は頭が真っ白になってしまった。しどろもどろになってしまい、自分が何を言っているのかわからない。正直、これでおちたと思った。  そのころには、麻子は寮を出てひとり暮らしを始めている。その日はクリスマス・イブだった。一社他の出版社で内定はもっていたが、その出版社は、男女の賃金体系は別、女性誌を出していることは出していたが、古い女性誌しか出していなかった。暗い気持ちで一人部屋で沈んでいると、「電報です!」と戸をたたく声が。 「サイヨウヨテイトケツテイイサイフミ」シュウエイシャ  日高麻子は、集英社に入社後、念願の「MORE」の編集部に配属されることになる。 日高麻子。集英社インターナショナルの社長室で。  後に集英社の女性誌をすべて統括する常務にまでのぼりつめ、現在は集英社インターナショナルの社長を務める日高が語る。 「女性にとって制約があったあの時代に、だからこそ、自立した女性にならなくてはならない、と生き方を示した『MORE』で働けたことは本当に嬉しかった」  広告主も高級感をもった誌面に出稿をしたがり、2004年には、号あたり4億4000万円という空前の広告費を叩き出すようにもなった。  が、そのあたりがピークで、紙の定期刊行物がインターネットによって衰退を始めると、女性誌はもっとも打撃をうけた分野となった。  そうした技術革新だけが、女性誌衰退の原因ではない。 「1986年に男女雇用機会均等法が施行されて、女性の地位が向上するにつれて、生き方を提示するような女性誌はつくりにくくなった。女性は今では様々な興味をもち、こまかな関心のグループにわかれ、それにあうような実用的なものに変わっていった」  しかし、それぞれの女性誌がもっていた文化は紙の形でなくとも継承していけると日高は考えている。 「今、女性誌は、紙の刊行がなくなっても、WEBやイベント、あるいはその女性誌のブランドにむすびついたスポンサーとの商品開発など様々な方法で生き残りをはかっている」  日高のことを深く知ることになったのは、私が上智でもっている授業で、ある学生が、「セブンティーン」の歴史について日高にインタビューをして調べたからだ。ティーン誌の草分けである同誌は週刊から月刊そして2021年には紙の雑誌の定期刊行を終えている。しかし、「セブンティーン」自体はWEBとセブンティーンモデルが登壇する学園祭などのイベント事業をする事業体として残っている。今の上智の学生が、「高校時代、セブンティーンの学園祭、私も行っていて凄く好きだったんです」と発言するのを聞いて、日高の言うブランドの継承というのはこういうことなのか、と思った。 「MORE」のあと1983年の「LEE」の創刊に立ち会い、「メンズノンノ」の編集長も務めた日高は、その職業人生の終わりに近づいている。 「MORE」創刊2号には、『火の国のキャリア・ウーマン四代記』という無署名の長文のルポが掲載されていた。存命中だった95歳曾祖母から18歳の澄子にいたる四代の女性が、職業に挑戦し自立しようとしたクロニクルだ。そのルポはこう終わっている。 <ひいおばあちゃんも泣かなかった。おばあちゃんも、母も、決して泣きはしなかった。(中略)。──頑張れ、澄子さん! 頑張れ4代の女たち!>  その応援歌は、当時、様々な差別に苦しんでいた女性たちへの応援歌でもあり、日高のその後の人生を切り開いた歌でもあったのだ。  日高は、今も、集英社内定の電報とともに、お茶の水女子大の生協で心をときめかせた「MORE」の創刊号を大事にとっている。   下山 進(しもやま・すすむ)/ ノンフィクション作家・上智大学新聞学科非常勤講師。メディア業界の構造変化や興廃を、綿密な取材をもとに鮮やかに描き、メディアのあるべき姿について発信してきた。主な著書に『2050年のメディア』(文藝春秋)など。 ※週刊朝日  2023年3月31日号
下山進
週刊朝日 2023/03/22 07:00
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河嶌太郎 河嶌太郎
開成がついに失冠、明大は合格者1千人増 激変した私大入試を分析
慶應大学三田キャンパス(左)と早稲田大学大隈講堂  首都圏の難関私大の合格者がほぼ出そろった。今年の私大入試の特徴を、ランキングとともに紹介する。 *  *  *  国公立大学の後期日程の試験が終わり、2023年度入試もいよいよ幕を閉じようとしている。国公立よりも一足早く実施された私大入試では合格者がほぼ出そろった。  今号の大学合格者高校ランキング(4)では、私学の雄である早稲田・慶應を筆頭に、上智、東京理科、GMARCH(学習院、明治、青山学院、立教、中央、法政)の有名私大編をお届けする。  まずは早大から。ランキングをみると、上位校の顔ぶれは大きく変わらないが、順位に変動があった。東大合格者とともにここ10年以上トップを走ってきた開成(東京)がついに失冠し、渋谷教育学園幕張(千葉)にその座を明け渡した。慶大のランキングでは、開成がトップを死守したものの、2位の横浜翠嵐(神奈川)の躍進が目立った。  私立最難関の早慶に合格者を出す高校の多くは、東大合格者でも上位につける。だが、例外もある。慶大で5位に輝いた頌栄女子学院(東京)は近年、60~80人台をキープしているが、東大は5人と100位以下だ。頌栄女子学院は上智大のランキングではトップに輝いている。有名私大に強い高校と言えるだろう。  私大の場合、大学からの距離によって、上位校の陣容が変わる傾向もある。早大は千葉県や埼玉県、東京都の中心北部から西部にかけて、慶大は日吉や湘南藤沢キャンパスがある神奈川県を中心に、東京都の中心南部から南西部一帯の高校が増える、といった具合だ。  東大と違って1都3県の高校で上位が占められている。自宅からの通いやすさも大きな要因となっているといえそうだ。  ほかの私大はどうか。東京理科は栄東(埼玉)、明治は湘南(神奈川)、青山学院は厚木(神奈川)、立教・中央・法政・学習院の4大学は大宮開成(埼玉)がトップに輝いた。高校によっては、東大をはじめとする国公立大の合格実績よりも、難関私大の合格者を伸ばすことに力を入れているところもある。  そのため、文系の場合は早い段階から数学を必修から外す高校もある。また、早大向けに社会科目は政経に集中したり、慶大向けに小論文指導に力を入れたりしている高校もある。国公立大入試が受験の核となる首都圏以外の高校からすると、驚きかもしれない。  さて、近年の私大入試の動きとして欠かせないのが、16年度入試から文部科学省の主導で段階的に進められてきた入学定員の厳格化だ。  本来の定員よりも多く入学させたら補助金カットの対象とするもので、22年度入試は定員8千人以上の大規模大学は定員の1.1倍、4千人以上8千人未満の中規模校は1.2倍、4千人未満の大学は1.3倍までしか毎年の入学者を取れなかった。学部単位でもこの制約が課されていたため、全国的に私大の合格者数が大きく減り、入試の難化につながったというものだ。  元々は定員割れが続いている地方私大への対策や、若者の東京一極集中を避ける狙いがあっての施策だったが、受験人口の割に国公立大の定員が少ない首都圏では大きな影響となった。特に東京都では大打撃となり、全国的には大学進学率が上がっている一方で、東京都の現役大学進学率は16年から18年にかけて3年連続で下がった。  大学通信で情報調査・編集部部長を務める井沢秀さんが解説する。 「定員厳格化の影響で16年度から19年度にかけて私大の倍率が上がり続けていました。しかし新型コロナウイルスの影響や、21年1月に始まった共通テストの受験を嫌い、受験生の多くが20年度入試で合格した大学に入学した影響で、21年度は私大の一般選抜の志願者が前年比14%減という史上最高ともいわれる減少幅となりました」  こうした問題が生じたことから、文科省は定員厳格化の動きを撤回、23年度入試から緩和する方針を打ち出した。  それまで学年ごとの入学定員で判断されていたものが、全学年の総定員数で判断されることとなり、その年で入学者を出しすぎても、その次の年以降で調整できるようになったのだ。  この新制度1年目となった今年の私大入試はどうだったのか。井沢部長が分析する。 「私大の志願者は去年から増えており、定員管理厳格化の合格者の出し方に大学側が慣れたということと、緩和の影響で今年は合格者が出しやすい状況にありました。実際に明治大では現時点で去年より1千人近く合格者数が増えています。その他の私大も全体的に合格者が増えた傾向にあります。今年の入試は近年で一番私大に受かりやすかったのではないでしょうか」  一方、私大の共通テスト利用入試においては、数学などの「難問対策」に時間を取られたくない私大専願者を中心に、「共通テスト離れ」が起きているとの指摘も出ていた。実際にこうした影響はあったのだろうか。  井沢部長はこう話す。 「確かに私大専願者を中心に共通テストの受験者が大きく減るのではないかという見方があったのですが、蓋を開けてみれば18歳人口の減少分程度にとどまりました。昨年の秋ごろにコロナの第8波の影響も強かったことから、移動が伴わない共通テスト利用で私大を受ける動きも強かったようです。また国公立大受験者も、昨年の難化の影響により共通テスト利用で私大に多く併願する動きもあったようです」  3月13日から「マスク緩和」となり、多くの受験生を苦しめたコロナ禍から、かつての日常に徐々に戻りつつある。キャンパスライフがより活動的になり、海外留学もしやすくなる。有名私大が集まる大都市圏と地方との行き来の障壁も大幅に下がるだろう。  脱コロナと定員厳格化の緩和が重なる24年度の入試では、私大の人気が復活する可能性も十分にありそうだ。(河嶌太郎)※週刊朝日  2023年3月31日号
週刊朝日 2023/03/21 09:30
モブキャラにも注目! 会話できる鳥・ヨウムが輝かせる人々の営み
モブキャラにも注目! 会話できる鳥・ヨウムが輝かせる人々の営み
 ライター・研究者のトミヤマユキコさんが評する「今週の一冊」。今回は『水車小屋のネネ』(津村記久子、毎日新聞出版 1980円・税込み)。 *  *  *  この世には「読むと旅に出たくなる小説」とか「読むとお腹が減る小説」とかいった表現があるが、それで言うと本作は「読むとヨウムの動画が見たくなる」小説である。ヨウムとは、オウム目インコ科の鳥類。本作ではヨウムの「ネネ」が物語の中心にいつもいて、登場人物みんなと関わるどころか簡単な会話までするのである。  物語は高校を卒業したばかりの「理佐」が小学生の妹「律」とともに、とある山間の町へと逃げてくるところからはじまる。理佐は進学予定だった短大の入学金を母親に使い込まれ、律は母親の婚約者に家から閉め出されたり、暴力をふるわれたりしていた。姉妹にとって、実家は安心して過ごせる場所ではなかったし、婚約者と出会ってからの母親は、もはや頼れる存在ではなくなっていた。  この町に逃げてきたのは、理佐が職安で不思議な仕事を見つけたから。そば屋の仕事なのだが、なぜか「鳥の世話じゃっかん」と付記されている。このそば屋は石臼でそば粉を挽いており、石臼は川の水流を利用した水車によって動いている。水車小屋にはネネがいて、音楽やラジオを聴きながら石臼を監視している。そしてネネが「空っぽ!」と叫んだら、人間がそばの実を追加するのだ。なんだか妙な具合だが、先代の時からそうしているのだから仕方ない。  店での接客が一段落すると、理佐がネネと一緒にそば粉の管理をする。姉とネネに会いたくて律もやってくる。日頃ネネの世話をしている老画家「杉子」も顔を出す。こうして姉妹に新たな人間関係が生まれていく。  18歳の女子が妹を連れて生きていくのは、容易なことではない。ましてや田舎町にやってきた新参者ともなれば、悪目立ちもする。杉子は優しいけれど、婦人会の「園山」からは「妹さん、本当に大丈夫なの?」「あなたに気を遣ってお母さんに会いたいって言わなかったりするっていうのは考えてみたことない?」と言われてしまうし、律の担任「藤沢」も母親と連絡を取りたがる。  それでもなんとか彼女たちの生活は回っていく。この「なんとか」というのが本作のキーワードだ。自分の意志だけではどうにもならないことを抱えながら、それでもなんとか生きている人々を、本作はとても繊細に描いている。  その対象は、主人公格の理佐&律だけではない。省略されがちな脇役(モブ)たちの人生も余すところなく描かれている。1981年、91年、2001年、11年、21年と時間が推移していくので、彼ら彼女らの成長・変化がじっくり観察できるのもいいところだ。  律と仲良しの「寛実」の特技がピアノであること。音楽好きが高じてラジオ局のDJになったあと、東日本大震災の報道に関わるようになること。発電所の仕事をするため町にやってきた「聡」が、理佐の後任としてネネの世話をするようになること。やがてふたりは恋をして、夫婦になること。いじめっこたちに振り回されがちだった中学生の「研司」が、律のお陰で自分を持てるようになること。成人後は震災復興に興味を示し、町から出て行こうとすること。  もちろんこれは小説だから、小説的に盛り上がる事件が起こったりもする(姉妹を追いかけてきた母親の婚約者をネネがさまざまな声色を使って追い返すとか)。けれども、物語の起伏より各キャラクターの人生を追うことに、本作の真の愉しみがあると思う。  ヨウムは50年生きるとも言われる長寿の鳥だから、人間の伴走をするのはお手の物。「わたし、は、ネネ!」。決して派手とは言えない人々の営みも、ネネがこうして声をかけてくれるお陰で、俄然キラキラと輝いてくるのである。※週刊朝日  2023年3月24日号
読書
週刊朝日 2023/03/19 13:00
16歳の悠仁さまを執拗に批判する社会は正しいのか? 幼い時期から各地に足を運び風土を学ぶ「帝王学」の芽
永井貴子 永井貴子
16歳の悠仁さまを執拗に批判する社会は正しいのか? 幼い時期から各地に足を運び風土を学ぶ「帝王学」の芽
赤坂御用地を秋篠宮さま、紀子さま、次女佳子さまとともに散策する悠仁さま(2022年11月)  筑波大学付属高校に進学された悠仁さまは今春、2年生になる。バドミントン部での活動など充実した高校生活を送っている。海外からの賓客への接遇に参加し、伊勢神宮にお一人で参拝するなど、ご両親の背中を見て学びを深める一方で、秋篠宮家への批判に乗じる形での悠仁さまへのバッシングもおさまらない。 *  *  * 「高校生ともなれば、ネット上に氾濫するご自身に関する記事を目にすることもあるでしょう。皇室に生まれたというだけで中身は16歳の子どもです。実態も根拠もない臆測に基づいた批判を目にして、傷つかないとでも感じているのでしょうか」  そう嘆くのは、秋篠宮妃である紀子さまの友人だ。  進学に際しては、お茶の水女子大学との「提携校進学制度」により入学が決まった。しかし、この提携制度に対して「特別な配慮があったのでは」との臆測から始まり、さらに高校生活では「成績不振」といった批判的な報道が飛び交った。友人は憤りを隠さない。 「いったい何の根拠があって『特別な配慮で入学が決まった』と、批判的な声が出るのでしょうか」  友人によれば、悠仁さまの成績がトップクラスであることは、お茶の水女子大付属中学校の同級生や保護者の間では認識していたと話す。 「悠仁さまの学年で推薦をとるとすれば、(成績からも)1人は悠仁さまだろう。そう考えていた保護者の方は少なくなかったと聞いています」  もともと悠仁さまは、日頃からコツコツと努力を重ねて勉強するタイプ。お茶の水女子大付属中の入学式で、114人の新入生代表宣誓を悠仁さまが行った際も、選出過程に懐疑的な見方を示す記事が出た。当時、学校に選出基準を確認したところ、「学業を申し分なく修め、豊かな人格的成長が認められる生徒を総合的に判断して選出した」と答えている。  このとき、新入生代表の候補に選ばれた悠仁さまは、やる意思があるかどうかを聞かれた。 「やる」  そう、答えたという。  悠仁さまは地道な勉強を積み重ねてきた。だが、学びを深めてきたのは学校での勉強だけではない。 伊勢神宮内宮の参拝に向かう悠仁さま(2022年10月撮影)  悠仁さまは、皇位継承順位2位にある。若い世代では唯一の皇位継承者だ。天皇陛下が幼いころから「帝王学」を身につけていったように、悠仁さまも幼いころから、学びを続けている。  たとえば、天皇陛下が浩宮と呼ばれていた10代のころ。12歳の誕生日前に、漢学の権威である宇野哲人・東京大学名誉教授に『論語』を学んでいる写真や、15歳の誕生日前に王朝和歌の研究者である橋本不美男・宮内庁図書調査官から『徒然草』の写本の講義を受けている写真が残っている。  浩宮時代の陛下は、学習院高等科で地理研究会に所属していた。友人らと岩手県の八幡平に登山に行った際などは、現地の風景や友人らとの旅行を和歌に詠みこんでいる。その和歌は、ご自身で英訳を添えてオーストラリアにいる友人にあてて手紙で送られた。10代にして教養の深さがにじむエピソードだ。  天皇陛下が昔から一貫して口にしていた言葉がある。 幼いころから背中を見てきた昭和天皇や上皇さまのように、 「自分の足で現地に行き、自分の言葉でじかに、人びとと話をすることを大事にしたい」  悠仁さまも同じだ。  幼いころから、当時天皇であった上皇さまとの時間を過ごし、その背中を見て育ってきた。  2歳のときから、葉山御用邸(神奈川県)に滞在すると、昭和天皇がお使いだった二挺艪(ちょうろ)の和船「たけ」で海に出ていた。和船の艪を漕いでいたのは上皇さまだった。  秋篠宮ご夫妻もまた、幼い悠仁さまに日本各地の自然や人に触れ文化を学ぶ機会を積んできた。  秋篠宮さまは、家禽(かきん)類の研究で理学博士号を取得している。悠仁さまも幼いころから図鑑を熱心に読み、皇居でも池のまわりのトンボの観察や虫捕りに熱中した。ときには、当時天皇であった上皇さまと一緒に虫を捕まえたこともあった。秋篠宮さまが幼いころに上皇さまからもらった『原色 前世紀の生物』(1962年刊行)は、いまは悠仁さまの手元にある。  悠仁さまが5歳の夏には、北海道を訪問。自然に触れるとともに、アイヌ文化を学んだ。7歳の冬には、沖縄に行き、沖縄や九州の在来家畜の与那国馬や島ヒージャー(ヤギ)、口之島牛に触れ合う経験もした。  2017年10歳の夏。悠仁さまはご両親に、こう口にした。 「東京の島を見たい」  紀子さまと2人で一般客と同じフェリーに乗り、24時間の船旅を経てたどりついたのは、東京・小笠原諸島の父島や母島だ。島で出会った人のなかには、その後もオンラインなどを通じて交流を続けている人もいる。   同じ年の春には、東京都最高峰2017メートルの雲取山に登頂。翌18年、11歳の夏には、天空を突き刺す山容から「日本のマッターホルン」と呼ばれ、難所としても知られる3180メートルの槍ケ岳にも挑戦した。  天皇陛下が小学生時代から側近を伴い、各地へ「一人旅」で見聞を広めたことは有名だが、悠仁さまも中学生のときには、長野県などの地方を“1人で”訪れている。   前出の友人は、こう嘆く。 「悠仁さまは明るく素直なご性格です。しかし、常に監視され行動にケチをつけられるようなことが続けば、誰でも精神的に参ってしまう。悠仁さまのご成長に影響が出ないかが心配です」  言われのない批判を受けながらも、高校生活を送る悠仁さま。バドミントン部では上級生からアドバイスを受けながら、持ち前の素直さで楽しく過ごしているようだ。 悠仁さまは登校の際に、学校の近くで車を降りて、そこからは徒歩で通っている。下校の際も、徒歩で歩いたあと、学校の近くで車に乗るという。 付近に住んでいるという女性は、自転車で学校のそばのわき道を走っているときに、道を半ばふさぐ形で停車している車に出くわした。やや面倒に感じたものの、車をよけて通り抜けた瞬間、歩いてきた悠仁さまにばったりと遭遇した。下校時だったのだろう。周囲には護衛らしき人間もいる。  悠仁さまは、女性の様子で察したのか、「車が邪魔でごめんなさい」とでもいうように、ペコリと頭を下げて車に乗ったという。すれ違った女性は言う。 「きちんと公共のマナーも理解されているし、周囲へ迷惑をかけて申し訳ない、と素直に頭を下げることもできている。よい形で成長されていらっしゃると感じました」 ※この記事は<<「悠仁さまも愛子さまも、早いうちに海外王室との親善の機会を」 昭和天皇も上皇さまも見た“19歳の世界”>>に続く (AERA dot.編集部・永井貴子)
悠仁さま愛子さま皇室秋篠宮
dot. 2023/03/19 09:30
卒業式のマスク外しに「嫌だ」「周りを見て判断」の声も なぜ子どもたちは恐れるのか
古谷ゆう子 古谷ゆう子
卒業式のマスク外しに「嫌だ」「周りを見て判断」の声も なぜ子どもたちは恐れるのか
※写真はイメージ(撮影/写真映像部・東川哲也)  新型コロナウイルス対策のマスクの着用が、3月13日から「個人の判断」に変更される。文部科学省は、今年度の卒業式で「マスク外しが基本」との方針を示している。ただ、マスクを外すことに慎重な姿勢を見せる子どもたちも少なくないようだ。AERA 2023年3月20日号の記事を紹介する。 *  *  *  卒業式を巡る保護者の思いもまた複雑だ。静岡県に住む中学3年の男子生徒の40代の母親は、卒業式では基本マスク不要と聞いたときは、「あぁ、良かった」とほっとする気持ちがあった。だが息子の「周りを見て判断する」という言葉に「それはそうだ、自分もきっとそうだな」と思い直した。 「いくら取っていいですよ、と言われても、自分だけ取れば非常識だと思われるかなと気にならないわけがないな、と」  女性にはほかに、中学1年と小学5年の息子もいる。野球部に所属する中1の息子は、「真っ先に外すのは難しいから、集団のなかで2番目くらいに外すかな」と口にしていたという。  女性自身もまた、ほかの保護者の口元を知らずに3年間を過ごした。 「コミュニケーション自体がぎこちなくなっているな、と感じます」 ■親同士の関係も希薄に  都内で小学6年の男の子を育てる40代女性は、「卒業式ではマスクを外すかもしれないよ」と息子に声を掛けたところ「えー、嫌だ」と即答されたことが忘れられない。 「給食の時間にマスクを外した際、女子から『マスクをしていたらかっこいいのに』と言われたことがあり、気にしているのかなと感じました。『マスクをしていないと恥ずかしい』とも口にしている。異性が気になる年頃であるからこそ、そうした思いが強いのかもしれません」  進学する私立中学の入学式でもマスクをつけるつもりだ、と息子は言う。堂々の“外さない”宣言に、親としては寂しさを覚える。この3年間、保護者同士で集まる機会もほとんどなく、親同士の関係も希薄だ。 「クラスの友達がマスクをつけずに卒業式に行くのか否かもわからないことも不安です。『○○くんのところ、外すってよ』と言葉を掛けることもできない」  息子の気持ちを理解しつつも、卒業式を機に少しずつでも外していく方向にしていかないと永遠に外せないのではないか、という懸念もある。それにしてもなぜ、マスクを外すことにこんなにも恐れを抱いてしまうのか。  中央大学文学部心理学専攻の山口真美教授によると、前提として、もともと欧米人は口元でコミュニケーションを取るのに対し、日本人は目元でコミュニケーションを取ってきたことが、マスク依存が広がった要因の一つだと考える。そのうえ、マスクをしている相手と向き合うとき、私たちは隠された部分を「平均顔」で補おうとする。平均顔とは、これまで出会った人々、目にしてきた顔の中央値として、自動的に頭にインプットされているものだ。だからこそマスクを外した際、想定と実物が異なれば、違和感を抱くようになる。 「自意識が育まれていく時期、とくに中高生にとっては『顔は自意識の延長』という感覚が強いため、大人よりナーバスになり、『否定されるのはつらい』という意識が働く。また、子どもの3年間と大人の3年間では、人生に占める割合が異なるため、ある日を境に外すことに恐怖を感じるのは、自然なことなのかもしれません」 ■未来の話をしてみる  そうした気持ちには、どのように寄り添うべきなのか。 「マスクとともにあった社会は、『いま、感染症を防がなければ』といったように、常に『いま』しか考えられなかった。けれど、子どもたちには未来がある。マスクをしたままでは交友関係は狭まるかもしれない、年を重ねてもマスクをしているのかな、と、少し未来の話をしてみるのもいいかもしれない」(山口教授)  一般的に、人間は20歳頃までに500人ほどの顔を覚えており、そのなかから時間をかけ親しい人、友達になる可能性のある人と関係を構築していく。 「目、鼻、口を見て『顔』と認識するわけですが、マスク生活で人間関係の広がりやポテンシャルを学習する機会が失われている可能性があります。いろいろな顔を見ることにより、人間のつながりはできていく。子どもたちがこれから先、どのように過ごしていくのか、注意深く見守っていく必要があると思います」(同) (ライター・古谷ゆう子) ※AERA 2023年3月20日号より抜粋
AERA 2023/03/18 11:00
ぐんま国際アカデミーの魅力を数字で読み解く 英語力も思考力も国語力も伸びる12年一貫教育校
【PR】ぐんま国際アカデミーの魅力を数字で読み解く 英語力も思考力も国語力も伸びる12年一貫教育校
群馬県太田市に校舎を置くぐんま国際アカデミー(GKA)は12年一貫教育校だ。初等部、中等部、高等部では、偏差値だけに頼らない環境のもと、学校生活の大半を英語で過ごす「英語イマージョン教育」を通してインターナショナルスクールにも劣らない英語教育を実践。思考力も国語力も伸ばす学びを追求し、充実した大学進学実績を上げてきた。数字を軸に、「GKA」の愛称で知られる学びの庭の魅力を紹介する。 ※所属や学年は2023年3月1日時点のもの 【トピック1】英語力も思考力も伸びる1条校  群馬県太田市に校舎を構えるぐんま国際アカデミーは初等部、中等部、高等部ともに英語教育に定評がある。授業の約7割を「英語で考え、英語を聞き、英語を話す」という「英語イマージョン教育」で行っており、英語で行われる授業は初等部の6年間で約5000時間を超える。この数字は一般的な公立小学校の約24倍(※1)にあたり、学校生活はインターナショナルスクールとよく似ている。  インターナショナルスクールとの大きな違いは「1条校」である点だ。法令上の規定はないインターナショナルスクールとは異なり、ぐんま国際アカデミーは学校教育法第1条に定められた学校であり、日本の学校の卒業資格を得ることができる。多くのインターナショナルスクールは1条校ではないので、公立学校への「不登校」という報告をしていない場合、日本の学校の卒業資格が得られない。そのため進学先の選択肢が狭められる。  私立1条校であるぐんま国際アカデミーは「クリティカルシンキング」の育成でも注目を集めている。「批判的思考」とも訳される能力について、学校側はある事柄を中立的に分析・価値判断・説明したり、ネガティブに見たり、懐疑的に見ていく論理的・分析的な思考のことと定義。初等部1年生からあるテーマについて探究したり発表したりする授業が多く、思考力が着実に磨かれるので、自分なりに最適だと思う答えを導き出すことができるようになっていく。 ※1 文部科学省 学校教育法施行規則に定める標準授業時数 【トピック2】設立から20年の歩み  学校法人太田国際学園が設立されたのが2004年12月28日。その後、初等部、中等部、高等部と立ち上げたぐんま国際アカデミーは2024年に設立から20周年を迎える。  20年の歴史で大きな転機となったのは「国際バカロレア(IB:International Baccalaureate)」の認定校となったことだ。国際バカロレアは国際バカロレア機構(本部・スイス)が提供する国際的な教育プログラムのことで、ぐんま国際アカデミーは2011年に国際バカロレアのDP(16歳から19歳までが対象)の認定校、2022年に国際バカロレアのMYP(11歳から16歳までが対象)の認定校となった。現在、中等部の生徒全員にMYPの授業を提供しているという特徴がある。国際バカロレアの資格は国際的に認められた大学入学資格であり、一条校でIB教育を英語で行っている学校はまだ珍しい。そのため高等部から海外の大学に進学した卒業生も少なくない。  国際バカロレアは下記のような「10の学習者像」を掲げている。 ・探究する人 ・知識のある人 ・考える人 ・コミュニケーションができる人 ・信念をもつ人 ・心を開く人 ・思いやりのある人 ・挑戦する人 ・バランスのとれた人 ・振り返りができる人  ぐんま国際アカデミーは「国際社会の中でリーダーとして必要な能力と知識を備えた国際人の育成」を追求。上記の10の資質はまさに「国際社会の中でリーダーとして必要な能力と知識」であり、ぐんま国際アカデミーの12年一貫教育では知的で感性豊かな国際人の素地を育むことができる。 【トピック3】世界の16カ国からと教師は多国籍  アメリカ、アイルランド、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インド、フィリピン、ブータン、マラウイ。初等部から高等部までの教師陣の顔ぶれは多国籍だ。2023年3月1日時点で、16カ国から集まった教師が教壇に立つ。  学校生活はまさに「国際社会」であり多様性を受け入れる寛容さが身につく。生まれ育った背景が異なる教師陣と接することで、さまざまな価値観があることを知り、物事を見たり考えたりする際の視野が広がる。初等部では各教師の出身国の特徴と歴史を放送委員会の児童たちが調べて、昼休みの放送で発表。世界各国の文化を身近に感じる。  16カ国から会した教師陣がそれぞれ微妙に異なるイントネーションやアクセントの英語を話すこともあり、英語に対するハードルは初めから低い。ネイティブの英語だけでなく、多様な英語に触れる機会が多く、気後れすることなく自分なりに英語を話すことができる。  授業では話し合う時間を重視。初等部では国語と社会と家庭科は日本語で、その他の授業は英語で行う。小学校で獲得すべき学習内容だけでなく、日英両言語の学習において多くの協働学習や話し合い、ディスカッション、ポスター作成やレポート作成を通して学習していく。自分の考えを発表したり友人の意見を聞いたりするなかで知識や論理的思考力が養われ、「自分なりに最適だと思う答えを出すことができる力」が育まれていく。 【トピック4】初等部5年生で英検1級を取得  学校生活の大半を英語で過ごす「英語イマージョン教育」の効果は小さくない。近年では、実用英語技能検定、通称「英検」で2人の5年生が1級を取得している。英検1級に合格するには大学上級程度の能力が必要とされており、6年間で約5000時間の授業を英語で学ぶ初等部の生活を送れば、大学生レベルまで英語力が伸びることが証明されている。  初等部の5、6年生は中高生を主な対象とする英語テストの「TOEFL Junior® Standard」を受験。2022年5月の6年生の平均点は900点満点で750点だった。TOEFL Junior® Standardの750点は、英検では2級または準1級のレベルに相当するとされている。(※2) 英検の2級は高校卒業程度の能力、準1級は大学中級程度の能力が求められるため、ぐんま国際アカデミーでは平均的に初等部の高学年で高校卒業から大学中級レベルに相当する英語力を身につけることができる。  初等部で高いレベルに達した英語力は、中等部、高等部での学びを通して着実に伸びていく。2023年2月には、高校2年生にあたる11年生の望月彩萌さんが全国高等学校英語スピーチコンテスト全国大会に出場し、第1位の外務大臣賞・外務大臣杯を獲得している。外部のコンテストやコンクール、大会などに児童や生徒が主体的に参加する点もぐんま国際アカデミーの校風だ。 「第15回全国高等学校英語スピーチコンテスト - 第1位 外務大臣賞・外務大臣杯 望月 彩萌 ぐんま国際アカデミー高等部 2年 (関東甲信越)」 動画を見る > ※2 TOEFL Primary公式HP、TOEFL Junior Standard 公式HP、 実用英語技能検定公式HPを参考 【トピック5】初等部の6年間で国語の授業時数は1512回  ぐんま国際アカデミーはインターナショナルスクール並みに英語教育に力を入れる一方、国語力の育成にも重点を置く。国語の授業は初等部の6年間で1512時間。文部科学省が学校教育法施行規則に定める国語の標準授業時数は1377時間であり、135時間も多い。日本語で行う社会の授業時数は6年間378時間で、こちらも標準授業時数の約1.1倍に相当する。(※3)  国語力を重視しているのは、「クリティカルシンキング」のベースは母語である日本語であるという考え方からだ。国語の教師は公立小学校とは違いほぼ専科のため、授業の内容も濃い。座学は少なく、発表活動やディスカッション、作品制作といった活動を通し、自ら考え、表現する日本語力を伸ばしていく。 「伝わる国語力」はぐんま国際アカデミーの「留学力」にもつながっている。文部科学省が展開する日本の高校生と大学生を対象とした海外留学支援制度「トビタテ!留学JAPAN」の採用率は非常に高い。応募の際には留学計画書を書く必要があるが、ぐんま国際アカデミーの高等部の生徒は初等部から育む国語力を生かし、読み手が深くうなずくような留学計画書を仕上げられている。 ※3 文部科学省 授業時数等に関する学校教育法施行規則及び学習指導要領の規定 1.授業時数に関する規定(小学校の例) ==================== 第1弾 ぐんま国際アカデミー首都圏在住者向け学校説明会 5月13日(土)午前10時から GINZA SIX 11階 OPENHOUSE GINZA SALON 応募人数によっては、ご家庭から1名のみのご参加をお願いする場合がございます。 第2弾 授業公開 / 学校説明会  6月17日(土)午前9時から ぐんま国際アカデミー初等部 上履き持参、保護者のみのご参加 第3弾 授業公開 / 学校説明会  9月2日(土)午前9時から ぐんま国際アカデミー初等部 上履き持参、保護者のみのご参加 全ての説明会の詳細・参加登録はぐんま国際アカデミーホームページで お申し込みはこちら > ==================== 【トピック6】中等部の3年間で約150個のテーマについて探究  国際バカロレアのMYP(11歳から16歳までが対象)とDP(16歳から19歳までが対象)の認定校であるぐんま国際アカデミーでは、ある問いの解決や理解に向けて情報を収集したり、整理したり分析したりする探究学習を中等部と高等部で強化。中等部からの6年間で「クリティカルシンキング」の力をさらに伸ばしていく。  中等部の探究学習で向き合うのは8つの科目だ。「言語と文学(国語)」「言語の習得(英語)」「個人と社会」「理科」「数学」「体育」「芸術」「デザイン」の8つで、それぞれ1年間で4つから8つほどのテーマが課される。「理科」であれば自分たちで運動の法則を導出するために必要な実験を各グループが考え実施したり、「数学」であれば自分のバスケットボールのシュートについて二次関数を用いて放物線をモデル化し、最適とされている理論値との比較から、どのようにシュートの軌道を修正するか、数学的な考察のもとでアプローチしたりする取り組みもある。3年間で合計約150個のテーマを探究する学びは、知識や論理的思考力、表現力を確実に深めていく。  レポートをまとめる時間は大学生の授業に近い。論文の形式や書き方も学び、高校2年生にあたる11年生では課題論文を作成。英語で4000語程度のボリュームで、生徒自身が選択した課題を研究し、論文を仕上げる。日本語と英語の両方の文献にあたれるため、幅広い視点から自分なりに最適だと思う答えを出すことができる。 【トピック7】約50%が太田市外から通学 「英語イマージョン教育」と「クリティカルシンキング」、さらには国際バカロレアの「10の学習者像」を教育の軸に据えるぐんま国際アカデミーの門戸は広い。在学中は学校まで1時間程度で通学可能な地域に保護者と同居していることが基本で、初等部入学をきっかけに校舎のある群馬県太田市に転入してくる家庭もある。  1時間程度という通学範囲は太田市内だけにとどまらない。2022年の調査によると、初等部の児童は太田市在住が50%、県内の太田市外在住が26%、県外在住が24%という割合だった。50%が太田市外から通学していることになり、中等部と高等部の割合もほぼ同じだった。  太田市は群馬県の南東に位置。栃木県と埼玉県との県境に挟まれる場所にあり、栃木県足利市や埼玉県熊谷市から通う児童や生徒も少なくない。初等部は太田駅、バスターミナルおおた、前橋駅、熊谷駅南口を発着とするスクールバスを運行(※4)しており、片道では前橋駅からは約50分、熊谷駅南口からは約40分で通うことができる。友人と談笑していれば、毎日の通学をそれほど長く感じることはない。スクールバスでの通学では上級生が下級生の面倒を見てくれる安心感もある。 ※4 足利はボランティア保護者によるプライベートバス 【トピック8】6クラスでプレスクールを展開  ぐんま国際アカデミーは幼稚園や保育園の年長児を対象にプレスクールを展開している。平日の週2回、あるいは土曜日の週1回に参加できる英語教室で、クラスはAからFまでの6クラスが用意されている。平日は15時か16時45分のスタート、土曜日は9時か13時10分のスタートで、授業は1コマ90分。プレスクール入校に際して試験は行われない。  教師はフィリピンやウガンダなど外国籍で、初等部以降と同じく英語イマージョンの環境のなか、歌やゲームといったアクティビティを通して英語に親しんでいく。プレスクール終了時点で、ほとんどの幼児がアルファベットを書けるようになる。簡単な単語も読めるようになり、そのまま初等部に進学する例が少なくない。一方で、どうしても英語になじめないケースもあるという。ぐんま国際アカデミーは「お子さんが英語に親しめるかどうかを判断する意味でプレスクールを使っていただくのも一つの考え方」だと捉えている。  プレスクールに参加する幼児の在住地は初等部とほぼ同じだ。太田市内、県内の前橋市、栃木県足利市や埼玉県熊谷市などから通っている。2コマ行われる土曜日には東京都内から足を運ぶ家庭もある。最寄りの太田駅までは浅草駅から東武鉄道の「特急りょうもう」を使い1時間25分で着くことができる。 【ショートインタビュー】プレスクールでは英語に自信がつき自己肯定感も高まりました 田島さん|4年生女子、年長児男子の母  小学4年生の娘がぐんま国際アカデミーのプレスクールに通い、大きな成長を感じたので、現在、年長児の弟もプレスクールで英語に親しんでいます。  授業だけでなく日常的に英語を耳にすることができ、英語を身近に感じやすくなる環境がぐんま国際アカデミーの魅力だと感じています。日本にいながら海外生活を体験できる場ではないかと思います。プレスクールにおいては、工作やクッキング、歌というように工夫された内容になっているので、楽しく自然に英語に触れられます。  プレスクールの1年間で子どもたちは英語を聞く力がつき、発音がきれいになりました。さらには、英語の絵本を自発的に読むようになり、主体性も身についたと感じています。みんなの前で発言したり解答したりすると先生方がたくさん褒めてくださるので、英語に自信がつき自己肯定感も高まりました。  プレスクールで外国人教師の方から直接学べる環境を経験しているので、初等部に上がったあとも違和感なく学校生活を送ることができます。初等部では授業に多く取り入れられているグループ活動において、異なる生活環境のお友だちと意見交換を楽しんでいるようです。親としてはプレスクール時代に在校生の保護者の方と交流が持てるので、学校の様子を知ることができ、入学後のイメージがしやすい利点があると思います。 【トピック9】2週間のオーストラリア短期留学を経験  初等部の6年生では英語イマージョン教育の集大成の一つとして、オーストラリア短期留学を経験する。行き先は西オーストラリア州の州都であるパース。コロナ禍以前は3週間だったが、3年間の中断を経て、新型コロナウイルス感染症発生以降の2023年には2週間に短縮しての実施が予定されている。  6年生はそれぞれホストファミリーの家に一人で滞在する。ホストファミリーのお子さんを「バディ」、いわばパートナーとして現地の小学校に通う。現地の小学校では日本の文化を英語で紹介する時間も設けられており、さまざまな出来事と向き合う。オーストラリアで過ごす濃厚な時間では英語力だけでなく、コミュニケーション能力や多様性を受け入れる力、挑戦する姿勢も育まれる。多くの児童は自信を強めて帰国し、国際社会をより意識するようになる。ぐんま国際アカデミーは6年次のオーストラリア短期留学は「人間力の成長」を促すと考えている。  高校1年生にあたる10年生には北米研修が用意されており、2023年度からはイギリスも選択肢に入る予定だ。現地の有名大学を目指す生徒と机を並べて授業に参加したり、大学の講義に参加したり、プロフェッショナルたちの仕事ぶりを学ぶ職場見学に行ったりして、視野を広げてくる。 【ショートインタビュー】英語学習やクリティカルシンキングに対して大きな影響 ぐんま国際アカデミー 高等部2年生天笠陽一朗さん  オーストラリアのパースで過ごす毎日は僕にとってとても居心地がいい環境で、常に楽しかった覚えがあります。現地の学校でつくった友だちとスポーツをしていた時間が一番楽しかったです。特に苦労した記憶はありません。仮に何か自分にとって大変であったり、残念なことがあったりしても、定期的にぐんま国際アカデミーの先生が学校に来てくださり、じっくりと話す機会があるのでそこまで深く考える必要はないと思います。  ホストファミリーにはとてもよくしてもらえました。週末に観光地、スポーツ観戦に連れて行ってもらったり、放課後にはバディのバスケットボールの習い事に一緒に連れてってもらえたり、家で一緒に映画を見たりなど、特別な体験をたくさんさせてくれたと思っています。どれも楽しく、幸せな時間を過ごせました。  小学6年生で体験するオーストラリア短期留学は、英語学習やクリティカルシンキングに対して大きな影響を与えたと考えています。ほかの国に自分一人だけで行って、現地の人たちと一緒に生活するので、必然的に英語を使う頻度が増えます。また、ほかの国の人と交流することによって、新しい文化や考え方なども実感できる場面がありました。これらの要素はクリティカルシンキングや英語に対して影響を与えると考えます。 【トピック10】2022年度はのべ19人が海外の大学に合格  未来の可能性を広げているのは「英語イマージョン教育」と「クリティカルシンキング」だけではない。ぐんま国際アカデミーが認定校となっている国際バカロレアの資格は国際的に認められた大学入学資格であり、進路の選択肢を増やしてくれる。2022年度までの5年間でのべ70人ほどが海外の大学に合格。2022年度の卒業生ではのべ19人が海外の大学に合格した。2022年度の実績リストには、アメリカのコロンビア大学やカリフォルニア大学サンディエゴ校、イギリスのロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校やカーディフ大学など、世界的に有名な大学の名前もある。  過去5年の合格実績は多岐にわたる。アメリカやイギリス、カナダなど英語圏内だけではなく、チェコやハンガリー、スウェーデンや韓国といった国も見られる。ハンガリーやスウェーデンの大学では医学や医療の道を選択した卒業生が多く、本人たちがやりたいことを見つけ、その勉強ができる大学を世界を舞台に選択していると言える。 「英語イマージョン教育」と「クリティカルシンキング」は就職先にも影響している。ぐんま国際アカデミーの12年一貫教育で英語力も思考力も伸ばした結果、外資系の企業や海外の企業に就職した卒業生もいる。 【ショートインタビュー】小学生から海外大学に憧れ、コロンビア大学へ進学 コロンビア大学工学部 1年生青山柊太朗さん  英語に親しみ始めた小学生のころから海外大学は選択肢として憧れがありました。具体的に意識し始めたのは高校1年生のときです。文部科学省の「トビタテ!留学JAPAN」に採用され、アメリカ西海岸の大学を見学するなかで具体的にイメージが湧くようになりました。コロンビア大学への進学に関しては、ぐんま国際アカデミーの「英語イマージョン教育」が大きく役立ったと感じています。  初等部時代、英語の授業で印象的だったのは、グループで好きな国への旅行プランを立てる授業です。場所や文化を調べるだけでなく、飛行機、移動時間、為替計算などの知識やスキルを総動員し、プレゼン資料をつくって発表。いわゆるアクティブラーニングが初等部のときから多く、同時に「Science Journal」という週末のレポート作成のように小学生のうちから仮説を立て、実験で検証するような研究を実践することができました。  アメリカでは充実した学生生活を送ることができています。世界中から集まった仲間とともに学び、濃厚な研究の機会などをいただいているだけではなく、コロンビア大学工学部の上位1%のEgleston Scholarにも選ばれました。ぐんま国際アカデミーでは中学受験や高校受験のプレッシャーがない環境で、のびのびと探究活動を進めることができ、生涯にわたって学ぶ楽しさを身につけられました。個性を認め合い、意欲的な環境が続いた12年間はかけがえのない時間だったと思います。 ==================== 第1弾 ぐんま国際アカデミー首都圏在住者向け学校説明会 5月13日(土)午前10時から GINZA SIX 11階 OPENHOUSE GINZA SALON 応募人数によっては、ご家庭から1名のみのご参加をお願いする場合がございます。 第2弾 授業公開 / 学校説明会  6月17日(土)午前9時から ぐんま国際アカデミー初等部 上履き持参、保護者のみのご参加 第3弾 授業公開 / 学校説明会  9月2日(土)午前9時から ぐんま国際アカデミー初等部 上履き持参、保護者のみのご参加 全ての説明会の詳細・参加登録はぐんま国際アカデミーホームページで お申し込みはこちら > ==================== 提供:ぐんま国際アカデミー
2023/03/17 00:00
「若い女性は正社員として雇用してません」 波紋広げた経営者の本音、背景には産休育休に対応する“余裕の無さ”
松岡かすみ 松岡かすみ
「若い女性は正社員として雇用してません」 波紋広げた経営者の本音、背景には産休育休に対応する“余裕の無さ”
働き方が多様になってきたが、妊娠出産を控える若い世代やまだ小さい子どもがいる女性にとって転職や再就職のハードルはまだ高い(撮影/写真映像部・高野楓菜)  結婚・出産後も働き続ける女性は増えたが、正社員として転職や再就職するハードルは子どもの有無にかかわらずまだまだ高い。なぜなのか。AERA 2023年3月20日号の記事を紹介する。 *  *  * 「これから子どもを持ちたいって考えたりしてる?」  大阪府在住の会社員、田村里美さん(36)は、転職活動中に“先輩社員”から突然、こう聞かれた。時は、最終面接前の「カジュアル面談」と称された場。人事担当者からは「採用のための選考や合否判定に関係のない面談」だと説明され、「職場の雰囲気を知るためにも、面談を有効に使ってほしい」ということだった。田村さんは二つ返事で承諾し、面談に臨んだ。  和やかに話が進み、そろそろ終盤というところで、突如切り出された冒頭の質問。田村さんは当時、夫と結婚して2年目。初対面にしては随分と突っ込んだことを聞くなと戸惑いながらも、その場で「子どもを持ちたいと考えている」と答えると、採用の合否に響く気がした。 「あまり考えてないです」  とっさに、こう答えた。その瞬間、心なしか先輩の顔に、安堵(あんど)の表情が浮かんだ気がした。  その後、内定を獲得。入社してわかったのが、年上の女性社員には、子どもがいない人が多いこと。特に管理職の女性は、結婚はしていても、子どもがいない人がほとんど。ここでキャリアを積むというのは、“そういうこと”なのだろうと感じた。 ■転職が先か出産が先か  入社して2年が経過し、子どもを持ちたいと真剣に考えるようになった。仕事はやりがいもあって楽しいが、残業が当たり前で、帰宅するのは夜10時を過ぎることが多い。頭をよぎるのが、転職だ。  そこで思わぬハードルとなっているのが、育児休業。仮に転職直後に妊娠した場合、産前産後休業は、勤務年数にかかわらず取得できるが、育休は継続雇用期間が1年未満の場合には取れない会社もある。同時に、新たな職場の人間関係やキャリアを考えると、産休や育休を取るには、転職して最低2年は必要だと考える自分もいる。 「つまり転職すると、子どもを持つのを先延ばしにせざるを得ない。産休や育休取得を考えると、環境になじんでいる今の会社にいた方が良いのかもしれません。動くべきかどうか悩んでいるうちに、さらに時間が経過してしまう」(田村さん)  出産後も働き続ける女性が増加している。男女共同参画白書によれば、2000年代前半までは、女性正社員の約半数が第1子出産を機に無職に転じていたのに対し、10年以降はキャリアを維持する人が増加している。 AERA 2023年3月20日号より  その一方で聞かれるのが、前出の田村さんのように、転職や再就職に高いハードルを感じる声だ。結婚・出産後の就職活動について調査した結果では、「就活が難しい」としたのは92.6%で、理由の筆頭には「家庭と両立できる仕事が少ない」(78.1%)が挙がった。 「中途採用は、基本的に即戦力で、正社員ならば突発的な残業にも対応できる人材が求められる傾向が強い。特に時短勤務希望ともなれば、はなから採用対象に見られないケースが多く、転職・再就職におけるハードルは、非常に高いものがあります」  こう話すのは、ワーキングマザーの雇用問題について詳しい第一生命経済研究所の福澤涼子さん。特に正社員として転職・再就職する場合、ある程度の残業や突発的な対応ができる前提でないと、採用に至らないケースが少なくないのが現実だ。 ■女性を雇う“余力”ない 「家事や育児は女性の役割という価値観はいまだに根強く、仕事と家庭の両立までは何とかできても、“活躍”するまでには高い壁がある」(福澤さん)  企業側の本音としては「結婚や出産などで、辞めたり休んだりされるのは困る」という声も聞かれる。 <批判覚悟ですが、私は、寿退社や産休や育休をされると困るので、若い女性は正社員として雇用してません>  今年2月には、大阪で二つの会社を経営する、ある女性社長のツイートが波紋を広げた。<本音は雇ってあげたいし心苦しいのだけど、うちのような弱小企業では雇う余力がありません>と続けたツイートには、批判も多く集まった一方、共感や賛同の声も多数寄せられた。  企業が若い女性を採用したがらない理由の一つに、入社しても結婚や出産などで辞めてしまうのではないかという懸念がある。特に中小企業にとっては、産休育休に対応できるだけの余裕がないところも多い。また企業としては「採用=投資」であり、人材定着という観点で見れば、男性に軍配が上がる傾向が強い面もある。男女間雇用格差の問題に詳しい周燕飛(シュウエンビ)教授(日本女子大学)は言う。 「女性が結婚や出産を経ても、長期的なキャリアを築けるような体制を企業側が作っていかないと、男女平等とはいえない。共働き世帯が専業主婦世帯の2倍以上になった今、専業主婦モデルが共働きモデルに取って代わられたという見方もされていますが、それは大きな誤解。なぜなら共働き世帯の半数以上は、主婦の役割を果たしながら、空いた時間で働いている“準専業主婦”ともいえる働き方です。その意味で、夫婦共にキャリアをあきらめない“共キャリア”が築けるかどうかが大きな境目になってくるのでは」 AERA 2023年3月20日号より ■夫と夕食を食べたい  転職や再就職は、結婚や子どもの有無にかかわらず、多くの女性が直面する問題だ。多様な働き方が広がる中、より自分に合う働き方を模索する人もいる。 「給料は半分以下。でも幸福度は倍近いと思う」  こう笑うのは、四国在住の女性(44)。4年前に結婚し、夫と二人暮らし。1年前まで旅館に正社員として勤務していた。子育て中の女性も多い職場で、子どもがいない分、人手不足になる夜間のシフトも積極的に買って出ていた。職場の人間関係は良好で、居心地も良い。まさか自分がこの職場を辞めるなんて、思ってもみなかった。  きっかけは夫の一言だった。 「一緒にご飯を食べられるのはええなあ。いつもテレビに向かって食べよるから」  夜間の勤務が多い女性は、夫と食事のタイミングが合わないことが多く、それぞれがテレビに向かって食事するのがいつしか当たり前になっていた。そんな中、久しぶりに早く帰宅した日、夫がこぼした一言が、思いのほか心に響いた。  時は新型コロナウイルスが広がり始めた頃。立ち止まって考える時間ができた時だ。 ■あえてキャリアダウン  転機となったのが、自宅近くの飲食店のアルバイト従業員の募集だ。賃金は、旅館の半分以下だが、シフト申請は自分次第で調整できるため、まとめて働くこともできれば、少なめに働くこともできる。休みたい時に休めるのも大きい。無論、今正社員を辞めたら、年齢的にも正社員への復帰は難しいだろうと思った。だが、80歳を人生の期限とするなら、折り返し地点を過ぎた年齢。これからどう生きたいのか、真剣に考えた。周囲からは心配する声が多かったが、夫とも話し、「ぜいたくしなければやっていける」「時間を大切に生きてみよう」となった。  女性は現在、その飲食チェーン店で週に4日、早朝から昼まで、アルバイトとして働いている。週に3日は丸々自由な時間で、転職後に始めた菜園にのめり込む。時間のゆとりが、大きな充実感と幸福感をもたらしてくれるという。 「私の転職は、キャリアアップならぬ、あえての“キャリアダウン”。子どもがいてもいなくても、その選択肢は自分次第で選べるし、キャリアを積む以外の幸せもある」(女性)  働く上での価値観は人それぞれ。女性がキャリアを築く上での壁も存在するが、コロナ禍を経て、柔軟な働き方や多様な選択肢が広がったのも事実だ。自分らしい「働く」を考えるなら、あなたは何を選びますか?(ライター・松岡かすみ) ※AERA 2023年3月20日号
AERA 2023/03/15 07:30
脱マスク「夜の新橋」を徹底調査 初日ノーマスクは約11%も目立ったのは“顎マスク”
上田耕司 上田耕司
脱マスク「夜の新橋」を徹底調査 初日ノーマスクは約11%も目立ったのは“顎マスク”
3月13日夜の新橋駅前。顎マスクをしている人の姿も目立った。画像を一部加工しています(撮影/上田耕司)  13日、新型コロナウイスル対策としてのマスク着用が、屋内外を問わず「個人の判断」となった。実質的な“脱マスク”となった初日、夜の繁華街でのマスク装着率はどうだったか。飲み会などで会社員が多く行き交う、JR新橋駅前で取材した。 *  *  *  新橋駅にほど近い飲食街の一角。まず、夜の街に人々が繰り出し始める午後5時から8時までの3時間、マスクの着用率を調べてみた。定点観測をしてみたところ、マスクを着用している人は2317人、マスクをしてない人は299人という結果となった(顎にマスクを下ろしている人はマスク着用とカウント)。「脱マスク」をしていた人は約11.4%にとどまり、夜の繁華街でも、まずは様子見といった感がある。  そんななか、1割強の人たちはどのような理由でマスクを外したのか。ノーマスクで歩いていた足立区から来たという高校1年生に話を聞いた。 「バイト先のコンビニでは『店員はマスクを外しちゃダメ』とまだ言われています。でも、プライベートでは、今日はマスクを外して家を出ちゃいました。電車の中でもしなかったですね。周囲の視線は少し気になるけど、もう関係ない。私、アトピーだからマスクすると肌荒れがひどくなるんですよ」  これから焼鳥店のアルバイトへ向かうという。 「そこの店はゆるいからマスクをしなくて大丈夫。店員の任意という形になっています」  神奈川県から来たという31歳と37歳の女性2人組。31歳の女性はマスクをしておらず、37歳の女性は顎までマスクを下ろしていた。31歳の女性はこう話す。 「今日の解禁に合わせて、ここに来る途中で外しちゃいました。マスクがない方が開放的だし、もうマスクと付き合いたくない。混雑した電車やバスの中では『マスク着用が効果的』と推奨されていますけど、推奨ならもうしないです」  スーパーの前にいた、母親と小学2年生と6年生の親子連れに声をかけると、母親は息子たちのマスク着用についてこう話した。 「息子たちは区立小学校に通っていますが、6年生の息子は今朝、学校へ行く時はマスクなしで行ったんですが、学校で口論になったそうで、マスクをつけて帰ってきました」 足立区から新橋にアルバイトに来た女子高生。ノーマスクの理由は「肌荒れがひどくなる」から。画像の一部を加工しています(撮影/上田耕司)  母親の許可を得て、長男本人が学校であったこと話してくれた。 「クラスには39人の生徒がいるんですが、学校へ行ったら、マスクをしてなかったのは自分ともう1人の男の子だけ。女子はみんなマスクをつけていました。何人もの同級生から『つけなきゃいけない』『何でマスクしないの、つけろ』と言われ“圧”を感じました。『きょうから解禁なんだ』と反論して、教室のなかではつけませんでした。でも、屋外では卒業式の練習をしていて、多くの人が集まっているから、これまでの習慣でランドセルに入れていた予備マスクをつけました」  改めて、母親はこう話す。 「学校からは事前に『外せという圧力がかからないようにする』というお知らせが来ていました。でも実際に外して行かせたら、逆に『つけろ』と圧を受けるなんて思ってもみませんでした。お知らせとは完全に逆の事態になって驚きました」  スポーツ競技関係の仕事をしているという女性は、マスクを外す持論をこう語った。 「マスクはまだ持ち歩いていますよ。ただ、昨年秋ごろから、政府は『屋外ではマスク着用は原則不要』と言っていますし、ここは人が少なそうだったのでマスクを外しただけです。マスクをしていると、顔の表情筋が衰えるんですよ。人に表情を見せなくて済むからデレーンとなっちゃう。それにメガネをしているからマスクをしていると曇るのもイヤなんです。正直、もう新型コロナの感染リスクはそれほど高くないと思う。これからのマスクは感染予防というよりも、周りの人に対するエチケットという面が強くなると思います」  ノーマスクにまだ罪悪感を抱いている人もいそうだ。  マスクをつけていなかった男性に声をかけると、無言でポケットの中からマスクを取り出し、「いつもはつけてます」とマスクをつけはじめた。男性は横須賀から来たというが、「他の人がマスクをつけなくなったらやめます」とだけ言って、足早に去って行った。 解体業の51歳男性。顎マスクは「すぐに上げられるようにという待機行動」だという(撮影/上田耕司)  通行人の中にはマスクをしていないが、腕章のように腕につけて歩いている男性、黒いマスクを手に持って歩いている女性も見かけた。「顎マスク」の人は10~15人に1人くらいの割合で見かけた。  福岡から上京してビルの解体業をしているという51歳の男性は、電車で鎌倉へ向かう途中に新橋で下車したという。「顎マスク」で歩いていた。 「顎にマスクをしておくのは、すぐに上げられるようにという待機行動よ。電車の中ではマスクを上げて、しとるけん。人の目が気になるからしとるだけ。9割の人がマスクをしているのはしょうがないんじゃないの。僕はこだわりないけん。これまではマスクを忘れて自宅を出たら、駅前のコンビニで買って電車に乗っとったけど、これからは忘れても、わざわざお金使ってまで買わんね」  同じく「顎マスク」をしていた51歳の会社員男性にも理由を聞いた。 「会社の中ではマスクを上げています。臨機応変に対応できるよう、顎にマスクをしています。人に迷惑をかけなければ、脱マスクでいいのではないでしょうか」  一方で、「外したくても外せない」人たちもいる。マスクをしていた21歳の女性は、 「花粉がヤバくて、してないとくしゃみが止まんなくなるんですよ。花粉が終わったらもうマスクはしたくない。化粧がマスクに付着して、取れたり、崩れたりしちゃうんで、本音ではしたくないんですよ」  もう一人、マスクをして歩いていた大学2年生の女性は、こんな事情を明かす。 「私は顔がもともと青白くて、目の下にクマがあるのでマスクを着けてごまかしています。私の知り合いの女性でも、顔の一部にコンプレックスがあって、マスク生活がやめられない子が多いです」  今後はもっと脱マスク化が進むはずだが、コロナ前のような「顔を見せる社会」に戻るのはしばらく先になりそうだ。 (AERA dot.編集部・上田耕司)
マスク新橋
dot. 2023/03/14 18:22
理系大学の「女子枠」は優遇なのか 益一哉・東工大学長が語る導入のねらい
理系大学の「女子枠」は優遇なのか 益一哉・東工大学長が語る導入のねらい
東京工業大学の益一哉学長(大学提供)  男ばかりのイメージがある理系大学が変わりつつある。  国立トップ校の一つである東京工業大学は学校推薦型選抜や総合型選抜入試に「女子枠」を導入し、女子学生を増やしていく方針を決めた。「女子優遇」との批判もあるが、「理系女子」が増えれば社会が変わるかもしれないとの希望からだ。 *  *  *  東京都立大学4年生の太田葵さん(22)はシステムデザイン学部に所属し、さまざまな知識のつながりを構造的に示す「知識グラフ」を用いた研究をしている。  春からは大学院に進学予定で、将来的には人とともに料理をはじめとする家事を行うロボットなどのシステムを作ることが夢だ。  理系だった父親の影響で、幼いころから科学に親しんできた。小学1年生でコンピューターを使いこなし、中学2年生のときにテレビで見たロボットコンテストなどの影響もあり、高専に進学した。 「ロボットが控えめに言ってもかっこ良すぎて」  そう笑う太田さんだが、高専では1クラス約40人のうち女子が5~6人。「男子校の中に一人だけ交ぜられているようで、よく疎外感を持っていました」という。  都立大に編入してからは、以前ほど疎外感を抱くことは減ったが、「学科全員がそろう実験の授業は、男女比が8対2。研究室でも日本人の女子学生は私一人で、さすがに少ないなとは感じます」と話す。  日本の「理系女子」の少なさは、海外に比べても際立っている。内閣府の資料によると、国内の大学に入学した女性のうち、理工系を選んだ人は7%で、OECDの平均15%の半分の水準だ。英国や韓国、ドイツなどは20%以上が理工系の学部に進学している。  そうした状況を少しでも解消しようと、大学側も動き出している。  東京工業大学は2024年4月入学者を対象とした総合型選抜・学校推薦型選抜に「女子枠」を導入する。まずは58人を募集し、25年度は85人追加して計143人とする。女子枠だけで全学院(学部と大学院を統合した組織)の募集人員の14%程度となる見込みだ。 東京工業大学(大学提供)  益一哉学長が言う。 「いま、理工系分野における男女のバランスはあまりにも偏っています。女子枠の創設は現在の状況を早急に改善し、新産業を興すための『ポジティブアクション』です」  理工系女子学生の割合が一定数を超えると、保護者や家庭を取り巻く人たち、社会全体の意識も変化する。誰もが隔てなく学び、働ける環境が生まれ、様々なスキルや異なった価値観・経験、幅広い知見を持つ学生や教職員が集まるようになると、益学長は期待する。  日本では「理系女子」を特別視する風潮が根強い。  東京大学理科2類の岡渚さん(19)は「アルバイトの面接を受けるときなど、『東大』かつ『理系』だと知った途端、相手が『変わった子』としてこちらを見ているのを感じます。地元に帰省したとき、上の世代から『女の子なのに理系?』と言われて、不快に感じたこともありました」という。 「女子枠」の導入が広がれば、こうした意識を変えるきっかけになるかもしれない。  その一方で、「女性の優遇ではないか」との声も出ている。 「男性優位の理系環境を変えるため、女子の比率を増やす趣旨には賛成です。ただし受験の公平性が保たれるかどうかという点は懸念しています」(お茶の水女子大学3年の女子学生、21歳) 「女子だけでなく、男子の募集人数も固定したほうが、試験の公平性が保たれるように感じます」(早稲田大学3年の女子学生、21歳)  など、理系専攻の女子学生たちからも懸念する見方がある。  そうした声について、益学長はこう語る。 「思い切ったことをすれば反対の声は必ず出ます。賛否が分かれても、その上でチャレンジするという選択肢はあっていい。例えば同じ試験を受けて男性だけ20点引くのなら『女性優遇』です。でも我々がやろうとしているのはそういうことではありません。一般選抜は従来どおり筆記試験の点数に基づいて行いますし、総合型選抜・学校推薦型選抜の『女子枠』に関しては一般選抜と異なる評価方法を設けています」 芝浦工業大学で学ぶ女子学生(大学提供)  東工大に先立って「女子枠」を導入した芝浦工業大学は、「確かな手応えを感じている」(担当者)という。  同大は18年、特に女子が少なかった工学部機械・電気系4学科で、女子向けの公募制推薦入学者選抜を始めた。導入の背景と経緯をアドミッションセンター長の新井剛教授が振り返る。 「OECDのデータを見ても、日本の理系女性の活躍度は世界平均からほど遠い。そのような状況を生み出す『1丁目1番地』が工学部で、まずはここから変える必要があると感じました」  制度の導入にあたり、女子を優先的に受け入れることは「逆差別」になるのではないかと反対する声も学内にあった。 「弁護士からは『男女差に極端な偏りがある中で優先枠を作ることに法的な問題はない』と助言をいただきました。学内に対しても、女子学生が増えることでどのような効果が期待できるかを丁寧に説明しながら導入を進めました」(新井教授)  その後、対象を広げ、22年には工学部全9学科、23年入試では全学に女子推薦枠を設けた。21年時点で11人だった志願者は、22年に37人、23年は98人にまで増えた。  また、一般選抜で成績上位の女子約100人に奨学金を給付したり、山脇学園高校や昭和女子大学附属昭和高校などの女子校と連携してインターンシップを開催したりと、女子学生を増やす対策を次々と打ち出している。 「これまで工業大学というと油まみれで歯車がまわっているような、グレーに近いイメージがあったと思います。それが、女子が増えると、まず学内の雰囲気が一気に明るくなりました。何かデバイスを作るにしても、女子にとっての使いやすさなど、これまでにはない目線の発想が出てくるようになった。今まではそのような意見を吸い上げる場すらありませんでしたので、学校自体の進化につながったと思っています」(同)  ただ、国内の大学における「女子枠」導入の道のりは平坦ではなかった。大学ジャーナリストの石渡嶺司さんは言う。 「1988年、近畿大学が国内の大学として初めて女子枠の入試を取り入れ、89年には阪南大学と愛知工業大学、92年には名古屋工業大学が続きました。ただし、現在も女子枠を維持しているのは名古屋工業大のみ。さほど受験生が増えなかったなどの理由で、撤退する大学も多かった。2010年には九州大学が理学部の試験に女子枠を導入すると表明しましたが、多くの受験生や卒業生が反対し、翌年5月に撤回しています」  今後も同じ道をたどる恐れはないのか。石渡さんは「現在は10年前と比べ様相が変わっています」と強調する。  最たる変化は、理工系女子人材を増やすべく、国が動き始めていることだ。  文部科学省が公表した23年度の「大学入学者選抜実施要項」では、入試方法について「多様な背景を持った者を対象とする選抜」を設けることが推奨され、一例として「理工系分野における女子」を挙げた。 「国のお墨付きがあるなら、『女子枠』を導入しようと考える大学は、今後さらに増えるのではないでしょうか」(石渡さん)  ただし、枠を広げるだけでは不十分な面もある。 『世界一やさしいフェミニズム入門』(幻冬舎新書)の著者で、信州大学特任教授の山口真由さんは「理系大学・学部のジェンダーギャップを改善するために大学が単独でできることは限られています。入学までの道のりや、卒業後のことがセットで考えられる必要があります」と指摘する。 「私の周囲にも、算数が得意だったのに『女の子は算数なんてできなくていい』と親や教師に諭され、文系に誘導された人がいます。理系に進んでも、卒業後のキャリアが整備されているとは言い難い。例えば日本では女性医師の数は増えていますが、35歳までに離職する女性医師は24%で男性医師よりも約14ポイントも高いという調査結果が出ています。そうなったとき『だから女性は辞める』と後ろ指をさされるのは女性の側。制度の狭間に落ちる人々を生み出さないためにも、初等教育機関や企業と大学の連携が進み、社会全体で良い循環が生まれることを期待しています」  企業側はどう考えているのか。  経団連でダイバーシティー政策を担当する大山みこ氏(ソーシャル・コミュニケーション本部統括主幹)に聞いた。 「政策や制度などあらゆる分野においてジェンダー視点を取り入れる“ジェンダー主流化”が世界で進むなか、女子の理系人材を増やす大学側の取り組みは全面的に賛同します。DE&I(多様性、公正性、包摂性)はイノベーションの源泉であり、企業の持続的な成長に欠かせない。そのため企業は様々な取り組みを加速していますが、理工系分野における女性の割合は依然として諸外国で最低水準。最終的には性別を超え、個人の能力で評価される社会が望ましいとは思いますが、社会変革を進める過渡期の今は、できることを全てやっていく必要があると感じます」  経団連は女子中高校生向けに、理工系分野に関心を持ち、将来の自分をイメージした進路選択を支援する取り組みを行っており、今後もこうした活動に力を入れるという。一方で根強い「女性優遇」批判について、大山さんはこうも語った。 「いまは、これまでの男性一色で作られてきた旧来型の組織風土を根底から見直す時期。『女性が下駄を履かされる』のではなく、むしろ『男性が下駄を脱ぐ』タイミングが訪れているのです」 「女子枠」をどう生かしていくか、考える必要を求められているのは大学ではなく、社会の側なのかもしれない。 ※週刊朝日オリジナル記事 (本誌・松岡瑛理)
東工大
週刊朝日 2023/03/12 09:30
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