写真家・齋藤大輔さんの作品展「石巻市定点撮影 2011-2021」が12月21日から東京・新宿のニコンプラザ東京 ニコンサロンで開催される。齋藤さんに聞いた。
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東日本大震災から10年。
被災市町村のなかで犠牲者がもっとも多かったのは宮城県石巻市だった。死者(関連死を含む)・行方不明者3970人(21年10月末時点)。
齋藤さんは震災が発生したころから石巻に通い続け、同じ場所から街の変化を丹念に写してきた。
定点撮影を始めた動機について、こう語る。
「マスコミは速報的な報道はすごくする。でも、時間をかけて、変化をとらえていく作業はあまりやらない。だったら、自分がやるしかないな、と」
■川と橋以外は一変した風景
写真展案内には石巻市内を一望できる場所として知られる日和山から写した3枚の写真が並んでいる。
1枚目は11年。そして、16年、21年と続く。今年写した写真だけがカラーで、ほかは「過去の写真なのでモノクロにしています」。
眼下に流れる旧北上川の河口には日和大橋が架かり、その奥には仙台湾が広がっている。しかし、変わらないのはそれだけで、ほかの風景は大きく変化している。
かつて、日和山のふもとには石巻市立門脇小学校があり、海辺にいたる南浜地区には多くの人々が暮していた。
しかし、11年の写真に写る住宅地は見渡す限りの廃虚と化している。地震発生時、小学校にいた224人の児童は日和山に避難して助かった。しかし、南浜地区の住宅は津波で押し流され、その後に発生した火災も重なり、500人以上が犠牲となった。
16年の写真には、がれきは跡形もなく、広大な更地を背景に建設中の復興公営住宅が写っている。21年になると、完成した公営住宅とともに、3月に開園したばかりの石巻南浜津波復興祈念公園が小さく見える。
写真展会場には同様に、石巻の市街地約40カ所を撮影した写真が展示される。
■浦安と石巻
齋藤さんが石巻を定点撮影でとらえようと決めたのは震災の約1カ月後。
「そのころになると、被害の状況がかなり明らかになってきた。石巻の被害は大きくて、街がすごく変わっていくんじゃないか、と思った。1人で取材することを考えると、街の大きさも適当だった」
さらに、街の構造が千葉県浦安市と似ていたことも理由という。