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ウィーログは「世界一温かい地図」 車いすユーザーの世界を広げる織田友理子
吉井妙子 吉井妙子
ウィーログは「世界一温かい地図」 車いすユーザーの世界を広げる織田友理子
難病が進行し首より下は動かせなくなったが、今も全国各地を飛び回り海外渡航もこなす(撮影/篠塚ようこ)    一般社団法人「WheeLog」代表理事、織田友理子。難病の遠位型ミオパチーを患う織田友理子。22歳で診断され、現在は首から下が自分の意思では動かせない。その織田は、バリアフリーマップアプリ「ウィーログ」を立ち上げ、講演も、海外での活動もこなす。驚くほど行動的だ。それは、自分と同じような障害者が少しでも幸せに暮らせる世界にしたいから。常に行動に移し、制度に風穴を開ける。 *  *  *  リビングのテーブルには化粧用パレットがズラリと並べられている。夫は陶器のような肌をした妻の顔にファンデーションをのせると、慣れた手つきでアイシャドーを塗り、眉を描いた。夫に手鏡を見せられた妻は満足げな笑みを浮かべるも「やっぱりマスカラも塗ってほしい」とリクエスト。だが夫は「いやだよ、塗るのが怖い」と嫌がった。  遠位型ミオパチー患者の織田友理子(おだゆりこ・43)が仕事に向かう前、夫・洋一(43)と毎日こんなやりとりを繰り返している。洋一は妻の化粧が終わると、髪をブラッシングし、へアスタイルを整えた。そして何げなく顔に付いた一本の髪の毛を払う。  難病の遠位型ミオパチーは、体幹から遠い部位の手足から全身の筋肉が低下していく進行性の筋疾患。22歳で診断された織田は病状が進み、現在は首から下が自分の意思では動かせない。そのため、化粧や着替えは洋一がこなすが、化粧の仕方は動画を見ながら覚えたという。  織田の車いすの正面にあるテーブルには重装備されたパソコンが設置されている。画面のキーボードに目をやりながら織田が言う。 「視線入力ができるようになってから、また社会と強くつながれた気がします。以前は夫に打ってもらっていましたが、自分の意思でインターネットを利用しメールをやりとりできるのは、やはり行動範囲が広がると思います」  視線入力が必要な身になったとはいえ、驚くほど行動的だ。バリアフリーマップアプリ「WheeLog!」(ウィーログ)や遠位型ミオパチー患者会(PADM)の代表を務めるだけでなく、国内外のイベントや講演も数多くこなす。また新たな活動計画を次々に発案し、それを実践しようとする。 織田のそばに夫・洋一がぴたりと寄り添う。洋一は友理子のケアは自分が完璧にやると考えていたが、最近はテクノロジーやヘルパーの力を借りた方が友理子の行動が広がることが分かった(撮影/篠塚ようこ)   大学時代に転びやすくなる 検査で難病と診断される  そんな織田の行動にストップをかけるのが洋一だ。何でもやりたがる妻に「それはやる意味があるの?」とただす。無理は仕方がないが、無理し過ぎないように注意を払う必要があるからだ。だが織田は、それが腹立たしいと洋一を睨(にら)む。 「私は何でもすぐやりたいタイプなので、洋一さんが頭を冷やせと。でも冷静になって再考すると頷(うなず)いてくれる。結果的に思考がアップデートされることにもなり、それがなんか悔しい」  織田が情熱を注ぐウィーログは昨年末、外務省が主催する「ジャパンSDGsアワード」の内閣総理大臣賞に選ばれた。この賞はSDGs事業関連で、最も実績を残した組織・個人に与えられるもので、「コミュニティ活動を通じて情報収集・発信を行い、世界中でリアルタイムにバリアフリー情報を共有できるシステムは、国際社会でのロールモデルとなり得る」と評価された。  ウィーログは、車いすで「行けた」という情報を発信することで、誰かの「行きたい」を手助けするアプリ。車いすユーザーの外出はハードルが高いが、それでも車いすで行けたレストラン、観光地、あるいは駅のエレベーターの場所などそれぞれ気が付いた情報を地図に投稿。2017年5月にスタートさせたこのアプリは今や10万以上ダウンロードされ、10言語に対応していることから、62カ国の人が利用している。  当初は各地の車いすユーザーが街歩きイベントを行いながら、道路の段差や凸凹のある箇所、バリアフリートイレの箇所などを投稿していたが、現在は車いすユーザーの視線に立って施設をチェックする健常者の投稿が7割を超える。多様性を重んじる自治体や企業が、社員研修の一環でこの地図アプリを使い始めたことも一因だ。織田は、ウィーログは「世界一温かい地図」とほほ笑む。 「車いすユーザーも健常者も関係なく、それぞれが誰かの便利を想像し投稿している。アプリの中には人の優しさ、思いやりがぎっしり詰まっているんです」  1980年、大学教授の父・大内宏友、母・広美の3人姉妹の長女として生まれた。子どものころからリーダーシップに優れ、中学時代は管弦楽部で日本一、高校時代は筝曲部で全国2位。興味のあることにはトコトン熱中したが、運動が少し苦手だった。 (撮影/篠塚ようこ)    大学の頃から、ふとしたはずみに転ぶようになる。だが自分がそそっかしいからだと考えていた。4年になったころ、動きがおかしいと気づいた父が病院に行くように勧めた。大学病院で検査入院すると「遠位型ミオパチー空胞型(GNEミオパチー)」と診断された。潜性遺伝によるもので、日本には患者が400人ほどのウルトラオーファン(超希少性疾病)だった。 「治療法がないこの病気は、やがて寝たきりになると言われていましたが、徐々に進行するので診断当時はまだ体が自由に動いた。だから、気力で治してやるぐらいに考えていました」  公認会計士を目指し大学と並行して専門学校に通う織田に、周りは「そんなに頑張らなくても」と心配した。そのたびに唇を噛(か)む。頑張ることに喜びを感じる織田にとって、頑張るなは自己否定されたも同然だった。  だが2年後の24歳の時、医師に子どもを産むなら少しでも早くと告げられた。大学入学当時から付き合い始めた洋一とは常に一緒だった。学部は違うものの、織田の授業が終われば洋一が教室の出口で待ち、階段の昇降をサポート。専門学校にも一緒に通った。友人の牧野和子(43)は、二人に入り込む隙が無かったと笑う。 「私たちは女性7人の仲良しグループで、行動は常に一緒でした。でも友理子の隣にはなぜかいつも洋一がいた」 新薬の開発を求めて 製薬会社を回り打診  医師に子どもの話をされたとき、洋一と別れる決心をした。希少疾病に侵されている以上、洋一の未来を奪ってはいけないと考えたからだ。病気について微細に報告したにもかかわらず、洋一からの返事は「じゃあ、結婚するなら今だね」。  洋一は、病気は別れる理由にはならないと語る。むしろ病気が判明した頃から、友理子の手足になるのは自分と決めていた。法科大学院に学びながらも、妻の行動を支えることで自分の人生が豊かになると考えた。 「妻は僕にないものをたくさん持っている。新たなことを考え、それらを有機的に組み立て、最高のものを生み出そうとする。一緒にいるだけでワクワクしますね」  二人はすぐに結婚。1年後に男の子が誕生した。出産前に切迫流産の危険があり、4カ月入院。その間に筋力が衰え、出産後は車いすを使用せざるを得なくなった。 (撮影/篠塚ようこ)    車いすユーザーになると、途端に行動範囲が狭められる現実を知り、社会から取り残されている焦燥感に駆られた。しかも自分の病気はどのように進行するのか、福祉機器はどんなものがあるのか、福祉制度を利用するにはどのような手続きが必要なのか。そんな疑問を解消するため、同じ病気の人たちと情報交換したいと患者の会・PADMの発足に関わった。診断時、医師には「生きている間に同じ病気の人に会うことはない」と言われたが、ネットで発信すると数十人が集まった。  その直後、医学雑誌で遠位型ミオパチーに対するシアル酸補充療法の有効性がマウス実験で示されたという記事を目にした。未来に光が射した気がした。  発表したのは国立精神・神経医療研究センターの医師・西野一三(60)らのグループ。西野は「治験に持ち込むには患者の協力が必要」と告げた。  患者の会は、即座に行動に移す。遠位型ミオパチーを国の指定難病にしてもらうことと新薬の開発を求め、全国で署名活動を開始。織田らは治療費も助成されていなかった。  各地の街角に立ち、ビラを配り賛同者を募った。徐々に協力者が増え、6年間で204万人を超える署名を集め厚生労働省に提出。織田はその間、関係官庁に幾度となく陳情に出向いた。そしてついに2015年1月、指定難病に指定され、新薬が開発されれば、医療費助成を受けることが可能になった。  一方、新薬の開発にこぎつけるまでにはさらに困難を極めた。製薬会社を回り新薬の開発を打診するもののことごとく拒否された。製薬会社にすれば創薬には莫大(ばくだい)なコストと時間がかかり、400人未満の患者が対象では採算が取れないからだ。 そんな時、経済誌で希少疾病薬品を得意とするノーベルファーマの記事を目にした。一縷(いちる)の望みを懸け訪問。当時対応した同社社長の塩村仁(69)が述懐する。 「話し方は穏やかですが、何か迫力のようなものがあった。ただ、医薬品の実用化には莫大な資金が必要なので、助成金があればできると言ったところ、彼女は本当に国の助成金を取り付けてきたんです。そこまでされたら開発しないわけにはいきません」 東京都主催のファッションコンクールの審査員を務め、渋谷でのトークセッションに篠原ともえと登壇。身体障害者になってもおしゃれは諦めない。日々の小さな諦めは、人生の大きな諦めにつながるとの思いからだ。華奢な指先にはネイルアートも(撮影/篠塚ようこ)   デンマーク留学を経験し 福祉の援助を獲得する人に  織田は関係者らと関係省庁を訪ね、助成を取り付けることに成功、東北大学による治験が開始された。織田は症状が進んでいるため治験には参加できなかったが、10年以上の歳月をかけ新薬の開発に成功。23年7月、厚労省に申請し今は審査中だ。 「人間が作った制度は人間が変えられる」と信じ、国の制度に風穴を開けてきたが、その間、様々な批判が織田に届いた。 「希少疾患患者に薬は贅沢(ぜいたく)品」「税金の無駄遣い」。  それでも怯(ひる)まなかった。自分の後ろには何千人、何万人の障害者や難病患者が控えていると考えると、後ずさりするわけにはいかなかった。 「まだ、国の指定を受けていない難病は7千以上あると言われています。薬を待ち望んでいるすべての患者の手元に一日でも早く届くよう、私たちの活動がモデルケースになればいいな、と」  織田が、活動的な理由はもう一つあった。30歳の時にダスキン愛の輪基金でデンマークに留学し、現地の障害者の活動を知り触発されたことだ。3歳の息子と夫を日本に残すのは忍びなかったが、家族が背中を押した。ヘルパーとして同行した妹の金井節子(40)は、デンマーク留学で姉は変わったと証言する。 「姉は福祉の援助を受ける人から、獲得する人になった。当事者意識が強く芽生えたと思います」  福祉先進国のデンマークでは車いすユーザーが当たり前のように街に出て活動し、障害者一人一人に福祉車が国から貸与されていた。特に影響を受けたのが、当時の筋ジストロフィー協会会長の言動だった。彼は織田にこう告げた。 「要望を出したり交渉をするときに、ユーモアを交えること。面白い団体だと思ってもらうと、耳を傾けてくれる人が増える」  同情で支援を受けるのではなく、いかに健常者を巻き込みながら「面白そう」と思ってもらえる活動が出来るか。今もこの考えが心根にある。 食事の支援が必要な人のために開発された「とろみ食」の試食会兼クリスマスパーティー。多くの親子連れが参加し、摂食・嚥下障害などの学びを深めた。サンタ姿の伊藤史人や吉藤オリィも参加(撮影/篠塚ようこ)    14年、バリアフリー情報のYouTubeチャンネル「車椅子ウォーカー」を立ち上げる。だが自分の体験だけの情報発信は、課題解決のインパクトに欠けた。双方向で情報を共有できるようなプラットフォームはないか。考え付いたのが「ウィーログ」の構想だった。  15年、この着想を米グーグル主催の社会貢献アイデアコンテストに応募するとグランプリを受賞、賞金5千万円を手にした。賞金をアプリ開発資金に投入。島根大学助教の伊藤史人(48)やロボット研究者の吉藤オリィ(36)らの手を借り、17年にウィーログをリリース。今や車いすユーザーの必携アプリになっている。  ウィーログは織田の人生も広げた。15年にケニアで開催された米国大統領(当時)のバラク・オバマが主宰する国際会議に招待されプレゼン。19年には国連が後援する世界最大のICTイベント「ワールドサミットアワード」でグローバルチャンピオンを受賞。21年のドバイ万博にはグローバルイノベーターとして招聘(しょうへい)された。  また、神経筋疾患分野の国際的組織「TREAT-NMD」(本部・イギリス)のアジア代表委員を務めたこともあり、マサチューセッツ工科大学からは社会課題を解決するメンバーに選ばれるなど、活動分野は世界にも広がった。訪問した国は20カ国以上。バリアフリーの大切さやSDGsの推進を訴えている。 社会の弱者のために 命がけでも社会を変えたい  織田は頭で考えたものを次々に実行し、自分の体験を通し社会に見過ごされていることを発信、国や企業、あるいは研究者らを動かし課題をクリアしてきた。 「人間が作った制度は、人間が変えられる。さまざまな制度はその時代の最適解として作られますが、社会や環境が変化すると必ずずれが起きる。そのずれを感知し、是正していくことは人間の叡智(えいち)だし、社会の進化だと思います」  とはいえ、社会の制度や仕組みを変えることは一筋縄ではいかない。おかしいと考えても、制度となれば引き下がってしまうのが人情だ。だが織田は、にこやかに、軽やかに、一歩前に出る。 日々の会議はオンラインで。高2の息子に「お母さんたちの活動以外で人の役に立つにはどんな活動があるの?」と聞かれたと、頬が緩む。学校行事には進んで参加(撮影/篠塚ようこ)    体こそ不自由だが、頭の回転が速く、魂ははちきれんばかりに元気。織田に関わった人たちはいつしか協力者になり、サポート側に回っている。視線入力ソフトを開発し、ウィーログの基盤も作った伊藤もそんな一人だ。 「障害者ができないことは、テクノロジーでカバーできることもある。織田さんは身を挺(てい)し次々と課題を突き付けてくるので、答えを出すのに必死です。しかも提出期限が短い」  それでもサポートするのは、織田には身体障害者や社会の弱者のために命を削ってでも社会を変えたいという信念があるからだ、と伊藤はいう。  そんな織田の綽名(あだな)は「篤姫」ならぬ「圧姫」。姫のような可愛らしい表情をしつつ、無言で人を動かす力があるからだ。元ホテルマンの松下雄一(41)と理学療法士の杉山葵(31)は、織田の「障害者に対する社会の壁を壊す」という強い信念に心を動かされ、ウィーログの事務局スタッフに転職。二人が口を揃(そろ)える。 「計画を実現しようとする力は半端ない。ただ即断即決なので、僕らは付いていくのがやっと」  一方でアプリの保守・運営、進化には年間1千万円以上のランニングコストが必要とされる。これまでクラウドファンディングや寄付で賄ってきたが、企業との協働を探り自ら営業。持続可能なアプリに成長させなければ、バリアフリーな社会の実現は難しいという危機感があるからだ。 「寝たきりになってもおかしくない」身体状況ながら身を粉にして働く織田だが、代表を務めるウィーログや患者の会は無給だ。 「仕事をしている間はヘルパーを利用できない現行の福祉制度があるからです。障害が重くなればなるほど、仕事が出来なくなっていく仕組み。手助けがなければ何もできない今の私にはヘルパーさんは命綱。だからどんなに仕事をしてもお金をいただくことはできない。障害者から仕事を奪いかねないこの制度も、いつか変えたいですね」  日本の車いす利用者は現在200万人と言われる。人はいずれ老いる。障害者に無関心でいることは、自分の将来に無関心でいるのと同じこと。  織田は私たちの未来の水先案内人でもある。 (文中敬称略)(文・吉井妙子) ※AERA 2024年2月19日号
現代の肖像
AERA 2024/02/16 18:00
【新NISAスタート】まだ始めていないなら、伝えておきたい3つの鉄則
【新NISAスタート】まだ始めていないなら、伝えておきたい3つの鉄則
投資初心者にピッタリの投資信託。新しいNISA制度を活用して始めてみよう photo iStock  2024年1月からNISAの制度がパワーアップ。簡単にいうと、1年間に投資できる金額が引き上げられ、非課税保有期間が無期限になり、非課税保有限度額が増えて、恒久的に口座を開設できるようになった。  ……と言われても何のことやら、という人のために、『QuizKnockと学ぶ!クイズとマンガでわかる投資信託入門』(野村アセットマネジメント著)から、まだ始めていない人に伝えたい3つの鉄則をまとめてみた。  そもそも「NISA」とは、「Nippon Individual Savings Account」の略で、少額投資非課税制度のこと。通常、投資信託や株式などの金融商品に投資をした場合、売却益や配当、分配金には20.315%(2024年現在)の税金がかかるが、NISAで購入した場合は、その税金がかからない。  つまり、普通の口座で投資信託をはじめとする金融商品を買って100万円の利益が出た場合、約20万円の税金を支払うことになるがNISAなら100万円の利益がそのまま自分のものになる、ということだ。  まだ始めていない、という人に伝えたいことは3つある。 時間を味方につける  資産運用では、時間を味方に付けることが有利に働く。「複利」の恩恵を受けられるからだ。最初に投資した元本に対して利息がつくのが「単利」。元本から生じた利益を一定期間ごとに元本に組み入れ、その合計額を次の期間の元本として利息を付けるのが「複利」。具体的に言うと、元本100万円を年利5%で10年間預ける場合、単利だと150万円だが、複利だと約163万円になる。さらに長期ではこの差が大きくひらくことになる。  2023年末までのNISAでは、一度に利用できるのは「つみたてNISA」か「一般NISA」のどちらか一つに限定されていた。つみたてNISAの場合は非課税保有期間は20年と比較的長く、年間の投資枠は40万円。一方、一般NISAの年間投資枠は120万円とつみたてNISA の3倍だが、非課税保有期間は5年と短かった。  2024年からの新しいNISAでは、つみたて投資枠と成長投資枠の併用が可能となり、年間360万円の投資ができて、非課税保有期間は無期限。しかも、制度が恒久化され、18歳以上であればいつでも始められる。とにかく早く始めることで、複利の恩恵を受ける期間も長くなるということだ。 上限金額を意識する  新NISAでは、「つみたて投資枠」で年間120万円、「成長投資枠」では年間240万円、合わせて年間360万円の投資が可能だ。生涯の非課税保有限度額は1800万円で、そのうち成長投資枠は最大1200万円までという上限がある。年間投資枠や非課税保有限度額は、取得時の金額(正確には簿価残高ともいいます)で計算されるので、1500万円で取得した商品が2000万円に値上がりしたとしても、残り300万円分の投資枠は残っていることになる。  さらに新NISAでは、保有している商品を売却すると、翌年以降、その売却分の枠を再利用することができるようになった。たとえば、100万円で購入し、その後価格が上昇して時価200万円相当になっている資産を全額売却するとしよう。この場合、売却した年の翌年に、取得時金額の100万円分の非課税枠が復活する。翌年以降、100万円分の非課税枠をまた使えるということだ。 ノーリスクではない  気をつけなければならないのは、NISA制度を活用しても、あくまで「投資」であって、損失が生じる可能性があるということ。「利益に対して税金がかかりません」と言われると、利益が出ることを前提に考えてしまいがちだが、損失が生じる場合もあるということを認識しておきたい。  また、NISA口座で損失が発生した場合には、他の口座との損益通算(利益と損失を合算させること)や、繰越控除(翌年以降にその損失を繰り越し、翌年以降の利益から控除すること)ができない。この点は、投資に慣れている人にとっては盲点になる可能性がある。注意が必要だ。 (構成 生活・文化編集部)
新NISAQuizKnock野村アセットマネジメント
dot. 2024/02/12 17:00
〈受験シーズン〉【大学ランキング】司法試験の合格者が最も多い大学は 1位は京都大 2位は東京大
〈受験シーズン〉【大学ランキング】司法試験の合格者が最も多い大学は 1位は京都大 2位は東京大
法廷には、司法試験を突破した裁判官、弁護士、検察官が立つ(Getty Images)    大学受験が本格的なシーズンに突入した。過去に話題となった記事を再配信する。(この記事は、2023年11月19日に配信した内容の再配信です。肩書、情報等は当時) *   *   *  法務省は11月8日、今年度の司法試験に1781人が合格したと発表した。減少傾向にあった受験者数は3928人。前年より846人増えたものの、「法曹離れ」に歯止めがかかったかはまだ見通せない。とはいえ「難関」であることには変わらない司法試験。合格者は、どの大学で学んだのか。「受験偏差値だけに頼らない大学評価」をコンセプトに、編集部の調査・収集データに基づき作成した『大学ランキング2024』(朝日新聞出版)の記事を紹介する。  2022年、司法試験合格率は45.5%、このうち法科大学院修了者は37.7%、司法予備試験合格者(予備試験)は97.5%だった。  予備試験とは経済的な理由などで法科大学院への進学が困難な人たちのための救済策としての制度だが、実際は法曹への近道として活用され、優秀な学生が法科大学院に通わず受験している。  22年の予備試験合格者に18歳の高校生が含まれていた。18年、21年の司法試験合格者には慶應義塾大1年生がいた。彼らは慶應の附属高校在学中に予備試験に合格している。はからずも法曹養成で高大接続が成り立ってしまった。   【こちらも話題】 国家公務員試験合格者が多い大学ランキング 一般職1位岡山大は独自の対策講座でサポート 総合職1位は東大 https://dot.asahi.com/articles/-/201355 【ランキングの見方】所管省庁による。法科大学院の合格者数。 【ランキングの見方】所管省庁による。法科大学院の合格者数。    司法試験合格率上位5校のうち4校が国立大学だ。  合格者数は京都大 、東京大、一橋大、神戸大が増加、早稲田大、慶應義塾大、中央大が減少した。なかでも中央大は33人減で50人まで落ち込み、合格率も30%以下だ。23年の、法学部の東京都文京区茗荷谷移転で復活が期待される。  なお、司法試験受験者数は14年8015人、18年5238人、22年3082人と減少が止まらない。法曹人材の質を懸念する声が出ている。 【ランキングの見方】所管省庁による。法科大学院の合格者数。 【ランキングの見方】所管省庁による。法科大学院の合格者数。   《司法試験 合格者数ランキング》 1位:京都大 2位:東京大 3位:慶応義塾大、早稲田大 5位:一橋大 (文・大学ランキング編集部)   【こちらも話題】 【大学ランキング】高校生に人気1位は早稲田大、面倒見の良さで18年連続1位の大学は? https://dot.asahi.com/articles/-/195073
京大東大大学ランキング司法試験
dot. 2024/01/31 12:00
女子校の人気が回復してきた理由とは? 2024年中学入試で志願者が増えそうな学校を予測
女子校の人気が回復してきた理由とは? 2024年中学入試で志願者が増えそうな学校を予測
写真はイメージ(iStock)   近年、中学受験の学校選びでは共学志向が一段落し、男女別学が見直されています。注目は、ここ数年女子校を中心に盛んに行われている「高大連携」です。グローバル教育が充実している学校にも、相変わらず志願者が集まっています。首都圏模試センターが2023年12月に行った合判模試のデータをもとに、24年度の入試を予測してみました。 *   *   * 話を聞いた人 〇北一成さん/首都圏模試センター取締役・教育研究所長 〇森上展安さん/森上教育研究所代表 〇安田理さん/安田教育研究所代表  近年は女子校を中心に、教育などを協力して行う「高大連携」が盛んに行われ、中学入試にも影響を及ぼしている。注目は法政大学との連携を拡充した三輪田学園(千代田区)だ。23年12月に実施された首都圏模試センターの第6回合判模試では、女子の志望者数でトップにつけた。23年度入試では志願者を増加させ、さらに24年度も2年連続で増えそうだ。その大きな理由の一つが、冒頭の「高大連携」だ。  同校は、15年に隣接する法政大学と連携し交流を続けてきたが、22年に新たな協定を締結。これにより法政大学への全学部への推薦枠が30人に拡大することが決まり、人気が上昇した。このほか、同大で行われているデータサイエンスの授業のオンライン聴講や、大学教員による連携講義の受講も可能になった。  一方で、安田教育研究所代表の安田理さんは、人気の理由についてこう分析する。 「三輪田学園は塩見牧雄校長が進める改革が保護者からの評判がいいです。協定の再締結をきっかけに、より魅力を感じる生徒・保護者が増えましたね」  三輪田学園はこのほか、23年に東京女子大学、津田塾大学とも高大連携協定を結んでいる。  そのほか、23年は巣鴨(豊島区)が東京医科大学と、普連土学園(港区)、東京女学館(渋谷区)が東京女子大学と、実践女子学園(渋谷区)が芝浦工業大学となど、高大連携が盛んに行われた。 「高大連携はここ1、2年で急拡大しています。国立大学でも東京海洋大学が、越中島キャンパスと近い中村(江東区)と21年に連携協定を結び、女子校との連携で話題になりました」(安田さん)だ。 大学への推薦枠の拡大が魅力に  「高大連携」の内容はさまざまだが、受験者や保護者にとって魅力的なのは、連携する大学への推薦枠だ。  香蘭女学校(品川区)では、提携を結んでいる立教大学の25年度入学の推薦枠が97人から160人に拡大する。1学年の学則定員数にあたり、志願者が増えそうだ。森上教育研究所代表の森上展安さんは、こう話す。 「今や大学入試の主流は総合型選抜に移行しており、特に女子校では、12月までに生徒の8割の進学先が決まる学校も多いです。高大連携によって、入学時に大学まで見通せるようになるのは魅力です」 男子志望者数 1位~25位(首都圏模試センター23年12月実施・第6回合判模試より/首都圏模試センター提供)   男子志望者数 26位~50位(首都圏模試センター23年12月実施・第6回合判模試より/首都圏模試センター提供)   男子志望者数増加率 1位~25位(首都圏模試センター23年12月実施・第6回合判模試より/首都圏模試センター提供)   男子志望者数減少率 1位~25位(首都圏模試センター23年12月実施・第6回合判模試より/首都圏模試センター提供)    ここ数年は、男女別学の人気も復活。特に男子校は人気に加えて数が少ないため、受験生にとっては厳しい戦いを強いられそうだ。首都圏模試センターの23年12月の合判模試では、芝(港区)や城北(板橋区)、攻玉社(品川区)、巣鴨(豊島区)、成城(新宿区)、高輪(港区)、本郷(豊島区)など、人気の高い上位男子校の志望者数がおしなべて増えている。  一方で、これまで人気が下降気味だった女子校も、ここ数年で回復した。首都圏模試センター取締役・教育研究所長の北一成さんは、その理由をこう話す。 「コロナをきっかけに、多くの私学、とくに女子校の情報発信が盛んになりましたね。あたたかな校風で面倒見のいい女子校のよさが、見直されたのでしょう。ここ数年は、自主性を伸ばしている元気のよい女子校が人気です。田園調布学園(世田谷区)、湘南白百合学園(神奈川県藤沢市)、昭和女子大学附属(世田谷区)、山脇学園(港区)、実践女子学園(渋谷区)などですが、24年度入試では人気が上がりすぎて敬遠される学校もありそうです」 保護者から期待値が高い学校は  「21世紀型教育」を標ぼうする学校も、志願者を集めそうだ。なかでも注目は、23年12月の合判模試で志望者増加率男子2位、女子5位につけた横浜創英(横浜市)だ。同校に20年に着任した工藤勇一校長は、千代田区立麹町中校長として宿題や定期テストの廃止をして注目された人物。工藤校長による学校改革が奏功し、人気が高まっている。 「12月に首都圏模試センターで行った合判模試の会場の一つが横浜創英だったのですが、模試と並行して行われた同校の学校説明会では保護者会席700席が満員になりました。保護者からの期待値が高く、24年度の注目校と言えます」(北さん)。  グローバル教育が充実している学校も相変わらずの人気。女子校が強いイメージだが、最近ではグローバル教育に本腰を入れる男子校も多い。同模試で男子の志望者増加率9位だった佼成学園(杉並区)のグローバルコースは、欧米だけでなくモンゴルやベトナムなど、海外研修プログラムにアジア諸国も入れている。23年10月には、国際基督教大学(ICU)と高大連携協定を結んだ。 女子志望者数 1位~26位(首都圏模試センター23年12月実施・第6回合判模試より/首都圏模試センター提供) 女子志望者数 27位~50位(首都圏模試センター23年12月実施・第6回合判模試より/首都圏模試センター提供) 女子志望者数増加率 1位~25位(首都圏模試センター23年12月実施・第6回合判模試より/首都圏模試センター提供) 女子志望者数減少率 1位~25位(首都圏模試センター23年12月実施・第6回合判模試より/首都圏模試センター提供) 「ICUはリベラルアーツ教育に定評のある、女子校にも人気の大学です。それが高大連携協定の締結先として、男子校の佼成学園を選んだことで話題になりました」(安田さん)  23年に共学化し校名変更したサレジアン国際学園世田谷(世田谷区)も、同模試によると23年度に引き続き志願者を大きく増やしそうだ。インターナショナルクラスを設けて英語教育を充実させている学校だ。先に改革を進めた姉妹校のサレジアン国際学園(北区)もケンブリッジの国際カリキュラムを導入するなど、グローバル教育を手厚くし受験者数を伸ばしている。 「同プログラムは、160カ国以上が採用している国際的な教育プログラムですが、日本の認定校は、インターナショナルスクール以外は工学院大学附属(八王子市)など、まだ数校にとどまっています」(北さん)  例年起こる、志願者が増加した翌年は減少する、またはその逆の“隔年現象”も顕著に表れており、23年度に大きく志願者数を伸ばした芝国際(港区)、日本学園(世田谷区)、青陵(品川区)、山脇学園などは減少が予想される。  24年度入試の注目校は、4月に新しく開校する開智所沢中等教育学校(埼玉県所沢市)だ。国際バカロレア(IB)プログラムを取り入れる予定で、グローバル教育を標ぼうしている。1月入試は開智(さいたま市)と、2月4日は開智日本橋学園(中央区)との併願入試を行う。  また、横浜雙葉(横浜市)が従来2月1日だけだった試験日を翌2日も設定し、チャンスが2回に広がることから、志願者数に影響が出ると考えられる。  安田さんは学校選びについて受験生親子に、「偏差値や志願者数などの数字にとらわれすぎないで、自分の目を信じて、学校を選んでください。お子さんに合ったよい学校とご縁があることを祈っています」と話している。   今までの努力を信じ、自信を持って本番に臨もう。 (取材・文/柿崎明子)
中学入試
dot. 2024/01/26 08:00
「痛々しい画像いっぱい流してごめんなさい」 21歳美大生が能登町の写真をSNS載せ続けた理由、届いたエール
福井しほ 福井しほ
「痛々しい画像いっぱい流してごめんなさい」 21歳美大生が能登町の写真をSNS載せ続けた理由、届いたエール
津波が引いたあとの能登町。がれきの山が積み上がるが、空気感や能登にさす光の美しさは変わらなかった(坂口歩さん撮影)  1月1日に発生した能登半島地震で、見慣れた光景はすべて奪われた。  それでも、そこに「能登」があると感じた。  「町はめっちゃ悲惨なんですけど、能登の青空や町の空気感、光のきれいな感じは全然変わってなかった」  石川県能登町出身の坂口歩さん(21)は、変わり果てた地元を見て、言葉を選びながらそう話した。 「ひどいんだけど、きれいだなって。そのきれいさが悲しくもあり、救いでもあり……。きれいだと思っていいのかなとか、複雑な気持ちもありました。でも、やっぱり能登って美しい町だなって思ったんです」  何かに突き動かされるように、カメラのシャッターを夢中で切った。そうすることで、自分自身の心が救われていたのだと振り返る。 がれきが積み上がる能登町(坂口歩さん撮影) 津波で全身ずぶ濡れになった子どもたち  正月は能登町の実家に家族や親戚が集まって食事をするのが恒例だった。金沢美術工芸大学(金沢市)に在学中の坂口さんも昨年12月29日に実家に帰省。今年もいつもと変わらない時間を過ごしていた。  いとこが帰るのを見送って少しすると、大きな揺れが起きた。  能登地方では近年よく地震が起きていたため、今回も「いつもの地震だ」と重く考えていなかった。だが、すぐにまた地震が起きた。  さっきより大きい、これまで感じたことのない揺れ。家はギシギシと音を鳴らし、今にもつぶれそうだった。着の身着のまま、慌てて外に飛び出した。 地震で倒壊した家屋(坂口歩さん撮影) 「ご近所さんを確認して、みんなで避難することになりました。父と兄はパジャマみたいな格好。車も置いて、家の裏にある高台に向かいました」  少しして、近くの林の奥のほうから、「ドーン」という波の音が聞こえてきた。木がなぎ倒されているのか「バキバキ」という轟音、車のクラクションのような「プープー」という音。すでに携帯電話の電波は途切れ、今何が起きているのか知るすべもない。 「津波きたんかな」 「怖いね」 「大丈夫だよ」  集まった地域の人たちと、そう口々に励ましあった。 電線が切れ、ぐちゃぐちゃになった地元。車も全て流された(坂口歩さん撮影)  日が落ち、急激に気温が低くなった。近くのビニールハウスに移動し、置いてあったダンボールを敷いて腰を落ち着けた。  1時間ほどして、近所の公民館は電気がついた。Wi-Fiもつながる、といううわさが坂口さんの耳に入った。 「でも、公民館のほうがビニールハウスより標高が低いんです。津波も怖いし、移動するか迷いました。ただ、寒さで凍え死ぬよりはいいよねって夜8時半くらいに家族全員で避難しました」  公民館にはすでに70人ほどが避難していた。けがをしていたり、津波にのまれて全身がずぶ濡れになった子どももいた。 「町は悲惨だけど、空のきれいさは変わらなかった」という(坂口歩さん撮影) 「能登町」のことを忘れないでほしい  地震発生から2日後、意を決して自宅を見に行った。水は引いていたが、壁に残る跡から、津波が2メートル近くあったことが想像できた。言葉にならない感情が込み上げ、無我夢中で写真を撮った。 「まるで別世界に来たんじゃないかと思うくらい、ひどかった。津波で家のなかもぐちゃぐちゃでしたが、テーブルの上に置いていたこのカメラはぎりぎり水に浸かっていなかったんです。撮るのに夢中になることで、自分の心を救っていたような気がします」 津波の被害をギリギリで免れたカメラ(坂口歩さん撮影)    美大の作品づくりで、昨年末には地元の親子を被写体に公園で撮影をしたばかりだった。カメラには地震が起きる前の能登の写真も残っている。 「それが、災害の写真になってしまって。あぁ、って感じです」  避難していた公民館の前を給水車が通り過ぎていったこともあった。他の避難所の様子がわからないため、「気づいてもらえていない」「もっとひどいところがあって、うちらは後回しなのかな?」と落ち込む日々。テレビでは、輪島市や珠洲市、七尾市の情報が多く、能登町のことは知られていないのではないかと不安になった。  そこで、X(旧Twitter)とインスタグラムに能登町の写真を投稿し、こうつづった。 <痛々しい画像いっぱい流してごめんなさい、、でもこの方法しかなくて、、能登にはニュースに出てる七尾、珠洲、輪島だけじゃなくて、能登町もあります、能登町の中にもいろいろあって、、津波も来てる、物資も足りない、忘れないでほしい、、> 「投稿を見た人から、『忘れてないですよ』『大丈夫、がんばって』『謝らなくていいですよ』という声が届いて、うれしかった。同じ能登町で被災した人なのか、『ほんと、そう!』って共感してくれる人もいました」  地震発生から日が経つにつれ、公民館に避難する人も増えていった。ただ、パーテーションはなく、プライバシーもゼロ。足を伸ばして寝ることができず、お風呂にも入れない。教室2つぶんほどのスペースに100人以上の人が集まり、ピリピリした空気が漂った。 津波の跡が残る家屋。2メートル近くまできていたという(坂口歩さん撮影)  家族全員の車が流され、金沢にいつ戻れるかもわからなかった。だが、7日の朝。避難所にいた女性に声をかけられ、一緒に金沢に向かうことになった。 「2時間後出発ね!って感じでした。そんなに戻りたいとは思っていなかったんです。でも、私のメンタルも終わってたし、避難所から一人でも多く出てほしいという状況だったから。(能登を離れることも)怖いし、一人だけ金沢に行くのも申し訳ないし、でもここから出たほうがいろんな意味でいいんだろうな、って」  地震の揺れで、金沢の自宅もぐちゃぐちゃになっていた。だが、蛇口をひねれば水が出て、スイッチを押すだけで電気がつく。その一つひとつに感動した。 「能登はいいところ」だから忘れないで  金沢に戻ってから、友達や大学の先生の支えで、少しずつ前を向けるようになっている。それでも、不安は尽きない。 「とにかくお金がなくて、他にも困っている学生がたくさんいると思います。大学も就活、生活するのにもお金が必要で……。なかなかしんどい状況です。奨学金の情報とか、なんでもいいので教えてもらえるとうれしいです」  と小さな声でつぶやいて、こうも続けた。 「ツイッターで津波の動画が上がっていたりして、そういうのを見たら『能登怖い』『行きたくないな』って思う人がいっぱいいるんじゃないかなってのがすごい不安で。でも、能登ってすごいきれいなところで、本当に穏やかで、めちゃくちゃいいところだからそれを忘れないでほしいんです」 地震が起きる前に撮影した能登。やわらかい光と穏やかな海が美しい(坂口歩さん撮影) (編集部・福井しほ) ※AERAオンライン限定記事 地震発生から金沢への避難まで、 坂口さんが描いた絵 地震発生前から翌日までを描いた(絵:坂口歩さん) 絵:坂口歩さん 絵:坂口歩さん (絵:坂口歩さん) https://twitter.com/sinpiiin/status/1743504497270522305
能登半島地震
AERA 2024/01/20 10:30
松本人志の“茶化し”に芸人「たかまつなな」が直言 「性被害を告発した女性たちを更に傷つけている」
唐澤俊介 唐澤俊介
松本人志の“茶化し”に芸人「たかまつなな」が直言 「性被害を告発した女性たちを更に傷つけている」
たかまつなな氏   「週刊文春」が報じたダウンタウンの松本人志の“性加害疑惑”は、番組のスポンサー離れが進むなど、日に日にその余波が大きくなっている。吉本興業(以下、吉本)は「週刊文春」に対して法的措置を検討していると表明しており、松本は「裁判に専念するため」として芸能活動休止を発表した。笑下村塾代表で時事YouTuberのたかまつなな氏は、一連の松本に関する報道を受け、Xなどで「記者会見を開くべきだ」と主張している。芸人としても活動していたたかまつ氏は、お笑い界の“カリスマ”である松本氏の報道をどう見ているのか。また、時事問題を取材するYouTuberとして、性加害疑惑にどう向き合うべきだと考えているのか。たかまつ氏に話を聞いた。 *           *  * ――4日、たかまつさんは自身のYouTubeチャンネルに「ダウンタウン松本人志さんの文春報道について、私の思いをお話しします。」と題した動画をアップしています。いち早く動画をアップした意図は何だったのでしょうか。  旧ジャニーズ事務所の性加害問題のときに、「どこまでが事実かわからないから報じない」というメディアの姿勢に違和感を覚えました。この問題以前から、私は、例えば自衛隊内での性被害を告発した五ノ井(里奈)さんや、劇作家からの性加害を訴える俳優の大内(彩加)さんら、性被害を受けた方々を取材していました。そのなかで、被害者の方たちがメディアのそうした態度に苦しんでいるという声を聞いてきました。もし報道が事実であるとするならば、今回の松本さんの性加害もこれまでの性加害の問題と構図が似ていると感じ、だからこそ、声を上げなければいけないと思ったんです。 ――ネットでは松本さんや吉本擁護の声もあります。  もちろん、メディアが誤報を打つ、ということはあり得ます。なので、もし誤報であれば被害を受けているのは松本さんになるわけで、そのことについて「報道に負けないでほしい」といった擁護する声が出ることは理解できます。だからこそ、事実を明らかにしていく必要があると思うんです。 「ワイドナショー」への出演は急きょ取りやめとなった。   価値観がアップデートされていない ――過剰に擁護する人の中には、被害を訴えている女性を非難する声も見られますが、どう思われますか。  五ノ井さんやカウアン(・オカモト)さんのときから、価値観が全然アップデートされていないと思います。カウアンさんのときは「ジャニーさんが死んでから言うのはどうなのか」といった声がありましたが、今回も「何年も前のことをいまさら……」というような声もあって、事実なら被害者が「セカンドレイプ」に遭っている構図は変わっていません。 ――たかまつさんは、事実を明らかにするために記者会見を開くべきだ、と主張されています。しかし、ネット上では「裁判で白黒つければいい」という意見も多く見受けられます。  裁判という制度を妄信しているところが気になります。もちろん、裁判も重要です。しかし、事実を突き止めるためには、マスメディアによる独自取材や、吉本による社内調査や第三者委員会による調査など、さまざまな観点から問題を掘り下げ、事象の解像度を上げていくことが欠かせません。  松本さんは「ワイドナショー」(フジテレビ系)で説明する旨を発信されていましたが、番組の出演者に厳しい質問ができるとは思えません(10日、フジテレビは出演を取りやめることを発表した)。また、これまで吉本との関係性が深い芸能記者も、厳しい質問をぶつけることは難しいと思うんです。だからこそ、テレビや新聞などの忖度する可能性が低い、例えば、社会部の記者が出席できる記者会見を開くべきだと考えています。  裁判をすれば記者会見をしなくてもいい、という風潮が今回の件を機に高まってしまうことの悪影響は大きいと思います。松本さんは影響力が強い人です。たとえ松本さんが主張されているように、性加害をしておらず、事実無根だとしても、どこまでが事実なのか説明したり、声をあげる人を非難する風潮を止めるための呼びかけなどをしたりしてほしいです。一連のXでの茶化すような書き方が、今回の件のみならず、今まで性被害を受けた方のセカンドレイプなどにつながってしまうという意識をもってほしいです。松本さんや吉本の対応が性加害を告発する動きや、「#MeToo運動」など、最近やっと進んできたこうした歩みを後退させてしまうことになるのではないかと危惧しています。 ダウンタウンの松本人志(写真:INSTARimages/アフロ)   セカンドレイプを助長する可能性も ――週刊誌の報道が出たあと、松本氏はXに「いつ辞めても良いと思ってたんやけど…やる気が出てきたなぁ〜。」と書いたり、被害を告発した女性の“お礼”LINEの画像とともに「とうとう出たね。。。」などとポストしています。この対応をどうみましたか。  私は、これが一番の問題だと思っています。松本さんや吉本が主張するように、もし報道が事実無根だとしても、性加害の疑惑が向けられている当事者として、被害を訴えている方たちへの誠意がないと思いました。松本さんは非常に影響力がある方ですし、吉本もSDGsを重視している企業です。今回の対応は、性被害を告発した女性たちを更に傷つけているような対応です。これが前例になってしまえば、性被害を告発した方たちへのセカンドレイプを助長するかもしれず、非常に問題がある対応だと思っています。 ――旧ジャニーズ問題以降、世の中の動きに何か変化は感じましたか。  報道の動きに関してはそこまで変化を感じませんが、スポンサー企業の対応は変わったと思います。旧ジャニーズ問題がBBCに報道されたとき(2023年3月)は、静観している企業がほとんどでした。ネットで不買運動が起きるなどして、やっと旧ジャニーズ所属のタレントを起用しなくなるようになってきたという感じでした。しかし、今回はスポンサー離れが早かった。旧ジャニーズ問題以降、それだけ、「ビジネスと人権」という感覚が日本社会にも浸透してきたのではないでしょうか。スポンサー企業は、自分たちの社会的な影響力の大きさをもっと考え、今回のようにスポンサーを降りるということも含めて、世の中を良くすることへの責任を感じて行動してほしいです。私はこれはいい変化だと受け止めています。 松本さんに近い人が証言してほしい ――旧ジャニーズ問題では、テレビや雑誌などのマスメディアが報道に及び腰だったように思います。今回の松本氏の報道で、マスメディアにどのようなことを期待しますか。  ダウンタウンさんはテレビ各局で番組を持っていますし、吉本制作の番組もたくさんあります。なので、松本さんと親交がある方たちは局内にも多くいると思います。私は、こうした近しい人たちにこそ、報道番組で証言をしてほしいと思っています。彼らだけでなく、芸能プロダクションやタレント、番組制作の裏方にも知っていることがあるなら、きちんと話してほしい。旧ジャニーズ問題のときも、私が知る限りでこうした検証をやっていたのは、TBSの「報道特集」くらいです。とても難しいことだとは思いますが、松本さんに近い方たちが真実を証言する流れが生まれてくることを期待したいです。 ――スキャンダルによって松本さんのような才能が業界から消えてしまうことを憂う声もあります。たかまつさんも芸人として活動されていたことがありますが、この意見をどう思いますか。  もし今回の件をきっかけに松本さんが芸能界を引退されることになれば、お笑い界にとってはすごく影響が大きいとは思います。ですが、今回の問題は、少数の人に権力が集中してしまったことが問題の一因でもあるので、もし若手に権限が委譲されるのであれば、それはプラスの面もあるかなと思います。そこからまた新たな才能が出てくることも考えられるので。一連の報道が出てからの松本さんのXでの対応を見ると、「松本さん、それは古い考えですよ、ダメですよ」って、ちゃんと言える人がいないのも問題ではないでしょうか。違う感覚を持った人、古いことを古いと言える若い人が権限を持つことは、そういった意味でも大事だと思います。 功績と性加害は分けて考えるべき  ただ、そもそもこうした議論が出てくること自体、功績と性加害を分けて考えられていないことの証左だと思います。松本さんはお笑いで多くの新しい功績を作った。しかし、性加害をもししたのであればそれは許されることではないと、両者を分けて考える必要があります。そこは、社会の価値観をアップデートしなければいけないのではないでしょうか。 ――芸能界の体質自体を見直す必要があるように感じます。  芸能界の性加害は、構造的な問題だと思っています。繰り返しになりますが、松本さんの疑惑が事実かどうかは現時点でわかりませんが、事実であるならば、これを機に業界の見直しをしっかり行う必要があります。そのためには、芸能界を目指している若者たちを守る法律の整備が必要だと思います。私は、旧ジャニーズ問題以降、ウェブ上で「#芸能人を守る法律を作ろう」という署名活動をしています。力関係の違いを利用した性加害の問題は芸能界に限らないことなので、日本社会の構造自体を変えていく動きが、今回の報道をきっかけに広がっていけばいいと思います。 (構成/AERA dot.編集部・唐澤俊介) ●たかまつなな 1993年、横浜市生まれ。慶應義塾大学大学院政策メディア研究科、東京大学大学院情報学環教育部修了。時事YouTuber、お笑いジャーナリストとして、現場に取材に行き、社会問題を発信している。18歳選挙導入を機に「株式会社 笑下村塾」を設立し、政治を面白く伝えるため、全国の学校へ出張授業「笑える!政治教育ショー」を届ける。「朝まで生テレビ」や「NHKスペシャル」などにも出演し、若者へ政治意識の喚起を促している。
松本人志たかまつなな
dot. 2024/01/14 11:00
【全財産たったの68円!】ゲッターズ飯田が「どん底」を味わってわかったこと
ゲッターズ飯田 ゲッターズ飯田
【全財産たったの68円!】ゲッターズ飯田が「どん底」を味わってわかったこと
「芸能界最強占い師」として知られ、25年間で7万人以上を無償で占い続け、新刊『ゲッターズ飯田の五星三心(ごせいさんしん)占い2024』も話題のゲッターズ飯田さん。新年早々、「今年のあなたは不運です」って言われたら嫌な気持ちがしますか? でも飯田さんは「不運」は未来にあふれる幸福の源泉かもしれない、と考えています。(朝日新聞出版刊『ゲッターズ飯田の運の鍛え方』から一部抜粋・再編集) 『ゲッターズ飯田の運の鍛え方』(朝日新聞出版)では、他にも今すぐできる運気UPのコツをたくさん紹介しています。ぜひチェックしてみてください。 ゲッターズ飯田さんの最新刊『ゲッターズ飯田の五星三心占い2024』は全国の書店・ネット書店・セブンイレブンにて好評発売中!>>詳しくはこちら ゲッターズ飯田が経験した「どん底」 「運が悪いなぁ」と感じても、過ぎてしまえば何てことはなく、1年前の悩みなんてほとんど忘れていることが多いもの。でも、人生には本当に追い込まれることもあって、僕も「どん底」を経験したことがあります。  僕が芸人をやめたころの話です。  占いはその前から勉強していて、僕の占いがすごく当たると言われていた時期がありました。そのとき、自分を占って「死ぬ」と出たんです。 「死ぬ」と出ているので、お金を残してもしかたないと思い、1か月前からお金を使い続けたら手元に68円しかなくなりました。会う人にも、もう会えなくなるからと占いをし続けて、いよいよか? という日がやってきました。  すると突然、家電が4つくらい一気に壊れて、次に携帯が壊れてメモリが全部消えたんです。布団をかぶって死ぬ覚悟を決めました。  でも死ななかった。  物が壊れたのは身代わりになってくれたのかなと思いましたが、お金もないし、携帯のメモリも消えて誰とも連絡がつかない。でも死ななかったんだから生きるしかない。    さて、どう生きるか……。 【こちらも話題】 【ゲッターズ飯田が教える】自然と「お金持ち」がやっていた風水4選 https://dot.asahi.com/articles/-/207699  すべてがなくなると「生きる」ことに集中するしかなくなるんですね。生きるために必要なものは……と、シンプルに考えるようになり、今までもっていたさまざまな物が「ムダだったなぁ」と思えてきました。  僕はそこから人生が変わりました。 不運は何も怖くない  運も同じで、いったん底まで落ちると、もう次は上がるしかなくなるんです。そして、いらないものを手放した方が、「何をすべきか」がシンプルに見えてきて、生きやすい。  そして、何もなくなった僕に仕事を回してくれる人が何人かいたんです。どんな仕事も受け、人に会えば無償で占いました。そうやって人に助けられ、僕の運は少しずつ上がっていったのです。  それよりもっと前のこと。当時のマネージャーが僕の占いが当たることを知り、「占いノートを作れ。データを貯めておけ。それを10年続けろ」と言いました。  実際、10年後に占いで世の中に出ていけるようになりました。  今になって思うのは、「10年前にそのマネージャーは何を見ていたか?」ということです。世間的には、芸人として売れずに生活も厳しかったあのころ、「10年後に跳ねる」と予想して助言したマネージャーは、当時の不運ではなく未来の幸運を見ていた。そして僕は、生きることに必死になっていた。これは不運と言えるのか?  僕には不運とは思えないのです。 いま日本で一番売れてる占い師・ゲッターズ飯田さんの最新刊『五星三心占い2024年版』は、全国の書店・ネット書店・セブンイレブンにて発売中! >>本の詳細をAmazonで見る  >>「五星三心占い」タイプチェッカーで自分のタイプを調べる 【こちらも話題】 【ゲッターズ飯田が教える】多くの人が勘違いしている「相性のいい人、悪い人」とは? https://dot.asahi.com/articles/-/210265 人生の壁にぶち当たったとき  よく、調子の悪いときに「人生の壁にぶち当たっている」と表現しますが、じつはこれ、間違っているんです。  たしかに、どうにもうまくいかないことがあると、目の前に大きな壁が立ちはだかっているような気分になります。  登ってはズリ落ち、登ってはズリ落ちてしまう高い壁。もう登れないんじゃないか……と絶望的な気持ちになりますが、ここで諦めてはいけません。  最初はやみくもによじ登っていた壁ですが、次第に登り方のコツがわかるようになってきます。  「あれ、このパターンには見覚えがあるかも?」  と思ったらだいぶ登れている証拠。  もしくは、淡々と自分のやるべきことを続けていると、自分の体が変わってくることもあります。筋肉がついていつの間にかラクに登れる体になっていることもあります。  壁は、逃げたり避けたりしなければ必ず登れるもの。そして登り切ったときに気づきます。  あれ? 壁じゃなくて、階段だった!?  目の前に立ちはだかっていた壁は、壁ではなく階段1段分だったのです。階段を1段上がったら、景色が変わります。それは、ステージが上がらないと見えない景色なんです。  ただ、目を凝らして先を見てみると、次の階段が見えてきます。 「また来たか~」と思うかもしれませんが、以前とは違う階段です。そしたらまたゲーム感覚で攻略法を考えて、あれこれ試しながら登ってみてください。運はどんどん鍛えられていきますから! ※『ゲッターズ飯田の運の鍛え方』より 『ゲッターズ飯田のずっと運めくりカレンダー』より ◎ゲッターズ飯田/これまで7万人を超える人を無償で占い続け、20年以上占ってきた実績をもとに「五星三心占い」を編み出し、芸能界最強の占い師としてテレビなど各メディアに数多く登場する。『ゲッターズ飯田の五星三心占い』は、シリーズ累計1000万部を超えている(2023年9月現在)。6年連続100万部を出版し、2021、22年は年間BOOKランキング作家別1位(オリコン調べ)と、2年連続、日本で一番売れている作家。
ゲッターズ飯田
dot. 2024/01/13 11:00
京都の老舗和菓子店がプロデュース「進化系喫茶」の楽しみ方
京都の老舗和菓子店がプロデュース「進化系喫茶」の楽しみ方
祇園・初音小路から少し入ったところにある「ZEN CAFE」。老舗という言葉からは想像しにくいモダンな佇まいに、期待感が高まる  青がテーマカラーだったり、アート性にあふれる空間だったり。おしゃれでSNS映えするイマドキなカフェ!と思いきや、手掛けているのは江戸期や大正期から続く和菓子の名店、ということが増えている。  茶道の歴史を支えた京菓子は、京都の四季を色や形で表すなど芸術性にも優れる。その豊かな感性や表現力が老舗和菓子店に受け継がれ、アートや文化と融合したカフェの出店につながっているようだ。  創業当時からの名物だけでなく、その場で作るわらび餅やあんこドリンクなど、新感覚のカフェ限定スイーツに出合える「老舗和菓子店プロデュースの進化系喫茶」。いま、京都に行くなら行かない手はない。  2023年11月の刊行で10周年を迎えたムック「京都カフェ」の2024年版から、行くべき4店を紹介したい。 笹屋昌園CAFE&ATELIER 【笹屋昌園CAFE&ATELIER】抹茶わらび餅(1580円)と抹茶レモンソーダ(480 円)。抹茶わらび餅には、餡、きな粉、黒蜜のトッピングがつく  2023年7月にオープンした、 大正7 (1918)年創業の老舗和菓子店「笹屋昌園」が展開するカフェ。笹屋昌園は、高品質な材料にこだわった菓子が人気を集める名店だ。 「笹屋昌園CAFE&ATELIER」では、出来たての本わらび餅やパフェが堪能できる。カフェ限定の「抹茶わらび餅」には、宇治田原産の最高級抹茶「貴長(きちょう)」を使用。注文が入ってからたてる本格抹茶と爽やかなレモンソーダを合わせた「抹茶レモンソーダ」もぜひ試してみて。 SUETOMI AoQ CAFE STAND 【SUETOMI AoQ CAFE STAND】生ハムとチーズのあんカスクート(702 円)は一見驚きの組み合わせだ。あんカフェオレはホットもアイスも594 円 「末富」は、明治26(1893)年創業。「末富ブルー」の包装紙で知られ、寺院や茶道の家元も御用達の名店が、2023年5月にテイクアウト専門のカフェをオープンした。自慢のあんこを使ったドリンクやサンドイッチなど、斬新なラインナップがそろう。 のどごしのよいこしあんとコーヒーの相性が抜群の「あんカフェオレ」はホットでもアイスでも。塩気と甘みがたまらない逸品「生ハムとチーズのあんカスクート」もおすすめだ。 ZEN CAFE 【ZEN CAFE】季節のフルーツサンド(1300円)。写真はいちご。断面の美しさも含め、一度は食べたい老舗の進化系メニューだ 江戸中期の享保年間創業という老舗「鍵善良房」は、のどごしのよいくずきり(1400円)などのロングセラーで知られる。その鍵善良房が手掛ける「ZEN CAFE」は、こだわりのアンティーク家具が配され、洗練された雰囲気。名物の特製くずもちをはじめ、季節を感じる上生菓子なども人気だ。 特におススメなのは、「季節のフルーツサンド」。季節のフルーツを使った一口サイズのサンドイッチで、フレッシュなフルーツと生クリームが間違いなしの逸品だ。 tubara cafe 【tubara cafe】生つばら2 個とお飲み物(1298円~)。のれんの奥に広がる居心地のいい店内で、歴史を感じながら味わって 「鶴屋吉信」は享和3(1803)年に創業。220年の歴史を刻む京菓子店だ。伝統を守りながら、和菓子のおいしさや楽しみ方を提案し続け、東京にも出店している。その老舗京菓子店がプロデュースするのが「tubara cafe」。白を基調とした落ち着いた雰囲気の店内で、カフェ限定メニューが楽しめる。 「生つばら」は、ふわもちの皮に白あん、マスカルポーネチーズを合わせた新感覚スイーツ。和と洋が見事に調和した創作菓子に仕上がっている。 (構成 生活・文化編集部)
京都カフェ京都カフェ10周年
dot. 2024/01/13 07:00
【能登半島地震ルポ】20歳の自衛官に彼女から「生きてる?」LINEが届いた 被災者も支える人も必死で前を向く
大谷百合絵 大谷百合絵
【能登半島地震ルポ】20歳の自衛官に彼女から「生きてる?」LINEが届いた 被災者も支える人も必死で前を向く
輪島市の「朝市通り」があった火災現場。空襲にでもあったかのような惨状が広がる。鼻の奥を刺すような刺激臭が漂ってくる    2024年元日に起きた能登半島地震の被災地取材のため、記者は2日に羽田空港から石川県に飛び、レンタカーで金沢市内から約100キロ離れた輪島市を目指した。北上するにつれ、道路には亀裂や隆起が目立ち、山間部では崖崩れの土砂が流れ込んでいた。大渋滞のなか、3日午後3時、輪島市中心部に到着した。金沢市を出てから実に8時間半が経っていた。最初の地震発生直後の輪島市で何が起きていたのかリポートする。 【金沢から輪島に向かう道中をリポートした「前編」はこちら】 *  *  *  輪島市の中心部に入ると、消防車や救急車のサイレンや、低空飛行で旋回しているヘリコプターの音が大音量で鳴り響いていた。  輪島市役所の横に車を止めた。そこから、海側に向かって歩くと、かつて街があったと想像するのも困難なくらい、完膚(かんぷ)なきまでに破壊された景色が広がっていた。輪島市に来るまでに通ってきたどの場所より、被害が大きいのは一目瞭然だった。  家という家は、1階部分がぺしゃんこにつぶれ、2階部分が地面にめり込んだように見える。その上に電柱が倒れかかり、頭上には切れた電線が垂れ下がっている。道路の表面はあちこちがひび割れ、せり上がったコンクリートの上には、腹を持ち上げられた格好でタイヤが宙に浮いた車が置き去りにされている。 朝市通りは黒こげに  とりわけ、火災によって約4千平方メートルが焼失した「輪島朝市通り」周辺は、目を覆いたくなるほどの惨状だった。  輪島朝市は、約360メートルの通りに八百屋や魚屋、土産物屋など200以上の店がならぶ「日本三大朝市」の一つだ。千年の歴史をもつ観光名所だが、今や、見渡す限りのすべてが、黒焦げになって朽ちていた。小雨が降っていたが、まだくすぶった状態が続いているのか、あちこちから白い煙があがり、空に昇っていく。  地面には、瓦やガラス、金属片などのがれきが厚く敷き詰められ、歩くたびにパキパキと何かが割れる音がする。木造の建物はほぼ炭と化し、鉄筋コンクリートのビルは骨組みだけになってかろうじて立っている。自動車は、ドアが吹き飛びシートが溶け、中の部品がむき出しになっている。 【あわせて読みたい】 能登半島地震でPayPay寄付詐欺「引っ越してきたばかりで娘が震えて…」被害男性が信じたSNS https://dot.asahi.com/articles/-/210703?page=1 火災現場では、何台もの車が焼け焦げていた。いたるところで白い煙があがり、消防隊員が残火処理にあたっていた    木材、金属、プラスチックと、あらゆるものが燃えたことで、数歩歩くごとに違うにおいが漂ってくる。線香花火のようなツンとする刺激臭や、ポップコーンのような香ばしい臭い、そして何が燃えたのか、甘い香りもあった。  ぽつりぽつりと人影が見えた。  傘を差し、同級生と立ち話をしていた男性(62)は、火災現場から離れた市内に住んでいるが、友人や知り合いの家が心配で様子を見に来たのだという。 「LINEしとるんですけど、返事が返ってこん友達がいっぱいおるんで。家は跡形もなかったです。ほんと、涙出ます。なんでこんなことなるのかな」  そうつぶやいて遠くを見つめた。  父親(89)と一緒に歩いていた男性(59)は、父が約90年暮らしてきた実家の焼け跡を訪れた帰りだという。 「おやじが大事にしていた焼き物が一つだけ残ってたもんで、掘り出してきました。でも、最近生まれたひ孫の写真も、僕が子どものときの写真も全部なくなっちゃって。もう焼け野原で、ひどいもんですね。戦時中のことは知らないけど、こんなんだったのかな」  日が落ちてあたりが暗くなってからは、避難所になっている市役所の取材に切り替えた。 エントランスの地面が大きくゆがんだ、輪島市役所庁舎。「ビスケット」と書かれた段ボールを持ってきた男性たちに、女性が笑顔で駆け寄る   トイレもほしいです  市役所は、本館で避難者を受け入れ、新館で職員が業務にあたっていた。4階建ての本館は、エントランス、会議室、廊下など所狭しと毛布や布団が敷かれ、その上で約400人が身を寄せあっていた。  高齢者の姿が多いが、赤ちゃんのいる家族連れや、犬と一緒に避難している人もいた。避難者たちによると、まだ救援物資は受け取れておらず、水も食料も毛布も持参のものでやりくりしているという。  娘を真ん中に、妻と3人横並びで壁際に座っていた中口英明さん(59)は、「ぜいたくですみません」と前置きしつつ、「あったかいものが食べたい」と話した。 「食パンやドーナツはあるんですけど、具がなくてもいいからみそ汁とか……。あとは、口に入れたものは外に出るのだから、トイレもほしいです」 市役所庁舎で、ご近所さんたちと身を寄せ合う女性たち。「お願いだから持って行って。気持ちだから」と、記者の手にバウムクーヘンやパンを握らせてくれた   【こちらもおすすめ】 能登半島地震・志賀原発 避難ルート「のと里山海道」は一時全面通行止め 避難計画は“絵空事”だった https://dot.asahi.com/articles/-/210705?page=1 1階部分から折れた輪島塗の「五島屋」本社ビル。3日夜、下敷きになっていた女性が救出されたが、死亡が確認された    庁舎のトイレは、断水によって水が流れないため、便器がことごとく排泄(はいせつ)物であふれ、使用済みのトイレットペーパーでパンパンになったゴミ袋がいくつも置いてあった。  衛生的にも精神的にもかなり厳しい環境だが、会社の同僚と避難してきた30代の女性は、家に帰れるめどはまったく立っておらず、当面は避難所で過ごすという。 「今家に入るのは危ないし、余震も怖いし、ここにいるしかない」  そう話しているそばから、突然ガタガタと音をたてて庁舎が大きく揺れ始めた。緊急地震速報のアラームが一斉に鳴り、女性はとっさに記者の腕にしがみついた。震度4だった。 震度4~5クラスが毎晩  この3日間は毎晩、震度4~5クラスの揺れに見舞われているといい、先ほど口にしていた「余震の恐怖」の深刻さを痛感する。女性は「寝られないし全身が痛いです」と疲労をにじませていた。  隣に座っていた同僚の40代女性は、インターネットが思うように使えず、市役所のテレビもBSしか映らない状況を受け、「とにかく正確な情報がほしい」と訴える。 「いつまでこの避難所にいられるのか、なんで物資が届かないのか、道路はどうなっているのか、何も分からなくて困っています」  市の広報担当者に話を聞くと、行政側もあらゆる情報の集約が追いつかず、混乱しているようだ。救援物資も、何がどれだけの量、どの避難所に配られているのか把握できておらず、「まったく足りていないことだけは確か」だという。  年末年始で市外から大勢帰省していたため、市民用に備蓄していた物資ではとうてい足りず、しかも震災の日から2日間は市内へ通じる道路が完全に遮断されていた。3日になってようやく県道が一部開通したものの、「まずは物資の配布よりも、生き埋めになっている方々の救助活動を最優先に動いています」(市担当者)。  市役所での取材を終え、車に戻った。今晩は車中泊だ。道路の側溝を洗面所代わりに、夜空の下で歯を磨いていると、スマホに視線を落とした自衛官が近くに立っていた。休憩時間なのかと思い、話しかけてみると、同僚たちの帰りを待っているところだという。 ぺしゃんこにつぶれた民家。近隣住民によると、この家に一人で住んでいた65歳くらいの女性と連絡がとれないという 【あわせて読みたい】 地震保険はやはり必要か 都道府県別の世帯加入率トップは宮城県、最下位は?【能登半島地震で見直す備え】 https://dot.asahi.com/articles/-/210700?page=1 火災現場近くの墓地。火の手はまぬがれたものの揺れによる損傷が激しく、墓石が倒れて中が見えていたり、地蔵の頭がとれて転がったりしていた    関西地方から派遣されたという彼は20歳。元日に親戚で集まり、すしを食べようとした瞬間に震災が起き、そのまま招集された。初めての災害派遣の現場では、輪島市と外部をつなぐ交通路を確保する業務にあたっているという。  午前4時起床で2時間しか眠れない日々が続き、彼女からは「生きてる?」と不安でたまらない様子のLINEが頻繁に届く。保存食の米は、「古いと消しゴムを食べているよう」だというが、「誰かを助ける仕事がしたくて自衛官になったので、つらくはないです」。  そして午後10時ごろ、同僚と合流すると、再び仕事へと戻っていった。  危険と隣り合わせの被災地で、記者も神経が高ぶっていたせいだろうか。なかなか寝つけず、こま切れの睡眠をかろうじて3時間ほどとった翌朝7時。車の外に出ると、焦げくさいにおいが混じった南風が、頬に吹きつけた。  街の様子を見に、再び朝市通りのほうへと歩く。重苦しい雲が立ち込めていた前日とは打って変わった青空は、その下の壊滅的な光景とあまりにも不釣り合いに感じた。 「もうダメです」  朝市通り周辺の焼失エリアからわずか数百メートル手前で、ヘルメットをかぶって自宅前にたたずむ男性と出会った。 「家の片付けをしとる」と話してくれたのは池高精一さん(75)。前日は、壁がはがれ落ちた1階部分に木の板を打ちつけたので、この日は散らかった室内を少しでも片付けようと、避難所からやって来たという。  池高さんは、仏壇や仏具などを手がける漆塗り職人。1階が住居、2階が工房だった自宅は、周囲の家の大半が倒壊しているのにもかかわらず、しっかり原形をとどめている。 「この家は俺が小学生のころにできたから65年くらい経ってるけど、おやじがいい材料を使ってくれたんだろうね。でも、中にあるもんは全部落ちて、2階は壁も落ちて、もうダメです」  家の中を見せてもらうと、障子やタンスが倒れ、押し入れの中のものが飛び出し、足の踏み場もなかった。2階では崩れ落ちた壁が床の上で粉々になっており、塗られる前の「経机(きょうづくえ)」と呼ばれる仏具も壊れて散乱していた。 池高精一さんの自宅。2階の工房は損傷が激しく、漆器を乾かすための収納庫「塗師風呂(ぬしぶろ)」がある部屋の戸は開かなくなっていた   【こちらも読まれています】 「被災者自身でのブルーシート張りは極力避けて」 被災地域にいる人に災害支援の専門家が伝えたいこと https://dot.asahi.com/articles/-/210667?page=1 「中ではとても暮らせないけど、避難所生活もいつまで続くか。避難所のトイレ、小は少しできるけど大のほうができないから、なるべくものを食べないように飲まないようにしていて。水は1日にコップ1杯。金沢に住んでる娘が『家においでよ』って言ってくれとるけど、厄介になるのもね……」  だからこそ家の修理や片づけを進めているのかと思いきや、池高さんは「どんなもんやろ」と吐き捨てるようにつぶやいた。 「余震もでかいやつが続いとるし、直す価値があるか……。家がまっすぐ建っとるからこそ、直すかつぶすか悩んでしまう。これからじっくり考えようと思う」 伝統工芸である輪島塗の店も、数多く被災した。朝市通りにある「涛華堂 八井浄漆器本店」は、営業再開の目途は立っていないという    池高さんの家の隣にある仕出し料理店「作治」も、同じように倒壊をまぬがれていた。中で片づけをしていた店主の田腰弘治さん(80)は、1階部分の太い梁(はり)を指さし、「これが支えてくれるから、畳の上で柔道してもつぶれんようになっとる」と胸を張る。 「こんな天災、苦にならん」 「今は、奥の部屋をきれいに片付けて、中で寝泊まりしとる。水道はきてないけど、顔を洗ったり飲み水にしたりできるよう、きれいな雪をもってきて溶かしとるし。生活の知恵ね」  田腰さんは元々、フランス料理のシェフとして兵庫県のホテルなどで腕を振るい、40年ほど前にこの店を建てた。しかし、震災を機に店をたたむという。 「予約はいっぱい入っとったし、震災がなかったらまだ続けるつもりやったけど、もうせん。でも、どこも行かんよ。わしが建てた家に住み続ける。今まで宝塚とか姫路とか転々としたけど、やっぱりここが一番やね」  そして田腰さんはおもむろに、「俺は幸せや!」と口にした。 「今のロシアとかウクライナなんて、食べるもんも住むところもない人がいっぱいおりますわ。そう思ったら悲しんではおられん。ほうでしょう? こんな天災なんて苦にならん。全っ然苦にならん!」  にらみつけるようなまなざしと、突然強くなった語気。必死に自分に言い聞かせ、奮い立たせているように見えた。 仕出し料理店「作治」の前に立つ、店主の田腰弘治さん。「天災は何十年かにいっぺん起こるし、作った物はいつか壊れる。当然や。壊れたら、また一から作ればいい!」   【こちらもおすすめ】 「地滑りが発生しやすい」「海岸線ギリギリの家屋」 地震被害が大きくなりやすい能登半島ならではの特徴とは https://dot.asahi.com/articles/-/210678?page=1 アスファルトの道路がまるで海のように波打ち、いたるところで車が乗り捨てられていた 倒れた電柱によって電線が大きくたわんでいる。街を歩いていると、ちぎれた電線の切れ端が頭に触れそうになり、恐怖を感じた    破壊の限りが尽くされた光景を前にすると、はたして輪島が復興する日はやって来るのか、正直不安をおぼえる。前出の火災現場で出会った男性(62)は、「以前から人口がどんどん減り、高齢化も進んでいたのに、もう一度輪島に家を建てようと思う人はどれくらいいるのだろう」と嘆いていた。 日常の姿も  だが、街の様子に目をこらすと、日常を取り戻そうとする人々の“営み”もあった。  大きな段差ができて徐行運転でしか進めなかった道路は、作業員が夜通し工事したのか、翌日には砂利でならされ、スムーズに走れるようになっていた。  朝、川沿いの亀裂だらけの土手には、非常時でもいつもどおり犬の散歩をして、フンを片付けている市民の姿があった。  市役所の庁舎では、近くの避難者に「よかったら食べますか?」とおせんべいを差し出したり、カップ麺にむせた高齢女性の背中をトントンとさすったり、みなで助けあう様子が印象的だった(市役所庁舎の避難所機能は5日までで終了し、避難していた人々は既に別の避難所に移っている)。  震災直後から、自分にできることをやり、少しでも前を向こうとする人々がいた。その「人間の強さ」が、今後被害の全貌が明らかになり、厳しい現実に向き合うことになるかもしれない輪島市の希望になることを、信じたいと思った。 (AERA dot.編集部・大谷百合絵) 【あわせて読みたい】 能登半島地震発生からの2日間 余震続きで270人の避難所は満杯 津波で避難も火災に涙 https://dot.asahi.com/articles/-/210499?page=1
能登半島地震輪島
dot. 2024/01/08 12:33
【緊迫の被災地ルポ】ラジオから聞こえる死者数がどんどん増えて…能登半島地震の発生翌々日に現地入りの記者が見た光景
大谷百合絵 大谷百合絵
【緊迫の被災地ルポ】ラジオから聞こえる死者数がどんどん増えて…能登半島地震の発生翌々日に現地入りの記者が見た光景
石川県穴水町にある穴水大宮。鳥居はバラバラに崩れ、新年を祝う「迎春」ののぼりがもの悲しく風に揺れていた(写真はいずれも大谷百合絵)    2024年元日に起きた能登半島地震の被災地取材のため、記者は2日に羽田空港から石川県の小松空港に飛んだ。目指したのは輪島市。交通路が断たれたことで市内の状況がほとんど報じられておらず、何が起きているのか、この目で見て、伝えたいと思った。石川県内での死者のうち、多くが輪島市で確認されている。いまだ安否確認ができない人も多数いる。最初の地震発生直後、現地に向かうまでの各地域や、輪島市内での様子をリポートする。 *  *  *  3日午前6時半。前日夜になんとか確保できたレンタカーで金沢駅近くのホテルを出発した。金沢市内から輪島市の中心部までは直線距離で100キロ程度。平時であれば、石川県西側の海沿いから、40キロ先の能登半島の西の付け根、羽咋市(はくいし)を抜けて輪島市の手前、穴水町の北部までを有料道路で行ける。残りは一般道で10キロ程度のため、トータルでも2時間ほどで着ける。しかし、地震で道路が寸断されているため、半島の東側へ大きく迂回(うかい)するルートで向かうしかなかった。  金沢市内を走る間は、震災の影響はほとんど見受けられなかったが、半島の東の付け根に位置する氷見市(富山県)にさしかかると、少しずつ様子が変わってきた。 「ENEOS」の看板が粉々に  ブロック塀が崩れて散乱し、道路の亀裂によって車がガタガタと振動する。本来、正面からだと横長の長方形に見えるはずの家々は、横にゆがんで平行四辺形のようなフォルムになっている。歩道では、老夫婦があたり一面の泥を懸命にかき出していた。  早めにガソリンを補充しておこうとスタンドに近づくと、ざっと数十台の車が長蛇の列をなしており、やむなく断念した。その先にあった「ENEOS」は、オレンジの看板が地面で粉々になっており、店員はいなかった。  氷見市から北上し、「加賀屋」で知られる和倉温泉のある七尾市(石川県)に入った。氷見市の中心部から七尾市の中心部までは二十数キロだが、街なかの被害状況は違っていた。停電が目立ち、信号も機能していない。交差点などでの交通の秩序は、“譲りあいの精神”と“あうんの呼吸”によってどうにか保たれていた。 【こちらも読まれています】 能登半島地震・志賀原発 避難ルート「のと里山海道」は一時全面通行止め 避難計画は“絵空事”だった https://dot.asahi.com/articles/-/210705?page=1  さらに北上した。能登半島の中央に位置し、輪島市の南に接する穴水町に入ると、状況はさらに深刻だった。道路はどこもかしこもひび割れて隆起し、スピードを少し上げるとタイヤがパンクするのではないかと感じるほどだった。実際、道路脇には何台もの車が乗り捨てられていた。 穴水町に入る手前で、道路の裂け目に車が落ちていた。撤去作業は断念せざるを得なかったのか、翌日も車は残されたままになっていた(画像は一部加工しています)    家屋も傾いているというレベルを通り越し、それこそ少し押しただけで崩れ落ちそうな家が多い。電柱は斜めに傾き、電線は大きくたわんでいる。  通信状態もどんどん悪化していった。スマートフォンのアンテナマークが1本また1本と減り、ついにゼロになった。もし自分の身に何かあっても助けを呼べない、と想像すると背筋が寒くなったが、障害物を避けながら、ともに北を目指す周りの車の存在に励まされ、勝手に同志のような連帯を感じていた。 障害物だらけの細い道を、みなで隊列を組んで進む(画像は一部加工しています)    いったん車を止めて輪島市に入る道を地図で確認しようと、穴水町と七尾市を結ぶ「のと鉄道」の穴水駅に立ち寄った。のと鉄道は、旧国鉄の路線廃止に伴い、JR発足の翌1988年から第三セクターが運営している。経営は厳しいながらも、七尾湾や能登島など能登半島の景観が楽しめ、アニメ作品の“聖地”として知られる駅もあるなど、鉄道ファン以外の人気もあるローカル線だ。 線路が切れている  しかし、目に入ってきたのは無残な姿となった駅舎だった。  入り口前の地面は大きく波打ち、ブロック製の階段もぱっくりと割れている。車を降りて事務所をのぞいた。棚がひっくり返り、書類が散乱した室内を社員たちが片付けていた。   あらゆる物が散乱した穴水駅の事務所。奥で、社員たちが黙々と片付けをしていた 大きく損傷した穴水駅ホーム。幸い乗客にケガ人はおらず、みな無事に避難できたという    そこに、小学生くらいの女の子と、母親とみられる女性がやってきた。女性は「金沢まで行きたいんですけど、復旧のめどはありますか?」と問いかけたが、事務所の中から返ってきたのは、「ないです。線路が切れているので……」。 「今日どうやって帰ろー?」とたずねる女の子の手を引き、女性は「やっぱだめですね」と、来た道を帰っていった。  駅の被害の様子を聞こうと職員に声をかけると、大変な状況のなか、常務取締役兼鉄道部長の小林栄一さんが奥から出てきてくれた。 「水も電気も止まってますよ。暖をとれるのは石油ストーブだけ。地震のときにホームにとまっていた列車を臨時事務所にして、トイレは車両についているものを使っているんですけど、満杯になるのは時間の問題ですね」 地震の爪痕が残る穴水駅庁舎。通信状態が悪く、国土交通省などへの被害状況の報告もままならないという 【あわせて読みたい】 地震保険はやはり必要か 都道府県別の世帯加入率トップは宮城県、最下位は?【能登半島地震で見直す備え】 https://dot.asahi.com/articles/-/210700?page=1  このときは、駅や事務所の片付けと、社員一人ひとりの状況確認を進めているとのことだったが、被害が大きいと報じられている輪島市や珠洲市に住んでいる人が多く、大半の社員の家は半壊もしくは全壊したという。小林さんの自宅は穴水町と珠洲市の間の能登町にあるが、住めるような状況ではなく、15キロの道のりを車で6時間かけて、穴水駅までやってきたそうだ。  線路の状態も、「かなりひどい」という。 「いろんなところで土砂崩れが起きていたり、レールがゆがんでいたり。穴水駅のホームは傾いて外側に張り出してしまったから、電車が動いたとしても、車体をこすってしまって出られません。運転再開の時期なんて、皆目見当もつかないです」  厳しい経営状況ながら、住民や観光客の“足”として走ってきた「のと鉄道」にとっては、存続すら危ぶまれる事態だろう。  一通り駅の中を案内してくれた小林さんは別れ際、「輪島まで行くのは危ないから、気ぃつけて下さいよ」と、こちらの心配をしてくれた。 崖崩れで土砂が覆いかぶさった山道 無残にも倒壊した家屋が道路をふさぐ    この数時間で感覚が麻痺(まひ)してしまったのだろう。亀裂の入った道路や倒壊した家を見つけても、驚きが薄れていた。もっと言えば、なくなっていた。しかし、穴水駅を発ち、県道303号線の山間部に入ると、すぐに小林さんの忠告をかみしめることになる。  片側1車線の細い山道。崖崩れで土砂が覆いかぶさり、反対側のガードレールが山の下へと崩落している箇所がいくつもあった。 土砂崩れによって一方通行になり、渋滞が発生している山道(画像は一部加工しています) 片側の車線をふさぐほど巨大な岩が転がっていた 道路の右側は土砂が流れ込み、崖に沿っている左側はガードレールが途切れてしまっていた    穴水以南とは比べ物にならないほどの悪路を、輪島へ向かう車と穴水へ向かう車が代わりばんこに通り、かつ愛知や三重など全国から集結した消防や自衛隊の大型車両も走るのだから、当然、所々で大渋滞が発生する。20分以上車列がまったく動かず、500メートル進むのに1時間半かかった区間もあった。  気がつけば、ラジオが伝える県内の死者数が、時間とともにどんどん増えていた。輪島市に入るまで残り数キロの場所に来ていながら、ほんの少しずつしか近づけない状況が長く続いた。金沢を出てから、すでに5時間が経過していた。 (AERA dot.編集部・大谷百合絵) 【輪島市内の様子をリポートした「後編」はこちら】
能登半島地震穴水市のと鉄道
dot. 2024/01/08 12:32
お笑い芸人・ハウス加賀谷 中学時代に幻聴、幻覚を発症 「かがちん臭いよ」と声が聞こえて…
平尾類 平尾類
お笑い芸人・ハウス加賀谷 中学時代に幻聴、幻覚を発症 「かがちん臭いよ」と声が聞こえて…
統合失調症に対する理解を呼び掛ける講演活動を全国各地で精力的に行う    お笑いコンビ「松本ハウス」は1990年代のバラエティー番組で大ブレークし、多忙な日々を送っていたが、ハウス加賀谷(49)の統合失調症の症状が悪化。99年に活動休止を余儀なくされた。2009年に相方の松本キック(54)と活動を再開後は芸人活動の傍ら、統合失調症に対する理解を呼び掛ける講演活動を全国各地で精力的に行っている。【前編】では表舞台から姿を消した当時の思いなどを語ってもらった。【後編】では幻聴、幻覚に悩んだ学生時代、両親に抱く特別な思いについて話を聞いた。 【前編はこちら→お笑い芸人・ハウス加賀谷 人気絶頂で姿を消して24年…「嫌いな自分を評価される矛盾が苦しかった」】  お笑いコンビ「松本ハウス」は1990年代のバラエティー番組で大ブレークした   世の中にはいろいろな人がいる ――講演活動に対する思いを聞かせてください。  講演に来てくださるのは(統合失調症の)当事者、ご家族の方が多いです。もちろん、初めてこの病気を見聞きする方もいらっしゃいます。知らない方たちに感じてほしいのは、世の中にはいろいろな人がいるということです。統合失調症でも症状は様々ですし、ひとくくりにできない。僕が特別とかではありません。講演は全国各地に呼んでいただいていますが、コロナ禍はなかなか開催できなくて。その時にX(旧ツイッター)を始めて、皆さんからの質問に回答する【ハウス加賀谷のなんでも質問箱】を設置しました。職場や学校、家族間での人間関係に悩んでいる方や、精神疾患で悩んでいる患者さんやご家族から多くの相談が寄せられて。今までの合計で9000本近くに答えていますが、こちらの回答が2000文字近くになってしまう時もあります。 統合失調症でも症状は様々ですし、ひとくくりにできないという   「こういう意見もあるんだな」 ――凄い数の相談件数ですね。  正直言うと、僕の意見で誰かを救えるとは思っていないです。例えば、「息子が精神疾患になって病院に行きたがらないんですけど、どうすればいいでしょうか」と親御さんから質問が来る。患者本人に病識がないケースですね。こういう質問の回答が一番難しい。正解がないからです。ただ、僕は医師でも看護師でも学校の先生でもない。自分の言葉に責任を持たなければいけないけど、気兼ねなく発言できる部分はある。10代で統合失調症を発症して、今49歳になって。経験を積んだことで、アドバイスできることが増えている。医師や家族に打ち明けられないことでも気軽に相談してもらえれば。「こういう意見もあるんだな」と思ってもらえれば十分です。  加賀谷は中学2年の夏休み前に、統合失調症の陽性症状である幻聴を発症した。授業中に教室の後ろの席から「かがちん臭いよ」「うわ、臭い」という声が聞こえてくる。驚いて振り向くが誰も言っていない。幻聴は休み時間、給食の時間も絶えず聞こえ、「自己臭恐怖症」という精神疾患を併発していた。声が聞こえると、わきを力いっぱい締め付ける。左右の肩甲骨を寄せ、胸が突き出た体勢で腕や肩、頬の筋肉が震える。背中を壁にピタリとつけないと歩けなくなっていた。病院の皮膚科で診察を受けたが、医師に「臭わないですよ」と異常がないことを伝えられ、神経科へ。問題は解決せず、皮膚科でわきの皮膚を切り取る手術をしたが、幻聴は続いた。幻覚も発症し、絶望感に襲われた。16歳の時に心の病にかかった人たちが共同生活をして社会復帰を目指すグループホームで2年間生活し、投薬治療により症状が改善に向かった。 統合失調症の症状が悪化し、99年に活動休止を余儀なくされた     中学2年の夏休み前に、統合失調症の陽性症状である幻聴を発症した   ――幻聴、幻覚を発症した学生時代を振り返っていただけますか。  孤独でしたね。SNSでいろいろな情報を手に入れられる今とは違って、幻聴や幻覚に理解がない時代でした。医師から「加賀谷君は臭くないですよ」って言われても、額面通りに受け止められない。たとえ臭くなくても、僕が思っている現実が全てになってしまうんです。この苦しさを誰にも理解してもらえない。あきらめに近かったですね。 中1の時は友達がいて楽しかった ――幻聴を発症する予兆はあったのでしょうか。  これが難しいんですよね。僕は小3から学習塾に通うのですが、中学受験で難関中を目指す有名学習塾の入塾テストに合格して。トップレベルの子が集まる一番上のクラスに入って勉強一色の生活でした。限界を迎えたのが小5です。ノートのページが急にめくれなくなり、黒板の内容を同じページの余白に書き写していたら、隙間がなくなって字で真っ黒になった。先生が異変に気付いて親に連絡して。塾を辞めて、中学を卒業するまで一度もノートを取りませんでした。精神的に追い詰められていたから、パーンと何かがはじけたのかもしれません。ただ、この出来事がその後の幻聴と関連性があるかと言われると分からない。中1の時は友達がいて楽しかったですから。記憶の限り、幻聴は突然来た感覚なんです。   小3から学習塾に通ったという  グループホームで過ごして将来を模索するなか、お笑い芸人の道に憧れを抱く。大きな影響を受けたのがビートたけしだった。深夜のラジオ番組「ビートたけしのオールナイトニッポン」を中学時代から毎週録音して何度も聞いた。自分をさらけ出して笑いを取る話術に魅了され、「自分も漫才の舞台に立ちたい」とお笑いの世界に飛び込んだ。 「両親につらい思いをさせてしまった」と振り返る   ――デビュー後、精神疾患を公表して活動していました。  社会にはいろいろな人がいます。障碍者を色眼鏡で見て心ないことを言うディレクターがいたし、先輩の芸人の中にも悪気はないのかもしれないけど、障碍をいじる人はいました。松本ハウスの出演が決まっていた番組で、番組の方から「今回はごめんなさい」って出演に急にストップがかかったり。でもそういう人ばかりではない。芸を笑ってくれたり、障碍を理解してくれたりする方もたくさんいます。そこは忘れないようにしています。 少しずつ続けたから前に進めた ――統合失調症の症状が悪化して99年に芸能活動を休止。10年後に活動を再開しました。  活動を休止して精神科病院に入院した時は、先のことなんて何も考えられなかったです。自宅療養中に芸人として舞台に戻りたいと思いましたが、あとから考えてよかったのはスモールステップを刻んだから。いきなりお笑いの世界に復帰しようと大きなステップだったら踏み外したり、届かなかったりしたと思います。「今日は少し本を読もう」とか、「アルバイトで働いてみよう」とか、自分のできる範囲でできることを少しずつ続けたから前に進めたと思います。 両親のことは尊敬しているという   ――活動を再開して14年が経ちました。ご自身の人生を振り返っていかがですか。  恵まれた人生だと思います。両親のことは尊敬しています。うちの親はちょっと変わっているんです。父の知り合いの方から「変わり者の加賀谷さんの息子ですか?」って聞かれて(笑)。その時に、「変わり者と思われても家族のために一生懸命働いてくれていたんだ」ってしみじみ感じました。母さんは天然ですね。言えませんが、凄いエピソードがいろいろあります。精神疾患になったけど、両親に恨みはありません。小学生の時の受験勉強でああなってしまったけど、僕が中学受験に向いていなかったということです。当時は受験戦争が熾烈な時代で、子供によい教育をしなければいけないという使命感が親にもあったと思う。中学で統合失調症を発症した時、親は罪悪感を覚えたと思います。僕のせいですよ。つらい思いをさせてしまった。でも、ずっと支えてくれたんです。感謝の思いしかありません。 (平尾類) 【前編はこちら→お笑い芸人・ハウス加賀谷 人気絶頂で姿を消して24年…「嫌いな自分を評価される矛盾が苦しかった」】 【前編はこちら】 お笑い芸人・ハウス加賀谷 人気絶頂で姿を消して24年…「嫌いな自分を評価される矛盾が苦しかった」 https://dot.asahi.com/articles/-/210666
ハウス加賀谷松本ハウス統合失調症
dot. 2024/01/06 11:00
おせち買う派も作る派も!盛りつけは「奇数・正方形・三角形」で決まる
おせち買う派も作る派も!盛りつけは「奇数・正方形・三角形」で決まる
 今年もあっという間に年末がやってきた。となると、気になるのがおせち料理だ。いまは、「作るのはちょっと」な人も、栗きんとんや数の子、昆布巻きなど、好きなメニューを少量ずつ、スーパーなどで購入できる便利な時代。盛り付けさえ何とかすれば、手軽にお正月気分が味わえる。  その盛り付けだが、おせちを重箱に詰めたりお皿に盛り付けたりする場合には、一定のルールがあることをご存じだろうか。このルールを守るだけで、アレンジメニューを加えても、ちゃんと「おせち」に見えるから不思議。料理研究家で栄養士でもある牛尾理恵さんの著書『喜ばれるおせち料理とごちそうレシピ』から、買う派にも作る派にも役に立つ、おせち料理の基本の詰め方・盛り付け方を学びたい。 ***  お節を詰めたり盛り付けたりするときにポイントになるのは「品数」。おせち料理は奇数の品数を作るのが基本で定番は9品だが、その時の品数によって、重箱やお皿の大きさを変えたり、詰め方・盛り付け方をアレンジしたりしていく。  品数を決めたら、次はどんな器に盛り付けるかを考える。重箱は、シンプルなものを選べばお皿感覚で盛り付けることができる。小さな重箱に1人分ずつ盛り付けることも可能だ。お皿の場合も、品数によって、丸い大皿や、スクエアやオーバルの中皿を使い分けると、モダンで素敵なお正月のテーブルになる。 重箱に9品・7品・4品を詰める  では実際に、盛り付けていく。まずは、重箱を使った基本の詰め方から。一の重には、「めでたいことを重ねる」という願いを込めて、祝い肴を詰める。ポイントは、写真のように重箱内を9つの正方形で区切って詰めていくこと。 これが一の重の基本の形。いずれも左から、上段は伊達巻き、田作り、栗きんとん、中段は数の子、黒豆、かまぼこ、下段は昆布巻き、たたきごぼう  9品を詰めた上の写真の場合、黒豆を白い小鉢に盛り、重箱の中心に置くところからスタート。次に、伊達巻きかまぼこ、錦卵など、形の崩れないものを3つ、場所を決めて詰める。そして、右上の隅に栗きんとんを配置すれば、伊達巻き、錦卵とあわせて黄色の三角形ができる。色の配置を意識して詰めるのも、コツの一つだ。最後に、田作り、数の子、昆布巻き、たたきごぼうを詰めれば、一の重の出来上がりだ。  そして、一の重のバリエーションが下の写真。品数は7で、一番上に紅白のかまぼこを直線状に詰めた華やかなアレンジだ。ここでも、伊達巻きと栗きんとんと数の子で、黄色の三角形を作り、残りの場所に、黒豆、田作り、昆布巻きを詰めた。緑色の「はらん」で仕切りを作ったことで、全体が引き締まった印象になっている。 一の重のバリエーションがこちら。かまぼこは紅白を交互に並べると華やか。かまぼこを並べてから仕切りを作り、黄色の三角形を意識して詰めていく  1人暮らしや2人暮らしの4品おせちなら、下の写真のように重箱を4つに仕切るイメージで、すき間をあけてゆったりと盛り付ける。はらんを斜めに敷いておくことで、すっきり素敵な印象を演出できる。似た色のおせちは隣り合わせにならないよう、対角線上に盛るのがコツだ。 20センチ四方の小さなお重に4品を詰めた例。右上は紅白なます。右下は松風焼き。朱色のお重は小さくても、それだけでテーブルが華やぐのがいい  肉や魚の焼き物、なますなどの酢の物を詰める二の重の場合も、基本的な考え方は一の重と同じ。下の写真のように9品を詰める場合、ゆず釜に入れたなますを中央に置いて、あとは似たような色のものが隣り合わせにならないように詰めていく。海老は滑りやすいので一番最後に、頭を左に揃えて詰めるといい。 二の重の基本形。いずれも左から、上段はさわらの西京焼き、酢れんこん、鮭の幽庵焼き、中段は海老のうま煮、紅白なます、松風焼き、下段はぶりの照り焼き、菊花かぶ、牛肉八幡巻き  煮しめを詰める三の重のポイントは、端から場所を決めていくことだ。下の写真の例なら、右下に里いも、右上にこんにゃくを詰め、続いて左下にれんこん、左上にごぼうを詰める。里いもを支えに、滑りやすくても分量が多いもの、大きめに切ってるものを詰めていく。左中の空いたスペースにたけのこを、中央上の空きにはしいたけを詰め、にんじんと絹さやをまんべんなく散らしたら、出来上がりだ。 三の重の基本形。一の重、二の重ではまず真ん中を決めたが、三の重は端から。滑りにくいもの、滑りやすいけれど大きめに切ってあるものを先に置いて 大皿に9品・6品・4品を盛り付ける  重箱の代わりに大皿を使っても、ポイントを押さえれば「おせちらしさ」を高めることができる。和風ではなく洋風の大皿を使うことで、逆にエレガントな印象に。大切なのは、汁気のあるおせちを形や色のかわいい小鉢に盛り付け、三角形になるように大皿上に配置すること。全体のアクセントになるし、バランスもとりやすい。南天や菊の花どを添えると、華やかさはさらに増す。 使用したのは白地に青の文様が素敵なロイヤルコペンハーゲンの大皿。色のバランスや三角形を意識するのは、重箱を使うときと同じ  上の写真で使用したのは、直径33センチの大皿。中央に菊花かぶを菊の葉とともにのせ、小鉢に盛り付けた黒豆、紅白なます、たたきごぼうを三角形になるように置く。空いているところに、数の子、ぶりの照り焼き、田作り、伊達巻き、牛肉八幡巻き(牛肉のごぼう巻き)を置いていけばいい。飾りの南天は「あれば」でOK。  下の写真は、29センチ×24センチのオーバル皿に6品を盛り付けた例。1人分ずつをこんなふうに盛り付ければ、おもてなしの前菜プレートにもなる。この場合も、ポイントになるのは小鉢に盛り付けた黒豆と数の子。左中央と右下にずらすように置いたら、伊達巻きと錦卵を右上と左下に、空いたところに牛肉八幡巻きとたたきごぼうを盛り付け、松の葉を添える。 オバール皿に4品を2列に盛り付けると、上品な印象に。1人分のおせちをゆったりと盛り付けると、気持ちまでゆったり。緑を効果的に使って  4品の場合は、スクエアのプレートが使いやすい。下の写真で使用しているのは、23センチ四方のもの。変形小鉢があると、アクセントになる。緑が足りないな、と思ったら、はらんを切って焼き物の下に敷くと、華やかになる。 23センチ四方のスクエアプレートと14センチ×7センチのボート型小皿を組み合わせた。フチが大きめのプレートは、少ないおせちを上品にみせてくれる (構成 生活・文化編集部 森 香織/写真 松島 均)
おせちおせち料理牛尾理恵喜ばれるおせち料理とごちそうレシピ
dot. 2023/12/26 07:00
門外不出70年の「焼酎ハイボール」を飲みに行く 最高の酒場5選
門外不出70年の「焼酎ハイボール」を飲みに行く 最高の酒場5選
焼酎ハイボールの名店、三祐酒場 八広店。リラックスできるカウンター席が並び、壁には手書きのメニュー表。奥には座敷も設けられている。先代から受け継がれる秘伝のエキスのレシピは門外不出だ 「焼酎ハイボール」は、日本の焼酎文化を語るうえで欠かせない存在だ。焼酎を炭酸で割った一杯を指し、略して「ボール」とも呼ばれる。1950年代に東京の下町エリアの大衆酒場で誕生したとされ、当時、質の悪いものが多かった焼酎を炭酸や香りのついたシロップ(=エキス)などで割り、美味しく飲めるように工夫したのが発祥といわれている。  炭酸やエキスの配合バランスは店ごとに異なり、さまざまな味わいを楽しむことができる。現在も70年前と変わらない門外不出のレシピを受け継いで提供している店も数多い。発売されたばかりのムック「いま最高の酒場と焼酎。」が、この琥珀(こはく)色に輝く美しい酒の歴史を探り、東京下町の5軒の名店を紹介している。 *** 歴史と伝統を受け継ぐ一杯 三祐酒場 八広店/東京・京成曳舟 三祐酒場 八広店の「元祖焼酎ハイボール」350円。創業時からグラスに氷を入れた状態で提供。氷が溶けても最後まで美味しく飲めるようにエキスと焼酎のバランスが計算されている。酸味が効いたすっきりとした飲み心地だ  焼酎ハイボールの元祖として知られている「三祐酒場」。戦後間もない1951年、初代店主がアメリカ進駐軍の駐屯地で飲んだウイスキーハイボールの味に感動し、手軽に飲めるようにと焼酎の炭酸割りを提供し始めたのが誕生のきっかけだ。 「当時の焼酎は精製技術があまり良くなく独特のにおいが強かった。それをうまくなじませるようなエキスを作り、焼酎と炭酸を混ぜて提供していました。味わいだけでなく、色合いもウイスキーをイメージして作られたので琥珀色をしているのが特徴なんです」と二代目店主の奥野木晋助さんは話す。  三祐酒場の本店は区画整理の影響で残念ながら閉店してしまったが、暖簾(のれん)分けを許された数少ない店の一つ、八広店がその味を受け継いでいる。  かつては八広店の周囲にも多くの町工場が存在した。早い時間帯に仕事を終えた男たちが酒場に集い、妻からもらった小遣いで元祖焼酎ハイボールを一杯……というのが定番の光景だったという。酒場が社交場として活用されていた時代の話だ。  現在は街並みこそ変化したが、半世紀以上の歴史を持つ元祖焼酎ハイボールを目当てに遠方から通い続ける常連客も多い。最近は焼酎ブームもあり、女性のひとり客も増えてきたそうだ。  店主の奥野木さんは和食割烹(かっぽう)のほか、海外のリゾートホテルのレストランでも勤務経験を持つすご腕の料理人だ。毎朝新鮮な魚介類を仕入れ、旬の料理も多数用意している。メニューを見ると、定番のつまみだけでなく和洋中の手の込んだ料理も豊富に揃っており、どれを頼もうかと思わず心が躍る。「元祖焼酎ハイボールはどんな料理にも合わせやすいのが魅力のひとつ。まさに無限大の楽しみ方ができるお酒なんですよ」。 家庭料理にもよく合う味わい 亀屋/東京・鐘ヶ淵 亀屋の「焼酎ハイボール」350円。輪切りにしたレモンをグラスに入れてから、強めの炭酸、秘伝のエキスを注ぐ。氷は入らないがグラス、エキス、炭酸を冷やした昔ながらの「3冷」スタイルで提供される  戦後まもない頃に立ち飲み酒場として創業した焼酎ハイボールの名店。2010年に移転し、現在は三代目店主の小俣光司さんが「酎ハイ街道」として知られる鐘ヶ淵通りで営業している。焼酎ハイボールは創業時から存在したが、二代目店主がレシピの研究を行い、焼酎の種類も変更して現在の味わいにたどり着いた。エキスがウイスキーの空き瓶に保存されているのもユニークだ。  注ぎ方にもコツがあり、グラスのふちまでなみなみと注ぐのが先代から続くこだわり。たっぷりと飲んでもらいたいというおもてなしの心遣いがうれしい。  店内には小上がり席もあるが、人気なのはカウンター席。「まるで親戚の家に来たような、アットホームでどこか懐かしい雰囲気がいいんだよね」と常連客が教えてくれた。焼酎ハイボールを片手に、客同士の会話も自然と弾む。 ひんやり食感が心地いい 愛知屋/東京・鐘ヶ淵 愛知屋の「下町の酎ハイ」350円。氷ではなく焼酎をシャーベット状に凍らせたものが入っていて「シャリシャリ」とも呼ばれる。仕上げに目いっぱいトッピングするため、他店より琥珀色の主張が強く、味わいも濃厚なのが特徴だ  鐘ヶ淵駅前から続く大通りを少し入った住宅街に店舗を構える。区画整理によって2012年から現在の場所で営業しているが、店は約半世紀の歴史を持つ老舗だ。「愛知屋」の名物はなんといってもシャリシャリに凍った焼酎とエキスが入ったボール。焼酎ごと凍らせて、味が薄くならないように工夫された創業時の製法を継承し、最後までしっかり冷えたまま飲むことができる。  エキスには台東区で製造されている天羽の梅を使用。香り高いエキスに強炭酸を合わせ、すっきりとした味わいに仕上げている。エキスや焼酎の配合は創業時から変わらないが、シャリシャリという呼び方は常連客が名付けたものだとか。長年、地域に愛され続けている店ならではの秘話だ。 スッと飲めるのど越しの良さが自慢 きよし/東京・堀切菖蒲園 きよしの「焼酎ハイボール」260円。炭酸水は地元葛飾区のものを使用。キリッと冷えた強めの炭酸がよく効いて全体的にさっぱりとした味わいに仕上がっている。地域最安値だというリーズナブルな価格にも注目  焼酎ハイボールの聖地と呼ばれる堀切菖蒲園エリアの中でも、安くて美味しい酒場として常連客から愛されている。氷を入れずに、よく冷えた炭酸とエキスをグラスに一気に注ぎ入れる「2冷」スタイルが店の特徴だ。  すっきりとドライな口あたりでどんな料理にも合うことから、あっという間に三、四杯を飲み干す常連客も多い。「会計用に炭酸の瓶をカウンターに置いておくんだけど、ボウリングのピンのように並べる人もいて(笑)。プロボウラーって呼んでるよ」と女将の後藤由紀子さんが笑いながら教えてくれた。  店内の木札やホワイトボードに書かれたメニューには女将手作りの家庭料理がずらりと並び、どれも良心的な価格設定なのがうれしい。毎日でも通いたくなるというお客の言葉にも納得だ。 ちゅるトロ系のしろと味わう もつ焼 のんき/東京・堀切菖蒲園 のんきの「下町ハイボール」290円。氷を入れない状態で提供されるので最後まで同じ濃度で楽しめる。炭酸が強めで爽快感があり、もつ焼きと最高の相性だ。多くの客が最初の一杯に注文するという  代々常連客が店を引き継いでいる、創業60年のもつ焼きの名店。現在は三代目の山﨑敦さんが伝統の味を守っている。こちらで一番人気の部位はシロ。豚の直腸を使用しており脂の濃厚な甘みがぎゅっと凝縮されているのが特徴だ。ちゅるトロ系とも評される独特のやわらかな食感を求め、遠方から通い詰めるファンも多いという。  もつ焼きと一緒にいただくのはもちろん下町ハイボール。社員しか配合を知らないという秘伝のエキスが詰まったサーバーからグラスにたっぷりと注がれる。注ぎたてはレモンの香りもふんわりと漂い、熱々のもつ焼きの旨味と食感を引き立てる。まさにこの世の幸せといっても過言ではない組み合わせだ。もつ焼きラバーなら、ぜひ一度は体験してほしい。 (ライター 丹下紋香/写真 山下忠之/生活・文化編集部)
焼酎ハイボールいま最高の酒場と焼酎。
dot. 2023/12/25 07:00
【ゲッターズ飯田】7万人占ってわかった「人間関係がうまくいく人」「いかない人」の差
ゲッターズ飯田 ゲッターズ飯田
【ゲッターズ飯田】7万人占ってわかった「人間関係がうまくいく人」「いかない人」の差
「芸能界最強占い師」として知られ、25年間で7万人以上を無償で占い続け、新刊『ゲッターズ飯田の五星三心(ごせいさんしん)占い2024』も話題のゲッターズ飯田さん。現代社会でストレスと無縁という人はほぼ皆無ではないでしょうか? でも、ストレスもとらえ方次第でプラスに働くこともあるようです。(朝日新聞出版刊『ゲッターズ飯田の縁のつかみ方』から一部抜粋・再編集) 『ゲッターズ飯田の縁のつかみ方』では、人間関係に悩まず、縁に恵まれて生きる方法をたくさん紹介しています。ぜひチェックしてみてください。 新刊『ゲッターズ飯田の五星三心占い2024』は全国の書店・ネット書店・セブンイレブンにて好評発売中!>>詳しくはこちら 人間関係のストレスは、他人  この世の中にはさまざまなタイプの人がいます。なかには苦手なタイプや、自分には合わないタイプもいて、「この人とはわかり合えない」と感じることは少なくないでしょう。  でも、もしも苦手なタイプというものがなくなって、誰とも仲よくなれればどうなるでしょうか? 人間関係で悩むことはなくなり、ストレスは消えるはずです。   占いのデータを集めるうえでは、誰一人同じ人はいないわけで、どんな人でも「面白い」。  同じ人を何度占っても、人は成長して変わっていくから、変化がわかって「面白い」。  僕はこういう見方をしています。どんな人に会っても「面白い」と思えれば、人づきあいでストレスを感じることは少なくなります。  考えてみれば、ストレスは「他人」なんです。   他人と気が合わない、意見が合わない。それは、その人の持つ「強い欲望」と、自分の持つ「強い欲望」が合っていないだけのこと。  まず、その現象に気づけば、ストレスの原因が一つわかり、気持ちが収まると思います。「それは、自分の欲望を我慢するということ?」と思うかもしれませんが、そうではありません。  人間関係は相対関係だから、押すか引くかです。「我慢するしかない、ストレスだ」と捉えるのではなく、「相手の欲望を叶えてあげよう。そして、その人と仲よくなることから始めよう」と思えばいいのです。  どうしても譲れないこともあるとは思いますが、まずは相手の欲望を認めてあげると、相手も少し引いてくれると思います。そして、押し引きのバランスを取るように、自分の欲望も伝えていけばいいのです。 いま日本で一番売れてる占い師・ゲッターズ飯田さんの最新刊『五星三心占い2024年版』は、全国の書店・ネット書店・セブンイレブンにて発売中! >>本の詳細をAmazonで見る  >>「五星三心占い」タイプチェッカーで自分のタイプを調べる 【こちらも話題】 【ゲッターズ飯田が教える】運のいい人が無意識にやっている「たった1つの習慣」 https://dot.asahi.com/articles/-/208918 ストレスになる人とも縁がある 「人間関係のストレスは、他人」 「異なる欲と欲とのぶつかり合いで、ストレスが生まれる」  ということは、さらにそれを俯瞰(ふかん)してみると、私たちは、異なる欲を持つ者同士が出会うことを繰り返し、出会う度に何らかのストレスが生じて当たり前の世界で生きています。そういう世界で生きていて、この世界の構造は変えられません。だから僕は思うのです。もう、人間関係のストレスを悪いものと捉えるのをやめませんか?  この世のすべては縁で成り立っているのです。だから縁を、よいものとして見て、ありがたいものと捉えて、生きていきませんか? 「袖(そで)振り合うも多生(たしょう)の縁」と言うように、出会った人はみな、縁がある人です。良いも悪いもなくて、ただ「縁があるんだなぁ」と思って生きていけばいい。 「縁があるってことは、何かあるのかな?」と、プラスに考えていけばいい。  ストレスになる人とも、縁があったわけです。ストレスすらプラスに考えればいいんです。  プラスに捉えて、プラスの想像をしていけば、きっとプラスに転じていきます。 「つらい、イヤだ」と思うか、「縁なんて意味がない」と流して生きるか、「何かいいことにつながるかもしれない」とプラスの想像をするか。  同じ縁でも、捉え方次第で、その先に続く縁のかたちが変わってくるでしょう。ストレスになる人とも縁があった。その事実を忘れないでください。  その縁をどうするかは、あなた次第です。 ※『ゲッターズ飯田の縁のつかみ方』より ◎ゲッターズ飯田/これまで7万人を超える人を無償で占い続け、20年以上占ってきた実績をもとに「五星三心占い」を編み出し、芸能界最強の占い師としてテレビなど各メディアに数多く登場する。『ゲッターズ飯田の五星三心占い』は、シリーズ累計1000万部を超えている(2023年9月現在)。6年連続100万部を出版し、2021、22年は年間BOOKランキング作家別1位(オリコン調べ)と、2年連続、日本で一番売れている作家。
ゲッターズ飯田
dot. 2023/12/21 11:00
東北2週間天気 15日は北部で雪強まる 17日は猛ふぶきの恐れ 来週は寒さ続く
東北2週間天気 15日は北部で雪強まる 17日は猛ふぶきの恐れ 来週は寒さ続く
この先は冬将軍がたびたび襲来しそうです。15日(金)は東北北部の山沿いで雪が強まるでしょう。17日(日)は海上を中心に猛ふぶきとなる恐れがあります。交通への影響に注意・警戒が必要です。来週も寒さが続き、日本海側では積雪が増えるでしょう。寒さや雪への備えは早めになさって下さい。【前半】15日(金)は東北北部で雪強まる 17日(日)は猛ふぶきや大しけの恐れ明日14日(木)は太平洋側を中心に晴れますが、15日(金)は低気圧や前線の影響で各地で天気が崩れそうです。東北南部は雨、北部は雪の降る所が多いでしょう。午後は北部でも雨に変わる所が多いものの、冷たい北からの風が流れ込む青森県三八上北や、岩手県二戸地域などでは帰宅時間帯も湿った雪が降り続きそうです。スリップ事故など、路面状況の悪化による影響が心配されます。車の運転は十分注意して、樹木や電線への着雪にもご注意ください。雨や雪は16日(土)の朝にはやむ所がほとんどで、年末の大掃除もまずまず捗りそうです。ただ、夕方以降に再び降り出す雨を境に、強い寒気が流れ込むでしょう。17日(日)は冬型の気圧配置が強まり、日本海側を中心に雪が降りそうです。18日(月)にかけて、山形県や福島県会津の山沿いなどで積雪が急増しそうです。風も強く、日本海側の海上を中心に大荒れや大しけとなる恐れがあります。猛ふぶきによる交通機関への影響に注意・警戒が必要です。寒さも厳しく、18日(月)は青森市や秋田市で今季初の真冬日となりそうです。万全な寒さ対策も欠かせません。19日(火)には雪や風のピークを越えますが、真冬の寒さは続くでしょう。20日(水)頃は低気圧の進路次第で、太平洋側も含めて雪や雨が強まる可能性があります。【後半】日に日に増える積雪に注意 厳しい寒さも続くこの期間も、雪の降り方や寒さに注意が必要です。21日(木)から22日(金)は冬型の気圧配置が強まり、日本海側を中心に雪の量が多くなるでしょう。風も強まり、ふぶく所もありそうです。積雪の急増や交通への影響、車の運転には引き続きご注意ください。23日(土)以降も、東北北部や日本海側では断続的に雪が降るでしょう。厳しい寒さで積もった雪が溶けにくく、山沿いを中心に積雪が日に日に増えそうです。除雪作業中の事故などにも十分な注意が必要です。東北南部は仙台を中心に晴れる日が多いものの、雪雲が流れ込む日もありそうです。日差しはあっても空気は冷たく、真冬のコートが手放せないでしょう。まだ先の予報で、雪や風が強まるタイミングが変わる可能性があります。この先も最新の気象情報はこまめにご確認ください。雪や寒さへの備えをこの先は東北にもいよいよ本格的な冬がやってきそうです。以下のような除雪・防寒グッズを早めに用意しましょう。① 融雪剤やスコップなど除雪用具の確認をしてください。直前に準備しようとすると、手に入らないこともあります。② 電気やガスの暖房が使えなくなる可能性があります。カイロや湯たんぽ、灯油ストーブなど防寒グッズを用意しておきましょう。③ 停電時にも情報が得られるように、電池式のラジオやモバイルバッテリーなどがあると安心です。④ 低温で水道が凍結するおそれもあります。水道の凍結対策や飲料水の備蓄、生活用水用に浴槽に水をためておきましょう。グッズの使用期限や消費期限は定期的に確認し、積雪に備えるようにしてください。
tenki.jp 2023/12/13 17:56
シェフを目指した社長の舌だけが知っている「焼酎をおいしくする割り材のスーパーバランス」とは
シェフを目指した社長の舌だけが知っている「焼酎をおいしくする割り材のスーパーバランス」とは
Touin(トーイン)の種類豊富な割り材たち。前列左からハイ辛、炭酸水、すもも。中列左からダイエットシトラスサワー、レモンサワー、チュウタン、シークワーサー。後列左からしそサワー、うめサワー、ソーダ水、烏龍茶、青りんごサワー、ぶどうサワー。そのまま飲んでも割り材にしても美味  サワーと言えばレモン。そう思っている人は少なくない。でも、この色鮮やかな割り材たちを見てほしい(上の写真)。定番のレモンはもちろん、うめ、青りんご、烏龍茶など多くの種類がそろう。 「調合には、かつてシェフを目指したからこそのこだわりがあって、すべて僕が行います。“点”と“点”が結びついた瞬間、つまりフレーバーと糖・酸のバランスが合った時に、『これがスーパーバランスだ』と感じるんです。特に『シークワーサー』は、ストレート果汁と相性のいいフレーバーが合致した商品です」  そう話すのは、東京・中野の地で90年以上の歴史を持つ飲料会社・東京飲料の寺田龍社長。「Touin(トーイン)」のロゴ入り炭酸水や多種多彩なサワーは、多くの居酒屋で焼酎の割り材として愛飲されている。「継ぐ気はなかった」という寺田さんだが、いま、大きな「野望」を抱いているという。発売されたばかりのムック「いま最高の酒場と焼酎。」から、寺田社長のインタビューを公開したい。 ***  東京飲料は1929年、初代社長が飲料製造工場の「東京飲料」を買収。以来90年以上にわたり、良質なラムネやサワーなどを作り続けている。初代の祖父、2代目の父親から3代目を継いだ寺田社長は、「もともと継ぐ気はなかったんです。中高生時代に父が運転する車の助手席に座って配達を手伝いながら、ヒット商品が出ない限りもうけは少なく厳しい業種だと思っていたので……」と話す。  高校卒業後は調理師学校へ進み、知り合いのフランス料理店でシェフ修業。しかしバブル崩壊後とあって客足は途絶え、店を辞めて大学で経済学を学んだ。それもいつか店を経営するためだったが、興味は移り金融機関に3年勤めた経験もある。そんな時に父親から「工場を手伝ってほしい」と頼まれたことが転機となり、28歳で東京飲料に入社した。 東京飲料の寺田龍社長。フランス料理店や金融機関を経て、東京飲料に入社し2014年に社長に就任。シェフ修業時代に鍛えた舌で、調合には絶対の自信があるという  はじめは配達を担当していたが、当時の工場長から「経営者になるのなら、工場のことを知っておいたほうがいい」と言われ、調合や機械の操作方法を教わりはじめた。「おかげで液体を作るよりも、機械をいじるほうが好きになりました(笑)」と話す寺田社長は、40歳までの10年間工場長を務め、2014年に社長に就任した。  現在、地元の中野一帯の居酒屋のみならず、「トーインの炭酸水やサワーで割って飲む酒はおいしい」と、太鼓判を押す店や愛飲者が増加中だ。寺田社長はその人気の理由をこう明かす。 「見ず知らずの方が飲んでリピートしてくださる商品を作るために、僕たち飲料会社はどうすればいいのか。難しく考える必要はありません。果汁とフレーバーは高価でも良質なものにこだわり、いい炭酸飲料を作ればいいんです。そうすれば、焼酎もよりおいしくなりますよね。我が社の商品は、まさに材料を厳選。『レモンサワー』のレモンはイタリア・シチリア島産ですが、収穫・出荷数を限った果実園から独自に仕入れています。そして炭酸の抜けにくさに加え、シャンパンのような口当たりの良さを実現させているんです」 「ハイ辛」「チュウタン」といったユニークな商品もある。  約15年前、息子が焼き鳥に七味をかけるのを見たという社員が、「辛い飲料を作ろう」と持ちかけてきたのが「ハイ辛」誕生のきっかけ。香料メーカーなどと一緒に辛いエキスを探し、ラー油やお菓子なんていう案も出たが、なかなかうまくいかない。心が折れかけた頃に唐辛子と出合い、唐辛子の辛さにぽかぽかするしょうが味を掛け合わせることにした。500ミリリットルのワンウェイびんを通販したところ、最近になって注目され、スーパーマーケットに置かれるまでになったという。  20年ほど前に、父である現会長が「夢で見た!」「いいものができるから作ってみよう!」「焼酎の“チュウ”に炭酸の“タン”でチュウタンだ!」と大興奮で言い出したことをきっかけに誕生したのが「チュウタン」。斬新すぎたのか当初はあまりにも売れず、まずはお試し用にとあちこちに配ったところ、こってり系のお料理を出すお店と相性がよく、商品として定着した。「父が『もっと酸っぱく』と言うので試していった結果、かなりの酸っぱさになりましたが」と寺田さんは笑う。 洗びん機でしっかり洗浄するところからスタートし、最後は寺田社長自らチェック。合格したものだけが世に送り出される    品質管理や社員への「還元」も怠らない。 「1000本作って1本でも不良品があれば、1000本全てが回収になる。まれに起こるからこそ、しっかりと管理しチェックします。それを全社員8人で行うので、ひとりひとりの責任は大きい。だからこそ社員の給料を上げることが、ずっと掲げている目標です」  そんな寺田社長には、さらなる「野望」がある。 「甘いものが好きではないので、無糖で苦みだけのトニックウォーターを作りたいんです。材料はすべて手配してあり、あとは重たい腰を上げるだけ(笑)。来年夏の完成を目指します。これをまねする人はいないでしょう。僕の味覚には勝てませんから」  あくまで強気だが、「今日一日を楽しく過ごそう、どうすれば面白くなるだろうといつも考えています。仕事は大変なものだからこそ、自分で面白くしたい」がモットーだ。気楽さとやる気の〝スーパーバランス〟がとれた東京飲料の炭酸だからこそ、焼酎はよりおいしくなる。 (ライター 団野香代/写真 菅 朋香/生活・文化編集部)
焼酎酒場居酒屋割り材
dot. 2023/12/11 17:00
【2023年下半期ランキングエンタメ編10位】ジャニーズNGリスト発覚 「落ちるところまで落ちた」「再出発も厳しい」と伝説のコンサル・堀紘一氏
吉崎洋夫 吉崎洋夫
【2023年下半期ランキングエンタメ編10位】ジャニーズNGリスト発覚 「落ちるところまで落ちた」「再出発も厳しい」と伝説のコンサル・堀紘一氏
記者をたしなめる井ノ原快彦ジャニーズアイランド社長。称賛の声が上がったが、すべて狙い通りということなのか…(撮影/写真映像部・松永卓也)  2023年も年の瀬に迫った。そこで、AERA dot.上で下半期に読まれた記事を振り返る。エンタメ編の10位は「ジャニーズNGリスト発覚 『落ちるところまで落ちた』『再出発も厳しい』と伝説のコンサル・堀紘一氏」(10月5日配信)だった。(※肩書年齢等は配信時のまま) *  *  *  10月2日に行われたジャニーズ事務所の会見について、質疑応答で質問の指名をしない「指名NGリスト」があったことが発覚し、SNSでは「信頼は地に落ちた」などと厳しい声が殺到している。今回の問題に関して経済人はどう見るのか。ドリームインキュベータ創業者で「伝説のコンサルタント」と呼ばれる堀紘一さんは「落ちるところまで落ちた」と厳しい評価だ。 ――10月2日に旧ジャニーズ事務所が開いた記者会見で質問をさせたくない記者をまとめた「指名NGリスト」があることがわかりました    自分たちに都合が悪いことがあるとき、お金のある会社であれば、PR会社を雇って、記者会見などでどう対応するべきか相談をします。  何回か記者会見を開くとなると、鋭い質問をしてくる記者とどうでも良い質問をしてくる記者が分かれてきます。都合の悪いものを持っている側は、鋭い質問をする記者を避けて、どうでも良い質問をしてくる記者に質問をさせたいと思うものです。そういったリストを作ることはよくあることだと見ています。  ただ、そのリストが漏れてくるのは非常にお粗末としか言いようがないですね。守りを固めようとして作戦計画表を作ったら、それが敵に渡ったようなものです。 NGリストに入っていたといわれる望月衣塑子氏(撮影/小山幸佑氏)   ――ジャニーズ側は、今回のNGリストについて「弊社関係者は誰も見ていない」といっています。また、質問させたい記者をまとめた「指名リスト」というものもあったと報道されています。  記者会見をするにあたっては、PR会社はクライアント(依頼者)に対して頭をどう下げるか、何秒で頭をあげるか、発言はどうするかなど細かいところまで指導をします。メディアを使ってどういったメッセージを伝えるか、どういう印象を与えるか考えられています。 「メディアの方たちとの対話は必要」と発言していた東山紀之社長。2日の記者会見でその姿を見ることはなかった(撮影/写真映像部・松永卓也)     プロフィール/堀 紘一(ほり・こういち) 経営コンサルタント。1945年生まれ。東京大学法学部卒。読売新聞社、三菱商事を経て、米ハーバード大学ビジネススクールでMBAを首席で修了。81年、ボストン コンサルティング グループに入社、89年から日本支社社長。2000年にドリームインキュベータを設立。社長、会長を歴任    実は記者会見で謝罪をするというのは、日本や韓国など東アジア特有の文化で、日本のPR会社には対処するためのノウハウがしっかりと用意されています。  ジャニーズ側はリストについて「誰も見ていない」ということですが、それは疑問ですね。  新しく幹部になった方は就任したばかりですし、NGリストのような細かい資料までは本当に見ていなかったということは考えられます。  ただ、自分たちに都合の良い記者を指名するためのリストもあるとなると、普段から記者と付き合いをしている人物しかつくることはできないでしょう。少なくとも広報担当者はそのリストを把握し、一緒につくっているはずです。  会社としてリストを知らないというのはあり得ない。そこは広報担当とPR会社の合作だと私は推察しますし、この推察がそこまで外れているとも思いません。 東京新聞の望月衣塑子氏   ――先日の記者会見で井ノ原副社長が指名を求める記者をたしなめたり、その姿に拍手する記者がいたことについて、改めて批判の声があがっています。旧ジャニーズ側にどういった影響が出るでしょうか。  今回の記者会見は「出来レース」、「PR会社が仕込んだものだった」などと言われても仕方ないと思います。狙いがあって、その思惑が透けて見えてしまっては、誠実さに欠ける印象を与えます。  ジャニー氏による性加害や一連の対応を見ていると、ジャニーズの評判も落ちるところまで落ちてしまったなというところです。 記者会見の終了時になっても、指名されなかった記者から質問が続いた(撮影/写真映像部・松永卓也)   【こちらも話題】 ジャニーズ新社名スマイルアップが“かぶった”山梨県の企業が緊急告知 「まさかハイフンまで」 https://dot.asahi.com/articles/-/202938   記者会見を司会として仕切った元NHKアナウンサーの松本和也さん(撮影/上田耕司)    ジャニーズは再出発する、ということですが、私は厳しいと思っています。私がスポンサーなら新しいジャニーズ事務所にも発注しないでしょうね。  ほかに人選がないなら使わざるを得ないところも出てくると思いますが、そんなことないですから。代わりになる俳優さんはたくさんいます。  良識のある会社なら、事務所を介さず本人と直接契約する形をとったとしても、いかがなものかなと思うでしょう。広告に出てくる俳優らを通して会社をイメージするわけですから、その人たちからマイナスのイメージが漂うのは具合が悪いです。  コンサルタントとして私の顧客から相談を受けたら、「ほかの人を使いなさい」と答えるでしょう。   ――幹部の辞任や再度記者会見を開く声があがっていますが、ジャニーズ側はどう対応するべきでしょうか。  辞任するべきだとは思わないですね。就任したばかりで、辞任すれば混乱を極めることになると思います。  ただ、まずは記者会見を開いて、今回のNGリストについて事実関係をしっかりと説明するべきです。 (構成/AERA dot.編集部・吉崎洋夫) 指名されず手を上げ続ける東京新聞の望月衣塑子記者(中央)(撮影/写真映像部・松永卓也)   【こちらも話題】 「メリーはライオンで私はシマウマ」「相続税はすべてお支払い」…ジュリー氏を知る元ジュニアが感じた“違和感” https://dot.asahi.com/articles/-/202902      
ジャニーズ性加害東山紀之井ノ原快彦堀紘一2023下半期ランキング
dot. 2023/12/11 11:00
雅子さま還暦60歳 マスク越しでもわかる微笑みの気品と魅力の理由 写真で振り返る
太田裕子 太田裕子
雅子さま還暦60歳 マスク越しでもわかる微笑みの気品と魅力の理由 写真で振り返る
春の園遊会ではあいにくの雨だったのを感じさせない笑顔の雅子さま。マスク越しだが微笑みがあふれているのがわかる=23年5月11日  12月9日、皇后雅子さまは60歳のお誕生日を迎えられた。ご成婚から30年、令和になって5年。還暦を迎えた笑顔あふれる雅子さまを写真で振り返る。   *  *  *    2023年1月2日、コロナ禍のため3年ぶりの「新年一般参賀」が実施された。何より注目を集めたのは成年皇族になられてから初めて参加される天皇、皇后両陛下の長女、愛子さまだろう。    天皇陛下、雅子さまに続き、皇族の方々が宮殿・長和殿のベランダにお出ましになり、愛子さまは雅子さまの隣に並ばれた。おふたりのドレスは色もデザインも異なるものの、何となくフォルムが似ているのが話題になった。 新年一般参賀で、手を振る天皇、皇后両陛下と愛子さま=23年1月2日    お手振りのときに、雅子さまと愛子さまの袖口が見えたが、どちらも包みボタンが「6つ」。さらに、お手振りのときの腕の角度が一緒! さりげないシンクロコーデからは雅子さまと愛子さまの母と娘の絆が感じられた。 【こちらも話題】 愛子さまは赤いコートのクリスマスカラー 天皇陛下と雅子さまと「お忍び」でたずねたイルミネーションスポットはどこ? https://dot.asahi.com/articles/-/207282 皇室での半生を歌に  新春恒例の「歌会始の儀」は1月18日、皇居・宮殿「松の間」で開かれた。今年のお題は「友」。雅子さまは皇室に入られてからの半生を振り返り、友への思いを歌われた。 「歌会始の儀」に臨む天皇、皇后両陛下/皇居・宮殿「松の間」=23年1月18日   【皇室に 君と歩みし 半生を 見守りくれし 親しき友ら】    雅子さまは、59歳の誕生日に「人生のちょうど半分ほどを皇室で過ごしてきたことに感慨を覚えております」というお言葉を寄せられたが、歌会始で披講された歌は、その感慨がにじみ出るものだった。    2月23日には、天皇陛下の63歳の誕生日を祝う一般参賀が皇居・宮殿「長和殿」で行われた。コロナ禍で天皇誕生日の一般参賀は即位後初、つまり、雅子さまにとっても皇后陛下として初めてだ。 天皇誕生日の一般参賀で、おことばを述べる天皇陛下と皇后さま、愛子さま=23年2月23日  このときも雅子さまと愛子さまは、腕の角度が一緒だった。お言葉を発せられる天皇陛下の方にからだを向け、左手のひらに白い手袋と扇をのせ、そこに右手を添えられているが、その佇まいはほぼ同じ。 【こちらも話題】 園遊会の雅子さまの「ご家族さまですか?」にぐっときた 皇室の「これから」を考えるヒント https://dot.asahi.com/articles/-/194780 園遊会ではとびきりの笑顔の雅子さま  5月11日、東京・元赤坂の赤坂御苑で、令和発の春の「春の園遊会」が開かれた。18年秋以来およそ4年半ぶり、令和になってからは初めて。 春の園遊会の天皇、皇后両陛下=23年5月11日 あいにくの雨だった春の園遊会での雅子さま=23年5月11日     車いすテニスの第一人者で国民栄誉賞を受賞した国枝慎吾さんや、ノーベル化学賞を受賞した吉野彰さん、歌舞伎俳優の片岡仁左衛門さん、東京五輪卓球金メダリストの伊藤美誠選手ら各界の功労者1000人余りが出席した。あいにくの雨だったが、マスク越しでもわかる、雅子さまの輝く瞳と笑顔は印象的だった。    秋の園遊会は快晴の空のもと11月2日に開催された。コロナ禍や代替わりの儀式のため、秋の開催は5年ぶり。シンガー・ソングライターの松任谷由実さんや将棋棋士九段の加藤一二三さん、漫才師の西川きよしさんら約1000人が招待された。 秋の園遊会でユーミンと談笑される天皇、皇后両陛下=23年11月2日    招待者のひとり、ユーミンは園遊会後の囲み取材で雅子さまの感想を求められ「理知的なオーラが伝わってきて、同じ日本女性として誇りに思います」と話していた。 【こちらも話題】 雅子さまは「猫ちゃん!」と声を弾ませた 園遊会でひふみんの暴走も包み込んだ両陛下の真心 https://dot.asahi.com/articles/-/205518 鹿児島、石川、インドネシアへ  今年は宿泊を伴う地方公務もあった。6月3日に「第73回全国植樹祭」で岩手県、9月16日に「第42回全国豊かな海づくり大会」で北海道、10月7日に「特別国民体育大会」の開会式に出席のために鹿児島県へ、10月15日には「いしかわ百万石文化祭2023」で石川県などに行かれている。 国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭の開会式に出席した天皇、皇后両陛下=23年10月15日    6月17日から23日にはインドネシアを訪問。天皇、皇后両陛下にとって即位後初となる公式の国際親善だった。雅子さまにとっては、2002年にオーストラリア、ニュージーランド以来の約21年ぶりの国際親善訪問だった。 ボゴール宮殿のバルコニーで歓談する天皇、皇后両陛下とジョコ大統領夫妻=23年6月19日    インドネシアでも雅子さまの笑顔は明るかった。例えば、インドネシア・ジョコ大統領夫人の案内で、宮殿内でインドネシアの様々な伝統文化の実演を見て回られたとき。雅子さまはインドネシアの伝統的な衣装「バティック」の生地を羽織られ、少しはにかみながら弾ける笑顔を見せられた。    インドネシアを訪問される少し前、6月9日は天皇陛下と雅子の30回目の結婚記念日にあたる。それに先立ち、5月30日には、特別展「新しい時代とともに―天皇皇后両陛下の歩みー」も天皇ご一家で鑑賞されている。 特別展「新しい時代とともに―天皇皇后両陛下の歩みー」を天皇ご一家で鑑賞=23年5月30日    雅子さまのご婚約内定会見のワンピース、ご成婚パレードのドレスなども展示されているこの特別展では、鑑賞中の愛子さまが天皇陛下に「プロポーズを再現して!」とリクエストされたことも話題になった。天皇ご一家の仲の良さが感じられるエピソードだ。 【こちらも話題】 「はい、チーズ」と聞こえてきそう! 雅子さまが天皇陛下をパチリと撮影した瞬間 https://dot.asahi.com/articles/-/199014 微笑ましい「ごっつんこ」  天皇ご一家のご静養先の写真はいつも仲が良さそうで微笑ましい。なかでも、雅子さまの笑顔が弾ける2023年ベストといえば、4月5日、春の御料牧場での「ごっつんこ」ではないだろうか。天皇陛下が「あそこにちょっと桜が……」と指し示され、振り返ると雅子さまのおでこが! 天皇陛下と雅子さまはごっつんしてしまった。 笑い声が聞こえてきそうな春の御料牧場での天皇ご一家=23年4月5日  雅子さまのとっさのひとことが素晴らしかった。「ごっつんこ」と優しくつぶやき、声を出して笑い合った。それにつられて愛子さまも笑顔になった。何度映像で見返しても微笑んでしまう、心が温かくなるシーンだ。    この一年を通じて笑顔の雅子さまに、大手企業のマナーコンサルティングやNHK大河ドラマ、映画などのマナー指導も務めるマナーコンサルタントの西出ひろ子さんはこう話す。   「この一年間、雅子さまがマスク越しでもわかるほど微笑まれているのが印象的でした。目が微笑んでいらっしゃいます。笑顔をマニュアル的にいうのであれば“口角をあげて、歯を何本見せる”などと言われていますが、それは単なる作り笑顔で、気持ちは伝わりません。    こうして一年間を振り返ってみますと、雅子さまの笑顔は気持ちの伝わってくる、気負いを感じさせない、本当に心から自然な微笑みでした。その微笑みは私たちをも微笑ませてくださるものでしたし、雅子さまの微笑みから、幸せな気持ちにさせていただいた感じがいたします」 マスク越しでもわかる笑顔が印象的だった春の園遊会での雅子さま=23年5月11日    西出さんは、「天皇陛下の存在も大きいのでは」と続けてこう話す。   「ご成婚から30年、天皇陛下と雅子さまは信頼し合い、支え合っていらっしゃることが映像を通じて感じられます。雅子さまは天皇陛下が支え守ってくださる安心感もあり、皇后陛下としての自信といったものに、この一年間、一層磨きがかかってきたのではないでしょうか」    天皇陛下とともに支え合いながら、還暦を迎えた雅子さま。西出さんはこう言う。   「還暦を迎える50代の最後の一年間をさまざま色々な意味でまとめの年とし、いい意味で、とても前向きな新たな人生のスタートを歩まれるのではないかと思います。これまでできなかったこともあるかもしれないのですが、そうしたこともきっとこれから達成されていかれるくお姿が目に浮かびますね。    今年、21年ぶりに国際親善でインドネシアを公式訪問されたように、グローバルな活動も増えていかれるのではないでしょうか。仲が良いといわれるご夫婦ですから、天皇陛下もさらに雅子さまを応援なさると思います」    還暦を迎えられた雅子さま。その温かい微笑みは、さらに輝きを増していくことだろう。(AERA dot.編集部・太田裕子)
雅子さま天皇陛下皇室愛子さま
dot. 2023/12/09 11:00
イスラエルとパレスチナ間の「伝わらない手紙」を届け続けたフォトグラファー 写真と手紙で伝える平和への思い
イスラエルとパレスチナ間の「伝わらない手紙」を届け続けたフォトグラファー 写真と手紙で伝える平和への思い
セレン・サラメさんは韓国アイドルのBTSが大好きで、毎日のように動画サイトで彼らの曲を聴いている。「外で遊ぶのは私の権利です」(撮影/小山幸佑)    パレスチナのイスラム組織ハマスがイスラエルを攻撃した10月7日以降、報復の連鎖が続いている。「戦争状態」になる前、約5年にわたる取材で集めた両地域の住民の声を紹介する。AERA 2023年12月4日号より。 *  *  *  イスラエルとハマスの衝突が激化している。報道される死者・負傷者数は日々増えていき、着々と配備される兵器やがれきになった街、傷付いた人々の映像が毎日大量に流されている。日本に住む私たちからは、距離的には確かに少し遠い国の出来事ではある。だが、そこには私たちと同じ人間が暮らしていることを決して忘れてはならない。日々目にする彼の地に関するセンセーショナルなニュースの中に、家族を愛し、友人を愛し、平和を愛する彼らのような、私たちと同じ普通の人々が今も生きている。  2018年から23年6月まで、そのうち20年までAERAのフォトグラファーだった期間を含め、個人的なライフワークとして複数回にわたってイスラエルとパレスチナを訪れ取材していた。  両地域の間には「分離壁」と呼ばれる高さ8メートルの巨大なコンクリート製の壁がそびえ立っていて、日本の四国地方ほどの広さしかない国土の中を縫うように全長700キロメートル超にわたって両地域を分け隔てている。 異なる正義の形  それは実際、ベルリンの壁よりもはるかに高く、長い。イスラエルにとってはテロリストの流入を防ぐ目的で建設された安全を象徴する壁であり、一方でパレスチナにとっては、抑圧された彼らの状況を象徴する憎むべき壁でもある。  その壁を挟んで人々の往来は制限され、交流は断たれ、文字通りお互いの顔が見えずに分断されている状態だ。  ただし、外国人は例外的に、拍子抜けするほど簡単に壁の検問を通ることができた。少なくとも10月7日より前までは、日本人である私自身、何度も両地域を行き来しては、それぞれの地に住む市井の人々の取材を重ねてきた。  私が取材中に出会った現地の人々にお願いしていたことは、写真を撮らせてほしいということと、もうひとつ、壁の向こうに向けて手紙を書いてほしい、ということの2点だ。  分厚い壁で分断されている彼らにとっては、互いに会話をする機会もなければ、相手がどんな顔をしていて何を考えているかさえも知る術がない。  私は壁を行き来できる外国人の立場を利用して、伝書バトのように、それぞれの市井の人々のポートレートと彼らの書いた直筆の手紙を集めた。  イスラエルの公用語はヘブライ語であり、パレスチナはアラビア語であるため、言語の異なるそれぞれの手紙はしょせん「伝わらない手紙」だ。  70年超の長きにわたり彼らを取り巻く分断の状況そのものを表すと同時に、国際問題の渦中で暮らす市井の人々の生活とナショナリズムの両方を内包したそれらの手紙からは、それぞれの持つ異なる正義の形と、ある種の共通する平和への渇望を見ることができる。  約5年間のうちに集まったたくさんの写真と手紙の中から、一部を抜粋して掲載する。  この取材に協力してくれた彼らとその家族、友人がどうか今も無事でいてくれることを心から願っている。 イスラエル 撮影/小山幸佑   【「私は、イスラエルが軍事占領を通じて何十年にもわたってあなた方を傷つけたことを認めます。私たち全員が平和で安全に暮らすためには、占領を終わらせ、国家間の和解を得ることが必要です。過去の悪行を正す唯一の方法は、過去に何が起こったかを認識し、そこから解放され、現在と共同の未来のために協力し、この土地でパートナーシップを結び団結をすることであると思います。終わらせるために、私たちは話し合う必要があります」】 撮影/小山幸佑    イスラエルでは18歳から、男性は3年間、女性は2年間の兵役が義務づけられている。メイル・グレッサーさんは、パレスチナの人々を人間として見てはいけない、と教える軍に疑問を感じ、兵役の途中でのリタイアを決めた。除隊後は慈善活動プログラムに参加し、パレスチナの村を訪問し、人々に会いに行った。最近のたった数カ月のプログラムで学んだことだけでも、紛争についてこれまで生きてきた中でずっと聞かされてきた全てよりも更に多くのことを学んだ、と話す。 撮影/小山幸佑   【「私はあなたが見えています。あなたと共に息をして、あなたの隣にいます」】 撮影/小山幸佑    タマル・エイラム・ジルムさんはドイツ系ユダヤ人の家族を持ち、ドイツとイスラエルの二つのパスポートを持っている。イスラエルでは「帰還法」により、世界中どこに暮らしていても“ユダヤ人”であれば誰でもイスラエル定住を申請することができる。彼女は一度、ドイツ人観光客を装ってパレスチナ自治区内に入ったことがある。友人たちからは、ユダヤ人と分かれば何をされるかわからない、と止められた。それでもパレスチナへ行ったのは、壁の向こうの人々がどんな人たちなのか、イスラエル国内で得られる情報だけではなく自分自身の目で確かめたいと思ったからだ、と話す。 撮影/小山幸佑   【「あなた方の平和と同胞愛を祈り、私たちが共に生き続けることができるように。人々の平和と健康を祈ります」】 撮影/小山幸佑    超正統派ユダヤ教徒であるゲリス・イスラエルさんは、教義に厳格に従い宗教に身を捧げる人生を送ってきた。ゲリスさんには7人の子どもと21人の孫がいる。旧約聖書には「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という一節がある。イスラエルの合計特殊出生率は3.0(2020年)、超正統派ユダヤ教徒に限っては6.6と高い。撮影時「笑わないでください」とリクエストしたが「私はハッピーパーソンだから、笑顔をやめることはできないんだよ」と決して笑みを絶やさなかった。 パレスチナ 撮影/小山幸佑   【「外で遊ぶのは私の権利です」】  セレン・サラメさんは韓国アイドルのBTSが大好きで、毎日のように動画サイトで彼らの曲を聴いている。時折、インターネットが繋がらなくなってしまった時は、弟と遊んだり、母親が夕食を作るのを手伝ったり、学校の宿題をしたりして、放課後のほとんどを家の中で過ごしている。将来は家族と友達を助けるために医者か歯医者になりたいのだと話す。 パレスチナでの失業率は女性が37%、男性は20%(2020年)といずれも非常に高い。 撮影/小山幸佑   【「神が私たちに平和を与えてくださることを願っています。そして、エルサレムが私たちの国パレスチナの首都になることを願っています」】 撮影/小山幸佑    7人兄弟の長男であるタリク・ムハンマド・ムーサ・シュウリアさんは、タクシードライバーの父を支えるためビル清掃の仕事に就いている。自宅で飼う羊は特別な日に屠り、親族や近所の人々に振る舞い分かち合う。「いずれ自分が結婚する時は、そのうちの一番大きな一頭を絞めて振る舞うから、あなたも招待する。絶対に来てほしい」と彼は私に言った。 撮影/小山幸佑   【「1948年以来、飢えと貧困、殺戮と破壊に苦しんできた私たちパレスチナ人は、布でできた家に住む困難に耐え、厳しい環境に適応し、時間の経過と共に今も苦しみ続けています。私たちは、いつか自分たちの家に戻れることを願うばかりです。私たちは平和で安全に暮らすことを愛する民族です。私たちはすべての人を愛しています」】 撮影/小山幸佑  イスラ・サラメさんの兄は、テロリスト排除を目的に侵攻してきたイスラエル軍に抵抗した際に撃たれ亡くなった。自分にも腹部に銃で撃たれた痕がある、と話す。現在は夫と3人の子どもたちと共に難民キャンプに暮らしている。パレスチナの難民キャンプは、設立からすでに70年余りの長い年月が経過しており、そこにもうテントはなく、コンクリートでできた家が立ち並び普通の住宅街の様相を呈している。イスラさんの祖父は、難民になる前はエルサレムに住んでいたそうだ。そのかつての家の鍵は、今も大切にしまってあるという。 (フリーフォトグラファー・小山幸佑) ※AERA 2023年12月4日号
AERA 2023/11/29 16:00
AERA創刊号をほぼ丸ごと公開!  「よど号」「ソ連軍アフガンの敗北」に「日本の休日調査」まで
AERA創刊号をほぼ丸ごと公開! 「よど号」「ソ連軍アフガンの敗北」に「日本の休日調査」まで
 AERAは通巻2000号を迎えました。これを記念して、記念すべきAERA創刊号を、"ほぼ丸ごと”公開します。   AERA創刊は1988年5月24日号で、表紙は利根川進さんでした。目次をめくると、「ソ連軍アフガニスタンの敗北」「『よど号』事件少年犯人の密入国」「税制改革『笑顔の恫喝』」など、当時を騒がせたニュースが並びます。変わったところでは、「日本人の休日」についての調査記事も。  編集長敬白を読むと、「ファンファーレが聞こえてくるような、浮き立った気持ち。エンジン全開で荒天に旅立つような、不安と緊張」とあります。創刊時の編集部員には、35年後のいまも続いていますよ、とそっと教えてあげたい気持ちです。  当時の政情から空気まで、「時代」を感じさせる貴重な誌面をぜひご覧ください。  
AERA 2023/11/26 10:00
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どんな人にも「忘れられない1日」がある。それはどんな著名な芸能人でも変わらない。人との出会い、別れ、挫折、後悔、歓喜…AERA dot.だけに語ってくれた珠玉のエピソード。

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チャンカワイ
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中森明菜
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FA移籍も数年で「トレード放出」や「戦力外」 権利行使も新天地で“立場を失った”男たち
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いい病院
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ビジネス
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AERA Money
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