最優先してきたのは本人の意に沿うこと
なぜ新田さんは充実感や幸福感に包まれて、ひで子さんを見送ることができたのでしょうか。新田さんたち家族は、どんなときもひで子さんの気持ちを尊重してきました。在宅医選びもその一つです。
「実は訪問看護の事業所からは、連携している在宅医にしてほしいと言われていたのです。でも母に聞いたらかかりつけ医がいいと。介護や医療関連の窓口は兄だったので、がんばって事業所と交渉してくれて、母の希望をかなえることができました。みなさんそれぞれ、男の先生がいい、若い先生がいいといったことはあると思うので、なるべく本人の希望をかなえてあげるのがいいと思います」
ひで子さんが元気なころは、親子で尊厳死や延命治療などについて話題にすることもよくありました。だからこそ、母親が何を望んでいるのか、イメージしやすかったのかもしれません。
「在宅介護が始まってからは、〝死〟というのは、わが家では触れにくい話題になりましたが、母が70代のころは死に装束の話もしました。そのときにウェディングドレスが着たいと言っていたんです。母は戦後のものがない時代に青春を過ごしたので、憧れがあったんでしょうね。私はハンドメイドが得意なので、最期が迫ってきたタイミングでドレスを縫い始めました。でも完成させたら死んじゃうんじゃないかって怖くて、9割くらいで止めていたんです。亡くなってすぐ、泣きながらミシンをかけて仕上げました。今思えば、生きているうちに完成したドレスを見せたかったですね。『上手にできたね、きれいだね』って絶対言ってくれたはずだから。唯一母に対して後悔していることです」
新田さんはひで子さんの介護をきっかけに、講演や執筆活動などを通して積極的に介護について発信しています。23年4月からは淑徳大学の客員教授として、学生に自身の介護経験について講義しています。
「私自身、母が寝たきりになるなんて思っていなくて、ある日突然の出来事でした。今そう思っている人もひとごとではないですし、終末期について話し合うなど親子でコミュニケーションをとって、少しでも準備をしておいたほうがいいと伝えたいですね」