ひで子さんが最期の日を迎えたのは、21年3月23日のこと。その日は、新田さんがレギュラー出演しているラジオの生放送がありました。
「朝から母の様子がいつもと違い、口でゼーゼー息をしていて。1カ月ほど前から固形物をほとんど受けつけなくなって、会話も単語を発するくらいの状態ではありましたが、自分の親はどこかで死なないって思うんですよね。おかしいと思いつつも、ラジオ局に出かけようとしたら、主人に『えっ。お母さんいつもと違うよ』と怪訝な顔をされて。ラジオはお休みをいただくことにして、在宅医を呼びました。診察が終わってドクターを玄関で見送るときに『母はあと何日くらいですか?』と聞いたら、『何日もないです』と。そのことは兄には言えなかったですね。私は母が苦しそうなことが気になっていたのですが、ドクターからは『この段階になると本人は痛みや苦しさを感じないみたいですよ』と言われて安心しました」
新田さんはおニャン子クラブのメンバーとしてデビューした17歳のときに、突然父を亡くしています。何もできなかったという当時の後悔から、母親にはできる限りの親孝行をしようと誓います。離れて暮らしていたときには毎日電話をかけ、海外旅行の費用を出し、一緒に暮らすための二世帯住宅を建てました。
「母が元気だったときに『恵利にはこれだけ面倒を見てもらっているから、死ぬときには必ず〝ありがとう〟って言うからね』と話していました。最期の日、一度だけ目を開けて、右側に私、左側に兄がいるのを確認してから『あー』って3回言って、力尽きたように目を閉じました。約束通り『ありがとう』って言ってくれたのだと思います。その日の午後に息を引き取り、ドクターに電話をしたらすぐに駆け付けてくれて、死亡を確認してもらいました。その後は看護師さんも来てエンゼルケア(死後の処置)をしてくださいました」
ひで子さんを看取ったとき、新田さんは自分が抱いた感情に驚いたそうです。
「もちろん悲しいですが、同時にフルマラソンを走り切ったような充実感や幸福感に包まれました」