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    巨人なのに非紳士的…他球団のファンも激怒した“ずるい”プレーと発言

    「巨人軍は常に紳士たれ」とチーム憲章にあるように、巨人の選手たちは、社会人の模範になるような行動が求められている。グラウンドでも当然紳士らしくフェアプレー精神に則り……と思いきや、ところがどっこい、過去には、紳士とは大違いの“ずるいプレー”も何度となく演じているのだ。  失点を防ぐために守備妨害を演出したとしか思えないプレーが見られたのが、昨年9月17日の阪神戦だ。  1回表、2点を先行された巨人は、なおも2死満塁のピンチで、木浪聖也の打球は、高くバウンドして、二塁方向へ。セカンド・若林晃弘が前進して捕球に行ったが、タイミング的に内野安打になりそうに見えた。  すると、若林は左手のグラブをヒョイと一塁方向に差し出した。そこには若林との接触を避けようとスピードを落とした一塁走者・陽川尚将の姿があった。  打球を処理するはずのグラブで陽川に接触している間に、ボールは後方へと抜けていった。これを見た森健次郎二塁塁審は、守備妨害を取り、陽川にアウトを宣告した。  矢野耀大監督が抗議したが、「打球を処理する守備優先」という鉄則がある以上、どうにもならない。結果的にルールの盲点を突いた形の巨人は3点目を阻止したものの、自ら当たりに行ったような若林の不自然な動きが物議を醸したのは言うまでもない。  解説者の巨人OB・篠塚和典氏はさすがに言葉を選びながら「若林はうまく演技してますね」と評したが、阪神OBの関本賢太郎氏は「僕には悪質な……故意にぶつかりに行ったように見えましたけどねえ」と批判した。  ネット上でも「どこが守備妨害だよ笑」などの非難コメントが相次ぎ、巨人の3投手も、怒りを闘志に変えた猛虎打線に滅多打ちにされて計11失点と大炎上。目先の1点阻止にとらわれた代償は高くついた。  フライを落球したにもかかわらず、あたかも捕球したかのように演技し、審判の目を欺く事件が起きたのが、11年4月20日の阪神戦だ。  2対2の7回、阪神は鳥谷敬の犠飛で1点を勝ち越し、なおも2死一、三塁で、ブラゼルが二塁後方に高々と飛球を打ち上げた。  セカンド・脇谷亮太が背走しながら捕球したかに見えたが、次の瞬間、ボールがグラブからポロリとこぼれ、地面に落下した。だが、土山剛弘一塁塁審の立ち位置からは、死角になって見えない。直後、しゃがみ込んだ姿勢の脇谷が右手にボールを握りながら、直接捕球をアピールすると、土山塁審は「アウト!」をコール。安打と判定されていたら、阪神は1点を追加していただけに、「そりゃないよ!」である。  真弓明信監督が「(判定は)微妙じゃないだろう。(土山塁審は)たぶん見えていない。二塁塁審も見る場所が悪過ぎる」と抗議したが、VTRにボールが地面に落ちた瞬間がはっきり映っているにもかかわらず、判定は変わらなかった。  そして、この誤審が試合の流れをも変えてしまう。8回、巨人は長野久義の幸運な三塁強襲二塁打などで3点を挙げ、逆転勝ち。踏んだり蹴ったりの阪神側は「(地面に)落ちているよ。お客さんも見ている。アンパイアで負けたと言われても仕方がない」(木戸克彦ヘッドコーチ)とカンカンだった。  さらに脇谷の「VTR?テレビの映りが悪いんじゃないですか?」の新聞コメントが、虎党の怒りを倍加させた。「審判が判定したのだからアウト」ならまだしも……。   当時、テレビメーカーが「映りが悪くなることはない」と反論したことも懐かしく思い出される。  生還を阻止せんとばかりに、三塁ベース上で走者を上から押さえつけるプロレスまがいのプレーで騒然となったのが、00年6月8日の阪神戦だ。  5対3とリードの阪神は、8回にも平尾博司の二塁打で無死二塁のチャンスをつくり、次打者・ハートキーは投前に送りバント。河本育之は素早く処理し、三塁に投げたが、悪送球となり、ボールはファウルグラウンドを転がっていった。  二塁走者の平尾はこの間に十分本塁を狙えるはずだったが、なんと、捕球に失敗したサードの元木大介が、三塁にヘッドスライディングした平尾の上からのしかかるようにして押さえつけているではないか。「どさくさに紛れて押さえ込まれた」(平尾)。これでは動くに動けない。  ここで平尾の救出に向かったのが、伊原春樹三塁コーチ。怒りをあらわにして突進すると、あっという間に元木を突き飛ばし、平尾に「早く本塁に行け!」と指示した。「思わず手が出ちゃった。クセ者の元木がなかなかどかないから」(伊原コーチ)。  ところが、今度は巨人・長嶋茂雄監督がベンチを飛び出し、伊原コーチの行為がインプレー中だったことを理由に、守備妨害で平尾をアウトにするよう要求。騒ぎはさらにヒートアップした。  だが、井野修三塁塁審は「すべてのプレーが終了したうえで判断すれば、一番悪いのは元木」と走塁妨害を適用し、生還を認めた。  結局、この6点目がモノを言い、阪神は1点差で逃げ切ったが、元木のプレーは「ずるい」と言われてもしょうがないものだった。  元木といえば、ほかにも隠し球や併殺阻止の万歳スライディングなど、“ずる賢いプレーのデパート”的存在。紳士の球団では、異色のプレーヤーだった。(文・久保田龍雄) ●プロフィール久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」(野球文明叢書)。

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    偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生

    「会社の上司ではなく、目の前にいる人のためになる仕事をしたい」――私立大文系卒の営業職だった27歳男性が、仕事に疑問を感じてめざしたのは医師だった。現在、神奈川県横浜市の菊名記念病院で心臓血管外科部長を務める奈良原裕医師(51)。大手企業での安定を捨て、1年半の浪人生活で会社員時代の蓄えをほぼ使い切り、29歳で高知大医学部に合格。6年間の勉強の末に医師免許を手にした後も、年齢的に厳しいとされる30代後半で心臓血管外科医の道を選んだ。奈良原医師はどのような思いで勉強をしてきたのか。その半生を語ってもらった。<<後編・1年に3日しか休めなかった心臓外科医が、働き方も診療の質も劇的に改善させた「業務改革」とは>>に続く *  *  * 私は中央大学法学部を卒業後、石油会社に勤めていました。医師になる道を考え始めたのは社会人4年目になったころです。東京・品川のオフィスで深夜11時ごろに残業を終えた私は、同期と一緒に近くの牛丼屋に入りました。そのカウンターで、「医者になりたいな」という言葉がポロッとこぼれたのです。  仕事は評価されていました。任された業務の範囲は広く、支店長室のソファをベッド代わりにして何日も会社に寝泊まりしていました。上司からは一番上の評価をもらっていたと聞いています。けれども、そんなワーカホリックな日々の中で、いかに上司から褒められるかを目標にする生き方に、次第に違和感を覚えるようになりました。  石油は社会や経済を支える基盤となる重要なエネルギーです。もちろん、それを取り扱う仕事の社会的使命はとても大きい。しかしその一方で、自分がやっているのは、目の前のお客さんに少しでも高い金額を提示して商品を販売し、利益を出すということでした。自分の目の前にいる人ではなく、自分の後ろにいる、自分を評価する人の方向を見て仕事をしていることに、疑問をもち始めたのです。  結局自分は、中学・高校生時代にやっていたことを繰り返しているのだと思いました。学生時代は一生懸命勉強しました。でもなぜ数学の公式を使えるようにならなければならないのか、なぜ歴史を覚えなければならないのか、その理由までは考えなかった。仕事も同じでした。意味や背景まではそこまで深く考えず、とにかくやっていた。大学では法学部に進みましたが、付属校時代に勉強した結果として偏差値の高い学部に内部進学できたというだけで、法律の勉強をしたいという気持ちからではありませんでした。その延長戦が社会に出てからもずっと続いていたのです。  それでも自分は間違ってはいないと思っていました。しかし、そんな毎日が続いていたある日、兄が自殺しました。その理由を私はまったくわかりませんでした。というよりも、兄のことが何もわかっていませんでした。いや、兄だけでなく父、母、祖母のことも。目の前の一番大切な家族のことを気にしない生き方になっていること気がつき、27歳の9月、新卒で4年半勤めた三菱石油(現ENEOS株式会社)を退職しました。  目の前の人のためになるような、そんな仕事をしたいと思いました。そこで行き着いたのが医療従事者です。医師、看護師、介護士……そのなかでも指揮官である医師をめざしました。学費が比較的かからない国立大の医学部を目標にして予備校に入ったのですが、私が置かれたのは8クラスあるうち下から2番目のクラスで、国立の医学部に受かる人はほぼいないと言われていました。 ■模試は「E判定」、偏差値は38  そもそも私は付属校からの内部進学組だったので、受験というものを知りませんでした。過去に大学受験をしたことのない社会人からすると、センター試験の出願の仕方すらわかりません。また、学校の教科書も持っていないので、出題範囲もまったくわからない。まず大学受験の仕組みを知るのに3、4カ月はかかったと思います。  10月に受けた模試は当然E判定。数学の偏差値は38。その年の受験は、センター試験も6割程度しか得点できず、医学部には箸にも棒にも掛からぬ結果でした。そこからまた浪人生活が始まりました。ただ、受験は2回までにしようと思っていました。1年間かけて受からなかったら医師はあきらめて、別の医療従事者をめざそうと思っていました。  後にも先にも、この時が一番勉強したと思います。会社員時代はデータを使って顧客分析や商圏分析をしていたので、それにならって受験勉強も分析していました。細かい勉強計画表を作り、どの科目を何時間勉強したのか、1週間ごとに計画と実績の差をチェックしていました。  部屋中には物理の公式や化学式などを書いた紙を貼っていました。トイレにも貼って、そこにこもって暗記をしたり。勉強は受験に向けて追い上げていくといったものではなく、最初から限界ぎりぎりのスケジュールで取り組んでいました。集中力を保ちながら勉強できるのは一日最大16時間。これを続けるのは本当に大変でした。当時のノートを見ると、文字がびっしり書かれていて、ちょっと狂気じみているようにも感じます。  同棲していた妻は、ピリピリしていた私を横目にいつも長いコードの付いたヘッドホンをしてテレビを見ていました。お笑い番組を見ながら、私の勉強を妨げないように笑いを押し殺していたのを覚えています。妻とは会社を辞めて医学部浪人を始めると決めたころに付き合い始めました。よくそんな人と付き合ったものですね(笑)。  志望校は高知大医学部に決めました。一番の理由は学力的に合格が狙えそうだったからですが、理由はそれ以外にもありました。予備校の友人の兄が高知大医学部出身で、新聞販売店に住み込みで働きながら勉強して合格したというのです。その話に感銘を受け、第1志望が決まりました。 ■「受かるまで外さない」つけた腕時計  浪人中はずっと、トライアスロンの人がよく使っているタイマー機能付きの腕時計をつけていました。お風呂や休憩も時間を区切るために、「受かるまで外さない」と決めたのです。当時27、8歳で、10個下の現役高校生よりはメンタルも落ち着いている。そんな私が重い決意で勉強をすれば受かるはずだ、という妙な自信がありました。  しかし模試は最後までE判定で、これで医学部に受かるのは奇跡でした。ところがその年のセンター試験は数学が難化したり、難解な現代文で大量失点する人が出たりして「荒れた」のです。その結果、8割ちょっとの得点でなんとかボーダーラインを超えることができました。2次試験を受験し、妻と一緒に合格の通知を受け取ったときは、正直、信じられませんでした。何か採点ミスなどが発覚して、合格が取り消されるのではないか……医学部合格から22年が経ち手術を執刀している今ですら、そう思うことがあります。  4月からはすぐに高知での生活となるため、アパートや中古車などを1日で準備しました。妻は高知についていくことになんのためらいもなかったようです。その後、学部1年生の時に結婚することになりました。  高知大の医学部には他に再受験生が2人いましたが、私が一番年上でした。でも基本的には、ごく普通に周りの同級生と同じように過ごしていました。空手道部に入りましたが、中では当然、先輩後輩の関係がありました。会社員時代の蓄えは受験生時代に底を突きかけていたため、朝は新聞配達のアルバイトをし、学校に行って勉強や解剖の実習をし、夕方は酒屋さんで配達のアルバイトをしていました。妻も喫茶店でアルバイトをしていました。  進級試験、卒業試験、そしてそのあとの医師国家試験など、勉強は1回目の大学時代よりずっと大変だったと思います。しかし、仕事を辞めて挑戦した医学部受験のときのほうがもっと大変でした。  研修医としての2年間も楽しく過ごしました。目の前にいる患者さんに感謝されるのは本当にうれしいですね。当時、主治医として診療に当たっていた患者さんのなかには、いまでも年賀状やお手紙をやりとりしている人もいます。外科の後期研修医として行った横浜の病院も、1年だけではありましたが思い出深いものでした。 ■「30歳以下が望ましい」心臓血管外科に転身  医学部時代、私が一番好きだったのは心臓手術だったので、心臓血管外科医をめざしました。しかし日本心臓血管外科学会では、心臓血管外科医になるのは30歳以下が望ましいと言われています。体力的な問題もありますし、比較的、一人前になるまでの階段が長いという要因もあると思います。そのため、一度は心臓血管外科医をあきらめました。しかし外科の後期研修をしていく中で、その気持ちが抑えられず、研修先の病院を変えました。  38歳だった私は、現役医学部生から心臓血管外科医になった人と比べると10歳も年上ですが、上司は私を現役同様の新人として扱ってくれました。これまでの経験が生かせる職場ではまったくなかったので、教えを請う立場であることをわきまえるのは極めて大切なことだと思っています。  実は、会社を辞めて医師をめざすときも、研修医後に外科へ進むときも、そして心臓血管外科医を目指すときもすべて、家族・友人・知人の皆に反対されました。今さらそんなこと出来るわけがないだろうと思われたのだと思います。私はこれまで、みんなが右を向いたら右を、左を向いたら左を、少しでも早く向こうとする人間でした。でもあるときから、人が右を向こうと左を向こうと自分の見たい方向を見るようになりました。会社を辞めて、医師をめざそうと思ったところが、人生の転換点だったように思えます。 (構成/白石圭) <<後編・1年に3日しか休めなかった心臓外科医が、働き方も診療の質も劇的に改善させた「業務改革」とは>>に続く

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    1年に3日しか休めなかった心臓外科医が、働き方も診療の質も劇的に改善させた「業務改革」とは

     忙しい医師の世界のなかでも、とりわけ多忙と言われる心臓血管外科医。神奈川県の菊名記念病院・心臓血管外科部長の奈良原裕医師も、これまで「年に3日しか休みがない」という生活を送っていた。こうした働き方では「医療の質も担保できない」と危機感を覚えた奈良原医師は、業務改革に取り組み、働き方のみならず診療の質を向上させることにも成功した。会社員を経て医学部に入り、38歳で心臓外科医になったという“異色”の医師は、どうやって心臓血管外科を変えていったのか。<<前半・偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生>>から続く *  *  * 北陸新幹線の佐久平駅から車で30分。長野県佐久穂町立千曲病院に、奈良原医師は毎週金曜日、東京から片道2時間半かけて日帰りで勤務する。 「佐久穂町は意外と近いですからね。以前は、片道3時間半かけて新潟県・松之山や5時間半かけて北海道・木古内に日帰りで診療に行っていました」  奈良原医師は、中央大学法学部を卒業後、一般企業での4年半の社会人経験を経て、29歳で医学部に合格。35歳で卒業後、激務ゆえ学会では「30歳以下でなることが望ましい」と言われるという心臓血管外科医を38歳からめざしたという“異色”のキャリアをもつ。  現在、常勤先である菊名記念病院の心臓血管外科部長として多忙な日々を送るなか、奈良原医師は週に1回、医師不足の町へと日帰りで診療を行っている。だがそれができるまでには、10年にわたる心臓血管外科の業務改革が必要だったという。 ■「1ヶ月のうち91%は病院で過ごしていた」  10年前、菊名記念病院心臓血管外科は、奈良原医師とその上司の2人で切り盛りしていた。病院のそばに住んではいたものの、家に帰ることはほとんどなく、病院に泊まることもしばしばだった。 「振り返ってみると、1ヶ月のうち91%は病院で過ごしていたようです。一番ひどい年は、年間の休みは3日だけ。そのうち1日は地方の結婚式に、残りの2日間は学会に出席していました」  奈良原医師が同病院で働き始めた2008年ごろ、患者の50%以上は救急患者だった。救急で来るということは当然、緊急性が高いため、すぐに治療しなければならない。夜中に飛び起きて手術、外来で待合室に患者がいても手術を優先する、という日常生活を送っていた。手術が終わっても一段落とはいかない。重症患者の場合、術後の不整脈や再出血など、さまざまな対応をしなければならなかった。  重症ゆえに日曜日も入院患者の様子を見る必要があった。別の診療科の医師がすぐ対応できるほど、心臓手術後の患者の対応は「甘くない」という。結局、週7日で勤務する日々が続いていた。 「1人の患者に対する業務量はかなり多い。忙し過ぎれば医療の質が落ちる可能性もあるし、場合によっては安全性も担保できないかもしれない。このままではだめだ、という危機感がありました」 ■起死回生のFacebookで「いいね」3000超え  そこで上司と一緒に始めたのが、Facebookでの情報発信だ。「当時、病院がSNSで情報発信するのは珍しかった」と奈良原医師は振り返る。内容は、診療に当たって日頃思っていることや一緒に働く仲間のこと、今日食べたランチなど心臓血管外科医の日常をありのままにつづるというもの。これを写真とともに投稿したFacebook記事には3000以上の「いいね」がつき、先駆的な試みとして医療系のメディアで紹介されることもあった。 「発信の目的は自分たちを知ってもらうこと。私たちの人となりを見てもらって、患者さんや他院から少しでも信頼していただけたらと。その結果、こんな先生がいるからここで手術してもらってはどうですかと、他院から患者さんたちが次第に紹介されるようになりました。紹介患者さんの手術は緊急ではなく予定された手術としてスケジュールが組めるので、看護師さんたちも含めて仕事がやりやすい。仕事の予定が立つというのは、救急患者ばかりのそれとは負担感が全く違います。結果的に、手術後の患者さんの病状も安定していることが多くなります」  手術前の診療にも良い影響があった。紹介で来院した患者と話すと、「先生のことはFacebookでよく見ています」「このあいだ投稿していたお弁当、おいしそうでしたね」と話が始まる。初対面でもうち解けた雰囲気で、患者との信頼関係をつくることができた。  さらにFacebookを見た医療関係者のなかから、この病院で働きたいという若手があらわれた。働き方改革だけでなく、仲間を増やすこともできたという。  休みがほぼない状況で働きつづけて10年。二人の部下ができたおかげでやっと週に1日の休日を手に入れた。しかし奈良原医師は「休みができたからには、何か世の中のためになることをやりたい」と考え、空いた時間を地域医療に使うことにした。社内で評価されることを第一に考えて働いていた会社員生活を捨て、人のために働きたいと思って医師の道へ――。そのときの思いが自分を突き動かしたという。 「地方では、6、70代、場合によっては80代の先生が一人で頑張って医療を支えているところも多い。また、必要な専門医が不在なため医療が不十分となっている地域もあります。そこで医師不足で困っているところのお手伝いをしようと考えました」  全国自治体病院協議会という団体に相談し、2016年、新潟県十日町市の松之山診療所で診療を始めた。 「ある先生がたった一人でやっている診療所なのですが、その先生は午前中に別の診療所で働き、午後にそこから車で1時間近くかかる松之山診療所に来るという働き方をしていました。医師が足りていないため、そうせざるをえないようでした。週に1日だけでも支援してくれるとありがたいということで、毎週金曜日に日帰り診療に行くことになりました」 ■都市部と地方の交流で医療格差を解決したい  地方では「こんな遠いところまで日帰りで来てくれる医師はいないだろう」という発想になりがちだと奈良原医師は言う。 「だからニーズがあるのに、それを上手く生み出せていません。でも今は、新幹線をはじめとして交通も発達しているから、都市部から地方に日帰りすることも可能です。また、会社もそうですが、4月になって人が入れ替わると、組織が活性化しますよね。外部の医師との交流が生まれることは、地方にとってもいい効果があると思っています」  奈良原医師は今、自身のSNSで、佐久穂町への日帰り診療の様子を発信し続けている。診療のことだけでなく、食べたものや町で行われたイベントについてなど、話題はごく身近なものも多い。 「都市部と地方の医師の交流が進めば、医師の偏在や地域間医療格差の解決につながるのではないかと、本気で思っています。どちらの医師にとっても、またそこで暮らす患者さんたちにとっても良い流れになったらいいなと思って、楽しみながら日帰り診療を続けています」 (白石圭) <<前半・偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生>>から続く

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    愛子さまと雅子さまの髪形には意味があった? “お揃いヘア”卒業に見た2人の「強さ」

     愛子さまが成人する。その際に注目するのが、ヘアスタイルだ。髪形には、愛子さまの思いや雅子さまとの距離感などが投影されてきたようなのだ。 AERA 2021年12月6日号から。 *  *  *  天皇陛下と皇后雅子さまの長女愛子さまが12月1日、20歳の誕生日を迎える。大学の授業の関係で、成年の行事は1日と5日に分けて行うという。  5日に宮中三殿の参拝、勲章(宝冠大綬章だそうだ)親授などを経て、上皇ご夫妻にあいさつ、その後、宮殿で皇族方や三権の長から祝賀を受ける。  行事にあたり、愛子さまは参拝服、ローブ・モンタント、ローブ・デコルテと3着を新調したという。どんなデザインなのか、とても楽しみだ。が、それ以上に私が注目しているのは、愛子さまのヘアスタイルだ。  秋篠宮家の佳子さま(2014年に成人)と眞子さま(小室眞子さん、11年に成人)は、そろって長い髪をアップにして式に臨んだ。紀宮さま(黒田清子さん、1989年に成人)は、顎のラインでまっすぐに切り揃えたボブスタイルだった。愛子さまはこのところ、髪の毛を伸ばしているようだ。やはりアップにするのだろうか……。  などと思うのは、愛子さま、そして雅子さま、お二人にとって髪形はとても大きな意味を持つ──勝手にそうとらえているからだ。ある時からずっと、お二人はそっくりのロングヘアになった。写真をさかのぼると、愛子さまが先に伸ばし、雅子さまが追いかけたことがわかる。「適応障害」という病を得た雅子さま。学校に行きづらい時期もあった愛子さま。お二人そっくりの髪形は、皇室という場所で悩みながら生きる母娘の「絆」の象徴のように思っていた。 ■おでこ見せロングヘア  ところが今年4月、愛子さまは腰近くまであった髪をばっさり切り、肩までのボブヘアになった。その日、愛子さまが乗っていた車の隣には雅子さまがいて、ロングヘアをまとめる定番の髪形だった。ああ、もうお揃いは完全に卒業なのだとしみじみした。お二人がそれぞれの「強さ」を得た、と思えたのだ。  まずは簡単に、愛子さまのヘアスタイル史を振り返ってみる。  06年4月、学習院幼稚園の入園式に出席した愛子さまは、制帽から肩下10センチほどの髪を見せている。お隣で微笑む雅子さまの髪は、肩まで届いていない。それから2年、08年の学習院初等科の入学式。愛子さまの髪はさらに長くなり、前髪を上げておでこを見せている。雅子さまも前髪を上げたロングヘア。お揃いヘアでの入学式。  雅子さまのお誕生日に公表される写真を見てみると、07年にはお二人お揃いになっている。つまり06年から1年かけて、雅子さまが愛子さまお好みのロングヘアに追いつき、以後それをキープしているということになる。お揃いの「おでこ見せロングヘア」は愛子さまが5歳の時からの定番なのだ。 ■つらい状況の風除け  あの当時を振り返ると、雅子さまの「適応障害」が公表されたのが04年。その年と翌年は、お誕生日にも写真が公表されないという事態だった。06年に皇太子さま(当時)も一緒にオランダを私的訪問、雅子さまと愛子さまが「笑っている」ことが話題になったりした。その時、雅子さまはまだ肩くらいの髪、その横で長い髪を可愛く編み込んだ愛子さまがはしゃいでいた。  07年以降のお二人そっくりの髪形は、つらい状況に耐える風除けのようにも見えた。雅子さまには髪を娘と同じ長さにすることが心の支えだったろうと思う。10年、初等科2年の愛子さまに不登校問題が起きた時も、お揃いヘアの雅子さまが毎日のように付き添った。が、中等科でも不登校が報じられる。  愛子さまの「生きづらさ」のようなものの深刻さは、15歳になった16年のお誕生日写真にはっきり写っていた。折れそうなほど痩せた姿だった。「生きにくさ」はどこから来るのか。「生まれた時から男の子でないことが自己否定につながっている」と指摘してくれた女性がいて、目から鱗が落ちたのは令和になる直前だった。それはさておき。  翌17年、高等科に入学してから愛子さまは元気になっていった。お代替わりに向けて雅子さまの活動も確実に増えた。愛子さまは「前髪ありのロングヘア」が定番になり、時に顔の両横に長い髪を一筋垂らすこともあり、「今どきの女の子だなあ」とホッとした記憶がある。  20年、学習院女子高等科の卒業式はコロナ禍もあり、愛子さま1人で報道陣の前に立った。堂々とした受け答えの後、式場に向かう後ろ姿には、ポニーテールが揺れていた。 ■19歳の春ボブに変身  そして今年4月、愛子さまはボブヘアへと大変身した。30センチ近くは切ったであろう思い切りの良さに、愛子さまの強さを感じた。愛子さまは皇室を「自分の場所」としたのだろう、と。皇后となった雅子さまもきっと同じ思いに違いない、とも。  などという勝手な解釈より、愛子さまの言葉だ。聞ける日が近い。成人にあたっての記者会見が開かれるのが、内親王の恒例だ。いつになるのか、宮内庁は発表していない。来年以降という報道もあったが、愛子さまが初めて国民に対して思いを語る場となる。これからと将来、両方を語ることになるだろう。  愛子さまは「女性皇族」としての自分をどうとらえているのだろう。眞子さんが儀式なし、一時金辞退という結婚を選択したのは、女性皇族と一個人とのせめぎ合いの結果だったように思う。「天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」とだけ皇室典範で定められている女性皇族。公務に励んでも、その先に待っているのが何なのか、すごく曖昧な存在だ。愛子さまは、「天皇家の長女」という立場と、「愛子」という一個人としての立場をどう捉えているのだろう。(コラムニスト・矢部万紀子)※AERA 2021年12月6日号より抜粋

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    「芸能界嫌い」だった2世・村上虹郎 コンプレックスをバネにつかんだ居場所

     連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」(NHK)で主人公・安子(上白石萌音)に恋心を抱く幼なじみ役を好演しているのは俳優の村上虹郎(24)だ。思いは届かず、兄の稔(松村北斗)と結婚した安子を「義姉(ねえ)さん」と呼ぶシーンが11月22日(第16話)に放送されると多くの視聴者がこれに反応。同日朝のツイッタートレンド上位に「義姉さん」がランクインするほどだった。  17歳で俳優デビューを果たし、CMにドラマ、映画と引っ張りだこの村上。今夏の映画『孤狼の血 LEVEL2』では、ヤクザ組織に送り込まれるチンピラ役で気迫の演技を見せ、話題を呼んだ。  周知の通り、俳優の村上淳と歌手のUAを父母に持つ2世俳優だ。幼少の頃は父母ともに忙しく、ほぼ祖母に育てられたとバラエティー番組で明かしていたことも(「しゃべくり007」日本テレビ・2018年11月12日放送)。同番組内では、両親に対して「育ててくれてなかったという恨みがあった」と吐露し、「漠然と『芸能界嫌い』って思っていました」とも発言している。 「父親である淳さんは当時、役を家に持ち帰ることがあったそうです。『卑猥なセリフを言う役』を演じたとき、家にでも虹郎さんに対してそのキャラで接してしまっていたらしく、『前の奥さん(UAさん)にすごく怒られた』と語っていました。虹郎さんが小学2年生のときに2人は離婚したのですが、その後、月に1回ほど淳さんと会うことで、『親父ってこういう人なんだ』と次第に理解を示したそうです」(テレビ情報誌の編集者)  離婚後は母親に引き取られた村上だが、高校生のときに自ら望んでカナダのモントリオールへ留学。当時の心情について「親から逃げて逃げて逃げ続けたダサい時期があって、居場所がなくなっていくんですよね」と語っていた(「情熱大陸」・18年11月25日放送)。しかし、続けて「親から逃げていたわけじゃなく、本当は自分から逃げていた。弱かったから」と冷静に自己分析する姿もあった。 「留学中に淳さんから『ある監督が虹郎に会ってみたいと言っている。俳優業に興味はないか?』と誘いを受けたそうなんです。それがデビュー作『2つ目の窓』でメガホンを取った河瀬直美監督だった。でもフタを開けたら、指名での出演ではなくオーディションを受けなくてはならず、しかも結果はまさかの落選。悔しすぎた虹郎さんは『なんでもいいです、雑用させてください』と懇願し、運よく河瀬組の美術部に在籍できることになったといいます。そこで働く姿を見た河瀬監督から『主人公やる?』と声がかかり、大逆転で主人公を演じることになった。本当に珍しいケースです」(同)  この主人公抜擢に河瀬監督は「親の七光ではない」と言っているが、村上本人も2世であることにコンプレックスを抱いているようだ。過去にインタビューで両親のことは好きで、誇りに思うと前置きしつつも「名無し草からやりたかった」と述べている(「エンタメOVO」4月23日配信)。 「ファッション誌のインタビューでも『こういう環境(著名な両親を持つこと)に生まれなければなぁというのは常に思っています』とも話していたのですが、その理由に『役者は匿名性があった方がいい』と持論を述べています。親の顔が知られているのは役者として弱点であり、ハンディだとも思っているそうです。そういったこともあり、海外に向けた作品にも意欲的なようです。出演したドラマ『今際の国のアリス』(Netflix)が多くの国で配信されたこともあり、インスタグラムのフォロワー数の3分の2が外国人だとも明かしていました。留学経験もあるので英語も堪能ですし、今後は海外進出でどんどん知名度をあげていくでしょう」(同)  ドラマウオッチャーの中村裕一氏は、村上の魅力と今後をこう分析する。 「現在放送中の『カムカムエヴリバディ』では、自分の想いをグッと抑えて安子と兄の結婚を祝福する弟の役を好演しています。弟の役といえば、映画『ディストラクション・ベイビーズ』(2016年)で柳楽優弥が演じた暴力的で破滅的な主人公、泰良の弟・将太役も印象に残っています。まっすぐで太い眉、強い意志を秘めたまなざしと固く結んだ口元に、俳優としてのポテンシャルの高さを感じます。その存在感と表現力に、もはや『七光』『2世』のレッテルなどまったく必要ありません。国内の評価など気にせず、積極的に世界へ飛び出し、その名の通り虹色に輝く他に代わりのいない表現者に成長してほしいですね」  朝ドラだけでなく、今年公開の映画だけで4本に出演するなどまさに飛ぶ鳥を勢いで活躍中の村上。七光以上の輝きを見せる彼から今後も目を離せない。(高梨歩)

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    【独自】新生銀行TOBでSBIが仕掛けた周到な戦略 財務省、金融庁など「天下り19人リスト」入手

     新生銀行は紆余曲折の末にインターネット金融大手のSBIホールディングスに対する買収防衛策を取り下げ、SBIの傘下に入る見通しとなった。買収劇の勝敗のカギを握ったのは、政府判断だ。この結末に至るまでにはSBIの周到な「天下り戦略」が透けて見える。  ことの発端はSBIが9月に突如、新生銀行の株式につき、金融庁の認可を得た上で、48%を上限に1株2千円という破格の金額で取得し、子会社化するという「株式公開買付(TOB)」の発表だった。  敵対的買収を仕掛けられた新生銀行の経営陣は反発。両者の溝が埋まらぬまま、新生銀行は10月21日、TOBへの条件付き反対を発表した。  だが、SBIが一切の歩み寄りを見せなかったため、新生銀行は、11月25日に臨時株主総会を緊急で招集し、買収防衛策(SBI以外の株主に1株あたり普通株0.8株を付与する新株予約権の割当)を審議する方向で調整していた。可決されれば、TOBが成立してもSBIの保有比率は最大30%程度にとどまり、SBIの買収工作を防御できるはずだった。  ところが、新生銀行は24日夕刻、SBIによるTOBに対抗するための買収防衛策を一転、取り下げ、臨時株主総会を中止すると発表した。この間に一体、何があったのか。そのカギを握ったのは政府判断だった。  政府は新生銀の前身で1998年に経営破綻した日本長期信用銀行に公的資金を注入した経緯があり、預金保険機構とその子会社の整理回収機構を通じ新生銀株を計2割超持つ。 「約2割の議決権を持つ政府が新生銀行の防衛策に賛成しない方針を示したことで、新生銀行の防衛策提案が否決される公算が高まり、取り下げざるを得なくなりました。新生銀行内ではこの政府判断に衝撃が走りました。SBIとの全面対決を回避し、協調的な姿勢に転じざるを得ませんでした」(金融庁関係者)  今回のSBIによる新生銀行のTOBに対する政府判断の背景を官邸関係者がこう解説する。 「今回の判断は北尾吉孝社長が長年、培ってきた政権幹部や金融庁との太いパイプが少なからず影響した可能性が高い。具体的にはSBIは金融庁、財務省などあらゆる省の幹部らを次々と天下りさせてきたことで、今回の政府判断に影響を及ぼしたことは否定できない。こうしたSBIによる大規模な天下り“工作”は、さすがにやり過ぎという声も出ています」  新生銀行はSBIが会長に推薦していた五味廣文元金融庁長官(元SBI社外取締役)ら役員の受け入れ、事業運営への協力にも合意。事実上、SBIの北尾会長の軍門に下ることになった。  AERAdot.編集部が入手した政府が作成したSBIグループへの再就職状況一覧によると、前出の五味氏だけではなく、元金融担当相の竹中平蔵氏、元財務省事務次官の福田淳一氏、元農林水産省事務次官の末松広行氏もSBIホールディングスの社外取締役に就任。他にも防衛装備庁長官、財務省財務官、総務省統括審議官、金融庁検査局主任統括検査官2人、金融庁監督局主任統括検査官、財務省関東財務局長2人、証券取引等監視委員会(SESC)統括検査官4人など計19人の「天下り」の名前がずらりと記されている。  経済産業省の官僚だった古賀茂明氏はこう語る。 「SBIグループへ天下り19人は、福田財務事務次官から金融庁の検査官レベルまで幅広く、尋常じゃない。すぐに天下らず、どこかをかませて受け入れるなど法にのっとっているでしょうが、逆に言えば、天下り規制はザルだということ。まず、人数で多すぎますね。しかもSBIを取り締まる立場の金融庁やSESCなど監督官庁からの天下りが多い。SBIは何を狙ってこれだけ多くの天下りを受け入れたのか。SBIは菅政権時代から地銀の再編を仕掛けており、そうした政治的な背景も考える必要があるでしょう。SBIへ金融庁、SESC職員の天下りがこれだけ多いという実態を見たら、誰でもズブズブの関係だと思うでしょうね。新生銀行の件でも、金融庁長官の五味さんをトップに送り込むには、裏ではいろんな調整があったのではないかと疑う人も多いと思います」  SBIは北尾社長が掲げる「第四のメガバンク構想」の中核に新生銀行を置き、資本提携を進める地銀との関係強化などにより企業価値を高めると買収の意図を説明する。 「SBIの北尾社長は天下り人脈を駆使し、今回の新生銀行買収、ひいては『第四のメガバンク構想』の前進により、金融業界における存在感と発言力を高め、さらには『大阪・国際金融センター構想』への足掛かりにしたいという思惑が透けて見える。SBI社外取締役を務める竹中氏が率いるパソナグループもこのセンター関連の業務を受託しています。金融業界の覇権の一端を掌握しようとしているのではないか」(前出の官邸関係者)  SBIは「第四のメガバンク構想」を掲げるものの、新生銀行が抱える約3490億円の公的資金返済の具体的な道筋は示していない。前出の古賀氏は警鐘をこう鳴らす。 「金融の世界も原発の世界と構造が似ています。電力も金融も規制が多く監督官庁が力を持っていますが、天下りを企業が受け入れることによってミイラ取りがミイラになってしまう。SBIがこうしてうまく立ち回ると他の金融業者も天下りを受け入れないと思うでしょう。政府は天下り規制の強化に踏み込むべきです」  SBIホールディングスは19人の「天下り人脈」に対するAERAdot.の取材に対し、こう回答した。 「SBIグループでは事業拡大に伴い年間100名を大きく超えるキャリア(中途)採用を実施しており、その前職は様々であります。ご質問の金融当局出身者に関しましても、他のキャリア採用者と同様に、それぞれの経験や能力、人間性等に鑑み、(中略)採用しているものであり、特段の意図があるわけではございません」(コーポレート・コミュニケーション部) (AERAdot.取材班)

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    FA権取得の阪神・梅野は残留濃厚か 他球団の「意外な評価」とは

     ヤクルトと優勝争いを繰り広げている阪神。「扇の要」として梅野隆太郎が開幕からマスクをかぶり続けていたが、10月12日の巨人戦から坂本誠志郎が8試合連続でスタメン出場している。   一体何があったのだろうか。 「梅野に疲れが出てきたのでしょう。後半戦に入って精彩を欠いている。打撃で快音が聞かれなくなり、守備面も配球を相手に読まれて痛打を浴びるケースが出てきた。坂本は『第2の捕手』だが、リード面を含めて能力は非常に高い。今は坂本が稼働してチームの状態が上向いてきたが、梅野がチームの中心であることは変わりません。今季国内FA権を取得しましたが、球団はその働きぶりを高く評価している。好条件を出して全力で慰留に努めるでしょう」(スポーツ紙記者)  今オフにFA権の行使が注目される選手の1人が梅野だ。捕球技術、ブロッキングの能力が高く、14年は出場試合数が規定に達した選手で唯一の捕逸0をマーク。強肩が武器で2019年には捕手でNPB歴代最高の123補殺を記録した。東京五輪では広島・曾澤翼が当初選出されたが、故障により出場を辞退したため、梅野が追加召集されて金メダル獲得に貢献した。チャンスに強く、今季の得点圏打撃は3割を軽く超える。球界を代表する選手としての地位を確立したと言ってよいだろう。   ただ他球団の捕手事情を考えると、FAで争奪戦の様相を呈するかは微妙な状況だという。  「梅野は福岡出身ですが、ソフトバンクは侍ジャパンでも正捕手を張った甲斐拓也がいる。同じ関西を本拠地に持つオリックスも中嶋聡監督が伏見寅威、若月健矢をうまく使い分けて首位争いを演じている。他球団を見渡すと、今年は捕手の需要が高いとは言えない。ヤクルトは中村悠平、中日は木下拓哉、広島は坂倉将吾、西武は森友哉と正捕手がいるし、DeNA、日本ハム、楽天はFAで捕手の補強に乗り出すと聞いていない。梅野を最も必要としているのが阪神だし、梅野も阪神に強い愛着がある。残留が濃厚ではないでしょうか」(スポーツ紙デスク)  近年はFAで大物選手の移籍が少ない。19、20年と2年連続で最優秀防御率のタイトルを獲得し、昨年は自身初の沢村賞に輝いた左腕・大野雄大は昨オフにFAで争奪戦が予想されたが、中日に3年契約で残留。前人未到のトリプルスリーを3度達成したヤクルト・山田哲人も7年契約を結び、「生涯ヤクルト」を決断した。昨オフにFAで他球団に移籍したのはDeNAから巨人に移籍した梶谷隆幸、井納翔一のみだった。  「各球団がFA補強に消極的なのは、コロナ禍で球団の財政状況が厳しいというのが影響していると思います。ただそれだけではなく、FAで獲得した選手が稼働する確率が低く、チーム強化の観点からプラスアルファが少ないと判断しているケースが多い。実際に巨人が獲得した梶谷は度重なる故障で61試合出場にとどまり、井納に至っては5試合登板で防御率14.40と戦力になっていない。FAで他球団の主力を獲得するより、生え抜きの若手を育てようという考えにシフトしている傾向があるので、今年もFA移籍は少ないのではないでしょうか」(セリーグ球団の編成担当)  シーズンの戦いは続いているが、梅野は今オフの決断にも注目は集まりそうだ。(牧忠則)

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    ポールが涙目で口にした「ビートルズ解散」と最後の挨拶

     ドキュメンタリー作品「ザ・ビートルズ:Get Back」3部作の配信が、11月25日からディズニープラスで始まった。一足先に視聴したビートルズファン歴45年のライターが、レビューする。 *  *  *  50年前の出来事を、当時撮影した映像を編集してよみがえらせた計3部、8時間の大長編が、こんなにスリリングなドキュメンタリーになるなんて、やはりザ・ビートルズのマジックなのだろうか。  ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター。英リバプール出身の若者4人で結成され、1962年にレコードデビュー、自作自演の斬新な楽曲と言動でポピュラー音楽の歴史を変えた奇跡のバンド。70年4月に解散したが、半世紀たつ今も、怪物的な人気を持つ。  ことの始まりは、妻のシンシアと別れヨーコ・オノと愛し合うようになったジョンのソロ活動がバンドの枠を越え、「解散説」が飛び交うほど活発化、それにポールが危機感を持ったことだった。「ヘイ・ジュード」のプロモーションビデオを制作したマイケル・リンゼイ=ホッグ監督と組み、69年1月18日にビートルズが新曲を披露するテレビショーを企画、新曲を練り上げる様子も盛り込むことにし、撮影班がスタジオでメンバーに密着することになった。  セッションは69年1月2日に始まり、テレビショーはジョージの大反対で中止されたものの、撮影は最終日の31日まで続けられた。「ゲット・バック」「レット・イット・ビー」「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」などのリハーサルやレコーディングを撮影した映像は57時間、音源は150時間。これを素材にリンゼイ=ホッグ監督がつくったのが70年5月公開の映画「レット・イット・ビー」(80分)だ。 「ロード・オブ・ザ・リング」で米アカデミー賞を受賞した、筋金入りのビートルズファンであるピーター・ジャクソン監督が、この膨大な映像と音源を使って新たに編集したのが今回の「ザ・ビートルズ:Get Back」である。前の映画「レット・イット・ビー」の映像はほとんど使われていないようだ。  前書きが長くなったが、ビートルズものの本や映像をあさってきた長年のファンとしては、「こんな宝の山が残されていたのか」と驚きだ。  順調にスタートしたかに見えたセッションだったが、映画撮影用のスタジオで朝から新曲に取り組むことになったジョンやジョージは不満を募らせる。セッション3日目の4日、ギターの弾き方を指示するポールにジョージが激怒、「君が弾けというようにやるさ、弾くなというならプレイしない」と怒りをぶつけた。10日には、自分の曲がまともに取り上げられないことなど積年の不満が爆発、スタジオを飛び出してしまう。  ジョンは「ジョージが戻らないならエリック・クラプトンを後釜に入れようぜ」と皮肉るが、4人がそろってこそのビートルズ。だが週末にジョージの家で行われた話し合いもうまくいかなかった。  ジョンとポールの心のうちが赤裸々に描かれる。  13日、ポールはジョン不在のスタジオで、リンゴや恋人リンダ(2カ月後に結婚)、リンゼイ=ホッグや親しいスタッフらに疲れた様子で語りだす。グループそっちのけで、スタジオでも片時も離れないジョンとヨーコのことだ。 「ジョンはヨーコとずっと一緒にいたいんだ。ヨーコとビートルズのどちらを取るかと迫ればジョンは彼女を選ぶだろう」  ツアーでいつも一緒だった時代はジョンと曲を熱心に共作していたが、ツアーをやめて離れて暮らすようになると、親密さが失われたとポールは言う。 「ジョンとヨーコはやりすぎだが、もともとジョンは極端だろ。分別を取り戻せと言っても無駄さ。口をはさむことじゃない。たぶん僕らには(規律を正してくれる)父親のようなまとめ役が必要なんだ」  テレビショーは延期したいというポールは、ショーの新たなアイデアとして、ビートルズの曲の合間に最新のニュースを放送することにし、最後に「ビートルズ解散」を速報で流すのはどうかと言って笑った。  ポールは目を潤ませていた。  ジョンが電話に出ているというので、ポールは席を立った。  その日(1月13日)の昼食時、スタジオに遅れて来たジョンは、食堂でポールと二人だけで話す。映像はないが、花瓶に録音マイクが仕掛けられていた。  ジョンが舌鋒鋭く言う。 「ジョージは(ビートルズでは)満足感が得られないと言っている。僕らが彼の傷が膿むのに任せ、さらに傷つけたからだ」 「君は僕にも指示する。後悔してるのは、君が曲を違う方向にもっていくのを許したりしたことだ」  それに対しポールは、 「そこが問題なんだ。君は自分の曲で指示できる時も何も言わない」  と反論。  ジョン「君の提案を断る自由をくれ。いい提案は頂くから。曲のアレンジもそうだ。嫌なんだ。うまく言えないが」「君はポール様だからな。正しいときもあるが、間違える時もあった。みんなも同様だ。もうビートルズはただの仕事になっちまった」  ポール「僕はジョージが戻ってくると思う。もし戻らなければ新たな問題発生だ。年を取れば、みんなで歌えるさ」  2人はまたジョージと話し合うことにし、15日に会合を持った。ジョージはテレビショーの中止とアルバム制作を復帰の条件に挙げ、他のメンバーはそれを受け入れた。  このころ、ジョンがひどいヘロイン依存になっていたことが、今では知られている。ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソンらロック史に残る多くの面々が薬物で命を落とした。薬物が原因かはわからないが、ジョンがカメラの前でおかしな言動(「マスターベーションをやれば近視になる」などと口走る)を見せ、ポールがハラハラした様子で「君はまともじゃないぞ」とささやく場面も。  もともとビートルズの実質的なリーダーはジョンだった。ジョンはポールより二つ、ジョージより三つ年上(最年長のリンゴはデビュー直前に加入)で、10代半ばのジョンのバンドにまずポールが、次にジョージが入り、バンドとして整っていく。ビートルズと名付けたのもジョン。下積み時代、 「俺たちはどこまで行くんだ?」  とジョンが叫ぶと、 「トップのトップだよ、ジョニー」 とポールやジョージが応じて励まし合った。何と言ってもジョンは頼れる兄貴分だったのだ。デビュー初期はジョン主導で作られた曲や、ロック歌手として抜群の力を見せつけた曲が多かった。  ところが中期になると弟分のポールが才能を開花させ、一方でジョンは曲作りに苦しむようになる。後期のシングルの大半はポールの曲で、69年1月のこの映像でも、スタジオに来たポールが毎日のように新しい珠玉の楽曲の数々をピアノで披露している。この時期、彼は質量ともに恐ろしいほどの、創作力の絶頂にあったのだ。  何より音楽が好きなキュートな仕事師と、その思うようにやりたがる傾向を押しつけがましいと感じるようになったカリスマ的兄貴分。二人の関係は強いきずなで結ばれつつも、微妙で難しい水位に達していたのだ。  20日、ビートルズはだだっ広くて寒そうだった映画撮影スタジオを離れ、本拠地アップルビルの地下スタジオに移り、レコーディングに着手する。バンドは一気に活気づき、ジョンのはつらつぶりは見違えるようだ。メンバー個人が作ってきた曲がスタジオに持ち込まれ、みんなでやりとりしながら歌詞やメロディーを仕上げていく。見ているだけで心躍る光景だ。  自分の意見を通して復帰したジョージも積極的に関わる。28日、自身の代名詞となる名曲「サムシング」を披露。思いつかなくて半年も苦労しているという歌詞の一部をジョンとポールに相談した。29日にはジョンに、 「曲がたくさんできたので、ソロアルバムを出したい。ビートルズとしての活動も、その方がやりやすくなる」  と意欲を伝えた。ソングライターとして大きく開花しようとしていたジョージ。ジョンとポールの弟分に甘んじることは難しかったようにも思える。  グループ解散に決定的な影響を及ぼす人物の影を、ピーター・ジャクソンの編集は忘れない。ニューヨークのビジネスマン、アラン・クライン。22日夜に会い、深夜まで語り合ったジョンはクラインにほれこみ、28日、「本当にすごい男だ」とジョージに伝える。「これからクラインが来るぞ」とジョンはワクワクしている。  29日、現場でセッションを仕切った一人、グリン・ジョンズがジョンとヨーコに「クラインは頭がいいが変わった男」なので警戒するようアドバイスするが、ジョンは沈黙。後にセッションの音源を素材にジョンズがつくったアルバム「ゲット・バック」が2度にわたり棚上げされたのも、このときのことが影響したのではないかとの説もある。  クラインは5月、ビートルズのビジネス管理を担う契約を結び、ビートルズの会社アップルの経営を事実上握る。ただ一人拒否したポールは孤立し、グループは修復困難な内紛に突入していくのだ。  8時間のドキュメンタリーは、1月30日のアップルビル屋上でのライブ演奏でクライマックスに達する。42分間、ノーカットで4人の姿を見ることができる。それまでの不和や対立、争いの数々も、すべて洗い流したような(そんなことはないだろうが)圧倒的なパフォーマンス。年季の入ったビートルズファンなら、 「生きててよかった」  と思わずにはいられまい。目と目を見合わせ、ニヤッとうなずき合うジョンとポール。見ているこっちもうれしくなってくる。  ドキュメンタリーの終わり、ジョンが「おやすみ、ポール」と声をかけると、ポールが「おやすみ、ジョン」と返す。別なカットを組み合わせて構成されたこのシーン、不世出の奇跡のバンドをけん引した二人への敬意と愛情を、ピーター・ジャクソンが表しているかのようだ。  ワイングラスを手に微笑むジョージの映像も。ジョンとジョージはもうこの世にいない。(ライター・小北清人) ※AERAオンライン限定記事

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    マイホームは「子ども部屋なし」がトレンド?! 勉強部屋に風呂なしアパートを借りる賢い選択

     晩婚化に伴い、マイホーム購入の平均年齢が上がっている。金融機関が貸してくれる時代とはいえ、ローンは早めに完済したほうがベターだ。それでも人生は予期せぬことが起こりうるもの。リアルな事例や最近の不動産事情を探った連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。今回は、20代で計画的に戸建てを購入した夫婦の事例を検証する。 >>【前編:家を買うのが早すぎた?「子ども部屋を見ると悲しくなる」 戸建て購入37歳共働き夫婦の後悔 】を読む *  *  *<30代後半Aさん夫婦のケース>10年前に27歳で神奈川県の郊外の住宅地に戸建てを購入。広さを優先した分、利便性は犠牲にして通勤は片道1時間半かかる。ローンの返済は順調だが、予想外だったのが、がんを患ったこと。子どもが授かりにくくなってしまい、せっかく作った子ども部屋を使用する予定はないという。 ◆ 80歳までローン返済…早い段階で購入することは“正解”    Aさん夫婦の事例をライフプランという視点から考察してみよう。ローン完済までの余裕が生まれ、返済計画も安定しやすいことから、早い段階で家を購入すること自体は間違っていない選択だ。  今は晩婚化の影響もあり、家を買う年齢が上昇傾向にある。最新の住宅市場動向調査(令和元年度・国土交通省住宅局)によれば、初めてマイホームを購入する人(一時取得者)の平均年齢は、注文住宅が39.1歳、分譲戸建住宅が36.8歳、分譲マンションが39.4歳、中古戸建住宅が42.8歳、中古マンションが44.8歳と、40歳前後。これに伴い、住宅ローンの完済年齢も上がっており、以前は最長70歳までが一般的だったところが、現在は最長80歳まで延長して設定している金融機関が増えている。 仮に40歳で家を買うとなると、35年ローンを組めば完済が75歳と定年退職後の年齢になる。大手不動産会社出身で、住宅購入における資金計画に詳しいファイナンシャルプランナーの飯田敏さん(FPフローリスト)は言う。 「家の購入年齢が上がるに伴い、一昔前までは住宅ローンを『遅くとも65歳には完済したい、できれば60歳までに返したい』という人が多かったのが、最近は『遅くとも70歳には完済したい、できれば65歳までに返したい』に変わってきています。借入額を増やすためにも、35年の最長期間でローンを組む人が多いですが、繰上げ返済を計画的にしていくことで、なるべく現役のうちに完済することを目指す人が多い」  また、Aさんのように病気になるのも、誰しもが抱えるリスクだ。銀行で住宅ローンを借りて家を買う場合には、債務者が死亡または高度障害に陥ったときに返済が不要になる団体信用生命保険(以下、団信)に加入する必要がある。通常の団信は、病気にかかったときの保証はないが、がん、脳卒中、急性心筋梗塞の三大疫病型特約付の団信や、三大疫病に重度慢性疾患を加えた八大疫病型特約付など、病気や怪我を保証する団信のバリエーションが広がっている。 なお、多くのがん団信の加入上限年齢は、46歳以下と設定されている。Aさんの場合、債務者が死亡または高度障害に陥ったときのみの通常型の団信加入であったために保険金の支払い対象とはならなかった。仮にがん団信に加入していたら、がんと診断された時点で、団信に加入している保険会社からローンを借りている銀行に保険金が支払われ、ローンの債務がゼロになっていただろう。 「まさか自分が病気にかかるなんて思いもしなかった。あの時、がん団信に加入していたら……と、どれだけ悔やんだか分かりません」(Aさん) ◆ 自宅は子ども部屋ナシ 勉強部屋を借りる世帯も  飯田さんは、早い段階で購入に踏み切ったAさんの選択自体は「良い選択だった」としながらも、“妊娠前から子どものための部屋を構える”という点については「少し早まったかもしれない」と指摘する。 「リスクの想定は線引きが難しいですが、想定外のことが起こるかもしれないという可能性を踏まえると、『必要が生じたときに、必要に応じて動く』という視点のほうが『こんなはずじゃなかった』ということになりにくい。病気にかからずとも、子どもを授かれないという例も珍しくありません。また結婚することを前提に新居を購入した人が、実際は結婚に至らなかったというケースもままあります」  この「必要が生じたときに、必要に応じて」という観点は、不動産の視点に置き換えても応用が効く。例えば「子ども部屋」について。「子どもに個室が必要な期間というのは、意外と短い」とは前出の後藤さんだ。小学校低学年のうちは、個室があっても、家族のいるリビングで宿題をするケースも多いことや、大学入学を機に一人暮らしをする例も少なくない。  仮に小学3年生から高校卒業までが個室が必要な期間とすると、合計10年だ。都心では50~60平米の空間で、家族3~4人が暮らす例も珍しくはない。この10年のために、限られた空間の中で子ども部屋を設けるかどうか悩む人も多いという。これまで6千件を超える不動産取引を行ってきた不動産コンサルタントの後藤一仁さんは次のように言う。 「今はその辺りを合理的に考えて、子どもの勉強部屋用に、自宅近くのアパートの一室を賃貸で借りるケースも見られます。勉強用に借りる部屋ですから、狭くて風呂なしでも十分。また子ども部屋が必要な期間だけ、自宅を定期借家として人に貸して、家賃を元手に家族全員で広めの賃貸住宅に移るというケースも少なくありません」  多くの人にとって、人生で一番高い買い物とも言える住宅購入。想定通りに事が進むことばかりではないのが人生だが、家の選び方や買い方には思わぬ落とし穴もある。後の人生を左右すると言っても過言ではない住宅選びだからこそ、後悔しないためのコツを身につけておきたい。(松岡かすみ) >>【前編:家を買うのが早すぎた?「子ども部屋を見ると悲しくなる」 戸建て購入37歳共働き夫婦の後悔 】を読む

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    短時間の昼寝にストレス解消、パフォーマンス向上効果 寝不足の日本人こそ必要

     ランチ後に眠気が襲われ、午後の仕事に身が入らないという人も少なくないだろう。仕事のパフォーマンス向上には昼寝が最適だ。そこには日本人ならではの事情もある。AERA 2021年12月6日号から。 *  *  *  部屋に入ると、アロマの柔らかな香りに包まれた。足元のダウンライトの光が優しく揺らいでいる。手ごろな枕を手にしてデスクに突っ伏すと、すぐにあたりが暗くなった。初めはゆったりとした波の音だった“背景音”は、気付くと心地よい“ノイズ音”に変わっている。いつしか眠ってしまっていた──。  そして15分後。軽やかな音楽と朝日のような明るい光で意識を引き戻された。眠っていたのは、ほんのわずかな時間。それでも、頭の靄(もや)がすっきりと晴れ渡ってくるようだった。  ここは、東京・日本橋に本社を構える寝具メーカー・西川の仮眠室「ちょっと寝ルーム」。正午から午後3時、1回15分の入れ替え制で社員たちが「昼寝」する。コロナ禍で出社人数が減ったため、仮眠室の利用も少なくなったが、それでも1日20人ほどの社員がこの部屋で昼寝するという。  また、在宅勤務をする社員に対しても、短時間の昼寝を推奨している。 ■約9割がストレス減少  同社の研究機関・日本睡眠科学研究所で睡眠や生体リズムの研究を担う安藤翠さんは言う。 「仕事のパフォーマンス向上やミスの予防のため、昼過ぎに短時間の仮眠を推奨しています」  実際、短時間の昼寝を継続して取り入れた社員のうち、約9割が「ストレス」や「午後の眠気」が減ったと回答した。  業務時間中に短時間の昼寝を取り入れることは「パワーナップ(積極的仮眠)」とも呼ばれ、数年前から推奨する企業が増え始めた。広島大学の林光緒教授(睡眠科学)も、短時間の昼寝の効果をこう説く。 「昼下がりに短い仮眠をすると、その後の脳の覚醒レベルが上がることがわかっています。集中力が高まり、作業時のミスが減ってかかる時間も短縮される。仕事に向き合う意欲も高まります。特に、日本人は慢性的な睡眠不足を抱えて、知らず知らずのうちにパフォーマンスが下がっている人が多い。昼寝の効果は高いと考えられます」 ■日本人の多くが寝不足  昼下がりは生体リズムの影響で眠気が強くなる。睡眠不足だと、それに拍車がかかるという。実際、日本人の多くは慢性的な睡眠不足だ。適切な睡眠時間は人によって異なるが、標準的な成人では7時間から8時間程度は必要だと考えられている。  厚生労働省の「令和元年国民健康・栄養調査」では、20歳以上の73%が1日の平均睡眠時間が7時間未満と回答した。経済協力開発機構(OECD)の「Gender data portal」によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分(2016年)。「7時間の壁」は越えているものの、データのある33カ国で最も短く、トップの南アフリカ(9時間13分)とは約2時間の差があった。  夜になっても明るく、寝る直前までブルーライトを浴びる生活では、就寝時間は自然と遅くなる。一方、朝8時台から始業という企業も多い。睡眠不足はもはや現代人の宿痾(しゅくあ)ともいえ、昼寝を必要とする人は多い。  また在宅勤務の浸透は、日常的に昼寝できる人を大きく増やした。寝具メーカーのコアラスリープジャパンが今年3月に行った調査では、「在宅勤務に伴い新たに習慣化した行為」として28.6%の回答者が「昼寝や仮眠」を挙げている。(編集部・川口穣)※AERA 2021年12月6日号より抜粋

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    22時間前

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    巨人・中田翔の“大幅減俸”は必至 高額だった年俸はどこまで下がるのか

     巨人・中田翔にとって“勝負のオフ”がやってきた。選手として来シーズンへ向けた巻き返しとともに、大幅減俸も予想される契約更改も待ち構えている。  途中加入にも関わらず、今シーズン低迷した球団のシンボルのような存在になってしまった男は、この先どのようにチーム内で扱われるのだろうか……。  中田は今シーズン、日本ハムで後輩選手への暴力事件を起こし、その後巨人が引き取る形でトレード移籍した。周囲からの厳しい批判もあった中で入団早々から試合に出場したがシーズン最後まで期待に応えることができなかった。巨人移籍後は34試合に出場し、打率.154、3本塁打、7打点。ヤクルトとのCSファイナルステージでは、3試合目の9回2アウトから代打で出場し、明らかなボール球に手を出して空振り三振。今季を象徴しているような不甲斐ない幕切れとなった。 「良い打者だから大きな期待をしていた。しかし状態が悪いまま時間だけが過ぎチームも下降線を辿った。身体の調子も良くないという話もあったがすべてが上手くいかなかった。今のままでは来年も同じになるからオフの間に心技体をしっかり整えて欲しい。頼れるのは自分しかいない」(巨人OB) 「獲得自体に賛否両論があったのは事実。やってしまったことは良くないし移籍の過程などに納得いかない人がいるのも理解できる。でも結局のところプロは結果で取り返すしかない。結果を出していれば周囲を黙らせることもできたと思うのですが……。来季に関して球団内を含め誰もが注目しているはずです」(巨人関係者)  前所属の日本ハムが無期限出場停止の処分が下されたのにも関わらず、巨人移籍後は即座に試合に出場した。一連の経緯が明確ではなかったため世間の逆風が吹き荒れた。また高額な旧年俸を引き継いだ契約条件も大きな話題になった。  中田は今年が日本ハム時代に結んだ3年契約の3年目で、年俸は3億4000万円(以下金額は推定)。巨人は参稼報酬(年俸)期間となる2月1日から11月30日までのうち、移籍決定後の8月20日から11月30日までの103日分を日割り計算して支払うこととなった。巨人が支払う額は約3分の1に当たる約1億1500万円ほどだ。 「結果だけを見れば高すぎる。獲得自体がギャンブルだったから。タラレバになるが大活躍をしてCSを突破し、日本シリーズに進出できていれば安い買い物だった。複数年契約は今年までだから今オフは年俸を大幅に下げ、単年契約で本人に自覚を持たせないとダメ。そこまで徹底しないと中田自身が野球選手として終わる。中途半端な処遇では他選手だって納得いかないだろうしね」(巨人OB) 「原辰徳監督や編成部がどのように判断するか。昨年は108打点で打点王を獲得したものの、これまでケガに苦しむ年もあり、年間通じての出場と活躍は期待できないという声もある。減俸は当然だが、どのくらいになるかに注目が集まります。チーム全体の士気にも関わることで今オフ最大の関心ごとになります」(巨人担当記者)  今季は日本ハムと巨人でトータル73試合に出場。打率.177、7本塁打、20打点(日本ハムでは39試合に出場。打率.193、4本塁打、13打点)と大幅に成績が落ち込んだ。不祥事もあり、精神的なダメージの影響などもあったのは間違いないが、球界を代表する強打者の成績としてはあまりにも物足りない。また過去に左第5中手骨の亀裂骨折(13年)、右内転筋筋挫傷(17年)、右手母指球部挫傷(19年)など故障での離脱も少なくなかった。今年も急性腰痛で6月にチームを離脱している。コンディション面での不安も大きく野球協約の減額制限(元の年俸1億円を超える場合は40%)を超えての減俸になることは避けることはできないだろう。  過去に巨人では15年オフに杉内俊哉が5億円から5000万円へ90%の大減俸があった(この時は右股関節の手術をしたばかりで翌年に復帰が見込めないためだった)。その他にも高橋由伸が11年オフに3億5000万円から1億7000万円(51%減)、小笠原道大が12年オフに4億3000万円から7000万円(84%減)、中島宏之が19年オフに1億5000万円から2000万円(87%減)というケースもあった。 「年俸3億4000万円から減額制限40%減の2億400万円は確実。過去の例を見ても場合によっては1億円台前半ということすらも考えられ、中田にとって厳しいオフとなるでしょう。しかし全権を任される原監督の期待と信頼は変わらない。開幕に向けて一塁や外野でチャンスは与えられるはず。そこでレギュラーに定着し、シーズンで結果を残せば来オフに減額分も取り返せる。中田にとってここからが勝負です」(巨人担当記者)  今季はキャリアで最悪のシーズンとなってしまったが、来季の年齢は33歳と打者としては円熟期を迎えている中田。かつて侍ジャパンの4番を任された大砲がこのままキャリアを終えることはないはずだ。ここから再び球界を代表する打者として活躍する姿を見せてくれることに期待したい。

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    13時間前

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    家を買うのが早すぎた?「子ども部屋を見ると悲しくなる」 戸建て購入37歳共働き夫婦の後悔

     晩婚化に伴い、マイホーム購入の平均年齢が上がっている。金融機関が貸してくれる時代とはいえ、ローンは早めに完済したほうがベターだ。それでも人生は予期せぬことが起こりうるもの。リアルな事例や最近の不動産事情を探った連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。今回は、20代で計画的に購入した夫婦の事例から、戸建てを検討する際にどんなことを考慮すべきなのか。専門家に聞いた。 *      *  *「家を買うのが早すぎたのかもしれない……」  神奈川県で夫と2人で住んでいるAさん(37)は、10年前に家を建てたことを悔やみ始めている。  Aさんは「若い頃から将来設計をしっかり立てておきたいタイプだった」というように、25歳での結婚を機に、ファイナルシャルプランナーに収入に応じたライフプランを相談。「住宅ローンのことを考えても、家を買うなら早いに越したことはない」というアドバイスのもと、27歳で新築一戸建てを購入した。  夫婦ともに地方出身で、広々とした戸建で育ってきたことから、マンションは選択肢になかったという。カフェ風のお洒落なインテリアを実現したいとの思いから、注文住宅でそのこだわりを実現した。 「これから子どもを産んで家族も増えるはず」  広めの子ども部屋も構え、期待で胸を膨らませながらマイホームでの暮らしを満喫していた。  ところが翌年、Aさんにがんが発覚。幸い大事には至らずに済んだが、手術を経て子どもができづらい体になってしまった。気づけば、高校や大学の同級生らは出産ラッシュ。 「今、子ども部屋を見ると、何とも言えず悲しい気持ちになります」(Aさん)  戸建てへのこだわりを優先した分、交通の便は犠牲にしていた。共働きで、満員電車に揺られ、片道約1時間半かけて都心へ通う日々。駅から家まで徒歩25分と距離が遠く、家から駅までは自転車が欠かせない。退院後に長時間通勤は正直、つらかった。  昨年からのコロナ禍で「戸建てでよかった」と思い直したかというと、そうでもない。確かに、残業が多く深夜帰宅が当たり前だった日常は、コロナの影響で一変した。夫婦ともにテレワークが基本となり、出社は月1~2回。感染状況が比較的落ち着いている今もテレワーク中心であることは変わらず、以前に比べて格段に自由な時間が増えた。  プライベートを充実させようと、海辺に引っ越した同僚もいるという。Aさん夫婦が家を建てたのは住宅街。特段、緑の多いエリアでもない。 「今の家は、都心への通勤を考えて、自分たちが無理ない範囲で戸建が持てるエリアということで決めた場所。都心へのアクセスも周辺の環境も、言ってみれば中途半端な郊外の住宅地です。こんな状況になるなら、もっと自然豊かな場所に住むか、仕事中心のライフスタイルに合わせて都心のマンションという選択肢でも良かった」(Aさん) ◆ 商業施設が撤退する地域は値段に響く  人生、いつ何が起きるか分からないのは万人に共通すること。専門家にも相談し、長い目で見て良かれと判断し、早めに行動したAさんのような人でも、予測できない事態に後悔することがある。どんなことに留意すべきなのか。Aさんのケースを検証しながら、ポイントを整理していこう。 「家を買う時には、『もし自分がそこで住めなくなったら』という仮定をして考えてみることが大事です」   不動産コンサルタントの午堂登紀雄さんは、Aさんの例についてこう指摘する。想定外のことが起こり、もし自分がそこで住めなくなった場合は、人に「売る」か「貸す」か、どちらかの選択肢しかない。 「だからこそ、何かあったら『売れる』、もしくは『貸せる』物件を選ぶ視点が必要です」(同)  ここで改めてAさんの家の立地について整理しよう。Aさんの家は、最寄り駅から徒歩25分。晴れた日は自転車で駅まで向かい、駅に隣接する駐輪場に駐車する。雨の日はバスを利用するか、急いでいる時はタクシーを呼んで駅まで向かうこともあった。最寄り駅から都心のターミナル駅までは、乗り換え1回を挟み、1時間超かかる。通勤時間帯には郊外から通勤する乗客がひしめき、特に朝のラッシュ時間の満員電車は過酷な状況だった。  午堂さんは言う。 「駅から徒歩15分を超えた立地や、バスを利用しなくてはいけない立地など、アクセスの悪さは想像以上に売る時の値段に響いてきます。また郊外のニュータウンなどの高齢化が進む地域や、周辺の商業施設が撤退するなど衰退が進む地域も要注意。いざという時に売りにくくなり、資産価値が低下しやすい」 ◆ 実は「建売住宅」のほうが次に売りやすい  主に都市部で売れる物件の条件については、前回の記事に詳述しているが、Aさんの場合はマンションでなく戸建であることもポイントだ。戸建には思わぬリスクもあるという。 「一般的に戸建は、建物が木造であることが多いため、鉄筋コンクリート造であるマンションに比べ、価格が下落するスピードが早い。また、木造住宅の価値は、築20~24年前後でほぼゼロと評価されることから、土地だけの価格になってしまうことが多いのです」(午堂さん)  その土地代も、手放したいと考えるときには価値が下がってしまうこともある。例えば郊外の新築一戸建を買って数十年が経過した後、売却したいと考え、土地部分の価格のみで売りに出す。しかしなかなか買い手が現れないために土地部分の価格も下げることを余儀なくされ、結果的に大幅に資産価値を下落させてしまうケースもよく見られるという。  さらに、こだわりを実現するための「注文住宅」という点にも、意外な落とし穴が潜んでいる。実は一戸建の場合、一見ぜいたくなほど細部にこだわった注文住宅より、建売業者が建てたよくある間取りの建売住宅の方が売りやすい場合も多いという。これまで6千件を超える不動産取引を行ってきた不動産コンサルタントの後藤一仁さんは言う。 「なぜなら建売業者は、建物を建てる前に、そのエリアの需要の傾向や価格相場などのマーケット調査をし、それを基に万人に受けるであろう外観デザインや間取り、建具、設備、内装などにしていることが多いからです。自分仕様にこだわって建てた注文住宅が、リセール時の買い手に気に入ってもらえれば良いのですが、その個性が逆に買い手を狭めてしまい、結果的に売りにくくなってしまうことがあります。住宅においてはある意味、“個性のなさ”が買い手を限定させず、売りやすさを高めるとも言えます」 (松岡かすみ) >>【後編:マイホームは「子ども部屋なし」がトレンド?! 勉強部屋に風呂なしアパートを借りる賢い選択】に続く

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    愛子さま成人で「女性・女系天皇」への言及あるか? 「愛子天皇」への期待の高まりで

     愛子さまが12月1日、20歳の誕生日を迎えた。「愛子天皇」を待望する声がある中、記者会見では何を語るのか注目が集まる。AERA 2021年12月6日号から。 *  *  *  愛子さまはティアラを新調せず、叔母にあたる黒田清子さんのティアラを借用するという。コロナ禍で国民の暮らしに影響が出ていることを考えてのことだという宮内庁の説明に、SNS上では「さすが愛子さま」「素敵なご配慮」などと話題になったそうだ。  週刊誌などでは、「愛子天皇」を期待する記事が定番化している。確かに愛子さまの堂々とした様子からは風格と気品が感じられ、読まれる記事になるのだろうな、と思う。各メディアの世論調査でも、女性天皇に賛成する人が8割近くいる。愛子さまを念頭に答えている人がほとんどだと思う。  記者会見で「女性、女系天皇」についての質問が出るのかどうかはわからない。仮にあったとしても、「男系男子」による継承を皇室典範が決めている以上、極めて政治的な問題で、答えにくいには違いない。でも、愛子さまなら、「ノーコメント」ではなく、何かを答えてくれるのでは。そんなふうに期待してしまう自分がいて、これが我が「愛子天皇待望論」かと思ったりもする。  眞子さんが結婚し、皇室を構成するのは17人になった。40歳以下は6人だけで、男性は秋篠宮家の長男悠仁さましかいない。こちらは喫緊の課題だから、「女性宮家」の議論はこれからきっと盛んになるはずだ。  もし「女性宮家」ができるなら、愛子さまは間違いなくその対象となる。だから意見を知りたいが、これとて政治的な話だ。つまりそういう時期に愛子さまは20歳を迎える。何を語るのだろうか。どんな髪形だろうか。(コラムニスト・矢部万紀子)※AERA 2021年12月6日号より抜粋

    AERA

    1時間前

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    室井佑月「表現の自由とは」

     作家・室井佑月氏は、表現の自由についてどこまで自粛が必要なのか、物書きの立場から考える。 *  *  *  瀬戸内寂聴さんが亡くなった。とても寂しい。あたしは瀬戸内晴美さんの時代の彼女の本から読んでいたし、テレビの仕事で彼女とご一緒したこともあった。世の中や人間を愛しているチャーミングな方だった。  寂聴さんの訃報(ふほう)を知って、彼女の作品を読みたくなって、でも引っ越し先に本を持ってきておらず、なんでもいいから彼女の足跡を、と探したのがまずかったのかもしれない。  たまたまSNSで流れてきたある方のツイッターを読んでしまった。  その方は去年、寂聴さんが書いた「不倫でもいいから恋愛すべき」という記事の中の「愛した人が一人もいないなんて生まれてこない方がいい」という一節に、アセクシュアル(他者に対して性的欲求や恋愛感情を抱かないセクシュアリティーのこと)という立場から抗議を送ったそうだ。そしたら、寂聴さんがその抗議を納得し、記事からその文を削除したそうだ。それは寂聴さんに対する美談なのだと思う。  が、物を書いているあたしがちょっと怖くなったのも事実。表現ということにおいて、どこまで自粛しなければいけないのか。  たとえば、寂聴さんの書いた記事において「不倫でもいいから恋愛すべき」というのだって、パートナーの不倫で苦しんでいる人間にとっては、嫌な言葉なのかもしれない。  少し前、芸能人の不倫に対しものすごく怒ってる友人がいて、芸能人が出ていたテレビなどにもクレームをつけたといっていた。そんなのは辛いので「やめてほしい」と告げたら、なぜ一緒に不倫をとがめないのかと喧嘩になったことがある。  もうその友人とはそれきりになってしまったので、そのときにどうしてもいえなかったことがある。いわなかったこと。  それはその友人も知ってるまた別の友人が、婚外恋愛で生まれているってこと。その友人のお母さんは女一人で友人を育て、とても立派な愛すべき人だった。友人も人の痛みがわかる優しい人間だ。  不倫がなぜいけないかは理解出来る。でも、そのときの当事者にしかわからない事情もある。もちろん、不倫に怒っていた友人も、あたしが知らない事情があったのかもしれない。本当に怒りを向けたい矛先は、芸能人じゃなかったなんてこともあるのかもしれない。  不倫は悪いといっていい。けどその先、だから絶対に許さないという部外者の感情は、正義なのだろうか。そして、それは個人の尊厳を中傷することにまで行き着いてしまわないだろうか。  物書きでもある自分の正義の鉄槌(てっつい)が、誰かを傷つけるなんてことにならないといい。腹を据えて仕事しよう。 室井佑月(むろい・ゆづき)/作家。1970年、青森県生まれ。「小説新潮」誌の「読者による性の小説」に入選し作家デビュー。テレビ・コメンテーターとしても活躍。「しがみつく女」をまとめた「この国は、変われないの?」(新日本出版社)が発売中※週刊朝日  2021年12月10日号

    週刊朝日

    1時間前

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    Sexy Zoneらしさとは「予定不調和」なところ メンバー4人が自己分析

     Sexy Zoneが11月16日にデビュー10周年を迎えた。セクゾメンバーが連載中の小中学生向け月刊誌「ジュニアエラ」12月号では、10周年を記念して、メンバー4人に「Sexy Zone」という存在について、メンバーたちのそれぞれの思いを聞いた。質問は、(1)10周年を経て発見したことは? (2)セクゾらしさとは? (3)今年「更新」したこと (4)「未来」と聞いて何を連想する? (5)最近感じた「ハッピー」は? *  *  * 【佐藤勝利くん】 (1)Sexy Zoneって自分たちだけのものじゃないんだなって改めて感じました。ものすごく愛をもって皆さんに10周年を祝ってもらえるのがうれしい一方で、10年を重ねた説得力が追いついてないなとか、今5人じゃないしとか、歯がゆさもあったりして……。時に5人のものだけであってほしいと思う瞬間もありますけど、それはまあ泣き言かな(笑い)。 (2)予定不調和なところ。5人が調和せずに響き合って独自の和音を奏でているのが「らしさ」であり強みだと思う。ずっとそう思ってきたけど、そう言えるようになったのは最近ですね。 (3)舞台かなぁ。楽しかった! ま、もともと舞台の人間なんで……フフ。そう言えるまで10年かかったけどね。 (4)まだ起きてないことだから、どんな夢も描けるな、と。25歳なので、もうちょっと何にでも挑戦できる時間があると思ってます。 (5)やっぱり舞台かな。転換期になると感じました。僕が演じたユージンの最後のセリフは「突き進むのだ」。千秋楽の日、この舞台は終わるけど、僕にとっては新たなスタートが始まる日だな、とも思いました。聡くんともいい形で共演したいです。 【中島健人くん】 (1)外から見えるグループの印象が変わってきたのを感じる。「みんな大人になってきてすごくいいよね」ってよく言ってもらうんだけど、中の人間としてはまだ完全にはそう思えないというか……。ただ、普段はテロテロのTシャツを着てても、外に出るときはスーツを着るでしょ? あ、イメージとしてね。その生地がみんな上質になってきたのは感じる。ここ1年のメンバーの活躍はすごかった。菊池も勝利も聡ちゃんも舞台で発光してたもん。誇らしかったよ。 (2)「ONE PIECE」ではなく「ドラゴンボール」。同じ船に乗って仲良く冒険するより、一人ひとりが最強を目指してたらいつのまにか一つの場所に集まってた、みたいな。最終的には束でも強い、個でも強いグループになれると思う。 (3)演技かな。今までどこか形をつくっちゃってたけど、カメラの前で感情を素直に表現できるようになった。 (4)学ぶこと。俺、男として33歳で完成すると予想してるんだよ。ここからの数年に期待してほしい。 (5)欲しかったコーヒーメーカーが届きまして(自慢げに)。毎朝、豆からひいて飲んでます。至福のひとときです。 【菊池風磨くん】 (1)デビュー当時の「あんなことあったよね」の記憶がメンバーによって違うこと。自分の中での強烈な思い出をみんなが覚えていなかったり、逆もあったり。10周年の取材を受けるなかで気づいたその現象が面白かった。 (2)もともと僕らはジャニーさんに「それぞれがソロみたいな気持ちでやって」と言われていて。個々に活躍しつつ、5人が集まったときの化学反応をお見せするグループというコンセプトがあったんです。「YOUたちはたのきんトリオだよ」って何度も言われたから(笑い)。図らずも、やっとそれが形になってきたかな。グループという基盤があるからこそ個人の仕事が広がってると思えるし、僕も含めて未完成だけど、成長の過程をお見せすることも魅力になるグループだと思います。 (3)全部。今年は特にいろんなことをやらせてもらってビックリでしたけど、自分では毎年「総合的に見て去年より超えてるな」と思ってます。 (4)大きい家と大きい犬。この先10年で手に入れたい。そう思うと日々楽しいじゃないですか。 (5)友達の結婚とか出産が増えた。手放しで喜べる明るいニュースです。 【松島聡明くん】 (1)10周年に絡んで、いろんな質問をしていただいて答えていくうちに「ホントに10年経ったんだ」とか、その重みをじわじわ感じてきたかな。あと、ネガティブなこともポジティブに置き換えて考えられるようになりました。 (2)僕らが気づいてないところにあると思う。ファンの子が見つけてくれるものかな。 (3)ずっと自分のキャラがわからなくて、それに悩んでいた時期もあったんだけど、やっとキャラなんてつくる必要ないんだと思えるようになりました。誰かになる必要なんてないんだよね。松島聡として自然に過ごすうちに、みんなが決めてくれるものだと思う。10周年以降は知名度を上げて、もっと多くの人に認知されて「聡ちゃんてこうだよね」みたいなものが決まっていけばいいな~と思います。 (4)お客さんがマックスに入っているライブの光景。ファンのみなさんに会いたい! (5)舞台を経験して世界が広がったこと。勧められて初めて劇団四季を見にいったりもしました。ミュージカルにも挑戦したい。勝利もミュージカルが好きだから「一緒にやってみたいね」とか話しています。 (ライター・大道絵里子) ※月刊ジュニアエラ 2021年12月号より

    AERA

    19時間前

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    小室圭さん帰国便同乗者が目撃した姿「彼はまるでエグゼクティブ」 自宅前では深々とお辞儀

    颯爽と歩きながら、小室圭さんがアメリカから帰国した。日本の地を踏むのは2018年8月に渡米して以来、3年2か月ぶりだ。  成田空港は多数の報道関係者が集まっており、ピリピリムード。報道陣に対して、カメラのフラッシュ禁止、声掛けも禁止といった規制が敷かれていた。報道関係者からは「どうして?」と不満の声も漏れていた。  午後3時20分過ぎ、成田空港に飛行機が到着。一般客が飛行機から降りたあと、小室さんが、報道陣の前に姿を現した。警護と思われる男性やキャビンアテンダント(CA)の女性などに囲まれていた。キャリーバックを転がしながら、白マスクに、濃紺のスーツ、ストライプの入ったシャツ、ノーネクタイといういで立ちで、髪の毛は後ろに縛っていた。  飛行機から出てきた小室さんは報道陣に一礼したあと、新型コロナウイルスの抗原検査、そして入国手続きに進んだと見られる。  小室さんは機内でどのような様子だったのか。偶然、同乗していた男性(51)に話を聞くことができた。 「私がファーストクラスで座っていると、ドアが閉まるギリギリになって小室さんが搭乗してきました。まるでエグゼクティブのようでした。後ろの髪を結っていたので、すぐに彼だとわかりましたね。彼一人に女性CAが2人くらいついて、会話しながら案内されて入ってきました」  当初はエコノミークラスのチケットを買ったと報じられていたが、この男性はこう語る。 「右の列のビジネスクラスの前方の席で、窓際に座っていましたね。私の席から右斜め後ろのほうの席でした。ただ、カーテンでファーストクラスとは仕切られていたので彼の表情などはわからなかったです」  男性は飛行機から降りた後、抗原検査のために、大きめの部屋に移ったという。40分ほどその部屋に滞在したが、そこに小室さんの姿はなかった。 「今か今かと待っていたのに、残念でした」(男性)  そのころ、到着ロビーには多数の報道陣のほか、「皇室系Youtuber」といったタスキをかけた人物や一般客も小室さんの姿を一目見ようと集まっていた。その数、50~60人ほど。  津田沼から来たという白髪交じりの一般男性は手にハンディカムを持ち、小室さんを待ち構えていた。妻に頼まれて自宅で見るために撮りに来たという。  しかし、小室さんは一般客が使う到着ロビーを通らず、地下駐車場から車に乗り込み、成田空港を後にした。「地下駐車場から空港を出たらしい」と男性に知らせると、「こんなに待っていたのに……」と不満げな様子だった。  小室さんを乗せた乗用車が向かった先は、母・佳代さんが住む横浜の自宅だった。自宅前は朝から報道陣が詰めかけ、警察は臨時の派出所を設置し、周辺警備に当たるなど、ものものしい雰囲気が漂っていた。夕方には100人を超える報道陣が押し寄せており、ベランダから様子を一目見ようとする住民の姿も見られた。  19時過ぎ、小室さんを乗せた車が到着。警察が後部座席のドアを開け、車から出てきた。小室さんは、報道陣から「どんなお気持ちですか」と声を掛けられたが、反応は示さず、自宅マンションの入り口で2回ほど深々とお辞儀をして、黒いスーツを着た男性らと中に消えていった。  近くに住む60代の男性はこう語る。 「ヘリコプターの音がすごくて『何事か』と思って見に来た。3年前の婚約会見後のときと同じような状況だと感じましたね。小室さんがニューヨークに行ってからは、静かになっていたんだけど……。またしばらく騒々しくなるのかなと思っています。どの家庭も問題を抱えていますし、小室さんと眞子さまも早くアメリカで幸せになってほしいですね」    小室さんは今後、自宅で2週間の隔離を終え、その後、記者会見に臨むと見られている。果たして何を語るか。注目が集まる。 (AERAdot.編集部/上田耕司、飯塚大和、吉崎洋夫)

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    人目をはばからず号泣  夫をノコギリで殺害した76歳女性の裁判傍聴記に寄せられた一通の手紙

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、ある事件をめぐるできごとから、女性に対する暴力とは何かを考えた。 *   * * 今年3月、76歳の女性が夫をのこぎりで殺害したと自首したニュースが流れた。警察では「長年の恨みがある」と語っていた。事件発生時からすぐ、なぜ凶器にのこぎりを選んだのかが気になり、9月に始まった横浜地裁での裁判を傍聴した。その傍聴記を『週刊女性』に寄稿したところ大変な反響があった。その多くが「彼女は私だ」というものだった。夫からのDVやモラハラの末に夫の死を願うように生きている女性は決して少数ではなく、なかには、私に直接手紙を送ってくださる読者もいた。  事件はこのようなものだった。  女性は50年にわたって夫からのDVに苦しみ続けた。夫は毎晩のように酒を浴びるように飲み、「クソババア」「バカか」などの暴言を吐いた。生活費も十分に渡さず、女性が頭を下げてようやくわずかをよこすだけ。女性はスーパーのレジ係や、清掃の仕事などをして子供2人を育てた。  子供たちが成人する頃に1度は離婚が成立した。しかし、離婚数年後にアルコール依存症になった元夫が栄養失調で倒れ介護が必要になってしまう。アルコール依存症患者を受け入れる介護施設は限られており、また長期の入院を負担する経済的余裕もなかった。  親戚づきあいは一切なく、結局、女性が自宅で介護するしかなかった。子供2人に迷惑をかけられないという思いで、女性は男性と再婚する道を選ぶ。これが地獄の始まりだった。  オムツを替えても夫はありがとうの一つも言わず、相変わらず女性をののしるような日々だった。やがてオムツは不要になるが、夫は自室に引きこもってしまう。部屋を出るのはトイレに行くときのみで、風呂も入らず、顔も洗わず、歯も磨かず、下着も替えない。雨戸を閉め切った部屋で一日中テレビをつけゲラゲラと笑い、時に奇声をあげた。そんな生活が17年間続いたのだ。  2020年10月、通院した病院で女性は肺に影があると言われた。もしかしたら自分が先に逝くかもしれないという不安は、女性を十分に追いつめただろう。精神疾患を患う息子が通院のために月に一度不在になる日を選び、女性は夫の上に馬乗りになりのこぎりで首をひいた。生きがいだった娘の子供たちとの時間もコロナ禍で制限されるなか、孤独と絶望に追いつめられた末の犯行だった。  なぜ、のこぎりだったのか。  当初私は、男性に対する強い恨みの表れだと信じていたが、現実は全く違うものだった。女性の家には包丁がなかったのだ。確実に殺せる刃物が、のこぎりしかなかったのだ。  母親の減刑を願う娘が証言台に立った日、「子供の頃に父母のけんかを止めに入ったとき、父親に包丁を向けられたことがある」と話した。それが原因だったかは分からない。それでも、DV家庭で包丁を隠したり、包丁を捨てたりすることは決して珍しいことではない。裁判官たちは女性が殴られたことがあるのか、けがをしたことはあるかなど暴力の頻度などを確認しようとしていたが、泥酔し暴言を吐きモノを投げたり包丁をちらつかせたりする男が既に凶器なのだ。  被告席に座る女性は、額を自分の手で殴り、足をじたばたさせ、「できないよー」とうめき続けた。明らかに裁かれるような精神状態ではないはずだったが、裁判官は女性を抜きに裁判を続行することを決め、結果的に8年の実刑を科した。近年、介護疲れの果ての殺人には執行猶予がつくケースが多いが、裁判員らは女性の受けた被害の重さには注視せず、「介護はしていない」という理由から執行猶予をつけなかった。  この事件について書いた記事を読んだ女性から手紙が届いたのは、3週間ほど前のことだ。そこには美しい字で、こういうことが記されていた。 「たまたま郵便局での所用を済ませたところ『週刊女性』が目に入りパラパラとページをめくりこの記事を読んだ。人目をはばからず泣いた。私と全く同じだ。私も夫の死だけを考える日を送ってきた。この記事を読み、初めて行政に相談に行った。私はもうすぐ殺人者になるかもしれなかった。夫に全て盗られてほとんどないお金から一冊『週刊女性』を買った。本当は100冊買いたいと思う。人生をとりもどすぞ!」  人生をとりもどすぞ!  その一文を読み、私こそ、人目をはばからずに号泣してしまった。こんな思いで生きている女性がどれだけいるだろう。包丁を夫の目から隠すように生活をしている人。ずっと心を殺されてきて、夫の死を願うことでしか未来が描けないほど追いつめられている女性。小さな子供を抱え途方に暮れている人。たとえ夫から逃げられたとしても経済的にどう生きていけばいいのだろう……と絶望の淵に沈む人。  11月25日は女性に対する暴力撤廃の国際デーだった。この日を象徴するパープルの色をまとい、全世界で声があげられた。暴力は拳の力だけを意味するのではない。経済的に支配し、性的に支配し、感情を支配し、心を殺していく暴力がある。そのような暴力に名がつけられたのは、決して遠い昔の話ではない。日本でDV防止法が施行されてから今年でちょうど20年になる。DV防止法が施行されてもなお、救われることのなかった多くの女性たちがいる。  夫をのこぎりで殺害した女性は裁判長に「後悔していますか?」と聞かれ、視線の定まらない様子でふらふらしながらも、小さい声でこう答えていた。 「悪いことをしたが、後悔はしていない」  夫の死でしかこの暴力を止めることはできなかった。そこまで1人の女性を追いつめた暴力の正体を、私たちは捉えているだろうか。撤廃するための知を、力をもっているだろうか。そのことが、今、改めて問われているのだと思う。 ■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    15時間前

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    上野千鶴子「人間、役に立たなきゃ、生きてちゃ、いかんか」

     延命治療を中止して死期を早める尊厳死をめぐり、議論が続いている。社会学者・東京大学名誉教授の上野千鶴子さんは、安楽死についてどう考えるのか。 *  *  *  日本尊厳死協会は、まだ自己決定能力があるうちに、どんな死に方をしたいか事前指示書を文書で書き残しておくように勧めています。けれども、いまの自分が将来の自分を支配できるでしょうか。  安楽死が法律で認められているオランダで、ショッキングな事件が起きました。2016年、安楽死の事前指示書に署名していた74歳の女性が、認知症が進行したという理由で医師に致死薬を注射されて死亡しました。  この時、女性は鎮静剤入りコーヒーを飲まされて眠っていましたが、気づいて抵抗するのを家族が押さえつけたといいます。いまの自分が翻意しても、受け入れられなかったのです。医師は十分な意思確認をせずに女性を安楽死させたとして起訴されましたが、最終審で無罪になっています。  要介護などになって、排便排尿を他人の世話になるくらいなら死んだほうがマシ、「尊厳」が失われると言う人たちがいます。しかし、排泄(はいせつ)介助を受けながら生きている高齢者や障害者はたくさんいます。おむつをするくらいで死ぬ理由にはなりません。  いまは介護保険のおかげで、訪問介護に入ってもらえば食事も入浴もできます。認知症になってもほんの少し手伝ってもらえば大丈夫、一人でも生きていける。そのことがわかれば、事前の意思表示など必要ありません。 「私は安楽死で逝きたい」というエッセーが話題になった脚本家の橋田壽賀子さん(故人)と対談させていただいた時、橋田さんは「仕事がなくなったら、生きていてもしょうがない」とおっしゃいました。橋田さんの言葉はLGBTに対する杉田水脈衆院議員の「生産性」発言ともつながります。生きがいがなくなったら、社会に貢献できなくなったら、生きている価値はないのでしょうか。橋田さんご自身は安楽死なさらずにすんで、私はほっとしています。  私の講演会で、質疑の時に「この年齢になっても私は社会貢献をして前向きに生きています」という趣旨の発言をするのは決まって男性です。そういう時、私はできるだけゆっくり、はっきりとこう言うことにしています。 「人間、役に立たなきゃ、生きてちゃ、いかんか」  みなさん、絶句なさいますね。なかには「85歳以上は処分したらいい」とすごいことをおっしゃる方がいたので、年齢をお聞きすると75歳だという。私は「10年経ったら、お考えが変わりますよ」とお答えしました。(本誌・亀井洋志)※週刊朝日  2021年12月2日号

    週刊朝日

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    「80歳で弁慶をやってあの世に」歌舞伎俳優・中村吉右衛門さん 77歳で亡くなる前に明かした"夢” 

     歌舞伎俳優で人間国宝の中村吉右衛門(なかむら・きちえもん、本名波野辰次郎<なみの・たつじろう>)さんが11月28日、死去した。77歳だった。故人をしのび、歌舞伎座のこけら落とし公演(2013年)に出演する際の週刊朝日のインタビューを再掲する。 *  *  * 歌舞伎座のこけら落とし公演(4月2日~)に看板役者として出演するのが人間国宝の中村吉右衛門さん(68)だ。3カ月で8役演じ、「命がけ」と意気込む。中村勘三郎さん、市川團十郎さんの逝去で悲嘆にくれた歌舞伎界を重鎮として牽引する。これからの歌舞伎はどうなるのか。思いのたけを本誌に語り尽くした。  《歌舞伎座の開場に先がけ、歌舞伎界で明るい話題となったのが、2月に挙式した中村吉右衛門さんの四女瓔子(ようこ)さん(30)と尾上菊之助さん(35)の結婚だ。日本記者クラブでの歌舞伎座の新開場に関する会見(3月18日)でも吉右衛門さんは「花嫁の父でございます」と挨拶した。 菊之助さんの父・菊五郎さん(70)も人間国宝。播磨屋(吉右衛門の屋号)と音羽屋の“梨園の名門”同士の縁組としても注目される。まず、花嫁の父としての心境を聞いた。》  以前は「歌舞伎役者に嫁がせると蔵を潰す」と言われていたものです。それだけ歌舞伎役者は(金が)かかる商売なのでしょう。でも、こちらはただ舞台だけ、平凡な日常生活を送っております。いまはこの世界の方々も大方は普通の常識的なご家庭と同じです。  何より、当人たちが幸せになってくれればいいというのがわれわれの心境です。僕が菊五郎さんと結婚するのではないわけで(笑)。  実は二人がつきあっていることも知らなかったのです。ある日、菊之助くんが「お願いがある」と。歌舞伎役者がお願いと言うのは大概、「役を教えてください」という意味です。娘も一緒というので変だなとは思ったのですが。菊之助くんとは私的に親しいわけではなかったので、「娘さんを頂戴いたしたい」と言われ、「えぇ!?」。驚きました。  あまりにも突然でして、娘を見て「こんなのでいいのか?」と言ったら、あとで娘に「なんていうことを言うの!」と怒られました。 ◆四女の結婚は運命かと思った  娘たちは一般の方と結婚させようと思って育てていましたから、なるべく芝居に来させないようにしていました。それでも末娘は、日本の伝統のものを好んでおり、ときどき劇場には来ておりました。この世界のことをよくわかっていると思われがちですが、こちらはすべてをさらけ出してはいませんし、大変なことは隠しておりますから、いいのだろうか、と。  しかし、当人が本当にうれしそうにしているものですから。そういう運命に生まれてきたのかなぁと思いましたね。  《吉右衛門さんと歌舞伎座の縁は深い。初代松本白鸚(はくおう)(1910~82)の次男に生まれ、のちに母方の祖父の初代吉右衛門(1886~1954)の養子となった。歌舞伎座は太平洋戦争末の空襲で焼失し、51年に再建されたが(第4期)、その開場式で俳優総代として挨拶したのが初代吉右衛門だった。そこに幼い吉右衛門さんも出演した。その初代が得意としたのが「熊谷陣屋(くまがいじんや)」。もっとも歌舞伎らしい「時代物」といわれ、当代演じる熊谷直実(なおざね)も名演で知られる。4月のこけら落とし公演の目玉の一つだ。》  新しくできた歌舞伎座を見て、あぁ前の姿のとおりでよかったなぁという思いはあります。2月に音響テストで初めて中に入りました。まだ設備が揃っておらず舞台の感じはつかめなかったのですが、客席は広々としていて、お客様には大変いいのではないかと思いました。  楽屋も広いので、家を追い出されたら泊まろうと思っております(笑)。  歌舞伎座は第4期の開場式に出て、3年前の取り壊し前の閉場式にも出ました。  終戦から歌舞伎座が再開されるまで、歌舞伎は東劇(東京劇場)でやっておりまして、そこで初舞台を踏みました。その後、初代が歌舞伎座で演じました「盛綱陣屋(もりつなじんや)」では、お客様の雰囲気だけは覚えております。肝心の芝居のことは何も覚えていませんが(笑)。  当時、東劇に来られたお客様といえば、戦時中、空襲や戦場で大切な方々を失い、耐えに耐え忍ぶ状況から解放され、歌舞伎を楽しみに見に来られた方々でした。2階、3階席で新聞紙を敷いて座ってご覧になっている。場内が「うぉー!」と歓声でどよめく感じでした。  初代吉右衛門には本当に感動させる力がありました。劇場が感動で揺れる。その感覚が記憶に残っています。  あのころの楽しみといえば、それこそ歌舞伎、文楽、それに映画を見るぐらい。当時といまとではお客様方の気持ちも生活も違いますから比べようはないでしょう。着物も畳もなくなっていくかもしれません。ただ、歌舞伎が日常生活とは離れても、そこで描かれた人間の気持ちは変わらないと思うんです。  たとえば「熊谷陣屋」では、直実は義理に挟まれて自分の子どもを犠牲にしなければならない。殺す、殺さないとまではいかないにしろ、いまの世の中でも似たような状態になることはあるのではないでしょうか。会社でも同じような状況に立たされることもある。  親子や兄弟友人の情、師に対する敬愛、忠節、無常。古いかもしれないけれど、日本人独特の情は変わらないと僕は信じているんです。  いくらグローバル化といっても、英語をしゃべっているわけではない。戦後、GHQの政策で全部英語化しようという時代もありましたが、僕はむしろそのほうがよかったかもしれないと思うときもあります。そこで目覚め、もっと日本語の文化を大事にするようになったかもしれないですから。  いま、われわれが舞台で使っている言葉は難しいといわれます。たしかに、いまの方々には60%ぐらいわからないかもしれませんね。  でも、事前に少し調べていただければ、ある程度わかりやすくなるのでは、と。自分もシェークスピアやオペラなどを鑑賞するときは調べてから参ります。いや、芝居ってそうじゃない、楽しむものだというお考えもあるでしょう。お客様に勉強を求めるのは、興行の立場からも好ましくないかもしれませんが、歌舞伎に描かれた人間性を見つめるのがお好きなお客様には、ちょいとそうしていただきますと、わかりやすいんじゃないかと思います。  《新しい歌舞伎座のこけら落としを前にして、昨年末に中村勘三郎さん、今年2月に市川團十郎さんと人気役者が相次いで急逝し、歌舞伎界に衝撃が走った。戦後まもなく、先の歌舞伎座の工事中にも、六代目尾上菊五郎、七代目松本幸四郎ら重鎮が相次いで世を去り、歌舞伎の危機が叫ばれたが、歌舞伎界を牽引し、人気を再燃させたのが初代吉右衛門だった。いま、その芸を受け継いだ二代目吉右衛門さんに寄せられる期待は大きい。》  こけら落とし公演では、吉右衛門の新たなファンも増えてくださるかもしれないし、いままで培ってきたやり方で、さらなる高みを目指して参ります。それこそ命がけです。  われわれも高齢になり、肉体的に難しくなってきました。ただ、4、5、6月の公演は、今後の歌舞伎座の発展に非常に大事ですから、まずわれわれの世代が手を携え、お客様に楽しんでいただける芝居をお見せしようと。面白い顔合わせのほうが皆様に喜んでいただけるという松竹の方針もありまして、体力的には無理も承知で(笑)。 ◆今後は難しい次世代への継承  これまで、私は歌舞伎を受け継ぐ次世代を担う人を育て、歌舞伎を発展させていくことが何より大事だと申し上げてきました。それは実際には大変なことです。 若手の指導では、自分の場合、たとえば「一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)」「石切梶原(いしきりかじわら)」「俊寛」「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」などは初代が練り上げたものですので、二代目としてこと細かに播磨屋の型を伝えたいです。 ただ役者にとって一番大事なのは、初代もつねづね言っていたのですが、「役になりきること」、役の性根、気持ちです。どういう人間か、それを深めなければならない。その気持ちになれば自然にせりふが出てくる、と。が、そうは言っても簡単ではありません。 それは自分勝手なせりふ回しではない。ある一定のレベルがあるのです。これだと歌舞伎、これ以下は歌舞伎でない、というのがあります。 僕自身、そういうものを身につけるのに60年かかっていますし、何をやっても歌舞伎になるのは20年や30年じゃできないので、こと細かく教えるしかないと思っています。 初代は初舞台が11歳でした。いまの3歳や4歳に比べると遅いのです。なのに、大人顔負けの芝居をやっていた。それだけ周りの人たちが教え込んだ。本人の感性も鋭く、それを素直に自分のものにしたのです。 当時はいろんな先生方、それこそ超一流の文学者や俳句の方とおつきあいがあり、感性を磨き、知識もいっぱい吸収できたのです。小唄、清元、常磐津も超一流の人たちに教わっている。でも、いまどき、それはなかなかできないことです。初代や実父の時代まではできたのですがね。 昔の公演は夜だけ、日に一芝居という興行でした。昼間はお稽古事に通えました。でもいまは、昼と夜の公演が、お客様動員にすぐれているというので続いている。朝から晩まで出演していると、お稽古に行けない。芝居を教える時間がない。人の芝居を見に行く時間もない。自分のことで精いっぱいなのが現状です。 僕らのころは歌舞伎役者になるなら学校も早退を黙認したりしてくれました。いまは大学に行くのが当たり前の時代、学業との両立は難しい。となると、舞台を離れる期間ができる。その間も勉強で忙しくて舞台を見られない。これからは厳しいなぁと思いますね。 それでも、僕の教え方は、何をやっても歌舞伎になる役者にしたい、ということです。歌舞伎役者なら歌舞伎味をもたねばならない、前衛の芝居をやっていても歌舞伎だな、とお客様が思ってくださるようになれば、一人前の歌舞伎役者だと思うんです。    これは僕の考えであり、違うという方もおられるでしょう。ただ、僕に教えてほしいという人たちには、まず歌舞伎の基本を、と言っております。  《「松貫四(まつかんし)」という筆名で新作の創作に挑む一方、古典作品を継承する気持ちが強い。洒脱な文体でのエッセーや巧みな絵画による著作も多く、歌舞伎を親しみやすいものにするため、力を注いできた。歌舞伎のこれからをどう見るか。》  ヨーロッパなどでは、古典文化に対して、公的支援は手厚いと聞いております。が、いまの日本の歌舞伎は、伝統芸術でありながら、不思議なことに、「商業演劇」となっています。 ◆ 80歳で弁慶役、それで死にたい  昔の歌舞伎にはそれぞれ座頭がいて座をもっていた。それが成り立たなくなり、松竹創業者の大谷竹次郎という素晴らしい興行主が各座をひとつにまとめて歌舞伎座を運営し、役者も全部抱えるようになったのです。 実父は各座が競って切磋琢磨していた時代が歌舞伎にとってはいいと考えておりました。昭和初めごろまでは、文学者や作家の方々も歌舞伎の脚本を「あの役者にあてて書いてやろう」と役者を意識して書かれていたのです。 いま、演じる立場から見て私の最大の気がかりは、歌舞伎の興行がこれからどういうふうになっていくのかということです。 大変長い期間、歌舞伎を手がけてきた松竹ですのでお任せしていますが、今後、僕の育てるような若者、僕に共鳴してくれる役者さんたちが活躍できる歌舞伎の形態になるのか、そうでない人たち、誰でも出られる形態になるのか。  僕は若い人を教えることには骨身を惜しみませんが、教えても使えない役者にしてしまったらと思うと、悩みます。これからの若い人たちは大変だと思いますよ。 自分はといえば、体が動くうちは舞台に立ち続けたいと思っております。90代で舞台に立たれた役者さんもいらっしゃいますが、80歳で「勧進帳」の弁慶をやり、そのまま引っ込み、あの世に行っても構わないと思っております。 そのためには足腰を鍛える運動が大切ですね。若いころはなんともなかったのに、最近は一芝居するとガクッときて、横になりたくなります。やっぱりトシというのは恐ろしい。  若いうち、華のあるうちが役者だというのは、世阿弥もそう言っているから、真実なのでしょう。けれど芸というのは60歳ぐらいにならないと深まらない。それにいまの60歳は昔の40~50歳ぐらいですよ。 僕もいま初代の亡くなった年です。記憶では、そのころの初代は大変なおじいさんでした。いまの自分のほうが初代より、身も心も若いかなとは思います。 80歳で弁慶をお見せできる、よかったと思わせる演技でお見せできる、それが夢です。ようやく80歳になって、昔の方の芸にちょっとは追いつくんじゃないでしょうか。その弁慶を自分の集大成にしたい。 といっても実際はどうなりますやら。神のみぞ知る、ですね(笑)。 (構成 本誌・林るみ)     なかむら・きちえもん 1944年、初代松本白鸚(八代目松本幸四郎)の次男として東京に生まれる。48年、母方の祖父、初代中村吉右衛門の養子になる。中村萬之助名で初舞台。66年、二代目中村吉右衛門を襲名。2011年、人間国宝に認定 ※週刊朝日  2013年4月12日号より再掲

    週刊朝日

    12時間前

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    1年に3日しか休めなかった心臓外科医が、働き方も診療の質も劇的に改善させた「業務改革」とは

     忙しい医師の世界のなかでも、とりわけ多忙と言われる心臓血管外科医。神奈川県の菊名記念病院・心臓血管外科部長の奈良原裕医師も、これまで「年に3日しか休みがない」という生活を送っていた。こうした働き方では「医療の質も担保できない」と危機感を覚えた奈良原医師は、業務改革に取り組み、働き方のみならず診療の質を向上させることにも成功した。会社員を経て医学部に入り、38歳で心臓外科医になったという“異色”の医師は、どうやって心臓血管外科を変えていったのか。<<前半・偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生>>から続く *  *  * 北陸新幹線の佐久平駅から車で30分。長野県佐久穂町立千曲病院に、奈良原医師は毎週金曜日、東京から片道2時間半かけて日帰りで勤務する。 「佐久穂町は意外と近いですからね。以前は、片道3時間半かけて新潟県・松之山や5時間半かけて北海道・木古内に日帰りで診療に行っていました」  奈良原医師は、中央大学法学部を卒業後、一般企業での4年半の社会人経験を経て、29歳で医学部に合格。35歳で卒業後、激務ゆえ学会では「30歳以下でなることが望ましい」と言われるという心臓血管外科医を38歳からめざしたという“異色”のキャリアをもつ。  現在、常勤先である菊名記念病院の心臓血管外科部長として多忙な日々を送るなか、奈良原医師は週に1回、医師不足の町へと日帰りで診療を行っている。だがそれができるまでには、10年にわたる心臓血管外科の業務改革が必要だったという。 ■「1ヶ月のうち91%は病院で過ごしていた」  10年前、菊名記念病院心臓血管外科は、奈良原医師とその上司の2人で切り盛りしていた。病院のそばに住んではいたものの、家に帰ることはほとんどなく、病院に泊まることもしばしばだった。 「振り返ってみると、1ヶ月のうち91%は病院で過ごしていたようです。一番ひどい年は、年間の休みは3日だけ。そのうち1日は地方の結婚式に、残りの2日間は学会に出席していました」  奈良原医師が同病院で働き始めた2008年ごろ、患者の50%以上は救急患者だった。救急で来るということは当然、緊急性が高いため、すぐに治療しなければならない。夜中に飛び起きて手術、外来で待合室に患者がいても手術を優先する、という日常生活を送っていた。手術が終わっても一段落とはいかない。重症患者の場合、術後の不整脈や再出血など、さまざまな対応をしなければならなかった。  重症ゆえに日曜日も入院患者の様子を見る必要があった。別の診療科の医師がすぐ対応できるほど、心臓手術後の患者の対応は「甘くない」という。結局、週7日で勤務する日々が続いていた。 「1人の患者に対する業務量はかなり多い。忙し過ぎれば医療の質が落ちる可能性もあるし、場合によっては安全性も担保できないかもしれない。このままではだめだ、という危機感がありました」 ■起死回生のFacebookで「いいね」3000超え  そこで上司と一緒に始めたのが、Facebookでの情報発信だ。「当時、病院がSNSで情報発信するのは珍しかった」と奈良原医師は振り返る。内容は、診療に当たって日頃思っていることや一緒に働く仲間のこと、今日食べたランチなど心臓血管外科医の日常をありのままにつづるというもの。これを写真とともに投稿したFacebook記事には3000以上の「いいね」がつき、先駆的な試みとして医療系のメディアで紹介されることもあった。 「発信の目的は自分たちを知ってもらうこと。私たちの人となりを見てもらって、患者さんや他院から少しでも信頼していただけたらと。その結果、こんな先生がいるからここで手術してもらってはどうですかと、他院から患者さんたちが次第に紹介されるようになりました。紹介患者さんの手術は緊急ではなく予定された手術としてスケジュールが組めるので、看護師さんたちも含めて仕事がやりやすい。仕事の予定が立つというのは、救急患者ばかりのそれとは負担感が全く違います。結果的に、手術後の患者さんの病状も安定していることが多くなります」  手術前の診療にも良い影響があった。紹介で来院した患者と話すと、「先生のことはFacebookでよく見ています」「このあいだ投稿していたお弁当、おいしそうでしたね」と話が始まる。初対面でもうち解けた雰囲気で、患者との信頼関係をつくることができた。  さらにFacebookを見た医療関係者のなかから、この病院で働きたいという若手があらわれた。働き方改革だけでなく、仲間を増やすこともできたという。  休みがほぼない状況で働きつづけて10年。二人の部下ができたおかげでやっと週に1日の休日を手に入れた。しかし奈良原医師は「休みができたからには、何か世の中のためになることをやりたい」と考え、空いた時間を地域医療に使うことにした。社内で評価されることを第一に考えて働いていた会社員生活を捨て、人のために働きたいと思って医師の道へ――。そのときの思いが自分を突き動かしたという。 「地方では、6、70代、場合によっては80代の先生が一人で頑張って医療を支えているところも多い。また、必要な専門医が不在なため医療が不十分となっている地域もあります。そこで医師不足で困っているところのお手伝いをしようと考えました」  全国自治体病院協議会という団体に相談し、2016年、新潟県十日町市の松之山診療所で診療を始めた。 「ある先生がたった一人でやっている診療所なのですが、その先生は午前中に別の診療所で働き、午後にそこから車で1時間近くかかる松之山診療所に来るという働き方をしていました。医師が足りていないため、そうせざるをえないようでした。週に1日だけでも支援してくれるとありがたいということで、毎週金曜日に日帰り診療に行くことになりました」 ■都市部と地方の交流で医療格差を解決したい  地方では「こんな遠いところまで日帰りで来てくれる医師はいないだろう」という発想になりがちだと奈良原医師は言う。 「だからニーズがあるのに、それを上手く生み出せていません。でも今は、新幹線をはじめとして交通も発達しているから、都市部から地方に日帰りすることも可能です。また、会社もそうですが、4月になって人が入れ替わると、組織が活性化しますよね。外部の医師との交流が生まれることは、地方にとってもいい効果があると思っています」  奈良原医師は今、自身のSNSで、佐久穂町への日帰り診療の様子を発信し続けている。診療のことだけでなく、食べたものや町で行われたイベントについてなど、話題はごく身近なものも多い。 「都市部と地方の医師の交流が進めば、医師の偏在や地域間医療格差の解決につながるのではないかと、本気で思っています。どちらの医師にとっても、またそこで暮らす患者さんたちにとっても良い流れになったらいいなと思って、楽しみながら日帰り診療を続けています」 (白石圭) <<前半・偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生>>から続く

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    巨人なのに非紳士的…他球団のファンも激怒した“ずるい”プレーと発言

    「巨人軍は常に紳士たれ」とチーム憲章にあるように、巨人の選手たちは、社会人の模範になるような行動が求められている。グラウンドでも当然紳士らしくフェアプレー精神に則り……と思いきや、ところがどっこい、過去には、紳士とは大違いの“ずるいプレー”も何度となく演じているのだ。  失点を防ぐために守備妨害を演出したとしか思えないプレーが見られたのが、昨年9月17日の阪神戦だ。  1回表、2点を先行された巨人は、なおも2死満塁のピンチで、木浪聖也の打球は、高くバウンドして、二塁方向へ。セカンド・若林晃弘が前進して捕球に行ったが、タイミング的に内野安打になりそうに見えた。  すると、若林は左手のグラブをヒョイと一塁方向に差し出した。そこには若林との接触を避けようとスピードを落とした一塁走者・陽川尚将の姿があった。  打球を処理するはずのグラブで陽川に接触している間に、ボールは後方へと抜けていった。これを見た森健次郎二塁塁審は、守備妨害を取り、陽川にアウトを宣告した。  矢野耀大監督が抗議したが、「打球を処理する守備優先」という鉄則がある以上、どうにもならない。結果的にルールの盲点を突いた形の巨人は3点目を阻止したものの、自ら当たりに行ったような若林の不自然な動きが物議を醸したのは言うまでもない。  解説者の巨人OB・篠塚和典氏はさすがに言葉を選びながら「若林はうまく演技してますね」と評したが、阪神OBの関本賢太郎氏は「僕には悪質な……故意にぶつかりに行ったように見えましたけどねえ」と批判した。  ネット上でも「どこが守備妨害だよ笑」などの非難コメントが相次ぎ、巨人の3投手も、怒りを闘志に変えた猛虎打線に滅多打ちにされて計11失点と大炎上。目先の1点阻止にとらわれた代償は高くついた。  フライを落球したにもかかわらず、あたかも捕球したかのように演技し、審判の目を欺く事件が起きたのが、11年4月20日の阪神戦だ。  2対2の7回、阪神は鳥谷敬の犠飛で1点を勝ち越し、なおも2死一、三塁で、ブラゼルが二塁後方に高々と飛球を打ち上げた。  セカンド・脇谷亮太が背走しながら捕球したかに見えたが、次の瞬間、ボールがグラブからポロリとこぼれ、地面に落下した。だが、土山剛弘一塁塁審の立ち位置からは、死角になって見えない。直後、しゃがみ込んだ姿勢の脇谷が右手にボールを握りながら、直接捕球をアピールすると、土山塁審は「アウト!」をコール。安打と判定されていたら、阪神は1点を追加していただけに、「そりゃないよ!」である。  真弓明信監督が「(判定は)微妙じゃないだろう。(土山塁審は)たぶん見えていない。二塁塁審も見る場所が悪過ぎる」と抗議したが、VTRにボールが地面に落ちた瞬間がはっきり映っているにもかかわらず、判定は変わらなかった。  そして、この誤審が試合の流れをも変えてしまう。8回、巨人は長野久義の幸運な三塁強襲二塁打などで3点を挙げ、逆転勝ち。踏んだり蹴ったりの阪神側は「(地面に)落ちているよ。お客さんも見ている。アンパイアで負けたと言われても仕方がない」(木戸克彦ヘッドコーチ)とカンカンだった。  さらに脇谷の「VTR?テレビの映りが悪いんじゃないですか?」の新聞コメントが、虎党の怒りを倍加させた。「審判が判定したのだからアウト」ならまだしも……。   当時、テレビメーカーが「映りが悪くなることはない」と反論したことも懐かしく思い出される。  生還を阻止せんとばかりに、三塁ベース上で走者を上から押さえつけるプロレスまがいのプレーで騒然となったのが、00年6月8日の阪神戦だ。  5対3とリードの阪神は、8回にも平尾博司の二塁打で無死二塁のチャンスをつくり、次打者・ハートキーは投前に送りバント。河本育之は素早く処理し、三塁に投げたが、悪送球となり、ボールはファウルグラウンドを転がっていった。  二塁走者の平尾はこの間に十分本塁を狙えるはずだったが、なんと、捕球に失敗したサードの元木大介が、三塁にヘッドスライディングした平尾の上からのしかかるようにして押さえつけているではないか。「どさくさに紛れて押さえ込まれた」(平尾)。これでは動くに動けない。  ここで平尾の救出に向かったのが、伊原春樹三塁コーチ。怒りをあらわにして突進すると、あっという間に元木を突き飛ばし、平尾に「早く本塁に行け!」と指示した。「思わず手が出ちゃった。クセ者の元木がなかなかどかないから」(伊原コーチ)。  ところが、今度は巨人・長嶋茂雄監督がベンチを飛び出し、伊原コーチの行為がインプレー中だったことを理由に、守備妨害で平尾をアウトにするよう要求。騒ぎはさらにヒートアップした。  だが、井野修三塁塁審は「すべてのプレーが終了したうえで判断すれば、一番悪いのは元木」と走塁妨害を適用し、生還を認めた。  結局、この6点目がモノを言い、阪神は1点差で逃げ切ったが、元木のプレーは「ずるい」と言われてもしょうがないものだった。  元木といえば、ほかにも隠し球や併殺阻止の万歳スライディングなど、“ずる賢いプレーのデパート”的存在。紳士の球団では、異色のプレーヤーだった。(文・久保田龍雄) ●プロフィール久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」(野球文明叢書)。

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    愛子さまと雅子さまの髪形には意味があった? “お揃いヘア”卒業に見た2人の「強さ」

     愛子さまが成人する。その際に注目するのが、ヘアスタイルだ。髪形には、愛子さまの思いや雅子さまとの距離感などが投影されてきたようなのだ。 AERA 2021年12月6日号から。 *  *  *  天皇陛下と皇后雅子さまの長女愛子さまが12月1日、20歳の誕生日を迎える。大学の授業の関係で、成年の行事は1日と5日に分けて行うという。  5日に宮中三殿の参拝、勲章(宝冠大綬章だそうだ)親授などを経て、上皇ご夫妻にあいさつ、その後、宮殿で皇族方や三権の長から祝賀を受ける。  行事にあたり、愛子さまは参拝服、ローブ・モンタント、ローブ・デコルテと3着を新調したという。どんなデザインなのか、とても楽しみだ。が、それ以上に私が注目しているのは、愛子さまのヘアスタイルだ。  秋篠宮家の佳子さま(2014年に成人)と眞子さま(小室眞子さん、11年に成人)は、そろって長い髪をアップにして式に臨んだ。紀宮さま(黒田清子さん、1989年に成人)は、顎のラインでまっすぐに切り揃えたボブスタイルだった。愛子さまはこのところ、髪の毛を伸ばしているようだ。やはりアップにするのだろうか……。  などと思うのは、愛子さま、そして雅子さま、お二人にとって髪形はとても大きな意味を持つ──勝手にそうとらえているからだ。ある時からずっと、お二人はそっくりのロングヘアになった。写真をさかのぼると、愛子さまが先に伸ばし、雅子さまが追いかけたことがわかる。「適応障害」という病を得た雅子さま。学校に行きづらい時期もあった愛子さま。お二人そっくりの髪形は、皇室という場所で悩みながら生きる母娘の「絆」の象徴のように思っていた。 ■おでこ見せロングヘア  ところが今年4月、愛子さまは腰近くまであった髪をばっさり切り、肩までのボブヘアになった。その日、愛子さまが乗っていた車の隣には雅子さまがいて、ロングヘアをまとめる定番の髪形だった。ああ、もうお揃いは完全に卒業なのだとしみじみした。お二人がそれぞれの「強さ」を得た、と思えたのだ。  まずは簡単に、愛子さまのヘアスタイル史を振り返ってみる。  06年4月、学習院幼稚園の入園式に出席した愛子さまは、制帽から肩下10センチほどの髪を見せている。お隣で微笑む雅子さまの髪は、肩まで届いていない。それから2年、08年の学習院初等科の入学式。愛子さまの髪はさらに長くなり、前髪を上げておでこを見せている。雅子さまも前髪を上げたロングヘア。お揃いヘアでの入学式。  雅子さまのお誕生日に公表される写真を見てみると、07年にはお二人お揃いになっている。つまり06年から1年かけて、雅子さまが愛子さまお好みのロングヘアに追いつき、以後それをキープしているということになる。お揃いの「おでこ見せロングヘア」は愛子さまが5歳の時からの定番なのだ。 ■つらい状況の風除け  あの当時を振り返ると、雅子さまの「適応障害」が公表されたのが04年。その年と翌年は、お誕生日にも写真が公表されないという事態だった。06年に皇太子さま(当時)も一緒にオランダを私的訪問、雅子さまと愛子さまが「笑っている」ことが話題になったりした。その時、雅子さまはまだ肩くらいの髪、その横で長い髪を可愛く編み込んだ愛子さまがはしゃいでいた。  07年以降のお二人そっくりの髪形は、つらい状況に耐える風除けのようにも見えた。雅子さまには髪を娘と同じ長さにすることが心の支えだったろうと思う。10年、初等科2年の愛子さまに不登校問題が起きた時も、お揃いヘアの雅子さまが毎日のように付き添った。が、中等科でも不登校が報じられる。  愛子さまの「生きづらさ」のようなものの深刻さは、15歳になった16年のお誕生日写真にはっきり写っていた。折れそうなほど痩せた姿だった。「生きにくさ」はどこから来るのか。「生まれた時から男の子でないことが自己否定につながっている」と指摘してくれた女性がいて、目から鱗が落ちたのは令和になる直前だった。それはさておき。  翌17年、高等科に入学してから愛子さまは元気になっていった。お代替わりに向けて雅子さまの活動も確実に増えた。愛子さまは「前髪ありのロングヘア」が定番になり、時に顔の両横に長い髪を一筋垂らすこともあり、「今どきの女の子だなあ」とホッとした記憶がある。  20年、学習院女子高等科の卒業式はコロナ禍もあり、愛子さま1人で報道陣の前に立った。堂々とした受け答えの後、式場に向かう後ろ姿には、ポニーテールが揺れていた。 ■19歳の春ボブに変身  そして今年4月、愛子さまはボブヘアへと大変身した。30センチ近くは切ったであろう思い切りの良さに、愛子さまの強さを感じた。愛子さまは皇室を「自分の場所」としたのだろう、と。皇后となった雅子さまもきっと同じ思いに違いない、とも。  などという勝手な解釈より、愛子さまの言葉だ。聞ける日が近い。成人にあたっての記者会見が開かれるのが、内親王の恒例だ。いつになるのか、宮内庁は発表していない。来年以降という報道もあったが、愛子さまが初めて国民に対して思いを語る場となる。これからと将来、両方を語ることになるだろう。  愛子さまは「女性皇族」としての自分をどうとらえているのだろう。眞子さんが儀式なし、一時金辞退という結婚を選択したのは、女性皇族と一個人とのせめぎ合いの結果だったように思う。「天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」とだけ皇室典範で定められている女性皇族。公務に励んでも、その先に待っているのが何なのか、すごく曖昧な存在だ。愛子さまは、「天皇家の長女」という立場と、「愛子」という一個人としての立場をどう捉えているのだろう。(コラムニスト・矢部万紀子)※AERA 2021年12月6日号より抜粋

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    22時間前

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    偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生

    「会社の上司ではなく、目の前にいる人のためになる仕事をしたい」――私立大文系卒の営業職だった27歳男性が、仕事に疑問を感じてめざしたのは医師だった。現在、神奈川県横浜市の菊名記念病院で心臓血管外科部長を務める奈良原裕医師(51)。大手企業での安定を捨て、1年半の浪人生活で会社員時代の蓄えをほぼ使い切り、29歳で高知大医学部に合格。6年間の勉強の末に医師免許を手にした後も、年齢的に厳しいとされる30代後半で心臓血管外科医の道を選んだ。奈良原医師はどのような思いで勉強をしてきたのか。その半生を語ってもらった。<<後編・1年に3日しか休めなかった心臓外科医が、働き方も診療の質も劇的に改善させた「業務改革」とは>>に続く *  *  * 私は中央大学法学部を卒業後、石油会社に勤めていました。医師になる道を考え始めたのは社会人4年目になったころです。東京・品川のオフィスで深夜11時ごろに残業を終えた私は、同期と一緒に近くの牛丼屋に入りました。そのカウンターで、「医者になりたいな」という言葉がポロッとこぼれたのです。  仕事は評価されていました。任された業務の範囲は広く、支店長室のソファをベッド代わりにして何日も会社に寝泊まりしていました。上司からは一番上の評価をもらっていたと聞いています。けれども、そんなワーカホリックな日々の中で、いかに上司から褒められるかを目標にする生き方に、次第に違和感を覚えるようになりました。  石油は社会や経済を支える基盤となる重要なエネルギーです。もちろん、それを取り扱う仕事の社会的使命はとても大きい。しかしその一方で、自分がやっているのは、目の前のお客さんに少しでも高い金額を提示して商品を販売し、利益を出すということでした。自分の目の前にいる人ではなく、自分の後ろにいる、自分を評価する人の方向を見て仕事をしていることに、疑問をもち始めたのです。  結局自分は、中学・高校生時代にやっていたことを繰り返しているのだと思いました。学生時代は一生懸命勉強しました。でもなぜ数学の公式を使えるようにならなければならないのか、なぜ歴史を覚えなければならないのか、その理由までは考えなかった。仕事も同じでした。意味や背景まではそこまで深く考えず、とにかくやっていた。大学では法学部に進みましたが、付属校時代に勉強した結果として偏差値の高い学部に内部進学できたというだけで、法律の勉強をしたいという気持ちからではありませんでした。その延長戦が社会に出てからもずっと続いていたのです。  それでも自分は間違ってはいないと思っていました。しかし、そんな毎日が続いていたある日、兄が自殺しました。その理由を私はまったくわかりませんでした。というよりも、兄のことが何もわかっていませんでした。いや、兄だけでなく父、母、祖母のことも。目の前の一番大切な家族のことを気にしない生き方になっていること気がつき、27歳の9月、新卒で4年半勤めた三菱石油(現ENEOS株式会社)を退職しました。  目の前の人のためになるような、そんな仕事をしたいと思いました。そこで行き着いたのが医療従事者です。医師、看護師、介護士……そのなかでも指揮官である医師をめざしました。学費が比較的かからない国立大の医学部を目標にして予備校に入ったのですが、私が置かれたのは8クラスあるうち下から2番目のクラスで、国立の医学部に受かる人はほぼいないと言われていました。 ■模試は「E判定」、偏差値は38  そもそも私は付属校からの内部進学組だったので、受験というものを知りませんでした。過去に大学受験をしたことのない社会人からすると、センター試験の出願の仕方すらわかりません。また、学校の教科書も持っていないので、出題範囲もまったくわからない。まず大学受験の仕組みを知るのに3、4カ月はかかったと思います。  10月に受けた模試は当然E判定。数学の偏差値は38。その年の受験は、センター試験も6割程度しか得点できず、医学部には箸にも棒にも掛からぬ結果でした。そこからまた浪人生活が始まりました。ただ、受験は2回までにしようと思っていました。1年間かけて受からなかったら医師はあきらめて、別の医療従事者をめざそうと思っていました。  後にも先にも、この時が一番勉強したと思います。会社員時代はデータを使って顧客分析や商圏分析をしていたので、それにならって受験勉強も分析していました。細かい勉強計画表を作り、どの科目を何時間勉強したのか、1週間ごとに計画と実績の差をチェックしていました。  部屋中には物理の公式や化学式などを書いた紙を貼っていました。トイレにも貼って、そこにこもって暗記をしたり。勉強は受験に向けて追い上げていくといったものではなく、最初から限界ぎりぎりのスケジュールで取り組んでいました。集中力を保ちながら勉強できるのは一日最大16時間。これを続けるのは本当に大変でした。当時のノートを見ると、文字がびっしり書かれていて、ちょっと狂気じみているようにも感じます。  同棲していた妻は、ピリピリしていた私を横目にいつも長いコードの付いたヘッドホンをしてテレビを見ていました。お笑い番組を見ながら、私の勉強を妨げないように笑いを押し殺していたのを覚えています。妻とは会社を辞めて医学部浪人を始めると決めたころに付き合い始めました。よくそんな人と付き合ったものですね(笑)。  志望校は高知大医学部に決めました。一番の理由は学力的に合格が狙えそうだったからですが、理由はそれ以外にもありました。予備校の友人の兄が高知大医学部出身で、新聞販売店に住み込みで働きながら勉強して合格したというのです。その話に感銘を受け、第1志望が決まりました。 ■「受かるまで外さない」つけた腕時計  浪人中はずっと、トライアスロンの人がよく使っているタイマー機能付きの腕時計をつけていました。お風呂や休憩も時間を区切るために、「受かるまで外さない」と決めたのです。当時27、8歳で、10個下の現役高校生よりはメンタルも落ち着いている。そんな私が重い決意で勉強をすれば受かるはずだ、という妙な自信がありました。  しかし模試は最後までE判定で、これで医学部に受かるのは奇跡でした。ところがその年のセンター試験は数学が難化したり、難解な現代文で大量失点する人が出たりして「荒れた」のです。その結果、8割ちょっとの得点でなんとかボーダーラインを超えることができました。2次試験を受験し、妻と一緒に合格の通知を受け取ったときは、正直、信じられませんでした。何か採点ミスなどが発覚して、合格が取り消されるのではないか……医学部合格から22年が経ち手術を執刀している今ですら、そう思うことがあります。  4月からはすぐに高知での生活となるため、アパートや中古車などを1日で準備しました。妻は高知についていくことになんのためらいもなかったようです。その後、学部1年生の時に結婚することになりました。  高知大の医学部には他に再受験生が2人いましたが、私が一番年上でした。でも基本的には、ごく普通に周りの同級生と同じように過ごしていました。空手道部に入りましたが、中では当然、先輩後輩の関係がありました。会社員時代の蓄えは受験生時代に底を突きかけていたため、朝は新聞配達のアルバイトをし、学校に行って勉強や解剖の実習をし、夕方は酒屋さんで配達のアルバイトをしていました。妻も喫茶店でアルバイトをしていました。  進級試験、卒業試験、そしてそのあとの医師国家試験など、勉強は1回目の大学時代よりずっと大変だったと思います。しかし、仕事を辞めて挑戦した医学部受験のときのほうがもっと大変でした。  研修医としての2年間も楽しく過ごしました。目の前にいる患者さんに感謝されるのは本当にうれしいですね。当時、主治医として診療に当たっていた患者さんのなかには、いまでも年賀状やお手紙をやりとりしている人もいます。外科の後期研修医として行った横浜の病院も、1年だけではありましたが思い出深いものでした。 ■「30歳以下が望ましい」心臓血管外科に転身  医学部時代、私が一番好きだったのは心臓手術だったので、心臓血管外科医をめざしました。しかし日本心臓血管外科学会では、心臓血管外科医になるのは30歳以下が望ましいと言われています。体力的な問題もありますし、比較的、一人前になるまでの階段が長いという要因もあると思います。そのため、一度は心臓血管外科医をあきらめました。しかし外科の後期研修をしていく中で、その気持ちが抑えられず、研修先の病院を変えました。  38歳だった私は、現役医学部生から心臓血管外科医になった人と比べると10歳も年上ですが、上司は私を現役同様の新人として扱ってくれました。これまでの経験が生かせる職場ではまったくなかったので、教えを請う立場であることをわきまえるのは極めて大切なことだと思っています。  実は、会社を辞めて医師をめざすときも、研修医後に外科へ進むときも、そして心臓血管外科医を目指すときもすべて、家族・友人・知人の皆に反対されました。今さらそんなこと出来るわけがないだろうと思われたのだと思います。私はこれまで、みんなが右を向いたら右を、左を向いたら左を、少しでも早く向こうとする人間でした。でもあるときから、人が右を向こうと左を向こうと自分の見たい方向を見るようになりました。会社を辞めて、医師をめざそうと思ったところが、人生の転換点だったように思えます。 (構成/白石圭) <<後編・1年に3日しか休めなかった心臓外科医が、働き方も診療の質も劇的に改善させた「業務改革」とは>>に続く

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    19時間前

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    「芸能界嫌い」だった2世・村上虹郎 コンプレックスをバネにつかんだ居場所

     連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」(NHK)で主人公・安子(上白石萌音)に恋心を抱く幼なじみ役を好演しているのは俳優の村上虹郎(24)だ。思いは届かず、兄の稔(松村北斗)と結婚した安子を「義姉(ねえ)さん」と呼ぶシーンが11月22日(第16話)に放送されると多くの視聴者がこれに反応。同日朝のツイッタートレンド上位に「義姉さん」がランクインするほどだった。  17歳で俳優デビューを果たし、CMにドラマ、映画と引っ張りだこの村上。今夏の映画『孤狼の血 LEVEL2』では、ヤクザ組織に送り込まれるチンピラ役で気迫の演技を見せ、話題を呼んだ。  周知の通り、俳優の村上淳と歌手のUAを父母に持つ2世俳優だ。幼少の頃は父母ともに忙しく、ほぼ祖母に育てられたとバラエティー番組で明かしていたことも(「しゃべくり007」日本テレビ・2018年11月12日放送)。同番組内では、両親に対して「育ててくれてなかったという恨みがあった」と吐露し、「漠然と『芸能界嫌い』って思っていました」とも発言している。 「父親である淳さんは当時、役を家に持ち帰ることがあったそうです。『卑猥なセリフを言う役』を演じたとき、家にでも虹郎さんに対してそのキャラで接してしまっていたらしく、『前の奥さん(UAさん)にすごく怒られた』と語っていました。虹郎さんが小学2年生のときに2人は離婚したのですが、その後、月に1回ほど淳さんと会うことで、『親父ってこういう人なんだ』と次第に理解を示したそうです」(テレビ情報誌の編集者)  離婚後は母親に引き取られた村上だが、高校生のときに自ら望んでカナダのモントリオールへ留学。当時の心情について「親から逃げて逃げて逃げ続けたダサい時期があって、居場所がなくなっていくんですよね」と語っていた(「情熱大陸」・18年11月25日放送)。しかし、続けて「親から逃げていたわけじゃなく、本当は自分から逃げていた。弱かったから」と冷静に自己分析する姿もあった。 「留学中に淳さんから『ある監督が虹郎に会ってみたいと言っている。俳優業に興味はないか?』と誘いを受けたそうなんです。それがデビュー作『2つ目の窓』でメガホンを取った河瀬直美監督だった。でもフタを開けたら、指名での出演ではなくオーディションを受けなくてはならず、しかも結果はまさかの落選。悔しすぎた虹郎さんは『なんでもいいです、雑用させてください』と懇願し、運よく河瀬組の美術部に在籍できることになったといいます。そこで働く姿を見た河瀬監督から『主人公やる?』と声がかかり、大逆転で主人公を演じることになった。本当に珍しいケースです」(同)  この主人公抜擢に河瀬監督は「親の七光ではない」と言っているが、村上本人も2世であることにコンプレックスを抱いているようだ。過去にインタビューで両親のことは好きで、誇りに思うと前置きしつつも「名無し草からやりたかった」と述べている(「エンタメOVO」4月23日配信)。 「ファッション誌のインタビューでも『こういう環境(著名な両親を持つこと)に生まれなければなぁというのは常に思っています』とも話していたのですが、その理由に『役者は匿名性があった方がいい』と持論を述べています。親の顔が知られているのは役者として弱点であり、ハンディだとも思っているそうです。そういったこともあり、海外に向けた作品にも意欲的なようです。出演したドラマ『今際の国のアリス』(Netflix)が多くの国で配信されたこともあり、インスタグラムのフォロワー数の3分の2が外国人だとも明かしていました。留学経験もあるので英語も堪能ですし、今後は海外進出でどんどん知名度をあげていくでしょう」(同)  ドラマウオッチャーの中村裕一氏は、村上の魅力と今後をこう分析する。 「現在放送中の『カムカムエヴリバディ』では、自分の想いをグッと抑えて安子と兄の結婚を祝福する弟の役を好演しています。弟の役といえば、映画『ディストラクション・ベイビーズ』(2016年)で柳楽優弥が演じた暴力的で破滅的な主人公、泰良の弟・将太役も印象に残っています。まっすぐで太い眉、強い意志を秘めたまなざしと固く結んだ口元に、俳優としてのポテンシャルの高さを感じます。その存在感と表現力に、もはや『七光』『2世』のレッテルなどまったく必要ありません。国内の評価など気にせず、積極的に世界へ飛び出し、その名の通り虹色に輝く他に代わりのいない表現者に成長してほしいですね」  朝ドラだけでなく、今年公開の映画だけで4本に出演するなどまさに飛ぶ鳥を勢いで活躍中の村上。七光以上の輝きを見せる彼から今後も目を離せない。(高梨歩)

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    小室圭さん帰国便同乗者が目撃した姿「彼はまるでエグゼクティブ」 自宅前では深々とお辞儀

    颯爽と歩きながら、小室圭さんがアメリカから帰国した。日本の地を踏むのは2018年8月に渡米して以来、3年2か月ぶりだ。  成田空港は多数の報道関係者が集まっており、ピリピリムード。報道陣に対して、カメラのフラッシュ禁止、声掛けも禁止といった規制が敷かれていた。報道関係者からは「どうして?」と不満の声も漏れていた。  午後3時20分過ぎ、成田空港に飛行機が到着。一般客が飛行機から降りたあと、小室さんが、報道陣の前に姿を現した。警護と思われる男性やキャビンアテンダント(CA)の女性などに囲まれていた。キャリーバックを転がしながら、白マスクに、濃紺のスーツ、ストライプの入ったシャツ、ノーネクタイといういで立ちで、髪の毛は後ろに縛っていた。  飛行機から出てきた小室さんは報道陣に一礼したあと、新型コロナウイルスの抗原検査、そして入国手続きに進んだと見られる。  小室さんは機内でどのような様子だったのか。偶然、同乗していた男性(51)に話を聞くことができた。 「私がファーストクラスで座っていると、ドアが閉まるギリギリになって小室さんが搭乗してきました。まるでエグゼクティブのようでした。後ろの髪を結っていたので、すぐに彼だとわかりましたね。彼一人に女性CAが2人くらいついて、会話しながら案内されて入ってきました」  当初はエコノミークラスのチケットを買ったと報じられていたが、この男性はこう語る。 「右の列のビジネスクラスの前方の席で、窓際に座っていましたね。私の席から右斜め後ろのほうの席でした。ただ、カーテンでファーストクラスとは仕切られていたので彼の表情などはわからなかったです」  男性は飛行機から降りた後、抗原検査のために、大きめの部屋に移ったという。40分ほどその部屋に滞在したが、そこに小室さんの姿はなかった。 「今か今かと待っていたのに、残念でした」(男性)  そのころ、到着ロビーには多数の報道陣のほか、「皇室系Youtuber」といったタスキをかけた人物や一般客も小室さんの姿を一目見ようと集まっていた。その数、50~60人ほど。  津田沼から来たという白髪交じりの一般男性は手にハンディカムを持ち、小室さんを待ち構えていた。妻に頼まれて自宅で見るために撮りに来たという。  しかし、小室さんは一般客が使う到着ロビーを通らず、地下駐車場から車に乗り込み、成田空港を後にした。「地下駐車場から空港を出たらしい」と男性に知らせると、「こんなに待っていたのに……」と不満げな様子だった。  小室さんを乗せた乗用車が向かった先は、母・佳代さんが住む横浜の自宅だった。自宅前は朝から報道陣が詰めかけ、警察は臨時の派出所を設置し、周辺警備に当たるなど、ものものしい雰囲気が漂っていた。夕方には100人を超える報道陣が押し寄せており、ベランダから様子を一目見ようとする住民の姿も見られた。  19時過ぎ、小室さんを乗せた車が到着。警察が後部座席のドアを開け、車から出てきた。小室さんは、報道陣から「どんなお気持ちですか」と声を掛けられたが、反応は示さず、自宅マンションの入り口で2回ほど深々とお辞儀をして、黒いスーツを着た男性らと中に消えていった。  近くに住む60代の男性はこう語る。 「ヘリコプターの音がすごくて『何事か』と思って見に来た。3年前の婚約会見後のときと同じような状況だと感じましたね。小室さんがニューヨークに行ってからは、静かになっていたんだけど……。またしばらく騒々しくなるのかなと思っています。どの家庭も問題を抱えていますし、小室さんと眞子さまも早くアメリカで幸せになってほしいですね」    小室さんは今後、自宅で2週間の隔離を終え、その後、記者会見に臨むと見られている。果たして何を語るか。注目が集まる。 (AERAdot.編集部/上田耕司、飯塚大和、吉崎洋夫)

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    立憲民主、崩壊の危機 参院選1人区「4勝28敗」の衝撃予測

     立憲民主党の代表選が終わり、新しい執行部による「党再生」が始まる。だが、選挙戦は盛り上がりに欠け、来夏の参院選の勝敗シミュレーションも絶望的だ。今こそ必要なのは、民主党時代の成功体験ではないか。未来のために、過去に学べ。 *  *  *  11月25日夕、横浜市・JR桜木町駅前では、立憲民主党の代表選に立候補した逢坂誠二元政調会長(62)、小川淳也元総務政務官(50)、泉健太政調会長(47)、西村智奈美元厚生労働副大臣(54)の4人が集う最後の街頭演説会が開かれた。  だが、千人以上は入りそうな駅前広場に集まった聴衆は200人程度。空きスペースが目立ち、演説中の拍手もまばら。晩秋の肌寒さを吹き飛ばす熱気はなかった。立憲関係者は嘆く。 「約200人が集まったといっても、半分ぐらいは選挙スタッフやメディア関係者。夕方の時刻なので駅を通過する人も多かったのですが……」  テレビなどで繰り返し報道された自民党総裁選に比べ、立憲代表選では4候補が激しく論戦を交わす場面はなかった。立憲国会議員は言う。 「同じ党だから政策が似ているのはしょうがないとしても、選挙なんだから、もっと他の人との違いを際立たせないと。これじゃ学校の生徒会長選び。党勢回復なんて期待できない」  新代表は、衆院選後の「敗戦処理係」とはいえ、来夏には参院選が待っている。約8カ月という短い期間で、党を再建しなければならない。  だが、現実は厳しい。下の表は、衆院選の結果に基づき、来夏の参院選1人区の結果を試算したものだ。計32の1人区は、参院選全体の結果を左右する。試算では、「与党」は自民か公明のどちらかの与党系候補、「野党」は立憲、国民民主、共産、れいわ、社民が候補者を一本化して野党系候補になることを想定した。維新やその他の政党は試算に含めていない。  その結果は惨憺たるものだ。2019年参院選で野党が勝利した岩手、宮城、長野、沖縄などもこのシミュレーションでは与党を下回り、総合成績では野党が4勝28敗。19年参院選が10勝22敗だったことを考えても、野党の弱体化はあきらかだ。立憲ベテラン議員は言う。 「これが共産党を含めた野党共闘の限界。19年参院選でも立憲は惨敗していたのに、党執行部は野党共闘の維持にばかり固執した。候補者の一本化は重要でも、国民の心に響く政策がないと自民党には勝てない」  野党候補の一本化は、枝野幸男前代表の長年のこだわりだ。その思いは今も強く、衆院選後に野党共闘が不発に終わったことを記者から問われても「かなり多くの選挙区で接戦にまで持ち込めた。一定の効果があった」と開き直った。確かに効果はあったのだろうが、それだけでは勝てなかったこともまた事実ではないか。小選挙区で敗れたある立憲議員が言う。 「小沢一郎さんや中村喜四郎さんが小選挙区で落選したことで『国民は世代交代を求めた』と言う人もいるが、そんな単純な話ではない。高齢の議員でも、選挙基盤が弱い東京18区の菅直人さんや神奈川12区の阿部知子さんは小選挙区で勝った。野党共闘で効果があったのは、共産党が強い都市部がほとんど。地方では穏健保守派が離れて、逆効果の選挙区もあった」  小選挙区制のルール内で勝つためには、候補者の一本化が重要なのは多くの人が認めるところだ。だが、野党共闘にばかり注力することで「共産党との閣外協力こそ立憲の主要政策」という本末転倒なイメージとなってしまい、立憲自体の魅力を十分にアピールできていなかったのではないか。  過去を振り返ると、「野党共闘」なしでも政権交代が実現したことがある。  09年衆院選では、共産党は今回衆院選の105人を上回る152人の候補者を擁立していた。それでも結果は、民主党が221の小選挙区で勝利。64議席の自民党に圧勝し政権交代を果たした。  民主党が結成されたのは1998年。政権交代実現までに11年かかったことになるが、その間にどのような党運営が行われていたのか。09年衆院選のマニフェスト作成に関与した松井孝治元官房副長官(現・慶大教授)は言う。 「私が考えていたのは、民主党を『反自民』のみの政党にしないこと。官僚と議論するにせよ、テレビカメラがいる野党合同ヒアリングで罵倒するようなことはせず、政権獲得時の仲間として互いに学び合うことが肝要です。『自民党中心の政策を、新しい時代に合わせてシフトする』という基本的な考えがありました」 ◆民主党政権の顔 今でもボス支配  松井氏からは、今回の代表選はどのように見えたのか。 「当時の民主党も政権批判はしましたが、子供を社会全体で育てる『チルドレン・ファースト』や公共事業のあり方を問い直す『コンクリートから人へ』など、選挙前から自民とは違う政策の旗印を掲げていました。政権獲得には、穏健保守や若い世代の期待を集める政党になる必要があるからです。その点では、代表選を通じて幅広い層に向けて『立憲民主党は何を大切にする政党なのか』のメッセージは伝わってきませんでした」  17年に誕生した立憲民主党は今、崩壊の危機にある。その原因は、党内の安定を重視するあまり、硬直化した組織運営にもあった。若手立憲議員は言う。 「枝野執行部では、主要人事の多くは民主党政権を担った人たち。顔ぶれが一緒の『メリーゴーラウンド人事』と批判されても変わらなかった」  新代表に待ち受ける最初の難関は、人事の刷新になりそうだ。 「立憲では民主党政権を担った人たちの影響力が強いから、誰が代表になっても党の立て直しは難しい。新代表は参院選までのリリーフで、その後にまた新しい代表になるかもしれない」(若手立憲議員)  立憲に対する世間の目は厳しい。党内ではすでに「共産党の色が強くなった立憲民主党はもう無理だ。党名を民主党に戻したほうがいい」との声も出ている。  立憲民主党は、これからも過去の失敗を重ねるだけの政党になるのか。「過去に学ばない者は、過ちを繰り返す」という言葉があるが、今はその分水嶺にある。(本誌・西岡千史)※週刊朝日  2021年12月10日号

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    FA権取得の阪神・梅野は残留濃厚か 他球団の「意外な評価」とは

     ヤクルトと優勝争いを繰り広げている阪神。「扇の要」として梅野隆太郎が開幕からマスクをかぶり続けていたが、10月12日の巨人戦から坂本誠志郎が8試合連続でスタメン出場している。   一体何があったのだろうか。 「梅野に疲れが出てきたのでしょう。後半戦に入って精彩を欠いている。打撃で快音が聞かれなくなり、守備面も配球を相手に読まれて痛打を浴びるケースが出てきた。坂本は『第2の捕手』だが、リード面を含めて能力は非常に高い。今は坂本が稼働してチームの状態が上向いてきたが、梅野がチームの中心であることは変わりません。今季国内FA権を取得しましたが、球団はその働きぶりを高く評価している。好条件を出して全力で慰留に努めるでしょう」(スポーツ紙記者)  今オフにFA権の行使が注目される選手の1人が梅野だ。捕球技術、ブロッキングの能力が高く、14年は出場試合数が規定に達した選手で唯一の捕逸0をマーク。強肩が武器で2019年には捕手でNPB歴代最高の123補殺を記録した。東京五輪では広島・曾澤翼が当初選出されたが、故障により出場を辞退したため、梅野が追加召集されて金メダル獲得に貢献した。チャンスに強く、今季の得点圏打撃は3割を軽く超える。球界を代表する選手としての地位を確立したと言ってよいだろう。   ただ他球団の捕手事情を考えると、FAで争奪戦の様相を呈するかは微妙な状況だという。  「梅野は福岡出身ですが、ソフトバンクは侍ジャパンでも正捕手を張った甲斐拓也がいる。同じ関西を本拠地に持つオリックスも中嶋聡監督が伏見寅威、若月健矢をうまく使い分けて首位争いを演じている。他球団を見渡すと、今年は捕手の需要が高いとは言えない。ヤクルトは中村悠平、中日は木下拓哉、広島は坂倉将吾、西武は森友哉と正捕手がいるし、DeNA、日本ハム、楽天はFAで捕手の補強に乗り出すと聞いていない。梅野を最も必要としているのが阪神だし、梅野も阪神に強い愛着がある。残留が濃厚ではないでしょうか」(スポーツ紙デスク)  近年はFAで大物選手の移籍が少ない。19、20年と2年連続で最優秀防御率のタイトルを獲得し、昨年は自身初の沢村賞に輝いた左腕・大野雄大は昨オフにFAで争奪戦が予想されたが、中日に3年契約で残留。前人未到のトリプルスリーを3度達成したヤクルト・山田哲人も7年契約を結び、「生涯ヤクルト」を決断した。昨オフにFAで他球団に移籍したのはDeNAから巨人に移籍した梶谷隆幸、井納翔一のみだった。  「各球団がFA補強に消極的なのは、コロナ禍で球団の財政状況が厳しいというのが影響していると思います。ただそれだけではなく、FAで獲得した選手が稼働する確率が低く、チーム強化の観点からプラスアルファが少ないと判断しているケースが多い。実際に巨人が獲得した梶谷は度重なる故障で61試合出場にとどまり、井納に至っては5試合登板で防御率14.40と戦力になっていない。FAで他球団の主力を獲得するより、生え抜きの若手を育てようという考えにシフトしている傾向があるので、今年もFA移籍は少ないのではないでしょうか」(セリーグ球団の編成担当)  シーズンの戦いは続いているが、梅野は今オフの決断にも注目は集まりそうだ。(牧忠則)

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    記者出身の3議員が語る立憲代表選立候補者のリアル「腹へった」「オイオイ泣く」「アップル通」

     30日に行われる立憲民主党の代表選。4人が立候補者しているが、「スターがいない」「主張が似通っている」など世間ではイマイチ盛り上がりに欠けている。内部からは代表選はどう見えているのか。10月の衆院選で立憲民主党から立候補して当選した3人の元ジャーナリストの一期生たちに聞いた。 *    *  * 都心でぐっと気温が下がった週末、JR有楽町駅前では、代表選の候補者の一人、小川淳也衆院議員(50)が街頭演説を行っていた。小川氏は演説をしながら感極まって目を赤くし泣きだしそうになる場面も。対話の姿勢を重んじているだけあって、20代の聴衆からの「立憲は身内に甘い」「自分のまわりの10代、20代で立憲を支持している人がひとりもいない」という厳しい質問にも一つ一つ答えていた。 「(私が)仮に新代表に就任させていただけたら、新代表がどれほどの熱意とどれほどの誠意で有権者のみなさまと徹底的に対話しようとするか。そのことを通して、私が生んでいきたいのはまず熱なんです…これまで日本の国内で見たことないような信頼にたる政治をつくりたいと思います」  聴衆は300~400人ほど。小川氏は4人の候補者のうちで最も一般的な知名度は高いものの、演説がその場に偶然居合わせた買い物客や通行人を巻き込むほど盛り上がっているかというとそうでもない。輪の外に出れば、皆、足早に過ぎていく。ステージから下りてきた小川氏を直撃した。  代表選が今一つ盛り上がりに欠けるのは何故かと問うと、小川氏は「それは総理大臣を選ぶ(自民党の)総裁選挙と同列にはいかないです」。もっと盛り上げる手だてはないのかという質問には「どうですかね、自分たちは自分たちのことをやるだけだから」。  ややもの足りない答えが代表選を象徴しているようにも思えるが、内部の議員はどう思っているのか。まずは、小川氏の25人の推薦人の1人に名前を連ねている鈴木庸介議員(46)の意見をきいてみよう。衆院議員会館の事務所を訪ねた。  鈴木氏はNHKの元記者だ。「NHKではおもに首都圏放送センターに勤め、警視庁担当をして事件取材が多かったです。NHKには約7年間勤めて退職しました」(鈴木氏)。  立憲のどのグループにも所属しておらず、小川氏とは「挨拶程度したことがあるだけ」(鈴木氏)という。ならば、なぜ推薦人になったのか。 「小川さんの例の映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』を見て、まっすぐな人柄、熱くて、人前で涙も隠さぬ情緒的なところ、言葉が胸に響くところに強い共感を覚えました」  政治家としての生き方にも共感を覚えているという。 「幕末の志士みたいな感じがありますよね。“統計王子”とも呼ばれていて、数字、データにめっぽう強いんです。今の時代の閉塞状況を考えると、データに強く突破力がある政治家が求められていると思うのです」  代表選に出馬したのは、小川氏のほか西村智奈美氏、泉健太氏、逢坂誠二氏の4人。立憲の国会議員は衆参合わせて140人。このうち90人が推薦人となっている。今、党の中では、各陣営が個別訪問にまわっている。 「うちの事務所にも、それぞれの陣営の方が資料を持っていらっしゃいます。決戦投票の時、誰に投票するかということも含めて、お話になる。妙な締めつけはいい意味でないですね。一期生でも、考え方と意見は究極まで尊重されますし、誰に投票しろというような命令は一切ないです。そこは立憲の良い風土だと思っています」  党内には最大勢力で枝野氏、逢坂氏、小川氏らも入っている「サンクチュアリ」、菅直人元首相らが主導する「国のかたち研究会」、泉健太グループ、重徳和彦氏らの「直諫(ちょっかん)の会」など複数のグループが存在する。 「みなさん、自民党の派閥と同様に捉えようとするんだけれど、立憲の場合は勉強会みたいなものです。ですから、いくつもかけて入っている議員も多いです」  代表選は国会議員1人2ポイントの280ポイント、国政選挙の公認候補予定者1人1ポイントの6ポイント、全国の地方議員143ポイント、党員・協力党員(サポーターズ)143ポイントで合わせて572ポイントで争われる。1回目の投票で過半数を獲得する候補者がいないと、上位2人による決戦投票にもつれ込む。  共同通信の25日までの調査によると、立憲の国会議員140人の支持動向は、泉氏が約3割に当たる41人の支持を固めてリードし、小川氏、西村氏、逢坂氏はいずれも20人台で追う展開になっているという。ただし、党員・協力党員票は読みにくい。 「小川さんは人気がありますから、党員票は小川さんにかなり来るのではないでしょうか。私は46歳なのに、泉さんは47歳で8期。政策通で話ぶりも安定していますよね。4候補のうち誰が代表になっても、党のイメージ刷新になると思います」  泉氏はニッポン放送の番組「飯田浩司のOK! Cozy up!」で、「一旦野党ヒアリングは取りやめていかなければいけないと思う」と語ったことが党内で波紋を広げた。 「私も野党ヒアリングのあり方を見直した方がいいと思います。官僚はこの国のシンクタンクですから、立憲も彼らとうまくつきあって、ただ単に官僚をいじめるのではなく、一緒に政策を作っていこうという考え方には賛成ですね」  4候補はこれまで、共同記者会見や日本記者クラブ主催の討論会、北海道、福岡などでの討論会などに出席してきた。それでも、いま一つ盛り上がりに欠ける理由として、「主張の違いが見えにくい」と指摘されている。 「民主党の時代に、とにかくそれぞれの議員が主張し、党としては残念ながらまとまりがなくなってしまった。それを枝野さんがおもしになって、今まで前へ進めてきた。民主党時代の反省と教訓から、党としての主張のバラバラ感を出さないために、4候補のみなさんは自分の意見を一定程度抑えているのではないか。立憲としては誰が代表になっても変わらない党の方針があることを見せていく工夫ではないでしょうか」  続いて、一期生の元朝日新聞政治部記者の山岸一生衆院議員(40)に聞いてみた。山岸氏はどこのグループにも所属せず、推薦人にもなっていない。正直、盛り上がらない代表選をどうみているのか。若手議員として危機感はないのだろうか。 「代表選は場外戦を含めて、いろいろと多面的なことをしていかないと、なかなか盛り上がらないのかと思います」 と真摯に語る。  2カ月前の10月29日投開票だった自民党代表選では、岸田文雄氏、河野太郎氏、高市早苗氏、野田聖子氏の4候補が立候補。小泉進次郎氏、石破茂氏と河野氏との「小石河連合」などと話題満載だった。総裁選が脚光を浴びたことでリセットされ、凋落した内閣の支持率を回復させた。対して、立憲の場合は候補に知名度がない、スターがいないとも指摘されている。 「政策をどんなに熱く語ってもやっぱり、現実問題としてそれが届く層は限られてしまう。共産党や連合との共闘といったことしか一般には注目されないと思うんですよ。報じないマスコミが悪いのかというとそうとも言えない」  では、今、何をすべきなのか。 「候補者がどんな人だか、わからないというレベルなわけだから、そこは私たちのほうがもう少し、発信の仕方、描き方というのを工夫しなければいけないと思います」  そうした考えに基づき、立憲パートナーズ有志が「りっけんの代表選候補者を勝手に応援する議員・市民とパートナーズの勝手な討論会」をオンラインで開催しYouTubeにアップした。山岸氏は司会進行役を務めた。 「候補者本人ではなく、それぞれの候補者を熱く応援する4人に集まっていただいて、推しへの愛を語っていただきました」(山岸氏)  応援者が主に語ったのは、候補者の政策の良しあしではなく、キャラクターだ。 「逢坂さんは穏やかにみなさんと話ができる人。(地元・函館では)『酒話会』を開き、逢坂さんを囲んでお酒を飲みながらざっくばらんに話している。逢坂さんはどんなに酔っぱらってもスマートで紳士的。アップルやデジタルツールに精通している」(逢坂陣営=地元函館市民の山崎藍さん) 「小川さんはなにかというとすぐにオイオイ泣くんで、すぐ人の気持ちと一緒になっちゃうんです。甘いものが好きでいきなり、シュークリーム3個をイッキ食いとかする。見ていると気持ち悪くなるのでやめて欲しい(笑)」(小川陣営=作家の和田靜香さん) 「西村さんは真面目で誠実な人。彼女が真剣な顔しているから、何を言うのかなと思ったら『腹へった』とか言うからズッコケる。真剣な顔をしていても、深刻になりすぎないで乗り超えられる人。これからのリーダーは彼女です」(西村陣営=打越さく良参院議員) 「泉さんは立命館大の頃から民主党京都の学生部で活動をしていた。末っ子で甘えん坊と言われていたみたい。25歳で衆院選に立候補して落選し、デイサービスで働きながら政治活動をやっていた。その頃、普通にジャージィ姿だったのを覚えています」(泉陣営=東京都足立区議の小椋修平さん)  などと、とっておきの魅力的なエピソードを披露した。この討論会を、山岸氏は「政策論争ももちろん大事ですが、人柄がわかるのがよかった」と振り返った。  次は、元毎日新聞政治部記者の渡辺創衆院議員(44)。2001年から09年末まで毎日新聞社で記者として働いた。新聞社を退職した後は宮崎県議を10年4カ月務めた。 「立憲はまだ4年しか歴史がないから、私は党の古参なんです。お金もない、議員もいないというところから、今では宮崎県で自治体議員16人、衆院議員1人というところまで来た。枝野さんと一緒に歩んで来たという気持ちだけは持っています」  盛り上がっていないと言われる代表選については、 「この選挙は、創業代表の2代目を選ぶ選挙なんですね。地味だ、盛り上がってないという声もありますが、かつての民主党時代にあった極端な路線対立で盛り上がるよりも、2代目を選ぶ難しさを感じ、みんなまじめにやっている結果だと思うんですよ」  民主党の崩壊を経て、立憲民主党が誕生し、無所属や旧国民民主党からも合流した。 「だからこそ、この党をみんなで大事にしているんです。民主党が崩壊した失望感から立ち上がったから、民主党時代よりも、党員、パートナーズ、自治体議員もはるかに立憲民主党に愛着を持っているんです。思いが強いんですよ。それがメディアの方々になかなか伝わらない。盛り上がらないのではなくて、大事にしている結果だと思いますね」  候補者の中にスターがいないといわれる点についても、悲観的にみていないという。立憲には候補者以外には、蓮舫氏、岡田克也氏、小沢一郎氏、菅直人氏、安住淳氏、森裕子氏ら“スター”はいる。 「その方々は代表選に出ておらず、次世代に託すという選択をしたわけです。結果としてこの4人が出てきたわけですから、知名度が低くて当たり前。5年後、10年後はこの4人は誰もが知っている政治家になっているかもしれません。そういう代表選でいいんだと思っています」  渡辺氏は党内のどのグループにも所属していないが、候補の西村智奈美氏の20人の推薦人に名を連ねる。 「西村さんのところの推薦人がどうしても足りないということで、推薦人になりました。西村さんとは同じ新潟大学を卒業していますし、私が大学生のころ、約半世紀ぶりに女性で新潟県議になった2人のうちの1人が西村さんでした。当時、学生新聞をやっていて、西村さんのところにインタビューに行ったご縁もあります。ここは何としても彼女に出てもらいたかった」  西村氏はどんな人物なのか。 「西村さんは論客です。特にジェンダー問題に向き合っている。ジェンダーに象徴されるものは何かというと、息苦しさや生きづらさを感じている人たちにきちんと寄り添うということ。そういう政治をやりたいと思っている人です。これは西村さんだから提起できる政治的なイシューですよ」 他の候補者についても意見を聞いてみた。小川氏の前出の映画は「5回見た」という。 「小川さんは討論会で演説を聞いたらうまいし、情緒的な演説だけど、あれがいいんだよね。わくわく感がある。そういう情緒がないと、政治家の演説は力を持たないんですよ」 中道路線といわれる泉健太氏についても 「泉健太さんは政調会長だから一定知られていたかもしれないけど、まだ47歳であれだけ安定して話せることに驚かれた方もおられたかもしれない。そういう意味では間違いなくすそ野が広がっている」  逢坂氏については「ミスター立憲民主党」だと話す。 「逢坂さんは今までもずっと党の政策的な責任者のラインを歩いて来た人。旧立憲の頃からの政調会長でしたし、国民のみなさんが多少でも耳にしたことのある立憲の政策を作るのに大きく関与してきた人です」  4人を較べると……。 「情緒的な演説であおれるのは小川さんだと思うし、文字を起こして一番立派なことを言っているのは西村さん、政策通でいえば逢坂さん、総合力では泉さんですね」 代表選の国会議員票で泉氏がリードしていると報じられていることに関して、渡辺氏はこう言った。 「重鎮の先生方で推薦人になっている方が少ない。ビッグネームの枝野さんや福山哲郎幹事長、蓮舫さんらがどうするのか。マスコミ各社のアンケートにも答えてない人もいる。そうした人が20人くれば40ポイントあるんだから、また変わってくるということでしょう」 30日の投開票で誰が選ばれるのか。ひいては党勢回復の一歩となるか。結果に期待したい。(上田耕司)

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    【独自】新生銀行TOBでSBIが仕掛けた周到な戦略 財務省、金融庁など「天下り19人リスト」入手

     新生銀行は紆余曲折の末にインターネット金融大手のSBIホールディングスに対する買収防衛策を取り下げ、SBIの傘下に入る見通しとなった。買収劇の勝敗のカギを握ったのは、政府判断だ。この結末に至るまでにはSBIの周到な「天下り戦略」が透けて見える。  ことの発端はSBIが9月に突如、新生銀行の株式につき、金融庁の認可を得た上で、48%を上限に1株2千円という破格の金額で取得し、子会社化するという「株式公開買付(TOB)」の発表だった。  敵対的買収を仕掛けられた新生銀行の経営陣は反発。両者の溝が埋まらぬまま、新生銀行は10月21日、TOBへの条件付き反対を発表した。  だが、SBIが一切の歩み寄りを見せなかったため、新生銀行は、11月25日に臨時株主総会を緊急で招集し、買収防衛策(SBI以外の株主に1株あたり普通株0.8株を付与する新株予約権の割当)を審議する方向で調整していた。可決されれば、TOBが成立してもSBIの保有比率は最大30%程度にとどまり、SBIの買収工作を防御できるはずだった。  ところが、新生銀行は24日夕刻、SBIによるTOBに対抗するための買収防衛策を一転、取り下げ、臨時株主総会を中止すると発表した。この間に一体、何があったのか。そのカギを握ったのは政府判断だった。  政府は新生銀の前身で1998年に経営破綻した日本長期信用銀行に公的資金を注入した経緯があり、預金保険機構とその子会社の整理回収機構を通じ新生銀株を計2割超持つ。 「約2割の議決権を持つ政府が新生銀行の防衛策に賛成しない方針を示したことで、新生銀行の防衛策提案が否決される公算が高まり、取り下げざるを得なくなりました。新生銀行内ではこの政府判断に衝撃が走りました。SBIとの全面対決を回避し、協調的な姿勢に転じざるを得ませんでした」(金融庁関係者)  今回のSBIによる新生銀行のTOBに対する政府判断の背景を官邸関係者がこう解説する。 「今回の判断は北尾吉孝社長が長年、培ってきた政権幹部や金融庁との太いパイプが少なからず影響した可能性が高い。具体的にはSBIは金融庁、財務省などあらゆる省の幹部らを次々と天下りさせてきたことで、今回の政府判断に影響を及ぼしたことは否定できない。こうしたSBIによる大規模な天下り“工作”は、さすがにやり過ぎという声も出ています」  新生銀行はSBIが会長に推薦していた五味廣文元金融庁長官(元SBI社外取締役)ら役員の受け入れ、事業運営への協力にも合意。事実上、SBIの北尾会長の軍門に下ることになった。  AERAdot.編集部が入手した政府が作成したSBIグループへの再就職状況一覧によると、前出の五味氏だけではなく、元金融担当相の竹中平蔵氏、元財務省事務次官の福田淳一氏、元農林水産省事務次官の末松広行氏もSBIホールディングスの社外取締役に就任。他にも防衛装備庁長官、財務省財務官、総務省統括審議官、金融庁検査局主任統括検査官2人、金融庁監督局主任統括検査官、財務省関東財務局長2人、証券取引等監視委員会(SESC)統括検査官4人など計19人の「天下り」の名前がずらりと記されている。  経済産業省の官僚だった古賀茂明氏はこう語る。 「SBIグループへ天下り19人は、福田財務事務次官から金融庁の検査官レベルまで幅広く、尋常じゃない。すぐに天下らず、どこかをかませて受け入れるなど法にのっとっているでしょうが、逆に言えば、天下り規制はザルだということ。まず、人数で多すぎますね。しかもSBIを取り締まる立場の金融庁やSESCなど監督官庁からの天下りが多い。SBIは何を狙ってこれだけ多くの天下りを受け入れたのか。SBIは菅政権時代から地銀の再編を仕掛けており、そうした政治的な背景も考える必要があるでしょう。SBIへ金融庁、SESC職員の天下りがこれだけ多いという実態を見たら、誰でもズブズブの関係だと思うでしょうね。新生銀行の件でも、金融庁長官の五味さんをトップに送り込むには、裏ではいろんな調整があったのではないかと疑う人も多いと思います」  SBIは北尾社長が掲げる「第四のメガバンク構想」の中核に新生銀行を置き、資本提携を進める地銀との関係強化などにより企業価値を高めると買収の意図を説明する。 「SBIの北尾社長は天下り人脈を駆使し、今回の新生銀行買収、ひいては『第四のメガバンク構想』の前進により、金融業界における存在感と発言力を高め、さらには『大阪・国際金融センター構想』への足掛かりにしたいという思惑が透けて見える。SBI社外取締役を務める竹中氏が率いるパソナグループもこのセンター関連の業務を受託しています。金融業界の覇権の一端を掌握しようとしているのではないか」(前出の官邸関係者)  SBIは「第四のメガバンク構想」を掲げるものの、新生銀行が抱える約3490億円の公的資金返済の具体的な道筋は示していない。前出の古賀氏は警鐘をこう鳴らす。 「金融の世界も原発の世界と構造が似ています。電力も金融も規制が多く監督官庁が力を持っていますが、天下りを企業が受け入れることによってミイラ取りがミイラになってしまう。SBIがこうしてうまく立ち回ると他の金融業者も天下りを受け入れないと思うでしょう。政府は天下り規制の強化に踏み込むべきです」  SBIホールディングスは19人の「天下り人脈」に対するAERAdot.の取材に対し、こう回答した。 「SBIグループでは事業拡大に伴い年間100名を大きく超えるキャリア(中途)採用を実施しており、その前職は様々であります。ご質問の金融当局出身者に関しましても、他のキャリア採用者と同様に、それぞれの経験や能力、人間性等に鑑み、(中略)採用しているものであり、特段の意図があるわけではございません」(コーポレート・コミュニケーション部) (AERAdot.取材班)

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    21時間前

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    ショパン・コンクール出場の名大医学部生が語る ピアニストと医師の「二兎を追う」理由とは?

     世界3大音楽コンクールのひとつで、5年に一度開催される「ショパン国際ピアノコンクール」。先日行われた第18回大会では2人の日本人ピアニストが入賞したことは記憶に新しいだろう。世界各国500人以上の応募者から2度の審査を通過し、本大会に出場した日本人は14人。そのうちの1人、沢田蒼梧(さわだ・そうご)さんは、なんと現役の医学部生だ。学業とピアノをどのように両立させてきたのかを聞いた。 *  *  * 今年10月、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、1年遅れで開催された第18回ショパン国際ピアノコンクール。 「ショパン・コンクールはオリンピックのようなものだと思っていました。自分が出ることになるなんて考えもせず、すごい人がいるもんだなぁって」  今回、同コンクールに初出場を果たした沢田蒼梧さんは、子どものころの心境をそう振り返る。現役の医学部生でもある23歳のピアニストは、自身が「すごい人」の仲間入りをしたことを、思いのほか冷静に受け止めていた。 「でも、ピアニストにとってのコンクールは、発表の場ではあるもののゴールではないと考えています。ピアニストの本分はあくまで演奏会。今回のショパン・コンクールでは2次審査までしか進めませんでしたが、コンクールを通じてぼくを知った方が演奏会に来てくだされば嬉しいです」  ピアノを始めたのは母の勧め。2歳から通っていた地元の音楽教室で6歳から個人レッスンを受け始め、小学4年生からは全国規模のコンクールに挑戦するようにもなった。ピアノを弾くのは楽しかったが、あくまで習い事のひとつだった。  同じころ、ぜんそくの治療で通院していた小児科で優しく対応してくれた医師の姿を見て、医師への憧れも抱くようになっていた。  その後、中学受験を経て、東海地区で最難関と言われる東海中学校・高等学校へ進学。 「小学生のころから活字中毒で、読書が好きなんです。その延長線上で、勉強するのも好きで、中学受験してみようかということになったのですが、『勉強とピアノ、今からどちらもやれるようにしないと、中学に入ってから部活などできないよ』と親に言われ、受験期もそれまでと同じペースでピアノは続けました。ピアノの練習時間を作るために通塾はせず、四谷大塚の『予習シリーズ』を自宅で学習し、『週例テスト』だけ塾に受けに行きました。スケジュール管理は母がサポートしてくれました」 ■思春期にはピアノがイヤになったことも  受験期は両立できたピアノだったが、中学2年生のときにはやめようと思ったこともあったという。 「大きなコンクールに出るようになってからは練習時間を増やさざるを得なくて。友だちと過ごす時間もないし、所属していた卓球部にも十分参加できないこともありました。当時は思春期真っただ中。ピアノは趣味のはずなのに、なんでこんなに時間をとられるんだろうと、イヤになったんです」  だが、最後のつもりで出場したコンクールでの出会いが、改めてピアノと向き合うきっかけになった。 「出場したのはピティナ・コンペティションJr.G級で、当時のぼくにとってはレベルの高いコンクールでした。憧れていたお兄さん、お姉さんたちと同じステージに立てて、仲良くしてもらったことがとても嬉しかった。この人たちともう一回同じステージに立ちたいと決めてからですね、明確な意思を持ってピアノと向き合うようになったのは」  効率のいい練習方法がわからず、がむしゃらにピアノに向かった中高時代。平日は約6時間、週末は約10時間を練習に費やした。コンクールにもコンスタントに出場し、さまざまな賞を受賞する一方で、学校の成績は常に優秀で、中高6年間すべて総合成績1位で卒業。勉強とピアノの練習はどのように両立させていたのだろう? 「基本的に学校では授業に、家ではピアノに集中するようにしました。学校の授業や教材、先生方のレベルが非常に高く、学校の勉強を頑張るだけで受験にも対応できる力をつけられたのは中高一貫校へ通ったおかげだと感謝しています。ただし、定期テストはもちろん、小テストの類いもおろそかにせず、いつも満点を目指すように心がけていました。普段は帰宅してから寝るまでほとんどピアノを弾いていましたが、試験2週間前になると家でも少しずつ勉強時間を増やすようにしていき、1週間前からはピアノから離れ、試験勉強にぐっと集中するのがパターン。勉強の最中にふっと『あ、あそこ弾けなくなると怖いな』なんて思って、10分くらいピアノを触ることもありましたが」 ■「ピアノの練習環境」を最優先に、名古屋大学を志望  愛知県のトップ校とあって、同級生の多くは東大、京大などの最難関大学への進学を目指した。しかし、自宅を離れてはピアノの練習環境を整えるのが難しいだろうと考えた沢田さんは、自宅から通えることを最優先し、名古屋大学医学部を第1志望に。塾や予備校に通うことなく合格した。中学時代にピアノの恩師が言った「お医者さんをやりながらピアニストもできるんじゃない?」という何げない言葉は、ピアノと医学の勉強の両方にエネルギーを注ぎ続ける沢田さんの原点だ。 「医学部は医師志望の学生の集まりなので、ある意味すごく閉じた環境にならざるを得ません。音楽の世界でも同様なことが言えるでしょう。そんななか、もう一つ自分の世界を持つのはすごく健全なことだし、どちらかの世界で煮詰まったときには、もう一方の世界がいい逃げ場所になることもある。日本には『二兎を追う者は一兎をも得ず』ということわざがありますが、海外では『ダブルメジャー』という考え方は一般的です。追いかけたいことが二つもあるなんて幸せなこと。これから進路を考える人たちにとって、自分がひとつのモデルケースになれればという思いもあります」 ■環境と時代に恵まれたからこそ今がある  現在、医学部5年生。まだ専門は決めていないが、小児科や産婦人科、公衆衛生の分野に興味が出てきた。医学部生として忙しい日々が続くが、一方、来年1月に予定されているソロコンサートのチケットも完売。これからも学業とピアノを「両輪走行」していく。 「少し前に読んだマイケル・サンデル氏の『実力も運のうち 能力主義は正義か?』という本にも書いてあって共感したのですが、環境に恵まれ、時代に恵まれたからこそ、いま評価されている自分がある。本当にありがたいと思っています。ピアノにしても医師の仕事にしても、目の前にいる人が笑顔になって、幸福度が少しでも上がって帰ってくれる姿を見るのが一番好きだし、やりがいを感じる部分。これまで通り、目の前のことを一つひとつ丁寧にこなしていきながら、どちらもずっと続けていくのが夢です」 沢田蒼梧/さわだ・そうご1998年愛知県生まれ。東海中学校・高等学校を6年連続首席で卒業後、名古屋大学医学部医学科に進学。ピアノは15歳から関本昌平氏に師事。2015年ピティナ・コンペティションG級金賞、18年ジュネーブ国際音楽コンクール最年少ベスト16入選。第18回ショパン国際ピアノコンクール本大会に出場し、2次審査まで進んだ。 (文/木下昌子)

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

    週刊朝日

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    Sexy Zoneらしさとは「予定不調和」なところ メンバー4人が自己分析

     Sexy Zoneが11月16日にデビュー10周年を迎えた。セクゾメンバーが連載中の小中学生向け月刊誌「ジュニアエラ」12月号では、10周年を記念して、メンバー4人に「Sexy Zone」という存在について、メンバーたちのそれぞれの思いを聞いた。質問は、(1)10周年を経て発見したことは? (2)セクゾらしさとは? (3)今年「更新」したこと (4)「未来」と聞いて何を連想する? (5)最近感じた「ハッピー」は? *  *  * 【佐藤勝利くん】 (1)Sexy Zoneって自分たちだけのものじゃないんだなって改めて感じました。ものすごく愛をもって皆さんに10周年を祝ってもらえるのがうれしい一方で、10年を重ねた説得力が追いついてないなとか、今5人じゃないしとか、歯がゆさもあったりして……。時に5人のものだけであってほしいと思う瞬間もありますけど、それはまあ泣き言かな(笑い)。 (2)予定不調和なところ。5人が調和せずに響き合って独自の和音を奏でているのが「らしさ」であり強みだと思う。ずっとそう思ってきたけど、そう言えるようになったのは最近ですね。 (3)舞台かなぁ。楽しかった! ま、もともと舞台の人間なんで……フフ。そう言えるまで10年かかったけどね。 (4)まだ起きてないことだから、どんな夢も描けるな、と。25歳なので、もうちょっと何にでも挑戦できる時間があると思ってます。 (5)やっぱり舞台かな。転換期になると感じました。僕が演じたユージンの最後のセリフは「突き進むのだ」。千秋楽の日、この舞台は終わるけど、僕にとっては新たなスタートが始まる日だな、とも思いました。聡くんともいい形で共演したいです。 【中島健人くん】 (1)外から見えるグループの印象が変わってきたのを感じる。「みんな大人になってきてすごくいいよね」ってよく言ってもらうんだけど、中の人間としてはまだ完全にはそう思えないというか……。ただ、普段はテロテロのTシャツを着てても、外に出るときはスーツを着るでしょ? あ、イメージとしてね。その生地がみんな上質になってきたのは感じる。ここ1年のメンバーの活躍はすごかった。菊池も勝利も聡ちゃんも舞台で発光してたもん。誇らしかったよ。 (2)「ONE PIECE」ではなく「ドラゴンボール」。同じ船に乗って仲良く冒険するより、一人ひとりが最強を目指してたらいつのまにか一つの場所に集まってた、みたいな。最終的には束でも強い、個でも強いグループになれると思う。 (3)演技かな。今までどこか形をつくっちゃってたけど、カメラの前で感情を素直に表現できるようになった。 (4)学ぶこと。俺、男として33歳で完成すると予想してるんだよ。ここからの数年に期待してほしい。 (5)欲しかったコーヒーメーカーが届きまして(自慢げに)。毎朝、豆からひいて飲んでます。至福のひとときです。 【菊池風磨くん】 (1)デビュー当時の「あんなことあったよね」の記憶がメンバーによって違うこと。自分の中での強烈な思い出をみんなが覚えていなかったり、逆もあったり。10周年の取材を受けるなかで気づいたその現象が面白かった。 (2)もともと僕らはジャニーさんに「それぞれがソロみたいな気持ちでやって」と言われていて。個々に活躍しつつ、5人が集まったときの化学反応をお見せするグループというコンセプトがあったんです。「YOUたちはたのきんトリオだよ」って何度も言われたから(笑い)。図らずも、やっとそれが形になってきたかな。グループという基盤があるからこそ個人の仕事が広がってると思えるし、僕も含めて未完成だけど、成長の過程をお見せすることも魅力になるグループだと思います。 (3)全部。今年は特にいろんなことをやらせてもらってビックリでしたけど、自分では毎年「総合的に見て去年より超えてるな」と思ってます。 (4)大きい家と大きい犬。この先10年で手に入れたい。そう思うと日々楽しいじゃないですか。 (5)友達の結婚とか出産が増えた。手放しで喜べる明るいニュースです。 【松島聡明くん】 (1)10周年に絡んで、いろんな質問をしていただいて答えていくうちに「ホントに10年経ったんだ」とか、その重みをじわじわ感じてきたかな。あと、ネガティブなこともポジティブに置き換えて考えられるようになりました。 (2)僕らが気づいてないところにあると思う。ファンの子が見つけてくれるものかな。 (3)ずっと自分のキャラがわからなくて、それに悩んでいた時期もあったんだけど、やっとキャラなんてつくる必要ないんだと思えるようになりました。誰かになる必要なんてないんだよね。松島聡として自然に過ごすうちに、みんなが決めてくれるものだと思う。10周年以降は知名度を上げて、もっと多くの人に認知されて「聡ちゃんてこうだよね」みたいなものが決まっていけばいいな~と思います。 (4)お客さんがマックスに入っているライブの光景。ファンのみなさんに会いたい! (5)舞台を経験して世界が広がったこと。勧められて初めて劇団四季を見にいったりもしました。ミュージカルにも挑戦したい。勝利もミュージカルが好きだから「一緒にやってみたいね」とか話しています。 (ライター・大道絵里子) ※月刊ジュニアエラ 2021年12月号より

    AERA

    17時間前

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    ポールが涙目で口にした「ビートルズ解散」と最後の挨拶

     ドキュメンタリー作品「ザ・ビートルズ:Get Back」3部作の配信が、11月25日からディズニープラスで始まった。一足先に視聴したビートルズファン歴45年のライターが、レビューする。 *  *  *  50年前の出来事を、当時撮影した映像を編集してよみがえらせた計3部、8時間の大長編が、こんなにスリリングなドキュメンタリーになるなんて、やはりザ・ビートルズのマジックなのだろうか。  ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター。英リバプール出身の若者4人で結成され、1962年にレコードデビュー、自作自演の斬新な楽曲と言動でポピュラー音楽の歴史を変えた奇跡のバンド。70年4月に解散したが、半世紀たつ今も、怪物的な人気を持つ。  ことの始まりは、妻のシンシアと別れヨーコ・オノと愛し合うようになったジョンのソロ活動がバンドの枠を越え、「解散説」が飛び交うほど活発化、それにポールが危機感を持ったことだった。「ヘイ・ジュード」のプロモーションビデオを制作したマイケル・リンゼイ=ホッグ監督と組み、69年1月18日にビートルズが新曲を披露するテレビショーを企画、新曲を練り上げる様子も盛り込むことにし、撮影班がスタジオでメンバーに密着することになった。  セッションは69年1月2日に始まり、テレビショーはジョージの大反対で中止されたものの、撮影は最終日の31日まで続けられた。「ゲット・バック」「レット・イット・ビー」「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」などのリハーサルやレコーディングを撮影した映像は57時間、音源は150時間。これを素材にリンゼイ=ホッグ監督がつくったのが70年5月公開の映画「レット・イット・ビー」(80分)だ。 「ロード・オブ・ザ・リング」で米アカデミー賞を受賞した、筋金入りのビートルズファンであるピーター・ジャクソン監督が、この膨大な映像と音源を使って新たに編集したのが今回の「ザ・ビートルズ:Get Back」である。前の映画「レット・イット・ビー」の映像はほとんど使われていないようだ。  前書きが長くなったが、ビートルズものの本や映像をあさってきた長年のファンとしては、「こんな宝の山が残されていたのか」と驚きだ。  順調にスタートしたかに見えたセッションだったが、映画撮影用のスタジオで朝から新曲に取り組むことになったジョンやジョージは不満を募らせる。セッション3日目の4日、ギターの弾き方を指示するポールにジョージが激怒、「君が弾けというようにやるさ、弾くなというならプレイしない」と怒りをぶつけた。10日には、自分の曲がまともに取り上げられないことなど積年の不満が爆発、スタジオを飛び出してしまう。  ジョンは「ジョージが戻らないならエリック・クラプトンを後釜に入れようぜ」と皮肉るが、4人がそろってこそのビートルズ。だが週末にジョージの家で行われた話し合いもうまくいかなかった。  ジョンとポールの心のうちが赤裸々に描かれる。  13日、ポールはジョン不在のスタジオで、リンゴや恋人リンダ(2カ月後に結婚)、リンゼイ=ホッグや親しいスタッフらに疲れた様子で語りだす。グループそっちのけで、スタジオでも片時も離れないジョンとヨーコのことだ。 「ジョンはヨーコとずっと一緒にいたいんだ。ヨーコとビートルズのどちらを取るかと迫ればジョンは彼女を選ぶだろう」  ツアーでいつも一緒だった時代はジョンと曲を熱心に共作していたが、ツアーをやめて離れて暮らすようになると、親密さが失われたとポールは言う。 「ジョンとヨーコはやりすぎだが、もともとジョンは極端だろ。分別を取り戻せと言っても無駄さ。口をはさむことじゃない。たぶん僕らには(規律を正してくれる)父親のようなまとめ役が必要なんだ」  テレビショーは延期したいというポールは、ショーの新たなアイデアとして、ビートルズの曲の合間に最新のニュースを放送することにし、最後に「ビートルズ解散」を速報で流すのはどうかと言って笑った。  ポールは目を潤ませていた。  ジョンが電話に出ているというので、ポールは席を立った。  その日(1月13日)の昼食時、スタジオに遅れて来たジョンは、食堂でポールと二人だけで話す。映像はないが、花瓶に録音マイクが仕掛けられていた。  ジョンが舌鋒鋭く言う。 「ジョージは(ビートルズでは)満足感が得られないと言っている。僕らが彼の傷が膿むのに任せ、さらに傷つけたからだ」 「君は僕にも指示する。後悔してるのは、君が曲を違う方向にもっていくのを許したりしたことだ」  それに対しポールは、 「そこが問題なんだ。君は自分の曲で指示できる時も何も言わない」  と反論。  ジョン「君の提案を断る自由をくれ。いい提案は頂くから。曲のアレンジもそうだ。嫌なんだ。うまく言えないが」「君はポール様だからな。正しいときもあるが、間違える時もあった。みんなも同様だ。もうビートルズはただの仕事になっちまった」  ポール「僕はジョージが戻ってくると思う。もし戻らなければ新たな問題発生だ。年を取れば、みんなで歌えるさ」  2人はまたジョージと話し合うことにし、15日に会合を持った。ジョージはテレビショーの中止とアルバム制作を復帰の条件に挙げ、他のメンバーはそれを受け入れた。  このころ、ジョンがひどいヘロイン依存になっていたことが、今では知られている。ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソンらロック史に残る多くの面々が薬物で命を落とした。薬物が原因かはわからないが、ジョンがカメラの前でおかしな言動(「マスターベーションをやれば近視になる」などと口走る)を見せ、ポールがハラハラした様子で「君はまともじゃないぞ」とささやく場面も。  もともとビートルズの実質的なリーダーはジョンだった。ジョンはポールより二つ、ジョージより三つ年上(最年長のリンゴはデビュー直前に加入)で、10代半ばのジョンのバンドにまずポールが、次にジョージが入り、バンドとして整っていく。ビートルズと名付けたのもジョン。下積み時代、 「俺たちはどこまで行くんだ?」  とジョンが叫ぶと、 「トップのトップだよ、ジョニー」 とポールやジョージが応じて励まし合った。何と言ってもジョンは頼れる兄貴分だったのだ。デビュー初期はジョン主導で作られた曲や、ロック歌手として抜群の力を見せつけた曲が多かった。  ところが中期になると弟分のポールが才能を開花させ、一方でジョンは曲作りに苦しむようになる。後期のシングルの大半はポールの曲で、69年1月のこの映像でも、スタジオに来たポールが毎日のように新しい珠玉の楽曲の数々をピアノで披露している。この時期、彼は質量ともに恐ろしいほどの、創作力の絶頂にあったのだ。  何より音楽が好きなキュートな仕事師と、その思うようにやりたがる傾向を押しつけがましいと感じるようになったカリスマ的兄貴分。二人の関係は強いきずなで結ばれつつも、微妙で難しい水位に達していたのだ。  20日、ビートルズはだだっ広くて寒そうだった映画撮影スタジオを離れ、本拠地アップルビルの地下スタジオに移り、レコーディングに着手する。バンドは一気に活気づき、ジョンのはつらつぶりは見違えるようだ。メンバー個人が作ってきた曲がスタジオに持ち込まれ、みんなでやりとりしながら歌詞やメロディーを仕上げていく。見ているだけで心躍る光景だ。  自分の意見を通して復帰したジョージも積極的に関わる。28日、自身の代名詞となる名曲「サムシング」を披露。思いつかなくて半年も苦労しているという歌詞の一部をジョンとポールに相談した。29日にはジョンに、 「曲がたくさんできたので、ソロアルバムを出したい。ビートルズとしての活動も、その方がやりやすくなる」  と意欲を伝えた。ソングライターとして大きく開花しようとしていたジョージ。ジョンとポールの弟分に甘んじることは難しかったようにも思える。  グループ解散に決定的な影響を及ぼす人物の影を、ピーター・ジャクソンの編集は忘れない。ニューヨークのビジネスマン、アラン・クライン。22日夜に会い、深夜まで語り合ったジョンはクラインにほれこみ、28日、「本当にすごい男だ」とジョージに伝える。「これからクラインが来るぞ」とジョンはワクワクしている。  29日、現場でセッションを仕切った一人、グリン・ジョンズがジョンとヨーコに「クラインは頭がいいが変わった男」なので警戒するようアドバイスするが、ジョンは沈黙。後にセッションの音源を素材にジョンズがつくったアルバム「ゲット・バック」が2度にわたり棚上げされたのも、このときのことが影響したのではないかとの説もある。  クラインは5月、ビートルズのビジネス管理を担う契約を結び、ビートルズの会社アップルの経営を事実上握る。ただ一人拒否したポールは孤立し、グループは修復困難な内紛に突入していくのだ。  8時間のドキュメンタリーは、1月30日のアップルビル屋上でのライブ演奏でクライマックスに達する。42分間、ノーカットで4人の姿を見ることができる。それまでの不和や対立、争いの数々も、すべて洗い流したような(そんなことはないだろうが)圧倒的なパフォーマンス。年季の入ったビートルズファンなら、 「生きててよかった」  と思わずにはいられまい。目と目を見合わせ、ニヤッとうなずき合うジョンとポール。見ているこっちもうれしくなってくる。  ドキュメンタリーの終わり、ジョンが「おやすみ、ポール」と声をかけると、ポールが「おやすみ、ジョン」と返す。別なカットを組み合わせて構成されたこのシーン、不世出の奇跡のバンドをけん引した二人への敬意と愛情を、ピーター・ジャクソンが表しているかのようだ。  ワイングラスを手に微笑むジョージの映像も。ジョンとジョージはもうこの世にいない。(ライター・小北清人) ※AERAオンライン限定記事

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    巨人・中田翔の“大幅減俸”は必至 高額だった年俸はどこまで下がるのか

     巨人・中田翔にとって“勝負のオフ”がやってきた。選手として来シーズンへ向けた巻き返しとともに、大幅減俸も予想される契約更改も待ち構えている。  途中加入にも関わらず、今シーズン低迷した球団のシンボルのような存在になってしまった男は、この先どのようにチーム内で扱われるのだろうか……。  中田は今シーズン、日本ハムで後輩選手への暴力事件を起こし、その後巨人が引き取る形でトレード移籍した。周囲からの厳しい批判もあった中で入団早々から試合に出場したがシーズン最後まで期待に応えることができなかった。巨人移籍後は34試合に出場し、打率.154、3本塁打、7打点。ヤクルトとのCSファイナルステージでは、3試合目の9回2アウトから代打で出場し、明らかなボール球に手を出して空振り三振。今季を象徴しているような不甲斐ない幕切れとなった。 「良い打者だから大きな期待をしていた。しかし状態が悪いまま時間だけが過ぎチームも下降線を辿った。身体の調子も良くないという話もあったがすべてが上手くいかなかった。今のままでは来年も同じになるからオフの間に心技体をしっかり整えて欲しい。頼れるのは自分しかいない」(巨人OB) 「獲得自体に賛否両論があったのは事実。やってしまったことは良くないし移籍の過程などに納得いかない人がいるのも理解できる。でも結局のところプロは結果で取り返すしかない。結果を出していれば周囲を黙らせることもできたと思うのですが……。来季に関して球団内を含め誰もが注目しているはずです」(巨人関係者)  前所属の日本ハムが無期限出場停止の処分が下されたのにも関わらず、巨人移籍後は即座に試合に出場した。一連の経緯が明確ではなかったため世間の逆風が吹き荒れた。また高額な旧年俸を引き継いだ契約条件も大きな話題になった。  中田は今年が日本ハム時代に結んだ3年契約の3年目で、年俸は3億4000万円(以下金額は推定)。巨人は参稼報酬(年俸)期間となる2月1日から11月30日までのうち、移籍決定後の8月20日から11月30日までの103日分を日割り計算して支払うこととなった。巨人が支払う額は約3分の1に当たる約1億1500万円ほどだ。 「結果だけを見れば高すぎる。獲得自体がギャンブルだったから。タラレバになるが大活躍をしてCSを突破し、日本シリーズに進出できていれば安い買い物だった。複数年契約は今年までだから今オフは年俸を大幅に下げ、単年契約で本人に自覚を持たせないとダメ。そこまで徹底しないと中田自身が野球選手として終わる。中途半端な処遇では他選手だって納得いかないだろうしね」(巨人OB) 「原辰徳監督や編成部がどのように判断するか。昨年は108打点で打点王を獲得したものの、これまでケガに苦しむ年もあり、年間通じての出場と活躍は期待できないという声もある。減俸は当然だが、どのくらいになるかに注目が集まります。チーム全体の士気にも関わることで今オフ最大の関心ごとになります」(巨人担当記者)  今季は日本ハムと巨人でトータル73試合に出場。打率.177、7本塁打、20打点(日本ハムでは39試合に出場。打率.193、4本塁打、13打点)と大幅に成績が落ち込んだ。不祥事もあり、精神的なダメージの影響などもあったのは間違いないが、球界を代表する強打者の成績としてはあまりにも物足りない。また過去に左第5中手骨の亀裂骨折(13年)、右内転筋筋挫傷(17年)、右手母指球部挫傷(19年)など故障での離脱も少なくなかった。今年も急性腰痛で6月にチームを離脱している。コンディション面での不安も大きく野球協約の減額制限(元の年俸1億円を超える場合は40%)を超えての減俸になることは避けることはできないだろう。  過去に巨人では15年オフに杉内俊哉が5億円から5000万円へ90%の大減俸があった(この時は右股関節の手術をしたばかりで翌年に復帰が見込めないためだった)。その他にも高橋由伸が11年オフに3億5000万円から1億7000万円(51%減)、小笠原道大が12年オフに4億3000万円から7000万円(84%減)、中島宏之が19年オフに1億5000万円から2000万円(87%減)というケースもあった。 「年俸3億4000万円から減額制限40%減の2億400万円は確実。過去の例を見ても場合によっては1億円台前半ということすらも考えられ、中田にとって厳しいオフとなるでしょう。しかし全権を任される原監督の期待と信頼は変わらない。開幕に向けて一塁や外野でチャンスは与えられるはず。そこでレギュラーに定着し、シーズンで結果を残せば来オフに減額分も取り返せる。中田にとってここからが勝負です」(巨人担当記者)  今季はキャリアで最悪のシーズンとなってしまったが、来季の年齢は33歳と打者としては円熟期を迎えている中田。かつて侍ジャパンの4番を任された大砲がこのままキャリアを終えることはないはずだ。ここから再び球界を代表する打者として活躍する姿を見せてくれることに期待したい。

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    11時間前

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    人目をはばからず号泣  夫をノコギリで殺害した76歳女性の裁判傍聴記に寄せられた一通の手紙

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、ある事件をめぐるできごとから、女性に対する暴力とは何かを考えた。 *   * * 今年3月、76歳の女性が夫をのこぎりで殺害したと自首したニュースが流れた。警察では「長年の恨みがある」と語っていた。事件発生時からすぐ、なぜ凶器にのこぎりを選んだのかが気になり、9月に始まった横浜地裁での裁判を傍聴した。その傍聴記を『週刊女性』に寄稿したところ大変な反響があった。その多くが「彼女は私だ」というものだった。夫からのDVやモラハラの末に夫の死を願うように生きている女性は決して少数ではなく、なかには、私に直接手紙を送ってくださる読者もいた。  事件はこのようなものだった。  女性は50年にわたって夫からのDVに苦しみ続けた。夫は毎晩のように酒を浴びるように飲み、「クソババア」「バカか」などの暴言を吐いた。生活費も十分に渡さず、女性が頭を下げてようやくわずかをよこすだけ。女性はスーパーのレジ係や、清掃の仕事などをして子供2人を育てた。  子供たちが成人する頃に1度は離婚が成立した。しかし、離婚数年後にアルコール依存症になった元夫が栄養失調で倒れ介護が必要になってしまう。アルコール依存症患者を受け入れる介護施設は限られており、また長期の入院を負担する経済的余裕もなかった。  親戚づきあいは一切なく、結局、女性が自宅で介護するしかなかった。子供2人に迷惑をかけられないという思いで、女性は男性と再婚する道を選ぶ。これが地獄の始まりだった。  オムツを替えても夫はありがとうの一つも言わず、相変わらず女性をののしるような日々だった。やがてオムツは不要になるが、夫は自室に引きこもってしまう。部屋を出るのはトイレに行くときのみで、風呂も入らず、顔も洗わず、歯も磨かず、下着も替えない。雨戸を閉め切った部屋で一日中テレビをつけゲラゲラと笑い、時に奇声をあげた。そんな生活が17年間続いたのだ。  2020年10月、通院した病院で女性は肺に影があると言われた。もしかしたら自分が先に逝くかもしれないという不安は、女性を十分に追いつめただろう。精神疾患を患う息子が通院のために月に一度不在になる日を選び、女性は夫の上に馬乗りになりのこぎりで首をひいた。生きがいだった娘の子供たちとの時間もコロナ禍で制限されるなか、孤独と絶望に追いつめられた末の犯行だった。  なぜ、のこぎりだったのか。  当初私は、男性に対する強い恨みの表れだと信じていたが、現実は全く違うものだった。女性の家には包丁がなかったのだ。確実に殺せる刃物が、のこぎりしかなかったのだ。  母親の減刑を願う娘が証言台に立った日、「子供の頃に父母のけんかを止めに入ったとき、父親に包丁を向けられたことがある」と話した。それが原因だったかは分からない。それでも、DV家庭で包丁を隠したり、包丁を捨てたりすることは決して珍しいことではない。裁判官たちは女性が殴られたことがあるのか、けがをしたことはあるかなど暴力の頻度などを確認しようとしていたが、泥酔し暴言を吐きモノを投げたり包丁をちらつかせたりする男が既に凶器なのだ。  被告席に座る女性は、額を自分の手で殴り、足をじたばたさせ、「できないよー」とうめき続けた。明らかに裁かれるような精神状態ではないはずだったが、裁判官は女性を抜きに裁判を続行することを決め、結果的に8年の実刑を科した。近年、介護疲れの果ての殺人には執行猶予がつくケースが多いが、裁判員らは女性の受けた被害の重さには注視せず、「介護はしていない」という理由から執行猶予をつけなかった。  この事件について書いた記事を読んだ女性から手紙が届いたのは、3週間ほど前のことだ。そこには美しい字で、こういうことが記されていた。 「たまたま郵便局での所用を済ませたところ『週刊女性』が目に入りパラパラとページをめくりこの記事を読んだ。人目をはばからず泣いた。私と全く同じだ。私も夫の死だけを考える日を送ってきた。この記事を読み、初めて行政に相談に行った。私はもうすぐ殺人者になるかもしれなかった。夫に全て盗られてほとんどないお金から一冊『週刊女性』を買った。本当は100冊買いたいと思う。人生をとりもどすぞ!」  人生をとりもどすぞ!  その一文を読み、私こそ、人目をはばからずに号泣してしまった。こんな思いで生きている女性がどれだけいるだろう。包丁を夫の目から隠すように生活をしている人。ずっと心を殺されてきて、夫の死を願うことでしか未来が描けないほど追いつめられている女性。小さな子供を抱え途方に暮れている人。たとえ夫から逃げられたとしても経済的にどう生きていけばいいのだろう……と絶望の淵に沈む人。  11月25日は女性に対する暴力撤廃の国際デーだった。この日を象徴するパープルの色をまとい、全世界で声があげられた。暴力は拳の力だけを意味するのではない。経済的に支配し、性的に支配し、感情を支配し、心を殺していく暴力がある。そのような暴力に名がつけられたのは、決して遠い昔の話ではない。日本でDV防止法が施行されてから今年でちょうど20年になる。DV防止法が施行されてもなお、救われることのなかった多くの女性たちがいる。  夫をのこぎりで殺害した女性は裁判長に「後悔していますか?」と聞かれ、視線の定まらない様子でふらふらしながらも、小さい声でこう答えていた。 「悪いことをしたが、後悔はしていない」  夫の死でしかこの暴力を止めることはできなかった。そこまで1人の女性を追いつめた暴力の正体を、私たちは捉えているだろうか。撤廃するための知を、力をもっているだろうか。そのことが、今、改めて問われているのだと思う。 ■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    13時間前

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    マイホームは「子ども部屋なし」がトレンド?! 勉強部屋に風呂なしアパートを借りる賢い選択

     晩婚化に伴い、マイホーム購入の平均年齢が上がっている。金融機関が貸してくれる時代とはいえ、ローンは早めに完済したほうがベターだ。それでも人生は予期せぬことが起こりうるもの。リアルな事例や最近の不動産事情を探った連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。今回は、20代で計画的に戸建てを購入した夫婦の事例を検証する。 >>【前編:家を買うのが早すぎた?「子ども部屋を見ると悲しくなる」 戸建て購入37歳共働き夫婦の後悔 】を読む *  *  *<30代後半Aさん夫婦のケース>10年前に27歳で神奈川県の郊外の住宅地に戸建てを購入。広さを優先した分、利便性は犠牲にして通勤は片道1時間半かかる。ローンの返済は順調だが、予想外だったのが、がんを患ったこと。子どもが授かりにくくなってしまい、せっかく作った子ども部屋を使用する予定はないという。 ◆ 80歳までローン返済…早い段階で購入することは“正解”    Aさん夫婦の事例をライフプランという視点から考察してみよう。ローン完済までの余裕が生まれ、返済計画も安定しやすいことから、早い段階で家を購入すること自体は間違っていない選択だ。  今は晩婚化の影響もあり、家を買う年齢が上昇傾向にある。最新の住宅市場動向調査(令和元年度・国土交通省住宅局)によれば、初めてマイホームを購入する人(一時取得者)の平均年齢は、注文住宅が39.1歳、分譲戸建住宅が36.8歳、分譲マンションが39.4歳、中古戸建住宅が42.8歳、中古マンションが44.8歳と、40歳前後。これに伴い、住宅ローンの完済年齢も上がっており、以前は最長70歳までが一般的だったところが、現在は最長80歳まで延長して設定している金融機関が増えている。 仮に40歳で家を買うとなると、35年ローンを組めば完済が75歳と定年退職後の年齢になる。大手不動産会社出身で、住宅購入における資金計画に詳しいファイナンシャルプランナーの飯田敏さん(FPフローリスト)は言う。 「家の購入年齢が上がるに伴い、一昔前までは住宅ローンを『遅くとも65歳には完済したい、できれば60歳までに返したい』という人が多かったのが、最近は『遅くとも70歳には完済したい、できれば65歳までに返したい』に変わってきています。借入額を増やすためにも、35年の最長期間でローンを組む人が多いですが、繰上げ返済を計画的にしていくことで、なるべく現役のうちに完済することを目指す人が多い」  また、Aさんのように病気になるのも、誰しもが抱えるリスクだ。銀行で住宅ローンを借りて家を買う場合には、債務者が死亡または高度障害に陥ったときに返済が不要になる団体信用生命保険(以下、団信)に加入する必要がある。通常の団信は、病気にかかったときの保証はないが、がん、脳卒中、急性心筋梗塞の三大疫病型特約付の団信や、三大疫病に重度慢性疾患を加えた八大疫病型特約付など、病気や怪我を保証する団信のバリエーションが広がっている。 なお、多くのがん団信の加入上限年齢は、46歳以下と設定されている。Aさんの場合、債務者が死亡または高度障害に陥ったときのみの通常型の団信加入であったために保険金の支払い対象とはならなかった。仮にがん団信に加入していたら、がんと診断された時点で、団信に加入している保険会社からローンを借りている銀行に保険金が支払われ、ローンの債務がゼロになっていただろう。 「まさか自分が病気にかかるなんて思いもしなかった。あの時、がん団信に加入していたら……と、どれだけ悔やんだか分かりません」(Aさん) ◆ 自宅は子ども部屋ナシ 勉強部屋を借りる世帯も  飯田さんは、早い段階で購入に踏み切ったAさんの選択自体は「良い選択だった」としながらも、“妊娠前から子どものための部屋を構える”という点については「少し早まったかもしれない」と指摘する。 「リスクの想定は線引きが難しいですが、想定外のことが起こるかもしれないという可能性を踏まえると、『必要が生じたときに、必要に応じて動く』という視点のほうが『こんなはずじゃなかった』ということになりにくい。病気にかからずとも、子どもを授かれないという例も珍しくありません。また結婚することを前提に新居を購入した人が、実際は結婚に至らなかったというケースもままあります」  この「必要が生じたときに、必要に応じて」という観点は、不動産の視点に置き換えても応用が効く。例えば「子ども部屋」について。「子どもに個室が必要な期間というのは、意外と短い」とは前出の後藤さんだ。小学校低学年のうちは、個室があっても、家族のいるリビングで宿題をするケースも多いことや、大学入学を機に一人暮らしをする例も少なくない。  仮に小学3年生から高校卒業までが個室が必要な期間とすると、合計10年だ。都心では50~60平米の空間で、家族3~4人が暮らす例も珍しくはない。この10年のために、限られた空間の中で子ども部屋を設けるかどうか悩む人も多いという。これまで6千件を超える不動産取引を行ってきた不動産コンサルタントの後藤一仁さんは次のように言う。 「今はその辺りを合理的に考えて、子どもの勉強部屋用に、自宅近くのアパートの一室を賃貸で借りるケースも見られます。勉強用に借りる部屋ですから、狭くて風呂なしでも十分。また子ども部屋が必要な期間だけ、自宅を定期借家として人に貸して、家賃を元手に家族全員で広めの賃貸住宅に移るというケースも少なくありません」  多くの人にとって、人生で一番高い買い物とも言える住宅購入。想定通りに事が進むことばかりではないのが人生だが、家の選び方や買い方には思わぬ落とし穴もある。後の人生を左右すると言っても過言ではない住宅選びだからこそ、後悔しないためのコツを身につけておきたい。(松岡かすみ) >>【前編:家を買うのが早すぎた?「子ども部屋を見ると悲しくなる」 戸建て購入37歳共働き夫婦の後悔 】を読む

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    コロナ新変異株オミクロン株国内初確認 日本のワクチン追加接種で女医が疑問に思うこと

     日々の生活のなかでちょっと気になる出来事やニュースを、女性医師が医療や健康の面から解説するコラム「ちょっとだけ医見手帖」。今回は「新変異株とワクチン3回目接種」について、NPO法人医療ガバナンス研究所の内科医・山本佳奈医師が「医見」します。 *  *  *  欧米諸国で再び感染が拡大している新型コロナウイルス感染症。イギリスの保健当局によると、イギリスの新型コロナウイルス感染症の感染者数は11月25日時点で、累計1,002万1,497人になりました。ヨーロッパにおいて、累計の感染者が1,000万人を超えるのは初めてのことだといいます。アメリカは累計4,812万人を超え、11月中の新たな感染者数の7日間平均は7万2,000人から9万6,000人となりました。今年の6月には1日あたりの感染者数が1万人以下まで低下していたものの、再び感染拡大していることを受けて、11月26日、ニューヨーク州では非常事態宣言が再び発令されました。   ここにきて不安なニュースはやはり、11月中旬ごろに見つかった新型コロナウイルスの新たな変異株「オミクロン株」ではないでしょうか。世界保健機関(WHO)は26日、南アフリカなどで新たに見つかった新型コロナウイルスの変異型を最も警戒レベルが高い「懸念される変異型(VOC)」に分類しています。  11月26日に欧州ではベルギーで初の感染者が確認され、すでに欧州に国々やカナダ、そして日本でも感染が確認されました。欧州の多くの国では、アフリカ南部からの渡航制限がすでに始まっています。日本でもアフリカの9カ国を水際対策強化の対象国に追加することを発表し、水際対策の強化が始まりました。30日現在、米国では、まだ「オミクロン株」の流入は確認されていません。しかしながら、米国立アレルギー感染症研究所(NIAID)のファウチ所長は27日、ナショナル・ブロードキャスティング・カンパニー(NBC)の番組で、新型コロナウイルスの新たな変異株「オミクロン」が米国に既に流入している可能性はあると述べ、「われわれはまだ検出してはいないが、このウイルスがこれほどの伝染性を示す状況では、オミクロン株はほぼ必ず最終的には全体に広がっていくだろう」との見方を示しています。  新型コロナウイルスワクチンを製造・供給しているPfizer/BioNTech社は、変異株オミクロンに対応するようワクチンの手直しが必要かどうかを決める更なるデータは、早ければ来月初めまでに揃うこと、また必要であれば変異株向けに修正した新たなワクチンを100日もあれば出荷しうるだろう、との見解を11月26日に発表しました。Moderna社もオミクロンへの対応にすでに着手しており、オミクロンに特化したワクチンの開発を急いで進める予定だといいます。また、先立って試験が進んでいる変異株向けのワクチンや、すでに認可済みのワクチンの高用量投与がオミクロンにどうかの検討も進めていくといいます。   欧米を中心とした感染拡大を受け、世界各国では3回目の追加接種も進んでいます。アメリカ疫病予防管理センター(CDC)はこれまで、Pfizer/BioNTechとModernaの新型コロナウイルスワクチンの3回目の接種の対象を、65歳以上の人と、18歳以上で重症化リスクの高い人や感染リスクの高い職場で勤務している人としていましたが、認可済みのいずれかのワクチン接種を済ませた18歳以上の成人だれもが、Pfizer/BioNTechやModernaの新型コロナウイルスワクチンの追加接種を可能にすることをアメリカ食品医薬品局(FDA)が取り急ぎ認可したことを受けて、CDCは2回目の接種を終えて6か月がたった18歳以上の人に対し、3回目の接種を推奨することを正式に発表しました。ちなみに、Johnson & Johnson(J&J)のSARS-CoV-2ワクチン接種を済ませた18歳以上の成人は、その接種を終えてから2カ月以上経過していれば、Pfizer/BioNTechやModernaのワクチンの追加接種が可能となりました。  フランスでは、ワクチン2回接種完了者は11月25日時点で人口の69.4%と、欧州では比較的高い方ではあるものの、同日の新規感染者数は3.3万人と感染拡大がみられています。そこでフランスでは11月25日、新型コロナウイルス感染の第5波到来を受けて、新型コロナウイルスワクチンの3回目の追加接種(ブースター接種)について、2回目接種からの間隔を6カ月から5カ月に前倒しするとともに、11月27日から対象者を現行の65歳以上から18歳以上の成人全員に拡大することが発表されました。  一方、日本はどうでしょうか。幸い、11月27日時点の新規感染者数は120人と、新型コロナウイルスの感染自体はどうも落ち着いているようです。私自身、外来診療でPCR検査を粛々と行っていますが、最近「陽性」を見かけることは滅多にありません。11月25日時点で、2回目のワクチン接種を終えた人口は76.9%に達しています。2回の接種率は主要7カ国(G7)の中で日本が首位になりました。しかし、忘れてはいけないのが、接種開始はG7の中で最も遅く、最も早かった英国と比較すると約2カ月も遅れたと事実です。3回目の追加接種もすでに遅れをとっています。  すったもんだしたようですが、結局は8カ月以降でないと3回目の追加接種を打てないことが決まってしまいました。医療機関や高齢者施設でクラスターが発生した場合などに、例外的に、2回目の接種から6カ月に前倒しできるとする基準も示されました。クラスターが発生しないようにするために、2回目の接種から時間が経過し、抗体が落ちてしまっている人から3回目の追加接種すべきだと言うのに、クラスターが発生した場合に限って、6カ月に前倒して接種するという基準が、私にはどうも理解できません。  感染が落ち着いている今こそ、3回目の追加接種を開始するのにベストなタイミングだと思うのは、私だけなのでしょうか。日本国内の感染状況だけでなく、世界の感染拡大も把握しながら、3回目の接種開始を進める必要があるのと、インフルエンザやコロナワクチンを日々接種しながら、私はそう強く感じています。 山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。ときわ会常磐病院(福島県いわき市)・ナビタスクリニック(立川・新宿)内科医、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員

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    「私も摘まれた若い芽でした」 いまは心にエア煉獄さん 『鬼滅の刃』が持つ言葉の力

     市松模様の柄をよく見るようになった。「全集中の呼吸」「心を燃やせ」、そんな言葉もよく聞くようになった。主題歌「紅蓮華」や「炎」は耳にすっかりなじんだ。多くの人を巻き込み、社会現象ともいえるヒットが起こる背景には、何があるのか。AERA 2021年12月6日号から。 *  *  *  現実社会は、鬼の世界だ。  北海道の会社員女性(30)は、上司を漫画『鬼滅の刃』の敵キャラクターに例えた。 「鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)はうちの会社の社長だと思います」  女性の職場では、社長が社員数人と面談をする。主に社長の自慢話が多いが、ある日、こんな事件が起きた。 「ある社員が『業務が忙しくて寝られない』と訴えたところ、社長は急に機嫌を悪くして、『じゃあ寝なきゃいいんじゃない』と言ったのです。社員は死ねと言われているようなものです」  女性は、『鬼滅の刃』漫画6巻、アニメ1期26話で描かれた通称「パワハラ会議」を思い出したという。  作中の敵方である「鬼」の頭領・鬼舞辻無惨が、鬼の幹部たちを次々と粛清していく場面だ。無惨の思うような成果を上げられない部下に対し、「何故(なにゆえ)にそれ程まで弱いのか」と迫る。肯定すれば処分を受け入れることになり、否定すれば「お前は私が言うことを否定するのか」と殺される。発言すれば、「貴様共のくだらぬ意思で物を言うな、私に聞かれた事にのみ答えよ」と遮られ、提案しようとすると「お前は私に指図した、死に値する」と殺されてしまう。 ■社員は手駒でしかない  女性は言う。 「私が参加した面談でも、社長は『君たちの部署は将来ないから、次の仕事を考えた方がいい』と平然と言い放っていました。社員を手駒としか思っていない」  無茶な仕事を振られることもしばしば。こんな会社にはいたくないと、女性は鬼のいる会社から抜け出す計画を練っている。 『鬼滅の刃』は吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)さんによる漫画で、週刊少年ジャンプで2016年2月から20年5月にかけて連載された。主人公の少年・竈門炭治郎(かまどたんじろう)が、鬼になった妹を人間に戻すため、鬼殺隊の一員となり、鬼と戦う物語だ。全23巻の単行本の累計発行部数は1億5千万部を突破。19年4月から9月にかけて放送されたアニメも話題になり、人気をさらに押し上げた。昨年10月に公開された劇場版「鬼滅の刃 無限列車編」は、それまで興行収入歴代1位だった「千と千尋の神隠し」を抜き、日本映画史上最高の400億円を達成した。今年10月からは、アニメ2期が放送されている。  作品の大ヒットは、社会現象も巻き起こした。飲料メーカーのダイドーは20年10月、「鬼滅の刃」のキャラクターをデザインした缶コーヒーを発売。3週間弱で5千万本を売り上げた。また、菓子メーカーのロッテも、チョコレート菓子「ビックリマン」とコラボした「鬼滅の刃マンチョコ」を同年11月に発売し、またたく間に品薄になった。 ■ファン主導の聖地巡礼  観光業への影響も大きい。JR九州は20年11月から12月にかけて「SL鬼滅の刃」を運行した。劇場版に登場する蒸気機関車のモデルとされる列車が、大正時代に製造され、現存する日本最古の蒸気機関車「国鉄8620形蒸気機関車」と似ていることから始まった企画だ。指定席券が発売開始と同時に秒で完売し、熊本~博多駅間で840円(税込み)の指定席券が、4万円以上で転売される出来事まで起こっている。  作品の縁の土地をまわる「聖地巡礼」も、ファン主導で起こっている。九州各地にある「竈門神社」には、主人公の竈門炭治郎と名前が重なることから、ファンが参拝に訪れる。境内には鬼滅の絵が描かれた絵馬が数多く奉納されている。 「パワハラ会議」の舞台となった無限城にそっくりと話題になったのは、福島県会津若松市芦ノ牧温泉にある「大川荘」だ。大きな吹き抜けが1階から地下1階にかけて広がっている。その間は階段で結ばれており、正方形の浮き舞台が途中に突き出ている。大川荘の広報を担当する山崎和さんは、「昨年の2月ごろから『鬼滅』に関する問い合わせが増え、秋には満室になる日も多かった」と振り返る。また、利用者も「年配者が中心でしたが、家族連れや20~30代の女性グループが増えた」。「鬼滅」ファンとみられる利用者には、リピーターになる人も少なくないという。 ■言葉のインパクト  ただし、大ヒット作品とはいえ、人気は推移もしている。国際大学GLOCOM講師の菊地映輝さん(34)はこう指摘する。 「Googleトレンドによる検索件数の推移をみると、1期アニメの放送中から指数関数的に伸びています。その後、増減を伴いつつ、劇場版公開直後の20年10月末にピークを迎え、以降は波を繰り返しながら少しずつ落ち着きを見せている」  北海道大学でアニメについて研究する、アニメコラムニストの小新井涼さん(32)は、「『鬼滅』人気はアニメ化以降、ツイッターなどSNSを中心として口コミ的な人気の広がりを見せた」と分析する。  アニメ1期「鬼滅の刃」の放送は19年4月から9月にかけてで、Googleトレンドのピークとなった20年10月とは約1年の開きがあるが、「機動戦士ガンダム」(1979年)や「新世紀エヴァンゲリオン」(95年)も、放送終了から数年の時間をかけて人気に火がついた作品だ。 「確かに『鬼滅』も、大枠では『ガンダム』や『エヴァ』と同じように、放送が終わってからも人気は広がり続けた。ただし、これが1年足らずという時間で社会現象になったのは、SNSの影響が大きいと思います」(小新井さん)  実際、11月21日夜もアニメ2期6話のテレビ放送が始まると、ツイッターも盛り上がり、トレンドワードには「鬼滅の刃無限列車編」と「煉獄さん」が入った。煉獄杏寿郎と上弦の鬼・猗窩座(あかざ)の戦いが始まると、「煉獄さんかっこいい」「テレビでも迫力がある」とのツイートが飛び交った。28日放送予定の最終話のタイトル「心を燃やせ」が画面に出ると、「次回は絶対泣いてしまう」「もうつらい」と胸いっぱいのようだ。  なぜ、そこまで人気なのか。AERAは11月中旬、「鬼滅の刃」についてのアンケートを実施した。その回答を見ると、年代を問わず、なぜここまで人の心をとらえたのかが見えてくる。それは、登場人物が紡いだ言葉のインパクトだ。 「私も摘まれた若い芽でした」  そう語ったのは、近畿地方在住の30代の女性だ。 「新卒で警察官になったのですが、上司は仕事を教えてくれず、ただただ『使えない』と罵倒するだけ。それでも、人を守る使命感に燃えていて、仕事は好きでした。2年半、粘りました」  結婚を機に退職、職場から「逃げた」。だが、子どもを産んでからも自問自答と葛藤が続いた。そんな女性が心を整理できたのは、『鬼滅の刃』の登場人物、煉獄杏寿郎のおかげだ。 ■脳内にエア煉獄さん 「『君が足を止めて 蹲(うずくま)っても時間の流れは止まってくれない』。じゃあ、いまは子育てを頑張ろうと思えるようになったんです」  女性の脳内にはエア煉獄さんが住んでいて、「頑張ってて、えらいぞ」「今は休むがいい」と自分を肯定してくれるという。  アンケートにはほかにも「胸を張って生きろ」「人は心が原動力だから」「考えても仕方がないことは考えるな」など、作中で心に刺さった言葉があふれた。「人生哲学が詰まっている」(50歳・会社員・女性)、「どん底だった頃に出会って、元気と勇気をもらった」(25歳・公務員・男性)などの声もあった。  子どもが主人公のようにきょうだいに優しくするようになったという声も寄せられた。  いっぽうで、鬼に感情移入する人もいる。前出の「パワハラ会議」について、「無惨様のせりふをハッキリと言えたら気持ち良いだろうなと思います。大した働きもせず、サボることを覚え、権利を主張し、仕事をしてもらおうとするとできないと言う。嫌ならさっさと辞めてくれと思います」(39歳・専門職・女性)。「鼓の鬼、響凱は私自身だと思った」(61歳・大学教授・女性)という声もあった。(ジャーナリスト・河嶌太郎、編集部・井上有紀子)※AERA 2021年12月6日号より抜粋

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    岸田新総裁は開成高、早稲田大卒 総裁選を争った4人の出身校と華麗なる同窓生たち

     9月29日、第27代自民党総裁に岸田文雄議員が決定した。  これで事実上、岸田首相が誕生することになる。9月上旬、菅義偉首相が不出馬を表明してから自民党総裁選挙がはじまり、岸田文雄、河野太郎、野田聖子、高市早苗の4人が立候補。自民党国会議員と党員・党友によって投票が行われ、新しい日本のリーダーが誕生したわけだ。総裁選を争った4人について、出身校とその特徴、同窓生をみてみよう。 ■岸田文雄氏  岸田文雄は1957年生まれ。開成高校を卒業して東京大を目指したがかなわず、早稲田大に進んだ。  開成には永田町・霞が関開成会(永霞会)という同窓会組織がある。同校OBの国会議員、省庁職員が集まる親睦会だ。現在、議員は9人、国家公務員は1府12省庁で約600人にのぼり、事務次官クラスが10人近くいるといわれている。  開成OBの国会議員には東京大、官僚経由が多い(カッコ内は出身省庁)。  上野宏史(経済産業省) 小林鷹之(財務省) 鈴木馨祐(財務省) 城内実(外務省) 鈴木憲和(農林水産省)  永霞会事務局長の井上信治議員に「永霞会が開成OBを総理に、と盛り上がることはありますか」とたずねたところ、こう答えてくれた。 「開成から総理が生まれるのはうれしいけど、そのために永霞会を発足させたわけではありません。OBの政治家と官僚が国のために折に触れて協力し合えばいいと考えています」(「週刊朝日」2021年4月2日号)  昨年の総裁選では菅義偉と岸田が争ったが、永霞会の開成OB議員は菅に投票しているという。これは同校OB議員が所属する派閥の事情によるものだった。 ■河野太郎氏  河野太郎は1963年生まれ。慶應義塾中等部、慶應高校から慶應義塾大経済学部に進む。総裁選でタッグを組んだ石破茂は高校から慶應に進み、慶應義塾大法学部というコースをたどった。  慶應高校出身の国会議員はおよそ30人いるが、2世、3世が多い。父や祖父が大臣経験のある大物議員が並ぶ。(*は首相経験者)  竹下亘 異母兄は竹下登*(17日に死去) 福田達夫 祖父は福田赳夫*、父は福田康夫* 岸信夫 父は安倍晋太郎、祖父は岸信介*で、岸家と養子縁組。兄は安倍晋三* 石原伸晃、石原宏高 父は石原慎太郎  奥野信亮 父は奥野誠亮 高村正大 父は高村正彦 中曽根康隆 父は中曽根弘文、祖父は中曽根康弘*  慶應高校出身の国会議員は「華麗なる一族」を持つ。このうち中曽根康隆の祖父、福田達夫の父と祖父、岸信夫の祖父と兄、竹下の異母兄は首相となった。逆に言えば、首相は親族を慶應高校に入れたがる傾向にあるということか。河野太郎の父、河野洋平、そして祖父・河野一郎も派閥、小グループの領袖であり、首相候補だった。  だが、不思議なことに慶應高校出身の首相は生まれていない。慶應義塾大からは橋本龍太郎、小泉純一郎などの宰相が輩出したのだが、塾高出身は縁がない。 ■野田聖子氏  野田聖子は1960年生まれ。田園調布雙葉高校を中退してアメリカのハイスクールで学ぶ。田園調布雙葉の3学年下には雅子皇后がいた。同校には各界著名人の子女が通っていることでも知られる。長嶋茂雄の次女でスポーツキャスターの長島三奈、佐田啓二の長女で俳優の中井貴惠などだ。  野田は帰国して上智大学外国語学部比較文化学科に入学する。現在の国際教養学部である。もともと上智大国際部と称していた。同学科は芸能人を多く送り出している。范文雀、ジュディ・オング、南沙織、アグネス・チャン、早見優、西田ひかる、リサ・ステッグマイヤー、クリスタル・ケイ、青山テルマ、はな、川平慈英、デーブ・スペクターなど。キャスターには安藤優子、山口美江、小牧ユカなどもいた。  なお上智大出身の国会議員には平井卓也、西銘恒三郎、小林史明(以上、自民)、玄葉光一郎、山崎誠、松平浩一、今井雅人(以上、立憲民主)などがいる。同大学からは細川護熙元首相が輩出した。  野田は1993年に初当選し、1998年には当時、戦後最年少の37歳10カ月で郵政大臣に就任する。このとき近い将来、初の女性首相誕生かと注目された。それから20年以上経ったが、今回も国のトップにはなれなかった。 ■高市早苗氏  高市早苗は1961年生まれ。野田と学年は一緒である。奈良県立畝傍高校の出身。うねびと読む。その由来について、学校史にこう記載されている。 「『畝傍』(うねび)という校名については、創立以来今日にまで続き、幾多の卒業生にとって無限の郷愁もたらす名称であるが、その由来を示す確かな記録は見当たらない」(畝高七十年史、1967年)  そっけない。近くに畝傍山、畝傍御陵という古くからの地名があり、ここからとられたのではないかといわれている。  同校卒業生はなかなかおもしろい。日本郵政初代社長で、三井住友フィナンシャルグループ社長をつとめた西川善文、舞踏家で大森南朋の父である麿赤兒、『試験にでる英単語』で受験界を一世風靡した元日比谷高校教諭の森一郎、中央公論社の社長だった嶋中雄作、元文部科学事務次官の前川喜平の祖父で和敬塾創始者の前川喜作など。多士済々だ。  高市は大学入試で早稲田大、慶應義塾大に合格したが、親のすすめで神戸大経営学部に入学した。同大学出身の国会議員には山田賢司、繁本護(以上、自民)、吉川元(立憲民主)がいる。  なお、神戸大経営学部の前身である神戸商業大出身には、宇野宗佑元首相がいた。  1989年6月3日の宇野内閣発足後まもなく参議院選挙が行われるが、リクルート事件、消費税導入、宇野の女性問題報道で支持が得られず、自民党は大敗し、投票日翌日の7月24日に退陣を表明した。宇野の首相在任期間は69日、日本政治史上4番目の短さだった。  このころ、高市は松下政経塾を卒塾したばかりで、国政選挙に出る準備をしていた1992年、参議院選挙で落選、1993年、衆議院選挙で初当選した。  出身高校、大学のカラーと政治家は直接関係ない。だが、高校、大学をどのように過ごしたか、そこで、どのようなことを考え、何を目指したかは、その政治家の国家観を知るうえでヒントになる。そこで受けた教育、出会った恩師や先輩、築き上げた友人の力は大きいからだ。高校や大学で社会と向き合うようになったときのこと、やがて政治家になろうと思ったときのことなど、自身を振り返って語ってもらいたい。 <文中敬称略>(教育ジャーナリスト・小林哲夫)

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    家を買うのが早すぎた?「子ども部屋を見ると悲しくなる」 戸建て購入37歳共働き夫婦の後悔

     晩婚化に伴い、マイホーム購入の平均年齢が上がっている。金融機関が貸してくれる時代とはいえ、ローンは早めに完済したほうがベターだ。それでも人生は予期せぬことが起こりうるもの。リアルな事例や最近の不動産事情を探った連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。今回は、20代で計画的に購入した夫婦の事例から、戸建てを検討する際にどんなことを考慮すべきなのか。専門家に聞いた。 *      *  *「家を買うのが早すぎたのかもしれない……」  神奈川県で夫と2人で住んでいるAさん(37)は、10年前に家を建てたことを悔やみ始めている。  Aさんは「若い頃から将来設計をしっかり立てておきたいタイプだった」というように、25歳での結婚を機に、ファイナルシャルプランナーに収入に応じたライフプランを相談。「住宅ローンのことを考えても、家を買うなら早いに越したことはない」というアドバイスのもと、27歳で新築一戸建てを購入した。  夫婦ともに地方出身で、広々とした戸建で育ってきたことから、マンションは選択肢になかったという。カフェ風のお洒落なインテリアを実現したいとの思いから、注文住宅でそのこだわりを実現した。 「これから子どもを産んで家族も増えるはず」  広めの子ども部屋も構え、期待で胸を膨らませながらマイホームでの暮らしを満喫していた。  ところが翌年、Aさんにがんが発覚。幸い大事には至らずに済んだが、手術を経て子どもができづらい体になってしまった。気づけば、高校や大学の同級生らは出産ラッシュ。 「今、子ども部屋を見ると、何とも言えず悲しい気持ちになります」(Aさん)  戸建てへのこだわりを優先した分、交通の便は犠牲にしていた。共働きで、満員電車に揺られ、片道約1時間半かけて都心へ通う日々。駅から家まで徒歩25分と距離が遠く、家から駅までは自転車が欠かせない。退院後に長時間通勤は正直、つらかった。  昨年からのコロナ禍で「戸建てでよかった」と思い直したかというと、そうでもない。確かに、残業が多く深夜帰宅が当たり前だった日常は、コロナの影響で一変した。夫婦ともにテレワークが基本となり、出社は月1~2回。感染状況が比較的落ち着いている今もテレワーク中心であることは変わらず、以前に比べて格段に自由な時間が増えた。  プライベートを充実させようと、海辺に引っ越した同僚もいるという。Aさん夫婦が家を建てたのは住宅街。特段、緑の多いエリアでもない。 「今の家は、都心への通勤を考えて、自分たちが無理ない範囲で戸建が持てるエリアということで決めた場所。都心へのアクセスも周辺の環境も、言ってみれば中途半端な郊外の住宅地です。こんな状況になるなら、もっと自然豊かな場所に住むか、仕事中心のライフスタイルに合わせて都心のマンションという選択肢でも良かった」(Aさん) ◆ 商業施設が撤退する地域は値段に響く  人生、いつ何が起きるか分からないのは万人に共通すること。専門家にも相談し、長い目で見て良かれと判断し、早めに行動したAさんのような人でも、予測できない事態に後悔することがある。どんなことに留意すべきなのか。Aさんのケースを検証しながら、ポイントを整理していこう。 「家を買う時には、『もし自分がそこで住めなくなったら』という仮定をして考えてみることが大事です」   不動産コンサルタントの午堂登紀雄さんは、Aさんの例についてこう指摘する。想定外のことが起こり、もし自分がそこで住めなくなった場合は、人に「売る」か「貸す」か、どちらかの選択肢しかない。 「だからこそ、何かあったら『売れる』、もしくは『貸せる』物件を選ぶ視点が必要です」(同)  ここで改めてAさんの家の立地について整理しよう。Aさんの家は、最寄り駅から徒歩25分。晴れた日は自転車で駅まで向かい、駅に隣接する駐輪場に駐車する。雨の日はバスを利用するか、急いでいる時はタクシーを呼んで駅まで向かうこともあった。最寄り駅から都心のターミナル駅までは、乗り換え1回を挟み、1時間超かかる。通勤時間帯には郊外から通勤する乗客がひしめき、特に朝のラッシュ時間の満員電車は過酷な状況だった。  午堂さんは言う。 「駅から徒歩15分を超えた立地や、バスを利用しなくてはいけない立地など、アクセスの悪さは想像以上に売る時の値段に響いてきます。また郊外のニュータウンなどの高齢化が進む地域や、周辺の商業施設が撤退するなど衰退が進む地域も要注意。いざという時に売りにくくなり、資産価値が低下しやすい」 ◆ 実は「建売住宅」のほうが次に売りやすい  主に都市部で売れる物件の条件については、前回の記事に詳述しているが、Aさんの場合はマンションでなく戸建であることもポイントだ。戸建には思わぬリスクもあるという。 「一般的に戸建は、建物が木造であることが多いため、鉄筋コンクリート造であるマンションに比べ、価格が下落するスピードが早い。また、木造住宅の価値は、築20~24年前後でほぼゼロと評価されることから、土地だけの価格になってしまうことが多いのです」(午堂さん)  その土地代も、手放したいと考えるときには価値が下がってしまうこともある。例えば郊外の新築一戸建を買って数十年が経過した後、売却したいと考え、土地部分の価格のみで売りに出す。しかしなかなか買い手が現れないために土地部分の価格も下げることを余儀なくされ、結果的に大幅に資産価値を下落させてしまうケースもよく見られるという。  さらに、こだわりを実現するための「注文住宅」という点にも、意外な落とし穴が潜んでいる。実は一戸建の場合、一見ぜいたくなほど細部にこだわった注文住宅より、建売業者が建てたよくある間取りの建売住宅の方が売りやすい場合も多いという。これまで6千件を超える不動産取引を行ってきた不動産コンサルタントの後藤一仁さんは言う。 「なぜなら建売業者は、建物を建てる前に、そのエリアの需要の傾向や価格相場などのマーケット調査をし、それを基に万人に受けるであろう外観デザインや間取り、建具、設備、内装などにしていることが多いからです。自分仕様にこだわって建てた注文住宅が、リセール時の買い手に気に入ってもらえれば良いのですが、その個性が逆に買い手を狭めてしまい、結果的に売りにくくなってしまうことがあります。住宅においてはある意味、“個性のなさ”が買い手を限定させず、売りやすさを高めるとも言えます」 (松岡かすみ) >>【後編:マイホームは「子ども部屋なし」がトレンド?! 勉強部屋に風呂なしアパートを借りる賢い選択】に続く

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    マイホームは「子ども部屋なし」がトレンド?! 勉強部屋に風呂なしアパートを借りる賢い選択

     晩婚化に伴い、マイホーム購入の平均年齢が上がっている。金融機関が貸してくれる時代とはいえ、ローンは早めに完済したほうがベターだ。それでも人生は予期せぬことが起こりうるもの。リアルな事例や最近の不動産事情を探った連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。今回は、20代で計画的に戸建てを購入した夫婦の事例を検証する。 >>【前編:家を買うのが早すぎた?「子ども部屋を見ると悲しくなる」 戸建て購入37歳共働き夫婦の後悔 】を読む *  *  *<30代後半Aさん夫婦のケース>10年前に27歳で神奈川県の郊外の住宅地に戸建てを購入。広さを優先した分、利便性は犠牲にして通勤は片道1時間半かかる。ローンの返済は順調だが、予想外だったのが、がんを患ったこと。子どもが授かりにくくなってしまい、せっかく作った子ども部屋を使用する予定はないという。 ◆ 80歳までローン返済…早い段階で購入することは“正解”    Aさん夫婦の事例をライフプランという視点から考察してみよう。ローン完済までの余裕が生まれ、返済計画も安定しやすいことから、早い段階で家を購入すること自体は間違っていない選択だ。  今は晩婚化の影響もあり、家を買う年齢が上昇傾向にある。最新の住宅市場動向調査(令和元年度・国土交通省住宅局)によれば、初めてマイホームを購入する人(一時取得者)の平均年齢は、注文住宅が39.1歳、分譲戸建住宅が36.8歳、分譲マンションが39.4歳、中古戸建住宅が42.8歳、中古マンションが44.8歳と、40歳前後。これに伴い、住宅ローンの完済年齢も上がっており、以前は最長70歳までが一般的だったところが、現在は最長80歳まで延長して設定している金融機関が増えている。 仮に40歳で家を買うとなると、35年ローンを組めば完済が75歳と定年退職後の年齢になる。大手不動産会社出身で、住宅購入における資金計画に詳しいファイナンシャルプランナーの飯田敏さん(FPフローリスト)は言う。 「家の購入年齢が上がるに伴い、一昔前までは住宅ローンを『遅くとも65歳には完済したい、できれば60歳までに返したい』という人が多かったのが、最近は『遅くとも70歳には完済したい、できれば65歳までに返したい』に変わってきています。借入額を増やすためにも、35年の最長期間でローンを組む人が多いですが、繰上げ返済を計画的にしていくことで、なるべく現役のうちに完済することを目指す人が多い」  また、Aさんのように病気になるのも、誰しもが抱えるリスクだ。銀行で住宅ローンを借りて家を買う場合には、債務者が死亡または高度障害に陥ったときに返済が不要になる団体信用生命保険(以下、団信)に加入する必要がある。通常の団信は、病気にかかったときの保証はないが、がん、脳卒中、急性心筋梗塞の三大疫病型特約付の団信や、三大疫病に重度慢性疾患を加えた八大疫病型特約付など、病気や怪我を保証する団信のバリエーションが広がっている。 なお、多くのがん団信の加入上限年齢は、46歳以下と設定されている。Aさんの場合、債務者が死亡または高度障害に陥ったときのみの通常型の団信加入であったために保険金の支払い対象とはならなかった。仮にがん団信に加入していたら、がんと診断された時点で、団信に加入している保険会社からローンを借りている銀行に保険金が支払われ、ローンの債務がゼロになっていただろう。 「まさか自分が病気にかかるなんて思いもしなかった。あの時、がん団信に加入していたら……と、どれだけ悔やんだか分かりません」(Aさん) ◆ 自宅は子ども部屋ナシ 勉強部屋を借りる世帯も  飯田さんは、早い段階で購入に踏み切ったAさんの選択自体は「良い選択だった」としながらも、“妊娠前から子どものための部屋を構える”という点については「少し早まったかもしれない」と指摘する。 「リスクの想定は線引きが難しいですが、想定外のことが起こるかもしれないという可能性を踏まえると、『必要が生じたときに、必要に応じて動く』という視点のほうが『こんなはずじゃなかった』ということになりにくい。病気にかからずとも、子どもを授かれないという例も珍しくありません。また結婚することを前提に新居を購入した人が、実際は結婚に至らなかったというケースもままあります」  この「必要が生じたときに、必要に応じて」という観点は、不動産の視点に置き換えても応用が効く。例えば「子ども部屋」について。「子どもに個室が必要な期間というのは、意外と短い」とは前出の後藤さんだ。小学校低学年のうちは、個室があっても、家族のいるリビングで宿題をするケースも多いことや、大学入学を機に一人暮らしをする例も少なくない。  仮に小学3年生から高校卒業までが個室が必要な期間とすると、合計10年だ。都心では50~60平米の空間で、家族3~4人が暮らす例も珍しくはない。この10年のために、限られた空間の中で子ども部屋を設けるかどうか悩む人も多いという。これまで6千件を超える不動産取引を行ってきた不動産コンサルタントの後藤一仁さんは次のように言う。 「今はその辺りを合理的に考えて、子どもの勉強部屋用に、自宅近くのアパートの一室を賃貸で借りるケースも見られます。勉強用に借りる部屋ですから、狭くて風呂なしでも十分。また子ども部屋が必要な期間だけ、自宅を定期借家として人に貸して、家賃を元手に家族全員で広めの賃貸住宅に移るというケースも少なくありません」  多くの人にとって、人生で一番高い買い物とも言える住宅購入。想定通りに事が進むことばかりではないのが人生だが、家の選び方や買い方には思わぬ落とし穴もある。後の人生を左右すると言っても過言ではない住宅選びだからこそ、後悔しないためのコツを身につけておきたい。(松岡かすみ) >>【前編:家を買うのが早すぎた?「子ども部屋を見ると悲しくなる」 戸建て購入37歳共働き夫婦の後悔 】を読む

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    2万円近く年金が増えた! 意外と知らない厚生年金「経過的加算」

     簡単に年金を増やせるのに、なぜかほとんど知られていない制度がある。厚生年金の「経過的加算」がそれ。一定の条件の60歳以上の人が会社で働けば、それだけで1年で約2万円も年金が増えるのだ。しかも、今の50歳代以上ならほぼ全員が使えるという。年金世代、準備世代必読! *  *  * 「よし、予定どおり順調に増えている」  10月初旬、今年度の「ねんきん定期便」が自宅に届いたとき、記者はこう感じた。定期便のある部分の金額が昨年より約1万9400円も増えていたのだ。 「それにしても、1年でこんなに増えるとは……。すごい威力だ」  記者は62歳。出向元の会社の定年が数年前、60歳から65歳に延びたため、今も勤務を続けている。  金額が増えた定期便の「ある部分」とは、65歳以上の老齢厚生年金の欄の「経過的加算部分」(以下、経過的加算)と書かれているところだ。ここ数年の推移をみると、60歳になった19年はわずか「337円」だったのが、昨年20年は一気に「約1万5300円」になり、今年はそれが「約3万4700円」になった。確かにこの1年で2万円近く増えている。  実はこの「経過的加算」こそ、現在の50歳代、60歳代が60歳以降に年金額を一番簡単に増やせる方策なのだ。しかし、この制度、残念ながら一般人の間での知名度はほぼ「ゼロ」。いったい、「経過的加算」とは何なのか。  それを知るには年金の歴史を振り返る必要がある。  厚生年金ができたのは第2次世界大戦中の1944年にまでさかのぼる。戦後の混乱期を経て54年に法律が全面改正され、今に至る厚生年金の基礎ができた。老齢年金は「定額部分」と「所得比例部分(現在の報酬比例部分)」の2階建てという形ができたのだ。  その後、高度経済成長を経て年金額はどんどん上がっていき、再び86年に大改正を迎える。この改正では全員共通の「老齢基礎年金」が新設された。支給開始年齢は高齢化に合わせて60歳から65歳に引き上げられた。  年金の世界では86年より前の法律を「旧法」、後を「新法」と呼んでいる。厚生年金は旧法では「定額部分+所得比例部分」だったのが、新法では「老齢基礎年金+報酬比例部分」に変わったわけだ。  しかし、この定額部分と老齢基礎年金、計算方式の違いなどで、少額だが微妙に定額部分のほうが高くなってしまうのである。となると、厄介な事態が生じる。  新法で支給開始は65歳からに変わったが、激変緩和措置で60歳代前半は「特別支給」という形で、これまでと同様、60歳から定額部分を含む厚生年金が支給されていた(現在、「特別支給」は廃止途上)。すると、65歳になって定額部分が老齢基礎年金に切り替わったときに年金額が下がってしまう。  そこで、その減額分を補填するために考え出されたのが「経過的加算」である。要するに、その差額を補填するのだ。  老齢基礎年金は20歳から60歳までの40年間の加入で、一方、厚生年金の定額部分は会社に勤めた全期間だ。従って、「経過的加算」の対象期間は二つの重なる部分、「20歳から60歳までで会社に勤めていた期間」になる。そして老齢基礎年金の加入期間40年に合わせて、「経過的加算」の計算では定額部分は「480カ月(40年)分」が上限になっている。  しかし、これだと、もともと二つの差は少額だから「経過的加算」は大きな金額にはならない。ところが、ここに「空白」ともとれる期間が存在する。「20歳前」と「60歳以降」の期間である。この期間に定額部分が480カ月に届いていない人が会社で働くと、定額部分のみがどんどん膨らんでいくのだ。それは、「経過的加算」が増えていくことにほかならない。  これが、記者のように60歳代で会社で働いている人に起きている現象だ。今受給を開始する人たちには60歳代前半の定額部分は支給されていないが、65歳のときに改めて計算されて「経過的加算」が支給され続けている。  それでは、なぜ、今の年金世代は定額部分が480カ月に届いていないのか。これこそ今の50歳代以上に共通した現象だ。この世代が若いころは、20歳以上の大学生は年金制度への加入が義務付けられていなかったのだ。  会社に入って厚生年金に加入して初めて公的年金制度に関わる、こんな人がほとんどだった。すると、ストレートに大学まで卒業しても約2年、浪人や留年をしたりすると3~4年、40年に足りなくなる。そんな人が60歳を過ぎて会社で働くと、それだけで480カ月に達するまで「経過的加算」が増えるのである。  大学生が強制加入になったのは91年4月から。従って、これ以前に20歳になった大学生、つまり「71年4月1日以前」に生まれた人(今の50歳以上)に特有の問題だ。  1カ月の定額単価は「1628円」(今年度の価格)。1年会社で働くと、それだけで約1万9500円(1628円×12カ月)年金が増える。例えば5年足りない人が60歳代で5年働けば、約9万7500円も増える計算だ。  成り立ちからわかるように、「経過的加算」の1年分は国民年金に1年加入して獲得できる老齢基礎年金(約78万円÷40年)とほぼ同じだ。だから、40年に足りない人が定額部分が480カ月になるまで働いたとすると、満額の老齢基礎年金をもらうのと同じ効果が得られる。足りない分を「経過的加算」で穴埋めしたことになる。  また、働いている間は厚生年金の保険料を納めているので、本来の老齢厚生年金(報酬比例部分)も増える。月給20万円の人が1年働くと約1万3100円、同30万円だと約1万9700円。「経過的加算」と合わせてダブルに増えるのだ。 「経過的加算」は「定額」ゆえに給料の低い人ほど恩恵が大きくなることも覚えておきたい。例えば、月給10万円の人が1年働くと、報酬比例部分は約6500円しか増えないのに、「経過的加算」は同じ1年で2万円近く増える。だから40年に足りない女性がパートで働いて厚生年金に加入する場合などに、一番効果が大きくなる。  いずれにせよ、年金制度への加入期間が40年に足りない人には、ぜひ知っておいてほしい制度である。きっと実践し始めると、記者のように定期便を見るのが楽しくなるはずだ。(本誌・首藤由之)※週刊朝日  2021年12月3日号

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    マンション購入「妻の実家の近く」で選んで失敗 いい物件の見極めは? 徒歩7分、60平米…

     都心部で働く子育て世代の夫婦が家を買うとしたら、どんな物件が“正解”なのか。そこ一生住むつもりで物件を選ぶよりも、将来、住み替えることを前提にした購入がトレンドだという。つまり、売ることを前提にした購入だ。だが、購入してから資産価値が落ちたり、いざ売る際になかなか買い手がつかなかったりしたら、のちの人生設計も狂ってくる。最近の不動産事情を探った短期集中連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。今回は物件選びのポイントを不動産のプロに聞いた。 >>【前編:都心中古マンション争奪戦「10年間、タダで住めたようなもの」 世帯年収800万円夫婦が狙う物件とは】から続く *     *  * まずは「こんなはずじゃなかった」と頭を抱えてしまったBさんのケースを紹介しよう。  埼玉県内に、10年前にマンションを購入したBさん。妻の実家近くにある、最寄り駅から徒歩18分の4LDK(81平米)の新築物件を3500万円で購入した。うち3300万円は住宅ローンを組み、月々の返済額は約12万円。返済も順調だった。  しかし、ローンがあと20年ほど残っている時点で、仕事と子どもの学校の関係で、どうしても引っ越さないといけなくなり、売却したいと考えた。現在の売却想定額を査定したところ、金額は1800万程度だという。住宅ローンの残債はまだ2400万前後あり、売却想定価格をはるかに上回っている。「ならば貸せないか」と考え、今度は家賃を査定してもらったところ、相場から月10万5千円前後を算出された。Bさんの物件は駅から距離があり、購入時には営業していた近隣のスーパーマーケットなどが撤退し、買い物にも不便という環境要因が響いた。毎月12万の住宅ローンの支払いを考えると、貸しても赤字という計算になる。  Bさんは、購入時点では生涯住むつもりだった。子どもの成長などライフステージの変化に対応する間取りを考え、それが無理ない予算で買える場所という視点から物件選びを始め、「まったく知らない土地に行くよりは、子育ても考えて妻の実家近くにしよう」と決めた家だった。試算が狂い、Bさんは今、人生設計を見直している。  首都圏を中心に不動産の購入、売却、賃貸など、これまで6千件を超える取引を行ってきた不動産コンサルタントの後藤一仁さんは、こう指摘する。 「自分たちにとっては良い場所であっても、売る・貸すとなった時に価値が維持できるとは限りません。一般的に、郊外のマンションは都心のマンションに比べ、買うときの価格が安い一方で、売るときには価格が下がっている可能性が高い。資産価値という視点から見た場合、マンションにおいては立地の影響が想像以上に大きく、価格が落ちにくいマンションとは、都心に近く交通の便が良いマンションの場合が多いのです」  どこから光を当てるかによって、その家の価値は変わる。ここではあくまで、「資産価値を保ちやすい家」という視点で解説しよう。専門家らの話を紐解くと、4つのポイントが浮かび上がってきた。 (1)  山手線沿線の駅から電車で15分圏内  まっさきに押さえるべきポイントは、都心に近く、交通の便が良い場所という条件。具体的に挙げると、山手線の駅周辺の都心、または山手線の駅から電車で約15分圏内の準都心と呼ばれるエリアだ。例えば小田急小田原線の場合は経堂駅ぐらいまで、京王線の場合は千歳烏山駅ぐらいまで、東急田園都市線の場合は二子玉川駅ぐらいまでが準都心の目安となる。 「都心、準都心のエリア内であれば、築35年の60平米ぐらいのマンションでもそれなりの価格で取引されていることが多い。例えばここ10年ぐらいの間でも、港区、千代田区、渋谷区、目黒区などでは4千万~6千万台ぐらいで、新宿区、文京区、豊島区、杉並区、品川区などでも3千万前後から5千万台ぐらいで取引されています」(同) (2)  駅近の目安は徒歩7分以内  主な物件の探し方がインターネットである今、駅から遠い物件は検索段階で切り捨てられてしまうことも多い。通勤や通学ともなると毎日のことなので、「駅から徒歩何分以内か」という点は資産価値を維持する上で重要なポイントだ。 高齢化率の上昇や、全国的に市街地計画をコンパクトに形成していこうとする行政の動き(コンパクトシティ構想)を踏まえても、駅から近い物件は今後ますます有利に働く可能性が高いという。不動産コンサルタントの午堂登紀雄さんは言う。 「エリアにもよりますが、原則、駅から徒歩10分以内の立地で選ぶと比較的売りやすい。駅からの近さはどの世代にも共通して求められているポイントです。郊外の戸建に住んでいたシニア層が駅近のマンションに住み替えるケースも増えています。できれば5分以内、目標は7分以内と、少しでも駅に近い方が有利です」 (3)  ファミリータイプは需要減、60平米が売れ筋  国立社会保障・人口問題研究所「日本の世帯数の将来推計」によれば、2015年時点でいわゆるファミリー世帯である「家族と一緒に住む世帯」は約1429万世帯なのに対し、「1人暮らし世帯」は約1842万世帯、「夫婦のみ世帯」は約1072万世帯。さらに2025年の予測では、「家族と一緒に住む世帯」は約1369世帯と減る一方で、「1人暮らし世帯」は約1996世帯、「夫婦のみ世帯」は約1120世帯と増えることが予想されている。 生涯未婚率や離婚率の上昇、シニアの増加により、1人暮らし世帯が急増し、ファミリー世帯が減っているのが現状だ。 「この状況を踏まえると、これまでファミリー用マンションとして考えられていた70~80平米前後と広めのマンションは、これからは長い目で見ると需要が見込みづらい。一方で狭すぎず、広すぎない60平米前後のマンションは、都心においては需要が多いのに供給が少なく、貸しやすい面積帯です。一人暮らし世帯、夫婦のみ世帯を中心に、夫婦と子ども1人、夫婦と小さな子ども2人、シニアと幅広い層が住みやすく、価格も手頃な60平米前後が最も売れやすく、貸しやすいでしょう」(後藤さん) (4)  中古でも2001年以降に完成  「住宅の品質確保の促進等に関する法律(品確法)」(2000年)の施行により、デベロッパーの建物に対する責任性が強まったことから、2001年以降に完成した物件は一般的に住宅の基本性能が高まっている傾向にあるという。 「2001年頃からの完成物件は、耐震や省エネルギー、遮音性などを向上させた物件が比較的多く出ています。今は新築マンションでも設備をチープにする物件が増えているため、むしろ10年ほど前に完成した物件の設備の方が優れている場合も少なくありません。中古物件を選ぶ際は、2001年以降に完成した物件であれば、価格が手頃で良質な建物であることが多い」(後藤さん) ◇  資産価値が落ちない家を選ぶためには、価格が安い物件を買おうとするのではなく、少し価格が高かったとしても購入後に価格が落ちにくいであろう物件を購入する姿勢が必要だ。  大切なのは、今後住み替えなどの可能性があり、住まいに換金性を求める場合に、希望する額から大きく目減りすることがないかどうか。10年、20年先を想定した売却のみならず、「最終的に高齢者施設に入ることを考えたら、家を売って少しでも施設費の足しにできた方がいい」と考える人もいるという。 先行き不透明な時代だからこそ、それだけ後悔しない買い方を求める人が増えているのかもしれない。家を買うことにも、これまで以上に戦略が必要な時代だといえそうだ。(松岡かすみ) >>【11月28日10:00公開】それでも夫婦は東京に家を買う#5

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    コレステロール、中性脂肪は「男女」「年齢」で基準値が違う! 参考にするべき数値をチェック

    「人の老化は血管から始まる」ともいわれるように血管ケアはアンチエイジングの要。年齢を重ねることで硬くなっていく血管をケアしていくには日々の食事や運動で脂質をコントロールすることが大切です。まずは、コレステロールや中性脂肪の値を知ることがセルフケアの第一歩。女性は年齢に応じた基準値があるのでチェックしてみましょう。今回は女性の血管ケアについて、日本の「性差医療」の草分け的存在である天野惠子先生にお聞きしました。今回は、前編・後編の前篇をお送りします。(自分で自分の健康を守るための健康情報を発信する「セルフドクターWeb」より転載) *  *  * 動脈硬化は他人事じゃない  女性ホルモンのエストロゲンには、血管が正常に機能するのを助ける働きと共に、LDLコレステロールを減らすなど、動脈硬化を抑制する作用があります。そのためエストロゲンが多く分泌されている20~30代までは、特別なケアをしなくても血管は比較的しなやか。これは30代から動脈硬化が見られる男性とは明らかな違いといえます。  ところが女性も閉経を迎え、エストロゲンの分泌が止まると共に、血管の硬化が急速に進みます。血液中を流れる脂質にはコレステロールや中性脂肪がありますが、これまでエストロゲンによって抑えられていたそれらの数値も自然と高くなり、血液の流れを妨げることに。動脈硬化の進行に大きく影響してしまいます。  さらにLDLコレステロールが血管の内壁にたまったものが、やがてドロドロの粥状のこぶのようになります。これがプラークです。プラークが破れると、そこに血栓ができて血管を詰まらせ、心筋梗塞や脳梗塞の発症につながるのです。 「閉経前の女性が動脈硬化から心筋梗塞や脳梗塞を発症する割合は低く、男性の約5分の1といわれています。ところが閉経後の55歳くらいから発症率はぐんとアップしてしまいます」と天野先生。女性は閉経後、意識的な血管ケアが必要不可欠となるわけです。  閉経前にはエストロゲンによって動脈硬化から守られている女性たちでも、「その効果を帳消しにしてしまう危険因子がある」と天野先生。それが「喫煙」です。タバコに含まれるニコチンの作用で血管が収縮して血流が低下。血管は硬くなり、動脈硬化が進行します。喫煙をしている女性は吸っていない人より、急性心筋梗塞のリスクが8.2倍も高まることが分かっています。 コレステロールや中性脂肪の数値をチェック  コレステロールや中性脂肪は増え過ぎると血液の流れを悪くし、血管にも悪影響となります。でも、これらの脂質は決して健康の敵ではありません。細胞膜やホルモンの原料となったり、体を動かすエネルギー源となったりする大事な要素なのです。  女性の場合は、閉経後に急に脂質の数値が高くなった方もいるでしょう。でも、慌てないで。女性の体の変化に対応した基準範囲があるのです。 「そもそも女性と男性ではコレステロールや中性脂肪の検査値が違って当然。それなのに、これまでは男性も女性も同じ値で見ていました。また、女性はエストロゲンの分泌量が年齢で変わるため、年齢によっても基準範囲は変わります」と天野先生。女性が参考にしたいのは、下記の男女・年齢別に分けた基準範囲です。なお、総コレステロールとは、LDLコレステロールやHDLコレステロールなどを合計した血液中のコレステロールの総量です。下記の基準ではHDLコレステロールの基準範囲は示されていません。 更年期を迎えたら、全身をくまなく検査したい  エストロゲンの分泌が減少すると循環器、消化器、呼吸器などの活動を調整している自律神経も乱れやすくなり、体のあちこちにトラブルが起こるようになります。よくないのは、不調があっても、「更年期だから仕方ない」と放っておいてしまうこと。実は脳血管障害の症状だったケースもあるそうです。そこで先生は、「女性の体がダイナミックに変わる節目の50歳あるいは閉経を機に、頭から足の先まで自分の体の状態をきちんと検査することが大事」と提案します。  栄養素や酸素を行き渡らせる血液の流れが滞ると、体のどこかに支障を来します。全身を検査することは、全身の血管に詰まりがないか、動脈硬化がないかの確認でもあるのです。健康診断だけでは十分とはいえないため、自費にはなりますが病院やクリニックで行っている個別検診で、詳細に調べることをおすすめします。 こんな検査を受けておこう  健康診断や特定健診で行う身体測定(身長・体重・BMI・腹囲を測る)や血液検査、血圧測定(血圧脈波検査)に加えて、より精密な検査が行える個別検診。それによって、健康診断では見落とされた疾患や異常が見つかることも。女性特有の病気を網羅した検診メニューを用意しているクリニックもあります。 <脳検査>MRI(脳実質撮影)、MRA(脳血管撮影)などで脳血管疾患を調べる。 <循環器検査>心臓や血管の状態をチェック。動脈硬化や心血管疾患の有無を調べる。 頸動脈エコー検査 胸部エコー検査 胸部X 線検査 冠動脈CT 検査 心電図 <血液検査>女性に多い甲状腺機能障害や膠原病、関節リウマチの素因の有無を調べる。 甲状腺機能 抗核抗体 リウマチ因子 炎症反応 ホルモンチェック 腫瘍マーカー <眼科検査>眼底検査で高血圧や動脈硬化の進行、糖尿病の発見、眼球の病気の有無をチェック。 <婦人科検査>子宮や卵巣のがん、乳がんなど、40代以降にリスクが高くなる病気を検査。 子宮頸がん検査 子宮体がん検査 経腟超音波検査 乳房視触診 マンモグラフィー 乳房超音波検査 <その他> 骨密度検査 PET-CT 検査 更年期の悩みはどこで相談できる?  更年期に起こる心身の不調は、診療科を特定できないことが多いもの。そんな時は女性の全身症状をトータルで診察してくれる「女性外来」への受診をおすすめします。女性外来の先生は呼吸器、内分泌、循環器などと専門分野は違いますが、性差医療について勉強しているため、メンタル面も含めいろいろと相談にのってくれるはずです。女性外来の受診をきっかけに、かかりつけ医をもつとよいでしょう。 全身を検査する費用はどのくらい?  健康診断や特定健診の費用は無料か、有料でも低額です。全身を診る個別検診の場合、基礎検査を中心とした日帰りの費用は平均3~8万円くらい、泊りがけでMRIやMRA、PET-CT(※)、エコー検査を行って、より詳しく検査する場合は10万円以上かかることも。個別検診は健康保険の適用外なので、費用は全額自己負担。ただし居住地の市町村や所属している健康保険協会、健康保険組合、あるいは契約している保険会社によっては、補助金や助成金、割引サービスが受けられる場合があるので、問い合わせてみましょう。 ※PET(陽電子放出断層撮影)検査とCT(コンピュータ断層撮影)検査を融合させた検査。がんの発見に役立つ。 <後編>「硬くなっていく血管をケアするには? 医師がすすめる日々の食事と運動の方法」に続く 監修/天野惠子(あまの・けいこ)先生 一般財団法人野中東晧会 静風荘病院特別顧問。日本の「性差医療」研究の草分けとして普及に努め、鹿児島大学及び千葉県にて、性差に基づく女性医療の実践の場として女性外来を立ち上げ、治療に当たる。2009年より現職。日本性差医学・医療学会理事。 セルフドクターHP

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    手取り14万円「正社員なのに貧困」苦悩する20代女性 唯一の贅沢は月1度の銭湯

     低賃金で働く正社員が増えている。背景には経済のグローバル化と日本型雇用の崩壊がある。AERA 2021年11月29日号から。 *  *  *  手取り14万円──。毎月の給与明細を見るたびに、関東地方で暮らす会社員の女性(20代)は嘆息する。 「夢も希望も持てないです」  就活に失敗し、大学を卒業後は塾の講師やパン屋のアルバイトなどで生活費を稼いだ。当時の収入は手取りで25万円ほど。普通に暮らせたが、安定した仕事に就こうと2年前にインターネットで見つけたのが今の会社だった。社員20人程度の建築会社の事務職。給与が低いことはわかっていたが、賞与もあるというので決めた。  雇用形態は「正社員」。だが、賞与は「スズメの涙」程度だった。年収は300万円いくかいかないか。 「バイトしていたときのほうがお金はありました」 ■外食せず服も買わない  一人暮らしの部屋の家賃は6万円。生活を切りつめても赤字だ。学生時代に借りていた奨学金の一部を貯金していたので、それを取り崩しながら暮らす。外食はせず、服も買わない。唯一の贅沢(ぜいたく)は月に1度、近くの銭湯に行くことだという。 「正社員なのに貧困って、おかしいですね」  これまで「貧困」と言えば、非正規社員に多いとされていた。しかし、今や正社員にも貧困化が進んでいる。  厚生労働省が毎年実施する「賃金構造基本統計調査」を元に、賃金に詳しい都留文科大学名誉教授の後藤道夫さんが、従業員10人以上の企業を対象に「最低賃金+α(プラスアルファ)」より下で働く正社員が2007年と20年でそれぞれ何%を占めるかを試算し、比較した。  最低賃金の1.1倍未満で働く人の割合は07年の1.5%から20年は3.8%、同様に1.2倍未満は2.4%から6.9%に上昇した。1.3倍未満まで広げると4.1%から11.7%に増えた。  また、中所得者層より上の収入の正社員も減っている。年収400万円以上の35~39歳の男性正社員の割合は、1997年の約8割から17年には6割にまで減ったという。  こうしたことの理由について、後藤さんは(1)グローバル化の進展(2)日本型雇用の崩壊──の2点が大きいと指摘する。 「日本の大企業は1980年代後半から本格的にグローバル化を進め、90年代後半にはそれとぶつかる場面が多い年功型賃金や長期雇用といった日本型雇用が見直され、賃金は長期に低下し始めました。グローバル競争に勝つためにコスト削減が強まり、勤続年数とともに給与が上がる正社員が減っていきます」 ■経営側に抵抗しにくい  後藤さんは労働組合の問題も指摘する。 「日本は企業別組合。社内の従業員だけでつくられているので、経営側にどうしても抵抗しにくい形態となっています。対して世界は産業別にまとまった産業別組合です。交渉は経営者団体と産業別の労働組合のリーダーで行うため、産業全体のことを考え賃金も上がりやすくなっています。日本にも産業別組合はありますが、企業別組合の連合体をそう呼んでいるだけで、実質は企業別組合と同じです」  実際、日本の賃金水準は他の先進国と比べると低い。経済協力開発機構(OECD)によれば、20年の日本の平均賃金は3万8514ドル(約437万円)と、加盟35カ国中22位。差が大きかった韓国にも15年に抜かれた。  賃金も上がっていない。OECDによると、20年までの30年間で日本の賃金上昇率はわずか6%。対照的に米国は50%、英国は48%、フランスは33%、ドイツは35%、韓国は88%も伸びている。(編集部・野村昌二)※AERA 2021年11月29日号より抜粋

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    都心タワマン新築1億円を共働き夫婦が「買える」理由 パワーカップルの意外な金銭感覚

     コロナ禍で田舎暮らしへの憧れはあるものの、都心で働く夫婦が家と買うとなればやはり首都圏の物件が現実ではないだろうか。共働き夫婦のリアルな事例事情や最近の不動産動向を探った短期集中連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。一回目のテーマはパワーカップルとタワマン。首都圏の新築マンションの価格は高騰し、タワーマンションならば1億円超えの「億ション」も珍しくなくなった。資産家の投資用かと思いきや、普通の会社員夫婦が購入して住んでいるのだという。共働きで稼ぐ、いわゆるパワーカップルだ。 *   *  *東京都中央区、最寄り駅から徒歩5分、33階建ての新築タワーマンションの一部屋。窓からはいかにも東京らしい都心のビル群や湾岸エリアが一望できる。ここを約8千万円で昨年購入したのは会社員男性のAさん(41)だ。  「夫婦ともに定年まで辞めるつもりはないので、払えると踏んで購入しました」  都内の大手商社に務めるAさんは、広告代理店勤務の妻(40)と夫婦二人暮らし。共働きのAさん夫婦の世帯年収は、約1600万だ。頭金1千万円を夫婦の貯金で支払い、残りの7千万は35年の住宅ローンを組んだ。月々の返済額は、管理費と合わせて22万円程度。夫婦の手取り月収は合わせて78万円前後なので、毎月約28%の収入がローン返済に充てられることになる。かなり高額な買い物だが、会社の同僚には1億円超えの物件を購入した人もいるという。  Aさんの背中を押したのは、「駅近で都心までのアクセスも良く、活気あるエリアの物件で、今後も一定の資産価値を維持できるだろう」という不動産屋の言葉。購入時と同じ8千万円の価格か、それ以上に価値が上がる可能性もあると期待している。一生住むつもりで買った物件だが、「何かあれば買った金額で手放せるはず」ということが、安心感に繋がっているという。 「言ってみれば、貯蓄効果もある買い方。もちろん高い買い物ではあるけれど、値段が下がりづらい物件を買うことは、資産防衛術とも言えると思う」(Aさん)  コロナ禍で景気低迷ばかりが取り沙汰される現在だが、実は首都圏を中心に、高額の新築マンションを買う人が増えている。主な購入層は、「パワーカップル」とも呼ばれるAさん夫妻のような高収入の共働き世帯だ。首都圏のマンション価格は年々高騰しており、不動産経済研究所の2021年度上半期(4~9月)の新築マンションの一戸当たり平均価格は、首都圏(1都3県)で前年同期比10.1%増の6702万円。1973年の調査開始以来、上半期としてバブル期を超える最高値を記録し、高額の東京都心の物件を中心に人気が集まっている。  都心のタワーマンションといえば、不動産業界でも、以前は限られた富裕層のみが買う「特殊住戸」と呼ばれていた。一定の収入がないと買えない物件であることは今も変わりないが、その敷居は以前に比べると下がっており、積極的な購入層は世帯年収1千万~2千万円前後の会社員だという。Aさんはその典型例だろう。  なぜ、会社員夫婦がこうした物件の購入ができるようになったのだろうか。  まず、背景にあるのが、超低金利という今の時代だ。頭金をそれほど用意せずとも、長期のローンを組むことで、年収の高い会社員であれば6000~7000万円程度は容易に借り入れすることができる。夫婦ともに稼ぐ共働き世帯ともなれば、2人で1億円を超えるローンも組むことができる時代だ。大手銀行の借り入れ限度額は1億円が主流だが、ここ数年で高額物件用の借り入れ需要が増している背景から、新興金融機関では上限2億円超えまで対応しているところも多い。こうして夫婦両輪で多額のペアローンを組み、新築の億ションを共有名義で買っている世帯が増えているという。  「一昔前まで住宅ローンの返済額の目安とされていた『世帯収入の20~25%が上限』というセオリーが崩れ、過大なローンを組む人が増えている」  こう指摘するのは、大手デベロッパー出身の不動産コンサルタント、長谷川高さん(長谷川不動産経済社代表)。初めて家を購入する平均年齢は、40歳前後の現在。働き盛りで管理職などになり、それなりの収入を得られていると実感しやすい年齢だ。また、共働きが当たり前の時代になったことも大きい。 「少し前までは、夫婦共働きであっても、どちらか一方の収入を元にローンを組むことが一般的でした。ですが今は、夫婦両輪の“大車輪”のごとく、多額のペアローンを組む例が珍しくない」(長谷川さん)  ローン完済年齢も上がってきている。人生100年時代、60歳以降も働くのが当然という意識を持つ人は多い。「10年ほど前までは、60歳以降は働かない前提で考える人が多かったのが、ここ最近は70歳まで働くことを見据えてローンを考える人が増えている」とは、首都圏を中心とした住宅購入における相談実績も多いファイナンシャルプランナーの飯田敏さん(FPフローリスト)。  Aさん夫妻も、仕事が生活の中心というライフスタイルを変えるつもりはなく、今後子どもを持つ計画もない。ともに働き盛りの40代。仕事は多忙を極め、帰宅は連日深夜がお決まりだ。終電を逃してタクシーで帰宅することも多く、会社のある都心に近いことは必須条件だった。40歳から35年のローンとなると、完済時の年齢は75歳。だが、繰り上げ返済を計画的に行うことで、60~65歳のローン完済を目指している。 「今の社会の流れを見ると、自分たちの頃には70歳まで働くことが当たり前の時代になっているのでは。年金には期待できないけれど、長く働くことで一定の収入は得られるはず」(Aさん)  こうした時代の流れに加えて、タワマンを購入するパワーカップルは「意外と生活は堅実」という点も特徴かもしれない。冒頭のAさん夫妻も高収入ではあるが、ブランド物を買ったり、頻繁に贅沢な食事をしたりするわけでもなく、夫婦一緒に毎月コツコツと貯金を続けている。頭金として1千万円を用意できたのも、浪費をせず、計画的に貯金してきたからこそだ。つまり、ぜいたくな暮らしをしたいからタワマンを購入したわけではないのだ。タワーマンションなどいわゆる高級マンションに住む理由は、ステイタスやブランド意識からではなく、Aさん夫妻のように「資産価値が優れていて、価格が下がりづらい」という背景から選ぶ人も多いという。  不動産コンサルタントの後藤一仁さんは言う。 「確かに都心のタワーマンションはよく売れていて、積極的に買おうとする動きが活発です。ただ、こうした物件を購入する会社員夫婦は、資産を持て余しているから買うのとは少し違います。自分たちの収入の中で買える範囲で、なるべく資産価値を維持できる住宅を求めており、“稼いだお金を減らしたくない”と考える人が多い」  すなわち、現金という流動資産を一旦「タワーマンション」という固定資産に変え、十分に利用したら、またほぼ同じ金額の流動資産や他の固定資産、金融資産などに変えるという作業を計画的に行うという流れだ。 「つまり1億円で買ったマンションが、10年間住んだ後も1億円で売れる可能性が高い、という理由からタワーマンションを選ぶ人も少なくない。タワーマンションは、街の再開発とセットで建てられるケースも多く、一般的に駅近であればなお価値が下がりにくいと言えます」(後藤さん)  Aさんもこんなことを言っていた。 「いざとなれば、買った時と変わらない金額で手放せる物件。この新築タワーマンションは、その条件に当てはまると思いました」  なるほど、今、タワマンを買うのは意外と堅実な選択肢なのかもしれない。しかし、大きな買い物には、ときに意外な落とし穴が潜んでいるもの。次は、長い目で見たときの不動産リスクについて説明しよう。(松岡かすみ) >>【後編:新築マンション高騰の裏で設備がチープ化?ローンを返せない共働き夫婦も 超低金利時代の落とし穴】に続く

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    【ゲッターズ飯田】11月開運のつぶやき「運がいいと信じる人が幸せをつかんでいる」銀の羅針盤座

     占いは人生の地図のようなもの。芸能界最強の占い師、ゲッターズ飯田さんの「五星三心占い」が、あなたが自分らしく日々を送るためのお手伝いをします。12タイプ別に、毎週月曜日にその日の運勢、毎月5のつく日(毎月5、15、25日)に開運のつぶやきをお届けします。12月は15日と25日に配信。 【タイプチェッカー】あなたはどのタイプ?自分のタイプを調べる 【AERAdot.公式LINE】お友達になると毎週月曜に占いが届きます 【金の羅針盤座】世の中もあなたも完璧ではないのに、他人にだけ完璧を求めるほうが愚か者 【銀の羅針盤座】「自分は運がいい」と信じる人が、幸運をつかんでいる 【金のインディアン座】「行けたら行く」と言う人には、運は味方しない 【銀のインディアン座】「失敗したら話のネタにする」くらいの気持ちで挑戦してみましょう 【金の鳳凰座】人の助けを素直に借りる勇気も大切 【銀の鳳凰座】時間が早く過ぎることが人にとって一番の幸せ 【金の時計座】「幸運」は偶然に起きるものではなく、日々の積み重ねと考え方次第 【銀の時計座】明るく元気に素直に生きて、他人を大事にしているだけで、人生はよくなる 【金のカメレオン座】知識や情報を仕入れるだけで、自ら体験しない人に真実は見えてこない 【銀のカメレオン座】幸せとは些細なことだと忘れないように 【金のイルカ座】他人に望むことを、あなたがやればいいだけ 【銀のイルカ座】自分を低く評価する必要はない (『ゲッターズ飯田の五星三心占い2022』より一部抜粋) ※毎週月曜日に占いが届きます!AERAdot.の公式LINEの友達申請はこちら↓↓↓https://lin.ee/trWiCvV

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    「授業準備は5分」に「小学校をなめているのか」 公立教員残業代訴訟の「仕分け」に教員ら困惑

     公立小学校教員が未払い残業代を求めた訴訟で、司法が勤務時間外の労働時間を仕分けた。現場の実態や価値観と合わないチグハグさが、大きな波紋を呼んでいる。AERA 2021年11月29日号の記事を紹介する。 *  *  * 「翌日の授業準備は1コマ5分」「保護者対応はしません」──。もしそんな小学校教員が子どもの担任だったらどうだろうか。一方でその教員は「扇風機の清掃とビニール掛け」「エアコンスイッチ入り切りの記録」には時間を割いている。冗談に思われるかもしれないが、こんな教員が全国で増えても不思議でない状況が生まれているのだ。  10月1日、全国の教員が固唾(かたず)をのんで見守った裁判の判決が出た。埼玉県の公立小学校教員の田中まさおさん(仮名・62)が、時間外労働に対して残業代が支払われないのは労働基準法違反だとして、県に未払い賃金の支払いと国家賠償を求めた裁判だ。教員の慢性的な長時間労働は残業代が発生しないことが元凶とし、歯止めをかける狙いだった。だが、さいたま地裁は訴えを退けた。  公立学校教員の給与は、1971年に制定された教職員給与特措法(給特法)で規定されている。教員の仕事は裁量が大きく特殊だとして、月給の4%分の教職調整額を支給する代わりに、残業代を支払わない。ただし、制定にあたり長時間労働を招く懸念の声があったため、残業させられるのは、校外実習、学校行事、職員会議、非常災害の「超勤4項目」に限った。 ■「自発的行為」なのか  ところが、田中さんは月平均約60時間の残業のうち、9割が4項目以外の業務だと主張。しかも、それらの業務は必要に迫られて行っているのに、教員が好きで勝手にやっている「自発的行為」と見なされ、賃金の対象外にされているのは「おかしい」と訴えているのだ。  これに対して地裁は、田中さんが提出した残業の内容を「労働時間」か否かに仕分けし、時間数も計算。その結果、時間外の労働時間を認めたものの、未払いの残業代の支払いについては給特法が適用されるとして棄却。国家賠償についても、賠償に値するほどの時間量でないとして認めなかった。  その仕分けの一部を抜粋した。これが公開されるや大きな波紋を呼んだ。とりわけ教員から困惑の声が多く上がったのが、「翌日の授業準備は1コマ5分」が相当とする判断だ。  50代の女性教員は言う。 「小学校をなめているのかと思いました。例えば理科の実験授業があるときは、予備実験をします。児童は毎年違うため、同じ実験でもやり方を変えるのです。こうした地道な準備を通して、私たちは授業の質を保ちます。司法にこんなことを言われて、文部科学省や教育委員会は抗議しないのでしょうか?」  労働時間か否かを分かつ大きなポイントとなったのが、校長の指示や命令があったかだ。  SNSには「『労働時間でない』と司法が線引きした残業についてはやらない。断ることだ」「これからはひとつひとつの業務について、校長に『それは命令ですか?』と確かめる必要がある」といったような教員の声が見られた。一方、「労働時間として認められないからといって『保護者対応も教材研究もやりません』なんて無責任なことを教員はできない。それを見越して、つけ込まれている」のようなジレンマの声も少なからずあった。 ■未来の教員にも影響  判決の影響は、教員だけでなく、教員志望の若者にも及んでいる。教育学部3年の女子学生(22)は、高校3年のとき勉強の悩みから学校に通えなくなった時期があった。どん底から救ったのは丹念に話を聞いてくれた教員の存在だった。それが、教職を目指す動機になっている。 「恩師が朝に夕に私にしてくれたことは、今回の判決の理屈でいくと『労働時間とみなされない、好きでやっているボランティア』と判断される可能性が高く、悲しくなりました。恩師に連絡すると『教師の本分だ。構わない』と言ってくれました。その代わり『本分でない仕事は減ってほしい』とも言っていました。恩師は過重労働でメンタルを病み、一時期休職をしていました。国は本気で、教員や教員志望者が安心して働ける労働環境を作ってほしい」(女子学生)  司法上の手続きとはいえ、教育現場の実態や価値観と合わない、この仕分けのチグハグさは何に起因するのか。田中さんの証人として、意見書を提出した埼玉大学の高橋哲准教授(教育法学)は、次のように説明する。 「『翌日の授業準備1コマ5分』というのは、裁判官が主観で決めたもので、教育の専門的見地からではありません。教員のモチベーションやモラルを低下させる可能性は否めません」 ■残業は「無賃強制労働」  一番の問題は、児童の提出物のペン入れや保護者対応など、教員の核心といえる業務が勤務時間内にできず、時間外に押しやられている点だ。 「例えばアメリカの学校では、保護者対応の時間を1週間に80分、勤務時間内に確保しなければいけないなどと決めています。教員のコアな業務については、標準時間を定め、勤務時間内に時間を確保できるよう労働環境を変えていかなければいけません」(高橋准教授)  裁判を起こした田中さんが、教員になったのは81年。このころは児童が下校したあと翌日の授業準備をし、定時で帰れた。状況が変わったのは、2000年ごろからだ。校長の権限が強化され、職員会議が校長の補助機関に変わった。それまでは、職員会議でさまざまな業務について話し合いで決めていたが、今は意見を言う教員はほとんどいない。業務量はどんどん膨らみ、勤務時間内に終えられなくなった。 「英語、プログラミング、コロナ対応……新しい仕事がどんどん降ってきます。校長は、残業の指示や命令はしていないと裁判で述べましたが、勤務時間内に終えられないほどの量があり、残業を余儀なくされているのです。残業は“自発的行為”という名のもとの『無賃強制労働』です」(田中さん)  16年の文科省の調査では、小学校教員の3割、中学校教員の6割が、過労死ラインとされる月80時間以上の残業をしている実態が明らかになった。 「若い女性教員が、今の働き方では『子どもを産み育てることはできない』というのを聞いて、ショックを受けました。今の労働環境を若い教員たちに引き継いではいけないと思い、訴訟を起こしました」(同)  田中さんは一審を不服として控訴した。二審は早ければ年内か年明けに、東京高等裁判所で開かれる見通しだ。今回の判決を受けて、田中さんの支援事務局が始めた署名は4万筆以上集まった。裁判費用のクラウドファンディングも目標の200万円に到達しそうな勢いだ。 ■部活も時間外に重負担  支援事務局を立ち上げたのは、東京学芸大学4年の石原悠太さん(24)。4人の学生で運営している。石原さんは言う。 「この裁判は僕たちにとって他人事ではありません。既に教壇に立っている仲間もいます。労働環境を改善し、より良き教育につなげていきたいです」  一審は敗訴となったが、画期的な前進もあった、と前出の高橋准教授は指摘する。 「これまでの裁判では、教員の残業は『自発的行為』として労働時間が一切認められませんでしたが、今回、初めて労働時間が認められました。これによって教員も1日8時間を超えて勤務させられた場合は、違法になる可能性が出てきました」  かねて中学や高校では部活動の時間外労働の負担の重さに、多くの教員が声をあげてきた。もし訴訟を起こした場合、どうなるのだろう。田中さんの代理人の若生直樹弁護士は言う。 「今回の判決を前提に見た場合、まず部活動は学校教育の一環として学習指導要領に位置付けられています。このため校長が部活動指導を当該教員に任せていた実態が認められれば、教員が自主的に行った活動とはいえず、労基法上の労働時間と判断される可能性があります。長時間の時間外労働が認定されれば、国家賠償の対象になる可能性も十分あると考えられます」  文科省は、取材に対して「学校における働き方改革を一層進めていく。給特法については、来年度実施する勤務実態調査の結果を踏まえ検討する」と答えた。全国の教員の残業代を仮に支払うとなると、年間約9千億円と試算されている。もはや細かな施策で解決できるレベルを超えている。新政権の本腰を入れた取り組みが問われている。(編集部・石田かおる)※AERA 2021年11月29日号

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    1年に3日しか休めなかった心臓外科医が、働き方も診療の質も劇的に改善させた「業務改革」とは

     忙しい医師の世界のなかでも、とりわけ多忙と言われる心臓血管外科医。神奈川県の菊名記念病院・心臓血管外科部長の奈良原裕医師も、これまで「年に3日しか休みがない」という生活を送っていた。こうした働き方では「医療の質も担保できない」と危機感を覚えた奈良原医師は、業務改革に取り組み、働き方のみならず診療の質を向上させることにも成功した。会社員を経て医学部に入り、38歳で心臓外科医になったという“異色”の医師は、どうやって心臓血管外科を変えていったのか。<<前半・偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生>>から続く *  *  * 北陸新幹線の佐久平駅から車で30分。長野県佐久穂町立千曲病院に、奈良原医師は毎週金曜日、東京から片道2時間半かけて日帰りで勤務する。 「佐久穂町は意外と近いですからね。以前は、片道3時間半かけて新潟県・松之山や5時間半かけて北海道・木古内に日帰りで診療に行っていました」  奈良原医師は、中央大学法学部を卒業後、一般企業での4年半の社会人経験を経て、29歳で医学部に合格。35歳で卒業後、激務ゆえ学会では「30歳以下でなることが望ましい」と言われるという心臓血管外科医を38歳からめざしたという“異色”のキャリアをもつ。  現在、常勤先である菊名記念病院の心臓血管外科部長として多忙な日々を送るなか、奈良原医師は週に1回、医師不足の町へと日帰りで診療を行っている。だがそれができるまでには、10年にわたる心臓血管外科の業務改革が必要だったという。 ■「1ヶ月のうち91%は病院で過ごしていた」  10年前、菊名記念病院心臓血管外科は、奈良原医師とその上司の2人で切り盛りしていた。病院のそばに住んではいたものの、家に帰ることはほとんどなく、病院に泊まることもしばしばだった。 「振り返ってみると、1ヶ月のうち91%は病院で過ごしていたようです。一番ひどい年は、年間の休みは3日だけ。そのうち1日は地方の結婚式に、残りの2日間は学会に出席していました」  奈良原医師が同病院で働き始めた2008年ごろ、患者の50%以上は救急患者だった。救急で来るということは当然、緊急性が高いため、すぐに治療しなければならない。夜中に飛び起きて手術、外来で待合室に患者がいても手術を優先する、という日常生活を送っていた。手術が終わっても一段落とはいかない。重症患者の場合、術後の不整脈や再出血など、さまざまな対応をしなければならなかった。  重症ゆえに日曜日も入院患者の様子を見る必要があった。別の診療科の医師がすぐ対応できるほど、心臓手術後の患者の対応は「甘くない」という。結局、週7日で勤務する日々が続いていた。 「1人の患者に対する業務量はかなり多い。忙し過ぎれば医療の質が落ちる可能性もあるし、場合によっては安全性も担保できないかもしれない。このままではだめだ、という危機感がありました」 ■起死回生のFacebookで「いいね」3000超え  そこで上司と一緒に始めたのが、Facebookでの情報発信だ。「当時、病院がSNSで情報発信するのは珍しかった」と奈良原医師は振り返る。内容は、診療に当たって日頃思っていることや一緒に働く仲間のこと、今日食べたランチなど心臓血管外科医の日常をありのままにつづるというもの。これを写真とともに投稿したFacebook記事には3000以上の「いいね」がつき、先駆的な試みとして医療系のメディアで紹介されることもあった。 「発信の目的は自分たちを知ってもらうこと。私たちの人となりを見てもらって、患者さんや他院から少しでも信頼していただけたらと。その結果、こんな先生がいるからここで手術してもらってはどうですかと、他院から患者さんたちが次第に紹介されるようになりました。紹介患者さんの手術は緊急ではなく予定された手術としてスケジュールが組めるので、看護師さんたちも含めて仕事がやりやすい。仕事の予定が立つというのは、救急患者ばかりのそれとは負担感が全く違います。結果的に、手術後の患者さんの病状も安定していることが多くなります」  手術前の診療にも良い影響があった。紹介で来院した患者と話すと、「先生のことはFacebookでよく見ています」「このあいだ投稿していたお弁当、おいしそうでしたね」と話が始まる。初対面でもうち解けた雰囲気で、患者との信頼関係をつくることができた。  さらにFacebookを見た医療関係者のなかから、この病院で働きたいという若手があらわれた。働き方改革だけでなく、仲間を増やすこともできたという。  休みがほぼない状況で働きつづけて10年。二人の部下ができたおかげでやっと週に1日の休日を手に入れた。しかし奈良原医師は「休みができたからには、何か世の中のためになることをやりたい」と考え、空いた時間を地域医療に使うことにした。社内で評価されることを第一に考えて働いていた会社員生活を捨て、人のために働きたいと思って医師の道へ――。そのときの思いが自分を突き動かしたという。 「地方では、6、70代、場合によっては80代の先生が一人で頑張って医療を支えているところも多い。また、必要な専門医が不在なため医療が不十分となっている地域もあります。そこで医師不足で困っているところのお手伝いをしようと考えました」  全国自治体病院協議会という団体に相談し、2016年、新潟県十日町市の松之山診療所で診療を始めた。 「ある先生がたった一人でやっている診療所なのですが、その先生は午前中に別の診療所で働き、午後にそこから車で1時間近くかかる松之山診療所に来るという働き方をしていました。医師が足りていないため、そうせざるをえないようでした。週に1日だけでも支援してくれるとありがたいということで、毎週金曜日に日帰り診療に行くことになりました」 ■都市部と地方の交流で医療格差を解決したい  地方では「こんな遠いところまで日帰りで来てくれる医師はいないだろう」という発想になりがちだと奈良原医師は言う。 「だからニーズがあるのに、それを上手く生み出せていません。でも今は、新幹線をはじめとして交通も発達しているから、都市部から地方に日帰りすることも可能です。また、会社もそうですが、4月になって人が入れ替わると、組織が活性化しますよね。外部の医師との交流が生まれることは、地方にとってもいい効果があると思っています」  奈良原医師は今、自身のSNSで、佐久穂町への日帰り診療の様子を発信し続けている。診療のことだけでなく、食べたものや町で行われたイベントについてなど、話題はごく身近なものも多い。 「都市部と地方の医師の交流が進めば、医師の偏在や地域間医療格差の解決につながるのではないかと、本気で思っています。どちらの医師にとっても、またそこで暮らす患者さんたちにとっても良い流れになったらいいなと思って、楽しみながら日帰り診療を続けています」 (白石圭) <<前半・偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生>>から続く

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    19時間前

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    中古マンション争奪戦「10年間、タダで住めたようなもの」世帯年収800万円夫婦も狙う物件とは

     新築信仰は今は昔。都心部で家を買う場合、中古マンションが争奪戦となっている。超低金利時代、世帯年収がそれほど高くなくても手が届くようになったことも大きい。最近の不動産事情を探った短期集中連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。子育て世代がいま、都心で家を買うならば、何が“正解”なのか。今回は、中古マンション購入のリアルな事例と最近の傾向を紹介する。 *     *  * 千代田区、2LDK、55平米、最寄り駅から徒歩10分以内。  都心の大手企業に勤めるAさんは、妻(33)と1歳の子どもと3人暮らし。そのAさんが3年前に購入したマンションの特徴だ。子どもが小さいとはいえ、子育て世代の“あこがれあのマイホーム”としては、55平米はちょっと手狭ではないだろうか。子どもはこれからどんどん大きくなる……。  すると、Aさんはあっけらかんと答えた。 「5年後にはだぶん売却していますよ」  いまAさんが住んでいるマンションは中古物件で購入時の価格は約6千万円。土地柄、文教施設も多い。「周囲に大学が多く、資産価値が下がりにくいだろう」という不動産屋のアドバイスを踏まえ、決めた。  このマンションを購入するまでは、渋谷区で月18万円の賃貸マンションに夫婦で住んでいたが、「高額の家賃を払い続ける生活はもったいない」と、購入に踏み切った。その時に大きな後押しとなったのが、10年前に買った渋谷区のマンションを、購入時とほぼ同じ価格で売却したという会社の先輩の話だ。  その先輩は妻と子ども2人の4人家族。子どもの成長とともに部屋が手狭になったことから、2人目の子どもが小学校に上がるタイミングで、「より広い部屋に移り住もう」と住んでいたマンションを売却。利便性が高い人気エリアだったこともあり、購入時とほぼ同じ金額でも、すぐに買い手がついたという。「10年間、タダで住めたようなもの」とホクホク顔の先輩を見て、Aさんは「自分も資産価値が保てる家を選ぼう」と心に決めた。  買うと決めてから、今の家に出会うまでの期間は約半年。子どもが小学校に上がる5年後のタイミングで資産価値が大きく下がらなければ、今の家を売却し、その資金を元手に、もう少し広い部屋に住み替えを検討しているという。 「売却時に実際いくらで売れるかはその時になってみないと分かりませんが、現状の周辺エリアの売却相場を見る限り、価値は維持できるだろうと踏んでいます」(Aさん)  今、Aさんのように、都市部を中心に、いずれ売却することを想定してマイホームを買う人が増えているという。たとえ「一生住み続けるつもり」で家を買ったとしても、人生100年時代と言われる中、自分を取り巻く状況がいつ変わり、何が起こるか分からない。先が見通しにくい時代だからこそ、リスクヘッジという意味でも、「いざとなれば家をお金に換えられる」買い方を望む人が増加している。 「今は家の選び方によって、その後の人生の明暗が変わってくる可能性があると言えるほど、物件選びが重要な時代です。選び方の知識がないと、後悔することになりかねません」  首都圏を中心に不動産の購入、売却など、これまで6千件を超える取引を行ってきた不動産コンサルタントの後藤一仁さんは、こう指摘する。  現在、首都圏の住宅購入において最も取引が活発なのは中古マンションだ。都心を中心に新築マンションの価格が高騰していることからも、中古マンションに目を向ける人が増えており、激しい争奪戦が繰り広げられているという。  マンショントレンド評論家の日下部理絵さんも、こう続ける。  「以前は新築信仰が強い傾向でしたが、今は中古に対する抵抗感を持つ人が少なく、ここ最近は築浅物件のみならず、都心にある築30~40年の古い物件もよく動いています。リノベーションの専門業者も増え、中古物件を自分好みにリノベーションして住みたいと考える人も増えています」  とはいえ都内、それも都心周辺に家を購入できるのは、高額所得者に限られるのではないか。 「そうとも言えません」というのは、前出の後藤さんだ。後藤さんによれば、資産価値を考えたマンション購入を検討している層は、30代~40代の共働き世帯も多く、購入予算は5千万~6千万前後。平均の世帯年収は800万~1千万前後で、自己資金として夫婦で400万~600万程度貯めている世帯が多いという。 「例えば年収500万円前後の夫と400万前後の妻で、二人合わせて世帯年収が800~900万前後という方も多く検討されています。今は住宅ローンが史上最低とも言える超低金利ということもあり、金利が上がらないうちに、ここ1年ぐらいで買おうと考えている方も少なくありません」(後藤さん)  いずれ売ることを視野に入れて家を買うとなると、選び方にもコツが必要だ。もちろん実際に自分が住む家となると、資産価値という尺度だけでは測れない“住み心地”や“快適さ”など、感覚的な部分も大事だが、それは人それぞれの価値観がある。ここではあくまで、「資産価値を保ちやすい家」という視点で解説しよう。専門家らの話を紐解くと、4つのポイントが浮かび上がってきた。(松岡かすみ)  >>【後編:マンション購入「妻の実家の近く」で選んで失敗 いい物件の見極めは? 駅徒歩7分、60平米…】に続く

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    マンション高騰の裏で設備がチープ化?ローン返せない共働き夫婦も 超低金利時代の落とし穴

     首都圏で家を買う夫婦のリアルな事例や最近の不動産事情を探った連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。今回のテーマはパワーカップルとタワマン。首都圏の新築マンションの価格は高騰しているものの、会社員夫婦の購買意欲は旺盛だ。超低金利などの条件がそれを可能にしている。だが、リスクはないのか。専門家にきいた。 >>【前編:都心タワマン購入パワーカップルの意外な生活感 新築1億円を共働き夫婦が「買える」理由】から続く *     *  *バブル後の景気低迷から、「超低金利時代」と言われて久しい日本。だが、大手デベロッパー出身の不動産コンサルタント、長谷川高さん(長谷川不動産経済社代表)は「超低金利が当たり前という時代を生きてきた世代が、リスクをよく考えずに多額のローンを組んでいる」と警鐘を鳴らす。 「今は、夫婦両輪の“大車輪”のごとく、多額のペアローンを組む例が珍しくない。今は良くても、病気や事故、子育てや転職などで、どちらかの収入が減ったり途絶えたりするリスクは当然ある。借り入れ金額を増やしてしまうことで、教育費などの支出がかさみ、ローンの支払いに窮するケースもよく見られています。借りられる金額が、必ずしも返せる金額ではないということを考えるべき」  高額な借入金である住宅ローンは、組み方を失敗すると、自らの人生を不幸にしてしまうほどのものとも言える。超低金利時代とは言え、固定金利にするか変動金利にするかも、リスクの面から見ると大きな差がある。超長期固定金利の住宅ローン金利が低い今は、原則的には「全期間固定金利(超長期)」でローンを組むことを考えた方がいいそうだ。 「不動産会社の営業マンは、少しでも月々の支払額を安く見せたいので、『ほとんどの方は変動金利で借りています』などと、変動金利を奨めてくることも多い。ですが金利上昇リスクのある変動金利で借りることは、大きなリスクを背負うことになる。『金利が安いのは当たり前』だと思い込むと、こんなはずじゃなかったということになりかねません」(長谷川さん)  また人生100年時代といえども、定年後も長く働くことを前提にローンを組むこともリスクが高い。会社員で高収入である仕事は、一般的に多忙であることが多い。忙しく働き続けることで、体調を崩すことがないとは言い切れない。 「10年ほど前までは、60歳以降は働かない前提で考える人が多かったのが、ここ最近は70歳まで働くことを見据えてローンを考える人が増えている」とは、首都圏を中心に住宅購入における相談実績も多いファイナンシャルプランナーの飯田敏さん(FPフローリスト)。40代半ば~後半の住宅購入も増加傾向にある中、「定年後もローンを払い続けるシナリオにしかなり得ないが、本当に大丈夫だろうか」といった相談も増えているという。 「危機管理という視点では、夫婦共働きであっても、『どちらかが働けなくなったら』という視点のもとでローンを組んだ方が良い。『70歳まで健康で働けるはず』と、自分が病気をしない前提で考えることにもリスクがあります。また総支払額だけを見て、『住宅ローンは短めに組んだ方が有利』と、最初から短期間のローンを組むことは危険。長期の住宅ローンを組み、繰り上げ返済をうまく利用して、結果的に短期間で完済することはできても、一旦短期で組んだ住宅ローンを長期にすることは原則としてできません」(飯田さん)  新築マンション価格が高騰し、高止まりが続く中、「今は新築マンションを買うことは避けた方が良い」という声もある。新築マンションの価格は、土地や建物などにデベロッパーの利益やプロモーション費用などを積み上げて価格を算出する原価法から導き出す「積算価格」によって決まる。一方、中古マンションは、主に物件周辺の取引事例から価格を算出するのが一般的だ。現在の新築マンション価格高騰の背景には、アベノミクスや日銀の金融緩和などの影響に加え、東日本大震災の復興や五輪開催に向けたインフラ整備のための人件費の上昇、資材の高騰による工事費や土地価格の上昇などの要因もある。不動産コンサルタントの後藤一仁さんは言う。 「物件の条件にもよりますが、一般的には今のような価格高騰の時期に新築マンションを買うと、将来売却する際に、価格が下落する可能性が高いと言わざるを得ません。一方で、ITバブル崩壊後の2002~2004年や、リーマンショック後の2009年、東日本大震災後の2011~2012年などは新築マンション価格が低くなりました。本来であれば、新築マンションは、このように価格が下がるタイミングで買う方が購入額を維持しやすいですし、場合によってはリセール時の値上がり益(キャピタルゲイン)も狙える」  現に、1990年前後の不動産バブル期に高騰した価格で家を買い、30年ほど経った今、その物件を売ろうとしているケースでは、購入時の価格の3分の1~半額以下になることも多いと言う。前出の長谷川さんも、こう続ける。 「私のところに相談に来られる60代前後の方も、『あの時あんなに高い金額で買ったのに、これっぽっちの金額でしか売れないなんて……』と肩を落とす人は多い。資産価値を見込んで買ったとしても、この先絶対に価値が下がらないとは誰にも言えません」  さらに新築マンション価格の高騰の裏で、少しでも価格を抑えるための手段として、面積を狭くし、設備をチープ化している物件が数年前と比べて多く見られるのも、今の傾向だという。 「例えばスロップシンク(バルコニーなどに設置されている流し)やアルコープ(共用廊下から各住戸の玄関部分までの空間)など、数年前まではマンションの標準設備として比較的多く存在していたものが、今の新築マンションではなくなっているケースがよく見られます。“建物全体の顔”であるメインエントランスは、かなり豪華な仕様にしているものが多い一方で、専有部分はチープ化が進んでいる。この傾向から見ても、単に“新築であること”に惑わされず、しっかり物件を見極めることがより大事になってきています」(後藤さん)  もちろん、個々の条件によっては資産価値を維持できる可能性の高い新築マンションもある。大切なのは、「このまま超低金利時代が続くはず」「資産価値が絶対に下がらないはず」「70歳まで働けるはず」などと、先々を楽観的に考え過ぎて動かないことだ。先行き不透明で不安定な時代、「住宅ぐらいは確かな資産価値であってほしい」と願う声も理解できる。だが、人生100年時代、いつ何が起こるか分からない。  会社員でも億ション購入が夢じゃない時代。多額のローンを抱える前に、今一度リスクを想定したシミュレーションを練ってみてはどうだろう。(松岡かすみ) >>【11月27日10時公開】中古マンション争奪戦「10年間、タダで住めたようなもの」世帯年収800万円夫婦も狙う物件とは

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    巨人なのに非紳士的…他球団のファンも激怒した“ずるい”プレーと発言

    「巨人軍は常に紳士たれ」とチーム憲章にあるように、巨人の選手たちは、社会人の模範になるような行動が求められている。グラウンドでも当然紳士らしくフェアプレー精神に則り……と思いきや、ところがどっこい、過去には、紳士とは大違いの“ずるいプレー”も何度となく演じているのだ。  失点を防ぐために守備妨害を演出したとしか思えないプレーが見られたのが、昨年9月17日の阪神戦だ。  1回表、2点を先行された巨人は、なおも2死満塁のピンチで、木浪聖也の打球は、高くバウンドして、二塁方向へ。セカンド・若林晃弘が前進して捕球に行ったが、タイミング的に内野安打になりそうに見えた。  すると、若林は左手のグラブをヒョイと一塁方向に差し出した。そこには若林との接触を避けようとスピードを落とした一塁走者・陽川尚将の姿があった。  打球を処理するはずのグラブで陽川に接触している間に、ボールは後方へと抜けていった。これを見た森健次郎二塁塁審は、守備妨害を取り、陽川にアウトを宣告した。  矢野耀大監督が抗議したが、「打球を処理する守備優先」という鉄則がある以上、どうにもならない。結果的にルールの盲点を突いた形の巨人は3点目を阻止したものの、自ら当たりに行ったような若林の不自然な動きが物議を醸したのは言うまでもない。  解説者の巨人OB・篠塚和典氏はさすがに言葉を選びながら「若林はうまく演技してますね」と評したが、阪神OBの関本賢太郎氏は「僕には悪質な……故意にぶつかりに行ったように見えましたけどねえ」と批判した。  ネット上でも「どこが守備妨害だよ笑」などの非難コメントが相次ぎ、巨人の3投手も、怒りを闘志に変えた猛虎打線に滅多打ちにされて計11失点と大炎上。目先の1点阻止にとらわれた代償は高くついた。  フライを落球したにもかかわらず、あたかも捕球したかのように演技し、審判の目を欺く事件が起きたのが、11年4月20日の阪神戦だ。  2対2の7回、阪神は鳥谷敬の犠飛で1点を勝ち越し、なおも2死一、三塁で、ブラゼルが二塁後方に高々と飛球を打ち上げた。  セカンド・脇谷亮太が背走しながら捕球したかに見えたが、次の瞬間、ボールがグラブからポロリとこぼれ、地面に落下した。だが、土山剛弘一塁塁審の立ち位置からは、死角になって見えない。直後、しゃがみ込んだ姿勢の脇谷が右手にボールを握りながら、直接捕球をアピールすると、土山塁審は「アウト!」をコール。安打と判定されていたら、阪神は1点を追加していただけに、「そりゃないよ!」である。  真弓明信監督が「(判定は)微妙じゃないだろう。(土山塁審は)たぶん見えていない。二塁塁審も見る場所が悪過ぎる」と抗議したが、VTRにボールが地面に落ちた瞬間がはっきり映っているにもかかわらず、判定は変わらなかった。  そして、この誤審が試合の流れをも変えてしまう。8回、巨人は長野久義の幸運な三塁強襲二塁打などで3点を挙げ、逆転勝ち。踏んだり蹴ったりの阪神側は「(地面に)落ちているよ。お客さんも見ている。アンパイアで負けたと言われても仕方がない」(木戸克彦ヘッドコーチ)とカンカンだった。  さらに脇谷の「VTR?テレビの映りが悪いんじゃないですか?」の新聞コメントが、虎党の怒りを倍加させた。「審判が判定したのだからアウト」ならまだしも……。   当時、テレビメーカーが「映りが悪くなることはない」と反論したことも懐かしく思い出される。  生還を阻止せんとばかりに、三塁ベース上で走者を上から押さえつけるプロレスまがいのプレーで騒然となったのが、00年6月8日の阪神戦だ。  5対3とリードの阪神は、8回にも平尾博司の二塁打で無死二塁のチャンスをつくり、次打者・ハートキーは投前に送りバント。河本育之は素早く処理し、三塁に投げたが、悪送球となり、ボールはファウルグラウンドを転がっていった。  二塁走者の平尾はこの間に十分本塁を狙えるはずだったが、なんと、捕球に失敗したサードの元木大介が、三塁にヘッドスライディングした平尾の上からのしかかるようにして押さえつけているではないか。「どさくさに紛れて押さえ込まれた」(平尾)。これでは動くに動けない。  ここで平尾の救出に向かったのが、伊原春樹三塁コーチ。怒りをあらわにして突進すると、あっという間に元木を突き飛ばし、平尾に「早く本塁に行け!」と指示した。「思わず手が出ちゃった。クセ者の元木がなかなかどかないから」(伊原コーチ)。  ところが、今度は巨人・長嶋茂雄監督がベンチを飛び出し、伊原コーチの行為がインプレー中だったことを理由に、守備妨害で平尾をアウトにするよう要求。騒ぎはさらにヒートアップした。  だが、井野修三塁塁審は「すべてのプレーが終了したうえで判断すれば、一番悪いのは元木」と走塁妨害を適用し、生還を認めた。  結局、この6点目がモノを言い、阪神は1点差で逃げ切ったが、元木のプレーは「ずるい」と言われてもしょうがないものだった。  元木といえば、ほかにも隠し球や併殺阻止の万歳スライディングなど、“ずる賢いプレーのデパート”的存在。紳士の球団では、異色のプレーヤーだった。(文・久保田龍雄) ●プロフィール久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」(野球文明叢書)。

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    小室圭さん帰国便同乗者が目撃した姿「彼はまるでエグゼクティブ」 自宅前では深々とお辞儀

    颯爽と歩きながら、小室圭さんがアメリカから帰国した。日本の地を踏むのは2018年8月に渡米して以来、3年2か月ぶりだ。  成田空港は多数の報道関係者が集まっており、ピリピリムード。報道陣に対して、カメラのフラッシュ禁止、声掛けも禁止といった規制が敷かれていた。報道関係者からは「どうして?」と不満の声も漏れていた。  午後3時20分過ぎ、成田空港に飛行機が到着。一般客が飛行機から降りたあと、小室さんが、報道陣の前に姿を現した。警護と思われる男性やキャビンアテンダント(CA)の女性などに囲まれていた。キャリーバックを転がしながら、白マスクに、濃紺のスーツ、ストライプの入ったシャツ、ノーネクタイといういで立ちで、髪の毛は後ろに縛っていた。  飛行機から出てきた小室さんは報道陣に一礼したあと、新型コロナウイルスの抗原検査、そして入国手続きに進んだと見られる。  小室さんは機内でどのような様子だったのか。偶然、同乗していた男性(51)に話を聞くことができた。 「私がファーストクラスで座っていると、ドアが閉まるギリギリになって小室さんが搭乗してきました。まるでエグゼクティブのようでした。後ろの髪を結っていたので、すぐに彼だとわかりましたね。彼一人に女性CAが2人くらいついて、会話しながら案内されて入ってきました」  当初はエコノミークラスのチケットを買ったと報じられていたが、この男性はこう語る。 「右の列のビジネスクラスの前方の席で、窓際に座っていましたね。私の席から右斜め後ろのほうの席でした。ただ、カーテンでファーストクラスとは仕切られていたので彼の表情などはわからなかったです」  男性は飛行機から降りた後、抗原検査のために、大きめの部屋に移ったという。40分ほどその部屋に滞在したが、そこに小室さんの姿はなかった。 「今か今かと待っていたのに、残念でした」(男性)  そのころ、到着ロビーには多数の報道陣のほか、「皇室系Youtuber」といったタスキをかけた人物や一般客も小室さんの姿を一目見ようと集まっていた。その数、50~60人ほど。  津田沼から来たという白髪交じりの一般男性は手にハンディカムを持ち、小室さんを待ち構えていた。妻に頼まれて自宅で見るために撮りに来たという。  しかし、小室さんは一般客が使う到着ロビーを通らず、地下駐車場から車に乗り込み、成田空港を後にした。「地下駐車場から空港を出たらしい」と男性に知らせると、「こんなに待っていたのに……」と不満げな様子だった。  小室さんを乗せた乗用車が向かった先は、母・佳代さんが住む横浜の自宅だった。自宅前は朝から報道陣が詰めかけ、警察は臨時の派出所を設置し、周辺警備に当たるなど、ものものしい雰囲気が漂っていた。夕方には100人を超える報道陣が押し寄せており、ベランダから様子を一目見ようとする住民の姿も見られた。  19時過ぎ、小室さんを乗せた車が到着。警察が後部座席のドアを開け、車から出てきた。小室さんは、報道陣から「どんなお気持ちですか」と声を掛けられたが、反応は示さず、自宅マンションの入り口で2回ほど深々とお辞儀をして、黒いスーツを着た男性らと中に消えていった。  近くに住む60代の男性はこう語る。 「ヘリコプターの音がすごくて『何事か』と思って見に来た。3年前の婚約会見後のときと同じような状況だと感じましたね。小室さんがニューヨークに行ってからは、静かになっていたんだけど……。またしばらく騒々しくなるのかなと思っています。どの家庭も問題を抱えていますし、小室さんと眞子さまも早くアメリカで幸せになってほしいですね」    小室さんは今後、自宅で2週間の隔離を終え、その後、記者会見に臨むと見られている。果たして何を語るか。注目が集まる。 (AERAdot.編集部/上田耕司、飯塚大和、吉崎洋夫)

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    眞子さんの変わりようにドン小西、驚く 小室夫妻をファッションチェック

     11月14日、司法試験不合格や、離日直前の金銭問題解決など、多くの話題を振りまいたあと、米国の新居に向けて出発した小室圭さんと眞子さん。ファッションデザイナーのドン小西さんがチェックした。 *  *  *  2人の出発を見て、昭和の童話を思い出しちゃったよ。生活苦の家族が3人で一杯の蕎麦をすするっていう一杯のかけそばだよ。王室の肩書を利用する気満々の英国のハリー&メーガンとは正反対。すべてを捨てて、小さな幸せを見つけに行くぞっていう覚悟が、2人のファッションに見えるもんな。  なんたって驚くのは、眞子さんの変わりようだね。会見のザ・皇室ワンピースから一転、丸首のセーターにワイドパンツっていう紺と黒のコーデに、肩にはショルダーバッグ。よくあるOLの旅行スタイルだけど、おろした髪もツッヤツヤだし、前よりずっと輝いて見えるじゃん。  一方の圭さんは、丸ヨーク柄のニットブルゾン。ダース・ベイダーのTシャツがのぞいているが、普段ビシッとスーツを着ている人ほど、カジュアル服のセンスが悪いのはお約束だもの。年相応のファッションだよ。ま、普通が一番かっこいい時代の象徴のような2人。どうぞお幸せに。 ■評価は……? 4DON! 「特別感ゼロのイデタチが好感」 (構成/福光恵)※週刊朝日  2021年12月3日号

    週刊朝日

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    硬くなっていく血管をケアするには? 医師がすすめる日々の食事と運動の方法

    「人の老化は血管から始まる」ともいわれるように血管ケアはアンチエイジングの要。年齢を重ねることで硬くなっていく血管をケアしていくには日々の食事や運動で脂質をコントロールすることが大切です。今回は女性の血管ケアについて、日本の「性差医療」の草分け的存在である天野惠子先生にお聞きしました。前編に続いて、後編では、どのような血管ケアを行ったらよいかを具体的にご紹介します。(自分で自分の健康を守るための健康情報を発信する「セルフドクターWeb」より転載) *  *  *食事の工夫で血液中の脂を増やさない  コレステロールが高いから卵はダメ、肉もダメというのではなく、コレステロールや中性脂肪を減らしたり吸収を抑えたりする食材を使って、賢く脂質コントロールしましょう。コレステロールの7~8割は体内でつくられ、食べ物から摂取されるのは2~3割しかありません。コレステロールの生成や貯蔵は全て肝臓で行われ、肝臓は体内のコレステロールが一定になるように需要と供給のバランスを上手に調整しています。そのため、コレステロールが多く含まれる食べ物を摂っても、すぐにコレステロール値が上がるということはありません。  とはいえ、動物性脂肪を摂り過ぎればLDLコレステロールが増え、炭水化物(糖質)や脂肪、アルコールを摂り過ぎれば中性脂肪が増えるのも事実。バランスを心がけましょう。脂質コントロールのお助け食材となるのが、意外なことにある種類の油。青背魚や亜麻仁油、オリーブ油などの油は、コレステロールや中性脂肪を減らしたり、血流をよくしたりするのに一役買ってくれます。  天野先生の心配は、実は更年期よりも20代、30代の女性たち。「見ていると、40代の半ばから50代には料理をする人がたくさんいますが、若い女性たちに聞くと、家に包丁もない、コンビニで買ってきた物を食べるという人も多い。栄養の偏りも多く、あまり摂りたくない油も日常的に摂っています」と先生。これではエストロゲンが出ていても、血管や血流に危険信号が灯ってしまいます。 食事で摂りたいのは「オメガ3脂肪酸」  血管ケアに特におすすめなのが、魚に含まれるEPAやDHA、亜麻仁油などに含まれるα-リノレン酸などの「オメガ3」ことn-3系脂肪酸。この種類の油には、血液中の中性脂肪を減らしたり、血栓ができるのを防いだりする働きがあります。「オメガ3には抗炎症作用があり、認知症の予防にもなるんですよ」と天野先生。また、オリーブ油、キャノーラ油(菜種油)もLDLコレステロールを減らす働きがあります。  ちなみに、脂肪酸の種類は、大きく分けて動物性脂肪などの「飽和脂肪酸」と植物性脂肪などの「不飽和脂肪酸」、化学的に生まれた「トランス脂肪酸」に分けられます。飽和脂肪酸はコレステロール値の高い人は控えたい油。この他、コレステロール値にかかわらず控えたい油に、マーガリン、ショートニング、食用精製加工油脂に多く含まれているトランス脂肪酸があります。血管に対する毒性が指摘されているため、加工食品を購入する時は原材料表示を確認するようにしましょう。  また、食物繊維には、コレステロールの吸収を抑える働きだけでなく、糖質の急激な吸収を抑え、腸内の有害物質を体の外に排出してくれるといった、うれしい働きがあります。水溶性食物繊維のほうがコレステロールを減らす効果は高いとされますが、不溶性食物繊維も腸の働きを整えて、コレステロールや中性脂肪の数値を下げる働きがあるため、どちらもしっかり摂ることが大切です。 運動でしなやかな血管を目指す 「年をとれば誰しもキレイな血管ではいられません。それでも硬くなることを防ぎたい。それには内皮細胞が、血管拡張作用をもつ一酸化窒素(NO)を出し続けてくれるような生活をしていればいいわけです」と天野先生。内皮細胞というのは、血管の最も内側にあり、血液と接しています。そこで重要になるのが、血流。血流がよいと内皮細胞がこすれて血管を拡張するNOを放出。これが動脈硬化の予防にもつながります。  血流をよくする一番の方法が、運動です。定期的に運動することによって中性脂肪が減り、HDLコレステロールが増えることが分かっており、逆に運動不足の人ほど、動脈硬化が進みやすいことも分かっています。だから厚生労働省も1に運動、2に運動、3に運動と言っているのです。運動で血流をよくし、しなやかな血管をキープしましょう。 有酸素運動で脂肪を燃焼  血管対策としてはまず、有酸素運動から始めるのがおすすめ。そこに筋トレを組み込めば相乗効果が期待できます。運動時間は30分以上を、週3回以上が望ましいですが、時間がなければ10分×週3回でもOK。寒い季節は心筋梗塞のリスクが高まる早朝などの時間帯は運動を避けましょう。  有酸素運動は、体内に取り込んだ酸素を使って糖質や脂肪を燃焼しながらエネルギーをつくり出す運動のことで、比較的負荷が軽く、運動習慣のない人でも気軽に始められるのが魅力。有酸素運動を30分以上続けると脂肪をよりよく燃焼できます。代表的なものが、ウォーキング、ジョギング、踏み台昇降、水中ウォーク、ゆっくりした水泳、エアロビクス、サイクリング、ゴルフなどです。 <前編>「コレステロール、中性脂肪は「男女」「年齢」で基準値が違う! 参考にするべき数値をチェック」から続く 監修/天野惠子(あまの・けいこ)先生 一般財団法人野中東晧会 静風荘病院特別顧問。日本の「性差医療」研究の草分けとして普及に努め、鹿児島大学及び千葉県にて、性差に基づく女性医療の実践の場として女性外来を立ち上げ、治療に当たる。2009年より現職。日本性差医学・医療学会理事。 セルフドクターHP

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    子育て世帯は東京・文京区の「住所」がほしい? 公立名門小「3S1K」狙いで家を買う

     首都圏の新築マンションの価格は上昇し、中古でもいい物件はめったに売りに出ない、出てもあっという間に買い手がつくーー。東京で家を買うのは、なんとも大変な時代になったが、共働き夫婦の購入意欲は高いという。特に子育て層に特に人気なのが文京区だ。一方で東京特有の学区意識に辟易している夫婦もいる。リアルな事例や最近の不動産事情を探った連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。最終回は、「わが家」の価値について考えたい。 >>【前編:東京23区「家を買うなら港区」40代夫婦のブランド志向 狭小住宅も悪くない選択? 】より続く  *      *  *「文京区のアドレスが持てるのであれば、所有権でも借地権でも良い、というぐらいに場所にこだわる方も実際にいます。都内で家を買うときに、“住所を買う”という視点で、エリアにこだわって選ばれる方は結構多い」  首都圏を中心とした住宅購入における相談実績が多いファイナンシャルプランナーの飯田敏さん(FPフローリスト)はこう話す。  東京大学、お茶の水女子大学、日本女子大学、東京医科歯科大学……文京区には、国立、私立を問わず19の大学・短期大学が存在。名前の通り、教育・文化関係の施設が集まり、雰囲気もいい。  もちろん、イメージだけではない。  令和2年度公立学校統計調査報告書(東京都教育委員会)によれば、文京区の教育レベルの高さは23区中トップで、国立・私立中学校への進学率がもっとも高いことが示されている。中でも名門校として知られているのが、誠之小学校、千駄木小学校、昭和小学校、窪町小学校の4校。この4校のイニシャルをまとめて通称「3S1K」とも呼ばれており、この「3S1K」に入学するために転居する“公立小移民”の子育て世帯も数多く見られるという。  さらに、お茶の水女子大学附属、筑波大学附属、東京学芸大学附属竹早という、国立大学の附属小学校、中学校、高校が3校もひしめき合う茗荷谷周辺も、子育て世代に人気の高いエリアだ。  文京区では中学校の「学校選択制度」を導入しており、文京区に在住していれば校区外の中学校でも希望することができるのも、子育て世帯にとって高い魅力だ。例えば都内名門中学校の“御三家”の一つとして知られ、東大キャンパスの目の前に位置する文京区立第六中学校。都立日比谷高校をはじめとした難関高校の多くの合格者が輩出していることでも知られる名門中学だ。  この第六中の学区は「3S1K」の一つ、誠之小学校だ。しかし、学校選択制度導入後は区内の数多くの小学校から入学希望者が殺到し、定員(受け入れ可能人数)約100人に対し希望者は毎年約300人前後と、およそ3倍の倍率で推移するのが通例となっている。誠之小学校→第六中学校→日比谷高校→東京大学といった“ゴールデンルート”にわが子を乗せたい、と考える親が多いことの表れだろう。不動産コンサルタントの後藤一仁さんは言う。 「文京区には名門と言われる学校が多いことから、必然的に集まる層の教育意識も高く、受験などの情報交換も盛ん。また小石川植物園、教育の森公園、播磨坂さくら並木、六義園など、都内の中でも緑が多いエリアとしても知られる。落ち着いた環境の中で、高い教育を受けさせられる文京区の資産価値は、今後も高い水準を保てる可能性が高い」  都内屈指の文教エリアである文京区、それも人気学区ともなれば、賃貸マンションも含めて物件は争奪戦だ。競争率が高いこともあり、賃貸マンションであっても値段は決して安くはない。  昨年、「3S1K」の学区エリアの賃貸マンションに家族3人で引っ越したというAさんが決めた物件は、45平米、2LDKで家賃24万円。予算20万円内で半年ほど探していたが、条件に合う賃貸物件でヒットするのは家賃35万円超の物件ばかりだった。24万円でも予算オーバーではあるが、不動産屋からも「同エリアならば手頃な方だ」「決めるなら早く申し込まないと、すぐに決まってしまう」と後押しされ、内見もせずに即契約したという。  わが子を名門校に通わせるのも一筋縄ではいかず、多額の費用がついて回る。   こうした教育熱心な層が多いエリアから「むしろ距離を置きたい」と、あえて下町と呼ばれるエリアに引っ越した例もある。  三重県出身のBさん(36)。同郷の夫と5歳の子どもとの3人暮らしで、世田谷区の賃貸マンションで10年ほど暮らしていたが、2年前に足立区のマンションを購入。Bさんの少し前に友人が足立区の同エリアに引っ越したことも後押しになった。世田谷に住む周囲のママ友からは、「なぜ世田谷区から足立区に引っ越すのか」と驚かれたという。  地方都市で、当たり前のように公立小・中・高へと進学し、大学入学を機に上京したBさんは、「東京ならではの学区意識や私立信仰のような会話や雰囲気には、どうしても馴染めない」と首を振る。 「世田谷に住んでいた頃、ママ友の間で小学校受験のための塾選びの会話が始まったとき、『ああ、私はこの場所では子どもを育てたくない』とはっきり思いました。私や夫が育ってきたような、もっとのびのびとした環境で子育てがしたい。それで選んだ環境が今の場所でした」  古くから続く商店街に、昔ながらの個人商店や居酒屋が軒を連ねる景色。そんな中に再開発で新たな商業施設やマンションが建ち、新旧入り混じった独特の活気がある。Bさんの暮らすマンションは、最寄駅から徒歩7分。都心の職場がある駅までの乗車時間は片道15分だ。家のすぐ近くにスーパーや商店街があり、世田谷に比べて物価も安く、近所付き合いも残っている。Bさんは「自分たちにはこちらの方が合っていると思う」と微笑む。 「長い目で住むことを考えると、いわゆるブランドエリアを始めとした“見栄っ張りな街”より、“本音で暮らせる町”を選ぶことに共感できる人も多いのでは」  まちづくりの専門家で、『23区格差』などの著書で知られる池田利道さん(東京23区研究所所長)は、こう話す。足立区を含む東京東部の下町エリアは、世田谷区を含む東京西部の山の手エリアと比べると、近所付き合いもはるかに活発だという。 「以前はイメージに難点があった荒川区以東の足立区、葛飾区、江戸川区ですが、大規模な再開発を通じて街のイメージは大きく変化し、子育て世代など若い層も移り住む地域に変化しています。西部に比べて物価も安く、都心へのアクセスも良いことから、東部の下町エリアは今後さらに発展していくのでは」  ブランドエリアと呼ばれる場所など、すでに一定の評価を得ているエリアを選ぶ方法もあるが、今後の町の発展を考えて選ぶというのも一つの手だ。新路線の開通で都心までのアクセスが良くなる場所や、新駅ができる場所、大学誘致に積極的に取り組んでいる場所など、発展の見通しにはいろんな要素がある。再開発によって町のイメージが一新する例があちこちで見られているように、大手デベロッパーが力を入れようとしている地域も飛躍的な発展の可能性がある。マンショントレンド評論家の日下部理絵さんは言う。 「自分にとって快適である“居住価値”と、不動産としての“資産価値”は、必ずしもイコールじゃない。家を選ぶときに何にこだわりたいか、まずは3つに絞ってみる。その中で優先順位をつけた上で考えると良いでしょう」  「結局は同じ都内の話だろう」とタカをくくるなかれ。少しエリアが変わるだけで、いろんな要素が大きく変わってくるのが東京という大都市だ。「東京で家を買おう」——そう決めたなら、あなたは何を重視して選びますか?(松岡かすみ) 〉〉【連載を最初から読む】それでも夫婦は東京に家を買う#1

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    沢田研二が「京都市文化功労者」に ファンが近影にざわつく!

     コロナ禍で中断していたライブ活動を再開させ、目下、全国ツアー中の沢田研二。そんな沢田が11月22日、令和3年度京都市文化功労者として表彰される。日本レコード大賞、ゴールデンアロー賞など音楽・芸能分野の賞を総なめしてきた沢田だが、今回のような行政からの表彰を受けるのは初めてのことだ。  京都市文化功労者は1968年創設。京都市の文化の向上に多大な功労のあった者を対象に、文化人、学者らからなる京都市文化功労者審査会が選定する。昨年までに片岡仁左衛門(十三代目)、千宗室、瀬戸内寂聴ら287人が受賞している。  京都市の担当者によると今回、沢田が選定されたのは京都出身の音楽家・俳優として多大な活躍が認められたため。67年、ザ・タイガースでのデビュー以来、50年以上にわたり間断なく活躍し続けていることが評価されたようだ。  近年、安倍晋三政権を痛烈に批判するなど、行政とは一定の距離を置いている印象のあった沢田。しかし、今回に関しては「代理人の方を通して受賞していただけるか打診したところ、ご快諾いただけました」(前出の担当者)という。やはり故郷・京都には格別の思い入れがあるのだろうか。  SNS上では、ファンたちが「おめでとう」「うれしすぎる」など大きく反応。また、京都市がホームページ上で公開した広報資料に掲載された沢田の写真もちょっとした話題になった。近年、公の場にめったに姿を見せず、メディアへの画像提供にもシビアな沢田だけに、ファンにとっては現在の様子がわかる写真一枚すら貴重な情報。だが、掲載されたのは正面を向いて無表情という免許証のようなお堅い一枚で、ファンからは「痩せた」「先生みたい」と、うれしいツッコミの声も上がった。 「写真は他の受賞者と同じく沢田さんサイドにお願いしてマネジャーさんに送っていただきました。こんなに話題になるとは、想像以上でした(笑)」(同)  ちなみに、11月15日に京都市のホームページ上で情報公開された時点では、沢田のプロフィル記載に若干の誤記があったのだが、何人かのファンが問い合わせて即座に訂正させるという珍事も起こっていたようだ。  11月22日の表彰式は、同日に福岡市でのライブが重なったこともあり欠席の沢田。表彰を喜ぶ姿が見られないのは残念だが、ライブのMCで何かしら感慨を語ってくれることを期待したい。(中将タカノリ)※週刊朝日  2021年12月3日号

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    愛子さまと雅子さまの髪形には意味があった? “お揃いヘア”卒業に見た2人の「強さ」

     愛子さまが成人する。その際に注目するのが、ヘアスタイルだ。髪形には、愛子さまの思いや雅子さまとの距離感などが投影されてきたようなのだ。 AERA 2021年12月6日号から。 *  *  *  天皇陛下と皇后雅子さまの長女愛子さまが12月1日、20歳の誕生日を迎える。大学の授業の関係で、成年の行事は1日と5日に分けて行うという。  5日に宮中三殿の参拝、勲章(宝冠大綬章だそうだ)親授などを経て、上皇ご夫妻にあいさつ、その後、宮殿で皇族方や三権の長から祝賀を受ける。  行事にあたり、愛子さまは参拝服、ローブ・モンタント、ローブ・デコルテと3着を新調したという。どんなデザインなのか、とても楽しみだ。が、それ以上に私が注目しているのは、愛子さまのヘアスタイルだ。  秋篠宮家の佳子さま(2014年に成人)と眞子さま(小室眞子さん、11年に成人)は、そろって長い髪をアップにして式に臨んだ。紀宮さま(黒田清子さん、1989年に成人)は、顎のラインでまっすぐに切り揃えたボブスタイルだった。愛子さまはこのところ、髪の毛を伸ばしているようだ。やはりアップにするのだろうか……。  などと思うのは、愛子さま、そして雅子さま、お二人にとって髪形はとても大きな意味を持つ──勝手にそうとらえているからだ。ある時からずっと、お二人はそっくりのロングヘアになった。写真をさかのぼると、愛子さまが先に伸ばし、雅子さまが追いかけたことがわかる。「適応障害」という病を得た雅子さま。学校に行きづらい時期もあった愛子さま。お二人そっくりの髪形は、皇室という場所で悩みながら生きる母娘の「絆」の象徴のように思っていた。 ■おでこ見せロングヘア  ところが今年4月、愛子さまは腰近くまであった髪をばっさり切り、肩までのボブヘアになった。その日、愛子さまが乗っていた車の隣には雅子さまがいて、ロングヘアをまとめる定番の髪形だった。ああ、もうお揃いは完全に卒業なのだとしみじみした。お二人がそれぞれの「強さ」を得た、と思えたのだ。  まずは簡単に、愛子さまのヘアスタイル史を振り返ってみる。  06年4月、学習院幼稚園の入園式に出席した愛子さまは、制帽から肩下10センチほどの髪を見せている。お隣で微笑む雅子さまの髪は、肩まで届いていない。それから2年、08年の学習院初等科の入学式。愛子さまの髪はさらに長くなり、前髪を上げておでこを見せている。雅子さまも前髪を上げたロングヘア。お揃いヘアでの入学式。  雅子さまのお誕生日に公表される写真を見てみると、07年にはお二人お揃いになっている。つまり06年から1年かけて、雅子さまが愛子さまお好みのロングヘアに追いつき、以後それをキープしているということになる。お揃いの「おでこ見せロングヘア」は愛子さまが5歳の時からの定番なのだ。 ■つらい状況の風除け  あの当時を振り返ると、雅子さまの「適応障害」が公表されたのが04年。その年と翌年は、お誕生日にも写真が公表されないという事態だった。06年に皇太子さま(当時)も一緒にオランダを私的訪問、雅子さまと愛子さまが「笑っている」ことが話題になったりした。その時、雅子さまはまだ肩くらいの髪、その横で長い髪を可愛く編み込んだ愛子さまがはしゃいでいた。  07年以降のお二人そっくりの髪形は、つらい状況に耐える風除けのようにも見えた。雅子さまには髪を娘と同じ長さにすることが心の支えだったろうと思う。10年、初等科2年の愛子さまに不登校問題が起きた時も、お揃いヘアの雅子さまが毎日のように付き添った。が、中等科でも不登校が報じられる。  愛子さまの「生きづらさ」のようなものの深刻さは、15歳になった16年のお誕生日写真にはっきり写っていた。折れそうなほど痩せた姿だった。「生きにくさ」はどこから来るのか。「生まれた時から男の子でないことが自己否定につながっている」と指摘してくれた女性がいて、目から鱗が落ちたのは令和になる直前だった。それはさておき。  翌17年、高等科に入学してから愛子さまは元気になっていった。お代替わりに向けて雅子さまの活動も確実に増えた。愛子さまは「前髪ありのロングヘア」が定番になり、時に顔の両横に長い髪を一筋垂らすこともあり、「今どきの女の子だなあ」とホッとした記憶がある。  20年、学習院女子高等科の卒業式はコロナ禍もあり、愛子さま1人で報道陣の前に立った。堂々とした受け答えの後、式場に向かう後ろ姿には、ポニーテールが揺れていた。 ■19歳の春ボブに変身  そして今年4月、愛子さまはボブヘアへと大変身した。30センチ近くは切ったであろう思い切りの良さに、愛子さまの強さを感じた。愛子さまは皇室を「自分の場所」としたのだろう、と。皇后となった雅子さまもきっと同じ思いに違いない、とも。  などという勝手な解釈より、愛子さまの言葉だ。聞ける日が近い。成人にあたっての記者会見が開かれるのが、内親王の恒例だ。いつになるのか、宮内庁は発表していない。来年以降という報道もあったが、愛子さまが初めて国民に対して思いを語る場となる。これからと将来、両方を語ることになるだろう。  愛子さまは「女性皇族」としての自分をどうとらえているのだろう。眞子さんが儀式なし、一時金辞退という結婚を選択したのは、女性皇族と一個人とのせめぎ合いの結果だったように思う。「天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」とだけ皇室典範で定められている女性皇族。公務に励んでも、その先に待っているのが何なのか、すごく曖昧な存在だ。愛子さまは、「天皇家の長女」という立場と、「愛子」という一個人としての立場をどう捉えているのだろう。(コラムニスト・矢部万紀子)※AERA 2021年12月6日号より抜粋

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