希望の中学校には入れたが、両親の夫婦仲は破綻した

 さらに離婚を決定づける事件があった。母親の罵倒からソウタさんをかばおうと覆いかぶさった父親を母親が押した。父親がその手を払いのけると、「たたいたわね!」と母親は逆上。そこから両親の取っ組み合いが始まった。

 それから1カ月ほどすると、離婚が決定したことを母親から告げられ、父親は本当に家を出ていった。家庭内暴力で離婚したと、母親は親戚中に触れ回った。しかし父親は頻繁にソウタさんに連絡をくれ、面会もできた。中学受験の最中も、中学生になってからも、大学の進路で迷ったときも、父親としてソウタさんに寄り添ってくれた。

 ソウタさんへのインタビューのあと、父親にも直接話を聞くことができた。

「もちろん悩んで苦しみました。でも、息子はすでに思春期にさしかかっており、必ずしも父親がいつも近くにいなくていい年ごろを迎えつつありました。面会さえ認めてもらえれば、成長段階に応じた父親としてのメッセージは伝えることはできるはずだ。会えないときは手紙を書けばいい。そう考えて、妻からの離婚の提案を受け入れることにしました」

 子どもは希望の学校に入れたが、両親の夫婦仲は破綻した。これらの中学受験は成功といえるのか?

 以上三つのエピソードは、セミ・フィクションとしてまとめた拙著『中受離婚』(集英社)の取材成果の一部をルポとして改めて書き下ろしたものだ。

 私は教育ジャーナリストとして中学受験に挑む家族を数多く取材してきた。なかには志望校合格のために払う犠牲が大きすぎると感じるケースもあった。子どもの主体性が奪われてしまったり、親子の信頼関係にひびが入ったり……。さらに最近、夫婦の葛藤を訴えるケースが増えているのである。そこに焦点を当ててみようと考えた。そうすることで、家族にとっての中学受験の意味が描けると考えたからだ。

夫婦はもともと赤の他人、アプローチが違って当然

「中学受験は、お互いを認め合える夫婦であるかを試される機会だった」と金井さんはふりかえる。赤堀さんは、「中学受験では、それまでのだましだましが通用しなくなり、考え方の違いがもろに出てくる」と苦笑いする。

 夫婦はもともと赤の他人である。出身家庭の文化が違えば価値観が違う。ならば、子どもを思う気持ちは同じでも、アプローチの仕方が違って当然だ。そこで、どちらのアプローチが正しいかを争う綱引きを始めてしまうか、子どもに対して複数のアプローチをもっているチームであると思えるかが、夫婦のあり方を大きく左右する──。これが、三つのエピソードを通して得られる教訓であった。

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