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    渡部建、49歳になって仕事ゼロでもなぜか余裕 復帰を焦らなくてもいい「うらやましい理由」

     昨年6月までは8本のレギュラー番組を抱える売れっ子だったアンジャッシュの渡部建(49)だが、不倫騒動で芸能活動を自粛して以降、復帰の道筋は見えてこない。  渡部の近況を報じた週刊誌「FLASH」(9月28日・10月5日号)によると、普段は総額35万円のハイブランドコーデで“主夫”をこなしているという。  一方、一家の大黒柱となった佐々木希(33)は、三池崇史監督が演出を手掛ける舞台「酔いどれ天使」に出演中だ。東京公演の千秋楽を迎えた20日には、3歳の長男がサプライズで花束をプレゼントしてくれたことをインスタグラムで報告した。 「佐々木は4億円のマンションをキャッシュで購入し、息子を年間の授業料が200万円以上といわれる幼稚園へ転園させたことが報じられました。10月からは舞台の大阪公演が始まりますが、今の彼女は精力的に仕事をこなしています。もちろん佐々木が仕事の間は渡部が家事と育児をこなしているそうです」(女性誌記者)  渡部の復帰に関しては昨年末の「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」(日本テレビ系)への出演情報が流れたことで、渡部も慌てて“謝罪会見”を開いたが、これが完全に裏目に。しどろもどろの受け答えに終始し、結局、騒動を蒸し返されるだけに終わった。 「『ガキ使』の出演はお蔵入り、さらに『有吉反省会』(同・9月で終了)の最終回にサプライズ出演のうわさも流れましたが、これは有吉本人が否定しました。渡部自身は、テレビへの未練はあると思いますが、実際、以前のような形で復帰するのは難しいと感じているようですね。昨年の会見で懲りたというか、このまま表舞台に出たところで、一生“トイレ不倫”は言われ続けるでしょうし、忘れた頃にまた蒸し返されたり、あるいは別の女性が告白したりという不安は絶えないでしょう。YouTubeでの復帰なども、オファーはあったみたいですがすべて断っているそうで、今は静かに暮らしたいそうです」(テレビ関係者)  スポーツ紙記者も「宮迫(博之)さんのケースを目の当たりにしているので、YouTubeなどでも露出は控えたいようです」と話す。 「得意のグルメも今では、イメージダウンで厳しいですし、相方の児嶋一哉のYouTubeが好評なので、その邪魔をしたくない、という思いもあるのかもしれません。一方で佐々木の仕事は順調で、今の舞台の演技も好評なので、すでに映画やドラマのオファーも来ているようです。佐々木も渡部には『復帰は焦らなくていい』と話しているそうですし、渡部にしてみれば、やっと生活のリズムが落ち着いてきたところなのではないでしょうか。今は将来的なことも考え、子どもの送り迎えや家のことをこなす合間に、資格取得のための勉強も始めたという話もあります」  23日に49歳を迎えた渡部だが、1年後の50歳でも芸能界復帰はしていない可能性もありそうだ。もう復帰とは別の道を歩むための準備を始めたのかもしれない。(坂口友香)

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    17時間前

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    クロちゃんが家賃29万の物件へ引っ越し 「水曜日のダウンタウン」がカメラ設置でも納得の理由

     安田大サーカスのクロちゃんが、気になるトピックについて“真実”のみを語る連載「死ぬ前に話しておきたい恋の話」。今回のテーマは「引っ越し」。「水曜日のダウンタウン」(TBS系)の協力もあり、15年ぶりに引っ越しをしたクロちゃん。新居は、以前の部屋よりも、かなりグレードアップしたようだが、なんとリビングと寝室には「水曜日のダウンタウン」が「カメラ」を仕掛けているという。「24時間365日」監視される刑務所のような暮らしだが、クロちゃんはまったく動じていないようだ。その理由とは? *  *  *  先日、ボクは15年ぶりに引っ越しをした。「水曜日のダウンタウン」(以下:水曜日)を見てくれた人ならもう知っているよね。  簡単に経緯を説明すると、ボクがこれまで住んでいたマンションが老朽化によって取り壊しになることが決まっちゃったんだ。で、その情報を聞きつけた「水曜日」がボクのために「物件探し」の企画をやってくれたってわけ。それだけ聞くと、「『水曜日』、優しいじゃん」って思う人もいるだろうけど、「物件探し」の企画に行き着くまでに、一人で無人島に行かされたり、危険な崖を登らされたり、海を泳がされたりと、過酷なロケをやらされてるから、ちょっとその優しさは複雑(笑)。まあでも、ボク一人だったら、こんなにスムーズに引っ越しできなかったと思うから、そこはほんとうに感謝してる。  ちなみに、ボクが、これまで住んでいた部屋は、築60年を超える2DKのマンション。古い物件だったから、エレベーターなんてなかったし、外観はボロボロで、お化け屋敷みたいだった。これまで何度か女の子を連れてきたこともあったけど、どの子も「え…?ここなの?」みたいな、微妙なリアクションばかりだったね。「室内はリフォームされてるからキレイなんだよー」とかって、必死にごまかすのが大変だった。最近では、そうやってごまかすのもしんどいから、女の子を部屋に連れ込む時は、外観がはっきりと見えない夜にしていたからね(笑)。  「それなら、もっと早く引っ越せばよかったのに」って思う人もいるだろうけど、ボクは、とにかく引っ越しが大嫌いなんだ。この連載でも伝えたこともあるけど、この世で、最も嫌いなものが、引っ越しといってもいいかもしれない。だって、とにかく面倒くさいでしょ?   不動産屋に足を運んで、色んな物件を見て、もろもろ書類を書いて、引っ越し業者に依頼して、荷物をダンボールに詰めて、新しい部屋の家具の配置とかを決めて…とか、もう面倒くさいことだらけ。こんなものに時間をかけるくらいなら、もうずっと同じ部屋でいいやって思っていたくらいだからね。  そんなボクが、今回、引っ越しができたのは、こういう面倒くさい作業を、「水曜日」のスタッフやボクのマネージャーが手伝ってくれたっていうのが、めちゃくちゃ大きい。だって、ゴミが100袋以上も出たんだよ? 冒頭でも伝えたけど、絶対ボク一人では、引っ越しできていない。ほんとに助かったよ。  新しい部屋の広さは87平米で、間取りは2SLDK。しかも屋上までついている。ワンフロアに一戸だから、隣人ことを気にしなくていいのも魅力。家賃は29万円。以前のマンションが家賃12万円だったから倍以上の価格だね。  以前の部屋は、至るところにモノが散乱して、とにかく汚かったから、今回の部屋は、なるべくキレイな状態を保つことが目標。リビングと寝室がちゃんと分かれているから、これまでみたいにベッドの上でご飯を食べるような行為はもうやめたよ。タレなどをこぼしたりすると、すぐにシミとかできちゃうしね。「ベッドは食卓じゃないんだな」っていうのを、今回の引っ越しで改めて気づけたよ。  15年も住んだんだから、退去する日はけっこう寂しくなったりするんだろうなって思っていたんだけど…正直、まったく何も感じなかったなー。これには、ボクも驚いたよ(笑)。逆に、「すっきりした」っていう気持ちのほうが大きいかも。  改めて、ボクってアップデートが早い人間なんだなって痛感した。15年も住んだのに、自分の手から離れた途端、興味がなくなっちゃった。正直、もう、どんな部屋だったかも、あんまり覚えていない。部屋の電気の位置って、どこだったっけな…。 ●24時間365日カメラで監視  新しい部屋は大満足なんだけど、1つだけ、おかしな点があったりもする。それは、リビングと寝室にカメラが取り付けられていること。設置したのは、もちろん「水曜日」のスタッフ。以前の部屋でも、新たな企画のたびに隠しカメラをつけたり外したりしていたみたいなんだけど、もうその作業がいちいち面倒くさいから、最初からつけておくということみたい。もう言い分がむちゃくちゃだよね。  これで24時間365日、「水曜日」のスタッフはいつでもボクの部屋を監視できる状態らしいんだ。ボクのプライバシーはどこにいったの!って、すごい嫌だったよ。  ただ、今では、カメラがあることに、もうすっかり慣れちゃって、何とも思わなくなってるんだけどね。むしろ、ボクが体調悪くなって倒れたりしたら、救急車を呼んでくれるかもしれないから、逆にプラスに考えてたりもしている。泥棒が入ってきても見つけてくれるかもしれないから防犯上も良いしね。よくよく考えたら、監視されるのって、すごいありがたいことなのかも。  とにかく、せっかく広くて、キレイな部屋に引っ越してきたんだから、ゆくゆくは女の子が好きそうなオシャレな部屋にしてやるつもりだしん! (構成/AERA dot.編集部・岡本直也)

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    17時間前

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    眞子さまの結婚どう思う? 瀬戸内寂聴が27歳スタッフに質問した結果

     半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。*  *  *■横尾忠則「スジ金入りの肉体的朦朧体、大観より本格派です」 セトウチさん 耳が聴こえなくなったと言うと、「きっと作品が変るわよ」と、ベートーベンじゃあるまいし、変なことおっしゃると、その時はそう思いましたが、本当に変ったんです。その変り方が理に適(かな)っているといえば適っている。つまり聴こえないことは、音の輪郭が失くなることです。そうなると音が朦朧(もうろう)となって、横山大観の朦朧体の絵のように音がボケて聴こえるんです。耳がボケると、日常生活もボケて、曖昧模糊(あいまいもこ)となって、したことと、してないことの区別もわからなくなるんです。つまり虚実の区別ができなくなって、夢で見た仕事の依頼を、本当に依頼されたと思って、やっちゃったりするんです。ボケの症状に似てるけれど、ボケ老人になったんではなく耳のせいだと理解しているので、そこはまだ理性がコントロールしています。 ハイ、絵の話だったです。大観は思想で朦朧体を描きましたが、僕はスジ金入りの肉体的朦朧体なので、思想のようなチョロコイ考えではなく、肉体的ハンデキャップによる堂々たる自然体派です。大観よりこっちの方が本格派です。そんなわけでセトウチさんの大予言は的中しました。 先っきも言いましたが境界線が失くなるということは自由のキャパシティも拡張したことになります。近代人は何でもかんでも境界線を引いて、全てを分業化します。縄文時代はひとりの人間が、多面的に物事をこなしていました。狩猟(しゅりょう)も農業も、漁業も工芸も、子育ても、教育もひとりでするという、境界線をはずした労働生活です。現代のような役割分担などしません。正に多義的です。越境した狩猟社会です。 難聴が与えてくれた神の恩寵です。だから病気の高徳です。僕が度重なる病気によって救われてきたということはこういうことです。神は人間に色々な苦難を与えますが、病気は罪ほろぼしでもカルマ落としでもなんでもないのです。人間の進化向上のためのカリキュラムだと思えばどうでしょう。難聴のほかに、腱鞘炎(けんしょうえん)にもなりました。もう、セトウチさんの「幻花」のような繊細(せんさい)な描写の絵など描けません。今は太い筆やハケを握りしめて、キャンバスにバンバン叩きつけるように描いています。それも痛いので、左手で描きます。左手は思うような形が取れません。幼児の絵より下手くそになります。でも、デュビュッフェは幼児の絵のマネをして、幼児風に描きますが、そんな意図的なことをしなくても、僕の左手はそのまま幼児以上に下手に描けます。これもハンデキャップから来た自然体です。 今書いている手紙では、前にも同じことを書きましたかね。境界を越えると時間差もなくなって、やったことと、やらないことの区別がわからなくなるのです。いよいよ本格派老人です。100歳老人のセトウチさんにも負けていません。ただ僕はセトウチさんのように年齢には拘っていません。拘っているのは他人の方で、今行っている展覧会では「85歳、85歳」と年齢を売り物にされています。歳のことは言うな! アーティストには年齢はないのです。昨日の続きが今日、今日の続きが明日です。原始社会では年齢など無関係です。アーティストは原始人です。■瀬戸内寂聴「私もヨコオさんに負けないように!」 ヨコオさん 何だか、ずいぶん久しぶりにこの往復手紙を書いているような気がします。 それにしても相変わらずコロナは豪勢を極め日本はおろか、世界的にその力を奮っています。 コロナのせいで、人に会えず、寂庵はずっと門を閉めっぱなしです。コロナになる前はもちろん、一も二もなく門内に入ってもらっていました。 大抵遠く九州や東北から来られた人で、まだ生きている私に逢えたと言って、抱きついて泣き出します。もちろん、私は丁寧にお迎えして、写経などしてもらい、お茶菓子を一緒に食べて、しばらくその人のお話を聞きます。つきあいの人もあれば、寂庵の信者を自称する人もあり、初めて門内に入ったという人もいます。「まさか、門内に入れてもらえると思わなかった」と泣き出す人もあれば、「生きている寂聴さんに逢えた!」と、子供のように足を踏み鳴らす人もいる。「とても百歳には見えない!」と誰もが感嘆してくれるが、終日ベッドに横になり、本ばかり読んで、一日を過ごしている私の毎日の状態など話せない。私は、人に逢っている間だけは、必死になって元気らしさを演じ、声を張り上げる。客の帰る時は、長い廊下の途中で、へばってしまい、さっさと歩く客の跡がおえない。 ──だって百だもの……──と、私は廊下の途中で、ペシャンコに座り込み、つくづく、自分に向かって言う。 食事だけは時間が来ると、しゃきっと体がのび、食卓の自分の位置に早々と座り込んでいる。「あら、お昼はもう召し上がりましたよ!」 スタッフの一人が、わざと大きな声を張り上げる。「私のスパゲティは、どうしてこんなに美味しいのだろうなんて、お世辞までいただいて」「そうよ、ほんとに! でも今ここに座ったのは、食べるためでなくて、眞子さんの結婚をどう思うかって、寂庵で一番若い二十七歳のP子の意見を聞きたいのよ」「ああ、眞子さん、ほんとに、よかったですね。大体、みんなあんまりこの結婚に意地悪すぎましたよ。でも、どうして一時金を眞子さんは辞退なさるのかしら? 貰う権利のあるお金でしょう? あんまり弱気にならない方がいいと思うけど……」 ヨコオさん、今、寂庵の中は、こんなにのんびりしています。耳が聞こえないのは、私も同然です。テレビの時なんか、びっくりするほど大きな声にしてくれるので、何とか会話が出来ています。鶯も、秋の夜の虫の音も、私の耳にはさっぱり聞こえません。ヨコオさんとTELしてるのを横で聞いてる人があれば、どんなにおかしいでしょうね。耳だけでなく体のあちこちがどしどし衰えてきます。 そのうち、きっと、自分の死んだこともわからなくなって、──ヨコオさんにTELして!──など叫んでる日が来るのでしょうね。でも目がよく見えているので、一日に二冊は厚い本を読み切っています。ヨコオさんの展覧会、ますます人気上昇でおめでとうございます。私もヨコオさんに負けないよう、あっとこれまでと変わった小説を二つくらい書き残して死にたいものですね。 では、また。※週刊朝日  2021年9月17日号

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    稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の「ワルイコあつまれ」はいかにして作られたのか 鈴木おさむ

     放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、話題を呼んだEテレの「ワルイコあつまれ」について。鈴木さんが番組の構成をしたという。 *   * * 9月13日の朝、Eテレで放送された「ワルイコあつまれ」。出演は「新しい地図」の3人、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾。何の予告もなしに放送され、その日の夜に再放送され、第2回がその翌週の夜に放送になった。Twitterトレンドは番組名や「慎吾ママ」などの言葉が一位になり、想像以上にネットニュースにもなっていた。  夜の放送の同時間帯にレギュラー番組の構成を持つ自分としては胸が痛むが、この「ワルイコあつまれ」の構成をさせてもらった。  元々は、NHKのスタッフがEテレで、「新しい地図」の3人で番組を作りたいということだったらしく、僕は彼らをマネジメント&プロデユースする飯島美智さんに呼ばれて会議に出た。飯島さんとは25年を超えるお付き合いになる。  22歳で出会った僕をおもしろがって、見つけて、鍛えて伸ばしてくれた。  1996年、「SMAP×SMAP」という番組が始まるので参加してほしいと言われた時、僕はまだ23歳。フジテレビに連れて行かれ、僕はその番組に入ることになった。「若い力で自由に暴れてきなさい!」と口で言われたわけではないけれども、そんな空気を感じて、僕より年上のスタッフさんの中で、「おもしろい」と思ったことを自由に伝えさせてもらい、それが形になっていくのがうれしかった。  多分、僕のことを若くてイタいやつだと思った人も多かったかもしれないが、そんなイタい僕をおもしろいと思ってくれる大人がたくさんいたおかげで、経験しながら勉強することができた。  あれから25年以上がたち、23歳だった僕は49歳になった。そして飯島さんに呼ばれて、NHKのEテレで作る番組の会議に出る。この年と立場になり、テレビの会議だといつもはどうしても「まとめる」ことが多くなってしまう。成立するためにはどうしたらいいか?失敗しないためにはどうしたらいいか?に向かって進んでしまうことが多く、それが今の自分の一番の弱点だと思っていたところに、この番組。  NHKのスタッフは全員初対面の方々。  飯島さんが会議が始まる時に「GO」というような合図を出した気がした。この「GO」という空気。「おもしろいものを考えてね」「暴れなさい」という空気。初めてフジテレビのスマスマのプロデユーサーに会わせてもらったときの無言のプレッシャー。そんな感じ。  久々である。  番組の方向性がまだ全然決まってない中、「子供番組」というパッケージで、どんなものを作っていくか考えていく。  僕は久々に自由にプレイヤーをやらせてもらう気持ちになった。Eテレだから違和感のあること。Eテレだからできることを考える。僕もスタッフさんも、自由に発想していく。  制約があってそこでおもしろいものを考えることが多い中、自由は不安だがやはり作り甲斐がある。  子供を記者にして、大人の記者会見を開く企画をやりたいです!と言い、そこに座ったら一番違和感のある人をと考え、元週刊文春の編集長である文藝春秋社の新谷学さんに出ていただくことになった。  新谷さんに子供記者たちが素朴なことを聞きまくる。新谷さんが子供たちに真剣に向き合って言葉を伝える姿に胸が熱くなったりして。  想像を超えたものが作られていく。  稲垣吾郎が絵本を読む「芸能界むかしばなし」。桃太郎、金太郎、浦島太郎、ここで紹介するのは勝新太郎。勝新太郎の豪快伝説を昔話風に紹介する。話は勝新太郎なのに、絵の雰囲気はEテレだ。ここでも想像を超えるものに仕上がる。  NHKだから出来ること。慎吾ママと草なぎ剛演じる徳川慶喜の対談番組。大河ドラマが終わったならまだしも放送中に、徳川慶喜を背負ってこんなことをやる。NHKだからできること。  NHKだから出来るキャスティング。人間国宝の人に出てもらえないのか?しかもそんな人に、「人間らしい」部分を聞いていけないのか?この秋に人間国宝になる人に本当に出てもらえた。これぞNHKだからできること。  番組を通して、やはりNHKスタッフの制作能力はとんでもないなと驚く。すごかったです。  そして、なにより、新しい地図の3人の表現力、翻訳力、やはりとんでもなくすばらしい。  エンターティナーだなと。改めて感動。  まだ何も書かれてない白紙の上で、彼らがここに立ち、どう動いたらおもしろいか、そんな地図を考えていくことは楽しい。ワクワクする。  たった2回だけ放送された「ワルイコあつまれ」は大きな反響を得た  このあとどうなっていくかは分からない。また続編が作れたらおもしろい。  何より、今回、あの頃の気持ちでテレビというものに向かい合えたこと。感謝してます。  たくさんの不安を希望と期待に出来る。そんなものづくりをできたことに感謝してます。 ■鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)が好評発売中。毎週金曜更新のバブル期入社の50代の部長の悲哀を描く16コマ漫画「ティラノ部長」と毎週水曜更新のラブホラー漫画「お化けと風鈴」の原作を担当し、自身のインスタグラムで公開中。コミック「ティラノ部長」(マガジンマウス)が10/4に発売決定。「お化けと風鈴」はLINE漫画でも連載スタート。YOASOBI「ハルカ」の原作「月王子」を書籍化したイラスト小説「ハルカと月の王子様」が好評発売中。作演出を手掛ける舞台「もしも命が描けたら」が9/17(金)20:00 より配信が決定(見逃し配信:~2021/9/23木23:59)。長編小説『僕の種がない』(幻冬舎)が発売中。

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    13時間前

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    小林麻耶が離婚へ 夫から解放されても修復が難しい「海老蔵一家」と「TBS」

     今年3月から別居状態にあった小林麻耶(41)と夫の國光吟氏(37)が離婚に向けて協議を始めたという。7月1日発売の「女性セブン」によると、当初は麻耶自身も別居が一時的なものになるか、離婚への準備期間となるかはわかっていなかったが、周囲のサポートもあり自分の意思で結論を出す段階に入ったようだ。 2人が結婚を発表したのは2018年7月。出会って2カ月、“交際ゼロ日”での電撃婚は周囲を驚かせたのはもちろんだが、國光さんの行うスピリチュアル色の強いセラピーやカウンセリングなどに傾倒する麻耶を心配する声も少なくなかった。「それ以降の2人の行動といえば、まるで麻耶さんのマネジャーのようにどこへ行くのにも國光さんが同行し、次第に仕事場でも國光さんが口を出すようになったといいます。そして昨年11月に『グッとラック!』(TBS系)の電撃降板と所属事務所との契約解除があり、麻耶さんの彼への依存ぶりが心配され始めました」(女性誌記者) 一時期は麻耶が「洗脳状態」にあるのでは?などと心配もされたが、次第に2人の関係は冷めていったようだ。結局、3月には別居となったが、國光氏と距離をとった麻耶を誰よりもサポートして見守り続けたのは、麻耶の母親だったという。「お母さんの元に戻ってからは、麻耶さんも徐々にこれまでのことを冷静に振り返ることができるようになったそうですが、最も彼女の心を揺り動かしたのは麗禾ちゃん(9)と勸玄くん(8)の存在です。國光さんと結婚してからは、海老蔵さん一家とも以前のように頻繁に関わることがなくなり、あれほどかわいがっていた子どもたちともここ1年ぐらいは会っていないといいます。お母さんは、麻央さんの闘病中には麗禾ちゃんと勸玄くんの面倒を見て家事一切を取り仕切っていました。お母さんから伝え聞く2人の様子やYouTubeで見る成長ぶりに会えない辛さが募ったのでしょう。そんな麻耶さんの異変に気づいて、お母さんはメンタル面も含めてフォローし続けているそうです」(同前) だが、仮に離婚が成立したとしても、今後の麻耶の状況が元通りになるかといえば、「すぐには難しいかもしれない」と芸能ジャーナリストは話す。「まずは麗禾ちゃんと勸玄くんとの関係です。麻央さんの闘病中はお母さんと共に彼女もよく面倒を見ていて、子どもたちも懐いていましたが、海老蔵さんが現在の状態のまま、麻耶さんと距離をとり続けるのであれば、以前のような家族ぐるみの関係に戻るには時間がかかるでしょう。海老蔵さんはこれからは『十三代目市川團十郎白猿』と『八代目市川新之助』の襲名披露公演も控えていますから、あまり“雑音”は入れたくないのではないでしょうか」 また、広告代理店関係者は麻耶の復帰をこう心配する。「いずれ麻耶さんも仕事復帰を考えているでしょうが、義理を欠くようなことをしてしまった古巣のTBSや前の所属事務所からのバックアップは期待できないでしょう。それ以上に、はたしてタレントとして需要があるのかも疑問です。國光氏とのお騒がせカップルのイメージがまだ根強く残っていますから、CMや司会などで起用するのは厳しいのでは」 麻耶はこの日、自身のブログを更新したが、離婚報道には言及しなかった。“目が覚めた”麻耶が目の前に待ち受ける新たな壁に気づき、それを乗り越えた時に、彼女は本当に自由になれるのかもしれない。(宮本エミ)

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    眞子さま「駆け落ち婚」の何がいけないのか 森暢平教授、国民「小姑」化を憂う

     婚約内定発表から約4年のときを経て、ようやく成就する眞子さまの結婚は、手放しの「祝福ムード」とはいかぬままゴールを迎えそうだ。2人の結婚をどうとらえればいいのだろうか。皇室の結婚に詳しい森暢平教授に寄稿してもらった。 *  *  *  眞子さまとの婚約が内定している小室圭さん(29)が近く、米国から帰国する。10月中にも自治体に婚姻届が提出されるはずである。  週刊誌やSNSにはいまだに「駆け落ち婚」への非難が多いが、バッシングを続けても2人が結ばれることには変わりがない。  それよりも、なぜ2人が結婚し、それに対し、あまりよくない思いを持つ人が多いのはなぜかを考える方が、生産的ではないか。 「『私』を抑えて国民のために尽くしてきたことで敬愛され、信頼を得てこられたのが皇室です。ところが眞子さまは『好きだから結婚する』というお考えを最後まで崩しませんでした。(略)『わがままを通した』ということ。『私』を優先したことにより、裏切られたと感じる国民も少なからずいます」  静岡福祉大の小田部雄次名誉教授のコメントである(『週刊新潮』9月16日号)。申し訳ないが、共感できない。この論理に沿うと、滅私奉公が皇室の務めだということになる。結婚においても好きな人を選んではならないということになる。天皇・皇族の自由意思は否定されるべきなのか。  皇室にはかつて「同等性の原則」「婚姻勅許(ちょっきょ)制」というルールがあった。同等性の原則は、明治の皇室典範が「皇族の婚嫁(こんか)は同族、又は勅旨(ちょくし)に由り特に認許せられたる華族(かぞく)に限る」(39条)と定めたものである。皇族は、同族(つまり皇族同士)か、認められた華族としか結婚できなかった。さらに、40条が「皇族の婚嫁は勅許に由る」と婚姻勅許制を明記した。皇族の結婚は、天皇の許可が必要だった。  明治日本は2つのルールを主にドイツから取り入れた。同等性の原則は、ドイツ皇帝が連邦諸侯の王女と結婚するように、身分が近い者と結婚しなければならないと限る通婚制限原則である。上位貴族以外との通婚は許されない。婚姻勅許制は、身分違いの結婚を望んでも国王から許可されないし、それでも結婚したいのならば、生まれた子に王位継承権は与えられないという決まりである。いずれも帝位・王位の正統性を保つために定められた。  ルールにもとる婚姻は、貴賤結婚・不正結婚である。英語ではレフト・ハンディッド婚(左手の結婚)と呼ばれた。こうした19世紀的通婚制限は、20世紀になると欧州でも古びた慣行になっていった。  日本においても、1928(昭和3)年、秩父宮が平民籍にあった松平節子(のち勢津子妃)と結婚するなど規制緩和が進んでいく。戦後の正田美智子(現・上皇后さま)の結婚が、非華族(平民)との通婚だとして国民的祝賀を受けたのは、ご存知の通りである。  婚姻勅許制は現在も形式的に残っている。2017年、眞子さまと小室さんの結婚について天皇の裁可(さいか)があったと報じられたことである。  この件は、戦後初めての女性皇族の結婚、和子内親王の事例に遡(さかのぼ)る。1950年、鷹司平通(たかつかさとしみち)との結婚が裁可されるとき、婚姻は両性の合意のみに基く、と定めた日本国憲法24条との整合性が問題となった。そこで、裁可は皇室内部の手続きとして簡略化し、外部に公表しないことを決めた。  だから、その後の女性皇族の結婚で裁可が公表された例はない。眞子さまのときだけ、なぜか公表されたのである。  近代の皇室の歴史は、国民とのフラットな関係への志向(皇室平民化路線)と、権威化路線とのせめぎ合いのなかにあった。戦後皇室は基本的には、平民化路線へと向かっていた。  だが、近年、怪しくなってきた。それは、災害や経済的苦境が続き、日本の国際的地位が低下したことと無関係ではない。人は、何かに確信が持てないとき、過去とのつながりを確認したくなる。正統性、伝統、国家というアイデンティティーにすがりたくなるのだ。従来の通婚範囲から大きく外れた場所から出現した小室さんを受け入れにくいのは、私たちが、不安の時代を生きているからである。  眞子さまの結婚の裁可が公表されてしまったのは、宮内庁が前例を忘れたという単純な理由によるものだろう。 ありのままであるために必要  だが、その深層には、天皇に権威性を求めてしまう社会の変化がある。不安定な政治に飽き飽きする私たちは、不変なものを皇室に求めてしまう。皇室は無私(わがままを言わない存在)だと信じたくなってしまうのだ。  そもそも、孫娘の結婚に、祖父の許可が必要な家庭など今の日本にはほぼ存在しない。皇室の存在意義は、日本の家族の鏡であることだ。そこからの逸脱こそ、皇室の存続にかかわる。  確かに、小室さんは同等性の原則からは大きく外れる。しかし、21世紀の私たちは、100年以上前の原則を皇族に押し付け続けるべきなのか。  息苦しい日本で、若者たちは、相手の地位や年収や容姿といったステレオタイプ化した異性の魅力を重視していない。一緒にいて居心地のいいこと、ありのままの自分でいられることが最も重要である。社会学はこれをコンフルエント・ラブ(融合する愛)と呼び、従来型の恋愛と区別している。  眞子さまが選んだ小室さんは、まさに、ありのままの眞子さまであるために必要な存在である。眞子さまの言葉を借りれば、小室さんは「かけがえのない存在」であり、2人の結婚は「自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択」である。この言葉に、国民は戸惑っていると言う人がいる。社会の不安を眞子さまの結婚への期待に置き換えるべきではない。  国民と皇族は違うという人もある。同じである。逆に、同じであろうとしたことこそ皇室と国民を結ぶ回路であった。皇族にもプライバシーもあれば、個人的な欲望もある。恋もする。  国民が総小姑(こじゅうと)状態になり、眞子さまの結婚に注文を付けること自体、異様である。『週刊朝日』を含めたメディア報道もおかしかった。  結婚を両親が認めたことも明らかで「駆け落ち婚」と呼ぶのはもはや適切ではない。仮に「駆け落ち婚」だとしても、そのどこが問題なのか。  彼女の結婚を見守ることしか、私たちがなしうることはない。※週刊朝日  2021年10月1日号

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    「高市氏の昔を知っているよ」 総裁選候補者3人で最も優れているのに胸がザワつく理由

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選に立候補を表明している3人の議員について。 *  *  * 連日、自民党総裁選関連のニュースがメディアを占めている。この国に暮らす人々の生存をかけた衆議院選挙のほうがよほど重大なはずなのに、無駄に自民党の生存をかけた総裁選につきあわされているようでつらい。災害レベルのコロナ禍で重要なときに臨時国会を開かず、自党の人事に時間を費やす自民党の体質が、トップが代わったところで変わるとは思えない。とはいえ、あと一歩で総理の椅子に座る3人の候補者に女性が入っていること、その女性が候補者の中で最も右寄りであること、容姿を誹謗中傷する批判が“彼女にだけ”されていることなど、日本の女性政治家が置かれている現実を生中継で日々見せられているようで、それはそれで気になってしまうのだ。 候補者3人の出馬表明記者会見を見た。それぞれ力のこもった熱弁を見ながら、改めて菅さん (菅義偉首相) は、相当なレベルで話が下手だったのだと気づかされる。滑舌が悪いうえに自分の言葉で話さない、原稿すらうまく読めないので頭に入ってこない。東京五輪・パラリンピック開催に疑問を投げかける記者には、「安全安心」と繰り返すだけで誠実さのカケラもなかった。さらに記者に対して威圧的であり、社名を名乗らない記者に対していら立つなど、器の小ささを露呈してしまう場面を幾度となく見てきた。喋れば喋るほど、人の心が離れていく総理大臣だった。 菅さんに比べると3人の候補者の話は、フツーにまともだった。……と、「底」を強いられてきた者として認知の歪みが生じてしまっているのだろうかと自分でも不安になるが、今回、高市早苗氏の会見を初めて長時間聴いてみて驚いた。テンポ、滑舌、論理性、具体性において出馬表明記者会見としては3人の中で最も優れていたからだ。記者からの質問に逃げずに丁寧に答えていたのも好感を持てた。  例えばTBS「報道特集」のキャスター膳場貴子氏が、高市氏が過去にしていたサイテーの発言「(生活保護を)さもしい顔をしてもらえるものはもらおうとか、弱者のふりをして少しでもトクをしようと、そんな国民ばかりいたら日本が滅びる」を引き、「困窮する国民をどういう目で見ているのか確認をさせてください。弱者への視点が欠けている不安、批判の声があるが、どう受け止めているか聞かせてください」と迫った。高市さんに対する強い批判を含んだ良い質問だった。 もしこれが、安倍さん (安倍晋三前首相) だったらと想像する。女性アナウンサーからの質問にまずニヤニヤと冷笑し、しかし顔色は変わり、早口でまったく方向違いの旧民主党政権批判を延々繰り返し「それはですね、民主党政権時代の批判の流れでの発言だったのでございます。文脈をですね、私の発言の文脈をですね、いいですか、きちんと見ていただいたうえでですね、そのようなご質問をしていただきたきたいのでございます」とか言いそうだし、麻生さん (麻生太郎財務相) だったら「そうかね、覚えてねぇな」とか言いかねず、菅さんだったら「えー、私はこれまで通り全力で国民の安全安心を最大限に考えて、政治を行っていくことに変わりはありません」とか言うのでは。テレビカメラの前で“女性”記者に批判された、ということで頭がいっぱいになり、誠実に答えようともしない“男性”政治家の振る舞いに私たちはあまりにも慣れてしまっていた。 その日、高市氏は膳場氏の批判質問に顔色も声のトーンも変えることはなかった。にこやかなまま、その発言がいつ、どの場で行われたものかを記憶の中で語り、「これは皆様の大切な税金。福祉というものは公正、公平が原則であるべきだと私は考えています」とし、さらに子どもの貧困問題等について語り、そのうえで「これが私。素直なほうなので、さまざまなアドバイスには柔軟に対応する」とも言った。  このやりとりに、私は見入ってしまったのだった。威圧的だったり、不誠実だったり、中身のない政治家答弁にあまりにも慣れ過ぎていたからこその驚きであるのだが、ただ新鮮だった。もちろん、高市氏のような政治家の言動が生活保護受給者に対する社会の偏見を生み、貧困を再生産し、生活保護を受けられずに餓死するような人々を生み出す現実をつくってきた。そういうリアルが見えない高市さんが与党の政治家であることが私は恐いが、それでも「どのような考えに立っているのか」ということを説明することをこの人は逃れなかったという印象は残った。 一方、岸田氏は国民の声を聞いてきたという薄く小さなノートを振りかざして「私にとりまして大切な財産。このノートを読み返した上で、私は改めてやるべきことがあると感じています」と豪語する。外国特派員協会で記者会見を開くなど、去年の総裁選よりもパフォーマンス力があがっているように見えるが、選択的夫婦別姓についての意見を問われ、「引きつづき議論しなければならない課題」と言うなど、いったい誰の声を聞いてきたのか問いたい。今年の共同通信の調査によれば選択的夫婦別姓は国民世論で6割が賛成している(30代では7割)。だいたい選択的夫婦別姓は80年代からずっと提案され、深く積み重なった議論の歴史があるのだ。国会での議論を拒否し続けてきた自民党の単なる勉強不足が、選択的夫婦別姓を邪魔しているだけ。まだ、「自分ごと」として通称使用拡大の具体的実践に全力を尽くしてきた高市氏のほうが勉強しているし、わかっているように見える。 河野太郎氏の記者会見が一番、今までの自民党の威圧的政治家の流れをくんでいるように見えた。質問は1社一つというルールを一方的に強いては、「(河野さんは)脱原発派ですか?」という質問に対して「どういう定義で脱原発というか人によって違うので、何か一つの言葉でくくるのはやめておいたほうがいい」と打ち切り、それ以上の質問を許さなかった。記者が本当に聞きたいことは分かっているはずだし、そこから深まる議論もあるはずなのに、意味のない答えを短めに返すのが目立った。  河野氏は若手からの期待が大きいと、報道では言われている。「河野さんは発信力があります」と30代の議員が胸を張るようにテレビカメラに向かって話しているのを見た。発信力とは単純にテレビに出る回数とか、Twitterのフォロワー数とか、なんとなくの人気のことを言っているのではないかと思うが、それは政治家にとって必要な力なのだろうか。記者会見で衝撃だったのは、韓国メディアの記者が「特に韓国を含めた、近隣国に向けての外交政策のビジョンを聞かせてほしい」と質問した時の答えだ。外務大臣を務めたこともある河野氏の答えは、こういうものだった。「G7の中で日本はユニークな立ち位置。キリスト教をベースとした文明の上に成り立っていない国は日本だけ。だから外務大臣として自分はアジア、中近東、アフリカといった国々の思いを代弁できる日本でありたーい、と思ってきた。自由民主主義、基本的人権、法の支配、こうした価値観を共有して一緒に前に進みたーいと思っている。それぞれの国にはそれぞれの歴史がある。一足飛びにみんなが同じことをできるわけではありませんー。そういうなかで、ヨチヨチ歩きであっても同じ方向を進もうとしている国にしっかりと寄り添える、そういう日本でありたーいと思っている」 ……これは外交政策なのでしょうか。ヨチヨチ歩きだけど一緒に寄り添っていこうね、って。これは元外務大臣による総裁選立候補の時に語るような言葉なのだろうか。高市氏を推すわけでは決してないが(というか、私にその権利もないが)、高市氏だったら具体的に質問に正確に答えようとするのではないか、大人の言葉で。 最近、「高市早苗の昔を知っているよ」という人と立て続けに話をする機会があった。20代のころ、高市氏は400ccのバイクを乗り回していたという。30年以上前、400ccのバイクに乗る女性は少なかった。私も10代のころ、400ccのバイクに乗りたくて教習所に行ったのだが、「女は小型から」と中型免許すら取らせてもらえない空気があり、一日でやめた。「中型取りに来たんです」と言っても、「じゃあ、起こしてみな」と道路に転がる400ccをコツも教えてもらえず起こせと言われて憤慨した。あの時の悔しさは今もまだ心のどこかに残っている。80年代のことだ。そういう時代のなかで、中型・大型バイクに乗る女性たちは道で出会っては、自然に話しかけるようなことがあったという。当時のバイク仲間の女性は、若かった高市さんが目を輝かせながら「私は保守系の政治家になるんだ」と、夢を語っていたのを覚えている。   高市氏を見ていると、胸がざわつく。「政治家を知るためには、その人の選挙区と選挙歴を知らなければならない」とは、無戸籍問題に取り組み続け衆議院議員になった井戸まさえ氏の言葉だが、高市氏がもし、奈良という保守が強い土地ではなく、都市部の選挙区の人だったらどうだったろうか。選択的夫婦別姓、女性天皇・女系天皇容認などについて肯定派の多い都市部のような場所で保守派の政治家として立っていたら、どうだったろうか。安倍さんへの、悲しいほどのすり寄りは、二世議員である小渕優子議員や、祖父が政治家だった野田聖子議員だったらしなくてもよい媚びにも見える。高市氏自身の葛藤を勝手に想像しながら、そういう女性議員の姿を見てこちらも引き裂かれるような葛藤を味わう。女性がのびのびと政治ができる国になってほしい、そして正当に評価されるようになってほしい。今起きているのは、自民党の大物男性の庇護のもとでの自由と、それでも女性であるゆえに正当に評価されない日本社会の女性嫌悪だ。精神衛生上よくないので、早く終わらせて、衆議院選挙で自民党政治は終わってほしい。■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    「自民党総裁選」書店では高市早苗が河野太郎を圧倒のワケ 『岸田ビジョン』は埋没

     17日に告示された自民党総裁選(29日投開票)は、いよいよ候補者同士の論戦がスタートした。その舞台は、テレビや記者会見だけではない。実は書店の場でも、候補者の著書が“デッドヒート”を繰り広げている。特に好調なのは、高市早苗前総務相の著書だ。9月15日の発売以降、万単位での重版を重ね、“河野本”に2倍以上の部数差をつけている。実売でみても、アマゾンの総合ランキングで1位が続き、若い女性層にも売れるという政治本では異例の展開をみせている。なぜこれほどまでに売れるのか。実態を取材した。 *  *  * 候補者の著書の中でとりわけ売れているのが、高市早苗氏の『美しく、強く、成長する国へ。―私の「日本経済強靱化計画」―』だ。出版社は、雑誌『Will』などを発行する株式会社ワック。同社の出版局長は、「爆売れです。当初の想定をはるかに上回る。ここまで売れるのはびっくりです」と喜びを口にする。  アマゾンでは発売前から予約が相次ぎ、9月5日から総合ランキング1位。22日時点まで、一時的に2位に下がることはあったが、ほとんどの期間で1位が続いている。 「アマゾンの総合ランキングで1位を2週間も続けている状態は、日本中で今一番売れている本だと言っても過言ではないと思います。書店には店頭在庫を行き渡らせるようにしていますが、アマゾンの方では配達までに時間がかかるケースもありました。注文が一気に集中して、さばききれなかったのだと思います」(同)  22日16時時点でも、高市氏の著書は1位をキープ。一方、8月27日に発売された河野太郎行政改革相の著書『日本を前に進める』(PHP新書)は74位。発売日にずれがあるとはいえ、売れ行きは高市氏が突出している。  リアル書店ではどうか。書店の展開では、高市氏の著書が発売される9月15日以前までは、河野氏の「一強」だった。ほかの候補者では、岸田文雄前政調会長が昨年9月に出版した『岸田ビジョン 分断から協調へ』(講談社)や、野田聖子幹事長代行が2018年に出した『みらいを、つかめ多様なみんなが活躍する時代に』(CCCメディアハウス)があるが、発売から月日がたっていることも影響しているのか、河野氏には及ばない。  だが、高市氏の著書が発売された15日以降、書店での勢力図が一気に変わった。15日と18日、丸善丸の内本店に足を運んだところ、15日時点では、エントランスのある1階で河野氏・高市氏の著書が4面ずつと均等に配置されていたが、18日時点では、1階では河野氏が3面、高市氏が5面に。2階の新書スペースでは、“高市本”が“河野本”の5倍ほどの面数で大々的に積まれていた。  三省堂書店神保町本店では、新書の週間ランキング(22日時点)で、高市氏の著書が1位。河野氏は5位だった。岸田氏の著書は両氏に比べると展開が薄く、野田氏の著書は在庫がなかった。  部数面では、河野氏の著書『日本を前に進める』は初版5万部と強気で、出版社からの期待の高さがうかがえた。8月27日の発売以来、何度も重版を重ね、今月17日時点で累計発行部数は5万9000部(4刷)だという。 「テレビなどメディアで紹介されることも多く、おかげさまで売れています」(PHP研究所広報担当者)  だが、高市氏の勢いはそれを凌駕している。  前出のワック出版局長によれば、初版は1万7000部だったが、6回にわたる重版で部数を一気に増やし、21日時点で13万7000部。実売もすでに6万部を超えており、刷り部数の5割近くに達しているという。  発売当初から毎日重版しているような状況です。たった1週間で10万部超えとなった本は弊社でも初めてです。ある大手チェーンの売り上げでは、2位の東野圭吾さんの新刊小説と桁が一つ違います」  発売後、書店からの評価もがらりと変わったという。 「政治本は売れないイメージを持たれている書店さんは多い。9月5日に先行販売を始めた紀伊國屋書店さんでも、当初はあまり気乗りしない様子でしたが、結果的に大変好調な売れ行きでした。安倍晋三前首相が高市さんの支持に回るというニュースが出てから、風向きが変わったように思います。書店さんからは『政治本でこれだけ売れてるのは驚き』という声もいただいていますし、政治本でこれだけ売れるのは、田中角栄の『列島改造論』以来なんじゃないかと言われたほどです」(同)  読者層でみると、男性読者は50代が多い。一方、女性の読者層では特異なデータが出たという。 「弊社の本の購買層は、通常であれば年配の方が多いのですが、高市さんの本に関しては30~40代の女性が多く、10代~20代の若い女性も買われているのが特徴です。『10代~40代女性』の合計値が、人口の多い層の『50代以上』の女性の約2.5倍というデータも出ています。若い女性からは、『高市さんが総理になれば痛快だ』といった声も聞かれました」  同出版局長は「個人的な意見ですが」と前置きした上で、高市氏への思いも語る。  テレビや新聞では河野さんが優勢という報道も多いですが、読者からの感想や書店での売れ行きを見ていると、高市さんが勝つ可能性も十分あると感じています。本の売れ行きだけで見たら総裁確実です。100代目の総理が初の女性となれば、さらに盛り上がると思います。ぜひ総裁になってほしいですね」  河野氏と高市氏の著書で、ここまで差が開いたのはどうしてなのか。出版物の動態調査などを手がける出版科学研究所の担当者は次のように推測する。 「高市さんの著書は、総裁選の公示日の少し前の9月15日の発売というタイミングが良かったのかもしれません。また、河野さんはこれまでもメディアやSNSなど、自らが前面に出て発信してきましたが、高市さんはそれまでメディアに出る機会はあまりなく、新鮮味がある。どんなことを考えているのか知りたい方も多いのではないか」  出版業界に関する数々の著書があるフリーライターの永江朗氏は、別の視点からこう分析する。 「保守思想のネット民たちと親和性の高い本は固定ファンがいて、ある程度確実に売れる数が見込めます。そのジャンルの人の本や、あるいは似た匂いのする本は必ず買うという人が一定数います。これまでも百田尚樹氏の著書や、明治天皇の玄孫である竹田恒泰氏の著書などが売れてきました。今回の候補者の中で高市さんの本が突出しているのは、それだけ彼女の保守主義的な言動や唱える歴史観が、保守的思考のネット民のマインドと親和性が高いからでしょう。高市さんと思想の近い安倍さんの支持層を中心に購買につながっているのだと思います」  自民党総裁の座に就けば、著書はさらなる売り伸ばしのチャンスを得る。それぞれの出版社は総裁選の動向を、固唾(かたず)をのんで見守っている。(AERA dot.編集部・飯塚大和)

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    自宅放置死250人は「人災」 英米のコロナ対策を知る日本人医師が指弾

     ワクチンの2回目接種が進んできたことも影響しているのか、「第5波」も収まりつつある日本。だが、医療崩壊により多くの自宅死を招いた結果について、英米の対策を知る医師は“人災”と指摘する。海外に学ぶべきこととは──。 *  *  *  これは“コロナ棄民”政策による犠牲ではないのか。新型コロナウイルスに感染し、自宅などで死亡した人が、8月に全国で250人に上った。7月の31人から急増し、過去最多となった。第5波が猛威を振るった8月、政府は重症患者や、中等症でも重症化リスクの高い患者以外は自宅療養を基本とする「入院制限」を打ち出した。デルタ株による感染爆発から医療逼迫(ひっぱく)を防ぐ狙いだ。本来、入院や宿泊療養をするべき状態なのに、自宅療養を余儀なくされる人が続出する結果となっている。  この春まで英キングス・カレッジ・ロンドンの教授を務め、5月に帰国した渋谷健司医師は、日本の現状について怒りを滲ませながら、こう語る。 「保健所の職員が自宅療養の患者さんを観察し、入院が必要かどうかを判断するなんて無理です。最初から医療にかからなければ症状の急変には対処できません。酸素ステーションの設置も、後手の対策を象徴している。酸素が取り込めなくなった人に、酸素だけ投与して回復するわけがない。入院してきちんと治療しなければなりません。ネックとなっているのは病床不足で、大規模な専門病院が必要なことは昨年からわかっていたこと。お手上げになったら患者を自宅放置なんて、あり得ないくらいひどい話です」  政府はコロナ患者の受け入れを促すため、重症患者向けの急性期ベッドを新たに確保した医療機関に対し、1床当たり最大1950万円を補助しているが、機能していない。中小規模が多い民間病院がコロナ診療のために一般診療を制限し、さらに院内感染が起きれば大きな打撃を受ける。医療スタッフのやり繰りにも限界がある。  渋谷医師が続ける。 「中小の民間病院にコロナ患者の受け入れを求めるのは酷です。やはり大きな急性期病院でベッドを50床、100床と確保しないと対応できません。その役割は当然、公的病院が負うべき。国立病院機構や、尾身茂さんが理事長を務める地域医療機能推進機構(JCHO)はすぐにでもコロナ対策病院としてベッドを確保すべきです」  冬にかけて「第6波」が始まることが予測される。重症者用に既存の病院の病床を確保するとともに体育館やイベント会場などの臨時の施設を使って野戦病院をつくり、中等症の患者を収容する態勢づくりが求められる。 「いま専門家からロックダウン(都市封鎖)法制化を求める声が上がっていますが、ワクチン接種が進み、病床を確保して医療崩壊が防げればその必要はありません。英国のような罰則もないのに日本の国民は我慢強く行動制限しています。その真面目さに胡坐(あぐら)をかいて、国や専門家はやるべき対策を怠った。飲食店をスケープゴートにして自粛や緊急事態宣言をくり返しても社会が傷むだけです」  現在、日本では変異株による子どもの感染が急増している。渋谷医師はいま最も重要なのは学校対策だと話す。 「コロナは無症状感染があるので、症状がなくとも学校で定期的に検査を実施すること。日本はいまだにマイクロ飛沫と言っているが、主な感染ルートはエアロゾルによる空気感染です。教室にCО2モニターを置いて換気を見える化し、12歳以上の子どもと保護者、教師はワクチンを接種する。ワクチン、検査、換気、不織布マスクの4点セットで学校を成り立たせていくのです」  米国の事例にも学ぶべき点は多い。米国在住で、星槎グループ医療・教育未来創生研究所・ボストン支部研究員の大西睦子医師はこう説明する。 「米国では最も多い時で1日30万人もの感染者を出しましたが、医療崩壊を免れています。ライバル病院が協力して次々と臨時病院を開設し、患者さんの入院先を調整し合ってパンデミックに立ち向かったのです」  大西医師が住むマサチューセッツ州では、ハーバードの教育病院・マサチューセッツ総合病院(MGH)を擁する「マスジェネラルブリガム」が州最大の病院グループだ。昨年4月、ボストンに第1波が押し寄せた時に、コンベンションセンターを使用して約1千床の臨時病院を開設。ICU(集中治療室)ベッドも州全体で約1200床増やした。ICUでの治療から回復した患者は臨時病院で経過を見る。無症状者はホテルで健康観察するシステムが早期に確立した。 「マスジェネラルブリガムは長年のライバル関係にある他の病院グループと一致団結し、どこの病院に何人分のベッドが空いているかなど、お互いに情報を開示・共有し合いました。インターネットでも確認でき、患者さんがたらい回しされることはありません。救急車もすぐに搬送できるので、時間的なロスもありません。医療スタッフは定期的な検査など緊急性のない医療をやめて、コロナに集中しました。ワクチン接種が進んでから順次、元の診療科に戻りました」(大西医師) 情報を隠したら罰金100万ドル  コロナ対策においてこうした画期的な取り組みが実現できたのは、オバマ政権が2016年に制定した「21世紀治療法」があるからだ。パンデミックなどの危機に備え、公衆衛生のために電子記録を作成する医療従事者や企業は、他の医師や事業者と情報を共有することが義務付けられた。情報のブロックは禁止され、違反した場合は最大100万ドルの罰金が科せられることがある。大西医師が解説する。 「患者さんの電子カルテも共有化が進み、コロナによってさらに加速しました。もちろん、プライバシーは法律によって保護されます。まず、かかりつけ医であるホームドクターに行き、必要であれば専門の病院にかかる。データはシェアされているので診療はスムーズに進みます。患者は自分の情報はすべてオンラインで知ることができ、セカンドオピニオンが必要かどうかも判断できます」  日本でも医療情報の開示を導入すれば、閉塞したコロナ対策を打開する一助になるのではないか。(本誌・亀井洋志)※週刊朝日  2021年10月1日号

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    『鬼滅の刃』特別編集版で注目された「柱合会議」で風柱・不死川実弥が怒り狂った本当の理由

    【※ネタバレ注意】以下の内容には、既刊のコミックスのネタバレ、今後放映予定のアニメの内容が含まれます。 23日、アニメ1期特別編集版の最後となる「柱合会議・蝶屋敷編」が放送された。この柱合会議では、主人公の炭治郎が鬼になった妹を連れていることが問題となった。これに対して風柱・不死川実弥は怒り狂い、禰豆子を串刺しにするというショッキングなシーンもあった。静観の構えをみせる「柱」もいた中で、なぜ彼はここまで激しい怒りをあらわにしたのか。それには、実弥の過去にまつわる“重大な理由”があった。(本記事はアニメ特別編集版と、原作の漫画『鬼滅の刃』を参照しています) *  *  * ■紛糾する柱合会議  鬼狩り組織・鬼殺隊の中で、屈指の実力者は「柱」と呼ばれている。その柱たちが集う柱合会議で、竈門炭治郎(かまど・たんじろう)が鬼の禰豆子(ねずこ)を連れていることが問題になった。9名の柱たちは竈門兄妹に厳しい言葉を口にする。 煉獄杏寿郎(れんごく・きょうじゅろう)は竈門兄妹の斬首を主張し、宇髄天元(うずい・てんげん)も悲鳴嶼行冥(ひめじま・ぎょうめい)もそれに同調した。伊黒小芭内(いぐろ・おばない)は炭治郎をかばった冨岡義勇(とみおか・ぎゆう)の責任にも言及する。裁きに無関心な時透無一郎(ときとう・むいちろう)と、炭治郎に同情的な甘露寺蜜璃(かんろじ・みつり)は、冒頭場面では他の柱の制止等はしていない。 混乱する柱合会議の中、禰豆子が入った箱を持った不死川実弥(しなずがわ・さねみ)が、恐ろしい形相でその場にやってきた。<鬼を連れてた馬鹿隊員はそいつかいィ>(不死川実弥/6巻・第45話『鬼殺隊柱合裁判』) ■不死川実弥の異様な態度 <鬼が何だって?坊主ゥ 鬼殺隊として人を守るために戦えるゥ? そんなことはなァ ありえねぇんだよ馬鹿がァ>(不死川実弥/6巻・第45話『鬼殺隊柱合裁判』)  そう叫ぶや否や、実弥は箱もろとも禰豆子を日輪刀で突き刺した。この実弥の行為に反応したのは、義勇、しのぶ、蜜璃、そして炭治郎だった。禰豆子は苦痛の声すら発することもできない。 ここまでの場面から分かるのは、おそらく禰豆子についてはできる限り裁判の場には連れ出さない予定だった、ということだ。そして、それを指示していたのは蟲柱の胡蝶しのぶだったと思われる。鬼殺隊後方支援を担当している「隠」(かくし)が禰豆子の箱を戻すように実弥に頼んでおり、さらにしのぶにむけて「胡蝶様 申し訳ありません…」と謝っているからだ。また、実弥に対してしのぶは「不死川さん 勝手なことをしないで下さい」と普段の笑顔とは異なる厳しめの表情で、その行為を牽制した。 しかし、実弥は「鬼化した禰豆子と、それを連れている炭次郎」への怒りを止めることはできなかった。伊黒も実弥と同じような意見で、同様の態度を見せている。 ■加速する実弥の怒り  実弥は鬼殺隊の総領である産屋敷耀哉(うぶやしき・かがや)には大恩があり、信頼していた。しかし、その尊敬するお館様・耀哉が「炭治郎と禰豆子のことは私が容認していた」と答えたため、驚きを隠せなかった。<鬼を滅殺してこその鬼殺隊 竈門・冨岡両名の処罰を願います>(不死川実弥/6巻・第46話『お館様』) 耀哉は禰豆子容認の根拠として、冨岡義勇とその師である鱗滝左近次(うろこだき・さこんじ)が、竈門兄妹の助命嘆願のために切腹をかけているという手紙を読み上げさせた。同じ柱として、ともに鬼の滅殺に命をかけてきた義勇までもが、鬼をかばっていることが、実弥にはどうしても理解できない。 鬼殺隊の構成員たちは、ごくわずかな者をのぞいて、ほとんどが家族や兄弟、恋人や友人など、大切な人間を鬼に食われている。鬼のいない世を作るために、鬼殺隊の隊士たちは命をかけて戦っているのだ。最前線で戦う実弥は死にゆくたくさんの仲間たちを目にしている。感じている責任の重さも並大抵のものではないだろう。  日々失われる仲間の命、大切な人を殺された過去。その思いを共有しているはずの耀哉と義勇が鬼をかばうことに、実弥は激しくいきどおった。これは不死川実弥という人物の本質が、仲間思いで、柱としての責任感が強いことの裏返しだ。 ■実弥と禰豆子 <わかりません お館様 人間ならば生かしておいてもいいが 鬼は駄目です 承知できない>(不死川実弥/6巻・第46話『お館様』) そして、実弥は自らの腕を傷つけ、その血を禰豆子に見せつけた。禰豆子は直前に実弥の日輪刀でケガをさせられており、傷の修復のために飢餓状態も高まっていた。しかし、禰豆子は実弥への攻撃と捕食をなんとか思いとどまる。この一件をもって、禰豆子が人間を襲わないことの証明は終わり、実弥もいったんは竈門兄妹の処罰を諦めるしかなくなった。 なぜ、実弥はこんなにも鬼に怒るのか。他の隊士たちも、同じような境遇で苦しんでいるのに、一応は我慢し、実弥ほどは禰豆子への処罰を強くは主張していない。 ■実弥の怒りの理由  実は実弥は、自分が「もっとも信頼する人物」が鬼化させられており、その時に大切な人を複数失っている。実弥の傷は、鬼殺の任務中に負ったものもあるが、その中には、当時の事件の傷も残っている。 鬼化がもたらす「人格的変化」を目の当たりにしているからこそ、実弥はすべての鬼を信用できない。かつて鬼化した「もっとも信頼する人物」への愛情の深さゆえに、鬼化=その人物の人格の死、と理解しているのだ。 さらに実弥は、自分の実弟を鬼の脅威から守るために鬼殺隊へ入隊している。鬼には知性があり、言葉をあやつり、時に人間に擬態もするため、人間をだますことも容易である。鬼の強大なパワーも考慮すると、鬼殺隊隊士は、鬼に遭遇した瞬間すぐに滅殺する体勢をとらないと、被害が増えることは明白なのだ。 これらの理由から「鬼を全て駆逐すること」を誓っている実弥の思考と判断は間違っていない。 ■不死川実弥の「柱」らしさ  柱合会議の時の竈門兄妹への暴力、攻撃を見ると、不死川実弥には「狂気」があることは間違いない。しかし、場面をよく確認すると、彼にはやはり柱に選ばれるだけの度量や思慮深さがあることが分かる。 最初に禰豆子の箱を他の柱たちの前に持ってきた時、本当に問答無用であれば、その時点で禰豆子に致命傷を負わせることは実弥には簡単だったはずだ。鬼の帯同など許せるはずもない、という感情を持ちながらも、状況を正確に見極めようとしたために、炭治郎の前にわざわざ禰豆子を連れ、義勇としのぶの言葉にいったんは耳を貸し、耀哉の考えを聞こうとした。一見、暴れ狂っているように見える実弥の言葉からは、深い悲しみと恨み、そして葛藤がにじみ出ている。 今後、物語が進む中で、不死川実弥の過去が徐々に明らかになっていくが、これは『鬼滅の刃』においても屈指の悲しいエピソードである。読者とアニメ視聴者は、その過去を知れば知るほど、この「柱合会議」の際の実弥の忍耐力と、彼の真意に思いをはせることになる。今後のアニメの展開が楽しみでならない。 ◎植朗子(うえ・あきこ)1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。

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    8時間前

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    「鉄の女」高市氏か、「母である」野田氏か 自民党の女性リーダーに熱狂できない理由

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選と女性政治家について。 *  *  * 3連休中、テレビは自民党総裁選のニュース一色だった。この選挙に勝つ人がこの国の総理になるとはいえ、今やるべきニュースは他にあるはず。コロナ対策についても、4人のうち誰ひとり他の国で当たり前のように行われている無料のPCR検査については触れず、Go Toキャンペーンや東京五輪・パラリンピックの強行を反省する姿勢もない。そうこうしているうちに、沖縄は今、世界最悪の感染地域になってしまった。  もしこの総裁選がコロナ以前だったら。もし第二次安倍政権の誕生以前の日本だったら、自民党総裁選に女性候補が2人出たことを私は「うれしい」と思えただろうか。時代は変わった! と希望を持てただろうか。「自民党の多様性を示すために立候補した」と明言する野田聖子さんのキッパリしたスピーチを聞きながら想像をしてみるが、今は、とてもじゃないが、そんな気にならない。野田さんの背後にぴったり寄り添う、「八紘一宇」発言の三原じゅん子さんの姿を見ながら、多様性とは両極端の意見の人が同じグループで仲良くすることではないのにな、としらけた気持ちばかりが募る。  そもそも高市さんにしても、野田さんにしても、国のトップに立つ女性のイメージがアップデートされていないことにも驚かされる。高市さんは、「鉄の女」と呼ばれたサッチャー首相を理想としている。野田さんは特定の人をあげてはいないが、「他の3人と比べて私の強み、差別化」の一つに「私は母であります」と語っていた。現役の女性政治家が母になることが長い間許されなかった日本社会で、「母である」女性政治家はそれだけで意味のあることなのかもしれないが、鉄の女か、母なる女かの二択は随分な選択肢だ、というかここはほんとうに2021年なのか?   世界には今、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相や、フィンランドのサンナ・マリン首相など、鉄の女ぶらなくても、母アピールをしなくても、自分のまま、女のまま、個のままで国民に支持され、信頼されるリーダーがいる。そんな時代を生きる国が、日本の外にはあるのだ。なぜ80年代のイギリスに遡らなければいけないのか。    また野田さんは、不妊治療や生殖医療に関する法案を菅政権の中で推し進めてきた。フェムテックという、女性の健康をテクノロジーでサポートするマーケットにも意欲を燃やし、女性身体にまつわる政策にも熱心だ。とはいえ野田さんが反対の声を封じるようにスピード成立させた生殖補助医療法は、卵子提供ビジネス、ゆくゆくは代理母ビジネスに大きく道を拓くものであり、フェムテックに関しても「(女性のためという)きれいごとではない、経済としてフェムテックに関わりたい」と明言しているようにビジネスの要素がとても強い。野田さんがそういう人というより、女性身体や生命倫理に関わる繊細な問題もビジネスにしなければ政治マターにならないのが自民党、ということなのかもしれない。そういう意味で野田さんは、母であると同時に鉄だ。  女性が女性のままリーダーになれず、女性を軽く裏切ることが公平であるかのような顔をして、政治信条よりも組織に忠誠を示すことが政治家として優先される政治を、自民党の女性政治家の横顔にみてきた。なぜこうも、女性リーダーのイメージは冷淡なのか。  フェミニストで政治研究者の岩本美砂子氏による『百合子とたか子 女性政治リーダーの運命』(岩波書店)を読んだ。総理の椅子に最も近づいた2人の女性政治家としての歩みを、女性週刊誌の小さな記事から論文まで膨大な資料をもとに緻密に描きだすものだった。土井さんと言えば89年の「マドンナ旋風」という言葉とセットのように語られる。高市さんなどは当時から“マドンナ”には否定的で、台所から政治を変えるなんてハァ? というような“中高年女性”をバカにする様子が著書からははっきりと窺える。もちろん当時から、高市さんのような視線は決して珍しいものではなかった。それは今にいたるまで土井さんの評伝がほとんど書かれていないことと通じるだろう。この社会に土井さんを政治家として正当に評価する視線が欠けていた。    『百合子とたか子』には、土井さんが本気で女性政治家を増やそうとしていたこと、女性差別法律を変えるために尽力したこと、「マドンナ」と言われた多くの女性議員が、女性運動出身やフェミニスト研究など女性の権利運動に精通していた女性たちであったことなどが記録されている。なにより衝撃を受けたのは、私自身が全く忘れていたことでもあるが、1989年の8月9日、参議院では土井たか子氏が海部俊樹氏を上回った票で内閣総理大臣に指名されていた事実だった。衆議院では海部氏が票を上回ったことから第76代総理大臣は海部氏になるのだが、両院の首相指名が違ったことは1948年以来のことであり、また女性が首相指名されたのも初めてのことだった。  ページをめくる指に汗が滲む思いになる。もしあの年、1989年の夏に土井総理が誕生していたら……。あれが日本の政治の分岐点、日本の女性の地位の大きな分岐点だったのではないかという想像が止められない。もし土井さんがリーダーになる社会が生まれていたら、もしかしたら小池百合子氏はもっと違うタイプの政治家になったかもしれない。「戦争できる女」をアピールすることがリーダーの素質ではなく、女性の身体を躊躇なくビジネスにできることが経済に強い女性リーダーであるかのような、そんな苦しい選択肢を目の当たりにすることのない2021年だったかもしれない。少なくとも30年前の日本には、人々を熱狂させた明確な女性リーダーのイメージがあったのだ。平和憲法を守ることを使命とし、後続の女性を真剣に育てようとした女性リーダーの姿が。   1993年の衆議院選挙で、3人の保守女性政治家が誕生した。高市さん、野田さん、田中真紀子さんだ。高市さんは自民党の公認を期待していたが直前で裏切られたため無所属で当選、田中さんも後に入党した自民党に切られ自ら去り、野田氏も郵政民営化に反対したことから選挙区に刺客を送られるというさんざんな目にあう。党にぞんざいに扱われる経験を経ながらそれでも自民党総裁選までたどりついた2人の女性政治家の苦労は私には計り知れないものではあるが、それでも、89年のマドンナたちの明るい希望とはずいぶん遠いところにきてしまったものだなぁと思うのだ。女性リーダーの顔が「鉄の女」系なのが耐えられない。自民党を変えるのではなく、政権を変えたい。政治には軽やかで優しく柔らかい、明るい希望をみたいのだ。 ■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    19時間前

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    高市早苗氏の意外な過去にフェミニストも震えた 総理の座を狙う過程で何があったのか

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選に正式に出馬表明した高市早苗氏について。*    *  * 近しい人がデルタ株のコロナ陽性になったり、友人の同僚や、通っている美容院のお客さんが亡くなったりなど、夏以降、急速にコロナの危機が迫っているのを実感している。健康観察をされずに自宅で死亡した50代の方の話などを聞くと、東京五輪・パラリンピックに時間とお金と人材を費やすべきではなかったのではないかとつくづく悔しい思いになる。適切な処置を医療機関で受けられていたら、亡くならないですんだかもしれない命は少なくない。 Go Toキャンペーンやオリパラを強行することに専念してきた自民党政権が、トップの顔を代えただけで変われるとは思えず、期待には程遠い自民党総裁選。岸田文雄さんは、ボロボロの小さいノートを振りかざしては「国民の声を書き留めてきた、1年間で3冊、10年間で30冊」と様々なメディアでアピールしているが、正直、少ないと思う。薄いノートを1年でたった3冊埋めたくらいで、国民の声を聞いたとか言えるって、どんだけ聞いてこなかったかという話なのでは。河野太郎さんは、先日週刊誌でそのパワハラ言動が取りざたされていたが、ワクチン接種という、申し訳ないが素人目線でそこまで難しいとも思えない仕事でつまずいている人に期待するのはムリという話だし、高市早苗さんにいたっては、選択的夫婦別姓に強硬に反対するアンチフェミ女のイメージしかない。女性の人権に無関心な女性総理候補にいったい何の価値があるというのでしょう。 とはいえ、高市早苗議員、いったいどんな人なのか。32歳で衆議院議員に若くして初当選(※)。しかも同期の田中真紀子議員や野田聖子議員のように、親や祖父が国会議員だったというわけではなく、自民党員だったわけでもなく、サラリーマンの父と警察官の母という一般家庭から出てきた無所属の女性議員が、今、最も総理の椅子に近い女性となっている。なぜ高市さんは、政治家の道を選んだのだろう。どのように政治の道を歩いてきたのだろう。政治家としては多い著作のなかから国際政治評論家としてテレビで活躍していた頃に書かれた『30歳のバースディ―その朝、おんなの何かが変わる』(大和出版)、政治家2年目に記された『高市早苗のぶっとび永田町日記』(サンドケー出版局)を読んだ。 高市氏が大学を卒業したのは1984年。1986年に男女雇用機会均等法が施行されるが、この2年の差はやはりとても大きいものがある。女性が生涯にわたる仕事を手にすることも、そもそも親が大学に行かせてくれるかどうかも「女の子」であるというだけで諦めることがまだまだ当たり前にあった世代だ。特に地方であればなおのこと。保守的な奈良に育った高市氏も、当然のように「諦めさせられて」きた。例えば大学もそうだ。高市氏は第1希望だった早稲田と慶応のどちらも合格したにもかかわらず、「女の子のあなたを東京の私学で学ばせる余裕はない。弟の学費に回してほしい」と親に諦めさせられ、「女の子だから一人暮らしはさせられない」と通学に往復6時間かかる神戸大学に入学するのだ。 たとえ難関国立大学出身であっても、女性がその能力と希望に見合う就職先を見つけるのが難しい時代だった。「身の丈」よりもずっと小さく窮屈な型に押し込められる女性たちの悔しさは計り知れないが、高市氏の著書からはその類いの悔しさは強調されない。それは高市氏に並外れた行動力と決断力があり、自らの人生を切り開いてきた自負があるからだろう。たとえば、たまたま大学で目にした松下政経塾のポスターを目にして、直感に導かれるように松下政経塾に“就職”したり。たまたまテレビで見た女性議員で史上初の米国大統領候補指名争いに立候補準備を進めていたパトリシア・シュローダーに惹かれ、その2週間後にはワシントンに旅立ち、その情熱だけでシュローダー議員のオフィスで働き始めたり……若さゆえの大胆さと希望に満ちあふれた当時の高市氏のエピソード一つひとつに圧倒されてしまう。「女だから」と諦めさせられてきたのは大学まで、それ以降は絶対に諦めないという粘り強さで今の地位を築いていくのである。『30歳のバースディ』は文字通り30歳を迎えた高市氏がそれまでの人生を「ポップ」に振り返る本である。「BGMはいつもユーミンだった」「寂しいのはあなただけじゃない」「空港でまたまた恋人と涙の別れ」「男かペットがいなくちゃダメな私」「女と日の丸と視聴率の相関関係」「三〇女が孤独を感じるとき」といった目次からもわかるように、女友だちに話しかけるように書かれた軽く、優しいノリのものだ。アメリカから帰国し、若い政治評論家としてメディアに露出していたころで、日本の男性社会へのいら立ちも率直に記されている。「アメリカ議会では日本流のバカバカしい会議がないのが良かった。(略)ところが日本の企業では会議の場では何も決められない。本当は既に決まっているし、とっくに根回しが済んでいることを確認しあうだけの、儀式的な会議のなんと多いことか。でも、私たち女性は妙に正義感が強いので、このような巧妙な人間関係のテクニックとは相性が悪い」 90年代に若い女性が書いたテキストを追いかけながら、私は何度か噴き出したり、そうそうと共感したりと震えるような思いになる。ねぇ、高市さん、「女が入ると会議が長くなる」とほざく森喜朗さんに「あんたの会議はバカバカしい」とはやっぱり言えないものだったの? こういうまっとうないら立ちを文章にしてきた女性が、最も「わきまえる女」になっていく過程に、いったい何があったというの? さらにこういう率直さは、国会議員になった後に書かれた「高市早苗ぶっとび永田町日記」にも残っている。高市氏は歯に衣着せずに永田町のダメなところをきちんと切っている。「この一年間に永田町で一番多く耳にした言葉は次の二つ。『挨拶がない』『俺は聞いてないぞ』。委員会の審議日程が流れたり、大切な法案の採決がパーになったりする理由は大抵この二つだったりする」「笑い話のようなことばかりだが、事実、永田町政治は『理屈』ではなく、『メンツ』で動いている」 さらに、夜の会食や女性がいるクラブなどで行われる男たちの根回しで物事が決まっていく永田町で、女の自分が不利であることも記し、サッチャーのこんな言葉を引用し共感を表明するのだ。「私は最後まで党内基盤が弱かった。それは男性の世界の根回しに加えてもらえなかったからよ」 なにこの人……すごくまともな「一般人」の感覚で、すごくまともな「女の悔しさ」をストレートに出すフェミじゃないの? しかもそのまともさで、「総理大臣の資質」というものを論じ、当時の村山政権を真っ正面から批判している。明言しているわけではないが、高市氏自身が政治家として一番になること=総理になることを30代から目指しているのも伝わってくる内容なのだった。根回しから排除されてきたサッチャーが首相になれたように、パトリシア・シュローダーが80年代に大統領を目指したように、高市氏は政治家としてトップに行くことを最初から視野に入れていたのだ。 ……と、昔の高市氏の本を読んでいると、うっかり「がんばれ、早苗!」と言いたくなってしまう私がいるのだった。「総理になろうよ!!」と早苗の女友だちポジションに立って拍手したくもなってしまうのであった。まずい、まずい。正気に戻るために2011年に出版された『渡部昇一、「女子会」に挑む!』(WAC)も読んだ。櫻井よしこ氏、山谷えり子氏、高市早苗氏、小池百合子氏、丸川珠代氏・・・といった早々たる「わきまえ女」(帯には「なでしこ軍団」とある)たちと渡部昇一氏との対談本だ。 渡部氏との対談で、「総理になったら、まず何をしますか?」と聞かれた高市氏はこう答えている。「最初に、政府歴史見解の見直しをします。新たな歴史見解を発表して、村山談話を無効にします」 東日本大震災のあった年の9月に出版されている本だ。震災後から、こういう歴史修正主義を堂々とうたう本や、韓国ヘイト、「慰安婦」運動への過剰な攻撃は度を越していったという実感が私にある。保守政治家から極右政治家に舵を切るように発言をより過激化させていく高市氏の横顔が、対談にはしっかりと刻まれている。夫婦が別の姓を名乗ったら家族が崩壊すると適当なことを言い、戦時性暴力の責任を問わないどころかなかったことにすることが、高市さんの「目指した政治」だったのだろうか。この国の女性たちが権力に近づこうとするならば、率先して選択的夫婦別姓を批判し、「慰安婦」被害者をおとしめる発言をいとわず、女性の権利を口にするフェミを冷笑するというマニュアルでもあるのだろうか。 今いる自民党の女性議員の顔を、一人ひとり思い浮かべてみる。わきまえなければ権力に近づくこともできなかった女性たち。夜の会議や根回しから排除されながらも、その立場を維持するための努力は、二世・三世の男性議員たちとは全く違うものがあったはずだ。それでも、それほどの努力をしても、彼女たちが自らの後ろを振りかえったとき、彼女たちの後ろを歩きたいと思う女性はどのくらいいるだろうか。というかそもそも、その道は後続の女性のために開かれていたことはあったのだろうか。 かつて高市氏が憧れ渡米したパトリシア・シュローダーはテレビカメラの前で涙を流した。そのことによって20年以上「女の政治家は感情的だから、ダメだ」と言われ続け、「あなたの涙のせいで、女の地位が悪くなる」と責められ続けたという。女であるというだけでその「涙」が事件になるのは、昔のアメリカも今の日本も変わらない。そういう政治の世界でトップを目指す女性たちが、女性の味方であることを忘れるのは「仕方ない」ことなのだろうか。それとも、アンチフェミニズムの顔で女性をたたくような女性政治家しか出せない自民党政治そのものが終わっている、ということなのか。※訂正配信時の「32歳で衆議院議員に初当選、女性議員としては、当時憲政史上最年少だった」という一文を、「32歳で衆議院議員に若くして初当選」と訂正しました。高市氏の著書『高市早苗のぶっとび永田町日記』に「女性として憲政史上最年少当選」と記してありましたが、実際は1946年4月10に三木キヨ子氏が20代(当時)で当選していたため削除、修正します。■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    恩師が語る 小室圭くんは「モテていました。人を引きつける何かがあった」

     小室圭さん(29)は国立音楽大学附属小学校(音小、東京都国立市)の卒業生だ。小学校時代の恩師は、一連のバッシングに心を痛めていたという。約3年ぶりに帰国して、小室さんは何を語るのか。教え子を案じる恩師に、思いを聞いた。 ──小室圭さんはどんなお子さんでしたか。  圭くんのことは、よく覚えています。小さいころはおかっぱ頭でね、とても可愛かったですよ。悪い印象なんて一つもないです。担任の先生の指導もあり、礼儀正しくて職員室や校長室に入るときのあいさつもしっかりしていました。週刊誌やテレビなんかでいろいろ言われているようですが、私の記憶では、全くそんなイメージはありません。  優しい子でした。特に女子からは人気がありましたね。モテていました。何でしょうね、目立つわけではないんだけれど、今の言葉で言うと「持ってる」というのかな。圭くんには人を引きつける何かがありました。 ──婚約内定の発表時には。  お名前で「圭くんと同じ名前だ」と思い、テレビで顔を見てすぐ気が付きました。学校関係者で一番早く気が付いたんじゃないでしょうか。 ──ある報道では、小学校時代に小室さんからいじめ被害にあったという告発がありました。  音小は1クラスに男子が4~6人と少ないのですが、子ども同士のトラブルはそれなりにあったかもしれません。ただ、当時はいじめ的なものとしてはとらえていませんでした。時代もあるのかもしれませんけれども……。私たちに見えていない部分もあるでしょうし、深い内面まではわかりません。それを前提として言えば、私たちにとってはごく普通の子どもです。リーダーシップを発揮して皆を引っ張っていくというタイプでもありませんし、特別目立つということもありません。 ──小室さんが4年生のころ、父親が亡くなっています。  子どもながらに大変だったと思います。国立の家から横浜に引っ越すことになって、通い続けられるか、学費のこともありますし、お母さまを含めて心労も大きかったと思います。でも、最終的にはお母さまは「圭は音小が大好きだし、通い続けられるようにしたい」とおっしゃり、いろいろ尽力されたのだと思います。圭くんは卒業まで横浜から国立まで毎日通ってきていました。 ──小室さんの親御さんはどんな方でしたか。  子どもとは別人格ですから、そのことはコメントはしません。深いことはわかりません。お母さまが「外車を乗り回して服装も派手で……」なんていう報道があるようですが、音小には外車に乗る親御さんはいらっしゃいますし、特別視されるようなことはないです。インターナショナルスクールへの進学も、彼だけではありません。卒業生には何人かいます。 ──卒業後の交流は。  卒業後に一度かな、会いました。中学受験して国際的な学校に進学して、多国籍の人たちのなかで切磋琢磨しながら、大変な努力をしたのでしょう。幸せになってほしいと思います。 (本誌取材班)※週刊朝日  2021年10月1日号

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    20時間前

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    瀬戸内寂聴「情けなくてなりません」 “横尾忠則展”に行けず切ない気持ちに

     半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * 横尾忠則「趣味で生きて、趣味で描いて、趣味で死ぬ」  セトウチさん  この前本誌で嵐山光三郎さんの「コンセント抜いたか」で2回にわたって、目下開催中の東京都現代美術館の「横尾忠則原郷」展の実にユニークな批評を書いて下さいました。この展覧会は、冥土の見納め展になるでしょうね。5歳の時に描いた「宮本武蔵」の<巌流島の決闘>シーンを模写した作品から今日までの600点が展示されています。  会場を一巡して、自分の一生の足跡を眺めて、ああ、短かった、たった30分の人生だった。そして愕然としました。だって5歳の時に描いた絵を越える作品がその後の作品に一点もないんです。あの<巌流島の決闘>の絵が僕の頂点を極めた最高傑作だったということにハタと気付いたのです。  あの純粋、無垢、無心、無邪気、素朴はその後の僕の絵からはすっかり消えてしまっているのです。5歳を頂点にして、進歩、進化、向上、発展は止ってしまったんです。武蔵を頂点にころがるように坂を下って来ました。文明は進歩したかも知れませんが、人間は進歩などちっともしていません。「進歩しないのはお前だけだ!」という声が聞こえてきそうですが、進歩はないけれど、変化はします。老衰も進歩じゃなく変化ですからね。  5歳で巌流島を描いたあと、8歳で夢で見た龍の絵を出品していますが、今見て思うのはやっぱり5歳の巌流島の絵に負けています。たった3年の間に上手になっているのですが、その上手さからは5歳の時の絵の魅力は失われています。確かに技術的には上手くなっていますが、あの純粋、無垢、無心、無邪気、素朴の精神が消えかかっているのです。さらに中学二年生の時、この龍の絵を掛け軸に描きました。その絵は今回展示していませんが、もう大人びて、達者過ぎて、子供の魅力は失われています。  僕が自分の絵に求めているのは達者な絵を描くことではないのです。なのに自分が求めている路線からどんどん離れて、学校で認められるような絵になってしまっているのです。これを人間の成長というんですかね。僕は人間の成長はどこかで人間性の衰退のように思えてならないのです。人間が学問や知識をどんどん吸収して、社会的に成功することを目的とする生き方が正義のように考えられています。このようにして人間が人間として確立していくのが、生まれて来た目的だとすると、段々年を取って、欲がなくなっていくと、やっぱり、5歳の絵に帰りたくなるのです。  今僕が求めている世界はいわゆるヘタウマではなくウマヘタの世界を求めているのかも知れません。職業画家の限界から、趣味画家になろうとしているのかも知れません。趣味で生きて、趣味で描いて、趣味で死ぬ。これでいいんじゃないかと思います。趣味だから誰と競争することも評価されることも関係ないです。もっと早く趣味を哲学にしてしまえばよかった。まあ、今からでも遅くない。死んだ後の世界も趣味の世界にしてしまえばいいんです。死んでまだ競争したり、評価を求めるなんて見苦しいです。描きたくもないことを描く、これが趣味です。ほな、この辺で。  うんと長生きしてください。 瀬戸内寂聴「芸術家になれるのは、才能のある、なしです」  ヨコオさん  東京での「横尾忠則原郷」展が日と共に益々大成功の噂で持ち切りなのを、心からお祝い申し上げます。特に私の半生を通じて敬愛する嵐山光三郎氏のユニークな御批評を、ヨコオさんが喜んでおられたのを、この文中で拝見して「ワーイ!」と、躍り上がって喜びました。  益々嵐山さんが大好きになりました。私が死んだら棺をかついでほしい人たちのリーダーになってもらいたい人物です。え? ヨコオさんも棺をかついでやろうって? ハイ、お気持ちは有難うございますが、そこでまた、ヨコオさんがころんで脚を折られたりすると、一大事だから、有難くお断りいたします。  ヨコオさんは、嵐山さんの背後に座ったまま、すべての会の進行を見ているフリをして居眠りしてて下さい。だって、ヨコオさんは、もうずっと前から、あの世とこの世を毎日往来していらっしゃるのですものね。葬式であの世に住むなんか、退屈至極でしょう。  今度の展覧会は600点が展示されたそうで、さあ何と華やかだったことでしょう。  二度とはない大展覧会は、老衰の体で、行かれなかったことが情けなくてなりません。まあ、これから一年以上も生きたら、こんな切ない思いを何度もくりかえすことでしょう。  ヨコオさんは、この展覧会で、また改めて、あの五歳の時描かれた<巌流島の決闘>シーンの模写の絵を絶賛しておられます。会場一杯に並んだ600点の作品の中で、これが一番の傑作とヨコオさんはおっしゃっていられます。それなら、これ以後に描かれた作品は、なくてもいいクズばかりということですか? まさか! この大規模な作品は案図の外で傑作の名を輝かせてゆくのです。芸術作品の生命は、作者の案図を無視して、それ自体によって輝きつづけたり、途中でがっくり消えてたりしますね。  一目見て、よしわるしを決める芸術作品に比べ、作品を一字一字読んでもらわなければ、作品の評価が決められない小説や詩は、評価がむつかしいですね。  ヨコオさんは、わずか四百字原稿用紙三枚半の中で、芸術家が生きているうちに、誰かと競争したり、評価を求めたがるのはみっともないと、繰り返されています。しかし芸術を志す者にとって、評価の高い自分以外の作品にあって、自分の中に眠っていた芸術のネタをゆり起こされることもあるでしょう? あこがれや競争心が全くなくては、とても長い「認められない歳月」なんかに耐えられないでしょう。 「死んだ後の世界も趣味の世界にしてしまえばいい」と、おっしゃいますが、描きたくもないものを描く、それが趣味だとおっしゃっても、人間食べてゆかねばなりません。ヨコオさんの言に従うなら、「芸術家になると食べられない、覚悟せよ」と、先ず、芸術志願者に云って聞かせるのが、先輩のつとめかと思いませんか?  芸術家になれるのは、その人にただ才能のある、なしです。その分量まで考えたら、とても芸術の道などに進めません。それを怖がらず、恐ろしい道を選んだのが大ゲイジュツ家のヨコオさんであり、小ゲイジュツ家になってしまった百歳の寂聴です。  二人の共通点は「ヘンなジイさん、ヘンなバアさん」ということです。ハイ。※週刊朝日  2021年10月1日号

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    13時間前

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    天皇家の引っ越し 三種の神器「勾玉」を28年前に運んだ元侍従が明かす秘話「天皇は日本文化の継承者」

     9月20日、15日間に渡った天皇ご一家の引っ越しが終わった。  天皇陛下と皇后雅子さまは、赤坂御所を離れるにあたり、こう感想を寄せた。 「歴代の天皇がお務めを果たされる上での礎となってきた皇居に移ることに身の引き締まる思いが致します」  おふたりが、「身の引き締まる思い」と表現した通り、 「天皇家の引っ越しは、それは厳かな空気に包まれたなかで行われます」  そう話すのは、かつて侍従として天皇家の引っ越しを経験した多賀敏行元チュニジア大使である。  天皇家の引っ越しが特別なのは、皇位のしるしとされる三種の神器の存在だ。  神器のうちの草薙剣(くさなぎのつるぎ)と八尺瓊(やさかにの)勾玉(まがたま)が天皇とともに新御所に運ばれ、「剣璽(けんじ)の間」に納められるからだ。  9月6日、天皇ご一家は、両陛下が結婚の翌年から25年間を過ごした赤坂御所を出発し、皇居に入った。  陛下のうしろに二人の侍従が続き、皇后雅子さま、長女で内親王の愛子さまの順で新御所に入った。  二人の侍従の手にあるのは、「皇位のしるし」とされる剣と璽(じ=まが玉)だ。引っ越しに伴い、新御所の「剣璽の間」に納められるのだ。 「28年前の光景がありありと思い出されます」  元侍従の多賀さんは、懐かしそうにテレビの映像に写った引っ越しの光景を眺めた。  平成の天皇ご一家が、赤坂御所から新御所に移ったのは、1993年12月8日のことだ。  この日、多賀さんは侍従として勾玉<まがたま>を運ぶという重要な役目を担っていた。  三種の神器のうち、八咫鏡(やたのかがみ)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)の本体は、それぞれ伊勢神宮と熱田神宮が「天皇よりお預かり」する形で祀られている。  皇居・賢所にある鏡と御所にある剣は「形代(かたしろ)」と呼ばれる分身だ。  剣と勾玉は合わせて剣璽(けんじ)と呼ばれ、御所の「剣璽の間」に納められる。 「天皇陛下のすぐあとに続いたのは、陛下のハゼの研究に深く関わった古参侍従の目黒勝介さんでした。目黒侍従が剣を運び、勾玉(璽)を運ぶ私が続きました」(多賀さん)    平成も令和も共通するのは、天皇に続くのが皇后ではなく剣と勾玉を運ぶ侍従である点だ。 「通常ならば、天皇陛下に続くのは皇后さまですが、順番を譲られて剣璽のあとにおられた。剣と勾玉が皇位継承のしるしであるためでしょう」  剣璽が運ばれるときは、黒い箱に納められる。 三種の神器は、天皇自身も直に目にすることが出来ないとされており、もちろん侍従が箱を開け中を見ることもない。 「勾玉を運ぶ役目を、当時の山本悟侍従長より言いつかったのは数日前でした。両陛下と宮内庁は、外務省から侍従職に出向して間もない私に任せてくださった。その寛容さにただただ驚き、同時に間違いがあってはいけないと自分に言い聞かせました」  もっとも忠実な側近のひとりと言われた目黒侍従が背中を押してくれたこともあり、多賀さんは大役に臨んだ。  あまり知られていないが、天皇家の引っ越しならではの習慣もあった。   のちに侍従次長となる八木貞二侍従が、多賀さんにこう話しかけた。 「新御所へのお引越しの際は、お祝いの気持ちを謳う和歌をつくり、陛下に献上するのが習わしですよ」  和歌を詠んだこともない。ましてや陛下に献上した経験もない。  四苦八苦しながらなんとか一首を詠んだ。そして慣れない手つきで筆を持ち、半紙につづった。  天皇陛下にお供して、勾玉を捧げつつ、新しい御所の玉砂利を踏みしめて進む。新御所での陛下とご家族のご多幸をお祈りせずにはいられないーー。  陛下に献上したのは、そんな内容の和歌であったという。 「天皇家の日常は、和歌とともにありました。天皇が1月に催す『歌会始の儀』は、よく知られていますし、私がお仕えしていた頃は、毎月催された月次歌会(つきなみのうたかい)もありました」  かつて昭和天皇と平成の天皇の和歌の御用掛を務めた岡野弘彦さんは、こんな話を記者にしたことがある。  和歌といえば10万首を残したた明治天皇が有名だ。昭和天皇もまた、1万首の和歌を残したとされ、和歌のお好きな方だった。    お出かけ先で、安珍清姫伝説の伝わる日高川(和歌山県)をご覧になると、「日高川という題で和歌を作ってみたらどうだい」  と、そばの者におっしゃる。昭和天皇の時代は、そういう雰囲気があったという。  「いまも地方に天皇が行かれると、その土地の川や山の名前を詠み込んで、和歌をお作りになる。  それは、その土地で暮らす人々の生活への祝福の意味を持ちます」(岡野さん)  さかのぼること平安の時代。醍醐天皇が命じて編纂されたのが、日本最初の勅撰和歌集となった『古今和歌集』だ。歴代天皇や上皇、法皇が命じて編纂された勅撰和歌集は21集にも及ぶ。 「天皇陛下は日本文化の伝統を引き継いでおられる存在なのだと、あらためて実感したものでした」  平成の天皇ご一家が新御所へ引っ越した際や上皇ご夫妻の仙洞仮御所への引っ越しでは、作業をする間、ご本人方は御用邸などに滞在してきた。 コロナ禍がおさまらない今回の引っ越しでは、県をまたいだ行動を控えるために、天皇ご一家は宮殿に滞在した。 「もともと御用邸、というのは作業を職員に任せて、ご一家がのんびり休暇をお過ごしになるという話ではないのです。ご本人方が引っ越し先におられると、職員の作業がはかどらないという問題が生じます。そのために、いわば、職員の働きやすさへの配慮から、御用邸などに滞在していただいていたわけです。今回、天皇ご一家が御用邸に代わって滞在なさった宮殿は、生活する場所ではありませんのでさぞかしご不便もあったと思います」  天皇ご一家が新御所に移り、いよいよ本格始動する。令和の皇室は、どのような顔を見せてゆくのだろうか。 (AERAdot.編集部 永井貴子)  たが・としゆき 1950年生まれ。大阪学院大学外国語学部教授、中京大学客員教授。外務省に入省後、国連日本政府代表部の一等書記官などを経て93年から天皇陛下の侍従を務める。駐チュニジア大使、駐ラトビア大使を務め、2015年に退官。

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    18時間前

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    『鬼滅の刃』人を喰わない鬼・竈門禰豆子がもたらした「矛盾」と「変化」

    『鬼滅の刃』に登場する「鬼」たちは、人間を食料とすることで、その生命を保ち続ける。しかし、主人公の妹・禰豆子は、強烈な飢餓感にさいなまれつつも、鬼化してから、ただの1度も人間を食べていない。禰豆子は「人を喰わない鬼」として、鬼狩り集団「鬼殺隊」と行動をともにするようになるが、禰豆子の存在は、鬼を憎む人たちに、新しい感情を生み出した。禰豆子が「殺されない鬼」となったことは、罪と罰、救済と制裁など、現代にも通底するテーマを内包している。【※ネタバレ注意】以下の内容には、既刊のコミックスのネタバレが含まれます。 *  *  *■鬼に変貌させられた禰豆子  ある日、人里離れた山中に暮らす竈門(かまど)一家が、鬼に襲われる事件が起きる。主人公・炭治郎(たんじろう)の妹・禰豆子(ねずこ)は、「鬼」に変えられてしまった。この現場に居合わせた、鬼狩り集団「鬼殺隊」の剣士・冨岡義勇(とみおか・ぎゆう)は、禰豆子に日輪刀を振るう。炭治郎は妹の命を救ってほしいと頼むが、義勇は厳しく答えた。 <治らない 鬼になったら人間に戻ることはない>(冨岡義勇/1巻・第1話「残酷」)  凶暴になった鬼が自分の愛した人を襲撃する悲劇は、過去にたくさん起きていた。――鬼化した人物は、すぐに殺さねばならない。これは、鬼を知る人たちの共通認識だった。 ■新しい鬼・禰豆子  禰豆子は「特別な鬼」だった。他の鬼のように、「鬼の始祖」鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)に精神を支配されなかった。そして、人間を喰うことでしか満たされないはずのエネルギーが、長時間の「睡眠状態」によって補完されるという“突然変異”の鬼だったのだ。実は、禰豆子以外にも人を喰わない鬼は3体いるが、彼らは人の血を少量摂取する必要があった。 人間の血も肉も必要としない禰豆子は、まさに「新しい鬼」だ。この後、禰豆子は、鬼の弱点を克服するようになり、無惨は完全体へと近づくために、「禰豆子奪取」をもくろむようになる。つまり、人間側にとって、禰豆子は無惨に奪われてはならない「弱点」でもあるのだ。人を襲う危険もあり、鬼化した禰豆子は依然として「殺されるべき存在」であった。 ■禰豆子を最初に保護した人たち  竈門兄妹の姿を見て、最初に水柱・冨岡義勇が、彼らの庇護者になる。つづいて元水柱・鱗滝が、禰豆子の保護にあたった。鬼化以降、言葉を失い、赤子のように無垢になった禰豆子と、妹のために命をかける炭治郎を見て、鱗滝は、彼らをただのか弱い子どものように抱きしめた。<よく生きて戻った>(鱗滝左近次/2巻・第9話「おかえり」)  鱗滝・義勇はともに、鬼殺隊の中で大きな貢献を果たしており、この実力者2人が竈門兄妹の擁護に名乗りをあげたことは、彼らの運命を好転させた。  さらにその後、竈門兄弟は無惨と敵対する「医師の鬼」珠世(たまよ)と愈史郎(ゆしろう)から信頼を得て、協力し合うようになる。 「鬼が敵(かたき)でありながら、鬼の肉体を持つ者」、この禰豆子が抱える矛盾が、「人間と鬼」を新しいかたちでつないでいく。 ■禰豆子を「殺せない」鬼殺隊隊士たち  次に、禰豆子を救ったのは、炭治郎の同期・我妻善逸(あがつま・ぜんいつ)だった。善逸は禰豆子の入った「箱」の中身を見ぬままに、身をていして、その「箱」をかばう。善逸が「箱」を守った最初の動機は、炭治郎への信頼からでしかなかった。しかし、その後、「箱」から出てきた禰豆子を、鬼として扱うことはなく、ひとりの人間として接した。そして、禰豆子に恋をした。 同じく、炭治郎の同期・嘴平伊之助(はしびら・いのすけ)も、交流の中で、禰豆子を可愛がるようになる。  禰豆子を知るほどに、彼女を「殺せない」鬼殺隊の隊士たちが増えていった。 ■「鬼を憎む」胡蝶しのぶに起こった変化  大切な両親と姉を鬼に惨殺された蟲柱・胡蝶(こちょう)しのぶは、鬼への怒りを抑えることができない。時に残酷な方法で、鬼を滅殺しようとする。 <人の命を奪っておいて何の罰もないなら 殺された人が報われません>(5巻・第41話「胡蝶しのぶ」)  しかし、炭治郎が妹を守る様子や、兄のために傷ついた禰豆子の様子を知るうちに、鬼を葬ることに対して、自分の葛藤に思いをはせるようになる。禰豆子の入った箱を、「鬼殺隊柱合裁判」の場に無断で持ち込んだ、風柱・不死川実弥(しなずがわ・さねみ)をけん制し、その後、自分の屋敷に竈門兄妹を連れ帰り、保護を申し出るなどの変化が起きた。  鬼のことは許せない。しかし、自分の部屋に金魚をのぞきにきた、幼い子どものような禰豆子を見かけると、しのぶは思わず「見ますか?…金魚」と優しく語りかけてしまう。その悲しいほほ笑みは、禰豆子の心の中にずっと残った。  鬼殺隊の隊士たちは、決して鬼を殺したいわけではない。人間を捕食しようとする化け物との、ギリギリの命のやりとりに、殺さざるをえないのだ。鬼殺隊もまた生き地獄の中を戦い続けている。 ■「鬼殺隊の一員」として認められた禰豆子  炭治郎と行動をともにする中で、弱い人間を守ろうと傷つく禰豆子の姿は、多くの隊士の心を動かす。柱合会議では、鬼化した禰豆子を連れていた炭治郎を「鬼もろとも斬首する!」と主張していた炎柱・煉獄杏寿郎もその一人だ。 <竈門少年 俺は君の妹を信じる 鬼殺隊の一員として認める 汽車の中であの少女が血を流しながら人間を守るのを見た 命をかけて鬼と戦い 人を守る者は 誰が何と言おうと 鬼殺隊の一員だ>(煉獄杏寿郎/8巻・第66話「黎明に散る」)  その後も、日光にその身を焼かれた時も、皮膚が焼きただれる苦痛の中で、兄に他者を助けるようにと禰豆子は笑った。  鬼である自分とあらがい、人を救おうとする禰豆子の姿は、鬼と戦う人たちの心に、さまざまな思いをもたらした。鬼は人間だった。すべての鬼は本当に「殺されるべき存在」なのか。しかし、それでもやはり倒さねばならない鬼がいる。 ■「助けられる鬼」はいなかったのか  アニメ1期、劇場版と、物語が進むうちに、鬼にならざるをえなかった「かわいそうな鬼」の事情が次々と明らかになっていく。アニメ2期の遊郭編では、貧しい環境から遊郭で生きることを運命づけられた鬼が登場する。   兄に守られ、強い「柱」たちに保護された禰豆子と、誰にも助けられることのなかった鬼との対比は、読者や見ている者たちに「彼らを助ける道はなかったのか」と模索させる。 鬼になった親を、鬼になったきょうだいを、鬼になった仲間を、斬らざるを得なかった鬼殺隊隊士たち。斬り捨ててきた者の命を彼らは背負い続ける。しかし、斬り捨てた鬼たちにも、炭次郎のような存在がいれば、「殺さなくてもいい鬼」になり得たのではないか。その「差」はいったいどこにあるのか。物語のなかに、「答え」が描かれているわけではない。罪、罰、苦境、改心…。神仏などの救済者がいない『鬼滅の刃』の世界で、苦しむ鬼を助けた者はいったい誰なのか。 「私は竈門禰豆子 鬼に家族を殺された」   記憶を取り戻す中で、禰豆子にはたくさんの思い出が押し寄せる。自分に向けられた多くの人の笑顔と優しさ、そして自分を殺すか否かのためらい、鬼に対する激しい怒りも。 『鬼滅の刃』の鬼をめぐる矛盾は、禰豆子の目と記憶を通して、われわれに大切なものを語りかける。 ◎植朗子(うえ・あきこ)1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。

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    サカナ界の三つ子「ブリ」「カンパチ」「ヒラマサ」の見分け方にコツあり。さて、 海獣界の三つ子は「アシカ」「アザラシ」と、もうひとつは?

     筆者の息子の幼なじみに一卵性の三つ子ちゃんがいます。今ではもうアラサーなので、三つ子ちゃんという呼び方が適切かどうかはわかりませんが。一卵性の三つ子というのは非常に珍しいとのことで、子供の頃にはテレビCMにも出ていました。顔を見たら覚えている方もいらっしゃるかもしれませんね。  顔はもちろん背格好からしぐさまでそっくりで、筆者も比較的よく会っていましたが、まったく見分けがつきませんでした。それどころか、彼らの父親と話した時も「いやぁ~、正直私にもよく見分けがつかないんですよ」と苦笑いされていました。  彼らはそれをいいことに、いたずらをして父親から「こら!○○!」と怒られた際に、「違うで~、俺は△△やで~」とうそを言ってごまかすこともあったとのことです。さすがに母親には通用しないとのことでしたが…。  そこまでそっくりな三つ子ちゃんですが、幼いころからしょっちゅう一緒に遊んでいる息子には見分けがつくとのことです。どうやって見分けるのか聞くと、「具体的に説明するのは難しいけど、ぱっとみた雰囲気かな」とのことでした。 「○○は、ちょっとおっとりした感じで、△△はやんちゃな感じ、□□はしっかりした感じかな」と、極めてあいまいな基準ながら、ほぼ間違うことはないとのことでした。  余談が長くなってしまいましたが、魚界にも、三つ子ちゃんのように実際は違う魚なのに、見た目がそっくりで簡単には見分けがつかない魚たちが結構います。  その中でも有名なのが、「ブリ」と「ヒラマサ」と「カンパチ」ではないでしょうか。  この3種の魚は、いずれも大型のアジの仲間で、寿司ネタとしても、釣りのターゲットとしても人気があります。天然の「ブリ」の旬が秋から冬であるのに対し、「カンパチ」と「ヒラマサ」の旬は夏から秋になっています。  一般的な見分け方としては、「カンパチ」は他の2種に比べて体高が高くなっている他、目の上に黒い縞模様があります。そして「ブリ」と「ヒラマサ」については、口の角の形やヒレの長さや体側の黄色い線の鮮明さなどで見分けられるとのことです。  ちなみに筆者は、パッと見た瞬間に、体が赤っぽかったら「カンパチ」、丸みを帯びていたら「ブリ」、しゅっとしていたら「ヒラマサ」と感覚的に判断していますが、間違えることはほとんどありません。息子が三つ子ちゃんを見分ける時の感覚と似ていますね。  肝心の味ですが、いずれも適度な歯ごたえと脂乗りが特徴で、くら寿司でも人気のネタです。最も脂乗りが最もいいのが「ブリ」で、「ヒラマサ」は、すっきりとした脂乗りとより歯ごたえを楽しめるネタです。「カンパチ」は、その中間で、脂乗りと歯ごたえの両方を堪能できるといった感じでしょうか。  最近では3種類とも養殖が行われていますが、天然物の値段でいえば、ヒラマサ>カンパチ>ブリの順になっています。  この3種は、近縁種ということから、ブリを母親に、ヒラマサを父親にもつ「ブリヒラ」や、同じくカンパチを母親にして、ヒラマサを父親にした「カンヒラ」などの交配種も養殖されています。交配することによって、それぞれの味の「いいとこどり」をしたり、養殖効率がよかったりするなどのメリットがあるそうです。  また余談になりますが、3年ほど前に羽田空港に向かうモノレールの中で、向かいに座った女子高校生たちが、 「今日、水族館で何を見るんだっけ?」 「アシカじゃなかった?」 「そっか~」 「そういえば、アザラシって、アシカの子供なのかな?」 「確かによく似てるよね。そうだと思うよ~」 「へぇ~そんなんだ。勉強になったわ」  といった会話をしていました。  彼女たちはその後、ちゃんとした正解を聞くことができたのでしょうか…。  確かに、「アザラシ」と「アシカ」もよく似ていますよね。さらにもうひとつ「オットセイ」も含めて、海獣界の三つ子ちゃんと呼べるレベルですよね。これらの見分け方については、その道に詳しい方にお願いできればと思います。  くら寿司でも、時期によって種類は変わりますが、ハマチやブリ、カンパチ、ヒラマサのお寿司を販売しています。食べただけでこの3つの魚種を当てることができたら、寿司マスターレベルだと思います。ぜひチャレンジしてみてください。 ○岡本浩之おかもと・ひろゆき/1962年岡山県倉敷市生まれ。大阪大学文学部卒業後、電機メーカー、食品メーカーの広報部長などを経て、2018年12月から「くら寿司株式会社」広報担当、2021年1月から取締役 広報宣伝IR本部 本部長。

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    ダウンシフターと「稼がない自由」 収入を減らしても健やかに暮らす

     人生の大半を、住宅と車と教育ローンの返済に追いかけられるような都市型生活──。コロナ禍でその価値観が揺らいでいる人も多いはずだ。ダウンシフターとの出会いをきっかけに、千葉県の「チョイ田舎」で暮らす人々がいる。AERA 2021年9月27日号の記事を紹介する。 *  *  *  見渡す満天の星は爽快だった。ソーラーパネルと並んで設置されたドラム缶風呂の燃料は、室内に設置されたストーブと同じ薪(まき)だ。  ドラム缶の排気口には網が置かれ、缶ビールを片手にシシャモや野菜を焼き、約1時間かけて風呂を沸かした。  千葉県匝瑳(そうさ)市に約3年前に移住した高坂勝(こうさか まさる)さん(51)宅は、太平洋に近く、真夏でも朝夕に涼しい潮風が吹きつけるので、冷房設備さえない。 「2台のソーラーパネルを小型ラジカセ大の蓄電池(約4万円)につなぎ、スマホやパソコンを充電します。スマートスピーカーと風呂の給湯、急な停電に備えて、台所とリビングに張りめぐらせたLEDライトも、電力を自給できています」(高坂さん)  昭和初期のドラム缶風呂と、電気を蓄電池にためて持ち運ぶ近未来が混在する暮らし。共通点は「持続可能な低エネルギー生活」の先がけだ。  しかも高坂さんは月収15万円で、数万円を貯金する生活を送っている。  主な収入源は、匝瑳市内の田んぼで都市生活者に無農薬米の栽培体験を提供するNPO法人(SOSA Project)の理事と、自分の生活を軸としたスローライフ論を教える大学の非常勤講師、自宅を利用した民泊などだ。 「食料は市内で借りている田んぼで無農薬米と大豆を、自宅庭の畑で約30種類のオーガニック野菜を育てています。野菜は知り合いの農家さんからタダでいただくことも多いですね」(高坂さん)  味噌や醤油、梅干しも自家製。オーガニックの調味料、食パンや豆腐などを時々買う程度で、食費は月約2万円。  高坂さんが暮らす匝瑳市は、千葉から電車で約70分、新宿から約2時間半の「チョイ田舎」。人口は約3.5万人で、人口過密な大都市と、限界集落のような過疎地との中間だ。  この7月末で、高坂さんのNPOでの農体験を経て同市に移住した人は、単身者と家族世帯で40人を超える。 「お米の自給を前提に、空き家利用で家賃の目安が5千円から2万円。食費2万円で合計4万円です。単身者で10万円、家族で15万円を、こちらで稼げれば暮らしていけます」(高坂さん) ■週休3日を選択、「稼がない自由」を体現  彼が2010年に出版した『減速して生きる ダウンシフターズ』は、米国発の「ダウンシフター(減速生活者)」という暮らし方を、日本に広めた一冊だ。原典は米国人経済学者ジュリエット・B・ショアの著書『浪費するアメリカ人』(00年刊)。1990年代後半の米国で大都市から地方へ移住し、消費主義から抜け出して減収前提に生活を見直し、自分に快適で、意義のある暮らし方を実現した人たちのことだ。  高坂さんは大手百貨店を30歳で退職、都内でオーガニック居酒屋を開業。週休1日から始めたが、「昼寝と無農薬米づくりを楽しむため」、最終的に週休3日にし、「稼がない自由」を体現した。百貨店時代は年収600万円だったが居酒屋時代は350万円、移住後は180万円とダウンシフトしながら、貯金できる生活を確立した。 「今は個人と社会の幸せをテーマに暮らしています。個人としては、何事もすぐにお金で解決せず、時間をかけてでも自分でできるようになること。今は屋根の修繕を自力で続けています。自分ができる手仕事を増やすことが本当のクリエイティブだと思います」  社会の幸せとは、持続可能な生活を広めていくことと地域社会への参画。 「古民家を仲間と改修して、『農』体験付きの民宿を始めたり、地域の活性化にも関わったりしています」(高坂さん)  高坂さんとの出会いをきっかけに、ダウンシフト生活を始める人も増えた。  脱サラ移住した漫画編集者の熊谷(くまがえ)順平さん(40)の、昨年からの変身ぶりはどこか落語っぽい。元コスプレイヤーで、妻の友美(ゆみ)さん(42)から「引退してしばらく休みたいから養って」と言われ、知人を頼って漫画編集の仕事を探した。講談社「イブニング」の編集長から「君の話が面白いから、漫画にしてみたら?」と言われ、去年から実体験マンガ「漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件」の連載を開始。単行本2巻が発売中だ。  実は、黒衣である編集者から原作者への転身は、編集長に会う当日まで、彼の頭には一切なかった。振り返ると、友美さんの「養って」のおかげだ。  脱サラの発端は14年、夫婦で出かけたイベントで、高坂さんの生活を聞きカルチャーショックを受けたこと。関わっていた漫画雑誌が休刊になり気力が失せ、退職を考え始めた頃だった。 「それまでは会社を辞めることも、東京を離れることも考えたことがない超安定志向でした。『食料はお金を出して買うもので、高い家賃を払い続けるには稼がないといけない。だから会社は辞められない』という考えを、疑ったことがなかったんです」(熊谷さん) ■味噌づくりや野菜づくりは食べるところまでエンタメ  だが、高坂さんの話を聞いて、目からうろこが落ちた。 「自分で米や野菜を作れば、『会社を辞められない』世界から抜け出せるぞ、と直感しました。その後、匝瑳市にある4LDKの知人宅に家賃1万円で間借りできると聞いて、心が動いたんです。当時は渋谷区の広めの1Kで家賃約12万円のアパートに、彼女(友美さん)と住んでいましたから。でも、移住したら虫の多さや湿気のスゴさに、約2カ月半で挫折したんですけどね……」(熊谷さん)  しかし、東京に戻ろうとは考えなかった。米や味噌を自給する生活が楽しかったし、貯金もなかった。無農薬米や有機野菜の栽培を続けられる、千葉県内の別の場所へ移り住んだ。  現在暮らす60平方メートル弱の2LDKは、駐車場付きで家賃は7万円台。渋谷と比べ家賃は約5万円減り、広さは約2倍になった。今は匝瑳市とは別の場所にある有機農園で、無農薬米の栽培を再開する一方、その農園主が育てた野菜が月5千円で取り放題というサービスを利用中。同農園内で、約20種類の有機野菜を育ててもいる。  友美さんは一見面倒臭そうな味噌や野菜づくりは「実はエンタメ」と話す。 「味噌づくりは、友人たちとわいわい仕込むのが楽しいんです。米や野菜は種や苗から育てて収穫して、どう料理しようかと考えて、2人でおいしいねと食べるところまでエンタメ。自分たちの命につながる楽しいイベントです」  熊谷さんの仕事観も大きく変わった。現在の自宅に転居後、オーガニックカフェでアルバイトしていた頃の話だ。 「店舗もお洒落で、店長も素敵な方でしたが、自分の時間を切り売りして、その対価としてお金をもらう働き方はもう無理だと実感しました。好きな農作業か、新しい漫画の企画でも考えているほうが、絶対に楽しいですから」  会社員時代の年収は400万円強だったが、脱サラ後200万円台に減り、現在は漫画の連載開始で400万円台ペースに再上昇した。(ライター・荒川龍)※AERA 2021年9月27日号より抜粋

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    13時間前

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    野茂英雄、松井秀喜らの活躍の裏に…日本人選手とメジャーリーガーの“絆と友情”

     決して“大物”とはいえない1人のメジャーリーガーの解雇が、ある種の衝撃をもって伝えられたのは、今月に入って間もない頃のことだった。  その選手の名はホセ・イグレシアス。タイガース時代の2015年にはオールスターに出場し、今季はエンゼルスの正遊撃手としてたびたびアクロバティックなプレーを披露していたとはいえ、10年目を迎えるメジャー歴でタイトルとは無縁の内野手である。そんな選手の去就が大きな話題となったのは、彼が大谷翔平の良き“相棒”だったからにほかならない。  昨オフのトレードでエンゼルス入りしたイグレシアスは今シーズン、大谷がホームランを打つたびにベンチの前で出迎え、派手に祝福するのが常だった。だからその光景が見られなくなることに、寂しさを感じるファンは少なくなかったのである。  イグレシアスはエンゼルスを解雇されたのち、レッドソックスと契約。最近ではメジャーリーグの公式インスタグラムが投稿した大谷の写真に「いいね!」を付けたことで、また話題となった。2人の変わらぬ絆に多くのファンがほっこりしたはずだ。  もっとも、こうした日本人メジャーリーガーとチームメイトの絆や友情は、大谷とイグレシアスに限った話ではない。おそらく初めてクローズアップされたのは、1995年にドジャース入りし、現代の日本人メジャーリーガーのパイオニア的存在となった野茂英雄と“女房役”のマイク・ピアッツァのものだろう。 「今までもことあるごとに話してきましたけど、(ピアッツァは)本当に素晴らしい選手なんです。野球選手としても人間としても尊敬できる。(中略)キャッチャーとしての才能も申し分ない。僕がこれで行きたいと思うボールを、ここ一番の場面では必ず要求してくれる。ふたりの呼吸が乱れることは、まずない。ホント、彼にはどれだけ助けられているか、言葉では言い表せないくらいです」  メジャー1年目に発売された著書『野茂英雄 僕のトルネード戦記』で、ピアッツァへの感謝を野茂はそんなふうに言葉にしている。初めてバッテリーを組む日本人投手のため、ピアッツァはカタコトながらも日本語を覚え、しばしば「調子いいですか?」、「今日はどうですか?」などと話しかけてきたという。  1998年5月にはピアッツァがマーリンズへトレードされ、2人は一度は袂を分かった。ところがマーリンズ移籍から1週間あまりでピアッツァがメッツにトレードされると、その2週間ほど後に野茂もトレードでメッツ入り。この年、野茂が新天地で挙げた4勝は、すべてピアッツァとのバッテリー再結成によるものだった。  野手でいえば、巨人からFAでヤンキースに入団した松井秀喜と、チームの象徴的存在であったデレク・ジーターの絆が印象に残る。ジーターは同い年ながらも自分より誕生日が2週間早い松井を日本語で「年寄り」などとイジりつつ、その献身的なプレースタイルに敬意を抱いていた。松井もまた、ジーターの類いまれなリーダーシップに絶大な信頼を置いていた。  当時のヤンキースは1990年代後半から続く黄金期にあり、松井が在籍した7年間でもポストシーズンに6回進出。2009年のワールドシリーズでは、キャプテンのジーターがリードオフマンとして打率.407をマークすれば、松井は打率.615、3本塁打でシリーズMVPに輝くなど、チームを9年ぶりの“世界一”に導いている。  その2009年を最後に松井がヤンキースを去っても、2人の絆が消えることなかった。ジーターは引退翌年の2015年、松井の故郷・石川県を訪問。自らが設立したスポーツメディア『ザ・プレーヤーズ・トリビューン』に寄稿した記事に「彼(松井)と一緒に“ありきたり”な時間を過ごしました。でもそこに、大きな意味があったのです」と記している。松井も同メディアで、ジーターの訪問について「私にとっても生涯忘れられない彼との貴重な思い出となったのです」と語っている。  広島からFAでドジャース入りした黒田博樹と、メジャーを代表するサウスポーとなったクレイトン・カーショウの友情も、よく知られている。黒田が海を渡った2008年、13歳下のカーショウもメジャーデビュー。共に“ルーキー”の2人はキャッチボールのパートナーとなり、ピッチングについてたびたび話し合うようになっただけでなく、プライベートで食事を共にし、プレゼントも贈り合う仲になっていった。  黒田は2011年オフにFAとなり、翌年はヤンキースに移籍。彼の著書『決めて断つ』によれば、2011年シーズン終盤のミーティングで「ドジャースに残ってほしい」と訴えるカーショウの言葉に、感極まって涙したこともあったという。  2015年に広島に復帰した黒田は、翌2016年に日米通算200勝を達成し、チームの25年ぶりセ・リーグ制覇に貢献したのを置き土産に、現役を引退する。2017年5月には、ドジャースタジアムを訪れてカーショウに引退を報告。2人はそこで“最後”のキャッチボールを行っている。  では、元祖・日本人メジャーリーガーの場合はどうだったのか? 野茂よりも30年以上早く、1964年にジャイアンツで日本人としては初めてメジャーの舞台に立った“マッシー”こと村上雅則。彼は、メジャーリーグの歴史でも屈指のパーフェクトプレーヤーと称される13歳上の黒人選手、ウイリー・メイズにことのほか可愛がられた。 「メイズは誕生日が私と一緒なんですよ(5月6日)。それにその頃(メジャー1年目)、私はまだ20歳でしょ? だから可愛がってくれたんじゃないかな」  メジャー2年目の1965年にはメイズのホームパーティーに招かれ、そこでカフスボタンをプレゼントされて、いたく感激したこともあったという。村上はもともと“野球留学”の形で南海(現在のソフトバンク)から派遣されており、1966年には南海に復帰。メイズは通算660本塁打の記録を残して引退し、1979年には殿堂入りするのだが、その後も2人の親交は続いている。 「ウイリーが80歳になった時には、誕生日プレゼントとして日本から湯呑を持って行ったこともあります。その後、何年かしてまた家に遊びに行ったら、バーカウンターのところにその湯呑を飾ってくれてましてね。『マッシーの湯呑み、ここにあるぞ』って」  2年前に渡米した際にもワインを持参して自宅を訪問したというが、メイズは今年で90歳。村上もコロナ禍のここ2年は渡米できずにいる。それでも──。 「ウイリーは今もサンフランシスコに住んでいるんですよ。来年はロサンゼルスでオールスターがあるので、もし渡米できるならまた会いに行きたいですね」  日本人メジャーリーガーの元祖とメジャーリーグの生きる伝説。世代も人種も超え、50年以上に及ぶ2人の友情は、 生涯続きそうである。(文中敬称略) (文・菊田康彦) ●プロフィール菊田康彦1966年生まれ。静岡県出身。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身。2004~08年『スカパーMLBライブ』、16~17年『スポナビライブMLB』出演。プロ野球は10年からヤクルトの取材を続けている。

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    眞子さまの結婚どう思う? 瀬戸内寂聴が27歳スタッフに質問した結果

     半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。*  *  *■横尾忠則「スジ金入りの肉体的朦朧体、大観より本格派です」 セトウチさん 耳が聴こえなくなったと言うと、「きっと作品が変るわよ」と、ベートーベンじゃあるまいし、変なことおっしゃると、その時はそう思いましたが、本当に変ったんです。その変り方が理に適(かな)っているといえば適っている。つまり聴こえないことは、音の輪郭が失くなることです。そうなると音が朦朧(もうろう)となって、横山大観の朦朧体の絵のように音がボケて聴こえるんです。耳がボケると、日常生活もボケて、曖昧模糊(あいまいもこ)となって、したことと、してないことの区別もわからなくなるんです。つまり虚実の区別ができなくなって、夢で見た仕事の依頼を、本当に依頼されたと思って、やっちゃったりするんです。ボケの症状に似てるけれど、ボケ老人になったんではなく耳のせいだと理解しているので、そこはまだ理性がコントロールしています。 ハイ、絵の話だったです。大観は思想で朦朧体を描きましたが、僕はスジ金入りの肉体的朦朧体なので、思想のようなチョロコイ考えではなく、肉体的ハンデキャップによる堂々たる自然体派です。大観よりこっちの方が本格派です。そんなわけでセトウチさんの大予言は的中しました。 先っきも言いましたが境界線が失くなるということは自由のキャパシティも拡張したことになります。近代人は何でもかんでも境界線を引いて、全てを分業化します。縄文時代はひとりの人間が、多面的に物事をこなしていました。狩猟(しゅりょう)も農業も、漁業も工芸も、子育ても、教育もひとりでするという、境界線をはずした労働生活です。現代のような役割分担などしません。正に多義的です。越境した狩猟社会です。 難聴が与えてくれた神の恩寵です。だから病気の高徳です。僕が度重なる病気によって救われてきたということはこういうことです。神は人間に色々な苦難を与えますが、病気は罪ほろぼしでもカルマ落としでもなんでもないのです。人間の進化向上のためのカリキュラムだと思えばどうでしょう。難聴のほかに、腱鞘炎(けんしょうえん)にもなりました。もう、セトウチさんの「幻花」のような繊細(せんさい)な描写の絵など描けません。今は太い筆やハケを握りしめて、キャンバスにバンバン叩きつけるように描いています。それも痛いので、左手で描きます。左手は思うような形が取れません。幼児の絵より下手くそになります。でも、デュビュッフェは幼児の絵のマネをして、幼児風に描きますが、そんな意図的なことをしなくても、僕の左手はそのまま幼児以上に下手に描けます。これもハンデキャップから来た自然体です。 今書いている手紙では、前にも同じことを書きましたかね。境界を越えると時間差もなくなって、やったことと、やらないことの区別がわからなくなるのです。いよいよ本格派老人です。100歳老人のセトウチさんにも負けていません。ただ僕はセトウチさんのように年齢には拘っていません。拘っているのは他人の方で、今行っている展覧会では「85歳、85歳」と年齢を売り物にされています。歳のことは言うな! アーティストには年齢はないのです。昨日の続きが今日、今日の続きが明日です。原始社会では年齢など無関係です。アーティストは原始人です。■瀬戸内寂聴「私もヨコオさんに負けないように!」 ヨコオさん 何だか、ずいぶん久しぶりにこの往復手紙を書いているような気がします。 それにしても相変わらずコロナは豪勢を極め日本はおろか、世界的にその力を奮っています。 コロナのせいで、人に会えず、寂庵はずっと門を閉めっぱなしです。コロナになる前はもちろん、一も二もなく門内に入ってもらっていました。 大抵遠く九州や東北から来られた人で、まだ生きている私に逢えたと言って、抱きついて泣き出します。もちろん、私は丁寧にお迎えして、写経などしてもらい、お茶菓子を一緒に食べて、しばらくその人のお話を聞きます。つきあいの人もあれば、寂庵の信者を自称する人もあり、初めて門内に入ったという人もいます。「まさか、門内に入れてもらえると思わなかった」と泣き出す人もあれば、「生きている寂聴さんに逢えた!」と、子供のように足を踏み鳴らす人もいる。「とても百歳には見えない!」と誰もが感嘆してくれるが、終日ベッドに横になり、本ばかり読んで、一日を過ごしている私の毎日の状態など話せない。私は、人に逢っている間だけは、必死になって元気らしさを演じ、声を張り上げる。客の帰る時は、長い廊下の途中で、へばってしまい、さっさと歩く客の跡がおえない。 ──だって百だもの……──と、私は廊下の途中で、ペシャンコに座り込み、つくづく、自分に向かって言う。 食事だけは時間が来ると、しゃきっと体がのび、食卓の自分の位置に早々と座り込んでいる。「あら、お昼はもう召し上がりましたよ!」 スタッフの一人が、わざと大きな声を張り上げる。「私のスパゲティは、どうしてこんなに美味しいのだろうなんて、お世辞までいただいて」「そうよ、ほんとに! でも今ここに座ったのは、食べるためでなくて、眞子さんの結婚をどう思うかって、寂庵で一番若い二十七歳のP子の意見を聞きたいのよ」「ああ、眞子さん、ほんとに、よかったですね。大体、みんなあんまりこの結婚に意地悪すぎましたよ。でも、どうして一時金を眞子さんは辞退なさるのかしら? 貰う権利のあるお金でしょう? あんまり弱気にならない方がいいと思うけど……」 ヨコオさん、今、寂庵の中は、こんなにのんびりしています。耳が聞こえないのは、私も同然です。テレビの時なんか、びっくりするほど大きな声にしてくれるので、何とか会話が出来ています。鶯も、秋の夜の虫の音も、私の耳にはさっぱり聞こえません。ヨコオさんとTELしてるのを横で聞いてる人があれば、どんなにおかしいでしょうね。耳だけでなく体のあちこちがどしどし衰えてきます。 そのうち、きっと、自分の死んだこともわからなくなって、──ヨコオさんにTELして!──など叫んでる日が来るのでしょうね。でも目がよく見えているので、一日に二冊は厚い本を読み切っています。ヨコオさんの展覧会、ますます人気上昇でおめでとうございます。私もヨコオさんに負けないよう、あっとこれまでと変わった小説を二つくらい書き残して死にたいものですね。 では、また。※週刊朝日  2021年9月17日号

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    クロちゃんが家賃29万の物件へ引っ越し 「水曜日のダウンタウン」がカメラ設置でも納得の理由

     安田大サーカスのクロちゃんが、気になるトピックについて“真実”のみを語る連載「死ぬ前に話しておきたい恋の話」。今回のテーマは「引っ越し」。「水曜日のダウンタウン」(TBS系)の協力もあり、15年ぶりに引っ越しをしたクロちゃん。新居は、以前の部屋よりも、かなりグレードアップしたようだが、なんとリビングと寝室には「水曜日のダウンタウン」が「カメラ」を仕掛けているという。「24時間365日」監視される刑務所のような暮らしだが、クロちゃんはまったく動じていないようだ。その理由とは? *  *  *  先日、ボクは15年ぶりに引っ越しをした。「水曜日のダウンタウン」(以下:水曜日)を見てくれた人ならもう知っているよね。  簡単に経緯を説明すると、ボクがこれまで住んでいたマンションが老朽化によって取り壊しになることが決まっちゃったんだ。で、その情報を聞きつけた「水曜日」がボクのために「物件探し」の企画をやってくれたってわけ。それだけ聞くと、「『水曜日』、優しいじゃん」って思う人もいるだろうけど、「物件探し」の企画に行き着くまでに、一人で無人島に行かされたり、危険な崖を登らされたり、海を泳がされたりと、過酷なロケをやらされてるから、ちょっとその優しさは複雑(笑)。まあでも、ボク一人だったら、こんなにスムーズに引っ越しできなかったと思うから、そこはほんとうに感謝してる。  ちなみに、ボクが、これまで住んでいた部屋は、築60年を超える2DKのマンション。古い物件だったから、エレベーターなんてなかったし、外観はボロボロで、お化け屋敷みたいだった。これまで何度か女の子を連れてきたこともあったけど、どの子も「え…?ここなの?」みたいな、微妙なリアクションばかりだったね。「室内はリフォームされてるからキレイなんだよー」とかって、必死にごまかすのが大変だった。最近では、そうやってごまかすのもしんどいから、女の子を部屋に連れ込む時は、外観がはっきりと見えない夜にしていたからね(笑)。  「それなら、もっと早く引っ越せばよかったのに」って思う人もいるだろうけど、ボクは、とにかく引っ越しが大嫌いなんだ。この連載でも伝えたこともあるけど、この世で、最も嫌いなものが、引っ越しといってもいいかもしれない。だって、とにかく面倒くさいでしょ?   不動産屋に足を運んで、色んな物件を見て、もろもろ書類を書いて、引っ越し業者に依頼して、荷物をダンボールに詰めて、新しい部屋の家具の配置とかを決めて…とか、もう面倒くさいことだらけ。こんなものに時間をかけるくらいなら、もうずっと同じ部屋でいいやって思っていたくらいだからね。  そんなボクが、今回、引っ越しができたのは、こういう面倒くさい作業を、「水曜日」のスタッフやボクのマネージャーが手伝ってくれたっていうのが、めちゃくちゃ大きい。だって、ゴミが100袋以上も出たんだよ? 冒頭でも伝えたけど、絶対ボク一人では、引っ越しできていない。ほんとに助かったよ。  新しい部屋の広さは87平米で、間取りは2SLDK。しかも屋上までついている。ワンフロアに一戸だから、隣人ことを気にしなくていいのも魅力。家賃は29万円。以前のマンションが家賃12万円だったから倍以上の価格だね。  以前の部屋は、至るところにモノが散乱して、とにかく汚かったから、今回の部屋は、なるべくキレイな状態を保つことが目標。リビングと寝室がちゃんと分かれているから、これまでみたいにベッドの上でご飯を食べるような行為はもうやめたよ。タレなどをこぼしたりすると、すぐにシミとかできちゃうしね。「ベッドは食卓じゃないんだな」っていうのを、今回の引っ越しで改めて気づけたよ。  15年も住んだんだから、退去する日はけっこう寂しくなったりするんだろうなって思っていたんだけど…正直、まったく何も感じなかったなー。これには、ボクも驚いたよ(笑)。逆に、「すっきりした」っていう気持ちのほうが大きいかも。  改めて、ボクってアップデートが早い人間なんだなって痛感した。15年も住んだのに、自分の手から離れた途端、興味がなくなっちゃった。正直、もう、どんな部屋だったかも、あんまり覚えていない。部屋の電気の位置って、どこだったっけな…。 ●24時間365日カメラで監視  新しい部屋は大満足なんだけど、1つだけ、おかしな点があったりもする。それは、リビングと寝室にカメラが取り付けられていること。設置したのは、もちろん「水曜日」のスタッフ。以前の部屋でも、新たな企画のたびに隠しカメラをつけたり外したりしていたみたいなんだけど、もうその作業がいちいち面倒くさいから、最初からつけておくということみたい。もう言い分がむちゃくちゃだよね。  これで24時間365日、「水曜日」のスタッフはいつでもボクの部屋を監視できる状態らしいんだ。ボクのプライバシーはどこにいったの!って、すごい嫌だったよ。  ただ、今では、カメラがあることに、もうすっかり慣れちゃって、何とも思わなくなってるんだけどね。むしろ、ボクが体調悪くなって倒れたりしたら、救急車を呼んでくれるかもしれないから、逆にプラスに考えてたりもしている。泥棒が入ってきても見つけてくれるかもしれないから防犯上も良いしね。よくよく考えたら、監視されるのって、すごいありがたいことなのかも。  とにかく、せっかく広くて、キレイな部屋に引っ越してきたんだから、ゆくゆくは女の子が好きそうなオシャレな部屋にしてやるつもりだしん! (構成/AERA dot.編集部・岡本直也)

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    17時間前

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    眞子さま「駆け落ち婚」の何がいけないのか 森暢平教授、国民「小姑」化を憂う

     婚約内定発表から約4年のときを経て、ようやく成就する眞子さまの結婚は、手放しの「祝福ムード」とはいかぬままゴールを迎えそうだ。2人の結婚をどうとらえればいいのだろうか。皇室の結婚に詳しい森暢平教授に寄稿してもらった。 *  *  *  眞子さまとの婚約が内定している小室圭さん(29)が近く、米国から帰国する。10月中にも自治体に婚姻届が提出されるはずである。  週刊誌やSNSにはいまだに「駆け落ち婚」への非難が多いが、バッシングを続けても2人が結ばれることには変わりがない。  それよりも、なぜ2人が結婚し、それに対し、あまりよくない思いを持つ人が多いのはなぜかを考える方が、生産的ではないか。 「『私』を抑えて国民のために尽くしてきたことで敬愛され、信頼を得てこられたのが皇室です。ところが眞子さまは『好きだから結婚する』というお考えを最後まで崩しませんでした。(略)『わがままを通した』ということ。『私』を優先したことにより、裏切られたと感じる国民も少なからずいます」  静岡福祉大の小田部雄次名誉教授のコメントである(『週刊新潮』9月16日号)。申し訳ないが、共感できない。この論理に沿うと、滅私奉公が皇室の務めだということになる。結婚においても好きな人を選んではならないということになる。天皇・皇族の自由意思は否定されるべきなのか。  皇室にはかつて「同等性の原則」「婚姻勅許(ちょっきょ)制」というルールがあった。同等性の原則は、明治の皇室典範が「皇族の婚嫁(こんか)は同族、又は勅旨(ちょくし)に由り特に認許せられたる華族(かぞく)に限る」(39条)と定めたものである。皇族は、同族(つまり皇族同士)か、認められた華族としか結婚できなかった。さらに、40条が「皇族の婚嫁は勅許に由る」と婚姻勅許制を明記した。皇族の結婚は、天皇の許可が必要だった。  明治日本は2つのルールを主にドイツから取り入れた。同等性の原則は、ドイツ皇帝が連邦諸侯の王女と結婚するように、身分が近い者と結婚しなければならないと限る通婚制限原則である。上位貴族以外との通婚は許されない。婚姻勅許制は、身分違いの結婚を望んでも国王から許可されないし、それでも結婚したいのならば、生まれた子に王位継承権は与えられないという決まりである。いずれも帝位・王位の正統性を保つために定められた。  ルールにもとる婚姻は、貴賤結婚・不正結婚である。英語ではレフト・ハンディッド婚(左手の結婚)と呼ばれた。こうした19世紀的通婚制限は、20世紀になると欧州でも古びた慣行になっていった。  日本においても、1928(昭和3)年、秩父宮が平民籍にあった松平節子(のち勢津子妃)と結婚するなど規制緩和が進んでいく。戦後の正田美智子(現・上皇后さま)の結婚が、非華族(平民)との通婚だとして国民的祝賀を受けたのは、ご存知の通りである。  婚姻勅許制は現在も形式的に残っている。2017年、眞子さまと小室さんの結婚について天皇の裁可(さいか)があったと報じられたことである。  この件は、戦後初めての女性皇族の結婚、和子内親王の事例に遡(さかのぼ)る。1950年、鷹司平通(たかつかさとしみち)との結婚が裁可されるとき、婚姻は両性の合意のみに基く、と定めた日本国憲法24条との整合性が問題となった。そこで、裁可は皇室内部の手続きとして簡略化し、外部に公表しないことを決めた。  だから、その後の女性皇族の結婚で裁可が公表された例はない。眞子さまのときだけ、なぜか公表されたのである。  近代の皇室の歴史は、国民とのフラットな関係への志向(皇室平民化路線)と、権威化路線とのせめぎ合いのなかにあった。戦後皇室は基本的には、平民化路線へと向かっていた。  だが、近年、怪しくなってきた。それは、災害や経済的苦境が続き、日本の国際的地位が低下したことと無関係ではない。人は、何かに確信が持てないとき、過去とのつながりを確認したくなる。正統性、伝統、国家というアイデンティティーにすがりたくなるのだ。従来の通婚範囲から大きく外れた場所から出現した小室さんを受け入れにくいのは、私たちが、不安の時代を生きているからである。  眞子さまの結婚の裁可が公表されてしまったのは、宮内庁が前例を忘れたという単純な理由によるものだろう。 ありのままであるために必要  だが、その深層には、天皇に権威性を求めてしまう社会の変化がある。不安定な政治に飽き飽きする私たちは、不変なものを皇室に求めてしまう。皇室は無私(わがままを言わない存在)だと信じたくなってしまうのだ。  そもそも、孫娘の結婚に、祖父の許可が必要な家庭など今の日本にはほぼ存在しない。皇室の存在意義は、日本の家族の鏡であることだ。そこからの逸脱こそ、皇室の存続にかかわる。  確かに、小室さんは同等性の原則からは大きく外れる。しかし、21世紀の私たちは、100年以上前の原則を皇族に押し付け続けるべきなのか。  息苦しい日本で、若者たちは、相手の地位や年収や容姿といったステレオタイプ化した異性の魅力を重視していない。一緒にいて居心地のいいこと、ありのままの自分でいられることが最も重要である。社会学はこれをコンフルエント・ラブ(融合する愛)と呼び、従来型の恋愛と区別している。  眞子さまが選んだ小室さんは、まさに、ありのままの眞子さまであるために必要な存在である。眞子さまの言葉を借りれば、小室さんは「かけがえのない存在」であり、2人の結婚は「自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択」である。この言葉に、国民は戸惑っていると言う人がいる。社会の不安を眞子さまの結婚への期待に置き換えるべきではない。  国民と皇族は違うという人もある。同じである。逆に、同じであろうとしたことこそ皇室と国民を結ぶ回路であった。皇族にもプライバシーもあれば、個人的な欲望もある。恋もする。  国民が総小姑(こじゅうと)状態になり、眞子さまの結婚に注文を付けること自体、異様である。『週刊朝日』を含めたメディア報道もおかしかった。  結婚を両親が認めたことも明らかで「駆け落ち婚」と呼ぶのはもはや適切ではない。仮に「駆け落ち婚」だとしても、そのどこが問題なのか。  彼女の結婚を見守ることしか、私たちがなしうることはない。※週刊朝日  2021年10月1日号

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    「高市氏の昔を知っているよ」 総裁選候補者3人で最も優れているのに胸がザワつく理由

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選に立候補を表明している3人の議員について。 *  *  * 連日、自民党総裁選関連のニュースがメディアを占めている。この国に暮らす人々の生存をかけた衆議院選挙のほうがよほど重大なはずなのに、無駄に自民党の生存をかけた総裁選につきあわされているようでつらい。災害レベルのコロナ禍で重要なときに臨時国会を開かず、自党の人事に時間を費やす自民党の体質が、トップが代わったところで変わるとは思えない。とはいえ、あと一歩で総理の椅子に座る3人の候補者に女性が入っていること、その女性が候補者の中で最も右寄りであること、容姿を誹謗中傷する批判が“彼女にだけ”されていることなど、日本の女性政治家が置かれている現実を生中継で日々見せられているようで、それはそれで気になってしまうのだ。 候補者3人の出馬表明記者会見を見た。それぞれ力のこもった熱弁を見ながら、改めて菅さん (菅義偉首相) は、相当なレベルで話が下手だったのだと気づかされる。滑舌が悪いうえに自分の言葉で話さない、原稿すらうまく読めないので頭に入ってこない。東京五輪・パラリンピック開催に疑問を投げかける記者には、「安全安心」と繰り返すだけで誠実さのカケラもなかった。さらに記者に対して威圧的であり、社名を名乗らない記者に対していら立つなど、器の小ささを露呈してしまう場面を幾度となく見てきた。喋れば喋るほど、人の心が離れていく総理大臣だった。 菅さんに比べると3人の候補者の話は、フツーにまともだった。……と、「底」を強いられてきた者として認知の歪みが生じてしまっているのだろうかと自分でも不安になるが、今回、高市早苗氏の会見を初めて長時間聴いてみて驚いた。テンポ、滑舌、論理性、具体性において出馬表明記者会見としては3人の中で最も優れていたからだ。記者からの質問に逃げずに丁寧に答えていたのも好感を持てた。  例えばTBS「報道特集」のキャスター膳場貴子氏が、高市氏が過去にしていたサイテーの発言「(生活保護を)さもしい顔をしてもらえるものはもらおうとか、弱者のふりをして少しでもトクをしようと、そんな国民ばかりいたら日本が滅びる」を引き、「困窮する国民をどういう目で見ているのか確認をさせてください。弱者への視点が欠けている不安、批判の声があるが、どう受け止めているか聞かせてください」と迫った。高市さんに対する強い批判を含んだ良い質問だった。 もしこれが、安倍さん (安倍晋三前首相) だったらと想像する。女性アナウンサーからの質問にまずニヤニヤと冷笑し、しかし顔色は変わり、早口でまったく方向違いの旧民主党政権批判を延々繰り返し「それはですね、民主党政権時代の批判の流れでの発言だったのでございます。文脈をですね、私の発言の文脈をですね、いいですか、きちんと見ていただいたうえでですね、そのようなご質問をしていただきたきたいのでございます」とか言いそうだし、麻生さん (麻生太郎財務相) だったら「そうかね、覚えてねぇな」とか言いかねず、菅さんだったら「えー、私はこれまで通り全力で国民の安全安心を最大限に考えて、政治を行っていくことに変わりはありません」とか言うのでは。テレビカメラの前で“女性”記者に批判された、ということで頭がいっぱいになり、誠実に答えようともしない“男性”政治家の振る舞いに私たちはあまりにも慣れてしまっていた。 その日、高市氏は膳場氏の批判質問に顔色も声のトーンも変えることはなかった。にこやかなまま、その発言がいつ、どの場で行われたものかを記憶の中で語り、「これは皆様の大切な税金。福祉というものは公正、公平が原則であるべきだと私は考えています」とし、さらに子どもの貧困問題等について語り、そのうえで「これが私。素直なほうなので、さまざまなアドバイスには柔軟に対応する」とも言った。  このやりとりに、私は見入ってしまったのだった。威圧的だったり、不誠実だったり、中身のない政治家答弁にあまりにも慣れ過ぎていたからこその驚きであるのだが、ただ新鮮だった。もちろん、高市氏のような政治家の言動が生活保護受給者に対する社会の偏見を生み、貧困を再生産し、生活保護を受けられずに餓死するような人々を生み出す現実をつくってきた。そういうリアルが見えない高市さんが与党の政治家であることが私は恐いが、それでも「どのような考えに立っているのか」ということを説明することをこの人は逃れなかったという印象は残った。 一方、岸田氏は国民の声を聞いてきたという薄く小さなノートを振りかざして「私にとりまして大切な財産。このノートを読み返した上で、私は改めてやるべきことがあると感じています」と豪語する。外国特派員協会で記者会見を開くなど、去年の総裁選よりもパフォーマンス力があがっているように見えるが、選択的夫婦別姓についての意見を問われ、「引きつづき議論しなければならない課題」と言うなど、いったい誰の声を聞いてきたのか問いたい。今年の共同通信の調査によれば選択的夫婦別姓は国民世論で6割が賛成している(30代では7割)。だいたい選択的夫婦別姓は80年代からずっと提案され、深く積み重なった議論の歴史があるのだ。国会での議論を拒否し続けてきた自民党の単なる勉強不足が、選択的夫婦別姓を邪魔しているだけ。まだ、「自分ごと」として通称使用拡大の具体的実践に全力を尽くしてきた高市氏のほうが勉強しているし、わかっているように見える。 河野太郎氏の記者会見が一番、今までの自民党の威圧的政治家の流れをくんでいるように見えた。質問は1社一つというルールを一方的に強いては、「(河野さんは)脱原発派ですか?」という質問に対して「どういう定義で脱原発というか人によって違うので、何か一つの言葉でくくるのはやめておいたほうがいい」と打ち切り、それ以上の質問を許さなかった。記者が本当に聞きたいことは分かっているはずだし、そこから深まる議論もあるはずなのに、意味のない答えを短めに返すのが目立った。  河野氏は若手からの期待が大きいと、報道では言われている。「河野さんは発信力があります」と30代の議員が胸を張るようにテレビカメラに向かって話しているのを見た。発信力とは単純にテレビに出る回数とか、Twitterのフォロワー数とか、なんとなくの人気のことを言っているのではないかと思うが、それは政治家にとって必要な力なのだろうか。記者会見で衝撃だったのは、韓国メディアの記者が「特に韓国を含めた、近隣国に向けての外交政策のビジョンを聞かせてほしい」と質問した時の答えだ。外務大臣を務めたこともある河野氏の答えは、こういうものだった。「G7の中で日本はユニークな立ち位置。キリスト教をベースとした文明の上に成り立っていない国は日本だけ。だから外務大臣として自分はアジア、中近東、アフリカといった国々の思いを代弁できる日本でありたーい、と思ってきた。自由民主主義、基本的人権、法の支配、こうした価値観を共有して一緒に前に進みたーいと思っている。それぞれの国にはそれぞれの歴史がある。一足飛びにみんなが同じことをできるわけではありませんー。そういうなかで、ヨチヨチ歩きであっても同じ方向を進もうとしている国にしっかりと寄り添える、そういう日本でありたーいと思っている」 ……これは外交政策なのでしょうか。ヨチヨチ歩きだけど一緒に寄り添っていこうね、って。これは元外務大臣による総裁選立候補の時に語るような言葉なのだろうか。高市氏を推すわけでは決してないが(というか、私にその権利もないが)、高市氏だったら具体的に質問に正確に答えようとするのではないか、大人の言葉で。 最近、「高市早苗の昔を知っているよ」という人と立て続けに話をする機会があった。20代のころ、高市氏は400ccのバイクを乗り回していたという。30年以上前、400ccのバイクに乗る女性は少なかった。私も10代のころ、400ccのバイクに乗りたくて教習所に行ったのだが、「女は小型から」と中型免許すら取らせてもらえない空気があり、一日でやめた。「中型取りに来たんです」と言っても、「じゃあ、起こしてみな」と道路に転がる400ccをコツも教えてもらえず起こせと言われて憤慨した。あの時の悔しさは今もまだ心のどこかに残っている。80年代のことだ。そういう時代のなかで、中型・大型バイクに乗る女性たちは道で出会っては、自然に話しかけるようなことがあったという。当時のバイク仲間の女性は、若かった高市さんが目を輝かせながら「私は保守系の政治家になるんだ」と、夢を語っていたのを覚えている。   高市氏を見ていると、胸がざわつく。「政治家を知るためには、その人の選挙区と選挙歴を知らなければならない」とは、無戸籍問題に取り組み続け衆議院議員になった井戸まさえ氏の言葉だが、高市氏がもし、奈良という保守が強い土地ではなく、都市部の選挙区の人だったらどうだったろうか。選択的夫婦別姓、女性天皇・女系天皇容認などについて肯定派の多い都市部のような場所で保守派の政治家として立っていたら、どうだったろうか。安倍さんへの、悲しいほどのすり寄りは、二世議員である小渕優子議員や、祖父が政治家だった野田聖子議員だったらしなくてもよい媚びにも見える。高市氏自身の葛藤を勝手に想像しながら、そういう女性議員の姿を見てこちらも引き裂かれるような葛藤を味わう。女性がのびのびと政治ができる国になってほしい、そして正当に評価されるようになってほしい。今起きているのは、自民党の大物男性の庇護のもとでの自由と、それでも女性であるゆえに正当に評価されない日本社会の女性嫌悪だ。精神衛生上よくないので、早く終わらせて、衆議院選挙で自民党政治は終わってほしい。■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の「ワルイコあつまれ」はいかにして作られたのか 鈴木おさむ

     放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、話題を呼んだEテレの「ワルイコあつまれ」について。鈴木さんが番組の構成をしたという。 *   * * 9月13日の朝、Eテレで放送された「ワルイコあつまれ」。出演は「新しい地図」の3人、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾。何の予告もなしに放送され、その日の夜に再放送され、第2回がその翌週の夜に放送になった。Twitterトレンドは番組名や「慎吾ママ」などの言葉が一位になり、想像以上にネットニュースにもなっていた。  夜の放送の同時間帯にレギュラー番組の構成を持つ自分としては胸が痛むが、この「ワルイコあつまれ」の構成をさせてもらった。  元々は、NHKのスタッフがEテレで、「新しい地図」の3人で番組を作りたいということだったらしく、僕は彼らをマネジメント&プロデユースする飯島美智さんに呼ばれて会議に出た。飯島さんとは25年を超えるお付き合いになる。  22歳で出会った僕をおもしろがって、見つけて、鍛えて伸ばしてくれた。  1996年、「SMAP×SMAP」という番組が始まるので参加してほしいと言われた時、僕はまだ23歳。フジテレビに連れて行かれ、僕はその番組に入ることになった。「若い力で自由に暴れてきなさい!」と口で言われたわけではないけれども、そんな空気を感じて、僕より年上のスタッフさんの中で、「おもしろい」と思ったことを自由に伝えさせてもらい、それが形になっていくのがうれしかった。  多分、僕のことを若くてイタいやつだと思った人も多かったかもしれないが、そんなイタい僕をおもしろいと思ってくれる大人がたくさんいたおかげで、経験しながら勉強することができた。  あれから25年以上がたち、23歳だった僕は49歳になった。そして飯島さんに呼ばれて、NHKのEテレで作る番組の会議に出る。この年と立場になり、テレビの会議だといつもはどうしても「まとめる」ことが多くなってしまう。成立するためにはどうしたらいいか?失敗しないためにはどうしたらいいか?に向かって進んでしまうことが多く、それが今の自分の一番の弱点だと思っていたところに、この番組。  NHKのスタッフは全員初対面の方々。  飯島さんが会議が始まる時に「GO」というような合図を出した気がした。この「GO」という空気。「おもしろいものを考えてね」「暴れなさい」という空気。初めてフジテレビのスマスマのプロデユーサーに会わせてもらったときの無言のプレッシャー。そんな感じ。  久々である。  番組の方向性がまだ全然決まってない中、「子供番組」というパッケージで、どんなものを作っていくか考えていく。  僕は久々に自由にプレイヤーをやらせてもらう気持ちになった。Eテレだから違和感のあること。Eテレだからできることを考える。僕もスタッフさんも、自由に発想していく。  制約があってそこでおもしろいものを考えることが多い中、自由は不安だがやはり作り甲斐がある。  子供を記者にして、大人の記者会見を開く企画をやりたいです!と言い、そこに座ったら一番違和感のある人をと考え、元週刊文春の編集長である文藝春秋社の新谷学さんに出ていただくことになった。  新谷さんに子供記者たちが素朴なことを聞きまくる。新谷さんが子供たちに真剣に向き合って言葉を伝える姿に胸が熱くなったりして。  想像を超えたものが作られていく。  稲垣吾郎が絵本を読む「芸能界むかしばなし」。桃太郎、金太郎、浦島太郎、ここで紹介するのは勝新太郎。勝新太郎の豪快伝説を昔話風に紹介する。話は勝新太郎なのに、絵の雰囲気はEテレだ。ここでも想像を超えるものに仕上がる。  NHKだから出来ること。慎吾ママと草なぎ剛演じる徳川慶喜の対談番組。大河ドラマが終わったならまだしも放送中に、徳川慶喜を背負ってこんなことをやる。NHKだからできること。  NHKだから出来るキャスティング。人間国宝の人に出てもらえないのか?しかもそんな人に、「人間らしい」部分を聞いていけないのか?この秋に人間国宝になる人に本当に出てもらえた。これぞNHKだからできること。  番組を通して、やはりNHKスタッフの制作能力はとんでもないなと驚く。すごかったです。  そして、なにより、新しい地図の3人の表現力、翻訳力、やはりとんでもなくすばらしい。  エンターティナーだなと。改めて感動。  まだ何も書かれてない白紙の上で、彼らがここに立ち、どう動いたらおもしろいか、そんな地図を考えていくことは楽しい。ワクワクする。  たった2回だけ放送された「ワルイコあつまれ」は大きな反響を得た  このあとどうなっていくかは分からない。また続編が作れたらおもしろい。  何より、今回、あの頃の気持ちでテレビというものに向かい合えたこと。感謝してます。  たくさんの不安を希望と期待に出来る。そんなものづくりをできたことに感謝してます。 ■鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)が好評発売中。毎週金曜更新のバブル期入社の50代の部長の悲哀を描く16コマ漫画「ティラノ部長」と毎週水曜更新のラブホラー漫画「お化けと風鈴」の原作を担当し、自身のインスタグラムで公開中。コミック「ティラノ部長」(マガジンマウス)が10/4に発売決定。「お化けと風鈴」はLINE漫画でも連載スタート。YOASOBI「ハルカ」の原作「月王子」を書籍化したイラスト小説「ハルカと月の王子様」が好評発売中。作演出を手掛ける舞台「もしも命が描けたら」が9/17(金)20:00 より配信が決定(見逃し配信:~2021/9/23木23:59)。長編小説『僕の種がない』(幻冬舎)が発売中。

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    渡部建、49歳になって仕事ゼロでもなぜか余裕 復帰を焦らなくてもいい「うらやましい理由」

     昨年6月までは8本のレギュラー番組を抱える売れっ子だったアンジャッシュの渡部建(49)だが、不倫騒動で芸能活動を自粛して以降、復帰の道筋は見えてこない。  渡部の近況を報じた週刊誌「FLASH」(9月28日・10月5日号)によると、普段は総額35万円のハイブランドコーデで“主夫”をこなしているという。  一方、一家の大黒柱となった佐々木希(33)は、三池崇史監督が演出を手掛ける舞台「酔いどれ天使」に出演中だ。東京公演の千秋楽を迎えた20日には、3歳の長男がサプライズで花束をプレゼントしてくれたことをインスタグラムで報告した。 「佐々木は4億円のマンションをキャッシュで購入し、息子を年間の授業料が200万円以上といわれる幼稚園へ転園させたことが報じられました。10月からは舞台の大阪公演が始まりますが、今の彼女は精力的に仕事をこなしています。もちろん佐々木が仕事の間は渡部が家事と育児をこなしているそうです」(女性誌記者)  渡部の復帰に関しては昨年末の「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」(日本テレビ系)への出演情報が流れたことで、渡部も慌てて“謝罪会見”を開いたが、これが完全に裏目に。しどろもどろの受け答えに終始し、結局、騒動を蒸し返されるだけに終わった。 「『ガキ使』の出演はお蔵入り、さらに『有吉反省会』(同・9月で終了)の最終回にサプライズ出演のうわさも流れましたが、これは有吉本人が否定しました。渡部自身は、テレビへの未練はあると思いますが、実際、以前のような形で復帰するのは難しいと感じているようですね。昨年の会見で懲りたというか、このまま表舞台に出たところで、一生“トイレ不倫”は言われ続けるでしょうし、忘れた頃にまた蒸し返されたり、あるいは別の女性が告白したりという不安は絶えないでしょう。YouTubeでの復帰なども、オファーはあったみたいですがすべて断っているそうで、今は静かに暮らしたいそうです」(テレビ関係者)  スポーツ紙記者も「宮迫(博之)さんのケースを目の当たりにしているので、YouTubeなどでも露出は控えたいようです」と話す。 「得意のグルメも今では、イメージダウンで厳しいですし、相方の児嶋一哉のYouTubeが好評なので、その邪魔をしたくない、という思いもあるのかもしれません。一方で佐々木の仕事は順調で、今の舞台の演技も好評なので、すでに映画やドラマのオファーも来ているようです。佐々木も渡部には『復帰は焦らなくていい』と話しているそうですし、渡部にしてみれば、やっと生活のリズムが落ち着いてきたところなのではないでしょうか。今は将来的なことも考え、子どもの送り迎えや家のことをこなす合間に、資格取得のための勉強も始めたという話もあります」  23日に49歳を迎えた渡部だが、1年後の50歳でも芸能界復帰はしていない可能性もありそうだ。もう復帰とは別の道を歩むための準備を始めたのかもしれない。(坂口友香)

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    自宅放置死250人は「人災」 英米のコロナ対策を知る日本人医師が指弾

     ワクチンの2回目接種が進んできたことも影響しているのか、「第5波」も収まりつつある日本。だが、医療崩壊により多くの自宅死を招いた結果について、英米の対策を知る医師は“人災”と指摘する。海外に学ぶべきこととは──。 *  *  *  これは“コロナ棄民”政策による犠牲ではないのか。新型コロナウイルスに感染し、自宅などで死亡した人が、8月に全国で250人に上った。7月の31人から急増し、過去最多となった。第5波が猛威を振るった8月、政府は重症患者や、中等症でも重症化リスクの高い患者以外は自宅療養を基本とする「入院制限」を打ち出した。デルタ株による感染爆発から医療逼迫(ひっぱく)を防ぐ狙いだ。本来、入院や宿泊療養をするべき状態なのに、自宅療養を余儀なくされる人が続出する結果となっている。  この春まで英キングス・カレッジ・ロンドンの教授を務め、5月に帰国した渋谷健司医師は、日本の現状について怒りを滲ませながら、こう語る。 「保健所の職員が自宅療養の患者さんを観察し、入院が必要かどうかを判断するなんて無理です。最初から医療にかからなければ症状の急変には対処できません。酸素ステーションの設置も、後手の対策を象徴している。酸素が取り込めなくなった人に、酸素だけ投与して回復するわけがない。入院してきちんと治療しなければなりません。ネックとなっているのは病床不足で、大規模な専門病院が必要なことは昨年からわかっていたこと。お手上げになったら患者を自宅放置なんて、あり得ないくらいひどい話です」  政府はコロナ患者の受け入れを促すため、重症患者向けの急性期ベッドを新たに確保した医療機関に対し、1床当たり最大1950万円を補助しているが、機能していない。中小規模が多い民間病院がコロナ診療のために一般診療を制限し、さらに院内感染が起きれば大きな打撃を受ける。医療スタッフのやり繰りにも限界がある。  渋谷医師が続ける。 「中小の民間病院にコロナ患者の受け入れを求めるのは酷です。やはり大きな急性期病院でベッドを50床、100床と確保しないと対応できません。その役割は当然、公的病院が負うべき。国立病院機構や、尾身茂さんが理事長を務める地域医療機能推進機構(JCHO)はすぐにでもコロナ対策病院としてベッドを確保すべきです」  冬にかけて「第6波」が始まることが予測される。重症者用に既存の病院の病床を確保するとともに体育館やイベント会場などの臨時の施設を使って野戦病院をつくり、中等症の患者を収容する態勢づくりが求められる。 「いま専門家からロックダウン(都市封鎖)法制化を求める声が上がっていますが、ワクチン接種が進み、病床を確保して医療崩壊が防げればその必要はありません。英国のような罰則もないのに日本の国民は我慢強く行動制限しています。その真面目さに胡坐(あぐら)をかいて、国や専門家はやるべき対策を怠った。飲食店をスケープゴートにして自粛や緊急事態宣言をくり返しても社会が傷むだけです」  現在、日本では変異株による子どもの感染が急増している。渋谷医師はいま最も重要なのは学校対策だと話す。 「コロナは無症状感染があるので、症状がなくとも学校で定期的に検査を実施すること。日本はいまだにマイクロ飛沫と言っているが、主な感染ルートはエアロゾルによる空気感染です。教室にCО2モニターを置いて換気を見える化し、12歳以上の子どもと保護者、教師はワクチンを接種する。ワクチン、検査、換気、不織布マスクの4点セットで学校を成り立たせていくのです」  米国の事例にも学ぶべき点は多い。米国在住で、星槎グループ医療・教育未来創生研究所・ボストン支部研究員の大西睦子医師はこう説明する。 「米国では最も多い時で1日30万人もの感染者を出しましたが、医療崩壊を免れています。ライバル病院が協力して次々と臨時病院を開設し、患者さんの入院先を調整し合ってパンデミックに立ち向かったのです」  大西医師が住むマサチューセッツ州では、ハーバードの教育病院・マサチューセッツ総合病院(MGH)を擁する「マスジェネラルブリガム」が州最大の病院グループだ。昨年4月、ボストンに第1波が押し寄せた時に、コンベンションセンターを使用して約1千床の臨時病院を開設。ICU(集中治療室)ベッドも州全体で約1200床増やした。ICUでの治療から回復した患者は臨時病院で経過を見る。無症状者はホテルで健康観察するシステムが早期に確立した。 「マスジェネラルブリガムは長年のライバル関係にある他の病院グループと一致団結し、どこの病院に何人分のベッドが空いているかなど、お互いに情報を開示・共有し合いました。インターネットでも確認でき、患者さんがたらい回しされることはありません。救急車もすぐに搬送できるので、時間的なロスもありません。医療スタッフは定期的な検査など緊急性のない医療をやめて、コロナに集中しました。ワクチン接種が進んでから順次、元の診療科に戻りました」(大西医師) 情報を隠したら罰金100万ドル  コロナ対策においてこうした画期的な取り組みが実現できたのは、オバマ政権が2016年に制定した「21世紀治療法」があるからだ。パンデミックなどの危機に備え、公衆衛生のために電子記録を作成する医療従事者や企業は、他の医師や事業者と情報を共有することが義務付けられた。情報のブロックは禁止され、違反した場合は最大100万ドルの罰金が科せられることがある。大西医師が解説する。 「患者さんの電子カルテも共有化が進み、コロナによってさらに加速しました。もちろん、プライバシーは法律によって保護されます。まず、かかりつけ医であるホームドクターに行き、必要であれば専門の病院にかかる。データはシェアされているので診療はスムーズに進みます。患者は自分の情報はすべてオンラインで知ることができ、セカンドオピニオンが必要かどうかも判断できます」  日本でも医療情報の開示を導入すれば、閉塞したコロナ対策を打開する一助になるのではないか。(本誌・亀井洋志)※週刊朝日  2021年10月1日号

    週刊朝日

    21時間前

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    小林麻耶が離婚へ 夫から解放されても修復が難しい「海老蔵一家」と「TBS」

     今年3月から別居状態にあった小林麻耶(41)と夫の國光吟氏(37)が離婚に向けて協議を始めたという。7月1日発売の「女性セブン」によると、当初は麻耶自身も別居が一時的なものになるか、離婚への準備期間となるかはわかっていなかったが、周囲のサポートもあり自分の意思で結論を出す段階に入ったようだ。 2人が結婚を発表したのは2018年7月。出会って2カ月、“交際ゼロ日”での電撃婚は周囲を驚かせたのはもちろんだが、國光さんの行うスピリチュアル色の強いセラピーやカウンセリングなどに傾倒する麻耶を心配する声も少なくなかった。「それ以降の2人の行動といえば、まるで麻耶さんのマネジャーのようにどこへ行くのにも國光さんが同行し、次第に仕事場でも國光さんが口を出すようになったといいます。そして昨年11月に『グッとラック!』(TBS系)の電撃降板と所属事務所との契約解除があり、麻耶さんの彼への依存ぶりが心配され始めました」(女性誌記者) 一時期は麻耶が「洗脳状態」にあるのでは?などと心配もされたが、次第に2人の関係は冷めていったようだ。結局、3月には別居となったが、國光氏と距離をとった麻耶を誰よりもサポートして見守り続けたのは、麻耶の母親だったという。「お母さんの元に戻ってからは、麻耶さんも徐々にこれまでのことを冷静に振り返ることができるようになったそうですが、最も彼女の心を揺り動かしたのは麗禾ちゃん(9)と勸玄くん(8)の存在です。國光さんと結婚してからは、海老蔵さん一家とも以前のように頻繁に関わることがなくなり、あれほどかわいがっていた子どもたちともここ1年ぐらいは会っていないといいます。お母さんは、麻央さんの闘病中には麗禾ちゃんと勸玄くんの面倒を見て家事一切を取り仕切っていました。お母さんから伝え聞く2人の様子やYouTubeで見る成長ぶりに会えない辛さが募ったのでしょう。そんな麻耶さんの異変に気づいて、お母さんはメンタル面も含めてフォローし続けているそうです」(同前) だが、仮に離婚が成立したとしても、今後の麻耶の状況が元通りになるかといえば、「すぐには難しいかもしれない」と芸能ジャーナリストは話す。「まずは麗禾ちゃんと勸玄くんとの関係です。麻央さんの闘病中はお母さんと共に彼女もよく面倒を見ていて、子どもたちも懐いていましたが、海老蔵さんが現在の状態のまま、麻耶さんと距離をとり続けるのであれば、以前のような家族ぐるみの関係に戻るには時間がかかるでしょう。海老蔵さんはこれからは『十三代目市川團十郎白猿』と『八代目市川新之助』の襲名披露公演も控えていますから、あまり“雑音”は入れたくないのではないでしょうか」 また、広告代理店関係者は麻耶の復帰をこう心配する。「いずれ麻耶さんも仕事復帰を考えているでしょうが、義理を欠くようなことをしてしまった古巣のTBSや前の所属事務所からのバックアップは期待できないでしょう。それ以上に、はたしてタレントとして需要があるのかも疑問です。國光氏とのお騒がせカップルのイメージがまだ根強く残っていますから、CMや司会などで起用するのは厳しいのでは」 麻耶はこの日、自身のブログを更新したが、離婚報道には言及しなかった。“目が覚めた”麻耶が目の前に待ち受ける新たな壁に気づき、それを乗り越えた時に、彼女は本当に自由になれるのかもしれない。(宮本エミ)

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    恩師が語る 小室圭くんは「モテていました。人を引きつける何かがあった」

     小室圭さん(29)は国立音楽大学附属小学校(音小、東京都国立市)の卒業生だ。小学校時代の恩師は、一連のバッシングに心を痛めていたという。約3年ぶりに帰国して、小室さんは何を語るのか。教え子を案じる恩師に、思いを聞いた。 ──小室圭さんはどんなお子さんでしたか。  圭くんのことは、よく覚えています。小さいころはおかっぱ頭でね、とても可愛かったですよ。悪い印象なんて一つもないです。担任の先生の指導もあり、礼儀正しくて職員室や校長室に入るときのあいさつもしっかりしていました。週刊誌やテレビなんかでいろいろ言われているようですが、私の記憶では、全くそんなイメージはありません。  優しい子でした。特に女子からは人気がありましたね。モテていました。何でしょうね、目立つわけではないんだけれど、今の言葉で言うと「持ってる」というのかな。圭くんには人を引きつける何かがありました。 ──婚約内定の発表時には。  お名前で「圭くんと同じ名前だ」と思い、テレビで顔を見てすぐ気が付きました。学校関係者で一番早く気が付いたんじゃないでしょうか。 ──ある報道では、小学校時代に小室さんからいじめ被害にあったという告発がありました。  音小は1クラスに男子が4~6人と少ないのですが、子ども同士のトラブルはそれなりにあったかもしれません。ただ、当時はいじめ的なものとしてはとらえていませんでした。時代もあるのかもしれませんけれども……。私たちに見えていない部分もあるでしょうし、深い内面まではわかりません。それを前提として言えば、私たちにとってはごく普通の子どもです。リーダーシップを発揮して皆を引っ張っていくというタイプでもありませんし、特別目立つということもありません。 ──小室さんが4年生のころ、父親が亡くなっています。  子どもながらに大変だったと思います。国立の家から横浜に引っ越すことになって、通い続けられるか、学費のこともありますし、お母さまを含めて心労も大きかったと思います。でも、最終的にはお母さまは「圭は音小が大好きだし、通い続けられるようにしたい」とおっしゃり、いろいろ尽力されたのだと思います。圭くんは卒業まで横浜から国立まで毎日通ってきていました。 ──小室さんの親御さんはどんな方でしたか。  子どもとは別人格ですから、そのことはコメントはしません。深いことはわかりません。お母さまが「外車を乗り回して服装も派手で……」なんていう報道があるようですが、音小には外車に乗る親御さんはいらっしゃいますし、特別視されるようなことはないです。インターナショナルスクールへの進学も、彼だけではありません。卒業生には何人かいます。 ──卒業後の交流は。  卒業後に一度かな、会いました。中学受験して国際的な学校に進学して、多国籍の人たちのなかで切磋琢磨しながら、大変な努力をしたのでしょう。幸せになってほしいと思います。 (本誌取材班)※週刊朝日  2021年10月1日号

    週刊朝日

    20時間前

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    室井佑月「安倍さんの党ですね」

     作家・室井佑月氏は、自民党総裁選の候補者に突っ込みを入れる。 *  *  *  9月8日付の「朝日新聞デジタル」によれば、 「立憲民主党、共産党、社民党、れいわ新選組の野党4党は8日、野党共闘を呼びかけている市民団体『安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合』(市民連合)との政策合意に調印した」  よかった。これで、衆議院選挙、いい感じで闘える。野党を応援している者として、1、2カ月後に衆議院選挙があるのになにをやってるんだ、とヤキモキしていた。共闘し、小選挙区で候補者を一本化できたら、かなり勝ち目が出てくるんじゃない? 「政策の柱は、(1)憲法(2)コロナ対策(3)格差是正(4)エネルギー(5)ジェンダー平等(6)行政の透明化の6項目。具体的には、安保法制、特定秘密保護法、共謀罪法などの違憲部分を廃止し、コロナ禍に乗じた憲法改悪に反対する。消費税減税や富裕層の負担強化など公平な税制を実現する。また、原発のない脱炭素社会や選択的夫婦別姓の実現、森友・加計問題、桜を見る会など疑惑の真相解明などが盛り込まれた」  これもいい。  今、テレビは自民党の総裁選一色だ。自民党のCMみたいな。  これについて、この後すぐに衆議院選挙があるというのに、メディアの公平性は保たれているのかなどと、いいたいことはたくさんある。  しかし、日本のトップを決める(今のところ)そのための争いは、下世話で、くだらなさ満載で、だからこそやじ馬根性がそそられてしまうのも事実。  ま、放送局と個人のあたしでは、立場がまるで違うので。  それに、今回の自民党の総裁選というメディアジャック、逆効果じゃね、と思えてきたし。  今のところ、微妙に自民党の支持率は上がってるみたいだが、さてこの後はどうなるだろう?  河野太郎さん、高市早苗さん、岸田文雄さん。総理大臣の椅子に座りたいのはわかるが、そのために、派閥を仕切っている安倍晋三さんや麻生太郎さんの顔色をうかがいすぎ。その目に国民は映っているのか? そう見えない。白けている人も多いのではないか?  候補者のお三方とも、森友問題などの疑惑の追及はしないといっている。なんで? 疑惑は追及すべきだろう。安倍さんへの、おもねり方がハンパない。安倍さん=日本ではないのに。見ているこっちはかなり引く。脱原発で飛ばしていた方も、その説をかなりトーンダウンさせたし、どんだけ安倍氏が怖いのか?  かつて「自民党をぶっ壊す」といって総理になった人がいた。それが良いか悪いかは置いといて、自民党内において、もうそんなことはいい出せないのだろう。安倍さんの党なのだから。彼らに自浄作用などない。 室井佑月(むろい・ゆづき)/作家。1970年、青森県生まれ。「小説新潮」誌の「読者による性の小説」に入選し作家デビュー。テレビ・コメンテーターとしても活躍。「しがみつく女」をまとめた「この国は、変われないの?」(新日本出版社)が発売中※週刊朝日  2021年10月1日号

    週刊朝日

    22時間前

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    「自民党総裁選」書店では高市早苗が河野太郎を圧倒のワケ 『岸田ビジョン』は埋没

     17日に告示された自民党総裁選(29日投開票)は、いよいよ候補者同士の論戦がスタートした。その舞台は、テレビや記者会見だけではない。実は書店の場でも、候補者の著書が“デッドヒート”を繰り広げている。特に好調なのは、高市早苗前総務相の著書だ。9月15日の発売以降、万単位での重版を重ね、“河野本”に2倍以上の部数差をつけている。実売でみても、アマゾンの総合ランキングで1位が続き、若い女性層にも売れるという政治本では異例の展開をみせている。なぜこれほどまでに売れるのか。実態を取材した。 *  *  * 候補者の著書の中でとりわけ売れているのが、高市早苗氏の『美しく、強く、成長する国へ。―私の「日本経済強靱化計画」―』だ。出版社は、雑誌『Will』などを発行する株式会社ワック。同社の出版局長は、「爆売れです。当初の想定をはるかに上回る。ここまで売れるのはびっくりです」と喜びを口にする。  アマゾンでは発売前から予約が相次ぎ、9月5日から総合ランキング1位。22日時点まで、一時的に2位に下がることはあったが、ほとんどの期間で1位が続いている。 「アマゾンの総合ランキングで1位を2週間も続けている状態は、日本中で今一番売れている本だと言っても過言ではないと思います。書店には店頭在庫を行き渡らせるようにしていますが、アマゾンの方では配達までに時間がかかるケースもありました。注文が一気に集中して、さばききれなかったのだと思います」(同)  22日16時時点でも、高市氏の著書は1位をキープ。一方、8月27日に発売された河野太郎行政改革相の著書『日本を前に進める』(PHP新書)は74位。発売日にずれがあるとはいえ、売れ行きは高市氏が突出している。  リアル書店ではどうか。書店の展開では、高市氏の著書が発売される9月15日以前までは、河野氏の「一強」だった。ほかの候補者では、岸田文雄前政調会長が昨年9月に出版した『岸田ビジョン 分断から協調へ』(講談社)や、野田聖子幹事長代行が2018年に出した『みらいを、つかめ多様なみんなが活躍する時代に』(CCCメディアハウス)があるが、発売から月日がたっていることも影響しているのか、河野氏には及ばない。  だが、高市氏の著書が発売された15日以降、書店での勢力図が一気に変わった。15日と18日、丸善丸の内本店に足を運んだところ、15日時点では、エントランスのある1階で河野氏・高市氏の著書が4面ずつと均等に配置されていたが、18日時点では、1階では河野氏が3面、高市氏が5面に。2階の新書スペースでは、“高市本”が“河野本”の5倍ほどの面数で大々的に積まれていた。  三省堂書店神保町本店では、新書の週間ランキング(22日時点)で、高市氏の著書が1位。河野氏は5位だった。岸田氏の著書は両氏に比べると展開が薄く、野田氏の著書は在庫がなかった。  部数面では、河野氏の著書『日本を前に進める』は初版5万部と強気で、出版社からの期待の高さがうかがえた。8月27日の発売以来、何度も重版を重ね、今月17日時点で累計発行部数は5万9000部(4刷)だという。 「テレビなどメディアで紹介されることも多く、おかげさまで売れています」(PHP研究所広報担当者)  だが、高市氏の勢いはそれを凌駕している。  前出のワック出版局長によれば、初版は1万7000部だったが、6回にわたる重版で部数を一気に増やし、21日時点で13万7000部。実売もすでに6万部を超えており、刷り部数の5割近くに達しているという。  発売当初から毎日重版しているような状況です。たった1週間で10万部超えとなった本は弊社でも初めてです。ある大手チェーンの売り上げでは、2位の東野圭吾さんの新刊小説と桁が一つ違います」  発売後、書店からの評価もがらりと変わったという。 「政治本は売れないイメージを持たれている書店さんは多い。9月5日に先行販売を始めた紀伊國屋書店さんでも、当初はあまり気乗りしない様子でしたが、結果的に大変好調な売れ行きでした。安倍晋三前首相が高市さんの支持に回るというニュースが出てから、風向きが変わったように思います。書店さんからは『政治本でこれだけ売れてるのは驚き』という声もいただいていますし、政治本でこれだけ売れるのは、田中角栄の『列島改造論』以来なんじゃないかと言われたほどです」(同)  読者層でみると、男性読者は50代が多い。一方、女性の読者層では特異なデータが出たという。 「弊社の本の購買層は、通常であれば年配の方が多いのですが、高市さんの本に関しては30~40代の女性が多く、10代~20代の若い女性も買われているのが特徴です。『10代~40代女性』の合計値が、人口の多い層の『50代以上』の女性の約2.5倍というデータも出ています。若い女性からは、『高市さんが総理になれば痛快だ』といった声も聞かれました」  同出版局長は「個人的な意見ですが」と前置きした上で、高市氏への思いも語る。  テレビや新聞では河野さんが優勢という報道も多いですが、読者からの感想や書店での売れ行きを見ていると、高市さんが勝つ可能性も十分あると感じています。本の売れ行きだけで見たら総裁確実です。100代目の総理が初の女性となれば、さらに盛り上がると思います。ぜひ総裁になってほしいですね」  河野氏と高市氏の著書で、ここまで差が開いたのはどうしてなのか。出版物の動態調査などを手がける出版科学研究所の担当者は次のように推測する。 「高市さんの著書は、総裁選の公示日の少し前の9月15日の発売というタイミングが良かったのかもしれません。また、河野さんはこれまでもメディアやSNSなど、自らが前面に出て発信してきましたが、高市さんはそれまでメディアに出る機会はあまりなく、新鮮味がある。どんなことを考えているのか知りたい方も多いのではないか」  出版業界に関する数々の著書があるフリーライターの永江朗氏は、別の視点からこう分析する。 「保守思想のネット民たちと親和性の高い本は固定ファンがいて、ある程度確実に売れる数が見込めます。そのジャンルの人の本や、あるいは似た匂いのする本は必ず買うという人が一定数います。これまでも百田尚樹氏の著書や、明治天皇の玄孫である竹田恒泰氏の著書などが売れてきました。今回の候補者の中で高市さんの本が突出しているのは、それだけ彼女の保守主義的な言動や唱える歴史観が、保守的思考のネット民のマインドと親和性が高いからでしょう。高市さんと思想の近い安倍さんの支持層を中心に購買につながっているのだと思います」  自民党総裁の座に就けば、著書はさらなる売り伸ばしのチャンスを得る。それぞれの出版社は総裁選の動向を、固唾(かたず)をのんで見守っている。(AERA dot.編集部・飯塚大和)

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    19時間前

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    木村拓哉が外した“仮面”  SMAP時代「彼女いんのー?」にマジ回答

     圧倒的なオーラに、クールな孤高の人というキャラクター、そして美しいルックス。誰もが認めるトップスター、木村拓哉さんは「木村拓哉」を演じる努力を人知れず続けてきたのか? 映画「マスカレード・ナイト」で主演を務める木村さんに、素の自分を隠すマスカレード(仮面)は必要なのかと尋ねると──。 【前編/木村拓哉「この年になってもまだこんな思いをするんだ」と落ち込んだ】より続く *  *  * ──「マスカレード」は仮面の意味。世間が期待する木村拓哉像に応えるため、素の自分に仮面をかぶせることは?  みんなが木村拓哉をどんなふうに見てくれているのかはわからないけど、素の自分とそんなに離れていないと思います。心にシールドをつけて無理して仕事をしている感覚は全くないので。  でも、昔はそうじゃなかったかな。ペンライトを振って声援を送ってくれるファンの子たちに笑顔で手を振り返していた20代前半の頃は、知らず知らずのうちに仮面をつけていた気がします。自分からかぶるというよりは、現場に行くと必ず用意されているんですよ。「これが君の衣装で、キャラで、イメージだからね」って感じで。最初はそんなものかと思っていたけど、だんだん「これ変じゃね?」って思い始めて、外していった。  当時の自分はハードロックにド影響を受けていました。あんなに髪を伸ばしてる奴は他にいなかったでしょ。目見えてんの?ってくらい額のバンダナをずり下げたり。でもそうやって、かっけーな、素敵だなって思うものを自分のサイドに引きずり込んで表現していったら、仮面なんて必要なくなった。嘘っぽいのが嫌になったんです。  一つ、懐かしいエピソードがあって。SMAPのコンサートの途中、お客さんからの質問コーナーになったんですよ。「3階席の白いブラウスを着てる、そう、今うちわ振ってくれた君、でっかい声で質問言って」っていう感じで振ってみたら、「彼女いんのー?」って。 「いるに決まってんでしょ」って答えたら、会場中がキャーッて大変なことになり。終わってから、事務所の人に「何言ってんのあんた」って怒られました(笑)。 ──自分を自由に表現できるようになったきっかけは?  20代半ばでドラマ「ロングバケーション」(フジテレビ系)に出たことですね。それまで、自分にとって役を演じることはどこかポージングだった。でもヒロインの山口(智子)さんをはじめ共演者の方に恵まれて、生の現場を楽しむ感覚を知ったんです。  相手がこっちを見ているから、何が言いたいんだろうって見返す。目をそらしたら、なんでそらしたのか考えて反応する。変に計算して予定調和にプレイするのではなく、目の前の相手を全身で感じとるんです。  それと同時に、自分の中に生まれる、悲しいつらい楽しい好きといった感情をすべてひっくるめて思いっきり味わい、楽しむ。あの時あの現場であのメンバーに出会ってから、自分はやたら変わった気がします。  本当の表情や気持ち、自分というものを提示しなくても物事が進んでいくことに対して違和感をおぼえるようになった。それが、結果的に仮面を外すことにつながっていったんじゃないかな。  ファンの方との関わり方も変わりました。キャーッて手を振ってくれる人に、あえて「え?」「あ?」とかって意地悪したり(笑)。本当は、笑顔で手を振り返せばより喜んでもらえるんだろうけど、それってその場にいるみんなに向けたポーズだと思うんですよ。選挙前の政治家みたいな。でも、自分は一瞬だけでも相手とタイマンになりたいから、そういうリアクションになるんです。 ──休みの日は仕事モードをオフに?  完全にだらっとリラックスしちゃうと逆にストレスになるんです。少し緩めたい時は、ゆったり腰を下ろして真剣に映画を見るくらいの感じでバランスをとってます。  基本的には休みの日のほうが動いてますね。1万歩以上は歩くかな。動いている状態が一番快適なんです。じっとしていたら自分が澱んで濁っていく感じがして、歩くことで循環させている。頭がクリアになるので考え事にもいいですね。  ただ、一人で黙々と散歩するのは嫌なのでパートナーと一緒に。うちの犬ですよ。外に出ると喜んでくれるんだから、最高の相棒です。 (構成/本誌・大谷百合絵)※週刊朝日  2021年9月24日号より抜粋

    週刊朝日

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    雨上がり解散の宮迫が蛍原にフラれた本当の理由「テレビ復帰は厳しい」

     雨上がり決死隊の宮迫博之と蛍原徹が17日、正式に解散を発表し、業界に衝撃が走っている。「アメトーーク 特別編 雨上がり決死隊解散報告会」が同日に吉本興業公式YouTubeチャンネル、ABEMAで配信され、2人が解散に至るまでの経緯を語った。スポーツ紙芸能担当がこう明かす。「解散を持ちかけたのは蛍原さんと聞いて最初は驚きましたが、話を聞いて納得いきました。蛍原さんは今までずっと我慢して宮迫さんとまた一緒にやることを望んでいました。しかし、宮迫さんとこのまま、雨上がりを続けるのは、もう限界と判断したんでしょう。蛍原さんはアメトークを1人で回していますが、聞き上手でゲストのエピソードを引き出すのが巧い。雨上りの看板がなくなったことで制作サイドはオファーが出しやすくなるため、MCを中心に仕事が増えるのではないでしょうか。逆に宮迫さんの先行きは明るいとは言えません。テレビタレントとしてはお先真っ暗という状況です」 同番組で、蛍原は宮迫が闇営業問題で謹慎していた2年前を振り返り、「もしかしたら5年後とかになるかもやけど宮迫さんが戻ってきて、2人でまた頑張れればと思っていた。しっかり反省して、世間のみなさんの声が落ち着いてきたら、もう1回舞台での漫才から地道にいけたらと」と思いを明かした。 だが、宮迫がYouTubeを配信したタイミングが、闇営業問題で共に謹慎していたロンドンブーツ1号2号・田村亮の復帰ライブと会見を行う前日になったことに「方向性のズレを感じた」と語り、「宮迫と仕事をする後輩から逐一来る報告が心苦しかった。この屋号を外した方がみんなすっきりするんじゃないかと思い、気持ちがそっちにいった」と4月に解散の意向を伝えたという。 番組を見て、宮迫と蛍原の温度差を感じた視聴者は多かったのではないだろうか。コンビ解散を告げられた宮迫が「僕から言うのはおかしいかもしれませんが、ケンカ別れというわけではないんです」と語ると、蛍原が「フラれた側はそういうこと言わない方がいい」とたしなめた。 宮迫がゲストの芸人たちにツッコミを入れていた時、複雑な表情を浮かべた場面も何度も見られた。番組の最後に宮迫が得意の「ドロップキック」を蛍原に見舞う場面では、宮迫がコンビ歴を「蛍原さん、33年かな?」と自信なさげに口にすると、蛍原が「32年です」とツッコミ。「すごい…そういうとこよ。一番大切なところなの」と切ない表情を浮かべていた。 ゲストに2人と親交が深い東野幸治、出川哲朗、ケンドーコバヤシ、お笑いコンビのFUJIWARAの藤本敏史、原西孝幸、狩野英孝が参加。 出川は「一ついえるのは、アメトーーク!という番組は間違いなくバラエティー史上に残る番組だから、それを作ったことを誇りに思ってほしい。1回、笑いの金メダルをとったんだから。誇りを持って頑張ってほしい」と嗚咽して涙を流すと、藤本も顔にハンカチをあてて大号泣。「解散までせなあかんことなんですか!ほんとに納得できません!宮迫さんが悪いんですやん。宮迫さんのせいですよ、もう。最後だから言わせてもらいますけど。雨上がり決死隊がなくなるんですよ。あなたのせいで。最後なので思っていること言わせてこらいますけど。どんだけ迷惑かけるんですか、マジで」と涙を流した。 宮迫は19日未明に自身のYouTubeで、「昨日のアメトーーク!を終えて、お伝えしたいことがあります」というタイトルで動画を更新。こう猛省した。「最後にフジモンに言われたことが全てです。全部僕のせいです。僕のせいで雨上がり決死隊というのはなくなってしまいました。原西が言った『なんでこうなったのか』…最悪のタイミングでYouTubeを始めてしまったことです。ずっとコラボ相手の都合がっていう言い訳をしてしまった。でも、ちゃんと土下座して本気で謝ってお願いしたらズラすことはできたと思います。結局僕は自分のことばかり考えてたと思います」 そして、涙を浮かべながら続けた。「自分がこんな状況になって、一番しんどくて一番つらいって、そんなふうに思ってたんやと思います。待ってくれてる蛍原さんがどんなにつらい思いしてるとか考えれてなかった。1年半ずっと泣いてたってオンエアを見て、そんな思いをさせてたんだと。そんなこと分かってあげれてませんでした」 最後に、「こんな僕ですけども、応援してくれる人がいるならば、みんなを喜ばせることができるなら自分の出来る全力で頑張っていきます」と誓った。 宮迫のYouTubeのコメント欄には激励のメッセージも見られた。「蛍原さんや関係者側の言うこともわかるけど、宮迫さんが営業の件は全部悪いわけではないのに今はすべて宮迫さんのせいみたいになっていてされてきた苦労や努力を知っている人間からすれば可哀想と言う思いもあって胸が張り裂けそうですよ。どれだけ辛抱強く踏ん張っていたか。蛍原さんもだけど宮迫さんも。それぞれが自分の道を進んで大丈夫!応援してます」  一方、SNS、ネット上では辛口のコメントも…。「蛍原さんへの感謝の言葉、謝罪の言葉がもう少しあればよかったのにと思った。この場を作ってくれたテレ朝、吉本等でなく、まず蛍原さんが了承してくれたことに感謝すべきでは?と思うぐらい温度差を感じました」 民放テレビ関係者が宮迫の今後についてこう語る。「宮迫さんがテレビに復帰する可能性は現時点で限りなく低いと思います。後輩芸人の心達が離れてしまい、蛍原さんに同情的な声が多い。明石家さんまや大御所たちも番組に呼べないでしょう。YouTubeを主戦場にこれからも活動していくと思います」  宮迫、蛍原ら「雨上がり」のその後に注目したい。(牧忠則)

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    高市早苗氏の意外な過去にフェミニストも震えた 総理の座を狙う過程で何があったのか

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選に正式に出馬表明した高市早苗氏について。*    *  * 近しい人がデルタ株のコロナ陽性になったり、友人の同僚や、通っている美容院のお客さんが亡くなったりなど、夏以降、急速にコロナの危機が迫っているのを実感している。健康観察をされずに自宅で死亡した50代の方の話などを聞くと、東京五輪・パラリンピックに時間とお金と人材を費やすべきではなかったのではないかとつくづく悔しい思いになる。適切な処置を医療機関で受けられていたら、亡くならないですんだかもしれない命は少なくない。 Go Toキャンペーンやオリパラを強行することに専念してきた自民党政権が、トップの顔を代えただけで変われるとは思えず、期待には程遠い自民党総裁選。岸田文雄さんは、ボロボロの小さいノートを振りかざしては「国民の声を書き留めてきた、1年間で3冊、10年間で30冊」と様々なメディアでアピールしているが、正直、少ないと思う。薄いノートを1年でたった3冊埋めたくらいで、国民の声を聞いたとか言えるって、どんだけ聞いてこなかったかという話なのでは。河野太郎さんは、先日週刊誌でそのパワハラ言動が取りざたされていたが、ワクチン接種という、申し訳ないが素人目線でそこまで難しいとも思えない仕事でつまずいている人に期待するのはムリという話だし、高市早苗さんにいたっては、選択的夫婦別姓に強硬に反対するアンチフェミ女のイメージしかない。女性の人権に無関心な女性総理候補にいったい何の価値があるというのでしょう。 とはいえ、高市早苗議員、いったいどんな人なのか。32歳で衆議院議員に若くして初当選(※)。しかも同期の田中真紀子議員や野田聖子議員のように、親や祖父が国会議員だったというわけではなく、自民党員だったわけでもなく、サラリーマンの父と警察官の母という一般家庭から出てきた無所属の女性議員が、今、最も総理の椅子に近い女性となっている。なぜ高市さんは、政治家の道を選んだのだろう。どのように政治の道を歩いてきたのだろう。政治家としては多い著作のなかから国際政治評論家としてテレビで活躍していた頃に書かれた『30歳のバースディ―その朝、おんなの何かが変わる』(大和出版)、政治家2年目に記された『高市早苗のぶっとび永田町日記』(サンドケー出版局)を読んだ。 高市氏が大学を卒業したのは1984年。1986年に男女雇用機会均等法が施行されるが、この2年の差はやはりとても大きいものがある。女性が生涯にわたる仕事を手にすることも、そもそも親が大学に行かせてくれるかどうかも「女の子」であるというだけで諦めることがまだまだ当たり前にあった世代だ。特に地方であればなおのこと。保守的な奈良に育った高市氏も、当然のように「諦めさせられて」きた。例えば大学もそうだ。高市氏は第1希望だった早稲田と慶応のどちらも合格したにもかかわらず、「女の子のあなたを東京の私学で学ばせる余裕はない。弟の学費に回してほしい」と親に諦めさせられ、「女の子だから一人暮らしはさせられない」と通学に往復6時間かかる神戸大学に入学するのだ。 たとえ難関国立大学出身であっても、女性がその能力と希望に見合う就職先を見つけるのが難しい時代だった。「身の丈」よりもずっと小さく窮屈な型に押し込められる女性たちの悔しさは計り知れないが、高市氏の著書からはその類いの悔しさは強調されない。それは高市氏に並外れた行動力と決断力があり、自らの人生を切り開いてきた自負があるからだろう。たとえば、たまたま大学で目にした松下政経塾のポスターを目にして、直感に導かれるように松下政経塾に“就職”したり。たまたまテレビで見た女性議員で史上初の米国大統領候補指名争いに立候補準備を進めていたパトリシア・シュローダーに惹かれ、その2週間後にはワシントンに旅立ち、その情熱だけでシュローダー議員のオフィスで働き始めたり……若さゆえの大胆さと希望に満ちあふれた当時の高市氏のエピソード一つひとつに圧倒されてしまう。「女だから」と諦めさせられてきたのは大学まで、それ以降は絶対に諦めないという粘り強さで今の地位を築いていくのである。『30歳のバースディ』は文字通り30歳を迎えた高市氏がそれまでの人生を「ポップ」に振り返る本である。「BGMはいつもユーミンだった」「寂しいのはあなただけじゃない」「空港でまたまた恋人と涙の別れ」「男かペットがいなくちゃダメな私」「女と日の丸と視聴率の相関関係」「三〇女が孤独を感じるとき」といった目次からもわかるように、女友だちに話しかけるように書かれた軽く、優しいノリのものだ。アメリカから帰国し、若い政治評論家としてメディアに露出していたころで、日本の男性社会へのいら立ちも率直に記されている。「アメリカ議会では日本流のバカバカしい会議がないのが良かった。(略)ところが日本の企業では会議の場では何も決められない。本当は既に決まっているし、とっくに根回しが済んでいることを確認しあうだけの、儀式的な会議のなんと多いことか。でも、私たち女性は妙に正義感が強いので、このような巧妙な人間関係のテクニックとは相性が悪い」 90年代に若い女性が書いたテキストを追いかけながら、私は何度か噴き出したり、そうそうと共感したりと震えるような思いになる。ねぇ、高市さん、「女が入ると会議が長くなる」とほざく森喜朗さんに「あんたの会議はバカバカしい」とはやっぱり言えないものだったの? こういうまっとうないら立ちを文章にしてきた女性が、最も「わきまえる女」になっていく過程に、いったい何があったというの? さらにこういう率直さは、国会議員になった後に書かれた「高市早苗ぶっとび永田町日記」にも残っている。高市氏は歯に衣着せずに永田町のダメなところをきちんと切っている。「この一年間に永田町で一番多く耳にした言葉は次の二つ。『挨拶がない』『俺は聞いてないぞ』。委員会の審議日程が流れたり、大切な法案の採決がパーになったりする理由は大抵この二つだったりする」「笑い話のようなことばかりだが、事実、永田町政治は『理屈』ではなく、『メンツ』で動いている」 さらに、夜の会食や女性がいるクラブなどで行われる男たちの根回しで物事が決まっていく永田町で、女の自分が不利であることも記し、サッチャーのこんな言葉を引用し共感を表明するのだ。「私は最後まで党内基盤が弱かった。それは男性の世界の根回しに加えてもらえなかったからよ」 なにこの人……すごくまともな「一般人」の感覚で、すごくまともな「女の悔しさ」をストレートに出すフェミじゃないの? しかもそのまともさで、「総理大臣の資質」というものを論じ、当時の村山政権を真っ正面から批判している。明言しているわけではないが、高市氏自身が政治家として一番になること=総理になることを30代から目指しているのも伝わってくる内容なのだった。根回しから排除されてきたサッチャーが首相になれたように、パトリシア・シュローダーが80年代に大統領を目指したように、高市氏は政治家としてトップに行くことを最初から視野に入れていたのだ。 ……と、昔の高市氏の本を読んでいると、うっかり「がんばれ、早苗!」と言いたくなってしまう私がいるのだった。「総理になろうよ!!」と早苗の女友だちポジションに立って拍手したくもなってしまうのであった。まずい、まずい。正気に戻るために2011年に出版された『渡部昇一、「女子会」に挑む!』(WAC)も読んだ。櫻井よしこ氏、山谷えり子氏、高市早苗氏、小池百合子氏、丸川珠代氏・・・といった早々たる「わきまえ女」(帯には「なでしこ軍団」とある)たちと渡部昇一氏との対談本だ。 渡部氏との対談で、「総理になったら、まず何をしますか?」と聞かれた高市氏はこう答えている。「最初に、政府歴史見解の見直しをします。新たな歴史見解を発表して、村山談話を無効にします」 東日本大震災のあった年の9月に出版されている本だ。震災後から、こういう歴史修正主義を堂々とうたう本や、韓国ヘイト、「慰安婦」運動への過剰な攻撃は度を越していったという実感が私にある。保守政治家から極右政治家に舵を切るように発言をより過激化させていく高市氏の横顔が、対談にはしっかりと刻まれている。夫婦が別の姓を名乗ったら家族が崩壊すると適当なことを言い、戦時性暴力の責任を問わないどころかなかったことにすることが、高市さんの「目指した政治」だったのだろうか。この国の女性たちが権力に近づこうとするならば、率先して選択的夫婦別姓を批判し、「慰安婦」被害者をおとしめる発言をいとわず、女性の権利を口にするフェミを冷笑するというマニュアルでもあるのだろうか。 今いる自民党の女性議員の顔を、一人ひとり思い浮かべてみる。わきまえなければ権力に近づくこともできなかった女性たち。夜の会議や根回しから排除されながらも、その立場を維持するための努力は、二世・三世の男性議員たちとは全く違うものがあったはずだ。それでも、それほどの努力をしても、彼女たちが自らの後ろを振りかえったとき、彼女たちの後ろを歩きたいと思う女性はどのくらいいるだろうか。というかそもそも、その道は後続の女性のために開かれていたことはあったのだろうか。 かつて高市氏が憧れ渡米したパトリシア・シュローダーはテレビカメラの前で涙を流した。そのことによって20年以上「女の政治家は感情的だから、ダメだ」と言われ続け、「あなたの涙のせいで、女の地位が悪くなる」と責められ続けたという。女であるというだけでその「涙」が事件になるのは、昔のアメリカも今の日本も変わらない。そういう政治の世界でトップを目指す女性たちが、女性の味方であることを忘れるのは「仕方ない」ことなのだろうか。それとも、アンチフェミニズムの顔で女性をたたくような女性政治家しか出せない自民党政治そのものが終わっている、ということなのか。※訂正配信時の「32歳で衆議院議員に初当選、女性議員としては、当時憲政史上最年少だった」という一文を、「32歳で衆議院議員に若くして初当選」と訂正しました。高市氏の著書『高市早苗のぶっとび永田町日記』に「女性として憲政史上最年少当選」と記してありましたが、実際は1946年4月10に三木キヨ子氏が20代(当時)で当選していたため削除、修正します。■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    「鉄の女」高市氏か、「母である」野田氏か 自民党の女性リーダーに熱狂できない理由

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選と女性政治家について。 *  *  * 3連休中、テレビは自民党総裁選のニュース一色だった。この選挙に勝つ人がこの国の総理になるとはいえ、今やるべきニュースは他にあるはず。コロナ対策についても、4人のうち誰ひとり他の国で当たり前のように行われている無料のPCR検査については触れず、Go Toキャンペーンや東京五輪・パラリンピックの強行を反省する姿勢もない。そうこうしているうちに、沖縄は今、世界最悪の感染地域になってしまった。  もしこの総裁選がコロナ以前だったら。もし第二次安倍政権の誕生以前の日本だったら、自民党総裁選に女性候補が2人出たことを私は「うれしい」と思えただろうか。時代は変わった! と希望を持てただろうか。「自民党の多様性を示すために立候補した」と明言する野田聖子さんのキッパリしたスピーチを聞きながら想像をしてみるが、今は、とてもじゃないが、そんな気にならない。野田さんの背後にぴったり寄り添う、「八紘一宇」発言の三原じゅん子さんの姿を見ながら、多様性とは両極端の意見の人が同じグループで仲良くすることではないのにな、としらけた気持ちばかりが募る。  そもそも高市さんにしても、野田さんにしても、国のトップに立つ女性のイメージがアップデートされていないことにも驚かされる。高市さんは、「鉄の女」と呼ばれたサッチャー首相を理想としている。野田さんは特定の人をあげてはいないが、「他の3人と比べて私の強み、差別化」の一つに「私は母であります」と語っていた。現役の女性政治家が母になることが長い間許されなかった日本社会で、「母である」女性政治家はそれだけで意味のあることなのかもしれないが、鉄の女か、母なる女かの二択は随分な選択肢だ、というかここはほんとうに2021年なのか?   世界には今、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相や、フィンランドのサンナ・マリン首相など、鉄の女ぶらなくても、母アピールをしなくても、自分のまま、女のまま、個のままで国民に支持され、信頼されるリーダーがいる。そんな時代を生きる国が、日本の外にはあるのだ。なぜ80年代のイギリスに遡らなければいけないのか。    また野田さんは、不妊治療や生殖医療に関する法案を菅政権の中で推し進めてきた。フェムテックという、女性の健康をテクノロジーでサポートするマーケットにも意欲を燃やし、女性身体にまつわる政策にも熱心だ。とはいえ野田さんが反対の声を封じるようにスピード成立させた生殖補助医療法は、卵子提供ビジネス、ゆくゆくは代理母ビジネスに大きく道を拓くものであり、フェムテックに関しても「(女性のためという)きれいごとではない、経済としてフェムテックに関わりたい」と明言しているようにビジネスの要素がとても強い。野田さんがそういう人というより、女性身体や生命倫理に関わる繊細な問題もビジネスにしなければ政治マターにならないのが自民党、ということなのかもしれない。そういう意味で野田さんは、母であると同時に鉄だ。  女性が女性のままリーダーになれず、女性を軽く裏切ることが公平であるかのような顔をして、政治信条よりも組織に忠誠を示すことが政治家として優先される政治を、自民党の女性政治家の横顔にみてきた。なぜこうも、女性リーダーのイメージは冷淡なのか。  フェミニストで政治研究者の岩本美砂子氏による『百合子とたか子 女性政治リーダーの運命』(岩波書店)を読んだ。総理の椅子に最も近づいた2人の女性政治家としての歩みを、女性週刊誌の小さな記事から論文まで膨大な資料をもとに緻密に描きだすものだった。土井さんと言えば89年の「マドンナ旋風」という言葉とセットのように語られる。高市さんなどは当時から“マドンナ”には否定的で、台所から政治を変えるなんてハァ? というような“中高年女性”をバカにする様子が著書からははっきりと窺える。もちろん当時から、高市さんのような視線は決して珍しいものではなかった。それは今にいたるまで土井さんの評伝がほとんど書かれていないことと通じるだろう。この社会に土井さんを政治家として正当に評価する視線が欠けていた。    『百合子とたか子』には、土井さんが本気で女性政治家を増やそうとしていたこと、女性差別法律を変えるために尽力したこと、「マドンナ」と言われた多くの女性議員が、女性運動出身やフェミニスト研究など女性の権利運動に精通していた女性たちであったことなどが記録されている。なにより衝撃を受けたのは、私自身が全く忘れていたことでもあるが、1989年の8月9日、参議院では土井たか子氏が海部俊樹氏を上回った票で内閣総理大臣に指名されていた事実だった。衆議院では海部氏が票を上回ったことから第76代総理大臣は海部氏になるのだが、両院の首相指名が違ったことは1948年以来のことであり、また女性が首相指名されたのも初めてのことだった。  ページをめくる指に汗が滲む思いになる。もしあの年、1989年の夏に土井総理が誕生していたら……。あれが日本の政治の分岐点、日本の女性の地位の大きな分岐点だったのではないかという想像が止められない。もし土井さんがリーダーになる社会が生まれていたら、もしかしたら小池百合子氏はもっと違うタイプの政治家になったかもしれない。「戦争できる女」をアピールすることがリーダーの素質ではなく、女性の身体を躊躇なくビジネスにできることが経済に強い女性リーダーであるかのような、そんな苦しい選択肢を目の当たりにすることのない2021年だったかもしれない。少なくとも30年前の日本には、人々を熱狂させた明確な女性リーダーのイメージがあったのだ。平和憲法を守ることを使命とし、後続の女性を真剣に育てようとした女性リーダーの姿が。   1993年の衆議院選挙で、3人の保守女性政治家が誕生した。高市さん、野田さん、田中真紀子さんだ。高市さんは自民党の公認を期待していたが直前で裏切られたため無所属で当選、田中さんも後に入党した自民党に切られ自ら去り、野田氏も郵政民営化に反対したことから選挙区に刺客を送られるというさんざんな目にあう。党にぞんざいに扱われる経験を経ながらそれでも自民党総裁選までたどりついた2人の女性政治家の苦労は私には計り知れないものではあるが、それでも、89年のマドンナたちの明るい希望とはずいぶん遠いところにきてしまったものだなぁと思うのだ。女性リーダーの顔が「鉄の女」系なのが耐えられない。自民党を変えるのではなく、政権を変えたい。政治には軽やかで優しく柔らかい、明るい希望をみたいのだ。 ■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    19時間前

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    かまいたち「芸人としてのステージを勘違いしていた」最大の転機

     9月25日、2年ぶりのライブ「かまいたち単独ライブ2021『on the way』」の開催が決定したお笑いコンビ、かまいたち。10月2日までオンラインでの視聴も可能だ。10月からはレギュラー番組16本(うち冠番組9本)という、結成17年目の大ブレイクを迎えている超売れっ子。そんな2人に、久々のライブにかける思いと、これからの野望を聞いた。 ――2年ぶりとなる単独ライブが目前ですが、どんなライブになりますか? 濱家隆一 舞台装置を使った試みも、オンライン配信を使った試みも、今までにない新しいものになると思います。仕上がりはまだ想像がついていませんが、久々なのもあって、テンションが上がってることはたしかです。 山内健司 この2年、なかなか新ネタをやる機会もなくて、でもたぶん、我々への期待値や評価は上がってると思う。ハードルがすごく上がっていることを感じます。プレッシャーですよね。見ている人は、新ネタ、どんなんやんねん、ってなってると思うんで。 ――オンライン配信の最新の仕掛けとは? 山内 今回スワイプビデオというのを使って、いろんな角度からネタを見れるというのを初めてやります。10数台のカメラをステージに設置して、濱家目線、山内目線など、お客さんが自由にスイッチして好きな視点からステージを楽しめる。最大の見どころのひとつなので、それを見てほしいかなと。 濱家 僕らの真上とか、左右とか、いろんなところにカメラが置いてあるので、お好みの視点で楽しんでもらえる。カメラの向きを操作するわけではないので、オンラインの向こうに何人お客さんがいても、スイッチがスムースです。今回は配信に強くて、最新の技術が詰まっているハイテクな劇場を選ばせてもらいました。 ――新しいツールを使うことで、演者としての心境に変化はありますか? 濱家 舞台上でしか表せなかったものが、舞台以外のところでも面白みを作れるという、新たな発見にはなってますね。スワイプビデオを使っての単独ライブは、吉本初の試みらしいです。ライブ自体は、生で見る以上のことって多分ないと思っていて、現場で実際に生で見るのが一番楽しめるのは間違いないんですけど、それにかなり近づけるように、工夫した配信なんで。 山内 これまで僕ら、単独ライブの配信ってやったことがなくて、要は劇場に来てくれた人しか見られなかったんです。その代わり、全国5ヶ所を回ったりとかはあったんですけど、基本、どの公演も、抽選に当たった人だけが見られるみたいな感じだったんで。だけど今回はオンラインなので、買っていただければ全員見てもらえる。今回よかったら、また次は劇場に足を運んでほしいな、みたいな。 濱家 基本的には単独ライブっていうのは、劇場に足を運んでもらって生で見てもらいたいんで。だから、単独ライブの配信というのは、おそらく最後になるんちゃうかなと思うんですね。でも新しい発見があって、もっとこんなんできるんやないか? ってなったら、そういうのに特化した配信ライブをスタートするかもしれない。そんな最後で最初のライブになるんじゃないかなと。 ――この2年で、エンタテインメントの世界が大きく変わりました。その間にお2人が感じたことは? 山内 無観客ライブは何回かやらせてもらったことがあるんですけど、めちゃくちゃやりにくいというか……。手応えがなさすぎて、2人でふざけてるだけの感じがすごいしますね。やっぱり少しでもお客さんがいるのといないのでは、ぜんぜん違うなというのはありました。こういうご時世にならなかったら、配信系のイベントとか絶対してなかったと思うんですけど、やってみて、普段に見に来られない人とかが見れるっていうメリットはあるなと。新しい方法を見つけられたというのは、プラスではあるかなと思いますね。 濱家 僕は学生時代に女子のグループの近くで、大きい声で友達とエピソードトークして、女子が笑ってるかどうかチラチラ確認してたんですけど(笑)。その頃の自分と大して変わっていないんだって、無観客ライブをやってみてあらためて気がつきました。やっぱり僕は人を笑かすのが好きなんやと。無観客でやってるときは、自分が言ったことで笑ってる! よし! っていうのがないですから。 ――ここ数年、テレビで見かけない日はないほどの2人ですが、あえてライブにこだわるワケは? 山内 僕ら今もなんばグランド花月、ルミネとか出てるんですけど、やっぱり新しいネタを作らないと、同じネタをお客さんの前ですることになりますよね。劇場にたくさん足を運んでくれればくれるほど、このネタ前に見たなってなったらちょっと嫌なんで。あと、僕ら同じネタを繰り返すと、飽きちゃうタイプ。飽きるとネタのクオリティが下がってしまう。だから次々新しいネタは持っておきたいっていう意味で、単独ライブをして新ネタを作るっていうのが大事なのかなと思ってます。あと、後輩たちになめられないように、負けないようにっていうのもありますね。 濱家 単純に、お客さんの前でやるのが好きっていうのはあるので、だからライブを続けているっていう感じですかね。テレビも好きやし、ライブも好きやし。直にお客さん笑かすのが好きやから。 ――過去にも、単独ライブに助けられたことがあるそうですね。 山内 2015年のキングオブコントの2回戦で落ちたときが、僕らの最大の転機だと思っていて。それまでは準決勝まで毎回行ってたんですよ。初めて2回戦で落ちて、これはヤバいと。後輩になめられるって……。 濱家 ほんま、なめられるの嫌いやな(笑)。でもたしかにあの頃は自分たちの芸人としてのステージ(段階)を勘違いしていたというのはありましたよね。 山内 大阪である程度知名度もあるし、俺らを2回戦で落とすメリットはないよなって、そう思い込んでいたら……落とされました。めちゃくちゃ焦りました。次の年は絶対決勝行かな! みたいな感じで、単独ライブとかめっちゃ回数を増やしたんです。基本的な練習もするようになって、そっからM-1グランプリもキングオブコントも、決勝に行けるようになったりとか、だいぶ変わりましたね。 ――これからそれぞれでの仕事も増えると思います。やりたいことをおしえてください。 濱家 個人ですと……はい。歌手活動ですね。 山内 ……それ、ずっと言ってるな~(笑)。僕は個人としては、海外旅行ですね。 濱家 仕事じゃないんや! 山内 1ヶ月とか、そういう長期の休みって今まで1回もないんで、いつか長い休み取ってみたいなって思っていて。1ヶ月ぐらいハワイとか? そういうザ・芸能人の人が行くようなところに、行ってみたいなっていうのはありますね。 濱家 あと、目標を言うとしたら、僕は総資産30億円。はい。30億円を何かに使うんじゃなくて、俺は30億円持ってる人間だ! って、そうなりたいです。どこから出てきた額か? いえ、なんとなくざっくり30億円ぐらいやったら、いけるやろなと……後々には100億円ぐらいほしいですけど、30億円あったら100億円ってすぐやろなって思うし。 山内 70億円開きがあるけど……。どうやって稼ぐんや? 濱家 サイドビジネス! 山内 お笑いやない! 濱家 本業で30億円は無理やと思うんで。わかんないですけど。 山内 僕はコンビで各局のゴールデン番組制覇。月曜のゴールデンは〇×局、火曜のゴールデンは△□局というように全局、全曜日制覇する、みたいな。 濱家 すごいなそれ。見たことないわ。一瞬だけやったらええけど、それがもう一生ってなったら、めちゃくちゃしんどそう。山内 M-1もキングオブコントも、もう出られないので。でもゴールデンの司会については年齢制限もないし、ありえないことはないなと。奇跡的に一瞬だけなら、ありえるんちゃうかな。 ――最後に、ライブを見てくれる人にメッセージを。 濱家 配信で見てくださる皆さんにも、可能な限り楽しんでもらえる、面白がってもらえるライブをします。楽しみにしておいてください。 山内 そうっすね。年を追うごとに、かまいたちやな~とか、濱家やな~、山内やな~という感じが出るネタになってきてると思うんです。今回特にそういう感じのネタになってきてて、もう全部が同じようなネタになってます! 濱家 あかんがな! パターンが減ってきてるってことやん(笑)。 山内 とにかく、普段とあんまり変わらない。演じてるというより、ネタが普段言ってるようなことの延長線上にどんどん近づいてる。僕も普段と違うキャラに、めっちゃ入ってるっていうことは減りましたね。 濱家 たしかに、山内と濱家がずっとやってるっていうことなんで、下手したらトークライブです。 山内 限りなく、はい。 (ライター・福光恵) *週刊朝日オンライン限定記事 <オンラインチケットの購入方法>Fany Online Ticketで販売、10月2日午後12時まで。オンライン配信見逃し視聴は10月2日午後6時まで。詳細はhttps://online-ticket.yoshimoto.co.jp/ <かまいたちプロフィール>山内健司、濱家隆一によるお笑いコンビ。2004年、「鎌鼬」という旧名でコンビ結成。さまざまな賞を受賞し、大阪では確固たる地位を築く。東京に活動の拠点を移した18年には、キングオブコント優勝、また19年M―1グランプリ準優勝、21年、上方漫才大賞大賞受賞など、快進撃を続行中。

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    週刊朝日

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    天皇家の引っ越し 三種の神器「勾玉」を28年前に運んだ元侍従が明かす秘話「天皇は日本文化の継承者」

     9月20日、15日間に渡った天皇ご一家の引っ越しが終わった。  天皇陛下と皇后雅子さまは、赤坂御所を離れるにあたり、こう感想を寄せた。 「歴代の天皇がお務めを果たされる上での礎となってきた皇居に移ることに身の引き締まる思いが致します」  おふたりが、「身の引き締まる思い」と表現した通り、 「天皇家の引っ越しは、それは厳かな空気に包まれたなかで行われます」  そう話すのは、かつて侍従として天皇家の引っ越しを経験した多賀敏行元チュニジア大使である。  天皇家の引っ越しが特別なのは、皇位のしるしとされる三種の神器の存在だ。  神器のうちの草薙剣(くさなぎのつるぎ)と八尺瓊(やさかにの)勾玉(まがたま)が天皇とともに新御所に運ばれ、「剣璽(けんじ)の間」に納められるからだ。  9月6日、天皇ご一家は、両陛下が結婚の翌年から25年間を過ごした赤坂御所を出発し、皇居に入った。  陛下のうしろに二人の侍従が続き、皇后雅子さま、長女で内親王の愛子さまの順で新御所に入った。  二人の侍従の手にあるのは、「皇位のしるし」とされる剣と璽(じ=まが玉)だ。引っ越しに伴い、新御所の「剣璽の間」に納められるのだ。 「28年前の光景がありありと思い出されます」  元侍従の多賀さんは、懐かしそうにテレビの映像に写った引っ越しの光景を眺めた。  平成の天皇ご一家が、赤坂御所から新御所に移ったのは、1993年12月8日のことだ。  この日、多賀さんは侍従として勾玉<まがたま>を運ぶという重要な役目を担っていた。  三種の神器のうち、八咫鏡(やたのかがみ)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)の本体は、それぞれ伊勢神宮と熱田神宮が「天皇よりお預かり」する形で祀られている。  皇居・賢所にある鏡と御所にある剣は「形代(かたしろ)」と呼ばれる分身だ。  剣と勾玉は合わせて剣璽(けんじ)と呼ばれ、御所の「剣璽の間」に納められる。 「天皇陛下のすぐあとに続いたのは、陛下のハゼの研究に深く関わった古参侍従の目黒勝介さんでした。目黒侍従が剣を運び、勾玉(璽)を運ぶ私が続きました」(多賀さん)    平成も令和も共通するのは、天皇に続くのが皇后ではなく剣と勾玉を運ぶ侍従である点だ。 「通常ならば、天皇陛下に続くのは皇后さまですが、順番を譲られて剣璽のあとにおられた。剣と勾玉が皇位継承のしるしであるためでしょう」  剣璽が運ばれるときは、黒い箱に納められる。 三種の神器は、天皇自身も直に目にすることが出来ないとされており、もちろん侍従が箱を開け中を見ることもない。 「勾玉を運ぶ役目を、当時の山本悟侍従長より言いつかったのは数日前でした。両陛下と宮内庁は、外務省から侍従職に出向して間もない私に任せてくださった。その寛容さにただただ驚き、同時に間違いがあってはいけないと自分に言い聞かせました」  もっとも忠実な側近のひとりと言われた目黒侍従が背中を押してくれたこともあり、多賀さんは大役に臨んだ。  あまり知られていないが、天皇家の引っ越しならではの習慣もあった。   のちに侍従次長となる八木貞二侍従が、多賀さんにこう話しかけた。 「新御所へのお引越しの際は、お祝いの気持ちを謳う和歌をつくり、陛下に献上するのが習わしですよ」  和歌を詠んだこともない。ましてや陛下に献上した経験もない。  四苦八苦しながらなんとか一首を詠んだ。そして慣れない手つきで筆を持ち、半紙につづった。  天皇陛下にお供して、勾玉を捧げつつ、新しい御所の玉砂利を踏みしめて進む。新御所での陛下とご家族のご多幸をお祈りせずにはいられないーー。  陛下に献上したのは、そんな内容の和歌であったという。 「天皇家の日常は、和歌とともにありました。天皇が1月に催す『歌会始の儀』は、よく知られていますし、私がお仕えしていた頃は、毎月催された月次歌会(つきなみのうたかい)もありました」  かつて昭和天皇と平成の天皇の和歌の御用掛を務めた岡野弘彦さんは、こんな話を記者にしたことがある。  和歌といえば10万首を残したた明治天皇が有名だ。昭和天皇もまた、1万首の和歌を残したとされ、和歌のお好きな方だった。    お出かけ先で、安珍清姫伝説の伝わる日高川(和歌山県)をご覧になると、「日高川という題で和歌を作ってみたらどうだい」  と、そばの者におっしゃる。昭和天皇の時代は、そういう雰囲気があったという。  「いまも地方に天皇が行かれると、その土地の川や山の名前を詠み込んで、和歌をお作りになる。  それは、その土地で暮らす人々の生活への祝福の意味を持ちます」(岡野さん)  さかのぼること平安の時代。醍醐天皇が命じて編纂されたのが、日本最初の勅撰和歌集となった『古今和歌集』だ。歴代天皇や上皇、法皇が命じて編纂された勅撰和歌集は21集にも及ぶ。 「天皇陛下は日本文化の伝統を引き継いでおられる存在なのだと、あらためて実感したものでした」  平成の天皇ご一家が新御所へ引っ越した際や上皇ご夫妻の仙洞仮御所への引っ越しでは、作業をする間、ご本人方は御用邸などに滞在してきた。 コロナ禍がおさまらない今回の引っ越しでは、県をまたいだ行動を控えるために、天皇ご一家は宮殿に滞在した。 「もともと御用邸、というのは作業を職員に任せて、ご一家がのんびり休暇をお過ごしになるという話ではないのです。ご本人方が引っ越し先におられると、職員の作業がはかどらないという問題が生じます。そのために、いわば、職員の働きやすさへの配慮から、御用邸などに滞在していただいていたわけです。今回、天皇ご一家が御用邸に代わって滞在なさった宮殿は、生活する場所ではありませんのでさぞかしご不便もあったと思います」  天皇ご一家が新御所に移り、いよいよ本格始動する。令和の皇室は、どのような顔を見せてゆくのだろうか。 (AERAdot.編集部 永井貴子)  たが・としゆき 1950年生まれ。大阪学院大学外国語学部教授、中京大学客員教授。外務省に入省後、国連日本政府代表部の一等書記官などを経て93年から天皇陛下の侍従を務める。駐チュニジア大使、駐ラトビア大使を務め、2015年に退官。

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    18時間前

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    高市早苗に「プリテンダー」の声 女性の悔しさ知るはずなのに「この道しかない」のか

     高市早苗という政治家の原点は、自分に真っすぐな「シスターフッドの人」ではなかったか。「わきまえて」見える彼女のいまをつくったものは何か。AERA 2021年9月27日号から。 *  *  *  高市早苗前総務相が自民党総裁選への立候補を正式に表明した9月8日夜、テレビ各局の報道番組をはしごした。 「日本経済強靱化計画、いわゆるサナエノミクスの3本の矢は」  そう力強く語る高市さんの声を、何度も聞いた。「金融緩和、緊急時の機動的な財政出動、大胆な危機管理投資、成長投資」と続くのだが、それよりも気にかかったことが二つあった。  その1 自分で名付けておいて、「いわゆる」って言う?  その2 「アベノミクス」の継承・発展なら「タカイチノミクス」じゃない?  1からは権力者特有の図々しさを、2からはそのくせ「女子アピール」をする残念さを感じた。そしてこう思う。あーあ、結局、高市さんかー。  高市さんは2006年、第1次安倍内閣で内閣府特命担当大臣として初入閣した。以来、彼女の言動はずっと安倍さんへの「ですよねー」だったと思う。選択的夫婦別姓→反対、皇統→男系男子、靖国神社→参拝。「信念だ」と言うだろうが、指さし確認で従っている感じ。で、その甲斐あっての立候補。菅首相が引っ込んだ途端、彼女への支持を表明する安倍さんに、どんよりする。 ■シスターフッドの人  高市さんは1961年3月生まれで、私は1月生まれだ。同学年だけに自分の会社員人生が重なる。わきまえることが大切と教えてくれたのは森喜朗元首相だった。はい、よくわかりました。それが高市さん。  自分の話をもう少し続けると、30歳で結婚した。「そのうち別姓が選べるさ」と軽い気持ちで婚姻届を出さずにいたら、還暦を迎えてしまった。もし高市総裁なら、事実婚のまま古希か。もっと深刻なのは、日本中の若い女性が「わきまえないとダメだ」と思うことだ。いかーん。  そんなある日、作家で経営者の北原みのりさんと元衆院議員でジャーナリストの井戸まさえさんがクラブハウスで高市さんについて語り合っているのを発見、即、聞いてみた。高市批判が飛び交うことを期待したのだが、違った。2人は、彼女がまだ政治評論家だった92年に出した『30歳のバースディ』という本の話で盛り上がっていた。  厳しい母から逃れたくて早稲田にも慶応にも受かったのに、弟が私立中学に受かったからと断念させられ、奈良から神戸大学に往復6時間かけて通学した。ロックバンドでドラムを叩き、オートバイを操った。松下政経塾から突如、米国大統領選初の女性候補と目された民主党のパトリシア・シュローダー下院議員のインターンになった。合間合間に必ず挟まる、赤裸々な恋愛話……。そんな内容を語る調子に、彼女への共感がにじむ。2人が何度も引用していたのが、最後の一節だった。 「頑張っている同性の皆さん、一度っきりの人生だもの、自分に気持ちいいように生きようネ! GOOD LUCK、GIRL FRIENDS!」。高市さんはシスターフッドの人で、今の彼女はプリテンダーではないか。2人の一致した意見だった。 ■女性は「お察しします」  なるほどプリテンド(装う)か。シスターフッドは隠し、「安倍好み」のふりをし、総裁選へ。作戦としてはわかる。が、それでいいのかと割り切れない。2人に話を聞くことにした。  北原さんは高市さんを悪く語る人(とりわけリベラル系の男性)に、「女性嫌悪」を感じたという。極端な右寄りで問題ありの人だが、それにしてもひどい、と。そこで本を読み、原点を知り、驚いたという。 「安倍さんにすり寄って、実力以上に評価されている人というイメージだけど、これだけ2世、3世の多い政治の世界で、サラリーマン家庭出身の女性があそこまでの地位をつかんだ。そのためには野田聖子さんや小渕優子さんがしなくてもいいことを、たくさんしたと思う」  確かに、今回の総裁選へ立候補を表明している岸田文雄さんも河野太郎さんも、立候補を断念した石破茂さんも、みんな政治家の家に生まれている。 「高市さんは税金や軍事など、女が苦手とされるところに政治家としての自我を求めた。女だからと舐められないための戦略でもあり、舐められないために『女の味方ではない』と肩ひじを張った。それで保守の王道を歩みたいという思いはわかるけど、それにしてもあっちに寄りすぎちゃったよね、と思う」。そう言って、こう続けた。 「でも、そうなったのには訳がある。お察しします、と思います。女性だったらみんな、お察ししますなんじゃないかな」  井戸さんは元衆院議員。次期衆院選に立憲民主党から立候補する。政策は相容れないが、「高市さんは人として、信用できる」と言う。井戸さんは松下政経塾出身で、高市さんの後輩。卒塾式での体験があるからだ。 ■彼女だから候補に  研修担当者が塾生の思い出を語るのだが、そこで井戸さんはいきなり「香水がきつかった」と言われた。激しく傷つき何も言えずにいたら、「そんなこと、ここで言うことじゃない」と抗議してくれたのが高市さんだった。  それから10年以上経ち、井戸さんは自分の経験から「民法772条による無戸籍児家族の会」代表として活動していた。06年、高市さんが入閣、少子化担当でもあったので、民法改正を訴える手紙を送った。他にも法務相、総務相(菅義偉さんだった)らにも送ったが、返事があったのは高市さんだけだった。雛型にあてはめたものでなく、きちんと内容に則していて、手書きの署名が添えられていた。誠実に働き、きちんと事務所を運営している政治家だと思った。 「彼女を今の高市早苗にしたのは有権者であり自民党。彼女はそのルールブックに則ってきただけとも言えます。『女性の総理大臣候補が高市早苗なの?』っていろいろな人が言うけれど、彼女だから候補になれたというのが現実なんですよね」  その現実をはっきり見せられるのがつらい。そう井戸さんに言うと、こう返ってきた。 「多くの女性が結局、上に行くには彼女の道しかないことに気づいている。それで責任を感じるとまでは言わないけれど、自民党を、この社会を変えられなかったことがどこかやましく、だからつらいんじゃないでしょうか」 『30歳のバースディ』を読んだ。そこにいる高市さんは、自分に正直でまっすぐな人だった。その印象は、衆院選に初当選した2年後に出した『高市早苗のぶっとび永田町日記』でも変わらず、2章が抜群に面白かった。 ■悔しさ知っているのに  92年、地元奈良県から参院選に無所属で立候補、落選した顛末(てんまつ)が書かれている。当初、自民党公認で出るはずが、党県連会長に阻まれる。その経緯を一言でまとめるなら、「会議の場で言われたことを額面通りに受け取ったが、実は裏で違うことが進んでいた」というもの。怒り、悔しがる高市さん。だが、その翌年衆院選に無所属で立候補、トップ当選する。たくましい。  この時、高市さんが落ちたのは、「ボーイズクラブ」の陥穽(かんせい)だった。女性は立ち入り禁止の所で物事が決まり、今もあちこちで女性を待ち受けている。その悔しさを知っているのに、何で? と、思った端から思う。だからなのか、高市さん。  総裁選は、どうなるだろう。(コラムニスト・矢部万紀子)※AERA 2021年9月27日号

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    眞子さまが選んだアメリカへの“駆け落ち婚”の先にある「パパラッチ」と「生活費」の不安

     9月1日、秋篠宮家の長女である眞子さま(29)と小室圭さん(29)が年内にも結婚される方向で調整されていると報じられた。 お二人が婚約内定の記者会見をされた2017年9月から4年。小室さんの母親・佳代さんと元婚約者の間で「金銭トラブル」が報じられたことで延期になっていたが、正式な婚約となる皇室行事「納采の儀」や結婚に関連する儀式を行わずに、婚姻届を提出するということになるという。「儀式を行わずに結婚されれば、戦後の皇室では初めてのこと。眞子さまは、結婚により皇籍を離れ、結婚後は小室さんが滞在するアメリカで生活される見通しだといいますが、昨年、秋篠宮さまが示した『多くの人が納得し、喜んでくれる状況』からは程遠く、金銭問題も未解決のまま。まるで“駆け落ち婚”のようです」(皇室記者) 秋篠宮さまは昨年「憲法にも、結婚は両性の合意のみに基づくというのがあります」と結婚を認めるお考えを示されていたが、確かに女性皇族である眞子さまは、法的には当事者だけの合意のみで結婚できる。 さらに皇室を離れる際に支給される一時金(上限約1億5000万円)については受け取りを辞退する意向とも伝えられ、結婚後は小室さんが暮らす米国での生活を視野に入れているという。「昨年の秋頃から、眞子さまが30歳を迎える今年中には結婚される可能性が高いと皇室関係者の間では言われ続けていました。小室さんは今年5月に米ニューヨーク州のロースクールを卒業、7月に司法試験を受験し、12月中旬までには合否が判明します。米国では卒業時にはほとんどの学生が就職の内定をもらっていますから、小室さんもすでに就職の道筋はついているのでしょう。結婚後の生活基盤もできたことで、眞子さまとの新生活をスタートする準備が整った段階で婚姻届を提出するという流れは、おそらくお二人の計画だったと思います」(同) お二人が海外で生活をすると決めた背景には、これまでのようにマスコミに追われることなく静かに暮らしたいというお気持ちもあったのかもしれない。だが「メディアから解放されるどころか、もっと追われる可能性が高い」と話すのは皇室ジャーナリストだ。「小室さんが留学した時の紹介文に『プリンセス・マコのフィアンセ』という文言があったように、眞子さまが皇室を離れたとしても、皇族であったこと、将来の天皇陛下の姉にあたるという事実は変わりません。イギリス王室から離れたとしてもヘンリー王子とメーガン妃が王室の一員であったということに変わりはないのと同じです。まして、皇室行事などをせずに“駆け落ち”同然で結婚したとなれば、日本のメディアはアメリカまで追いかけていくでしょうし、アメリカのパパラッチも狙ってくるでしょう」(同前) また、皇籍離脱をしても、一般人と同じセキュリティーというわけにはいかないのでは、と話すのは海外在住のジャーナリストだ。「警備に関しては日本にいる時のように、税金で警備はしてもらえません。現地の大使館や領事館を通じて現地の市警とも密に連絡を取らなければなりません。仮にパパラッチに付きまとわれて、事故などが起きた場合は外交問題にまで及ぶ可能性もありますから、警備は重要になります。しかも、警備費はほとんどが自費で賄うことになるでしょうし、日本の警備費の何倍もの高額です。一時金でも足りないぐらいの費用になるでしょう。小室さんは、就職が内定していても初任給は1500万円とも2000万円ともいわれますが、ニューヨークで暮らす場合、東京よりも物価も家賃も高く、保険はさらに高額になります。小室さんの給料だけでは、ギリギリなのではないでしょうか」 愛さえあれば、2人でいれば、どんな困難も乗り越えられる……という純愛を貫いて結婚を待ち望んでいた眞子さまだが、結婚後はまた別の懸念材料が増えることになりそうだ。(緒方博子)

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    「高市氏の昔を知っているよ」 総裁選候補者3人で最も優れているのに胸がザワつく理由

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選に立候補を表明している3人の議員について。 *  *  * 連日、自民党総裁選関連のニュースがメディアを占めている。この国に暮らす人々の生存をかけた衆議院選挙のほうがよほど重大なはずなのに、無駄に自民党の生存をかけた総裁選につきあわされているようでつらい。災害レベルのコロナ禍で重要なときに臨時国会を開かず、自党の人事に時間を費やす自民党の体質が、トップが代わったところで変わるとは思えない。とはいえ、あと一歩で総理の椅子に座る3人の候補者に女性が入っていること、その女性が候補者の中で最も右寄りであること、容姿を誹謗中傷する批判が“彼女にだけ”されていることなど、日本の女性政治家が置かれている現実を生中継で日々見せられているようで、それはそれで気になってしまうのだ。 候補者3人の出馬表明記者会見を見た。それぞれ力のこもった熱弁を見ながら、改めて菅さん (菅義偉首相) は、相当なレベルで話が下手だったのだと気づかされる。滑舌が悪いうえに自分の言葉で話さない、原稿すらうまく読めないので頭に入ってこない。東京五輪・パラリンピック開催に疑問を投げかける記者には、「安全安心」と繰り返すだけで誠実さのカケラもなかった。さらに記者に対して威圧的であり、社名を名乗らない記者に対していら立つなど、器の小ささを露呈してしまう場面を幾度となく見てきた。喋れば喋るほど、人の心が離れていく総理大臣だった。 菅さんに比べると3人の候補者の話は、フツーにまともだった。……と、「底」を強いられてきた者として認知の歪みが生じてしまっているのだろうかと自分でも不安になるが、今回、高市早苗氏の会見を初めて長時間聴いてみて驚いた。テンポ、滑舌、論理性、具体性において出馬表明記者会見としては3人の中で最も優れていたからだ。記者からの質問に逃げずに丁寧に答えていたのも好感を持てた。  例えばTBS「報道特集」のキャスター膳場貴子氏が、高市氏が過去にしていたサイテーの発言「(生活保護を)さもしい顔をしてもらえるものはもらおうとか、弱者のふりをして少しでもトクをしようと、そんな国民ばかりいたら日本が滅びる」を引き、「困窮する国民をどういう目で見ているのか確認をさせてください。弱者への視点が欠けている不安、批判の声があるが、どう受け止めているか聞かせてください」と迫った。高市さんに対する強い批判を含んだ良い質問だった。 もしこれが、安倍さん (安倍晋三前首相) だったらと想像する。女性アナウンサーからの質問にまずニヤニヤと冷笑し、しかし顔色は変わり、早口でまったく方向違いの旧民主党政権批判を延々繰り返し「それはですね、民主党政権時代の批判の流れでの発言だったのでございます。文脈をですね、私の発言の文脈をですね、いいですか、きちんと見ていただいたうえでですね、そのようなご質問をしていただきたきたいのでございます」とか言いそうだし、麻生さん (麻生太郎財務相) だったら「そうかね、覚えてねぇな」とか言いかねず、菅さんだったら「えー、私はこれまで通り全力で国民の安全安心を最大限に考えて、政治を行っていくことに変わりはありません」とか言うのでは。テレビカメラの前で“女性”記者に批判された、ということで頭がいっぱいになり、誠実に答えようともしない“男性”政治家の振る舞いに私たちはあまりにも慣れてしまっていた。 その日、高市氏は膳場氏の批判質問に顔色も声のトーンも変えることはなかった。にこやかなまま、その発言がいつ、どの場で行われたものかを記憶の中で語り、「これは皆様の大切な税金。福祉というものは公正、公平が原則であるべきだと私は考えています」とし、さらに子どもの貧困問題等について語り、そのうえで「これが私。素直なほうなので、さまざまなアドバイスには柔軟に対応する」とも言った。  このやりとりに、私は見入ってしまったのだった。威圧的だったり、不誠実だったり、中身のない政治家答弁にあまりにも慣れ過ぎていたからこその驚きであるのだが、ただ新鮮だった。もちろん、高市氏のような政治家の言動が生活保護受給者に対する社会の偏見を生み、貧困を再生産し、生活保護を受けられずに餓死するような人々を生み出す現実をつくってきた。そういうリアルが見えない高市さんが与党の政治家であることが私は恐いが、それでも「どのような考えに立っているのか」ということを説明することをこの人は逃れなかったという印象は残った。 一方、岸田氏は国民の声を聞いてきたという薄く小さなノートを振りかざして「私にとりまして大切な財産。このノートを読み返した上で、私は改めてやるべきことがあると感じています」と豪語する。外国特派員協会で記者会見を開くなど、去年の総裁選よりもパフォーマンス力があがっているように見えるが、選択的夫婦別姓についての意見を問われ、「引きつづき議論しなければならない課題」と言うなど、いったい誰の声を聞いてきたのか問いたい。今年の共同通信の調査によれば選択的夫婦別姓は国民世論で6割が賛成している(30代では7割)。だいたい選択的夫婦別姓は80年代からずっと提案され、深く積み重なった議論の歴史があるのだ。国会での議論を拒否し続けてきた自民党の単なる勉強不足が、選択的夫婦別姓を邪魔しているだけ。まだ、「自分ごと」として通称使用拡大の具体的実践に全力を尽くしてきた高市氏のほうが勉強しているし、わかっているように見える。 河野太郎氏の記者会見が一番、今までの自民党の威圧的政治家の流れをくんでいるように見えた。質問は1社一つというルールを一方的に強いては、「(河野さんは)脱原発派ですか?」という質問に対して「どういう定義で脱原発というか人によって違うので、何か一つの言葉でくくるのはやめておいたほうがいい」と打ち切り、それ以上の質問を許さなかった。記者が本当に聞きたいことは分かっているはずだし、そこから深まる議論もあるはずなのに、意味のない答えを短めに返すのが目立った。  河野氏は若手からの期待が大きいと、報道では言われている。「河野さんは発信力があります」と30代の議員が胸を張るようにテレビカメラに向かって話しているのを見た。発信力とは単純にテレビに出る回数とか、Twitterのフォロワー数とか、なんとなくの人気のことを言っているのではないかと思うが、それは政治家にとって必要な力なのだろうか。記者会見で衝撃だったのは、韓国メディアの記者が「特に韓国を含めた、近隣国に向けての外交政策のビジョンを聞かせてほしい」と質問した時の答えだ。外務大臣を務めたこともある河野氏の答えは、こういうものだった。「G7の中で日本はユニークな立ち位置。キリスト教をベースとした文明の上に成り立っていない国は日本だけ。だから外務大臣として自分はアジア、中近東、アフリカといった国々の思いを代弁できる日本でありたーい、と思ってきた。自由民主主義、基本的人権、法の支配、こうした価値観を共有して一緒に前に進みたーいと思っている。それぞれの国にはそれぞれの歴史がある。一足飛びにみんなが同じことをできるわけではありませんー。そういうなかで、ヨチヨチ歩きであっても同じ方向を進もうとしている国にしっかりと寄り添える、そういう日本でありたーいと思っている」 ……これは外交政策なのでしょうか。ヨチヨチ歩きだけど一緒に寄り添っていこうね、って。これは元外務大臣による総裁選立候補の時に語るような言葉なのだろうか。高市氏を推すわけでは決してないが(というか、私にその権利もないが)、高市氏だったら具体的に質問に正確に答えようとするのではないか、大人の言葉で。 最近、「高市早苗の昔を知っているよ」という人と立て続けに話をする機会があった。20代のころ、高市氏は400ccのバイクを乗り回していたという。30年以上前、400ccのバイクに乗る女性は少なかった。私も10代のころ、400ccのバイクに乗りたくて教習所に行ったのだが、「女は小型から」と中型免許すら取らせてもらえない空気があり、一日でやめた。「中型取りに来たんです」と言っても、「じゃあ、起こしてみな」と道路に転がる400ccをコツも教えてもらえず起こせと言われて憤慨した。あの時の悔しさは今もまだ心のどこかに残っている。80年代のことだ。そういう時代のなかで、中型・大型バイクに乗る女性たちは道で出会っては、自然に話しかけるようなことがあったという。当時のバイク仲間の女性は、若かった高市さんが目を輝かせながら「私は保守系の政治家になるんだ」と、夢を語っていたのを覚えている。   高市氏を見ていると、胸がざわつく。「政治家を知るためには、その人の選挙区と選挙歴を知らなければならない」とは、無戸籍問題に取り組み続け衆議院議員になった井戸まさえ氏の言葉だが、高市氏がもし、奈良という保守が強い土地ではなく、都市部の選挙区の人だったらどうだったろうか。選択的夫婦別姓、女性天皇・女系天皇容認などについて肯定派の多い都市部のような場所で保守派の政治家として立っていたら、どうだったろうか。安倍さんへの、悲しいほどのすり寄りは、二世議員である小渕優子議員や、祖父が政治家だった野田聖子議員だったらしなくてもよい媚びにも見える。高市氏自身の葛藤を勝手に想像しながら、そういう女性議員の姿を見てこちらも引き裂かれるような葛藤を味わう。女性がのびのびと政治ができる国になってほしい、そして正当に評価されるようになってほしい。今起きているのは、自民党の大物男性の庇護のもとでの自由と、それでも女性であるゆえに正当に評価されない日本社会の女性嫌悪だ。精神衛生上よくないので、早く終わらせて、衆議院選挙で自民党政治は終わってほしい。■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    眞子さまの結婚どう思う? 瀬戸内寂聴が27歳スタッフに質問した結果

     半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。*  *  *■横尾忠則「スジ金入りの肉体的朦朧体、大観より本格派です」 セトウチさん 耳が聴こえなくなったと言うと、「きっと作品が変るわよ」と、ベートーベンじゃあるまいし、変なことおっしゃると、その時はそう思いましたが、本当に変ったんです。その変り方が理に適(かな)っているといえば適っている。つまり聴こえないことは、音の輪郭が失くなることです。そうなると音が朦朧(もうろう)となって、横山大観の朦朧体の絵のように音がボケて聴こえるんです。耳がボケると、日常生活もボケて、曖昧模糊(あいまいもこ)となって、したことと、してないことの区別もわからなくなるんです。つまり虚実の区別ができなくなって、夢で見た仕事の依頼を、本当に依頼されたと思って、やっちゃったりするんです。ボケの症状に似てるけれど、ボケ老人になったんではなく耳のせいだと理解しているので、そこはまだ理性がコントロールしています。 ハイ、絵の話だったです。大観は思想で朦朧体を描きましたが、僕はスジ金入りの肉体的朦朧体なので、思想のようなチョロコイ考えではなく、肉体的ハンデキャップによる堂々たる自然体派です。大観よりこっちの方が本格派です。そんなわけでセトウチさんの大予言は的中しました。 先っきも言いましたが境界線が失くなるということは自由のキャパシティも拡張したことになります。近代人は何でもかんでも境界線を引いて、全てを分業化します。縄文時代はひとりの人間が、多面的に物事をこなしていました。狩猟(しゅりょう)も農業も、漁業も工芸も、子育ても、教育もひとりでするという、境界線をはずした労働生活です。現代のような役割分担などしません。正に多義的です。越境した狩猟社会です。 難聴が与えてくれた神の恩寵です。だから病気の高徳です。僕が度重なる病気によって救われてきたということはこういうことです。神は人間に色々な苦難を与えますが、病気は罪ほろぼしでもカルマ落としでもなんでもないのです。人間の進化向上のためのカリキュラムだと思えばどうでしょう。難聴のほかに、腱鞘炎(けんしょうえん)にもなりました。もう、セトウチさんの「幻花」のような繊細(せんさい)な描写の絵など描けません。今は太い筆やハケを握りしめて、キャンバスにバンバン叩きつけるように描いています。それも痛いので、左手で描きます。左手は思うような形が取れません。幼児の絵より下手くそになります。でも、デュビュッフェは幼児の絵のマネをして、幼児風に描きますが、そんな意図的なことをしなくても、僕の左手はそのまま幼児以上に下手に描けます。これもハンデキャップから来た自然体です。 今書いている手紙では、前にも同じことを書きましたかね。境界を越えると時間差もなくなって、やったことと、やらないことの区別がわからなくなるのです。いよいよ本格派老人です。100歳老人のセトウチさんにも負けていません。ただ僕はセトウチさんのように年齢には拘っていません。拘っているのは他人の方で、今行っている展覧会では「85歳、85歳」と年齢を売り物にされています。歳のことは言うな! アーティストには年齢はないのです。昨日の続きが今日、今日の続きが明日です。原始社会では年齢など無関係です。アーティストは原始人です。■瀬戸内寂聴「私もヨコオさんに負けないように!」 ヨコオさん 何だか、ずいぶん久しぶりにこの往復手紙を書いているような気がします。 それにしても相変わらずコロナは豪勢を極め日本はおろか、世界的にその力を奮っています。 コロナのせいで、人に会えず、寂庵はずっと門を閉めっぱなしです。コロナになる前はもちろん、一も二もなく門内に入ってもらっていました。 大抵遠く九州や東北から来られた人で、まだ生きている私に逢えたと言って、抱きついて泣き出します。もちろん、私は丁寧にお迎えして、写経などしてもらい、お茶菓子を一緒に食べて、しばらくその人のお話を聞きます。つきあいの人もあれば、寂庵の信者を自称する人もあり、初めて門内に入ったという人もいます。「まさか、門内に入れてもらえると思わなかった」と泣き出す人もあれば、「生きている寂聴さんに逢えた!」と、子供のように足を踏み鳴らす人もいる。「とても百歳には見えない!」と誰もが感嘆してくれるが、終日ベッドに横になり、本ばかり読んで、一日を過ごしている私の毎日の状態など話せない。私は、人に逢っている間だけは、必死になって元気らしさを演じ、声を張り上げる。客の帰る時は、長い廊下の途中で、へばってしまい、さっさと歩く客の跡がおえない。 ──だって百だもの……──と、私は廊下の途中で、ペシャンコに座り込み、つくづく、自分に向かって言う。 食事だけは時間が来ると、しゃきっと体がのび、食卓の自分の位置に早々と座り込んでいる。「あら、お昼はもう召し上がりましたよ!」 スタッフの一人が、わざと大きな声を張り上げる。「私のスパゲティは、どうしてこんなに美味しいのだろうなんて、お世辞までいただいて」「そうよ、ほんとに! でも今ここに座ったのは、食べるためでなくて、眞子さんの結婚をどう思うかって、寂庵で一番若い二十七歳のP子の意見を聞きたいのよ」「ああ、眞子さん、ほんとに、よかったですね。大体、みんなあんまりこの結婚に意地悪すぎましたよ。でも、どうして一時金を眞子さんは辞退なさるのかしら? 貰う権利のあるお金でしょう? あんまり弱気にならない方がいいと思うけど……」 ヨコオさん、今、寂庵の中は、こんなにのんびりしています。耳が聞こえないのは、私も同然です。テレビの時なんか、びっくりするほど大きな声にしてくれるので、何とか会話が出来ています。鶯も、秋の夜の虫の音も、私の耳にはさっぱり聞こえません。ヨコオさんとTELしてるのを横で聞いてる人があれば、どんなにおかしいでしょうね。耳だけでなく体のあちこちがどしどし衰えてきます。 そのうち、きっと、自分の死んだこともわからなくなって、──ヨコオさんにTELして!──など叫んでる日が来るのでしょうね。でも目がよく見えているので、一日に二冊は厚い本を読み切っています。ヨコオさんの展覧会、ますます人気上昇でおめでとうございます。私もヨコオさんに負けないよう、あっとこれまでと変わった小説を二つくらい書き残して死にたいものですね。 では、また。※週刊朝日  2021年9月17日号

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    高市早苗氏の意外な過去にフェミニストも震えた 総理の座を狙う過程で何があったのか

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選に正式に出馬表明した高市早苗氏について。*    *  * 近しい人がデルタ株のコロナ陽性になったり、友人の同僚や、通っている美容院のお客さんが亡くなったりなど、夏以降、急速にコロナの危機が迫っているのを実感している。健康観察をされずに自宅で死亡した50代の方の話などを聞くと、東京五輪・パラリンピックに時間とお金と人材を費やすべきではなかったのではないかとつくづく悔しい思いになる。適切な処置を医療機関で受けられていたら、亡くならないですんだかもしれない命は少なくない。 Go Toキャンペーンやオリパラを強行することに専念してきた自民党政権が、トップの顔を代えただけで変われるとは思えず、期待には程遠い自民党総裁選。岸田文雄さんは、ボロボロの小さいノートを振りかざしては「国民の声を書き留めてきた、1年間で3冊、10年間で30冊」と様々なメディアでアピールしているが、正直、少ないと思う。薄いノートを1年でたった3冊埋めたくらいで、国民の声を聞いたとか言えるって、どんだけ聞いてこなかったかという話なのでは。河野太郎さんは、先日週刊誌でそのパワハラ言動が取りざたされていたが、ワクチン接種という、申し訳ないが素人目線でそこまで難しいとも思えない仕事でつまずいている人に期待するのはムリという話だし、高市早苗さんにいたっては、選択的夫婦別姓に強硬に反対するアンチフェミ女のイメージしかない。女性の人権に無関心な女性総理候補にいったい何の価値があるというのでしょう。 とはいえ、高市早苗議員、いったいどんな人なのか。32歳で衆議院議員に若くして初当選(※)。しかも同期の田中真紀子議員や野田聖子議員のように、親や祖父が国会議員だったというわけではなく、自民党員だったわけでもなく、サラリーマンの父と警察官の母という一般家庭から出てきた無所属の女性議員が、今、最も総理の椅子に近い女性となっている。なぜ高市さんは、政治家の道を選んだのだろう。どのように政治の道を歩いてきたのだろう。政治家としては多い著作のなかから国際政治評論家としてテレビで活躍していた頃に書かれた『30歳のバースディ―その朝、おんなの何かが変わる』(大和出版)、政治家2年目に記された『高市早苗のぶっとび永田町日記』(サンドケー出版局)を読んだ。 高市氏が大学を卒業したのは1984年。1986年に男女雇用機会均等法が施行されるが、この2年の差はやはりとても大きいものがある。女性が生涯にわたる仕事を手にすることも、そもそも親が大学に行かせてくれるかどうかも「女の子」であるというだけで諦めることがまだまだ当たり前にあった世代だ。特に地方であればなおのこと。保守的な奈良に育った高市氏も、当然のように「諦めさせられて」きた。例えば大学もそうだ。高市氏は第1希望だった早稲田と慶応のどちらも合格したにもかかわらず、「女の子のあなたを東京の私学で学ばせる余裕はない。弟の学費に回してほしい」と親に諦めさせられ、「女の子だから一人暮らしはさせられない」と通学に往復6時間かかる神戸大学に入学するのだ。 たとえ難関国立大学出身であっても、女性がその能力と希望に見合う就職先を見つけるのが難しい時代だった。「身の丈」よりもずっと小さく窮屈な型に押し込められる女性たちの悔しさは計り知れないが、高市氏の著書からはその類いの悔しさは強調されない。それは高市氏に並外れた行動力と決断力があり、自らの人生を切り開いてきた自負があるからだろう。たとえば、たまたま大学で目にした松下政経塾のポスターを目にして、直感に導かれるように松下政経塾に“就職”したり。たまたまテレビで見た女性議員で史上初の米国大統領候補指名争いに立候補準備を進めていたパトリシア・シュローダーに惹かれ、その2週間後にはワシントンに旅立ち、その情熱だけでシュローダー議員のオフィスで働き始めたり……若さゆえの大胆さと希望に満ちあふれた当時の高市氏のエピソード一つひとつに圧倒されてしまう。「女だから」と諦めさせられてきたのは大学まで、それ以降は絶対に諦めないという粘り強さで今の地位を築いていくのである。『30歳のバースディ』は文字通り30歳を迎えた高市氏がそれまでの人生を「ポップ」に振り返る本である。「BGMはいつもユーミンだった」「寂しいのはあなただけじゃない」「空港でまたまた恋人と涙の別れ」「男かペットがいなくちゃダメな私」「女と日の丸と視聴率の相関関係」「三〇女が孤独を感じるとき」といった目次からもわかるように、女友だちに話しかけるように書かれた軽く、優しいノリのものだ。アメリカから帰国し、若い政治評論家としてメディアに露出していたころで、日本の男性社会へのいら立ちも率直に記されている。「アメリカ議会では日本流のバカバカしい会議がないのが良かった。(略)ところが日本の企業では会議の場では何も決められない。本当は既に決まっているし、とっくに根回しが済んでいることを確認しあうだけの、儀式的な会議のなんと多いことか。でも、私たち女性は妙に正義感が強いので、このような巧妙な人間関係のテクニックとは相性が悪い」 90年代に若い女性が書いたテキストを追いかけながら、私は何度か噴き出したり、そうそうと共感したりと震えるような思いになる。ねぇ、高市さん、「女が入ると会議が長くなる」とほざく森喜朗さんに「あんたの会議はバカバカしい」とはやっぱり言えないものだったの? こういうまっとうないら立ちを文章にしてきた女性が、最も「わきまえる女」になっていく過程に、いったい何があったというの? さらにこういう率直さは、国会議員になった後に書かれた「高市早苗ぶっとび永田町日記」にも残っている。高市氏は歯に衣着せずに永田町のダメなところをきちんと切っている。「この一年間に永田町で一番多く耳にした言葉は次の二つ。『挨拶がない』『俺は聞いてないぞ』。委員会の審議日程が流れたり、大切な法案の採決がパーになったりする理由は大抵この二つだったりする」「笑い話のようなことばかりだが、事実、永田町政治は『理屈』ではなく、『メンツ』で動いている」 さらに、夜の会食や女性がいるクラブなどで行われる男たちの根回しで物事が決まっていく永田町で、女の自分が不利であることも記し、サッチャーのこんな言葉を引用し共感を表明するのだ。「私は最後まで党内基盤が弱かった。それは男性の世界の根回しに加えてもらえなかったからよ」 なにこの人……すごくまともな「一般人」の感覚で、すごくまともな「女の悔しさ」をストレートに出すフェミじゃないの? しかもそのまともさで、「総理大臣の資質」というものを論じ、当時の村山政権を真っ正面から批判している。明言しているわけではないが、高市氏自身が政治家として一番になること=総理になることを30代から目指しているのも伝わってくる内容なのだった。根回しから排除されてきたサッチャーが首相になれたように、パトリシア・シュローダーが80年代に大統領を目指したように、高市氏は政治家としてトップに行くことを最初から視野に入れていたのだ。 ……と、昔の高市氏の本を読んでいると、うっかり「がんばれ、早苗!」と言いたくなってしまう私がいるのだった。「総理になろうよ!!」と早苗の女友だちポジションに立って拍手したくもなってしまうのであった。まずい、まずい。正気に戻るために2011年に出版された『渡部昇一、「女子会」に挑む!』(WAC)も読んだ。櫻井よしこ氏、山谷えり子氏、高市早苗氏、小池百合子氏、丸川珠代氏・・・といった早々たる「わきまえ女」(帯には「なでしこ軍団」とある)たちと渡部昇一氏との対談本だ。 渡部氏との対談で、「総理になったら、まず何をしますか?」と聞かれた高市氏はこう答えている。「最初に、政府歴史見解の見直しをします。新たな歴史見解を発表して、村山談話を無効にします」 東日本大震災のあった年の9月に出版されている本だ。震災後から、こういう歴史修正主義を堂々とうたう本や、韓国ヘイト、「慰安婦」運動への過剰な攻撃は度を越していったという実感が私にある。保守政治家から極右政治家に舵を切るように発言をより過激化させていく高市氏の横顔が、対談にはしっかりと刻まれている。夫婦が別の姓を名乗ったら家族が崩壊すると適当なことを言い、戦時性暴力の責任を問わないどころかなかったことにすることが、高市さんの「目指した政治」だったのだろうか。この国の女性たちが権力に近づこうとするならば、率先して選択的夫婦別姓を批判し、「慰安婦」被害者をおとしめる発言をいとわず、女性の権利を口にするフェミを冷笑するというマニュアルでもあるのだろうか。 今いる自民党の女性議員の顔を、一人ひとり思い浮かべてみる。わきまえなければ権力に近づくこともできなかった女性たち。夜の会議や根回しから排除されながらも、その立場を維持するための努力は、二世・三世の男性議員たちとは全く違うものがあったはずだ。それでも、それほどの努力をしても、彼女たちが自らの後ろを振りかえったとき、彼女たちの後ろを歩きたいと思う女性はどのくらいいるだろうか。というかそもそも、その道は後続の女性のために開かれていたことはあったのだろうか。 かつて高市氏が憧れ渡米したパトリシア・シュローダーはテレビカメラの前で涙を流した。そのことによって20年以上「女の政治家は感情的だから、ダメだ」と言われ続け、「あなたの涙のせいで、女の地位が悪くなる」と責められ続けたという。女であるというだけでその「涙」が事件になるのは、昔のアメリカも今の日本も変わらない。そういう政治の世界でトップを目指す女性たちが、女性の味方であることを忘れるのは「仕方ない」ことなのだろうか。それとも、アンチフェミニズムの顔で女性をたたくような女性政治家しか出せない自民党政治そのものが終わっている、ということなのか。※訂正配信時の「32歳で衆議院議員に初当選、女性議員としては、当時憲政史上最年少だった」という一文を、「32歳で衆議院議員に若くして初当選」と訂正しました。高市氏の著書『高市早苗のぶっとび永田町日記』に「女性として憲政史上最年少当選」と記してありましたが、実際は1946年4月10に三木キヨ子氏が20代(当時)で当選していたため削除、修正します。■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    木村拓哉が外した“仮面”  SMAP時代「彼女いんのー?」にマジ回答

     圧倒的なオーラに、クールな孤高の人というキャラクター、そして美しいルックス。誰もが認めるトップスター、木村拓哉さんは「木村拓哉」を演じる努力を人知れず続けてきたのか? 映画「マスカレード・ナイト」で主演を務める木村さんに、素の自分を隠すマスカレード(仮面)は必要なのかと尋ねると──。 【前編/木村拓哉「この年になってもまだこんな思いをするんだ」と落ち込んだ】より続く *  *  * ──「マスカレード」は仮面の意味。世間が期待する木村拓哉像に応えるため、素の自分に仮面をかぶせることは?  みんなが木村拓哉をどんなふうに見てくれているのかはわからないけど、素の自分とそんなに離れていないと思います。心にシールドをつけて無理して仕事をしている感覚は全くないので。  でも、昔はそうじゃなかったかな。ペンライトを振って声援を送ってくれるファンの子たちに笑顔で手を振り返していた20代前半の頃は、知らず知らずのうちに仮面をつけていた気がします。自分からかぶるというよりは、現場に行くと必ず用意されているんですよ。「これが君の衣装で、キャラで、イメージだからね」って感じで。最初はそんなものかと思っていたけど、だんだん「これ変じゃね?」って思い始めて、外していった。  当時の自分はハードロックにド影響を受けていました。あんなに髪を伸ばしてる奴は他にいなかったでしょ。目見えてんの?ってくらい額のバンダナをずり下げたり。でもそうやって、かっけーな、素敵だなって思うものを自分のサイドに引きずり込んで表現していったら、仮面なんて必要なくなった。嘘っぽいのが嫌になったんです。  一つ、懐かしいエピソードがあって。SMAPのコンサートの途中、お客さんからの質問コーナーになったんですよ。「3階席の白いブラウスを着てる、そう、今うちわ振ってくれた君、でっかい声で質問言って」っていう感じで振ってみたら、「彼女いんのー?」って。 「いるに決まってんでしょ」って答えたら、会場中がキャーッて大変なことになり。終わってから、事務所の人に「何言ってんのあんた」って怒られました(笑)。 ──自分を自由に表現できるようになったきっかけは?  20代半ばでドラマ「ロングバケーション」(フジテレビ系)に出たことですね。それまで、自分にとって役を演じることはどこかポージングだった。でもヒロインの山口(智子)さんをはじめ共演者の方に恵まれて、生の現場を楽しむ感覚を知ったんです。  相手がこっちを見ているから、何が言いたいんだろうって見返す。目をそらしたら、なんでそらしたのか考えて反応する。変に計算して予定調和にプレイするのではなく、目の前の相手を全身で感じとるんです。  それと同時に、自分の中に生まれる、悲しいつらい楽しい好きといった感情をすべてひっくるめて思いっきり味わい、楽しむ。あの時あの現場であのメンバーに出会ってから、自分はやたら変わった気がします。  本当の表情や気持ち、自分というものを提示しなくても物事が進んでいくことに対して違和感をおぼえるようになった。それが、結果的に仮面を外すことにつながっていったんじゃないかな。  ファンの方との関わり方も変わりました。キャーッて手を振ってくれる人に、あえて「え?」「あ?」とかって意地悪したり(笑)。本当は、笑顔で手を振り返せばより喜んでもらえるんだろうけど、それってその場にいるみんなに向けたポーズだと思うんですよ。選挙前の政治家みたいな。でも、自分は一瞬だけでも相手とタイマンになりたいから、そういうリアクションになるんです。 ──休みの日は仕事モードをオフに?  完全にだらっとリラックスしちゃうと逆にストレスになるんです。少し緩めたい時は、ゆったり腰を下ろして真剣に映画を見るくらいの感じでバランスをとってます。  基本的には休みの日のほうが動いてますね。1万歩以上は歩くかな。動いている状態が一番快適なんです。じっとしていたら自分が澱んで濁っていく感じがして、歩くことで循環させている。頭がクリアになるので考え事にもいいですね。  ただ、一人で黙々と散歩するのは嫌なのでパートナーと一緒に。うちの犬ですよ。外に出ると喜んでくれるんだから、最高の相棒です。 (構成/本誌・大谷百合絵)※週刊朝日  2021年9月24日号より抜粋

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    クロちゃんが家賃29万の物件へ引っ越し 「水曜日のダウンタウン」がカメラ設置でも納得の理由

     安田大サーカスのクロちゃんが、気になるトピックについて“真実”のみを語る連載「死ぬ前に話しておきたい恋の話」。今回のテーマは「引っ越し」。「水曜日のダウンタウン」(TBS系)の協力もあり、15年ぶりに引っ越しをしたクロちゃん。新居は、以前の部屋よりも、かなりグレードアップしたようだが、なんとリビングと寝室には「水曜日のダウンタウン」が「カメラ」を仕掛けているという。「24時間365日」監視される刑務所のような暮らしだが、クロちゃんはまったく動じていないようだ。その理由とは? *  *  *  先日、ボクは15年ぶりに引っ越しをした。「水曜日のダウンタウン」(以下:水曜日)を見てくれた人ならもう知っているよね。  簡単に経緯を説明すると、ボクがこれまで住んでいたマンションが老朽化によって取り壊しになることが決まっちゃったんだ。で、その情報を聞きつけた「水曜日」がボクのために「物件探し」の企画をやってくれたってわけ。それだけ聞くと、「『水曜日』、優しいじゃん」って思う人もいるだろうけど、「物件探し」の企画に行き着くまでに、一人で無人島に行かされたり、危険な崖を登らされたり、海を泳がされたりと、過酷なロケをやらされてるから、ちょっとその優しさは複雑(笑)。まあでも、ボク一人だったら、こんなにスムーズに引っ越しできなかったと思うから、そこはほんとうに感謝してる。  ちなみに、ボクが、これまで住んでいた部屋は、築60年を超える2DKのマンション。古い物件だったから、エレベーターなんてなかったし、外観はボロボロで、お化け屋敷みたいだった。これまで何度か女の子を連れてきたこともあったけど、どの子も「え…?ここなの?」みたいな、微妙なリアクションばかりだったね。「室内はリフォームされてるからキレイなんだよー」とかって、必死にごまかすのが大変だった。最近では、そうやってごまかすのもしんどいから、女の子を部屋に連れ込む時は、外観がはっきりと見えない夜にしていたからね(笑)。  「それなら、もっと早く引っ越せばよかったのに」って思う人もいるだろうけど、ボクは、とにかく引っ越しが大嫌いなんだ。この連載でも伝えたこともあるけど、この世で、最も嫌いなものが、引っ越しといってもいいかもしれない。だって、とにかく面倒くさいでしょ?   不動産屋に足を運んで、色んな物件を見て、もろもろ書類を書いて、引っ越し業者に依頼して、荷物をダンボールに詰めて、新しい部屋の家具の配置とかを決めて…とか、もう面倒くさいことだらけ。こんなものに時間をかけるくらいなら、もうずっと同じ部屋でいいやって思っていたくらいだからね。  そんなボクが、今回、引っ越しができたのは、こういう面倒くさい作業を、「水曜日」のスタッフやボクのマネージャーが手伝ってくれたっていうのが、めちゃくちゃ大きい。だって、ゴミが100袋以上も出たんだよ? 冒頭でも伝えたけど、絶対ボク一人では、引っ越しできていない。ほんとに助かったよ。  新しい部屋の広さは87平米で、間取りは2SLDK。しかも屋上までついている。ワンフロアに一戸だから、隣人ことを気にしなくていいのも魅力。家賃は29万円。以前のマンションが家賃12万円だったから倍以上の価格だね。  以前の部屋は、至るところにモノが散乱して、とにかく汚かったから、今回の部屋は、なるべくキレイな状態を保つことが目標。リビングと寝室がちゃんと分かれているから、これまでみたいにベッドの上でご飯を食べるような行為はもうやめたよ。タレなどをこぼしたりすると、すぐにシミとかできちゃうしね。「ベッドは食卓じゃないんだな」っていうのを、今回の引っ越しで改めて気づけたよ。  15年も住んだんだから、退去する日はけっこう寂しくなったりするんだろうなって思っていたんだけど…正直、まったく何も感じなかったなー。これには、ボクも驚いたよ(笑)。逆に、「すっきりした」っていう気持ちのほうが大きいかも。  改めて、ボクってアップデートが早い人間なんだなって痛感した。15年も住んだのに、自分の手から離れた途端、興味がなくなっちゃった。正直、もう、どんな部屋だったかも、あんまり覚えていない。部屋の電気の位置って、どこだったっけな…。 ●24時間365日カメラで監視  新しい部屋は大満足なんだけど、1つだけ、おかしな点があったりもする。それは、リビングと寝室にカメラが取り付けられていること。設置したのは、もちろん「水曜日」のスタッフ。以前の部屋でも、新たな企画のたびに隠しカメラをつけたり外したりしていたみたいなんだけど、もうその作業がいちいち面倒くさいから、最初からつけておくということみたい。もう言い分がむちゃくちゃだよね。  これで24時間365日、「水曜日」のスタッフはいつでもボクの部屋を監視できる状態らしいんだ。ボクのプライバシーはどこにいったの!って、すごい嫌だったよ。  ただ、今では、カメラがあることに、もうすっかり慣れちゃって、何とも思わなくなってるんだけどね。むしろ、ボクが体調悪くなって倒れたりしたら、救急車を呼んでくれるかもしれないから、逆にプラスに考えてたりもしている。泥棒が入ってきても見つけてくれるかもしれないから防犯上も良いしね。よくよく考えたら、監視されるのって、すごいありがたいことなのかも。  とにかく、せっかく広くて、キレイな部屋に引っ越してきたんだから、ゆくゆくは女の子が好きそうなオシャレな部屋にしてやるつもりだしん! (構成/AERA dot.編集部・岡本直也)

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    小林麻耶が離婚へ 夫から解放されても修復が難しい「海老蔵一家」と「TBS」

     今年3月から別居状態にあった小林麻耶(41)と夫の國光吟氏(37)が離婚に向けて協議を始めたという。7月1日発売の「女性セブン」によると、当初は麻耶自身も別居が一時的なものになるか、離婚への準備期間となるかはわかっていなかったが、周囲のサポートもあり自分の意思で結論を出す段階に入ったようだ。 2人が結婚を発表したのは2018年7月。出会って2カ月、“交際ゼロ日”での電撃婚は周囲を驚かせたのはもちろんだが、國光さんの行うスピリチュアル色の強いセラピーやカウンセリングなどに傾倒する麻耶を心配する声も少なくなかった。「それ以降の2人の行動といえば、まるで麻耶さんのマネジャーのようにどこへ行くのにも國光さんが同行し、次第に仕事場でも國光さんが口を出すようになったといいます。そして昨年11月に『グッとラック!』(TBS系)の電撃降板と所属事務所との契約解除があり、麻耶さんの彼への依存ぶりが心配され始めました」(女性誌記者) 一時期は麻耶が「洗脳状態」にあるのでは?などと心配もされたが、次第に2人の関係は冷めていったようだ。結局、3月には別居となったが、國光氏と距離をとった麻耶を誰よりもサポートして見守り続けたのは、麻耶の母親だったという。「お母さんの元に戻ってからは、麻耶さんも徐々にこれまでのことを冷静に振り返ることができるようになったそうですが、最も彼女の心を揺り動かしたのは麗禾ちゃん(9)と勸玄くん(8)の存在です。國光さんと結婚してからは、海老蔵さん一家とも以前のように頻繁に関わることがなくなり、あれほどかわいがっていた子どもたちともここ1年ぐらいは会っていないといいます。お母さんは、麻央さんの闘病中には麗禾ちゃんと勸玄くんの面倒を見て家事一切を取り仕切っていました。お母さんから伝え聞く2人の様子やYouTubeで見る成長ぶりに会えない辛さが募ったのでしょう。そんな麻耶さんの異変に気づいて、お母さんはメンタル面も含めてフォローし続けているそうです」(同前) だが、仮に離婚が成立したとしても、今後の麻耶の状況が元通りになるかといえば、「すぐには難しいかもしれない」と芸能ジャーナリストは話す。「まずは麗禾ちゃんと勸玄くんとの関係です。麻央さんの闘病中はお母さんと共に彼女もよく面倒を見ていて、子どもたちも懐いていましたが、海老蔵さんが現在の状態のまま、麻耶さんと距離をとり続けるのであれば、以前のような家族ぐるみの関係に戻るには時間がかかるでしょう。海老蔵さんはこれからは『十三代目市川團十郎白猿』と『八代目市川新之助』の襲名披露公演も控えていますから、あまり“雑音”は入れたくないのではないでしょうか」 また、広告代理店関係者は麻耶の復帰をこう心配する。「いずれ麻耶さんも仕事復帰を考えているでしょうが、義理を欠くようなことをしてしまった古巣のTBSや前の所属事務所からのバックアップは期待できないでしょう。それ以上に、はたしてタレントとして需要があるのかも疑問です。國光氏とのお騒がせカップルのイメージがまだ根強く残っていますから、CMや司会などで起用するのは厳しいのでは」 麻耶はこの日、自身のブログを更新したが、離婚報道には言及しなかった。“目が覚めた”麻耶が目の前に待ち受ける新たな壁に気づき、それを乗り越えた時に、彼女は本当に自由になれるのかもしれない。(宮本エミ)

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    眞子さま「駆け落ち婚」の何がいけないのか 森暢平教授、国民「小姑」化を憂う

     婚約内定発表から約4年のときを経て、ようやく成就する眞子さまの結婚は、手放しの「祝福ムード」とはいかぬままゴールを迎えそうだ。2人の結婚をどうとらえればいいのだろうか。皇室の結婚に詳しい森暢平教授に寄稿してもらった。 *  *  *  眞子さまとの婚約が内定している小室圭さん(29)が近く、米国から帰国する。10月中にも自治体に婚姻届が提出されるはずである。  週刊誌やSNSにはいまだに「駆け落ち婚」への非難が多いが、バッシングを続けても2人が結ばれることには変わりがない。  それよりも、なぜ2人が結婚し、それに対し、あまりよくない思いを持つ人が多いのはなぜかを考える方が、生産的ではないか。 「『私』を抑えて国民のために尽くしてきたことで敬愛され、信頼を得てこられたのが皇室です。ところが眞子さまは『好きだから結婚する』というお考えを最後まで崩しませんでした。(略)『わがままを通した』ということ。『私』を優先したことにより、裏切られたと感じる国民も少なからずいます」  静岡福祉大の小田部雄次名誉教授のコメントである(『週刊新潮』9月16日号)。申し訳ないが、共感できない。この論理に沿うと、滅私奉公が皇室の務めだということになる。結婚においても好きな人を選んではならないということになる。天皇・皇族の自由意思は否定されるべきなのか。  皇室にはかつて「同等性の原則」「婚姻勅許(ちょっきょ)制」というルールがあった。同等性の原則は、明治の皇室典範が「皇族の婚嫁(こんか)は同族、又は勅旨(ちょくし)に由り特に認許せられたる華族(かぞく)に限る」(39条)と定めたものである。皇族は、同族(つまり皇族同士)か、認められた華族としか結婚できなかった。さらに、40条が「皇族の婚嫁は勅許に由る」と婚姻勅許制を明記した。皇族の結婚は、天皇の許可が必要だった。  明治日本は2つのルールを主にドイツから取り入れた。同等性の原則は、ドイツ皇帝が連邦諸侯の王女と結婚するように、身分が近い者と結婚しなければならないと限る通婚制限原則である。上位貴族以外との通婚は許されない。婚姻勅許制は、身分違いの結婚を望んでも国王から許可されないし、それでも結婚したいのならば、生まれた子に王位継承権は与えられないという決まりである。いずれも帝位・王位の正統性を保つために定められた。  ルールにもとる婚姻は、貴賤結婚・不正結婚である。英語ではレフト・ハンディッド婚(左手の結婚)と呼ばれた。こうした19世紀的通婚制限は、20世紀になると欧州でも古びた慣行になっていった。  日本においても、1928(昭和3)年、秩父宮が平民籍にあった松平節子(のち勢津子妃)と結婚するなど規制緩和が進んでいく。戦後の正田美智子(現・上皇后さま)の結婚が、非華族(平民)との通婚だとして国民的祝賀を受けたのは、ご存知の通りである。  婚姻勅許制は現在も形式的に残っている。2017年、眞子さまと小室さんの結婚について天皇の裁可(さいか)があったと報じられたことである。  この件は、戦後初めての女性皇族の結婚、和子内親王の事例に遡(さかのぼ)る。1950年、鷹司平通(たかつかさとしみち)との結婚が裁可されるとき、婚姻は両性の合意のみに基く、と定めた日本国憲法24条との整合性が問題となった。そこで、裁可は皇室内部の手続きとして簡略化し、外部に公表しないことを決めた。  だから、その後の女性皇族の結婚で裁可が公表された例はない。眞子さまのときだけ、なぜか公表されたのである。  近代の皇室の歴史は、国民とのフラットな関係への志向(皇室平民化路線)と、権威化路線とのせめぎ合いのなかにあった。戦後皇室は基本的には、平民化路線へと向かっていた。  だが、近年、怪しくなってきた。それは、災害や経済的苦境が続き、日本の国際的地位が低下したことと無関係ではない。人は、何かに確信が持てないとき、過去とのつながりを確認したくなる。正統性、伝統、国家というアイデンティティーにすがりたくなるのだ。従来の通婚範囲から大きく外れた場所から出現した小室さんを受け入れにくいのは、私たちが、不安の時代を生きているからである。  眞子さまの結婚の裁可が公表されてしまったのは、宮内庁が前例を忘れたという単純な理由によるものだろう。 ありのままであるために必要  だが、その深層には、天皇に権威性を求めてしまう社会の変化がある。不安定な政治に飽き飽きする私たちは、不変なものを皇室に求めてしまう。皇室は無私(わがままを言わない存在)だと信じたくなってしまうのだ。  そもそも、孫娘の結婚に、祖父の許可が必要な家庭など今の日本にはほぼ存在しない。皇室の存在意義は、日本の家族の鏡であることだ。そこからの逸脱こそ、皇室の存続にかかわる。  確かに、小室さんは同等性の原則からは大きく外れる。しかし、21世紀の私たちは、100年以上前の原則を皇族に押し付け続けるべきなのか。  息苦しい日本で、若者たちは、相手の地位や年収や容姿といったステレオタイプ化した異性の魅力を重視していない。一緒にいて居心地のいいこと、ありのままの自分でいられることが最も重要である。社会学はこれをコンフルエント・ラブ(融合する愛)と呼び、従来型の恋愛と区別している。  眞子さまが選んだ小室さんは、まさに、ありのままの眞子さまであるために必要な存在である。眞子さまの言葉を借りれば、小室さんは「かけがえのない存在」であり、2人の結婚は「自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択」である。この言葉に、国民は戸惑っていると言う人がいる。社会の不安を眞子さまの結婚への期待に置き換えるべきではない。  国民と皇族は違うという人もある。同じである。逆に、同じであろうとしたことこそ皇室と国民を結ぶ回路であった。皇族にもプライバシーもあれば、個人的な欲望もある。恋もする。  国民が総小姑(こじゅうと)状態になり、眞子さまの結婚に注文を付けること自体、異様である。『週刊朝日』を含めたメディア報道もおかしかった。  結婚を両親が認めたことも明らかで「駆け落ち婚」と呼ぶのはもはや適切ではない。仮に「駆け落ち婚」だとしても、そのどこが問題なのか。  彼女の結婚を見守ることしか、私たちがなしうることはない。※週刊朝日  2021年10月1日号

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    改革者か暴君か…河野太郎の素顔  側近議員は「脱原発封印」批判に反論「主張変わっていない」

     4人の候補者による舌戦が続く自民党総裁選。中でも台風の目と見られているのが河野太郎行革担当相だ。はたして河野氏とは一体何者なのか。 >>【前編:河野太郎氏「小石河連合」結集で党内勢力図に大異変 決選投票で勝つのは…】よりづづく  河野氏が生まれ育ったのは神奈川県平塚市。父は自民党総裁も務めた河野洋平・元衆院議長だ。祖父は河野派を率い、農林相や建設相を歴任した河野一郎氏で、3代続く政界のサラブレッドだ。  小学校は地元の花水小学校に6年間通った後、慶応義塾中等部、高等部と進んで慶大経済学部に入ったが、留学のためにわずか2カ月で退学。渡米後に、ジョージタウン大学に入学した。この頃に知り合ったのが、元自民党参院議員の山本一太群馬県知事だ。  「一番最初に会った時に『総理大臣になりたい』と言われて、『何だコイツは』と思ったのを今でも覚えています。当時から大胆で、決めたらすぐに行動に移す。良い意味で、情熱で突っ走る人でした」   85年に大学を卒業し、富士ゼロックスに入社。その後、96年の衆院選に33歳で初当選した。当時は父の洋平氏が現職。選挙前は河野家から2人の候補者が出ることに、洋平氏が猛反対したという。地元の後援者は言う。  「洋平さんとは選挙区は違っても、世襲議員ということで最初は批判があったのも確かです。それでも、本人は1期目から『総理大臣になる』と言い続け、努力を重ねてきた。そのことは地元の人もよく理解していて、次第に世襲で批判されることはなくなりました」   河野氏の代名詞となった原発政策批判は、2011年に東日本大震災が発生する前から取り組んでいたライフワークだ。   だが、これが党内で嫌われる原因になる。原発推進派を厳しく批判していた河野氏は、身内の自民党の政治家も容赦なく攻撃したからだ。   11年5月には、朝日新聞のインタビューで甘利明衆院議員(現・党税調会長)を批判。「次の選挙でそういう議員を落とすしかない」とまで言い放った。   この発言への反発は激しかった。今回の総裁選でも、甘利氏は河野氏について「(菅首相への批判の原因が)ワクチンの迷走と言われ、ワクチン担当相の評価が上がるってどういう構図になっているのかよくわからない」と、皮肉交じりに語っていた。その背景には、原発をめぐる対立があったのだ。   官僚への当たりも強い。最近も「週刊文春」が、河野氏がオンライン会議で資源エネルギー庁の幹部職員に対し「日本語わかる奴出せよ」などと高圧的に迫った一件を「パワハラの疑い」と報じた。ある経産官僚が語る。  「河野さんは強引で人の話を聞かずにああいう物言いをするから嫌われている。官僚の言うことを何でも聞く必要はないが、聞く耳を持たないと、安倍前首相や菅首相のように周りを自分のブレーンで固め、もっと官邸主導が強まるのではないか」   苛烈な性格ゆえに官僚から恐れられる一方、“激しさ”が突破力となり、改革につながることもある。飯塚盛康全経済産業労働組合中央執行委員は言う。  「国家公務員の残業は予算で限度額が決まっているので、100時間残業しても30時間分しか出ないなんてことは当たり前でした。それが、河野さんが『公務員の働き方を変えよう』と旗を振ってくれたおかげで無駄な残業が減り、人事院も残業未払いの人の名前を調査して、省庁に指導してくれるようになりました」   派閥を嫌う河野氏だが、仲間がいないわけではない。秋本真利衆院議員は、市議時代に河野氏からエネルギー政策の知識の深さを評価され、国会議員になるよう助言された。秋本氏は言う。  「12年に初めて衆院選に出た時は、選挙区に10回以上応援に来てくれました。面倒見が良く懐が深い。といっても選挙資金を配るとかではなく、後輩議員を友人として助ける人。当選回数のような国会議員の序列も気にしない人です」   今回の総裁選では、河野氏が「脱原発を封印した」という批判が出ている。これに対して、秋本氏はこう反論する。  「河野さんと私は10年以上エネルギー問題について議論していますが、『即時脱原発』という話は一度も聞いていない。一方で、使用済み核燃料を再利用する核燃料サイクルの見直しは明言しています。新増設を認めなければ原発はいずれなくなっていく。これは、河野さんのこれまでの主張と何も変わっていません」   前出の山本知事は、群馬県内の自民党議員や経済界の有力者に河野支持を訴えている。その理由について、こう話す。  「河野太郎は『変わった人』と思われていたけど、それが変わった。今という時代が河野太郎を求めているのだと思う」  (本誌・西岡千史、亀井洋志)※週刊朝日  2021年10月1日号に加筆

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    韓国アイドルが日本語タトゥー「ノージャパンじゃない」発言に心配の声

     韓国ガールズグループ・AOAの元メンバーで女優クォン・ミナ(27)が日本語で書かれた背中の「日本語タトゥー」を公開し、波紋を呼んでいる。 クォン・ミナは12日、自身のインスタグラムに「毒と得、そして奇跡」というコメントと共に写真を投稿。背中を大きく開いた写真には、英国や数か国語のデザインでタトゥーが刻まれている。その中に、日本語で刻まれたタトゥーも。クォン・ミナは「私はノージャパンでも、ノーチャイナでもありません。どの国に対しても偏見はありません。韓国で私を応援してくれる方々、韓国から近い国や遠い国など、たくさんの国から応援してもらって生きる人間です。みんなに感謝しているし大好きです」と説明。「日本語も、英語の筆記体も、漢字も、背中などにたくさんの言語で(タトゥーを)彫りました。私たちの国が最も誇らしく思い、愛していても、色々な国の個性とマインドから学ぶ点も多いと思っています」と綴った。そして、「写真を見て不愉快になられたかもしれませんが、私にまったく同じマインドを望むのは申し訳ありませんが、個人の自由だと思います。ご理解頂きたいです」と付け加えた。 クォン・ミナは12年にガールズグループAOAのメンバーとしてデビュー。清純派の美貌で人気を集めて女優としても活躍し、人気ドラマに多数出演した。19年にAOAを脱退すると、昨年7月にAOAのリーダー・ジミンからグループ在籍時に、10年間にわたりいじめに遭って鬱病は不眠症に苦しんでいたことを告白して大きな反響を呼んだ。また7月29日に自殺未遂で病院に搬送され、一時意識不明に。容体が回復して意識を取り戻し、SNSでの活動を再開している。「日韓の問題はデリケートです、別のメンバーですが、AOAは以前に韓国のケーブルテレビに出演した際、人物の写真を見て名前を当てるクイズで、安重根の写真を見て豊臣秀吉、伊藤博文などと答えたことにネット上で批判の声が殺到し、謝罪に追い込まれました。また、シングル曲『Good Luck』のミュージックビデオでは日本車が映っていたため非難が殺到し、トヨタとホンダのエンブレムにボカシを入れた。クォン・ミナの今回の日本語のタトゥーに対してもよく思わない人がいるでしょう。まだ心身が本調子でないので、精神的に追い詰められなければいいのですが…」(韓国駐在の通信員) SNS、ネット上では、「こんな発言して大丈夫?大炎上バッシングの対象にならない?心配ですね…。個人的には素晴らしい勇気と覚悟は称えたいけど…(原文ママ)」、「そもそもAOAというグループ自体、過去に韓国内で複数の日韓議論に巻き込まれた経緯がある。それ以降にグループ内のイジメ問題などもあり、ミナは心身ともに相当疲弊しているはず。今回のことでさらに叩かれないと良いけど。そしてインターネットから一旦離れたほうが良いと思う(原文ママ)」など心配の声が。 クォン・ミナには韓国だけでなく、日本を含む世界中に多くのファンがいる。自殺未遂が報じられた際は、日本のネット上でも心配の声が多く寄せられた。自身のインスタグラムで日本語タトゥーを公開したことで、心身にストレスがかかる事態にならないことを願うばかりだ。(牧忠則)

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    巨人、阪神は“別の”超高校級右腕 「ドラ1」で指名すべきは誰だ【セ・リーグ編】

     プロ野球のドラフト会議まであと約1カ月(10月11日開催)となり、高校生と大学生のプロ志望届提出者も発表される時期となった。各球団の最優先すべき補強ポイントはどこなのか。またそれに見合う選手は誰になるのか。真っ先に指名すべき1位指名候補を探ってみたいと思う。今回はセ・リーグの6球団だ。*  *  *・広島:小園健太(市和歌山・投手) 2016年からのリーグ3連覇後にチームは低迷。今季も9月9日終了時点で3位ヤクルトに10.5ゲーム差の4位と3年連続のBクラスが濃厚となっている。投手は若手の先発候補、野手は鈴木誠也のメジャー移籍を考えて右の強打者タイプが補強ポイントとなるが、2009年の今村猛(清峰)を最後に一人も高校生投手を1位指名していないことを考えると、そろそろスケールの大きいエース候補を獲得したい。そこで推したいのが小園だ。広島は投手であれば粗削りでもボールの強い選手を好む傾向が強いが、粗削りなまま伸び悩むケースも目立つ。やはりある程度のバランスは必要なだけに、高校生でも完成度が高く制球力の高い小園を獲得して将来のエース候補に育てたいところだ。・DeNA:達孝太(天理・投手) 野手陣は助っ人外国人への依存度は気になるものの、打線は強力で若手にも有望株が揃っていることからやはり最優先は投手となる。親会社がDeNAとなった2012年からはとにかく上位で大学生、社会人の投手を獲得し、一定の効果は出ているものの停滞している選手も目立つ。今年は高校生投手に好素材が多いだけに、1位指名では高校生を狙いたいところだ。競合を避ける傾向も強いが、それも球団の個性として尊重するのであれば、単独指名で狙えそうな投手としては達が筆頭候補となる。スケールの大きさは高校球界でも屈指で、190cmを超える大型右腕だが器用さも持ち合わせているのも魅力だ。チームに少ない大型の本格派だけに、ぜひ指名を検討したい投手である。・中日:正木智也(慶応大・外野手) 昨年は8年ぶりのAクラス入りを果たしたが、今年はBクラスへと逆戻り。低迷の原因は野手、特に長打力不足というのは火を見るよりも明らかだろう。一昨年は石川昂弥の獲得に成功したが、まだまだ若手の強打者タイプが少ないだけに、とにかく長打力のある野手を優先して獲得したい。今年の筆頭候補となるとやはり正木になるだろう。確実性は少し課題が残るものの、とらえた時の飛距離は間違いなく大学ナンバーワン。高い弾道で飛ばすことができ、広い本拠地でもホームランを量産できる可能性がある。高校生ではオリックスで候補に挙げた阪口樂(岐阜第一)も当然候補だろう。ともに守備、走塁は不安が残るが、それを度外視しても長打のある選手に振り切るべきではないだろうか。・ヤクルト:森木大智(高知・投手) 2年連続の最下位から優勝争いに浮上したが、同じ流れのオリックスと比べると投手、野手ともに若手の有望株は少ない印象は否めない。外野の世代交代も必要だが、やはり最優先は投手となる。手薄な左の先発タイプとしては佐藤隼輔(筑波大)、隅田知一郎(西日本工大)ももちろん候補だが、過去2年間は大学生の投手を多く指名しているだけに、年齢構成を考えても奥川恭伸と並ぶスケールの大きい高校生を優先したい。そこで候補としたのが森木だ。甲子園出場こそないものの、150キロを超えるストレートと変化球はいずれも高校生離れしたものがあり、投手としての総合力は高い。中学時代から注目されてきたというのも奥川との共通点であり、この2人が並び立てば強力な二枚看板を形成できるだろう。・巨人:風間球打(明桜・投手) 投手、野手とも選手層は厚く、若手の有望株もそれなりに揃っているが、やはり欲しいのは太い柱となる選手だ。過去5年間のドラフトでは9回連続で抽選に外れるなど運が味方していないということもあるが、それでもやはり大物選手に向かうべきである。特に気になるのがエースの菅野智之の後釜だけに、ここは高校生投手でトップ評価と見られる3人の中でも最も本格派らしい本格派である風間を狙いたい。ボールの力は言うまでもないが、多くの球数を投げても球威が落ちず、これまで大きな故障がないというのも魅力だ。近年上位で指名した投手は素材の良さはあるものの故障に苦しんでいることも多いだけに、風間の体の強さも評価ポイントとなりそうだ。・阪神:森木大智(高知・投手) 昨年は佐藤輝明、伊藤将司など即戦力路線の指名が奏功したが、そう振り切ることができたのも一昨年の高校生中心の指名があったからである。投手、野手ともに中堅層は充実しているだけに、今年は再び将来性を重視した指名を目指したい。野手は佐藤、井上広大と若手の大砲が2人揃うだけに、優先したいのは投手だ。高校生であれば風間、小園、森木の3人の誰かを狙うというのが規定路線だが、あえて甲子園経験のない森木を推したのは阪神という特殊な球団が理由だ。地元での注目度の高さは12球団トップであり、その中で結果を残すには自分を見失わない精神面の強さが必要となるが、中学時代から注目され続けてきた経験は森木の大きな武器である。高校時代に練習試合で対戦した西純矢とともに、チームを背負って立つ先発投手として期待したい。(文・西尾典文)●プロフィール西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員

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    前代未聞!派閥から3人候補推し「キングメーカー」二階幹事長の評判 地元の「引退勧告」もどこ吹く風

     9月29日に投開票の自民党総裁選は折り返し点を迎え、終盤戦に突入した。河野太郎ワクチン担当相、岸田文雄前政調会長、高市早苗前総務相、野田聖子幹事長代行が火花を散らす。メディア各社では投票権がある自民党の党員に対しての世論調査も実施された。  集計された数字をみると、河野氏がダブルスコアで岸田氏を引き離し、次いで高市氏、野田氏という順番だ。この数字を見て、ご機嫌なのが二階俊博幹事長だという。 「河野氏が大差リードと聞かされて『これでいい』『河野でいける』と嬉しそうに二階氏は話しています。キングメーカーが続くと夢見ているんでしょうかね」(二階派の国会議員)  二階派は今回の総裁選で派閥で特定候補者は推さずに自主投票となった  推薦人を出したのは、河野氏に2人、高市氏へ3人、野田氏には8人だ。出馬会見で党役員人事の改革案を発表し「二階外し」に打って出た岸田氏にはゼロというわかりやすい対応だ。  自民党の幹事長になって5年以上、在任記録を更新し続ける二階氏。菅義偉首相が辞めると同時に、二階氏も幹事長の座から降りることになる。二階氏の存在は一気に小さくなっているというのだ。  野田氏に8人もの推薦人を出したのは、推薦人集めに汗をかいた二階派の幹部・鶴保庸介参院議員が野田氏の元夫という背景もある。しかし、あまりに突出している。 「野田氏に推薦人を多く出したことで、高市氏を推す安倍前首相に女性票が分散すると不評を買っています。二階氏は河野氏が優勢と喜んでいるのですが、派閥内ではあまり反応がありません。総裁選後、二階氏は幹事長という大きな権力を手放すわけで、派閥内では2人寄れば、今後は誰が派閥を仕切るのか、という話題ばかりですよ」(前出・二階派の国会議員)  二階氏には派閥内でも冷たい風が吹きつつある。それは二階氏の地元、衆院和歌山3区でも同様だ。10月に衆院議員の任期は満了となり、総選挙が行われる。      今回は大島理森衆院議長や二階派でもある伊吹文明元衆院議長、塩崎恭久元官房長官など大物が次々と高齢を理由に引退を表明している。だが、82歳の二階氏はどこ吹く風。次期衆院選への出馬意向は変わらないという。和歌山3区の地方議員は地元の「二階離れ」をこう語る。 「二階先生は昔から口癖のように『副総裁とか、そういうのはやらん』と言っていた。要するに名誉職はイヤ、幹事長のように権力がないとダメということです。次、誰が首相になっても二階先生が幹事長になることはない。引退にはいいタイミングと地元ではささやかれている」  和歌山3区は「一票の格差」問題で、いずれ選挙区が2つになり、定数減となる公算が大きい。そうなれば、選挙区が広くなり、より幅広い活動が必要になってくる。和歌山3区では圧倒的な強さを誇る二階氏も、油断できない情勢だ。  二階氏の地元、御坊市の市長選では16年に二階氏の長男が立候補。二階氏の威光もあって小泉進次郎環境相まで応援にやってきたが、大差で敗れた。この敗北が二階氏の後継問題に大きな影響を与えているという。 「今の感じでは二階先生の秘書の三男が後継でしょう。しかし、二階後援会を地元で仕切っているのは長男で、選挙に出たがっている。二階先生もなかなか、後継を決めることができない感じですよ」(前出・地方議員)  また、参院和歌山選挙区には衆院への転出が噂される世耕弘成・自民党参院幹事長がいる。 「世耕氏は参院のライバル、林芳正氏が衆院山口3区に転出することになり、いろいろと考えることもあるようです。無派閥の高市氏が総裁選に出馬し、所属する派閥・清和会を率いる安倍晋三前首相が熱心に推している状況もある。世耕氏がもともと強い地域は和歌山3区です。二階氏本人がいる間は我慢するでしょうが、世襲で息子が出るとなれば、考えるでしょう。二階氏も心配で仕方ないでしょう。また地元では『陳情は世耕氏に』という二階離れの流れになりつつありますね」(自民党幹部)  総裁選でリードしている河野氏がそのまま総裁、首相になった際、二階氏は菅義偉首相の時と同様に、キングメーカーとして振る舞えるのか?河野陣営の国会議員は冷淡な評価だ。 「二階派の支援はありがたいが、寝技師、権謀術数的な派閥で河野氏のカラーとは相いれない。推薦人を出してもらっているので、無下にできないが、菅首相の継承と言っても、二階派を厚遇とはいかないでしょう。キングメーカーもあり得ない。それに野田氏へ推薦人を8人も出してあまりに風見鶏じゃないですか。党員票が分散するので、河野氏の形勢が不利になった。うちが負けたら、勝つのは岸田氏じゃないのかな。二階派はいったい、何をやりたいのか…」  安倍前首相、菅首相と長く勝ち馬に乗り続け、キングメーカーとして権勢を振るってきた二階氏。だが、今回は永田町、地元で強烈な逆風にさらされているようだ。総裁選後、新たなキングメーカーとして誰が君臨するのか。(AERAdot.編集部 今西憲之)

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    実は早稲田卒のハリセンボン箕輪はるかが告白 「大学4年間で友達ゼロ」の過去とインテリ芸人ぶらない理由

     細身のシルエットから独特の笑いを生み出すハリセンボンの箕輪はるか(41)。実は意外にも、早稲田大学卒の“インテリ芸人”だ。早大OBには小島よしおやラサール石井をはじめ、クイズ番組で活躍するタレントも多い中、箕輪はクイズ番組への出演機会は少ない印象がある。大学時代のエピソードを披露することも決して多くはないが、一体なぜなのか。本人が早大在学中の過去を語る中で、意外な理由が見えてきた。 ――箕輪さんは早稲田の第二文学部を卒業。難関私大に合格するためには努力も必要だと思いますが、受験勉強は相当されていたのでしょうか。  たぶん直前とかは1日10時間以上やっていたと思います。私は塾には行っていなくて、独自のやり方をしていました。たとえば集中するために、受験前の一カ月間は家から一歩も外に出ないと決めて勉強。受験当日に久しぶりに外に出て、太陽が眩しすぎてくらくらしたので、あまりおすすめはできませんが……。 ――やはり熱心に勉強されていたのですね。早稲田に行きたいというモチベーションはどこから湧いていたのでしょうか。  奨学金が充実していたことが大きかったですが、早稲田に憧れもありました。テレビで見たことのあるキャンパスに自分が行けると思ったらテンションが上がりますし、未来がすごく明るく見えて。学生数も多いですし、友達もたくさんできて楽しく過ごせるのかなという淡い期待がありましたね。 ――実際に進学してみて、思い描いていた大学生活とギャップを感じることはありましたか。  私が見ている風景は、人がいっぱいいてみんな楽しそうで、まさにイメージ通りでした。でも、そこに「自分がこんなにも入れないんだ」っていうギャップがありましたね。どういう入口からあの輪に入ればいいんだろうって……。せっかく志望校に入れたのに、そこで挫折感を味わいました。 ――当時の大学生活を振り返ってみていかがでしたか。  友達がいなくてサークルにも入っていなかったので、ひたすら家と学校の往復でした。授業を一人で受けて、授業が終わったらすぐに帰るみたいな4年間でしたね。  授業が1コマ空いた時は、中央図書館の地下にこもって過ごしました。図書館は一人でいても浮かないので落ち着きましたね。自動書架のスイッチをカチャカチャ押して、書棚を動かすのがすごく楽しくて。それをずっとやってましたね。それを押すことで、私は早稲田のものを動かしているんだ、早稲田に通っているんだという実感を得ていました……。 ――4年間、友達は誰もできなかったのでしょうか。  一人もいなかったですね。授業もずっと一人。一応、授業を取ってる期間だけしゃべる程度の子はいたんですけど、その場限りで。  芸人になった後に、友達がいなかった早大OB同士で対談する企画があったんですけど、対談相手が「友達がいないから『マイルストーン』という雑誌から授業情報を得ていました」と言っていた。早稲田生なら誰でも知っている雑誌らしいんですけど、私はそれすら知らなくて……。「え、マイルストーン知らないんですか」って、友達がいなかった子にも驚かれるくらい。それで、本物の孤独だったんだなと実感しました。 ――図書館以外で、楽しみは見つけられましたか。  徒歩10分ほどある戸山キャンパスから早稲田キャンパスの間を移動するときに、最短ルートを模索していた時期がありました。それで、めちゃくちゃ良いルートを見つけたんです。人通りも少なくて裏道っぽいところで。誰かにおすすめしたかったけど、友達がいなかったので私だけの道みたいにしていました。 ――早稲田はキャンパスも賑わっていますが、一人でいることに孤独は感じていましたか。  寂しいっていう気持ちはありました。皆でわいわいしている中に入りたいなという気持ちはずっとあったんですけど、自分からチャンスを逃してしまった。1年生の時に、上級生からサークルや新勧コンパのお誘いで声をかけられたこともあったんですけど、なんか怖くて……。自分が行って大丈夫なのか、騙されるんじゃないかと思って、勝手に壁を作って飛び込めずにいました。高校の時のようなクラスがないですし、そのままずるずると1年2年が過ぎていって。3年になる頃には、友達を作るのはもう無理なんだなと諦めながら過ごしていました。  マンモス大学で自由だからこそ、友達がいなくてもなんとかなるだろうと甘えてしまった。「人」という宝物が周りにたくさんあったのに、それを手に入れようという気持ちになれなかったのを、今はすごく後悔しています。今の自分だったら、もう一回通って友達作りたいなって思うんです。 ――早大卒業後には、吉本興業のお笑い養成所(東京NSC)に通い始めます。人と関わらなかった生活から一転、人前に立って話をするのはハードルが高そうですが、芸人の道に飛び込んだのはどうしてですか。  誰とも話さない期間が4年も続くと、苦しくなってくる。4年間のうちに鬱屈とした気持ちがガスのようにどんどん溜まっていって、このままじゃいけないよなという焦りが募っていきました。養成所に入る勇気が出たのは、4年間友達がいなくて、人に声をかけることができない自分を変えたい、今までやったことのないところに飛び込みたいという気持ちが大きく膨らんだ結果なんです。今思えば、私にとっては必要な4年間だったのかなと思いますね。 ――養成所では、相方の近藤春菜さんとコンビを結成。春菜さんは社交的で明るいイメージがありますが、当時、気後れすることはありましたか。  当時の春菜は今のイメージとはちょっと違っていて、けっこう暗い感じの子だったんです。会った当時は、自分と似ているタイプの子なんじゃないかと思っていたぐらいで。春菜も短大時代、学校と家の往復だけだったと言っていて、キャンパスライフが充実していたようなエピソードを聞いたことがないので、私とあまり変わらなかったのかも。コンビを組んでからは、私とは正反対の方向にいったんですけどね。 ――クイズ番組などで早大卒をウリにしている芸人やタレントも多くいる中で、箕輪さんはあまり出身大学をプッシュしてこなかった印象があります。  そうですね、あまり知られてはいないと思います。積極的に押し出していたってわけでもないんですけど、特に隠していたわけでもなくて……。早稲田らしいことをやっていたり、友達がいたりすれば、もっと大学時代のエピソードトークができたのかもしれないですけど、ほんとになくて……。人と関わらない分、感情と結びついている記憶がほとんどないので、当時の記憶も薄いんです。もったいないですよね。 ――クイズ番組への出演機会も多くはない印象です。クイズの仕事を断っているわけではなく……?  全然、断っていたわけではないんです……。エピソードを出せなくて、私の芸人としてのイメージと早稲田卒のイメージが結びつかないから、あまり指名されなかったのかも。過去には呼んでいただいたのに、スケジュールの折り合いがつかないこともありました。自分としては、クイズ番組のようなお仕事をいただけるならありがたいですし、仲間に入れてもらえるなら出たいです……! ――コロナ禍になって授業やサークルが思うようにできず、孤独な状況の学生も増えているようです。4年間一人の大学時代を送ってきた箕輪さんだからこそ、響くエールもありそうです。  私の場合はキャンパスに通えていたのに自分のせいで孤独だっただけですが、今は学生自身のせいじゃなく「孤独にさせられている状態」。本当に気の毒だと思いますし、私の状況とは比べものにならない。  今はたぶんやれることがなくて、すごくフラストレーションがたまる状態だと思うんです。でも、いつか人に会えるようになった時に、「こんなことをやりたい」「こんなことがやれそう」みたいなアイデアが出てくるように、今はエネルギーを貯める時間だと思ってほしいです。  私個人の一例ですが、孤独な4年間があって、変わらなきゃという気持ちでい続けたことで、養成所に入る勇気が出た。あの時間は無駄にはなっていないし、芸人になるために必要な4年間だったんです。そして養成所に入ったことで、はるなという人生で一番ラッキーな出会いができた。長い人生の中で、これからいろんなチャンスがあると思う。今はなかなか前向きになれない時間だと思うんですけど、気持ちをなえさせずに、未来に希望を持っていてほしいです。   それに、自分の中でちょっとした楽しみを見つけて、人に合わせずに過ごした時間も案外よかった。大学時代に一人で行動することの楽しさを見つけたおかげで、その後の人生でも一人旅とかを楽しめるようになった。一人で何かできるということを、なんとか楽しさに変えてほしいなと思います。(構成/AERA dot.編集部・飯塚大和)

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    木村拓哉「この年になってもまだこんな思いをするんだ」と落ち込んだ

     映画「マスカレード・ナイト」で主演を務める木村拓哉さん。続編となる本作に挑んだ感想や、アルゼンチンタンゴを踊るシーンの苦戦などを明かした。 *  *  * ──大ヒット作「マスカレード・ホテル」の続編に挑む心境は?  プレッシャーは全くないです。映画会社の方や世間は大コケとかヒットとかおっしゃいますけど、僕にとって大事なのは、現場でスタッフや共演者の方と納得のいく作業ができたかどうか。現場が全てです。続編だからどうこうという意識はないですね。 「マスカレード・ナイト」では、アルゼンチンタンゴを踊るシーンがあるんです。原作を読んだ段階で「うわ、やべー内容書いてあるよ」とは思いました(笑)。今まで経験したことがなかったので。  ただ、言っちゃなんですけど「踊りでしょ?」という気持ちも内心あって。色々なスタイルを一通りかじってきたので何とかなるだろうと。  でも……甘かったです。自負という荷物を携えてよろしくお願いしまーすって現場に入ったら、「お持ちのもの全部必要ないので置いといてください」って言われた感じでした。まさにゼロからの挑戦で、「この年になってもまだこんな思いをするんだ」と、久々に落ち込みました(笑)。 ──殺人犯の正体を突き止める捜査官を演じましたが、ご自身も人間観察は得意?  意識して観察するというよりは、日常的に自然とやっているかな。仕事の時は、相手の熱量を感じ取りやすいと思います。「この人、本当に現場が好きなんだな」とか、「仕事でやってるだけだな」とか。  後者の場合は、その人との間に一定の距離ができてしまいますね。でも良い仕事をするために必要なら、おせっかいおじさんになる時もあります。  たとえば、モチベーションが低いスタッフさんって道具を雑に扱う方が多い。撮影用の機材をガシャーンって床に置いたりする。そういう場面を見ると、「ん?」って引っかかるんですよね。最初は何も言わないけど、4回目くらいで「自分のものだと思って運んでよ」って注意しちゃったり。 (構成/本誌・大谷百合絵) >>【後編/木村拓哉が外した“仮面”  SMAP時代「彼女いんのー?」にマジ回答】へ続く※週刊朝日  2021年9月24日号より抜粋

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    総裁選出馬の高市早苗氏のネット人気が急上昇 「軍師」には安倍前首相、櫻井よしこ氏も

     自民党総裁選が9月17日、告示され、河野太郎ワクチン担当相、岸田文雄前政調会長、高市早苗前総務相、野田聖子幹事長代行の4人が立候補した。女性の候補者が2人というのは、総裁選史上、はじめてのことだ。  当初、下馬評では「大本命」だった河野氏だが、土壇場で野田氏が推薦人をそろえて出馬。総裁レースは混とんとしてきた。 「ネットだけなら、高市氏でしょうね」  こう話すのは、自民党の閣僚経験者だ。出馬表明の動画の再生回数に至っては、岸田氏が3万回、河野氏が22万回のところ、高市氏は211万回と圧倒的な数字だった。(9月15日現在)  総裁選の演説会がテレビなどで放送が始まった17日午後、ツイッターでは「#自民党総裁選」、「#高市早苗さんを支持します」がトレンド入りした。  河野氏のツイッター・フォロワーが242・2万人。安倍晋三前首相の227・9万人を上回り、政治家でもトップクラスだ。総裁選に向けて開設したアカウントでもすでに15・6万人のフォロワーがいる。  一方、ネットでは河野氏に肉薄する高市氏の総裁選用のアカウントは9・3万人のフォロワーだ。高市氏支援の国会議員は分析する。 「高市氏は総裁選の出馬会見なのに靖国神社参拝を断言し、中国との関係に言及するなど保守層に強く訴える戦略です。いわば、安倍政治継承を全面に打ちだした結果、高市人気につながっているのでないか。出陣式でも議員と代理の秘書で90人が集まった。これは議員票が90票という裏付けにもなる」  高市氏も総裁選の推薦人名簿には、古屋圭司衆院議員が選挙責任者、参院議員の山谷えり子氏などが名前を連ねるなど保守色が強いことがうかがえる。また推薦人は清和会から7人、竹下派2人、二階派5人、無派閥6人。安倍氏の清和会だけではなく、幅広く集っていることも、手応えにつながっている。  永田町でも高市氏が本命・河野氏、対抗・岸田氏の間に割って入るのではないのかという見方も広がっている。    その理由の一つがキングメーカー・安倍氏の「暗躍」だ。安倍氏は高市氏が出馬表明すると、そうそうに支援を打ち出すツイートをしている。 <コロナ禍の中、国民の命と生活を守り、経済を活性化する為の具体的な政策を示し、日本の主権は守り抜くとの確固たる決意と、国家観を力強く示した高市早苗候補を支持いたします。世界が注目しています。皆さま宜しくお願い申し上げます>。 「高市氏の評判がけっこういいので、安倍氏は『勝負できる』と言い、上機嫌だ」と清和会の国会議員は話す。しかし、懸念もあるという。 「わざわざ若手議員の携帯電話を鳴らして『高市氏を応援してほしい』と話していた。高市氏のことを思っての行動なのでしょう。しかし、若手議員からすれば、安倍氏から電話がきただけでびっくりする。ある議員は『直接、言われると、何も言えない』と苦悩の表情でした。つまり、プレッシャーととらえられてしまう。その存在がとてつもなく大きい安倍氏が、動くことで、反対に作用する危険性もある。今回、岸田派以外の派閥が基本的に自主投票となっているので、余計にそういう印象を与えてしまう。また高市陣営は出陣式で90人を超す人が集まったが、安倍氏の顔色を見て、駆け付けたという議員や秘書もけっこういると思います」(同前)  総裁選の出陣式では、高市氏は安倍政治とそっくりのフレーズ「日本を守る高市早苗、美しく強く成長する国、日本」と訴え、威勢よく攻める演説だった。総裁選に合わせた新刊本『美しく、強く、成長する国へ』(WAK社)も保守色が濃い。 「安倍氏もさることながら高市氏の思想的なバックボーンは、ジャーナリストの櫻井よしこ氏なんです。櫻井氏は安倍以上に急進的とも言われる伝統的保守論者です。その過激さから高市氏以上にインターネット上の保守層に支持を得ており、その界隈では大きな影響力を持っています。実際、高市氏と櫻井氏は数十年にわたる交流がある。著書でも櫻井氏の思想が色濃く反映されている。櫻井氏が高市政権誕生の暁には、政策ブレーンに就任するとの説も永田町では流れています」(官邸関係者)   今回の総裁選出馬に先立って作成されたポスターも、高市氏と櫻井氏の2連となっている。12月に高市の地元・奈良において二人で街頭トークを行う予定と記されている。 「櫻井氏が主張する夫婦別姓反対、女系天皇断固反対、強硬な対中政策なども含め、高市氏の公約は櫻井氏の思想にシンクロしている。河野氏が賛意を表明した同性婚に至ってはもってのほかという伝統的な家族観を重視する姿勢を共有していますね」(同前)  一方で、もう一人の女性候補、野田氏の訴えは対照的で女性目線を打ち出すような内容だった。 「日本は強い国だけではない。謙虚で誠実で国民からしっかり信頼を得られるよう、寛容で誰もがこの国に生まれてよかった、生きる価値があると思える国にしたい」  前出の高市氏陣営の国会議員がこう話す。 「高市氏が岸田氏や野田氏を支援するリベラル層から票をとるのは無理でしょう。総裁選でトップを走る河野氏から保守を強調して票をとることが得策だ。野田氏より先に出馬表明して準備もしているので、女性の支持も得られるはずです。高市氏の保守を打ち出す作戦でネットでも当たっている。安倍氏も力を入れて支援しているので、突っ走るしかない。一方で、野田氏の政策、語り口のほうが『女性目線でいい』と話す女性党員の声もありますね」  自民党の閣僚経験者はこう語る。 「立候補者が4人になったことで党員票は分散する。河野氏が党員票で圧倒的にリードして勝つというパターンはもはや厳しいと思う。1回目で過半数を誰もとれず、決選投票で河野氏か岸田氏となる可能性が大。党内の大勢は『決戦投票になったら、どっち?』という感じだな。高市氏が2位に食い込めるかは微妙です。総裁選はネットの人気だけでは決まらないからね」  29日の勝者は果たして誰になるのか? (AERAdot.編集部 今西憲之)

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    【現地ルポ】河野太郎の旧友が語る「歌いっぷり」から「夫婦秘話」まで 新総裁本命候補が地元で見せた素顔

     16日に野田聖子幹事長代行が出馬表明したことで、立候補者が4人となった自民党総裁選。そのなかでも「本命視」されているのは、河野太郎行政改革担当相(58)だ。朝日新聞社が行った最新の世論調査では、「新総裁に誰がふさわしいか」という質問に、33%の人が「河野氏」と答え、4人の中で最多となった。永田町では「変人」「異端児」などと称されることもある河野氏だが、地元ではどのような評判なのか。AERAdot.は、河野氏を知る人物を訪ね歩き、“本音”を聞いた。今回は「幼少期~社会人」の政治家になる以前の人物像に迫る。 *  *  * 河野氏が生まれ育ったのは、神奈川県平塚市。父は自民党総裁も務めた河野洋平元衆院議長。祖父は河野派を率いて、農林相や建設相、副総理を歴任した河野一郎氏という3代続く政界のサラブレッドだ。大叔父の河野謙三氏も衆院議長を務めるなど、まさに政治家ファミリーの中で育った。 小学校は地元の平塚市立花水小学校に6年間通った。小学生の頃から、他の子より少し目立つ存在だったようだ。6年生の同級生で、現在は平塚市役所産業振興部長の津田勝稔氏は、当時をこう振り返る。 「男子生徒は『太郎』とか『太郎ちゃん』とか気軽に呼んでましたね。勉強は昔からできましたが、同級生が360人以上いる学校だったので、その時は、もっと成績優秀な生徒もいましたよ。1位ではないけど、ずっとトップクラスにいるイメージ。ガリ勉という感じではなかったので、陰で努力をしていたか、地頭がいいのだと思います。子どもの頃から自分の意見をハッキリ言うタイプだったから、いつかは政治家になるんだろうとは思っていました」  当時は、平塚市内で「河野御殿」と呼ばれる旧河野一郎邸に住んでいた。現在は取り壊されているが、そこに小学校の同級生が集まることもあったようだ。 「小学校を卒業する年(1975年)の1月、太郎ちゃんの誕生日会に招かれました。河野邸の中に入ったら、大きな庭があったのを今でも覚えています。私も含めて、みんなが誕生日プレゼントをあげていました。みんなから人気がある子どもだったと思います」(同)  河野氏は1月の早生まれのため、体はそんなに大きくなかったという。 「クラスでは一番前に座っていました。体は細かったから、校庭で一緒に相撲をしても、僕は一度も負けたことはなかった。でも、走るのは速かった。長距離は全然かなわなかったですね。河野家は祖父の一郎さんが箱根駅伝にも出場した長距離ランナーで、大叔父の河野謙三さんも箱根駅伝を走っている。長距離ランナーの家系なんですね」  河野氏自身も、進学した慶應義塾中等部で、今も破られていない4000メートルの記録保持者なのだという。  また、津田さんが鮮明に覚えているのは、河野氏が小学校の合唱コンクールで指揮者をしたこと。 「合唱コンクールはクラス対抗でしたが、太郎ちゃんは皆から自然と指揮者に選ばれていました。正直、歌はうたわない方がいいんじゃないのかな、という感じです」  別の知人によれば、「河野は音痴で声がでかくて甲高い」のだという。  花水小学校を卒業すると、慶應義塾中等部、同高等学校へ進学したが、地元の友達との関係はその後も大切にしていたようだ。津田さんはこんな思い出を語る。 「慶應に進むというのは、(小学校の)卒業が近くなってから知りましたね。僕はそのまま地元の中学に進んだのですが、10年くらい前にその地元中学の同窓会があったんです。花水小の同窓生もたくさんいたんですが、そこに太郎ちゃんが突然、乱入してきたんです。誰かが『お前、ここは違うだろう』とつっこんで、みんな笑っていましたね」  高校卒業後は、1981年4月に慶應大学経済学部に入学するも、わずか2カ月で退学。すぐに渡米し、82年9月には米国ワシントンD.Cのジョージタウン大学に入学した。84年にはポーランドの大学に留学したという。  古くから河野氏と付き合いある湘南ベルマーレの眞壁潔会長がこう語る。 「太郎が留学したのは、ちょうどポーランドの自主管理労組『連帯』を主導したレフ・ワレサ(後のポーランド大統領)の民主化運動が盛んな頃でした。太郎は社会主義の国を自分の目で確かめるために、ポーランドに行った。そこで大学の知人の紹介で、ワレサに会いたいかと聞かれたので、ワレサに会いに行ったんです。でも、そのときに事件が起きた。ワレサの自宅で本人といろいろと話をして、帰ろうと近くの交差点まで行ったところで、警察官から職務質問を受けた。パスポートを所持していなかったので逮捕され、留置場に入れられたそうです」  幸い、大学生であることがわかり、翌朝には釈放されたという。 「彼は性善説で人を見るんですよ。当時、ルーマニアにも行っていて、親切にしてくれた見知らぬ人の家に泊めてもらって、冷蔵庫の中にあった野菜や肉をごちそうになったという話も聞きました。当時のルーマニアで、知らない人のうちへついて行くなんて、ヤバイんじゃないかと思いましたけどね」(眞壁氏)  1985年、ジョージタウン大学を卒業後、日本に帰国。富士ゼロックス(現・富士フイルムビジネスイノベーション)に就職し、シンガポールに2年間勤務した。その後、93年に父親の河野洋平氏が大株主の日本端子(本社・神奈川県平塚市)に転職した。現在、日本端子の社長は洋平氏の次男が務めている。  河野氏が政治家になる前から付き合いのある平塚市の片倉章博市議はこう話す。 「河野さんは日本端子に入社した頃に、平塚に帰って来ました。地元の平塚のJC(日本青年会議所)のビジョンを作る委員会に所属していました。私もメンバーだったし、みんな同世代だったから、くだらないことを言い合ったり、何時間もビジョンを語り合ったりしたのは、いい思い出です。毎年夏には、それぞれが夫人同伴で10人くらいでワイワイ過ごす家族会をしていて、大磯ロングビーチのプールへ行くのが恒例でした。河野さんの香(かおり)夫人も来ていましたよ。プールの後は、ちゃんこ料理屋などで打ち上げをするのが恒例でした」  香夫人はオーストラリアの帰国子女で、聖心女子大を卒業後、外資系の金融機関に勤務していたという。2人のなれ初めについて、古くからの知人はこう話す。 「太郎ちゃんが富士ゼロックスの時代に、香さんが外資系の証券会社に勤務していて、食事会で知り合ったと聞きました。太郎ちゃんのひとめぼれで、香さんと同じ電車に乗るように時間調整して通勤したりしたこともあったそうですよ。香さんも通訳ができるくらい英語がペラペラで、夫婦で英語が堪能。太郎ちゃんは銀座のクラブへも行かないし、愛妻家ですよ。香さんは、夫がいない時には、代わりに選挙のあいさつ回りをしたりして支えています」  夫妻には一人息子がおり、現在は学生だという。河野氏が自民党総裁選に出馬したことについて、前出の津田氏はこう話す。 「総理大臣というのは政治家になったら夢でしょう。地元のことももちろんですが、日本のため、世界のために頑張るという初心を忘れずに、総裁選に挑んでほしいです。同級生みんなが応援しています」  河野氏が衆議院選挙で神奈川15区から立候補して、初当選を果たすのは1996年のこと。33歳のときだった。【後編】では政治家となった後の河野氏の人生を追う。(AERA dot・上田耕司)

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    高市早苗氏のファッション「総理大臣」にはお粗末? ドン小西がチェック

     自民党総裁選への出馬を表明した高市早苗前総務相。ファッションデザイナーのドン小西さんがファッションチェックした。 *  *  *  もちろん今週もファッションから見た話なんだけどさ。これで総理大臣になろうっていうのは、どうよ。だいたいこの人、自分を客観視したこと、あるのかね。  あたしもこれまで何十年もこの人を見てきたけど、マーケティングができてないから、ファッションに統一感もなければ、らしさもない。出馬会見のジャケットに膝丈スカートと黒のハイヒールもそうだけど、いかにも女性議員らしいのはこう、おじさまたちにかわいがられる私はこう……みたいな自分勝手な思い込みで、取っかえ引っかえ服を変えてるだけじゃないのかね。  ちなみに服だけじゃなく、どんな分野でもセンスのいい人が必ず持っているのが、この客観的視点だよ。リーダーもそう。たしかにこれじゃ、町内会のバス旅行の幹事だって無理。ましてや総理大臣になろうだなんて、勘違いもいいところだって。まずはその髪形からイメチェン、人様から見て感じのいいご自分に改造してから、出直されては? ■評価は……? 3DON! 「初の女性総理ならお粗末すぎ?」 (構成/福光恵)※週刊朝日  2021年9月24日号

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    中田翔の問題は防げた? マック鈴木は米国で経験、チーム内の“揉め事”についての考え

    「マック」鈴木誠。  米国での野球生活を球場住み込みからスタートした男。メジャーリーグまで上り詰め、その後も国内外問わず多くのリーグでプレーした。文化、慣習の違いを数多く経験したマックが、いまだ問題視されている中田翔(巨人)を巡る一件について独自の視点から語ってくれた。 *  *  * ●「体育会系の縦社会におけるメリットを感じなくなったから反発したのではないか」  NPBのペナントレース争いが激化する中、いまだ沈静化の気配を感じられないのが中田問題だ。8月4日のエキシビションマッチの開始前、日本ハムの同僚に暴力を振るったとして11日に無期限出場停止処分となった後、20日に巨人へ移籍し翌日に試合出場を果たした。日本ハムの一員として事件への正式謝罪がなかったこと。巨人への移籍入団会見での謝罪となったこと。その他多くの要素が絡み合い、中田、日本ハム、巨人への批判が殺到した。 「巨人は戦力と考えて補強したということ。移籍や謝罪方法うんぬんに関しては中田君個人には関係ない。殴られた相手選手に関して言えば、我慢の範疇を超えてしまったのだろう。中田君は実績、知名度など素晴らしい選手。日本ハム、パ・リーグの顔であり、侍ジャパンのユニフォームも着た。将来的に監督、コーチになる可能性もあった。そういった先輩とうまく付き合っておくことも処世術として考えれば大事。今まではイジられても耐えるメリットが大きいと思ったから多少我慢していたのだろう。それを感じなくなり自分自身が平常心で野球ができないほどになったのかもしれない」 「昔から言われる体育会系の縦社会は、世間から見れば考えられないし、古臭いかもしれない。でもそれで救われている人が今でもたくさんいる。例えば、大学の先輩に進路や仕事を紹介してもらったりできる。これは体育会系だけでなく一般社会も似たようなもので就職活動ではいまだにOB訪問などがある。大手企業ほど学閥などは残っている。そういうのをゼロにするのはできない。米国や他の国ならそういうことは関係ない場合もあるけど、アジア圏の特殊な文化でこれが現実。早く生まれたから、早くから野球やっているからって上から来る人も多い」 ■「自分が手を出したらどれだけのことになるかを勉強していなかった」  中田は07年のドラフト1位で日本ハムに入団。これまで打点王3回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回を獲得するなど、パ・リーグを代表する選手として全国区の知名度を誇った。18年からはキャプテンを任され、同オフにはFA権を行使せず出来高を含む3年総額10億円と言われる高額契約を結び名実ともにミスター・ファイターズとなった。しかし報道通りならば、チーム内で自由奔放に振る舞うようになったことで周囲からの反感が強まり始めた。成績不振も加わり、求心力が低下したことで今回の事件へとつながったという。 「建前もあるけど暴力は絶対ダメが大前提。話を聞くと小さい頃から中田君もヤンチャだったらしいから、その時に勉強しておかないといけなかった。僕なんて10代の早い段階で勉強した。こういうことをやったら大変なことになるとね。高校中退になったり、いろいろ面倒くさいことになった。中田君はそういった部分での勉強が足りなかったのかもしれない。自分が手を出したらどれだけのことになるのかを考えなかった」 「僕の父親は甲子園に出る姿を見たかったらしいから、退学になった時に心底、失望していた。その気持ちはプロになってメジャーリーグで投げようが、取り返すことができなかった。それに関しては今でもずっと後悔している。米国マイナーリーグ時代、英語が話せない時などは長距離移動は1人でポツンしていた。そういう時に色々なことを考えた。後悔、反省することもあったし寂しい気持ちも湧いて来た。そういった経験があれば自分の立場を考えることができたんじゃないかな。感情的になって手を出したりしなかったかもしれない」 ■「野球をやりに来ていないのならユニフォームを置いて去れ」  マック自身、若い頃からヤンチャで有名だった。兵庫・滝川二高の1年時に暴力事件を起こして自主退学。その後も傷害事件を起こしたことで野球を続けるために渡米を決心した経緯がある。英語も話せない16歳は多くの経験を重ねながら野球界最高峰へたどり着いた。その中では同一チーム内で人種差別が絡むケンカも経験した。そして何があってもプロにとって最も重要なのはチームの勝利、結果であることを学んだ。 「米国で生活し野球をやっていたので考え方が異なるかもしれない。そこを前提にして言わせてもらうと、基本的には『人対人』という2人の問題。例えば、米国では監督と取っ組み合いのケンカをする選手もいる。これは立場など関係なく、人格を否定された場合にこういうケンカになる。野球に関係ないことを言われたり、侮辱されたりするから。そういう一線を超えた時にケンカが起こる。日本ハムの件もイジられた選手が我慢できなかったとしたら、人格を傷つけられていたはず。当人同士の問題のはずだから2人で徹底的に話させるべきだった。そこには先輩も後輩もないと思う」 「また報道されているように、後輩イジりが常態化していて酷過ぎたのなら周りも知っていたはず。こんなに大きくなる前に誰かが収めれば良かった。『ペナントレース勝ち抜くため、日本一を目指す中でしょうもないことするな』とね。米国時代、移動中の空港でいざこざが始まって白人と黒人の人種間で別れて大ゲンカになった。球場内ではなく空港なので下手をすると逮捕者が出て試合もできなくなる。この時には監督が『何しに来ているのか考え直せ。野球をやりに来ていないのならユニフォームを置いて去れ』と怒鳴って収めた。結果論になるけど、日本ハムの件も早く手を打っておけばここまでになることはなかっただろう」  中田は巨人移籍2試合目となる8月22日のDeNA戦で本塁打を放つなど、さすがの存在感を見せた。しかしその後は結果を残せず、9月11日に二軍降格し調整を続けている。二軍戦では驚異的な打撃成績を残しているが実力を考えれば当然のこと。優勝争いをするチームからは一刻も早い一軍再合流が待ち望まれる。 「良くも悪くも中田君だったから世間で大きく取り上げられる。口で謝罪しようが何しようが、結局プロは結果で判断される。そうなった場合にはまた賛否両論が巻き起こるだろうが、それがスター選手の宿命。味方も敵も多いのがプロの一流選手。中田君には期待しています。野球で結果を残すしかない」  今回の一件を「なかったこと」にはできない。球界、世間を騒がせ、中田本人の評価を大きく下げたことは間違いない。明確なのは、グラウンドで結果を残すしか野球界で生き残るための道が残っていないということ。ここからどんな姿を見せてくれるのかに注目したい。そして中田の動向が3連覇を目指す巨人を左右するはず。多くのものを背負い結果を残す、本当のスター選手であることを証明して欲しいものだ。(文中敬称略) (文・山岡則夫) ●プロフィール マック鈴木(鈴木誠)/1975年5月31日兵庫県出身。193cm90kg。92年に渡米、96年7月7日のレンジャーズ戦でメジャーデビュー、98年9月14日のツインズ戦で初勝利を挙げる。マリナーズ、メッツ、ロイヤルズ、ロッキーズ、ブリュワーズなどでプレー。02年にはドラフト2位でオリックス入団。06年から再び海外でのプレーを経て11年は関西・独立リーグでプレーイングマネージャーを務めた。MLB通算117試合登板16勝31敗、防御率5.72。NPB通算53試合登板5勝15敗1セーブ、防御率7.53。 山岡則夫/1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌『Ballpark Time!』を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、編集・製作するほか、多くの雑誌、書籍、ホームページ等に寄稿している。Ballpark Time!公式ページ、facebook(Ballpark Time)に取材日記を不定期更新中。現在の肩書きはスポーツスペクテイター。

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    ジョニー・デップは「ほんとに気配りが素晴らしくて…」 美波の「共演秘話」

     映画「MINAMATA」で、ジョニー・デップ扮する写真家のユージン・スミスの相手役(アイリーン)を好演した俳優の美波さん。作家の林真理子さんが、共演の舞台裏をうかがいました。 【本木雅弘の「推薦」のおかげ? 美波がジョニー・デップ相手役を射止めた訳】より続く *  *  * 林:みんなに聞かれると思うけど、ジョニー・デップと初めて会ったとき、ドキドキしました? 美波:正直、ジョニーと共演というプレッシャーより、英語でお芝居することのほうがプレッシャーでした(笑)。撮影に入る前に2週間弱、準備期間があったんですよ。そのとき、カメラテストがあって、ユージンの暗室という設定のセットで、ジョニーと私、カメラマン、監督のアンドリュー(・レヴィタス)の4人で、セリフもなくセッションしました。そのときに不思議とケミストリーが合ったんですよ。 林:化学反応したんですね。 美波:そのとき、「大丈夫」って、みんなホッとしたんです。アンドリューにとって、私を起用することは、賭けだったと思うんです。無名の女優で、しかも英語もそんなにできないのに、キーになる役を演じるんですからね。私もそのとき「ジョニーになら全部託せるな」という絶大な安心感と包容力を感じて、そのあと彼にはたくさん支えていただきました。 林:いい人だったんですね。 美波:ほんとにいい人で、撮影の合間に、彼専用のテントの中で、彼にギターを弾いてもらいながら私は絵を描いたり、いろんな話をしたり、素晴らしい方でした。 林:最高じゃないですか。もうすっかり仲良くなったんですか。連絡先も交換しました? 美波:はい、情報交換はしていますね。 林:ジョニーは「ミナミ」って呼ぶんですか。 美波:もちろん。 林:ワォ! すてき!(笑) 美波:やっぱりジョニーは、お芝居が上手なんです。すごいキャリアがある方なので、私がどんな芝居をしても受け止めてくれました。どこにカメラがあって、どこに照明があって、どう撮れば相手がどのように映るかが、本能的にわかってるんです。芝居をしながら、彼が私を、いちばんきれいに光が当たる場所に誘導してくれるんですよ。 林:誘導してくれるって、どんなふうに? 美波 目線で合図をくれるんです。自分が映らないカットでも、彼がちょっとずつ目線を動かしていってくれて、私がその目線に従ってついていくと、光がいちばんいいスポットに私が入っているんです。スーパースターなのに、ほんとに気配りが素晴らしくて、すてきな方でした。 林:アイリーンは最初、ミステリアスな女性として彼のアパートにあらわれますよね。いつも暗闇の中から出てくるんだけど、私、原節子さんに似ているなと思って見てました、雰囲気が。 美波:あら! 光栄です。 林:この映画のハイライトは、世界中に衝撃と感動を与えたお風呂の写真(「入浴する智子と母」)の撮影シーンですけど、ユージンがひざまずかんばかりにしてシャッターを切るじゃないですか。素晴らしいシーンでした。 美波:はい、あのシーンは、物音ひとつしない、シーンとした中で「カシャ」というシャッター音だけが響いていて。うまく言えないんですけど、ユージンは影をずっと撮っていて、“動”じゃなくて“静”を撮っている人なんだなと、あのシーンで思いました。 林:彼の人間性が出ていましたよね。いきなり訪ねて「撮らせてほしい」と言わず、ずっと待って、待って、信頼を得てから、最後に撮るんですね。だから、あの写真が世界中の人々の心を打つわけで、あの写真を撮るまでに、アイリーンさんが大きな力を果たしていたんですよね。 美波:そうですね。ユージンは水俣に数年滞在していたんですけど、水俣を最後に写真を撮ることが難しくなってしまったんです。取材の途中、暴行事件にあって、脊髄損傷と片目失明という重傷を負ってしまって。 林:カメラマンの命である目を、暴行事件で奪われてしまったんですね。 美波 はい。この作品では、アンドリューやジョニーがプロデュースして、光も闇も、丁寧に映し出してくれているのは、すごくありがたいなと思っています。 林:昨今は、SDGs(持続可能な開発目標)が盛んに叫ばれています。公害とか環境問題は、そのはしりだったわけですからね。 美波:あれから50年たっているのに、環境汚染はぜんぜんなくなっていません。地球は悲鳴を上げるどころか、壊れていっていると思います。出る杭は打たれても、どんどん声を上げていかなくちゃいけないなって、私も実感しています。 林:日本で撮影したんですよね。 美波:じつは、セルビアとモンテネグロで撮影したんです。 林:えっ! 日本じゃないんですか? 美波:ハリウッド映画といってもこれはインディペンデント(自主製作)なので、お金のことや、いろんな兼ね合いがあるんだと思います。じつはセルビアは、ヨーロッパでいちばん安く撮影ができる国なんです。だから、毎年たくさんの映画が、セルビアで撮影されているんですよ。 林:へえ~、知らなかった。 美波:その分、セルビアの技術はすごく上がっていて、今回もほぼセルビア人のスタッフさんだったんです。メイクさんから衣装にいたるまですべて。 林:あの時代の日本の洋服、セルビアの人がつくったんですか。 美波:そうなんですよ。すべて手作りなんです。あの技術はすごいと思いました。 林:エキストラの日本人たちは、ヨーロッパにいる人たちですか。 美波:東ヨーロッパ在住の日本人の方が多かったですね。あとは日本から自費でいらっしゃった方が、何人か参加されていました。エキストラさんの熱意にも感動しましたよ。私、ずっと日本に帰れなくて、日本食が食べられなくてつらかったんですけど、エキストラの女性が炊飯器を持ってきて、お米を炊いてくれたんです。涙でお米がしょっぱかったです(笑)。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 美波(みなみ)/1986年、東京都生まれ。母が日本人、父がフランス人。「バトル・ロワイアル」で映画デビュー以降、舞台「エレンディラ」「ザ・キャラクター」、映画「乱暴と待機」など、舞台、映画、ドラマ、CMで活躍。2014年、文化庁「新進芸術家海外研修制度研修員」に選出され渡仏、ジャック・ルコック国際演劇学校に1年在籍。近年の出演作に映画「Vision」など。9月23日公開の映画「MINAMATA」では、ジョニー・デップ演じる写真家ユージン・スミスの相手役アイリーンを好演している。※週刊朝日  2021年9月24日号より抜粋

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    若者の“肉を食べない理由”に驚き 新世代の“欲望のベクトルの変化”をエンジェル投資家が語る

     かつての起業家が「意思ある投資家」として、次世代の起業家を育てる。そんな人たちを追った短期集中連載「起業は巡る」。第1シリーズ最終回は、エンジェル投資家・小笠原治(50)と孫泰蔵(48)の対談。AERA 2021年9月20日号の記事の2回目。 *  *  * ──かつて孫さんの兄・正義さんに1億6千万円投資したシャープ副社長の佐々木正さんみたいなすごい人もいました。 孫:大西さんが『ロケット・ササキ』(新潮社)で書かれてますよね。佐々木さんはすごい人です。あの頃の兄のピッチ(事業計画のプレゼンテーション)なんて、今聞いたら荒唐無稽もいいところですから。亡くなるちょっと前にお会いしたんですが、「お前ら、どんどんやれえ」みたいな最高に面白い方でした。あんな人は後にも先にもいません。 ──「お目目キラキラ」の人にホイホイお金を渡していたら、ただの「お金配りおじさん」になってしまいませんか。 小笠原:多分、そうはなりません。例えば今回の連載で紹介してもらったORPHEの菊川くん。最初はバッシュ(バスケットシューズ)にLEDを巻いて「これがロックだあ」とやってきた。その彼が今は「スマートシューズで健康な人を増やしたい」「一人でも多く雇用を生み出したい」と言っています。彼らはビジネスを通じて、すごいスピードで成長するんです。物心ついた時から日本がダメでしたから、親世代のような「日本スゴイ」の幻想を持っていない。ダメな日本が前提で「ほんの少しでも良くできないか」という強い動機を持っています。 ■欲望のベクトルが変化 「成功したい」という欲望のベクトルが「自分が金持ちになること」から「世の中を良くすること」に変わってきていて。その気概が面白く、魅力的なんです。つまらないことでは失敗しない雰囲気を持っています。自分が10代、20代の時、社会のことなんてこれっぽっちも考えていなかった。日本でも新しい文化が生まれているんだと。 孫:僕らの世代で元気がいい連中は、シルビアやプレリュードを手に入れるため、せっせとパーティー券を売っていた。今の10代、20代は車なんて全く興味がない。車がないとどこにもいけないロサンゼルスの若者ですら「ウーバーがあるから車はいらない」と言うんです。  あるいは、肉を食べない連中にベジタリアンなのかと聞くと「豚肉の場合、精肉を1キロ消費すると7.8キロの温室効果ガスが出る」と真顔で言います。彼らにとって環境や高齢化問題は我々よりずっと切実で、社会的課題にものすごくコンシャス(関心が高い)。「途上国で労働力を搾取している大企業の製品は買いたくない」とか「あの会社はマーケティングがうまいけど、自分はだまされない」とか。数年もすると、この世代が消費のメインプレーヤーになる。すると、社会課題と向き合うスタートアップがお客を獲得するようになるので、投資家も注目する。企業は価値を生むことが大事と言われますが、その価値が「お金」から「意味」に変わってきたのです。 (敬称略)(構成/ジャーナリスト・大西康之)※AERA 2021年9月20日号より抜粋

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