「介護が始まると、急に死を身近に感じるんです。体調を崩して弱っていく母を見て、『もうダメかもしれない。このまま家で見送ろう』と腹をくくりました。でも兄は母を入院させると言うんです。『病院に連れて行ったら管につながれちゃうんだよ。それはママの意思じゃない』と反対しても、兄は『それでもいい。どんなことをしても生きていてほしい』と。大ゲンカして、結局兄は私が仕事に出かけている間に母を入院させてしまったんです」
肺気腫と診断されて、治療を受け、ひで子さんは無事に退院します。その後リハビリなどの成果が出て、在宅介護がスタートして1年後には要介護3になり、車イスでデイサービスに通えるようになるまで回復します。
「当時は結果的に母を入院させた兄の判断が正解でした。終末期かどうかを家族が判断するのは難しいなと感じました。そんな経緯があって、6年後、20年の終末期には、母の希望通りにしようと兄も納得していました。6年間、介護をしてきたので、やりきったという感覚があったのでしょうね」
看取りのときに抱いた意外な感情に驚く
そこから家で最期を迎えるため、在宅医療の準備がスタート。退院時には口から多少食べられるようにはなりましたが、終わりが近づいていることは明らかでした。
「ケアマネジャーに相談して訪問看護師を決め、在宅医は母の希望で当時通院していた、かかりつけ医にお願いしました。それまでの関係性もありますし、私より少し上の世代の女性医師で、〝お医者さんの資格を持ったご近所さん〟という感覚で話しやすかったんだと思います。母は内臓などは特に問題がなかったので、定期的な訪問診療はなしで、何かあったときに往診してもらう形にしました」
コロナ禍で新田さん夫婦も実兄も家にいられる日が多かったことから、ホームヘルパーなどは利用せず、在宅医、訪問看護師、家族でひで子さんを支えました。
「訪問看護師さんとの相性もよく、おしゃべりが好きな母の話し相手になってくれました。週に2回から始まって、最期が近づいた時期は、摘便や褥瘡の対処などのために毎日訪問してもらっていました。母にとっては本当に恵まれた環境だったと思います」