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    戦力外通告を受けたけど… 他球団でまだまだ“活躍できそう”な選手は誰だ!

     10月11日に行われたドラフト会議では支配下、育成合わせて128人の選手が指名を受けたが、プロ野球の世界に入ってくる選手がいるということは逆にユニフォームを脱ぐ選手もいるということである。既に各球団では俗に言う“戦力外通告”が行われており、ここ数日は引退試合のニュースも増えている。しかしその一方で他球団での現役続行を希望する選手も少なくない。今回は現時点で自由契約が発表された選手の中から、まだ戦力になる可能性を秘めた選手がいないか探ってみたいと思う。  まず投手で申し分ない実績を誇るのが吉田一将(オリックス)だ。2013年のドラフト1位で入団すると、1年目には先発として5勝をマーク。2年目のシーズン途中から中継ぎに転向すると、2016年には5勝21ホールド、2018年にも3勝21ホールドとブルペン陣を支える存在となった。2019年以降は年々成績を落とし、今年は二軍でも防御率7点台と結果を残すことができず、プロ入り後初となる一軍登板なしに終わったが、通算226試合に登板している実績は貴重である。何かきっかけをつかめばまだ復活する可能性も十分にありそうだ。  投手では渡辺雄大(ソフトバンク)と三ツ間卓也(中日)の2人も面白い。渡辺は青山学院大では実績はなかったものの、BCリーグの新潟で力をつけて26歳となる2017年のドラフト育成6位でソフトバンクに入団。二軍、三軍で実績を残して昨年8月に支配下登録されている。その後は肘の故障もあって一軍登板は3試合にとどまったものの、今年も二軍では34試合に登板して防御率1.67と安定した成績を残している。左のサイドスローから投げ込むスライダーは打者の手元で鋭く変化し、左バッターにはかなり厄介なボールとなっている。戦力外が報じられたのは今朝で、今後についての意向は不明だが、貴重な左の中継ぎとして需要の高い選手であることは間違いない。青山学院大時代の同期である杉本裕太郎(オリックス)が今年大ブレイクを果たしただけに、渡辺もここからもう一花咲かせることを期待したいところだ。  三ツ間は渡辺と同じくBCリーグの武蔵で力をつけて2015年の育成ドラフト3位で中日に入団。1年目のオフに支配下登録されると2017年には35試合に登板して2勝11ホールド、2019年にも29試合に登板して2勝4ホールドとブルペン陣を支える1人として結果を残している。また昨年7月のヤクルト戦では延長戦でベンチにいた野手を使い果たしていたため、代打として出場して話題となった。今年は二軍でも29試合に登板して防御率は4.05に終わっているが、チームトップタイとなる5セーブをマーク。WHIPも0.98と投球内容自体は決して悪くない。本人も現役続行の意思を表明しており、中継ぎ陣の苦しい球団にとっては狙い目の選手となりそうだ。  野手で圧倒的な実績を誇るのが藤田一也(楽天)だ。プロ入り8年目の2012年シーズン途中にDeNAから楽天に移籍したことをきっかけに才能が開花。これまで2度のベストナインと3度のゴールデングラブ賞に輝き、パ・リーグを代表するセカンドとして長年活躍を見せている。2019年以降は浅村栄斗の加入もあって出場機会が減少し、今年は一軍出場なしに終わった。功労者ということでチームもポストを用意していたとのことだが、本人は現役続行を希望して自由契約となっている。  多くのファンを魅了してきたセカンドの守備力は天下一品で、二軍では3割近い打率もマークしているようにまだまだ力が衰えているわけではない。若手の内野手のお手本としてプレー以外でもチームのプラスになることが考えられるだけに、オファーを出す球団が出てくることも十分にありそうだ。  野手では武田健吾(中日)も注目の存在だ。今年は打率1割台だったものの、シーズンを通じて一軍に帯同し、93試合に出場するなど貴重な戦力となっていただけに、戦力外となったニュースには驚きの声も多かった。オリックス時代の2017年には97試合に出場して61安打、打率.295という成績も残しており、元々パンチ力のある打撃にも定評のある選手である。今年で27歳と年齢的にもまだ若いだけに、外野手が手薄な球団が獲得を検討する可能性もありそうだ。  一度戦力外となってから他球団との契約を勝ち取ることは容易なことではないが、今年もシーズン開幕後に宮国椋丞(DeNA)が育成契約で入団して支配下登録され、古巣の巨人を相手に勝利もマークしている。今後も戦力外となる選手の発表はまだしばらく続くことになりそうだが、1人でも多くの選手が鮮やかな復活を遂げることを期待したい。(文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員

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    「名字を変えたくない」から事実婚でいいのか?悩む33歳男性に、鴻上尚史が「選択的夫婦別姓」が実現しない不思議を解説

     婚約者から「名字を変えたくない」と告げられた33歳男性。「親の都合による不利益を将来生まれてくる子に背負わせていいものか」と悩む相談者に、「強制的夫婦同姓」が法律義務で課されているのは世界で日本のみという事実と、「選択的夫婦別姓」が実現しない不思議を、鴻上尚史がわかりやすく解説する。 【相談121】結婚を決めた彼女から「名字を変えたくない」と告げられました(33歳 男性 スタベッキ)  34歳になる会社員男性です。職場の3歳下の後輩との結婚についてご相談です。  もともとずっと同じ職場で働いていたのですが、間の悪いことに私の東京転勤を機に付き合うことになり、4年の遠距離恋愛を経て昨年春、初任地に戻ってきました。破局したとき尾を引かないようにと今でもまだ関係は周囲に伏せています。ようやく昨秋に結婚の合意はしたのですが、そこで「名字を変えたくない」と告げられました。煩雑さやアイデンティティがその理由といいます。  正直なところ全く想定していなかったので動揺しましたが、話し合ったりいろいろ調べたりして悩んだ末に、あちらも変えたくないしこちらも変えたくないのなら、結局は事実婚という選択をするしかない、と考えて大まかな合意に至りました。正式な顔合わせはまだですが各々両親に方向性を伝えてもいます。「基本、二人の好きにすればいい」と共に言ってくれてはいますが、長男である私の両親からは若干の寂しさが言外に感じられ、一人娘の彼女の両親からは「あなたが折れたら?」という意図を感じたといいます。  問題は、互いにいい歳でもあり、一緒になるなら子供ができたときのことも考えなければいけないという点です。私は当初「子供ができたら婚姻届を出す、どちらの姓かは神社でくじ引いて決める、二分の一で恨みっこなしだ」という覚悟でいたのですが、彼女は乗り気ではないようです。  事実婚の子は非嫡出子として親権が片方だけになるなどの不利益があります。「親と名字が違うと子供がいじめられるからかわいそう」という意見には与しませんが、「子供は親の姓が違うことなんて全く気にしない」と信じるにはためらいがあります。「互いが名字を変えたくない」という親の都合による不利益を将来生まれてくる子に背負わせていいものか、と二人でずるずる話が長引いています。その場合も私と彼女のどちらの姓にするかで結論が出ていません。  子供が生まれると決まったわけではもちろんありませんが、その時ではなく今決めておく必要はあると考えています。  5年半もの付き合いで喧嘩もほとんどなかったとはいえ、掃除も料理もあまりせず、ひいきのプロ野球球団が勝っておいしい外食ができれば満足で、乱雑で汚い部屋の中で一日の大半を眠って過ごす能天気な彼女と生きていくことに不安はかなりありますが、遠距離恋愛中も結局別れを選ぶには至りませんでした。俺、柔弱なだけかも、と思う夜もあります。  選択的夫婦別姓制度ができていればすんなりとその道を選んでいたことでしょうが、6月の最高裁判決からしてもそう簡単にはいかないと落胆しています。  指輪もいらん、式も身内だけで食事会やって終わりでいい、そんなドライな夫婦のまま共に同じ職場で働いていくことになりそうですが、結婚と姓、そして家族について、私はどう向き合っていくべきなのでしょうか。 【鴻上さんの答え】 スタベッキさん。困っていますね。ずっと「選択的夫婦別姓」が実現していないことへの憤りだと思って読んでいたら、突然、「乱雑で汚い部屋の中で一日の大半を眠って過ごす能天気な彼女」なんて文章が出てきますもんね。迷って、揺れて、思わず書いたんでしょうか。 「俺、柔弱なだけかも、と思う夜もあります」と書かれていますが、そんなことはないと思いますよ。  スタベッキさんは、彼女の「名字を変えたくない」という思いをちゃんと受け止めているじゃないですか。たくさん話し合っていろいろ調べていっぱい悩むのは、人間関係を作り上げる最も大切なことだと思います。  それで、「事実婚という選択をするしかない、と考えて大まかな合意」というのも、僕は二人が納得したことなら、素敵なことだと思います。それぞれの両親が「基本、二人の好きにすればいい」と言ってくれているのも、素晴らしいと思います。どんなに内心、淋しいと思っても、「あなたが折れたら」と思っても、それを口に出すかどうかはまったく違います。お二人の両親は「結婚は二人のことだから、二人が決めればいい」と言ってくれているのです。  僕は、「選択的夫婦別姓」がこの国で実現しないことが、不思議でしょうがないのです。  2015年の閣議決定では、日本の現状に関する質問に対して「現在把握している限りにおいては、お尋ねの『法律で夫婦の姓を同姓とするように義務付けている国』は、我が国のほかには承知していない」と答えています。  先進国の中だけではなく、日本は世界で唯一の法律による「強制的夫婦同姓」の国なのです。  欧米でも、昔は夫の姓に変えることが一般的でした。  1979年に採択された国連の「女性差別撤廃条約」が変化のきっかけになりました。世界的に「女性が結婚したら男性の姓に合わせなければならないのは、おかしい」と思われるようになったのです。  それほど昔のことではないですよね。でも、ここから世界は変わり始めました。  同姓を法律で義務付けていたドイツでは、連邦憲法裁判所が91年「違憲」と判断し、93年に別姓を認める法改正がなされました。オーストリア、スイスも変わりました。  アジアでは、タイが2005年「選択的夫婦別姓」に、トルコは02年、妻について夫と妻の姓をつなげる「結合姓」を認めました。  アメリカやイギリス、フランスなどは、法的には結婚後の姓に関して決まりがないので、最近は夫婦別姓を選ぶ人が増えました。また、これらの国々の植民地だったアジア・アフリカの国々は、宗主国の夫婦別姓をそのまま取り入れた国が多かったようです。  国連の女性差別撤廃委員会は、03年と09年、日本の民法の夫婦同姓規定について「差別的だ」と批判し、選択的夫婦別姓制度の導入を求めました。  というような世界のことを話しても、夫婦同姓にこだわる人は、「世界は関係ない、これは日本の伝統なんだ」と言ったりします。その発言を聞くたびに、いつからの伝統と考えているのだろうと僕は思います。  断言しますが、江戸時代までは、そんな伝統はありません。一部の武士の例を出して、「日本は昔からそうだった」と言っている人をネットで見ましたが、それはたった一頭の白いトラを見つけて、「すべてのトラは白い!」と言うことと同じです。  そもそも、一般庶民は名字を許されたり勝手に名乗ったりした人もいましたが、名前だけの人も多く、武士は結婚しても、妻は実家の姓を名乗るのが一般的でした。こんなことは、少し調べればすぐに分かることです。数頭の白いトラを見つけたからと言って、すべてのトラの色を変えることはできないのです。  多くの国民が姓を持つことが認められた1870(明治3)年でも、政府は妻には結婚後も実家の姓を名乗るように指示しています。そして、1898(明治31)年に施行された明治民法が「家族は同じ家の姓を名乗る」と規定したのです。  ですから、1898年からの伝統だというのなら、分かります。でも、僕の考えだと、それは「伝統」ではなく、120年ほど昔の「社会制度」です。  また、「夫婦別姓を認めると家庭が崩壊する」と語る人もいます。海外でももちろん、同姓を選んだ夫婦はいます。別姓にしたら崩壊すると言う以上、「夫婦別姓の夫婦の離婚率と、同姓を選択した夫婦の離婚率」のデータがないと断定できません。でも、そんな調査は見たことがありません。  だいいち、日本の離婚率は、2019年のデータだと34.8%です。三組に一組が離婚しています。これは世界の統計の中だと、特別上位でもなく、極端な下位でもありません(統計を取る国の数で動くので、正確に何位とは言えないので)。  夫婦別姓だと家庭が崩壊する、一体感が持てないというのなら、世界で唯一の強制的夫婦同姓のわが国の離婚率は極端に低いはずです。でも、そうではありません。強制的夫婦同姓を主張する人は疑問に思わないんでしょうか。  どちらかに決めるんだから強制じゃない、選択しているという、食事中だったらごはん粒を噴き出しそうな意見をネットで堂々と言っている人もいます。夫の姓を選ぶ割合は、2015年のデータで96%です。これで夫婦の自由な選択だとは言えません。  子供の名字が親と違うのは可哀相というのは、本末転倒の話でしょう。現状、強制的夫婦同姓だから、親と子供の名字が違うことが、一般的じゃないというだけです。 「選択的夫婦別姓」になれば、それは当り前になります。  というか、そもそも、「選択的」なわけです。  別姓になったら家庭が崩壊すると本当に信じている人は、話し合って同姓にすればいいし、スタベッキさんの彼女のようにそれは嫌だという人は別姓にすればいいだけです。つまりは、大きなお世話です。夫婦がどんな名字を選ぶかは、当人同士の問題なんだからほっといてちょうだい、というだけのことです。  と書きながら、この原稿にも烈火のごとく怒る人がいます。それはもう、宗教的情熱だと思います。「夫婦同姓は誰がなんと言おうと、事実がどうであろうと、日本文化の根本。変えてはいけない」という宗教的信念です。自分の信仰しか認めない態度からは、何も生まれないと思います。  スタベッキさん。僕も、2021年6月の最高裁判決には失望しました。  現状の民法の「夫婦同姓」を違憲(憲法違反)としたのは、15人の裁判官のうち4人のみでした。  もうすぐ、衆議院選挙と共に、「最高裁判所裁判官国民審査」の投票も行われます。今回は11名の裁判官が国民審査を受けます。先に述べた最高裁判決で「夫婦同姓を義務づける民法等の規定」を「違憲」としたのは宇賀克也裁判官、草野耕一裁判官、三浦守裁判官の3名(宮崎裕子裁判官は残念ながら定年退官されたようです)、「合憲」としたのは深山卓也裁判官、林道晴裁判官、岡村和美裁判官、長嶺安政裁判官の4名。このことをしっかり覚えておこうと僕は思っています(残りの4人は2021年6月の最高裁判決後に就任した裁判官です)。  ただし、合憲だとした多数意見も、「制度の在り方は、(中略)国会で論ぜられ、判断されるべき事柄にほかならないというべきである」としています。  つまりは、国会に丸投げしているのです。最高裁判所が高度に政治的な案件に対して、よくやる方法です。  国会ということは、つまりは、国民ということです。  国連の勧告に対して日本政府は「法改正は国民の理解を得て行う必要がある」と弁明しました。  やっぱり、国民ということです。  さて、スタベッキさん。「夫婦同姓」の問題をいろいろと調べたスタベッキさんにとっては、すでに知っている情報を長々と並べたと思います。  いろいろ書いたのは、「選択的夫婦別姓」問題は、宗教的信念のある政治家が決めるのではなく、私達国民が決められる問題だということを伝えたかったからです。そして、「強制的夫婦同姓」の問題点を多くの人に知ってもらうことが重要なことだと思っているからです。それが、スタベッキさんの問題を根本的に解決することにつながるだろうと思っているのです。  日本で「選択的夫婦別姓」が実現しないのは、ほんの一部の宗教的信念の人をのぞけば、多くの人が「自分には関係のない話」だと思っているからだと僕は考えています。  関係ないと思った場合は、私達日本人は「波風が立たない結論」を選びがちです。僕が繰り返して書く「世間」の「所与性」です。変わることを嫌い、同じことを続けていくことが一番重要だと思ってしまう感覚です。  でも、将来にわたって、本当に「強制的夫婦同姓」が自分に関係ないかどうかは誰にも分かりません。自分が男でも、スタベッキさんのような場合もあるし、すでに夫婦同姓を選択していても、自分の子供や孫がぶつかるかもしれないし、結婚してなくても子供がいなくても、友人や親戚の子供が直面するかもしれません。  そのために、今、どうしたらいいかと考えるのは、人間の大切な能力、想像力です。  スタベッキさん。「親の都合による不利益を将来生まれてくる子に背負わせていいものか」と書かれていますが、(この気持ちはよく分かりますが)子供が生まれる前に、まずは、夫婦関係が大切です。生まれてくる子供のために、二人の関係がギクシャクしたら、それこそ本末転倒です。 「結婚と姓、そして家族について、私はどう向き合っていくべき」とも書かれていますが、スタベッキさんは、今、ちゃんと向き合っていると思います。  僕のアドバイスは、「二人が納得しているのなら、とりあえず事実婚で始めてみる」というものです。  子供ができた時のために、「今決めておく必要はあると考えています」と書かれていますが、今、これだという決定的な案が浮かぶとはあまり思えません。  世の中には、いろんな形で「強制的夫婦同姓」を拒否しているカップルがいます。いろんな形を知ることはスタベッキさん夫婦にとって役に立つと思いますし、いろいろと二人の考えが変わっていくかもしれません。なにより、時代が変わるかもしれません。未来なんて誰にも分からないんですから。  スタベッキさんと同じ問題を抱えて、うんうんと試行錯誤しているカップルは多いと思います。納得できないまま、夫の姓にした女性も多いと思います。内心、名字を変えた妻に対して申し訳ないと思っている男性も少なくないと思います。  スタベッキさんとパートナーは、今、時代と格闘しているのです。  その戦いを、僕は応援します。 ■本連載の書籍化第3弾!『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』が発売中です!

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    眞子さまの結婚どう思う? 瀬戸内寂聴が27歳スタッフに質問した結果

     半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。*  *  *■横尾忠則「スジ金入りの肉体的朦朧体、大観より本格派です」 セトウチさん 耳が聴こえなくなったと言うと、「きっと作品が変るわよ」と、ベートーベンじゃあるまいし、変なことおっしゃると、その時はそう思いましたが、本当に変ったんです。その変り方が理に適(かな)っているといえば適っている。つまり聴こえないことは、音の輪郭が失くなることです。そうなると音が朦朧(もうろう)となって、横山大観の朦朧体の絵のように音がボケて聴こえるんです。耳がボケると、日常生活もボケて、曖昧模糊(あいまいもこ)となって、したことと、してないことの区別もわからなくなるんです。つまり虚実の区別ができなくなって、夢で見た仕事の依頼を、本当に依頼されたと思って、やっちゃったりするんです。ボケの症状に似てるけれど、ボケ老人になったんではなく耳のせいだと理解しているので、そこはまだ理性がコントロールしています。 ハイ、絵の話だったです。大観は思想で朦朧体を描きましたが、僕はスジ金入りの肉体的朦朧体なので、思想のようなチョロコイ考えではなく、肉体的ハンデキャップによる堂々たる自然体派です。大観よりこっちの方が本格派です。そんなわけでセトウチさんの大予言は的中しました。 先っきも言いましたが境界線が失くなるということは自由のキャパシティも拡張したことになります。近代人は何でもかんでも境界線を引いて、全てを分業化します。縄文時代はひとりの人間が、多面的に物事をこなしていました。狩猟(しゅりょう)も農業も、漁業も工芸も、子育ても、教育もひとりでするという、境界線をはずした労働生活です。現代のような役割分担などしません。正に多義的です。越境した狩猟社会です。 難聴が与えてくれた神の恩寵です。だから病気の高徳です。僕が度重なる病気によって救われてきたということはこういうことです。神は人間に色々な苦難を与えますが、病気は罪ほろぼしでもカルマ落としでもなんでもないのです。人間の進化向上のためのカリキュラムだと思えばどうでしょう。難聴のほかに、腱鞘炎(けんしょうえん)にもなりました。もう、セトウチさんの「幻花」のような繊細(せんさい)な描写の絵など描けません。今は太い筆やハケを握りしめて、キャンバスにバンバン叩きつけるように描いています。それも痛いので、左手で描きます。左手は思うような形が取れません。幼児の絵より下手くそになります。でも、デュビュッフェは幼児の絵のマネをして、幼児風に描きますが、そんな意図的なことをしなくても、僕の左手はそのまま幼児以上に下手に描けます。これもハンデキャップから来た自然体です。 今書いている手紙では、前にも同じことを書きましたかね。境界を越えると時間差もなくなって、やったことと、やらないことの区別がわからなくなるのです。いよいよ本格派老人です。100歳老人のセトウチさんにも負けていません。ただ僕はセトウチさんのように年齢には拘っていません。拘っているのは他人の方で、今行っている展覧会では「85歳、85歳」と年齢を売り物にされています。歳のことは言うな! アーティストには年齢はないのです。昨日の続きが今日、今日の続きが明日です。原始社会では年齢など無関係です。アーティストは原始人です。■瀬戸内寂聴「私もヨコオさんに負けないように!」 ヨコオさん 何だか、ずいぶん久しぶりにこの往復手紙を書いているような気がします。 それにしても相変わらずコロナは豪勢を極め日本はおろか、世界的にその力を奮っています。 コロナのせいで、人に会えず、寂庵はずっと門を閉めっぱなしです。コロナになる前はもちろん、一も二もなく門内に入ってもらっていました。 大抵遠く九州や東北から来られた人で、まだ生きている私に逢えたと言って、抱きついて泣き出します。もちろん、私は丁寧にお迎えして、写経などしてもらい、お茶菓子を一緒に食べて、しばらくその人のお話を聞きます。つきあいの人もあれば、寂庵の信者を自称する人もあり、初めて門内に入ったという人もいます。「まさか、門内に入れてもらえると思わなかった」と泣き出す人もあれば、「生きている寂聴さんに逢えた!」と、子供のように足を踏み鳴らす人もいる。「とても百歳には見えない!」と誰もが感嘆してくれるが、終日ベッドに横になり、本ばかり読んで、一日を過ごしている私の毎日の状態など話せない。私は、人に逢っている間だけは、必死になって元気らしさを演じ、声を張り上げる。客の帰る時は、長い廊下の途中で、へばってしまい、さっさと歩く客の跡がおえない。 ──だって百だもの……──と、私は廊下の途中で、ペシャンコに座り込み、つくづく、自分に向かって言う。 食事だけは時間が来ると、しゃきっと体がのび、食卓の自分の位置に早々と座り込んでいる。「あら、お昼はもう召し上がりましたよ!」 スタッフの一人が、わざと大きな声を張り上げる。「私のスパゲティは、どうしてこんなに美味しいのだろうなんて、お世辞までいただいて」「そうよ、ほんとに! でも今ここに座ったのは、食べるためでなくて、眞子さんの結婚をどう思うかって、寂庵で一番若い二十七歳のP子の意見を聞きたいのよ」「ああ、眞子さん、ほんとに、よかったですね。大体、みんなあんまりこの結婚に意地悪すぎましたよ。でも、どうして一時金を眞子さんは辞退なさるのかしら? 貰う権利のあるお金でしょう? あんまり弱気にならない方がいいと思うけど……」 ヨコオさん、今、寂庵の中は、こんなにのんびりしています。耳が聞こえないのは、私も同然です。テレビの時なんか、びっくりするほど大きな声にしてくれるので、何とか会話が出来ています。鶯も、秋の夜の虫の音も、私の耳にはさっぱり聞こえません。ヨコオさんとTELしてるのを横で聞いてる人があれば、どんなにおかしいでしょうね。耳だけでなく体のあちこちがどしどし衰えてきます。 そのうち、きっと、自分の死んだこともわからなくなって、──ヨコオさんにTELして!──など叫んでる日が来るのでしょうね。でも目がよく見えているので、一日に二冊は厚い本を読み切っています。ヨコオさんの展覧会、ますます人気上昇でおめでとうございます。私もヨコオさんに負けないよう、あっとこれまでと変わった小説を二つくらい書き残して死にたいものですね。 では、また。※週刊朝日  2021年9月17日号

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    大分の公立高からハーバード「首席卒業」廣津留すみれが語る海外大のリアル 「東京の私大より学費安い」

     塾ナシ、留学経験ナシで大分の公立高校から米・ハーバード大学に現役合格した日本人女性がいる。バイオリニストの廣津留すみれさん(28)は、高校卒業後アメリカにわたり、ハーバード大を首席で卒業。さらに音楽の名門・ジュリアード音楽院に進んだ。日本から海外大に進学するために必要なものとはなにか。また海外大での生活はどのようなものなのか。話を聞いた。 *  *  * ――ハーバード大学を目指そうと思ったきっかけは何ですか。  高校2年の春、バイオリンの国際音楽コンクールに優勝して獲得した全米演奏ツアー中に、軽い気持ちでハーバード大のキャンパスツアーに立ち寄りました。そもそもハーバードって本当にあるんだ、から始まりましたね。現役生が学内をガイドしてくれましたが、演劇でもスポーツでも、課外活動に学業と同じくらいの熱量を注いでいると聞いて、学業とバイオリンの両立が目標だった私は、ここに入ったらめちゃくちゃ幸せだろうなと思いました。 ■「え?あのハーバードですか?」 ――すぐにハーバードを受験しようと決めたのですか?  大分の普通の高校生からしたら、ハーバードなんてありえるのかなと思っていました。でも調べてみるとアメリカに行かずとも受験ができるのが分かり、目指してみようかなと。家族は、いいんじゃない?という反応でしたが、先生はもうびっくりして、三者面談では「え?あのハーバードですか?」と。通っていたのは進学校でしたが、あまりにも前例がない話。地方の公立高校では、海外に進学する人すらいませんでした。 ―――地方からハーバードを目指すのに、苦労はありませんでしたか。   ハーバード大学入学後に、首都圏の有名高校出身の仲間に受験時の話を聞いてはじめて、地方にいたことのハンデがあったことを実感しましたね。首都圏だと受験のための情報が日常的に手に入るし、先輩の経験の積み重ねがあって、全く環境が違うなと。私の場合は、先生に書いてもらう推薦状も、「推薦状とはどういうものか」というところから説明しないといけなかったので。でも、情報がなかったのが逆に良かった部分もあるかもしれません。海外への恐怖や先入観など、情報の多さに迷うこともありませんでしたから。 ――受験勉強では何に力を入れましたか?  とにかく英単語を覚えました。受験には2万語レベルの単語数が必要なので、SAT(アメリカの大学進学適性試験)の過去問集に載っていた単語リストを常に持ち歩いて、5分単位のすきま時間を使って勉強しました。アメリカの過去問集だと意味も英語で書いてある。翻訳しにくいものも出てくるので、基本は英語で理解してときどき日本語を書き加える方式にしていました。   試験には小論文もあるのですが、これで完成というゴールがないし、英語で書くので、それはもう修正の繰り返しでしたね。ハーバード生の論文集をアメリカから取り寄せて読んでもみましたが、“多くの国にルーツを持つ自分のアイデンティティー”というような内容が多く、私には参考にならず、トピックを選ぶのも大変でした。結局、自分の存在をアピールすることに徹しました。 ■終始「雑談」のようだった面接試験 ――合格するためには何が必要だと思いますか。  受験には面接試験もありまして、私の時はスカイプで受けました。かたくるしい雰囲気ではなく、終始雑談のような感じで、「人間力」が見られているのかなと思いました。  高校まで勉強だけやってきた、という人は多分難しいと思うんですよ。勉強以外で何にパッションがあるの? みたいなところがすごく重要視されるので。ゲームでも昆虫採集でも、何か熱中したものが存在するといいと思います。 ――入学後、国籍の違う相手との共同生活で、友達との関係はどう築きましたか?  ハーバードの学生はほぼ全員寮生活で、1年生は食事も同じ食堂です。入学直前にはオリエンテーションがあり、学校側が率先して友達づくりの場を設けてくれました。孤独になる暇がないというか。そもそも勉強するときはひとりなので、自分だけの時間がほしいとも思いませんでした。私は15人ほどの寮で、フランス系とインド系のアメリカ人の学生との3人部屋でしたが、ドアは開けっ放しで自由に行き来できました。タブーな話題も全然なくて、いい意味でカルチャーショックでしたね。政治の話も宗教の話も話せるのは発見でした。地雷を踏んだらどうしようと身構えていましたが、なんでもオープンに話したほうがみんなにとってハッピーじゃないかって考える人ばかり。  日本人はみんなが笑っているから笑っておこうって愛想よくふるまいがちで、私も最初はそうでした。でもそうすると、「すみれちゃんずっと笑ってるけど大丈夫?」と心配されてしまう。本音の突っ込んだ意見を言った方が信頼されることがわかって、だんだん変われた感じがします。 ■「挙手に慣れていない日本人」を先生が手厚くケア ――授業では言葉の壁はありましたか?  先生の早口は分からないし、予習もめちゃくちゃ苦労しました。でも先生たちがメールや授業内で手厚くケアしてくれたので救われました。先生は様々な国の学生を相手にしているので、日本人が授業中の挙手に慣れていないということも分かっていて、授業の前に、「この質問であなたを当てるから意見を言ってね」と練習させてくれるんですよ。15人程度の少人数授業が必ずあるから、何か問題があったら気づいてもらえます。「学生が落第するのは先生の責任だ」というカルチャーがあり、先生も職を失う可能性があるからか、勉強面でも周りの学生の脱落は聞きませんでした。 ――忙しくて「睡眠を犠牲にした」ということですが、どのような生活スタイルだったのでしょうか?  食堂も図書館も24時間オープン。夜10時に行ってもみんな勉強していて、朝5時に帰ろうとしても、まだほかの人がいる。課題の量も多くて常に4~5本の宿題を抱えながら、複数の課外活動を掛け持ちしてと、まるでテトリスのブロックを次々積んでいくようにスケジュールを埋め、こなしていました。でもハーバードでは誰もが同じ状況だったので苦には思いませんでしたね。平日は寝る時間がなく、しかも金曜や土曜の夜には学生や大学主催の社交パーティーがあります。社交も非常に大事でした。今思えば、将来のリーダー候補同士の人脈作り、という意図が大学側にはあったのかもしれません。隣にいる人がいつ国連の大使や大統領になるかわかりませんから。 ――学費がネックで海外大を断念する学生もいるといいます。生活費などのお金事情は?  奨学金制度が充実しているハーバードは、学費や食費、寮費も込みで、家庭の収入に応じて正規の学費の何%を支払えばOKですよという仕組みでした。私の場合、大分から東京の私立大学に入って一人暮らしをするよりも、ずっと安かったと思います。仲の良い友人の家庭はシングルマザーで兄弟も多く経済的に厳しかったので、全て無料だったそうです。  学生の活動への補助も充実していて、「日本でインターンをやりたい」と言うと往復の飛行機代を、冬休みに「他の国で実地調査をしたい」と言えば宿泊代を出してくれる。とにかく熱意を伝えれば援助してくれるという制度が整っていました。特にアイビーリーグ(アメリカの8つの名門私立大)では、経済的に成功した卒業生たちがその時の恩を寄付金で還元するというシステムができています。卒業翌日には私の元にも、寄付をお願いするメールが届きました。しかも「あなたのいた寮に新入生が入りましたよ」みたいなパーソナライズされたメールがくるんですよ。寄付したくなるじゃないですか。すごく上手なんです。 ■環境をどう生かすかは個人にかかっている ――海外大の制度や学生生活は、理想を現実が超えていた、ということですね。  そうですね。でも、この環境をどう生かすかは、個人にかかっているかもしれません。勉強だけを目標にするとちょっとよくないかもしれない。私は学業と別に、バイオリンという熱中できるものがあった。大学関連の様々な場面で演奏の機会を得て、それが世界的チェリストのヨーヨー・マの関係者の目に留まって共演につながりました。音楽を社会貢献のツールとしているヨーヨー・マとの出会いのおかげで、バイオリニストという道を極めたいと思うようになったんです。私の場合はバイオリンでしたが、これがスポーツの人もいる。自分が一番だと思える分野を、1学年1600人みんなが何かしら持っていると思うんですよ。在学中のどこかで、私はこれをやるんだと実感する瞬間があるんじゃないかな。 ――アメリカの大学での経験から、日本の大学が変わるべきところがあるとすれば何だと思いますか?  質問力を生かす環境ではないでしょうか。アメリカの授業では質問をしない=出席したことにならないと捉えられるので、みんなひたすら質問したがるんです。日本でも、授業をさえぎってでも質問するような人がもっと増えていい。何十年と同じ内容の授業をしている先生がいるとも言われますが、そういう環境になると、先生も学生の質問に答えるために自分をアップデートするようになると思うんですよね。私はいま成蹊大学と国際教養大学で授業を受け持っていますが、最初に、「ここはセーフスペースだから何を意見しても大丈夫よ」と言ってから始めるようにしています。 ――海外大を目指す学生に、日本で準備しておいたほうがよいこと、メッセージは?  よく言われることですが、日本のことをもっと知っておくことだと思います。私が1年生のときにアメリカではオバマが大統領に選ばれたんですが、決まった瞬間、それぞれの寮から叫び声が聞こえて、走り回っている人もいたんですよ。あまりに嬉しくて。みんな18歳で初めて得た選挙権、しかも黒人初の大統領が生まれた歴史的瞬間。そんなときにも、アメリカと日本の選挙の仕組みの違いなど、政治のシステムをもう少し分かっていたら、もっと濃いディスカッションができたのになと思います。  また、海外の大学に行きたいと言ったら反対する親御さんもいると思います。ハーバードより東大、と考える先生もいるかもしれません。私も高校の先生から東大の試験も受けるように言われたのですが、自分の意志で決めてよかったと思っています。海外大を目指す高校生の方には、大人の言うことを聞くな、ということをメッセージとして伝えてもいいかもしれません。  (中村さやか)  〇廣津留すみれ/ひろつる・すみれバイオリニスト、成蹊大学客員講師・国際教養大学非常勤講師。1993年、大分市生まれ。2016年にハーバード大学(学士課程)、2018年にジュリアード音楽院(修士課程)をいずれも首席で卒業。世界的チェリスト、ヨーヨー・マとの共演のほか、ゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズの演奏・録音などを担当。テレビの情報番組にコメンテーターとして出演も。著書に『ハーバード・ジュリアードを首席卒業した私の「超・独学術」』(KADOKAWA)など。

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    戦力外から“復活”の2人が明暗…中日福留は高評価も、ヤクルト内川は微妙な状況に

     今季から新天地となるヤクルトに加入した内川聖一と、古巣へ復帰した福留孝介のベテラン2人。リーグ優勝目前のヤクルトでプレーする内川は残留が微妙な立場の一方、Bクラスに沈んだ中日の福留孝介は早々と来季契約が内定したという。  球史に残る2人のバットマンに対する評価が好対照だが、この差はどこから生じたのだろうか。 「ヤクルトは僕のプロ野球人生にとって最後の道になると思う。もうひと花咲かせられるように頑張りたい」(内川/20年12月11日のヤクルト移籍会見)  昨オフ、ソフトバンクを退団した内川に対してヤクルトの動きは早かった。12月7日の自由契約選手との交渉解禁後、即座にアプローチを開始し契約まで一気に進んだ。1年契約、年俸は2億円減の5000万円だったが背番号「7」を準備するなど、通算2171安打(当時)のヒットメーカーに対し球団として最大限の誠意を見せた。内川本人も全身全霊で結果を残す覚悟を前述の移籍会見以降は常に公言していた。 「マスコミによく話す選手。チームのためを公言するが、率先してチームプレーをするタイプではない。結果を残せばチームの勝利につながる、というイチロー(マリナーズ他)に近い考え方。チームリーダーではなく職人タイプだから調子が落ちてくると口数も少なくなり自分のことに集中する。移籍会見のコメントでも、自分のことを語っていたのは内川らしかった」(ソフトバンク担当記者)  横浜時代からヒットメーカーとして知られ勝てないチームでヒットを打ちまくった。08年に首位打者、最多安打を獲得したことで次はチームの勝利を味わうため11年からソフトバンクに移籍。タレント揃いの常勝球団では自ら結果を出すことがチームの勝利に直結した。成績が下降線をたどり選手生活晩年に差し掛かった今、結果を残さないとユニフォームを着られなくなる。自らの打撃と向き合う日々だ。 「人間的には素晴らしいのでヤクルトはチームリーダーとしても期待した。しかし自分の打撃を考えたいタイプだけに調子が悪い時は周囲への影響もある。二軍暮らしが長くなるのも仕方ない。青木宣親も若い時は似たような部分もあったがメジャー経験などを重ねチームの重要性を認識した。個人成績は今ひとつでもラインアップから外せない選手で村上宗隆とともに(チーム内での)MVP候補です」(ヤクルト担当記者)  優勝争いも佳境の9月16日、CSへ向けての再調整もあり内川は出場選手登録抹消となった。今季は主に代打として起用され38試合出場、打率.208、0本塁打、2打点(10月24日時点)。開幕直後の3月31日には新型コロナウイルスの濃厚接触者に認定され隔離生活を強いられるなど不運もあった。しかし目立った活躍は7月9日の広島戦(神宮)でのサヨナラ安打くらいでは本人も納得いくはずがない。  一方の福留は、阪神8年目の昨年は43試合出場、打率.154、12安打、1本塁打と低迷し自由契約となった。 「ユニフォームを着させていただくことが出来て感謝の一言。少しでもチームが勝つことの力になれるように。若い選手が野球を続けていく中でぼくが経験したことを少しでも伝えていくことが出来たらいい」(福留/20年12月18日の中日移籍会見)  本人の現役続行の意向を踏まえ07年以来14年ぶりの中日復帰。1年契約3000万円と阪神時代の1億3000万円から大幅減となったが、復帰会見では真っ先に感謝の気持ちを口にした。自らの衰えを自覚しており、それでもプレー場所を与えてくれた古巣の期待と温情を感じたからだ。 「攻守に精彩を欠いた原因は視力低下だと思われる。球界きってのバットコントロールを誇る好打者が打ち損じをする機会が増えた。仮にパワーが落ちてもボールをしっかりミートできれば良いが、それができない。またシートノックでも飛球が見づらそうなことが多かった。技術ではカバーできない部分であり、阪神側は選手として限界という判断だった」(阪神担当記者)  今季、優勝を争っている阪神は有望な若手選手がチームを牽引した。夏場から大きく調子を崩したがルーキー佐藤輝明など、福留とポジションが重なる選手もいて戦力外は必然だった。しかし中日もチームは過渡期であり外野手では根尾昂、岡林勇希、高松渡、伊藤康祐などの若手を積極起用したい状況がある。かつての功労者とはいえ福留を獲得する必要性はあったのだろうか。 「チームのために尽くすことを覚え周囲からの信頼が厚い。かつての福留は自分本位にプレーすることもあった。しかしメジャーリーグや老舗・阪神でプレーしたことで多くの苦労を味わった。自らの晩年をチームに捧げる覚悟を感じる。期待の若手を多数抱える中日にとって、これ以上の手本はいない。練習、試合への取り組みやグラウンド外での過ごし方などプロとしてのすべてを学べる教科書。3000万円でも安過ぎるくらい」(中日担当記者)  今季は91試合出場、打率.218、4本塁打、18打点(10月24日終了時点)。10月10日のDeNA戦(横浜)で通算2000試合出場(史上54人目)を達成した後は、若手に出場機会を与えるため出場登録抹消された。来季も勝負どころでの代打起用が予想され同時にコーチ的役割も求められそうだ。NPB通算2000安打にもあと49安打と迫っている。立浪和義新監督を迎えることが濃厚で転換期のチームにとってレジェンドの存在は大きい。  内川、福留ともに昨オフ、戦力外の形で移籍したのはかつてのように結果を出せなくなったからだ。そうなるとプレー以外の部分でチームに化学反応を起こす存在でなければ在籍する意味をなさない。福留に関しては将来の幹部候補に推す意見もあり中日に欠かせない人材のようだ。 「内川はこの先CS、そして日本シリーズ出場の可能性が残っている。調整を兼ねて出場中の宮崎・フェニックスリーグでは好調を維持している。ソフトバンク在籍10年で数多くの日本一を経験した優勝請負人の存在はここからのチームに大きい存在。ここで結果を出し影響力を示せれば周囲の評価は一気に高まる。『中日の福留』同様『ヤクルトの内川』になれる」(ヤクルト担当記者)  CS通算10本塁打(CS歴代1位)、CS・MVP3回(CS歴代1位 11年、15年、17年)、日本シリーズMVP(14年)、日本シリーズ優秀選手(17年)という記録を持つ短期決戦男。昨年最下位からまさかの優勝争いをするヤクルトに01年以来の日本一があるとすれば、内川の活躍が必要な時も来るかもしれない。現状では福留に差をつけられた感もあるが、ここからの戦いで評価は大きく変わってくる。  ポストシーズン出場があるならば来季契約の行方を踏まえ内川のプレーから目が離せない。そして立浪新監督誕生後、福留に対して何を求めるのかも気になるところである。秋風が寒くなり始め今シーズンも最終盤を迎えつつあるが、2人のベテランの動向に注目だ。

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    小室圭さん帰国便同乗者が目撃した姿「彼はまるでエグゼクティブ」 自宅前では深々とお辞儀

    颯爽と歩きながら、小室圭さんがアメリカから帰国した。日本の地を踏むのは2018年8月に渡米して以来、3年2か月ぶりだ。  成田空港は多数の報道関係者が集まっており、ピリピリムード。報道陣に対して、カメラのフラッシュ禁止、声掛けも禁止といった規制が敷かれていた。報道関係者からは「どうして?」と不満の声も漏れていた。  午後3時20分過ぎ、成田空港に飛行機が到着。一般客が飛行機から降りたあと、小室さんが、報道陣の前に姿を現した。警護と思われる男性やキャビンアテンダント(CA)の女性などに囲まれていた。キャリーバックを転がしながら、白マスクに、濃紺のスーツ、ストライプの入ったシャツ、ノーネクタイといういで立ちで、髪の毛は後ろに縛っていた。  飛行機から出てきた小室さんは報道陣に一礼したあと、新型コロナウイルスの抗原検査、そして入国手続きに進んだと見られる。  小室さんは機内でどのような様子だったのか。偶然、同乗していた男性(51)に話を聞くことができた。 「私がファーストクラスで座っていると、ドアが閉まるギリギリになって小室さんが搭乗してきました。まるでエグゼクティブのようでした。後ろの髪を結っていたので、すぐに彼だとわかりましたね。彼一人に女性CAが2人くらいついて、会話しながら案内されて入ってきました」  当初はエコノミークラスのチケットを買ったと報じられていたが、この男性はこう語る。 「右の列のビジネスクラスの前方の席で、窓際に座っていましたね。私の席から右斜め後ろのほうの席でした。ただ、カーテンでファーストクラスとは仕切られていたので彼の表情などはわからなかったです」  男性は飛行機から降りた後、抗原検査のために、大きめの部屋に移ったという。40分ほどその部屋に滞在したが、そこに小室さんの姿はなかった。 「今か今かと待っていたのに、残念でした」(男性)  そのころ、到着ロビーには多数の報道陣のほか、「皇室系Youtuber」といったタスキをかけた人物や一般客も小室さんの姿を一目見ようと集まっていた。その数、50~60人ほど。  津田沼から来たという白髪交じりの一般男性は手にハンディカムを持ち、小室さんを待ち構えていた。妻に頼まれて自宅で見るために撮りに来たという。  しかし、小室さんは一般客が使う到着ロビーを通らず、地下駐車場から車に乗り込み、成田空港を後にした。「地下駐車場から空港を出たらしい」と男性に知らせると、「こんなに待っていたのに……」と不満げな様子だった。  小室さんを乗せた乗用車が向かった先は、母・佳代さんが住む横浜の自宅だった。自宅前は朝から報道陣が詰めかけ、警察は臨時の派出所を設置し、周辺警備に当たるなど、ものものしい雰囲気が漂っていた。夕方には100人を超える報道陣が押し寄せており、ベランダから様子を一目見ようとする住民の姿も見られた。  19時過ぎ、小室さんを乗せた車が到着。警察が後部座席のドアを開け、車から出てきた。小室さんは、報道陣から「どんなお気持ちですか」と声を掛けられたが、反応は示さず、自宅マンションの入り口で2回ほど深々とお辞儀をして、黒いスーツを着た男性らと中に消えていった。  近くに住む60代の男性はこう語る。 「ヘリコプターの音がすごくて『何事か』と思って見に来た。3年前の婚約会見後のときと同じような状況だと感じましたね。小室さんがニューヨークに行ってからは、静かになっていたんだけど……。またしばらく騒々しくなるのかなと思っています。どの家庭も問題を抱えていますし、小室さんと眞子さまも早くアメリカで幸せになってほしいですね」    小室さんは今後、自宅で2週間の隔離を終え、その後、記者会見に臨むと見られている。果たして何を語るか。注目が集まる。 (AERAdot.編集部/上田耕司、飯塚大和、吉崎洋夫)

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    稲垣えみ子「マイナンバーカードのメリットは? 不安につけ込まれる悲しさ」

     元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。 *  *  * 「デジタル社会」に疑問を呈すとバカと思われる昨今だが、そして自分でも浮いているという自覚が当然ないわけじゃないんだが、どうにも我慢できずにしつこく書く。  先日の新聞のカラー全面広告を思わず2度見した。「デジタルとか、よくわからないじゃない」「そういう私みたいな人こそ、早く作ったほうがいいのよ」。大好きな黒柳徹子さんがにっこり笑っている。マイナンバーカードを作ってねという、お国からの勧誘だ。  ……これ、私に向けて言ってます? 確かに全くわかってないですデジタルとか。しかしこのコピー、いくらなんでもどうなんだ。そもそも、ワクチン予約もできなかったりしてデジタル社会に不安いっぱいの高齢者に、「大丈夫、考えなくていいですからとりあえずやっちまいましょう」って。言うてなんだが、不安につけ込んで考えるスキを奪うのは詐欺の常套(じょうとう)手段である。  一体なぜ、お国はそれほどまでにしてカードを作らせたいのだろう? この勧誘にはお手紙作戦もかねて行われており、だいぶ前だが我が家にも手紙が届いた。興味を持ち真面目に読んだんだが、結局のところ、カードを作るこちら側のメリットは「ポイントがつく」ってことなのだなという結論に達した。言うまでもなく、これは税金を使ったエサであり、本質的なメリットでもなんでもない。もともとポイント嫌いなので、なおさら違和感があった。  私の浅い理解では、国がカードを作らせたいのは、お金も人手も減る中で行政の効率化を図りたいからなのだと思っている。ならばなぜそう言わないのかなと思う。賛成反対は別にしてそれは私も理解する。でもそうは言わない。別のことを言いエサを出す。そこが不気味なのである。  改めてネットで調べると、将来の「持たないデメリット」についての言及も多い。持っていないと災害の給付金が届きにくくなるとか。それを聞いて焦る自分もいる。追い立てられる家畜のようで悲しい。もっと普通に正面から対話してもらえないだろうか。 稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行※AERA 2021年10月25日号

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    アイナ・ジ・エンド ファーストテイク1100万回再生超の歌姫が明かす「多彩な表現のルーツ」 

    “楽器を持たないパンクバンド”BiSHの活動と並行し、ソロとして活躍中のアイナ・ジ・エンド。唯一無二のハスキーな歌声が多くの人を魅了し、今年1月に公開した「THE FIRST TAKE」(ファーストテイク)の動画は2曲で計1300万回再生を超えるなど、大きな反響があった。今年2月にソロ活動を本格始動し、9月からは3カ月連続で新曲をリリース。BiSHや創作への思いを交えつつ、本人に怒涛の1年を振り返ってもらった。 ――アイナさんの魅力の一つはまずその歌声だと思います。自分の歌声をどのように捉えていますか。 私は自分の声を全然好きじゃなかったですし、正直今も、自分の声に自信がない。昨日も歌を練習していたんですけど、自分の声のここが納得いかないみたいなポイントがめちゃくちゃあって。少し前まではエッジの利いた声色を練習して、楽器のように歌う声を自分的にも気に入っていたんですけど、ある時から、それも作り物だなと思えてきちゃって。もっと現実的で、リアルな声が届くんだろうなって思って、今は普通にしゃべっている声や鼻歌のように、力まずナチュラルな声色を聞いてもらいたいなと思っています。 ――今年1月にはYouTubeでの一発録り動画「THE FIRST TAKE」に挑戦し、「オーケストラ」が1000万回再生を超えました。 意気込まずに、感じたまま歌っていました。自分で言うのも気持ち悪いんですけど、あのファーストテイクの「オーケストラ」は、何かが降りてきた感じがあるというか、奇跡が起こったのだと思っています。二度と同じ歌い方はできないし、いろんな奇跡が揃ったからできた。幸せなことですよね、本当に良かったです。 ――歌う前にはBiSHのメンバーへの思いも語っていました。BiSHを考えながら歌っていたのでしょうか。 そうですね。考えているというか、浮かんでくるといった感じで。歌いながら、泣きそうになりました。 ――「オーケストラ」という楽曲はどのような存在なのでしょうか。 BiSHはもともと、超インディーズな感じのグループとして始まりました。本当に、80人のワンマンライブでもびっくりするような状況だったんですけど、そのBiSHが「オーケストラ」を出した時に、聴いてくれる層が少しだけ広がったんです。アイドルファン以外にも聞いてもらえた感じがあって。オーケストラはBiSHを広げてくれた曲だから、そういう意味でも大切ですし、思い入れがありますね ――ソロデビューを本格化させてから8カ月ほどが経ちました。この間に心境の変化はありましたか。 以前より繊細になってきちゃったというか。私は元々、精神がド安定なタイプではないんですけど、曲を作るにあたって、繊細にならなければできないような時が何回かあって。そういう時は何かにつけて(精神的に)食らっちゃうこともありますね。 今はコロナとかで、みんな弱っている時期。弱っている人に対して強い自分で立つのではなく、私も同じように弱っているから、「まあまあ生きていこうや」と、少し腑抜けた感じで接していきたい。ライブでも「ドヤ!」ではなく意気込まない。 ――ソロでの活動とグループでの活動で、心境に違いはありますか。 あります。BiSHだと6人いるので、何かあったら6人で解決できる。やっぱり一人になると、その責任が全部自分にきますし、苦手だと思っていることも一人でやらないといけない。そこが大きく違いましたし、だからこそ、BiSHのありがたみが分かっていく感覚があります。 ――アイナさんはBiSHのダンスの振り付けをすべて担当し、ソロでは多くの楽曲の作詞作曲をこなすなど、表現の方法が多岐にわたります。創作の源泉になっているものはありますか。 歌も、振り付けも作詞も作曲も全部、幼い頃からやっていたダンスが基盤になっている気がします。ダンスをやっていた時に出会った方々が本当に素晴らしくて、恵まれていた。高校生の時にはダンスの師匠のような先生がいたんですが、その先生のニュアンスや発想、着眼点とかがこびりついていて、今も創作のベースになっています。 ――“師匠”の、どんな点に感化されたのでしょうか。 コンテンポラリーで、あまり型にはまりにいかない人でした。型にはまらないスタンスは私も影響を受けていて、曲を作るにあたっても、例えば「Aメロ→Bメロ→サビ」というキャッチ―な構成じゃなくて、「Aメロ→Aメロ→Aメロ→Aメロ→大サビ」の構成の『きえないで』みたいな曲ができた。 ――創作に影響を与えてくれたアーティストや本があれば教えてください。 子供の頃からBUMP OF CHICKENさんがすごく好きで。特に歌詞は大人になってから聴くと、意味がよく分かるようになっていたりします。でも、子どもの時は子どもなりにその歌詞を解釈していて、老若男女みんながいろんな角度からバンプが好きだというのはすごいことですよね。私も特定の人にしか刺さらないんじゃなくて、いろんな人に届く音楽が作りたいなと思っています。本はいっぱいあって、ただただ好きなのは太宰治なのですが、影響を受けたという点でいえば、窪美澄さんや一木けいさんの作品です。あんなふうに生々しくて、なのに幻想的な言葉遣いは私にはまだまだ全然できていないと思っていますが、憧れはありますね。 ――歌詞からは、言葉への強いこだわりが感じられます。 この1、2年ぐらいで、言葉が一番大事なんだなって思うことが増えました。最近も、人とケンカしてしまったことがあったのですが、その時も、態度とかじゃなくて、言葉が一番伝わるものなんだと実感したんです。今までは行動で伝えていくというのが自分のスタンスだったんですけど、行動よりも言葉なのかなと思うようになってきて。伝わってしまうという意味では言葉って本当に怖いものだと思うし、だからこそ大事にしたいです。 ――歌詞では心の痛みも表現されていますが、負の感情やその時点での心境が投影されているのでしょうか。 ファーストアルバムを制作していた頃にICUに担ぎ込まれた友達がいて、その時期に自分も影響を受けて、息が上手くできなくなって。 そういう出来事が制作の時期にあったから、自分の心境や出来事が投影されやすかった。今もある程度は、自分のつらい出来事を歌詞やフレーズに落とし込むという作業は続けてはいるけれど、それってすごく生きづらくて。最近の制作方法としては、自分の感情だけを押し込んでいるというよりは、一歩引いた目線になりました。自分でもびっくりするぐらい、表現を落とし込む方法は日に日に変わっていくなと感じています。たぶん半年後や1年後には、自分の言っていることは変わっているんじゃないかな。来月(11月24日)に発売する2枚目のアルバム『THE ZOMBIE』も、ファーストとは全然違う顔を持った曲ができたなと思っています。 ――2枚目のアルバムでは、どんな「違う顔」が表れていますか。 ファーストは音楽プロデューサーの亀田誠治さんが編曲をしてくださっていて、私の拙いデモが、亀田さんの手によって音楽になるのが本当に楽しくて、それだけでやっていました。今回はお友達や周りの人と、街のスタジオとかで一緒に楽器を演奏してデモを作ったりして、一緒に音楽を作り上げたところが、大きく違うところです。サウンド面では「どうしてもこういう音が作りたい」といったように、前回よりも少しわがままになれたし、わがままになれるだけの知識が、前よりも少しだけ増えた。ひずんでいく音やクリーンな音……。音にはいろんな顔があって、その音を選んでいくことがとても楽しいし、これからも勉強していきたいです。 ――BiSHのデビュー当時と比べて、周りの注目度も上がりました。環境が変わっても「変わらないもの」はありますか。 最近つくづく思うのは、私は歌とダンス以外できないということ。それ以外ができると思い込んでしまう世界に、最近います。例えばファッション誌に呼んでいただくことも、作詞作曲もそう。本当に大好きなことなので、やらせていただいて最高に幸せですけれど、それだけで生きていくのは私には絶対に無理なこと。 私にはダンスと歌が必要で、それがないと生きている意味がないぐらいで。どんなに環境が変わっても、たとえ小さいステージがアリーナに変わっても、ダンスと歌が大好きで生きがいになっているというのは、ずっと変わらないです。 ――最後にファンへメッセージをお願いします。 私はすごく落ち込みやすいけれど、今このインタビューを読んでいる人の中にも落ち込みやすい人はいるだろうし、読んで気を紛らわせて、読み終わった後にまた辛くなる人とかもいると思う。でも案外、背筋をピンと伸ばして、背伸びをして大きく息を吸うことを繰り返していくと、フワっと楽になれることもある。そういう時に私の音楽を聴いていただいて、皆さんがもっと楽になれることを目指して頑張りたい。ライブにも、しんどくなったら遊びに来てほしいです! (構成/AERA dot.編集部・飯塚大和)

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    松田聖子とSMAPが音楽史において別格な理由 時代を変えた「アイドル」の共通点とは

     松田聖子とSMAP。  ソロとグループという違いはあっても、ともにビッグアイドルだ。  が、共通点はそれだけではない。どちらも音楽シーンの節目に登場して、新たな流れを作った。大げさにいえば、ジャンルの分断を防ぎ、統合するという大きな功績を残したのだ。本稿ではそれをわかりやすく説明してみたい。  まず、聖子のデビューは1980年。当時、アイドルは終わったと言われていた。その根拠は、70年代後半に起きたニューミュージックブームだ。  たとえば、79年のオリコンチャート。幕開けこそ、ピンクレディー最後の1位曲「カメレオン・アーミー」が首位に立ったが、年間で見れば、約3分の2の週の首位がニューミュージック系の曲だった。特に7月以降は、さだまさし、桑名正博、久保田早紀らで首位を独占。この状態は翌年も続き、クリスタルキング、海援隊、シャネルズ、もんた&ブラザーズ、長渕剛らで9月まで歌謡曲系の首位を許さなかった。  78年の「NHK紅白歌合戦」ではこうした状況に対応すべく「ニューミュージックコーナー」を特設。庄野真代やさとう宗幸ら6組が登場した。また、ゴダイゴ、アリス、甲斐バンド、サザンオールスターズなども人気だったし、ロック御三家というアイドル的存在も現れた。そのかわり、石野真子や榊原郁恵が最後のアイドルと呼ばれていたものだ。  いわば、職業作家の提供するものを歌う歌謡曲系より、自分で作詞作曲も行うニューミュージック系のほうがオシャレでカッコいい、というイメージが広まりつつあったのだ。それゆえ、80年代はそんなシンガー・ソングライター、自作自演の時代になると予想されていた。  しかし、予想に反し、空前のアイドルブームが到来することに。その最大の立役者が聖子だ。2カ月後にデビューした田原俊彦とともに、音楽シーンの空気を一変させた。  ちなみに、ニューミュージック系のオリコン1位曲独占状態を阻止したのは田原の「ハッとして!Good」だが、これが2週続いたあと、聖子の「風は秋色」が首位に立ち、5週間独走。ここから彼女の24作連続1位という大記録が始まる。  81年以降は、近藤真彦や中森明菜らも首位の常連となり、年間で見てもアイドル系が1位曲の7~8割(おニャン子ブームの86年は9割以上)を占めるという状況が80年代末まで続いていくわけだ。  ただ、聖子が成し遂げたのはアイドルの復権だけではない。彼女が別格なのは、ニューミュージック系と積極的にコラボして、聖子ポップスともいうべき独自の世界を作り上げ、時代を前に進めたところにある。  デビュー当初こそ、職業作家による作品をシングルにしていたが、2年目からは財津和夫、大瀧詠一、松任谷由実、細野晴臣、佐野元春、尾崎亜美といったニューミュージック系のアーティストが作曲したものに切り替えた。アルバムでも、その方向性を模索し、彼女の歌はニューミュージックのテイストも味わえる歌謡曲として高く評価されるようになる。夏と冬にリリースされるアルバムはユーミンやサザンのアルバムと同じく、リゾート向きの音楽としても支持された。それはまた、当時、若者にも浸透しつつあったカラオケや、急速に普及しつつあったウォークマンにも合うものだったのである。  なお、聖子の連続首位記録が始まった月に引退した山口百恵も、ニューミュージック系とのコラボには積極的だった。宇崎竜童に谷村新司、堀内孝雄、さだまさしらの作品をヒットさせ、アルバムではブレーク前の浜田省吾なども起用している。  が、時代的にまだ早かったことと、本人の声やキャラが和風で演歌寄りだったことから、ニューミュージックのポップな感じは取り込みきれず、旧来の歌謡曲の領域からそれほど飛び出すことはなかった。  また、聖子のライバルでもあった明菜は競合を避ける意味もあって、ラテンやフュージョンのアーティストと組んだりした。百恵同様、その声やキャラもあいまって、ニューミュージック色は薄かった印象だ。  つまり、聖子が誰よりも適任だったわけで、その資質を見抜いたのはプロデューサーの若松宗雄だ。彼女の声に惚れ込み、芸能界入りに難色を示す父親を説得してデビューさせたこの男は、70年代にキャンディーズと吉田拓郎のコラボを成功させた経験から、その路線をさらに推し進め、聖子で新たなジャンルを作り上げた。  実際、彼はこんな発言もしている。 「松田聖子という存在は、ニューミュージックと歌謡曲の間で生み出されたアイドルなんです」(「語れ!80年代アイドル」)  それを言うなら、Jポップというのも歌謡曲とニューミュージックが融合して生まれたものだ。Jポップが絶頂期を迎えていた96年に、聖子が自作自演による「あなたに逢いたくて」を大ヒットさせられたのも、彼女がそれ以前からJポップ的要素を持つ存在だったからだろう。  そんな96年、音楽シーンの中心に躍り出ようとしていたのがSMAPだ。  こちらは結成が89年で、CDデビューが91年。当時もまた、アイドルのブームが去り、歌番組も減少して、アイドルは終わったといわれていた。高橋由美子あたりが最後のアイドルと呼ばれていたものだ。  そんななか、彼らはバラエティーやドラマで人気と実力を高めていく。音楽的には、筒美京平や馬飼野康二といった歌謡曲のベテラン職業作家のもとで出発しつつ、93年からは林田健司、庄野健一、小森田実といったニューミュージック系の作家と組んで「$10(テン・ダラーズ)」「がんばりましょう」「SHAKE」などをヒットさせた。サウンドとしては、Jポップの特徴ともいえるファンキーなグルーブ感を取り入れ、録音にも国内外の一流ミュージシャンを呼ぶなどして、いわば「アイドルの顔をしたJポップ」を作り上げたのである。  もっとも、同時期のJポップにはビーイング系や小室ファミリーがいて、主流争いをしていた。アイドルのSMAPはあくまで傍流であり、肩身が狭そうな印象も受けたものだ。  しかし、97年に「セロリ」98年に「夜空ノムコウ」をヒットさせたことで見方や存在感が変わる。山崎まさよしやスガシカオというJポップの実力者とコラボして、成果を出したことがそのステイタスを上げることにつながったのだ。  このコラボ路線がもたらした最大の収穫が「世界に一つだけの花」であるのはいうまでもない。2003年にシングルとしてリリースされ、平成最大のヒット曲となり、音楽の教科書にも掲載された。  ただ、作詞作曲をした槇原敬之は99年のクスリによる逮捕ですでに前科一犯だった。ちょっと勇気の要るコラボでもあっただろう。が、この作品のサウンドやメッセージはそういうものを超えて支持されることに。ちなみに、振り付けは小室ファミリー出身でのちに性別適合手術を受けたKABA.ちゃんが担当した。「誰もが特別なオンリーワン」というテーマは、ジェンダーフリー的な多様性も含んでおり、まさに時代を象徴したヒット曲といえる。  こうしてSMAPは、ジャニーズ的なポップスとJポップの融合に成功し、音楽シーンの本流となった。この世界は後輩の嵐にも引き継がれていく。ではなぜ、SMAPがこれだけのことをできたかというと、その鍵はアイドルならではの華と上手すぎない歌唱力だ。  じつはこの時期、自作自演で世に出たアーティストの作品をアイドル的な歌手やグループが歌うスタイルが流行した。つんくとモーニング娘。に、奥田民生とPAFFY、小室哲哉と鈴木あみ、などなど。これらはアーティストが作る難しそうな曲を身近に感じさせる効果を生んだ。人気者が上手すぎない歌唱力で歌うことで、親しみが持てるのだ。  SMAPもまた、山崎やスガ、槇原による詞やサウンドを華やかにわかりやすく伝えることで、Jポップをより大衆的なものにした。これに対し、聖子は歌唱力も高く評価されたが、それを上回る武器がアイドルとしての華やわかりやすさだったのである。それゆえ、どちらも別格として、時代の本流を担えたのだろう。  なお、SMAPについては、酒井政利が興味深い指摘をしている。09年に出版された「音楽誌が書かないJポップ批評59」のなかで、自身がプロデューサーとして手がけた百恵が活動の終盤「表現に取り憑かれすぎていた」としたうえで「SMAPにはそういう心配はいらない」と語ったのだ。 「国民的に支持される人というのは『超二流』なんですね。『超二流』というのは一流でいるよりもずっと難しいゾーン。そこにいま、唯一足を踏み入れているのがSMAPです。この超二流のゾーンこそが、国民が待望している本当の娯楽の世界なんです」  表現者としての高みだけを目指すのではなく、ファンにとって身近な存在にとどまり続けることの尊さ。こうした機微を、彼らはよくわかっていた気がする。「世界に一つだけの花」のあとも、アイドルのまま、アーティストとのコラボを繰り広げた。斉藤和義に山口一郎、津野米咲、尾崎世界観、椎名林檎、そしてラストシングルは川谷絵音だ。  もし解散しなければ、嵐より先に米津玄師の作品も歌っていたかもしれない。  じつは今も、音楽シーンは大きな節目を迎えている。アニソンが日本レコード大賞に輝いたり、SNS発信のヒット曲が多数生まれるなど、多種多様なものが展開されつつ、それは本流なき混沌とした状況にも見えるのだ。  はたして、聖子やSMAPのような大仕事をやってのける存在がこのあたりで出現するのだろうか。その兆しがいまひとつ感じられないことも、聖子やSMAPの別格さを際立たせているように思えてならない。 ●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    映画「なぜ君」の続編は小川淳也氏vs.平井卓也氏を描く 同じ地盤でも対照的な2人

     立憲民主党の小川淳也氏を追ったドキュメンタリーで注目を浴びた、大島新監督。続編では来たる総選挙でのライバルとの戦いを描く。AERA 2021年10月25日号では大島監督にインタビューした。 *  *  * ──映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」の続編「香川1区」の制作に入ったそうですね。 「なぜ君」は予想もしない反響を呼び、続編を望む声が多く届きました。ただ、小川淳也衆議院議員を追い続けるにしても、少なくとも4~5年、場合によっては10年スパンの撮影を考えていました。舞台挨拶で半ば冗談、半ば本気で「これからも長く小川氏の撮影を続け、次回作のタイトルが『まさか君が総理大臣になるとは』になるといいなぁと思っています」などと話していたくらいです。 ──続編を撮ろうと思ったきっかけは、2020年9月の野党合流による新しい立憲民主党の結成と、菅義偉政権の誕生だったと聞いています。  この時、一部の中堅・若手議員から「小川氏を合流新党の代表選挙に」との声が上がりました。結果として小川氏は「自分は選挙区で当選していない」として名乗りを上げず、枝野幸男氏と泉健太氏の一騎打ちになりました。その過程で、小川氏は改めて選挙区で勝っていないという弱点を意識せざるを得なくなりました。党内で「選挙区で勝ったか否か」は、影響力が雲泥の差なのです。  一方、菅政権が誕生すると、小川氏のライバルである自民党の平井卓也氏がデジタル改革担当大臣に就任したのです。驚きました。同じ選挙区で戦う相手が菅政権の看板大臣になるとは、小川氏にとって青天の霹靂だったと思います。保守地盤の香川県では「大臣」の名前は絶大です。映画が少々ヒットして話題になった程度では、とても太刀打ちできない。実際、小川氏はこの時期「人生と書いて試練と読む、という思いです」と私にこぼしていましたから。 ■同じ地盤だが対照的 ──そもそも、同じ香川1区を地盤にしながら、これほど対照的な政治家も珍しいですよね。二人の選挙戦を、今回は平井陣営にもカメラを向けて取材を行えば、日本の有権者の意識というものが見えてくるのではないか……。そう思われたのですね。  平井氏は3世議員で、祖父も父も大臣を務めた政界のサラブレッド。加えて平井家は、県内のシェア6割強を誇る四国新聞や、西日本放送のオーナー一族で、「香川のメディア王」でもあります。美術館や私立高校の経営も一族が担うなど、影響力は絶大です。平井氏自身も、大学卒業後は大手広告会社の電通に勤務し、その後、29歳の若さで西日本放送の社長に就任します。いわば“銀の匙をくわえて生まれてきた”人物です。 ──一方の小川氏は、自称「パーマ屋のせがれ」で、選挙に必要とされる「地盤・看板・カバン」はありませんでした。  名門・県立高松高校を卒業して東京大学に入学。卒業後は自治省(現・総務省)に入りました。03年に当時の民主党から“無謀な”出馬をし、05年に比例復活で初当選しました。現在5期目ですが、平井氏相手の選挙は1勝5敗です。 ■統計不正問題で脚光  何しろ小川氏は政治家の資質に必要とされる“清濁併せ呑む”といった面がまるでありません。党内での出世争いにも関心が薄く、議員同士の社交や遊泳術もまったく下手。永田町では真っすぐ過ぎる性格ゆえに「修行僧」と呼ばれ、珍種扱いを受けています。けれども、渾身の正論で居並ぶ閣僚たちに迫り、聞く者の心を奪った19年の統計不正問題の追及によって、「こんな政治家がいたのか」と、熱い期待を寄せられています。 ──今年6月11日、平井氏がIT総合戦略室の会議で、東京五輪・パラリンピックで使う健康管理アプリの開発を巡り、請負先の企業を「脅しておいた方がよい」「完全に干す」などと発言していたという朝日新聞のスクープが報じられました。  平井氏は釈明に追われましたが、四国新聞には「税金の無駄なくすための発言」との見出しが躍りました。その5日後、文春オンラインが新たな音声を公開し、平井氏の発言が官製談合防止法に違反する疑いがあると報じました。これらの報道によって、盤石と思われた立場も揺らぎ、香川1区は全国でも屈指の注目選挙区となったのです。 ■平井氏は“ザ・政治家” ──大島監督は今回、平井陣営や平井氏本人にも取材をしています。直接会ってみて、平井氏とはどんな人物なのですか?  まさか取材を受けてくれるとは思いませんでした。東京の議員会館で30分だけのインタビューでした。「なぜ君」について、「小川さんの知名度が上がったので、平井さんにとって迷惑ではなかったですか?」と聞くと、「タイトルもキャッチーだし、政治に関心を持つ層が増えるのは良いこと」と、大人の対応でした。 「脅しておいて」「完全に干す」発言に触れた時には語気が強くなる場面もありましたが、全体としては隙を見せず、“ザ・政治家”という印象でした。 ──これまで平井氏が勝ち続けてきたのは、有権者に選ばれたからです。平井氏に投票した人はどんな思いなのでしょうか? 「なぜ君」の監督ですから、警戒されるのでしょうか。平井陣営への取材は難航しています。それでも何度か香川に通ううちに、数人ではありますが話をしてくれる人に出会えました。ある建設会社の経営者は「ウチは公共工事の割合が大きいから政権与党に入れるのは当たり前」と正直に語っていました。高松市中心部で30年以上、商店を営む人は「この街で商売をしている以上、取材などで付き合いがある四国新聞は敵に回せないんです」と話していました。 ■「現状維持」か「変革」か  撮影はNGでしたが、商店街の顔役は「正直国会議員が誰か、ということは商売にあまり関係がないんだけど、県議会議員や市議会議員との結びつきが強く、そのほとんどが自民党だから」との答えでした。 ──なるほど。共通するのは「現状維持」を望むという空気だったのですね。  そもそも保守という概念は、理屈ではなく、これまで培われてきた伝統や価値観に意味を見いだす態度であり、現状維持を基本として、時代の変化に合わせて微修正していく考え方です。  一方のリベラルは、理想や理念によって変革を求める政治姿勢であり、社会は変えられる、あるいは変えなければならない、という考え方ではないでしょうか。小川氏は特にその傾向が強く、これまでの日本の政治体制や政策体系を、ドラスティックに変えるという考えを持っています。  その視野は気候変動への対応や、脱経済成長社会を目指すなど、世界の統治体制にまで及んでいる。大きく言えば、この選挙は「現状維持」か「変革」かを問う闘いなのです。おそらくこれは香川1区だけでなく、日本中の多くの選挙区で見られる現象だと思っています。 ──小川氏にとっては7回目の対決になります。選挙区で勝てますか?  こればかりは本当にわかりません。政権の支持率にもよります。ただ、前回以上のいい勝負になる可能性が高いと思いますし、無党派層の投票率が上がれば、勝機も出てくるでしょう。 (構成/編集部・中原一歩)※AERA 2021年10月25日号

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    スタッフ“総上がり”の危機に「お前が残るんだ」 須賀洋介が向き合う喪失と創造

    「フレンチの貴公子」として知られるシェフの須賀洋介さんは、コロナ禍にあっても、常に新しい道を開拓している。己を貫く信念は、長年師事したジョエル・ロブションから学んだものだ。いまも挑戦は続く。AERA 2021年10月25日号から。 *  *  * ――「京都 舞鶴 あおりいか」「千葉 大原港 器械根あわび」「北海道 噴火湾 毛蟹」──。須賀洋介が采配をふるう「SUGALABO」のメニューは、料理名ではなく素材が並ぶ。 須賀:いい食材がなければおいしいものはできません。産地と生産者に敬意を払い、その日の仕入れを第一にして、そこから料理を組み立てる。そのことを大切にしています。日本は食材の宝庫だけでなく、料理人のレベルも高い。でも、自ら発信するよりも、海外から見つけてもらうのを待っているのが現状です。「Japan to the world」を合言葉に、食材、料理を世界に発信したいと考えています。 ――ルイ・ヴィトンとの協働で、同メゾン世界初となるカフェと紹介制レストランを手がけたことも「日本発」の挑戦だった。 須賀:大阪のオープンは、コロナ禍が本格化した2020年2月で、まさしく「失われた1年半」に突入したタイミングでした。世の中のスピード感が薄れてしまったからこそ、僕自身は勢いをゆるめず、予定通りにプロジェクトを進めていこうと決めていました。週日は東京、週末は大阪というリズムで動いて、今年3月には東京・銀座のヴィトンにカフェを出店しました。4月にはメゾン初のチョコレートラインも打ち出しました。ルイ・ヴィトン本社も注視する中、日本発をどれだけ極められるかが勝負です。 ■新しいシェフ像に刺激 ――チョコレートは稀少な材料を吟味して作り上げる。 須賀:甘さは抑え気味に、ピュアな味わいを最大限に引き出しました。やるからには最高峰を作る。それは料理の世界に入ってから、ずっと変わらない自分の芯です。 ――背景には、21歳で出会い、17年にわたって仕えたフランス料理界の巨人、ジョエル・ロブションの存在がある。 須賀:ロブションと出会った時、彼は50歳を過ぎ、自身の三ツ星レストランをいったん閉め、食のコンサルタントに転身した節目でした。テレビで料理番組を持ち、カルフールやエールフランスでの食の監修や、グルメホテルのプロデュースなど、料理をクリエイティブなビジネスに発展させようと最前線を走っていた。僕はテレビ番組収録の時に下ごしらえを担当したり、レトルト食品の開発に携わったりしていました。厨房にこもるだけではない、新しいスターシェフ像を開拓するロブションの姿は、野心的で、刺激的でした。 ――2003年、26歳の時に、六本木ヒルズに初出店した新業態「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」のエグゼクティブシェフを任された。 須賀:それをきっかけに、ラスベガス、ニューヨーク、台北、パリで、次々と新店の立ち上げに責任者兼総料理長として携わりました。ロブションの下で過ごした17年間のうち、14年は海外を転々と飛び回る日々でしたね。 ■「お前が残るんだ」 須賀:強烈な体験として記憶に残っているのは、六本木ヒルズでの出店です。20代で日本人で、料理長の経験はない。フランスにはロブションの愛弟子がたくさんいて、候補はいくらでもいる。腰が引ける要因はいくらでもありましたが、僕には根拠のない自信もあって、「やるか?」と挑発されると「やります!」と、応えてしまう。  でも、現実は厳しかった。フランス料理店というのは伝統的に大箱です。六本木の店は席数60で、メニューもアラカルトとコースのフルバージョン。厨房ではオーケストラの指揮者のような統率力が求められます。外国人も含んだスタッフは、みんな年上で百戦錬磨で、普通にしていたら、僕の言うことなど、聞いてはくれません。だから常に緊張して、怒っていました。 ――ギリギリの状態で楽屋裏を回す中で、ある時、恐れていた破綻が起きた。 須賀:業界で「総上がり」というスタッフの離反です。「須賀が辞めなければ、自分たちが辞める」と詰め寄られて、実際、数人を残して、20人以上が一度に辞めました。それでも、店を閉めるわけにはいかない。残ってくれた人と共に不眠不休で踏ん張りましたが、「挑戦する」とはなんてつらいことなんだろうと、身に染みて感じました。 ――そこで頑張れた理由は何か。 須賀:責任を取るつもりで「僕が抜けます」と運営会社に伝えたら、ロブションが「何言ってるんだ、お前が残るんだ」と、きっぱり言ってくれたことです。  ほかならぬロブション自身が、総上がりを乗り越えてきた人でした。彼は28歳で「オテルコンコルド・ラ・ファイエット」の総料理長に就任し、1千人のスタッフを統率していましたが、一気に辞められたことがあった。地獄だったと思います。でも、そんな経験があったからこそ、彼一流の料理とビジネス哲学が磨かれていった。シェフには「この人のために働きたい」と思わせる迫力が絶対に必要です。修羅場を踏み、覚悟を決めていないと、その迫力は出ないんです。 ■ショコラトリーの夢 ――「アイアンシェフ」への出演は、世界中の店を飛び回り、多忙を極める中でのものだった。 須賀:日本のテレビ局から依頼をいただき、ロブションに話したら、「さすがにムリだから断れ」と言われました。それで余計に「やってやる」となった(笑)。僕がロブションから薫陶を受けたことは確かですが、それ以上に「あいつなら俺の思うように動いて、この先10年、20年と使っていける」という計算が彼にはあったと思います。その通り、僕は彼の掌の上で踊らされ、踊っていました。 ――そのロブションは18年、73歳でこの世を去る。 須賀:先日、夢を見たんです。フランスの田舎の小さな村で、僕がショコラトリーを営んでいる。店は古いアトリエのような建物で、アンティークの家具に囲まれていて、懐かしいような、悲しいような。目覚めた後も余韻がずっと後を引いて、あ、自分は疲れているんだな、と思いました。でも、そこに次の挑戦を見た気がしたんです。 ■答えはわからない 須賀:11月で45歳になります。料理の世界は40歳までは修業。そこから60歳を照準に、自分の世界を極めていく。そう考えてきた僕は、10代からずっと気を張り詰めて闘ってきた。今もそう。でも、その状態に疲れ果てている自分もいる。もう、いち抜けた!でもいいじゃん。小さなビストロで、ゆるくやるのもいいじゃん。そんな声が心の奥から聞こえる。そうかと思うと、集大成を求める気持ちも、どんどん大きく膨らんでいく。 ――昨年、妻が闘病の末、他界した。大きな喪失と痛みがある。 須賀:ロブションとの日々も含めて、すべてが幻のように思えることがあります。何のために生きているのか。何をモチベーションに、仕事を続けているのか。  考え続けていますが、答えはわかりません。ただ、自分の料理では、力みや雑味をできるだけ消していきたい。  妻を失った時に、人は孤立しては生きていけないということを痛感しました。  その意味でいうと、僕にとって料理と直結する生産者の方々は、なくてはならない存在です。店を完全紹介制にしているのは、排他的な高級店にしたいからではなく、素材も含めて料理と真剣に向き合いたいから。店名の通り、ここを「ラボ(実験室)」として、とらえているのです。  コロナ禍の制約はまだ続いていますが、その中でも、料理の可能性を広げ、最高の形で世界に発信していきたい。その思いだけは、この先もずっと変わらないと思います。 (構成/ジャーナリスト・清野由美)※AERA 2021年10月25日号

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    W杯予選超豪華メンバーだったのに…「まさかの敗退」となった国といえば?

     全世界でコロナ禍が続く中、サッカー界では2022年W杯カタール大会へ向けた予選が実施されている。アジア最終予選では日本が2勝2敗スタートとなり、本大会出場を危ぶむ声も挙がっているが、過去には「まさかの予選敗退」となった国が多くある。  1990年、1994年と2大会連続で欧州予選敗退の憂き目にあったのが、出場14回、優勝2回を誇るフランスだ。「シャンパン・フットボール」と賞賛された華麗なパスサッカーで1984年のEUROを制し、1986年のW杯メキシコ大会では3位に入ったタレント軍団が、“将軍”プラティニの引退とともに暗黒期に突入。1990年イタリア大会予選では、ストイコビッチ擁するユーゴスラビアだけでなく、伏兵スコットランドにも敗れ、グループ3位で予選敗退。  そして続く1994年アメリカ大会予選では、カントナ、パパンという当時の世界トップクラスのFWを揃えながら、勝てば出場決定となるホーム・イスラエル戦で終了間際の2失点で逆転負けを喫すると、引き分け以上で出場確定となる最終戦のホーム・ブルガリア戦でも、再び終了間際に逆転ゴールを許して土壇場で出場権を逃す「パリの悲劇」を味わうことになった。  同じ時期、欧州の実力国であるデンマークも、あと一歩でW杯本大会に辿り着けなかった。20世紀を代表するGKシュマイケル、そしてラウドルップ兄弟がいた時代だったが、1990年イタリア大会予選では最終節を前にグループ首位に立ちながら、最後にゲオルゲ・ハジを擁するルーマニアに1対3で逆転負けして予選敗退。そして1992年のEUROを制して欧州王者として臨んだ1994年アメリカ大会予選でも、最終節で敗れ、スペイン、アイルランドに続くグループ3位。アイルランドとは勝点、得失点差で並びながらも本大会出場は叶わなかった。  その1994年は、サッカーの“母国”イングランドもアメリカの地を踏むことができなかった。1990年イタリア大会ではリネカー、ガスコインの活躍で4位となったが、さらなる復権が期待された1994年アメリカ大会の欧州予選でノルウェー、オランドと同組となると、直接対決でともに1分1敗と勝利を挙げることができずにグループ3位で敗退。不安定な戦いに終始したチームを指揮した当時のグレアム・テイラー監督は、「史上最悪のイングランド代表監督」の汚名を背負うことになった。  日本がW杯に初出場した1998年フランス大会からは、本大会出場チームが24から32に拡大されたことで「まさかの敗退」は減ったかに思えたが、2002年の日韓大会ではオランダが欧州予選で敗れた。当時のチームには、クライファート、ファン・ニステルローイ、マカーイ、オーフェルマルス、ダービッツ、ファン・ボメル、コクー、ライツィハー、フランク・デ・ブール、スタム、ファン・デル・サールと錚々たる世界的名手たちが揃っていたが、同組となったポルトガル、アイルランドに苦戦し、その両国が勝点24で並んだのに対してオランダは勝点20の3位。飛行機嫌いのベルカンプが代表から引退した影響も非常に大きく、“幻の優勝候補”となった。  そして前回2018年ロシア大会では、再びオランダが、さらにイタリアも欧州予選で敗退した。オランダは、ロッベン、デパイら攻撃陣に相変わらずのタレントを擁していたが、フランス、スウェーデン、ブルガリアと同組の厳しいグループに入ると、フランスに2連敗し、ブルガリアにも敗れ、最終節でスウェーデンに2対0で勝利も虚しく得失点差でスウェーデンに及ばずにグループ3位で敗退した。  そしてイタリアは、スペインに次ぐグループ2位でプレーオフに回ったが、スウェーデンとの2試合で合計0対1(0対1、0対0)と得点を奪えず、1958年スウェーデン大会以来60年ぶりの予選敗退となった。このロシア大会では、前回ブラジル大会の決勝トーナメント進出16チーム中5チーム(チリ、アルジェリア、オランダ、ギリシャ、アメリカ)が各大陸予選で姿を消し、コートジボワールやカメルーンのアフリカの強豪国も敗退する“波乱の予選”となった。  迎える2022年カタール大会は、果たしてどうなるのか。すべてが“順当”とは行かないだろう。明日は我が身。開催国であるカタールを除いて出場枠「4.5」と予選突破のハードルが低いアジア予選でも、波乱が起きる可能性は十分にある。

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    「まさかの落選危機も…」官邸と与党が心配する岸田内閣の現職3閣僚

     自民党は衆院選に向けて、第2次公認を発表した。二階派と清和政策研究会(細田派)、麻生派などで保守分裂か、と注目されていた群馬1区や福岡5区などの小選挙区の候補者が決定している。  党内で公認争いが激化していた小選挙区の調整は、甘利明幹事長と遠藤利明選対本部長が中心になっていた。だが、公認直前には麻生太郎副総裁も加わった。 「15日に官邸で麻生氏、甘利氏、遠藤氏が岸田首相と断続的に会談して、候補者を調整していました。岸田首相はずっと険しい表情でしたね」(自民党幹部)  岸田内閣が発足し、わずか10日で解散となり、選挙に突入するという異例の短期決戦。組閣から間がないので、現職閣僚が苦戦している小選挙区がいくつもある。  特に自民党、官邸が「負けたら大変なことになる」と力を入れるのが、初入閣した大臣たちの選挙区だ。  西銘恒三郎・復興相(竹下派)の沖縄4区、山際大志郎・経済再生担当相(麻生派)の神奈川18区だという。  西銘氏は当選5回で父親の順治氏は沖縄県知事、衆院議員を務めた政治一家だ。しかし、地元の自民党県議は険しい表情だ。 「西銘氏が復興相になったのは追い風だ。これで挽回したい」    自民党が10月に実施した世論調査では西銘氏と立憲民主党の新人、金城徹氏は差がわずかで、大接戦となっている。立憲の世論調査の数字では、金城氏が西銘氏に対し、わずかに優勢という数字だった。西銘氏は過去5回の当選の中で、4回は小選挙区で当選、1回は比例復活している。 ◆西銘復興相と「オ-ル沖縄」立憲新人が接戦の沖縄4区  2009年に旧民主党政権が誕生した選挙では、比例復活もできなかった。相手の金城氏は元那覇市議で議長も務めた。元沖縄県知事の翁長雄志氏(故人)と近く、市議時代は自民党から出馬したこともあった。保守と革新が呉越同舟の「オール沖縄」からの支援も受けている。 「もともとは西銘氏の強固な地盤でしたが、沖縄で強い革新票は確実に金城氏がとるでしょう。金城氏は自民党にいたこともあり、西銘氏支援の保守層にも食い込んでいる。それが接戦になっている要因の一つです」(立憲幹部)  17年の衆院選で自公政権が圧勝した中でも、沖縄は小選挙区4つのうち1つしかとれなかった。それを死守したのが、西銘氏だった。今回もデッドヒートを勝ち抜くことができるのか?  一方、経済再生担当相の山際氏の地盤、神奈川18区は、立憲元職の三村和也氏と日本維新の会の新人、横田光弘氏の3人が争う構図だ。 ◆山際経済再生担当相と立憲元職が激戦  山際氏は当選5回。自民党の世論調査では山際氏が立憲の三村氏や維新の横田氏より優勢となっている。しかし、山際氏と三村氏には、わずかな差しかないという。また立憲の世論調査では、山際氏と三村氏は接戦となっている。17年の衆院選では、山際氏が希望の党から出馬した三村氏に5万票ほどの差をつけて圧勝した。 「前回のように、圧勝してほしいですが、現状では1票差でもいいので小選挙区当選が目標です」(山際陣営の地方議員)  立憲の三村氏はかつて菅義偉前首相の神奈川2区が地盤だった。09年に民主党と政権交代を果たした選挙では、菅氏を約500票差まで追い込み、比例復活当選を果たし、バッジをつけた。  その後、選挙区を何度か変更し、今回は前回(希望の党)と同じ神奈川18区から出馬となった。 「これまで選挙区が定まらなかったが、神奈川18区で連続しての出馬となり、三村氏の名前が浸透してきた。また野党共闘で共産党候補がいない。世論調査でも立憲や共産党の支持者から確実に数字がとれている。神奈川18区の政党支持率も自民と立憲の差はわずかで、いい勝負をしている。山際氏という現職閣僚に勝てる小選挙区として重点を置いている」(立憲の幹部)  神奈川18区は川崎市高津区など北部に位置するが、8月の横浜市長選が微妙に影響している。菅氏が必勝を期して送り込んだ、小此木八郎氏が落選し、立憲が推した山中竹春氏が勝利した。 「川崎市は横浜市に隣接する都市部。まだ8月の横浜ショックが尾を引いて自民党と訴えても反応が鈍い。山際氏は経済再生担当相とコロナも担当する。多忙でしょうが、頻繁に地元に帰ってもらわないと厳しい」(山際陣営の地方議員)  そして現職閣僚でもう一人、苦しい選挙戦となっているのが、連立与党・公明党の斉藤鉄夫国交相だ。これまで斉藤氏は比例中国ブロック選出だった。  だが、19年の参院選で自民党の河井克行、案里夫妻が広島県選挙区の地方議員や有権者に計2900万円をばらまいた公職選挙法違反事件が起こった。法相まで務めた克行被告は、1審の有罪判決で議員辞職。そこに名乗りを上げたのが斉藤氏だった。広島3区で当選してきた克行被告は、約8万5千票を獲得していた。 ◆議員辞職した河井元法相の広島3区 自民動かず、焦る公明  17年の衆院選で公明党が広島3区の比例代表でとったのは、約2万5500票。広島市議選などの結果からも公明党の基礎票は2万5千票とみられる。そこに6万票の上積みが必要で自民党の協力なくして、当選はない。  また、公明党の小選挙区立候補は原則、比例代表との重複立候補はしないので、斉藤氏は勝ち抜くしかないのだ。  最新の自民党の世論調査を見ると、斉藤氏が立憲の新人、ライアン真由美氏に大きな差をつけている。だが、今夏の世論調査ではライアン氏が僅差だが斉藤氏を上回っていた。  立憲の世論調査では、斉藤氏とライアン氏はまったくの横並びだった。公明党幹部は浮かない顔でこう話す。 「斉藤氏が勝つには自民党さんに頑張ってもらうしかない。だが、河井夫妻の事件があって正直、動きは鈍い」  自民党広島県連から河井夫妻の事件に関与した県議や市議らに対し、「一切、衆院選には関わるな」とお達しが出ているという。 「岸田首相も以前、河井夫妻の事件に関係した地方議員は処分という趣旨の話をしている。公明党が何を言っても動きようがありません。岸田首相が手のひら返しで斉藤氏を応援しろと言っても、やる気はしませんね。有権者の目線も冷たいです」(自民党の広島県議)  だが、斉藤氏も黙っていることもできず、河井夫妻の事件に関与した地方議員にも声をかけて応援を要請するという歪な展開になっている。  立憲幹部は自信ありげに言う。 「自民党は動いていない。それで公明党は必死になっており、政権与党の足並みが乱れている。ライアン氏は広島3区で長く活動しており、国交相を新人が破るという大番狂わせも十分、可能性がある」  広島3区からは他にも日本維新の会が新人の瀬木寛親氏、「NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で」の矢島秀平氏、無所属の大山宏氏と玉田憲勲氏も立候補を表明している。広島3区は中選挙区時代、岸田首相の地元でもあった。  そこで指導力を発揮できなければ、「自公政権に亀裂が入りかねない」(自民党幹部)という声もでている。 (AERAdot.編集部 今西憲之)

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    倉田真由美「小室さんは『だめんず』じゃない。下手なことしたら黙っちゃいない」

     多くのバッシングを受けながらも、結婚の意志を貫き通した眞子さまと小室圭さん。漫画家・倉田真由美さんが、2人にエールを贈る。 *  *  *  小室さんはさておき、眞子さまは本当に素晴らしいと思いますよ。ほとんどの国民が、小姑(こじゅうと)のような感じで反対をしていたのに。若い女性が、あれだけの外圧に影響されないというのは、けっこう難しいことですから。でも最後までブレませんでした。並大抵の胆力ではありません。バッシングを受けてやめる女性より、ずっと素敵だと思います。  この結婚をロミオとジュリエットにたとえる人がいますが、全然違うと思います。ロミオとジュリエットは両家の関係性が問題なわけで、当事者のふたりにネガティブな要素があるわけではない。でもこちらは小室さん自身の問題で、多くの人が嫌だと感じているわけですよ。  ここまで騒がれる人という意味では、小室さんはすごい。私はある雑誌で、注目の的であることを踏まえ、揶揄(やゆ)の意味で「日本人は小室さんが大好きなんです」と語ったら、「ふざけるな」という反響がものすごくあったといいます。  こういう人は、なかなかいません。たとえば小保方晴子さんや佐村河内守さん、船場吉兆のささやき女将のように、時々日本中を沸かせる人がいるじゃないですか。トリックスターみたいな人。そういう感じですかね。  帰国のときの髪形もそうなんですけど、話題を振りまくのに事欠かない人。あんな髪形ならまた何かいろいろ言われるの、決まっているでしょう。それなのに、やる。  危機管理能力が心配ではありますよね。ああいうポジションにいる人なら、隙を作らないことが大事なんです。でも隙だらけ。やることなすこと、突っ込まれます。  だけど“だめんず”ではありません。“だめんず”かどうかは、パートナーが決めること。眞子さまが好きなんですから、大丈夫なんです。  ちゃんと職を決めたそうなので、良かったです。一番の懸念事項でしたから。私は以前、小室さんを売れないミュージシャンにたとえました。でも今はそうではない。あとはもう、幸せにね、というだけですよ。幸せにしないと承知しないぞ! われわれ小姑の目が光っている状態だということは、おふたりにとって悪いことではないんじゃないかな。小室さんも、下手なことをしたら世間が黙っちゃいないとわかっているでしょう。誠を見せてほしいですね。  もし、しんどいことがありましたら、眞子さま、いつでも帰ってきてください。われわれ小姑はほぼ100対0で眞子さまの味方ですから。 (本誌・菊地武顕)※週刊朝日  2021年11月5日号

    週刊朝日

    6時間前

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    羽生結弦は? 北京五輪が「見えてくる」フィギュアスケートGPシリーズ大予想

     北京オリンピックまで4カ月を切った。羽生結弦、宇野昌磨、紀平梨花らが出場するフィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズが10月22日に開幕。五輪有望選手の動向を、フィギュアスケートを長年取材するライター・田村明子さんが予測分析した。 *  *  *  10月22日からラスベガスで開催されるスケートアメリカを皮切りに、いよいよ今季のグランプリ(GP)シリーズが開幕する。2022年2月の北京オリンピックに向けて本格的なシーズンスタートだ。  日本は男女ともオリンピック出場枠3枠を獲得したが、メインになるライバルは女子では圧巻の強さを見せるロシアと、アメリカ。男子はやはりアメリカ、ロシア勢とメダルを競うことが予想される。今季のGPシリーズでの見どころをいくつかあげてみたい。  初戦スケートアメリカには、日本から男子は宇野昌磨と、佐藤駿が出場する。宇野は10月2日のジャパンオープンでは、フリー「ボレロ」に五つの4回転ジャンプを組み込み、難易度を最大限まで上げた構成で挑んだ。優勝したものの二つジャンプミスが出たが、どこまで調整してくるかに注目。また4回転ルッツを成功させて2位だった佐藤駿にとっては、アメリカがシニアとして初の海外GP戦となる。最大のライバルは言うまでもなく、安定して高いレベルの演技を見せ続けてきた世界チャンピオンのネーサン・チェン。そして9月のネーベルホルン杯で優勝したビンセント・ゾウだろう。  一方女子は、坂本花織と宮原知子らが、ロシアのアレクサンドラ・トルソワらに挑むことになる。9月にロシアで行われたテストスケートイベントで、トルソワはフリーで5度の4回転を着氷した。大技だけにミスも多いが、この構成で完璧に滑り切ったら女子で彼女より高いポイントを出せる選手は存在しない。それどころか男子でも対抗できるのは、一握りのトップ選手のみという難易度の高さである。表彰台の顔ぶれは彼女の調子次第と言っても過言ではない、目の離せない存在だ。男女以外で注目して欲しいのは、ペアの三浦璃来&木原龍一だ。9月のオータムクラシックで日本のペアとしてシニア国際大会初優勝。アメリカで初のGPメダル獲得なるか、楽しみだ。  2戦目のスケートカナダは、女子は今シリーズ最大の激戦区になりそうだ。海外勢はロシアのエリザベータ・トゥクタミシェワ、アリョーナ・コストルナヤ、そして注目の新人15歳のカミラ・ワリエワがシニアGPデビューをする。もう一人注目の新人はアメリカの16歳、アリサ・リュウだ。ワリエワとリュウは北京のメダリスト候補としてジュニアの頃から注目されていた。だが彼女たちが4年前のアリーナ・ザギトワのようにすごい勢いでシニアの舞台を征服していくかどうかは未知数だ。リュウは昨年大人の体形になってジャンプの難易度は落としてきたが、今季ロンバルディア杯、ネーベルホルン杯と2試合連勝。いずれにしても、要注目の若手であることには変わりない。  日本からは今季からブライアン・オーサー・コーチに師事する紀平梨花と、ジャパンオープンでトリプルアクセルを成功させて優勝した樋口新葉が出場する。紀平は、ジャンプの調整がどこまでできているだろうか。オーサーは常々、新しく来た選手を調整するのに2シーズンかかると語っていたが、紀平は4カ月後の北京まで時間との戦いになりそうだ。 ◆GPファイナル 大阪で12月開催  3戦目の中国杯は中国の辞退により急きょイタリアのトリノでの開催に変更された。女子は三原舞依、宮原知子が出場。現世界チャンピオン、ロシアのアンナ・シェルバコワ、アメリカのブレイディ・テネルなどの強豪たちとあたる。けがから回復したばかりというシェルバコワは今季まだ4回転を戻してきていないものの、安定した高い技術は健在だ。  男子は鍵山優真、友野一希がミハイル・コリャダ、ディミトリ・アリエフ、ピョートル・グメンニクのロシア勢、韓国のチャ・ジュンファン、中国のボーヤン・ジンと顔を合わせる。鍵山は10月の関東選手権で初めて試合で4回転ループに挑み、回転不足だった。どのくらい完成度を上げてくるか、注目したい。  4戦目のNHK杯では、いよいよ羽生結弦が登場する。3位だったストックホルム世界選手権で報道陣に、パンデミックで帰国した練習環境が思いのほか快適だったことを告白。今シーズンもカナダに戻らずに、日本でトレーニングを続けてきた。北京オリンピックに出場する意思があるのかどうか、4回転アクセルにいよいよ試合で挑戦するのか。オフシーズンの間、ずっと沈黙を守ってきた羽生だが、いろいろなことが明らかになるだろう。宇野昌磨が初めてNHK杯で羽生と顔をそろえる豪華なキャスティングになる。またアイスダンスでは、9月にフロリダの試合で高いスコアで優勝した村元哉中&高橋大輔にも期待がかかる。  5戦目のフランス杯では、鍵山、佐藤の若手二人がアリエフらのロシア勢や、アメリカのベテラン、ジェーソン・ブラウンと表彰台を競うことが予想される。  そして最終戦のロステレコム杯は、再び羽生結弦が、友野一希、田中刑事と赴く。この合計6試合で高い成績を収めたトップ6選手が12月に大阪で開催されるGPファイナルに進出する。日本は2005/06年シーズンから、オリンピックシーズンのGPファイナルを開催してきた。オリンピックの前哨戦となるGPファイナルは、さぞ盛り上がることだろう。(ライター・田村明子)※週刊朝日  2021年10月29日号

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    【写真特集/全10枚】アイナ・ジ・エンドが語る「多彩な表現のルーツ」

    ソロとして活躍中のアイナ・ジ・エンド。9月から11月にかけて、3カ月連続で新曲をリリースするなど精力的に活動している。アイナといえば、歌のほかにも作詞作曲、振り付けと表現の幅が多岐にわたる。インタビューでは、多彩な表現のルーツを語ってくれた。【関連記事】「THE FIRST TAKE」1300万回再生の歌姫アイナ・ジ・エンド【音楽配信】デジタルEP『DEAD HAPPY』https://aina.lnk.to/DEADHAPPY_TW▼クリックすると拡大写真が表示されます

    6時間前

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    なにわ男子・道枝駿佑×Snow Man目黒蓮 高校時代の「青春の思い出」を明かす

     話したこともなかったのに、今や親密度は82%──。なにわ男子の道枝駿佑とSnow Manの目黒蓮が、今月スタートのドラマ「消えた初恋」でのダブル主演を機に急接近中だ。ピュアで一生懸命な高校生の恋や友情がテーマのラブコメに挑んだ二人が、互いの魅力や高校時代の思い出について語り合った。 *  *  * ──純真な高校生・青木役の道枝さんと、クールなクラスメート・井田役の目黒さん。長身&美形コンビとして話題です。 道枝:フハハハ。あー、たしかに身長高いっていう共通点はありますね。目黒くんと長身あるある話で盛り上がったことは今のところないですけど。 目黒:ビジュアルについては、道枝くんは自分とは真逆の人だなって思います。中性的な美しさがあるというか。僕はどっちかっていうと骨格とかがしっかりしているので、それとはギャップがあると思います。きれいだなあと見とれちゃう感じはありますね。 道枝:中性的ってよく言われるので、改めてそうなのかなと思いました。目黒くんは、目元がすんごいきりっとしてるなあと思って。僕はふわっとしていて凜々しい感じではないんで。眉毛とか二重のところはかっこいいなと思います。 目黒:恥ずかしいです(笑)。 ──内面の魅力は? 目黒:この落ち着きですかね。19歳にして、落ち着いてお仕事やってる感じが。自分はここまでちゃんとできてなかったので、素晴らしいなと。 道枝:目黒くんはスマートに気遣いをしてくれるというか。すごい優しいんですよ。撮影の時も「もうちょっとこうしたほうがいいんじゃない?」とかってアドバイスしてくれて。でも、後からその話になると目黒くん本人は覚えてなくて。無意識なんです。 目黒:やっぱそれ僕じゃないよ。 道枝:いやいや目黒さんですよ!(笑) ──出演が決まった時は、メンバーに報告した? 道枝:自分から大々的に言ったわけじゃないんですけど、「次なんか作品出るの?」っていうような話になったらちょっと言ったりしてました。 目黒:あー、でもその感じわかる。 道枝:わかります? 自分で言うのもなんか嫌じゃないですか。 目黒:むずいよね、関係性的に。 道枝:そうなんです。言うタイミングがあれば伝えてたので、情報解禁までにはっきり知ってるメンバーも知らないメンバーもいたと思います。 目黒:あ、そうなの。マネジャーさんが言ったりすることもなかった? 道枝:それもなく。目黒くんとドラマをやるってことしか知らないメンバーもいたと思います。みんな喜んでくれてましたよ。(西畑)大吾くんとかも「頑張ってねー」って言ってくれてうれしかったです。 目黒:こっちもみんなすごい喜んでくれて。ラウールは最近、「早くドラマ見たいな」「めっちゃ楽しみだな」ってLINEを送ってきてくれました。あと、佐久間(大介)くんはめっちゃ漫画読むから、作品を知った時に「え、あれやんの! 読んでたわそれ!」って。「もう、井田がお前にしか見えない」みたいなことも言ってくれて、うれしいなと思いましたし、そのイメージ通り演じられるよう頑張りたいなと。 道枝:なにわは、少女漫画をやるって言ったら「そうなんや!」っていうくらいのリアクションでした(笑)。 ──高校時代はどんな学生生活を送っていた? 道枝:特定の人としか仲よくしていないというか……。いつもの友達と毎日一緒にいたんで、交友関係はそんなに広くなかったです。友達の前ではすごい明るいんですけど、クラスの中ではそんなに明るくない、おとなしいほうでした。学校は楽しかったですけどね! 目黒:僕は、高校生のいわゆる青春の思い出っていうと一番に滝沢歌舞伎が思い浮かぶんですよね。自分の中の青春は学校よりもそこらへんにあって。 道枝:一番印象に残っている思い出は体育祭です。1年生、2年生の時は仕事で出られなかったんです。で、3年の時は(コロナ禍で)もともと中止みたいな感じだったんですけど、体育館を貸し切って3年生だけやろうということになって。その時初めて体育祭に参加できました。その日も仕事だったので途中までしか行けなかったんですけど、でも1回くらいは競技に出られてすごく楽しかった。こんなに盛り上がるんだ、最後に出られてよかったなって。先生たちの愛も感じましたね。 目黒:もし高校生に戻れるなら、体育祭とか文化祭とか、そういう行事はやりたいですね。学生生活への憧れのイメージっていうのはわかりやすくあると思います。なので今回、作品を通して青春を感じられるのは楽しみですね。  仕事との両立のため、高校の思い出には欠けたピースもある。そんな二人が高校生に戻り満喫する、青春の行方に注目だ。(構成/本誌・大谷百合絵) >>【関連記事/なにわ男子・道枝駿佑×Snow man目黒蓮「親密度は82%」 共通点は?】はこちら※週刊朝日  2021年10月22日号

    週刊朝日

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    へずまりゅうが参院山口補選に大惨敗で引退へ「なぜ6809票も入った?」と驚きの声

    「NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で」(NHK党)公認で参院山口選挙区補選に出馬した元迷惑系YouTubeユーチューバー「へずまりゅう」こと原田将大氏が、惨敗を喫した。25日未明に終了した開票で得票は6809票。獲得票数が1万票に届かなければすべてのSNSから引退と宣言していたが、遠く及ばなかった。    へずまは落選直後に自身のツイッターを更新。NHKの選挙速報を引用リツイートし、「なんかこれは」と戸惑っている様子だった。また、インスタグラムのストーリーズでも選挙結果を伝えるニュースを引用し、「は?」「はにゃ?」と動揺を隠せなかった。選挙は自民党の前議員で、公明党が推薦した北村経夫氏が30万7894票の大差をつけて3回目の当選。前県議で共産党県副委員長河合喜代氏は2位で92532票と伸びなかった。確定投票率は36.54%。一昨年の参議院選挙より10.78ポイント低かった。 「へずまは惨敗という見方が多いですが、個人的には6809票という獲得票数は多いと感じました。冷やかしで投票を入れた人たちがいるかもしれませんが、へずまを支持しているというより、景気が良くなった実感がなく閉塞感漂う日本の現状、山口県の現状に不満を抱えている有権者が投票した可能性が高い。投票率も前回の選挙より10パーセント以上低いし、政治への関心が低くなっているのが懸念されます。国会議員や山口の県議会議員たちはこの6809票に危機感を抱かなければいけないと思います」(民放テレビ局の政治部記者)  へずまは「迷惑系ユーチューバー」として以前に活動。会計前に魚の切り身を食べた窃盗やTシャツが偽物だとクレームをつけたとして窃盗、威力業務妨害などの罪に問われ、名古屋地裁岡崎支部が8月27日に懲役1年6か月、保護観察付きの執行猶予4年の一審判決を言い渡されたが、控訴している。 ◆「悪名は無名に勝らなかった」へずまりゅう  今回の選挙に出馬した際の政見放送では、「昨年、捕まって本当にどん底まで落ちた。そんな人生どん底経験したヤツでもこうやって出馬できる。30歳になれば今回、出馬することができるちゅうのを若者におれは教えたかった」と熱弁。 「悪名は無名に勝る」という言葉を持ち出し、「自分では山口県の大スターと思っちょう」、「おれって40歳以上の人にすげぇ嫌われちょうけぇ不利なんじゃないかなぁと思っちょうけど、それでも今回当選すると思っちょう。それだけ若者に人気がある」と自信を見せていた。  本人にとってみれば、想定外の惨敗だっただろう、ただ、SNS、ネット上では冷やかな声が多かった。 「自己評価は高いけど、現実を見てください。個人的にはなんでこんなに(獲得票数が)入ったの?って思ったけど」 「7000票近く入っているのが驚きだが、おそらく引退とかしないでしょう。面白がって投票した人たちは、本当にこの人が政治家として活動できるかどうかはあんまり考えていないんじゃないかな。本人もどこまで本気なのかわからないが、ふざけてできるわけではないので、落選でよかったんじゃないかと思う」  スポーツ紙記者はこう話す。 「へずまはYouTubeのアカウントを凍結されているので、ツイッター、インスタグラム、TikTokなどを活用してきた。獲得票数が1万票に届かなかったので公約通りならば、すべてのSNSから引退になります。選挙では地元の山口県に恩返しをしたいと繰り返し言っていましたが、政治に参加するだけがその道筋ではない。SNSから身を引き、山口を拠点に地道に働くことも立派な地域貢献だと思います」  へずまに投票された6809票を多いと感じるか少ないと感じるか…。 (安西憲春)

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    12時間前

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    小室圭さんのロン毛を見てストンと胸に落ちた 私は眞子内親王の新しい人生を応援します

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、眞子さまの結婚について。*  *  * 小室圭さんのロン毛を見て、いろんなことがストンと胸に落ちた。   日本中が好奇の目を向けている中でのロン毛での帰国は、小室さんの圧勝が決まった瞬間のように見えた。多くの人の想定を超える空気の読めなさと(誰が小室さんがロン毛で帰国することを予想できただろう)、垣間見える尋常ではない深く強い自己肯定感。こういう人でなければ、何の後ろ盾もない一般男性が皇室の女性にプロポーズするなど、無理なことなのだと理解した。  おそらく眞子内親王には、それが分かっていたのではないだろうか。もう二度と、こんな男性は現れない、恋愛感情がいつか終わることなど百も承知、賛成されていないのも百も承知、とんでもない間違いを犯している可能性も百も承知、耳に入れたくない「言いたい放題」があることなど眞子内親王自身が百も承知だろう。それでもこの機会を逃したら一生ここから出る機会はないに等しい。出られたとしても、もうそれは10年、20年後のことかもしれない。少なくとも眞子内親王と恋愛し、無謀とも思えるプロポーズをするような2人目の「一般男性」が現れる可能性は限りなく低いだろう。「生きていくために必要な選択」というのは、眞子内親王にとって大げさでない真理なのだ。  改めて、皇室の女性たちが置かれている特殊で残酷な環境に思いを馳せずにはいられない。日本のプリンセスは結婚したとたんに「一般人」にならなければいけないという、女性だけに科せられた罰のような制度がある。罰のような制度にもかかわらず、女性が皇室にとどまることは“空気”として許されていない。とはいえ一人で勝手に出ていくことはできず、現実的には男性と結婚することで出ていかねばならない。  そのような現在の皇室そのものが性差別も甚だしい前近代的な制度であるにもかかわらず、「皇室は特別ですから」と放置され続けてきた。眞子内親王の結婚をめぐるさまざまな事柄が私たちに見せたのは、皇室の女性たちが強いられる制限が、もはや人権問題の域に入っていることなのかもしれない。東京のど真ん中に、憲法24条が無効の性差別が横行している巨大な村があるようなものだ。その村から女が自力で出るためには結婚という方法しかなく、その自力すら認められるのは非常に難しい。  眞子内親王と小室さんの結婚を応援している若い女友だちの話を聞くと、自分の人生を内親王の人生と重ねている女性が少なくないことに驚く。 「眞子さまには、幸せになってほしいです。私も眞子さまと同じで、結婚しか家を出る方法がありませんでした」  内親王より少し年上のその女性は、「家柄」を自慢するような家に育ち、親が思う「適齢期」の頃には「ゼクシィ」が山のように積まれ続け「結婚しろ」のプレッシャーを感じるようになった。ひとり暮らしを希望したが「とんでもない」と聞き入れられることは一切なく、「なにはともあれ結婚」と言われ続けた。大学時代から付き合っていた男性(アルバイトで生活をつなぐミュージシャン)との結婚を心から望んでいたが、「あり得ない」と一蹴され、親戚にすすめられた見合いで公務員の男性と結婚したのは29歳の時。夫に恋愛感情を持つことは一切ないが、そうでもしなければ自分の人生は始められなかったと言う。結婚して初めて、自分が選んだ食器をテーブルに並べた時の解放感は今でも忘れられないと言う。これ、100年前の話じゃなくて、今の東京での話だ。  健康に不安を抱えるシングルマザーの母親に育てられた別の女性は、母を一人にできないという思いで、今も高齢の母親と暮らしている。結婚する機会はあったが、どの男性も母親が嫌い、ののしり、否定し、一晩の旅行すら許されず結局諦めてきた。今は強い後悔をしている。結婚すればよかった、ほんとうはそれしか母親から離れる機会は私にはなかった、と。  また父親や親戚からの性暴力を継続的に子供時代から受けている女性は、家を出るための結婚を急ぐこともある。女のひとり暮らしなど到底許されない支配的で暴力的な空気のなか、家を安全に出られる唯一の手段が結婚という場合もあるのだ。  眞子内親王は、旧宮家でもなく、お見合いでもなく、「お家柄」でもなく、誰にすすめられたわけでもない一般男性と自らの強い意思で恋愛をした戦後初めてのプリンセスだ。そういう女性に、今、日本の若い女性たちが共感を寄せている背景に、日本を生きる女性たちが沈められている暗い沼の存在が他人ごとではないからかもしれない。内親王の決断は「家を出るため」の唯一の手段に見えるからかもしれない。それなのに、その意思を貫くために約1億5000万円の一時金を辞退したり、日本以外の国で暮らすことを選択したりする状況に追い込んだものは何なのだろう。  小室さんのロン毛。女性の自由と権利を搾取するシステムそのもののおかしさを超越した破壊力。私は初めて、小室さんを好きだと思った。もうこういう破壊力を持つ人しか、日本のプリンセスを自由にできないのかもしれない。眞子内親王の新しい人生を応援します。 ■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    眞子さまの結婚どう思う? 瀬戸内寂聴が27歳スタッフに質問した結果

     半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。*  *  *■横尾忠則「スジ金入りの肉体的朦朧体、大観より本格派です」 セトウチさん 耳が聴こえなくなったと言うと、「きっと作品が変るわよ」と、ベートーベンじゃあるまいし、変なことおっしゃると、その時はそう思いましたが、本当に変ったんです。その変り方が理に適(かな)っているといえば適っている。つまり聴こえないことは、音の輪郭が失くなることです。そうなると音が朦朧(もうろう)となって、横山大観の朦朧体の絵のように音がボケて聴こえるんです。耳がボケると、日常生活もボケて、曖昧模糊(あいまいもこ)となって、したことと、してないことの区別もわからなくなるんです。つまり虚実の区別ができなくなって、夢で見た仕事の依頼を、本当に依頼されたと思って、やっちゃったりするんです。ボケの症状に似てるけれど、ボケ老人になったんではなく耳のせいだと理解しているので、そこはまだ理性がコントロールしています。 ハイ、絵の話だったです。大観は思想で朦朧体を描きましたが、僕はスジ金入りの肉体的朦朧体なので、思想のようなチョロコイ考えではなく、肉体的ハンデキャップによる堂々たる自然体派です。大観よりこっちの方が本格派です。そんなわけでセトウチさんの大予言は的中しました。 先っきも言いましたが境界線が失くなるということは自由のキャパシティも拡張したことになります。近代人は何でもかんでも境界線を引いて、全てを分業化します。縄文時代はひとりの人間が、多面的に物事をこなしていました。狩猟(しゅりょう)も農業も、漁業も工芸も、子育ても、教育もひとりでするという、境界線をはずした労働生活です。現代のような役割分担などしません。正に多義的です。越境した狩猟社会です。 難聴が与えてくれた神の恩寵です。だから病気の高徳です。僕が度重なる病気によって救われてきたということはこういうことです。神は人間に色々な苦難を与えますが、病気は罪ほろぼしでもカルマ落としでもなんでもないのです。人間の進化向上のためのカリキュラムだと思えばどうでしょう。難聴のほかに、腱鞘炎(けんしょうえん)にもなりました。もう、セトウチさんの「幻花」のような繊細(せんさい)な描写の絵など描けません。今は太い筆やハケを握りしめて、キャンバスにバンバン叩きつけるように描いています。それも痛いので、左手で描きます。左手は思うような形が取れません。幼児の絵より下手くそになります。でも、デュビュッフェは幼児の絵のマネをして、幼児風に描きますが、そんな意図的なことをしなくても、僕の左手はそのまま幼児以上に下手に描けます。これもハンデキャップから来た自然体です。 今書いている手紙では、前にも同じことを書きましたかね。境界を越えると時間差もなくなって、やったことと、やらないことの区別がわからなくなるのです。いよいよ本格派老人です。100歳老人のセトウチさんにも負けていません。ただ僕はセトウチさんのように年齢には拘っていません。拘っているのは他人の方で、今行っている展覧会では「85歳、85歳」と年齢を売り物にされています。歳のことは言うな! アーティストには年齢はないのです。昨日の続きが今日、今日の続きが明日です。原始社会では年齢など無関係です。アーティストは原始人です。■瀬戸内寂聴「私もヨコオさんに負けないように!」 ヨコオさん 何だか、ずいぶん久しぶりにこの往復手紙を書いているような気がします。 それにしても相変わらずコロナは豪勢を極め日本はおろか、世界的にその力を奮っています。 コロナのせいで、人に会えず、寂庵はずっと門を閉めっぱなしです。コロナになる前はもちろん、一も二もなく門内に入ってもらっていました。 大抵遠く九州や東北から来られた人で、まだ生きている私に逢えたと言って、抱きついて泣き出します。もちろん、私は丁寧にお迎えして、写経などしてもらい、お茶菓子を一緒に食べて、しばらくその人のお話を聞きます。つきあいの人もあれば、寂庵の信者を自称する人もあり、初めて門内に入ったという人もいます。「まさか、門内に入れてもらえると思わなかった」と泣き出す人もあれば、「生きている寂聴さんに逢えた!」と、子供のように足を踏み鳴らす人もいる。「とても百歳には見えない!」と誰もが感嘆してくれるが、終日ベッドに横になり、本ばかり読んで、一日を過ごしている私の毎日の状態など話せない。私は、人に逢っている間だけは、必死になって元気らしさを演じ、声を張り上げる。客の帰る時は、長い廊下の途中で、へばってしまい、さっさと歩く客の跡がおえない。 ──だって百だもの……──と、私は廊下の途中で、ペシャンコに座り込み、つくづく、自分に向かって言う。 食事だけは時間が来ると、しゃきっと体がのび、食卓の自分の位置に早々と座り込んでいる。「あら、お昼はもう召し上がりましたよ!」 スタッフの一人が、わざと大きな声を張り上げる。「私のスパゲティは、どうしてこんなに美味しいのだろうなんて、お世辞までいただいて」「そうよ、ほんとに! でも今ここに座ったのは、食べるためでなくて、眞子さんの結婚をどう思うかって、寂庵で一番若い二十七歳のP子の意見を聞きたいのよ」「ああ、眞子さん、ほんとに、よかったですね。大体、みんなあんまりこの結婚に意地悪すぎましたよ。でも、どうして一時金を眞子さんは辞退なさるのかしら? 貰う権利のあるお金でしょう? あんまり弱気にならない方がいいと思うけど……」 ヨコオさん、今、寂庵の中は、こんなにのんびりしています。耳が聞こえないのは、私も同然です。テレビの時なんか、びっくりするほど大きな声にしてくれるので、何とか会話が出来ています。鶯も、秋の夜の虫の音も、私の耳にはさっぱり聞こえません。ヨコオさんとTELしてるのを横で聞いてる人があれば、どんなにおかしいでしょうね。耳だけでなく体のあちこちがどしどし衰えてきます。 そのうち、きっと、自分の死んだこともわからなくなって、──ヨコオさんにTELして!──など叫んでる日が来るのでしょうね。でも目がよく見えているので、一日に二冊は厚い本を読み切っています。ヨコオさんの展覧会、ますます人気上昇でおめでとうございます。私もヨコオさんに負けないよう、あっとこれまでと変わった小説を二つくらい書き残して死にたいものですね。 では、また。※週刊朝日  2021年9月17日号

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    大分の公立高からハーバード「首席卒業」廣津留すみれが語る海外大のリアル 「東京の私大より学費安い」

     塾ナシ、留学経験ナシで大分の公立高校から米・ハーバード大学に現役合格した日本人女性がいる。バイオリニストの廣津留すみれさん(28)は、高校卒業後アメリカにわたり、ハーバード大を首席で卒業。さらに音楽の名門・ジュリアード音楽院に進んだ。日本から海外大に進学するために必要なものとはなにか。また海外大学での生活はどのようなものなのか。話を聞いた。 *  *  * ――ハーバード大学を目指そうと思ったきっかけは何ですか。  高校2年の春、バイオリンの国際音楽コンクールに優勝して獲得した全米演奏ツアー中に、軽い気持ちでハーバード大のキャンパスツアーに立ち寄りました。そもそもハーバードって本当にあるんだ、から始まりましたね。現役生が学内をガイドしてくれましたが、演劇でもスポーツでも、課外活動に学業と同じくらいの熱量を注いでいると聞いて、学業とバイオリンの両立が目標だった私は、ここに入ったらめちゃくちゃ幸せだろうなと思いました。 ■「え?あのハーバードですか?」 ――すぐにハーバードを受験しようと決めたのですか?  大分の普通の高校生からしたら、ハーバードなんてありえるのかなと思っていました。でも調べてみるとアメリカに行かずとも受験ができるのが分かり、目指してみようかなと。家族は、いいんじゃない?という反応でしたが、先生はもうびっくりして、三者面談では「え?あのハーバードですか?」と。通っていたのは進学校でしたが、あまりにも前例がない話。地方の公立高校では、海外に進学する人すらいませんでした。 ―――地方からハーバードを目指すのに、苦労はありませんでしたか。   ハーバード大学入学後に、首都圏の有名高校出身の仲間に受験時の話を聞いてはじめて、地方にいたことのハンデがあったことを実感しましたね。首都圏だと受験のための情報が日常的に手に入るし、先輩の経験の積み重ねがあって、全く環境が違うなと。私の場合は、先生に書いてもらう推薦状も、「推薦状とはどういうものか」というところから説明しないといけなかったので。でも、情報がなかったのが逆に良かった部分もあるかもしれません。海外への恐怖や先入観など、情報の多さに迷うこともありませんでしたから。 ――受験勉強では何に力を入れましたか?  とにかく英単語を覚えました。受験には2万語レベルの単語数が必要なので、SAT(アメリカの大学進学適性試験)の過去問集に載っていた単語リストを常に持ち歩いて、5分単位のすきま時間を使って勉強しました。アメリカの過去問集だと意味も英語で書いてある。翻訳しにくいものも出てくるので、基本は英語で理解してときどき日本語を書き加える方式にしていました。   試験には小論文もあるのですが、これで完成というゴールがないし、英語で書くので、それはもう修正の繰り返しでしたね。ハーバード生の論文集をアメリカから取り寄せて読んでもみましたが、“多くの国にルーツを持つ自分のアイデンティティー”というような内容が多く、私には参考にならず、トピックを選ぶのも大変でした。結局、自分の存在をアピールすることに徹しました。 ■終始「雑談」のようだった面接試験 ――合格するためには何が必要だと思いますか。  受験には面接試験もありまして、私の時はスカイプで受けました。かたくるしい雰囲気ではなく、終始雑談のような感じで、「人間力」が見られているのかなと思いました。  高校まで勉強だけやってきた、という人は多分難しいと思うんですよ。勉強以外で何にパッションがあるの? みたいなところがすごく重要視されるので。ゲームでも昆虫採集でも、何か熱中したものが存在するといいと思います。 ――入学後、国籍の違う相手との共同生活で、友達との関係はどう築きましたか?  ハーバードの学生はほぼ全員寮生活で、1年生は食事も同じ食堂です。入学直前にはオリエンテーションがあり、学校側が率先して友達づくりの場を設けてくれました。孤独になる暇がないというか。そもそも勉強するときはひとりなので、自分だけの時間がほしいとも思いませんでした。私は15人ほどの寮で、フランス系とインド系のアメリカ人の学生との3人部屋でしたが、ドアは開けっ放しで自由に行き来できました。タブーな話題も全然なくて、いい意味でカルチャーショックでしたね。政治の話も宗教の話も話せるのは発見でした。地雷を踏んだらどうしようと身構えていましたが、なんでもオープンに話したほうがみんなにとってハッピーじゃないかって考える人ばかり。  日本人はみんなが笑っているから笑っておこうって愛想よくふるまいがちで、私も最初はそうでした。でもそうすると、「すみれちゃんずっと笑ってるけど大丈夫?」と心配されてしまう。本音の突っ込んだ意見を言った方が信頼されることがわかって、だんだん変われた感じがします。 ■「挙手に慣れていない日本人」を先生が手厚くケア ――授業では言葉の壁はありましたか?  先生の早口は分からないし、予習もめちゃくちゃ苦労しました。でも先生たちがメールや授業内で手厚くケアしてくれたので救われました。先生は様々な国の学生を相手にしているので、日本人が授業中の挙手に慣れていないということも分かっていて、授業の前に、「この質問であなたを当てるから意見を言ってね」と練習させてくれるんですよ。15人程度の少人数授業が必ずあるから、何か問題があったら気づいてもらえます。「学生が落第するのは先生の責任だ」というカルチャーがあり、先生も職を失う可能性があるからか、勉強面でも周りの学生の脱落は聞きませんでした。 ――忙しくて「睡眠を犠牲にした」ということですが、どのような生活スタイルだったのでしょうか?  食堂も図書館も24時間オープン。夜10時に行ってもみんな勉強していて、朝5時に帰ろうとしても、まだほかの人がいる。課題の量も多くて常に4~5本の宿題を抱えながら、複数の課外活動を掛け持ちしてと、まるでテトリスのブロックを次々積んでいくようにスケジュールを埋め、こなしていました。でもハーバードでは誰もが同じ状況だったので苦には思いませんでしたね。平日は寝る時間がなく、しかも金曜や土曜の夜には学生や大学主催の社交パーティーがあります。社交も非常に大事でした。今思えば、将来のリーダー候補同士の人脈作り、という意図が大学側にはあったのかもしれません。隣にいる人がいつ国連の大使や大統領になるかわかりませんから。 ――学費がネックで海外大を断念する学生もいるといいます。生活費などのお金事情は?  奨学金制度が充実しているハーバードは、学費や食費、寮費も込みで、家庭の収入に応じて正規の学費の何%を支払えばOKですよという仕組みでした。私の場合、大分から東京の私立大学に入って一人暮らしをするよりも、ずっと安かったと思います。仲の良い友人の家庭はシングルマザーで兄弟も多く経済的に厳しかったので、全て無料だったそうです。  学生の活動への補助も充実していて、「日本でインターンをやりたい」と言うと往復の飛行機代を、冬休みに「他の国で実地調査をしたい」と言えば宿泊代を出してくれる。とにかく熱意を伝えれば援助してくれるという制度が整っていました。特にアイビーリーグ(アメリカの8つの名門私立大)では、経済的に成功した卒業生たちがその時の恩を寄付金で還元するというシステムができています。卒業翌日には私の元にも、寄付をお願いするメールが届きました。しかも「あなたのいた寮に新入生が入りましたよ」みたいなパーソナライズされたメールがくるんですよ。寄付したくなるじゃないですか。すごく上手なんです。 ■環境をどう生かすかは個人にかかっている ――海外大の制度や学生生活は、理想を現実が超えていた、ということですね。  そうですね。でも、この環境をどう生かすかは、個人にかかっているかもしれません。勉強だけを目標にするとちょっとよくないかもしれない。私は学業と別に、バイオリンという熱中できるものがあった。大学関連の様々な場面で演奏の機会を得て、それが世界的チェリストのヨーヨー・マの関係者の目に留まって共演につながりました。音楽を社会貢献のツールとしているヨーヨー・マとの出会いのおかげで、バイオリニストという道を極めたいと思うようになったんです。私の場合はバイオリンでしたが、これがスポーツの人もいる。自分が一番だと思える分野を、1学年1600人みんなが何かしら持っていると思うんですよ。在学中のどこかで、私はこれをやるんだと実感する瞬間があるんじゃないかな。 ――アメリカの大学での経験から、日本の大学が変わるべきところがあるとすれば何だと思いますか?  質問力を生かす環境ではないでしょうか。アメリカの授業では質問をしない=出席したことにならないと捉えられるので、みんなひたすら質問したがるんです。日本でも、授業をさえぎってでも質問するような人がもっと増えていい。何十年と同じ内容の授業をしている先生がいるとも言われますが、そういう環境になると、先生も学生の質問に答えるために自分をアップデートするようになると思うんですよね。私はいま成蹊大学と国際教養大学で授業を受け持っていますが、最初に、「ここはセーフスペースだから何を意見しても大丈夫よ」と言ってから始めるようにしています。 ――海外大を目指す学生に、日本で準備しておいたほうがよいこと、メッセージは?  よく言われることですが、日本のことをもっと知っておくことだと思います。私が1年生のときにアメリカではオバマが大統領に選ばれたんですが、決まった瞬間、それぞれの寮から叫び声が聞こえて、走り回っている人もいたんですよ。あまりに嬉しくて。みんな18歳で初めて得た選挙権、しかも黒人初の大統領が生まれた歴史的瞬間。そんなときにも、アメリカと日本の選挙の仕組みの違いなど、政治のシステムをもう少し分かっていたら、もっと濃いディスカッションができたのになと思います。  また、海外の大学に行きたいと言ったら反対する親御さんもいると思います。ハーバードより東大、と考える先生もいるかもしれません。私も高校の先生から東大の試験も受けるように言われたのですが、自分の意志で決めてよかったと思っています。海外大を目指す高校生の方には、大人の言うことを聞くな、ということをメッセージとして伝えてもいいかもしれません。  (中村さやか)  〇廣津留すみれ/ひろつる・すみれバイオリニスト、成蹊大学客員講師・国際教養大学非常勤講師。1993年、大分市生まれ。2016年にハーバード大学(学士課程)、2018年にジュリアード音楽院(修士課程)をいずれも首席で卒業。世界的チェリスト、ヨーヨー・マとの共演のほか、ゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズの演奏・録音などを担当。テレビの情報番組にコメンテーターとして出演も。著書に『ハーバード・ジュリアードを首席卒業した私の「超・独学術」』(KADOKAWA)など。

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    渡部建、49歳になって仕事ゼロでもなぜか余裕 復帰を焦らなくてもいい「うらやましい理由」

     昨年6月までは8本のレギュラー番組を抱える売れっ子だったアンジャッシュの渡部建(49)だが、不倫騒動で芸能活動を自粛して以降、復帰の道筋は見えてこない。  渡部の近況を報じた週刊誌「FLASH」(9月28日・10月5日号)によると、普段は総額35万円のハイブランドコーデで“主夫”をこなしているという。  一方、一家の大黒柱となった佐々木希(33)は、三池崇史監督が演出を手掛ける舞台「酔いどれ天使」に出演中だ。東京公演の千秋楽を迎えた20日には、3歳の長男がサプライズで花束をプレゼントしてくれたことをインスタグラムで報告した。 「佐々木は4億円のマンションをキャッシュで購入し、息子を年間の授業料が200万円以上といわれる幼稚園へ転園させたことが報じられました。10月からは舞台の大阪公演が始まりますが、今の彼女は精力的に仕事をこなしています。もちろん佐々木が仕事の間は渡部が家事と育児をこなしているそうです」(女性誌記者)  渡部の復帰に関しては昨年末の「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」(日本テレビ系)への出演情報が流れたことで、渡部も慌てて“謝罪会見”を開いたが、これが完全に裏目に。しどろもどろの受け答えに終始し、結局、騒動を蒸し返されるだけに終わった。 「『ガキ使』の出演はお蔵入り、さらに『有吉反省会』(同・9月で終了)の最終回にサプライズ出演のうわさも流れましたが、これは有吉本人が否定しました。渡部自身は、テレビへの未練はあると思いますが、実際、以前のような形で復帰するのは難しいと感じているようですね。昨年の会見で懲りたというか、このまま表舞台に出たところで、一生“トイレ不倫”は言われ続けるでしょうし、忘れた頃にまた蒸し返されたり、あるいは別の女性が告白したりという不安は絶えないでしょう。YouTubeでの復帰なども、オファーはあったみたいですがすべて断っているそうで、今は静かに暮らしたいそうです」(テレビ関係者)  スポーツ紙記者も「宮迫(博之)さんのケースを目の当たりにしているので、YouTubeなどでも露出は控えたいようです」と話す。 「得意のグルメも今では、イメージダウンで厳しいですし、相方の児嶋一哉のYouTubeが好評なので、その邪魔をしたくない、という思いもあるのかもしれません。一方で佐々木の仕事は順調で、今の舞台の演技も好評なので、すでに映画やドラマのオファーも来ているようです。佐々木も渡部には『復帰は焦らなくていい』と話しているそうですし、渡部にしてみれば、やっと生活のリズムが落ち着いてきたところなのではないでしょうか。今は将来的なことも考え、子どもの送り迎えや家のことをこなす合間に、資格取得のための勉強も始めたという話もあります」  23日に49歳を迎えた渡部だが、1年後の50歳でも芸能界復帰はしていない可能性もありそうだ。もう復帰とは別の道を歩むための準備を始めたのかもしれない。(坂口友香)

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    「まさかの落選危機も…」官邸と与党が心配する岸田内閣の現職3閣僚

     自民党は衆院選に向けて、第2次公認を発表した。二階派と清和政策研究会(細田派)、麻生派などで保守分裂か、と注目されていた群馬1区や福岡5区などの小選挙区の候補者が決定している。  党内で公認争いが激化していた小選挙区の調整は、甘利明幹事長と遠藤利明選対本部長が中心になっていた。だが、公認直前には麻生太郎副総裁も加わった。 「15日に官邸で麻生氏、甘利氏、遠藤氏が岸田首相と断続的に会談して、候補者を調整していました。岸田首相はずっと険しい表情でしたね」(自民党幹部)  岸田内閣が発足し、わずか10日で解散となり、選挙に突入するという異例の短期決戦。組閣から間がないので、現職閣僚が苦戦している小選挙区がいくつもある。  特に自民党、官邸が「負けたら大変なことになる」と力を入れるのが、初入閣した大臣たちの選挙区だ。  西銘恒三郎・復興相(竹下派)の沖縄4区、山際大志郎・経済再生担当相(麻生派)の神奈川18区だという。  西銘氏は当選5回で父親の順治氏は沖縄県知事、衆院議員を務めた政治一家だ。しかし、地元の自民党県議は険しい表情だ。 「西銘氏が復興相になったのは追い風だ。これで挽回したい」    自民党が10月に実施した世論調査では西銘氏と立憲民主党の新人、金城徹氏は差がわずかで、大接戦となっている。立憲の世論調査の数字では、金城氏が西銘氏に対し、わずかに優勢という数字だった。西銘氏は過去5回の当選の中で、4回は小選挙区で当選、1回は比例復活している。 ◆西銘復興相と「オ-ル沖縄」立憲新人が接戦の沖縄4区  2009年に旧民主党政権が誕生した選挙では、比例復活もできなかった。相手の金城氏は元那覇市議で議長も務めた。元沖縄県知事の翁長雄志氏(故人)と近く、市議時代は自民党から出馬したこともあった。保守と革新が呉越同舟の「オール沖縄」からの支援も受けている。 「もともとは西銘氏の強固な地盤でしたが、沖縄で強い革新票は確実に金城氏がとるでしょう。金城氏は自民党にいたこともあり、西銘氏支援の保守層にも食い込んでいる。それが接戦になっている要因の一つです」(立憲幹部)  17年の衆院選で自公政権が圧勝した中でも、沖縄は小選挙区4つのうち1つしかとれなかった。それを死守したのが、西銘氏だった。今回もデッドヒートを勝ち抜くことができるのか?  一方、経済再生担当相の山際氏の地盤、神奈川18区は、立憲元職の三村和也氏と日本維新の会の新人、横田光弘氏の3人が争う構図だ。 ◆山際経済再生担当相と立憲元職が激戦  山際氏は当選5回。自民党の世論調査では山際氏が立憲の三村氏や維新の横田氏より優勢となっている。しかし、山際氏と三村氏には、わずかな差しかないという。また立憲の世論調査では、山際氏と三村氏は接戦となっている。17年の衆院選では、山際氏が希望の党から出馬した三村氏に5万票ほどの差をつけて圧勝した。 「前回のように、圧勝してほしいですが、現状では1票差でもいいので小選挙区当選が目標です」(山際陣営の地方議員)  立憲の三村氏はかつて菅義偉前首相の神奈川2区が地盤だった。09年に民主党と政権交代を果たした選挙では、菅氏を約500票差まで追い込み、比例復活当選を果たし、バッジをつけた。  その後、選挙区を何度か変更し、今回は前回(希望の党)と同じ神奈川18区から出馬となった。 「これまで選挙区が定まらなかったが、神奈川18区で連続しての出馬となり、三村氏の名前が浸透してきた。また野党共闘で共産党候補がいない。世論調査でも立憲や共産党の支持者から確実に数字がとれている。神奈川18区の政党支持率も自民と立憲の差はわずかで、いい勝負をしている。山際氏という現職閣僚に勝てる小選挙区として重点を置いている」(立憲の幹部)  神奈川18区は川崎市高津区など北部に位置するが、8月の横浜市長選が微妙に影響している。菅氏が必勝を期して送り込んだ、小此木八郎氏が落選し、立憲が推した山中竹春氏が勝利した。 「川崎市は横浜市に隣接する都市部。まだ8月の横浜ショックが尾を引いて自民党と訴えても反応が鈍い。山際氏は経済再生担当相とコロナも担当する。多忙でしょうが、頻繁に地元に帰ってもらわないと厳しい」(山際陣営の地方議員)  そして現職閣僚でもう一人、苦しい選挙戦となっているのが、連立与党・公明党の斉藤鉄夫国交相だ。これまで斉藤氏は比例中国ブロック選出だった。  だが、19年の参院選で自民党の河井克行、案里夫妻が広島県選挙区の地方議員や有権者に計2900万円をばらまいた公職選挙法違反事件が起こった。法相まで務めた克行被告は、1審の有罪判決で議員辞職。そこに名乗りを上げたのが斉藤氏だった。広島3区で当選してきた克行被告は、約8万5千票を獲得していた。 ◆議員辞職した河井元法相の広島3区 自民動かず、焦る公明  17年の衆院選で公明党が広島3区の比例代表でとったのは、約2万5500票。広島市議選などの結果からも公明党の基礎票は2万5千票とみられる。そこに6万票の上積みが必要で自民党の協力なくして、当選はない。  また、公明党の小選挙区立候補は原則、比例代表との重複立候補はしないので、斉藤氏は勝ち抜くしかないのだ。  最新の自民党の世論調査を見ると、斉藤氏が立憲の新人、ライアン真由美氏に大きな差をつけている。だが、今夏の世論調査ではライアン氏が僅差だが斉藤氏を上回っていた。  立憲の世論調査では、斉藤氏とライアン氏はまったくの横並びだった。公明党幹部は浮かない顔でこう話す。 「斉藤氏が勝つには自民党さんに頑張ってもらうしかない。だが、河井夫妻の事件があって正直、動きは鈍い」  自民党広島県連から河井夫妻の事件に関与した県議や市議らに対し、「一切、衆院選には関わるな」とお達しが出ているという。 「岸田首相も以前、河井夫妻の事件に関係した地方議員は処分という趣旨の話をしている。公明党が何を言っても動きようがありません。岸田首相が手のひら返しで斉藤氏を応援しろと言っても、やる気はしませんね。有権者の目線も冷たいです」(自民党の広島県議)  だが、斉藤氏も黙っていることもできず、河井夫妻の事件に関与した地方議員にも声をかけて応援を要請するという歪な展開になっている。  立憲幹部は自信ありげに言う。 「自民党は動いていない。それで公明党は必死になっており、政権与党の足並みが乱れている。ライアン氏は広島3区で長く活動しており、国交相を新人が破るという大番狂わせも十分、可能性がある」  広島3区からは他にも日本維新の会が新人の瀬木寛親氏、「NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で」の矢島秀平氏、無所属の大山宏氏と玉田憲勲氏も立候補を表明している。広島3区は中選挙区時代、岸田首相の地元でもあった。  そこで指導力を発揮できなければ、「自公政権に亀裂が入りかねない」(自民党幹部)という声もでている。 (AERAdot.編集部 今西憲之)

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    小室圭さん帰国便同乗者が目撃した姿「彼はまるでエグゼクティブ」 自宅前では深々とお辞儀

    颯爽と歩きながら、小室圭さんがアメリカから帰国した。日本の地を踏むのは2018年8月に渡米して以来、3年2か月ぶりだ。  成田空港は多数の報道関係者が集まっており、ピリピリムード。報道陣に対して、カメラのフラッシュ禁止、声掛けも禁止といった規制が敷かれていた。報道関係者からは「どうして?」と不満の声も漏れていた。  午後3時20分過ぎ、成田空港に飛行機が到着。一般客が飛行機から降りたあと、小室さんが、報道陣の前に姿を現した。警護と思われる男性やキャビンアテンダント(CA)の女性などに囲まれていた。キャリーバックを転がしながら、白マスクに、濃紺のスーツ、ストライプの入ったシャツ、ノーネクタイといういで立ちで、髪の毛は後ろに縛っていた。  飛行機から出てきた小室さんは報道陣に一礼したあと、新型コロナウイルスの抗原検査、そして入国手続きに進んだと見られる。  小室さんは機内でどのような様子だったのか。偶然、同乗していた男性(51)に話を聞くことができた。 「私がファーストクラスで座っていると、ドアが閉まるギリギリになって小室さんが搭乗してきました。まるでエグゼクティブのようでした。後ろの髪を結っていたので、すぐに彼だとわかりましたね。彼一人に女性CAが2人くらいついて、会話しながら案内されて入ってきました」  当初はエコノミークラスのチケットを買ったと報じられていたが、この男性はこう語る。 「右の列のビジネスクラスの前方の席で、窓際に座っていましたね。私の席から右斜め後ろのほうの席でした。ただ、カーテンでファーストクラスとは仕切られていたので彼の表情などはわからなかったです」  男性は飛行機から降りた後、抗原検査のために、大きめの部屋に移ったという。40分ほどその部屋に滞在したが、そこに小室さんの姿はなかった。 「今か今かと待っていたのに、残念でした」(男性)  そのころ、到着ロビーには多数の報道陣のほか、「皇室系Youtuber」といったタスキをかけた人物や一般客も小室さんの姿を一目見ようと集まっていた。その数、50~60人ほど。  津田沼から来たという白髪交じりの一般男性は手にハンディカムを持ち、小室さんを待ち構えていた。妻に頼まれて自宅で見るために撮りに来たという。  しかし、小室さんは一般客が使う到着ロビーを通らず、地下駐車場から車に乗り込み、成田空港を後にした。「地下駐車場から空港を出たらしい」と男性に知らせると、「こんなに待っていたのに……」と不満げな様子だった。  小室さんを乗せた乗用車が向かった先は、母・佳代さんが住む横浜の自宅だった。自宅前は朝から報道陣が詰めかけ、警察は臨時の派出所を設置し、周辺警備に当たるなど、ものものしい雰囲気が漂っていた。夕方には100人を超える報道陣が押し寄せており、ベランダから様子を一目見ようとする住民の姿も見られた。  19時過ぎ、小室さんを乗せた車が到着。警察が後部座席のドアを開け、車から出てきた。小室さんは、報道陣から「どんなお気持ちですか」と声を掛けられたが、反応は示さず、自宅マンションの入り口で2回ほど深々とお辞儀をして、黒いスーツを着た男性らと中に消えていった。  近くに住む60代の男性はこう語る。 「ヘリコプターの音がすごくて『何事か』と思って見に来た。3年前の婚約会見後のときと同じような状況だと感じましたね。小室さんがニューヨークに行ってからは、静かになっていたんだけど……。またしばらく騒々しくなるのかなと思っています。どの家庭も問題を抱えていますし、小室さんと眞子さまも早くアメリカで幸せになってほしいですね」    小室さんは今後、自宅で2週間の隔離を終え、その後、記者会見に臨むと見られている。果たして何を語るか。注目が集まる。 (AERAdot.編集部/上田耕司、飯塚大和、吉崎洋夫)

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    眞子さまと小室圭さんは結婚後、皇居に足を踏み入れることはできるか “サーヤ”黒田清子さんご夫婦との違い

     秋篠宮家の長女、眞子さま(29)との結婚を控えた小室圭さん(30)は18日、秋篠宮邸がある東京都港区の赤坂御用地を訪れ、秋篠宮ご夫妻に結婚のあいさつをした。眞子さまは22日に天皇・皇后両陛下、25日に上皇・上皇后両陛下に結婚の報告をするという。皇室ジャーナリストの神田秀一氏にこれらの予定ついて、その意味を読み解いてもらった。  小室さんは18日午前8時前、横浜市内の自宅マンションからスーツ姿で出てきた。右手にはカバン、左手には白い紙袋2つを持っていた。   「秋篠宮家に持っていく手土産とご夫妻や宮内庁に見せるための書類などが入っていたのではないでしょうか。アメリカで用意した手土産かもしれませんが、どんな中身かはわかりません」   後頭部で縛っていたロン毛は短く整えられていた。  「小室さんは髪型でいろいろと騒がれましたし、秋篠宮家に正式な挨拶に行くのですから、きちんとした髪型にしたのでしょう。皇室であのような頭髪であいさつをする慣習はないんですよね。民間人が皇族に会うのですから、切らざるを得なかったのでしょう」    神田氏が着目したのは小室氏を出迎えた黒いワゴン車。午前9時15分ごろ、赤坂御用地の巽門(たつみもん)へと入って行った。  「車には、宮内庁発行の門鑑(もんかん)がステッカーとしてついていましたね。ということは宮内庁が、小室さんが秋篠宮ご夫婦に会いに行くことを認めたのです。アメリカから帰国し、結婚を進める上で、あいさつだけはしておかなければ、という小室さんの考えと、宮内庁の意見が一致したのでしょうね」    8日後に迫った結婚。秋篠宮ご夫妻は、2人の結婚を認めたのだろうか。  「憲法の規定により、日本人であれば両性の合意に基づく結婚そのものをダメだとは言えない。秋篠宮ご夫妻も宮内庁も政府も同じ考えです。しかし、結婚は認めるものの、その前に解決しなくてはいけないこと、あるいは報告を受けなければいけないことがいろいろあると思います。それは今のところ未解決のままなので、秋篠宮さまとしては『挨拶にはおいでになってもかまいません。聞くことは聞きましょう。いらっしゃるというのなら待っております』というスタンスで、そこまでは許したのだと思います」    眞子さまと小室さんは3年2カ月ぶりに再会した。  「私の得た情報では、小室さんが秋篠宮ご夫妻にあいさつしをして30分後くらいに、秋篠宮邸のどこか別室で眞子さまと小室さんが会うことを許してもらえたと聞いています。眞子さまの部屋かもしれませんね。佳子さまがいらっしゃったかもしれませんが、2人だけの可能性が高いと思います」   眞子さまは22日、皇居・御所を訪れ、天皇、皇后両陛下に結婚を報告し、25日には東京都港区の仙洞仮御所を訪れ、上皇陛下と美智子さまにも結婚を報告する予定だ。現時点でそれに小室さんが同席する予定はない。  「一般の結納にあたる『納采の儀』も行っていませんし、皇籍を離脱する際に支給されるはずの『一時金』も眞子さまは辞退なさった。小室家を巡る諸問題も解決されていないので、天皇・皇后両陛下は眞子さまからの結婚報告を受けても、『体に気をつけて、元気で』とか『健康でお幸せな日々をお祈り致します』とお伝えするのにとどまるのではないでしょうか。『おめでとう』とおっしゃることはできないと思いますよ」   眞子さまは26日に婚姻届を自治体に提出し、皇籍を離脱する予定。今後、皇室との距離はどうなるのだろうか。  「皇室としての結婚を許したわけではないけれども、2人の意思で一緒になるならば致し方ないということ。もう2度と皇居に足を踏み入れることが許されなくなる可能性はありますね。サーヤの愛称で親しまれた黒田清子(さやこ)さんも結婚して皇籍を離脱しましたが、お相手の黒田さん一家には何の問題もないし、清子さんは皇室とゆかりのある伊勢神宮の祭主を務めているので、皇籍離脱後も皇居を訪れています。けれども、眞子さまの場合は、黒田さんご夫婦と同じようにはならないでしょう」    26日に予定されている記者会見はどのようなものになるのだろうか。  「報道陣と宮内庁の係官が合わせて50人くらい集まるのではないかと聞きます。警備も、コロナ対策も万全なホテルというのは限られてきます。宮内記者会、雑誌協会、外国人記者クラブで合計3問くらいの質問ではないか。それ以上、質問の声を上げ続ける記者がいるかもしれませんが、『本日の会見は終了します』と打ち切るでしょう。政治家でも誰でも、長く話すとボロが出るものですから」   会見に先立ち提出される自治体への婚姻届けについて、神田氏は次のように推測する。  「秋篠宮家から命令を受けた職員が、小室夫妻になる2人の代理人として、自治体の戸籍係のところに持って行くというふうに聞いています」   会見後、 眞子さまは年内にも渡米し、ニューヨークで新生活を始めるとみられている。お2人の行く末は……。  「ヨーロッパの王室ではこのくらいのことはあるレベルのことのようですが、日本の皇室では前代未聞の事態で、眞子さまは離婚しても、もう皇族には戻れません。幸福になるか、不幸になるかはチャレンジしてみなければわからないですね。結果は誰にもわかりません」 (AERAdot.編集部 上田耕司』

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    松田聖子とSMAPが音楽史において別格な理由 時代を変えた「アイドル」の共通点とは

     松田聖子とSMAP。  ソロとグループという違いはあっても、ともにビッグアイドルだ。  が、共通点はそれだけではない。どちらも音楽シーンの節目に登場して、新たな流れを作った。大げさにいえば、ジャンルの分断を防ぎ、統合するという大きな功績を残したのだ。本稿ではそれをわかりやすく説明してみたい。  まず、聖子のデビューは1980年。当時、アイドルは終わったと言われていた。その根拠は、70年代後半に起きたニューミュージックブームだ。  たとえば、79年のオリコンチャート。幕開けこそ、ピンクレディー最後の1位曲「カメレオン・アーミー」が首位に立ったが、年間で見れば、約3分の2の週の首位がニューミュージック系の曲だった。特に7月以降は、さだまさし、桑名正博、久保田早紀らで首位を独占。この状態は翌年も続き、クリスタルキング、海援隊、シャネルズ、もんた&ブラザーズ、長渕剛らで9月まで歌謡曲系の首位を許さなかった。  78年の「NHK紅白歌合戦」ではこうした状況に対応すべく「ニューミュージックコーナー」を特設。庄野真代やさとう宗幸ら6組が登場した。また、ゴダイゴ、アリス、甲斐バンド、サザンオールスターズなども人気だったし、ロック御三家というアイドル的存在も現れた。そのかわり、石野真子や榊原郁恵が最後のアイドルと呼ばれていたものだ。  いわば、職業作家の提供するものを歌う歌謡曲系より、自分で作詞作曲も行うニューミュージック系のほうがオシャレでカッコいい、というイメージが広まりつつあったのだ。それゆえ、80年代はそんなシンガー・ソングライター、自作自演の時代になると予想されていた。  しかし、予想に反し、空前のアイドルブームが到来することに。その最大の立役者が聖子だ。2カ月後にデビューした田原俊彦とともに、音楽シーンの空気を一変させた。  ちなみに、ニューミュージック系のオリコン1位曲独占状態を阻止したのは田原の「ハッとして!Good」だが、これが2週続いたあと、聖子の「風は秋色」が首位に立ち、5週間独走。ここから彼女の24作連続1位という大記録が始まる。  81年以降は、近藤真彦や中森明菜らも首位の常連となり、年間で見てもアイドル系が1位曲の7~8割(おニャン子ブームの86年は9割以上)を占めるという状況が80年代末まで続いていくわけだ。  ただ、聖子が成し遂げたのはアイドルの復権だけではない。彼女が別格なのは、ニューミュージック系と積極的にコラボして、聖子ポップスともいうべき独自の世界を作り上げ、時代を前に進めたところにある。  デビュー当初こそ、職業作家による作品をシングルにしていたが、2年目からは財津和夫、大瀧詠一、松任谷由実、細野晴臣、佐野元春、尾崎亜美といったニューミュージック系のアーティストが作曲したものに切り替えた。アルバムでも、その方向性を模索し、彼女の歌はニューミュージックのテイストも味わえる歌謡曲として高く評価されるようになる。夏と冬にリリースされるアルバムはユーミンやサザンのアルバムと同じく、リゾート向きの音楽としても支持された。それはまた、当時、若者にも浸透しつつあったカラオケや、急速に普及しつつあったウォークマンにも合うものだったのである。  なお、聖子の連続首位記録が始まった月に引退した山口百恵も、ニューミュージック系とのコラボには積極的だった。宇崎竜童に谷村新司、堀内孝雄、さだまさしらの作品をヒットさせ、アルバムではブレーク前の浜田省吾なども起用している。  が、時代的にまだ早かったことと、本人の声やキャラが和風で演歌寄りだったことから、ニューミュージックのポップな感じは取り込みきれず、旧来の歌謡曲の領域からそれほど飛び出すことはなかった。  また、聖子のライバルでもあった明菜は競合を避ける意味もあって、ラテンやフュージョンのアーティストと組んだりした。百恵同様、その声やキャラもあいまって、ニューミュージック色は薄かった印象だ。  つまり、聖子が誰よりも適任だったわけで、その資質を見抜いたのはプロデューサーの若松宗雄だ。彼女の声に惚れ込み、芸能界入りに難色を示す父親を説得してデビューさせたこの男は、70年代にキャンディーズと吉田拓郎のコラボを成功させた経験から、その路線をさらに推し進め、聖子で新たなジャンルを作り上げた。  実際、彼はこんな発言もしている。 「松田聖子という存在は、ニューミュージックと歌謡曲の間で生み出されたアイドルなんです」(「語れ!80年代アイドル」)  それを言うなら、Jポップというのも歌謡曲とニューミュージックが融合して生まれたものだ。Jポップが絶頂期を迎えていた96年に、聖子が自作自演による「あなたに逢いたくて」を大ヒットさせられたのも、彼女がそれ以前からJポップ的要素を持つ存在だったからだろう。  そんな96年、音楽シーンの中心に躍り出ようとしていたのがSMAPだ。  こちらは結成が89年で、CDデビューが91年。当時もまた、アイドルのブームが去り、歌番組も減少して、アイドルは終わったといわれていた。高橋由美子あたりが最後のアイドルと呼ばれていたものだ。  そんななか、彼らはバラエティーやドラマで人気と実力を高めていく。音楽的には、筒美京平や馬飼野康二といった歌謡曲のベテラン職業作家のもとで出発しつつ、93年からは林田健司、庄野健一、小森田実といったニューミュージック系の作家と組んで「$10(テン・ダラーズ)」「がんばりましょう」「SHAKE」などをヒットさせた。サウンドとしては、Jポップの特徴ともいえるファンキーなグルーブ感を取り入れ、録音にも国内外の一流ミュージシャンを呼ぶなどして、いわば「アイドルの顔をしたJポップ」を作り上げたのである。  もっとも、同時期のJポップにはビーイング系や小室ファミリーがいて、主流争いをしていた。アイドルのSMAPはあくまで傍流であり、肩身が狭そうな印象も受けたものだ。  しかし、97年に「セロリ」98年に「夜空ノムコウ」をヒットさせたことで見方や存在感が変わる。山崎まさよしやスガシカオというJポップの実力者とコラボして、成果を出したことがそのステイタスを上げることにつながったのだ。  このコラボ路線がもたらした最大の収穫が「世界に一つだけの花」であるのはいうまでもない。2003年にシングルとしてリリースされ、平成最大のヒット曲となり、音楽の教科書にも掲載された。  ただ、作詞作曲をした槇原敬之は99年のクスリによる逮捕ですでに前科一犯だった。ちょっと勇気の要るコラボでもあっただろう。が、この作品のサウンドやメッセージはそういうものを超えて支持されることに。ちなみに、振り付けは小室ファミリー出身でのちに性別適合手術を受けたKABA.ちゃんが担当した。「誰もが特別なオンリーワン」というテーマは、ジェンダーフリー的な多様性も含んでおり、まさに時代を象徴したヒット曲といえる。  こうしてSMAPは、ジャニーズ的なポップスとJポップの融合に成功し、音楽シーンの本流となった。この世界は後輩の嵐にも引き継がれていく。ではなぜ、SMAPがこれだけのことをできたかというと、その鍵はアイドルならではの華と上手すぎない歌唱力だ。  じつはこの時期、自作自演で世に出たアーティストの作品をアイドル的な歌手やグループが歌うスタイルが流行した。つんくとモーニング娘。に、奥田民生とPAFFY、小室哲哉と鈴木あみ、などなど。これらはアーティストが作る難しそうな曲を身近に感じさせる効果を生んだ。人気者が上手すぎない歌唱力で歌うことで、親しみが持てるのだ。  SMAPもまた、山崎やスガ、槇原による詞やサウンドを華やかにわかりやすく伝えることで、Jポップをより大衆的なものにした。これに対し、聖子は歌唱力も高く評価されたが、それを上回る武器がアイドルとしての華やわかりやすさだったのである。それゆえ、どちらも別格として、時代の本流を担えたのだろう。  なお、SMAPについては、酒井政利が興味深い指摘をしている。09年に出版された「音楽誌が書かないJポップ批評59」のなかで、自身がプロデューサーとして手がけた百恵が活動の終盤「表現に取り憑かれすぎていた」としたうえで「SMAPにはそういう心配はいらない」と語ったのだ。 「国民的に支持される人というのは『超二流』なんですね。『超二流』というのは一流でいるよりもずっと難しいゾーン。そこにいま、唯一足を踏み入れているのがSMAPです。この超二流のゾーンこそが、国民が待望している本当の娯楽の世界なんです」  表現者としての高みだけを目指すのではなく、ファンにとって身近な存在にとどまり続けることの尊さ。こうした機微を、彼らはよくわかっていた気がする。「世界に一つだけの花」のあとも、アイドルのまま、アーティストとのコラボを繰り広げた。斉藤和義に山口一郎、津野米咲、尾崎世界観、椎名林檎、そしてラストシングルは川谷絵音だ。  もし解散しなければ、嵐より先に米津玄師の作品も歌っていたかもしれない。  じつは今も、音楽シーンは大きな節目を迎えている。アニソンが日本レコード大賞に輝いたり、SNS発信のヒット曲が多数生まれるなど、多種多様なものが展開されつつ、それは本流なき混沌とした状況にも見えるのだ。  はたして、聖子やSMAPのような大仕事をやってのける存在がこのあたりで出現するのだろうか。その兆しがいまひとつ感じられないことも、聖子やSMAPの別格さを際立たせているように思えてならない。 ●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

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    自民64議席減の予測 石原伸晃 下村博文、萩生田光一も当落線上か

     天下分け目の衆院選が近づきつつある。新総裁のもとでイメージを一新した自民党に、野党は今回もしてやられるのか……いや、そうとも限らない。過去のデータを分析すると、野党共闘の成立次第で勝敗はガラッと変わることがわかってきた。 *  *  *  コロナ禍の拡大で国民から総スカンを食らった菅義偉政権。衆院議員の任期満了が10月21日に迫るなか、自民党は近年では最大の危機を迎えていた。ジャーナリストの二木啓孝氏は言う。 「8月ごろに自民が実施した衆院選の情勢調査は『60議席±10減』という衝撃的な結果だった。二階俊博幹事長が8月末にその資料を持って菅義偉首相と官邸で面会。この数字が退陣の決定打になったと言われています」  次期衆院選の定数は465。過半数確保には233議席が必要だ。自民の現有議席は275で、43議席減らすと自民単独過半数割れ。また、公明党の現有議席は29。自公両党で合計72議席減ると与党過半数割れとなる。自民にとって“政権からの転落”が現実味を帯びていたのだ。  進退窮まった菅首相は9月3日に総裁選不出馬を正式表明。11月までに実施される衆院選は新しい首相・総裁のもとで実施されることとなった。その後は連日、メディアをジャックした「総裁選ショー」で菅政権の失政は“リセット”され、またも与党は安泰……という結果になるのだろうか。  だが、次の衆院選は前回と決定的に違う点がある。前出の二木氏は言う。 「2017年の衆院選で与党が圧勝したのは、選挙直前に民進党(当時)が希望の党と立憲民主党に分裂し、混乱の中で共産党との選挙協力も進まず、野党候補者が乱立したから。今回は前回ほど野党候補者の分裂選挙にはならない。自民は決して安泰ではなく、『どれだけ負けを減らせるか』の戦いになるでしょう」  そこで本誌は、17年衆院選で仮に野党候補者の一本化ができていた場合、選挙結果がどうなっていたかをシミュレーションした。なお、国会で与党寄りのスタンスをとり、立憲らと明確に距離を置く維新の会は、野党候補の票に合算していない。  その結果は衝撃的なものだった。野党の合算票が、勝利した与党候補者の票を上回った小選挙区は64。なかには、石原伸晃元幹事長(東京8区)、下村博文政調会長(東京11区)萩生田光一文部科学相(東京24区)、上川陽子法相(静岡1区)など、現職大臣や要職経験者といった“大物議員”も複数含まれていた。  さらに、17年衆院選と19年参院選で与野党が拮抗した選挙区や、保守分裂選挙になりそうな選挙区など13選挙区を抽出した。この合計77選挙区が、与党の「“落選危機”リスト」だ。仮にこれらの選挙区をすべて落とせば、「自公で過半数割れ」もあり得る。  個別の選挙区事情を見ても、与党が安泰でないことがわかる。永田町関係者は言う。 「香川1区の平井卓也デジタル担当相は、立憲の小川淳也衆院議員と拮抗している。小川氏を主人公にしたドキュメンタリー映画がヒットしたことで、メディアへの露出も増えた。与野党逆転があるかもしれない」  東京9区は菅原一秀前経産相が違法な寄付で略式起訴され自民を離党。自民は候補者を立てられず不戦敗の公算大だ。  石原伸晃氏だけではなく、弟の宏高衆院議員(東京3区)もリスト入りしている。 「東京3区は立憲の松原仁衆院議員が保守層にも浸透している。野党一本化が実現すれば、伸晃氏と一緒に兄弟で危ない」(自民党関係者)  広島3区からも目が離せない。二木氏は言う。 「河井克行元法相の選挙買収事件を受け、公明の斉藤鉄夫副代表が候補者になりましたが、選挙戦で手足になる主だった自民系地方議員のほとんどは河井氏から現金をもらっていて活動ができない。4月の参院広島選挙区の再選挙も野党候補が勝利している。斉藤氏はかなり厳しい」  野党が決して非力でないことは、次のデータからも読み取れる。  17年衆院選で全国の比例得票数は、自公が計約2553万票なのに対し、立憲・希望・社民・共産は計約2611万票で野党が上回っていた。  19年参院選の結果を見ても、リストにある宮城、秋田、長野、静岡、愛知、滋賀、京都、大分は野党の合算票のほうが多い。東京は与党が上回ったが、得票率の差はわずか1.8ポイント。同じく与党合算票が上回った千葉と神奈川も、その差は5ポイント未満だ。北海道では、知名度の高い高橋はるみ前北海道知事が自民から出馬した影響で選挙区票は与党が上回ったが、比例票は野党のほうが多かった。  もちろん、野党がその“潜在能力”を発揮するには、まだまだ突破しなければならない壁がある。  一つは自民党新総裁が誕生した際の「ご祝儀相場」だ。昨年、菅首相が誕生したときも内閣支持率は一気に6割以上まで回復した。政治アナリストの大濱崎卓真氏は言う。 「メディアでは総裁選ばかり取り上げられ、野党の存在感は埋没している。しかし、総裁選後は臨時国会が開かれ、代表質問も実施される可能性が高い。野党は総選挙に向け、早めに争点を設定しておく必要があります」  最大の問題は、野党が候補者を一本化できるかだ。現在、次期衆院選の289選挙区のうち、立憲の候補が共産、社民、れいわと競合する選挙区が70以上残っている。前出の大濱崎氏は言う。 「菅首相の不出馬表明で与党有利な状況になり、共産や国民も比例票狙いで候補者を多く立てたいという考えが強くなっている。あと1カ月程度でどの程度まとまるかです」  野党候補の一本化を目指すため、立憲の平野博文選対委員長は9月24日、同党の小沢一郎衆院議員に共産党との交渉役を依頼した。過去の失敗から学習し、力を結集できるのか。それ次第で、11月以降の政治風景は激変する。(本誌・西岡千史、池田正史) ※週刊朝日  2021年10月8日号

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    FA権取得の阪神・梅野は残留濃厚か 他球団の「意外な評価」とは

     ヤクルトと優勝争いを繰り広げている阪神。「扇の要」として梅野隆太郎が開幕からマスクをかぶり続けていたが、10月12日の巨人戦から坂本誠志郎が8試合連続でスタメン出場している。   一体何があったのだろうか。 「梅野に疲れが出てきたのでしょう。後半戦に入って精彩を欠いている。打撃で快音が聞かれなくなり、守備面も配球を相手に読まれて痛打を浴びるケースが出てきた。坂本は『第2の捕手』だが、リード面を含めて能力は非常に高い。今は坂本が稼働してチームの状態が上向いてきたが、梅野がチームの中心であることは変わりません。今季国内FA権を取得しましたが、球団はその働きぶりを高く評価している。好条件を出して全力で慰留に努めるでしょう」(スポーツ紙記者)  今オフにFA権の行使が注目される選手の1人が梅野だ。捕球技術、ブロッキングの能力が高く、14年は出場試合数が規定に達した選手で唯一の捕逸0をマーク。強肩が武器で2019年には捕手でNPB歴代最高の123補殺を記録した。東京五輪では広島・曾澤翼が当初選出されたが、故障により出場を辞退したため、梅野が追加召集されて金メダル獲得に貢献した。チャンスに強く、今季の得点圏打撃は3割を軽く超える。球界を代表する選手としての地位を確立したと言ってよいだろう。   ただ他球団の捕手事情を考えると、FAで争奪戦の様相を呈するかは微妙な状況だという。  「梅野は福岡出身ですが、ソフトバンクは侍ジャパンでも正捕手を張った甲斐拓也がいる。同じ関西を本拠地に持つオリックスも中嶋聡監督が伏見寅威、若月健矢をうまく使い分けて首位争いを演じている。他球団を見渡すと、今年は捕手の需要が高いとは言えない。ヤクルトは中村悠平、中日は木下拓哉、広島は坂倉将吾、西武は森友哉と正捕手がいるし、DeNA、日本ハム、楽天はFAで捕手の補強に乗り出すと聞いていない。梅野を最も必要としているのが阪神だし、梅野も阪神に強い愛着がある。残留が濃厚ではないでしょうか」(スポーツ紙デスク)  近年はFAで大物選手の移籍が少ない。19、20年と2年連続で最優秀防御率のタイトルを獲得し、昨年は自身初の沢村賞に輝いた左腕・大野雄大は昨オフにFAで争奪戦が予想されたが、中日に3年契約で残留。前人未到のトリプルスリーを3度達成したヤクルト・山田哲人も7年契約を結び、「生涯ヤクルト」を決断した。昨オフにFAで他球団に移籍したのはDeNAから巨人に移籍した梶谷隆幸、井納翔一のみだった。  「各球団がFA補強に消極的なのは、コロナ禍で球団の財政状況が厳しいというのが影響していると思います。ただそれだけではなく、FAで獲得した選手が稼働する確率が低く、チーム強化の観点からプラスアルファが少ないと判断しているケースが多い。実際に巨人が獲得した梶谷は度重なる故障で61試合出場にとどまり、井納に至っては5試合登板で防御率14.40と戦力になっていない。FAで他球団の主力を獲得するより、生え抜きの若手を育てようという考えにシフトしている傾向があるので、今年もFA移籍は少ないのではないでしょうか」(セリーグ球団の編成担当)  シーズンの戦いは続いているが、梅野は今オフの決断にも注目は集まりそうだ。(牧忠則)

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    伸び悩む自民党が共産党への“ネガキャン”を激化「野党共闘への脅威の裏返し」

     衆院選は10月31日の投開票まで残り1週間となり、後半戦に突入した。  自民党や立憲民主党の情勢調査やメディア各社の世論調査などを分析すると、自民党が公示前の276議席を維持することはかなり難しく、単独過半数(233議席)を維持できるか、否かの攻防になりつつある。  立憲民主党と共産党などの「野党共闘」が功を奏し、前回(2017年)の衆院選よりも接戦となっている小選挙区が全国で多くみられるのだ。  そんな中、自民党が共産党をターゲットにした「ネガティブキャンペーン」を激化させている。  安倍晋三元首相は10月21日、衆院選の応援で横浜市に入り、応援のマイクを握った。 「自民党、公明党の安定政権か、立憲民主党、共産党の政権か。『日米同盟は破棄、自衛隊は憲法違反』が共産党の基本的な政策です。共産党の力を借りて立憲民主党が政権を握れば日米同盟の信頼関係は失われてしまうのは間違いない」  自民党は同日、甘利明幹事長と遠藤利明選挙対策委員長の連名で「急告」という檄文を各選挙区へ配布している。  AERAdot.が入手した<情勢緊迫 一票一票の獲得に全力を!!>というタイトルの文書には以下の記述がある。 <全国各地で多くのわが党候補者が当落を争う極めて緊迫した状況にあると認識しております。今般の選挙は多数の選挙区で与野党一騎打ちの構図にあり、かつ、コロナ下にあって、組織力が十分に発揮できない状況に至っているのは憂慮に堪えません>  危機感を露わにし、野党共闘への異議を唱えている。 <与野党一騎打ちの構図によって、かえってこの選挙が「(自公の)自由民主主義政権」か「共産主義(が参加する)政権」かの体制選択選挙であることが有権者の目に鮮明となっています。我々は我が国の将来のために自信を持って自由と民主主義に基づく政権の継続を訴えていかなければなりません>  共産主義の脅威を訴えつつ、危機感をこうにじませていた。 <比較的優位な戦いを進めていた選挙区にあっても瞬く間に形勢が逆転し、議席を失う事例もこれまで 数多くありました>  また、自民党本部が発行している「The Jimin NEWS」(10月15日)の「号外」でも踏み込んだ批判をしていた。 <立民・共産の閣外協力は、共産党との連合政権への第一歩>と題した文書では、以下の記述がある。 <共産党の「1951年綱領」は、「日本の解放と民主的革命を、平和の手段によって達成しうると考えるのは間違いである」と「暴力革命論」を掲げています>  岸田文雄首相も選挙前の討論会でこう発言していた。 「共産党の皆さんは自衛隊、これは違憲であると主張している。日米安全保障条約についても、廃棄と主張されている」  連立与党を組む公明党の山口那津男代表も演説でこう訴えている。 「憲法について、共産党はおかしなことを言いましたね。自衛隊は憲法違反だ」 「将来は自衛隊を廃止だ、あなた方はいりませんと言いながら、いざというときは命がけでやって下さい。こんな失礼な矛盾した話はないじゃないですか」  与党のこうした主張に対し、共産党の小池晃書記局長は会見で「全くのデマ発言で、撤回を求める」と反論している。共産党の候補者の一人はこう憤慨する。 「自民党がこうしたネガキャンを仕掛けてくることは予想していた。TBSの情報番組で、コメンテーターが「(共産党は)まだ暴力的な革命というのを党の要綱として廃止していない」と発言し、全面謝罪に追い込まれている。自民党が出しているいろんな文書を見たが、選挙に乗じ、この問題を蒸し返すというのは、政権与党としてあまりに情けないのではないか」  立憲民主の幹部は自民党の共産党批判についてこう話す。 「うちの世論調査でも、野党共闘の効果が鮮明に出ている。これまで自民党が圧倒的に強かった福岡県では、17年と14年の衆院選で11の小選挙区はすべて自民党がとった。しかし、今回は少なくとも2つ、多ければ4つの小選挙区をうちが獲得する可能性がある」  自民党や公明党が今になって共産党批判を仕掛けてくる理由についてこう続ける。 「それだけ野党共闘を脅威に感じている裏返しではないのか。19年の参院選でも一部、野党共闘したが、その時、自民党はここまで共産党批判はしなかった。うちが政権与党になっても共産党は閣外協力と明確に言っている。自衛隊廃止なんてことになるわけがないでしょう」  しかし、現場レベルでは野党共闘に新たな“火種”が生じているという。 「自民党の共産党叩きは、あまりに使い古された選挙手法で、呆れたものです。一方で立憲民主の支持団体である連合が立憲候補を共産が支援、共産候補を立憲が支援していることに強い不快感を示している。立憲民主はこのことに苦慮しています。公明候補と共産の候補が激突する選挙区がありますが、連合は公明候補の支援を表明。公明は徹底した共産攻撃をしていますが、野党サイドを見ると、立憲は連合を慮って共産候補の応援に消極的です。『自分たち(共産党)を集票マシンとしか思っていない』などと現場の共産党スタッフから不満がでています」(官邸関係者)  激化した選挙戦で最後に笑うのはどちらか。 (今西憲之 AERAdot.編集部)

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

    週刊朝日

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    現役引退する松坂大輔の妻・柴田倫世への誹謗中傷「度を超えている」と球界で怒りの声

    「平成の怪物」の現役最後の登板。全盛期の姿には程遠い。それでも懸命に右腕を振る西武・松坂大輔の姿に心を揺さぶられた。  19日の日本ハム戦。親交のあるEXILEの「real world」が登場曲で流れる。背番号18がマウンドに歩を進めると、スタンドから大きな拍手が注がれた。投球練習では右足でプレートの土を払う仕草。全国の野球少年がまねたルーティンを見るのもこれが最後だ。代名詞のワインドアップから投げ込む。横浜高の後輩・近藤健介に投じた5球の最速は118キロ。私たちが想像していた以上に松坂の体はボロボロだった。鮮烈なプロデビューを飾った1999年4月の日本ハム戦。片岡篤史に155キロの直球で空振り三振を奪った。引退登板でも対戦相手に思いを込めた直球を投げ、現役生活に幕を下ろした。  横浜高でエースとして3年春夏の甲子園で全国制覇を達成。98年ドラフト1位で3球団競合の末、西武に入団すると、3年連続最多勝など8年間で108勝を積み上げ、レッドソックスでも2007年に15勝、08年に18勝と、28歳の時点で通算141勝をマークした。第1回、第2回大会と連覇を飾ったWBCでも日本のエースとして2大会連続MVPに輝いた。だがその後は右肩、右ひじなど度重なる故障に苦しんだ。日本球界復帰した15年からのソフトバンク在籍3年間で未勝利。中日に移籍初年度の18年に6勝をマークしてカムバック賞を獲得したが、19年は右肩の故障が響いて未勝利に。古巣・西武に14年ぶりに復帰した昨年は7月上旬に右手のしびれを取るため、内視鏡による頸椎周辺の内視鏡手術を受けたが完治せず、昨季、今季と1軍登板なし。現役後半の13年間は度重なる故障で計29勝に終わった。  松坂は最後の登板前に行われた記者会見で、引退を決断した胸中を語っている。「キャンプが始まって、もうそろそろ打撃投手をやって、ファームの試合に投げられそうだね、というところまできた。そんな話をした矢先に、ブルペンでの投球練習の中で何の前触れもなく、右打者の頭のほうにボールが抜けた。それがちょっと抜けたんではなく、とんでもない抜け方をして。そういう時、投手は抜けそうだなと思えば指先の感覚で引っかけたりするんですけど、それができないぐらい感覚がなかった。そのたった1球でボールを投げることが怖くなってしまった」。  投げることが大好きだった男が投げることに恐怖を感じた。その苦しみは想像できないものだろう。  よどみなく話していた松坂が珍しく感情をあらわにしたのは家族に質問が及んだ時だった。しばらく言葉が出ず、目に涙があふれた。「辞めると報告したとき、泣いていた。妻に電話をしたら息子がいて『長い間お疲れさまでした』と言ってもらった。いい思いをさせてあげられたかもしれないけど、家族なりにストレスもあったと思う」  松坂が年俸に見合う働きができなかった現役後半はネット上で批判を超えた誹謗中傷のコメントが常態化して見られるようになった。松坂だけではない。04年12月に結婚した元日本テレビアナウンサー・柴田倫世さんに向けられた誹謗中傷の書き込みも多く見られた。  西武OBは松坂の心境を慮る。  「自分自身に向けられた批判なら結果を出していないからと割り切れる部分はあるが、家族に向けて見るに耐えられないコメントが大量に書き込まれるのは本当に辛かったと思う。大輔から笑顔が消えたのはケガで思うような球が投げられなかったからだけではない。奥さんや家族に対しての書き込みは明らかに度を超えていた。心もボロボロだったと思います」  松坂は引退会見でこう語っている。 「これまでは叩かれたり、批判されることに対して、それを力に変えて跳ね返してやろうってやってきたけど、最後はそれに耐えられなかった。もう最後、本当に心が折れたというか、今まではエネルギーに変えられたものが…受け止めて跳ね返す力がもうなかったですね」   西武OBのG.G.佐藤氏は19日に自身のツイッターで、「松坂大輔ほど実績があって、お金を稼いでる人でも誹謗中傷を相手に心を折る。それくらい誹謗中傷っていうのは恐ろしい。誹謗中傷は止めよう。そして、悪意がなくても投稿する前に『これは相手が傷付かないかな?』と一旦考えよう」と呼びかけた。  結果が出なければ批判されるのはスター選手の宿命といえる。ただ、松坂や家族に対して人格否定のようなコメントがSNS上で数えきれないほど見られたのも事実だ。批判と誹謗中傷は違う。SNSの無い時代だったら、これほどのストレスは受けなかっただろう。松坂が記者会見で語った言葉を受け止めなければいけない。(松木歩)

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    眞子さまは“結婚”後、渡米までホテル暮らしか 気になる祖父・川嶋氏の容体と金銭トラブルの未解決

     10月23日、秋篠宮家の長女、眞子さまは30歳の誕生日を迎えた。皇族として最後の誕生日となる。眞子さまと小室さんの結婚は3日後に迫るが、いまだに周辺は落ち着かない。 *    *  * 深いボルドー色のニットとまとめ髪が落ち着いた雰囲気を醸し出している。  眞子さまが30歳を迎えた日、妹の佳子さまと住まいのある赤坂御用地を散策する映像が公開された。眞子さまが皇族として過ごすのは残り3日余り。名残を惜しむように姉妹は、池のほとりを歩き、優しくほほ笑みあう。  秋は皇族の誕生日が続く。3日前の10月20日は、上皇后美智子さまの87歳の誕生日だった。誕生日に際して側近の上皇職が公表した文書には、眞子さまについてこうつづられていた。 <今月26日に皇室を離れられる秋篠宮眞子さまのことは、両陛下とも常に大切に愛おしんでおられましたので、お別れはお寂しいことと拝察いたします>  結婚を祝福する直接的な言葉は見当たらない。そのため、「お寂しい」という言葉が強い響きを帯びた。  その日、紀子さまの父親で、眞子さまの祖父にあたる川嶋辰彦さん(81)が、「東京都内の病院に緊急入院していた」との速報が流れた。前日の19日、眞子さまは皇居の宮中三殿を結婚の報告のために参拝したが、その午後に、紀子さまと眞子さま、佳子さま、悠仁さまが川嶋辰彦さんのお見舞いに病院を訪れていたことが報じられたのだ。  容体によっては結婚の延期もあるのでは、と言及したワイドショーもあった。  しかし、状況はやや違うようなのだ。川嶋辰彦さんはもともと都内の病院に入院しており、19日は治療の都合に合わせて計画された転院だという。 「川嶋さんの容体はいいとはいえませんが、危篤で今日明日にもといった状況ではないと聞いています」(皇室記者)   結婚前日の25日には、眞子さまは仙洞仮御所を訪問し、私的に上皇さまと美智子さまにあいさつをする。川嶋辰彦さんへのお見舞いは、病床にある祖父への結婚のあいさつも兼ねていたと見ることもできる。  このように世間は落ち着かないものの、26日の午前中に宮内庁職員がふたりの婚姻届を自治体に提出する予定だ。眞子さまは午前のうちに住み慣れた秋篠宮邸を後にする。そして午後、眞子さまは、「小室眞子さん」として都内のホテルで小室圭さんとともに記者会見にのぞむ。  記者会見の会場は、もともとふたりが式を挙げる予定だった帝国ホテルも候補のひとつとして検討されたようだが、決まったのは別のホテル。警備の行いやすさと同時に、サービスに対して料金の手ごろさで知られる。会場費は、「小室夫妻」の私的な費用でまかなわれるが、ホームページに掲載された料金表では正規料金でも20万円程度。関係者の割引があればさらに、リーズナブルな料金となるだろう。  国民の関心が高い記者会見で、特に注目が集まるのは、小室家と母、佳代さんの元婚約者の金銭トラブルが、どのように説明されるのかである。  26日の結婚と記者会見の前に、小室家が金銭問題にある程度のめどをつけるのでは、との見方もあった。  帰国後、小室さんが外出したのは18日。秋篠宮ご夫妻に結婚のあいさつをするために、赤坂御用地内にある赤坂東邸を訪問した。午後にパラリーガルとして勤務していた奥野総合法律事務所を訪問したあとは、すんなり横浜の自宅に戻った。  果たして金銭問題は、解決に向けて話が進んでいるのだろうか。元婚約者の代理人によれば、眞子さまの複雑性PTSDが公表された直後、元婚約者は熱を出して会社も休み、ふせっていたという。 「ショックを受けた末の心労もあるのでしょう。解決金の件も進展はありません。小室さんサイドの代理人である弁護士からは、とくに解決につながる連絡はありません。連絡を待っていましたが、いま(22日)はもう金曜日の夜ですから、火曜日の記者会見までに何か動くということはないでしょう。そもそも金銭問題と眞子さまと小室さんの結婚は、別の問題ですしね」  もう一つ、国民の関心事といえば、民間人となった眞子さまが米国に出発するまでの間、どこに滞在するのか。出発までの期間がそう長くないことを考えるとマンションなどは現実的ではない。また、「儀式なし婚」のけじめをつけた父、秋篠宮さまの性格を考えると、民間人となった眞子さまを宮内庁の関連施設に滞在させる公私混同も考え難い。ホテルの滞在が現実的では、と見られている。  皇室の事情に詳しい人物がこう話す。 「会見会場は実は、雅子さまが皇太子妃時代に、友人らとお忍びで食事会をしたホテルでもあります。皇太子妃のお忍びの会場に選ばれるくらいですから、警備も手堅い。小室圭さんは、仕事の関係で早々に米国に戻るようですが、記者会見場のホテルにそのまま滞在なさるのが安全に思われます」  眞子さまの結婚は3日後に迫った。記者会見では、小室家の金銭トラブルに触れた厳しい質問も出ると見られている。 「小室夫妻」は、何を語り新しい生活へとどのようにして踏み出すのか。国民が見守っている。(AERAdot.編集部 永井貴子)

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    10/23

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    似ているのはジミー大西さんだけではなかった! 俳優・佐藤二朗5人説を検証する

     個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。今回は、さまざまな人と似ていると言われることについて。 *  *  * コレ、前にも書いたかな。ごめんなさい覚えてない。まあしかし仮に同じテーマで書いたとしても、全然違う文章になるでしょうからとりあえず書き始めます。   昔からですが、僕、本当にいろんな人に似てると言われるんです。  桜金造さん、ジミー大西さん、朝ドラ「まれ」の子役(小山春朋くん)、弁当箱、電話ボックス、あぜ道、便器、便座…。  ちょちょちょちょ。ちょちょちょちょちょちょちょ。どうした?途中からどうした?「弁当箱」以降、急激にどうした?「あぜ道」に似た人間とは一体?そしてなんで「便器」と「便座」に分けた?  すみません取り乱しました。自分で書いて取り乱しました。ただ、「弁当箱」以降もすべて実話です。いや実話って、僕は弁当箱や便器ではありませんが(←当たり前)、妻が実際にすべて言ったんです。「君、あぜ道に似てるね」「君ってさ、電話ボックスに似てる」「君の顔、便器だね」  少し文字が涙で霞んできましたが、そして便器を亭主にした妻が不憫でなりませんが、まあ妻の発言は愛情表現の一環として(いいからとりあえずそういうことにしといてくれよ頼むから)、いやホント僕、昔から本当にいろんな人に似てると言われるんです。  中学生の時、新任の先生が教室に入ってきて、僕の顔を見るなり、 「三越!三越じゃないか!」  と、嬉しそうに叫んだことがあります。 「いや~、偶然だなあ。三越もこの中学に転校してきたのかあ」  新任の先生は嬉しそうに、そのあとも結構な尺を使って三越の僕に話しかけました。  誰しも新たな環境は緊張するものです。新任の先生にしたら、自分と同じく、この中学を新たな環境としてスタートさせる三越の存在がよほど心強かったのでしょう。  しかし残念ながら僕は転校生ではなく、何より三越ではありません。  結構な尺を使った挙げ句、先生はおそらく 「…ん?まて。よく見たら、三越と、少し、顔が違うか」  と気づいたのでしょう。何事もなかったかのように 「それでは、授業を始めます」  と、教科書を開いたのです。 「それでは」ではありません。「それでは」どころではありませんし、僕を含めた、教室のクラスメイト全員が、 「三越って誰だよ」  という至極当然の、かつ深く静かな疑問で授業どころではなかったと思います。  この、似た人がたくさんいる現象は大人になってもとどまることを知りません。  ネットで検索しますと、毎日のように、全国各地さまざまな場所に佐藤二朗が出没しているようです。 「ウチの大学教師、佐藤二朗に似てる」 「電気工事に来た人が、ほぼ佐藤二朗」 「満員電車に佐藤二朗」 「相撲の行司が佐藤二朗」 「健康診断の医者が佐藤二朗で話が全然頭に入ってこない」  集中しなさいよ。大事だから。健康診断。 「横浜スタジアムのバックネットに笑顔の佐藤二朗」  あ、ごめん、それ、俺。俺本人。  他にも、 「僕は、木村拓哉さんと佐藤二朗さんを足して、木村拓哉さんを引いた顔です」  それ俺じゃねえか。その算数の解、俺そのものじゃねえか。 「電車の向かいの席に、佐藤二朗と瓜ふたつの女性」  昔、「電車男」というドラマで僕の台詞に「高見盛に似た女」という名台詞かつ迷台詞がありましたが、「あなた、佐藤二朗に似てますね」と言われたら、すべての女性が憤慨し、それを言った人はまず無事では済まないと思うので、とにかくそのことだけが心配になります。  なぜに僕が見ず知らずの人の安否を気遣わねばならんのかはさておき、もはやここまでくると、「佐藤二朗5人説」みたいな話が出てきても不思議はありません。  ん?  いるのかな、俺、5人くらい。  いやいや、そんなはずはありません。そんなはずはありませんが、自分で自分を疑いにかかってしまうほど、あらゆるところに僕に似た人がいるようです。  しかし考えてみますと、名前だって佐藤二朗です。日本に2億人いそうな名前です。名前も顔もそこら中にいそう、つまり、どんな役にだってなれるじゃあないか、と前向きにとらえて自分を慰める、52歳の便器俳優なのです。  ま、便器の役のオファーは断ると思いますが。 ■佐藤二朗(さとう・じろう)/1969年、愛知県生まれ。俳優、脚本家。ドラマ「勇者ヨシヒコ」シリーズの仏役や「幼獣マメシバ」シリーズで芝二郎役など個性的な役で人気を集める。ツイッターの投稿をまとめた著書『のれんをくぐると、佐藤二朗』(山下書店)のほか、96年に旗揚げした演劇ユニット「ちからわざ」では脚本・出演を手がける。原作・脚本・監督の映画「はるヲうるひと」(主演・山田孝之)が全国公開中。

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    13時間前

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    瀬戸内寂聴の体調、秘書が不安視「100歳の誕生日を迎えられますように」

     半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * ◆横尾忠則「僕の家事は絵を描くことです」 ピンチヒッターというより、リリーフピッチャーのまなほ君へ。  また変化球を投げてきましたね。ハイ、絵以外全てニガ手です。料理も運動も大嫌いです。本当は絵も嫌いなんですよ。好きなものといえば、猫とぜんざいかな。料理は神戸でお好み焼屋に下宿していたので、それくらいはできます。運動音痴で鉄棒の尻上がりも、跳び箱もできません。マラソンを見るくらいです。  料理なんてとんでもないことです。僕は古い日本男子なので男は台所に入るな、と、まるで武士道精神で生きてきた日本人(ハッハッハッ)です。僕の家事は絵を描くことです。やっぱりそういう男のところには、料理や家事の得意なヒトがくるもんです(エヘン)。子供が生まれた時も、一度も風呂に入れたことがありません。おむつを取り替えるなんて、武士のやることではないです。(絵描きは武士です)  それと、運動ですか。そんなシンドイことやりますかいな。絵はスポーツだから、描くことで充分運動しています。だから絵は肉体というでしょ。  セトウチさんの手料理を食べたか? 返事はノーです。いつも伺うとぜんざいが出ますが、これはスタッフの方が作られたぜんざいです。一度こんなことがありました。 「ヨコーさん、大福を取っといたわよ」 「ヘェー」、(本当は大福よりおはぎの方が好物)だけどここはヘェーと喜んだふり。 「ヨコーさんに大福チンしたげてェ」 「エー、ドーイウコト?」 「冷凍庫で冷やしているので、チンして温めてあげてェ」  大福を冷凍すること自体間違っている。それをさらにチンするなんてトンデモない。主婦の経験のない人のやることだ。スタッフもセトウチさんに言われた通りにする。誰も異議申し立てしないで、言われた通り、これはソンタクじゃ。 「さあ、さあ、美味いわよ、食べてェ」  まあ折角だから食べましたわよ。一気に口の中に大福をほうり込みました。 「ギャーッ!」と口の中で発火した大福! 氷と火を口の中にほうり込んだ状態、悲鳴を上げて悶絶。椅子からころげ落ちた(本当に)僕の口の中で何が起こっているかわからないセトウチさんは、目、鼻、口の配置が滅茶苦茶に、まるで福笑いの顔になって大喜び。まあ、この日は谷崎賞のお祝いに駆けつけたので、この受賞でごきげん。何を見ても嬉しくて仕方ないセトウチさん。目の前で起こっている僕の悲劇も大喜び。  本当に主婦だったのですかね。まなほ君、このチン大福が唯一のセトウチさんの手料理でした。エッセイはウソを書きません。本当の話です。ただお寿司をいただいたことは何度かありますが、これは寿司屋の出前でした。  ステーキハウスにも何度か連れていっていただきましたが、これもシェフの料理でした。ぜんざいはスタッフの方々。得意だとおっしゃるギョーザもタンメンもまだいただいてません。  一度暑い日に西瓜が食べたくなって持っていきましたが、とうとう帰るまで出ませんでした。以上。セトウチさん元気になりましたか。 ◆瀬戸内寂聴「100歳の誕生日を無事に迎えられますように」  横尾先生へ。  思わず体を揺らして大笑いしてしまったAM6時。家族はまだ眠っているので大声で笑えません。静かに笑うって難しい!  大福のエピソード、ひどい話ですね。確かに寂庵には暗黙のルールがあり、横尾先生がお見えになられたら、ぜんざいを必ずお出しするということは私が寂庵に来る前からすでにございました。  甘いものがお好き、特にぜんざい、と瀬戸内が常々申していたからです。  まさか、温めた大福をお出しするとは……口の中でお餅が溶け、あんこと混ざりあい、即席ぜんざいになるという、ある意味、どこかの洒落たレストランがしそうなことですね。流石瀬戸内!と仰ぎたいところですが、横尾先生が口を火傷されていなかったのか、とても心配にもなります(と言っても大笑いしていましたが)。  3回続けてまた秘書の私が書かせていただいているのは、風邪をひいて治りかけていた瀬戸内の体調がまたぶり返してしまったからです。咳もなくなり、だいぶよくなったように見えましたが、油断は禁物でした。体の内のことは本人もわからないようで、私たちはもっとわかりません。数字で見て、やっとわかるくらいです。  来年100歳を迎える瀬戸内はコロナ禍になってから、法話もせず、人とも会わないので、以前より体力が衰えています。しかし、100歳なので当たり前のことです。  弱っている瀬戸内を見ると、最近特に不安になります。私にとっては「無敵」な存在だったからです。「100歳」という数字をみれば誰でも高齢者ということはわかります。けれど瀬戸内はそういう括りに入らず、いつも超人的に元気だったからです。  しかし、この頃はそうではなく、風邪でもひかれるとそれが命とりになることもあるので、私はいつも怯えています。願いは、「無事に年を越せますように」「5月の100歳の誕生日を迎えられますように」それだけです。  また少し養生して、次回こそは瀬戸内が返事を書けるように! 読者の方々も待っておられるでしょう。  料理も運動も苦手な横尾先生。運動が嫌いな私、よくわかります。逆上がり、出来たことありません。マラソンすると口の中に血の味が広がり、脇腹は痛いわ、いい思い出がありません。  確かに、あんなに大きなキャンバスに絵を描き、また費やす時間や労力を考えると、フルマラソン以上の運動量があるように感じられます。  先日瀬戸内の絵の整理をしていましたら、私が思うよりずっと絵が上手く、細かく、繊細で、驚きました。  わざわざ冷凍庫で冷やした大福を、チンして温めて来客に火傷をさせて大笑いするような自由闊達な瀬戸内の描く絵とは到底思えませんでした。  前回、絵は心を映し出すものと教えてくださった横尾先生。性格と絵は比例しますか?  作品を見て、描いた人の人となりというものはだいたいわかるものなのでしょうか?  横尾先生に伺いたいことは山ほどあります。いつかQ&Aのコーナーを設けてください! まなほ※週刊朝日  2021年10月29日号

    週刊朝日

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    『だんな様はひろゆき』第171話 きっかけは①

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    『だんな様はひろゆき』第175話 きっかけは⑤

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    『だんな様はひろゆき』第177話 きっかけは⑦

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    『だんな様はひろゆき』第172話 きっかけは②

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    『だんな様はひろゆき』第173話 きっかけは③

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    自民64議席減の予測 石原伸晃 下村博文、萩生田光一も当落線上か

     天下分け目の衆院選が近づきつつある。新総裁のもとでイメージを一新した自民党に、野党は今回もしてやられるのか……いや、そうとも限らない。過去のデータを分析すると、野党共闘の成立次第で勝敗はガラッと変わることがわかってきた。 *  *  *  コロナ禍の拡大で国民から総スカンを食らった菅義偉政権。衆院議員の任期満了が10月21日に迫るなか、自民党は近年では最大の危機を迎えていた。ジャーナリストの二木啓孝氏は言う。 「8月ごろに自民が実施した衆院選の情勢調査は『60議席±10減』という衝撃的な結果だった。二階俊博幹事長が8月末にその資料を持って菅義偉首相と官邸で面会。この数字が退陣の決定打になったと言われています」  次期衆院選の定数は465。過半数確保には233議席が必要だ。自民の現有議席は275で、43議席減らすと自民単独過半数割れ。また、公明党の現有議席は29。自公両党で合計72議席減ると与党過半数割れとなる。自民にとって“政権からの転落”が現実味を帯びていたのだ。  進退窮まった菅首相は9月3日に総裁選不出馬を正式表明。11月までに実施される衆院選は新しい首相・総裁のもとで実施されることとなった。その後は連日、メディアをジャックした「総裁選ショー」で菅政権の失政は“リセット”され、またも与党は安泰……という結果になるのだろうか。  だが、次の衆院選は前回と決定的に違う点がある。前出の二木氏は言う。 「2017年の衆院選で与党が圧勝したのは、選挙直前に民進党(当時)が希望の党と立憲民主党に分裂し、混乱の中で共産党との選挙協力も進まず、野党候補者が乱立したから。今回は前回ほど野党候補者の分裂選挙にはならない。自民は決して安泰ではなく、『どれだけ負けを減らせるか』の戦いになるでしょう」  そこで本誌は、17年衆院選で仮に野党候補者の一本化ができていた場合、選挙結果がどうなっていたかをシミュレーションした。なお、国会で与党寄りのスタンスをとり、立憲らと明確に距離を置く維新の会は、野党候補の票に合算していない。  その結果は衝撃的なものだった。野党の合算票が、勝利した与党候補者の票を上回った小選挙区は64。なかには、石原伸晃元幹事長(東京8区)、下村博文政調会長(東京11区)萩生田光一文部科学相(東京24区)、上川陽子法相(静岡1区)など、現職大臣や要職経験者といった“大物議員”も複数含まれていた。  さらに、17年衆院選と19年参院選で与野党が拮抗した選挙区や、保守分裂選挙になりそうな選挙区など13選挙区を抽出した。この合計77選挙区が、与党の「“落選危機”リスト」だ。仮にこれらの選挙区をすべて落とせば、「自公で過半数割れ」もあり得る。  個別の選挙区事情を見ても、与党が安泰でないことがわかる。永田町関係者は言う。 「香川1区の平井卓也デジタル担当相は、立憲の小川淳也衆院議員と拮抗している。小川氏を主人公にしたドキュメンタリー映画がヒットしたことで、メディアへの露出も増えた。与野党逆転があるかもしれない」  東京9区は菅原一秀前経産相が違法な寄付で略式起訴され自民を離党。自民は候補者を立てられず不戦敗の公算大だ。  石原伸晃氏だけではなく、弟の宏高衆院議員(東京3区)もリスト入りしている。 「東京3区は立憲の松原仁衆院議員が保守層にも浸透している。野党一本化が実現すれば、伸晃氏と一緒に兄弟で危ない」(自民党関係者)  広島3区からも目が離せない。二木氏は言う。 「河井克行元法相の選挙買収事件を受け、公明の斉藤鉄夫副代表が候補者になりましたが、選挙戦で手足になる主だった自民系地方議員のほとんどは河井氏から現金をもらっていて活動ができない。4月の参院広島選挙区の再選挙も野党候補が勝利している。斉藤氏はかなり厳しい」  野党が決して非力でないことは、次のデータからも読み取れる。  17年衆院選で全国の比例得票数は、自公が計約2553万票なのに対し、立憲・希望・社民・共産は計約2611万票で野党が上回っていた。  19年参院選の結果を見ても、リストにある宮城、秋田、長野、静岡、愛知、滋賀、京都、大分は野党の合算票のほうが多い。東京は与党が上回ったが、得票率の差はわずか1.8ポイント。同じく与党合算票が上回った千葉と神奈川も、その差は5ポイント未満だ。北海道では、知名度の高い高橋はるみ前北海道知事が自民から出馬した影響で選挙区票は与党が上回ったが、比例票は野党のほうが多かった。  もちろん、野党がその“潜在能力”を発揮するには、まだまだ突破しなければならない壁がある。  一つは自民党新総裁が誕生した際の「ご祝儀相場」だ。昨年、菅首相が誕生したときも内閣支持率は一気に6割以上まで回復した。政治アナリストの大濱崎卓真氏は言う。 「メディアでは総裁選ばかり取り上げられ、野党の存在感は埋没している。しかし、総裁選後は臨時国会が開かれ、代表質問も実施される可能性が高い。野党は総選挙に向け、早めに争点を設定しておく必要があります」  最大の問題は、野党が候補者を一本化できるかだ。現在、次期衆院選の289選挙区のうち、立憲の候補が共産、社民、れいわと競合する選挙区が70以上残っている。前出の大濱崎氏は言う。 「菅首相の不出馬表明で与党有利な状況になり、共産や国民も比例票狙いで候補者を多く立てたいという考えが強くなっている。あと1カ月程度でどの程度まとまるかです」  野党候補の一本化を目指すため、立憲の平野博文選対委員長は9月24日、同党の小沢一郎衆院議員に共産党との交渉役を依頼した。過去の失敗から学習し、力を結集できるのか。それ次第で、11月以降の政治風景は激変する。(本誌・西岡千史、池田正史) ※週刊朝日  2021年10月8日号

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    眞子さまの結婚どう思う? 瀬戸内寂聴が27歳スタッフに質問した結果

     半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。*  *  *■横尾忠則「スジ金入りの肉体的朦朧体、大観より本格派です」 セトウチさん 耳が聴こえなくなったと言うと、「きっと作品が変るわよ」と、ベートーベンじゃあるまいし、変なことおっしゃると、その時はそう思いましたが、本当に変ったんです。その変り方が理に適(かな)っているといえば適っている。つまり聴こえないことは、音の輪郭が失くなることです。そうなると音が朦朧(もうろう)となって、横山大観の朦朧体の絵のように音がボケて聴こえるんです。耳がボケると、日常生活もボケて、曖昧模糊(あいまいもこ)となって、したことと、してないことの区別もわからなくなるんです。つまり虚実の区別ができなくなって、夢で見た仕事の依頼を、本当に依頼されたと思って、やっちゃったりするんです。ボケの症状に似てるけれど、ボケ老人になったんではなく耳のせいだと理解しているので、そこはまだ理性がコントロールしています。 ハイ、絵の話だったです。大観は思想で朦朧体を描きましたが、僕はスジ金入りの肉体的朦朧体なので、思想のようなチョロコイ考えではなく、肉体的ハンデキャップによる堂々たる自然体派です。大観よりこっちの方が本格派です。そんなわけでセトウチさんの大予言は的中しました。 先っきも言いましたが境界線が失くなるということは自由のキャパシティも拡張したことになります。近代人は何でもかんでも境界線を引いて、全てを分業化します。縄文時代はひとりの人間が、多面的に物事をこなしていました。狩猟(しゅりょう)も農業も、漁業も工芸も、子育ても、教育もひとりでするという、境界線をはずした労働生活です。現代のような役割分担などしません。正に多義的です。越境した狩猟社会です。 難聴が与えてくれた神の恩寵です。だから病気の高徳です。僕が度重なる病気によって救われてきたということはこういうことです。神は人間に色々な苦難を与えますが、病気は罪ほろぼしでもカルマ落としでもなんでもないのです。人間の進化向上のためのカリキュラムだと思えばどうでしょう。難聴のほかに、腱鞘炎(けんしょうえん)にもなりました。もう、セトウチさんの「幻花」のような繊細(せんさい)な描写の絵など描けません。今は太い筆やハケを握りしめて、キャンバスにバンバン叩きつけるように描いています。それも痛いので、左手で描きます。左手は思うような形が取れません。幼児の絵より下手くそになります。でも、デュビュッフェは幼児の絵のマネをして、幼児風に描きますが、そんな意図的なことをしなくても、僕の左手はそのまま幼児以上に下手に描けます。これもハンデキャップから来た自然体です。 今書いている手紙では、前にも同じことを書きましたかね。境界を越えると時間差もなくなって、やったことと、やらないことの区別がわからなくなるのです。いよいよ本格派老人です。100歳老人のセトウチさんにも負けていません。ただ僕はセトウチさんのように年齢には拘っていません。拘っているのは他人の方で、今行っている展覧会では「85歳、85歳」と年齢を売り物にされています。歳のことは言うな! アーティストには年齢はないのです。昨日の続きが今日、今日の続きが明日です。原始社会では年齢など無関係です。アーティストは原始人です。■瀬戸内寂聴「私もヨコオさんに負けないように!」 ヨコオさん 何だか、ずいぶん久しぶりにこの往復手紙を書いているような気がします。 それにしても相変わらずコロナは豪勢を極め日本はおろか、世界的にその力を奮っています。 コロナのせいで、人に会えず、寂庵はずっと門を閉めっぱなしです。コロナになる前はもちろん、一も二もなく門内に入ってもらっていました。 大抵遠く九州や東北から来られた人で、まだ生きている私に逢えたと言って、抱きついて泣き出します。もちろん、私は丁寧にお迎えして、写経などしてもらい、お茶菓子を一緒に食べて、しばらくその人のお話を聞きます。つきあいの人もあれば、寂庵の信者を自称する人もあり、初めて門内に入ったという人もいます。「まさか、門内に入れてもらえると思わなかった」と泣き出す人もあれば、「生きている寂聴さんに逢えた!」と、子供のように足を踏み鳴らす人もいる。「とても百歳には見えない!」と誰もが感嘆してくれるが、終日ベッドに横になり、本ばかり読んで、一日を過ごしている私の毎日の状態など話せない。私は、人に逢っている間だけは、必死になって元気らしさを演じ、声を張り上げる。客の帰る時は、長い廊下の途中で、へばってしまい、さっさと歩く客の跡がおえない。 ──だって百だもの……──と、私は廊下の途中で、ペシャンコに座り込み、つくづく、自分に向かって言う。 食事だけは時間が来ると、しゃきっと体がのび、食卓の自分の位置に早々と座り込んでいる。「あら、お昼はもう召し上がりましたよ!」 スタッフの一人が、わざと大きな声を張り上げる。「私のスパゲティは、どうしてこんなに美味しいのだろうなんて、お世辞までいただいて」「そうよ、ほんとに! でも今ここに座ったのは、食べるためでなくて、眞子さんの結婚をどう思うかって、寂庵で一番若い二十七歳のP子の意見を聞きたいのよ」「ああ、眞子さん、ほんとに、よかったですね。大体、みんなあんまりこの結婚に意地悪すぎましたよ。でも、どうして一時金を眞子さんは辞退なさるのかしら? 貰う権利のあるお金でしょう? あんまり弱気にならない方がいいと思うけど……」 ヨコオさん、今、寂庵の中は、こんなにのんびりしています。耳が聞こえないのは、私も同然です。テレビの時なんか、びっくりするほど大きな声にしてくれるので、何とか会話が出来ています。鶯も、秋の夜の虫の音も、私の耳にはさっぱり聞こえません。ヨコオさんとTELしてるのを横で聞いてる人があれば、どんなにおかしいでしょうね。耳だけでなく体のあちこちがどしどし衰えてきます。 そのうち、きっと、自分の死んだこともわからなくなって、──ヨコオさんにTELして!──など叫んでる日が来るのでしょうね。でも目がよく見えているので、一日に二冊は厚い本を読み切っています。ヨコオさんの展覧会、ますます人気上昇でおめでとうございます。私もヨコオさんに負けないよう、あっとこれまでと変わった小説を二つくらい書き残して死にたいものですね。 では、また。※週刊朝日  2021年9月17日号

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    「まさかの落選危機も…」官邸と与党が心配する岸田内閣の現職3閣僚

     自民党は衆院選に向けて、第2次公認を発表した。二階派と清和政策研究会(細田派)、麻生派などで保守分裂か、と注目されていた群馬1区や福岡5区などの小選挙区の候補者が決定している。  党内で公認争いが激化していた小選挙区の調整は、甘利明幹事長と遠藤利明選対本部長が中心になっていた。だが、公認直前には麻生太郎副総裁も加わった。 「15日に官邸で麻生氏、甘利氏、遠藤氏が岸田首相と断続的に会談して、候補者を調整していました。岸田首相はずっと険しい表情でしたね」(自民党幹部)  岸田内閣が発足し、わずか10日で解散となり、選挙に突入するという異例の短期決戦。組閣から間がないので、現職閣僚が苦戦している小選挙区がいくつもある。  特に自民党、官邸が「負けたら大変なことになる」と力を入れるのが、初入閣した大臣たちの選挙区だ。  西銘恒三郎・復興相(竹下派)の沖縄4区、山際大志郎・経済再生担当相(麻生派)の神奈川18区だという。  西銘氏は当選5回で父親の順治氏は沖縄県知事、衆院議員を務めた政治一家だ。しかし、地元の自民党県議は険しい表情だ。 「西銘氏が復興相になったのは追い風だ。これで挽回したい」    自民党が10月に実施した世論調査では西銘氏と立憲民主党の新人、金城徹氏は差がわずかで、大接戦となっている。立憲の世論調査の数字では、金城氏が西銘氏に対し、わずかに優勢という数字だった。西銘氏は過去5回の当選の中で、4回は小選挙区で当選、1回は比例復活している。 ◆西銘復興相と「オ-ル沖縄」立憲新人が接戦の沖縄4区  2009年に旧民主党政権が誕生した選挙では、比例復活もできなかった。相手の金城氏は元那覇市議で議長も務めた。元沖縄県知事の翁長雄志氏(故人)と近く、市議時代は自民党から出馬したこともあった。保守と革新が呉越同舟の「オール沖縄」からの支援も受けている。 「もともとは西銘氏の強固な地盤でしたが、沖縄で強い革新票は確実に金城氏がとるでしょう。金城氏は自民党にいたこともあり、西銘氏支援の保守層にも食い込んでいる。それが接戦になっている要因の一つです」(立憲幹部)  17年の衆院選で自公政権が圧勝した中でも、沖縄は小選挙区4つのうち1つしかとれなかった。それを死守したのが、西銘氏だった。今回もデッドヒートを勝ち抜くことができるのか?  一方、経済再生担当相の山際氏の地盤、神奈川18区は、立憲元職の三村和也氏と日本維新の会の新人、横田光弘氏の3人が争う構図だ。 ◆山際経済再生担当相と立憲元職が激戦  山際氏は当選5回。自民党の世論調査では山際氏が立憲の三村氏や維新の横田氏より優勢となっている。しかし、山際氏と三村氏には、わずかな差しかないという。また立憲の世論調査では、山際氏と三村氏は接戦となっている。17年の衆院選では、山際氏が希望の党から出馬した三村氏に5万票ほどの差をつけて圧勝した。 「前回のように、圧勝してほしいですが、現状では1票差でもいいので小選挙区当選が目標です」(山際陣営の地方議員)  立憲の三村氏はかつて菅義偉前首相の神奈川2区が地盤だった。09年に民主党と政権交代を果たした選挙では、菅氏を約500票差まで追い込み、比例復活当選を果たし、バッジをつけた。  その後、選挙区を何度か変更し、今回は前回(希望の党)と同じ神奈川18区から出馬となった。 「これまで選挙区が定まらなかったが、神奈川18区で連続しての出馬となり、三村氏の名前が浸透してきた。また野党共闘で共産党候補がいない。世論調査でも立憲や共産党の支持者から確実に数字がとれている。神奈川18区の政党支持率も自民と立憲の差はわずかで、いい勝負をしている。山際氏という現職閣僚に勝てる小選挙区として重点を置いている」(立憲の幹部)  神奈川18区は川崎市高津区など北部に位置するが、8月の横浜市長選が微妙に影響している。菅氏が必勝を期して送り込んだ、小此木八郎氏が落選し、立憲が推した山中竹春氏が勝利した。 「川崎市は横浜市に隣接する都市部。まだ8月の横浜ショックが尾を引いて自民党と訴えても反応が鈍い。山際氏は経済再生担当相とコロナも担当する。多忙でしょうが、頻繁に地元に帰ってもらわないと厳しい」(山際陣営の地方議員)  そして現職閣僚でもう一人、苦しい選挙戦となっているのが、連立与党・公明党の斉藤鉄夫国交相だ。これまで斉藤氏は比例中国ブロック選出だった。  だが、19年の参院選で自民党の河井克行、案里夫妻が広島県選挙区の地方議員や有権者に計2900万円をばらまいた公職選挙法違反事件が起こった。法相まで務めた克行被告は、1審の有罪判決で議員辞職。そこに名乗りを上げたのが斉藤氏だった。広島3区で当選してきた克行被告は、約8万5千票を獲得していた。 ◆議員辞職した河井元法相の広島3区 自民動かず、焦る公明  17年の衆院選で公明党が広島3区の比例代表でとったのは、約2万5500票。広島市議選などの結果からも公明党の基礎票は2万5千票とみられる。そこに6万票の上積みが必要で自民党の協力なくして、当選はない。  また、公明党の小選挙区立候補は原則、比例代表との重複立候補はしないので、斉藤氏は勝ち抜くしかないのだ。  最新の自民党の世論調査を見ると、斉藤氏が立憲の新人、ライアン真由美氏に大きな差をつけている。だが、今夏の世論調査ではライアン氏が僅差だが斉藤氏を上回っていた。  立憲の世論調査では、斉藤氏とライアン氏はまったくの横並びだった。公明党幹部は浮かない顔でこう話す。 「斉藤氏が勝つには自民党さんに頑張ってもらうしかない。だが、河井夫妻の事件があって正直、動きは鈍い」  自民党広島県連から河井夫妻の事件に関与した県議や市議らに対し、「一切、衆院選には関わるな」とお達しが出ているという。 「岸田首相も以前、河井夫妻の事件に関係した地方議員は処分という趣旨の話をしている。公明党が何を言っても動きようがありません。岸田首相が手のひら返しで斉藤氏を応援しろと言っても、やる気はしませんね。有権者の目線も冷たいです」(自民党の広島県議)  だが、斉藤氏も黙っていることもできず、河井夫妻の事件に関与した地方議員にも声をかけて応援を要請するという歪な展開になっている。  立憲幹部は自信ありげに言う。 「自民党は動いていない。それで公明党は必死になっており、政権与党の足並みが乱れている。ライアン氏は広島3区で長く活動しており、国交相を新人が破るという大番狂わせも十分、可能性がある」  広島3区からは他にも日本維新の会が新人の瀬木寛親氏、「NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で」の矢島秀平氏、無所属の大山宏氏と玉田憲勲氏も立候補を表明している。広島3区は中選挙区時代、岸田首相の地元でもあった。  そこで指導力を発揮できなければ、「自公政権に亀裂が入りかねない」(自民党幹部)という声もでている。 (AERAdot.編集部 今西憲之)

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    小室圭さん帰国便同乗者が目撃した姿「彼はまるでエグゼクティブ」 自宅前では深々とお辞儀

    颯爽と歩きながら、小室圭さんがアメリカから帰国した。日本の地を踏むのは2018年8月に渡米して以来、3年2か月ぶりだ。  成田空港は多数の報道関係者が集まっており、ピリピリムード。報道陣に対して、カメラのフラッシュ禁止、声掛けも禁止といった規制が敷かれていた。報道関係者からは「どうして?」と不満の声も漏れていた。  午後3時20分過ぎ、成田空港に飛行機が到着。一般客が飛行機から降りたあと、小室さんが、報道陣の前に姿を現した。警護と思われる男性やキャビンアテンダント(CA)の女性などに囲まれていた。キャリーバックを転がしながら、白マスクに、濃紺のスーツ、ストライプの入ったシャツ、ノーネクタイといういで立ちで、髪の毛は後ろに縛っていた。  飛行機から出てきた小室さんは報道陣に一礼したあと、新型コロナウイルスの抗原検査、そして入国手続きに進んだと見られる。  小室さんは機内でどのような様子だったのか。偶然、同乗していた男性(51)に話を聞くことができた。 「私がファーストクラスで座っていると、ドアが閉まるギリギリになって小室さんが搭乗してきました。まるでエグゼクティブのようでした。後ろの髪を結っていたので、すぐに彼だとわかりましたね。彼一人に女性CAが2人くらいついて、会話しながら案内されて入ってきました」  当初はエコノミークラスのチケットを買ったと報じられていたが、この男性はこう語る。 「右の列のビジネスクラスの前方の席で、窓際に座っていましたね。私の席から右斜め後ろのほうの席でした。ただ、カーテンでファーストクラスとは仕切られていたので彼の表情などはわからなかったです」  男性は飛行機から降りた後、抗原検査のために、大きめの部屋に移ったという。40分ほどその部屋に滞在したが、そこに小室さんの姿はなかった。 「今か今かと待っていたのに、残念でした」(男性)  そのころ、到着ロビーには多数の報道陣のほか、「皇室系Youtuber」といったタスキをかけた人物や一般客も小室さんの姿を一目見ようと集まっていた。その数、50~60人ほど。  津田沼から来たという白髪交じりの一般男性は手にハンディカムを持ち、小室さんを待ち構えていた。妻に頼まれて自宅で見るために撮りに来たという。  しかし、小室さんは一般客が使う到着ロビーを通らず、地下駐車場から車に乗り込み、成田空港を後にした。「地下駐車場から空港を出たらしい」と男性に知らせると、「こんなに待っていたのに……」と不満げな様子だった。  小室さんを乗せた乗用車が向かった先は、母・佳代さんが住む横浜の自宅だった。自宅前は朝から報道陣が詰めかけ、警察は臨時の派出所を設置し、周辺警備に当たるなど、ものものしい雰囲気が漂っていた。夕方には100人を超える報道陣が押し寄せており、ベランダから様子を一目見ようとする住民の姿も見られた。  19時過ぎ、小室さんを乗せた車が到着。警察が後部座席のドアを開け、車から出てきた。小室さんは、報道陣から「どんなお気持ちですか」と声を掛けられたが、反応は示さず、自宅マンションの入り口で2回ほど深々とお辞儀をして、黒いスーツを着た男性らと中に消えていった。  近くに住む60代の男性はこう語る。 「ヘリコプターの音がすごくて『何事か』と思って見に来た。3年前の婚約会見後のときと同じような状況だと感じましたね。小室さんがニューヨークに行ってからは、静かになっていたんだけど……。またしばらく騒々しくなるのかなと思っています。どの家庭も問題を抱えていますし、小室さんと眞子さまも早くアメリカで幸せになってほしいですね」    小室さんは今後、自宅で2週間の隔離を終え、その後、記者会見に臨むと見られている。果たして何を語るか。注目が集まる。 (AERAdot.編集部/上田耕司、飯塚大和、吉崎洋夫)

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    小泉進次郎氏は「ぬるま湯」、山本太郎氏は苦戦? 関東の選挙区の行方は

     解散から投開票まで17日という戦後最短の短期決戦となる今回の衆院選。政治ジャーナリストの野上忠興氏と角谷浩一氏に、北海道・東北地方・関東地方の選挙区の情勢を聞いた。 *  *  * ■北海道・東北  それでは、全国の選挙区の情勢を見ていこう。  北海道では自民が苦戦を余儀なくされそうだ。もともと旧民主党系の候補が強い傾向があるが、前回の衆院選で自民は全12選挙区のうち半分の6議席を獲得した。今回は、野上氏はわずか3勝、角谷氏も4勝止まりに終わると見る。 「共産が独自候補を立てていた3、4、9区は、最終的に擁立を見送りました。共産は比例北海道ブロックでの議席確保が悲願ですから、立憲系の労働組合が比例で共産の協力に回るという棲み分けができると早くから聞いていました」(野上氏)  維新の鈴木宗男参院議員の長女で、自民の比例代表選出の貴子氏は7区で出馬を検討したが、候補者調整の結果、今回も比例に回ることになった。  角谷氏がこう語る。 「安泰なのは12区の武部新氏だけです。4、5、7区は自民が僅差でとれそう。9区の元スピードスケート選手、堀井学氏は失速気味です。もともと元民主党代表の鳩山由紀夫氏の選挙区で踏ん張ってきたが、この間の政府の支持率低下のあおりと野党が一本化したことから、このままいけば立憲に明け渡すことになりそうです」  東北は近年、TPP(環太平洋経済連携協定)の批准問題や農協改革などを巡って、たびたび“農家の反乱”が起き、自民の候補者は苦杯をなめさせられてきた。自民が苦戦する選挙では、県都を取りこぼす「1区現象」が起きやすいが、岩手、宮城、福島の各1区で立憲候補が優勢に選挙戦を進めている。  注目選挙区は、秋田2区。法相を務めた際に国会での答弁能力の欠如が批判された金田勝年氏は前回、わずか1672票差で緑川貴士氏に競り勝った。だが、1万3642票を獲得した共産が候補擁立を見送ったため、落選の危機だ。  農村地帯においては、コロナ禍による外食産業の営業自粛で、業務用野菜の需要が激減。さらにコメの値下がりが見込まれ、減収を心配する生産者の不満が高まっている。野上氏がこう予測する。 「160万票とされる農民票の自民党離れが加速する可能性があります。農家の反乱は東北のみならず、米作地帯の北海道や北信越にも広がるかもしれません。政府の対策は後手に回っており、衆院選を前に慌てて支援策に乗り出しています」 ■関東  北関東は、群馬4区では自民の総務会長に抜擢された福田達夫氏が堅調だ。群馬5区は組織運動本部長に就いた小渕優子氏も敵なしの状況。  立憲の枝野幸男氏は地元・埼玉でどれだけ仲間を勝たせられるかが正念場となる。前回は15選挙区のうち自民が12選挙区を制したが、今回は圧勝とはいかないようだ。5区の枝野氏のほか、6区の大島敦氏、7区の小宮山泰子氏らが安定した戦いを見せている。1区の自民・村井英樹氏は前回、立憲の武正公一氏に約3万票差をつけて当選した。だが、今回不出馬の共産候補が約3万3600票を集めており、武正氏に上乗せすると逆転する。  神奈川は、麻生自民党副総裁の側近として知られる1区の松本純氏が注目される。緊急事態宣言下に銀座のクラブに繰り出した“銀座3兄弟”の長男格。自民を離党し、無所属で立つため比例復活を当てにすることもできず、苦戦を強いられることになりそうだ。  11区の小泉進次郎氏は、総裁選で河野太郎氏を支持したことで、岸田文雄政権では当面、冷遇か。ただし、選挙では相変わらず盤石のようだ。 「環境相として実力不足が露呈して、評価を落としました。レジ袋の有料化にはプラごみ削減の効果はないと自分で認めてしまった。強固な地盤に守られ、地元でちやほやされて厳しい審判に晒されない。政治家として伸びないのは、そのせいではないか」(角谷氏)  首都・東京では「石原兄弟」の当選に黄信号がともる。3区の宏高氏は前回、立憲の松原仁氏に約1万3千票差で逃げ切ったが、約4万5千票を取った共産が立候補を取り下げると、形勢は一気に逆転する。  8区は、伸晃氏と吉田晴美氏の事実上の一騎打ちとなった。この間、れいわ新選組の山本太郎代表が参戦しかけたが、撤回。続いて、共産も候補を取り下げた。角谷氏が舞台裏を解説する。 「山本氏は実際に立憲と話がついていました。当初、吉田氏と共産の話し合いが進んでおらず、山本氏ならば共産も乗りやすいだろうということでしたが、完全に立憲側の調整ミス。山本氏は頼まれたのに追い出された格好で恥をかかされた」  山本氏は結局、比例東京ブロックからの出馬に。 「小選挙区での参戦なら野党の重点選挙区の一つになっていたと思うと、もったいない。比例で票を集めるのは一筋縄ではいかない。当落はボーダーラインというところでしょう」  東京9区は、公職選挙法違反事件で公民権停止となった菅原一秀氏の後釜に、自民は比例東京の安藤高夫氏を据えた。だが立憲の新人、山岸一生氏が優勢か。  15区は、カジノ汚職事件で収賄などの罪に問われ、東京地裁で懲役4年の実刑判決が言い渡された秋元司氏が立候補する注目選挙区。無所属の柿沢未途氏が優勢だが、首相指名選挙で岸田氏に票を投じ、「立憲民主・無所属」の会派から退会したばかり。今回、自民が無所属の今村洋史氏とともに推薦を決めた。自民幹部の一人がこう語る。 「柿沢氏には誘いの声をかけていますが、本人も自民に来たいという気持ちがあるのか、まんざらでもない様子です」  18区の菅直人氏vs.長島昭久氏の旧民主党対決も火花を散らす。19年に自民入りした長島氏が、首相経験者の地元に“討ち入り”をかける構図だ。 「前回、次点候補をわずか1046票差でしのいだ菅氏にとっては、長島氏は手ごわい相手にちがいありませんが、首相経験者の菅氏がやや有利と見ます」(野上氏) (本誌・亀井洋志、秦正理、池田正史) ※獲得議席予測、各選挙区の当落予測については調査の結果ではありません。公示日前に識者2人が予想しました。※週刊朝日  2021年10月29日号より抜粋

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    現役引退する松坂大輔の妻・柴田倫世への誹謗中傷「度を超えている」と球界で怒りの声

    「平成の怪物」の現役最後の登板。全盛期の姿には程遠い。それでも懸命に右腕を振る西武・松坂大輔の姿に心を揺さぶられた。  19日の日本ハム戦。親交のあるEXILEの「real world」が登場曲で流れる。背番号18がマウンドに歩を進めると、スタンドから大きな拍手が注がれた。投球練習では右足でプレートの土を払う仕草。全国の野球少年がまねたルーティンを見るのもこれが最後だ。代名詞のワインドアップから投げ込む。横浜高の後輩・近藤健介に投じた5球の最速は118キロ。私たちが想像していた以上に松坂の体はボロボロだった。鮮烈なプロデビューを飾った1999年4月の日本ハム戦。片岡篤史に155キロの直球で空振り三振を奪った。引退登板でも対戦相手に思いを込めた直球を投げ、現役生活に幕を下ろした。  横浜高でエースとして3年春夏の甲子園で全国制覇を達成。98年ドラフト1位で3球団競合の末、西武に入団すると、3年連続最多勝など8年間で108勝を積み上げ、レッドソックスでも2007年に15勝、08年に18勝と、28歳の時点で通算141勝をマークした。第1回、第2回大会と連覇を飾ったWBCでも日本のエースとして2大会連続MVPに輝いた。だがその後は右肩、右ひじなど度重なる故障に苦しんだ。日本球界復帰した15年からのソフトバンク在籍3年間で未勝利。中日に移籍初年度の18年に6勝をマークしてカムバック賞を獲得したが、19年は右肩の故障が響いて未勝利に。古巣・西武に14年ぶりに復帰した昨年は7月上旬に右手のしびれを取るため、内視鏡による頸椎周辺の内視鏡手術を受けたが完治せず、昨季、今季と1軍登板なし。現役後半の13年間は度重なる故障で計29勝に終わった。  松坂は最後の登板前に行われた記者会見で、引退を決断した胸中を語っている。「キャンプが始まって、もうそろそろ打撃投手をやって、ファームの試合に投げられそうだね、というところまできた。そんな話をした矢先に、ブルペンでの投球練習の中で何の前触れもなく、右打者の頭のほうにボールが抜けた。それがちょっと抜けたんではなく、とんでもない抜け方をして。そういう時、投手は抜けそうだなと思えば指先の感覚で引っかけたりするんですけど、それができないぐらい感覚がなかった。そのたった1球でボールを投げることが怖くなってしまった」。  投げることが大好きだった男が投げることに恐怖を感じた。その苦しみは想像できないものだろう。  よどみなく話していた松坂が珍しく感情をあらわにしたのは家族に質問が及んだ時だった。しばらく言葉が出ず、目に涙があふれた。「辞めると報告したとき、泣いていた。妻に電話をしたら息子がいて『長い間お疲れさまでした』と言ってもらった。いい思いをさせてあげられたかもしれないけど、家族なりにストレスもあったと思う」  松坂が年俸に見合う働きができなかった現役後半はネット上で批判を超えた誹謗中傷のコメントが常態化して見られるようになった。松坂だけではない。04年12月に結婚した元日本テレビアナウンサー・柴田倫世さんに向けられた誹謗中傷の書き込みも多く見られた。  西武OBは松坂の心境を慮る。  「自分自身に向けられた批判なら結果を出していないからと割り切れる部分はあるが、家族に向けて見るに耐えられないコメントが大量に書き込まれるのは本当に辛かったと思う。大輔から笑顔が消えたのはケガで思うような球が投げられなかったからだけではない。奥さんや家族に対しての書き込みは明らかに度を超えていた。心もボロボロだったと思います」  松坂は引退会見でこう語っている。 「これまでは叩かれたり、批判されることに対して、それを力に変えて跳ね返してやろうってやってきたけど、最後はそれに耐えられなかった。もう最後、本当に心が折れたというか、今まではエネルギーに変えられたものが…受け止めて跳ね返す力がもうなかったですね」   西武OBのG.G.佐藤氏は19日に自身のツイッターで、「松坂大輔ほど実績があって、お金を稼いでる人でも誹謗中傷を相手に心を折る。それくらい誹謗中傷っていうのは恐ろしい。誹謗中傷は止めよう。そして、悪意がなくても投稿する前に『これは相手が傷付かないかな?』と一旦考えよう」と呼びかけた。  結果が出なければ批判されるのはスター選手の宿命といえる。ただ、松坂や家族に対して人格否定のようなコメントがSNS上で数えきれないほど見られたのも事実だ。批判と誹謗中傷は違う。SNSの無い時代だったら、これほどのストレスは受けなかっただろう。松坂が記者会見で語った言葉を受け止めなければいけない。(松木歩)

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    眞子さまと小室圭さんは結婚後、皇居に足を踏み入れることはできるか “サーヤ”黒田清子さんご夫婦との違い

     秋篠宮家の長女、眞子さま(29)との結婚を控えた小室圭さん(30)は18日、秋篠宮邸がある東京都港区の赤坂御用地を訪れ、秋篠宮ご夫妻に結婚のあいさつをした。眞子さまは22日に天皇・皇后両陛下、25日に上皇・上皇后両陛下に結婚の報告をするという。皇室ジャーナリストの神田秀一氏にこれらの予定ついて、その意味を読み解いてもらった。  小室さんは18日午前8時前、横浜市内の自宅マンションからスーツ姿で出てきた。右手にはカバン、左手には白い紙袋2つを持っていた。   「秋篠宮家に持っていく手土産とご夫妻や宮内庁に見せるための書類などが入っていたのではないでしょうか。アメリカで用意した手土産かもしれませんが、どんな中身かはわかりません」   後頭部で縛っていたロン毛は短く整えられていた。  「小室さんは髪型でいろいろと騒がれましたし、秋篠宮家に正式な挨拶に行くのですから、きちんとした髪型にしたのでしょう。皇室であのような頭髪であいさつをする慣習はないんですよね。民間人が皇族に会うのですから、切らざるを得なかったのでしょう」    神田氏が着目したのは小室氏を出迎えた黒いワゴン車。午前9時15分ごろ、赤坂御用地の巽門(たつみもん)へと入って行った。  「車には、宮内庁発行の門鑑(もんかん)がステッカーとしてついていましたね。ということは宮内庁が、小室さんが秋篠宮ご夫婦に会いに行くことを認めたのです。アメリカから帰国し、結婚を進める上で、あいさつだけはしておかなければ、という小室さんの考えと、宮内庁の意見が一致したのでしょうね」    8日後に迫った結婚。秋篠宮ご夫妻は、2人の結婚を認めたのだろうか。  「憲法の規定により、日本人であれば両性の合意に基づく結婚そのものをダメだとは言えない。秋篠宮ご夫妻も宮内庁も政府も同じ考えです。しかし、結婚は認めるものの、その前に解決しなくてはいけないこと、あるいは報告を受けなければいけないことがいろいろあると思います。それは今のところ未解決のままなので、秋篠宮さまとしては『挨拶にはおいでになってもかまいません。聞くことは聞きましょう。いらっしゃるというのなら待っております』というスタンスで、そこまでは許したのだと思います」    眞子さまと小室さんは3年2カ月ぶりに再会した。  「私の得た情報では、小室さんが秋篠宮ご夫妻にあいさつしをして30分後くらいに、秋篠宮邸のどこか別室で眞子さまと小室さんが会うことを許してもらえたと聞いています。眞子さまの部屋かもしれませんね。佳子さまがいらっしゃったかもしれませんが、2人だけの可能性が高いと思います」   眞子さまは22日、皇居・御所を訪れ、天皇、皇后両陛下に結婚を報告し、25日には東京都港区の仙洞仮御所を訪れ、上皇陛下と美智子さまにも結婚を報告する予定だ。現時点でそれに小室さんが同席する予定はない。  「一般の結納にあたる『納采の儀』も行っていませんし、皇籍を離脱する際に支給されるはずの『一時金』も眞子さまは辞退なさった。小室家を巡る諸問題も解決されていないので、天皇・皇后両陛下は眞子さまからの結婚報告を受けても、『体に気をつけて、元気で』とか『健康でお幸せな日々をお祈り致します』とお伝えするのにとどまるのではないでしょうか。『おめでとう』とおっしゃることはできないと思いますよ」   眞子さまは26日に婚姻届を自治体に提出し、皇籍を離脱する予定。今後、皇室との距離はどうなるのだろうか。  「皇室としての結婚を許したわけではないけれども、2人の意思で一緒になるならば致し方ないということ。もう2度と皇居に足を踏み入れることが許されなくなる可能性はありますね。サーヤの愛称で親しまれた黒田清子(さやこ)さんも結婚して皇籍を離脱しましたが、お相手の黒田さん一家には何の問題もないし、清子さんは皇室とゆかりのある伊勢神宮の祭主を務めているので、皇籍離脱後も皇居を訪れています。けれども、眞子さまの場合は、黒田さんご夫婦と同じようにはならないでしょう」    26日に予定されている記者会見はどのようなものになるのだろうか。  「報道陣と宮内庁の係官が合わせて50人くらい集まるのではないかと聞きます。警備も、コロナ対策も万全なホテルというのは限られてきます。宮内記者会、雑誌協会、外国人記者クラブで合計3問くらいの質問ではないか。それ以上、質問の声を上げ続ける記者がいるかもしれませんが、『本日の会見は終了します』と打ち切るでしょう。政治家でも誰でも、長く話すとボロが出るものですから」   会見に先立ち提出される自治体への婚姻届けについて、神田氏は次のように推測する。  「秋篠宮家から命令を受けた職員が、小室夫妻になる2人の代理人として、自治体の戸籍係のところに持って行くというふうに聞いています」   会見後、 眞子さまは年内にも渡米し、ニューヨークで新生活を始めるとみられている。お2人の行く末は……。  「ヨーロッパの王室ではこのくらいのことはあるレベルのことのようですが、日本の皇室では前代未聞の事態で、眞子さまは離婚しても、もう皇族には戻れません。幸福になるか、不幸になるかはチャレンジしてみなければわからないですね。結果は誰にもわかりません」 (AERAdot.編集部 上田耕司』

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    うつ病、不安症になってない? 精神科医が教える「心の疲れ」6つのチェックポイント

     新型コロナウイルスの流行によって社会が大きく変化し、職場や家庭環境が大きく変わった方も多いでしょう。変化は心に負担をかけるため、自分では気づかなくても、心に疲れがたまっている人もいるのではないでしょうか。今回は心の疲れの解消法について、精神科医の大野裕先生にお聞きしました。前編・後編にわたってお伝えします。(セルフドクターWebより転載) *  *  * 環境変化で負荷がかかる心の健康に目を凝らして  新型コロナウイルスの流行により「新しい生活様式」が提唱されるなど、社会が大きな変化を迫られました。それに伴い、職場や家庭環境が大きく変わった方も多いのではないでしょうか。  環境が揺れ動く時期に気をつけたいのが「心の健康」です。特別疲れることをしていないのになぜか気持ちが暗くなる… …そんなことはありませんか? 今までは旅行で日常を離れたり、友達とのおしゃべりでストレスを発散していたりする人も多いでしょう。でも最近は、今までと同じ形で気分転換をすることが難しくなり、気分が塞いでしまうという声も耳にします。  心の疲れはなかなか自覚するのが難しいものです。ストレスがたまってきたなと感じたら、「どんな物事で気分が塞ぎ、何があると気分が晴れるのか」など、自分の心の動きをキャッチし、認識することが第一歩となります。私たちには、心の疲れを回復させる力が備わっています。この力は日々の暮らしに取り入れ習慣化することで、鍛えることもできます。ストレスが多い暮らしの中でも、心の回復力を高める習慣を身につけ、スーッと軽やかな日々を過ごしましょう。 <心の疲れをチェックしてみよう> 過去30日の間にどれくらいの頻度で次のことがありましたか。(全くない=0点、少しだけ=1点、ときどき=2点、たいてい=3点、いつも=4点) 1.自分が神経過敏になっていると感じましたか? (  点) 2.自分がそわそわ、落ち着かなくなっていると感じましたか?(  点) 3.気分が沈み込んで、何が起こっても気が晴れないように感じましたか? (  点) 4.何をするのも面倒だと感じましたか?(  点) 5.絶望的だと感じましたか?(  点) 6.自分は価値のない人間だと感じましたか?(  点) 合計9点以上の人は、うつ病や不安症の可能性が高いと考えられます。 引用:大野裕他「一般人口中の精神疾患の簡便なスクリーニングに関する研究」※うつ病や不安症の診断は、専門医による診察が必須です。このチェックリストはあくまで参考とし、心配な方は近隣の医療機関(精神科や心療内科など)を受診してください。 自分のことを「もっと知る」ことが心の疲れを取るファーストステップ  新しい出来事が起きた時、その捉え方には人それぞれの個性があります。楽観的な人がいれば心配性な人もいます。同じ人でもその時の体調などの影響を受けて捉え方が変化します。  環境の変化や新しい出来事に遭遇すると、人はまずマイナス面を認知する習性があります。人間は古の歴史の中で、新しい出来事に慎重になることで自分を脅かす存在を回避し、生命を維持してきたのです。しかし、マイナス面を認知した後、別の新しい情報をキャッチして整理していくことで、可能性や切り抜け方が見えてきます。マイナス思考は人間として自然なことですが、うつ病や不安症ではその思考から抜け出せず、苦しくなって生活に支障が出てくるのです。大野先生は「お互いに寄り添って自分の気持ちや考えを話し合い、別の視点を得ることで心が和らぐ。それが会話がもたらすよい影響です」と話します。  しかし新型コロナウイルスの影響もあり、今までのように人と気兼ねなく会話をするのが難しいのが現状です。そんな時に試してもらいたいのが、出来事と感情を関連づけてメモしていく方法です(図「7つのコラム」参照)。人と会えない時も、物事を客観的な視点で捉えることで、心の疲れの原因に気づくきっかけとなります。繰り返すことで悲観的な考えへのとらわれに気づき、心の疲れにも少しずつ対処できるようになります。 <「7つのコラム」の書き方>  落ち込みや不安がある時は、原因となることの発生から素直な思考を下の図の順番に書き出してみましょう。誰かに相談しているような客観的な視点を得るための方法の1つです。 「笑う門には福来る」は本当! 行動が意識を変える  心が疲れると「もう何もしたくない」と無気力になることがあります。これ以上傷つかないように自分の中に閉じこもり、行動を起こさないようにしてしまうのです。心の疲れは精神のエネルギー不足の状態なので休息が必要なこともありますが「少し落ち着いたら、体を動かしてみると、心が上向きになっていきます」と大野先生。うつ病の治療の1つに「行動活性化」という方法があります。これは気分転換になる行動をとることで心を元気にする方法です。「脳は、行動をして初めて次のことをする意欲が湧くようになっています。気分を意識的に変えるのは難しいですが、行動はすぐにでも変えられる。まず行動すれば、心は後からついてくる。これが行動活性化です」。 <行動と心の関連メモ> 「朝起きて顔を洗い、朝食を食べた」。このような当たり前の生活には普段意識を向けないものです。しかし、日々の行動を意識すると「〇〇をしたら気分が明るくなることが多い」などの傾向が見えてくるはず。観察を繰り返していると「自分の気分を明るくする行動」が選び取れるようになるのです。日々のなんでもない行動が? と思うかもしれませんが、意外と行動と気持ちは連動しているもの。手帳やスマホで行動と心の動きをチェックして、新たな発見をしてみましょう! 【後編に続く】心が疲れたら「行動」を変えるのが有効! 精神科医がすすめる「8つの行動習慣」とは? 監修/大野 裕先生(おおの・ゆたか)精神科医。1978年慶應義塾大学医学部卒業と同時に、同大学の精神神経学教室に入室。コーネル大学医学部、ペンシルべニア大学医学部を経て、慶應義塾大学教授を務めた後、2011年より独立行政法人(現・国立研究開発法人) 国立精神・神経医療研究センター 認知行動療法センター センター長に就任。現在は顧問。一般社団法人認知行動療法研修開発センター理事長などを務める。著書に、『心が晴れるノート』(創元社)など。 セルフドクターHP

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    自民党はどれだけ身内に甘いのか 暴言でも杉田水脈氏を比例公認から透けて見える本音

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、総選挙の比例代表公認から浮かび上がる自民党の姿勢について。 *  *  *「LGBTには生産性がない」「女性はいくらでも嘘をつける」などの暴言が大問題になった杉田水脈氏が、今回も、自民党の比例代表公認に名を連ねていて驚いた。立憲民主党の本多平直議員が、「14歳と性交して罪に問われるのはおかしい」と発言したことが問われ議員辞職にまで追い込まれたことを考えると、自民党はどれだけ身内に甘いのだろう。杉田氏の発言を本気で問題だと考えていたら、公認の選択はないはずだ。 「女性だけれど女性に厳しい」ことを売りにする政治家は、日本では珍しくない。というか、  今の自民党を見ていると、そういう女性議員が候補者に選ばれるのだということが分かる。杉田氏もそもそも、「慰安婦」にさせられた女性たちに対する暴言などで安倍元首相に引き上げられた人だと思われる。一貫して、性暴力問題に関しては被害者の声を「嘘」と決めつける発言を繰り返してきた。  私が杉田氏の国会質問を初めてきちんと見たのは、AV出演強要被害者に対する発言だった。AV出演強要被害や、JKビジネスの被害、若年層が性産業に取り込まれていく問題に政府がようやく取り組もうとしていることに対し、これは左翼のプロパガンダだと反対する声をあげていた。2018年3月9日の衆議院内閣委員会でのことだ。杉田氏は、AV出演強要がそもそも嘘であるかのように、こう語っている。 「この職業に就きたいという女性は多いんですよ。引く手あまたで(ここで杉田氏は笑っている)、すごく狭き門なんだそうです。(業者は)わざわざ嫌がる女の子を出すなんてことしない。そんなことする業者は必ずつぶれるわけで。やってるのは小さな業者。必ずしも相談件数全てが、だまされてひどい目にあった人ばかりではない」 「被害を受けた」と相談してくる女性のなかにも嘘をついている人がいると、杉田氏は国会で発言したのだった。  杉田氏が言うようにAVが「憧れの職業に就いた女性が自主的に自己表現をしている作品」であれば、どんなに良いだろうと私も思う。残念ながらそれは、長い時をかけてAV業界や、AVを観ている人たちが築き上げてきた妄想に過ぎない。  現実は残酷だ。モデルとしての将来をちらつかされ、気がつけば全くノーを言えない状況に追い込まれ死を願うような現実のなか、自傷するようにカメラの前で裸になる女性が無数にいる。そもそも「女性を強制出演させた」業者が簡単につぶれるような業界ではなく、だいたいが「強制」の概念そのものが都合よく解釈されている。たとえば、女性が業者と契約する時にはカメラが回るようになっている。これは「強制ではない」ことを証明するためのものだが、強制とは殴る蹴るなどの行為だけではない。心理的に追いつめられ、選択肢が他にない圧倒的に不利な状況に追いつめられることも「強制」だ。そして多くの被害者は、「怖くてノーを言えない」状況で被害にあっている。  杉田氏の発言は徹底的に業者に寄り添い、AVを観て、JKを「買う」側の立場に寄り添ったものだ。いったいそれは、何のためなのだろう。  杉田氏の著作は、単著も対談本も含めほぼ全て読んできた。もちろん最初から「こんな人」だったわけではない。1967年生まれの超バブル世代。就職にも苦労することなく、退職した後は西宮市の職員として、公務員として働きはじめる。政治的な関心が特に強かったわけではないが、当時の女性の多くがそうだったように土井たか子さんに憧れ、市役所前で演説をしていた土井さんに声をかけ妊娠中のお腹に触ってもらったエピソードなどもある。もともと自民党から出馬したわけでもなく、そもそも歴史問題を専門にしていたわけでもない。いったい、いつからだったのか。「『慰安婦』問題は左翼のねつ造だ! 日本を貶めるな」と声をあげる女性たちが、世に受け入れられ、ついには政権与党に認められるほどにまでになったのは。  「男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想」とまで言い切っている杉田水脈氏を、自民党はまた、公認する。日本の右傾化とぴったり寄り添い、歩みを揃えて自らもどんどん出世していった杉田氏は、これからも自民党に守られていくのだろうか。  ところで、杉田氏と同い年の女性国会議員に蓮舫氏がいる。杉田氏は蓮舫氏を意識しているのか、自著では蓮舫氏の振る舞い、発言、着物の着方についてまで厳しい意見を述べている。蓮舫氏が着物の胸に議員バッジをつけていたことに「高価な絹を使った着物に穴をあけるなんて」と大げさに驚き、「いくら日本人を装うとしても、にわか仕立てではボロがでる」とあざ笑う。そんな風にあらゆる方面で率先して、「女性の敵は女性」との役割を買ってでることで地位を安定させる戦略で、杉田氏は生き延びてきた。こういう人を大切に守ろうとする自民党に、ジェンダー平等など、はなからやる気のないテーマであることは明らかだ。

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    岸田首相の大誤算 衆院選で「自民40議席」減、単独過半数割れの予測も

     第49回衆議院議員選挙(10月19日公示、31日投開票)がついに幕を開けた。岸田文雄新首相を誕生させ「看板掛け替え」からの「奇襲解散」に打って出た自公政権に対し、野党は候補者を一本化させる共闘体制で臨む。新政権が長期政権となるか、短命に終わるかを占うことにもなりそうなこの一戦、全289小選挙区の勝敗を予測した。 *  *  *  岸田文雄首相は内閣発足からわずか10日後の10月14日、衆議院を解散した。解散から31日の投開票まで17日間という戦後最短の短期決戦となる。  選挙を急ぐ理由について、岸田氏は会見などで、「できるだけ早くコロナ対策、経済対策を行うために一日も早く国民の審判を仰がなければならない」と説明している。  だが、この言葉を額面どおりに受け取る者はいないだろう。政権の顔を変え、内閣支持率が前政権よりも上昇する「ご祝儀相場」が下がらないうちに、大慌てで選挙戦に持ち込んだのだ。新型コロナの流行がいったん収まっているタイミングも岸田氏にとっては天の恵みだ。  とはいえ、朝日新聞の世論調査では、岸田内閣の支持率は45%。政権発足当初としては、この20年間で最低水準だ。30%を切った前政権からは多少回復したとはいえ、“奇襲作戦”も目論見どおり「追い風」にまではなりそうにない。  ご祝儀相場効果が不発に終わった要因は、言うまでもなく党・閣僚人事が響いている。安倍晋三元首相や麻生太郎副総裁への配慮と、総裁選の論功行賞を重視。金銭授受疑惑を抱える甘利明幹事長を含めた「3A」支配に、国民がウンザリしているからだろう。  政治ジャーナリストの野上忠興氏が指摘する。 「政権発足当初の内閣支持率は60%程度が相場ですから、岸田丸は船出から前途多難です。人事の問題もありますが、岸田氏自身のインパクトの弱さが影響しています。コロナ対策や経済政策にしても、もっと国民にわかりやすい言葉で具体的な政策を語ればいいのですが、学者か評論家のような固い話ばかりです」  相変わらずの「国会軽視」も露呈した。衆院選を控え、岸田内閣の政治姿勢を国民に詳らかにするため、野党は予算委員会開催を求めたが、政府・与党は拒否した。  野上氏が続ける。 「予算委員会を開けば、甘利氏の『政治とカネ』の問題はじめ、森友・加計問題や桜を見る会などの疑惑を野党は徹底的に追及してくるでしょう。格差是正の観点から、総裁選で看板政策に掲げた金融所得課税の強化について、『当面は触ることを考えていない』と早々に引っ込めたことも問われることになる。イメージダウンを恐れたのではないでしょうか」  所信表明演説に対する代表質問で、岸田氏はアベノミクスを評価し、「民主党政権の失敗から学んだ」などとくり返した。立憲の森ゆうこ副代表に「まるで安倍元総理が乗り移っているように見えた」と一喝される始末だ。  では、衆院選ではどのような結果が待ち受けているのか。本誌は政治ジャーナリストの野上氏と角谷浩一氏に、各政党の獲得議席数と全選挙区の当落予測を依頼した。  その結果、自民は「37議席減」(野上氏)、「33議席減」(角谷氏)と、いずれも大きく議席を減らす予想となった。 「コロナ禍で行われる今回の選挙は、集会が行えるかなど通常と条件がかなり異なる。それだけ、予想外の結果が出る可能性があります」(角谷氏)  今後の情勢次第では40議席減、よもやの単独過半数(233議席)割れも視野に入る。  岸田氏は9月末の自民党総裁就任会見で、衆院選の勝敗ラインを「与党で過半数」と設定して予防線を張ったが、40議席も減らしたら「勝利宣言」などあり得ず、大誤算というほかないだろう。角谷氏がこう話す。 「コロナ禍で生活が苦しくなった人は数多くいますが、第6波を前に、岸田政権はコロナ対策について明確な処方箋を出せていない。大盤振る舞いした東京五輪は、収支すらよくわかっていない。安倍・菅政権のツケは支払われておらず、有権者の怒りは都市部を中心に根強い。岸田氏は『未来選択選挙』と言っていますが、誰もそうは捉えていないのではないか」  自民と連立を組む公明は、九つの選挙区に立てた候補者全員の当選と、比例区で800万票の獲得を目標に据える。  だが、党勢の陰りは明らかで、2017年の衆院選では比例区の獲得票数は697万票と、現行の選挙制度で初めて700万票を割った。支持母体の創価学会がコロナ禍で政治活動を制限せざるを得なくなり、フレンド票の発掘もままならない。公明の全盛期を支えた学会員の高齢化も進む。  岸田氏が安全保障政策で“タカ派”路線を打ち出したことも、公明=学会票離れを加速させる可能性がある。対中国強硬姿勢に加えて敵基地攻撃能力の保有の容認、憲法改正にも言及するなど「アベ化」が止まらない。  公明の元幹部が語る。 「自公が対峙していた時代でも、宏池会の大平正芳氏や木曜クラブ(田中派)の田中角栄氏とは関係がよかった。両派閥ともハト派でしたからね。学会の集票力の低下に加え、いまの岸田氏の主張には乗りにくいですよね。自民への支援票を棄権する人は少なくないはず」  一方の野党は、立憲民主が議席を伸ばし、「27議席増」(野上、角谷両氏)となった。野党共闘のために多くの選挙区での独自候補の擁立を見送った共産は比例区で議席増が見込まれそうだ。日本維新の会は大阪を中心に自民と互角以上に戦い、議席を大きく増やしそうだ。  だが、特に野党第1党の立憲に望まれるのは“善戦”ではなく、政権交代を目指す“激戦”だ。  にもかかわらず、立憲の枝野幸男代表はテレビの報道番組で、司会者から衆院選で政権交代を実現する確率を聞かれると、米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手を引き合いに「大谷選手の打率(2割5分7厘)ぐらいの可能性はあるというつもりで頑張っている」と語った。角谷氏が厳しい目を向ける。 「本気で勝つ気があるのか。何が何でも勝つという気概がなければならないのに、これでは政権が取れるわけがない。野党第1党のポジションが居心地いいということなのでしょう。衆院選で勝つためには、菅義偉氏を総理の椅子から引きずり下ろし、総裁選でお祭りムードを盛り上げた自民のほうがよほど努力しています。本気度のちがいが出てしまっています」  つまるところは、勝者なき衆院選になるのか。(本誌・亀井洋志、秦正理、池田正史) ※獲得議席予測、各選挙区の当落予測については調査の結果ではありません。公示日前に識者2人が予想しました。※週刊朝日  2021年10月29日号より抜粋

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    大分の公立高からハーバード「首席卒業」廣津留すみれが語る海外大のリアル 「東京の私大より学費安い」

     塾ナシ、留学経験ナシで大分の公立高校から米・ハーバード大学に現役合格した日本人女性がいる。バイオリニストの廣津留すみれさん(28)は、高校卒業後アメリカにわたり、ハーバード大を首席で卒業。さらに音楽の名門・ジュリアード音楽院に進んだ。日本から海外大に進学するために必要なものとはなにか。また海外大学での生活はどのようなものなのか。話を聞いた。 *  *  * ――ハーバード大学を目指そうと思ったきっかけは何ですか。  高校2年の春、バイオリンの国際音楽コンクールに優勝して獲得した全米演奏ツアー中に、軽い気持ちでハーバード大のキャンパスツアーに立ち寄りました。そもそもハーバードって本当にあるんだ、から始まりましたね。現役生が学内をガイドしてくれましたが、演劇でもスポーツでも、課外活動に学業と同じくらいの熱量を注いでいると聞いて、学業とバイオリンの両立が目標だった私は、ここに入ったらめちゃくちゃ幸せだろうなと思いました。 ■「え?あのハーバードですか?」 ――すぐにハーバードを受験しようと決めたのですか?  大分の普通の高校生からしたら、ハーバードなんてありえるのかなと思っていました。でも調べてみるとアメリカに行かずとも受験ができるのが分かり、目指してみようかなと。家族は、いいんじゃない?という反応でしたが、先生はもうびっくりして、三者面談では「え?あのハーバードですか?」と。通っていたのは進学校でしたが、あまりにも前例がない話。地方の公立高校では、海外に進学する人すらいませんでした。 ―――地方からハーバードを目指すのに、苦労はありませんでしたか。   ハーバード大学入学後に、首都圏の有名高校出身の仲間に受験時の話を聞いてはじめて、地方にいたことのハンデがあったことを実感しましたね。首都圏だと受験のための情報が日常的に手に入るし、先輩の経験の積み重ねがあって、全く環境が違うなと。私の場合は、先生に書いてもらう推薦状も、「推薦状とはどういうものか」というところから説明しないといけなかったので。でも、情報がなかったのが逆に良かった部分もあるかもしれません。海外への恐怖や先入観など、情報の多さに迷うこともありませんでしたから。 ――受験勉強では何に力を入れましたか?  とにかく英単語を覚えました。受験には2万語レベルの単語数が必要なので、SAT(アメリカの大学進学適性試験)の過去問集に載っていた単語リストを常に持ち歩いて、5分単位のすきま時間を使って勉強しました。アメリカの過去問集だと意味も英語で書いてある。翻訳しにくいものも出てくるので、基本は英語で理解してときどき日本語を書き加える方式にしていました。   試験には小論文もあるのですが、これで完成というゴールがないし、英語で書くので、それはもう修正の繰り返しでしたね。ハーバード生の論文集をアメリカから取り寄せて読んでもみましたが、“多くの国にルーツを持つ自分のアイデンティティー”というような内容が多く、私には参考にならず、トピックを選ぶのも大変でした。結局、自分の存在をアピールすることに徹しました。 ■終始「雑談」のようだった面接試験 ――合格するためには何が必要だと思いますか。  受験には面接試験もありまして、私の時はスカイプで受けました。かたくるしい雰囲気ではなく、終始雑談のような感じで、「人間力」が見られているのかなと思いました。  高校まで勉強だけやってきた、という人は多分難しいと思うんですよ。勉強以外で何にパッションがあるの? みたいなところがすごく重要視されるので。ゲームでも昆虫採集でも、何か熱中したものが存在するといいと思います。 ――入学後、国籍の違う相手との共同生活で、友達との関係はどう築きましたか?  ハーバードの学生はほぼ全員寮生活で、1年生は食事も同じ食堂です。入学直前にはオリエンテーションがあり、学校側が率先して友達づくりの場を設けてくれました。孤独になる暇がないというか。そもそも勉強するときはひとりなので、自分だけの時間がほしいとも思いませんでした。私は15人ほどの寮で、フランス系とインド系のアメリカ人の学生との3人部屋でしたが、ドアは開けっ放しで自由に行き来できました。タブーな話題も全然なくて、いい意味でカルチャーショックでしたね。政治の話も宗教の話も話せるのは発見でした。地雷を踏んだらどうしようと身構えていましたが、なんでもオープンに話したほうがみんなにとってハッピーじゃないかって考える人ばかり。  日本人はみんなが笑っているから笑っておこうって愛想よくふるまいがちで、私も最初はそうでした。でもそうすると、「すみれちゃんずっと笑ってるけど大丈夫?」と心配されてしまう。本音の突っ込んだ意見を言った方が信頼されることがわかって、だんだん変われた感じがします。 ■「挙手に慣れていない日本人」を先生が手厚くケア ――授業では言葉の壁はありましたか?  先生の早口は分からないし、予習もめちゃくちゃ苦労しました。でも先生たちがメールや授業内で手厚くケアしてくれたので救われました。先生は様々な国の学生を相手にしているので、日本人が授業中の挙手に慣れていないということも分かっていて、授業の前に、「この質問であなたを当てるから意見を言ってね」と練習させてくれるんですよ。15人程度の少人数授業が必ずあるから、何か問題があったら気づいてもらえます。「学生が落第するのは先生の責任だ」というカルチャーがあり、先生も職を失う可能性があるからか、勉強面でも周りの学生の脱落は聞きませんでした。 ――忙しくて「睡眠を犠牲にした」ということですが、どのような生活スタイルだったのでしょうか?  食堂も図書館も24時間オープン。夜10時に行ってもみんな勉強していて、朝5時に帰ろうとしても、まだほかの人がいる。課題の量も多くて常に4~5本の宿題を抱えながら、複数の課外活動を掛け持ちしてと、まるでテトリスのブロックを次々積んでいくようにスケジュールを埋め、こなしていました。でもハーバードでは誰もが同じ状況だったので苦には思いませんでしたね。平日は寝る時間がなく、しかも金曜や土曜の夜には学生や大学主催の社交パーティーがあります。社交も非常に大事でした。今思えば、将来のリーダー候補同士の人脈作り、という意図が大学側にはあったのかもしれません。隣にいる人がいつ国連の大使や大統領になるかわかりませんから。 ――学費がネックで海外大を断念する学生もいるといいます。生活費などのお金事情は?  奨学金制度が充実しているハーバードは、学費や食費、寮費も込みで、家庭の収入に応じて正規の学費の何%を支払えばOKですよという仕組みでした。私の場合、大分から東京の私立大学に入って一人暮らしをするよりも、ずっと安かったと思います。仲の良い友人の家庭はシングルマザーで兄弟も多く経済的に厳しかったので、全て無料だったそうです。  学生の活動への補助も充実していて、「日本でインターンをやりたい」と言うと往復の飛行機代を、冬休みに「他の国で実地調査をしたい」と言えば宿泊代を出してくれる。とにかく熱意を伝えれば援助してくれるという制度が整っていました。特にアイビーリーグ(アメリカの8つの名門私立大)では、経済的に成功した卒業生たちがその時の恩を寄付金で還元するというシステムができています。卒業翌日には私の元にも、寄付をお願いするメールが届きました。しかも「あなたのいた寮に新入生が入りましたよ」みたいなパーソナライズされたメールがくるんですよ。寄付したくなるじゃないですか。すごく上手なんです。 ■環境をどう生かすかは個人にかかっている ――海外大の制度や学生生活は、理想を現実が超えていた、ということですね。  そうですね。でも、この環境をどう生かすかは、個人にかかっているかもしれません。勉強だけを目標にするとちょっとよくないかもしれない。私は学業と別に、バイオリンという熱中できるものがあった。大学関連の様々な場面で演奏の機会を得て、それが世界的チェリストのヨーヨー・マの関係者の目に留まって共演につながりました。音楽を社会貢献のツールとしているヨーヨー・マとの出会いのおかげで、バイオリニストという道を極めたいと思うようになったんです。私の場合はバイオリンでしたが、これがスポーツの人もいる。自分が一番だと思える分野を、1学年1600人みんなが何かしら持っていると思うんですよ。在学中のどこかで、私はこれをやるんだと実感する瞬間があるんじゃないかな。 ――アメリカの大学での経験から、日本の大学が変わるべきところがあるとすれば何だと思いますか?  質問力を生かす環境ではないでしょうか。アメリカの授業では質問をしない=出席したことにならないと捉えられるので、みんなひたすら質問したがるんです。日本でも、授業をさえぎってでも質問するような人がもっと増えていい。何十年と同じ内容の授業をしている先生がいるとも言われますが、そういう環境になると、先生も学生の質問に答えるために自分をアップデートするようになると思うんですよね。私はいま成蹊大学と国際教養大学で授業を受け持っていますが、最初に、「ここはセーフスペースだから何を意見しても大丈夫よ」と言ってから始めるようにしています。 ――海外大を目指す学生に、日本で準備しておいたほうがよいこと、メッセージは?  よく言われることですが、日本のことをもっと知っておくことだと思います。私が1年生のときにアメリカではオバマが大統領に選ばれたんですが、決まった瞬間、それぞれの寮から叫び声が聞こえて、走り回っている人もいたんですよ。あまりに嬉しくて。みんな18歳で初めて得た選挙権、しかも黒人初の大統領が生まれた歴史的瞬間。そんなときにも、アメリカと日本の選挙の仕組みの違いなど、政治のシステムをもう少し分かっていたら、もっと濃いディスカッションができたのになと思います。  また、海外の大学に行きたいと言ったら反対する親御さんもいると思います。ハーバードより東大、と考える先生もいるかもしれません。私も高校の先生から東大の試験も受けるように言われたのですが、自分の意志で決めてよかったと思っています。海外大を目指す高校生の方には、大人の言うことを聞くな、ということをメッセージとして伝えてもいいかもしれません。  (中村さやか)  〇廣津留すみれ/ひろつる・すみれバイオリニスト、成蹊大学客員講師・国際教養大学非常勤講師。1993年、大分市生まれ。2016年にハーバード大学(学士課程)、2018年にジュリアード音楽院(修士課程)をいずれも首席で卒業。世界的チェリスト、ヨーヨー・マとの共演のほか、ゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズの演奏・録音などを担当。テレビの情報番組にコメンテーターとして出演も。著書に『ハーバード・ジュリアードを首席卒業した私の「超・独学術」』(KADOKAWA)など。

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    訪れるべき「戦国最強」の山城を歴史研究家が格付けランキング! 2位は信長「安土城」、1位は?

     日本全国には3~5万の城があるとされ、その多くが山城だという。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.17』では、城関連の著書も多い歴史学者・小和田泰経氏に自身が訪れた山城を「遺構の保存状態」「防御力」「登りやすさ」「交通アクセス」の4つの基準で採点してもらい、戦国最強で「訪れるべき」山城ベスト50を選出してもらった。ここでは、同率で4位となった城からトップ5を見ていこう。 ※ランキングの採点方法日本全国に数多く残る山城。その中から、小和田氏がもう一度訪ねたいと願う「戦国の山城」を、編集部が独自に選んだ以下の4つの項目で採点してもらった(採点は、小和田氏の主観によるもので、訪れる時期や季節によっても大きく印象が変わります)。●遺構の保存状態……曲輪(郭)や石垣、石塁、土塁、空堀、堀切、切通などが良好に保存されているか否かで採点。●城の防御力……軍事要塞として築かれた山城。曲輪や空堀、土塁などが城の防御力を高める配置になっているか否かで採点。●アクセス……最寄り駅からの交通の便や、高速道路からの利便性。また、山頂部まで車で行けるかなどを総合し、多角的に採点。●登りやすさ……城内散策路の整備状況や駐車場の場所。さらに案内板の設置などを含めて採点。 *  *  *  第4位 備中松山城(岡山県/92点)天守が現存する唯一無二の山城  戦国時代に備中松山城をおさえたのは、三村家親である。しかし、三村家親は、備前の宇喜多直家と争い、暗殺されてしまう。このころ、備中には西から毛利輝元、東から織田信長の勢威が拡大してきていた。家親の子元親は毛利氏に従っていたが、元亀三年(1572)、足利義昭の仲裁で毛利氏と宇喜多氏が和睦すると、織田信長に寝返った。三村元親にとって、毛利氏についた宇喜多直家は父の仇だったためである。結局、松山城は毛利・宇喜多軍によって落とされ、以後は毛利氏の支城となる。  関ヶ原の戦い後、毛利輝元が周防・長門へ転封されると、備中は幕府領となり、総代官として入った小堀正次・政一が松山城に入って修築された。さらに、松山藩主となった水谷氏によって現在も残る天守などが建てられている。  城は高梁川の東岸にあたり、麓からの高さが350mほどの小松山に築かれている。相当な山城であるため、山上での作事が困難であったのだろう。天守と二重櫓のほか、建物はすべて平櫓である。ただし、山上の主郭部は三ノ丸・厩曲輪・二ノ丸・本丸・後曲輪・水ノ手門脇曲輪の6曲輪から構成されており、防御力は高い。しかも、麓には石垣造りの御根小屋があり、中腹には中太鼓ノ丸や下太鼓ノ丸といった出丸を構えていた。 【遺構の保存状態 24点/城の防御力 25点/交通アクセス 21点/登りやすさ 22点】 *  *  * 第4位 岩村城(岐阜県/92点)戦国時代の山城を近世城郭へと変貌させた  伝承では、鎌倉時代に加藤景廉の子景朝が築いたというが確かなことはわかっていない。戦国時代には、加藤氏の後裔にあたる遠山氏の居城となっていた。  岩村は、東濃の要衝で、信濃・三河の国境にも近い。戦国時代の城主遠山景任は、信濃から進出を図る武田信玄に攻められ、織田信長の支援を受けて抵抗を続けたが病没。そのため、城は武田氏の支配下に入り、長篠の合戦後、信長が奪取している。そして、信長の家臣河尻秀隆や森長可・忠政兄弟によって改修された。  岩村城が築かれている城山の標高は717mで、江戸時代まで存在していた山城の中では最も高い。ただし、麓からの高さは150mほどである。縄張は、頂上に本丸をおき、二之丸・八幡曲輪などを階段状に配す。本丸は櫓・多聞櫓などで囲まれるなど堅固であった。しかも、本丸の南東には出丸を設け、背後を固めている。  江戸時代には、東濃の要衝として松平(大給)氏の居城となった。ただし、居館などは山麓に移されたため、藩庁の機能は山上の主郭部には存在していない。  岩村城は、遠山氏時代の縄張を踏襲し、曲輪を石垣造りとしている。いわば、中世の縄張が生きている近世城郭だった。出丸まで林道が通っているが、遺構の破壊に配慮されているのも評価が高い。 【遺構の保存状態 24点/城の防御力 25点/交通アクセス 21点/登りやすさ 22点】 *  *  * 第3位 月山富田城(島根県/93点)毛利元就も攻め落とせなかった難攻不落の城  月山富田城は、交通アクセスが良ければ、第1位に選ばれてもおかしくない名城である。  城は、出雲の富田に所在し、麓からの高さが150mほどの月山に築かれているため、月山富田城という。この時代、富田は水上交通が盛んで、船で中海から飯梨川をさかのぼり富田城下まで来ることができたという。山陽方面に抜ける陸上交通の要衝でもあり、出雲の中心地であった。室町時代には、戦国大名となった尼子氏の居城となる。そして、出雲・石見・因幡・伯耆など11カ国を支配する拠点となった。  月山の山頂に主郭部があり、中腹に山中御殿や千畳敷、山麓に里御殿などを配置していた。南北1キロメートル、東西1キロメートルに及ぶ巨大な山城である。登城路は菅谷口・御 子守口・塩谷の三つが存在した。谷筋を通る登城路は、尾根に設けられた曲輪群によって守られており、いずれも山中御殿につながっていた。 山上の主郭部は、本丸・二ノ丸・三ノ丸が連郭式に配置されている。山中御殿から「七曲がり」とよばれる登城路を通らないと、この主郭部には到達できない。つまり、山中御殿を死守すれば、主郭部に侵入される恐れはなかったのである。  また、万が一山中御殿が攻略されても、三の丸から「七曲がり」を登る敵を迎え撃つことが可能だった。「七曲り」は文字通り、道が幾重にも折れ曲がっており、そこを側射するわけである。 主郭部は総石垣の曲輪であるため、侵入されにくい。もし三ノ丸まで侵入されても、二ノ丸と本丸の間には大きな堀切が敵を阻んだ。加えて、本丸から北東に向かう尾根筋には、多くの小曲輪があり主郭部の背後を固めていた。  月山富田城を本拠に中国地方に覇を唱えた尼子氏であったが、勢力を拡大する毛利元就が永禄八年(1565)に、3万5000で城を包囲すると、一年半におよぶ籠城のすえ、降伏開城した。  このとき、毛利軍は、菅谷口・御子守口・塩谷口の三方から月山富田城を攻撃している。これに対し、降伏はしたものの、尼子氏は城を守り切った。その攻防の舞台となった虎口は堅固に守られており、見逃せないポイントとなっている。  もっとも、現状の遺構は、尼子氏時代のものではない。尼子氏の降伏後、月山富田城は毛利氏の支配下におかれる。そして、関ヶ原の戦い後に毛利氏が退去すると、替わって堀尾吉晴が入城した。この堀尾氏の時代に城は改修され、近世城郭として完成したのである。  慶長十二年(1607)、堀尾氏は松江に居城を移す。その後、月山富田城は廃城となっている。 【遺構の保存状態 25点/城の防御力 25点/交通アクセス 20点/登りやすさ 23点】 *  *  *  第2位 安土城(滋賀県/94点)築城後わずか6年で焼失した織田信長の居城  安土城は、観音寺城を本拠とする六角氏の支城であった。実際、観音寺城が築かれた繖山の麓に位置する。しかし、六角氏は永禄十一年(1568)、織田信長による上洛に抵抗した末、観音寺城を放棄して脱出。こののち、南近江を制した信長が近世城郭として完成させた。  城は、琵琶湖に突き出た麓からの高さが100mほどの安土山に築かれている。最高所に本丸を置き、周辺に二ノ丸・三の丸を配す。そして、この本丸・二ノ丸・三ノ丸を守るように、家臣団の屋敷地が配置されていた。なお、曲輪の名称や家臣の邸宅は、江戸時代の絵図によるもので、当時、どのような曲輪名であったのかは不明であり、家臣の屋敷についても、実証されているわけではない。  本丸・二ノ丸・三ノ丸とされる曲輪群で構成される主郭部は、周囲を多門櫓で囲まれており、防御は堅い。その中央に五重六階地下一階の天主が建てられていた。こうした本格的な天主が建てられたのは、歴史上、安土城が最初とされる。  また、黒金門跡は、桝形構造となっている。これは、近世城郭における虎口の到達点であり、安土城に採用されている意味は、見逃せないポイントとなる。  本丸には、大手道・百々橋口道など、複数の登城路が通じていた。百々橋口からの登城路は、城内に創建された寺院である摠見寺の境内を通る。宗教に無関心であったとも言われる織田信長だが、仏教による守護を求めていたのは間違いあるまい。というのも、この摠見寺は、信長自身が創建したものだからである。  天正十年(1582)の本能寺の変後、安土城は焼失。織田信長の次男信雄が火を放ったともいわれるが、確証はない。すでに山崎の戦いで明智光秀が敗北したあと、安土城を守備していた光秀の家臣が敗走する際に自焼したものであろう。  なお、焼失したといっても、城域のすべてが焼失したわけではない。信長の嫡孫秀信が入城し、織田氏の居城となる。天正十三年、豊臣秀吉の養子豊臣秀次が近くに八幡山城を築城し、安土城は廃城となった。天守など建造物の遺構は失われているが、石垣の保存状態は良好なので満点としている。  現在、整備されているのは主郭部だけであり、本来の城域はもっと広い。そのうえ、観音寺城を詰の城と考えることができれば、その防御力は格段にあがるため、防御力も満点とした。 【遺構の保存状態 25点/城の防御力 25点/交通アクセス 22点/登りやすさ 22点】 *  *  *  第1位 鳥取城(鳥取県/96点)江戸時代・近世城郭へ改修された悲運の城  今回、「戦国の山城ベスト50」の第1位に選んだのは、悲劇の城として知られる鳥取城である。  天正八年(1580)、織田信長の命をうけた羽柴秀吉が因幡に侵入して鳥取城を攻撃すると、城主の山名豊国は秀吉に降伏した。しかし、これを不服とする家臣らは、安芸の毛利輝元に支援を要請し、山名豊国を追放。こうして鳥取城は、城将として派遣された吉川経家を中心に、織田方と戦うことになったのである。  羽柴秀吉は、天嶮の要害として知られていた鳥取城を力攻めすることを避け、兵糧攻めを行う。餓死者も続出したこの攻城戦は、後世、「飢え殺し」と呼ばれる。翌天正九年、3カ月ほど続いた籠城戦の末、ついに吉川経家は降伏開城した。  その後、秀吉の側近宮部継潤が城主となり、継潤の死後は子の長房が受け継ぐ。しかし、慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いで西軍石田三成に通じたとして、鳥取城は東軍に攻められ開城した。  関ヶ原の戦い後、姫路城主となった池田輝政の弟長吉が6万石で入封し、この池田長吉によって近世城郭に改修された。さらに元和三年(1617)には池田輝政の孫光政が因幡・伯耆32 万5000石で入封し、城の規模が拡張されている。  多くの山城では、山頂付近に曲輪が集中するが、鳥取城の曲輪は山頂から麓にかけて配置されている。そのため、山頂一帯の山上ノ丸と山麓一帯の山下ノ丸という2元構造なっていた。  山上ノ丸は、麓からの高さが240mほどの久松山山頂に築かれている。天守が建てられていた本丸のほか、二ノ丸・三ノ丸といった主郭部が連郭式に連なる。さらに、この主郭部は出丸によって防御されていた。  山下ノ丸は、久松山の山麓におかれ、幅25mほどの内堀によって守られていた。実質的な本丸に相当するのが天球丸で、このほか二ノ丸・三ノ丸などが階段状に配置されている。 山上ノ丸と山下ノ丸との間にも、無数の曲輪が設けられ、さらには斜面の移動を阻む竪堀や登石垣も構築されている。山下の丸を落とさない限り、敵は山上ノ丸に攻め込むことはできなかった。こうした点も踏まえ、防御力は満点とした。  ただ、山上ノ丸は防御力が高いものの、政庁としては利用しにくい。一方、山下ノ丸は政庁としては利用しやすいが、防御力は低い。しかし、鳥取城では山上ノ丸と山下ノ丸が一体化しており、それぞれの長所を生かすことができた。鳥取城は、戦国時代から江戸時代にかけて、最先端の技術を取り入れながら改修されている。時代による石垣の積み方の違いも、この城の見どころのひとつである。 江戸時代に、山上ノ丸が重要視されることはなくなった。しかし、有事の際には、利用するつもりだったのである。 【遺構の保存状態 24点/城の防御力 25点/交通アクセス 23点/登りやすさ 23点】 ◎監修・文/小和田泰経(おわだ・やすつね)1972年、東京都生まれ。歴史研究家。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期退学。専門は日本中世史。著書に『家康と茶屋四郎次郎』(静岡新聞社)、『戦国合戦史事典 存亡を懸けた戦国864の戦い』(新紀元社)など。 ※週刊朝日ムック『歴史道 Vol.17』では、戦国最強の山城「ベスト50」を徹底解説しています

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    心が疲れたら「行動」を変えるのが有効! 精神科医がすすめる「8つの行動習慣」とは?

     心が疲れていると感じた時、その気分は簡単に変えられませんが、行動は意識的に変えられます。心を回復させる行動を日々の習慣に取り入れてみましょう! 前編「うつ病、不安症になってない? 精神科医が教える「心の疲れ」6つのチェックポイント」に続き、後編として、心を回復させる8つの行動習慣について、精神科医の大野裕先生にお聞きしました。(セルフドクターWebより転載) *  *  * (1)毎日決まった時間に起床。暮らしにリズムを取り入れよう  心と体は一心同体。生活のリズムが上手に整えられると、心にもよい影響が出てきます。特に意識したいのは、起床時間。就寝時間を決めても簡単には寝つけません。朝起きる時間を同じにしてみましょう。毎朝、同じ時間に体内時計がリセットされることで、生活のリズムが整い、体も心も調子が整ってきます。まずはここからスタートしてみましょう!  朝食を食べることと朝日を浴びることで体内時計がリセットされます。朝起きたらまずはカーテンを開けて太陽の光を浴び、朝食を食べて胃腸を働かせましょう。 (2)不安な気分が続く時は、ちょっと立ち止まってひと呼吸  ざわざわとした気分がしずまらない時や不安な気分の時は、「今ここ」に意識を集中させて心を安定させる「マインドフルネス」がおすすめです。不安になると、人は浅くて速い呼吸をする傾向があります。深くゆっくりとした腹式呼吸をすると、不安を和らげることができます。習慣的に行うと、思考や感情に振り回されにくくなる効果もあります。 <腹式呼吸のやり方>1.ゆっくり1,2,3と数えて息を吸い込む2.同じだけ息を止める3.ゆっくり1,2,3と数えて息を吐く4.息を吐き切ったら、ゆっくり1,2,3と数える間、息を止める (3)始めてみたら意外とスッキリ!体を動かしてみよう  掃除をする気力がなかったのに、いざ始めると止まらなくなり、終わってみると気分もスッキリ。そんな経験はありませんか? これぞ行動が気分を変えている証拠。気分が塞いできたら、散歩をするなど簡単に体を動かしてみましょう。でも「体を動かさないといけない」という決まりにすると、かえってストレスに。気が向いた時に取り組むぐらいの軽い心持ちでチャレンジしましょう。  疲れていて運動が難しい時はベッドの上でストレッチするだけでもOK。無理をせず、心地いいなと感じられればOKです。 (4)五感を研ぎ澄ましてリラックスしよう  いろいろ考え込んでしまい、悩みが堂々巡りしてしまうことがありますよね。そんな時は普段使っていない感覚を使ってみましょう。新しい行動や感覚を体験することで、脳は次なる動きを求めるようになります。結果、新たな視点が得られるかもしれません。例えば、食べたことのない外国の料理を食べてみる(味覚)、新しいアロマに挑戦してみる(嗅覚)などがおすすめです。  散歩中に目に入る、木や花の香り、その日の空気の香りを楽しんでみましょう。毎日続けることで、季節の移り変わりや植物の生長など、身近な変化が心地よい刺激になるかもしれません。  風の音、車の音、子どもの声。慣れているはずの街の雑踏も、聞き分けるといろいろな音が混じり合っています。音に集中することで、ざわざわした気分がすっと落ち着く瞬間を意識してみましょう。 (5)日常から離れていつもの自分と距離をとる  旅行による心の変化は、気分転換という意味だけではなく「今までの自分」と距離をとって「ちょっと違う自分」を育てる意味があります。旅先で触れた価値観によって今までの自分の考え方を客観的に捉えるきっかけにつながります。近場のお出かけでも、新しい体験になるような場所であれば旅行と同じ効果があります。  旅行が難しい時は通勤路などで「初めての道」を選んでみましょう。身近にある非日常からも、新しい発見があるかもしれません。 (6)初めてのことにトライする  仕事や子育て、介護などに精一杯取り組んでいる人は、一段落した時に無気力になってしまうことがあります。1つのことに集中するのはよいことですが、考え方が固定化して客観性がもてなくなることも。そんな時は新しい趣味や初めての習い事などにトライしてみましょう。物事の見方が広がることで、考え方にも柔軟性が生まれ、自分を客観的に見る手がかりになっていくのです。 (7)他の考え方はない?会話で考え方を点検し合おう  考え方の幅が狭くなっている時は「自分は何に傷ついたのか、その時どう感じたのか」を意識的に周りの人に話してみましょう。他の人の視点や考え方を聴き、自分の考え方の再点検を重ねると、新しい見方ができるようになります。気持ちや考え方が整理されていく過程を体感してみて。もし一人の時に悩んだらこの過程を思考の中で再現してみましょう。  オンラインコミュニケーションはすでにニューノーマルになりつつありますが、空気感や表情などのニュアンスが伝わり切らず、ストレスになることも。感染症対策をしながら、やはり直接のコミュニケーションも意識的に! (8)1日1回アウトプット  スマホやパソコンから日々たくさんの情報が得られる現代。脳はすでにオーバーフロー状態です。体だけではなく心も、入れるだけではなくしっかり出す、インプットとアウトプットの循環が必要です。常に情報が入ってくるスマホをオフにし、今日の出来事や感じたこと、自分の正直な気持ちを紙に書き出す時間を作りましょう。日記などを読み返してみると心の整理にもつながります。 【前編から続く】うつ病、不安症になってない? 精神科医が教える「心の疲れ」6つのチェックポイント 監修/大野 裕先生(おおの・ゆたか) 精神科医。1978年慶應義塾大学医学部卒業と同時に、同大学の精神神経学教室に入室。コーネル大学医学部、ペンシルべニア大学医学部を経て、慶應義塾大学教授を務めた後、2011年より独立行政法人(現・国立研究開発法人) 国立精神・神経医療研究センター 認知行動療法センター センター長に就任。現在は顧問。一般社団法人認知行動療法研修開発センター理事長などを務める。著書に、『心が晴れるノート』(創元社)など。 セルフドクターHP

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    渡部建、49歳になって仕事ゼロでもなぜか余裕 復帰を焦らなくてもいい「うらやましい理由」

     昨年6月までは8本のレギュラー番組を抱える売れっ子だったアンジャッシュの渡部建(49)だが、不倫騒動で芸能活動を自粛して以降、復帰の道筋は見えてこない。  渡部の近況を報じた週刊誌「FLASH」(9月28日・10月5日号)によると、普段は総額35万円のハイブランドコーデで“主夫”をこなしているという。  一方、一家の大黒柱となった佐々木希(33)は、三池崇史監督が演出を手掛ける舞台「酔いどれ天使」に出演中だ。東京公演の千秋楽を迎えた20日には、3歳の長男がサプライズで花束をプレゼントしてくれたことをインスタグラムで報告した。 「佐々木は4億円のマンションをキャッシュで購入し、息子を年間の授業料が200万円以上といわれる幼稚園へ転園させたことが報じられました。10月からは舞台の大阪公演が始まりますが、今の彼女は精力的に仕事をこなしています。もちろん佐々木が仕事の間は渡部が家事と育児をこなしているそうです」(女性誌記者)  渡部の復帰に関しては昨年末の「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」(日本テレビ系)への出演情報が流れたことで、渡部も慌てて“謝罪会見”を開いたが、これが完全に裏目に。しどろもどろの受け答えに終始し、結局、騒動を蒸し返されるだけに終わった。 「『ガキ使』の出演はお蔵入り、さらに『有吉反省会』(同・9月で終了)の最終回にサプライズ出演のうわさも流れましたが、これは有吉本人が否定しました。渡部自身は、テレビへの未練はあると思いますが、実際、以前のような形で復帰するのは難しいと感じているようですね。昨年の会見で懲りたというか、このまま表舞台に出たところで、一生“トイレ不倫”は言われ続けるでしょうし、忘れた頃にまた蒸し返されたり、あるいは別の女性が告白したりという不安は絶えないでしょう。YouTubeでの復帰なども、オファーはあったみたいですがすべて断っているそうで、今は静かに暮らしたいそうです」(テレビ関係者)  スポーツ紙記者も「宮迫(博之)さんのケースを目の当たりにしているので、YouTubeなどでも露出は控えたいようです」と話す。 「得意のグルメも今では、イメージダウンで厳しいですし、相方の児嶋一哉のYouTubeが好評なので、その邪魔をしたくない、という思いもあるのかもしれません。一方で佐々木の仕事は順調で、今の舞台の演技も好評なので、すでに映画やドラマのオファーも来ているようです。佐々木も渡部には『復帰は焦らなくていい』と話しているそうですし、渡部にしてみれば、やっと生活のリズムが落ち着いてきたところなのではないでしょうか。今は将来的なことも考え、子どもの送り迎えや家のことをこなす合間に、資格取得のための勉強も始めたという話もあります」  23日に49歳を迎えた渡部だが、1年後の50歳でも芸能界復帰はしていない可能性もありそうだ。もう復帰とは別の道を歩むための準備を始めたのかもしれない。(坂口友香)

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    ドレスで旅立った母 新田恵利が在宅介護で6年半、頑張れた理由

     6年半もの間、母親を在宅で介護したタレントの新田恵利さん。介護中のエピソードや、頑張ることができた理由を明かす。 *  *  *  今年3月に母(享年92)を見送りました。腰椎(ようつい)の圧迫骨折がきっかけで要介護4になり、2014年の秋に始まった母の介護。家をリフォームしたり、おむつフィッターという資格を取ったり、介護と向き合って頑張ってきましたが、介護7年目の春に旅立ってしまいました。  天真らんまんの正直もので甘えん坊。私は結婚する際に夫に言いました。「私と結婚したらもれなく母と犬がついてきますよ」と。夫は快く承諾し、在宅介護に協力してくれました。母は夫のことが大好きでした。彼の言うことはよく聞いていました。食の好みも似ています。  在宅介護は大変です。何度も母とぶつかって互いに嫌な思いをしました。母娘だから遠慮がない。寝たきりの母を何度泣かせたことか。けんかした後は2階に上がり、夫に「また泣かせちゃったよ」。  本当は30分後ぐらいに下りたいけれど私にも意地がある(笑)。2時間後ぐらいに「じゃ、様子見てくる」って下りていく。母はけろっとしていますよ。  今年の1月はお雑煮も食べられましたが、2月になって少しずつ物が食べられなくなって、会話も単語だけに。傾眠が続くようになりました。  生命力が徐々に落ちていくのがわかりました。受け止めたくはなかったけれど、別れが近づいているなと。そこで2月から「エンディングドレス」を作り始めました。 「最期はウェディングドレスで旅立ちたい」という母との約束をかなえたくて。日々衰えていく母の介護をしながらエンディングドレスを作っていく日々はつらくて悲しくて。仕上げたら逝ってしまうようで。亡くなった日に作り上げました。  母がもし「施設に入りたい」と言えばそうしたかもしれませんが、最期まで家で良かったと思います。最期まで私たちを認識してくれていたのは救いでした。  ここまで介護を頑張れたのは、もちろん母のことが大好きだったのが一番ですが、三つあります。  一つ目は「(母が間違えたことをしても)決してたださず、ありのままを受け止める。母のやりたいようにさせた」ということ。無理に押し付けると遠回りになる。母には笑っていてほしかったから、お菓子しか食べないというときは「はい、はい」と受け入れました。  二つ目は、兄と協力し、一人で抱え込まずにすんだことです。  そして三つ目が「徹底して味方となる存在に愚痴を聞いてもらう」です。夫には「何にも言わないで。聞いてくれるだけでいい」と頼みました(笑)。解決策を聞きたいわけじゃない。ただただ聞いてほしいときに人生の味方がそばにいるというのは本当に救いです。どんなときも否定せず、「うん。うん」と笑顔で私を受け止めてくれた夫には感謝しかありません。  母を送ったばかりの今はまだまだ寂しいけれど、2人でこれから楽しい老後を送ろうね、と話しています。 >>【関連記事/元おニャン子・新田恵利さん 母親の介護を支えた夫の気づき 助言より「黙って聞く」】はこちら※週刊朝日  2021年10月22日号

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    育休中「復職したくない、専業主婦は特権階級」と言い出す妻 不満な夫にアドバイスは?

     育休から復職したがらない妻に夫は不満。専業主婦は「特権階級」か。「論語パパ」こと中国文献学者の山口謠司先生が、『論語』から格言を選んで現代の親の悩みに答える本連載。今回の父親へのアドバイスはいかに。 *  *  * 【相談者:2歳の息子を持つ30代の父親】 2歳の息子を持つ30代の父親です。育休中の妻が「パパ(私)の収入だけで暮らしていけそうだから、復職せずに専業主婦になりたい」と口にし始めています。私は会社勤務、年収800万円ほどで、世帯収入としては暮らしていけるのかもしれませんが、思いとどまらせたいです。妻は、育児中心の生活にすっかり慣れてしまい、働きたくなくなってしまったのです。  さらに、妻・母親としての世間の評価が気になるようで、「働かずに済む家庭は裕福な特権階級」とさえ思っているようです。私は実家が商売をやっていたために「健康な大人は働くべきだ」と教えられてきたので、「働かない人=怠け者」に思えます。「家事を完璧にして内助の功に尽くしたい」と妻は言いますが、毎日の食事や掃除、日用品の買い物などはそもそも妻の育休中から私が担当しており、仕事を辞めてまですることではありません。「良妻」の定義は昔と変わっています。妻を復職させたく、どう説得すればいいでしょうか。 【論語パパが選んだ言葉は?】 ・「幼にして孫弟(そんてい)ならず。長じて述べらるる無(な)く、老いて死せず。是(こ)れを賊と為す」(憲問第十四) ・「人にして仁ならずば、礼を如何(いかん)。人にして仁ならずば、楽(がく)を如何」(八イツ第三) ・「如(も)し周公の才の美有りとも、驕(おご)りて且(か)つ吝(やぶさ)かならしめば、其の余は観るに足らざるのみ」 (泰伯第八) 【現代語訳】 ・「幼いころは、目上の人に従順でなく、大人になっても何一つよいことをせず、年をとってからも、いたずらに生をむさぼっている。そういう人を『泥棒』と言うのだ」 ・「人として最も大切な愛情がないなら、礼儀をちゃんと守っても音楽をうまく奏でても、それが何になろうか」 ・「たとえ、完全無欠の才能があったとしても、人に対して驕(おご)り、卑しくけちな心を持っていたら、論ずるに足りない人物としか言えない」 【解説】 お答えします。妻が「復職せずに主婦業に専念したい」と願うのであれば、そうさせてあげてください。今、何を優先すべきかを考えたとき、夫婦にとって最も大切なものは、2歳の息子さんであると拝察します。息子さんの将来を考えて妻が育児に専念したいということなら、妻と力を合わせて、たくさんの愛情を大切な息子さんに注いでください。 『論語』には、孔子が、激しい言葉で、旧友の原壌(げんじょう)をなじった言葉がのこされています。「幼にして孫弟(そんてい)ならず。長じて述べらるる無(な)く、老いて死せず。是(こ)れを賊と為す」(憲問第十四)  あるとき、原壌は孔子と待ち合わせるのに、立膝をして待っていました。旧友を待つにしても無作法です。そこで孔子は言いました。 「幼いころは、目上の人に従順でなく、大人になっても何一つよいことをせず、年をとってからも、いたずらに生をむさぼっている。そういう人を『泥棒』と言うのだ」 「人生、100年」という時代、生まれたばかりの息子さんには、100年の人生が待っています。相談者さんは、息子さんが原壌のような「賊人」とならないようにすることを考えてください。その基本は、家族の絆です。その絆は、愛情によってしかつくることができません。  原壌には、母親に対する愛情さえ欠けていました。礼儀や慣習について書かれた『礼記』には、原壌の母が亡くなったとき、孔子が代理となって葬式を出してあげたのに、棺桶によじ登って歌をうたっていた、と記されています。  相談者さんは「働かない人=怠け者」という価値観からは脱皮すべきです。むしろ「愛情を持たない人=怠け者」と考えてみてはいかがでしょうか。人は、他人との関係の中で生きています。商売でも会社でも、礼儀はもちろん、信頼、感謝、尊敬、謙譲など、心からの「愛情」を抱いて人に接していかなければ、うまく発展させることはできません。これは、親が教えてあげなければならないことなのです。  孔子はこうも言います。「人にして仁ならずば、礼を如何(いかん)。人にして仁ならずば、楽(がく)を如何」(八イツ第三)。これは、「人として最も大切な愛情がないなら、礼儀をちゃんと守っても音楽をうまく奏でても、それが何になろうか」という意味です。  もし、相談者さんの妻が専業主婦として、夫を支え、息子さんにたっぷりの愛情を注ぐことができれば、きっと息子さんは原壌のような「賊人」と呼ばれる人にはならずに済むでしょう。子どもの時に得た愛情は、形には見えなくても、人の一生に深く大きく根を張ってくれるものです。専業主婦は、家族間の愛情を育む根源的な仕事だと考えれば、相談者さんが妻に対して敬意を抱くことにもなるのではないでしょうか。  最後に「働かずに済む家庭は裕福な特権階級」という妻の考えについて、一言付け加えておきます。「裕福」「特権」とは、「働かなくても済む」ことではありませんよ。「裕福な特権階級」とは、同時に「社会に対する責任」が重くなることです。 『論語』には、「如(も)し周公の才の美有りとも、驕(おご)り且(か)つ吝(やぶさ)かならしめば、其の余は観るに足らざるのみ」と記されています。 「たとえ、周王朝の政治と文化の創始者である周公ほどの完全無欠の才能があったとしても、人に対して驕(おご)り、卑しくけちな心を持っていたら、論ずるに足りない人物としか言えない」ということを言った言葉です。  相談者さんの家庭が、世間から見て裕福なのかはわかりませんが、本当の意味で裕福で、特権的地位、階級を持っている人たちは、「驕らない」「卑吝でない(自己の善意を出し惜しみしない)」ということを強く自らに課して、社会的責任を果たしてきました。相談者さんの妻は、「専業主婦」という職業を選んだのだと思って、家族の絆を結びつけ、世界中の「裕福」で「特権」を持った人たちと好きにお付き合いをされるといいのではないかと思います。 【まとめ】妻は「専業主婦」という職業を選んだと思って家族の絆を育てよう。ただし、「働かなくて済む」ことは「裕福さ」や「特権」ではない 山口謠司(やまぐち・ようじ)/中国文献学者。大東文化大学教授。1963年、長崎県生まれ。同大学大学院、英ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。NHK番組「チコちゃんに叱られる!」やラジオ番組での簡潔かつユーモラスな解説が人気を集める。2017年、著書『日本語を作った男 上田万年とその時代』で第29回和辻哲郎文化賞受賞。著書や監修に『ステップアップ  0歳音読』(さくら舎)『眠れなくなるほど面白い 図解論語』(日本文芸社)など多数。母親向けの論語講座も。フランス人の妻と、大学生の息子の3人家族。

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    人気102社が採用したい大学 コロナ禍での就活は早慶が「全業種」で圧倒、女子大はきめ細かさで対応

     コロナ禍が直撃した今年春の就職状況が明らかになった。採用を中止・縮小した業種もあり、翻弄された学生は多い。大学はオンラインを活用してどう対応したのか。AERA 2021年10月25日号は「採用される大学」特集。 *  *  *  2023年春の就職を目指す50人の大学3年生や大学院生が10月上旬、就業体験(インターンシップ)先を探すために東京都内の会場に集まった。就職情報サイトを運営する「学情」主催のマッチングイベントだ。休憩時間は静か。隣と話す人もいない。「新型コロナウイルス対策のためか、まだ慣れずに緊張しているからか、だと思います」(主催者)  それでも、企業に質問する姿勢は例年どおり活発だった。 「リアルなイベントはほとんどありません。貴重な機会だと思って参加しました。他の人の質問が具体的ですごいと思うところもあったし、自分が今、どの位置にいるのか確認できたと思います」(立正大学の男性) 「コロナ禍でも売り上げを伸ばし、安定している食品メーカーを志望しています。いろんなインターンシップに参加して情報収集しています」(東京理科大学大学院の女性)  イベントに出展したキッコーマンの採用担当、井元優吾さん(24)はこう語る。 「昨年の21年卒(21年春入社)の学生から面接はすべてオンライン選考です。画面越しでは実際の雰囲気と異なる場合もあるため、少し不安はありました。でも、入社した社員は例年と遜色ありませんでした」 ■状況は大きく変わらず  コロナ禍が直撃した21年卒の就活の結果を見てみよう。就活生に人気の企業102社がどの大学から何人を採用したか、大学通信の協力を得て一覧にした。その企業のなかで最も採用数が多かった大学を赤色、採用数で5番目までの大学を青色、そのほか10人以上が採用された大学を黄色で示した。ほぼ全業種で早稲田大学や慶應義塾大学が強いことなどが、ひと目で分かる。ただ、卒業者数は大学ごとに大きく異なるので、比べる際は注意してほしい。  数字をまとめた大学通信調査部長の井沢秀さんが分析する。 「状況は大きく変わっていません。メガバンクは縮小傾向ですが、自動車、電機メーカーは安定しており、難関大学から採用しています。医薬品系はやはり医学部、薬学部のある難関国立大が強い傾向です」  就職情報会社ディスコによると、10月1日時点の21年卒の内定率は88.6%と高水準で、コロナ禍前の20年卒を1.9ポイント下回った程度だった。  コロナ禍で航空・旅行業界は採用を中止したり減らしたりしたところが多い。両業種に多数の人材が輩出してきた明治大学の就職キャリア支援センター、原口善信さんは明かす。 「低学年の頃から強く志望する学生たちには特にダメージが大きかったです」  同大では、例えば全日本空輸(ANA)への就職者数は20年卒16人から21年卒1人と大幅に減った。 「21年卒は『これから航空会社にエントリーシートを出そう』というときにコロナ禍で就活が中断しました。採用があったのは、JAL(日本航空)とANAではパイロット職などに限られました。航空業界に絞っていた学生は他の業界を見ようにも人気企業はすでに選考が始まっていることが多かったです」  それでも、全業種で見ると全学部就職内定率は90%以上を維持。前年度とほぼ変わらない結果となった。コロナ禍で、大学は学内ガイダンスや個別相談をオンラインで対応し、学生を支援した。  航空業界は来春の22年卒の採用もほとんどない。原口さんは「なぜ航空会社に入りたいのか」と学生たちに問いかけてきたという。 「そうすると、別の業界でも思い描いたことをできると気づきます。例えば、人を喜ばせることが好きなのであれば、エンタメ業界なら近いことができるかもしれないと、芸能事務所、ブライダル業界、テレビ制作会社、ゲーム会社に入った学生もいました」 ■知名度にこだわらない  9月末に緊急事態宣言が解除され、10月から対面の面談を再開した。原口さんは言う。 「対面とオンラインを組み合わせて、より丁寧なフォローをしていきたいと思います」  青山学院大学も、航空・旅行業界に多くの卒業生を送り込んできた。例えば20年卒を見ると、ANAには調査対象52大学で最多の41人、JALには同3番目の32人が入社した。同大は20年4月、全4年生を対象に緊急アンケートを実施。すぐに約10%にあたる約500人から「不安で就職活動が進められず相談したい」という回答が寄せられた。進路・就職センターの祖父江健一事務部長はこう話す。 「就職活動へのモチベーションをどうしても持てない学生は例年数%はいますが、コロナ禍で10倍に。職員がすぐに電話をかけて相談を受け始めました」  一方で、学生から「隠れた良い企業はどこですか」と問われることが増えたという。 「学生は名前を聞いたことのあるBtоC(消費者向け)の企業ばかり見てきましたが、こうした企業は景気や社会の影響を受けやすいと考え、BtоB(法人向け)の企業にも目を向け始めました」  コロナ禍前、同大から10人以上就職した企業は毎年30社以上あった。だが、21年卒はその数が3分の1に減って就職先が散らばった。航空・旅行業界を目指していた21年卒の女性(23)は法人向けに顧客管理事業を展開する企業に就職し、営業職として働いている。 「行きたかった企業に挑戦することもできずに悔しかったけど、就職センターの職員さんに何度も相談に乗ってもらい、最終的には働いている方々の人柄で決めました。仕事で様々な業界に携われるのが面白いし、(働く時間を自由に決められる)フルフレックスタイム制で働きやすい。今の会社に満足しています」 ■不安のなかでも諦めず  関西学院大も航空業界に強い。20年卒のJALとANAの就職者数は計48人いた。だが、21年卒はJALへの3人にとどまった。その状況下でも国際学部4年の片山理咲子さんは、パイロット訓練生で内定を得た。 「コロナ禍で、22年卒の採用は全てなくなってしまうのではないかと思いましたが、諦めずに大学のキャリアセンターを活用して、先輩たちに話を聞きに行きました。話を聞けば聞くほど、社員一丸となって飛行機を飛ばしてお客さまに喜んでいただくという仕事の魅力に気付かされ、チームで何かを達成することにやりがいを感じる自分にフィットしていると思いました」  女子大もコロナ禍のあおりを受け、21年卒の平均実就職率(大学通信調べ)は4.3ポイントも下げた(大学全体で3.3ポイント低下)。就職情報を提供するマイナビの編集長、高橋誠人さんはこう語る。 「もともと女子大は99%以上の就職率を誇る学校があるくらい、就職の強さが売りでした。しかし、女子大で人気の航空・旅行業界はコロナ禍で就職が厳しくなりました。さらにコロナ禍前からメガバンクへの就職は、DX(デジタル化による変革)、AIの導入による無人化の方向で一般職の人数が絞られています」  例えば、同志社女子大学は21年卒の就職内定率を1ポイント以上落とした。JALやANAは毎年20人近く入社する最大の就職先だったが、21年卒は0人だった。同大を今春卒業した神奈川県在住の女性(23)も、当時は航空業界を志望していた。 「周りには航空業界を志望する人が多かったです。航空業界の就職がなくなり、燃え尽きて一時は『就活をお休みするね』という友だちもいました」  同大キャリア支援課の西岡慎介課長は、コロナ禍前からあった一般職採用の減少の影響が最も大きいと言う。 「総合職への就職は共学の学生との戦いになりますが、女子大の丁寧さを生かした支援に力を入れています。大人数のセミナーだけでなく、学生がエントリーシートを実際に書いてみる少人数講座も開いています」  東京女子大学キャリア・センター課の森田光則課長も、学生の支援に苦慮してきた。 「女子大はきめ細やかな対応が強みですが、コロナ禍で学生が学内に入れなくなりました。オンラインで説明会などを開きますが、学生とのつながりが薄くなりました。学生の今の状況が十分にわかりません」  そこで、ウェブサイトでチャット相談を開始した。 「コロナもあるから早く動く学生もいれば、どうしたらよいか分からず動けない学生もいて二極化が心配です。いつでも質問できるよう、24時間自動応答の機能にしました。込み入ったことなら、キャリアカウンセラーがチャットで応対する機能もあります。そこからオンラインの個別相談にもつなげられています」(森田課長)  写真投稿アプリ「インスタグラム」のライブ配信機能「インスタライブ」のようなイメージで、職員がオンライン上に登場して、学生たちの前でチャット相談に答えることも始めた。(編集部・井上有紀子、深澤友紀) ※AERA 2021年10月25日号より抜粋

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    城郭考古学者が選ぶ「絶対に攻めたくない山城」ベスト10! 1位は埼玉「杉山城」、2位は?

     一見、「天守や櫓がなく、土と山だけ」と思われがちな山城。しかし開発にさらされがちな平城等に比して保存状態が良く、ほぼ往時の姿をとどめている山城も多い。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.17』では、「戦国の山城の歩き方」を特集。3人の専門家に「オススメの山城」を推薦してもらった。今回の推薦者は、城郭考古学者で山城ファンの千田嘉博さん。選定のテーマは「絶対に城攻めしたくない山城」だ。 *  *  * ――山城にもさまざまな楽しみ方があると思います。当時の武将の視点で、「絶対攻めたくない城」をご紹介ください。  城はとても美しく壮大で、鑑賞するのはとても楽しいです。しかしそもそも城は戦いのために構築されたもので、第一に求められる機能は防御・反撃力です。今回は、その点で極めて優れた山城をご紹介します。実際に足を運べば、おそらく「もう助からない」「絶対死ぬ」と感じますが、堅固な城を造って自分たちの村や所領を守ろうと努力した先人たちの思いを、ぜひ想像してみてください。  なお、山城の定義はあいまいですので、ここでご紹介する城には、一般的には平山城と言われているものも含んでいます。 ――よろしくお願いします。  まず、“戦国の土づくりの城の教科書”と呼ばれているのが、埼玉県の嵐山町にある杉山城です。それほど大きな城ではありませんが、本丸を頂点に各尾根に曲輪を階層的に設け、入口付近には必ず横矢をかけ、初期段階の馬出しも重ねています。おそらく攻めたとしても理路整然と効率的に弓矢や鉄砲の餌食になったでしょう。  福島県の会津美里町にある向羽黒山城も、ものすごい山城です。山の頂上の本丸から麓まで、まるで迷路のように横堀、竪堀を縦横無尽に巡らし、山の中段も曲輪と堀と土塁を複雑に配置している。城を守っている兵も道に迷うのではないかという複雑堅固な山城です。軍事要塞に必要な要素を全部詰め込んでいて、攻めても生きて帰れる気がしません。  見た目の凄さでいえば、群馬県東吾妻町にある岩櫃城です。太古の昔から信仰の対象となってきた巨大な岩山である岩櫃山に守られた、まさに鉄壁の城で、戦意喪失は間違いありません。 ――この険しい岩山は、とても攻められませんね。  しかし、実は城があるのはこの垂直岩盤の上ではなく横なんです。岩櫃山がある側から攻められる心配はないので、その方向は堀をあまり整備していません。しかし、その反対側を見ると、山頂の本丸の周囲には横堀をめぐらすなど、守りが重視されていますし、東側の山麓を流れる吾妻川は堀の役割を果たしています。この岩櫃城ほど、天然の地形を巧みに利用した山城は珍しいと思います。  愛知県新城市にある古宮城は、武田方の軍事拠点で、当時の技術の粋を凝らした城です。それほど高い山ではないのですが、完全に堀で囲み、山中にも縦横無尽に横堀をいれ、さらに山のほぼど真ん中に巨大な堀を設けて山を真っ二つにするという大土木工事がなされています。まさに武田流の理想の城を具現化した山城です。古宮城は、巨大勢力の境界域にあった「境目の城」でしたが、長篠合戦ののちは軍事的役割を終えて廃城となったので、武田氏当時の姿がよく保存されていて、「土の城でもこれだけスゴイことができるのか」と体感することができます。  新潟県上越市の春日山城は、全国の山城のなかでも、その巨大さ壮大さでは並ぶものがありません。行けども行けども曲輪が連なっていて、上杉謙信の毘沙門堂がある中心部まで、到底たどりつけません。山中に堀は少ないのですが、何しろ切岸の落差がものすごいので、とても攻める気にはなれません。 ――ほかに特徴的な山城で、「攻めたくない」城は?  日本列島にあった城の多様性を示す、北海道と沖縄の城も入れたいと思います。北海道上ノ国町の勝山館は蠣崎氏の拠点城郭で、和人の城としては最大級のものです。コシャマインとの戦いを経験した蠣崎氏は、防御を重視して夷王山の山上に城を移したと考えられています。山上からは中世の港だった大澗湾を見下ろす立地で、港を押さえる城でもあったことが分かります。尾根上にはいくつもの屋敷が立ち並ぶ、壮大な北の山城です。  沖縄県の今帰仁村にある今帰仁城は、沖縄を代表する山城の一つです。琉球王国成立前の三山時代に北山王が拠点とした城で、山上の断崖絶壁を利用した堅固な城です。曲線を描く城壁の石垣がひときわ美しいのですが、敵に対してあらゆる場所で横矢がきいていて、攻め手からすれば、まことに恐ろしい石垣です。 ■千田嘉博さん「城攻めしたくない山城」ベスト10 1位 杉山城土の城の芸術品ともいわれる緻密な縄張りで知られる山城。遺構の残存状態は良好で、堀や土塁、馬出しなどが一目でわかる。 2位 向羽黒山城東北地方随一の規模を誇る山城。技巧の限りを尽くした複雑な縄張りが特徴で、歴代城主の蘆名氏、蒲生氏、上杉氏の手が入っている。 3位 高崎山城別府湾を望む高崎山に築かれた城。豊後の守護大名大友氏の詰城と考えられている。山頂付近には土塁や主郭の跡が残っている。 4位 岩櫃城天険の要害である岩櫃山に築かれた山城。豪壮な岩山は見るものを圧倒する。主郭部分周辺の巨大な竪堀も見どころ。 5位 古宮城武田氏と徳川氏の勢力圏が接する境界域に築城された境目の城。白鳥神社の神域が含まれているため城跡の保存状態は良好。 6位 春日山城越後長尾(上杉)氏の居城。巨大な山城で、本丸下には無数の曲輪が段状に築かれていて、攻め落とすことは極めて難しい。 7位 今帰仁城沖縄の城(グスク)を代表する一つ。城壁に上ると、中国や西欧の城と同じく城壁で守る城であることがよくわかる。 8位 勝山館夷王山山麓の台地上に建つ山城。主郭内部には中央通路があり、その左右には掘っ立て柱建物が並んでいたことが発掘により判明した。 9位 岡豊城長宗我部氏の居城。畝状空堀群が特徴的。帯曲輪の城壁の外側は土で、内側に石垣を用いる特異な構造を見ることができる。 10位 信貴山城松永氏の居城で、織田信忠に攻め落とされたが、山頂から延びる複数の尾根に築かれた曲輪群は見事で、技術的には優れた山城である。 ◎千田嘉博(せんだ・よしひろ)/1963年生まれ。城郭考古学者。奈良大学教授。主に中近世の城郭の考古学的研究に取り組む。主な著書は『信長の城』(岩波新書)、『真田丸の謎』(NHK出版新書)、『城郭考古学の冒険』(幻冬舎新書)など。 (インタビュー構成/安田清人)

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    小室圭さんはひと足先に米国へ 眞子さまの病状説明で宮内庁はなぜ「批判」と言わず、「誹謗中傷」と強調したのか

     秋篠宮家の長女、眞子さま(29)と小室圭さん(30)は、今月26日に婚姻届を提出し、記者会見を行う。結婚の日が迫るなか、小室家と小室さんの母、佳代さんの元婚約者との間の金銭トラブルは解決しておらず、儀式なし一時金なしの異例の結婚。だが、宮内庁の空気は明るいようなのだ。 *      *  *  18日午前、小室圭さんが秋篠宮ご夫妻へのあいさつのため赤坂御用地にある秋篠宮邸を訪れる。この日に眞子さまとも3年2カ月ぶりに再会するという。  眞子さまと小室さんの結婚は、女性皇族の結婚時に通例行われる結婚に伴う儀式は行わず、皇籍を離脱するに伴う一時金も受け取らない「異例婚」だ。  秋篠宮さまは、昨年の誕生日の記者会見で、「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」と定めた憲法を引き合いに出し、結婚を認めると発言した。   一方で、金銭トラブルに対して国民が納得し、祝福する状況にはない以上、「納采の儀」など家同士の儀式にあたることを行わないというのが、一貫したスタンスだった。  黒田清子さんと黒田慶樹さんのように結婚後も晩さん会や祭祀に夫婦で出席するような親戚づきあいは、小室家とは行わないのではないか、とみられていた。    それだけに、小室さんが秋篠宮ご夫妻に直接会い、あいさつを行うか否かは、関心事のひとつでもあった。 「意思を通したけじめはつけるべきだ、というのが秋篠宮さまのお考え。一方で、眞子さまが後ろ指をさされることのないよう、ご両親としてできることはしてあげたいということでしょう」(宮内庁OB)  もうひとつの関心事は、米国への出発の日だ。  26日の結婚と記者会見を終えたら、小室さんは早々に日本を発ち米国での勤務に戻る――。そうした見方が有力になっている。  眞子さまは、皇籍から抜けて民間人となったあとにパスポート取得の手続きに入るため、2週間程度は日本に滞在する必要がある。小室さんが先に出発したあとは、眞子さまはひとりで出発までの準備を行うことになりそうだ。  26日に眞子さまは結婚の手続きを済ませた後、「小室眞子さん」として記者会見に臨むことになる。予定されているのは、都内の老舗ホテルだ。  思い起こせば、05年に黒田清子さんと黒田慶樹さんが挙式と披露宴、記者会見を行ったのは、帝国ホテルだった。白のシルクのロングドレスに真珠のネックレスをつけた清子さんは、「扇の間」で会見に望んだ。黒田さんとほほ笑みながら見つめ合い、こう述べた。 「黒田家の一人として、新しい生活に臨んで参りたいと思います」   清子さんの場合と異なり、眞子さまと小室さんの記者会見では、場所の選定は重要なポイントになる。金銭トラブルが解決しないまま結婚することに、国民感情として納得がいかないという空気が強いからだ。 「そうした国民感情に配慮したなかでの記者会見だけに、紀宮さまと同じ帝国ホテルで行えば、ぜいたくと批判されかねない。かといって、参加するテレビや大手メディア、雑誌や外国のプレスに対応できる会場である必要がある。『身の丈に合っている』と受け止められる場所であることが重要です」(前出のOB) そもそも天皇や皇族の記者会見は、宮内記者会があらかじめ提出した質問に対して準備した内容を回答する。その場で自由に質疑ができる関連質問もあるものの、そう厳しい質問が出ることはないのが一般的だ。 眞子さまと小室さんの記者会見は、小室さんの母親と元婚約者との金銭トラブルの説明の場としてもとらえられている。  その金銭トラブルは、結婚まで2週間を切ったいまも解決にはほど遠い状況だ。  小室家の代理人弁護士が、一部メディアの取材に、<圭さんが母親に代わってX氏と話をすることを提案し、先日お返事をいただいたので方法等について調整中です>  と回答すれば、元婚約者サイドは、「了承はしていない」とのコメントを公表するなど、事態は泥沼化する一方だ。    だが宮内庁は、金銭トラブルなど、もはや気にもかけていないような空気だという。  皇室の事情に詳しい人物は、こう明かす。 「結婚の日取りも決まって、やれやれホッとしたという空気に満ちていた。『結婚前に金銭問題にめどをつけなければいけない』といった焦りはまるで感じなかった」  この宮内庁の様子について、次のように分析する。 「というのも、金銭問題に対して国民の納得と結婚への祝福を得られていないまま突き進むことへのけじめが、異例の『儀式なし婚』となった訳です。すでにある種のペナルティを課したうえで結婚を決めた。だとすれば、何が何でも結婚前に、解決しなければならない理由はなくなったということです」  加えて、会見自体はそう厳しいものにはならないとみられている。  布石になっているのは、10月1日の会見だ。  永井良三皇室医務主管と精神科医でNTT東日本関東病院の秋山剛医師が同席し、「複雑性PTSD」と診断されたと公表した。 小室圭さんの母親の金銭トラブルに対する批判が続く中、眞子さまが、結婚に関するご自身や家族、相手とその家族への誹謗(ひぼう)中傷と感じられるできごとを長期にわたり反復的に体験したことが原因だという。眞子さまに診断を下した秋山医師は「結婚されることで、誹謗中傷と感じられる出来事がなくなれば改善が進む」と話した。  この説明に対して、一部の国民は「誹謗中傷」という言葉に敏感に反応した。誹謗中傷とは、<根拠のない悪口を言いふらして、他人を傷つけること>を指すからだ。  宮内庁の会見に同席した医師は、眞子さまが「誹謗中傷と感じる出来事」について「週刊誌報道」「ネット上のコメント」が含まれると述べているが、具体的にどの部分が「事実に基づかない誹謗中傷」であるのかを明らかにしていない。   また、宮内庁は出した眞子さまの病状と診断について説明した文章では、「批判」という言葉を一度も使っていない。  代わりに、「誹謗中傷」の単語を6度用いている。  なぜ、宮内庁は、「批判」ではなく「誹謗中傷」という言葉を選んだのか。  思い起こされるのは、1993年、皇后であった美智子さまが59歳の誕生日に公表した文書回答だ。  昭和から平成の世に移るなかで、平成流皇室に対する批判の矛先は、美智子さまに向けられた。  10月20日、誕生日の祝賀行事に出発しようとしていた美智子さまは、突然倒れて声を失った。  最終的な引き金となったのは、皇太子妃決定過程に関連した人物からの手紙という指摘もあり、皇后バッシングで声を失ったという単純な構図ではないようだ。  それでも、バッシングは美智子さまを苦悩に追いやった原因のひとつだ。   宮内記者会からの、「最近目立っている皇室批判記事についてどう思われますか」という質問に対して、美智子さまは文書でこう回答を寄せた。 <どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います。今までに私の配慮が充分でなかったり、どのようなことでも、私の言葉が人を傷つけておりましたら、許して頂きたいと思います。 しかし事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます。批判の許されない社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が、繰り返し許される社会であって欲しくはありません。幾つかの事例についてだけでも、関係者の説明がなされ、人々の納得を得られれば幸せに思います。>   「批判」とは、<人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること>(大辞泉)。対して、「バッシング」は、<打ちのめすこと。手厳しく非難すること>(同)。「批判」は、ある程度の事実に基づいた意見であり、「バッシング」は、ちょっとした根拠をもとに相手を打ちのめすニュアンスだ。  美智子さまは文書回答で、「どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います」と答えている。 「つまり、今回、眞子さまが複雑性PTSDと診断された背景について、宮内庁が『批判』という言葉を使えば、『ある程度、耳を傾け、受け止めなければならない』という含みを持ってしまう。宮内庁は、『批判』ではないと強調したかったのでしょう。だが、誹謗中傷という言葉は報道や国民を萎縮させる表現で、宮内庁がたやすく使ってよい言葉ではなかった」(前出の人物)  26日に行われる、「小室眞子さん」と小室圭さんの記者会見。メディアと「小室夫妻」のやり取りが、表面をなぞったような言葉で終わってほしくはない。 ふたりから、金銭問題について国民が納得のゆく説明がなされるのか。眞子さまは、「ねえね」と慕った黒田清子さんのようにほほ笑んで、「新しい生活に臨んで参りたいと思います」と口にすることができるのか。  眞子さまは、内親王として歩んだ30年の矜持を胸に会見に臨む。 (AERAdot.編集部 永井貴子)

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