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    巨人・中田翔の“大幅減俸”は必至 高額だった年俸はどこまで下がるのか

     巨人・中田翔にとって“勝負のオフ”がやってきた。選手として来シーズンへ向けた巻き返しとともに、大幅減俸も予想される契約更改も待ち構えている。  途中加入にも関わらず、今シーズン低迷した球団のシンボルのような存在になってしまった男は、この先どのようにチーム内で扱われるのだろうか……。  中田は今シーズン、日本ハムで後輩選手への暴力事件を起こし、その後巨人が引き取る形でトレード移籍した。周囲からの厳しい批判もあった中で入団早々から試合に出場したがシーズン最後まで期待に応えることができなかった。巨人移籍後は34試合に出場し、打率.154、3本塁打、7打点。ヤクルトとのCSファイナルステージでは、3試合目の9回2アウトから代打で出場し、明らかなボール球に手を出して空振り三振。今季を象徴しているような不甲斐ない幕切れとなった。 「良い打者だから大きな期待をしていた。しかし状態が悪いまま時間だけが過ぎチームも下降線を辿った。身体の調子も良くないという話もあったがすべてが上手くいかなかった。今のままでは来年も同じになるからオフの間に心技体をしっかり整えて欲しい。頼れるのは自分しかいない」(巨人OB) 「獲得自体に賛否両論があったのは事実。やってしまったことは良くないし移籍の過程などに納得いかない人がいるのも理解できる。でも結局のところプロは結果で取り返すしかない。結果を出していれば周囲を黙らせることもできたと思うのですが……。来季に関して球団内を含め誰もが注目しているはずです」(巨人関係者)  前所属の日本ハムが無期限出場停止の処分が下されたのにも関わらず、巨人移籍後は即座に試合に出場した。一連の経緯が明確ではなかったため世間の逆風が吹き荒れた。また高額な旧年俸を引き継いだ契約条件も大きな話題になった。  中田は今年が日本ハム時代に結んだ3年契約の3年目で、年俸は3億4000万円(以下金額は推定)。巨人は参稼報酬(年俸)期間となる2月1日から11月30日までのうち、移籍決定後の8月20日から11月30日までの103日分を日割り計算して支払うこととなった。巨人が支払う額は約3分の1に当たる約1億1500万円ほどだ。 「結果だけを見れば高すぎる。獲得自体がギャンブルだったから。タラレバになるが大活躍をしてCSを突破し、日本シリーズに進出できていれば安い買い物だった。複数年契約は今年までだから今オフは年俸を大幅に下げ、単年契約で本人に自覚を持たせないとダメ。そこまで徹底しないと中田自身が野球選手として終わる。中途半端な処遇では他選手だって納得いかないだろうしね」(巨人OB) 「原辰徳監督や編成部がどのように判断するか。昨年は108打点で打点王を獲得したものの、これまでケガに苦しむ年もあり、年間通じての出場と活躍は期待できないという声もある。減俸は当然だが、どのくらいになるかに注目が集まります。チーム全体の士気にも関わることで今オフ最大の関心ごとになります」(巨人担当記者)  今季は日本ハムと巨人でトータル73試合に出場。打率.177、7本塁打、20打点(日本ハムでは39試合に出場。打率.193、4本塁打、13打点)と大幅に成績が落ち込んだ。不祥事もあり、精神的なダメージの影響などもあったのは間違いないが、球界を代表する強打者の成績としてはあまりにも物足りない。また過去に左第5中手骨の亀裂骨折(13年)、右内転筋筋挫傷(17年)、右手母指球部挫傷(19年)など故障での離脱も少なくなかった。今年も急性腰痛で6月にチームを離脱している。コンディション面での不安も大きく野球協約の減額制限(元の年俸1億円を超える場合は40%)を超えての減俸になることは避けることはできないだろう。  過去に巨人では15年オフに杉内俊哉が5億円から5000万円へ90%の大減俸があった(この時は右股関節の手術をしたばかりで翌年に復帰が見込めないためだった)。その他にも高橋由伸が11年オフに3億5000万円から1億7000万円(51%減)、小笠原道大が12年オフに4億3000万円から7000万円(84%減)、中島宏之が19年オフに1億5000万円から2000万円(87%減)というケースもあった。 「年俸3億4000万円から減額制限40%減の2億400万円は確実。過去の例を見ても場合によっては1億円台前半ということすらも考えられ、中田にとって厳しいオフとなるでしょう。しかし全権を任される原監督の期待と信頼は変わらない。開幕に向けて一塁や外野でチャンスは与えられるはず。そこでレギュラーに定着し、シーズンで結果を残せば来オフに減額分も取り返せる。中田にとってここからが勝負です」(巨人担当記者)  今季はキャリアで最悪のシーズンとなってしまったが、来季の年齢は33歳と打者としては円熟期を迎えている中田。かつて侍ジャパンの4番を任された大砲がこのままキャリアを終えることはないはずだ。ここから再び球界を代表する打者として活躍する姿を見せてくれることに期待したい。

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    武豊騎手が「ウマ娘」ブームを語る 「よみがえってうれしい」と語った悲劇の競走馬とは

     ゲームアプリ『ウマ娘 プリティーダービー』は、実在した競走馬を美少女キャラに擬人化したコンテンツで、「Yahoo!検索大賞」や「Google Play ベスト オブ 2021」の「ベストゲーム 2021」を受賞するなど、競馬好きの中高年から若年層まで幅広い層から人気を集めている。この一大ムーブメントを「相棒」である騎手はどのように感じているのか。サイレンススズカやスペシャルウィークをはじめ、長年多くの名馬に乗ってきたレジェンド騎手の武豊さん(52)は、このブームにを喜び、NHKの番組内でもビデオメッセージを寄せていた。武さん本人にインタビューし、「ウマ娘が競馬界にもたらしたもの」について語ってもらった。 ――「ウマ娘」のブームで、競馬人気も高まっています。影響を感じてますか? ウマ娘の話題は本当によく耳にしますし、すごい影響力だなと思っています。実際、僕の周りでも、中学生ぐらいの知人の息子さんから、僕が過去に出ていたレースのことなど質問をされるようになりました。僕が乗ってきた馬たちも、たくさんキャラクターになっているからです。ウマ娘がなかった頃は、子どもたちと競馬の話をあまりしたことがなかったのに、急にいろいろ聞いてくるようになってびっくりしています。今の中学生は、スペシャルウィークやディープインパクトのレースを見たことがない世代。その世代が過去の馬に興味を持ってくれるのは、すごいことですよね。 ――ナイスネイチャなど、ウマ娘のモデルになった引退馬への寄付が倍増するといった現象も起きています。 現役時代の彼らを知らなくても、ウマ娘をきっかけにその馬のことを調べてもらえて、馬が脚光を浴びているのは嬉しいですね。引退後の馬も、支援があれば救われる。いろんなところにいい影響が出ていると思います。 ――競走馬が美少女に擬人化されることについて、当初はどんな印象を抱いていましたか? ウマ娘の立ち上げ当時、僕も「何か協力できることがあれば」ということで少し関わらせていただいたのですが、実は最初に話を聞いた時は、あまりピンとこなかったんです(笑)。馬がアニメのキャラクターになって、女の子が競馬場を駆けるというのは想像がつかなかったし、最初に登場キャラの絵を見たときは、なんだか不思議な感じでした(笑)。自分が乗ってきた馬ですから、擬人化したキャラと同一視するにはなかなか時間がかかりましたね。 ――実際の馬の特徴が、キャラの能力や性格に反映されているところもウマ娘の魅力ですね。 かつてライバル同士だった馬が作中のストーリーでもライバルとして扱われていたり、馬の個性が細部まで表現されていたりして、さすがだなと思いました。たとえばウオッカだと、寝つきが良いといった特徴まで再現されていて、面白い。おそらくですが、実際にウマ娘のコンテンツを作っている方たちは、若い頃に競馬を楽しんでいて、知っている馬たちを遊び心たっぷりに、そして細かいところまで再現してくれたのでしょう。競馬愛を感じます。 ――作中では、武さんが騎乗してきた馬も多数登場します。 立ち上げのときも「実際どういう馬でしたか」といったことを聞かれて、スペシャルウィークなど、馬について少し情報をお伝えさせていただきました。ウマ娘のおかげで僕自身も、「ああいう馬だったな、こういう馬だったな」と、過去に乗ってきた馬たちに思いを馳せることができました。たとえば、僕がたくさん乗ってきたバンブーメモリー(作中では風紀委員長を務め、直球勝負のレースを見せる)は30年以上前に活躍していた馬ですし、懐かしさを感じます。そして、サイレンススズカは足を骨折した1998年の天皇賞(秋)のレースを最後に活躍が止まってしまったので、それがウマ娘の姿でよみがえってくれたのは、僕としてはとてもうれしいです。 ――武さん自身も、アニメ第5話に実況として登場します。 騎手の自分が、まさかアニメのキャラとして解説する日が来るとは思いもしなかったです。登場したのは1回でしたが、小学4年生ぐらいの女の子から、「あ、ウマ娘のおじさんだ」って声をかけられて。ウマ娘がきっかけで知ってもらえているのはなんだか新鮮ですし、微笑ましいです。 ――レースの投票サイト「JRA IPAT」への年代別アクセス数も、20代ユーザーが今年3月ごろから急増し、60代と並ぶ水準に達しています。かつて「若者の競馬離れ」と言われていた状況もすっかり変わりましたね。 若者の獲得は競馬界の課題でしたから、そういう意味では、多くの若者が競馬に参加しているのを聞いてうれしく思っています。やはり、大きなきっかけの一つがウマ娘でしょう。ウマ娘が新たな入り口となって、今まで競馬に興味がなかった人も楽しんでくれるようになりました。新たな競馬ファンが増えれば、その方々から様々な声や要望も出てくるでしょうし、我々も気づけることがあると思います。競馬界は、より良い方向に変わっていけるはずです。 ――ウマ娘以外でも、藤田菜七子さんのような騎手が活躍していることもブームをけん引しています。 彼女をきっかけに競馬を知った人もたくさんいるはず。藤田さんをはじめ、女性ジョッキーの活躍が目立つようになり、雰囲気も明るい感じになりましたね。男女一緒に勝敗を競うスポーツも珍しいですし、そこが競馬の魅力の一つだと思います。 ――スタンドの客層も変わりました。競馬界も、女性限定のリラックススペース「UMAJO SPOT」を開設したり、子ども向けの遊具を充実させるなどし、女性や家族連れが足を運びやすい環境を作ることに注力しています。 スタンドも綺麗になり、女性だけのグループやファミリーでも行きやすい雰囲気になりました。昔はおじさんばかりでしたから、だいぶ色が変わったなと思います。家族連れで来て、子どもたちに楽しんでもらえる姿を見ると嬉しくなります。 ーーウマ娘のブームで、スタンドの雰囲気もさらに変わりそうですね。 今後どうなるのか楽しみです。ウマ娘のブームはコロナの時期と重なったので、しばらくは無観客でしたし、今も入場制限をしているので、競馬場での影響はまだダイレクトに感じられていません。コロナが落ち着いて、今後は競馬場で「ウマ娘」とコラボしたイベントのようなものができるようになればいいなと思います。 ――最後に、競馬ファンへのメッセージをお願いします。 ウマ娘をきっかけに、競馬を見に来てくれたら嬉しいですし、これが一時のブームにとどまらず、ファンが定着して未来の競馬界を後押ししてくれていることを願っています。そのためにも、僕らはいいレースをすることで、来てくれた皆さんを楽しませたい。そして今後も、アニメ・ゲームで活躍できるような新キャラを、自分たちのレースでどんどん作っていきたいなと思っています!(構成/AERA dot.編集部・飯塚大和)

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    なぜ小室眞子さんは圭さんに必死だったのか 秋篠宮さまのよそよそしさから読み解く

    「夫の方については」「面会していた時間が20分位」「何か印象に残ることというのは特にありません」――。  秋篠宮さまの56歳の誕生日会見で国民が感じたのは、長女眞子さんの夫、小室圭さんへのよそよそしさだった。   もともと秋篠宮さまは、記者会見において家族を名前で呼ぶことはほとんどない。眞子さんや佳子さま、悠仁さまについても「長女」「次女」、「長男」といった呼び方をしていた。  一方、小室圭さんについては、婚約が発表された2017年や翌18年の誕生日会見では、<小室さんの印象ですけれども>、<小室さんに関わること、これが毎週のように週刊誌等で報道されていることはー>と自然な流れで名前を出していた。それが、令和の世に移った翌19年は、<小室家とは連絡は私は取っておりません>と、どこか他人行儀な表現を選び、翌20年の会見では、「小室」という名前すら出さなかった。  そして今年。圭さんは、長女の夫という「家族」になったとはいえ、圭さんを「夫の方」と呼び、圭さんが結婚前にあいさつに訪ねてきたひとときを、「面会していた時間は20分位」と話し、距離感を感じさせる表現だった。  圭さんが秋篠宮邸を訪問した10月18日、秋篠宮夫妻は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑秋季慰霊祭への臨席という公務があった。とはいえ、数日後に結婚する娘の結婚相手と食事をともにすることもなく終了したという現実は何を物語るのか。  秋篠宮さまは先の会見で、結婚に伴う儀式を行わなわないと判断を下したのは「私の独断」だと明かした。さらに、皇室の行事が「非常に軽い」印象を与えてしまったと、苦汁をにじませた。  儀式を行わなかった理由は、小室さんが金銭トラブルについて春に公表した28枚の文書にあった。 <この春に娘の夫がかなり長い文書を出したわけですね。(略)あれを読んでどれぐらいの人が理解できるか><これはもう私の独断です、私の個人の考えとして、あれを読んでみんながすぐに状況を整理して納得できるというものではないと私は判断しました>  さらに、10月26日の結婚会見についても、自身が思う形とは異なっていたと胸中を吐露した。 <双方向での会見という形にしてほしかった><私としては自分の口からそのことについて話をして、そして質問にも答える,そういう機会があった方が良かった>  秋篠宮さまが口にしたように、金銭トラブルについての説明も本来は、小室さんが自分の口から説明すべきものだろう。小室圭さんが内親王の結婚相手として祝福できる存在足り得なかったことも、会見の言葉から伝わってくる。 こうした父親の気持ちをよそに、眞子さんは、圭さんに留学を進言しただけでなく、金銭トラブルについても一貫してかばい続けた。  なぜ、内親王がここまで必死になったのだろうか。  眞子さんとよく世間で比べられる黒田清子さんの場合も実は、結婚相手へ相当の配慮があったという。   清子さんは、当時の天皇ご夫妻の長女。内親王のなかでも、身位の高い皇女という立場だ。清子さんもまた、結婚相手である黒田慶樹さんに関する細かな情報を公表することについて、積極的ではなかった。  上皇后美智子さまや皇后雅子さまが結婚した時代は、結婚相手の家系図が報道されるのは、当たり前という感覚であった。両親はもちろん親族の職業や出身地なども詳細に、国民の知ることとなった。 「しかし清子さんからは、黒田慶樹さんと結婚するにあたり、相手がどういう人であるといった細かなことまで、自分たちから情報を提供することは、好ましくない、という考えであった」(当時の事情を知る人物)  清子さんが相手の情報をつまびらかにすることに難色を示した背景には、「皇族という立場の自分と結婚してくれる相手なのだから、迷惑をかけたくない」という考えがあったのだという。  多くの女性皇族にとって、結婚は皇室の外に出る平和的な手段でもある。ある皇族女性は、「皇室から出るためには結婚しかない」と吐露したという。佳子さまも、早く皇室を出て民間で暮らしたいとの考えを持っているとの話も聞こえてくる。  皇室に仕えてきた人物は、こう分析する。 「皇族と結婚する相手は、マスコミに追いかけられ、プライバシーもない生活に巻き込まれる。そうしたリスクを受け入れても自分と結婚してくれる相手は、できる限り守りたいという心情をお持ちになるのは、自然なことです。秋篠宮さまの会見からは、小室圭さんに対する複雑な心境が明確に伝わりました。一方で、眞子さんは、世間には不自然に思えるほど相手をかばい続けました。逆にいえば、皇族が『私のような立場にある女性と結婚してくれる相手』という心情にならざるを得ないほど、追い込まれている現実がある、ということでしょう」  秋篠宮さまも、眞子さんの結婚が「皇室に影響を与えた」と懸念を口にしていた。眞子さんの結婚騒動は、皇室と国民の距離の変化を世間に知らしめた。  若い世代の皇族は、令和という時代のなかで「皇室にあるべき姿」を模索しなければならないのだろう。 (AERAdot.編集部 永井貴子)

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    戦力外通告を受けたけど… 他球団でまだまだ“活躍できそう”な選手は誰だ!

     10月11日に行われたドラフト会議では支配下、育成合わせて128人の選手が指名を受けたが、プロ野球の世界に入ってくる選手がいるということは逆にユニフォームを脱ぐ選手もいるということである。既に各球団では俗に言う“戦力外通告”が行われており、ここ数日は引退試合のニュースも増えている。しかしその一方で他球団での現役続行を希望する選手も少なくない。今回は現時点で自由契約が発表された選手の中から、まだ戦力になる可能性を秘めた選手がいないか探ってみたいと思う。  まず投手で申し分ない実績を誇るのが吉田一将(オリックス)だ。2013年のドラフト1位で入団すると、1年目には先発として5勝をマーク。2年目のシーズン途中から中継ぎに転向すると、2016年には5勝21ホールド、2018年にも3勝21ホールドとブルペン陣を支える存在となった。2019年以降は年々成績を落とし、今年は二軍でも防御率7点台と結果を残すことができず、プロ入り後初となる一軍登板なしに終わったが、通算226試合に登板している実績は貴重である。何かきっかけをつかめばまだ復活する可能性も十分にありそうだ。  投手では渡辺雄大(ソフトバンク)と三ツ間卓也(中日)の2人も面白い。渡辺は青山学院大では実績はなかったものの、BCリーグの新潟で力をつけて26歳となる2017年のドラフト育成6位でソフトバンクに入団。二軍、三軍で実績を残して昨年8月に支配下登録されている。その後は肘の故障もあって一軍登板は3試合にとどまったものの、今年も二軍では34試合に登板して防御率1.67と安定した成績を残している。左のサイドスローから投げ込むスライダーは打者の手元で鋭く変化し、左バッターにはかなり厄介なボールとなっている。戦力外が報じられたのは今朝で、今後についての意向は不明だが、貴重な左の中継ぎとして需要の高い選手であることは間違いない。青山学院大時代の同期である杉本裕太郎(オリックス)が今年大ブレイクを果たしただけに、渡辺もここからもう一花咲かせることを期待したいところだ。  三ツ間は渡辺と同じくBCリーグの武蔵で力をつけて2015年の育成ドラフト3位で中日に入団。1年目のオフに支配下登録されると2017年には35試合に登板して2勝11ホールド、2019年にも29試合に登板して2勝4ホールドとブルペン陣を支える1人として結果を残している。また昨年7月のヤクルト戦では延長戦でベンチにいた野手を使い果たしていたため、代打として出場して話題となった。今年は二軍でも29試合に登板して防御率は4.05に終わっているが、チームトップタイとなる5セーブをマーク。WHIPも0.98と投球内容自体は決して悪くない。本人も現役続行の意思を表明しており、中継ぎ陣の苦しい球団にとっては狙い目の選手となりそうだ。  野手で圧倒的な実績を誇るのが藤田一也(楽天)だ。プロ入り8年目の2012年シーズン途中にDeNAから楽天に移籍したことをきっかけに才能が開花。これまで2度のベストナインと3度のゴールデングラブ賞に輝き、パ・リーグを代表するセカンドとして長年活躍を見せている。2019年以降は浅村栄斗の加入もあって出場機会が減少し、今年は一軍出場なしに終わった。功労者ということでチームもポストを用意していたとのことだが、本人は現役続行を希望して自由契約となっている。  多くのファンを魅了してきたセカンドの守備力は天下一品で、二軍では3割近い打率もマークしているようにまだまだ力が衰えているわけではない。若手の内野手のお手本としてプレー以外でもチームのプラスになることが考えられるだけに、オファーを出す球団が出てくることも十分にありそうだ。  野手では武田健吾(中日)も注目の存在だ。今年は打率1割台だったものの、シーズンを通じて一軍に帯同し、93試合に出場するなど貴重な戦力となっていただけに、戦力外となったニュースには驚きの声も多かった。オリックス時代の2017年には97試合に出場して61安打、打率.295という成績も残しており、元々パンチ力のある打撃にも定評のある選手である。今年で27歳と年齢的にもまだ若いだけに、外野手が手薄な球団が獲得を検討する可能性もありそうだ。  一度戦力外となってから他球団との契約を勝ち取ることは容易なことではないが、今年もシーズン開幕後に宮国椋丞(DeNA)が育成契約で入団して支配下登録され、古巣の巨人を相手に勝利もマークしている。今後も戦力外となる選手の発表はまだしばらく続くことになりそうだが、1人でも多くの選手が鮮やかな復活を遂げることを期待したい。(文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員

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    「愛子さまのお気に入りは子どもの頃から変わらない」天皇一家の追っかけ主婦が語る激写20年

     愛子さまはあどけなさがあったのに、成人皇族になられて、大人びてステキな女性になられ、うれしいですね」  こう話すのはカメラを片手に天皇ご一家を28年半、追っかけてきた主婦の吉田比佐さんだ。  12月1日に20歳の誕生日を迎え、成年皇族となった愛子さま。5日には成年の祝賀行事が行われ、愛子さまのドレス姿が初お披露目となる。  5日午前は長袖で淡い色味の「ご参拝服」を身につけて皇居の宮中三殿を参拝される。その後、襟元の詰まった長袖のドレス「ローブ・モンタント」に着替えられ、天皇陛下から勲章を受けとられるという。  午後は襟元の開いた「ローブ・デコルテ」に勲章、ティアラを着用した正装姿で、両陛下に挨拶される予定だ。 「愛子さまが身につける髪飾りのティアラが話題になりましたが、ティアラには女性としてすごく憧れますね。車の中の皇族を撮る時にはティアラをしているかどうかは、私たち追っかけにとっては大きいです。ティアラをしているお姿ってなかなか見れないので、”きょうはティアラをしているかもしれない”って思うと、疲れていてもがんばって、撮影ポイントに並ぼうという気になりましたね」  今回、愛子さまはコロナ禍の影響を配慮し、天皇陛下の妹(紀宮さま)で、結婚して皇籍を離脱した黒田清子さんが所有するものを借用する。 「眞子さん、佳子さまのティアラもそれぞれ2800万円もする豪華なものでしたけれど、私の見た印象では、黒田清子さんのティアラはクラシックな印象でした。清子さんのティアラのデザイン方が好き、愛子さまはお似合いになると思います」  吉田さんは過去、ティアラをつけた皇族の撮影経験もある。 「ディアラをつけられるのは特別な日だけですね。新年の祝賀の行事の時とか、外国からお客さまが来る時の接待で宮中晩餐会にお出になられる時です」  吉田さんが、追っかけを始めたのはまだ愛子さまが生まれるずっと前、1993年6月9日の両陛下のご成婚パレードからだ。 「ご成婚パレードでは、雅子さまが1000個のダイヤをちりばめた豪華なティアラをして、ローブ・デコルテの衣装を身にまとっていました。とてもステキな写真が撮れました」  そのお姿が脳裏から離れず、雅子さまを追いかけるようになった。 「愛子さまもローブ・デコルテを新調なさるそうですね。格式のあるロングドレスで、襟元や背中が大きくカットされているそうです。愛子さまがお召しになるとどんな感じになるのかとても楽しみです」  愛子さまを生まれたばかりの幼少期から見守り続けた吉田さんは20年の歳月をこう振り返る。 「愛子さまが赤ちゃんの頃、私たちは仲間うちで“愛子ちゃま”と呼んでいました(笑)。雅子さまに抱っこされている姿が、今でもきのうのことのように目に浮かびます」  天皇陛下と雅子さまの結婚会見のとき、記者から「お子さまは何人くらい?」 と質問され、雅子さまは「家族でオーケストラが作れるような子供の数ということはおっしゃらないでください、と(陛下に)申しました」とジョークで返した。 「陛下も愛子さまも音楽がお好きです。実際に陛下がヴィオラ、愛子さまがチェロを演奏するオーケストラのコンサートに参加された時、雅子さまがご覧になっていましたね」  愛子さまは文武両道でスキー、水泳なども、お好きだという。 「御所の中では陛下と一緒にジョギングをしたりしているそうです。毎年、夏になると、ご家族で下田(静岡県)や那須(栃木県)にご静養に行かれるのですが、下田の御用邸の裏手には海があって、愛子さまはいつも真っ黒になって東京に帰って来ていましたね」  愛子さまファッションには特徴があるという。 「愛子さまは夏場には、ワンピースをけっこう着てらして、ふわっとしたフレアスカートのワンピースをよく見かけましたね。冬は赤いセーターを着たり、ピンクのブラウスを着たり、全体にフェミニンです。先日、20歳のお誕生日に愛犬の由莉(ゆり)ちゃんと一緒の映像でも、茶系のふわっとしたスカートだったので、そういう服装がお気に入りでいらっしゃるところは、子供の頃と変わらないなと思いました」  愛子さまは学習院中等科時代に”激やせ”し、体調が心配されたこともあった。 「あの時はダイエットしているやせ方とはちょっと違うのかなと思いました。雅子さまの体調にも波があって、愛子さまもお母様のことを心配されていたのではないかと思います。雅子さまは新皇后になってから、自信が取り戻せたのではないでしょうか」  2019年11月9日に行われた「天皇陛下ご即位をお祝いする国民祭典」では、嵐のパフォーマンスが行なわれ、一家団欒で楽しむ様子が放映された。 「雑誌で読んだんですが、愛子さまは嵐の相葉雅紀君の”推し”だそうですね。カラオケも歌われるのだとか」  吉田さんは94年5月、会社員の夫と結婚した。結婚前から追っかけをしていたから、夫は理解があり、朝早くから出かけても何も言わないという。  コロナ禍のステイホームにより、雅子さまや愛子さまのお出かけが減った。加えて、天皇陛下ご一家は今年9月、赤坂御所から皇居に引っ越した。 「これまでは、ご一家が赤坂御所と皇居の行き帰りを張っていれば、写真が撮れたんですが、皇居に住まわれるようになると、皇居内での宮中行事が多いですから、シャッターチャンスも減ってしまいました」  吉田さんは今年7月から就職し、平日はフルタイムで働き、平日は追っかけが難しくなったが、できる限り続けたいという。 「愛子さまは車の中でも、窓を開けてお手ふりしてくれますよ。ニコッと笑う愛子スマイルが、かわいらしい。あの笑顔を見ると、こちらも気持ちが安らぎます。これからも雅子さまとともに、愛子さまのご公務の様子も拝見できたら、嬉しいなと思っています」  愛子さまの祝賀行事の撮影現場に吉田さんはもちろん、カメラ片手に出かけるという。どんな愛子さま笑顔が撮れるのか。 (AERAdot.編集部 上田耕司)

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    若さを補って創造性を高める? アンチエイジングで注目の「NMN」、飲用で体の変化は

     老化研究の第一人者・米ワシントン大学の今井眞一郎教授が、気鋭の音楽家・渋谷慶一郎さんと初対面。今井教授が研究している、老化を抑えて寿命を延ばす可能性がある物質「NMN(ニコチンアミド・モノヌクレオチド)」について語り合った。実際にNMNサプリを引用している渋谷さんは、飲むことで夜に「抗しがたい眠気」に襲われると語るが、一方でその効果についても明かす。AERA 2021年12月6日号から。 *  *  * 【前編:日本人研究者が効果を明らかにした「抗老化物質」 摂取で「抗しがたい眠気」も】より続く 渋谷:脳や体にはダメージがないですよね。NMNの研究は、薬などの研究と比べると脳へのアプローチが違うんですか。 今井:手法的にそんなに違うことをやっているわけではないんです。でも、老化はすごく長い時間にわたって少しずつ起こる現象なので、アプローチや見る視点がちょっと違うんです。乱暴なたとえになりますが、薬は状態が弱っているところをグッと引き上げますが、老化の場合は日々少しずつ落ちていくものを落ちないようにするアプローチが重要になります。ですから、本来足りなくて弱っているところに補充して、もともとあった状態に戻すということになるんです。 渋谷:脳や体力へのダメージのなさというのが新しいなと。今までなら、徹夜で作業をするときは滋養強壮剤やコーヒーを飲んだりしていましたが、後で必ずダメージが襲ってきて倍くらい疲れてしまう。もっと言うと、「このステージ、作品のために全てを懸けるんだ」という時に、アーティストは相当な無理を自分に課してきた歴史があって。それが極端な形になるとドラッグや過剰なストレス、死というような悲劇、神話にもなっていました。 ■疲労中は感動しない  ただ、このような創造かダメージかという古典的な二項対立とNMNは根本的に異なっています。要するにダメージもダウンタイムもなく、調子が良く疲れにくくなるけど、抵抗できない眠気がやってくるので寝るしかない。それは元々体内にある成分を補充するというシンプルなサイクルだからなのかな?と思うのですが。 今井:頭や体が疲れていたり、弱っていたりすると、どんなにいいものを聞いても感動しませんよね。だから疲れというものが極力ない状態に置く、常に感受性の高い状態に置くというのが重要なのはよく分かります。 渋谷:はい。たとえばピアノの「ラ」の音を押したとき、「この音を初めて聞く」とマインドコントロールしてから曲を作り始めるとうまくできるんですが、それを可能にするのは端的に疲れがない状態です。だからワーカホリックな友人にNMNを薦めると非常に反応が良いです。 今井:ということは、NMNやNADが司る生体への作用が、芸術家の創造性にも影響を与える可能性がありますね。人間の感性を若々しく保つことによって、創造性を高める働きもあるのかもしれないと思いました。 渋谷:はい、それはあると思います。僕は今年、新作のオペラを発表して、来年公開の大きな映画音楽を1本作り、これからドバイ万博で新作のアンドロイド・オペラを発表します。こんな量の仕事はNMNがなかったら難しかったのではと思います。 今井:それはうれしいですね。私たちの研究が創造性の分野にも寄与できるのは、とても励みになります。 (構成/編集部・大川恵実)※AERA 2021年12月6日号より抜粋

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    藤浪晋太郎、武田翔太、神里和毅…「トレード要員」で他球団から評価が高い選手

     各球団が来季に向けて秋季キャンプで現有戦力の底上げを図る中、トレードも補強戦略の1つだ。今年は開幕前に巨人とヤクルトの間で田口麗斗と廣岡大志のトレードを敢行。ロッテはシーズン途中にトレードで獲得した国吉佑樹、加藤匠馬が優勝争いを繰り広げるチームに不可欠な戦力として活躍した。  復活が待たれる阪神・藤浪晋太郎は依然として他球団の評価が高い。高卒1年目から3年連続2ケタ勝利とエース格として稼働したが、制球難に悩まされて投球フォームを崩すと、その後の17~20年の4年間で計9勝のみ。  今年はオープン戦で快投を続け、プロ9年目で自身初の開幕投手に抜擢されたが、制球が不安定で4月下旬に登録抹消された。その後は救援に配置転換されたが結果を残せず、9月に登録抹消されて以降はファーム暮らし。21試合登板で3勝3敗4ホールド、防御率5.21と不本意な結果に終わった。 「パリーグの複数球団が調査していると聞いています。藤浪は巨人からロッテに移籍して輝きを取り戻した沢村拓一(レッドソックス)と重なる部分があります。制球難は技術的な問題が当然あると思いますが、精神的な部分も影響しているように感じます。環境を変えることで劇的に変わる可能性がある。あれだけのスピードボールを投げられる投手はなかなかいない。同期入団の大谷翔平(エンゼルス)に引けを取らない潜在能力を秘めているので、このまま伸び悩むのは惜しい」(スポーツ紙デスク)  他球団が今季途中にトレードで調査をしていたのがソフトバンク・武田翔太だ。高卒ルーキーの12年に8勝1敗、防御率1.07をマーク。15年に13勝、16年に14勝とエースへの階段を順調に駆け上がっていたように見えたが、近年は度重なる故障に加えて好不調の波が激しく、先発ローテーションに定着できていない。今季は12試合登板で4勝5敗、防御率2.68。7月10日にファーム降格すると、再昇格しないままシーズンを終えた。 「縦に大きく割れるドロップカーブ、縦と横の2種類のスライダーを軸にした投球スタイルで良い時は手も足も出ない。ソフトバンクは先発の軸として稼働したマルティネスが退団したので、武田をトレードで出すことは考えづらいですが、他球団に行けばエースで復活する可能性を秘めた素材です。出血覚悟で欲しい球団は多いでしょう」(スポーツ紙記者)  野手では俊足巧打が持ち味のDeNA・神里和毅の評価が高い。プロ2年目の19年に自己最多の123試合出場で打率.279、6本塁打、15盗塁をマークするなどリードオフマンとして打線を牽引したが、昨季は88試合出場で打率.191、4本塁打、15打点、4盗塁。中堅のレギュラーを桑原将志に奪われ、楠本泰史、関根大気も台頭している。  外野の中で神里の序列が下がっているが、走攻守3拍子揃ったプレースタイルでこのまま出場機会が失われるのは惜しい。最下位に沈んだDeNAは投手陣の再建が急務になっている。先発陣は大貫晋一の6勝が最多とコマ不足が深刻だ。神里をトレードで放出して、先発要員を補強する可能性は十分考えられる。  楽天から巨人に加入したウィーラー、高梨雄平が新天地で輝きを取り戻したように、トレードで野球人生が大きく変わる可能性がある。今オフに野球ファンが驚くトレードが成立するかもしれない。(安西憲春)

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    23時間前

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    15歳の茶トラ愛猫の看取りと旅立ち 「ここにおるよー」瀕死の借りぐらし猫が喪失感を埋めた

     飼い主さんの目線で猫のストーリーを紡ぐ連載「猫をたずねて三千里」。今回お話を聞かせてくれたのは、福岡県在住のヨガ講師、児玉妙子さん。自営業の夫と高齢猫とのんびり暮らしていた夏の終わり、家の前で一匹の三毛猫と出会いました。その猫は顔に大けがを負っていて、獣医師によると「傷口からしてエンジンルームでの事故」だそうです。前編・後編にわけて掲載します。今回は後編。保護から2ケ月が過ぎると、その猫と猫をとりまく環境に変化がおきました。  >>【前編:振り返った猫を見て「まさか顔に穴?」 ガリガリの一匹を保護した夫婦「どうか猫バンバンを」】から続く  <前編の記事のあらすじ> 顔に穴が空いてように大きなけがを負った野良猫。車のエンジンルームに入って事故にあったと思われました。傷は深く、生々しく治癒していない上に、病気もあり、相当厳しい状態。それでも児玉さん夫婦は見捨てることができず、保護することを決めました。先住猫いたので、隔離しながらの生活です。児玉さん夫婦は、まだ名前をつけることができず、親しみを込めて「あいつ」と呼んでいました。 *  *  * 保護から2ケ月、「あいつ」に変化が起きました。 「あいつ」は玄関でひとりでいる時に、にゃあにゃあと鳴くようになったのです。ごはんをあげる時の狂わんばかりのトーンとは違う感じの声です。人恋しい、とでもいうような。  もしかしたら、わが家にきて、外の生活では感じなかった「さみしい」という感情に出会ってしまったのかもしれません。大けがをしてしんどい時に、そばに人間でもなんでもいた方が気がまぎれるとか、そんな感じなのでしょうか。  前編でも紹介したとおり、家には15歳の「きな」という茶トラのおばあちゃん猫がいました。大けがを負った「あいつ」は、白血病ウイルスは陰性、猫エイズが陽性でした。傷がひどいので、「きな」といきなり接触させないように隔離していたのです。だから「あいつ」は玄関のケージで生活していました。  にゃあにゃあという声が玄関から聞こえると胸が痛みました。始終そばにはいられないし、まだまだ(傷の具合からしても)「きな」と一緒にできません。そこがすごくつらかった……。でも「こちらも最大限尽くすので、君も早く傷を治して、私たちや『きな』と思いきり一緒にいられるようにがんばれ」と思うようにしました。  完治するまで(お金も時間も)どれくらいかかるかわからないけど、「きれいになった顔の写真が撮れる日が早くきたらいいなあ」と思うようにもなりました。  獣医の先生は「どうなるかわからないが、鼻ぺちゃのパグみたいになるかもしれない」とおっしゃいました。私は、ニュータイプの猫さんになるかもな、と。もちろん、どんな見た目でも気にしません。猫である時点でもう、かわいいのだから。  とにかく助けた以上はなんとか命をつなぎたいし。私にできることがあれば、精いっぱいやってあげたい。まさに、これは献身のヨガ。バクティヨガです。何でも修行に結びつけてしまいますが(笑) ◆ 先住猫と同居はかなわなかったけど 一字もらって命名 「あいつ」と出会ったのは8月の終わり。9月、10月と「あいつ」が玄関のケージ内でけがの治癒に向けてがんばる一方で、部屋にいるおばあちゃん猫「きな」の状態が悪くなっていきました。もともと「きな」は慢性腎臓病を患っていたのですが、11月になり容体が悪くなり、半月ほど点滴を受けるなどして、闘病を続けました。  悟り開き系の女子猫と、おばあちゃん猫は、“合う”かもなんて同居を夢みましたが、残念ながら叶わず、「きな」は先日、息をひきとりました。  「きな」は15年前、以前住んでいたアパートの前で出会った野良の茶トラでしたが、茶トラの雌というのは珍しいそうです。わがまま放題のお姫様で、気が強くて……でも優しく、美しかった。  じつは私たち夫婦は、1月にも、茶トラの「まる」という雄猫を14歳で亡くしているんです。「まる」は、私と夫の目の前を走る車に急にぶつかり、保護した猫でした。まるで、体を張って「僕を拾って」とアピールするようでした。  『ラブストーリーは突然に』という歌がありますが、猫との出会いもいつも突然に訪れる。そして別れはいつも悲しいもの。  「まる」の最期は(都合で)夫だけで看取り、「きな」の最期は私がしっかり看取りました。ひとりぼっちで逝かせなかったことはよいのですが、いざいなくなると想像以上の喪失感でした。私たち夫婦には子どもがいませんが、子どもが巣立った後はこんな感じかなと……。  けれど「あいつ」がおなかをすかせています。「ここにおるよー」と鳴きます。「あいつ」のお世話をさせていただけるのだから、ぼんやりしてもいられません。 「きな」が旅立ったあと、「あいつ」の正式な名前を決めました。  それまで呼んでいた「あいつ」の“つ”と、「きな」の“な”をもらい、「つな」としました。  これは想像ですが、「きな」は体が悪くなる前に、扉越しに「つな」に猫語で話していたんじゃないかな。 「私、だいぶ腎臓が悪いんよ、こいつら夫婦のこと頼むよ。こいつら、猫おらんかったらダメだから」  ……そう思えるほどのがんばりを、「つな」は「きな」亡き後に、見せてくれました。 ◆「つな」の頑張りと、わたしからのお願い  12月に入り、「つな」との生活は、3カ月を越えました。獣医の先生も驚いていました。  かさぶたが取れて傷が少しよくなったので、ケアも前進。今は「つな」を洗面台に連れていき、洗浄ボトルにいれた水で顔の傷口を洗い流すようにしています。洗った後は赤ちゃん用のおしりふきで優しくぬぐい、そこに抗生剤入りの軟膏を塗り、目薬も差すようになりました。 ふつう、猫は一つの場所にとどまるのが苦手だと思うのですが、「つな」は洗面所でもおとなしくして、やはり動じません。  ただ、少し前に病院に行った時。先生が、「傷は治ってきているが、基礎疾患もあるし、年を越すのは難しいかも。怪我が治る前に病気で逝くかもな」とつぶやいたのです。  余命を突き付けられた感じです。  でも余命はあまり気にしていません。  毎日お世話をしてきて、人間とは違う猫の生命力のすごさを身に染みて感じているから。  もし「つな」が先生のいうように年を越せなかったとしても……寒くないようにして、ごはんを食べて、最期の時までゆっくりと過ごしてくれればうれしいし、もっと生きてくれるのは大歓迎。  そもそも、「つな」は、事故がなければ地域猫として、(病気を抱えながらも)外で今も自由に暮らしていたはずです。大けがを負ったのは、車=人間のせいだと思っています。  私は「つな」のけた外れのファイトを称えたいと同時に、事故に遭ったことに意味を付けたかった。だから、少し衝撃的な話だけれど、このコーナーに応募しました。  これから寒くなるにつれて、外にいる多くの猫さんが、暖を取るためにタイヤの間やエンジンルームに入りやすくなります。どうか、車に乗ったらエンジンをかける前に、車のボンネットをバンバンと叩いて猫さんに知らせる(車から出す)「猫バンバン」をしてみてください。  「つな」と私からの、お願いです。  (水野マルコ) >> 【前編:振り返った猫を見て「まさか顔に穴?」 ガリガリの一匹を保護した夫婦「どうか猫バンバンを」】を読む 【猫と飼い主さん募集】「猫をたずねて三千里」は猫好きの読者とともに作り上げる連載です。編集部と一緒にあなたの飼い猫のストーリーを紡ぎませんか? 2匹の猫のお母さんでもある、ペット取材歴25年のベテラン・水野マルコ記者が飼い主さんから話を聞いて、飼い主さんの目で、猫との出会いから今までの物語をつづります。虹の橋を渡った子のお話も大歓迎です。ぜひ、あなたと猫の物語を教えてください。記事中、飼い主さんの名前は仮名でもOKす。飼い猫の簡単な紹介、お住まいの地域(都道府県)とともにこちらにご連絡ください。nekosanzenri@asahi.com 連載一覧はこちら>>

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    愛子さまが借りるティアラ、清子さんからの理由は「格」の違い 秋篠宮家へは逆風やまず

     天皇・皇后両陛下の長女、愛子さまが12月1日に20歳の成年を迎える。  とくに話題を集めたのは、愛子さまがティアラを新調せず、叔母の黒田清子さんのティアラを借りて祝賀行事にのぞむ、異例の成年式となることだ。宮内庁は、「コロナ禍で国民生活に影響がでていることに配慮した愛子さまが、両陛下と相談した決めた」と説明している。 「どうも、何をとってもタイミングが悪く秋篠宮家への逆風になってしまう」  そうため息をつくのは、皇室に長く仕えた人物だ。秋篠宮家の長女、眞子さんが小室圭さんと結婚したのちに渡米したばかり。  渡米前に国内で滞在したのは、渋谷区の東京メトロ外苑前駅近くにある長中期滞在者向けの高級サービスアパートメントだった。結婚によって皇籍から離れたばかりの元内親王に、所轄する警察の警備がつくのは当然のことだ。とはいえ、外出の度に報じられた結果、特別な警備体制に注目が集まった。  そしてNYでの新居の豪華さも報じられている。英タブロイド紙のデイリー・メールなどの海外紙によれば、小室夫妻の住まいは、セントラルパークやタイムズスクエアに近いヘルズ・キッチン地区にあるタワーマンションだ。2017年に建てられたばかりで、24時間対応のロビーやフィットネスルームにヨガスタジオ。スパやゴルフシュミレーションセクションなどを備えた豪華な仕様だという。  小室さんのLawClerk(法務助手)の年収は600万円程度と見られている。一方で、海外紙によれば、ワン・ベッドルームとはいえ家賃は、月額約4800ドル(55万円)と安くはない。  宮内庁関係者の間でも、眞子さんの結婚と米国移住が無事にすんではればれしたという空気と同時に、小室夫妻の先行きを案じる声もわずかに漏れてくるようだ。  そんなタイミングで宮内庁が公表したのが、愛子さまが「借りたティアラ」で祝賀行事に臨むというニュースだった。  女性皇族にとって、成人を迎えた誕生日は宮殿行事デビューの日でもある。まず皇室の祖神・天照大神などが祭られる宮中三殿に参拝し、宮殿で天皇陛下から宝冠大綬章が授与される。 ローブデコルテの正装に新調したティアラとネックレス・ブレスレット・イヤリング・勲章どめの宝飾品5点を身に着け、両陛下にあいさつするのが恒例だ。  内親王だった眞子さんの場合、ティアラと宝飾品は「和光」で2856万円、佳子さまは「ミキモト」で2793万円をかけて制作された。大正天皇のひ孫にあたる三笠宮家や高円宮家の女王方の場合は、1500万円前後だ。  ティアラなどの宝飾品は、ぜいたくをするために制作するわけではない。成年皇族は公務を担うようになり、宮殿行事や外国からの国賓や賓客を接遇する晩さん会など国際親善の場では、勲章とともに正装を持って迎えるのが礼儀だからだ。  皇后や皇太子妃は代々受け継がれるティアラなどを所有している。そのなかには、平成の時代に皇后が故・秩父宮勢津子さまから譲り受けたティアラなどもある。つまり、他の宮妃や最近では眞子さまのティアラも宮内庁に預けられている。  女性皇族の所有していたティアラもあるなかで、なぜ愛子さまは清子さんより「借りる」形になったのか。  眞子さんをはじめ、最近の女性皇族が成年を迎えた際に新調したティアラは、いずれも宮内庁が管理する公金で制作されている。そのため、公金で作られた眞子さんのティアラは、離脱とともに宮内庁に預けられた。  一方で、黒田清子さんが成年を迎えた時に、新調されたティアラと宝飾品は、天皇家の私的なお金であるお手元金で制作された。  元宮内庁関係者は、ティアラを公金で支払うようになったのは、三笠宮家の彬子さまのときからではないか、と話す。 「明治以降の近代皇室においては、天皇家も宮家も相応の財産を持っていたこともあり、宝冠など装身具は私的な費用で賄っていました。黒田清子さんのティアラもその流れだったと記憶しています。日常費で制作したものは、扱いがあいまいなところもある。昔の皇族のように、『娘に持たせてあげたい』、と結婚先で大切に保管されているものもあると聞きます」  お手元金で制作した黒田清子さんのティアラは、ご本人のものだ。そのため、「借用」という形になった。  さらには、前述したように、内親王と女王というご身位の違いによって、ティアラの金額も異なる。 「眞子さんの結婚のタイミングは、ギリギリまで読めませんでした。加えて、同じ内親王でも、天皇家の娘である愛子さまと、皇嗣家の眞子さんと佳子さまでは立場も異なる。同じ皇女である清子さんのティアラが格という点でも、相応しかったのでしょう」(皇室の事情に詳しい人物)  異例続きとなったのは、ティアラだけではない。  女性皇族、特に内親王は、二十歳の成年を迎えた際と結婚して皇籍を離れる際に会見を開き、記者の質疑に答えるのが恒例だった。  いまのところ、愛子さまの記者会見は、日程が決まっていない。成年の会見は、その成長を国民が感じる大切な機会でもある。  眞子さんが皇室を離れたいま、愛子さまへの期待は、高まっている。 (AERAdot.編集部 永井貴子)

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    よりよく老いるには「70歳が分かれ道」? 帯津医師の見解

     西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「70歳が分かれ道」。 *  *  * 【プラス】ポイント(1)よりよく老いるためには70代が重要になってくる(2)70代をプラスにとらえられるかどうかが分かれ目(3)70代だからこそできることを見つけ大切にしよう 『70歳が老化の分かれ道』(和田秀樹著、詩想社新書)という本を読みました。けっこう売れているらしいです。確かに、タイトルが気になりますね。  この本の「まえがき」にこうあります。 「人生100年時代ということが語られて久しくなりましたが、(中略)健康寿命の延びは、平均寿命の延びに追いついておらず、男女とも75歳に届いていません。要するに、70代をうまく生きないと、長生きはできてもよぼよぼとしたり、介護を受ける期間の長い高齢者になってしまうということです」  私は老化に抵抗するアンチ・エイジングには反対ですが、よりよく老いるのに、70代が重要だという考えには、賛成します。70代をどうとらえるかによって、その後の人生が変わってくると思うのです。  作家の五木寛之さんは、『百歳人生を生きるヒント』(日経プレミアシリーズ)という本のなかで、「百歳人生の後半五十年において、七十代は、まさに『人生の黄金期』といえるのではないでしょうか。あるいは、再来の青春といっていいのかもしれません」と語っています。実はご本人も、50代、60代には心身に不調があったが、70代になって少しずつ治まってきて、元気になったというのです。  そういう70代だからこそ、「七十の手習い」をしたらいいと、五木さんは勧めています。ご本人は若い頃には勉強が嫌いだったのに、50代で大学の聴講生になってみたら、学ぶことのおもしろさに目覚めたというのです。それは歳をとることの効用のひとつで、70歳になって大学に顔を出すというのは悪くない。世のため、人のためでなく、純粋に自分の楽しみのために学ぼうというのです。  また、70代には新しいことにチャレンジしようと、五木さんは言います。ご本人は「百寺巡礼」の企画に挑戦しました。百もの寺を巡る体力があるだろうかと不安だったのですが、だめだったら仕方がないと開き直って第一歩を踏み出したそうです。そうしたら、お寺を巡るたびに、心身が充実して、気力体力が整ってきたというのです。  五木さんのすごいところは、あくまで70代をプラスにとらえているところです。それができるか、できないかが、その後の人生の分かれ目だと思います。  私自身は、がん患者さんよりも一歩でも二歩でも死に近いところに自分を置こうと「今日が最後の日と思って生きたい」と考えていたのですが、60代のときは無理でした。70歳を過ぎて、やっとその心境になったのです。長年続けている太極拳も70代になってから、本当に価値がわかるようになってきました。  70代だからこそできることがあります。それを大切にしましょう。 帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中※週刊朝日  2021年12月10日号

    週刊朝日

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    結婚5年半「一度も肉体関係がない」と告白した36歳女性 鴻上尚史がいくつもの質問で浮かび上がらせた“悩みの本質”

     結婚して5年半、「私は怖がり、痛がりで、一度も性交がない」と告白した36歳女性。「私のような者は存在するのか」と苦しむ相談者に、鴻上尚史がまず訊ねた「大切な質問」とは。 【相談124】結婚して5年半になります。交際以来、一度も肉体関係がありません(36歳 女性 こに)  鴻上さん、はじめまして。悩みに悩み、ご相談させて頂きます。私は、結婚して5年半になる女性です。25歳の頃、夫とお付き合いをはじめて、5年3カ月ほどで結婚に至りました。共働きですが、休日が重なることが多く、物理的にも常にすれ違いということはありません。また、夫婦仲は良く、お互いに仕事のグチをこぼしあったり、家事を協力して行ったりと、どこにでもいる夫婦だろうと思います。  ただひとつのことを除いては……。実は、交際が始まってからこれまでずっと、一度も肉体関係がないのです。もっといえば、生まれてから一度も、夫に限らず、私はそういった体験がありません。私は、とにかく怖がり、痛がりで、一番の原因はそこだろうと思うのです。あとは、分からないというのも正直なところです。どうして自分はこんななのだろう、情けない、辛い、悲しい、申し訳ない、悔しい、どこかおかしいのではないか……そういった思いが常にあり、毎日苦しいです。  子どもが欲しいという気持ちも強く、年齢のこともあるので焦りもかなりあり、夫と共に、少しずつそういったことにつながるようなスキンシップをとるようにしていますが、なぜ他の人が当たり前にできることが自分だけできないのかと辛いです。これまでに性的なことでトラウマになるような体験はありません(レイプや痴漢など)。  このことは、夫と信頼できる元同僚一人しか知らず、親や親戚は、そんなことは夢にも思っていないと思います。子どもができにくいのかなと思っていると思います。職場の上司にも子どもが欲しい旨は伝えており、気にせず休んだらいいんだからとあたたかい言葉を頂いています。まわりを騙しているようで心苦しいです。よく若いカップル(女性側)の話で、結婚までは性行為をしたくない、恐怖があるという話を聞きます。子どもが欲しくても、身体のことでできないという方がいらっしゃるのは、もちろん知っています。  しかし、結婚し、仲が悪いわけでもなく、トラウマがあるわけでもなく、物理的に時間がないわけでもなく……行為が何年も、1回も、できないという私は、異常だと思います。どうにかできるようになりたい、子どもも欲しい、その気持ちは確かであり非常に強いものなのです。世の中に、私のような者は存在するのでしょうか。できずに一生を終えることもありうるのでしょうか……。夫は、自分がうまくリードできてない、毎晩スキンシップを重ねていくなかで前進していると自分は思っている、大好きだということは言ってくれています。 【鴻上さんの答え】 こにさん。大変な相談ですが、じつは、この文章だけではまだよく分かりません。「私は、とにかく怖がり、痛がりで」と書かれていますが、具体的にどういう風にできないのかが分かりません。「分からないというのも正直なところです」と書かれていますが、自分の精神状態が分からないのか、身体的な理由が分からないのか、何がどう分からないのかが重要だと思います。  先に言えば、肉体関係を持たなくても子供を作ることは可能です。ネットで調べれば、すぐにいろんな方法が出てきます。ですから、子供を作るために肉体関係を持たなければ、と焦ることはないと思います。  それよりは、「どうしてできないのか?」をゆっくりと探っていくことが大切だと思います。  こにさん。僕はカウンセリングを受けることをお勧めします。恥ずかしいと思われるかもしれませんが、僕に相談しても、結局、一人で悶々としていては、解決の方法は見つからないと思います。  どのレベルで肉体関係が持てないのか、そもそも肉体関係に興味がないのか、肉体関係を持とうとするとどういう精神状態になるのか。身体的にはどんな拒否反応を見せるのか。 「LGBTQ+」の分類に、「アセクシュアル」があります。「恋愛感情の有無に関わらず、他者への性的欲求を経験しない人」です。恋愛感情も性的欲求も感じない人もいれば、恋愛感情はあるけれど、性的欲求をまったく感じない人もいます。統計的には、一定数、アセクシュアルの人はいて、別に珍しいことではないのです。  こにさんは、性的欲求はありますか? それとも、「肉体関係は必要だ」と頭で思っているけれど、具体的な欲求はあまり感じませんか? 「夫婦は肉体関係があるもの。ないことはとてもおかしい」と頭から決めつけて、自分の欲求とか感覚を無視していますか? それとも、はっきりとした性的欲求はありますか? 大切な質問ですが、マスターベーションはしますか? したことはありませんか?  ね、尋ねたいことは山ほどあるのです。ですから、この相談の文章だけだと何も分からないのです。  こにさんのような状態は、珍しくないと思います。みんな、性的なことは恥ずかしいから黙っているだけです。ぜひ、メンタルクリニックか心療内科、精神科のカウンセリングを受けることをお勧めします。  僕に相談のメールを送れたんです。カウンセリングを受けるのは、あとちょっとした勇気です。  ぜひ、一人で悩まず、相談して下さい。きっと、何かが見えてくると思いますよ。 ■本連載の書籍化第3弾!『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』が発売中です!

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    小室圭さん帰国便同乗者が目撃した姿「彼はまるでエグゼクティブ」 自宅前では深々とお辞儀

    颯爽と歩きながら、小室圭さんがアメリカから帰国した。日本の地を踏むのは2018年8月に渡米して以来、3年2か月ぶりだ。  成田空港は多数の報道関係者が集まっており、ピリピリムード。報道陣に対して、カメラのフラッシュ禁止、声掛けも禁止といった規制が敷かれていた。報道関係者からは「どうして?」と不満の声も漏れていた。  午後3時20分過ぎ、成田空港に飛行機が到着。一般客が飛行機から降りたあと、小室さんが、報道陣の前に姿を現した。警護と思われる男性やキャビンアテンダント(CA)の女性などに囲まれていた。キャリーバックを転がしながら、白マスクに、濃紺のスーツ、ストライプの入ったシャツ、ノーネクタイといういで立ちで、髪の毛は後ろに縛っていた。  飛行機から出てきた小室さんは報道陣に一礼したあと、新型コロナウイルスの抗原検査、そして入国手続きに進んだと見られる。  小室さんは機内でどのような様子だったのか。偶然、同乗していた男性(51)に話を聞くことができた。 「私がファーストクラスで座っていると、ドアが閉まるギリギリになって小室さんが搭乗してきました。まるでエグゼクティブのようでした。後ろの髪を結っていたので、すぐに彼だとわかりましたね。彼一人に女性CAが2人くらいついて、会話しながら案内されて入ってきました」  当初はエコノミークラスのチケットを買ったと報じられていたが、この男性はこう語る。 「右の列のビジネスクラスの前方の席で、窓際に座っていましたね。私の席から右斜め後ろのほうの席でした。ただ、カーテンでファーストクラスとは仕切られていたので彼の表情などはわからなかったです」  男性は飛行機から降りた後、抗原検査のために、大きめの部屋に移ったという。40分ほどその部屋に滞在したが、そこに小室さんの姿はなかった。 「今か今かと待っていたのに、残念でした」(男性)  そのころ、到着ロビーには多数の報道陣のほか、「皇室系Youtuber」といったタスキをかけた人物や一般客も小室さんの姿を一目見ようと集まっていた。その数、50~60人ほど。  津田沼から来たという白髪交じりの一般男性は手にハンディカムを持ち、小室さんを待ち構えていた。妻に頼まれて自宅で見るために撮りに来たという。  しかし、小室さんは一般客が使う到着ロビーを通らず、地下駐車場から車に乗り込み、成田空港を後にした。「地下駐車場から空港を出たらしい」と男性に知らせると、「こんなに待っていたのに……」と不満げな様子だった。  小室さんを乗せた乗用車が向かった先は、母・佳代さんが住む横浜の自宅だった。自宅前は朝から報道陣が詰めかけ、警察は臨時の派出所を設置し、周辺警備に当たるなど、ものものしい雰囲気が漂っていた。夕方には100人を超える報道陣が押し寄せており、ベランダから様子を一目見ようとする住民の姿も見られた。  19時過ぎ、小室さんを乗せた車が到着。警察が後部座席のドアを開け、車から出てきた。小室さんは、報道陣から「どんなお気持ちですか」と声を掛けられたが、反応は示さず、自宅マンションの入り口で2回ほど深々とお辞儀をして、黒いスーツを着た男性らと中に消えていった。  近くに住む60代の男性はこう語る。 「ヘリコプターの音がすごくて『何事か』と思って見に来た。3年前の婚約会見後のときと同じような状況だと感じましたね。小室さんがニューヨークに行ってからは、静かになっていたんだけど……。またしばらく騒々しくなるのかなと思っています。どの家庭も問題を抱えていますし、小室さんと眞子さまも早くアメリカで幸せになってほしいですね」    小室さんは今後、自宅で2週間の隔離を終え、その後、記者会見に臨むと見られている。果たして何を語るか。注目が集まる。 (AERAdot.編集部/上田耕司、飯塚大和、吉崎洋夫)

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    【写真】武豊騎手が乗りこなした「ウマ娘」モデルの名馬たち

    インタビューに応じた武豊騎手は、過去のレースで数多くの「ウマ娘」モデルの馬を乗りこなしてきた。【関連記事はこちら】武豊騎手が「ウマ娘」ブームを語る 「よみがえってうれしい」と語った悲劇の競走馬とは▼クリックすると拡大写真とレース名が表示されます

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    「無限列車編」で煉獄杏寿郎が魘夢と直接戦わなかったワケ 植朗子

    【※ネタバレ注意】以下の内容には、映画、今後放映予定のアニメ、既刊のコミックスのネタバレが含まれます。 14日、『鬼滅の刃』のアニメ「無限列車編」第5話が放送された。いよいよ無限列車編も後半にさしかかる。列車に乗り込んだ炭治郎たちは、鬼・魘夢との激闘の最中に、大きなダメージを負った。この任務には、炎柱である煉獄杏寿郎が同行していたが、彼は後輩剣士たちの援護にまわり、魘夢にとどめをさしたのは炭治郎だった。なぜ鬼殺隊実力者である煉獄が、直接、魘夢の首を斬らなかったのか。そこには煉獄の深い思慮があった。<本連載が一冊にまとめられた「鬼滅夜話」が11月19日に出版されます> ■「炎柱」が無限列車に赴いた理由  まず、無限列車に炎柱・煉獄杏寿郎(れんごく・きょうじゅろう)が赴いた理由について考えたい。鬼を滅殺するための組織・鬼殺隊(きさつたい)の戦闘の要は、「柱」と呼ばれる者たちだとされている。 「柱とは 鬼殺隊の中で 最も位の高い9名の剣士である 柱より下の階級の者たちは恐ろしい早さで殺されてゆくが 彼らは違う」(6巻・第45話「鬼殺隊柱合裁判」より)  コミックス15巻には「柱は警備担当地区が広大」で多忙であると説明されており、柱が派遣されるほどの現場は、相当な危険が予想されるところばかりだ。 <短期間のうちにこの汽車で40人以上の人が行方不明となっている! 数名の剣士を送り込んだが全員消息を絶った! だから柱である俺が来た!>(煉獄杏寿郎/7巻・第54話「こんばんは煉獄さん」)  無限列車には、鬼の実力者「十二鬼月」のうち「下弦の壱」にランキングされている鬼の魘夢(えんむ)が潜んでいた。下位クラスの鬼とは違い、血鬼術(けっきじゅつ=鬼の特殊能力)も予想以上に強力なものだった。 ■煉獄の柱としての資質の高さ  煉獄杏寿郎は、無限列車内で大量の弁当を食べ、後輩剣士たちとにぎやかに会話を交わしている。一見すると和やかな雰囲気であるが、はじめて列車に乗って興奮している伊之助(いのすけ)に対して、煉獄は「危険だぞ!いつ鬼が出てくるかわからないんだ!」と注意をうながしている。煉獄が警戒を怠らず、高い緊張感を持っていることが、このセリフからよくわかる。  炭治郎が自分の新技である「ヒノカミ神楽(かぐら)」のルーツを探すために質問しても、「だが知らん!」「この話はこれでお終いだな!!」と煉獄に一蹴されている。 <待ってください そしてどこ見てるんですか>(竈門炭治郎/7巻・第54話「こんばんは煉獄さん」)  こんなふうに炭治郎は、煉獄への相談を続けようとするが、煉獄の注意は列車内にいる鬼の気配を探ることに向けられていた。煉獄が目の焦点を炭治郎にだけ集中させなかったのは当然のことで、これは煉獄の危機管理能力の高さを示している。柱と一般隊士との意識の違いである。 ■魘夢の能力・煉獄杏寿郎の実力  しかし、煉獄がこれほど注意をはらっていても、彼らは魘夢の血鬼術(けっきじゅつ=鬼の特殊能力)に翻弄されてしまう。慎重な性格の魘夢は、自らは鬼殺隊の前になかなか姿をあらわさず、手先である人間を使って、煉獄たちを夢の中へと引きずりこんだ。  それでも煉獄と魘夢の実力差は歴然としていた。コミックス7巻の説明によると、「通常 眠り鬼の術に落ちている時 人間は体を動かすことができない」はずなのだが、煉獄は攻撃されそうになった時、「動けるはずのない術の中で」動くことができている。  煉獄の剣技、集中力の高さ、能力から考えても、彼が魘夢に直接とどめをさすことは十分に可能だった。だが、煉獄はそれを炭治郎たちに任せた。一体なぜか。 ■煉獄杏寿郎の戦い方  高速で走る列車。8両編成の長い車両。日輪刀を振りづらい狭い通路。200人の人質。魘夢は列車全体を支配しており、車内のいたるところに人間を襲う触手を発現させていた。煉獄には乗客全員の命を守る、という責務があった。それゆえ、煉獄の判断は早かった。 <俺は後方5両を守る!残りの3両は黄色い少年と竈門妹が守る 君と猪頭少年は その3両の状態に注意しつつ 鬼の頸を探せ>(煉獄杏寿郎/7巻・第60話「二百人を守る」)  煉獄の実力なら、一気に先頭車両まで駆けて、魘夢の「頸の骨」を見つけることもできた。しかしその間、炭治郎たちでは、乗客を守り切ることができない。実際に炭治郎は、車両を守っている最中に「目の前の人たちを守るので精一杯だ まずいぞ どうする」と焦っている。  この状況では、鬼を倒すことよりも乗客を守ることの方がはるかに難しいと煉獄は一瞬で理解した。そのため、煉獄は、炭治郎と伊之助に魘夢を任せて自分は車両を守ることに専念した。「乗客を1人も死なせない」という信念と共に。 ■「守りながら戦うこと」の難しさ  煉獄の判断は正しかった。善逸と禰豆子は3両の乗客を守り切り、炭治郎と伊之助は魘夢の弱点を発見して、その首を斬ることができた。煉獄は「8両編成の車両に分散している200人の乗客すべて」の命を守り切ったのだった。  しかし、この魘夢戦直後に、それ以上の実力者である「上弦の参」の鬼・猗窩座(あかざ)がやってくる。炭治郎、伊之助、善逸の実力では、猗窩座と渡り合うことは不可能。その場では、煉獄杏寿郎だけが、猗窩座と互角に戦うことができる唯一の人物だった。 <動くな!!傷が開いたら致命傷になるぞ!!待機命令!!>(煉獄杏寿郎/8巻・第63話「猗窩座」)  煉獄は1人で戦うならば、猗窩座とも十分に渡り合うことができただろう。しかし、傷ついた後輩剣士たちをかばいながら、2体目の十二鬼月と戦うのは困難を極めた。敵であるはずの猗窩座に「弱者に構うな杏寿郎!! 全力を出せ 俺に集中しろ!!」と苦言を呈されているほどだ。 ■強く優しかった“煉獄さん”  魘夢戦において、炭治郎は自分ができることに専念し、鬼の首を斬ることができた。しかし、猗窩座戦で炭治郎は何もすることができなかった。煉獄と猗窩座が到達している「地点」に、今の炭治郎では及ばなかったのだ。炭治郎は、母と弟妹の死以降、はじめて「自分が何もできないまま」に人を死なせてしまう。さらには、「自分を守るために死にゆく人」を目撃することになる。  猗窩座との戦いで致命傷をおった煉獄は、泣き叫ぶ炭治郎を優しく呼び寄せ、語りかける。列車内で聞かされていた「ヒノカミ神楽」の情報が、自分の生家になら残っているかもしれないと告げるために……。重傷の激痛に耐える中、命が燃え尽きようとするその時に、煉獄は最後まで後輩剣士のことを思いやっていた。  無限列車における煉獄の判断は、常に「人を救うこと」を最優先になされた。だからこそ、魘夢との戦いでは後方支援に回り、猗窩座戦では身を挺して炭治郎たちを守った。  この後、激化する鬼との死闘の中で、鬼殺隊の隊士たちは、それぞれに煉獄杏寿郎の姿を思い出す。それが力となって、今後もたくさんの人たちを救い続けるのだった。 ◎植朗子(うえ・あきこ)1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。AERAdot.の連載をまとめた『鬼滅夜話』(扶桑社)が11月19日に発売予定。

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    「2億円」が「400万円」に急降下も…球史に残る“大減俸”の憂き目にあった男たち

     プロ野球選手の年俸は、活躍度に応じて上昇カーブを描いていくが、ケガなどで活躍できなかったシーズンは、大物選手といえどもダウンは免れず、時には野球協約で定められている減額制限(25%。年俸1億円以上の選手は40%)を超える大幅ダウンの憂き目にあうこともある。そんな球史に残る大減俸を紹介する(金額はいずれも推定)。  前年の2億円から98%ダウンの400万円という超ド級の大減俸を味わったのが、中村紀洋だ。  2006年オフ、オリックスとの年俸交渉で左手首の故障が公傷と認められず、60%の減額提示に納得できない中村は、翌07年1月まで6回の交渉を行ったが合意に達せず、ついに自由契約となった。  中村は他球団から声がかかるのを待ちながら、孤独な自主トレを続けたあと、2月12日から中日のテスト生としてキャンプに参加。同25日、合格が決まり、育成選手として年俸400万円から再スタートすることになった。 「やっとユニホームが着られるだけでうれしい。野球小僧として頑張りたい」と意欲を新たにした中村だったが、これだけの大減俸となると、税金対策もハンパではない。同年に納める所得税は、前年の2億円をベースに約40%の8000万円程度となるため、「税金が心配で。蓄えないですよ。何が何でも1軍に上がらないといけない」と必死だった(その後、3月23日に契約金と出来高なしの年俸600万円で支配下選手契約)。  同年、中村が打率.293、20本塁打、79打点と結果を出し、チームの日本一に貢献したのは、“野球小僧効果”に加えて、「何とかして税金を払わなければ」という切羽詰まった事情も大きく後押ししたと言えなくもない。  同様のパターンでは、17年オフにソフトバンク退団後、中日にテスト入団した松坂大輔も、4億円から96%ダウンの年俸1500万円と大減俸を味わっている。  一方、所属球団は変わっていないのに、契約更改で80%を超える大減俸を受けた選手も少なくない。  巨人時代の小笠原道大もその一人だ。  FA移籍6年目の12年、出場わずか34試合、打率.152、4打点といずれも自己ワーストの成績に終わった小笠原は、4億3000万円から84%ダウンの7000万円でサインした。  3億6000万円もの大減俸は、同一球団在籍の選手では、10年オフの松中信彦(ソフトバンク)、11年オフの清水直行(DeNA)の2億円を大幅に上回る史上最大の減額だった。10年オフに2年契約を結んだ小笠原は、前年の成績ダウンにもかかわらず、年俸が変わらなかった分、一気にそのリバウンドが来た形だ。 「2年(主力で)やってませんのでね、大方の予想はしていましたけど、契約してもらえるだけで良かったという気持ちで、サインをして、もう来季に頑張ろうという、心一新にして、真っさら状態というか、ゼロからのスタートというか、もう一度スタートを切る感じでやっていきたい」。  そう言って、出直しを誓った小笠原だったが、すでに39歳と年齢的にピークを過ぎていたこともあり、翌13年も22試合出場で終わり、シーズン後、中日に移籍した。  この小笠原を超える大減俸となったのが、15年オフの巨人・杉内俊哉だ。  11年オフにソフトバンクからFA移籍し、巨人と4年20億円の大型契約を結んだ杉内は、契約最終年の15年も前半に6勝を挙げたが、7月後半に右股関節故障で戦線離脱。10月に手術を受け、そのままシーズンを終えた。  さらに翌16年も前半戦の登板が絶望であることから、5億円から4億5000万円(90%)ダウンの5000万円プラス出来高でサインした。  在籍4年間で計39勝と“5億円プレーヤー”に見合う成績を残せず、「球団やチームメイトに迷惑をかけ、ファンの皆様の期待を裏切ってしまった」と申し訳なく思った杉内が自ら基本年俸を抑え、出来高をつける契約を申し出たもの。  ただし、設定された出来高をすべてクリアすれば、減額分もある程度カバーできる契約内容だった。  杉内自身も「来年以降も巨人軍の背番号18に恥じないピッチングをお見せしていけるよう頑張っていきたい」と復活を期したが、その後も17年に左肩を痛めるなど苦闘の日々が続き、18年まで3年間、1軍登板がないまま、「これ以上は僕のわがままになってしまう」と現役引退。最終年の年俸は2500万円まで下がっていた。  最後に登場するのは、史上最大級の減俸にもめげず、現役生活の最後にもうひと花咲かせた中日・岩瀬仁紀だ。  15年オフ、3億円から2億5000万円(83%)ダウンの5000万円でサインしたが、この時点では、まだ杉内の契約更改が済んでいなかったので、前出の小笠原に次ぐ「史上2番目の大減俸」と報じられた。  前人未到の通算402セーブを挙げた史上最強守護神も、同年は左肘故障で1軍登板ゼロ。「今年1年は何もしていないので、そのぐらいの額になることを覚悟していました」と素直に現実を受け入れた。  そして、「ケガで終わりたくなかった。来年、『あのとき辞めなくて良かった』と思いたい」と現役続行にかけた岩瀬は、翌16年に引退危機を乗り越えると、17年は50試合に登板し、年俸も7500万円にアップ。  さらに43歳になった現役最終年の18年も48試合に登板し、NPB史上最多の通算1002試合登板を達成。通算セーブも「407」まで更新し、見事有終の美を飾った。(文・久保田龍雄) ●プロフィール久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」(野球文明叢書)。

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    16時間前

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    【ゲッターズ飯田】12月6日の運勢は?五星三心占い「苦労が報われる」金の時計座

     占いは人生の伴走者。芸能界最強の占い師、ゲッターズ飯田さんの「五星三心占い」が、あなたが自分らしく日々を送るためのお手伝いをします。12タイプ別に、毎週月曜日にその日の運勢、毎月5のつく日(毎月5、15、25日)に開運のつぶやきをお届けします。※年内は開運のつぶやきは12月15日、25に配信。 【タイプチェッカー】あなたはどのタイプ?自分のタイプを調べる 【金の羅針盤座】生活リズムを変えるとやる気がわいてきます。好奇心の赴くままに行動すると、貴重な経験ができるかもしれません。少し勇気を出して、気になっていた人に話しかけてみるのもいいでしょう。 【銀の羅針盤座】身近にある不用品を片付けておきましょう。すぐに使わない資料や道具は、机や棚にしまって。もう使わないものは捨ててください。ただし大切なものが混在しているかも。捨てる前によく確認を。  【金のインディアン座】難しそうなことでも「できない」と決めつけるのはNG。「誰かがやっているなら自分もできるかも」と気楽に考えて挑戦すると、よい結果が出るでしょう。何事も簡単にはできません。プロとして働く自分に自信をもって。 【銀のインディアン座】新しい仕事が舞い込んできそう。いままでのメンバーとは違うチームを組む場合もあるでしょう。遠慮したり臆したりせずに流れに乗って、新しい環境を楽しみましょう。大きな成長が期待できます。 【金の鳳凰座】想像していなかった人から助けを求められそう。手を貸すと感謝されて、今後よい関係を築けます。ほかにも頼られることが増える予感。できる限り協力するとよいでしょう。 【銀の鳳凰座】疲れがたまりそう。小さなことでイライラして、不機嫌な態度が表に出てしまいます。深呼吸をして、心を落ち着かせるようにしましょう。仕事で疲れているのは自分だけではないことを忘れないで。 【金の時計座】これまでの苦労が報われます。ただし、ここで手を抜くと運気の流れを逃してしまいます。小さなことにも本気で取り組みましょう。大きなチャンスをつかめます。 ※毎週月曜日に占いが届きます!AERAdot.の公式LINEの友達申請はこちら↓↓↓https://lin.ee/trWiCvV 【銀の時計座】寝坊や忘れ物など、自分でも信じられないようなミスをしてしまうかも。早めの行動と確認作業を怠らなければ、トラブルを回避できます。小さな段差につまずいて転ばないように要注意。 【金のカメレオン座】午前中は集中力を発揮できます。昼食後は、眠気が襲ってやる気を失ってしまう予感。気が抜けているときに限って、重要な仕事が入ってきます。いつまでもボーッとしていないで気を引き締め直してください。 【銀のカメレオン座】今後を大きく左右する日。突然辞令が出たり、仕事の流れが大きく変わる出来事が起きたりしそうです。商談や契約がうまくまとまり、自信がつくことも。何事も先回りして行動するといいでしょう。 【金のイルカ座】予想外のアクシデントに巻き込まれてしまうかも。自分とは関係のないことで責任を負わされてしまうことも。反論すると言い訳をしていると思われるので、グッと我慢して冷静に解決策を考えて。 【銀のイルカ座】判断ミスをしやすい日。周囲からのアドバイスを素直に聞き入れなかったことが原因かも。耳の痛い言葉を無視せず、しっかり反省しましょう。相手が部下や後輩であっても、正しいと思う意見は真摯に受け止めてください。 (『ゲッターズ飯田の五星三心占い2022』より一部抜粋) ※毎週月曜日に占いが届きます!AERAdot.の公式LINEの友達申請はこちら↓↓↓https://lin.ee/trWiCvV

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    3時間前

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    日本はなぜ、フランスのように動物愛護法で犬猫を守れないのか 繰り返される政争

     冷たい雨が降っていた9月2日、長野県松本市内の山中にある繁殖業者「アニマル桃太郎」の繁殖場では早朝から、長野県警の捜査員らによる家宅捜索が行われていた。2階建ての建屋の中には、繁殖用の犬約500匹が狭いケージに詰め込まれていた。  犬たちの激しい鳴き声が響き渡る中、トイプードルやポメラニアン、柴犬などが次々に運び出されてくる。遠目にも、多くが薄汚れていて、長毛種では体が毛玉に覆われているものもいるのがわかる。防護服に身を包んで出入りする捜査員の一人は、「中は臭くて息ができない。吐きそうだ」と話した。  同県警は11月4日、十数年以上前から犬の繁殖業を営んでいた男ら2人を動物愛護法違反(虐待)容疑で逮捕した。劣悪な環境で衰弱させたり、病気になったのに適切な処置をしなかったりして362匹を虐待した疑いがある。男らは、市内2カ所で計約1千匹を飼育し、繁殖した子犬を埼玉県内のペットオークション(競り市)を利用してペットショップに販売していたという。  フランスで11月18日、2024年以降にペットショップでの犬猫の販売を禁じる動物愛護法が成立した。一方で日本では、アニマル桃太郎のような劣悪な繁殖業者が長く営業を続け、そこで繁殖された子犬や子猫が全国のペットショップで売られている。日本でも、繁殖業者やペットショップに対する規制の強化は、過去4回の動物愛護法改正のたびに議論されてきた。だが、ペット関連の業界団体の激しい抵抗により、思うように規制強化が進んでこなかった現実がある。  12年の動物愛護法改正の際には、幼すぎる子犬・子猫の心身の健康を守るため、生後56日を超えるまで販売を禁じる「8週齢規制」の導入が検討された。  8週齢規制には、ペットショップでの販売状況を適正化する効果も期待されていた。子犬・子猫にぬいぐるみのようなかわいさがあるとされる生後40~50日ごろにショップ店頭に陳列できなくなり、消費者の衝動買いを抑制できる。  離乳後も一定期間、繁殖業者のもとで飼育しなければならないため、人手やスペースの問題から、これまでのような大量繁殖はしにくくなるとも見られている。  米、英、フランス、ドイツなど欧米先進国の多くで以前から導入されていた。特に英国イングランドでは20年から、生後6カ月未満の子犬・子猫を大手業者が売買するのを原則禁止。実質的にペットショップでの展示販売を困難なものにすると、期待されている。  日本でも子犬・子猫の大量繁殖、大量販売が行いにくくなると危機感を募らせたペット業界は強く反発した。このときの改正では結局、動物愛護法の本則に8週齢規制が盛り込まれたのだが、二つの「附則」がつけられ、「骨抜き」にされてしまった。  法律上は8週齢規制が実現したはずなのに、附則により、販売禁止の期間が当初3年間は生後45日まで、4年目からは生後49日までとされたのだ。しかも、「別に法律で定める」ことがない限り、販売禁止期間は56日にはならない。「全国ペット協会」や「ペットフード協会」、「ジャパンケネルクラブ」などの業界団体が一致団結してこぞって反対。政治家らに強く働きかけた結果だった。  19年の4度目の動物愛護法改正の際にも、ペット関連の業界団体は積極的に動いた。このときのテーマは大きく二つ。8週齢規制の完全実施と、ペットショップや繁殖業者の飼育環境について数値を盛り込んだ具体的な規制(数値規制)を導入することだった。ペット業界は、ペットフード協会の石山恒会長(当時)が中心となって16年、全国ペット協会など10団体とアニコム損害保険など業界関連企業6社(いずれも当時)による新団体「犬猫適正飼養推進協議会」を設立。人と資金を結集して規制強化に反対した。  一方、超党派の「犬猫の殺処分ゼロをめざす動物愛護議員連盟」(会長=尾辻秀久参院議員)が中心となって改正案を取りまとめていく過程で、演出家の宮本亞門さんや音楽評論家の湯川れい子さん、俳優の浅田美代子さん、とよた真帆さん、杉本彩さん、ミュージシャンの世良公則さんら影響力のある著名人が次々と規制の重要性を発信。社会的に、規制導入を後押しする声が高まった。こうした流れを受けて、19年に入るとペットショップチェーン大手のコジマやAHB、ペッツファーストが次々と規制に賛成の姿勢を表明。マイクロチップ装着義務化を目指していた日本獣医師会も、8週齢規制容認に転じた。  ペット業界側も自民党の政治家に多額の献金をするなどして働きかけを強めたが、19年6月、改正動物愛護法が成立。環境省令による数値規制導入が実現することとなり、8週齢規制の附則も削除された。ただ「どんでん返し」もあった。8週齢規制について、岸信夫衆院議員が会長(当時)を務める「日本犬保存会」と遠藤敬衆院議員が会長を務める「秋田犬保存会」が反対の姿勢を堅持。法案を取りまとめる最後の段階で、超党派議連側が譲る形で、柴犬や秋田犬など日本犬6種についてだけ、生後49日を超えれば繁殖業者が消費者に直接販売できるよう、またも「附則」がつけられてしまった。  犬猫適正飼養推進協議会は法改正後も粘った。数値規制の具体的な内容は省令で定めることになったため、今度は、その規制水準を巡ってロビー活動を始めた。19年11月、中央環境審議会動物愛護部会に出席した石山会長は、犬の寝床の大きさとして「高さ=体高×1・3」「幅=体高×1・1」という、犬がほとんど身動きできない数値を主張するなど激しく抵抗。「犬や猫に携わる多くの人々の営みに重大な影響を及ぼす」などとして、政治家に働きかけたり、複数のメディアに意見広告を掲載したりした。  こうしたなかで環境省は昨年、英国やドイツ、フランスなどの規制のあり方を参考にしつつ、国内の動物行動学の専門家からの知見を集めて、省令を取りまとめた。従業員1人あたりの上限飼育数を繁殖用の犬では15匹、猫では25匹までとし、メスを交配に使えるのは原則6歳までにするなど、一定の前進は見られた。  ただ、特に問題視されていた、繁殖業者が狭いケージに入れっぱなしにする詰め込み飼育への対策としては、平飼い用ケージの面積を体長30センチの犬なら最低「1・62平方メートル」とし、そこに2匹まで入れられるという内容になった。すべての犬の飼い主を対象に規制を定めるドイツでは、体高50センチまでの小型犬用の平飼いケージの広さは、1匹あたり最低「6平方メートル」と規定。また、業者を規制対象とするフランスでは、犬1匹あたり最低「5平方メートル」だ。日本の規制は、これらの半分にも満たない。  さらに交配の上限年齢やケージの面積(容積)については、施行までに1年の猶予期間を設定。従業員1人あたりの上限飼育数に至っては、完全施行を24年6月まで先送りした。ペット業界への影響を考慮した結果だ。    そのうえ環境省は、従業員の数え方に関して法定労働時間(1日8時間、週40時間)を持ち出し、その時間内で2人以上の職員が週に計80時間労働すれば、30匹の繁殖犬を飼育することが可能だとした。仮に、Aさんが1日8時間×5日(週40時間)、Bさんが1日4時間×5日(週20時間)、Cさんが1日4時間×5日(週20時間)働くとする。ある1日を切り出してみれば、Aさん1人で30匹の繁殖犬の面倒を見ている日もあれば、午前中4時間はBさん1人、午後の4時間はCさん1人で引き継ぐ日もありうる。環境省動物愛護管理室は「1人しかいない状態は望ましくない。勤務が偏っているような業者があれば、自治体は指導してほしい」としているが、「保育士の配置基準などと比べ、明らかに変則的な解釈」(細川敦史弁護士)になっている。  ペット関連の業界団体の力が強い日本において、19年の動物愛護法改正は、大きな前進だったことは確かだ。だがそれでも、フランスをはじめとする欧米先進国のように、ペットショップにおける大量販売、ひいては繁殖業者による大量生産を困難にし、優良な繁殖業者(ブリーダー)からの直売に誘導していこうとするほどの規制水準にはならなかった――というのが現実だ。  8週齢規制も数値を盛り込んだ新省令も今年6月に施行されている(新省令の一部を除く)。これらの規制をもってしても繁殖業者やペットショップによる飼育環境が改善されなければ、次の動物愛護法改正では、繁殖業について許可制導入が視野に入ってくると考えられる。消費者の意識の高まりが、不買運動などにつながる可能性も否定はできない。その先には、今回フランスが決断したような、ペットショップでの犬猫の販売禁止が議論の俎上(そじょう)にのることもあるかもしれない。  一方でペット業界も、巻き返しをはかってくるだろう。今年春以降、競り市の業界団体「ペットパーク流通協会」や一部の大手ペットショップチェーンなどが、自民党を支持する職域団体結成の動きを見せている。入会を呼びかける文書を入手すると、そこには「次回の法改正に向けて、ペット業界も(中略)政治的な活動が可能な組織を、検討しております」「これ以上の不利益な法律になることは避けなければなりません」「建設業や医療、保育、理容業などに続く、全国組織を形成していきます」などと書かれていた。  動物愛護法は施行後5年をめどに、見直しが行われる。5度目の改正に向けた議論は、早ければ24年にも始まると見られる。 (朝日新聞 文化くらし報道部 太田匡彦)

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    眞子さまと小室圭さんは結婚後、皇居に足を踏み入れることはできるか “サーヤ”黒田清子さんご夫婦との違い

     秋篠宮家の長女、眞子さま(29)との結婚を控えた小室圭さん(30)は18日、秋篠宮邸がある東京都港区の赤坂御用地を訪れ、秋篠宮ご夫妻に結婚のあいさつをした。眞子さまは22日に天皇・皇后両陛下、25日に上皇・上皇后両陛下に結婚の報告をするという。皇室ジャーナリストの神田秀一氏にこれらの予定ついて、その意味を読み解いてもらった。  小室さんは18日午前8時前、横浜市内の自宅マンションからスーツ姿で出てきた。右手にはカバン、左手には白い紙袋2つを持っていた。   「秋篠宮家に持っていく手土産とご夫妻や宮内庁に見せるための書類などが入っていたのではないでしょうか。アメリカで用意した手土産かもしれませんが、どんな中身かはわかりません」   後頭部で縛っていたロン毛は短く整えられていた。  「小室さんは髪型でいろいろと騒がれましたし、秋篠宮家に正式な挨拶に行くのですから、きちんとした髪型にしたのでしょう。皇室であのような頭髪であいさつをする慣習はないんですよね。民間人が皇族に会うのですから、切らざるを得なかったのでしょう」    神田氏が着目したのは小室氏を出迎えた黒いワゴン車。午前9時15分ごろ、赤坂御用地の巽門(たつみもん)へと入って行った。  「車には、宮内庁発行の門鑑(もんかん)がステッカーとしてついていましたね。ということは宮内庁が、小室さんが秋篠宮ご夫婦に会いに行くことを認めたのです。アメリカから帰国し、結婚を進める上で、あいさつだけはしておかなければ、という小室さんの考えと、宮内庁の意見が一致したのでしょうね」    8日後に迫った結婚。秋篠宮ご夫妻は、2人の結婚を認めたのだろうか。  「憲法の規定により、日本人であれば両性の合意に基づく結婚そのものをダメだとは言えない。秋篠宮ご夫妻も宮内庁も政府も同じ考えです。しかし、結婚は認めるものの、その前に解決しなくてはいけないこと、あるいは報告を受けなければいけないことがいろいろあると思います。それは今のところ未解決のままなので、秋篠宮さまとしては『挨拶にはおいでになってもかまいません。聞くことは聞きましょう。いらっしゃるというのなら待っております』というスタンスで、そこまでは許したのだと思います」    眞子さまと小室さんは3年2カ月ぶりに再会した。  「私の得た情報では、小室さんが秋篠宮ご夫妻にあいさつしをして30分後くらいに、秋篠宮邸のどこか別室で眞子さまと小室さんが会うことを許してもらえたと聞いています。眞子さまの部屋かもしれませんね。佳子さまがいらっしゃったかもしれませんが、2人だけの可能性が高いと思います」   眞子さまは22日、皇居・御所を訪れ、天皇、皇后両陛下に結婚を報告し、25日には東京都港区の仙洞仮御所を訪れ、上皇陛下と美智子さまにも結婚を報告する予定だ。現時点でそれに小室さんが同席する予定はない。  「一般の結納にあたる『納采の儀』も行っていませんし、皇籍を離脱する際に支給されるはずの『一時金』も眞子さまは辞退なさった。小室家を巡る諸問題も解決されていないので、天皇・皇后両陛下は眞子さまからの結婚報告を受けても、『体に気をつけて、元気で』とか『健康でお幸せな日々をお祈り致します』とお伝えするのにとどまるのではないでしょうか。『おめでとう』とおっしゃることはできないと思いますよ」   眞子さまは26日に婚姻届を自治体に提出し、皇籍を離脱する予定。今後、皇室との距離はどうなるのだろうか。  「皇室としての結婚を許したわけではないけれども、2人の意思で一緒になるならば致し方ないということ。もう2度と皇居に足を踏み入れることが許されなくなる可能性はありますね。サーヤの愛称で親しまれた黒田清子(さやこ)さんも結婚して皇籍を離脱しましたが、お相手の黒田さん一家には何の問題もないし、清子さんは皇室とゆかりのある伊勢神宮の祭主を務めているので、皇籍離脱後も皇居を訪れています。けれども、眞子さまの場合は、黒田さんご夫婦と同じようにはならないでしょう」    26日に予定されている記者会見はどのようなものになるのだろうか。  「報道陣と宮内庁の係官が合わせて50人くらい集まるのではないかと聞きます。警備も、コロナ対策も万全なホテルというのは限られてきます。宮内記者会、雑誌協会、外国人記者クラブで合計3問くらいの質問ではないか。それ以上、質問の声を上げ続ける記者がいるかもしれませんが、『本日の会見は終了します』と打ち切るでしょう。政治家でも誰でも、長く話すとボロが出るものですから」   会見に先立ち提出される自治体への婚姻届けについて、神田氏は次のように推測する。  「秋篠宮家から命令を受けた職員が、小室夫妻になる2人の代理人として、自治体の戸籍係のところに持って行くというふうに聞いています」   会見後、 眞子さまは年内にも渡米し、ニューヨークで新生活を始めるとみられている。お2人の行く末は……。  「ヨーロッパの王室ではこのくらいのことはあるレベルのことのようですが、日本の皇室では前代未聞の事態で、眞子さまは離婚しても、もう皇族には戻れません。幸福になるか、不幸になるかはチャレンジしてみなければわからないですね。結果は誰にもわかりません」 (AERAdot.編集部 上田耕司』

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    日本人研究者が効果を明らかにした「抗老化物質」 摂取で「抗しがたい眠気」も

     老化を抑えて寿命を延ばす可能性がある物質「NMN(ニコチンアミド・モノヌクレオチド)」が世界的に注目されている。老化研究の世界的権威・米ワシントン大学教授の今井眞一郎さんの研究がきっかけとなり、その効果が明らかになったものだ。以前から今井さんの研究に注目していたのが、音楽家の渋谷慶一郎さんだ。音楽好きの今井さんもまた、渋谷さんが作る音楽に関心を寄せていた。世界で活躍する研究者と音楽家が初対面した。AERA 2021年12月6日号から。 *  *  * 今井:実は私、音楽が好きで、趣味でピアノも弾くんです。今日は渋谷さんにお会いするのがとても楽しみでした。渋谷さんは初音ミクやAI、アンドロイドのオペラを作られています。何がきっかけでそのような領域と音楽とを融合させたのか、ぜひお伺いしたかったんです。 渋谷:2012年に初音ミクのオペラ「THE END」を発表したのが最初ですね。30代の終わりごろで、世界で勝負できる作品を作りたいと思い、インパクトのあるテーマを考えていたんですが、ボーカロイドでオペラを作ったら面白いと思いつきました。アリアやレチタティーボなどオペラの形式は守るけれども、スクリーンしかない舞台で、歌はボーカロイド、音楽は電子音楽で。オーケストラも指揮者もいない。テクノロジーだけで人間不在のオペラは、日本人にしかできないものができるんじゃないかと思ったんです。「THE END」はパリでも公演し、大成功でした。 今井:今まで試みられていないものどうしを組み合わせてみたわけですよね。その部分は、かなりサイエンスにも通じるものがあります。 ■サイエンスにも興味 渋谷:はい。僕は元々サイエンスにも興味があって、池上高志さんや石黒浩さんら研究者の友達も多いんです。抗老化に効果があるというNMNは、1年ほど前に友人から聞きました。その時に今井先生の論文も読んで、興味を持ち始めたんです。先生は30年も前から老化について研究されていますね。 今井:1987年からですね。99~2000年に「サーチュイン」というまったく新しい酵素が、老化と寿命の制御に重要だということを発見しました。研究をさらに進めると、サーチュインの活性化に必須な物質が「NAD(ニコチンアミド・アデニン・ジヌクレオチド)」と呼ばれる物質と分かったんです。 渋谷:そのNADが体内で減るから老化するんですよね? ■減るなら減らさない 今井:はい、それが今のコンセンサスになってきました。私は、NADが減ることで老化が起きるなら、「減らないように保ってやればいいんじゃないか」と思ったんです。ただ、NADを飲んで体内に取り込んでも、腸内細菌に分解されてしまう。そこでNADの一歩手前の物質で、体に取り込まれるとNADになるNMNを投与したらどうかと考え、これが大きな成果をあげました。  ――今井さんの研究で、糖尿病のマウスにNMNを与えると、糖尿病が劇的に改善することが判明。また1年間NMNを投与したマウスは、人間でいう60歳ごろになっても老化現象を抑えられることがわかったという。今年4月には、閉経後でやや肥満の糖尿病予備軍の女性にNMNを経口摂取させたところ、インスリンの感受性が約25%上がり、糖尿病が改善する可能性があることが研究発表された。ヒトへの抗老化にも大きな期待が寄せられる。 渋谷:先生の書籍『開かれたパンドラの箱』を読んで理解したことなんですが、抗老化のメカニズムには、脳の視床下部が大きく関わっているようですね。視床下部は睡眠や覚醒を司(つかさど)る部分でもあるので、NMNの投与は、睡眠の深さと同時に集中力にも関係しているんじゃないかという実感があるのですが。 今井:そこは今、まさに現在進行中の研究の一つなんです。私たちはNMNを投与したマウスの睡眠についても詳しく調べているんですが、明らかに作用があることが分かってきました。渋谷さんはNMNのサプリを飲んでいると伺いました。それを飲むと、たとえようもなく夜に眠くなってきませんか? 渋谷:なってきます。抗しがたい眠気なんですよね。 今井:NMNは「サーカディアンリズム」といって、24時間周期で、きちんと起きる、寝る、といった体の活動と非活動の状態をきっちり整える作用があるんです。 渋谷:確かに、生活スタイルが変わりました。それまでは朝5時まで作曲をして、午前9時、10時に起きるという生活だったんですが、今は朝7時にヨガのレッスンを受けるようになっていて(笑)。だから夜の12時には眠くなって寝ちゃうという。 今井:そう、夜起きていたいと思っても、眠くて眠くて仕方がない。それはサーカディアンリズムが整えられているからなんです。 >>【後編:若さを補って創造性を高める? アンチエイジングで注目の「NMN」、飲用で体の変化は】へ続く (構成/編集部・大川恵実)※AERA 2021年12月6日号より抜粋

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    2時間前

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    なぜ小室眞子さんは圭さんに必死だったのか 秋篠宮さまのよそよそしさから読み解く

    「夫の方については」「面会していた時間が20分位」「何か印象に残ることというのは特にありません」――。  秋篠宮さまの56歳の誕生日会見で国民が感じたのは、長女眞子さんの夫、小室圭さんへのよそよそしさだった。   もともと秋篠宮さまは、記者会見において家族を名前で呼ぶことはほとんどない。眞子さんや佳子さま、悠仁さまについても「長女」「次女」、「長男」といった呼び方をしていた。  一方、小室圭さんについては、婚約が発表された2017年や翌18年の誕生日会見では、<小室さんの印象ですけれども>、<小室さんに関わること、これが毎週のように週刊誌等で報道されていることはー>と自然な流れで名前を出していた。それが、令和の世に移った翌19年は、<小室家とは連絡は私は取っておりません>と、どこか他人行儀な表現を選び、翌20年の会見では、「小室」という名前すら出さなかった。  そして今年。圭さんは、長女の夫という「家族」になったとはいえ、圭さんを「夫の方」と呼び、圭さんが結婚前にあいさつに訪ねてきたひとときを、「面会していた時間は20分位」と話し、距離感を感じさせる表現だった。  圭さんが秋篠宮邸を訪問した10月18日、秋篠宮夫妻は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑秋季慰霊祭への臨席という公務があった。とはいえ、数日後に結婚する娘の結婚相手と食事をともにすることもなく終了したという現実は何を物語るのか。  秋篠宮さまは先の会見で、結婚に伴う儀式を行わなわないと判断を下したのは「私の独断」だと明かした。さらに、皇室の行事が「非常に軽い」印象を与えてしまったと、苦汁をにじませた。  儀式を行わなかった理由は、小室さんが金銭トラブルについて春に公表した28枚の文書にあった。 <この春に娘の夫がかなり長い文書を出したわけですね。(略)あれを読んでどれぐらいの人が理解できるか><これはもう私の独断です、私の個人の考えとして、あれを読んでみんながすぐに状況を整理して納得できるというものではないと私は判断しました>  さらに、10月26日の結婚会見についても、自身が思う形とは異なっていたと胸中を吐露した。 <双方向での会見という形にしてほしかった><私としては自分の口からそのことについて話をして、そして質問にも答える,そういう機会があった方が良かった>  秋篠宮さまが口にしたように、金銭トラブルについての説明も本来は、小室さんが自分の口から説明すべきものだろう。小室圭さんが内親王の結婚相手として祝福できる存在足り得なかったことも、会見の言葉から伝わってくる。 こうした父親の気持ちをよそに、眞子さんは、圭さんに留学を進言しただけでなく、金銭トラブルについても一貫してかばい続けた。  なぜ、内親王がここまで必死になったのだろうか。  眞子さんとよく世間で比べられる黒田清子さんの場合も実は、結婚相手へ相当の配慮があったという。   清子さんは、当時の天皇ご夫妻の長女。内親王のなかでも、身位の高い皇女という立場だ。清子さんもまた、結婚相手である黒田慶樹さんに関する細かな情報を公表することについて、積極的ではなかった。  上皇后美智子さまや皇后雅子さまが結婚した時代は、結婚相手の家系図が報道されるのは、当たり前という感覚であった。両親はもちろん親族の職業や出身地なども詳細に、国民の知ることとなった。 「しかし清子さんからは、黒田慶樹さんと結婚するにあたり、相手がどういう人であるといった細かなことまで、自分たちから情報を提供することは、好ましくない、という考えであった」(当時の事情を知る人物)  清子さんが相手の情報をつまびらかにすることに難色を示した背景には、「皇族という立場の自分と結婚してくれる相手なのだから、迷惑をかけたくない」という考えがあったのだという。  多くの女性皇族にとって、結婚は皇室の外に出る平和的な手段でもある。ある皇族女性は、「皇室から出るためには結婚しかない」と吐露したという。佳子さまも、早く皇室を出て民間で暮らしたいとの考えを持っているとの話も聞こえてくる。  皇室に仕えてきた人物は、こう分析する。 「皇族と結婚する相手は、マスコミに追いかけられ、プライバシーもない生活に巻き込まれる。そうしたリスクを受け入れても自分と結婚してくれる相手は、できる限り守りたいという心情をお持ちになるのは、自然なことです。秋篠宮さまの会見からは、小室圭さんに対する複雑な心境が明確に伝わりました。一方で、眞子さんは、世間には不自然に思えるほど相手をかばい続けました。逆にいえば、皇族が『私のような立場にある女性と結婚してくれる相手』という心情にならざるを得ないほど、追い込まれている現実がある、ということでしょう」  秋篠宮さまも、眞子さんの結婚が「皇室に影響を与えた」と懸念を口にしていた。眞子さんの結婚騒動は、皇室と国民の距離の変化を世間に知らしめた。  若い世代の皇族は、令和という時代のなかで「皇室にあるべき姿」を模索しなければならないのだろう。 (AERAdot.編集部 永井貴子)

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    武豊騎手が「ウマ娘」ブームを語る 「よみがえってうれしい」と語った悲劇の競走馬とは

     ゲームアプリ『ウマ娘 プリティーダービー』は、実在した競走馬を美少女キャラに擬人化したコンテンツで、「Yahoo!検索大賞」や「Google Play ベスト オブ 2021」の「ベストゲーム 2021」を受賞するなど、競馬好きの中高年から若年層まで幅広い層から人気を集めている。この一大ムーブメントを「相棒」である騎手はどのように感じているのか。サイレンススズカやスペシャルウィークをはじめ、長年多くの名馬に乗ってきたレジェンド騎手の武豊さん(52)は、このブームにを喜び、NHKの番組内でもビデオメッセージを寄せていた。武さん本人にインタビューし、「ウマ娘が競馬界にもたらしたもの」について語ってもらった。 ――「ウマ娘」のブームで、競馬人気も高まっています。影響を感じてますか? ウマ娘の話題は本当によく耳にしますし、すごい影響力だなと思っています。実際、僕の周りでも、中学生ぐらいの知人の息子さんから、僕が過去に出ていたレースのことなど質問をされるようになりました。僕が乗ってきた馬たちも、たくさんキャラクターになっているからです。ウマ娘がなかった頃は、子どもたちと競馬の話をあまりしたことがなかったのに、急にいろいろ聞いてくるようになってびっくりしています。今の中学生は、スペシャルウィークやディープインパクトのレースを見たことがない世代。その世代が過去の馬に興味を持ってくれるのは、すごいことですよね。 ――ナイスネイチャなど、ウマ娘のモデルになった引退馬への寄付が倍増するといった現象も起きています。 現役時代の彼らを知らなくても、ウマ娘をきっかけにその馬のことを調べてもらえて、馬が脚光を浴びているのは嬉しいですね。引退後の馬も、支援があれば救われる。いろんなところにいい影響が出ていると思います。 ――競走馬が美少女に擬人化されることについて、当初はどんな印象を抱いていましたか? ウマ娘の立ち上げ当時、僕も「何か協力できることがあれば」ということで少し関わらせていただいたのですが、実は最初に話を聞いた時は、あまりピンとこなかったんです(笑)。馬がアニメのキャラクターになって、女の子が競馬場を駆けるというのは想像がつかなかったし、最初に登場キャラの絵を見たときは、なんだか不思議な感じでした(笑)。自分が乗ってきた馬ですから、擬人化したキャラと同一視するにはなかなか時間がかかりましたね。 ――実際の馬の特徴が、キャラの能力や性格に反映されているところもウマ娘の魅力ですね。 かつてライバル同士だった馬が作中のストーリーでもライバルとして扱われていたり、馬の個性が細部まで表現されていたりして、さすがだなと思いました。たとえばウオッカだと、寝つきが良いといった特徴まで再現されていて、面白い。おそらくですが、実際にウマ娘のコンテンツを作っている方たちは、若い頃に競馬を楽しんでいて、知っている馬たちを遊び心たっぷりに、そして細かいところまで再現してくれたのでしょう。競馬愛を感じます。 ――作中では、武さんが騎乗してきた馬も多数登場します。 立ち上げのときも「実際どういう馬でしたか」といったことを聞かれて、スペシャルウィークなど、馬について少し情報をお伝えさせていただきました。ウマ娘のおかげで僕自身も、「ああいう馬だったな、こういう馬だったな」と、過去に乗ってきた馬たちに思いを馳せることができました。たとえば、僕がたくさん乗ってきたバンブーメモリー(作中では風紀委員長を務め、直球勝負のレースを見せる)は30年以上前に活躍していた馬ですし、懐かしさを感じます。そして、サイレンススズカは足を骨折した1998年の天皇賞(秋)のレースを最後に活躍が止まってしまったので、それがウマ娘の姿でよみがえってくれたのは、僕としてはとてもうれしいです。 ――武さん自身も、アニメ第5話に実況として登場します。 騎手の自分が、まさかアニメのキャラとして解説する日が来るとは思いもしなかったです。登場したのは1回でしたが、小学4年生ぐらいの女の子から、「あ、ウマ娘のおじさんだ」って声をかけられて。ウマ娘がきっかけで知ってもらえているのはなんだか新鮮ですし、微笑ましいです。 ――レースの投票サイト「JRA IPAT」への年代別アクセス数も、20代ユーザーが今年3月ごろから急増し、60代と並ぶ水準に達しています。かつて「若者の競馬離れ」と言われていた状況もすっかり変わりましたね。 若者の獲得は競馬界の課題でしたから、そういう意味では、多くの若者が競馬に参加しているのを聞いてうれしく思っています。やはり、大きなきっかけの一つがウマ娘でしょう。ウマ娘が新たな入り口となって、今まで競馬に興味がなかった人も楽しんでくれるようになりました。新たな競馬ファンが増えれば、その方々から様々な声や要望も出てくるでしょうし、我々も気づけることがあると思います。競馬界は、より良い方向に変わっていけるはずです。 ――ウマ娘以外でも、藤田菜七子さんのような騎手が活躍していることもブームをけん引しています。 彼女をきっかけに競馬を知った人もたくさんいるはず。藤田さんをはじめ、女性ジョッキーの活躍が目立つようになり、雰囲気も明るい感じになりましたね。男女一緒に勝敗を競うスポーツも珍しいですし、そこが競馬の魅力の一つだと思います。 ――スタンドの客層も変わりました。競馬界も、女性限定のリラックススペース「UMAJO SPOT」を開設したり、子ども向けの遊具を充実させるなどし、女性や家族連れが足を運びやすい環境を作ることに注力しています。 スタンドも綺麗になり、女性だけのグループやファミリーでも行きやすい雰囲気になりました。昔はおじさんばかりでしたから、だいぶ色が変わったなと思います。家族連れで来て、子どもたちに楽しんでもらえる姿を見ると嬉しくなります。 ーーウマ娘のブームで、スタンドの雰囲気もさらに変わりそうですね。 今後どうなるのか楽しみです。ウマ娘のブームはコロナの時期と重なったので、しばらくは無観客でしたし、今も入場制限をしているので、競馬場での影響はまだダイレクトに感じられていません。コロナが落ち着いて、今後は競馬場で「ウマ娘」とコラボしたイベントのようなものができるようになればいいなと思います。 ――最後に、競馬ファンへのメッセージをお願いします。 ウマ娘をきっかけに、競馬を見に来てくれたら嬉しいですし、これが一時のブームにとどまらず、ファンが定着して未来の競馬界を後押ししてくれていることを願っています。そのためにも、僕らはいいレースをすることで、来てくれた皆さんを楽しませたい。そして今後も、アニメ・ゲームで活躍できるような新キャラを、自分たちのレースでどんどん作っていきたいなと思っています!(構成/AERA dot.編集部・飯塚大和)

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    19時間前

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    愛子さまが借りるティアラ、清子さんからの理由は「格」の違い 秋篠宮家へは逆風やまず

     天皇・皇后両陛下の長女、愛子さまが12月1日に20歳の成年を迎える。  とくに話題を集めたのは、愛子さまがティアラを新調せず、叔母の黒田清子さんのティアラを借りて祝賀行事にのぞむ、異例の成年式となることだ。宮内庁は、「コロナ禍で国民生活に影響がでていることに配慮した愛子さまが、両陛下と相談した決めた」と説明している。 「どうも、何をとってもタイミングが悪く秋篠宮家への逆風になってしまう」  そうため息をつくのは、皇室に長く仕えた人物だ。秋篠宮家の長女、眞子さんが小室圭さんと結婚したのちに渡米したばかり。  渡米前に国内で滞在したのは、渋谷区の東京メトロ外苑前駅近くにある長中期滞在者向けの高級サービスアパートメントだった。結婚によって皇籍から離れたばかりの元内親王に、所轄する警察の警備がつくのは当然のことだ。とはいえ、外出の度に報じられた結果、特別な警備体制に注目が集まった。  そしてNYでの新居の豪華さも報じられている。英タブロイド紙のデイリー・メールなどの海外紙によれば、小室夫妻の住まいは、セントラルパークやタイムズスクエアに近いヘルズ・キッチン地区にあるタワーマンションだ。2017年に建てられたばかりで、24時間対応のロビーやフィットネスルームにヨガスタジオ。スパやゴルフシュミレーションセクションなどを備えた豪華な仕様だという。  小室さんのLawClerk(法務助手)の年収は600万円程度と見られている。一方で、海外紙によれば、ワン・ベッドルームとはいえ家賃は、月額約4800ドル(55万円)と安くはない。  宮内庁関係者の間でも、眞子さんの結婚と米国移住が無事にすんではればれしたという空気と同時に、小室夫妻の先行きを案じる声もわずかに漏れてくるようだ。  そんなタイミングで宮内庁が公表したのが、愛子さまが「借りたティアラ」で祝賀行事に臨むというニュースだった。  女性皇族にとって、成人を迎えた誕生日は宮殿行事デビューの日でもある。まず皇室の祖神・天照大神などが祭られる宮中三殿に参拝し、宮殿で天皇陛下から宝冠大綬章が授与される。 ローブデコルテの正装に新調したティアラとネックレス・ブレスレット・イヤリング・勲章どめの宝飾品5点を身に着け、両陛下にあいさつするのが恒例だ。  内親王だった眞子さんの場合、ティアラと宝飾品は「和光」で2856万円、佳子さまは「ミキモト」で2793万円をかけて制作された。大正天皇のひ孫にあたる三笠宮家や高円宮家の女王方の場合は、1500万円前後だ。  ティアラなどの宝飾品は、ぜいたくをするために制作するわけではない。成年皇族は公務を担うようになり、宮殿行事や外国からの国賓や賓客を接遇する晩さん会など国際親善の場では、勲章とともに正装を持って迎えるのが礼儀だからだ。  皇后や皇太子妃は代々受け継がれるティアラなどを所有している。そのなかには、平成の時代に皇后が故・秩父宮勢津子さまから譲り受けたティアラなどもある。つまり、他の宮妃や最近では眞子さまのティアラも宮内庁に預けられている。  女性皇族の所有していたティアラもあるなかで、なぜ愛子さまは清子さんより「借りる」形になったのか。  眞子さんをはじめ、最近の女性皇族が成年を迎えた際に新調したティアラは、いずれも宮内庁が管理する公金で制作されている。そのため、公金で作られた眞子さんのティアラは、離脱とともに宮内庁に預けられた。  一方で、黒田清子さんが成年を迎えた時に、新調されたティアラと宝飾品は、天皇家の私的なお金であるお手元金で制作された。  元宮内庁関係者は、ティアラを公金で支払うようになったのは、三笠宮家の彬子さまのときからではないか、と話す。 「明治以降の近代皇室においては、天皇家も宮家も相応の財産を持っていたこともあり、宝冠など装身具は私的な費用で賄っていました。黒田清子さんのティアラもその流れだったと記憶しています。日常費で制作したものは、扱いがあいまいなところもある。昔の皇族のように、『娘に持たせてあげたい』、と結婚先で大切に保管されているものもあると聞きます」  お手元金で制作した黒田清子さんのティアラは、ご本人のものだ。そのため、「借用」という形になった。  さらには、前述したように、内親王と女王というご身位の違いによって、ティアラの金額も異なる。 「眞子さんの結婚のタイミングは、ギリギリまで読めませんでした。加えて、同じ内親王でも、天皇家の娘である愛子さまと、皇嗣家の眞子さんと佳子さまでは立場も異なる。同じ皇女である清子さんのティアラが格という点でも、相応しかったのでしょう」(皇室の事情に詳しい人物)  異例続きとなったのは、ティアラだけではない。  女性皇族、特に内親王は、二十歳の成年を迎えた際と結婚して皇籍を離れる際に会見を開き、記者の質疑に答えるのが恒例だった。  いまのところ、愛子さまの記者会見は、日程が決まっていない。成年の会見は、その成長を国民が感じる大切な機会でもある。  眞子さんが皇室を離れたいま、愛子さまへの期待は、高まっている。 (AERAdot.編集部 永井貴子)

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    巨人・中田翔の“大幅減俸”は必至 高額だった年俸はどこまで下がるのか

     巨人・中田翔にとって“勝負のオフ”がやってきた。選手として来シーズンへ向けた巻き返しとともに、大幅減俸も予想される契約更改も待ち構えている。  途中加入にも関わらず、今シーズン低迷した球団のシンボルのような存在になってしまった男は、この先どのようにチーム内で扱われるのだろうか……。  中田は今シーズン、日本ハムで後輩選手への暴力事件を起こし、その後巨人が引き取る形でトレード移籍した。周囲からの厳しい批判もあった中で入団早々から試合に出場したがシーズン最後まで期待に応えることができなかった。巨人移籍後は34試合に出場し、打率.154、3本塁打、7打点。ヤクルトとのCSファイナルステージでは、3試合目の9回2アウトから代打で出場し、明らかなボール球に手を出して空振り三振。今季を象徴しているような不甲斐ない幕切れとなった。 「良い打者だから大きな期待をしていた。しかし状態が悪いまま時間だけが過ぎチームも下降線を辿った。身体の調子も良くないという話もあったがすべてが上手くいかなかった。今のままでは来年も同じになるからオフの間に心技体をしっかり整えて欲しい。頼れるのは自分しかいない」(巨人OB) 「獲得自体に賛否両論があったのは事実。やってしまったことは良くないし移籍の過程などに納得いかない人がいるのも理解できる。でも結局のところプロは結果で取り返すしかない。結果を出していれば周囲を黙らせることもできたと思うのですが……。来季に関して球団内を含め誰もが注目しているはずです」(巨人関係者)  前所属の日本ハムが無期限出場停止の処分が下されたのにも関わらず、巨人移籍後は即座に試合に出場した。一連の経緯が明確ではなかったため世間の逆風が吹き荒れた。また高額な旧年俸を引き継いだ契約条件も大きな話題になった。  中田は今年が日本ハム時代に結んだ3年契約の3年目で、年俸は3億4000万円(以下金額は推定)。巨人は参稼報酬(年俸)期間となる2月1日から11月30日までのうち、移籍決定後の8月20日から11月30日までの103日分を日割り計算して支払うこととなった。巨人が支払う額は約3分の1に当たる約1億1500万円ほどだ。 「結果だけを見れば高すぎる。獲得自体がギャンブルだったから。タラレバになるが大活躍をしてCSを突破し、日本シリーズに進出できていれば安い買い物だった。複数年契約は今年までだから今オフは年俸を大幅に下げ、単年契約で本人に自覚を持たせないとダメ。そこまで徹底しないと中田自身が野球選手として終わる。中途半端な処遇では他選手だって納得いかないだろうしね」(巨人OB) 「原辰徳監督や編成部がどのように判断するか。昨年は108打点で打点王を獲得したものの、これまでケガに苦しむ年もあり、年間通じての出場と活躍は期待できないという声もある。減俸は当然だが、どのくらいになるかに注目が集まります。チーム全体の士気にも関わることで今オフ最大の関心ごとになります」(巨人担当記者)  今季は日本ハムと巨人でトータル73試合に出場。打率.177、7本塁打、20打点(日本ハムでは39試合に出場。打率.193、4本塁打、13打点)と大幅に成績が落ち込んだ。不祥事もあり、精神的なダメージの影響などもあったのは間違いないが、球界を代表する強打者の成績としてはあまりにも物足りない。また過去に左第5中手骨の亀裂骨折(13年)、右内転筋筋挫傷(17年)、右手母指球部挫傷(19年)など故障での離脱も少なくなかった。今年も急性腰痛で6月にチームを離脱している。コンディション面での不安も大きく野球協約の減額制限(元の年俸1億円を超える場合は40%)を超えての減俸になることは避けることはできないだろう。  過去に巨人では15年オフに杉内俊哉が5億円から5000万円へ90%の大減俸があった(この時は右股関節の手術をしたばかりで翌年に復帰が見込めないためだった)。その他にも高橋由伸が11年オフに3億5000万円から1億7000万円(51%減)、小笠原道大が12年オフに4億3000万円から7000万円(84%減)、中島宏之が19年オフに1億5000万円から2000万円(87%減)というケースもあった。 「年俸3億4000万円から減額制限40%減の2億400万円は確実。過去の例を見ても場合によっては1億円台前半ということすらも考えられ、中田にとって厳しいオフとなるでしょう。しかし全権を任される原監督の期待と信頼は変わらない。開幕に向けて一塁や外野でチャンスは与えられるはず。そこでレギュラーに定着し、シーズンで結果を残せば来オフに減額分も取り返せる。中田にとってここからが勝負です」(巨人担当記者)  今季はキャリアで最悪のシーズンとなってしまったが、来季の年齢は33歳と打者としては円熟期を迎えている中田。かつて侍ジャパンの4番を任された大砲がこのままキャリアを終えることはないはずだ。ここから再び球界を代表する打者として活躍する姿を見せてくれることに期待したい。

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    「愛子さまのお気に入りは子どもの頃から変わらない」天皇一家の追っかけ主婦が語る激写20年

     愛子さまはあどけなさがあったのに、成人皇族になられて、大人びてステキな女性になられ、うれしいですね」  こう話すのはカメラを片手に天皇ご一家を28年半、追っかけてきた主婦の吉田比佐さんだ。  12月1日に20歳の誕生日を迎え、成年皇族となった愛子さま。5日には成年の祝賀行事が行われ、愛子さまのドレス姿が初お披露目となる。  5日午前は長袖で淡い色味の「ご参拝服」を身につけて皇居の宮中三殿を参拝される。その後、襟元の詰まった長袖のドレス「ローブ・モンタント」に着替えられ、天皇陛下から勲章を受けとられるという。  午後は襟元の開いた「ローブ・デコルテ」に勲章、ティアラを着用した正装姿で、両陛下に挨拶される予定だ。 「愛子さまが身につける髪飾りのティアラが話題になりましたが、ティアラには女性としてすごく憧れますね。車の中の皇族を撮る時にはティアラをしているかどうかは、私たち追っかけにとっては大きいです。ティアラをしているお姿ってなかなか見れないので、”きょうはティアラをしているかもしれない”って思うと、疲れていてもがんばって、撮影ポイントに並ぼうという気になりましたね」  今回、愛子さまはコロナ禍の影響を配慮し、天皇陛下の妹(紀宮さま)で、結婚して皇籍を離脱した黒田清子さんが所有するものを借用する。 「眞子さん、佳子さまのティアラもそれぞれ2800万円もする豪華なものでしたけれど、私の見た印象では、黒田清子さんのティアラはクラシックな印象でした。清子さんのティアラのデザイン方が好き、愛子さまはお似合いになると思います」  吉田さんは過去、ティアラをつけた皇族の撮影経験もある。 「ディアラをつけられるのは特別な日だけですね。新年の祝賀の行事の時とか、外国からお客さまが来る時の接待で宮中晩餐会にお出になられる時です」  吉田さんが、追っかけを始めたのはまだ愛子さまが生まれるずっと前、1993年6月9日の両陛下のご成婚パレードからだ。 「ご成婚パレードでは、雅子さまが1000個のダイヤをちりばめた豪華なティアラをして、ローブ・デコルテの衣装を身にまとっていました。とてもステキな写真が撮れました」  そのお姿が脳裏から離れず、雅子さまを追いかけるようになった。 「愛子さまもローブ・デコルテを新調なさるそうですね。格式のあるロングドレスで、襟元や背中が大きくカットされているそうです。愛子さまがお召しになるとどんな感じになるのかとても楽しみです」  愛子さまを生まれたばかりの幼少期から見守り続けた吉田さんは20年の歳月をこう振り返る。 「愛子さまが赤ちゃんの頃、私たちは仲間うちで“愛子ちゃま”と呼んでいました(笑)。雅子さまに抱っこされている姿が、今でもきのうのことのように目に浮かびます」  天皇陛下と雅子さまの結婚会見のとき、記者から「お子さまは何人くらい?」 と質問され、雅子さまは「家族でオーケストラが作れるような子供の数ということはおっしゃらないでください、と(陛下に)申しました」とジョークで返した。 「陛下も愛子さまも音楽がお好きです。実際に陛下がヴィオラ、愛子さまがチェロを演奏するオーケストラのコンサートに参加された時、雅子さまがご覧になっていましたね」  愛子さまは文武両道でスキー、水泳なども、お好きだという。 「御所の中では陛下と一緒にジョギングをしたりしているそうです。毎年、夏になると、ご家族で下田(静岡県)や那須(栃木県)にご静養に行かれるのですが、下田の御用邸の裏手には海があって、愛子さまはいつも真っ黒になって東京に帰って来ていましたね」  愛子さまファッションには特徴があるという。 「愛子さまは夏場には、ワンピースをけっこう着てらして、ふわっとしたフレアスカートのワンピースをよく見かけましたね。冬は赤いセーターを着たり、ピンクのブラウスを着たり、全体にフェミニンです。先日、20歳のお誕生日に愛犬の由莉(ゆり)ちゃんと一緒の映像でも、茶系のふわっとしたスカートだったので、そういう服装がお気に入りでいらっしゃるところは、子供の頃と変わらないなと思いました」  愛子さまは学習院中等科時代に”激やせ”し、体調が心配されたこともあった。 「あの時はダイエットしているやせ方とはちょっと違うのかなと思いました。雅子さまの体調にも波があって、愛子さまもお母様のことを心配されていたのではないかと思います。雅子さまは新皇后になってから、自信が取り戻せたのではないでしょうか」  2019年11月9日に行われた「天皇陛下ご即位をお祝いする国民祭典」では、嵐のパフォーマンスが行なわれ、一家団欒で楽しむ様子が放映された。 「雑誌で読んだんですが、愛子さまは嵐の相葉雅紀君の”推し”だそうですね。カラオケも歌われるのだとか」  吉田さんは94年5月、会社員の夫と結婚した。結婚前から追っかけをしていたから、夫は理解があり、朝早くから出かけても何も言わないという。  コロナ禍のステイホームにより、雅子さまや愛子さまのお出かけが減った。加えて、天皇陛下ご一家は今年9月、赤坂御所から皇居に引っ越した。 「これまでは、ご一家が赤坂御所と皇居の行き帰りを張っていれば、写真が撮れたんですが、皇居に住まわれるようになると、皇居内での宮中行事が多いですから、シャッターチャンスも減ってしまいました」  吉田さんは今年7月から就職し、平日はフルタイムで働き、平日は追っかけが難しくなったが、できる限り続けたいという。 「愛子さまは車の中でも、窓を開けてお手ふりしてくれますよ。ニコッと笑う愛子スマイルが、かわいらしい。あの笑顔を見ると、こちらも気持ちが安らぎます。これからも雅子さまとともに、愛子さまのご公務の様子も拝見できたら、嬉しいなと思っています」  愛子さまの祝賀行事の撮影現場に吉田さんはもちろん、カメラ片手に出かけるという。どんな愛子さま笑顔が撮れるのか。 (AERAdot.編集部 上田耕司)

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    19時間前

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    助っ人「ベスト3」と「ワースト3」を選出 今季の働きを査定!【セ・リーグ編】

     日本シリーズも終わり、プロ野球は年間の表彰と契約更改、来季に向けての動きが話題となる時期となった。チームの命運を握ることが多い外国人選手も退団、新入団、移籍含めて様々な動きが出てきているが、今年の活躍が目立った選手と、期待に応えられなかった選手をそれぞれ3人ずつ選定してみたいと思う。今回はセ・リーグ編だ。 *  *  * ■セ・リーグベスト3:オースティン(DeNA) 成績:107試合113安打28本塁打74打点1盗塁 打率.303  コロナ禍でチーム合流は遅れたものの、中軸として十分な役割を果たし、セ・リーグの野手では最も活躍が目立った選手と言えるだろう。来日2年目で日本の野球に慣れたということもあってか、持ち味の長打力だけでなく確実性も向上し、規定打席には未到達ながら打率3割もクリアした。打つだけでなく守備、走塁での献身的なプレーも目立つ。唯一気になるのは故障が多いところ。コンディションさえ万全で、1年を通じて中軸に定着すれば打撃タイトル争いに絡む可能性も高いだろう。 ■セ・リーグベスト2:マクガフ(ヤクルト) 成績:66試合3勝2敗31セーブ14ホールド 防御率2.52  来日3年目でキャリアハイとなる成績を残し、チームのリーグ優勝と日本一にも大きく貢献した。開幕当初は中継ぎだったが、石山泰稚の不調もあってシーズン途中からは抑えを任されて30セーブをクリア。とにかくタフで東京五輪でもアメリカ代表としてフル回転しながらも、シーズン終盤でもその球威は落ちることがなかった。外国人投手でありながらクイックや牽制が上手く、走者を背負ってから強いというのも大きな長所だ。日本に来てから着実にレベルアップを果たしており、来年も守護神としての活躍が期待される。 ■セ・リーグベスト1:スアレス(阪神) 成績:62試合1勝1敗42セーブ0ホールド 防御率1.16  ソフトバンク時代の故障から鮮やかに復活し、2年連続でセ・リーグの最優秀救援投手に輝いた。防御率は1.16で、1.00を切れば超一流と言われるWHIPは0.77をマーク。ストレートはコンスタントに160キロ前後をマークし、コントロールで自滅することもない。制球力を表す指標で、3.50を上回れば優秀と言われるK/BBでも7.25と他のリリーフ投手の追随を許さない圧倒的な数字を残してみせた。パドレスが早々に獲得したのもうなずける活躍で、阪神にとっては来年その穴を埋めることが大きな課題となるだろう。 ■セ・リーグワースト3:クロン(広島) 成績:42試合30安打6本塁打16打点0盗塁 打率.231  マイナーリーグではホームランを量産した長打力が期待されて契約。コロナ禍の中でも年明け早々に来日していち早く日本の野球に対応しようという姿勢も好感が持てたが、シーズンが始まると変化球に対応することができずに三振を量産。6月に二軍降格となると、そのまま一軍復帰を果たすことができずに退団となった。かつてチームで活躍したエルドレッドと似たタイプだったが、スイングがワンパターンで、ボールになる変化球を見極めることができなかったのが低迷の要因と言えそうだ。 ■セ・リーグワースト2:ガーバー(中日) 成績:12試合7安打0本塁打1打点0盗塁 打率.156  マイナーリーグでの好成績と、外野手としての守備力が期待されて入団。一軍初出場となった試合でいきなり初安打をマークしたが、その後は全く快音が聞かれずに打率は2割を大きく下回り登録抹消。二軍でも積極的に起用されたが打率は2割を超えるのがやっとで、ホームランもわずかに1本と結果を残すことができず、9月に家庭の事情で帰国すると、そのまま退団となった。長打力が不足しているチームの救世主として期待されたが、スイングの力強さやヘッドスピードもそれほど感じられず、広いバンテリンドームではとてもホームランを量産できるようなタイプには見えなかった。ビシエド以降、なかなか安定して打てる外国人野手を獲得できていないのは中日の大きな課題である。 ■セ・リーグワースト1:テームズ (巨人) 成績:1試合0安打0本塁打0打点0盗塁 打率.000  韓国球界のNCでは2年連続で40本塁打をマークするなど主砲として活躍。その後メジャー復帰を果たすと、ブルワーズでは2017年に31本塁打、2019年に25本塁打を放つなど長打力を発揮し、その実績が買われて巨人に入団した。二軍では9試合の出場ながら打率5割をマークして格の違いを見せつけたが、一軍初出場となった4月27日のヤクルト戦で守備の時にアキレス腱を断裂。長期治療が必要となり、シーズン中の復帰は絶望ということでわずか2打席の出場で退団となった。試合中のアクシデントによるケガという不運は仕方のない部分はあるが、もし万全の状態で1年間プレーしていれば、巨人のチーム成績ももう少し上向いていた可能性はありそうだ。  テームズ以外にもわずかな試合しか出場することなくチームを退団となった選手が目立ち、また打撃成績の上位はほとんどが日本人選手と全体的に野手が苦戦したシーズンという印象だ。来季に向けて既に新外国人選手の獲得を発表している球団も出てきているが、来年はタイトル争いに加わるような助っ人選手が野手、投手ともに現れることを期待したい。 (文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員

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    眞子さまと小室圭さんは結婚後、皇居に足を踏み入れることはできるか “サーヤ”黒田清子さんご夫婦との違い

     秋篠宮家の長女、眞子さま(29)との結婚を控えた小室圭さん(30)は18日、秋篠宮邸がある東京都港区の赤坂御用地を訪れ、秋篠宮ご夫妻に結婚のあいさつをした。眞子さまは22日に天皇・皇后両陛下、25日に上皇・上皇后両陛下に結婚の報告をするという。皇室ジャーナリストの神田秀一氏にこれらの予定ついて、その意味を読み解いてもらった。  小室さんは18日午前8時前、横浜市内の自宅マンションからスーツ姿で出てきた。右手にはカバン、左手には白い紙袋2つを持っていた。   「秋篠宮家に持っていく手土産とご夫妻や宮内庁に見せるための書類などが入っていたのではないでしょうか。アメリカで用意した手土産かもしれませんが、どんな中身かはわかりません」   後頭部で縛っていたロン毛は短く整えられていた。  「小室さんは髪型でいろいろと騒がれましたし、秋篠宮家に正式な挨拶に行くのですから、きちんとした髪型にしたのでしょう。皇室であのような頭髪であいさつをする慣習はないんですよね。民間人が皇族に会うのですから、切らざるを得なかったのでしょう」    神田氏が着目したのは小室氏を出迎えた黒いワゴン車。午前9時15分ごろ、赤坂御用地の巽門(たつみもん)へと入って行った。  「車には、宮内庁発行の門鑑(もんかん)がステッカーとしてついていましたね。ということは宮内庁が、小室さんが秋篠宮ご夫婦に会いに行くことを認めたのです。アメリカから帰国し、結婚を進める上で、あいさつだけはしておかなければ、という小室さんの考えと、宮内庁の意見が一致したのでしょうね」    8日後に迫った結婚。秋篠宮ご夫妻は、2人の結婚を認めたのだろうか。  「憲法の規定により、日本人であれば両性の合意に基づく結婚そのものをダメだとは言えない。秋篠宮ご夫妻も宮内庁も政府も同じ考えです。しかし、結婚は認めるものの、その前に解決しなくてはいけないこと、あるいは報告を受けなければいけないことがいろいろあると思います。それは今のところ未解決のままなので、秋篠宮さまとしては『挨拶にはおいでになってもかまいません。聞くことは聞きましょう。いらっしゃるというのなら待っております』というスタンスで、そこまでは許したのだと思います」    眞子さまと小室さんは3年2カ月ぶりに再会した。  「私の得た情報では、小室さんが秋篠宮ご夫妻にあいさつしをして30分後くらいに、秋篠宮邸のどこか別室で眞子さまと小室さんが会うことを許してもらえたと聞いています。眞子さまの部屋かもしれませんね。佳子さまがいらっしゃったかもしれませんが、2人だけの可能性が高いと思います」   眞子さまは22日、皇居・御所を訪れ、天皇、皇后両陛下に結婚を報告し、25日には東京都港区の仙洞仮御所を訪れ、上皇陛下と美智子さまにも結婚を報告する予定だ。現時点でそれに小室さんが同席する予定はない。  「一般の結納にあたる『納采の儀』も行っていませんし、皇籍を離脱する際に支給されるはずの『一時金』も眞子さまは辞退なさった。小室家を巡る諸問題も解決されていないので、天皇・皇后両陛下は眞子さまからの結婚報告を受けても、『体に気をつけて、元気で』とか『健康でお幸せな日々をお祈り致します』とお伝えするのにとどまるのではないでしょうか。『おめでとう』とおっしゃることはできないと思いますよ」   眞子さまは26日に婚姻届を自治体に提出し、皇籍を離脱する予定。今後、皇室との距離はどうなるのだろうか。  「皇室としての結婚を許したわけではないけれども、2人の意思で一緒になるならば致し方ないということ。もう2度と皇居に足を踏み入れることが許されなくなる可能性はありますね。サーヤの愛称で親しまれた黒田清子(さやこ)さんも結婚して皇籍を離脱しましたが、お相手の黒田さん一家には何の問題もないし、清子さんは皇室とゆかりのある伊勢神宮の祭主を務めているので、皇籍離脱後も皇居を訪れています。けれども、眞子さまの場合は、黒田さんご夫婦と同じようにはならないでしょう」    26日に予定されている記者会見はどのようなものになるのだろうか。  「報道陣と宮内庁の係官が合わせて50人くらい集まるのではないかと聞きます。警備も、コロナ対策も万全なホテルというのは限られてきます。宮内記者会、雑誌協会、外国人記者クラブで合計3問くらいの質問ではないか。それ以上、質問の声を上げ続ける記者がいるかもしれませんが、『本日の会見は終了します』と打ち切るでしょう。政治家でも誰でも、長く話すとボロが出るものですから」   会見に先立ち提出される自治体への婚姻届けについて、神田氏は次のように推測する。  「秋篠宮家から命令を受けた職員が、小室夫妻になる2人の代理人として、自治体の戸籍係のところに持って行くというふうに聞いています」   会見後、 眞子さまは年内にも渡米し、ニューヨークで新生活を始めるとみられている。お2人の行く末は……。  「ヨーロッパの王室ではこのくらいのことはあるレベルのことのようですが、日本の皇室では前代未聞の事態で、眞子さまは離婚しても、もう皇族には戻れません。幸福になるか、不幸になるかはチャレンジしてみなければわからないですね。結果は誰にもわかりません」 (AERAdot.編集部 上田耕司』

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    戦力外通告を受けたけど… 他球団でまだまだ“活躍できそう”な選手は誰だ!

     10月11日に行われたドラフト会議では支配下、育成合わせて128人の選手が指名を受けたが、プロ野球の世界に入ってくる選手がいるということは逆にユニフォームを脱ぐ選手もいるということである。既に各球団では俗に言う“戦力外通告”が行われており、ここ数日は引退試合のニュースも増えている。しかしその一方で他球団での現役続行を希望する選手も少なくない。今回は現時点で自由契約が発表された選手の中から、まだ戦力になる可能性を秘めた選手がいないか探ってみたいと思う。  まず投手で申し分ない実績を誇るのが吉田一将(オリックス)だ。2013年のドラフト1位で入団すると、1年目には先発として5勝をマーク。2年目のシーズン途中から中継ぎに転向すると、2016年には5勝21ホールド、2018年にも3勝21ホールドとブルペン陣を支える存在となった。2019年以降は年々成績を落とし、今年は二軍でも防御率7点台と結果を残すことができず、プロ入り後初となる一軍登板なしに終わったが、通算226試合に登板している実績は貴重である。何かきっかけをつかめばまだ復活する可能性も十分にありそうだ。  投手では渡辺雄大(ソフトバンク)と三ツ間卓也(中日)の2人も面白い。渡辺は青山学院大では実績はなかったものの、BCリーグの新潟で力をつけて26歳となる2017年のドラフト育成6位でソフトバンクに入団。二軍、三軍で実績を残して昨年8月に支配下登録されている。その後は肘の故障もあって一軍登板は3試合にとどまったものの、今年も二軍では34試合に登板して防御率1.67と安定した成績を残している。左のサイドスローから投げ込むスライダーは打者の手元で鋭く変化し、左バッターにはかなり厄介なボールとなっている。戦力外が報じられたのは今朝で、今後についての意向は不明だが、貴重な左の中継ぎとして需要の高い選手であることは間違いない。青山学院大時代の同期である杉本裕太郎(オリックス)が今年大ブレイクを果たしただけに、渡辺もここからもう一花咲かせることを期待したいところだ。  三ツ間は渡辺と同じくBCリーグの武蔵で力をつけて2015年の育成ドラフト3位で中日に入団。1年目のオフに支配下登録されると2017年には35試合に登板して2勝11ホールド、2019年にも29試合に登板して2勝4ホールドとブルペン陣を支える1人として結果を残している。また昨年7月のヤクルト戦では延長戦でベンチにいた野手を使い果たしていたため、代打として出場して話題となった。今年は二軍でも29試合に登板して防御率は4.05に終わっているが、チームトップタイとなる5セーブをマーク。WHIPも0.98と投球内容自体は決して悪くない。本人も現役続行の意思を表明しており、中継ぎ陣の苦しい球団にとっては狙い目の選手となりそうだ。  野手で圧倒的な実績を誇るのが藤田一也(楽天)だ。プロ入り8年目の2012年シーズン途中にDeNAから楽天に移籍したことをきっかけに才能が開花。これまで2度のベストナインと3度のゴールデングラブ賞に輝き、パ・リーグを代表するセカンドとして長年活躍を見せている。2019年以降は浅村栄斗の加入もあって出場機会が減少し、今年は一軍出場なしに終わった。功労者ということでチームもポストを用意していたとのことだが、本人は現役続行を希望して自由契約となっている。  多くのファンを魅了してきたセカンドの守備力は天下一品で、二軍では3割近い打率もマークしているようにまだまだ力が衰えているわけではない。若手の内野手のお手本としてプレー以外でもチームのプラスになることが考えられるだけに、オファーを出す球団が出てくることも十分にありそうだ。  野手では武田健吾(中日)も注目の存在だ。今年は打率1割台だったものの、シーズンを通じて一軍に帯同し、93試合に出場するなど貴重な戦力となっていただけに、戦力外となったニュースには驚きの声も多かった。オリックス時代の2017年には97試合に出場して61安打、打率.295という成績も残しており、元々パンチ力のある打撃にも定評のある選手である。今年で27歳と年齢的にもまだ若いだけに、外野手が手薄な球団が獲得を検討する可能性もありそうだ。  一度戦力外となってから他球団との契約を勝ち取ることは容易なことではないが、今年もシーズン開幕後に宮国椋丞(DeNA)が育成契約で入団して支配下登録され、古巣の巨人を相手に勝利もマークしている。今後も戦力外となる選手の発表はまだしばらく続くことになりそうだが、1人でも多くの選手が鮮やかな復活を遂げることを期待したい。(文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員

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    【写真】武豊騎手が乗りこなした「ウマ娘」モデルの名馬たち

    インタビューに応じた武豊騎手は、過去のレースで数多くの「ウマ娘」モデルの馬を乗りこなしてきた。【関連記事はこちら】武豊騎手が「ウマ娘」ブームを語る 「よみがえってうれしい」と語った悲劇の競走馬とは▼クリックすると拡大写真とレース名が表示されます

    19時間前

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    【写真特集21枚】愛子さまのキュートな笑顔を一挙公開 20年のアルバム

    12月1日に20歳の誕生日を迎え、成年皇族となった愛子さま。5日には成年の祝賀行事が行われ、愛子さまのドレス姿が初お披露目となった。天皇一家の追っかけ主婦やカメラマンが激写した20年の軌跡を振り返る。【関連記事はこちら】「愛子さまのお気に入りは子どもの頃から変わらない」天皇一家の追っかけ主婦が語る激写20年▼クリックすると拡大画像と解説がご欄になれます

    18時間前

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    15歳の茶トラ愛猫の看取りと旅立ち 「ここにおるよー」瀕死の借りぐらし猫が喪失感を埋めた

     飼い主さんの目線で猫のストーリーを紡ぐ連載「猫をたずねて三千里」。今回お話を聞かせてくれたのは、福岡県在住のヨガ講師、児玉妙子さん。自営業の夫と高齢猫とのんびり暮らしていた夏の終わり、家の前で一匹の三毛猫と出会いました。その猫は顔に大けがを負っていて、獣医師によると「傷口からしてエンジンルームでの事故」だそうです。前編・後編にわけて掲載します。今回は後編。保護から2ケ月が過ぎると、その猫と猫をとりまく環境に変化がおきました。  >>【前編:振り返った猫を見て「まさか顔に穴?」 ガリガリの一匹を保護した夫婦「どうか猫バンバンを」】から続く  <前編の記事のあらすじ> 顔に穴が空いてように大きなけがを負った野良猫。車のエンジンルームに入って事故にあったと思われました。傷は深く、生々しく治癒していない上に、病気もあり、相当厳しい状態。それでも児玉さん夫婦は見捨てることができず、保護することを決めました。先住猫いたので、隔離しながらの生活です。児玉さん夫婦は、まだ名前をつけることができず、親しみを込めて「あいつ」と呼んでいました。 *  *  * 保護から2ケ月、「あいつ」に変化が起きました。 「あいつ」は玄関でひとりでいる時に、にゃあにゃあと鳴くようになったのです。ごはんをあげる時の狂わんばかりのトーンとは違う感じの声です。人恋しい、とでもいうような。  もしかしたら、わが家にきて、外の生活では感じなかった「さみしい」という感情に出会ってしまったのかもしれません。大けがをしてしんどい時に、そばに人間でもなんでもいた方が気がまぎれるとか、そんな感じなのでしょうか。  前編でも紹介したとおり、家には15歳の「きな」という茶トラのおばあちゃん猫がいました。大けがを負った「あいつ」は、白血病ウイルスは陰性、猫エイズが陽性でした。傷がひどいので、「きな」といきなり接触させないように隔離していたのです。だから「あいつ」は玄関のケージで生活していました。  にゃあにゃあという声が玄関から聞こえると胸が痛みました。始終そばにはいられないし、まだまだ(傷の具合からしても)「きな」と一緒にできません。そこがすごくつらかった……。でも「こちらも最大限尽くすので、君も早く傷を治して、私たちや『きな』と思いきり一緒にいられるようにがんばれ」と思うようにしました。  完治するまで(お金も時間も)どれくらいかかるかわからないけど、「きれいになった顔の写真が撮れる日が早くきたらいいなあ」と思うようにもなりました。  獣医の先生は「どうなるかわからないが、鼻ぺちゃのパグみたいになるかもしれない」とおっしゃいました。私は、ニュータイプの猫さんになるかもな、と。もちろん、どんな見た目でも気にしません。猫である時点でもう、かわいいのだから。  とにかく助けた以上はなんとか命をつなぎたいし。私にできることがあれば、精いっぱいやってあげたい。まさに、これは献身のヨガ。バクティヨガです。何でも修行に結びつけてしまいますが(笑) ◆ 先住猫と同居はかなわなかったけど 一字もらって命名 「あいつ」と出会ったのは8月の終わり。9月、10月と「あいつ」が玄関のケージ内でけがの治癒に向けてがんばる一方で、部屋にいるおばあちゃん猫「きな」の状態が悪くなっていきました。もともと「きな」は慢性腎臓病を患っていたのですが、11月になり容体が悪くなり、半月ほど点滴を受けるなどして、闘病を続けました。  悟り開き系の女子猫と、おばあちゃん猫は、“合う”かもなんて同居を夢みましたが、残念ながら叶わず、「きな」は先日、息をひきとりました。  「きな」は15年前、以前住んでいたアパートの前で出会った野良の茶トラでしたが、茶トラの雌というのは珍しいそうです。わがまま放題のお姫様で、気が強くて……でも優しく、美しかった。  じつは私たち夫婦は、1月にも、茶トラの「まる」という雄猫を14歳で亡くしているんです。「まる」は、私と夫の目の前を走る車に急にぶつかり、保護した猫でした。まるで、体を張って「僕を拾って」とアピールするようでした。  『ラブストーリーは突然に』という歌がありますが、猫との出会いもいつも突然に訪れる。そして別れはいつも悲しいもの。  「まる」の最期は(都合で)夫だけで看取り、「きな」の最期は私がしっかり看取りました。ひとりぼっちで逝かせなかったことはよいのですが、いざいなくなると想像以上の喪失感でした。私たち夫婦には子どもがいませんが、子どもが巣立った後はこんな感じかなと……。  けれど「あいつ」がおなかをすかせています。「ここにおるよー」と鳴きます。「あいつ」のお世話をさせていただけるのだから、ぼんやりしてもいられません。 「きな」が旅立ったあと、「あいつ」の正式な名前を決めました。  それまで呼んでいた「あいつ」の“つ”と、「きな」の“な”をもらい、「つな」としました。  これは想像ですが、「きな」は体が悪くなる前に、扉越しに「つな」に猫語で話していたんじゃないかな。 「私、だいぶ腎臓が悪いんよ、こいつら夫婦のこと頼むよ。こいつら、猫おらんかったらダメだから」  ……そう思えるほどのがんばりを、「つな」は「きな」亡き後に、見せてくれました。 ◆「つな」の頑張りと、わたしからのお願い  12月に入り、「つな」との生活は、3カ月を越えました。獣医の先生も驚いていました。  かさぶたが取れて傷が少しよくなったので、ケアも前進。今は「つな」を洗面台に連れていき、洗浄ボトルにいれた水で顔の傷口を洗い流すようにしています。洗った後は赤ちゃん用のおしりふきで優しくぬぐい、そこに抗生剤入りの軟膏を塗り、目薬も差すようになりました。 ふつう、猫は一つの場所にとどまるのが苦手だと思うのですが、「つな」は洗面所でもおとなしくして、やはり動じません。  ただ、少し前に病院に行った時。先生が、「傷は治ってきているが、基礎疾患もあるし、年を越すのは難しいかも。怪我が治る前に病気で逝くかもな」とつぶやいたのです。  余命を突き付けられた感じです。  でも余命はあまり気にしていません。  毎日お世話をしてきて、人間とは違う猫の生命力のすごさを身に染みて感じているから。  もし「つな」が先生のいうように年を越せなかったとしても……寒くないようにして、ごはんを食べて、最期の時までゆっくりと過ごしてくれればうれしいし、もっと生きてくれるのは大歓迎。  そもそも、「つな」は、事故がなければ地域猫として、(病気を抱えながらも)外で今も自由に暮らしていたはずです。大けがを負ったのは、車=人間のせいだと思っています。  私は「つな」のけた外れのファイトを称えたいと同時に、事故に遭ったことに意味を付けたかった。だから、少し衝撃的な話だけれど、このコーナーに応募しました。  これから寒くなるにつれて、外にいる多くの猫さんが、暖を取るためにタイヤの間やエンジンルームに入りやすくなります。どうか、車に乗ったらエンジンをかける前に、車のボンネットをバンバンと叩いて猫さんに知らせる(車から出す)「猫バンバン」をしてみてください。  「つな」と私からの、お願いです。  (水野マルコ) >> 【前編:振り返った猫を見て「まさか顔に穴?」 ガリガリの一匹を保護した夫婦「どうか猫バンバンを」】を読む 【猫と飼い主さん募集】「猫をたずねて三千里」は猫好きの読者とともに作り上げる連載です。編集部と一緒にあなたの飼い猫のストーリーを紡ぎませんか? 2匹の猫のお母さんでもある、ペット取材歴25年のベテラン・水野マルコ記者が飼い主さんから話を聞いて、飼い主さんの目で、猫との出会いから今までの物語をつづります。虹の橋を渡った子のお話も大歓迎です。ぜひ、あなたと猫の物語を教えてください。記事中、飼い主さんの名前は仮名でもOKす。飼い猫の簡単な紹介、お住まいの地域(都道府県)とともにこちらにご連絡ください。nekosanzenri@asahi.com 連載一覧はこちら>>

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    小室圭さん帰国便同乗者が目撃した姿「彼はまるでエグゼクティブ」 自宅前では深々とお辞儀

    颯爽と歩きながら、小室圭さんがアメリカから帰国した。日本の地を踏むのは2018年8月に渡米して以来、3年2か月ぶりだ。  成田空港は多数の報道関係者が集まっており、ピリピリムード。報道陣に対して、カメラのフラッシュ禁止、声掛けも禁止といった規制が敷かれていた。報道関係者からは「どうして?」と不満の声も漏れていた。  午後3時20分過ぎ、成田空港に飛行機が到着。一般客が飛行機から降りたあと、小室さんが、報道陣の前に姿を現した。警護と思われる男性やキャビンアテンダント(CA)の女性などに囲まれていた。キャリーバックを転がしながら、白マスクに、濃紺のスーツ、ストライプの入ったシャツ、ノーネクタイといういで立ちで、髪の毛は後ろに縛っていた。  飛行機から出てきた小室さんは報道陣に一礼したあと、新型コロナウイルスの抗原検査、そして入国手続きに進んだと見られる。  小室さんは機内でどのような様子だったのか。偶然、同乗していた男性(51)に話を聞くことができた。 「私がファーストクラスで座っていると、ドアが閉まるギリギリになって小室さんが搭乗してきました。まるでエグゼクティブのようでした。後ろの髪を結っていたので、すぐに彼だとわかりましたね。彼一人に女性CAが2人くらいついて、会話しながら案内されて入ってきました」  当初はエコノミークラスのチケットを買ったと報じられていたが、この男性はこう語る。 「右の列のビジネスクラスの前方の席で、窓際に座っていましたね。私の席から右斜め後ろのほうの席でした。ただ、カーテンでファーストクラスとは仕切られていたので彼の表情などはわからなかったです」  男性は飛行機から降りた後、抗原検査のために、大きめの部屋に移ったという。40分ほどその部屋に滞在したが、そこに小室さんの姿はなかった。 「今か今かと待っていたのに、残念でした」(男性)  そのころ、到着ロビーには多数の報道陣のほか、「皇室系Youtuber」といったタスキをかけた人物や一般客も小室さんの姿を一目見ようと集まっていた。その数、50~60人ほど。  津田沼から来たという白髪交じりの一般男性は手にハンディカムを持ち、小室さんを待ち構えていた。妻に頼まれて自宅で見るために撮りに来たという。  しかし、小室さんは一般客が使う到着ロビーを通らず、地下駐車場から車に乗り込み、成田空港を後にした。「地下駐車場から空港を出たらしい」と男性に知らせると、「こんなに待っていたのに……」と不満げな様子だった。  小室さんを乗せた乗用車が向かった先は、母・佳代さんが住む横浜の自宅だった。自宅前は朝から報道陣が詰めかけ、警察は臨時の派出所を設置し、周辺警備に当たるなど、ものものしい雰囲気が漂っていた。夕方には100人を超える報道陣が押し寄せており、ベランダから様子を一目見ようとする住民の姿も見られた。  19時過ぎ、小室さんを乗せた車が到着。警察が後部座席のドアを開け、車から出てきた。小室さんは、報道陣から「どんなお気持ちですか」と声を掛けられたが、反応は示さず、自宅マンションの入り口で2回ほど深々とお辞儀をして、黒いスーツを着た男性らと中に消えていった。  近くに住む60代の男性はこう語る。 「ヘリコプターの音がすごくて『何事か』と思って見に来た。3年前の婚約会見後のときと同じような状況だと感じましたね。小室さんがニューヨークに行ってからは、静かになっていたんだけど……。またしばらく騒々しくなるのかなと思っています。どの家庭も問題を抱えていますし、小室さんと眞子さまも早くアメリカで幸せになってほしいですね」    小室さんは今後、自宅で2週間の隔離を終え、その後、記者会見に臨むと見られている。果たして何を語るか。注目が集まる。 (AERAdot.編集部/上田耕司、飯塚大和、吉崎洋夫)

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    藤浪晋太郎、武田翔太、神里和毅…「トレード要員」で他球団から評価が高い選手

     各球団が来季に向けて秋季キャンプで現有戦力の底上げを図る中、トレードも補強戦略の1つだ。今年は開幕前に巨人とヤクルトの間で田口麗斗と廣岡大志のトレードを敢行。ロッテはシーズン途中にトレードで獲得した国吉佑樹、加藤匠馬が優勝争いを繰り広げるチームに不可欠な戦力として活躍した。  復活が待たれる阪神・藤浪晋太郎は依然として他球団の評価が高い。高卒1年目から3年連続2ケタ勝利とエース格として稼働したが、制球難に悩まされて投球フォームを崩すと、その後の17~20年の4年間で計9勝のみ。  今年はオープン戦で快投を続け、プロ9年目で自身初の開幕投手に抜擢されたが、制球が不安定で4月下旬に登録抹消された。その後は救援に配置転換されたが結果を残せず、9月に登録抹消されて以降はファーム暮らし。21試合登板で3勝3敗4ホールド、防御率5.21と不本意な結果に終わった。 「パリーグの複数球団が調査していると聞いています。藤浪は巨人からロッテに移籍して輝きを取り戻した沢村拓一(レッドソックス)と重なる部分があります。制球難は技術的な問題が当然あると思いますが、精神的な部分も影響しているように感じます。環境を変えることで劇的に変わる可能性がある。あれだけのスピードボールを投げられる投手はなかなかいない。同期入団の大谷翔平(エンゼルス)に引けを取らない潜在能力を秘めているので、このまま伸び悩むのは惜しい」(スポーツ紙デスク)  他球団が今季途中にトレードで調査をしていたのがソフトバンク・武田翔太だ。高卒ルーキーの12年に8勝1敗、防御率1.07をマーク。15年に13勝、16年に14勝とエースへの階段を順調に駆け上がっていたように見えたが、近年は度重なる故障に加えて好不調の波が激しく、先発ローテーションに定着できていない。今季は12試合登板で4勝5敗、防御率2.68。7月10日にファーム降格すると、再昇格しないままシーズンを終えた。 「縦に大きく割れるドロップカーブ、縦と横の2種類のスライダーを軸にした投球スタイルで良い時は手も足も出ない。ソフトバンクは先発の軸として稼働したマルティネスが退団したので、武田をトレードで出すことは考えづらいですが、他球団に行けばエースで復活する可能性を秘めた素材です。出血覚悟で欲しい球団は多いでしょう」(スポーツ紙記者)  野手では俊足巧打が持ち味のDeNA・神里和毅の評価が高い。プロ2年目の19年に自己最多の123試合出場で打率.279、6本塁打、15盗塁をマークするなどリードオフマンとして打線を牽引したが、昨季は88試合出場で打率.191、4本塁打、15打点、4盗塁。中堅のレギュラーを桑原将志に奪われ、楠本泰史、関根大気も台頭している。  外野の中で神里の序列が下がっているが、走攻守3拍子揃ったプレースタイルでこのまま出場機会が失われるのは惜しい。最下位に沈んだDeNAは投手陣の再建が急務になっている。先発陣は大貫晋一の6勝が最多とコマ不足が深刻だ。神里をトレードで放出して、先発要員を補強する可能性は十分考えられる。  楽天から巨人に加入したウィーラー、高梨雄平が新天地で輝きを取り戻したように、トレードで野球人生が大きく変わる可能性がある。今オフに野球ファンが驚くトレードが成立するかもしれない。(安西憲春)

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    18時間前

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    「嘲笑の的」だったフレディの姿は“戦略的演出” 楽曲は「人生の応援歌」 80年代のQUEENの魅力

     結成50年、フレディの死から30年。足跡をたどるQUEEN展が開催中。「ボヘミアン・ラプソディ」に代表される70年代に限らない、彼らならではの魅力がそこに。AERA 2021年12月6日号の記事を紹介する。 *  *  *  大型スクリーンに映し出されたフレディ。一度見たら忘れられないあの顔が、マイクを手に歌い上げる。1985年7月、世界規模で開かれたロックのチャリティーコンサート「ライブ・エイド」でのクイーンの雄姿である。  ああフレディ・マーキュリー。早世したロック界のマラドーナ、異形の大輪の華よ。フレディなくしてクイーンが不朽の存在であることは、おそらくなかったろう。91年にエイズのため45歳で死去。その生涯を描いた大ヒット映画「ボヘミアン・ラプソディ」のクライマックスは、圧倒的パフォーマンスで語り草になったこのシーンだった。  フレディ、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・ディーコン。不動のメンバーがそろった結成から50年、フレディの死から30年の今年、その足跡をたどる「QUEEN50周年展」が東京・渋谷の西武渋谷店モヴィーダ館で開催中だ(来年2月13日まで)。  メンバー4人の子どものころの貴重な写真(ブライアンの女装姿など)に始まり、前身バンド「スマイル」時代、73年のデビュー、そして美貌の4人が織りなす、ロック史に輝く不滅の名曲「ボヘミアン・ラプソディ」に代表される怒濤の快進撃が年代順に紹介される。 ■80年代は人気低落?  QUEEN展は結成40周年の年や昨年初めにも開かれたが、「今回はあまり日の当たらない『ライブ・エイド』後の80年代後半以降に焦点を当てた」と製作委員会の担当者。86年の欧州ツアーでフレディが身にまとったド派手なマントと王冠や、晩年の曲「愛しきデライラ」のアイデアが走り書きされたメモ用紙の展示が目を引く。 「彼は先が長くないのはわかっていたけれど、決して哀れみを乞うようなことはなかった」  とフレディについて語るブライアンの最近のインタビュー映像も。 「企画の趣旨はとてもうれしい。80年代の楽曲はずっと無視されがちだったから」  と話すのは朝日順子さん(51)。英語と日本語のバイリンガルで、全楽曲の歌詞を解説した『クイーンは何を歌っているのか?』を一昨年に出版。曲を深掘りするNHK-FMの毎週日曜の番組「ディスカバー・クイーン」にも出演している。  朝日さんと一緒に、クイーン展を見て回った。  父の仕事で子ども時代を米国で過ごした朝日さんは80年、小学4年のときに帰国。年上のいとこからクイーンのライブ盤を借りて聴き、夢中になった。 「でも80年代になってクイーンの人気は落ち込み、私の周りにはファンなんていなかった。音楽雑誌にも載らなくなっていた」(朝日さん)  75年に初来日したクイーンは、長髪で痩身、中性的で美しいルックスもあいまって、それまでロックと縁のなかった少女たちから絶大な支持を獲得。洋楽ロックの世界を席巻した。  当時筆者は(すでに解散していた)ビートルズ好きの北海道の中学生。キャッチーでノリのいいハードロックと「キラー・クイーン」「ボヘミアン・ラプソディ」の素晴らしさに仰天した。アルバム「オペラ座の夜」は新時代の「サージェント・ペパー」のようだった。ロック以外のさまざまな要素を取り込む創作法もビートルズと似ていた。 ■舞台芸術と自己演出  だが全身にぴったり張り付いたタイツに身を包み、怖いもの見たさの女子をドキドキさせるようなフレディのパフォーマンスは、ロックの華麗さと猥雑ぶりが満開。田舎の男子学生をひるませた。  80年代になると短髪にひげ、「ハードゲイ風のファッション」が彼の定番となり、「遠い存在」と正直感じた。  80年にクイーンの楽曲にほれ込み、ファンになった朝日さんにとっては、ファッションより曲こそが重要だった。 「80年代、フレディの姿は嘲笑の的だった。でもそれはいい。ゲイファッションが欧米のロック界で流行、彼は戦略としてその波に乗ったんです。70年代の中性的な衣装もそう。彼は舞台芸術と自己演出に関心と才能があった」「でも、80年代の彼らの素晴らしい音楽まで馬鹿にされるのが不思議で、とても腹が立ちました」 ■寄り添ってくれる歌  85年5月、中学3年の朝日さんはオリジナルメンバー最後のクイーン日本公演に行った。2カ月後のライブ・エイドではテレビの前にかじりつき、クイーンの「伝説のチャンピオン」の途中でCMになり激怒した。  91年11月24日、フレディ死す。朝日さんは大学生だった。生前最後のアルバム「イニュエンドウ」を聴けなくなった。正気を保てなくなる気がしたからだ。2018年に映画「ボヘミアン・ラプソディ」公開。見て平静でいられなかった。クイーンはいまも生々しい存在なのだった。  クイーンの歌詞は、70年代では伝説や神話を取り入れるなど英国的に作りこんだ曲が目立つが、80年代になると、米国進出を意識したこともあり、シンプルさが特徴という。 「人生の応援歌と解釈できる歌がいくつもある。厳しい現実に立ち向かう勇気を与えてくれる。現実から逃れたいときに聴いても最強。しっかり寄り添ってくれる歌だから。SNSでバッシングされて悩む人にもクイーンのよさを勧めたい」(朝日さん) ■あこがれと美を体現  クイーンは、デビューからずっと英国などで評論家筋に叩かれ続けたバンドだ。ロックがカウンターカルチャーでなくなり、娯楽となった時代に大成功したせいもあるかもしれない。 「第二の母国」と呼ぶほど愛した日本のファンへの対応は格別だ。一部が日本語で歌われる曲「手をとりあって」では「僕らはみんな愚かで無知だと人は言うだろう でも心を強く持って くじけてしまわないで」と呼びかける。それがファンの心に刺さるのだ。  70年代に日本の少女の心をワシ掴みにしたクイーン。あこがれと美を体現する存在として、メンバーを少女漫画のイラスト風に描くなど多くの人が「私だけのクイーン」愛を育てた。年齢を重ねたいまも想いが変わらない人もいるだろう。  長年のビートルズファンである筆者は何となくわかる気がする。ジョンとポールが演奏中に軽く笑顔でうなずきあう映像を見ると、満ち足りた、幸せな気分になる。この喜びは他のものでは代えがたい。ファンにしかわからない愛し方があるのだ。 「地獄へ道づれ」「永遠の誓い」「アンダー・プレッシャー」「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」「ONE VISION─ひとつだけの世界─」「アイ・ウォント・イット・オール」──。80年以降の名曲の数々。あ、どこかで聴いたな、という曲ばかりだ。  アフリカの非キリスト教徒の家に生まれ、インドで育ち、難を逃れ英国に移り住んだフレディの人生を思うとき、その背景と才能が、クイーンを唯一無二の「娯楽としてのロックの巨人」たらしめたと思わずにいられない。  THE SHOW MUST GO ON.(ライター・小北清人)※AERA 2021年12月6日号

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    作家・小池真理子「平均的な夫婦の千倍の言葉を交わしてた」『月夜の森の梟』が話題

     最新エッセー『月夜の森の梟』が、圧倒的な共感を呼び、話題になった小池真理子さん。夫で作家の藤田宜永さんの病と死に向きあった。お二人と親しかった林真理子さんは、「魂ごとわかり合える」ご夫婦のあり方に、あらためて感激していました。小池さんと林さんの対談です。 【作家・小池真理子が語る夫の死 「小説で書いたことが起こってる」】より続く *  *  * 小池:私たち、子供もつくらずダブルインカムだったので経済的にそんなに困らないし、そろそろ仕事のペースを落として、彼が長くいたフランスに1カ月か2カ月滞在して、そこからヨーロッパをいろいろ回ろうという計画を立てていたんです。私も『死の島』が本になって出てしまえば、あとはゆっくりゆっくりやろうと思っていたので、すごく楽しみにしていたんですよ。 林:そうだったんですね。藤田さんって、基本的には寂しがり屋のお坊ちゃまだったんですよね。 小池:うん、本当にそうです。 林:ピアノを弾いてて、私が「ショパンとジョルジュ・サンドみたい」と言ったら笑ってたけど(笑)。 小池:軽井沢の家は、ピアノを弾くと、音が家中、筒抜けになるんですよ。私の書斎の真下がピアノを置いてある部屋なんですけど、私が仕事をしているときもお構いなしに弾き始めるような、そういう自分勝手なお坊ちゃまでした。私が怒ると「あ、悪い悪い」って言いながら弾き続ける。ある意味、伸び伸び育った人ではありました。 林:育ちのよい感じは、いたるところにありましたよね。 小池:だけど、彼いわく「支配的な母親に育てられなかったら、俺は作家になんかならずに、ずっと福井にいて小さな会社に勤めて、ふつうに結婚して子供をつくってたかもしれない」って。 林:そういうお母さまから逃げて、小池さんみたいな自立した女性と愛し合って、家庭を持ったのは運命だったのかもしれませんね。 小池:母親から逃げたくて、母親の代理を探してたんでしょうけれど、お母さんの役をやってくれる女性なんかいないじゃないですか。林さんも同じような世代だからわかると思うけど、70年代前後から女性の自立が提唱されて、男にツンケンしたもの言いをする女の子たちが増えてきましたよね。彼はそういうツンケンした女性たちを口説いてみて、うまく自分になびいたら自信がつくという流れで楽しんでいた時期があったみたい。 林:藤田さん、どこかで「恋愛経験は少ないほうではないと思うが、すべて小池真理子と出会うためのものだった」と言ってましたよ。 小池:アハハハ。たまに言ってましたね、そういうことを。あの世代の男には珍しく、言われると女性がポッと顔を赤らめて喜びそうなことを、照れずに平気で言えるところのある人でした。 林:でも、それは小池さんだけに言っていたんだと思いますよ。 小池:いやいや、ほかでも言ってたと思いますよ。けっこうほめ上手なので、銀座でもモテていたらしい。 林:まあ、そうなんですね。ところで軽井沢って、私も別荘があるからときどき行くんだけど、アウトレットなんかもあるでしょう。もちろん藤田さんの闘病中はそれどころじゃなかったでしょうけど、普段は軽井沢でお洋服たくさん買ったりしていたんですか? 小池:アウトレットではほとんど買いませんね。基本的に洋服は、東京に出てきたときに買っています。でも、ここ最近はコロナ禍だったし、その前には夫がずっと闘病していたので、洋服なんかぜんぜん買いに行く気分になれませんでしたよ。必要になったら、軽井沢の「しまむら」とかで買うくらい(笑)。 林:えっ、うそ。小池さん、わりとミニマリズムの生活だよね。 小池:林さんに比べたらね(笑)。 林:私、軽井沢でけっこうアウトレットに行くんだけど、このあいだ、わりと高い革のジャケットを買ったら、「お買い上げありがとうございました」ってメールが来たわけ。だけど、それまで買ったことさえ忘れていて、どこにあるのかもわかんない(笑)。 小池:どうしてそういうことが起こるんだろう(笑)。 林:ストレス発散で買い物するけど、それで気がすんで忘れちゃうわけ。よくないなあ、ってつくづく思いますよ。小池さんは、朝起きて、野鳥にヒマワリの種を……。 小池:エサ台に出しておくと、10種類ぐらい野鳥が来ますよ、冬は。 林:そのあと朝食をつくって。 小池:ブランチですけどね。自分でつくって、猫にごはんをやって……。 林:それから執筆に入るんでしょう? すごく清潔ですてきな暮らしですよね。 小池:もともと一人でそういう生活をしていたわけじゃなくて、そこに夫がいたわけです。夫がいなくなったあともそういう習慣をこわしちゃいけないと思って、渾身の努力をしてるんですよ。 林:ああ、そうなんですね。 小池:一人になったからずっと寝てようとか、食事もテイクアウトにしちゃおうとか、生活のリズムをこわして自分勝手にやってたら、私はこわれていくだろうなという予感があったんです。それが怖かったので、夫がいるときと同じ時間に起きて、だるくて体調がよくなくても、それなりにまともな食事をつくって食べる。それは、徹底して自分に課しています。 林:まったく同じ状態でまったく同じことをして、体と心が定点観測していないと、四季の移ろいと心の変化は書けないんですね。 小池:これまでの生活を変えて、私が気持ちのいい、楽な方向に生活の時間割をつくっていたら、確かにこのエッセーは書けなかったかもしれない。見てるものが違ってきちゃいますもんね。 林:そう思います。だからまたすごい傑作をお書きになるんじゃないかと思う。 小池:今のところはダラダラしてますよ。自分をちょっと甘やかしてる。やっぱり疲れました。病気の藤田に寄り添っていた1年と10カ月、そして死別のダメージが、去年よりも今のほうが来ているなと感じるんです。だからあんまり無理せず、ジタバタしないで書いていきたいなと思ってます。 林:この本を読むと、やっぱり夫婦っていいなと思う。最近は一人で生きることがカッコいいという風潮もあるけど、愛する人とめぐり合って、人生を共にするってこんなに尊いことなんだと再認識しましたよ。こんなにも自分を理解してくれて、魂ごとわかり合える人と出会えて、藤田さんはほんとに幸せな人だったなと思う。 小池:二人とも作家になりたくて、実際に作家になったという背景があるから、平均的な夫婦が交わす会話の100倍、千倍ぐらいの言葉を交わしてたと思うんです。だからケンカになったり、家を飛び出したりもしたけど、言葉をやりとりすればするほど、否が応でも相手のことを理解しちゃいますよね。ほとんどのことはわかってたつもりです、彼のことは。 林:この本が何よりもの手向けになりましたね。私も、夫をもっと大事にしないと……。今日は本当にありがとうございました。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 小池真理子(こいけ・まりこ/1952年、東京都生まれ。成蹊大学文学部卒。出版社勤務を経て、78年にエッセー『知的悪女のすすめ』を発表。89年「妻の女友達」で日本推理作家協会賞、96年に『恋』で直木賞、98年に『欲望』で島清恋愛文学賞、2006年に『虹の彼方』で柴田錬三郎賞、12年『無花果の森』で芸術選奨文部科学大臣賞、13年『沈黙のひと』で吉川英治文学賞を受賞。近著に『死の島』『神よ憐れみたまえ』など。最新刊はエッセー『月夜の森の梟』。※週刊朝日  2021年12月10日号より抜粋

    週刊朝日

    17時間前

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    1年に3日しか休めなかった心臓外科医が、働き方も診療の質も劇的に改善させた「業務改革」とは

     忙しい医師の世界のなかでも、とりわけ多忙と言われる心臓血管外科医。神奈川県の菊名記念病院・心臓血管外科部長の奈良原裕医師も、これまで「年に3日しか休みがない」という生活を送っていた。こうした働き方では「医療の質も担保できない」と危機感を覚えた奈良原医師は、業務改革に取り組み、働き方のみならず診療の質を向上させることにも成功した。会社員を経て医学部に入り、38歳で心臓外科医になったという“異色”の医師は、どうやって心臓血管外科を変えていったのか。<<前半・偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生>>から続く *  *  * 北陸新幹線の佐久平駅から車で30分。長野県佐久穂町立千曲病院に、奈良原医師は毎週金曜日、東京から片道2時間半かけて日帰りで勤務する。 「佐久穂町は意外と近いですからね。以前は、片道3時間半かけて新潟県・松之山や5時間半かけて北海道・木古内に日帰りで診療に行っていました」  奈良原医師は、中央大学法学部を卒業後、一般企業での4年半の社会人経験を経て、29歳で医学部に合格。35歳で卒業後、激務ゆえ学会では「30歳以下でなることが望ましい」と言われるという心臓血管外科医を38歳からめざしたという“異色”のキャリアをもつ。  現在、常勤先である菊名記念病院の心臓血管外科部長として多忙な日々を送るなか、奈良原医師は週に1回、医師不足の町へと日帰りで診療を行っている。だがそれができるまでには、10年にわたる心臓血管外科の業務改革が必要だったという。 ■「1ヶ月のうち91%は病院で過ごしていた」  10年前、菊名記念病院心臓血管外科は、奈良原医師とその上司の2人で切り盛りしていた。病院のそばに住んではいたものの、家に帰ることはほとんどなく、病院に泊まることもしばしばだった。 「振り返ってみると、1ヶ月のうち91%は病院で過ごしていたようです。一番ひどい年は、年間の休みは3日だけ。そのうち1日は地方の結婚式に、残りの2日間は学会に出席していました」  奈良原医師が同病院で働き始めた2008年ごろ、患者の50%以上は救急患者だった。救急で来るということは当然、緊急性が高いため、すぐに治療しなければならない。夜中に飛び起きて手術、外来で待合室に患者がいても手術を優先する、という日常生活を送っていた。手術が終わっても一段落とはいかない。重症患者の場合、術後の不整脈や再出血など、さまざまな対応をしなければならなかった。  重症ゆえに日曜日も入院患者の様子を見る必要があった。別の診療科の医師がすぐ対応できるほど、心臓手術後の患者の対応は「甘くない」という。結局、週7日で勤務する日々が続いていた。 「1人の患者に対する業務量はかなり多い。忙し過ぎれば医療の質が落ちる可能性もあるし、場合によっては安全性も担保できないかもしれない。このままではだめだ、という危機感がありました」 ■起死回生のFacebookで「いいね」3000超え  そこで上司と一緒に始めたのが、Facebookでの情報発信だ。「当時、病院がSNSで情報発信するのは珍しかった」と奈良原医師は振り返る。内容は、診療に当たって日頃思っていることや一緒に働く仲間のこと、今日食べたランチなど心臓血管外科医の日常をありのままにつづるというもの。これを写真とともに投稿したFacebook記事には3000以上の「いいね」がつき、先駆的な試みとして医療系のメディアで紹介されることもあった。 「発信の目的は自分たちを知ってもらうこと。私たちの人となりを見てもらって、患者さんや他院から少しでも信頼していただけたらと。その結果、こんな先生がいるからここで手術してもらってはどうですかと、他院から患者さんたちが次第に紹介されるようになりました。紹介患者さんの手術は緊急ではなく予定された手術としてスケジュールが組めるので、看護師さんたちも含めて仕事がやりやすい。仕事の予定が立つというのは、救急患者ばかりのそれとは負担感が全く違います。結果的に、手術後の患者さんの病状も安定していることが多くなります」  手術前の診療にも良い影響があった。紹介で来院した患者と話すと、「先生のことはFacebookでよく見ています」「このあいだ投稿していたお弁当、おいしそうでしたね」と話が始まる。初対面でもうち解けた雰囲気で、患者との信頼関係をつくることができた。  さらにFacebookを見た医療関係者のなかから、この病院で働きたいという若手があらわれた。働き方改革だけでなく、仲間を増やすこともできたという。  休みがほぼない状況で働きつづけて10年。二人の部下ができたおかげでやっと週に1日の休日を手に入れた。しかし奈良原医師は「休みができたからには、何か世の中のためになることをやりたい」と考え、空いた時間を地域医療に使うことにした。社内で評価されることを第一に考えて働いていた会社員生活を捨て、人のために働きたいと思って医師の道へ――。そのときの思いが自分を突き動かしたという。 「地方では、6、70代、場合によっては80代の先生が一人で頑張って医療を支えているところも多い。また、必要な専門医が不在なため医療が不十分となっている地域もあります。そこで医師不足で困っているところのお手伝いをしようと考えました」  全国自治体病院協議会という団体に相談し、2016年、新潟県十日町市の松之山診療所で診療を始めた。 「ある先生がたった一人でやっている診療所なのですが、その先生は午前中に別の診療所で働き、午後にそこから車で1時間近くかかる松之山診療所に来るという働き方をしていました。医師が足りていないため、そうせざるをえないようでした。週に1日だけでも支援してくれるとありがたいということで、毎週金曜日に日帰り診療に行くことになりました」 ■都市部と地方の交流で医療格差を解決したい  地方では「こんな遠いところまで日帰りで来てくれる医師はいないだろう」という発想になりがちだと奈良原医師は言う。 「だからニーズがあるのに、それを上手く生み出せていません。でも今は、新幹線をはじめとして交通も発達しているから、都市部から地方に日帰りすることも可能です。また、会社もそうですが、4月になって人が入れ替わると、組織が活性化しますよね。外部の医師との交流が生まれることは、地方にとってもいい効果があると思っています」  奈良原医師は今、自身のSNSで、佐久穂町への日帰り診療の様子を発信し続けている。診療のことだけでなく、食べたものや町で行われたイベントについてなど、話題はごく身近なものも多い。 「都市部と地方の医師の交流が進めば、医師の偏在や地域間医療格差の解決につながるのではないかと、本気で思っています。どちらの医師にとっても、またそこで暮らす患者さんたちにとっても良い流れになったらいいなと思って、楽しみながら日帰り診療を続けています」 (白石圭) <<前半・偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生>>から続く

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    振り返った猫を見て「まさか顔に穴?」 ガリガリの一匹を保護した夫婦「どうか猫バンバンを」

     飼い主さんの目線で猫のストーリーを紡ぐ連載「猫をたずねて三千里」。今回お話を聞かせてくれたのは、福岡県在住のヨガ講師、児玉妙子さん。自営業の夫と高齢猫とのんびり暮らしていた夏の終わり、家の前で一匹の三毛猫と出会いました。その猫は顔に大けがを負っていて、獣医師によると「傷口からしてエンジンルームでの事故」だそうです。保護から3カ月、奇跡的ながんばりをみせる猫のこと、今の思いを話してもらいました。 ◆三毛猫に声をかけると、振り返った顔が……  8月末の夕方のこと、仕事から帰ってくる時に、自宅の前をふらーっと歩く猫さんをみかけました。毛がぼさぼさで体もガリガリな三毛猫です。  私は日ごろから、猫さんを見つけると「おーい」と声をかけるタイプなので、いつものように呼んだのですが、振り返った瞬間、「きゃっ」と叫びそうになりました。鼻や上唇がなく、顔に穴が空いているよう……。  こわごわ見ると、何かでスパッと顔を削られたような感じです。 「なんか猫とは思えない猫さんがおる、顔がめちゃくちゃで」  急いで家にいた夫を呼びました。遠巻きに見ていると、猫さんはブロック塀を登ろうとしながら(力が入らないのか)難儀していました。  猫さんを病院に連れていこうと決め、キャリーバッグにいれました。ところが、受け入れてくれる動物病院がなかなか見つからない。  事前に「こんなけがを負って痩せた野良猫さんがいるんですが、連れていっていいですか?」と電話で説明すると、「状況からして人獣共通感染症もありそうだし、うちは無理」とか、「連れてきても無駄です」とことごとく断られてしまった。でも一カ所だけ、診てくれる動物病院が見つかり、車で連れていきました。  先生は猫さんの傷口を見て、「かなり鋭利なもので切れている。これはおそらく車のエンジンルームに入ったことによる事故でしょう」と診断しました。  虐待とかの傷ではないなと私も素人ながら思っていたのですが。ファンベルトが回った瞬間に顔が触れて、一瞬にして切れたようでした。一時期、車のボンネットをバンバンと叩いて猫さんに知らせる(車から出す)「猫バンバン」がネットでも話題になりましたが、入り込んでしまう猫さんは実際にいるものなのです。  診察した上で先生は、今後の見通しを冷静に説明してくれました。 「純然たる野良だと人にお世話をさせてくれないことがある。もし、人間のお世話を受け入れてくれたら“生きる芽”があるけれど、受け入れなければ難しい。受け入れたとしても、基礎疾患もあるのでかなり厳しい」と。  ただ、奇跡的に口と目は無傷で、鼻も“機能”は失われておらず、匂いを感じることができるようでした。匂いがわかるということは、ごはんを食べられるということです。望みがありました。  ……動物病院で抗生剤の注射とノミ、ダニの駆除をして、抗生剤や止血剤などをもらい、猫さんを家に連れて帰りました。自宅で、できる限りのケアをしてあげようと思ったのです。緊急のケアのために、自分で開いているヨガの教室も、何日かお休みしました。 ◆動じない猫さん、悟りを開いて肝が据わっていた  けがをした猫さんには、玄関に置いたケージで、“借りぐらし”をしてもらうことにしました。  なぜ玄関かというと、家には15歳の「きな」という茶トラのおばあちゃん猫がいたからです。  猫さんは、白血病ウイルスは陰性、猫エイズが陽性でした。2度目に病院に連れて行った時にわかったことでし。猫さんは生命の危機はいったん脱しましたが、傷がひどいので、「きな」といきなり接触させないように隔離することにしたのです。  正直なところ、家に入れるにあたり、私も夫も、先住の「きな」に対して申しわけない気持ちもありました。一般的に、猫さんは新入りが苦手ですよね。ひと悶着あってだんだんと慣れていくような感じで。高齢の「きな」にはストレスを与えたくないし。  そうした先住猫への思いもあり、すぐに保護した猫さんに名をつけることもためらわれて……ちょっと言葉は悪いけど親しみも込めて、猫さんのことはしばらく「あいつ」と呼ぶことにしました。  周囲に聞くと、「あいつ」は地域猫で、2015年頃に“おとなの猫”としてわりと近くで目撃情報がありました。だから年齢は若く見積もっても7~8歳。ずっと外にいたのに、いきなりのケージ暮らしでしたが、“悟り”を開いたようにおとなしくて。ケージのドアは、出ようと思えば出られる簡単な作りでしたが、中でじっとしていました。  けがの処置は、初めのうちは抗生剤と止血剤をウエットフードに混ぜてあげていました。薬入りをちゃんと食べてくれましたよ。食べることに執着があるのか、朝夕、食事の時間になると立ち上がって“人間、メシくれ、メシ”というように騒ぎますが、それ以外は静か。肝が据わってる感じでした。  大きな音も平気。掃除機をかけてもおびえず、それどころか、(ケージの隙間から)前足を延ばして、掃除機を叩こうとしたり。  だから、「『あいつ』は、動じない。すごいよね」と夫とも話していました。  平然と話しているように思われるかもしれないですが、私は初めの頃に顔のけがを正視できず、眼鏡の上にさらに大きめのサングラスをして、視界に制限をかけてケアをしていたんです。  その点、夫は冷静でした。夫は実家でもずっと猫のいる環境で育ってきていたので、猫を許容する力も大きく、猫を愛する用意もすごくできていた。 「あいつ」は、けがのせいでグルーミングができず皮膚にノミの糞がそのまま残って、抜け毛もそのまま絡まって、それでぼさぼさしていました。シャンプーをしても毛の絡まりがほぐれなかったので、夫が毎日、櫛でせっせと梳いてくれました。  夫の理解があったからこそ、「あいつ」のケアもわが家でできました。夫がいなければ、玄関に置くことすら無理だったでしょう。  家に来て2カ月くらいすると、「あいつ」に変化が起きました。 >>【後編:15歳の茶トラ愛猫の看取りと旅立ち 「ここにおるよー」瀕死の借りぐらし猫が喪失感を埋めた】 に続く (水野マルコ) 【猫と飼い主さん募集】「猫をたずねて三千里」は猫好きの読者とともに作り上げる連載です。編集部と一緒にあなたの飼い猫のストーリーを紡ぎませんか? 2匹の猫のお母さんでもある、ペット取材歴25年のベテラン・水野マルコ記者が飼い主さんから話を聞いて、飼い主さんの目で、猫との出会いから今までの物語をつづります。虹の橋を渡った子のお話も大歓迎です。ぜひ、あなたと猫の物語を教えてください。記事中、飼い主さんの名前は仮名でもOKす。飼い猫の簡単な紹介、お住まいの地域(都道府県)とともにこちらにご連絡ください。nekosanzenri@asahi.com 連載一覧はこちら>>

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    小池真理子も驚いた夫の“切ない愛の言葉” 「よくそんなセリフが…」

     昨年、作家で夫の藤田宜永さんを亡くされた小池真理子さん。作家・林真理子さんとの対談では、藤田さんの闘病や死をつづったエッセー『月夜の森の梟』を刊行した理由を明かしてくれました。 *  *  * 林:お久しぶりです。軽井沢はもう冬の装いですか(取材は11月初旬)。 小池:そうですね。今年の秋は例年より暖かいんですけど、冬はすぐそこまできてる感じです。 林:小池さんの最新刊『月夜の森の梟』は、朝日新聞に連載していらしたエッセーをまとめたものですが、連載中からすごい反響だったんでしょう? 小池:そうなんです。連載を始めたのは去年の6月からだったんですけど、最初の1、2回は感想メッセージがポツポツって感じだったのが、回を重ねるうちにトータルで千通ぐらいメールや手紙をいただいて。 林:亡くなったご主人の藤田宜永さん(作家)との思い出を、素晴らしい文章でつづったエッセーですが、読者からのお手紙を読んで、つらくなったりしませんでした? 小池:ううん。私は読むのがすごく楽しみでした。感想をくださるのは死別を経験した方が多かったです。配偶者だけじゃなくて、両親や兄弟姉妹、恋人、ペットとかいろいろで、一つひとつの手紙にその人の人生が詰まっているんです。「週に1回、この連載を読むと滂沱(ぼうだ)の涙になってしまうので、家族から離れて、誰にも見られないところに新聞を持っていって読んでいます」とか。 林:私も毎週読んでいました。軽井沢の四季を織り込みながら、人が生きるとはどういうことか、死とはどういう意味を持つのか、毎回短い文章でよくここまで掘り下げて書かれて、しかもそれがさりげなくて、作家のワザをみせられたという思いでしたよ。今回、一冊の本にまとまったものを読むと、毎回毎回、同じ感想を持つものがないってすごいなと思いました。 小池:「藤田さんのことを書きませんか」という依頼を受けたのが去年の4月でした。亡くなったのは1月30日だから、まだ2、3カ月しかたっていなかったですね。私はぜんぜん仕事ができない状態だったし、以前の自分とはまったく違う精神世界の中にはまっていた時期でした。すごく迷いましたが、作家って、新しいものを書くときに、何かしら「たくらみ」があるものでしょう。でも、新たな境地なんか切り開こうとしなくていいから、ただただ悲しみにひたっているこの風景を、散文詩のように書いていけるのであれば、と思って引き受けました。 林:ああ、散文詩のように。 小池:散文詩って起承転結もないし、散文的な文章なら、自分のこの悲しみを、正直にてらいなく書けるんじゃないかと思ったんですね。たくさんの野鳥が毎年卵を産んで元気なヒナがかえり、キツネやテンが行き来している。そういった自然界の法則って、私がどんなに嘆き悲しんで孤独にあえいでいても、それまでどおりの秩序の中で淡々と繰り返されていくわけですよね。そんな世界に自分を放り込んで暮らしているうちに、自然と言葉が生まれてきたみたいです。 林:藤田さんは、亡くなる少し前に「年をとったおまえを見たかった。見られないとわかると残念だな」とおっしゃったとか? こんな切ない愛の言葉、聞いたことないというぐらいすごいですよ。やっぱり藤田さん、作家なんですよね。 小池:病気になってからは、それに類することをよく言ってました。生き続けたかったんだと思います。「俺は三島が好きだったけど、今は太宰治になった」とか言って、太宰の虚無主義的な生き方を参考にして、自分の死を一生懸命受け入れようとしてたんですけどね。でも、死が近づけば近づくほど、この人は今、本当に生きたがっている、死にたくないんだ、というのが伝わってきてつらかったです。どれだけがん細胞に侵されても、「生きたい」と願っていた。そういう状態の中で、よくそんなセリフが出てきたな、と今は思います。 林:本当にそうですね。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 小池真理子(こいけ・まりこ/1952年、東京都生まれ。成蹊大学文学部卒。出版社勤務を経て、78年にエッセー『知的悪女のすすめ』を発表。89年「妻の女友達」で日本推理作家協会賞、96年に『恋』で直木賞、98年に『欲望』で島清恋愛文学賞、2006年に『虹の彼方』で柴田錬三郎賞、12年『無花果の森』で芸術選奨文部科学大臣賞、13年『沈黙のひと』で吉川英治文学賞を受賞。近著に『死の島』『神よ憐れみたまえ』など。最新刊はエッセー『月夜の森の梟』。※週刊朝日  2021年12月10日号より抜粋

    週刊朝日

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    日本はなぜ、フランスのように動物愛護法で犬猫を守れないのか 繰り返される政争

     冷たい雨が降っていた9月2日、長野県松本市内の山中にある繁殖業者「アニマル桃太郎」の繁殖場では早朝から、長野県警の捜査員らによる家宅捜索が行われていた。2階建ての建屋の中には、繁殖用の犬約500匹が狭いケージに詰め込まれていた。  犬たちの激しい鳴き声が響き渡る中、トイプードルやポメラニアン、柴犬などが次々に運び出されてくる。遠目にも、多くが薄汚れていて、長毛種では体が毛玉に覆われているものもいるのがわかる。防護服に身を包んで出入りする捜査員の一人は、「中は臭くて息ができない。吐きそうだ」と話した。  同県警は11月4日、十数年以上前から犬の繁殖業を営んでいた男ら2人を動物愛護法違反(虐待)容疑で逮捕した。劣悪な環境で衰弱させたり、病気になったのに適切な処置をしなかったりして362匹を虐待した疑いがある。男らは、市内2カ所で計約1千匹を飼育し、繁殖した子犬を埼玉県内のペットオークション(競り市)を利用してペットショップに販売していたという。  フランスで11月18日、2024年以降にペットショップでの犬猫の販売を禁じる動物愛護法が成立した。一方で日本では、アニマル桃太郎のような劣悪な繁殖業者が長く営業を続け、そこで繁殖された子犬や子猫が全国のペットショップで売られている。日本でも、繁殖業者やペットショップに対する規制の強化は、過去4回の動物愛護法改正のたびに議論されてきた。だが、ペット関連の業界団体の激しい抵抗により、思うように規制強化が進んでこなかった現実がある。  12年の動物愛護法改正の際には、幼すぎる子犬・子猫の心身の健康を守るため、生後56日を超えるまで販売を禁じる「8週齢規制」の導入が検討された。  8週齢規制には、ペットショップでの販売状況を適正化する効果も期待されていた。子犬・子猫にぬいぐるみのようなかわいさがあるとされる生後40~50日ごろにショップ店頭に陳列できなくなり、消費者の衝動買いを抑制できる。  離乳後も一定期間、繁殖業者のもとで飼育しなければならないため、人手やスペースの問題から、これまでのような大量繁殖はしにくくなるとも見られている。  米、英、フランス、ドイツなど欧米先進国の多くで以前から導入されていた。特に英国イングランドでは20年から、生後6カ月未満の子犬・子猫を大手業者が売買するのを原則禁止。実質的にペットショップでの展示販売を困難なものにすると、期待されている。  日本でも子犬・子猫の大量繁殖、大量販売が行いにくくなると危機感を募らせたペット業界は強く反発した。このときの改正では結局、動物愛護法の本則に8週齢規制が盛り込まれたのだが、二つの「附則」がつけられ、「骨抜き」にされてしまった。  法律上は8週齢規制が実現したはずなのに、附則により、販売禁止の期間が当初3年間は生後45日まで、4年目からは生後49日までとされたのだ。しかも、「別に法律で定める」ことがない限り、販売禁止期間は56日にはならない。「全国ペット協会」や「ペットフード協会」、「ジャパンケネルクラブ」などの業界団体が一致団結してこぞって反対。政治家らに強く働きかけた結果だった。  19年の4度目の動物愛護法改正の際にも、ペット関連の業界団体は積極的に動いた。このときのテーマは大きく二つ。8週齢規制の完全実施と、ペットショップや繁殖業者の飼育環境について数値を盛り込んだ具体的な規制(数値規制)を導入することだった。ペット業界は、ペットフード協会の石山恒会長(当時)が中心となって16年、全国ペット協会など10団体とアニコム損害保険など業界関連企業6社(いずれも当時)による新団体「犬猫適正飼養推進協議会」を設立。人と資金を結集して規制強化に反対した。  一方、超党派の「犬猫の殺処分ゼロをめざす動物愛護議員連盟」(会長=尾辻秀久参院議員)が中心となって改正案を取りまとめていく過程で、演出家の宮本亞門さんや音楽評論家の湯川れい子さん、俳優の浅田美代子さん、とよた真帆さん、杉本彩さん、ミュージシャンの世良公則さんら影響力のある著名人が次々と規制の重要性を発信。社会的に、規制導入を後押しする声が高まった。こうした流れを受けて、19年に入るとペットショップチェーン大手のコジマやAHB、ペッツファーストが次々と規制に賛成の姿勢を表明。マイクロチップ装着義務化を目指していた日本獣医師会も、8週齢規制容認に転じた。  ペット業界側も自民党の政治家に多額の献金をするなどして働きかけを強めたが、19年6月、改正動物愛護法が成立。環境省令による数値規制導入が実現することとなり、8週齢規制の附則も削除された。ただ「どんでん返し」もあった。8週齢規制について、岸信夫衆院議員が会長(当時)を務める「日本犬保存会」と遠藤敬衆院議員が会長を務める「秋田犬保存会」が反対の姿勢を堅持。法案を取りまとめる最後の段階で、超党派議連側が譲る形で、柴犬や秋田犬など日本犬6種についてだけ、生後49日を超えれば繁殖業者が消費者に直接販売できるよう、またも「附則」がつけられてしまった。  犬猫適正飼養推進協議会は法改正後も粘った。数値規制の具体的な内容は省令で定めることになったため、今度は、その規制水準を巡ってロビー活動を始めた。19年11月、中央環境審議会動物愛護部会に出席した石山会長は、犬の寝床の大きさとして「高さ=体高×1・3」「幅=体高×1・1」という、犬がほとんど身動きできない数値を主張するなど激しく抵抗。「犬や猫に携わる多くの人々の営みに重大な影響を及ぼす」などとして、政治家に働きかけたり、複数のメディアに意見広告を掲載したりした。  こうしたなかで環境省は昨年、英国やドイツ、フランスなどの規制のあり方を参考にしつつ、国内の動物行動学の専門家からの知見を集めて、省令を取りまとめた。従業員1人あたりの上限飼育数を繁殖用の犬では15匹、猫では25匹までとし、メスを交配に使えるのは原則6歳までにするなど、一定の前進は見られた。  ただ、特に問題視されていた、繁殖業者が狭いケージに入れっぱなしにする詰め込み飼育への対策としては、平飼い用ケージの面積を体長30センチの犬なら最低「1・62平方メートル」とし、そこに2匹まで入れられるという内容になった。すべての犬の飼い主を対象に規制を定めるドイツでは、体高50センチまでの小型犬用の平飼いケージの広さは、1匹あたり最低「6平方メートル」と規定。また、業者を規制対象とするフランスでは、犬1匹あたり最低「5平方メートル」だ。日本の規制は、これらの半分にも満たない。  さらに交配の上限年齢やケージの面積(容積)については、施行までに1年の猶予期間を設定。従業員1人あたりの上限飼育数に至っては、完全施行を24年6月まで先送りした。ペット業界への影響を考慮した結果だ。    そのうえ環境省は、従業員の数え方に関して法定労働時間(1日8時間、週40時間)を持ち出し、その時間内で2人以上の職員が週に計80時間労働すれば、30匹の繁殖犬を飼育することが可能だとした。仮に、Aさんが1日8時間×5日(週40時間)、Bさんが1日4時間×5日(週20時間)、Cさんが1日4時間×5日(週20時間)働くとする。ある1日を切り出してみれば、Aさん1人で30匹の繁殖犬の面倒を見ている日もあれば、午前中4時間はBさん1人、午後の4時間はCさん1人で引き継ぐ日もありうる。環境省動物愛護管理室は「1人しかいない状態は望ましくない。勤務が偏っているような業者があれば、自治体は指導してほしい」としているが、「保育士の配置基準などと比べ、明らかに変則的な解釈」(細川敦史弁護士)になっている。  ペット関連の業界団体の力が強い日本において、19年の動物愛護法改正は、大きな前進だったことは確かだ。だがそれでも、フランスをはじめとする欧米先進国のように、ペットショップにおける大量販売、ひいては繁殖業者による大量生産を困難にし、優良な繁殖業者(ブリーダー)からの直売に誘導していこうとするほどの規制水準にはならなかった――というのが現実だ。  8週齢規制も数値を盛り込んだ新省令も今年6月に施行されている(新省令の一部を除く)。これらの規制をもってしても繁殖業者やペットショップによる飼育環境が改善されなければ、次の動物愛護法改正では、繁殖業について許可制導入が視野に入ってくると考えられる。消費者の意識の高まりが、不買運動などにつながる可能性も否定はできない。その先には、今回フランスが決断したような、ペットショップでの犬猫の販売禁止が議論の俎上(そじょう)にのることもあるかもしれない。  一方でペット業界も、巻き返しをはかってくるだろう。今年春以降、競り市の業界団体「ペットパーク流通協会」や一部の大手ペットショップチェーンなどが、自民党を支持する職域団体結成の動きを見せている。入会を呼びかける文書を入手すると、そこには「次回の法改正に向けて、ペット業界も(中略)政治的な活動が可能な組織を、検討しております」「これ以上の不利益な法律になることは避けなければなりません」「建設業や医療、保育、理容業などに続く、全国組織を形成していきます」などと書かれていた。  動物愛護法は施行後5年をめどに、見直しが行われる。5度目の改正に向けた議論は、早ければ24年にも始まると見られる。 (朝日新聞 文化くらし報道部 太田匡彦)

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    家を買うのが早すぎた?「子ども部屋を見ると悲しくなる」 戸建て購入37歳共働き夫婦の後悔

     晩婚化に伴い、マイホーム購入の平均年齢が上がっている。金融機関が貸してくれる時代とはいえ、ローンは早めに完済したほうがベターだ。それでも人生は予期せぬことが起こりうるもの。リアルな事例や最近の不動産事情を探った連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。今回は、20代で計画的に購入した夫婦の事例から、戸建てを検討する際にどんなことを考慮すべきなのか。専門家に聞いた。 *      *  *「家を買うのが早すぎたのかもしれない……」  神奈川県で夫と2人で住んでいるAさん(37)は、10年前に家を建てたことを悔やみ始めている。  Aさんは「若い頃から将来設計をしっかり立てておきたいタイプだった」というように、25歳での結婚を機に、ファイナルシャルプランナーに収入に応じたライフプランを相談。「住宅ローンのことを考えても、家を買うなら早いに越したことはない」というアドバイスのもと、27歳で新築一戸建てを購入した。  夫婦ともに地方出身で、広々とした戸建で育ってきたことから、マンションは選択肢になかったという。カフェ風のお洒落なインテリアを実現したいとの思いから、注文住宅でそのこだわりを実現した。 「これから子どもを産んで家族も増えるはず」  広めの子ども部屋も構え、期待で胸を膨らませながらマイホームでの暮らしを満喫していた。  ところが翌年、Aさんにがんが発覚。幸い大事には至らずに済んだが、手術を経て子どもができづらい体になってしまった。気づけば、高校や大学の同級生らは出産ラッシュ。 「今、子ども部屋を見ると、何とも言えず悲しい気持ちになります」(Aさん)  戸建てへのこだわりを優先した分、交通の便は犠牲にしていた。共働きで、満員電車に揺られ、片道約1時間半かけて都心へ通う日々。駅から家まで徒歩25分と距離が遠く、家から駅までは自転車が欠かせない。退院後に長時間通勤は正直、つらかった。  昨年からのコロナ禍で「戸建てでよかった」と思い直したかというと、そうでもない。確かに、残業が多く深夜帰宅が当たり前だった日常は、コロナの影響で一変した。夫婦ともにテレワークが基本となり、出社は月1~2回。感染状況が比較的落ち着いている今もテレワーク中心であることは変わらず、以前に比べて格段に自由な時間が増えた。  プライベートを充実させようと、海辺に引っ越した同僚もいるという。Aさん夫婦が家を建てたのは住宅街。特段、緑の多いエリアでもない。 「今の家は、都心への通勤を考えて、自分たちが無理ない範囲で戸建が持てるエリアということで決めた場所。都心へのアクセスも周辺の環境も、言ってみれば中途半端な郊外の住宅地です。こんな状況になるなら、もっと自然豊かな場所に住むか、仕事中心のライフスタイルに合わせて都心のマンションという選択肢でも良かった」(Aさん) ◆ 商業施設が撤退する地域は値段に響く  人生、いつ何が起きるか分からないのは万人に共通すること。専門家にも相談し、長い目で見て良かれと判断し、早めに行動したAさんのような人でも、予測できない事態に後悔することがある。どんなことに留意すべきなのか。Aさんのケースを検証しながら、ポイントを整理していこう。 「家を買う時には、『もし自分がそこで住めなくなったら』という仮定をして考えてみることが大事です」   不動産コンサルタントの午堂登紀雄さんは、Aさんの例についてこう指摘する。想定外のことが起こり、もし自分がそこで住めなくなった場合は、人に「売る」か「貸す」か、どちらかの選択肢しかない。 「だからこそ、何かあったら『売れる』、もしくは『貸せる』物件を選ぶ視点が必要です」(同)  ここで改めてAさんの家の立地について整理しよう。Aさんの家は、最寄り駅から徒歩25分。晴れた日は自転車で駅まで向かい、駅に隣接する駐輪場に駐車する。雨の日はバスを利用するか、急いでいる時はタクシーを呼んで駅まで向かうこともあった。最寄り駅から都心のターミナル駅までは、乗り換え1回を挟み、1時間超かかる。通勤時間帯には郊外から通勤する乗客がひしめき、特に朝のラッシュ時間の満員電車は過酷な状況だった。  午堂さんは言う。 「駅から徒歩15分を超えた立地や、バスを利用しなくてはいけない立地など、アクセスの悪さは想像以上に売る時の値段に響いてきます。また郊外のニュータウンなどの高齢化が進む地域や、周辺の商業施設が撤退するなど衰退が進む地域も要注意。いざという時に売りにくくなり、資産価値が低下しやすい」 ◆ 実は「建売住宅」のほうが次に売りやすい  主に都市部で売れる物件の条件については、前回の記事に詳述しているが、Aさんの場合はマンションでなく戸建であることもポイントだ。戸建には思わぬリスクもあるという。 「一般的に戸建は、建物が木造であることが多いため、鉄筋コンクリート造であるマンションに比べ、価格が下落するスピードが早い。また、木造住宅の価値は、築20~24年前後でほぼゼロと評価されることから、土地だけの価格になってしまうことが多いのです」(午堂さん)  その土地代も、手放したいと考えるときには価値が下がってしまうこともある。例えば郊外の新築一戸建を買って数十年が経過した後、売却したいと考え、土地部分の価格のみで売りに出す。しかしなかなか買い手が現れないために土地部分の価格も下げることを余儀なくされ、結果的に大幅に資産価値を下落させてしまうケースもよく見られるという。  さらに、こだわりを実現するための「注文住宅」という点にも、意外な落とし穴が潜んでいる。実は一戸建の場合、一見ぜいたくなほど細部にこだわった注文住宅より、建売業者が建てたよくある間取りの建売住宅の方が売りやすい場合も多いという。これまで6千件を超える不動産取引を行ってきた不動産コンサルタントの後藤一仁さんは言う。 「なぜなら建売業者は、建物を建てる前に、そのエリアの需要の傾向や価格相場などのマーケット調査をし、それを基に万人に受けるであろう外観デザインや間取り、建具、設備、内装などにしていることが多いからです。自分仕様にこだわって建てた注文住宅が、リセール時の買い手に気に入ってもらえれば良いのですが、その個性が逆に買い手を狭めてしまい、結果的に売りにくくなってしまうことがあります。住宅においてはある意味、“個性のなさ”が買い手を限定させず、売りやすさを高めるとも言えます」 (松岡かすみ) >>【後編:マイホームは「子ども部屋なし」がトレンド?! 勉強部屋に風呂なしアパートを借りる賢い選択】に続く

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    なぜ小室眞子さんは圭さんに必死だったのか 秋篠宮さまのよそよそしさから読み解く

    「夫の方については」「面会していた時間が20分位」「何か印象に残ることというのは特にありません」――。  秋篠宮さまの56歳の誕生日会見で国民が感じたのは、長女眞子さんの夫、小室圭さんへのよそよそしさだった。   もともと秋篠宮さまは、記者会見において家族を名前で呼ぶことはほとんどない。眞子さんや佳子さま、悠仁さまについても「長女」「次女」、「長男」といった呼び方をしていた。  一方、小室圭さんについては、婚約が発表された2017年や翌18年の誕生日会見では、<小室さんの印象ですけれども>、<小室さんに関わること、これが毎週のように週刊誌等で報道されていることはー>と自然な流れで名前を出していた。それが、令和の世に移った翌19年は、<小室家とは連絡は私は取っておりません>と、どこか他人行儀な表現を選び、翌20年の会見では、「小室」という名前すら出さなかった。  そして今年。圭さんは、長女の夫という「家族」になったとはいえ、圭さんを「夫の方」と呼び、圭さんが結婚前にあいさつに訪ねてきたひとときを、「面会していた時間は20分位」と話し、距離感を感じさせる表現だった。  圭さんが秋篠宮邸を訪問した10月18日、秋篠宮夫妻は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑秋季慰霊祭への臨席という公務があった。とはいえ、数日後に結婚する娘の結婚相手と食事をともにすることもなく終了したという現実は何を物語るのか。  秋篠宮さまは先の会見で、結婚に伴う儀式を行わなわないと判断を下したのは「私の独断」だと明かした。さらに、皇室の行事が「非常に軽い」印象を与えてしまったと、苦汁をにじませた。  儀式を行わなかった理由は、小室さんが金銭トラブルについて春に公表した28枚の文書にあった。 <この春に娘の夫がかなり長い文書を出したわけですね。(略)あれを読んでどれぐらいの人が理解できるか><これはもう私の独断です、私の個人の考えとして、あれを読んでみんながすぐに状況を整理して納得できるというものではないと私は判断しました>  さらに、10月26日の結婚会見についても、自身が思う形とは異なっていたと胸中を吐露した。 <双方向での会見という形にしてほしかった><私としては自分の口からそのことについて話をして、そして質問にも答える,そういう機会があった方が良かった>  秋篠宮さまが口にしたように、金銭トラブルについての説明も本来は、小室さんが自分の口から説明すべきものだろう。小室圭さんが内親王の結婚相手として祝福できる存在足り得なかったことも、会見の言葉から伝わってくる。 こうした父親の気持ちをよそに、眞子さんは、圭さんに留学を進言しただけでなく、金銭トラブルについても一貫してかばい続けた。  なぜ、内親王がここまで必死になったのだろうか。  眞子さんとよく世間で比べられる黒田清子さんの場合も実は、結婚相手へ相当の配慮があったという。   清子さんは、当時の天皇ご夫妻の長女。内親王のなかでも、身位の高い皇女という立場だ。清子さんもまた、結婚相手である黒田慶樹さんに関する細かな情報を公表することについて、積極的ではなかった。  上皇后美智子さまや皇后雅子さまが結婚した時代は、結婚相手の家系図が報道されるのは、当たり前という感覚であった。両親はもちろん親族の職業や出身地なども詳細に、国民の知ることとなった。 「しかし清子さんからは、黒田慶樹さんと結婚するにあたり、相手がどういう人であるといった細かなことまで、自分たちから情報を提供することは、好ましくない、という考えであった」(当時の事情を知る人物)  清子さんが相手の情報をつまびらかにすることに難色を示した背景には、「皇族という立場の自分と結婚してくれる相手なのだから、迷惑をかけたくない」という考えがあったのだという。  多くの女性皇族にとって、結婚は皇室の外に出る平和的な手段でもある。ある皇族女性は、「皇室から出るためには結婚しかない」と吐露したという。佳子さまも、早く皇室を出て民間で暮らしたいとの考えを持っているとの話も聞こえてくる。  皇室に仕えてきた人物は、こう分析する。 「皇族と結婚する相手は、マスコミに追いかけられ、プライバシーもない生活に巻き込まれる。そうしたリスクを受け入れても自分と結婚してくれる相手は、できる限り守りたいという心情をお持ちになるのは、自然なことです。秋篠宮さまの会見からは、小室圭さんに対する複雑な心境が明確に伝わりました。一方で、眞子さんは、世間には不自然に思えるほど相手をかばい続けました。逆にいえば、皇族が『私のような立場にある女性と結婚してくれる相手』という心情にならざるを得ないほど、追い込まれている現実がある、ということでしょう」  秋篠宮さまも、眞子さんの結婚が「皇室に影響を与えた」と懸念を口にしていた。眞子さんの結婚騒動は、皇室と国民の距離の変化を世間に知らしめた。  若い世代の皇族は、令和という時代のなかで「皇室にあるべき姿」を模索しなければならないのだろう。 (AERAdot.編集部 永井貴子)

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    愛子さまが借りるティアラ、清子さんからの理由は「格」の違い 秋篠宮家へは逆風やまず

     天皇・皇后両陛下の長女、愛子さまが12月1日に20歳の成年を迎える。  とくに話題を集めたのは、愛子さまがティアラを新調せず、叔母の黒田清子さんのティアラを借りて祝賀行事にのぞむ、異例の成年式となることだ。宮内庁は、「コロナ禍で国民生活に影響がでていることに配慮した愛子さまが、両陛下と相談した決めた」と説明している。 「どうも、何をとってもタイミングが悪く秋篠宮家への逆風になってしまう」  そうため息をつくのは、皇室に長く仕えた人物だ。秋篠宮家の長女、眞子さんが小室圭さんと結婚したのちに渡米したばかり。  渡米前に国内で滞在したのは、渋谷区の東京メトロ外苑前駅近くにある長中期滞在者向けの高級サービスアパートメントだった。結婚によって皇籍から離れたばかりの元内親王に、所轄する警察の警備がつくのは当然のことだ。とはいえ、外出の度に報じられた結果、特別な警備体制に注目が集まった。  そしてNYでの新居の豪華さも報じられている。英タブロイド紙のデイリー・メールなどの海外紙によれば、小室夫妻の住まいは、セントラルパークやタイムズスクエアに近いヘルズ・キッチン地区にあるタワーマンションだ。2017年に建てられたばかりで、24時間対応のロビーやフィットネスルームにヨガスタジオ。スパやゴルフシュミレーションセクションなどを備えた豪華な仕様だという。  小室さんのLawClerk(法務助手)の年収は600万円程度と見られている。一方で、海外紙によれば、ワン・ベッドルームとはいえ家賃は、月額約4800ドル(55万円)と安くはない。  宮内庁関係者の間でも、眞子さんの結婚と米国移住が無事にすんではればれしたという空気と同時に、小室夫妻の先行きを案じる声もわずかに漏れてくるようだ。  そんなタイミングで宮内庁が公表したのが、愛子さまが「借りたティアラ」で祝賀行事に臨むというニュースだった。  女性皇族にとって、成人を迎えた誕生日は宮殿行事デビューの日でもある。まず皇室の祖神・天照大神などが祭られる宮中三殿に参拝し、宮殿で天皇陛下から宝冠大綬章が授与される。 ローブデコルテの正装に新調したティアラとネックレス・ブレスレット・イヤリング・勲章どめの宝飾品5点を身に着け、両陛下にあいさつするのが恒例だ。  内親王だった眞子さんの場合、ティアラと宝飾品は「和光」で2856万円、佳子さまは「ミキモト」で2793万円をかけて制作された。大正天皇のひ孫にあたる三笠宮家や高円宮家の女王方の場合は、1500万円前後だ。  ティアラなどの宝飾品は、ぜいたくをするために制作するわけではない。成年皇族は公務を担うようになり、宮殿行事や外国からの国賓や賓客を接遇する晩さん会など国際親善の場では、勲章とともに正装を持って迎えるのが礼儀だからだ。  皇后や皇太子妃は代々受け継がれるティアラなどを所有している。そのなかには、平成の時代に皇后が故・秩父宮勢津子さまから譲り受けたティアラなどもある。つまり、他の宮妃や最近では眞子さまのティアラも宮内庁に預けられている。  女性皇族の所有していたティアラもあるなかで、なぜ愛子さまは清子さんより「借りる」形になったのか。  眞子さんをはじめ、最近の女性皇族が成年を迎えた際に新調したティアラは、いずれも宮内庁が管理する公金で制作されている。そのため、公金で作られた眞子さんのティアラは、離脱とともに宮内庁に預けられた。  一方で、黒田清子さんが成年を迎えた時に、新調されたティアラと宝飾品は、天皇家の私的なお金であるお手元金で制作された。  元宮内庁関係者は、ティアラを公金で支払うようになったのは、三笠宮家の彬子さまのときからではないか、と話す。 「明治以降の近代皇室においては、天皇家も宮家も相応の財産を持っていたこともあり、宝冠など装身具は私的な費用で賄っていました。黒田清子さんのティアラもその流れだったと記憶しています。日常費で制作したものは、扱いがあいまいなところもある。昔の皇族のように、『娘に持たせてあげたい』、と結婚先で大切に保管されているものもあると聞きます」  お手元金で制作した黒田清子さんのティアラは、ご本人のものだ。そのため、「借用」という形になった。  さらには、前述したように、内親王と女王というご身位の違いによって、ティアラの金額も異なる。 「眞子さんの結婚のタイミングは、ギリギリまで読めませんでした。加えて、同じ内親王でも、天皇家の娘である愛子さまと、皇嗣家の眞子さんと佳子さまでは立場も異なる。同じ皇女である清子さんのティアラが格という点でも、相応しかったのでしょう」(皇室の事情に詳しい人物)  異例続きとなったのは、ティアラだけではない。  女性皇族、特に内親王は、二十歳の成年を迎えた際と結婚して皇籍を離れる際に会見を開き、記者の質疑に答えるのが恒例だった。  いまのところ、愛子さまの記者会見は、日程が決まっていない。成年の会見は、その成長を国民が感じる大切な機会でもある。  眞子さんが皇室を離れたいま、愛子さまへの期待は、高まっている。 (AERAdot.編集部 永井貴子)

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    1年に3日しか休めなかった心臓外科医が、働き方も診療の質も劇的に改善させた「業務改革」とは

     忙しい医師の世界のなかでも、とりわけ多忙と言われる心臓血管外科医。神奈川県の菊名記念病院・心臓血管外科部長の奈良原裕医師も、これまで「年に3日しか休みがない」という生活を送っていた。こうした働き方では「医療の質も担保できない」と危機感を覚えた奈良原医師は、業務改革に取り組み、働き方のみならず診療の質を向上させることにも成功した。会社員を経て医学部に入り、38歳で心臓外科医になったという“異色”の医師は、どうやって心臓血管外科を変えていったのか。<<前半・偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生>>から続く *  *  * 北陸新幹線の佐久平駅から車で30分。長野県佐久穂町立千曲病院に、奈良原医師は毎週金曜日、東京から片道2時間半かけて日帰りで勤務する。 「佐久穂町は意外と近いですからね。以前は、片道3時間半かけて新潟県・松之山や5時間半かけて北海道・木古内に日帰りで診療に行っていました」  奈良原医師は、中央大学法学部を卒業後、一般企業での4年半の社会人経験を経て、29歳で医学部に合格。35歳で卒業後、激務ゆえ学会では「30歳以下でなることが望ましい」と言われるという心臓血管外科医を38歳からめざしたという“異色”のキャリアをもつ。  現在、常勤先である菊名記念病院の心臓血管外科部長として多忙な日々を送るなか、奈良原医師は週に1回、医師不足の町へと日帰りで診療を行っている。だがそれができるまでには、10年にわたる心臓血管外科の業務改革が必要だったという。 ■「1ヶ月のうち91%は病院で過ごしていた」  10年前、菊名記念病院心臓血管外科は、奈良原医師とその上司の2人で切り盛りしていた。病院のそばに住んではいたものの、家に帰ることはほとんどなく、病院に泊まることもしばしばだった。 「振り返ってみると、1ヶ月のうち91%は病院で過ごしていたようです。一番ひどい年は、年間の休みは3日だけ。そのうち1日は地方の結婚式に、残りの2日間は学会に出席していました」  奈良原医師が同病院で働き始めた2008年ごろ、患者の50%以上は救急患者だった。救急で来るということは当然、緊急性が高いため、すぐに治療しなければならない。夜中に飛び起きて手術、外来で待合室に患者がいても手術を優先する、という日常生活を送っていた。手術が終わっても一段落とはいかない。重症患者の場合、術後の不整脈や再出血など、さまざまな対応をしなければならなかった。  重症ゆえに日曜日も入院患者の様子を見る必要があった。別の診療科の医師がすぐ対応できるほど、心臓手術後の患者の対応は「甘くない」という。結局、週7日で勤務する日々が続いていた。 「1人の患者に対する業務量はかなり多い。忙し過ぎれば医療の質が落ちる可能性もあるし、場合によっては安全性も担保できないかもしれない。このままではだめだ、という危機感がありました」 ■起死回生のFacebookで「いいね」3000超え  そこで上司と一緒に始めたのが、Facebookでの情報発信だ。「当時、病院がSNSで情報発信するのは珍しかった」と奈良原医師は振り返る。内容は、診療に当たって日頃思っていることや一緒に働く仲間のこと、今日食べたランチなど心臓血管外科医の日常をありのままにつづるというもの。これを写真とともに投稿したFacebook記事には3000以上の「いいね」がつき、先駆的な試みとして医療系のメディアで紹介されることもあった。 「発信の目的は自分たちを知ってもらうこと。私たちの人となりを見てもらって、患者さんや他院から少しでも信頼していただけたらと。その結果、こんな先生がいるからここで手術してもらってはどうですかと、他院から患者さんたちが次第に紹介されるようになりました。紹介患者さんの手術は緊急ではなく予定された手術としてスケジュールが組めるので、看護師さんたちも含めて仕事がやりやすい。仕事の予定が立つというのは、救急患者ばかりのそれとは負担感が全く違います。結果的に、手術後の患者さんの病状も安定していることが多くなります」  手術前の診療にも良い影響があった。紹介で来院した患者と話すと、「先生のことはFacebookでよく見ています」「このあいだ投稿していたお弁当、おいしそうでしたね」と話が始まる。初対面でもうち解けた雰囲気で、患者との信頼関係をつくることができた。  さらにFacebookを見た医療関係者のなかから、この病院で働きたいという若手があらわれた。働き方改革だけでなく、仲間を増やすこともできたという。  休みがほぼない状況で働きつづけて10年。二人の部下ができたおかげでやっと週に1日の休日を手に入れた。しかし奈良原医師は「休みができたからには、何か世の中のためになることをやりたい」と考え、空いた時間を地域医療に使うことにした。社内で評価されることを第一に考えて働いていた会社員生活を捨て、人のために働きたいと思って医師の道へ――。そのときの思いが自分を突き動かしたという。 「地方では、6、70代、場合によっては80代の先生が一人で頑張って医療を支えているところも多い。また、必要な専門医が不在なため医療が不十分となっている地域もあります。そこで医師不足で困っているところのお手伝いをしようと考えました」  全国自治体病院協議会という団体に相談し、2016年、新潟県十日町市の松之山診療所で診療を始めた。 「ある先生がたった一人でやっている診療所なのですが、その先生は午前中に別の診療所で働き、午後にそこから車で1時間近くかかる松之山診療所に来るという働き方をしていました。医師が足りていないため、そうせざるをえないようでした。週に1日だけでも支援してくれるとありがたいということで、毎週金曜日に日帰り診療に行くことになりました」 ■都市部と地方の交流で医療格差を解決したい  地方では「こんな遠いところまで日帰りで来てくれる医師はいないだろう」という発想になりがちだと奈良原医師は言う。 「だからニーズがあるのに、それを上手く生み出せていません。でも今は、新幹線をはじめとして交通も発達しているから、都市部から地方に日帰りすることも可能です。また、会社もそうですが、4月になって人が入れ替わると、組織が活性化しますよね。外部の医師との交流が生まれることは、地方にとってもいい効果があると思っています」  奈良原医師は今、自身のSNSで、佐久穂町への日帰り診療の様子を発信し続けている。診療のことだけでなく、食べたものや町で行われたイベントについてなど、話題はごく身近なものも多い。 「都市部と地方の医師の交流が進めば、医師の偏在や地域間医療格差の解決につながるのではないかと、本気で思っています。どちらの医師にとっても、またそこで暮らす患者さんたちにとっても良い流れになったらいいなと思って、楽しみながら日帰り診療を続けています」 (白石圭) <<前半・偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生>>から続く

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    眞子さまと小室圭さんは結婚後、皇居に足を踏み入れることはできるか “サーヤ”黒田清子さんご夫婦との違い

     秋篠宮家の長女、眞子さま(29)との結婚を控えた小室圭さん(30)は18日、秋篠宮邸がある東京都港区の赤坂御用地を訪れ、秋篠宮ご夫妻に結婚のあいさつをした。眞子さまは22日に天皇・皇后両陛下、25日に上皇・上皇后両陛下に結婚の報告をするという。皇室ジャーナリストの神田秀一氏にこれらの予定ついて、その意味を読み解いてもらった。  小室さんは18日午前8時前、横浜市内の自宅マンションからスーツ姿で出てきた。右手にはカバン、左手には白い紙袋2つを持っていた。   「秋篠宮家に持っていく手土産とご夫妻や宮内庁に見せるための書類などが入っていたのではないでしょうか。アメリカで用意した手土産かもしれませんが、どんな中身かはわかりません」   後頭部で縛っていたロン毛は短く整えられていた。  「小室さんは髪型でいろいろと騒がれましたし、秋篠宮家に正式な挨拶に行くのですから、きちんとした髪型にしたのでしょう。皇室であのような頭髪であいさつをする慣習はないんですよね。民間人が皇族に会うのですから、切らざるを得なかったのでしょう」    神田氏が着目したのは小室氏を出迎えた黒いワゴン車。午前9時15分ごろ、赤坂御用地の巽門(たつみもん)へと入って行った。  「車には、宮内庁発行の門鑑(もんかん)がステッカーとしてついていましたね。ということは宮内庁が、小室さんが秋篠宮ご夫婦に会いに行くことを認めたのです。アメリカから帰国し、結婚を進める上で、あいさつだけはしておかなければ、という小室さんの考えと、宮内庁の意見が一致したのでしょうね」    8日後に迫った結婚。秋篠宮ご夫妻は、2人の結婚を認めたのだろうか。  「憲法の規定により、日本人であれば両性の合意に基づく結婚そのものをダメだとは言えない。秋篠宮ご夫妻も宮内庁も政府も同じ考えです。しかし、結婚は認めるものの、その前に解決しなくてはいけないこと、あるいは報告を受けなければいけないことがいろいろあると思います。それは今のところ未解決のままなので、秋篠宮さまとしては『挨拶にはおいでになってもかまいません。聞くことは聞きましょう。いらっしゃるというのなら待っております』というスタンスで、そこまでは許したのだと思います」    眞子さまと小室さんは3年2カ月ぶりに再会した。  「私の得た情報では、小室さんが秋篠宮ご夫妻にあいさつしをして30分後くらいに、秋篠宮邸のどこか別室で眞子さまと小室さんが会うことを許してもらえたと聞いています。眞子さまの部屋かもしれませんね。佳子さまがいらっしゃったかもしれませんが、2人だけの可能性が高いと思います」   眞子さまは22日、皇居・御所を訪れ、天皇、皇后両陛下に結婚を報告し、25日には東京都港区の仙洞仮御所を訪れ、上皇陛下と美智子さまにも結婚を報告する予定だ。現時点でそれに小室さんが同席する予定はない。  「一般の結納にあたる『納采の儀』も行っていませんし、皇籍を離脱する際に支給されるはずの『一時金』も眞子さまは辞退なさった。小室家を巡る諸問題も解決されていないので、天皇・皇后両陛下は眞子さまからの結婚報告を受けても、『体に気をつけて、元気で』とか『健康でお幸せな日々をお祈り致します』とお伝えするのにとどまるのではないでしょうか。『おめでとう』とおっしゃることはできないと思いますよ」   眞子さまは26日に婚姻届を自治体に提出し、皇籍を離脱する予定。今後、皇室との距離はどうなるのだろうか。  「皇室としての結婚を許したわけではないけれども、2人の意思で一緒になるならば致し方ないということ。もう2度と皇居に足を踏み入れることが許されなくなる可能性はありますね。サーヤの愛称で親しまれた黒田清子(さやこ)さんも結婚して皇籍を離脱しましたが、お相手の黒田さん一家には何の問題もないし、清子さんは皇室とゆかりのある伊勢神宮の祭主を務めているので、皇籍離脱後も皇居を訪れています。けれども、眞子さまの場合は、黒田さんご夫婦と同じようにはならないでしょう」    26日に予定されている記者会見はどのようなものになるのだろうか。  「報道陣と宮内庁の係官が合わせて50人くらい集まるのではないかと聞きます。警備も、コロナ対策も万全なホテルというのは限られてきます。宮内記者会、雑誌協会、外国人記者クラブで合計3問くらいの質問ではないか。それ以上、質問の声を上げ続ける記者がいるかもしれませんが、『本日の会見は終了します』と打ち切るでしょう。政治家でも誰でも、長く話すとボロが出るものですから」   会見に先立ち提出される自治体への婚姻届けについて、神田氏は次のように推測する。  「秋篠宮家から命令を受けた職員が、小室夫妻になる2人の代理人として、自治体の戸籍係のところに持って行くというふうに聞いています」   会見後、 眞子さまは年内にも渡米し、ニューヨークで新生活を始めるとみられている。お2人の行く末は……。  「ヨーロッパの王室ではこのくらいのことはあるレベルのことのようですが、日本の皇室では前代未聞の事態で、眞子さまは離婚しても、もう皇族には戻れません。幸福になるか、不幸になるかはチャレンジしてみなければわからないですね。結果は誰にもわかりません」 (AERAdot.編集部 上田耕司』

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    戦力外通告を受けたけど… 他球団でまだまだ“活躍できそう”な選手は誰だ!

     10月11日に行われたドラフト会議では支配下、育成合わせて128人の選手が指名を受けたが、プロ野球の世界に入ってくる選手がいるということは逆にユニフォームを脱ぐ選手もいるということである。既に各球団では俗に言う“戦力外通告”が行われており、ここ数日は引退試合のニュースも増えている。しかしその一方で他球団での現役続行を希望する選手も少なくない。今回は現時点で自由契約が発表された選手の中から、まだ戦力になる可能性を秘めた選手がいないか探ってみたいと思う。  まず投手で申し分ない実績を誇るのが吉田一将(オリックス)だ。2013年のドラフト1位で入団すると、1年目には先発として5勝をマーク。2年目のシーズン途中から中継ぎに転向すると、2016年には5勝21ホールド、2018年にも3勝21ホールドとブルペン陣を支える存在となった。2019年以降は年々成績を落とし、今年は二軍でも防御率7点台と結果を残すことができず、プロ入り後初となる一軍登板なしに終わったが、通算226試合に登板している実績は貴重である。何かきっかけをつかめばまだ復活する可能性も十分にありそうだ。  投手では渡辺雄大(ソフトバンク)と三ツ間卓也(中日)の2人も面白い。渡辺は青山学院大では実績はなかったものの、BCリーグの新潟で力をつけて26歳となる2017年のドラフト育成6位でソフトバンクに入団。二軍、三軍で実績を残して昨年8月に支配下登録されている。その後は肘の故障もあって一軍登板は3試合にとどまったものの、今年も二軍では34試合に登板して防御率1.67と安定した成績を残している。左のサイドスローから投げ込むスライダーは打者の手元で鋭く変化し、左バッターにはかなり厄介なボールとなっている。戦力外が報じられたのは今朝で、今後についての意向は不明だが、貴重な左の中継ぎとして需要の高い選手であることは間違いない。青山学院大時代の同期である杉本裕太郎(オリックス)が今年大ブレイクを果たしただけに、渡辺もここからもう一花咲かせることを期待したいところだ。  三ツ間は渡辺と同じくBCリーグの武蔵で力をつけて2015年の育成ドラフト3位で中日に入団。1年目のオフに支配下登録されると2017年には35試合に登板して2勝11ホールド、2019年にも29試合に登板して2勝4ホールドとブルペン陣を支える1人として結果を残している。また昨年7月のヤクルト戦では延長戦でベンチにいた野手を使い果たしていたため、代打として出場して話題となった。今年は二軍でも29試合に登板して防御率は4.05に終わっているが、チームトップタイとなる5セーブをマーク。WHIPも0.98と投球内容自体は決して悪くない。本人も現役続行の意思を表明しており、中継ぎ陣の苦しい球団にとっては狙い目の選手となりそうだ。  野手で圧倒的な実績を誇るのが藤田一也(楽天)だ。プロ入り8年目の2012年シーズン途中にDeNAから楽天に移籍したことをきっかけに才能が開花。これまで2度のベストナインと3度のゴールデングラブ賞に輝き、パ・リーグを代表するセカンドとして長年活躍を見せている。2019年以降は浅村栄斗の加入もあって出場機会が減少し、今年は一軍出場なしに終わった。功労者ということでチームもポストを用意していたとのことだが、本人は現役続行を希望して自由契約となっている。  多くのファンを魅了してきたセカンドの守備力は天下一品で、二軍では3割近い打率もマークしているようにまだまだ力が衰えているわけではない。若手の内野手のお手本としてプレー以外でもチームのプラスになることが考えられるだけに、オファーを出す球団が出てくることも十分にありそうだ。  野手では武田健吾(中日)も注目の存在だ。今年は打率1割台だったものの、シーズンを通じて一軍に帯同し、93試合に出場するなど貴重な戦力となっていただけに、戦力外となったニュースには驚きの声も多かった。オリックス時代の2017年には97試合に出場して61安打、打率.295という成績も残しており、元々パンチ力のある打撃にも定評のある選手である。今年で27歳と年齢的にもまだ若いだけに、外野手が手薄な球団が獲得を検討する可能性もありそうだ。  一度戦力外となってから他球団との契約を勝ち取ることは容易なことではないが、今年もシーズン開幕後に宮国椋丞(DeNA)が育成契約で入団して支配下登録され、古巣の巨人を相手に勝利もマークしている。今後も戦力外となる選手の発表はまだしばらく続くことになりそうだが、1人でも多くの選手が鮮やかな復活を遂げることを期待したい。(文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員

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    マイホームは「子ども部屋なし」がトレンド?! 勉強部屋に風呂なしアパートを借りる賢い選択

     晩婚化に伴い、マイホーム購入の平均年齢が上がっている。金融機関が貸してくれる時代とはいえ、ローンは早めに完済したほうがベターだ。それでも人生は予期せぬことが起こりうるもの。リアルな事例や最近の不動産事情を探った連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。今回は、20代で計画的に戸建てを購入した夫婦の事例を検証する。 >>【前編:家を買うのが早すぎた?「子ども部屋を見ると悲しくなる」 戸建て購入37歳共働き夫婦の後悔 】を読む *  *  *<30代後半Aさん夫婦のケース>10年前に27歳で神奈川県の郊外の住宅地に戸建てを購入。広さを優先した分、利便性は犠牲にして通勤は片道1時間半かかる。ローンの返済は順調だが、予想外だったのが、がんを患ったこと。子どもが授かりにくくなってしまい、せっかく作った子ども部屋を使用する予定はないという。 ◆ 80歳までローン返済…早い段階で購入することは“正解”    Aさん夫婦の事例をライフプランという視点から考察してみよう。ローン完済までの余裕が生まれ、返済計画も安定しやすいことから、早い段階で家を購入すること自体は間違っていない選択だ。  今は晩婚化の影響もあり、家を買う年齢が上昇傾向にある。最新の住宅市場動向調査(令和元年度・国土交通省住宅局)によれば、初めてマイホームを購入する人(一時取得者)の平均年齢は、注文住宅が39.1歳、分譲戸建住宅が36.8歳、分譲マンションが39.4歳、中古戸建住宅が42.8歳、中古マンションが44.8歳と、40歳前後。これに伴い、住宅ローンの完済年齢も上がっており、以前は最長70歳までが一般的だったところが、現在は最長80歳まで延長して設定している金融機関が増えている。 仮に40歳で家を買うとなると、35年ローンを組めば完済が75歳と定年退職後の年齢になる。大手不動産会社出身で、住宅購入における資金計画に詳しいファイナンシャルプランナーの飯田敏さん(FPフローリスト)は言う。 「家の購入年齢が上がるに伴い、一昔前までは住宅ローンを『遅くとも65歳には完済したい、できれば60歳までに返したい』という人が多かったのが、最近は『遅くとも70歳には完済したい、できれば65歳までに返したい』に変わってきています。借入額を増やすためにも、35年の最長期間でローンを組む人が多いですが、繰上げ返済を計画的にしていくことで、なるべく現役のうちに完済することを目指す人が多い」  また、Aさんのように病気になるのも、誰しもが抱えるリスクだ。銀行で住宅ローンを借りて家を買う場合には、債務者が死亡または高度障害に陥ったときに返済が不要になる団体信用生命保険(以下、団信)に加入する必要がある。通常の団信は、病気にかかったときの保証はないが、がん、脳卒中、急性心筋梗塞の三大疫病型特約付の団信や、三大疫病に重度慢性疾患を加えた八大疫病型特約付など、病気や怪我を保証する団信のバリエーションが広がっている。 なお、多くのがん団信の加入上限年齢は、46歳以下と設定されている。Aさんの場合、債務者が死亡または高度障害に陥ったときのみの通常型の団信加入であったために保険金の支払い対象とはならなかった。仮にがん団信に加入していたら、がんと診断された時点で、団信に加入している保険会社からローンを借りている銀行に保険金が支払われ、ローンの債務がゼロになっていただろう。 「まさか自分が病気にかかるなんて思いもしなかった。あの時、がん団信に加入していたら……と、どれだけ悔やんだか分かりません」(Aさん) ◆ 自宅は子ども部屋ナシ 勉強部屋を借りる世帯も  飯田さんは、早い段階で購入に踏み切ったAさんの選択自体は「良い選択だった」としながらも、“妊娠前から子どものための部屋を構える”という点については「少し早まったかもしれない」と指摘する。 「リスクの想定は線引きが難しいですが、想定外のことが起こるかもしれないという可能性を踏まえると、『必要が生じたときに、必要に応じて動く』という視点のほうが『こんなはずじゃなかった』ということになりにくい。病気にかからずとも、子どもを授かれないという例も珍しくありません。また結婚することを前提に新居を購入した人が、実際は結婚に至らなかったというケースもままあります」  この「必要が生じたときに、必要に応じて」という観点は、不動産の視点に置き換えても応用が効く。例えば「子ども部屋」について。「子どもに個室が必要な期間というのは、意外と短い」とは前出の後藤さんだ。小学校低学年のうちは、個室があっても、家族のいるリビングで宿題をするケースも多いことや、大学入学を機に一人暮らしをする例も少なくない。  仮に小学3年生から高校卒業までが個室が必要な期間とすると、合計10年だ。都心では50~60平米の空間で、家族3~4人が暮らす例も珍しくはない。この10年のために、限られた空間の中で子ども部屋を設けるかどうか悩む人も多いという。これまで6千件を超える不動産取引を行ってきた不動産コンサルタントの後藤一仁さんは次のように言う。 「今はその辺りを合理的に考えて、子どもの勉強部屋用に、自宅近くのアパートの一室を賃貸で借りるケースも見られます。勉強用に借りる部屋ですから、狭くて風呂なしでも十分。また子ども部屋が必要な期間だけ、自宅を定期借家として人に貸して、家賃を元手に家族全員で広めの賃貸住宅に移るというケースも少なくありません」  多くの人にとって、人生で一番高い買い物とも言える住宅購入。想定通りに事が進むことばかりではないのが人生だが、家の選び方や買い方には思わぬ落とし穴もある。後の人生を左右すると言っても過言ではない住宅選びだからこそ、後悔しないためのコツを身につけておきたい。(松岡かすみ) >>【前編:家を買うのが早すぎた?「子ども部屋を見ると悲しくなる」 戸建て購入37歳共働き夫婦の後悔 】を読む

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    巨人・中田翔の“大幅減俸”は必至 高額だった年俸はどこまで下がるのか

     巨人・中田翔にとって“勝負のオフ”がやってきた。選手として来シーズンへ向けた巻き返しとともに、大幅減俸も予想される契約更改も待ち構えている。  途中加入にも関わらず、今シーズン低迷した球団のシンボルのような存在になってしまった男は、この先どのようにチーム内で扱われるのだろうか……。  中田は今シーズン、日本ハムで後輩選手への暴力事件を起こし、その後巨人が引き取る形でトレード移籍した。周囲からの厳しい批判もあった中で入団早々から試合に出場したがシーズン最後まで期待に応えることができなかった。巨人移籍後は34試合に出場し、打率.154、3本塁打、7打点。ヤクルトとのCSファイナルステージでは、3試合目の9回2アウトから代打で出場し、明らかなボール球に手を出して空振り三振。今季を象徴しているような不甲斐ない幕切れとなった。 「良い打者だから大きな期待をしていた。しかし状態が悪いまま時間だけが過ぎチームも下降線を辿った。身体の調子も良くないという話もあったがすべてが上手くいかなかった。今のままでは来年も同じになるからオフの間に心技体をしっかり整えて欲しい。頼れるのは自分しかいない」(巨人OB) 「獲得自体に賛否両論があったのは事実。やってしまったことは良くないし移籍の過程などに納得いかない人がいるのも理解できる。でも結局のところプロは結果で取り返すしかない。結果を出していれば周囲を黙らせることもできたと思うのですが……。来季に関して球団内を含め誰もが注目しているはずです」(巨人関係者)  前所属の日本ハムが無期限出場停止の処分が下されたのにも関わらず、巨人移籍後は即座に試合に出場した。一連の経緯が明確ではなかったため世間の逆風が吹き荒れた。また高額な旧年俸を引き継いだ契約条件も大きな話題になった。  中田は今年が日本ハム時代に結んだ3年契約の3年目で、年俸は3億4000万円(以下金額は推定)。巨人は参稼報酬(年俸)期間となる2月1日から11月30日までのうち、移籍決定後の8月20日から11月30日までの103日分を日割り計算して支払うこととなった。巨人が支払う額は約3分の1に当たる約1億1500万円ほどだ。 「結果だけを見れば高すぎる。獲得自体がギャンブルだったから。タラレバになるが大活躍をしてCSを突破し、日本シリーズに進出できていれば安い買い物だった。複数年契約は今年までだから今オフは年俸を大幅に下げ、単年契約で本人に自覚を持たせないとダメ。そこまで徹底しないと中田自身が野球選手として終わる。中途半端な処遇では他選手だって納得いかないだろうしね」(巨人OB) 「原辰徳監督や編成部がどのように判断するか。昨年は108打点で打点王を獲得したものの、これまでケガに苦しむ年もあり、年間通じての出場と活躍は期待できないという声もある。減俸は当然だが、どのくらいになるかに注目が集まります。チーム全体の士気にも関わることで今オフ最大の関心ごとになります」(巨人担当記者)  今季は日本ハムと巨人でトータル73試合に出場。打率.177、7本塁打、20打点(日本ハムでは39試合に出場。打率.193、4本塁打、13打点)と大幅に成績が落ち込んだ。不祥事もあり、精神的なダメージの影響などもあったのは間違いないが、球界を代表する強打者の成績としてはあまりにも物足りない。また過去に左第5中手骨の亀裂骨折(13年)、右内転筋筋挫傷(17年)、右手母指球部挫傷(19年)など故障での離脱も少なくなかった。今年も急性腰痛で6月にチームを離脱している。コンディション面での不安も大きく野球協約の減額制限(元の年俸1億円を超える場合は40%)を超えての減俸になることは避けることはできないだろう。  過去に巨人では15年オフに杉内俊哉が5億円から5000万円へ90%の大減俸があった(この時は右股関節の手術をしたばかりで翌年に復帰が見込めないためだった)。その他にも高橋由伸が11年オフに3億5000万円から1億7000万円(51%減)、小笠原道大が12年オフに4億3000万円から7000万円(84%減)、中島宏之が19年オフに1億5000万円から2000万円(87%減)というケースもあった。 「年俸3億4000万円から減額制限40%減の2億400万円は確実。過去の例を見ても場合によっては1億円台前半ということすらも考えられ、中田にとって厳しいオフとなるでしょう。しかし全権を任される原監督の期待と信頼は変わらない。開幕に向けて一塁や外野でチャンスは与えられるはず。そこでレギュラーに定着し、シーズンで結果を残せば来オフに減額分も取り返せる。中田にとってここからが勝負です」(巨人担当記者)  今季はキャリアで最悪のシーズンとなってしまったが、来季の年齢は33歳と打者としては円熟期を迎えている中田。かつて侍ジャパンの4番を任された大砲がこのままキャリアを終えることはないはずだ。ここから再び球界を代表する打者として活躍する姿を見せてくれることに期待したい。

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    助っ人「ベスト3」と「ワースト3」を選出 今季の働きを査定!【セ・リーグ編】

     日本シリーズも終わり、プロ野球は年間の表彰と契約更改、来季に向けての動きが話題となる時期となった。チームの命運を握ることが多い外国人選手も退団、新入団、移籍含めて様々な動きが出てきているが、今年の活躍が目立った選手と、期待に応えられなかった選手をそれぞれ3人ずつ選定してみたいと思う。今回はセ・リーグ編だ。 *  *  * ■セ・リーグベスト3:オースティン(DeNA) 成績:107試合113安打28本塁打74打点1盗塁 打率.303  コロナ禍でチーム合流は遅れたものの、中軸として十分な役割を果たし、セ・リーグの野手では最も活躍が目立った選手と言えるだろう。来日2年目で日本の野球に慣れたということもあってか、持ち味の長打力だけでなく確実性も向上し、規定打席には未到達ながら打率3割もクリアした。打つだけでなく守備、走塁での献身的なプレーも目立つ。唯一気になるのは故障が多いところ。コンディションさえ万全で、1年を通じて中軸に定着すれば打撃タイトル争いに絡む可能性も高いだろう。 ■セ・リーグベスト2:マクガフ(ヤクルト) 成績:66試合3勝2敗31セーブ14ホールド 防御率2.52  来日3年目でキャリアハイとなる成績を残し、チームのリーグ優勝と日本一にも大きく貢献した。開幕当初は中継ぎだったが、石山泰稚の不調もあってシーズン途中からは抑えを任されて30セーブをクリア。とにかくタフで東京五輪でもアメリカ代表としてフル回転しながらも、シーズン終盤でもその球威は落ちることがなかった。外国人投手でありながらクイックや牽制が上手く、走者を背負ってから強いというのも大きな長所だ。日本に来てから着実にレベルアップを果たしており、来年も守護神としての活躍が期待される。 ■セ・リーグベスト1:スアレス(阪神) 成績:62試合1勝1敗42セーブ0ホールド 防御率1.16  ソフトバンク時代の故障から鮮やかに復活し、2年連続でセ・リーグの最優秀救援投手に輝いた。防御率は1.16で、1.00を切れば超一流と言われるWHIPは0.77をマーク。ストレートはコンスタントに160キロ前後をマークし、コントロールで自滅することもない。制球力を表す指標で、3.50を上回れば優秀と言われるK/BBでも7.25と他のリリーフ投手の追随を許さない圧倒的な数字を残してみせた。パドレスが早々に獲得したのもうなずける活躍で、阪神にとっては来年その穴を埋めることが大きな課題となるだろう。 ■セ・リーグワースト3:クロン(広島) 成績:42試合30安打6本塁打16打点0盗塁 打率.231  マイナーリーグではホームランを量産した長打力が期待されて契約。コロナ禍の中でも年明け早々に来日していち早く日本の野球に対応しようという姿勢も好感が持てたが、シーズンが始まると変化球に対応することができずに三振を量産。6月に二軍降格となると、そのまま一軍復帰を果たすことができずに退団となった。かつてチームで活躍したエルドレッドと似たタイプだったが、スイングがワンパターンで、ボールになる変化球を見極めることができなかったのが低迷の要因と言えそうだ。 ■セ・リーグワースト2:ガーバー(中日) 成績:12試合7安打0本塁打1打点0盗塁 打率.156  マイナーリーグでの好成績と、外野手としての守備力が期待されて入団。一軍初出場となった試合でいきなり初安打をマークしたが、その後は全く快音が聞かれずに打率は2割を大きく下回り登録抹消。二軍でも積極的に起用されたが打率は2割を超えるのがやっとで、ホームランもわずかに1本と結果を残すことができず、9月に家庭の事情で帰国すると、そのまま退団となった。長打力が不足しているチームの救世主として期待されたが、スイングの力強さやヘッドスピードもそれほど感じられず、広いバンテリンドームではとてもホームランを量産できるようなタイプには見えなかった。ビシエド以降、なかなか安定して打てる外国人野手を獲得できていないのは中日の大きな課題である。 ■セ・リーグワースト1:テームズ (巨人) 成績:1試合0安打0本塁打0打点0盗塁 打率.000  韓国球界のNCでは2年連続で40本塁打をマークするなど主砲として活躍。その後メジャー復帰を果たすと、ブルワーズでは2017年に31本塁打、2019年に25本塁打を放つなど長打力を発揮し、その実績が買われて巨人に入団した。二軍では9試合の出場ながら打率5割をマークして格の違いを見せつけたが、一軍初出場となった4月27日のヤクルト戦で守備の時にアキレス腱を断裂。長期治療が必要となり、シーズン中の復帰は絶望ということでわずか2打席の出場で退団となった。試合中のアクシデントによるケガという不運は仕方のない部分はあるが、もし万全の状態で1年間プレーしていれば、巨人のチーム成績ももう少し上向いていた可能性はありそうだ。  テームズ以外にもわずかな試合しか出場することなくチームを退団となった選手が目立ち、また打撃成績の上位はほとんどが日本人選手と全体的に野手が苦戦したシーズンという印象だ。来季に向けて既に新外国人選手の獲得を発表している球団も出てきているが、来年はタイトル争いに加わるような助っ人選手が野手、投手ともに現れることを期待したい。 (文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員

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    巨人なのに非紳士的…他球団のファンも激怒した“ずるい”プレーと発言

    「巨人軍は常に紳士たれ」とチーム憲章にあるように、巨人の選手たちは、社会人の模範になるような行動が求められている。グラウンドでも当然紳士らしくフェアプレー精神に則り……と思いきや、ところがどっこい、過去には、紳士とは大違いの“ずるいプレー”も何度となく演じているのだ。  失点を防ぐために守備妨害を演出したとしか思えないプレーが見られたのが、昨年9月17日の阪神戦だ。  1回表、2点を先行された巨人は、なおも2死満塁のピンチで、木浪聖也の打球は、高くバウンドして、二塁方向へ。セカンド・若林晃弘が前進して捕球に行ったが、タイミング的に内野安打になりそうに見えた。  すると、若林は左手のグラブをヒョイと一塁方向に差し出した。そこには若林との接触を避けようとスピードを落とした一塁走者・陽川尚将の姿があった。  打球を処理するはずのグラブで陽川に接触している間に、ボールは後方へと抜けていった。これを見た森健次郎二塁塁審は、守備妨害を取り、陽川にアウトを宣告した。  矢野耀大監督が抗議したが、「打球を処理する守備優先」という鉄則がある以上、どうにもならない。結果的にルールの盲点を突いた形の巨人は3点目を阻止したものの、自ら当たりに行ったような若林の不自然な動きが物議を醸したのは言うまでもない。  解説者の巨人OB・篠塚和典氏はさすがに言葉を選びながら「若林はうまく演技してますね」と評したが、阪神OBの関本賢太郎氏は「僕には悪質な……故意にぶつかりに行ったように見えましたけどねえ」と批判した。  ネット上でも「どこが守備妨害だよ笑」などの非難コメントが相次ぎ、巨人の3投手も、怒りを闘志に変えた猛虎打線に滅多打ちにされて計11失点と大炎上。目先の1点阻止にとらわれた代償は高くついた。  フライを落球したにもかかわらず、あたかも捕球したかのように演技し、審判の目を欺く事件が起きたのが、11年4月20日の阪神戦だ。  2対2の7回、阪神は鳥谷敬の犠飛で1点を勝ち越し、なおも2死一、三塁で、ブラゼルが二塁後方に高々と飛球を打ち上げた。  セカンド・脇谷亮太が背走しながら捕球したかに見えたが、次の瞬間、ボールがグラブからポロリとこぼれ、地面に落下した。だが、土山剛弘一塁塁審の立ち位置からは、死角になって見えない。直後、しゃがみ込んだ姿勢の脇谷が右手にボールを握りながら、直接捕球をアピールすると、土山塁審は「アウト!」をコール。安打と判定されていたら、阪神は1点を追加していただけに、「そりゃないよ!」である。  真弓明信監督が「(判定は)微妙じゃないだろう。(土山塁審は)たぶん見えていない。二塁塁審も見る場所が悪過ぎる」と抗議したが、VTRにボールが地面に落ちた瞬間がはっきり映っているにもかかわらず、判定は変わらなかった。  そして、この誤審が試合の流れをも変えてしまう。8回、巨人は長野久義の幸運な三塁強襲二塁打などで3点を挙げ、逆転勝ち。踏んだり蹴ったりの阪神側は「(地面に)落ちているよ。お客さんも見ている。アンパイアで負けたと言われても仕方がない」(木戸克彦ヘッドコーチ)とカンカンだった。  さらに脇谷の「VTR?テレビの映りが悪いんじゃないですか?」の新聞コメントが、虎党の怒りを倍加させた。「審判が判定したのだからアウト」ならまだしも……。   当時、テレビメーカーが「映りが悪くなることはない」と反論したことも懐かしく思い出される。  生還を阻止せんとばかりに、三塁ベース上で走者を上から押さえつけるプロレスまがいのプレーで騒然となったのが、00年6月8日の阪神戦だ。  5対3とリードの阪神は、8回にも平尾博司の二塁打で無死二塁のチャンスをつくり、次打者・ハートキーは投前に送りバント。河本育之は素早く処理し、三塁に投げたが、悪送球となり、ボールはファウルグラウンドを転がっていった。  二塁走者の平尾はこの間に十分本塁を狙えるはずだったが、なんと、捕球に失敗したサードの元木大介が、三塁にヘッドスライディングした平尾の上からのしかかるようにして押さえつけているではないか。「どさくさに紛れて押さえ込まれた」(平尾)。これでは動くに動けない。  ここで平尾の救出に向かったのが、伊原春樹三塁コーチ。怒りをあらわにして突進すると、あっという間に元木を突き飛ばし、平尾に「早く本塁に行け!」と指示した。「思わず手が出ちゃった。クセ者の元木がなかなかどかないから」(伊原コーチ)。  ところが、今度は巨人・長嶋茂雄監督がベンチを飛び出し、伊原コーチの行為がインプレー中だったことを理由に、守備妨害で平尾をアウトにするよう要求。騒ぎはさらにヒートアップした。  だが、井野修三塁塁審は「すべてのプレーが終了したうえで判断すれば、一番悪いのは元木」と走塁妨害を適用し、生還を認めた。  結局、この6点目がモノを言い、阪神は1点差で逃げ切ったが、元木のプレーは「ずるい」と言われてもしょうがないものだった。  元木といえば、ほかにも隠し球や併殺阻止の万歳スライディングなど、“ずる賢いプレーのデパート”的存在。紳士の球団では、異色のプレーヤーだった。(文・久保田龍雄) ●プロフィール久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」(野球文明叢書)。

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    武豊騎手が「ウマ娘」ブームを語る 「よみがえってうれしい」と語った悲劇の競走馬とは

     ゲームアプリ『ウマ娘 プリティーダービー』は、実在した競走馬を美少女キャラに擬人化したコンテンツで、「Yahoo!検索大賞」や「Google Play ベスト オブ 2021」の「ベストゲーム 2021」を受賞するなど、競馬好きの中高年から若年層まで幅広い層から人気を集めている。この一大ムーブメントを「相棒」である騎手はどのように感じているのか。サイレンススズカやスペシャルウィークをはじめ、長年多くの名馬に乗ってきたレジェンド騎手の武豊さん(52)は、このブームにを喜び、NHKの番組内でもビデオメッセージを寄せていた。武さん本人にインタビューし、「ウマ娘が競馬界にもたらしたもの」について語ってもらった。 ――「ウマ娘」のブームで、競馬人気も高まっています。影響を感じてますか? ウマ娘の話題は本当によく耳にしますし、すごい影響力だなと思っています。実際、僕の周りでも、中学生ぐらいの知人の息子さんから、僕が過去に出ていたレースのことなど質問をされるようになりました。僕が乗ってきた馬たちも、たくさんキャラクターになっているからです。ウマ娘がなかった頃は、子どもたちと競馬の話をあまりしたことがなかったのに、急にいろいろ聞いてくるようになってびっくりしています。今の中学生は、スペシャルウィークやディープインパクトのレースを見たことがない世代。その世代が過去の馬に興味を持ってくれるのは、すごいことですよね。 ――ナイスネイチャなど、ウマ娘のモデルになった引退馬への寄付が倍増するといった現象も起きています。 現役時代の彼らを知らなくても、ウマ娘をきっかけにその馬のことを調べてもらえて、馬が脚光を浴びているのは嬉しいですね。引退後の馬も、支援があれば救われる。いろんなところにいい影響が出ていると思います。 ――競走馬が美少女に擬人化されることについて、当初はどんな印象を抱いていましたか? ウマ娘の立ち上げ当時、僕も「何か協力できることがあれば」ということで少し関わらせていただいたのですが、実は最初に話を聞いた時は、あまりピンとこなかったんです(笑)。馬がアニメのキャラクターになって、女の子が競馬場を駆けるというのは想像がつかなかったし、最初に登場キャラの絵を見たときは、なんだか不思議な感じでした(笑)。自分が乗ってきた馬ですから、擬人化したキャラと同一視するにはなかなか時間がかかりましたね。 ――実際の馬の特徴が、キャラの能力や性格に反映されているところもウマ娘の魅力ですね。 かつてライバル同士だった馬が作中のストーリーでもライバルとして扱われていたり、馬の個性が細部まで表現されていたりして、さすがだなと思いました。たとえばウオッカだと、寝つきが良いといった特徴まで再現されていて、面白い。おそらくですが、実際にウマ娘のコンテンツを作っている方たちは、若い頃に競馬を楽しんでいて、知っている馬たちを遊び心たっぷりに、そして細かいところまで再現してくれたのでしょう。競馬愛を感じます。 ――作中では、武さんが騎乗してきた馬も多数登場します。 立ち上げのときも「実際どういう馬でしたか」といったことを聞かれて、スペシャルウィークなど、馬について少し情報をお伝えさせていただきました。ウマ娘のおかげで僕自身も、「ああいう馬だったな、こういう馬だったな」と、過去に乗ってきた馬たちに思いを馳せることができました。たとえば、僕がたくさん乗ってきたバンブーメモリー(作中では風紀委員長を務め、直球勝負のレースを見せる)は30年以上前に活躍していた馬ですし、懐かしさを感じます。そして、サイレンススズカは足を骨折した1998年の天皇賞(秋)のレースを最後に活躍が止まってしまったので、それがウマ娘の姿でよみがえってくれたのは、僕としてはとてもうれしいです。 ――武さん自身も、アニメ第5話に実況として登場します。 騎手の自分が、まさかアニメのキャラとして解説する日が来るとは思いもしなかったです。登場したのは1回でしたが、小学4年生ぐらいの女の子から、「あ、ウマ娘のおじさんだ」って声をかけられて。ウマ娘がきっかけで知ってもらえているのはなんだか新鮮ですし、微笑ましいです。 ――レースの投票サイト「JRA IPAT」への年代別アクセス数も、20代ユーザーが今年3月ごろから急増し、60代と並ぶ水準に達しています。かつて「若者の競馬離れ」と言われていた状況もすっかり変わりましたね。 若者の獲得は競馬界の課題でしたから、そういう意味では、多くの若者が競馬に参加しているのを聞いてうれしく思っています。やはり、大きなきっかけの一つがウマ娘でしょう。ウマ娘が新たな入り口となって、今まで競馬に興味がなかった人も楽しんでくれるようになりました。新たな競馬ファンが増えれば、その方々から様々な声や要望も出てくるでしょうし、我々も気づけることがあると思います。競馬界は、より良い方向に変わっていけるはずです。 ――ウマ娘以外でも、藤田菜七子さんのような騎手が活躍していることもブームをけん引しています。 彼女をきっかけに競馬を知った人もたくさんいるはず。藤田さんをはじめ、女性ジョッキーの活躍が目立つようになり、雰囲気も明るい感じになりましたね。男女一緒に勝敗を競うスポーツも珍しいですし、そこが競馬の魅力の一つだと思います。 ――スタンドの客層も変わりました。競馬界も、女性限定のリラックススペース「UMAJO SPOT」を開設したり、子ども向けの遊具を充実させるなどし、女性や家族連れが足を運びやすい環境を作ることに注力しています。 スタンドも綺麗になり、女性だけのグループやファミリーでも行きやすい雰囲気になりました。昔はおじさんばかりでしたから、だいぶ色が変わったなと思います。家族連れで来て、子どもたちに楽しんでもらえる姿を見ると嬉しくなります。 ーーウマ娘のブームで、スタンドの雰囲気もさらに変わりそうですね。 今後どうなるのか楽しみです。ウマ娘のブームはコロナの時期と重なったので、しばらくは無観客でしたし、今も入場制限をしているので、競馬場での影響はまだダイレクトに感じられていません。コロナが落ち着いて、今後は競馬場で「ウマ娘」とコラボしたイベントのようなものができるようになればいいなと思います。 ――最後に、競馬ファンへのメッセージをお願いします。 ウマ娘をきっかけに、競馬を見に来てくれたら嬉しいですし、これが一時のブームにとどまらず、ファンが定着して未来の競馬界を後押ししてくれていることを願っています。そのためにも、僕らはいいレースをすることで、来てくれた皆さんを楽しませたい。そして今後も、アニメ・ゲームで活躍できるような新キャラを、自分たちのレースでどんどん作っていきたいなと思っています!(構成/AERA dot.編集部・飯塚大和)

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    19時間前

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    小室圭さん帰国便同乗者が目撃した姿「彼はまるでエグゼクティブ」 自宅前では深々とお辞儀

    颯爽と歩きながら、小室圭さんがアメリカから帰国した。日本の地を踏むのは2018年8月に渡米して以来、3年2か月ぶりだ。  成田空港は多数の報道関係者が集まっており、ピリピリムード。報道陣に対して、カメラのフラッシュ禁止、声掛けも禁止といった規制が敷かれていた。報道関係者からは「どうして?」と不満の声も漏れていた。  午後3時20分過ぎ、成田空港に飛行機が到着。一般客が飛行機から降りたあと、小室さんが、報道陣の前に姿を現した。警護と思われる男性やキャビンアテンダント(CA)の女性などに囲まれていた。キャリーバックを転がしながら、白マスクに、濃紺のスーツ、ストライプの入ったシャツ、ノーネクタイといういで立ちで、髪の毛は後ろに縛っていた。  飛行機から出てきた小室さんは報道陣に一礼したあと、新型コロナウイルスの抗原検査、そして入国手続きに進んだと見られる。  小室さんは機内でどのような様子だったのか。偶然、同乗していた男性(51)に話を聞くことができた。 「私がファーストクラスで座っていると、ドアが閉まるギリギリになって小室さんが搭乗してきました。まるでエグゼクティブのようでした。後ろの髪を結っていたので、すぐに彼だとわかりましたね。彼一人に女性CAが2人くらいついて、会話しながら案内されて入ってきました」  当初はエコノミークラスのチケットを買ったと報じられていたが、この男性はこう語る。 「右の列のビジネスクラスの前方の席で、窓際に座っていましたね。私の席から右斜め後ろのほうの席でした。ただ、カーテンでファーストクラスとは仕切られていたので彼の表情などはわからなかったです」  男性は飛行機から降りた後、抗原検査のために、大きめの部屋に移ったという。40分ほどその部屋に滞在したが、そこに小室さんの姿はなかった。 「今か今かと待っていたのに、残念でした」(男性)  そのころ、到着ロビーには多数の報道陣のほか、「皇室系Youtuber」といったタスキをかけた人物や一般客も小室さんの姿を一目見ようと集まっていた。その数、50~60人ほど。  津田沼から来たという白髪交じりの一般男性は手にハンディカムを持ち、小室さんを待ち構えていた。妻に頼まれて自宅で見るために撮りに来たという。  しかし、小室さんは一般客が使う到着ロビーを通らず、地下駐車場から車に乗り込み、成田空港を後にした。「地下駐車場から空港を出たらしい」と男性に知らせると、「こんなに待っていたのに……」と不満げな様子だった。  小室さんを乗せた乗用車が向かった先は、母・佳代さんが住む横浜の自宅だった。自宅前は朝から報道陣が詰めかけ、警察は臨時の派出所を設置し、周辺警備に当たるなど、ものものしい雰囲気が漂っていた。夕方には100人を超える報道陣が押し寄せており、ベランダから様子を一目見ようとする住民の姿も見られた。  19時過ぎ、小室さんを乗せた車が到着。警察が後部座席のドアを開け、車から出てきた。小室さんは、報道陣から「どんなお気持ちですか」と声を掛けられたが、反応は示さず、自宅マンションの入り口で2回ほど深々とお辞儀をして、黒いスーツを着た男性らと中に消えていった。  近くに住む60代の男性はこう語る。 「ヘリコプターの音がすごくて『何事か』と思って見に来た。3年前の婚約会見後のときと同じような状況だと感じましたね。小室さんがニューヨークに行ってからは、静かになっていたんだけど……。またしばらく騒々しくなるのかなと思っています。どの家庭も問題を抱えていますし、小室さんと眞子さまも早くアメリカで幸せになってほしいですね」    小室さんは今後、自宅で2週間の隔離を終え、その後、記者会見に臨むと見られている。果たして何を語るか。注目が集まる。 (AERAdot.編集部/上田耕司、飯塚大和、吉崎洋夫)

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    愛子さまと雅子さまの髪形には意味があった? “お揃いヘア”卒業に見た2人の「強さ」

     愛子さまが成人する。その際に注目するのが、ヘアスタイルだ。髪形には、愛子さまの思いや雅子さまとの距離感などが投影されてきたようなのだ。 AERA 2021年12月6日号から。 *  *  *  天皇陛下と皇后雅子さまの長女愛子さまが12月1日、20歳の誕生日を迎える。大学の授業の関係で、成年の行事は1日と5日に分けて行うという。  5日に宮中三殿の参拝、勲章(宝冠大綬章だそうだ)親授などを経て、上皇ご夫妻にあいさつ、その後、宮殿で皇族方や三権の長から祝賀を受ける。  行事にあたり、愛子さまは参拝服、ローブ・モンタント、ローブ・デコルテと3着を新調したという。どんなデザインなのか、とても楽しみだ。が、それ以上に私が注目しているのは、愛子さまのヘアスタイルだ。  秋篠宮家の佳子さま(2014年に成人)と眞子さま(小室眞子さん、11年に成人)は、そろって長い髪をアップにして式に臨んだ。紀宮さま(黒田清子さん、1989年に成人)は、顎のラインでまっすぐに切り揃えたボブスタイルだった。愛子さまはこのところ、髪の毛を伸ばしているようだ。やはりアップにするのだろうか……。  などと思うのは、愛子さま、そして雅子さま、お二人にとって髪形はとても大きな意味を持つ──勝手にそうとらえているからだ。ある時からずっと、お二人はそっくりのロングヘアになった。写真をさかのぼると、愛子さまが先に伸ばし、雅子さまが追いかけたことがわかる。「適応障害」という病を得た雅子さま。学校に行きづらい時期もあった愛子さま。お二人そっくりの髪形は、皇室という場所で悩みながら生きる母娘の「絆」の象徴のように思っていた。 ■おでこ見せロングヘア  ところが今年4月、愛子さまは腰近くまであった髪をばっさり切り、肩までのボブヘアになった。その日、愛子さまが乗っていた車の隣には雅子さまがいて、ロングヘアをまとめる定番の髪形だった。ああ、もうお揃いは完全に卒業なのだとしみじみした。お二人がそれぞれの「強さ」を得た、と思えたのだ。  まずは簡単に、愛子さまのヘアスタイル史を振り返ってみる。  06年4月、学習院幼稚園の入園式に出席した愛子さまは、制帽から肩下10センチほどの髪を見せている。お隣で微笑む雅子さまの髪は、肩まで届いていない。それから2年、08年の学習院初等科の入学式。愛子さまの髪はさらに長くなり、前髪を上げておでこを見せている。雅子さまも前髪を上げたロングヘア。お揃いヘアでの入学式。  雅子さまのお誕生日に公表される写真を見てみると、07年にはお二人お揃いになっている。つまり06年から1年かけて、雅子さまが愛子さまお好みのロングヘアに追いつき、以後それをキープしているということになる。お揃いの「おでこ見せロングヘア」は愛子さまが5歳の時からの定番なのだ。 ■つらい状況の風除け  あの当時を振り返ると、雅子さまの「適応障害」が公表されたのが04年。その年と翌年は、お誕生日にも写真が公表されないという事態だった。06年に皇太子さま(当時)も一緒にオランダを私的訪問、雅子さまと愛子さまが「笑っている」ことが話題になったりした。その時、雅子さまはまだ肩くらいの髪、その横で長い髪を可愛く編み込んだ愛子さまがはしゃいでいた。  07年以降のお二人そっくりの髪形は、つらい状況に耐える風除けのようにも見えた。雅子さまには髪を娘と同じ長さにすることが心の支えだったろうと思う。10年、初等科2年の愛子さまに不登校問題が起きた時も、お揃いヘアの雅子さまが毎日のように付き添った。が、中等科でも不登校が報じられる。  愛子さまの「生きづらさ」のようなものの深刻さは、15歳になった16年のお誕生日写真にはっきり写っていた。折れそうなほど痩せた姿だった。「生きにくさ」はどこから来るのか。「生まれた時から男の子でないことが自己否定につながっている」と指摘してくれた女性がいて、目から鱗が落ちたのは令和になる直前だった。それはさておき。  翌17年、高等科に入学してから愛子さまは元気になっていった。お代替わりに向けて雅子さまの活動も確実に増えた。愛子さまは「前髪ありのロングヘア」が定番になり、時に顔の両横に長い髪を一筋垂らすこともあり、「今どきの女の子だなあ」とホッとした記憶がある。  20年、学習院女子高等科の卒業式はコロナ禍もあり、愛子さま1人で報道陣の前に立った。堂々とした受け答えの後、式場に向かう後ろ姿には、ポニーテールが揺れていた。 ■19歳の春ボブに変身  そして今年4月、愛子さまはボブヘアへと大変身した。30センチ近くは切ったであろう思い切りの良さに、愛子さまの強さを感じた。愛子さまは皇室を「自分の場所」としたのだろう、と。皇后となった雅子さまもきっと同じ思いに違いない、とも。  などという勝手な解釈より、愛子さまの言葉だ。聞ける日が近い。成人にあたっての記者会見が開かれるのが、内親王の恒例だ。いつになるのか、宮内庁は発表していない。来年以降という報道もあったが、愛子さまが初めて国民に対して思いを語る場となる。これからと将来、両方を語ることになるだろう。  愛子さまは「女性皇族」としての自分をどうとらえているのだろう。眞子さんが儀式なし、一時金辞退という結婚を選択したのは、女性皇族と一個人とのせめぎ合いの結果だったように思う。「天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」とだけ皇室典範で定められている女性皇族。公務に励んでも、その先に待っているのが何なのか、すごく曖昧な存在だ。愛子さまは、「天皇家の長女」という立場と、「愛子」という一個人としての立場をどう捉えているのだろう。(コラムニスト・矢部万紀子)※AERA 2021年12月6日号より抜粋

    AERA

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生

    「会社の上司ではなく、目の前にいる人のためになる仕事をしたい」――私立大文系卒の営業職だった27歳男性が、仕事に疑問を感じてめざしたのは医師だった。現在、神奈川県横浜市の菊名記念病院で心臓血管外科部長を務める奈良原裕医師(51)。大手企業での安定を捨て、1年半の浪人生活で会社員時代の蓄えをほぼ使い切り、29歳で高知大医学部に合格。6年間の勉強の末に医師免許を手にした後も、年齢的に厳しいとされる30代後半で心臓血管外科医の道を選んだ。奈良原医師はどのような思いで勉強をしてきたのか。その半生を語ってもらった。<<後編・1年に3日しか休めなかった心臓外科医が、働き方も診療の質も劇的に改善させた「業務改革」とは>>に続く *  *  * 私は中央大学法学部を卒業後、石油会社に勤めていました。医師になる道を考え始めたのは社会人4年目になったころです。東京・品川のオフィスで深夜11時ごろに残業を終えた私は、同期と一緒に近くの牛丼屋に入りました。そのカウンターで、「医者になりたいな」という言葉がポロッとこぼれたのです。  仕事は評価されていました。任された業務の範囲は広く、支店長室のソファをベッド代わりにして何日も会社に寝泊まりしていました。上司からは一番上の評価をもらっていたと聞いています。けれども、そんなワーカホリックな日々の中で、いかに上司から褒められるかを目標にする生き方に、次第に違和感を覚えるようになりました。  石油は社会や経済を支える基盤となる重要なエネルギーです。もちろん、それを取り扱う仕事の社会的使命はとても大きい。しかしその一方で、自分がやっているのは、目の前のお客さんに少しでも高い金額を提示して商品を販売し、利益を出すということでした。自分の目の前にいる人ではなく、自分の後ろにいる、自分を評価する人の方向を見て仕事をしていることに、疑問をもち始めたのです。  結局自分は、中学・高校生時代にやっていたことを繰り返しているのだと思いました。学生時代は一生懸命勉強しました。でもなぜ数学の公式を使えるようにならなければならないのか、なぜ歴史を覚えなければならないのか、その理由までは考えなかった。仕事も同じでした。意味や背景まではそこまで深く考えず、とにかくやっていた。大学では法学部に進みましたが、付属校時代に勉強した結果として偏差値の高い学部に内部進学できたというだけで、法律の勉強をしたいという気持ちからではありませんでした。その延長戦が社会に出てからもずっと続いていたのです。  それでも自分は間違ってはいないと思っていました。しかし、そんな毎日が続いていたある日、兄が自殺しました。その理由を私はまったくわかりませんでした。というよりも、兄のことが何もわかっていませんでした。いや、兄だけでなく父、母、祖母のことも。目の前の一番大切な家族のことを気にしない生き方になっていること気がつき、27歳の9月、新卒で4年半勤めた三菱石油(現ENEOS株式会社)を退職しました。  目の前の人のためになるような、そんな仕事をしたいと思いました。そこで行き着いたのが医療従事者です。医師、看護師、介護士……そのなかでも指揮官である医師をめざしました。学費が比較的かからない国立大の医学部を目標にして予備校に入ったのですが、私が置かれたのは8クラスあるうち下から2番目のクラスで、国立の医学部に受かる人はほぼいないと言われていました。 ■模試は「E判定」、偏差値は38  そもそも私は付属校からの内部進学組だったので、受験というものを知りませんでした。過去に大学受験をしたことのない社会人からすると、センター試験の出願の仕方すらわかりません。また、学校の教科書も持っていないので、出題範囲もまったくわからない。まず大学受験の仕組みを知るのに3、4カ月はかかったと思います。  10月に受けた模試は当然E判定。数学の偏差値は38。その年の受験は、センター試験も6割程度しか得点できず、医学部には箸にも棒にも掛からぬ結果でした。そこからまた浪人生活が始まりました。ただ、受験は2回までにしようと思っていました。1年間かけて受からなかったら医師はあきらめて、別の医療従事者をめざそうと思っていました。  後にも先にも、この時が一番勉強したと思います。会社員時代はデータを使って顧客分析や商圏分析をしていたので、それにならって受験勉強も分析していました。細かい勉強計画表を作り、どの科目を何時間勉強したのか、1週間ごとに計画と実績の差をチェックしていました。  部屋中には物理の公式や化学式などを書いた紙を貼っていました。トイレにも貼って、そこにこもって暗記をしたり。勉強は受験に向けて追い上げていくといったものではなく、最初から限界ぎりぎりのスケジュールで取り組んでいました。集中力を保ちながら勉強できるのは一日最大16時間。これを続けるのは本当に大変でした。当時のノートを見ると、文字がびっしり書かれていて、ちょっと狂気じみているようにも感じます。  同棲していた妻は、ピリピリしていた私を横目にいつも長いコードの付いたヘッドホンをしてテレビを見ていました。お笑い番組を見ながら、私の勉強を妨げないように笑いを押し殺していたのを覚えています。妻とは会社を辞めて医学部浪人を始めると決めたころに付き合い始めました。よくそんな人と付き合ったものですね(笑)。  志望校は高知大医学部に決めました。一番の理由は学力的に合格が狙えそうだったからですが、理由はそれ以外にもありました。予備校の友人の兄が高知大医学部出身で、新聞販売店に住み込みで働きながら勉強して合格したというのです。その話に感銘を受け、第1志望が決まりました。 ■「受かるまで外さない」つけた腕時計  浪人中はずっと、トライアスロンの人がよく使っているタイマー機能付きの腕時計をつけていました。お風呂や休憩も時間を区切るために、「受かるまで外さない」と決めたのです。当時27、8歳で、10個下の現役高校生よりはメンタルも落ち着いている。そんな私が重い決意で勉強をすれば受かるはずだ、という妙な自信がありました。  しかし模試は最後までE判定で、これで医学部に受かるのは奇跡でした。ところがその年のセンター試験は数学が難化したり、難解な現代文で大量失点する人が出たりして「荒れた」のです。その結果、8割ちょっとの得点でなんとかボーダーラインを超えることができました。2次試験を受験し、妻と一緒に合格の通知を受け取ったときは、正直、信じられませんでした。何か採点ミスなどが発覚して、合格が取り消されるのではないか……医学部合格から22年が経ち手術を執刀している今ですら、そう思うことがあります。  4月からはすぐに高知での生活となるため、アパートや中古車などを1日で準備しました。妻は高知についていくことになんのためらいもなかったようです。その後、学部1年生の時に結婚することになりました。  高知大の医学部には他に再受験生が2人いましたが、私が一番年上でした。でも基本的には、ごく普通に周りの同級生と同じように過ごしていました。空手道部に入りましたが、中では当然、先輩後輩の関係がありました。会社員時代の蓄えは受験生時代に底を突きかけていたため、朝は新聞配達のアルバイトをし、学校に行って勉強や解剖の実習をし、夕方は酒屋さんで配達のアルバイトをしていました。妻も喫茶店でアルバイトをしていました。  進級試験、卒業試験、そしてそのあとの医師国家試験など、勉強は1回目の大学時代よりずっと大変だったと思います。しかし、仕事を辞めて挑戦した医学部受験のときのほうがもっと大変でした。  研修医としての2年間も楽しく過ごしました。目の前にいる患者さんに感謝されるのは本当にうれしいですね。当時、主治医として診療に当たっていた患者さんのなかには、いまでも年賀状やお手紙をやりとりしている人もいます。外科の後期研修医として行った横浜の病院も、1年だけではありましたが思い出深いものでした。 ■「30歳以下が望ましい」心臓血管外科に転身  医学部時代、私が一番好きだったのは心臓手術だったので、心臓血管外科医をめざしました。しかし日本心臓血管外科学会では、心臓血管外科医になるのは30歳以下が望ましいと言われています。体力的な問題もありますし、比較的、一人前になるまでの階段が長いという要因もあると思います。そのため、一度は心臓血管外科医をあきらめました。しかし外科の後期研修をしていく中で、その気持ちが抑えられず、研修先の病院を変えました。  38歳だった私は、現役医学部生から心臓血管外科医になった人と比べると10歳も年上ですが、上司は私を現役同様の新人として扱ってくれました。これまでの経験が生かせる職場ではまったくなかったので、教えを請う立場であることをわきまえるのは極めて大切なことだと思っています。  実は、会社を辞めて医師をめざすときも、研修医後に外科へ進むときも、そして心臓血管外科医を目指すときもすべて、家族・友人・知人の皆に反対されました。今さらそんなこと出来るわけがないだろうと思われたのだと思います。私はこれまで、みんなが右を向いたら右を、左を向いたら左を、少しでも早く向こうとする人間でした。でもあるときから、人が右を向こうと左を向こうと自分の見たい方向を見るようになりました。会社を辞めて、医師をめざそうと思ったところが、人生の転換点だったように思えます。 (構成/白石圭) <<後編・1年に3日しか休めなかった心臓外科医が、働き方も診療の質も劇的に改善させた「業務改革」とは>>に続く

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    「愛子さまのお気に入りは子どもの頃から変わらない」天皇一家の追っかけ主婦が語る激写20年

     愛子さまはあどけなさがあったのに、成人皇族になられて、大人びてステキな女性になられ、うれしいですね」  こう話すのはカメラを片手に天皇ご一家を28年半、追っかけてきた主婦の吉田比佐さんだ。  12月1日に20歳の誕生日を迎え、成年皇族となった愛子さま。5日には成年の祝賀行事が行われ、愛子さまのドレス姿が初お披露目となる。  5日午前は長袖で淡い色味の「ご参拝服」を身につけて皇居の宮中三殿を参拝される。その後、襟元の詰まった長袖のドレス「ローブ・モンタント」に着替えられ、天皇陛下から勲章を受けとられるという。  午後は襟元の開いた「ローブ・デコルテ」に勲章、ティアラを着用した正装姿で、両陛下に挨拶される予定だ。 「愛子さまが身につける髪飾りのティアラが話題になりましたが、ティアラには女性としてすごく憧れますね。車の中の皇族を撮る時にはティアラをしているかどうかは、私たち追っかけにとっては大きいです。ティアラをしているお姿ってなかなか見れないので、”きょうはティアラをしているかもしれない”って思うと、疲れていてもがんばって、撮影ポイントに並ぼうという気になりましたね」  今回、愛子さまはコロナ禍の影響を配慮し、天皇陛下の妹(紀宮さま)で、結婚して皇籍を離脱した黒田清子さんが所有するものを借用する。 「眞子さん、佳子さまのティアラもそれぞれ2800万円もする豪華なものでしたけれど、私の見た印象では、黒田清子さんのティアラはクラシックな印象でした。清子さんのティアラのデザイン方が好き、愛子さまはお似合いになると思います」  吉田さんは過去、ティアラをつけた皇族の撮影経験もある。 「ディアラをつけられるのは特別な日だけですね。新年の祝賀の行事の時とか、外国からお客さまが来る時の接待で宮中晩餐会にお出になられる時です」  吉田さんが、追っかけを始めたのはまだ愛子さまが生まれるずっと前、1993年6月9日の両陛下のご成婚パレードからだ。 「ご成婚パレードでは、雅子さまが1000個のダイヤをちりばめた豪華なティアラをして、ローブ・デコルテの衣装を身にまとっていました。とてもステキな写真が撮れました」  そのお姿が脳裏から離れず、雅子さまを追いかけるようになった。 「愛子さまもローブ・デコルテを新調なさるそうですね。格式のあるロングドレスで、襟元や背中が大きくカットされているそうです。愛子さまがお召しになるとどんな感じになるのかとても楽しみです」  愛子さまを生まれたばかりの幼少期から見守り続けた吉田さんは20年の歳月をこう振り返る。 「愛子さまが赤ちゃんの頃、私たちは仲間うちで“愛子ちゃま”と呼んでいました(笑)。雅子さまに抱っこされている姿が、今でもきのうのことのように目に浮かびます」  天皇陛下と雅子さまの結婚会見のとき、記者から「お子さまは何人くらい?」 と質問され、雅子さまは「家族でオーケストラが作れるような子供の数ということはおっしゃらないでください、と(陛下に)申しました」とジョークで返した。 「陛下も愛子さまも音楽がお好きです。実際に陛下がヴィオラ、愛子さまがチェロを演奏するオーケストラのコンサートに参加された時、雅子さまがご覧になっていましたね」  愛子さまは文武両道でスキー、水泳なども、お好きだという。 「御所の中では陛下と一緒にジョギングをしたりしているそうです。毎年、夏になると、ご家族で下田(静岡県)や那須(栃木県)にご静養に行かれるのですが、下田の御用邸の裏手には海があって、愛子さまはいつも真っ黒になって東京に帰って来ていましたね」  愛子さまファッションには特徴があるという。 「愛子さまは夏場には、ワンピースをけっこう着てらして、ふわっとしたフレアスカートのワンピースをよく見かけましたね。冬は赤いセーターを着たり、ピンクのブラウスを着たり、全体にフェミニンです。先日、20歳のお誕生日に愛犬の由莉(ゆり)ちゃんと一緒の映像でも、茶系のふわっとしたスカートだったので、そういう服装がお気に入りでいらっしゃるところは、子供の頃と変わらないなと思いました」  愛子さまは学習院中等科時代に”激やせ”し、体調が心配されたこともあった。 「あの時はダイエットしているやせ方とはちょっと違うのかなと思いました。雅子さまの体調にも波があって、愛子さまもお母様のことを心配されていたのではないかと思います。雅子さまは新皇后になってから、自信が取り戻せたのではないでしょうか」  2019年11月9日に行われた「天皇陛下ご即位をお祝いする国民祭典」では、嵐のパフォーマンスが行なわれ、一家団欒で楽しむ様子が放映された。 「雑誌で読んだんですが、愛子さまは嵐の相葉雅紀君の”推し”だそうですね。カラオケも歌われるのだとか」  吉田さんは94年5月、会社員の夫と結婚した。結婚前から追っかけをしていたから、夫は理解があり、朝早くから出かけても何も言わないという。  コロナ禍のステイホームにより、雅子さまや愛子さまのお出かけが減った。加えて、天皇陛下ご一家は今年9月、赤坂御所から皇居に引っ越した。 「これまでは、ご一家が赤坂御所と皇居の行き帰りを張っていれば、写真が撮れたんですが、皇居に住まわれるようになると、皇居内での宮中行事が多いですから、シャッターチャンスも減ってしまいました」  吉田さんは今年7月から就職し、平日はフルタイムで働き、平日は追っかけが難しくなったが、できる限り続けたいという。 「愛子さまは車の中でも、窓を開けてお手ふりしてくれますよ。ニコッと笑う愛子スマイルが、かわいらしい。あの笑顔を見ると、こちらも気持ちが安らぎます。これからも雅子さまとともに、愛子さまのご公務の様子も拝見できたら、嬉しいなと思っています」  愛子さまの祝賀行事の撮影現場に吉田さんはもちろん、カメラ片手に出かけるという。どんな愛子さま笑顔が撮れるのか。 (AERAdot.編集部 上田耕司)

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    15歳の茶トラ愛猫の看取りと旅立ち 「ここにおるよー」瀕死の借りぐらし猫が喪失感を埋めた

     飼い主さんの目線で猫のストーリーを紡ぐ連載「猫をたずねて三千里」。今回お話を聞かせてくれたのは、福岡県在住のヨガ講師、児玉妙子さん。自営業の夫と高齢猫とのんびり暮らしていた夏の終わり、家の前で一匹の三毛猫と出会いました。その猫は顔に大けがを負っていて、獣医師によると「傷口からしてエンジンルームでの事故」だそうです。前編・後編にわけて掲載します。今回は後編。保護から2ケ月が過ぎると、その猫と猫をとりまく環境に変化がおきました。  >>【前編:振り返った猫を見て「まさか顔に穴?」 ガリガリの一匹を保護した夫婦「どうか猫バンバンを」】から続く  <前編の記事のあらすじ> 顔に穴が空いてように大きなけがを負った野良猫。車のエンジンルームに入って事故にあったと思われました。傷は深く、生々しく治癒していない上に、病気もあり、相当厳しい状態。それでも児玉さん夫婦は見捨てることができず、保護することを決めました。先住猫いたので、隔離しながらの生活です。児玉さん夫婦は、まだ名前をつけることができず、親しみを込めて「あいつ」と呼んでいました。 *  *  * 保護から2ケ月、「あいつ」に変化が起きました。 「あいつ」は玄関でひとりでいる時に、にゃあにゃあと鳴くようになったのです。ごはんをあげる時の狂わんばかりのトーンとは違う感じの声です。人恋しい、とでもいうような。  もしかしたら、わが家にきて、外の生活では感じなかった「さみしい」という感情に出会ってしまったのかもしれません。大けがをしてしんどい時に、そばに人間でもなんでもいた方が気がまぎれるとか、そんな感じなのでしょうか。  前編でも紹介したとおり、家には15歳の「きな」という茶トラのおばあちゃん猫がいました。大けがを負った「あいつ」は、白血病ウイルスは陰性、猫エイズが陽性でした。傷がひどいので、「きな」といきなり接触させないように隔離していたのです。だから「あいつ」は玄関のケージで生活していました。  にゃあにゃあという声が玄関から聞こえると胸が痛みました。始終そばにはいられないし、まだまだ(傷の具合からしても)「きな」と一緒にできません。そこがすごくつらかった……。でも「こちらも最大限尽くすので、君も早く傷を治して、私たちや『きな』と思いきり一緒にいられるようにがんばれ」と思うようにしました。  完治するまで(お金も時間も)どれくらいかかるかわからないけど、「きれいになった顔の写真が撮れる日が早くきたらいいなあ」と思うようにもなりました。  獣医の先生は「どうなるかわからないが、鼻ぺちゃのパグみたいになるかもしれない」とおっしゃいました。私は、ニュータイプの猫さんになるかもな、と。もちろん、どんな見た目でも気にしません。猫である時点でもう、かわいいのだから。  とにかく助けた以上はなんとか命をつなぎたいし。私にできることがあれば、精いっぱいやってあげたい。まさに、これは献身のヨガ。バクティヨガです。何でも修行に結びつけてしまいますが(笑) ◆ 先住猫と同居はかなわなかったけど 一字もらって命名 「あいつ」と出会ったのは8月の終わり。9月、10月と「あいつ」が玄関のケージ内でけがの治癒に向けてがんばる一方で、部屋にいるおばあちゃん猫「きな」の状態が悪くなっていきました。もともと「きな」は慢性腎臓病を患っていたのですが、11月になり容体が悪くなり、半月ほど点滴を受けるなどして、闘病を続けました。  悟り開き系の女子猫と、おばあちゃん猫は、“合う”かもなんて同居を夢みましたが、残念ながら叶わず、「きな」は先日、息をひきとりました。  「きな」は15年前、以前住んでいたアパートの前で出会った野良の茶トラでしたが、茶トラの雌というのは珍しいそうです。わがまま放題のお姫様で、気が強くて……でも優しく、美しかった。  じつは私たち夫婦は、1月にも、茶トラの「まる」という雄猫を14歳で亡くしているんです。「まる」は、私と夫の目の前を走る車に急にぶつかり、保護した猫でした。まるで、体を張って「僕を拾って」とアピールするようでした。  『ラブストーリーは突然に』という歌がありますが、猫との出会いもいつも突然に訪れる。そして別れはいつも悲しいもの。  「まる」の最期は(都合で)夫だけで看取り、「きな」の最期は私がしっかり看取りました。ひとりぼっちで逝かせなかったことはよいのですが、いざいなくなると想像以上の喪失感でした。私たち夫婦には子どもがいませんが、子どもが巣立った後はこんな感じかなと……。  けれど「あいつ」がおなかをすかせています。「ここにおるよー」と鳴きます。「あいつ」のお世話をさせていただけるのだから、ぼんやりしてもいられません。 「きな」が旅立ったあと、「あいつ」の正式な名前を決めました。  それまで呼んでいた「あいつ」の“つ”と、「きな」の“な”をもらい、「つな」としました。  これは想像ですが、「きな」は体が悪くなる前に、扉越しに「つな」に猫語で話していたんじゃないかな。 「私、だいぶ腎臓が悪いんよ、こいつら夫婦のこと頼むよ。こいつら、猫おらんかったらダメだから」  ……そう思えるほどのがんばりを、「つな」は「きな」亡き後に、見せてくれました。 ◆「つな」の頑張りと、わたしからのお願い  12月に入り、「つな」との生活は、3カ月を越えました。獣医の先生も驚いていました。  かさぶたが取れて傷が少しよくなったので、ケアも前進。今は「つな」を洗面台に連れていき、洗浄ボトルにいれた水で顔の傷口を洗い流すようにしています。洗った後は赤ちゃん用のおしりふきで優しくぬぐい、そこに抗生剤入りの軟膏を塗り、目薬も差すようになりました。 ふつう、猫は一つの場所にとどまるのが苦手だと思うのですが、「つな」は洗面所でもおとなしくして、やはり動じません。  ただ、少し前に病院に行った時。先生が、「傷は治ってきているが、基礎疾患もあるし、年を越すのは難しいかも。怪我が治る前に病気で逝くかもな」とつぶやいたのです。  余命を突き付けられた感じです。  でも余命はあまり気にしていません。  毎日お世話をしてきて、人間とは違う猫の生命力のすごさを身に染みて感じているから。  もし「つな」が先生のいうように年を越せなかったとしても……寒くないようにして、ごはんを食べて、最期の時までゆっくりと過ごしてくれればうれしいし、もっと生きてくれるのは大歓迎。  そもそも、「つな」は、事故がなければ地域猫として、(病気を抱えながらも)外で今も自由に暮らしていたはずです。大けがを負ったのは、車=人間のせいだと思っています。  私は「つな」のけた外れのファイトを称えたいと同時に、事故に遭ったことに意味を付けたかった。だから、少し衝撃的な話だけれど、このコーナーに応募しました。  これから寒くなるにつれて、外にいる多くの猫さんが、暖を取るためにタイヤの間やエンジンルームに入りやすくなります。どうか、車に乗ったらエンジンをかける前に、車のボンネットをバンバンと叩いて猫さんに知らせる(車から出す)「猫バンバン」をしてみてください。  「つな」と私からの、お願いです。  (水野マルコ) >> 【前編:振り返った猫を見て「まさか顔に穴?」 ガリガリの一匹を保護した夫婦「どうか猫バンバンを」】を読む 【猫と飼い主さん募集】「猫をたずねて三千里」は猫好きの読者とともに作り上げる連載です。編集部と一緒にあなたの飼い猫のストーリーを紡ぎませんか? 2匹の猫のお母さんでもある、ペット取材歴25年のベテラン・水野マルコ記者が飼い主さんから話を聞いて、飼い主さんの目で、猫との出会いから今までの物語をつづります。虹の橋を渡った子のお話も大歓迎です。ぜひ、あなたと猫の物語を教えてください。記事中、飼い主さんの名前は仮名でもOKす。飼い猫の簡単な紹介、お住まいの地域(都道府県)とともにこちらにご連絡ください。nekosanzenri@asahi.com 連載一覧はこちら>>

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    子育て世帯は東京・文京区の「住所」がほしい? 公立名門小「3S1K」狙いで家を買う

     首都圏の新築マンションの価格は上昇し、中古でもいい物件はめったに売りに出ない、出てもあっという間に買い手がつくーー。東京で家を買うのは、なんとも大変な時代になったが、共働き夫婦の購入意欲は高いという。特に子育て層に特に人気なのが文京区だ。一方で東京特有の学区意識に辟易している夫婦もいる。リアルな事例や最近の不動産事情を探った連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。最終回は、「わが家」の価値について考えたい。 >>【前編:東京23区「家を買うなら港区」40代夫婦のブランド志向 狭小住宅も悪くない選択? 】より続く  *      *  *「文京区のアドレスが持てるのであれば、所有権でも借地権でも良い、というぐらいに場所にこだわる方も実際にいます。都内で家を買うときに、“住所を買う”という視点で、エリアにこだわって選ばれる方は結構多い」  首都圏を中心とした住宅購入における相談実績が多いファイナンシャルプランナーの飯田敏さん(FPフローリスト)はこう話す。  東京大学、お茶の水女子大学、日本女子大学、東京医科歯科大学……文京区には、国立、私立を問わず19の大学・短期大学が存在。名前の通り、教育・文化関係の施設が集まり、雰囲気もいい。  もちろん、イメージだけではない。  令和2年度公立学校統計調査報告書(東京都教育委員会)によれば、文京区の教育レベルの高さは23区中トップで、国立・私立中学校への進学率がもっとも高いことが示されている。中でも名門校として知られているのが、誠之小学校、千駄木小学校、昭和小学校、窪町小学校の4校。この4校のイニシャルをまとめて通称「3S1K」とも呼ばれており、この「3S1K」に入学するために転居する“公立小移民”の子育て世帯も数多く見られるという。  さらに、お茶の水女子大学附属、筑波大学附属、東京学芸大学附属竹早という、国立大学の附属小学校、中学校、高校が3校もひしめき合う茗荷谷周辺も、子育て世代に人気の高いエリアだ。  文京区では中学校の「学校選択制度」を導入しており、文京区に在住していれば校区外の中学校でも希望することができるのも、子育て世帯にとって高い魅力だ。例えば都内名門中学校の“御三家”の一つとして知られ、東大キャンパスの目の前に位置する文京区立第六中学校。都立日比谷高校をはじめとした難関高校の多くの合格者が輩出していることでも知られる名門中学だ。  この第六中の学区は「3S1K」の一つ、誠之小学校だ。しかし、学校選択制度導入後は区内の数多くの小学校から入学希望者が殺到し、定員(受け入れ可能人数)約100人に対し希望者は毎年約300人前後と、およそ3倍の倍率で推移するのが通例となっている。誠之小学校→第六中学校→日比谷高校→東京大学といった“ゴールデンルート”にわが子を乗せたい、と考える親が多いことの表れだろう。不動産コンサルタントの後藤一仁さんは言う。 「文京区には名門と言われる学校が多いことから、必然的に集まる層の教育意識も高く、受験などの情報交換も盛ん。また小石川植物園、教育の森公園、播磨坂さくら並木、六義園など、都内の中でも緑が多いエリアとしても知られる。落ち着いた環境の中で、高い教育を受けさせられる文京区の資産価値は、今後も高い水準を保てる可能性が高い」  都内屈指の文教エリアである文京区、それも人気学区ともなれば、賃貸マンションも含めて物件は争奪戦だ。競争率が高いこともあり、賃貸マンションであっても値段は決して安くはない。  昨年、「3S1K」の学区エリアの賃貸マンションに家族3人で引っ越したというAさんが決めた物件は、45平米、2LDKで家賃24万円。予算20万円内で半年ほど探していたが、条件に合う賃貸物件でヒットするのは家賃35万円超の物件ばかりだった。24万円でも予算オーバーではあるが、不動産屋からも「同エリアならば手頃な方だ」「決めるなら早く申し込まないと、すぐに決まってしまう」と後押しされ、内見もせずに即契約したという。  わが子を名門校に通わせるのも一筋縄ではいかず、多額の費用がついて回る。   こうした教育熱心な層が多いエリアから「むしろ距離を置きたい」と、あえて下町と呼ばれるエリアに引っ越した例もある。  三重県出身のBさん(36)。同郷の夫と5歳の子どもとの3人暮らしで、世田谷区の賃貸マンションで10年ほど暮らしていたが、2年前に足立区のマンションを購入。Bさんの少し前に友人が足立区の同エリアに引っ越したことも後押しになった。世田谷に住む周囲のママ友からは、「なぜ世田谷区から足立区に引っ越すのか」と驚かれたという。  地方都市で、当たり前のように公立小・中・高へと進学し、大学入学を機に上京したBさんは、「東京ならではの学区意識や私立信仰のような会話や雰囲気には、どうしても馴染めない」と首を振る。 「世田谷に住んでいた頃、ママ友の間で小学校受験のための塾選びの会話が始まったとき、『ああ、私はこの場所では子どもを育てたくない』とはっきり思いました。私や夫が育ってきたような、もっとのびのびとした環境で子育てがしたい。それで選んだ環境が今の場所でした」  古くから続く商店街に、昔ながらの個人商店や居酒屋が軒を連ねる景色。そんな中に再開発で新たな商業施設やマンションが建ち、新旧入り混じった独特の活気がある。Bさんの暮らすマンションは、最寄駅から徒歩7分。都心の職場がある駅までの乗車時間は片道15分だ。家のすぐ近くにスーパーや商店街があり、世田谷に比べて物価も安く、近所付き合いも残っている。Bさんは「自分たちにはこちらの方が合っていると思う」と微笑む。 「長い目で住むことを考えると、いわゆるブランドエリアを始めとした“見栄っ張りな街”より、“本音で暮らせる町”を選ぶことに共感できる人も多いのでは」  まちづくりの専門家で、『23区格差』などの著書で知られる池田利道さん(東京23区研究所所長)は、こう話す。足立区を含む東京東部の下町エリアは、世田谷区を含む東京西部の山の手エリアと比べると、近所付き合いもはるかに活発だという。 「以前はイメージに難点があった荒川区以東の足立区、葛飾区、江戸川区ですが、大規模な再開発を通じて街のイメージは大きく変化し、子育て世代など若い層も移り住む地域に変化しています。西部に比べて物価も安く、都心へのアクセスも良いことから、東部の下町エリアは今後さらに発展していくのでは」  ブランドエリアと呼ばれる場所など、すでに一定の評価を得ているエリアを選ぶ方法もあるが、今後の町の発展を考えて選ぶというのも一つの手だ。新路線の開通で都心までのアクセスが良くなる場所や、新駅ができる場所、大学誘致に積極的に取り組んでいる場所など、発展の見通しにはいろんな要素がある。再開発によって町のイメージが一新する例があちこちで見られているように、大手デベロッパーが力を入れようとしている地域も飛躍的な発展の可能性がある。マンショントレンド評論家の日下部理絵さんは言う。 「自分にとって快適である“居住価値”と、不動産としての“資産価値”は、必ずしもイコールじゃない。家を選ぶときに何にこだわりたいか、まずは3つに絞ってみる。その中で優先順位をつけた上で考えると良いでしょう」  「結局は同じ都内の話だろう」とタカをくくるなかれ。少しエリアが変わるだけで、いろんな要素が大きく変わってくるのが東京という大都市だ。「東京で家を買おう」——そう決めたなら、あなたは何を重視して選びますか?(松岡かすみ) 〉〉【連載を最初から読む】それでも夫婦は東京に家を買う#1

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    コレステロール、中性脂肪は「男女」「年齢」で基準値が違う! 参考にするべき数値をチェック

    「人の老化は血管から始まる」ともいわれるように血管ケアはアンチエイジングの要。年齢を重ねることで硬くなっていく血管をケアしていくには日々の食事や運動で脂質をコントロールすることが大切です。まずは、コレステロールや中性脂肪の値を知ることがセルフケアの第一歩。女性は年齢に応じた基準値があるのでチェックしてみましょう。今回は女性の血管ケアについて、日本の「性差医療」の草分け的存在である天野惠子先生にお聞きしました。今回は、前編・後編の前篇をお送りします。(自分で自分の健康を守るための健康情報を発信する「セルフドクターWeb」より転載) *  *  * 動脈硬化は他人事じゃない  女性ホルモンのエストロゲンには、血管が正常に機能するのを助ける働きと共に、LDLコレステロールを減らすなど、動脈硬化を抑制する作用があります。そのためエストロゲンが多く分泌されている20~30代までは、特別なケアをしなくても血管は比較的しなやか。これは30代から動脈硬化が見られる男性とは明らかな違いといえます。  ところが女性も閉経を迎え、エストロゲンの分泌が止まると共に、血管の硬化が急速に進みます。血液中を流れる脂質にはコレステロールや中性脂肪がありますが、これまでエストロゲンによって抑えられていたそれらの数値も自然と高くなり、血液の流れを妨げることに。動脈硬化の進行に大きく影響してしまいます。  さらにLDLコレステロールが血管の内壁にたまったものが、やがてドロドロの粥状のこぶのようになります。これがプラークです。プラークが破れると、そこに血栓ができて血管を詰まらせ、心筋梗塞や脳梗塞の発症につながるのです。 「閉経前の女性が動脈硬化から心筋梗塞や脳梗塞を発症する割合は低く、男性の約5分の1といわれています。ところが閉経後の55歳くらいから発症率はぐんとアップしてしまいます」と天野先生。女性は閉経後、意識的な血管ケアが必要不可欠となるわけです。  閉経前にはエストロゲンによって動脈硬化から守られている女性たちでも、「その効果を帳消しにしてしまう危険因子がある」と天野先生。それが「喫煙」です。タバコに含まれるニコチンの作用で血管が収縮して血流が低下。血管は硬くなり、動脈硬化が進行します。喫煙をしている女性は吸っていない人より、急性心筋梗塞のリスクが8.2倍も高まることが分かっています。 コレステロールや中性脂肪の数値をチェック  コレステロールや中性脂肪は増え過ぎると血液の流れを悪くし、血管にも悪影響となります。でも、これらの脂質は決して健康の敵ではありません。細胞膜やホルモンの原料となったり、体を動かすエネルギー源となったりする大事な要素なのです。  女性の場合は、閉経後に急に脂質の数値が高くなった方もいるでしょう。でも、慌てないで。女性の体の変化に対応した基準範囲があるのです。 「そもそも女性と男性ではコレステロールや中性脂肪の検査値が違って当然。それなのに、これまでは男性も女性も同じ値で見ていました。また、女性はエストロゲンの分泌量が年齢で変わるため、年齢によっても基準範囲は変わります」と天野先生。女性が参考にしたいのは、下記の男女・年齢別に分けた基準範囲です。なお、総コレステロールとは、LDLコレステロールやHDLコレステロールなどを合計した血液中のコレステロールの総量です。下記の基準ではHDLコレステロールの基準範囲は示されていません。 更年期を迎えたら、全身をくまなく検査したい  エストロゲンの分泌が減少すると循環器、消化器、呼吸器などの活動を調整している自律神経も乱れやすくなり、体のあちこちにトラブルが起こるようになります。よくないのは、不調があっても、「更年期だから仕方ない」と放っておいてしまうこと。実は脳血管障害の症状だったケースもあるそうです。そこで先生は、「女性の体がダイナミックに変わる節目の50歳あるいは閉経を機に、頭から足の先まで自分の体の状態をきちんと検査することが大事」と提案します。  栄養素や酸素を行き渡らせる血液の流れが滞ると、体のどこかに支障を来します。全身を検査することは、全身の血管に詰まりがないか、動脈硬化がないかの確認でもあるのです。健康診断だけでは十分とはいえないため、自費にはなりますが病院やクリニックで行っている個別検診で、詳細に調べることをおすすめします。 こんな検査を受けておこう  健康診断や特定健診で行う身体測定(身長・体重・BMI・腹囲を測る)や血液検査、血圧測定(血圧脈波検査)に加えて、より精密な検査が行える個別検診。それによって、健康診断では見落とされた疾患や異常が見つかることも。女性特有の病気を網羅した検診メニューを用意しているクリニックもあります。 <脳検査>MRI(脳実質撮影)、MRA(脳血管撮影)などで脳血管疾患を調べる。 <循環器検査>心臓や血管の状態をチェック。動脈硬化や心血管疾患の有無を調べる。 頸動脈エコー検査 胸部エコー検査 胸部X 線検査 冠動脈CT 検査 心電図 <血液検査>女性に多い甲状腺機能障害や膠原病、関節リウマチの素因の有無を調べる。 甲状腺機能 抗核抗体 リウマチ因子 炎症反応 ホルモンチェック 腫瘍マーカー <眼科検査>眼底検査で高血圧や動脈硬化の進行、糖尿病の発見、眼球の病気の有無をチェック。 <婦人科検査>子宮や卵巣のがん、乳がんなど、40代以降にリスクが高くなる病気を検査。 子宮頸がん検査 子宮体がん検査 経腟超音波検査 乳房視触診 マンモグラフィー 乳房超音波検査 <その他> 骨密度検査 PET-CT 検査 更年期の悩みはどこで相談できる?  更年期に起こる心身の不調は、診療科を特定できないことが多いもの。そんな時は女性の全身症状をトータルで診察してくれる「女性外来」への受診をおすすめします。女性外来の先生は呼吸器、内分泌、循環器などと専門分野は違いますが、性差医療について勉強しているため、メンタル面も含めいろいろと相談にのってくれるはずです。女性外来の受診をきっかけに、かかりつけ医をもつとよいでしょう。 全身を検査する費用はどのくらい?  健康診断や特定健診の費用は無料か、有料でも低額です。全身を診る個別検診の場合、基礎検査を中心とした日帰りの費用は平均3~8万円くらい、泊りがけでMRIやMRA、PET-CT(※)、エコー検査を行って、より詳しく検査する場合は10万円以上かかることも。個別検診は健康保険の適用外なので、費用は全額自己負担。ただし居住地の市町村や所属している健康保険協会、健康保険組合、あるいは契約している保険会社によっては、補助金や助成金、割引サービスが受けられる場合があるので、問い合わせてみましょう。 ※PET(陽電子放出断層撮影)検査とCT(コンピュータ断層撮影)検査を融合させた検査。がんの発見に役立つ。 <後編>「硬くなっていく血管をケアするには? 医師がすすめる日々の食事と運動の方法」に続く 監修/天野惠子(あまの・けいこ)先生 一般財団法人野中東晧会 静風荘病院特別顧問。日本の「性差医療」研究の草分けとして普及に努め、鹿児島大学及び千葉県にて、性差に基づく女性医療の実践の場として女性外来を立ち上げ、治療に当たる。2009年より現職。日本性差医学・医療学会理事。 セルフドクターHP

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    なぜ我妻善逸は猗窩座戦に参加しなかったのか――善逸が「ひとりで戦う」理由 植朗子

    【※ネタバレ注意】以下の内容には、今後放映予定のアニメ、既刊のコミックスのネタバレが含まれます。28日、アニメ「鬼滅の刃」無限列車編が最終回を迎えた。フィナーレでは上弦の鬼・猗窩座と炎柱・煉獄杏寿郎が文字通りの死闘を演じた。この“炎柱の最後の戦い”を炭治郎と伊之助がすぐそばで見届けたのに対して、善逸だけはその場にいなかった。なぜ善逸は“ひとり”別の場所にいたのか? そこには、善逸ならではの“戦い方”の流儀があった。<本連載が一冊にまとめられた「鬼滅夜話」が即増刷され、好評発売中です> *  *  * ■善逸は弱虫?  我妻善逸(あがつま・ぜんいつ)は、騒がしく、訓練をサボりがちな、お調子者の「弱虫キャラ」である。鬼殺隊の入隊試験時には誰よりもおびえた様子を見せ、「鼓の鬼」がひそむ屋敷では、鬼の恐ろしさにふるえながら炭治郎(たんじろう)に助けを求めた。 <炭治郎 なぁ炭治郎 守ってくれるよな? 俺を守ってくれるよな?>(我妻善逸/3巻・第21話「鼓屋敷」)  やがて「鼓の鬼」の血鬼術(けっきじゅつ=鬼の特殊能力)によって、善逸は炭治郎と引き離されてしまった。善逸はたったひとりで、「正一くん」という名の一般の少年を守らねばならなくなった。 ■善逸の真の姿  自分の強さに自信がない善逸は、緊張が極限まで高まると昏倒(こんとう)してしまう。しかし、彼はこの「昏倒」によって、真の強さを発揮する。 <雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃(へきれきいっせん)>(我妻善逸/3巻・ 第23話「猪は牙を剥き 善逸は眠る」) 「本当の善逸」は強い。雷鳴を思わせる爆音をたてながら地面を踏み切り、稲光を思わせるようなスピードに乗って、強烈な威力の剣技を放つ。善逸は「雷の呼吸」の後継者のひとりで、すさまじい必殺技を持っていた。しかし、本当の意味での「善逸らしさ」は、実はこの必殺技の前のコマで描かれている。  緊張から眠りに落ちた善逸は、意識を失っているにもかかわらず、正一くんの悲鳴に反応し、彼を襲う鬼の前に立ちふさがった。「霹靂一閃」を放つための抜刀直前、正一くんをかばうように広げられた善逸の左手。“守る”という強い意志。このたった1コマから、善逸の優しさが伝わってくる。鬼におびえて泣いていた正一くんの涙が止まる。 ■善逸の戦いの動機  かつて善逸は何度も泣いて剣術訓練の邪魔をしたために、兄弟子である獪岳(かいがく)に厳しく叱責されていた過去があった。 <なぜお前はここにいるんだ!!なぜお前はここにしがみつく!!>(獪岳/4巻・第34話「強靭な刃」)  当時の善逸は獪岳の問いにうまく答えられなかった。しかし、善逸には夢があった。 <幸せな夢なんだ 俺は強くて 誰よりも強くて 弱い人や困っている人を 助けてあげられる いつでも>(我妻善逸/4巻・第34話「強靭な刃」)  表面上は鬼殺の任務を嫌がる善逸であったが、弱音を吐きながらも、彼は他者のために懸命に戦っていた。恐ろしい鬼と、弱い自分の心と向き合いながら。善逸は誰かを助けられる自分になりたかったのだ。 ■無限列車での善逸の戦い方  こんなふうにアンバランスな「優しさと強さ」を抱えた善逸は、無限列車編ではまだまだ“責任感”が足りていない。炎柱・煉獄杏寿郎(れんごく・きょうじゅろう)から、無限列車には鬼が出ると聞かされると、「降ります!!」と堂々と叫んだりしている。  しかし、下車する間など当然なく、すぐに「下弦の壱」の鬼・魘夢(えんむ)との戦闘へ突入することになった。高速で走る8両編成の列車内という細長い空間、守らなくてはならない一般市民200人という過酷な状況によって、炭治郎たちは戦力を分断されてしまった。  炭治郎は禰豆子の戦闘力を信じて、彼女をその場に残し、自分は離れた場所で戦い始めてしまう。列車内の乗客を守る奮闘の中で、禰豆子は四肢をもがれそうになった。そんな彼女の危機を救ったのは、兄ではなく善逸だった。 「禰豆子ちゃんは 俺が守る」(我妻善逸/7巻・第60話「二百人を守る」) ■禰豆子を「守る」善逸  禰豆子は以前も善逸に「守られた」ことがあった。まだ事情を知らない伊之助(いのすけ)から、「鬼だから」という理由で攻撃されたことがあったのだ。それを助けたのも善逸だったが、その時、禰豆子は「箱」に入ったままだったので、善逸の姿を見てはいない。  それに対して、無限列車内の救出シーンでは、禰豆子は戦闘中の善逸の姿をかなり間近で見ることができた。善逸の強さと、自分を「守る」という言葉に、禰豆子の心が動く。  禰豆子は鬼だ。ともすれば、炭治郎に匹敵するほどの強さを持ち、傷の修復力は鬼殺隊の隊士よりはるかに上だ。しかし、そんなふうに強い「鬼の禰豆子」を見ても、善逸は彼女のことをまるで「か弱い人間」のように扱った。善逸にとって禰豆子は、守らねばならない人のひとりなのだ。陽光という弱点、鬼を滅殺する集団の中での危険な戦闘、長時間の睡眠の必要性など、禰豆子のパワーの”不安定さ”を考えれば、善逸の判断は正しい。 ■なぜ善逸には“ひとり”で戦う場面が多いのか 「鼓屋敷」で正一くんを守った時、伊之助に攻撃されそうな禰豆子を守った時、「那田蜘蛛山編」で炭治郎と禰豆子が危険な鬼の住処に入山してしまった時など、自分が誰かを守らなくてはならない時、善逸は“強くなる”。そうした場面で善逸は単独で戦い、その「強さ」を発揮してきた。この特性のため、善逸の初期の戦闘シーンは“ひとり”なのだ。  無限列車編でもそうだった。煉獄と猗窩座の死闘の最中、その場から離れることができない炭治郎と伊之助の代わりに、車両のけが人たちをフォローし、日光が弱点である「鬼の禰豆子」を太陽から守った。炭治郎が戦いに集中し、禰豆子への注意が散漫になってしまった時、善逸は身を挺して彼女を守り続ける。善逸の集中力と戦闘力は、「誰かを守る時」に飛躍的に上昇する。無限列車の戦いで、善逸のフォローがなければ、禰豆子はかなり危険な状態にさらされていたはずだ。激しい列車の横転と、上弦の参ですら逃走する陽光から、善逸はたったひとりで禰豆子を守った。個人で柔軟に状況に対応できる善逸の機転が、この後の戦いでも生かされていく。「孤立」した状況と、「他者への愛」が善逸を強くする。 ■ひとりで戦う善逸  無限列車編後、善逸は任務に出かけることを嫌がらなくなる。煉獄の死が、そして“煉獄の死”に胸を焼かれる仲間たちの悲嘆が、善逸を大きく成長させた。この後の「遊郭編」では、善逸は仲間たちと「連携しながら戦う姿」を徐々に見せるようになる。  そうして皆と戦えるようになった善逸だったが、最終決戦では、再び“ひとり”で戦うことになる。今度は「眠る」ことさえ許されない。最大の悲しみが善逸を襲い、その苦悩に善逸はたった1人で向き合うのだ。勝利というにはあまりにもつらい「決戦」が、彼を待ちかまえる。 「無限列車編」は、善逸の大きな転換期のエピソードでもあった。「遊郭編」では、善逸の姿に新たな成長をさらに感じることができるだろう。 ◎植朗子(うえ・あきこ)1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。AERAdot.の連載をまとめた「鬼滅夜話」(扶桑社)が11月19日に発売されると即重版となり、絶賛発売中。

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