「帝京高」がらみもある。小林昭則(ロッテ)は、東京・帝京高のエースとして、85年のセンバツで準優勝。筑波大を経て、89年ドラフト2位でプロ入り。現役引退後、愛媛・帝京五高の監督として17年春、22年夏と、計2度の甲子園に導く。今年から香川・藤井高に移った。
大越基(ダイエー)は、宮城・仙台育英高3年の89年夏の甲子園決勝で、帝京高と激突。甲子園史上初めて「深紅の大優勝旗」が「白河の関(福島)」を越えるかと思われたが、あと一歩及ばなかった。対戦相手の帝京高から鹿野浩司が、小林と同じ89年ドラフトでロッテ入り。
大越は監督として2012年山口・早鞆高でセンバツに出場した。それから10年後の昨22年夏の甲子園で、同じ下関市内にある身近な下関国際高と母校・仙台育英高があいまみえる数奇な縁だった。そして「東北の悲願」はついに成就したのであった。
【4】ドラフト1位が6人も。タイトル獲得者は1人だけ
ドラフト1位は、紹介した教員16人中6人。割合的にかなり多いと言えよう。
石川賢(ロッテ82年)、大越基(ダイエー92年)、原俊介(巨人95年)、杉本友(オリックス96年)、喜多隆志(ロッテ01年)、染田賢作(横浜04年)。
しかし、目立った活躍をしたのは石川しかいない。84年に「最高勝率」のタイトルを獲得している。石川は92年に島田直也(横浜)と交換トレードされている。島田は茨城・常総学院高の(教員免許なしの)監督として2021年センバツに出場。引退後に高校野球監督になった投手とのトレードは、結果的に何かの縁か。
石川は現役引退後の1998年、参考書や問題集の出版社・東京学参へ入社。その後、教員免許を取得し、13年から野球部監督に就任している。