【2】公務員である公立高校教員はわずか5人
公立高校監督を務めるのはわずか5人だ。教員免許を取得していれば、「需要と供給」の関係で私立高校監督になれるのとは違い、公立高校は「公務員試験」を合格しないといけないため、さらに狭き門となる。
まず、有倉雅史(日本ハムほか)は、2001年度に北海道教育委員会が始めた「特別選考」で公立高校教諭になった。年間100人以上が国公立大学へ進学する札幌国際情報高の保健体育の教員だ。
杉本友(オリックス)は、50年を超えるドラフト史において唯一の国立大(筑波大出身)ドラフト1位選手(投手)である。しかも、兵庫・宝塚西高で物理の教員を務める。社会か保健体育の教員がほとんどのなか、理系の教員は出色である。そもそも、教育系の筑波大や東京学芸大出身のJリーガーは多いが、プロ野球選手は少ない。
染田賢作(横浜)も進学校の奈良・郡山高から同志社大に進学した秀才だ。京都・乙訓高時代は責任教師としてセンバツ出場。京都・西城陽高では22年春季京都大会で優勝。保健体育と情報の教員免許を取得している。
松家卓弘(横浜ほか)は、香川・高松西高で社会科の教鞭を執る。22年夏は「東大出身プロ野球選手(史上5人目)」の高校野球監督として、初の夏の甲子園地方大会勝利を手中にした。
それにしても、染田は04年ドラフト自由枠入団、松家は04年ドラフト9巡目入団。つまり同期である。
伊達昌司(阪神ほか)は、甲子園出場経験がある東東京・雪谷高で社会を教える。父も元プロ野球選手の伊達泰司(ロッテほか)である。
【3】監督として甲子園出場は4人。全国制覇も
監督として甲子園出場を果たした元プロも4人いる。
佐野心(中日)は静岡・常葉菊川高時代、部長として07年センバツで優勝、監督として08年夏の甲子園準優勝。今夏は、静岡・浜松開誠館高の監督として甲子園初出場を果たした。
佐野はプロ時代、史上最高の決戦とも言われる「中日と巨人の1994年10・8」を経験。先輩・落合博満の指導も受けている。父親は1965年第1回ドラフト会議で1位指名された佐野真樹夫(広島)。引退後はリトルシニアの名監督となった。カテゴリーは違えど、父子ともどもアマチュア球界の名指導者である。
その佐野と同じ91年ドラフトで同じ中日に指名されたのが若林弘泰。西東京・東海大菅生高で春夏計4度の甲子園出場に導いている。体罰問題で約半年間謹慎していたが、顧問として指導現場に復帰した。