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    愛子さま、花の飾りに「あ、よいですね」とにっこり 女性皇族が帽子をかぶるときとそうでないときの違いとは?

     新年は、愛子さまが身に着けた可愛らしい帽子に注目が集まった。女性皇族の正装にかかせない帽子。実は、宮殿の儀式でも着用するときとしないときがある。その線引きはどこにあるのか。父である故・平田暁夫さんとともに、親子2代で皇室の帽子デザイナーを務める平田欧子さんが、愛子さまの帽子に込めた秘話とマナーを解説する。 *  *  * 「愛子さまのローブモンタントとあわせるはじめての帽子にふさわしいのでは、と提案いたしました」   おだやかに話すのは、皇室の帽子のデザイナーを務める平田欧子さん。1966年から皇室の帽子のデザイナーを務め2014年に亡くなった父・平田暁夫さんのあとを継ぎ、皇室の帽子のデザイナーとして活躍している。  欧子さんが指すのは、愛子さまの帽子につけたゴヨウツツジの花飾りのことだ。  愛子さまが20歳の成年を迎えた一昨年、そして今年の元日。天皇陛下と皇后雅子さまそして愛子さまは、上皇ご夫妻に新年のあいさつをするため、お住まいの仙洞御所(昨年は、仙洞仮御所)に向かった。  愛子さまが日中の正装であるローブモンタント(長袖ロングドレス)にあわせたのは、淡いサーモンピンクの共布でつくられた帽子だ。  成年皇族は、宮中行事や公務へ出席することになる。成年を前にした時期、宮殿行事などで着用する正装のドレスにあわせる帽子をいくつか新調した。  愛子さまが作った地模様の入ったローブモンタントは、胸元に飾りのないシンプルなデザインだった。20代の女性皇族となる愛子さまの清楚な雰囲気に似合うだろうと、こう提案した。 「お花の飾りもいいのではないでしょうか」  愛子さまは、にっこりと笑い、こう答えた。 「あ、それもよいですね。お願いします」  愛子さまは感情が豊かだ。うれしいと感じるときは、素直に表情にあらわれる。愛子さまが笑うと、その場の空気がふわっと明るくなった――。そう、欧子さんは振り返る。  これから愛子さまは、成年皇族として公務に出席する場面も増える。成年皇族のご準備としてつばのない「トーク帽」をはじめいくつか新調した。 「愛子さまの最初の帽子に、ふさわしいのでは」  そう思った欧子さんは、帽子の花飾りに愛子さまのお印であるゴヨウツツジを選んだ。花と一緒に編み込んだリボン飾りで品のよい華やかさを添えた。  皇族の持ち物の目印として用いるのが、お印だ。  天皇陛下と雅子さまは、栃木県の那須御用邸に咲くゴヨウツツジが好きで、「この純白の花のような純真な心を持った子どもに育ってほしい」と願いを込めて、愛子さまのお印としたという。  上皇ご夫妻へあいさつに向かう際、愛子さまは2年続けてこのゴヨウツツジの帽子を着用した。  女性皇族が、宮殿での儀式や公務などの皇室行事でローブモンタントに合わせるのが帽子だ。 「明治維新以降、宮殿における儀式や公務における皇室の正装は、洋装になりました。明治から昭和の前半までは、帽子ありきでファッションが成り立った時代。皇族方の帽子も冒険したデザインが多くありました。最近は、『皇室も控えめに』といった風潮があるためか、公務の際でも帽子をかぶらないケースもおみかけします。洋装は本来帽子で完成するもの。皇族方が帽子の楽しみ方のお手本になっていただけると嬉しいですね」(欧子さん)  他の皇族方のお住まいへの訪問や一般参賀や宮殿での儀式においても、帽子を着用するときとそうでない時がある。どのような区別はあるのだろうか。 「お相手を訪問する際には、帽子を着用します。元日に愛子さまが、上皇ご夫妻のお住まいに訪問した際に帽子をお召しになったのは、訪問する立場であるためです。ご自分のお住まいにいらっしゃる上皇后さまは着用なさらない」(欧子さん)  興味深いのは、一般参賀や皇居・宮殿での儀式など同じ皇室行事でも女性皇族によって帽子の有無があることだ。宮殿行事では、帽子を着用しない皇后さまの写真や映像を見かける。  どういうことなのか。  「皇居・宮殿で執り行われる歌会始や講書始の儀などは天皇、皇后両陛下が主催する儀式です。皇居にお住まいの皇后さまは、着用なさらない。一方、参内する立場の他の皇族方は、帽子をお召しです」(欧子さん)   宮殿での新年祝賀の儀で、女性皇族はコロナ禍に配慮してティアラを控えた。大きな行事でも華やかな印象のある帽子をつけない場面もある。しかし、作法の基本は同じだ。  新年の一般参賀では、両陛下はお祝いに集まった人々をお迎えする立場だ。欧子さんによれば、平成に入りしばらくした頃、「人々を皇居にお迎えする立場ということから、皇族方は帽子を身につけない」という形で落ち着いたという。  一方で、平成と令和における天皇陛下の即位を祝う一般参賀では、皇后さまを含む他の女性皇族も帽子をかぶっている。  天皇誕生日の一般参賀では、皇后さまは帽子をかぶらず、皇太子時代の雅子さまや眞子さん、佳子さまなど他の女性皇族は帽子をかぶっていた。体調などの関係で着用しない場合を除いては、おおむね統一されている。 即位に伴う一般参賀は、皇室全体が国民から祝福をもらう立場。天皇誕生日の一般参賀は、 祝福を受ける天皇陛下の妻である皇后は、人々をお迎えする立場という解釈なのかもしれない。 「欧州の王室では、いまも帽子はロイヤルを象徴する装いとしてあります。帽子は、かぶるだけで背筋が伸びるという方や、気持ちが豊かになるといっていただける方もいらっしゃる。愛子さまは、いろいろな帽子に興味をもってくださるので、これからもぜひ華やかな帽子などもかぶっていただきたいですね。上品に着こなしていただけると思います」 (AERA dot.編集部・永井貴子)  

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    21時間前

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    愛子さまと佳子さま「紅白コーデ」に弾み、眞子さんの「道」に思いを馳せた

     皇室のファッションは国民の関心が高いテーマ。先日も、愛子さまと佳子さまの「紅白コーデ」が話題を呼んだ。服装には着る人の内面が表れ、その場に居合わせた人との関係性を露わにすることもある。コラムニストの矢部万紀子さんが、紅白コーデを読み解いた。 *  * *  天皇、皇后両陛下の長女愛子さまと、秋篠宮家の次女佳子さまがそろって雅楽演奏を鑑賞した。11月5日のことだ。皇居内の宮内庁楽部で開かれた秋季雅楽演奏会に出席したのだが、その映像をテレビで見た瞬間、うれしくなった。2人で相談したのかな、そうだといいな。そんな思いで心が弾んだ。  ファッションのことだ。愛子さまは白のスーツ、佳子さまは深紅のスーツ。紅白で一対をなしているように見えた。襟のデザインや全体の感じなど微妙にというかだいぶ違うけれど、なぜか調和がとれていた。7歳違いのいとこ同士、仲良しだからだろうか。そんなふうにも思った。  愛子さまが雅楽演奏会に出席するのは初めてで、学習院大学で日本の伝統芸能に関する授業を選択したことから興味をもったと報じられていた。佳子さまは2度目の出席だというから、愛子さまは会場の雰囲気などを尋ねたのではないだろうか。  今どきの女子なのだから、職員を通しての相談でなく、LINEなどで直接やりとりしているのでは? そうだ、それでスーツの紅白コーデが決まり、「いいね」と可愛いスタンプを送りあったりしたのでは? などなどと妄想しつつ、こちらまで華やかな気分になった。  女性皇族が2人以上そろう姿を目にする機会は案外多くない。雅子さまは天皇陛下と行動することが多いし、紀子さまは秋篠宮さまと行動することが多い。母娘や姉妹が一緒に行動することはあっても、プライベート中心。成人した独身皇族の公務は単独が基本だから、「誰かと誰かが一緒」の光景は珍しい。  ただし例外が一つある。皇后さまが名誉総裁、他の妃殿下方が同副総裁を務める日本赤十字社の全国大会だ。活動に貢献した人々を表彰する会で、名誉総裁、同副総裁がそろって出席する。コロナ禍で2020年、21年は開かれなかったが、22年5月には3年ぶりに開かれ、雅子さま、紀子さま、寛仁親王妃信子さま、高円宮妃久子さまが出席した。  この大会の写真や映像は古くからのものが残っている。今に残る一枚のお写真――と、これは2022年9月に亡くなった皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんが好んで使ったフレーズだ。莫大な写真や映像を記憶していた渡邉さんに教わったのが、1968年11月2日の赤十字社有功章、特別社員章親授式の写真だ。  名誉総裁は香淳皇后で、壇の中央で手に紙を持ち何か文章を読んでいる。少し離れて同副総裁である女性皇族がずらりと並ぶ。香淳皇后に近いほうから、美智子さま(当時は皇太子妃)、常陸宮妃華子さま、秩父宮妃勢津子さま、高松宮妃喜久子さま、三笠宮妃百合子さま。  モノクロ写真の時代だから、正確な色はよくわからない。が、見えたままを説明すると、香淳皇后は黒い服を着ている。美智子さまは白い服を着ている。華子さま、勢津子さま、喜久子さま、百合子さまは黒い服を着ている。つまり、美智子さまだけ白い服を着ている、という写真なのだ。  これはどう見ても、美智子さまにだけドレスコードが伝わっていない。そういうことだと渡邉さんは解説してくれた。その事情については、渡邉さん言うところの「超一級の史料」である『入江相政日記』を引いて、解説してくれた。  入江氏は昭和天皇の侍従長を務めた人で、58年10月11日の記述にこうある。<東宮様の御縁談について平民からとは怪しからんといふやうなことで皇后さまが勢津君様と喜久君様を招んでお訴へになつた由>。東宮様は現在の上皇さま、皇后さまは香淳皇后、勢津君様は勢津子妃、喜久君様は喜久子妃。黒い服というドレスコードが伝わっていたであろう人々。「平民から」とは美智子さまのことで、「怪しからん」を今どきにすれば「ありえない」だろうか。  結局のところ皇太子さま(当時)と美智子さまは、59年に結婚した。それから9年経った赤十字の式典でも、美智子さまにはアウェーの風が吹いていた。  この大会から50年、2018年5月16日に全国赤十字大会が開かれた。写真も映像もたくさん残っているのは、平成最後の大会で、雅子さまが15年ぶりに出席したことも大きい。「来年から、雅子さまは大丈夫だろうか?」という空気は、国民の間にまだ残っていたと思う。  その大会の最後、美智子さまは雅子さまのほうを振り返り壇の中央に招いた。美智子さまは雅子さまの腕を軽く取り、言葉をかけた。雅子さまはぱっと笑みを浮かべ、客席に向かって頭を下げた。続いて、美智子さまも頭を下げた。「次はあなたよ、がんばって」。美智子さまのそんな声が聞こえてくるような、サプライズ演出だった。  美智子さまは白いスーツ、雅子さまは紺色のスーツだった。他の皇族方も白系統と紺系統で順番に並んでいた。50年前の「1人だけ白」を乗り越え、最後は温かな演出で幕を閉じた。美智子さまの人生が凝縮された大会だった。全員の服装について「遠目にはまるでオセロのようで、女性皇族の一体感を演出しているように見えた」と書いたメディアもあった。  ことほどさように、女性皇族が集合するのは大変なのだ。だから、というわけではないだろうが、愛子さまと佳子さまの「紅白コーデ」はとても話題になった。そして愛子さまは服装だけでなく、髪形も注目の的だった。「“ヘアゴム隠し”のポニーテール」と名づけて「艶やかな髪を緩く巻き、ひとつに束ね、ヘアゴムの結び目の上から髪を巻きつけ」と解説したのは「女性セブン」(22年11月24日号)で、流行中の新しいヘアスタイルだとしていた。  愛子さまのお出かけが少ないという事情がある。21年12月に成年皇族になり、22年3月の初めての記者会見で国民を魅了した愛子さまだが、コロナ禍で大学もリモート学習を通していて、ファッション情報もほとんどない。  一方、積極的に外出しているのが佳子さまだ。10月1日から11月10日までの佳子さまの日程を朝日新聞デジタルの「皇室7days」でチェックすると、1泊2日(栃木県と奈良県)を含め皇居の外へのお出かけが9回。ちなみに愛子さまとの雅楽鑑賞は入っていないから、あれはプライベートということなのだろう。  そして佳子さま、失礼を承知で書かせていただくなら、「おしゃれ番長」だ。9月24日、鳥取市での車いすツインバスケットボールの練習会場ではブルー系の縦ストライプのワンピース(上に白のジャケット)を着て、きっぱりした感じを見せていた。そうかと思うと10月1日、日本デフ陸上競技選手権大会会場では濃いワインレッドでレース地のワンピースを着て、フェミニンな感じに。どちらもよく似合い、佳子さまはファッションが好きなのだと思わせる。笑顔はいつも弾けるようだし、デフ陸上の会場で手話を使いこなす様子はとても気さくだ。  そんな佳子さまの日々を見て、「婚活ファッション」などと書くメディアもあった。が、働く女子の大先輩として言わせていただくなら、それは違う。婚活のためより、まず自分のため。それが職場ファッション。職場(佳子さまにとっては、公務で出かける先は職場だ)で自分好みのファッションを着られるのは、仕事が充実している証拠だと思う。  ということで、愛子さまと佳子さまの紅白コーデに戻る。冒頭で2人のファッションを見てうれしくなった、と書いた。自分の気持ちを分析するなら、2人が皇室という自分の生きる場所を楽しめているような気がしたのだと思う。背景にあるのは小室眞子さんの結婚までの道で、眞子さんは皇族であることがしんどかったのだろうと思うのだ。  愛子さまと佳子さまの心の奥底はわからない。でも雅楽を聞きにいくにあたり、ファッションをあれこれ考え、紅白コーデになった。そのことを思うと、安堵の気持ちがわいてくる。これからも愛子さまと佳子さまが、ファッションを楽しめますように。願ってやまない。

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    箱根駅伝で失速の原因は血糖値の乱高下を起こした可能性 食事法の影響も

     正月名物の箱根駅伝では、山登り区間などレース途中で失速する選手が見られる。万全な体調で臨んだ選手たちに何が起こったのか。原因は何か。専門家に聞いた。AERA 2023年1月30日号より紹介する。 *  *  *  箱根の山で失速した──。  ラストで足が止まり、フラフラに──。  今年の箱根駅伝で選手の走りを伝える記事だ。失速は今年に限らない。鍛え抜いた学生アスリートがなぜ失速するのか。  北里大学北里研究所病院糖尿病センター長の山田悟医師が解説する。 「選手が走るのは1時間ほど。本来はエネルギー補給なしに走り切れるはずの距離です。スポーツ栄養学では口をすすぐ程度の糖質で75分は走れるとされています。考えられる原因として、脱水や低体温、低血糖があると言われています」 ■「カーボローディング」  脱水や低体温はわかる。だが、健康そうな学生が低血糖になるとはどういうことなのか。  食後に血糖値が若干上がるのは普通のこと。問題なのは血糖値が過剰に上昇し、その反動でその後に急激に下がることだ。血糖の急降下に伴い、疲労感、思考力の低下、飢餓感などが生じるのだ。  実は、血糖値の急上昇、急降下を起こしている選手は多いのではないかと山田医師は危惧する。 「食後血糖値は140までが正常で、200以上は糖尿病の診断基準ですが、私は食後血糖が200~300まで上がる長距離ランナーを何人も診ています。こうしたランナーが食後に走ると、血糖の急下降、そして失速も起こしやすいと思います」  山田医師によると、アスリートに血糖の乱高下が生じるのはカーボローディングの影響だという。糖質を取ってエネルギー源となるグリコーゲンを筋肉に蓄えようとする食事法のことで、例えば、試合の数日前から主食を多量に食べ、走る前にも糖質飲料を飲むスタイルだ。  ただ、アジア人は食後高血糖になりやすいことがわかっている。筋肉にグリコーゲンを蓄えられず、血糖値を急上昇させているだけかもしれない。  食べ始めから30~90分の間に、血糖値はピークを迎える。そして、食べ始めから120~180分の間に、最低になる。糖質の高いものを食べた後、まさに走っている最中に低血糖になりやすいのだ。 ■長友選手も血糖値管理  こうしたことを防ぐため、二の腕に血糖値測定器を付けて走る駅伝選手もいる。サッカーの長友佑都選手(36)も血糖値を管理し、昨年のワールドカップ・カタール大会で日本代表として活躍した。山田医師は長友選手のサポートをしている。 「長友選手はパフォーマンスの低下や体調不良を感じて、食事のコントロールを始めました」  ただ、食後高血糖は自覚しづらい。中国の研究では、10万人の食後血糖値を測ると、成人の2人に1人が血糖異常者だった。健診の結果は正常値だとしても、健診は空腹時の採血の結果だ。まずは自分の体質を知ろう。 「血糖値測定器を付けると、どの程度まで血糖値が上がるかわかります」  もっと手軽に確認する方法も。 「調剤薬局の検体測定室で1回500円程度で血糖値を測ることができます。おにぎり2個と野菜ジュースを食べ始めて1時間後に計測してみてください。140を超えれば、食後高血糖です」  もし140を超えたら。 「白ご飯を半分以下にして、おかずをしっかり食べましょう。間食したいときは低糖質なデザートを選んでください。(糖質を適正量にする)ロカボな食生活を送れば、血糖値の乱高下は起きにくくなります」  血糖値の乱高下は、もちろん一般の人の健康にとってもよくない。乱高下が続くと、体に害を及ぼす。山田医師は言う。 「ドミノが倒れるように、動脈硬化症や認知機能の低下、発がんのリスクが徐々にやってきます。若くて運動していても、リスクがあります」 (編集部・井上有紀子)※AERA 2023年1月30日号

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    片づけたら「できない」という思い込みも一緒に手放せた

     5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 *  *  * case.39  言い訳ばかり出てきた思考がポジティブに 夫+子ども2人/経理事務   人はどうしても楽な方に流されてしまいます。家の中が散らかっている人は、片づけない方が楽だと思って、そちらを選び続けてしまったのです。そのとき、自分に都合のよい言い訳もきっと1つや2つは思い浮かんでいるはず。  忙しいから。疲れているから。時間がないから。 「私は子どもがいるから片づけができないんだって思っていました」  さちこさんは、11歳と3歳の子どもを育てながら仕事もしています。夫は仕事中心の生活をしていてあまり家事・育児の協力が得られず、片づけに費やす時間がないと嘆くのも当然かもしれません。 「ほぼワンオペの状態で育休から復職。がんばって働いていましたが、ちょっと仕事が回らなくなったタイミングで職場の人との信頼関係がうまく築けなくなり、私がいっぱいいっぱいになってしまって……」  職場のデスクは散らかり放題で、探し物ばかり。その結果、ミスも増えました。少しのことから始まった負の連鎖が止められなくなってしまいました。   家の中も洋服、書類、本などが散乱している状態。「もう無理だ」と思って退職したさちこさんは、次の職が見つかるまでの間、せめて家の中を片づけようと決意します。  以前は片づけに苦手意識はありませんでした。引っ越しが多かったので、自分の荷物はそれほど多くなかったからかもしれません。でも今は、自分のモノだけでなく家族のモノも増え、管理ができていない状態。 「たぶん育児が忙しくなり始めた頃に、片づけることに対して考えたり、時間や手間を費やしたりすることをやめてしまったんだと思います」と、話すさちこさん。   「最初は自宅まで来てくれる整理収納アドバイザーの方にお願いしようと思ったんです。でも、このぐちゃぐちゃな家の何をどうやってお願いすればいいのか悩んでしまって」  いざ片づけようと思っても、片づけを避け続けていたので何から手をつければいいのかわかりません。そんなときに家庭力アッププロジェクト®の存在を知り、参加を決意しました。 「自分が片づけられるようになれば、子どもたちも片づけが習慣化できるかなと思って。自分以外にも、よい影響がでたらいいなという期待もありました」  小学校5年生の長男は、3年ほど前から不登校が続いています。さらに、自分だけのリズムで生活をしている夫にも不満がたまっていました。自分が変わることが、家族みんなの笑顔につながるかもしれないと思ったのです。  家事・育児・転職活動に加えて、45日間の片づけもスタート。さちこさんいわく、“怒涛の日々”でした。  少しでも時間があるときは、気づけば片づけについて考えていました。不用品を手放し、モノの定位置を探す。次男が起きている時間はなかなか片づけを進められないので、昼寝の時間や寝かしつけが終わった夜などの時間を活用しました。 「プロジェクトで学んでから改めて家の中を見回してみると、長く使っていないモノやもう必要ないモノばかり。なんで今まで残していたんだろうって不思議でした」  長男は片づけに協力的でした。  たまに夕ごはんを作ってくれるほど料理が好きなので、キッチンは長男の意見も取り入れることに。フライパンや調味料などを子どもでも取り出しやすい場所に収納したかったので、場所を変えながら検証して一緒に最適な場所を見つけました。  家の中がきれいになってくると、探し物や「あれどこ?」と家族にきかれることがグンと減り、さちこさんのストレスが減りました。 「以前よりもイライラすることがなくなりましたね。夫に対しても、ずっと『私だけがこんなにがんばっている!』と自分の不満を押しつけていましたが、今では『夫なりに仕事のことで頭を悩ませたりしているんだろうな』と気づかえるようになったんです」  さちこさんの変化を受けて、短気な夫も少し穏やかに変わってきました。 「自分でも変わったと思います。『できない』とあきらめるのではなくて、『どうしたらできるようになるか』という考え方になりました。前と変わらず、時間はないし、忙しい。でも、自分の中で『ここまでならできる』ということがわかるようになったんです」  転職先も決まり、自分らしいペースで働けるようになったさちこさんは、これからもっと長男と向き合おうと考えています。 「自宅でパーティーを開いたとき、ほとんどの料理を長男が作ってくれました。人が喜んでくれるのは好きみたい。これからそうやって長男が料理の腕を振るう機会を増やしていこうかな」  さらに、片づけによってすべてがボリュームダウンして心が軽くなったとも教えてくれました。 「家の中のモノの量が減ったというのはもちろんそうなんですが、ずっと心の中にあった『片づけないと……』という気持ちがなくなりました。片づけが生活の一部になって、やらなきゃいけないタスクではなくなったんです」  今の気持ちを一言で表すと、「穏やか」。そう話すさちこさんは、とても素敵な笑顔をされています。きっと前職を辞めた当時とは正反対の気持ちなのでしょう。  私は、片づけが「できない」人はいないと考えています。そういう人の多くは、片づけを「知らない」だけなのです。そのような人たちをサポートすることで、さちこさんのような笑顔が世の中にもっと増えるといいなと思います。 ●西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・家族間コミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト?」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。NHKカルチャー講師。「片づけを教育に」と学校、塾等で講演・授業を展開中。テレビ、ラジオ出演ほか、メディア掲載多数。 ※AERAオンライン限定記事

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    野党からも批判噴出「れいわローテーション」に“当事者”は何を思うのか 長谷川ういこ氏が語る「本音」

    「憲法の趣旨に反する」「1日でも国会議員ができてしまう」……与野党から激しい批判にさらされている、れいわ新選組が打ち出した「ローテーション制度」。同党の山本太郎代表は、水道橋博士氏が議員辞職したことを受け、残りの任期5年半を、全国比例で落選した5人がローテーションで務めると発表した。批判が噴出する状況を“当事者”はどう感じているのか。昨年7月の参院選で“比例3位”となった同党の長谷川ういこ氏に思いを聞いた。 *  *  * 長谷川氏が最初に山本代表から「れいわローテーション」の話を聞いたのは、昨年12月末のこと。 「Zoom会議で、今回のローテーションの対象となる5人が招集されました。山本代表は『水道橋博士から議員を辞任する意向を聞いた。もし、そうなった場合はローテーション制の導入を考えている』と説明されました。突然のことだったので、みんな顔を見合わせながら驚いていました。ただ、私はかつてドイツの緑の党でローテーション制が採用されたことは以前から知っていましたので、これは面白い試みだと思いました」 その会議に集められたのは、昨年7月の参院選比例代表で次点だった大島九州男参院議員、3位の長谷川氏、4位の元衆院議員で弁護士の辻恵氏、5位の拉致被害者家族会元副代表の蓮池透氏、6位の元新宿区議の依田花蓮氏の5人だった。 「会議では『それでいいんじゃないか』という意見が多数でした。大島さんは本来なら5年の任期があったわけですから、いささか疑問があったかもしれません。ですが、度量の広いことに『比例代表は党の議席だから』と受け入れておられました。なので、その会議で『もし水道橋さんが辞任ということになったらローテーション制をやりましょう』と合意ができました。ただその時は、私は水道橋博士とは直接コンタクトを取っていなかったので、詳しい病状はわかりませんでした」 水道橋博士氏は昨年11月にうつ病を発表し、休職状態が続いていた。年が明けた1月16日、山本代表は水道橋博士氏が議員辞職願いを届け出たと発表した。同日、山本代表が「れいわローテーション」構想を明らかにすると、与野党から批判が噴出した。  自民党の世耕弘成参院幹事長は「参議院議員は憲法で6年という任期が与えられている。憲法の趣旨に合致しない対応だ」「しっかりと腰を据えて、仕事に取り組むことが求められている」などと批判した。  さらに、野党第1党の立憲民主党の岡田克也幹事長からも「1日でも国会議員ができてしまう」「毎年1人という方法は決してよいことではない」と苦言を呈した。  これらの批判について、長谷川氏はこう反論する。 「自民党の衆院議員であれ、参院議員であれ、任期途中でお辞めになって、知事選などにお出になる議員は毎年のようにいます。任期途中での参院から衆院への鞍替えもよくあります。それは憲法の精神に反してないのですかと問いたいですね。また、衆議院はいつ解散があるかわからないので、ごく短期しか務められないこともあり得ます。これまでも、2カ月間だけ、1週間だけ国会議員だったという方はいらっしゃいます。それもダメなんでしょうか。現状でも、制度的には1日だけ国会議員というケースもあり得るということです」  前述のように、国会議員の「ローテーション制」はドイツの緑の党が導入した事例がある。長谷川氏は2012年から19年まで「緑の党グリーンズジャパン」(世界各地にある緑の党をモデルとして結成された日本の政治団体)の共同代表を務めていた。それゆえ、ドイツにおいて「ローテーション制」がどのようになったのかもよく知っていた。 「実はローテーション制はドイツの緑の党ではうまくいかなかったんです。『議員を職業とする職業政治家になってはいけない』というのが1980年の結成当初からドイツの緑の党の考え方で、2年で議員を交代するローテーション制を採用していました。そして1983年に連邦議会で初めて議席を獲得しました。ところが、党の創設期のメンバーでスター的な存在だったペトラ・ケリーさんという女性議員が、自身が2年務めた後に『やはり辞めない』と辞職を拒否したんです。それで、ローテーション制は最初からグラグラになってしまった。結局、党内の議論で、ローテーション制は廃止されてしまいました」  それゆえ、もし「れいわローテーション」が成功すれば、世界でも珍しいケースとなる。  これまで、れいわは比例代表の「特別枠」を使って3人の障害者を参院議員にした“成功例”がある。 「『特別枠』というのは自民党が選挙区事情でつくった救済策だったんですが、私たちはそれを使って船後靖彦さん、木村英子さん、天畠大輔さんという3人の参院議員を誕生させました。それにより国会にスロープがついたりと、障害や難病に配慮をするように変わりました。これは世界的にみても画期的なことです。制限された選挙制度の中で最大限の知恵を絞り、いかに自分たちの思いを訴えかけていくかを追求した結果だと思います。私たちは、選挙制度にも一石を投じたい。ローテーション制もやってみなければわかりません。参院選は非拘束名簿式になりましたが、はたしてそれがいい選挙制度なのかという問いかけにもなると思います」 山本代表は街頭演説などで、「党の経済政策は長谷川ういこさんが作っています」と繰り返し語ってきた。長谷川氏は、政府は財政規律にとらわれず、必要な財政出動を行って社会保障や公共サービスを充実させるべきだという「積極財政」を唱える。また、脱原発や脱炭素を進め、持続可能な経済に転換していく「グリーン・ニューディール」も提案し、れいわの公約となった。「れいわローテーション」が順調にいけば、長谷川氏は24年に国会議員となるが、その任期である1年間で何をするつもりなのか。 「1年という期間であっても、自分が主張してきた『積極財政』を国会でも訴えていきたいです。またグリーン・ニューディールもより強く伝えていきたいです。脱炭素は成長産業であり、世界の市場規模は500~600兆円になると言われています。今の日本は、エネルギーや食料を他国に頼っていますが、これらを自分の国でつくることもニューディールなんです。1年という準備期間をもらっているので、もっと研究を進めて、専門性を突き詰めていきたいと考えています。あとは家庭をどうするか。今は京都に住んでいるので、1年の間に、子どもの転校をどうするかなどを決めないといけないですね(笑)」  はたして、日本で「れいわローテーション」は成功させられるのか。これからの5年間に注目が集まる。(AERA dot.編集部・上田耕司)

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    なぜ岸田首相は「女性」と「若者」から見放されたのか 望月衣塑子記者が見抜く“共感力のなさ”

     岸田政権の支持率低下が止まらない。7日、読売新聞が発表した世論調査では岸田内閣の支持率は36%と過去最低となり、初の30%台に落ち込んだ。JNNの最新の世論調査でも、内閣支持率は39.6%と3カ月連続で過去最低を更新した。読売新聞は、支持率低下の背景として「女性」「若年層」「自民党支持層」からの支持が下がっていることを挙げる。女性や若者の「岸田離れ」はなぜ起こっているのか。生活者の視点から政治を取材してきた、東京新聞の望月衣塑子記者に聞いた。 *  *  *「支持率は、まだまだ下がるでしょうね」  開口一番、望月氏はこう語った。  前出の読売新聞の世論調査によると、女性の内閣支持率は前回の10月調査(支持率=47%)から11ポイントも下がって36%となり、男性より支持率の高い傾向にあった女性の支持率は男性と並んだという。  これまでの安倍晋三元首相、菅義偉前首相と比べると、物腰も穏やかでソフトな印象を与える岸田文雄首相。自身がアピールする「聞く力」は、一般的に女性が求める政治姿勢とも合致しているように思えるが、今回の世論調査で“見限られた”のはなぜか。 「生活が苦しくなってきている実感が支持率に反映されているはずです。特に子育て世代の女性が『このままでは先が見えない』と大きな不安を感じているのだと思います」(望月氏)  原油をはじめとするエネルギー価格の高騰を受けて、10月28日、政府は総合経済対策を発表。1世帯当たりの電気、ガス、ガソリン代などの負担軽減をはかるため、来年前半にかけて、一般的な家庭で総額4万5000円程度を支援するとした。だが望月氏はこう指摘する。 「各家庭に4万5000円を直接支援するといいながら、消費税を15%に増税しようとする動きもあると聞きます。総合経済対策には39兆円かかり、その他の防衛費増額の支出も考えると、消費税10%では日本の財政がもたないという話が政府内から出てきているからです。そうした政策の“ちぐはぐさ”が、女性の不安や不満の原因になっているのではないでしょうか」  また、急速に進む円安の影響で、多くの食材や日用品が値上がりし、家計を直撃している。 「日銀は外貨準備を切り崩し、円安が進まないよう為替介入しましたが、焼け石に水の状態です。経済評論家の藤巻健史さんは1ドル500円を超えるという見立てまでしていますが、もしそこまで円安が進めば、日本経済が立ち行かなる可能性があります」(望月氏)  女性の「岸田離れ」は経済対策への不満に限らない。  寺田稔総務相の政治資金問題や山際大志郎前経済再生相の世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との蜜月関係など、閣僚のスキャンダルが次々と発覚する中で、岸田首相の対応が煮え切らないことにも女性は失望している、と望月氏はみる。 「特に山際氏について、閣僚辞任直後に自民党の新型コロナウイルス対策本部長に就任させた人事には、失望した人が多かったと思います。これは自民党の萩生田光一政調会長の判断で行われた人事のようですが、旧統一教会と結びつきが強いと言われる萩生田氏の“配慮”のようにも見えますし、岸田首相への牽制の意味合いもありそうです。しかし、岸田首相は『党の人事は本人の経歴や経験をふまえて判断した』と曖昧なことしか言わない。こういう姿勢は首相としての頼りなさを感じます」  また、過去にLGBTなどの性的少数者について「生産性がない」などと主張していた杉田水脈衆院議員を総務政務官に就けたことにも疑問を感じるという。野党議員からは杉田氏に対して、過去の主張について謝罪や撤回を求められたが、杉田氏は応じていない。 「野党議員から過去の発言を追及された委員会では、杉田氏は『差別する意図はなかった』と繰り返すばかりで、頑として謝罪、撤回は拒否しました。また、杉田氏は過去に性暴力被害の相談事業について語るなかで、『女性はいくらでもうそをつけますから』と発言したこともある。こういう考えを持った女性議員を政府の要職に就ける岸田政権の姿勢は、ひとりの女性として、私も非常に疑問を感じています」(望月氏)  読売新聞によると、前出の世論調査では18~39歳の「若年層」の支持率の落ち込みも顕著になったという。内閣支持率は、前回調査の50%から36%に14ポイントも下落した。その背景を望月氏はこう推測する。 「若い世代からすれば、岸田首相のリーダーシップに頼りなさを感じるのでしょう。例えば、大学生が就職先を選ぶ際にも、今は大企業に入ればなんとかなるという感覚ではない。なぜなら、賃金は上がらず、雇用は安定せず、学生の目には日本企業が全体としてダメに映ってしまっている。だから外資系企業に人材が流れています。将来に対して暗い見通ししか持てない中で、岸田首相が構造改革を含め、何かを大きく変えてくれるという期待感が乏しいのだと思います」  日本は長らくデフレが続き、物価が上昇しない中で、企業は薄利多売で極限まで利益を削り経営を維持してきたので、労働者の賃金も上がらないという悪循環に陥っている。 「日本の労働者の所得水準は、他の先進国の平均値より低くなってしまっています。アメリカの利上げの影響による円安、物価上昇で日本も金利は上げた方がいいとは思っていても、今の所得水準では政府は決断できない。日銀含めて『これから日本は大丈夫なのか』という不安は若い世代ほど強くなるのは当然だと思います」(望月氏)  また、旧統一教会絡みでいえば、若い世代が切実なのは「宗教2世」問題だろう。支持率下落が報じられた直後、岸田首相は多額の寄付をした信者や信者の親の元で苦しむ被害者を救済する新法案を、今国会に提出することを目指すと表明した。 「岸田首相はこの新法案で起死回生を図ろうと躍起ですが、検討している救済法の中身をみると、創価学会を支持母体とする公明党への配慮が透けて見えます。たとえば、マインドコントロールの定義についても、自民、公明は『法律上の定義は困難』と消極的です。寄付の上限規制も、公明党を中心に『寄付文化が萎縮する』と慎重です。宗教団体は寄付文化によって支えられている側面があり、創価学会としては上限規制という発想自体が受け入れ難いのだと思います。それゆえ、もし今国会で法案提出できたとしても中途半端な救済法案になる可能性があります。2世を救済すると言いながら、創価学会の顔色をうかがう、という姑息(こそく)な姿勢には若者も気づいているはずです」(望月氏)  岸田内閣が発足してから、1年1カ月。「聞く力」と「新しい資本主義」をアピールして総裁選を勝ち抜いた岸田首相だが、この1年の実績を望月氏はどうみるのか。 「率直に言って、この人は何がやりたいんだろうという印象です。安倍氏や菅氏のような陰湿さはないけれど、本当にやりたいことが見えない。結局、これを成し遂げたいという意志が見えないから、財務省や経産省などからも扱いやすい存在になってしまっています。個々の人事は別として、岸田首相は判断が決して遅いわけではない。就任当初、メディアの予測よりもかなり前倒しで衆院解散を実施したり、安倍氏の国葬開催の判断も早かった。ただ、熟慮なき即断というか、国葬や原発増設など間違った判断も多いと感じます。本当に『聞く力』があるのなら、それを国民の声にもっと傾けて、女性や若者に共感される政策は何かを考えるべきだと思います」  7月の参議院選挙で自民党が勝利を収めた際、岸田首相は「黄金の3年」を手に入れたと言われた。だが、支持率が30%台となった今、政権にそんな楽観はないだろう。はたして、起死回生の秘策はあるか。(AERA dot.編集部・上田耕司)

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    徳川家康の浜松城への移転は実はすごい決断だった!武田家滅亡の原因にもなった地政学

     徳川家康といえば、これまで織田信長、豊臣秀吉と比べて地味で堅実な人物というイメージだった。しかし、2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、度重なる絶体絶命のピンチを知恵や周囲との連携で乗り切る姿を示すことで、従来の家康のイメージを刷新してくれるようだ。家康自身だけでなく、ゆかりの各地の城もまた、近年、発掘調査が進み、従来の説の見直しが迫られている。  国内外の城に精通し、テレビ・ラジオや講演で大人気の城郭考古学者・千田嘉博先生の最新刊『歴史を読み解く城歩き』から、岡崎城から浜松城に居城を移転したことを通してわかる家康の先見の明について、一部抜粋・改編してお届けする。 *  *  * 【浜松城】家康の挑戦し続ける意志  静岡県浜松市の浜松城は徳川家康の城として人気である。1560(永禄3)年の桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、家康は今川氏から独立して三河愛知県東部)の平定を進めた。そして、織田信長と同盟を結んで領国西側の安全を確保。東に広がる今川領へ領地を広げる方針を固めた。1568(永禄11)年、信長は足利義昭を将軍にするため上洛を果たし、家康は遠江(静岡県西部)への進攻を開始した。  翌1569年、家康は岡崎城(愛知県岡崎市)を嫡男信康に譲り、遠江に居城を移す決断をした。当初、家康は見付城(静岡県磐田市)を選んだが、信長のアドバイスに従って、武田信玄との戦いに備えて天竜川を防衛線にできる引間を適地と城の場所を改めた。そして、家康はこの城を浜松城と名付けた。いまにつづく浜松市の直接の起源は、家康にあった。  家康が岡崎城から浜松城へ居城を移転したことはよく知られている。しかし、この家康の選択はもっと評価されるべきだと思う。若き日の家康が従った今川義元は、西へ領国を広げても本拠の静岡市今川館は動かさなかった。家康がその後戦った武田信玄は、どれだけ領国が大きくなっても本拠の躑躅ヶ崎館(山梨県甲府市)は不変だった。つまり、当時は成功しても本拠は動かないのが常識だった。  現在でも、業務が拡大したり、営業環境が変わったりしても、昔の仕組みをつづけている会社や組織に、誰もが心当たりがあると思う。昔のやり方で成果を出した成功体験があるから、会社も組織もますます変われなくなる。成功して、なお高みを目指して変わる挑戦はそれほど難しい。しかし人や会社・組織をとりまく環境は刻々と変化する。昨日の正解が、明日の正解であるとは限らない。  電話もインターネットも、鉄道も自動車もなかった家康の時代、すばやく情報をつかみ、軍勢を効率的に移動させるには、本拠の移転が最適解だった。もともとの本拠にこだわると、大きくなった領国境に軍勢を送るだけで、百キロ超もの移動が求められた。それにかかる時間も費用も莫大で、勝てば勝つほどその負担は増えて、限界を超えると大名の領国経営は破綻した。  家康がそうした武田家の失敗例を目撃したのは、はるかのちのことだった。だから浜松移転を選択した家康の先見性が光る。浜松は家康の挑戦しつづける意志を受け継ぐ街である。 ■地下から真実が浮かび上がる  浜松城は、明治に廃城になると、天守曲輪など城の中心部は昭和初期まで民間によって共同管理され、天守台には「鉄城閣」と呼ぶ鉄塔の展望台が置かれた。御殿が立ち並んでいた二の丸は1948(昭和23)年から元城小学校になった。1950年に城の中心部の公有地化が図られ、城の北側に浜松市動物園が開園、52年に本丸南東部から二の丸南側一帯は市役所となった。そして本丸南側には警察署や税務署が立ち並ぶようになった。  1958年に市民の寄付を得て復興天守を建設したが、この頃までに浜松城は、再建された天守曲輪(本丸より上位の曲輪)以外、ほとんど姿を消していた。近代になって全国的に城跡は公共用地として開発されたが、浜松城のように本丸まで消滅したのは珍しい。  こうして、いったんはほとんどを失った浜松城だったが、いまふたたびよみがえろうとしている。浜松市では天守曲輪の発掘を計画的に進め、地下に戦国期から江戸時代にかけた本物の石垣や堀が残り、絵図でも確認できなかった櫓が近世初頭に立っていたことなど、画期的成果を上げてきた。さらに2017年に元城小学校が移転したのを受けて、2020年には、大規模な発掘を二の丸で実施した。  この調査では埋没していた本丸の堀や石垣を発見するとともに、二の丸御殿の礎石を検出して、二代将軍徳川秀忠が生まれたという「御誕生場」の位置も特定した(異説あり)。つまり小学校跡地の地下に、浜松城の重要遺構が良好に残っていることを城郭考古学で証明したのである。地表からは見えず、なくなったと誰もが思っていた浜松城が、次々と発掘によって現れてきた。遺構を保存し、調査成果にもとづいて浜松城の本丸・二の丸の堀や石垣、御殿がよみがえれば、浜松城が国史跡になるのも間違いない。  さて未来の浜松城をどうしていくかは、まさに浜松市民の選択にかかっている。浜松城を整備、復元していくことは、まちの歴史の原点を取り戻すことだと思う。議論が進み、未来に誇れる選択がされるのを期待したい。

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    1時間前

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    昨年「戦力外」から大化けも? NPB復帰を狙える独立L&社会人でプレーの“3選手”

     プロ野球のキャンプも目前に迫り、オフに自由契約となっていまだに去就が未定の選手にとっては決断へのタイムリミットは迫っているが、近年増えているのが独立リーグや社会人で現役を続行する選手だ。毎年行われている12球団合同トライアウトでも多くの独立リーグチーム、社会人野球チームの関係者が顔を見せており、すぐにオファーを出すケースも少なくない。そこで今回は独立リーグや社会人からNPB復帰を狙えそうな選手はいるのか。探ってみたいと思う。  まず投手で実績のある選手で可能性がありそうなのが福井優也(楽天→BCリーグ・福島)だ。広島では2011年に8勝、2015年に9勝をマークするなど活躍。しかし2017年以降は成績を落とし、トレードで移籍した楽天でも目立った結果を残すことができずに昨年限りで自由契約となった。  ただ昨年の二軍成績を見るとリリーフで20試合に登板して防御率1.37、奪三振率も9.61と見事な成績を残している。また昨年11月に行われた12球団合同トライアウトでも打者3人を完璧に抑え、ストレートの最速も145キロをマークするなどまだまだ力があるところを見せた。プロ通算12年で106試合に先発した実績は申し分なく、ここ数年はリリーフに回っても腐ることなく二軍で結果を残しているのは立派だ。独立リーグで圧倒的な成績を残すことができれば、投手陣のコマ不足の球団が獲得を検討することも十分に考えられるだろう。  一方で実績はないものの、年齢的にこれからの成長も期待できるのが広島を自由契約となった山口翔(九州アジアリーグ・火の国)だ。熊本工ではエースとして3年春のセンバツ高校野球に出場。九州でも屈指の本格派右腕として評判となり、2017年のドラフト2位で広島に入団している。プロ入り後も2年目には二軍ではチームトップの6勝をマークし、一軍でもプロ初勝利を記録するなど順調なスタートを切ったかに見えたが、その後は制球難に苦しんで低迷。2020年以降は二軍でも結果を残せずに昨年自由契約となった。  プロでの結果だけを見れば苦しいのは確かだが、長いリーチを生かした鋭い腕の振りは魅力で、11月の12球団合同トライアウトでも146キロをマークして三者凡退に抑えるなど、能力の片鱗は見せている。チームを指揮する馬原孝浩監督(元ソフトバンクなど)は引退後に柔道整復師と鍼灸師の資格を取得するなど、勉強熱心な指導者であり、特に投手の能力を伸ばすことに関しては定評がある。今年で24歳とまだまだ若いだけに、何かきっかけをつかめば大化けすることも期待できるだろう。  社会人野球からNPB復帰という例は極めて少ないが、年齢的にまだ可能性がありそうなのが昨年から三菱重工Eastでプレーしている山下航汰(元巨人)だ。育成ドラフト1位での入団ながら1年目にいきなりイースタンリーグで首位打者を獲得。ちなみに高校卒1年目の選手が二軍で首位打者を獲得したのは1992年のイチロー(当時オリックス)以来の快挙である。1年目には支配下登録されて一軍でもヒットを放ったが、その後は怪我もあって低迷。2021年オフに育成での再契約を断って他球団への移籍を目指したが、結局オファーはなく三菱重工Eastに所属することとなった。  社会人として1年目の昨年は層の厚いチームにあってベンチを温める試合も多く、ようやくスタメンの機会を得た日本選手権でも3試合(スタメンは2試合)でノーヒットと結果を残すことができなかった。ただ今年で23歳ということを考えれば大学卒1年目と同じ年齢であり、既に一度二軍で結果を残していることを考えればまだまだここから巻き返す可能性はあるはずだ。まずは社会人で誰もが納得するような成績を残してアピールしてもらいたい。  過去に独立リーグから復帰した選手は苦戦することが多かったが、昨年は四国アイランドリーグの高知からソフトバンクで復帰した藤井皓哉は中継ぎとして大車輪の活躍を見せてこのオフには大幅年俸アップも勝ち取っている。何かのきっかけで大きく変わる選手も間違いなくいるだけに、ここで紹介した以外の選手からも第2、第3の藤井が出てくることを期待したい。(文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文 1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員。

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    【追悼】YMO高橋幸宏さん 音楽プロデューサーの兄が語る子ども時代

     1月11日、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のドラマーとして知られるミュージシャンの高橋幸宏さんがこの世を去った。享年70。幸宏さんは2020年に脳腫瘍を摘出。長野県の軽井沢で療養していた。  幸宏さんは1952年に東京都目黒区で生まれた。12歳でドラムを始め、高校生でプロに。20代で加藤和彦や高中正義らとのサディスティック・ミカ・バンド、細野晴臣や坂本龍一とのYMOといった世界的に評価されたバンドに参加。YMOでは代表作の一つ、「ライディーン」も作曲した。ソロアルバムとしても「NEUROMANTIC ロマン神経症」などの傑作を発表、YMO以降は音楽プロデュースも行い、ファッションデザインも手掛けるなど、マルチに活躍していた。  YMOにいた幸宏さんにはテクノポップのイメージが強い。しかし生の演奏を聴くと、とても情緒的で温かかった。打楽器奏者でありながらマッチョとは対極のスタイルで、ドカドカと叩かない。その音には知性、品性、洗練の響きがあった。幸宏さんのドラムは、叩いていない“間”からも風景を見させてくれるような演奏だった。好きな音楽を聞くと、バート・バカラックやフランシス・レイなど作曲家の名前をあげた。 「子どもの頃から幸宏はFEN(在日米軍向けラジオ放送。現在はAFNに統合)で毎日アメリカやイギリスの音楽を聴いていました」と20代でザ・フィンガーズのギタリストとして活躍した音楽プロデューサーの兄、高橋信之さんは語る。“ユキヒロ”“ノブサン”と呼び合う仲のよい兄弟だった。 「幸宏は5人きょうだいの末っ子。本当にかわいかった。父親は会社経営者なのに、僕は音楽の道に進みました。だから幸宏までも美大に入りたいと言いだしたとき、お前が幸宏の面倒をみろ、と父に言われたんです」  子どもの頃は身体が弱かったと思われた幸宏さんが心配で、なにかと面倒をみていた信之さん。そんな幸宏さんだが、やがてドラマーとしてめきめき頭角を現すようになった。ミカ・バンドの名盤「黒船」のプロデューサーはビートルズの「ホワイト・アルバム」にかかわったクリス・トーマスだが、彼との出会いが幸宏さんの一つの転機となった。 「ミカ・バンドの頃、新しい幸宏のドラムスタイルには賛否両方がありました。そんなときにクリスが手数の少ない洗練されたスタイルを高く評価してくれた。あれで幸宏は自信を持ち、演奏が磨かれたと僕は思っています」  キャリアを重ねてからの幸宏さんは、原田知世や高野寛らとのpupaや小山田圭吾らとのMETAFIVEなど年下世代のアーティストと組む機会が増えた。バンドの年長者であってもメンバーのサポートに徹した。 「幸宏の美学だと思います。ビートルズでは、レノン&マッカートニーよりもジョージ・ハリスンが好きでした。プロコル・ハルムでも、中心人物のゲイリー・ブルッカーよりマシュー・フィッシャーがお気に入り。目立つポジションに自分を置かずにチームや音を支えることに居心地のよさを感じていたのでしょう」  暖かい季節に向けて、幸宏さんとみなさんとのお別れ会の準備が始まっているという。(神舘和典)※週刊朝日  2023年2月3日号

    週刊朝日

    14時間前

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    【ゲッターズ飯田】今日の運勢は?「心も体も軽くなる日」金の羅針盤座

     占いは人生の地図のようなもの。芸能界最強の占い師、ゲッターズ飯田さんの「五星三心占い」が、あなたが自分らしく日々を送るためのお手伝いをします。12タイプ別に、毎週月曜日にその日の運勢、毎月5のつく日(毎月5、15、25日)に開運のつぶやきをお届けします。 【タイプチェッカー】あなたはどのタイプ?自分のタイプを調べる 【金の羅針盤座】 心も体も軽くなる日。積極的に仕事に取り組めたり、新しい方法を試すこともできそうです。いい人間関係をつくれる運気でもあるので、気になった人には自分から話しかけてみましょう。 【銀の羅針盤座】 不要なものは持ち歩かないほうがいい日。カバンに余計なものが入っていないかチェックしておきましょう。財布のなかもきれいに整理しておくといいでしょう。 【金のインディアン座】やる気がアップしそうな日。ただし、頑張りすぎると次の日に体調を崩してしまうことがあるので、上手にセーブするようにしましょう。 【銀のインディアン座】明るく笑顔でいることを心がけると、いい1日を過ごせるでしょう。あなたの笑顔が周囲の人を元気にしたり、前向きな気持ちにさせることがありそう。 【金の鳳凰座】あなたの魅力や能力に、周囲が気づきそうな日。求められる場面があったら、面倒くさがらずに力を貸しましょう。「頼りにされた」と前向きに受け止めると、やる気がわいてくるでしょう。 【銀の鳳凰座】起きるタイミングが悪くて、寝不足を感じてしまいそうな日。ストレッチをしたり、朝から甘いドリンクを飲むと頭がスッキリしそうです。 【金の時計座】自分の得意なことで周囲を笑顔にできる日。面倒見のよさを発揮すると、思った以上に感謝されそうです。「余計なお世話かも」などと引かず、「善意は伝わる」と思って行動しましょう。 【銀の時計座】慌てるとドジなケガをしたり、仕事でも失敗しやすいので気をつけて。焦ったときは、深呼吸をして心を落ち着かせましょう。とくに時間に追われているときほど、冷静に行動することが大切です。 【金のカメレオン座】午前中は、頭の回転がよくなる日。大事なことは早めに終わらせておくといいでしょう。夕方以降は、周囲の言葉に振り回されてしまうかも。 【銀のカメレオン座】周囲との協力が大切な日。みんなが笑顔になるような判断をしたり、うまく協力できるよう工夫を凝らしてみましょう。自分の得意なことで周りの人をサポートすることも忘れずに。 【金のイルカ座】寝坊や遅刻、忘れ物をしたり、久しぶりに大きなミスをしやすいので気をつけましょう。とくに安心しきっていることや、慣れている仕事で失敗をしがちなので、要注意です。 【銀のイルカ座】困難な状況になったときは、自分ひとりで無理に解決しようとせず、周囲に相談しましょう。相談する人がいない場合は、自分の行動をもう一度振り返り、改めるきっかけにしましょう。

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    1時間前

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    帯津医師がすすめる“逆腹式呼吸” 「ピカイチな養生法」のワケは?

     西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)さん。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「白隠禅師の呼吸法」。 *  *  * 【逆腹式】ポイント (1)白隠禅師が説いた呼吸法が養生法のなかでもピカイチ (2)上から下に、自分の息を下ろして気を充たしていく (3)呼気でヘソの下が膨らむ禅師の呼吸法は逆腹式呼吸  これまでに何度か書きましたが、私は臨済宗の中興の祖、白隠禅師が説いた呼吸法が古今東西の数ある養生法のなかでもピカイチだと思っています。禅師が松蔭寺の住職になって40年、そのもとで修行するために多くの僧たちが集まってきましたが、その修行はとても過酷なもので、肺を病んでしまうなど重病に陥る者が少なくなかったといいます。そうした僧たちに養生法として授けたのが、「内観の法」とも「仙人還丹(げんたん)の秘訣」とも呼ばれる禅師の呼吸法だったのです。  禅師の法語である『夜船閑話』の序文には、禅師はこの呼吸法を次のように教示したと書かれています(以下は意訳)。 「まず(仰臥して)眼をつむって、しかも睡り込まないで、両脚を強く踏みそろえるように長く伸ばして、体中の元気をして臍輪、気海、丹田、腰脚、そして足心に充たすようにする」(『夜船閑話』訳注・芳澤勝弘、禅文化研究所発行)  そして、この気海丹田が浄土である、この気海丹田が阿弥陀仏であるなどと繰り返し観想する。 「繰り返し繰り返し観想していくならば、やがて、一身の元気はいつしか腰脚足心に充足して、臍の下が瓢箪のようにふくらみ、皮で作った硬い蹴鞠のようになる。このような観想を1週間ないし3週間続けるならば、それまでの五臓六腑の気の滞りや、心気の衰えのための冷や汗、疲れといった症状はすっかり治るであろう。もし治らなければ、老僧(わし)の首をやってもよろしい」(同)  臍輪はヘソ、気海は丹田にあるツボ、丹田は下腹、腰脚は腰と脚、足心は土踏まずのことです。つまり上から下に、自分の息を下ろして気を充たしていくのです。このときに気を充たす呼吸としては、吸気を用いることもできないわけではないのですが、呼気を用いた方が力強くやりやすく理にかなっています。  この結果、「臍の下が瓢箪のようにふくらみ、皮で作った硬い蹴鞠のようになる」というのです。腹式呼吸には順と逆の2種類があります。順式は吸気で腹部が膨らみ、呼気で平坦になるものをいい、逆式はその反対に、吸気で平坦になり呼気で膨らみます。つまり、呼気によってヘソの下が膨らむ禅師の呼吸法は逆腹式呼吸です。順式の腹式呼吸の方がやりやすいという方がいるかもしれませんが、逆腹式もやっているうちにすぐ慣れます。  私自身はこの呼吸法を、寝て行うとすぐに眠くなってしまうので、椅子に座って行っています。座りながら、呼気によって、臍輪、気海、丹田、腰脚、足心に気を充たしていくのです。  この白隠禅師の呼吸法の流れをくむのが、私が学んだ調和道丹田呼吸法です。呼気とともに気を充たしていくのはまったく同じです。この呼吸法もいずれご紹介します。 帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中※週刊朝日  2023年2月3日号

    週刊朝日

    1時間前

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    家康はなぜ「松平」姓を捨てたのか?2年で将軍職を譲った理由は?徳川家と江戸時代をめぐる5つの疑問

     活動休止中のアイドルグループ「嵐」のメンバー、松本潤さんが主演することで話題のNHK大河ドラマ「どうする家康」。1月8日、ついに放送が始まる。タイトル通り、ドラマの主人公は徳川家康。言わずと知れた「戦国の乱世を終わらせた男」だが、家康という人物についても、彼が江戸幕府を開いたことから始まる江戸時代についても、まだ解明しきれていない謎があり、通説とされてきた史実が覆されることもある。 「どうする家康」を120%楽しむために、累計35万部超の「だからわかる」シリーズ最新刊『テーマ別だから政治も文化もつかめる 江戸時代』から、徳川家康と徳川家、江戸時代をめぐる5つの疑問に答えていく。 【疑問その1】松平家出身の家康はなぜ、徳川を名乗ったのか 「どうする家康」の冒頭、徳川家康は「徳川」ではなく「松平元康」として登場するはずだ。松平家は、初代の親氏が三河国松平郷の領主になったことに始まる徳川の祖。親氏の子孫は岡崎や安城に進出して勢力を広げ、多くの分家を創出した。  親氏から数えて7代目にあたる家康の祖父・清康の代で、松平家は国人領主として自立。三河の大部分を平定する。しかし、清康は24歳で家臣に暗殺され、その子・広忠も23歳で早世。松平家は今川家の支配下に入り、広忠の子として生まれた9代目・竹千代(のちの家康)は今川家の人質として幼少期を過ごすことになる。  家康の人生を大きく動かしたのは、今川義元軍と織田信長軍が戦った1560年の桶狭間の戦いだ。今川義元は戦死。その混乱に乗じて岡崎に帰還した家康は、尾張の織田信長と同盟を結び、一向一揆を鎮圧して三河を平定。三河守に任官した際、姓を松平から徳川に改めた。  当時、官位を受けるには、家の「由緒」が必要だった。そのため、家康は系譜を詐称。清和源氏新田氏の庶流である得川家の末裔を称したとされる。 【疑問その2】家康が捨てた「松平」姓はなぜ、高貴の証となったのか  徳川家が将軍の地位を手に入れると、旧姓の「松平」は特定の一族のみが名乗ることができる尊貴な姓となった。最も多いのが、将軍家と同祖の「十八松平」。多くは譜代大名や旗本になった。安祥松平、大給松平、大草松平などが「十八松平」とされるが、どの家を指すのかは資料によって異なる。  家康の次男・秀康に始まる越前松平家、家光の弟・保科正之の会津松平家など、分家も松平姓を名乗り、御家門として御三家に次ぐ家格を誇る。前田家や池田家などの外様大名にも松平姓が称号として与えられ、信頼関係を築いた。 【疑問その3】家康の嫡男・信康はなぜ将来を期待されながら「切腹」したのか   家康と信長の同盟は、家康の嫡子・信康と信長の娘・五徳の結婚により結ばれた。信康は有能な武将で将来を期待されたが、1579年、21歳の若さで、信長の命で切腹している。  原因は、信康の母と武田家の内通、信康自身の不行跡、五徳の讒言(ざんげん)など諸説あり、「家康の悲劇」の一つとされてきた。近年は、信康の家臣がクーデターをたくらんだため家康に粛清されたなど、家康自身の意思だったとする説も提起されている。  愛知県岡崎市の若宮八幡宮に、信康の首塚が祀られている。 【疑問その4】家康はなぜ、たった2年で将軍職を秀忠に譲ったのか  1605年、家康は将軍職を嫡子・秀忠に譲った。家康が征夷大将軍となったのは1603年だから、たった2年でその職を手放したことになる。  関ケ原の戦い後、豊臣家は領地を削減されて約60万石の一大名となった。それでも、豊臣秀頼を主君と仰ぐ大名は多かったとされる。家康は、早期に将軍職を自らの嫡子に継承することで、日本の統治者が徳川家であることを天下に示そうとしたのである。  ただし、実権は駿府城に隠退した「大御所」の家康が握っており、実態は江戸と駿府の二元政治だった。1611年には、二条城で三カ条の法度を発し、諸大名に幕府法への遵守を誓わせて、幕府が最高権力機関であることを示した。 【疑問その5】家光はなぜ、日光東照宮を絢爛豪華な建築群へと改修したのか  1636年、3代将軍・家光は、祖父・家康が祀られる日光東照宮の全面的な改築を命じた。これにより、社殿の規模は大きくなり、その様式も、穏やかな和様から、絢爛たる唐様へと変貌した。大改築の背景には何があったのか。  2代将軍・秀忠が亡くなったとき、居並ぶ諸大名に「余は生まれながらの将軍である」と語ったとされる家光だが、幼いころは病弱で、秀忠とその妻・江は弟の忠長を溺愛。家康の裁定で家光が嫡子とされた経緯がある。  日光東照宮の改修は、家光の並々ならぬ祖父への畏敬の念に加え、参詣する諸大名らに豪華な建築群を見せることで、幕府の威光を示す狙いがあったと考えられる。  約260年という長期政権の礎を築いた徳川家康。「どうする家康」の公式サイトには、「織田信長、武田信玄という化け物が割拠する、乱世に飛び込んだ。待っていたのは死ぬか生きるか大ピンチ!計算違いの連続!我慢の限界!どうする家康!」とある。松本潤さん演じる家康はこの問いに、どんな答えを出すのだろうか。 (構成 生活・文化編集部 塩澤巧)

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    岸田首相「異次元の少子化対策」に独身研究家が「効果なし」と怒りの大反論

     岸田文雄首相は23日、衆議院本会議で施政方針演説を行った。「子ども・子育て政策」は最重要政策だとし、「従来とは次元の異なる少子化対策を実現したい」と意気込みを語った。同日、自民党の茂木敏充幹事長は児童手当の所得制限の撤廃や第2子以降の支給額の上積みについても前向きな意向を示し、SNSでは歓迎の声が上がった。しかし、これに異を唱えているのが、独身研究家の荒川和久氏だ。荒川氏が「子育て支援は効果がない」と主張する理由を聞いた。 *  *  * ――岸田首相が掲げる「異次元の少子化対策」について、荒川さんは「効果がない」と主張されています。その理由を教えてください。  端的に言えば、子育て支援にはなるが、少子化の対策にはなっていないからです。やろうとしていることが、少子化対策としては的外れなのです。  これはデータを見れば明らかです。  子育て支援は、これまでもずっと行われてきました。1980年に家族関係支出のGDP比は0・46でしたが、それが2019年には1・73にまで増加しています。  他方で合計特殊出生率(以下、出生率)は、80年の1・75から、19年には1・36と減少してしまいました。  約40年間で家族関係支出を4倍も増やしたのに、出生率は減っている。政府支出を増やしたからといって、必ずしも出生率が改善される直接的な因果関係があるとは言えないことがわかります。  一方で、結婚した女性が産む子どもの数に関して、「完結出生児数」というものがあります。これは結婚期間が15~19年の夫婦の平均子ども数ですが、1972年で2・2人、21年でも1・9人となっています。減少傾向ではありますが、およそ2人の子どもを産んでいることになります。  また別のデータでも、この60年間、第1子、第2子、第3子が生まれる比率は、変わっていません。結婚した女性はこれまで通り子ども産んでいるということです。  それなのに、政府が今やろうとしている子育て支援は、子どもをもう一人生んでもらおうとしている。今でも平均で2人の子どもが産まれていますから、3人目以上を産んでもらう政策になる。これはなかなか大変な話でしょう。  もちろん、子育て支援は少子化があろうとなかろうとするべきだと思います。ただ、子育て支援によって日本の少子化が改善されることはないということです。  ――では、何が少子化の原因なのでしょうか。  それは子どもを産むお母さんが減っているということです。私はこれを「少母化」と言っています。  そもそも、国勢調査によると、出産が可能とされる女性の15~49歳人口は90年の3139万人をピークに減少し、20年には2430万人になっています(年齢不詳除く)。  さらに、結婚しない人もどんどん増えている。80年代までは生涯未婚率は男女ともに5%以下でしたが、90年代以降から生涯未婚率が上がり、20年には男性で28・3%、女性で17・8%になっています。  結婚して出産するという絶対人口が減っている以上、出生数は上がらないし、出生率も上がらない。その事実は認識すべきでしょう。  減ることは不可避だが、その減る幅を少しでも小さくする努力をするべきです。それが本来の少子化対策だと思います。 ――政府はどうするべきですか。  まず、婚姻数に目を向けるべきです。  私が独自に見ているデータとして、「発生結婚出生数」というものがあります。これは婚姻数に対してどれくらいの出生があったかを示すものです。このデータを見ると1婚姻あたり、1・5人の子どもが生まれていますし、90年代からその数字は変わらない。つまり、2人を3人に増やすことよりも、結婚によって0人を1・5人にした方が出生数はあがります。  未婚には2種類あり、一つは結婚の必要性を感じない人、もう一つは結婚したいのにできない人で、「不本意未婚」です。問題なのは、この不本意未婚です。データを見ると、この「不本意未婚」が4割います。ここの対策に力を入れるべきです。 ――「不本意未婚」の原因はなんでしょうか。  理由はさまざまですが、経済的余裕がないことは大きいと思います。給料が少ないし、上がったとしてもすずめの涙ほどしか期待できません。それ以上に税、社会保障費があがって、可処分所得がどんどん減っていく。「いつになったら結婚できるか」と考えながら、時間だけがすぎてしまう。 「貧すれば鈍する」で、生活に余裕がないと趣味を楽しもうとか、恋愛をしようとか、そんな考えが起きなくなります。  内閣府の「子供・若者の意識に関する調査」を見ると、自分の将来に出世も経済的裕福さも望めないと考える若者が6割以上になっていることがわかります。  この背景にあるのは、日本経済の不景気感でしょう。経済が不景気だと、若者の気持ちまで沈み込んでしまう。  少子化対策として政府がまずすべきことは、世の中の景気を良くして、若者の進むべき道を明るくしてあげることです。  また、重要なのは、若者が若いうちに結婚をしてもいいと思えるような社会環境をつくることです。 「出生動向基本調査」から、恋愛結婚するための「限界出会い年齢」(結婚する相手に出会える割合が5%以下となる年齢)を割り出してみると、男女ともに25歳までに出会うと半分が結婚しますが、28歳では4人に1人しか結婚していません。34歳までに結婚しないと、そのまま未婚である可能性が高まります。  かつて樹木希林さんが「結婚は若いうちにしなきゃだめなの。物事の分別がついたら結婚できないんだから」と言っていましたが、その通りだと思います。  ここ数年はコロナ禍で出会いの機会を失った大学生も多いと思います。経済環境も厳しい。  ここの対策をしないと少子化に拍車がかかるでしょう。  子育て支援と聞いて、「とにかくなんでもいいから、バラまいてくれればいいよ」と短絡的に考えている人もいるかもしれませんが、政府も、国民にあげた分は、かならず回収しようとする。結局は今の子どもたちの将来の負担となる。借金をしていないのに、借金を背負わされるようなもので、これではますます未婚化も少子化も進んでしまいます。 ――政治はなぜ「少母化」対策に言及しないのでしょうか。  結婚や出産に関しては、政治家が「結婚しなさい」「産みなさい」と受け取れるようなメッセージを出すと、反感を招きやすい面があります。その点「子育て支援」は誰からも文句は出ません。  ただ、実は20年5月にまとめられた「少子化社会対策大綱」では、重点政策として、1番最初に「若い世代が将来に展望を持てる雇用環境等の整備」、そして2番目に「結婚を希望する者への支援」が挙げられていました。これまでの大綱でも結婚や雇用への支援への言及はありましたが、子育て支援が一番に挙げられており、この順序逆転は画期的なものでした。  これは少子化対策として正しい課題認識です。ただ、その大綱の方針は残念ながら、今なお実現されていません。  野党も政府・自民党と同じことを言うのではなくて、本質的な課題を指摘するべきです。  人口推計では、2100年に日本の人口は6千万人になります。こうした現実を見据えた国家運営を考えてほしいものです。 ――「出生動向基本調査」では、理想の子ども数を持たない理由として、「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」と答えた人が56%いました。  子育ては本当にお金がかかります。ただこれは、世帯年収が500万円の家庭でも、2000万円の家庭でも同じように不満が出てきます。子育てに関しては、惜しみなくお金をかけたいというのが親心というものだからです。  調査の数字は、この意識が表れているのだと思います。  お金を出したらもう一人産むかというと、そういったことを証明するデータはありません。  フランスやフィンランド、スウェーデンなどGDP比で家族関係支出を日本以上に出している国でも、出生率は軒並み落ちています。日本よりも支出率が高くても、出生率が低い国もあります。  フランス国立統計経済研究所は、出生率の低下の要因の一つに、出産・育児年代にあたる女性の減少、まさに「少母化」を指摘しています。  政府がお金を出すことと子どもを産むことに強い因果関係はない。少子化対策には若者に目を向けるべきだというのが私の考えです。 (聞き手/AERA dot.編集部・吉崎洋夫) ◎荒川和久(あらかわ・かずひさ)独身研究家、コラムニスト。大手広告会社において、企業のマーケティング戦略立案やクリエイティブ実務を担当。その後、「ソロ経済・文化研究所」を立ち上げ独立。ソロ社会論および非婚化する独身生活者研究の第一人者として活躍。著書に『結婚滅亡』『ソロエコノミーの襲来』『超ソロ社会』など

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    家康支えた「徳川四天王」とは? 戦国大名は「家臣」を統率し、「女性」は自分の意思で動いた

     徳川家康には「徳川四天王」と呼ばれた側近の家臣がいた。放送中の大河ドラマ「どうする家康」で大森南朋が演じる酒井忠次、山田裕貴が演じる本多忠勝、杉野遥亮が演じる榊原康政、板垣李光人が演じる井伊直政の4人だ。  戦国大名は、多くの家臣の力で合戦や領国管理をしたが、家臣団とはどのような構造だったのだろうか。  東北、関東、東海など戦国時代の日本を9エリアに分けて章立てし、地域別の通史を解説する『地域別×武将だからおもしろい 戦国史』(監修・小和田哲男)が、詳しく解説している。 家臣団の「ランク」分け  家臣団は、大名家の運営に加わることができる上級家臣と、運営には関わらない下級家臣に大別され、両者は寄親寄子(よりおや・よりこ)制で結ばれていた。寄親が寄子を指揮下に置いて統率したのである。  上級家臣は血縁関係の一門、代々仕える譜代、新参の外様(とざま)に分かれており、そのトップに20人程度の家老がいた。大名との関係はほぼ対等で、特に家老クラスは大名の代わりに家のかじ取りをすることもあった。徳川四天王の一人、酒井忠次が率いた酒井家は、古い時代に松平家から分かれた庶流にあたり、家康が幼いころから松平家に仕えていた譜代中の譜代である。 織田信長が進めた兵農分離  戦国大名が台頭し始めた当初、下級家臣の多くはふだんは農業を営み、合戦時だけ兵役を務める半農半士の土豪(どごう)だった。このため収穫期は遠征ができず、その上、寄子が各地に散っているので集団訓練ができなかった。この問題を解決したのが織田信長である。  信長は兵農分離を進めて下級家臣を専業武士「足軽」とし、城下町に住まわせた。この結果、計画的な集団訓練と、鉄砲隊や騎馬隊のような兵種別軍隊「備(そなえ)」の編成が可能になり、軍が強化された。さらに大名たちは、逃走すれば改易に処すなどの厳しい軍律や規則を徹底し、将兵の独断行動で戦略が瓦解(がかい)しないよう取り締まった。  大規模な家臣団や軍隊は、何層もの工夫によって運用されていたのだ。 「通い婚」から「嫁取り婚」へ  そして、家臣団と共に、戦国大名を支えたのが女性たちである。  鎌倉時代以降、武士は「一所懸命(いっしょけんめい)」に自らの所領を守ってきた。所領を守らなければならないので、基本的に、先祖伝来の地を離れるわけにはいかない。そこで、それまでの通い婚に代わり、男性が妻として女性を迎える嫁取り婚が一般的となっていき、室町時代には、家長としての男性が家族を支配するような家父長制的な家族制度が確立した。  そのため、戦国時代には恋愛結婚はまれであり、基本的には両家の相談で結婚が決まった。当然、戦国大名家では婚姻も政略的に行われた。  政略結婚は、文字通り政略のための結婚である。同盟の証として女性が嫁ぐわけだが、これは実質的な人質にも等しい。万が一、実家と婚家が対立し、戦争にでもなれば、妻が殺される可能性もあったのである。  このような形の政略結婚に悲劇的な側面があったことは否定できない。しかし、婚姻によって両家の平和が保たれていたのも事実である。また、嫁ぐ際には女性は「敷銭(しきせん)」と称する財産を婚家に持参していった。財産は金銭とは限らず、土地であれば、毎年、そこから収入が得られた。こうした財産があればこそ、婚家において女性に発言権が与えられていたことは無視できない。 城主にも戦国大名にもなった女性たち  戦国大名の居館は、「表」と「奥」で構成されていた。「表」は政務を担う公的な空間で、「奥」は妻や子が暮らす私的な空間である。「奥」には、夫である戦国大名以外の男性は基本的に立ち入ることはできない。ただし、江戸時代と違って、妻が「表」に出て政治に関与することは禁止されていなかった。妻が夫に従うべきだとする儒教道徳は、戦国時代において社会規範とはなっていなかったためである。  実際、戦国時代には、女性が統治にあたることもあり、「女城主」と呼ばれた井伊直虎の例はよく知られている。  今川義元の母、寿桂尼(じゅけいに)も「女戦国大名」と呼ばれ辣腕を振るった。公家・中御門宣胤(なかみかど・のぶたね)の娘で、駿河の戦国大名、今川氏親(うじちか)の正室となった彼女は、氏親の死後、14歳で家督を継いだ実子の氏輝(うじてる)を後見した。氏輝が早世した後、今川家で家督争いが起きると、氏輝の弟で実子の義元(よしもと)を擁立して勝利を果たす。この間、自ら領国の支配にあたったが、義元が桶狭間の戦いで敗死し、今川家の栄光に陰りがみられるようになる中、駿府で没している。  北条氏康の娘として生まれ政略結婚で武田勝頼に嫁いだ北条夫人のように、武田家と北条家の同盟が解消されても武田家に残り、滅亡に殉じた女性もいた。能動的に生きた戦国の女性たち。妻が夫に従うことが求められたのは、江戸時代になってからのことだった。 (構成 生活・文化編集部 上原千穂)

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    10時間前

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    俳優・佐藤二朗が「天変地異よりも怖い、ムチャクチャに怖い」こと

     個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。今回は締め切りを守れるかギリギリの戦いをお送りする。 *  *  *俺は今、焦っている。 真剣に焦っているのだ。 現在、某日の17:25。 この某日。 実は、 このコラムの締め切り日なのだ。 なに? 当コラムにたびたび登場する担当K氏に、締め切りを守らず怒られるのがそんなに怖いかって? 馬鹿を言ってはいけない。 怖いなんてもんじゃない。 天変地異よりも怖い。ムチャクチャに怖い。なんだろう。大怖い。「だいこわい」と読んでほしい。「在庫ない?」に似てる気がする。 そんなことを言っている場合ではないし、思ったほど笑いに転化できてないのは焦っているからだ。大焦っているからだ。「だいあせっている」と読んでほしい。「ダイア生命」と似てる気はあまりしない。 しかし担当K氏に怒られる以上に、俺が焦っている理由は、実は他にある。 現在、冷蔵庫に、いい日本酒が冷えている。 なんとしても、 なんとしても馴染みの魚屋で、寒ブリと白甘鯛の刺身、および銀ダラの西京焼きをゲットしたい。 しかしだ。 その馴染みの魚屋の営業時間は、 18時まで。 繰り返すが、現在、某日の17:35。 ダイア生命とか書いてるうちに冒頭から10分が過ぎてしまった。 ダイア生命って実在するのかな? 実在してたら勝手に名前を使ってごめんなさい。 おい待て。 ダイア生命に忖度してる間に17:38になってしまったではないか。 18時までにこのコラムを書き終え、K氏に送らなければ、俺の今夜の夢のような晩酌プランが水泡に帰(き)す。寒ブリと白甘鯛の刺身、および銀ダラの西京焼きが水泡に帰してしまうのだ。 なに? 寒ブリも白甘鯛も銀ダラも、もともと水泡にいたんだから帰していいのでは、だと? そんな悠長なことを言っている場合ではないのだ馬鹿野郎!! 17:41になっちゃったじゃないか!! 賢明な読者諸兄は、もうお気づきだろう。 ははん、と。 ははん。今回、佐藤二朗はこうやって文字数稼ぎをして、コラムを書き逃げするつもりだな、と。 諸君。 この際、ハッキリさせておこう。 その通りだ。 諸君の予想、1ミリの差違なく、 その通りだ。 どうやらこのあたりで、 文字数のノルマは達成したようだ。 時は来た。それだけだ。 魚屋、行ってきまーす。

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    15時間前

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    「愛子さまの和歌にはコロナ禍の素直な感性も」 天皇家の相談役が明かすエピソードと“注目”の言葉

     1月18日の歌会始。2021年に成年を迎えた愛子さまの和歌は、儀式の空気を明るいものにした。天皇陛下と皇族方の和歌の秘話を、天皇家の和歌の相談役である永田和宏さん(75)が明かす。 *  *  * <もみぢ葉の散り敷く道を歩みきて浮かぶ横顔友との家路>  愛子さまの和歌が歌会始で公表されるのは、昨年に続き2度目だ。住まいである皇居の庭でもみじの葉に覆われた道を歩いた様子を詠っている。  今年は、天皇陛下が「コロナ禍」という言葉を詠んだことも話題になった。 「実は、愛子さまもコロナ禍について、詠みこんでいらっしゃるのです」  と話すのは、昨年12月から天皇家の和歌の相談役となった永田和宏さんだ。 「お友達との思い出は、学生時代の最も楽しい記憶です。コロナ禍前にご友人と一緒にもみじ葉を踏みしめて歩いた学校の帰り道を思い出して、ご友人を懐かしく思う和歌です。ダイレクトに社会情勢を詠おうと思ってはいらっしゃらなくとも、大学への通学を控えて友と会えない寂しさを詠うことで、いまの社会情勢がおのずから表現されています」  永田さんが注目した表現がある。「横顔」という言葉だ。  2人か3人で一緒に歩いていると、自分の視界に入るのは友達の横顔である。この和歌を聞いた人は、愛子さまの目線で思い出の風景を思い浮かべることができる。そんな力がある。 <歩みきて浮かぶ横顔>  この表現も語感のキレの良さがある、と話す。 「愛子さまは感性がとても素直です。思いをご自身の語彙のなかから探して、歌にされている」  永田さんは、ご両親である天皇陛下と皇后雅子さまにこう話したという。 「若いときにしか詠めない表現があります。お題など気にせず、愛子さまは、どんどんお作りになるとよいと思います」  自身と向き合い言葉を生み出す過程には、苦しみもある。普段、時間の経過とともに記憶は薄れてしまう。しかし、一首の和歌として残すことで、大切な時間は、まるで当時の息遣いが聞こえるように鮮やかに残るという。  愛子さまは大学で、源氏物語や新古今和歌集、奥の細道など江戸時代の文学といった、さまざまな古典、日本語史などを学んでいる。豊かな表現は、そうした蓄積の表れなのだろう。  佳子さまの詠んだ和歌も、胸の内が伝わってくる。 <卒業式に友と撮りたる記念写真裏に書かれし想ひは今に>  高校の卒業式の日にご友人2人とで撮った写真。裏に寄せられたメッセージの思いが3人の中で今も続いているという心情を詠っている。  その年齢だからこそ、生み出される表現がある。 「卒業から10年ほどの歳月を経て、いま鮮やかによみがえる友の言葉の大切さを詠んだお歌です」(永田さん) 「コロナ禍」を詠んだ天皇陛下の御製は、注目を集めた。  <コロナ禍に友と楽器を奏でうる喜び語る生徒らの笑み>  2021年10月、和歌山県で開かれた「国民文化祭」にオンラインで臨席した陛下は、演奏した吹奏楽部の高校生から、感染防止の工夫を凝らしながら練習を続け、演奏できた喜びを聞いた。生徒らの姿にうれしさを感じるとともに、人々が日常生活に戻ることへの願いを詠んでいる。  古来、天皇の御製は、国や国民への祝福であり「ハレ」を詠むことが多い。  生徒たちの喜ぶ姿を見守る天皇陛下のあたたかな目線を感じる和歌だ。一方で、御製のハレの面を意識した場合、「禍」という言葉は適切なのだろうかという見方もある。 「天皇の御製に、時代背景が詠いこめられるのは大切なことです」  永田さんは、そう答える。  天皇陛下の誠実な性格を実感するエピソードがある。 <友と楽器を奏でうる>の「奏で」という言葉。最初の御製は、「吹く」など別の言葉であったという。  しかし生徒たちが演奏する楽器には、管楽器だけでなく弦楽器や打楽器も含まれていた。最初の表現では、打楽器などが含まれないように伝わってしまう。  陛下はご自身で「奏でる」という言葉を選び直したという。  天皇陛下は、個人的な思いや心のひだを国民に言葉にして伝えることは基本的にない。しかし、和歌を通じて胸の内を表すことはできる。五音と七音を基調とする日本古来の詩歌である和歌。それは、皇室と国民との絆でもある。  皇后雅子さまの御歌は、ご自身の大切なものを詠んでいる。 <皇室に君と歩みし半生を見守りくれし親しき友ら>  両陛下がご結婚したのは、1993年。今年は30年の節目にあたる。天皇陛下と歩む歳月を支え、見守ってくれたご友人たちへの感謝を伝えた和歌である。  歌会始の儀では、古来の形式にのっとり披講(読み上げ)される。出席者は、和歌の文字を目で読まず、音で聴聞することになる。声に出して、音の響きを大切にするのが和歌の魅力でもある。 「ぜひ、皇室の和歌と一般から選ばれた預選歌も声に出して歌の音を味わっていただきたいですね」(永田さん) (AERA dot.編集部・永井貴子) 

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    米研究所「太陽の力を再現」に成功も、「核融合発電」の実用化に壁 実現は「数十年先」か

     米のローレンス・リバモア国立研究所(LLNL)は昨年12月、実験施設で太陽の力を再現することに成功した、と発表した。ただ、課題は多い。AERA 2023年1月30日号の記事を紹介する。 *  *  *  同研究所(カリフォルニア州)は、高出力のレーザー光線を使って、太陽の中と同じような条件を作り、核融合を引き起こす実験をしている。今回は、反応を開始するために注ぎ込んだエネルギーよりも多くのエネルギーを生み出す「ブレークイーブン」と呼ばれる目標を達成したというのだ。記者会見で、米エネルギー省のジェニファー・グランホルム長官は「ライト兄弟の初飛行に匹敵する、21世紀で最も印象的な科学的業績の一つ」と誇った。  サッカーグラウンド3面分もあるような巨大な装置で強力なレーザー光線を発生させ、それを直径数ミリほどの標的につめた核融合燃料に照射し、エネルギーを発生させている。1997年に建設が始まった同施設で二十数年がかりの成果だった。  水素のような軽い原子が二つ合体して、重い原子一つをつくる反応が核融合だ。このとき莫大なエネルギーが生じる。太陽は核融合のエネルギーで輝き続けており、人工的にそれを地上で起こそうというものだが、1億度以上の高温・高圧の状態を保つのが難しく、開発に時間がかかっている。 ■どんなエネルギー  燃料(重水素と三重水素)1グラムから生じる核融合エネルギーは、石油8トンの燃焼エネルギーに相当する。  現在の原発は、ウランなど重い原子に中性子を当てて、核分裂が起きるときに生じるエネルギーを使っている。核分裂の場合は、ウラン燃料1グラムは、石油1.8トンに相当。核融合は、核分裂よりさらに大きなエネルギーが得られることになる。  核融合エネルギーの利点として (1)燃料になるリチウムが海水中に豊富に存在する (2)原理的に暴走しないので、現在の原子炉より安全性が高い (3)二酸化炭素が発生しない (4)現在の原発が生み出すような、高レベルの放射性廃棄物が生じない(中レベルの廃棄物は生じる)  などとPRされている。  オイルショックに見舞われた1970年代、研究者たちは、「あと30年で核融合発電が実現できる」と楽観的に語っていた。今回の発表は、遅れること10年余りで、ようやく科学的には一里塚を越えたが、商用発電までの道のりはまだ遠い。  日本政府は2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにするカーボンニュートラルを目指すと宣言しているが、時間的に、これには役立ちそうにない。 ■商用発電に壁  ローレンス・リバモア国立研究所(LLNL)のキム・ブディル所長は、記者会見で商用発電への見通しについて問われ、「科学だけでなく、技術的にも非常に大きなハードルがある」「50年、60年かかるとは思わないが、おそらく数十年はかかるだろう」と話した。  LLNLは、もともと核兵器開発のために設けられた研究所だ。レーザー核融合の装置はその目的と強く結びついており、莫大な研究費が投入されてきた。核融合の状態を作り出してその性質を調べることで、核兵器の性能向上や維持に役立つからだ。商用の発電施設として24時間365日何十年間も運転するには、耐久性、経済性の確保に大きな壁がある。  日本は、LLNLとは別の形式の核融合炉である国際熱核融合実験炉(ITER)の計画に参加している。  ITERは、日本、欧州、米国、ロシア、中国、韓国、インドが参加して、フランス南部で07年から建設が始まった。25年の運転開始、35年の核融合運転を計画している。今回の発表よりさらに大きな、反応を開始するのに必要なエネルギーの10倍以上を生み出すことを目指している。ただしITERも核融合は起こすものの、発電設備は無い。 ■山積する課題  日本政府の現在の計画では、ITERの実績を見て科学的・技術的に実現可能か確認してから、発電できる原型炉を作って経済性などを確かめ、21世紀中葉までに実用化の目処を立てようとしている。  プラズマ・核融合学会の竹入康彦会長(核融合科学研究所前所長)は「21世紀中葉といっても、2050年の実用化は厳しく、60年、70年ごろまでかかるかもしれない」と言う。核融合エネルギーを電気に変えるために、発電の技術、材料、経済効率などでまだ解決しなければならない問題は多いというのだ。  飯田哲也・環境エネルギー政策研究所長は、今回の成果について厳しい目を向けている。レーザー光線を生じさせるためのエネルギーや燃料製造のエネルギーを含めて考えると、投入エネルギーの1%以下しか核融合で生み出されていないからだ。  核融合炉も、生じたエネルギーを熱として回収し、それでタービンを回して発電することが考えられている。そこは原子力発電所や火力発電所と同じ仕組みだ。「その部分のコスト低下はありえない。核融合エネルギー(太陽のエネルギー)を使うなら、太陽光発電と風力発電ということで、すでに科学技術史的には決着済みだ」と飯田さんは言う。  核融合発電の発電コストは現在の原発と同等になるとされている。しかし太陽光発電や風力発電は近年急激に発電コストが下がってきており、すでに原発より安いという報告もある。 ■前のめりの政権  岸田政権は、昨年、原発政策を大きく変える方針を打ち出した。原発の運転延長、古い原発の建て替え、新型原発の開発を進めるとしている。核融合についても前のめりだ。  政府が昨年9月に立ち上げた核融合戦略有識者会議では、核融合の実用化を早めようとしている。第1回会議の冒頭で、高市早苗・科学技術政策担当大臣は「できましたらこの核融合技術の商業化に向けた取り組みを加速していきたいという強い思いを持っている」と挨拶した。  これまでは、35年に運転を始めるITERの結果を踏まえた上で、発電できる原型炉を建設し、今世紀中葉で実証を目指すとしていた。それをもっと早めて、世界初の核融合発電を日本で始めようというのだ。  会議は非公開だが、議事要旨を読むと前倒しを進めようとする流れが固まりつつあるように見える。  ただし、こんな意見もあったようだ。有識者委員の吉田善章・核融合科学研究所所長は、高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)が小さな計測器の事故から廃炉になったことを例に、こう述べている。 「技術における我が国の実力は慎重に分析しないといけない。非常に複雑なシステムを統合して作り上げるということは経験も要るし、要素技術だけでは全てが決まらない」「人類未到のシステムである核融合炉を作ろうとするとき、そういうこと(事故)がないように、統合した技術をきちんと貫徹できるシステムを作る実力が日本にあるのかどうかということ、これは慎重に考え、準備しないといけない」  日本の原子力業界に、その実力があるのだろうか。 「使った燃料以上の燃料を生み出す」として、夢の原子炉(核分裂炉)といわれた「もんじゅ」は、1985年に着工し、95年に初めて送電に成功した。しかし1兆1千億円以上費やしたのに稼働後22年間で250日しか動かせず、2016年に廃炉となった。  核燃料サイクルの要となる再処理工場(青森県六ケ所村)も、完成予定は1997年だったが完成時期は26回も延期され、いまだに出来上がらない。  リスク評価や管理に失敗して東京電力福島第一原発を爆発させ、その後始末の方法もまだ決まっていない。  政府の今の動きは、核融合を前倒しすることで、核分裂の失敗を覆い隠そうとしているのではないかと感じさせられる。核融合をすぐに政策ベースであてにできるほどの実績はあるのだろうか。拙速の愚を繰り返してはいけない。(ジャーナリスト・添田孝史)※AERA 2023年1月30日号

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    愛子さま、淡い水色のドレスでフレッシュな品格 雅子さまとの「シンクロコーデ」に感じた母娘の絆

     コロナ禍のために3年ぶりの実施となった「新年一般参賀」。何よりも注目を集めたのは初めて参加される天皇皇后両陛下の長女、愛子さまだった。ご自身の性格を「人見知りなところがある」という愛子さまだが、緊張もされたであろうが堂々とした姿であった。そして、美しかったのは淡い水色のドレス。こうしたドレスや服選びに関して、皇室解説者に聞いた。 *  *  *  3年ぶりの一般参賀の報道の見出しには「愛子さまが成年後初めての出席」という言葉が必ずといっていいほどついており、愛子さまへの注目の高さがうかがえる。  天皇陛下、雅子さまに続き、皇族の方々が宮殿・長和殿のベランダにお出ましになり、愛子さまは雅子さまの隣に並ばれたが、おふたりのドレスは色もデザインも異なるものの何となくフォルムが似ている。このことに、著名人のスタイリングも手掛けるスタイリストがこう解説をする。 「今回の雅子さまと愛子さまのドレスは、長和殿のベランダの全景が映し出されたときによくわかるのですが、フォルムがそっくり! お手振りのときは上半身しか見えませんし、さらには皇居東庭に集まった一般参賀に参加のみなさんからは肉眼では女性皇族のみなさんのドレスの細部までは認識できないので、もしかしたら、雅子さまと愛子さまのドレスのシンクロはかなり計算されたものでは? と拝見しておりました」  続けて、愛子さまのドレスの細部に関してこう解説する。 「愛子さまは襟が上品に立ち上がった淡い水色のドレスをお召しになっていました。初めてのとか若々しさというキーワードが浮かびますが、もちろん気品もあって、フレッシュな品格が表現されていましたね。イヤリングはパールが2粒のもので、雪だるまみたいな形のかわいさといいますか、1粒よりも若々しく、本当にさりげなくおしゃれなうえに上品。ブローチもパールをあしらったもので、お手振りの場面ということで、やや高い位置に付けられているのではないかと思います」  一方、雅子さまのドレスはというと、色、デザインは異なるものの細部に愛子さまとのシンクロのこだわりが見て取れるという。 「雅子さまは、オフホワイトの柔らかい色合いで、カシュクール風(前を着物のように打ち合わせて着る形の上衣)の切り替えが美しいドレス。愛子さまのドレスの生地もそうですが、雅子さまもとても表情のある上品な織り地でした。この織り地も淡い水色、オフホワイトと色は違うんですが、色の濃度・トーンがまず揃っていますよね。同じドレスではないのに、肩先のシルエット、袖の筒の太さ、デコルテのラインも絶妙に合わせた感じです。さらに、袖口のボタン! 雅子さま、愛子さま共に包みボタンで、数も6つというさりげないこだわりです」  雅子さまは、以前よりこうした包みボタンを好まれているといわれている。愛子さまのスタイリングにも影響しているのだろうか。これに関して、元宮内庁職員で、『いま知っておきたい天皇と皇室』(河出書房新社)の著書がある皇室解説者の山下晋司さんは、こう解説する。 「愛子内親王殿下のドレスは上品な感じで素敵でしたね。他でお召しになっていた記憶はありませんので、一般参賀のために新調されたのでしょう。新調にあたっては、スタイリストというより、ファッションデザイナーが関わっているはずです。デザイナーは提案もするでしょうが、ご本人と相談しながら決めていくことになります。愛子内親王殿下の場合、初めての一般参賀ですから、当然のことながらお母様である皇后陛下と相談されたことでしょう」  デザインがシンクロしていることに関して、山下さんは「情報共有があったのでは」と話す。 「今回の一般参賀のように、女性皇族の方々が並ばれるときにお召し物の調整があるのかと、よく質問されます。奥向きのことなのでほとんど知りませんが、園遊会のことでいいますと、昭和から平成の中頃までは、洋装にするか和装にするかを皇后が決めて、皇太子妃以下の女性皇族はそれに倣っていました。色味についても同様に側近の女性職員が情報を取りにいき、参考にされていたようです。この園遊会のことで言いますと、平成の中頃に当時の皇后(現在の上皇后陛下)が『洋装、和装を交互にしましょう』とお決めになったので、他の女性皇族はその決定を待つ必要はなくなりました。色味については、側近の女性職員が頑張って、いまも情報を取っているのかもしれませんね」(山下さん)  たしかに、色のかぶりはなく、雅子さまはオフホワイト、愛子さまは淡い水色、秋篠宮家の次女、佳子さまは深紅だった。 「側近の女性職員同士の情報のやりとりは、昔よりも少なくなっているかも知れません。女性皇族の中には、皇后陛下や皇嗣妃殿下のお召し物の色味を気にしない方もいらっしゃるのではないでしょうか。以前、歌会始のときに色味がかぶっている方もいらっしゃいましたので。通常の儀式や行事で、お召し物の色まで決めている内規のようなものはありませんので、それぞれの皇族のお考え次第といっていいでしょう」(山下さん)  知れば知るほど興味深い女性皇族の服装選びだが、今回の一般参賀に関して、雅子さまと愛子さまの「情報共有」はあったかもしれない。 「愛子内親王殿下がデザイナーとだけ相談して、新調されるとは考えにくいですね。また、お母様が『これを着なさい』とおっしゃることもないでしょう。仲のいいご一家なので、デザインや色味も含めて、デザイナーの提案を参考にされながら、おふたりで楽しく決めておられるのではないかと思っています」(山下さん)  清々しく美しく見えた愛子さまの水色のドレスには、こうした母と娘の絆が織り込まれているせいなのかもしれない。(AERAdot.編集部・太田裕子)

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    カンニング竹山 「防衛費の増額」安倍元首相が僕に語っていたこととは?

    お笑い芸人のカンニング竹山さんが出演している「カンニング竹山の土曜The NIGHT」(ABEMA)が年内で終了する。過去にこの番組では、安倍元首相が銃撃事件で亡くなる前、最後のロングインタビューをしている。そのときの貴重なコメントからもこの番組だけは終了するのはもったいないと語る。 *  *  *  ABEMA「カンニング竹山の土曜The NIGHT」(毎週土曜深夜0時~)が年内で放送終了になります。編成が変わり、いままで続いていた番組が色々変わるようです。  終わるのは仕方ないのですが、「土曜The NIGHT」がなくなってしまうのはもったいないなと思ってしまう。自分が出演しているから、もったいないというのではなく、例えば新疆ウイグル自治区の問題、高知小学生いじめ水難事故、和歌山カレー事件などなど、1つの社会問題を2時間ガッツリ深掘りしている番組はいま存在しないから。  許してもらえる限り色々なところに潜入させてもらい、他の放送局のプラットフォームではできないような内容でも、ABEMAではやらせてもらえた。他にも色々な番組が終わるけれども、その中でも「土曜The NIGHT」だけは終わらせるのは「ちょっと違うんじゃないか?」と思っている。  終了してしまうのがもったいないと思うのには、過去には貴重なインタビューもたくさんあったんです。そのひとつが6月に放送された安倍晋三元首相とのロングインタビュー。安倍さんが銃撃事件で亡くなる前の最後の単独ロングインタビューでした。  振り返ると、防衛費の問題も話しているんですよね。いままさに話題になっている防衛費の増額に関しては、「NATO(北大西洋条約機構)も国民総生産(GDP)の2%がグローバルスタンダードだから日本もGDPの2%にしなければならない」と語っています。「日本はNATOに加盟しているわけでもないのにどうしてですか?」と斬り込んだんですが、それは「アメリカからも突っつかれていることだから」と。「安倍さんが突っつかれているんですか?」と聞いたら、「私が突っつかれましたよ、ドナルド(・トランプ)に」とまで明かしていました。  安倍さんがアメリカに行ったときに「晋三、おまえのところは助けてくれると思っているだろうけどそんなことはないぞ」みたいなことを言われたという話もしていた。だから、防衛費をせめてグローバルスタンダードの2%にしろ、何もしないでいると助けてくれはないと言われたという内容がインタビューでとれています。  安倍さんからは「竹山さん、日米安保は勝手にアメリカの兵士が来てくれて助けてくれると思っているでしょ!?」と聞かれて、「そんなことは何も書いていなくて、ウクライナみたいに武器だけ渡すから勝手に戦ってみたいなのもありえる」と話していた。そうならないためには「せめて2%」だと。  防衛費の増額の財源に関しては、安倍さんは「国債」と言っていた。インタビューは今年の5月だったけど、そのときは「ふ~ん、そうなんだ~」くらいにしか思っていなかったけど、この年末になって、防衛費の増額がこんなに大きな話題になるとは思わなかった。  安倍さんがまさにいまの防衛費の増額の問題点を語っていたんです。そのときの話が非常に分かりやすい。いま「防衛費を上げるなんてけしからん!」「増税でまかなうなんて!」という方向に流れているけど、賛成・反対の意見はあってもいいですが、防衛費のそもそもを理解するのに、当時の安倍さんの話は分かりやすかった。なぜいま防衛費を増額するのかのそもそもを知ってもらいたいなと思った。 「土曜The NIGHT」の終了がもったいないなと思うのは、そういうインタビューが取れている番組だったということ。なかなか、ロングインタビューを放送できる番組がいま存在しないじゃないですか!? 岸田首相とも2時間インタビューしているんですよね。そのとき「税金は上げない」って話していた(笑)。総裁選の前のことですが、そのときは増税しないって言っていましたよ! 安倍さん、岸田さん以外には政治家だと小沢一郎さん、小泉進次郎さんなどとインタビューをしています。 「土曜The NIGHT」はそういうことをやってきたから、過去の放送分は有料のアーカイブの視聴にはなってしまうんですが、一般の方だけでなく、政治記者などのマスコミや政治のことを詳しく調べている人はぜひ見て欲しい。  年内で放送終了で、24日の放送回は右翼団体と極左団体中核派のメンバーたちが生放送で深夜に討論します。過去には右翼をテーマに2時間特集をしたこともあり、街宣車に乗せてもらいました。中核派も共同生活をするアジトにロケで入れてもらった。  僕がジャーナリストじゃなく、お笑い芸人だからやれているっていうのもあると思うんですが、出演者が言ってしまうと自画自賛に聞こえてしまうかもしれないけれど、こんなに素晴らしい番組なのに、深夜の番組ということもあって、その貴重さに気がついていない人がいるのはもったいないと思うんですよね。こういう番組をなくしてしまうのは、メディアの後退だとまで思ってしまう。  1つのテーマを深掘りするメディアは何かしら残しておかないといけないと思う。だけど、僕がどうこうできることではないので、せめて、いままでの「土曜The NIGHT」のアーカイブがあるのでよろしければ見てもらいたいなと思います。貴重な資料がメチャクチャあります! ■カンニング竹山/1971年、福岡県生まれ。オンラインサロン「竹山報道局」は、昨年4月1日から手作り配信局「TAKEFLIX」にリニューアル。ネットでCAMPFIRE を検索→CAMPFIREページ内でカンニング竹山を検索→カンニング竹山オンラインサロン限定番組竹山報道局から会員登録

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    生誕100年・池波正太郎が愛したグルメ 鳥すきやき、五目やきそば…名店探訪

     代表作「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」には、魅力的な江戸料理が出てくる。時代小説の名手は、稀代のグルメでもあった。池波正太郎が食エッセーで紹介した名店を訪ねる。 *  *  * ■「朱塗りの箱火鉢で備長の炭を赤あかとおこし、鳥鍋で酒をのみ」  池波は、東京・神田連雀町(現在の神田須田町1丁目と神田淡路町2丁目の一部)をよく訪ねた。 <この一角は、ふしぎに、太平洋戦争の空襲にも焼け残り、むかしの東京の町の香りを辛うじて残している」(『食卓の情景』から。以下※)  その地の老舗「ぼたん」の建物は、昭和4年築だ。鳥すきやきは備長炭で焼かれ、肉は煮詰まっても硬くならない。締めには、 「残った汁を白米にかける“おつゆかけご飯”がおすすめです。池波先生もかけて食べていたと思います」(5代目の城一泰貴さん) ぼたん/住所:東京都千代田区神田須田町1‐15/営業時間:11:30~20:00最終入店/定休日:日祝 鳥すきやき9000円(税込み。以下同) ■「何を食べても旨いが、私は上等の五目やきそばとネギそばが好きだ」  清風楼の店頭で売っているシウマイを、池波は師匠の長谷川伸氏への土産に持って行った。 <長谷川師が「むかしの味がするね」といった清風楼の焼売は、私の大好物だ。(略)ここの焼売は豚肉と貝柱と長ネギのみを使う。そして、化学調味料や胡椒などをいっさい使わぬ>(『むかしの味』から)  店内で食べるときは麺類を好んだようで、<五目やきそばとネギそばが好きだ。夏の冷しそばも独特のものだ>(同)と記す。  上五目ヤキソバは、イカ、エビ、アワビ、叉焼などが豪華にのり、満足度の高い逸品。 清風楼/住所:神奈川県横浜市中区山下町190/営業時間12:00~19:30L.O./定休日:木 上五目ヤキソバ、シウマイ。値段は変更検討中のため非公表 ■「黒い色の、辛いカレーで、香りのよさがたちまちに食欲をそそる」  池波の食エッセーにはあまりカレーは登場しない。しかし、昭和26年創業の「ムルギー」についてはかなり詳しく記している。都職員時代は渋谷の繁華街で昼食を摂(と)っており、一番足繁く通ったのがこの店だった。 <小さな店だが、売りもののカレーライスに独自のものがあり、日ごとに食べても飽きなかった。ライスを、ヒマラヤの高峰のごとく皿の片隅へもりあげ、チキンカレーを、ライスの山腹の草原のごとくにみたす>(※)  この盛り付けは、初代店主・松岡憲策さんが開業当時から始めたもの。今も変えず提供している。 ムルギー/東京都渋谷区道玄坂2‐19‐2/営業時間:11:30~15:00L.O./定休日:金祝 玉子入りムルギーカリー1200円 ■「ソース(むしろタレといいたい)がとろりとかかったビーフ・ステーキ」 <大阪洋食〔重亭(じゅうてい)〕の戸を開けると、女中さんも若衆も、みんなが愛想よく迎えてくれるし、中年男の客なら、「大将、何にします?」と、尋(き)いてくれる>(『散歩のとき何か食べたくなって』から)  いかにも気さくな雰囲気だ。 「昔は近くに新歌舞伎座があって、そこを訪ねた池波先生が、ちょこちょこ見えられましたねえ。座るのはたいてい、玄関脇のテレビの下のテーブルでした」  そう回想するのは、2代目店主夫人の吉原敏子さん。いつもカメラをぶら下げていて、店の中でもなにやら撮影していたのが印象的だったという。  健啖家の池波が好んだのはステーキ。<むしろタレといいたい>(同)と記した濃厚なソースがかかっている。ケチャップや自家製デミグラスソースなどを混ぜ合わせたオリジナルで、隠し味に醤油を使うため、ご飯によく合う。 重亭/住所:大阪府大阪市中央区難波3‐1‐30/営業時間:11:30~14:30L.O. 16:30~19:30L.O./営業時間:定休日:火 他に不定休あり テキ(ヒレ肉)3950円 ■「伊勢米と山いもを合わせた皮に、すこしも胸にもたれぬ、おいしい餡」 <桑名で、むかしから知られた〔花乃舎(はなのや)〕の〔薯蕷(じょうよ)饅頭〕を、私は朝から三つも食べた。(略)型がふっくらと古風で、なんともいえぬうまいものだ>(※)  米と山いもで作られた皮は、生地のキメが細やかでふっくらしている。 「伊勢の契約農家で作ったものを使っています」と、5代目・水谷景一さん。こし餡の「薯蕷饅頭」とつぶ餡の「織部饅頭」の2種と季節限定品がある。 花乃舎/住所三重県桑名市南魚町88/営行時間:販売8:30~18:00 喫茶9:00~17:00/定休日:月 薯蕷饅頭、織部饅頭ともに1個270円。取り寄せ可 (取材・文/本誌・菊地武顕)※週刊朝日  2023年2月3日号

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    愛子さまと佳子さま「紅白コーデ」に弾み、眞子さんの「道」に思いを馳せた

     皇室のファッションは国民の関心が高いテーマ。先日も、愛子さまと佳子さまの「紅白コーデ」が話題を呼んだ。服装には着る人の内面が表れ、その場に居合わせた人との関係性を露わにすることもある。コラムニストの矢部万紀子さんが、紅白コーデを読み解いた。 *  * *  天皇、皇后両陛下の長女愛子さまと、秋篠宮家の次女佳子さまがそろって雅楽演奏を鑑賞した。11月5日のことだ。皇居内の宮内庁楽部で開かれた秋季雅楽演奏会に出席したのだが、その映像をテレビで見た瞬間、うれしくなった。2人で相談したのかな、そうだといいな。そんな思いで心が弾んだ。  ファッションのことだ。愛子さまは白のスーツ、佳子さまは深紅のスーツ。紅白で一対をなしているように見えた。襟のデザインや全体の感じなど微妙にというかだいぶ違うけれど、なぜか調和がとれていた。7歳違いのいとこ同士、仲良しだからだろうか。そんなふうにも思った。  愛子さまが雅楽演奏会に出席するのは初めてで、学習院大学で日本の伝統芸能に関する授業を選択したことから興味をもったと報じられていた。佳子さまは2度目の出席だというから、愛子さまは会場の雰囲気などを尋ねたのではないだろうか。  今どきの女子なのだから、職員を通しての相談でなく、LINEなどで直接やりとりしているのでは? そうだ、それでスーツの紅白コーデが決まり、「いいね」と可愛いスタンプを送りあったりしたのでは? などなどと妄想しつつ、こちらまで華やかな気分になった。  女性皇族が2人以上そろう姿を目にする機会は案外多くない。雅子さまは天皇陛下と行動することが多いし、紀子さまは秋篠宮さまと行動することが多い。母娘や姉妹が一緒に行動することはあっても、プライベート中心。成人した独身皇族の公務は単独が基本だから、「誰かと誰かが一緒」の光景は珍しい。  ただし例外が一つある。皇后さまが名誉総裁、他の妃殿下方が同副総裁を務める日本赤十字社の全国大会だ。活動に貢献した人々を表彰する会で、名誉総裁、同副総裁がそろって出席する。コロナ禍で2020年、21年は開かれなかったが、22年5月には3年ぶりに開かれ、雅子さま、紀子さま、寛仁親王妃信子さま、高円宮妃久子さまが出席した。  この大会の写真や映像は古くからのものが残っている。今に残る一枚のお写真――と、これは2022年9月に亡くなった皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんが好んで使ったフレーズだ。莫大な写真や映像を記憶していた渡邉さんに教わったのが、1968年11月2日の赤十字社有功章、特別社員章親授式の写真だ。  名誉総裁は香淳皇后で、壇の中央で手に紙を持ち何か文章を読んでいる。少し離れて同副総裁である女性皇族がずらりと並ぶ。香淳皇后に近いほうから、美智子さま(当時は皇太子妃)、常陸宮妃華子さま、秩父宮妃勢津子さま、高松宮妃喜久子さま、三笠宮妃百合子さま。  モノクロ写真の時代だから、正確な色はよくわからない。が、見えたままを説明すると、香淳皇后は黒い服を着ている。美智子さまは白い服を着ている。華子さま、勢津子さま、喜久子さま、百合子さまは黒い服を着ている。つまり、美智子さまだけ白い服を着ている、という写真なのだ。  これはどう見ても、美智子さまにだけドレスコードが伝わっていない。そういうことだと渡邉さんは解説してくれた。その事情については、渡邉さん言うところの「超一級の史料」である『入江相政日記』を引いて、解説してくれた。  入江氏は昭和天皇の侍従長を務めた人で、58年10月11日の記述にこうある。<東宮様の御縁談について平民からとは怪しからんといふやうなことで皇后さまが勢津君様と喜久君様を招んでお訴へになつた由>。東宮様は現在の上皇さま、皇后さまは香淳皇后、勢津君様は勢津子妃、喜久君様は喜久子妃。黒い服というドレスコードが伝わっていたであろう人々。「平民から」とは美智子さまのことで、「怪しからん」を今どきにすれば「ありえない」だろうか。  結局のところ皇太子さま(当時)と美智子さまは、59年に結婚した。それから9年経った赤十字の式典でも、美智子さまにはアウェーの風が吹いていた。  この大会から50年、2018年5月16日に全国赤十字大会が開かれた。写真も映像もたくさん残っているのは、平成最後の大会で、雅子さまが15年ぶりに出席したことも大きい。「来年から、雅子さまは大丈夫だろうか?」という空気は、国民の間にまだ残っていたと思う。  その大会の最後、美智子さまは雅子さまのほうを振り返り壇の中央に招いた。美智子さまは雅子さまの腕を軽く取り、言葉をかけた。雅子さまはぱっと笑みを浮かべ、客席に向かって頭を下げた。続いて、美智子さまも頭を下げた。「次はあなたよ、がんばって」。美智子さまのそんな声が聞こえてくるような、サプライズ演出だった。  美智子さまは白いスーツ、雅子さまは紺色のスーツだった。他の皇族方も白系統と紺系統で順番に並んでいた。50年前の「1人だけ白」を乗り越え、最後は温かな演出で幕を閉じた。美智子さまの人生が凝縮された大会だった。全員の服装について「遠目にはまるでオセロのようで、女性皇族の一体感を演出しているように見えた」と書いたメディアもあった。  ことほどさように、女性皇族が集合するのは大変なのだ。だから、というわけではないだろうが、愛子さまと佳子さまの「紅白コーデ」はとても話題になった。そして愛子さまは服装だけでなく、髪形も注目の的だった。「“ヘアゴム隠し”のポニーテール」と名づけて「艶やかな髪を緩く巻き、ひとつに束ね、ヘアゴムの結び目の上から髪を巻きつけ」と解説したのは「女性セブン」(22年11月24日号)で、流行中の新しいヘアスタイルだとしていた。  愛子さまのお出かけが少ないという事情がある。21年12月に成年皇族になり、22年3月の初めての記者会見で国民を魅了した愛子さまだが、コロナ禍で大学もリモート学習を通していて、ファッション情報もほとんどない。  一方、積極的に外出しているのが佳子さまだ。10月1日から11月10日までの佳子さまの日程を朝日新聞デジタルの「皇室7days」でチェックすると、1泊2日(栃木県と奈良県)を含め皇居の外へのお出かけが9回。ちなみに愛子さまとの雅楽鑑賞は入っていないから、あれはプライベートということなのだろう。  そして佳子さま、失礼を承知で書かせていただくなら、「おしゃれ番長」だ。9月24日、鳥取市での車いすツインバスケットボールの練習会場ではブルー系の縦ストライプのワンピース(上に白のジャケット)を着て、きっぱりした感じを見せていた。そうかと思うと10月1日、日本デフ陸上競技選手権大会会場では濃いワインレッドでレース地のワンピースを着て、フェミニンな感じに。どちらもよく似合い、佳子さまはファッションが好きなのだと思わせる。笑顔はいつも弾けるようだし、デフ陸上の会場で手話を使いこなす様子はとても気さくだ。  そんな佳子さまの日々を見て、「婚活ファッション」などと書くメディアもあった。が、働く女子の大先輩として言わせていただくなら、それは違う。婚活のためより、まず自分のため。それが職場ファッション。職場(佳子さまにとっては、公務で出かける先は職場だ)で自分好みのファッションを着られるのは、仕事が充実している証拠だと思う。  ということで、愛子さまと佳子さまの紅白コーデに戻る。冒頭で2人のファッションを見てうれしくなった、と書いた。自分の気持ちを分析するなら、2人が皇室という自分の生きる場所を楽しめているような気がしたのだと思う。背景にあるのは小室眞子さんの結婚までの道で、眞子さんは皇族であることがしんどかったのだろうと思うのだ。  愛子さまと佳子さまの心の奥底はわからない。でも雅楽を聞きにいくにあたり、ファッションをあれこれ考え、紅白コーデになった。そのことを思うと、安堵の気持ちがわいてくる。これからも愛子さまと佳子さまが、ファッションを楽しめますように。願ってやまない。

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    愛子さま、花の飾りに「あ、よいですね」とにっこり 女性皇族が帽子をかぶるときとそうでないときの違いとは?

     新年は、愛子さまが身に着けた可愛らしい帽子に注目が集まった。女性皇族の正装にかかせない帽子。実は、宮殿の儀式でも着用するときとしないときがある。その線引きはどこにあるのか。父である故・平田暁夫さんとともに、親子2代で皇室の帽子デザイナーを務める平田欧子さんが、愛子さまの帽子に込めた秘話とマナーを解説する。 *  *  * 「愛子さまのローブモンタントとあわせるはじめての帽子にふさわしいのでは、と提案いたしました」   おだやかに話すのは、皇室の帽子のデザイナーを務める平田欧子さん。1966年から皇室の帽子のデザイナーを務め2014年に亡くなった父・平田暁夫さんのあとを継ぎ、皇室の帽子のデザイナーとして活躍している。  欧子さんが指すのは、愛子さまの帽子につけたゴヨウツツジの花飾りのことだ。  愛子さまが20歳の成年を迎えた一昨年、そして今年の元日。天皇陛下と皇后雅子さまそして愛子さまは、上皇ご夫妻に新年のあいさつをするため、お住まいの仙洞御所(昨年は、仙洞仮御所)に向かった。  愛子さまが日中の正装であるローブモンタント(長袖ロングドレス)にあわせたのは、淡いサーモンピンクの共布でつくられた帽子だ。  成年皇族は、宮中行事や公務へ出席することになる。成年を前にした時期、宮殿行事などで着用する正装のドレスにあわせる帽子をいくつか新調した。  愛子さまが作った地模様の入ったローブモンタントは、胸元に飾りのないシンプルなデザインだった。20代の女性皇族となる愛子さまの清楚な雰囲気に似合うだろうと、こう提案した。 「お花の飾りもいいのではないでしょうか」  愛子さまは、にっこりと笑い、こう答えた。 「あ、それもよいですね。お願いします」  愛子さまは感情が豊かだ。うれしいと感じるときは、素直に表情にあらわれる。愛子さまが笑うと、その場の空気がふわっと明るくなった――。そう、欧子さんは振り返る。  これから愛子さまは、成年皇族として公務に出席する場面も増える。成年皇族のご準備としてつばのない「トーク帽」をはじめいくつか新調した。 「愛子さまの最初の帽子に、ふさわしいのでは」  そう思った欧子さんは、帽子の花飾りに愛子さまのお印であるゴヨウツツジを選んだ。花と一緒に編み込んだリボン飾りで品のよい華やかさを添えた。  皇族の持ち物の目印として用いるのが、お印だ。  天皇陛下と雅子さまは、栃木県の那須御用邸に咲くゴヨウツツジが好きで、「この純白の花のような純真な心を持った子どもに育ってほしい」と願いを込めて、愛子さまのお印としたという。  上皇ご夫妻へあいさつに向かう際、愛子さまは2年続けてこのゴヨウツツジの帽子を着用した。  女性皇族が、宮殿での儀式や公務などの皇室行事でローブモンタントに合わせるのが帽子だ。 「明治維新以降、宮殿における儀式や公務における皇室の正装は、洋装になりました。明治から昭和の前半までは、帽子ありきでファッションが成り立った時代。皇族方の帽子も冒険したデザインが多くありました。最近は、『皇室も控えめに』といった風潮があるためか、公務の際でも帽子をかぶらないケースもおみかけします。洋装は本来帽子で完成するもの。皇族方が帽子の楽しみ方のお手本になっていただけると嬉しいですね」(欧子さん)  他の皇族方のお住まいへの訪問や一般参賀や宮殿での儀式においても、帽子を着用するときとそうでない時がある。どのような区別はあるのだろうか。 「お相手を訪問する際には、帽子を着用します。元日に愛子さまが、上皇ご夫妻のお住まいに訪問した際に帽子をお召しになったのは、訪問する立場であるためです。ご自分のお住まいにいらっしゃる上皇后さまは着用なさらない」(欧子さん)  興味深いのは、一般参賀や皇居・宮殿での儀式など同じ皇室行事でも女性皇族によって帽子の有無があることだ。宮殿行事では、帽子を着用しない皇后さまの写真や映像を見かける。  どういうことなのか。  「皇居・宮殿で執り行われる歌会始や講書始の儀などは天皇、皇后両陛下が主催する儀式です。皇居にお住まいの皇后さまは、着用なさらない。一方、参内する立場の他の皇族方は、帽子をお召しです」(欧子さん)   宮殿での新年祝賀の儀で、女性皇族はコロナ禍に配慮してティアラを控えた。大きな行事でも華やかな印象のある帽子をつけない場面もある。しかし、作法の基本は同じだ。  新年の一般参賀では、両陛下はお祝いに集まった人々をお迎えする立場だ。欧子さんによれば、平成に入りしばらくした頃、「人々を皇居にお迎えする立場ということから、皇族方は帽子を身につけない」という形で落ち着いたという。  一方で、平成と令和における天皇陛下の即位を祝う一般参賀では、皇后さまを含む他の女性皇族も帽子をかぶっている。  天皇誕生日の一般参賀では、皇后さまは帽子をかぶらず、皇太子時代の雅子さまや眞子さん、佳子さまなど他の女性皇族は帽子をかぶっていた。体調などの関係で着用しない場合を除いては、おおむね統一されている。 即位に伴う一般参賀は、皇室全体が国民から祝福をもらう立場。天皇誕生日の一般参賀は、 祝福を受ける天皇陛下の妻である皇后は、人々をお迎えする立場という解釈なのかもしれない。 「欧州の王室では、いまも帽子はロイヤルを象徴する装いとしてあります。帽子は、かぶるだけで背筋が伸びるという方や、気持ちが豊かになるといっていただける方もいらっしゃる。愛子さまは、いろいろな帽子に興味をもってくださるので、これからもぜひ華やかな帽子などもかぶっていただきたいですね。上品に着こなしていただけると思います」 (AERA dot.編集部・永井貴子)  

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    愛子さま、淡い水色のドレスでフレッシュな品格 雅子さまとの「シンクロコーデ」に感じた母娘の絆

     コロナ禍のために3年ぶりの実施となった「新年一般参賀」。何よりも注目を集めたのは初めて参加される天皇皇后両陛下の長女、愛子さまだった。ご自身の性格を「人見知りなところがある」という愛子さまだが、緊張もされたであろうが堂々とした姿であった。そして、美しかったのは淡い水色のドレス。こうしたドレスや服選びに関して、皇室解説者に聞いた。 *  *  *  3年ぶりの一般参賀の報道の見出しには「愛子さまが成年後初めての出席」という言葉が必ずといっていいほどついており、愛子さまへの注目の高さがうかがえる。  天皇陛下、雅子さまに続き、皇族の方々が宮殿・長和殿のベランダにお出ましになり、愛子さまは雅子さまの隣に並ばれたが、おふたりのドレスは色もデザインも異なるものの何となくフォルムが似ている。このことに、著名人のスタイリングも手掛けるスタイリストがこう解説をする。 「今回の雅子さまと愛子さまのドレスは、長和殿のベランダの全景が映し出されたときによくわかるのですが、フォルムがそっくり! お手振りのときは上半身しか見えませんし、さらには皇居東庭に集まった一般参賀に参加のみなさんからは肉眼では女性皇族のみなさんのドレスの細部までは認識できないので、もしかしたら、雅子さまと愛子さまのドレスのシンクロはかなり計算されたものでは? と拝見しておりました」  続けて、愛子さまのドレスの細部に関してこう解説する。 「愛子さまは襟が上品に立ち上がった淡い水色のドレスをお召しになっていました。初めてのとか若々しさというキーワードが浮かびますが、もちろん気品もあって、フレッシュな品格が表現されていましたね。イヤリングはパールが2粒のもので、雪だるまみたいな形のかわいさといいますか、1粒よりも若々しく、本当にさりげなくおしゃれなうえに上品。ブローチもパールをあしらったもので、お手振りの場面ということで、やや高い位置に付けられているのではないかと思います」  一方、雅子さまのドレスはというと、色、デザインは異なるものの細部に愛子さまとのシンクロのこだわりが見て取れるという。 「雅子さまは、オフホワイトの柔らかい色合いで、カシュクール風(前を着物のように打ち合わせて着る形の上衣)の切り替えが美しいドレス。愛子さまのドレスの生地もそうですが、雅子さまもとても表情のある上品な織り地でした。この織り地も淡い水色、オフホワイトと色は違うんですが、色の濃度・トーンがまず揃っていますよね。同じドレスではないのに、肩先のシルエット、袖の筒の太さ、デコルテのラインも絶妙に合わせた感じです。さらに、袖口のボタン! 雅子さま、愛子さま共に包みボタンで、数も6つというさりげないこだわりです」  雅子さまは、以前よりこうした包みボタンを好まれているといわれている。愛子さまのスタイリングにも影響しているのだろうか。これに関して、元宮内庁職員で、『いま知っておきたい天皇と皇室』(河出書房新社)の著書がある皇室解説者の山下晋司さんは、こう解説する。 「愛子内親王殿下のドレスは上品な感じで素敵でしたね。他でお召しになっていた記憶はありませんので、一般参賀のために新調されたのでしょう。新調にあたっては、スタイリストというより、ファッションデザイナーが関わっているはずです。デザイナーは提案もするでしょうが、ご本人と相談しながら決めていくことになります。愛子内親王殿下の場合、初めての一般参賀ですから、当然のことながらお母様である皇后陛下と相談されたことでしょう」  デザインがシンクロしていることに関して、山下さんは「情報共有があったのでは」と話す。 「今回の一般参賀のように、女性皇族の方々が並ばれるときにお召し物の調整があるのかと、よく質問されます。奥向きのことなのでほとんど知りませんが、園遊会のことでいいますと、昭和から平成の中頃までは、洋装にするか和装にするかを皇后が決めて、皇太子妃以下の女性皇族はそれに倣っていました。色味についても同様に側近の女性職員が情報を取りにいき、参考にされていたようです。この園遊会のことで言いますと、平成の中頃に当時の皇后(現在の上皇后陛下)が『洋装、和装を交互にしましょう』とお決めになったので、他の女性皇族はその決定を待つ必要はなくなりました。色味については、側近の女性職員が頑張って、いまも情報を取っているのかもしれませんね」(山下さん)  たしかに、色のかぶりはなく、雅子さまはオフホワイト、愛子さまは淡い水色、秋篠宮家の次女、佳子さまは深紅だった。 「側近の女性職員同士の情報のやりとりは、昔よりも少なくなっているかも知れません。女性皇族の中には、皇后陛下や皇嗣妃殿下のお召し物の色味を気にしない方もいらっしゃるのではないでしょうか。以前、歌会始のときに色味がかぶっている方もいらっしゃいましたので。通常の儀式や行事で、お召し物の色まで決めている内規のようなものはありませんので、それぞれの皇族のお考え次第といっていいでしょう」(山下さん)  知れば知るほど興味深い女性皇族の服装選びだが、今回の一般参賀に関して、雅子さまと愛子さまの「情報共有」はあったかもしれない。 「愛子内親王殿下がデザイナーとだけ相談して、新調されるとは考えにくいですね。また、お母様が『これを着なさい』とおっしゃることもないでしょう。仲のいいご一家なので、デザインや色味も含めて、デザイナーの提案を参考にされながら、おふたりで楽しく決めておられるのではないかと思っています」(山下さん)  清々しく美しく見えた愛子さまの水色のドレスには、こうした母と娘の絆が織り込まれているせいなのかもしれない。(AERAdot.編集部・太田裕子)

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    野党からも批判噴出「れいわローテーション」に“当事者”は何を思うのか 長谷川ういこ氏が語る「本音」

    「憲法の趣旨に反する」「1日でも国会議員ができてしまう」……与野党から激しい批判にさらされている、れいわ新選組が打ち出した「ローテーション制度」。同党の山本太郎代表は、水道橋博士氏が議員辞職したことを受け、残りの任期5年半を、全国比例で落選した5人がローテーションで務めると発表した。批判が噴出する状況を“当事者”はどう感じているのか。昨年7月の参院選で“比例3位”となった同党の長谷川ういこ氏に思いを聞いた。 *  *  * 長谷川氏が最初に山本代表から「れいわローテーション」の話を聞いたのは、昨年12月末のこと。 「Zoom会議で、今回のローテーションの対象となる5人が招集されました。山本代表は『水道橋博士から議員を辞任する意向を聞いた。もし、そうなった場合はローテーション制の導入を考えている』と説明されました。突然のことだったので、みんな顔を見合わせながら驚いていました。ただ、私はかつてドイツの緑の党でローテーション制が採用されたことは以前から知っていましたので、これは面白い試みだと思いました」 その会議に集められたのは、昨年7月の参院選比例代表で次点だった大島九州男参院議員、3位の長谷川氏、4位の元衆院議員で弁護士の辻恵氏、5位の拉致被害者家族会元副代表の蓮池透氏、6位の元新宿区議の依田花蓮氏の5人だった。 「会議では『それでいいんじゃないか』という意見が多数でした。大島さんは本来なら5年の任期があったわけですから、いささか疑問があったかもしれません。ですが、度量の広いことに『比例代表は党の議席だから』と受け入れておられました。なので、その会議で『もし水道橋さんが辞任ということになったらローテーション制をやりましょう』と合意ができました。ただその時は、私は水道橋博士とは直接コンタクトを取っていなかったので、詳しい病状はわかりませんでした」 水道橋博士氏は昨年11月にうつ病を発表し、休職状態が続いていた。年が明けた1月16日、山本代表は水道橋博士氏が議員辞職願いを届け出たと発表した。同日、山本代表が「れいわローテーション」構想を明らかにすると、与野党から批判が噴出した。  自民党の世耕弘成参院幹事長は「参議院議員は憲法で6年という任期が与えられている。憲法の趣旨に合致しない対応だ」「しっかりと腰を据えて、仕事に取り組むことが求められている」などと批判した。  さらに、野党第1党の立憲民主党の岡田克也幹事長からも「1日でも国会議員ができてしまう」「毎年1人という方法は決してよいことではない」と苦言を呈した。  これらの批判について、長谷川氏はこう反論する。 「自民党の衆院議員であれ、参院議員であれ、任期途中でお辞めになって、知事選などにお出になる議員は毎年のようにいます。任期途中での参院から衆院への鞍替えもよくあります。それは憲法の精神に反してないのですかと問いたいですね。また、衆議院はいつ解散があるかわからないので、ごく短期しか務められないこともあり得ます。これまでも、2カ月間だけ、1週間だけ国会議員だったという方はいらっしゃいます。それもダメなんでしょうか。現状でも、制度的には1日だけ国会議員というケースもあり得るということです」  前述のように、国会議員の「ローテーション制」はドイツの緑の党が導入した事例がある。長谷川氏は2012年から19年まで「緑の党グリーンズジャパン」(世界各地にある緑の党をモデルとして結成された日本の政治団体)の共同代表を務めていた。それゆえ、ドイツにおいて「ローテーション制」がどのようになったのかもよく知っていた。 「実はローテーション制はドイツの緑の党ではうまくいかなかったんです。『議員を職業とする職業政治家になってはいけない』というのが1980年の結成当初からドイツの緑の党の考え方で、2年で議員を交代するローテーション制を採用していました。そして1983年に連邦議会で初めて議席を獲得しました。ところが、党の創設期のメンバーでスター的な存在だったペトラ・ケリーさんという女性議員が、自身が2年務めた後に『やはり辞めない』と辞職を拒否したんです。それで、ローテーション制は最初からグラグラになってしまった。結局、党内の議論で、ローテーション制は廃止されてしまいました」  それゆえ、もし「れいわローテーション」が成功すれば、世界でも珍しいケースとなる。  これまで、れいわは比例代表の「特別枠」を使って3人の障害者を参院議員にした“成功例”がある。 「『特別枠』というのは自民党が選挙区事情でつくった救済策だったんですが、私たちはそれを使って船後靖彦さん、木村英子さん、天畠大輔さんという3人の参院議員を誕生させました。それにより国会にスロープがついたりと、障害や難病に配慮をするように変わりました。これは世界的にみても画期的なことです。制限された選挙制度の中で最大限の知恵を絞り、いかに自分たちの思いを訴えかけていくかを追求した結果だと思います。私たちは、選挙制度にも一石を投じたい。ローテーション制もやってみなければわかりません。参院選は非拘束名簿式になりましたが、はたしてそれがいい選挙制度なのかという問いかけにもなると思います」 山本代表は街頭演説などで、「党の経済政策は長谷川ういこさんが作っています」と繰り返し語ってきた。長谷川氏は、政府は財政規律にとらわれず、必要な財政出動を行って社会保障や公共サービスを充実させるべきだという「積極財政」を唱える。また、脱原発や脱炭素を進め、持続可能な経済に転換していく「グリーン・ニューディール」も提案し、れいわの公約となった。「れいわローテーション」が順調にいけば、長谷川氏は24年に国会議員となるが、その任期である1年間で何をするつもりなのか。 「1年という期間であっても、自分が主張してきた『積極財政』を国会でも訴えていきたいです。またグリーン・ニューディールもより強く伝えていきたいです。脱炭素は成長産業であり、世界の市場規模は500~600兆円になると言われています。今の日本は、エネルギーや食料を他国に頼っていますが、これらを自分の国でつくることもニューディールなんです。1年という準備期間をもらっているので、もっと研究を進めて、専門性を突き詰めていきたいと考えています。あとは家庭をどうするか。今は京都に住んでいるので、1年の間に、子どもの転校をどうするかなどを決めないといけないですね(笑)」  はたして、日本で「れいわローテーション」は成功させられるのか。これからの5年間に注目が集まる。(AERA dot.編集部・上田耕司)

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    18時間前

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    親ガチャと東大合格の関係 世帯年収300万円台で合格した学生が感じた現実

     高学歴を目指すほどお金がかかるご時世。親の収入が低くて大学進学をあきらめる人も少なくない。だが、努力と工夫しだいで、夢をかなえられる。 *  *  * 「東大に入るまで、蛍雪の功を体現するような学生が多くいるイメージを持っていましたが、全然そんなことはなくて、入学当初は戸惑いました」  そう語るのは、文学部4年の布施川天馬さん(25)だ。世帯年収が300万円台の家庭で育ち、苦学して東大合格を勝ち取った。だが、いざ入学してみると、お金で苦労してきたような学生はほとんど見かけなかった。  それもそのはず。東京大学が2020年度に実施した学生生活実態調査によると、保護者の世帯年収が850万円以上ある人が4割を占め、1150万円以上は2割にのぼる。布施川さんのように450万円未満の人は1割にも満たない。  勉強が得意だった布施川さんは、東京都内の私立中高一貫校に学費免除の特待生で入学した。当初は大学受験を意識することはなく、吹奏楽の部活動に打ち込んでいた。  東大進学への思いが芽生えたのは、高校2年生のときに進路指導で「東大を目指してみないか」と勧められて。母校からは過去に2人しか東大合格者は出ていなかったが、家計を助けるためには国公立大への進学しかないと考え、目標を固めた。  夏の東大模試では、数学が80点満点中3点しか取れず、焦りがあった。3年生の秋、これから追い込みというところで、ただでさえ裕福ではない家庭状況が一変する。父が勤めていた会社の業績が思わしくなく、独立するもなかなか軌道に乗らない。そして、母が病に倒れた。かなり進行した乳がんだった。 「父は日雇いのアルバイトを掛け持ち、帰りは夜遅く。通院や入退院の付き添いなど、母の世話はすべて僕が引き受けました。勉強する時間はあまり取れなかったですね」  その結果、東大は不合格。試しに受けた早稲田大学やMARCHにも落ちた。全敗に落ち込むかと思いきや、布施川さんはすぐ切り替えた。 「東大は不合格者に対して、合格までどのくらい足りなかったかのランクを教えてくれるんです。僕は不合格者の中で真ん中くらいのランクでした。夏の時点で東大合格の圏外も圏外で、予備校や塾に通っていなかったので、あと1年あれば行けるんじゃないかと、逆に勇気づけられました」  浪人させてほしい、予備校にも少し通わせてほしいと頼み込むと、両親は借金をして費用をかき集めてくれ、足りない分は祖母が工面してくれた。ただ、生活費は自分で稼ぐしかない。 「毎日の食費に予備校までの交通費を稼ぐために、週3日、ドラッグストアでアルバイトをしました。朝から夕方まで8時間働いて、終わったら予備校に行くというような生活でした」  周囲の受験生に比べれば、勉強に充てる時間は圧倒的に少ない。母の病室で看病の合間に勉強することもあった。このハンデをどう克服するか。そこで考え出したのが、無駄を省く勉強法だ。 「自分に合わないと思った参考書や勉強法はすぐやめました。どんなに評判がよくても、自分の身にならなければ効率が悪い。実践して取捨選択を繰り返していきました。そして、満点を目指すのではなく、合格ラインの少し上を目指しました」  短い時間でいかに効率よく学力を向上させるか。ハンデと捉えられそうなアルバイトも、勉強時の集中力の維持という意味で息抜きになった。  1浪の末、見事合格をつかみ取った布施川さんは、同じような境遇にある受験生にこうエールを送る。 「あきらめないことが一番大事です。『自分はだめそうだ』と周囲は勝手に折れていきます。自分を見限ることなく、信じ続けなければ勉強に身も入りませんから」  一方で、塾や予備校に行くのもままならないという学生もいるだろう。それでも学びたい、という学生を支援する取り組みもある。無料塾だ。 ■学ぶ意思を尊重 無料の学習支援  NPO法人「八王子つばめ塾」(東京)は現役大学生や社会人がボランティアで講師を務める無料塾。1~2週間に1度、各科目の個別指導をしている。運営費は企業や個人からの支援や寄付などで賄っている。理事長の小宮位之(たかゆき)さんはこう語る。 「塾に来るのは、アルバイトで学費や生活費を稼いでいる困窮世帯の高校生です。入塾の相談には親や本人が来ますが、いずれでも学生本人が『学びたい』『塾に行きたい』という思いを持っています。当塾も学生本人の意思を大事にしています」  実は小宮さんも貧困家庭で育った。高校2年生のときの世帯年収は100万円前後。親からは「高校を中退してくれないか」「進学はあきらめてくれ」と言われた。それでも学びたかったし、教師になりたかった。  そんな小宮さんはアルバイトで学費を稼ぎ、祖父母の支援も得て、何とか大学進学を果たす。だが、入学後も苦労が絶えなかったという。 「入学しても教科書が買えないなど、お金がなければ勉強できないんだ、ということを肌身で感じたんです」  教員免許を取得した後、私立高校の非常勤講師を経て映像制作の仕事に従事した。そのとき、東日本大震災が起きた。取材の過程で被災者にも会った。何かできることはないかと考え、仕事の傍ら、2012年につばめ塾を始めた。「ただより高いものはないと言いますが、困窮家庭にとって無料ほどいいものはないんです。能力もやる気も夢もあるのに、お金を理由に学ぶことをあきらめてほしくない。選択できる社会であるべきなんです」  前出の布施川さんは、昨今聞かれるようになった、生まれ育った家庭環境によって自身の人生の“当たり”“はずれ”が左右されるという意味の“親ガチャ”を引き合いにこう話した。 「親ガチャは関係ないと言いたいところですが、実際にはあると思います。でも、その言葉に甘えて自身の道を閉ざしてしまうのはもったいない。だからこそ自分を信じ続けることが大事なのです」 (本誌・秦正理)※週刊朝日  2023年2月3日号

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    昨年「戦力外」から大化けも? NPB復帰を狙える独立L&社会人でプレーの“3選手”

     プロ野球のキャンプも目前に迫り、オフに自由契約となっていまだに去就が未定の選手にとっては決断へのタイムリミットは迫っているが、近年増えているのが独立リーグや社会人で現役を続行する選手だ。毎年行われている12球団合同トライアウトでも多くの独立リーグチーム、社会人野球チームの関係者が顔を見せており、すぐにオファーを出すケースも少なくない。そこで今回は独立リーグや社会人からNPB復帰を狙えそうな選手はいるのか。探ってみたいと思う。  まず投手で実績のある選手で可能性がありそうなのが福井優也(楽天→BCリーグ・福島)だ。広島では2011年に8勝、2015年に9勝をマークするなど活躍。しかし2017年以降は成績を落とし、トレードで移籍した楽天でも目立った結果を残すことができずに昨年限りで自由契約となった。  ただ昨年の二軍成績を見るとリリーフで20試合に登板して防御率1.37、奪三振率も9.61と見事な成績を残している。また昨年11月に行われた12球団合同トライアウトでも打者3人を完璧に抑え、ストレートの最速も145キロをマークするなどまだまだ力があるところを見せた。プロ通算12年で106試合に先発した実績は申し分なく、ここ数年はリリーフに回っても腐ることなく二軍で結果を残しているのは立派だ。独立リーグで圧倒的な成績を残すことができれば、投手陣のコマ不足の球団が獲得を検討することも十分に考えられるだろう。  一方で実績はないものの、年齢的にこれからの成長も期待できるのが広島を自由契約となった山口翔(九州アジアリーグ・火の国)だ。熊本工ではエースとして3年春のセンバツ高校野球に出場。九州でも屈指の本格派右腕として評判となり、2017年のドラフト2位で広島に入団している。プロ入り後も2年目には二軍ではチームトップの6勝をマークし、一軍でもプロ初勝利を記録するなど順調なスタートを切ったかに見えたが、その後は制球難に苦しんで低迷。2020年以降は二軍でも結果を残せずに昨年自由契約となった。  プロでの結果だけを見れば苦しいのは確かだが、長いリーチを生かした鋭い腕の振りは魅力で、11月の12球団合同トライアウトでも146キロをマークして三者凡退に抑えるなど、能力の片鱗は見せている。チームを指揮する馬原孝浩監督(元ソフトバンクなど)は引退後に柔道整復師と鍼灸師の資格を取得するなど、勉強熱心な指導者であり、特に投手の能力を伸ばすことに関しては定評がある。今年で24歳とまだまだ若いだけに、何かきっかけをつかめば大化けすることも期待できるだろう。  社会人野球からNPB復帰という例は極めて少ないが、年齢的にまだ可能性がありそうなのが昨年から三菱重工Eastでプレーしている山下航汰(元巨人)だ。育成ドラフト1位での入団ながら1年目にいきなりイースタンリーグで首位打者を獲得。ちなみに高校卒1年目の選手が二軍で首位打者を獲得したのは1992年のイチロー(当時オリックス)以来の快挙である。1年目には支配下登録されて一軍でもヒットを放ったが、その後は怪我もあって低迷。2021年オフに育成での再契約を断って他球団への移籍を目指したが、結局オファーはなく三菱重工Eastに所属することとなった。  社会人として1年目の昨年は層の厚いチームにあってベンチを温める試合も多く、ようやくスタメンの機会を得た日本選手権でも3試合(スタメンは2試合)でノーヒットと結果を残すことができなかった。ただ今年で23歳ということを考えれば大学卒1年目と同じ年齢であり、既に一度二軍で結果を残していることを考えればまだまだここから巻き返す可能性はあるはずだ。まずは社会人で誰もが納得するような成績を残してアピールしてもらいたい。  過去に独立リーグから復帰した選手は苦戦することが多かったが、昨年は四国アイランドリーグの高知からソフトバンクで復帰した藤井皓哉は中継ぎとして大車輪の活躍を見せてこのオフには大幅年俸アップも勝ち取っている。何かのきっかけで大きく変わる選手も間違いなくいるだけに、ここで紹介した以外の選手からも第2、第3の藤井が出てくることを期待したい。(文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文 1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員。

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    俳優・佐藤二朗が「天変地異よりも怖い、ムチャクチャに怖い」こと

     個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。今回は締め切りを守れるかギリギリの戦いをお送りする。 *  *  *俺は今、焦っている。 真剣に焦っているのだ。 現在、某日の17:25。 この某日。 実は、 このコラムの締め切り日なのだ。 なに? 当コラムにたびたび登場する担当K氏に、締め切りを守らず怒られるのがそんなに怖いかって? 馬鹿を言ってはいけない。 怖いなんてもんじゃない。 天変地異よりも怖い。ムチャクチャに怖い。なんだろう。大怖い。「だいこわい」と読んでほしい。「在庫ない?」に似てる気がする。 そんなことを言っている場合ではないし、思ったほど笑いに転化できてないのは焦っているからだ。大焦っているからだ。「だいあせっている」と読んでほしい。「ダイア生命」と似てる気はあまりしない。 しかし担当K氏に怒られる以上に、俺が焦っている理由は、実は他にある。 現在、冷蔵庫に、いい日本酒が冷えている。 なんとしても、 なんとしても馴染みの魚屋で、寒ブリと白甘鯛の刺身、および銀ダラの西京焼きをゲットしたい。 しかしだ。 その馴染みの魚屋の営業時間は、 18時まで。 繰り返すが、現在、某日の17:35。 ダイア生命とか書いてるうちに冒頭から10分が過ぎてしまった。 ダイア生命って実在するのかな? 実在してたら勝手に名前を使ってごめんなさい。 おい待て。 ダイア生命に忖度してる間に17:38になってしまったではないか。 18時までにこのコラムを書き終え、K氏に送らなければ、俺の今夜の夢のような晩酌プランが水泡に帰(き)す。寒ブリと白甘鯛の刺身、および銀ダラの西京焼きが水泡に帰してしまうのだ。 なに? 寒ブリも白甘鯛も銀ダラも、もともと水泡にいたんだから帰していいのでは、だと? そんな悠長なことを言っている場合ではないのだ馬鹿野郎!! 17:41になっちゃったじゃないか!! 賢明な読者諸兄は、もうお気づきだろう。 ははん、と。 ははん。今回、佐藤二朗はこうやって文字数稼ぎをして、コラムを書き逃げするつもりだな、と。 諸君。 この際、ハッキリさせておこう。 その通りだ。 諸君の予想、1ミリの差違なく、 その通りだ。 どうやらこのあたりで、 文字数のノルマは達成したようだ。 時は来た。それだけだ。 魚屋、行ってきまーす。

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    愛子さま「純白」佳子さま「深紅」マナーのプロが読み解く“紅白”コーデに秘められたメッセージ

     11月5日、天皇皇后両陛下の長女・愛子さまと、秋篠宮家の次女・佳子さまが、皇居で開かれた宮内庁楽部による秋季雅楽演奏会をそろって鑑賞された。いとこ同士で、こうしたお出ましは初めてのことで注目を集めた。  その日の装いは愛子さまが「純白」、佳子さまが「深紅」。「ほほ笑ましい色合わせ」とSNSも沸いたが、マナーのプロは「愛子さまの控えめさ、佳子さまの洗練さ、共にお立場をわきまえている」と絶賛する。 *  *  *  雅楽の演奏会は午前と午後の2回行われ、午後の部に愛子さまと佳子さまは出席された。先に入ってこられたのは純白のアンサンブルの愛子さま。愛子さまは、演奏会場にいる人たちと目を合わせ、マスク越しでもわかるほどのほほ笑みで一人一人に会釈をされていて、なんとも初々しい。  大手企業のマナーコンサルティングを長年務めるマナーコンサルタントの西出ひろ子さんがまず注目したのは、そんな初々しさのある愛子さまの「白」。 「愛子さまは、成年皇族になってから今回が初めての活動で、さらに雅楽の鑑賞は初めてだったそうです。また、佳子さまとお二人でというのも初めて。そうした初めてづくしという点から今回、白を選ばれたのかと思いました。全身、白の服装というのは珍しいというか、一般的に白ジャケットのインナーには色味のあるものを合わせがちですが、潔いほど全身白。『初めてですのでよろしくお願いいたします』みたいな謙虚さや控えめな印象で素晴らしいと思いました」  愛子さまの装いは写真や映像では無地の白に見えるが、実は細部にわたり謙虚で控えめなあしらいがあることを西出さんは指摘する。 「写真を拡大して拝見しましたが、ジャケットの袖口と裾のところに細かいあしらいがありました。華美ではなく、そこにも控えめな謙虚さみたいなものが感じられましたね。注目はジャケットから見えるインナーで模様がダイヤモンド型のように見えます。ダイヤモンドには、永遠に美しく輝く、愛に満ちるというメッセージがあります。成年皇族になられたので可愛らしさだけではない、大人の輝く美しさの表現もあったと思いました。謙虚で控えめな中に、国民に対する愛に満ちたお心も感じました」  愛子さまに続き、演奏会場に入ってきた佳子さまは「紅」のセットアップ姿。愛子さま、佳子さまがそろって席の前につくと、佳子さまから愛子さまへ「座りましょうか」というようなアイコンタクトがあった。初々しい愛子さまをリードする、7歳年上の佳子さまの姿が垣間見えたが、西出さんは、「日に日に洗練されている」と装いを絶賛する。 「すごくおしゃれですよね。佳子さまは、日に日に洗練されていくのを感じます。今回のお色は着こなすのもなかなか難しい色だと思いますが、豊潤な秋をイメージされた素敵な色合いですね。ボタンとウエストの切り返しのベルト部分が同系色の光沢のある生地でできていて、本当におしゃれ。佳子さまがこういった装いをしてくださることで、みなさんが注目し、ファッションへの意識も高まる気がします。まさにファッションリーダーですね」(西出さん)  そんな愛子さまと佳子さまの前では、琴や笛などが奏でる伝統的な音色に合わせて優雅な舞が披露された。今回の雅楽鑑賞は、学習院大学文学部日本語日本文学科に通われる愛子さまが、選択授業で日本の伝統芸術に興味を持たれ、自ら出席を希望されたそう。その点にも西出さんは注目する。 「愛子さまも佳子さまも、ネックレスとイヤリングは真珠でセットで付けられていました。これらをセットでつけることは正装のときのマナーの基本です。また、愛子さまは白い手袋を握られていて、雅楽鑑賞とはいえ、ご公務であることで正装をされている。雅楽に興味があるから鑑賞したというだけではないと感じました。しっかり、お立場をわきまえていらっしゃるなと思いました。  だからといって堅苦しくなく、愛子さまと佳子さまは顔を見合わせてほほ笑まれたりしていましたよね。こうしてお二人がお出ましになることで、同年代の若い方々にも伝統芸能を伝えていきたいという気持ちも感じられました。さらに、白と紅は日本の国旗の色。お二人がそれぞれにこれらのお色の装いをなさったことで、調和や協調など平和へのメッセージを感じとられた方もいらしたのではないでしょうか」(西出さん)  演目には天皇陛下のご即位の際に作られた「国風歌舞(くにぶりのうたまい)」も含まれ、愛子さまはきらきらした瞳で鑑賞し、終演後、大型の太鼓について「重厚な音ですね」などと感想を述べられたという。佳子さまと愛子さまがお二人揃う機会は少ないかもしれないが、それぞれ公務で輝く姿は楽しみでならない。(AERAdot.編集部・太田裕子) ◯西出ひろ子/マナーコンサルタント、マナー評論家、マナー解説者。大学卒業後、参議院議員秘書職を経て、マナー講師として独立。31歳で渡英。オックスフォード大学大学院遺伝子学研究者(当時)と英国にて起業。帰国後、企業のコンサルティングをはじめ、大河ドラマなどのマナー指導など多方面で活躍中

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    「愛子さまの和歌にはコロナ禍の素直な感性も」 天皇家の相談役が明かすエピソードと“注目”の言葉

     1月18日の歌会始。2021年に成年を迎えた愛子さまの和歌は、儀式の空気を明るいものにした。天皇陛下と皇族方の和歌の秘話を、天皇家の和歌の相談役である永田和宏さん(75)が明かす。 *  *  * <もみぢ葉の散り敷く道を歩みきて浮かぶ横顔友との家路>  愛子さまの和歌が歌会始で公表されるのは、昨年に続き2度目だ。住まいである皇居の庭でもみじの葉に覆われた道を歩いた様子を詠っている。  今年は、天皇陛下が「コロナ禍」という言葉を詠んだことも話題になった。 「実は、愛子さまもコロナ禍について、詠みこんでいらっしゃるのです」  と話すのは、昨年12月から天皇家の和歌の相談役となった永田和宏さんだ。 「お友達との思い出は、学生時代の最も楽しい記憶です。コロナ禍前にご友人と一緒にもみじ葉を踏みしめて歩いた学校の帰り道を思い出して、ご友人を懐かしく思う和歌です。ダイレクトに社会情勢を詠おうと思ってはいらっしゃらなくとも、大学への通学を控えて友と会えない寂しさを詠うことで、いまの社会情勢がおのずから表現されています」  永田さんが注目した表現がある。「横顔」という言葉だ。  2人か3人で一緒に歩いていると、自分の視界に入るのは友達の横顔である。この和歌を聞いた人は、愛子さまの目線で思い出の風景を思い浮かべることができる。そんな力がある。 <歩みきて浮かぶ横顔>  この表現も語感のキレの良さがある、と話す。 「愛子さまは感性がとても素直です。思いをご自身の語彙のなかから探して、歌にされている」  永田さんは、ご両親である天皇陛下と皇后雅子さまにこう話したという。 「若いときにしか詠めない表現があります。お題など気にせず、愛子さまは、どんどんお作りになるとよいと思います」  自身と向き合い言葉を生み出す過程には、苦しみもある。普段、時間の経過とともに記憶は薄れてしまう。しかし、一首の和歌として残すことで、大切な時間は、まるで当時の息遣いが聞こえるように鮮やかに残るという。  愛子さまは大学で、源氏物語や新古今和歌集、奥の細道など江戸時代の文学といった、さまざまな古典、日本語史などを学んでいる。豊かな表現は、そうした蓄積の表れなのだろう。  佳子さまの詠んだ和歌も、胸の内が伝わってくる。 <卒業式に友と撮りたる記念写真裏に書かれし想ひは今に>  高校の卒業式の日にご友人2人とで撮った写真。裏に寄せられたメッセージの思いが3人の中で今も続いているという心情を詠っている。  その年齢だからこそ、生み出される表現がある。 「卒業から10年ほどの歳月を経て、いま鮮やかによみがえる友の言葉の大切さを詠んだお歌です」(永田さん) 「コロナ禍」を詠んだ天皇陛下の御製は、注目を集めた。  <コロナ禍に友と楽器を奏でうる喜び語る生徒らの笑み>  2021年10月、和歌山県で開かれた「国民文化祭」にオンラインで臨席した陛下は、演奏した吹奏楽部の高校生から、感染防止の工夫を凝らしながら練習を続け、演奏できた喜びを聞いた。生徒らの姿にうれしさを感じるとともに、人々が日常生活に戻ることへの願いを詠んでいる。  古来、天皇の御製は、国や国民への祝福であり「ハレ」を詠むことが多い。  生徒たちの喜ぶ姿を見守る天皇陛下のあたたかな目線を感じる和歌だ。一方で、御製のハレの面を意識した場合、「禍」という言葉は適切なのだろうかという見方もある。 「天皇の御製に、時代背景が詠いこめられるのは大切なことです」  永田さんは、そう答える。  天皇陛下の誠実な性格を実感するエピソードがある。 <友と楽器を奏でうる>の「奏で」という言葉。最初の御製は、「吹く」など別の言葉であったという。  しかし生徒たちが演奏する楽器には、管楽器だけでなく弦楽器や打楽器も含まれていた。最初の表現では、打楽器などが含まれないように伝わってしまう。  陛下はご自身で「奏でる」という言葉を選び直したという。  天皇陛下は、個人的な思いや心のひだを国民に言葉にして伝えることは基本的にない。しかし、和歌を通じて胸の内を表すことはできる。五音と七音を基調とする日本古来の詩歌である和歌。それは、皇室と国民との絆でもある。  皇后雅子さまの御歌は、ご自身の大切なものを詠んでいる。 <皇室に君と歩みし半生を見守りくれし親しき友ら>  両陛下がご結婚したのは、1993年。今年は30年の節目にあたる。天皇陛下と歩む歳月を支え、見守ってくれたご友人たちへの感謝を伝えた和歌である。  歌会始の儀では、古来の形式にのっとり披講(読み上げ)される。出席者は、和歌の文字を目で読まず、音で聴聞することになる。声に出して、音の響きを大切にするのが和歌の魅力でもある。 「ぜひ、皇室の和歌と一般から選ばれた預選歌も声に出して歌の音を味わっていただきたいですね」(永田さん) (AERA dot.編集部・永井貴子) 

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    岸田首相「異次元の少子化対策」に独身研究家が「効果なし」と怒りの大反論

     岸田文雄首相は23日、衆議院本会議で施政方針演説を行った。「子ども・子育て政策」は最重要政策だとし、「従来とは次元の異なる少子化対策を実現したい」と意気込みを語った。同日、自民党の茂木敏充幹事長は児童手当の所得制限の撤廃や第2子以降の支給額の上積みについても前向きな意向を示し、SNSでは歓迎の声が上がった。しかし、これに異を唱えているのが、独身研究家の荒川和久氏だ。荒川氏が「子育て支援は効果がない」と主張する理由を聞いた。 *  *  * ――岸田首相が掲げる「異次元の少子化対策」について、荒川さんは「効果がない」と主張されています。その理由を教えてください。  端的に言えば、子育て支援にはなるが、少子化の対策にはなっていないからです。やろうとしていることが、少子化対策としては的外れなのです。  これはデータを見れば明らかです。  子育て支援は、これまでもずっと行われてきました。1980年に家族関係支出のGDP比は0・46でしたが、それが2019年には1・73にまで増加しています。  他方で合計特殊出生率(以下、出生率)は、80年の1・75から、19年には1・36と減少してしまいました。  約40年間で家族関係支出を4倍も増やしたのに、出生率は減っている。政府支出を増やしたからといって、必ずしも出生率が改善される直接的な因果関係があるとは言えないことがわかります。  一方で、結婚した女性が産む子どもの数に関して、「完結出生児数」というものがあります。これは結婚期間が15~19年の夫婦の平均子ども数ですが、1972年で2・2人、21年でも1・9人となっています。減少傾向ではありますが、およそ2人の子どもを産んでいることになります。  また別のデータでも、この60年間、第1子、第2子、第3子が生まれる比率は、変わっていません。結婚した女性はこれまで通り子ども産んでいるということです。  それなのに、政府が今やろうとしている子育て支援は、子どもをもう一人生んでもらおうとしている。今でも平均で2人の子どもが産まれていますから、3人目以上を産んでもらう政策になる。これはなかなか大変な話でしょう。  もちろん、子育て支援は少子化があろうとなかろうとするべきだと思います。ただ、子育て支援によって日本の少子化が改善されることはないということです。  ――では、何が少子化の原因なのでしょうか。  それは子どもを産むお母さんが減っているということです。私はこれを「少母化」と言っています。  そもそも、国勢調査によると、出産が可能とされる女性の15~49歳人口は90年の3139万人をピークに減少し、20年には2430万人になっています(年齢不詳除く)。  さらに、結婚しない人もどんどん増えている。80年代までは生涯未婚率は男女ともに5%以下でしたが、90年代以降から生涯未婚率が上がり、20年には男性で28・3%、女性で17・8%になっています。  結婚して出産するという絶対人口が減っている以上、出生数は上がらないし、出生率も上がらない。その事実は認識すべきでしょう。  減ることは不可避だが、その減る幅を少しでも小さくする努力をするべきです。それが本来の少子化対策だと思います。 ――政府はどうするべきですか。  まず、婚姻数に目を向けるべきです。  私が独自に見ているデータとして、「発生結婚出生数」というものがあります。これは婚姻数に対してどれくらいの出生があったかを示すものです。このデータを見ると1婚姻あたり、1・5人の子どもが生まれていますし、90年代からその数字は変わらない。つまり、2人を3人に増やすことよりも、結婚によって0人を1・5人にした方が出生数はあがります。  未婚には2種類あり、一つは結婚の必要性を感じない人、もう一つは結婚したいのにできない人で、「不本意未婚」です。問題なのは、この不本意未婚です。データを見ると、この「不本意未婚」が4割います。ここの対策に力を入れるべきです。 ――「不本意未婚」の原因はなんでしょうか。  理由はさまざまですが、経済的余裕がないことは大きいと思います。給料が少ないし、上がったとしてもすずめの涙ほどしか期待できません。それ以上に税、社会保障費があがって、可処分所得がどんどん減っていく。「いつになったら結婚できるか」と考えながら、時間だけがすぎてしまう。 「貧すれば鈍する」で、生活に余裕がないと趣味を楽しもうとか、恋愛をしようとか、そんな考えが起きなくなります。  内閣府の「子供・若者の意識に関する調査」を見ると、自分の将来に出世も経済的裕福さも望めないと考える若者が6割以上になっていることがわかります。  この背景にあるのは、日本経済の不景気感でしょう。経済が不景気だと、若者の気持ちまで沈み込んでしまう。  少子化対策として政府がまずすべきことは、世の中の景気を良くして、若者の進むべき道を明るくしてあげることです。  また、重要なのは、若者が若いうちに結婚をしてもいいと思えるような社会環境をつくることです。 「出生動向基本調査」から、恋愛結婚するための「限界出会い年齢」(結婚する相手に出会える割合が5%以下となる年齢)を割り出してみると、男女ともに25歳までに出会うと半分が結婚しますが、28歳では4人に1人しか結婚していません。34歳までに結婚しないと、そのまま未婚である可能性が高まります。  かつて樹木希林さんが「結婚は若いうちにしなきゃだめなの。物事の分別がついたら結婚できないんだから」と言っていましたが、その通りだと思います。  ここ数年はコロナ禍で出会いの機会を失った大学生も多いと思います。経済環境も厳しい。  ここの対策をしないと少子化に拍車がかかるでしょう。  子育て支援と聞いて、「とにかくなんでもいいから、バラまいてくれればいいよ」と短絡的に考えている人もいるかもしれませんが、政府も、国民にあげた分は、かならず回収しようとする。結局は今の子どもたちの将来の負担となる。借金をしていないのに、借金を背負わされるようなもので、これではますます未婚化も少子化も進んでしまいます。 ――政治はなぜ「少母化」対策に言及しないのでしょうか。  結婚や出産に関しては、政治家が「結婚しなさい」「産みなさい」と受け取れるようなメッセージを出すと、反感を招きやすい面があります。その点「子育て支援」は誰からも文句は出ません。  ただ、実は20年5月にまとめられた「少子化社会対策大綱」では、重点政策として、1番最初に「若い世代が将来に展望を持てる雇用環境等の整備」、そして2番目に「結婚を希望する者への支援」が挙げられていました。これまでの大綱でも結婚や雇用への支援への言及はありましたが、子育て支援が一番に挙げられており、この順序逆転は画期的なものでした。  これは少子化対策として正しい課題認識です。ただ、その大綱の方針は残念ながら、今なお実現されていません。  野党も政府・自民党と同じことを言うのではなくて、本質的な課題を指摘するべきです。  人口推計では、2100年に日本の人口は6千万人になります。こうした現実を見据えた国家運営を考えてほしいものです。 ――「出生動向基本調査」では、理想の子ども数を持たない理由として、「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」と答えた人が56%いました。  子育ては本当にお金がかかります。ただこれは、世帯年収が500万円の家庭でも、2000万円の家庭でも同じように不満が出てきます。子育てに関しては、惜しみなくお金をかけたいというのが親心というものだからです。  調査の数字は、この意識が表れているのだと思います。  お金を出したらもう一人産むかというと、そういったことを証明するデータはありません。  フランスやフィンランド、スウェーデンなどGDP比で家族関係支出を日本以上に出している国でも、出生率は軒並み落ちています。日本よりも支出率が高くても、出生率が低い国もあります。  フランス国立統計経済研究所は、出生率の低下の要因の一つに、出産・育児年代にあたる女性の減少、まさに「少母化」を指摘しています。  政府がお金を出すことと子どもを産むことに強い因果関係はない。少子化対策には若者に目を向けるべきだというのが私の考えです。 (聞き手/AERA dot.編集部・吉崎洋夫) ◎荒川和久(あらかわ・かずひさ)独身研究家、コラムニスト。大手広告会社において、企業のマーケティング戦略立案やクリエイティブ実務を担当。その後、「ソロ経済・文化研究所」を立ち上げ独立。ソロ社会論および非婚化する独身生活者研究の第一人者として活躍。著書に『結婚滅亡』『ソロエコノミーの襲来』『超ソロ社会』など

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    箱根駅伝で失速の原因は血糖値の乱高下を起こした可能性 食事法の影響も

     正月名物の箱根駅伝では、山登り区間などレース途中で失速する選手が見られる。万全な体調で臨んだ選手たちに何が起こったのか。原因は何か。専門家に聞いた。AERA 2023年1月30日号より紹介する。 *  *  *  箱根の山で失速した──。  ラストで足が止まり、フラフラに──。  今年の箱根駅伝で選手の走りを伝える記事だ。失速は今年に限らない。鍛え抜いた学生アスリートがなぜ失速するのか。  北里大学北里研究所病院糖尿病センター長の山田悟医師が解説する。 「選手が走るのは1時間ほど。本来はエネルギー補給なしに走り切れるはずの距離です。スポーツ栄養学では口をすすぐ程度の糖質で75分は走れるとされています。考えられる原因として、脱水や低体温、低血糖があると言われています」 ■「カーボローディング」  脱水や低体温はわかる。だが、健康そうな学生が低血糖になるとはどういうことなのか。  食後に血糖値が若干上がるのは普通のこと。問題なのは血糖値が過剰に上昇し、その反動でその後に急激に下がることだ。血糖の急降下に伴い、疲労感、思考力の低下、飢餓感などが生じるのだ。  実は、血糖値の急上昇、急降下を起こしている選手は多いのではないかと山田医師は危惧する。 「食後血糖値は140までが正常で、200以上は糖尿病の診断基準ですが、私は食後血糖が200~300まで上がる長距離ランナーを何人も診ています。こうしたランナーが食後に走ると、血糖の急下降、そして失速も起こしやすいと思います」  山田医師によると、アスリートに血糖の乱高下が生じるのはカーボローディングの影響だという。糖質を取ってエネルギー源となるグリコーゲンを筋肉に蓄えようとする食事法のことで、例えば、試合の数日前から主食を多量に食べ、走る前にも糖質飲料を飲むスタイルだ。  ただ、アジア人は食後高血糖になりやすいことがわかっている。筋肉にグリコーゲンを蓄えられず、血糖値を急上昇させているだけかもしれない。  食べ始めから30~90分の間に、血糖値はピークを迎える。そして、食べ始めから120~180分の間に、最低になる。糖質の高いものを食べた後、まさに走っている最中に低血糖になりやすいのだ。 ■長友選手も血糖値管理  こうしたことを防ぐため、二の腕に血糖値測定器を付けて走る駅伝選手もいる。サッカーの長友佑都選手(36)も血糖値を管理し、昨年のワールドカップ・カタール大会で日本代表として活躍した。山田医師は長友選手のサポートをしている。 「長友選手はパフォーマンスの低下や体調不良を感じて、食事のコントロールを始めました」  ただ、食後高血糖は自覚しづらい。中国の研究では、10万人の食後血糖値を測ると、成人の2人に1人が血糖異常者だった。健診の結果は正常値だとしても、健診は空腹時の採血の結果だ。まずは自分の体質を知ろう。 「血糖値測定器を付けると、どの程度まで血糖値が上がるかわかります」  もっと手軽に確認する方法も。 「調剤薬局の検体測定室で1回500円程度で血糖値を測ることができます。おにぎり2個と野菜ジュースを食べ始めて1時間後に計測してみてください。140を超えれば、食後高血糖です」  もし140を超えたら。 「白ご飯を半分以下にして、おかずをしっかり食べましょう。間食したいときは低糖質なデザートを選んでください。(糖質を適正量にする)ロカボな食生活を送れば、血糖値の乱高下は起きにくくなります」  血糖値の乱高下は、もちろん一般の人の健康にとってもよくない。乱高下が続くと、体に害を及ぼす。山田医師は言う。 「ドミノが倒れるように、動脈硬化症や認知機能の低下、発がんのリスクが徐々にやってきます。若くて運動していても、リスクがあります」 (編集部・井上有紀子)※AERA 2023年1月30日号

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    【追悼】YMO高橋幸宏さん 音楽プロデューサーの兄が語る子ども時代

     1月11日、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のドラマーとして知られるミュージシャンの高橋幸宏さんがこの世を去った。享年70。幸宏さんは2020年に脳腫瘍を摘出。長野県の軽井沢で療養していた。  幸宏さんは1952年に東京都目黒区で生まれた。12歳でドラムを始め、高校生でプロに。20代で加藤和彦や高中正義らとのサディスティック・ミカ・バンド、細野晴臣や坂本龍一とのYMOといった世界的に評価されたバンドに参加。YMOでは代表作の一つ、「ライディーン」も作曲した。ソロアルバムとしても「NEUROMANTIC ロマン神経症」などの傑作を発表、YMO以降は音楽プロデュースも行い、ファッションデザインも手掛けるなど、マルチに活躍していた。  YMOにいた幸宏さんにはテクノポップのイメージが強い。しかし生の演奏を聴くと、とても情緒的で温かかった。打楽器奏者でありながらマッチョとは対極のスタイルで、ドカドカと叩かない。その音には知性、品性、洗練の響きがあった。幸宏さんのドラムは、叩いていない“間”からも風景を見させてくれるような演奏だった。好きな音楽を聞くと、バート・バカラックやフランシス・レイなど作曲家の名前をあげた。 「子どもの頃から幸宏はFEN(在日米軍向けラジオ放送。現在はAFNに統合)で毎日アメリカやイギリスの音楽を聴いていました」と20代でザ・フィンガーズのギタリストとして活躍した音楽プロデューサーの兄、高橋信之さんは語る。“ユキヒロ”“ノブサン”と呼び合う仲のよい兄弟だった。 「幸宏は5人きょうだいの末っ子。本当にかわいかった。父親は会社経営者なのに、僕は音楽の道に進みました。だから幸宏までも美大に入りたいと言いだしたとき、お前が幸宏の面倒をみろ、と父に言われたんです」  子どもの頃は身体が弱かったと思われた幸宏さんが心配で、なにかと面倒をみていた信之さん。そんな幸宏さんだが、やがてドラマーとしてめきめき頭角を現すようになった。ミカ・バンドの名盤「黒船」のプロデューサーはビートルズの「ホワイト・アルバム」にかかわったクリス・トーマスだが、彼との出会いが幸宏さんの一つの転機となった。 「ミカ・バンドの頃、新しい幸宏のドラムスタイルには賛否両方がありました。そんなときにクリスが手数の少ない洗練されたスタイルを高く評価してくれた。あれで幸宏は自信を持ち、演奏が磨かれたと僕は思っています」  キャリアを重ねてからの幸宏さんは、原田知世や高野寛らとのpupaや小山田圭吾らとのMETAFIVEなど年下世代のアーティストと組む機会が増えた。バンドの年長者であってもメンバーのサポートに徹した。 「幸宏の美学だと思います。ビートルズでは、レノン&マッカートニーよりもジョージ・ハリスンが好きでした。プロコル・ハルムでも、中心人物のゲイリー・ブルッカーよりマシュー・フィッシャーがお気に入り。目立つポジションに自分を置かずにチームや音を支えることに居心地のよさを感じていたのでしょう」  暖かい季節に向けて、幸宏さんとみなさんとのお別れ会の準備が始まっているという。(神舘和典)※週刊朝日  2023年2月3日号

    週刊朝日

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    なぜ岸田首相は「女性」と「若者」から見放されたのか 望月衣塑子記者が見抜く“共感力のなさ”

     岸田政権の支持率低下が止まらない。7日、読売新聞が発表した世論調査では岸田内閣の支持率は36%と過去最低となり、初の30%台に落ち込んだ。JNNの最新の世論調査でも、内閣支持率は39.6%と3カ月連続で過去最低を更新した。読売新聞は、支持率低下の背景として「女性」「若年層」「自民党支持層」からの支持が下がっていることを挙げる。女性や若者の「岸田離れ」はなぜ起こっているのか。生活者の視点から政治を取材してきた、東京新聞の望月衣塑子記者に聞いた。 *  *  *「支持率は、まだまだ下がるでしょうね」  開口一番、望月氏はこう語った。  前出の読売新聞の世論調査によると、女性の内閣支持率は前回の10月調査(支持率=47%)から11ポイントも下がって36%となり、男性より支持率の高い傾向にあった女性の支持率は男性と並んだという。  これまでの安倍晋三元首相、菅義偉前首相と比べると、物腰も穏やかでソフトな印象を与える岸田文雄首相。自身がアピールする「聞く力」は、一般的に女性が求める政治姿勢とも合致しているように思えるが、今回の世論調査で“見限られた”のはなぜか。 「生活が苦しくなってきている実感が支持率に反映されているはずです。特に子育て世代の女性が『このままでは先が見えない』と大きな不安を感じているのだと思います」(望月氏)  原油をはじめとするエネルギー価格の高騰を受けて、10月28日、政府は総合経済対策を発表。1世帯当たりの電気、ガス、ガソリン代などの負担軽減をはかるため、来年前半にかけて、一般的な家庭で総額4万5000円程度を支援するとした。だが望月氏はこう指摘する。 「各家庭に4万5000円を直接支援するといいながら、消費税を15%に増税しようとする動きもあると聞きます。総合経済対策には39兆円かかり、その他の防衛費増額の支出も考えると、消費税10%では日本の財政がもたないという話が政府内から出てきているからです。そうした政策の“ちぐはぐさ”が、女性の不安や不満の原因になっているのではないでしょうか」  また、急速に進む円安の影響で、多くの食材や日用品が値上がりし、家計を直撃している。 「日銀は外貨準備を切り崩し、円安が進まないよう為替介入しましたが、焼け石に水の状態です。経済評論家の藤巻健史さんは1ドル500円を超えるという見立てまでしていますが、もしそこまで円安が進めば、日本経済が立ち行かなる可能性があります」(望月氏)  女性の「岸田離れ」は経済対策への不満に限らない。  寺田稔総務相の政治資金問題や山際大志郎前経済再生相の世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との蜜月関係など、閣僚のスキャンダルが次々と発覚する中で、岸田首相の対応が煮え切らないことにも女性は失望している、と望月氏はみる。 「特に山際氏について、閣僚辞任直後に自民党の新型コロナウイルス対策本部長に就任させた人事には、失望した人が多かったと思います。これは自民党の萩生田光一政調会長の判断で行われた人事のようですが、旧統一教会と結びつきが強いと言われる萩生田氏の“配慮”のようにも見えますし、岸田首相への牽制の意味合いもありそうです。しかし、岸田首相は『党の人事は本人の経歴や経験をふまえて判断した』と曖昧なことしか言わない。こういう姿勢は首相としての頼りなさを感じます」  また、過去にLGBTなどの性的少数者について「生産性がない」などと主張していた杉田水脈衆院議員を総務政務官に就けたことにも疑問を感じるという。野党議員からは杉田氏に対して、過去の主張について謝罪や撤回を求められたが、杉田氏は応じていない。 「野党議員から過去の発言を追及された委員会では、杉田氏は『差別する意図はなかった』と繰り返すばかりで、頑として謝罪、撤回は拒否しました。また、杉田氏は過去に性暴力被害の相談事業について語るなかで、『女性はいくらでもうそをつけますから』と発言したこともある。こういう考えを持った女性議員を政府の要職に就ける岸田政権の姿勢は、ひとりの女性として、私も非常に疑問を感じています」(望月氏)  読売新聞によると、前出の世論調査では18~39歳の「若年層」の支持率の落ち込みも顕著になったという。内閣支持率は、前回調査の50%から36%に14ポイントも下落した。その背景を望月氏はこう推測する。 「若い世代からすれば、岸田首相のリーダーシップに頼りなさを感じるのでしょう。例えば、大学生が就職先を選ぶ際にも、今は大企業に入ればなんとかなるという感覚ではない。なぜなら、賃金は上がらず、雇用は安定せず、学生の目には日本企業が全体としてダメに映ってしまっている。だから外資系企業に人材が流れています。将来に対して暗い見通ししか持てない中で、岸田首相が構造改革を含め、何かを大きく変えてくれるという期待感が乏しいのだと思います」  日本は長らくデフレが続き、物価が上昇しない中で、企業は薄利多売で極限まで利益を削り経営を維持してきたので、労働者の賃金も上がらないという悪循環に陥っている。 「日本の労働者の所得水準は、他の先進国の平均値より低くなってしまっています。アメリカの利上げの影響による円安、物価上昇で日本も金利は上げた方がいいとは思っていても、今の所得水準では政府は決断できない。日銀含めて『これから日本は大丈夫なのか』という不安は若い世代ほど強くなるのは当然だと思います」(望月氏)  また、旧統一教会絡みでいえば、若い世代が切実なのは「宗教2世」問題だろう。支持率下落が報じられた直後、岸田首相は多額の寄付をした信者や信者の親の元で苦しむ被害者を救済する新法案を、今国会に提出することを目指すと表明した。 「岸田首相はこの新法案で起死回生を図ろうと躍起ですが、検討している救済法の中身をみると、創価学会を支持母体とする公明党への配慮が透けて見えます。たとえば、マインドコントロールの定義についても、自民、公明は『法律上の定義は困難』と消極的です。寄付の上限規制も、公明党を中心に『寄付文化が萎縮する』と慎重です。宗教団体は寄付文化によって支えられている側面があり、創価学会としては上限規制という発想自体が受け入れ難いのだと思います。それゆえ、もし今国会で法案提出できたとしても中途半端な救済法案になる可能性があります。2世を救済すると言いながら、創価学会の顔色をうかがう、という姑息(こそく)な姿勢には若者も気づいているはずです」(望月氏)  岸田内閣が発足してから、1年1カ月。「聞く力」と「新しい資本主義」をアピールして総裁選を勝ち抜いた岸田首相だが、この1年の実績を望月氏はどうみるのか。 「率直に言って、この人は何がやりたいんだろうという印象です。安倍氏や菅氏のような陰湿さはないけれど、本当にやりたいことが見えない。結局、これを成し遂げたいという意志が見えないから、財務省や経産省などからも扱いやすい存在になってしまっています。個々の人事は別として、岸田首相は判断が決して遅いわけではない。就任当初、メディアの予測よりもかなり前倒しで衆院解散を実施したり、安倍氏の国葬開催の判断も早かった。ただ、熟慮なき即断というか、国葬や原発増設など間違った判断も多いと感じます。本当に『聞く力』があるのなら、それを国民の声にもっと傾けて、女性や若者に共感される政策は何かを考えるべきだと思います」  7月の参議院選挙で自民党が勝利を収めた際、岸田首相は「黄金の3年」を手に入れたと言われた。だが、支持率が30%台となった今、政権にそんな楽観はないだろう。はたして、起死回生の秘策はあるか。(AERA dot.編集部・上田耕司)

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    佳子さま28歳、気品あふれる姿の理由 皇室解説者・山下晋司氏が語る「明らかな変化」とは

     秋篠宮家の次女、佳子さまは12月29日に28歳に。今年5月、宮中行事や参拝などを除き、会場に出向く公務としては2年3カ月ぶりにお姿を見せた。それ以降、これまでのリモート公務から、今年後半はさらに積極的にお出ましになっていた。写真とともに1年を振り返る。 *  *  *  佳子さまが、2年3カ月ぶりに会場に出向く公務をされたのが、5月7日の「森と花の祭典-『みどりの感謝祭』」(東京都千代田区)だった。久しぶりのお出ましは、まさに「華」があった。 【久々の佳子さまの装いと身だしなみは「満点以上」】  佳子さまは、グリーンがベースでピンクと白い花柄の刺繍があしらわれたセットアップに、同系色のノーカラージャケットの装い。髪形は耳を出したハーフアップにされ、この装いと身だしなみを「満点以上の高得点」とマナー解説者の西出ひろ子さんは絶賛していた。  この公務を境に、今年の後半は佳子さまのお出ましのお姿が多く見られた。元宮内庁職員で、『いま知っておきたい天皇と皇室』(河出書房新社)の著書がある皇室解説者の山下晋司さんはこう説明する。 「平成から令和への御代替わりに伴い、平成時代の天皇、皇太子、秋篠宮の公務をそれぞれどのように整理するかを宮内庁が検討し、その結果を2019年1月に発表しました。天皇陛下が皇太子時代に担っておられた公務は、基本的に皇嗣となる秋篠宮殿下が担うことになるわけですが、一方で秋篠宮殿下が宮家皇族として担っておられた公務は引き継ぐ方がおらず、どうするかとなりましたが、秋篠宮殿下は今のまま継続してやってみるというお考えでした。2019年1月の時点で、佳子内親王殿下は国際基督教大学(ICU)在学中だったため、眞子さんが担う公務はリストに入っていましたが、佳子内親王殿下のお名前は入っていませんでした。佳子内親王殿下の公務が急に増えた印象はあると思いますが、これは結婚されて昨年皇室を離れた眞子さんから多くの公務を引き継がれたためです」(山下さん)  今年話題になったのが安倍元首相の国葬での佳子さまの喪服姿だった。 【安倍元首相の国葬で佳子さまがみせた堂々とした気品】  銃撃事件で亡くなった安倍元首相の国葬には海外からの要人を含む4183人が参列。その中には秋篠宮ご夫妻ら皇族方の姿も見られたが、佳子さまも参列された。  その喪服姿にネット上には「佳子さま確かに喪服でもかわいい」などのコメントが書き込まれ、国葬のネット生配信でも話題になった。トーク帽のベールから見える佳子さまのまなざしは凛としていて、堂々とした気品があった。その理由を山下さんは、佳子さまの姿勢の良さにあると分析する。 「姿勢が本当にお美しいと以前からずっと思っていました。お立ちのときも、お座りのときも優雅といいますか、本当に美しいんですよね。ご家族みなさんで並んでおられても、お一人だけ姿勢が美しいんですよ。秋篠宮ご一家全員が美しい姿勢だと違和感があると思いますが、いい意味でひとりだけ浮いていらっしゃる。フィギュアスケートやダンスをやってこられただけあって体幹がいいのか、背筋を伸ばすということを自然におできになるのでしょう」(山下さん) 【佳子さまといえば「手話」、公務に見えるある変化】  日本工芸会の総裁や日本テニス協会の名誉総裁は姉の眞子さんから引き継いだ形となるが、佳子さまならではの公務としては、やはり手話に関係したものだろう。 今年は、9月10日に「第39回全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」(東京都千代田区)、9月25日には「第9回全国高校生手話パフォーマンス甲子園」(鳥取県倉吉市)開会式と表彰式などに参加している。 「全国高校生手話パフォーマンス甲子園は、平成26年の第一回はお母様の紀子妃殿下とご一緒でしたが、第二回以降はお一人で出席されています。全日本ろうあ連盟の非常勤嘱託職員もされていますので、手話に関しては佳子内親王殿下のライフワークといっていいでしょう」(山下さん)  そんな佳子さまに、山下さんは「ある変化」を感じているという。 「昨年から明らかに話し方が変わってこられたと思っています。スピーチのときの声のトーンに変化が見られます。いままでは、可愛らしさが残っているといいますか、高めのトーンだったのが、昨年から落ち着いた声の出し方になっていらっしゃる。11月に愛子内親王殿下と雅楽を鑑賞されたときも自然体なお姿が印象的でした」(山下さん)  この変化の理由を山下さんはこう推測する。 「公務に関しては、佳子内親王殿下ご自身が多く引き継がなければならないという使命感をお持ちでしょうし、また、眞子さんの結婚で悠仁親王殿下のお姉さまが1人になってしまいましたから、しっかりしなければいけないというお気持ちもあるのかもしれません。そうした環境の変化で、スピーチの雰囲気なども変わってこられたのではないでしょうか」(山下さん)  28歳の佳子さまにはこんな期待も寄せる。 「佳子内親王殿下はICUを卒業された2019年にオーストリアとハンガリーを国際親善のために公式訪問されています。眞子さんがそうであったように、コロナ禍でなければ、年に一度は外国訪問されていたと思います。外国訪問もいずれ再開されるでしょうが、佳子内親王殿下は華やかですから、若い女性皇族としてますますご活躍いただければと思います」(山下さん)  1月2日に3年ぶりに行われる「新年一般参賀」で、28歳になられたばかりの佳子さまの姿勢の美しさに注目してみたい。(AERAdot.編集部・太田裕子)

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    佳子さまの喪服姿、なぜここまで話題に 安倍元首相国葬で際立った堂々とした気品【2022年 反響の大きかった記事22選】

    2022年も残すところあとわずか。ここでは、2022年にAERAdot.で配信された記事の中から「反響の大きかった記事」を22本選別して紹介します。(10月8日配信/※肩書年齢等は配信時のまま)  賛否が割れるなかで行われた安倍晋三元首相の国葬だったが、当日は海外からの要人を含む4183人が参列。その中には秋篠宮ご夫妻ら7人の皇族方の姿も見られたが、ひと際目を引いたのが、秋篠宮家の次女・佳子さまだった。55年ぶりに行われた国葬で、なぜ注目を浴びたのか? *  *  *  安倍元首相の国葬の日の9月27日、式が始まる午後2時になると、テレビの地上波やインターネットの生配信で、一斉に中継が始まった。富士山をデザインした式壇が映し出され、厳かな雰囲気が画面からも伝わったが、秋篠宮ご夫妻に続いて佳子さまが入場すると、SNSが沸いた。<佳子さま確かに喪服でもかわいい>などのコメントが書き込まれ、ネット生配信では<癒やし!><かわいい!>などの書き込みが次々に投稿された。  緊張感の漂う国葬で「かわいい」というのはいかがなものかという声もあるかもしれないが、見たままの感想を瞬時に伝えるテクノロジーは55年前の吉田茂元首相の国葬にはなかったこと。いったいなぜ、佳子さまの喪服姿が話題になったのか。 「安倍元首相の国葬に参列した佳子さまがお召しになっていたのは、首元が詰まったラウンドネックのワンピースルック。ウエストに切り替えがあり、スカートにはタックが入っていて、Aラインまでの広がりはないのですが、ふんわりと上品に広がるラインがきれいなものでした」(皇室記者)  この装いに、大手企業のマナーコンサルティングを長年務めるマナーコンサルタント講師の西出ひろ子さんがまず注目したのは、かわいらしさのある喪服だけではない。こう説明する。 「一般的に、私たちが喪服というと白いパールを身に着ける印象がありますが、国葬での佳子さまは、ジェットという黒玉(こくぎょく)のネックレスを着けられていました。佳子さまだけではなく皇室の方々はみなさんジェットでした。イヤリングとネックレスはセットで身に着けるものなので、佳子さまも当然両方きちんと着けていらっしゃいましたね」  9月19日に行われた英エリザベス女王の国葬に天皇陛下と参列した雅子さまのアクセサリーも、ジェットのイヤリングとネックレスだった。 「エリザベス女王の国葬のときに雅子さまもジェットを着けられていて、『日本の王族は式典と儀礼の尊重に関しては誰にも負けない』とイタリアの新聞社では絶賛されていました。今回の国葬での佳子さまも、ジェットを身に着けられているのは格式の高さを感じますし、さすがだなと思いました。また、アクセサリーで言いますと、佳子さまは左胸にブローチを着けられていました。佳子さまは普段の正装のときも左胸にブローチをなさっていることが多いのですが、今回の国葬でも左胸に着けられていたのは、佳子さまの中での装いのこだわりというか、佳子さまらしさも表現されていたのかなと思います」(西出さん)  ジェットのネックレスとイヤリングのほか、トーク帽も正装用の重要アイテムである。供花のときに後ろ姿が映し出されることも考えての装いか、べール付きトーク帽の後頭部のところには大きめのリボンがあしらわれ、皇族らしい格式高い装いの中にも佳子さま独自のかわいらしさが垣間見える。 「佳子さまのトーク帽のべールが短めでいらしたのが印象的でした」と指摘する西出さんが注目したのは、その「表情」だ。 「トーク帽のヴェールが短めだったということもあって、目の表情がとてもよく拝見できました。その眼差しと表情から、いい意味での強さというか、凛とした印象を受けました。とても品のある強さで、本当に堂々となさっていた。その内面からあふれ出る感じの美しさでもあり、その美しさが際立っていらっしゃいました。喪服がかわいいと話題になりましたが、それよりも表情に目がいってしまったというのが正直なところです」(西出さん)  西出さんがトーク帽のヴェールから垣間見える表情を絶賛するのには理由がある。 「マナーの観点から申し上げますと、お悔やみの場では気持ちを服装に表すことが大事。今回の国葬においての佳子さまは、その点で気持ちとマッチした装いをなさっていることで、さらに一層、気持ちの表れが表情に出たのだと思います。故人を偲ぶお気持ちはもちろんですが、今回は国葬という特別なことですよね。国葬というものに参列なさったことで、これからの日本とか何か深いところへの思いが全て表れていたのではないかと思います。佳子さまの装い、表情、姿勢など全てがマッチしていたから、あのような際立った輝きを感じました。とても洗練されていらっしゃいましたね。メディアを通じて拝見するお姿の中で、一番洗練されていたと言っても過言ではないくらいでした」(西出さん)  べールとマスクでおおわれ、顔の半分しか見えないが、確かに凜とした表情が印象的に見えた。また、目線をやや下に落としてゆっくりと式壇に向かう佇まいは、堂々としたなかにも際立つ気品があった。成年皇族としてのご公務にますます注目が集まることだろう。 ◯西出ひろ子/マナーコンサルタント、マナー評論家、マナー解説者。大学卒業後、参議院議員秘書職を経て、マナー講師として独立。31歳で渡英。オックスフォード大学大学院遺伝子学研究者(当時)と英国にて起業。帰国後、企業のコンサルティングをはじめ、大河ドラマなどのマナー指導など多方面で活躍中 (AERA dot.編集部・太田裕子)

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    亡き夫のスマホから生前の浮気を知った57歳の妻 鴻上尚史が分析した「最悪を想像してしまう」相談者の「落とし所」とは?

     亡くなった夫のLINEやメールから生前の浮気を知ってしまい、驚愕した57歳の妻。「自分の人生、落としどころがわからない」と悲嘆する相談者に、鴻上尚史が分析した「常に最悪のケースを想像してしまう」相談者の「落とし所」とは? 【170相談】亡くなった夫のLINEやメールから夫の浮気を知ってしまいました(57歳 女性 小だぬき)  鴻上さん、こんにちは。  先々月、35年連れ添った夫が亡くなりました。  とても楽しく生活していました。夫と一緒にデザインの仕事をしていたので、データ、写真を引き継ぐために夫の携帯、パソコンを見たら、新規でLINEのメッセージが届いたので、夫の事を連絡するのを忘れていた友達がいたかもと思い、メッセージを開けてみました。  すると、女性からの連絡で、とても親しい内容でした。  もともと、夫と私は、同じ職場で働いていて、独立し結婚したのですが、LINEをくれた女性は、同じ職場で働いていた時のクライアントさんでした。当時、私と夫は結婚を前提にお付き合いしており、同棲をしていました。彼女と夫は、たまに打ち合わせでランチに行ったりはしていましたが、当時(25年前)は、全く気にもなっておりませんでした。  その頃、住んでいた名古屋から、独立し、私たちは東京へ来ました。まさか、その彼女とつながっているとは、思ってもみませんでした。もうここまで来たらと、夫のLINEを遡って、見ました!  すると、15年前に、Facebookで夫から彼女に連絡し、その頃、彼女が東京に住んでいたようで、夫は彼女と会っていました。初めはメールでやり取りをしていたようで、彼女からのメールは保存してありました。夫からの送信メールは削除済み、残っていませんでした。  LINEは、5年前からのものが残っておりました。  彼女と夫が最後に会ったのは、2年前です。その後は、コロナで会えなかったようです。  夫が亡くなる先々月、会う約束をしていました。彼女と会う事なく、夫は亡くなりましたが、夫のパソコンの履歴から、ホテルを検索した跡が出てきました。  夫を知っている人は、私だけを大切に愛している夫で、こんな夫婦っていない!と、誰からも言われるくらい、夫本人も「妻の幸せだけを考えている」と、私がいないところでも、私にも話していました。また、私自身も夫を大好きでしたし、とても尊敬していました。亡くなる前まで、「仕事もうまく行っているし、悩みも、お金の心配もないし、ストレスもない、これからの人生、楽しみだ」と、夫と話していました。  私は、数年前に、子宮癌を患いましたが、その間も、その彼女がいたなんて。夫は、みんなからカッコイイ生き方をしていると言われていたので、もちろん!人に話すことはできません。しようとも思いません。私も惨めですし。  そして、夫の死後、私は子宮癌の再発が見つかってしまいました。今までの人生はなんだったのか? 夫が亡くなって、ひとりになった。と言葉ではあらわすことができませんでしたが、私は、夫がいる時から、すでに「ひとり」だったことがわかりました。残念で、残念でたまりません。  夫は生前、若い時から、鴻上さんが大好きで、本をたくさん読んでいました。最近は、私が悩んだりしていたら、こちらの「人生相談、参考になるよ」と教えてくれていました。  裏切られたというか、なんというか、信じられないです。自分が信じていたもの、信頼していたもの、安心していたことは、嘘だったんだと残念でたまりません。  夫は、離婚も考えていたのかも(わかりませんが)しれません。夫が、生きていたら、別れます。同じ人と、25年。もしかしたら、鴻上さんは、夫が人を好きになったという気持ちを大切にしましょう、と仰るかもしれません。が、そうは納得できないです。  今は、両親のために癌の治療に励もうと決めましたが、騙され続けた自分の人生、落とし所がわかりません。 【鴻上さんの答え】 小だぬきさん。つらいですね。あまりにもつらい出来事ですが、一番つらいことは、小だぬきさんの夫がもう亡くなっているので、常に最悪のケースを想像してしまうことなんじゃないかと僕は思っています。 「同じ人と、25年」と書かれていますが、「15年前に、Facebookで夫から彼女に連絡」したんですよね。残されている彼女のメールは、15年以上前から、すでに「関係」があったと感じられるものですか? その前の10年も関係が続いていたと分かるものですか?  夫を弁護しようとしているんじゃないですよ。まして、「夫が人を好きになったという気持ちを大切にしましょう」なんてことを言いたいのではないです。  そうではなくて、夫がもう亡くなっているので、事情が分からないから、最悪の想像をいつも選んでしまうんじゃないかということを言いたいのです。「0か100」で考えてしまうということです。最悪なことって、放っておくと頭の中でどんどん膨らみます。ブレーキが利きにくいじゃないですか。 「私は、夫がいる時から、すでに『ひとり』だったことがわかりました」と書かれていますが、これはつまり夫は彼女に本気だったということがLINEに書かれていたということですか? 浮気ではなく、夫の気持ちは彼女にあったということですかね。だったら、小だぬきさんが書かれるように「ずっと『ひとり』」だと言えると思います。  くり返しますが、夫を弁護しているんじゃないですよ。裏切りは絶対に許せないことです。でも、「最後に会ったのは、2年前です。その後は、コロナで会えなかったようです」なんですよね。2年間会ってない相手を夫は本命だと思って、小だぬきさんとの離婚を考えていたんですかね。 「騙され続けた自分の人生」と小だぬきさんは書かれていますが、この断定も少し違うと僕は感じます。15年前のFacebookの夫のメッセージは、小だぬきさんを騙そうという気持ちに満ち満ちたものでしたか?  そこから、どういう流れで彼女とどんなふうに「関係」ができたか。夫が亡くなった今、知りようはありません。だからこそ、傷ついた気持ちは最悪を選ぶのだと思います。それは、しょうがないことではありますが、事実とは違っているんじゃないかと思います。  小だぬきさん。僕は小だぬきさんは「ひとり」だったとは思えません。夫は浮気をした。それは許せないことです。でも、夫は小だぬきさんと離婚し、その女性と一緒になろうと思っていたとは思えないのです(もちろん、小だぬきさんが見つけたLINEに「はやく一緒になりたい。離婚したい。でもコロナだから2年会えない」と書かれていたら別ですよ)。 「騙され続けた自分の人生、落とし所がわかりません」と書かれていますが、申し訳ないですが僕も「落とし所」は分かりません。でも、「騙され続けた」人生ではないと僕は思います。夫は離婚するつもりはなかったと思います。コロナだろうが、2年会わなかったということは、夫なりに考えたことがあるんだろうとも思います。 「『妻の幸せだけを考えている』と、私がいないところでも、私にも話していました」という感情は、僕は夫の本当の気持ちだと感じます。小だぬきさんを裏切っていても、です。  すみません。よけい「落とし所」が分からなくなることを言っていますね。でも、小だぬきさんが夫と過ごした35年は、簡単には「落とせない」ものだと思います。夫と共に生きて感じた幸福は真実だし、今の悲しい気持ちも真実です。今がどんなに悲しくても、どんなに裏切られたと思っても、35年の間に感じた夫への気持ち、楽しかった生活の思い出はなかなか消えないと思います。  小だぬきさんは、「夫が、生きていたら、別れます」ときっぱりと書かれていますが、100%、そうですか? 生きている夫が、慌て、言い訳し、小だぬきさんが怒り、泣き、夫が平身低頭し、小だぬきさんが叫び、詰め寄り、夫が土下座し、小だぬきさんが混乱した後、何か会話が始まるとは思いませんか? 「あの言葉はなんだったの?」「どういうつもりだったの?」。問い詰めたいこと、聞きたいことは山ほどあると思います。  小だぬきさんの心の中に住む夫はなんと答えるのでしょうか。  今は混乱の真っ最中ですから、心の中の夫との会話はうまくできないと思います。でも、少し時間を置いて、ゆっくりと心の中の夫と会話を始めてみるのはどうでしょうか。  もし、「落とし所」があるとしたら、この気の長い会話の後にあるんじゃないかと僕は感じます。小だぬきさん、どうでしょうか。 ■本連載の書籍化第4弾!『鴻上尚史のなにがなんでもほがらか人生相談』が発売中です。書き下ろしの回答2編も掲載!

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    ミッツ・マングローブ「結局は紅白と工藤静香の思うツボ」

     ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「NHK紅白歌合戦」について。 *  *  *  NHKホールの改修工事が終わり、2年ぶりに紅白が聖地へと還ってきました。しかも同ホールから有観客での紅白は、コロナ禍前の2019年以来だったとか。かくして昨年も無事「NHK紅白歌合戦」が開催・放送されたわけですが、始まる前から、そして終わった後も、休む間もなくあれこれと書き立てる芸能記事、それに群がるネット民たち。朝から晩まで「紅白なんて観ない!」「税金の無駄!」などと書き込んでいる連中にとって、「紅白(にケチをつけること)」は、彼らの「生きがい」なのだと改めて実感した次第です。たとえ負の感情であっても、あれほどの熱量が存在すれば、紅白はまだまだ安泰でしょう。  昨年はまず、審査員席が昔のように客席側に戻っていたのが、長年の紅白ファンとしては嬉しかった。出場歌手に関しては、やはり知らない人やグループが年々増えてきている印象でしたが、これはひとえに自分が歳をとったせい以外の何ものでもありません。  ネット民たちがまず(自分の年齢や感性を棚に上げて)ケチをつけるのもそこですが、それも今に始まったわけではなく、昭和の時代から毎年のように「演歌が多過ぎる!」だの「知らない外人を出すな!」だのと散々言われ続けてきたこと。裏を返せば、それぐらい紅白は「マンネリ」と「冒険」と「迷走」を行ったり来たりしながら、73回もの歴史を積み重ねてきたのです。故にケチや苦情もずっと似たようなものばかり。毎年巻き起こる「紅白不要論」に斬新なものなどひとつもありません。  昨年で楽しみだったのが、久しぶりの出場となった工藤静香さんと篠原涼子さん。どちらも私が紅白を一年中観まくっていた時代のアイドルたちです。特に24年ぶりの出場だった工藤静香さんは、長女Cocomiさんのフルートに乗せて、89年の大ヒット曲「黄砂に吹かれて」を歌いました。工藤静香母娘と言えば、今やネット民たちの「大好物芸能人」の筆頭なわけで、元旦から嬉々としてネットに張り付き、まるで義務かノルマでも課されているかのように、母娘の悪口を書き込んでいる人たちが、なんと多いこと! ふた言目には「コネ」「事務所」「忖度」など知ったような言葉を並べて悦に入っているのが伝わると同時に、最近では「私、音楽理解してます風」のコメントも散見されます。「娘の友人がフルートを習っていて、発表会に行ってきましたが……」から始まり、Cocomiさんの演奏について苦言を呈している人なんかもいましたが、そもそも「自分の母親がネット民」って、「父親が痴漢」「息子がオカマ」よりも恥ずかしい気がするのは私だけでしょうか。  それはさておき工藤さん。「黄砂に吹かれて」の出だしで歌詞を間違えてしまいました。思えば「ザ・ベストテン」最終回の第1位で同曲を歌った際も、同じ箇所で間違えたことは長年のファンの間で今も語り草です。それが24年ぶりの紅白で「再現」されるなんて、不本意ではあったでしょうが、ずっと観ている人たちには、かなり「萌え」なシーンでした。それにすらムキになって「プロ意識に欠ける!」と沸き立つ民たち。悪いけど、その程度では紅白にも静香にも勝てませんよ。 ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する※週刊朝日  2023年1月27日号

    週刊朝日

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    英語は「文法重視」の親世代と「耳から覚える」子どもたち 3児の母tomekkoさんが悩む英語教育

     小学生の英語が学校の教科になってからもうすぐ3年。「子どもには何とか英語力を身につけてほしい」「英語を使いこなせる人になってほしい」と思ってはいても、何が正解なのか、どの手法がよいのかもわからずモヤモヤしてばかり。親世代は、どうやって子どもの語学と向き合えばいいのでしょうか。自らは「文法学習によって苦手意識が高まってしまった」という、小5から4歳まで3人の男子を育てるコミックエッセイスト・tomekkoさんが、3人3様の英語への反応から、語学習得について綴ります。 *   *  *  長男が小学校に入ったのは5年前ですが、そのころには既に小学生がオンラインゲームでつながり、ボイスチャットなるものでコミュニケーションを取りながら一緒に遊んでいるという話をチラホラ聞いてはいました。でも、同じクラスの子たちとグループになると抜けるに抜けられなくなりいじめのきっかけになるだとか、ターゲットを倒すためのボイチャのせいで口が悪くなって怖い……といった弊害のほうがよく耳に入ってきて、ビビりな私はとてもじゃないけど息子にやらせることはできませんでした。  そして時は経ち、今度はその同じオンラインゲームをやっている小中学生が、いつの間にかいろんな国の人とつながって一緒に遊ぶうちに英語をしゃべれるようになっていた、という親たちの驚きの報告を目にすることになったんです。もちろん子ども同士、それもゲームで使うスラングなので学校の英語の成績が良くなるという話ではありませんが、実際に英語圏に行ったら同世代と使うのは“This is a pen.”じゃないですもんね。  この件、わが家は当事者になれなかったいち傍観者なので、良いも悪いもご意見を言える立場ではないんですが、学校英語の文法嫌いから英語が苦手になってしまった私としてはちょっと思うところがありました。  実は得意な国語でも、現代文・古文ともに文法は点が取れなかった私。  本を読むのは大好きで、とにかくたくさん文章を読んでいればそのうち「この表現はなんか違和感あるな」「ここ、てにをはが変だな。何だったら自然だろう?」と気づくようになるから理屈なんていらんいらん!精神で大学受験も乗り切……れたかどうかわかりませんがここまで来ました。  基礎が大事、基礎をおろそかにすると後々困る……よく聞きます。スラムダンクでも言ってた(世代)。でも私は日本語を使っていて文法がわからず困った経験がないので、 「言語教育のハードルを上げる文法学習って早くから必要?」  と思っているタイプです。  英語を使う現場でも、誤解があってはいけないビジネス上の会話や書面でない限り、文法が多少間違っていても伝わればOK、その場で訂正してもらって学べたらラッキーって感じじゃないのかなぁ? 付け加えると、自分が日本史(の中でも狭小分野の服飾史)オタクなので、言語学として文法を研究する方の探究心や学問自体を否定するつもりはもちろんありません。  ところでそんなわが家の英語教育は、私とは真逆に英語だけ学年トップだったという夫と方針をすり合わせ、長男には幼少期から英語のシャワーやらオンラインレッスンやら、できるだけ耳から自然になじんでいくようにといろいろやってみたものの何一つ本人の琴線に触れることなくフェードアウト。いやむしろ、一方的に聞かされた英語にやや拒絶反応気味かも……。  一方、保育園のカリキュラムでネイティブの先生と歌って踊って楽しく英語レッスンを受けている三男は家で突然、 「ジョーシキジャパニズイングリッシュタイム!」  とリズムに乗って連呼。  え? 常識的な日本人が英国時間でなんだって? 戸惑いながらよくよく聞いていくと、 “Don’t speak Japanese, English time.”  と言っていたことがわかりました。  合っているか間違っているかなんて気にせず聞こえるままに言ってみる。何度か聞いているうちになぜか伝わってくる。不思議だけど、きっとオンラインゲームの子どもたちもこうやってコミュニケーションが結実していったんでしょうね。  こんなこともありました。  私が久々に映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観た余韻に浸りたくてかけ流していたQUEENの曲を、自然に覚えて歌い出す子どもたち。ヒット曲の秘訣は子どもでも他言語の人でも歌える歌詞とメロディーって聞いたことがあるけど、QUEENの代表曲はまさにそれだなぁ……。時代を超えて彼らの全盛期を全く知らない子どもたちが“We Will Rock You”や“We Are The Champions”を歌う姿にちょっと涙腺がゆるみました(私もリアタイはしてないはずだが)。で、休日の朝そんな出来事を夫に話し“Don’t Stop Me Now”をかけながら、 「ほら、英語のできない私でも子どもたちでもだいたい聞き取れる!」  と胸を張ると夫はけげんな顔。 「なんで聞き取れるの? 俺には何言ってるかさっぱりわからない」  え? どうして? ほらほら聞こえるじゃん、ハバナグッターイム♪って!  耳を澄ませてもう一度聴いて、やっぱりわからない、と歌詞を見た夫。 「I’m having a good timeか! I’m とingが聞こえなかったから意味がわからなかった!」  とスッキリしていました。  なるほど、なまじ正確な文法で英語を使っていると耳から入った音を脳内で文章に変換しようとするから理解できないことがある、と(日本語の歌でもあるある)。聞こえたままに言ってみて全然通じないなら英語がわかるとは言えないし学習にはならないけれど、洋楽にハマってカバーしてみたくて英語を勉強し始めた中高生なんかも昔からいることだし、音楽でも海外ドラマでもスポーツでも、感性を刺激する何かとの出合いってやっぱり大事な気がします。  英語に触れる機会(環境)だけではダメで、興味・楽しさがかけ合わさって初めて身につく学び。それは英語に限らず、今自然に使っている日本語を覚えるときだってそうだったんですよね。大好きな人や食べ物から名前を覚えていって、興味のある乗り物やアニメのキャラクターの話をするようになって、友達との遊びの中で会話ができるようになって……。  学校の英語教育では「聞く・話す・読む・書く」の4技能をバランス良く教えてくれるけれど、もっと言語との出合いの入り口はゆるくてもいいんじゃないかな、と思ったりします。  まず「聞く・話す」がなんとなくでいいから楽しめる。あ、通じた! わかった!が実感できるってすごい自信になりますよね。前述のオンラインゲームはリスクもあるけれど、もしこんなふうに同世代の人と共通の趣味を通じてだんだん学び合っていく体験が公立校の授業でもできたなら、英語へのハードルってずいぶん下がるんじゃないかなぁ?(ま、それがなかなか実現しないから私立校受験を選ぶ人が増えているんですよね……)  あ、そうそう、小学1年生の次男も卒園した保育園でやっている小学生向けの英語クラスに通っていますが、1年通ってばっちり身につけた英語は“Yes, I do.”(とりあえずなんか聞かれたら答える用)と“I forgot.”(当てられたとき用と宿題を忘れたとき用)、この二つで乗り切っているもよう。  彼はもう、この感じでどこでも生きていける気がします……。 ○tomekko/主婦力は低いが妄想力は高いアラフォー。3兄弟に育てられる日々。イラストレーター、漫画家、コミックエッセイスト。小5、小1、4歳の男子3兄弟に夫とほぼ男子校な日々を綴っているポンコツ母さん。主な著書に『飛んで火に入る』(講談社モーニング)、『おっとり長男もっちり次男きょうだい観察手帳』(赤ちゃんとママ社)など。『AERA with Kids』で連載中の「脱・カンペキ親修行」は5年目に突入!

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    モンゴルで出会った不思議な猫“小町”は母の病魔を持って逝った 安らかでやさしい音がした最期の吐息

    飼い主さんの目線で猫のストーリーを紡ぐ連載「猫をたずねて三千里」。今回ご紹介するのは、中国地方在住の40代の日本語教師、小野リカさんの飼い猫の話です。滞在していたモンゴルで、ある覚悟を持って飼い始め、日本に連れ帰りました。癒しをくれただけでなく、不思議な体験も多くさせてくれたそうです。猫から教わったこともあるといいます。 *  *  *  昨年9月に私の猫「小町」が天寿を全うしました。持病がありながら、平均年齢を超えた18歳6カ月での大往生です。小町と過ごした日々を振り返りたいと思います。  私は20代から30代にかけて8年間、日本語教師としてウランバートルに滞在しました。小町と出会ったのは2004年。知人の猫を預かり、返した後にペットロスになり、落ち込む私を見かねたモンゴル人の友人がペットショップに連れて行ってくれました。そこにいた子猫の銀色に輝く毛色にひと目惚れしたんです(のちにふつうのキジトラになりましたが)。  名前については、雌猫として強く気高くあってほしいと思い、モンゴル女王マンドハイやロシア女王エカテリーナを名前の候補に挙げましたが、モンゴルでは動物に人名を付ける習慣がなく、友人にも大反対されたため、日本人名から選ぶことして、自分の苗字の「小野」と合う小町にしました。美女として才女として名高いあの小野小町です。我が家の小町のキャラはツンツン、目の上の毛が下がった愛らしい“困り顔”でした(笑)。  モンゴルでは猫に不思議な力があるとされ、特に子猫は「飼い主や家族の不幸を持っていく(病気や邪気から守る)」と信じられています。私は自分の癒しとともに、日本にいる祖母(当時75歳)の長寿を祈り子猫を飼いましたが、本当に猫にそんな力があるなら、「この子には家族の不幸を背負わせるだけではなく、死ぬまでたくさんの愛情を注ぎ、一緒に楽しく幸せに暮らしたい。この世を去る時には自分の腕の中で看取ってあげよう」と思いました。  海外でペットを飼い始め、帰国する際に連れて帰らない人も多くいるのを知っていたので、自分は責任を持って最期まで「飼い遂げる」と心に決めたのでした……。 ■日本に帰国後、キャラが変わった  2008年12月、私は小町を連れて日本の実家に帰ることにしました。  ウランバートルから成田まで飛行機で5~6時間。私が搭乗した国際線では、ペットは貨物室に預ける規定でしたが、当時真冬のウランバートルの気温はマイナス30度。 「貨物では猫が死んでしまう。機内持ち込みに」と交渉し、機内に入れることができました。長旅で怖い思いをしたはずですが、小町は私を信じて日本までついてきてくれました。  帰国してから小町の避妊手術をするために血液検査をしたところ、猫白血病ウイルス感染症(キャリア)がわかりました。避妊手術で体力や免疫が落ちると、それを引き金に白血病発症の恐れがあるため迷いました。でも、避妊しないと発情が続き、実家で飼うのが難しい。家族と話し合い、手術を受けさせました。  無事に手術が終わり発症もしませんでしたが、その後、小町のキャラが変わりました。  ツンツンしたお姫様気質だったのが、おてんばで子供っぽい性格になって。私のお風呂やトイレの“出待ち”をしたり、私が部屋を移動すると後から“いそいそ”とついてきたりして、毎晩同じベッドで寝るようにもなったのです。「こんなに変わるの?」と驚いたものです。 ■小町の不思議な能力  日本に移り住んでも「変わらなかった」のは、小町のちょっと不思議な能力です。  モンゴル人の言う通り、猫には不思議な力があると感じることが、たびたびありました。  私がマンションの契約書をなくした時。小町がスーツケースの上に座って尾をピンとアンテナのように立てたんです。何度スーツケースからおろしても同じように「ここ」と合図するように尾を立てる。スーツケースを開けると契約書が出てきたので驚きました。  また、私が亡くなった祖父のことをふいに思い出して「おじいちゃん」とつぶやくと、隣の部屋にいた小町が駆け寄ってきて、キスをしてくれました(ふだんは決して自分からしないのに)。動物好きだった祖父と小町は、なにか繋がりがあるのかと思った瞬間でした。  私はそんな小町に、日本であることを試しました。モンゴル語の先生から「ロシア東部のある習慣で、新居を建てたら初めに猫を入れ、その猫が一番初めに横たわった場所を『家の主の部屋』とするといい」と聞いていたからです。小町はどこに横たわるでしょうか。  ちょうど実家は建てたばかり。日本に着いてすぐのこと、小町を室内に放つと一部屋一部屋丁寧に探索を始め、1時間ぐらい経つと姿が見えなくなりました。どの部屋を探してもいないので、家から出てしまったのかと外も探しました。慣れない家だし、しばらく一部屋で過ごさせておくべきだったと反省した時、「家の主の部屋」のことを思い出し……まさかと思い、和室の仏壇を確認したら、小町は祖父の仏壇の上で“箱座り”していたんです。  仏壇は確かに家の主の居場所!祖父は動物好きの優しい人で、歩いているとけがをした犬がついてきたり、羽や足を痛めた鳥や猫が部屋に入ってきたりすることがありましたが、仏壇の小町を見上げながら、祖父との不思議な繋がりを再度、感じました。 ■晩年にモンゴルからの「使者」  あっという間に実家に慣れ、両親にも可愛がられた小町なのですが、持病(猫白血病ウイルス感染症)があるせいか、毎年のように体調を崩していました。  何度も立ち直ってきたものの、亡くなる2年前ぐらいから慢性腎不全を患いました。最後の年のこと、小町がいつも寝ている場所にいないので、どこにいるか探したら、祖父の仏壇の前の座布団に“ひっくり返って”いたのです。その翌日から小町の目が見えなくなりました。  獣医さんによると、失明は慢性腎不全の影響で血圧が上がった影響か、脳腫瘍等による神経の圧迫だろうということでした。でも、小町は視力を失ってからも懸命に生きました。視力を失う代わりに、私のために少しでも長くこの世に残ってくれたのかな、あの時、小町はそんなことを祖父にお願いするために座布団の上でお願いしていたのかなと、今になって思うんです。その頃の私はあまり元気がなかったから……。  私は起きると小町を撫でながら、「今日も愛してるよ。今日も元気に過ごそうね」、寝る前は「今日も生きててくれてありがとう。明日もまたおいしいもの食べて一緒に遊ぼう」とか、「私の元に来てくれてありがとう」と感謝の言葉をかけました。  最晩年になると、私の心に引っかかることがでてきました。モンゴル生まれの猫なのに、日本で死を遂げることはかわいそうではないか?と。  ところが偶然にも、小町が亡くなる前に、私の住んでいる町にモンゴル人家族が引っ越してきたのです。私はその家の女の子に日本語を教えることになったのですが、うちにモンゴル出身の猫がいると知り、折り紙で折った猫や、猫の絵を小町にプレゼントしてくれました。そのプレゼントは,小町にとってモンゴル製の最後のおもちゃとなりました。  小町がモンゴルに帰れない代わりに、モンゴルから「使者」がやってきたのかな……。そう思える出来事でした。 ■「飼い遂げる」本当の意味に気づいた  小町が数時間以内に亡くなってしまうと感じた時、首輪を外しました。 「これからお前は死んで体を失うから、今までのようには会えなくなるよ。会えなくなっても愛しているよ」と言って撫でてあげました。小町が毎年体調を崩すたびに、「まだ生きて」と言っていた私でしたが、「もう死んでもいいよ」と言いました。  そして朝方、小町は旅立ちました。長い息を吐いた時の安らかで優しい音が、耳に焼き付いています。あの吐息を思い出すと、「ああ、小町は幸せだったんだな」と今でも感じます。もちろん悲しくて、ひどいペットロスにもなりましたが……。  小町をモンゴルで迎えた時、腕の中で看取ろうと決め、それを叶えた私ですが、亡くなって気づいたことがあります。それは、「飼い遂げる」=死んで終わり、ではないということ。死後も慈しみ愛し続けることで猫との関係が続き、ペットに向けていた愛を今度は自分自身や周囲に向けていき大切にしていく、それこそが「飼い遂げる」ということではないか。それが自分にできている、できた……そう思えた時にペットロスから解放されたんです。  じつは小町が亡くなった日、母の病気が発覚しました。そして小町の四十九日に母の詳しい病状がわかりました(幸い重いものではありませんでした)。  退院した母が初めて料理を作った日。小町の物は亡くなってすぐに処分したはずだったのに、食品庫に猫缶が紛れ込んでいて、ツナ缶と間違えて開けてしまったんです。これには母も私も驚いて「ママ、退院おめでとうって意味じゃない?」と顔を見合わせました。  小町が母の病魔を葬り去ってくれたのではないかと感じ、「猫は飼い主や家族の不幸を持っていく」というモンゴルの言い伝えは本当なのかな……と思ったものです。  モンゴルで小町を迎えた時に長寿を祈った祖母も、93歳で健在です。  世界一可愛い小町、家族を守ってくれてありがとう。いつかまた、会いましょうね。

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    カンニング竹山 「防衛費の増額」安倍元首相が僕に語っていたこととは?

    お笑い芸人のカンニング竹山さんが出演している「カンニング竹山の土曜The NIGHT」(ABEMA)が年内で終了する。過去にこの番組では、安倍元首相が銃撃事件で亡くなる前、最後のロングインタビューをしている。そのときの貴重なコメントからもこの番組だけは終了するのはもったいないと語る。 *  *  *  ABEMA「カンニング竹山の土曜The NIGHT」(毎週土曜深夜0時~)が年内で放送終了になります。編成が変わり、いままで続いていた番組が色々変わるようです。  終わるのは仕方ないのですが、「土曜The NIGHT」がなくなってしまうのはもったいないなと思ってしまう。自分が出演しているから、もったいないというのではなく、例えば新疆ウイグル自治区の問題、高知小学生いじめ水難事故、和歌山カレー事件などなど、1つの社会問題を2時間ガッツリ深掘りしている番組はいま存在しないから。  許してもらえる限り色々なところに潜入させてもらい、他の放送局のプラットフォームではできないような内容でも、ABEMAではやらせてもらえた。他にも色々な番組が終わるけれども、その中でも「土曜The NIGHT」だけは終わらせるのは「ちょっと違うんじゃないか?」と思っている。  終了してしまうのがもったいないと思うのには、過去には貴重なインタビューもたくさんあったんです。そのひとつが6月に放送された安倍晋三元首相とのロングインタビュー。安倍さんが銃撃事件で亡くなる前の最後の単独ロングインタビューでした。  振り返ると、防衛費の問題も話しているんですよね。いままさに話題になっている防衛費の増額に関しては、「NATO(北大西洋条約機構)も国民総生産(GDP)の2%がグローバルスタンダードだから日本もGDPの2%にしなければならない」と語っています。「日本はNATOに加盟しているわけでもないのにどうしてですか?」と斬り込んだんですが、それは「アメリカからも突っつかれていることだから」と。「安倍さんが突っつかれているんですか?」と聞いたら、「私が突っつかれましたよ、ドナルド(・トランプ)に」とまで明かしていました。  安倍さんがアメリカに行ったときに「晋三、おまえのところは助けてくれると思っているだろうけどそんなことはないぞ」みたいなことを言われたという話もしていた。だから、防衛費をせめてグローバルスタンダードの2%にしろ、何もしないでいると助けてくれはないと言われたという内容がインタビューでとれています。  安倍さんからは「竹山さん、日米安保は勝手にアメリカの兵士が来てくれて助けてくれると思っているでしょ!?」と聞かれて、「そんなことは何も書いていなくて、ウクライナみたいに武器だけ渡すから勝手に戦ってみたいなのもありえる」と話していた。そうならないためには「せめて2%」だと。  防衛費の増額の財源に関しては、安倍さんは「国債」と言っていた。インタビューは今年の5月だったけど、そのときは「ふ~ん、そうなんだ~」くらいにしか思っていなかったけど、この年末になって、防衛費の増額がこんなに大きな話題になるとは思わなかった。  安倍さんがまさにいまの防衛費の増額の問題点を語っていたんです。そのときの話が非常に分かりやすい。いま「防衛費を上げるなんてけしからん!」「増税でまかなうなんて!」という方向に流れているけど、賛成・反対の意見はあってもいいですが、防衛費のそもそもを理解するのに、当時の安倍さんの話は分かりやすかった。なぜいま防衛費を増額するのかのそもそもを知ってもらいたいなと思った。 「土曜The NIGHT」の終了がもったいないなと思うのは、そういうインタビューが取れている番組だったということ。なかなか、ロングインタビューを放送できる番組がいま存在しないじゃないですか!? 岸田首相とも2時間インタビューしているんですよね。そのとき「税金は上げない」って話していた(笑)。総裁選の前のことですが、そのときは増税しないって言っていましたよ! 安倍さん、岸田さん以外には政治家だと小沢一郎さん、小泉進次郎さんなどとインタビューをしています。 「土曜The NIGHT」はそういうことをやってきたから、過去の放送分は有料のアーカイブの視聴にはなってしまうんですが、一般の方だけでなく、政治記者などのマスコミや政治のことを詳しく調べている人はぜひ見て欲しい。  年内で放送終了で、24日の放送回は右翼団体と極左団体中核派のメンバーたちが生放送で深夜に討論します。過去には右翼をテーマに2時間特集をしたこともあり、街宣車に乗せてもらいました。中核派も共同生活をするアジトにロケで入れてもらった。  僕がジャーナリストじゃなく、お笑い芸人だからやれているっていうのもあると思うんですが、出演者が言ってしまうと自画自賛に聞こえてしまうかもしれないけれど、こんなに素晴らしい番組なのに、深夜の番組ということもあって、その貴重さに気がついていない人がいるのはもったいないと思うんですよね。こういう番組をなくしてしまうのは、メディアの後退だとまで思ってしまう。  1つのテーマを深掘りするメディアは何かしら残しておかないといけないと思う。だけど、僕がどうこうできることではないので、せめて、いままでの「土曜The NIGHT」のアーカイブがあるのでよろしければ見てもらいたいなと思います。貴重な資料がメチャクチャあります! ■カンニング竹山/1971年、福岡県生まれ。オンラインサロン「竹山報道局」は、昨年4月1日から手作り配信局「TAKEFLIX」にリニューアル。ネットでCAMPFIRE を検索→CAMPFIREページ内でカンニング竹山を検索→カンニング竹山オンラインサロン限定番組竹山報道局から会員登録

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    亡き夫のスマホから生前の浮気を知った57歳の妻 鴻上尚史が分析した「最悪を想像してしまう」相談者の「落とし所」とは?

     亡くなった夫のLINEやメールから生前の浮気を知ってしまい、驚愕した57歳の妻。「自分の人生、落としどころがわからない」と悲嘆する相談者に、鴻上尚史が分析した「常に最悪のケースを想像してしまう」相談者の「落とし所」とは? 【170相談】亡くなった夫のLINEやメールから夫の浮気を知ってしまいました(57歳 女性 小だぬき)  鴻上さん、こんにちは。  先々月、35年連れ添った夫が亡くなりました。  とても楽しく生活していました。夫と一緒にデザインの仕事をしていたので、データ、写真を引き継ぐために夫の携帯、パソコンを見たら、新規でLINEのメッセージが届いたので、夫の事を連絡するのを忘れていた友達がいたかもと思い、メッセージを開けてみました。  すると、女性からの連絡で、とても親しい内容でした。  もともと、夫と私は、同じ職場で働いていて、独立し結婚したのですが、LINEをくれた女性は、同じ職場で働いていた時のクライアントさんでした。当時、私と夫は結婚を前提にお付き合いしており、同棲をしていました。彼女と夫は、たまに打ち合わせでランチに行ったりはしていましたが、当時(25年前)は、全く気にもなっておりませんでした。  その頃、住んでいた名古屋から、独立し、私たちは東京へ来ました。まさか、その彼女とつながっているとは、思ってもみませんでした。もうここまで来たらと、夫のLINEを遡って、見ました!  すると、15年前に、Facebookで夫から彼女に連絡し、その頃、彼女が東京に住んでいたようで、夫は彼女と会っていました。初めはメールでやり取りをしていたようで、彼女からのメールは保存してありました。夫からの送信メールは削除済み、残っていませんでした。  LINEは、5年前からのものが残っておりました。  彼女と夫が最後に会ったのは、2年前です。その後は、コロナで会えなかったようです。  夫が亡くなる先々月、会う約束をしていました。彼女と会う事なく、夫は亡くなりましたが、夫のパソコンの履歴から、ホテルを検索した跡が出てきました。  夫を知っている人は、私だけを大切に愛している夫で、こんな夫婦っていない!と、誰からも言われるくらい、夫本人も「妻の幸せだけを考えている」と、私がいないところでも、私にも話していました。また、私自身も夫を大好きでしたし、とても尊敬していました。亡くなる前まで、「仕事もうまく行っているし、悩みも、お金の心配もないし、ストレスもない、これからの人生、楽しみだ」と、夫と話していました。  私は、数年前に、子宮癌を患いましたが、その間も、その彼女がいたなんて。夫は、みんなからカッコイイ生き方をしていると言われていたので、もちろん!人に話すことはできません。しようとも思いません。私も惨めですし。  そして、夫の死後、私は子宮癌の再発が見つかってしまいました。今までの人生はなんだったのか? 夫が亡くなって、ひとりになった。と言葉ではあらわすことができませんでしたが、私は、夫がいる時から、すでに「ひとり」だったことがわかりました。残念で、残念でたまりません。  夫は生前、若い時から、鴻上さんが大好きで、本をたくさん読んでいました。最近は、私が悩んだりしていたら、こちらの「人生相談、参考になるよ」と教えてくれていました。  裏切られたというか、なんというか、信じられないです。自分が信じていたもの、信頼していたもの、安心していたことは、嘘だったんだと残念でたまりません。  夫は、離婚も考えていたのかも(わかりませんが)しれません。夫が、生きていたら、別れます。同じ人と、25年。もしかしたら、鴻上さんは、夫が人を好きになったという気持ちを大切にしましょう、と仰るかもしれません。が、そうは納得できないです。  今は、両親のために癌の治療に励もうと決めましたが、騙され続けた自分の人生、落とし所がわかりません。 【鴻上さんの答え】 小だぬきさん。つらいですね。あまりにもつらい出来事ですが、一番つらいことは、小だぬきさんの夫がもう亡くなっているので、常に最悪のケースを想像してしまうことなんじゃないかと僕は思っています。 「同じ人と、25年」と書かれていますが、「15年前に、Facebookで夫から彼女に連絡」したんですよね。残されている彼女のメールは、15年以上前から、すでに「関係」があったと感じられるものですか? その前の10年も関係が続いていたと分かるものですか?  夫を弁護しようとしているんじゃないですよ。まして、「夫が人を好きになったという気持ちを大切にしましょう」なんてことを言いたいのではないです。  そうではなくて、夫がもう亡くなっているので、事情が分からないから、最悪の想像をいつも選んでしまうんじゃないかということを言いたいのです。「0か100」で考えてしまうということです。最悪なことって、放っておくと頭の中でどんどん膨らみます。ブレーキが利きにくいじゃないですか。 「私は、夫がいる時から、すでに『ひとり』だったことがわかりました」と書かれていますが、これはつまり夫は彼女に本気だったということがLINEに書かれていたということですか? 浮気ではなく、夫の気持ちは彼女にあったということですかね。だったら、小だぬきさんが書かれるように「ずっと『ひとり』」だと言えると思います。  くり返しますが、夫を弁護しているんじゃないですよ。裏切りは絶対に許せないことです。でも、「最後に会ったのは、2年前です。その後は、コロナで会えなかったようです」なんですよね。2年間会ってない相手を夫は本命だと思って、小だぬきさんとの離婚を考えていたんですかね。 「騙され続けた自分の人生」と小だぬきさんは書かれていますが、この断定も少し違うと僕は感じます。15年前のFacebookの夫のメッセージは、小だぬきさんを騙そうという気持ちに満ち満ちたものでしたか?  そこから、どういう流れで彼女とどんなふうに「関係」ができたか。夫が亡くなった今、知りようはありません。だからこそ、傷ついた気持ちは最悪を選ぶのだと思います。それは、しょうがないことではありますが、事実とは違っているんじゃないかと思います。  小だぬきさん。僕は小だぬきさんは「ひとり」だったとは思えません。夫は浮気をした。それは許せないことです。でも、夫は小だぬきさんと離婚し、その女性と一緒になろうと思っていたとは思えないのです(もちろん、小だぬきさんが見つけたLINEに「はやく一緒になりたい。離婚したい。でもコロナだから2年会えない」と書かれていたら別ですよ)。 「騙され続けた自分の人生、落とし所がわかりません」と書かれていますが、申し訳ないですが僕も「落とし所」は分かりません。でも、「騙され続けた」人生ではないと僕は思います。夫は離婚するつもりはなかったと思います。コロナだろうが、2年会わなかったということは、夫なりに考えたことがあるんだろうとも思います。 「『妻の幸せだけを考えている』と、私がいないところでも、私にも話していました」という感情は、僕は夫の本当の気持ちだと感じます。小だぬきさんを裏切っていても、です。  すみません。よけい「落とし所」が分からなくなることを言っていますね。でも、小だぬきさんが夫と過ごした35年は、簡単には「落とせない」ものだと思います。夫と共に生きて感じた幸福は真実だし、今の悲しい気持ちも真実です。今がどんなに悲しくても、どんなに裏切られたと思っても、35年の間に感じた夫への気持ち、楽しかった生活の思い出はなかなか消えないと思います。  小だぬきさんは、「夫が、生きていたら、別れます」ときっぱりと書かれていますが、100%、そうですか? 生きている夫が、慌て、言い訳し、小だぬきさんが怒り、泣き、夫が平身低頭し、小だぬきさんが叫び、詰め寄り、夫が土下座し、小だぬきさんが混乱した後、何か会話が始まるとは思いませんか? 「あの言葉はなんだったの?」「どういうつもりだったの?」。問い詰めたいこと、聞きたいことは山ほどあると思います。  小だぬきさんの心の中に住む夫はなんと答えるのでしょうか。  今は混乱の真っ最中ですから、心の中の夫との会話はうまくできないと思います。でも、少し時間を置いて、ゆっくりと心の中の夫と会話を始めてみるのはどうでしょうか。  もし、「落とし所」があるとしたら、この気の長い会話の後にあるんじゃないかと僕は感じます。小だぬきさん、どうでしょうか。 ■本連載の書籍化第4弾!『鴻上尚史のなにがなんでもほがらか人生相談』が発売中です。書き下ろしの回答2編も掲載!

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    ミッツ・マングローブ「結局は紅白と工藤静香の思うツボ」

     ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「NHK紅白歌合戦」について。 *  *  *  NHKホールの改修工事が終わり、2年ぶりに紅白が聖地へと還ってきました。しかも同ホールから有観客での紅白は、コロナ禍前の2019年以来だったとか。かくして昨年も無事「NHK紅白歌合戦」が開催・放送されたわけですが、始まる前から、そして終わった後も、休む間もなくあれこれと書き立てる芸能記事、それに群がるネット民たち。朝から晩まで「紅白なんて観ない!」「税金の無駄!」などと書き込んでいる連中にとって、「紅白(にケチをつけること)」は、彼らの「生きがい」なのだと改めて実感した次第です。たとえ負の感情であっても、あれほどの熱量が存在すれば、紅白はまだまだ安泰でしょう。  昨年はまず、審査員席が昔のように客席側に戻っていたのが、長年の紅白ファンとしては嬉しかった。出場歌手に関しては、やはり知らない人やグループが年々増えてきている印象でしたが、これはひとえに自分が歳をとったせい以外の何ものでもありません。  ネット民たちがまず(自分の年齢や感性を棚に上げて)ケチをつけるのもそこですが、それも今に始まったわけではなく、昭和の時代から毎年のように「演歌が多過ぎる!」だの「知らない外人を出すな!」だのと散々言われ続けてきたこと。裏を返せば、それぐらい紅白は「マンネリ」と「冒険」と「迷走」を行ったり来たりしながら、73回もの歴史を積み重ねてきたのです。故にケチや苦情もずっと似たようなものばかり。毎年巻き起こる「紅白不要論」に斬新なものなどひとつもありません。  昨年で楽しみだったのが、久しぶりの出場となった工藤静香さんと篠原涼子さん。どちらも私が紅白を一年中観まくっていた時代のアイドルたちです。特に24年ぶりの出場だった工藤静香さんは、長女Cocomiさんのフルートに乗せて、89年の大ヒット曲「黄砂に吹かれて」を歌いました。工藤静香母娘と言えば、今やネット民たちの「大好物芸能人」の筆頭なわけで、元旦から嬉々としてネットに張り付き、まるで義務かノルマでも課されているかのように、母娘の悪口を書き込んでいる人たちが、なんと多いこと! ふた言目には「コネ」「事務所」「忖度」など知ったような言葉を並べて悦に入っているのが伝わると同時に、最近では「私、音楽理解してます風」のコメントも散見されます。「娘の友人がフルートを習っていて、発表会に行ってきましたが……」から始まり、Cocomiさんの演奏について苦言を呈している人なんかもいましたが、そもそも「自分の母親がネット民」って、「父親が痴漢」「息子がオカマ」よりも恥ずかしい気がするのは私だけでしょうか。  それはさておき工藤さん。「黄砂に吹かれて」の出だしで歌詞を間違えてしまいました。思えば「ザ・ベストテン」最終回の第1位で同曲を歌った際も、同じ箇所で間違えたことは長年のファンの間で今も語り草です。それが24年ぶりの紅白で「再現」されるなんて、不本意ではあったでしょうが、ずっと観ている人たちには、かなり「萌え」なシーンでした。それにすらムキになって「プロ意識に欠ける!」と沸き立つ民たち。悪いけど、その程度では紅白にも静香にも勝てませんよ。 ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する※週刊朝日  2023年1月27日号

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    結婚12年目「倖田來未」が明かす“夫と息子”との私生活 「親子でプロレスにハマってます」

    今年でデビュー23年目を迎える歌手の倖田來未(40)。「前編」では、下積み時代から芸能界における浮き沈みを経験しながら、「エロかっこいい」と称される人気歌手に上り詰めるまでの半生を聞いた。そんな彼女は1月18日にMusic & Live Package「WINGS」をリリースした。収録曲の作曲には夫も参加しているが、今回の「後編」では主に夫や息子など家族がアーティスト・倖田來未にどのような影響を与えているかをインタビューした。 *  *  * 倖田來未が1月18日に発売したMusic&Live Package「WINGS」のメイントラックとなるミディアムバラード「Wings」のクレジットを見ると、作曲者はHi-yunk(ハイユンク)とある。これは、倖田の夫であるKENJI03の作家名義だ。 「コンペで楽曲を集め、ラスト3曲に絞った上で、タイアップ先が『これがいい』と選んでくださったのが『Wings』でした。この曲に決まった時は、素直にうれしかったですね。私の大好きな曲だから。旦那は『倖田來未の新しい声を引き出したい』といつも考えているような人なので、今だからこそ私が歌える楽曲を、ということで完成させた曲なんです」  倖田は2011年12月3日、ロックバンド「BACK-ON」のKENJI03との結婚を発表。同月16日には妊娠中であることも公表した。2 人の仲を取り持ったのは、妹のmisonoだったという。倖田は夫とのなれそめをこう振り返る。 「妹のミーモ(misonoの愛称)が当時、旦那とコラボしていて、ミーモにコラボ曲の入ったアルバムを聞かせてもらったんです。『えっ、コラボしている人、めっちゃいい声してるやん』というのが、私の第一印象。まず声に惚れました(笑)。その後、ミュージックビデオを見ると『えっ、イケメンやん』と。当時の私は夜に出歩かない時期が半年以上も続いていました。ミーモは心配して『お姉もそろそろ、ご飯を食べにとか、外に出かけた方がいいよ』と言ってくれていました。それで、外出した時に彼を紹介してもらいました」  最初の会話は「楽曲を作ってほしい」だった。 「私は彼の声とメロディーラインのセンスに惚れていたので、初めて会った時に『私のために楽曲を作ってもらえませんか』とお願いをしました。その場ですぐ、つくる楽曲はああでもない、こうでもないという話になりました。その時、『あー彼となら、一緒に成長できるな』と思って、気づいたら、私の方が惚れていました(笑)。そこからは速くて、楽曲を作っている間の友達期間が3カ月くらいあって、11年6月に付き合い始め、半年後の12月には赤ちゃんを授かりました。あのタイミングで、結婚のきっかけができて本当によかった。今だから思いますけど、もっと早く結婚しておきたかったくらい結婚生活は楽しくて、子育ても楽しくしながら過ごしています。息子は『ママが作ったから揚げとハンバーグが一番おいしい』と言ってくれるんです。でも、外食もしますよ。息子に『今日は外にご飯食べに行こうか』と言うと、『デニーズのハンバーグが好き』と言うのでよく行くんです。たまにテレビ局の方にも、プライベートで外食しているところを見かけます、と言われることもあります(笑)」  夫と息子の関係も良好だという。目下、父子でハマっているのはプロレスだ。 「旦那がプロレスが大好きで、親子でずっとプロレスのビデオを見ていて、気づいたら息子も大ハマリ。それまでは『将来は映画監督になる』なんて言っていたのに、今は『将来はプロレスラーになる』って(笑)。私は『こんな血だらけになるのはやめて』と言いながら、ついつい私も見ちゃうんですよ。息子がこの間、『プロレスの選手がちゃんこ(鍋)食べてるから、僕もちゃんこ食べてみたい』と言うから、ちゃんこ屋さんに連れて行ったんですが、野菜が一杯入っているから息子は食べられない。『ちゃんこ食べられへんかったら、プロレスラーになれへんよ』って私が野菜食べさせる、みたいなそんな親子です」  私生活のみならず、歌手としても順調だ。昨年12月6日の東京ドームシティホールのライブでは、3 階席まで満席。ステージが見えにくい「見切れ席」まで観客で埋まった。倖田は2 時間を超えるステージで踊り、歌い切った。40歳になったが、生歌のボーカルは20代と変わらず伸びやかで迫力もある。だが、そんな彼女も声で悩んでいた時期があった。 「ずっと我流で歌っていたので、ある日突然、声が出なくなったんです。2015年のライブでした。1曲目からもう声がかれちゃって、2 時間半のコンサートを、声を絞り出して何とか歌い切りました。その時、これで来年や再来年もライブができるのかなと不安になり、自分を変えなきゃいけないと思って、ボイトレ(ボイストレーニング)に通うようになりました。実は、今も喉にしこり(コブ)ができているんです。それを手術するかどうかの選択を迫られた時もありました。ドクターからは『しこり(コブ)を手術すれば声が若くなるし、高くなる』と言われました。だけど、私は20年前よりも、今の声の方が好きなんです。これだけ味を出して、深みを出すように、ヴィンテージデニムのように、声を育ててきたんです。手術して20年前に戻れたとしても、今の声を新品に戻すというのは自分としては違和感がありました」  改めて、今年の抱負を聞くと、倖田はこう語った。 「40歳になって、やっぱり体も疲れやすくなってきていますし、体力の低下を感じているので、とにかく、今年は健康でいることがテーマですね」  ライブでは「長いことエイベックスにいんねんけど、取締役になれんかな」と言ってましたが、その思いは本当なんでしょうか? 「エイベックスに20数年いるから、そろそろ株をもらいに今度ちょっと社長に直談判してこようかな、というのは冗談です(笑)。歌手になりたいと思ってオーディションを受け、やっと拾ってくれたのがエイベックス。デビューから5年間、ずっと芽が出なかった。本当は3年で契約が切れるところだったのに、ずっと支え続けてくれた会社があったから今の私があるので、これから恩返しもしていきたいなと思っています」  今年は倖田來未はファンに”新しい景色”を見せてくれそうだ。(AERA dot.編集部・上田耕司) 倖田來未 ツアー開催決定!詳細は下記よりhttps://rhythmzone.net/koda/live/

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    親ガチャと東大合格の関係 世帯年収300万円台で合格した学生が感じた現実

     高学歴を目指すほどお金がかかるご時世。親の収入が低くて大学進学をあきらめる人も少なくない。だが、努力と工夫しだいで、夢をかなえられる。 *  *  * 「東大に入るまで、蛍雪の功を体現するような学生が多くいるイメージを持っていましたが、全然そんなことはなくて、入学当初は戸惑いました」  そう語るのは、文学部4年の布施川天馬さん(25)だ。世帯年収が300万円台の家庭で育ち、苦学して東大合格を勝ち取った。だが、いざ入学してみると、お金で苦労してきたような学生はほとんど見かけなかった。  それもそのはず。東京大学が2020年度に実施した学生生活実態調査によると、保護者の世帯年収が850万円以上ある人が4割を占め、1150万円以上は2割にのぼる。布施川さんのように450万円未満の人は1割にも満たない。  勉強が得意だった布施川さんは、東京都内の私立中高一貫校に学費免除の特待生で入学した。当初は大学受験を意識することはなく、吹奏楽の部活動に打ち込んでいた。  東大進学への思いが芽生えたのは、高校2年生のときに進路指導で「東大を目指してみないか」と勧められて。母校からは過去に2人しか東大合格者は出ていなかったが、家計を助けるためには国公立大への進学しかないと考え、目標を固めた。  夏の東大模試では、数学が80点満点中3点しか取れず、焦りがあった。3年生の秋、これから追い込みというところで、ただでさえ裕福ではない家庭状況が一変する。父が勤めていた会社の業績が思わしくなく、独立するもなかなか軌道に乗らない。そして、母が病に倒れた。かなり進行した乳がんだった。 「父は日雇いのアルバイトを掛け持ち、帰りは夜遅く。通院や入退院の付き添いなど、母の世話はすべて僕が引き受けました。勉強する時間はあまり取れなかったですね」  その結果、東大は不合格。試しに受けた早稲田大学やMARCHにも落ちた。全敗に落ち込むかと思いきや、布施川さんはすぐ切り替えた。 「東大は不合格者に対して、合格までどのくらい足りなかったかのランクを教えてくれるんです。僕は不合格者の中で真ん中くらいのランクでした。夏の時点で東大合格の圏外も圏外で、予備校や塾に通っていなかったので、あと1年あれば行けるんじゃないかと、逆に勇気づけられました」  浪人させてほしい、予備校にも少し通わせてほしいと頼み込むと、両親は借金をして費用をかき集めてくれ、足りない分は祖母が工面してくれた。ただ、生活費は自分で稼ぐしかない。 「毎日の食費に予備校までの交通費を稼ぐために、週3日、ドラッグストアでアルバイトをしました。朝から夕方まで8時間働いて、終わったら予備校に行くというような生活でした」  周囲の受験生に比べれば、勉強に充てる時間は圧倒的に少ない。母の病室で看病の合間に勉強することもあった。このハンデをどう克服するか。そこで考え出したのが、無駄を省く勉強法だ。 「自分に合わないと思った参考書や勉強法はすぐやめました。どんなに評判がよくても、自分の身にならなければ効率が悪い。実践して取捨選択を繰り返していきました。そして、満点を目指すのではなく、合格ラインの少し上を目指しました」  短い時間でいかに効率よく学力を向上させるか。ハンデと捉えられそうなアルバイトも、勉強時の集中力の維持という意味で息抜きになった。  1浪の末、見事合格をつかみ取った布施川さんは、同じような境遇にある受験生にこうエールを送る。 「あきらめないことが一番大事です。『自分はだめそうだ』と周囲は勝手に折れていきます。自分を見限ることなく、信じ続けなければ勉強に身も入りませんから」  一方で、塾や予備校に行くのもままならないという学生もいるだろう。それでも学びたい、という学生を支援する取り組みもある。無料塾だ。 ■学ぶ意思を尊重 無料の学習支援  NPO法人「八王子つばめ塾」(東京)は現役大学生や社会人がボランティアで講師を務める無料塾。1~2週間に1度、各科目の個別指導をしている。運営費は企業や個人からの支援や寄付などで賄っている。理事長の小宮位之(たかゆき)さんはこう語る。 「塾に来るのは、アルバイトで学費や生活費を稼いでいる困窮世帯の高校生です。入塾の相談には親や本人が来ますが、いずれでも学生本人が『学びたい』『塾に行きたい』という思いを持っています。当塾も学生本人の意思を大事にしています」  実は小宮さんも貧困家庭で育った。高校2年生のときの世帯年収は100万円前後。親からは「高校を中退してくれないか」「進学はあきらめてくれ」と言われた。それでも学びたかったし、教師になりたかった。  そんな小宮さんはアルバイトで学費を稼ぎ、祖父母の支援も得て、何とか大学進学を果たす。だが、入学後も苦労が絶えなかったという。 「入学しても教科書が買えないなど、お金がなければ勉強できないんだ、ということを肌身で感じたんです」  教員免許を取得した後、私立高校の非常勤講師を経て映像制作の仕事に従事した。そのとき、東日本大震災が起きた。取材の過程で被災者にも会った。何かできることはないかと考え、仕事の傍ら、2012年につばめ塾を始めた。「ただより高いものはないと言いますが、困窮家庭にとって無料ほどいいものはないんです。能力もやる気も夢もあるのに、お金を理由に学ぶことをあきらめてほしくない。選択できる社会であるべきなんです」  前出の布施川さんは、昨今聞かれるようになった、生まれ育った家庭環境によって自身の人生の“当たり”“はずれ”が左右されるという意味の“親ガチャ”を引き合いにこう話した。 「親ガチャは関係ないと言いたいところですが、実際にはあると思います。でも、その言葉に甘えて自身の道を閉ざしてしまうのはもったいない。だからこそ自分を信じ続けることが大事なのです」 (本誌・秦正理)※週刊朝日  2023年2月3日号

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    クロちゃんが炎上した「お年玉ツイート」の真相 「リチのご両親にも愛されているんだなって」

     安田大サーカスのクロちゃんが、気になるトピックについて“真実”のみを語る連載「死ぬ前に話しておきたい恋の話」。今回のテーマは「お金」。キャバクラ通いにギャンブルなど、以前は、浪費家だったと語るクロちゃん。しかし、コロナ禍になってお金の使い方は随分変化したようで、ここ最近は「貯金」を心がけるようになったという。しかし、そんなクロちゃんのSNSが新年早々に、お金絡みで炎上。彼女であるリチさんの両親に「お年玉」をねだるツイートをしたのが原因だった。なぜ、そんなツイートをしたのか。クロちゃんが「お金」について独特の価値観を語った。 *  *  *  半年ほど前から、購入しようか、ずっと悩んでいた、バレンシアガのバッグ。それを、先日、ついに購入をした。決して安い買い物ではなかったし、ボクの場合、何でもすぐに汚しちゃうクセがあるから、なかなか踏ん切りがつかなかった。それに、ボクが、こういったハイブランドなものを持つと、SNSでみんなが絶対文句を言ってくるのは目にみえていたからね(笑)。  でも、昨年末に、10年ぶりに彼女もできたし、「彼女ができた記念」のご褒美だと思って、おもいきって購入を決めた。すごい欲しかったバッグだったから、めっちゃうれしい。でも、マネージャーからは、「『彼女ができた記念』なのに、自分だけにご褒美っておかしくないですか?」とさっそく突っ込まれた。うーん、そこは許して(笑)。  今回のテーマは「お金」だよね。  改めて考えてみると、ボクは、自分が欲しいと思ったものや、興味が湧いたものには、惜しみなくお金を使うタイプかもしれない。悩むことはあったとしても、最終的に「我慢する」っていうことはあまりない。欲しいものは、何としてでも手にいれたいって思っちゃう。  でも、だからとって、ボクは、高級車が欲しいとか、タワマンに住みたいとか、そんな思考はまったくないから、そこまで派手に浪費するタイプではないと思っている。無駄遣いも基本的にはしないし、そこまで仲良くない後輩とかにおごるのとかも大嫌いだから。  ただ、数年前までのボクは、なかなかの浪費家だった。  コロナ禍になる前はキャバクラにも頻繁に通っていた。お店の女の子が誕生日だったりすると、バカラのワイングラスをプレゼントしたり、シャンパンを開けたりして、一晩で30万くらい使うこともあった。その他では、番組の企画絡みではあるけど、宝くじに一気に100万円使ったこともあったし、パチンコやスロット、競輪やボートレースなどのギャンブルにも、相当お金をつぎ込んでいた時期もある。ちなみに、総額では5000万円以上負けている。こんなふうに豪快にお金を使うほうが、芸人として「かっこいい」と思っていたっていうのもあるから、貯金もほぼゼロだった。  でも、コロナ禍になったことで、キャバクラにいくことは一切なくなったし、ギャンブル狂いも一時よりは落ち着いたから、お金の使い方は、だいぶ変化してきた。ちなみに、ここ最近で、いちばんお金をかけているものといえば、「服」だと思う。そのほかでいえば「美容」くらい。  それに、ここ数年は、頑張って「貯金」も心がけるようになった。あんなに浪費家だったボクが、なぜ、貯金をするようになったのか。「コロナ禍での生活の変化」や「実家からの仕送りを止められた」っていう影響はもちろんある。ただ、最大の理由は、やっぱり「モテたいから」だね。  数年前、あるトーク番組で、アンガールズの田中っちが「すごい貯金がある」みたいな話をした時があったの。その時に、共演していた女性陣は、「貯金」の話を聞いた瞬間、みんな目の色が一瞬で変わった(笑)。「わー!!」って、その場がすごい湧いていたのも強烈に覚えている。あれを見た瞬間に、ブサイク芸人っていわれている田中っちでも、お金あればモテるんだって気付いた。だったら、ボクもモテ要素の一つとして、貯金をしようと決めたの。ボクよりも、田中っちのほうがモテるなんて絶対許せないからね。  ただ、ボクにはもう彼女ができたんだから、「モテ要素はもう必要ないでしょ?」って声もあるかもしれない。でも、それとこれとは話が別。彼女がいようがいなかろうが、不特定多数の異性にモテたいって思うことは、ボクには絶対必要なことなんだ。その気持ちがなくなってしまったら、きっと、ボクは、あっという間に老けてしまう気がする。それは、芸人としてもあまり良くない。だから、「もっと魅力的な男になるため」「モテるため」に、今後も貯金は継続しようと思っている。そこだけは今後もブレたくない。財力は男のステータスだから!  それに、もちろん、リチにはお金はちゃんと使ってあげたいと思っている。ボクが大好きな彼女だからね。今、考えているのは、リチはサウナが大好きだから、ボクの家に簡易サウナを作ってあげようとは計画している。ボクもサウナはけっこう好きだし。自宅でサウナデートができたら最高に楽しそうだから。 ●新年早々「お年玉ツイート」で炎上  と、ここまでお金について、いろいろと力説したけど、そういえばボクは、新年早々に、お金絡みの話でSNSが炎上したんだった。昨年末に、彼女ができた時には、「おめでとう」「よかったね」って祝福のコメントであふれていたのに、まさかの展開でびっくり……。  ちなみに、炎上は、ボクがリチのご両親にお年玉をもねだるツイートをしたことが原因。「やっと、クロちゃんに彼女ができたから応援していたのに見損ないました」、そんな批判コメントがめちゃくちゃ届いたよ。  あと、ボクがSNS上で、リチのご両親のことを「"義理"のお父さんとお母さん」って表現したことにも、相当な数のツッコミがあった。「お前、まだ結婚してねえだろ!」ってね。そんなに怒らなくても……。ボクは、ただ、彼女ができたことで、なんか家族が増えたみたいな気がして、うれしかっただけなのに。  炎上はなかなかすごかったけど、実は、ボクはボクで、「お年玉」については少し悩んだんだ。  ある日、リチが、ふいにこんなことを漏らしたのが全てのはじまり。「お年玉ちょうだい(笑)」ってね。リチは、冗談で言ったんだろうけど、ボクは、その言葉で軽いパニックになった。 「え……お年玉って、彼女にあげるものだったっけ?」ってね(笑)。  何度も言うけど、ボクに彼女ができたのは10年ぶり。「彼女がいる」ことが久しぶり過ぎて、「お年玉」について、彼氏として、どういう対処が正解なのか、まったく分からなかったんだ。 「今までの彼女に、お年玉はあげたことはないはず。いや、あげていたような気もする。どっちだっけ」「年齢が20歳も離れていると、お年玉をあげるのが普通なのかな」  そんな迷いの中、結局、ボクはリチにお年玉をあげることにした。すごく喜んでくれたから、それはそれで、すごいうれしかった。でも、数日後、ボクは「これまでの彼女に、お年玉をあげたこはない!!」って思い出してしまった。  こうなると、今後のお年玉のことが気になって仕方がなかった。「一度あげてしまったし、これはもしかして毎年あげなきゃいけないのか。それって、めっちゃ損じゃん」ってね(笑)。  この連載で、何度も伝えているけど、ボクは、絶対に“損”はしたくない人間なんだ。どんなことに対しても、必ず最後は”得”をして終わりたい。いつも、そう考えて生きている。それは、もちろん、お金の面でもそうだ。  リチに対して、「お金を使ってあげたい」って気持ちにうそはないの! ただ、毎年必ず正月にはお年玉っていう出費が待っているんだってことを考えると、少し複雑な気持ちになったんだ。 「出費した分を、なんとか取り戻す方法はないか」、そんなことを考えた揚げ句、結局頼ったのが、リチのご両親だった。実は、ボクは、自分の両親に、毎年お年玉をもらっている。だから、もしかしたら、リチのご両親も、ボクにお年玉をくれるかもしれない、そう思ったんだよね。  ちなみに、その後、ボクがアップしたツイートは、こんな感じ。 <リチにお年玉あげたので、これから毎年損だなっておもってたけど、そうだ!リチの親からもらえるはずだしん!義理のパパ、ママーーー!!>  ボクのツイートをご両親が見たのか、はたまたリチが教えたのか、詳細は分からないけど、後日、リチがお年玉袋をもって、ボクの家にきた。「はい、お父さんとお母さんからだよ」ってね。これには、正直、めちゃくちゃびっくりした!お年玉って、ボクは、「愛の深さ」だと思っているから、リチのご両親にも、愛されているんだなって実感できて、すごくうれしかった。やっぱり、家族が増えた気がしたのは、間違いじゃなかったんだってね。  でも、結果は、炎上……。  まさか、あんなに批判されるなんて思いもしなかった。  お金絡みのツイートは今後気をつけなきゃだしん。 (構成/AERA dot.編集部・岡本直也)

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    愛子さまと佳子さま「紅白コーデ」に弾み、眞子さんの「道」に思いを馳せた

     皇室のファッションは国民の関心が高いテーマ。先日も、愛子さまと佳子さまの「紅白コーデ」が話題を呼んだ。服装には着る人の内面が表れ、その場に居合わせた人との関係性を露わにすることもある。コラムニストの矢部万紀子さんが、紅白コーデを読み解いた。 *  * *  天皇、皇后両陛下の長女愛子さまと、秋篠宮家の次女佳子さまがそろって雅楽演奏を鑑賞した。11月5日のことだ。皇居内の宮内庁楽部で開かれた秋季雅楽演奏会に出席したのだが、その映像をテレビで見た瞬間、うれしくなった。2人で相談したのかな、そうだといいな。そんな思いで心が弾んだ。  ファッションのことだ。愛子さまは白のスーツ、佳子さまは深紅のスーツ。紅白で一対をなしているように見えた。襟のデザインや全体の感じなど微妙にというかだいぶ違うけれど、なぜか調和がとれていた。7歳違いのいとこ同士、仲良しだからだろうか。そんなふうにも思った。  愛子さまが雅楽演奏会に出席するのは初めてで、学習院大学で日本の伝統芸能に関する授業を選択したことから興味をもったと報じられていた。佳子さまは2度目の出席だというから、愛子さまは会場の雰囲気などを尋ねたのではないだろうか。  今どきの女子なのだから、職員を通しての相談でなく、LINEなどで直接やりとりしているのでは? そうだ、それでスーツの紅白コーデが決まり、「いいね」と可愛いスタンプを送りあったりしたのでは? などなどと妄想しつつ、こちらまで華やかな気分になった。  女性皇族が2人以上そろう姿を目にする機会は案外多くない。雅子さまは天皇陛下と行動することが多いし、紀子さまは秋篠宮さまと行動することが多い。母娘や姉妹が一緒に行動することはあっても、プライベート中心。成人した独身皇族の公務は単独が基本だから、「誰かと誰かが一緒」の光景は珍しい。  ただし例外が一つある。皇后さまが名誉総裁、他の妃殿下方が同副総裁を務める日本赤十字社の全国大会だ。活動に貢献した人々を表彰する会で、名誉総裁、同副総裁がそろって出席する。コロナ禍で2020年、21年は開かれなかったが、22年5月には3年ぶりに開かれ、雅子さま、紀子さま、寛仁親王妃信子さま、高円宮妃久子さまが出席した。  この大会の写真や映像は古くからのものが残っている。今に残る一枚のお写真――と、これは2022年9月に亡くなった皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんが好んで使ったフレーズだ。莫大な写真や映像を記憶していた渡邉さんに教わったのが、1968年11月2日の赤十字社有功章、特別社員章親授式の写真だ。  名誉総裁は香淳皇后で、壇の中央で手に紙を持ち何か文章を読んでいる。少し離れて同副総裁である女性皇族がずらりと並ぶ。香淳皇后に近いほうから、美智子さま(当時は皇太子妃)、常陸宮妃華子さま、秩父宮妃勢津子さま、高松宮妃喜久子さま、三笠宮妃百合子さま。  モノクロ写真の時代だから、正確な色はよくわからない。が、見えたままを説明すると、香淳皇后は黒い服を着ている。美智子さまは白い服を着ている。華子さま、勢津子さま、喜久子さま、百合子さまは黒い服を着ている。つまり、美智子さまだけ白い服を着ている、という写真なのだ。  これはどう見ても、美智子さまにだけドレスコードが伝わっていない。そういうことだと渡邉さんは解説してくれた。その事情については、渡邉さん言うところの「超一級の史料」である『入江相政日記』を引いて、解説してくれた。  入江氏は昭和天皇の侍従長を務めた人で、58年10月11日の記述にこうある。<東宮様の御縁談について平民からとは怪しからんといふやうなことで皇后さまが勢津君様と喜久君様を招んでお訴へになつた由>。東宮様は現在の上皇さま、皇后さまは香淳皇后、勢津君様は勢津子妃、喜久君様は喜久子妃。黒い服というドレスコードが伝わっていたであろう人々。「平民から」とは美智子さまのことで、「怪しからん」を今どきにすれば「ありえない」だろうか。  結局のところ皇太子さま(当時)と美智子さまは、59年に結婚した。それから9年経った赤十字の式典でも、美智子さまにはアウェーの風が吹いていた。  この大会から50年、2018年5月16日に全国赤十字大会が開かれた。写真も映像もたくさん残っているのは、平成最後の大会で、雅子さまが15年ぶりに出席したことも大きい。「来年から、雅子さまは大丈夫だろうか?」という空気は、国民の間にまだ残っていたと思う。  その大会の最後、美智子さまは雅子さまのほうを振り返り壇の中央に招いた。美智子さまは雅子さまの腕を軽く取り、言葉をかけた。雅子さまはぱっと笑みを浮かべ、客席に向かって頭を下げた。続いて、美智子さまも頭を下げた。「次はあなたよ、がんばって」。美智子さまのそんな声が聞こえてくるような、サプライズ演出だった。  美智子さまは白いスーツ、雅子さまは紺色のスーツだった。他の皇族方も白系統と紺系統で順番に並んでいた。50年前の「1人だけ白」を乗り越え、最後は温かな演出で幕を閉じた。美智子さまの人生が凝縮された大会だった。全員の服装について「遠目にはまるでオセロのようで、女性皇族の一体感を演出しているように見えた」と書いたメディアもあった。  ことほどさように、女性皇族が集合するのは大変なのだ。だから、というわけではないだろうが、愛子さまと佳子さまの「紅白コーデ」はとても話題になった。そして愛子さまは服装だけでなく、髪形も注目の的だった。「“ヘアゴム隠し”のポニーテール」と名づけて「艶やかな髪を緩く巻き、ひとつに束ね、ヘアゴムの結び目の上から髪を巻きつけ」と解説したのは「女性セブン」(22年11月24日号)で、流行中の新しいヘアスタイルだとしていた。  愛子さまのお出かけが少ないという事情がある。21年12月に成年皇族になり、22年3月の初めての記者会見で国民を魅了した愛子さまだが、コロナ禍で大学もリモート学習を通していて、ファッション情報もほとんどない。  一方、積極的に外出しているのが佳子さまだ。10月1日から11月10日までの佳子さまの日程を朝日新聞デジタルの「皇室7days」でチェックすると、1泊2日(栃木県と奈良県)を含め皇居の外へのお出かけが9回。ちなみに愛子さまとの雅楽鑑賞は入っていないから、あれはプライベートということなのだろう。  そして佳子さま、失礼を承知で書かせていただくなら、「おしゃれ番長」だ。9月24日、鳥取市での車いすツインバスケットボールの練習会場ではブルー系の縦ストライプのワンピース(上に白のジャケット)を着て、きっぱりした感じを見せていた。そうかと思うと10月1日、日本デフ陸上競技選手権大会会場では濃いワインレッドでレース地のワンピースを着て、フェミニンな感じに。どちらもよく似合い、佳子さまはファッションが好きなのだと思わせる。笑顔はいつも弾けるようだし、デフ陸上の会場で手話を使いこなす様子はとても気さくだ。  そんな佳子さまの日々を見て、「婚活ファッション」などと書くメディアもあった。が、働く女子の大先輩として言わせていただくなら、それは違う。婚活のためより、まず自分のため。それが職場ファッション。職場(佳子さまにとっては、公務で出かける先は職場だ)で自分好みのファッションを着られるのは、仕事が充実している証拠だと思う。  ということで、愛子さまと佳子さまの紅白コーデに戻る。冒頭で2人のファッションを見てうれしくなった、と書いた。自分の気持ちを分析するなら、2人が皇室という自分の生きる場所を楽しめているような気がしたのだと思う。背景にあるのは小室眞子さんの結婚までの道で、眞子さんは皇族であることがしんどかったのだろうと思うのだ。  愛子さまと佳子さまの心の奥底はわからない。でも雅楽を聞きにいくにあたり、ファッションをあれこれ考え、紅白コーデになった。そのことを思うと、安堵の気持ちがわいてくる。これからも愛子さまと佳子さまが、ファッションを楽しめますように。願ってやまない。

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    戦力アップに成功したのは? “未知の部分”多いチームも オフの補強診断【セ・リーグ編】

     いよいよキャンプインまで10日を切った今年のプロ野球。新外国人選手やトレードなどまだここから動く球団が出てくる可能性もあるが、シーズン前の補強はひと段落した印象を受ける。  そこで今シーズンに向けての各球団の現時点での補強について診断してみたいと思う。なお、ルーキーに関しては今年一軍の戦力になる可能性が高い選手のみをピックアップした。また診断はA、B、C、Dの四段階評価で、あくまでもこのオフに加入した選手が今年一軍戦力になるかという点を評価基準とし、退団した選手の影響も加味して評価した。今回はセ・リーグ編だ。 *  *  * ■ヤクルト:C 【主な新戦力】ピーターズ(新外国人・投手)ケラ(新外国人・投手)エスピナル(新外国人・投手)成田翔(現役ドラフト・投手)尾仲祐哉(阪神を自由契約・投手)沼田翔平(巨人を自由契約・投手・育成)吉村貢司郎(ドラフト1位・投手)三ツ俣大樹(中日を自由契約・内野手)  リーグ連覇は達成したものの、2年続けて二桁勝利をマークした投手は不在と投手陣が課題となっているヤクルト。その弱点を補強すべく外国人、現役ドラフト、ドラフト、他球団を自由契約になった選手と、とにかく投手の補強に動いた。それでもそこまで高い評価にならかったのはやはり抑えのマクガフが退団したマイナスが大きいと考えたからだ。  メジャー通算28セーブ、59ホールドを誇るケラがその穴を埋める有力候補だが、右肘の手術もあって過去3年間は成績を残すことができていない。清水昇、木沢尚文などが抑えに回るようであれば中継ぎの補充も必要となるだけに、チームのお家芸と言える“再生工場”で成田、尾中、沼田などを引き上げることが重要になってくるだろう。野手もレギュラー陣は充実しているが、故障者が出た時のためにキブレハンを残しておいても良かったのではないだろうか。 ■DeNA:B 【主な新戦力】ウェンデルケン(新外国人・投手)笠原祥太郎(現役ドラフト・投手)吉野光樹(ドラフト2位・投手)橋本達弥(ドラフト5位・投手)京田陽太(トレード・内野手)西巻賢二(ロッテを自由契約・内野手・育成)アンバギー(新外国人・外野手)  嶺井博希がFAでソフトバンクに移籍したが、伊藤光、戸柱恭孝と実績のある捕手が2人いるだけに、それほど大きいマイナスのようには感じられない。また抑えで復活した山崎康晃も生涯ベイスターズを表明し、残留したことで大きな戦力ダウンを逃れることができた。そしてプラス面で大きいのはやはりトレードで獲得した京田だ。DeNAのショートは長年大きな課題となっていたが、年齢的にもまだ若く余力十分の京田が入ったことで一気にその穴が埋まる可能性も高い。特に守備面はリーグでも1、2を争う存在だけに、内野の大きな戦力となることは間違いないだろう。また力はありながらも故障が多いオースティンのバックアップとしてアンバギーを獲得したことも的確な補強という印象だ。  一方の投手陣もドラフトでは吉野、橋本という社会人、大学生の実力者を2人獲得。さらに現役ドラフトでは笠原を獲得し、京田とのトレードで中日に移籍した砂田毅樹の穴を埋めようという意図も感じられる。大型補強というわけではないが、投手、野手ともにしっかりとした底上げはできたと言えるだろう。 ■阪神:B 【主な新戦力】ビーズリー(新外国人・投手)ブライアン・ケラー(新外国人・投手)大竹耕太郎(現役ドラフト・投手)渡辺諒(トレード・内野手)高浜祐仁(トレード・内野手)ミエセス(新外国人・外野手)ノイジー(新外国人・外野手)森下翔太(ドラフト1位・外野手)  まずFA権を獲得した西勇輝、岩崎優、岩貞祐太の3人が揃って残留し、マイナスを防ぐことができたのが大きい。そして投手で面白いのが現役ドラフトで獲得した大竹だ。過去2年間は一軍の勝利から遠ざかっているものの、二軍では層の厚いソフトバンクの中でも常に安定した投球を続けており、コントロールと投球術には定評がある。左の先発で安定しているのは伊藤将司だけという状況を考えても、一軍のローテーション争いに加わる可能性は高そうだ。  野手ではトレードでもドラフトでも右のパンチ力のある打者を揃えた印象を受ける。渡辺、高浜の2人は守備には不安が残るものの、年齢的にもまだ若く、環境が変われば大化けも期待できる。また彼らが加わったことで陽川尚将を現役ドラフトのリストに入れたというのもチームのバランスを考えて妥当なように感じた。カイル・ケラー以外の外国人選手を入れ替えたのは思い切った判断のように見え、新外国人がどうなるかは未知数だが、早めに動いて契約をまとめた点は評価できるだろう。 ■巨人:C 【主な新戦力】ビーディ(新外国人・投手)メンデス(新外国人・投手)ヨアン・ロペス(新外国人・投手)グリフィン(新外国人・投手)三上朋也(DeNAを自由契約・投手・育成)船迫大雅(ドラフト5位・投手)松田宣浩(ソフトバンクを自由契約・内野手)ブリンソン(新外国人・外野手)長野久義(無償トレード・外野手)オコエ瑠偉(現役ドラフト・外野手)  2年連続優勝を逃しながらFAでの選手獲得はなく、主な補強は新外国人とベテラン選手にとどまった。そんな中でチームのカギを握ることになりそうなのが5人の新外国人選手たちだ。特にビーディ、ヨアン・ロペス、ブリンソンの3人はメジャーでの実績もあるだけに期待値は高いが、昨年も独立リーグでのプレー経験しかないウォーカーが最も活躍しており、やはり過剰な期待をかけるのは危険と言えそうだ。松田、長野のベテランもプレー以外での貢献度は高いかもしれないが、戦力としてはそこまで大きなプラスではないだろう。  ドラフトも将来性重視の指名に見えたが、唯一1年目から期待したいのが5位の船迫だ。サイドから投げ込む150キロに迫るストレートは数字以上の勢いがあり、コントロールも安定している。今年で27歳だけに1年目からが勝負となりそうだ。 ■広島:D 【主な新戦力】戸根千明(現役ドラフト・投手)益田武尚(ドラフト3位・投手)河野佳(ドラフト5位・投手)長谷部銀次(ドラフト6位・投手)デビッドソン(新外国人・内野手)  12球団で唯一FAでの選手獲得がなく、伝統的に自前で選手を育てる方針が強いこともあってこのオフも必要最低限の補強に終わったという印象だ。現役ドラフトで獲得した戸根も森浦大輔、塹江敦哉、ターリーなどとの競争であり、一軍の座は安泰とは言えない。ドラフトでも3人の社会人投手を指名しているが、河野と長谷部は2年目からの戦力と考えておくのが妥当だろう。投手で最も即戦力として期待がかかるのが益田で、好調時のボールはプロの一軍レベルにある。課題のコンディションをしっかり整えて、調子の波を抑えることができれば1年目から一軍の投手陣に入る可能性もありそうだ。  野手で期待されるのが新外国人のデビッドソンだ。メジャーで2年連続20本以上のホームランを放った実績があり、パワーは申し分ない。ただ、三振の多い“扇風機”タイプだけに、日本の投手の変化球攻めに対応できるかが活躍へのカギとなるだろう。 ■中日:C 【主な新戦力】涌井秀章(トレード・投手)砂田毅樹(トレード・投手)加藤匠馬(無償トレード・捕手)カリステ(新外国人・内野手)アキーノ(新外国人・外野手)村松開人(ドラフト2位・内野手)田中幹也(ドラフト6位・内野手)福永裕基(ドラフト7位・内野手)アルモンテ(新外国人・外野手)※復帰細川成也(現役ドラフト・外野手)  積極的なトレードでチームを作り変えようという意欲は感じられたが、実績のある投手を獲得できた一方で阿部寿樹、京田陽太と二遊間のレギュラーが退団した穴は大きいと判断してCと評価した。懸案のセカンドはルーキーの3人が候補となるが、1人に任せるのは現実的ではなく、併用しながら可能性を探ることになる。ショートの土田龍空も今年で21歳という若さを考えると、不安な印象は否めない。桂衣央利を自由契約にし、捕手が足りないということで加藤を獲得するなど編成面でのちぐはぐさも気になるところだ。そんな中で期待したいのはアキーノと細川の2人だ。ともに確実性は課題だがパワーと強肩は魅力なだけに、長打力不足のチームを考えても貴重な存在となりそうだ。 (文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文 1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員。

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    浅村&田中将はWBC出場志願も叶わず…「侍ジャパン落選」の理由

     WBCに向け、侍ジャパンの選考は大きな話題になった。野手では山川穂高が内定。2019年秋のプレミア12でアキレス腱に不安を抱えていたことから出場を断念すると、日の丸から遠ざかっていた。昨季は本塁打、打点の2冠に輝くなど長距離砲としての実力は疑う余地がない。本大会での活躍が楽しみだ。  投手でサプライズ選出は、オリックスの宇田川優希だ。昨年7月下旬に育成枠から支配下登録されると、セットアッパーとして奮闘。最速159キロの直球に落差の鋭いフォークで三振の山を築いた。19試合登板で2勝1敗、防御率0.81と抜群の安定感を誇り、CS、日本シリーズでも快投を続け、26年ぶり日本一の原動力となった。 「出場辞退」を決断した選手たちも話題を呼んだ。柳田悠岐、今宮健太(ソフトバンク)、坂本勇人(巨人)、森友哉(オリックス)はコンディションに不安があったり、シーズンに集中したいという理由で代表入りを見送った。  スポーツ紙デスクは、「柳田、坂本は今年35歳を迎えるシーズンで、もう若くない。昨年はチームとしても個人としても思うような結果を残せず、悔しい思いをしている。2人は侍ジャパンの常連でしたが、遊撃は源田壮亮(西武)、外野も選手がそろっているので、彼らに託せるという思いもあったのでは。森も西武からFAで新天地のオリックスに移籍し、投手の特徴を把握するなど、やらなければいけないことがたくさんある。WBC出場に迷いはあったと思いますが、リーグ3連覇に向けて中心選手として期待が大きい。この決断は致し方ないと思います」と理解を示す。  一方で、侍ジャパン入りを熱望したが落選した選手たちがいる。楽天の田中将大、浅村栄斗だ。田中の実績は語るまでもないだろう。日米通算190勝をマークし、WBC、五輪と共に2度出場。ヤンキースでは6年連続2桁勝利をマークするなどメジャーの強打者を抑える術を熟知している。昨年10月には自身のツイッターで、「来年開催されるWBCについて自分の気持ちをお話する機会がなかったので、ここで言わせていただきます。良い選手が沢山居ますし、なかなか簡単なことではないのは重々承知の上ですが、出場したいです!この気持ちを持ってオフシーズンのトレーニングにも取り組んでいきます」と出場を志願。昨オフの契約更改の席でも侍ジャパンで先発にこだわらず、どの役割でも全うすることを望んでいたが、朗報は届かなかった。  球界を代表する強打者として長年活躍している浅村も、代表から漏れた。21年の東京五輪では金メダル獲得に大きく貢献し、日の丸への思いは強い。2度目のFA権を取得し、去就が注目された22年オフに4年契約で楽天に残留を発表。WBC出場に向けても意欲を示していた。  侍ジャパンを取材するスポーツ紙記者は、「田中、浅村はメンバー入りしても不思議ではなかったし、栗山英樹監督は迷ったと思います。田中の場合は全盛期に比べて球速が落ちたのがネックになったと思います。投球術はさすがですが、不慣れな救援で投げさせるのはリスクがある。先発陣は枠が埋まっていますしね。浅村は牧秀悟(DeNA)とタイプが重なる。勝負強さに定評がある中距離砲で、浅村と同様に牧も本職の二塁だけでなく一塁を守れる。二塁は激戦区で山田哲人(ヤクルト)、菊池涼介(広島)もいる。それぞれ持ち味は違いますが、栗山監督は国際舞台に強い山田をチョイスした。こればかりは仕方ないですね」と振り返る。  田中、浅村が日の丸をつけるにふさわしい実力者であることは間違いない。テレビ関係者は「実績を残している2人が代表入りを熱望してメディアに発信した姿に敬意を表したい。落選しましたが、彼らの侍ジャパンへの思いは野球ファンに十分に伝わっていると思います」と評価する。  2人の目標は、楽天の10年ぶりのリーグ優勝に切り替わっているだろう。投打の両輪として活躍を期待したい。(今川秀悟)

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    「愛子さまの和歌にはコロナ禍の素直な感性も」 天皇家の相談役が明かすエピソードと“注目”の言葉

     1月18日の歌会始。2021年に成年を迎えた愛子さまの和歌は、儀式の空気を明るいものにした。天皇陛下と皇族方の和歌の秘話を、天皇家の和歌の相談役である永田和宏さん(75)が明かす。 *  *  * <もみぢ葉の散り敷く道を歩みきて浮かぶ横顔友との家路>  愛子さまの和歌が歌会始で公表されるのは、昨年に続き2度目だ。住まいである皇居の庭でもみじの葉に覆われた道を歩いた様子を詠っている。  今年は、天皇陛下が「コロナ禍」という言葉を詠んだことも話題になった。 「実は、愛子さまもコロナ禍について、詠みこんでいらっしゃるのです」  と話すのは、昨年12月から天皇家の和歌の相談役となった永田和宏さんだ。 「お友達との思い出は、学生時代の最も楽しい記憶です。コロナ禍前にご友人と一緒にもみじ葉を踏みしめて歩いた学校の帰り道を思い出して、ご友人を懐かしく思う和歌です。ダイレクトに社会情勢を詠おうと思ってはいらっしゃらなくとも、大学への通学を控えて友と会えない寂しさを詠うことで、いまの社会情勢がおのずから表現されています」  永田さんが注目した表現がある。「横顔」という言葉だ。  2人か3人で一緒に歩いていると、自分の視界に入るのは友達の横顔である。この和歌を聞いた人は、愛子さまの目線で思い出の風景を思い浮かべることができる。そんな力がある。 <歩みきて浮かぶ横顔>  この表現も語感のキレの良さがある、と話す。 「愛子さまは感性がとても素直です。思いをご自身の語彙のなかから探して、歌にされている」  永田さんは、ご両親である天皇陛下と皇后雅子さまにこう話したという。 「若いときにしか詠めない表現があります。お題など気にせず、愛子さまは、どんどんお作りになるとよいと思います」  自身と向き合い言葉を生み出す過程には、苦しみもある。普段、時間の経過とともに記憶は薄れてしまう。しかし、一首の和歌として残すことで、大切な時間は、まるで当時の息遣いが聞こえるように鮮やかに残るという。  愛子さまは大学で、源氏物語や新古今和歌集、奥の細道など江戸時代の文学といった、さまざまな古典、日本語史などを学んでいる。豊かな表現は、そうした蓄積の表れなのだろう。  佳子さまの詠んだ和歌も、胸の内が伝わってくる。 <卒業式に友と撮りたる記念写真裏に書かれし想ひは今に>  高校の卒業式の日にご友人2人とで撮った写真。裏に寄せられたメッセージの思いが3人の中で今も続いているという心情を詠っている。  その年齢だからこそ、生み出される表現がある。 「卒業から10年ほどの歳月を経て、いま鮮やかによみがえる友の言葉の大切さを詠んだお歌です」(永田さん) 「コロナ禍」を詠んだ天皇陛下の御製は、注目を集めた。  <コロナ禍に友と楽器を奏でうる喜び語る生徒らの笑み>  2021年10月、和歌山県で開かれた「国民文化祭」にオンラインで臨席した陛下は、演奏した吹奏楽部の高校生から、感染防止の工夫を凝らしながら練習を続け、演奏できた喜びを聞いた。生徒らの姿にうれしさを感じるとともに、人々が日常生活に戻ることへの願いを詠んでいる。  古来、天皇の御製は、国や国民への祝福であり「ハレ」を詠むことが多い。  生徒たちの喜ぶ姿を見守る天皇陛下のあたたかな目線を感じる和歌だ。一方で、御製のハレの面を意識した場合、「禍」という言葉は適切なのだろうかという見方もある。 「天皇の御製に、時代背景が詠いこめられるのは大切なことです」  永田さんは、そう答える。  天皇陛下の誠実な性格を実感するエピソードがある。 <友と楽器を奏でうる>の「奏で」という言葉。最初の御製は、「吹く」など別の言葉であったという。  しかし生徒たちが演奏する楽器には、管楽器だけでなく弦楽器や打楽器も含まれていた。最初の表現では、打楽器などが含まれないように伝わってしまう。  陛下はご自身で「奏でる」という言葉を選び直したという。  天皇陛下は、個人的な思いや心のひだを国民に言葉にして伝えることは基本的にない。しかし、和歌を通じて胸の内を表すことはできる。五音と七音を基調とする日本古来の詩歌である和歌。それは、皇室と国民との絆でもある。  皇后雅子さまの御歌は、ご自身の大切なものを詠んでいる。 <皇室に君と歩みし半生を見守りくれし親しき友ら>  両陛下がご結婚したのは、1993年。今年は30年の節目にあたる。天皇陛下と歩む歳月を支え、見守ってくれたご友人たちへの感謝を伝えた和歌である。  歌会始の儀では、古来の形式にのっとり披講(読み上げ)される。出席者は、和歌の文字を目で読まず、音で聴聞することになる。声に出して、音の響きを大切にするのが和歌の魅力でもある。 「ぜひ、皇室の和歌と一般から選ばれた預選歌も声に出して歌の音を味わっていただきたいですね」(永田さん) (AERA dot.編集部・永井貴子) 

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    松任谷由実「数字的最盛期をああだこうだ言った人たちは、みんな滅びた(笑)」

     若い世代の「荒井由実」人気を中心に、6度目のブームとなっている松任谷由実さん。  昨年発売した新曲「Call me back」では、AIで再現した「荒井由実」とのデュエットを披露するなど、さまざまな試みも。作家・林真理子さんとの対談では、自身の50周年を語るとともに、新たな挑戦についても語ってくれました。さらに大学業務で多忙をきわめるマリコ理事長に向け、クリエーター・ユーミンからも鋭い質問が──。 *  *  * 林:この50周年、世間って思ってたよりすごかった、ということあります? 松任谷:うん。「そこまで浸透してたのかな」と思って。 林:若い人たちは、ジブリなんかでよく知ってるんですよね。 松任谷:そう。ありがたいよね。 林:世代を超えて。 松任谷:世代を超えてといえば、ストリーミング(ネットに接続してダウンロードしながら動画や音楽を再生する方法)になったことね。何がいつリリースされたかが問題じゃなくて、出会ったものが新曲。だから多作でよかったと思う。何かに出会ってくれるから。 林:いまの若い人たち、どのへんの曲が好きだと言ってます? 松任谷:いまは「荒井由実」が中心かもしれない。70年代好きが多いしね。ただ、70年代終わりには、今評価されているCity popは既にやっていたけどね。林さんが言う「若い人たち」って40代でしょ? 林:20代かな。女子大生なんかにもユーミンファンがすごく多くて、「カッコいい」とか「ステキ」とかこのあいだもテレビで言ってたから、「そうだろ、そうだろ」って私なんかうれしくなっちゃった。 松任谷:うれしくなってくれるのがうれしい、林さんとかが。 林:「あんたたちの世代でこんな人いる?」みたいな感じ。 松任谷:林さんがそんなふうに言ってくれるから、こうして対談にもやってくる(笑)。バブルのころ踊らされてたのに、私をまるで戦犯のように「あれは一体何だったのよ」みたいな感じの女性記者もいるよ。そのときの自分を恥じてるかのような人たち。 林:そんな人たちがいるなんて。処刑だよ、処刑(笑)。 松任谷:アハハ(笑)。踊ったのは私じゃなくて、自分だもんね。 林:そういう人たちは消えていく運命だよ。 松任谷:そう思う。数字的最盛期のころのことをああだこうだ言った人たちは、みんな滅びてる(笑)。だって嫉妬から言ってるんだもん。私に嫉妬したら疲れるよ。ボールを壁打ちしてるようなもんで。だって、はじめから違うんだもん、存在が。偉そうに言ってるわけじゃなくて、自分の中から出てきてるものをやってるだけだから、批判の対象になり得ない。そんなところに食いついても、自分のエネルギーを無駄にするだけ。最盛期、第4次ブームぐらいのとき、ほんと風当たりが強かったよ。80年代後半から90年代。 林:このごろいろいろなものの形態がどんどん変わってきたし、CDも本も売れないし、テレビだって視聴率10%超えたら御の字じゃないですか。世の中がそんなふうに推移してるんだから……。 松任谷:わかりやすく言っちゃえば、物から事へ移ったりとか、さっき言ったように3次元的なことではなく、5次元を目指して、そういう記憶を自分の中に蓄積するというか。 林:ユーミンって年をとらないし、体力も落ちてないでしょう? 松任谷:落ちてはいるけれど、すぐ自分にアラームが鳴るから、反応が早いとは思う。「ヤバいな」ってことにすごく早く気づくので、自分と毎日向き合ってる。トレーニングもしてるし。 林:矢沢の永ちゃんが「ロックシンガーはフォルムだからね」って言ったけど、確かにそうですよね。パッとライトが当たったときに、太ったおばさんだったらまずいもんね。 松任谷:そうね。特にいまAIと共演してると、AIとの親和性が高くないとね。私だからアバターをつくれると思う。もっとアバターが一般的になってくれば、いろんな形のアバターが出てきていいけれど、いまは差し当たって最先端に見せるためにも、自分の(体の)ラインをちゃんとしておかないとね。 林:すごいと思います。「こういうストリートファッションするには、体形がきちっとしてないと着れないよ」って何かでおっしゃってるのを聞いて、ため息のみですよ。 松任谷:ブランドだって、一発でわかるようなのを着てると老けるよね。 林:モノグラムがついたやつですね。昔、ユーミンがアライアを着てて、世の中の女の子がアライアに憧れて、私も南青山のフロムファーストビルに見に行って、「これがユーミンが着てるアライアというものか」と思ったことがありますよ。 松任谷:「布の彫刻師」と言われたね。 林:おしゃれとか、いつも挑戦してるところは変わってませんよね。 松任谷:好きだからね、洋服。 林:この50年間、たまりにたまったお洋服はどうしてるんですか。 松任谷:たまる一方なんですよ。 林:メルカリに出そうなんて思わない?(笑) 松任谷:アハハ。あんまり思わない。愛着がある。それぞれに思い入れが強いから整理できないし、体形も変わってないから役立つの。頭の中がインデックスになっていて、「そういえばあれがあったな」って。きょう着てるのなんて、20年前にミラノで半分つくったグッチのスーツなんだけど、最近「荒井由実」が何かとフィーチャーされることがあって、荒井由実時代にパンツスーツをよく着てたんですよ。だからスーツ率高いです、このごろ。 林:いまに「ユーミン博物館」ができたときに、ユーミンのお洋服がダーッと並んで……。 松任谷:博物館はつくらない。そういう3次元的なものは意味がない。絶対なくなる。石原裕次郎記念館もなくなったし。ハコモノはダメ。だから歌をやっててよかったの。人の心に入り込めば、死ぬまで持っていけるんだもん。どこにでも運べるし、風のように街を漂ってるし。 林:「私が死んでも私の歌は残ってほしい。その願いがかなえられつつある」ってこのあいだテレビで言ってましたよね。 松任谷:そうね。まあ、一里塚ぐらいかな(笑)。 林:この先やりたいことがいっぱいあるんでしょう? 松任谷:続けることが夢ですね。それは自分のモチベーションにかかっている。もしやめても誰からも文句言われないし、雇用も十分創出してきたし、あとは自分自身がクリエーターとしてどのぐらいやっていけるかだけ。だから自分の問題。 林:このごろ「コンサートやめる」って言う人がいるけど、ユーミンはそんなことないですよね。 松任谷:ま、いつかはやめるときがあるけれど、わからないようにやめる、私は。 林:コンサートのとき、踊るの大変になってきました? 松任谷:そんなことない。そのときの自分に合ったしつらえになってるし、踊りだって変化してきてるしね。エッセンスさえ自分で取り込めればいい。話は変わるけど、林さん、日大の理事長に着任されるとお忙しいでしょう? 林:すごく忙しい。朝から晩までですよ。みんな「どうせ週に3回行くぐらいだろ」とか思ってるけど、私、毎日行ってますよ。まあ、たまに自分のスケジュールが入りますが。 松任谷:でも、ちょっとおもしろそうだな、というところから入ったんじゃないの? 林:かなりおもしろそうだと思った。だから一生懸命やってるし、けっこう楽しい。 松任谷:痛いところ突くかもしれないけれど、要職に就いて書くということから遠ざかってしまうと、危機感、感じたりするでしょう。 林:危機感、感じる。私は職人みたいな作家で、常に肩慣らしをしていかないと書けないから。このあいだ短編を二つ書いたけど、ほかの人が連載してるのを見て「いいなあ」と思うし、悔しいから、これからは理事長室で書けるように態勢を整えようと思ってる。そうじゃないと困っちゃう。私だって1冊ぐらい残して死にたいわよ。 松任谷:いや、残るものはいっぱいあると思うけど。 林:残らない、残らない。これから残るものをつくらないと。 松任谷:文学にしろ映画にしろ接するのが大変じゃない。そういう意味ではポップスって有利だなと思う。口ずさめるんだもん。小説を書くのって、体力もモチベーションもものすごくいると思う。 林:ところで、プライベートのこともちょっとお聞きしたいけど、外食に行ったり飲みに行ったりすることある? 松任谷:あんまりない。早寝早起きになっちゃってるし。 林:私は、そうは言っても毎日外食のお誘いがある。 松任谷:すごい体力よね、林さん。 林:すごくある。それで夫に怒られ、夫とバトルする体力も(笑)。 松任谷:ほんとは怒ってないんじゃない? 林さんのご主人。 林:怒ってるよ。松任谷正隆さんみたいなやさしいご主人、ほんとにうらやましい。 松任谷:とんでもないですよ。やさしそうに見えるけれど真逆。 林:そうなの? 信じられな~い。そこをもっとお聞きしたいけど、あー残念。時間が来ちゃった(笑)。お体、気をつけてくださいね。私たちの人生の指標だから。「ユーミンがこれだけ頑張ってるんだから私たちも頑張ろう」と思って頑張ってるんだもん。 松任谷:ほんと? ありがとう。 (構成/本誌・唐澤俊介 編集協力/一木俊雄)※週刊朝日  2023年1月27日号より抜粋

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    【ゲッターズ飯田が発見】お金持ちが「買うもの」「捨てるもの」「しないこと」とは

    「芸能界最強占い師」として知られ、25年間で7万人以上を無償で占い続け、新刊『ゲッターズ飯田の五星三心(ごせいさんしん)占い2023』も話題のゲッターズ飯田さん。占うなかでお金持ちの人に会う機会も多く、彼らには共通する「お金持ちマインド」があったといいます。そこで今回は、飯田さんが発見した「お金持ちマインド」のなかから、お金持ちの人が買うもの・捨てるものを紹介します。(朝日新聞出版刊『ゲッターズ飯田の金持ち風水』より一部抜粋・再編集) ■「欲しい」ものより「楽しい」ものを買う  お金持ちの家で珍しいものを見つけて、「これ、何ですか?」と聞くと、たいてい、「面白いでしょ!」「これがあると楽しいでしょ!」と、うれしそうな笑顔で答えが返ってきます。  お金持ちは自分のことについては合理主義ですが、人に対しては、「楽しませたい」「面白がらせたい」というマインドを持っているのです。  お金持ちの部屋は基本的にすっきりと片付いているのですが、そこにときどき「何これ?」と思うものがあるのです。興味をもって尋ねると、「面白いから買った」というものが多い!  自分が欲しいものより、面白いと思えて、人を笑顔にするものを買う。自分が「面白がりなタイプ」でもあるのですが、それ以上に「人を楽しませることができる!」と確信できたものにお金を使う、というマインドがあるのです。お金持ちは根っからのエンターテイナーと言えるでしょう。 ■「服」はどんどん捨てる  お金持ち──なかでも経営者は、人に会うことが多いため、身なりには気を遣います。特に女性のファッションは多彩なので、女性の社長さんともなれば、ものすごい数の服を持っているのでは? と思うでしょう。  でも、ある女性の社長さんに聞いたところ、「服はどんどん捨てる」と言っていました。  基本的に、お金持ちは物をたくさん所有しようとはしません。  例えば、その社長さんの買い物の仕方はこうです。まず、買い物をする日と店を決めます。「このセットと、このセットと……」と一度に20着くらいをセットアップで買って、その20着分のセットをローテーションで着ていくのです。それをしばらく繰り返したら、全部手放すんだそうです。  要するに、新しいものを買ったら、古いものを捨てるの繰り返し。コーディネートを考えて着回す、というようなことをしません。  なかには洋服が大好きでセンスに自信があり、コーディネートが得意なお金持ちもいるかもしれませんが、多くの経営者は、「自分はセンスがないから、人に選んでもらう」と言います。自分ができないこと、得意ではないことは人に任せ、そこで悩んだり、迷ったりする時間を極力省こうと考えるのです。  相手をいい気持ちにする服、自分をいい気分にさせる服、自分の個性やキャラクターを際立たせる服など、身なりへの気遣いはとても大切にし、工夫もしていますが、多くは「人に対しての気遣い」であり、「服へのこだわりや所有欲」ではないのです。  役目を果たし終えた服はどんどん手放し、新たな服で気持ちを一新させる。その判断と行動が早いのが、お金持ちの特徴です。ですから、もしも家に2シーズンくらいまったく着ていない服があったら、どんどん捨てた方がいいかもしれません。 ■お金持ちは「ギャンブル」をしない  お金持ちが「しないこと」に目を向けてみると、「ギャンブルを趣味にはしない」があります。  海外カジノで遊ぶお金持ちもいますが、それは旅行中の非日常的イベントであって、日常的にギャンブルを趣味にしている人は少ないでしょう。  なぜなら、お金持ちは、「人生がギャンブルだ」と考えているからです。  一般的に多くの人は安定した人生を求めますが、お金持ちは、「安定なんてあるわけがない」と考えています。だからこそ誰も手をつけていないジャンル、誰もやったことのない方法、誰よりもスピーディーな展開……といった未知の世界に挑むことを繰り返し、そこで成功した結果、お金持ちになっているのです。  お金持ちは開拓者であり、道を作り続ける人。  そう考えると、仕事そのものがギャンブルみたいなものなのです。 ※『ゲッターズ飯田の金持ち風水』より ◎ゲッターズ飯田/これまで7万人を超える人を無償で占い続け、20年以上占ってきた実績をもとに「五星三心占い」を編み出し、芸能界最強の占い師としてテレビなど各メディアに数多く登場する。『ゲッターズ飯田の五星三心占い』は、シリーズ累計800万部を超えている(2022年9月現在)。5年連続100万部を出版し、2021年は年間BOOKランキング作家別1位(オリコン調べ)と、いま日本で一番売れている作家。

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    ユニクロ「40%」賃上げの衝撃 それでも業績好調な日本企業が真似できない決定的な理由

     約40年ぶりの物価高のなか、春闘が始まる。実質賃金は8カ月連続で下がり続けているなか、衣料品店「ユニクロ」などを展開するファーストリテイリング(以下、ファストリ)は3月から正社員の年収を最大40%引き上げると発表し、大きな反響を呼んでいる。ユニクロの賃上げは他の企業にも広がるのか、労働経済などが専門の日本総研調査部の山田久副理事長に聞いた。 *   *   * 「40%という賃上げの数字自体は驚きというか、思い切ったな、という感じを受けましたけれど、ある意味、非常に納得がいくというか、合理的な思考に基づいた決断ではないかと思います」  山田さんは、そう指摘する。  この1年、エネルギーや原材料価格の上昇や円安によって物価が高騰しているが、ファストリの賃上げは単に物価高に直面する社員に配慮して行うものではなく、根本的なビジネスモデルの転換の一環に違いないと、山田さんは見る。 「1990年代末から2000年代はじめ、ユニクロは、安い衣料品を売る、というビジネスで業績を急拡大しました。しかし、ユニクロの商品をずっと見てくると、単に安売りをしてきたわけではなく、商品の品質や機能を上げながら値ごろ感を出しています」  その象徴といえるのが、体から出る水蒸気を利用して発熱する「ヒートテック」の商品だという。 「特に最近の決算を見ると、販売の単価をかなり上げて、数量を減らしています。つまり、世界的にインフレの時代になっていくなかで、コスト削減に主眼を置くのではなく、価値を創造して、売り上げを伸ばすビジネスモデルに転換していく。そのためには人への投資を増やして、社員のモチベーションを上げることが必要だと判断したのではないでしょうか」  ファストリはユニクロを国内だけでなく、アジアや欧米の国々にも展開している。 「日本は人口減少社会ですから、マーケットのボリュームは次第に縮小していきます。今後、ユニクロのグローバル展開はさらに加速するでしょう。そこで日本と海外で給与水準に差があると、戦略的な人材の移動がスムーズにいかず、事業をうまく展開できない。今回の賃上げの背景にはそんな問題意識もあったと思います」 ■「ユニクロの真似」ができない理由  上場企業の22年9月中間決算は業績を伸ばす企業が相次いだ。純利益は前年同期を約1割上回り、中間期としては過去最高水準となった。23年3月期決算の業績予想を上方修正するメーカーも相次いでいる。  ファストリの賃上げについて、他の企業の経営者はどう感じているのだろうか? 「今、賃上げができる企業は給与水準を上げてきているわけですから、そんななかで自分の会社が賃上げできないとなると、当然、社員のモチベーションは下がります。ですから、企業全体に対して、賃上げを本気で考えないといけない、と思わせるインパクトは結構あったのではないでしょうか」  ただ、今回のような賃上げは「ファストリだからこそできる」と、山田さんは見る。 「今回のユニクロ報道を見ていると、『40%』という数字が目立つわけですが、実際には職種や階層によって年収で数%から約40%の幅があるようです。ユニクロの経営は、本部で経営・事業戦略を立て、現場は基本的にそれを実行していく。給与水準の個人差は大きいようで、人材の流動性も比較的高くて、それに応じたマネジメントをしている。ところが、伝統ある大手企業ではそういうやり方はできないんですね」  ファストリと同様、比較的新しい企業では優秀な人材の給与を集中的に上げる傾向があるという。 「でも、歴史のある巨大な組織のなかではみなさん、横並びの公平性、ということを意識するわけです。若い人や一部の人材を厚遇しようとしても、組織が複雑化しており、その人たちだけで会社がまわるような構造になっていませんから。それに、これまでにいる人たちが妬みますしね。やはり、そこで働く多くの人たちのモチベーションって、すごく大事なんです。なので、急に給与に差をつけることは難しい」 ■本気で賃上げ要求をしない組合  年収アップだけではない。  今回、ファストリが新入社員の初任給を25万5000円から30万円にアップすることも話題になった。 「他の企業も初任給を上げてきていますが、歴史ある企業では初任給を上げるとしても限界があります。基本的に年功型の給与体系ですから、もし、初任給を大幅に上げたら、2、3年前に入社した人は一気にやる気をなくしてしまいます。なので、特別な職種をつくったり、別会社を立ち上げたりして特定の人材を厚遇する、というのが伝統的な日本の企業のやり方です」  賃金格差をつけての大幅な賃金アップといった大胆な賃金体系の見直しはある意味、長期雇用前提のビジネスモデルでないベンチャー企業、新興企業だからこそできるわけだ。  さらに日本の労働組合は賃上げよりも雇用保障を最重視してきたことが、なかなか賃金上昇につながらなかった大きな原因だという。 「グローバル競争が激しいなかで給料を上げていたら、企業は十分に投資できない。人件費負担が高まれば競争力を失って、結局、自分たちの雇用に跳ね返るということで、日本の労働組合は欧米に比べて賃上げをあまり要求してこなかったんですね。企業の内部留保の大きさがよく指摘されますが、リーマン・ショックや今回のコロナ禍でも日本企業の倒産が比較的少なかったのは内部留保が十分にあったからなんです。なので、組合は本音では内部留保を大きく取り崩してまで賃上げをしないほうがいいと思っている面もある」  一方、アメリカでは人材の流動性が高く、企業は賃金を上げていかないと、社員が辞めてしまう。そのため、賃金は毎年上がる。 「ヨーロッパには春闘はありませんが、労働組合は数年単位で経営側と賃上げ交渉をします。その結果、賃金が毎年上がっていきます。一方、組合は不採算部門の閉鎖をある程度容認しています。閉鎖を認めないと、経営者は賃金を上げられませんからね。その代わりに組合は解雇された人が他の仕事にしっかりと移れる支援をするように交渉します」 ■東大生に見る日本企業離れ  では、日本はどうか。  日本企業の場合、リストラ対象の人の再就職を、それを支援する(アウトプレースメント)専門の会社に委託する。組合もそれを黙認してしまう。  アウトプレースメントの業界は玉石混交だ。きちんと再就職の面倒をみてくれる会社であれば救いがあるが、「そうでない場合、リストラされた人は不幸になってしまう」と山田さんは言い、こう続ける。 「もちろん、組合は雇用の安定にはこだわらないといけませんが、やはり現実問題としてリストラが必要となったときには、その対象となった人たちが積極的に次の仕事に移っていけるサポートをするように、組合の考え方を変えていく必要があると思います。そのうえで、賃上げ交渉に力を入れていく。でないと、物価の上昇に賃金が追いつかない。そういう意味では春闘をしっかり立て直さなければならない」  それによって日本の賃金全体を底上げしていく。さらに工夫をしながら成果主義を給与に盛り込んでいくことが必要だと、山田さんは訴える。  今、日本の人件費の安さは先進国のなかでも際立っている。平均給与はOECDの統計で韓国よりも低い。 「そんななか、東京大学の学生の就職先を見ると、大きな変化が起きています。4、5年前までは中央省庁や銀行、商社、大手メーカーへの就職が多かった。ところが、最近は外資系企業が増えました。アクセンチュア、マッキンゼー・アンド・カンパニー、PwCコンサルティングなど。外資の場合、最初からやりたい仕事を思い切ってさせてもらえますからね。もちろん、給料も高い。彼らはもう終身雇用なんて全く信用していませんから。学生全体で見ると、まだそれほど大きな動きにはなっていませんが、外資系企業に就職したり海外に人材が流出してしまったり、といったことが数年前から起こっています」 ■さすがにこの人件費はおかしい  給料が上がらないことが経済活動を停滞させ、さまざまな社会問題の要因となってきた。インフレの時代になると、生活はどんどん苦しくなっていく。そんな日本を去っていく若者も増えるだろう。優秀な人材が得られない日本企業は活力を失っていく。 「さすがに今の人件費の安さはおかしい、という経営者の意識は強くなっていると思います。給与を広く上げていくことの重要性が問われています」 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)

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    【ゲッターズ飯田が教える】チャンスをつかむ人が 「裏運気」 の時期にやっていること

    「芸能界最強占い師」として知られ、25年間で7万人以上を無償で占い続け、新刊『ゲッターズ飯田の五星三心(ごせいさんしん)占い2023』も話題のゲッターズ飯田さん。どんな人にも12年のうち2年、12か月のうち2か月、12日間のうち2 日、「己の欲望が変わる」という現象が起こる「裏運気」が訪れると言います。恐れられがちな「裏運気」の時期にすべき行動をゲッターズさんに伝授してもらいました。(朝日新聞出版刊『ゲッターズ飯田の裏運気の超え方』より一部抜粋・再編集) ■裏運気で良くなる人、悪くなる人  人間だれしも、うまくいく時期とそうでない時期があるもの。  たとえば芸能界では、大ヒット、大ブレイクが訪れると、たいていはその後、徐々に盛り上がりは沈静化していきます。逆もしかりで、急に嫌われ役が回ってきたり、叩かれたりすることがありますが、次第に騒ぎは収まっていきます。この浮き沈みの激しさは、まさに運気の移り変わりを見せてもらっているかのようです。  表運気から裏運気に移行するときは突然のように思えます。ドーンと効果音をつけたくなるような激変と感じることが多いものです。  でも、安心してください。叩かれたり炎上するにしても、永遠には続きませんから。みんなどこかで「飽きる」ときがきます。  一見、「突然うまくいかなくなる=裏運気」と思いがちですが、じつは裏運気で大ブレイクしたり、チャンスをつかんだりする人もいます。  これまで売れなかった人が、裏運気の波に乗って、急に注目を浴びることがあるのです。通常モード(表運気)が「売れない」だったので、裏モードになると運気がひっくり返って「売れる」に変わるのです。これはある意味「裏運気チャンス」です。  ただし、裏運気は“期間限定”です。  だいたい2年の裏運気が過ぎれば元に戻るわけですから、そこでの幸せに執着しないことが重要です。裏運気では、どんな努力をして、何を残し、何を与え、次にどうつなげるかが問われます。  また、裏運気チャンスの期間に、表運気につなげる「ある行動」ができれば、表運気に変わったときに、また大きくジャンプできる可能性があります。 ■「自分さえ良ければいい」は絶対にやめて  裏運気の時期にすべき、飛躍のきっかけになる「ある行動」。それは「裏運気のチャンスを使って、どれだけ他人のために行動できるか」です。  そもそも、裏運気にチャンスをつかめる人は、人のために行動してきた人。  表運気のときに徳を積んでいるから、裏運気になって、通常モードとは違う状態に戸惑っているときに、これまでの人脈に助けられるのです。だからこそ裏運気でチャンスをつかめる、とも言えます。  逆に、いつも周囲の悪口を言ってばかり、努力もしない、人のせいにする、都合が悪くなると逃げてばかり……。そんな人には、そもそもチャンスは回ってきません。チャンスは他人が運んでくることが多いので、人が離れたくなるような人にチャンスが回ってこないのは、当然と言えば当然です。  裏運気チャンスが来るかどうかは、やはり表運気で何を積み重ねてきたかが影響するんですね。どんな運を貯めてきたかが、裏運気でわかるのです。  ここで、大事なことをお伝えします。  裏運気で運が悪くなる人には、ある特徴があります。それは、「自分さえ良ければいい」と思っている人です。  たとえば、表運気のときに、大きなチャンスをつかめるようないい話がやってきたとします。「うまくいけば儲かる」とか、「有利な地位が得られる」などと、自分の得しか考えずに、周囲への感謝をなくしていたら……? 裏運気で今までの運がひっくり返ったときに、誰も助けてはくれません。  もしくは、表運気のときに、感謝を忘れずに人のために行動してきたとします。そして、裏運気で大きなチャンスがやって来たとします。ところが、裏運気のチャンスに目がくらんで、「自分さえ良ければいい」と独り占めすると、表運気に戻ったときに、真の味方はいなくなっていることでしょう。  裏運気は、「裏の自分が出る」時期です。  表運気で感謝していても、裏運気で出る「裏の自分」が強欲だと、せっかく貯めてきた運を台無しにしてしまうのです。  表も裏も自分ですから、ある意味、ここで「裏の自分」を知ることになるのです。 ※『ゲッターズ飯田の裏運気の超え方』より 「運気の周期」や「裏運気」についてさらに詳しく知るには、ぜひ本書をチェックしてみてください。悪い運気と誤解されがちな「裏運気の時期」の過ごし方や乗り越える方法をたくさん紹介しています。 自分の「裏運気」の時期もわかる!新刊『ゲッターズ飯田の五星三心占い2023』は全国の書店・ネット書店・セブンイレブンにて好評発売中!>>詳しくはこちら (https://www.asahi-getters.com/2023/) ◎ゲッターズ飯田/これまで7万人を超える人を無償で占い続け、20年以上占ってきた実績をもとに「五星三心占い」を編み出し、芸能界最強の占い師としてテレビなど各メディアに数多く登場する。『ゲッターズ飯田の五星三心占い』は、シリーズ累計800万部を超えている(2022年9月現在)。5年連続100万部を出版し、2021年は年間BOOKランキング作家別1位(オリコン調べ)と、いま日本で一番売れている作家。

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    坂本真綾「私の代わりはいくらでもいる」 出産を経て心境に変化、作詞や歌を全身全霊でやるために

    『REVENGER』、『火狩りの王』と話題の新作アニメへの参加が続き、精力的に2023年のスタートを切った坂本真綾。妊娠・出産を経て本格的に活動を再開した彼女の今の気持ちを語ってもらった。 *  * *  声優、歌手、俳優、作詞家など幅広く活動している坂本真綾。2021年12月に妊娠を、2022年4月に第1子を出産したことを発表した。その後、少しずつ活動を再開し、2022年11月に約1年8カ月ぶりとなるコンサートを開催。そのステージで彼女は、「いろんなことにチャレンジしながら、とりあえずまだ歌っていきます、と伝えるために来ました」と語った。 「未来永劫歌いますという意味ではなく、まだ歌う気はありますということだったんですけどね(笑)。25年以上活動を続けてきて、年齢的にも落ち着いていい時期なんですが、“まだやり残していることもあるな”という思いもあって。しばらく仕事から離れる期間があって、改めて人前に立ったときに、“まだやり残したことがある。より良い自分を目指したい”と感じたので」 ■出産を機に考え方が完全に切り替わった  幼少期から子役として舞台に立ち、10代半ばで声優として評価を獲得。「仕事最優先の生活を何十年も続けてきて、この概念が覆ることはないと思っていました」という仕事人間だったが、出産を機に生活スタイルは一変。彼女にとっては、これまでのキャリアを俯瞰する機会にもなったという。 「常に“この仕事は私にしかできない。誰にも代わってもらえない”というプレッシャーを感じていたけれど、そんなことないんだなって。世の中は持ちつ持たれつ、困ったときは助け合って成り立っているわけで、“私の代わりはいくらでもいる”と気楽に考えられるようになったのは、すごく大きい変化でした。もちろん責任ある仕事だけど、自分が楽しむこと、日々健やかに過ごすことも大切。新しい生活のなかで、これまで食指が動かなかった分野の芸術に興味が湧いたり、今までとは違った視点で世界を見つめられたりするのも楽しいですね。以前は“もし子供ができたら、休んでいる印象を与えないように、どうやってキャリアをつなぐか”ということばかり考えていましたが、いざ出産したら考え方が完全に切り替わりました」 ■時を超えて伝えたいメッセージを歌詞に  コンサートや演劇などの表立った活動を抑えていた時期に力を入れていたのは、作詞。KinKi Kids「光の気配」(2019年)など以前から作詞家として活動していたが、昨年も冨田ラボ「DEEPER feat. 早見沙織」、堂島孝平「Latest Train」の作詞を担当している。 「歌ってくださる方の声、表現に合わせて言葉を選ぶのは、自分のための歌詞とはまったく違っていて、とても勉強になります。その人の声だから届く言葉、膨らむ言葉があるし、もっと人に歌詞を書きたいですね」  2023年第1弾シングル「まだ遠くにいる/ un_mute」(1月25日発売)にも、現在の坂本真綾のモードが反映されている。「まだ遠くにいる」(作詞:坂本真綾 作曲:姉田ウ夢ヤ・堀下さゆり)は、彼女自身が声優として出演するTVアニメ『火狩りの王』のエンディングテーマ。 「原作の小説を読み、全体のテーマや共感できる部分を探しながら歌詞を書きました。“これまで人間が犯してきた間違いのツケを次の世代の人たちが払う”という世界が描かれているのですが、それはずっと続いてきたことでもあって。もらった命を燃やしながら、少しでも明るいほうに手を伸ばすことの繰り返しで、何とか持ちこたえてきた歴史なんだろうなと。音楽は何十年先の人に聴いてもらえる可能性があるので、そのときに頑張っている人を少しでも励ましたり、支えられたりする、タイムカプセルのようなメッセージがあってもいいのかなと」 「un_mute」(作詞:岩里祐穂 作曲:SIRA)は、TVアニメ『REVENGER』のエンディングテーマ。“消音を解除する”という意味の曲名は、昨年11月の復帰コンサートのタイトルにもなった。作詞は坂本真綾、今井美樹、花澤香菜などの作品を手がけてきた岩里祐穂。 「私の再始動をイメージして書かれた歌詞ではないと思いますが、いい曲名だなと思ってライブのタイトルにしました。“止まることのない世の中でも、どうか心を閉ざさないで”といったテーマなんですが、自分ではたどりつけない表現だし、人に書いてもらうこともやっぱり必要だなと。歌詞を提供してもらうと、歌えば歌うほど発見があるし、あとから胸に迫るフレーズに気づいたりするんですよ」  さらに坂本が作詞・作曲した「こんな日が来るなんて」も収録。自身がパーソナリティーをつとめるラジオ番組に寄せられたメールがもとになったポップチューンだ。 「“人生、何歳になっても思いがけないことが起きる”と思わせてくれるメールだったんですが、自分自身のことにも重なって。子供が生まれると“自分は主役じゃなくて、サポート役”という印象もあるけど、まだまだ長く生きなきゃいけないし(笑)、何が起きるかわからないよねって。自分よりも若い女性が歌うことをイメージして書いた歌詞ですね」 ■“子育てって本当に大変だ”と実感する   現在も新作を制作中だという彼女。以前は「何から何まで自分で確認しないと気が済まないタイプでした」というが、今は人に任せることを意識しているとか。 「原稿や写真のチェックから、CDジャケットのデザイン、MV、ポスターまで、かなり意見を言ってきたほうだと思います。自分の活動なんだから、把握しておくべきだと。でも、最近は“お任せします”というワードが増えてきましたね。投げやりになったわけではなく、周囲の人を信用して、任せるところは任せようと。今は家に帰っても休めないし、使える時間とエネルギーは限られている。作詞や歌を全身全霊でやるためには、そのほかのことを分散する必要があるんですよね」  もちろん、女性の人生において出産は、きわめて大きな出来事。キャリアが中断されることへの不安、生活の変化、子育てを巡る社会環境など、多くの問題を抱えながら日々を過ごしているのは、彼女自身もまったく同じだ。 「お金もかかるし、子育てって本当に大変だなと実感してますね。“少子化を何とかしないと”と言われているけど、問題は本当に多いし、“どうやって子育てしろって言うの?”と思うこともあります。私のような職業の人がすぐに活動を再開するのも、“出産後の復帰は、早いほうがいい”という世間のイメージにつながってしまわないかと思ったり……。良くないこともいっぱい見えてきましたけど、私としてはできるだけ良い面に目を向けたいと思っています。子供の視点を通して見えてきた世の中のいいところを感じて、作品として届けたいですね」 (森 朋之) さかもと・まあや/1996年にシングル「約束はいらない」でデビュー。みずみずしい歌声に定評があり、日本のみならず世界中のファンから支持をうける。歌手、声優、女優、作詞家、エッセイスト、ラジオパーソナリティーなど、多方面で活躍を続け、2020年にはCDデビュー25周年を迎えた。また、俳優としてミュージカル「ダディ・ロング・レッグズ~足ながおじさんより~」で第38回菊田一夫演劇賞を受賞、作詞家としてKinKi Kidsの41stシングル「光の気配」を手がけるなど、活動の幅は広がり続けている。2023年1月25日には両A面シングルを発売。1月から放送がスタートしたTVアニメ『REVENGER』EDテーマ「un_mute」と、同じく1月から放送がスタートしたWOWOWオリジナルアニメ『火狩りの王』のEDテーマ「まだ遠くにいる」が収録されている。 坂本真綾さんが声優として出演するTVアニメ『火狩りの王』のEDテーマ「まだ遠くにいる」 TVアニメ『REVENGER』のEDテーマである「un_mute」

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    愛子さま、淡い水色のドレスでフレッシュな品格 雅子さまとの「シンクロコーデ」に感じた母娘の絆

     コロナ禍のために3年ぶりの実施となった「新年一般参賀」。何よりも注目を集めたのは初めて参加される天皇皇后両陛下の長女、愛子さまだった。ご自身の性格を「人見知りなところがある」という愛子さまだが、緊張もされたであろうが堂々とした姿であった。そして、美しかったのは淡い水色のドレス。こうしたドレスや服選びに関して、皇室解説者に聞いた。 *  *  *  3年ぶりの一般参賀の報道の見出しには「愛子さまが成年後初めての出席」という言葉が必ずといっていいほどついており、愛子さまへの注目の高さがうかがえる。  天皇陛下、雅子さまに続き、皇族の方々が宮殿・長和殿のベランダにお出ましになり、愛子さまは雅子さまの隣に並ばれたが、おふたりのドレスは色もデザインも異なるものの何となくフォルムが似ている。このことに、著名人のスタイリングも手掛けるスタイリストがこう解説をする。 「今回の雅子さまと愛子さまのドレスは、長和殿のベランダの全景が映し出されたときによくわかるのですが、フォルムがそっくり! お手振りのときは上半身しか見えませんし、さらには皇居東庭に集まった一般参賀に参加のみなさんからは肉眼では女性皇族のみなさんのドレスの細部までは認識できないので、もしかしたら、雅子さまと愛子さまのドレスのシンクロはかなり計算されたものでは? と拝見しておりました」  続けて、愛子さまのドレスの細部に関してこう解説する。 「愛子さまは襟が上品に立ち上がった淡い水色のドレスをお召しになっていました。初めてのとか若々しさというキーワードが浮かびますが、もちろん気品もあって、フレッシュな品格が表現されていましたね。イヤリングはパールが2粒のもので、雪だるまみたいな形のかわいさといいますか、1粒よりも若々しく、本当にさりげなくおしゃれなうえに上品。ブローチもパールをあしらったもので、お手振りの場面ということで、やや高い位置に付けられているのではないかと思います」  一方、雅子さまのドレスはというと、色、デザインは異なるものの細部に愛子さまとのシンクロのこだわりが見て取れるという。 「雅子さまは、オフホワイトの柔らかい色合いで、カシュクール風(前を着物のように打ち合わせて着る形の上衣)の切り替えが美しいドレス。愛子さまのドレスの生地もそうですが、雅子さまもとても表情のある上品な織り地でした。この織り地も淡い水色、オフホワイトと色は違うんですが、色の濃度・トーンがまず揃っていますよね。同じドレスではないのに、肩先のシルエット、袖の筒の太さ、デコルテのラインも絶妙に合わせた感じです。さらに、袖口のボタン! 雅子さま、愛子さま共に包みボタンで、数も6つというさりげないこだわりです」  雅子さまは、以前よりこうした包みボタンを好まれているといわれている。愛子さまのスタイリングにも影響しているのだろうか。これに関して、元宮内庁職員で、『いま知っておきたい天皇と皇室』(河出書房新社)の著書がある皇室解説者の山下晋司さんは、こう解説する。 「愛子内親王殿下のドレスは上品な感じで素敵でしたね。他でお召しになっていた記憶はありませんので、一般参賀のために新調されたのでしょう。新調にあたっては、スタイリストというより、ファッションデザイナーが関わっているはずです。デザイナーは提案もするでしょうが、ご本人と相談しながら決めていくことになります。愛子内親王殿下の場合、初めての一般参賀ですから、当然のことながらお母様である皇后陛下と相談されたことでしょう」  デザインがシンクロしていることに関して、山下さんは「情報共有があったのでは」と話す。 「今回の一般参賀のように、女性皇族の方々が並ばれるときにお召し物の調整があるのかと、よく質問されます。奥向きのことなのでほとんど知りませんが、園遊会のことでいいますと、昭和から平成の中頃までは、洋装にするか和装にするかを皇后が決めて、皇太子妃以下の女性皇族はそれに倣っていました。色味についても同様に側近の女性職員が情報を取りにいき、参考にされていたようです。この園遊会のことで言いますと、平成の中頃に当時の皇后(現在の上皇后陛下)が『洋装、和装を交互にしましょう』とお決めになったので、他の女性皇族はその決定を待つ必要はなくなりました。色味については、側近の女性職員が頑張って、いまも情報を取っているのかもしれませんね」(山下さん)  たしかに、色のかぶりはなく、雅子さまはオフホワイト、愛子さまは淡い水色、秋篠宮家の次女、佳子さまは深紅だった。 「側近の女性職員同士の情報のやりとりは、昔よりも少なくなっているかも知れません。女性皇族の中には、皇后陛下や皇嗣妃殿下のお召し物の色味を気にしない方もいらっしゃるのではないでしょうか。以前、歌会始のときに色味がかぶっている方もいらっしゃいましたので。通常の儀式や行事で、お召し物の色まで決めている内規のようなものはありませんので、それぞれの皇族のお考え次第といっていいでしょう」(山下さん)  知れば知るほど興味深い女性皇族の服装選びだが、今回の一般参賀に関して、雅子さまと愛子さまの「情報共有」はあったかもしれない。 「愛子内親王殿下がデザイナーとだけ相談して、新調されるとは考えにくいですね。また、お母様が『これを着なさい』とおっしゃることもないでしょう。仲のいいご一家なので、デザインや色味も含めて、デザイナーの提案を参考にされながら、おふたりで楽しく決めておられるのではないかと思っています」(山下さん)  清々しく美しく見えた愛子さまの水色のドレスには、こうした母と娘の絆が織り込まれているせいなのかもしれない。(AERAdot.編集部・太田裕子)

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    愛子さま、花の飾りに「あ、よいですね」とにっこり 女性皇族が帽子をかぶるときとそうでないときの違いとは?

     新年は、愛子さまが身に着けた可愛らしい帽子に注目が集まった。女性皇族の正装にかかせない帽子。実は、宮殿の儀式でも着用するときとしないときがある。その線引きはどこにあるのか。父である故・平田暁夫さんとともに、親子2代で皇室の帽子デザイナーを務める平田欧子さんが、愛子さまの帽子に込めた秘話とマナーを解説する。 *  *  * 「愛子さまのローブモンタントとあわせるはじめての帽子にふさわしいのでは、と提案いたしました」   おだやかに話すのは、皇室の帽子のデザイナーを務める平田欧子さん。1966年から皇室の帽子のデザイナーを務め2014年に亡くなった父・平田暁夫さんのあとを継ぎ、皇室の帽子のデザイナーとして活躍している。  欧子さんが指すのは、愛子さまの帽子につけたゴヨウツツジの花飾りのことだ。  愛子さまが20歳の成年を迎えた一昨年、そして今年の元日。天皇陛下と皇后雅子さまそして愛子さまは、上皇ご夫妻に新年のあいさつをするため、お住まいの仙洞御所(昨年は、仙洞仮御所)に向かった。  愛子さまが日中の正装であるローブモンタント(長袖ロングドレス)にあわせたのは、淡いサーモンピンクの共布でつくられた帽子だ。  成年皇族は、宮中行事や公務へ出席することになる。成年を前にした時期、宮殿行事などで着用する正装のドレスにあわせる帽子をいくつか新調した。  愛子さまが作った地模様の入ったローブモンタントは、胸元に飾りのないシンプルなデザインだった。20代の女性皇族となる愛子さまの清楚な雰囲気に似合うだろうと、こう提案した。 「お花の飾りもいいのではないでしょうか」  愛子さまは、にっこりと笑い、こう答えた。 「あ、それもよいですね。お願いします」  愛子さまは感情が豊かだ。うれしいと感じるときは、素直に表情にあらわれる。愛子さまが笑うと、その場の空気がふわっと明るくなった――。そう、欧子さんは振り返る。  これから愛子さまは、成年皇族として公務に出席する場面も増える。成年皇族のご準備としてつばのない「トーク帽」をはじめいくつか新調した。 「愛子さまの最初の帽子に、ふさわしいのでは」  そう思った欧子さんは、帽子の花飾りに愛子さまのお印であるゴヨウツツジを選んだ。花と一緒に編み込んだリボン飾りで品のよい華やかさを添えた。  皇族の持ち物の目印として用いるのが、お印だ。  天皇陛下と雅子さまは、栃木県の那須御用邸に咲くゴヨウツツジが好きで、「この純白の花のような純真な心を持った子どもに育ってほしい」と願いを込めて、愛子さまのお印としたという。  上皇ご夫妻へあいさつに向かう際、愛子さまは2年続けてこのゴヨウツツジの帽子を着用した。  女性皇族が、宮殿での儀式や公務などの皇室行事でローブモンタントに合わせるのが帽子だ。 「明治維新以降、宮殿における儀式や公務における皇室の正装は、洋装になりました。明治から昭和の前半までは、帽子ありきでファッションが成り立った時代。皇族方の帽子も冒険したデザインが多くありました。最近は、『皇室も控えめに』といった風潮があるためか、公務の際でも帽子をかぶらないケースもおみかけします。洋装は本来帽子で完成するもの。皇族方が帽子の楽しみ方のお手本になっていただけると嬉しいですね」(欧子さん)  他の皇族方のお住まいへの訪問や一般参賀や宮殿での儀式においても、帽子を着用するときとそうでない時がある。どのような区別はあるのだろうか。 「お相手を訪問する際には、帽子を着用します。元日に愛子さまが、上皇ご夫妻のお住まいに訪問した際に帽子をお召しになったのは、訪問する立場であるためです。ご自分のお住まいにいらっしゃる上皇后さまは着用なさらない」(欧子さん)  興味深いのは、一般参賀や皇居・宮殿での儀式など同じ皇室行事でも女性皇族によって帽子の有無があることだ。宮殿行事では、帽子を着用しない皇后さまの写真や映像を見かける。  どういうことなのか。  「皇居・宮殿で執り行われる歌会始や講書始の儀などは天皇、皇后両陛下が主催する儀式です。皇居にお住まいの皇后さまは、着用なさらない。一方、参内する立場の他の皇族方は、帽子をお召しです」(欧子さん)   宮殿での新年祝賀の儀で、女性皇族はコロナ禍に配慮してティアラを控えた。大きな行事でも華やかな印象のある帽子をつけない場面もある。しかし、作法の基本は同じだ。  新年の一般参賀では、両陛下はお祝いに集まった人々をお迎えする立場だ。欧子さんによれば、平成に入りしばらくした頃、「人々を皇居にお迎えする立場ということから、皇族方は帽子を身につけない」という形で落ち着いたという。  一方で、平成と令和における天皇陛下の即位を祝う一般参賀では、皇后さまを含む他の女性皇族も帽子をかぶっている。  天皇誕生日の一般参賀では、皇后さまは帽子をかぶらず、皇太子時代の雅子さまや眞子さん、佳子さまなど他の女性皇族は帽子をかぶっていた。体調などの関係で着用しない場合を除いては、おおむね統一されている。 即位に伴う一般参賀は、皇室全体が国民から祝福をもらう立場。天皇誕生日の一般参賀は、 祝福を受ける天皇陛下の妻である皇后は、人々をお迎えする立場という解釈なのかもしれない。 「欧州の王室では、いまも帽子はロイヤルを象徴する装いとしてあります。帽子は、かぶるだけで背筋が伸びるという方や、気持ちが豊かになるといっていただける方もいらっしゃる。愛子さまは、いろいろな帽子に興味をもってくださるので、これからもぜひ華やかな帽子などもかぶっていただきたいですね。上品に着こなしていただけると思います」 (AERA dot.編集部・永井貴子)  

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    「戦場カメラマン」横田徹がウクライナで感じたロシア兵の不気味さと日本人義勇兵の評判

      世界を震撼させたロシア軍のウクライナ侵攻からもうすぐ1年が経つ。当初、電撃的に首都キーウ制圧を目指したロシア軍の動きはウクライナ軍によって阻まれた。その後、ウクライナ軍はロシア軍による占領地域の約4割を奪還した。ただ、戦場での情報を厳しく統制するウクライナ軍は前線への取材をほとんど許しておらず、戦闘の様子を目にした報道関係者、特に日本人は極めて少ない。その一人、ベテラン「戦場カメラマン」の横田徹さんに話を聞いた。 *   *   *  横田さんと会ったのは1月11日。ウクライナに出発する前夜だった。昨年5月と9月に続く、3度目のウクライナ取材だという。  まず、横田さんが語ったのは、昨年の大晦日にロシア軍のミサイル攻撃で朝日新聞の関田航記者が足を負傷したことだった。 「関田さんが滞在していたキーウのホテルの写真を見るとかなり大きく壊れている。軽傷で本当によかったと思います」  横田さんは1997年のカンボジア内戦取材以来、東ティモール、コソボ、アフガニスタン、イラク、シリアなどに足を運んできた。そんな戦争取材のベテランが口にしたのは、ウクライナには安全な場所がない、ということだった。 「ウクライナは、どこにいてもミサイルが飛んでくる。だったら、本当に危ないところに行って、パッと帰ってくる。取材はほどほどにしますよ」  そう言って、ときおり笑みを見せながら話す様子は気負いをまったく感じさせない。 「今、ウクライナ東部は暖かくても氷点下という世界です。そういう過酷な状況のほうが絵になる映像や写真が撮れる」と、今回の取材のねらいを説明する。  むろん、ロシア軍侵攻から1年になる2月24日に向けて増える報道需要も想定している。 「戦争取材にはお金がかかります。ぼくは状況次第ではアメリカの大手テレビ局なみに、1日20万円くらいコーディネーター料を支払います。それをどう回収するか、というのはこの仕事では大切なことです」  淡々と、そう話す。 ■ロシア軍の支配地域へ  今回の戦争ではNATO諸国がミサイルや大砲などの兵器をウクライナに供与するほか、さまざまな国の義勇兵がロシア軍と戦っている。横田さんはこの義勇兵に焦点を当てた。  昨年5月、キーウの基地を訪れた際、横田さんを出迎えてくれたのは国際義勇軍の中核を担うジョージア人部隊の司令官、マムカ・マムラシュビリ氏だった。  黒海の東岸にあたる旧ソ連の構成国ジョージアは、2008年、ロシアに侵攻された。そんなジョージアの人々は、ウクライナに対して強い親近感を抱いている。  横田さんはウクライナ東部の前線から数十キロのところにあるジョージア人部隊の後方基地に案内された。 「行ってみたら、兵士たちはもうびっくりするような装備を身に着けていて、完全に特殊部隊じゃないか、と思いました。キーウ近郊の国際空港の奪還にも関わった部隊でした」  横田さんが同行したのはロシア軍支配地域への偵察任務だった。兵士を乗せた車は舗装されていない道を全速力で前線に向けて突き進んでいく。 「スピードを出さないとやられてしまうんです。前線の近くまで行って、パッと車を降りて移動する。頭上を飛ぶロシア軍のドローンから逃げながら(笑)」  ロシア軍の陣地が見えるところまで近寄ると、小型ドローンを飛ばす。上空から敵の陣地を撮影し、それをもとに攻撃のプランを立てるという。  しかし、目の前にロシア軍の陣地が見えるということは、相手からも横田さんらが見えるのではないのか? 「そのとおりです。だから、砲弾を撃ち込まれて、背後に着弾しました。ロシア軍はわれわれの位置を上からドローンでつかんでいるので、かなり正確に弾が落ちてきます」 ■信頼の厚い日本人義勇兵  ドローンが飛んでいると、ブーンと、独特の回転翼の音がする。しかし、音がしない場合もあるという。 「だから、どこへ行っても空を見上げている。もしくは建物の中に隠れる。地雷が埋まっているかも、と足元ばかりを気にしていると、上からやられてしまう」  国際義勇軍の傘下にはジョージア人部隊のほか、日本人が加わっている部隊もある。 「戦闘訓練を受けたことがあるなしに関わらず、戦場を体験して、すぐにウクライナを離れる人がとても多いので、出入りが激しいのですが、平均すると常時10人弱の日本人義勇兵がさまざまな部隊で活動しています」  その多くは元自衛官で、アメリカ人やイギリス人の義勇兵よりも信頼されているという。 「アメリカ人は、ウクライナの戦闘に参加することで寄付金を集める、いわば金稼ぎを目的にした義勇兵が多い。アメリカ人やイギリス人は使えないのが多いんだけど、日本人はよくやっていると、ジョージア人部隊の広報官は日本人義勇兵のまじめな戦いぶりと生活態度を高く評価していました。日本人の気質からしてわかる気がしますね」 ■ロシア軍陣地で目にしたもの  一方、ロシア兵の戦いぶりはどうだろうか? 「広大な畑の中に幅20~30メートルの防風林があったんです。そこにロシア軍は陣地を設けていた。でも、周囲から見れば、そこに身を隠していることは誰の目にも明らかだった。案の定、ウクライナ軍にミサイルを撃ち込まれて、ロシア兵はみんなやられてしまった。穴の中で待ち構えていた戦車がひっくり返っていた。なぜロシア軍はこんな素人のような戦い方をするのか。優秀な指揮官が本当に不足しているんでしょうね」  昨年9月の取材では、砲撃を続けながら敗走するロシア軍を追いかけるように、抜け殻となった陣地を次々に訪れた。そこで目にしたのはたくさんの兵器や弾薬だった。 「まだ洗濯物が干されて、食べかけの食料がそのまま残されているようなロシア軍陣地に足を踏み入れると、弾薬箱が放置され、中にはミサイルや砲弾が奇麗に詰められていた。それをウクライナ軍が全部回収して使う。戦車もそうです。修理するため、戦車をけん引していくシーンをあちこちで目にしました」  ウクライナの民間人がロシア軍陣地から兵器をくすねてくる話も山ほど聞いた。 「大きなトラクターで戦車を引っ張って盗んできたとか、そういう話はどこにでもあります。最初は信じられなかったけど、本当なんですね。ロシア軍の塹壕(ざんごう)に行ったら携帯ミサイルが2本立てかけてあったので、かっぱらってきたって、写真を見せてくれた人もいました。ミサイルを担いでくるときにロシア兵と間違われてウクライナ兵に発砲されたそうです。ロシア軍の兵器の管理はどれだけずさんなんだよ、って感じです」 ■ロシア兵の劣悪な環境  兵器だけでなく、ロシア軍の兵士の扱いの劣悪さにも驚かされた。 「どこの陣地もひどい環境で、いくらなんでもこれでは戦意を保てないだろうと感じました。食料は全部缶詰で、野菜などは食べていないでしょう。戦場での唯一の楽しみである食事がとても貧しいうえ、泥だらけの塹壕の中でおびえながら何カ月もいたら、さすがに戦うのが嫌になるはずです」  一方、ウクライナ兵は一定期間、前線で任務につけば休暇をもらえるという。休暇中はレストランで食事をしたり、インターネットで外の世界とつながったりすることもできる。 「食事については快適で、どこに行っても困らないどころか、おいしい肉やチーズを堪能しました。結構田舎でも寿司が食べられたりする。この差は大きいと思いますね」  豊かな自分たちの国を守ろうと戦っているウクライナ軍の兵士と、無理やり劣悪な環境に送り込まれて戦っているロシア軍の兵士では、士気に大きな差があるのは当然だと感じた。 ■相手がロシア兵は危なすぎる  しかし、だからといって、ロシア軍が弱いとは横田さんはまったく思わない。むしろロシア軍に感じるのは西側の常識がまったく通用しない、不気味さだ。 「今、激戦が行われているバフムートなんか、ロシア軍は1人のウクライナ兵を倒すために、10人のロシア兵をおとりにおびき出して攻撃する。それが成功したら、また別の10人を送り出す。いったい、いつの時代の戦いだよ、と思うような戦い方をしている」  ロシア軍は伝統的に兵士の命を粗末に扱ってきた。それがウクライナの戦場でもまったく変わっていないことを実感した。  横田さんは以前、シベリアの奥地を訪ねた際、ロシア人の文豪ドストエフスキーがシベリア流刑を経て描いた不条理な世界が現代にも脈々と受け継がれていることを目の当たりにして衝撃を受けた。 「あれを見たことは大きいですね。だから、今回の戦争が始まったとき、ウクライナへ取材に行くのは嫌だった。相手がロシア兵では危なすぎると思いました。ものすごく怖かった」  横田さんは戦争取材の際、前線に足を運ぶことが多く、しばしば周囲から「無謀だ」と言われてきた。 「でも本当は、ぼくはすごくビビりなんです。逃げられないところには絶対に行きたくない。ここは無理だ、と思う場所には行かないようにしています」  昨年5月からウクライナを取材するようになった理由は、戦いの焦点にあったキーウがロシア軍に包囲される可能性がなくなり、退路が確保されたことと、取材費の援助が得られたことが大きいという。 ■地面が凍っている2月に動き  今回、このタイミングでウクライナに入るのは冒頭に書いた報道需要もあるが、2月になれば、何が起こるかわからない恐ろしさがあるからだという。 「雪が解けると、ウクライナの土は本当にぐちゃぐちゃになります。昨年9月にもぬけの殻となったロシア軍陣地まで畑の中を歩いて行ったとき、足にまとわりつくような泥を体験しました。この状態で戦うのは無理だな、と感じました。なので、戦況に大きな動きがあるとすれば、地面がまだ凍っている2月だろうと、いろいろな人が言っています。危ないときに行くのは嫌なので、2月の前に行って、帰ってくる」  別れ際、横田さんは近所の保育園にウクライナ避難民の子どもが通っていることを口にした。 「言葉はできないし、大丈夫かな、と思っていたら、すぐにうちの娘と仲良くなった。ぼくはウクライナ人と関わりがあるし、娘もウクライナ人の友だちができた。すごい時代になったなあ、と思いますね」  数日後、横田さんからメールが届いた。 <キーウに着き早々、ミサイルの洗礼を受けました。危ないので早く前線へ向かいます> (AERA dot.編集部・米倉昭仁)

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    新球場がまもなく開業 札幌ドームは“日本ハムなし”で生き残ることができるか

     日本ハムは今季から新球場エスコンフィールド北海道に本拠地を移転する。  エスコンフィールドは日本初の開閉式屋根を持つ天然芝の球場。魅力満載で開業前から話題となっており、今シーズンはプロ野球界のトピックの一つになるのは間違いないだろう。 「野球ファンのみならず、多くの人たちが1度は足を運んでみたいはず。アクセスなどで懸念される部分があるものの、設備の素晴らしさが伝わってくる。北海道のみならず、日本を代表するランドマーク的建設物になる可能性がある」(在京キー局スポーツ担当者)  温泉や宿泊施設、クラフトビール醸造所があるレストランや多くのアクティビティなど、イベントがない日でも人が集まることができる工夫がされている。JRの新駅建設計画もあり、球場を中心とした町づくりが進められている。  エスコンフィールドが注目を集める中、気になるのが日本ハムが去った後の札幌ドーム(以下ドーム)の未来だ。 「(ドームは)人が常にいる(住む)ところでイベントを行うという発想で、イベントのために人を呼ぶという考えとは正反対です。最も多く使用していた日本ハムがいなくなった今後が心配ではあります」(大手広告代理店関係者)  コロナ禍前の2019年度のドームは日本ハムの試合開催を中心に、Jリーグの北海道コンサドーレ札幌、展示会や自主イベントなどを合わせ、130日前後の稼働だった。今年度もイベントやコンサート誘致計画が進み100日程度は稼動できるメドは立っているという。コロナ禍の影響も残り今年度は赤字になる予想ではあるが、未来へ向けて着実に動き始めているようにも見える。  そして、今後へ向けてドームが新たに打ち出した戦略が「新コンサートモード」。天井からおろしたカーテンで客席を仕切って2万人規模の会場を作るというものだ。3月から稼働の予定で、2024年度以降に単年度黒字転換するための柱の1つと見込んでいるが、どれだけイベントを誘致できる効果があるかは今のところ不透明だ。 「コンサートは映像配信の普及もあり2万人規模の箱でも埋めるのは難しくなっている。それができる演者なら3万人以上の規模で開催する。ファン側も大箱というプレミア感を感じたい。カーテンで仕切ることで音質も下がるはずで、中途半端な戦略にも思える」(音楽雑誌編集者)  スポーツなどのイベント以外でも一般ユーザーからの収益増を目指している。サッカー開催時にドーム内へ取り込まれるホヴァリングステージや室内ブルペンを一般に貸し出す。またトレーニングルームの個人利用、名物になりつつあった地上53mの展望台など、収益を上げるアイデアは決し少なくないが……。 「色々やろうとしているが野球に勝るコンテンツはない。プロ、アマを問わず野球の注目度は高く、観客動員や物販販売も見込める。今後は高校野球の試合開催をめぐるドームとエスコンフィールドとの綱引きもあるかもしれない」(大手広告代理店関係者)  野球の会場としては、今秋の全道高校野球大会でドームが使用される。これまで札幌市内の円山、麻生の両球場で行われていたものがドームに移り開催される予定で、高校野球の公式戦がドームで行われるのは初めてとなる。ドームはNPBの他球団の試合を含め、引き続き野球の試合を開催していくことも、生き残りのためのカギとなりそうだ。  そういった意味では、ドームはいまだ北海道のファンにとっては特別な球場であるというのは強み。3月4、5日にはオープン戦(楽天戦)が2試合行われることも発表されている。2004年の移転から昨年までの19年間でリーグ優勝5回、日本一2回を成し遂げた歴史もあり、今後は他球団ではなく日本ハムの公式戦も行われることもあるのだろうか。 「ドームでオープン戦が開催されることには驚きました。ですが、これは日本ハムとして最後の奉仕でしょう。反響によっては、ドーム側から年間数試合の公式戦開催を打診する可能性もあるのではないでしょうか。実現の可能性は低いと思いますが……」(在京キー局スポーツ担当者)  様々な試みが今後も続くと見られているが、やはりドームの未来ついては厳しい見方が多いのは事実だ。 「日本ハムの度重なる要望を聞かず営業面での利益を追求したことで出ていかれてしまった。よほどの営業努力をしないと今後は厳しくなるとは思う」(日本ハム担当記者)  日本ハムがドームを本拠地としていた時代はリース料(使用料金)のほか、広告、グッズ販売、飲食など興行時の売り上げも入る契約だった。年間20億円超とも言われていた収入がなくなるため、今後は同額分を別から生み出さなければならない。 「来年、優勝だけを目指してぶれずに戦っていこうと思います」(新庄剛志監督/11月23日のファンフェスティバル)  新庄監督の新たなシーズンへの向けての誓いも、エスコンフィールドからビジョン越しにファンに送られた。日本ハムはこれまでドームで積み上げた歴史を、新たにエスコンフィールドで引き継ごうとしている。新球場はまもなく開業されるが、そんな中でドームは存在感を維持し、生き残ることはできるのだろうか。

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    40歳になった倖田來未が振り返る“芸能界での浮き沈み” 「奈落の底に突き落とされた時もありました」

    昨年11月13日、倖田來未は40歳を迎えた。「エロかっこいい」と称される独自のスタイルを確立し、常に進化し続けてきた。1月18日にMusic & Live Package「WINGS」がリリースされた。今年でデビューから23年目となる倖田來未は、アーティストとしてどんな高みを目指すのか。また、結婚、出産をへて母親となった今、ひとりの女性としてどのような人生を歩もうとしているのか。彼女の“リアルな思い”を単独インタビューで聞いた。 *  *  * 都内のスタジオに現れた倖田來未は、オリーブ色のスーツにアッシュ系の金髪をなびかせ、独特のオーラを放っていた。その場を一瞬で自分色に染めてしまうのは、さすがはトップアーティストだ。  インタビューでは、最初に「浮き沈みが激しい芸能界を振り返って、今はどのような思いですか」と聞くと、真摯にこう答えてくれた。 「私の場合は、本当に浮き沈みというか、うまいこといっている時に限って、自分で自分の足を引っ張ってしまったり、奈落の底に突き落とされた時もありました。山あり谷ありが何度もありました。ただ、それも自分では前向きにとらえながら、気がついたら、もう23年目に突入していたという感じです。もちろん、いろいろな分岐点がありました。子どもを授かって、結婚して、ツアーがすっぽりなくなってしまったこともありました」  2011年12月、倖田はロックバンド「BACK-ON」のボーカルKENJI03との結婚、妊娠を発表。それにともない、12年4月から予定されていた全国ツアーが中止となった。「来年春の私の状態では100%の演出やパフォーマンスをお見せすることができない」というのが、当時のツアー中止の理由だった。女性の心身に大きな負担がかかる妊娠と出産は、アーティストとしての活動にも大きく影響した。 「その後、ツアーの観客動員を戻すのにすごく時間がかかりました。すでに全国ツアーのチケットを発券済みだったので、そのキャンセルや振り替えで、ファンの方や関係者に多くのご迷惑をおかけしてしまいました。一時期は、ファンの方に残念な気持ちにさせてしまったという思いはあります」  そうした思いを抱きながらも、前に進むことを諦めなかったからこそ、今の倖田來未がある。その情熱の原点は、歌手になることを夢見た10代だった。  倖田は京都府出身。高校は京都府内の私立高校に通った。 「中学時代、お母さんから『私立高に行くなら、お小遣いはないからね』と言われていたんです。結局、私立に進学したので、『自分でバイトする』と言ってお小遣いは自分で稼いでいました。高校1~2年の頃は、ガソリンスタンド、スーパーや生活ホビーショップでのレジ打ち、カラオケ店、居酒屋の店員など、いろいろなバイトをしましたね。唯一心残りなのは、クレープ屋さんでバイトをしなかったこと。どうして、あんなに好きなクレープ屋さんでバイトをやらなかったんだろうって、いまだにちょっと後悔することがあります(笑)」  バイトで稼いだお金はカラオケボックスで歌ったり、CDを購入したりと、音楽への夢につぎ込んだ。そして高校2年の時、エイベックスのオーディションで準グランプリを受賞。だが、すぐにデビューが約束されていたわけではなかった。 「最初はレッスン生のような扱いでした。レッスン生として“お試し期間1年”みたいな感じだったんです。当時はダンスレッスンは、EXILEのHIROさん(現・LDH JAPAN会長)がコーチをしてくれて、他にはウォーキングとボイトレを受けました。毎週末、京都から東京に行って、HIROさんのレッスンを受け、日曜日に帰るという生活を送っていました」  レッスン生として夢を追い続け、倖田がデビューをつかんだのは2000年12月。ファーストシングル「TAKE BACK」を発表した。ミュージックビデオ(MV)を見ると、当時はロングの黒髪で、まだあどけない少女の面影が残っているが、パンチがありながらも伸びやかな歌声は、やはり才能の片鱗を感じさせる。 「高校3年の夏休みにMVを撮っているんですが、校則がめちゃめちゃ厳しい女子高だったので、髪の色は黒のままでした。ヘアメークさんにエクステを付けてもらってロングヘアにして撮影しました。顔はふっくらしていましたが、体重的には今より痩せていたんですよ(笑)。実はデビュー曲はアメリカで先行発売して、ビルボードで18位になったんです。こんなことは、坂本九さん以来の快挙とも称賛されたんですが、日本では全然ヒットしなかったんです……」  デビュー曲が日本では売れなかったこともあり、倖田の知名度はなかなか上がっていかなかった。それからしばらく、何年もヒットに恵まれない下積み時代が続いた。 「私は歌が好きだから、最初は『とにかく歌えているからいいや』みたいな感覚でした。でもそれを3年間くらい続けて、さすがにこれではいけないと思うようになりました。出る杭は打たれると言うけれど、私は杭が見えてもいない。“出る杭”にならないといけないと思いました」  そんな状況のなか、妹のmisonoの方が先に売れた。misonoは02年8月、3人組のバンド「day after tomorrow」としてデビューするや、ヒット曲を連発。同年の年末には日本レコード大賞新人賞に輝いた。 「お姉ちゃんとしてこれでは恥ずかしいと、とにかく妹に追いつかないと、という気持ちでした。妹は自分をプロデュースするのにたけています。この曲にはどんなファッションが合うか、どういうパフォーマンスをすれば盛り上がるのか、そうしたビジョンがすごくしっかりしていたんです。私もそれを考えて、研究するようになりました。たとえば、当時はDREAMS COME TRUEさん、m-floさん、安室奈美恵さんなどが人気で、私のことは誰も知らない。世の中に同じようなものは2つはいらないと思ったので、この人たちにないのものは何だろうと考えました。そこで、当時は誰もやっていなかった、プロポーションを生かしたファッションを前面に押し出す女性歌手、という売り出し方にたどり着いたんです」  当時、海外ではマドンナ、クリスティーナ・アギレラ、ビヨンセ、ジャネット・ジャクソンなど、大胆なファッションでパフォーマンスするアーティストが高い評価を得ていたが、日本には見当たらなかった。倖田の頭の中には、漫画「うる星やつら」のヒロインで、語尾に「だっちゃ」をつけて話すラムや漫画「ルパン 3世」のヒロイン峰不二子のイメージが浮かんだという。 「ただ、男性にこびるようなセクシーをやるつもりはなかった。女性が見てもカッコいいと思うものをやりたかった。だけど、実際はちょっと違う角度から取り上げられることも多かったんです。ヘンな角度から撮られた写真が出回って、お父さんは『なんちゅう格好で歌ってんねん』と周りから言われ、悲しい思いをしたこともあったみたいです」  だが、母親からは「倖田來未は倖田來未で、普段はくぅちゃんはくぅちゃんだから大丈夫」と言われていた。それゆえ、倖田には、そうした扱いも意に介さない強いハートがあった。いつしか、メディアでは「エロかっこいい」という称号がつけられるようになった。 「最初はどこかのスポーツ紙がつけてくれたと聞いています。『エロかっこいい』という倖田來未の代名詞をつけていただいたおかげで、初めて自分が肯定された気持ちになれました。それからは、より私にしかできないこと、自分らしさを求め続けました」  そして、2004年5月。アニメ「キューティーハニー」の主題歌のカバー曲が大ヒット。”エロかっこいい”というワードが全国に広まっていった。だが「キューティーハニー」も最初から売れたわけではなかった。 「発売当初はサラッとしたもので、それほど反響があったわけではありませんでした。むしろ、波に乗り損ねた感じでした。でも、その年の年末に『ミュージックステーション』の出演オファーをいただいて、そこで披露したら、直後からバーッと売れ出したんです」  このテレビ出演のインパクトが強烈だったのだろう。「キューティーハニー」は瞬く間にヒットして、翌年には日本レコード大賞を受賞、NHK紅白歌合戦への初出場も果たした。06年にリリースしたベストアルバムは180万枚を超えるセールスを記録した。倖田はこう振り返る。 「何年たっても、名曲というのは名曲でいてくれるんだなと再確認できるのが、『キューティーハニー』という曲なんです」 (AERA dot.編集部・上田耕司) ※後編<結婚12年目「倖田來未」が明かす“夫と息子”との私生活>に続く

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    理系トップ「東工大」出身女優が語るわが母校 “新名称”と“女子枠”創設への思い 

     2024年度の統合を目指す東京工業大学(東工大)と東京医科歯科大学の新大学の名称が「東京科学大学」となると発表された。東工大は、同年に女性のみが出願できる「女子枠」を創設することも決まっており、大学改革を進めている。国立理系トップの東工大は女子学生が13%しかおらず、「男女差」が課題となっていた。その一方で、女子枠創設には、入試の平等性が損なわれるのでは、など疑問も上がっている。大学統合や女子枠創設について、卒業生はどう感じているのか。東工大環境・社会理工学院を卒業後、女優として活躍する山崎丹奈さんに大学への思いを聞いた。 *  *  *「統合や女子枠の一報を聞いたときには、本当に驚きました。大学側が課題を感じた上で、新たな一歩を踏み出そう、改革しようという意識を感じました。東京科学大学、という名称については、シンプルで覚えやすいと思います。自分が両大学を知っている歴史以上にこれからの大学の未来は長いと思うので、新名称がなじむように、これからも変わりなくその専門性を磨いていってほしいです」  こう話すのは、2013年に東工大環境・社会理工学院(土木・環境工学系)を卒業した、女優の山崎丹奈さん(31)。学士課程(学部)の女子学生が約13%しかいないと言われる東工大において、“貴重”な女性の卒業生だ。さらに卒業生の多くが理系分野の研究職、技術職に進む中で、俳優として芸能界に入った山崎さんの経歴はかなり異色と言える。そんな山崎さんからみて、母校の改革はどう映っているのだろうか。 「確かに、入り口の入学者数を増やせば、出口も増えるわけで、女性の研究者や技術者も増えるでしょう。ただ、その仕事をするにあたって女性が働きやすい環境が整っているかといえば、受け入れ先の組織や企業で変わってくると思います。もちろん女性枠は大学ができる対応の一つだと思いますが、女性の人生をどう考えるか、という意味でソフト面でもっとやれることはあるのではないでしょうか。女子学生が増えても、たとえば、大学内の研究環境が改善しなければ、状況が良くなったとは言えないと思います」  実際、山崎さんは過酷な研究環境に直面したことが、将来を考えるきっかけになった。山崎さんによると、当時の東工大では学部生の“ほぼ全員”が大学院に進学していたという。土木・環境工学科(当時)でサンゴ礁の勉強をしていた山崎さんも、最初は大学院で研究を続ける道を選んだ。  だが、明確な終わりがなく、突き詰められるだけ突き詰められてしまう研究という仕事は、山崎さんにとってハードだった。夜通し大学にいることも日常茶飯事だったという。さらに、女子学生は山崎さん1人だった時期もある。研究室に泊まることは避けたいと思い、徒歩で通える場所に引っ越したほどだった。深夜まで研究室に残る生活を強制されたわけではないが、研究を突き詰めようと思えば、“自己判断”でそうせざるを得なかった。 「女子が1人で周りがすべて男性で研究室に徹夜という状況は、今振り返ると、疑問に思うところはあります。課題に時間がかかったことは私の要領の悪さもあると思いますが、もし男性だったら引っ越さなくて済んだのかもしれないなと思います。社会に出てからは、よく『もったいない』という言われ方をされました。専門分野に進まないなんてもったいない、芸能界に入るなんてもったいない、という意味なんだろうと理解しています。ただ、この挫折があったから、自分が研究に対するストレス耐性が足りないことに気づき、女優という別の道に進むきっかけにもなったので、全てがマイナスだとは思っていません」  東工大が「女子枠」の創設を発表したのは、昨年11月のこと。25年度までに学校推薦型選抜と総合型選抜(AO入試)で計143人の「女子枠」を創設する。これにより、現在は学士課程(学部)に約13%しかいない女子学生の比率を20%以上に高めるという。女子枠は24年度入試から物質理工など4学院(学部)で先行的に開始する。総募集人数は変更せず、女子を増員した分は、一般選抜枠の人数を縮小することで調整するという。  大学側は公式HPで「女子枠」創設の背景について「ダイバーシティ&インクルージョン(編集部注・多様性と受容)の取り組みの一環」「理工系分野における女性研究者・技術者を増やすこと」などとしている。日本の大学学部の女子学生の理工系分野の入学者は7%と、経済協力開発機構(OECD)加盟国(同15%)に比べて、極端に低い。こうした状況を是正しようと、名古屋大学など他の国立大学でも「女子枠」を設ける動きはある。  だが、これに対してSNS上では「女性の方が受験で有利になるのは逆差別だ」「女性の社会進出とは別の問題」など疑問視する声も上がっている。  大学側の意図や世間の反応について、山崎さんはどう思っているのだろうか。 「入試は受験生にとって、命がけといっても過言ではありません。推薦枠とはいえ女子限定で入試を行うことで、男子の一般受験生がないがしろにされていると感じないかは心配です。また、女子枠で入った生徒たちに対して、『男なら落ちていたのに女子だから受かった』など心無い言葉を投げかられないかという不安も残ります。大学側が強調する“多様性”というのも、すごく難しい言葉で、どのようにも使えてしまう。多様性は性差だけではありません。性差以外の“多様性”についても配慮しているのか、という点は考えるべきだと思います。制度を作ったら終わり、ではなく大学側はその後のフォローも必要なのではないでしょうか」  山崎さんは大学院を1年で中退し、芸能事務所に所属しながら旅行系の一般企業に就職。会社員を1年経験した後、俳優に専念して活動してきた。最近では、東京理科大卒の三浦透子さんなども活躍し、「リケジョ女優」という言葉も生まれた。山崎さんが東工大で学んだことで、俳優として生かされている部分はあるのだろうか。 「正直言って、研究内容という点ではないですね(笑)。ただ、勉強に対する姿勢だったり、課題に直面したときの精神面だったりは、大学で鍛えられたことは大きいと感じています。ムチャぶりのスケジュールになっても、何とかなるとか(笑)。あと会社員を経験したことは、組織や社会の仕組みを知ることができ、社会で生きる一人の人間として成長させてもらいました。これは演技をする上で役に立っています。女性の働き方、と言ってもそれこそ多様です。東工大の女子学生には、将来の道はひとつではないことも伝えたいと思います」  女子だから、理系だから、ということは本質ではない――唯一無二のキャリアを歩んできた山崎さんだからこそのメッセージだろう。 (AERA dot.編集部・作田裕史) ◎山崎丹奈(やまざき・にな)1991年生まれ。幼少期は米ペンシルベニア州で育つ。桐蔭学園を卒業後、東工大土木・環境工学科(当時)に入学。2009年に「ミス東工大グランプリ」に輝く。2012年に女優デビュー。17年に映画「トリノコシティ」で主演。その他、「母になる」(日本テレビ系)、「マザー・ゲーム」(TBS系)など多くのドラマに出演。一児の母として育児にも奮闘中。

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