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上はバリキャリ、下はワーママ当たり前で苦悩 氷河期40代女性は「働き方端境期」世代
古田真梨子 古田真梨子
上はバリキャリ、下はワーママ当たり前で苦悩 氷河期40代女性は「働き方端境期」世代
コロナ禍で広がったリモートワーク。子育てと仕事の両立には追い風だが、家に仕事が侵出し、子どもと向き合う時間が奪われていく(撮影/写真映像部・戸嶋日菜乃)  仕事優先でがむしゃらに働いてきた均等法第1世代(50代半ばから60歳くらい)と、育休から復帰し働くことが当たり前の世代(20、30代)に挟まれた氷河期世代の40代。女性たちは働き方に悩んでいる。AERA 2023年3月13日号の記事を紹介する。 *  *  *  昨年11月のサッカーW杯カタール大会期間中、ひとつのメッセージに注目が集まった。 「Dear My BOSS Thank you For MY 2WEEK OFF!」  現地で観戦していたNTT東日本の坂本一平さん(29)が画用紙に書いて掲げたもので、「BOSS」とは、所属する神奈川事業部の課長の女性(46)のこと。2週間の休暇を「いいんじゃない」とあっさり認めてくれたとして話題となった。女性は言う。 「私自身は子育て中で、子どものイベントや発熱などで休むことがあり、いつも周囲に助けてもらっています。仕事へのモチベーションも高まるのであれば、彼にとっても休暇は良いと判断しました」  女性は1999年、新卒で同社に入社。35歳で出産後、規定いっぱいの3年間の育休を取得し、4時間の時短勤務で復帰したという。徐々に勤務時間を延ばして、子どもが小2の時にフルタイムに。翌年、43歳でマネージャー職になった。同社内で増えつつある女性マネージャーのひとりだが、入社当時は全く描いていなかった未来だという。 「少し上の世代で女性マネージャーというと、いわゆるバリキャリ。子育て中の女性マネージャーはあまりおらず、男性上司は長時間労働。出産と子育てをしたいという夢があった自分には、ちょっと無理かな、と」  考えが変わったのは、コロナ禍でリモートワークが可能になったことだったという。加えて、こんなことも頭をよぎった。 AERA 2023年3月13日号より 「同世代で子育てをしながら、マネージャー職にチャレンジする女性が出てきた。会社員生活はあと20年ある。その間、何もチャレンジせず、今後、後輩女子たちも子育てしながらマネージャーになっていくのを見ると、後悔するかもしれない」  その言葉に大きくうなずくのは、静岡県立大学の国保祥子准教授(経営学)だ。育休中に復職のヒントを探すセミナー「育休プチMBA」の代表で、多くの働く女性に接してきた国保さんはこう指摘する。 「いまの40代は、『働き方端境期』の世代です。超氷河期に社会に出て、上は均等法第1世代で、下は育休からの復帰がほぼ100%のワーママが当たり前の世代。両者に挟まれながら、どんな働き方がいいのかを、ずっと悩んできました」 (編集部・古田真梨子) ※AERA 2023年3月13日号より抜粋
AERA 2023/03/09 08:00
東大理三合格者数トップの高校は? 「学校教材のみで合格」に「入学辞退者」“ハンパない”天才列伝
東大理三合格者数トップの高校は? 「学校教材のみで合格」に「入学辞退者」“ハンパない”天才列伝
東大本郷キャンパスの赤門  日本でもっとも優秀な高校生が入学するといわれる東京大学理科三類。過去60年間で、合格者数トップになった回数が最も多かった高校はどこか。また2022年、初めて1位になった女子校は――。教育ジャーナリストの小林哲夫さんが、理三に合格した「天才」たちのエピソードとともに、過去の合格高校のデータを振り返る。※『改訂版 東大高校合格盛衰史』(光文社新書)から一部抜粋 *  *  *  2022年、東大理三合格者1位は桜蔭だった。同校初、そして初めての女子校トップである。  温故知新。  いまから60年前の1963年はどうだったのだろうか。ランキングを作ってみた。  1位日比谷、2位灘である。同年の東大全体のトップは日比谷で168人、翌年の1964年には193人の合格者を出している。日比谷の全盛期だった。  63年理三合格者92人の出身校は、公立63人、国立10人 私立19人となっている。地方の公立高校が勢いがあった時代である。なお、このとき、いまの理三合格上位常連校の開成、桜蔭が登場していなかった。  2022年、東大理科の合格最低点は理一303点、理二287点、理三348点だった。東大入試では1点のあいだだけで優秀な受験生がひしめいている。同じ東大でも、理三との差が理一で45点、理二で61点だから、これは天文学的な数字のように見えるようだ。東大で他の科類からすれば理三は別世界であり、天才、秀才的な地頭をさらにハンパない努力で鍛えないと受からない、と言われている。実際、駿台予備学校、河合塾の東大模試上位成績者は理三志望者で埋め尽くされる。上位60人ぐらいはそのまま理三合格者となってしまう。  理三に日本でもっとも成績が良い高校生が入る。最先端研究に取り組む、医療現場で命と健康を守るという強い志を持って受験するのが大半だろうが、灘高校の元教員によれば、自分の頭の良さを証明するために理三を受けた。入学後も駿台の東大模試を受けて頭の良さを確かめる者もいたという。   理三は62年から募集を開始した(それ以前は理一、理二から受験して医学部へ進学)。理三合格史60年からエピソードをいくつか紹介しよう。  70年代半ば、宇都宮高校の「進学資料」に理三合格者に記録が残っている。「一年から群を抜いた実力を発揮し、校外模試においても全国の中で常に最上位にあった。一年時から毎日五時間の勉強を確保し、(略)休み中は各教科あわせて十二時間の勉強をした」(『宇都宮高校百年誌』、79年)。87年、大学入試センターは、「共通一次試験のトップは地方の現役の女子高生で792点(800点満点)」と発表した。該当者が1人いた。富山県立富山中部高校の女子生徒Yさんである。彼女は東大理三、京大医学部に合格した(当時はダブル受験が可能)。  02年、山形東から理三合格のKさんは浪人生活が長かった。「僕ほどふざけた人間もいないでしょう。なんせ、7浪ですから。なかなかできることじゃありません」(『天才たちのメッセージ 東大理III 2002』 エール出版)。  04 年、土佐塾高校出身のHさんは現役で理三合格したが入学を辞退。後期試験で京大理学部を受けて合格し入学した。Hさんは中学受験で灘、愛光に受かったが土佐塾へ進む。高校2年、3年の時、数学オリンピックに出場。3年で銀賞(上位4分の1)を獲得する。Hさんはこう話す。「申し訳ないんですが記念受験というやつです。(略)これからは存分に数学の研究をやっていくつもりです。理IIIに合格された人たちも頑張って医学の道を進んでください」(『天才たちのメッセージ 東大理III 2004』)。  08年、盛岡第一から現役で2人が合格した。うち1人、Eさんが語る。「学校がすごく力を入れて指導してくれましたから、ほとんど学校の教材を使って勉強していました」(『天才たちのメッセージ 東大理III 2008』)。東大合格校御用達の鉄緑会もENAもない地方公立高校の理三受験生にとってこれほど勇気づけられることはない。  理三女子二題。13年、豊島岡学園女子出身のAさんが15年に準ミスユニバースに、18年、岡崎高校から入学したWさんがミス日本準グランプリに選ばれた。2000年代以降、理三の女子比率は文一を凌ぐようになる。 改訂版 東大合格高校盛衰史(小林哲夫著)  そして、22年理三合格者高校1位は桜蔭高校だった。13人を数え桜蔭初、女子校で初のトップとなる。同校出身のIさんは鉄緑会で桜蔭OGの教えを受けていた。そのOGも桜蔭に在学中は鉄緑会に通い桜蔭OGに面倒をみてもらったという。こう話す。「桜蔭と鉄緑会、そして理IIIというバトンがそうやって受け継がれているような気がするので、私もそうやって誰かの目標になれれば嬉しいな、と思っています」(『天才たちのメッセージ 東大理III 合格の秘訣◯37』)。桜蔭、鉄緑会、理IIIという黄金のトライアングルは長く続きそうである。中学受験を含めれば、これにSAPIXが加わるはずだ。  62年から22年までの理三合格者の出身校、合格者数の累計は、設置別に国立大附属13校680人、公立284校1325人、私立152校3352人。合格者数累計の上位校は (1)灘798人(13・1人)、(2)開成396人(6.5人)、(3)筑波大附属駒場362人(5.9人)、(4)ラ・サール329人(5.4人)、(5)桜蔭181人(3.0人)だった(カッコ内は1年平均に換算)。公立高校は、(1)日比谷41人、(2)戸山36人、(3)湘南34人、(4)西33人、(5)旭丘33人。  理三合格トップになった回数がもっとも多いのは、灘43回、開成7回、筑駒4回、ラ・サールと麻布3回、日比谷2回。そして、1つの高校から理三に多く合格者を出したのは、13年の灘だった。27人を数える。灘は81、87年にも24人が合格している。一方、地方の公立高校でふだんは東大に多くの合格者を出していないが、理三合格者を出した学校がある(以下、カッコ内は所在地・合格者を出した年)。倶知安(北海道・64年)、熊毛南(山口・71年)、三島(愛媛・94年)、天草と八代(熊本・66年)、臼杵(大分・88年)、錦江湾(鹿児島・84年)などだ。  少子化は理三に人材を送りだした学校も容赦しなかった。自治体の方針で隣接高校との再編で廃校となった理三合格校がある。千歳(東京・63年)と明正(同・66年)は統合して芦花、長後(神奈川・98年)は藤沢北と統合して藤沢総合、日和佐(徳島・97年)は海南と宍喰商業の2校と統合し海部となった。  東大医学部には推薦で入学できる。ただ、当然その要件は厳しい。「高い基礎学力」「自然科学の領域においてきわめて高い能力」あるいは「非常に優れた語学力」が求められる。そのため、国際科学オリンピック(数学、物理学、化学、生物学など)で「顕著な成績を挙げ」たこと、または「きわめて高い英語の語学力(TOEFL iBT100点以上あるいはIELTS 7点以上に相当する英語力)及び豊富な国際経験」を証明する資料を提出しなければならない。  推薦入試に合格した西大和学園高校の生徒は、選考に挑む際の準備について、次にようにふり返る。「志願書は英語力をアピールするために英語で書き、私は理科系オリンピックの受賞歴がないので、英語力と国際経験の方面で出願。英語力はTOEFL iBTで114点を取った証明書、国際経験を示す資料として、シンガポールの生活やワールド・スカラーズ・カップでの経験をまとめました」(『天才たちのメッセージ 東大理III 合格の秘訣35』)。理三(東大医学部)には日本でもっとも優秀な頭脳が揃う。だが、ノーベル賞受賞者は出していない。それゆえ、しばしば記憶力抜群だが創造性に欠ける頭でっかちと冷ややかな評価がなされ、理三の選抜方法、合格者の資質、大学教育のあり方が問われる。そんな批判をはね返す活躍をしてほしい。 (教育ジャーナリスト・小林哲夫) ※『改訂版 東大合格高校盛衰史~1949年~最新ランキング徹底解剖』(光文社新書)から抜粋
東大
AERA with Kids+ 2023/03/04 10:00
大谷翔平ら“史上最強” で挑むWBC ヘッドコーチはヌートバー招集にも自信
大谷翔平ら“史上最強” で挑むWBC ヘッドコーチはヌートバー招集にも自信
強化合宿で会話を交わすダルビッシュ有(右)と佐々木朗希=2月19日  およそ4年に一度開催される野球世界一決定戦、WBC。コロナ禍で延期されていた第5回大会が3月8日に開幕する。「史上最強」と評判の今回の野球日本代表「侍ジャパン」。どんな戦いを見せてくれるのか、白井一幸ヘッドコーチに聞いた。 *  *  * 「野球の世界一決定戦」を掲げて、2006年3月に第1回大会が開催されたワールド・ベースボール・クラシック(以下WBC)。日本は王貞治監督のもと決勝ではキューバを10対6で破り世界一の座に就いた。  続く2009年の第2回大会。日本は原辰徳監督のもと決勝では韓国を5対3で下し連覇を達成。イチロー(当時マリナーズ)が、延長十回に勝ち越しの適時打をセンター前に放ったシーンは今なお記憶に新しい。 第2回大会決勝十回表2死二、三塁から2点適時打を放ったイチロー  だが、山本浩二監督のもと挑んだ2013年の第3回大会は、準決勝でプエルトリコに1対3で敗れ3連覇を逃した。  そして、小久保裕紀監督のもと臨んだ2017年の第4回大会は、またしても準決勝でアメリカに1対2で敗退した。  あれから6年。コロナ禍により開催が2年延びた第5回WBC。3月21日(現地時間)、アメリカ・マイアミで行われる決勝戦を目指して、1次ラウンドでは世界計20の国と地域が四つのグループに分かれ、まずは総当たり形式で激突。日本が入ったプールBは3月9日、東京ドームを舞台に開幕。ここで2位以内に入れば準々決勝(3月15、16日。東京ドーム)に進出。キューバやチャイニーズ・タイペイなどが鎬を削るプールAからの勝ち上がりチームとの一発勝負に臨む。  そこで勝てばマイアミに飛んでプールC、D勢との準決勝(3月19、20日。現地時間)へ。待ち受けるのは連覇を狙うアメリカか。第3回大会王者のドミニカ共和国か。  そして、決勝へ。すでに各チーム30人の出場メンバーは確定。いわゆる“バリバリのメジャーリーガー”が数多く代表に名を連ねたことが大きな話題を呼んでいる。 会見で写真撮影に応じる栗山英樹監督(右)と大谷翔平選手=1月6日  日本も例外ではない。直近の2大会。2012年にヤンキースで16勝をマークした黒田博樹らに出場要請をしたものの辞退が相次ぎ、参加したのは第4回の青木宣親(当時アストロズ。現東京ヤクルト)だけだった。  しかし、今回は違う。大谷翔平(エンゼルス)はじめ5人のメジャーリーガーが「侍ジャパン」の招集に応じ、また日本のセ・パ12球団からも主力選手が送り込まれた。その陣容は「史上最強」との呼び声が高い。  さる1月26日。30人の顔ぶれを明らかにした記者会見の席上、日本代表の監督・栗山英樹は王座奪回を力強く宣言した。 「とにかく世界一になる。それだけを考えてメンバーを選びました」  1984年から7シーズン、ヤクルトで外野手として活躍した栗山。引退後は2012年から計10シーズン、北海道日本ハムを率いて2度のパ・リーグ制覇。2016年には日本一に輝いた。  この時、内野守備走塁兼作戦担当コーチとして、日本シリーズ制覇の喜びを栗山と共有したのが白井一幸。今回の日本代表ではヘッドコーチとして栗山を支える。 「柔軟な一面と頑固さが同居しているのが栗山監督の特徴。前例にとらわれず、こうと決めたら絶対にブレないですね」  こう語る白井は栗山と同じ1961年生まれでプロ入りも同期。1995年までの日本ハム在籍時には、二塁手としてベストナインとゴールデングラブ賞を受賞したほか、1991年には最高出塁率のタイトルも獲得。1996年、移籍先のオリックスで現役生活を終えると、1997年からは日本ハムの球団職員となり、ニューヨーク・ヤンキースに派遣されコーチ研修の日々を送った。  その後、日本ハムの2軍監督や1軍ヘッドコーチなどを歴任。2008年にはカンザスシティー・ロイヤルズの特別コーチ兼スカウトアドバイザーに就任。メジャーにも精通する理論派として知られる白井だが、その経歴にはもう一つ、着目すべき事項が存在する。 侍ジャパン登録メンバーとしてラーズ・ヌートバー選手を発表=1月26日  2020年、女子カーリングの強豪チーム、北海道銀行フォルティウス(当時)のメンタル・チームビルディングコーチに就任。「メンタル・コーチング」を題材にした著書も上梓している。 「アマチュア時代には緊張感が好きだったのに、プロに入って毎日試合をするようになったら緊張感が苦しくてたまらなくなった。そこでメンタルトレーニングの重要性に気づいて、取り組み始めたのが26歳の時でした。  今回のWBCでも選手が重圧や緊張感とどう向き合うか。メンタルをどう整えるかは重要なテーマだと思います」  昨年11月。日本代表は強化試合に臨んだ。白井はベンチから選手たちをじっくり観察した。メンバーを絞り込む過程で何を重視したのだろうか。 「WBCでは投手の球数制限がある。選手の枠も限られている中で、その選手がいろんなポジション、打順に対応できるかどうか。アメリカや中南米のチームを相手に、力勝負ではなかなか勝てない。となると、日本らしい戦略で戦っていく。日本野球の特徴を出していく。それを体現できる選手であるかどうか」 ■第2先発がカギ 継投策が重要  日本らしい戦略。前述の記者会見において、栗山はこう言及している。 「投手を中心にしっかり守り切って、我慢しながら勝ち切っていく」  WBCでは第1回大会から投手の球数制限が設定されており、今回は1次ラウンドが65球、準々決勝が80球、準決勝と決勝は95球が上限となる。  ちなみに2021年東京五輪の野球競技では、すべての試合で投手は無制限の投球が可能だった。たとえば日本の初戦、ドミニカ共和国戦で先発した山本由伸(オリックス)は6イニングで88球を投じている。  だが、65球で交代となれば五回途中、いや四回途中での継投も想定される。そこでカギを握るのが「第2先発」だ。  シーズン中は先発ローテーションの一角を任されている投手が、WBCでは試合途中から第2先発として複数イニングを投げる。白井は言う。 週刊朝日 2023年3月10日号より 「第2先発は六回アタマからの起用を考えています。シーズン中、先発投手は試合開始に合わせて調整している。だったら、五回裏終了後にはグラウンド整備で時間が作れるし、そのタイミングに合わせて調整するほうがやりやすいだろうと」  先発から中継ぎ投手をはさんで六回から第2先発へ。そして、最後はクローザーで逃げ切る。ただ、こうした継投策がすべての試合で事前の構想通りに機能するとは、白井も考えていない。 「先発がランナーを残した状況で降板となれば、中継ぎはその悪い流れを断ち切った上で、もしかしたら次の回も投げることになる。誰が流れを断ち切れるのか。誰が複数イニング投げられるのか。そのあたりの適性はいろいろ考えましたね」  最終的に選ばれた投手陣は15人。白井が淀みなく言葉を重ねる。 「この強力投手陣こそ日本チームの最大の特長です。世界一と言えるこの投手陣を生かすためには、数少ないチャンスでしっかり得点して、しっかり守り切る。栗山監督も言っていたように、それが侍ジャパンの戦い方になると思います」  世界一の座を勝ち取るために編成された世界一の投手陣。中でもそのピッチングに注目が集まるのが大谷翔平だ。  1月6日、日本代表30人のうち12人を栗山監督が先行発表した記者会見にただ一人、出席した選手が大谷だった。今回の侍ジャパン、そのシンボルが大谷であることに異論を差し挟む余地はない。  日本の戦いは3月9日、中国戦から始まる。「もったいない」とも思えるが、正攻法として大谷の先発登板が有力視される。白井は言う。 「大谷にはすべての面で期待しかない。投打はもちろん、彼の野球に対する取り組み方はすべての野球選手にとって手本になるでしょうし、何よりメジャーの情報をたくさん持っている。データ班の皆さんが万全の準備をしてくれているんですが、同じ150キロの直球でも打席での体感は均一ではない。となれば実際にメジャーでプレーしている選手の情報は非常に有益だと思います。  ただ、どれだけ情報やデータを集めても、選手に技量がなければ対応できない。逆に言えば、それだけの技量を持った選手を選んでいるということ。最後の最後はデータに裏付けされた中で選手がいかに感性を働かせて技量を発揮するか。そこは選手を信頼して、我々は送り出すだけですね」  2月17日から27日まで日本チームは宮崎で強化合宿を行ったが、自身が保持する情報、自身が培ってきたテクニックを惜しげもなくチームメートに公開していたのがダルビッシュ有(パドレス)。3月10日、韓国戦での先発が濃厚だ。 ■準々決勝は大谷 決勝は山本由伸  第2回WBCの胴上げ投手であり、昨季はメジャーで16勝のダルビッシュが日本ハムに入団したのは2005年。当時、白井はトレイ・ヒルマン監督のもとヘッドコーチを務めていた。 「プロ1年目から現在まで、ダルビッシュの投球フォームって常に変わり続けている。より良いものを見つけていこうとする向上心も、トレーニングや勝負に対する考え方も素晴らしい成長を遂げていると思いますね。  彼は積極的に情報を発信していますが、自分がインプットしたものをアウトプットすることで、より整理できるし、新たな気づきも生まれる。アウトプットによって初めて本当の意味で自分のモノになることを一番理解しているのがダルビッシュなのだと思います」  いまだ成長に貪欲な36歳が「すごくいいモノを持っている」と評したのが佐々木朗希(千葉ロッテ)。昨年4月、完全試合を達成した「令和の怪物」は3月11日、チェコ戦の先発が見込まれる。  そして1次ラウンド最終戦、3月12日のオーストラリア戦に満を持して先発マウンドに立つのは山本由伸だろう。チームが順調に勝ち進めば、日本球界が誇る右腕はおそらくは決勝戦の先発も務めることになる。  準々決勝の先発は中6日で大谷。準決勝はマイアミの空気を知るダルビッシュを配置できれば盤石の態勢となる。  一方、大谷も含めて計16人の攻撃陣は打順、守備位置ともに流動的。その中にあって打線の中軸とサードのレギュラーは「令和の三冠王」村上宗隆(東京ヤクルト)で揺らがない。 「栗山監督は早くから4番は村上に任せると言っていましたし、昨年の強化試合でも年齢に関係なくチームを引っ張っていた。私も全幅の信頼を寄せています」と白井。  23歳の若き主砲の脇を固める形で2番には指名打者の大谷、3番・ライトで鈴木誠也(カブス)、さらに今季からメジャーでプレーをする吉田正尚(レッドソックス)が5番・レフトで並べば破壊力は十分だ。  下位には6番・ファーストで牧秀悟(DeNA)、7番・セカンドで山田哲人(東京ヤクルト)、8番・キャッチャーで甲斐拓也(福岡ソフトバンク)、9番・ショートで源田壮亮(西武)といった布陣が予想される中、野球ファンの関心を集めているのが5人目のメジャーリーガー、セントルイス・カージナルスに所属するラーズ・ヌートバーだ。  アメリカ人の父、日本人の母を持つ25歳の左打ち外野手。アメリカで生まれ、日本での野球経験はない。招集の背景を白井に尋ねた。 「前例のない選出ですが、日本代表として一緒に戦いたいというヌートバーの意思を我々はすでに十分承知しています。  選手としての特徴はスイングスピードが速く、スイング軌道も素晴らしい。若いし伸びしろがあると考えています」  守備力への評価は高いものの、昨季の打撃成績(打率2割2分8厘、14本塁打)を根拠に、ヌートバー不要論を唱える球界関係者は少なくない。まずは1番・センターでの起用が想定されるが、早い段階で好結果が出なければ周囲の雑音も高まるだろう。白井は言う。 「ヌートバーに限った話ではありませんが、WBCのような短期決戦、一発勝負においては状態の良い選手、ノっている選手を使っていくのが鉄則です。それで仮に試合に出られなくなったとしても、ベンチで不貞腐れるような選手は一人もいないと信じています。そもそもそういう選手を我々は選考していませんし。  ベンチからでもチームメートを鼓舞するなどして、リーダーシップは発揮できる。リーダーシップってリーダーの専売特許ではない。リーダーという肩書に関係なく全員が発揮できるもの。そのことは選手に伝えていくつもりです。それが侍ジャパンなのではないかと」  そして、白井はこんな言葉で決意を示した。 「我々が周囲の声を気にして人選や作戦を決めることはない。見ているのは世界一だけ。そこに向かっていくには何が最善なのか。それだけはブレずに戦っていきます」  ヌートバー起用に対する懐疑的な視線。この構図はかつての「大谷翔平の二刀流はアリかナシか論争」を想起させる。  二兎を追うのは無理だとの否定的な声には耳を貸さず、二刀流としての大谷を育て上げた栗山。  前例にとらわれず、ただ一点を凝視して道なき道を突き進む。開拓者精神に彩られた栗山ジャパン、その戦いの幕がまもなく上がる。(文中一部敬称略)(市瀬英俊)※週刊朝日  2023年3月10日号
WBC2023
週刊朝日 2023/03/02 17:30
「成績やタイトルについてはやり残したことはない」 車いすテニスの国枝慎吾が単独インタビューで語る心境
「成績やタイトルについてはやり残したことはない」 車いすテニスの国枝慎吾が単独インタビューで語る心境
単独インタビューに応じた国枝さん。9歳の時、背中の腫瘍が原因で車いす生活になり、11歳で競技を始めた。東京パラリンピックでは日本選手団主将を担った  東京パラリンピック・車いすテニス男子シングルスで優勝し、1月22日に引退を発表した国枝慎吾さん。4大大会優勝28度、パラリンピック金メダル3度という輝かしいキャリアを刻んだ世界的なレジェンドが単独インタビューで語った。AERA 2023年3月6日号の記事を紹介する。 *  *  *  21年東京大会はパラリンピックでの復活を成し遂げた。金メダルを取った直後、取材ゾーンで漏らした言葉が印象深い。 「また世界ランキング1位を奪還するというのは、リオの直後は自分で信じていなかったですし、こうして金メダルを掲げているというのは、99.99%になりますけど、それくらい信じられないことですね」  その東京大会に至る過程は新型コロナウイルスという苦難があった。過去に例がない1年延期。世間も賛否が割れる中、中止になる可能性すらあった。 「考えると怖いです。もし東京大会が中止になっていたら24年パリまでやってたかもしれない……。だってリオで負けて悔しさを抱えたまま終わっちゃうわけですから。まだ世界ランキング1位のままだとしたら、パリまで続けていました。きっと」  昨夏はウィンブルドン選手権のシングルスで初優勝し、4大大会全てとパラリンピックを制する「生涯ゴールデンスラム」の偉業を打ち立てた。引退会見のとき、そのことを振り返った。 「優勝後、芝生の上でチームの皆と抱き合い、最初に出た言葉が『これで引退だな』だった」  まさに完全燃焼。 「やりきったんですよ、やっぱり。東京パラの金メダルの時にも90%以上満足していたのが正直なところで、辞めようと思っていました。ウィンブルドンは残りのワンピースだった」  仮に昨夏、ウィンブルドンで優勝していなかったら、まだ現役を続けていたのか? 「もう1年、チャンスはもちろんあるわけなので。世界ランキング1位ですし、実力的にもまだやっていたと思いますね」  引退会見で、「成績やタイトルについてはやり残したことはないです」と明言した。強いて言うなら、何が未練なのか。 AERA 2023年3月6日号より 「現役中、肩にのしかかったのは自分との戦い、相手との戦いに加え、車いすテニスがスポーツとして認知されたいというこだわりでした。東京パラを通じて、その土台ができた。僕があと10歳若かったら、ここから頑張りますよ。人気競技に発展させるために。でも、もう40歳手前になったというのが心残りかもしれない。エネルギーが尽きた、という感じですかね」 ■期待する2人の後輩  幸い、後に続く後輩がいる。先の全豪オープンの男子シングルスで準優勝した16歳の小田凱人と、全豪の女子シングルスで準優勝した28歳の上地結衣だ。小田には引退を決めた翌日、電話で「後は任せた」と託した。上地にはトレーニングセンターで直接、引退を伝えた。 「4大大会に出ていた日本人は僕と結衣ちゃんの2人だった期間が長かった。結衣ちゃんに負けられない、対抗したい気持ちもありました」  だから、新たな切磋琢磨(せっさたくま)の関係を2人に託す。それを支えるための環境作りに力を尽くす。 (朝日新聞編集委員・稲垣康介) ※AERA 2023年3月6日号より抜粋
AERA 2023/03/02 11:00
「恋愛強者3割の法則」とは?少子化対策で見落としがちな視点 独身研究家荒川氏×元衆院議員宮崎氏
吉崎洋夫 吉崎洋夫
「恋愛強者3割の法則」とは?少子化対策で見落としがちな視点 独身研究家荒川氏×元衆院議員宮崎氏
元衆院議員の宮崎謙介氏(左)と、独身研究家の荒川和久氏  岸田首相が「異次元の少子化対策」を掲げ、児童手当の所得制限の撤廃などに注目が集まるが、それで少子化は解決できるのであろうか。答えはNOだと断言するのが、男性の国会議員として初めて「育休宣言」をした元衆院議員の宮崎謙介氏と、独身研究家の荒川和久氏の2人。子育てとは別のところにも少子化の原因があり、本音の議論が必要だという。<前編> *  *  * ――荒川氏は、かねて「少子化」は婚姻の減少による「少母化」だと指摘してきた。夫婦間でもうける子ども数の減少というより、そもそもの女性の数が減り、さらに婚姻数も減ったことにより、文字通り母親となる母数が減った結果だという。宮崎氏もこの説には一定の理解を示している。2人には「異次元の少子化対策」はどのように映っているのだろうか。 宮崎 「お金を出せば何とかなるのではないか」くらいの感覚に陥っているのかもしれません。政府の取り組みを見ていると、官僚の提案してきたプランの発想にとどまっている印象を受けます。政治家はもっと国民の生の声を聞かないといけません。 荒川 政治家も官僚も経済的世襲化が進んでいますからね。官僚は、東京大学など入試難易度の高い、いわゆる「いい大学」を出ている人が多いです。いい大学に入るには、本人の努力もありますが、親の所得が一定以上であることも重要な要素です。  実は、親の所得と子どもの結婚は関係があります。親の所得が高ければ、子の未婚率は下がります。ごく簡単にいえば、親からいい教育を受けていい大学に入って、いい会社に入れば、結婚もしやすいということです。 宮崎 そうなんですね。そもそも未婚率はいつから上がってきたのでしょうか。 荒川 1990年代から上がっていますが、その20年くらい前から上がり始めています。40年代の後半に第1次ベビーブームがあり、70年代に第2次ベビーブームが来ました。90年代に第3次ベビーブームが来るとされていましたが、来ませんでした。実はここから未婚率が大きく上昇しています。 荒川和久(あらかわ・かずひさ) 独身研究家、コラムニスト。大手広告会社において、企業のマーケティング戦略立案やクリエーティブ実務を担当。その後、「ソロ経済・文化研究所」を立ち上げ独立。ソロ社会論および非婚化する独身生活者研究の第一人者として活躍。著書に『結婚滅亡』『ソロエコノミーの襲来』『超ソロ社会』など。 宮崎 バブルで浮かれて、恋愛とかたくさん遊んでるイメージでした。 荒川 そうですね。80年代は恋愛至上主義の時代でした。トレンディードラマが人気で、クリスマスにデートするのも、80年代にできた習慣ですね。 宮崎 そうなんですか? 驚きです。クリスマスにデートしないと「罪」みたいな雰囲気ができたのもそんなに昔ではないんですね。 荒川 クリスマスデートは80年にユーミンの歌をきっかけに一部で流行し、83年に女性誌「anan」で特集が組まれたことで、全国に広まったという説が有力です。クリスマスにデートし、赤坂プリンスホテル(2007年改称、11年閉業)に泊まり、女性はティファニーのアクセサリーをもらうという作法ができました。  他方で、この時代は、夫婦共働きで子どもをあえて持たない生活を選ぶ「DINKs」(ディンクス)という言葉もはやりました。恋愛もいいよね、というのと同時に、子どもを持たなくてもいいよね、フリーターでもいいよね、と価値観が多様化していました。  そこでバブルがはじけて、経済状況が悪化。若者が就職できなくなって、結婚する人も一気に減りました。 宮崎 社会的に浮かれた気分がないと、結婚は難しくなりますよね。いまや浮かれていると世間から叩かれる雰囲気です。 ――荒川氏が指摘するように、生涯未婚率は1970年に女性3.3%、男性1.7%だったのが、90年に女性4.3%、男性5.6%と上昇し、2020年には女性17.8%、男性28.3%と高まっている。数字が裏付けているが、その原因は何か。生活に近い、もっとミクロな視点で「婚姻数の減少」という現象を考えてもらった。 宮崎 未婚率の高まりは、お見合いがなくなった影響もありますよね? 荒川 お見合いもそうですが、職場結婚が減った影響が大きいと見ています。かつては職場結婚が普通で、おせっかいおばさんやおじさんがいて、会社が一つの村のようでした。上司は部下の仲人をするのがひとつの誉れでもありましたからね。 宮崎謙介(みやざき・けんすけ) 会社経営者・コンサルタント・テレビコメンテーター。 2012年、衆議院議員総選挙で自民党から出馬し、初当選。男性国会議員で初めて「育休」を宣言して話題を集めたが、16年に議員辞職。著書に『国会議員を経験して学んだ実生活に即活かせる政治利用の件。』。 宮崎 いまそれを会社でやったら、パワハラやセクハラになる恐れがありますね。 荒川 そうなんです。でも、当時は上司から「一度会ってみて」と言われたら、むげにできませんからね。それで1回デートすると、好きになってしまい、そのまま結婚するという流れがありました。 宮崎 それは考えたことなかったです。「異次元の少子化対策」というのであれば、こういうところに目をつけるべきですね。 荒川 私は「恋愛強者3割の法則」というのを主張していますが、統計調査を見ると、恋愛力のある人間は、男女ともに3割程度しかおらず、大多数の残り7割は恋愛弱者であるということが見えてきます。  お見合いや職場結婚というお膳立てを失った7割の恋愛弱者をどうするかという問題があります。もちろん、恋愛や結婚だけが価値観のすべてではないですが、ここで注目してほしいのは、恋人が欲しいけれども恋愛下手という人たちに、昔は「お見合い」や「職場結婚」がうまく機能していたが、現代社会ではなくなってしまったということ。  宮崎さんは恋愛強者に見えます(笑)。あまり苦労をしてこなかったかもしれませんが、どうすればいいと思いますか。 宮崎 いやいやいや、苦労してきましたよ! 「ホットドッグ・プレス」(デートマニュアルとも呼ばれた雑誌。現在はデジタル版)を読んで、勉強すればいいんですよ(笑) 荒川 恋愛弱者はそういうのを真面目に読んでしまうんです。 宮崎 あー、でも、それだけではダメですね。理論と実践はやっぱり違うので、勉強しながら実践で試してみるんです。それで、コレはちょっと違うなとか、こうすればいいとかわかってくる。 荒川 強者が強者たるゆえんは、打席にたくさん立つことだと思いますが、いかがでしょうか。 宮崎 それはそうですね(笑)。僕は15歳からずっと打席に立ってきました。最近の若者は合コンをやらなくなっているようですが、僕が若いころはたくさんしていましたね。合コンは社会の縮図のようなもので、学びが多いのです。すばらしい文化ですよね。僕は、自分が「合コン・ラスト世代」だと思うと寂しい気持ちになります。 荒川 恋愛は99回断られても1回成功すればいいんですよね。だけど、恋愛弱者は1打数1安打を望んでしまう傾向がある。1回も失敗が許されない、と考えてしまう。そして何もできなくなってしまう。本当はトライ&エラーでいいのにもかかわらず、です。 宮崎 フラれても人生の終わりではないですからね。1打席目がダメでも2打席目がある。バッターボックスは回り続けますから。 荒川 私がよく言っているのは、幹事をやるといいということです。会を主催できれば、一度失敗しても、次があります。フラれても次を頑張ればいいと。 宮崎 その通りです。幹事をやればやるほどノウハウが身についてきます。  高校時代を思いかえすと、クラスの友人は、だいたい4つに分類できます。合コンの話を持ってくる人間と、参加するだけの人間、誘っても絶対に参加しない人間、そして声をかけてはいけない人間です(笑)。この中でも話を持ってくる人、つまり幹事をする人はクラスの中でも一目置かれるんですよね。つまり、幹事をやるのがいいんです。これは本当に学びしかない。 荒川 幹事をやる喜びは、みんなが盛り上がって、それを見ることがうれしいというところにあると思うんですよね。 宮崎 そうです。1次会で盛り上がって、自然と2次会に行こうという流れにもっていくのが理想です。  例えば、1次会で盛り上がらない女子が一人でもいれば、幹事の僕はその子のケアに当たるんです。そして、盛り上げる。そうすると、女性陣から「アイツはわかっている」と評価されるんです。女子はトイレで「2次会どうするか」と会議しますから、それまでの勝負です。 荒川 そうなんです。そういう気配りができる人はモテるんです。 宮崎 そう。これは、巡り巡って自分のためになる。まさに「情けは人のためならず」ということです。 荒川 ガツガツしてはダメなんですよね。みんなで楽しもうとしないと。 宮崎 そうです。これは1対1の勝負ではなく、チーム戦です。一人で勝負しようなんて奴はビンタですよ、ビンタ。 ――とはいえ、若い世代で「合コン」は死語になり、マッチングアプリ全盛の時代だ。それがかつての「お見合い」や「職場結婚」の役割を果たすのではないだろうか。 宮崎 コロナの影響で、若者は合コンをしなくなったと聞きますが、今はマッチングアプリでしょうか。 荒川 実はマッチングアプリは、恋愛強者の人がマッチングしやすいという偏りの問題があります。街のナンパのデジタル版でしかない。ルックスが良かったり、ステータスが高かったりする人しかモテないですよ。ここでも恋愛強者3割の法則が当てはまります。 宮崎 恋愛弱者は利用料を払って、恋愛強者を支えているようなかたちになっているんですね。  一方で、恋愛強者と思われる女性が、結婚しない、というのもよく目にするように思います。  女性が社会進出していくことで、稼げるようになる。そうすると、女性は自分よりも稼げる人、頼れる人をパートナーとして選ぼうとしてしまうところがあるように思います。でも、本来であれば、男性でも家に入っていいんだよ、専業主夫でもいいんだよ、という夫婦のかたちもいいと思うんですよ。だけど、実際はまれで、大半の人は割り切れていないのではないでしょうか。 荒川 そうですね。女性が男性を選ぶ条件として、「年収500万円くらいの普通の男性でいい」という言葉が炎上したことがありましたが、いまやそれは普通ではありません。20代後半の未婚男性の半分が年収300万円未満です。30代前半でも4割強は年収300万円未満です。 宮崎 それでは「出会い」ませんよね。職業は度外視でマッチングできないものなんですかね。 荒川 今のマッチングアプリでは最初に年収を確認されますからね。 宮崎 廃止にしましょう。年収と顔は登録しないようにしよう。 荒川 同類縁というのがあって、結局、同じような学歴、同じような年収の人たちがマッチングしている現状があります。つまり、マッチングアプリだけでは、この状況を打開するものにはならないということです。  なお、恋愛強者の女性は、恋愛弱者だけど経済強者の男性と結婚しているケースが多いです。 宮崎 先見の明が必要とされますね。 荒川 結婚に対して女性の方が現実的なのだと思います。 (構成/AERA dot.編集部・吉崎洋夫) 【後編:コロナ禍の政策は「恋愛ロックダウン」で若者が一番割を食った 独身研究家荒川氏×元衆院議員宮崎氏】に続く
少子化少子化対策
dot. 2023/02/28 16:00
ピンク、オリヴィア・ロドリゴ/ビリー・アイリッシュなどの若い女性アーティストを称賛
ピンク、オリヴィア・ロドリゴ/ビリー・アイリッシュなどの若い女性アーティストを称賛
ピンク、オリヴィア・ロドリゴ/ビリー・アイリッシュなどの若い女性アーティストを称賛  2023年2月17日にリリースしたばかりのニュー・アルバム『トラストフォール』のプロモーションで大忙しのピンクが、最近のインタビューで“大変革をもたらしている”後輩女性アーティストとしてオリヴィア・ロドリゴ、ビリー・アイリッシュ、シザの名前を挙げ、賛辞を送った。  現地時間2月23日に米Z100 New Yorkが公開した映像で、ピンクは音楽における自身の“レーン”をいかにして磨いてきたかを語り、同じように音楽活動を行っている若い女性スターを高く評価している。  「私は集中して自分の技術を完成させ、他の人のレーンには入らず、自分のレーンにとどまっています。そして今、そのレーンを所有しています、私のレーンなんです」とピンクは述べ、「他の人たちへ(助言するなら)、 自分の曲がラジオのフォーマットに合うかどうか心配する必要はないってことですね」と続けた。  そして、「他の歌手に対してですが……。自分らしさを見つけようねってことです。(米児童文学作家の)ドクター・スースみたいですが、他の誰もあなた以上にあなたになることはできないんです。あなたらしくやればいい。それは他の誰にもできないことだから。そして、人々が忘れられないような本物の歌を作るんです」とアドバイスした。  ピンクは、「オリヴィア・ロドリゴがやっていることはそれです」と名前を挙げ、自身の11歳の娘が大ファンであることを明かしつつ、「だからウィローが彼女のことが大好きなのがとても嬉しいんですよね。(オリヴィアは)自分で曲を書いて、それがとても上手で、ほとんど女性だけのバンドを率いて、一生懸命歌っています。17歳か18歳で、あのような曲を作っていたわけですよね?(今活躍している)世の女子たちをとても誇りに思っています。大変革をもたらしているかっこいい女子がたくさん出てきています、ビリー・アイリッシュやシザとか……変化をもたらしていて、すごくいいと思います。大歓迎です」と述べている。
billboardnews 2023/02/27 00:00
【Vol.16】芸術の価値を育み個人を超えた社会の力へ/能祖將夫学群長
【PR】【Vol.16】芸術の価値を育み個人を超えた社会の力へ/能祖將夫学群長
劇場を立ち上げ 話題作を続々プロデュース 畑山:「芸術文化学群」は、「演劇・ダンス」「音楽」「ビジュアル・アーツ」という3分野に分かれ、未来を担うクリエイターになるべく、学生が切磋琢磨しています。学群長として舵取りをされる能祖先生は、社会人生活の始まりが、「CATS」や「ライオンキング」で有名な「劇団四季」だったそうですね。 能祖:大学時代、ユル~くではありましたが劇団を主宰していましたので、「演劇の世界に行きたい」と考え、入社しました。「劇団四季」では営業部と映画放送部でまず2年間、修業を積みました。ちょうど「CATS」が、日本初の「無期限ロングランミュージカル」として開幕した頃です。社長の浅利慶太さんから直接、「演劇は、やるのも、観るのも、テーマも人間だから、人間のことがわからないと演劇はできない。人間の勉強をしなさい」と言われたのが強く印象に残っています。その後、1985年に東京・渋谷に「青山劇場」「青山円形劇場」が開館するにあたり、「劇団四季」が関わることになって、「興味があるなら行かせてやるよ」と。そんなわけで両劇場の立ち上げから関わることになりました。 畑山:劇場のプロデューサーとして、どんな日々を送っていたのですか。 能祖:「やりたい企画を、やりたい人がやる」という環境で、手を挙げたらプロデューサーをやらせていただけました。1960年代に唐十郎さんや寺山修司さんたちが始めた「小劇場演劇」が、80年代になって、ちょうど盛り上がりのピークを見せていた時期です。しかも、この時の表現者たちは30歳前後で僕と同世代なんですね。だから「同世代の表現を紹介したい!」と考え、小劇場演劇を紹介する「青山演劇フェスティバル」を立ち上げ、新しい劇団たちをフェスティバルに取り込んでいきました。 畑山:どんなテーマがトレンドだったのですか? 能祖:劇団をただ集めるだけではなく、こちらで設定したテーマに沿って新作をつくってもらったんです。1987年に始めて、僕が劇場を去る2001年まで続けました。テーマとして特徴的だったのは、例えば1994年の「女子高生」。ルーズソックスやコギャルなどの女子高生文化がムーブメントになった頃で、フェスティバルはかなり話題を呼びました。また、別役実さんという劇作家の巨人をテーマにした1997年には、これまで新劇系の劇団でよく上演されていた別役さんの戯曲を、小劇場の若手に演出してもらいました。今、日本の演劇界を引っ張る平田オリザさん、ケラリーノ・サンドロヴィッチさん、宮沢章夫さん(故人)が、まだ若手と呼ばれていた頃です。「不条理演劇」の第一人者で、哲学的でどこか小難しい側面のある別役さんの世界を、笑いの文脈の中で斬新に読み解いて、大きな反響がありました。観に来られた別役さんご自身が、楽しそうに大笑いしておられたのが忘れられません。   対照的な二つの地域で 市民参加型の演劇を主導 畑山:能祖先生が手がけた作品のなかで、「音楽劇 銀河鉄道の夜」も話題になりましたね。 能祖:青山劇場の開館10周年記念として1995年に初演して、僕はプロデューサーと脚本を担当、演出は白井晃さんにお願いしました。「銀河」を選んだのは、あの世界観がシンプルに好きだったというのが正直なところです。劇作にあたりただ物語を追い掛けるだけでなく、「いまを生きる人たちの思いの乗った、いまを生きる人たちのための銀河鉄道」にしようと考えました。2020年には白井さんが芸術監督を務めていたKAAT神奈川芸術劇場で新生再演しています。それと、実はこの銀河が、僕の中では2007年から本学で毎年行っている「群読音楽劇 銀河鉄道の夜」につながっているんです。長い銀河の旅です。 「群読音楽劇 銀河鉄道の夜2022」出演者と 畑山:哲学・思想として、演劇と賢治の世界は相容れるものが多々あるように僕も思います。その後は、どんなキャリアを重ねてこられたのですか。 能祖:時代はちょうど新世紀を迎え、世の中も人間も、そして僕も変わらなければ……という時期に、ニつの新設劇場の準備室から声をかけていただきました。一つは茨城県美野里町(現・小美玉市)。もう一つは北九州市。人口約2万5千人の美野里では芸術監督として、人口約100万人の北九州では劇場プロデューサーとして、オファーを同時にいただいたのです。どちらかを選ぶという選択肢もありましたが、「これだけ人口や予算、そして使命の異なる劇場に、同時に携わるのはちょっと面白いかも」と考え、両方お引き受けしたんです。 茨城では、コンセプトとして「住民参加」を立ち上げました。企画の段階から住民が、市民が関わっていく。芸術監督だからといって、トップダウンで決められるわけではなく、市民との話し合いを経て決めていくんです。 畑山:芸術の側から積極的に働きかける、いわゆる「アウトリーチ」を徹底されたのですね。 能祖:はい。こけら落とし公演では、市民によるミュージカル劇団を立ち上げました。北九州でも同様に、市民参加型を実践しました。合唱と演劇がコラボレートした「合唱物語」という新しいスタイルの作品も初めてつくりました。プロと老若男女の市民が共同でつくっていく。いろんな世代の人たちが一丸となって、無我夢中でつくる醍醐味を、身をもって経験してほしい、そう考えたのです。アウトリーチということで言えば、総務省の外郭団体が手掛ける音楽アウトリーチ事業のコーディネーターを20年ほどやらせていただいたのも大きな財産になっています。クラシックのアーティストや日本各地のさまざまなホールの人達との出会いで得たものは計り知れません。 演劇教育に尽力し 地域との連携を 畑山:2001年からは本学で教鞭をとっておられます。きっかけは。 能祖:平田オリザさんに誘われたんです。平田さんが芸術文化学群の前身の文学部総合文化学科を立ち上げた時、「手伝ってほしい」と。桜美林の学生は、生き生きと、自分の好きなことを追い掛ける。当時は、施設が今のように充実していませんでしたが、いろんな工夫をしながら実践に結び付けていく印象がありました。 畑山:最初は座学中心だったのが、先生たちのご尽力で、みるみるパフォーマンスを上げて、一つの「学群」として仕上がるに至りました。2021年から学群長に。 能祖:今までは「演劇・ダンス専修」をどう盛り立てるかに注力してきましたが、今は3専修すべてに目配りし、「芸術文化学群」という大きな船の船長として舵取りをしている思いです。どちらの方向に進みたいのか、発信し、提案し、そして実現しなければいけません。気の引き締まる思いです。 畑山:つい最近、地域住民も参加し学内で上演された合唱・演劇の融合舞台「合唱物語 石ころの生涯」では、深い余韻を残して大成功をおさめられました。能祖先生は「コラボレーションがとても大事だ」とおっしゃっていましたね。芸術文化学群は、これから現代社会とどう向き合い、共鳴していくのでしょう。 能祖:コロナ禍で、芸術の価値とは何かを考えさせられる時期がありました。例えばドイツでは、政治家が「芸術家は必要不可欠なだけでなく、生命維持に必要だ」と発信しました。一方、日本では音楽、演劇などの芸術は「不要不急」なものとして叩かれた場面がありました。芸術がどんな力を持っているのかが、いま、問われ直されていると思います。 それを考えていく上で、実は(芸術文化学群の位置する)「東京ひなたやまキャンパス」が、「木曽山崎団地」という大規模団地のエリアの一角に位置していることに大きな意味があるような気がするんです。団地は、少子高齢化の波をもろにかぶった、日本の象徴・縮図のような様相を呈しています。私たちの信じる芸術が、個人を超えて社会に力を持つのであれば、この環境の中で何ができるか、学生と一緒に探っていけたら面白いと考えています。そしてこれからも「合唱物語 石ころの生涯」のような3専修の領域のコラボレーションにも取り組んでいきたい。それができるのは桜美林だけのような気がします。 桜美林学園100周年記念公演「合唱物語 石ころの生涯」の一場面=写真左。北九州芸術劇場「合唱物語 わたしの青い鳥」でのナレーター姿=写真右 畑山:地域に根差す。ここでもキーワードになってくるのですね。能祖先生は、「芸術は私を生かす。私の芸術は社会を活(い)かす」という言葉を、つねづねお話しされています。その心とは。 能祖:各自が学んだことを、世のため、人のため、社会のために活かしていく。これまで、芸術に携わる人には、どうしてもまず「個人の思い」が先にありました。「言わずにはいられないこと」「表現せずにはいられないこと」を、表現していく。その側面のみで語られてきた。(そのモチベーションは)勿論、絶対に大切なことですが、それだけではなく同時に、「社会に対してどう関わっていくのか」も大切だと思うのです。ニつの視点を、学生時代の間に身につけてほしい。一般企業に就職したとしても、きっと役に立つ視座だと思います。 そして僕個人としては、作品をこれからもつくり続けていきたい。舞台芸術もそうですが、しばらく遠ざかっていた詩作に、再び取り組んでいこうと思っているところです。   能祖將夫 桜美林大学 芸術文化学群 学群長 慶應義塾大学文学部仏文科卒業。1983年、四季株式会社営業部、映画放送部を経て、85年、東京・渋谷に開館した「青山劇場」「青山円形劇場」のプロデューサーとして劇場の立ち上げから関わる。以来、2001年までの16年間、数々の演劇企画を立ち上げる。「青山演劇フェスティバル」や「音楽劇 銀河鉄道の夜」が話題に。2001年、茨城県美野里町(現・小美玉市)の「四季文化館」の芸術監督として、同年、「北九州芸術劇場」のプロデューサーとして、共に劇場の立ち上げ準備から関わる。手がけた主な舞台公演は「月猫えほん音楽会」(青山円形劇場など、1999~2014年)、「合唱物語 わたしの青い鳥」(北九州芸術劇場、 2004年〜2021年)、「群読音楽劇 銀河鉄道の夜」(プルヌスホール、台湾ほか、2007年〜/令和2年度児童福祉文化賞受賞)、「マイライフ・マイステージ」(めぐろパーシモンホールほか、2011年〜)、「みつばち共和国」(日本語台本/SPAC-静岡県舞台芸術センター、2020年〜)など。「第4回びーぐるの新人」受賞。詩集に、『曇りの日』(書肆山田、2009年)、『あめだま』(同、2016年)、『魂踏み』(同、2016年)、『かなしみという名の爆弾を』(同、2017年)、『方丈の猫』(七月堂、2019年)。2001年4月、桜美林大学文学部総合文化学科非常勤講師。2021年より現職 文:加賀直樹 写真:坂田貴広 桜美林大学について詳しくはこちら このページは桜美林大学が提供するAERA dot.のスポンサードコンテンツです。
2023/02/24 09:55
天皇陛下63歳に 雅子さまと愛子さまと仲良しファミリー写真で振り返る
天皇陛下63歳に 雅子さまと愛子さまと仲良しファミリー写真で振り返る
沖縄県で開かれた国民文化祭などの公式ガイドブックを見ながら天皇陛下と言葉を交わす皇后さま  23日、63歳のお誕生日を迎えられた天皇陛下。寒い2月にたくさんの人が集まることを避けるために、コロナ禍では行われていなかった天皇誕生日の一般参賀が行われる。天皇誕生日の一般参賀はお代替わり後、初めてのこと。お誕生日に先がけ21日に、皇居・宮殿東庭「長和殿」ベランダには天皇皇后両陛下の長女・愛子さまもお出ましになることが報じられた。天皇ご一家の仲の良いお姿が見られることだろう。過去の天皇陛下と雅子さまと愛子さまの仲良し家族写真で振り返る。 *  *  * 【1】愛子さまのお宮参り  2001年12月に生まれた愛子さま。翌2002年3月「お宮参り」に向かう雅子さまと敬宮愛子さまの隣には、皇太子さま(当時/以下同)が寄り添い、温かな眼差しを向けられる。皇太子さまは42歳。 【1】  【2】高校入学式に笑顔あふれるパパの顔  2017年、学習院女子高等科の入学式を前に報道陣からの質問に笑顔を見せる皇太子ご夫妻(当時)と愛子さま。入学式は子どもの成長をひときわ感じるものだが、その参列に皇太子さまの笑顔が弾ける。よく見ると、愛子さまはスキー焼けをされている。  愛子さまが初めてスキーをしたのは3歳のときで、雅子さまのスキーデビューも実は3歳だったそう。デビューの地はなんとモスクワ! 当時外交官だった父親の赴任先がロシア・モスクワだったからで、天皇陛下のスキーデビューは6歳。こちらは、赤坂御用地に積もった雪が初滑りだった。趣味がご家族で一緒というのも仲が良い証だろう。 【2】 【3】愛子さまと真剣に八ヶ岳について語り合う  愛子さま16歳に。2017年のお誕生日前に公表されたお写真で、八ケ岳について話す皇太子さま(当時)と愛子さま。  天皇誕生日に際し2月21日に皇居・宮殿「石橋の間」で行われた記者会見で天皇陛下は愛子さまについてこう語られた。 「愛子は、学業で忙しい日々を送りつつも、いつも楽しい話題で家庭の雰囲気を和ませてくれ、私たちの生活を和やかで楽しいものにしてくれています」  この当時、16歳の愛子さまとの語らいも、写真撮影をされているのに気づかれていないかと思うほど真剣で、おふたりの姿はとても楽しそうだ。 【3】 【4】まさに仲の良し!陛下と愛子さまがチェックの柄かぶり  22年6月11日、天皇陛下、雅子さま、愛子さまはご一家揃って皇居にある「紅葉山御養蚕所」で養蚕の作業をされた。御養蚕は明治以降、歴代の皇后に引き継がれてきたもの。天皇陛下の希望で、今夏は家族揃ってとなったが、天皇陛下と愛子さまはカジュアルな服装で、そのシャツはチェックの柄かぶり! 柄が同じとは仲の良さがここでも垣間見られる。学習院初等科3年生以来、自ら蚕を飼育。10年以上にもわたり毎年、卵からふ化させて飼育されているそう。 【4】 【5】久しぶりのご家族そろってのお出ましはリンク率高め  22年11月24日、天皇皇后両陛下と長女の愛子さまが、特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」を、およそ1時間半にわたって鑑賞された。3人揃っての公の場は、20年1月の両国国技館での大相撲観戦以来のこと。天皇陛下と雅子さまの装いは色合わせなどリンクすることが多いと話題だが、今回の天皇陛下と雅子さま、そして愛子さまもリンク率高めだった。天皇陛下は黒いスーツに薄い水色ドット柄のネクタイ、雅子さまは淡い水色のパンツスーツ。愛子さまは薄水色に紺色のラインの縁取りが入ったノーカラージャケットにネイビーのスカートといういでたち。 【5】  天皇ご一家がお揃いの写真は、どれも画像からだけでも仲の良さがあふれ出てくる。仲の良さといえば、愛子さまは成年皇族に仲間入りされた記者会見で明かしたエピソードが心に残る。ご静養先で「サーフボードに天皇陛下と雅子さまと愛子さまで3人で座るチャレンジ」で、3人揃ってまさかの海にドボン! そんなほほ笑ましいひとコマを披露されていた。  きっと、63歳のお誕生日も新たなエピソードがうまれるくらい笑顔があふれる一日になるだろう。(AERAdot.編集部・太田裕子)
天皇陛下愛子さま雅子さま
dot. 2023/02/23 10:00
1試合3千円、2軍は無給 一世風靡したローラーゲーム終焉の内幕
1試合3千円、2軍は無給 一世風靡したローラーゲーム終焉の内幕
メンバーが集合したポスター(前列左から3番目が小泉博、一番右が佐々木ヨーコ。中列左から4番目が堀井由美子)  半世紀前に一世を風靡しながら、突然解散した「ローラーゲーム」の東京ボンバーズ。当時のスター選手で、その後も多くの人を明るくする道を歩んだのは小泉博さんだ。短期集中連載「日本を明るくした男」では、ノンフィクションライターの渡辺勘郎さんが彼の人生を追った。 *  *  *  かつての人気子役で、ローラーゲームのスターに駆け上がっていった小泉博。嬉々として「ボンバーズ時代のバトルシーンで最高の想い出」を語ると同時に、視聴率低迷でチームが突然解散して路頭に迷ったプロの厳しい現実を教えてくれた。 「僕がジャマーで大車輪で飛び出して、バックスケーティングしてガーッと行ったんです。ワーッとなったから僕への歓声かと思ったら、違いました。マイク・ギャモンが僕を、先に行かせてくれていた、ってことで、彼が集団から抜け出して僕を追いかけだしたから歓声が上がったんです。で、彼がすぐ後ろに来たのでターンブロックしたら、彼は避けずに受けてくれてポーンと飛んで、ひっくり返りました。やられた、って感じでね。やったー、と思ったけど、わずか1周半くらいで追いついてきて……もう一回見たら、いない……死角に入られて……そのあと思いっ切りブロックしたら今度は見事に避けられ、僕は勢い余って思いっ切りひっくり返りました。そこからは彼のショーが始まるわけです。  滑りの中でストーリーがあるんですよ。それを、いかにカッコよく、やるか、やられるか……技術を持った者同士が阿吽の呼吸で、どう表現できるか、なんです」  これは1974年アメリカ遠征中のMSG、マディソンスクエアガーデンでのニューヨーク・チーフス戦の一コマ。“ニューヨークの帝王”マイク・ギャモンとの想い出のシーンには、プロのマインドとスキルが凝縮されていたという。 「試合には負けましたが、翌日のニューヨーク・タイムズがトップで扱ってくれました」  かと思えば、こんなこともあった。同じ74年のアメリカ遠征中の対フィラデルフィア・ウォリアーズ戦。ボンバーズは竹刀を手にして入場した。テレビ収録の日は日米の対抗意識を煽るため、そんな“演出”があったのだ。すると相手チームのジム・トロッタが竹刀を奪い、それを持って登場……前半終了後の控室で小泉たちは、こんなシーンを目撃することになる。 マディソンスクエアガーデンでの試合を報じたニューヨーク・タイムズ 「リチャード・ブラウンがトロッタに『やりすぎだ。後半は、いい試合を』と言って、トロッタを殴ったんです」(小泉)  周囲はドン引き。後半の試合はいつもと違う緊張感が漂った。演出は、盛り上げるため、とわかっていても、選手には厄介な現実だった。 「プロレスのボディースラムの練習をしたり(笑)、演出過多になって、バンクの外から妨害されて歯を折った選手もいました。演出は多少はないとダメだとは思うけど、やりすぎは……」(ボンバーズの先輩女性スケーター・堀井由美子) 「テレビ収録のある日とない日とでは試合の流れが違うんです。収録のある日は日本用。アメリカでの試合で彼らのホームタウンなのに、彼らは悪役キャラを演じないといけないんです」(小泉) 「『バイ・カメラ!』、カメラに映るところでやれ、ってね。だけど収録がない日はホームタウンの選手が主役。私たちが抑えたらブーイングです(笑)」(堀井)  もう一つ、ボンバーズの選手にとって問題だったのが報酬。若手選手の報酬は少なすぎた。 「最初、僕らは1試合幾らという出場給だけで、僕は1試合3千円。おカネがなくて、バンクの設営をやらせてほしいと頼みましたが、やらせてもらえなくて。あれは、組んで(アップ)5千円、ばらして(ダウン)5千円。やりたかった」(小泉) ■「女王」の引退でTV人気に陰り  2軍選手の報酬に関して衝撃的な証言も……。 「2軍から試合に出ても俺は出場給をもらった記憶がない。アップダウンで1万円で、その額のほうが多かったからかもしれないけど……」  と言うのは小泉の親友、ロニーT。 「皆、バイトしてました。忙しくて、なかなか練習できなくて、片手間にローラーゲームやってる感じで、そりゃ選手になれるわけないよなぁ。小泉と僕ら仲のいい3人は最初、巣鴨駅前の雑貨屋で時給350円。賄いが出るって話だったけどパンで、若い頃だから足りなくて、すぐ辞めましたね(笑)」(ロニーT)  74年の夏、佐々木ヨーコが引退した。ローラーゲームの女王と呼ばれたスターが消えた影響は、すぐ表れる。観客動員数が減り、テレビ放送の視聴率も下がりだしたのだ。  ただ、東京12チャンネル(現テレビ東京)関係者に聞くと、視聴率低下の理由は他にもあり、事態は深刻だった。 「当時の12チャンネルの3大スポーツは他の局では見ることができないローラーゲームと女子プロレスとボウリングでした。しかしローラーゲームも女子プロレスも最高で15%を超えていた視聴率が落ちていき、各局が乱発気味に放送するようになったボウリングも視聴率は低下していきました」  三つとも、出ている選手がパターン化し、目新しさを求める視聴者ニーズに応えられなかったという。日米対抗と銘打ったローラーゲームは対戦相手がロサンゼルス・サンダーバード中心だったこともパターン化の一因だったとか。それと、おカネの問題もあった。 「不定期な放送の番組にはスポンサーが付きにくく、製作費が少ないんです。ローラーゲームの放映権料は最初はタダ同然だったようですが、人気が出て強気になっていき、だんだん要求額が増えていったようです。しかもオーナーのグリフィスは試合会場に日本武道館を指定してきました。収録試合をアメリカで売るときに、武道館でやった試合だから、と言いたかったのでしょうけど、こちらからすればコストが高くついてしまう……キツいですよ」(同局関係者)  にもかかわらず、視聴率はわずか2、3%にまで落ちてきていたという。  そして、75年のシーズンが終わったあと……小泉は、こう振り返る。 「11月はオフですが練習生のコーチをしてました。日当がもらえますからね。何だか雰囲気がおかしくて……12月になったら次の年の契約交渉が始まるはずなのに始まらず、年明けの興行の準備をしていた僕たちは、ある日、こう言われたんです。 ■突然のクビ宣告 引退発表も禁止 『実は、来年3月の放送を最後に番組が打ち切られることになった。申し訳ないが、君たちと来年の契約はできない。1月の試合はワンマッチで10万円あげるからやってくれ』と。その興行が最後で『チームは解散し、スケーターもクビ』だと。 東京ボンバーズの試合のポスター 『ちょっと待ってください。僕は、もう出ません』と言うと、『お前、マッチレースをやるとテレビで言ってたじゃないか』と。9月24日の試合で、そう言っていたのは確かですが、そう言うように、という演出でした。 『引退します、と発表させてくれるなら、出ます』と言うと、『いいよ』。なのに当日、『引退は発表できない』。『マイクを渡さない』と。頭にきて、ずっとベンチに座ってました。だけど先輩たちに『ヒロシ、気持ちはわかるけど、ファンは、そんなこと知らないんだから出ろよ』と言われ、後半から出ました。悔しかった」  東京ボンバーズは、15歳でデビューした小泉が18歳の春に消えた。 「最後の武道館の試合のあと2軍で興行したんですがうまくいかなくてね。スターがいないですもん。ヨーコさんと小泉の2人がいないと……無理なんです。ただの“ローラースケートがうまい集団”ですから」(ロニーT) 「ローラーゲーム協会って、実はグリフィスのカンパニーだったんです。ローラーゲームの元は、アメリカで百年近い歴史のあったローラーダービー。グリフィスは、そこからうまい選手だけ引き抜いてチームを作り、ローラーゲームという名前で商標登録し、試合を収録してテレビ局に売ってビジネス化したんです。ローラーゲーム全体が一人の所有物だったんですよ」(小泉)  武道館での最後の試合後、ユニホームは全てアメリカに持っていかれたそうだ。  突然路頭に迷う状況になった小泉。人目を避け、知り合いの仕事で開学間もない筑波大学の工事現場で約半年働き、その後、東京ボンバーズの先輩の働く会社で運転業務の社員として働きだした。 「ファンの子が、ローラーゲームがなくなって僕という存在を確認したくて、毎日、実家の八百屋の前に何十人も来られてて、そんな感じだから普通のお客さんが来づらくなっちゃって……店は、3年後に潰れました。親父とお袋には迷惑をかけました……」 (文中敬称略。次号へ続く)※週刊朝日  2023年3月3日号
東京ボンバーズ
週刊朝日 2023/02/23 08:00
浪江女子発組合、1年ぶりのワンマンライブ 総合プロデューサーあーりんが後輩メンバーの合同生誕祭開催
浪江女子発組合、1年ぶりのワンマンライブ 総合プロデューサーあーりんが後輩メンバーの合同生誕祭開催
浪江女子発組合、1年ぶりのワンマンライブ 総合プロデューサーあーりんが後輩メンバーの合同生誕祭開催  ももいろクローバーZの佐々木彩夏が総合プロデューサーを務める浪江女子発組合が2023年2月19日に、東京・恵比寿ガーデンホールにて開催したワンマンライブ【浪江女子発組合 出張公演 ~合同生誕祭~】の公式レポートが到着した。  浪江女子発組合は、福島県双葉郡浪江町を中心に“浪江発の風に乗せて、あなたに届きますように”をキャッチフレーズに掲げ活動をしているスターダストプラネット所属のグループ。2019年11月24日に浪江町で開催の【復興なみえ町十日市祭】にて誕生し、ももいろクローバーZの佐々木彩夏、AMEFURASSHIの愛来、市川優月、小島はな、鈴木萌花、B.O.L.Tの内藤るな、高井千帆、2021年7月より加入した播磨かなの計8名のメンバーで構成されている。  開演時刻になると、グループ総合プロデューサーの佐々木彩夏がステージへ登場。後輩メンバー7人のために作った特大ケーキに飾りをつけながらホワイトチョコのメッセージプレートがなくなっていることに気が付くあーりん。今日は、あーりん主催の今冬11月~2月生まれのメンバー7人のために開いた合同生誕祭。  チャイムの音と共に、浪江女子発組合オリジナルのOvertureが鳴り響き、それぞれ誕生日パーティーをイメージした衣装でメンバーの8人が登場。  記念すべき合同生誕祭の1曲目を飾るのは、浪江町の伝統的なお祭り【安波祭(あんばまつり)】がテーマとなっている疾走感溢れるナンバーの「ミライイロの花」。冒頭では、メンバー同士グラスを持ち乾杯をして、生誕祭がスタートした。1曲目からボルテージをあげるメンバーに負けじと、参戦しているファンの熱量も上昇し会場はすぐにあったまった。続けて、2022年にリリースされたファーストアルバム『花咲む』のリード曲にもなっている「ハレノヒの足跡」をパフォーマンス。途中あーりんからバースデーケーキが運ばれてくると、後輩メンバー全員でろうそくの火を消し、仲良くあーりんからのケーキを頬張った。仲睦まじい光景に、ファンからもお祝いの拍手が送られた。  最初のMCではそれぞれの自己紹介を済ませ、「約1年ぶりのワンマンライブとなるのでみんなで楽しんで、合同生誕祭お祝いしていければと思います!」と総合プロデューサーの佐々木彩夏からあり、次曲「桜梅桃李夢物語」(ヨミ:オウバイトウリユメモノガタリ)を元気いっぱいに披露。曲中では、あーりんから後輩メンバーへ、バースデーハットが贈られるシーンも。続けてライブの定番曲「またキミと。」で、生誕祭では欠かせないプレゼント交換を実施。箱の中からそれぞれにぬいぐるみのプレゼントが贈られる中、最後に箱を開けた小島のもとへはサプライズであーりん人形が贈られ、会場からは大きな歓声に変わる拍手が沸き起こった。  ここからは雰囲気を変えて、バースデイユニットコーナーへ突入。まずは11月生まれの高井、市川の2人がステージへ現れると、≠MEの人気定番曲「てゆーか、みるてんって何?」をカバー。アイドルのアイドルによるアイドルカバーで湧き上がる会場。続けて登場したのは、12月生まれ内藤、愛来の2人。先輩グループ私立恵比寿中学のメジャー2ndシングル収録の「大人はわかってくれない」をカバー。等身大のメッセージを発信する2人に会場からは大きな拍手が湧き上がった。その後は2月生まれの小島、鈴木、播磨の3人が登場。3人ユニットアイドルの大先輩キャンディーズの「春一番」をカバー。会場が一足先に春が訪れたかのようなあたたかい空気に包まれた。拍手に包まれた会場より最後に登場したのは、一緒に誕生日をお祝いされたかった佐々木彩夏。2020年にリリースした自身のファーストアルバムのリード曲となっている「ハッピー□スイート□バースデー!」を自身、そして生誕祭に招いたメンバー全員にお祝いの気持ちをこめてパフォーマンスした。  ユニットコーナーが終わり、それぞれのカバー楽曲への感想を語り合い、ここでしか見ることのできなかった貴重なパフォーマンスを全員で回想した。ここからはグループの楽曲に戻り、ラストスパート盛り上げていければと思います!と会場の熱気を再度あげると、毎年元日に浪江町で行われている「あるけあるけ初日詣大会」がテーマになっている楽曲「あるけあるけ」、浪江町で毎年4月に行われる花火大会の情景をテーマに“再会”を描いた「つながる、ウンメイ」の2曲を、力強く思いを込めた歌声で届けた。その後グループの原点とも言える、ライブ定番曲「なみえのわ」を披露し、暖かい拍手がファンより起こり会場が暖かな空気に包まれた。  「ラストスパート!まだまだ盛り上がっていきましょー!」と会場のテンションを上げると共に、最後は「それぞれのハタ」を意気のあったダンスパフォーマンスで会場のボルテージが最高潮になったところで本編が終了。  約1年ぶりのワンマンライブに感動を抑えきれないファンから、溢れんばかりの拍手によるアンコールが沸き起こる。期待に応えグループのグッズトレーナーを着用したメンバーが再登場。まず登場したのは、高井、播磨の2人。THE・王道アイドルと言わんばかりの疾走感溢れるアップテンポなデュエットナンバー「バディ・フィルム」をパフォーマンス。全力のダンスと歌唱は、これぞアイドルと言わんばかりの姿に会場のファンからは拍手が巻き起こる。続けて登場したのは、愛来、市川、小島、内藤の4人。ミュージカル調のダンスナンバー「ロマンスはエチュード」を息の合ったダンスで会場を魅了する。ステージは暗転、雰囲気は一変し、佐々木と鈴木がステージ上へ。ミドルバラードナンバーとなる「二十歳」をハートフルに歌いあげた。  最後に全メンバーがステージへ集まり、ラストはメンバー全員での歌唱は初となる、浪江町のゆるキャラ“うけどん”をテーマにしたあーりん内藤ペアの楽曲「ほれ、あいべ!」をパフォーマンス。可愛らしいパフォーマンスに会場が笑顔で包まれ、大団円で終演を迎えた。  最後のMCにて佐々木彩夏からは、「私たちは私たちなりに活動をしていきますので、これからも一緒に進んでいけると嬉しい」と会場に来てくれた人たちへの感謝を述べ、【浪江女子発組合 出張公演 ~合同生誕祭~】を締めくくった。 Photos:RYOHEI TSUKADA ◎公演情報 【浪江女子発組合『合同誕生祭』】 2023年2月19日(日)東京・恵比寿ガーデンホール <セットリスト> Overture ~浪江発の風にのって~ 01. ミライイロの花 02. ハレノヒの足跡 03. 桜梅桃李夢物語 04. またキミと。 05. てゆーか、みるてんって何?(≠ME) 06. 大人はわかってくれない(私立恵比寿中学) 07. 春一番(キャンディーズ) 08. ハッピー□スイート□バースデー! 09. あるけあるけ 10. つながる、ウンメイ 11. なみえのわ 12. それぞれのハタ <ENCORE> EN1.バディ・フィルム EN2.ロマンスはエチュード EN3.二十歳 EN4.ほれ、あいべ!
billboardnews 2023/02/20 00:00
雅子さま カラフル皇太子妃時代から「白系」ファッションへの理由 歴史文化学研究者が解説
雅子さま カラフル皇太子妃時代から「白系」ファッションへの理由 歴史文化学研究者が解説
59歳お誕生日には気品あふれるオフホワイトのスーツで  昨年12月9日の皇后陛下・雅子さまのお誕生日から新年一般参賀、歌会始の儀など1月の雅子さまは「白系」をお召しになることが多かった。皇太子妃時代には様々なデザインでカラフルな装いだった印象もある雅子さまだが、この変化について歴史文化学研究者の青木淳子氏に話を聞いた。 *  *  *  1994年11月、皇太子さま(当時)と皇太子妃・雅子さまはサウジアラビア・オマーン・カタール・バーレーンの中東四カ国をご成婚初めてご訪問された。そのときに訪れた「赤い砂漠」での雅子さまのライトグリーンのロングジャケットを記憶している人も多いのではないだろうか。 皇太子妃(当時)・雅子さまは、皇室御用達のデザイナー・伊藤和枝氏がデザインしたライトグリーンのロングジャケットで「赤い砂漠」に  そのときから年月を経て、白系への移行を歴史文化学研究者で皇室のファッションにも詳しい青木淳子氏はこう読み解く。 「昨年12月9日59歳のお誕生日を迎えられた雅子さまのご近影は、オフホワイトのスーツ姿でした。お誕生日に寄せられたお言葉でも『人生のちょうど半分ほどを皇室で過ごしてきた』とありましたが、そういった意味でも節目のお誕生日でもあったと思います。白の着用には様々な意味があると思いますが、この時は、お気持ちを新たに、という意味で選ばれたのではないでしょうか」(青木氏)  1月に入ると、元日の新年天皇ご一家がお揃いになった写真では白のスーツ、「新年祝賀の儀」は白のロングドレス、3年ぶりに行われた1月2日の「新年一般参賀」はオフホワイトのドレス、20日に行われた皇宮警察本部の「年頭視閲式」はコート、パンツ、帽子がともにベージュに近い白系だった。 「新年の行事に関しては、新年をことほぐお気持ちからの選択であったでしょう。新年一般参賀の際には、初めて参列された愛子さまのドレスの淡いブルーの色とのバランスを考えての事かもしれません。お正月を迎えたとき、白や淡いペールカラーなど明るい色を着用し、新年をことほぐおめでたい気持ちを表現します。それら明るい色の衣服を『梅春もの』といいます」(青木氏) 06年ベアトリックス女王(当時/写真左)とアレキサンダー皇太子(右)ご一家の案内で王室馬車庫を見学する皇太子ご一家  まさに、雅子さまの年頭の1月のお召し物は『梅春もの』づくしであった。同じ白でもニュアンスは異なり、また、雅子さまがまとうと圧倒的な品格を醸し出し、青木氏が指摘するように「ことほぐ(=お祝いをのべる。喜びの言葉をいう)」を余すところなく表現されている。この1月の装いとは別に、雅子さまが白系へ移行していった分岐点は「04年にあったのでは」と時系列に推測する。 「毎年お正月に、ご一家全員が揃う、いわば家族写真が発表されます。これは様々なメディアで発表されるだけではなく、『皇室御一家』カレンダーとして、公益財団法人「菊葉文化協会」から発行され、多くの国民の目にも留まるものです。このカレンダーにも掲載されているご一家の集合写真を年ごとに見ていくと、1995年はロイヤルブルー、96年はピンク、98年はグリーン、99年はローズ色と、雅子さまは、様々な色のスーツをお召しになっています。ところが、ご体調を崩された2004年以降、お正月御一家の写真での雅子はほとんどが白、または白っぽいスーツばかりなのです。こうしてみていくと11年のみ薄い水色ですが、本年に至るまで、他は全て白系のスーツであるということが言えます」(青木氏)  04年といえば、その年の夏に雅子さまが適応障害であることを発表された年。 「放送作家のつげのり子さんもご指摘されていますが、雅子さまは2004年を境に、ご公務やプライベートなどでも、白やアイボリー、つまり白系をお召しになることが増えました」と、青木氏が指摘するように様々なシーンで「白系」が見られるようになった。 「例えば06年8月、ベアトリクス女王の招きで、一家ご一緒にオランダでご静養されたとき、白のパンツスーツでした。同年4月、愛子さま学習院初等科入学式では白のスーツ。13年4月30日11年ぶりの海外公務に臨まれたオランダ国王即位式では、オフホワイトのローブモンタント。15年7月4日トンガ国王トゥポウ6世の戴冠式では、オフホワイトのローブモンタントに勲章を佩用(はいよう)されて。22年8月10日フローレンス・ナイチンゲール記章授与式では、日本赤十字社名誉総裁として純白のスーツで。このように大切な家族の節目の行事、海外王室との交流でありながら、心安らいだであろう場面、さらに緊張を伴う海外での正式な儀式、そして皇后としての責務を果たされる国内での活動など、多々、雅子様は白系の装いで臨まれてきました」(青木氏) 3年ぶりの新年一般参賀では愛子さまのドレスとフォルムが似ていると話題に  雅子さまのお気持ちや体調は、お誕生日に寄せられるお言葉や「歌会始の儀」で披講される和歌からくみ取るか、こうしたお召し物から伝わってくるもので推測の域を出ないが、「白」そのものが持つ意味から青木氏はこう読み解く。 「白は色の中で最も明るく、一般に純粋、清純、といったイメージです。日本ではシロは(色名のうち、クロ、アカ、アオと並んで)最古のものの1つです。日本に限らず、白はどの民族にとっても最も基本的な色彩語と考えられています。西洋でも、白は純潔・完全性・絶対性を象徴するといわれています。白は何も隠さない色。白旗は休戦の信号であり、平和を意味するのです。また、対外的に考えると、白はどんな色が相手であっても、調和をとることのできる色です。そして様々な色に染まることもできます。相対する人や物事と調和をとり、融合してゆくことのできる、そんなお気持ちも、もしかしたら雅子さまが『白』をまとうことに込められているかもしれません」(青木氏)  カラフルで凝ったデザインをお召しの皇太子妃時代もすてきだったが、皇室に入られて人生の半分の年月を過ごされたいま、白を潔くまとわれる雅子さまの姿は明るく差し込む希望の光のようだ。(AERAdot.編集部・太田裕子) 青木淳子/東京大学学際情報学博士。歴史文化学研究者。学習院女子大学、フェリス女学院大学、実践女子大学、大東文化大学などで非常勤講師。日本フォーマル協会特別講師。著書に『近代皇族妃のファッション』(中央公論新社)、『パリの皇族モダニズム』(KADOKAWA)
皇室雅子さま
dot. 2023/02/12 10:00
「梅沢富美男」72歳で超多忙の日々 “昭和の頑固オヤジ”が「3度目のブレーク」をできたワケ
藤原三星 藤原三星
「梅沢富美男」72歳で超多忙の日々 “昭和の頑固オヤジ”が「3度目のブレーク」をできたワケ
梅沢富美男  72歳という高齢でありながらバラエティー番組に引っ張りだこの梅沢富美男。人気番組「プレバト!!」(TBS系)では、俳句で確かな才能を発揮して永世名人として君臨。句集出版にあと一歩まで迫りつつ、“イジられキャラ”として共演者からも愛される。同番組を毎週楽しみにしているキッズたちからも大人気。他にもさまざまな番組に起用され、老若男女問わず幅広い人気を獲得している。  かつて大衆演劇のスターだったとはいえ、若い世代にはなじみが薄かったであろう梅沢が、なぜここまで人気者になったのか。バラエティー番組を手掛ける放送作家はこう話す。 「とにかくオールマイティーなのが梅沢さんの強みです。共演NGもありませんし、誰とでもテンポのいいコンビネーションを見せつつ、誰にでもイジらせる。最初にポーズとして偉ぶりつつも、年下の共演者にイジらせるように持っていく立ち回りはお見事です。『老害キャラ』『浮気者キャラ』などを変幻自在に使い分けられるので、梅沢さんが出るだけで番組のいいアクセントになる。常に自分の立ち位置をわかっていて、番組の進行を邪魔しない程度に破壊力のあるコメントをするのも得意です。もはや最強のバラエティータレントと言っても過言ではないでしょう」  父親が旗揚げした剣劇一座「梅沢清劇団」を1963年に実兄が引き継ぎ(「梅沢武生劇団」)、実兄の勧めで「女形」を演じるようになると「下町の玉三郎」と呼ばれるほどの看板役者になった梅沢。82年には小椋佳氏が作詞・作曲を手がけた「夢芝居」が大ヒットし、翌年には同曲でNHK紅白歌合戦にも初出場した。  こうした輝かしい実績だけでなく、民放テレビ局のディレクターが強調するのは、梅沢の「人柄のよさ」だ。 「孫ほど年の離れた藤田ニコルさんとプライベートで“デート”するほど仲良しなことも有名です。芸能界での交友関係の広さは随一ですが、その理由はやはり人柄のよさだと思います。梅沢さんは頑固オヤジのイメージとは裏腹に、現場では非常に気さくで腰が低い。大衆演劇出身で、物心ついたころからショービジネスの世界にどっぷりとつかっていた方なので、人の懐にスッと入るのがうまいんでしょう。むしろ年を重ねるごとに、愛嬌(あいきょう)や人懐こさが増しているように思います」  ツイッターやブログもまめに更新し、高齢でもデジタルに適応しようと努力できることも、芸能人としての才能のひとつだろう。  最近では意外な苦労話が話題となった。1月26日放送の「徹子の部屋」(テレビ朝日系)では、実兄の借金を肩代わりし、9年かけて完済していたことを告白。バラエティー番組ではいつも笑いを振りまく梅沢の、知られざる一面がクローズアップされた。 「座長となったお兄さんのおかげで舞台に出られるようになった梅沢さんは、それをずっと恩義に感じていて、お兄さんがだまされてつくった何十億円もの借金を返すために、持ちビルなどを売却。それでも何億円も足りず、仕事をしまくったと語っていました。2011年から9年かけて全額返済できたそうですが、昨年にお兄さんが亡くなったため、この話を初めて公開したそうです。何十億円もの借金を9年で全額返済できるほどいろんな仕事を詰め込み、ただひたむきに大量の仕事をこなし、ちゃんと結果を出し続けてきたからこそ、今のバラエティーの人気にもつながったのでしょう。なぜ大スターだった梅沢さんがここまでいろんなバラエティーに出続けてきたのか不思議だったのですが、このエピソードを聞いて合点がいきました。お兄さんへの感謝、舞台役者としての矜持(きょうじ)、さまざまな思いが今のブレークにつながっているのだと思います」(テレビ情報誌の編集者) ■多忙でも地方テレビ局に出続ける  スポーツ紙の芸能担当は梅沢の芸能人生をこう振り返る。 「1980年代、大衆演劇ではすでに梅沢さんはスターでしたが、歌手として『夢芝居』がヒットしてからはテレビ界にも進出。2000年代以降はコメンテーターの仕事が増え、特に『情報ライブ ミヤネ屋』での歯に衣(きぬ)着せぬコメントぶりで、梅沢さんのご意見番としてのイメージが定着しました。10年代には主戦場をバラエティー番組に移し、大人気タレントになった。つまり、今の梅沢さんは“3度目のブレーク”の真っただ中なんです。ギャラの相場は安くはないはずですが、地方局のTOKYO MXにも出演し続けているところもすごいですし、今では子どもたちがファンレターを送ってくるほどの『愛されおじいさん』になっています。大衆演劇でデビューしたころから、お客さんを楽しませるのが梅沢さんの全てであり、そこには労を惜しまない人なのです。お兄さんの借金を完済できた今、やっと“3度目のブレーク”を楽しめているのかもしれません」  芸能評論家の三杉武氏は梅沢富美男についてこう述べる。 「梅沢さんは実績や年齢的にも大御所といってもいい存在ですが、女子高生の間でも人気を集め、一緒に撮影できるプリントシール機まで登場するほどです。情報番組などではニュースに対して怒っている印象が強いのですが、視聴者と同じ目線で厳しい意見もハッキリと口にするスタンスが、主婦層を中心に高い支持を集めています。一方で若い女性たちの間では、やたらと怒る“昭和の頑固オヤジ”的な雰囲気が物珍しいのか、かえってレアなマスコットキャラクターのような存在として注目を集めています。昭和から活躍する大御所で、全世代に人気がある芸能人はとても珍しい。庶民派感覚もしっかりと持ち、若い世代の話題にも柔軟に対応するあたり、実際は頑固とは反対に非常に豊かな感性を持ち、バランス感覚に優れた方なのでしょう」  72歳の大御所が成し遂げた“3度目のブレーク”は、しばらく続きそうだ。 (藤原三星)
梅沢富美男
dot. 2023/02/07 11:30
「呼吸追いつかずぶっ倒れるきつさ」でもマスクは外さない 「マスクはもはや顔の一部」と専門家
「呼吸追いつかずぶっ倒れるきつさ」でもマスクは外さない 「マスクはもはや顔の一部」と専門家
3年間続いているマスク生活。政府による「屋内外問わず個人の判断に委ねる」との方針変更で街中の光景も変わるだろうか(photo Getty Images)  政府は、5月8日に新型コロナを5類感染症に引き下げると発表した。マスク着用は「個人の判断に委ねる」方針。外す、外さない、あなたはどうする? AERA 2023年2月13日号の記事を紹介する。 *  *  *  すでに報道されている通り、政府は1月27日、新型コロナの感染症法上の位置付けを5月8日に「5類」に引き下げると決定。季節性インフルエンザなどと同じく、感染後の行動は自主的な判断に委ねられる。今回の方針変更で注目が集まっているのが「屋内外問わず個人の判断」となったマスクの着用だ。 「マスク生活は従来通りかな」と話すのは、都内在住の女性。運動が趣味で、毎日スポーツジムに通っている。トレーニング中、スマートウォッチが示す最大心拍数(220-年齢)は190を超える。46歳の女性にとって「190超え」は、「呼吸が追いつかず、終わった後ぶっ倒れるきつさ」。それでも感染するのが嫌で、マスク着用を守ってきた。コロナ禍になって入会したので、トレーニング中の必死の形相はだれにも見せたことがない。「今さら、みなさまにお見せできません」と女性。  心理学者で医学博士の鈴木丈織さんは「マスクはもはや顔の一部」と言い、こう続ける。 「マスク生活は惰性になっており、外すことに生理的に違和感を覚える人は多いでしょう。しかも、この3年間で植え付けられたコロナへの潜在的な恐怖感があるし、今後どんな変異株が出てくるかわからない。すぐに外す気にはならないのでは」  筆者の友人知人に限っていうと、聞こえてくるのは、マスク生活の楽ちんさだ。「すっぴん、あるいは最小限の化粧で出かけられる」「なんなら寝起きの顔でも電車に乗れる」「髭剃りを毎日しなくなって、肌荒れがなくなった」「マスクを着けている方がかわいく見える」「マスク警察も最近は見かけないので、屋外で息抜きでき、マスク生活が苦じゃなくなった。メリットが大きいかも」といった声も。 ■人の目気にする国民性  女子大学生を対象に、顔のコンプレックスに関して調査した桜美林大学リベラルアーツ学群教授の山口創さんはこう話す。 「コンプレックスを感じる部位として最も多かったのが、鼻と顔の輪郭でした。それらが隠せるマスク着用は、暑くて息苦しい季節を除き、続行するのではないでしょうか。私の大学の学生さんからも『マスクを外すのは恥ずかしい』という話をよく聞きます。また日本人は同調を意識する国民性があり、周囲が外さなければ、5類になっても外さないままでしょう」  米ニューヨーク在住のジャーナリスト、シェリーめぐみさんは「国民性」に深くうなずく。 「日本人は人の目を気にする国民性で、アメリカ人ほど顔を隠すことへの抵抗が少ない。もともとインフルエンザの季節にはマスクを着けるお国柄で、インフルエンザと同じ5類と言われたら、逆にマスクを着けてしまうのでは、と思っている」 ■マスク見かけない米国  世界最多の感染者数を記録したこともあるニューヨークでは、公共交通機関を含めマスク着用義務はすべて解除され、現在は医療機関、老人ホームのみで着用が義務付けられている。シェリーさんは言う。 「昨年末から今年初めにかけてオミクロン変異株が大流行し、屋内でのマスク着用が推奨されました。それによって一時はマスクをする人が微妙に増えたかのようでしたが、現在は屋外ではまず見かけません。地下鉄の中で1~2割といったところ」  シェリーさんは最近、取材で米ラスベガスに行った。国内線の飛行機は超満員であるものの、マスクを着用する人はいなかった。ラスベガスでもマスク姿は見かけなかった。 「ニューヨーク以外で言うと、マスク離れは南部の共和党州ほど早く、ピーク時でもマスクをしない人がかなりいました」  フロリダ州では昨年春、自治体が決めたマスク着用義務を裁判所が差し止め。自治体が個人にマスクを強要するのは憲法違反との判断となっている。フロリダ州知事で、来年の共和党大統領候補ナンバーワンと目されるデサンティス氏は、マスクとワクチン義務付けを恒久的に禁止する法律を提案している。バイデン政権はコロナをめぐる国家非常事態宣言を5月11日に解除する方針を明らかにしている。 「アメリカ人の間ではすでにコロナはエンデミック(一定期間で繰り返される流行)という認識です」(シェリーさん) (ライター・羽根田真智)※AERA 2023年2月13日号より抜粋
新型コロナウイルス
AERA 2023/02/07 08:00
子どもと大人はこんなに違う! 「体と心が発達途上の子どもには、ステージに応じたケアが大切」と医師
子どもと大人はこんなに違う! 「体と心が発達途上の子どもには、ステージに応じたケアが大切」と医師
子どもの健康を守るためには、まず子どもの心身の特徴を知ることが大切です ※写真はイメージです  子どもは大人を小さくしただけの「ミニチュア」ではなく、臓器や身体機能、精神、全てにおいて発達途上にある独特の存在です。まずは子どもの体と心の特徴を知って、毎日のケアに役立てていきましょう。前編では、子どもの健康を守る上で知っておきたい「子ども」と「大人」の違いを、いりたに内科クリニック院長の入谷栄一先生に聞きました。後編では子どもが病気にかかった際の具体的な注意点を紹介します。本記事は、日本メディカルハーブ協会HPの記事を一部改変してお届けします。 *  *  * 「子どもは小さな大人ではない」  これは18世紀の哲学者ルソーの教育論の中の言葉です。ルソーは子どもを大人とは全く違う生き物であり、子どもには子ども固有の世界観があると考えました。こうした考え方はその後の児童教育に大きな影響を与え、教育分野だけでなく現代の小児医療にも受け継がれています。私たちはともすれば子どもは大人の縮小版と考えがちです。子ども時代という固有の世界を正しく理解して成長過程に合わせた適切なケアをしていきましょう。 ■子どもの体と心は発達途上 ステージに応じたケアが大切  大人とは違う子どもの最大の特徴は、臓器、体の機能、精神、全てにおいて発達途上であり、未完成の状態であることです。大人と子どもとは体の仕組みも、罹患する病気の種類も、治療法も違います。  こうした違いを確認できるのが、子どもの成長と発達の過程です。ちなみに医療の分野では、「成長」は臓器や身体全体が大きくなることをいい、「発達」は臓器や身体の機能を向上させることをいいます。  人は生まれてから「新生児」「乳児」「幼児」「学童」と次々と名前を変えて呼ばれます。なぜなら、心身共に変化をしていく子どもに対しては、それぞれのステージに応じた向き合い方が必要だからです。  子どもの健康を守る上で、大人は自分の体を基準にすると判断を誤ることがあります。そのため保護者や子どものケアに携わる人は、子どもの体の特徴をよく理解しておくことが大切です。 <子どもの発育期の分類>新生児期: 出生後4週間まで乳児期: 満1歳まで幼児期: 満1歳から小学校入学まで(1~6歳)学童期: 満6~12歳まで(小学校在学期間)思春期: 二次性徴の始まりから完成まで(11歳前後~18歳頃まで)  子どもは体形も体のサイズも大人と違うだけでなく、体の内部の働きも異なっています。ここでは、成長・発達が著しい0~6歳の子どもの体の特徴を紹介します。 ■成長ホルモンの分泌が盛ん  全身の細胞の代謝を活性化させ、組織を増大させる成長ホルモンの分泌が盛ん。身長の伸びにも成長ホルモンが大きくかかわっています。成長ホルモンは深い眠りの時に多く分泌されるので、「寝る子は育つ」は本当の話です。分泌のピークは思春期の後半(女子12歳、男子15歳頃)で、成長期を過ぎると減少していきます。 ■子どもは体温調節が苦手  体温は皮膚の毛細血管を収縮・拡張させたり、汗をかいたりすることで一定に保たれていますが、子どもはこの体温調節機能が未熟です。しかも体重当たりの表面積が大きいため、周りの環境に影響されやすく、室温が高かったり服をたくさん着ていたりするだけで体温が上昇してしまうことがあります。 ■子どもは心も発達途上  考える力(思考能力)や記憶、言語、情緒、社会性など、精神的な部分も体の成長と共に形成されていきます。ただし、発達の仕方は個人差が大きく、生育環境にも左右されます。また、一般に子どもは大人と比べ心の悩みが体と直結しやすく、ストレスが体調不良として現れやすい傾向があります。 ■子どもは心拍数(脈拍)が多い  子どもの心臓は大人よりも小さく、1回の収縮で送り出せる血液量が少ないため、心拍を速くして送り出す血液量を増やしています。成人男性の心拍数は毎分65~70回、成人女性は70~80回なのに対し、幼児の心拍数は110回前後と、標準的な大人の約1.5倍です。6歳くらいになると90回程度になります。 ■子どもの骨はしなやか  大人の骨は硬くて丈夫ですが、強い衝撃が加わるとポキッと折れやすい面が。一方、子どもの骨は軟らかくしなやかにできているため、若木の小枝のように折れにくく、たとえ骨折しても副木を当てておくだけで治癒するケースがほとんどです。大人のように硬い骨になるのは思春期を過ぎてからです。 ■子どもは脱水症状を起こしやすい  子どもは体に占める水分の割合が高く新陳代謝も活発で、大人よりも多くの水分が必要にもかかわらず、腎臓の尿を濃縮する機能が未熟なため、体内の水分や塩分をどんどん排泄してしまい、脱水症状を起こしやすい特徴があります。年齢によりますが、体重の4%程度の水分が失われると脱水症状に陥り、汗がかけなくなり、体温も上昇していきます。 ■人体に占める水分量の割合  生まれたばかりの赤ちゃんは体の約75%、幼児でも約70%は水分でできており、皮膚からの蒸発や呼吸で失われる水分も多く代謝も活発であることから、大人より多くの水分を必要とします。発熱や下痢、嘔吐などがきっかけで脱水症状になることもあるので注意が必要です。  子どもがかかりやすい病気や症状の出方、その注意点を後半で紹介します。 【後編はこちら】≫子どもは急に病気になる 気づいてあげたい「不調のサイン」と「急変時の対処法」を医師が紹介 監修/入谷栄一先生 いりたに内科クリニック院長。総合内科専門医、呼吸器専門医、アレルギー専門医。日本メディカルハーブ協会顧問。東京女子医科大学呼吸器内科非常勤講師。在宅診療や地域医療に力を入れる他、補完代替医療やハーブ、アロマに造詣が深く、全国各地で積極的に講演活動も行う。著書に『病気が消える習慣』、『キレイをつくるハーブ習慣』(経済界)など。 監修/入谷栄一(いりたに・えいいち)先生 日本メディカルハーブ協会HP
子どもの病気病気病院
dot. 2023/02/06 16:00
雅子さまのドレス「あの時のものだ」着回しに込められた思いとは 歴史文化学研究者が解説
雅子さまのドレス「あの時のものだ」着回しに込められた思いとは 歴史文化学研究者が解説
「歌会始の儀」の天皇皇后両陛下  1月18日に皇居・宮殿「松の間」で行われた新年恒例行事「歌会始の儀」での皇后陛下・雅子さまのドレスは、皇太子妃時代にトンガ王国の戴冠式に参列したときにお召しになったものだった。こうした雅子さまの着回しやそこにある思いについて、歴史文化学研究者の青木淳子氏に話を聞いた。 *  *  * 「歌会始の儀」が行われた皇居・宮殿「松の間」に天皇陛下に続いて雅子さまの姿が見えるとそのドレスに「あの時のものだ」と気づいた人も多かった。SNSの書き込みには、 <皇后雅子様のこのドレスはトンガ王国の戴冠式にご参列された時のものですね。「あの時のものだ」とすぐにわかりました。久しぶりのご夫妻揃っての海外。とても晴れやかでお幸せそうな御姿でした。><雅子様のドレスは、皇太子妃時代にトンガ王国の戴冠式に出席されたときにお召しになっていたものではないかと思います。>などの声が上がった。 「気づかれた方も多かったですが、このドレスは、2015年にトンガ王国を訪問された際、トゥポウ6世の戴冠式でお召しになっていたローブモンタント(※首元のつまった長袖のロングドレス。日中の正装)でした」 2015年トンガ王国を訪問されトゥポウ6世の戴冠式に参列された皇太子妃時代の雅子さま  とは歴史文化学研究者で皇室のファッションにも詳しい青木淳子氏。このドレスについて「新年を寿ぐ気持ちと、国民に寄り添う気持ちを感じました」という青木氏は続けて、こう解説する。 「新年に着用する衣服に『梅春もの』という感覚があります。日本人は四季の感覚を大切にすると言われていますが、秋には錦繍を思わせる茶色やボルドーなど深い赤味のある色などを、私達も自然に選びますし、ショーウインドウにも、同じ緑系統でも深みのある色合いが並ぶと思います。そうした冬を乗り越えて、お正月を迎えたとき、白や淡いペールカラーなど明るい色を着用し、新年を寿ぐおめでたい気持ちを表現します。それら明るい色の衣服を『梅春もの』といいます」(青木氏)  3年ぶりに行われた新年一般参賀に始まり、先月1月のお出ましの雅子さまは『梅春もの』であった。 新年一般参賀の雅子さまと愛子さま。袖口のボタンは6つで、なおかつフォルムも似ている 「雅子さまは、皇室の新年の4つの行事では、いわば『梅春もの』のお色で、登場されました。新年祝賀の儀では慣例に則り白いロングドレス、新年一般参賀でもオフホワイトのドレス、講書始めの儀では、淡いブルーのドレス、そして最後の歌会始めも、オフホワイトのドレスで締めくくられました」(青木氏)  新年一般参賀では隣に並んだ長女・愛子さまのドレスは雅子さまと袖口のボタンの数が一緒でフォルムもそっくりと話題になったが、愛子さまのドレスも光沢のある清々しい水色だった。たしかに、そのお姿には晴れやかな気持ちになった。青木氏はこうしたドレスに雅子さまの思いを推察する。 「一連の行事に白や明るい色のドレスでお出ましになったお姿を拝見する私達は、お正月の改まった気持ちと、新年を寿ぐ気分を感じるのではないでしょうか。もしかしたら、雅子さまの四季を愛で新年を寿ぐ感覚を大切にするお気持ちが、ドレスの選択に表れたのかもしれないと推察します」(青木氏) 「歌会始の儀」のドレスは2015年にお召しになったものだったが、何度も着用されると、今回のように「あの時のお召しのものだ」と気が付かれてしまうことも当然多いかと思うが、  着回しのルーティンみたいなものはあるのだろうか? 青木氏は「雅子さまが着回しをされる際に、国民に気づかれるか、そうでないか?とは、気にされていないと思います」といい、こう解説する。 「むしろ、着回しされる時には、『その場にふさわしい着こなし』に留意されるのではないでしょうか。例えば、講書始めの儀で着用された水色のドレスは、2008年新年一般参賀で参列された時に着用されていました。その時、雅子さまは皇太子妃でした。雅子さまは、淡いブルーのシンプルなデザインのドレスが清楚でありながら、三連のパールのチョーカーを合わせて、皇太子妃らしい華やかな装いとなっていました。ところが、今回、講書始めの儀では学問と関連した場ですから、アクセサリーは控えめでした。前ボタンだけのデザインに、一連のパールのネックレスは知的な印象でしたね」(青木氏) 「歌会始の儀」の雅子さまのドレスからは衣擦れの音色は聞こえてきそうなほど気品にあふれている  同じドレスでも皇太子妃時代はアクセサリーで清楚でかつフレッシュな気品、時を経て59歳の雅子さまは同じドレスに一連パールを合わせられ知的な品格が感じられた。歌会始の儀のドレスも同様である。青木氏はそのドレスをこう解説する。 「歌会始めの儀のドレスは、とても凝ったものです。オフホワイトの唐草模様がレース状に表されています。写真で拝見する限りですが、おそらく、レースの上にごく薄いシルクのオーガンジーを合わせたような布で作られたものではないでしょうか。シルクはその動きに合わせて『衣擦れ(きぬずれ)』というかすかな音を立てます。雅子さまが歩かれる気配が、伝わってきそうです。また、胸元にはV字型に、レースが重ねられており、そこに小さなビジューの装飾があります。雅子さまが動かれると、それらの装飾がキラキラと胸元で光って、お顔を明るく照らします。間近では、神々しさをも感じることができるかもしれません。トゥポウ6世の戴冠式という格式のある行事に相応しいドレスといえるでしょう。戴冠式では勲章を佩用(はいよう)されていました。その時勲章の綬(じゅ)を胸元で留めていらしたブローチと大変よく似たものを、今回は、襟の中心になさっています。アクセサリーはシンプルですが、まさに新年の4つの行事の締めくくりに相応しい、シンプルでありながら格の高い装いだといえるでしょう」(青木氏)  着回しという言葉のはるか上をいく、こうも同じドレスが輝いて見える着こなしへの工夫だったとは――。アクセサリーなどの装飾品のあしらい以上に、雅子さまのたたずまいや存在そのものが何度同じドレスを着ても素敵に映すのだろう。(AERAdot.編集部・太田裕子) 青木淳子/東京大学学際情報学博士。歴史文化学研究者。学習院女子大学、フェリス女学院大学、実践女子大学で非常勤講師。日本フォーマル協会特別講師。著書に『近代皇族妃のファッション』(中央公論新社)、『パリの皇族モダニズム』(KADOKAWA)
皇室雅子さま
dot. 2023/02/04 10:00
学校の性教育で「性交」を取り扱うハードルの高さ 障壁となる「はどめ規定」の実態
古田真梨子 古田真梨子
学校の性教育で「性交」を取り扱うハードルの高さ 障壁となる「はどめ規定」の実態
立体イラスト kucci  正しい性教育は性情報にあふれる中で暮らす子どもを守るほか、セクハラや強制性交罪などの抑止にもつながると期待される。しかし、多くの学校は学習指導要領の「はどめ規定」のため、積極的な性教育の実施をためらっている。実態を追った。AERA 2023年1月30日号の記事を紹介する。 *  *  * 「1、目と目が合う。2、言葉を交わす。3、並んで歩く。4、手をつなぐ。5、肩を抱き寄せる……」  1月上旬、埼玉県川越市の市立中学校の体育館に産婦人科医の高橋幸子さんの声が響いた。「交際の12段階」についての説明を聞いているのは、3年生の男女約140人。段階が進むにつれて、顔を見合わせたり、ざわついたりする生徒たち。 「6、腰に手を回す。7、近い距離で向き合う。8、見つめ合う。9、唇が触れる……」  わぁ、きゃあ、という声があちこちで漏れる。 「10、互いの性器に触れる。11、裸で接触する。12、性器の挿入を伴う性行為」  ざわめきが大きくなったところで、高橋さんが言った。 「交際には順番があって、段階があります。お付き合いをして、いきなり12番ということはないんだよね。パートナーがどの段階を望んでいるのか、はっきりと口に出して聞くことができる対等な関係でいてほしい。『触れる』という言葉がある9番以降は性感染症の可能性があって、12番は妊娠につながる行為です」  体育館は、しんと静かになった。高橋さんが教えてくれた、性教育講演の様子だ。 ■自分を守る未来の選択  埼玉医科大学病院(埼玉県毛呂山町)の産婦人科で思春期外来を担当する高橋さんは、2007年から学校での講演を始めた。訪問先は小学校から高校まで年間100件を超える。勤務先で、予期せぬ妊娠で中絶期間を過ぎてしまった少女らに接してきたことがきっかけのひとつだという。 「かつての性教育は『あなたたちはかけがえのない大切な存在です』というキラキラした部分だけのものでした。でも、それではダメ。妊娠や中絶について具体的に知ることで、初めて自分を守るための未来の選択ができると思います」(高橋さん)  いま子どもたちは、インターネットで24時間いつでも性情報に触れることができる。高橋さんは、危機感を口にする。 「高校生になると、私が伝えたいことはゆがんだ形ですでに子どもたちに入り込んでいると感じることがあります」  日本性教育協会(東京都)が約6年ごとに実施している「青少年の性行動全国調査」によると、17年の高校生の性交経験率は男女とも2割を切り、前回調査よりやや減少。一方、中学生の経験率は男子約4%、女子約5%で、1987年の調査開始以来、上昇傾向が続いている。  だからこそ、早めに正しい性教育を──。そう判断し、動き出している自治体や学校は冒頭の川越市のように増えている。けれど、全ての学校現場で積極的な性教育が展開されているかというと、そうでもない。  障壁となっているのは、学習指導要領にある「はどめ規定」だ。学ぶ内容を制限するもので、性教育の分野では、小学5年の理科で「人の受精に至る過程は取り扱わないものとする」、中学校の保健体育で「妊娠の経過は取り扱わないものとする」という一文で示されている。  いずれも98年の改訂時に加えられたものだ。例えば中学の保健体育の教科書には、「生殖機能の成熟」について学ぶ単元で身体の成熟と受精卵が着床して赤ちゃんが誕生することは図解されているが、前提となる性交の記述がない。そのため、望まない妊娠や中絶についても原則として授業で取り上げることができないことになっている。 ■法的に義務付けの意味  保健体育を管轄するスポーツ庁の担当者は、 「『はどめ』という言葉が独り歩きしている部分がある。集団で一律に指導するためにつくられたのが学習指導要領。発達の差が大きく、性に関する価値観が多様化している中、各学校で必要に応じて実施してもらえばいい。禁止はしていない」  と説明する。だが、元文部科学事務次官の前川喜平さんは、 「『取り扱わないものとする』という書き方になっている。『ものとする』は、法的に義務付ける意味を持ちます」  と指摘する。さらに、実施するためには「学校全体で共通理解を図ること」「保護者や地域の理解を得ること」など、ただでさえ忙しい学校現場が尻込みしてしまうような四つの条件がつく。「はどめ」を超えた性教育のハードルはなかなかの高さなのだ。 ■激しい性教育批判も  激しい性教育バッシングもあった。  03年、都立七生養護学校(当時)で在校生同士が性関係を持ったことから、教員が知的障害のある生徒向けの独自の性教育プログラムを作成した。わかりやすいように性器の部位や名称を入れた歌や人形を使って、具体的に性交を教える内容だった。しかし、都議会議員が「不適切」と批判。都教育委員会が校長や教員を降格や厳重注意処分とした(13年に最高裁が処分は違法と認定。教員側が勝訴)。  05年には戦前から続く家父長制に基づく家族観を重んじる自民党内で「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」が発足。当時幹事長代理だった安倍晋三氏が座長、山谷えり子参議院議員が事務局長に就き、過激な性教育は「より性を乱す」と主張して全国の性教育の実態調査もした。学校現場の萎縮はピークに達した。 「『壁ドン』して『好きだ』と言えば妊娠するとでもいうのでしょうか? 現状では、校長先生や管理職のカラーによって子どもたちが受ける性教育に差が出てしまう。大きな問題です」  と一貫して主張してきたのが、一般社団法人全国妊娠SOSネットワーク代表理事で医師の佐藤拓代さんだ。だが、21年春に文科省主導でスタートした「生命(いのち)の安全教育」の教材にも「性交」は一切出てこない。子どもたちが性暴力の加害者、被害者、傍観者にならないことを目指したもので、セクハラや強制性交罪などの抑止にもつながると期待されているプログラムだが、「性交」を教えずして性被害の実態を理解させようとする内容に失望の声が広がる。  佐藤さんが座長を務める日本財団の「性と妊娠にまつわる有識者会議」は昨年8月、人権教育を基本にした「包括的性教育」の必要性を指摘し、学習指導要領の見直しを求める提言書を発表した。 「指導要領の改訂には10年かかる。それを待たずいわゆる『はどめ規定』を撤廃する通知を出してくれればいい」(佐藤さん)  動かない政府。一方で、性教育を求める動きは年々活発になっている。 立体イラスト kucci  19年春、家庭でできる性教育情報を発信するサイト「命育」を立ち上げた宮原由紀さんは、3児の母だ。子どもたちが性器に純粋な興味を持ち始めた頃、対応方法がわからずにインターネットで検索。ほとんど情報がないことに愕然(がくぜん)とした経験が原点だ。  ウェブメディアで働いた経験があったこともあり、同じ課題意識を持つ友人に声をかけてサイトを開設。産婦人科医や専門家に監修してもらい「男の子の性器の洗い方」「プライベートゾーンってなあに?」「あかちゃんはどこからくるの?にどう答えるか」といった、身近にある性にまつわるトピックを発信している。アクセスは現在、月50万ビューを超えるという。 ■学ぶことで慎重になる  漫画など学びやすいコンテンツも増えている。長年、性教育に携わってきた元高校教員の村瀬幸浩さんとイラストレーターのフクチマミさんの共著『おうち性教育はじめます』シリーズ(20・22年)は累計24万部を超えるベストセラーに。3歳以降の子どもを持つ親向けに描かれたもので、 「今の親世代は、十分な性教育を受けていない。自ら学び直しながら、子どもに向き合おうという人に読まれている」(フクチマミさん)  ここ数年、日本社会では、ジェンダー平等やLGBTQなどを受け入れる機運が盛り上がる。それは性教育の追い風にもなりつつある。  18年、東京都足立区立中学で3年生を対象に行われた性教育の授業で「性交」「避妊」などの言葉を使ったことを都議が批判。都教委が指導に入る事態となったものの、区教委が「必要な授業だ」と反論したことは、大きなニュースとなった。当時この授業を行った保健体育科の元教諭、樋上典子さんは言う。 「避妊を教えると性行動が活発になると言う人がいますが、短絡的です。学ぶことで慎重になる様子が子どもたちのアンケートや感想から読み取れます。自分の体を守るためにも正しい情報を発信し、子どもたちと本音で語り合える環境がほしいです」  国は実態に向き合い、考えるべき時にきている。(編集部・古田真梨子)※AERA 2023年1月30日号
AERA 2023/01/25 08:00
40歳になった倖田來未が振り返る“芸能界での浮き沈み” 「奈落の底に突き落とされた時もありました」
上田耕司 上田耕司
40歳になった倖田來未が振り返る“芸能界での浮き沈み” 「奈落の底に突き落とされた時もありました」
倖田來未(撮影/加藤夏子) 昨年11月13日、倖田來未は40歳を迎えた。「エロかっこいい」と称される独自のスタイルを確立し、常に進化し続けてきた。1月18日にMusic & Live Package「WINGS」がリリースされた。今年でデビューから23年目となる倖田來未は、アーティストとしてどんな高みを目指すのか。また、結婚、出産をへて母親となった今、ひとりの女性としてどのような人生を歩もうとしているのか。彼女の“リアルな思い”を単独インタビューで聞いた。 *  *  * 都内のスタジオに現れた倖田來未は、オリーブ色のスーツにアッシュ系の金髪をなびかせ、独特のオーラを放っていた。その場を一瞬で自分色に染めてしまうのは、さすがはトップアーティストだ。  インタビューでは、最初に「浮き沈みが激しい芸能界を振り返って、今はどのような思いですか」と聞くと、真摯にこう答えてくれた。 「私の場合は、本当に浮き沈みというか、うまいこといっている時に限って、自分で自分の足を引っ張ってしまったり、奈落の底に突き落とされた時もありました。山あり谷ありが何度もありました。ただ、それも自分では前向きにとらえながら、気がついたら、もう23年目に突入していたという感じです。もちろん、いろいろな分岐点がありました。子どもを授かって、結婚して、ツアーがすっぽりなくなってしまったこともありました」  2011年12月、倖田はロックバンド「BACK-ON」のボーカルKENJI03との結婚、妊娠を発表。それにともない、12年4月から予定されていた全国ツアーが中止となった。「来年春の私の状態では100%の演出やパフォーマンスをお見せすることができない」というのが、当時のツアー中止の理由だった。女性の心身に大きな負担がかかる妊娠と出産は、アーティストとしての活動にも大きく影響した。 「その後、ツアーの観客動員を戻すのにすごく時間がかかりました。すでに全国ツアーのチケットを発券済みだったので、そのキャンセルや振り替えで、ファンの方や関係者に多くのご迷惑をおかけしてしまいました。一時期は、ファンの方に残念な気持ちにさせてしまったという思いはあります」 倖田來未(撮影/加藤夏子)  そうした思いを抱きながらも、前に進むことを諦めなかったからこそ、今の倖田來未がある。その情熱の原点は、歌手になることを夢見た10代だった。  倖田は京都府出身。高校は京都府内の私立高校に通った。 「中学時代、お母さんから『私立高に行くなら、お小遣いはないからね』と言われていたんです。結局、私立に進学したので、『自分でバイトする』と言ってお小遣いは自分で稼いでいました。高校1~2年の頃は、ガソリンスタンド、スーパーや生活ホビーショップでのレジ打ち、カラオケ店、居酒屋の店員など、いろいろなバイトをしましたね。唯一心残りなのは、クレープ屋さんでバイトをしなかったこと。どうして、あんなに好きなクレープ屋さんでバイトをやらなかったんだろうって、いまだにちょっと後悔することがあります(笑)」  バイトで稼いだお金はカラオケボックスで歌ったり、CDを購入したりと、音楽への夢につぎ込んだ。そして高校2年の時、エイベックスのオーディションで準グランプリを受賞。だが、すぐにデビューが約束されていたわけではなかった。 「最初はレッスン生のような扱いでした。レッスン生として“お試し期間1年”みたいな感じだったんです。当時はダンスレッスンは、EXILEのHIROさん(現・LDH JAPAN会長)がコーチをしてくれて、他にはウォーキングとボイトレを受けました。毎週末、京都から東京に行って、HIROさんのレッスンを受け、日曜日に帰るという生活を送っていました」  レッスン生として夢を追い続け、倖田がデビューをつかんだのは2000年12月。ファーストシングル「TAKE BACK」を発表した。ミュージックビデオ(MV)を見ると、当時はロングの黒髪で、まだあどけない少女の面影が残っているが、パンチがありながらも伸びやかな歌声は、やはり才能の片鱗を感じさせる。 「高校3年の夏休みにMVを撮っているんですが、校則がめちゃめちゃ厳しい女子高だったので、髪の色は黒のままでした。ヘアメークさんにエクステを付けてもらってロングヘアにして撮影しました。顔はふっくらしていましたが、体重的には今より痩せていたんですよ(笑)。実はデビュー曲はアメリカで先行発売して、ビルボードで18位になったんです。こんなことは、坂本九さん以来の快挙とも称賛されたんですが、日本では全然ヒットしなかったんです……」 倖田來未(撮影/加藤夏子)  デビュー曲が日本では売れなかったこともあり、倖田の知名度はなかなか上がっていかなかった。それからしばらく、何年もヒットに恵まれない下積み時代が続いた。 「私は歌が好きだから、最初は『とにかく歌えているからいいや』みたいな感覚でした。でもそれを3年間くらい続けて、さすがにこれではいけないと思うようになりました。出る杭は打たれると言うけれど、私は杭が見えてもいない。“出る杭”にならないといけないと思いました」  そんな状況のなか、妹のmisonoの方が先に売れた。misonoは02年8月、3人組のバンド「day after tomorrow」としてデビューするや、ヒット曲を連発。同年の年末には日本レコード大賞新人賞に輝いた。 「お姉ちゃんとしてこれでは恥ずかしいと、とにかく妹に追いつかないと、という気持ちでした。妹は自分をプロデュースするのにたけています。この曲にはどんなファッションが合うか、どういうパフォーマンスをすれば盛り上がるのか、そうしたビジョンがすごくしっかりしていたんです。私もそれを考えて、研究するようになりました。たとえば、当時はDREAMS COME TRUEさん、m-floさん、安室奈美恵さんなどが人気で、私のことは誰も知らない。世の中に同じようなものは2つはいらないと思ったので、この人たちにないのものは何だろうと考えました。そこで、当時は誰もやっていなかった、プロポーションを生かしたファッションを前面に押し出す女性歌手、という売り出し方にたどり着いたんです」  当時、海外ではマドンナ、クリスティーナ・アギレラ、ビヨンセ、ジャネット・ジャクソンなど、大胆なファッションでパフォーマンスするアーティストが高い評価を得ていたが、日本には見当たらなかった。倖田の頭の中には、漫画「うる星やつら」のヒロインで、語尾に「だっちゃ」をつけて話すラムや漫画「ルパン 3世」のヒロイン峰不二子のイメージが浮かんだという。 「ただ、男性にこびるようなセクシーをやるつもりはなかった。女性が見てもカッコいいと思うものをやりたかった。だけど、実際はちょっと違う角度から取り上げられることも多かったんです。ヘンな角度から撮られた写真が出回って、お父さんは『なんちゅう格好で歌ってんねん』と周りから言われ、悲しい思いをしたこともあったみたいです」 倖田來未(撮影/加藤夏子)  だが、母親からは「倖田來未は倖田來未で、普段はくぅちゃんはくぅちゃんだから大丈夫」と言われていた。それゆえ、倖田には、そうした扱いも意に介さない強いハートがあった。いつしか、メディアでは「エロかっこいい」という称号がつけられるようになった。 「最初はどこかのスポーツ紙がつけてくれたと聞いています。『エロかっこいい』という倖田來未の代名詞をつけていただいたおかげで、初めて自分が肯定された気持ちになれました。それからは、より私にしかできないこと、自分らしさを求め続けました」  そして、2004年5月。アニメ「キューティーハニー」の主題歌のカバー曲が大ヒット。”エロかっこいい”というワードが全国に広まっていった。だが「キューティーハニー」も最初から売れたわけではなかった。 「発売当初はサラッとしたもので、それほど反響があったわけではありませんでした。むしろ、波に乗り損ねた感じでした。でも、その年の年末に『ミュージックステーション』の出演オファーをいただいて、そこで披露したら、直後からバーッと売れ出したんです」  このテレビ出演のインパクトが強烈だったのだろう。「キューティーハニー」は瞬く間にヒットして、翌年には日本レコード大賞を受賞、NHK紅白歌合戦への初出場も果たした。06年にリリースしたベストアルバムは180万枚を超えるセールスを記録した。倖田はこう振り返る。 「何年たっても、名曲というのは名曲でいてくれるんだなと再確認できるのが、『キューティーハニー』という曲なんです」 (AERA dot.編集部・上田耕司) ※後編<結婚12年目「倖田來未」が明かす“夫と息子”との私生活>に続く
倖田來未
dot. 2023/01/24 11:30
松任谷由実「数字的最盛期をああだこうだ言った人たちは、みんな滅びた(笑)」
松任谷由実「数字的最盛期をああだこうだ言った人たちは、みんな滅びた(笑)」
松任谷由実(まつとうやゆみ)/ 1954年、東京都出身。72年、荒井由実として「返事はいらない」でデビュー。翌年、ファーストアルバム「ひこうき雲」をリリースし、注目を集める。以降も、「やさしさに包まれたなら」(74年)、「ルージュの伝言」(75年)、「春よ、来い」(94年)などのヒット曲を次々生み出す。そのほか、本名や呉田軽穂名義で他のアーティストへ作品提供も行っている。2022年、50周年記念ベストアルバム「ユーミン万歳!」をリリースした。(撮影/写真映像部・加藤夏子)  若い世代の「荒井由実」人気を中心に、6度目のブームとなっている松任谷由実さん。  昨年発売した新曲「Call me back」では、AIで再現した「荒井由実」とのデュエットを披露するなど、さまざまな試みも。作家・林真理子さんとの対談では、自身の50周年を語るとともに、新たな挑戦についても語ってくれました。さらに大学業務で多忙をきわめるマリコ理事長に向け、クリエーター・ユーミンからも鋭い質問が──。 *  *  * 林:この50周年、世間って思ってたよりすごかった、ということあります? 松任谷:うん。「そこまで浸透してたのかな」と思って。 林:若い人たちは、ジブリなんかでよく知ってるんですよね。 松任谷:そう。ありがたいよね。 林:世代を超えて。 松任谷:世代を超えてといえば、ストリーミング(ネットに接続してダウンロードしながら動画や音楽を再生する方法)になったことね。何がいつリリースされたかが問題じゃなくて、出会ったものが新曲。だから多作でよかったと思う。何かに出会ってくれるから。 林:いまの若い人たち、どのへんの曲が好きだと言ってます? 松任谷:いまは「荒井由実」が中心かもしれない。70年代好きが多いしね。ただ、70年代終わりには、今評価されているCity popは既にやっていたけどね。林さんが言う「若い人たち」って40代でしょ? 林:20代かな。女子大生なんかにもユーミンファンがすごく多くて、「カッコいい」とか「ステキ」とかこのあいだもテレビで言ってたから、「そうだろ、そうだろ」って私なんかうれしくなっちゃった。 松任谷:うれしくなってくれるのがうれしい、林さんとかが。 林:「あんたたちの世代でこんな人いる?」みたいな感じ。 松任谷:林さんがそんなふうに言ってくれるから、こうして対談にもやってくる(笑)。バブルのころ踊らされてたのに、私をまるで戦犯のように「あれは一体何だったのよ」みたいな感じの女性記者もいるよ。そのときの自分を恥じてるかのような人たち。 林:そんな人たちがいるなんて。処刑だよ、処刑(笑)。 松任谷:アハハ(笑)。踊ったのは私じゃなくて、自分だもんね。 林:そういう人たちは消えていく運命だよ。 松任谷:そう思う。数字的最盛期のころのことをああだこうだ言った人たちは、みんな滅びてる(笑)。だって嫉妬から言ってるんだもん。私に嫉妬したら疲れるよ。ボールを壁打ちしてるようなもんで。だって、はじめから違うんだもん、存在が。偉そうに言ってるわけじゃなくて、自分の中から出てきてるものをやってるだけだから、批判の対象になり得ない。そんなところに食いついても、自分のエネルギーを無駄にするだけ。最盛期、第4次ブームぐらいのとき、ほんと風当たりが強かったよ。80年代後半から90年代。 林:このごろいろいろなものの形態がどんどん変わってきたし、CDも本も売れないし、テレビだって視聴率10%超えたら御の字じゃないですか。世の中がそんなふうに推移してるんだから……。 松任谷:わかりやすく言っちゃえば、物から事へ移ったりとか、さっき言ったように3次元的なことではなく、5次元を目指して、そういう記憶を自分の中に蓄積するというか。 林:ユーミンって年をとらないし、体力も落ちてないでしょう? 松任谷:落ちてはいるけれど、すぐ自分にアラームが鳴るから、反応が早いとは思う。「ヤバいな」ってことにすごく早く気づくので、自分と毎日向き合ってる。トレーニングもしてるし。 林:矢沢の永ちゃんが「ロックシンガーはフォルムだからね」って言ったけど、確かにそうですよね。パッとライトが当たったときに、太ったおばさんだったらまずいもんね。 松任谷:そうね。特にいまAIと共演してると、AIとの親和性が高くないとね。私だからアバターをつくれると思う。もっとアバターが一般的になってくれば、いろんな形のアバターが出てきていいけれど、いまは差し当たって最先端に見せるためにも、自分の(体の)ラインをちゃんとしておかないとね。 林:すごいと思います。「こういうストリートファッションするには、体形がきちっとしてないと着れないよ」って何かでおっしゃってるのを聞いて、ため息のみですよ。 松任谷:ブランドだって、一発でわかるようなのを着てると老けるよね。 林:モノグラムがついたやつですね。昔、ユーミンがアライアを着てて、世の中の女の子がアライアに憧れて、私も南青山のフロムファーストビルに見に行って、「これがユーミンが着てるアライアというものか」と思ったことがありますよ。 松任谷:「布の彫刻師」と言われたね。 林:おしゃれとか、いつも挑戦してるところは変わってませんよね。 松任谷:好きだからね、洋服。 林:この50年間、たまりにたまったお洋服はどうしてるんですか。 松任谷:たまる一方なんですよ。 林:メルカリに出そうなんて思わない?(笑) 松任谷:アハハ。あんまり思わない。愛着がある。それぞれに思い入れが強いから整理できないし、体形も変わってないから役立つの。頭の中がインデックスになっていて、「そういえばあれがあったな」って。きょう着てるのなんて、20年前にミラノで半分つくったグッチのスーツなんだけど、最近「荒井由実」が何かとフィーチャーされることがあって、荒井由実時代にパンツスーツをよく着てたんですよ。だからスーツ率高いです、このごろ。 林:いまに「ユーミン博物館」ができたときに、ユーミンのお洋服がダーッと並んで……。 松任谷:博物館はつくらない。そういう3次元的なものは意味がない。絶対なくなる。石原裕次郎記念館もなくなったし。ハコモノはダメ。だから歌をやっててよかったの。人の心に入り込めば、死ぬまで持っていけるんだもん。どこにでも運べるし、風のように街を漂ってるし。 林:「私が死んでも私の歌は残ってほしい。その願いがかなえられつつある」ってこのあいだテレビで言ってましたよね。 松任谷:そうね。まあ、一里塚ぐらいかな(笑)。 林:この先やりたいことがいっぱいあるんでしょう? 松任谷:続けることが夢ですね。それは自分のモチベーションにかかっている。もしやめても誰からも文句言われないし、雇用も十分創出してきたし、あとは自分自身がクリエーターとしてどのぐらいやっていけるかだけ。だから自分の問題。 林:このごろ「コンサートやめる」って言う人がいるけど、ユーミンはそんなことないですよね。 松任谷:ま、いつかはやめるときがあるけれど、わからないようにやめる、私は。 林:コンサートのとき、踊るの大変になってきました? 松任谷:そんなことない。そのときの自分に合ったしつらえになってるし、踊りだって変化してきてるしね。エッセンスさえ自分で取り込めればいい。話は変わるけど、林さん、日大の理事長に着任されるとお忙しいでしょう? 林:すごく忙しい。朝から晩までですよ。みんな「どうせ週に3回行くぐらいだろ」とか思ってるけど、私、毎日行ってますよ。まあ、たまに自分のスケジュールが入りますが。 松任谷:でも、ちょっとおもしろそうだな、というところから入ったんじゃないの? 林:かなりおもしろそうだと思った。だから一生懸命やってるし、けっこう楽しい。 松任谷:痛いところ突くかもしれないけれど、要職に就いて書くということから遠ざかってしまうと、危機感、感じたりするでしょう。 林:危機感、感じる。私は職人みたいな作家で、常に肩慣らしをしていかないと書けないから。このあいだ短編を二つ書いたけど、ほかの人が連載してるのを見て「いいなあ」と思うし、悔しいから、これからは理事長室で書けるように態勢を整えようと思ってる。そうじゃないと困っちゃう。私だって1冊ぐらい残して死にたいわよ。 松任谷:いや、残るものはいっぱいあると思うけど。 林:残らない、残らない。これから残るものをつくらないと。 松任谷:文学にしろ映画にしろ接するのが大変じゃない。そういう意味ではポップスって有利だなと思う。口ずさめるんだもん。小説を書くのって、体力もモチベーションもものすごくいると思う。 松任谷由実さん(左)と林真理子さん(撮影/写真映像部・加藤夏子) 林:ところで、プライベートのこともちょっとお聞きしたいけど、外食に行ったり飲みに行ったりすることある? 松任谷:あんまりない。早寝早起きになっちゃってるし。 林:私は、そうは言っても毎日外食のお誘いがある。 松任谷:すごい体力よね、林さん。 林:すごくある。それで夫に怒られ、夫とバトルする体力も(笑)。 松任谷:ほんとは怒ってないんじゃない? 林さんのご主人。 林:怒ってるよ。松任谷正隆さんみたいなやさしいご主人、ほんとにうらやましい。 松任谷:とんでもないですよ。やさしそうに見えるけれど真逆。 林:そうなの? 信じられな~い。そこをもっとお聞きしたいけど、あー残念。時間が来ちゃった(笑)。お体、気をつけてくださいね。私たちの人生の指標だから。「ユーミンがこれだけ頑張ってるんだから私たちも頑張ろう」と思って頑張ってるんだもん。 松任谷:ほんと? ありがとう。 (構成/本誌・唐澤俊介 編集協力/一木俊雄)※週刊朝日  2023年1月27日号より抜粋
林真理子
週刊朝日 2023/01/21 11:30
ゴルフでエージシュートを達成するコツを徹底解説
ゴルフでエージシュートを達成するコツを徹底解説
ゴルフを始めると、まず目標として掲げたくなるのが「スコア100切り」です。また、「人生で一度はホールインワンを経験してみたい」「憧れのコースでラウンドしてみたい」など、ゴルフにまつわる夢を持っている人も多いのではないでしょうか。 そんなさまざまなゴルフにまつわる夢や目標のひとつに「エージシュート」と呼ばれるものがあります。本記事では、ゴルフの「エージシュート」の意味や、難しさ、達成するコツなどを解説します。 ゴルフのエージシュートとは? ゴルフの「エージシュート(age shoot)」とは、ゴルフの1ラウンドで、プレーヤーが自分の年齢と同じ、あるいは自分の年齢以下のスコアで18ホールすべてをまわりきることをいいます。 たとえば、72歳のプレーヤーがパー72で設定されたコースをイーブンパーやアンダーでラウンドした場合に達成となり、達成したプレーヤーは「エージシューター」と呼ばれます。 エージシュートは日本だけではなく、海外でも認識されているゴルフ用語で、多くのゴルファーたちの夢でもあるのです。 ■エージシュートの規定 エージシュートにはギネスワールドレコーズのように世界的な認定機関があるわけではありません。しかし、日本国内においてはエージシュートを公認記録として認定する「一般社団法人日本エイジシューター協会」という認定機関が存在し、同協会では、エージシュートの認定に際し、主に次のような規定を定めています。 1ラウンド18ホールであること 男子は6,000ヤード以上、女子は5,200ヤード以上のコースで達成すること 年齢は基本的に満年齢とすること 年齢と同スコアの場合もエージシュートと認められる 距離が定められている理由は、ティーマークの存在です。近年、多くのゴルフ場では「シルバーティ」や「レディースティ」など、さまざまな年齢や性別の人がラウンドを楽しめるように距離が設定されたコースが増えています。そのため、さまざまな距離のコースが存在するが故に、短い距離のコースでエージシュートを達成できてしまうと、エージシュートの価値が下がってしまうと考えられるためです。 また、年齢の数え方についても、国によっては数え年が一般的なこともあるため、日本国内の基準として一般的な満年齢が採用されています。 ゴルフのエージシュートを達成する難しさ エージシュートは「自分の年齢かそれ以下のスコアを出す」という一見シンプルなものです。しかし、現実として30代や40代のゴルファーが自分の年齢やそれ以下のスコアを目指すことは不可能であるといえます。 つまり、現実的には60歳以上など、ある程度高齢である人がエージシュートを達成しやすいわけですが、基本的に高齢になるほど体力は低下していくため、年齢と体力、そして実力のバランスが重要となります。こういった理由からもエージシュートはそう簡単に達成できるものではなく、だからこそ多くのゴルファーにとっての夢でもあるのです。 ■プロツアーでの最年少記録 プロツアーにおけるエージシュートの最年少記録は、2002年に行われた「AT&T カナダ・シニアオープンチャンピオンシップ」でのWalter Morgan選手の記録です。彼は61歳にしてスコア60でのホールアウトを果たし、エイジシューターとなりました。 なお、日本においては2019年に伊藤正巳選手が63歳でスコア62を記録し、エイジシューターとして日本最年少記録を更新しています。 ゴルフのエージシュートを達成するコツ たとえば、85歳のプレーヤーであれば、ボギーペースでラウンドをし、数回パーを取ればエージシュートを達成することが可能ですが、50代や60代の場合はそうはいきません。 エージシュートを達成するためには、達成を目指せるだけの年齢を重ねることが大前提です。 そして、年齢を重ねるだけではなく、年齢を重ねてもエージシュートに挑戦できるだけの体力と気力、さらにゴルフを続けるための資金や身近な人の理解も必要です。 つまりは、健康に年齢を重ねること、年齢を重ねながらも継続的に練習をすること、ゴルフを楽しめるだけの生活環境を整えることが重要といえるでしょう。エージシュートを達成できるということは、充実した人生を送れている証ともいえるかもしれません。 ゴルフ人生にエージシュートという目標を 年齢を重ねると、若い頃にはできたことができなくなるケースが少なくありません。しかし、エージシュートは年齢を重ねれば重ねるほど手がのばしやすく、アクティブシニアの多い現代にマッチした目標であるといえます。年を重ねても健康で充実した日々を送れるよう、スコアだけではなくエージシュートも意識してゴルフを楽しんでみてはいかがでしょうか。 また、よりゴルフを楽しむためには天気のチェックも欠かせません。「tenki.jp」の「全国のゴルフ場の天気」であれば、全国各地のゴルフ場の天気をピンポイントで知ることができます。プレー日前や当日にぜひご活用ください。
tenki.jp 2023/01/21 00:00
女子ゴルフは“超逸材”が参戦、男子も新世代が台頭の予感 国内ツアー期待のスター候補たち
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女子ゴルフは“超逸材”が参戦、男子も新世代が台頭の予感 国内ツアー期待のスター候補たち
昨年、日本人として37年ぶりに全米女子アマチュアゴルフ選手権を制した馬場咲希  今年の国内プロゴルフツアーは、3月2日からスタートする女子ツアーのダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメントで開幕する。  同ツアーは昨年同様、38試合の開催を予定しており賞金総額は44億9,000万円となった。下部のステップアップツアーは4試合増の21試合で賞金総額4億5,500万円。国内女子の賞金総額は、両ツアーを合わせると初めて50億円を超え、相変わらずの人気を象徴する数字となった。  一方、3月30日からの東建ホームメイトカップで開幕する男子ツアーは、新規トーナメント2大会が追加。6月15日から千葉夷隅GCで行われる韓国プロゴルフ協会との共催競技・ハナ銀行インビテーショナルと、8月3日から横浜CCで始まる予定の横浜ミナト Championship ~Fujiki Centennail~が加わった。しかし、現段階での大会数は26試合でこれは昨年より1試合少ない。開催調整中の大会もあるため、最終的には昨季の試合数を上回る可能性もあるが、引き続き女子ツアーとの人気の溝は深いようだ。  このように試合数、賞金総額、人気とも「女高男低」が続く国内ゴルフだが、今年はどのような新スターが生まれるのだろうか。  ここ数年、女子ツアーは、24歳くらいまでの“○○世代”と呼ばれる若手の活躍が目覚ましい。しかも昨年、5勝して史上最年少で年間女王になった山下美夢有が21歳なら、前半戦で5勝しツアーを盛り上げた賞金ランク5位の西郷真央も同じく21歳。ツアー初勝利が公式戦の日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯で、その後もNOBUTA GROUPマスターズGCレディースで2勝目を挙げて一気にヒロインとなった川崎春花も今年20歳を迎えるなど、20歳前後の躍進が著しい状況だ。  そして、2023年もこれまで同様に新たな若いヒロインが誕生する予感が漂う。  そのヒロイン候補の筆頭に挙げられるのが櫻井心那だ。2004年2月生まれでもうすぐ19歳になる櫻井は、昨年のステップアップツアーで新記録となる年間5勝を記録し獲得賞金で2,500万円を突破してトップ。獲得賞金だけにとどまらず、平均ストローク、パーオン率、平均バーディ数、バーディ数などのスタッツでも軒並み1位に輝き注目を浴びた。  また5試合プレーしたレギュラーツアーでも、北海道meijiカップでは優勝したイ・ミニョン(韓)に1打差の2位タイと文字通り初優勝にあと一歩と迫る活躍。今年に入ると、台湾女子ツアーの開幕戦・日立レディースクラシックでツアー初勝利を挙げ優勝賞金約1,080万円をゲットした。  各部門で好成績を挙げている櫻井だが、一番の魅力は身長166cmという恵まれた身体から放たれるティーショット。下部ツアーで圧倒的な強さを発揮した飛ばし屋が、レギュラーツアーでシーズンを通じてその実力を発揮できるか注目だ。  菅沼菜々もヒロイン候補の一人。昨季の菅沼は、ツアー5位となる合計15回のトップ10入りを果たすなど賞金ランク9位と大躍進した。  初優勝こそ逃したが、リゾートトラスト レディスとスタンレーレディスホンダゴルフトーナメントで2位タイに入ると、日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯でも単独3位。2019年のルーキーシーズン以降、賞金ランクは2019シーズン62位、2020-21シーズン47位、そしてお伝えした通り2022年シーズンが9位とステップアップしているだけに、2023シーズンは念願のツアー初Vを飾りたいところだろう。  そしてその動向が気になるのが、アマチュアの17歳の馬場咲希だ。2022年は日本人として37年ぶりに全米女子アマチュアゴルフ選手権を制し時の人となった馬場は、その後に国内ツアーにも出場し、日本女子オープンでは11位タイに食い込んだ。  2023年は、4月のザ・シェブロン選手権、7月の全米女子オープンなど、プロしか出場しない全米女子プロ以外の海外メジャー4試合に出場することを明言し、上位進出することを目標としている。アマチュアなだけに国内ツアーにどのくらい出場するかは未定だが、実力を見れば優勝候補になることは間違いなく、参戦する大会があれば2019年富士通レディースの古江彩佳に続き史上8人目のアマチュア優勝も夢ではないだろう。  では、男子ツアーはどうだろうか?  昨季の男子ツアーは、賞金ランキング対象大会26試合のうち20試合で20代(大会終了時)のプレーヤーが優勝。若返りが進んだ。賞金王に輝いた比嘉一貴は27歳、シーズン2勝の河本力は22歳、ともに初勝利を挙げた大西魁斗、桂川有人はそれぞれ24歳と、女子ほど低年齢ではないがヤングパワーの活躍が目立った。  スター不足と揶揄される国内男子ツアーだが、こうして若手が成長しツアーを席巻しようとしているのは明るい兆しだ。しかも今年は、昨年、パナソニックオープンゴルフチャンピオンシップでツアー史上6人目のアマチュア優勝を成し遂げ、日本オープンゴルフ選手権で95年ぶりとなるアマ優勝を達成した蝉川泰果がフル参戦する見込みで、一足先にプロとなった中島啓太も日本と米国を行き来しながらプレーする予定となっており、国内ツアーにも参戦予定。こうした話題性のある若手プロも加わり、例年にない盛り上がりになる可能性も秘めている。  注目は上記のプレーヤーたちだけではない。例えば24歳の清水大成は、初優勝が期待される若手だ。昨年は25試合で3,600万円以上を稼ぎ賞金ランク25位。Sansan KBCオーガスタゴルフトーナメントで単独3位、ダンロップフェニックスで4位タイと優勝争いにも加わった。  パットやショットでステディなプレーを見せているが、清水の売りは飛距離。昨年は平均302.72ヤードを飛ばし、河本に続いてドライビングディスタンス部門で2位に食い込んでおり、今年はティーショット以外もレベルアップすればニュースターになれる可能性は十分だろう。  昨季ツアーの入場ギャラリー数は、女子ツアーが合計38万8,772人で1試合平均1万231人だったのに対して、男子ツアーは合計18万3,380人で1試合平均だと7.335人だった。新型コロナウイルス感染対策でギャラリー数を制限する大会があった他、天候などギャラリー数を左右する要素はあったが、それでも男子ツアーが女子ツアーに人気で差をつけられていることは間違いない。  今回挙げた男子プロたちが、昨年ブレークした比嘉、河本たちと迫力あるプレーを見せて、ツアーを盛り上げてくれることを期待したい。
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