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    「高市氏の昔を知っているよ」 総裁選候補者3人で最も優れているのに胸がザワつく理由

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選に立候補を表明している3人の議員について。 *  *  * 連日、自民党総裁選関連のニュースがメディアを占めている。この国に暮らす人々の生存をかけた衆議院選挙のほうがよほど重大なはずなのに、無駄に自民党の生存をかけた総裁選につきあわされているようでつらい。災害レベルのコロナ禍で重要なときに臨時国会を開かず、自党の人事に時間を費やす自民党の体質が、トップが代わったところで変わるとは思えない。とはいえ、あと一歩で総理の椅子に座る3人の候補者に女性が入っていること、その女性が候補者の中で最も右寄りであること、容姿を誹謗中傷する批判が“彼女にだけ”されていることなど、日本の女性政治家が置かれている現実を生中継で日々見せられているようで、それはそれで気になってしまうのだ。 候補者3人の出馬表明記者会見を見た。それぞれ力のこもった熱弁を見ながら、改めて菅さん (菅義偉首相) は、相当なレベルで話が下手だったのだと気づかされる。滑舌が悪いうえに自分の言葉で話さない、原稿すらうまく読めないので頭に入ってこない。東京五輪・パラリンピック開催に疑問を投げかける記者には、「安全安心」と繰り返すだけで誠実さのカケラもなかった。さらに記者に対して威圧的であり、社名を名乗らない記者に対していら立つなど、器の小ささを露呈してしまう場面を幾度となく見てきた。喋れば喋るほど、人の心が離れていく総理大臣だった。 菅さんに比べると3人の候補者の話は、フツーにまともだった。……と、「底」を強いられてきた者として認知の歪みが生じてしまっているのだろうかと自分でも不安になるが、今回、高市早苗氏の会見を初めて長時間聴いてみて驚いた。テンポ、滑舌、論理性、具体性において出馬表明記者会見としては3人の中で最も優れていたからだ。記者からの質問に逃げずに丁寧に答えていたのも好感を持てた。  例えばTBS「報道特集」のキャスター膳場貴子氏が、高市氏が過去にしていたサイテーの発言「(生活保護を)さもしい顔をしてもらえるものはもらおうとか、弱者のふりをして少しでもトクをしようと、そんな国民ばかりいたら日本が滅びる」を引き、「困窮する国民をどういう目で見ているのか確認をさせてください。弱者への視点が欠けている不安、批判の声があるが、どう受け止めているか聞かせてください」と迫った。高市さんに対する強い批判を含んだ良い質問だった。 もしこれが、安倍さん (安倍晋三前首相) だったらと想像する。女性アナウンサーからの質問にまずニヤニヤと冷笑し、しかし顔色は変わり、早口でまったく方向違いの旧民主党政権批判を延々繰り返し「それはですね、民主党政権時代の批判の流れでの発言だったのでございます。文脈をですね、私の発言の文脈をですね、いいですか、きちんと見ていただいたうえでですね、そのようなご質問をしていただきたきたいのでございます」とか言いそうだし、麻生さん (麻生太郎財務相) だったら「そうかね、覚えてねぇな」とか言いかねず、菅さんだったら「えー、私はこれまで通り全力で国民の安全安心を最大限に考えて、政治を行っていくことに変わりはありません」とか言うのでは。テレビカメラの前で“女性”記者に批判された、ということで頭がいっぱいになり、誠実に答えようともしない“男性”政治家の振る舞いに私たちはあまりにも慣れてしまっていた。 その日、高市氏は膳場氏の批判質問に顔色も声のトーンも変えることはなかった。にこやかなまま、その発言がいつ、どの場で行われたものかを記憶の中で語り、「これは皆様の大切な税金。福祉というものは公正、公平が原則であるべきだと私は考えています」とし、さらに子どもの貧困問題等について語り、そのうえで「これが私。素直なほうなので、さまざまなアドバイスには柔軟に対応する」とも言った。  このやりとりに、私は見入ってしまったのだった。威圧的だったり、不誠実だったり、中身のない政治家答弁にあまりにも慣れ過ぎていたからこその驚きであるのだが、ただ新鮮だった。もちろん、高市氏のような政治家の言動が生活保護受給者に対する社会の偏見を生み、貧困を再生産し、生活保護を受けられずに餓死するような人々を生み出す現実をつくってきた。そういうリアルが見えない高市さんが与党の政治家であることが私は恐いが、それでも「どのような考えに立っているのか」ということを説明することをこの人は逃れなかったという印象は残った。 一方、岸田氏は国民の声を聞いてきたという薄く小さなノートを振りかざして「私にとりまして大切な財産。このノートを読み返した上で、私は改めてやるべきことがあると感じています」と豪語する。外国特派員協会で記者会見を開くなど、去年の総裁選よりもパフォーマンス力があがっているように見えるが、選択的夫婦別姓についての意見を問われ、「引きつづき議論しなければならない課題」と言うなど、いったい誰の声を聞いてきたのか問いたい。今年の共同通信の調査によれば選択的夫婦別姓は国民世論で6割が賛成している(30代では7割)。だいたい選択的夫婦別姓は80年代からずっと提案され、深く積み重なった議論の歴史があるのだ。国会での議論を拒否し続けてきた自民党の単なる勉強不足が、選択的夫婦別姓を邪魔しているだけ。まだ、「自分ごと」として通称使用拡大の具体的実践に全力を尽くしてきた高市氏のほうが勉強しているし、わかっているように見える。 河野太郎氏の記者会見が一番、今までの自民党の威圧的政治家の流れをくんでいるように見えた。質問は1社一つというルールを一方的に強いては、「(河野さんは)脱原発派ですか?」という質問に対して「どういう定義で脱原発というか人によって違うので、何か一つの言葉でくくるのはやめておいたほうがいい」と打ち切り、それ以上の質問を許さなかった。記者が本当に聞きたいことは分かっているはずだし、そこから深まる議論もあるはずなのに、意味のない答えを短めに返すのが目立った。  河野氏は若手からの期待が大きいと、報道では言われている。「河野さんは発信力があります」と30代の議員が胸を張るようにテレビカメラに向かって話しているのを見た。発信力とは単純にテレビに出る回数とか、Twitterのフォロワー数とか、なんとなくの人気のことを言っているのではないかと思うが、それは政治家にとって必要な力なのだろうか。記者会見で衝撃だったのは、韓国メディアの記者が「特に韓国を含めた、近隣国に向けての外交政策のビジョンを聞かせてほしい」と質問した時の答えだ。外務大臣を務めたこともある河野氏の答えは、こういうものだった。「G7の中で日本はユニークな立ち位置。キリスト教をベースとした文明の上に成り立っていない国は日本だけ。だから外務大臣として自分はアジア、中近東、アフリカといった国々の思いを代弁できる日本でありたーい、と思ってきた。自由民主主義、基本的人権、法の支配、こうした価値観を共有して一緒に前に進みたーいと思っている。それぞれの国にはそれぞれの歴史がある。一足飛びにみんなが同じことをできるわけではありませんー。そういうなかで、ヨチヨチ歩きであっても同じ方向を進もうとしている国にしっかりと寄り添える、そういう日本でありたーいと思っている」 ……これは外交政策なのでしょうか。ヨチヨチ歩きだけど一緒に寄り添っていこうね、って。これは元外務大臣による総裁選立候補の時に語るような言葉なのだろうか。高市氏を推すわけでは決してないが(というか、私にその権利もないが)、高市氏だったら具体的に質問に正確に答えようとするのではないか、大人の言葉で。 最近、「高市早苗の昔を知っているよ」という人と立て続けに話をする機会があった。20代のころ、高市氏は400ccのバイクを乗り回していたという。30年以上前、400ccのバイクに乗る女性は少なかった。私も10代のころ、400ccのバイクに乗りたくて教習所に行ったのだが、「女は小型から」と中型免許すら取らせてもらえない空気があり、一日でやめた。「中型取りに来たんです」と言っても、「じゃあ、起こしてみな」と道路に転がる400ccをコツも教えてもらえず起こせと言われて憤慨した。あの時の悔しさは今もまだ心のどこかに残っている。80年代のことだ。そういう時代のなかで、中型・大型バイクに乗る女性たちは道で出会っては、自然に話しかけるようなことがあったという。当時のバイク仲間の女性は、若かった高市さんが目を輝かせながら「私は保守系の政治家になるんだ」と、夢を語っていたのを覚えている。   高市氏を見ていると、胸がざわつく。「政治家を知るためには、その人の選挙区と選挙歴を知らなければならない」とは、無戸籍問題に取り組み続け衆議院議員になった井戸まさえ氏の言葉だが、高市氏がもし、奈良という保守が強い土地ではなく、都市部の選挙区の人だったらどうだったろうか。選択的夫婦別姓、女性天皇・女系天皇容認などについて肯定派の多い都市部のような場所で保守派の政治家として立っていたら、どうだったろうか。安倍さんへの、悲しいほどのすり寄りは、二世議員である小渕優子議員や、祖父が政治家だった野田聖子議員だったらしなくてもよい媚びにも見える。高市氏自身の葛藤を勝手に想像しながら、そういう女性議員の姿を見てこちらも引き裂かれるような葛藤を味わう。女性がのびのびと政治ができる国になってほしい、そして正当に評価されるようになってほしい。今起きているのは、自民党の大物男性の庇護のもとでの自由と、それでも女性であるゆえに正当に評価されない日本社会の女性嫌悪だ。精神衛生上よくないので、早く終わらせて、衆議院選挙で自民党政治は終わってほしい。■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    高市早苗氏の意外な過去にフェミニストも震えた 総理の座を狙う過程で何があったのか

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選に正式に出馬表明した高市早苗氏について。*    *  * 近しい人がデルタ株のコロナ陽性になったり、友人の同僚や、通っている美容院のお客さんが亡くなったりなど、夏以降、急速にコロナの危機が迫っているのを実感している。健康観察をされずに自宅で死亡した50代の方の話などを聞くと、東京五輪・パラリンピックに時間とお金と人材を費やすべきではなかったのではないかとつくづく悔しい思いになる。適切な処置を医療機関で受けられていたら、亡くならないですんだかもしれない命は少なくない。 Go Toキャンペーンやオリパラを強行することに専念してきた自民党政権が、トップの顔を代えただけで変われるとは思えず、期待には程遠い自民党総裁選。岸田文雄さんは、ボロボロの小さいノートを振りかざしては「国民の声を書き留めてきた、1年間で3冊、10年間で30冊」と様々なメディアでアピールしているが、正直、少ないと思う。薄いノートを1年でたった3冊埋めたくらいで、国民の声を聞いたとか言えるって、どんだけ聞いてこなかったかという話なのでは。河野太郎さんは、先日週刊誌でそのパワハラ言動が取りざたされていたが、ワクチン接種という、申し訳ないが素人目線でそこまで難しいとも思えない仕事でつまずいている人に期待するのはムリという話だし、高市早苗さんにいたっては、選択的夫婦別姓に強硬に反対するアンチフェミ女のイメージしかない。女性の人権に無関心な女性総理候補にいったい何の価値があるというのでしょう。 とはいえ、高市早苗議員、いったいどんな人なのか。32歳で衆議院議員に若くして初当選(※)。しかも同期の田中真紀子議員や野田聖子議員のように、親や祖父が国会議員だったというわけではなく、自民党員だったわけでもなく、サラリーマンの父と警察官の母という一般家庭から出てきた無所属の女性議員が、今、最も総理の椅子に近い女性となっている。なぜ高市さんは、政治家の道を選んだのだろう。どのように政治の道を歩いてきたのだろう。政治家としては多い著作のなかから国際政治評論家としてテレビで活躍していた頃に書かれた『30歳のバースディ―その朝、おんなの何かが変わる』(大和出版)、政治家2年目に記された『高市早苗のぶっとび永田町日記』(サンドケー出版局)を読んだ。 高市氏が大学を卒業したのは1984年。1986年に男女雇用機会均等法が施行されるが、この2年の差はやはりとても大きいものがある。女性が生涯にわたる仕事を手にすることも、そもそも親が大学に行かせてくれるかどうかも「女の子」であるというだけで諦めることがまだまだ当たり前にあった世代だ。特に地方であればなおのこと。保守的な奈良に育った高市氏も、当然のように「諦めさせられて」きた。例えば大学もそうだ。高市氏は第1希望だった早稲田と慶応のどちらも合格したにもかかわらず、「女の子のあなたを東京の私学で学ばせる余裕はない。弟の学費に回してほしい」と親に諦めさせられ、「女の子だから一人暮らしはさせられない」と通学に往復6時間かかる神戸大学に入学するのだ。 たとえ難関国立大学出身であっても、女性がその能力と希望に見合う就職先を見つけるのが難しい時代だった。「身の丈」よりもずっと小さく窮屈な型に押し込められる女性たちの悔しさは計り知れないが、高市氏の著書からはその類いの悔しさは強調されない。それは高市氏に並外れた行動力と決断力があり、自らの人生を切り開いてきた自負があるからだろう。たとえば、たまたま大学で目にした松下政経塾のポスターを目にして、直感に導かれるように松下政経塾に“就職”したり。たまたまテレビで見た女性議員で史上初の米国大統領候補指名争いに立候補準備を進めていたパトリシア・シュローダーに惹かれ、その2週間後にはワシントンに旅立ち、その情熱だけでシュローダー議員のオフィスで働き始めたり……若さゆえの大胆さと希望に満ちあふれた当時の高市氏のエピソード一つひとつに圧倒されてしまう。「女だから」と諦めさせられてきたのは大学まで、それ以降は絶対に諦めないという粘り強さで今の地位を築いていくのである。『30歳のバースディ』は文字通り30歳を迎えた高市氏がそれまでの人生を「ポップ」に振り返る本である。「BGMはいつもユーミンだった」「寂しいのはあなただけじゃない」「空港でまたまた恋人と涙の別れ」「男かペットがいなくちゃダメな私」「女と日の丸と視聴率の相関関係」「三〇女が孤独を感じるとき」といった目次からもわかるように、女友だちに話しかけるように書かれた軽く、優しいノリのものだ。アメリカから帰国し、若い政治評論家としてメディアに露出していたころで、日本の男性社会へのいら立ちも率直に記されている。「アメリカ議会では日本流のバカバカしい会議がないのが良かった。(略)ところが日本の企業では会議の場では何も決められない。本当は既に決まっているし、とっくに根回しが済んでいることを確認しあうだけの、儀式的な会議のなんと多いことか。でも、私たち女性は妙に正義感が強いので、このような巧妙な人間関係のテクニックとは相性が悪い」 90年代に若い女性が書いたテキストを追いかけながら、私は何度か噴き出したり、そうそうと共感したりと震えるような思いになる。ねぇ、高市さん、「女が入ると会議が長くなる」とほざく森喜朗さんに「あんたの会議はバカバカしい」とはやっぱり言えないものだったの? こういうまっとうないら立ちを文章にしてきた女性が、最も「わきまえる女」になっていく過程に、いったい何があったというの? さらにこういう率直さは、国会議員になった後に書かれた「高市早苗ぶっとび永田町日記」にも残っている。高市氏は歯に衣着せずに永田町のダメなところをきちんと切っている。「この一年間に永田町で一番多く耳にした言葉は次の二つ。『挨拶がない』『俺は聞いてないぞ』。委員会の審議日程が流れたり、大切な法案の採決がパーになったりする理由は大抵この二つだったりする」「笑い話のようなことばかりだが、事実、永田町政治は『理屈』ではなく、『メンツ』で動いている」 さらに、夜の会食や女性がいるクラブなどで行われる男たちの根回しで物事が決まっていく永田町で、女の自分が不利であることも記し、サッチャーのこんな言葉を引用し共感を表明するのだ。「私は最後まで党内基盤が弱かった。それは男性の世界の根回しに加えてもらえなかったからよ」 なにこの人……すごくまともな「一般人」の感覚で、すごくまともな「女の悔しさ」をストレートに出すフェミじゃないの? しかもそのまともさで、「総理大臣の資質」というものを論じ、当時の村山政権を真っ正面から批判している。明言しているわけではないが、高市氏自身が政治家として一番になること=総理になることを30代から目指しているのも伝わってくる内容なのだった。根回しから排除されてきたサッチャーが首相になれたように、パトリシア・シュローダーが80年代に大統領を目指したように、高市氏は政治家としてトップに行くことを最初から視野に入れていたのだ。 ……と、昔の高市氏の本を読んでいると、うっかり「がんばれ、早苗!」と言いたくなってしまう私がいるのだった。「総理になろうよ!!」と早苗の女友だちポジションに立って拍手したくもなってしまうのであった。まずい、まずい。正気に戻るために2011年に出版された『渡部昇一、「女子会」に挑む!』(WAC)も読んだ。櫻井よしこ氏、山谷えり子氏、高市早苗氏、小池百合子氏、丸川珠代氏・・・といった早々たる「わきまえ女」(帯には「なでしこ軍団」とある)たちと渡部昇一氏との対談本だ。 渡部氏との対談で、「総理になったら、まず何をしますか?」と聞かれた高市氏はこう答えている。「最初に、政府歴史見解の見直しをします。新たな歴史見解を発表して、村山談話を無効にします」 東日本大震災のあった年の9月に出版されている本だ。震災後から、こういう歴史修正主義を堂々とうたう本や、韓国ヘイト、「慰安婦」運動への過剰な攻撃は度を越していったという実感が私にある。保守政治家から極右政治家に舵を切るように発言をより過激化させていく高市氏の横顔が、対談にはしっかりと刻まれている。夫婦が別の姓を名乗ったら家族が崩壊すると適当なことを言い、戦時性暴力の責任を問わないどころかなかったことにすることが、高市さんの「目指した政治」だったのだろうか。この国の女性たちが権力に近づこうとするならば、率先して選択的夫婦別姓を批判し、「慰安婦」被害者をおとしめる発言をいとわず、女性の権利を口にするフェミを冷笑するというマニュアルでもあるのだろうか。 今いる自民党の女性議員の顔を、一人ひとり思い浮かべてみる。わきまえなければ権力に近づくこともできなかった女性たち。夜の会議や根回しから排除されながらも、その立場を維持するための努力は、二世・三世の男性議員たちとは全く違うものがあったはずだ。それでも、それほどの努力をしても、彼女たちが自らの後ろを振りかえったとき、彼女たちの後ろを歩きたいと思う女性はどのくらいいるだろうか。というかそもそも、その道は後続の女性のために開かれていたことはあったのだろうか。 かつて高市氏が憧れ渡米したパトリシア・シュローダーはテレビカメラの前で涙を流した。そのことによって20年以上「女の政治家は感情的だから、ダメだ」と言われ続け、「あなたの涙のせいで、女の地位が悪くなる」と責められ続けたという。女であるというだけでその「涙」が事件になるのは、昔のアメリカも今の日本も変わらない。そういう政治の世界でトップを目指す女性たちが、女性の味方であることを忘れるのは「仕方ない」ことなのだろうか。それとも、アンチフェミニズムの顔で女性をたたくような女性政治家しか出せない自民党政治そのものが終わっている、ということなのか。※訂正配信時の「32歳で衆議院議員に初当選、女性議員としては、当時憲政史上最年少だった」という一文を、「32歳で衆議院議員に若くして初当選」と訂正しました。高市氏の著書『高市早苗のぶっとび永田町日記』に「女性として憲政史上最年少当選」と記してありましたが、実際は1946年4月10に三木キヨ子氏が20代(当時)で当選していたため削除、修正します。■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    中田翔の問題は防げた? マック鈴木は米国で経験、チーム内の“揉め事”についての考え

    「マック」鈴木誠。  米国での野球生活を球場住み込みからスタートした男。メジャーリーグまで上り詰め、その後も国内外問わず多くのリーグでプレーした。文化、慣習の違いを数多く経験したマックが、いまだ問題視されている中田翔(巨人)を巡る一件について独自の視点から語ってくれた。 *  *  * ●「体育会系の縦社会におけるメリットを感じなくなったから反発したのではないか」  NPBのペナントレース争いが激化する中、いまだ沈静化の気配を感じられないのが中田問題だ。8月4日のエキシビションマッチの開始前、日本ハムの同僚に暴力を振るったとして11日に無期限出場停止処分となった後、20日に巨人へ移籍し翌日に試合出場を果たした。日本ハムの一員として事件への正式謝罪がなかったこと。巨人への移籍入団会見での謝罪となったこと。その他多くの要素が絡み合い、中田、日本ハム、巨人への批判が殺到した。 「巨人は戦力と考えて補強したということ。移籍や謝罪方法うんぬんに関しては中田君個人には関係ない。殴られた相手選手に関して言えば、我慢の範疇を超えてしまったのだろう。中田君は実績、知名度など素晴らしい選手。日本ハム、パ・リーグの顔であり、侍ジャパンのユニフォームも着た。将来的に監督、コーチになる可能性もあった。そういった先輩とうまく付き合っておくことも処世術として考えれば大事。今まではイジられても耐えるメリットが大きいと思ったから多少我慢していたのだろう。それを感じなくなり自分自身が平常心で野球ができないほどになったのかもしれない」 「昔から言われる体育会系の縦社会は、世間から見れば考えられないし、古臭いかもしれない。でもそれで救われている人が今でもたくさんいる。例えば、大学の先輩に進路や仕事を紹介してもらったりできる。これは体育会系だけでなく一般社会も似たようなもので就職活動ではいまだにOB訪問などがある。大手企業ほど学閥などは残っている。そういうのをゼロにするのはできない。米国や他の国ならそういうことは関係ない場合もあるけど、アジア圏の特殊な文化でこれが現実。早く生まれたから、早くから野球やっているからって上から来る人も多い」 ■「自分が手を出したらどれだけのことになるかを勉強していなかった」  中田は07年のドラフト1位で日本ハムに入団。これまで打点王3回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回を獲得するなど、パ・リーグを代表する選手として全国区の知名度を誇った。18年からはキャプテンを任され、同オフにはFA権を行使せず出来高を含む3年総額10億円と言われる高額契約を結び名実ともにミスター・ファイターズとなった。しかし報道通りならば、チーム内で自由奔放に振る舞うようになったことで周囲からの反感が強まり始めた。成績不振も加わり、求心力が低下したことで今回の事件へとつながったという。 「建前もあるけど暴力は絶対ダメが大前提。話を聞くと小さい頃から中田君もヤンチャだったらしいから、その時に勉強しておかないといけなかった。僕なんて10代の早い段階で勉強した。こういうことをやったら大変なことになるとね。高校中退になったり、いろいろ面倒くさいことになった。中田君はそういった部分での勉強が足りなかったのかもしれない。自分が手を出したらどれだけのことになるのかを考えなかった」 「僕の父親は甲子園に出る姿を見たかったらしいから、退学になった時に心底、失望していた。その気持ちはプロになってメジャーリーグで投げようが、取り返すことができなかった。それに関しては今でもずっと後悔している。米国マイナーリーグ時代、英語が話せない時などは長距離移動は1人でポツンしていた。そういう時に色々なことを考えた。後悔、反省することもあったし寂しい気持ちも湧いて来た。そういった経験があれば自分の立場を考えることができたんじゃないかな。感情的になって手を出したりしなかったかもしれない」 ■「野球をやりに来ていないのならユニフォームを置いて去れ」  マック自身、若い頃からヤンチャで有名だった。兵庫・滝川二高の1年時に暴力事件を起こして自主退学。その後も傷害事件を起こしたことで野球を続けるために渡米を決心した経緯がある。英語も話せない16歳は多くの経験を重ねながら野球界最高峰へたどり着いた。その中では同一チーム内で人種差別が絡むケンカも経験した。そして何があってもプロにとって最も重要なのはチームの勝利、結果であることを学んだ。 「米国で生活し野球をやっていたので考え方が異なるかもしれない。そこを前提にして言わせてもらうと、基本的には『人対人』という2人の問題。例えば、米国では監督と取っ組み合いのケンカをする選手もいる。これは立場など関係なく、人格を否定された場合にこういうケンカになる。野球に関係ないことを言われたり、侮辱されたりするから。そういう一線を超えた時にケンカが起こる。日本ハムの件もイジられた選手が我慢できなかったとしたら、人格を傷つけられていたはず。当人同士の問題のはずだから2人で徹底的に話させるべきだった。そこには先輩も後輩もないと思う」 「また報道されているように、後輩イジりが常態化していて酷過ぎたのなら周りも知っていたはず。こんなに大きくなる前に誰かが収めれば良かった。『ペナントレース勝ち抜くため、日本一を目指す中でしょうもないことするな』とね。米国時代、移動中の空港でいざこざが始まって白人と黒人の人種間で別れて大ゲンカになった。球場内ではなく空港なので下手をすると逮捕者が出て試合もできなくなる。この時には監督が『何しに来ているのか考え直せ。野球をやりに来ていないのならユニフォームを置いて去れ』と怒鳴って収めた。結果論になるけど、日本ハムの件も早く手を打っておけばここまでになることはなかっただろう」  中田は巨人移籍2試合目となる8月22日のDeNA戦で本塁打を放つなど、さすがの存在感を見せた。しかしその後は結果を残せず、9月11日に二軍降格し調整を続けている。二軍戦では驚異的な打撃成績を残しているが実力を考えれば当然のこと。優勝争いをするチームからは一刻も早い一軍再合流が待ち望まれる。 「良くも悪くも中田君だったから世間で大きく取り上げられる。口で謝罪しようが何しようが、結局プロは結果で判断される。そうなった場合にはまた賛否両論が巻き起こるだろうが、それがスター選手の宿命。味方も敵も多いのがプロの一流選手。中田君には期待しています。野球で結果を残すしかない」  今回の一件を「なかったこと」にはできない。球界、世間を騒がせ、中田本人の評価を大きく下げたことは間違いない。明確なのは、グラウンドで結果を残すしか野球界で生き残るための道が残っていないということ。ここからどんな姿を見せてくれるのかに注目したい。そして中田の動向が3連覇を目指す巨人を左右するはず。多くのものを背負い結果を残す、本当のスター選手であることを証明して欲しいものだ。(文中敬称略) (文・山岡則夫) ●プロフィール マック鈴木(鈴木誠)/1975年5月31日兵庫県出身。193cm90kg。92年に渡米、96年7月7日のレンジャーズ戦でメジャーデビュー、98年9月14日のツインズ戦で初勝利を挙げる。マリナーズ、メッツ、ロイヤルズ、ロッキーズ、ブリュワーズなどでプレー。02年にはドラフト2位でオリックス入団。06年から再び海外でのプレーを経て11年は関西・独立リーグでプレーイングマネージャーを務めた。MLB通算117試合登板16勝31敗、防御率5.72。NPB通算53試合登板5勝15敗1セーブ、防御率7.53。 山岡則夫/1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌『Ballpark Time!』を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、編集・製作するほか、多くの雑誌、書籍、ホームページ等に寄稿している。Ballpark Time!公式ページ、facebook(Ballpark Time)に取材日記を不定期更新中。現在の肩書きはスポーツスペクテイター。

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    『鬼滅の刃』の主人公はなぜ竈門炭治郎なのか?――典型的な「少年漫画のヒーロー」を“主役”にしなかったワケ 

    『鬼滅の刃』の公式キャッチコピーに「これは、日本一慈しい(やさしい)鬼退治」という言葉がある。このフレーズはまちがいなく、物語の主人公・竈門炭治郎の「優しい人柄」に由来している。炭治郎は正義感が強く、ときおり激しい怒りも見せるが、「すべての鬼を」単純に憎むこともできず、鬼との戦いのたびに胸を痛めていた。さらに炭治郎は時々主人公らしくない「弱音」も口にする。こうした迷いこそが「竈門炭治郎らしさ」であり、『鬼滅の刃』では彼を主人公にする“必然性”があった。その意味について考察する。【※ネタバレ注意】以下の内容には、既刊のコミックスのネタバレが含まれます。 *  *  * ■鬼との戦闘に苦悩する主人公  鬼に家族を殺され、生き残った妹を「鬼化の呪縛」から解くために、竈門炭治郎(かまど・たんじろう)は鬼狩りへの道を志した。  しかし、鬼にトドメを刺せぬ炭治郎は「判断が遅い」と鬼殺隊の元水柱・鱗滝左近次(うろこだき・さこんじ)から頬をたたかれ、のちに兄弟子になる水柱・冨岡義勇(とみおか・ぎゆう)からも「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」と初対面で厳しく叱責されている。  心優しい炭治郎は、最初、戦う意味をつかみきれずにいた。妹を救いたい気持ちと、鬼という「生き物」を殺すことの必要性が、頭では理解できても、心でうまくつながらなかった。われわれ読者は、この“優しすぎる主人公”の苦悩を数々のエピソードを通じて見届けることになる。  物語冒頭で炭治郎は立て続けに鬼と遭遇し、鬼が人間を喰う姿も目の当たりにしてきた。それでも、炭治郎は鬼に苦痛を与えることをためらった。人喰い鬼は殺さなくてはならないと、自分で自分に言い聞かせる場面も見られる。 <止めを刺しておかないと また人を襲う だから俺がやるんだ>(竈門炭治郎/1巻・第2話「見知らぬ誰か」)<苦しむだろうな 一撃で絶命させられるようなものはないのか…>(竈門炭治郎/1巻・第3話「必ず戻る夜明けまでには」) ■炭治郎が「長男として」戦う理由  こんなにも優しい炭治郎であったが、彼は鬼殺を続けなくてはならない。本来であれば、竈門家が鬼に襲撃された時点で、炭治郎は亡き父の代わりに、長兄として母や弟妹を守らなくてはならなかった。しかし、自分だけが無傷で生き残ってしまったのだ。  もともと責任感が強い炭治郎の中で、「長男なのに」という思いがどんどん大きくなっていく。炭治郎の有名なセリフにこんな言葉がある。<すごい痛いのを我慢してた!! 俺は長男だから我慢できたけど 次男だったら我慢できなかった>(竈門炭治郎/3巻・第24話「元十二鬼月」)  長男だろうが、次男だろうが、長女だろうが、末っ子だろうが、そんな属性は「肉体的苦痛に対する我慢強さ」とは本来関係ない。しかし、炭治郎は長兄として果たせなかった“約束”を守るために、今度こそは妹を救いたいと、激しい痛みに耐えながら自分を鼓舞するのだ。一見するとコミカルなセリフであるが、その裏側にある炭治郎の自責の念は強い。 ■ときに頑固で激しい怒りも  一方で、炭治郎には頑固で気の強い一面もある。それは彼の「正義感」から生まれたものだ。鬼殺隊入隊試験「最終選別」で、同期の不死川玄弥(しなずがわ・げんや)が少女に暴力を振るった際、それを止めに入っているが、乱暴な制止の仕方だった。 <この子から手を放せ!! 放さないなら折る!!>(竈門炭治郎/2巻・第8話「兄ちゃん」)  さらに「柱合裁判」の時には、妹に乱暴した不死川実弥(しなずがわ・さねみ)にも怒鳴りつけている。 <善良な鬼と 悪い鬼の区別もつかないなら 柱なんてやめてしまえ!!>(竈門炭治郎/6巻・第45話「鬼殺隊柱合裁判」)  実弥は玄弥の実兄で、鬼殺隊の風柱であるが、炭治郎はおかまいなしだった。鬼であろうと、目上の人間であろうと、同期だろうと、許せないと感じたことに怒る胆力と意思の強さが炭治郎にはあった。 ■炭治郎の弱音  こんな“真っすぐな”炭治郎であるが、ときおり「主人公らしくない弱音」を口にする時がある。それは、最終選別合格後に、炭治郎がボロボロになって、禰豆子と鱗滝のもとへ帰ってきたシーンだ。 <わーーーーっ お前 何で急に寝るんだよォ ずっと起きないでさぁ 死ぬかと思っただろうがぁ!!>(竈門炭治郎/2巻・第9話「おかえり」)  2年もの間眠り続けていた妹がやっと目覚めたのを見て、炭治郎は禰豆子にすがって大声で泣いた。禰豆子は死ぬのではないか、もう起きないのではないかと、炭治郎が悩み続けていたことがよくわかる場面だ。  炭治郎はスーパーヒーローなどではなく、親兄弟を亡くした「普通の少年」なのだ。炭治郎は珍しく泣き続け、禰豆子もろとも、師・鱗滝に子どものように抱きしめてもらった。 ■炭治郎の弱さ・柱たちの強さ   炭治郎は家族が鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)に襲撃されて以降ずっと、鬼による「理不尽な死」を目の当たりにせねばならなかった。そのつらさは想像を絶するものだろう。一つ耐え、二つ飲み込み、三つ我慢して……その悲しみがあふれてしまった時、炭治郎は膝をつき、弱音を口にしながら涙を流す。  たとえば、映画で公開された「無限列車編」のラストシーンでは、炭治郎は、もう動かなくなってしまった炎柱・煉獄杏寿郎(れんごく・きょうじゅろう)を前に、大粒の涙をこぼしながら泣きくずれている。 <こんな所でつまずいてるような俺は 俺は…  煉獄さんみたいになれるのかなぁ…>(竈門炭治郎/8巻・第66話「黎明に散る」)  他の柱たちにとっても、煉獄喪失は心を揺るがす事件だった。しかし、柱たちはその悲しみを言葉にすることはない。鬼という強大な敵に立ち向かうためには、柱はいつも強くなくてはならなかった。心の揺らぎを見せるわけにはいかなかった。しかし、炭治郎はちがう。  この炭治郎の弱音は、私たち読者に、鬼と戦っている鬼殺隊の隊士たちも本当はか弱い人間であることを思い出させる。炭治郎が「弱音をはく」場面で、人間が「強くなる」とはどういうことなのか、ひとつひとつを追体験していく。炭治郎の揺らぎは、人間であるがゆえの苦悩であり、「心」の表出なのだ。 ■炭治郎が乗り越えた「最後の試練」  こんなふうに、炭治郎はさまざまな辛苦をなんとか乗り越えてきた。しかし、とうとう最終決戦で多くの仲間の死を目撃し、あまりにむごいその結末に、炭治郎の緊張の糸が切れてしまう。 <本当にもう疲れたんだ お願いします神様 家に帰してください 俺は妹と家に帰りたいだけなんです どうか…>(竈門炭治郎/23巻・第203話「数多の呼び水」)  それでも炭治郎はもう一度だけ耐えねばならなかった。人間であり続けるために、もう一度だけ「運命の試練」を乗り越えなくてはならないのだ。  一般的に、物語の主人公は、最終場面で仲間のために戦いきる場面が描かれることが多い。しかし、『鬼滅の刃』はちがった。「最後の試練」で竈門炭治郎は刃を振るわない。仲間たちの温かい手が炭治郎に添えられて、炭治郎は帰るべき道へと手を伸ばす。それだけだった。鬼の誘惑に耳をかさず「愛する人たちを信じきること」、これが炭治郎の「最後の試練」に必要なことだったのだ。  最終巻で、炭治郎たちがつないできた優しさが、「救済」となって花開く。そして、すべての人たちをその優しさが包み、長い恐ろしい「夜」がやっと明けたのだった。 ◎植朗子(うえ・あきこ)1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。

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    若者の“肉を食べない理由”に驚き 新世代の“欲望のベクトルの変化”をエンジェル投資家が語る

     かつての起業家が「意思ある投資家」として、次世代の起業家を育てる。そんな人たちを追った短期集中連載「起業は巡る」。第1シリーズ最終回は、エンジェル投資家・小笠原治(50)と孫泰蔵(48)の対談。AERA 2021年9月20日号の記事の2回目。 *  *  * ──かつて孫さんの兄・正義さんに1億6千万円投資したシャープ副社長の佐々木正さんみたいなすごい人もいました。 孫:大西さんが『ロケット・ササキ』(新潮社)で書かれてますよね。佐々木さんはすごい人です。あの頃の兄のピッチ(事業計画のプレゼンテーション)なんて、今聞いたら荒唐無稽もいいところですから。亡くなるちょっと前にお会いしたんですが、「お前ら、どんどんやれえ」みたいな最高に面白い方でした。あんな人は後にも先にもいません。 ──「お目目キラキラ」の人にホイホイお金を渡していたら、ただの「お金配りおじさん」になってしまいませんか。 小笠原:多分、そうはなりません。例えば今回の連載で紹介してもらったORPHEの菊川くん。最初はバッシュ(バスケットシューズ)にLEDを巻いて「これがロックだあ」とやってきた。その彼が今は「スマートシューズで健康な人を増やしたい」「一人でも多く雇用を生み出したい」と言っています。彼らはビジネスを通じて、すごいスピードで成長するんです。物心ついた時から日本がダメでしたから、親世代のような「日本スゴイ」の幻想を持っていない。ダメな日本が前提で「ほんの少しでも良くできないか」という強い動機を持っています。 ■欲望のベクトルが変化 「成功したい」という欲望のベクトルが「自分が金持ちになること」から「世の中を良くすること」に変わってきていて。その気概が面白く、魅力的なんです。つまらないことでは失敗しない雰囲気を持っています。自分が10代、20代の時、社会のことなんてこれっぽっちも考えていなかった。日本でも新しい文化が生まれているんだと。 孫:僕らの世代で元気がいい連中は、シルビアやプレリュードを手に入れるため、せっせとパーティー券を売っていた。今の10代、20代は車なんて全く興味がない。車がないとどこにもいけないロサンゼルスの若者ですら「ウーバーがあるから車はいらない」と言うんです。  あるいは、肉を食べない連中にベジタリアンなのかと聞くと「豚肉の場合、精肉を1キロ消費すると7.8キロの温室効果ガスが出る」と真顔で言います。彼らにとって環境や高齢化問題は我々よりずっと切実で、社会的課題にものすごくコンシャス(関心が高い)。「途上国で労働力を搾取している大企業の製品は買いたくない」とか「あの会社はマーケティングがうまいけど、自分はだまされない」とか。数年もすると、この世代が消費のメインプレーヤーになる。すると、社会課題と向き合うスタートアップがお客を獲得するようになるので、投資家も注目する。企業は価値を生むことが大事と言われますが、その価値が「お金」から「意味」に変わってきたのです。 (敬称略)(構成/ジャーナリスト・大西康之)※AERA 2021年9月20日号より抜粋

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    総裁選と総選挙の二つのシナリオ 古賀茂明

     先週の本コラムの最後に、(自民党総裁選で)「河野・石破、さらに小泉進次郎環境相の三者によるKIK連合ができれば、国民は熱狂し、河野氏勝利となる。」「ただし、河野氏が森友問題の再調査と脱原発を明言することが条件だ」と書いた。  14日に小泉進次郎環境相が、15日には石破茂元党幹事長が、正式に河野太郎行革担当相支持を表明し、予想通りKIK連合ができた。しかし、河野氏は、森友問題に関する再調査を否定し、原発再稼働を容認する姿勢を明らかにしている。多くの新聞・テレビでは、「河野氏変節」という報道が相次ぎ、疑念の目が向けられた。安倍忖度をしているように見えるからだ。このイメージのままでは、総裁選の一回目の投票で河野氏が過半数を制することはできない。有力候補である岸田文雄元外相との決選投票になれば、一般党員の投票がないため、国会議員票で有利とみられる岸田氏に敗れるかもしれない。  それは、野党にとっては最高の展開だ。岸田氏が、決選投票で安倍晋三前総理の出身派閥である細田派と麻生太郎財務相の派閥である麻生派の多くと岸田派の大部分の議員票に支えられて当選すれば、誰が見ても、安倍麻生傀儡政権だ。河野氏勝利でも僅差になれば、安倍氏の影響力は残り、自民は変われない。  その後に行われる総選挙では、野党側は、「安倍政治との決別」を掲げ、新政権は安倍傀儡政権だと叩く。総裁選フィーバーで回復した自民党支持率も再び低下。自民党単独過半数割れもありうるという展開で、野党支持層に「ワクワク感」が生まれる。投票率は上がり、その結果、野党大勝利が現実のものとなるかもしれない。  だが、全く反対のシナリオもある。  河野氏は党内の国会議員票を意識して、保守層に配慮する姿勢を見せた。これに対してリベラル層からは「変節だ」と疑われるが、右翼層からは、「これは偽りだ。本当はバリバリのリベラルで、脱原発派だ!」という批判がなされている。つまり、変わっていないというのだ。  すると、リベラル層は、「それなら河野を支持しよう」と思う。また、細田派が岸田氏または高市早苗氏の支持を打ち出し、河野氏と敵対する姿勢を見せたのも、やはり、河野は安倍と闘っているという認識につながる。さらに、石破氏が、森友問題再調査の重要性を強調しながら河野氏を推したことは、河野氏は再調査に賛成なのではないかという憶測を呼び、だから安倍氏が河野潰しに必死なのだとの連想を生む。  さらに、ここに来て、トヨタの社長が電気自動車へのシフトに声高に異論を唱えた。これは、河野氏が提唱するグリーン革命の否定だととらえられる。電力会社を含め、これら大企業が、利権を守るために、経産省と組んで反河野キャンペーンを強化しているのだ。  河野氏が如何に穏健路線を演出しても、周りは、長老支配の安倍麻生利権政治に立ち向かう河野太郎と囃し立てる。それが判官贔屓の河野大フィーバーとなり、総裁選大勝利につながる。その勢いで総選挙に突入すれば、KIKがリベラルや無党派層の票を集め、自民が圧勝するかもしれない。   総裁選が「安倍政治の終焉」となるのかどうか。そこが一番の見どころである。※週刊朝日  2021年10月10日号

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    4時間前

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    2100年には日本人が“絶滅危惧種”に!? 人口減少国ニッポンの未来

     最新刊『世界100年カレンダー』(朝日新書)で、「人口を追えば、未来は見えてくる」と説くジャーナリスト・河合雅司さんは、「このままいけば、2100年に日本人は“絶滅危惧種”となる」と看破する。そんな日本のリアルな現在地について本書より紹介する。*  *  *■人口減少の現在地 21世紀とは、これまでその数を増やし続けてきた人類が、ついに長い長い“絶滅の道”を歩み始める分かれ道の世紀となる。人々はどこで分かれ道を選び、どんな道を進みゆこうとしているのだろうか。各国の変貌ぶりを「世界カレンダー」として読み解いていこう。「世界カレンダー」の編纂は、地球儀をぐるりと回しながら各国の未来図を覗くという極めて難作業となるのだが、出発地は日本にしようと思う。 遠大な未来絵巻を追いかけるには、自らの足元をいま一度、見つめ直しておくことが大切だと考えるからである。そのほうが、世界全体の理解がより進むはずだ。 世界における日本の位置づけを一言で説明しようとするならば、やはり「世界第3位の経済大国」というフレーズを思い浮かべる人が多いのではないだろうか。あるいは、「アジア唯一の主要国(G7)参加国」という言い方もポピュラーかもしれない。だが、「人口」という視点で日本を捉えると、経済大国とか先進国とかとは、少し違う姿が浮かび上がってくる。 まずは、日本の現在地を確認しておこう。日本は少子高齢化が進み、人口減少社会にあることはいまや小中学生でも知っている常識である。だが、人口減少がどれぐらい進んだかは意外と知られていない。 総務省の国勢調査の速報値によれば、外国人を含む2020年10月1日現在の総人口は、1億2622万6568人である。国勢調査における日本の総人口のピークは2010年調査の1億2805万7352人なので、この10年間で183万784人減ったことになる。日本人人口に限ると、ピークは2005年調査の約1億2573万人となる。2020年は1億2367万人なので、この15年間で206万人ほど減った計算だ。 人口減少社会に突入したとはいえ、まだそれほど大きく減ったわけではない。激減するのはこれからなのである。そうした意味では、微減にとどまっている2020年というのは、「過去最高水準の人口規模」を誇る段階にあると言って差し支えない。■日本人は“絶滅危惧種” では、そんな史上最高規模の人数を誇る日本は、世界人口においてどの程度のシェアを占めているのだろうか。 現在の日本は世界第11位の人口大国であり、かなりのシェアを占めているようにも思えるのだが、計算してみるとそうでもない。国連の「世界人口推計」によると2020年の世界の総人口は77億9479万9000人であり、日本の総人口は世界の中ではわずか1.62%を占めるにとどまる。地球規模で捉えると、日本人は“希少種”に分類されるほどに少ないのだ。 1950年には、日本の人口は世界第5位にあったが、それでも当時の世界人口の3.32%を占めるに過ぎなかった。第二次世界大戦後、日本人がメジャーな存在であったことは一度もないのである。経済が人口規模の影響を受けやすいことを考えれば、こんな少人数で世界第3位の経済大国を維持していることに対し、日本人はもっと胸を張ってもいいのかもしれない。 ところで、1950年からの70年間で日本人のシェアが縮小した理由は、総人口が減ったからではなく、他国が日本をはるかに上回る勢いで人口を増やしたからであるが、ここから先は事情が変わる。 社人研の『日本の将来推計人口』(2017年)によれば、2040年の日本の総人口は1億1091万9000人、2053年には9924万人となって1億人を下回る。2063年には9000万人も割り込んで8999万4000人となり、現在と比べて3割ほど少ない規模となる。 その後も下落を続け、2080年には7429万9000人、2100年は5971万8000人となって現在の半分以下となる。2115年には5055万5000人まで落ち込む。 これまでのように他国の増加スピードに追い付かず相対的にシェアが縮んでいくのではなく、多くの国が人口を増やすのに、自ら「絶滅の歩み」を加速させる時期に入るということだ。 こうなると世界人口における日本人のシェアは年を追うごとに縮小し、おのずと存在感を失っていく。2100年の世界シェアはわずか0.55%に沈む。この頃になると、もはや“希少種”ではなく“絶滅危惧種”と表現したほうがピタリと来るようになることだろう。 国連は、日本の人口規模ランキングについて2050年に世界17位、2100年には36位にまで下降すると予測している。国連の推計では2050年は1億580万4000人となっており、社人研の推計値1億192万3000人とほぼ同じだ。しかしながら、2100年は社人研よりも1524万1000人も多い、7495万9000人になると見積もっている。 これは、国連が2100年の日本の合計特殊出生率を「1.67」とかなり高めに設定して計算していることが理由だが、出産期にある女性人口が激減することなどを考えると国連の推計はかなり甘いと言えよう。2100年にはもっとランキングを下げそうである。いずれにせよ21世紀の日本は「人口大国」の地位を失い、「人口小国」へと転落することは間違いない。

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    2時間前

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    コロナで一変した大学の人気傾向 「手堅く就職できる大学」を選ぶとミスマッチの危険性も

     コロナ禍の時代、どの大学を選んで何を学ぶべきか、迷ってしまうことも多いはずだ。どうやって大学を選び、将来の仕事を考えたらいいのか。大学選びに詳しい専門家は、今こそ「やりたいことをやろう」とアドバイスする。高校生、受験生の大学選びついてさまざまな角度から紹介した、AERAムック『就職力で選ぶ大学2022』(朝日新聞出版)から抜粋して紹介する。 *  *  * ■コロナ後の就職を見据えた大学選びのポイント  新型コロナウイルスの感染拡大は、社会に閉塞感をもたらし、しばらく収まる気配がない。これからの時代、大学の選び方についてどう考えたらいいのだろうか。  コロナ禍が大学選びに与えた影響について、全国の高校で進路学習の支援を行い高校生の悩みに向き合い続ける倉部史記さんはこう言う。 「高校の進路指導の先生や高校生の皆さんとお話をすると、何を学びたいかよりも、就職に強いかどうかで大学を選ぶ傾向が強まっていると感じます。『手堅く就職できるところはどこですか』と聞かれることも多いですね」  先行きが不透明な今、人気が上がっている学部は、専門職を養成する分野だという。 「コロナで世界中の医療現場が疲弊しているという報道もあり、医療系の人気は下がるかとも思いましたが、実際は志望者が増えました。人々を救いたいという思いの人もいますが、就職に苦労してほしくないからという親御さんの意向も強そうです」(倉部さん) ■社会情勢よりも自分の興味関心を  コロナ禍は、首都圏と地方の大学の人気傾向も一変させた。現役学生の本音を紹介するユニークな『大学図鑑!』(ダイヤモンド社)を発行する、オバタカズユキさんが説明する。 「首都圏の大学に若者が集中する状況を変えようと、文部科学省は2016年に私立大学の定員厳格化を打ち出しました。この影響もあり、ここ数年は徐々に地元志向が強まっていました。この流れが、コロナ禍で一気に加速したのです。いま、地方の国公立大学には、早慶に楽勝で受かるようなハイレベルの学生が結構入学していると聞きます」  コロナの影響でキャンパスに通う機会が減ると、立地はあまり重要でなくなる。地方の人々は、コロナが流行する都市部を避ける傾向があり、地元にとどまる若者が増えているというのだ。  先が見えない時代には、就職に強い大学を選び、自分の興味や関心は二の次にすべきなのか。2人のアドバイスはそろって「やりたいことをやろう!」というものだ。 「きれいごとに聞こえるかもしれませんが、興味があって勉強したいことを選ぶのはとても大切です。『就職に困らない』『親に薦められた』という理由で大学を選んでも、自分に合わないとつらくなってしまうでしょう。実際、入学後にミスマッチに気づいて中退するケースも多いと聞きます」(倉部さん) ■熱中したことは就活でも評価  オバタさん監修の『大学図鑑!』にも「好きでもない分野にニーズがありそうだからと入ったところで、自分の力はそんなに伸びない」とある。 「多くの企業の採用担当者は、大学でどんな分野を勉強したかより、楽しく充実した大学生活を送ったかを重視しているといいます。大学時代に本当に熱中したことがある人は就活の時に力強いアピールができるし、それは絶対に評価されます」(オバタさん)  このコロナ禍で大きな打撃を受けている観光系や航空系、国際系などの分野でも、自分が好きならば気にせずに突き進んでいいものだろうか。 「コロナが永遠に続くことはないから、この業界はもうダメだ!と悲観的になる必要はありません。皆さんが社会に出るのは4、5年後。もしかするとその頃にはインバウンドが再び盛り上がっているかもしれないのです。ただ、少し幅広い視点をもつといいでしょう。たとえば今まで『絶対に旅行会社』と思っていたとしても、観光を切り口にほかに目を向けてみる。すると、ほかのサービス業も素敵に思えたり、観光コンテンツづくりに欠かせないICTの分野に興味が派生したりするかもしれません」(オバタさん)  高校生で、自分のやりたいことがはっきりしている人は少ないだろう。自分が夢中になれる分野は、どう見つければいいのだろうか。 「まずは、自分にとって大事なことは何だったか考えてみてください。高校の部活の仲間と一致団結できたのが楽しかったらコミュニケーションを学んでみたり、人に感謝されてうれしかったら福祉系に進んでみたり、自分がワクワクできそうな分野を探してみるのです」(倉部さん) ■急がば回れの情報リサーチ  また倉部さんは、大学の勉強とは縁遠く思える分野でも、立派な進路になると語る。 「やりたいことも得意なこともないという子でも、じっくり話を聞くと、ゲームやアニメ、音楽が好きだったりします。最近はそういった分野を学問として学ぶ大学も増えています。また、音楽のリラクゼーション効果を知りたいから心理学を学ぶなど、好きなことを起点に進路を探すこともできます」  どうしてもやりたいことが絞れない場合は、リベラルアーツ系の学部も視野に入れるといいとオバタさんは言う。 「いろいろな分野をのぞいてみて、興味関心が湧くことを探すのはありだと思います。ただ、ぼんやりせずにやりたいことを貪欲に探し続けること。そうしないと、何のために大学に行ったのかわからないまま卒業してしまいます」  大学に関する情報収集についてはどうか。大学のホームページをうまく活用しようと話すのはオバタさんだ。 「特にお勧めしたいのは、ウェブ上で公開されているシラバスをじっくりと見てみることです。すると、どんな先生がどんな授業をやっているのか、かなり具体的に見えてきます。世の中には広大な学びがあることがわかり、意欲をかき立てられることでしょう。時間はかかりますが、これは受験勉強と同じくらい大切なことです」  また倉部さんは、とにかく積極的に動く重要性を説く。 「そもそも高校生だと、ものすごく狭い範囲の大学しか見えていないことが多い。でも、本当に自分に合う大学を探すためには、できるだけ多くの大学に目を向けてほしい。ポイントは、都市部と郊外、総合大学と単科大学というように、対照的なところを見比べてみること。すると『都会の大学を志望していたけれど、郊外でのびのびと学ぶほうが向いてそう』などと、新たな気づきが得られます」  社会で活躍する力を伸ばす大学の取り組みについて、倉部さんはこう語る。 「近い将来、大学3年生で一斉に就活をスタートする仕組みは消え、1、2年生からインターンシップに参加したり、学生起業したりするケースが増えるでしょう。ですから、早い時期から実践的な学びをすることが重要になります。4年間ゼミが必修とか、1年生からフィールドワークを取り入れている大学は、結果的に就職に強くなるでしょう」 ■リスクを避けるのではなく、リスクに強い自分になる  最近はやりのアクティブラーニングについては、大学によって中身の充実度に大きな差があるという。 「表面的に派手なだけの大学もあれば、4年間で驚くほど学生を成長させる大学も。進んでいるところだと、企業や自治体の出した課題を学生が解決したり、入学時とは別人のようにプレゼンが上手になったりしています」(倉部さん)  最後に、高校生に向けたメッセージを2人からもらった。オバタさんは、大学は本来楽しいものだと熱心に説く。 「大人でも子どもでもない大学時代は、制約から解き放たれて好きなことを思う存分できる期間です。あんまり深刻にならずに、いろいろとトライしてみましょう。そして世の中に自分を合わせるのではなく、自分に合った世の中のパートを探し出して、そこで輝いてください」  倉部さんも、社会の情勢ばかりを気にせず、もっと自分に目を向けようと励ます。 「手に職をつけなさいとか、有名企業に入りなさいとか、大人はリスクの少ない選択肢を薦めがち。ですが、どんなに安泰といわれる仕事でも失敗する人はいるし、衰退産業といわれる分野でも成功する人はいます。大切なのは、リスクに強いあなたになること。潰れない会社を探すより、たとえ会社が潰れても自分は大丈夫と思えるように、自分を磨きましょう」 (林菜穂子)倉部史記(くらべ・しき)/進路づくりの講師、高大共創コーディネーター。全国の高校で「進路づくり」に関する講演を行う。日本大学理工学部建築学科卒業、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。私立大学専任職員、予備校の総合研究所主任研究員、大学連携プロデューサーなどを経て現職。オバタカズユキ(おばた・かずゆき)/フリーライター、フリー編集者。上智大学卒業後、出版社勤務を経てフリーランス。1999年から毎年、「広告・建前・裏取引一切なし」で現役学生、OB・OGのナマの声を紹介する『大学図鑑!』(ダイヤモンド社)を監修・発行。著書に『何のために働くか』(幻冬舎文庫)など。

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    「愛子さまに一番美しいものを」雅子さまもお忍びで通った 教文館で最後の藤城清治さん影絵展

     愛子さまのはじめてのお出かけ先だった教文館の『藤城清治影絵展』が、20年の歴史に幕を閉じる。計21回開催された影絵展には、雅子さまがお忍びで訪れたほか、美智子さまが鑑賞されたこともある。思い出とともに振り返った。 *     *  *  影絵作家、藤城清治さん(97)の作品展(影絵展)は2002年から、銀座・教文館の「ウェンライトホール」で毎年開かれてきた。教文館の改装にともない、同ホールがその役目を終えることから、影絵展も今年が最後となった。  幻想的な世界観で知られる藤城さんの作品。メルヘンな絵柄だけでなく、そこ投影された藤城さんの温かなまなざしも、幅広い年齢の人々を魅了してきた。  「戦争を経験した藤城先生は、弱い者に寄り添うヒューマニズムが根底に流れていて、一貫して変わらない気持ちを保ち続けていらっしゃる」(教文館渡部満社長)   雅子さまにとっても教文館で開かれる影絵展は特別な場所だった。雅子さまは、御用邸以外で、愛子さまのはじめてのお出かけ先に教文館の影絵展を選び、2002年10月15日に母子で足を運んでいた。  藤城さんは、『週刊朝日』(2019年5月17日号)のインタビューで、影絵展に訪れた雅子さまと交わした会話をこう話していた。  「『(愛子さまに)一番美しいものを見せたい』と(雅子さまが)はっきりおっしゃったのを覚えています。その言葉を嬉しく感じました」   当時、影絵に描かれるこびとや動物に手を伸ばす愛子さまを「だめだめ」と雅子さまが諭す姿に、藤城さんは「アクリル板の上からなら大丈夫ですよ」と声をかけた。少しの間だけ侍従の人が愛子さまを抱くこともあったが、ほとんど雅子さまが抱っこしたまま30分ほど鑑賞されていたという。愛子さまのご誕生をお祝いして制作した『夢がとぶ』の前に雅子さまは足をとめていたそうだ。  2007年、2018年にも雅子さまはお忍びで教文館を訪れるなど、度々藤城さんの影絵を鑑賞されてきた。  2003年10月16日には、美智子さまも教文館の影絵展を訪れ、1点1点の作品に足をとめて丁寧に鑑賞されていたようだ。藤城さんは65周年を記念する作品集において、美智子さまが訪れた時をこう回想している。  「前に原画を献上した『つり橋はぼくのハープ』(1988年作)のレプリカの前で、『この絵は私の一番好きな作品です』と申し上げると、『それはほんとうによかった』と大変嬉しそうにおっしゃっていただいたことが印象に残っています。また、『猫ずもう』(2003年作)の絵の中の、幟(のぼり)に書いてある“斜武里(シャブリ)″という字をご覧になって、いつかぼくのエッセイを読んでご存じだったらしく、『これは飼っている猫ちゃんの名前ですね』といわれたのにはびっくりし、また感激してしまいました」(『光あれ、影あれ─藤城清治 創作活動65周年記念作品集』<2冊組>、2008年)  『つり橋はぼくのハープ』は、献上後、記念に構図や色調を再現し、原画と区別するために少し大きめのサイズにして2014年にも制作しており、教文館での最後の影絵展でも展示されている。  藤城さんの影絵の原点は、終戦にある。1944年、慶応義塾大学経済学部の学生だった藤城さんは、20歳で海軍予備学生となり、翌年に九十九里浜沿岸防備につく。戦時中、娯楽が制限されていたなかで、勤労奉仕の工員らに人形劇を披露していた。だが、敗戦で、人形を海に流してしまう。戦後は物不足により、新たに人形を作ることができなかった。そこで、学生時代に演劇研究家の小沢愛圀(おざわよしくに)氏が影絵のことを話していたのを思い出し、紙とロウソクや裸電球1つで、光と影の表現を演出することができる影絵に着目するようになった。  藤城さんは、このコロナ禍の難局に立つ時世でも作品と向かい続けていた。今年の新作『ノアの箱舟』は、30年ほど前にNHKの番組企画で制作した作品をもとに、改めて作った影絵で、以前よりも波を高くし、動物を増やして描き直していた。ライフワークとして力をいれてきた聖書画の一つでもある。  コロナ禍のため、直接の取材は叶わなかったものの、AERA dot.の取材に藤城さんはこうコメントを寄せた。  「ぼくにとって教文館とは、自分の手の中で、自分の思い通りの展示ができる貴重な場所でありました。また、今のコロナ禍で描きたい、描くべきだと思ったのが新作『ノアの箱舟』です。97歳になった今、ぼくにこの難局のなかでどれだけの力が、緊張感や壮大さが出せるかたしかめてみようと思いました」  新作の影絵のみならず、コロナ禍ではアクリル板に動物を描いた新しいスタイルの作品も誕生した。藤城さんは「透明なままではつまらない」「その場を少しでも楽しい気分にさせたい」と思い立って、描いたという。  教文館の渡部社長は、20年間の軌跡を振り返る。  「展示会をはじめた当初は、藤城先生のメルヘンな世界を好む年代の高い人のファンがよく来場していましたが、後半の10年間は若い人がずいぶん来られるようになっていました。藤城先生の作風がメルヘンを残しつつ、戦争や原爆ドームなどの社会的な問題を意識して作品に取り入れるように変化した時期だったと思います。その一方で、時代の変化に伴い、絶えず新たな試みをなさってきたと思います」  「藤城清治 こびとといっしょ 生きるよろこび展2021」は、東京・銀座の教文館で9月26日まで開催。なお、藤城清治さんの影絵展は、今後も各地で開催する予定でいる。 (AERA dot.編集部 岩下明日香)

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    眞子さまの結婚どう思う? 瀬戸内寂聴が27歳スタッフに質問した結果

     半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。*  *  *■横尾忠則「スジ金入りの肉体的朦朧体、大観より本格派です」 セトウチさん 耳が聴こえなくなったと言うと、「きっと作品が変るわよ」と、ベートーベンじゃあるまいし、変なことおっしゃると、その時はそう思いましたが、本当に変ったんです。その変り方が理に適(かな)っているといえば適っている。つまり聴こえないことは、音の輪郭が失くなることです。そうなると音が朦朧(もうろう)となって、横山大観の朦朧体の絵のように音がボケて聴こえるんです。耳がボケると、日常生活もボケて、曖昧模糊(あいまいもこ)となって、したことと、してないことの区別もわからなくなるんです。つまり虚実の区別ができなくなって、夢で見た仕事の依頼を、本当に依頼されたと思って、やっちゃったりするんです。ボケの症状に似てるけれど、ボケ老人になったんではなく耳のせいだと理解しているので、そこはまだ理性がコントロールしています。 ハイ、絵の話だったです。大観は思想で朦朧体を描きましたが、僕はスジ金入りの肉体的朦朧体なので、思想のようなチョロコイ考えではなく、肉体的ハンデキャップによる堂々たる自然体派です。大観よりこっちの方が本格派です。そんなわけでセトウチさんの大予言は的中しました。 先っきも言いましたが境界線が失くなるということは自由のキャパシティも拡張したことになります。近代人は何でもかんでも境界線を引いて、全てを分業化します。縄文時代はひとりの人間が、多面的に物事をこなしていました。狩猟(しゅりょう)も農業も、漁業も工芸も、子育ても、教育もひとりでするという、境界線をはずした労働生活です。現代のような役割分担などしません。正に多義的です。越境した狩猟社会です。 難聴が与えてくれた神の恩寵です。だから病気の高徳です。僕が度重なる病気によって救われてきたということはこういうことです。神は人間に色々な苦難を与えますが、病気は罪ほろぼしでもカルマ落としでもなんでもないのです。人間の進化向上のためのカリキュラムだと思えばどうでしょう。難聴のほかに、腱鞘炎(けんしょうえん)にもなりました。もう、セトウチさんの「幻花」のような繊細(せんさい)な描写の絵など描けません。今は太い筆やハケを握りしめて、キャンバスにバンバン叩きつけるように描いています。それも痛いので、左手で描きます。左手は思うような形が取れません。幼児の絵より下手くそになります。でも、デュビュッフェは幼児の絵のマネをして、幼児風に描きますが、そんな意図的なことをしなくても、僕の左手はそのまま幼児以上に下手に描けます。これもハンデキャップから来た自然体です。 今書いている手紙では、前にも同じことを書きましたかね。境界を越えると時間差もなくなって、やったことと、やらないことの区別がわからなくなるのです。いよいよ本格派老人です。100歳老人のセトウチさんにも負けていません。ただ僕はセトウチさんのように年齢には拘っていません。拘っているのは他人の方で、今行っている展覧会では「85歳、85歳」と年齢を売り物にされています。歳のことは言うな! アーティストには年齢はないのです。昨日の続きが今日、今日の続きが明日です。原始社会では年齢など無関係です。アーティストは原始人です。■瀬戸内寂聴「私もヨコオさんに負けないように!」 ヨコオさん 何だか、ずいぶん久しぶりにこの往復手紙を書いているような気がします。 それにしても相変わらずコロナは豪勢を極め日本はおろか、世界的にその力を奮っています。 コロナのせいで、人に会えず、寂庵はずっと門を閉めっぱなしです。コロナになる前はもちろん、一も二もなく門内に入ってもらっていました。 大抵遠く九州や東北から来られた人で、まだ生きている私に逢えたと言って、抱きついて泣き出します。もちろん、私は丁寧にお迎えして、写経などしてもらい、お茶菓子を一緒に食べて、しばらくその人のお話を聞きます。つきあいの人もあれば、寂庵の信者を自称する人もあり、初めて門内に入ったという人もいます。「まさか、門内に入れてもらえると思わなかった」と泣き出す人もあれば、「生きている寂聴さんに逢えた!」と、子供のように足を踏み鳴らす人もいる。「とても百歳には見えない!」と誰もが感嘆してくれるが、終日ベッドに横になり、本ばかり読んで、一日を過ごしている私の毎日の状態など話せない。私は、人に逢っている間だけは、必死になって元気らしさを演じ、声を張り上げる。客の帰る時は、長い廊下の途中で、へばってしまい、さっさと歩く客の跡がおえない。 ──だって百だもの……──と、私は廊下の途中で、ペシャンコに座り込み、つくづく、自分に向かって言う。 食事だけは時間が来ると、しゃきっと体がのび、食卓の自分の位置に早々と座り込んでいる。「あら、お昼はもう召し上がりましたよ!」 スタッフの一人が、わざと大きな声を張り上げる。「私のスパゲティは、どうしてこんなに美味しいのだろうなんて、お世辞までいただいて」「そうよ、ほんとに! でも今ここに座ったのは、食べるためでなくて、眞子さんの結婚をどう思うかって、寂庵で一番若い二十七歳のP子の意見を聞きたいのよ」「ああ、眞子さん、ほんとに、よかったですね。大体、みんなあんまりこの結婚に意地悪すぎましたよ。でも、どうして一時金を眞子さんは辞退なさるのかしら? 貰う権利のあるお金でしょう? あんまり弱気にならない方がいいと思うけど……」 ヨコオさん、今、寂庵の中は、こんなにのんびりしています。耳が聞こえないのは、私も同然です。テレビの時なんか、びっくりするほど大きな声にしてくれるので、何とか会話が出来ています。鶯も、秋の夜の虫の音も、私の耳にはさっぱり聞こえません。ヨコオさんとTELしてるのを横で聞いてる人があれば、どんなにおかしいでしょうね。耳だけでなく体のあちこちがどしどし衰えてきます。 そのうち、きっと、自分の死んだこともわからなくなって、──ヨコオさんにTELして!──など叫んでる日が来るのでしょうね。でも目がよく見えているので、一日に二冊は厚い本を読み切っています。ヨコオさんの展覧会、ますます人気上昇でおめでとうございます。私もヨコオさんに負けないよう、あっとこれまでと変わった小説を二つくらい書き残して死にたいものですね。 では、また。※週刊朝日  2021年9月17日号

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    稲垣えみ子「衝撃! 原稿執筆に集中できない原因はスマホの通知だった!」

     元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。  デジタル庁発足に逆行するかのように脱デジタル化を決意した稲垣さん。スマホとの付き合い方についての考察・第2弾をお届けします。 *  *  *  脱テレビで手に入れた時間とエネルギーを「まんまスマホに取られているんじゃないか疑惑」は、最初じんわりした自覚症状から。だって原稿がたまる一方。1年に1冊は出していた本もとんと出せぬまま時だけが矢のように経過。ああ時間がない! と思いつつ、ふと気づけばスマホをチェックしている私。これはもしや……と、気になっていたベストセラー『スマホ脳』を読んだわけです。  実は発売当初はそれほど興味なかったのだ。だって私、機械に弱すぎてアプリと聞くだけで拒否反応を示す超アナログ人間。なので関係ねーやと。とんでもなかった。  平均的現代人は今や4時間スマホの画面を開いているという。便利だから? 楽しいから? いや、そもそもスマホとはそういうふうにできているのだ。ヒトの脳の仕組みを巧みに利用して、スマホを見るたびにドーパミン(快楽物質)が出る仕組みになっているのである。その快感欲しさに我らはスマホなしではいられなくなる。代償として差し出すのが「集中力」だ。集中は現代の最大の貴重品と化したと筆者は指摘している。  私は震撼(しんかん)した。身に覚えのありすぎることばかり。メールが届いた、SNSに誰かが反応したとスマホが親切に知らせてくれるたびに、何をしていても見に行かずにはいられない。いそいそと返信するのはさらなる反応を期待しているからだ。もちろんそのたびに原稿書きは中断。それだけじゃなく、心はさらなる反応のお知らせの期待に奪われている。集中しているフリをしても本当は集中していないのだ。次にSNSに投稿するネタまで考えたりしている。私は無限に集中力をスマホに差し出し続けていたのである。  ショックだったのは、そのような危機的状況に全く無自覚だったこと。むしろスマホのおかげで活発に人と繋(つな)がれて人生充実していると思っていた。で、確かにそれはそれで充実しているんである。ならばスマホに人生を捧げたとて何が悪い? 皆様どう思われますかね? 私も考えた。で、結論を出した。(つづく) 稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行※AERA 2021年9月20日号

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    18時間前

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    中学受験で付属校に入るのは本当にお得? 受験の「プロ」たちの答えは

     コロナ禍でも増え続けている中学受験者。はじめての中学受験では、親が迷うことがたくさんある。「志望校はどう選べばいい?」「共学と男女別学、どっちがいい?」「大学付属校はオトク?」――中学受験に詳しい「賢人」たちに聞いた。AERAムック『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2022』(朝日新聞出版)から、一部抜粋して紹介する。*  *  *■第1志望校を決めるポイントは? 学校選びの軸として中学受験の賢人たちがそろって挙げるのが「スクールカラー」。スタジオキャンパス代表の矢野耕平さんはその極意を次のように話す。「偏差値や学校名にとらわれず、子どもをどういう人物に育てようとしているか、どういう人間を世に出そうとしているのか。この一点を尺度に学校を見ると違いがよくわかります。これはと思う学校は、まずは説明会を聞く。そのうえで実際に学校に足を運んで、在校生の様子を観察してください。スクールカラーがよく見えてきます。そして違和感なくわが子の姿を重ねられるかをチェックしてみることです」 長男、長女を私立一貫校に通わせるブロガーのkanaharuさんは、説明会での校長先生の話に注目し、志望校を絞ったと振り返る。「実感したのは、校長先生が語る教育方針がそのまま校風に反映されているということ。進学実績を前面に掲げる学校は、実際に勉強第一の学校で、わが子に合うかどうかを見極める手がかりになりました」 親の判断だけでなく、子ども自身が通いたいと思っているか、魅力を感じているかも尊重すべきだと早稲田アカデミー中学受験部次長の東広樹さんは話す。■共学と男女別学、どう選ぶ? 共学と男女別学のどちらがいいかを決める必要はないというのは家庭教師・齊藤美琴さん。「別学か共学かというところにも、学校の理念があります。例えば女子校なら、女子だけの環境で学ぶことに意味を持たせているわけです。別学から共学化する学校が人気を集めていますが、なぜ変えるのか。また、なぜ変えずに別学なのか。学校の校訓を丁寧に拾い、何を大切にした教育なのかをじっくり見てほしいと思います」 一方で、ひとつのことに夢中になる気質が出ている子は別学のほうが向いていることもある。「異性の目が気になるのが思春期。別学のほうが周囲を気にせず、好きなことに没頭できる面は少なからずあるでしょう」(齊藤さん)■大学付属校はオトク? ここ数年続いた大学付属校人気は、落ち着くだろうというのが賢人たちの見立てだ。付属校人気が高騰した背景の一つには、文部科学省による私立大学の定員の厳格化がある。首都圏の私大が合格者数を一気に減少させ、大学入試が難化。さらに大学入試改革への不安もあり、安全策として付属校から入っておこうという動きが加速していた。ところがコロナ禍で状況は一変。地方在住の受験者が上京せず地元大学に進学するケースが顕著に増え、今後も私大志願者の減少が予想される。「中高は進学校にしておいて、大学進学時に改めて選択肢を考えようという流れにシフトすることが考えられます」(矢野さん) 私大付属校に合格するには相応の学力が必要だ。しかしそれだけの学力があるならば大学受験でさらに上位の大学を狙うのも可能で、付属校が「オトク」とは言い難い。「私自身は付属校出身。学校にもよりますが、付属生全員に大学進学が保証されているわけではなく、成績不良で進学できない生徒もいます。かといって他大学を受験するにも進学校と比べると比較的のんびりと6年間を過ごしているので、進学校出身者との間に学力差があり太刀打ちできない。高校の成績で進学する学部学科も制約されます。倍率が高くて入りにくいならオトクな感じはしません」(kanaharuさん)「付属校に進学させる意味は、『安心感』を手に入れること。大学受験の心配をせず、好きなことに打ち込めます。付属校にはOB・OGネットワークが強い、大学と提携した独自の教育などのメリットもあります。それらを勘案したうえで、付属校か進学校か、総合的に判断すべきです」(齊藤さん)■新設校と伝統校、どちらがいい? 校名変更や共学化などのリニューアルを図る「新設校」に人気が集まるのは、新しい学校・新しい教育への期待感の表れだと東さんは説明する。「新設校の教育方針には“今まさに求められている教育”が反映されていますから、多くの期待が寄せられます」 一方で、伝統校といわれる女子校も、再び人気を盛り返している。「このような時代だからこそ、伝統校が歴史のなかで培ってきた、ゆるぎない教育観が見直されている面もあります」 新設校、伝統校の双方にそれぞれのよさがあり、学校選びにおいて多様性の流れは続くと東さんは見ている。■進学実績はどのように見る? 大学合格実績は、保護者にとっては正直一番気になるところかもしれない。だが、公表される大学合格実績にはカラクリがある。 大学合格実績の中には、一人で複数学部に合格した場合も全てカウントされているケースが多々あるため、学校の実力を見るには「現役進学実数」をきちんと見る必要がある。矢野さんは次のようにアドバイスする。 「現役進学実数の一覧表で、学校での成績が真ん中くらいの子がどのレベルの大学に現役進学しているかに着目します。例えば国公立+早慶上智の現役進学率が38%ならば、真ん中の位置ではこのレベルは厳しいことを意味します。文系、理系の割合なども確認してみると参考になりますよ」■教育内容でチェックすべきことは? 齊藤さんがチェックすべきだと考えるのは「キャリア教育」だ。「思春期の子どもたちが年齢に応じたキャリア教育を受けることはとても大事。自分の将来にはこんな選択肢があるのだと気づかせてくれて、そのためのステップを一緒に考えてくれるような学校は、いい学校だと感じます」 kanaharuさんは、学業面以外の充実度もチェックした。「中高時代は勉強以外にもさまざまな体験をしてもらいたい。教養を身につける課外活動や体験型授業などが充実している学校を選びました。偏差値や学校名のフィルターをはずして見ることが大切」■説明会、参加のポイントは? 説明会の内容もさることながら、着目点として見逃せないのが、校長をはじめとする教員たちの雰囲気だと声をそろえるのは、声の教育社の後藤和浩さんと三谷潤一さん。「教員同士の人間関係がよさそうな学校は、学校の雰囲気もいいものです。例えば校長の中には、説明会で自分の話が終わると会場を離れてしまう人と、着席して他の教員たちの話をうなずきながら最後まで聞く人がいます。もちろんお忙しい先生もいらっしゃるとは思いますが、後者のほうが学校としての一体感があって、いい学校だなという印象を持ちます。学校という職場環境のよさは、そのまま教育環境のよさに直結しますから、教員の様子はチェックしたいですね」 齊藤さんは、個別に教員に話しかけてみることを提案する。「先生との出会いも私立の魅力のひとつ。説明会ではぜひ積極的に話しかけてみてほしいと思います。何かひとつ共通の質問を用意して複数の学校に聞いてみると、その対応が比較できます。定期テストで成績が振るわなかったときは家庭でフォローしないといけないのか、補習があるのか、などを質問してみると、学校の面倒見のよさもわかります」(文=深津チヅ子、岡田慶子<編集部>)【話を聞いた人】矢野耕平/中学受験指導「スタジオキャンパス」代表。27年にわたり中学受験指導を行う。著書に『令和の中学受験 保護者のための参考書』(講談社+α新書)ほか。kanaharu/2019年に息子が、21年に娘が中学受験を経験。その経験とノウハウを伝承するサイト「僕らの戦略受験–超中流の逆襲–」を運営。齊藤美琴/家庭教師、学習コーチ。SAPIXの個別指導部門・プリバート東京教室を経て独立。国語の指導ときめ細かい学習コーチングに定評がある。自身も中学受験を経験。東広樹/早稲田アカデミー教務本部中学受験部次長。ExiVたまプラーザ校校長を経て2021年度から現職。志望校別対策コース「NN開成クラス」の副責任者も務め、多くの難関中学志望者を合格に導いている。声の教育社 後藤和浩、三谷潤一/首都圏中学・高校の過去問題集を発行する声の教育社。過去問出版社ならではの情報をYouTube「声教チャンネル」で発信している。※『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2022』より

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    カズ次男・三浦孝太がRIZINで格闘技デビューのなぜ?「スポーツの価値を毀損する」と批判の声も

     Jリーグ横浜・FCのFW三浦知良の次男・孝太(19)が、RIZIN大みそか大会で総合格闘家デビューすることが発表され、大きな反響を呼んでいる。  さいたまスーパーアリーナでのRIZIN30大会で、榊原信行CEOがサプライズ発表した。報道によると、孝太は数年前から格闘技を始め、現在は元総合格闘家・宮田和幸氏の指導の下で練習を積んでいるという。リングに上がった孝太は「誰もがあこがれる舞台でデビューさせて頂くことをうれしく思います。素晴らしい試合を届けるので、よろしくお願いします」と挨拶した。 格闘技ライターは複雑な思いを口にする。「キングカズの息子というだけで話題性がある。大会の注目度も上がるでしょう。ただRIZINは国内最高峰の格闘技団体です。地下格闘技で汗を流している多くのアマチュアの選手たちが憧れている。あの舞台で戦うことを夢見ているんです。そんな中でアマチュアの大会で実績がなく、デビューしていない人間がいきなりRIZINで戦うことに、多くの選手や格闘技ファンが違和感を覚えている。孝太は格闘技にかける思いをリングで見せてほしいですね」 華々しいデビュー戦になるが、注目されるのは対戦相手だ。プロ格闘家ではない「色物」になるとファンも興ざめしてしまう。プロの世界でこれから頂点を目指す孝太にとってもプラスにならないだろう。キャリアのある格上でなければ試合は盛り上がらない。もちろん、孝太が一方的にやられる危険性もある。「実力が伴わなければ1、2試合で終わる客寄せパンダになる恐れもある。孝太も『キングカズの息子だから注目されている』という自覚はあるでしょう。19歳とまだ若いし、勝っても負けても成長の糧にすればいい。父親のカズも高校を中退して単身でブラジルに渡り、当時は誰もが無理だろうと思ったプロサッカー選手になるという夢を叶えた。孝太も腹をくくって、格闘技の世界で生きていくという覚悟が必要です」(同前) 一方で、スポーツ紙記者は孝太のデビューを決めたRIZINの今回の決断を支持する。「今の格闘技は強いだけでは数字が取れない。RIZINは朝倉未来、海の兄弟や一部のトップファイタ―を除いてなかなか集客できる選手がいないのが実情です。一般の視聴者に注目してもらうためには、話題性も興行の重要な要素です。孝太の参戦に批判の声が多いですが、それだけ話題になっているという事でしょう。この批判を称賛に変えられるかは孝太の戦い次第です」 SNS、ネット上を見ると賛否両論の声が寄せられている。「プロスポーツって興行なので人が注目することをやるのは必須。しかし、それが本質から外れすぎるとスポーツそのものの価値を毀損してしまうことになる。三浦孝太のRIZINデビューはそれをやってしまっている」 こう批判のコメントが見られる一方で、「どういう道を歩もうが、本人の自由だと思う。ただ自由とはなんでも好き勝手にしていいわけでは無く、自己責任が伴うことを忘れず、またお父さんが後ろ指を指されることの無いよう、軽率でなく熟考されていればいいと思う」と理解を示す声も。 リング上のパフォーマンスが全ての世界だ。101日後に迫った大晦日で、孝太が視聴者の心を揺さぶる戦いを見せてくれることを期待したい。(梅宮昌宗)

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    副業でも大成功の「野田クリスタル」が次世代の“カリスマ芸人”になる日

     昨年の「M-1グランプリ」で頂点に輝いたマヂカルラブリーだが、とくに野田クリスタル(34)の活躍が目覚ましい。今年はM-1王者という称号を引っさげて各局のバラエティー番組で大暴れしているが、その無双ぶりはテレビだけにとどまらない。  野田のゲーム好きが高じて企画・販売されたNintendo Switch向けのソフト「スーパー野田ゲーPARTY」は発売1週間で5万ダウンロードを突破。8月には吉本興業が始めた新サービス「FANY GAMES」の社長に就任し、新たに「スーパー野田ゲーWORLD」の開発に着手した。  また同時期に、筋肉芸人が指導するパーソナルジムをコンセプトとした「クリスタルジム」も設立。今はコロナ禍とあってオンライントレーニングのみの営業だが、SNS上では大きな話題となり「会員になりたい」との声も殺到している。  M-1王者になればテレビで活躍し、自身の冠番組を目指すのが通例だったが、“ビジネスマン”としての意外な才能を発揮する野田クリスタル。今までのM-1王者とは、どこか違う道を歩んでいる。 「週刊文春」によると、野田はM-1優勝直後に吉本興業の社長と会食した際、ゲーム開発とジム設立を直訴したという。社長は野田のプレゼンに対し「絶対、それええやん!」と感動し、どちらも吉本が資金を用意して全面バックアップすることを約束したと報じた。  こうした野田の姿勢について、放送作家はこう述べる。 「ゲームとジムという、あくまで自分が好きなものへの思いを語って新たなビジネスに結び付けたというのが野田さんらしい。ゲームに関しては2020年の『R-1グランプリ』で自作ゲームを使ったネタで優勝した直後から『スーパー野田ゲーPARTY』の開発を始めていて、クラウドファンディングで出資者を募るなど、『このゲームを絶対に当てたい』という強い意志を感じました。ゲーム発売前にM-1優勝という追い風が吹いたため、あの大ヒットにつながりました。このゲームはどれも野田のセンスがさく裂しまくっている素晴らしい“クソゲー”で、名作ぞろいのNintendo Switchでここまで結果を残したのはまさに偉業。ただ、本人はお金にはそんなに興味がなく、ゲームで得た収益はそのまま現在開発中の『スーパー野田ゲーWORLD』にぶち込む気でいるようです。ビジネスマンとしての才覚も間違いなくあると思います」  お笑い芸人としてはすでに成功しつつある一方で、生活面はいまだに質素なことで有名だ。散髪はいわゆる千円カットを利用し、服はファンからのもらいものがほとんどだという。 「私生活では派手なことは一切せず、外で遊ぶことも皆無のようです。ゲームや筋トレ、漫画など自分の好きなことにしか興味がないようですが、今の野田さんの収入から考えると相当、お金がたまっているでしょうね。唯一、ペットのハムスターにだけ湯水のようにお金をつぎ込んでいるそうですが、“カネと女”を求めて芸人になる人も多いなか、この生活はかなり異色です。ただ、究極のインドア芸人だからこそ、独学でプログラミングを学び、ゲームを自作してそれをネタに昇華させR-1王者にもなれた。つまり、王者になってもブレない倹約生活こそが、彼の芸人としての強みなんだと思います」(同)  さらに、恩に厚い性格でもあるようだ。 「M-1王者になってからも、さいたま市にある『大宮ラクーンよしもと劇場』を卒業しないことも評価されています。大宮は都内から1時間強かかるので嫌がる芸人が多いのですが、野田さんは大宮で自身の笑いを磨き上げ、ここまで大成できたという恩義を忘れてない。今は多忙なはずなのに、同劇場の看板芸人として地道に舞台に出続けているのはすごいことだと思います」(同)  10月2日に開催される「キングオブコント2021」決勝戦にもコマを進めているマヂカルラブリー。ここで優勝すれば前人未到の三冠王(R-1ぐらんぷり、M-1グランプリ、キングオブコント)になるとのことで、業界内でも注目が集まっている。お笑い界に詳しい民放のバラエティー番組ディレクターは言う。 「野田さんは16歳のときに当時大人気だった『学校へ行こう!』の『お笑いインターハイ』で優勝してこの世界に飛び込んできており、まさに賞レースの申し子。M-1王者という追い風もビュービュー吹いており、相方の村上さんも受け手としては天才的にうまいので、かなり期待をしていいと思います。野田さんはデビューが早いというだけで、まだ34歳。同期は年上ばかりですが、そのなかでも唯一無二の芸人としてわが道を突き進み、やっと結果がついてきた。伸びしろはまだ十分にあるので、吉本が全面バックアップしたくなるのもうなずけます。三冠目獲得となれば、次世代を担う孤高の天才芸人として、お笑い界の中核をなしていくことは間違いないでしょう」  お笑い評論家のラリー遠田氏は野田クリスタルについてこう評する。 「野田クリスタルさんの芸のルーツは、ディープな笑いを追求するインディーズお笑い界出身というところにあります。格闘技にたとえるなら、ボクシングや空手などのルールが整備されたメジャー競技ではなく、目つぶし・かみつき・急所攻撃など何でもありの地下格闘技の世界でずっと戦ってきたようなもの。そこで腕を磨いてきたからこそ、爆発力のあるネタを次々に生み出すことができたのでしょう。笑いに対しては、とにかく真面目でストイック。このまま順調に活躍を続けていれば、将来はカリスマと呼ばれるような芸人に成長するのではないでしょうか」  お笑いで一躍スターダムにのし上がり、ビジネスマンとしても才能も開花させつつある野田。その姿はかの島田紳助をほうふつとさせるが、お笑い界にとって数十年に一度の逸材であることは間違いないだろう。(藤原三星)

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    23時間前

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    同居家族が感染したら「まずは換気を徹底」 自宅療養でうつらないためにすべきこと

     ひとり暮らしもつらいが、家族がいれば、うつさないための対策が加わる。家族の事情を考えた対策を紹介する。AERA 2021年9月20日号から。  千葉県船橋市に住む50代の女性は、大学生の息子と高校生の娘との3人暮らし。今年5月、最初に息子が発熱し、PCR検査で陽性になった。女性と娘にも感染し、全員が自宅療養になった。幸いなことに、3人ともほぼ無症状だった。外出できないことを除いては、通常と変わらない生活を送った。「3人でビデオを見たりゲームをしたり。むしろ久しぶりの“密”な親子の時間でした」(女性) ■子どもたちが次々感染  家族全員が感染しても、無症状かごく軽症で済めばいい。それでも、生活は相当制限されてしまう。小さい子どもがいる場合は、より困難を伴う。 「急に症状が悪化すると耳にするので、子どもたちが重症化しないかすごく不安です」  大阪市に住む女性(29)は心境を吐露する。8月下旬、発熱した小学3年の次女(8)が陽性になった。夫(31)と小学4年の長女(9)との4人暮らし。次女は別の児童から感染したと見られるが、それまで同じ部屋で寝ていたのをやめた。  次女は小児喘息(ぜんそく)の持病がある。いつ血液中の酸素濃度が下がり、呼吸困難に陥るか分からない。それなのに、保健所からは診断後3日経っても連絡が来ず、自宅療養かホテルに行くのかも分からない。そうしているうち、長女が発熱し、陽性が判明した。  自宅療養では家庭内感染のリスクが高まる。大阪市の夫婦もいまは陰性だが、「いつ感染してもおかしくない」という。  今回、話を聞いた専門家全員が口にしたのが、「感染者と非感染者が極力接触しないようにする。看病する人はひとりに限定する」「感染者と接する時は、どちらもマスクを着ける」「感染者、非感染者ともに流水と石鹸(せっけん)でこまめに手を洗い、消毒用アルコールで手指を消毒する」の3点を徹底することだった。  あけぼの診療所の下山祐人院長が強調する。 「看病する人は感染のリスクが高くなります。重症化リスクが比較的低い人ひとりが看病に当たるようにしてください」  重症化しやすいのは「65歳以上の高齢者」「慢性閉塞(へいそく)性肺疾患、糖尿病、脂質異常症、高血圧症、慢性腎臓病、悪性腫瘍(しゅよう)、肥満、喫煙、免疫抑制の重症化リスク因子を持つ人」。看病する側はこれらに該当せず、2回目のワクチン接種を終えて2週間が過ぎた成人だと理想的だ。  家族に感染者が出た場合、最初にやるのは過ごす空間を分けることだ。感染者は個室が原則。無症状や軽症でも同様だ。トイレに近く、かつ対角線上に窓があるなど、換気しやすい部屋であればなおいい。  しかし、家の構造によっては部屋を分けることが難しいケースもある。東京都医師会副会長で感染症担当を務める角田外科消化器科医院の角田徹院長は、次のようにアドバイスする。 「新型コロナウイルスは、飛沫(ひまつ)感染が7~8割を占めると言われています。少なくとも2メートルの距離をあけ、仕切りやカーテンでエリアを区切り、感染リスクを減らします」  トイレや風呂、洗面所といった共用部分は清掃と換気をこまめに行う。ドアノブ、照明のスイッチ、洗面台、トイレのレバーなどよく触れる場所は1日1~2回消毒する。ドアノブやレバーは家庭用洗剤を100倍希釈したもの、トイレや浴室は住居用洗剤で拭き掃除をする。感染者は個室を出たら、手洗いとアルコール消毒を徹底する。風呂は最後に入り、浴室をシャワーで流して換気をする。 「清掃や消毒は大切ですが、過度に神経質にならなくていいです。それより、換気を十分に行うべきです」(角田さん)  まず自宅の「24時間換気システム」がオンになっているか確認しよう。2003年7月以降に建てられた住宅には設置が義務付けられている。たいてい風呂や脱衣所にスイッチがある。 ■対角線上の窓を開ける  窓も開けよう。対角線上にある窓を大きく開けるのが基本だが、なければ換気扇を回す。これから肌寒くなってくるが、国際医療福祉大学熱海病院の〆谷直人・臨床検査科検査部長は「24時間換気システムや換気扇で室温を大きく変動させることなく換気を行えます」という。  加湿空気清浄機をエアコンの向かい側に設置して天井に向けて風を送るようにしたり、床暖房を併用したり。エアコンの湿度を上げることでも寒さを感じにくくなる。電気代を上げたくなければ、室内機から遠い窓を開けて換気を行うといい。  前出の大阪市の家族も、子どもたちの食事中と入浴時には十分換気をし、空気清浄機もずっと稼働させているという。  それでも看病する人には、感染のリスクがつきまとう。 「部屋に入る時は、接触感染を防ぐために、手袋をはめます。手袋はビニール製のもので、使い捨てタイプを使用してください」(〆谷さん) ■着替えの順番も大事  基本装備は不織布のマスク、手袋、ゴーグル(メガネやフェースシールドでも可)。専用のかっぽう着も欲しいが、なければビニール製のカッパか、大きなポリ袋を切って貫頭衣のようにしてもいい。部屋から出たら、手袋、マスクはポリ袋に入れて密閉して捨てる。ポリ袋の服も使い捨てだ。部屋の入り口にゴーグルやかっぽう着をかける専用の場所を作り、看病する人以外は触れないようにする。  感染者の衣服を扱う時は手袋とマスクをつけ、家庭用洗剤で洗濯して完全に乾かす。身にまとう手順にも念を入れたい。下山さんによれば、手袋は2枚使う。1枚目の手袋をはめてからかっぽう着を着用。そして2枚目の手袋をはめ、感染者の部屋に入る。部屋の外にはゴミ袋を用意しておき、縁を外側に折り曲げておく。部屋から出たら2枚目の手袋を捨て、1枚目の手袋をはめたままかっぽう着を脱ぎ、裏返しにして部屋の外にかける。最後に1枚目の手袋を取ってゴミ箱に捨てる。 「ゴミ袋の口を縛る時は、折り曲げておいた袋の縁の内側に指を入れれば、ウイルスが手につくリスクを減らせます。この時も、手袋、マスクを着用するのを忘れずに」(下山さん)  これらは在宅医療で介護者が感染リスクを減らす方法だ。看病の度に、手洗い、手指の消毒、うがいも徹底する。感染者の経過を記録することも大切だ。 「1日2~3回、体温やパルスオキシメーターで測定した血液中の酸素飽和度、脈拍数、症状、食事の量、飲んだ市販薬、気づいたことや気になったことを、時系列が分かるようにノートに書きとめておきます」(同)  保健所や、在宅訪問をしている医療機関に病状を報告するときに、この記録が役に立つ。  大阪市の家族のように、幼い子どもが感染した場合、基本は徹底できるだろうか。東京都医師会副会長の角田さんが言う。 「感染予防の理想と現実は違います。小さいお子さんであれば、マスクをずっとつけておくのも難しいでしょうし、部屋にひとりで置いておくわけにもいきません。抱っこしたり、顔と顔を近づけたりするのも、回数は減らせてもゼロにはできない。親が感染リスクを覚悟して、子どもと接するしかない」 ■「共倒れ」にならない  シングルマザーやファーザーでなければ、両親のどちらかが看病にあたる。共倒れにならないよう、看病する人も、ほかの家族と接触する機会は減らした方がいい。大阪市の夫婦も「感染を覚悟している」というが、家では常に不織布マスクを着用し、消毒も徹底しているという。 「高熱で動けなくなりそうになったら、電子レンジの使い方や救急車の呼び方は教えるつもりです」(大阪市の女性)  それでも、親のどちらかが感染してしまったら? 「子どもを含む感染していない家族と接触をしない。シングルマザーやファーザーだとそうも言っていられませんが……。ただ、幸いなことに子どもは感染しても、無症状か軽症ですむと言われています」(角田さん) (ライター・羽根田真智、編集部・野村昌二)※AERA 2021年9月20日号より抜粋

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    養老孟司 命に関わる大病を患って実感した、“体の声”を聞くことの大切さ

    「病院で検査を受けて『帰りに天ぷらでも食べよう』と話していたら、医師があわてて『養老先生、心筋梗塞です』と」  数々のベストセラーを世に送り出す、解剖学者の養老孟司先生。養老先生は昨年、医師から「助かったのは運がよかった」といわれるほどの大病を患いました。今回は、そんな経験を経た先生の生き方や死ぬということへの思いを伺いました。 *    *  * 「なんだか体調が悪い」。最初にそう感じたのは昨年6月10日頃でした。もともと糖尿病があって、1年で体重が15キログラム減ったのに加え、コロナ禍で外出する機会も減ったので、そのせいかとも考えました。家族の勧めもあり、本を一緒に書いたこともある東京大学医学部附属病院の中川恵一医師に受診の相談をしたのが6月12日です。  そして6月26日に東大病院を訪れました。実に25年ぶりですよ。中川医師に診てもらい、血液検査と心電図の検査を受けました。血液検査では糖尿病の数値が高かったものの、これは予想通りだったので、待合室で家内と秘書たちと「せっかくだから天ぷらでも食べて帰ろうか」と、のんきに話をしていました。  そこに中川医師が急いでやってきて、「養老先生、心筋梗塞(こうそく)です。そのまま動いてはいけません」と。その日のうちに心臓カテーテル治療(※手首や足の付け根からカテーテルと呼ばれる細い管を血管内に挿入し、狭くなった血管を広げる治療法)を受けました。心臓に血液を送る大きな動脈が詰まりかけていて、これが完全に閉塞していたら万事終わりでした。  病院には2つの出口があります。1つは阿弥陀様がお迎えに来て、「他界」へと抜けるための出口。もう1つは「娑婆(しゃば)」の出口です。どうやら阿弥陀様には見放されたらしく、とりあえず娑婆の出口のほうから病院を出ることができたわけです。 ■患者も医師も大切なのは「体の声」を聞くことです  世間的には「養老孟司は、病院嫌いだ」というイメージもあるようです。実際に健康診断の類はもう何も受けていませんし、今回も病院に行くか否かで散々悩んだ末での決断でした。  80歳を過ぎた人間が、病院に行くのに何をためらうのかと思われるかもしれません。しかし、病院という場所は、一度行くと必ずどこか悪い部分を見つけて、たばこをやめなさいとか、甘いものは控えなさいとか、行動を制限してくるものです。そうした現代の医療システムに巻き込まれたら最後、もう抜け出すことはできません。それがむやみに病院に行きたくない理由です。  それでも病院に行く決心をしたのは、家族に無用な心配をかけたくなかったのと、病院に行く3日前くらいからひたすら眠くて、ほとんど寝てばかりいたので、「これはさすがにおかしいぞ」と、私の体の声が聞こえたからです。  体の声とは、自分の体から発せられるメッセージです。体調の変化やいつもと違う状態になれば、体は何らかのメッセージを伝えてきます。しかし、日本人は体調の変化があっても我慢して、いつの間にか環境に適応してしまいがちです。自分の体の良い状態がわからなくなってしまい、それがストレスとして蓄積されていきます。そうなれば、体から発せられるSOSのメッセージに気づけなくなってしまいます。  そして体の声がわからないと医師に頼りきりになってしまう。医師から言われるままに過剰な医療や薬を与えられ、食事や行動を制限されるという現代の医療システムに、簡単に組み込まれてしまうわけです。  医療の現場はすっかりデジタル化されました。かつては聴診器で胸の音を聴いたり、顔色を見たりすることが重要でしたが、今では医療データのほうを重視します。データ化されていない、胸の音とか顔色は診療の邪魔になります。いわば生身の体が医療にとってノイズになっているのです。このへんの話は、ぜひとも今回治療をしてくれた中川医師との共著『養老先生、病院へ行く』を読んでいただければと思います。「中川医師なら診てもらおう」と思ったのは、がんの放射線治療が専門で、終末医療の造詣も深いから。終末医療には患者自身と向き合う必要がありますし、私のような「医療界の変人」への対処法もよくわかっているので、その安心感もあったからです(笑い)。   ■猫みたいな生き方が幸せだと改めて感じる  中川医師をはじめとした医師たちの適切な対処のおかげで、退院から1年以上経ちましたが、元通りの生活に戻りました。いったん現代医療システムに組み込まれた身ですので、いまは潔くコレステロールや中性脂肪等を抑えるために処方された9種類もの薬を飲み続けています。  もっとも、食生活は相変わらずで、「糖質を抑えて」などとは言わず自由に好きなものを食べています。 ただ、もともと食糧難の時代に育ったので、おなかが満たされれば何でもよく、グルメでもないのでぜいたくはいいません。大病を患った後で変わったことといえば、たばこの量が減ったこと。まあ、公式にはたばこはやめたことになっていますが(笑い)。そして、死というものは自分ではなく家族の問題であることを改めて認識したことです。死については自分が大病したことと、昨年12月に18年間連れ添った猫の「まる」が亡くなったことの影響もあるかもしれません。死は、親しい間柄であればあるほど、心に深い傷や悲しみを負うものです。そして順送りしていくものなんです。  だから死は、本人には問題ではありません。あくまでも家族にとっての問題です。「終活」などといって、生前にあれこれ指示しても、死んでしまえば何もできません。生きている家族にすべてを委ねるしかないのです。死に方も死んだ後のことも、しょせん本人にはコントロールすることはできません。だから「こういう死に方はみっともない」とか「死ぬ前に準備をする」とか、そんなことを考えても無駄だと思っています。  動物はいちいち意味など考えず、感覚だけで生きています。猫が日当たりのよいところにいるのは、そこにいるのが気持ちよいからです。「まる」もいつも夏は家の中で一番涼しいところ、冬は一番暖かなところを陣取っていました。  自分にとって一番居心地のいい場所を探して暮らす。そうすればストレスもありません。そんな猫みたいな生き方が幸せなのかなと、改めて考えてみたりします。 (山下 隆) ※「朝日脳活マガジン ハレやか」(2021年 10月号)より抜粋 ようろう・たけし/1937(昭和12)年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士、解剖学者。東京大学医学部卒業後、解剖学を研究し東京大学医学部教授となる。95(平成7)年、57歳の時に自主的に退官。その後北里大学教授、大正大学客員教授を歴任。『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞。毎日出版文化賞特別賞を受賞した『バカの壁』(新潮新書)は、447万部の大ベストセラーとなった。養老先生が、老いと死、医療について語る、治療を担当した東大病院の中川恵一医師との共著『養老先生、病院へ行く』(エクスナレッジ)発売中。

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    「ドラフト外れ1位」ヤクルト・村上が史上最速100号達成「本命」日本ハム・清宮は1軍出場なし の”格差”

     令和を代表するスラッガーとして底知れない可能性を秘めているのが、ヤクルト・村上宗隆だ。19日の広島戦(神宮)で相手左腕・高橋昂也のカットボールを振りぬき、右翼席に飛び込む35号ソロ。この一発で通算100本塁打に到達した。21歳7カ月での到達は、1989年に清原和博氏(当時西武)が達成した21歳9カ月を更新するプロ野球史上最年少記録となった。「三冠王に最も近い選手だと思います。村上の魅力は逆方向にも1発を打てること。相手バッテリーは長打を警戒して外角攻めが通用しません。パワーも凄いですが、バットにボールを乗せる感覚が優れている。技術を磨いてきたから活躍できるんです。まばゆい才能を持っておる強打者ですが、天狗になることはないでしょう。練習熱心で向上心が凄い。まだ21歳ですが、常にベンチで声を出してチームを引っ張っています。気の早い話かもしれませんが、王貞治さん(現ソフトバンク球団会長)の868本塁打にどこまで迫れるか。果てしない道ですが、それほどの可能性を秘めた選手です」(スポーツ紙デスク) 階段を駆け上がるような成長速度で、球団を代表する選手に上り詰めた。プロ2年目の19年に全143試合出場で打率.231、36本塁打、96打点をマーク。高卒2年目以内のシーズンで最多本塁打、最多打点と大ブレークする。新型コロナウイルスの影響で120試合制だった昨季は不動の4番として打率.307、28本塁打、86打点。ボール球になる変化球を見極められようになり、リーグ最多の86四球を選んだ。それに伴って打率も前年から7分上昇した。今季も侍ジャパン最年少で東京五輪に出場し、金メダル獲得に貢献。巨人・岡本和真と熾烈な本塁打、打点のタイトル争いを繰り広げている。 村上は17年ドラフト1位でヤクルトに入団している。九州学院で通算52本塁打と「強打の捕手」として注目されていたが、この年の「ドラフトの主役」は早稲田実業の清宮幸太郎だった。 中学時代に出場したリトルリーグ世界選手権ではエースで主砲と投打で活躍して優勝に貢献。米国メディアから「和製ベーブ・ルース」と称された。早稲田実業に進学すると1年から主軸を担い、甲子園に2度出場して史上最多の高校野球通算111本塁打を樹立。ドラフトでは高校生最多タイの7球団が競合し、日本ハムに入団した。 ヤクルトも清宮を1位で指名している。村上は「外れ1位」で巨人、楽天、ヤクルトが競合し、当たりくじを引いたヤクルトに入団する。同じドラフト1位でもプロ入り時は清宮の注目度の方が圧倒的に高かったが、プロ入り後は伸び悩んでいる。 高卒4年目の今季は故障以外では初の開幕2軍スタートとなり、一度も1軍に上がっていない。イースタンで打率.201、18本塁打、55打点(9月20日現在)。本塁打、打点はチームトップだが、2割前後と確実性を欠く打撃が1軍昇格のネックになっている。「日本ハムは清宮に大きな期待をかけています。野村佑希と共に打線の主軸になってもらわないと困る選手です。ただ現状だと、1軍に昇格しても投手の変化球を打てない。速球にも差し込まれるので厳しい。村上と同様にパワーは規格外なのですが、上半身の力が強くて下半身に粘りがない。だから、変化球にも我慢できず泳がされる。これは清宮だけでなく、球団の育成方針にも疑問が残ります。1年目に1軍で53試合出場して7本塁打をマークしましたが、体が弱く打撃の軸が完成していませんでした。1、2年目は時間をかけてファームで徹底的に鍛えた方が良かったと思います」(スポーツ紙記者) ドラフト1位で期待されながら、結果を出せなかったケースは数多くある。だが、清宮がこのまま終わってしまうのはあまりにももったいない。若手と期待される期間はあっという間に終わる。清宮は試練を乗り越え、輝きを取り戻せるか。(牧忠則)

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    『鬼滅の刃』特別編集版「那田蜘蛛山編」で大活躍の冨岡義勇が「嫌われ役」として描かれる意味

     19日に放送された『鬼滅の刃 特別編集版』の「那田蜘蛛山」で改めて注目されることになった、水柱・冨岡義勇(とみおか・ぎゆう)。人気投票ランキングでは上位にランクインする人気キャラでありながら、「那田蜘蛛山編」でも明らかになったように、作中では“嫌われ者”としても描かれる。ほかの「柱」たちから厳しい目を向けられる場面もある。その理由は何なのか。2021年1月23日のAERA dot.の記事を再配信する。(以下の内容には、既刊のコミックスのネタバレが含まれます)  *  *  * ■「かっこいい」冨岡義勇  鬼の討伐部隊である「鬼殺隊」の中で、「最高位の剣士」とうたわれる「柱」・冨岡義勇。彼は、鬼と化してしまった竈門禰豆子と、その兄・炭治郎を命がけで守った人物でもある。彼の状況判断力、周囲からの信頼の厚さ、竈門兄妹に「救済への道」を切りひらいた行動力など、どの要素をとってみても、冨岡義勇には非の打ちどころがない。  公式ファンブックには、作者の吾峠呼世晴氏みずからが、「目がしらをキュッと入れると、よりイケメンになります」と義勇の外見について注意書きをしている。外見、内面ともに、義勇というキャラクターは、その突出した「かっこよさ」で読者たちを惹きつける。 ■冨岡義勇は「嫌われ者」?  しかし、冨岡義勇にまつわる「周囲からの評判」には、「みんなからの嫌われ者」というエピソードがついて回る。たとえば、「下弦の鬼」と戦っている炭治郎らを救出する際には、一緒に行動した蟲柱・胡蝶しのぶ(こちょう・しのぶ)と義勇との間で、言い争いが起きている。 <そんなだから みんなに嫌われるんですよ>(胡蝶しのぶ/5巻・第43話「地獄へ」)  義勇はしのぶに「俺は 嫌われていない」と反論するが、彼らの議論はこじれにこじれ、しのぶから「すみません 嫌われている自覚がなかったんですね」と一刀両断されてしまう。他の登場人物と比べると、義勇は表情を崩すことが少ないキャラクターだ。しかし、しのぶから一連の厳しいセリフを言われた際には、そのクールな美しさがそこなわれてしまうほどに、動揺が顔にあらわれる。外見も内面も完璧なはずの、義勇のどこが「嫌われ」てしまうのか。 ■冨岡義勇は無口で口下手?  胡蝶しのぶによる義勇への言葉を整理してみると、どうやら義勇には、「言うべきことを、言うべきタイミングで話そうとしない」という言葉足らずな部分と、ひとたび説明をはじめると「無駄と思える話を挿入してしまう」空気の読めなさがあるようだ。  しかし、義勇がはじめて竈門兄妹に遭遇した際には、整然と「鬼」の説明をなし、炭治郎が妹を守るために「足りないもの」を正確に言い当てている。あの有名なセリフ「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」は、その際に義勇の口から発せられた言葉だ。  また、義勇は竈門兄妹を保護するため、自分の師である鱗滝左近次(うろこだき・さこんじ)に、「鬼(=禰豆子)を殺さない」という異例中の異例の処遇を認めさせ協力をあおぎ、さらに、鬼殺隊総領の産屋敷耀哉(うぶやしき・かがや)に対しては、鱗滝と連名で、自らの切腹をかけて炭治郎・禰豆子の助命を嘆願している。これらの場面から判断すると、義勇は「いつも言葉が不足している」わけではないようだ。では、義勇の「失敗」はどんな時に起きるのか。 ■柱たちに「叱られる」冨岡義勇  前述のしのぶからの「嫌われている」発言の場面以外にも、義勇が他の柱たちから口々に叱られるシーンがある。それは「緊急柱合会議」での出来事だ。産屋敷耀哉の妻・あまねが退出した時点で席を立とうとした義勇に、風柱・不死川実弥(しなずがわ・さねみ)が「おい待てェ 失礼するんじゃねぇ」「俺たちを見下してんのかァ?」と呼び止める。ここでは、蛇柱・伊黒小芭内(いぐろ・おばない)からも「貴様には柱としての自覚が足りぬ」ととがめられ、しのぶからは「さすがに言葉が足りませんよ」とたしなめられる。そして、古参の柱である岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじま・ぎょうめい)にも「座れ」と叱られてしまう。  義勇に対する、他の柱たちからの非難は「柱のひとりであるにもかかわらず、他の柱と交わろうとしない、その行動はいかがなものか?」という問いからわき起こるものだろう。 ■義勇の「言葉の失敗」はなぜ起きる? <俺は水柱じゃない>(冨岡義勇/15巻・第130話「居場所」)  かつて、義勇は仲間の錆兎(さびと)に助けられ、自分だけが生き残ったことに自責の念を抱きながら生きている。それに耐えきれず、「俺は水柱になっていい人間じゃない そもそも柱たちと肩を並べていい人間ですらない」と、自分を卑下するようになる。  だが、義勇は他者よりも「優れた剣士である」からこそ、「他の隊士たちと自分は違う」という自嘲が、ストレートには周囲に伝わらず、自分だけがまるで「孤高の人物」として振る舞っているような誤解を受ける。ここで生じる、他の隊士たちとの認識の違いが、義勇の「言葉の失敗」をさらに複雑化させてしまっている。 ■胡蝶しのぶが冨岡義勇に怒ってしまうワケ  柱の中で最も義勇と“距離が近い”のは胡蝶しのぶだろう。作品の中では一緒に行動したり、会話を交わす場面も多い。  鬼に「姉」を殺害されているという点、そして姉の死後に「本来とは違う性格」になってしまった点において、義勇としのぶは共通している。そして、「笑顔が素直に出てこなくなってしまった」という点でも似ている。  義勇は、兄弟弟子である錆兎を失ってからはとくに、かつての快活な笑顔を周囲にみせなくなってしまった。悲しみを封印するとともに、うまく笑えなくなっている。一方、しのぶは、自らの怒りを封印し、姉・カナエの代わりにそのつとめを果たそうとして、「うその笑顔」をはりつけている。しのぶには義勇の心情が十分に理解できているだろう。  しかし、自責の念から、他の柱たちと距離を取ろうとする義勇の姿は、周囲のために「常に笑顔の自分」であろうと努力しているしのぶからすると、イライラの対象になってしまう。しのぶが義勇に「説明が足りない」といつも怒るのはこういう理由だ。義勇の内奥にある悲しみがわかるからこそ、しのぶは孤独を守ろうとする義勇を看過できないのだ。 ■義勇に「前を向かせた」、2度の目覚め  義勇は、自分をかばって死んでしまった姉と錆兎の着物を「半々に」仕立て直した羽織を身につけている。義勇が目指したのは、かつての姉のように、兄弟弟子のように、他者を守れる自分になることだった。  義勇の心は、姉の死と、錆兎の死によって、2回死んでいる。そのため、義勇が「生き返る」ためには、2度の「目覚め」が必要だった。  最初の「目覚め」は、弟弟子の炭治郎によって、錆兎と約束した「お前も繋ぐんだ 義勇」という言葉を思い出した時。そして、2度目の「目覚め」は、最後の鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)との戦いで限界に達した時に、悲鳴嶼・伊黒・不死川に助けられ、叱咜された時におとずれる。  冨岡義勇は、仲間たちからの問いかけと叱咜によって、「まだやれる!!しっかりしろ!!水柱として 最後まで 恥じぬ戦いを!!」と言葉にできるようになった。義勇は、その時にやっと「真の水柱」として、「守りたかった者を守れる自分」へと変貌をとげたのだった。 ◎植朗子(うえ・あきこ)1977年生まれ。神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』『はじまりが見える世界の神話』がある。

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    「絶対応援せないかん」エンジェル投資家が背中を押したくなる起業家とは

     かつての起業家が「意思ある投資家」として、次世代の起業家を育てる。そんな人たちを追った短期集中連載「起業は巡る」。第1シリーズ最終回は、エンジェル投資家・小笠原治(50)と孫泰蔵(48)の対談。AERA 2021年9月20日号の記事の3回目。 *  *  * ──ベンチャー投資はセンミツ(1千社に投資して3社成功すれば上出来)と言われます。志の高い起業家が必ず成功するとは限りません。 孫:打率を上げるには数を打つ必要があります。例えば5億円を500万円ずつ100社に投資したとします。この中から5億円の価値を持つ会社が一つ生まれれば、500万円が100倍になって収支トントンです。ここまできた会社はスケール(爆発的な成長)するので、次は5億円を出資します。これが20倍になって100億円。その次のステージで100億円を投資すると5倍の500億円になる。  ここから分かることは二つ。一つは最初に投資する100社のうち99社は失敗で構わない。もう一つは2回目、3回目の出資のタイミングでは、皆が出資したがる。小さな投資家ははじき出されると思われるかもしれませんが、起業家は一番苦しい時に出資してくれた人の恩を忘れない、ということです。 ■背中を押すのが面白い ──米国や中国、インドでそういう若者が増えているのは分かります。日本はまだ大企業志向が強いようにも見えます。 孫:そんなことはありません。起業家や予備軍がたくさんいます。例えば、高校生の時に大好きなおばあちゃんが要介護になった。疲弊した介護の現場を見て「負担を減らせる方法はないか」と考えて介護機器の研究ができる大学に行った。さらに介護福祉士の資格を取って、子育てしながら起業した女性がいます。そんな「これは絶対応援せないかん」と思う人が大勢います。そういう人に投資する時には事業計画書なんて見ません。 小笠原:12年に700億円だった日本のベンチャー投資は20年には4600億円に増えました。強烈な動機を持つ人たちの背中を押す仕組みは、日本でもできつつあります。僕はそういう人たちと一緒にやるのが面白い。だから、薄く広くバラバラッとやりたいんです。新しい芽生えによって日本も「いい感じ」になってきました。それを応援したい。僕らの前の世代は「昭和が良かった」とよく言います。でも冷静にみれば、人口ボーナスと地政学的なラッキーが重なっていた部分もある。下駄(げた)が消えて「素の日本」になって、「さて、これからどうするよ」というのが今の段階。そういう時代に生まれた若者は親世代と全く価値観が違うんです。 孫:だから今回の東京オリンピックで「昭和の開会式」を見せられて、みんながっかりしちゃった。でも、あれは「過去の日本の表現」としては素晴らしかった。あそこがダメ、ここがダメと批判して暗くなるんじゃなくて、「過去の日本の総決算」と受け止め、笑い飛ばしてしまいたい。で、一番かっこよかったのがスケートボード。 小笠原:そう、日本の選手がキックフリップ・インディー(大技の一つ)を決めようとして失敗した。そうしたら他国の選手が「もっといける」とあおって。競技を終えた日本の選手が戻ってくると、「よく頑張った」「かっこよかった」とたたえていました。メダルという結果より、オリンピックというプロセスを楽しむのが彼らのスタイル。そんな世代が主役の時代には、ビジネスもあんな風になっていくんだと思います。 (敬称略)(構成/ジャーナリスト・大西康之)※AERA 2021年9月20日号より抜粋

    AERA

    1時間前

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    【写真特集】影絵を通じて皇室と長年の交流がある藤城清治さん 教文館で20年の展示に幕

    2002年10月15日、雅子さまが、御用邸以外で、愛子さまのはじめてのお出かけ先に選んだのが、銀座・教文館の「ウェンライトホール」で開かれた『藤城清治影絵展』です。あれから20年、計21回開催された教文館での影絵展が、2021年9月26日で最後を迎えます。最後の展示では、美智子さまに献上した『つり橋はぼくのハープ』を再現した作品などの代表作を多数展示。御年97歳の藤城清治さんは、コロナ禍でも創作活動に励み、新たな作品を生み出していました。<関連記事>「愛子さまに一番美しいものを」雅子さまもお忍びで通った 教文館で最後の藤城清治さん影絵展 

    20時間前

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    若者の“肉を食べない理由”に驚き 新世代の“欲望のベクトルの変化”をエンジェル投資家が語る

     かつての起業家が「意思ある投資家」として、次世代の起業家を育てる。そんな人たちを追った短期集中連載「起業は巡る」。第1シリーズ最終回は、エンジェル投資家・小笠原治(50)と孫泰蔵(48)の対談。AERA 2021年9月20日号の記事の2回目。 *  *  * ──かつて孫さんの兄・正義さんに1億6千万円投資したシャープ副社長の佐々木正さんみたいなすごい人もいました。 孫:大西さんが『ロケット・ササキ』(新潮社)で書かれてますよね。佐々木さんはすごい人です。あの頃の兄のピッチ(事業計画のプレゼンテーション)なんて、今聞いたら荒唐無稽もいいところですから。亡くなるちょっと前にお会いしたんですが、「お前ら、どんどんやれえ」みたいな最高に面白い方でした。あんな人は後にも先にもいません。 ──「お目目キラキラ」の人にホイホイお金を渡していたら、ただの「お金配りおじさん」になってしまいませんか。 小笠原:多分、そうはなりません。例えば今回の連載で紹介してもらったORPHEの菊川くん。最初はバッシュ(バスケットシューズ)にLEDを巻いて「これがロックだあ」とやってきた。その彼が今は「スマートシューズで健康な人を増やしたい」「一人でも多く雇用を生み出したい」と言っています。彼らはビジネスを通じて、すごいスピードで成長するんです。物心ついた時から日本がダメでしたから、親世代のような「日本スゴイ」の幻想を持っていない。ダメな日本が前提で「ほんの少しでも良くできないか」という強い動機を持っています。 ■欲望のベクトルが変化 「成功したい」という欲望のベクトルが「自分が金持ちになること」から「世の中を良くすること」に変わってきていて。その気概が面白く、魅力的なんです。つまらないことでは失敗しない雰囲気を持っています。自分が10代、20代の時、社会のことなんてこれっぽっちも考えていなかった。日本でも新しい文化が生まれているんだと。 孫:僕らの世代で元気がいい連中は、シルビアやプレリュードを手に入れるため、せっせとパーティー券を売っていた。今の10代、20代は車なんて全く興味がない。車がないとどこにもいけないロサンゼルスの若者ですら「ウーバーがあるから車はいらない」と言うんです。  あるいは、肉を食べない連中にベジタリアンなのかと聞くと「豚肉の場合、精肉を1キロ消費すると7.8キロの温室効果ガスが出る」と真顔で言います。彼らにとって環境や高齢化問題は我々よりずっと切実で、社会的課題にものすごくコンシャス(関心が高い)。「途上国で労働力を搾取している大企業の製品は買いたくない」とか「あの会社はマーケティングがうまいけど、自分はだまされない」とか。数年もすると、この世代が消費のメインプレーヤーになる。すると、社会課題と向き合うスタートアップがお客を獲得するようになるので、投資家も注目する。企業は価値を生むことが大事と言われますが、その価値が「お金」から「意味」に変わってきたのです。 (敬称略)(構成/ジャーナリスト・大西康之)※AERA 2021年9月20日号より抜粋

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    AERA

    19時間前

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    「愛子さまに一番美しいものを」雅子さまもお忍びで通った 教文館で最後の藤城清治さん影絵展

     愛子さまのはじめてのお出かけ先だった教文館の『藤城清治影絵展』が、20年の歴史に幕を閉じる。計21回開催された影絵展には、雅子さまがお忍びで訪れたほか、美智子さまが鑑賞されたこともある。思い出とともに振り返った。 *     *  *  影絵作家、藤城清治さん(97)の作品展(影絵展)は2002年から、銀座・教文館の「ウェンライトホール」で毎年開かれてきた。教文館の改装にともない、同ホールがその役目を終えることから、影絵展も今年が最後となった。  幻想的な世界観で知られる藤城さんの作品。メルヘンな絵柄だけでなく、そこ投影された藤城さんの温かなまなざしも、幅広い年齢の人々を魅了してきた。  「戦争を経験した藤城先生は、弱い者に寄り添うヒューマニズムが根底に流れていて、一貫して変わらない気持ちを保ち続けていらっしゃる」(教文館渡部満社長)   雅子さまにとっても教文館で開かれる影絵展は特別な場所だった。雅子さまは、御用邸以外で、愛子さまのはじめてのお出かけ先に教文館の影絵展を選び、2002年10月15日に母子で足を運んでいた。  藤城さんは、『週刊朝日』(2019年5月17日号)のインタビューで、影絵展に訪れた雅子さまと交わした会話をこう話していた。  「『(愛子さまに)一番美しいものを見せたい』と(雅子さまが)はっきりおっしゃったのを覚えています。その言葉を嬉しく感じました」   当時、影絵に描かれるこびとや動物に手を伸ばす愛子さまを「だめだめ」と雅子さまが諭す姿に、藤城さんは「アクリル板の上からなら大丈夫ですよ」と声をかけた。少しの間だけ侍従の人が愛子さまを抱くこともあったが、ほとんど雅子さまが抱っこしたまま30分ほど鑑賞されていたという。愛子さまのご誕生をお祝いして制作した『夢がとぶ』の前に雅子さまは足をとめていたそうだ。  2007年、2018年にも雅子さまはお忍びで教文館を訪れるなど、度々藤城さんの影絵を鑑賞されてきた。  2003年10月16日には、美智子さまも教文館の影絵展を訪れ、1点1点の作品に足をとめて丁寧に鑑賞されていたようだ。藤城さんは65周年を記念する作品集において、美智子さまが訪れた時をこう回想している。  「前に原画を献上した『つり橋はぼくのハープ』(1988年作)のレプリカの前で、『この絵は私の一番好きな作品です』と申し上げると、『それはほんとうによかった』と大変嬉しそうにおっしゃっていただいたことが印象に残っています。また、『猫ずもう』(2003年作)の絵の中の、幟(のぼり)に書いてある“斜武里(シャブリ)″という字をご覧になって、いつかぼくのエッセイを読んでご存じだったらしく、『これは飼っている猫ちゃんの名前ですね』といわれたのにはびっくりし、また感激してしまいました」(『光あれ、影あれ─藤城清治 創作活動65周年記念作品集』<2冊組>、2008年)  『つり橋はぼくのハープ』は、献上後、記念に構図や色調を再現し、原画と区別するために少し大きめのサイズにして2014年にも制作しており、教文館での最後の影絵展でも展示されている。  藤城さんの影絵の原点は、終戦にある。1944年、慶応義塾大学経済学部の学生だった藤城さんは、20歳で海軍予備学生となり、翌年に九十九里浜沿岸防備につく。戦時中、娯楽が制限されていたなかで、勤労奉仕の工員らに人形劇を披露していた。だが、敗戦で、人形を海に流してしまう。戦後は物不足により、新たに人形を作ることができなかった。そこで、学生時代に演劇研究家の小沢愛圀(おざわよしくに)氏が影絵のことを話していたのを思い出し、紙とロウソクや裸電球1つで、光と影の表現を演出することができる影絵に着目するようになった。  藤城さんは、このコロナ禍の難局に立つ時世でも作品と向かい続けていた。今年の新作『ノアの箱舟』は、30年ほど前にNHKの番組企画で制作した作品をもとに、改めて作った影絵で、以前よりも波を高くし、動物を増やして描き直していた。ライフワークとして力をいれてきた聖書画の一つでもある。  コロナ禍のため、直接の取材は叶わなかったものの、AERA dot.の取材に藤城さんはこうコメントを寄せた。  「ぼくにとって教文館とは、自分の手の中で、自分の思い通りの展示ができる貴重な場所でありました。また、今のコロナ禍で描きたい、描くべきだと思ったのが新作『ノアの箱舟』です。97歳になった今、ぼくにこの難局のなかでどれだけの力が、緊張感や壮大さが出せるかたしかめてみようと思いました」  新作の影絵のみならず、コロナ禍ではアクリル板に動物を描いた新しいスタイルの作品も誕生した。藤城さんは「透明なままではつまらない」「その場を少しでも楽しい気分にさせたい」と思い立って、描いたという。  教文館の渡部社長は、20年間の軌跡を振り返る。  「展示会をはじめた当初は、藤城先生のメルヘンな世界を好む年代の高い人のファンがよく来場していましたが、後半の10年間は若い人がずいぶん来られるようになっていました。藤城先生の作風がメルヘンを残しつつ、戦争や原爆ドームなどの社会的な問題を意識して作品に取り入れるように変化した時期だったと思います。その一方で、時代の変化に伴い、絶えず新たな試みをなさってきたと思います」  「藤城清治 こびとといっしょ 生きるよろこび展2021」は、東京・銀座の教文館で9月26日まで開催。なお、藤城清治さんの影絵展は、今後も各地で開催する予定でいる。 (AERA dot.編集部 岩下明日香)

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    20時間前

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    ひろゆきが断言「我が子には絶対にiPadを買い与えるな!」

     現在、テレビやYouTubeで圧倒的な人気を集める、ひろゆき氏。24万部のベストセラー『1%の努力』では、その考え方について深く掘り下げ、人生のターニングポイントでどのような判断をして、いかに彼が今のポジションを築き上げてきたのかを明らかに語った。この記事では、ひろゆき氏に気になる質問をぶつけてみた。(構成:種岡 健)■子どもの「人生の可能性」をせばめるの? 世の中は、どんどんネット社会になっています。そんな状況で、子育てをしている親御さんは、子どもに早めにコンピューターに触れさせたいと思うことも多いのではないでしょうか。 ただ、子どもが欲しがるのは、iPadのような「タブレット型のPC」でしょう。 たしかに、機能やスペックだけを見るとパソコンと同じに見えるかもしれませんし、操作も簡単そうで「子どもでも使いこなせるだろうな」と思うはずです。 しかし、ここに、「大きな落とし穴」があります。普通のパソコンを選ぶか、タブレット型PCを選ぶか、はたまたスマホを買い与えるかで、子どもの将来の可能性をせばめてしまう危険性があるのです。つまり、我が子の人生を変えてしまう選択になるのです。■消費者になるか、クリエイターになるか まず結論を話しておきましょう。「タブレット型のPC」は、子どもを「ただの消費者」に変えてしまいます。 なぜなら、はじめからアプリが搭載されており、アプリストアで単純なゲームがすぐに手に入り、指一本の動きでしか操作しなくなるからです。 この環境に慣れてしまうと、GAFAの賢い人たちの手のひらの上で動かされるだけの人生になります。単純なシステムを指でなぞったり、画面上の動きに反応することしかできなくなるのです。 スマホやタブレットは、課金したり衝動買いをすることに最適化されすぎています。 じっくりと作業したり、考えながらものづくりをするのには、タブレット型PCは不向きです。やはり、パソコンでないと厳しいでしょう。それには、さらに深い理由があります。■「スマホで十分」の大ウソあるインフルエンサーの人は、「スマホでも動画編集をしたり、絵を描いたり、プログラミングしたり、ワードもエクセルもできる」と語っています。しかし、そんな彼も、10代や20代で最初にコンピュータに慣れ親しんだ経験は「パソコン」によるものです。 ちゃんとキーボードで操作する環境で育った上で、その経験がベースになっていることで「スマホでも置き換えられる」と言っているだけです。 パソコンに慣れている人は、同じことをスマホでもすることができます。しかし、最初からスマホだけに慣れてしまった人は、パソコンを目の前にすると、途端に何もできなくなります。 物事はつねに「大は小を兼ねる」のです。「我が子にパソコンは早いだろう」と思ってしまっている親は、重大なミスを犯しています。 子どもだからこそ、難しいことからやらせてみるべきなのです。子どもの頃の「好奇心」や「吸収率」は、親の想像をはるかに超えます。30代や40代以上になってから初めてワードやエクセルを覚えるのとは、覚えるスピードが段違いに異なります。 だから、絶対に子どもにはタブレット型PCを買い与えないでください。YouTubeを次から次へと見ることしかできなくなります。そうなると、子育てのときは静かになってラクかもしれませんが、その子にとって大事な「じっくり腰を据えて取り組む」というチャンスを奪ってしまうことになりかねません。■ITへのアレルギーがなくなった「僕の体験」 僕は、親に感謝していることがあります。 それは、僕がファミコンを欲しがったときに、なぜかパソコンを買ってきたことです。その当時は、子どもながらに、「なんでパソコンなんだよ……」と思いつつも、それでも新しい機械を目の前にしたワクワクがあり、好奇心でどんどん操作していくうちに、パソコンやITスキル、プログラミングに対するアレルギーがなくなっていったんです。 やはり「環境」が大事です。与えられた環境の中でしか、子どもは育ちません。 別に、全員の子どもに「プログラマーになれ」「IT業界で食っていけ」と言っているわけではありません。ただ、これからの時代は何をするにせよ、パソコンでものづくりができるスキルがあると、子どもの才能を開花させる可能性を最大限に引き上げます。 これからは、既存のものやサービスに付加価値を与える方向性でしか、日本は生き残れなくなっていきます。そういう社会で活躍できる子に育てるためにも、親には正しい選択をしてほしいと願っています。ひろゆき 本名:西村博之1976年、神奈川県生まれ。東京都に移り、中央大学へと進学。在学中に、アメリカ・アーカンソー州に留学。1999年、インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し、管理人になる。2005年、株式会社ニワンゴの取締役管理人に就任し、「ニコニコ動画」を開始。2009年に「2ちゃんねる」の譲渡を発表。2015年、英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人に。2019年、「ペンギン村」をリリース。主な著書に、24万部を突破した『1%の努力』(ダイヤモンド社)がある。

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    『鬼滅の刃』の主人公はなぜ竈門炭治郎なのか?――典型的な「少年漫画のヒーロー」を“主役”にしなかったワケ 

    『鬼滅の刃』の公式キャッチコピーに「これは、日本一慈しい(やさしい)鬼退治」という言葉がある。このフレーズはまちがいなく、物語の主人公・竈門炭治郎の「優しい人柄」に由来している。炭治郎は正義感が強く、ときおり激しい怒りも見せるが、「すべての鬼を」単純に憎むこともできず、鬼との戦いのたびに胸を痛めていた。さらに炭治郎は時々主人公らしくない「弱音」も口にする。こうした迷いこそが「竈門炭治郎らしさ」であり、『鬼滅の刃』では彼を主人公にする“必然性”があった。その意味について考察する。【※ネタバレ注意】以下の内容には、既刊のコミックスのネタバレが含まれます。 *  *  * ■鬼との戦闘に苦悩する主人公  鬼に家族を殺され、生き残った妹を「鬼化の呪縛」から解くために、竈門炭治郎(かまど・たんじろう)は鬼狩りへの道を志した。  しかし、鬼にトドメを刺せぬ炭治郎は「判断が遅い」と鬼殺隊の元水柱・鱗滝左近次(うろこだき・さこんじ)から頬をたたかれ、のちに兄弟子になる水柱・冨岡義勇(とみおか・ぎゆう)からも「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」と初対面で厳しく叱責されている。  心優しい炭治郎は、最初、戦う意味をつかみきれずにいた。妹を救いたい気持ちと、鬼という「生き物」を殺すことの必要性が、頭では理解できても、心でうまくつながらなかった。われわれ読者は、この“優しすぎる主人公”の苦悩を数々のエピソードを通じて見届けることになる。  物語冒頭で炭治郎は立て続けに鬼と遭遇し、鬼が人間を喰う姿も目の当たりにしてきた。それでも、炭治郎は鬼に苦痛を与えることをためらった。人喰い鬼は殺さなくてはならないと、自分で自分に言い聞かせる場面も見られる。 <止めを刺しておかないと また人を襲う だから俺がやるんだ>(竈門炭治郎/1巻・第2話「見知らぬ誰か」)<苦しむだろうな 一撃で絶命させられるようなものはないのか…>(竈門炭治郎/1巻・第3話「必ず戻る夜明けまでには」) ■炭治郎が「長男として」戦う理由  こんなにも優しい炭治郎であったが、彼は鬼殺を続けなくてはならない。本来であれば、竈門家が鬼に襲撃された時点で、炭治郎は亡き父の代わりに、長兄として母や弟妹を守らなくてはならなかった。しかし、自分だけが無傷で生き残ってしまったのだ。  もともと責任感が強い炭治郎の中で、「長男なのに」という思いがどんどん大きくなっていく。炭治郎の有名なセリフにこんな言葉がある。<すごい痛いのを我慢してた!! 俺は長男だから我慢できたけど 次男だったら我慢できなかった>(竈門炭治郎/3巻・第24話「元十二鬼月」)  長男だろうが、次男だろうが、長女だろうが、末っ子だろうが、そんな属性は「肉体的苦痛に対する我慢強さ」とは本来関係ない。しかし、炭治郎は長兄として果たせなかった“約束”を守るために、今度こそは妹を救いたいと、激しい痛みに耐えながら自分を鼓舞するのだ。一見するとコミカルなセリフであるが、その裏側にある炭治郎の自責の念は強い。 ■ときに頑固で激しい怒りも  一方で、炭治郎には頑固で気の強い一面もある。それは彼の「正義感」から生まれたものだ。鬼殺隊入隊試験「最終選別」で、同期の不死川玄弥(しなずがわ・げんや)が少女に暴力を振るった際、それを止めに入っているが、乱暴な制止の仕方だった。 <この子から手を放せ!! 放さないなら折る!!>(竈門炭治郎/2巻・第8話「兄ちゃん」)  さらに「柱合裁判」の時には、妹に乱暴した不死川実弥(しなずがわ・さねみ)にも怒鳴りつけている。 <善良な鬼と 悪い鬼の区別もつかないなら 柱なんてやめてしまえ!!>(竈門炭治郎/6巻・第45話「鬼殺隊柱合裁判」)  実弥は玄弥の実兄で、鬼殺隊の風柱であるが、炭治郎はおかまいなしだった。鬼であろうと、目上の人間であろうと、同期だろうと、許せないと感じたことに怒る胆力と意思の強さが炭治郎にはあった。 ■炭治郎の弱音  こんな“真っすぐな”炭治郎であるが、ときおり「主人公らしくない弱音」を口にする時がある。それは、最終選別合格後に、炭治郎がボロボロになって、禰豆子と鱗滝のもとへ帰ってきたシーンだ。 <わーーーーっ お前 何で急に寝るんだよォ ずっと起きないでさぁ 死ぬかと思っただろうがぁ!!>(竈門炭治郎/2巻・第9話「おかえり」)  2年もの間眠り続けていた妹がやっと目覚めたのを見て、炭治郎は禰豆子にすがって大声で泣いた。禰豆子は死ぬのではないか、もう起きないのではないかと、炭治郎が悩み続けていたことがよくわかる場面だ。  炭治郎はスーパーヒーローなどではなく、親兄弟を亡くした「普通の少年」なのだ。炭治郎は珍しく泣き続け、禰豆子もろとも、師・鱗滝に子どものように抱きしめてもらった。 ■炭治郎の弱さ・柱たちの強さ   炭治郎は家族が鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)に襲撃されて以降ずっと、鬼による「理不尽な死」を目の当たりにせねばならなかった。そのつらさは想像を絶するものだろう。一つ耐え、二つ飲み込み、三つ我慢して……その悲しみがあふれてしまった時、炭治郎は膝をつき、弱音を口にしながら涙を流す。  たとえば、映画で公開された「無限列車編」のラストシーンでは、炭治郎は、もう動かなくなってしまった炎柱・煉獄杏寿郎(れんごく・きょうじゅろう)を前に、大粒の涙をこぼしながら泣きくずれている。 <こんな所でつまずいてるような俺は 俺は…  煉獄さんみたいになれるのかなぁ…>(竈門炭治郎/8巻・第66話「黎明に散る」)  他の柱たちにとっても、煉獄喪失は心を揺るがす事件だった。しかし、柱たちはその悲しみを言葉にすることはない。鬼という強大な敵に立ち向かうためには、柱はいつも強くなくてはならなかった。心の揺らぎを見せるわけにはいかなかった。しかし、炭治郎はちがう。  この炭治郎の弱音は、私たち読者に、鬼と戦っている鬼殺隊の隊士たちも本当はか弱い人間であることを思い出させる。炭治郎が「弱音をはく」場面で、人間が「強くなる」とはどういうことなのか、ひとつひとつを追体験していく。炭治郎の揺らぎは、人間であるがゆえの苦悩であり、「心」の表出なのだ。 ■炭治郎が乗り越えた「最後の試練」  こんなふうに、炭治郎はさまざまな辛苦をなんとか乗り越えてきた。しかし、とうとう最終決戦で多くの仲間の死を目撃し、あまりにむごいその結末に、炭治郎の緊張の糸が切れてしまう。 <本当にもう疲れたんだ お願いします神様 家に帰してください 俺は妹と家に帰りたいだけなんです どうか…>(竈門炭治郎/23巻・第203話「数多の呼び水」)  それでも炭治郎はもう一度だけ耐えねばならなかった。人間であり続けるために、もう一度だけ「運命の試練」を乗り越えなくてはならないのだ。  一般的に、物語の主人公は、最終場面で仲間のために戦いきる場面が描かれることが多い。しかし、『鬼滅の刃』はちがった。「最後の試練」で竈門炭治郎は刃を振るわない。仲間たちの温かい手が炭治郎に添えられて、炭治郎は帰るべき道へと手を伸ばす。それだけだった。鬼の誘惑に耳をかさず「愛する人たちを信じきること」、これが炭治郎の「最後の試練」に必要なことだったのだ。  最終巻で、炭治郎たちがつないできた優しさが、「救済」となって花開く。そして、すべての人たちをその優しさが包み、長い恐ろしい「夜」がやっと明けたのだった。 ◎植朗子(うえ・あきこ)1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。

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    【写真特集/全8枚】華麗なる日本人メジャーリーガーの妻たち

    トップクラスは20億円以上の年俸を稼ぐ選手もいる、憧れの日本人メジャーリーガー。そんな彼らを射止めた女性たちもまた、アナウンサー、アイドル、モデル…と高嶺の花が勢揃い!そんな美貌と才能に溢れた彼女たちを写真で紹介します。▼クリックすると拡大写真と解説文が表示されます

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    小林麻耶が離婚へ 夫から解放されても修復が難しい「海老蔵一家」と「TBS」

     今年3月から別居状態にあった小林麻耶(41)と夫の國光吟氏(37)が離婚に向けて協議を始めたという。7月1日発売の「女性セブン」によると、当初は麻耶自身も別居が一時的なものになるか、離婚への準備期間となるかはわかっていなかったが、周囲のサポートもあり自分の意思で結論を出す段階に入ったようだ。 2人が結婚を発表したのは2018年7月。出会って2カ月、“交際ゼロ日”での電撃婚は周囲を驚かせたのはもちろんだが、國光さんの行うスピリチュアル色の強いセラピーやカウンセリングなどに傾倒する麻耶を心配する声も少なくなかった。「それ以降の2人の行動といえば、まるで麻耶さんのマネジャーのようにどこへ行くのにも國光さんが同行し、次第に仕事場でも國光さんが口を出すようになったといいます。そして昨年11月に『グッとラック!』(TBS系)の電撃降板と所属事務所との契約解除があり、麻耶さんの彼への依存ぶりが心配され始めました」(女性誌記者) 一時期は麻耶が「洗脳状態」にあるのでは?などと心配もされたが、次第に2人の関係は冷めていったようだ。結局、3月には別居となったが、國光氏と距離をとった麻耶を誰よりもサポートして見守り続けたのは、麻耶の母親だったという。「お母さんの元に戻ってからは、麻耶さんも徐々にこれまでのことを冷静に振り返ることができるようになったそうですが、最も彼女の心を揺り動かしたのは麗禾ちゃん(9)と勸玄くん(8)の存在です。國光さんと結婚してからは、海老蔵さん一家とも以前のように頻繁に関わることがなくなり、あれほどかわいがっていた子どもたちともここ1年ぐらいは会っていないといいます。お母さんは、麻央さんの闘病中には麗禾ちゃんと勸玄くんの面倒を見て家事一切を取り仕切っていました。お母さんから伝え聞く2人の様子やYouTubeで見る成長ぶりに会えない辛さが募ったのでしょう。そんな麻耶さんの異変に気づいて、お母さんはメンタル面も含めてフォローし続けているそうです」(同前) だが、仮に離婚が成立したとしても、今後の麻耶の状況が元通りになるかといえば、「すぐには難しいかもしれない」と芸能ジャーナリストは話す。「まずは麗禾ちゃんと勸玄くんとの関係です。麻央さんの闘病中はお母さんと共に彼女もよく面倒を見ていて、子どもたちも懐いていましたが、海老蔵さんが現在の状態のまま、麻耶さんと距離をとり続けるのであれば、以前のような家族ぐるみの関係に戻るには時間がかかるでしょう。海老蔵さんはこれからは『十三代目市川團十郎白猿』と『八代目市川新之助』の襲名披露公演も控えていますから、あまり“雑音”は入れたくないのではないでしょうか」 また、広告代理店関係者は麻耶の復帰をこう心配する。「いずれ麻耶さんも仕事復帰を考えているでしょうが、義理を欠くようなことをしてしまった古巣のTBSや前の所属事務所からのバックアップは期待できないでしょう。それ以上に、はたしてタレントとして需要があるのかも疑問です。國光氏とのお騒がせカップルのイメージがまだ根強く残っていますから、CMや司会などで起用するのは厳しいのでは」 麻耶はこの日、自身のブログを更新したが、離婚報道には言及しなかった。“目が覚めた”麻耶が目の前に待ち受ける新たな壁に気づき、それを乗り越えた時に、彼女は本当に自由になれるのかもしれない。(宮本エミ)

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    韓国アイドルが日本語タトゥー「ノージャパンじゃない」発言に心配の声

     韓国ガールズグループ・AOAの元メンバーで女優クォン・ミナ(27)が日本語で書かれた背中の「日本語タトゥー」を公開し、波紋を呼んでいる。 クォン・ミナは12日、自身のインスタグラムに「毒と得、そして奇跡」というコメントと共に写真を投稿。背中を大きく開いた写真には、英国や数か国語のデザインでタトゥーが刻まれている。その中に、日本語で刻まれたタトゥーも。クォン・ミナは「私はノージャパンでも、ノーチャイナでもありません。どの国に対しても偏見はありません。韓国で私を応援してくれる方々、韓国から近い国や遠い国など、たくさんの国から応援してもらって生きる人間です。みんなに感謝しているし大好きです」と説明。「日本語も、英語の筆記体も、漢字も、背中などにたくさんの言語で(タトゥーを)彫りました。私たちの国が最も誇らしく思い、愛していても、色々な国の個性とマインドから学ぶ点も多いと思っています」と綴った。そして、「写真を見て不愉快になられたかもしれませんが、私にまったく同じマインドを望むのは申し訳ありませんが、個人の自由だと思います。ご理解頂きたいです」と付け加えた。 クォン・ミナは12年にガールズグループAOAのメンバーとしてデビュー。清純派の美貌で人気を集めて女優としても活躍し、人気ドラマに多数出演した。19年にAOAを脱退すると、昨年7月にAOAのリーダー・ジミンからグループ在籍時に、10年間にわたりいじめに遭って鬱病は不眠症に苦しんでいたことを告白して大きな反響を呼んだ。また7月29日に自殺未遂で病院に搬送され、一時意識不明に。容体が回復して意識を取り戻し、SNSでの活動を再開している。「日韓の問題はデリケートです、別のメンバーですが、AOAは以前に韓国のケーブルテレビに出演した際、人物の写真を見て名前を当てるクイズで、安重根の写真を見て豊臣秀吉、伊藤博文などと答えたことにネット上で批判の声が殺到し、謝罪に追い込まれました。また、シングル曲『Good Luck』のミュージックビデオでは日本車が映っていたため非難が殺到し、トヨタとホンダのエンブレムにボカシを入れた。クォン・ミナの今回の日本語のタトゥーに対してもよく思わない人がいるでしょう。まだ心身が本調子でないので、精神的に追い詰められなければいいのですが…」(韓国駐在の通信員) SNS、ネット上では、「こんな発言して大丈夫?大炎上バッシングの対象にならない?心配ですね…。個人的には素晴らしい勇気と覚悟は称えたいけど…(原文ママ)」、「そもそもAOAというグループ自体、過去に韓国内で複数の日韓議論に巻き込まれた経緯がある。それ以降にグループ内のイジメ問題などもあり、ミナは心身ともに相当疲弊しているはず。今回のことでさらに叩かれないと良いけど。そしてインターネットから一旦離れたほうが良いと思う(原文ママ)」など心配の声が。 クォン・ミナには韓国だけでなく、日本を含む世界中に多くのファンがいる。自殺未遂が報じられた際は、日本のネット上でも心配の声が多く寄せられた。自身のインスタグラムで日本語タトゥーを公開したことで、心身にストレスがかかる事態にならないことを願うばかりだ。(牧忠則)

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    高市早苗氏の意外な過去にフェミニストも震えた 総理の座を狙う過程で何があったのか

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選に正式に出馬表明した高市早苗氏について。*    *  * 近しい人がデルタ株のコロナ陽性になったり、友人の同僚や、通っている美容院のお客さんが亡くなったりなど、夏以降、急速にコロナの危機が迫っているのを実感している。健康観察をされずに自宅で死亡した50代の方の話などを聞くと、東京五輪・パラリンピックに時間とお金と人材を費やすべきではなかったのではないかとつくづく悔しい思いになる。適切な処置を医療機関で受けられていたら、亡くならないですんだかもしれない命は少なくない。 Go Toキャンペーンやオリパラを強行することに専念してきた自民党政権が、トップの顔を代えただけで変われるとは思えず、期待には程遠い自民党総裁選。岸田文雄さんは、ボロボロの小さいノートを振りかざしては「国民の声を書き留めてきた、1年間で3冊、10年間で30冊」と様々なメディアでアピールしているが、正直、少ないと思う。薄いノートを1年でたった3冊埋めたくらいで、国民の声を聞いたとか言えるって、どんだけ聞いてこなかったかという話なのでは。河野太郎さんは、先日週刊誌でそのパワハラ言動が取りざたされていたが、ワクチン接種という、申し訳ないが素人目線でそこまで難しいとも思えない仕事でつまずいている人に期待するのはムリという話だし、高市早苗さんにいたっては、選択的夫婦別姓に強硬に反対するアンチフェミ女のイメージしかない。女性の人権に無関心な女性総理候補にいったい何の価値があるというのでしょう。 とはいえ、高市早苗議員、いったいどんな人なのか。32歳で衆議院議員に若くして初当選(※)。しかも同期の田中真紀子議員や野田聖子議員のように、親や祖父が国会議員だったというわけではなく、自民党員だったわけでもなく、サラリーマンの父と警察官の母という一般家庭から出てきた無所属の女性議員が、今、最も総理の椅子に近い女性となっている。なぜ高市さんは、政治家の道を選んだのだろう。どのように政治の道を歩いてきたのだろう。政治家としては多い著作のなかから国際政治評論家としてテレビで活躍していた頃に書かれた『30歳のバースディ―その朝、おんなの何かが変わる』(大和出版)、政治家2年目に記された『高市早苗のぶっとび永田町日記』(サンドケー出版局)を読んだ。 高市氏が大学を卒業したのは1984年。1986年に男女雇用機会均等法が施行されるが、この2年の差はやはりとても大きいものがある。女性が生涯にわたる仕事を手にすることも、そもそも親が大学に行かせてくれるかどうかも「女の子」であるというだけで諦めることがまだまだ当たり前にあった世代だ。特に地方であればなおのこと。保守的な奈良に育った高市氏も、当然のように「諦めさせられて」きた。例えば大学もそうだ。高市氏は第1希望だった早稲田と慶応のどちらも合格したにもかかわらず、「女の子のあなたを東京の私学で学ばせる余裕はない。弟の学費に回してほしい」と親に諦めさせられ、「女の子だから一人暮らしはさせられない」と通学に往復6時間かかる神戸大学に入学するのだ。 たとえ難関国立大学出身であっても、女性がその能力と希望に見合う就職先を見つけるのが難しい時代だった。「身の丈」よりもずっと小さく窮屈な型に押し込められる女性たちの悔しさは計り知れないが、高市氏の著書からはその類いの悔しさは強調されない。それは高市氏に並外れた行動力と決断力があり、自らの人生を切り開いてきた自負があるからだろう。たとえば、たまたま大学で目にした松下政経塾のポスターを目にして、直感に導かれるように松下政経塾に“就職”したり。たまたまテレビで見た女性議員で史上初の米国大統領候補指名争いに立候補準備を進めていたパトリシア・シュローダーに惹かれ、その2週間後にはワシントンに旅立ち、その情熱だけでシュローダー議員のオフィスで働き始めたり……若さゆえの大胆さと希望に満ちあふれた当時の高市氏のエピソード一つひとつに圧倒されてしまう。「女だから」と諦めさせられてきたのは大学まで、それ以降は絶対に諦めないという粘り強さで今の地位を築いていくのである。『30歳のバースディ』は文字通り30歳を迎えた高市氏がそれまでの人生を「ポップ」に振り返る本である。「BGMはいつもユーミンだった」「寂しいのはあなただけじゃない」「空港でまたまた恋人と涙の別れ」「男かペットがいなくちゃダメな私」「女と日の丸と視聴率の相関関係」「三〇女が孤独を感じるとき」といった目次からもわかるように、女友だちに話しかけるように書かれた軽く、優しいノリのものだ。アメリカから帰国し、若い政治評論家としてメディアに露出していたころで、日本の男性社会へのいら立ちも率直に記されている。「アメリカ議会では日本流のバカバカしい会議がないのが良かった。(略)ところが日本の企業では会議の場では何も決められない。本当は既に決まっているし、とっくに根回しが済んでいることを確認しあうだけの、儀式的な会議のなんと多いことか。でも、私たち女性は妙に正義感が強いので、このような巧妙な人間関係のテクニックとは相性が悪い」 90年代に若い女性が書いたテキストを追いかけながら、私は何度か噴き出したり、そうそうと共感したりと震えるような思いになる。ねぇ、高市さん、「女が入ると会議が長くなる」とほざく森喜朗さんに「あんたの会議はバカバカしい」とはやっぱり言えないものだったの? こういうまっとうないら立ちを文章にしてきた女性が、最も「わきまえる女」になっていく過程に、いったい何があったというの? さらにこういう率直さは、国会議員になった後に書かれた「高市早苗ぶっとび永田町日記」にも残っている。高市氏は歯に衣着せずに永田町のダメなところをきちんと切っている。「この一年間に永田町で一番多く耳にした言葉は次の二つ。『挨拶がない』『俺は聞いてないぞ』。委員会の審議日程が流れたり、大切な法案の採決がパーになったりする理由は大抵この二つだったりする」「笑い話のようなことばかりだが、事実、永田町政治は『理屈』ではなく、『メンツ』で動いている」 さらに、夜の会食や女性がいるクラブなどで行われる男たちの根回しで物事が決まっていく永田町で、女の自分が不利であることも記し、サッチャーのこんな言葉を引用し共感を表明するのだ。「私は最後まで党内基盤が弱かった。それは男性の世界の根回しに加えてもらえなかったからよ」 なにこの人……すごくまともな「一般人」の感覚で、すごくまともな「女の悔しさ」をストレートに出すフェミじゃないの? しかもそのまともさで、「総理大臣の資質」というものを論じ、当時の村山政権を真っ正面から批判している。明言しているわけではないが、高市氏自身が政治家として一番になること=総理になることを30代から目指しているのも伝わってくる内容なのだった。根回しから排除されてきたサッチャーが首相になれたように、パトリシア・シュローダーが80年代に大統領を目指したように、高市氏は政治家としてトップに行くことを最初から視野に入れていたのだ。 ……と、昔の高市氏の本を読んでいると、うっかり「がんばれ、早苗!」と言いたくなってしまう私がいるのだった。「総理になろうよ!!」と早苗の女友だちポジションに立って拍手したくもなってしまうのであった。まずい、まずい。正気に戻るために2011年に出版された『渡部昇一、「女子会」に挑む!』(WAC)も読んだ。櫻井よしこ氏、山谷えり子氏、高市早苗氏、小池百合子氏、丸川珠代氏・・・といった早々たる「わきまえ女」(帯には「なでしこ軍団」とある)たちと渡部昇一氏との対談本だ。 渡部氏との対談で、「総理になったら、まず何をしますか?」と聞かれた高市氏はこう答えている。「最初に、政府歴史見解の見直しをします。新たな歴史見解を発表して、村山談話を無効にします」 東日本大震災のあった年の9月に出版されている本だ。震災後から、こういう歴史修正主義を堂々とうたう本や、韓国ヘイト、「慰安婦」運動への過剰な攻撃は度を越していったという実感が私にある。保守政治家から極右政治家に舵を切るように発言をより過激化させていく高市氏の横顔が、対談にはしっかりと刻まれている。夫婦が別の姓を名乗ったら家族が崩壊すると適当なことを言い、戦時性暴力の責任を問わないどころかなかったことにすることが、高市さんの「目指した政治」だったのだろうか。この国の女性たちが権力に近づこうとするならば、率先して選択的夫婦別姓を批判し、「慰安婦」被害者をおとしめる発言をいとわず、女性の権利を口にするフェミを冷笑するというマニュアルでもあるのだろうか。 今いる自民党の女性議員の顔を、一人ひとり思い浮かべてみる。わきまえなければ権力に近づくこともできなかった女性たち。夜の会議や根回しから排除されながらも、その立場を維持するための努力は、二世・三世の男性議員たちとは全く違うものがあったはずだ。それでも、それほどの努力をしても、彼女たちが自らの後ろを振りかえったとき、彼女たちの後ろを歩きたいと思う女性はどのくらいいるだろうか。というかそもそも、その道は後続の女性のために開かれていたことはあったのだろうか。 かつて高市氏が憧れ渡米したパトリシア・シュローダーはテレビカメラの前で涙を流した。そのことによって20年以上「女の政治家は感情的だから、ダメだ」と言われ続け、「あなたの涙のせいで、女の地位が悪くなる」と責められ続けたという。女であるというだけでその「涙」が事件になるのは、昔のアメリカも今の日本も変わらない。そういう政治の世界でトップを目指す女性たちが、女性の味方であることを忘れるのは「仕方ない」ことなのだろうか。それとも、アンチフェミニズムの顔で女性をたたくような女性政治家しか出せない自民党政治そのものが終わっている、ということなのか。※訂正配信時の「32歳で衆議院議員に初当選、女性議員としては、当時憲政史上最年少だった」という一文を、「32歳で衆議院議員に若くして初当選」と訂正しました。高市氏の著書『高市早苗のぶっとび永田町日記』に「女性として憲政史上最年少当選」と記してありましたが、実際は1946年4月10に三木キヨ子氏が20代(当時)で当選していたため削除、修正します。■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    「悩み」はその人の大事な「価値観」である 「午後3時のしいたけ.相談室」が書籍化

     AERA本誌の人気連載「午後3時のしいたけ.相談室」が本になりました。タイトルは『みんなのしいたけ.相談室』。書き下ろしコラムや対談も収録。読めば、気持ちがスーッと楽になります。AERA2021年9月13日号の記事を紹介する。*  *  * 人気占い師しいたけ.さんが、読者からの悩み相談にのる本誌の人気連載。文末に記した言葉は、しいたけ.さんの回答からの名言の数々だ。その連載の書籍化に合わせ、しいたけ.さんに聞いた。──書籍オリジナルの企画として、俳優の水野美紀さん、EXILE /三代目J SOUL BROTHERSの岩田剛典さんとの対談があります。水野さんとは初対面、岩田さんとは以前から面識があったとのこと。いかがでしたか? とても面白かったです。水野さんも岩田さんも時速300キロで生きている人じゃないですか。今、やらなければいけないことをやりながら、その渦中でもう次のことを考えている。やっぱりすごい人たちだと思いました。悩んでも、立ち止まらない。走りながら悩んでる。そのバイタリティーに、逆に力をもらいました。■その人の生活の匂い──「人生相談」はこれまでも古今東西、様々なメディアが扱い、多くの著名人が「回答者」になってきましたが、他の人の人生相談をチェックしたりすることはありますか? 愛読しているものや、自ら相談を送った経験などはありますか? 特定の方の人生相談は見ていませんが、ちらほらと相談のコンテンツは見ることがあります。人生相談への回答って、その人の奥が覗けるものじゃないですか。つまり、誰かへの回答を通して、その人が普段から大切にしている人生の姿勢みたいなものが見えてくる。あと、すごい短気な部分とか。 良い人生相談の回答者って、やっぱり質問とか相談者の前でカッコつけていない「裸」を見せられる人なのだと考えています。回答者が「正直、こういう回答が合っているかわからないんです」という人は信用できる。「あー、その問題はね」とカッコつけちゃう姿勢は、回答者だけが気持ちよくなるだけで、あんまり役に立たない。そういう意味でシビアなコンテンツですよね。──他の人生相談との違い、しいたけ.相談室の特徴や、しいたけ.さんが大事にしている「人生相談の心得」のようなものがあればお聞かせください。 変な言い方になってしまうのですが、悩みって、その人と長年一緒に暮らしてきた親友みたいなところがあるわけじゃないですか。腐れ縁的親友。良いにせよ、悪いにせよ、その人の生活の匂いとか、信念までも知っているその「悩み」って、絶対に「大事な価値観」が含まれていると思うんですよ。そんな貴重なものは、大切に扱わなきゃいけない。「悩み=取り除くべきもの。悩みを持った人=すぐに性格を変えた方がいい」というのは、少し乱暴に感じられてしまう。どの人も光と影の二つを持っている。「自分には個性がないんです」と言ってきた人は、その人がいてくれたおかげで助けられた人がけっこういたりする。無個性だから人の痛みがわかった。簡単にプラスとマイナスで考えちゃいけない。それは僕が人生相談の縁をいただくことで心に留めていることです。■回答パターンが独特──連載は3年目に突入し、毎週いろんな悩みが寄せられていますが、回答のバリエーションは豊富で尽きることがありません。どのようにして、一人ひとりに合わせた回答を導き出しているのでしょうか。 ありがとうございます。自分で喋っても気持ち悪いのですが、僕は人が抱える悩みってちょっとだけ愛しいものだと感じてしまいます。人付き合いとか、リアクションって、正直に言うと多少は嘘がつけます。でも、悩みってその人の「嘘がつけない部分」じゃないですか。「どうしても歌手になりたい」とかって、それを持っていなかったらもっと楽な人生を送っていたかもしれない。 悩みに貴賤はないと思うし、他人からみて「その程度のこと?」と言われてしまうことも、自分にとってはすごく大事で厄介なもので。そういう悩みに、受け手としてちゃんと誠実に向き合う。テクニックとかじゃなくて、それしかない気がします。──書籍にはできるだけたくさんのお悩み相談を掲載しましたが、言ってみれば自分と関係ない「見ず知らずの他人の悩み」です。そんな本を、読者はどう読んだらいいのか、こんなことを感じてもらえたら、という思いがあればお聞かせください。 今の時期は本当に、これまであった社会の悩みと、この自粛の生活の中で生じる悩みが大きく変わってきているタイミングだと思います。お悩みの相談本なのですが、おやつを食べながらだったり、飲み物を飲みながら読むのにちょうどいい長さと内容になっているので、もしよければ手に取ってみていただけたら嬉しいです。自分と似た悩みがけっこうあったりするし、自分で言うのもなんですが、けっこう回答パターンが独特なので、楽しく読んでいただけたら嬉しいです。■しいたけ.さん名言集<立ち食いそば屋で、精神の自由さを感じてみる>立ち食いそば屋は、みんなが「ただ蕎麦を食う人」に戻る空間。年齢を重ねた人ほど、ゼロになる体験を。ちやほやされない環境を自らの意思で選んでいく人って、かっこいい。<実力で壁に突き当たったときは人柄を伸ばすとき。人柄で行き詰まったときは実力を伸ばすとき>両輪で回っています。完璧になればなるほど嫌みになって、人が離れてしまう場合も。<相手の好き嫌いに気づくことから>「卵焼きはその焼き方が好きなんだね」「こういうのは嫌いなんだね」。相手の好き嫌いに気づくことから、コミュニケーションは始まります。結論を急がずに。<アイデンティティーはいくつあってもいい>美容院でおまかせにしたり、洋服屋さんのおすすめを買ってみたり。「別人体験」でアイデンティティーが増やせたら、新しい可能性の扉が開くかも。<なにかに、誰かに、パスしよう>ポジティブなものも、ネガティブなものも。外に向けて出していく。その場で留めておかない。<意欲はくだらないことから湧いてくる>エネルギーが湧いてこないときは、先のことを決めない。「深夜にラーメンを食べたい」とか罪悪感を覚えるような意欲からかなえて、積み重ねていけばいい。<落ち込むポイントは「二つまで」のルールを>「あれもこれもダメ」と責めていたら、ここまで頑張ってきてくれた自分に対して失礼になってしまいませんか?<運の体力がないときは、冷蔵庫とか水回りとか、1日1回どこか磨いてみる>「今日は冷蔵庫を磨いた」という小さな誇りを、自分の中に残しておくこと。それは小さな「勝ち」。そのうちに運の体力がついてきて、「行けそうな気がする!」っていう日がきます。<「これはできません」が言えない関係では、どちらかが壊れてしまう>つらいときに支えすぎてしまうと、別れがやってくる。相手にとっては「借り」ができてしまうから。<誰かとパートナーになることの面白さは、自分がどう変われるか>変化によって自分が改めて評価されることは、パートナーに報いることにもつながる。(構成/編集部・高橋有紀)※AERA 2021年9月13日号

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    『鬼滅の刃』少年鬼・累のエピソードから考える「鬼の罪・人の罪」

     アニメ第2期「遊郭編」の放送開始が正式に発表されたが、これに先がけて放送される「竈門炭治郎立志編 特別編集版」も注目を集めている。第1期アニメ「立志編」はどのエピソードも人気が高いが、炭治郎・善逸・伊之助ら「かまぼこ隊」の成長が著しかった那田蜘蛛山編の第19話「ヒノカミ」は「神回」とまでいわれた。キャラクターの人気投票でも上位にくる少年鬼「累」にまつわる物語にもファンが多い。ここでは、累が求めた「家族の姿」について、改めて考えてみたい。【※ネタバレ注意】以下の内容には、既刊のコミックスのネタバレが含まれます。*  *  *■那田蜘蛛山での司令 主人公の竈門炭治郎(かまど・たんじろう)と鬼殺隊同期の嘴平伊之助(はしびら・いのすけ)、我妻善逸(あがつま・ぜんいつ)は、司令によって那田蜘蛛山(なたぐもやま)の鬼討伐任務にあたることになった。鬼の禰豆子(ねずこ)も兄・炭治郎が守ってくれている箱の中に背負われて、この山に向かう。 那田蜘蛛山には、炭治郎たちが到着する前に、何人もの隊士が向かっていたが、被害状況は予想以上に大きかった。敵は鬼の総領・鬼舞辻無惨の直属の配下であり、実力者「十二鬼月(じゅうにきづき)」の一員だったのだ。■少年鬼の累とニセモノの“家族”『鬼滅の刃』という作品において、鬼は集団行動を取ることを好まないとされている。無惨の司令に応じて、あるいはなんらかの制約や利害関係が生じる場合にのみ、共に活動することがある。鬼同士の仲が良い事例は極めてめずらしい。しかし、この那田蜘蛛山では、「下弦の伍」の少年鬼・累(るい)を筆頭に、“累の家族”という設定で複数の鬼が一緒になって残虐行為をはたらいていた。 “累の家族”として登場する鬼は、父役、母役、姉役、兄役がいる。それぞれ「クモ」に関連する姿や、「クモの糸」をほうふつとさせる血鬼術(けっきじゅつ ※鬼が使用する能力)を使う特徴がある。母と姉は累に似せた姿に変えさせられており、血縁関係があるかのごとく外見的特徴をそろえている。一方で、父と兄は本物の「クモ」と良く似ており、疑似家族の累を守ろうとする“強さ”が強調されている。<僕たちは家族5人で幸せに暮らすんだ 僕たちの絆は 誰にも切れない>(累/4巻・第29話「那田蜘蛛山」) 他の鬼たちは表面的には家族設定に合わせているが、累の“家族”への執着は異常だった。■累の過去 5巻・第39話冒頭は、累の「家族観」を示すモノローグではじまる。「父には父の役割があり 母には母の役割がある 親は子を守り 兄や姉は下の弟妹を守る 何があっても 命を懸けて」 累が作り上げた“ニセモノの家族”で、累はすべての人に「守られるべき存在」である子であり、末の弟だった。なぜ、累はこんなにも理想の家族像にこだわったのか。 累は自分のイメージ通りに、他の鬼たちを動かそうと、暴力と恐怖で支配していた。「累は何がしたいの?」と問われても、累自身、自分の心がよく分からない。<答えられなかった 人間の頃の記憶がなかったから 本物の家族の絆に触れたら記憶が戻ると思った 自分の欲しいものがわかると思った そうだ 俺は>(累/5巻・第42話「後ろ」) 実は人間時代の累は、生まれつき体が弱く病苦に悩まされていた。ある日、累の元に無惨が現れて、「可哀想に 私が救ってあげよう」と累を人食い鬼に変えてしまった。まだ幼い累。さらに鬼化によって善悪の判断はより曖昧になっていった。■累の願いと苦悩 おそらく累の本当の願いは健康になることだけだった。しかし、丈夫な体と引き換えに、人を殺し、喰わなくてはならなくなった。善良な累の父母は嘆き悲しみ、あることを決心する。<何故俺の親は俺を殺そうとするのか 母は泣くばかりで 殺されそうな俺を庇ってもくれない>(累/5巻・第43話「地獄へ」) 自分を殺そうとした親への絶望から、両親を殺害した累は、母の最期の言葉を耳にする。「丈夫な体に産んであげられなくて…ごめんね…」 死ぬ直前の母の様子に、恨み言や怒りは一切なかった。大粒の涙と、息子・累への愛情深い言葉だけを残した。その言葉を聞いた累は、刃物を持って自分に向かってきた父が「一緒に死んでやるから」と泣きながらつぶやいたのを思い出す。やっと両親の真意に気づいた累だったが、すでに取り返しのつかない状況になっていた。 絆を結びたい。絆を結び直したい。自分が断ち切ってしまった絆を。狂おしいほどの後悔。そんな気持ちはやがて「糸」という血鬼術になって、累の能力として顕現する。<自分のしてしまったことに耐えられなくて たとえ自分が悪いのだとわかっていても 毎日毎日 父と母が恋しくてたまらなかった>(累/5巻・第43話「地獄へ」)■「家族の絆」が試される戦い 累は父母の無償の愛を切望し、他の家族をうらやましがる場面もあったが、那田蜘蛛山で戦う鬼殺隊の炭治郎、伊之助、善逸も全員親がいない。炭治郎は無惨によって親兄弟を殺されており、伊之助もあとのエピソードで判明するが親を鬼に殺害されている。善逸は捨て子で親の顔さえ覚えていない。 しかし、彼らはそれぞれが生きてきた中で感じた「愛情の痕跡」を胸にかき集めながら戦う。伊之助は敵に首をしめられた瞬間、死の直前に見るといわれる「走馬灯」の中で、赤ん坊の頃に別れた母の涙の姿を思い出す。さらに、自分を心から心配してくれる仲間の姿を、温かいご飯でもてなしてくれた優しい鬼殺隊支援者の老女の姿を。善逸は、親代わりの師匠が根気強く自分を励ましてくれた言葉を思い返した。 そして、炭治郎は父が死ぬ直前に教えてくれた大切な「呼吸」と「神楽(かぐら)」から、これまでの「水の呼吸」に代わる新しい技を放つことができた。亡き母は昏倒する禰豆子を覚醒させて、炭治郎の元に向かわせた。炭治郎と禰豆子は失った家族との大切な思い出を胸に、この厳しい戦況を打破することができたのだ。累の「過去」とは対照的な描かれ方だ。■たとえ大切な人を失っても 累は炭治郎と禰豆子の“本物の絆”を前に、自分の過ちに気づいた。肉体が消滅する瞬間に、累の悲しみを知った炭治郎に手を添えられ、累は人の温かさを思い出した。父と母の姿が脳裏に浮かぶ。<ごめんなさい 全部全部 僕が悪かったんだ どうか許してほしい>(累/5巻・第43話「地獄へ」) そして、1人で孤独に地獄に行くことを覚悟した瞬間、死んだ父と母が累の元へ迎えにやってきた。「一緒に行くよ地獄でも 父さんと母さんは累と同じところに行くよ」と……。累の姿はやがて、少しずつ人間の姿へと戻っていく。父母に愛されていたあの頃の自分へ。 鬼になって人を喰った以上、鬼殺隊は鬼に日輪刀を振るうしかない。鬼を地獄から救済する方法は『鬼滅の刃』では示されていない。「鬼は人間だったんだから」という炭治郎の言葉は重い。どんな理由があろうとも、「人は人であり続けなければならない」という厳然としたルール。これは、この作品世界において変えられない設定であり、現実世界の「罪を犯した後」という、解決をみない問題ともリンクしている。 この那田蜘蛛山編は、この後もつづく「鬼の罪・人の罪」と「救済」への問いを私たちに投げかける重要なエピソードであるといえよう。 ◎植朗子(うえ・あきこ)1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。

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    養老孟司 命に関わる大病を患って実感した、“体の声”を聞くことの大切さ

    「病院で検査を受けて『帰りに天ぷらでも食べよう』と話していたら、医師があわてて『養老先生、心筋梗塞です』と」  数々のベストセラーを世に送り出す、解剖学者の養老孟司先生。養老先生は昨年、医師から「助かったのは運がよかった」といわれるほどの大病を患いました。今回は、そんな経験を経た先生の生き方や死ぬということへの思いを伺いました。 *    *  * 「なんだか体調が悪い」。最初にそう感じたのは昨年6月10日頃でした。もともと糖尿病があって、1年で体重が15キログラム減ったのに加え、コロナ禍で外出する機会も減ったので、そのせいかとも考えました。家族の勧めもあり、本を一緒に書いたこともある東京大学医学部附属病院の中川恵一医師に受診の相談をしたのが6月12日です。  そして6月26日に東大病院を訪れました。実に25年ぶりですよ。中川医師に診てもらい、血液検査と心電図の検査を受けました。血液検査では糖尿病の数値が高かったものの、これは予想通りだったので、待合室で家内と秘書たちと「せっかくだから天ぷらでも食べて帰ろうか」と、のんきに話をしていました。  そこに中川医師が急いでやってきて、「養老先生、心筋梗塞(こうそく)です。そのまま動いてはいけません」と。その日のうちに心臓カテーテル治療(※手首や足の付け根からカテーテルと呼ばれる細い管を血管内に挿入し、狭くなった血管を広げる治療法)を受けました。心臓に血液を送る大きな動脈が詰まりかけていて、これが完全に閉塞していたら万事終わりでした。  病院には2つの出口があります。1つは阿弥陀様がお迎えに来て、「他界」へと抜けるための出口。もう1つは「娑婆(しゃば)」の出口です。どうやら阿弥陀様には見放されたらしく、とりあえず娑婆の出口のほうから病院を出ることができたわけです。 ■患者も医師も大切なのは「体の声」を聞くことです  世間的には「養老孟司は、病院嫌いだ」というイメージもあるようです。実際に健康診断の類はもう何も受けていませんし、今回も病院に行くか否かで散々悩んだ末での決断でした。  80歳を過ぎた人間が、病院に行くのに何をためらうのかと思われるかもしれません。しかし、病院という場所は、一度行くと必ずどこか悪い部分を見つけて、たばこをやめなさいとか、甘いものは控えなさいとか、行動を制限してくるものです。そうした現代の医療システムに巻き込まれたら最後、もう抜け出すことはできません。それがむやみに病院に行きたくない理由です。  それでも病院に行く決心をしたのは、家族に無用な心配をかけたくなかったのと、病院に行く3日前くらいからひたすら眠くて、ほとんど寝てばかりいたので、「これはさすがにおかしいぞ」と、私の体の声が聞こえたからです。  体の声とは、自分の体から発せられるメッセージです。体調の変化やいつもと違う状態になれば、体は何らかのメッセージを伝えてきます。しかし、日本人は体調の変化があっても我慢して、いつの間にか環境に適応してしまいがちです。自分の体の良い状態がわからなくなってしまい、それがストレスとして蓄積されていきます。そうなれば、体から発せられるSOSのメッセージに気づけなくなってしまいます。  そして体の声がわからないと医師に頼りきりになってしまう。医師から言われるままに過剰な医療や薬を与えられ、食事や行動を制限されるという現代の医療システムに、簡単に組み込まれてしまうわけです。  医療の現場はすっかりデジタル化されました。かつては聴診器で胸の音を聴いたり、顔色を見たりすることが重要でしたが、今では医療データのほうを重視します。データ化されていない、胸の音とか顔色は診療の邪魔になります。いわば生身の体が医療にとってノイズになっているのです。このへんの話は、ぜひとも今回治療をしてくれた中川医師との共著『養老先生、病院へ行く』を読んでいただければと思います。「中川医師なら診てもらおう」と思ったのは、がんの放射線治療が専門で、終末医療の造詣も深いから。終末医療には患者自身と向き合う必要がありますし、私のような「医療界の変人」への対処法もよくわかっているので、その安心感もあったからです(笑い)。   ■猫みたいな生き方が幸せだと改めて感じる  中川医師をはじめとした医師たちの適切な対処のおかげで、退院から1年以上経ちましたが、元通りの生活に戻りました。いったん現代医療システムに組み込まれた身ですので、いまは潔くコレステロールや中性脂肪等を抑えるために処方された9種類もの薬を飲み続けています。  もっとも、食生活は相変わらずで、「糖質を抑えて」などとは言わず自由に好きなものを食べています。 ただ、もともと食糧難の時代に育ったので、おなかが満たされれば何でもよく、グルメでもないのでぜいたくはいいません。大病を患った後で変わったことといえば、たばこの量が減ったこと。まあ、公式にはたばこはやめたことになっていますが(笑い)。そして、死というものは自分ではなく家族の問題であることを改めて認識したことです。死については自分が大病したことと、昨年12月に18年間連れ添った猫の「まる」が亡くなったことの影響もあるかもしれません。死は、親しい間柄であればあるほど、心に深い傷や悲しみを負うものです。そして順送りしていくものなんです。  だから死は、本人には問題ではありません。あくまでも家族にとっての問題です。「終活」などといって、生前にあれこれ指示しても、死んでしまえば何もできません。生きている家族にすべてを委ねるしかないのです。死に方も死んだ後のことも、しょせん本人にはコントロールすることはできません。だから「こういう死に方はみっともない」とか「死ぬ前に準備をする」とか、そんなことを考えても無駄だと思っています。  動物はいちいち意味など考えず、感覚だけで生きています。猫が日当たりのよいところにいるのは、そこにいるのが気持ちよいからです。「まる」もいつも夏は家の中で一番涼しいところ、冬は一番暖かなところを陣取っていました。  自分にとって一番居心地のいい場所を探して暮らす。そうすればストレスもありません。そんな猫みたいな生き方が幸せなのかなと、改めて考えてみたりします。 (山下 隆) ※「朝日脳活マガジン ハレやか」(2021年 10月号)より抜粋 ようろう・たけし/1937(昭和12)年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士、解剖学者。東京大学医学部卒業後、解剖学を研究し東京大学医学部教授となる。95(平成7)年、57歳の時に自主的に退官。その後北里大学教授、大正大学客員教授を歴任。『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞。毎日出版文化賞特別賞を受賞した『バカの壁』(新潮新書)は、447万部の大ベストセラーとなった。養老先生が、老いと死、医療について語る、治療を担当した東大病院の中川恵一医師との共著『養老先生、病院へ行く』(エクスナレッジ)発売中。

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    18時間前

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    眞子さまの結婚どう思う? 瀬戸内寂聴が27歳スタッフに質問した結果

     半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。*  *  *■横尾忠則「スジ金入りの肉体的朦朧体、大観より本格派です」 セトウチさん 耳が聴こえなくなったと言うと、「きっと作品が変るわよ」と、ベートーベンじゃあるまいし、変なことおっしゃると、その時はそう思いましたが、本当に変ったんです。その変り方が理に適(かな)っているといえば適っている。つまり聴こえないことは、音の輪郭が失くなることです。そうなると音が朦朧(もうろう)となって、横山大観の朦朧体の絵のように音がボケて聴こえるんです。耳がボケると、日常生活もボケて、曖昧模糊(あいまいもこ)となって、したことと、してないことの区別もわからなくなるんです。つまり虚実の区別ができなくなって、夢で見た仕事の依頼を、本当に依頼されたと思って、やっちゃったりするんです。ボケの症状に似てるけれど、ボケ老人になったんではなく耳のせいだと理解しているので、そこはまだ理性がコントロールしています。 ハイ、絵の話だったです。大観は思想で朦朧体を描きましたが、僕はスジ金入りの肉体的朦朧体なので、思想のようなチョロコイ考えではなく、肉体的ハンデキャップによる堂々たる自然体派です。大観よりこっちの方が本格派です。そんなわけでセトウチさんの大予言は的中しました。 先っきも言いましたが境界線が失くなるということは自由のキャパシティも拡張したことになります。近代人は何でもかんでも境界線を引いて、全てを分業化します。縄文時代はひとりの人間が、多面的に物事をこなしていました。狩猟(しゅりょう)も農業も、漁業も工芸も、子育ても、教育もひとりでするという、境界線をはずした労働生活です。現代のような役割分担などしません。正に多義的です。越境した狩猟社会です。 難聴が与えてくれた神の恩寵です。だから病気の高徳です。僕が度重なる病気によって救われてきたということはこういうことです。神は人間に色々な苦難を与えますが、病気は罪ほろぼしでもカルマ落としでもなんでもないのです。人間の進化向上のためのカリキュラムだと思えばどうでしょう。難聴のほかに、腱鞘炎(けんしょうえん)にもなりました。もう、セトウチさんの「幻花」のような繊細(せんさい)な描写の絵など描けません。今は太い筆やハケを握りしめて、キャンバスにバンバン叩きつけるように描いています。それも痛いので、左手で描きます。左手は思うような形が取れません。幼児の絵より下手くそになります。でも、デュビュッフェは幼児の絵のマネをして、幼児風に描きますが、そんな意図的なことをしなくても、僕の左手はそのまま幼児以上に下手に描けます。これもハンデキャップから来た自然体です。 今書いている手紙では、前にも同じことを書きましたかね。境界を越えると時間差もなくなって、やったことと、やらないことの区別がわからなくなるのです。いよいよ本格派老人です。100歳老人のセトウチさんにも負けていません。ただ僕はセトウチさんのように年齢には拘っていません。拘っているのは他人の方で、今行っている展覧会では「85歳、85歳」と年齢を売り物にされています。歳のことは言うな! アーティストには年齢はないのです。昨日の続きが今日、今日の続きが明日です。原始社会では年齢など無関係です。アーティストは原始人です。■瀬戸内寂聴「私もヨコオさんに負けないように!」 ヨコオさん 何だか、ずいぶん久しぶりにこの往復手紙を書いているような気がします。 それにしても相変わらずコロナは豪勢を極め日本はおろか、世界的にその力を奮っています。 コロナのせいで、人に会えず、寂庵はずっと門を閉めっぱなしです。コロナになる前はもちろん、一も二もなく門内に入ってもらっていました。 大抵遠く九州や東北から来られた人で、まだ生きている私に逢えたと言って、抱きついて泣き出します。もちろん、私は丁寧にお迎えして、写経などしてもらい、お茶菓子を一緒に食べて、しばらくその人のお話を聞きます。つきあいの人もあれば、寂庵の信者を自称する人もあり、初めて門内に入ったという人もいます。「まさか、門内に入れてもらえると思わなかった」と泣き出す人もあれば、「生きている寂聴さんに逢えた!」と、子供のように足を踏み鳴らす人もいる。「とても百歳には見えない!」と誰もが感嘆してくれるが、終日ベッドに横になり、本ばかり読んで、一日を過ごしている私の毎日の状態など話せない。私は、人に逢っている間だけは、必死になって元気らしさを演じ、声を張り上げる。客の帰る時は、長い廊下の途中で、へばってしまい、さっさと歩く客の跡がおえない。 ──だって百だもの……──と、私は廊下の途中で、ペシャンコに座り込み、つくづく、自分に向かって言う。 食事だけは時間が来ると、しゃきっと体がのび、食卓の自分の位置に早々と座り込んでいる。「あら、お昼はもう召し上がりましたよ!」 スタッフの一人が、わざと大きな声を張り上げる。「私のスパゲティは、どうしてこんなに美味しいのだろうなんて、お世辞までいただいて」「そうよ、ほんとに! でも今ここに座ったのは、食べるためでなくて、眞子さんの結婚をどう思うかって、寂庵で一番若い二十七歳のP子の意見を聞きたいのよ」「ああ、眞子さん、ほんとに、よかったですね。大体、みんなあんまりこの結婚に意地悪すぎましたよ。でも、どうして一時金を眞子さんは辞退なさるのかしら? 貰う権利のあるお金でしょう? あんまり弱気にならない方がいいと思うけど……」 ヨコオさん、今、寂庵の中は、こんなにのんびりしています。耳が聞こえないのは、私も同然です。テレビの時なんか、びっくりするほど大きな声にしてくれるので、何とか会話が出来ています。鶯も、秋の夜の虫の音も、私の耳にはさっぱり聞こえません。ヨコオさんとTELしてるのを横で聞いてる人があれば、どんなにおかしいでしょうね。耳だけでなく体のあちこちがどしどし衰えてきます。 そのうち、きっと、自分の死んだこともわからなくなって、──ヨコオさんにTELして!──など叫んでる日が来るのでしょうね。でも目がよく見えているので、一日に二冊は厚い本を読み切っています。ヨコオさんの展覧会、ますます人気上昇でおめでとうございます。私もヨコオさんに負けないよう、あっとこれまでと変わった小説を二つくらい書き残して死にたいものですね。 では、また。※週刊朝日  2021年9月17日号

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    「離婚しかない」を「ずっと一緒に」に変えた片づけ

     5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 *  *  * case.11  LINEが既読にもならなかった夫婦関係に変化(夫+子ども4人/会社員)  同じ家で同じ家族に囲まれているのに、部屋を片づける前と後では別次元の人生を歩んでいるような方がいます。 「あれ?私、捨てるの大変って言ってましたっけ?ぽんぽんゴミ袋に要らないもの入れられますよ」なんて、ちょっと前の自分も忘れて別人みたいになるんですね。今回ご紹介する女性がまさにそのタイプ。  プロジェクト参加前、彼女の頭の中は「もう離婚しかない」。そのことばかりでした。でも最近の彼女は全然違うのです。「子どもたちが巣立ったらずっと夫と一緒にいたい」と、明るい顔で大好きな夫との未来を描いています。一体何があったのでしょうか。  その女性は4人の子どもの母親です。家を片づける前は、メインの仕事と3つのパートを掛け持ちして働いていました。毎朝5時に起きて短時間のパートをこなし、子どもたちに朝食を食べさせて学校へ送り出し、家事を終えたら次のパート。昼食を取ったら午後はメインの仕事へ行き、終わったら帰宅して夕食作り。夜はまた別のパートに出るという隙間のない日々でした。  夫のことを詳しく聞くと、もともと口数が少なく、お世辞にもコミュニケーション上手とは言えない感じ。忙しい夫婦はいつの間にかすれ違うようになりました。  私が女性に出会った頃がもっともピンチの時。夫にLINEメッセージを送っても既読はつかず、夫婦は子どもを介さないと会話ができないくらい関係をこじらせていました。  女性は彼のことが分からなくなって、辛くて、大事な相談事も一人で溜め込むように……。夫の単身赴任で溝はさらに深まり、彼女は離婚しかないと思い詰めるようになったのです。  一日中仕事を詰め込んでいたのも、子どもたちを一人で養っていく覚悟を決めていたから。もともと人一倍責任感が強く、自立のため、子どものために働くのはまったく苦にならない。そんな性格もあって、身を粉にして働いていたのでした。  ただ、離婚を現実的に考えはじめて“離婚コンサル”を受けたとき。離婚後の生活について考える中で彼女は、「なんか違う。離婚したいんじゃないかも」と気づいたのです。  では、どうしたいのか。これまで、子育てから人間関係までさまざまな講座に参加する度に、「今、何にもとらわれず、何の制限もないとしたら何をしたいですか?」と聞かれ、必ず「家を片づけて、心地よい空間にしたい」と答えていたことを思い出しました。 「やっぱり片づけなきゃ、結局何も回らないじゃん」と思った折に、家庭力アッププロジェクトが目に留まったのでした。  プロジェクトがはじまると、彼女は自分を追い込みました。6人家族の家財の片づけは、なかなか手ごわいものです。4人の子どもの個人情報が書かれた捨てにくい書類、大きなお鍋、使わなくなった電子オルガン。物をあえてベッドの上に広げ、「片づけるまでは寝られない作戦」も使って進めました。  それでも回らなかったので、彼女は夜の仕事を半分にして、時間と体力を確保しました。以前なら仕事を最優先していたところですが、勇気を出して本当にやりたいことを選択したのです。彼女の中では大きな一歩でした。  そして45日間で見事に片づけきります。単身赴任から帰ってきた夫を、片づいた部屋で迎えることができました。  3カ月ほどたち、彼女からメッセージがありました。すると夫のLINEが既読になり、返信も来るようになり、必要な会話ができるまでになったと教えてくれました。夫は子どもの学費や将来も考えていて、離婚なんて頭になかったとわかったんですって。 「LINEは、了解、とか一言だけなんですけどね」と言う彼女はうれしそう。夫の同級生に聞いても「あいつはそういうやつでしょ」って言うし、「自分が相手に求めすぎていたのかも」と、夫のペースを尊重できるようになりました。 「夫は片づけ前と後で、何も変わってないんです」  これまでも、彼女の帰りが遅い日は夕飯を作ってくれていました。でも、「ありがとう」と言っても「うん」としか返事がなく、なぜか怒られているような気分になってたんです。以前の彼女は「できない=自分には価値がない」という思い込みが強く、周りに頼ることがきずにいました。「夫は料理をするのは女だと思っているのに、仕方なくやっているんだ」と思い込んで、罪悪感を感じていたのです。  それが今は、人を頼れない自分は相手を信じていなかったのかも……と思うようになり、感謝して家族に任せるようにしたら信頼関係が生まれた、と言います。子どもたちも、火を使う、サラダを作るなどの担当に分かれて、ママがいなくても家族が補い合いながら料理をするようになりました。 「もっと自分を大事にして、人に頼っていいんだ、と気づいたんです」と彼女は言います。  好きでやっていたPTA会長の仕事も一人で抱えがちでしたが、人を頼ることを意識したら、できる人ができるときに関わるかたちで回せるようになったとか。スケジュールには必ず空白を入れて、大好きな子どもとの時間を確保するのが習慣になりました。  人間関係が悩みだったメインの職場は、もめごとや家庭のことが重なり退職しました。すると2カ月もしないうちに、以前働いていた保険関係の職場から戻ってこないかと連絡があり、希望通りの部署で働けることになりました。仕事は一つにして、今はすべての人間関係において気持ちよく過ごせていると言います。  手狭に感じ、引っ越しを考えていた家について聞くと、「家族と顔を合わさずには過ごせない今の家もいいかなって、思えるようになったんです」。  彼女の笑顔は明るく、周りをハッピーにするパワーにあふれていました。 ◯西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・夫婦間のコミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト®」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。ラジオ大阪「西崎彩智の家庭力アッププロジェクト」(第1・3土曜日夕方)が2021年5月1日からスタート。フジテレビ「ノンストップ」などのメディアにも出演 ※AERAオンライン限定記事

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    22時間前

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    実は早稲田卒のハリセンボン箕輪はるかが告白 「大学4年間で友達ゼロ」の過去とインテリ芸人ぶらない理由

     細身のシルエットから独特の笑いを生み出すハリセンボンの箕輪はるか(41)。実は意外にも、早稲田大学卒の“インテリ芸人”だ。早大OBには小島よしおやラサール石井をはじめ、クイズ番組で活躍するタレントも多い中、箕輪はクイズ番組への出演機会は少ない印象がある。大学時代のエピソードを披露することも決して多くはないが、一体なぜなのか。本人が早大在学中の過去を語る中で、意外な理由が見えてきた。 ――箕輪さんは早稲田の第二文学部を卒業。難関私大に合格するためには努力も必要だと思いますが、受験勉強は相当されていたのでしょうか。  たぶん直前とかは1日10時間以上やっていたと思います。私は塾には行っていなくて、独自のやり方をしていました。たとえば集中するために、受験前の一カ月間は家から一歩も外に出ないと決めて勉強。受験当日に久しぶりに外に出て、太陽が眩しすぎてくらくらしたので、あまりおすすめはできませんが……。 ――やはり熱心に勉強されていたのですね。早稲田に行きたいというモチベーションはどこから湧いていたのでしょうか。  奨学金が充実していたことが大きかったですが、早稲田に憧れもありました。テレビで見たことのあるキャンパスに自分が行けると思ったらテンションが上がりますし、未来がすごく明るく見えて。学生数も多いですし、友達もたくさんできて楽しく過ごせるのかなという淡い期待がありましたね。 ――実際に進学してみて、思い描いていた大学生活とギャップを感じることはありましたか。  私が見ている風景は、人がいっぱいいてみんな楽しそうで、まさにイメージ通りでした。でも、そこに「自分がこんなにも入れないんだ」っていうギャップがありましたね。どういう入口からあの輪に入ればいいんだろうって……。せっかく志望校に入れたのに、そこで挫折感を味わいました。 ――当時の大学生活を振り返ってみていかがでしたか。  友達がいなくてサークルにも入っていなかったので、ひたすら家と学校の往復でした。授業を一人で受けて、授業が終わったらすぐに帰るみたいな4年間でしたね。  授業が1コマ空いた時は、中央図書館の地下にこもって過ごしました。図書館は一人でいても浮かないので落ち着きましたね。自動書架のスイッチをカチャカチャ押して、書棚を動かすのがすごく楽しくて。それをずっとやってましたね。それを押すことで、私は早稲田のものを動かしているんだ、早稲田に通っているんだという実感を得ていました……。 ――4年間、友達は誰もできなかったのでしょうか。  一人もいなかったですね。授業もずっと一人。一応、授業を取ってる期間だけしゃべる程度の子はいたんですけど、その場限りで。  芸人になった後に、友達がいなかった早大OB同士で対談する企画があったんですけど、対談相手が「友達がいないから『マイルストーン』という雑誌から授業情報を得ていました」と言っていた。早稲田生なら誰でも知っている雑誌らしいんですけど、私はそれすら知らなくて……。「え、マイルストーン知らないんですか」って、友達がいなかった子にも驚かれるくらい。それで、本物の孤独だったんだなと実感しました。 ――図書館以外で、楽しみは見つけられましたか。  徒歩10分ほどある戸山キャンパスから早稲田キャンパスの間を移動するときに、最短ルートを模索していた時期がありました。それで、めちゃくちゃ良いルートを見つけたんです。人通りも少なくて裏道っぽいところで。誰かにおすすめしたかったけど、友達がいなかったので私だけの道みたいにしていました。 ――早稲田はキャンパスも賑わっていますが、一人でいることに孤独は感じていましたか。  寂しいっていう気持ちはありました。皆でわいわいしている中に入りたいなという気持ちはずっとあったんですけど、自分からチャンスを逃してしまった。1年生の時に、上級生からサークルや新勧コンパのお誘いで声をかけられたこともあったんですけど、なんか怖くて……。自分が行って大丈夫なのか、騙されるんじゃないかと思って、勝手に壁を作って飛び込めずにいました。高校の時のようなクラスがないですし、そのままずるずると1年2年が過ぎていって。3年になる頃には、友達を作るのはもう無理なんだなと諦めながら過ごしていました。  マンモス大学で自由だからこそ、友達がいなくてもなんとかなるだろうと甘えてしまった。「人」という宝物が周りにたくさんあったのに、それを手に入れようという気持ちになれなかったのを、今はすごく後悔しています。今の自分だったら、もう一回通って友達作りたいなって思うんです。 ――早大卒業後には、吉本興業のお笑い養成所(東京NSC)に通い始めます。人と関わらなかった生活から一転、人前に立って話をするのはハードルが高そうですが、芸人の道に飛び込んだのはどうしてですか。  誰とも話さない期間が4年も続くと、苦しくなってくる。4年間のうちに鬱屈とした気持ちがガスのようにどんどん溜まっていって、このままじゃいけないよなという焦りが募っていきました。養成所に入る勇気が出たのは、4年間友達がいなくて、人に声をかけることができない自分を変えたい、今までやったことのないところに飛び込みたいという気持ちが大きく膨らんだ結果なんです。今思えば、私にとっては必要な4年間だったのかなと思いますね。 ――養成所では、相方の近藤春菜さんとコンビを結成。春菜さんは社交的で明るいイメージがありますが、当時、気後れすることはありましたか。  当時の春菜は今のイメージとはちょっと違っていて、けっこう暗い感じの子だったんです。会った当時は、自分と似ているタイプの子なんじゃないかと思っていたぐらいで。春菜も短大時代、学校と家の往復だけだったと言っていて、キャンパスライフが充実していたようなエピソードを聞いたことがないので、私とあまり変わらなかったのかも。コンビを組んでからは、私とは正反対の方向にいったんですけどね。 ――クイズ番組などで早大卒をウリにしている芸人やタレントも多くいる中で、箕輪さんはあまり出身大学をプッシュしてこなかった印象があります。  そうですね、あまり知られてはいないと思います。積極的に押し出していたってわけでもないんですけど、特に隠していたわけでもなくて……。早稲田らしいことをやっていたり、友達がいたりすれば、もっと大学時代のエピソードトークができたのかもしれないですけど、ほんとになくて……。人と関わらない分、感情と結びついている記憶がほとんどないので、当時の記憶も薄いんです。もったいないですよね。 ――クイズ番組への出演機会も多くはない印象です。クイズの仕事を断っているわけではなく……?  全然、断っていたわけではないんです……。エピソードを出せなくて、私の芸人としてのイメージと早稲田卒のイメージが結びつかないから、あまり指名されなかったのかも。過去には呼んでいただいたのに、スケジュールの折り合いがつかないこともありました。自分としては、クイズ番組のようなお仕事をいただけるならありがたいですし、仲間に入れてもらえるなら出たいです……! ――コロナ禍になって授業やサークルが思うようにできず、孤独な状況の学生も増えているようです。4年間一人の大学時代を送ってきた箕輪さんだからこそ、響くエールもありそうです。  私の場合はキャンパスに通えていたのに自分のせいで孤独だっただけですが、今は学生自身のせいじゃなく「孤独にさせられている状態」。本当に気の毒だと思いますし、私の状況とは比べものにならない。  今はたぶんやれることがなくて、すごくフラストレーションがたまる状態だと思うんです。でも、いつか人に会えるようになった時に、「こんなことをやりたい」「こんなことがやれそう」みたいなアイデアが出てくるように、今はエネルギーを貯める時間だと思ってほしいです。  私個人の一例ですが、孤独な4年間があって、変わらなきゃという気持ちでい続けたことで、養成所に入る勇気が出た。あの時間は無駄にはなっていないし、芸人になるために必要な4年間だったんです。そして養成所に入ったことで、はるなという人生で一番ラッキーな出会いができた。長い人生の中で、これからいろんなチャンスがあると思う。今はなかなか前向きになれない時間だと思うんですけど、気持ちをなえさせずに、未来に希望を持っていてほしいです。   それに、自分の中でちょっとした楽しみを見つけて、人に合わせずに過ごした時間も案外よかった。大学時代に一人で行動することの楽しさを見つけたおかげで、その後の人生でも一人旅とかを楽しめるようになった。一人で何かできるということを、なんとか楽しさに変えてほしいなと思います。(構成/AERA dot.編集部・飯塚大和)

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    中2男子が550万円課金の“ゲーム依存” 親に逆切れしても苦しい子どもの胸のうちとは

     ゲームに熱中しすぎて、学業や仕事、日常生活に支障が出てくる「ゲーム依存」が社会問題となってきている。コロナ禍の今、子どもたちはゲームへの依存度が高まっているという。ゲーム依存の実態とは。子どもとその親を支援する専門家の活動の一端を取材した。*  *  *「息子がまた暴れ始めました。一刻も早く来てもらえませんか」 朝8時、中学2年生の子どもの問題行動に悩む愛子さん(仮名)が切羽詰まった声で、電話口で訴えていた。通話の相手は、ネット依存の子たちを更生させる活動をしている佐野英誠さん。佐野さんは、『ゲーム依存から子どもを取り戻す』(育鵬社)などの著書があり、4年前から全寮制のフリースクールの塾長を務めている。愛子さんが佐野さんに初めて相談をしたのは、その電話の2週間ほど前のことだ。 息子が暴れている理由は、「新しいタブレットを買ってくれ」という要求を母親が拒否したためだ。佐野さんは、急いで愛子さんの家に向かった。「家に足を踏み入れて、驚きました。ガラスはあちこち割れ、壁には穴が開き、家具は破壊されていて、とても普通に暮らせるような環境ではなかったんです」(佐野さん) 息子と対面して、また驚いた。「どんなに凶暴な子だろう」と思っていたが、おとなしそうなごく普通の中学生だったからだ。「こんな子が親に暴力をふるったり、家を破壊したりしているなんて。そして大人が子どもの奴隷のようになっているなんて……。信じられませんでした」 厚生労働省の推計によると、オンラインゲームや動画サイトなどを含む、病的な「ネット依存」が疑われる中・高生は、日本国内に93万人。この数は過去5年間で倍増している。2019年に行われたゲーム障害に関する初の実態調査(厚生労働省の補助事業として国立病院機構久里浜医療センターが実施)では、10代・20代の18・3%が、平日でも1日3時間以上をゲームに費やしていることが明らかになっている。 しかしこれらの調査結果は、新型コロナ感染症が流行する前。昨年3月の緊急事態宣言に伴う「全国一斉休校」で、状況は悪化したという。かつてない長期間の休校で、外出は自粛。子どもたちのゲーム依存度が高まるのは当然のことだった。「ゲームは一日2時間まで」などと決めていたルールが、いつの間にかなし崩しになってしまったという家庭も、多いはずだ。■ ネットに制限をかけられて逆上子どもが親の目を盗んでゲームするのはよくあること。しかし、そこからどのようにして、日常生活や人間関係に支障が出るほどゲームに執着するようになるのか。愛子さんの息子のケースは一例に過ぎないが、順を追ってみていこう。愛子さんの息子は、私立の中学校に通っていた。両親は息子が小さいころから過干渉気味で、受験をさせたのも「将来苦労しないように」という親心からだったという。小学4年生から受験のための塾に通い、無事志望校に合格。しかし、いざ入学してみると勉強についていくのが大変で、ほどなく不登校になってしまった。家にいる時間が長くなると、息子はゲームにはまり始めた。熱中すると昼夜逆転になって夜中までゲームをし続け、しまいにはヒートアップして大声で暴言を吐くように。そんな息子に、両親は再三注意をした。しかし共働きのため、日中は息子の行動をコントロールできなかった。そのうちに息子は、「学校に行くから、ゲームに課金させてくれ」と要求するようになった。なんとか学校に行ってほしい愛子さんは、息子の要求に応えて、何度も課金。しかし不登校はいっこうに改善せず、ゲーム依存はエスカレートするばかり。たまりかねた両親は、ネットに制限をかけようとした。息子の家庭内暴力が始まったのは、それからだ。息子は手当たり次第に物を投げつけ、テレビを壊し、家具を倒し、壁に穴をあけた。テレビは5~6台買い換えたという。両親は、息子の暴力をやめさせるために、お金を渡しつづけるしかなかった。息子はさらに、親のクレジットカードを勝手に使ったり、家の金庫から盗んだりするようにもなっていった。「不登校の息子が、ゲームにはまりすぎて執着心がすごい。課金も止まらない。なんとかできないでしょうか」最終的に両親は自分たちでは息子の行動をどうすることもできなり、困り果てて佐野さんに相談したのだという。佐野さんが相談を受けた時点で、息子がゲームにつぎこんだお金は、550万円にのぼっていた。■ 子ども自身も罪悪感を抱いている佐野さんによると、親がゲーム依存の子どもから端末を取り上げる、ゲームができないようにとWi-Fiを切ってしまうなどはよくある対応だという。愛子さんも、息子をゲーム依存から脱却させるために、ネットに制限をかけようとした。しかし、そうした親の行動は逆効果になることが多いという。「ゲームに対する執着をいっそう強くしてしまうだけ。自分の心の拠り所であるゲームを取り上げられた子どもは、強く反発し、逆上します。家庭内暴力に発展するケースも少なくありません」(佐野さん) 大事なのは、規則正しい生活、日常の生活サイクルと食事を正常に戻すこと。そのためには、生活のルーティンを決めて、継続することだという。「昼間は頭や体をしっかり動かし、夜はたっぷり睡眠をとる。それだけで、本来のその子のいきいきとした姿がよみがえってくるのです」(同) 佐野さんによると、ゲーム依存の状態に陥った子どもの心の中にあるのは、決して「ゲームをやりたい」という気持ちだけではないそうだ。「子どもたち自身も『このままではダメだ』と思っています。親からお金を巻き上げたり暴力をふるったりする子どもでも、罪悪感は必ず持っている。まるで、『鬼滅の刃』の鬼になり切れない禰豆子のようです。たとえば、僕が訪問すると迷惑そうな顔はするけれど、接しているとどこか『きっかけ待ちだったんだな』とも感じます」現在愛子さんの息子は、佐野さんが塾長を務める全寮制のフリースクールで、集団生活を送りながら更生を目指している。寮では35名の子どもたちが寝食を共にし、勉強や運動、ボランティアなどの活動を行う。「生活習慣が乱れてゲーム依存になっただけなら、修正はそれほど難しくありません。学校と親が連携を取って、早い段階でアプローチをすることが必要です。その子のことを本気で考えてくれる大人が『きっかけ』を与え、規則正しい生活を『継続』することで子どもは必ず変わることができます」(取材・文/臼井美伸)佐野英誠(さの・ひでのぶ)/1977年大阪府出身。全国フリースクール 伊藤幸弘塾 塾長。教育カウンセラー、不登校カウンセラー、保護者カウンセラー。不登校、引きこもり、ゲーム依存、スマホ依存、ネット依存の子どもたちを、365日24時間体制の寮で生活させることで自立(自律)を支援。家族関係の再構築をサポートしている。著書『ゲーム依存から子どもを取り戻す』(育鵬社)臼井美伸(うすい・みのぶ)/1965年長崎県佐世保市出身。津田塾大学英文学科卒業。出版社にて生活情報誌の編集を経験したのち、独立。実用書の編集や執筆を手掛けるかたわら、ライフワークとして、家族関係や女性の生き方についての取材を続けている。佐賀県鳥栖市在住。http://40s-style-magazine.com著書『「大人の引きこもり」見えない子どもと暮らす母親たち』(育鵬社)

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    『鬼滅の刃』特別編集版「那田蜘蛛山編」で大活躍の冨岡義勇が「嫌われ役」として描かれる意味

     19日に放送された『鬼滅の刃 特別編集版』の「那田蜘蛛山」で改めて注目されることになった、水柱・冨岡義勇(とみおか・ぎゆう)。人気投票ランキングでは上位にランクインする人気キャラでありながら、「那田蜘蛛山編」でも明らかになったように、作中では“嫌われ者”としても描かれる。ほかの「柱」たちから厳しい目を向けられる場面もある。その理由は何なのか。2021年1月23日のAERA dot.の記事を再配信する。(以下の内容には、既刊のコミックスのネタバレが含まれます)  *  *  * ■「かっこいい」冨岡義勇  鬼の討伐部隊である「鬼殺隊」の中で、「最高位の剣士」とうたわれる「柱」・冨岡義勇。彼は、鬼と化してしまった竈門禰豆子と、その兄・炭治郎を命がけで守った人物でもある。彼の状況判断力、周囲からの信頼の厚さ、竈門兄妹に「救済への道」を切りひらいた行動力など、どの要素をとってみても、冨岡義勇には非の打ちどころがない。  公式ファンブックには、作者の吾峠呼世晴氏みずからが、「目がしらをキュッと入れると、よりイケメンになります」と義勇の外見について注意書きをしている。外見、内面ともに、義勇というキャラクターは、その突出した「かっこよさ」で読者たちを惹きつける。 ■冨岡義勇は「嫌われ者」?  しかし、冨岡義勇にまつわる「周囲からの評判」には、「みんなからの嫌われ者」というエピソードがついて回る。たとえば、「下弦の鬼」と戦っている炭治郎らを救出する際には、一緒に行動した蟲柱・胡蝶しのぶ(こちょう・しのぶ)と義勇との間で、言い争いが起きている。 <そんなだから みんなに嫌われるんですよ>(胡蝶しのぶ/5巻・第43話「地獄へ」)  義勇はしのぶに「俺は 嫌われていない」と反論するが、彼らの議論はこじれにこじれ、しのぶから「すみません 嫌われている自覚がなかったんですね」と一刀両断されてしまう。他の登場人物と比べると、義勇は表情を崩すことが少ないキャラクターだ。しかし、しのぶから一連の厳しいセリフを言われた際には、そのクールな美しさがそこなわれてしまうほどに、動揺が顔にあらわれる。外見も内面も完璧なはずの、義勇のどこが「嫌われ」てしまうのか。 ■冨岡義勇は無口で口下手?  胡蝶しのぶによる義勇への言葉を整理してみると、どうやら義勇には、「言うべきことを、言うべきタイミングで話そうとしない」という言葉足らずな部分と、ひとたび説明をはじめると「無駄と思える話を挿入してしまう」空気の読めなさがあるようだ。  しかし、義勇がはじめて竈門兄妹に遭遇した際には、整然と「鬼」の説明をなし、炭治郎が妹を守るために「足りないもの」を正確に言い当てている。あの有名なセリフ「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」は、その際に義勇の口から発せられた言葉だ。  また、義勇は竈門兄妹を保護するため、自分の師である鱗滝左近次(うろこだき・さこんじ)に、「鬼(=禰豆子)を殺さない」という異例中の異例の処遇を認めさせ協力をあおぎ、さらに、鬼殺隊総領の産屋敷耀哉(うぶやしき・かがや)に対しては、鱗滝と連名で、自らの切腹をかけて炭治郎・禰豆子の助命を嘆願している。これらの場面から判断すると、義勇は「いつも言葉が不足している」わけではないようだ。では、義勇の「失敗」はどんな時に起きるのか。 ■柱たちに「叱られる」冨岡義勇  前述のしのぶからの「嫌われている」発言の場面以外にも、義勇が他の柱たちから口々に叱られるシーンがある。それは「緊急柱合会議」での出来事だ。産屋敷耀哉の妻・あまねが退出した時点で席を立とうとした義勇に、風柱・不死川実弥(しなずがわ・さねみ)が「おい待てェ 失礼するんじゃねぇ」「俺たちを見下してんのかァ?」と呼び止める。ここでは、蛇柱・伊黒小芭内(いぐろ・おばない)からも「貴様には柱としての自覚が足りぬ」ととがめられ、しのぶからは「さすがに言葉が足りませんよ」とたしなめられる。そして、古参の柱である岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじま・ぎょうめい)にも「座れ」と叱られてしまう。  義勇に対する、他の柱たちからの非難は「柱のひとりであるにもかかわらず、他の柱と交わろうとしない、その行動はいかがなものか?」という問いからわき起こるものだろう。 ■義勇の「言葉の失敗」はなぜ起きる? <俺は水柱じゃない>(冨岡義勇/15巻・第130話「居場所」)  かつて、義勇は仲間の錆兎(さびと)に助けられ、自分だけが生き残ったことに自責の念を抱きながら生きている。それに耐えきれず、「俺は水柱になっていい人間じゃない そもそも柱たちと肩を並べていい人間ですらない」と、自分を卑下するようになる。  だが、義勇は他者よりも「優れた剣士である」からこそ、「他の隊士たちと自分は違う」という自嘲が、ストレートには周囲に伝わらず、自分だけがまるで「孤高の人物」として振る舞っているような誤解を受ける。ここで生じる、他の隊士たちとの認識の違いが、義勇の「言葉の失敗」をさらに複雑化させてしまっている。 ■胡蝶しのぶが冨岡義勇に怒ってしまうワケ  柱の中で最も義勇と“距離が近い”のは胡蝶しのぶだろう。作品の中では一緒に行動したり、会話を交わす場面も多い。  鬼に「姉」を殺害されているという点、そして姉の死後に「本来とは違う性格」になってしまった点において、義勇としのぶは共通している。そして、「笑顔が素直に出てこなくなってしまった」という点でも似ている。  義勇は、兄弟弟子である錆兎を失ってからはとくに、かつての快活な笑顔を周囲にみせなくなってしまった。悲しみを封印するとともに、うまく笑えなくなっている。一方、しのぶは、自らの怒りを封印し、姉・カナエの代わりにそのつとめを果たそうとして、「うその笑顔」をはりつけている。しのぶには義勇の心情が十分に理解できているだろう。  しかし、自責の念から、他の柱たちと距離を取ろうとする義勇の姿は、周囲のために「常に笑顔の自分」であろうと努力しているしのぶからすると、イライラの対象になってしまう。しのぶが義勇に「説明が足りない」といつも怒るのはこういう理由だ。義勇の内奥にある悲しみがわかるからこそ、しのぶは孤独を守ろうとする義勇を看過できないのだ。 ■義勇に「前を向かせた」、2度の目覚め  義勇は、自分をかばって死んでしまった姉と錆兎の着物を「半々に」仕立て直した羽織を身につけている。義勇が目指したのは、かつての姉のように、兄弟弟子のように、他者を守れる自分になることだった。  義勇の心は、姉の死と、錆兎の死によって、2回死んでいる。そのため、義勇が「生き返る」ためには、2度の「目覚め」が必要だった。  最初の「目覚め」は、弟弟子の炭治郎によって、錆兎と約束した「お前も繋ぐんだ 義勇」という言葉を思い出した時。そして、2度目の「目覚め」は、最後の鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)との戦いで限界に達した時に、悲鳴嶼・伊黒・不死川に助けられ、叱咜された時におとずれる。  冨岡義勇は、仲間たちからの問いかけと叱咜によって、「まだやれる!!しっかりしろ!!水柱として 最後まで 恥じぬ戦いを!!」と言葉にできるようになった。義勇は、その時にやっと「真の水柱」として、「守りたかった者を守れる自分」へと変貌をとげたのだった。 ◎植朗子(うえ・あきこ)1977年生まれ。神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』『はじまりが見える世界の神話』がある。

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    巨人なのに非紳士的…他球団のファンも激怒した“ずるい”プレーと発言

    「巨人軍は常に紳士たれ」とチーム憲章にあるように、巨人の選手たちは、社会人の模範になるような行動が求められている。グラウンドでも当然紳士らしくフェアプレー精神に則り……と思いきや、ところがどっこい、過去には、紳士とは大違いの“ずるいプレー”も何度となく演じているのだ。  失点を防ぐために守備妨害を演出したとしか思えないプレーが見られたのが、昨年9月17日の阪神戦だ。  1回表、2点を先行された巨人は、なおも2死満塁のピンチで、木浪聖也の打球は、高くバウンドして、二塁方向へ。セカンド・若林晃弘が前進して捕球に行ったが、タイミング的に内野安打になりそうに見えた。  すると、若林は左手のグラブをヒョイと一塁方向に差し出した。そこには若林との接触を避けようとスピードを落とした一塁走者・陽川尚将の姿があった。  打球を処理するはずのグラブで陽川に接触している間に、ボールは後方へと抜けていった。これを見た森健次郎二塁塁審は、守備妨害を取り、陽川にアウトを宣告した。  矢野耀大監督が抗議したが、「打球を処理する守備優先」という鉄則がある以上、どうにもならない。結果的にルールの盲点を突いた形の巨人は3点目を阻止したものの、自ら当たりに行ったような若林の不自然な動きが物議を醸したのは言うまでもない。  解説者の巨人OB・篠塚和典氏はさすがに言葉を選びながら「若林はうまく演技してますね」と評したが、阪神OBの関本賢太郎氏は「僕には悪質な……故意にぶつかりに行ったように見えましたけどねえ」と批判した。  ネット上でも「どこが守備妨害だよ笑」などの非難コメントが相次ぎ、巨人の3投手も、怒りを闘志に変えた猛虎打線に滅多打ちにされて計11失点と大炎上。目先の1点阻止にとらわれた代償は高くついた。  フライを落球したにもかかわらず、あたかも捕球したかのように演技し、審判の目を欺く事件が起きたのが、11年4月20日の阪神戦だ。  2対2の7回、阪神は鳥谷敬の犠飛で1点を勝ち越し、なおも2死一、三塁で、ブラゼルが二塁後方に高々と飛球を打ち上げた。  セカンド・脇谷亮太が背走しながら捕球したかに見えたが、次の瞬間、ボールがグラブからポロリとこぼれ、地面に落下した。だが、土山剛弘一塁塁審の立ち位置からは、死角になって見えない。直後、しゃがみ込んだ姿勢の脇谷が右手にボールを握りながら、直接捕球をアピールすると、土山塁審は「アウト!」をコール。安打と判定されていたら、阪神は1点を追加していただけに、「そりゃないよ!」である。  真弓明信監督が「(判定は)微妙じゃないだろう。(土山塁審は)たぶん見えていない。二塁塁審も見る場所が悪過ぎる」と抗議したが、VTRにボールが地面に落ちた瞬間がはっきり映っているにもかかわらず、判定は変わらなかった。  そして、この誤審が試合の流れをも変えてしまう。8回、巨人は長野久義の幸運な三塁強襲二塁打などで3点を挙げ、逆転勝ち。踏んだり蹴ったりの阪神側は「(地面に)落ちているよ。お客さんも見ている。アンパイアで負けたと言われても仕方がない」(木戸克彦ヘッドコーチ)とカンカンだった。  さらに脇谷の「VTR?テレビの映りが悪いんじゃないですか?」の新聞コメントが、虎党の怒りを倍加させた。「審判が判定したのだからアウト」ならまだしも……。   当時、テレビメーカーが「映りが悪くなることはない」と反論したことも懐かしく思い出される。  生還を阻止せんとばかりに、三塁ベース上で走者を上から押さえつけるプロレスまがいのプレーで騒然となったのが、00年6月8日の阪神戦だ。  5対3とリードの阪神は、8回にも平尾博司の二塁打で無死二塁のチャンスをつくり、次打者・ハートキーは投前に送りバント。河本育之は素早く処理し、三塁に投げたが、悪送球となり、ボールはファウルグラウンドを転がっていった。  二塁走者の平尾はこの間に十分本塁を狙えるはずだったが、なんと、捕球に失敗したサードの元木大介が、三塁にヘッドスライディングした平尾の上からのしかかるようにして押さえつけているではないか。「どさくさに紛れて押さえ込まれた」(平尾)。これでは動くに動けない。  ここで平尾の救出に向かったのが、伊原春樹三塁コーチ。怒りをあらわにして突進すると、あっという間に元木を突き飛ばし、平尾に「早く本塁に行け!」と指示した。「思わず手が出ちゃった。クセ者の元木がなかなかどかないから」(伊原コーチ)。  ところが、今度は巨人・長嶋茂雄監督がベンチを飛び出し、伊原コーチの行為がインプレー中だったことを理由に、守備妨害で平尾をアウトにするよう要求。騒ぎはさらにヒートアップした。  だが、井野修三塁塁審は「すべてのプレーが終了したうえで判断すれば、一番悪いのは元木」と走塁妨害を適用し、生還を認めた。  結局、この6点目がモノを言い、阪神は1点差で逃げ切ったが、元木のプレーは「ずるい」と言われてもしょうがないものだった。  元木といえば、ほかにも隠し球や併殺阻止の万歳スライディングなど、“ずる賢いプレーのデパート”的存在。紳士の球団では、異色のプレーヤーだった。(文・久保田龍雄) ●プロフィール久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」(野球文明叢書)。

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    冨岡義勇はなぜ禰豆子を斬らなかったのか 義勇が貫いた“鬼滅の刃”の振るい方

    『鬼滅の刃』では、鬼の被害者・竈門兄妹のもとに、鬼殺隊「柱」の冨岡義勇が現れて、そこから「鬼狩りの物語」が始まる。義勇は、竈門兄妹を救い、彼らが「日常に帰る」ことができるように力を尽くす。そして、ラストシーン、義勇は竈門兄妹を救うため、他の隊士にはできない、ある「決断」を迫られる。義勇の剣士としての能力、判断力、そして彼の内面をふり返ることで、なぜ彼が竈門兄妹の「生」を救えたのかを考察する。【※ネタバレ注意】以下の内容には、既刊のコミックスのネタバレが含まれます。■冨岡義勇と炭治郎との不思議な縁『鬼滅の刃』の物語は、主人公・竈門炭治郎(かまど・たんじろう)の一家が鬼に殺害される場面からはじまる。生き残った妹・禰豆子(ねずこ)は、鬼化の影響によって飢餓状態になり、兄の炭治郎に襲いかかってしまった。 その現場に、鬼狩り集団「鬼殺隊」の実力者で、「水柱」と呼ばれる冨岡義勇(とみおか・ぎゆう)が駆けつけた。竈門兄妹がはじめて出会った鬼狩りが義勇であったことは、彼らにとって運命的な巡り合わせになった。本来、鬼と遭遇した鬼殺隊隊士は、鬼の首を直ちに斬る。しかし、義勇は、禰豆子を斬ろうとする素ぶりは見せるものの、炭治郎に状況を説明し、彼らに生き抜く方法を教えようとした。■冨岡義勇の「柱」としての才覚<笑止千万!! 弱者には何の権利も選択肢もない 悉く(ことごとく)力で強者にねじ伏せられるのみ!!>(冨岡義勇/1巻・第1話「残酷」) 口調こそ厳しいものの、義勇は竈門兄妹を救う方法を考え、的確な指示を炭治郎に与えた。この場面は、コミックス1巻・第1話の出来事。つまり物語冒頭ですでに、義勇の「思考」が明確に見てとれる。 何とか救える命はないのか――これが義勇の行動理念のひとつであることは間違いない。優しい心を失わないままに戦う義勇が、厳しい戦場で生き残ることができているのは、ひとえに義勇が優れた状況判断能力を有する、才能に突出した剣士だからだ。冨岡義勇は厳しい戦闘下にあっても、人としての矜持や信念を決して失わない。■義勇がもたらした鬼殺隊内の混乱 だが、義勇が「鬼の禰豆子」を見逃し、保護したことは、鬼殺隊に混乱をもたらした。蟲柱・胡蝶(こちょう)しのぶが、禰豆子を毒で殺そうとした時に、義勇は炭治郎に「妹を連れて逃げろ」と指示し、それが元となって、義勇対しのぶの争いになっている。その後、他の柱たちも「柱合裁判」で竈門兄妹を断罪し、義勇の隊律違反を厳しく非難した。 それらは仕方のないことだ。鬼殺隊では、すさまじい数の鬼の被害者を出している。そもそも、鬼殺隊隊士たちは、大切な人を鬼に喰われた被害者家族を中心に構成されている。隊士たちは、かたきを討つために、命をかけて日々戦っているのだから、いかに水柱の判断とはいえ、鬼を見逃すことを容易に承諾することはできなかった。■なぜ義勇は鬼の禰豆子を斬らない? しかし、仲間からの忠告も非難もすべて受け止めて、それでも義勇は竈門兄妹を守ろうとする。自分を喰おうとする妹を抱きしめる炭治郎を、極限の飢餓状態でも本能的に兄を守ろうとした禰豆子の心を、義勇は信じた。それはなぜか。 義勇は最愛の姉を鬼に奪われた過去があった。姉・蔦子(つたこ)は義勇をかばい、自分だけが鬼に喰われた。姉弟と兄妹、そこに小さな差異こそあれ、義勇は「きょうだいの思い」を痛いほど理解していた。 また、義勇は兄弟弟子の錆兎(さびと)にも、救われたことがあった。錆兎もまた、義勇より先に死んでしまった。<お前は絶対死ぬんじゃない 姉が命をかけて繋いでくれた命を 託された未来を お前も繋ぐんだ 義勇>(錆兎/15巻・第131話「来訪者」) これらの悲しみを表面上は封印したかのように見えた義勇だが、心の奥底では蔦子と錆兎の遺志を大切にしていた。守られる側にいた義勇は、今度こそ、誰かの命を「繋ぐことができる」自分になるために、最前線で戦い続ける。竈門兄妹を守ることは、義勇の使命のひとつになった。<託されたものを 後に繋ぐ もう二度と 目の前で家族や仲間を死なせない 守る 炭治郎は俺が守る>(冨岡義勇/18巻・第154話「懐古強襲」)■人間を「鬼化」から救うことができるのは誰なのか? その後、最終決戦で、鬼の総領・鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)と鬼殺隊との総力戦に突入する。無惨に日輪刀を突き刺した炭治郎であったが、無惨の出した衝撃波によって左腕がもげてしまう。片手では力を込めきれない炭治郎を、戦闘で片腕になった義勇が支えた。2人の力が混ざり合い、日輪刀が「赫(あか)く」染まる。 この赫刀(かくとう)と日光の力で、無惨の肉体は崩れ落ちた。しかし、鬼殺隊の皆が勝利を喜んだのも、つかの間のことで、死力を尽くした者たちの命の炎が、次々と消えていった。炭治郎もその1人だった。義勇は自分も相当の深手を負いながら、炭治郎の姿を探し求めたが、呼吸が止まった炭治郎を見つけて泣き崩れる。<また守れなかった 俺は人に守られてばかりだ… 許してくれ>(冨岡義勇/23巻・第200話「勝利の代償」) しかし、悲劇はさらに続く。死亡した炭治郎の肉体を、無惨が「鬼化」したのだ。炭治郎は「鬼」として復活し、周囲の者たちに攻撃する。その瞬間、義勇は誰よりも素早く反応し、周囲の者たちを守った。無惨成敗後も、義勇は刀を握りしめたままだったのだ。■義勇の思い、炭治郎の願い<炭治郎が鬼にされた 太陽の下に固定して焼き殺す 人を殺す前に炭治郎を殺せ!!>(冨岡義勇/23巻・第201話「鬼の王」) 涙を流しながら義勇は、守るべきはずの炭治郎と戦うことになる。生前、炭治郎は「誰かが道を踏み外しそうになったら皆で止めような」と、仲間たちと話し合っていた。仲間思いの炭治郎が、仲間を傷つけること、仲間を殺すことなどあってはならない。炭治郎の願いは人のまま死ぬこと。それでも、誰も炭治郎を殺せない。伊之助も。善逸も。炭治郎が好きだから。誰も炭治郎を殺せなかった。 そんな中で、義勇だけが、「炭治郎を殺す」覚悟を決める。炭治郎の願いを守ることが、義勇にとって、炭治郎を守ることだった。誰よりも重い決断を義勇は下した。義勇は炭治郎にむかって“鬼滅の刃”を振るう。■冨岡義勇の達成された願い しかし、義勇は心の底では、炭治郎が「人間に戻る」ことを祈っていた。鬼化した炭治郎がわずかに見せた攻撃へのためらいに、義勇は気付き、炭治郎への攻撃を止め、周囲の援護と守備に集中する。仲間たちとともに、義勇は炭治郎を人間へ戻そうと必死であらがう。 やがて、動きを止めた炭治郎に、皆が手を重ね「炭治郎戻って来い 絶対負けるな」と声をかけ続けた。炭治郎の心臓の上には、義勇の片腕がそっと乗せられた。「こっちだ炭治郎」――炭治郎は再び目を開けた。 炭治郎はなぜ生き残ることができたのか。それは、炭治郎と禰豆子がはじめて義勇に会ったあの雪の日、義勇が炭治郎を見捨てなかったからだ。義勇は炭治郎を信じた。炭治郎を救おうとした。竈門兄妹のために命をかけた。義勇のおかげで、強い剣士が「生まれ」、鬼を倒すことができたのだ。 やっと自分の力で、自分の「大切な人」守り切ることができた義勇には、かつての笑顔が戻った。冨岡義勇は「最後の水柱」として、大きな大きな責務をまっとうした。◎植朗子(うえ・あきこ)1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。

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    高市早苗氏の意外な過去にフェミニストも震えた 総理の座を狙う過程で何があったのか

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選に正式に出馬表明した高市早苗氏について。*    *  * 近しい人がデルタ株のコロナ陽性になったり、友人の同僚や、通っている美容院のお客さんが亡くなったりなど、夏以降、急速にコロナの危機が迫っているのを実感している。健康観察をされずに自宅で死亡した50代の方の話などを聞くと、東京五輪・パラリンピックに時間とお金と人材を費やすべきではなかったのではないかとつくづく悔しい思いになる。適切な処置を医療機関で受けられていたら、亡くならないですんだかもしれない命は少なくない。 Go Toキャンペーンやオリパラを強行することに専念してきた自民党政権が、トップの顔を代えただけで変われるとは思えず、期待には程遠い自民党総裁選。岸田文雄さんは、ボロボロの小さいノートを振りかざしては「国民の声を書き留めてきた、1年間で3冊、10年間で30冊」と様々なメディアでアピールしているが、正直、少ないと思う。薄いノートを1年でたった3冊埋めたくらいで、国民の声を聞いたとか言えるって、どんだけ聞いてこなかったかという話なのでは。河野太郎さんは、先日週刊誌でそのパワハラ言動が取りざたされていたが、ワクチン接種という、申し訳ないが素人目線でそこまで難しいとも思えない仕事でつまずいている人に期待するのはムリという話だし、高市早苗さんにいたっては、選択的夫婦別姓に強硬に反対するアンチフェミ女のイメージしかない。女性の人権に無関心な女性総理候補にいったい何の価値があるというのでしょう。 とはいえ、高市早苗議員、いったいどんな人なのか。32歳で衆議院議員に若くして初当選(※)。しかも同期の田中真紀子議員や野田聖子議員のように、親や祖父が国会議員だったというわけではなく、自民党員だったわけでもなく、サラリーマンの父と警察官の母という一般家庭から出てきた無所属の女性議員が、今、最も総理の椅子に近い女性となっている。なぜ高市さんは、政治家の道を選んだのだろう。どのように政治の道を歩いてきたのだろう。政治家としては多い著作のなかから国際政治評論家としてテレビで活躍していた頃に書かれた『30歳のバースディ―その朝、おんなの何かが変わる』(大和出版)、政治家2年目に記された『高市早苗のぶっとび永田町日記』(サンドケー出版局)を読んだ。 高市氏が大学を卒業したのは1984年。1986年に男女雇用機会均等法が施行されるが、この2年の差はやはりとても大きいものがある。女性が生涯にわたる仕事を手にすることも、そもそも親が大学に行かせてくれるかどうかも「女の子」であるというだけで諦めることがまだまだ当たり前にあった世代だ。特に地方であればなおのこと。保守的な奈良に育った高市氏も、当然のように「諦めさせられて」きた。例えば大学もそうだ。高市氏は第1希望だった早稲田と慶応のどちらも合格したにもかかわらず、「女の子のあなたを東京の私学で学ばせる余裕はない。弟の学費に回してほしい」と親に諦めさせられ、「女の子だから一人暮らしはさせられない」と通学に往復6時間かかる神戸大学に入学するのだ。 たとえ難関国立大学出身であっても、女性がその能力と希望に見合う就職先を見つけるのが難しい時代だった。「身の丈」よりもずっと小さく窮屈な型に押し込められる女性たちの悔しさは計り知れないが、高市氏の著書からはその類いの悔しさは強調されない。それは高市氏に並外れた行動力と決断力があり、自らの人生を切り開いてきた自負があるからだろう。たとえば、たまたま大学で目にした松下政経塾のポスターを目にして、直感に導かれるように松下政経塾に“就職”したり。たまたまテレビで見た女性議員で史上初の米国大統領候補指名争いに立候補準備を進めていたパトリシア・シュローダーに惹かれ、その2週間後にはワシントンに旅立ち、その情熱だけでシュローダー議員のオフィスで働き始めたり……若さゆえの大胆さと希望に満ちあふれた当時の高市氏のエピソード一つひとつに圧倒されてしまう。「女だから」と諦めさせられてきたのは大学まで、それ以降は絶対に諦めないという粘り強さで今の地位を築いていくのである。『30歳のバースディ』は文字通り30歳を迎えた高市氏がそれまでの人生を「ポップ」に振り返る本である。「BGMはいつもユーミンだった」「寂しいのはあなただけじゃない」「空港でまたまた恋人と涙の別れ」「男かペットがいなくちゃダメな私」「女と日の丸と視聴率の相関関係」「三〇女が孤独を感じるとき」といった目次からもわかるように、女友だちに話しかけるように書かれた軽く、優しいノリのものだ。アメリカから帰国し、若い政治評論家としてメディアに露出していたころで、日本の男性社会へのいら立ちも率直に記されている。「アメリカ議会では日本流のバカバカしい会議がないのが良かった。(略)ところが日本の企業では会議の場では何も決められない。本当は既に決まっているし、とっくに根回しが済んでいることを確認しあうだけの、儀式的な会議のなんと多いことか。でも、私たち女性は妙に正義感が強いので、このような巧妙な人間関係のテクニックとは相性が悪い」 90年代に若い女性が書いたテキストを追いかけながら、私は何度か噴き出したり、そうそうと共感したりと震えるような思いになる。ねぇ、高市さん、「女が入ると会議が長くなる」とほざく森喜朗さんに「あんたの会議はバカバカしい」とはやっぱり言えないものだったの? こういうまっとうないら立ちを文章にしてきた女性が、最も「わきまえる女」になっていく過程に、いったい何があったというの? さらにこういう率直さは、国会議員になった後に書かれた「高市早苗ぶっとび永田町日記」にも残っている。高市氏は歯に衣着せずに永田町のダメなところをきちんと切っている。「この一年間に永田町で一番多く耳にした言葉は次の二つ。『挨拶がない』『俺は聞いてないぞ』。委員会の審議日程が流れたり、大切な法案の採決がパーになったりする理由は大抵この二つだったりする」「笑い話のようなことばかりだが、事実、永田町政治は『理屈』ではなく、『メンツ』で動いている」 さらに、夜の会食や女性がいるクラブなどで行われる男たちの根回しで物事が決まっていく永田町で、女の自分が不利であることも記し、サッチャーのこんな言葉を引用し共感を表明するのだ。「私は最後まで党内基盤が弱かった。それは男性の世界の根回しに加えてもらえなかったからよ」 なにこの人……すごくまともな「一般人」の感覚で、すごくまともな「女の悔しさ」をストレートに出すフェミじゃないの? しかもそのまともさで、「総理大臣の資質」というものを論じ、当時の村山政権を真っ正面から批判している。明言しているわけではないが、高市氏自身が政治家として一番になること=総理になることを30代から目指しているのも伝わってくる内容なのだった。根回しから排除されてきたサッチャーが首相になれたように、パトリシア・シュローダーが80年代に大統領を目指したように、高市氏は政治家としてトップに行くことを最初から視野に入れていたのだ。 ……と、昔の高市氏の本を読んでいると、うっかり「がんばれ、早苗!」と言いたくなってしまう私がいるのだった。「総理になろうよ!!」と早苗の女友だちポジションに立って拍手したくもなってしまうのであった。まずい、まずい。正気に戻るために2011年に出版された『渡部昇一、「女子会」に挑む!』(WAC)も読んだ。櫻井よしこ氏、山谷えり子氏、高市早苗氏、小池百合子氏、丸川珠代氏・・・といった早々たる「わきまえ女」(帯には「なでしこ軍団」とある)たちと渡部昇一氏との対談本だ。 渡部氏との対談で、「総理になったら、まず何をしますか?」と聞かれた高市氏はこう答えている。「最初に、政府歴史見解の見直しをします。新たな歴史見解を発表して、村山談話を無効にします」 東日本大震災のあった年の9月に出版されている本だ。震災後から、こういう歴史修正主義を堂々とうたう本や、韓国ヘイト、「慰安婦」運動への過剰な攻撃は度を越していったという実感が私にある。保守政治家から極右政治家に舵を切るように発言をより過激化させていく高市氏の横顔が、対談にはしっかりと刻まれている。夫婦が別の姓を名乗ったら家族が崩壊すると適当なことを言い、戦時性暴力の責任を問わないどころかなかったことにすることが、高市さんの「目指した政治」だったのだろうか。この国の女性たちが権力に近づこうとするならば、率先して選択的夫婦別姓を批判し、「慰安婦」被害者をおとしめる発言をいとわず、女性の権利を口にするフェミを冷笑するというマニュアルでもあるのだろうか。 今いる自民党の女性議員の顔を、一人ひとり思い浮かべてみる。わきまえなければ権力に近づくこともできなかった女性たち。夜の会議や根回しから排除されながらも、その立場を維持するための努力は、二世・三世の男性議員たちとは全く違うものがあったはずだ。それでも、それほどの努力をしても、彼女たちが自らの後ろを振りかえったとき、彼女たちの後ろを歩きたいと思う女性はどのくらいいるだろうか。というかそもそも、その道は後続の女性のために開かれていたことはあったのだろうか。 かつて高市氏が憧れ渡米したパトリシア・シュローダーはテレビカメラの前で涙を流した。そのことによって20年以上「女の政治家は感情的だから、ダメだ」と言われ続け、「あなたの涙のせいで、女の地位が悪くなる」と責められ続けたという。女であるというだけでその「涙」が事件になるのは、昔のアメリカも今の日本も変わらない。そういう政治の世界でトップを目指す女性たちが、女性の味方であることを忘れるのは「仕方ない」ことなのだろうか。それとも、アンチフェミニズムの顔で女性をたたくような女性政治家しか出せない自民党政治そのものが終わっている、ということなのか。※訂正配信時の「32歳で衆議院議員に初当選、女性議員としては、当時憲政史上最年少だった」という一文を、「32歳で衆議院議員に若くして初当選」と訂正しました。高市氏の著書『高市早苗のぶっとび永田町日記』に「女性として憲政史上最年少当選」と記してありましたが、実際は1946年4月10に三木キヨ子氏が20代(当時)で当選していたため削除、修正します。■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    【写真特集/全8枚】華麗なる日本人メジャーリーガーの妻たち

    トップクラスは20億円以上の年俸を稼ぐ選手もいる、憧れの日本人メジャーリーガー。そんな彼らを射止めた女性たちもまた、アナウンサー、アイドル、モデル…と高嶺の花が勢揃い!そんな美貌と才能に溢れた彼女たちを写真で紹介します。▼クリックすると拡大写真と解説文が表示されます

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    田原総一朗「新総裁最有力の河野氏を絶対に首相にしたくない勢力とは」

     ジャーナリストの田原総一朗氏が自民党の総裁選について解説する。 *  *  *  菅義偉首相は、まず衆議院を解散し、衆院選に勝つことで総裁選に臨もうと考えていたが、安倍晋三、麻生太郎両氏らの反対で総裁選を先にやらざるを得なくなった。  前回も記したように、自民党の多くの国会議員たちは、今秋の衆院選で落選するのではないかという強い危機感を抱いている。全国の選挙区で、菅首相の評判が極めて悪いからである。自分が当選するには、何としても菅首相に辞めてほしい、と強く求めていた。  8月の中旬ごろまでは、安倍前首相も麻生副総理も、菅首相の続投でよいと考えていた。だが、それぞれの派閥の議員たちが、自分たちの当選には菅首相の辞任しかない、と強く求めていることを知って、考えを変えたのである。  そこで菅首相は、支持率を高めるために、党や内閣の人事に手をつけて、小泉進次郎氏ら、国民の期待が大きい政治家たちを起用しようとしたのだが、いずれの政治家にも断られて、辞任せざるを得なくなったのである。  菅首相が辞任することになって、岸田文雄氏、高市早苗氏、河野太郎氏、野田聖子氏らが総裁選への出馬を表明、もしくは意欲を示している。  注目されるのは石破茂氏である。彼は当時の安倍首相に対してもはっきりと反対を表明していて、少なからぬ国民は彼に期待しているはずなのであるが、彼は出馬しないようだ。  実は、私は2度、彼と電話で話をして出馬を促したのだが、消極的であった。どうやら河野氏を支持するようである。  岸田氏は、戦後政治史に重厚な足跡を残してきた宏池会のリーダーである。大平正芳、宮沢喜一、加藤紘一らハト派で、貧富の格差を広げないために社会福祉をきちんとやるべきだと主張する反新自由主義路線である。岸田氏も反新自由主義路線を打ち出している。  だが、安倍氏や麻生氏と心を合わせることに懸命で、国民の多くからはいまひとつ期待できない、と捉えられているようだ。  女性候補の高市氏は保守右派で、かつて電波法に基づく電波停止に言及したときは、私も強く反対した。  当初は、出馬に必要な議員数をそろえられないのではないかと見られていたが、安倍氏が支持を表明したことで、出馬はできそうである。  野田氏にも頑張ってほしいが、当選の可能性が高いと見られているのは、石破氏が支持をしそうな河野氏である。  だが、河野氏を何としても首相にしたくない、と考えている勢力がある。その代表的な存在が、経済産業省だと見られている。  河野氏は原発反対を強く唱えていた。外務大臣に就任して以後は、反原発を表明しなくなったが、あえて閣内で波を立てるのを避けているだけで、意識は全く変わっていない、と誰もが見ている。多くの政治家と違って、簡単に豹変(ひょうへん)しないのが、河野氏が信頼されるゆえんなのである。  だから、経産省も全国の電力会社も、河野氏が首相になるのは困るわけだ。  そして多くの自民党議員たちは、原発に対しては、情けないほどあいまいである。そんな彼らが河野氏をどのように捉えるのであろうか。 田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年生まれ。ジャーナリスト。東京12チャンネルを経て77年にフリーに。司会を務める「朝まで生テレビ!」は放送30年を超えた。『トランプ大統領で「戦後」は終わる』(角川新書)など著書多数※週刊朝日  2021年9月24日号

    週刊朝日

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    「高市氏の昔を知っているよ」 総裁選候補者3人で最も優れているのに胸がザワつく理由

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、自民党総裁選に立候補を表明している3人の議員について。 *  *  * 連日、自民党総裁選関連のニュースがメディアを占めている。この国に暮らす人々の生存をかけた衆議院選挙のほうがよほど重大なはずなのに、無駄に自民党の生存をかけた総裁選につきあわされているようでつらい。災害レベルのコロナ禍で重要なときに臨時国会を開かず、自党の人事に時間を費やす自民党の体質が、トップが代わったところで変わるとは思えない。とはいえ、あと一歩で総理の椅子に座る3人の候補者に女性が入っていること、その女性が候補者の中で最も右寄りであること、容姿を誹謗中傷する批判が“彼女にだけ”されていることなど、日本の女性政治家が置かれている現実を生中継で日々見せられているようで、それはそれで気になってしまうのだ。 候補者3人の出馬表明記者会見を見た。それぞれ力のこもった熱弁を見ながら、改めて菅さん (菅義偉首相) は、相当なレベルで話が下手だったのだと気づかされる。滑舌が悪いうえに自分の言葉で話さない、原稿すらうまく読めないので頭に入ってこない。東京五輪・パラリンピック開催に疑問を投げかける記者には、「安全安心」と繰り返すだけで誠実さのカケラもなかった。さらに記者に対して威圧的であり、社名を名乗らない記者に対していら立つなど、器の小ささを露呈してしまう場面を幾度となく見てきた。喋れば喋るほど、人の心が離れていく総理大臣だった。 菅さんに比べると3人の候補者の話は、フツーにまともだった。……と、「底」を強いられてきた者として認知の歪みが生じてしまっているのだろうかと自分でも不安になるが、今回、高市早苗氏の会見を初めて長時間聴いてみて驚いた。テンポ、滑舌、論理性、具体性において出馬表明記者会見としては3人の中で最も優れていたからだ。記者からの質問に逃げずに丁寧に答えていたのも好感を持てた。  例えばTBS「報道特集」のキャスター膳場貴子氏が、高市氏が過去にしていたサイテーの発言「(生活保護を)さもしい顔をしてもらえるものはもらおうとか、弱者のふりをして少しでもトクをしようと、そんな国民ばかりいたら日本が滅びる」を引き、「困窮する国民をどういう目で見ているのか確認をさせてください。弱者への視点が欠けている不安、批判の声があるが、どう受け止めているか聞かせてください」と迫った。高市さんに対する強い批判を含んだ良い質問だった。 もしこれが、安倍さん (安倍晋三前首相) だったらと想像する。女性アナウンサーからの質問にまずニヤニヤと冷笑し、しかし顔色は変わり、早口でまったく方向違いの旧民主党政権批判を延々繰り返し「それはですね、民主党政権時代の批判の流れでの発言だったのでございます。文脈をですね、私の発言の文脈をですね、いいですか、きちんと見ていただいたうえでですね、そのようなご質問をしていただきたきたいのでございます」とか言いそうだし、麻生さん (麻生太郎財務相) だったら「そうかね、覚えてねぇな」とか言いかねず、菅さんだったら「えー、私はこれまで通り全力で国民の安全安心を最大限に考えて、政治を行っていくことに変わりはありません」とか言うのでは。テレビカメラの前で“女性”記者に批判された、ということで頭がいっぱいになり、誠実に答えようともしない“男性”政治家の振る舞いに私たちはあまりにも慣れてしまっていた。 その日、高市氏は膳場氏の批判質問に顔色も声のトーンも変えることはなかった。にこやかなまま、その発言がいつ、どの場で行われたものかを記憶の中で語り、「これは皆様の大切な税金。福祉というものは公正、公平が原則であるべきだと私は考えています」とし、さらに子どもの貧困問題等について語り、そのうえで「これが私。素直なほうなので、さまざまなアドバイスには柔軟に対応する」とも言った。  このやりとりに、私は見入ってしまったのだった。威圧的だったり、不誠実だったり、中身のない政治家答弁にあまりにも慣れ過ぎていたからこその驚きであるのだが、ただ新鮮だった。もちろん、高市氏のような政治家の言動が生活保護受給者に対する社会の偏見を生み、貧困を再生産し、生活保護を受けられずに餓死するような人々を生み出す現実をつくってきた。そういうリアルが見えない高市さんが与党の政治家であることが私は恐いが、それでも「どのような考えに立っているのか」ということを説明することをこの人は逃れなかったという印象は残った。 一方、岸田氏は国民の声を聞いてきたという薄く小さなノートを振りかざして「私にとりまして大切な財産。このノートを読み返した上で、私は改めてやるべきことがあると感じています」と豪語する。外国特派員協会で記者会見を開くなど、去年の総裁選よりもパフォーマンス力があがっているように見えるが、選択的夫婦別姓についての意見を問われ、「引きつづき議論しなければならない課題」と言うなど、いったい誰の声を聞いてきたのか問いたい。今年の共同通信の調査によれば選択的夫婦別姓は国民世論で6割が賛成している(30代では7割)。だいたい選択的夫婦別姓は80年代からずっと提案され、深く積み重なった議論の歴史があるのだ。国会での議論を拒否し続けてきた自民党の単なる勉強不足が、選択的夫婦別姓を邪魔しているだけ。まだ、「自分ごと」として通称使用拡大の具体的実践に全力を尽くしてきた高市氏のほうが勉強しているし、わかっているように見える。 河野太郎氏の記者会見が一番、今までの自民党の威圧的政治家の流れをくんでいるように見えた。質問は1社一つというルールを一方的に強いては、「(河野さんは)脱原発派ですか?」という質問に対して「どういう定義で脱原発というか人によって違うので、何か一つの言葉でくくるのはやめておいたほうがいい」と打ち切り、それ以上の質問を許さなかった。記者が本当に聞きたいことは分かっているはずだし、そこから深まる議論もあるはずなのに、意味のない答えを短めに返すのが目立った。  河野氏は若手からの期待が大きいと、報道では言われている。「河野さんは発信力があります」と30代の議員が胸を張るようにテレビカメラに向かって話しているのを見た。発信力とは単純にテレビに出る回数とか、Twitterのフォロワー数とか、なんとなくの人気のことを言っているのではないかと思うが、それは政治家にとって必要な力なのだろうか。記者会見で衝撃だったのは、韓国メディアの記者が「特に韓国を含めた、近隣国に向けての外交政策のビジョンを聞かせてほしい」と質問した時の答えだ。外務大臣を務めたこともある河野氏の答えは、こういうものだった。「G7の中で日本はユニークな立ち位置。キリスト教をベースとした文明の上に成り立っていない国は日本だけ。だから外務大臣として自分はアジア、中近東、アフリカといった国々の思いを代弁できる日本でありたーい、と思ってきた。自由民主主義、基本的人権、法の支配、こうした価値観を共有して一緒に前に進みたーいと思っている。それぞれの国にはそれぞれの歴史がある。一足飛びにみんなが同じことをできるわけではありませんー。そういうなかで、ヨチヨチ歩きであっても同じ方向を進もうとしている国にしっかりと寄り添える、そういう日本でありたーいと思っている」 ……これは外交政策なのでしょうか。ヨチヨチ歩きだけど一緒に寄り添っていこうね、って。これは元外務大臣による総裁選立候補の時に語るような言葉なのだろうか。高市氏を推すわけでは決してないが(というか、私にその権利もないが)、高市氏だったら具体的に質問に正確に答えようとするのではないか、大人の言葉で。 最近、「高市早苗の昔を知っているよ」という人と立て続けに話をする機会があった。20代のころ、高市氏は400ccのバイクを乗り回していたという。30年以上前、400ccのバイクに乗る女性は少なかった。私も10代のころ、400ccのバイクに乗りたくて教習所に行ったのだが、「女は小型から」と中型免許すら取らせてもらえない空気があり、一日でやめた。「中型取りに来たんです」と言っても、「じゃあ、起こしてみな」と道路に転がる400ccをコツも教えてもらえず起こせと言われて憤慨した。あの時の悔しさは今もまだ心のどこかに残っている。80年代のことだ。そういう時代のなかで、中型・大型バイクに乗る女性たちは道で出会っては、自然に話しかけるようなことがあったという。当時のバイク仲間の女性は、若かった高市さんが目を輝かせながら「私は保守系の政治家になるんだ」と、夢を語っていたのを覚えている。   高市氏を見ていると、胸がざわつく。「政治家を知るためには、その人の選挙区と選挙歴を知らなければならない」とは、無戸籍問題に取り組み続け衆議院議員になった井戸まさえ氏の言葉だが、高市氏がもし、奈良という保守が強い土地ではなく、都市部の選挙区の人だったらどうだったろうか。選択的夫婦別姓、女性天皇・女系天皇容認などについて肯定派の多い都市部のような場所で保守派の政治家として立っていたら、どうだったろうか。安倍さんへの、悲しいほどのすり寄りは、二世議員である小渕優子議員や、祖父が政治家だった野田聖子議員だったらしなくてもよい媚びにも見える。高市氏自身の葛藤を勝手に想像しながら、そういう女性議員の姿を見てこちらも引き裂かれるような葛藤を味わう。女性がのびのびと政治ができる国になってほしい、そして正当に評価されるようになってほしい。今起きているのは、自民党の大物男性の庇護のもとでの自由と、それでも女性であるゆえに正当に評価されない日本社会の女性嫌悪だ。精神衛生上よくないので、早く終わらせて、衆議院選挙で自民党政治は終わってほしい。■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    眞子さまの結婚どう思う? 瀬戸内寂聴が27歳スタッフに質問した結果

     半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。*  *  *■横尾忠則「スジ金入りの肉体的朦朧体、大観より本格派です」 セトウチさん 耳が聴こえなくなったと言うと、「きっと作品が変るわよ」と、ベートーベンじゃあるまいし、変なことおっしゃると、その時はそう思いましたが、本当に変ったんです。その変り方が理に適(かな)っているといえば適っている。つまり聴こえないことは、音の輪郭が失くなることです。そうなると音が朦朧(もうろう)となって、横山大観の朦朧体の絵のように音がボケて聴こえるんです。耳がボケると、日常生活もボケて、曖昧模糊(あいまいもこ)となって、したことと、してないことの区別もわからなくなるんです。つまり虚実の区別ができなくなって、夢で見た仕事の依頼を、本当に依頼されたと思って、やっちゃったりするんです。ボケの症状に似てるけれど、ボケ老人になったんではなく耳のせいだと理解しているので、そこはまだ理性がコントロールしています。 ハイ、絵の話だったです。大観は思想で朦朧体を描きましたが、僕はスジ金入りの肉体的朦朧体なので、思想のようなチョロコイ考えではなく、肉体的ハンデキャップによる堂々たる自然体派です。大観よりこっちの方が本格派です。そんなわけでセトウチさんの大予言は的中しました。 先っきも言いましたが境界線が失くなるということは自由のキャパシティも拡張したことになります。近代人は何でもかんでも境界線を引いて、全てを分業化します。縄文時代はひとりの人間が、多面的に物事をこなしていました。狩猟(しゅりょう)も農業も、漁業も工芸も、子育ても、教育もひとりでするという、境界線をはずした労働生活です。現代のような役割分担などしません。正に多義的です。越境した狩猟社会です。 難聴が与えてくれた神の恩寵です。だから病気の高徳です。僕が度重なる病気によって救われてきたということはこういうことです。神は人間に色々な苦難を与えますが、病気は罪ほろぼしでもカルマ落としでもなんでもないのです。人間の進化向上のためのカリキュラムだと思えばどうでしょう。難聴のほかに、腱鞘炎(けんしょうえん)にもなりました。もう、セトウチさんの「幻花」のような繊細(せんさい)な描写の絵など描けません。今は太い筆やハケを握りしめて、キャンバスにバンバン叩きつけるように描いています。それも痛いので、左手で描きます。左手は思うような形が取れません。幼児の絵より下手くそになります。でも、デュビュッフェは幼児の絵のマネをして、幼児風に描きますが、そんな意図的なことをしなくても、僕の左手はそのまま幼児以上に下手に描けます。これもハンデキャップから来た自然体です。 今書いている手紙では、前にも同じことを書きましたかね。境界を越えると時間差もなくなって、やったことと、やらないことの区別がわからなくなるのです。いよいよ本格派老人です。100歳老人のセトウチさんにも負けていません。ただ僕はセトウチさんのように年齢には拘っていません。拘っているのは他人の方で、今行っている展覧会では「85歳、85歳」と年齢を売り物にされています。歳のことは言うな! アーティストには年齢はないのです。昨日の続きが今日、今日の続きが明日です。原始社会では年齢など無関係です。アーティストは原始人です。■瀬戸内寂聴「私もヨコオさんに負けないように!」 ヨコオさん 何だか、ずいぶん久しぶりにこの往復手紙を書いているような気がします。 それにしても相変わらずコロナは豪勢を極め日本はおろか、世界的にその力を奮っています。 コロナのせいで、人に会えず、寂庵はずっと門を閉めっぱなしです。コロナになる前はもちろん、一も二もなく門内に入ってもらっていました。 大抵遠く九州や東北から来られた人で、まだ生きている私に逢えたと言って、抱きついて泣き出します。もちろん、私は丁寧にお迎えして、写経などしてもらい、お茶菓子を一緒に食べて、しばらくその人のお話を聞きます。つきあいの人もあれば、寂庵の信者を自称する人もあり、初めて門内に入ったという人もいます。「まさか、門内に入れてもらえると思わなかった」と泣き出す人もあれば、「生きている寂聴さんに逢えた!」と、子供のように足を踏み鳴らす人もいる。「とても百歳には見えない!」と誰もが感嘆してくれるが、終日ベッドに横になり、本ばかり読んで、一日を過ごしている私の毎日の状態など話せない。私は、人に逢っている間だけは、必死になって元気らしさを演じ、声を張り上げる。客の帰る時は、長い廊下の途中で、へばってしまい、さっさと歩く客の跡がおえない。 ──だって百だもの……──と、私は廊下の途中で、ペシャンコに座り込み、つくづく、自分に向かって言う。 食事だけは時間が来ると、しゃきっと体がのび、食卓の自分の位置に早々と座り込んでいる。「あら、お昼はもう召し上がりましたよ!」 スタッフの一人が、わざと大きな声を張り上げる。「私のスパゲティは、どうしてこんなに美味しいのだろうなんて、お世辞までいただいて」「そうよ、ほんとに! でも今ここに座ったのは、食べるためでなくて、眞子さんの結婚をどう思うかって、寂庵で一番若い二十七歳のP子の意見を聞きたいのよ」「ああ、眞子さん、ほんとに、よかったですね。大体、みんなあんまりこの結婚に意地悪すぎましたよ。でも、どうして一時金を眞子さんは辞退なさるのかしら? 貰う権利のあるお金でしょう? あんまり弱気にならない方がいいと思うけど……」 ヨコオさん、今、寂庵の中は、こんなにのんびりしています。耳が聞こえないのは、私も同然です。テレビの時なんか、びっくりするほど大きな声にしてくれるので、何とか会話が出来ています。鶯も、秋の夜の虫の音も、私の耳にはさっぱり聞こえません。ヨコオさんとTELしてるのを横で聞いてる人があれば、どんなにおかしいでしょうね。耳だけでなく体のあちこちがどしどし衰えてきます。 そのうち、きっと、自分の死んだこともわからなくなって、──ヨコオさんにTELして!──など叫んでる日が来るのでしょうね。でも目がよく見えているので、一日に二冊は厚い本を読み切っています。ヨコオさんの展覧会、ますます人気上昇でおめでとうございます。私もヨコオさんに負けないよう、あっとこれまでと変わった小説を二つくらい書き残して死にたいものですね。 では、また。※週刊朝日  2021年9月17日号

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    小林麻耶が離婚へ 夫から解放されても修復が難しい「海老蔵一家」と「TBS」

     今年3月から別居状態にあった小林麻耶(41)と夫の國光吟氏(37)が離婚に向けて協議を始めたという。7月1日発売の「女性セブン」によると、当初は麻耶自身も別居が一時的なものになるか、離婚への準備期間となるかはわかっていなかったが、周囲のサポートもあり自分の意思で結論を出す段階に入ったようだ。 2人が結婚を発表したのは2018年7月。出会って2カ月、“交際ゼロ日”での電撃婚は周囲を驚かせたのはもちろんだが、國光さんの行うスピリチュアル色の強いセラピーやカウンセリングなどに傾倒する麻耶を心配する声も少なくなかった。「それ以降の2人の行動といえば、まるで麻耶さんのマネジャーのようにどこへ行くのにも國光さんが同行し、次第に仕事場でも國光さんが口を出すようになったといいます。そして昨年11月に『グッとラック!』(TBS系)の電撃降板と所属事務所との契約解除があり、麻耶さんの彼への依存ぶりが心配され始めました」(女性誌記者) 一時期は麻耶が「洗脳状態」にあるのでは?などと心配もされたが、次第に2人の関係は冷めていったようだ。結局、3月には別居となったが、國光氏と距離をとった麻耶を誰よりもサポートして見守り続けたのは、麻耶の母親だったという。「お母さんの元に戻ってからは、麻耶さんも徐々にこれまでのことを冷静に振り返ることができるようになったそうですが、最も彼女の心を揺り動かしたのは麗禾ちゃん(9)と勸玄くん(8)の存在です。國光さんと結婚してからは、海老蔵さん一家とも以前のように頻繁に関わることがなくなり、あれほどかわいがっていた子どもたちともここ1年ぐらいは会っていないといいます。お母さんは、麻央さんの闘病中には麗禾ちゃんと勸玄くんの面倒を見て家事一切を取り仕切っていました。お母さんから伝え聞く2人の様子やYouTubeで見る成長ぶりに会えない辛さが募ったのでしょう。そんな麻耶さんの異変に気づいて、お母さんはメンタル面も含めてフォローし続けているそうです」(同前) だが、仮に離婚が成立したとしても、今後の麻耶の状況が元通りになるかといえば、「すぐには難しいかもしれない」と芸能ジャーナリストは話す。「まずは麗禾ちゃんと勸玄くんとの関係です。麻央さんの闘病中はお母さんと共に彼女もよく面倒を見ていて、子どもたちも懐いていましたが、海老蔵さんが現在の状態のまま、麻耶さんと距離をとり続けるのであれば、以前のような家族ぐるみの関係に戻るには時間がかかるでしょう。海老蔵さんはこれからは『十三代目市川團十郎白猿』と『八代目市川新之助』の襲名披露公演も控えていますから、あまり“雑音”は入れたくないのではないでしょうか」 また、広告代理店関係者は麻耶の復帰をこう心配する。「いずれ麻耶さんも仕事復帰を考えているでしょうが、義理を欠くようなことをしてしまった古巣のTBSや前の所属事務所からのバックアップは期待できないでしょう。それ以上に、はたしてタレントとして需要があるのかも疑問です。國光氏とのお騒がせカップルのイメージがまだ根強く残っていますから、CMや司会などで起用するのは厳しいのでは」 麻耶はこの日、自身のブログを更新したが、離婚報道には言及しなかった。“目が覚めた”麻耶が目の前に待ち受ける新たな壁に気づき、それを乗り越えた時に、彼女は本当に自由になれるのかもしれない。(宮本エミ)

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    陰謀論を信じる母に悩む28歳女性に、鴻上尚史が明かした「カルト宗教にハマった友人の洗脳を解いた」過去

     SNSを通じて陰謀論に傾倒するようになった母を心配する28歳女性。母を説得しても効果がなく「正直、負担」と悩む相談者に、鴻上尚史が語る「カルト宗教を信じる友人を洗脳から解いた」その後。【相談113】母が1年ほど前から、SNSを通じて陰謀論の世界に入りこみ始めました(28歳 女性 じーこ) 私の悩みは、母(50代前半)が陰謀論に傾倒していることです。 母は1年ほど前から、SNSを通じて陰謀論の世界に入りこみ始めました。人の思想はそれぞれなので、陰謀論を信じること自体を否定しているわけではありません。 ただ「今まで教わってきたことはすべて嘘だった」と言ったりして、世の中の現在や過去の出来事を陰謀論に結び付けている意見を疑いもせず信じているように見えます。そして、それはとても危険なことだと私は考えています。物事を批判的な目で見て、自分で考えるきっかけになっているのであれば良いのですが、そうではないので。このままだと将来、今より年齢を重ねたときに何かトラブルに巻き込まれてしまうのではと心配しています。 母は現在、私の父(50代前半)と2人で暮らしています。フルタイムで長年働いていましたが、数年前に仕事を辞め現在は専業主婦です。子供3人(私、弟2人)は全員独立しています。私や弟たちに陰謀論者から得た情報をメールで伝え、気を付けるように促してきます。母としては、親心から子供たちに正しい(と考える)情報を伝えようとしているのだと思いますが、私と弟たちはそのような状況にある母を心配しています。 父は、仕事がシフト制のため母と生活リズムが合わないこともありますが、会話自体も少ないようです。父は母の行動に対して特段何か言っている様子はありません。 私は、母親が陰謀論に傾倒し始めたのは時間が有り余っていることと、なんらかの孤独を感じているからだと思います。スマートフォンでSNSを見ながら過ごしているようで、そこから陰謀論の情報を得ています。仕事を辞め、自由な時間がたくさんある中で、特に周囲に友達もおらず父とも会話が少ない。かつ、母は元々外に出るのを億劫がるところがありましたが、このコロナ禍で拍車がかかり、現在では自宅の庭に出ることすら躊躇う日もあると話していました。このままでは、長期的に見たときに、体力が低下し健康面でも不安があります。父の仕事がシフト制になったのも1年ほど前で、様々な要因が合わさって現在のような状況になっていると思います。 私は実家から新幹線を利用する距離に住んでいるため、母とは電話やメールで連絡を取り合っています。母と電話するときには出来るだけ話を聞き、母の意見を否定しないようにしています。その上で、矛盾点があるときは疑問を投げかけるなど、「物事を知ることは大切だけど、過剰になると良くないからほどほどにね」と出来るだけ間接的に母に陰謀論を客観的に捉えてもらえるように促していますが、現状効果はありません。毎回電話が1時間に及び、延々と陰謀論の話を聞き続けるのは正直、負担です。 話が脱線しますが、私が小学校低学年のときに母がとある新興宗教の信者をしていました。当時幼かった私は、母にその宗教の集まりに連れていかれ、なぜか分からないけども、その集会には行きたくなかったことを覚えています。 父が激怒した結果、母は集まりに行くのをやめました。 母のとある宗教への信仰と今回の件は、似ていると思います。信仰がある人を貶めているわけではなく、母が何か一つの意見へ傾倒しやすい性質があるのではないかと思うからです。 直接的に私や家族が諭しても、母は否定されていると思い意固地になりそうですし、このままにしていても悪化する一方だと思います。批判的思考や論理的思考を知ってもらう為に母に本を贈ることも考えましたが、母は本や漫画を読まないことを思い出し、やめました。 根本的な解決方法ではありませんが、母が自分のことで忙しくなれば陰謀論に接する時間が減ると思います。しかし、母は前述の通り引きこもりがちであり、パートであっても仕事を始める様子はなさそうです。 また父に対しても、母の夫としてなぜ何もしないのかと不信感を抱きます。 きょうだいで早くこの状況を何とかしないと、と話し合っていますが、効果的な解決方法を見出せずにいます。 鴻上さん、どうしたら良いでしょうか。【鴻上さんの答え】 じーこさん。本当に大変ですね。コロナ禍の不安な世の中で、じーこさんと同じ悩みを抱えている人は増えているんじゃないかと思います。「母のとある宗教への信仰と今回の件は、似ていると思います」と書かれていますが、僕はずっと陰謀論とカルト宗教に「ハマる」人は似ていると思っています。 そして、だからこそ、じーこさんの相談に、うまくアドバイスできるだろうかと心配しています。 僕は昔、友人を奪おうとするカルト宗教と戦ったことがありました。 僕が大学生の時は、カルト宗教と名乗らず、一般的なふりをしたサークルが大学にはありました。 映画を鑑賞して話し合うとか、ハイキングに出かけてレクリエーションを楽しむ、なんていうサークルです。そして、徐々に親しくなって、少しずつ「真理に興味ある?」「世界の本当の姿を知りたくない?」「本当の幸福について考えたことある?」と誘導していくのです。 やがて気がつくと、カルト宗教独自の世界観にどっぷりとハマって、この世界は間違いだらけで、でも人々は本当の姿に気付いてないと思い込むようになります。 そして、「真実」を知った自分は、一刻も早く多くの人々に伝えなければいけないと信じるようになるのです。 ね、じーこさん。陰謀論を信じる人ととても似ていると思いませんか? カルト宗教にハマる根本の原因は淋しさや不安で、それは陰謀論も同じだと僕は思っています。 そして、さらにのめり込む理由は、「使命感」と「充実感」です。 自分だけが知っている真理を世界の人々に伝えなければいけないという「使命感」と、活動を続けることで信者・仲間を獲得するなど、なんらかの手応えによる「充実感」が、カルト宗教と陰謀論を信じ続ける動機だと僕は思っているのです。 自分だけが知っている「世界の真実」を他人に語る時、「使命感」と「充実感」を感じ、ずっと苦しめられていた淋しさや不安、空しさは消えていきます。 ですから、冷静な論理的説得は意味がないのです。 僕は、カルト宗教にハマった友人に、必死で調べた「教義の論理的矛盾」や「教祖のスキャンダル」「集められた金の行方」を話しましたが、友人を説得することはできませんでした。 カルト宗教の側から、いくらでも説明(というかごまかし)が語られたからです。 陰謀論も同じです。どんな言い方をしても、陰謀論側から反論が生まれます。 最終的には、フェイクニュースをでっちあげればいいのですから、どんな論理的説得も論破できるのです。 カルト宗教も陰謀論も、論理的に説得しようとすることは、それを信じている人の不安と淋しさを増幅させるだけだと僕は思っています。結果的に信仰を強化することにはなっても、洗脳が解ける可能性は少ないでしょう。 カルト宗教から脱会させる一般的な方法は、まずは、カルト宗教と具体的に距離を取ることです。 カルト宗教に友人を奪われそうになった時、まず、僕がしたのは、友人を具体的に宗教団体から離すことでした。 カルト宗教側は、団体から離れることのマイナス面を熟知していますから、なんとかして信者を取り戻そうとします。団体で共に生活している限り、「使命感」と「充実感」を与えることができると確信しているからです。 ここが、陰謀論との違いです。 陰謀論がやっかいなのは、カルト宗教のように、「教会本部」という「離れる場所」が明確ではないことです。 じーこさんが書かれるように、SNSを通じて、いつでも信者はアクセス可能なのです。 ただし、カルト宗教と違って、陰謀論の場合は、陰謀論から離れようとする人を見つけ出し、連れ戻そうとする激しい動きは基本的にはない、と言っていいでしょう。 ただし、陰謀論を信じる人達が集まり、集団を作り、共に活動を始めてしまうと、カルト宗教と同じになります。 SNSでつながるだけではなく、現実の世界でも共に活動するようになると、陰謀論の世界から離れるのは、とても難しいんじゃないかと危惧します。 アメリカで議事堂を襲撃した人達の中には、ネットで出会い、現実でもつながったグループが多かったはずです。 そもそも、カルト宗教も陰謀論も、「充実感」を獲得するためには、「他人」が絶対に必要になります。 ハマればハマるほど、信じれば信じるほど、他人に熱心に「独特の世界観」を説きます。 それは、心のどこかに「独特の世界観」に対する「一抹の不安」があるからじゃないかと、僕は考えています。 どんなに陰謀論・カルト宗教の世界観を信じていても、心の深い部分で「本当にそうだろうか?」「あまりにも一方的すぎないだろうか?」という疑問が微細な泡のように浮かぶからこそ、必死に他人に教えを説くことで、泡の一つ一つを潰しているんじゃないかと感じるのです。 それは多くの場合、無意識の行為かもしれません。 でも、はっきりしているのは、熱心な信者になればなるほど、「伝えたい誰か」を強く求めるということです。 逆に言えば、「伝えたい誰か」が存在しなければ、熱心な信者であり続けることは難しいのです。 じーこさんのお母さんが、「毎回1時間の電話」をするのは、そうすることで自らの「信仰」を強化していると考えられるのです。 じーこさんや弟たちが、やがて長時間の電話に疲れてお母さんの話を聞かなくなったとしたら、お母さんは「充実感」を得るために、話せる「他人」を求めるでしょう。 陰謀論にハマることの問題点は、これです。アメリカの場合のような陰謀論グループに属していれば、仲間でお互いの「信仰」を検証し合いますが(だからこそ、自分の信仰を証明するために、暴力的な行動に出たりするのですが)、SNSで陰謀論を知り、現実では他人とつながっていない場合は、話せる「他人」を求めるようになります。 結果として、「独自の世界観」に驚いた近所の人達や昔の友達、つまり「世間」を失っていきます。 ただし、ここで陰謀論そのものを疑い始めるという可能性はあります。周りのあまりの反応の無さや無関心に、「陰謀論を信じることで、かえって淋しさや不安が増大すること」に気付く場合です。 ですが、反対の結果になることの方が多いかもしれません。「世間」を失っても挫けず、「社会」の人達、つまり、自分とはまったく関係のない人達に話し始めるという可能性です。SNSで発信を続けたり、何らかの運動に参加したり、戸別訪問を始める場合です。 じーこさん。ここから僕は厳しいことを書かないといけません。 カルト宗教にハマった友人を奪還するために、僕は徹底的に付き添いました。女性の友人でしたが、ハマった動機が淋しさや不安だと感じたからこそ、友人が淋しさや不安を感じないように、常に一緒にいようとしたのです。 カルト宗教の人達からは逃げ続けました。アパートに押しかけられたり、待ち伏せされたりすることを避けるために、友人に引っ越しを勧め、手伝いました。カルト宗教の人達と出会わないために、間一髪で、窓から逃げたこともありました。 そして、友人を安心させ、安定した気持ちになった時に、あらためて「教義の矛盾」を語りました。ゆっくり、ゆっくりと、僕がおかしいと思うことを話しました。 冷静な説得ではなく、温かい説得を続けたのです。 一週間ぐらいして、友人は話している最中、突然、号泣しました。それが、洗脳が解けた瞬間でした。論理的な説得が効いたのではないと感じました。ただ、僕といる温もりが最後の扉を開けたと感じました。 そして、友人は、カルト宗教ではなく、僕に依存するようになりました。僕達は話し合い、友人は東京近郊の親戚の家に住むことになりました。友人はそこから生活を立て直すことができました。 大学生だったから、ここまで友人とつきあえたのですが、正直に言うと、僕は疲れ切っていました。数カ月間、かなりの時間を友人に使っていたからです。 それからしばらくして、別な友人がまたカルト宗教にハマりました。 でも、僕はその時は、演劇を始めていて、忙しい日々を送っていました。 大切な友人でしたが、とても忙しくて、その友人の「不安と淋しさ」を埋める時間はありませんでした。 僕は一人の人生を救うためには、もう一人の人生が必要なんだと思いました。片手間ではカルト宗教とは戦えない。戦うなら、僕の人生全体を使う必要がある。 でも、僕には僕の人生があって、僕はこの友人のために自分の人生は使えない。それが、当時の僕の結論でした。 じーこさん。こんなことを書いてごめんなさい。でも、お母さんを陰謀論から抜け出させるためには、お母さんの不安や淋しさを丸ごと引き受ける必要があるだろうと僕は思っているのです。 それがどれほど大変なことか。あらためて書くまでもないでしょう。じーこさんや弟たち、父親の人生全体が問われるのです。 でも、陰謀論はそれぐらい手ごわい相手だと僕は思っているのです。 できる限り、家族全体で母親の「不安と淋しさ」を分担して引き受けるという方法があるかもしれません。 長電話をやめて、簡潔に対応するようにして、母親の変化を定期的に見るという方法もあるでしょう。「世間」を失うことで陰謀論から戻るのか。さらに進むのか。 ちなみに、僕が対応できなかった別な友人は、最後の最後、カルト宗教が用意したイベントに参加する直前、踏みとどまりました。そのイベントは、友人の人生そのものを決めるイベントでした。彼女はカルト宗教と引き換えに、自分の「世間」をすべて失うことを拒否したのです。 じーこさん。僕がアドバイスできるのはここまでです。じーこさんにはじーこさんの、弟たちには弟たちの、父には父の人生があると思います。その中で、どれだけの時間とエネルギーをお母さんに使えるかは、それぞれの人が決めることだと思っているからです。 じーこさん。切なくて苦しくて本当につらい戦いだと思いますが、心から応援します。■本連載の書籍化第3弾!『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』が発売中です!

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    刑期を終え“銭湯のオヤジ”になった柔道元金メダリストの内柴正人「五輪直前、高藤直寿から相談受けた」

     東京五輪もいよいよ大詰め。今大会では日本柔道チームが五輪史上最多の9個の金メダルを獲得するなど、目覚ましい活躍を見せた。 そんな後輩たちの活躍を、熊本県八代市内の銭湯の従業員として、テレビ越しに見守る金メダリストがいた。男子柔道66キロ級で、2004年のアテネ・08年の北京と2連覇を果たした内柴正人氏(43)だ。 内柴氏は現在、銭湯「つる乃湯 八代店」に勤務。“あの事件”を機に柔道界を遠ざかり、栄光と挫折を知ったアスリートは、新たな人生をどう歩み、後輩たちの活躍をどう見たのだろうか。「日本開催で金ラッシュは嬉しいです。凄いとしか言いようがない」 後輩たちの活躍について、内柴氏は嬉しそうに感想を語る。「皆が五輪を見れるように」と、自宅にあったテレビを銭湯の休憩スペースに設置した。ディスタンスを保ちつつ、常連客やスタッフらと観戦することもある。「これだけ多くの階級で金メダルを取れるというのは、歴史的にもないこと。個々の強さもありますが、一人一人の力を引き出すチームジャパンの監督も見事ですし、チームの雰囲気も良かったのだと思います」 当初は五輪観戦に対して、心に壁のようなものがあったという。職場の上司からも、「いろいろなことがあったし、お前は大会を見るのも嫌だろう」と気遣われた。「どうしても、『戦いたい』と思ってしまうんです。引退した選手は誰もが思うことかもしれませんが、普通は引退したら、指導者をやりながら大人になっていきます。僕は指導者としての時間がとても短く終わってしまったので、まだ子供のまま。五輪の舞台はもう僕が入れない世界ですから、モヤモヤをコーチとして選手に託すこともできない」 2連覇の功績が認められ、内柴氏は紫綬褒章を2度受勲するなど、数々の栄誉に輝いた。だが2011年、教え子だった女子柔道部員への準強姦容疑で警視庁に逮捕され、事態は一変。「合意の上」として裁判で争ったが、14年には最高裁で上告が棄却され、懲役5年の実刑判決を受けた。この件によって数々の栄誉賞ははく奪され、五輪2連覇の男の名声は地に落ちた。内柴氏は過去を振り返り、後悔をにじませる。「反省するべき点ばかりです。自分が起こしたことの悪い部分は反省して、裁判で結果が出た以上は、最後までまっとうしようと。実家の父や家族についても、しつこくカメラに追い回されて憔悴していましたし、たくさん心配をかけたと思います」 事件を機に、地位やお金、離婚で家族も失った内柴氏。精神的にも追い詰められ、うつになって薬を飲むこともあったという。刑務所での服役中は、紙に柔道に関する思いを書き連ねて過ごした。そうしないと、自分を保てなかったからだ。「自分の柔道は終わったというのは分かっていたんですけど、当時の僕には柔道のほかに経験や知識がなかったので、新しいことを考えることもできず……。柔道のことを書きなぐること以外に、自分を保つ方法がなかった。吊り手の位置から、膝の使い方、腰の角度まで、技を全部分解してみたり、柔道で感じたことや身に付けたことを自問自答したりして、すべて文字に起こしてました。それでどうにかこうにかって感じです」 17年の出所後は、もう一度自分の人生を立て直すことに目を向けた。「健全な精神は肉体から宿る」の考えにのっとり、たとえ柔道ができなくても体を動かすことをしようと、「柔術」のジムに弟子入り。師範の家に住み込み、トレーニングに打ち込んだ。そこでキルギスの柔道連盟の関係者に出会った縁で、18年7月から19年12月まで、キルギス柔道連盟の総監督として指導。異国の教え子を率い、世界選手権に進出した。「帰国後に、格闘技イベント『RIZIN』に誘ってもらったこともあったのですが、スポンサーから許可がおりないといった事情があって、思うように活動できなかった。そんな時、今勤めさせてもらっているお風呂屋さんの社長に、『地元に貢献できるお風呂屋さんで、一社会人として勝負しませんか』と声をかけていただいて。そのお風呂は自分が現役時代から使っていた場所で、愛着がありました。実家を離れて東京で長く暮らしてきたので、熊本で年老いた父と過ごす時間を大切にしたかったし、地元での暮らしも良いんじゃないかと」 現役時代は柔道ばかりで、前妻にはたくさん苦労をかけたという内柴氏。今は新たな妻と1歳の子供がいて、地元で家族と一緒にいる時間を大事に過ごすようになったという。ただ、40代にして“異業種中の異業種”ともいえる銭湯での社会人デビューは、苦労の連続だった。「『いらっしゃいませ』と言う経験がなかったので、自分にできるのか不安でした。あとは、損得勘定も一から勉強して。一から学ぶのが大変だったんですけど、新しいことができるようになるのは楽しいですね」 仕事における師範は、社長と本店のマネージャーだ。ボイラー技士2級と危険物取扱者の資格も取得。モーターなど機械の不具合があれば分解し、まずは自分で直せないか試みる。「一生懸命修理して、次の日の朝、自動運転でお湯が湯舟に入っていく姿を見ると、感動するんです。それこそ、柔道時代に苦労していた減量に成功した時と同じくらい嬉しい。普通に働くことのすばらしさを実感しています」 働きぶりが認められ、現在は八代店の店長として1店舗を切り盛り。売り上げを計算し、スタッフのシフトを作り、人が足りないところには自分が入り、機械が壊れれば修理もする。いわば何でも屋だ。 内柴氏の方向転換には、家族の反対もあった。「妻をはじめ家族は今でも、僕には『柔道にこだわって、いけるところまでいってほしい』と言ってくれるんです。銭湯に就職する時には全く違う分野だったので、なんで?と残念がられて。指導者として柔道に関わってほしいというのはひしひしと感じます」 それでも銭湯で働くことを選んだことには、こんな思いがある。「今は自分で働いて力をつけていく時期。生活の基盤さえしっかり作って誰にも文句言われないぐらいしっかり仕事を頑張れば、だんだんと社会に受け入れてもらえるようになる。環境は、自分の頑張り次第で作っていけると信じてやっています」 そんな内柴氏は、東京五輪で活躍する後輩たちをどう見たのか。五輪開催前の6月末、60キロ級で金メダルを獲得した高藤直寿選手から「五輪、是が非でも取りたいので相談させてもらってもいいですか」と連絡を受けた。「1度会って30分ほどのスパーリングをし、組んでみて感じたことをアドバイスしました。例えば、待っている時間が長いように見受けられたので『得意技があるのはわかるけど、自分からプレッシャーをかけて試合全体の流れを自分から作ったほうがいいかもよ』といったことです。あとは、1度タイトルを取るとコーチから『チャンピオンなんだから』と、アドバイスをもらう機会は少なくなりがち。僕自身も孤独になった経験をしました。そこで、コーチに自分がどういう練習をしたいかを伝え、試合の時にコーチにかけてもらう言葉の内容まで、自分から提案するようにしていたんです。そうした自分の経験を伝えました」 高藤選手の戦いがどうしても気になってしまった内柴氏は、五輪への心の壁はありつつも、テレビをつけて観戦した。画面越しの高藤選手は、決勝戦で台湾の楊勇緯選手との延長戦を粘り強く戦い抜き、60キロ級で今大会第1号となる金メダルに輝いた。「高藤選手の活躍が、僕の五輪への拒絶心、壁のようなものを払しょくさせてくれました。おかげで今大会は、本当に五輪を楽しむことができています。五輪経験者でタイトルを取った僕が五輪を楽しまなかったらどうするんだという気持ちになれたんです」 今は仕事に励みつつ、グラップリングルールを採用した(打撃を禁止とし、投げや関節、絞め技などの組み技のみ有効とする)格闘技イベント「QUINTET」に出場しながら、グラップリングと柔術の経験を積んでいる。柔術は、始めて3年で茶帯だ。「柔術とグラップリングに関しては、素人に毛の生えたようなもの。柔道では相手の心の中が見えることもありましたが、柔術とグラップリングに関しては、一手先・二手先までしかわからない。でも、柔道で学んだ教わり上手は生きています」 才能のある次世代選手が次々と輩出される柔道界。柔道に対して未練はないのだろうか。「もちろん柔道はやりたいですが、僕が表に出ると目立ってしまいます……。今は週に1度、地元の大学生に教えるくらいです。日本では難しいので、もしも柔道を諦めきれなくなったら、もしかしたらまた海外に行ってしまうかもしれないですが、それは0・2%の可能性の話。メダリストにとって、現役引退後は日本の柔道トップ選手を育てるのも一つの夢かもしれないですが、今は仕事を頑張りつつ、新しく始めた柔術・グラップリング、それに柔道の3競技で、地元の方々と関わりたいという目標にシフトチェンジしました」 当初は自分が社会に出ることを許すだろうかという葛藤があった内柴氏だが、今では地元の支えを感じている。「QUINTETに出るようになってから、顔なじみのお風呂の常連さんが応援してくれますし、店舗スタッフのみんなが僕のトレーニングの時間を作るためにシフトを融通してくれることもあります。店舗の一角で練習しているんですが、そこに柔術のジムの先生や、大学の柔道部の学生などが集まってくれて、一緒に汗を流してくれます。地元の支えがなければ、僕は立ち直れていなかったと思います。阿部一二三選手がチャンピオンになって感謝の言葉を述べていましたが、僕も熊本県の皆さんやいろんな方々に本当に感謝して、一日一日を過ごさせてもらっています」 地元の支えもあって、かつての金メダリストは第二の人生を歩み始めている。五輪の後輩たちの活躍は、そんな彼の活力源になっているようだ。(取材・文=AERA dot.編集部・飯塚大和)

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    手越祐也に単独インタビュー「テレビ無料でもでますよ」

     2020年6月にジャニーズ事務所を退所後、YouTuberやミュージシャンとして活躍する元NEWSの手越祐也(33)。ジャニーズ事務所退所の記者会見と同時にスタートしたYouTube「手越祐也チャンネル」は、現在、登録者数が162万人の人気チャンネルに成長。ソロアーティストとしての音楽活動も本格的に始動し、今年8月には、6カ月連続となるデジタル・シングル・リリースの第2弾「ARE U READY」の配信がスタートした。その手越がAERA dot.の取材に応じ、退所後の1年間、テレビに対する思い、今後について語った。 *  *  *――独立から1年。振り返って、ジャニーズ事務所退所の判断は正しかった?100%、正しかったと言い切れます。あのタイミングしかなかったと思います。――昨年10月のインタビューでは「エンターテイナーになりたい」とお話しされました。その気持ちは変わっていませんか?同じです。もう、やりたいことがめちゃくちゃたくさんあって、今後がものすごく楽しみです。経営者として会社を大きくしたいですし、表現者として応援してくれる方たちを笑顔にしたい。そして日本の芸能界をキラキラした夢のある世界にしたいというのが最大の目標です。――以前よりも発言が個人よりも全体を俯かんしたものになっている気がします。独立前から芸能界だけの付き合いだけじゃなく、他業種の人との交友関係を大切にしてきました。彼らは5年後、10年後の未来を見据えて話をするので、何を話しているのかわからなかったこともありましたが、しだいに自分にとって刺激的な関係になっていきました。そうした時間を共有するなかで、「このままだとエンタメは世界に取り残される」という危機感を感じるようになり、それから自分自身ことを客観的に見つめたり、芸能界の行く末を考えたり、日本だけではなく世界を視野に入れた見方をするようになったんです。――芸能界を変えるために「裏方」に徹することも考えていますか? そもそも僕は目立つために芸能界に入っているので(笑)。だから表から退くことはありません。ステージに立つことは最高に幸せなことだし、YouTubeも楽しいし、ずっと笑っていられているので。――独立前はテレビの世界で大活躍でした。独立後はほとんど出演していません。なぜでしょうか?いろいろと事情があるんだと思います(笑)。独立してから、民放キー局からのオファーはありません。もちろんオファーがあれば出演して全力を尽くしますが、一方でこの1年間テレビに出ていなくても経営という面では全く問題はない。だから出演料が厳しいという事情があったりしたら無料でも出ますよ。 ――大手事務所から独立した芸能人の受け皿になるという考えはありますか?もちろん考えています。でも、僕がエンターテイナーであることは変わりませんので、表舞台から退くことはありません。だから両方やります。受け皿としてやるのであれば必ずタレントファーストにしたい。事務所があるからタレントは儲かるのではなく、タレントがいるから事務所は儲かるというのが大前提になります。金銭面についても方針についても事務所が原因でタレントが悩んでいるという事例が多い。僕だったらタレントが事務所を辞めなくてよいくらいの自由と収入を与える。それが事務所にとっての利益に繋がる。そういう面ではYouTuberと事務所との関係性に近いと思います。――YouTubeに「手越祐也チャンネル」を開設して1年が経ちました。YouTubeは、あいかわらず楽しくやっています。ただ、僕は純粋なYouTuberではないので、視聴回数や収益を稼ぐことが最重要事項になることはありません。僕やスタッフ、そして視聴者が楽しんでくれることが最優先です。そうした方針のもと、これからは音楽活動にも力を入れていきます。一番の持ち味であるボーカルや音楽の部分をもっと見たいと思ってくれているファンはいますし、そのほうが満足度の高いチャンネルになると思います。――今後について教えてください。独立して、今までできたことができなくなったこともあれば、その逆もあります。比較すると、差し伸べてくれる手は独立前よりも多い。そこには足元を見る人もいるので見極めは必要ですが、「こんな世界があるんだ」と新発見がいっぱいある。7月7日から始まった6カ月連続のシングル曲のリリースが大きな音楽活動のスタートになる。「みなさんの前で歌いたい」という気持ちはものすごくあるし、やりたい。コロナでなかなか難しい状況ではありますが、年内には生で歌う手越をみなさんにお見せしたいと考えています。この1年は僕だけでなく応援してくれているファンにとても怒涛の1年でした。本当に感謝しかありません。本当に頭が上がりません。ここまで信じて僕と付き合ってくれるんだから、たぶん一生離れられない関係になれたと思います。そういう人たちのためにも、そして自分自身のためにも刺激的な活動を続けていきます。(AERAdot.編集部) ■この動画の記事を読む

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    韓国アイドルが日本語タトゥー「ノージャパンじゃない」発言に心配の声

     韓国ガールズグループ・AOAの元メンバーで女優クォン・ミナ(27)が日本語で書かれた背中の「日本語タトゥー」を公開し、波紋を呼んでいる。 クォン・ミナは12日、自身のインスタグラムに「毒と得、そして奇跡」というコメントと共に写真を投稿。背中を大きく開いた写真には、英国や数か国語のデザインでタトゥーが刻まれている。その中に、日本語で刻まれたタトゥーも。クォン・ミナは「私はノージャパンでも、ノーチャイナでもありません。どの国に対しても偏見はありません。韓国で私を応援してくれる方々、韓国から近い国や遠い国など、たくさんの国から応援してもらって生きる人間です。みんなに感謝しているし大好きです」と説明。「日本語も、英語の筆記体も、漢字も、背中などにたくさんの言語で(タトゥーを)彫りました。私たちの国が最も誇らしく思い、愛していても、色々な国の個性とマインドから学ぶ点も多いと思っています」と綴った。そして、「写真を見て不愉快になられたかもしれませんが、私にまったく同じマインドを望むのは申し訳ありませんが、個人の自由だと思います。ご理解頂きたいです」と付け加えた。 クォン・ミナは12年にガールズグループAOAのメンバーとしてデビュー。清純派の美貌で人気を集めて女優としても活躍し、人気ドラマに多数出演した。19年にAOAを脱退すると、昨年7月にAOAのリーダー・ジミンからグループ在籍時に、10年間にわたりいじめに遭って鬱病は不眠症に苦しんでいたことを告白して大きな反響を呼んだ。また7月29日に自殺未遂で病院に搬送され、一時意識不明に。容体が回復して意識を取り戻し、SNSでの活動を再開している。「日韓の問題はデリケートです、別のメンバーですが、AOAは以前に韓国のケーブルテレビに出演した際、人物の写真を見て名前を当てるクイズで、安重根の写真を見て豊臣秀吉、伊藤博文などと答えたことにネット上で批判の声が殺到し、謝罪に追い込まれました。また、シングル曲『Good Luck』のミュージックビデオでは日本車が映っていたため非難が殺到し、トヨタとホンダのエンブレムにボカシを入れた。クォン・ミナの今回の日本語のタトゥーに対してもよく思わない人がいるでしょう。まだ心身が本調子でないので、精神的に追い詰められなければいいのですが…」(韓国駐在の通信員) SNS、ネット上では、「こんな発言して大丈夫?大炎上バッシングの対象にならない?心配ですね…。個人的には素晴らしい勇気と覚悟は称えたいけど…(原文ママ)」、「そもそもAOAというグループ自体、過去に韓国内で複数の日韓議論に巻き込まれた経緯がある。それ以降にグループ内のイジメ問題などもあり、ミナは心身ともに相当疲弊しているはず。今回のことでさらに叩かれないと良いけど。そしてインターネットから一旦離れたほうが良いと思う(原文ママ)」など心配の声が。 クォン・ミナには韓国だけでなく、日本を含む世界中に多くのファンがいる。自殺未遂が報じられた際は、日本のネット上でも心配の声が多く寄せられた。自身のインスタグラムで日本語タトゥーを公開したことで、心身にストレスがかかる事態にならないことを願うばかりだ。(牧忠則)

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    ハリウッド女優・忽那汐里が語る母への思い「アジア人差別、アイデンティティークライシスも…」

     2007年にドラマ『3年B組金八先生』で女優としてデビューし、数々の話題作に出演している女優の忽那汐里さん(28)。近年は活動の場を海外へ広げ、18年には映画『デッドプール2』で本格的なハリウッドデビューを果たした。グローバルな活躍を続ける忽那さんに、女優としての覚悟、家族への思い、今後の「野望」などを聞いた。*  *  *――オーストラリアで生まれ、14歳で日本に移住しました。日本語はどこで勉強したんですか?毎週土曜日に日本語の補習校があって、そこで勉強しました。ただ家では英語禁止だったんです。両親も日本人ですし、日本語と触れあう機会は多かったと思います。それでも、仕事をする上では難しい部分もありましたので、母と二人三脚で台本に振り仮名を書いたりしていました。母のサポートなしでは難しかったと思います。――環境の変化による苦労はありましたか?14歳という多感な時期に環境の変化があったのはすごく大きかったと思います。自分で客観的に感情を理解して、消化することができない年齢だったので戸惑いました。稀にですが、オーストラリアではアジア人として差別されたこともあって、「自分はアジア人なんだ」「日本人なんだ」って意識する機会が多かったんです。でも、いざ日本に来ると同級生との考え方とか価値観がまったく違う。若いうちからアイデンティティークライシスみたいな感覚は感じていました。――そうした環境で学んだことはありますか?今は自分の中で両方の文化が共存していて、いろんな視点で物事を見て感じとれるようになっていると思います。それは海外で仕事をする時にも、ちょうどバランスよく、うまく使えているんじゃないかなと。いろいろな国で仕事をするようになって、「日本人ほどまじめに仕事に向き合う人種はいないな」と感じます。そういう環境で仕事のベースを学ばせてもらえたのは、私の強みになっている気がします。――海外で勝負をしようと決断したのはなぜですか?実は、「ハリウッドに行きたい」と強く願っていたわけではないんです。日本で仕事をしていた後半の頃、海外の作品に出演する機会が増えて、台湾のホウ・シャオシェン監督やトルコとの合同作品に出演しました。16年に、ウェイン・ワン監督の『女が眠る時』という映画に出演したんですが、その時、ウェイン監督から「日本人でそんなに英語が話せるし、今はすごくいい時期。海外に挑戦したらいいと思う」と助言をいただいたんです。そこから徐々に扉が開いていった感じです。 ――19年に所属していた事務所を退社しました。その当時のことを教えてください。私は映画がすごく好きで、作品に対しての思いがすごい強いんです。とてもこだわっていたので、退社前の後半の方は、全部自分で作品を選ばせてもらっていて、事務所も自由な環境を与えてくれました。ただ、やはり徐々に目指す方向性だとか仕事に対する考え方などにずれが生じ始めました。もちろん私も、日本での活動を続けたいという思いもありましたが、「アメリカでオーディションに受かって、地に足を付けて仕事をしていきたい」という思いが強かったので。――不安はありましたか?不安はなかったです。そもそも数年はオーディションに受からないだろうと覚悟していました。「最初の2、3年はそのつもりでやるしかないな」と。最初はオーディションに全然受からず、現実を突きつけられて、「やっぱりそんなに簡単なことではないんだな」と感じることもありました。でも、挑戦したい思いは私にとって譲れないものだったので、「目標を忘れないこと」を常に自分に言い聞かせることでモチベーションを保っていました。――これまでにオーディションはどのくらい受けましたか?数十本……百本は超えていないと思います。――実際に海外の作品に出演して違いを感じたことはありますか?圧倒的に撮影時間が長いです。日本だと、監督のビジョン、カット割りに沿ってなるべく少ない回数で撮影していくのが主流ですが、アメリカは最終的に編集で作品を作っていきます。編集で方向性をいくらでも変えていくので、最初から最後までいろんなパターンでたくさん撮ることになります。初めは体力的にもメンタル的にも、本当に大変でした。あと海外ではキャストの方や監督と食事をするキャストディナーという習慣があります。19年にNetflixで公開された『マーダー・ミステリー』の時、遅刻しそうになってしまって、なんとか時間ピッタリに着いたんですが、誰もまだ来ていなくて、2,30分間ひとりきりでした(笑)。 ――日本で活動を始めた頃は、「母と二人三脚だった」と話されましたが、グローバルに活躍する女優に成長した娘をどのように受け止めているのでしょうか?実は、最近初めて母が褒めてくれる機会があって、とてもびっくりしました。――初めてですか?母は「今まではなかなか役者として見ることが難しくて、役者というより自分の娘だっていう感じだったのが、最近はちょっと変わってきた」と話していました。最近になってやっと安心できるようになって、娘を女優としても見られるようになったのかもしれません。どんな作品に出演したとしても、母は一番に感想を聞きたくて、褒めてもらいたい存在です。――他の家族の反応はどうですか?弟は私が出ている作品をまったく見ていないと思います(笑)。でも、マーベル作品がすごく好きなので、『デッドプール2』に出演した時はとても喜んでくれました。『デッドプール2』は日本でプレミアがあって、主演のライアン・レイノルズさんが来日されました。彼はとても気さくな方で「この後空いてる? 誰か家族とか友達とか呼びたい人がいたら呼びなよ、ご飯食べよう」って誘われたんです。関係者の方もいるのかなと思って、レストランに弟と母を呼んだんですが、ライアンが1人で待っていて驚きました。そこで4人で食事をして、その時は本当に感謝されました(笑)。――仕事だけでなく人生において大切にされていることは何ですか?仕事においては後悔しないことです。それは、大きい目標であっても、毎日の目標であっても同じです。悩むだけ悩んで後悔のない選択ができれば、最終的に結果がよくなくても、納得できる。これは大事にしています。あとは、本当に単純ですが、素直でいること、誰に対しても平等に接することです。私もアメリカで他のキャストの方に優しく接してもらってきたので、自分もそうしたいと思っています。――最後に、今後の目標を教えてください。今までと同じように目の前の目標に向かって挑戦し続けようと思っています。そして、大きな野望を言うと、みなさんに「これが代表作だよね」って認識してもらえるような海外作品に、いつか出演できたらいいなと思います。(聞き手:AERAdot.編集部 大谷奈央)

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    初代バチェラー・久保裕丈、薄暗い倉庫で地道に作業…新ビジネスは儲け薄?

     かつての起業家が「意思ある投資家」として、次世代の起業家を育てる。そんな循環の中心にいる人々に迫る短期集中連載。第1シリーズの第4回は、家具や家電を定額で貸し出す「CLAS(クラス)」代表取締役で、「初代バチェラー」でもある久保裕丈(40)だ。AERA 2021年9月13日号の記事の1回目。 *  *  * 「日本一、薔薇(ばら)とシャンパンが似合う起業家」に会うため、東京都江東区新砂に向かった。  東京湾を埋め立てた広大な土地には倉庫や工場がずらりと並ぶ。アマゾンや楽天といったネット通販が急伸し、倉庫の増加も凄(すさ)まじい。シンガポールの物流系企業GLPが運営する「新砂2号棟」もその一つだ。  8月上旬のよく晴れた朝。まだ9時というのに外は猛烈な暑さだ。貨物用の巨大なエレベーターを5階で降りると、天井まで届きそうなラックにソファや椅子や冷蔵庫や洗濯機がうずたかく積まれている。その裏ではヒューンという機械音が鳴り響き、何かを削っているようだ。倉庫内は30度を超す。事務机が並ぶ一角では業務用の巨大な扇風機がうなりを上げている。 「おはようございます。早くからすみません。昼になると、ここの暑さはちょっとヤバいんで」 ■初代バチェラーに抜擢  その男が現れた瞬間、薄暗い倉庫の中でその場所だけがパッと明るくなった。扇風機が運んでくる潮風を顔に受け、長い髪を軽くかき上げる。明らかに「見られること」を職業とする人の所作だった。非常階段の向こうに見えるヨットハーバーの方がはるかに似つかわしい。  久保裕丈(40)。家具や家電を「月額いくら」で貸すサブスクリプションサービスを手がける「CLAS(クラス)」を2018年に立ち上げた創業社長だ。動画配信サービス「Amazonプライム・ビデオ」の恋愛リアリティーショー「バチェラー・ジャパン」の初代バチェラー(独身男性)と紹介した方が分かりやすいかもしれない。  この番組は社会的地位を確立した才色兼備の独身の元に集まった25人の異性が、2カ月にわたって非日常的な空間でゴージャスなデートを繰り返し、誰がバチェラーの心を射止めるかを競う。毎回のデートの最後にある「ローズセレモニー」で、薔薇を渡された異性だけが次の回に進める。02年に米国で配信が始まるや大ヒットとなり、日本でも17年から同じフォーマットの番組が作られることになった。  久保は女性たちと華麗なデートを繰り広げ、毎回、最後に「薔薇を渡せなくてごめんなさい」と数人を振り落とす。大抵の女性は目に涙を浮かべ、時には「ほんと見る目ないですね」と捨てぜりふを残して去っていく。ある意味つらい立場である。タレントやモデルなどさまざまな経歴を持つ女性たちが「結婚したい!」と夢中になるには、誰もが納得するスペックを備えていなくてはならない。 ■東大卒のハイスペック  久保は東京大学大学院を出て米系コンサル会社A.T.カーニーに入った。12年には女性向け通販サイト「MUSE&Co.(ミューズコー)」を設立。その後売却し、CLASを立ち上げた。バチェラーの出演時点で社会的地位が確立していたかどうかはさておき、冒頭に書いた通り「イケメン」であり、趣味のキックボクシングで体も鍛え上げられている。ため息が出るようなハイスペックだ。  番組に登場した久保はタキシードやスーツに身を包み、クルーザーやプライベートジェットの前に颯爽(さっそう)と現れた。番組の外に出ても、彼にふさわしい場所といえば、六本木ヒルズや東京ミッドタウン、あるいは西麻布や南青山の瀟洒(しょうしゃ)なマンションにあるオフィスが思い浮かぶ。しかし実際に彼がいるのは、薄暗くて埃(ほこり)っぽい倉庫の中。そのギャップに戸惑った。  久保が今、夢中になっているビジネスも、驚くほど地味である。サブスクと横文字で書けば今風だが、その実態は泥臭い。  利用者は月440~数千円で家具や家電製品を借りられる。料金には配送料、設置料、保険料も含まれていて、季節や好みに合わせて衣替えをするように家具や家電を取り換えられる。 「所有」するのは面倒だが「利用」はしたい。カーシェアやシェアオフィスと同じ種類のサービスだ。家や車を持つのが成功の証しで、ローンに追いまくられたのが筆者らバブル世代。だが子供たちは物を持たず、ローンも組まず軽やかに生きる。 「『暮らす』を自由に、軽やかに」。CLASのビジョンは、そんな若者世代の価値観を見事に捉えている。  だが、サービスを提供する作業は至って地道だ。センスのいい家具や家電を見つけて仕入れる。倉庫に戻ってきた製品は新品同然に修繕し、新たな借り手が現れれば、すぐに送り届ける。手間がかかる割に儲(もう)けは薄い。  なぜ久保ほどの「ハイスペックな男」が、地道なビジネスを喜々としてやっているのか。その謎を解くには、久保の生い立ちまでさかのぼる必要がある。 (敬称略)(ジャーナリスト・大西康之) ※AERA 2021年9月13日号より抜粋

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    「他人を見下してしまう」と告白する34歳女性に、鴻上尚史がいくつもの質問を投げかけた真意

    「他人を見下してしまう思考や言葉が止まらない」と自身の内面を告白した34歳女性。自身の不健全を認める相談者に、鴻上尚史が投げかけた「自分を好きになる」ヒントとは?【相談117】他人を見下してしまう自分を変えたいです(34歳 女性 もちつゆ) こんにちは鴻上さん。私は接客業に従事している30代です。働き出してから10年以上経ちますが、お客様に対しても同僚に対しても見下してしまうような思考や言葉が止まりません(直接本人に言うのではなく、他の同僚に愚痴ったり悪口を言い合ったりしています)。 例えば、あるお客さまはどうしても毎回お約束のお時間にお越しになられず、遅れるようだったら連絡して欲しい旨をお伝えしても、数分ならOKだと思っているのか毎回遅れられます。その方がお帰りになられた後、同僚と「あの人何で毎回遅れるんでしょうね? 何か病気でも持ってるんですかね?」や、自分よりも歴の長い同僚に対しても「あの人何度か注意してるのに、何でこんな事もできないんだろ? 私よりも仕事の歴が長い筈なのに、報連相しない上に指示を出さないと動かない……いい加減にしてよ」等酷いことを言ってしまいます。 見下してしまう心を持っているのは私の中に強い劣等感があり、それを軽減するために自分よりもできない(実際はどうかわかりませんが)人間を見て優越感を持つことで辛うじて自尊心を守っているからだというような気がします。今まで誰かと自分を比べて自分の方が劣っていると実感させられることの方が多かった人生だったので、自分よりも劣っている人間がいる事が嬉しいのだと思います。しかし誰かを見下して喜ぶ人生なんて不健全だという事も分かっています。でも脱却できない。一体どうすれば良いでしょうか?【鴻上さんの答え】 もちつゆさん。よく相談してくれました。 相談の文章を書くだけでも苦しかったんじゃないですか? もちつゆさんが一番認めたくないことを認めることですからね。「私の中に強い劣等感があり、それを軽減するために自分よりもできない(実際はどうかわかりませんが)人間を見て優越感を持つことで辛うじて自尊心を守っている」と書くのは、とても勇気がいることです。 問題は「見下すこと」ではなくて「強い劣等感があること」だと認めることですからね。 たしかに、「自分はダメだ」という思いに苦しめられる時に、自分よりダメだと思う人間を見つけることは、一時的ななぐさめになります。 自分が上に上がれない時に、周りを引きずり下ろそうとするのは、ある意味、人間の自然な感情だと思います。 周りを引きずり下ろすことで、相対的に自分が上に上がったような気になりますからね。 でも、もちつゆさんは「誰かを見下して喜ぶ人生なんて不健全だという事も分かって」いるんですよね。そう書けることは素敵なことだと思います。 自分の心のメカニズムをちゃんと理解して、ちゃんと判断できているのです。 ここまで分かっているのなら、このメカニズムから抜け出すのは、そんなに難しいことではないと僕は思います。 だって、本気でこのメカニズムで自分を支えている人は(つまり、誰かの悪口を言い続けて、自分を保っている人は)、こんなことを人に言えないし、不健全だとも感じないと思うからです。 さて、もちつゆさん。 もちつゆさんの劣等感の原因は、「誰かと自分を比べて自分の方が劣っていると実感させられることの方が多かった人生」だからなんですね。 それは職場のことですか? それとも学校時代からのことですか? 子供の頃からですか? 職場だとしたら、劣っていることが多かった結果、どうなりましたか? クビになりましたか? 毎日、上司から注意されていますか? 相談の文章からすると、10年以上接客業ですから、クビになったりはしてないんですよね。 もちつゆさんは、劣っていると感じることが「多かった」と書かれていますから、「すべてのこと」で劣っていたわけじゃないんですよね。 劣ってないこと、普通のこと、優れていることは、何もなかったですか? 僕はそもそも、10年以上、ちゃんと働き続けられていることがすごいと思いますよ。それはつまり、毎日、ちゃんと朝起きて、職場に行けているということですから。 えっ? からかっている? いえいえ、本気ですよ。 毎日、ちゃんと起きて、遅刻しないように職場に行って、言われた仕事をこなすというのは、それだけですごいことです。そう思いませんか? もちろん、うまくいかないこともあるでしょう。仕事のミスもあるでしょう。でも、だからといって仕事を放り出さず、ちゃんと毎日、職場に行くことは、本当にすごいことです。これだけで、充分、自分をほめる理由になると僕は思っています。 他人と比べて劣等感が生まれ、その悲しみや苛立ちのために人を見下すのなら、まず、他人と比べないで、自分をちゃんと見つめませんか。 もちつゆさんには、なんにもほめることはありませんか? 毎朝、ちゃんと起きること。文句を直接本人には言わないこと。他人を見下した後、不健全だと感じること。自分の悩みを文章にしたこと。そして、思い切って『ほがらか人生相談』に送ったこと。それらは、充分ほめるに値する、とても素敵なことだと僕は思います。 もちつゆさん。他人と比べて自分のあら探しをするのではなく、自分自身の良いところを見つけ出し、作り出し、集めませんか? 美味しい料理を作れたことも、休日に何かの運動をしたことも、夜中に甘いものをガマンしたことも、友達のグチを聞いてあげたことも、体重が500グラム減ったことも、今日はお肌のハリがいいことも、すべて、とても素敵なことです。 もちつゆさんが、もちつゆさんを大好きになれる充分な理由です。 他人と比べ、他人のあら探しをするエネルギーを、自分を見つめ、自分の良いところを見つけ出し、作り出すエネルギーに使うのです。 なかなか良いところが見つからないなら、さあ、考えましょう。休日なのにダラダラしないで本を読んでみようとか、ちょっと散歩してみようかとか、部屋の片づけをしてみようとか、小さな素敵なことを作り出すのです。 人間の持っているエネルギーは有限なので、自分の良いところを一生懸命探したり、作ったりしていると、劣等感の方に回すエネルギーはなくなります。自分を責めている余裕がなくなるのです。これは本当です。 もちつゆさん。小さなことから、ささいなことから、なんでもないことから、自分を好きになれることを始めてみませんか。 青空に向かって深呼吸することだって、とても素敵なことですからね。一日に何個、素敵なことが見つけられるか。どうですか、もちつゆさん、やってみませんか?■本連載の書籍化第3弾!『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』が発売中です!

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    実は早稲田卒のハリセンボン箕輪はるかが告白 「大学4年間で友達ゼロ」の過去とインテリ芸人ぶらない理由

     細身のシルエットから独特の笑いを生み出すハリセンボンの箕輪はるか(41)。実は意外にも、早稲田大学卒の“インテリ芸人”だ。早大OBには小島よしおやラサール石井をはじめ、クイズ番組で活躍するタレントも多い中、箕輪はクイズ番組への出演機会は少ない印象がある。大学時代のエピソードを披露することも決して多くはないが、一体なぜなのか。本人が早大在学中の過去を語る中で、意外な理由が見えてきた。 ――箕輪さんは早稲田の第二文学部を卒業。難関私大に合格するためには努力も必要だと思いますが、受験勉強は相当されていたのでしょうか。  たぶん直前とかは1日10時間以上やっていたと思います。私は塾には行っていなくて、独自のやり方をしていました。たとえば集中するために、受験前の一カ月間は家から一歩も外に出ないと決めて勉強。受験当日に久しぶりに外に出て、太陽が眩しすぎてくらくらしたので、あまりおすすめはできませんが……。 ――やはり熱心に勉強されていたのですね。早稲田に行きたいというモチベーションはどこから湧いていたのでしょうか。  奨学金が充実していたことが大きかったですが、早稲田に憧れもありました。テレビで見たことのあるキャンパスに自分が行けると思ったらテンションが上がりますし、未来がすごく明るく見えて。学生数も多いですし、友達もたくさんできて楽しく過ごせるのかなという淡い期待がありましたね。 ――実際に進学してみて、思い描いていた大学生活とギャップを感じることはありましたか。  私が見ている風景は、人がいっぱいいてみんな楽しそうで、まさにイメージ通りでした。でも、そこに「自分がこんなにも入れないんだ」っていうギャップがありましたね。どういう入口からあの輪に入ればいいんだろうって……。せっかく志望校に入れたのに、そこで挫折感を味わいました。 ――当時の大学生活を振り返ってみていかがでしたか。  友達がいなくてサークルにも入っていなかったので、ひたすら家と学校の往復でした。授業を一人で受けて、授業が終わったらすぐに帰るみたいな4年間でしたね。  授業が1コマ空いた時は、中央図書館の地下にこもって過ごしました。図書館は一人でいても浮かないので落ち着きましたね。自動書架のスイッチをカチャカチャ押して、書棚を動かすのがすごく楽しくて。それをずっとやってましたね。それを押すことで、私は早稲田のものを動かしているんだ、早稲田に通っているんだという実感を得ていました……。 ――4年間、友達は誰もできなかったのでしょうか。  一人もいなかったですね。授業もずっと一人。一応、授業を取ってる期間だけしゃべる程度の子はいたんですけど、その場限りで。  芸人になった後に、友達がいなかった早大OB同士で対談する企画があったんですけど、対談相手が「友達がいないから『マイルストーン』という雑誌から授業情報を得ていました」と言っていた。早稲田生なら誰でも知っている雑誌らしいんですけど、私はそれすら知らなくて……。「え、マイルストーン知らないんですか」って、友達がいなかった子にも驚かれるくらい。それで、本物の孤独だったんだなと実感しました。 ――図書館以外で、楽しみは見つけられましたか。  徒歩10分ほどある戸山キャンパスから早稲田キャンパスの間を移動するときに、最短ルートを模索していた時期がありました。それで、めちゃくちゃ良いルートを見つけたんです。人通りも少なくて裏道っぽいところで。誰かにおすすめしたかったけど、友達がいなかったので私だけの道みたいにしていました。 ――早稲田はキャンパスも賑わっていますが、一人でいることに孤独は感じていましたか。  寂しいっていう気持ちはありました。皆でわいわいしている中に入りたいなという気持ちはずっとあったんですけど、自分からチャンスを逃してしまった。1年生の時に、上級生からサークルや新勧コンパのお誘いで声をかけられたこともあったんですけど、なんか怖くて……。自分が行って大丈夫なのか、騙されるんじゃないかと思って、勝手に壁を作って飛び込めずにいました。高校の時のようなクラスがないですし、そのままずるずると1年2年が過ぎていって。3年になる頃には、友達を作るのはもう無理なんだなと諦めながら過ごしていました。  マンモス大学で自由だからこそ、友達がいなくてもなんとかなるだろうと甘えてしまった。「人」という宝物が周りにたくさんあったのに、それを手に入れようという気持ちになれなかったのを、今はすごく後悔しています。今の自分だったら、もう一回通って友達作りたいなって思うんです。 ――早大卒業後には、吉本興業のお笑い養成所(東京NSC)に通い始めます。人と関わらなかった生活から一転、人前に立って話をするのはハードルが高そうですが、芸人の道に飛び込んだのはどうしてですか。  誰とも話さない期間が4年も続くと、苦しくなってくる。4年間のうちに鬱屈とした気持ちがガスのようにどんどん溜まっていって、このままじゃいけないよなという焦りが募っていきました。養成所に入る勇気が出たのは、4年間友達がいなくて、人に声をかけることができない自分を変えたい、今までやったことのないところに飛び込みたいという気持ちが大きく膨らんだ結果なんです。今思えば、私にとっては必要な4年間だったのかなと思いますね。 ――養成所では、相方の近藤春菜さんとコンビを結成。春菜さんは社交的で明るいイメージがありますが、当時、気後れすることはありましたか。  当時の春菜は今のイメージとはちょっと違っていて、けっこう暗い感じの子だったんです。会った当時は、自分と似ているタイプの子なんじゃないかと思っていたぐらいで。春菜も短大時代、学校と家の往復だけだったと言っていて、キャンパスライフが充実していたようなエピソードを聞いたことがないので、私とあまり変わらなかったのかも。コンビを組んでからは、私とは正反対の方向にいったんですけどね。 ――クイズ番組などで早大卒をウリにしている芸人やタレントも多くいる中で、箕輪さんはあまり出身大学をプッシュしてこなかった印象があります。  そうですね、あまり知られてはいないと思います。積極的に押し出していたってわけでもないんですけど、特に隠していたわけでもなくて……。早稲田らしいことをやっていたり、友達がいたりすれば、もっと大学時代のエピソードトークができたのかもしれないですけど、ほんとになくて……。人と関わらない分、感情と結びついている記憶がほとんどないので、当時の記憶も薄いんです。もったいないですよね。 ――クイズ番組への出演機会も多くはない印象です。クイズの仕事を断っているわけではなく……?  全然、断っていたわけではないんです……。エピソードを出せなくて、私の芸人としてのイメージと早稲田卒のイメージが結びつかないから、あまり指名されなかったのかも。過去には呼んでいただいたのに、スケジュールの折り合いがつかないこともありました。自分としては、クイズ番組のようなお仕事をいただけるならありがたいですし、仲間に入れてもらえるなら出たいです……! ――コロナ禍になって授業やサークルが思うようにできず、孤独な状況の学生も増えているようです。4年間一人の大学時代を送ってきた箕輪さんだからこそ、響くエールもありそうです。  私の場合はキャンパスに通えていたのに自分のせいで孤独だっただけですが、今は学生自身のせいじゃなく「孤独にさせられている状態」。本当に気の毒だと思いますし、私の状況とは比べものにならない。  今はたぶんやれることがなくて、すごくフラストレーションがたまる状態だと思うんです。でも、いつか人に会えるようになった時に、「こんなことをやりたい」「こんなことがやれそう」みたいなアイデアが出てくるように、今はエネルギーを貯める時間だと思ってほしいです。  私個人の一例ですが、孤独な4年間があって、変わらなきゃという気持ちでい続けたことで、養成所に入る勇気が出た。あの時間は無駄にはなっていないし、芸人になるために必要な4年間だったんです。そして養成所に入ったことで、はるなという人生で一番ラッキーな出会いができた。長い人生の中で、これからいろんなチャンスがあると思う。今はなかなか前向きになれない時間だと思うんですけど、気持ちをなえさせずに、未来に希望を持っていてほしいです。   それに、自分の中でちょっとした楽しみを見つけて、人に合わせずに過ごした時間も案外よかった。大学時代に一人で行動することの楽しさを見つけたおかげで、その後の人生でも一人旅とかを楽しめるようになった。一人で何かできるということを、なんとか楽しさに変えてほしいなと思います。(構成/AERA dot.編集部・飯塚大和)

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    【独自】東京都医師会幹部らの病院でコロナ病床の56%は空床 直撃に「不適切な補助金は返還したい」

     デルタ株による感染拡大はピークを越えつつあるが、東京都では9月10日現在で、新型コロナウイルスの新規感染者は1242人、死者15人、現在入院している重症患者は243人、自宅療養者は1万1千人以上と依然として多い。救急搬送が困難な状況も続いている。そんな中、医療ひっ迫を訴える東京都医師会、病院協会の幹部の病院で、補助金を受けながらも病床使用率が20%を切る病院もあることが、AERAdot.が厚労省関係者から入手した資料でわかった。*  *  * 医療ひっ迫の危機が指摘されている中、東京都医師会の尾崎治夫会長は「臨時医療施設を、ぜひいくつか作っていただきたい」などとたびたび語っている。こうした要望を受けて、東京都では野戦病院(臨時医療施設)の設置が進んでいる。旧こどもの城で設置されたほか、旧築地市場の跡地や味の素スタジアム内でも準備が進む。 他方で、東京都は6583床のコロナ患者用の病床を確保しているというが、実際に使われているのは、3754床にとどまっている。2829床が「幽霊病床」とされる。 民間病院と言えども、コロナ患者を受け入れる責任はある。厚労省が、新たに病床を確保した病院には1床につき最大1950万円の補助金を出しているほか、空床でも1床につき1日7万1千円の補助金なども出しているからだ。 田村憲久厚生労働大臣と小池百合子東京都知事は、こうした実態を問題視。コロナ患者を最大限受け入れることを要請し、正当な理由なく要請に応じず、勧告にも従わない場合は名前を公表する姿勢を見せている。しかし、厚労省関係者は「実は医師会が病院名の公表には執拗に反対している。その結果、コロナ患者の受け入れが進んでいない」という。 AERAdot.では、東京都医師会会員の病院や病院協会に所属する病院のコロナ患者用の病床数と実際の入院患者数、病床使用率のデータを、厚労省関係者から独自に入手した。 リストには都内の37病院の「極秘」とされる実態が記されていた。コロナ患者用の病床は614床、そのうち入院患者数は268人。病床使用率は44%にとどまった(数字は9月6日時点)。 さらに東京都医師会や病院協会の幹部でもコロナ患者を受け入れていない実態もわかった。資料によると、A病院ではコロナ患者用の病床を16床確保しているが、コロナの入院患者は3人、病床使用率は19%だった。B病院では29床のうち8人、28%、C病院では43病床のうち16人、37%、D病院では50床のうち28人、56%、E病院では52床のうち34人、65%、F病院は22床のうち15人、68%だった。 厚労省関係者はこう語る。「東京都医師会の尾崎会長は『野戦病院を作れ、そうすれば協力する』といっています。既に臨時の医療施設は急 ピッチで開設されています。尾崎会長の発言は裏を返せば、『ハコを作らなければ、協力しない』ともとれ、おかしな話です。空床のまま補助金だけが入っている状況がある。医療崩壊を叫ぶのであれば、先ずは自分たちの足元の医療機関できちんとコロナ患者を受け入れさせるのが先決ではないでしょうか」 なぜコロナ病床を空けたままにしているのか、補助金は返還する予定はあるか、東京都医師会幹部がトップを務める各病院に見解を質した。 A、B、C、E病院からは「多忙のため対応できない」などと取材拒否された。 D病院は「事実誤認がある」として「6日時点の入院患者数はコロナ陽性26人、疑似症を含めると14人、合計40人、病床利用率80%となります」などと回答してきた。 F病院はコロナ患者の受け入れ数については「6日の継続入院者数は34名」と認めた上で、「この継続入院患者数は、当日の入退院患者を含んでいませんので、実際に利用した人数より低くなります」と回答した。 コロナ患者を受け入れていない理由について、下記の回答が来た。「9月になり比較的短期間で入院患者は減少しておりますが、8月第4週ごろはピークにあり、8月25日には47名の入院患者(90%の稼働)がありました。病床の利用状況は感染状況とともに細かく変動しております。この時期には人工呼吸器が外れたばかりの不安定な患者が多く、現場の負担は高まっておりました。状況が急に悪化する症例に対応する場合は入院応需ができなくなることもありました」「当院は東京都の計画では軽症から中等症に対応するべき病院群に分類されております。病院は200床に満たない施設でマンパワーに限りがあり少人数のローテーションで対応しておりますので、人工呼吸器が必要な重症患者が1名いるだけでも、途端に病棟管理への影響が大きくなります。重症患者のすべてを高次施設で対応することは難しい状況ですので、当院での治療が可能な限り人工呼吸器を用いるような症例にも対応の努力を続けて参りました。9月になっても人工呼吸器を用いる重症患者は4例に及びます」「また当院では少数にとどまってはおりますが、スタッフの感染者数や濃厚接触者による人員減少の影響は大きいと思われます。病床利用率も指標の一つですが、感染状況を鋭敏に反映しておりますし、患者重症度や、人員数など様々な不測の要素があり、日々変動しています」「なお、病床利用についてですが、多床室で男女混合はできない、重症度によって利用できる病床が限られる、清掃消毒などにより使用不能な時間がある、など様々な避けられない理由で一定の病床が利用できなくなるため、8―9割以上のベッドが常時稼働することは現実的ではありません。ベッド稼働が9割に達した今回の8月後半は非常に厳しい状況であったと考えられます。病床利用率だけで、行われている医療の状況を判断するのではなく、多角的な見方を要するように思います」 補助金の返還などを考えているかの質問については、「不適切な補助金は返還します」と回答した。 コロナ患者を受け入れていない病院に対して、東京都医師会はどのような見解なのか。尾崎治夫会長に「使われていない病床が約2千床あること」、「空床のまま医師会構成員の医療機関に補助金が入ること」の見解を尋ねた。(尾崎会長の病院はリストに記載されていない)。  すると、「(空床について)東京都からデータをもらっていないのでわからない」、「医師会構成員という言葉がわからないので、回答は控えたい」と広報担当を通じて回答が来た。 補助金を受けながらも、患者を受け入れない状況について、医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏は「厚労省のもともとの制度設計に問題がある」と指摘する。厚労省は補助金給付の要件に、「コロナ患者の受け入れ」を入れていない。そのため実際に患者を受け入れていなくても補助金が入る仕組みになっているという。「通常の補助金であれば、患者の受け入れなどの実績があって、お金を出す形になります。しかし、厚労省がコロナ患者の受け入れ体制ができていないという批判を受けて病床確保の数だけを追求した結果、患者を受け入れなくても補助金を出す制度になった。その結果、実際には稼働できない病床ができた。民間病院はギリギリの医者、看護師しか持っていないから限界があります。本来であれば、国立病院や、尾身茂氏が理事長を務める、独立行政法人のJCHO(地域医療機能推進機構)の病院が患者を受け入れる話ですが、そこも受け入れに消極的で補助金だけを受け取る状況になっている。そんな中、民間病院で積極的に受け入れるなんて話になるはずがありません」 医療がひっ迫する中、未だに1万1千人以上いる自宅療養者を置き去りにするようなことがあってはならない。(AERA dot.編集部・吉崎洋夫)

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    【独自】コロナ病床30~50%に空き、尾身茂氏が理事長の公的病院 132億円の補助金「ぼったくり」

     政府分科会の尾身茂会長が理事長を務める地域医療機能推進機構(JCHO)傘下の東京都内の5つの公的病院で、183床ある新型コロナウイルス患者用の病床が30~50%も使われていないことが、AERAdot.編集部の調査でわかった。全国で自宅療養者が11万人以上とあふれ、医療がひっ迫する中で、コロナ患者の受け入れに消極的なJCHOの姿勢に対し、医師などからは批判の声があがっている。 編集部が厚労省関係者から入手した情報によると、JCHO傘下にある都内5病院のコロナ専用病床183床のうち、30%(8月29日現在)が空床であることがわかった。 5病院のうち最もコロナ患者の受け入れに消極的だったのは、東京蒲田医療センターだ。コロナ専用病床78床のうち42床が空床で、半数以上を占めた。その他には、東京山手メディカルセンターは37床のうち35%(13床)が空床となっている。東京高輪病院は18床のうち10%強(2床)が空床だった。東京新宿メディカルセンターはコロナ専用病床50床が満床だった。東京城東病院はこれまでコロナ専用の病床はゼロだ。 都の集計によると現在、自宅療養者は2万人以上、入院治療調整中の患者は約6800人に上る。厚労省関係者はこう批判する。「尾身氏は国会やメディアで『もう少し強い対策を打たないと、病床のひっ迫が大変なことになる』などと声高に主張していますが、自分のJCHO傘下の病院でコロナ専用ベッドを用意しておきながら、実は患者をあまり受け入れていない。こんなに重症患者、自宅療養者があふれているのに尾身氏の言動不一致が理解ができません。JCHOの姿勢が最近になって問題化し、城東病院を9月末には専門病院にすると重い腰を上げましたが、対応は遅すぎます。そもそもコロナ病床の確保で多額の補助金をもらっていながら、受け入れに消極的な姿勢は批判されてもしかるべきではないか」 厚労省はコロナの患者の受け入れ体制を整えるため、コロナ専用の病床を確保した病院に対して、多額の補助金を出している。 例えば、「病床確保支援事業」では新型コロナ専用のベッド1床につき1日7万1千円の補助金が出る。ベッドは使われなくても補助金が出るため、東京蒲田医療センターでは使われていない約40床に対して、単純計算で、1日284万円、1か月で約8500万円が支払われることになる。 その上、新たに重症患者向けの病床を確保した病院に1床あたり1950万円、中等症以下の病床には900万円を補助するなどの制度もある。JCHOが公表したデータによると、全国に57病院あり、稼働病床は約1万4千床。そのうち、6・1%にあたる870床をコロナ専用の病床にしたという。これまでいくらの補助金をもらってきたのかJCHOに尋ねると「すぐには回答ができない」(担当者)という。 しかし、厚労省関係者から入手した情報によると、2020年12月から3月だけでもJCHO全57病院で132億円の新型コロナ関連の補助金が支払われたという。「コロナ病床を空けたままでも補助金だけ連日、チャリチャリと入ってくることになる。まさに濡れ手で粟で、コロナ予算を食い物にしている。受け入れが難しいのであれば、補助金を返還すべきです」(厚労省関係者) JCHOは厚生労働省が所管する独立行政法人で、民間の病院とは異なり、公的な医療機関という位置づけだ。JCHO傘下の病院はもともと社会保険庁の病院だったが、公衆衛生の危機に対応するため、民営化はせずに独法として残った経緯がある。尾身氏は厚労省OBでJCHO理事長に14年より就任している。  医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏は「JCHOの存在意義が問われる」と指摘する。「世界では国公立などの病院が先ずは積極的にコロナ患者を受け入れている。日本でも当然、国公立やJCHOなどの公的医療機関が受け入れるべきでしょう。そもそもコロナ患者を受け入れる病床数も少ないですし、このような危機的な状況で患者受け入れに消極的というのであれば、補助金を受け取る資格はないし、民営化したほうがいいのではないでしょうか」(上氏) JCHOの見解はどうか。AERAdot.編集部が、JCHOにコロナ患者の受け入れの実態を質すと、8月27日現在の数字として、5病院全体では確保病床の30%が空床であり、東京蒲田医療センターでは約50%が空床であることを認めた。 尾身氏のコメント全文は後述するが、コロナ患者の受け入れに消極的なことについて、東京蒲田医療センターの石井耕司院長は書面で以下のように回答した。「JCHOは、国からの要請に基づきJCHO以外の医療逼迫地域(北海道・沖縄等)の病院へ、全国のJCHO病院から看護師の派遣を行ってきました。しかし、全国的な感染拡大に伴い、各地域においても看護師のニーズが高まってきた結果、全国のJCHO病院から当院への派遣が困難となってきました。(中略)今回、国や都からの受け入れ増加の要請に応えるため、8月16日から看護師を追加で確保し、受け入れ増加に向けて取り組んでいます」 補助金を返還するつもりはあるのか。尾身氏、東京蒲田医療センターの石井院長ともに「JCHO全体の取り組みについて、国や自治体からの要請に応じてきたものであり、東京都の令和3年度新型コロナウイルス感染症緊急包括支援事業(医療分)実施要綱に基づき申請を行ったものであります」と回答するにとどめた。返還するつもりはなさそうだ。「蒲田医療センターに関しては、8月初旬ではコロナ患者の受入は20数人で搬送要請を一貫して避け続けていた。恒常的に人手が足りずに対応できないのなら、補助金だけ受け入れ続けるのは、あきらかなぼったくりだと思います」(前出の厚労省関係者) 人手不足については、「非常勤の医師や看護師を本気で集めれば、対応できる」(上氏)などと疑問の声があがる。 この危機的状況においてどこまで本気で取り組むか。理事長たる尾身氏の手腕が問われている。(AERA dot.編集部・吉崎洋夫)*  *  *尾身茂氏からの回答全文は以下の通り 私共、JCHOは、これまでに国からの増床の要請について、全国のJCHO病院、特にJCHO都内5病院と連携・役割分担しながら対応してきました。この結果、都内JCHOの5病院では全病床の13%程度にあたる189床のコロナ病床を確保しました。 昨日、東京蒲田医療センターの石井院長が回答したとおり、東京蒲田医療センターにおいては、新型コロナウイルスの発生初期より、国からの要請に積極的に応えてきました。 例えば、クルーズ船患者の受け入れの際に1病棟(29床)を確保、さらに、令和3年2月には、もう1病棟(49床)の患者さんの転院等を行い、コロナ専用病棟に転換しました。その際、新たに生じる看護師不足については、全国のJCHO病院からの派遣によって確保してきました。 また、JCHOは、国からの要請に基づきJCHO以外の医療逼迫地域(北海道・沖縄等)の病院へ、全国のJCHO病院から看護師の派遣を行ってきました。しかし、全国的な感染拡大に伴い、各地域においても看護師のニーズが高まってきた結果、全国のJCHO病院から東京蒲田医療センターへの派遣が困難となってきました。 このため8月27日(金)時点では、東京蒲田医療センターでは5割程度の受入れとなっておりますが、JCHOの都内のその他の病院では確保病床の9割程度を受け入れており、全体では確保病床の7割程度の受け入れとなっております。 東京蒲田医療センターでは、国や都からの受け入れ増加の要請に応えるため、8月16日から看護師を追加で確保し、受け入れ増加に向けて取り組んでいます。 なお、JCHO全体の取り組みについて、国や自治体からの要請に応じてきたものであり、東京都の令和3年度新型コロナウイルス感染症緊急包括支援事業(医療分)実施要綱に基づき申請を行ったものであります。

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    菅義偉とは何者だったのか 望月衣塑子記者が語る「権力に酔って、権力に負けた」悲しき首相の最後

     まさに、逃げるような退任劇だった。菅義偉首相の自民党総裁選不出馬が報じられた3日、13時からの囲み取材では「総裁選よりもコロナ対策に専念する」とだけ語り、記者の相次ぐ質問を振り切った。この1年の菅政権とは一体何だったのか。ほぼ何も説明もせず、首相の座を放り出した菅氏とは、結局、どのような人物だったのか。官房長官時代から「天敵」として菅氏を鋭く追求してきた東京新聞の望月衣塑子記者に聞いた。*  *  *――急転直下の辞任劇でした。内閣支持率が危険水域に入り、「菅おろし」の声も大きくなってはいましたが、総裁選直前にこのような形で辞任するとは想定外でした。どう受け止めましたか。 世論の逆風が吹く中で総裁選モードに突入しましたが、途中までは実に菅さんらしいやり方だったと思っていました。 8月30日に下村博文政調会長に対して「(総裁選に)立候補するなら政調会長を辞任しろ」と迫り、出馬を断念させました。さらに岸田文雄前政調会長が出馬を正式表明し、「党役員を刷新する」と明言した途端に、力技で二階俊博幹事長を交代させる方針を打ち出し、総裁選の「争点隠し」を図りました。そして総裁選前に党役員人事を行って解散総選挙に打って出るという「禁じ手」のようなことまで模索していた。 どんな状況でも、人事権を行使して、なりふり構わずに自分の権力を最大限に見せるよう執着している姿は、いかにも菅さんらしいと感じていました。 ただ、リークも含めて解散総選挙の腹案がマスコミに漏れ、自民党内部から想像以上の反発が上がったあたりから、今までとは様相が違ってきました。すぐに菅さんは「今は解散できる状況ではない」と火消しに走り、小泉進次郎環境相と5日連続で会談して意見を仰ぐなど、迷走の度合いを深めているように見えました。 この状況下で、小泉さんしか進言してくれる人がいないのかと不思議に思いましたし、そうだとしたら相当な“菅離れ”が進んでいると感じました。しかし表面上は強気の姿勢を貫いていたので、総裁選から降りるという選択をしたのは驚きました。よほど、助け舟がなかったか、安倍晋三前首相や麻生太郎財務相らの「菅おろし」の圧力がすさまじかったのだろうと察します。――菅首相といえば「勝負師」「ケンカ師」などとも呼ばれ、負け戦でも勝負に出る性格であると言われています。過去の政局でも“賭け”に出たこともありますし、東京五輪開催の判断について「俺は勝負したんだ」と発言したとの報道もありました。今回はなぜ勝負に出なかったと思いますか。 選挙を戦う自民党議員にとっては、ここまで世論の支持を失っている菅さんは、「選挙の顔にはならない」というのが一致した見解だったのではないかと思います。 その一方で、ほとんど脅しに近い形で下村さんの立候補をとりやめさせたあたりから、菅さんの圧力のかけ方は常軌を逸していきました。 これまで霞ケ関の官僚たちは人事権を握られ、言う事を聞かざるを得なかったのでしょうが、自民党議員に同じことをしても、理解は得られません。周囲に圧力をかけすぎた結果、「いいかげんにしろ」と与党内での反発が広がり、菅さんを引きずり降ろそうとする圧力が想像以上に働きました。 辞任を受けて、涙していた小泉さんも「解散をしたら自民党が終わる」と菅さんに迫っていたわけで、ある意味、慕っている側近たちからも、権力維持に固執し、解散の可能性を探る菅さんに「NO」が出されていたわけです。 結果、自らの策に溺れた感がありました。外堀を埋められて自分でやれることがほとんどなくなってしまった。解散権が封じられてしまい、頼みの党役員人事も受け手が見つからずに相当難航していたようです。人事権を行使しようとしても状況を変えられない、人を従わせられないという状況は菅さんにとって相当つらかったと思います。それこそが、菅さんの権力の源泉だったわけですから。 さらに、自身の選挙区である神奈川2区でも野党候補優勢という情報が永田町で出回っているなかで、このまま解散総選挙に突っ走り、政権交代でも起こったら、政治家生命が絶たれかねないという恐怖もあったかもしれません。そんなことになるくらいなら、選挙の「顔」からは降りて総裁選を盛り上げれば、少なくとも与党には恨まれず、野党にはダメージを与えられる。自民党を政権与党として存続させるために「身を引いた」政治家として評価される可能性があると思ったのかもしれません。 いずれにせよ、人事権を行使しても状況を変えられないと悟った以上、もう自分を強くは見せられないと判断したのだと思います。――結局、菅義偉という政治家はどのような人だったと思いますか。 菅さんは権力を維持するために人事を操り、頂点まで上り詰めた人です。でも、その権力が無力化すると、予想以上に弱かった。権力に酔っていた政治家が、最後は権力に負けたということだと思います。 裏で参謀として権力を振るうことにはたけていても、日本をどうしたいのかという国家観を語れず、コロナ禍で浮き彫りになったのは、ワクチン一本打法で、市民の命を犠牲にし、五輪利権に血眼になっている菅さんの姿でした。 記者会見では、相変わらずかみ合わない質疑が続きました。そこから市民の命と健康を預かっているという覚悟は感じられませんでした。菅さんの語る言葉には、市民を思う魂が込められておらず、これほど言葉に重みがない政治家はいなかったと思います。 今、国民のためにやるべきことは、臨時国会を開いてコロナ対策の議論をすることです。それしかありません。外交的には、総裁選の最中、アフガンでの救出作戦も体制を立て直さなければいけない。当初退避予定者は、JICAや大使館の関係者含めて総勢500人と言われていましたが、日本が救出できたのは、わずか1人です。総裁選に明け暮れている裏で、多くのアフガニスタン人の命が現在もなお危険にさらされ続けているのです。 国会でもこの問題は何よりもまず議論されなければならないはずですが、菅さんは、野党から追及されるのは、選挙で不利になるからと国会を開く気配さえない。アフガンに関しても興味を示さず、五輪開催のときと同じでまさに人命軽視の政治が繰り広げられました。 こうした姿を見せられ続けた結果、菅さんがやっている政治は単なる政権維持の手段であって、市民のための政治ではなかったのだとはっきりわかってしまった。裏方の官房長官時代には、わかりづらかった菅さんの政治家としての本質的な姿勢が、首相として表に出てきてから、より鮮明にはっきりと浮かび上がってしまいました。  そして最後は、菅さんの周りからは人が次々といなくなり、市民の心も離れていった。結局は、市民のために尽くす思いがない人が政治家、ましてや首相などやってはいけなかったということに尽きると思います。 これから次の総裁選に向けての新たなレースが展開されます。忘れてはならないのは、首相を目指す人は、権力のトップに立つことを目的とせず、日本や世界に住む人々の命を預かる仕事をするのだ、という当たり前の覚悟を誰よりも深めるべきだと思います。(構成=AERA dot.編集部・作田裕史)

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    ジョニー・デップは「ほんとに気配りが素晴らしくて…」 美波の「共演秘話」

     映画「MINAMATA」で、ジョニー・デップ扮する写真家のユージン・スミスの相手役(アイリーン)を好演した俳優の美波さん。作家の林真理子さんが、共演の舞台裏をうかがいました。 【本木雅弘の「推薦」のおかげ? 美波がジョニー・デップ相手役を射止めた訳】より続く *  *  * 林:みんなに聞かれると思うけど、ジョニー・デップと初めて会ったとき、ドキドキしました? 美波:正直、ジョニーと共演というプレッシャーより、英語でお芝居することのほうがプレッシャーでした(笑)。撮影に入る前に2週間弱、準備期間があったんですよ。そのとき、カメラテストがあって、ユージンの暗室という設定のセットで、ジョニーと私、カメラマン、監督のアンドリュー(・レヴィタス)の4人で、セリフもなくセッションしました。そのときに不思議とケミストリーが合ったんですよ。 林:化学反応したんですね。 美波:そのとき、「大丈夫」って、みんなホッとしたんです。アンドリューにとって、私を起用することは、賭けだったと思うんです。無名の女優で、しかも英語もそんなにできないのに、キーになる役を演じるんですからね。私もそのとき「ジョニーになら全部託せるな」という絶大な安心感と包容力を感じて、そのあと彼にはたくさん支えていただきました。 林:いい人だったんですね。 美波:ほんとにいい人で、撮影の合間に、彼専用のテントの中で、彼にギターを弾いてもらいながら私は絵を描いたり、いろんな話をしたり、素晴らしい方でした。 林:最高じゃないですか。もうすっかり仲良くなったんですか。連絡先も交換しました? 美波:はい、情報交換はしていますね。 林:ジョニーは「ミナミ」って呼ぶんですか。 美波:もちろん。 林:ワォ! すてき!(笑) 美波:やっぱりジョニーは、お芝居が上手なんです。すごいキャリアがある方なので、私がどんな芝居をしても受け止めてくれました。どこにカメラがあって、どこに照明があって、どう撮れば相手がどのように映るかが、本能的にわかってるんです。芝居をしながら、彼が私を、いちばんきれいに光が当たる場所に誘導してくれるんですよ。 林:誘導してくれるって、どんなふうに? 美波 目線で合図をくれるんです。自分が映らないカットでも、彼がちょっとずつ目線を動かしていってくれて、私がその目線に従ってついていくと、光がいちばんいいスポットに私が入っているんです。スーパースターなのに、ほんとに気配りが素晴らしくて、すてきな方でした。 林:アイリーンは最初、ミステリアスな女性として彼のアパートにあらわれますよね。いつも暗闇の中から出てくるんだけど、私、原節子さんに似ているなと思って見てました、雰囲気が。 美波:あら! 光栄です。 林:この映画のハイライトは、世界中に衝撃と感動を与えたお風呂の写真(「入浴する智子と母」)の撮影シーンですけど、ユージンがひざまずかんばかりにしてシャッターを切るじゃないですか。素晴らしいシーンでした。 美波:はい、あのシーンは、物音ひとつしない、シーンとした中で「カシャ」というシャッター音だけが響いていて。うまく言えないんですけど、ユージンは影をずっと撮っていて、“動”じゃなくて“静”を撮っている人なんだなと、あのシーンで思いました。 林:彼の人間性が出ていましたよね。いきなり訪ねて「撮らせてほしい」と言わず、ずっと待って、待って、信頼を得てから、最後に撮るんですね。だから、あの写真が世界中の人々の心を打つわけで、あの写真を撮るまでに、アイリーンさんが大きな力を果たしていたんですよね。 美波:そうですね。ユージンは水俣に数年滞在していたんですけど、水俣を最後に写真を撮ることが難しくなってしまったんです。取材の途中、暴行事件にあって、脊髄損傷と片目失明という重傷を負ってしまって。 林:カメラマンの命である目を、暴行事件で奪われてしまったんですね。 美波 はい。この作品では、アンドリューやジョニーがプロデュースして、光も闇も、丁寧に映し出してくれているのは、すごくありがたいなと思っています。 林:昨今は、SDGs(持続可能な開発目標)が盛んに叫ばれています。公害とか環境問題は、そのはしりだったわけですからね。 美波:あれから50年たっているのに、環境汚染はぜんぜんなくなっていません。地球は悲鳴を上げるどころか、壊れていっていると思います。出る杭は打たれても、どんどん声を上げていかなくちゃいけないなって、私も実感しています。 林:日本で撮影したんですよね。 美波:じつは、セルビアとモンテネグロで撮影したんです。 林:えっ! 日本じゃないんですか? 美波:ハリウッド映画といってもこれはインディペンデント(自主製作)なので、お金のことや、いろんな兼ね合いがあるんだと思います。じつはセルビアは、ヨーロッパでいちばん安く撮影ができる国なんです。だから、毎年たくさんの映画が、セルビアで撮影されているんですよ。 林:へえ~、知らなかった。 美波:その分、セルビアの技術はすごく上がっていて、今回もほぼセルビア人のスタッフさんだったんです。メイクさんから衣装にいたるまですべて。 林:あの時代の日本の洋服、セルビアの人がつくったんですか。 美波:そうなんですよ。すべて手作りなんです。あの技術はすごいと思いました。 林:エキストラの日本人たちは、ヨーロッパにいる人たちですか。 美波:東ヨーロッパ在住の日本人の方が多かったですね。あとは日本から自費でいらっしゃった方が、何人か参加されていました。エキストラさんの熱意にも感動しましたよ。私、ずっと日本に帰れなくて、日本食が食べられなくてつらかったんですけど、エキストラの女性が炊飯器を持ってきて、お米を炊いてくれたんです。涙でお米がしょっぱかったです(笑)。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 美波(みなみ)/1986年、東京都生まれ。母が日本人、父がフランス人。「バトル・ロワイアル」で映画デビュー以降、舞台「エレンディラ」「ザ・キャラクター」、映画「乱暴と待機」など、舞台、映画、ドラマ、CMで活躍。2014年、文化庁「新進芸術家海外研修制度研修員」に選出され渡仏、ジャック・ルコック国際演劇学校に1年在籍。近年の出演作に映画「Vision」など。9月23日公開の映画「MINAMATA」では、ジョニー・デップ演じる写真家ユージン・スミスの相手役アイリーンを好演している。※週刊朝日  2021年9月24日号より抜粋

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    高市氏でも野田氏でもシラける女の総裁選の闘い 直木賞作家・中島京子、望月衣塑子記者

     ポスト菅をめぐる自民党総裁選(17日告示、29日投開票)は、今後予想される女性の戦いにも注目が集まっている。岸田文雄前政調会長に続き、高市早苗前総務相が正式に出馬表明し、野田聖子幹事長代行は推薦人確保に奔走中と報じられている。「日本初の女性首相誕生か」と前のめりに報じられるが、ちょっと待って、高市総理? 野田総理? 女の総裁選バトルにモノ申す!*  *  *「憧れの人は元英首相のサッチャー」 高市氏は野心を隠すことなく、このように明言してきた。いま総理の椅子に最も近づいている女性かもしれない。 これまで、自民党の総裁選に出馬した女性はただ一人。小池百合子現東京都知事が2008年に立候補した。そもそも立候補には、国会議員の20人の推薦が必要で、女性にとっては高いハードルだった。今回、高市氏は早々に推薦人確保のメドがたち、世間の人気が高いといわれる河野太郎氏よりも早く正式に立候補を表明。野田氏も意欲を示していることから、注目を浴びている。 東京新聞の望月衣塑子記者が解説する。「自民党の若手議員を中心に“菅さんじゃ選挙は勝てない”という空気があった。菅降ろしと連動して“顔”を選ぶにあたって、今の時代、女性を打ち出した方がいいという流れはあった」 それでいち早く出てきたのが高市氏だったので、望月記者は驚いたという。「ビックリしたというよりは、がっかりです。同じ女性として応援は……。高市氏は女性の代弁者かというと、女性のお面をかぶった古い男性といいますか、男尊女卑ともとらえられる発言が目立ちますから」 似たような感想をもつ女性は少なくない。直木賞作家の中島京子さんも指摘する。「あからさまに男尊女卑的な態度や政策を取り続ける自民党ですら、体面上は、女性候補を出さなければならない時代になったということでしょう。しかし、総裁選は所詮、自民党内の派閥争いでしかない。茶番に近い候補者乱立が予想される中、ことさら“女性”だからと出馬に意味があるように捉えられること自体に違和感を覚えます」 とはいえ、総裁選の候補者として出る限りは、国政に対する自身の考えや具体的な政策を国民に説明して当たり前。高市氏が出馬会見で打ち出したのが、経済政策「サナエノミクス」で、「3本の矢」として「金融緩和」「緊急時の機動的な財政出動」「大胆な危機管理投資と成長投資」を掲げた。「サナエノミクス、ですか? ネーミングからしても、有権者をバカにしているのかなぁと感じました」(中島さん) 高市氏の政策はどこか既視感があるが、サナエノミクスは、安倍晋三前首相が掲げた「アベノミクス」路線を引き継ぐものだからだ。これに対して、望月記者も「安倍政権の上書き」としてこう言う。「せっかく女性が主導的立場になろうと出てきたのに、女性ならではの視点で練り上げた政策は一切出てこなかった。サナエノミクスは基本、新しいものはなく、安倍さんの政策を踏襲、一部を更新し、ネット民に受けるよう過激化させただけ。」 高市氏の政策から読み取れるものは結局、「安倍さんへの忖度」(望月記者)だったという。「安倍崇拝ともいえる状況が、綿々と続いている。高市氏だけではありません。河野氏は、本心としては脱原発だと思いますが、出馬前に安倍氏に会って再稼働しますと約束しました。男も女も安倍氏への過剰な配慮です。その裏には何があるのでしょうか。安倍氏が実質取り仕切る、最大派閥の細田派の票の取り込みは、勝敗をわける鍵なのでしょうが、女性なら空気が変わるかといえば、これではクリーンな政治は望めません」(望月記者) 一方の野田氏は、まだ正式に出馬表明はしていない。以前から政策の基本方針としては、「自分のことだけでなく、女性や高齢者、障害者をはじめ全ての国民、全ての地方が活躍できる制度を構築する『やさしさ』をもつ」ことを掲げている。障害のある子どもを育てる母親でもあり、野田氏の政治姿勢は自民党内ではリベラル寄りだ。 望月記者は野田氏をそれなりに評価しているという。「野田氏は自民党の幹事長代行で、大臣も何度か経験している。与党の動きもわかっている。フランクで話しやすい人柄で、官僚たちにも野田ファンは多いのです。軸が見えないところがあるけれども、理想や理念だけでは政治は動かせないから、官僚のアイデアを入れながら、どのように政治主導していくか。野田氏くらいの女性のベテランが一番いいのだろうなとは思います」(望月記者) 人柄と政治手腕はある程度評価されている野田氏。ただ、能力や適性があるからといって、総裁選に出られるわけではない。今、野田氏の足を引っ張るのが夫の疑惑だ。出馬も難しいという声も漏れる。「野田氏イコール夫ではないわけで……。たとえば、夫婦別姓が進んでいるフランスならば、夫がどうであろうが妻は別人格ととらえられるでしょう。個が確立して、認められている社会ならば、野田氏の夫の件も切り離して考えられると思いますが、日本は夫婦が一体に見られてしまう。男性総裁候補者で妻に何か懸念点があるという逆バージョンだったら、ここまで焦点になるかは疑問です。あくまでも、政治家の世界においてですが、日本で生き残るには小池百合子都知事のように独身を貫くしかないのかもしれません」(望月記者) 背後に安倍氏が見え隠れする高市氏、脛に傷を抱えているような野田氏だが、中島さんは高市総理も野田総理もあり得ないと話す。「高市さんも野田さんも総理総裁にはならないと思います。高市さんは安倍元首相の極端な思想をそっくり持っている人物なので、“名誉男性”的なポジションなのではないでしょうか。たとえると、性別が女性の“おっさん”。野田さんは自民党内ではリベラルを標榜してきた人ですが、“女性はうそをつく”発言の杉田水脈議員の辞職を求める署名を受け取らなかった。大事なところで腰の引けた態度しかとれなかったのが残念です」(中島さん) 最後に、高市氏や野田氏以外で、総理の器があると思える女性議員の名前を挙げてもらった。「女性首相第1号に推すなら、福島瑞穂さん。野党が合意した政策はしっかりしたもので、福島さんなら実現してくれると思うし、この10年の不正をただし、まっとうな政治をやってくれると思います」(中島さん) 一方、望月記者はこう見る。「前男女共同参画担当相の橋本聖子さんは、ジェンダー平等を訴える若手の女性起業家や学生らに一目置かれていました。でも、総裁選には名前が出てこないのです。総裁選に出るような女性議員は、自民党内でキワモノ扱いをされている感も否めない。女性として生きてきた実感から、今の日本の社会を変えていかなければならないという志のある人物ではないのです。一般の女性たちの多くが感じるような疑問を政治でなんとか解決したいという人は総裁選には出ない。そこが日本の限界なのかもしれません。今回の総裁選は女性からするとシラケてしまいますね」(望月記者) 典型的な男社会と言われる政治の世界だが、2人の女性総裁選候補の動きで空気は変わるのか――。(AERAdot.編集部 太田裕子)

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