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    高市早苗氏の意外な過去にフェミニストも震えた 総理の座を狙う過程で何があったのか

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選に正式に出馬表明した高市早苗氏について。*    *  * 近しい人がデルタ株のコロナ陽性になったり、友人の同僚や、通っている美容院のお客さんが亡くなったりなど、夏以降、急速にコロナの危機が迫っているのを実感している。健康観察をされずに自宅で死亡した50代の方の話などを聞くと、東京五輪・パラリンピックに時間とお金と人材を費やすべきではなかったのではないかとつくづく悔しい思いになる。適切な処置を医療機関で受けられていたら、亡くならないですんだかもしれない命は少なくない。 Go Toキャンペーンやオリパラを強行することに専念してきた自民党政権が、トップの顔を代えただけで変われるとは思えず、期待には程遠い自民党総裁選。岸田文雄さんは、ボロボロの小さいノートを振りかざしては「国民の声を書き留めてきた、1年間で3冊、10年間で30冊」と様々なメディアでアピールしているが、正直、少ないと思う。薄いノートを1年でたった3冊埋めたくらいで、国民の声を聞いたとか言えるって、どんだけ聞いてこなかったかという話なのでは。河野太郎さんは、先日週刊誌でそのパワハラ言動が取りざたされていたが、ワクチン接種という、申し訳ないが素人目線でそこまで難しいとも思えない仕事でつまずいている人に期待するのはムリという話だし、高市早苗さんにいたっては、選択的夫婦別姓に強硬に反対するアンチフェミ女のイメージしかない。女性の人権に無関心な女性総理候補にいったい何の価値があるというのでしょう。 とはいえ、高市早苗議員、いったいどんな人なのか。32歳で衆議院議員に若くして初当選(※)。しかも同期の田中真紀子議員や野田聖子議員のように、親や祖父が国会議員だったというわけではなく、自民党員だったわけでもなく、サラリーマンの父と警察官の母という一般家庭から出てきた無所属の女性議員が、今、最も総理の椅子に近い女性となっている。なぜ高市さんは、政治家の道を選んだのだろう。どのように政治の道を歩いてきたのだろう。政治家としては多い著作のなかから国際政治評論家としてテレビで活躍していた頃に書かれた『30歳のバースディ―その朝、おんなの何かが変わる』(大和出版)、政治家2年目に記された『高市早苗のぶっとび永田町日記』(サンドケー出版局)を読んだ。 高市氏が大学を卒業したのは1984年。1986年に男女雇用機会均等法が施行されるが、この2年の差はやはりとても大きいものがある。女性が生涯にわたる仕事を手にすることも、そもそも親が大学に行かせてくれるかどうかも「女の子」であるというだけで諦めることがまだまだ当たり前にあった世代だ。特に地方であればなおのこと。保守的な奈良に育った高市氏も、当然のように「諦めさせられて」きた。例えば大学もそうだ。高市氏は第1希望だった早稲田と慶応のどちらも合格したにもかかわらず、「女の子のあなたを東京の私学で学ばせる余裕はない。弟の学費に回してほしい」と親に諦めさせられ、「女の子だから一人暮らしはさせられない」と通学に往復6時間かかる神戸大学に入学するのだ。 たとえ難関国立大学出身であっても、女性がその能力と希望に見合う就職先を見つけるのが難しい時代だった。「身の丈」よりもずっと小さく窮屈な型に押し込められる女性たちの悔しさは計り知れないが、高市氏の著書からはその類いの悔しさは強調されない。それは高市氏に並外れた行動力と決断力があり、自らの人生を切り開いてきた自負があるからだろう。たとえば、たまたま大学で目にした松下政経塾のポスターを目にして、直感に導かれるように松下政経塾に“就職”したり。たまたまテレビで見た女性議員で史上初の米国大統領候補指名争いに立候補準備を進めていたパトリシア・シュローダーに惹かれ、その2週間後にはワシントンに旅立ち、その情熱だけでシュローダー議員のオフィスで働き始めたり……若さゆえの大胆さと希望に満ちあふれた当時の高市氏のエピソード一つひとつに圧倒されてしまう。「女だから」と諦めさせられてきたのは大学まで、それ以降は絶対に諦めないという粘り強さで今の地位を築いていくのである。『30歳のバースディ』は文字通り30歳を迎えた高市氏がそれまでの人生を「ポップ」に振り返る本である。「BGMはいつもユーミンだった」「寂しいのはあなただけじゃない」「空港でまたまた恋人と涙の別れ」「男かペットがいなくちゃダメな私」「女と日の丸と視聴率の相関関係」「三〇女が孤独を感じるとき」といった目次からもわかるように、女友だちに話しかけるように書かれた軽く、優しいノリのものだ。アメリカから帰国し、若い政治評論家としてメディアに露出していたころで、日本の男性社会へのいら立ちも率直に記されている。「アメリカ議会では日本流のバカバカしい会議がないのが良かった。(略)ところが日本の企業では会議の場では何も決められない。本当は既に決まっているし、とっくに根回しが済んでいることを確認しあうだけの、儀式的な会議のなんと多いことか。でも、私たち女性は妙に正義感が強いので、このような巧妙な人間関係のテクニックとは相性が悪い」 90年代に若い女性が書いたテキストを追いかけながら、私は何度か噴き出したり、そうそうと共感したりと震えるような思いになる。ねぇ、高市さん、「女が入ると会議が長くなる」とほざく森喜朗さんに「あんたの会議はバカバカしい」とはやっぱり言えないものだったの? こういうまっとうないら立ちを文章にしてきた女性が、最も「わきまえる女」になっていく過程に、いったい何があったというの? さらにこういう率直さは、国会議員になった後に書かれた「高市早苗ぶっとび永田町日記」にも残っている。高市氏は歯に衣着せずに永田町のダメなところをきちんと切っている。「この一年間に永田町で一番多く耳にした言葉は次の二つ。『挨拶がない』『俺は聞いてないぞ』。委員会の審議日程が流れたり、大切な法案の採決がパーになったりする理由は大抵この二つだったりする」「笑い話のようなことばかりだが、事実、永田町政治は『理屈』ではなく、『メンツ』で動いている」 さらに、夜の会食や女性がいるクラブなどで行われる男たちの根回しで物事が決まっていく永田町で、女の自分が不利であることも記し、サッチャーのこんな言葉を引用し共感を表明するのだ。「私は最後まで党内基盤が弱かった。それは男性の世界の根回しに加えてもらえなかったからよ」 なにこの人……すごくまともな「一般人」の感覚で、すごくまともな「女の悔しさ」をストレートに出すフェミじゃないの? しかもそのまともさで、「総理大臣の資質」というものを論じ、当時の村山政権を真っ正面から批判している。明言しているわけではないが、高市氏自身が政治家として一番になること=総理になることを30代から目指しているのも伝わってくる内容なのだった。根回しから排除されてきたサッチャーが首相になれたように、パトリシア・シュローダーが80年代に大統領を目指したように、高市氏は政治家としてトップに行くことを最初から視野に入れていたのだ。 ……と、昔の高市氏の本を読んでいると、うっかり「がんばれ、早苗!」と言いたくなってしまう私がいるのだった。「総理になろうよ!!」と早苗の女友だちポジションに立って拍手したくもなってしまうのであった。まずい、まずい。正気に戻るために2011年に出版された『渡部昇一、「女子会」に挑む!』(WAC)も読んだ。櫻井よしこ氏、山谷えり子氏、高市早苗氏、小池百合子氏、丸川珠代氏・・・といった早々たる「わきまえ女」(帯には「なでしこ軍団」とある)たちと渡部昇一氏との対談本だ。 渡部氏との対談で、「総理になったら、まず何をしますか?」と聞かれた高市氏はこう答えている。「最初に、政府歴史見解の見直しをします。新たな歴史見解を発表して、村山談話を無効にします」 東日本大震災のあった年の9月に出版されている本だ。震災後から、こういう歴史修正主義を堂々とうたう本や、韓国ヘイト、「慰安婦」運動への過剰な攻撃は度を越していったという実感が私にある。保守政治家から極右政治家に舵を切るように発言をより過激化させていく高市氏の横顔が、対談にはしっかりと刻まれている。夫婦が別の姓を名乗ったら家族が崩壊すると適当なことを言い、戦時性暴力の責任を問わないどころかなかったことにすることが、高市さんの「目指した政治」だったのだろうか。この国の女性たちが権力に近づこうとするならば、率先して選択的夫婦別姓を批判し、「慰安婦」被害者をおとしめる発言をいとわず、女性の権利を口にするフェミを冷笑するというマニュアルでもあるのだろうか。 今いる自民党の女性議員の顔を、一人ひとり思い浮かべてみる。わきまえなければ権力に近づくこともできなかった女性たち。夜の会議や根回しから排除されながらも、その立場を維持するための努力は、二世・三世の男性議員たちとは全く違うものがあったはずだ。それでも、それほどの努力をしても、彼女たちが自らの後ろを振りかえったとき、彼女たちの後ろを歩きたいと思う女性はどのくらいいるだろうか。というかそもそも、その道は後続の女性のために開かれていたことはあったのだろうか。 かつて高市氏が憧れ渡米したパトリシア・シュローダーはテレビカメラの前で涙を流した。そのことによって20年以上「女の政治家は感情的だから、ダメだ」と言われ続け、「あなたの涙のせいで、女の地位が悪くなる」と責められ続けたという。女であるというだけでその「涙」が事件になるのは、昔のアメリカも今の日本も変わらない。そういう政治の世界でトップを目指す女性たちが、女性の味方であることを忘れるのは「仕方ない」ことなのだろうか。それとも、アンチフェミニズムの顔で女性をたたくような女性政治家しか出せない自民党政治そのものが終わっている、ということなのか。※訂正配信時の「32歳で衆議院議員に初当選、女性議員としては、当時憲政史上最年少だった」という一文を、「32歳で衆議院議員に若くして初当選」と訂正しました。高市氏の著書『高市早苗のぶっとび永田町日記』に「女性として憲政史上最年少当選」と記してありましたが、実際は1946年4月10に三木キヨ子氏が20代(当時)で当選していたため削除、修正します。■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    眞子さまの結婚どう思う? 瀬戸内寂聴が27歳スタッフに質問した結果

     半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。*  *  *■横尾忠則「スジ金入りの肉体的朦朧体、大観より本格派です」 セトウチさん 耳が聴こえなくなったと言うと、「きっと作品が変るわよ」と、ベートーベンじゃあるまいし、変なことおっしゃると、その時はそう思いましたが、本当に変ったんです。その変り方が理に適(かな)っているといえば適っている。つまり聴こえないことは、音の輪郭が失くなることです。そうなると音が朦朧(もうろう)となって、横山大観の朦朧体の絵のように音がボケて聴こえるんです。耳がボケると、日常生活もボケて、曖昧模糊(あいまいもこ)となって、したことと、してないことの区別もわからなくなるんです。つまり虚実の区別ができなくなって、夢で見た仕事の依頼を、本当に依頼されたと思って、やっちゃったりするんです。ボケの症状に似てるけれど、ボケ老人になったんではなく耳のせいだと理解しているので、そこはまだ理性がコントロールしています。 ハイ、絵の話だったです。大観は思想で朦朧体を描きましたが、僕はスジ金入りの肉体的朦朧体なので、思想のようなチョロコイ考えではなく、肉体的ハンデキャップによる堂々たる自然体派です。大観よりこっちの方が本格派です。そんなわけでセトウチさんの大予言は的中しました。 先っきも言いましたが境界線が失くなるということは自由のキャパシティも拡張したことになります。近代人は何でもかんでも境界線を引いて、全てを分業化します。縄文時代はひとりの人間が、多面的に物事をこなしていました。狩猟(しゅりょう)も農業も、漁業も工芸も、子育ても、教育もひとりでするという、境界線をはずした労働生活です。現代のような役割分担などしません。正に多義的です。越境した狩猟社会です。 難聴が与えてくれた神の恩寵です。だから病気の高徳です。僕が度重なる病気によって救われてきたということはこういうことです。神は人間に色々な苦難を与えますが、病気は罪ほろぼしでもカルマ落としでもなんでもないのです。人間の進化向上のためのカリキュラムだと思えばどうでしょう。難聴のほかに、腱鞘炎(けんしょうえん)にもなりました。もう、セトウチさんの「幻花」のような繊細(せんさい)な描写の絵など描けません。今は太い筆やハケを握りしめて、キャンバスにバンバン叩きつけるように描いています。それも痛いので、左手で描きます。左手は思うような形が取れません。幼児の絵より下手くそになります。でも、デュビュッフェは幼児の絵のマネをして、幼児風に描きますが、そんな意図的なことをしなくても、僕の左手はそのまま幼児以上に下手に描けます。これもハンデキャップから来た自然体です。 今書いている手紙では、前にも同じことを書きましたかね。境界を越えると時間差もなくなって、やったことと、やらないことの区別がわからなくなるのです。いよいよ本格派老人です。100歳老人のセトウチさんにも負けていません。ただ僕はセトウチさんのように年齢には拘っていません。拘っているのは他人の方で、今行っている展覧会では「85歳、85歳」と年齢を売り物にされています。歳のことは言うな! アーティストには年齢はないのです。昨日の続きが今日、今日の続きが明日です。原始社会では年齢など無関係です。アーティストは原始人です。■瀬戸内寂聴「私もヨコオさんに負けないように!」 ヨコオさん 何だか、ずいぶん久しぶりにこの往復手紙を書いているような気がします。 それにしても相変わらずコロナは豪勢を極め日本はおろか、世界的にその力を奮っています。 コロナのせいで、人に会えず、寂庵はずっと門を閉めっぱなしです。コロナになる前はもちろん、一も二もなく門内に入ってもらっていました。 大抵遠く九州や東北から来られた人で、まだ生きている私に逢えたと言って、抱きついて泣き出します。もちろん、私は丁寧にお迎えして、写経などしてもらい、お茶菓子を一緒に食べて、しばらくその人のお話を聞きます。つきあいの人もあれば、寂庵の信者を自称する人もあり、初めて門内に入ったという人もいます。「まさか、門内に入れてもらえると思わなかった」と泣き出す人もあれば、「生きている寂聴さんに逢えた!」と、子供のように足を踏み鳴らす人もいる。「とても百歳には見えない!」と誰もが感嘆してくれるが、終日ベッドに横になり、本ばかり読んで、一日を過ごしている私の毎日の状態など話せない。私は、人に逢っている間だけは、必死になって元気らしさを演じ、声を張り上げる。客の帰る時は、長い廊下の途中で、へばってしまい、さっさと歩く客の跡がおえない。 ──だって百だもの……──と、私は廊下の途中で、ペシャンコに座り込み、つくづく、自分に向かって言う。 食事だけは時間が来ると、しゃきっと体がのび、食卓の自分の位置に早々と座り込んでいる。「あら、お昼はもう召し上がりましたよ!」 スタッフの一人が、わざと大きな声を張り上げる。「私のスパゲティは、どうしてこんなに美味しいのだろうなんて、お世辞までいただいて」「そうよ、ほんとに! でも今ここに座ったのは、食べるためでなくて、眞子さんの結婚をどう思うかって、寂庵で一番若い二十七歳のP子の意見を聞きたいのよ」「ああ、眞子さん、ほんとに、よかったですね。大体、みんなあんまりこの結婚に意地悪すぎましたよ。でも、どうして一時金を眞子さんは辞退なさるのかしら? 貰う権利のあるお金でしょう? あんまり弱気にならない方がいいと思うけど……」 ヨコオさん、今、寂庵の中は、こんなにのんびりしています。耳が聞こえないのは、私も同然です。テレビの時なんか、びっくりするほど大きな声にしてくれるので、何とか会話が出来ています。鶯も、秋の夜の虫の音も、私の耳にはさっぱり聞こえません。ヨコオさんとTELしてるのを横で聞いてる人があれば、どんなにおかしいでしょうね。耳だけでなく体のあちこちがどしどし衰えてきます。 そのうち、きっと、自分の死んだこともわからなくなって、──ヨコオさんにTELして!──など叫んでる日が来るのでしょうね。でも目がよく見えているので、一日に二冊は厚い本を読み切っています。ヨコオさんの展覧会、ますます人気上昇でおめでとうございます。私もヨコオさんに負けないよう、あっとこれまでと変わった小説を二つくらい書き残して死にたいものですね。 では、また。※週刊朝日  2021年9月17日号

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    小林麻耶が離婚へ 夫から解放されても修復が難しい「海老蔵一家」と「TBS」

     今年3月から別居状態にあった小林麻耶(41)と夫の國光吟氏(37)が離婚に向けて協議を始めたという。7月1日発売の「女性セブン」によると、当初は麻耶自身も別居が一時的なものになるか、離婚への準備期間となるかはわかっていなかったが、周囲のサポートもあり自分の意思で結論を出す段階に入ったようだ。 2人が結婚を発表したのは2018年7月。出会って2カ月、“交際ゼロ日”での電撃婚は周囲を驚かせたのはもちろんだが、國光さんの行うスピリチュアル色の強いセラピーやカウンセリングなどに傾倒する麻耶を心配する声も少なくなかった。「それ以降の2人の行動といえば、まるで麻耶さんのマネジャーのようにどこへ行くのにも國光さんが同行し、次第に仕事場でも國光さんが口を出すようになったといいます。そして昨年11月に『グッとラック!』(TBS系)の電撃降板と所属事務所との契約解除があり、麻耶さんの彼への依存ぶりが心配され始めました」(女性誌記者) 一時期は麻耶が「洗脳状態」にあるのでは?などと心配もされたが、次第に2人の関係は冷めていったようだ。結局、3月には別居となったが、國光氏と距離をとった麻耶を誰よりもサポートして見守り続けたのは、麻耶の母親だったという。「お母さんの元に戻ってからは、麻耶さんも徐々にこれまでのことを冷静に振り返ることができるようになったそうですが、最も彼女の心を揺り動かしたのは麗禾ちゃん(9)と勸玄くん(8)の存在です。國光さんと結婚してからは、海老蔵さん一家とも以前のように頻繁に関わることがなくなり、あれほどかわいがっていた子どもたちともここ1年ぐらいは会っていないといいます。お母さんは、麻央さんの闘病中には麗禾ちゃんと勸玄くんの面倒を見て家事一切を取り仕切っていました。お母さんから伝え聞く2人の様子やYouTubeで見る成長ぶりに会えない辛さが募ったのでしょう。そんな麻耶さんの異変に気づいて、お母さんはメンタル面も含めてフォローし続けているそうです」(同前) だが、仮に離婚が成立したとしても、今後の麻耶の状況が元通りになるかといえば、「すぐには難しいかもしれない」と芸能ジャーナリストは話す。「まずは麗禾ちゃんと勸玄くんとの関係です。麻央さんの闘病中はお母さんと共に彼女もよく面倒を見ていて、子どもたちも懐いていましたが、海老蔵さんが現在の状態のまま、麻耶さんと距離をとり続けるのであれば、以前のような家族ぐるみの関係に戻るには時間がかかるでしょう。海老蔵さんはこれからは『十三代目市川團十郎白猿』と『八代目市川新之助』の襲名披露公演も控えていますから、あまり“雑音”は入れたくないのではないでしょうか」 また、広告代理店関係者は麻耶の復帰をこう心配する。「いずれ麻耶さんも仕事復帰を考えているでしょうが、義理を欠くようなことをしてしまった古巣のTBSや前の所属事務所からのバックアップは期待できないでしょう。それ以上に、はたしてタレントとして需要があるのかも疑問です。國光氏とのお騒がせカップルのイメージがまだ根強く残っていますから、CMや司会などで起用するのは厳しいのでは」 麻耶はこの日、自身のブログを更新したが、離婚報道には言及しなかった。“目が覚めた”麻耶が目の前に待ち受ける新たな壁に気づき、それを乗り越えた時に、彼女は本当に自由になれるのかもしれない。(宮本エミ)

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    ジョニー・デップは「ほんとに気配りが素晴らしくて…」 美波の「共演秘話」

     映画「MINAMATA」で、ジョニー・デップ扮する写真家のユージン・スミスの相手役(アイリーン)を好演した俳優の美波さん。作家の林真理子さんが、共演の舞台裏をうかがいました。 【本木雅弘の「推薦」のおかげ? 美波がジョニー・デップ相手役を射止めた訳】より続く *  *  * 林:みんなに聞かれると思うけど、ジョニー・デップと初めて会ったとき、ドキドキしました? 美波:正直、ジョニーと共演というプレッシャーより、英語でお芝居することのほうがプレッシャーでした(笑)。撮影に入る前に2週間弱、準備期間があったんですよ。そのとき、カメラテストがあって、ユージンの暗室という設定のセットで、ジョニーと私、カメラマン、監督のアンドリュー(・レヴィタス)の4人で、セリフもなくセッションしました。そのときに不思議とケミストリーが合ったんですよ。 林:化学反応したんですね。 美波:そのとき、「大丈夫」って、みんなホッとしたんです。アンドリューにとって、私を起用することは、賭けだったと思うんです。無名の女優で、しかも英語もそんなにできないのに、キーになる役を演じるんですからね。私もそのとき「ジョニーになら全部託せるな」という絶大な安心感と包容力を感じて、そのあと彼にはたくさん支えていただきました。 林:いい人だったんですね。 美波:ほんとにいい人で、撮影の合間に、彼専用のテントの中で、彼にギターを弾いてもらいながら私は絵を描いたり、いろんな話をしたり、素晴らしい方でした。 林:最高じゃないですか。もうすっかり仲良くなったんですか。連絡先も交換しました? 美波:はい、情報交換はしていますね。 林:ジョニーは「ミナミ」って呼ぶんですか。 美波:もちろん。 林:ワォ! すてき!(笑) 美波:やっぱりジョニーは、お芝居が上手なんです。すごいキャリアがある方なので、私がどんな芝居をしても受け止めてくれました。どこにカメラがあって、どこに照明があって、どう撮れば相手がどのように映るかが、本能的にわかってるんです。芝居をしながら、彼が私を、いちばんきれいに光が当たる場所に誘導してくれるんですよ。 林:誘導してくれるって、どんなふうに? 美波 目線で合図をくれるんです。自分が映らないカットでも、彼がちょっとずつ目線を動かしていってくれて、私がその目線に従ってついていくと、光がいちばんいいスポットに私が入っているんです。スーパースターなのに、ほんとに気配りが素晴らしくて、すてきな方でした。 林:アイリーンは最初、ミステリアスな女性として彼のアパートにあらわれますよね。いつも暗闇の中から出てくるんだけど、私、原節子さんに似ているなと思って見てました、雰囲気が。 美波:あら! 光栄です。 林:この映画のハイライトは、世界中に衝撃と感動を与えたお風呂の写真(「入浴する智子と母」)の撮影シーンですけど、ユージンがひざまずかんばかりにしてシャッターを切るじゃないですか。素晴らしいシーンでした。 美波:はい、あのシーンは、物音ひとつしない、シーンとした中で「カシャ」というシャッター音だけが響いていて。うまく言えないんですけど、ユージンは影をずっと撮っていて、“動”じゃなくて“静”を撮っている人なんだなと、あのシーンで思いました。 林:彼の人間性が出ていましたよね。いきなり訪ねて「撮らせてほしい」と言わず、ずっと待って、待って、信頼を得てから、最後に撮るんですね。だから、あの写真が世界中の人々の心を打つわけで、あの写真を撮るまでに、アイリーンさんが大きな力を果たしていたんですよね。 美波:そうですね。ユージンは水俣に数年滞在していたんですけど、水俣を最後に写真を撮ることが難しくなってしまったんです。取材の途中、暴行事件にあって、脊髄損傷と片目失明という重傷を負ってしまって。 林:カメラマンの命である目を、暴行事件で奪われてしまったんですね。 美波 はい。この作品では、アンドリューやジョニーがプロデュースして、光も闇も、丁寧に映し出してくれているのは、すごくありがたいなと思っています。 林:昨今は、SDGs(持続可能な開発目標)が盛んに叫ばれています。公害とか環境問題は、そのはしりだったわけですからね。 美波:あれから50年たっているのに、環境汚染はぜんぜんなくなっていません。地球は悲鳴を上げるどころか、壊れていっていると思います。出る杭は打たれても、どんどん声を上げていかなくちゃいけないなって、私も実感しています。 林:日本で撮影したんですよね。 美波:じつは、セルビアとモンテネグロで撮影したんです。 林:えっ! 日本じゃないんですか? 美波:ハリウッド映画といってもこれはインディペンデント(自主製作)なので、お金のことや、いろんな兼ね合いがあるんだと思います。じつはセルビアは、ヨーロッパでいちばん安く撮影ができる国なんです。だから、毎年たくさんの映画が、セルビアで撮影されているんですよ。 林:へえ~、知らなかった。 美波:その分、セルビアの技術はすごく上がっていて、今回もほぼセルビア人のスタッフさんだったんです。メイクさんから衣装にいたるまですべて。 林:あの時代の日本の洋服、セルビアの人がつくったんですか。 美波:そうなんですよ。すべて手作りなんです。あの技術はすごいと思いました。 林:エキストラの日本人たちは、ヨーロッパにいる人たちですか。 美波:東ヨーロッパ在住の日本人の方が多かったですね。あとは日本から自費でいらっしゃった方が、何人か参加されていました。エキストラさんの熱意にも感動しましたよ。私、ずっと日本に帰れなくて、日本食が食べられなくてつらかったんですけど、エキストラの女性が炊飯器を持ってきて、お米を炊いてくれたんです。涙でお米がしょっぱかったです(笑)。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 美波(みなみ)/1986年、東京都生まれ。母が日本人、父がフランス人。「バトル・ロワイアル」で映画デビュー以降、舞台「エレンディラ」「ザ・キャラクター」、映画「乱暴と待機」など、舞台、映画、ドラマ、CMで活躍。2014年、文化庁「新進芸術家海外研修制度研修員」に選出され渡仏、ジャック・ルコック国際演劇学校に1年在籍。近年の出演作に映画「Vision」など。9月23日公開の映画「MINAMATA」では、ジョニー・デップ演じる写真家ユージン・スミスの相手役アイリーンを好演している。※週刊朝日  2021年9月24日号より抜粋

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    本木雅弘の「推薦」のおかげ? 美波がジョニー・デップ相手役を射止めた訳

     世界を舞台に活躍する俳優・美波さん。映画「MINAMATA」では、米俳優ジョニー・デップの相手役を好演しました。作家の林真理子さんが、大役をつかんだ秘話をうかがいました。 *  *  * 林:ご無沙汰しています。 美波:こちらこそご無沙汰しております。 林:10年ぐらい前、私の小説が原作のドラマ(「下流の宴」)に出ていただいたんですよね。こんなにすごい女優さんになってお会いできてうれしいですよ。 美波:私も、ちゃんとお話できてうれしいです。 林:今度の映画(「MINAMATA‐ミナマタ‐」9月23日全国公開)で、ハリウッドのスーパースター、あのジョニー・デップと共演なさったんですね。水俣の写真で世界的に有名なユージン・スミスの相手役(アイリーン)という大役を務めたわけですが、これはオーディションだったんですか。 美波:オーディションです。私はいま海外を転々とするような生活なんですが、じつは私、去年結婚したんですよ。 林:あ、そうなんですね。 美波:夫はフランス人なんですけど、普段はアメリカのロサンゼルスに住んでいるので、3年前の年末、クリスマスを彼の家族と過ごすためにフランスに行ったんです。そのとき、フランスの空港に着いて飛行機を降りたら、この映画のキャスティングディレクターの奈良橋陽子さんからたくさんのメールが届いていたんです。 林:あの有名な奈良橋さんから。 美波:はい。「オーディションを受けてくれませんか。返事を待ってます」というメールで、すぐ「やります!」ってお返事をしました。その後フランスでオーディションが始まったんです。ですが、アイリーンさんの役だったので、監督のアンドリュー(・レヴィタス)はアメリカ英語をちゃんとしゃべれる人をキャスティングするつもりだったようです。一方で私は、かなりのフレンチなまりの英語なんですよ。 林:そうなんですか。 美波:ですから、監督に「あと20%フレンチなまりを抑えてほしい」と言われても、なかなかできなくて。なおかつ英語でのお芝居は初めてだったから、よくあの英語力で、監督は私を選んでくれたなと思います。それからずっと勉強しているんですけど。 林:奈良橋陽子さんは前からお知り合いだったんですか。 美波:奈良橋さんとは以前、一度オーディションでご一緒しただけなんです。でも、今回は不思議なご縁があってお声かけいただいたんですよ。10年ほど前、「運命の人」という本木雅弘さんが主演のドラマに私も出演したことがあるんです。そして、ちょうど奈良橋さんがアイリーン役を探していたころ、何かの打ち上げのときに、本木さんとお話したそうなんです。本木さんは「運命の人」のことを覚えてくださっていて、「美波ちゃんはどうですか」と言ってくださったんですよ。それで奈良橋さんは私の写真を見て、連絡してくださったんです。 林:すごい話。なんかザワザワしてきちゃった。 美波:だから本木さんには大感謝しています。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 美波(みなみ)/1986年、東京都生まれ。母が日本人、父がフランス人。「バトル・ロワイアル」で映画デビュー以降、舞台「エレンディラ」「ザ・キャラクター」、映画「乱暴と待機」など、舞台、映画、ドラマ、CMで活躍。2014年、文化庁「新進芸術家海外研修制度研修員」に選出され渡仏、ジャック・ルコック国際演劇学校に1年在籍。近年の出演作に映画「Vision」など。9月23日公開の映画「MINAMATA」では、ジョニー・デップ演じる写真家ユージン・スミスの相手役アイリーンを好演している。 >>【ジョニー・デップは「ほんとに気配りが素晴らしくて…」 美波の「共演秘話」】へ続く※週刊朝日  2021年9月24日号より抜粋

    週刊朝日

    20時間前

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    「眞子さまも記者会見には乗り気ではないご様子」と関係者の声 小室圭さん帰国はよもやの理由

    「小室圭さんの帰国」「宮内庁がおふたりの記者会見の場を設ける見通し」――。 9月16日、NHKの一報を合図に、こう着状態であった眞子さまの結婚問題に急展開を告げるニュースが流れ出した。 ついに小室さんも腹をすえて、金銭トラブルと結婚問題について国民に説明する決心をしたのだろうか。「それが…どうも眞子さまも小室さんも、記者会見には乗り気ではないようなのです」 と話すのは、秋篠宮家の事情に詳しい人物だ。 続けてこうも話す。「小室さんの帰国も、会見に臨むためというよりも、眞子さまのご希望によるものだと聞いています」 皇籍を離脱した後も眞子さまは、米国での滞在手続きやパスポートを取得するあいだ日本に滞在せざるを得ない。その間、おひとりで過ごすことに不安を覚えているようなのだ。さらに眞子さまが、強くこだわったと言われることがある。「新天地である米国へはおふたりそろって旅立ちたい、とお考えです」(前出の人物) 天皇陛下や秋篠宮さまが触れた、「国民の納得や祝福」からはほど遠い状況にも関わらず、「スクープ」記事が先行する形で、結婚に向けた地盤固めが強行される流れに、違和感を抱いた人は少なくないはずだ。 皇室に仕えてきた人物は、こう話す。「眞子さまが皇室に長くいればいるほど、秋篠宮家への批判が高まる。皇位継承順位2位である悠仁さまに、よろしくない影響が及ばないうちに、出ていただかなければ取返しのつかないことになる。宮内庁も同じ危機感から、結婚させるしかないと力技に出たのでしょう」 では、ご本人方が「乗り気でない」記者会見を宮内庁が設ける形で調整しているとは、どういうことなのか。 秋篠宮さまは昨年の誕生日を前にした会見で、「結婚する段階になったら、今までの経緯も含めてきちんと話すことは大事なことだと思っている」と述べている。「殿下は、眞子さまと佳子さまに対しては、『皇族ならばこうあるべき』と厳しいお考えのなかえ育ててこられた。秋篠宮殿下は『結婚を望むのならば、自分たちの責任でけじめをつけるべき』とお考えなのでしょう」(宮内庁関係者) 実際、小室家が抱える金銭トラブルは未解決のままだ。小室さんは今年4月に28枚に及ぶ文書を公表し、それをもって説明としてきた。母、佳代さんの元婚約者への「解決金」が支払われる気配もない。元婚約者の代理人は、本誌の取材にこう話す。「もちろん、小室さん側が提案してきた『解決金』に進展はありません。文書を公表した際、元婚約者への事前の連絡も、その後の内容へ説明も一切なかった。せめて佳代さんご本人に説明して欲しいと代理人弁護士にお願いしていますが、『話は(佳代さんに)伝えています』と通りいっぺんの返答ばかりです」  記者会見の場で、国民と元婚約者に対して誠意をもった説明なしに、米国に旅立つようなことは、決してあってはならないだろう。 眞子さまは、かねて20代での結婚を強く望んでいると言われてきた。「10月結婚」と報じられているのは、10月23日の眞子さまの誕生日までに、婚姻届けを出す可能性があるからだ。 だが、10月に結婚となるとさまざまなハードルが待ち受けている。 たとえば、皇籍離脱に伴い支給される最大1億5250万円の結婚一時金の問題だ。本誌が確認した限りでは、眞子さまは少なくとも昨年の年明けには、「受け取らない」と周囲に伝えている。 だが、皇族が身分を離れる際に一時金を支出することは、皇室経済法にのっとる。「受け取らない」となれば、内閣総理大臣や衆参正副議長および、内閣総理大臣、財務大臣、宮内庁長官、会計検査院長の8議員からなる皇室経済会議を開く必要が出てくる。 ただし秋は政治日程がタイトだ。9月29日の自民党総裁選の投開票を経て10月4日から臨時国会が召集される見通しで、首相指名選挙と組閣、皇居・宮殿では天皇による総理大臣の親任式と閣僚の認証式がある。10月21日の衆議院議員の任期満了を受けて、10月末から11月には衆院選挙が控えている。 皇室経済会議が、宮内庁が予め筋道を立てたうえでの形式的な場になるとしても、新総理と新大臣を含め政治家たちの日程を押さえる必要がある。まして、眞子さまが10月23日のお誕生日前の結婚を望んでいるとすれば、10月中旬の総選挙直前に会議を開くことになる。 皇室を長年見ている人物はこう話す。「さすがに、そこまでの我を通されるとは思いたくありませんが……。宮内庁としても政治家に『どうなっているんだ』と突き上げられて宮内庁長官が、しどろもどろに説明しなければならない会議など開きたくないはずです。理屈をつけて会議なしで、切り抜ける可能性もありますね」 皇籍離脱をしたのち、渡米まで眞子さまが滞在する施設も懸案事項のひとつだ。「いまごろ皇嗣職の職員が必死でマンションを探しているかもしれないが、下手にセキュリティーの整ったマンションを用意すれば財源を追及されかねない」(前出の人物) たとえば、故・寬仁親王の妃である信子さまは、宮邸に戻らず宮内庁分庁舎として使われていた旧宮内庁長官公邸(東京都千代田区)で暮らしている。この旧長官公邸も、いまは財務省の管理下にあり宮内庁の管轄ではない。昭和天皇の三女・鷹司和子さん(孝宮)も夫に先立たれ、強盗被害にあった。昭和天皇のはからいで、民間人でありながらも赤坂御用地内の古い木造平屋の乳人官舎に移り住んでいた。「眞子さまの場合も、女性宮家案で出ていたように、宮内庁の特別職につけるなど体裁を整えれば、宮内庁の関連施設に滞在することも可能でしょう」(前出の人物)「異例」と「前代未聞」続きの眞子さまの結婚では、結婚に伴う儀式は行わないとみられる。だが、前出の人物は、宮中三殿で皇室の祖神などに別れを告げる『賢所皇霊殿神殿に謁(えっ)するの儀』と天皇、皇后両陛下に感謝を伝える『朝見の儀』を行わないまま皇室を去ったとすれば、それこそとんでもない、とため息をつく。「漂流する令和皇室の幕開けにならなければよいのですが…」(AERAdot.編集部 永井貴子)

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    高市氏でも野田氏でもシラける女の総裁選の闘い 直木賞作家・中島京子、望月衣塑子記者

     ポスト菅をめぐる自民党総裁選(17日告示、29日投開票)は、今後予想される女性の戦いにも注目が集まっている。岸田文雄前政調会長に続き、高市早苗前総務相が正式に出馬表明し、野田聖子幹事長代行は推薦人確保に奔走中と報じられている。「日本初の女性首相誕生か」と前のめりに報じられるが、ちょっと待って、高市総理? 野田総理? 女の総裁選バトルにモノ申す!*  *  *「憧れの人は元英首相のサッチャー」 高市氏は野心を隠すことなく、このように明言してきた。いま総理の椅子に最も近づいている女性かもしれない。 これまで、自民党の総裁選に出馬した女性はただ一人。小池百合子現東京都知事が2008年に立候補した。そもそも立候補には、国会議員の20人の推薦が必要で、女性にとっては高いハードルだった。今回、高市氏は早々に推薦人確保のメドがたち、世間の人気が高いといわれる河野太郎氏よりも早く正式に立候補を表明。野田氏も意欲を示していることから、注目を浴びている。 東京新聞の望月衣塑子記者が解説する。「自民党の若手議員を中心に“菅さんじゃ選挙は勝てない”という空気があった。菅降ろしと連動して“顔”を選ぶにあたって、今の時代、女性を打ち出した方がいいという流れはあった」 それでいち早く出てきたのが高市氏だったので、望月記者は驚いたという。「ビックリしたというよりは、がっかりです。同じ女性として応援は……。高市氏は女性の代弁者かというと、女性のお面をかぶった古い男性といいますか、男尊女卑ともとらえられる発言が目立ちますから」 似たような感想をもつ女性は少なくない。直木賞作家の中島京子さんも指摘する。「あからさまに男尊女卑的な態度や政策を取り続ける自民党ですら、体面上は、女性候補を出さなければならない時代になったということでしょう。しかし、総裁選は所詮、自民党内の派閥争いでしかない。茶番に近い候補者乱立が予想される中、ことさら“女性”だからと出馬に意味があるように捉えられること自体に違和感を覚えます」 とはいえ、総裁選の候補者として出る限りは、国政に対する自身の考えや具体的な政策を国民に説明して当たり前。高市氏が出馬会見で打ち出したのが、経済政策「サナエノミクス」で、「3本の矢」として「金融緩和」「緊急時の機動的な財政出動」「大胆な危機管理投資と成長投資」を掲げた。「サナエノミクス、ですか? ネーミングからしても、有権者をバカにしているのかなぁと感じました」(中島さん) 高市氏の政策はどこか既視感があるが、サナエノミクスは、安倍晋三前首相が掲げた「アベノミクス」路線を引き継ぐものだからだ。これに対して、望月記者も「安倍政権の上書き」としてこう言う。「せっかく女性が主導的立場になろうと出てきたのに、女性ならではの視点で練り上げた政策は一切出てこなかった。サナエノミクスは基本、新しいものはなく、安倍さんの政策を踏襲、一部を更新し、ネット民に受けるよう過激化させただけ。」 高市氏の政策から読み取れるものは結局、「安倍さんへの忖度」(望月記者)だったという。「安倍崇拝ともいえる状況が、綿々と続いている。高市氏だけではありません。河野氏は、本心としては脱原発だと思いますが、出馬前に安倍氏に会って再稼働しますと約束しました。男も女も安倍氏への過剰な配慮です。その裏には何があるのでしょうか。安倍氏が実質取り仕切る、最大派閥の細田派の票の取り込みは、勝敗をわける鍵なのでしょうが、女性なら空気が変わるかといえば、これではクリーンな政治は望めません」(望月記者) 一方の野田氏は、まだ正式に出馬表明はしていない。以前から政策の基本方針としては、「自分のことだけでなく、女性や高齢者、障害者をはじめ全ての国民、全ての地方が活躍できる制度を構築する『やさしさ』をもつ」ことを掲げている。障害のある子どもを育てる母親でもあり、野田氏の政治姿勢は自民党内ではリベラル寄りだ。 望月記者は野田氏をそれなりに評価しているという。「野田氏は自民党の幹事長代行で、大臣も何度か経験している。与党の動きもわかっている。フランクで話しやすい人柄で、官僚たちにも野田ファンは多いのです。軸が見えないところがあるけれども、理想や理念だけでは政治は動かせないから、官僚のアイデアを入れながら、どのように政治主導していくか。野田氏くらいの女性のベテランが一番いいのだろうなとは思います」(望月記者) 人柄と政治手腕はある程度評価されている野田氏。ただ、能力や適性があるからといって、総裁選に出られるわけではない。今、野田氏の足を引っ張るのが夫の疑惑だ。出馬も難しいという声も漏れる。「野田氏イコール夫ではないわけで……。たとえば、夫婦別姓が進んでいるフランスならば、夫がどうであろうが妻は別人格ととらえられるでしょう。個が確立して、認められている社会ならば、野田氏の夫の件も切り離して考えられると思いますが、日本は夫婦が一体に見られてしまう。男性総裁候補者で妻に何か懸念点があるという逆バージョンだったら、ここまで焦点になるかは疑問です。あくまでも、政治家の世界においてですが、日本で生き残るには小池百合子都知事のように独身を貫くしかないのかもしれません」(望月記者) 背後に安倍氏が見え隠れする高市氏、脛に傷を抱えているような野田氏だが、中島さんは高市総理も野田総理もあり得ないと話す。「高市さんも野田さんも総理総裁にはならないと思います。高市さんは安倍元首相の極端な思想をそっくり持っている人物なので、“名誉男性”的なポジションなのではないでしょうか。たとえると、性別が女性の“おっさん”。野田さんは自民党内ではリベラルを標榜してきた人ですが、“女性はうそをつく”発言の杉田水脈議員の辞職を求める署名を受け取らなかった。大事なところで腰の引けた態度しかとれなかったのが残念です」(中島さん) 最後に、高市氏や野田氏以外で、総理の器があると思える女性議員の名前を挙げてもらった。「女性首相第1号に推すなら、福島瑞穂さん。野党が合意した政策はしっかりしたもので、福島さんなら実現してくれると思うし、この10年の不正をただし、まっとうな政治をやってくれると思います」(中島さん) 一方、望月記者はこう見る。「前男女共同参画担当相の橋本聖子さんは、ジェンダー平等を訴える若手の女性起業家や学生らに一目置かれていました。でも、総裁選には名前が出てこないのです。総裁選に出るような女性議員は、自民党内でキワモノ扱いをされている感も否めない。女性として生きてきた実感から、今の日本の社会を変えていかなければならないという志のある人物ではないのです。一般の女性たちの多くが感じるような疑問を政治でなんとか解決したいという人は総裁選には出ない。そこが日本の限界なのかもしれません。今回の総裁選は女性からするとシラケてしまいますね」(望月記者) 典型的な男社会と言われる政治の世界だが、2人の女性総裁選候補の動きで空気は変わるのか――。(AERAdot.編集部 太田裕子)

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    実は早稲田卒のハリセンボン箕輪はるかが告白 「大学4年間で友達ゼロ」の過去とインテリ芸人ぶらない理由

     細身のシルエットから独特の笑いを生み出すハリセンボンの箕輪はるか(41)。実は意外にも、早稲田大学卒の“インテリ芸人”だ。早大OBには小島よしおやラサール石井をはじめ、クイズ番組で活躍するタレントも多い中、箕輪はクイズ番組への出演機会は少ない印象がある。大学時代のエピソードを披露することも決して多くはないが、一体なぜなのか。本人が早大在学中の過去を語る中で、意外な理由が見えてきた。 ――箕輪さんは早稲田の第二文学部を卒業。難関私大に合格するためには努力も必要だと思いますが、受験勉強は相当されていたのでしょうか。  たぶん直前とかは1日10時間以上やっていたと思います。私は塾には行っていなくて、独自のやり方をしていました。たとえば集中するために、受験前の一カ月間は家から一歩も外に出ないと決めて勉強。受験当日に久しぶりに外に出て、太陽が眩しすぎてくらくらしたので、あまりおすすめはできませんが……。 ――やはり熱心に勉強されていたのですね。早稲田に行きたいというモチベーションはどこから湧いていたのでしょうか。  奨学金が充実していたことが大きかったですが、早稲田に憧れもありました。テレビで見たことのあるキャンパスに自分が行けると思ったらテンションが上がりますし、未来がすごく明るく見えて。学生数も多いですし、友達もたくさんできて楽しく過ごせるのかなという淡い期待がありましたね。 ――実際に進学してみて、思い描いていた大学生活とギャップを感じることはありましたか。  私が見ている風景は、人がいっぱいいてみんな楽しそうで、まさにイメージ通りでした。でも、そこに「自分がこんなにも入れないんだ」っていうギャップがありましたね。どういう入口からあの輪に入ればいいんだろうって……。せっかく志望校に入れたのに、そこで挫折感を味わいました。 ――当時の大学生活を振り返ってみていかがでしたか。  友達がいなくてサークルにも入っていなかったので、ひたすら家と学校の往復でした。授業を一人で受けて、授業が終わったらすぐに帰るみたいな4年間でしたね。  授業が1コマ空いた時は、中央図書館の地下にこもって過ごしました。図書館は一人でいても浮かないので落ち着きましたね。自動書架のスイッチをカチャカチャ押して、書棚を動かすのがすごく楽しくて。それをずっとやってましたね。それを押すことで、私は早稲田のものを動かしているんだ、早稲田に通っているんだという実感を得ていました……。 ――4年間、友達は誰もできなかったのでしょうか。  一人もいなかったですね。授業もずっと一人。一応、授業を取ってる期間だけしゃべる程度の子はいたんですけど、その場限りで。  芸人になった後に、友達がいなかった早大OB同士で対談する企画があったんですけど、対談相手が「友達がいないから『マイルストーン』という雑誌から授業情報を得ていました」と言っていた。早稲田生なら誰でも知っている雑誌らしいんですけど、私はそれすら知らなくて……。「え、マイルストーン知らないんですか」って、友達がいなかった子にも驚かれるくらい。それで、本物の孤独だったんだなと実感しました。 ――図書館以外で、楽しみは見つけられましたか。  徒歩10分ほどある戸山キャンパスから早稲田キャンパスの間を移動するときに、最短ルートを模索していた時期がありました。それで、めちゃくちゃ良いルートを見つけたんです。人通りも少なくて裏道っぽいところで。誰かにおすすめしたかったけど、友達がいなかったので私だけの道みたいにしていました。 ――早稲田はキャンパスも賑わっていますが、一人でいることに孤独は感じていましたか。  寂しいっていう気持ちはありました。皆でわいわいしている中に入りたいなという気持ちはずっとあったんですけど、自分からチャンスを逃してしまった。1年生の時に、上級生からサークルや新勧コンパのお誘いで声をかけられたこともあったんですけど、なんか怖くて……。自分が行って大丈夫なのか、騙されるんじゃないかと思って、勝手に壁を作って飛び込めずにいました。高校の時のようなクラスがないですし、そのままずるずると1年2年が過ぎていって。3年になる頃には、友達を作るのはもう無理なんだなと諦めながら過ごしていました。  マンモス大学で自由だからこそ、友達がいなくてもなんとかなるだろうと甘えてしまった。「人」という宝物が周りにたくさんあったのに、それを手に入れようという気持ちになれなかったのを、今はすごく後悔しています。今の自分だったら、もう一回通って友達作りたいなって思うんです。 ――早大卒業後には、吉本興業のお笑い養成所(東京NSC)に通い始めます。人と関わらなかった生活から一転、人前に立って話をするのはハードルが高そうですが、芸人の道に飛び込んだのはどうしてですか。  誰とも話さない期間が4年も続くと、苦しくなってくる。4年間のうちに鬱屈とした気持ちがガスのようにどんどん溜まっていって、このままじゃいけないよなという焦りが募っていきました。養成所に入る勇気が出たのは、4年間友達がいなくて、人に声をかけることができない自分を変えたい、今までやったことのないところに飛び込みたいという気持ちが大きく膨らんだ結果なんです。今思えば、私にとっては必要な4年間だったのかなと思いますね。 ――養成所では、相方の近藤春菜さんとコンビを結成。春菜さんは社交的で明るいイメージがありますが、当時、気後れすることはありましたか。  当時の春菜は今のイメージとはちょっと違っていて、けっこう暗い感じの子だったんです。会った当時は、自分と似ているタイプの子なんじゃないかと思っていたぐらいで。春菜も短大時代、学校と家の往復だけだったと言っていて、キャンパスライフが充実していたようなエピソードを聞いたことがないので、私とあまり変わらなかったのかも。コンビを組んでからは、私とは正反対の方向にいったんですけどね。 ――クイズ番組などで早大卒をウリにしている芸人やタレントも多くいる中で、箕輪さんはあまり出身大学をプッシュしてこなかった印象があります。  そうですね、あまり知られてはいないと思います。積極的に押し出していたってわけでもないんですけど、特に隠していたわけでもなくて……。早稲田らしいことをやっていたり、友達がいたりすれば、もっと大学時代のエピソードトークができたのかもしれないですけど、ほんとになくて……。人と関わらない分、感情と結びついている記憶がほとんどないので、当時の記憶も薄いんです。もったいないですよね。 ――クイズ番組への出演機会も多くはない印象です。クイズの仕事を断っているわけではなく……?  全然、断っていたわけではないんです……。エピソードを出せなくて、私の芸人としてのイメージと早稲田卒のイメージが結びつかないから、あまり指名されなかったのかも。過去には呼んでいただいたのに、スケジュールの折り合いがつかないこともありました。自分としては、クイズ番組のようなお仕事をいただけるならありがたいですし、仲間に入れてもらえるなら出たいです……! ――コロナ禍になって授業やサークルが思うようにできず、孤独な状況の学生も増えているようです。4年間一人の大学時代を送ってきた箕輪さんだからこそ、響くエールもありそうです。  私の場合はキャンパスに通えていたのに自分のせいで孤独だっただけですが、今は学生自身のせいじゃなく「孤独にさせられている状態」。本当に気の毒だと思いますし、私の状況とは比べものにならない。  今はたぶんやれることがなくて、すごくフラストレーションがたまる状態だと思うんです。でも、いつか人に会えるようになった時に、「こんなことをやりたい」「こんなことがやれそう」みたいなアイデアが出てくるように、今はエネルギーを貯める時間だと思ってほしいです。  私個人の一例ですが、孤独な4年間があって、変わらなきゃという気持ちでい続けたことで、養成所に入る勇気が出た。あの時間は無駄にはなっていないし、芸人になるために必要な4年間だったんです。そして養成所に入ったことで、はるなという人生で一番ラッキーな出会いができた。長い人生の中で、これからいろんなチャンスがあると思う。今はなかなか前向きになれない時間だと思うんですけど、気持ちをなえさせずに、未来に希望を持っていてほしいです。   それに、自分の中でちょっとした楽しみを見つけて、人に合わせずに過ごした時間も案外よかった。大学時代に一人で行動することの楽しさを見つけたおかげで、その後の人生でも一人旅とかを楽しめるようになった。一人で何かできるということを、なんとか楽しさに変えてほしいなと思います。(構成/AERA dot.編集部・飯塚大和)

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    21時間前

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    タケカワユキヒデが吐露したゴダイゴ・メンバーの急逝と「銀河鉄道999」誕生秘話

     今年結成45周年を迎えたゴダイゴ。その先進的な音楽性は日本の音楽業界に多大な影響を与えた。ボーカルのタケカワユキヒデさん(68)が、名曲「銀河鉄道999」の誕生秘話とともに、伝説のバンドの新たな挑戦を語った。 *  *  *  高揚感のある緻密なサウンド、旅に生きる少年の心を投影した歌詞、そしてあの独特の甘い歌声……。木村拓哉さんが出演するマクドナルド50周年記念CMで流れる音楽を聴いて懐かしい気持ちになった人は多いだろう。ゴダイゴの代表作の一つである「銀河鉄道999」がリリースされたのは1979年。若者の間では「インベーダーゲーム」が爆発的に流行。また携帯型ステレオプレーヤー「ウォークマン」や国産パソコンの原点と言われる「PC-8000シリーズ」が発売されるなど、かつてないデジタル時代に向けて社会は大きく変わろうとしていた。 「一生懸命新しいことをやろうとしていたのは間違いないです。ビートルズがそうしたように、それまでの日本にないサウンドや雰囲気を持った曲を作りたかった。そんな思いが、結果的に時代を超えてリスナーに受け入れられることにつながったのかもしれません」とボーカリストで主に作曲を担当したタケカワユキヒデさんは振り返る。 「銀河鉄道999」は同名のアニメ映画の主題歌として制作された。当時としてはアニメ主題歌をポップス、ロックのバンドが担当するのはまだまだ異例のことだった。「はじめプロデューサーからもらったのは英語の歌詞と、でっかい車輪が動いてゆく感じの絵が一枚だけ。 『汽車が空へと駆け上がっていくイメージなんだ』と聞かされ、下から上に高まってゆくあのメロディーを思いつきました。出だしのメロディーとコード進行が決まった瞬間、『これで勝った!』と思いましたね」(タケカワさん。以下同)  Aメロ、Bメロの情緒あふれる日本語詞がサビで一転して英語詞になるという斬新さ、洗練されたアレンジ。楽曲は映画のストーリーを引き立て、キャラクターの持ち味を輝かせた。映画はアニメ作品としては異例の年間邦画配給収入1位を記録。レコードのセールスも60万枚を超え、ゴダイゴは名実ともに日本のトップミュージシャンとなった。  あれから40年以上を経て、かつて若者の代表だったゴダイゴのメンバーたちも60代後半に。昨年5月、ギタリストの浅野孝已さん(享年68)が亡くなった。 「普段は用事がないと連絡を取り合わない僕たちですが、ふいにミッキー吉野から『浅野さんが退院したんだよ。元気なさそうだからタケも電話してやれよ』と電話があったんです。僕は入院していたことも知らなかったので、とにかく連絡を取ってみたんですが、まさかそこまで深刻な状態だとは気付きませんでした。訃報が入ったのはそれから2週間後。ただただ、びっくりしました」  コロナ禍で葬儀に参列できず、メンバー同士で偲ぶ機会も持てなかった。タケカワさんは浅野さんが亡くなったことを、今でも実感できないという。長年連れ添った盟友を失い、音楽活動も大きく制限される現在。しかしタケカワさんは打ちひしがれてはいない。状況を逆手にとっての配信ライブや、過去のデモ音源の配信リリースという新しい取り組みを始めている。「配信ライブはやむを得ず始めたような感じですが、続けてみると意外なおもしろさがわかってきました。この仕組みは今後の音楽業界にとってきっと大きなチャンスになるでしょう。僕にとってはお客さんからのコメント機能が新鮮です。僕が忘れてしまっているようなことでも質問したら逆に教えてくれるんですよ(笑)」  デモ音源も英語詞バージョンや、原曲と歌詞は同じだがメロディーを変えたもの、他の歌手に提供したものなど、さまざまな“お宝要素”があって楽しい。  ゴダイゴとしても7月21日、オリジナル音源を最新技術で再構成した「銀河鉄道999~シン・ミックス~」を配信リリース。秋にはアルバム「西遊記」の“シン・ミックス”の配信も控えている。  時代や情勢の変化をポジティブに受け止め、新たなモチベーションに変換するのがタケカワ流、ゴダイゴ流だ。  過去作品の発掘、再発売を経て今、タケカワさんは新曲制作の意欲が高まっているという。 「今さら僕が新しいものを作らなくてもいいんじゃないかと思ってしまった時期もありました。でも、ここ3年くらいで急に自信が出てきた。最新の技術を駆使して、自分が作りたいものを作れば自然と現代に通用するものができるんじゃないかと。そんなことを言い続けて、ここ半年くらいほったらかしにしてしまっているんだけど(笑)。でも近いうちに必ずやります」  筆者は2015年以来、インタビューやイベント共演を通して何度か会ってきたが、たしかに今のタケカワさんからは最もエネルギーのみなぎりを感じる。  約1時間、「銀河鉄道999」の主人公、星野鉄郎を彷彿させるような輝く瞳でインタビューに応じてくれたタケカワさん。音楽にかけるその情熱や純粋さは、ビートルズに憧れた少年時代から少しも変わっていないのだろう。「The Galaxy Express 999 will take you o‌n a Journey……(銀河鉄道999が君を旅へと連れて行ってくれるよ)」。タケカワさんとゴダイゴの音楽の旅は、いつまでも終わるところを知らない。(中将タカノリ)※週刊朝日  2021年9月24日号

    週刊朝日

    20時間前

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    「マスターズだけは…」松山英樹は“ふがいなさ”を感じていた? 丸山茂樹の解釈

     ゴルファーの丸山茂樹さんは、松山英樹選手の来季に期待する。 *  *  *  松山英樹(29)の米PGAツアー参戦8シーズン目が終わりました。 「マスターズだけは褒めたい」というコメントがありました。トップ10入りが3回だけというシーズンでしたからね。僕が英樹と何度か直接会って話したときも、そこを結構気にしてました。  マスターズで勝ったから、そのへんは清算できるのかなと思いながらも、オーガスタで勝ったのは4月のこと。プロゴルファーはもう次の週になれば振り出しですからね。  もちろんマスターズチャンピオンというのはずっと言われ続けていくんですけども、やはり本人の中ではきちんと安定した成績を残すことが大事。トップ10、トップ5でプレーすることによって次の優勝チャンスにつながることもありますしね。そこに届いてないふがいなさは、非常にあったんじゃないかと感じます。  それにしても東京オリンピックから6週連続で試合に出たのは、こっちが「大丈夫かな」と心配になっちゃいました。ゴルフ場に行っちゃうとジッとしていられないタイプですからね。最後の方はゴルフというよりスケジューリングに失敗したのかなと。でも本人はそういうところも学習して、来シーズン以降はそういうことのないようにやっていくと思います。  さて国内男子ツアーの「フジサンケイクラシック」(9月2~5日、山梨・富士桜CC)は、今平周吾(28)が逆転で今シーズン初優勝を飾りました。  8月に会ったときに「周吾らしくないな。頑張らないと」って話をして、彼は「ドライバーの調子が戻ってきたので後半戦から頑張ります」と。その通りになりました。最終日は頼もしいゴルフでした。飛距離は出るし曲がらないし、アプローチ、パターもよかった。  メンタルもばっちりだったし、そういう意味では完全な横綱相撲だったんじゃないかと思います。賞金王らしいゴルフで勝ったのかなと。これで3シーズン連続賞金王に弾みがついたんじゃないでしょうか。この試合の直前に新しい所属先の会社と契約を結んだばかりでしたから、会社の方々は大喜びじゃないですか? こんな宣伝効果はないと思います。  2位の石川遼(29)ですが、3日目までのプレーは気持ちよくリズムよく淡々とできてたように見えましたけど、最終日は前日までのスイングリズムよりは、体の動きが速くなってたり、間合いが足りなかったり。  富士桜というモンスターコースはティーショットで少しミスすると、すぐにボギーになってしまいますから、自分の一番のウィークポイントが出やすくなるんですよね。優勝が目の前にちらついて、そういった面が出てしまった最終日だったという気がしましたね。  最後に、「第22回丸山茂樹ジュニアファンデーションゴルフ大会」(11月14日、千葉セントラルGC)の参加者募集を近々始めたいと思います。コロナ禍にもめげず、感染対策をしっかりとして当日を迎えたいと思います。  ジュニア育成という課題にしっかり向き合って、長く続けるのが我々のテーマです。頑張ります。 丸山茂樹(まるやま・しげき)/1969年9月12日、千葉県市川市生まれ。日本ツアー通算10賞。2000年から米ツアーに本格参戦し、3勝。02年に伊澤利光プロとのコンビでEMCゴルフワールドカップを制した。リオ五輪に続き東京五輪でもゴルフ日本代表監督を務めた。セガサミーホールディングス所属。※週刊朝日  2021年9月24日号

    週刊朝日

    1時間前

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    吉村大阪府知事「前のめり政治主導」で波紋 東京五輪選手村の段ボールベット再利用問題

     新型コロナウイルス感染拡大で大阪府は9月末から大阪市住之江区の「インテックス大阪」に軽症・無症状の自宅療養者及び中等症患者向けの大規模医療・療養施設を臨時的に設置する。 大阪府の吉村洋文知事は11日、東京五輪やパラリンピックの選手村で使用された「段ボールベッド」を再利用する方針とぶち上げた。 段ボールベッドの提供は寝具メーカーのエアウィーヴ社から申出があったという。施設はインテックス大阪6号館において軽症・無症状者800人、中等症患者200人と計1000床の規模となる。「災害級の感染爆発が起こったことを想定して設置する」 吉村氏が記者会見でこう強調した鳴り物入りの施設だ。当初、段ボールベッドとマットレスは<最終的に千床を設ける予定で、うち軽症・無症状患者用の八百床でこのベッドを使用する見通し>(共同通信の11日付配信の記事)などと、その大半をエアウィーヴ社の提供分でまかなうと報じられた。 だが、東京五輪、パラリンピックの選手村で使用した段ボールベッド、マットレスの再利用については、厚生労働省など政府から疑念の声が相次いだという。「コロナ患者用ベッドとしては段ボールベットは非常に不適格です。理由はベッドが上下に可動できない。つまりリクライニング機能がありません。また、キャスターがついていないので、ベッドの移動にも労力が必要です。そして、段ボールベッドは土台のフレーム、マットレスの消毒、抗菌が十分にできているのか、不明です。段ボールベッドはコロナ患者に使った後は再利用不可となり、医療廃棄物となって焼却処分となるのでコスト増になりかねない」(政府関係者) こうした指摘を受け、吉村氏は13日の記者会見で報道を修正した。「誤解があるかもしれない。エアウィーヴ社から段ボールベッドの提案は受けていない。(提供は)あるようだが数十ぐらい。提案の中心はマットレスです。中等症には上下移動ができる医療用ベッドを使用する。そこにエアウィーヴは使えない」  大阪府担当者に軌道修正の理由を聞くと、こう回答した。「東京五輪、パラリンピックが終わった後、大阪府で大規模医療・療養施設の設置を発表したら、エアウィーヴ社からご提案をいただきました。話としては最近です。段ボールベッドがたくさん使用されるような報道もありますが、使っても10床くらいでしょうか。すでに計画通りの医療用ベッドを発注しております。消毒、抗菌が必要なので、段ボールベッドは使用しない可能性が高い。マットレスは東京五輪、パラリンピックの選手村で使用したまま、届くと思います。選手村でもシーツを敷いて使用していた。大阪府でもシーツで対応しますから、そんなにシビアには考えていません。段ボールベッドは医療廃棄物になるでしょうね。しかし、10床ほどですからね」 主に提供を受けるのはマットレスだという。「エアウィーヴ社にはマットレス500個をお願いしております。心配なのは、医療用ベッドのサイズと合うのか、まだわかりません。大阪府でも当然、マットレスは発注しておりますから、不足することはない」(同前) エアウィーヴ社の寝具は、有名スポーツ選手がCMに起用され、人気が高い。東京五輪やパラリンピックの選手村で段ボールベッドが使用され、さらに知名度はアップした。大阪府幹部はこう話す。「エアウィーヴという知られたブランド品で、東京五輪やパラリンピックの選手村で使ったものの再利用は好感度が高い、と考えた吉村知事が前のめりになったようです。しかし、医療施設ですから事前に事務方や医師会などの意見を聞くのが常識的な判断です。ただ、大阪維新独特の政治主導、トップダウンの案件なので、おかしなことにならなければいいが…」 これまで吉村氏はコロナ関連で「前のめりな政治主導」でたびたび物議を醸してきた。 2020年6月、吉村氏は「大阪市大でワクチンをヒトに投与する」と新型コロナウイルスのDNAワクチンの治験をはじめる記者会見で説明。  さらに「2021年春から秋には実用化を」とも言った。だが、日本で供給されているワクチンはファイザー、モデルナ、アストラゼネカとすべて欧米からのものだ。「大阪発」のワクチンはニュースにもならなくなった。 また、同年8月、吉村氏は大阪府の医療機関の研究で「ウソのような本当の話。ポビドンヨードを含むうがい薬に、新型コロナウイルスの減少する効果がみられる」と発表した。新型コロナウイルスの予防になるとたちまち、うがい薬は店頭から消え、メーカーの株価は激しく動いた。だが、今はうがい薬も話題にならなくなった。「トップダウンで決めることがあってもいい。だが、コロナのような専門的知見が要求されるものは別です。正直、もっと周囲に相談してほしい。吉村氏が打ちあげ花火をあげるごとに右往左往するのは事務方なんで…」(同前) 記者会見(13日)で記者の質問に「僕が言うとパッと広がってしまうので…」と答えた吉村氏。トラブルなく大規模医療施設が無事に稼働することを祈るばかりだ。(AERAdot.編集部 今西憲之)

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    1時間前

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    ジョイマン なめられがちキャラの一発屋と思いきや逆転復活の理由とは?

     ファーストサマーウイカが出演するペプシのキャンペーン動画に、ある芸人が起用されたことが話題になっている。その芸人とは「脱力系ラップ」のネタで知られるジョイマンの2人だ。 ペプシのツイッターアカウントをフォローして、「#おつかれサマーウイカ」ボタンを押してツイートした人の中から抽選で商品が当たる。当選者にはファーストサマーウイカが祝福する動画、ハズレの人にはジョイマンの高木晋哉が「まことにすいまメーン」と謝罪する動画が送られてくる仕組みだ。 飛ぶ鳥を落とす勢いの人気タレントであるファーストサマーウイカと堂々と肩を並べて、ジョイマンが世界的企業の広告塔となったのは快挙と言っていい。 ただ、彼らの活躍はこれだけではない。今年に入ってから、P&GのウェブCM、モスバーガーのウェブCMでもジョイマンが起用されている。いまや広告業界で最も注目されている芸人の1組と言っても過言ではない。 ジョイマンは「ありがとう、オリゴ糖」などと韻を踏むラップを口ずさみながら踊るネタで2008年頃に一世を風靡した。しかし、徐々に人気は落ちていき、「一発屋芸人」の烙印を押されてしまうようになった。 でも、彼らはしぶとかった。2014年には、高木がジョイマンのサイン会に人っ子一人並んでいない状態の写真をツイッターで公開して、大反響を巻き起こした。 さらに、高木は「ジョイマン」という単語でツイッター上でエゴサーチをして、「ジョイマンは消えたな」「ジョイマンどこ行ったんだろう」などとつぶやいている人に対して、「ここにいるよ」とメッセージを返すという活動を始めた。不気味がられたり無視されたりすることもあったが、彼らはジョイマンの看板を掲げ続けた。 すると、少しずつ風向きが変わってきた。時代が変化してもずっとそこにいるジョイマンの「変わらなさ」が、一周回って貴重なものに見え始めた。2018年には「前売チケットが完売しなかったら解散」と銘打った15周年記念の単独ライブを行い、見事にチケットを完売させた。 ジョイマンにはいい意味での「雑魚キャラ感」がある。なめられがちなキャラクターの持ち主である彼らが、なめられることを堂々と受け入れて開き直ってしまえば、怖いものは何もない。 ユルユルのラップとダンスを主体にしたその軽い芸風が、インパクトとポップさを重視する広告案件には絶妙にマッチしていたのだろう。 ジョイマンが出てきた頃、日本のラップやヒップホップはまだそれほどメジャーな文化ではなかった。もちろん熱心な愛好者はいたが、それが世間一般にまで浸透してはいなかった。 その後、ヒップホップは若者文化として定着して、フリースタイルラップが人気になり、『フリースタイルダンジョン』なども話題になった。また、Creepy Nutsのようにバラエティタレントとしても活躍するヒップホップミュージシャンまで出てきた。一般人やアイドルや芸人などのラップの技術も年々上がっている。 そんな中で、ジョイマンが「ラップ」と自称するあのパフォーマンスは、ラップの新解釈(珍解釈?)として評価できる部分もある。ヒップホップ好きの子どもでも韻を踏むこの時代に「運動は大事、板東は英二」「あき竹城、異常」といったジョイマンの超原始的な脚韻は、一周回って新鮮に見えなくもない。 芸風やキャラクターを変えずに、わらにもすがる思いでしがみついたその「わら」が、わらしべ長者のようにビッグビジネスを引っ張ってきた。インターネットの大海原であてもなく「ここにいるよ」とつぶやき続けた彼らは、昔も今もずっとそこにいる。(お笑い評論家・ラリー遠田)

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    名峰ひと筆書き301座達成の田中陽希 足掛け8年も「自分にとってはさらなる挑戦への通過点」

     日本列島を南から北まで。山と山をつないで縦断した男がいる。8年にわたる旅の軌跡を、アドベンチャーレーサーの田中陽希さんに聞いた。AERA2021年9月20日号の記事を紹介する。 *  *  *  スタートから3年7カ月。最初の挑戦から数えれば足掛け8年に及ぶ長い長い旅だった。「日本三百名山ひと筆書き」に挑んでいた田中陽希さん(38)が8月2日、ゴールとなる北海道の利尻岳山頂に立った。  旅を終えて3週間ほどたった8月下旬。取材でどんな旅だったかを問うと、田中さんは万感を込めてつぶやいた。 「長かったなぁ。よくここまで来られたというか。ずっと気持ちを切らさずに旅のなかに身を置き続けるのも『長かった』し、新型コロナの感染拡大で、不安のなか耐えながら待つのも『長かった』。言葉で言うと一言だけど、いろいろな思いを込めての『長かった』です」  ゴールの数日前から、これまでの情景が走馬灯のように浮かんでいたという。  この旅は「日本三百名山」に選ばれた名峰と、「二百名山」に選ばれながら三百名山には含まれない荒沢岳の計301座を人力でつなぎながら、ひと続きの旅として登頂する。2014年の「百名山ひと筆書き」、15年の「二百名山ひと筆書き」に続く集大成としてのチャレンジで、18年1月1日に鹿児島県の屋久島をスタートした。  当初は2年以内にゴールする計画だったが、初年度から大きく遅れた。8月には右手を骨折し、ギプスで固定しながら登山を続けた。新型コロナウイルスの感染拡大が本格化した昨年4月からは、3カ月にわたって山形県酒田市の空き家で生活。3カ月の「行動自粛」によって計画はさらに遅れ、冬を迎えた北海道で約4カ月の待機も強いられた。  計画を1年半以上オーバーしたが、それは悔いなく歩き続けた結果だと、田中さんは言う。 ■出会いをかみしめる 「百名山、二百名山のときは、悪天候でもとにかく次の山を目指して駆け抜けました。それはそれで充実していたけれど、今回は集大成として、ひとつひとつの山にゆっくり向き合いながら、地元の人との出会いも大切に、かみしめながら旅をしようと思ったんです」  これまでの挑戦では旅の完遂に気を取られ、いまいる場所よりも次の山に意識が向くことが多かった。今回は晴れるまで1週間待ったり、ルートを外れて寄り道したりする機会を増やした。301座には何度も登った山も含まれていたが、新たな発見の連続だったという。そして、長期の待機期間もまた、必要な時間だったと振り返る。 「新型コロナでの行動自粛中は不安で焦る気持ちもあったけれど、地元の人の『日常』に間借りして生活できました。北海道での待機中は15年ぶりくらいに富良野市の実家で両親とゆっくり一冬を過ごすことができた。どちらも大切な時間でした」  旅の移動は百名山、二百名山の挑戦時と同様にすべて人力だ。陸上は徒歩とスキー、川はパックラフト、海はシーカヤックで越えた。非常階段の使用が許可されなかった関門トンネルや、いくつかの宿泊施設でエレベーターを使ったほかは、待機期間も含めて、飛行機や車はもちろん、電車や自転車、エスカレーターさえも使っていない。 ■人間本来の力だけ使う  三百名山には登山道すらない山もある。津軽海峡のように海流が不規則な海にも、身一つで挑んだ。都心の高層ビルに入居する企業へあいさつに行くときも、道中の町々で知人が開く会食に参加するときも、人力にこだわって徒歩で移動し、ビルの階段を駆け上がった。私たちが日常生活を送るすぐ横で、田中さんはひとり、特異な挑戦を続けていた。田中さんは言う。 「歩く力、こぐ力は人間としてのナチュラルな動作だと思う。私が足を踏み入れる山や海も、何か特別な力を使ったのではなく、生まれてから年月を重ねて自然と今の姿になった。一人の人間が本来持っている力だけでそこに身を投じるのがフェアだと考えたんです。たとえ町のなかにいるときでも、ひとつの『旅』の期間である以上、それを貫きたかった」  そしてもうひとつの理由が、その土地に住む人との自然なコミュニケーションを楽しむためだ。田舎道を歩いていると、農作業中の人と目があったり、車で通りかかった人が話しかけたりしてくれる。バイクや自転車では、それが少ないだろう。  百名山、二百名山の挑戦時にはGPSトラッキングで現在地を公開していた。だが、今回の旅ではやめた。山頂で長時間、田中さんを待つファンが多く、安全確保が難しかったからだ。いわゆる「出待ち」のファンは減ったが、その分自然な出会いを楽しめたという。  田中さんが「ひと筆書き」に挑み始めたのは、旅先での経験がきっかけだった。  かつては、車やバスで登山口へ向かう一般的な登山を続けていた。だが12年に一人旅をした九州で、「ふと思い立って」山から山を徒歩でつないで歩いた。 「どこもかしこも初めて歩く場所で、風景や街並みが徐々に変わっていくのもおもしろかった。これこそが旅なんだと感動して、日本中をこんな風に歩いてみたいと思ったんです」 ■今回のゴールも通過点  それが7年4カ月をかけた大冒険のテーマになった。旅を終えたいま、田中さんはこう話す。 「自分が本気でやりたいと思ったことに身を投じるべきだなと、改めて感じました。たとえ周りからみれば何のためかわからないことでも、自分にとって大切なことで意味がある挑戦だと思えば、胸を張ってステップを上がっていける。そのことを改めて教えられた時間でした」  今回のゴール・利尻島は、14年の百名山ひと筆書きでもゴールとなった地だ。島に置かれた記念プレートにはこんな一文が刻まれている。  これは田中陽希にとってさらなる挑戦への通過点である──。  7年前のゴールが「通過点」だったように、今回の旅もまた、自分にとっての通過点だと田中さんは力を込めた。(編集部・川口穣)※AERA 2021年9月20日号

    AERA

    1時間前

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    眞子さまが選んだアメリカへの“駆け落ち婚”の先にある「パパラッチ」と「生活費」の不安

     9月1日、秋篠宮家の長女である眞子さま(29)と小室圭さん(29)が年内にも結婚される方向で調整されていると報じられた。 お二人が婚約内定の記者会見をされた2017年9月から4年。小室さんの母親・佳代さんと元婚約者の間で「金銭トラブル」が報じられたことで延期になっていたが、正式な婚約となる皇室行事「納采の儀」や結婚に関連する儀式を行わずに、婚姻届を提出するということになるという。「儀式を行わずに結婚されれば、戦後の皇室では初めてのこと。眞子さまは、結婚により皇籍を離れ、結婚後は小室さんが滞在するアメリカで生活される見通しだといいますが、昨年、秋篠宮さまが示した『多くの人が納得し、喜んでくれる状況』からは程遠く、金銭問題も未解決のまま。まるで“駆け落ち婚”のようです」(皇室記者) 秋篠宮さまは昨年「憲法にも、結婚は両性の合意のみに基づくというのがあります」と結婚を認めるお考えを示されていたが、確かに女性皇族である眞子さまは、法的には当事者だけの合意のみで結婚できる。 さらに皇室を離れる際に支給される一時金(上限約1億5000万円)については受け取りを辞退する意向とも伝えられ、結婚後は小室さんが暮らす米国での生活を視野に入れているという。「昨年の秋頃から、眞子さまが30歳を迎える今年中には結婚される可能性が高いと皇室関係者の間では言われ続けていました。小室さんは今年5月に米ニューヨーク州のロースクールを卒業、7月に司法試験を受験し、12月中旬までには合否が判明します。米国では卒業時にはほとんどの学生が就職の内定をもらっていますから、小室さんもすでに就職の道筋はついているのでしょう。結婚後の生活基盤もできたことで、眞子さまとの新生活をスタートする準備が整った段階で婚姻届を提出するという流れは、おそらくお二人の計画だったと思います」(同) お二人が海外で生活をすると決めた背景には、これまでのようにマスコミに追われることなく静かに暮らしたいというお気持ちもあったのかもしれない。だが「メディアから解放されるどころか、もっと追われる可能性が高い」と話すのは皇室ジャーナリストだ。「小室さんが留学した時の紹介文に『プリンセス・マコのフィアンセ』という文言があったように、眞子さまが皇室を離れたとしても、皇族であったこと、将来の天皇陛下の姉にあたるという事実は変わりません。イギリス王室から離れたとしてもヘンリー王子とメーガン妃が王室の一員であったということに変わりはないのと同じです。まして、皇室行事などをせずに“駆け落ち”同然で結婚したとなれば、日本のメディアはアメリカまで追いかけていくでしょうし、アメリカのパパラッチも狙ってくるでしょう」(同前) また、皇籍離脱をしても、一般人と同じセキュリティーというわけにはいかないのでは、と話すのは海外在住のジャーナリストだ。「警備に関しては日本にいる時のように、税金で警備はしてもらえません。現地の大使館や領事館を通じて現地の市警とも密に連絡を取らなければなりません。仮にパパラッチに付きまとわれて、事故などが起きた場合は外交問題にまで及ぶ可能性もありますから、警備は重要になります。しかも、警備費はほとんどが自費で賄うことになるでしょうし、日本の警備費の何倍もの高額です。一時金でも足りないぐらいの費用になるでしょう。小室さんは、就職が内定していても初任給は1500万円とも2000万円ともいわれますが、ニューヨークで暮らす場合、東京よりも物価も家賃も高く、保険はさらに高額になります。小室さんの給料だけでは、ギリギリなのではないでしょうか」 愛さえあれば、2人でいれば、どんな困難も乗り越えられる……という純愛を貫いて結婚を待ち望んでいた眞子さまだが、結婚後はまた別の懸念材料が増えることになりそうだ。(緒方博子)

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    眞子さまと小室さん 甘くないNY生活 「アジアの元プリンセス」警護で米国民が猛反発も

     眞子さまと小室圭さんが年内に結婚し、米国のニューヨーク(以下はNY)を拠点に生活する見通しであることが報じられた。  海の向こうで、ふたりはどのような生活を送るのか。治安がよいとはいえないNY生活で、関心を集めているのが警備の問題だ。NY現地の警備で高額の費用が拠出されるといった記事もあるが、大使経験者らに現地の事情を聞くと、手厚い庇護をうけた「甘い生活」とは行かないようだ。 眞子さまら皇室メンバーは、つねに皇宮警察や管轄の警察の警備に守られた生活を送ってきた。眞子さまも公務中はもちろん、学校や職場、私的なお出かけの間も護衛がついているわけだ。 結婚して民間人になれば、理屈のうえでは皇宮警察や警視庁の警護対象者から外れる。護衛や生活などを国費でまかなうことはなくなり、自分たちで生活するのが基本だ。 とはいえ、内親王ともなれば、そう単純でもない。たとえば上皇ご夫妻の長女、黒田清子さん(紀宮さま)は、民間人となって数年の間は、スーパーで買い物をしている最中も女性の警察官がそばにつきそっていた。 というのも皇室の外に出た元皇族女性が犯罪に巻き込まれる事件が、過去に起きているからだ。 昭和天皇の三女・鷹司和子さん(孝宮)は、摂政や関白を務めた五摂家のひとつ、鷹司家の平通さんと結婚した。戦後初めての女性皇族の結婚であり、華族制度の廃止によって「平民への初の嫁入り」と騒がれた。だが、1966年には平通さんが銀座のママの自宅でガス中毒死する。そして2年後、和子さんは強盗に遭う。自宅の台所に包丁を持った男が侵入。口をふさがれ、けがを負ったが、自力で玄関まで逃げた。娘の境遇をふびんに思った昭和天皇のはからいで、赤坂御用地内の古い木造平屋の乳人官舎に移り住み、伊勢神宮の祭主を務めながらひっそりと暮らした。  昭和天皇の五女の島津貴子さん(清宮)も、犯罪に巻き込まれかけている。1960年に結婚したのち、1カ月ほどで警護は解かれた。だが3年後に5000万円の身代金を計画した島津貴子さんの誘拐未遂事件が発覚して大騒ぎになった。 民間の生活になれない元皇族女性を狙った事件が続いたことから、清子さんのように、警視庁が目立たない形で護衛を続ける例もあるようだ。 では、外国で暮らす場合はどうなるのか。「日本の警察が外国で、武器を携帯して元プリンセスを守ることはできません。現地の大使館には、警察庁の人間も書記官などの身分で出向していますが、こちらも同様です。犯罪などから守ってくれるのは、現地の警察ですが、たいした護衛は期待できないでしょう」 そう話すのは外交官として大使などの要職を歴任した人物だ。「どの国の中央政府も、国内に滞在する政治要人や元ロイヤルを含むロイヤルメンバー、皇室メンバーのリストを把握している。眞子さまにNY市警などの警備をつけたければ日本政府が米国の連邦政府などを通じて眞子さまの警備をお願いし、さらに米国政府が応じることが前提になる。米国が応じなければ、眞子さまと小室さんの自宅周辺を、ときおり警察が巡回する程度でしょう」 世界中を見渡せば、王室の親族も含めるとロイヤルに連なる人間は、意外に多い。 一夫多妻制の国の王子や王女は、それこそ何千人もいるなどと言われる。ましてやNYは、留学やビジネスをふくめて、ロイヤルに連なる肩書を持つ人間が集まる場所でもある。 一方でNYは、新型コロナウイルスの影響で未曾有の不況下にあるうえに、治安も悪化している。「NY市警も、アジアの元プリンセスに手厚い警護を行い続けるだけの体力もないでしょう。ましてや欧米の国民は、税金の使い道にシビアです」(先の元外交官) 参考になるのは、へンリー王子とメーガン妃の例だろう。 ヘンリー王子夫妻は、離脱前の2019年冬からカナダのバンクーバー島にある海岸沿いの邸宅を生活拠点としていた。 カナダは英連邦の加盟国。カナダ騎馬警察(RCMP、連邦警察)は、ロンドン警視庁の要請を受けて国際条約に基づき夫妻の警護を提供してきた。 カナダ国民は夫妻を歓迎したが、滞在が長引くにつれ、世論調査では夫妻の警護費用に税金を投入すべきではないとの声が77%にまで高まり出した。  そうしたなかヘンリー王子夫妻が「王室離脱宣言」をする。さらに、王室の高位メンバーから外れることが明らかになると、カナダ政府の対応は早かった。カナダ政府は、2020年2月、「夫妻の地位の変化に伴い、今後数週間以内に」終了すると発表したのだ。 ちなみに、王立カナダ騎馬警察が公式文書で明らかにしたところでは、夫妻が滞在した11月から2か月間の警備で、最低でも約432万円のカナダの税金が投入されている。この警備費に騎馬警察の人件費は含まれていない。カナダでの滞在は5カ月に及んだ。警備費はさらにふくれあがったはずだ。 どの国でも政府は、国民の反応に敏感だ。 夫妻がカナダから米ロサンゼルスに拠点を移すと、当時のトランプ大統領も、すぐに反応した。 ふたりの警備費の負担を拒否する方針をツイッターで公表。すると、米国民から「最高の決断だ、大統領!」と称賛の嵐が巻き起こった。 一方で、元宮内庁職員は、むしろ眞子さまが警護などの待遇を望まない可能性を指摘する。世界経済の中心地のひとつであり、世界中から人が集まるのが NYだ。互いに必要以上に干渉しない、匿名性の高さもまた、この街の魅力だ。「眞子さまは日本にいる限り、元皇族としての視線から逃れられません。しがらみから逃れて、一市民として自由にお暮らしになりたいのではないでしょうか。一時金さえ受け取らない意向を示されているのですから、ご自身で警護をお断りになる可能性もあります。それに、そうした待遇を受ければ、『民間人になっても税金を使って』と日本で非難が高まるのは、目に見えていますからね」(元宮内庁職員) 前出の元外交官はこう話す。 「あとはNYの総領事などが、定期的に眞子さまや小室さんを招待して、困りごとはないか、などのフォローぐらいはできるでしょう」 皇室の庇護から離れたた元内親王を待ち受けるのは、甘い生活とは行かないようだ。(AERAdot.編集部 永井貴子)

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    「高市氏の昔を知っているよ」 総裁選候補者3人で最も優れているのに胸がザワつく理由

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選に立候補を表明している3人の議員について。 *  *  * 連日、自民党総裁選関連のニュースがメディアを占めている。この国に暮らす人々の生存をかけた衆議院選挙のほうがよほど重大なはずなのに、無駄に自民党の生存をかけた総裁選につきあわされているようでつらい。災害レベルのコロナ禍で重要なときに臨時国会を開かず、自党の人事に時間を費やす自民党の体質が、トップが代わったところで変わるとは思えない。とはいえ、あと一歩で総理の椅子に座る3人の候補者に女性が入っていること、その女性が候補者の中で最も右寄りであること、容姿を誹謗中傷する批判が“彼女にだけ”されていることなど、日本の女性政治家が置かれている現実を生中継で日々見せられているようで、それはそれで気になってしまうのだ。 候補者3人の出馬表明記者会見を見た。それぞれ力のこもった熱弁を見ながら、改めて菅さん (菅義偉首相) は、相当なレベルで話が下手だったのだと気づかされる。滑舌が悪いうえに自分の言葉で話さない、原稿すらうまく読めないので頭に入ってこない。東京五輪・パラリンピック開催に疑問を投げかける記者には、「安全安心」と繰り返すだけで誠実さのカケラもなかった。さらに記者に対して威圧的であり、社名を名乗らない記者に対していら立つなど、器の小ささを露呈してしまう場面を幾度となく見てきた。喋れば喋るほど、人の心が離れていく総理大臣だった。 菅さんに比べると3人の候補者の話は、フツーにまともだった。……と、「底」を強いられてきた者として認知の歪みが生じてしまっているのだろうかと自分でも不安になるが、今回、高市早苗氏の会見を初めて長時間聴いてみて驚いた。テンポ、滑舌、論理性、具体性において出馬表明記者会見としては3人の中で最も優れていたからだ。記者からの質問に逃げずに丁寧に答えていたのも好感を持てた。  例えばTBS「報道特集」のキャスター膳場貴子氏が、高市氏が過去にしていたサイテーの発言「(生活保護を)さもしい顔をしてもらえるものはもらおうとか、弱者のふりをして少しでもトクをしようと、そんな国民ばかりいたら日本が滅びる」を引き、「困窮する国民をどういう目で見ているのか確認をさせてください。弱者への視点が欠けている不安、批判の声があるが、どう受け止めているか聞かせてください」と迫った。高市さんに対する強い批判を含んだ良い質問だった。 もしこれが、安倍さん (安倍晋三前首相) だったらと想像する。女性アナウンサーからの質問にまずニヤニヤと冷笑し、しかし顔色は変わり、早口でまったく方向違いの旧民主党政権批判を延々繰り返し「それはですね、民主党政権時代の批判の流れでの発言だったのでございます。文脈をですね、私の発言の文脈をですね、いいですか、きちんと見ていただいたうえでですね、そのようなご質問をしていただきたきたいのでございます」とか言いそうだし、麻生さん (麻生太郎財務相) だったら「そうかね、覚えてねぇな」とか言いかねず、菅さんだったら「えー、私はこれまで通り全力で国民の安全安心を最大限に考えて、政治を行っていくことに変わりはありません」とか言うのでは。テレビカメラの前で“女性”記者に批判された、ということで頭がいっぱいになり、誠実に答えようともしない“男性”政治家の振る舞いに私たちはあまりにも慣れてしまっていた。 その日、高市氏は膳場氏の批判質問に顔色も声のトーンも変えることはなかった。にこやかなまま、その発言がいつ、どの場で行われたものかを記憶の中で語り、「これは皆様の大切な税金。福祉というものは公正、公平が原則であるべきだと私は考えています」とし、さらに子どもの貧困問題等について語り、そのうえで「これが私。素直なほうなので、さまざまなアドバイスには柔軟に対応する」とも言った。  このやりとりに、私は見入ってしまったのだった。威圧的だったり、不誠実だったり、中身のない政治家答弁にあまりにも慣れ過ぎていたからこその驚きであるのだが、ただ新鮮だった。もちろん、高市氏のような政治家の言動が生活保護受給者に対する社会の偏見を生み、貧困を再生産し、生活保護を受けられずに餓死するような人々を生み出す現実をつくってきた。そういうリアルが見えない高市さんが与党の政治家であることが私は恐いが、それでも「どのような考えに立っているのか」ということを説明することをこの人は逃れなかったという印象は残った。 一方、岸田氏は国民の声を聞いてきたという薄く小さなノートを振りかざして「私にとりまして大切な財産。このノートを読み返した上で、私は改めてやるべきことがあると感じています」と豪語する。外国特派員協会で記者会見を開くなど、去年の総裁選よりもパフォーマンス力があがっているように見えるが、選択的夫婦別姓についての意見を問われ、「引きつづき議論しなければならない課題」と言うなど、いったい誰の声を聞いてきたのか問いたい。今年の共同通信の調査によれば選択的夫婦別姓は国民世論で6割が賛成している(30代では7割)。だいたい選択的夫婦別姓は80年代からずっと提案され、深く積み重なった議論の歴史があるのだ。国会での議論を拒否し続けてきた自民党の単なる勉強不足が、選択的夫婦別姓を邪魔しているだけ。まだ、「自分ごと」として通称使用拡大の具体的実践に全力を尽くしてきた高市氏のほうが勉強しているし、わかっているように見える。 河野太郎氏の記者会見が一番、今までの自民党の威圧的政治家の流れをくんでいるように見えた。質問は1社一つというルールを一方的に強いては、「(河野さんは)脱原発派ですか?」という質問に対して「どういう定義で脱原発というか人によって違うので、何か一つの言葉でくくるのはやめておいたほうがいい」と打ち切り、それ以上の質問を許さなかった。記者が本当に聞きたいことは分かっているはずだし、そこから深まる議論もあるはずなのに、意味のない答えを短めに返すのが目立った。  河野氏は若手からの期待が大きいと、報道では言われている。「河野さんは発信力があります」と30代の議員が胸を張るようにテレビカメラに向かって話しているのを見た。発信力とは単純にテレビに出る回数とか、Twitterのフォロワー数とか、なんとなくの人気のことを言っているのではないかと思うが、それは政治家にとって必要な力なのだろうか。記者会見で衝撃だったのは、韓国メディアの記者が「特に韓国を含めた、近隣国に向けての外交政策のビジョンを聞かせてほしい」と質問した時の答えだ。外務大臣を務めたこともある河野氏の答えは、こういうものだった。「G7の中で日本はユニークな立ち位置。キリスト教をベースとした文明の上に成り立っていない国は日本だけ。だから外務大臣として自分はアジア、中近東、アフリカといった国々の思いを代弁できる日本でありたーい、と思ってきた。自由民主主義、基本的人権、法の支配、こうした価値観を共有して一緒に前に進みたーいと思っている。それぞれの国にはそれぞれの歴史がある。一足飛びにみんなが同じことをできるわけではありませんー。そういうなかで、ヨチヨチ歩きであっても同じ方向を進もうとしている国にしっかりと寄り添える、そういう日本でありたーいと思っている」 ……これは外交政策なのでしょうか。ヨチヨチ歩きだけど一緒に寄り添っていこうね、って。これは元外務大臣による総裁選立候補の時に語るような言葉なのだろうか。高市氏を推すわけでは決してないが(というか、私にその権利もないが)、高市氏だったら具体的に質問に正確に答えようとするのではないか、大人の言葉で。 最近、「高市早苗の昔を知っているよ」という人と立て続けに話をする機会があった。20代のころ、高市氏は400ccのバイクを乗り回していたという。30年以上前、400ccのバイクに乗る女性は少なかった。私も10代のころ、400ccのバイクに乗りたくて教習所に行ったのだが、「女は小型から」と中型免許すら取らせてもらえない空気があり、一日でやめた。「中型取りに来たんです」と言っても、「じゃあ、起こしてみな」と道路に転がる400ccをコツも教えてもらえず起こせと言われて憤慨した。あの時の悔しさは今もまだ心のどこかに残っている。80年代のことだ。そういう時代のなかで、中型・大型バイクに乗る女性たちは道で出会っては、自然に話しかけるようなことがあったという。当時のバイク仲間の女性は、若かった高市さんが目を輝かせながら「私は保守系の政治家になるんだ」と、夢を語っていたのを覚えている。   高市氏を見ていると、胸がざわつく。「政治家を知るためには、その人の選挙区と選挙歴を知らなければならない」とは、無戸籍問題に取り組み続け衆議院議員になった井戸まさえ氏の言葉だが、高市氏がもし、奈良という保守が強い土地ではなく、都市部の選挙区の人だったらどうだったろうか。選択的夫婦別姓、女性天皇・女系天皇容認などについて肯定派の多い都市部のような場所で保守派の政治家として立っていたら、どうだったろうか。安倍さんへの、悲しいほどのすり寄りは、二世議員である小渕優子議員や、祖父が政治家だった野田聖子議員だったらしなくてもよい媚びにも見える。高市氏自身の葛藤を勝手に想像しながら、そういう女性議員の姿を見てこちらも引き裂かれるような葛藤を味わう。女性がのびのびと政治ができる国になってほしい、そして正当に評価されるようになってほしい。今起きているのは、自民党の大物男性の庇護のもとでの自由と、それでも女性であるゆえに正当に評価されない日本社会の女性嫌悪だ。精神衛生上よくないので、早く終わらせて、衆議院選挙で自民党政治は終わってほしい。■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    【写真特集/全8枚】華麗なる日本人メジャーリーガーの妻たち

    トップクラスは20億円以上の年俸を稼ぐ選手もいる、憧れの日本人メジャーリーガー。そんな彼らを射止めた女性たちもまた、アナウンサー、アイドル、モデル…と高嶺の花が勢揃い!そんな美貌と才能に溢れた彼女たちを写真で紹介します。▼クリックすると拡大写真と解説文が表示されます

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    “予想外”の優勝が現実味、ヤクルトの強さ支える高津監督の「言葉」【燕軍戦記】

    「これからもっともっと大事なというかね、ビッグゲームが待ってると思う。自分のことをしっかり理解し、自分の足元をしっかり見つめて、周りのチームメイトを信じ、この『チームスワローズ』が一枚岩でいったら、絶対崩れることはない。絶対、大丈夫。しっかり自信を持って戦える」  9月7日の甲子園球場。セ・リーグの首位を行く阪神との3連戦初戦を前にしたミーティングで、ヤクルトの高津臣吾監督(52歳)がナインに贈った言葉は、熱い響きに満ちていた。指揮官の言葉は続く──。 「これが『チームスワローズ』。これで今年ずっと戦ってきた。去年の反省を生かし、今年どうやって戦っていくか。去年の悔しい思いをどうやって今年晴らすかっていうことをずっとやってきたのが、今年の『チームスワローズ』。みんな自信を持って頑張れる。絶対大丈夫、絶対いけるから。絶対大丈夫。もし、今日グラウンドに立つ時にふと思い出したら『絶対大丈夫』と一言いって打席に、マウンドに立ってください。絶対大丈夫だと。どんなことがあっても僕らは崩れない」  この模様はヤクルトの公式YouTubeチャンネルで公開されているが、高津監督は4分半ほどの訓示の中で「大丈夫」と7回繰り返し、うち6回は「絶対」を頭に付けて言葉に力を込めている。そこには指揮官なりの狙いがあった。 「『絶対大丈夫』ということは伝えたかったですね。(自分が)ずっとそう思いながらやってきたので、それを選手にも伝えたかったというか。迷いなくグラウンドに立てるように、迷いなく自分のパフォーマンスをグラウンドで発揮できるようにしてあげるのが、僕の役目だと思ってますので。多少なりともそれで背中を押してあげることができるならば、とは思ってます」  その甲子園での3連戦に勝ち越したヤクルトは、2カ月ぶりに戻った本拠地・神宮でDeNAに勝って2位に浮上。ところが、そこから移動日なしで敵地に乗り込んだ中日との2連戦に連敗し、3位に逆戻りしてしまう。  特に13日の試合は0対1の9回表、1死一、二塁からセカンドゴロで封殺されたはずの一塁走者が挟まれ、その間に三塁に進んでいた二塁走者が本塁を狙って憤死。さらに中日側のリクエストで二塁封殺が認められて試合終了という、なんとも後味の悪い幕切れになった。  だが、先のミーティングで選手たちに「何かあったら僕が出ていくから」と宣言していた指揮官は、簡単には引き下がらなかった。ベンチを飛び出して審判団に説明を求め、およそ15分にわたって抗議。大きな身振りを交え、時に激しい口調で迫る高津監督をダグアウトから見つめるナインの姿は「一枚岩」そのものに映った。  しかし悪い流れは止まらず、再び神宮に戻って行われた阪神との2連戦の初戦は、9回表に守護神のスコット・マクガフが同点3ランを浴びて手痛い引き分け。それでも「(昨年と比べて)変わった部分はたくさんあると思います。技術的なこともそうですし、精神的なこともそうですし、強くなったことはたくさんあるのかなと思います」と指揮官が評していた「チームスワローズ」は、そのままズルズルいくことはなかった。  一夜明けた翌15日の同カード。7月に新型コロナウイルス陽性判定を受け、五輪開催に伴うシーズン中断期間が明けても精彩を欠いていた開幕投手の小川泰弘が、気迫のピッチングで8回途中まで零封。セットアッパーの清水昇が二死満塁のピンチをフォークの連投で切り抜けると、9回はマクガフが阪神打線を三者凡退に抑え、初回に村上宗隆のタイムリーで挙げた1点を完封リレーで守りきった。  高津監督のいう「強くなった」ヤクルトを象徴するような“スミイチ”での勝利。前夜の悪夢を払拭してみせたマクガフの体をグッと引き寄せてハグした指揮官は、その後の会見でも守護神をねぎらった。 「難しかったと思います。どの1点差ゲームよりも難しい1対0だと思うので、そこに上がっていく9回のマウンドは勇気が要ったと思いますし、昨日の今日だったんでね。全ては今日抑えたことが、チャラにはならないですけどね、気分を晴らしてくれるんじゃないかなと思います」  おそらくはそのマクガフのみならず、先発した小川も中継ぎの清水も、いや、あの甲子園で指揮官に「絶対大丈夫」という言葉を直接、吹き込まれた選手は誰もが、その5文字を胸に刻んで試合に臨んでいたはずだ。それはこの先も変わることはないだろう。  9月17日からスタートした10連戦の初戦となった巨人戦(東京ドーム)ではプロ2年目、20歳の奥川恭伸が初回に1点を失いながらも、崩れることなく尻上がりに調子を上げた。プロ入り後、初めての中10日未満で自己最多の103球を投げ、7回1失点で7勝目。「自分が投げてる時も、後ろを見れば、守ってくれる、声を掛けてくれる野手の方もたくさんいる。仲間を信じて、チームメイトを信じて、その気持ちが自分を楽にしてくれている」と話した。  この勝利でセ・リーグ2位のヤクルトは首位・阪神とのゲーム差を2に縮め、3位・巨人との差は1ゲームに広げた。1週間ほど前には「(順位は)意識しないと言ったら嘘になりますね。ただ、いつも言ってるけど、やっぱり目の前の試合にどうやって勝つかとか、そういうことで頭がいっぱいで」と話していた高津監督も、この日の試合後の会見では「上位(阪神、巨人)は今後、優勝するためには絶対に勝たなきゃいけない相手だと思います」と「優勝」の2文字を口にしている。  昨年まで2年連続最下位のヤクルトだが、振り返ってみれば前回優勝した2015年も、前の2年はいずれも最下位。その2015年は、今季と同じ108試合消化時点では首位の阪神から3.5ゲーム差の2位であり、今年の方がより優勝に近い位置にいることになる。これからは嫌でも意識せざるをえなくなるだろう。  ヤクルトの残り試合は、今日の巨人戦を入れて「35」。セ・リーグ6球団の中で最も多く、この10連戦が終わっても6連戦がビッシリと並ぶなど、スケジュール的には楽ではない。ただし、どんなに厳しい状況であろうとも「チームスワローズ」は最後まで一枚岩となって戦い抜くはずだ。指揮官に注入された「絶対大丈夫」の言葉を胸に──。(文・菊田康彦) ●プロフィール菊田康彦1966年生まれ。静岡県出身。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身。2004~08年『スカパーMLBライブ』、16~17年『スポナビライブMLB』出演。プロ野球は10年からヤクルトの取材を続けている。

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    初代バチェラー・久保裕丈、薄暗い倉庫で地道に作業…新ビジネスは儲け薄?

     かつての起業家が「意思ある投資家」として、次世代の起業家を育てる。そんな循環の中心にいる人々に迫る短期集中連載。第1シリーズの第4回は、家具や家電を定額で貸し出す「CLAS(クラス)」代表取締役で、「初代バチェラー」でもある久保裕丈(40)だ。AERA 2021年9月13日号の記事の1回目。 *  *  * 「日本一、薔薇(ばら)とシャンパンが似合う起業家」に会うため、東京都江東区新砂に向かった。  東京湾を埋め立てた広大な土地には倉庫や工場がずらりと並ぶ。アマゾンや楽天といったネット通販が急伸し、倉庫の増加も凄(すさ)まじい。シンガポールの物流系企業GLPが運営する「新砂2号棟」もその一つだ。  8月上旬のよく晴れた朝。まだ9時というのに外は猛烈な暑さだ。貨物用の巨大なエレベーターを5階で降りると、天井まで届きそうなラックにソファや椅子や冷蔵庫や洗濯機がうずたかく積まれている。その裏ではヒューンという機械音が鳴り響き、何かを削っているようだ。倉庫内は30度を超す。事務机が並ぶ一角では業務用の巨大な扇風機がうなりを上げている。 「おはようございます。早くからすみません。昼になると、ここの暑さはちょっとヤバいんで」 ■初代バチェラーに抜擢  その男が現れた瞬間、薄暗い倉庫の中でその場所だけがパッと明るくなった。扇風機が運んでくる潮風を顔に受け、長い髪を軽くかき上げる。明らかに「見られること」を職業とする人の所作だった。非常階段の向こうに見えるヨットハーバーの方がはるかに似つかわしい。  久保裕丈(40)。家具や家電を「月額いくら」で貸すサブスクリプションサービスを手がける「CLAS(クラス)」を2018年に立ち上げた創業社長だ。動画配信サービス「Amazonプライム・ビデオ」の恋愛リアリティーショー「バチェラー・ジャパン」の初代バチェラー(独身男性)と紹介した方が分かりやすいかもしれない。  この番組は社会的地位を確立した才色兼備の独身の元に集まった25人の異性が、2カ月にわたって非日常的な空間でゴージャスなデートを繰り返し、誰がバチェラーの心を射止めるかを競う。毎回のデートの最後にある「ローズセレモニー」で、薔薇を渡された異性だけが次の回に進める。02年に米国で配信が始まるや大ヒットとなり、日本でも17年から同じフォーマットの番組が作られることになった。  久保は女性たちと華麗なデートを繰り広げ、毎回、最後に「薔薇を渡せなくてごめんなさい」と数人を振り落とす。大抵の女性は目に涙を浮かべ、時には「ほんと見る目ないですね」と捨てぜりふを残して去っていく。ある意味つらい立場である。タレントやモデルなどさまざまな経歴を持つ女性たちが「結婚したい!」と夢中になるには、誰もが納得するスペックを備えていなくてはならない。 ■東大卒のハイスペック  久保は東京大学大学院を出て米系コンサル会社A.T.カーニーに入った。12年には女性向け通販サイト「MUSE&Co.(ミューズコー)」を設立。その後売却し、CLASを立ち上げた。バチェラーの出演時点で社会的地位が確立していたかどうかはさておき、冒頭に書いた通り「イケメン」であり、趣味のキックボクシングで体も鍛え上げられている。ため息が出るようなハイスペックだ。  番組に登場した久保はタキシードやスーツに身を包み、クルーザーやプライベートジェットの前に颯爽(さっそう)と現れた。番組の外に出ても、彼にふさわしい場所といえば、六本木ヒルズや東京ミッドタウン、あるいは西麻布や南青山の瀟洒(しょうしゃ)なマンションにあるオフィスが思い浮かぶ。しかし実際に彼がいるのは、薄暗くて埃(ほこり)っぽい倉庫の中。そのギャップに戸惑った。  久保が今、夢中になっているビジネスも、驚くほど地味である。サブスクと横文字で書けば今風だが、その実態は泥臭い。  利用者は月440~数千円で家具や家電製品を借りられる。料金には配送料、設置料、保険料も含まれていて、季節や好みに合わせて衣替えをするように家具や家電を取り換えられる。 「所有」するのは面倒だが「利用」はしたい。カーシェアやシェアオフィスと同じ種類のサービスだ。家や車を持つのが成功の証しで、ローンに追いまくられたのが筆者らバブル世代。だが子供たちは物を持たず、ローンも組まず軽やかに生きる。 「『暮らす』を自由に、軽やかに」。CLASのビジョンは、そんな若者世代の価値観を見事に捉えている。  だが、サービスを提供する作業は至って地道だ。センスのいい家具や家電を見つけて仕入れる。倉庫に戻ってきた製品は新品同然に修繕し、新たな借り手が現れれば、すぐに送り届ける。手間がかかる割に儲(もう)けは薄い。  なぜ久保ほどの「ハイスペックな男」が、地道なビジネスを喜々としてやっているのか。その謎を解くには、久保の生い立ちまでさかのぼる必要がある。 (敬称略)(ジャーナリスト・大西康之) ※AERA 2021年9月13日号より抜粋

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    高市早苗氏の意外な過去にフェミニストも震えた 総理の座を狙う過程で何があったのか

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選に正式に出馬表明した高市早苗氏について。*    *  * 近しい人がデルタ株のコロナ陽性になったり、友人の同僚や、通っている美容院のお客さんが亡くなったりなど、夏以降、急速にコロナの危機が迫っているのを実感している。健康観察をされずに自宅で死亡した50代の方の話などを聞くと、東京五輪・パラリンピックに時間とお金と人材を費やすべきではなかったのではないかとつくづく悔しい思いになる。適切な処置を医療機関で受けられていたら、亡くならないですんだかもしれない命は少なくない。 Go Toキャンペーンやオリパラを強行することに専念してきた自民党政権が、トップの顔を代えただけで変われるとは思えず、期待には程遠い自民党総裁選。岸田文雄さんは、ボロボロの小さいノートを振りかざしては「国民の声を書き留めてきた、1年間で3冊、10年間で30冊」と様々なメディアでアピールしているが、正直、少ないと思う。薄いノートを1年でたった3冊埋めたくらいで、国民の声を聞いたとか言えるって、どんだけ聞いてこなかったかという話なのでは。河野太郎さんは、先日週刊誌でそのパワハラ言動が取りざたされていたが、ワクチン接種という、申し訳ないが素人目線でそこまで難しいとも思えない仕事でつまずいている人に期待するのはムリという話だし、高市早苗さんにいたっては、選択的夫婦別姓に強硬に反対するアンチフェミ女のイメージしかない。女性の人権に無関心な女性総理候補にいったい何の価値があるというのでしょう。 とはいえ、高市早苗議員、いったいどんな人なのか。32歳で衆議院議員に若くして初当選(※)。しかも同期の田中真紀子議員や野田聖子議員のように、親や祖父が国会議員だったというわけではなく、自民党員だったわけでもなく、サラリーマンの父と警察官の母という一般家庭から出てきた無所属の女性議員が、今、最も総理の椅子に近い女性となっている。なぜ高市さんは、政治家の道を選んだのだろう。どのように政治の道を歩いてきたのだろう。政治家としては多い著作のなかから国際政治評論家としてテレビで活躍していた頃に書かれた『30歳のバースディ―その朝、おんなの何かが変わる』(大和出版)、政治家2年目に記された『高市早苗のぶっとび永田町日記』(サンドケー出版局)を読んだ。 高市氏が大学を卒業したのは1984年。1986年に男女雇用機会均等法が施行されるが、この2年の差はやはりとても大きいものがある。女性が生涯にわたる仕事を手にすることも、そもそも親が大学に行かせてくれるかどうかも「女の子」であるというだけで諦めることがまだまだ当たり前にあった世代だ。特に地方であればなおのこと。保守的な奈良に育った高市氏も、当然のように「諦めさせられて」きた。例えば大学もそうだ。高市氏は第1希望だった早稲田と慶応のどちらも合格したにもかかわらず、「女の子のあなたを東京の私学で学ばせる余裕はない。弟の学費に回してほしい」と親に諦めさせられ、「女の子だから一人暮らしはさせられない」と通学に往復6時間かかる神戸大学に入学するのだ。 たとえ難関国立大学出身であっても、女性がその能力と希望に見合う就職先を見つけるのが難しい時代だった。「身の丈」よりもずっと小さく窮屈な型に押し込められる女性たちの悔しさは計り知れないが、高市氏の著書からはその類いの悔しさは強調されない。それは高市氏に並外れた行動力と決断力があり、自らの人生を切り開いてきた自負があるからだろう。たとえば、たまたま大学で目にした松下政経塾のポスターを目にして、直感に導かれるように松下政経塾に“就職”したり。たまたまテレビで見た女性議員で史上初の米国大統領候補指名争いに立候補準備を進めていたパトリシア・シュローダーに惹かれ、その2週間後にはワシントンに旅立ち、その情熱だけでシュローダー議員のオフィスで働き始めたり……若さゆえの大胆さと希望に満ちあふれた当時の高市氏のエピソード一つひとつに圧倒されてしまう。「女だから」と諦めさせられてきたのは大学まで、それ以降は絶対に諦めないという粘り強さで今の地位を築いていくのである。『30歳のバースディ』は文字通り30歳を迎えた高市氏がそれまでの人生を「ポップ」に振り返る本である。「BGMはいつもユーミンだった」「寂しいのはあなただけじゃない」「空港でまたまた恋人と涙の別れ」「男かペットがいなくちゃダメな私」「女と日の丸と視聴率の相関関係」「三〇女が孤独を感じるとき」といった目次からもわかるように、女友だちに話しかけるように書かれた軽く、優しいノリのものだ。アメリカから帰国し、若い政治評論家としてメディアに露出していたころで、日本の男性社会へのいら立ちも率直に記されている。「アメリカ議会では日本流のバカバカしい会議がないのが良かった。(略)ところが日本の企業では会議の場では何も決められない。本当は既に決まっているし、とっくに根回しが済んでいることを確認しあうだけの、儀式的な会議のなんと多いことか。でも、私たち女性は妙に正義感が強いので、このような巧妙な人間関係のテクニックとは相性が悪い」 90年代に若い女性が書いたテキストを追いかけながら、私は何度か噴き出したり、そうそうと共感したりと震えるような思いになる。ねぇ、高市さん、「女が入ると会議が長くなる」とほざく森喜朗さんに「あんたの会議はバカバカしい」とはやっぱり言えないものだったの? こういうまっとうないら立ちを文章にしてきた女性が、最も「わきまえる女」になっていく過程に、いったい何があったというの? さらにこういう率直さは、国会議員になった後に書かれた「高市早苗ぶっとび永田町日記」にも残っている。高市氏は歯に衣着せずに永田町のダメなところをきちんと切っている。「この一年間に永田町で一番多く耳にした言葉は次の二つ。『挨拶がない』『俺は聞いてないぞ』。委員会の審議日程が流れたり、大切な法案の採決がパーになったりする理由は大抵この二つだったりする」「笑い話のようなことばかりだが、事実、永田町政治は『理屈』ではなく、『メンツ』で動いている」 さらに、夜の会食や女性がいるクラブなどで行われる男たちの根回しで物事が決まっていく永田町で、女の自分が不利であることも記し、サッチャーのこんな言葉を引用し共感を表明するのだ。「私は最後まで党内基盤が弱かった。それは男性の世界の根回しに加えてもらえなかったからよ」 なにこの人……すごくまともな「一般人」の感覚で、すごくまともな「女の悔しさ」をストレートに出すフェミじゃないの? しかもそのまともさで、「総理大臣の資質」というものを論じ、当時の村山政権を真っ正面から批判している。明言しているわけではないが、高市氏自身が政治家として一番になること=総理になることを30代から目指しているのも伝わってくる内容なのだった。根回しから排除されてきたサッチャーが首相になれたように、パトリシア・シュローダーが80年代に大統領を目指したように、高市氏は政治家としてトップに行くことを最初から視野に入れていたのだ。 ……と、昔の高市氏の本を読んでいると、うっかり「がんばれ、早苗!」と言いたくなってしまう私がいるのだった。「総理になろうよ!!」と早苗の女友だちポジションに立って拍手したくもなってしまうのであった。まずい、まずい。正気に戻るために2011年に出版された『渡部昇一、「女子会」に挑む!』(WAC)も読んだ。櫻井よしこ氏、山谷えり子氏、高市早苗氏、小池百合子氏、丸川珠代氏・・・といった早々たる「わきまえ女」(帯には「なでしこ軍団」とある)たちと渡部昇一氏との対談本だ。 渡部氏との対談で、「総理になったら、まず何をしますか?」と聞かれた高市氏はこう答えている。「最初に、政府歴史見解の見直しをします。新たな歴史見解を発表して、村山談話を無効にします」 東日本大震災のあった年の9月に出版されている本だ。震災後から、こういう歴史修正主義を堂々とうたう本や、韓国ヘイト、「慰安婦」運動への過剰な攻撃は度を越していったという実感が私にある。保守政治家から極右政治家に舵を切るように発言をより過激化させていく高市氏の横顔が、対談にはしっかりと刻まれている。夫婦が別の姓を名乗ったら家族が崩壊すると適当なことを言い、戦時性暴力の責任を問わないどころかなかったことにすることが、高市さんの「目指した政治」だったのだろうか。この国の女性たちが権力に近づこうとするならば、率先して選択的夫婦別姓を批判し、「慰安婦」被害者をおとしめる発言をいとわず、女性の権利を口にするフェミを冷笑するというマニュアルでもあるのだろうか。 今いる自民党の女性議員の顔を、一人ひとり思い浮かべてみる。わきまえなければ権力に近づくこともできなかった女性たち。夜の会議や根回しから排除されながらも、その立場を維持するための努力は、二世・三世の男性議員たちとは全く違うものがあったはずだ。それでも、それほどの努力をしても、彼女たちが自らの後ろを振りかえったとき、彼女たちの後ろを歩きたいと思う女性はどのくらいいるだろうか。というかそもそも、その道は後続の女性のために開かれていたことはあったのだろうか。 かつて高市氏が憧れ渡米したパトリシア・シュローダーはテレビカメラの前で涙を流した。そのことによって20年以上「女の政治家は感情的だから、ダメだ」と言われ続け、「あなたの涙のせいで、女の地位が悪くなる」と責められ続けたという。女であるというだけでその「涙」が事件になるのは、昔のアメリカも今の日本も変わらない。そういう政治の世界でトップを目指す女性たちが、女性の味方であることを忘れるのは「仕方ない」ことなのだろうか。それとも、アンチフェミニズムの顔で女性をたたくような女性政治家しか出せない自民党政治そのものが終わっている、ということなのか。※訂正配信時の「32歳で衆議院議員に初当選、女性議員としては、当時憲政史上最年少だった」という一文を、「32歳で衆議院議員に若くして初当選」と訂正しました。高市氏の著書『高市早苗のぶっとび永田町日記』に「女性として憲政史上最年少当選」と記してありましたが、実際は1946年4月10に三木キヨ子氏が20代(当時)で当選していたため削除、修正します。■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    【写真特集/全8枚】華麗なる日本人メジャーリーガーの妻たち

    トップクラスは20億円以上の年俸を稼ぐ選手もいる、憧れの日本人メジャーリーガー。そんな彼らを射止めた女性たちもまた、アナウンサー、アイドル、モデル…と高嶺の花が勢揃い!そんな美貌と才能に溢れた彼女たちを写真で紹介します。▼クリックすると拡大写真と解説文が表示されます

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    眞子さまの結婚どう思う? 瀬戸内寂聴が27歳スタッフに質問した結果

     半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。*  *  *■横尾忠則「スジ金入りの肉体的朦朧体、大観より本格派です」 セトウチさん 耳が聴こえなくなったと言うと、「きっと作品が変るわよ」と、ベートーベンじゃあるまいし、変なことおっしゃると、その時はそう思いましたが、本当に変ったんです。その変り方が理に適(かな)っているといえば適っている。つまり聴こえないことは、音の輪郭が失くなることです。そうなると音が朦朧(もうろう)となって、横山大観の朦朧体の絵のように音がボケて聴こえるんです。耳がボケると、日常生活もボケて、曖昧模糊(あいまいもこ)となって、したことと、してないことの区別もわからなくなるんです。つまり虚実の区別ができなくなって、夢で見た仕事の依頼を、本当に依頼されたと思って、やっちゃったりするんです。ボケの症状に似てるけれど、ボケ老人になったんではなく耳のせいだと理解しているので、そこはまだ理性がコントロールしています。 ハイ、絵の話だったです。大観は思想で朦朧体を描きましたが、僕はスジ金入りの肉体的朦朧体なので、思想のようなチョロコイ考えではなく、肉体的ハンデキャップによる堂々たる自然体派です。大観よりこっちの方が本格派です。そんなわけでセトウチさんの大予言は的中しました。 先っきも言いましたが境界線が失くなるということは自由のキャパシティも拡張したことになります。近代人は何でもかんでも境界線を引いて、全てを分業化します。縄文時代はひとりの人間が、多面的に物事をこなしていました。狩猟(しゅりょう)も農業も、漁業も工芸も、子育ても、教育もひとりでするという、境界線をはずした労働生活です。現代のような役割分担などしません。正に多義的です。越境した狩猟社会です。 難聴が与えてくれた神の恩寵です。だから病気の高徳です。僕が度重なる病気によって救われてきたということはこういうことです。神は人間に色々な苦難を与えますが、病気は罪ほろぼしでもカルマ落としでもなんでもないのです。人間の進化向上のためのカリキュラムだと思えばどうでしょう。難聴のほかに、腱鞘炎(けんしょうえん)にもなりました。もう、セトウチさんの「幻花」のような繊細(せんさい)な描写の絵など描けません。今は太い筆やハケを握りしめて、キャンバスにバンバン叩きつけるように描いています。それも痛いので、左手で描きます。左手は思うような形が取れません。幼児の絵より下手くそになります。でも、デュビュッフェは幼児の絵のマネをして、幼児風に描きますが、そんな意図的なことをしなくても、僕の左手はそのまま幼児以上に下手に描けます。これもハンデキャップから来た自然体です。 今書いている手紙では、前にも同じことを書きましたかね。境界を越えると時間差もなくなって、やったことと、やらないことの区別がわからなくなるのです。いよいよ本格派老人です。100歳老人のセトウチさんにも負けていません。ただ僕はセトウチさんのように年齢には拘っていません。拘っているのは他人の方で、今行っている展覧会では「85歳、85歳」と年齢を売り物にされています。歳のことは言うな! アーティストには年齢はないのです。昨日の続きが今日、今日の続きが明日です。原始社会では年齢など無関係です。アーティストは原始人です。■瀬戸内寂聴「私もヨコオさんに負けないように!」 ヨコオさん 何だか、ずいぶん久しぶりにこの往復手紙を書いているような気がします。 それにしても相変わらずコロナは豪勢を極め日本はおろか、世界的にその力を奮っています。 コロナのせいで、人に会えず、寂庵はずっと門を閉めっぱなしです。コロナになる前はもちろん、一も二もなく門内に入ってもらっていました。 大抵遠く九州や東北から来られた人で、まだ生きている私に逢えたと言って、抱きついて泣き出します。もちろん、私は丁寧にお迎えして、写経などしてもらい、お茶菓子を一緒に食べて、しばらくその人のお話を聞きます。つきあいの人もあれば、寂庵の信者を自称する人もあり、初めて門内に入ったという人もいます。「まさか、門内に入れてもらえると思わなかった」と泣き出す人もあれば、「生きている寂聴さんに逢えた!」と、子供のように足を踏み鳴らす人もいる。「とても百歳には見えない!」と誰もが感嘆してくれるが、終日ベッドに横になり、本ばかり読んで、一日を過ごしている私の毎日の状態など話せない。私は、人に逢っている間だけは、必死になって元気らしさを演じ、声を張り上げる。客の帰る時は、長い廊下の途中で、へばってしまい、さっさと歩く客の跡がおえない。 ──だって百だもの……──と、私は廊下の途中で、ペシャンコに座り込み、つくづく、自分に向かって言う。 食事だけは時間が来ると、しゃきっと体がのび、食卓の自分の位置に早々と座り込んでいる。「あら、お昼はもう召し上がりましたよ!」 スタッフの一人が、わざと大きな声を張り上げる。「私のスパゲティは、どうしてこんなに美味しいのだろうなんて、お世辞までいただいて」「そうよ、ほんとに! でも今ここに座ったのは、食べるためでなくて、眞子さんの結婚をどう思うかって、寂庵で一番若い二十七歳のP子の意見を聞きたいのよ」「ああ、眞子さん、ほんとに、よかったですね。大体、みんなあんまりこの結婚に意地悪すぎましたよ。でも、どうして一時金を眞子さんは辞退なさるのかしら? 貰う権利のあるお金でしょう? あんまり弱気にならない方がいいと思うけど……」 ヨコオさん、今、寂庵の中は、こんなにのんびりしています。耳が聞こえないのは、私も同然です。テレビの時なんか、びっくりするほど大きな声にしてくれるので、何とか会話が出来ています。鶯も、秋の夜の虫の音も、私の耳にはさっぱり聞こえません。ヨコオさんとTELしてるのを横で聞いてる人があれば、どんなにおかしいでしょうね。耳だけでなく体のあちこちがどしどし衰えてきます。 そのうち、きっと、自分の死んだこともわからなくなって、──ヨコオさんにTELして!──など叫んでる日が来るのでしょうね。でも目がよく見えているので、一日に二冊は厚い本を読み切っています。ヨコオさんの展覧会、ますます人気上昇でおめでとうございます。私もヨコオさんに負けないよう、あっとこれまでと変わった小説を二つくらい書き残して死にたいものですね。 では、また。※週刊朝日  2021年9月17日号

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    「高市氏の昔を知っているよ」 総裁選候補者3人で最も優れているのに胸がザワつく理由

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選に立候補を表明している3人の議員について。 *  *  * 連日、自民党総裁選関連のニュースがメディアを占めている。この国に暮らす人々の生存をかけた衆議院選挙のほうがよほど重大なはずなのに、無駄に自民党の生存をかけた総裁選につきあわされているようでつらい。災害レベルのコロナ禍で重要なときに臨時国会を開かず、自党の人事に時間を費やす自民党の体質が、トップが代わったところで変わるとは思えない。とはいえ、あと一歩で総理の椅子に座る3人の候補者に女性が入っていること、その女性が候補者の中で最も右寄りであること、容姿を誹謗中傷する批判が“彼女にだけ”されていることなど、日本の女性政治家が置かれている現実を生中継で日々見せられているようで、それはそれで気になってしまうのだ。 候補者3人の出馬表明記者会見を見た。それぞれ力のこもった熱弁を見ながら、改めて菅さん (菅義偉首相) は、相当なレベルで話が下手だったのだと気づかされる。滑舌が悪いうえに自分の言葉で話さない、原稿すらうまく読めないので頭に入ってこない。東京五輪・パラリンピック開催に疑問を投げかける記者には、「安全安心」と繰り返すだけで誠実さのカケラもなかった。さらに記者に対して威圧的であり、社名を名乗らない記者に対していら立つなど、器の小ささを露呈してしまう場面を幾度となく見てきた。喋れば喋るほど、人の心が離れていく総理大臣だった。 菅さんに比べると3人の候補者の話は、フツーにまともだった。……と、「底」を強いられてきた者として認知の歪みが生じてしまっているのだろうかと自分でも不安になるが、今回、高市早苗氏の会見を初めて長時間聴いてみて驚いた。テンポ、滑舌、論理性、具体性において出馬表明記者会見としては3人の中で最も優れていたからだ。記者からの質問に逃げずに丁寧に答えていたのも好感を持てた。  例えばTBS「報道特集」のキャスター膳場貴子氏が、高市氏が過去にしていたサイテーの発言「(生活保護を)さもしい顔をしてもらえるものはもらおうとか、弱者のふりをして少しでもトクをしようと、そんな国民ばかりいたら日本が滅びる」を引き、「困窮する国民をどういう目で見ているのか確認をさせてください。弱者への視点が欠けている不安、批判の声があるが、どう受け止めているか聞かせてください」と迫った。高市さんに対する強い批判を含んだ良い質問だった。 もしこれが、安倍さん (安倍晋三前首相) だったらと想像する。女性アナウンサーからの質問にまずニヤニヤと冷笑し、しかし顔色は変わり、早口でまったく方向違いの旧民主党政権批判を延々繰り返し「それはですね、民主党政権時代の批判の流れでの発言だったのでございます。文脈をですね、私の発言の文脈をですね、いいですか、きちんと見ていただいたうえでですね、そのようなご質問をしていただきたきたいのでございます」とか言いそうだし、麻生さん (麻生太郎財務相) だったら「そうかね、覚えてねぇな」とか言いかねず、菅さんだったら「えー、私はこれまで通り全力で国民の安全安心を最大限に考えて、政治を行っていくことに変わりはありません」とか言うのでは。テレビカメラの前で“女性”記者に批判された、ということで頭がいっぱいになり、誠実に答えようともしない“男性”政治家の振る舞いに私たちはあまりにも慣れてしまっていた。 その日、高市氏は膳場氏の批判質問に顔色も声のトーンも変えることはなかった。にこやかなまま、その発言がいつ、どの場で行われたものかを記憶の中で語り、「これは皆様の大切な税金。福祉というものは公正、公平が原則であるべきだと私は考えています」とし、さらに子どもの貧困問題等について語り、そのうえで「これが私。素直なほうなので、さまざまなアドバイスには柔軟に対応する」とも言った。  このやりとりに、私は見入ってしまったのだった。威圧的だったり、不誠実だったり、中身のない政治家答弁にあまりにも慣れ過ぎていたからこその驚きであるのだが、ただ新鮮だった。もちろん、高市氏のような政治家の言動が生活保護受給者に対する社会の偏見を生み、貧困を再生産し、生活保護を受けられずに餓死するような人々を生み出す現実をつくってきた。そういうリアルが見えない高市さんが与党の政治家であることが私は恐いが、それでも「どのような考えに立っているのか」ということを説明することをこの人は逃れなかったという印象は残った。 一方、岸田氏は国民の声を聞いてきたという薄く小さなノートを振りかざして「私にとりまして大切な財産。このノートを読み返した上で、私は改めてやるべきことがあると感じています」と豪語する。外国特派員協会で記者会見を開くなど、去年の総裁選よりもパフォーマンス力があがっているように見えるが、選択的夫婦別姓についての意見を問われ、「引きつづき議論しなければならない課題」と言うなど、いったい誰の声を聞いてきたのか問いたい。今年の共同通信の調査によれば選択的夫婦別姓は国民世論で6割が賛成している(30代では7割)。だいたい選択的夫婦別姓は80年代からずっと提案され、深く積み重なった議論の歴史があるのだ。国会での議論を拒否し続けてきた自民党の単なる勉強不足が、選択的夫婦別姓を邪魔しているだけ。まだ、「自分ごと」として通称使用拡大の具体的実践に全力を尽くしてきた高市氏のほうが勉強しているし、わかっているように見える。 河野太郎氏の記者会見が一番、今までの自民党の威圧的政治家の流れをくんでいるように見えた。質問は1社一つというルールを一方的に強いては、「(河野さんは)脱原発派ですか?」という質問に対して「どういう定義で脱原発というか人によって違うので、何か一つの言葉でくくるのはやめておいたほうがいい」と打ち切り、それ以上の質問を許さなかった。記者が本当に聞きたいことは分かっているはずだし、そこから深まる議論もあるはずなのに、意味のない答えを短めに返すのが目立った。  河野氏は若手からの期待が大きいと、報道では言われている。「河野さんは発信力があります」と30代の議員が胸を張るようにテレビカメラに向かって話しているのを見た。発信力とは単純にテレビに出る回数とか、Twitterのフォロワー数とか、なんとなくの人気のことを言っているのではないかと思うが、それは政治家にとって必要な力なのだろうか。記者会見で衝撃だったのは、韓国メディアの記者が「特に韓国を含めた、近隣国に向けての外交政策のビジョンを聞かせてほしい」と質問した時の答えだ。外務大臣を務めたこともある河野氏の答えは、こういうものだった。「G7の中で日本はユニークな立ち位置。キリスト教をベースとした文明の上に成り立っていない国は日本だけ。だから外務大臣として自分はアジア、中近東、アフリカといった国々の思いを代弁できる日本でありたーい、と思ってきた。自由民主主義、基本的人権、法の支配、こうした価値観を共有して一緒に前に進みたーいと思っている。それぞれの国にはそれぞれの歴史がある。一足飛びにみんなが同じことをできるわけではありませんー。そういうなかで、ヨチヨチ歩きであっても同じ方向を進もうとしている国にしっかりと寄り添える、そういう日本でありたーいと思っている」 ……これは外交政策なのでしょうか。ヨチヨチ歩きだけど一緒に寄り添っていこうね、って。これは元外務大臣による総裁選立候補の時に語るような言葉なのだろうか。高市氏を推すわけでは決してないが(というか、私にその権利もないが)、高市氏だったら具体的に質問に正確に答えようとするのではないか、大人の言葉で。 最近、「高市早苗の昔を知っているよ」という人と立て続けに話をする機会があった。20代のころ、高市氏は400ccのバイクを乗り回していたという。30年以上前、400ccのバイクに乗る女性は少なかった。私も10代のころ、400ccのバイクに乗りたくて教習所に行ったのだが、「女は小型から」と中型免許すら取らせてもらえない空気があり、一日でやめた。「中型取りに来たんです」と言っても、「じゃあ、起こしてみな」と道路に転がる400ccをコツも教えてもらえず起こせと言われて憤慨した。あの時の悔しさは今もまだ心のどこかに残っている。80年代のことだ。そういう時代のなかで、中型・大型バイクに乗る女性たちは道で出会っては、自然に話しかけるようなことがあったという。当時のバイク仲間の女性は、若かった高市さんが目を輝かせながら「私は保守系の政治家になるんだ」と、夢を語っていたのを覚えている。   高市氏を見ていると、胸がざわつく。「政治家を知るためには、その人の選挙区と選挙歴を知らなければならない」とは、無戸籍問題に取り組み続け衆議院議員になった井戸まさえ氏の言葉だが、高市氏がもし、奈良という保守が強い土地ではなく、都市部の選挙区の人だったらどうだったろうか。選択的夫婦別姓、女性天皇・女系天皇容認などについて肯定派の多い都市部のような場所で保守派の政治家として立っていたら、どうだったろうか。安倍さんへの、悲しいほどのすり寄りは、二世議員である小渕優子議員や、祖父が政治家だった野田聖子議員だったらしなくてもよい媚びにも見える。高市氏自身の葛藤を勝手に想像しながら、そういう女性議員の姿を見てこちらも引き裂かれるような葛藤を味わう。女性がのびのびと政治ができる国になってほしい、そして正当に評価されるようになってほしい。今起きているのは、自民党の大物男性の庇護のもとでの自由と、それでも女性であるゆえに正当に評価されない日本社会の女性嫌悪だ。精神衛生上よくないので、早く終わらせて、衆議院選挙で自民党政治は終わってほしい。■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    【現地ルポ】河野太郎の旧友が語る「歌いっぷり」から「夫婦秘話」まで 新総裁本命候補が地元で見せた素顔

     16日に野田聖子幹事長代行が出馬表明したことで、立候補者が4人となった自民党総裁選。そのなかでも「本命視」されているのは、河野太郎行政改革担当相(58)だ。朝日新聞社が行った最新の世論調査では、「新総裁に誰がふさわしいか」という質問に、33%の人が「河野氏」と答え、4人の中で最多となった。永田町では「変人」「異端児」などと称されることもある河野氏だが、地元ではどのような評判なのか。AERAdot.は、河野氏を知る人物を訪ね歩き、“本音”を聞いた。今回は「幼少期~社会人」の政治家になる以前の人物像に迫る。 *  *  * 河野氏が生まれ育ったのは、神奈川県平塚市。父は自民党総裁も務めた河野洋平元衆院議長。祖父は河野派を率いて、農林相や建設相、副総理を歴任した河野一郎氏という3代続く政界のサラブレッドだ。大叔父の河野謙三氏も衆院議長を務めるなど、まさに政治家ファミリーの中で育った。 小学校は地元の平塚市立花水小学校に6年間通った。小学生の頃から、他の子より少し目立つ存在だったようだ。6年生の同級生で、現在は平塚市役所産業振興部長の津田勝稔氏は、当時をこう振り返る。 「男子生徒は『太郎』とか『太郎ちゃん』とか気軽に呼んでましたね。勉強は昔からできましたが、同級生が360人以上いる学校だったので、その時は、もっと成績優秀な生徒もいましたよ。1位ではないけど、ずっとトップクラスにいるイメージ。ガリ勉という感じではなかったので、陰で努力をしていたか、地頭がいいのだと思います。子どもの頃から自分の意見をハッキリ言うタイプだったから、いつかは政治家になるんだろうとは思っていました」  当時は、平塚市内で「河野御殿」と呼ばれる旧河野一郎邸に住んでいた。現在は取り壊されているが、そこに小学校の同級生が集まることもあったようだ。 「小学校を卒業する年(1975年)の1月、太郎ちゃんの誕生日会に招かれました。河野邸の中に入ったら、大きな庭があったのを今でも覚えています。私も含めて、みんなが誕生日プレゼントをあげていました。みんなから人気がある子どもだったと思います」(同)  河野氏は1月の早生まれのため、体はそんなに大きくなかったという。 「クラスでは一番前に座っていました。体は細かったから、校庭で一緒に相撲をしても、僕は一度も負けたことはなかった。でも、走るのは速かった。長距離は全然かなわなかったですね。河野家は祖父の一郎さんが箱根駅伝にも出場した長距離ランナーで、大叔父の河野謙三さんも箱根駅伝を走っている。長距離ランナーの家系なんですね」  河野氏自身も、進学した慶應義塾中等部で、今も破られていない4000メートルの記録保持者なのだという。  また、津田さんが鮮明に覚えているのは、河野氏が小学校の合唱コンクールで指揮者をしたこと。 「合唱コンクールはクラス対抗でしたが、太郎ちゃんは皆から自然と指揮者に選ばれていました。正直、歌はうたわない方がいいんじゃないのかな、という感じです」  別の知人によれば、「河野は音痴で声がでかくて甲高い」のだという。  花水小学校を卒業すると、慶應義塾中等部、同高等学校へ進学したが、地元の友達との関係はその後も大切にしていたようだ。津田さんはこんな思い出を語る。 「慶應に進むというのは、(小学校の)卒業が近くなってから知りましたね。僕はそのまま地元の中学に進んだのですが、10年くらい前にその地元中学の同窓会があったんです。花水小の同窓生もたくさんいたんですが、そこに太郎ちゃんが突然、乱入してきたんです。誰かが『お前、ここは違うだろう』とつっこんで、みんな笑っていましたね」  高校卒業後は、1981年4月に慶應大学経済学部に入学するも、わずか2カ月で退学。すぐに渡米し、82年9月には米国ワシントンD.Cのジョージタウン大学に入学した。84年にはポーランドの大学に留学したという。  古くから河野氏と付き合いある湘南ベルマーレの眞壁潔会長がこう語る。 「太郎が留学したのは、ちょうどポーランドの自主管理労組『連帯』を主導したレフ・ワレサ(後のポーランド大統領)の民主化運動が盛んな頃でした。太郎は社会主義の国を自分の目で確かめるために、ポーランドに行った。そこで大学の知人の紹介で、ワレサに会いたいかと聞かれたので、ワレサに会いに行ったんです。でも、そのときに事件が起きた。ワレサの自宅で本人といろいろと話をして、帰ろうと近くの交差点まで行ったところで、警察官から職務質問を受けた。パスポートを所持していなかったので逮捕され、留置場に入れられたそうです」  幸い、大学生であることがわかり、翌朝には釈放されたという。 「彼は性善説で人を見るんですよ。当時、ルーマニアにも行っていて、親切にしてくれた見知らぬ人の家に泊めてもらって、冷蔵庫の中にあった野菜や肉をごちそうになったという話も聞きました。当時のルーマニアで、知らない人のうちへついて行くなんて、ヤバイんじゃないかと思いましたけどね」(眞壁氏)  1985年、ジョージタウン大学を卒業後、日本に帰国。富士ゼロックス(現・富士フイルムビジネスイノベーション)に就職し、シンガポールに2年間勤務した。その後、93年に父親の河野洋平氏が大株主の日本端子(本社・神奈川県平塚市)に転職した。現在、日本端子の社長は洋平氏の次男が務めている。  河野氏が政治家になる前から付き合いのある平塚市の片倉章博市議はこう話す。 「河野さんは日本端子に入社した頃に、平塚に帰って来ました。地元の平塚のJC(日本青年会議所)のビジョンを作る委員会に所属していました。私もメンバーだったし、みんな同世代だったから、くだらないことを言い合ったり、何時間もビジョンを語り合ったりしたのは、いい思い出です。毎年夏には、それぞれが夫人同伴で10人くらいでワイワイ過ごす家族会をしていて、大磯ロングビーチのプールへ行くのが恒例でした。河野さんの香(かおり)夫人も来ていましたよ。プールの後は、ちゃんこ料理屋などで打ち上げをするのが恒例でした」  香夫人はオーストラリアの帰国子女で、聖心女子大を卒業後、外資系の金融機関に勤務していたという。2人のなれ初めについて、古くからの知人はこう話す。 「太郎ちゃんが富士ゼロックスの時代に、香さんが外資系の証券会社に勤務していて、食事会で知り合ったと聞きました。太郎ちゃんのひとめぼれで、香さんと同じ電車に乗るように時間調整して通勤したりしたこともあったそうですよ。香さんも通訳ができるくらい英語がペラペラで、夫婦で英語が堪能。太郎ちゃんは銀座のクラブへも行かないし、愛妻家ですよ。香さんは、夫がいない時には、代わりに選挙のあいさつ回りをしたりして支えています」  夫妻には一人息子がおり、現在は学生だという。河野氏が自民党総裁選に出馬したことについて、前出の津田氏はこう話す。 「総理大臣というのは政治家になったら夢でしょう。地元のことももちろんですが、日本のため、世界のために頑張るという初心を忘れずに、総裁選に挑んでほしいです。同級生みんなが応援しています」  河野氏が衆議院選挙で神奈川15区から立候補して、初当選を果たすのは1996年のこと。33歳のときだった。【後編】では政治家となった後の河野氏の人生を追う。(AERA dot・上田耕司)

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    ジョニー・デップは「ほんとに気配りが素晴らしくて…」 美波の「共演秘話」

     映画「MINAMATA」で、ジョニー・デップ扮する写真家のユージン・スミスの相手役(アイリーン)を好演した俳優の美波さん。作家の林真理子さんが、共演の舞台裏をうかがいました。 【本木雅弘の「推薦」のおかげ? 美波がジョニー・デップ相手役を射止めた訳】より続く *  *  * 林:みんなに聞かれると思うけど、ジョニー・デップと初めて会ったとき、ドキドキしました? 美波:正直、ジョニーと共演というプレッシャーより、英語でお芝居することのほうがプレッシャーでした(笑)。撮影に入る前に2週間弱、準備期間があったんですよ。そのとき、カメラテストがあって、ユージンの暗室という設定のセットで、ジョニーと私、カメラマン、監督のアンドリュー(・レヴィタス)の4人で、セリフもなくセッションしました。そのときに不思議とケミストリーが合ったんですよ。 林:化学反応したんですね。 美波:そのとき、「大丈夫」って、みんなホッとしたんです。アンドリューにとって、私を起用することは、賭けだったと思うんです。無名の女優で、しかも英語もそんなにできないのに、キーになる役を演じるんですからね。私もそのとき「ジョニーになら全部託せるな」という絶大な安心感と包容力を感じて、そのあと彼にはたくさん支えていただきました。 林:いい人だったんですね。 美波:ほんとにいい人で、撮影の合間に、彼専用のテントの中で、彼にギターを弾いてもらいながら私は絵を描いたり、いろんな話をしたり、素晴らしい方でした。 林:最高じゃないですか。もうすっかり仲良くなったんですか。連絡先も交換しました? 美波:はい、情報交換はしていますね。 林:ジョニーは「ミナミ」って呼ぶんですか。 美波:もちろん。 林:ワォ! すてき!(笑) 美波:やっぱりジョニーは、お芝居が上手なんです。すごいキャリアがある方なので、私がどんな芝居をしても受け止めてくれました。どこにカメラがあって、どこに照明があって、どう撮れば相手がどのように映るかが、本能的にわかってるんです。芝居をしながら、彼が私を、いちばんきれいに光が当たる場所に誘導してくれるんですよ。 林:誘導してくれるって、どんなふうに? 美波 目線で合図をくれるんです。自分が映らないカットでも、彼がちょっとずつ目線を動かしていってくれて、私がその目線に従ってついていくと、光がいちばんいいスポットに私が入っているんです。スーパースターなのに、ほんとに気配りが素晴らしくて、すてきな方でした。 林:アイリーンは最初、ミステリアスな女性として彼のアパートにあらわれますよね。いつも暗闇の中から出てくるんだけど、私、原節子さんに似ているなと思って見てました、雰囲気が。 美波:あら! 光栄です。 林:この映画のハイライトは、世界中に衝撃と感動を与えたお風呂の写真(「入浴する智子と母」)の撮影シーンですけど、ユージンがひざまずかんばかりにしてシャッターを切るじゃないですか。素晴らしいシーンでした。 美波:はい、あのシーンは、物音ひとつしない、シーンとした中で「カシャ」というシャッター音だけが響いていて。うまく言えないんですけど、ユージンは影をずっと撮っていて、“動”じゃなくて“静”を撮っている人なんだなと、あのシーンで思いました。 林:彼の人間性が出ていましたよね。いきなり訪ねて「撮らせてほしい」と言わず、ずっと待って、待って、信頼を得てから、最後に撮るんですね。だから、あの写真が世界中の人々の心を打つわけで、あの写真を撮るまでに、アイリーンさんが大きな力を果たしていたんですよね。 美波:そうですね。ユージンは水俣に数年滞在していたんですけど、水俣を最後に写真を撮ることが難しくなってしまったんです。取材の途中、暴行事件にあって、脊髄損傷と片目失明という重傷を負ってしまって。 林:カメラマンの命である目を、暴行事件で奪われてしまったんですね。 美波 はい。この作品では、アンドリューやジョニーがプロデュースして、光も闇も、丁寧に映し出してくれているのは、すごくありがたいなと思っています。 林:昨今は、SDGs(持続可能な開発目標)が盛んに叫ばれています。公害とか環境問題は、そのはしりだったわけですからね。 美波:あれから50年たっているのに、環境汚染はぜんぜんなくなっていません。地球は悲鳴を上げるどころか、壊れていっていると思います。出る杭は打たれても、どんどん声を上げていかなくちゃいけないなって、私も実感しています。 林:日本で撮影したんですよね。 美波:じつは、セルビアとモンテネグロで撮影したんです。 林:えっ! 日本じゃないんですか? 美波:ハリウッド映画といってもこれはインディペンデント(自主製作)なので、お金のことや、いろんな兼ね合いがあるんだと思います。じつはセルビアは、ヨーロッパでいちばん安く撮影ができる国なんです。だから、毎年たくさんの映画が、セルビアで撮影されているんですよ。 林:へえ~、知らなかった。 美波:その分、セルビアの技術はすごく上がっていて、今回もほぼセルビア人のスタッフさんだったんです。メイクさんから衣装にいたるまですべて。 林:あの時代の日本の洋服、セルビアの人がつくったんですか。 美波:そうなんですよ。すべて手作りなんです。あの技術はすごいと思いました。 林:エキストラの日本人たちは、ヨーロッパにいる人たちですか。 美波:東ヨーロッパ在住の日本人の方が多かったですね。あとは日本から自費でいらっしゃった方が、何人か参加されていました。エキストラさんの熱意にも感動しましたよ。私、ずっと日本に帰れなくて、日本食が食べられなくてつらかったんですけど、エキストラの女性が炊飯器を持ってきて、お米を炊いてくれたんです。涙でお米がしょっぱかったです(笑)。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 美波(みなみ)/1986年、東京都生まれ。母が日本人、父がフランス人。「バトル・ロワイアル」で映画デビュー以降、舞台「エレンディラ」「ザ・キャラクター」、映画「乱暴と待機」など、舞台、映画、ドラマ、CMで活躍。2014年、文化庁「新進芸術家海外研修制度研修員」に選出され渡仏、ジャック・ルコック国際演劇学校に1年在籍。近年の出演作に映画「Vision」など。9月23日公開の映画「MINAMATA」では、ジョニー・デップ演じる写真家ユージン・スミスの相手役アイリーンを好演している。※週刊朝日  2021年9月24日号より抜粋

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    17時間前

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    54年前、閑静な「日光」の街中をゴトゴトと音を立てて走る貨物列車 その運転速度は?

     1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は視点を変えて、街中の電車道をゴトゴト走る貨物列車の話題を紹介しよう。 *  *  *  筆者の学生時代には鉄道による貨物輸送が盛んで、工場地帯や港湾地区では至る所に専用線や引込線が敷設され、貨物を満載にした列車が頻繁に走りまわっていた。  その中でも異色だったのは、街中の目抜き通りの電車道を「そこのけ、そこのけ」と闊歩した貨物列車が走る街があったことだ。 ■「日光」の路面を走った貨物列車  冒頭の写真は東武鉄道日光軌道線(以下日光軌道線)田母沢停留所で、対向する馬返行き電車の到着を待つ東武駅前行きの貨物列車。東武駅前からは国鉄日光駅構内に接続する700mの貨物線に乗り入れていた。  田母沢停留所周辺は杉木立に囲まれた閑静な環境で、画面右端には徳川家康に重用された天海大僧正を祀った釈迦堂が写っている。  このカラー作品は35mm判(ISO感度100)「フジカラーリバーサルフィルム」で撮影している。半世紀を超す経年で原板の退色が甚だしかったが、デジタルリマスター技術の進捗で、辛うじて色彩を復元することができた。  日光軌道線の貨物輸送は、沿線に所在する古河精銅所の輸送手段として1910年の開業当初から電動貨車の運転が始められていた。第二次大戦中の1944年、国策として増産体制に入った古河精銅所への輸送力を増強するため、国鉄貨車が日光駅から直接精銅所まで乗り入れられるように、日光軌道線の施設改良が行われた。その結果、軌道線では珍しい電気機関車が導入され、東武駅前から古河精銅所のある清滝まで機関車牽引の貨物列車が走り始めた。路面を走る貨物列車は路面電車と同じ「軌道法」で運行管理されたので、列車を牽引する電気機関車の前頭には排障器の設置が義務付けられ、運転速度も時速30キロ未満の制限を受けていた。  写真のED610型は東洋工機製のデッキ式箱型電気機関車で、大正期の製造で老朽化したED600型の代機として1955年に登場した。最急勾配60パーミルの日光軌道線用として発電ブレーキを装備し、正面デッキ下部には排障器が設置されていた。電車線電圧600V、全長11m、自重35トン、出力320kWのスペックで、1968年の日光軌道線廃止後は宮城県の栗原電鉄(1995年くりはら田園鉄道に改名、2007年に廃止)に譲渡され、1987年の同鉄道貨物営業廃止まで活躍した。 ■目抜き通りを闊歩する貨物列車  次の写真は神橋通り(国道119号線)を東武駅前に走り去る日光軌道線の貨物列車。画面の左右には観光旅館や土産物、飲食店が林立し、観光地日光を代表する繁華街が展開する。この先の市役所前停留所までは最急52.6パーミルの下り勾配が続き、列車は肩をすぼめるようにゴロゴロと坂道を下って行った。この日は精銅所の副産物といえる硫酸を積載した古河電気工業の私有タンク貨車タム1700型が連結されていた。  ちなみに、日光軌道線で運転される電気機関車の牽引定数は60トンに設定され、貨物列車は10トン積載貨車3~4両で組成されていた。  次のカットは狭隘な国道120号線の下河原(したがわら)停留所に到着した清滝行きの貨物列車。停車している軌道敷と背後の歩道との幅員が狭いので、マイクロバスなどが対向車線を使って貨物列車を迂回走行している一コマだ。列車の背景には1993年に開業したクラシックホテル「日光金谷ホテル」別館の威容が写る。木造一部鉄筋コンクリート造の別館は1935年の竣工で、2005年に有形文化財に登録されたレジェンドだ。  全線単線運転の日光軌道線は通信指令式と呼ばれる運転保安方式を採用していた。当該の運転指令者が隣接の運転取扱所と電話連絡で電車を運行させるもので、運転士はその指示に従って次の運転取扱停留所まで電車を前進させることができる。写真には前進停留所名札を収めたタブレットキャリアを機関車乗務員に渡す貴重なシーンが記録されていた。 ■重要文化財指定の貴重な電気機関車  最後の写真が日光軌道線に初めて導入されたED600型電気機関車だ。その前身は1921年に鉄道省大宮工場で製造された国産初の本格的電気機関車、ED40型である。往時は国鉄信越本線碓氷峠のシェルパとして働いたED406とED4010の二両が、先述の施設を改良した日光軌道線に貸し出され、戦後正式に譲渡された。東武鉄道ED4000型として貨物輸送に稼働し、ED610が増備された1955年にED600型に形式を改めた。旧ED406のED601は翌年廃車され、ED602(旧ED4010)がED610型の予備機として残っていた。  日光軌道廃止後は国鉄に戻り、ED4010に復元。「準鉄道記念物」として国鉄大宮工場で保存展示された。2007年からは大宮に開館した「鉄道博物館」車両ステーションに収蔵され、2018年に国の「重要文化財」の指定を受けた貴重な電気機関車だ。 ■撮影:1967年7月26日 ◯諸河 久(もろかわ・ひさし)1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの軽便鉄道」(イカロス出版)など。2021年4月に「モノクロームの国鉄情景」をイカロス出版から上梓した。 ※AERAオンライン限定記事

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    22時間前

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    小林麻耶が離婚へ 夫から解放されても修復が難しい「海老蔵一家」と「TBS」

     今年3月から別居状態にあった小林麻耶(41)と夫の國光吟氏(37)が離婚に向けて協議を始めたという。7月1日発売の「女性セブン」によると、当初は麻耶自身も別居が一時的なものになるか、離婚への準備期間となるかはわかっていなかったが、周囲のサポートもあり自分の意思で結論を出す段階に入ったようだ。 2人が結婚を発表したのは2018年7月。出会って2カ月、“交際ゼロ日”での電撃婚は周囲を驚かせたのはもちろんだが、國光さんの行うスピリチュアル色の強いセラピーやカウンセリングなどに傾倒する麻耶を心配する声も少なくなかった。「それ以降の2人の行動といえば、まるで麻耶さんのマネジャーのようにどこへ行くのにも國光さんが同行し、次第に仕事場でも國光さんが口を出すようになったといいます。そして昨年11月に『グッとラック!』(TBS系)の電撃降板と所属事務所との契約解除があり、麻耶さんの彼への依存ぶりが心配され始めました」(女性誌記者) 一時期は麻耶が「洗脳状態」にあるのでは?などと心配もされたが、次第に2人の関係は冷めていったようだ。結局、3月には別居となったが、國光氏と距離をとった麻耶を誰よりもサポートして見守り続けたのは、麻耶の母親だったという。「お母さんの元に戻ってからは、麻耶さんも徐々にこれまでのことを冷静に振り返ることができるようになったそうですが、最も彼女の心を揺り動かしたのは麗禾ちゃん(9)と勸玄くん(8)の存在です。國光さんと結婚してからは、海老蔵さん一家とも以前のように頻繁に関わることがなくなり、あれほどかわいがっていた子どもたちともここ1年ぐらいは会っていないといいます。お母さんは、麻央さんの闘病中には麗禾ちゃんと勸玄くんの面倒を見て家事一切を取り仕切っていました。お母さんから伝え聞く2人の様子やYouTubeで見る成長ぶりに会えない辛さが募ったのでしょう。そんな麻耶さんの異変に気づいて、お母さんはメンタル面も含めてフォローし続けているそうです」(同前) だが、仮に離婚が成立したとしても、今後の麻耶の状況が元通りになるかといえば、「すぐには難しいかもしれない」と芸能ジャーナリストは話す。「まずは麗禾ちゃんと勸玄くんとの関係です。麻央さんの闘病中はお母さんと共に彼女もよく面倒を見ていて、子どもたちも懐いていましたが、海老蔵さんが現在の状態のまま、麻耶さんと距離をとり続けるのであれば、以前のような家族ぐるみの関係に戻るには時間がかかるでしょう。海老蔵さんはこれからは『十三代目市川團十郎白猿』と『八代目市川新之助』の襲名披露公演も控えていますから、あまり“雑音”は入れたくないのではないでしょうか」 また、広告代理店関係者は麻耶の復帰をこう心配する。「いずれ麻耶さんも仕事復帰を考えているでしょうが、義理を欠くようなことをしてしまった古巣のTBSや前の所属事務所からのバックアップは期待できないでしょう。それ以上に、はたしてタレントとして需要があるのかも疑問です。國光氏とのお騒がせカップルのイメージがまだ根強く残っていますから、CMや司会などで起用するのは厳しいのでは」 麻耶はこの日、自身のブログを更新したが、離婚報道には言及しなかった。“目が覚めた”麻耶が目の前に待ち受ける新たな壁に気づき、それを乗り越えた時に、彼女は本当に自由になれるのかもしれない。(宮本エミ)

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    「自分を超える力に逆らわない練習」を 睡眠の悩みにしいたけ.さんがアドバイス

     AERAの連載「午後3時のしいたけ.相談室」では、話題の占い師であり作家のしいたけ.さんが読者からの相談に回答。しいたけ.さんの独特な語り口でアドバイスをお届けします。 *  *  * Q:最近、夜寝られないのに、寝ると夜中からお昼まで9時間から12時間ほど寝てしまい、さらにお昼から夕方や、20~22時などにも寝てしまいます。授業はオンデマンドなのでなんとかなっていますが、レポートや家事など全然できてないしやる気も出ません。今まで5時間半や6時間の睡眠で生きてきたのでとても悩んでいます。(女性/大学生/22歳/ふたご座) A:最近、睡眠時間の大切さって科学的にも見直されてきましたよね。脳がインプットした情報を処理してる大事な時間だから、受験勉強なんかも徹夜で詰め込むよりちゃんと寝たほうがいい、というのが定説になりました。  人って、ある時期にすごく眠り続ける、というのが不思議とある気がします。それは、人は長期的にバランスを整えるようにできているから。3年前の疲れがいま出たり。  あと体ってすごく不思議なところがたくさんあって、自分の見聞きしている世界よりもちょっと先の未来に生きてるようなところがあるんだと思います。いま寝すぎちゃう人って、2年後に結構体力を使うシーンが待っていて、そのために貯蓄しているみたいな話もあるんですよね。ご飯がよく食べられる時期とあまり食べられない時期も含めて。生物として、その波があるのは自然なこと。だから「寝ましょう」というのが僕からの答えです。  あともう一つ大事な話をしたいのですが、ちょっと変な話になっちゃうんですけど、「自分を超える力に逆らわない練習」も大事な気がするんですね。  本当は起きていたいけどどうしても眠くなってしまう、というのもある種、自分の意思を超える何らかの力が働いている状態。そういうリズムの時は、逆らわない。  例えば僕も、どうしてもうまくいかない相手との仕事、っていうのはあるんです。仲良くしたいけどこの友達とだけはうまくいかない、とか。  自分の意思としてはうまくいってほしいんだけど、もうちょっと大きな、何か「自分の力を超えたもの」の観点で見ると、その仕事はうまくいかないほうが長期的にはよかった、ということがある。ひどい責任転嫁に聞こえるかもしれないんですけど、実はすごく本能的な話でもあるような気がします。  全部に当てはめてはいけないけど、「自分の意思を超える力」が人生にはあると思っておくといいと思います。  人間同士でもそうだし、土地とか仕事でも、気が合わない相手がいます。でも体力が衰えていると気が合わないものに対するセンサーが働かなくなっていってしまう。いかに人が幸せに生きていくかにおいて、気が合わないものをどれだけ自分のテリトリーの中に入れないかは大事です。それはセンサーにしかわからない。自分のペースでよく眠ることは、「生理的に無理」と判断できるセンサーをいい状態で保つことにもつながるように思います。 しいたけ./占い師、作家。早稲田大学大学院政治学研究科修了。哲学を研究しながら、占いを学問として勉強。「VOGUE GIRL」での連載「WEEKLY! しいたけ占い」でも人気※AERA 2021年9月20日号

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    「眞子さまも記者会見には乗り気ではないご様子」と関係者の声 小室圭さん帰国はよもやの理由

    「小室圭さんの帰国」「宮内庁がおふたりの記者会見の場を設ける見通し」――。 9月16日、NHKの一報を合図に、こう着状態であった眞子さまの結婚問題に急展開を告げるニュースが流れ出した。 ついに小室さんも腹をすえて、金銭トラブルと結婚問題について国民に説明する決心をしたのだろうか。「それが…どうも眞子さまも小室さんも、記者会見には乗り気ではないようなのです」 と話すのは、秋篠宮家の事情に詳しい人物だ。 続けてこうも話す。「小室さんの帰国も、会見に臨むためというよりも、眞子さまのご希望によるものだと聞いています」 皇籍を離脱した後も眞子さまは、米国での滞在手続きやパスポートを取得するあいだ日本に滞在せざるを得ない。その間、おひとりで過ごすことに不安を覚えているようなのだ。さらに眞子さまが、強くこだわったと言われることがある。「新天地である米国へはおふたりそろって旅立ちたい、とお考えです」(前出の人物) 天皇陛下や秋篠宮さまが触れた、「国民の納得や祝福」からはほど遠い状況にも関わらず、「スクープ」記事が先行する形で、結婚に向けた地盤固めが強行される流れに、違和感を抱いた人は少なくないはずだ。 皇室に仕えてきた人物は、こう話す。「眞子さまが皇室に長くいればいるほど、秋篠宮家への批判が高まる。皇位継承順位2位である悠仁さまに、よろしくない影響が及ばないうちに、出ていただかなければ取返しのつかないことになる。宮内庁も同じ危機感から、結婚させるしかないと力技に出たのでしょう」 では、ご本人方が「乗り気でない」記者会見を宮内庁が設ける形で調整しているとは、どういうことなのか。 秋篠宮さまは昨年の誕生日を前にした会見で、「結婚する段階になったら、今までの経緯も含めてきちんと話すことは大事なことだと思っている」と述べている。「殿下は、眞子さまと佳子さまに対しては、『皇族ならばこうあるべき』と厳しいお考えのなかえ育ててこられた。秋篠宮殿下は『結婚を望むのならば、自分たちの責任でけじめをつけるべき』とお考えなのでしょう」(宮内庁関係者) 実際、小室家が抱える金銭トラブルは未解決のままだ。小室さんは今年4月に28枚に及ぶ文書を公表し、それをもって説明としてきた。母、佳代さんの元婚約者への「解決金」が支払われる気配もない。元婚約者の代理人は、本誌の取材にこう話す。「もちろん、小室さん側が提案してきた『解決金』に進展はありません。文書を公表した際、元婚約者への事前の連絡も、その後の内容へ説明も一切なかった。せめて佳代さんご本人に説明して欲しいと代理人弁護士にお願いしていますが、『話は(佳代さんに)伝えています』と通りいっぺんの返答ばかりです」  記者会見の場で、国民と元婚約者に対して誠意をもった説明なしに、米国に旅立つようなことは、決してあってはならないだろう。 眞子さまは、かねて20代での結婚を強く望んでいると言われてきた。「10月結婚」と報じられているのは、10月23日の眞子さまの誕生日までに、婚姻届けを出す可能性があるからだ。 だが、10月に結婚となるとさまざまなハードルが待ち受けている。 たとえば、皇籍離脱に伴い支給される最大1億5250万円の結婚一時金の問題だ。本誌が確認した限りでは、眞子さまは少なくとも昨年の年明けには、「受け取らない」と周囲に伝えている。 だが、皇族が身分を離れる際に一時金を支出することは、皇室経済法にのっとる。「受け取らない」となれば、内閣総理大臣や衆参正副議長および、内閣総理大臣、財務大臣、宮内庁長官、会計検査院長の8議員からなる皇室経済会議を開く必要が出てくる。 ただし秋は政治日程がタイトだ。9月29日の自民党総裁選の投開票を経て10月4日から臨時国会が召集される見通しで、首相指名選挙と組閣、皇居・宮殿では天皇による総理大臣の親任式と閣僚の認証式がある。10月21日の衆議院議員の任期満了を受けて、10月末から11月には衆院選挙が控えている。 皇室経済会議が、宮内庁が予め筋道を立てたうえでの形式的な場になるとしても、新総理と新大臣を含め政治家たちの日程を押さえる必要がある。まして、眞子さまが10月23日のお誕生日前の結婚を望んでいるとすれば、10月中旬の総選挙直前に会議を開くことになる。 皇室を長年見ている人物はこう話す。「さすがに、そこまでの我を通されるとは思いたくありませんが……。宮内庁としても政治家に『どうなっているんだ』と突き上げられて宮内庁長官が、しどろもどろに説明しなければならない会議など開きたくないはずです。理屈をつけて会議なしで、切り抜ける可能性もありますね」 皇籍離脱をしたのち、渡米まで眞子さまが滞在する施設も懸案事項のひとつだ。「いまごろ皇嗣職の職員が必死でマンションを探しているかもしれないが、下手にセキュリティーの整ったマンションを用意すれば財源を追及されかねない」(前出の人物) たとえば、故・寬仁親王の妃である信子さまは、宮邸に戻らず宮内庁分庁舎として使われていた旧宮内庁長官公邸(東京都千代田区)で暮らしている。この旧長官公邸も、いまは財務省の管理下にあり宮内庁の管轄ではない。昭和天皇の三女・鷹司和子さん(孝宮)も夫に先立たれ、強盗被害にあった。昭和天皇のはからいで、民間人でありながらも赤坂御用地内の古い木造平屋の乳人官舎に移り住んでいた。「眞子さまの場合も、女性宮家案で出ていたように、宮内庁の特別職につけるなど体裁を整えれば、宮内庁の関連施設に滞在することも可能でしょう」(前出の人物)「異例」と「前代未聞」続きの眞子さまの結婚では、結婚に伴う儀式は行わないとみられる。だが、前出の人物は、宮中三殿で皇室の祖神などに別れを告げる『賢所皇霊殿神殿に謁(えっ)するの儀』と天皇、皇后両陛下に感謝を伝える『朝見の儀』を行わないまま皇室を去ったとすれば、それこそとんでもない、とため息をつく。「漂流する令和皇室の幕開けにならなければよいのですが…」(AERAdot.編集部 永井貴子)

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    21時間前

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    本木雅弘の「推薦」のおかげ? 美波がジョニー・デップ相手役を射止めた訳

     世界を舞台に活躍する俳優・美波さん。映画「MINAMATA」では、米俳優ジョニー・デップの相手役を好演しました。作家の林真理子さんが、大役をつかんだ秘話をうかがいました。 *  *  * 林:ご無沙汰しています。 美波:こちらこそご無沙汰しております。 林:10年ぐらい前、私の小説が原作のドラマ(「下流の宴」)に出ていただいたんですよね。こんなにすごい女優さんになってお会いできてうれしいですよ。 美波:私も、ちゃんとお話できてうれしいです。 林:今度の映画(「MINAMATA‐ミナマタ‐」9月23日全国公開)で、ハリウッドのスーパースター、あのジョニー・デップと共演なさったんですね。水俣の写真で世界的に有名なユージン・スミスの相手役(アイリーン)という大役を務めたわけですが、これはオーディションだったんですか。 美波:オーディションです。私はいま海外を転々とするような生活なんですが、じつは私、去年結婚したんですよ。 林:あ、そうなんですね。 美波:夫はフランス人なんですけど、普段はアメリカのロサンゼルスに住んでいるので、3年前の年末、クリスマスを彼の家族と過ごすためにフランスに行ったんです。そのとき、フランスの空港に着いて飛行機を降りたら、この映画のキャスティングディレクターの奈良橋陽子さんからたくさんのメールが届いていたんです。 林:あの有名な奈良橋さんから。 美波:はい。「オーディションを受けてくれませんか。返事を待ってます」というメールで、すぐ「やります!」ってお返事をしました。その後フランスでオーディションが始まったんです。ですが、アイリーンさんの役だったので、監督のアンドリュー(・レヴィタス)はアメリカ英語をちゃんとしゃべれる人をキャスティングするつもりだったようです。一方で私は、かなりのフレンチなまりの英語なんですよ。 林:そうなんですか。 美波:ですから、監督に「あと20%フレンチなまりを抑えてほしい」と言われても、なかなかできなくて。なおかつ英語でのお芝居は初めてだったから、よくあの英語力で、監督は私を選んでくれたなと思います。それからずっと勉強しているんですけど。 林:奈良橋陽子さんは前からお知り合いだったんですか。 美波:奈良橋さんとは以前、一度オーディションでご一緒しただけなんです。でも、今回は不思議なご縁があってお声かけいただいたんですよ。10年ほど前、「運命の人」という本木雅弘さんが主演のドラマに私も出演したことがあるんです。そして、ちょうど奈良橋さんがアイリーン役を探していたころ、何かの打ち上げのときに、本木さんとお話したそうなんです。本木さんは「運命の人」のことを覚えてくださっていて、「美波ちゃんはどうですか」と言ってくださったんですよ。それで奈良橋さんは私の写真を見て、連絡してくださったんです。 林:すごい話。なんかザワザワしてきちゃった。 美波:だから本木さんには大感謝しています。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 美波(みなみ)/1986年、東京都生まれ。母が日本人、父がフランス人。「バトル・ロワイアル」で映画デビュー以降、舞台「エレンディラ」「ザ・キャラクター」、映画「乱暴と待機」など、舞台、映画、ドラマ、CMで活躍。2014年、文化庁「新進芸術家海外研修制度研修員」に選出され渡仏、ジャック・ルコック国際演劇学校に1年在籍。近年の出演作に映画「Vision」など。9月23日公開の映画「MINAMATA」では、ジョニー・デップ演じる写真家ユージン・スミスの相手役アイリーンを好演している。 >>【ジョニー・デップは「ほんとに気配りが素晴らしくて…」 美波の「共演秘話」】へ続く※週刊朝日  2021年9月24日号より抜粋

    週刊朝日

    17時間前

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    総裁選出馬の高市早苗氏のネット人気が急上昇 「軍師」には安倍前首相、櫻井よしこ氏も

     自民党総裁選が9月17日、告示され、河野太郎ワクチン担当相、岸田文雄前政調会長、高市早苗前総務相、野田聖子幹事長代行の4人が立候補した。女性の候補者が2人というのは、総裁選史上、はじめてのことだ。  当初、下馬評では「大本命」だった河野氏だが、土壇場で野田氏が推薦人をそろえて出馬。総裁レースは混とんとしてきた。 「ネットだけなら、高市氏でしょうね」  こう話すのは、自民党の閣僚経験者だ。出馬表明の動画の再生回数に至っては、岸田氏が3万回、河野氏が22万回のところ、高市氏は211万回と圧倒的な数字だった。(9月15日現在)  総裁選の演説会がテレビなどで放送が始まった17日午後、ツイッターでは「#自民党総裁選」、「#高市早苗さんを支持します」がトレンド入りした。  河野氏のツイッター・フォロワーが242・2万人。安倍晋三前首相の227・9万人を上回り、政治家でもトップクラスだ。総裁選に向けて開設したアカウントでもすでに15・6万人のフォロワーがいる。  一方、ネットでは河野氏に肉薄する高市氏の総裁選用のアカウントは9・3万人のフォロワーだ。高市氏支援の国会議員は分析する。 「高市氏は総裁選の出馬会見なのに靖国神社参拝を断言し、中国との関係に言及するなど保守層に強く訴える戦略です。いわば、安倍政治継承を全面に打ちだした結果、高市人気につながっているのでないか。出陣式でも議員と代理の秘書で90人が集まった。これは議員票が90票という裏付けにもなる」  高市氏も総裁選の推薦人名簿には、古屋圭司衆院議員が選挙責任者、参院議員の山谷えり子氏などが名前を連ねるなど保守色が強いことがうかがえる。また推薦人は清和会から7人、竹下派2人、二階派5人、無派閥6人。安倍氏の清和会だけではなく、幅広く集っていることも、手応えにつながっている。  永田町でも高市氏が本命・河野氏、対抗・岸田氏の間に割って入るのではないのかという見方も広がっている。    その理由の一つがキングメーカー・安倍氏の「暗躍」だ。安倍氏は高市氏が出馬表明すると、そうそうに支援を打ち出すツイートをしている。 <コロナ禍の中、国民の命と生活を守り、経済を活性化する為の具体的な政策を示し、日本の主権は守り抜くとの確固たる決意と、国家観を力強く示した高市早苗候補を支持いたします。世界が注目しています。皆さま宜しくお願い申し上げます>。 「高市氏の評判がけっこういいので、安倍氏は『勝負できる』と言い、上機嫌だ」と清和会の国会議員は話す。しかし、懸念もあるという。 「わざわざ若手議員の携帯電話を鳴らして『高市氏を応援してほしい』と話していた。高市氏のことを思っての行動なのでしょう。しかし、若手議員からすれば、安倍氏から電話がきただけでびっくりする。ある議員は『直接、言われると、何も言えない』と苦悩の表情でした。つまり、プレッシャーととらえられてしまう。その存在がとてつもなく大きい安倍氏が、動くことで、反対に作用する危険性もある。今回、岸田派以外の派閥が基本的に自主投票となっているので、余計にそういう印象を与えてしまう。また高市陣営は出陣式で90人を超す人が集まったが、安倍氏の顔色を見て、駆け付けたという議員や秘書もけっこういると思います」(同前)  総裁選の出陣式では、高市氏は安倍政治とそっくりのフレーズ「日本を守る高市早苗、美しく強く成長する国、日本」と訴え、威勢よく攻める演説だった。総裁選に合わせた新刊本『美しく、強く、成長する国へ』(WAK社)も保守色が濃い。 「安倍氏もさることながら高市氏の思想的なバックボーンは、ジャーナリストの櫻井よしこ氏なんです。櫻井氏は安倍以上に急進的とも言われる伝統的保守論者です。その過激さから高市氏以上にインターネット上の保守層に支持を得ており、その界隈では大きな影響力を持っています。実際、高市氏と櫻井氏は数十年にわたる交流がある。著書でも櫻井氏の思想が色濃く反映されている。櫻井氏が高市政権誕生の暁には、政策ブレーンに就任するとの説も永田町では流れています」(官邸関係者)   今回の総裁選出馬に先立って作成されたポスターも、高市氏と櫻井氏の2連となっている。12月に高市の地元・奈良において二人で街頭トークを行う予定と記されている。 「櫻井氏が主張する夫婦別姓反対、女系天皇断固反対、強硬な対中政策なども含め、高市氏の公約は櫻井氏の思想にシンクロしている。河野氏が賛意を表明した同性婚に至ってはもってのほかという伝統的な家族観を重視する姿勢を共有していますね」(同前)  一方で、もう一人の女性候補、野田氏の訴えは対照的で女性目線を打ち出すような内容だった。 「日本は強い国だけではない。謙虚で誠実で国民からしっかり信頼を得られるよう、寛容で誰もがこの国に生まれてよかった、生きる価値があると思える国にしたい」  前出の高市氏陣営の国会議員がこう話す。 「高市氏が岸田氏や野田氏を支援するリベラル層から票をとるのは無理でしょう。総裁選でトップを走る河野氏から保守を強調して票をとることが得策だ。野田氏より先に出馬表明して準備もしているので、女性の支持も得られるはずです。高市氏の保守を打ち出す作戦でネットでも当たっている。安倍氏も力を入れて支援しているので、突っ走るしかない。一方で、野田氏の政策、語り口のほうが『女性目線でいい』と話す女性党員の声もありますね」  自民党の閣僚経験者はこう語る。 「立候補者が4人になったことで党員票は分散する。河野氏が党員票で圧倒的にリードして勝つというパターンはもはや厳しいと思う。1回目で過半数を誰もとれず、決選投票で河野氏か岸田氏となる可能性が大。党内の大勢は『決戦投票になったら、どっち?』という感じだな。高市氏が2位に食い込めるかは微妙です。総裁選はネットの人気だけでは決まらないからね」  29日の勝者は果たして誰になるのか? (AERAdot.編集部 今西憲之)

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    実は早稲田卒のハリセンボン箕輪はるかが告白 「大学4年間で友達ゼロ」の過去とインテリ芸人ぶらない理由

     細身のシルエットから独特の笑いを生み出すハリセンボンの箕輪はるか(41)。実は意外にも、早稲田大学卒の“インテリ芸人”だ。早大OBには小島よしおやラサール石井をはじめ、クイズ番組で活躍するタレントも多い中、箕輪はクイズ番組への出演機会は少ない印象がある。大学時代のエピソードを披露することも決して多くはないが、一体なぜなのか。本人が早大在学中の過去を語る中で、意外な理由が見えてきた。 ――箕輪さんは早稲田の第二文学部を卒業。難関私大に合格するためには努力も必要だと思いますが、受験勉強は相当されていたのでしょうか。  たぶん直前とかは1日10時間以上やっていたと思います。私は塾には行っていなくて、独自のやり方をしていました。たとえば集中するために、受験前の一カ月間は家から一歩も外に出ないと決めて勉強。受験当日に久しぶりに外に出て、太陽が眩しすぎてくらくらしたので、あまりおすすめはできませんが……。 ――やはり熱心に勉強されていたのですね。早稲田に行きたいというモチベーションはどこから湧いていたのでしょうか。  奨学金が充実していたことが大きかったですが、早稲田に憧れもありました。テレビで見たことのあるキャンパスに自分が行けると思ったらテンションが上がりますし、未来がすごく明るく見えて。学生数も多いですし、友達もたくさんできて楽しく過ごせるのかなという淡い期待がありましたね。 ――実際に進学してみて、思い描いていた大学生活とギャップを感じることはありましたか。  私が見ている風景は、人がいっぱいいてみんな楽しそうで、まさにイメージ通りでした。でも、そこに「自分がこんなにも入れないんだ」っていうギャップがありましたね。どういう入口からあの輪に入ればいいんだろうって……。せっかく志望校に入れたのに、そこで挫折感を味わいました。 ――当時の大学生活を振り返ってみていかがでしたか。  友達がいなくてサークルにも入っていなかったので、ひたすら家と学校の往復でした。授業を一人で受けて、授業が終わったらすぐに帰るみたいな4年間でしたね。  授業が1コマ空いた時は、中央図書館の地下にこもって過ごしました。図書館は一人でいても浮かないので落ち着きましたね。自動書架のスイッチをカチャカチャ押して、書棚を動かすのがすごく楽しくて。それをずっとやってましたね。それを押すことで、私は早稲田のものを動かしているんだ、早稲田に通っているんだという実感を得ていました……。 ――4年間、友達は誰もできなかったのでしょうか。  一人もいなかったですね。授業もずっと一人。一応、授業を取ってる期間だけしゃべる程度の子はいたんですけど、その場限りで。  芸人になった後に、友達がいなかった早大OB同士で対談する企画があったんですけど、対談相手が「友達がいないから『マイルストーン』という雑誌から授業情報を得ていました」と言っていた。早稲田生なら誰でも知っている雑誌らしいんですけど、私はそれすら知らなくて……。「え、マイルストーン知らないんですか」って、友達がいなかった子にも驚かれるくらい。それで、本物の孤独だったんだなと実感しました。 ――図書館以外で、楽しみは見つけられましたか。  徒歩10分ほどある戸山キャンパスから早稲田キャンパスの間を移動するときに、最短ルートを模索していた時期がありました。それで、めちゃくちゃ良いルートを見つけたんです。人通りも少なくて裏道っぽいところで。誰かにおすすめしたかったけど、友達がいなかったので私だけの道みたいにしていました。 ――早稲田はキャンパスも賑わっていますが、一人でいることに孤独は感じていましたか。  寂しいっていう気持ちはありました。皆でわいわいしている中に入りたいなという気持ちはずっとあったんですけど、自分からチャンスを逃してしまった。1年生の時に、上級生からサークルや新勧コンパのお誘いで声をかけられたこともあったんですけど、なんか怖くて……。自分が行って大丈夫なのか、騙されるんじゃないかと思って、勝手に壁を作って飛び込めずにいました。高校の時のようなクラスがないですし、そのままずるずると1年2年が過ぎていって。3年になる頃には、友達を作るのはもう無理なんだなと諦めながら過ごしていました。  マンモス大学で自由だからこそ、友達がいなくてもなんとかなるだろうと甘えてしまった。「人」という宝物が周りにたくさんあったのに、それを手に入れようという気持ちになれなかったのを、今はすごく後悔しています。今の自分だったら、もう一回通って友達作りたいなって思うんです。 ――早大卒業後には、吉本興業のお笑い養成所(東京NSC)に通い始めます。人と関わらなかった生活から一転、人前に立って話をするのはハードルが高そうですが、芸人の道に飛び込んだのはどうしてですか。  誰とも話さない期間が4年も続くと、苦しくなってくる。4年間のうちに鬱屈とした気持ちがガスのようにどんどん溜まっていって、このままじゃいけないよなという焦りが募っていきました。養成所に入る勇気が出たのは、4年間友達がいなくて、人に声をかけることができない自分を変えたい、今までやったことのないところに飛び込みたいという気持ちが大きく膨らんだ結果なんです。今思えば、私にとっては必要な4年間だったのかなと思いますね。 ――養成所では、相方の近藤春菜さんとコンビを結成。春菜さんは社交的で明るいイメージがありますが、当時、気後れすることはありましたか。  当時の春菜は今のイメージとはちょっと違っていて、けっこう暗い感じの子だったんです。会った当時は、自分と似ているタイプの子なんじゃないかと思っていたぐらいで。春菜も短大時代、学校と家の往復だけだったと言っていて、キャンパスライフが充実していたようなエピソードを聞いたことがないので、私とあまり変わらなかったのかも。コンビを組んでからは、私とは正反対の方向にいったんですけどね。 ――クイズ番組などで早大卒をウリにしている芸人やタレントも多くいる中で、箕輪さんはあまり出身大学をプッシュしてこなかった印象があります。  そうですね、あまり知られてはいないと思います。積極的に押し出していたってわけでもないんですけど、特に隠していたわけでもなくて……。早稲田らしいことをやっていたり、友達がいたりすれば、もっと大学時代のエピソードトークができたのかもしれないですけど、ほんとになくて……。人と関わらない分、感情と結びついている記憶がほとんどないので、当時の記憶も薄いんです。もったいないですよね。 ――クイズ番組への出演機会も多くはない印象です。クイズの仕事を断っているわけではなく……?  全然、断っていたわけではないんです……。エピソードを出せなくて、私の芸人としてのイメージと早稲田卒のイメージが結びつかないから、あまり指名されなかったのかも。過去には呼んでいただいたのに、スケジュールの折り合いがつかないこともありました。自分としては、クイズ番組のようなお仕事をいただけるならありがたいですし、仲間に入れてもらえるなら出たいです……! ――コロナ禍になって授業やサークルが思うようにできず、孤独な状況の学生も増えているようです。4年間一人の大学時代を送ってきた箕輪さんだからこそ、響くエールもありそうです。  私の場合はキャンパスに通えていたのに自分のせいで孤独だっただけですが、今は学生自身のせいじゃなく「孤独にさせられている状態」。本当に気の毒だと思いますし、私の状況とは比べものにならない。  今はたぶんやれることがなくて、すごくフラストレーションがたまる状態だと思うんです。でも、いつか人に会えるようになった時に、「こんなことをやりたい」「こんなことがやれそう」みたいなアイデアが出てくるように、今はエネルギーを貯める時間だと思ってほしいです。  私個人の一例ですが、孤独な4年間があって、変わらなきゃという気持ちでい続けたことで、養成所に入る勇気が出た。あの時間は無駄にはなっていないし、芸人になるために必要な4年間だったんです。そして養成所に入ったことで、はるなという人生で一番ラッキーな出会いができた。長い人生の中で、これからいろんなチャンスがあると思う。今はなかなか前向きになれない時間だと思うんですけど、気持ちをなえさせずに、未来に希望を持っていてほしいです。   それに、自分の中でちょっとした楽しみを見つけて、人に合わせずに過ごした時間も案外よかった。大学時代に一人で行動することの楽しさを見つけたおかげで、その後の人生でも一人旅とかを楽しめるようになった。一人で何かできるということを、なんとか楽しさに変えてほしいなと思います。(構成/AERA dot.編集部・飯塚大和)

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    18時間前

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    【現地ルポ】政治家・河野太郎が守ろうとしたもの 地元支援者が語る「脱原発封印の瞬間」と「キレる理由」

     混戦模様の自民党総裁選だが、世論調査で国民からの支持が高いのは河野太郎行政改革担当相(58)だ。【前編 河野太郎の旧友が語る「歌いっぷり」から「夫婦秘話」まで 新総裁本命候補が地元で見せた素顔】では幼少期~社会人になるまでの河野氏の人物像に迫ったが、今回は政治家になって以降の人生を追った。地元での振る舞いを知る人たちからは、永田町で語られる河野氏の印象とはまた違った一面が語られた。 *  *  * 河野氏が初めて衆院選に立候補したのは1996年。それまでの中選挙区制に代わり、小選挙区比例代表並立制が導入された最初の衆院選だった。選挙制度の変更により、父親の洋平氏の選挙区が分割されたため、河野氏は神奈川15区から自民党公認で立候補し、見事に当選。33歳のときだった。  河野氏が政治家になる前から交流がある平塚市の片倉章博市議は、初出馬までの経緯をこう振り返る。 「河野が31歳くらいの時、平塚青年会議所(平塚JC)に入って来たんです。ちょうど(富士ゼロックスから)日本端子に転職した後くらいです。私はすでに平塚JCに入っていましたが、同じ年齢だし、前から知っていたこともあって、より深くつきあうようになった。この平塚JCで知り合った仲間たちが、河野の選挙の支持基盤になったんです」  河野氏とは30年来の付き合いだという平塚商工会議所の常磐卓嗣会頭は、若き日の河野氏の姿をこう話す。 「地元の食事会にも顔を出して、当選1期目の時からみんなの前で『将来は総理を目指す』と言っていました。河野さんはお酒を全く飲まず、だいたいはウーロン茶なんですけど、七夕祭りとか地元のイベントにもよく顔を出していました。女性から人気も高かったですね」  河野氏は祖父、父と3代続く政界のサラブレッドゆえに、選挙では先代から受け継いだ「地盤・看板」の力も大きかっただろう。だが、河野氏自らも地元では人脈作りに励み、選挙の基盤を作っていたようだ。片倉氏が続ける。 「彼が2期目くらいの時、車の中で『河野、大臣だったら何になりたいのよ』と聞いたら『やるなら外務大臣をやりたい』と言っていましたね。2009年に自民党が下野した後も、シャドウ・キャビネットで行政改革・公務員制度改革担当大臣としてがんばっていた。でも、われわれは河野を応援しているから、いつ本当の大臣になれるのかと思っているわけですよ。2015年10月に行革担当大臣に選ばれる直前くらいかな、河野と2人で『核のごみ』について議論したことがあります。私は『脱原発を封印しろとは思わない、でも、大臣になるなら、ちゃんと説明できなきゃダメだ』と言うと、彼は『何で』と聞いてくるわけです。だから私は『これからの日本でエネルギーがなければ産業は進展しない。閣外からほえているのと、国務大臣になるのとではわけが違う』という話をしました。その後、彼はブログから脱原発に関する記述を消したんです。本気になったと思いました」  それから約2年後。2017年8月の第3次安倍第3次改造内閣で、河野氏は大きな飛躍を遂げることになる。外務大臣に抜擢されたのだ。 「ちょうどその日は地元であいさつ回りをしていて、大磯の鳥料理屋でランチを食べながら 『大臣を取りにいこう』という話をしていたとき、安倍さんから閣僚就任の電話があった。だから、私は『ほらみろ』って言ったんです」  こうして、政治家として権力の中枢に入っていくことになった河野氏だったが、若手の頃には、後の政治信条である「突破力」を発揮した大きな経験をしている。  Jリーグに所属する「湘南ベルマーレ」の経営再建である。1999年から同チームの代表取締役会長を務め、地元クラブの再建に尽力したのである。  同チームの前身は、元日本代表の中田英寿氏ら名選手を輩出してきた「ベルマーレ平塚」だ。だが、99年にメインスポンサーだった大手ゼネコンのフジタが経営不振に陥り、クラブ運営から撤退することになる。大幅な予算縮小により、主力選手の放出を余儀なくされる中で戦った99年のシーズンは最下位に終わり、J2への降格が決定した。経営的にも戦力的にも、クラブは存続の危機に立たされていた。そんな中、白羽の矢が立ったのが、地元選出の衆院議員の河野太郎氏だったのだ。  河野氏とともにクラブ再建を担い、湘南ベルマーレの代表取締役会長を務める眞壁潔氏は当時の状況をこう話す。 「当時、ベルマーレの資本金は2億4100万円でしたが、クラブ経営には毎年最低でも4~5億円かかる。当時のJリーグでは1年で億単位の赤字が見込まれ、このままでは、翌年にもクラブ解散かという危機的状況でした。それでも太郎は『1度つぶれたら、復活するのは難しい。地元のチームをつぶしたくない』と必死の思いで、ベルマーレを救うために駆けずり回ったんです」  河野氏から眞壁氏にベルマーレ再建について協力を求める声があったのは、1999年10月上旬だという。それはあまりにも突然の電話だった。 「ここが彼が奇人、変人と言われるところだと思うんですけど、私は仕事で香港にいたんですが、夕方頃、日本から電話がかかってきたんです。何だろうと思ったら、甲高い声で『太郎です』と言うわけですよ。彼は電話で『川淵三郎チェアマン(当時)が、ベルマーレの存続を心配してくださっているけど、存続なら10月末までに決められないと、来年のカレンダーの調整ができないし、放映権も進まないと言われている。残り3週間しかない。川淵さんには、今日、平塚市長、商工会議所会頭と相談して代表は受けるけど、私一人じゃやり切れないから眞壁と一緒にやりますと答えた』と勝手に話を始めたのです」  一方的に電話でまくしたてられた眞壁氏はあぜんとした。 「そんな大事なこと、先に私に相談するのが普通でしょう。完全に事後報告なんだもの。時間もないし、引き受けることにしたけど、太郎は『明日、帰国する?』とせかすんです。『今日着いたばかりで仕事がある。これから中国の厦門(あもい)にも行くので帰国は4日後になる』と断ると、太郎はしぶしぶ『しょうがない、待ちます』と言ってたけどね。私には笑い話だけど、初めての人はカチンと来るかもしれない。彼は根回しとかあんまり好きじゃないんですね。その代わり、スピード感を持って、やると決めたらどこまでも行動する人なんです」  経済的に逼迫していたこともあり、クラブ再建には時間が限られていた。当然、対外的な交渉もハードなになるが、そこでは河野氏の“熱さ”が発揮されていたという。 「太郎はフジタの幹部とも、よく大声で言い合いになっていた。太郎としては、フジタ側は経営を放り出して撤退するんだから、社員は1人もいらないと言う。それに対して、フジタ側は『経験者を何人か置いていった方がいいだろう』という主張。太郎は『いや、いりません』とガンとして受けつけないから、フジタ側も『そうですか、1人もいらないんですか。けっこうです』とやりあっていたわけなんです。結局、私が意思のある人との面接をセットして、太郎の前で残りたい社員たち一人一人に思いを語ってもらったら、太郎はこの人もあの人も必要だと言って結構な人数を残しました」  河野氏の性格について、眞壁氏はこう続ける。 「太郎はすぐに怒鳴るとかキレやすいんじゃなくて、適当にごまかそうとする人や、やったフリをする人、うまく乗り切ろうとする人が大嫌いなんです。議論をしたら面倒なことになるかもしれないけど、そこを避けて通ろうとはしないんですよ。声が甲高いから、熱が入ると怒鳴っているように聞こえちゃう。私とも何度も熱い議論になったことがありますよ」  結果、河野氏はベルマーレを小田原市や茅ケ崎市、厚木市なども含めた湘南地域をホームタウンとするチームに再編。新たに「湘南ベルマーレ」として再出発させた。1999年から2002年まで湘南ベルマーレの会長として汗をかき、以後は眞壁氏に引き継いだ。  湘南ベルマーレの経営から離れた後は、政治家として出世街道を歩み、外務大臣や防衛大臣を歴任するなどキャリアを重ねた。だが、私生活は一向に変わることなく、地味なままだったという。 「昨年、金の時計をしていると騒がれたけど、実際は竹で作った時計が反射して光っていただけです。車は国産エコカーばかりだし、高級品には興味がないみたいですね。自慢の一品は、ソーラー板がついている変わり種のリュックサックくらい。酒はワインも含めてまったく飲めないので、スナックへも行かないし、本当に政治が趣味の人ですね」(眞壁氏)  今回の総裁選出馬について、眞壁氏はベルマーレの再建と重ね合わせてこう話す。 「太郎は英語が堪能だから、世界とのパイプがある。ペンタゴンに大学時代の旧友がいて携帯で話ができるし、中東にもヨーロッパにも人脈がある。太郎みたいな政治家は今後、日本に現れないと思います。総裁選はどうなるかわからないけれど、頭を取らないと何もできない。ベルマーレを立て直した時のように、嫌なことにもぶつかっても、きっと日本に必要な政治をやってくれるはずです。次の世代のために、日本が沈没してしまわないように、頑張ってほしい」  総理になれない一族、と言われ続けた河野家。河野太郎という3代目がそのジンクスを破るか否か、地元支援者たちも固唾をのんで見守っている。(AERA dot.編集部・上田耕司)

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    19時間前

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    「本音が言えない」HSPさんが本音を言えるようになる“過去の手放し方”

     近年注目を集めるHSP(Highly Sensitive Person=とても敏感な人)さん。共感力が高く、刺激を受け取りやすいという性質を持っています。インスタグラムフォロワー14万人を突破する人気HSPアドバイザーのゆりかさんが、繊細な人たちが生きやすくなるヒントを紹介します。「本音を言おうとすると涙が出てくる」というあなたへ。ゆりか著『本音を言おうとすると涙が出てくる』から一部を抜粋・再構成して掲載します。*  *  *■本音が言えなかった会社員時代 抑えていた気持ちを言おうとすると、感情があふれ出してきて、涙が出てしまうHSPさん。 かくいう私自身も会社員時代に、「本音を言おうとすると涙が出てくる」という経験をしました。 新入社員時代に、ちょっぴり厳しい先輩のもとで、怒られないようにビクビクしながら仕事をしていました。 そしていざ、ミスをして指摘を受けたとき本音では、「理不尽じゃないかな」「しんどいな」と思っている自分もいることに気づいていました。 けれども、「怒られるのはありがたいこと」と自分に言い聞かせ、「悲しかった気持ち」や「理不尽に感じた気持ち」は抑え込んでいたのです。 でもあるとき、その様子を見ていたパートの方から、こんな一言をかけられました。「ずいぶん厳しくされているみたいだけど、大丈夫?」 この言葉を聞いた瞬間に、涙で目の前がかすみました。「つらい」という本心を言ったら、涙があふれ出してしまう自分の姿が想像できました。 なので、「大丈夫です」と答えるのが精一杯でした。 その後も、周りから心配の声をかけてもらったにもかかわらず、「泣くのは恥ずかしいことだ」「ダメなことだ」と思って、本心を言うことはできませんでした。■自分の気持ちに嘘はつかない そんな私も退職を決意したときに、やっとつらかった本心を打ち明けることができたのでした。 そのときに上司から言われた言葉にハッとしました。 「もっと早く言ってくれたらよかったのに」 そこで初めて、周りの人は受け入れてくれる姿勢ができていたのに、周りを全く信用できていなかったのは自分だったということに気づいたのです。 そのときに心に決めました。「もう、自分の気持ちに嘘はつかない!」ということを。■新しい自分になって、「成功体験」を積もう! なぜ、HSPさんは自分の気持ちを抑え込んで、本音を言うことができなくなってしまうのでしょうか? それは敏感なゆえに、「刺激を受けないようにしよう」とするからです。 例えば、子供の頃に無邪気に本音を言ったら、お父さんから怒鳴られてしまった経験があるとしましょう。そのときに、「自分が思っていることを素直に表現すると、怖い思いをするんだな」と学習します。そして、「相手が喜ぶようなことだけを言おう」「怒られないように本音は言わないようにしよう」と決意します(どんな決意をするかは、その子の個性が出ます)。 こういった、幼い頃に無意識に決意したことを、「幼児決断」といいます。 私たちにはそれぞれ、自分が生き残っていくためにとった「戦略」があるのです。でも、大人になってからも同じ戦略のままだと、生きづらくなってしまうことがあります(もちろん、幸せに生きていくために好ましい戦略もあります)。■過去の自分を手放す 子供の頃にした決意を、今のあなたが幸せになるように、新たに決意しなおしていきましょう。誰でもできる簡単な方法を紹介します。1.「本音を言うと、◯◯になる」と紙に書き出す(例:本音を言うと嫌われる、怒られる、攻撃される、誰かを傷つける)時間はかけず、思いついたことをサクサクと書いていきます。2.「それはどうして?」「何がきっかけで?」と深掘りしていく (例:本音を言うと嫌われる → 小学生のとき、友達に嫌われたから)3.書き出した紙をビリビリと破って捨てて、これまでの信念を手放す 4.別の紙に、本音を言うことによるメリットを思いつく限り書き出す(例:自分と気が合わない人は離れていき、好きな人と付き合えるようになる。自分らしくいられるようになる)5.自分の好ましい未来をイメージした新しい信念を書き出す(例:本音を言うと私はますます愛される。私は本心を伝えられるようになる)「~である」「~になっている」など、断定形で書き出すことが大切です。また「本音を抑えないようになっている」といった否定語ではなく、「本音を言えるようになっている」といった肯定的な表現で書きましょう。6.「私は」を主語にして、小さな成功体験を積んでいく ここまでくると、本音を言うことに対しての抵抗がかなり少なくなっているはずです。「私はこう思います」「私はこう感じました」という気持ちを相手に伝えていきます。 このときに注意するポイントは、「相手はきっとこう返してくれるだろう」という期待はしないということです。 どのように反応するかは、相手が決めるもの。「自分の気持ちを言えた!」という、あなた自身ができた行動に、目を向けていってください。「できたじゃん!」「すごい!」と自分のことを認めていると、いつの間にかあなたの本心を受け止めてくれる人に囲まれていきます。

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    高市氏でも野田氏でもシラける女の総裁選の闘い 直木賞作家・中島京子、望月衣塑子記者

     ポスト菅をめぐる自民党総裁選(17日告示、29日投開票)は、今後予想される女性の戦いにも注目が集まっている。岸田文雄前政調会長に続き、高市早苗前総務相が正式に出馬表明し、野田聖子幹事長代行は推薦人確保に奔走中と報じられている。「日本初の女性首相誕生か」と前のめりに報じられるが、ちょっと待って、高市総理? 野田総理? 女の総裁選バトルにモノ申す!*  *  *「憧れの人は元英首相のサッチャー」 高市氏は野心を隠すことなく、このように明言してきた。いま総理の椅子に最も近づいている女性かもしれない。 これまで、自民党の総裁選に出馬した女性はただ一人。小池百合子現東京都知事が2008年に立候補した。そもそも立候補には、国会議員の20人の推薦が必要で、女性にとっては高いハードルだった。今回、高市氏は早々に推薦人確保のメドがたち、世間の人気が高いといわれる河野太郎氏よりも早く正式に立候補を表明。野田氏も意欲を示していることから、注目を浴びている。 東京新聞の望月衣塑子記者が解説する。「自民党の若手議員を中心に“菅さんじゃ選挙は勝てない”という空気があった。菅降ろしと連動して“顔”を選ぶにあたって、今の時代、女性を打ち出した方がいいという流れはあった」 それでいち早く出てきたのが高市氏だったので、望月記者は驚いたという。「ビックリしたというよりは、がっかりです。同じ女性として応援は……。高市氏は女性の代弁者かというと、女性のお面をかぶった古い男性といいますか、男尊女卑ともとらえられる発言が目立ちますから」 似たような感想をもつ女性は少なくない。直木賞作家の中島京子さんも指摘する。「あからさまに男尊女卑的な態度や政策を取り続ける自民党ですら、体面上は、女性候補を出さなければならない時代になったということでしょう。しかし、総裁選は所詮、自民党内の派閥争いでしかない。茶番に近い候補者乱立が予想される中、ことさら“女性”だからと出馬に意味があるように捉えられること自体に違和感を覚えます」 とはいえ、総裁選の候補者として出る限りは、国政に対する自身の考えや具体的な政策を国民に説明して当たり前。高市氏が出馬会見で打ち出したのが、経済政策「サナエノミクス」で、「3本の矢」として「金融緩和」「緊急時の機動的な財政出動」「大胆な危機管理投資と成長投資」を掲げた。「サナエノミクス、ですか? ネーミングからしても、有権者をバカにしているのかなぁと感じました」(中島さん) 高市氏の政策はどこか既視感があるが、サナエノミクスは、安倍晋三前首相が掲げた「アベノミクス」路線を引き継ぐものだからだ。これに対して、望月記者も「安倍政権の上書き」としてこう言う。「せっかく女性が主導的立場になろうと出てきたのに、女性ならではの視点で練り上げた政策は一切出てこなかった。サナエノミクスは基本、新しいものはなく、安倍さんの政策を踏襲、一部を更新し、ネット民に受けるよう過激化させただけ。」 高市氏の政策から読み取れるものは結局、「安倍さんへの忖度」(望月記者)だったという。「安倍崇拝ともいえる状況が、綿々と続いている。高市氏だけではありません。河野氏は、本心としては脱原発だと思いますが、出馬前に安倍氏に会って再稼働しますと約束しました。男も女も安倍氏への過剰な配慮です。その裏には何があるのでしょうか。安倍氏が実質取り仕切る、最大派閥の細田派の票の取り込みは、勝敗をわける鍵なのでしょうが、女性なら空気が変わるかといえば、これではクリーンな政治は望めません」(望月記者) 一方の野田氏は、まだ正式に出馬表明はしていない。以前から政策の基本方針としては、「自分のことだけでなく、女性や高齢者、障害者をはじめ全ての国民、全ての地方が活躍できる制度を構築する『やさしさ』をもつ」ことを掲げている。障害のある子どもを育てる母親でもあり、野田氏の政治姿勢は自民党内ではリベラル寄りだ。 望月記者は野田氏をそれなりに評価しているという。「野田氏は自民党の幹事長代行で、大臣も何度か経験している。与党の動きもわかっている。フランクで話しやすい人柄で、官僚たちにも野田ファンは多いのです。軸が見えないところがあるけれども、理想や理念だけでは政治は動かせないから、官僚のアイデアを入れながら、どのように政治主導していくか。野田氏くらいの女性のベテランが一番いいのだろうなとは思います」(望月記者) 人柄と政治手腕はある程度評価されている野田氏。ただ、能力や適性があるからといって、総裁選に出られるわけではない。今、野田氏の足を引っ張るのが夫の疑惑だ。出馬も難しいという声も漏れる。「野田氏イコール夫ではないわけで……。たとえば、夫婦別姓が進んでいるフランスならば、夫がどうであろうが妻は別人格ととらえられるでしょう。個が確立して、認められている社会ならば、野田氏の夫の件も切り離して考えられると思いますが、日本は夫婦が一体に見られてしまう。男性総裁候補者で妻に何か懸念点があるという逆バージョンだったら、ここまで焦点になるかは疑問です。あくまでも、政治家の世界においてですが、日本で生き残るには小池百合子都知事のように独身を貫くしかないのかもしれません」(望月記者) 背後に安倍氏が見え隠れする高市氏、脛に傷を抱えているような野田氏だが、中島さんは高市総理も野田総理もあり得ないと話す。「高市さんも野田さんも総理総裁にはならないと思います。高市さんは安倍元首相の極端な思想をそっくり持っている人物なので、“名誉男性”的なポジションなのではないでしょうか。たとえると、性別が女性の“おっさん”。野田さんは自民党内ではリベラルを標榜してきた人ですが、“女性はうそをつく”発言の杉田水脈議員の辞職を求める署名を受け取らなかった。大事なところで腰の引けた態度しかとれなかったのが残念です」(中島さん) 最後に、高市氏や野田氏以外で、総理の器があると思える女性議員の名前を挙げてもらった。「女性首相第1号に推すなら、福島瑞穂さん。野党が合意した政策はしっかりしたもので、福島さんなら実現してくれると思うし、この10年の不正をただし、まっとうな政治をやってくれると思います」(中島さん) 一方、望月記者はこう見る。「前男女共同参画担当相の橋本聖子さんは、ジェンダー平等を訴える若手の女性起業家や学生らに一目置かれていました。でも、総裁選には名前が出てこないのです。総裁選に出るような女性議員は、自民党内でキワモノ扱いをされている感も否めない。女性として生きてきた実感から、今の日本の社会を変えていかなければならないという志のある人物ではないのです。一般の女性たちの多くが感じるような疑問を政治でなんとか解決したいという人は総裁選には出ない。そこが日本の限界なのかもしれません。今回の総裁選は女性からするとシラケてしまいますね」(望月記者) 典型的な男社会と言われる政治の世界だが、2人の女性総裁選候補の動きで空気は変わるのか――。(AERAdot.編集部 太田裕子)

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    眞子さまが選んだアメリカへの“駆け落ち婚”の先にある「パパラッチ」と「生活費」の不安

     9月1日、秋篠宮家の長女である眞子さま(29)と小室圭さん(29)が年内にも結婚される方向で調整されていると報じられた。 お二人が婚約内定の記者会見をされた2017年9月から4年。小室さんの母親・佳代さんと元婚約者の間で「金銭トラブル」が報じられたことで延期になっていたが、正式な婚約となる皇室行事「納采の儀」や結婚に関連する儀式を行わずに、婚姻届を提出するということになるという。「儀式を行わずに結婚されれば、戦後の皇室では初めてのこと。眞子さまは、結婚により皇籍を離れ、結婚後は小室さんが滞在するアメリカで生活される見通しだといいますが、昨年、秋篠宮さまが示した『多くの人が納得し、喜んでくれる状況』からは程遠く、金銭問題も未解決のまま。まるで“駆け落ち婚”のようです」(皇室記者) 秋篠宮さまは昨年「憲法にも、結婚は両性の合意のみに基づくというのがあります」と結婚を認めるお考えを示されていたが、確かに女性皇族である眞子さまは、法的には当事者だけの合意のみで結婚できる。 さらに皇室を離れる際に支給される一時金(上限約1億5000万円)については受け取りを辞退する意向とも伝えられ、結婚後は小室さんが暮らす米国での生活を視野に入れているという。「昨年の秋頃から、眞子さまが30歳を迎える今年中には結婚される可能性が高いと皇室関係者の間では言われ続けていました。小室さんは今年5月に米ニューヨーク州のロースクールを卒業、7月に司法試験を受験し、12月中旬までには合否が判明します。米国では卒業時にはほとんどの学生が就職の内定をもらっていますから、小室さんもすでに就職の道筋はついているのでしょう。結婚後の生活基盤もできたことで、眞子さまとの新生活をスタートする準備が整った段階で婚姻届を提出するという流れは、おそらくお二人の計画だったと思います」(同) お二人が海外で生活をすると決めた背景には、これまでのようにマスコミに追われることなく静かに暮らしたいというお気持ちもあったのかもしれない。だが「メディアから解放されるどころか、もっと追われる可能性が高い」と話すのは皇室ジャーナリストだ。「小室さんが留学した時の紹介文に『プリンセス・マコのフィアンセ』という文言があったように、眞子さまが皇室を離れたとしても、皇族であったこと、将来の天皇陛下の姉にあたるという事実は変わりません。イギリス王室から離れたとしてもヘンリー王子とメーガン妃が王室の一員であったということに変わりはないのと同じです。まして、皇室行事などをせずに“駆け落ち”同然で結婚したとなれば、日本のメディアはアメリカまで追いかけていくでしょうし、アメリカのパパラッチも狙ってくるでしょう」(同前) また、皇籍離脱をしても、一般人と同じセキュリティーというわけにはいかないのでは、と話すのは海外在住のジャーナリストだ。「警備に関しては日本にいる時のように、税金で警備はしてもらえません。現地の大使館や領事館を通じて現地の市警とも密に連絡を取らなければなりません。仮にパパラッチに付きまとわれて、事故などが起きた場合は外交問題にまで及ぶ可能性もありますから、警備は重要になります。しかも、警備費はほとんどが自費で賄うことになるでしょうし、日本の警備費の何倍もの高額です。一時金でも足りないぐらいの費用になるでしょう。小室さんは、就職が内定していても初任給は1500万円とも2000万円ともいわれますが、ニューヨークで暮らす場合、東京よりも物価も家賃も高く、保険はさらに高額になります。小室さんの給料だけでは、ギリギリなのではないでしょうか」 愛さえあれば、2人でいれば、どんな困難も乗り越えられる……という純愛を貫いて結婚を待ち望んでいた眞子さまだが、結婚後はまた別の懸念材料が増えることになりそうだ。(緒方博子)

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    眞子さまの結婚は内部崩壊のアラート「皇室は逃げだしたい場所なのか」小田部雄次氏

     秋篠宮家の長女、眞子さま(29)が、婚約が内定していた小室圭さんと年内に結婚する方向で宮内庁が調整している。結婚関連の儀式は行われない見通しで、眞子さまは一時金も辞退する意向だという。小室家の金銭トラブルが報じられて以降、国民の反発は続いている。皇室制度に詳しい小田部雄次・静岡福祉大学名誉教授は、皇室崩壊の予兆だと指摘する。*     *  *「眞子さまが気持ちを貫いた」と言えば美しいのですが、国民の声を無視したというのが実態です。  「金銭トラブル」について解決金を提案しておきながら放り出したままなのは、小室さんも眞子さまも、そして秋篠宮さまもこれ以上の説明は出来ないと考えているからではないのでしょうか。 確かに皇族であれ市民であれ、結婚相手を決めるのは本人の権利です。 ただし報道を見る限り、小室さんと母の佳代さんには、問題を感じる行動が多い。お金を借りた恩人に対する態度や、佳代さんの疑惑などもいろいろと報じられています。内親王の結婚によって皇室が、疑義の念を抱かれる相手やその家族と親族になるわけです。  秋篠宮さまの会見でのご発言を見ると、納采の儀は家と家の儀式だから行わない。一方で、結婚は眞子さま個人の権利だから自由だ、とお考えのようです。 しかし、眞子さまおひとりで結婚の手続きが完了するわけではありません。小室さんが金銭トラブルについて文書を発表させるために宮内庁トップである西村泰彦長官が自ら動き、皇嗣職大夫が記者たちへの説明に奔走させられました。西村長官は、第90代警視総監と第19代内閣危機管理監を歴任した人 物です。さらに9月1日の「年内結婚」報道を受けて。加藤勝信官房長官までが、記者会見で見解を求められています。結婚関連の儀式はしないといっても、眞子さまが皇統譜から離れたことを記載するのは長官の役目です。 眞子さまの結婚には、それなりの 立場にある人物が、好むと好まざるとに関わらず巻き込まれています。そしてご本人のみならず役人が動く財源は税金です。ご本人の意思は尊重されるべきですが、民間のお金持ちのお嬢さまが好きに恋愛して結婚するのとは、まったく異なる話です。 新型コロナの感染拡大が続いていた昨年11月に眞子さまは、「結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」というお気持ちを公表しました。 世界中で、そして国内でどれほど多くの人びとが新型コロナで命を落としたでしょうか。経済的に追い詰められて自ら道を絶った人もいます。そうした状況のなかで、「生きてゆくために」といった脅し文句を、皇族が口にすべきではなかったと、今でも思います。 結婚を進める理由について、米国で小室さんの就職先が決まり、生活基盤が整ったからと報道されました。しかし物価の高いNYで、眞子さまの一時金もなく、新人弁護士と元内親王が暮らして行けるかは、はなはだ疑問です。 秋篠宮家かもしくは皇室と人脈のある筋の援助がなければ、生活は難しいだろうと国民は、みな感じています。皇室を出て結婚したいと主張する一方で、皇族の特権は享受したいといのは、ものすごいエゴイズムです。 日本は、皇室メンバーが築き上げた王政国家ではありません。 国民を説得しきれないとなったら、結婚を強引に進めて外国に逃げ出す。眞子さまの結婚問題で、皇室が国民と築き上げてきた信頼関係を壊したことは間違いありません。 一部のマスコミやテレビ番組では、「眞子さまは思いを遂げて結婚」という美しい言葉でこの騒動を飾っています。宮内庁も、眞子さまと小室さんは、戦略通り上手くやったと思っているかもしれない。  しかし、 国民は、今回の結婚について止める力はありません。複雑な思いで耐え忍ぶだけです。眞子さまと小室さんの「勝利」は、国民に疑念と禍根を残すでしょう。 いま議論されている「女性宮家」や「皇女」制度への影響も少なからず出るはずです。秋篠宮家の次女である佳子さまのみならず、将来の天皇となる悠仁さまへの評価にもつながってくるでしょう。眞子さまの今回の騒動を見てもなお、皇族と結婚したいと考えるお相手がいるのでしょうか。 眞子さまの結婚騒動で国民がおぼろげに感じたのは、皇室ならびに皇室制度のほころびです。「眞子さまが思いを遂げた」というよりも、「皇室は、ここまでして逃げ出したい場所なのか」という印象を抱いた国民も少なくありません。  だとすれば、この結婚問題は、「眞子さまアラート(警報)であり、皇室の内部崩壊を示唆しているのではないか、とさえ感じました。(聞き手/AERAdot.編集部 永井貴子)

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    高市早苗は総裁になれるのか? 女性政治家が走る三つの「出世道」

     自民党総裁選に名乗りを上げた高市早苗氏。女性の候補者が出たのは10年以上前の小池百合子氏以来だ。地方議会で高まる女性に期待するという機運が、高市氏の出馬の背景にあるのではと、超党派の「政治分野における女性の参画と活躍を推進する議員連盟」会長の中川正春元文部科学相は指摘する。  とはいえ、現状、政党の意識が変わっているとはいいがたい。  候補者の一定割合を女性に割り当てる「クオータ制」推進を訴える稲田朋美元防衛相はこう話す。 「日本の衆院議員のうち女性は約1割。自民党所属の衆院議員に限ると7%ほどとさらに下がります。自民党内には『政治は男性がやるもの』という意識がなお強い」  事実、クオータ制はなかなか実現しない。その理由について、中川氏は嘆息する。 「特に自民党の中に強力に反対する核になるグループがあって、女性議員にもクオータ制反対が少なからずいる。これまで男性と張り合い、自分の力で当選してきたのに、特別枠を設けたら自身の格が下がる、というような不平等感を感じるようです。そういう人たちを説得していくのはなかなか大変なんです」  国際的な議員交流団体「列国議会同盟」が3月にまとめた報告書によれば、日本の国会(衆院)で女性議員が占める割合は、データのある190カ国中、166位。主要7カ国(G7)で最下位だ。地方もいまだ例外ではなく、女性議員の割合は低い。 「女性が政治家として活躍していける環境が十分でない。さらに、女性が『政治家になりたい』と思えるようなロールモデルが見当たらないことも割合が増えない一因だと考えています」(稲田氏)  では、高市氏がそのロールモデルになれるのだろうか。三重大学の岩本美砂子教授(政治学)が解説する。 「高市さんはクオータ制について、女性に特別枠を与えて、げたをはかせるのは逆差別じゃないか、と反対していますし、夫婦別姓にも同性婚にも反対している。根本がアンチフェミニズム。旧来の保守的で男性支配の自民党に対して、操正しい。自身の信条に確信が強い“確信保守”なのです」  ジャーナリストの田原総一朗氏は自民党の特性についてこう指摘する。 「自民党の女性国会議員が偉くなろうとすると、ジェンダーギャップを認めないとなれない。ギャップがあることが大前提で、反対だと言えば基本的に党の役員とか大臣にはなれない。だから、自民党の女性議員には保守的な発言をする人が多くなりがち」  むしろそうした女性議員が、特に安倍前政権下では重用された。 「高市さん始め、山谷えり子議員、有村治子議員、最近は少し変わったが稲田議員ら、自民党のセンターよりも“右側”の女性を重用しました。そうした人物に男女共同参画担当大臣を任せるなど、いびつな構造でした。本来、適しているはずの野田聖子さんは、リベラルでフェミニストであるせいで党内で浮いてしまっている」(岩本教授) 後ろ盾ないとき真価が問われる  岩本教授は著書『百合子とたか子 女性政治リーダーの運命』のなかで、ノルウェーの心理学者トリルド・スカアードの調査をもとに、女性が国のトップになるためには三つの道があると指摘している。 (1)権力の座にある家族から世襲する「家族代替型」 (2)政党を通じて権力の地位に就く「政党インサイダー型」 (3)非政府組織や草の根の職業、活動を基礎として権力の地位を手に入れる「アウトサイダー型」  現役の女性議員で言えば、(1)は野田氏や小渕優子氏ら、小池氏は(3)に該当する。高市氏も(3)だ。  そして、女性トップは三つにカテゴライズできると記す。 [1]男性支配政治の規範や価値に合致し、男性と同じように振る舞う。女性の問題にはあまり関わらない。 [2]女性と男性の利益に妥協点を見いだし、現実問題として解決を図る。「女性」でなく「政治家」であることを強調する。 [3]男性中心の政治に挑み、女性政策を推進しようとする。  ここでは高市氏は[1]に該当するのだろう。このカテゴリーは女性同士の連帯を望めず、ライバルである男性議員とも親しくできないというもろ刃の剣だ。  元自民党国会議員で閣僚経験のある男性は高市氏について、 「私が見ていた限りでは、彼女は党内での友人、仲間というのは少ない。安倍さんが支持したとはいえ、細田派内をまとめるなんてことなどできないよ。彼の本命は岸田氏だろうし。彼女への支持は党内全体でも20~30%いけばいいくらいだろう」  と話す。「高市首相」が実現する可能性について聞くと、 「ゼロでしょ。まず本当に総裁になろうとしたら、何年もかけて準備していくもの。結局はそうやって、いわゆる党内基盤を固めて、支持をとりつけていかないと難しい」と語った。  つまり、高市氏はまだスタートラインに立っただけで、真価が問われるのはここからという見方だ。高市氏は憧れの人物、目標とする政治家として、マーガレット・サッチャー元英首相を挙げているが、「彼女のような真の権力者にはなれないだろう」と岩本教授は手厳しい。 「サッチャーもフェミニストではないが、権力者だった。高市さんは安倍さんに引っ張ってもらうことが前提という時点で決定的に違います。仮に安倍さんが失脚して後ろ盾がなくなったときに化けられるのかどうか。派閥の領袖(りょうしゅう)でもない高市さんは、実力者の傀儡(かいらい)になる可能性が高く、権力を握るものとしては危うい」  真の意味での女性首相誕生までの道のりは長いのか、どうか。(本誌・秦正理、池田正史)※週刊朝日  2021年9月24日号より抜粋

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    高市早苗氏の意外な過去にフェミニストも震えた 総理の座を狙う過程で何があったのか

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選に正式に出馬表明した高市早苗氏について。*    *  * 近しい人がデルタ株のコロナ陽性になったり、友人の同僚や、通っている美容院のお客さんが亡くなったりなど、夏以降、急速にコロナの危機が迫っているのを実感している。健康観察をされずに自宅で死亡した50代の方の話などを聞くと、東京五輪・パラリンピックに時間とお金と人材を費やすべきではなかったのではないかとつくづく悔しい思いになる。適切な処置を医療機関で受けられていたら、亡くならないですんだかもしれない命は少なくない。 Go Toキャンペーンやオリパラを強行することに専念してきた自民党政権が、トップの顔を代えただけで変われるとは思えず、期待には程遠い自民党総裁選。岸田文雄さんは、ボロボロの小さいノートを振りかざしては「国民の声を書き留めてきた、1年間で3冊、10年間で30冊」と様々なメディアでアピールしているが、正直、少ないと思う。薄いノートを1年でたった3冊埋めたくらいで、国民の声を聞いたとか言えるって、どんだけ聞いてこなかったかという話なのでは。河野太郎さんは、先日週刊誌でそのパワハラ言動が取りざたされていたが、ワクチン接種という、申し訳ないが素人目線でそこまで難しいとも思えない仕事でつまずいている人に期待するのはムリという話だし、高市早苗さんにいたっては、選択的夫婦別姓に強硬に反対するアンチフェミ女のイメージしかない。女性の人権に無関心な女性総理候補にいったい何の価値があるというのでしょう。 とはいえ、高市早苗議員、いったいどんな人なのか。32歳で衆議院議員に若くして初当選(※)。しかも同期の田中真紀子議員や野田聖子議員のように、親や祖父が国会議員だったというわけではなく、自民党員だったわけでもなく、サラリーマンの父と警察官の母という一般家庭から出てきた無所属の女性議員が、今、最も総理の椅子に近い女性となっている。なぜ高市さんは、政治家の道を選んだのだろう。どのように政治の道を歩いてきたのだろう。政治家としては多い著作のなかから国際政治評論家としてテレビで活躍していた頃に書かれた『30歳のバースディ―その朝、おんなの何かが変わる』(大和出版)、政治家2年目に記された『高市早苗のぶっとび永田町日記』(サンドケー出版局)を読んだ。 高市氏が大学を卒業したのは1984年。1986年に男女雇用機会均等法が施行されるが、この2年の差はやはりとても大きいものがある。女性が生涯にわたる仕事を手にすることも、そもそも親が大学に行かせてくれるかどうかも「女の子」であるというだけで諦めることがまだまだ当たり前にあった世代だ。特に地方であればなおのこと。保守的な奈良に育った高市氏も、当然のように「諦めさせられて」きた。例えば大学もそうだ。高市氏は第1希望だった早稲田と慶応のどちらも合格したにもかかわらず、「女の子のあなたを東京の私学で学ばせる余裕はない。弟の学費に回してほしい」と親に諦めさせられ、「女の子だから一人暮らしはさせられない」と通学に往復6時間かかる神戸大学に入学するのだ。 たとえ難関国立大学出身であっても、女性がその能力と希望に見合う就職先を見つけるのが難しい時代だった。「身の丈」よりもずっと小さく窮屈な型に押し込められる女性たちの悔しさは計り知れないが、高市氏の著書からはその類いの悔しさは強調されない。それは高市氏に並外れた行動力と決断力があり、自らの人生を切り開いてきた自負があるからだろう。たとえば、たまたま大学で目にした松下政経塾のポスターを目にして、直感に導かれるように松下政経塾に“就職”したり。たまたまテレビで見た女性議員で史上初の米国大統領候補指名争いに立候補準備を進めていたパトリシア・シュローダーに惹かれ、その2週間後にはワシントンに旅立ち、その情熱だけでシュローダー議員のオフィスで働き始めたり……若さゆえの大胆さと希望に満ちあふれた当時の高市氏のエピソード一つひとつに圧倒されてしまう。「女だから」と諦めさせられてきたのは大学まで、それ以降は絶対に諦めないという粘り強さで今の地位を築いていくのである。『30歳のバースディ』は文字通り30歳を迎えた高市氏がそれまでの人生を「ポップ」に振り返る本である。「BGMはいつもユーミンだった」「寂しいのはあなただけじゃない」「空港でまたまた恋人と涙の別れ」「男かペットがいなくちゃダメな私」「女と日の丸と視聴率の相関関係」「三〇女が孤独を感じるとき」といった目次からもわかるように、女友だちに話しかけるように書かれた軽く、優しいノリのものだ。アメリカから帰国し、若い政治評論家としてメディアに露出していたころで、日本の男性社会へのいら立ちも率直に記されている。「アメリカ議会では日本流のバカバカしい会議がないのが良かった。(略)ところが日本の企業では会議の場では何も決められない。本当は既に決まっているし、とっくに根回しが済んでいることを確認しあうだけの、儀式的な会議のなんと多いことか。でも、私たち女性は妙に正義感が強いので、このような巧妙な人間関係のテクニックとは相性が悪い」 90年代に若い女性が書いたテキストを追いかけながら、私は何度か噴き出したり、そうそうと共感したりと震えるような思いになる。ねぇ、高市さん、「女が入ると会議が長くなる」とほざく森喜朗さんに「あんたの会議はバカバカしい」とはやっぱり言えないものだったの? こういうまっとうないら立ちを文章にしてきた女性が、最も「わきまえる女」になっていく過程に、いったい何があったというの? さらにこういう率直さは、国会議員になった後に書かれた「高市早苗ぶっとび永田町日記」にも残っている。高市氏は歯に衣着せずに永田町のダメなところをきちんと切っている。「この一年間に永田町で一番多く耳にした言葉は次の二つ。『挨拶がない』『俺は聞いてないぞ』。委員会の審議日程が流れたり、大切な法案の採決がパーになったりする理由は大抵この二つだったりする」「笑い話のようなことばかりだが、事実、永田町政治は『理屈』ではなく、『メンツ』で動いている」 さらに、夜の会食や女性がいるクラブなどで行われる男たちの根回しで物事が決まっていく永田町で、女の自分が不利であることも記し、サッチャーのこんな言葉を引用し共感を表明するのだ。「私は最後まで党内基盤が弱かった。それは男性の世界の根回しに加えてもらえなかったからよ」 なにこの人……すごくまともな「一般人」の感覚で、すごくまともな「女の悔しさ」をストレートに出すフェミじゃないの? しかもそのまともさで、「総理大臣の資質」というものを論じ、当時の村山政権を真っ正面から批判している。明言しているわけではないが、高市氏自身が政治家として一番になること=総理になることを30代から目指しているのも伝わってくる内容なのだった。根回しから排除されてきたサッチャーが首相になれたように、パトリシア・シュローダーが80年代に大統領を目指したように、高市氏は政治家としてトップに行くことを最初から視野に入れていたのだ。 ……と、昔の高市氏の本を読んでいると、うっかり「がんばれ、早苗!」と言いたくなってしまう私がいるのだった。「総理になろうよ!!」と早苗の女友だちポジションに立って拍手したくもなってしまうのであった。まずい、まずい。正気に戻るために2011年に出版された『渡部昇一、「女子会」に挑む!』(WAC)も読んだ。櫻井よしこ氏、山谷えり子氏、高市早苗氏、小池百合子氏、丸川珠代氏・・・といった早々たる「わきまえ女」(帯には「なでしこ軍団」とある)たちと渡部昇一氏との対談本だ。 渡部氏との対談で、「総理になったら、まず何をしますか?」と聞かれた高市氏はこう答えている。「最初に、政府歴史見解の見直しをします。新たな歴史見解を発表して、村山談話を無効にします」 東日本大震災のあった年の9月に出版されている本だ。震災後から、こういう歴史修正主義を堂々とうたう本や、韓国ヘイト、「慰安婦」運動への過剰な攻撃は度を越していったという実感が私にある。保守政治家から極右政治家に舵を切るように発言をより過激化させていく高市氏の横顔が、対談にはしっかりと刻まれている。夫婦が別の姓を名乗ったら家族が崩壊すると適当なことを言い、戦時性暴力の責任を問わないどころかなかったことにすることが、高市さんの「目指した政治」だったのだろうか。この国の女性たちが権力に近づこうとするならば、率先して選択的夫婦別姓を批判し、「慰安婦」被害者をおとしめる発言をいとわず、女性の権利を口にするフェミを冷笑するというマニュアルでもあるのだろうか。 今いる自民党の女性議員の顔を、一人ひとり思い浮かべてみる。わきまえなければ権力に近づくこともできなかった女性たち。夜の会議や根回しから排除されながらも、その立場を維持するための努力は、二世・三世の男性議員たちとは全く違うものがあったはずだ。それでも、それほどの努力をしても、彼女たちが自らの後ろを振りかえったとき、彼女たちの後ろを歩きたいと思う女性はどのくらいいるだろうか。というかそもそも、その道は後続の女性のために開かれていたことはあったのだろうか。 かつて高市氏が憧れ渡米したパトリシア・シュローダーはテレビカメラの前で涙を流した。そのことによって20年以上「女の政治家は感情的だから、ダメだ」と言われ続け、「あなたの涙のせいで、女の地位が悪くなる」と責められ続けたという。女であるというだけでその「涙」が事件になるのは、昔のアメリカも今の日本も変わらない。そういう政治の世界でトップを目指す女性たちが、女性の味方であることを忘れるのは「仕方ない」ことなのだろうか。それとも、アンチフェミニズムの顔で女性をたたくような女性政治家しか出せない自民党政治そのものが終わっている、ということなのか。※訂正配信時の「32歳で衆議院議員に初当選、女性議員としては、当時憲政史上最年少だった」という一文を、「32歳で衆議院議員に若くして初当選」と訂正しました。高市氏の著書『高市早苗のぶっとび永田町日記』に「女性として憲政史上最年少当選」と記してありましたが、実際は1946年4月10に三木キヨ子氏が20代(当時)で当選していたため削除、修正します。■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    眞子さまの結婚どう思う? 瀬戸内寂聴が27歳スタッフに質問した結果

     半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。*  *  *■横尾忠則「スジ金入りの肉体的朦朧体、大観より本格派です」 セトウチさん 耳が聴こえなくなったと言うと、「きっと作品が変るわよ」と、ベートーベンじゃあるまいし、変なことおっしゃると、その時はそう思いましたが、本当に変ったんです。その変り方が理に適(かな)っているといえば適っている。つまり聴こえないことは、音の輪郭が失くなることです。そうなると音が朦朧(もうろう)となって、横山大観の朦朧体の絵のように音がボケて聴こえるんです。耳がボケると、日常生活もボケて、曖昧模糊(あいまいもこ)となって、したことと、してないことの区別もわからなくなるんです。つまり虚実の区別ができなくなって、夢で見た仕事の依頼を、本当に依頼されたと思って、やっちゃったりするんです。ボケの症状に似てるけれど、ボケ老人になったんではなく耳のせいだと理解しているので、そこはまだ理性がコントロールしています。 ハイ、絵の話だったです。大観は思想で朦朧体を描きましたが、僕はスジ金入りの肉体的朦朧体なので、思想のようなチョロコイ考えではなく、肉体的ハンデキャップによる堂々たる自然体派です。大観よりこっちの方が本格派です。そんなわけでセトウチさんの大予言は的中しました。 先っきも言いましたが境界線が失くなるということは自由のキャパシティも拡張したことになります。近代人は何でもかんでも境界線を引いて、全てを分業化します。縄文時代はひとりの人間が、多面的に物事をこなしていました。狩猟(しゅりょう)も農業も、漁業も工芸も、子育ても、教育もひとりでするという、境界線をはずした労働生活です。現代のような役割分担などしません。正に多義的です。越境した狩猟社会です。 難聴が与えてくれた神の恩寵です。だから病気の高徳です。僕が度重なる病気によって救われてきたということはこういうことです。神は人間に色々な苦難を与えますが、病気は罪ほろぼしでもカルマ落としでもなんでもないのです。人間の進化向上のためのカリキュラムだと思えばどうでしょう。難聴のほかに、腱鞘炎(けんしょうえん)にもなりました。もう、セトウチさんの「幻花」のような繊細(せんさい)な描写の絵など描けません。今は太い筆やハケを握りしめて、キャンバスにバンバン叩きつけるように描いています。それも痛いので、左手で描きます。左手は思うような形が取れません。幼児の絵より下手くそになります。でも、デュビュッフェは幼児の絵のマネをして、幼児風に描きますが、そんな意図的なことをしなくても、僕の左手はそのまま幼児以上に下手に描けます。これもハンデキャップから来た自然体です。 今書いている手紙では、前にも同じことを書きましたかね。境界を越えると時間差もなくなって、やったことと、やらないことの区別がわからなくなるのです。いよいよ本格派老人です。100歳老人のセトウチさんにも負けていません。ただ僕はセトウチさんのように年齢には拘っていません。拘っているのは他人の方で、今行っている展覧会では「85歳、85歳」と年齢を売り物にされています。歳のことは言うな! アーティストには年齢はないのです。昨日の続きが今日、今日の続きが明日です。原始社会では年齢など無関係です。アーティストは原始人です。■瀬戸内寂聴「私もヨコオさんに負けないように!」 ヨコオさん 何だか、ずいぶん久しぶりにこの往復手紙を書いているような気がします。 それにしても相変わらずコロナは豪勢を極め日本はおろか、世界的にその力を奮っています。 コロナのせいで、人に会えず、寂庵はずっと門を閉めっぱなしです。コロナになる前はもちろん、一も二もなく門内に入ってもらっていました。 大抵遠く九州や東北から来られた人で、まだ生きている私に逢えたと言って、抱きついて泣き出します。もちろん、私は丁寧にお迎えして、写経などしてもらい、お茶菓子を一緒に食べて、しばらくその人のお話を聞きます。つきあいの人もあれば、寂庵の信者を自称する人もあり、初めて門内に入ったという人もいます。「まさか、門内に入れてもらえると思わなかった」と泣き出す人もあれば、「生きている寂聴さんに逢えた!」と、子供のように足を踏み鳴らす人もいる。「とても百歳には見えない!」と誰もが感嘆してくれるが、終日ベッドに横になり、本ばかり読んで、一日を過ごしている私の毎日の状態など話せない。私は、人に逢っている間だけは、必死になって元気らしさを演じ、声を張り上げる。客の帰る時は、長い廊下の途中で、へばってしまい、さっさと歩く客の跡がおえない。 ──だって百だもの……──と、私は廊下の途中で、ペシャンコに座り込み、つくづく、自分に向かって言う。 食事だけは時間が来ると、しゃきっと体がのび、食卓の自分の位置に早々と座り込んでいる。「あら、お昼はもう召し上がりましたよ!」 スタッフの一人が、わざと大きな声を張り上げる。「私のスパゲティは、どうしてこんなに美味しいのだろうなんて、お世辞までいただいて」「そうよ、ほんとに! でも今ここに座ったのは、食べるためでなくて、眞子さんの結婚をどう思うかって、寂庵で一番若い二十七歳のP子の意見を聞きたいのよ」「ああ、眞子さん、ほんとに、よかったですね。大体、みんなあんまりこの結婚に意地悪すぎましたよ。でも、どうして一時金を眞子さんは辞退なさるのかしら? 貰う権利のあるお金でしょう? あんまり弱気にならない方がいいと思うけど……」 ヨコオさん、今、寂庵の中は、こんなにのんびりしています。耳が聞こえないのは、私も同然です。テレビの時なんか、びっくりするほど大きな声にしてくれるので、何とか会話が出来ています。鶯も、秋の夜の虫の音も、私の耳にはさっぱり聞こえません。ヨコオさんとTELしてるのを横で聞いてる人があれば、どんなにおかしいでしょうね。耳だけでなく体のあちこちがどしどし衰えてきます。 そのうち、きっと、自分の死んだこともわからなくなって、──ヨコオさんにTELして!──など叫んでる日が来るのでしょうね。でも目がよく見えているので、一日に二冊は厚い本を読み切っています。ヨコオさんの展覧会、ますます人気上昇でおめでとうございます。私もヨコオさんに負けないよう、あっとこれまでと変わった小説を二つくらい書き残して死にたいものですね。 では、また。※週刊朝日  2021年9月17日号

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    【写真特集/全8枚】華麗なる日本人メジャーリーガーの妻たち

    トップクラスは20億円以上の年俸を稼ぐ選手もいる、憧れの日本人メジャーリーガー。そんな彼らを射止めた女性たちもまた、アナウンサー、アイドル、モデル…と高嶺の花が勢揃い!そんな美貌と才能に溢れた彼女たちを写真で紹介します。▼クリックすると拡大写真と解説文が表示されます

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    小林麻耶が離婚へ 夫から解放されても修復が難しい「海老蔵一家」と「TBS」

     今年3月から別居状態にあった小林麻耶(41)と夫の國光吟氏(37)が離婚に向けて協議を始めたという。7月1日発売の「女性セブン」によると、当初は麻耶自身も別居が一時的なものになるか、離婚への準備期間となるかはわかっていなかったが、周囲のサポートもあり自分の意思で結論を出す段階に入ったようだ。 2人が結婚を発表したのは2018年7月。出会って2カ月、“交際ゼロ日”での電撃婚は周囲を驚かせたのはもちろんだが、國光さんの行うスピリチュアル色の強いセラピーやカウンセリングなどに傾倒する麻耶を心配する声も少なくなかった。「それ以降の2人の行動といえば、まるで麻耶さんのマネジャーのようにどこへ行くのにも國光さんが同行し、次第に仕事場でも國光さんが口を出すようになったといいます。そして昨年11月に『グッとラック!』(TBS系)の電撃降板と所属事務所との契約解除があり、麻耶さんの彼への依存ぶりが心配され始めました」(女性誌記者) 一時期は麻耶が「洗脳状態」にあるのでは?などと心配もされたが、次第に2人の関係は冷めていったようだ。結局、3月には別居となったが、國光氏と距離をとった麻耶を誰よりもサポートして見守り続けたのは、麻耶の母親だったという。「お母さんの元に戻ってからは、麻耶さんも徐々にこれまでのことを冷静に振り返ることができるようになったそうですが、最も彼女の心を揺り動かしたのは麗禾ちゃん(9)と勸玄くん(8)の存在です。國光さんと結婚してからは、海老蔵さん一家とも以前のように頻繁に関わることがなくなり、あれほどかわいがっていた子どもたちともここ1年ぐらいは会っていないといいます。お母さんは、麻央さんの闘病中には麗禾ちゃんと勸玄くんの面倒を見て家事一切を取り仕切っていました。お母さんから伝え聞く2人の様子やYouTubeで見る成長ぶりに会えない辛さが募ったのでしょう。そんな麻耶さんの異変に気づいて、お母さんはメンタル面も含めてフォローし続けているそうです」(同前) だが、仮に離婚が成立したとしても、今後の麻耶の状況が元通りになるかといえば、「すぐには難しいかもしれない」と芸能ジャーナリストは話す。「まずは麗禾ちゃんと勸玄くんとの関係です。麻央さんの闘病中はお母さんと共に彼女もよく面倒を見ていて、子どもたちも懐いていましたが、海老蔵さんが現在の状態のまま、麻耶さんと距離をとり続けるのであれば、以前のような家族ぐるみの関係に戻るには時間がかかるでしょう。海老蔵さんはこれからは『十三代目市川團十郎白猿』と『八代目市川新之助』の襲名披露公演も控えていますから、あまり“雑音”は入れたくないのではないでしょうか」 また、広告代理店関係者は麻耶の復帰をこう心配する。「いずれ麻耶さんも仕事復帰を考えているでしょうが、義理を欠くようなことをしてしまった古巣のTBSや前の所属事務所からのバックアップは期待できないでしょう。それ以上に、はたしてタレントとして需要があるのかも疑問です。國光氏とのお騒がせカップルのイメージがまだ根強く残っていますから、CMや司会などで起用するのは厳しいのでは」 麻耶はこの日、自身のブログを更新したが、離婚報道には言及しなかった。“目が覚めた”麻耶が目の前に待ち受ける新たな壁に気づき、それを乗り越えた時に、彼女は本当に自由になれるのかもしれない。(宮本エミ)

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    田原総一朗「新総裁最有力の河野氏を絶対に首相にしたくない勢力とは」

     ジャーナリストの田原総一朗氏が自民党の総裁選について解説する。 *  *  *  菅義偉首相は、まず衆議院を解散し、衆院選に勝つことで総裁選に臨もうと考えていたが、安倍晋三、麻生太郎両氏らの反対で総裁選を先にやらざるを得なくなった。  前回も記したように、自民党の多くの国会議員たちは、今秋の衆院選で落選するのではないかという強い危機感を抱いている。全国の選挙区で、菅首相の評判が極めて悪いからである。自分が当選するには、何としても菅首相に辞めてほしい、と強く求めていた。  8月の中旬ごろまでは、安倍前首相も麻生副総理も、菅首相の続投でよいと考えていた。だが、それぞれの派閥の議員たちが、自分たちの当選には菅首相の辞任しかない、と強く求めていることを知って、考えを変えたのである。  そこで菅首相は、支持率を高めるために、党や内閣の人事に手をつけて、小泉進次郎氏ら、国民の期待が大きい政治家たちを起用しようとしたのだが、いずれの政治家にも断られて、辞任せざるを得なくなったのである。  菅首相が辞任することになって、岸田文雄氏、高市早苗氏、河野太郎氏、野田聖子氏らが総裁選への出馬を表明、もしくは意欲を示している。  注目されるのは石破茂氏である。彼は当時の安倍首相に対してもはっきりと反対を表明していて、少なからぬ国民は彼に期待しているはずなのであるが、彼は出馬しないようだ。  実は、私は2度、彼と電話で話をして出馬を促したのだが、消極的であった。どうやら河野氏を支持するようである。  岸田氏は、戦後政治史に重厚な足跡を残してきた宏池会のリーダーである。大平正芳、宮沢喜一、加藤紘一らハト派で、貧富の格差を広げないために社会福祉をきちんとやるべきだと主張する反新自由主義路線である。岸田氏も反新自由主義路線を打ち出している。  だが、安倍氏や麻生氏と心を合わせることに懸命で、国民の多くからはいまひとつ期待できない、と捉えられているようだ。  女性候補の高市氏は保守右派で、かつて電波法に基づく電波停止に言及したときは、私も強く反対した。  当初は、出馬に必要な議員数をそろえられないのではないかと見られていたが、安倍氏が支持を表明したことで、出馬はできそうである。  野田氏にも頑張ってほしいが、当選の可能性が高いと見られているのは、石破氏が支持をしそうな河野氏である。  だが、河野氏を何としても首相にしたくない、と考えている勢力がある。その代表的な存在が、経済産業省だと見られている。  河野氏は原発反対を強く唱えていた。外務大臣に就任して以後は、反原発を表明しなくなったが、あえて閣内で波を立てるのを避けているだけで、意識は全く変わっていない、と誰もが見ている。多くの政治家と違って、簡単に豹変(ひょうへん)しないのが、河野氏が信頼されるゆえんなのである。  だから、経産省も全国の電力会社も、河野氏が首相になるのは困るわけだ。  そして多くの自民党議員たちは、原発に対しては、情けないほどあいまいである。そんな彼らが河野氏をどのように捉えるのであろうか。 田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年生まれ。ジャーナリスト。東京12チャンネルを経て77年にフリーに。司会を務める「朝まで生テレビ!」は放送30年を超えた。『トランプ大統領で「戦後」は終わる』(角川新書)など著書多数※週刊朝日  2021年9月24日号

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    「高市氏の昔を知っているよ」 総裁選候補者3人で最も優れているのに胸がザワつく理由

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選に立候補を表明している3人の議員について。 *  *  * 連日、自民党総裁選関連のニュースがメディアを占めている。この国に暮らす人々の生存をかけた衆議院選挙のほうがよほど重大なはずなのに、無駄に自民党の生存をかけた総裁選につきあわされているようでつらい。災害レベルのコロナ禍で重要なときに臨時国会を開かず、自党の人事に時間を費やす自民党の体質が、トップが代わったところで変わるとは思えない。とはいえ、あと一歩で総理の椅子に座る3人の候補者に女性が入っていること、その女性が候補者の中で最も右寄りであること、容姿を誹謗中傷する批判が“彼女にだけ”されていることなど、日本の女性政治家が置かれている現実を生中継で日々見せられているようで、それはそれで気になってしまうのだ。 候補者3人の出馬表明記者会見を見た。それぞれ力のこもった熱弁を見ながら、改めて菅さん (菅義偉首相) は、相当なレベルで話が下手だったのだと気づかされる。滑舌が悪いうえに自分の言葉で話さない、原稿すらうまく読めないので頭に入ってこない。東京五輪・パラリンピック開催に疑問を投げかける記者には、「安全安心」と繰り返すだけで誠実さのカケラもなかった。さらに記者に対して威圧的であり、社名を名乗らない記者に対していら立つなど、器の小ささを露呈してしまう場面を幾度となく見てきた。喋れば喋るほど、人の心が離れていく総理大臣だった。 菅さんに比べると3人の候補者の話は、フツーにまともだった。……と、「底」を強いられてきた者として認知の歪みが生じてしまっているのだろうかと自分でも不安になるが、今回、高市早苗氏の会見を初めて長時間聴いてみて驚いた。テンポ、滑舌、論理性、具体性において出馬表明記者会見としては3人の中で最も優れていたからだ。記者からの質問に逃げずに丁寧に答えていたのも好感を持てた。  例えばTBS「報道特集」のキャスター膳場貴子氏が、高市氏が過去にしていたサイテーの発言「(生活保護を)さもしい顔をしてもらえるものはもらおうとか、弱者のふりをして少しでもトクをしようと、そんな国民ばかりいたら日本が滅びる」を引き、「困窮する国民をどういう目で見ているのか確認をさせてください。弱者への視点が欠けている不安、批判の声があるが、どう受け止めているか聞かせてください」と迫った。高市さんに対する強い批判を含んだ良い質問だった。 もしこれが、安倍さん (安倍晋三前首相) だったらと想像する。女性アナウンサーからの質問にまずニヤニヤと冷笑し、しかし顔色は変わり、早口でまったく方向違いの旧民主党政権批判を延々繰り返し「それはですね、民主党政権時代の批判の流れでの発言だったのでございます。文脈をですね、私の発言の文脈をですね、いいですか、きちんと見ていただいたうえでですね、そのようなご質問をしていただきたきたいのでございます」とか言いそうだし、麻生さん (麻生太郎財務相) だったら「そうかね、覚えてねぇな」とか言いかねず、菅さんだったら「えー、私はこれまで通り全力で国民の安全安心を最大限に考えて、政治を行っていくことに変わりはありません」とか言うのでは。テレビカメラの前で“女性”記者に批判された、ということで頭がいっぱいになり、誠実に答えようともしない“男性”政治家の振る舞いに私たちはあまりにも慣れてしまっていた。 その日、高市氏は膳場氏の批判質問に顔色も声のトーンも変えることはなかった。にこやかなまま、その発言がいつ、どの場で行われたものかを記憶の中で語り、「これは皆様の大切な税金。福祉というものは公正、公平が原則であるべきだと私は考えています」とし、さらに子どもの貧困問題等について語り、そのうえで「これが私。素直なほうなので、さまざまなアドバイスには柔軟に対応する」とも言った。  このやりとりに、私は見入ってしまったのだった。威圧的だったり、不誠実だったり、中身のない政治家答弁にあまりにも慣れ過ぎていたからこその驚きであるのだが、ただ新鮮だった。もちろん、高市氏のような政治家の言動が生活保護受給者に対する社会の偏見を生み、貧困を再生産し、生活保護を受けられずに餓死するような人々を生み出す現実をつくってきた。そういうリアルが見えない高市さんが与党の政治家であることが私は恐いが、それでも「どのような考えに立っているのか」ということを説明することをこの人は逃れなかったという印象は残った。 一方、岸田氏は国民の声を聞いてきたという薄く小さなノートを振りかざして「私にとりまして大切な財産。このノートを読み返した上で、私は改めてやるべきことがあると感じています」と豪語する。外国特派員協会で記者会見を開くなど、去年の総裁選よりもパフォーマンス力があがっているように見えるが、選択的夫婦別姓についての意見を問われ、「引きつづき議論しなければならない課題」と言うなど、いったい誰の声を聞いてきたのか問いたい。今年の共同通信の調査によれば選択的夫婦別姓は国民世論で6割が賛成している(30代では7割)。だいたい選択的夫婦別姓は80年代からずっと提案され、深く積み重なった議論の歴史があるのだ。国会での議論を拒否し続けてきた自民党の単なる勉強不足が、選択的夫婦別姓を邪魔しているだけ。まだ、「自分ごと」として通称使用拡大の具体的実践に全力を尽くしてきた高市氏のほうが勉強しているし、わかっているように見える。 河野太郎氏の記者会見が一番、今までの自民党の威圧的政治家の流れをくんでいるように見えた。質問は1社一つというルールを一方的に強いては、「(河野さんは)脱原発派ですか?」という質問に対して「どういう定義で脱原発というか人によって違うので、何か一つの言葉でくくるのはやめておいたほうがいい」と打ち切り、それ以上の質問を許さなかった。記者が本当に聞きたいことは分かっているはずだし、そこから深まる議論もあるはずなのに、意味のない答えを短めに返すのが目立った。  河野氏は若手からの期待が大きいと、報道では言われている。「河野さんは発信力があります」と30代の議員が胸を張るようにテレビカメラに向かって話しているのを見た。発信力とは単純にテレビに出る回数とか、Twitterのフォロワー数とか、なんとなくの人気のことを言っているのではないかと思うが、それは政治家にとって必要な力なのだろうか。記者会見で衝撃だったのは、韓国メディアの記者が「特に韓国を含めた、近隣国に向けての外交政策のビジョンを聞かせてほしい」と質問した時の答えだ。外務大臣を務めたこともある河野氏の答えは、こういうものだった。「G7の中で日本はユニークな立ち位置。キリスト教をベースとした文明の上に成り立っていない国は日本だけ。だから外務大臣として自分はアジア、中近東、アフリカといった国々の思いを代弁できる日本でありたーい、と思ってきた。自由民主主義、基本的人権、法の支配、こうした価値観を共有して一緒に前に進みたーいと思っている。それぞれの国にはそれぞれの歴史がある。一足飛びにみんなが同じことをできるわけではありませんー。そういうなかで、ヨチヨチ歩きであっても同じ方向を進もうとしている国にしっかりと寄り添える、そういう日本でありたーいと思っている」 ……これは外交政策なのでしょうか。ヨチヨチ歩きだけど一緒に寄り添っていこうね、って。これは元外務大臣による総裁選立候補の時に語るような言葉なのだろうか。高市氏を推すわけでは決してないが(というか、私にその権利もないが)、高市氏だったら具体的に質問に正確に答えようとするのではないか、大人の言葉で。 最近、「高市早苗の昔を知っているよ」という人と立て続けに話をする機会があった。20代のころ、高市氏は400ccのバイクを乗り回していたという。30年以上前、400ccのバイクに乗る女性は少なかった。私も10代のころ、400ccのバイクに乗りたくて教習所に行ったのだが、「女は小型から」と中型免許すら取らせてもらえない空気があり、一日でやめた。「中型取りに来たんです」と言っても、「じゃあ、起こしてみな」と道路に転がる400ccをコツも教えてもらえず起こせと言われて憤慨した。あの時の悔しさは今もまだ心のどこかに残っている。80年代のことだ。そういう時代のなかで、中型・大型バイクに乗る女性たちは道で出会っては、自然に話しかけるようなことがあったという。当時のバイク仲間の女性は、若かった高市さんが目を輝かせながら「私は保守系の政治家になるんだ」と、夢を語っていたのを覚えている。   高市氏を見ていると、胸がざわつく。「政治家を知るためには、その人の選挙区と選挙歴を知らなければならない」とは、無戸籍問題に取り組み続け衆議院議員になった井戸まさえ氏の言葉だが、高市氏がもし、奈良という保守が強い土地ではなく、都市部の選挙区の人だったらどうだったろうか。選択的夫婦別姓、女性天皇・女系天皇容認などについて肯定派の多い都市部のような場所で保守派の政治家として立っていたら、どうだったろうか。安倍さんへの、悲しいほどのすり寄りは、二世議員である小渕優子議員や、祖父が政治家だった野田聖子議員だったらしなくてもよい媚びにも見える。高市氏自身の葛藤を勝手に想像しながら、そういう女性議員の姿を見てこちらも引き裂かれるような葛藤を味わう。女性がのびのびと政治ができる国になってほしい、そして正当に評価されるようになってほしい。今起きているのは、自民党の大物男性の庇護のもとでの自由と、それでも女性であるゆえに正当に評価されない日本社会の女性嫌悪だ。精神衛生上よくないので、早く終わらせて、衆議院選挙で自民党政治は終わってほしい。■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    高市氏でも野田氏でもシラける女の総裁選の闘い 直木賞作家・中島京子、望月衣塑子記者

     ポスト菅をめぐる自民党総裁選(17日告示、29日投開票)は、今後予想される女性の戦いにも注目が集まっている。岸田文雄前政調会長に続き、高市早苗前総務相が正式に出馬表明し、野田聖子幹事長代行は推薦人確保に奔走中と報じられている。「日本初の女性首相誕生か」と前のめりに報じられるが、ちょっと待って、高市総理? 野田総理? 女の総裁選バトルにモノ申す!*  *  *「憧れの人は元英首相のサッチャー」 高市氏は野心を隠すことなく、このように明言してきた。いま総理の椅子に最も近づいている女性かもしれない。 これまで、自民党の総裁選に出馬した女性はただ一人。小池百合子現東京都知事が2008年に立候補した。そもそも立候補には、国会議員の20人の推薦が必要で、女性にとっては高いハードルだった。今回、高市氏は早々に推薦人確保のメドがたち、世間の人気が高いといわれる河野太郎氏よりも早く正式に立候補を表明。野田氏も意欲を示していることから、注目を浴びている。 東京新聞の望月衣塑子記者が解説する。「自民党の若手議員を中心に“菅さんじゃ選挙は勝てない”という空気があった。菅降ろしと連動して“顔”を選ぶにあたって、今の時代、女性を打ち出した方がいいという流れはあった」 それでいち早く出てきたのが高市氏だったので、望月記者は驚いたという。「ビックリしたというよりは、がっかりです。同じ女性として応援は……。高市氏は女性の代弁者かというと、女性のお面をかぶった古い男性といいますか、男尊女卑ともとらえられる発言が目立ちますから」 似たような感想をもつ女性は少なくない。直木賞作家の中島京子さんも指摘する。「あからさまに男尊女卑的な態度や政策を取り続ける自民党ですら、体面上は、女性候補を出さなければならない時代になったということでしょう。しかし、総裁選は所詮、自民党内の派閥争いでしかない。茶番に近い候補者乱立が予想される中、ことさら“女性”だからと出馬に意味があるように捉えられること自体に違和感を覚えます」 とはいえ、総裁選の候補者として出る限りは、国政に対する自身の考えや具体的な政策を国民に説明して当たり前。高市氏が出馬会見で打ち出したのが、経済政策「サナエノミクス」で、「3本の矢」として「金融緩和」「緊急時の機動的な財政出動」「大胆な危機管理投資と成長投資」を掲げた。「サナエノミクス、ですか? ネーミングからしても、有権者をバカにしているのかなぁと感じました」(中島さん) 高市氏の政策はどこか既視感があるが、サナエノミクスは、安倍晋三前首相が掲げた「アベノミクス」路線を引き継ぐものだからだ。これに対して、望月記者も「安倍政権の上書き」としてこう言う。「せっかく女性が主導的立場になろうと出てきたのに、女性ならではの視点で練り上げた政策は一切出てこなかった。サナエノミクスは基本、新しいものはなく、安倍さんの政策を踏襲、一部を更新し、ネット民に受けるよう過激化させただけ。」 高市氏の政策から読み取れるものは結局、「安倍さんへの忖度」(望月記者)だったという。「安倍崇拝ともいえる状況が、綿々と続いている。高市氏だけではありません。河野氏は、本心としては脱原発だと思いますが、出馬前に安倍氏に会って再稼働しますと約束しました。男も女も安倍氏への過剰な配慮です。その裏には何があるのでしょうか。安倍氏が実質取り仕切る、最大派閥の細田派の票の取り込みは、勝敗をわける鍵なのでしょうが、女性なら空気が変わるかといえば、これではクリーンな政治は望めません」(望月記者) 一方の野田氏は、まだ正式に出馬表明はしていない。以前から政策の基本方針としては、「自分のことだけでなく、女性や高齢者、障害者をはじめ全ての国民、全ての地方が活躍できる制度を構築する『やさしさ』をもつ」ことを掲げている。障害のある子どもを育てる母親でもあり、野田氏の政治姿勢は自民党内ではリベラル寄りだ。 望月記者は野田氏をそれなりに評価しているという。「野田氏は自民党の幹事長代行で、大臣も何度か経験している。与党の動きもわかっている。フランクで話しやすい人柄で、官僚たちにも野田ファンは多いのです。軸が見えないところがあるけれども、理想や理念だけでは政治は動かせないから、官僚のアイデアを入れながら、どのように政治主導していくか。野田氏くらいの女性のベテランが一番いいのだろうなとは思います」(望月記者) 人柄と政治手腕はある程度評価されている野田氏。ただ、能力や適性があるからといって、総裁選に出られるわけではない。今、野田氏の足を引っ張るのが夫の疑惑だ。出馬も難しいという声も漏れる。「野田氏イコール夫ではないわけで……。たとえば、夫婦別姓が進んでいるフランスならば、夫がどうであろうが妻は別人格ととらえられるでしょう。個が確立して、認められている社会ならば、野田氏の夫の件も切り離して考えられると思いますが、日本は夫婦が一体に見られてしまう。男性総裁候補者で妻に何か懸念点があるという逆バージョンだったら、ここまで焦点になるかは疑問です。あくまでも、政治家の世界においてですが、日本で生き残るには小池百合子都知事のように独身を貫くしかないのかもしれません」(望月記者) 背後に安倍氏が見え隠れする高市氏、脛に傷を抱えているような野田氏だが、中島さんは高市総理も野田総理もあり得ないと話す。「高市さんも野田さんも総理総裁にはならないと思います。高市さんは安倍元首相の極端な思想をそっくり持っている人物なので、“名誉男性”的なポジションなのではないでしょうか。たとえると、性別が女性の“おっさん”。野田さんは自民党内ではリベラルを標榜してきた人ですが、“女性はうそをつく”発言の杉田水脈議員の辞職を求める署名を受け取らなかった。大事なところで腰の引けた態度しかとれなかったのが残念です」(中島さん) 最後に、高市氏や野田氏以外で、総理の器があると思える女性議員の名前を挙げてもらった。「女性首相第1号に推すなら、福島瑞穂さん。野党が合意した政策はしっかりしたもので、福島さんなら実現してくれると思うし、この10年の不正をただし、まっとうな政治をやってくれると思います」(中島さん) 一方、望月記者はこう見る。「前男女共同参画担当相の橋本聖子さんは、ジェンダー平等を訴える若手の女性起業家や学生らに一目置かれていました。でも、総裁選には名前が出てこないのです。総裁選に出るような女性議員は、自民党内でキワモノ扱いをされている感も否めない。女性として生きてきた実感から、今の日本の社会を変えていかなければならないという志のある人物ではないのです。一般の女性たちの多くが感じるような疑問を政治でなんとか解決したいという人は総裁選には出ない。そこが日本の限界なのかもしれません。今回の総裁選は女性からするとシラケてしまいますね」(望月記者) 典型的な男社会と言われる政治の世界だが、2人の女性総裁選候補の動きで空気は変わるのか――。(AERAdot.編集部 太田裕子)

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    【独自】東京都医師会幹部らの病院でコロナ病床の56%は空床 直撃に「不適切な補助金は返還したい」

     デルタ株による感染拡大はピークを越えつつあるが、東京都では9月10日現在で、新型コロナウイルスの新規感染者は1242人、死者15人、現在入院している重症患者は243人、自宅療養者は1万1千人以上と依然として多い。救急搬送が困難な状況も続いている。そんな中、医療ひっ迫を訴える東京都医師会、病院協会の幹部の病院で、補助金を受けながらも病床使用率が20%を切る病院もあることが、AERAdot.が厚労省関係者から入手した資料でわかった。*  *  * 医療ひっ迫の危機が指摘されている中、東京都医師会の尾崎治夫会長は「臨時医療施設を、ぜひいくつか作っていただきたい」などとたびたび語っている。こうした要望を受けて、東京都では野戦病院(臨時医療施設)の設置が進んでいる。旧こどもの城で設置されたほか、旧築地市場の跡地や味の素スタジアム内でも準備が進む。 他方で、東京都は6583床のコロナ患者用の病床を確保しているというが、実際に使われているのは、3754床にとどまっている。2829床が「幽霊病床」とされる。 民間病院と言えども、コロナ患者を受け入れる責任はある。厚労省が、新たに病床を確保した病院には1床につき最大1950万円の補助金を出しているほか、空床でも1床につき1日7万1千円の補助金なども出しているからだ。 田村憲久厚生労働大臣と小池百合子東京都知事は、こうした実態を問題視。コロナ患者を最大限受け入れることを要請し、正当な理由なく要請に応じず、勧告にも従わない場合は名前を公表する姿勢を見せている。しかし、厚労省関係者は「実は医師会が病院名の公表には執拗に反対している。その結果、コロナ患者の受け入れが進んでいない」という。 AERAdot.では、東京都医師会会員の病院や病院協会に所属する病院のコロナ患者用の病床数と実際の入院患者数、病床使用率のデータを、厚労省関係者から独自に入手した。 リストには都内の37病院の「極秘」とされる実態が記されていた。コロナ患者用の病床は614床、そのうち入院患者数は268人。病床使用率は44%にとどまった(数字は9月6日時点)。 さらに東京都医師会や病院協会の幹部でもコロナ患者を受け入れていない実態もわかった。資料によると、A病院ではコロナ患者用の病床を16床確保しているが、コロナの入院患者は3人、病床使用率は19%だった。B病院では29床のうち8人、28%、C病院では43病床のうち16人、37%、D病院では50床のうち28人、56%、E病院では52床のうち34人、65%、F病院は22床のうち15人、68%だった。 厚労省関係者はこう語る。「東京都医師会の尾崎会長は『野戦病院を作れ、そうすれば協力する』といっています。既に臨時の医療施設は急 ピッチで開設されています。尾崎会長の発言は裏を返せば、『ハコを作らなければ、協力しない』ともとれ、おかしな話です。空床のまま補助金だけが入っている状況がある。医療崩壊を叫ぶのであれば、先ずは自分たちの足元の医療機関できちんとコロナ患者を受け入れさせるのが先決ではないでしょうか」 なぜコロナ病床を空けたままにしているのか、補助金は返還する予定はあるか、東京都医師会幹部がトップを務める各病院に見解を質した。 A、B、C、E病院からは「多忙のため対応できない」などと取材拒否された。 D病院は「事実誤認がある」として「6日時点の入院患者数はコロナ陽性26人、疑似症を含めると14人、合計40人、病床利用率80%となります」などと回答してきた。 F病院はコロナ患者の受け入れ数については「6日の継続入院者数は34名」と認めた上で、「この継続入院患者数は、当日の入退院患者を含んでいませんので、実際に利用した人数より低くなります」と回答した。 コロナ患者を受け入れていない理由について、下記の回答が来た。「9月になり比較的短期間で入院患者は減少しておりますが、8月第4週ごろはピークにあり、8月25日には47名の入院患者(90%の稼働)がありました。病床の利用状況は感染状況とともに細かく変動しております。この時期には人工呼吸器が外れたばかりの不安定な患者が多く、現場の負担は高まっておりました。状況が急に悪化する症例に対応する場合は入院応需ができなくなることもありました」「当院は東京都の計画では軽症から中等症に対応するべき病院群に分類されております。病院は200床に満たない施設でマンパワーに限りがあり少人数のローテーションで対応しておりますので、人工呼吸器が必要な重症患者が1名いるだけでも、途端に病棟管理への影響が大きくなります。重症患者のすべてを高次施設で対応することは難しい状況ですので、当院での治療が可能な限り人工呼吸器を用いるような症例にも対応の努力を続けて参りました。9月になっても人工呼吸器を用いる重症患者は4例に及びます」「また当院では少数にとどまってはおりますが、スタッフの感染者数や濃厚接触者による人員減少の影響は大きいと思われます。病床利用率も指標の一つですが、感染状況を鋭敏に反映しておりますし、患者重症度や、人員数など様々な不測の要素があり、日々変動しています」「なお、病床利用についてですが、多床室で男女混合はできない、重症度によって利用できる病床が限られる、清掃消毒などにより使用不能な時間がある、など様々な避けられない理由で一定の病床が利用できなくなるため、8―9割以上のベッドが常時稼働することは現実的ではありません。ベッド稼働が9割に達した今回の8月後半は非常に厳しい状況であったと考えられます。病床利用率だけで、行われている医療の状況を判断するのではなく、多角的な見方を要するように思います」 補助金の返還などを考えているかの質問については、「不適切な補助金は返還します」と回答した。 コロナ患者を受け入れていない病院に対して、東京都医師会はどのような見解なのか。尾崎治夫会長に「使われていない病床が約2千床あること」、「空床のまま医師会構成員の医療機関に補助金が入ること」の見解を尋ねた。(尾崎会長の病院はリストに記載されていない)。  すると、「(空床について)東京都からデータをもらっていないのでわからない」、「医師会構成員という言葉がわからないので、回答は控えたい」と広報担当を通じて回答が来た。 補助金を受けながらも、患者を受け入れない状況について、医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏は「厚労省のもともとの制度設計に問題がある」と指摘する。厚労省は補助金給付の要件に、「コロナ患者の受け入れ」を入れていない。そのため実際に患者を受け入れていなくても補助金が入る仕組みになっているという。「通常の補助金であれば、患者の受け入れなどの実績があって、お金を出す形になります。しかし、厚労省がコロナ患者の受け入れ体制ができていないという批判を受けて病床確保の数だけを追求した結果、患者を受け入れなくても補助金を出す制度になった。その結果、実際には稼働できない病床ができた。民間病院はギリギリの医者、看護師しか持っていないから限界があります。本来であれば、国立病院や、尾身茂氏が理事長を務める、独立行政法人のJCHO(地域医療機能推進機構)の病院が患者を受け入れる話ですが、そこも受け入れに消極的で補助金だけを受け取る状況になっている。そんな中、民間病院で積極的に受け入れるなんて話になるはずがありません」 医療がひっ迫する中、未だに1万1千人以上いる自宅療養者を置き去りにするようなことがあってはならない。(AERA dot.編集部・吉崎洋夫)

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    打撃不振の巨人・中田翔に懸念の声「第2の陽岱鋼になる恐れ」

     巨人・中田翔の状態が上がらない。移籍後2試合目となった8月22日のDeNA戦に移籍後初アーチなる5号2ランを放ったが、その後の試合で長打は1本のみ。首位攻防戦・阪神戦の3戦目でスタメン落ちし、8回に代打で登場したが左腕・岩崎優の前に空振り三振に倒れた。移籍後13試合出場で打率.156、1本塁打、2打点。長打率.281と持ち味を発揮できていない。「直球の打ち損じが多いのが気になります。本人が捉えた感覚だと思いますが、ファールになる。体に本来のキレがないのが影響していると思います。良い状態の時は甘く入った球をスタンドに運んでいたが、今はその怖さがない。下半身に粘りがないから変化球も我慢できずに泳いでしまう。現状だと中島宏之を起用された方が厄介ですね」(他球団のスコアラー) 日本ハム在籍時に後輩選手に暴行をふるったとして8月11日に無期限の出場停止処分を科せられ、その後巨人に無償トレードで移籍したが、中田が計算のできる主砲かというと疑問符が付く。昨季は打率.239、31本塁打、108打点で自身3度目の打点王のタイトルを獲得したが、今年は長引く打撃不振と度重なる故障で日本ハム在籍時は打率.193、4本塁打、13打点。直球に差し込まれ、変化球にバットが空を切る。巨人に移籍することで状況が好転するかと言われれば、そう甘くはない。 他球団で活躍してきた主砲が巨人に移籍後、苦しむ姿は何度も見てきた。広澤克実、清原和博は思うような結果が出せず球団を去り、村田修一(現巨人1軍野手総合コーチ)は打撃不振に苦しんだシーズンで試合中に「強制帰宅」を命じられたこともあった。走攻守3拍子揃ったプレースタイルで日本ハムから巨人に2016年オフにFA移籍した陽岱鋼も、レギュラーに定着できず、規定打席に到達したシーズンは5年間で1度もない。5年契約の最終年も開幕からファーム暮らしで1軍出場はなく、崖っぷちの状況だ。「他球団ならスランプでも我慢して起用してもらえますが、巨人は選手層が厚いので代わりの選手いくらでもいる。常勝を義務づけられている球団で、不調の選手の状態が上がるのを待っているほど余裕はありません。中田は日本ハム時代に不動の4番として活躍したイメージは強いですが、好不調の波が激しくスランプに入ると長かった。ああ見えて繊細な一面もあるので、不調に陥ると悩みすぎてドツボに入る時も少なくなかった。巨人は結果がすべてなので、主力選手も状態が悪かったら容赦なくスタメンから外しますし、2軍に落とす。日本ハムでレギュラーに定着してからずっと1軍でプレーしてきた中田がどん底に突き落とされてはい上がってくるハングリー精神があるか。今の状態が続くようだと、『第2の陽岱鋼』になる恐れも十分にあります」(スポーツ紙デスク) 中田と一塁のポジションを争う中島は5日の阪神戦で7試合ぶりにスタメン出場し、初回に5号左越え2ランを放つなど好調をキープ。打率.298、5本塁打、22打点と勝負良い打撃でチームに貢献している。中島は移籍1年目の19年に43試合出場で打率・148、1本塁打で苦汁を嘗めたが、打撃フォームを改造して昨年は一塁の定位置をつかみ、100試合出場で打率.297、7本塁打、29打点とよみがえった。 中田も中島のように復調できるだろうか。熾烈な優勝争いが続く中、結果を出さなければ1軍でプレーできる保証はない。(江口顕吾)

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    陰謀論を信じる母に悩む28歳女性に、鴻上尚史が明かした「カルト宗教にハマった友人の洗脳を解いた」過去

     SNSを通じて陰謀論に傾倒するようになった母を心配する28歳女性。母を説得しても効果がなく「正直、負担」と悩む相談者に、鴻上尚史が語る「カルト宗教を信じる友人を洗脳から解いた」その後。【相談113】母が1年ほど前から、SNSを通じて陰謀論の世界に入りこみ始めました(28歳 女性 じーこ) 私の悩みは、母(50代前半)が陰謀論に傾倒していることです。 母は1年ほど前から、SNSを通じて陰謀論の世界に入りこみ始めました。人の思想はそれぞれなので、陰謀論を信じること自体を否定しているわけではありません。 ただ「今まで教わってきたことはすべて嘘だった」と言ったりして、世の中の現在や過去の出来事を陰謀論に結び付けている意見を疑いもせず信じているように見えます。そして、それはとても危険なことだと私は考えています。物事を批判的な目で見て、自分で考えるきっかけになっているのであれば良いのですが、そうではないので。このままだと将来、今より年齢を重ねたときに何かトラブルに巻き込まれてしまうのではと心配しています。 母は現在、私の父(50代前半)と2人で暮らしています。フルタイムで長年働いていましたが、数年前に仕事を辞め現在は専業主婦です。子供3人(私、弟2人)は全員独立しています。私や弟たちに陰謀論者から得た情報をメールで伝え、気を付けるように促してきます。母としては、親心から子供たちに正しい(と考える)情報を伝えようとしているのだと思いますが、私と弟たちはそのような状況にある母を心配しています。 父は、仕事がシフト制のため母と生活リズムが合わないこともありますが、会話自体も少ないようです。父は母の行動に対して特段何か言っている様子はありません。 私は、母親が陰謀論に傾倒し始めたのは時間が有り余っていることと、なんらかの孤独を感じているからだと思います。スマートフォンでSNSを見ながら過ごしているようで、そこから陰謀論の情報を得ています。仕事を辞め、自由な時間がたくさんある中で、特に周囲に友達もおらず父とも会話が少ない。かつ、母は元々外に出るのを億劫がるところがありましたが、このコロナ禍で拍車がかかり、現在では自宅の庭に出ることすら躊躇う日もあると話していました。このままでは、長期的に見たときに、体力が低下し健康面でも不安があります。父の仕事がシフト制になったのも1年ほど前で、様々な要因が合わさって現在のような状況になっていると思います。 私は実家から新幹線を利用する距離に住んでいるため、母とは電話やメールで連絡を取り合っています。母と電話するときには出来るだけ話を聞き、母の意見を否定しないようにしています。その上で、矛盾点があるときは疑問を投げかけるなど、「物事を知ることは大切だけど、過剰になると良くないからほどほどにね」と出来るだけ間接的に母に陰謀論を客観的に捉えてもらえるように促していますが、現状効果はありません。毎回電話が1時間に及び、延々と陰謀論の話を聞き続けるのは正直、負担です。 話が脱線しますが、私が小学校低学年のときに母がとある新興宗教の信者をしていました。当時幼かった私は、母にその宗教の集まりに連れていかれ、なぜか分からないけども、その集会には行きたくなかったことを覚えています。 父が激怒した結果、母は集まりに行くのをやめました。 母のとある宗教への信仰と今回の件は、似ていると思います。信仰がある人を貶めているわけではなく、母が何か一つの意見へ傾倒しやすい性質があるのではないかと思うからです。 直接的に私や家族が諭しても、母は否定されていると思い意固地になりそうですし、このままにしていても悪化する一方だと思います。批判的思考や論理的思考を知ってもらう為に母に本を贈ることも考えましたが、母は本や漫画を読まないことを思い出し、やめました。 根本的な解決方法ではありませんが、母が自分のことで忙しくなれば陰謀論に接する時間が減ると思います。しかし、母は前述の通り引きこもりがちであり、パートであっても仕事を始める様子はなさそうです。 また父に対しても、母の夫としてなぜ何もしないのかと不信感を抱きます。 きょうだいで早くこの状況を何とかしないと、と話し合っていますが、効果的な解決方法を見出せずにいます。 鴻上さん、どうしたら良いでしょうか。【鴻上さんの答え】 じーこさん。本当に大変ですね。コロナ禍の不安な世の中で、じーこさんと同じ悩みを抱えている人は増えているんじゃないかと思います。「母のとある宗教への信仰と今回の件は、似ていると思います」と書かれていますが、僕はずっと陰謀論とカルト宗教に「ハマる」人は似ていると思っています。 そして、だからこそ、じーこさんの相談に、うまくアドバイスできるだろうかと心配しています。 僕は昔、友人を奪おうとするカルト宗教と戦ったことがありました。 僕が大学生の時は、カルト宗教と名乗らず、一般的なふりをしたサークルが大学にはありました。 映画を鑑賞して話し合うとか、ハイキングに出かけてレクリエーションを楽しむ、なんていうサークルです。そして、徐々に親しくなって、少しずつ「真理に興味ある?」「世界の本当の姿を知りたくない?」「本当の幸福について考えたことある?」と誘導していくのです。 やがて気がつくと、カルト宗教独自の世界観にどっぷりとハマって、この世界は間違いだらけで、でも人々は本当の姿に気付いてないと思い込むようになります。 そして、「真実」を知った自分は、一刻も早く多くの人々に伝えなければいけないと信じるようになるのです。 ね、じーこさん。陰謀論を信じる人ととても似ていると思いませんか? カルト宗教にハマる根本の原因は淋しさや不安で、それは陰謀論も同じだと僕は思っています。 そして、さらにのめり込む理由は、「使命感」と「充実感」です。 自分だけが知っている真理を世界の人々に伝えなければいけないという「使命感」と、活動を続けることで信者・仲間を獲得するなど、なんらかの手応えによる「充実感」が、カルト宗教と陰謀論を信じ続ける動機だと僕は思っているのです。 自分だけが知っている「世界の真実」を他人に語る時、「使命感」と「充実感」を感じ、ずっと苦しめられていた淋しさや不安、空しさは消えていきます。 ですから、冷静な論理的説得は意味がないのです。 僕は、カルト宗教にハマった友人に、必死で調べた「教義の論理的矛盾」や「教祖のスキャンダル」「集められた金の行方」を話しましたが、友人を説得することはできませんでした。 カルト宗教の側から、いくらでも説明(というかごまかし)が語られたからです。 陰謀論も同じです。どんな言い方をしても、陰謀論側から反論が生まれます。 最終的には、フェイクニュースをでっちあげればいいのですから、どんな論理的説得も論破できるのです。 カルト宗教も陰謀論も、論理的に説得しようとすることは、それを信じている人の不安と淋しさを増幅させるだけだと僕は思っています。結果的に信仰を強化することにはなっても、洗脳が解ける可能性は少ないでしょう。 カルト宗教から脱会させる一般的な方法は、まずは、カルト宗教と具体的に距離を取ることです。 カルト宗教に友人を奪われそうになった時、まず、僕がしたのは、友人を具体的に宗教団体から離すことでした。 カルト宗教側は、団体から離れることのマイナス面を熟知していますから、なんとかして信者を取り戻そうとします。団体で共に生活している限り、「使命感」と「充実感」を与えることができると確信しているからです。 ここが、陰謀論との違いです。 陰謀論がやっかいなのは、カルト宗教のように、「教会本部」という「離れる場所」が明確ではないことです。 じーこさんが書かれるように、SNSを通じて、いつでも信者はアクセス可能なのです。 ただし、カルト宗教と違って、陰謀論の場合は、陰謀論から離れようとする人を見つけ出し、連れ戻そうとする激しい動きは基本的にはない、と言っていいでしょう。 ただし、陰謀論を信じる人達が集まり、集団を作り、共に活動を始めてしまうと、カルト宗教と同じになります。 SNSでつながるだけではなく、現実の世界でも共に活動するようになると、陰謀論の世界から離れるのは、とても難しいんじゃないかと危惧します。 アメリカで議事堂を襲撃した人達の中には、ネットで出会い、現実でもつながったグループが多かったはずです。 そもそも、カルト宗教も陰謀論も、「充実感」を獲得するためには、「他人」が絶対に必要になります。 ハマればハマるほど、信じれば信じるほど、他人に熱心に「独特の世界観」を説きます。 それは、心のどこかに「独特の世界観」に対する「一抹の不安」があるからじゃないかと、僕は考えています。 どんなに陰謀論・カルト宗教の世界観を信じていても、心の深い部分で「本当にそうだろうか?」「あまりにも一方的すぎないだろうか?」という疑問が微細な泡のように浮かぶからこそ、必死に他人に教えを説くことで、泡の一つ一つを潰しているんじゃないかと感じるのです。 それは多くの場合、無意識の行為かもしれません。 でも、はっきりしているのは、熱心な信者になればなるほど、「伝えたい誰か」を強く求めるということです。 逆に言えば、「伝えたい誰か」が存在しなければ、熱心な信者であり続けることは難しいのです。 じーこさんのお母さんが、「毎回1時間の電話」をするのは、そうすることで自らの「信仰」を強化していると考えられるのです。 じーこさんや弟たちが、やがて長時間の電話に疲れてお母さんの話を聞かなくなったとしたら、お母さんは「充実感」を得るために、話せる「他人」を求めるでしょう。 陰謀論にハマることの問題点は、これです。アメリカの場合のような陰謀論グループに属していれば、仲間でお互いの「信仰」を検証し合いますが(だからこそ、自分の信仰を証明するために、暴力的な行動に出たりするのですが)、SNSで陰謀論を知り、現実では他人とつながっていない場合は、話せる「他人」を求めるようになります。 結果として、「独自の世界観」に驚いた近所の人達や昔の友達、つまり「世間」を失っていきます。 ただし、ここで陰謀論そのものを疑い始めるという可能性はあります。周りのあまりの反応の無さや無関心に、「陰謀論を信じることで、かえって淋しさや不安が増大すること」に気付く場合です。 ですが、反対の結果になることの方が多いかもしれません。「世間」を失っても挫けず、「社会」の人達、つまり、自分とはまったく関係のない人達に話し始めるという可能性です。SNSで発信を続けたり、何らかの運動に参加したり、戸別訪問を始める場合です。 じーこさん。ここから僕は厳しいことを書かないといけません。 カルト宗教にハマった友人を奪還するために、僕は徹底的に付き添いました。女性の友人でしたが、ハマった動機が淋しさや不安だと感じたからこそ、友人が淋しさや不安を感じないように、常に一緒にいようとしたのです。 カルト宗教の人達からは逃げ続けました。アパートに押しかけられたり、待ち伏せされたりすることを避けるために、友人に引っ越しを勧め、手伝いました。カルト宗教の人達と出会わないために、間一髪で、窓から逃げたこともありました。 そして、友人を安心させ、安定した気持ちになった時に、あらためて「教義の矛盾」を語りました。ゆっくり、ゆっくりと、僕がおかしいと思うことを話しました。 冷静な説得ではなく、温かい説得を続けたのです。 一週間ぐらいして、友人は話している最中、突然、号泣しました。それが、洗脳が解けた瞬間でした。論理的な説得が効いたのではないと感じました。ただ、僕といる温もりが最後の扉を開けたと感じました。 そして、友人は、カルト宗教ではなく、僕に依存するようになりました。僕達は話し合い、友人は東京近郊の親戚の家に住むことになりました。友人はそこから生活を立て直すことができました。 大学生だったから、ここまで友人とつきあえたのですが、正直に言うと、僕は疲れ切っていました。数カ月間、かなりの時間を友人に使っていたからです。 それからしばらくして、別な友人がまたカルト宗教にハマりました。 でも、僕はその時は、演劇を始めていて、忙しい日々を送っていました。 大切な友人でしたが、とても忙しくて、その友人の「不安と淋しさ」を埋める時間はありませんでした。 僕は一人の人生を救うためには、もう一人の人生が必要なんだと思いました。片手間ではカルト宗教とは戦えない。戦うなら、僕の人生全体を使う必要がある。 でも、僕には僕の人生があって、僕はこの友人のために自分の人生は使えない。それが、当時の僕の結論でした。 じーこさん。こんなことを書いてごめんなさい。でも、お母さんを陰謀論から抜け出させるためには、お母さんの不安や淋しさを丸ごと引き受ける必要があるだろうと僕は思っているのです。 それがどれほど大変なことか。あらためて書くまでもないでしょう。じーこさんや弟たち、父親の人生全体が問われるのです。 でも、陰謀論はそれぐらい手ごわい相手だと僕は思っているのです。 できる限り、家族全体で母親の「不安と淋しさ」を分担して引き受けるという方法があるかもしれません。 長電話をやめて、簡潔に対応するようにして、母親の変化を定期的に見るという方法もあるでしょう。「世間」を失うことで陰謀論から戻るのか。さらに進むのか。 ちなみに、僕が対応できなかった別な友人は、最後の最後、カルト宗教が用意したイベントに参加する直前、踏みとどまりました。そのイベントは、友人の人生そのものを決めるイベントでした。彼女はカルト宗教と引き換えに、自分の「世間」をすべて失うことを拒否したのです。 じーこさん。僕がアドバイスできるのはここまでです。じーこさんにはじーこさんの、弟たちには弟たちの、父には父の人生があると思います。その中で、どれだけの時間とエネルギーをお母さんに使えるかは、それぞれの人が決めることだと思っているからです。 じーこさん。切なくて苦しくて本当につらい戦いだと思いますが、心から応援します。■本連載の書籍化第3弾!『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』が発売中です!

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    【独自】コロナ病床30~50%に空き、尾身茂氏が理事長の公的病院 132億円の補助金「ぼったくり」

     政府分科会の尾身茂会長が理事長を務める地域医療機能推進機構(JCHO)傘下の東京都内の5つの公的病院で、183床ある新型コロナウイルス患者用の病床が30~50%も使われていないことが、AERAdot.編集部の調査でわかった。全国で自宅療養者が11万人以上とあふれ、医療がひっ迫する中で、コロナ患者の受け入れに消極的なJCHOの姿勢に対し、医師などからは批判の声があがっている。 編集部が厚労省関係者から入手した情報によると、JCHO傘下にある都内5病院のコロナ専用病床183床のうち、30%(8月29日現在)が空床であることがわかった。 5病院のうち最もコロナ患者の受け入れに消極的だったのは、東京蒲田医療センターだ。コロナ専用病床78床のうち42床が空床で、半数以上を占めた。その他には、東京山手メディカルセンターは37床のうち35%(13床)が空床となっている。東京高輪病院は18床のうち10%強(2床)が空床だった。東京新宿メディカルセンターはコロナ専用病床50床が満床だった。東京城東病院はこれまでコロナ専用の病床はゼロだ。 都の集計によると現在、自宅療養者は2万人以上、入院治療調整中の患者は約6800人に上る。厚労省関係者はこう批判する。「尾身氏は国会やメディアで『もう少し強い対策を打たないと、病床のひっ迫が大変なことになる』などと声高に主張していますが、自分のJCHO傘下の病院でコロナ専用ベッドを用意しておきながら、実は患者をあまり受け入れていない。こんなに重症患者、自宅療養者があふれているのに尾身氏の言動不一致が理解ができません。JCHOの姿勢が最近になって問題化し、城東病院を9月末には専門病院にすると重い腰を上げましたが、対応は遅すぎます。そもそもコロナ病床の確保で多額の補助金をもらっていながら、受け入れに消極的な姿勢は批判されてもしかるべきではないか」 厚労省はコロナの患者の受け入れ体制を整えるため、コロナ専用の病床を確保した病院に対して、多額の補助金を出している。 例えば、「病床確保支援事業」では新型コロナ専用のベッド1床につき1日7万1千円の補助金が出る。ベッドは使われなくても補助金が出るため、東京蒲田医療センターでは使われていない約40床に対して、単純計算で、1日284万円、1か月で約8500万円が支払われることになる。 その上、新たに重症患者向けの病床を確保した病院に1床あたり1950万円、中等症以下の病床には900万円を補助するなどの制度もある。JCHOが公表したデータによると、全国に57病院あり、稼働病床は約1万4千床。そのうち、6・1%にあたる870床をコロナ専用の病床にしたという。これまでいくらの補助金をもらってきたのかJCHOに尋ねると「すぐには回答ができない」(担当者)という。 しかし、厚労省関係者から入手した情報によると、2020年12月から3月だけでもJCHO全57病院で132億円の新型コロナ関連の補助金が支払われたという。「コロナ病床を空けたままでも補助金だけ連日、チャリチャリと入ってくることになる。まさに濡れ手で粟で、コロナ予算を食い物にしている。受け入れが難しいのであれば、補助金を返還すべきです」(厚労省関係者) JCHOは厚生労働省が所管する独立行政法人で、民間の病院とは異なり、公的な医療機関という位置づけだ。JCHO傘下の病院はもともと社会保険庁の病院だったが、公衆衛生の危機に対応するため、民営化はせずに独法として残った経緯がある。尾身氏は厚労省OBでJCHO理事長に14年より就任している。  医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏は「JCHOの存在意義が問われる」と指摘する。「世界では国公立などの病院が先ずは積極的にコロナ患者を受け入れている。日本でも当然、国公立やJCHOなどの公的医療機関が受け入れるべきでしょう。そもそもコロナ患者を受け入れる病床数も少ないですし、このような危機的な状況で患者受け入れに消極的というのであれば、補助金を受け取る資格はないし、民営化したほうがいいのではないでしょうか」(上氏) JCHOの見解はどうか。AERAdot.編集部が、JCHOにコロナ患者の受け入れの実態を質すと、8月27日現在の数字として、5病院全体では確保病床の30%が空床であり、東京蒲田医療センターでは約50%が空床であることを認めた。 尾身氏のコメント全文は後述するが、コロナ患者の受け入れに消極的なことについて、東京蒲田医療センターの石井耕司院長は書面で以下のように回答した。「JCHOは、国からの要請に基づきJCHO以外の医療逼迫地域(北海道・沖縄等)の病院へ、全国のJCHO病院から看護師の派遣を行ってきました。しかし、全国的な感染拡大に伴い、各地域においても看護師のニーズが高まってきた結果、全国のJCHO病院から当院への派遣が困難となってきました。(中略)今回、国や都からの受け入れ増加の要請に応えるため、8月16日から看護師を追加で確保し、受け入れ増加に向けて取り組んでいます」 補助金を返還するつもりはあるのか。尾身氏、東京蒲田医療センターの石井院長ともに「JCHO全体の取り組みについて、国や自治体からの要請に応じてきたものであり、東京都の令和3年度新型コロナウイルス感染症緊急包括支援事業(医療分)実施要綱に基づき申請を行ったものであります」と回答するにとどめた。返還するつもりはなさそうだ。「蒲田医療センターに関しては、8月初旬ではコロナ患者の受入は20数人で搬送要請を一貫して避け続けていた。恒常的に人手が足りずに対応できないのなら、補助金だけ受け入れ続けるのは、あきらかなぼったくりだと思います」(前出の厚労省関係者) 人手不足については、「非常勤の医師や看護師を本気で集めれば、対応できる」(上氏)などと疑問の声があがる。 この危機的状況においてどこまで本気で取り組むか。理事長たる尾身氏の手腕が問われている。(AERA dot.編集部・吉崎洋夫)*  *  *尾身茂氏からの回答全文は以下の通り 私共、JCHOは、これまでに国からの増床の要請について、全国のJCHO病院、特にJCHO都内5病院と連携・役割分担しながら対応してきました。この結果、都内JCHOの5病院では全病床の13%程度にあたる189床のコロナ病床を確保しました。 昨日、東京蒲田医療センターの石井院長が回答したとおり、東京蒲田医療センターにおいては、新型コロナウイルスの発生初期より、国からの要請に積極的に応えてきました。 例えば、クルーズ船患者の受け入れの際に1病棟(29床)を確保、さらに、令和3年2月には、もう1病棟(49床)の患者さんの転院等を行い、コロナ専用病棟に転換しました。その際、新たに生じる看護師不足については、全国のJCHO病院からの派遣によって確保してきました。 また、JCHOは、国からの要請に基づきJCHO以外の医療逼迫地域(北海道・沖縄等)の病院へ、全国のJCHO病院から看護師の派遣を行ってきました。しかし、全国的な感染拡大に伴い、各地域においても看護師のニーズが高まってきた結果、全国のJCHO病院から東京蒲田医療センターへの派遣が困難となってきました。 このため8月27日(金)時点では、東京蒲田医療センターでは5割程度の受入れとなっておりますが、JCHOの都内のその他の病院では確保病床の9割程度を受け入れており、全体では確保病床の7割程度の受け入れとなっております。 東京蒲田医療センターでは、国や都からの受け入れ増加の要請に応えるため、8月16日から看護師を追加で確保し、受け入れ増加に向けて取り組んでいます。 なお、JCHO全体の取り組みについて、国や自治体からの要請に応じてきたものであり、東京都の令和3年度新型コロナウイルス感染症緊急包括支援事業(医療分)実施要綱に基づき申請を行ったものであります。

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    刑期を終え“銭湯のオヤジ”になった柔道元金メダリストの内柴正人「五輪直前、高藤直寿から相談受けた」

     東京五輪もいよいよ大詰め。今大会では日本柔道チームが五輪史上最多の9個の金メダルを獲得するなど、目覚ましい活躍を見せた。 そんな後輩たちの活躍を、熊本県八代市内の銭湯の従業員として、テレビ越しに見守る金メダリストがいた。男子柔道66キロ級で、2004年のアテネ・08年の北京と2連覇を果たした内柴正人氏(43)だ。 内柴氏は現在、銭湯「つる乃湯 八代店」に勤務。“あの事件”を機に柔道界を遠ざかり、栄光と挫折を知ったアスリートは、新たな人生をどう歩み、後輩たちの活躍をどう見たのだろうか。「日本開催で金ラッシュは嬉しいです。凄いとしか言いようがない」 後輩たちの活躍について、内柴氏は嬉しそうに感想を語る。「皆が五輪を見れるように」と、自宅にあったテレビを銭湯の休憩スペースに設置した。ディスタンスを保ちつつ、常連客やスタッフらと観戦することもある。「これだけ多くの階級で金メダルを取れるというのは、歴史的にもないこと。個々の強さもありますが、一人一人の力を引き出すチームジャパンの監督も見事ですし、チームの雰囲気も良かったのだと思います」 当初は五輪観戦に対して、心に壁のようなものがあったという。職場の上司からも、「いろいろなことがあったし、お前は大会を見るのも嫌だろう」と気遣われた。「どうしても、『戦いたい』と思ってしまうんです。引退した選手は誰もが思うことかもしれませんが、普通は引退したら、指導者をやりながら大人になっていきます。僕は指導者としての時間がとても短く終わってしまったので、まだ子供のまま。五輪の舞台はもう僕が入れない世界ですから、モヤモヤをコーチとして選手に託すこともできない」 2連覇の功績が認められ、内柴氏は紫綬褒章を2度受勲するなど、数々の栄誉に輝いた。だが2011年、教え子だった女子柔道部員への準強姦容疑で警視庁に逮捕され、事態は一変。「合意の上」として裁判で争ったが、14年には最高裁で上告が棄却され、懲役5年の実刑判決を受けた。この件によって数々の栄誉賞ははく奪され、五輪2連覇の男の名声は地に落ちた。内柴氏は過去を振り返り、後悔をにじませる。「反省するべき点ばかりです。自分が起こしたことの悪い部分は反省して、裁判で結果が出た以上は、最後までまっとうしようと。実家の父や家族についても、しつこくカメラに追い回されて憔悴していましたし、たくさん心配をかけたと思います」 事件を機に、地位やお金、離婚で家族も失った内柴氏。精神的にも追い詰められ、うつになって薬を飲むこともあったという。刑務所での服役中は、紙に柔道に関する思いを書き連ねて過ごした。そうしないと、自分を保てなかったからだ。「自分の柔道は終わったというのは分かっていたんですけど、当時の僕には柔道のほかに経験や知識がなかったので、新しいことを考えることもできず……。柔道のことを書きなぐること以外に、自分を保つ方法がなかった。吊り手の位置から、膝の使い方、腰の角度まで、技を全部分解してみたり、柔道で感じたことや身に付けたことを自問自答したりして、すべて文字に起こしてました。それでどうにかこうにかって感じです」 17年の出所後は、もう一度自分の人生を立て直すことに目を向けた。「健全な精神は肉体から宿る」の考えにのっとり、たとえ柔道ができなくても体を動かすことをしようと、「柔術」のジムに弟子入り。師範の家に住み込み、トレーニングに打ち込んだ。そこでキルギスの柔道連盟の関係者に出会った縁で、18年7月から19年12月まで、キルギス柔道連盟の総監督として指導。異国の教え子を率い、世界選手権に進出した。「帰国後に、格闘技イベント『RIZIN』に誘ってもらったこともあったのですが、スポンサーから許可がおりないといった事情があって、思うように活動できなかった。そんな時、今勤めさせてもらっているお風呂屋さんの社長に、『地元に貢献できるお風呂屋さんで、一社会人として勝負しませんか』と声をかけていただいて。そのお風呂は自分が現役時代から使っていた場所で、愛着がありました。実家を離れて東京で長く暮らしてきたので、熊本で年老いた父と過ごす時間を大切にしたかったし、地元での暮らしも良いんじゃないかと」 現役時代は柔道ばかりで、前妻にはたくさん苦労をかけたという内柴氏。今は新たな妻と1歳の子供がいて、地元で家族と一緒にいる時間を大事に過ごすようになったという。ただ、40代にして“異業種中の異業種”ともいえる銭湯での社会人デビューは、苦労の連続だった。「『いらっしゃいませ』と言う経験がなかったので、自分にできるのか不安でした。あとは、損得勘定も一から勉強して。一から学ぶのが大変だったんですけど、新しいことができるようになるのは楽しいですね」 仕事における師範は、社長と本店のマネージャーだ。ボイラー技士2級と危険物取扱者の資格も取得。モーターなど機械の不具合があれば分解し、まずは自分で直せないか試みる。「一生懸命修理して、次の日の朝、自動運転でお湯が湯舟に入っていく姿を見ると、感動するんです。それこそ、柔道時代に苦労していた減量に成功した時と同じくらい嬉しい。普通に働くことのすばらしさを実感しています」 働きぶりが認められ、現在は八代店の店長として1店舗を切り盛り。売り上げを計算し、スタッフのシフトを作り、人が足りないところには自分が入り、機械が壊れれば修理もする。いわば何でも屋だ。 内柴氏の方向転換には、家族の反対もあった。「妻をはじめ家族は今でも、僕には『柔道にこだわって、いけるところまでいってほしい』と言ってくれるんです。銭湯に就職する時には全く違う分野だったので、なんで?と残念がられて。指導者として柔道に関わってほしいというのはひしひしと感じます」 それでも銭湯で働くことを選んだことには、こんな思いがある。「今は自分で働いて力をつけていく時期。生活の基盤さえしっかり作って誰にも文句言われないぐらいしっかり仕事を頑張れば、だんだんと社会に受け入れてもらえるようになる。環境は、自分の頑張り次第で作っていけると信じてやっています」 そんな内柴氏は、東京五輪で活躍する後輩たちをどう見たのか。五輪開催前の6月末、60キロ級で金メダルを獲得した高藤直寿選手から「五輪、是が非でも取りたいので相談させてもらってもいいですか」と連絡を受けた。「1度会って30分ほどのスパーリングをし、組んでみて感じたことをアドバイスしました。例えば、待っている時間が長いように見受けられたので『得意技があるのはわかるけど、自分からプレッシャーをかけて試合全体の流れを自分から作ったほうがいいかもよ』といったことです。あとは、1度タイトルを取るとコーチから『チャンピオンなんだから』と、アドバイスをもらう機会は少なくなりがち。僕自身も孤独になった経験をしました。そこで、コーチに自分がどういう練習をしたいかを伝え、試合の時にコーチにかけてもらう言葉の内容まで、自分から提案するようにしていたんです。そうした自分の経験を伝えました」 高藤選手の戦いがどうしても気になってしまった内柴氏は、五輪への心の壁はありつつも、テレビをつけて観戦した。画面越しの高藤選手は、決勝戦で台湾の楊勇緯選手との延長戦を粘り強く戦い抜き、60キロ級で今大会第1号となる金メダルに輝いた。「高藤選手の活躍が、僕の五輪への拒絶心、壁のようなものを払しょくさせてくれました。おかげで今大会は、本当に五輪を楽しむことができています。五輪経験者でタイトルを取った僕が五輪を楽しまなかったらどうするんだという気持ちになれたんです」 今は仕事に励みつつ、グラップリングルールを採用した(打撃を禁止とし、投げや関節、絞め技などの組み技のみ有効とする)格闘技イベント「QUINTET」に出場しながら、グラップリングと柔術の経験を積んでいる。柔術は、始めて3年で茶帯だ。「柔術とグラップリングに関しては、素人に毛の生えたようなもの。柔道では相手の心の中が見えることもありましたが、柔術とグラップリングに関しては、一手先・二手先までしかわからない。でも、柔道で学んだ教わり上手は生きています」 才能のある次世代選手が次々と輩出される柔道界。柔道に対して未練はないのだろうか。「もちろん柔道はやりたいですが、僕が表に出ると目立ってしまいます……。今は週に1度、地元の大学生に教えるくらいです。日本では難しいので、もしも柔道を諦めきれなくなったら、もしかしたらまた海外に行ってしまうかもしれないですが、それは0・2%の可能性の話。メダリストにとって、現役引退後は日本の柔道トップ選手を育てるのも一つの夢かもしれないですが、今は仕事を頑張りつつ、新しく始めた柔術・グラップリング、それに柔道の3競技で、地元の方々と関わりたいという目標にシフトチェンジしました」 当初は自分が社会に出ることを許すだろうかという葛藤があった内柴氏だが、今では地元の支えを感じている。「QUINTETに出るようになってから、顔なじみのお風呂の常連さんが応援してくれますし、店舗スタッフのみんなが僕のトレーニングの時間を作るためにシフトを融通してくれることもあります。店舗の一角で練習しているんですが、そこに柔術のジムの先生や、大学の柔道部の学生などが集まってくれて、一緒に汗を流してくれます。地元の支えがなければ、僕は立ち直れていなかったと思います。阿部一二三選手がチャンピオンになって感謝の言葉を述べていましたが、僕も熊本県の皆さんやいろんな方々に本当に感謝して、一日一日を過ごさせてもらっています」 地元の支えもあって、かつての金メダリストは第二の人生を歩み始めている。五輪の後輩たちの活躍は、そんな彼の活力源になっているようだ。(取材・文=AERA dot.編集部・飯塚大和)

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    初代バチェラー・久保裕丈、薄暗い倉庫で地道に作業…新ビジネスは儲け薄?

     かつての起業家が「意思ある投資家」として、次世代の起業家を育てる。そんな循環の中心にいる人々に迫る短期集中連載。第1シリーズの第4回は、家具や家電を定額で貸し出す「CLAS(クラス)」代表取締役で、「初代バチェラー」でもある久保裕丈(40)だ。AERA 2021年9月13日号の記事の1回目。 *  *  * 「日本一、薔薇(ばら)とシャンパンが似合う起業家」に会うため、東京都江東区新砂に向かった。  東京湾を埋め立てた広大な土地には倉庫や工場がずらりと並ぶ。アマゾンや楽天といったネット通販が急伸し、倉庫の増加も凄(すさ)まじい。シンガポールの物流系企業GLPが運営する「新砂2号棟」もその一つだ。  8月上旬のよく晴れた朝。まだ9時というのに外は猛烈な暑さだ。貨物用の巨大なエレベーターを5階で降りると、天井まで届きそうなラックにソファや椅子や冷蔵庫や洗濯機がうずたかく積まれている。その裏ではヒューンという機械音が鳴り響き、何かを削っているようだ。倉庫内は30度を超す。事務机が並ぶ一角では業務用の巨大な扇風機がうなりを上げている。 「おはようございます。早くからすみません。昼になると、ここの暑さはちょっとヤバいんで」 ■初代バチェラーに抜擢  その男が現れた瞬間、薄暗い倉庫の中でその場所だけがパッと明るくなった。扇風機が運んでくる潮風を顔に受け、長い髪を軽くかき上げる。明らかに「見られること」を職業とする人の所作だった。非常階段の向こうに見えるヨットハーバーの方がはるかに似つかわしい。  久保裕丈(40)。家具や家電を「月額いくら」で貸すサブスクリプションサービスを手がける「CLAS(クラス)」を2018年に立ち上げた創業社長だ。動画配信サービス「Amazonプライム・ビデオ」の恋愛リアリティーショー「バチェラー・ジャパン」の初代バチェラー(独身男性)と紹介した方が分かりやすいかもしれない。  この番組は社会的地位を確立した才色兼備の独身の元に集まった25人の異性が、2カ月にわたって非日常的な空間でゴージャスなデートを繰り返し、誰がバチェラーの心を射止めるかを競う。毎回のデートの最後にある「ローズセレモニー」で、薔薇を渡された異性だけが次の回に進める。02年に米国で配信が始まるや大ヒットとなり、日本でも17年から同じフォーマットの番組が作られることになった。  久保は女性たちと華麗なデートを繰り広げ、毎回、最後に「薔薇を渡せなくてごめんなさい」と数人を振り落とす。大抵の女性は目に涙を浮かべ、時には「ほんと見る目ないですね」と捨てぜりふを残して去っていく。ある意味つらい立場である。タレントやモデルなどさまざまな経歴を持つ女性たちが「結婚したい!」と夢中になるには、誰もが納得するスペックを備えていなくてはならない。 ■東大卒のハイスペック  久保は東京大学大学院を出て米系コンサル会社A.T.カーニーに入った。12年には女性向け通販サイト「MUSE&Co.(ミューズコー)」を設立。その後売却し、CLASを立ち上げた。バチェラーの出演時点で社会的地位が確立していたかどうかはさておき、冒頭に書いた通り「イケメン」であり、趣味のキックボクシングで体も鍛え上げられている。ため息が出るようなハイスペックだ。  番組に登場した久保はタキシードやスーツに身を包み、クルーザーやプライベートジェットの前に颯爽(さっそう)と現れた。番組の外に出ても、彼にふさわしい場所といえば、六本木ヒルズや東京ミッドタウン、あるいは西麻布や南青山の瀟洒(しょうしゃ)なマンションにあるオフィスが思い浮かぶ。しかし実際に彼がいるのは、薄暗くて埃(ほこり)っぽい倉庫の中。そのギャップに戸惑った。  久保が今、夢中になっているビジネスも、驚くほど地味である。サブスクと横文字で書けば今風だが、その実態は泥臭い。  利用者は月440~数千円で家具や家電製品を借りられる。料金には配送料、設置料、保険料も含まれていて、季節や好みに合わせて衣替えをするように家具や家電を取り換えられる。 「所有」するのは面倒だが「利用」はしたい。カーシェアやシェアオフィスと同じ種類のサービスだ。家や車を持つのが成功の証しで、ローンに追いまくられたのが筆者らバブル世代。だが子供たちは物を持たず、ローンも組まず軽やかに生きる。 「『暮らす』を自由に、軽やかに」。CLASのビジョンは、そんな若者世代の価値観を見事に捉えている。  だが、サービスを提供する作業は至って地道だ。センスのいい家具や家電を見つけて仕入れる。倉庫に戻ってきた製品は新品同然に修繕し、新たな借り手が現れれば、すぐに送り届ける。手間がかかる割に儲(もう)けは薄い。  なぜ久保ほどの「ハイスペックな男」が、地道なビジネスを喜々としてやっているのか。その謎を解くには、久保の生い立ちまでさかのぼる必要がある。 (敬称略)(ジャーナリスト・大西康之) ※AERA 2021年9月13日号より抜粋

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    「ダウン症の娘を守りたい」と願う36歳母親に鴻上尚史が語る「障害のある子を人々の悪意から守るたった一つの方法」

     ダウン症の娘をもつ38歳母親が、人々の悪意が我が子に向けられたらと不安を吐露。「気持ちの持ち方についてアドバイスを」と問う相談者に、鴻上尚史が答えた「障害のある子を守るたった一つの方法」とは?【相談116】障害のある娘をどうしたら人々の悪意から守れるのか(36歳 女性 くじら) 鴻上さん、はじめまして。いつも楽しくそして何度も頷きながら拝読しております。 私は現在36歳で、共働きで保育園に通う2人の子供を育てています。 我が家の次女は、ダウン症があります。産後すぐは、長女になんて申し訳ないことをしてしまったんだろう、どうしたら妊娠前に時間が戻せるんだろう、などと今思うと最低のことを思ってしまったこともありました。しばらくは次女といても気持ちに靄がかかったような状態だったものの、次女の可愛さが少しずつそれを晴らしてくれ、今ではこの子じゃなければよかったという気持ちは1%もないと自信を持って言えます。 幸い周りの環境にも恵まれ、保育園の先生方や主治医など優しい方々に囲まれて、なにより子供たちの可愛さに救われて(大変さも同じくらいありますが……)楽しく毎日を過ごしています。 さて、ご相談したいのはこれから次女が成長し、学校、社会に出て行く中で、どうしたら悪意のある人から守れるのか、ということです。つい先日某ミュージシャンの過去の行為がニュースになり、同じように不安に思い動揺している方がたくさんいるのではないかと思います。大きくは次女に限らず、健常である長女を含め、全ての子供たちに関わる問題だと思います。 あのニュースを見てから(過去の記事を全て読んだわけではないのですが)心がえぐられたような感覚が消えません。被害に遭われた方を思うと涙が出ますし、次女にそんなことが起こったらと思うと、動悸がして胸が苦しくなります。 親ができることとしてはとにかく環境をよく考えて選んで、できる限りのことをするしかないのだとは思っています(被害者の方のご両親がよく考えていなかったということでは全くありません)。 ただ、次女の出産後これほどの悪意が世の中にあることを想像したことがなく(電車などでちらちら見られるくらいのことはありましたが)、次女にもいろんな経験をして好きなことを見つけてほしいと考えており、それが子育ての希望にもなっていたため、「そんなことよりも、とにかく安全に過ごせる場所にいさせてあげなくては」と自分が次女を狭い世界に閉じ込めてしまうようになるのでは、ということも不安です。 例えば小学校も、長女も通う予定の地域の小学校で(普通級ではなく支援学級になると思いますが)健常の子たちとも関わりながら生活をするのが次女の成長にとっても良いのではないかと思い(そしてダウン症児の親としては、ハンディキャップがある子が当然に身近にいる環境で育つことで、周りの子供たちが障害に対してフラットな「いろんな子がいて当然だよね」という意識を持って成長してくれたらいいな……という願いもあり)、入学を希望していましたが、それにも少し不安を感じてしまっています(通う予定の学校について悪い評判を聞いたことはないので、大丈夫だろうと頭では思っているのですが)。 大変長文になってしまい申し訳ありません。「子供たち、特に障害のある子をどうしたら悪意から守れるのか」ということについて完全な策はないのではと思うので、それを教えてほしいというわけではないのですが、このような問題について鴻上さんのお考えや、気持ちの持ち方についてアドバイスをいただけたら大変うれしいです。 もしこの相談を取り上げていただけたら、それを読んで同じように障害のある子を育てているパパ、ママたちの動揺する気持ちが少しでも穏やかになり、元気に子供たちに向き合えるようになったら、と願っています。【鴻上さんの答え】 くじらさん。暑い日が続いていますが、毎日の子育てはいかがですか? くじらさんが書かれているように、僕も「『子供たち、特に障害のある子をどうしたら悪意から守れるのか』ということについて完全な策はない」と思っています。 とても残念なことですが、問題を一気に解決するような万能な策はないでしょう。 ただ、「次善の策」はいくつかあると思っています。 そのひとつは、これもくじらさんが書かれている「周りの子供たちが障害に対してフラットな『いろんな子がいて当然だよね』という意識を持って成長して」くれる環境を用意することでしょう。 そのためには、「ハンディキャップがある子が当然に身近にいる環境」で、子供だけでなく大人も生活できることですよね。 僕は小学生の時、商店街が主催したツアーに一人で参加しました。祖父母は米穀商を営んでいて、商店街のまとめ役だったのですが、祖父母も両親も参加せずに、何故か僕一人だけが誘われました。たぶん、キャンセルが一人出て、「じゃあ、鴻上さんのところの孫を入れてあげよう」となったんじゃないかと、今となっては想像しています。 他の参加者は、みんな商店街の人達とその友達や関係者でした。 旅館に着いて、いきなり、一人の男性に話しかけられました。30歳前後に見えましたが、言葉がはっきりせず、何を言っているのか、よく分かりませんでした。 小学生だった僕は身構えて、身体が強張りました。 すると、ツアーに参加した人が、その男性に「どうしたの?」と声をかけました。 その男性は一生懸命、声をかけた人に話しました。「ははあ。君はお米屋さんの孫なの?と聞いているよ」 と、にっこり笑って、その人は僕に説明してくれました。 僕はあらためて、男性の顔を見ました。満面の笑みで、僕にむかってうなづいていました。僕もあわてて、うなづきました。「よしちゃんの言ってることは分かりにくいんだけど、よく聞けば分かるから」。説明してくれた男性は、あっさりとそう言いました。 部屋は、男達数人の相部屋でした。 食事の後、中学生や高校生、そして大人達とよしさんが一緒になってワイワイと話していました。 よしさんが必死になって何かを話し、高校生が「よしさん。何言ってるか分かんねーよ」と笑いながら突っ込み、よしさんがその言葉を聞いて大笑いし、大人が「いや、俺は分かる!」と解説し、でもよしさんが「ちがう」と訂正して、会話は続きました。 よしさんと一緒に笑っている人達は、みんな、よしさんの知り合いでした。よしさんと会話して、分かったり分からなかったりしながら、突っ込んだり、笑ったり、ムッとしたりするのが日常のようでした。 笑いの中には親しさしかありませんでした。バカにするとか、排除するという匂いはまったくありませんでした。 なによりも、よしさんと普通に接していることが、小学生の僕には驚きでした。言ってることが分からない時は分からないと言い、はっきりしゃべってない時はもっとはっきりしゃべってと言い、筋が通ってない時はこういうことなの?と確かめる。じつに、普通の会話でした。 今から思えば、よしさんは知的障害に分類されるのだと思います。でも、男部屋で一緒に寝た人達は、それが障害ではなく、よしさんの個性として当り前に接していたのです。 それは小学生だった僕には、本当に衝撃的な体験でした。ハンディキャップのある人達に対する接し方が、180度、完全に変わりました。 僕の通っていた小学校では、支援学級(昔はこの言葉ではありませんでしたが)がありましたが、どう接していいか分からず、ただ距離を取ったり、先生に言われた義務感から話しかけたりしていました。 ですが、僕はこのツアー以降、普通に接するようになりました。距離を取ったり、無理に話しかけるのではなく、目があったり、すれちがったり、空気を感じた時に自然に声をかけました。 あのツアーの体験がなかったら、決してそうはならなかっただろうと思います。 商店街のツアーは、今からもう50年も前の話で、まだ地域の共同体が健全に機能していたんだなと感じます。地域にはさまざまな人達がいて、さまざまな人達がいることが当り前で、さまざまな人達と共に生きることが当然なんだと、みんなが地域を大切にしていた時代だと思います(それは「世間」が機能していたということで、この強い「世間」から弾き飛ばされると、いきなり人々は牙をむくのですが、それはまた別の話です)。 さて、くじらさん。「障害のある子を悪意から守る」ためには、障害があることが特別なことではないと、多くの日本国民が思えることが重要なことだと思います。 それは、本当は健全な想像力があれば、分かることです。人間を「障害」や「生産性」で切り捨ててしまうことは、自分がそうなる可能性をまったく想像してないということです。 でも、人生は何が起こるか分かりません。病気や事故で、以前の「生産性」を失い、「障害」を持つようになる可能性は誰にもあります。自分は絶対にそんなことにならないと断定できる人がいるとしたら、僕には信じられないことですが、今、たまたま自分がそうでないというだけの理由で、「そういった社会的弱者」を切り捨て、悪意をぶつけることは、自分で自分の首を絞めることなのです。率先して自分自身が生き難い世の中を作っているということです。 と書きながら、私達は「当事者にならないと分からない」ことがよくあります。接客業に就いて初めて客の横柄な態度のインパクトに驚いたり、子供を持って初めて親の苦労が分かったり、リーダーにされて初めて人を指導することの難しさに苦しんだりするのです。 でも、「当事者にならない限り気持ちが分からない」のでは、いろんなことが手遅れになってしまいます。そのために想像力を使うのですが、それが不十分な時は、「当事者から話を聞く」という方法があります。 接客業に就く前に接客業の人から話を聞き、子供を持った人から子育ての苦労を聞き、リーダーになっている人から人を導く苦しさを聞くのです。 そうして、自分の不十分な想像力を補うことが、よりよく生きる方法だと僕は思っています。 だからこそ、くじらさんの相談を取り上げさせてもらいました。 くじらさんの相談は、まさに「当事者の話」です。くじらさんの苦労や苦しみを知っていくことが、「障害のある子を悪意から守る」ための一つの方法だと僕は思っているのです。 この相談を読んだ多くの人が、「いじめはそもそも許しがたいのに、障害のある子をいじめるなんてのは、言語道断、絶対に見過ごさない」と思ったり、「なるほど。なるべく障害のある子と一緒に過ごす時間を作ればいいんだ。そして自然に接してみればいいんだ」と思ってもらうことが、この国の多くの人の意識を変えていくことだと思っているのです。 名作映画『チョコレートドーナツ』を見る前と後で、ダウン症児に対する意識がまったく変わった知り合いがいます。人は、知ることで変わる可能性があるのです。 どうですか。くじらさん。 長い道ですが、少しずつ少しずつ、当事者の思いを伝え、本当の姿を知らせていくことが、ぶつけられる悪意を減らす一歩だと僕は考えているのです。 そのためにも、僕自身、作家・演出家として、できることはしようと思っています。 くじらさんの子育てを心から応援します。■本連載の書籍化第3弾!『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』が発売中です!

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    手越祐也に単独インタビュー「テレビ無料でもでますよ」

     2020年6月にジャニーズ事務所を退所後、YouTuberやミュージシャンとして活躍する元NEWSの手越祐也(33)。ジャニーズ事務所退所の記者会見と同時にスタートしたYouTube「手越祐也チャンネル」は、現在、登録者数が162万人の人気チャンネルに成長。ソロアーティストとしての音楽活動も本格的に始動し、今年8月には、6カ月連続となるデジタル・シングル・リリースの第2弾「ARE U READY」の配信がスタートした。その手越がAERA dot.の取材に応じ、退所後の1年間、テレビに対する思い、今後について語った。 *  *  *――独立から1年。振り返って、ジャニーズ事務所退所の判断は正しかった?100%、正しかったと言い切れます。あのタイミングしかなかったと思います。――昨年10月のインタビューでは「エンターテイナーになりたい」とお話しされました。その気持ちは変わっていませんか?同じです。もう、やりたいことがめちゃくちゃたくさんあって、今後がものすごく楽しみです。経営者として会社を大きくしたいですし、表現者として応援してくれる方たちを笑顔にしたい。そして日本の芸能界をキラキラした夢のある世界にしたいというのが最大の目標です。――以前よりも発言が個人よりも全体を俯かんしたものになっている気がします。独立前から芸能界だけの付き合いだけじゃなく、他業種の人との交友関係を大切にしてきました。彼らは5年後、10年後の未来を見据えて話をするので、何を話しているのかわからなかったこともありましたが、しだいに自分にとって刺激的な関係になっていきました。そうした時間を共有するなかで、「このままだとエンタメは世界に取り残される」という危機感を感じるようになり、それから自分自身ことを客観的に見つめたり、芸能界の行く末を考えたり、日本だけではなく世界を視野に入れた見方をするようになったんです。――芸能界を変えるために「裏方」に徹することも考えていますか? そもそも僕は目立つために芸能界に入っているので(笑)。だから表から退くことはありません。ステージに立つことは最高に幸せなことだし、YouTubeも楽しいし、ずっと笑っていられているので。――独立前はテレビの世界で大活躍でした。独立後はほとんど出演していません。なぜでしょうか?いろいろと事情があるんだと思います(笑)。独立してから、民放キー局からのオファーはありません。もちろんオファーがあれば出演して全力を尽くしますが、一方でこの1年間テレビに出ていなくても経営という面では全く問題はない。だから出演料が厳しいという事情があったりしたら無料でも出ますよ。 ――大手事務所から独立した芸能人の受け皿になるという考えはありますか?もちろん考えています。でも、僕がエンターテイナーであることは変わりませんので、表舞台から退くことはありません。だから両方やります。受け皿としてやるのであれば必ずタレントファーストにしたい。事務所があるからタレントは儲かるのではなく、タレントがいるから事務所は儲かるというのが大前提になります。金銭面についても方針についても事務所が原因でタレントが悩んでいるという事例が多い。僕だったらタレントが事務所を辞めなくてよいくらいの自由と収入を与える。それが事務所にとっての利益に繋がる。そういう面ではYouTuberと事務所との関係性に近いと思います。――YouTubeに「手越祐也チャンネル」を開設して1年が経ちました。YouTubeは、あいかわらず楽しくやっています。ただ、僕は純粋なYouTuberではないので、視聴回数や収益を稼ぐことが最重要事項になることはありません。僕やスタッフ、そして視聴者が楽しんでくれることが最優先です。そうした方針のもと、これからは音楽活動にも力を入れていきます。一番の持ち味であるボーカルや音楽の部分をもっと見たいと思ってくれているファンはいますし、そのほうが満足度の高いチャンネルになると思います。――今後について教えてください。独立して、今までできたことができなくなったこともあれば、その逆もあります。比較すると、差し伸べてくれる手は独立前よりも多い。そこには足元を見る人もいるので見極めは必要ですが、「こんな世界があるんだ」と新発見がいっぱいある。7月7日から始まった6カ月連続のシングル曲のリリースが大きな音楽活動のスタートになる。「みなさんの前で歌いたい」という気持ちはものすごくあるし、やりたい。コロナでなかなか難しい状況ではありますが、年内には生で歌う手越をみなさんにお見せしたいと考えています。この1年は僕だけでなく応援してくれているファンにとても怒涛の1年でした。本当に感謝しかありません。本当に頭が上がりません。ここまで信じて僕と付き合ってくれるんだから、たぶん一生離れられない関係になれたと思います。そういう人たちのためにも、そして自分自身のためにも刺激的な活動を続けていきます。(AERAdot.編集部) ■この動画の記事を読む

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    菅義偉とは何者だったのか 望月衣塑子記者が語る「権力に酔って、権力に負けた」悲しき首相の最後

     まさに、逃げるような退任劇だった。菅義偉首相の自民党総裁選不出馬が報じられた3日、13時からの囲み取材では「総裁選よりもコロナ対策に専念する」とだけ語り、記者の相次ぐ質問を振り切った。この1年の菅政権とは一体何だったのか。ほぼ何も説明もせず、首相の座を放り出した菅氏とは、結局、どのような人物だったのか。官房長官時代から「天敵」として菅氏を鋭く追求してきた東京新聞の望月衣塑子記者に聞いた。*  *  *――急転直下の辞任劇でした。内閣支持率が危険水域に入り、「菅おろし」の声も大きくなってはいましたが、総裁選直前にこのような形で辞任するとは想定外でした。どう受け止めましたか。 世論の逆風が吹く中で総裁選モードに突入しましたが、途中までは実に菅さんらしいやり方だったと思っていました。 8月30日に下村博文政調会長に対して「(総裁選に)立候補するなら政調会長を辞任しろ」と迫り、出馬を断念させました。さらに岸田文雄前政調会長が出馬を正式表明し、「党役員を刷新する」と明言した途端に、力技で二階俊博幹事長を交代させる方針を打ち出し、総裁選の「争点隠し」を図りました。そして総裁選前に党役員人事を行って解散総選挙に打って出るという「禁じ手」のようなことまで模索していた。 どんな状況でも、人事権を行使して、なりふり構わずに自分の権力を最大限に見せるよう執着している姿は、いかにも菅さんらしいと感じていました。 ただ、リークも含めて解散総選挙の腹案がマスコミに漏れ、自民党内部から想像以上の反発が上がったあたりから、今までとは様相が違ってきました。すぐに菅さんは「今は解散できる状況ではない」と火消しに走り、小泉進次郎環境相と5日連続で会談して意見を仰ぐなど、迷走の度合いを深めているように見えました。 この状況下で、小泉さんしか進言してくれる人がいないのかと不思議に思いましたし、そうだとしたら相当な“菅離れ”が進んでいると感じました。しかし表面上は強気の姿勢を貫いていたので、総裁選から降りるという選択をしたのは驚きました。よほど、助け舟がなかったか、安倍晋三前首相や麻生太郎財務相らの「菅おろし」の圧力がすさまじかったのだろうと察します。――菅首相といえば「勝負師」「ケンカ師」などとも呼ばれ、負け戦でも勝負に出る性格であると言われています。過去の政局でも“賭け”に出たこともありますし、東京五輪開催の判断について「俺は勝負したんだ」と発言したとの報道もありました。今回はなぜ勝負に出なかったと思いますか。 選挙を戦う自民党議員にとっては、ここまで世論の支持を失っている菅さんは、「選挙の顔にはならない」というのが一致した見解だったのではないかと思います。 その一方で、ほとんど脅しに近い形で下村さんの立候補をとりやめさせたあたりから、菅さんの圧力のかけ方は常軌を逸していきました。 これまで霞ケ関の官僚たちは人事権を握られ、言う事を聞かざるを得なかったのでしょうが、自民党議員に同じことをしても、理解は得られません。周囲に圧力をかけすぎた結果、「いいかげんにしろ」と与党内での反発が広がり、菅さんを引きずり降ろそうとする圧力が想像以上に働きました。 辞任を受けて、涙していた小泉さんも「解散をしたら自民党が終わる」と菅さんに迫っていたわけで、ある意味、慕っている側近たちからも、権力維持に固執し、解散の可能性を探る菅さんに「NO」が出されていたわけです。 結果、自らの策に溺れた感がありました。外堀を埋められて自分でやれることがほとんどなくなってしまった。解散権が封じられてしまい、頼みの党役員人事も受け手が見つからずに相当難航していたようです。人事権を行使しようとしても状況を変えられない、人を従わせられないという状況は菅さんにとって相当つらかったと思います。それこそが、菅さんの権力の源泉だったわけですから。 さらに、自身の選挙区である神奈川2区でも野党候補優勢という情報が永田町で出回っているなかで、このまま解散総選挙に突っ走り、政権交代でも起こったら、政治家生命が絶たれかねないという恐怖もあったかもしれません。そんなことになるくらいなら、選挙の「顔」からは降りて総裁選を盛り上げれば、少なくとも与党には恨まれず、野党にはダメージを与えられる。自民党を政権与党として存続させるために「身を引いた」政治家として評価される可能性があると思ったのかもしれません。 いずれにせよ、人事権を行使しても状況を変えられないと悟った以上、もう自分を強くは見せられないと判断したのだと思います。――結局、菅義偉という政治家はどのような人だったと思いますか。 菅さんは権力を維持するために人事を操り、頂点まで上り詰めた人です。でも、その権力が無力化すると、予想以上に弱かった。権力に酔っていた政治家が、最後は権力に負けたということだと思います。 裏で参謀として権力を振るうことにはたけていても、日本をどうしたいのかという国家観を語れず、コロナ禍で浮き彫りになったのは、ワクチン一本打法で、市民の命を犠牲にし、五輪利権に血眼になっている菅さんの姿でした。 記者会見では、相変わらずかみ合わない質疑が続きました。そこから市民の命と健康を預かっているという覚悟は感じられませんでした。菅さんの語る言葉には、市民を思う魂が込められておらず、これほど言葉に重みがない政治家はいなかったと思います。 今、国民のためにやるべきことは、臨時国会を開いてコロナ対策の議論をすることです。それしかありません。外交的には、総裁選の最中、アフガンでの救出作戦も体制を立て直さなければいけない。当初退避予定者は、JICAや大使館の関係者含めて総勢500人と言われていましたが、日本が救出できたのは、わずか1人です。総裁選に明け暮れている裏で、多くのアフガニスタン人の命が現在もなお危険にさらされ続けているのです。 国会でもこの問題は何よりもまず議論されなければならないはずですが、菅さんは、野党から追及されるのは、選挙で不利になるからと国会を開く気配さえない。アフガンに関しても興味を示さず、五輪開催のときと同じでまさに人命軽視の政治が繰り広げられました。 こうした姿を見せられ続けた結果、菅さんがやっている政治は単なる政権維持の手段であって、市民のための政治ではなかったのだとはっきりわかってしまった。裏方の官房長官時代には、わかりづらかった菅さんの政治家としての本質的な姿勢が、首相として表に出てきてから、より鮮明にはっきりと浮かび上がってしまいました。  そして最後は、菅さんの周りからは人が次々といなくなり、市民の心も離れていった。結局は、市民のために尽くす思いがない人が政治家、ましてや首相などやってはいけなかったということに尽きると思います。 これから次の総裁選に向けての新たなレースが展開されます。忘れてはならないのは、首相を目指す人は、権力のトップに立つことを目的とせず、日本や世界に住む人々の命を預かる仕事をするのだ、という当たり前の覚悟を誰よりも深めるべきだと思います。(構成=AERA dot.編集部・作田裕史)

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    ハリウッド女優・忽那汐里が語る母への思い「アジア人差別、アイデンティティークライシスも…」

     2007年にドラマ『3年B組金八先生』で女優としてデビューし、数々の話題作に出演している女優の忽那汐里さん(28)。近年は活動の場を海外へ広げ、18年には映画『デッドプール2』で本格的なハリウッドデビューを果たした。グローバルな活躍を続ける忽那さんに、女優としての覚悟、家族への思い、今後の「野望」などを聞いた。*  *  *――オーストラリアで生まれ、14歳で日本に移住しました。日本語はどこで勉強したんですか?毎週土曜日に日本語の補習校があって、そこで勉強しました。ただ家では英語禁止だったんです。両親も日本人ですし、日本語と触れあう機会は多かったと思います。それでも、仕事をする上では難しい部分もありましたので、母と二人三脚で台本に振り仮名を書いたりしていました。母のサポートなしでは難しかったと思います。――環境の変化による苦労はありましたか?14歳という多感な時期に環境の変化があったのはすごく大きかったと思います。自分で客観的に感情を理解して、消化することができない年齢だったので戸惑いました。稀にですが、オーストラリアではアジア人として差別されたこともあって、「自分はアジア人なんだ」「日本人なんだ」って意識する機会が多かったんです。でも、いざ日本に来ると同級生との考え方とか価値観がまったく違う。若いうちからアイデンティティークライシスみたいな感覚は感じていました。――そうした環境で学んだことはありますか?今は自分の中で両方の文化が共存していて、いろんな視点で物事を見て感じとれるようになっていると思います。それは海外で仕事をする時にも、ちょうどバランスよく、うまく使えているんじゃないかなと。いろいろな国で仕事をするようになって、「日本人ほどまじめに仕事に向き合う人種はいないな」と感じます。そういう環境で仕事のベースを学ばせてもらえたのは、私の強みになっている気がします。――海外で勝負をしようと決断したのはなぜですか?実は、「ハリウッドに行きたい」と強く願っていたわけではないんです。日本で仕事をしていた後半の頃、海外の作品に出演する機会が増えて、台湾のホウ・シャオシェン監督やトルコとの合同作品に出演しました。16年に、ウェイン・ワン監督の『女が眠る時』という映画に出演したんですが、その時、ウェイン監督から「日本人でそんなに英語が話せるし、今はすごくいい時期。海外に挑戦したらいいと思う」と助言をいただいたんです。そこから徐々に扉が開いていった感じです。 ――19年に所属していた事務所を退社しました。その当時のことを教えてください。私は映画がすごく好きで、作品に対しての思いがすごい強いんです。とてもこだわっていたので、退社前の後半の方は、全部自分で作品を選ばせてもらっていて、事務所も自由な環境を与えてくれました。ただ、やはり徐々に目指す方向性だとか仕事に対する考え方などにずれが生じ始めました。もちろん私も、日本での活動を続けたいという思いもありましたが、「アメリカでオーディションに受かって、地に足を付けて仕事をしていきたい」という思いが強かったので。――不安はありましたか?不安はなかったです。そもそも数年はオーディションに受からないだろうと覚悟していました。「最初の2、3年はそのつもりでやるしかないな」と。最初はオーディションに全然受からず、現実を突きつけられて、「やっぱりそんなに簡単なことではないんだな」と感じることもありました。でも、挑戦したい思いは私にとって譲れないものだったので、「目標を忘れないこと」を常に自分に言い聞かせることでモチベーションを保っていました。――これまでにオーディションはどのくらい受けましたか?数十本……百本は超えていないと思います。――実際に海外の作品に出演して違いを感じたことはありますか?圧倒的に撮影時間が長いです。日本だと、監督のビジョン、カット割りに沿ってなるべく少ない回数で撮影していくのが主流ですが、アメリカは最終的に編集で作品を作っていきます。編集で方向性をいくらでも変えていくので、最初から最後までいろんなパターンでたくさん撮ることになります。初めは体力的にもメンタル的にも、本当に大変でした。あと海外ではキャストの方や監督と食事をするキャストディナーという習慣があります。19年にNetflixで公開された『マーダー・ミステリー』の時、遅刻しそうになってしまって、なんとか時間ピッタリに着いたんですが、誰もまだ来ていなくて、2,30分間ひとりきりでした(笑)。 ――日本で活動を始めた頃は、「母と二人三脚だった」と話されましたが、グローバルに活躍する女優に成長した娘をどのように受け止めているのでしょうか?実は、最近初めて母が褒めてくれる機会があって、とてもびっくりしました。――初めてですか?母は「今まではなかなか役者として見ることが難しくて、役者というより自分の娘だっていう感じだったのが、最近はちょっと変わってきた」と話していました。最近になってやっと安心できるようになって、娘を女優としても見られるようになったのかもしれません。どんな作品に出演したとしても、母は一番に感想を聞きたくて、褒めてもらいたい存在です。――他の家族の反応はどうですか?弟は私が出ている作品をまったく見ていないと思います(笑)。でも、マーベル作品がすごく好きなので、『デッドプール2』に出演した時はとても喜んでくれました。『デッドプール2』は日本でプレミアがあって、主演のライアン・レイノルズさんが来日されました。彼はとても気さくな方で「この後空いてる? 誰か家族とか友達とか呼びたい人がいたら呼びなよ、ご飯食べよう」って誘われたんです。関係者の方もいるのかなと思って、レストランに弟と母を呼んだんですが、ライアンが1人で待っていて驚きました。そこで4人で食事をして、その時は本当に感謝されました(笑)。――仕事だけでなく人生において大切にされていることは何ですか?仕事においては後悔しないことです。それは、大きい目標であっても、毎日の目標であっても同じです。悩むだけ悩んで後悔のない選択ができれば、最終的に結果がよくなくても、納得できる。これは大事にしています。あとは、本当に単純ですが、素直でいること、誰に対しても平等に接することです。私もアメリカで他のキャストの方に優しく接してもらってきたので、自分もそうしたいと思っています。――最後に、今後の目標を教えてください。今までと同じように目の前の目標に向かって挑戦し続けようと思っています。そして、大きな野望を言うと、みなさんに「これが代表作だよね」って認識してもらえるような海外作品に、いつか出演できたらいいなと思います。(聞き手:AERAdot.編集部 大谷奈央)

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    セレブ妻・吉瀬美智子が離婚 3年前に明かしていた「寝室」での出来事【上半期ベスト10】

     2021年も上半期が過ぎた。そこで、AERA dot.で読まれた記事ベスト10を振り返る。 2位は「セレブ妻・吉瀬美智子が離婚 3年前に明かしていた「寝室」での出来事」(4月7日配信)だった。(※肩書年齢等は配信時のまま)*  *  * 女優の吉瀬美智子(46)が7日、所属事務所の公式サイトおよび自身のツイッターを通じて、10歳年上の一般人男性と離婚したことを発表した。2010年のクリスマス結婚から11年目、セレブ妻だったはずの吉瀬が離婚を選択した理由とは――。「まさか、夫のいびきが原因ではないでしょうけど、ホントに離婚するとは驚きました」 そう話すのは、ある女性誌記者だ。 吉瀬といえば、ファッション誌『Domani』(小学館)の専属モデルとして人気となり、2003年から『噂の!東京マガジン』(TBS系)でアシスタントを務めるなどして、テレビでも活動を始めた。女優としても活躍し、10年にドラマ『ハガネの女』(テレビ朝日系)で連続ドラマ初主演。また、『ライアーゲーム』(フジテレビ系)や『ブラッディ・マンデイ』(TBS系)、『昼顔~平日午後3時の恋人たち~』(フジテレビ系)など数々の人気ドラマにも出演した。抜群のスタイルと美貌に加え、どこかミステリアスな雰囲気は女優としても独特の存在感を放っていた。 プライベートでは、10年12月に10歳年上の一般人男性と35歳で結婚。夫は一般人であることから、名前や写真は公表されず、ブログで「日本及び海外で色々なお仕事を手掛けている方です」とだけ明かしていた。子宝にも恵まれ、13年7月に長女、16年10月に次女を出産した。 順風満帆に思われた結婚生活だったが、18年、吉瀬はテレビのトーク番組で、夫のいびきがうるさくて寝室を別々にしていると、意外な「夫婦問題」を告白していた。「『何度、顔に枕を押し付けようとしたことか』と、真剣に悩んでいたようです。吉瀬は、いびきが原因で仕事にも影響が出てうまくいかなくなり、離婚するくらいなら、別々で寝た方がいいということで寝室を別々にしたそうですが、ちょうどその前後から、かなり仕事を入れ始めました」(同前) 夫は10代で渡仏し、帰国後23歳で空間プロデュースやコンサルで起業したやり手の実業家だ。1994年から飲食業にも参入し、チャイニーズレストランや人気ラーメン店などを手掛けており、かなりの経済力がある「セレブ」だった。「吉瀬と結婚する前、夫はハイクオリティーのすし店、焼鳥店、和食店、ラウンジなどをいくつも手掛けていました。それらのお店はミシュランの星を獲得したり、会員制だったり、なかなか予約のとれないお店ばかりです。2人はそうしたお店で知人を介して知り合い、夫は吉瀬に猛アタックしたと聞いています」(飲食関係者) 交際から約5年、人気女優だった吉瀬は「女優としての自分もサポートしてくれるし、生涯のパートナーとして共に歩んでいきたい」(女性誌記者)として結婚。その後、子どもが生まれると少し仕事はセーブしつつも、セレブ妻、母としても活躍していった。「結婚当初からセレブ婚と報じられ、インスタグラムなどでは自宅での子どもたちとの楽しそうな様子を披露していました。写真に写る家具や器などは、どれも高価なものばかりでしたね。しかも、仲のいいママ友は井川遥、篠原涼子、板谷由夏、長谷川京子といった華麗なる面々。ドラマ、CMにも引っ張りだこで、誰もがうらやむセレブ妻でした」(スポーツ紙記者) 子どもへの教育にも熱心だったという。「子どもたちのお受験なども井川や長谷川などと密に情報交換していましたし、仕事も順調。夫婦仲に問題があるといえば、『いびき』だったのか?と思うぐらい、ちょっと驚く離婚ですね」(女性誌記者) 吉瀬は離婚に至った経緯について、「話し合った結果、今後は別々の道を歩んでいく結論に至りました」 とだけコメントしている。 セレブな夫、優雅な生活、かわいい娘たち……誰もがうらやむ結婚生活をスパっと終わらせた吉瀬の行動は、ミステリアスですらある。それもまた、女優・吉瀬美智子の生き方なのかもしれない。(上本貴子)

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    眞子さまが選んだアメリカへの“駆け落ち婚”の先にある「パパラッチ」と「生活費」の不安

     9月1日、秋篠宮家の長女である眞子さま(29)と小室圭さん(29)が年内にも結婚される方向で調整されていると報じられた。 お二人が婚約内定の記者会見をされた2017年9月から4年。小室さんの母親・佳代さんと元婚約者の間で「金銭トラブル」が報じられたことで延期になっていたが、正式な婚約となる皇室行事「納采の儀」や結婚に関連する儀式を行わずに、婚姻届を提出するということになるという。「儀式を行わずに結婚されれば、戦後の皇室では初めてのこと。眞子さまは、結婚により皇籍を離れ、結婚後は小室さんが滞在するアメリカで生活される見通しだといいますが、昨年、秋篠宮さまが示した『多くの人が納得し、喜んでくれる状況』からは程遠く、金銭問題も未解決のまま。まるで“駆け落ち婚”のようです」(皇室記者) 秋篠宮さまは昨年「憲法にも、結婚は両性の合意のみに基づくというのがあります」と結婚を認めるお考えを示されていたが、確かに女性皇族である眞子さまは、法的には当事者だけの合意のみで結婚できる。 さらに皇室を離れる際に支給される一時金(上限約1億5000万円)については受け取りを辞退する意向とも伝えられ、結婚後は小室さんが暮らす米国での生活を視野に入れているという。「昨年の秋頃から、眞子さまが30歳を迎える今年中には結婚される可能性が高いと皇室関係者の間では言われ続けていました。小室さんは今年5月に米ニューヨーク州のロースクールを卒業、7月に司法試験を受験し、12月中旬までには合否が判明します。米国では卒業時にはほとんどの学生が就職の内定をもらっていますから、小室さんもすでに就職の道筋はついているのでしょう。結婚後の生活基盤もできたことで、眞子さまとの新生活をスタートする準備が整った段階で婚姻届を提出するという流れは、おそらくお二人の計画だったと思います」(同) お二人が海外で生活をすると決めた背景には、これまでのようにマスコミに追われることなく静かに暮らしたいというお気持ちもあったのかもしれない。だが「メディアから解放されるどころか、もっと追われる可能性が高い」と話すのは皇室ジャーナリストだ。「小室さんが留学した時の紹介文に『プリンセス・マコのフィアンセ』という文言があったように、眞子さまが皇室を離れたとしても、皇族であったこと、将来の天皇陛下の姉にあたるという事実は変わりません。イギリス王室から離れたとしてもヘンリー王子とメーガン妃が王室の一員であったということに変わりはないのと同じです。まして、皇室行事などをせずに“駆け落ち”同然で結婚したとなれば、日本のメディアはアメリカまで追いかけていくでしょうし、アメリカのパパラッチも狙ってくるでしょう」(同前) また、皇籍離脱をしても、一般人と同じセキュリティーというわけにはいかないのでは、と話すのは海外在住のジャーナリストだ。「警備に関しては日本にいる時のように、税金で警備はしてもらえません。現地の大使館や領事館を通じて現地の市警とも密に連絡を取らなければなりません。仮にパパラッチに付きまとわれて、事故などが起きた場合は外交問題にまで及ぶ可能性もありますから、警備は重要になります。しかも、警備費はほとんどが自費で賄うことになるでしょうし、日本の警備費の何倍もの高額です。一時金でも足りないぐらいの費用になるでしょう。小室さんは、就職が内定していても初任給は1500万円とも2000万円ともいわれますが、ニューヨークで暮らす場合、東京よりも物価も家賃も高く、保険はさらに高額になります。小室さんの給料だけでは、ギリギリなのではないでしょうか」 愛さえあれば、2人でいれば、どんな困難も乗り越えられる……という純愛を貫いて結婚を待ち望んでいた眞子さまだが、結婚後はまた別の懸念材料が増えることになりそうだ。(緒方博子)

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