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    自民64議席減の予測 石原伸晃 下村博文、萩生田光一も当落線上か

     天下分け目の衆院選が近づきつつある。新総裁のもとでイメージを一新した自民党に、野党は今回もしてやられるのか……いや、そうとも限らない。過去のデータを分析すると、野党共闘の成立次第で勝敗はガラッと変わることがわかってきた。 *  *  *  コロナ禍の拡大で国民から総スカンを食らった菅義偉政権。衆院議員の任期満了が10月21日に迫るなか、自民党は近年では最大の危機を迎えていた。ジャーナリストの二木啓孝氏は言う。 「8月ごろに自民が実施した衆院選の情勢調査は『60議席±10減』という衝撃的な結果だった。二階俊博幹事長が8月末にその資料を持って菅義偉首相と官邸で面会。この数字が退陣の決定打になったと言われています」  次期衆院選の定数は465。過半数確保には233議席が必要だ。自民の現有議席は275で、43議席減らすと自民単独過半数割れ。また、公明党の現有議席は29。自公両党で合計72議席減ると与党過半数割れとなる。自民にとって“政権からの転落”が現実味を帯びていたのだ。  進退窮まった菅首相は9月3日に総裁選不出馬を正式表明。11月までに実施される衆院選は新しい首相・総裁のもとで実施されることとなった。その後は連日、メディアをジャックした「総裁選ショー」で菅政権の失政は“リセット”され、またも与党は安泰……という結果になるのだろうか。  だが、次の衆院選は前回と決定的に違う点がある。前出の二木氏は言う。 「2017年の衆院選で与党が圧勝したのは、選挙直前に民進党(当時)が希望の党と立憲民主党に分裂し、混乱の中で共産党との選挙協力も進まず、野党候補者が乱立したから。今回は前回ほど野党候補者の分裂選挙にはならない。自民は決して安泰ではなく、『どれだけ負けを減らせるか』の戦いになるでしょう」  そこで本誌は、17年衆院選で仮に野党候補者の一本化ができていた場合、選挙結果がどうなっていたかをシミュレーションした。なお、国会で与党寄りのスタンスをとり、立憲らと明確に距離を置く維新の会は、野党候補の票に合算していない。  その結果は衝撃的なものだった。野党の合算票が、勝利した与党候補者の票を上回った小選挙区は64。なかには、石原伸晃元幹事長(東京8区)、下村博文政調会長(東京11区)萩生田光一文部科学相(東京24区)、上川陽子法相(静岡1区)など、現職大臣や要職経験者といった“大物議員”も複数含まれていた。  さらに、17年衆院選と19年参院選で与野党が拮抗した選挙区や、保守分裂選挙になりそうな選挙区など13選挙区を抽出した。この合計77選挙区が、与党の「“落選危機”リスト」だ。仮にこれらの選挙区をすべて落とせば、「自公で過半数割れ」もあり得る。  個別の選挙区事情を見ても、与党が安泰でないことがわかる。永田町関係者は言う。 「香川1区の平井卓也デジタル担当相は、立憲の小川淳也衆院議員と拮抗している。小川氏を主人公にしたドキュメンタリー映画がヒットしたことで、メディアへの露出も増えた。与野党逆転があるかもしれない」  東京9区は菅原一秀前経産相が違法な寄付で略式起訴され自民を離党。自民は候補者を立てられず不戦敗の公算大だ。  石原伸晃氏だけではなく、弟の宏高衆院議員(東京3区)もリスト入りしている。 「東京3区は立憲の松原仁衆院議員が保守層にも浸透している。野党一本化が実現すれば、伸晃氏と一緒に兄弟で危ない」(自民党関係者)  広島3区からも目が離せない。二木氏は言う。 「河井克行元法相の選挙買収事件を受け、公明の斉藤鉄夫副代表が候補者になりましたが、選挙戦で手足になる主だった自民系地方議員のほとんどは河井氏から現金をもらっていて活動ができない。4月の参院広島選挙区の再選挙も野党候補が勝利している。斉藤氏はかなり厳しい」  野党が決して非力でないことは、次のデータからも読み取れる。  17年衆院選で全国の比例得票数は、自公が計約2553万票なのに対し、立憲・希望・社民・共産は計約2611万票で野党が上回っていた。  19年参院選の結果を見ても、リストにある宮城、秋田、長野、静岡、愛知、滋賀、京都、大分は野党の合算票のほうが多い。東京は与党が上回ったが、得票率の差はわずか1.8ポイント。同じく与党合算票が上回った千葉と神奈川も、その差は5ポイント未満だ。北海道では、知名度の高い高橋はるみ前北海道知事が自民から出馬した影響で選挙区票は与党が上回ったが、比例票は野党のほうが多かった。  もちろん、野党がその“潜在能力”を発揮するには、まだまだ突破しなければならない壁がある。  一つは自民党新総裁が誕生した際の「ご祝儀相場」だ。昨年、菅首相が誕生したときも内閣支持率は一気に6割以上まで回復した。政治アナリストの大濱崎卓真氏は言う。 「メディアでは総裁選ばかり取り上げられ、野党の存在感は埋没している。しかし、総裁選後は臨時国会が開かれ、代表質問も実施される可能性が高い。野党は総選挙に向け、早めに争点を設定しておく必要があります」  最大の問題は、野党が候補者を一本化できるかだ。現在、次期衆院選の289選挙区のうち、立憲の候補が共産、社民、れいわと競合する選挙区が70以上残っている。前出の大濱崎氏は言う。 「菅首相の不出馬表明で与党有利な状況になり、共産や国民も比例票狙いで候補者を多く立てたいという考えが強くなっている。あと1カ月程度でどの程度まとまるかです」  野党候補の一本化を目指すため、立憲の平野博文選対委員長は9月24日、同党の小沢一郎衆院議員に共産党との交渉役を依頼した。過去の失敗から学習し、力を結集できるのか。それ次第で、11月以降の政治風景は激変する。(本誌・西岡千史、池田正史) ※週刊朝日  2021年10月8日号

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    ドレスで旅立った母 新田恵利が在宅介護で6年半、頑張れた理由

     6年半もの間、母親を在宅で介護したタレントの新田恵利さん。介護中のエピソードや、頑張ることができた理由を明かす。 *  *  *  今年3月に母(享年92)を見送りました。腰椎(ようつい)の圧迫骨折がきっかけで要介護4になり、2014年の秋に始まった母の介護。家をリフォームしたり、おむつフィッターという資格を取ったり、介護と向き合って頑張ってきましたが、介護7年目の春に旅立ってしまいました。  天真らんまんの正直もので甘えん坊。私は結婚する際に夫に言いました。「私と結婚したらもれなく母と犬がついてきますよ」と。夫は快く承諾し、在宅介護に協力してくれました。母は夫のことが大好きでした。彼の言うことはよく聞いていました。食の好みも似ています。  在宅介護は大変です。何度も母とぶつかって互いに嫌な思いをしました。母娘だから遠慮がない。寝たきりの母を何度泣かせたことか。けんかした後は2階に上がり、夫に「また泣かせちゃったよ」。  本当は30分後ぐらいに下りたいけれど私にも意地がある(笑)。2時間後ぐらいに「じゃ、様子見てくる」って下りていく。母はけろっとしていますよ。  今年の1月はお雑煮も食べられましたが、2月になって少しずつ物が食べられなくなって、会話も単語だけに。傾眠が続くようになりました。  生命力が徐々に落ちていくのがわかりました。受け止めたくはなかったけれど、別れが近づいているなと。そこで2月から「エンディングドレス」を作り始めました。 「最期はウェディングドレスで旅立ちたい」という母との約束をかなえたくて。日々衰えていく母の介護をしながらエンディングドレスを作っていく日々はつらくて悲しくて。仕上げたら逝ってしまうようで。亡くなった日に作り上げました。  母がもし「施設に入りたい」と言えばそうしたかもしれませんが、最期まで家で良かったと思います。最期まで私たちを認識してくれていたのは救いでした。  ここまで介護を頑張れたのは、もちろん母のことが大好きだったのが一番ですが、三つあります。  一つ目は「(母が間違えたことをしても)決してたださず、ありのままを受け止める。母のやりたいようにさせた」ということ。無理に押し付けると遠回りになる。母には笑っていてほしかったから、お菓子しか食べないというときは「はい、はい」と受け入れました。  二つ目は、兄と協力し、一人で抱え込まずにすんだことです。  そして三つ目が「徹底して味方となる存在に愚痴を聞いてもらう」です。夫には「何にも言わないで。聞いてくれるだけでいい」と頼みました(笑)。解決策を聞きたいわけじゃない。ただただ聞いてほしいときに人生の味方がそばにいるというのは本当に救いです。どんなときも否定せず、「うん。うん」と笑顔で私を受け止めてくれた夫には感謝しかありません。  母を送ったばかりの今はまだまだ寂しいけれど、2人でこれから楽しい老後を送ろうね、と話しています。 >>【関連記事/元おニャン子・新田恵利さん 母親の介護を支えた夫の気づき 助言より「黙って聞く」】はこちら※週刊朝日  2021年10月22日号

    週刊朝日

    9時間前

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    眞子さまの結婚どう思う? 瀬戸内寂聴が27歳スタッフに質問した結果

     半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。*  *  *■横尾忠則「スジ金入りの肉体的朦朧体、大観より本格派です」 セトウチさん 耳が聴こえなくなったと言うと、「きっと作品が変るわよ」と、ベートーベンじゃあるまいし、変なことおっしゃると、その時はそう思いましたが、本当に変ったんです。その変り方が理に適(かな)っているといえば適っている。つまり聴こえないことは、音の輪郭が失くなることです。そうなると音が朦朧(もうろう)となって、横山大観の朦朧体の絵のように音がボケて聴こえるんです。耳がボケると、日常生活もボケて、曖昧模糊(あいまいもこ)となって、したことと、してないことの区別もわからなくなるんです。つまり虚実の区別ができなくなって、夢で見た仕事の依頼を、本当に依頼されたと思って、やっちゃったりするんです。ボケの症状に似てるけれど、ボケ老人になったんではなく耳のせいだと理解しているので、そこはまだ理性がコントロールしています。 ハイ、絵の話だったです。大観は思想で朦朧体を描きましたが、僕はスジ金入りの肉体的朦朧体なので、思想のようなチョロコイ考えではなく、肉体的ハンデキャップによる堂々たる自然体派です。大観よりこっちの方が本格派です。そんなわけでセトウチさんの大予言は的中しました。 先っきも言いましたが境界線が失くなるということは自由のキャパシティも拡張したことになります。近代人は何でもかんでも境界線を引いて、全てを分業化します。縄文時代はひとりの人間が、多面的に物事をこなしていました。狩猟(しゅりょう)も農業も、漁業も工芸も、子育ても、教育もひとりでするという、境界線をはずした労働生活です。現代のような役割分担などしません。正に多義的です。越境した狩猟社会です。 難聴が与えてくれた神の恩寵です。だから病気の高徳です。僕が度重なる病気によって救われてきたということはこういうことです。神は人間に色々な苦難を与えますが、病気は罪ほろぼしでもカルマ落としでもなんでもないのです。人間の進化向上のためのカリキュラムだと思えばどうでしょう。難聴のほかに、腱鞘炎(けんしょうえん)にもなりました。もう、セトウチさんの「幻花」のような繊細(せんさい)な描写の絵など描けません。今は太い筆やハケを握りしめて、キャンバスにバンバン叩きつけるように描いています。それも痛いので、左手で描きます。左手は思うような形が取れません。幼児の絵より下手くそになります。でも、デュビュッフェは幼児の絵のマネをして、幼児風に描きますが、そんな意図的なことをしなくても、僕の左手はそのまま幼児以上に下手に描けます。これもハンデキャップから来た自然体です。 今書いている手紙では、前にも同じことを書きましたかね。境界を越えると時間差もなくなって、やったことと、やらないことの区別がわからなくなるのです。いよいよ本格派老人です。100歳老人のセトウチさんにも負けていません。ただ僕はセトウチさんのように年齢には拘っていません。拘っているのは他人の方で、今行っている展覧会では「85歳、85歳」と年齢を売り物にされています。歳のことは言うな! アーティストには年齢はないのです。昨日の続きが今日、今日の続きが明日です。原始社会では年齢など無関係です。アーティストは原始人です。■瀬戸内寂聴「私もヨコオさんに負けないように!」 ヨコオさん 何だか、ずいぶん久しぶりにこの往復手紙を書いているような気がします。 それにしても相変わらずコロナは豪勢を極め日本はおろか、世界的にその力を奮っています。 コロナのせいで、人に会えず、寂庵はずっと門を閉めっぱなしです。コロナになる前はもちろん、一も二もなく門内に入ってもらっていました。 大抵遠く九州や東北から来られた人で、まだ生きている私に逢えたと言って、抱きついて泣き出します。もちろん、私は丁寧にお迎えして、写経などしてもらい、お茶菓子を一緒に食べて、しばらくその人のお話を聞きます。つきあいの人もあれば、寂庵の信者を自称する人もあり、初めて門内に入ったという人もいます。「まさか、門内に入れてもらえると思わなかった」と泣き出す人もあれば、「生きている寂聴さんに逢えた!」と、子供のように足を踏み鳴らす人もいる。「とても百歳には見えない!」と誰もが感嘆してくれるが、終日ベッドに横になり、本ばかり読んで、一日を過ごしている私の毎日の状態など話せない。私は、人に逢っている間だけは、必死になって元気らしさを演じ、声を張り上げる。客の帰る時は、長い廊下の途中で、へばってしまい、さっさと歩く客の跡がおえない。 ──だって百だもの……──と、私は廊下の途中で、ペシャンコに座り込み、つくづく、自分に向かって言う。 食事だけは時間が来ると、しゃきっと体がのび、食卓の自分の位置に早々と座り込んでいる。「あら、お昼はもう召し上がりましたよ!」 スタッフの一人が、わざと大きな声を張り上げる。「私のスパゲティは、どうしてこんなに美味しいのだろうなんて、お世辞までいただいて」「そうよ、ほんとに! でも今ここに座ったのは、食べるためでなくて、眞子さんの結婚をどう思うかって、寂庵で一番若い二十七歳のP子の意見を聞きたいのよ」「ああ、眞子さん、ほんとに、よかったですね。大体、みんなあんまりこの結婚に意地悪すぎましたよ。でも、どうして一時金を眞子さんは辞退なさるのかしら? 貰う権利のあるお金でしょう? あんまり弱気にならない方がいいと思うけど……」 ヨコオさん、今、寂庵の中は、こんなにのんびりしています。耳が聞こえないのは、私も同然です。テレビの時なんか、びっくりするほど大きな声にしてくれるので、何とか会話が出来ています。鶯も、秋の夜の虫の音も、私の耳にはさっぱり聞こえません。ヨコオさんとTELしてるのを横で聞いてる人があれば、どんなにおかしいでしょうね。耳だけでなく体のあちこちがどしどし衰えてきます。 そのうち、きっと、自分の死んだこともわからなくなって、──ヨコオさんにTELして!──など叫んでる日が来るのでしょうね。でも目がよく見えているので、一日に二冊は厚い本を読み切っています。ヨコオさんの展覧会、ますます人気上昇でおめでとうございます。私もヨコオさんに負けないよう、あっとこれまでと変わった小説を二つくらい書き残して死にたいものですね。 では、また。※週刊朝日  2021年9月17日号

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    「まさかの落選危機も…」官邸と与党が心配する岸田内閣の現職3閣僚

     自民党は衆院選に向けて、第2次公認を発表した。二階派と清和政策研究会(細田派)、麻生派などで保守分裂か、と注目されていた群馬1区や福岡5区などの小選挙区の候補者が決定している。  党内で公認争いが激化していた小選挙区の調整は、甘利明幹事長と遠藤利明選対本部長が中心になっていた。だが、公認直前には麻生太郎副総裁も加わった。 「15日に官邸で麻生氏、甘利氏、遠藤氏が岸田首相と断続的に会談して、候補者を調整していました。岸田首相はずっと険しい表情でしたね」(自民党幹部)  岸田内閣が発足し、わずか10日で解散となり、選挙に突入するという異例の短期決戦。組閣から間がないので、現職閣僚が苦戦している小選挙区がいくつもある。  特に自民党、官邸が「負けたら大変なことになる」と力を入れるのが、初入閣した大臣たちの選挙区だ。  西銘恒三郎・復興相(竹下派)の沖縄4区、山際大志郎・経済再生担当相(麻生派)の神奈川18区だという。  西銘氏は当選5回で父親の順治氏は沖縄県知事、衆院議員を務めた政治一家だ。しかし、地元の自民党県議は険しい表情だ。 「西銘氏が復興相になったのは追い風だ。これで挽回したい」    自民党が10月に実施した世論調査では西銘氏と立憲民主党の新人、金城徹氏は差がわずかで、大接戦となっている。立憲の世論調査の数字では、金城氏が西銘氏に対し、わずかに優勢という数字だった。西銘氏は過去5回の当選の中で、4回は小選挙区で当選、1回は比例復活している。 ◆西銘復興相と「オ-ル沖縄」立憲新人が接戦の沖縄4区  2009年に旧民主党政権が誕生した選挙では、比例復活もできなかった。相手の金城氏は元那覇市議で議長も務めた。元沖縄県知事の翁長雄志氏(故人)と近く、市議時代は自民党から出馬したこともあった。保守と革新が呉越同舟の「オール沖縄」からの支援も受けている。 「もともとは西銘氏の強固な地盤でしたが、沖縄で強い革新票は確実に金城氏がとるでしょう。金城氏は自民党にいたこともあり、西銘氏支援の保守層にも食い込んでいる。それが接戦になっている要因の一つです」(立憲幹部)  17年の衆院選で自公政権が圧勝した中でも、沖縄は小選挙区4つのうち1つしかとれなかった。それを死守したのが、西銘氏だった。今回もデッドヒートを勝ち抜くことができるのか?  一方、経済再生担当相の山際氏の地盤、神奈川18区は、立憲元職の三村和也氏と日本維新の会の新人、横田光弘氏の3人が争う構図だ。 ◆山際経済再生担当相と立憲元職が激戦  山際氏は当選5回。自民党の世論調査では山際氏が立憲の三村氏や維新の横田氏より優勢となっている。しかし、山際氏と三村氏には、わずかな差しかないという。また立憲の世論調査では、山際氏と三村氏は接戦となっている。17年の衆院選では、山際氏が希望の党から出馬した三村氏に5万票ほどの差をつけて圧勝した。 「前回のように、圧勝してほしいですが、現状では1票差でもいいので小選挙区当選が目標です」(山際陣営の地方議員)  立憲の三村氏はかつて菅義偉前首相の神奈川2区が地盤だった。09年に民主党と政権交代を果たした選挙では、菅氏を約500票差まで追い込み、比例復活当選を果たし、バッジをつけた。  その後、選挙区を何度か変更し、今回は前回(希望の党)と同じ神奈川18区から出馬となった。 「これまで選挙区が定まらなかったが、神奈川18区で連続しての出馬となり、三村氏の名前が浸透してきた。また野党共闘で共産党候補がいない。世論調査でも立憲や共産党の支持者から確実に数字がとれている。神奈川18区の政党支持率も自民と立憲の差はわずかで、いい勝負をしている。山際氏という現職閣僚に勝てる小選挙区として重点を置いている」(立憲の幹部)  神奈川18区は川崎市高津区など北部に位置するが、8月の横浜市長選が微妙に影響している。菅氏が必勝を期して送り込んだ、小此木八郎氏が落選し、立憲が推した山中竹春氏が勝利した。 「川崎市は横浜市に隣接する都市部。まだ8月の横浜ショックが尾を引いて自民党と訴えても反応が鈍い。山際氏は経済再生担当相とコロナも担当する。多忙でしょうが、頻繁に地元に帰ってもらわないと厳しい」(山際陣営の地方議員)  そして現職閣僚でもう一人、苦しい選挙戦となっているのが、連立与党・公明党の斉藤鉄夫国交相だ。これまで斉藤氏は比例中国ブロック選出だった。  だが、19年の参院選で自民党の河井克行、案里夫妻が広島県選挙区の地方議員や有権者に計2900万円をばらまいた公職選挙法違反事件が起こった。法相まで務めた克行被告は、1審の有罪判決で議員辞職。そこに名乗りを上げたのが斉藤氏だった。広島3区で当選してきた克行被告は、約8万5千票を獲得していた。 ◆議員辞職した河井元法相の広島3区 自民動かず、焦る公明  17年の衆院選で公明党が広島3区の比例代表でとったのは、約2万5500票。広島市議選などの結果からも公明党の基礎票は2万5千票とみられる。そこに6万票の上積みが必要で自民党の協力なくして、当選はない。  また、公明党の小選挙区立候補は原則、比例代表との重複立候補はしないので、斉藤氏は勝ち抜くしかないのだ。  最新の自民党の世論調査を見ると、斉藤氏が立憲の新人、ライアン真由美氏に大きな差をつけている。だが、今夏の世論調査ではライアン氏が僅差だが斉藤氏を上回っていた。  立憲の世論調査では、斉藤氏とライアン氏はまったくの横並びだった。公明党幹部は浮かない顔でこう話す。 「斉藤氏が勝つには自民党さんに頑張ってもらうしかない。だが、河井夫妻の事件があって正直、動きは鈍い」  自民党広島県連から河井夫妻の事件に関与した県議や市議らに対し、「一切、衆院選には関わるな」とお達しが出ているという。 「岸田首相も以前、河井夫妻の事件に関係した地方議員は処分という趣旨の話をしている。公明党が何を言っても動きようがありません。岸田首相が手のひら返しで斉藤氏を応援しろと言っても、やる気はしませんね。有権者の目線も冷たいです」(自民党の広島県議)  だが、斉藤氏も黙っていることもできず、河井夫妻の事件に関与した地方議員にも声をかけて応援を要請するという歪な展開になっている。  立憲幹部は自信ありげに言う。 「自民党は動いていない。それで公明党は必死になっており、政権与党の足並みが乱れている。ライアン氏は広島3区で長く活動しており、国交相を新人が破るという大番狂わせも十分、可能性がある」  広島3区からは他にも日本維新の会が新人の瀬木寛親氏、「NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で」の矢島秀平氏、無所属の大山宏氏と玉田憲勲氏も立候補を表明している。広島3区は中選挙区時代、岸田首相の地元でもあった。  そこで指導力を発揮できなければ、「自公政権に亀裂が入りかねない」(自民党幹部)という声もでている。 (AERAdot.編集部 今西憲之)

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    6時間前

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    小室圭さん帰国便同乗者が目撃した姿「彼はまるでエグゼクティブ」 自宅前では深々とお辞儀

    颯爽と歩きながら、小室圭さんがアメリカから帰国した。日本の地を踏むのは2018年8月に渡米して以来、3年2か月ぶりだ。  成田空港は多数の報道関係者が集まっており、ピリピリムード。報道陣に対して、カメラのフラッシュ禁止、声掛けも禁止といった規制が敷かれていた。報道関係者からは「どうして?」と不満の声も漏れていた。  午後3時20分過ぎ、成田空港に飛行機が到着。一般客が飛行機から降りたあと、小室さんが、報道陣の前に姿を現した。警護と思われる男性やキャビンアテンダント(CA)の女性などに囲まれていた。キャリーバックを転がしながら、白マスクに、濃紺のスーツ、ストライプの入ったシャツ、ノーネクタイといういで立ちで、髪の毛は後ろに縛っていた。  飛行機から出てきた小室さんは報道陣に一礼したあと、新型コロナウイルスの抗原検査、そして入国手続きに進んだと見られる。  小室さんは機内でどのような様子だったのか。偶然、同乗していた男性(51)に話を聞くことができた。 「私がファーストクラスで座っていると、ドアが閉まるギリギリになって小室さんが搭乗してきました。まるでエグゼクティブのようでした。後ろの髪を結っていたので、すぐに彼だとわかりましたね。彼一人に女性CAが2人くらいついて、会話しながら案内されて入ってきました」  当初はエコノミークラスのチケットを買ったと報じられていたが、この男性はこう語る。 「右の列のビジネスクラスの前方の席で、窓際に座っていましたね。私の席から右斜め後ろのほうの席でした。ただ、カーテンでファーストクラスとは仕切られていたので彼の表情などはわからなかったです」  男性は飛行機から降りた後、抗原検査のために、大きめの部屋に移ったという。40分ほどその部屋に滞在したが、そこに小室さんの姿はなかった。 「今か今かと待っていたのに、残念でした」(男性)  そのころ、到着ロビーには多数の報道陣のほか、「皇室系Youtuber」といったタスキをかけた人物や一般客も小室さんの姿を一目見ようと集まっていた。その数、50~60人ほど。  津田沼から来たという白髪交じりの一般男性は手にハンディカムを持ち、小室さんを待ち構えていた。妻に頼まれて自宅で見るために撮りに来たという。  しかし、小室さんは一般客が使う到着ロビーを通らず、地下駐車場から車に乗り込み、成田空港を後にした。「地下駐車場から空港を出たらしい」と男性に知らせると、「こんなに待っていたのに……」と不満げな様子だった。  小室さんを乗せた乗用車が向かった先は、母・佳代さんが住む横浜の自宅だった。自宅前は朝から報道陣が詰めかけ、警察は臨時の派出所を設置し、周辺警備に当たるなど、ものものしい雰囲気が漂っていた。夕方には100人を超える報道陣が押し寄せており、ベランダから様子を一目見ようとする住民の姿も見られた。  19時過ぎ、小室さんを乗せた車が到着。警察が後部座席のドアを開け、車から出てきた。小室さんは、報道陣から「どんなお気持ちですか」と声を掛けられたが、反応は示さず、自宅マンションの入り口で2回ほど深々とお辞儀をして、黒いスーツを着た男性らと中に消えていった。  近くに住む60代の男性はこう語る。 「ヘリコプターの音がすごくて『何事か』と思って見に来た。3年前の婚約会見後のときと同じような状況だと感じましたね。小室さんがニューヨークに行ってからは、静かになっていたんだけど……。またしばらく騒々しくなるのかなと思っています。どの家庭も問題を抱えていますし、小室さんと眞子さまも早くアメリカで幸せになってほしいですね」    小室さんは今後、自宅で2週間の隔離を終え、その後、記者会見に臨むと見られている。果たして何を語るか。注目が集まる。 (AERAdot.編集部/上田耕司、飯塚大和、吉崎洋夫)

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    元おニャン子・新田恵利さん 母親の介護を支えた夫の気づき 助言より「黙って聞く」

     親の介護をするとき、夫婦はどんな形が望ましいのか。自身の母親の介護を6年半続けたタレントの新田恵利さん(53)は、介護中の悩みや怒り、つらさ、悲しみなどを乗り越えられたのは、「夫の存在が大きかった」と言います。新田さんの地元、神奈川県の逗子海岸で、新田さんと夫の長山雅之さん(52)が、そろって介護の時の様子について語ってくれました。 ―1年前の新田さんへの取材では、「母が旅立った時、後悔しないように、そう思ってやっている」とおっしゃっていました。終わってみてどうですか? 新田恵利(以下、新田):はい。最後に温泉に連れて行ってあげたかったな、とか重箱の隅をつつくように振り返れば小さな悔いは出てきますが、でも「悔いはありません」。そう言い切れます。17歳の時、父が急死したので、それからずっと母を大切にしよう、母を守ろう、母が亡くなるその瞬間まで大切にしようと、そう生きてきました。 ―夫婦で旅行する時はいつもお母様がご一緒だったのですよね。 新田:母に「来る?」と聞くと、元気なときは100%「うん」でしたからね。母は夫のことが大好きで、夫も母を大好き。日々の生活も旅行も、いつも私たちは一緒でした。夫と付き合っている時から、「私と結婚したらもれなく母とワンコがついてくるよ」と彼には伝えていましたし(笑)、それを理解した上で私を受け入れ、母も私も大切にしてくれました。 長山雅之(以下、長山):(新田さんとお母さんの関係は)もう別物でしたからねー。私の母は実業家で恵利のお母さんとはタイプが違う。早くに離婚して、必死でした。私は家政婦に育てられたような感じです。ですから、いわゆる家庭のお母さんの愛情というのを、義母からいっぱい注いでもらった感じです。まだそばにいるような気がして、不思議な気持ちです。恵利と買い物に行っても「お母さんの分は?」というのがなくなってしまった今、とても寂しいです。 新田:母と夫は食の好みも一緒でした。母は彼をすごく信頼していて、私の話よりも素直に聞くんです。だいぶ前になりますが、彼が入院した時は、私の代わりに「枕をもっていってあげたい」とお見舞いに行って、戻ってから家で泣いていました。かわいそう、かわいそうって。母も不安だったんでしょうね。 ―そんな長山さんは、お母さまの旅立ちまで、恵利さんの介護に寄り添われました。 新田:私たち夫婦と兄、母は同じ一軒家に暮らしていました。1階に母と兄、2階が私たち夫婦です。母のために「顔出して」と言うと、夫はいつだって、「お母さん、どう?」とすぐに下りてくれました。それだけで母のテンションが上がったんです。 ―長山さんは、2年前までテレビ局にお勤めでしたね。 長山:はい。いまは独立してフリーの水中VRカメラマンです。 新田:夫は会社員時代も、仕事がある日でも、母の通院に付き添ってくれて、私が話を聞いて欲しい時は、翌朝が仕事で早い日も、私が「明日でいい、大丈夫」と言っても、「いいよいいよ。今話を聞くよ」と夜遅くまで聞いてくれました。私が大変な時は一番近くで見ているからわかるんでしょうね。何よりも優先してくれました。私も甘えて、何でも話していました。私のストレスのはけ口が夫でした(笑)。 長山:我慢したり苦しんだりする姿を見たくなかったからです。結婚したばかりの頃の恵利はすごく我慢をしていて、夜中の就寝中に「ざっけんじゃねーよ」なんて、昼間のうっぷんが寝言で出てきていたこともありました(笑)。それがその後は、「あなた間違ってる! 聞くだけでいいの。黙って聞いてて」て言うようになりましたからね~。 新田:解決策とか求めていないから、ただ聞いてくれるだけでよかったの。 ―長山さんはあえて何も言わずに聞いていたんですね。 長山:最初のうちは、どうしたらいいんだろうと、解決策ばかりを考えて聞いていましたが、だんだんそれよりも、「ちゃんと聞く」に集中する方がよっぽどいいと気づきました。 新田:そうそう。 長山:今日3回目の「くそばばあ」かな、て思いながら聞いていました(笑)。 新田:「(母を)泣かせてきた!」と言っても、驚きもせず笑顔で聞いてくれたよね。 長山:はい。聞きましたよ。 新田:たとえ私が悪かったとしても私の味方をしてくれるのがありがたくて。おかげで介護に煮詰まらず、やり遂げました。介護は大変です。一人で抱え込んでしまったら続かない。近くに理解者や、愚痴を言える相手をキープして、日々の悩みや苦しみをため込まないことが大切です。適切なアドバイスは、ケアマネジャーさんだったり、介護従事者の方だったりがしてくれます。日々の悩みは夫や家族などに、聞いてもらうのが一番だと思います。 長山:黙って聞く、だよね。 新田:はい。そうです。 長山:人を変えようとすべきではない。過去と人は変えられない。ならば今できることをやろう。そうやって生きるべきだと思っています。 ―長山さんは、恵利さんの介護から学ばれたことはありますか? 長山:恵利のやり切っている感じを見て、自分の方が悔いが残るな、と思いました。自分の母親(87)は、今は赤坂で一人暮らしをしています。義母を見送った体験を生かして、悔いのないようにしたいと思いました。恵利のおかげで、遠かった母親との距離が縮まり、隔週で赤坂に行くようになり、25年続いています。家族の愛を知り、人生の理想的な終わり方や見送り方を知り、大切な人との切ないながらも愛のある別れを体験しました。 新田:夫にも親を大事にしてほしい、と私が提案しました。それだけは強く言いました。これはすべての人に伝えたいのですが、介護でつながる絆があるということ、介護を通して見えるものがたくさんあるということ。これに気づいてほしいと思っています。 ―「おニャン子クラブ」のメンバーたちも介護の問題がふりかかる年頃ですね。 新田:私がぶっちぎりで早くに体験しましたが、みんなそろそろですね。私たち、そんな年になったんですよね。昔は10代だったファンの方も今は介護世代。楽しく「介護トーク」をしていますよ。これからもみんなで明るく楽しく年を重ね、介護を乗り越えていきたいですね。 ―6年半をふり返り、このほど出版された「悔いなし介護」(主婦の友社)には、「新田恵利流」の悔いなし介護の心得が詰まっていますね。  新田:「悔いなし介護」は、母が生きている時にほぼ書き終わっていて、見届けた話を最後に加えてまとめました。在宅でのみとりの魅力とか、見送った後のことは、これから発信していきたいと思っています。オフィシャルブログ「E-AREA」でも介護相談に乗っています。コロナが落ち着いたら少しずつ介護に絡めた講演活動も復活させていく予定です。 (聞き手/本誌・大崎百紀) >>【関連記事/ドレスで旅立った母 新田恵利が在宅介護で6年半、頑張れた理由】はこちら *週刊朝日オンライン限定記事

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    9時間前

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    育休中「復職したくない、専業主婦は特権階級」と言い出す妻 不満な夫にアドバイスは?

     育休から復職したがらない妻に夫は不満。専業主婦は「特権階級」か。「論語パパ」こと中国文献学者の山口謠司先生が、『論語』から格言を選んで現代の親の悩みに答える本連載。今回の父親へのアドバイスはいかに。 *  *  * 【相談者:2歳の息子を持つ30代の父親】 2歳の息子を持つ30代の父親です。育休中の妻が「パパ(私)の収入だけで暮らしていけそうだから、復職せずに専業主婦になりたい」と口にし始めています。私は会社勤務、年収800万円ほどで、世帯収入としては暮らしていけるのかもしれませんが、思いとどまらせたいです。妻は、育児中心の生活にすっかり慣れてしまい、働きたくなくなってしまったのです。  さらに、妻・母親としての世間の評価が気になるようで、「働かずに済む家庭は裕福な特権階級」とさえ思っているようです。私は実家が商売をやっていたために「健康な大人は働くべきだ」と教えられてきたので、「働かない人=怠け者」に思えます。「家事を完璧にして内助の功に尽くしたい」と妻は言いますが、毎日の食事や掃除、日用品の買い物などはそもそも妻の育休中から私が担当しており、仕事を辞めてまですることではありません。「良妻」の定義は昔と変わっています。妻を復職させたく、どう説得すればいいでしょうか。 【論語パパが選んだ言葉は?】 ・「幼にして孫弟(そんてい)ならず。長じて述べらるる無(な)く、老いて死せず。是(こ)れを賊と為す」(憲問第十四) ・「人にして仁ならずば、礼を如何(いかん)。人にして仁ならずば、楽(がく)を如何」(八イツ第三) ・「如(も)し周公の才の美有りとも、驕(おご)りて且(か)つ吝(やぶさ)かならしめば、其の余は観るに足らざるのみ」 (泰伯第八) 【現代語訳】 ・「幼いころは、目上の人に従順でなく、大人になっても何一つよいことをせず、年をとってからも、いたずらに生をむさぼっている。そういう人を『泥棒』と言うのだ」 ・「人として最も大切な愛情がないなら、礼儀をちゃんと守っても音楽をうまく奏でても、それが何になろうか」 ・「たとえ、完全無欠の才能があったとしても、人に対して驕(おご)り、卑しくけちな心を持っていたら、論ずるに足りない人物としか言えない」 【解説】 お答えします。妻が「復職せずに主婦業に専念したい」と願うのであれば、そうさせてあげてください。今、何を優先すべきかを考えたとき、夫婦にとって最も大切なものは、2歳の息子さんであると拝察します。息子さんの将来を考えて妻が育児に専念したいということなら、妻と力を合わせて、たくさんの愛情を大切な息子さんに注いでください。 『論語』には、孔子が、激しい言葉で、旧友の原壌(げんじょう)をなじった言葉がのこされています。「幼にして孫弟(そんてい)ならず。長じて述べらるる無(な)く、老いて死せず。是(こ)れを賊と為す」(憲問第十四)  あるとき、原壌は孔子と待ち合わせるのに、立膝をして待っていました。旧友を待つにしても無作法です。そこで孔子は言いました。 「幼いころは、目上の人に従順でなく、大人になっても何一つよいことをせず、年をとってからも、いたずらに生をむさぼっている。そういう人を『泥棒』と言うのだ」 「人生、100年」という時代、生まれたばかりの息子さんには、100年の人生が待っています。相談者さんは、息子さんが原壌のような「賊人」とならないようにすることを考えてください。その基本は、家族の絆です。その絆は、愛情によってしかつくることができません。  原壌には、母親に対する愛情さえ欠けていました。礼儀や慣習について書かれた『礼記』には、原壌の母が亡くなったとき、孔子が代理となって葬式を出してあげたのに、棺桶によじ登って歌をうたっていた、と記されています。  相談者さんは「働かない人=怠け者」という価値観からは脱皮すべきです。むしろ「愛情を持たない人=怠け者」と考えてみてはいかがでしょうか。人は、他人との関係の中で生きています。商売でも会社でも、礼儀はもちろん、信頼、感謝、尊敬、謙譲など、心からの「愛情」を抱いて人に接していかなければ、うまく発展させることはできません。これは、親が教えてあげなければならないことなのです。  孔子はこうも言います。「人にして仁ならずば、礼を如何(いかん)。人にして仁ならずば、楽(がく)を如何」(八イツ第三)。これは、「人として最も大切な愛情がないなら、礼儀をちゃんと守っても音楽をうまく奏でても、それが何になろうか」という意味です。  もし、相談者さんの妻が専業主婦として、夫を支え、息子さんにたっぷりの愛情を注ぐことができれば、きっと息子さんは原壌のような「賊人」と呼ばれる人にはならずに済むでしょう。子どもの時に得た愛情は、形には見えなくても、人の一生に深く大きく根を張ってくれるものです。専業主婦は、家族間の愛情を育む根源的な仕事だと考えれば、相談者さんが妻に対して敬意を抱くことにもなるのではないでしょうか。  最後に「働かずに済む家庭は裕福な特権階級」という妻の考えについて、一言付け加えておきます。「裕福」「特権」とは、「働かなくても済む」ことではありませんよ。「裕福な特権階級」とは、同時に「社会に対する責任」が重くなることです。 『論語』には、「如(も)し周公の才の美有りとも、驕(おご)り且(か)つ吝(やぶさ)かならしめば、其の余は観るに足らざるのみ」と記されています。 「たとえ、周王朝の政治と文化の創始者である周公ほどの完全無欠の才能があったとしても、人に対して驕(おご)り、卑しくけちな心を持っていたら、論ずるに足りない人物としか言えない」ということを言った言葉です。  相談者さんの家庭が、世間から見て裕福なのかはわかりませんが、本当の意味で裕福で、特権的地位、階級を持っている人たちは、「驕らない」「卑吝でない(自己の善意を出し惜しみしない)」ということを強く自らに課して、社会的責任を果たしてきました。相談者さんの妻は、「専業主婦」という職業を選んだのだと思って、家族の絆を結びつけ、世界中の「裕福」で「特権」を持った人たちと好きにお付き合いをされるといいのではないかと思います。 【まとめ】妻は「専業主婦」という職業を選んだと思って家族の絆を育てよう。ただし、「働かなくて済む」ことは「裕福さ」や「特権」ではない 山口謠司(やまぐち・ようじ)/中国文献学者。大東文化大学教授。1963年、長崎県生まれ。同大学大学院、英ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。NHK番組「チコちゃんに叱られる!」やラジオ番組での簡潔かつユーモラスな解説が人気を集める。2017年、著書『日本語を作った男 上田万年とその時代』で第29回和辻哲郎文化賞受賞。著書や監修に『ステップアップ  0歳音読』(さくら舎)『眠れなくなるほど面白い 図解論語』(日本文芸社)など多数。母親向けの論語講座も。フランス人の妻と、大学生の息子の3人家族。

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    4時間前

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    80歳を超えた二階氏、麻生氏は後進に道を譲るべき? 自民党若手と亀井静香氏に“本音”を聞いた

     自民党で長きにわたり権力を握ってきた二階俊博前幹事長(82)と麻生太郎副総裁(81)。2人はすでに80歳を超えてすでに「長老議員」の域に入っているが、いまだ派閥の領袖として若手・中堅議員への影響力は大きく、次期衆院選への出馬も決まった。衆院選の比例代表では「73歳定年制」という自民党独自のルールがあるが、この撤廃を求めるベテラン議員と堅持しようとする若手議員との間では意見が対立してきた。総選挙も間近に迫るなか、党内で長老議員が幅をきかせ続ける現状について、自民党の若手議員はどう思っているのか。現職の若手や自民党OBに聞いた。 *  *  * 「次の衆院選に私が立候補するのは、当たり前のことだ」  二階氏は今月2日、和歌山県内のホテルで後援会関係者ら400人を集めた会合を終え、記者団にこう述べた。当選12回。直近まで歴代最長となる5年超も幹事長として権勢を振るい、これまで自民党総務会長や経産相も歴任した二階氏だが、いまだ権力欲は衰えない。11日に自民党が発表した次期衆院選の1次公認候補(小選挙区)にも選出され、正式に出馬が決まった。だが、二階氏が出馬の意向を示すと、ネットでは「いつまで権力にしがみつくのか」「若い議員に道を譲るべきだ」といった批判も噴出した。  次期衆院選を機に、伊吹文明元衆院議長(83)、大島理森衆院議長(74)、塩崎恭久元官房長官(70)など、引退を表明した自民党の大物議員も多い。その一方で、二階氏や麻生氏は80歳を超えてもなお、後進に道を譲る様子はない。政治ジャーナリストの角谷浩一氏は、その理由をこう推察する。 「二階さんはこれから何かを成し遂げようというよりも、党内ににらみを利かせるために政界に残る判断をしたのでしょう。麻生さんもそうですが、官僚出身でない親分肌の党人派の人たちは、こういうことをやりたがる。二階さん、麻生さんの顔色をうかがいながら仕事をするのに疲れている若手・中堅議員は党内にたくさんいるはずです」  一方、80歳を機に政界を引退した元建設相の亀井静香氏(85)は、立候補を続ける二階氏の気持ちは「わかる」として一定の理解を示す。 「まだあいつは82歳だし、鼻たれ小僧だよ。今は議員も100年時代。逃げ出しちゃ駄目だし、二階には頑張ってほしい。特に今の与党は、若い連中がモヤシみたいに頼りないからね。そういう時には年寄りがしゃしゃり出て、『お前たちは何してんだ!』って背中を押さなければいけないんだよ」  和歌山3区で盤石の地盤を築いてきた二階氏であれば、次の総選挙でもまず負けはしないだろう。自民党も小選挙区では年齢制限を設けていないため、年齢に関係なく立候補することができるが、角谷氏は「負の側面もある」と話す。 「重鎮が『俺はまだやれる』と言えば、地元の有権者は当選させようと票を集めてしまう。だから、選挙で落ちることはほとんどない。『まだ元気なのだから、どんどん働いてもらえばいい』という意見は一見正しいように思えますが、政治家が一つの選挙区にしがみつけば、有権者の選択肢はそれだけ狭まるわけです。候補者も次第に権力のうまみだけを吸いたがるようになったりと、良いことばかりではありません。後進からすれば『あなたが牛耳っている限り、若い人が物を言いにくい』『ゆっくり休んで、後は私たちに任せてください』と思っている人も多いと思いますよ」  自民党は衆院選比例代表では「73歳定年制」の独自ルールを設けている。比例代表は名簿順でベテラン議員の方が有利になる傾向があるため、「世代交代」を促すのが狙いだ。  このルールが生まれたのは小泉政権時代。当時から長老議員の引き際は議論になっていたが、制度を設けた2003年には早速、引退をめぐる象徴的な騒動が起きた。当時85歳で比例の単独候補だった中曽根康弘氏(故人)に、小泉純一郎氏は「定年制」を理由に立候補を断念するよう勧告した。だが、中曽根氏は「これは政治的テロだ」として憤慨。議論が巻き起こったが、結局、中曽根氏が矛をおさめる形で同年に引退した。小泉氏は後に「嫌なことを言いに行くのは気が重かった」と述懐している。  昨年6月にも衛藤征士郎衆院議員(80)らベテラン議員が「政府が人生100年時代を唱える中で、年齢によって差別を行うのはおかしい」として、二階幹事長(当時)らに定年制廃止を求める要望書を提出。衛藤氏は「(二階氏は)当然じゃないか」と同意を示していたと記者団に語った。  こうした動きに、自民党青年局は、「(定年制撤廃は)世代交代に逆行している」として反発。当時の青年局長だった小林史明衆院議員(38)が下村博文選対委員長(当時)に定年制の維持を申し入れた。今年1月や8月にも、牧島かれん青年局長(44、現・デジタル相)が定年制厳守の申し入れをするなど、世代間の対立が続いている。  では、来るべき総選挙を前に自民党の若手議員はどう感じているのか。当選2回の三谷英弘衆院議員(45)はこう語る。 「定年制は、有権者からの期待に応えていくために必要な制度。この制度には、若い方をもっと登用してほしいという有権者の気持ちが反映されている。(政治の世界は)やはりどうしても高齢者ばかりになりがちなので、老壮青のバランスをとるために、党が決めた定年制をしっかり守っていただきたい」  二階氏、麻生氏ら重鎮が小選挙区で出馬を続けることはどう思っているのか。 「有権者から『国のためにこの人は必要だ』と思われるから当選するわけですから、それについては私がとやかく言えません。長年地盤を守ることも大変だと思いますし、80歳を超えても多くの方に応援してもらえるということは、それはそれで、すごいことだと思います」  その上で、党の未来についてこう話す。 「ご高齢の先生方に党内でいろんな仕事をされてしまうのか、それとも若手がご高齢の方を押しのけて仕事していくのかは、自民党の中にいるわれわれ次第。ご高齢の先生方に打ち勝っていく若い力をつけるためにも、党内で声を上げ、存在感を示していく必要があります。その意味で、若手の福田(達夫)さんが党総務会長に登用されたのは良いことだと思います」  当選3回以下の若手議員らでつくる「党風一新の会」に所属する衆院議員(50代)も、定年制については「厳守するべきです。中曽根さんをはじめ、歴代の議員たちも断腸の思いで勇退なさったわけだから、その決断を引き継いで尊重しなければならない」との考えだ。  また、当選3回の別の衆院議員(40代)も「(定年制は)そのまま堅持するべきです。経験豊富な議員が出ることにもメリットがありますが、それだと硬直化してしまう。党の若返りを図る意味でも、必要な制度だと思います」と述べた。  一方、前出の亀井氏は、定年制に反対意見を示す。 「赤ちゃんのくせにさ、『お父ちゃんお母ちゃんはもういらない』というのと一緒じゃないか。親だって、赤ん坊を捨てるわけにはいかない。もう親が必要ないなら、いなくなればいいんだけれど、子供が育たないとしょうがない。若い奴が育たないと引くに引けない。俺は今、社員2000人の会社を引き継いでいるけど、これも放っておけないんだよ」  だが、二階氏、麻生氏の2人は、その役割が果たせていないとも話す。 「今のままの2人だったら、引っ込んだほうがいい。老害になるよ。老害にならないためにはまず、あいつら自身が滝に打たれて考えなければいけないね。それで自らの歴史観、国家観をしっかりと持って、次世代に伝えていくべきだ」(亀井氏)  角谷氏は最後にこう語る。 「(長老議員が)権力がなければ仕事ができないと思っているのであれば、それ自体が問題です。議員バッジを付いていなくても、世のため人のために尽くしてきた人であれば、社会に貢献できるはずです」  80歳を超えた長老議員に権力を預けたままにしておくのか、若い世代による刷新力を期待するのか。「生まれ変わった自民党を国民に示す」と語った岸田首相の手腕が試される。(AERA dot.編集部・飯塚大和)

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    河北麻友子の人生の分岐点「ニューヨークで育って、死ぬと思っていた」

     ニューヨークで生まれ育ちながらも、日本の芸能界で活躍する河北麻友子さん。作家・林真理子さんとの対談では、自身の転換期を語りました。 *  *  * 林:はじめまして。まあ、なんてお顔が小さいんでしょう。背が高いんですね。もっと小柄かと思っていましたけど。 河北:ほんとですか? 163センチです。 林:あら、ふつうですね。お顔が小さいから背が高く感じるのかな。このたびはご結婚おめでとうございます。 河北:ありがとうございます。 林:どうですか、新婚生活は。 河北:何も変わらないんですけど、隠さなくてもよくなったという部分では、気がラクになりました。 林:コロナのときも、一人でおうちにいるよりは、二人でいるほうが楽しいですよね。 河北:はい、ほんとにそうだと思いました。コロナのとき家でずっと一人だったら、耐え切れなかったと思います。 林:今はご主人とお酒飲みながらネットフリックス見て楽しく過ごしているんですね。 河北:はい。今は「サイコだけど大丈夫」という韓国ドラマにハマってます。 林:お料理とかもするんですか。 河北:します、します。料理は私も彼も好きなので、二人で料理したりとか。 林:河北さんはニューヨークからの帰国子女ですけど、日本の男の人はアメリカの人に比べてもの足りないとか、そういうことはなかったですか。 河北:もの足りないとかいうことはないですけど、愛情表現が少ないなとは思いますね。だから「もうちょっと愛情表現してほしい」って要望を出しています(笑)。 林:芸能界広しといえども、ニューヨーク出身って河北さんくらいだと思います。ロサンゼルス出身はわりといらっしゃるけど。新田真剣佑さんとか。 河北:ああ、そうですね。確かにニューヨーク出身という方には、お会いしたことがないです。 林:しかも、マンハッタンなんでしょう? マンハッタンってニューヨークの中心部だけど、現地の学校に通ってたんですか。 河北:はい。ふつうの現地の学校に行ってました。 林:子どものときからブロードウェーのミュージカルとか見てたんですか。 河北:はい、見てました。 林:「キャッツ」とか「オペラ座の怪人」とか? 河北:「キャッツ」は、メチャクチャ繰り返し見ました。「オペラ座の怪人」も2回ぐらい見に行きました。 林:そのときから、私もああいう世界に行こうと思ってたんですか。 河北:ぜんぜんそんなことはないんです。たまたま11歳のときに、日本で「美少女コンテスト」(「全日本国民的美少女コンテスト」)というのがあることを知ったんです。それまでは将来何になりたいとかも考えないで、ふつうに学校に通ってたんですけど、「美少女コンテスト」というのに出会って、その年の夏休みは日本に行く予定がなかったので、コンテストに受かったら日本に行けるんだと思って、それで写真だけ送ってみたんです。落ちても何かを失うわけでもないし。 林:そうしたらトントントンッて行っちゃったんだ。 河北:まず10万人の中から書類選考で千人に絞られて……。 林:えっ、10万人も応募があるんですか。 河北:はい。「10万人の中の千人に選ばれました」って電話があって、家族で「それってすごくない?」「もう行くしかないでしょう」という話になり、日本に行くことにしました。その千人は対面式の面接があるんです、東京で。 林:ニューヨークからの旅費とか主催者側が出してくれるわけ? 河北:えーと、どこまで出してくれたか覚えてないんですけど、千人からどんどん絞られてきて、本選大会は21人なんです。その21人に選ばれて本選大会に出られることになったんです。 林:すごいじゃないですか。 河北:びっくりしました。私はそのとき、ニューヨークに帰るというのが絶対条件というか、そのまま日本に住むことはまったく考えていなかったんです。ところが、まさかと思っていたグランプリを取れてしまって、そこから日本に行くことを考え始めました。 林:そのとき11歳というと、小学校6年生ですよね。 河北:はい。「ニューヨークに帰って、レッスンをしてください」と言われて、そのあといろんなレッスンを受ける中で、芸能活動をやってみようかなという気持ちにだんだんなってきたんです。それで16歳のときに日本に来ました。 林:「美少女コンテスト」って、スターをいっぱい生んでいますよね。米倉涼子さんもそうだし、上戸彩さんもそうだし。そのグランプリを取って、お父さまもお母さまもびっくりですか。 河北:それはもう、全員がびっくりです。めちゃくちゃシャイで人見知りだったので、まさか私がグランプリなんて誰も思ってなかったと思います。 林:お友達もびっくりですか。 河北:いや、私の周りにも学校にも日本人はぜんぜんいなくて、日本人は自分一人だったので、ニューヨークの子たちはほとんど知らないと思います。 林:ニューヨークの友達には「マユ」と呼ばれてたんですか。 河北:「マユコ」(ユにアクセント)って呼ばれてました。 林:ニューヨークで、日本の雑誌やテレビは……。 河北:ぜんぜん入ってきていませんでした。ただ、ケーブルテレビでフジテレビだけは見られたんですよ。それで好きな番組を定期的に見てました。 林:当時のフジテレビってどんなのですか。 河北:「HEY!HEY!HEY!」とか「スマスマ」(「SMAP×SMAP」)とか。 林:ああ、その時代ですか。日本への憧れはあったんですか。 河北:すごくありました。 林:ニューヨークの女の子って、大学はどこに行くんですか。 河北:ニューヨークから出る人が多いかもしれないですね。私はニューヨークで生まれて育って、ニューヨークで死ぬと思ってたんですけど、この仕事をすることになって、日本に来たのが高校1年生のときだったんです。そして堀越高校に入ったんですけど、「堀越史上一のバカ」と言われて(笑)。 林:えっ、うそうそ! それは日本語がちゃんとできなかったっていうことでしょう? 河北:そうなんです。そう言われていたので、あまり説得力はありませんが、アメリカにいたとき、成績は悪くないほうでした。 林:じゃあ、将来は東部の有名大学に行こうと……。 河北:もしあのままニューヨークにいたら、あたりまえのようにそうだったんじゃないかと思います。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木敏雄) 河北麻友子(かわきた・まゆこ)/1991年、アメリカ・ニューヨーク出身。オスカープロモーション所属。2003年、第9回全日本国民的美少女コンテストでグランプリ・マルチメディア賞W受賞。モデルや女優など、幅広く活躍。「世界の果てまでイッテQ!」「BeauTV~VOCE」などのテレビ番組、「河北麻友子のマユコレ!」などのラジオ番組のほか、太田胃散「太田胃散整腸薬」、ライオン「Ban」、青山商事「ザ・スーツカンパニー2021春夏レディス」などCM出演も多数。 >>【河北麻友子、初対面の出川哲朗に「本番以外では、テッちゃんって呼ぶ!」】へ続く ※週刊朝日  2021年10月22日号より抜粋

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    古今亭志ん朝が死んだ10月…一之輔「“落語の灯”が本当に消えるかと思った」

     落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は「10月」。 *  *  *  秋ですなぁ。全国のお客さんから秋の味覚が送られてきます。最近はシャインマスカットなんて種無しで皮まで食べられるから、ちょっと種があるだけで「めんどくさ」なんて思っちゃう……人間というものは贅沢なもの。ただ今、栗ご飯を作るべく大量の栗の皮を剥いております。渋皮まで剥き残しが無いよう丁寧に丁寧に、物思いに耽りながら。  そう、本日、10月1日は「古今亭志ん朝師匠の御命日」。20年前。2001年のこの日、63歳の若さでお亡くなりになりました。私はその年の5月1日に春風亭一朝に入門。「落語家になる前に生の落語の聴き納めだ」とばかりに、4月上席池袋演芸場夜の部に通いました。志ん朝師匠がトリ、昼は真打ちになったばかりの柳家喬太郎師匠です。勿論、初日から昼夜で居続け……のつもりが、普段は昼夜入れ替えの無い池袋演芸場が3日目から入れ替え有りにしやがって……。日を追うごとにお客が増えていき、千穐楽はドアを開け放し、ロビーまで人が溢れてました。志ん朝師匠のネタは十八番「火焔太鼓」。この一席が私が素人として聴いた最後の落語でした。  その後、体調がすぐれないという噂は聞いてました。ですからお会いする機会もなかなか無いまま……8月中席浅草演芸ホール昼の部、毎年恒例『住吉踊り』、志ん朝師匠はこの興行の座長です。私は夜の部の新米前座でした。初日、早めに楽屋入りして夜の支度をしていると志ん朝師匠がお入りになりました。「わー、志ん朝師匠……」。本来、初めてお会いする師匠には先輩前座にお願いしてご紹介して頂くのが楽屋のルールなのですが、師匠はかなりお辛いようでそんなことを頼める雰囲気ではありません。そんな楽屋での様子を高座では微塵も感じさせず10日間つとめられ、季節は秋に。  10月1日、新宿末廣亭昼の部初日。2階の楽屋で働いていると先代の柳家さん助師匠が「志ん朝さん、亡くなっちゃったなぁ」と呟きました。「さん助師匠がなんか言ってますよ、兄さん」「あの歳だからなぁ、ボケちゃったんじゃないか?」なんて前座同士で話してたんですが、どうやら事実のようでした。誰かが亡くなっても芸人というのは心で悲しんで、表向きは軽口を叩いたりするものなのです。あの年の10月1日、いや、それからしばらくのあいだ、あんなにまで重苦しい空気の寄席の楽屋は覚えがありません。全ての芸人に、お客様に、愛され慕われた師匠でした。名人が亡くなると「落語の灯が消えた」などと安易に言う人がいますが、あの時は本当に『消える』かと思いました。  あれから20年経ち、今日の東京の天気は台風で大荒れ。そんな日でも寄席はそこそこの入りで、よく笑うお客様。楽屋で芸人は「今日は志ん朝師匠の命日だね」と……殊更話すことはなく、でもその日のネタ帳を捲ると志ん朝師匠が得意にしてたネタが並んでたりします。それぞれが心のうちで偲んでるのでしょう。  そんなことを考えながら、なかなか栗剥きがはかどらず、小一時間でようやく二十数個。丁寧に綺麗に剥いた栗で炊いた栗ご飯は美味かった。そんな芸をせねばなぁ、と10月1日に思うのです。 春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/1978年、千葉県生まれ。落語家。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。新刊書籍『人生のBGMはラジオがちょうどいい』(双葉社)が発売。ぜひご一読を!※週刊朝日  2021年10月22日号

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    河北麻友子、初対面の出川哲朗に「本番以外では、テッちゃんって呼ぶ!」

     今年1月に結婚し、幸せいっぱいのモデル河北麻友子さん。作家・林真理子さんとの対談では、これからの目標を明かしてくれました。 【河北麻友子の人生の分岐点「ニューヨークで育って、死ぬと思っていた」】より続く *  *  * 林:河北さんがブレークしたのは「ViVi」ですよね。 河北:たぶんそうだと思います。 林:最近、人気になる女性の有名人って、女性誌から火がつく方、多いですね。私服がカワイイとか、私物がカワイイとか。 河北:「ViVi」の専属モデルをやってたときは、私服企画とかが年に2回ぐらいありました。 林:ニューヨーク風着こなしをしなきゃいけないとか、期待度大きいですよね。 河北:ああ、そうかもしれないですね。 林:ニューヨークの女の子って、どういう格好してるんですか。 河北:ニューヨークは日本ほどトレンド、トレンドというわけじゃなくて、わりとみんな自由なんです。日本って「こういうのがはやってる」ってなると、街なか全員それ一色になるじゃないですか。あっちはみんな個性的なので、その人に合った格好をするという傾向が強いですね。 林:ジーンズも多いですか。 河北:基本的にカジュアルな服装が多いです。日本人はふだんからヒールはいたりとかしてますけど、あんまりそういう人は多くない気がします。 林:私、バラエティー番組で河北さんを見て、対応の仕方が物おじせずハキハキしてて、今までの子とはなんか違うなと思ってましたけど、ニューヨーク生まれのニューヨーク育ちだと聞いて、なるほどなと思いました。大御所にもぜんぜん臆することなく。 河北:ラッキーでした。出川(哲朗)さんと初めてお会いしたときに、「私、本番以外では、テッちゃんって呼ぶ!」みたいなことを言った覚えがあって。今思えば「なんだ、この小娘」と思われてもおかしくないのに、出川さんは「おまえ、おもしろいな」みたいな感じで受け止めてくださって、出会いに恵まれました。 林:日本の芸能界ってどうでした? なじめました? 河北:なじめてるかどうかわからないですけど、でもまあ、何とかやれてます。「あの子はニューヨークにいたから」とか「帰国子女だから」とかいうのが、ある種バリアーとして働いてくれているというか、それに守られてる感じはしますね。 林:なるほど。英語の番組もやってるし、ニューヨーク帰りってなると、日本人は「ははッ、参りました」って感じになるから、ちょっと別枠になるんでしょうね。このあいだ、このページに美波さんという女優さんにゲストで出ていただいたんですけど、いま公開中の「MINAMATA」という映画で、ジョニー・デップと共演してるんです。 河北:え~っ、すごい! 林:彼女はお父さんがフランス人で、英語もできるので、奈良橋陽子さんにすすめられてオーディションを受けて、ジョニー・デップの相手役に決まったそうです。河北さんもニューヨークで育って、英語ペラペラなんだから、オーディションを受けてハリウッドに、という考えはあるんですか。 河北:オーディションは少しずつ受けさせていただいてます。英語を使っていろいろお仕事ができたらいいなと思ってますね。 林:日本の芸能界で英語をしゃべれる人って、大人になって勉強した方はわりといらっしゃるけど、ネイティブな人ってそんなにいませんよね。 河北:少ないかも、ですね。 林:河北さんは強力な武器を持ってるんですから、ぜひ世界に挑戦してほしいですよ。 河北:したいですね、チャンスがあれば。 林:美波さんがおっしゃってたのは、今、海外の映画はアジア人の需要がすごく多いって。有色人種を何パーセント出さなきゃいけない、みたいな決まりがあったりするみたいですね。だから河北さんみたいに、言葉の壁がない人にとってはすごいチャンスですよね。 河北:そうですね。私も頑張りたいです。 林:でも、海外のお仕事は何カ月も留守にしなきゃいけないから、ご主人、ちょっと寂しいかも。 河北:相談してみます、半分一緒に来てくれないかって(笑)。彼にもお仕事があるので、そう簡単にはいかないと思いますけど。 林:日本でもドラマや映画、ガンガンやっていくつもりですか。 河北:やりたいです。チャンスがあれば。 林:プライベートで奥さんになったし、演技の幅が広がっていろんな役ができそうな気がするけど。 河北:(事務所のスタッフに)そうおっしゃってますので、お願いします(笑)。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木敏雄) 河北麻友子(かわきた・まゆこ)/1991年、アメリカ・ニューヨーク出身。オスカープロモーション所属。2003年、第9回全日本国民的美少女コンテストでグランプリ・マルチメディア賞W受賞。モデルや女優など、幅広く活躍。「世界の果てまでイッテQ!」「BeauTV~VOCE」などのテレビ番組、「河北麻友子のマユコレ!」などのラジオ番組のほか、太田胃散「太田胃散整腸薬」、ライオン「Ban」、青山商事「ザ・スーツカンパニー2021春夏レディス」などCM出演も多数。※週刊朝日  2021年10月22日号より抜粋

    週刊朝日

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    2000人に聞いた「妻が夫に言われて許せない言葉」とは 2位は「何が言いたいの?」 1位は?

     脳科学研究者の黒川伊保子さんの著書『妻のトリセツ』がベストセラーになったのは、約3年前。だが、依然として妻は夫の一言に幻滅し、コミュニケーションはすれ違ったままだ。そこで、AERA dot.とYahoo!ニュースは「夫(パートナー)に言われてもっとも許せなかった言葉」を調べる共同アンケートを実施。既婚者、事実婚の女性2000人から回答を得た。すると、夫(パートナー)の何げない一言に「許せない!」という妻の叫びが浮かび上がってきた。 (調査は9月7日から10日にかけて実施。対象はYahoo! クラウドソーシングユーザー2000人)*  *  * 神奈川県に住むAさん(39)は、夫婦共働きで、1歳年上の夫と小学4年生の長男と3人暮らし。現在はほぼリモートワークだが、週に1度、会議で会社に行く日は、帰宅後、夫の態度にイラっとするという。 「会社であれこれたまった業務を片付けると、だいたい帰宅は19時過ぎ。こっちは疲れて帰ってきてるのに、夫は毎回のように無神経なことを言うので、本当に腹が立つんです」  Aさんが帰宅してリビングに入ると、まず目に入るのは、夫がハイボール片手に薄くほほえみながら携帯を見ている姿。これは、インスタグラムでおもしろ画像を見ている時の夫の顔の特徴だ。一方、長男はYouTubeでゲーム実況に夢中。Aさんが「宿題は? 明日の学校の準備は?」と聞くと「まだー!」。ベランダには取り込まれずに夜風で冷たくなった洗濯物がはためている。この時点で、すでに気持ちはげんなりしている。  さらに、夫に「お風呂は?」と質問すると「え? まだだけど?」と携帯から目を離さずに答える。Aさんは疲れた体のまま、洗濯物を取り込み、風呂掃除をし、お湯をはり、リビングのテーブルを片付け……。徐々に増していくストレス。イライラ、イライラと動き回るAさんに、夫はソファに寝転び、携帯をスクロールしながらこんな一言を放つ。 「ねぇ、遅くなる日はカレーでいいよ」  あ然とするAさん。そして今日も夫にキレてしまう。 「はぁぁ? この時間からカレーを作れと? そのカレーでいいよ、の『で』って何だよ? どこからか自動でカレーが出てくるのかよ!」  Aさんが憤るように、夫が何げなくつける「で」は妻からかなり評判が悪い。実際、アンケートでも「(そうめんやカレーなど簡単なもの)~でいいよ」は3位にランクイン。  この「で」が余計であり、料理や家事を軽んじられていると感じる妻は、7・9%もいた。 「妊娠中だということもあり、体を動かすこと自体が大変な中、“〇〇でいいよ”のフレーズを毎日毎日聞いています。夫は気を遣っているつもりなのか、それとも自覚がないのか……イライラしても状況は改善するわけでもないので流していますが、気になります」(40代/静岡県)「パートで疲れて帰ってきてもすぐに夕食の支度をしなければならないのに、私が“疲れた~”とため息をつくと、夫は“パスタでいいよ”と言われることがよくあります。準備から後片付けまであるのに、とても軽く考えていることが“で”に表れていて、とっても腹立つ!」(40代/千葉県)  この「で」問題はかなり溝が深いようで、アンケートへの具体的な理由の自由記入には「丸投げ感があってイラつく」「苦労をわかっていない」「敬意がない」「下に見られている感じ」「で、なら自分でやれよ!」などの意見が続出。夫側からしてみたら気遣いをしているつもりなのかもしれないが、「は? 気を遣っているつもり?」と一刀両断する記述もあり、妻からのイライラが伝わってきた。 ■第1位の言葉は夫の「主体性のなさ」に怒り  第2位は、夫婦の会話がそこで終わってしまいかねない、致命的な一言!  「何を言っているかわからない/で、何が言いたいの?」   話をまともに聞こうとしない夫の態度に憤りの声を上げた妻は、全体の8・0%を占めた。 「人と話す機会が減っているので、今日あったことを話すと“一気に話されても、その話す過程が長ったらしくて、で、結局、何が言いたいの?”と言われてとても傷ついた」(20代/京都府)「今後のこと。お金のこと。子供をつくるか、つくらないか。ちゃんと話し合いたいのに、いつも私の言葉が難しいとか理解できないとか言って話にならない。もう疲れました」(40代/岡山県)「夫が私の言動で腹が立ったことがあったらしく、そこを指摘された。私はその言い方に腹が立ち、文句を言ったところ“で、何が言いたいの? また俺が悪いってこと? はぁ!?”とあきれたような言い方をされて、めっちゃ腹が立った!」(30代/北海道)   聞いてもらいたい事、2人にとって大事な事を話したいのに、そこで夫から放たれる「で、何が言いたいの?」には、まるで会話をシャットダウンされた絶望感がある。腹が立つだけでなく、悲しんだり、傷ついたりしていることも理解してほしいところだ。  そして、第1位となったのは、ある種、夫やパートナーの頼りなさからくる言葉だ。 「どっちでも任せるよ」  夫婦の大事な決断も委ねてくるようなこの言葉には、10・4%、つまり10人に1人以上が「許せない」と答えた。 「生活している中でいろいろ決断しなければならないことがあるじゃないですか。そういう事を相談すると、夫は“任せるわ”と判断をいつも丸投げ。仕方なく私が考え抜いて“こうしたらどうだろうか”と提案すると、それには“わかった。じゃあ、それで!”と。その後、思うように進まない時は“あの時、おまえが言ったから!”と責め、うまくいった時は“最終決断は俺がしたからな”と言ってくる」(50代/兵庫県)「旅行にと言うので、行き先や、やりたいことをいくつか提案したら“任せるよ~”と。行きたいと言ったのはそっちだろ!」(40代/山口県)「夫は頻繁にこの言葉を使う。面倒な事に関わりたくない、責められたくない、責任から逃れたい……とても頼りない。最近は、インコの巣箱の話で“任せるよ”と言われて、聞かなきゃよかったと思った」(40代/東京都)  家の購入、大型家電の買い替え、妊活、子どもの進路、旅行、お互いの両親のことなど大きな決断もさることながら、「何、食べたい?」と聞いた時ですら「任せるよ~」となると、四六時中この言葉を浴びせられている気がしなくもない。 ■女性から男性に求める像はひと昔前に戻っている  なぜ妻は夫に“任せるよ”と言われると、ここまで憤るのか。夫婦問題研究家の岡野あつこさんはこう分析する。 「コロナ禍で誰しも不安な時代、女性から男性に求める像が『頼りたい』『男らしい』『一家の大黒柱でいてほしい』など、ひと昔前の男性像に逆戻りしている傾向があります。『任せるよ』と大事な決断を相手に委ねるというのは、女性が男性に求めている像の真逆で、ここぞという時に頼りたいのに頼れない。また、一方で『任せるよ』と発する夫からしてみると、相手を立てて、いい事を言っていると思っている。この気遣いと“お前の意見を尊重しているんだぞ”という態度が、妻からしたら頼りなさ以外の何物でもない。なぜ多くの女性が韓国ドラマに魅了されるかといえば、“男性は女性に何かあった時は必ずしっかり助けてくれる”という王道を外していないからです」  ちなみに、4位から10位は以下の通り。 4位 家事するだけなら楽だよね/主婦は気楽でいいよね(専業主婦を見下す)=7・0%5位 俺より稼いでいないくせに(経済的優位性をアピール)=6・8%6位 お前さ~(下に見るような呼称)=6・3%7位 老けたんじゃない? 太ったんじゃない?(容姿への指摘)=6・0%8位 何でできないの?(能力を見下す)=5・7%9位・同率10位 味が薄い/まずい/量が多い(料理の味付けボリュームの注文)=4・9%(家事・育児を)手伝うよ・ゴミ散らかっているよ・ごはんまだ?(家事育児の主体性のなさ)=4・9%  全体の傾向を見て、岡野さんは改めてこう話す。 「男女平等世代からすると、例えば第6位の“お前”という言葉は、妻と夫の立ち位置の問題で、普段から上目線の人から言われるからムカつくわけです。腹が立たない“お前”もありますが、それは信頼関係が元になっている。離婚の危機にある夫婦のグループLINEに私を入れて3人で会話をすることがありますが、今の人は言葉尻で怒ってしまう傾向にあります。夫の“バカだな~”に妻は“バカって言われた! バカって!!!”みたいな感じです。同じ言葉でも相手に愛があるのか、理解し合っているのかで言葉の捉え方が変わってくるのです」  リモートワークやステイホームで家にいる時間が長くなった今、妻は夫が放つ無神経な「一言」により敏感になっていることは間違いないだろう。(AERA dot.編集部・太田裕子) ※この記事はAERA dot.とYahoo!ニュースによる共同企画です。

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    上野千鶴子「在宅ひとり死は孤独死じゃない」 介護保険が可能にした選択肢

    「おひとりさま」の生き方を発信してきた社会学者・上野千鶴子さんがさいごの迎え方について語った本『在宅ひとり死のススメ』が話題となっています。「孤独死」とは異なる「在宅ひとり死」を積極的に肯定する、その真意とは。現在発売中の週刊朝日ムック『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん 2022年版』から抜粋して紹介します。 *  *  * ――「在宅ひとり死」という言葉は前向きな印象がありますね。  出版社が最初に提案してきたタイトルは「孤独死なんて怖くない」でした。一般ウケすると思ったんでしょうね。でも私が見てきた高齢者の死は孤独とは全く違うものです。違うものは違うとちゃんと言いたいと思って、「在宅ひとり死」という言葉を作りました。私がおひとりさまに関する研究をやってきたこの20年の間に社会も現場も変化して、「ようやくこのタイトルの本を出せるようになった」という感慨がありますね。 ――おひとりさま高齢者の満足度に関する調査を引用されています。  メディアで紹介される国の統計はトップからボトムまで全部含まれているマクロデータで、それを見ると独居高齢者はとても悲惨です。その一方で、大阪府門真市の辻川覚志医師の調査(図参照)は、持ち家率の高い中産階級の高齢者を対象にしたところに意味があります。対象を区切ってみれば、独居でも満足度が高いということがはっきりと示されました。 ■おひとりさまは覚悟が決まっている  独居高齢者には「余儀なくおひとりさま」と「選んでおひとりさま」があります。後者には「おひとりさま資源」が必要です。持ち家とか経済力、おひとりさま耐性とかですね。  辻川医師のデータでは、子どもの有無は生活満足度に関与しないということも示されていました。子どもがいる人は、子どもが家から出ていったらさびしいと思うかもしれません。でも最初から子どもがいない人は、さびしいと思う理由がありませんから。 ――おひとりさまは、近年啓発が進んでいるACP(人生会議)にどう関わるべきですか。  ACPは共同意思決定のこと。でも現実的には、要介護高齢者は関係者のなかで一番弱者です。世話をしてくれる人が強者に決まっている。私はジェンダーの問題を扱ってきましたが、日本の高齢女性は自己主張しない人が多い。世話するのが女の役目で、世話する役目を果たせなくなった女は家に居場所がありません。  共同意思決定という理念は正しいけれど、声の大きい人の意見が通るか、その人の顔色を見て忖度してしまうのが日本の高齢女性です。それならば本人の気持ちを日頃から聞いておけばいいだけです。死や死後について話すというタブーが最近やっと消えてきたせいで、そのようなコミュニケーションができるようになりました。  50代の初めに、86歳の父を看取りました。がんの告知を受けていたのですが、父は医師だったので自分が末期だとわかっていて、受ける治療も対症療法だけということを理解していました。  しかも彼は、小心で絶望したがん患者でした。病床の上で日に日に言うことが揺れ動きました。ある時は「一日も早く死なせてくれ」と言い、次の日には、「リハビリ病院に転院したい」と言う。この状況でリハビリ病院に行っても意味がないとわかっていながら言うのです。でも「そんなの無駄だからやめなよ」とは言えません。だから父の希望をかなえるために転院先を探すと、「気が変わった」と。  父は一日ごとに迷い、意見を変えました。その時に、死にゆく人の気持ちに「振り回されるのが家族の役目」と覚悟が決まりました。15カ月間それが続いて、面倒を見るきょうだいの間で同志愛が育ちましたね(笑)。 ■おひとりさまは孤立しているわけではない ――家族がいない人の場合はどうでしょうか。  家族がいない人は振り回す周囲がいません。振り回すというのは甘えるということですから、同じ要求を赤の他人には言わないでしょう。話を聞いてくれる家族だから振り回すのです。つまり長年おひとりさまをやってきた人は、「こんなことを他人に言っても仕方がない」と覚悟が決まっているわけです。  人間らしいというのは、迷いとか悩みとか、弱さを見せること。もちろんおひとりさまでもそのような人はいるでしょう。だから夜は一人でいるのが不安だと訴える人のために、夜間に泊まってもらえるサービスもある。またある医師は、末期に「さみしいなあ」と言う患者に「誰に会いたいですか」と聞いて、その人に連絡するのだそうです。おひとりさまは単に独居なだけで、孤立しているわけではありません。 ――日本の高齢者は友人がいない人が多いというデータもあります。  家族持ちの人たちを見ていると、家族のほかに人間関係を作ってこなかったのか、と本当に不思議ですね。「この人から家族を引き算したら何が残るんだろう」と思うことがあります。男性はとくに妻への依存度が高いですから、老後も妻さえいたら十分だと思うのかもしれません。でも妻に先立たれたら何もなくなってしまいます。  友人もいなければ家族もいないという、本当に孤立した人も確かにいます。でもその人たちも、介護保険と医療保険というインフラを利用することはできます。  面白い話があります。石垣島には、死に場所を求めて移住する人がいます。全員、男性だそうです。アパートを借りたり、都会よりも安いから家を買ったりして、住み着く。でもその人たちは、現地のコミュニティーと交わったりせず、年金を受けて一人で暮らします。  その人たちも病気になったり要介護になったりすれば、介護保険と医療保険を利用します。ケアマネジャーやホームヘルパーに支えてもらっているのですが、石垣島の人たちはとても親切だから、その後始末まで考えてくれる。「亡くなったら家族に連絡しましょうか」と聞いたら、「家族はいない」「連絡しないでくれ」と言われるそうです。それでも家族の連絡先がわかっている場合は、死後、遺族に「遺骨を引き取ってくれませんか」と通知すると、受け取りを拒否されたり、「宅配便で送ってくれ」と言われたりするとか。  家族と縁を絶った人でも、介護保険と医療保険があれば、ちゃんとした最期を迎えさせてくれる。そこまでできる社会保障制度を私たちは作りあげたのです。 ■介護現場の経験値は世界に誇れる  一方でさびしさの問題は、制度では解決できません。  ずっと一人で暮らしてきたためさびしさ耐性がついて、お友達がいなくても平気という人はけっこういます。でも、家族がいないことに不安を感じて、積極的に人間関係をメンテナンスしてきた人もいます。人間関係は、種をまいて水をやらないと育たないものです。放っておいてできるものではありません。女おひとりさまはそこを上手にやっていますよね。 ――一人暮らしで認知症というケースも近年増えていると思います。  私はかつて認知症に苦手意識がありましたが、今はなくなりました。認知症でおひとりさまでも、最期まで自宅にいられた事例が蓄積されてきたからです。家族の都合で施設に入れられるのではなく、認知症のおひとりさまでも在宅でそれなりに機嫌よくしていける。その事例を支えているプロが現れてきたことも大きいでしょう。  この20年間の、介護保険による現場の経験値はすばらしく進化しました。かつて介護保険がなかったころには考えられなかった「在宅ひとり死」の選択肢が生まれ、不可能が可能になってきました。私はこれを世界に誇れることだと思っています。 (構成/白石圭) ※週刊朝日ムック『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん 2022年版』から

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    6時間前

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    大谷翔平、エンゼルス以外に“合うチーム”はあるのか 残留の利点&欠点を考察した

     今季は投打の二刀流で文句なしの大活躍を見せた大谷翔平選手。ただし大谷個人の奮闘とは裏腹に、エンゼルスはプレーオフ争いに絡むこともなく6年連続の負け越しでア・リーグ西地区4位に終わった。  その本拠地最終戦後、大谷は「ファンの人も好きですし、球団自体の雰囲気も好きではあるが、それ以上に勝ちたいっていう気持ちのほうが強いです。プレーヤーとしてはその方が正しいんじゃないかなと思ってます」と発言。これが一部メディアやファンから「移籍志願か?」ととらえられて大きな話題となった。  エンゼルスは大谷の保有権を2023年まで所有しているが、大谷本人は「現時点で(契約延長の話は)ない」とも明言。もし大谷がフリーエージェント(FA)となる前にエンゼルスが契約延長しなければ、争奪戦となることは確実だ。  果たして大谷はエンゼルスに残留するのか、それとも「勝てるチーム」への移籍を目指すのか。その答えは今オフに出るようなものではないが、残留した場合のメリットとデメリットを考察してみる。 【エンゼルス残留のメリット】  大谷が二刀流での活躍を続けるためには、所属チームが二刀流での起用を許容できるかどうかが最重要。今季の活躍を見れば大谷の二刀流を否定するチームはまずないが、現在の戦力が大谷の二刀流にそぐわないということはあり得るからだ。  大谷の二刀流実現にはいくつかの条件がある。まずは中4日での登板を避けるために先発投手6人でのローテーションを組むこと。そして指名打者(DH)の枠を大谷に割り当てることだ。  先発ローテに関しては、質の高い先発投手を6人用意するのは(大谷を含めても)どのチームにも容易なことではない。さらに5人ローテに比べると必然的に1人あたりの登板数が減るため、最多勝やサイ・ヤング賞などが狙えるスーパーエース級の投手たちはタイトル獲得に支障が出る6人ローテにいい顔はしないだろう。スーパーエースだけ中4日で回すという手もないではないが、その場合は残る投手たちの先発間隔が変則的になる弊害が発生する。  DHについても、近年は打撃に全振りのスラッガーを固定起用するよりも、レギュラー野手を持ち回りでDH起用して守備の負担を緩和するチームが増えている。そういったチームが大谷を獲得した場合、選手起用および編成を根本から見直さなければならなくなるだろう。大谷が外野守備にも就くなどした場合はこの問題は解消されるが、大谷個人への負担が増すというリスクが生まれることになる。  これらの問題が、すでに大谷(とマイク・トラウト外野手)を中心としたチームになっているエンゼルスに残留した場合は全てクリアできるのだ。大谷にしてもすでに気心が知れた首脳陣やフロントとの意思疎通を気にする必要がなくなる。大谷個人が二刀流でのキャリアを長く続けることに関しては、エンゼルス残留のメリットは大きい。 【エンゼルス残留のデメリット】  これはもう大谷本人が気にしているように、「勝ちたい気持ちに応えられるチームになれるのか」という点に尽きる。エンゼルスは2014年を最後にポストシーズンから遠ざかっている。現役屈指の強打者であるトラウトを擁しているにもかかわらず、だ。  最大の原因は誰が見ても明らかなように、投手力の不足。しかし前述のように大谷の二刀流は先発6人ローテが前提となるため、スーパーエースたちはエンゼルス移籍に二の足を踏む可能性が高い。19年オフにゲリット・コール(現ヤンキース)、昨オフにはトレバー・バウアー(現ドジャース)の獲得を断念したのも、もしかしたらそのあたりが関係した可能性もゼロではない。  さらにオーナーのアルトゥーロ・モレノ氏が好投手よりも強打者の獲得を好むという傾向も無視できない。それが良い方向に出ればいいのだが、ジャスティン・アップトン外野手やアンソニー・レンドン三塁手との大型契約は、今季までの結果を見る限り成功とは言い難く、彼らとの大型契約で投手陣整備に割けるリソースが圧迫されたのも辛かった。  ならば若手有望株とのトレードで大物投手を獲得すれば、と言いたいところだが、エンゼルスのマイナー組織は相次ぐトレードやドラフトの失敗で焼け野原状態。MLB公式サイトの「プロスペクト(有望株)ランキング2021」をみると、トップ100にエンゼルス傘下の選手は2人しかいない(23位の左腕リード・デトマーズと87位の右腕サム・バックマン)。トレードとは取引なので、相手が望む材料をテーブルに乗せられなければ成立する余地がないのは道理だろう。  つまり、少なくともここ数年のうちにエンゼルスの戦力が劇的に向上してプレーオフ争いできるチームになる可能性は低いと言わざるを得ない。大谷がワールドシリーズ制覇の可能性が高い環境を望むなら、エンゼルス残留のデメリットはこれまた大きい。 【大谷の新天地になり得るのは?】  では大谷がエンゼルスからの移籍を決断した場合、新天地となり得るのはどんなチームなのか。少なくとも下記の3条件はクリアする必要があるだろう。 ・中4日の先発を望むスーパーエースが不在・DHを大谷が独占しても大丈夫な戦力編成・大型契約が必至の大谷を引き受けられる資金力  これらを踏まえると、ヤンキースは資金力には問題がなくとも、ほぼDH専任の大砲ジャンカルロ・スタントンとの契約を2027年まで残し、現役屈指の先発右腕コールとも長期契約を結んでいることが大谷獲得の障害になり得る。  レッドソックスにもDHのJ.D.マルティネスとエース左腕クリス・セールがいるが、マルティネスの契約は22年まで。セールは25年までの契約だが、20年にトミー・ジョン手術を経験していることから30代半ばを過ぎる契約後半には先発回数にこだわらなくなる可能性がある。  レイズはスター選手に頼らない柔軟な編成で強豪チームを作る手腕に長けるが、いかんせん資金力に限界がある。ホワイトソックスはDHを固定せず、先発ローテも今季は5人でほぼ回していた。ただしベテランのダラス・カイケル投手が来オフ(※オプション付き)、ランス・リン投手も24年オフにFAとなるため、大谷獲得に合わせてチーム編成を調整する余地は残されている。  アストロズは絶対的なエース不在で今季も6人ローテを敷いていたが、DHは若き強打者ヨルダン・アルバレスでほぼ固定。そのうえ今後数年はホセ・アルトゥーベ二塁手やカルロス・コレア遊撃手、アレックス・ブレグマン三塁手ら生え抜きの強打者たちとの契約延長問題が続く。大谷獲得を望むならば、彼らのうち数人は残留をあきらめる覚悟が必要となるだろう。  ドジャースなどのナ・リーグの強豪は現時点でDHが使えないのがネック。これは今オフにも結ばれる新労使協定で両リーグにDHが採用されればクリアできるが、現時点で確実に採用される保証はない。  このように、投げてはエース、打っては主砲の活躍を一人でできる大谷だが、大谷を中心としたチーム作りは案外とハードルが高い。これらをなんとかクリアして大谷を迎え入れるチームが現れるのか、それともエンゼルスが補強戦略で妙案をひねり出して大谷との再契約にこぎつけるのか。今オフから来オフにかけてのエンゼルスの動向が全てのカギを握っている。(文・杉山貴宏)

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    3時間前

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    「日経225」「TOPIX」「JPX400」日本株投信、優秀なのはどれだ?

    「つみたてNISA」では「蚊帳の外」感が漂う日本株のインデックス型投資信託。以前はインデックスといえば日本株だったものだが、米国株が圧倒的な人気なのである。さて日本株の投信は買うべきか? もし買うなら日経225か、それともTOPIXか? ■日本株投信の優先順位は低め 「日本株の投資信託(以下、投信)、買ったほうがいいですか?」とニッセイ基礎研究所の前山裕亮さんに、まず聞いた。 「全世界株式や米国株の投信に比べて日本株投信の優先順位は低めですが、資産の一部を日本株投信で持つことは否定しません」  日本株のインデックス型投信は日経225(日経平均株価)、TOPIX(東証株価指数)、JPX日経400(JPX日経インデックス400)がメインだ。  3つの指数のうち、日経225だけが採用銘柄の株価を「単純平均」したもの。そのため株価が高く「値がさ株」といわれるファーストリテイリングなど特定銘柄の影響を受けやすい。  TOPIXは東証1部の全上場銘柄を時価総額ベースで加重平均した指数。S&P500と同じ仕組みだが、東証1部の「全銘柄入り」なので業績不振の企業も入っている。組み入れ上位はトヨタ自動車、ソニーグループなど。  JPX日経400はROE(自己資本利益率=自己資本を生かして、どれだけの利益を上げているかを示したもの)が高いなどの優良企業400社の指数だ。 「過去の値動きを分析すると、必ずしもROEが高い銘柄の株価が上がるわけではありません。さらにJPX日経400に連動する投信の信託報酬は他に比べて高い」 ■日本株の指数3種類、一番上がったのは  では、日経225とTOPIXならどちらがいいか? 過去20年のパフォーマンスを調べると、日経225が一番上がっている。 「この20年がたまたまそうだった、というだけ。どちらでもいいと思いますよ。新聞やニュースで値動きがキャッチしやすいという意味で、日経225が初心者には無難かもしれません」  一番上がっている日経225がベストだろう!と思いきや、やはり「過去の成績は過去の成績。これからは、わかりません」ということだ。ただ、TOPIX――つまり日本の東証1部上場企業の顔ぶれを見ると、すっかり失速してしまった銘柄も少なくない。  ここはやはり組み入れ銘柄の好みで選ぶしかないだろう。ファーストリテイリングやソフトバンクグループがこれからも強いと思うなら日経225の投信。トヨタ自動車、ソニーグループが長い目で見て上だと思うならTOPIX。 ■日経225とTOPIXに大きな変更あり   2021年10月1日からは日経平均株価の銘柄入れ替えが行われ、新たにキーエンス、村田製作所、任天堂が日経225に仲間入りする。  除外は日清紡ホールディングス、東洋製罐グループホールディングス、スカパーJSATホールディングス。この入れ替えがどのように影響するか、注目だ。  さらに2022年4月には東証が市場の再編を行う。「東証1部」の名称が廃止され、より優良企業を厳選した「プライム」市場が誕生する。TOPIX連動型投信には影響なしといわれるが、さて、どうなるか。  なお、アエラ増刊「AERA Money 2021秋号」では、つみたてNISAで買える日本株の投信(日経225、TOPIX)全30本を、規模/コスト/リターン/運用効率/リスクの5項目で忖度なしに100点満点で独自採点。そのランキング結果を公表している。 *  *  * 前山裕亮(まえやま・ゆうすけ)/ニッセイ基礎研究所 金融研究部。大和総研などを経て2014年より現職。国内株式や投資信託など、資産運用の調査・研究を行う。日経CNBCなどのメディアでも情報発信 (文・綾小路麗香、伊藤 忍) ※『AERA Money 2021秋号』から抜粋 

    AERA

    11時間前

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    山城ファン必見!「私ならここに行く」 プロが厳選する「落城悲話に惹かれる山城」ベスト10

     一見、「天守や櫓がなく、土と山だけ」と思われがちな山城。しかし開発にさらされがちな平城等に比して保存状態が良く、ほぼ往時の姿をとどめている山城も多い。土塁、石垣、堀切……。ぜひ現地で遺構に目をこらして、戦国の武者たちに思いを馳せていただきたい。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.17』では、「戦国の山城の歩き方」を特集。3人の専門家に「オススメの山城」を推薦してもらった。今回は、静岡大学名誉教授で日本城郭協会理事長の小和田哲男氏のベスト10。選定のテーマは「落城悲話に惹かれる山城」だ。 *  *  * ――今回は、落城悲話に惹かれる城をご紹介いただきたいと思います。城をめぐる合戦というと、落城をめぐるさまざまな物語が思い浮かびます。どのようなところが心に残りますか。  山城は、櫓や塀など目立つ遺構がない場合も多いです。それだけに、その地に秘められた悲話を知ってから訪れると、より一層リアルな情景を思い浮かべられると思います。なお、悲惨な籠城戦というのは、数限りなくありますが、今回はあくまでも山城に限定しているということは、ご承知おきください。  まずは鳥取城です。羽柴秀吉によって、鳥取の「飢え殺し」と呼ばれる兵糧攻めが行われた城です。おそらく我が国で起きた籠城戦のうち、もっとも悲惨なものの一つでしょう。兵糧攻めで、飢えた城兵が草や木の根まで食べたという話はいくつもありますが、ついに味方の人肉まで食べたという逸話が残るのは、鳥取城攻めくらいでしょう。しかし、攻めた秀吉の側からすると、後に天下人となる栄光の「太閤秀吉物語」の一ページを飾る、重要な戦いです、秀吉は別所長治が守る播磨の三木城でも兵糧攻めを行いましたが、城方に兵糧米が潤沢にあったため、城を落とすのに1年10カ月もかかってしまった。鳥取城攻めは、その経験に学んだ秀吉が、事前に城下の米を買い占め、さらに民衆を襲って城に追い込み、城内の食い扶持を増やしておくという策略を用いて、落とすことができました。 ――鳥取城の見どころは?  秀吉が本陣を置いたとされる太閤ヶ平からの景色です。眼下に鳥取城を見下ろすことができる壮大な景色で、当時の戦いの様子が目に浮かびます。  小谷城は、浅井亮政・久政・長政の3代が居城とした難攻不落の名城です。普通に攻めても落とすのは難しい。攻撃側の織田信長も、小谷城を落とすのに約3年を費やしています。最期は浅井久政・長政父子が、お市の方と3人の娘を敵に引き渡したあと、城を枕に討ち死にするという、絵に描いたような落城の仕方です。小谷城は、私が昔から何度となく上った城で愛着もあるので、2位に入れました。 ――女性がからむと、より悲劇性が増しますね。  第3位の岩村城もまさにそうです。女城主の城として知られる岩村城ですが、織田信長の叔母にあたる遠山夫人が、武田家臣の秋山虎繁と結婚して岩村城は武田方になります。これを信長が攻めるわけですが、秋山は信長の和平交渉を受け入れて城を出たところを捕らえられ、長良川で磔になり、遠山夫人も殺されてしまいます。これも山城の落城悲話としては落とせませんね。  そして、秀吉の小田原攻めのときに落城した八王子城。激しい戦いの末、落城の際に残された婦女子が身を投げたと伝わる御主殿の滝が今も残っています。この滝に本当に身を投げたかどうかはわかりませんが、武将だけでなく女子がたくさん亡くなったというのは事実でしょう。落城の悲劇を伝え、印象深いですね。  高天神城の落城は、ちょっと異色です。通常、城方が降伏すると講和を結んで開城となるのですが、攻め手側の織田信長は降伏を許さなかったため、城を守る武田方の岡部元信以下家臣たちは城から打って出て討ち死にしました。信長は、武田方にはもう高天神城を守る力がないということを周辺の国衆らにアピールする意図があったのでしょう。 ――降伏さえできずに落城した、と。  信長の戦略的な意図で落城させられたという意味で、実に悲劇的です。 ――第10位にあげていただいた岩屋城の戦いも、戦国ファンには人気です。  岩屋城の城主高橋紹運は、私は名将だと思っています。それが島津氏に攻められ絶体絶命になる。息子の立花宗茂にも降伏を勧められますが、主君である大友氏から岩屋城を任された以上、何としても城を守りぬく覚悟で戦いを続け、家臣とともに壮烈な最期を遂げます。戦国時代的な武士の道徳観念が非常に色濃く出ている落城物語です。 ■小和田哲男さん「落城悲話に惹かれる山城」ベスト10 1位 鳥取城鳥取城攻めは、天下人秀吉の栄光の戦いに位置付けられるが、実情は悲劇的な兵糧攻めだった。太閤ヶ平からの眺めは絶景。 2位 小谷城戦国屈指の山城のひとつ。信長の妹で浅井長政の妻のお市の方と娘の「浅井三姉妹」が落城間際に織田方に引き渡された逸話は有名。 3位 岩村城城主遠山景任の妻(遠山夫人)は信長の叔母。景任の死後、遠山夫人は武田方の秋山虎繁の妻となって和睦。信長の怒りをかった。 4位 八王子城秀吉の小田原攻めの一環として、上杉景勝、前田利家、真田昌幸ら1万5千に攻められたが、小田原開城後まで抵抗を続けた。 5位 高天神城武田勝頼が長篠の戦いに敗北したのち、織田方の徳川家康が高天神城を攻め、信長の意図を忖度して城方の降伏を許さなかった。 6位 七尾城上杉謙信に攻められた際、まだ幼かった城主の畠山春王丸が城内に蔓延した病気で亡くなった。病が原因で落城した珍しいケース。 7位 岐阜城斎藤氏の当時は稲葉山城。織田信長によって天下の堅城に造り替えられたが、関ヶ原の前哨戦においてはわずか1日で落城してしまう。 8位 月山富田城中国地方の雄・尼子氏の居城。大内氏を撃退した名城だが、陶晴賢を討った毛利元就に包囲され、兵糧攻めの末に落城した。 9位 八上城信長の命で丹波攻めを行った明智光秀は、城攻めののち降伏勧告。城主の波多野三兄弟は降伏したが信長によって処刑された。 10位 岩屋城城主の高橋紹運は名将として知られ、最後まで徹底抗戦した。攻め手の島津方も損害が大きく、島津氏の九州統一の夢はくじかれた。 ◎小和田哲男(おわだ・てつお)/1944年生まれ。静岡大学名誉教授。日本城郭協会理事長。戦国時代の研究を専門とする。『戦国の城』(学研M文庫)、『名城と合戦の日本史』(新潮文庫)、『人生を豊かにしたい人のための日本の城』(マイナビ新書)など、城に関する著書も多数。 (インタビュー構成/安田清人)

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    華原朋美 人生をエンタメに化し、いまや日本一ほっとけないタレントに

    『アウト×デラックス』ではふくよかな体をさらけ出してダイエット企画に挑戦し、『お笑いの日2021』ではおいでやすこがとのコラボ漫才を演じて、『爆笑!ターンテーブル』では過去の恋愛エピソードを歌ネタにして披露した。いま最も身を削っているバラエティタレント、それが華原朋美である。  バラエティ番組に出るタレントは、どれだけ身を削れるかのチキンレースをやっているようなところがある。時代の寵児だったカリスマ音楽プロデューサーとの大恋愛と大失恋を経て、その後も浮き沈みの激しい芸能生活を送り、何かと世間を騒がせてきた華原は、削れる身の分厚さが尋常ではない上に、それをあっけらかんとやってのけるサービス精神にあふれている。  小室哲哉が手がける音楽がヒットチャートを席巻していた90年代中盤に、華原朋美は彼にその才能を見出され、歌手として鮮烈なデビューを飾った。「I BELIEVE」「I’m proud」などのヒット曲を連発して、CMにも多数出演して、若い女性の憧れの存在になった。私生活では小室と恋愛関係にあり、浮世離れしたゴージャスな暮らしをしているとも噂されていた。  当時、若者だった世代の人間は、今でも華原のことを「朋ちゃん」と呼ぶ。その呼称に込められた特別な思いを、同世代ではない人に理解してもらうのは難しいかもしれない。恐るべき純粋さと明るさと危なっかしさをはらんでいるからこそ、最大限の親しみと畏怖を込めて彼女は「朋ちゃん」と呼ばれるのだ。  90年代当時の華原は圧倒的な存在感があったし、特に同性からの人気は高かった。でも、ほとんどの人は、手放しで絶賛してるというよりは、その危なっかしさも含めて目が離せない、という感覚を持っていたように思う。  その後、華原は小室と破局して、苦難の道を歩むことになった。歌手やタレントとして断続的に活動を行っていたが、心身の不調や私生活のトラブルで活動が途絶えることもあった。  でも、そんな朋ちゃんがようやく帰ってきた。2021年4月に『アウト×デラックス』に出演。登場するなり「カネがすべてっすよ」と言い切り、視聴者の度肝を抜いた。ぽっちゃり体型になった彼女は「1歳の子どもためにフェラーリを買った」といった桁外れの散財エピソードを披露して、貫禄を見せつけた。  その後は、前述の通り、数々のバラエティ番組に出演した。壮絶な過去を背負いながらも、タブーなしで何でもネタにして明るく話す彼女は、良くも悪くもあの頃のままの「朋ちゃん」だった。  8月17日には、オンライン会見にて彼女のマネジメントを手がける男性との結婚を発表した。ここで普通なら「めでたしめでたし」となるところだが、彼女の場合はそうは問屋が卸さない。  会見では「もし旦那さんが浮気したら?」と質問されて「私の方が浮気するんじゃないかな」と結婚会見にあるまじき回答をしていたし、なぜか安室奈美恵の結婚発表のときとほぼ同じ服装をしていた。波風は立たせるもの、物議は醸すもの。そんな朋ちゃんらしい前代未聞の珍会見だった。  勝俣州和のYouTubeチャンネルの動画では、夫に手作りのカレーを食べさせたところ、夫の全身に蕁麻疹が出たというエピソードを語っていた。料理のときにまな板と包丁を洗う習慣がなく、ずっと同じ状態のものを使い回しているのが原因かもしれないと指摘されていた。世界よ、これが華原朋美だ。  上質なエンターテインメントはかすかな苦味を残すものだ。人生をエンタメにした日本一ほっとけない女、朋ちゃんは、危険だけど面白い。回り続けるコマのように、これからも不安定という安定を保っていてほしい。

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    終末期患者の願いを「かなえるナース」 結婚式、旅行、帰省の付き添いも

     その願い、かなえます──。終末期の患者にとって外出はリスクにもなる。でも、娘のウェディング姿が見たい、温泉に入りたいといった希望を持つ人もいる。そんな思いを実現するための訪問看護サービスがある。その名も「かなえるナース」。 *  *  *  7月のとある午後、一台の介護タクシーが横浜市内の結婚式場に到着した。介助する看護師に付き添われ車いすで降りてきたのは、礼服を着た歯朶山(しだやま)孝男さん(63)。 「お父さん、ありがとう」  そう言って傘を差し出し、歯朶山さんを出迎えたのは、ウェディングドレス姿の三女、上野美佳さん(25)。この日、身内だけで小さな結婚式を挙げる。  歯朶山さんは進行した肺がんを患い、脳への転移も確認されている。積極的な治療をする段階は過ぎ、現在は神奈川県内のホスピスで療養する。  歯朶山さんのひざの上には、1カ月前に白血病で急逝した妻みどりさん(享年60)の遺影が置かれている。式は「母の望みだったんです」と、美佳さんの姉は話す。  この結婚式をサポートし、医療的なケアが必要な歯朶山さんの介助をバックアップしたのが、看護師による新しい訪問看護サービス「かなえるナース」を手がける株式会社ハレ(東京都港区)だ。  代表取締役で看護師でもある前田和哉さん(35)に、結婚式の依頼があったのは式の1週間前だった。そこから何度か打ち合わせをし、ドレスやブーケ、ウェディングフォトに加え、患者が利用する革製の車いす、介護タクシーの手配などの準備を整えた。  前田さんらが聞いた主治医の話では、末期がんの歯朶山さんの脳は腫瘍(しゅよう)で圧迫されている可能性が高く、意識がない日が何日かあったという。 「看護師の目からみても外出が許可されるかどうか、微妙な状態でした。ところが、美佳さんの挙式の話が具体的になると、歯朶山さんの容体が徐々によいほうに変わってきたのです」(前田さん)  意識がはっきりしている時間が増え、大好きなチャーハンやコーラを口にできるほどにまで回復した。この変化には家族も驚くほどだった。  当日はハレの看護師らが歯朶山さんに付き添い、体調管理にも目を配っていたが、周りの心配をよそに容体は安定。痛み止めも酸素ボンベも使うことはなかった。挙式の間も体調を崩すことなく、ウェディングドレス姿の美佳さんを、ときに目に涙を浮かべながら、誇らしげに見つめていた。  念願のバージンロードを父と歩いた美佳さんは、「今日、こうして父が来られただけでも本当に感謝です……」と声を詰まらせた。  挙式後、前田さんが病室に挙式の家族写真を届けた。ベッドサイドに飾られているみどりさんの遺影の横に、美佳さんの結婚式の写真が加わった。  前田さんがハレを立ち上げ、終末期患者のサポート事業を始めたのは2018年。きっかけは末期がんの義母に、ウェディングフォトをプレゼントしたことだった。 「写真館でメイクをし、ウィッグをかぶってドレスに着替えた義母は、とてもうれしそうでした。このときに、終末期であっても患者さんにはやりたいことがあるはず、これまで培った救急看護や訪問看護などの経験を生かせば、こうした患者さんの希望をかなえるお手伝いができるのではないかと考えたのです」  現行の訪問看護でできる(健康保険が使える)サービスは、「療養を手助けする」という目的に限られ、また訪問も「自宅に1時間半まで」という縛りがある。かなえるナースでは、これを自由診療にすることで縛りをなくした。  旅行や帰省の付き添いなどもできるため、「死ぬ前に一度、両親に会っておきたい」「仲たがいした親との関係を修復したい」といった若い患者からの依頼も多い。30年以上疎遠になっていた両親に会いに、沖縄まで行ったがん患者に付き添ったこともある。この患者は家族と和解した2日後に亡くなったという。  ほかにも、おいしいそばを食べたいという患者には都内から長野県まで車を走らせ、温泉に入りたいという患者には浴槽から脱衣場まで酸素ボンベのチューブを伸ばすなどして対応した。もう少し手軽なことであれば、お墓参りや花見、ペットと過ごしたいから自宅に一時的に帰りたいという依頼などもある。 「サービスの使い方は自由です。終末期の患者さんが中心となりますが、看護師がいればかなえられることを無制限にサポートします」(同)  かなえるナースの料金は時間あたりで、別途、出張費や交通費などがかかる。結婚式であればウェディングドレスやヘアメイク、ブーケ、車いすの手配などはサービスの中に含まれる。  冒頭の上野さんの結婚式にも関わった、終末期の患者や介助が必要な人のサービスに詳しい医師の伊藤玲哉さん(トラベルドクター代表取締役CEO)は、「海外も含め、こうしたサービスは基本的にはNPOなどが寄付を募り、ボランティアのようなかたちで実施しているケースがほとんどです」と話す。  有名なのは「メイク・ア・ウィッシュ」で、日本にも法人がある。これは難病などの子どもの願いをかなえるものだ。 「終末期の患者さんへのサポートに関しては、例えば、オランダやドイツ、北欧では介護タクシーが旅行の移動をサポートして支援していますが、規模はあまり大きくなく、車で移動できる範囲に目的地も限定されているようです」(伊藤さん)  日本でも訪問看護のサービスの枠組みの中でされていたり、一般企業のCSR事業の一環として取り組みが始まったりしている。ただ、伊藤さんによると「入れ替わりが激しい」とのこと。  終末期の患者の旅行をかなえるには、準備にかかる人的・時間的コストや大きな責任が伴い、これらを限られた時間内で実施しなければならない。「情熱だけでは続けていけない事業」(同)という。  では、かなえるナースに関わる看護師はどう思っているのだろうか。2年ほど前にハレの社員となり、今回、歯朶山さんに付き添った看護師の小渕智絵さん(34)は、このサービスに関わる理由を、「自分がやりたい看護がこれだったから」と明るく答える。  小渕さんは、大学病院や美容外科のプライベートクリニックなどを経て、沖縄の市民病院に派遣看護師として赴いた。そこで知り合った関係者を通じてハレに入社した。 「終末期の患者さんの願いをかなえるサービスをビジネスでやっていると聞いて、しっかり働きたいと思いました。ボランティア活動だったらやっていなかったかもしれません」(小渕さん)  収入は美容外科に勤めていたころとは比べものにならないほど大きく減った。だが、それに勝る経験を得ているという。何より代えがたいのは、病棟に勤務していたころのように雑務に追われ、患者といる時間が取れないということがない、という点。一日の依頼であれば24時間、つきっきりでみることができる。  とはいえ、主治医の同意を得て、事前に必要な医療ケアについて打ち合わせをしていても、終末期の患者を外出させるのは大きなリスクだ。しかも自分の経験と技術だけが頼りだ。小渕さんは「医療機関で働いているときより責任は重い。緊張感も何倍も強いです」とも言う。 「でも、ある患者さんが言ったんです。『生きていると、こんな良いことがあるのね』って。こういう言葉をいただくと、どんなにたいへんなことも忘れちゃいます」(同)  ハレは4年目を迎えたが、この事業を継続するための課題は少なくない。その一つは、こうした取り組みがまだ多くの人に知られていないことだ。  前田さんは潜在的なニーズはあると考える一方で、「終末期という重要な時期に患者さんをお預かりする。次から次へとご依頼を受けるような性質の事業ではない」とも話す。  二つめは主治医の理解だ。依頼があっても実際に請け負えるのはごく一部。断念する理由の多くは患者の体調の急変だが、主治医が反対するケースもある。家族が希望を伝えても、主治医が「そうですねぇ……」と首をかしげた段階であきらめてしまうという。  しかし、終末期の患者の思いをかなえることは、残された家族の精神的な安定にもつながる。  末期がんの母(当時84)のために「かなえるナース」を利用し、自宅で子どもの結婚パーティーを開いた木村茂子さん(61)。親族の反対がなかったわけではないが、「やってよかった」と笑顔を見せる。 「看護師さんがつきっきりでみてくれたので安心でしたし、何かあったら在宅医を呼べる態勢も整っていました。私たち家族にもいい思い出がいっぱい残りました。母が亡くなって寂しいですが、生ききったという感じがして、悔やまれることはないです」(木村さん)  厚生労働省の「人生の最終段階における医療に関する意識調査報告書(2018年)」によると、最近5年間で身近な人の死を経験した人のうち、心残りがあると答えたのは42.5%。理由で多かったのは、「あらかじめ身近で大切な人と人生の最終段階について話し合えていたら」「大切な人の苦痛がもっと緩和されていたら」だった。がん患者や家族の精神的なケアを行う精神腫瘍医の清水研さん(がん研有明病院)は言う。 「大切な人の体力がだんだん落ちていき、亡くなっていく場面をみれば、誰でも不安になりますし、何かしてあげたいという気持ちが湧いてくるのは自然なことです」  一方で、実際に何かをしたという結果よりも、むしろ「それまでのプロセスを大事にしてほしい」と言う。結婚式や旅行などはあくまでも海面に見えている氷山の上の部分であり、海面の下の大きな氷の塊、つまり亡くなりゆく人に対して寄り添うことだったり、対話をすることだったりが、重要なことだという。 「そのためには、終末期よりも前、もっというと健康なときからお互いによく話し合っておくことだと思います」(清水さん) (山内リカ)※週刊朝日  2021年10月22日号

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    城郭考古学者が選ぶ「絶対に攻めたくない山城」ベスト10! 1位は埼玉「杉山城」、2位は?

     一見、「天守や櫓がなく、土と山だけ」と思われがちな山城。しかし開発にさらされがちな平城等に比して保存状態が良く、ほぼ往時の姿をとどめている山城も多い。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.17』では、「戦国の山城の歩き方」を特集。3人の専門家に「オススメの山城」を推薦してもらった。今回の推薦者は、城郭考古学者で山城ファンの千田嘉博さん。選定のテーマは「絶対に城攻めしたくない山城」だ。 *  *  * ――山城にもさまざまな楽しみ方があると思います。当時の武将の視点で、「絶対攻めたくない城」をご紹介ください。  城はとても美しく壮大で、鑑賞するのはとても楽しいです。しかしそもそも城は戦いのために構築されたもので、第一に求められる機能は防御・反撃力です。今回は、その点で極めて優れた山城をご紹介します。実際に足を運べば、おそらく「もう助からない」「絶対死ぬ」と感じますが、堅固な城を造って自分たちの村や所領を守ろうと努力した先人たちの思いを、ぜひ想像してみてください。  なお、山城の定義はあいまいですので、ここでご紹介する城には、一般的には平山城と言われているものも含んでいます。 ――よろしくお願いします。  まず、“戦国の土づくりの城の教科書”と呼ばれているのが、埼玉県の嵐山町にある杉山城です。それほど大きな城ではありませんが、本丸を頂点に各尾根に曲輪を階層的に設け、入口付近には必ず横矢をかけ、初期段階の馬出しも重ねています。おそらく攻めたとしても理路整然と効率的に弓矢や鉄砲の餌食になったでしょう。  福島県の会津美里町にある向羽黒山城も、ものすごい山城です。山の頂上の本丸から麓まで、まるで迷路のように横堀、竪堀を縦横無尽に巡らし、山の中段も曲輪と堀と土塁を複雑に配置している。城を守っている兵も道に迷うのではないかという複雑堅固な山城です。軍事要塞に必要な要素を全部詰め込んでいて、攻めても生きて帰れる気がしません。  見た目の凄さでいえば、群馬県東吾妻町にある岩櫃城です。太古の昔から信仰の対象となってきた巨大な岩山である岩櫃山に守られた、まさに鉄壁の城で、戦意喪失は間違いありません。 ――この険しい岩山は、とても攻められませんね。  しかし、実は城があるのはこの垂直岩盤の上ではなく横なんです。岩櫃山がある側から攻められる心配はないので、その方向は堀をあまり整備していません。しかし、その反対側を見ると、山頂の本丸の周囲には横堀をめぐらすなど、守りが重視されていますし、東側の山麓を流れる吾妻川は堀の役割を果たしています。この岩櫃城ほど、天然の地形を巧みに利用した山城は珍しいと思います。  愛知県新城市にある古宮城は、武田方の軍事拠点で、当時の技術の粋を凝らした城です。それほど高い山ではないのですが、完全に堀で囲み、山中にも縦横無尽に横堀をいれ、さらに山のほぼど真ん中に巨大な堀を設けて山を真っ二つにするという大土木工事がなされています。まさに武田流の理想の城を具現化した山城です。古宮城は、巨大勢力の境界域にあった「境目の城」でしたが、長篠合戦ののちは軍事的役割を終えて廃城となったので、武田氏当時の姿がよく保存されていて、「土の城でもこれだけスゴイことができるのか」と体感することができます。  新潟県上越市の春日山城は、全国の山城のなかでも、その巨大さ壮大さでは並ぶものがありません。行けども行けども曲輪が連なっていて、上杉謙信の毘沙門堂がある中心部まで、到底たどりつけません。山中に堀は少ないのですが、何しろ切岸の落差がものすごいので、とても攻める気にはなれません。 ――ほかに特徴的な山城で、「攻めたくない」城は?  日本列島にあった城の多様性を示す、北海道と沖縄の城も入れたいと思います。北海道上ノ国町の勝山館は蠣崎氏の拠点城郭で、和人の城としては最大級のものです。コシャマインとの戦いを経験した蠣崎氏は、防御を重視して夷王山の山上に城を移したと考えられています。山上からは中世の港だった大澗湾を見下ろす立地で、港を押さえる城でもあったことが分かります。尾根上にはいくつもの屋敷が立ち並ぶ、壮大な北の山城です。  沖縄県の今帰仁村にある今帰仁城は、沖縄を代表する山城の一つです。琉球王国成立前の三山時代に北山王が拠点とした城で、山上の断崖絶壁を利用した堅固な城です。曲線を描く城壁の石垣がひときわ美しいのですが、敵に対してあらゆる場所で横矢がきいていて、攻め手からすれば、まことに恐ろしい石垣です。 ■千田嘉博さん「城攻めしたくない山城」ベスト10 1位 杉山城土の城の芸術品ともいわれる緻密な縄張りで知られる山城。遺構の残存状態は良好で、堀や土塁、馬出しなどが一目でわかる。 2位 向羽黒山城東北地方随一の規模を誇る山城。技巧の限りを尽くした複雑な縄張りが特徴で、歴代城主の蘆名氏、蒲生氏、上杉氏の手が入っている。 3位 高崎山城別府湾を望む高崎山に築かれた城。豊後の守護大名大友氏の詰城と考えられている。山頂付近には土塁や主郭の跡が残っている。 4位 岩櫃城天険の要害である岩櫃山に築かれた山城。豪壮な岩山は見るものを圧倒する。主郭部分周辺の巨大な竪堀も見どころ。 5位 古宮城武田氏と徳川氏の勢力圏が接する境界域に築城された境目の城。白鳥神社の神域が含まれているため城跡の保存状態は良好。 6位 春日山城越後長尾(上杉)氏の居城。巨大な山城で、本丸下には無数の曲輪が段状に築かれていて、攻め落とすことは極めて難しい。 7位 今帰仁城沖縄の城(グスク)を代表する一つ。城壁に上ると、中国や西欧の城と同じく城壁で守る城であることがよくわかる。 8位 勝山館夷王山山麓の台地上に建つ山城。主郭内部には中央通路があり、その左右には掘っ立て柱建物が並んでいたことが発掘により判明した。 9位 岡豊城長宗我部氏の居城。畝状空堀群が特徴的。帯曲輪の城壁の外側は土で、内側に石垣を用いる特異な構造を見ることができる。 10位 信貴山城松永氏の居城で、織田信忠に攻め落とされたが、山頂から延びる複数の尾根に築かれた曲輪群は見事で、技術的には優れた山城である。 ◎千田嘉博(せんだ・よしひろ)/1963年生まれ。城郭考古学者。奈良大学教授。主に中近世の城郭の考古学的研究に取り組む。主な著書は『信長の城』(岩波新書)、『真田丸の謎』(NHK出版新書)、『城郭考古学の冒険』(幻冬舎新書)など。 (インタビュー構成/安田清人)

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    眞子さまの結婚どう思う? 瀬戸内寂聴が27歳スタッフに質問した結果

     半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。*  *  *■横尾忠則「スジ金入りの肉体的朦朧体、大観より本格派です」 セトウチさん 耳が聴こえなくなったと言うと、「きっと作品が変るわよ」と、ベートーベンじゃあるまいし、変なことおっしゃると、その時はそう思いましたが、本当に変ったんです。その変り方が理に適(かな)っているといえば適っている。つまり聴こえないことは、音の輪郭が失くなることです。そうなると音が朦朧(もうろう)となって、横山大観の朦朧体の絵のように音がボケて聴こえるんです。耳がボケると、日常生活もボケて、曖昧模糊(あいまいもこ)となって、したことと、してないことの区別もわからなくなるんです。つまり虚実の区別ができなくなって、夢で見た仕事の依頼を、本当に依頼されたと思って、やっちゃったりするんです。ボケの症状に似てるけれど、ボケ老人になったんではなく耳のせいだと理解しているので、そこはまだ理性がコントロールしています。 ハイ、絵の話だったです。大観は思想で朦朧体を描きましたが、僕はスジ金入りの肉体的朦朧体なので、思想のようなチョロコイ考えではなく、肉体的ハンデキャップによる堂々たる自然体派です。大観よりこっちの方が本格派です。そんなわけでセトウチさんの大予言は的中しました。 先っきも言いましたが境界線が失くなるということは自由のキャパシティも拡張したことになります。近代人は何でもかんでも境界線を引いて、全てを分業化します。縄文時代はひとりの人間が、多面的に物事をこなしていました。狩猟(しゅりょう)も農業も、漁業も工芸も、子育ても、教育もひとりでするという、境界線をはずした労働生活です。現代のような役割分担などしません。正に多義的です。越境した狩猟社会です。 難聴が与えてくれた神の恩寵です。だから病気の高徳です。僕が度重なる病気によって救われてきたということはこういうことです。神は人間に色々な苦難を与えますが、病気は罪ほろぼしでもカルマ落としでもなんでもないのです。人間の進化向上のためのカリキュラムだと思えばどうでしょう。難聴のほかに、腱鞘炎(けんしょうえん)にもなりました。もう、セトウチさんの「幻花」のような繊細(せんさい)な描写の絵など描けません。今は太い筆やハケを握りしめて、キャンバスにバンバン叩きつけるように描いています。それも痛いので、左手で描きます。左手は思うような形が取れません。幼児の絵より下手くそになります。でも、デュビュッフェは幼児の絵のマネをして、幼児風に描きますが、そんな意図的なことをしなくても、僕の左手はそのまま幼児以上に下手に描けます。これもハンデキャップから来た自然体です。 今書いている手紙では、前にも同じことを書きましたかね。境界を越えると時間差もなくなって、やったことと、やらないことの区別がわからなくなるのです。いよいよ本格派老人です。100歳老人のセトウチさんにも負けていません。ただ僕はセトウチさんのように年齢には拘っていません。拘っているのは他人の方で、今行っている展覧会では「85歳、85歳」と年齢を売り物にされています。歳のことは言うな! アーティストには年齢はないのです。昨日の続きが今日、今日の続きが明日です。原始社会では年齢など無関係です。アーティストは原始人です。■瀬戸内寂聴「私もヨコオさんに負けないように!」 ヨコオさん 何だか、ずいぶん久しぶりにこの往復手紙を書いているような気がします。 それにしても相変わらずコロナは豪勢を極め日本はおろか、世界的にその力を奮っています。 コロナのせいで、人に会えず、寂庵はずっと門を閉めっぱなしです。コロナになる前はもちろん、一も二もなく門内に入ってもらっていました。 大抵遠く九州や東北から来られた人で、まだ生きている私に逢えたと言って、抱きついて泣き出します。もちろん、私は丁寧にお迎えして、写経などしてもらい、お茶菓子を一緒に食べて、しばらくその人のお話を聞きます。つきあいの人もあれば、寂庵の信者を自称する人もあり、初めて門内に入ったという人もいます。「まさか、門内に入れてもらえると思わなかった」と泣き出す人もあれば、「生きている寂聴さんに逢えた!」と、子供のように足を踏み鳴らす人もいる。「とても百歳には見えない!」と誰もが感嘆してくれるが、終日ベッドに横になり、本ばかり読んで、一日を過ごしている私の毎日の状態など話せない。私は、人に逢っている間だけは、必死になって元気らしさを演じ、声を張り上げる。客の帰る時は、長い廊下の途中で、へばってしまい、さっさと歩く客の跡がおえない。 ──だって百だもの……──と、私は廊下の途中で、ペシャンコに座り込み、つくづく、自分に向かって言う。 食事だけは時間が来ると、しゃきっと体がのび、食卓の自分の位置に早々と座り込んでいる。「あら、お昼はもう召し上がりましたよ!」 スタッフの一人が、わざと大きな声を張り上げる。「私のスパゲティは、どうしてこんなに美味しいのだろうなんて、お世辞までいただいて」「そうよ、ほんとに! でも今ここに座ったのは、食べるためでなくて、眞子さんの結婚をどう思うかって、寂庵で一番若い二十七歳のP子の意見を聞きたいのよ」「ああ、眞子さん、ほんとに、よかったですね。大体、みんなあんまりこの結婚に意地悪すぎましたよ。でも、どうして一時金を眞子さんは辞退なさるのかしら? 貰う権利のあるお金でしょう? あんまり弱気にならない方がいいと思うけど……」 ヨコオさん、今、寂庵の中は、こんなにのんびりしています。耳が聞こえないのは、私も同然です。テレビの時なんか、びっくりするほど大きな声にしてくれるので、何とか会話が出来ています。鶯も、秋の夜の虫の音も、私の耳にはさっぱり聞こえません。ヨコオさんとTELしてるのを横で聞いてる人があれば、どんなにおかしいでしょうね。耳だけでなく体のあちこちがどしどし衰えてきます。 そのうち、きっと、自分の死んだこともわからなくなって、──ヨコオさんにTELして!──など叫んでる日が来るのでしょうね。でも目がよく見えているので、一日に二冊は厚い本を読み切っています。ヨコオさんの展覧会、ますます人気上昇でおめでとうございます。私もヨコオさんに負けないよう、あっとこれまでと変わった小説を二つくらい書き残して死にたいものですね。 では、また。※週刊朝日  2021年9月17日号

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    華原朋美が47歳でバースデー婚 会見が「アムロちゃんと同じ衣装」だった真意

     90年代を代表する歌姫“朋ちゃん”こと歌手の華原朋美が47歳の誕生日を迎えた8月17日、結婚を発表した。お相手は華原の専属マネジャーで、マネジメントを手がける事務所の40代社長で、オンラインで行われた記者会見では冒頭から「毎日が幸せですね。抱き合った時に、肌と肌が合う!」と幸せ全開で報告した。 夫とは2018年のイベントの仕事で知り合い、昨年8月に前所属事務所を辞めフリーになった後に連絡をもらい、11月に再会したという。「(夫のアプローチが)すごく情熱的だった。情熱的な心を感じたので会うことにした」といい、「そして会ってみると“一瞬でこの人となら”と。『この人と手をつないで、いろんなところに行ったら楽しいんだろうな』とか『この人と一緒においしいご飯を食べに行ったら、もっとおいしくなるのかな』とか『うちの息子も喜ぶんだろうな』とか、そういうことばっかり考えた。実は話は聞いてなかった」と“ひと目ぼれ”だったと告白。 その後は乗馬に行くなどして距離を縮め、今年2月に「結婚も前提として」と告げられ、華原も「優しさも含めて、本当にこんなことあるんだ。この人しかいないと思って」交際をスタートさせた。2歳になる長男もとても懐いているそうで「パパと一緒に遊ぶのが大好き」だという。 1995年にデビューし「I BELIEVE」「I’m proud」などミリオンヒットを連発し、紅白歌合戦にも5度出場した輝かしい時代から一転、度重なる騒動を経て2000年には休養。「07年には所属事務所から契約解除され、復帰するまで5年もかかりました。その間、睡眠導入剤や精神安定剤などに依存していたとも報じられ、緊急搬送騒動や恋愛スキャンダル、激太りなど、いつしかスキャンダルでしか話題にならないお騒がせタレントのような存在になってしまっていました」(スポーツ紙記者) それでも母親になってからは、必死に子育てをして仕事も一生懸命しようとしていたという。「頑張ろうとすればするほど、気持ちが前のめりになって、ちょっと不安定になってしまうこともあり、それがまた誤解されることもあって、本人は心細く辛い時期もあったようです。そんな彼女を支えてくれたのがマネジャーだったということでしょうね」(同前) 今年デビュー26周年を迎えるにあたって、華原はこう抱負を語った。「26年間の中でいろいろなことがあって、でも今はすべて幸せに思える自分が生まれました。すごく悔しい、悲しい、つらいとかありましたけど今は全く結婚したことで自分の人生が、こんなふうに急展開するんだという気持ちになっています」 ちなみにツイッターでは、華原の会見での衣装が24年前の安室奈美恵&SAMの結婚会見の時とそっくりと話題になった。「黒のタートルにバーバリーのミニスカートというほぼ同じコーディネート。かつての“ライバル”だったアムロちゃんと同じ衣装にしたのは、まだどこか対抗心というか、意識している部分を残しているのかもしれません。本人は会見で『7キロダイエットはうそ、ホントは2キロだけ』とも明かしていたように、自分の気持ちをストレートに表現してしまう性格は変わっていないと思いました」(女性誌記者) 親子3人で過ごすのがうれしくて、料理をするのも楽しいと話す華原。今度こそ、朋ちゃんスマイルがずっと続くことを願いたい。(坂口友香)

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    小室圭さん帰国便同乗者が目撃した姿「彼はまるでエグゼクティブ」 自宅前では深々とお辞儀

    颯爽と歩きながら、小室圭さんがアメリカから帰国した。日本の地を踏むのは2018年8月に渡米して以来、3年2か月ぶりだ。  成田空港は多数の報道関係者が集まっており、ピリピリムード。報道陣に対して、カメラのフラッシュ禁止、声掛けも禁止といった規制が敷かれていた。報道関係者からは「どうして?」と不満の声も漏れていた。  午後3時20分過ぎ、成田空港に飛行機が到着。一般客が飛行機から降りたあと、小室さんが、報道陣の前に姿を現した。警護と思われる男性やキャビンアテンダント(CA)の女性などに囲まれていた。キャリーバックを転がしながら、白マスクに、濃紺のスーツ、ストライプの入ったシャツ、ノーネクタイといういで立ちで、髪の毛は後ろに縛っていた。  飛行機から出てきた小室さんは報道陣に一礼したあと、新型コロナウイルスの抗原検査、そして入国手続きに進んだと見られる。  小室さんは機内でどのような様子だったのか。偶然、同乗していた男性(51)に話を聞くことができた。 「私がファーストクラスで座っていると、ドアが閉まるギリギリになって小室さんが搭乗してきました。まるでエグゼクティブのようでした。後ろの髪を結っていたので、すぐに彼だとわかりましたね。彼一人に女性CAが2人くらいついて、会話しながら案内されて入ってきました」  当初はエコノミークラスのチケットを買ったと報じられていたが、この男性はこう語る。 「右の列のビジネスクラスの前方の席で、窓際に座っていましたね。私の席から右斜め後ろのほうの席でした。ただ、カーテンでファーストクラスとは仕切られていたので彼の表情などはわからなかったです」  男性は飛行機から降りた後、抗原検査のために、大きめの部屋に移ったという。40分ほどその部屋に滞在したが、そこに小室さんの姿はなかった。 「今か今かと待っていたのに、残念でした」(男性)  そのころ、到着ロビーには多数の報道陣のほか、「皇室系Youtuber」といったタスキをかけた人物や一般客も小室さんの姿を一目見ようと集まっていた。その数、50~60人ほど。  津田沼から来たという白髪交じりの一般男性は手にハンディカムを持ち、小室さんを待ち構えていた。妻に頼まれて自宅で見るために撮りに来たという。  しかし、小室さんは一般客が使う到着ロビーを通らず、地下駐車場から車に乗り込み、成田空港を後にした。「地下駐車場から空港を出たらしい」と男性に知らせると、「こんなに待っていたのに……」と不満げな様子だった。  小室さんを乗せた乗用車が向かった先は、母・佳代さんが住む横浜の自宅だった。自宅前は朝から報道陣が詰めかけ、警察は臨時の派出所を設置し、周辺警備に当たるなど、ものものしい雰囲気が漂っていた。夕方には100人を超える報道陣が押し寄せており、ベランダから様子を一目見ようとする住民の姿も見られた。  19時過ぎ、小室さんを乗せた車が到着。警察が後部座席のドアを開け、車から出てきた。小室さんは、報道陣から「どんなお気持ちですか」と声を掛けられたが、反応は示さず、自宅マンションの入り口で2回ほど深々とお辞儀をして、黒いスーツを着た男性らと中に消えていった。  近くに住む60代の男性はこう語る。 「ヘリコプターの音がすごくて『何事か』と思って見に来た。3年前の婚約会見後のときと同じような状況だと感じましたね。小室さんがニューヨークに行ってからは、静かになっていたんだけど……。またしばらく騒々しくなるのかなと思っています。どの家庭も問題を抱えていますし、小室さんと眞子さまも早くアメリカで幸せになってほしいですね」    小室さんは今後、自宅で2週間の隔離を終え、その後、記者会見に臨むと見られている。果たして何を語るか。注目が集まる。 (AERAdot.編集部/上田耕司、飯塚大和、吉崎洋夫)

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    河北麻友子、初対面の出川哲朗に「本番以外では、テッちゃんって呼ぶ!」

     今年1月に結婚し、幸せいっぱいのモデル河北麻友子さん。作家・林真理子さんとの対談では、これからの目標を明かしてくれました。 【河北麻友子の人生の分岐点「ニューヨークで育って、死ぬと思っていた」】より続く *  *  * 林:河北さんがブレークしたのは「ViVi」ですよね。 河北:たぶんそうだと思います。 林:最近、人気になる女性の有名人って、女性誌から火がつく方、多いですね。私服がカワイイとか、私物がカワイイとか。 河北:「ViVi」の専属モデルをやってたときは、私服企画とかが年に2回ぐらいありました。 林:ニューヨーク風着こなしをしなきゃいけないとか、期待度大きいですよね。 河北:ああ、そうかもしれないですね。 林:ニューヨークの女の子って、どういう格好してるんですか。 河北:ニューヨークは日本ほどトレンド、トレンドというわけじゃなくて、わりとみんな自由なんです。日本って「こういうのがはやってる」ってなると、街なか全員それ一色になるじゃないですか。あっちはみんな個性的なので、その人に合った格好をするという傾向が強いですね。 林:ジーンズも多いですか。 河北:基本的にカジュアルな服装が多いです。日本人はふだんからヒールはいたりとかしてますけど、あんまりそういう人は多くない気がします。 林:私、バラエティー番組で河北さんを見て、対応の仕方が物おじせずハキハキしてて、今までの子とはなんか違うなと思ってましたけど、ニューヨーク生まれのニューヨーク育ちだと聞いて、なるほどなと思いました。大御所にもぜんぜん臆することなく。 河北:ラッキーでした。出川(哲朗)さんと初めてお会いしたときに、「私、本番以外では、テッちゃんって呼ぶ!」みたいなことを言った覚えがあって。今思えば「なんだ、この小娘」と思われてもおかしくないのに、出川さんは「おまえ、おもしろいな」みたいな感じで受け止めてくださって、出会いに恵まれました。 林:日本の芸能界ってどうでした? なじめました? 河北:なじめてるかどうかわからないですけど、でもまあ、何とかやれてます。「あの子はニューヨークにいたから」とか「帰国子女だから」とかいうのが、ある種バリアーとして働いてくれているというか、それに守られてる感じはしますね。 林:なるほど。英語の番組もやってるし、ニューヨーク帰りってなると、日本人は「ははッ、参りました」って感じになるから、ちょっと別枠になるんでしょうね。このあいだ、このページに美波さんという女優さんにゲストで出ていただいたんですけど、いま公開中の「MINAMATA」という映画で、ジョニー・デップと共演してるんです。 河北:え~っ、すごい! 林:彼女はお父さんがフランス人で、英語もできるので、奈良橋陽子さんにすすめられてオーディションを受けて、ジョニー・デップの相手役に決まったそうです。河北さんもニューヨークで育って、英語ペラペラなんだから、オーディションを受けてハリウッドに、という考えはあるんですか。 河北:オーディションは少しずつ受けさせていただいてます。英語を使っていろいろお仕事ができたらいいなと思ってますね。 林:日本の芸能界で英語をしゃべれる人って、大人になって勉強した方はわりといらっしゃるけど、ネイティブな人ってそんなにいませんよね。 河北:少ないかも、ですね。 林:河北さんは強力な武器を持ってるんですから、ぜひ世界に挑戦してほしいですよ。 河北:したいですね、チャンスがあれば。 林:美波さんがおっしゃってたのは、今、海外の映画はアジア人の需要がすごく多いって。有色人種を何パーセント出さなきゃいけない、みたいな決まりがあったりするみたいですね。だから河北さんみたいに、言葉の壁がない人にとってはすごいチャンスですよね。 河北:そうですね。私も頑張りたいです。 林:でも、海外のお仕事は何カ月も留守にしなきゃいけないから、ご主人、ちょっと寂しいかも。 河北:相談してみます、半分一緒に来てくれないかって(笑)。彼にもお仕事があるので、そう簡単にはいかないと思いますけど。 林:日本でもドラマや映画、ガンガンやっていくつもりですか。 河北:やりたいです。チャンスがあれば。 林:プライベートで奥さんになったし、演技の幅が広がっていろんな役ができそうな気がするけど。 河北:(事務所のスタッフに)そうおっしゃってますので、お願いします(笑)。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木敏雄) 河北麻友子(かわきた・まゆこ)/1991年、アメリカ・ニューヨーク出身。オスカープロモーション所属。2003年、第9回全日本国民的美少女コンテストでグランプリ・マルチメディア賞W受賞。モデルや女優など、幅広く活躍。「世界の果てまでイッテQ!」「BeauTV~VOCE」などのテレビ番組、「河北麻友子のマユコレ!」などのラジオ番組のほか、太田胃散「太田胃散整腸薬」、ライオン「Ban」、青山商事「ザ・スーツカンパニー2021春夏レディス」などCM出演も多数。※週刊朝日  2021年10月22日号より抜粋

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    17時間前

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    車の真横を特急電車が走っていた? いまでは見られない「道路併用」高速電車

     1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は特別編として私鉄の特急電車が街中の電車道を走るという珍しい話題を取り上げる。 *  *  *  大手私鉄にはその発足が路面電車で、時代の要請に応じて高速電車に進化していった路線が多く見受けられる。関東では京王電鉄や京浜急行電鉄の高速電車が路面区間を走る光景が昭和30年代まで散見された。  筆者の学生時代には、さすがにこのような光景は減少していたが、名古屋鉄道(以下名鉄)犬山線、近畿日本鉄道(以下近鉄)奈良線、山陽電気鉄道(以下山陽電鉄)の一部区間には路面走行区間が残されていた。行き交う自動車を横目に特急電車が泰然と道路を走る情景を紹介しよう。 ■道路併用の犬山橋を渡る特急電車  冒頭の写真は風光明媚な木曽川に架けられた鉄道と道路併用の犬山橋を渡る名鉄特急電車。特急「みはま」は岐阜県の新鵜沼から知多半島の河和を結ぶ座席指定特急(座席指定料金250円)で、名鉄のエースだった7500系パノラマカーが充当されていた。  道路併用区間がある名鉄犬山線の犬山遊園~新鵜沼は地方鉄道法に準拠して敷設され、1926年10月に開通している。地方鉄道法では道路上に軌道を敷設することができないが、木曽川に架橋する鉄道橋を鉄道道路併用橋とすることが愛知県、岐阜県、名古屋鉄道の三者で合意され、例外的な認可を受けて架橋されたのが犬山橋だった。  優美な三連トラス橋の犬山橋は全長223m、幅員16mで、犬山遊園~新鵜沼の駅間距離700mのうち橋梁部が三割強を占めている。「犬山橋上の複線線路中心間隔が3mしかなく、上下線電車の行き違いができなかった」という説があるが、橋上で電車が行き交っていた記録が存在することから確証はない。ただし、橋上の運行速度は対向列車との接触防止の観点から時速25キロに制限されていた。  モータリゼーションや列車密度の進捗で犬山橋が鉄道と道路輸送のネックとなってきたことから、鉄道と自動車の通行を分離するため、新たに犬山橋の下流に並行する全長253.5mの道路橋「ツインブリッジ」が2000年3月に架橋された。これにより従来の犬山橋は鉄道専用橋に改修され、道路上を走る名鉄特急の姿は過去のものとなった。 ■奈良名物「油阪の併用軌道」  路面電車が走らない奈良市内にも、近鉄奈良線の油阪~近畿日本奈良(きんきにっぽんなら/現在は近鉄奈良に改称)に道路併用区間があり、愛好者からは「油阪の併用軌道」と呼ばれ、奈良名物になっていた。  次のカットは油阪の併用軌道を走る近鉄奈良線の特急電車。併用軌道は大宮通りに敷設されており、奈良線特急が終着を目前にした高天交差点にさしかかるシーンだ。写真の820系は1961年に製造された車体長18m、車体幅2.45mの奈良線用高性能車で、同系の800系と共に上本町~近畿日本奈良を30分で結ぶ特急(特急料金不要)に充当されていた。マルーンにステンレスの帯をきりりと締めた外観で、鹿のイラストを配した特急ヘッドマークがお似合だった。  近鉄奈良線の出自は大阪電気軌道が1914年に上本町~奈良30800mを開業したことに始まる。軌道法に準拠して敷設され、軌間は1435mm、電車線電圧は600V(1969年1500Vに昇圧)だった。大阪電気軌道は関西急行鉄道を経て、1944年に南海鉄道との合併で設立した近畿日本鉄道となり現在に至っている。関西急行鉄道時代の1942年に軌道から地方鉄道に切替えられた。奈良線は生駒山を貫通する生駒トンネルの掘削断面が狭かったため、1964年に新生駒トンネルが開通するまで、狭幅の車両で運行されていた。  1969年に併用軌道区間の油阪~近畿日本奈良を地下化する工事が進捗し、12月9日に油阪駅が廃止され、翌日に別線ともいえる地下新線と新大宮駅が開業。新大宮~近畿日本奈良が地下線に移行し、半世紀を超える併用軌道の運行に終止符が打たれた。 ■神戸市内の路上を走る特急電車  路面電車仕様の兵庫電気軌道を前身とする山陽電鉄には、兵庫~西代、須磨~東垂水、明石市内の一部に道路併用区間が存在したが、須磨地区や明石市内は1940年代までに専用軌道に切替えられていた。筆者が訪れた1964年には、山陽電鉄の起点である電鉄兵庫(1943年に兵庫から改称)駅から西代駅の手前まで、約2000mの併用軌道が残存していた。  写真は長田駅を発車して電鉄兵庫駅に向かう山陽電鉄の特急電車。画面左奥の木造駅舎が長田駅で、下りホームには電鉄明石(現在は山陽明石に改称)方面に向かう820系電車が写っている。画面右先の電鉄兵庫方面交差点には神戸市電尻池線とのダイヤモンドクロスがあり、電車線電圧1500Vと600Vの異電圧が交差するデッドセクションの通過シーンはファン垂涎の見どころだった。  特急(特急料金不要)に充当された2000系(2014編成)は1962年に登場した3扉仕様のステンレスカーで、当時の最新車だった。ステンレス無塗装車体の窓下と裾に巻かれた細い赤帯が印象に残る。  最後のカットが電鉄兵庫駅を発車して電鉄姫路(現在は山陽姫路に改称)に向かう特急電車。この2006編成は同じ2000系でも普通鋼で製造され、山陽電鉄標準塗装のクリームとブルーの外観だった。駅に隣接した交差点には交通信号もなく、日傘を差した婦人が軌道敷内で電車の通過を待つ、長閑な光景が記録されていた。画面の背後が5線4面のホームを持つ電鉄兵庫駅で、山陽電鉄の起点とはいえ、神戸市の中心部を外れたマイナーなターミナルだった。  山陽電鉄の歴史は、前述の兵庫電気軌道が兵庫~須磨5900mを開通させた1910年に始まる。軌間1435mm、電車線電圧600Vで、軌道法に準拠して敷設された。後年神戸姫路電気鉄道を併合した宇治川電気と合併し、1933年に山陽電気鉄道となった。  1968年、神戸高速鉄道東西線(阪急三宮・阪神元町~高速神戸~西代)の開業にともなって、4月6日限りで電鉄兵庫~西代が廃止され、開業以来続いた併用軌道の運行が終了した。ちなみに、当時は電鉄兵庫~電鉄明石が軌道法に準拠しており、専用軌道区間の西代~電鉄明石は1977年に地方鉄道に変更された。 ■撮影:1981年12月8日 ◯諸河 久(もろかわ・ひさし)1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの軽便鉄道」(イカロス出版)など。2021年4月に「モノクロームの国鉄情景」をイカロス出版から上梓した。 ※AERAオンライン限定記事

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    小室圭さんのロン毛を見てストンと胸に落ちた 私は眞子内親王の新しい人生を応援します

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、眞子さまの結婚について。*  *  * 小室圭さんのロン毛を見て、いろんなことがストンと胸に落ちた。   日本中が好奇の目を向けている中でのロン毛での帰国は、小室さんの圧勝が決まった瞬間のように見えた。多くの人の想定を超える空気の読めなさと(誰が小室さんがロン毛で帰国することを予想できただろう)、垣間見える尋常ではない深く強い自己肯定感。こういう人でなければ、何の後ろ盾もない一般男性が皇室の女性にプロポーズするなど、無理なことなのだと理解した。  おそらく眞子内親王には、それが分かっていたのではないだろうか。もう二度と、こんな男性は現れない、恋愛感情がいつか終わることなど百も承知、賛成されていないのも百も承知、とんでもない間違いを犯している可能性も百も承知、耳に入れたくない「言いたい放題」があることなど眞子内親王自身が百も承知だろう。それでもこの機会を逃したら一生ここから出る機会はないに等しい。出られたとしても、もうそれは10年、20年後のことかもしれない。少なくとも眞子内親王と恋愛し、無謀とも思えるプロポーズをするような2人目の「一般男性」が現れる可能性は限りなく低いだろう。「生きていくために必要な選択」というのは、眞子内親王にとって大げさでない真理なのだ。  改めて、皇室の女性たちが置かれている特殊で残酷な環境に思いを馳せずにはいられない。日本のプリンセスは結婚したとたんに「一般人」にならなければいけないという、女性だけに科せられた罰のような制度がある。罰のような制度にもかかわらず、女性が皇室にとどまることは“空気”として許されていない。とはいえ一人で勝手に出ていくことはできず、現実的には男性と結婚することで出ていかねばならない。  そのような現在の皇室そのものが性差別も甚だしい前近代的な制度であるにもかかわらず、「皇室は特別ですから」と放置され続けてきた。眞子内親王の結婚をめぐるさまざまな事柄が私たちに見せたのは、皇室の女性たちが強いられる制限が、もはや人権問題の域に入っていることなのかもしれない。東京のど真ん中に、憲法24条が無効の性差別が横行している巨大な村があるようなものだ。その村から女が自力で出るためには結婚という方法しかなく、その自力すら認められるのは非常に難しい。  眞子内親王と小室さんの結婚を応援している若い女友だちの話を聞くと、自分の人生を内親王の人生と重ねている女性が少なくないことに驚く。 「眞子さまには、幸せになってほしいです。私も眞子さまと同じで、結婚しか家を出る方法がありませんでした」  内親王より少し年上のその女性は、「家柄」を自慢するような家に育ち、親が思う「適齢期」の頃には「ゼクシィ」が山のように積まれ続け「結婚しろ」のプレッシャーを感じるようになった。ひとり暮らしを希望したが「とんでもない」と聞き入れられることは一切なく、「なにはともあれ結婚」と言われ続けた。大学時代から付き合っていた男性(アルバイトで生活をつなぐミュージシャン)との結婚を心から望んでいたが、「あり得ない」と一蹴され、親戚にすすめられた見合いで公務員の男性と結婚したのは29歳の時。夫に恋愛感情を持つことは一切ないが、そうでもしなければ自分の人生は始められなかったと言う。結婚して初めて、自分が選んだ食器をテーブルに並べた時の解放感は今でも忘れられないと言う。これ、100年前の話じゃなくて、今の東京での話だ。  健康に不安を抱えるシングルマザーの母親に育てられた別の女性は、母を一人にできないという思いで、今も高齢の母親と暮らしている。結婚する機会はあったが、どの男性も母親が嫌い、ののしり、否定し、一晩の旅行すら許されず結局諦めてきた。今は強い後悔をしている。結婚すればよかった、ほんとうはそれしか母親から離れる機会は私にはなかった、と。  また父親や親戚からの性暴力を継続的に子供時代から受けている女性は、家を出るための結婚を急ぐこともある。女のひとり暮らしなど到底許されない支配的で暴力的な空気のなか、家を安全に出られる唯一の手段が結婚という場合もあるのだ。  眞子内親王は、旧宮家でもなく、お見合いでもなく、「お家柄」でもなく、誰にすすめられたわけでもない一般男性と自らの強い意思で恋愛をした戦後初めてのプリンセスだ。そういう女性に、今、日本の若い女性たちが共感を寄せている背景に、日本を生きる女性たちが沈められている暗い沼の存在が他人ごとではないからかもしれない。内親王の決断は「家を出るため」の唯一の手段に見えるからかもしれない。それなのに、その意思を貫くために約1億5000万円の一時金を辞退したり、日本以外の国で暮らすことを選択したりする状況に追い込んだものは何なのだろう。  小室さんのロン毛。女性の自由と権利を搾取するシステムそのもののおかしさを超越した破壊力。私は初めて、小室さんを好きだと思った。もうこういう破壊力を持つ人しか、日本のプリンセスを自由にできないのかもしれない。眞子内親王の新しい人生を応援します。 ■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    自民64議席減の予測 石原伸晃 下村博文、萩生田光一も当落線上か

     天下分け目の衆院選が近づきつつある。新総裁のもとでイメージを一新した自民党に、野党は今回もしてやられるのか……いや、そうとも限らない。過去のデータを分析すると、野党共闘の成立次第で勝敗はガラッと変わることがわかってきた。 *  *  *  コロナ禍の拡大で国民から総スカンを食らった菅義偉政権。衆院議員の任期満了が10月21日に迫るなか、自民党は近年では最大の危機を迎えていた。ジャーナリストの二木啓孝氏は言う。 「8月ごろに自民が実施した衆院選の情勢調査は『60議席±10減』という衝撃的な結果だった。二階俊博幹事長が8月末にその資料を持って菅義偉首相と官邸で面会。この数字が退陣の決定打になったと言われています」  次期衆院選の定数は465。過半数確保には233議席が必要だ。自民の現有議席は275で、43議席減らすと自民単独過半数割れ。また、公明党の現有議席は29。自公両党で合計72議席減ると与党過半数割れとなる。自民にとって“政権からの転落”が現実味を帯びていたのだ。  進退窮まった菅首相は9月3日に総裁選不出馬を正式表明。11月までに実施される衆院選は新しい首相・総裁のもとで実施されることとなった。その後は連日、メディアをジャックした「総裁選ショー」で菅政権の失政は“リセット”され、またも与党は安泰……という結果になるのだろうか。  だが、次の衆院選は前回と決定的に違う点がある。前出の二木氏は言う。 「2017年の衆院選で与党が圧勝したのは、選挙直前に民進党(当時)が希望の党と立憲民主党に分裂し、混乱の中で共産党との選挙協力も進まず、野党候補者が乱立したから。今回は前回ほど野党候補者の分裂選挙にはならない。自民は決して安泰ではなく、『どれだけ負けを減らせるか』の戦いになるでしょう」  そこで本誌は、17年衆院選で仮に野党候補者の一本化ができていた場合、選挙結果がどうなっていたかをシミュレーションした。なお、国会で与党寄りのスタンスをとり、立憲らと明確に距離を置く維新の会は、野党候補の票に合算していない。  その結果は衝撃的なものだった。野党の合算票が、勝利した与党候補者の票を上回った小選挙区は64。なかには、石原伸晃元幹事長(東京8区)、下村博文政調会長(東京11区)萩生田光一文部科学相(東京24区)、上川陽子法相(静岡1区)など、現職大臣や要職経験者といった“大物議員”も複数含まれていた。  さらに、17年衆院選と19年参院選で与野党が拮抗した選挙区や、保守分裂選挙になりそうな選挙区など13選挙区を抽出した。この合計77選挙区が、与党の「“落選危機”リスト」だ。仮にこれらの選挙区をすべて落とせば、「自公で過半数割れ」もあり得る。  個別の選挙区事情を見ても、与党が安泰でないことがわかる。永田町関係者は言う。 「香川1区の平井卓也デジタル担当相は、立憲の小川淳也衆院議員と拮抗している。小川氏を主人公にしたドキュメンタリー映画がヒットしたことで、メディアへの露出も増えた。与野党逆転があるかもしれない」  東京9区は菅原一秀前経産相が違法な寄付で略式起訴され自民を離党。自民は候補者を立てられず不戦敗の公算大だ。  石原伸晃氏だけではなく、弟の宏高衆院議員(東京3区)もリスト入りしている。 「東京3区は立憲の松原仁衆院議員が保守層にも浸透している。野党一本化が実現すれば、伸晃氏と一緒に兄弟で危ない」(自民党関係者)  広島3区からも目が離せない。二木氏は言う。 「河井克行元法相の選挙買収事件を受け、公明の斉藤鉄夫副代表が候補者になりましたが、選挙戦で手足になる主だった自民系地方議員のほとんどは河井氏から現金をもらっていて活動ができない。4月の参院広島選挙区の再選挙も野党候補が勝利している。斉藤氏はかなり厳しい」  野党が決して非力でないことは、次のデータからも読み取れる。  17年衆院選で全国の比例得票数は、自公が計約2553万票なのに対し、立憲・希望・社民・共産は計約2611万票で野党が上回っていた。  19年参院選の結果を見ても、リストにある宮城、秋田、長野、静岡、愛知、滋賀、京都、大分は野党の合算票のほうが多い。東京は与党が上回ったが、得票率の差はわずか1.8ポイント。同じく与党合算票が上回った千葉と神奈川も、その差は5ポイント未満だ。北海道では、知名度の高い高橋はるみ前北海道知事が自民から出馬した影響で選挙区票は与党が上回ったが、比例票は野党のほうが多かった。  もちろん、野党がその“潜在能力”を発揮するには、まだまだ突破しなければならない壁がある。  一つは自民党新総裁が誕生した際の「ご祝儀相場」だ。昨年、菅首相が誕生したときも内閣支持率は一気に6割以上まで回復した。政治アナリストの大濱崎卓真氏は言う。 「メディアでは総裁選ばかり取り上げられ、野党の存在感は埋没している。しかし、総裁選後は臨時国会が開かれ、代表質問も実施される可能性が高い。野党は総選挙に向け、早めに争点を設定しておく必要があります」  最大の問題は、野党が候補者を一本化できるかだ。現在、次期衆院選の289選挙区のうち、立憲の候補が共産、社民、れいわと競合する選挙区が70以上残っている。前出の大濱崎氏は言う。 「菅首相の不出馬表明で与党有利な状況になり、共産や国民も比例票狙いで候補者を多く立てたいという考えが強くなっている。あと1カ月程度でどの程度まとまるかです」  野党候補の一本化を目指すため、立憲の平野博文選対委員長は9月24日、同党の小沢一郎衆院議員に共産党との交渉役を依頼した。過去の失敗から学習し、力を結集できるのか。それ次第で、11月以降の政治風景は激変する。(本誌・西岡千史、池田正史) ※週刊朝日  2021年10月8日号

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    小室圭さんはひと足先に米国へ 眞子さまの病状説明で宮内庁はなぜ「批判」と言わず、「誹謗中傷」と強調したのか

     秋篠宮家の長女、眞子さま(29)と小室圭さん(30)は、今月26日に婚姻届を提出し、記者会見を行う。結婚の日が迫るなか、小室家と小室さんの母、佳代さんの元婚約者との間の金銭トラブルは解決しておらず、儀式なし一時金なしの異例の結婚。だが、宮内庁の空気は明るいようなのだ。 *      *  *  18日午前、小室圭さんが秋篠宮ご夫妻へのあいさつのため赤坂御用地にある秋篠宮邸を訪れる。この日に眞子さまとも3年2カ月ぶりに再会するという。  眞子さまと小室さんの結婚は、女性皇族の結婚時に通例行われる結婚に伴う儀式は行わず、皇籍を離脱するに伴う一時金も受け取らない「異例婚」だ。  秋篠宮さまは、昨年の誕生日の記者会見で、「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」と定めた憲法を引き合いに出し、結婚を認めると発言した。   一方で、金銭トラブルに対して国民が納得し、祝福する状況にはない以上、「納采の儀」など家同士の儀式にあたることを行わないというのが、一貫したスタンスだった。  黒田清子さんと黒田慶樹さんのように結婚後も晩さん会や祭祀に夫婦で出席するような親戚づきあいは、小室家とは行わないのではないか、とみられていた。    それだけに、小室さんが秋篠宮ご夫妻に直接会い、あいさつを行うか否かは、関心事のひとつでもあった。 「意思を通したけじめはつけるべきだ、というのが秋篠宮さまのお考え。一方で、眞子さまが後ろ指をさされることのないよう、ご両親としてできることはしてあげたいということでしょう」(宮内庁OB)  もうひとつの関心事は、米国への出発の日だ。  26日の結婚と記者会見を終えたら、小室さんは早々に日本を発ち米国での勤務に戻る――。そうした見方が有力になっている。  眞子さまは、皇籍から抜けて民間人となったあとにパスポート取得の手続きに入るため、2週間程度は日本に滞在する必要がある。小室さんが先に出発したあとは、眞子さまはひとりで出発までの準備を行うことになりそうだ。  26日に眞子さまは結婚の手続きを済ませた後、「小室眞子さん」として記者会見に臨むことになる。予定されているのは、都内の老舗ホテルだ。  思い起こせば、05年に黒田清子さんと黒田慶樹さんが挙式と披露宴、記者会見を行ったのは、帝国ホテルだった。白のシルクのロングドレスに真珠のネックレスをつけた清子さんは、「扇の間」で会見に望んだ。黒田さんとほほ笑みながら見つめ合い、こう述べた。 「黒田家の一人として、新しい生活に臨んで参りたいと思います」   清子さんの場合と異なり、眞子さまと小室さんの記者会見では、場所の選定は重要なポイントになる。金銭トラブルが解決しないまま結婚することに、国民感情として納得がいかないという空気が強いからだ。 「そうした国民感情に配慮したなかでの記者会見だけに、紀宮さまと同じ帝国ホテルで行えば、ぜいたくと批判されかねない。かといって、参加するテレビや大手メディア、雑誌や外国のプレスに対応できる会場である必要がある。『身の丈に合っている』と受け止められる場所であることが重要です」(前出のOB) そもそも天皇や皇族の記者会見は、宮内記者会があらかじめ提出した質問に対して準備した内容を回答する。その場で自由に質疑ができる関連質問もあるものの、そう厳しい質問が出ることはないのが一般的だ。 眞子さまと小室さんの記者会見は、小室さんの母親と元婚約者との金銭トラブルの説明の場としてもとらえられている。  その金銭トラブルは、結婚まで2週間を切ったいまも解決にはほど遠い状況だ。  小室家の代理人弁護士が、一部メディアの取材に、<圭さんが母親に代わってX氏と話をすることを提案し、先日お返事をいただいたので方法等について調整中です>  と回答すれば、元婚約者サイドは、「了承はしていない」とのコメントを公表するなど、事態は泥沼化する一方だ。    だが宮内庁は、金銭トラブルなど、もはや気にもかけていないような空気だという。  皇室の事情に詳しい人物は、こう明かす。 「結婚の日取りも決まって、やれやれホッとしたという空気に満ちていた。『結婚前に金銭問題にめどをつけなければいけない』といった焦りはまるで感じなかった」  この宮内庁の様子について、次のように分析する。 「というのも、金銭問題に対して国民の納得と結婚への祝福を得られていないまま突き進むことへのけじめが、異例の『儀式なし婚』となった訳です。すでにある種のペナルティを課したうえで結婚を決めた。だとすれば、何が何でも結婚前に、解決しなければならない理由はなくなったということです」  加えて、会見自体はそう厳しいものにはならないとみられている。  布石になっているのは、10月1日の会見だ。  永井良三皇室医務主管と精神科医でNTT東日本関東病院の秋山剛医師が同席し、「複雑性PTSD」と診断されたと公表した。 小室圭さんの母親の金銭トラブルに対する批判が続く中、眞子さまが、結婚に関するご自身や家族、相手とその家族への誹謗(ひぼう)中傷と感じられるできごとを長期にわたり反復的に体験したことが原因だという。眞子さまに診断を下した秋山医師は「結婚されることで、誹謗中傷と感じられる出来事がなくなれば改善が進む」と話した。  この説明に対して、一部の国民は「誹謗中傷」という言葉に敏感に反応した。誹謗中傷とは、<根拠のない悪口を言いふらして、他人を傷つけること>を指すからだ。  宮内庁の会見に同席した医師は、眞子さまが「誹謗中傷と感じる出来事」について「週刊誌報道」「ネット上のコメント」が含まれると述べているが、具体的にどの部分が「事実に基づかない誹謗中傷」であるのかを明らかにしていない。   また、宮内庁は出した眞子さまの病状と診断について説明した文章では、「批判」という言葉を一度も使っていない。  代わりに、「誹謗中傷」の単語を6度用いている。  なぜ、宮内庁は、「批判」ではなく「誹謗中傷」という言葉を選んだのか。  思い起こされるのは、1993年、皇后であった美智子さまが59歳の誕生日に公表した文書回答だ。  昭和から平成の世に移るなかで、平成流皇室に対する批判の矛先は、美智子さまに向けられた。  10月20日、誕生日の祝賀行事に出発しようとしていた美智子さまは、突然倒れて声を失った。  最終的な引き金となったのは、皇太子妃決定過程に関連した人物からの手紙という指摘もあり、皇后バッシングで声を失ったという単純な構図ではないようだ。  それでも、バッシングは美智子さまを苦悩に追いやった原因のひとつだ。   宮内記者会からの、「最近目立っている皇室批判記事についてどう思われますか」という質問に対して、美智子さまは文書でこう回答を寄せた。 <どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います。今までに私の配慮が充分でなかったり、どのようなことでも、私の言葉が人を傷つけておりましたら、許して頂きたいと思います。 しかし事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます。批判の許されない社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が、繰り返し許される社会であって欲しくはありません。幾つかの事例についてだけでも、関係者の説明がなされ、人々の納得を得られれば幸せに思います。>   「批判」とは、<人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること>(大辞泉)。対して、「バッシング」は、<打ちのめすこと。手厳しく非難すること>(同)。「批判」は、ある程度の事実に基づいた意見であり、「バッシング」は、ちょっとした根拠をもとに相手を打ちのめすニュアンスだ。  美智子さまは文書回答で、「どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います」と答えている。 「つまり、今回、眞子さまが複雑性PTSDと診断された背景について、宮内庁が『批判』という言葉を使えば、『ある程度、耳を傾け、受け止めなければならない』という含みを持ってしまう。宮内庁は、『批判』ではないと強調したかったのでしょう。だが、誹謗中傷という言葉は報道や国民を萎縮させる表現で、宮内庁がたやすく使ってよい言葉ではなかった」(前出の人物)  26日に行われる、「小室眞子さん」と小室圭さんの記者会見。メディアと「小室夫妻」のやり取りが、表面をなぞったような言葉で終わってほしくはない。 ふたりから、金銭問題について国民が納得のゆく説明がなされるのか。眞子さまは、「ねえね」と慕った黒田清子さんのようにほほ笑んで、「新しい生活に臨んで参りたいと思います」と口にすることができるのか。  眞子さまは、内親王として歩んだ30年の矜持を胸に会見に臨む。 (AERAdot.編集部 永井貴子)

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    【独自】コロナ「幽霊病床」第5波ピーク時に3割の尾身理事長JCHOは補助金311億円 岸田首相が解消へ 

     新型コロナの感染者が急減する一方で、第6波に備えて岸田文雄首相が医療体制の強化に動き始めた。全国で11万人以上の自宅待機者があふれた第5波では、ピーク時にコロナ即応病床と申告し、多額の補助金を受け取っていながら実際は使用されなかった「幽霊病床」が多く存在し、問題化した。  政府分科会会長の尾身茂氏が理事長を務める独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO)傘下の病院でも次々と「幽霊病床」問題が発覚。岸田政権からJCHOの姿勢に厳しい目が向けられ始めている。  「この夏の感染拡大時にコロナ病床が十分に稼働しなかった反省も踏まえ、いわゆる幽霊病床を見える化し、感染拡大時の使用率について8割以上を確保する具体的方策を明らかにする」  10月15日午前、岸田首相は新型コロナウイルス感染症対策本部を開催し、こう述べた。AERAdot.が入手した岸田首相が出席した会議資料には以下の記述があった。 <いわゆる「幽霊病床」の実態把握。感染拡大時の コロナ用の病床の使用率について、少なくとも8割を確保する具体的な方策を明らかにする> <国立病院機構法、地域医療機能推進機構(JCHO)法に基づく『要求』をはじめ、公的病院に関する国の権限を発動し、公的病院の専用病床をさらに確保する>  国立病院機構法と地域医療機能推進機構法には、厚労相が公衆衛生上重大な危害が生じるおそれがある緊急の事態に、国立病院とJCHOに対して必要な措置をとるように求めることができるが、こうして名指しするのは異例だ。  冒頭の岸田首相の発言の前日14日、尾身氏は官邸を訪れ、岸田首相に対しコロナ対策をレクチャーしたが、尾身氏が理事長を務めるJCHOや国立病院機構などが議題の対象に上げられた形だ。 「尾身氏は岸田首相にリーダーシップのあり方をレクチャーされていましたが、政府としてはJCHOの幽霊病床の補助金問題に強い問題意識を持っています。会議ではJCHOも名指されています。尾身氏は岸田首相と会談後、記者団に対し『首相は病院のコロナ貢献を可視化する方針だ』などとレクしていました。しかし、実際に政府が行うのは『貢献』ではなく、『非貢献』の可視化で、JCHOもターゲットになっています」(官邸関係者)  尾身氏が理事長のJCHOの「幽霊病床」の補助金問題はAERAdot.がこれまで追及してきた問題だ。 ◆尾身氏が認めたJCHOの「幽霊病床」  幽霊病床とはピーク時にコロナ即応病床と自治体に申告し、多額の補助金を受け取っていながら実際はコロナ患者を受け入れず、空床のままにしていることだ。政府はコロナ用の病床確保策として、新たに重症患者向けの病床を確保した病院に1床あたり1950万円、中等症以下の病床に900万円を補助している。また「病床確保支援事業」では新型コロナ専用のベッド1床につき1日7万1千円の補助金が出る仕組みになっている。  AERAdot.が8月28日に報じた「『国会で言う』西村大臣を黙らせる尾身会長への違和感 天下り公的病院コロナ病床は1割強」という記事では、自宅療養者が連日あふれ、尾身氏が国会で「医療ひっ迫」を訴える中、JCHO傘下の都内5つの病院のコロナ病床はわずか1割強。都内の都立病院などの5割強に比べ、少なすぎる実態を報じた。  さらに9月1日には「【独自】コロナ病床30~50%に空き、尾身茂氏が理事長の公的病院 132億円の補助金『ぼったくり』」との記事で、都内に自宅療養者が溢れている8月末時点で、JCHO都内病院のコロナ病床が30%も幽霊病床にも関わらず、多額の補助金を受け取っている実態を特報した。  尾身氏はこの時のAERAdot.の取材に対して、30%の空床などを認めた。さらに、9月18日には自身のインスタグラムで「#ねえねえ尾身さん」と題したライブ放送を行い、こう釈明した。 「補助金のぼったくりの話ですけども、看護師さんなんかを確保するのに難しいという理由はあったにせよ、実際に確保した、計画した病床よりも、実際に入れた患者が少なかったという事実はあるわけですね。この事実に関しての補助金の扱い方については、国や自治体が方針を示すと思いますから、その方針、判断に従って、適切な行動をとりたいと思っています」  AERAdot.では9月24日には「【独自】尾身理事長の医療法人がコロナ補助金などで311億円以上の収益増、有価証券運用は130億円も増加」とJCHOがコロナ補助金で300億円以上もの収益を得ていたことを報じた。 ◆厚生労働省と東京都が幽霊病床の補助金返還も  政府や東京都はとりわけJCHOなど公的病院の幽霊病床を問題視。厚労省は10月1日に<正当な理由がなく入院受入要請を断ることができないこととされていることを踏まえ、医療機関において万が一適切に患者を受け入れていなかった場合には、病床確保料の返還や申請中の補助金の執行停止を含めた対応を行う>と通知を出した。  東京都も5日、議会で「受入れ実績や病床使用率が低い医療機関には書面で理由を確認していく」、「必要に応じて医療機関に補助金の返還による精算を求めるなど、補助金に係る業務を適切に執行していく」と補助金の返還を求める姿勢を示している。  財務相の諮問機関である財政制度等審議会でも11日、JCHOが名指しされ、補助金問題が議題にあがった。会議に提出された資料によると、JCHOのコロナ関係の補助金は311億円で、「補助金が利益率の改善に寄与した」と報告されている。財務省も多額の補助金が幽霊病床に支払われていることについて問題視しており、補助金のシステムを改善する構えだ。  こうした状況の中、新たな可視化の対象となっているのが、9月30日からコロナ病床を50床に増やし、コロナ専門病院となったJCHO傘下の東京城東病院だ。  AERAdot.が厚労省関係者から入手した資料によると東京城東病院では確保病床50床に対して受け入れ患者数は3人、空床率94%だった(10月13日時点)。都内にある他のJCHO傘下の4病院では、確保病床165床に対し、受け入れ患者は6人となっていた(空床率96%)。  コロナの感染者数は急激に収束しており、10月15日時点で都内のコロナ入院患者は413人と少なくなっている。厚労省幹部はこう問題視する。 ◆取材に「回答控える」と尾身氏 「JCHOで問題なのは、政府からの再三の要請にも関わらず、半年遅れの9月末になって城東病院をようやくコロナ専門病院にし、病床を増やしたことです。理事長の尾身氏が開設すると公表した8月末時点で、感染のピークはすでに過ぎており、9月末には感染者数が下火になることは専門家であれば十分に予測できる立場だった。今は却って幽霊病床が増え、補助金だけを受け入れる形になっている」  JCHOに補助金をどれだけ受給しているのか、幽霊病床の分の補助金を返還する意思はないのか。理事長の尾身氏に質問とともにインタビューを申し込んだ。しかし、広報担当から「個別にいただいたご質問等にはお答えすることはいたしかねます」、「JCHOにおける新型コロナウイルス感染症対応への取組みについては、当機構のHPに掲載しております」と回答があった。  専門家はどうみるか。医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏はこう語る。 「コロナの患者を受け入れなくても補助金を出すという厚労省の制度設計にも問題はあったが、補助金についてどう対応するのか尾身氏は説明責任を果たすべきでしょう。また、JCHOは厚労省が所管する独立行政法人で、本来であれば率先して患者を受け入れないといけない。尾身氏はより一層受け入れの姿勢を明確に示すべきです」  (AERAdot.編集部 吉埼洋夫)

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    17時間前

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    ドラマ「二月の勝者」の原作漫画家・高瀬志帆が明かす 中学受験の「衝撃的」な現実とは

     中学受験塾を舞台にしたテレビドラマ「二月の勝者―絶対合格の教室―」が、柳楽優弥さん主演で16日から日本テレビ系で放送される。原作は「週刊ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で連載中の同名漫画で、2017年の連載開始以来、累計発行部数140万部以上の人気作だ。リアルな中学受験の世界はどのように描かれているのか。AERAムック『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2022』(朝日新聞出版)では、作者の高瀬志帆さんに、中学受験をテーマに選んだきっかけや、作品に込めた思いを聞いた。 *  *  *  高瀬志帆さんが中学受験に興味を持ったのは7年前、「日経DUAL」(日経BP)で「ドタバタ中学受験★物語」(原作:小林延江)の連載を依頼されたことがきっかけだった。自身は地方の公立校出身。中学受験は「頭のいい子と家柄のいい子がするもの」と思っていた。 だが、連載に先立って中学受験を経験した保護者や塾講師への取材を行ううちに、「それは私の勘違いだったことに気づきました」。中学受験の目的は多様化し、誰もが進学校をめざすわけではないこと、経済的に恵まれない家庭の子どももいること、入試では毎年のように奇跡のような逆転劇が起こること――。「自分の知らないところでこんなことが起きていたのかと、衝撃を受けました。特に印象に残ったのが、ある保護者の方が言った『中学受験は、親子が二人三脚で取り組む最後の行事』という言葉。なんてエモいんだろう、って」 当時、中学受験を主題にした漫画、特に塾からの視点を取り上げた作品はほぼ例がなかったことも、創作意欲につながった。「このテーマをここで終わらせてはもったいない」。「日経DUAL」での連載終了後、「週刊ビッグコミックスピリッツ」の編集部に、「進学塾というビジネスに焦点を当てたお仕事漫画」として高瀬さん自ら提案したのが『二月の勝者』だった。 ■賛成派も反対派も読めるように  同作品の魅力は、足掛け3年以上にも及ぶ取材を元に描かれた数々のエピソードだ。高瀬さんは「実際の話を、漫画向けにかなりふくらませている」と言うが、模試やクラス分けテストに一喜一憂する親の心情、授業料をめぐる夫婦のバトル、塾の思惑と親の期待、エゴがぶつかり合う志望校面談など、そのリアリティーは圧倒的。寄せられる感想は、「そうそう、中学受験ってこう!」という“納得派”と、「小学生にここまでやらせる?」という“ドン引き派”に分かれるという。 「ドン引きだけど話の内容は面白い、と感じてくださる方もいるようです。心がけているのは、中学受験に対して賛成・反対どちらの視点からも読める内容にすること。作品で中学受験を疑似体験しながら、いろいろな考え方に触れていただけたらうれしいです」 物語の舞台は、中堅進学塾「桜花ゼミナール」。主人公の黒木蔵人は、合格実績トップの大手進学塾を辞め、桜花ゼミナール吉祥寺校の新校長に就任した謎多きカリスマ講師だ。「特定のモデルはいませんが、実際にお会いしてかっこいいと感じた先生方の雰囲気を黒木で表現したい。一見クールだけど、チラッと見せる本音に子どもたちを思う熱さがあるとか」と高瀬さん。5巻に出てくる「受験を『自分ごと』にさせる」いうセリフも、取材で聞いたある塾講師の言葉からヒントを得た。「受験は他人(ひと)ごとではなく自分ごと。たとえそれが受験当日の2月1日だったとしても、『これは自分がやらなければいけないことだ』と思えた子は、いい受験ができるというんです。中学受験を成功させるためのキーが子どもの自立というのは、とても興味深いですよね」 ■子どもはそれぞれ。子育てをする親への思い  物語に登場する子どもたちは、ひたむきな努力家、天才肌、おっとりマイペースとそれぞれタイプが異なる。高瀬さんが「勉強ができる子以外にも、焦点を当てたい」と語る背景には、子どもたちを見守る親たちへの思いがある。「受験の真っただ中にいると、どうしてもできるお子さんに目がいくし、自分の子と比べてしまう親御さんも多いでしょう。でも子どもの能力はそれぞれ異なって当たり前。桜花ゼミナールの子どもたちを見て少しでも気持ちが楽になってくれる人がいれば、この作品を描いた意味はあったのかな、と思います」 柳楽優弥さん主演でドラマ放送も開始した。連載は受験校が決まり始める時期に差し掛かり、熱い展開が続く。「中学受験の最新情報を知るために、取材は連載開始後も続けています。今は毎日偏差値表を見ながら、31人の塾生全員分の併願プランを作っているところ。これってもはや漫画家の仕事じゃないですよね?(笑)」  タイトルの「勝者」という言葉には、「そもそも勝者とは何か」との問いかけが込められている。第1志望に合格した者だけが勝者なのか、黒木の言う「全員合格」とは何を意味するのか。物語の続きに、注目したい。高瀬志帆(たかせ・しほ)さん漫画家。1995年デビュー。「週刊ビッグコミックスピリッツ」で『二月の勝者-絶対合格の教室-』を連載中。【日本テレビ系・新土曜ドラマ「二月の勝者―絶対合格の教室―」】10月16日(土)放送スタート。出演・柳楽優弥、井上真央、加藤シゲアキ ほか。主人公、最強で最悪なスーパー塾講師・黒木蔵人を柳楽優弥が演じる。中学受験をリアルに描きながら、「家族問題」や「教育問題」など、現代社会の問題に切り込む、中学受験を舞台にした人生攻略ドラマ!(木下昌子)※AERAムック『偏差値だけに頼らない 中高一貫校選び2022』より

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    7時間前

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    落ち込んだやぎ座に効果的なのは、ふたご座の押しかけ太陽的な直球勝負 しいたけ.さんがアドバイス

     AERAの連載「午後3時のしいたけ.相談室」では、話題の占い師であり作家のしいたけ.さんが読者からの相談に回答。しいたけ.さんの独特な語り口でアドバイスをお届けします。 *  *  * Q:結婚して10年ほどです。私はふたご座、旦那はやぎ座。私は、悩みを引きずることは少なく軽口を言って過ごしていますが、旦那は仕事などで問題が起きたとき、どんよりと重い雰囲気をまとっています。私の軽い冗談もなかなか通じない相手に、何を言ってあげたらいいのでしょうか。(女性/会社員/40歳/ふたご座) A:やぎ座は本当に繊細なところがあります。ターボがかかっているときには奇跡みたいな仕事量をこなしますが、何かのきっかけで心が折れてしまうと地下50メートルの世界にこもってしまう。そういう性質がどの星座よりも強いです。ふたご座のあなたとの組み合わせは素晴らしいと思います。隣で軽口を言ってくれる存在に、やぎ座が救われることは多々あるはずです。でもダメージが大きくて「おこもりレベル」がかなり深いときは、その軽口では手出しができない状態になってしまう。本人はそこに浸って現実逃避しているので、あなたのほうがむしろつらいのではと思います。  それをどうやったら軽減できて、そして最終的に相手にとっても救いになることができるか。それはあなたが怒ることだと思います。「あなたは間違っている」と旦那さんに言ってあげること。  もちろんフォローも必要です。「あなたはちゃんとやっているし、そんなあなたのことを私は誇りに思っている。でもそうやってこもってしまうのは間違ってると思う」。回り道じゃなくて、そう直球で投げるべきだと思います。  人間って自分の悪いところを自分で見つけて修正していくのには限界があります。正面から「あなたは間違っている」と言ってあげるのは、パートナーじゃなければできない役割です。  ただ、それを伝えるときに気をつけてほしいことが一つあります。それは、「私はこう思う」と、いわゆるI think thatの構文で伝えること。「普通こうでしょ」「みんなこうなのにあなたは変」ではなく「私の勝手な意見だけど、あなたは間違ってると思う」という伝え方をしてください。 「話したら楽になるよ」と相手の話を聞く必要はありません。共感し合っていたら、身が持ちません。  こもってしまう人には、「あなたがそれを続けていたら、私がつまらない。いい加減にして」と言って、暗黒面から帰ってきてもらいましょう。相手が「いいから放っておいて」と言っても、「いつまでやるの? 今日の12時になったら気分は晴れるの?」って、ドアの前に梨を持っていったりしてください。「あなたが地下から出てくるまで私はやめない」と意思表示すると、やぎ座も諦めます。  あなたのような人は、やぎ座にとって太陽のような存在。押しかけ太陽で構わないからその役割を演じ切って。「太陽は曇るのが嫌だから、お前も晴れろや」って求めていいんです。 しいたけ./占い師、作家。早稲田大学大学院政治学研究科修了。哲学を研究しながら、占いを学問として勉強。「VOGUE GIRL」での連載「WEEKLY! しいたけ占い」でも人気※AERA 2021年10月18日号

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    瀬戸内寂聴の病状を秘書が明かす「咳がひどく、とてもしんどそう」

     半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * ◆横尾忠則「創造するということは透明人間になること」  セトウチさんのピンチヒッター、まなほ君へ。  先週に続いて今週もよろしくお願いしますよ。センセはこの際、ゆっくり身体も頭も休めていただくとして、さて、どうしましょう。あなたの疑問のセンセがおっしゃる「嘘を書くのが小説家」と言って、作家の身辺の事実を面白おかしく「創作」してしまって、あなたが「違いますよ!」と反論したくなる、さあ困りましたね。  僕も絵を描く合間にエッセイを書くことがありますが、それを職業にしているわけではないので、気分転換と健康のための趣味と考えています。絵は本性がそのまま表れてしまうので嘘のつきようがありません。正直になろうと思わなくても、絵そのものが正直なのです。絵は自己の思いに忠実です。  じゃ、それに対して、エッセイで嘘でも書くか、ということになりますが、このエッセイというのも絵に似ていて嘘がつけません。その点、「嘘を書くのが小説家」という小説家はいいですね。絵は嘘の思いや考えを持っているとそのまま絵に反映してしまうので、心の中身をそのまま露出しているようなものです。絵は常にバレバレです。  小説家の中でも小説と混同してしまっているのか、エッセイでも嘘を書く人もいるようです。小説で嘘をつかれても、それが創造された表現であればあるほど、その嘘が光り輝いて芸術になることがありますが、小説家は頭のいい人が多いので、日常生活そのものも創造領域に組み込んで、そこでも嘘をつく。この嘘は人を騙(だま)す目的も多少あるとしても、どこかで受け線を狙った妙な大衆意識がそうさせるようです。  中でも売れっ子作家になると常にスポットが当たっていないと自己の存在意識が危ぶまれるようです。だから、ついあることないことをしゃべって注目を求めるのです。僕の知っているある有名な小説家は毎日、新聞に、テレビ欄でも広告でもいい、自分の名前が出ていると、その一日は安泰なのです。業の深い職業ですよね。  だからスポットに当たるためにはエッセイでも嘘をついてしまうのです。でもエッセイは特別面白おかしく書く必要などなく、ありのままの心情を正直に自然体で書くのが一番好感が持たれます。エッセイで嘘を書くと途端に文章が曇ります。ですからエッセイで嘘を書いていると、その人が次第に曇って行きます。芸術は透明であるべきです。エッセイはその透明を計る測定器みたいなものだと思います。  まなほ君のエッセイが面白く評判がいいのは、あるがままの自分を晒け出して自己の想いに忠実に書いているので評価されているのです。面白く書こうという気持ちがないので面白いのです。  最後に僕の好みを書いておきますが、僕は日本特有の私小説というジャンルの小説がどうも好きになれないのです。それはその吐き出し方が違うんじゃないかな、ということです。生活をバラすことで週刊誌的興味はありますが、本当に自己の不透明性を吐き出すのは、自我滅却性を目的にしないと、逆に不透明なものになりかねません。ものを創造するということは結局透明人間になることではないでしょうか。 ◆瀬戸内寂聴「少しの間でしたが、ゆっくり休めたと思います」  横尾先生へ。  瀬戸内の様子はおかげさまでだいぶ良くなりました。  小説家として20代から書き続けてきた瀬戸内は、もう全身が作家になっているのでしょうから、ペンをおくということは、私で言うと歯磨きをしないくらい違和感のあることのような気がします。書くことは仕事でもあり、日々の習慣です。  来客もなく、対面取材やテレビ取材も受けておらず、執筆の仕事と時々電話取材を受けるという一見、ゆったりと過ごしているようですが、原稿の締め切りをすべて放り投げて、本当の意味で「何もしない」ということが、病気にもならない限りないのだとわかりました。少しの間でしたが、ゆっくり休めたのかと思います。  私が朝、瀬戸内に会っても、体がしんどいのか目をつぶり、横になったままぽつりぽつりと私が話しかけることに応えます。私に背を向けたままなので、私もだんだん面白くなくなって、「先生、目を開けて私の顔を見て下さい」と言うと、「まなほの顔見たって仕方がない。何かいいことでもあるの?」ですって。確かに、いいことなんてありませんけど。  今回は痰も絡むような咳がひどく、咳き込むととてもしんどそうでした。背中を叩いてと言われ、叩くと「痛いよ!」と怒られ、思わず笑ってしまいました。今は何しても役に立ちそうにありません。  横尾先生の絵とエッセイは嘘がつけないというお話、とても興味深いものでした。絵も心の中身をそのまま露出しているようなもの、そう思うと横尾先生の作品を見る目がまた変わります。いつも横尾先生の絵を拝見しますと、私には思いもつかない世界が広がり、圧倒されます。「ここに骸骨!?」「こんなところに男の子がいる!」など穴が開くほど見てしまいます。  私のエッセイへのお褒めの言葉を聞き、とても嬉しかったです。ありがとうございます!  私自身、嘘をつけない人間で、例えば自分の身長が「165cm」となっていると、「いいえ、違います! 『163cm』です!」と訂正したり、三人姉妹なのですが、瀬戸内が「お姉さんが一番綺麗だと思う」と言うと、「違います、これは正真正銘、三人の中では私がダントツです! これはきっと誰もがそう思うでしょう」などと、本気で言います。(これは嘘とは言わず、ただの思い込みなのでしょうか)  なんとなく、そういうことにしておこう、という緩やかな気持ちが持てず、「違う!」と反論や訂正をしたくなるのです。話を盛ったり、面白おかしく事実と違うことがどうしても書けず、そのままのことしか書けません。  実生活では口が悪く、素直になれないので、書く時ぐらいは素直でありのままでいたいと思っているからです。  横尾先生は絵もお描きになりますし、書くこともされる。反対に苦手なことはありますか? 例えば、料理だったり、運動だったり。特にお料理をされるのか、とても興味深いです。瀬戸内が昔、北京で生活し、主婦だった時は毎日食事を作っていたと言います。餃子やタンメンが上手だそうです。  長い付き合いのある横尾先生は瀬戸内の手料理を召し上がったことはありますか? まなほ※週刊朝日  2021年10月22日号

    週刊朝日

    13時間前

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    河北麻友子の人生の分岐点「ニューヨークで育って、死ぬと思っていた」

     ニューヨークで生まれ育ちながらも、日本の芸能界で活躍する河北麻友子さん。作家・林真理子さんとの対談では、自身の転換期を語りました。 *  *  * 林:はじめまして。まあ、なんてお顔が小さいんでしょう。背が高いんですね。もっと小柄かと思っていましたけど。 河北:ほんとですか? 163センチです。 林:あら、ふつうですね。お顔が小さいから背が高く感じるのかな。このたびはご結婚おめでとうございます。 河北:ありがとうございます。 林:どうですか、新婚生活は。 河北:何も変わらないんですけど、隠さなくてもよくなったという部分では、気がラクになりました。 林:コロナのときも、一人でおうちにいるよりは、二人でいるほうが楽しいですよね。 河北:はい、ほんとにそうだと思いました。コロナのとき家でずっと一人だったら、耐え切れなかったと思います。 林:今はご主人とお酒飲みながらネットフリックス見て楽しく過ごしているんですね。 河北:はい。今は「サイコだけど大丈夫」という韓国ドラマにハマってます。 林:お料理とかもするんですか。 河北:します、します。料理は私も彼も好きなので、二人で料理したりとか。 林:河北さんはニューヨークからの帰国子女ですけど、日本の男の人はアメリカの人に比べてもの足りないとか、そういうことはなかったですか。 河北:もの足りないとかいうことはないですけど、愛情表現が少ないなとは思いますね。だから「もうちょっと愛情表現してほしい」って要望を出しています(笑)。 林:芸能界広しといえども、ニューヨーク出身って河北さんくらいだと思います。ロサンゼルス出身はわりといらっしゃるけど。新田真剣佑さんとか。 河北:ああ、そうですね。確かにニューヨーク出身という方には、お会いしたことがないです。 林:しかも、マンハッタンなんでしょう? マンハッタンってニューヨークの中心部だけど、現地の学校に通ってたんですか。 河北:はい。ふつうの現地の学校に行ってました。 林:子どものときからブロードウェーのミュージカルとか見てたんですか。 河北:はい、見てました。 林:「キャッツ」とか「オペラ座の怪人」とか? 河北:「キャッツ」は、メチャクチャ繰り返し見ました。「オペラ座の怪人」も2回ぐらい見に行きました。 林:そのときから、私もああいう世界に行こうと思ってたんですか。 河北:ぜんぜんそんなことはないんです。たまたま11歳のときに、日本で「美少女コンテスト」(「全日本国民的美少女コンテスト」)というのがあることを知ったんです。それまでは将来何になりたいとかも考えないで、ふつうに学校に通ってたんですけど、「美少女コンテスト」というのに出会って、その年の夏休みは日本に行く予定がなかったので、コンテストに受かったら日本に行けるんだと思って、それで写真だけ送ってみたんです。落ちても何かを失うわけでもないし。 林:そうしたらトントントンッて行っちゃったんだ。 河北:まず10万人の中から書類選考で千人に絞られて……。 林:えっ、10万人も応募があるんですか。 河北:はい。「10万人の中の千人に選ばれました」って電話があって、家族で「それってすごくない?」「もう行くしかないでしょう」という話になり、日本に行くことにしました。その千人は対面式の面接があるんです、東京で。 林:ニューヨークからの旅費とか主催者側が出してくれるわけ? 河北:えーと、どこまで出してくれたか覚えてないんですけど、千人からどんどん絞られてきて、本選大会は21人なんです。その21人に選ばれて本選大会に出られることになったんです。 林:すごいじゃないですか。 河北:びっくりしました。私はそのとき、ニューヨークに帰るというのが絶対条件というか、そのまま日本に住むことはまったく考えていなかったんです。ところが、まさかと思っていたグランプリを取れてしまって、そこから日本に行くことを考え始めました。 林:そのとき11歳というと、小学校6年生ですよね。 河北:はい。「ニューヨークに帰って、レッスンをしてください」と言われて、そのあといろんなレッスンを受ける中で、芸能活動をやってみようかなという気持ちにだんだんなってきたんです。それで16歳のときに日本に来ました。 林:「美少女コンテスト」って、スターをいっぱい生んでいますよね。米倉涼子さんもそうだし、上戸彩さんもそうだし。そのグランプリを取って、お父さまもお母さまもびっくりですか。 河北:それはもう、全員がびっくりです。めちゃくちゃシャイで人見知りだったので、まさか私がグランプリなんて誰も思ってなかったと思います。 林:お友達もびっくりですか。 河北:いや、私の周りにも学校にも日本人はぜんぜんいなくて、日本人は自分一人だったので、ニューヨークの子たちはほとんど知らないと思います。 林:ニューヨークの友達には「マユ」と呼ばれてたんですか。 河北:「マユコ」(ユにアクセント)って呼ばれてました。 林:ニューヨークで、日本の雑誌やテレビは……。 河北:ぜんぜん入ってきていませんでした。ただ、ケーブルテレビでフジテレビだけは見られたんですよ。それで好きな番組を定期的に見てました。 林:当時のフジテレビってどんなのですか。 河北:「HEY!HEY!HEY!」とか「スマスマ」(「SMAP×SMAP」)とか。 林:ああ、その時代ですか。日本への憧れはあったんですか。 河北:すごくありました。 林:ニューヨークの女の子って、大学はどこに行くんですか。 河北:ニューヨークから出る人が多いかもしれないですね。私はニューヨークで生まれて育って、ニューヨークで死ぬと思ってたんですけど、この仕事をすることになって、日本に来たのが高校1年生のときだったんです。そして堀越高校に入ったんですけど、「堀越史上一のバカ」と言われて(笑)。 林:えっ、うそうそ! それは日本語がちゃんとできなかったっていうことでしょう? 河北:そうなんです。そう言われていたので、あまり説得力はありませんが、アメリカにいたとき、成績は悪くないほうでした。 林:じゃあ、将来は東部の有名大学に行こうと……。 河北:もしあのままニューヨークにいたら、あたりまえのようにそうだったんじゃないかと思います。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木敏雄) 河北麻友子(かわきた・まゆこ)/1991年、アメリカ・ニューヨーク出身。オスカープロモーション所属。2003年、第9回全日本国民的美少女コンテストでグランプリ・マルチメディア賞W受賞。モデルや女優など、幅広く活躍。「世界の果てまでイッテQ!」「BeauTV~VOCE」などのテレビ番組、「河北麻友子のマユコレ!」などのラジオ番組のほか、太田胃散「太田胃散整腸薬」、ライオン「Ban」、青山商事「ザ・スーツカンパニー2021春夏レディス」などCM出演も多数。 >>【河北麻友子、初対面の出川哲朗に「本番以外では、テッちゃんって呼ぶ!」】へ続く ※週刊朝日  2021年10月22日号より抜粋

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    17時間前

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    「医師国家試験」合格率が唯一100%の大学は? 学費「実質ゼロ」、1期生は尾身茂会長

     医学生が医師免許を手に入れるために突破しなければならない関門・医師国家試験。2021年、この合格率が100%だった大学がただ一つある。学費は実質ゼロ円という全国的にも珍しい制度を持つ、自治医科大学だ。なぜ合格率が高いのか、そこには切実な理由があった。その秘密に迫った。 *  *  *  2021年3月、9058人が医師国家試験に合格した。合格率は91.4%。大学別の合格率ランキングを見ると、医学部を擁する60大学が合格率9割を超えている。このランキングのトップで、唯一受験者全員が合格したのが自治医科大学(栃木県下野市)だ。9年連続で1位の「常連トップ校」。さらに2年連続、合格率100%を誇る。過去9年間で合格率はすべて99%を超え、全国平均を大きく上回る。  自治医科大は1972年、当時問題視されていたへき地などでの医師不足の解消を目的に、自治省(総務省の前身)の旗振りで栃木県に設立された。全国の都道府県が共同出資した学校法人によって運営されており、私立大学の形式をとっている。入学試験は、1次試験(マークシート式試験と面接)を各都道府県で実施し、2次試験(記述式試験と面接)を大学で行う。入学後は入学金や学費の全額2300万円が貸与される。そして卒業後、各都道府県知事が指定するへき地などの医療機関で一定年数勤務すると、その返還を免除される。つまり学費は「実質ゼロ円」だ。  同大では、特別補講が春、夏、そして国家試験直前の冬に行われる。国家試験対策には大学全体で力を入れており、学生は国家試験合格のための予備校などは基本的には利用しないという。同大医学教育センター長の岡崎仁昭教授はこう話す。 「本学の入学生は、各都道府県から2、3人が選抜されています。地域医療にとって、医師が一人でも欠けるのは非常に痛い。各都道府県からお預かりした志望者はみんな合格させ、6年後に医師として出身地にお返しするという思いで、大学全体がチームで教育に取り組んでいます」  5、6学年に進級試験として課す「総合判定試験」は、教員たちが半年ほどかけて、医師国家試験出題基準に準拠した問題に徹底的にブラッシュアップする。毎年、新作の問題を作成しているうえに、学生に復習を促すため解答だけではなく解説集も作成するなど、周到に練られている。  通常の授業のカリキュラムも、他大学の医学部とは異なるという。 「自治医科大の最大の特徴は、長期にわたる充実した臨床実習。80週という期間は全国の医学部でトップクラスです」(岡崎教授、以下同)   医学部で行われる臨床実習(病院の各診療科を回り、診療を体験する実習)は、5年次から行われることが多いが、自治医科大では4年次からはじまる。臨床実習に進むには、全国の医学生が受ける「共用試験」とよばれるコンピューターを用いた客観試験および実技試験に合格する必要があるが、自治医科大ではほかの大学よりも半年から1年ほど早く、3年次の最後に受ける。  こうした速習カリキュラムを組みながらも、入学初年次の教育は手厚い。 「高校時代に物理と化学は勉強したが生物を勉強していないという学生がいるのですが、医学には生物学の基礎知識が必要。そうした学生に対応するため、医科物理学、生体構成化学、医科生物学の三つを統合した『生命科学』という科目を設けています。また演習教育に関しては、臨床医の先生に講師をお願いして、1年次から学生の臨床に対するモチベーションを上げるようにしています」  勉強は「医学教育センター」がサポート。岡崎教授を含めた3人の専任教員が、成績下位者に対して面談を行うほか、授業が終わった午後6時から夜間補講を開く。学生を指名して症状や治療法について問い、スムーズに口頭で回答できるまで何度でもやり直すという徹底ぶり。自治医科大の名物として知られている。  また6年生に対しては、臨床医の教員がメンターとなり、一部屋7、8人の「勉強会室」を担当・指導。月1回、学習支援部会を開いて面倒を見ている。さらに教員に対しても年10回程度のファカルティ・ディベロップメント(研修会)を開くなど、双方へのサポートを欠かさない。 「全寮制をとっていることもあり、みんなで勉強するという空気が初年次から醸成されています。ほかの大学では、どうしても孤立してしまう学生が出て、それが留年や退学につながってしまうことも。しかし自治医科大では、一度も留年せずに6年間の標準修業年限で卒業する学生の割合が、95%を超えています」   医師国家試験の合格率が全体的に高い理由としては、「留年して高額の学費を払い続けることはできないため学生が必死に勉強する」「大学が合格の見込みが低い勉強不足の学生には受験させないよう進級・卒業要件を厳しくしている」などがあると、教育関係者は指摘する。  なお自治医科大の卒業生には、政府の新型コロナ対策分科会会長を務める尾身茂氏がいる。尾身氏は慶應義塾大学法学部に入学後、大学2年の時に手に取った本『わが歩みし精神医学の道』がきっかけで医学部を志し、自治医科大の1期生として入学した。そこで送った青春時代について次のように振り返っている。 「夏になれば、日光宇都宮マラソン、夜になるとラウンジでの宴会、訪中団を結成し文化大革命進行中の中国訪問、冬の軽井沢山荘での三日三晩の徹夜麻雀。それぞれが青春を謳歌した。勿論遊んでばかりいた訳ではない。皆やるべき時には勉強にも集中した。試験の前になると、学生寮は不夜城と化す。空腹が募る深夜になると、タイミングよく、本屋の社長さんからお汁粉が届く。1期生だけで学生の数も少なく、教職員の方と学生たちの関係は緊密で、教授の家に夜遅く勝手に押しかけては酒を強要することもしばしば」(自治医科大学HP「卒業生VOICE」)   未来の医師を育てる大学としてトップを走り続ける自治医科大。有名な卒業生が活躍する様子を、岡崎教授はどう見ているのだろう。 「医学部の教育は、国家試験の成績向上だけでなく、卒業生がどのような医者になり、どう頑張っているかが大事な結果だと思います。1期生の尾身先生は離島で地域医療を担い、その後はWHOでの経験を生かし、今は日本で感染対策の指揮を執っている。自治医科大は国際的に通用する地域医療の担い手を育てることが使命ですが、まさにそれを実践している。私は自治医科大の7期生ですが、こうした先輩を非常に誇らしく思います」  (白石圭)

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    「S&P500」か「全米株式」で迷う… 失敗しない米国株投信の選び方は?

    「つみたてNISA」で一番人気を誇る米国株のインデックス型投資信託。同じ米国株投資信託でも、S&P500と全米株式ならどちらが良い?  純資産総額で見ると「S&P500」が圧倒的だが、そもそも全米株式の投信は数が少ない。選び方のヒントを紹介する。 ■S&P500は31年で10倍以上も上昇  1990年から31年間のチャートを見ると、米国株の代表的指数、S&P500は10倍以上も上昇している。伸び方が強烈すぎて、日経平均株価の値動きがほぼ横ばいに見えてしまうほどだ。  米国株人気は「つみたてNISA」でも絶大。S&P500に連動する投資信託(以下、投信)の代表格は「eMAXIS Slim 米国株式(S&P500)」と「SBI・V・S&P500インデックス・ファンド」だ。  米国株投信の大多数がS&P500に連動している中、米国市場に上場するほぼすべての株式に連動した成績を目指す投信もある。こちらの代表は「楽天・全米株式インデックス・ファンド」だ。  S&P500と全米株式の違いと選び方のポイントについて、三菱UFJ国際投信の野尻広明さんに取材した。 ■年4回銘柄入れ替えを検討するS&P500 「S&Pダウ・ジョーンズ・インデックスが算出しているのがS&P500です。時価総額や財務の健全性、取引のしやすさを示す流動性に加え、業績、業種のバランスを考慮して選んだ大型株500銘柄を、時価総額ベースで指数化しています。  不定期ながら主に四半期ごとに銘柄入れ替えが検討されています。不振企業を外し、有望な企業を加えるのです。そのため、米国を代表する大型優良企業が常に組み入れられています」  一方、全米株式の投信は米国株3828銘柄(2021年6月30日現在)を組み入れた「CRSP USトータル・マーケット・インデックス」が対象指数。CRSP(シカゴ大学証券価格調査センター)という団体が算出している。  時価総額1500万ドル(約16億5000万円)以下で流動性の低い銘柄は対象外だが、小型株も含めてほぼすべての米国株を時価総額ベースで指数化している。  つまり小型株の成長や衰退の影響も受けるということだ。全体相場が小型株も含めて好調なら全米株式のほうがS&P500より好成績となるだろうが、全体相場が悪いと小型株は大型株以上に売られやすい傾向がある。 「S&P500」と「全米株式」、両者の組み入れ上位銘柄はほぼ同じ。全米株式のほうが大型株の組み入れ比率が低い分、小粒な成長株が多く組み入れられていることになる。  たとえば、ここ数年で株価が急上昇した電気自動車のテスラがS&P500に採用されたのは2020年12月。それ以前は全米株式インデックスのほうにだけ組み入れられていた。とはいえ、小型株の中には不振企業も多く、指数の足を引っ張る可能性も否定できない。  ここ5年でいえばS&P500と全米株式の5年間のパフォーマンスの差は0.05%(2021年8月末現在)で、S&P500のほうがわずかに上だった。誤差の範囲内である。  エリートぞろいの500社か、「良い子も悪い子もまとめて」買うか。結局は好みで選べばいいという結論になるが、せっかく500の優良企業を選んでくれているのだから、素直にS&P500に乗ればよいのではないだろうか。 ■冷戦が続く間は米国株最強か  では、米国株投信とともに人気の「全世界株式」投信とS&P500なら、どちらを選ぶべきか? 米国株一辺倒で投資するのはリスクがある、でも全世界株式投信よりも現状のリターンは米国株のほうが上……。ファイナンシャルプランナーの西原憲一さんに聞いた。 「今はイケイケの米国も、20年先は衰えているかもしれません。しかし、最近の米中冷戦や自国IT企業への締めつけなどを見ると、中国の未来は米国以上に多難という考え方もあります。  米国の一人勝ちが10年は続くと考えるなら、現在の『勝ち馬』といえるS&P500に便乗するのも悪くはない。全世界株式とS&P500を半分ずつでも」  そう、別に投資信託は1本しか買えないわけではない。ネット証券であれば100円単位で買えるのだから、迷うなら両方買ってしまえばよいのである。  なお、アエラ増刊「AERA Money 2021秋号」では、つみたてNISAで買える米国株の投信(S&P500、全米株式)全10本を、規模/コスト/リターン/運用効率/リスクの5項目で忖度なしに100点満点で独自採点。そのランキング結果を公表している。 *  *  * 野尻広明(のじり・ひろあき)/三菱UFJ国際投信 デジタル・マーケティング部 シニアマネジャー。格安インデックス投信の「eMAXIS Slim」シリーズに立ち上げから関与。投信そのものの運用にも精通する「投信博士」的存在 (編集・文/綾小路麗香、伊藤 忍) ※『AERA Money 2021秋号』から抜粋 

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    奥田民生「ユニコーンは微妙な売れ方が丁度よかった」 活動の秘訣は“君が君が精神”

     8月に発表された「ツイス島&シャウ島」は、ベテランバンド、ユニコーン16枚目のオリジナルアルバムだ。AERA 2021年10月18日号で、奥田民生と川西幸一と手島いさむが語り合った。 *  *  * ――テーマはずばり“ロックンロール”だ。2年ぶり16枚目のオリジナルアルバム「ツイス島&シャウ島」は、そんな伝家の宝刀を抜いたことで、遊び心があふれる軽快な仕上がりになった。 手島:このご時世ですので、僕らも楽しんで一曲一曲ていねいにかつ、皆さんにも肩の力を抜いてもらえるようなものを作りましょう、というところから始まりました。 奥田:ロックンロールのフォーマットには、例えばAメロが1回しか出てこないとかがあったりするので、さっとやってさっと終わる感が出たりしましたね。結果、曲が短くなりました。 ■曲に必要なものだけ 手島:最近曲を作っていると、みんないろいろと凝っちゃって、曲が長くなりがちだったんです。ユニコーンの場合、ライブも想定して、イントロやアウトロの長さも全部プロデュースしてるわけなんです。あまり広くわかっていただけない芸術的な部分はあるにしても、要はこちらからすると必要なものしか曲に入ってない。だけど、“ロックンロール”っていうテーマを付けたことで、必要なものしか入ってないんだけど、スリムになりましたね。 川西:メンバーそれぞれ、その“ロックンロール”に当てた年代や狙ったところが、いろいろ違ったのが面白かったですね。ABEDONが作った「RRQ」は、ロックンロールクイズを掲げておきながら、別にクイズじゃないっていう(笑)。 手島:「このシュールさがやっぱりユニコーンなんだ」と、いままで鍛え上げられたお客さんたちにはわかってもらえると思います。新しい人たちにいきなりこれを「わかってほしい」っていうのは無理な話だと思いますけど(笑)。 ――楽曲がコンパクトなスタイルになったことによって、レコーディングにはどんな影響があったのか。 奥田:楽器の数は少なくなって、レコーディング時間もコンパクトになりましたけど、「あの時代のあのバンドのあの音を再現したい」ということになって、セッティングに時間はかかりましたね。ベーシックに録っておいて、後でミックスとかで音をいじるよりも、一発でそのままその音を出せるなら出したいので。だから、その趣味の部分のための準備に一番時間がかかるという(笑)。 手島:ナチュラルにその音が出るのがまた、味だったりするからね。だから、演奏する時はいつもより何も考えなかったですね。弾く回数も少ないですよ。 ■経験でできるように ――収録曲のひとつで、奥田が手掛けた「ロックンローラーのバラード」には波の音やカモメの鳴き声が使われている。 奥田:イントロや間奏でやることが思い浮かばなくて(笑)。 手島:俺ギターソロ弾いたけど、「なんか違うわ!」って言われて、「そうか~い」って。そうしたら、やっぱり消されてた(笑)。 奥田・川西:あははは。 手島:若い頃だったら、そこで「なんでやなんでや!」とかごねそうなものなんですけど、もうそういうのもないんですよ。 川西:「お邪魔しました!」と言って、さっと去るよね(笑)。 奥田:若い頃に意識していた、「きちんといい音で録らなければいけない」ということより、偶然性やアドリブ性の方が今は好きなんですよね。何かをみっちり考えて決めてもあまり意味がない、ということが経験として増えてくる。その場でポンッて考えたことが、よい/悪いというより、「その日、そうだった」みたいな。そのほうが後で聴いても楽しかったりするし、ライブもその日だけのものじゃないですか。  ライブとレコーディングがだんだんくっついてきた感じがあります。若いうちは、「これをやれ」と言われても準備が必要だったりしたけど、経験によってできるようになったことがたくさんある。 手島:好き勝手やればいいっていうもんじゃない、ベテランバンドならではの自由さってあるんですよね。だんだん生き方が狭まってきたかと思いきや、逆に広がってるんです。 ――2009年の再始動から、コンスタントに活動を続けている。 奥田:「100万枚売れ」とか誰にも言われないし、自分たち自身にもそういう気持ちが微塵もない(笑)。だから、余計なことを考えずにやりやすいし、ある程度形もある。阿部(ABEDON)も言っていたけど、ユニコーンは微妙な売れ方をしたのが、ちょうどよかったんですよ。 手島:売れに売れているのにそんなにお金が入ってこなくて、写真撮られて叩かれるポジションだと、割に合わんなあと思うわけですよ。でも僕らは、普段は割と普通に扱われて、ライブに出ていくとお客さんが喜んでくれる。最高だと思ってます。ただ、活動してるところが3Aだと厳しいものがあるので、メジャーリーグにいないと、とは思っていますね。 ■お互いの君が君が精神 ――バンド活動における秘訣はなんだろうか。 奥田:メンバー間で責任をなすりつけ合ってるんです。阿部はその中では頑張ってるほうだけど、あいつも急に放棄する時あるし。お互い「どうぞどうぞ」っていう“君が君が精神”が秘訣だと思います(笑)。 手島:でも、気付いたらいつの間にか一番前に立たされてることあるよね。「あれ?」って。 奥田:みんな、なすりつけ合いにも慣れてきてるから、誰かを急に前に出すみたいなことも全然やるんですよ。 川西:すごく自由に楽しめているので、僕はあまり先のことは考えてないんですね。次にどういうツアーや作品ができるかな、という楽しみはあるけど、それよりもっと先のことを考えても、どうなるかわからない。だから少し先のことでベストだと思うことをやろうと。若い頃にあった必死さがなくなって、余計に面白くなってるのかな。もちろん、若い頃はその必死さが必要で、今みたいなテンションでやっていてもダメだっただろうとは思います。 奥田:コロナ禍でこれまでやってきたことができなかったりするし、体調もより気をつけなきゃいけない。そういう状況下で、やれるうちにやりたいことはやりたいなと思います。 手島:何か新しいアイデアを思いついたら、やれるうちにやったほうがいいしね。 川西:難しいことは起きているけど、うまくやっていければいいですよね。僕たちもファンクラブ向けに何度も配信をやったけど、それはこういう世の中にならなければ、やってなかったわけだし。結局、ポジティブにものをとらえて前に進んだ方が良い、という考え方は昔と変わってないですね。 (構成/ライター・小松香里)※AERA 2021年10月18日号

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    親子「二人三脚」の中学受験にひそむ落とし穴 中学入学後に伸びる子、苦しむ子の違いとは

     27年にわたり中学受験指導を行っているベテラン塾講師・矢野耕平さんが、実際にかかわった受験生の実例や、自身で足を運んで取材した私立中高の様子をもとに、中学受験や学校選びのヒントをつづります。受験するなら知っておきたい、私立中学と中学受験の「リアル」とは――。 *  *  * ■「ギリギリ合格」の子が中学では成績上位に  先日、とある男子進学校に通う中学生Aくんの母親が1学期の成績報告を兼ねて、わたしの塾を来訪してくれた。その彼の通う学校は首都圏最難関レベルと形容できる一流の進学校であり、学力的に学年の上から3分の1の位置にいれば、東京大学合格は間違いないと言われているところだ。  その母親はこう切り出した。 「1学期の成績結果が出たあとに、同級生のお母さんたちと話す機会があったのです。そこで判明したんですが、中学受験時に親が徹底してわが子の学習管理をしていたところほど、成績的に苦しんでいるみたいですね」  そして、母親が成績表を見せてくれた。1学年200人以上在籍しているのだが、Aくんの総合順位は1ケタという良好な結果。わたしはびっくりしてしまった。中学入試の得点結果は開示されないので確かなことは言えないが、Aくんはこの学校におそらくギリギリで合格できたのだろうと思っていたからだ。  そんなわたしの驚きの表情を見た母親はほほえんで、こんなふうに言葉を継いだ。 「矢野先生が知っている通り、わたしは息子の中学受験勉強には一切タッチしませんでした。そう周囲に言うと驚かれるのですが……。振り返れば、息子は毎日塾の自習室にこもって、分からない問題があればその場で解決しようとしていましたね。その経験がいま生かされているように感じています。わたしのような『意識の低い』親だったからこそ、いま本人はのびのびと学びを楽しめているのかもしれない」  そんな母親の冗談交じりの話を耳にしながら、わたしは拙著『令和の中学受験 保護者のための参考書』(講談社+α新書)に書いたことをふと思い出した。その部分を引用してみよう。 <神奈川県の有名男子進学校で教鞭を執る友人と食事をしていたとき、彼からこんな問いかけがありました。 「ウチの学校は偏差値70を超えるだけあって、入学当初の生徒たちは本当に優秀だよ。あの入試問題で合格点を上回ったのだから。でもね、毎年のことだけれど、中学校1年生の夏休み明けには、学力が『伸びる子』と『落ちる子』に二極分化する。どうしてそうなるのか? 両者の違いって分かる? ヒントは小学生のときの学習姿勢……いや、学習環境といってよいかもしれない」 (中略)  彼が言いたいのはこういうことです。  保護者が子のスケジュール管理のみならず、教材の整理整頓、取り組んだ課題の丸つけや、ときには子に寄り添って解説してやる……。そんなふうに中学受験を「二人三脚」で乗り切ったようなご家庭の子は、中学入学後に学力が低迷するというのです。  一方、親がわが子の中学受験勉強から適度な距離を保ち、子どもが自ら学習にコツコツ励んでいる……そういうご家庭の子は中学入学以降にさらに学力を高めていくらしいのです。> ■教育の目的は「自立」にある  使い古された言い回しではあるが、「親」の役割とはその漢字の字形から「木の上に立ってわが子を見守る」ことと言われている。また、漢文学者の白川静氏が編纂した『字通』によると、「親」とは「新しい位牌を拝する」形であるという。自分の父母が亡くなった際に、そのありがたみを身に染みて感じられる瞬間を切り取って、この漢字が生まれたのかもしれない。  上記2点の事柄が示唆しているものは何だろうか。  わが子より長生きしたいと願う親はまずいないだろう。子より先に親がこの世から立ち去るのが常である。  親はなぜわが子を「教育」しようとするのだろうか。わたしはこう考える。いまわの際で「わが子は立派になったし、もう自分がそばにいなくても大丈夫だろう」と思えるようにするためではないか、と。こう考えると、「親」という漢字に含まれた二つの意味がすっと入ってくる。  これは別に親に限った話ではない。たとえば、会社で上司が部下を「教育」するのは、上司が無意識的に「自分がこの会社を去っても、部下がしっかりやってくれるだろう」という期待を抱きたいがためではないか。  そう考えると、わが子の「成長」とは結局は「自立」を指し示していることが理解できるだろう。  中学受験に話を戻そう。  中学受験勉強に取り組むわが子を目の前にして、日々途方に暮れている親も多いだろう。 「家に帰って『勉強しなさい!』と大声で叱責されるまでわが子は何もしようとしない」 「ウチの子はあまりにも幼稚なので、受験勉強に付き添いたくはないのだけれど、仕方なく面倒を見ているのです」 「本当にだらしのない子で、親が学習管理をしたり、教材・プリント類を整理してやったりしないと、机の上がぐちゃぐちゃになって何を学ぶべきか分からなくなってしまう」  こういう悩みを抱えている親にとって、わたしの申し上げることはただの「理想論」にしか聞こえないのだろう。  確かに子どもの成熟度は千差万別であり、何が何でも「自立」させられるように親がわが子をいますぐにでも突き放せというつもりは全くない。  ただ、親は「わが子の教育の目的は自立にある」という価値観を心の片隅に常に置いてほしい。それだけで、わが子の日々の学習への接し方、進路の考え方、塾の活用法などに多少なりとも変化が生まれるのではないか。  中学受験で第1志望校に合格できるか否か。親がこの点を気にするのは当たり前である。  しかしながら、中学入学後にわが子がいかに「自立」していけるのか。こういう観点のほうが第1志望校合格よりもよっぽど大切なことだとわたしは確信している。 (矢野耕平)

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    中日・立浪新体制はいばらの道か「今のフロント体制では厳しい」の指摘

     野球評論家の立浪和義氏が中日の来季監督に就任することが、メディアで一斉に報じられた。与田剛監督就任3年目の今季は5位に低迷。大野雄大、柳裕也と球界を代表するダブルエースを擁し、セットアッパー・又吉克樹、守護神・R.マルティネスと「勝利の方程式」を確立している。チーム防御率3.23はリーグトップ。それでも勝てない原因は、深刻な貧打だ。  本拠地が広いナゴヤドームで守備力を重視した野球を志向するのは当然だ。だが、それにしても得点が入らなさすぎる。今季のチーム総得点は392。セリーグの5球団が500得点を超えている中、断トツのリーグ最下位だ。核になる選手が少なすぎる。他球団でもレギュラーを張れるのはヒットメーカーの大島洋平、4番・ビシエド、今季急成長した正捕手の木下拓哉ぐらいか。中心選手にならなければいけない高橋周平は打率.257、5本塁打で、遊撃の守備力は申し分ない京田陽太も打率.258、3本塁打と物足りない。主力として期待された阿部寿樹、平田洋介はファーム暮らしで、44歳の福留孝介に頼らざるを得ないのが現状だ。  ただ、与田監督には同情の声も。 「貧打はシーズン前から分かり切っていた課題です。それなのに、補強した野手の新外国人は年俸5000万円のガーバーだけ。打率.156、0本塁打、1打点と期待外れの成績で5月中旬以降はファーム暮らしが続いています。FA補強にも参戦しないし、本気でチームを強化する姿勢がフロントから伝わってこない。与田監督も色々テコ入れしてきましたが、今の戦力では限界がある。立浪氏が監督になっても、フロントが変わらなければ厳しいと思います」(スポーツ紙記者)  今秋のドラフトでは1位・ブライト健太(上武大)、2位・鵜飼航丞(駒大)、6位・福元悠真(大商大)と大学生の野手3人を指名。即戦力獲得で打線を強化したいという思いは伝わってきたが、12球団で唯一の育成ドラフト指名なしに、「低予算なら将来を見据えて、一芸に秀でた金の卵を育成枠で獲るべきでは」と疑問の声が上がった。  最大の強化ポイントは打撃力だ。立浪氏は現役時代に日本記録の487二塁打を樹立するなど、プロ通算2480安打をマーク。中日一筋22年間で、最後の2年間は兼任コーチでプレーした。今年の春季キャンプでは臨時コーチを務め、根尾昂や岡林勇希ら若手に熱心に指導する姿が。卓越した野球理論に基づく指導法は選手たちから「わかりやすい」と評判だった。  立浪氏はCBCテレビの公式YouTubeチャンネル・燃えドラchで中日OBの井端弘和氏と対談。「強竜復活へ!来季のドラゴンズ構想」というテーマで自身の考えを語っている。  伸び悩む高橋周平に対し、「思い切って(打ち方を)変える時だよね。元々ボールを飛ばせるなん選手だから。最低20本塁打、(打率)3割ぐらいのところを目指せるようなスタイルに変えないと。今年いい意味で成績悪かったので思い切って変えられる」、「根尾は打てるようになってきたらどっかで使いたい。外野でもショートでもセカンドでも。まずバッティングの形ができてこないとその選択肢ができてこない」など発言。「レギュラーは大島とビシエドぐらいでしょう」と語り、補強ポイントとして「外野手で打てる大砲」と強調した。  立浪新体制で、「強竜復活」なるか。現場だけでは限界がある。フロントのバックアップも不可欠だ。(牧忠則)

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    華原朋美 人生をエンタメに化し、いまや日本一ほっとけないタレントに

    『アウト×デラックス』ではふくよかな体をさらけ出してダイエット企画に挑戦し、『お笑いの日2021』ではおいでやすこがとのコラボ漫才を演じて、『爆笑!ターンテーブル』では過去の恋愛エピソードを歌ネタにして披露した。いま最も身を削っているバラエティタレント、それが華原朋美である。  バラエティ番組に出るタレントは、どれだけ身を削れるかのチキンレースをやっているようなところがある。時代の寵児だったカリスマ音楽プロデューサーとの大恋愛と大失恋を経て、その後も浮き沈みの激しい芸能生活を送り、何かと世間を騒がせてきた華原は、削れる身の分厚さが尋常ではない上に、それをあっけらかんとやってのけるサービス精神にあふれている。  小室哲哉が手がける音楽がヒットチャートを席巻していた90年代中盤に、華原朋美は彼にその才能を見出され、歌手として鮮烈なデビューを飾った。「I BELIEVE」「I’m proud」などのヒット曲を連発して、CMにも多数出演して、若い女性の憧れの存在になった。私生活では小室と恋愛関係にあり、浮世離れしたゴージャスな暮らしをしているとも噂されていた。  当時、若者だった世代の人間は、今でも華原のことを「朋ちゃん」と呼ぶ。その呼称に込められた特別な思いを、同世代ではない人に理解してもらうのは難しいかもしれない。恐るべき純粋さと明るさと危なっかしさをはらんでいるからこそ、最大限の親しみと畏怖を込めて彼女は「朋ちゃん」と呼ばれるのだ。  90年代当時の華原は圧倒的な存在感があったし、特に同性からの人気は高かった。でも、ほとんどの人は、手放しで絶賛してるというよりは、その危なっかしさも含めて目が離せない、という感覚を持っていたように思う。  その後、華原は小室と破局して、苦難の道を歩むことになった。歌手やタレントとして断続的に活動を行っていたが、心身の不調や私生活のトラブルで活動が途絶えることもあった。  でも、そんな朋ちゃんがようやく帰ってきた。2021年4月に『アウト×デラックス』に出演。登場するなり「カネがすべてっすよ」と言い切り、視聴者の度肝を抜いた。ぽっちゃり体型になった彼女は「1歳の子どもためにフェラーリを買った」といった桁外れの散財エピソードを披露して、貫禄を見せつけた。  その後は、前述の通り、数々のバラエティ番組に出演した。壮絶な過去を背負いながらも、タブーなしで何でもネタにして明るく話す彼女は、良くも悪くもあの頃のままの「朋ちゃん」だった。  8月17日には、オンライン会見にて彼女のマネジメントを手がける男性との結婚を発表した。ここで普通なら「めでたしめでたし」となるところだが、彼女の場合はそうは問屋が卸さない。  会見では「もし旦那さんが浮気したら?」と質問されて「私の方が浮気するんじゃないかな」と結婚会見にあるまじき回答をしていたし、なぜか安室奈美恵の結婚発表のときとほぼ同じ服装をしていた。波風は立たせるもの、物議は醸すもの。そんな朋ちゃんらしい前代未聞の珍会見だった。  勝俣州和のYouTubeチャンネルの動画では、夫に手作りのカレーを食べさせたところ、夫の全身に蕁麻疹が出たというエピソードを語っていた。料理のときにまな板と包丁を洗う習慣がなく、ずっと同じ状態のものを使い回しているのが原因かもしれないと指摘されていた。世界よ、これが華原朋美だ。  上質なエンターテインメントはかすかな苦味を残すものだ。人生をエンタメにした日本一ほっとけない女、朋ちゃんは、危険だけど面白い。回り続けるコマのように、これからも不安定という安定を保っていてほしい。

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    自民64議席減の予測 石原伸晃 下村博文、萩生田光一も当落線上か

     天下分け目の衆院選が近づきつつある。新総裁のもとでイメージを一新した自民党に、野党は今回もしてやられるのか……いや、そうとも限らない。過去のデータを分析すると、野党共闘の成立次第で勝敗はガラッと変わることがわかってきた。 *  *  *  コロナ禍の拡大で国民から総スカンを食らった菅義偉政権。衆院議員の任期満了が10月21日に迫るなか、自民党は近年では最大の危機を迎えていた。ジャーナリストの二木啓孝氏は言う。 「8月ごろに自民が実施した衆院選の情勢調査は『60議席±10減』という衝撃的な結果だった。二階俊博幹事長が8月末にその資料を持って菅義偉首相と官邸で面会。この数字が退陣の決定打になったと言われています」  次期衆院選の定数は465。過半数確保には233議席が必要だ。自民の現有議席は275で、43議席減らすと自民単独過半数割れ。また、公明党の現有議席は29。自公両党で合計72議席減ると与党過半数割れとなる。自民にとって“政権からの転落”が現実味を帯びていたのだ。  進退窮まった菅首相は9月3日に総裁選不出馬を正式表明。11月までに実施される衆院選は新しい首相・総裁のもとで実施されることとなった。その後は連日、メディアをジャックした「総裁選ショー」で菅政権の失政は“リセット”され、またも与党は安泰……という結果になるのだろうか。  だが、次の衆院選は前回と決定的に違う点がある。前出の二木氏は言う。 「2017年の衆院選で与党が圧勝したのは、選挙直前に民進党(当時)が希望の党と立憲民主党に分裂し、混乱の中で共産党との選挙協力も進まず、野党候補者が乱立したから。今回は前回ほど野党候補者の分裂選挙にはならない。自民は決して安泰ではなく、『どれだけ負けを減らせるか』の戦いになるでしょう」  そこで本誌は、17年衆院選で仮に野党候補者の一本化ができていた場合、選挙結果がどうなっていたかをシミュレーションした。なお、国会で与党寄りのスタンスをとり、立憲らと明確に距離を置く維新の会は、野党候補の票に合算していない。  その結果は衝撃的なものだった。野党の合算票が、勝利した与党候補者の票を上回った小選挙区は64。なかには、石原伸晃元幹事長(東京8区)、下村博文政調会長(東京11区)萩生田光一文部科学相(東京24区)、上川陽子法相(静岡1区)など、現職大臣や要職経験者といった“大物議員”も複数含まれていた。  さらに、17年衆院選と19年参院選で与野党が拮抗した選挙区や、保守分裂選挙になりそうな選挙区など13選挙区を抽出した。この合計77選挙区が、与党の「“落選危機”リスト」だ。仮にこれらの選挙区をすべて落とせば、「自公で過半数割れ」もあり得る。  個別の選挙区事情を見ても、与党が安泰でないことがわかる。永田町関係者は言う。 「香川1区の平井卓也デジタル担当相は、立憲の小川淳也衆院議員と拮抗している。小川氏を主人公にしたドキュメンタリー映画がヒットしたことで、メディアへの露出も増えた。与野党逆転があるかもしれない」  東京9区は菅原一秀前経産相が違法な寄付で略式起訴され自民を離党。自民は候補者を立てられず不戦敗の公算大だ。  石原伸晃氏だけではなく、弟の宏高衆院議員(東京3区)もリスト入りしている。 「東京3区は立憲の松原仁衆院議員が保守層にも浸透している。野党一本化が実現すれば、伸晃氏と一緒に兄弟で危ない」(自民党関係者)  広島3区からも目が離せない。二木氏は言う。 「河井克行元法相の選挙買収事件を受け、公明の斉藤鉄夫副代表が候補者になりましたが、選挙戦で手足になる主だった自民系地方議員のほとんどは河井氏から現金をもらっていて活動ができない。4月の参院広島選挙区の再選挙も野党候補が勝利している。斉藤氏はかなり厳しい」  野党が決して非力でないことは、次のデータからも読み取れる。  17年衆院選で全国の比例得票数は、自公が計約2553万票なのに対し、立憲・希望・社民・共産は計約2611万票で野党が上回っていた。  19年参院選の結果を見ても、リストにある宮城、秋田、長野、静岡、愛知、滋賀、京都、大分は野党の合算票のほうが多い。東京は与党が上回ったが、得票率の差はわずか1.8ポイント。同じく与党合算票が上回った千葉と神奈川も、その差は5ポイント未満だ。北海道では、知名度の高い高橋はるみ前北海道知事が自民から出馬した影響で選挙区票は与党が上回ったが、比例票は野党のほうが多かった。  もちろん、野党がその“潜在能力”を発揮するには、まだまだ突破しなければならない壁がある。  一つは自民党新総裁が誕生した際の「ご祝儀相場」だ。昨年、菅首相が誕生したときも内閣支持率は一気に6割以上まで回復した。政治アナリストの大濱崎卓真氏は言う。 「メディアでは総裁選ばかり取り上げられ、野党の存在感は埋没している。しかし、総裁選後は臨時国会が開かれ、代表質問も実施される可能性が高い。野党は総選挙に向け、早めに争点を設定しておく必要があります」  最大の問題は、野党が候補者を一本化できるかだ。現在、次期衆院選の289選挙区のうち、立憲の候補が共産、社民、れいわと競合する選挙区が70以上残っている。前出の大濱崎氏は言う。 「菅首相の不出馬表明で与党有利な状況になり、共産や国民も比例票狙いで候補者を多く立てたいという考えが強くなっている。あと1カ月程度でどの程度まとまるかです」  野党候補の一本化を目指すため、立憲の平野博文選対委員長は9月24日、同党の小沢一郎衆院議員に共産党との交渉役を依頼した。過去の失敗から学習し、力を結集できるのか。それ次第で、11月以降の政治風景は激変する。(本誌・西岡千史、池田正史) ※週刊朝日  2021年10月8日号

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    眞子さまの結婚どう思う? 瀬戸内寂聴が27歳スタッフに質問した結果

     半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。*  *  *■横尾忠則「スジ金入りの肉体的朦朧体、大観より本格派です」 セトウチさん 耳が聴こえなくなったと言うと、「きっと作品が変るわよ」と、ベートーベンじゃあるまいし、変なことおっしゃると、その時はそう思いましたが、本当に変ったんです。その変り方が理に適(かな)っているといえば適っている。つまり聴こえないことは、音の輪郭が失くなることです。そうなると音が朦朧(もうろう)となって、横山大観の朦朧体の絵のように音がボケて聴こえるんです。耳がボケると、日常生活もボケて、曖昧模糊(あいまいもこ)となって、したことと、してないことの区別もわからなくなるんです。つまり虚実の区別ができなくなって、夢で見た仕事の依頼を、本当に依頼されたと思って、やっちゃったりするんです。ボケの症状に似てるけれど、ボケ老人になったんではなく耳のせいだと理解しているので、そこはまだ理性がコントロールしています。 ハイ、絵の話だったです。大観は思想で朦朧体を描きましたが、僕はスジ金入りの肉体的朦朧体なので、思想のようなチョロコイ考えではなく、肉体的ハンデキャップによる堂々たる自然体派です。大観よりこっちの方が本格派です。そんなわけでセトウチさんの大予言は的中しました。 先っきも言いましたが境界線が失くなるということは自由のキャパシティも拡張したことになります。近代人は何でもかんでも境界線を引いて、全てを分業化します。縄文時代はひとりの人間が、多面的に物事をこなしていました。狩猟(しゅりょう)も農業も、漁業も工芸も、子育ても、教育もひとりでするという、境界線をはずした労働生活です。現代のような役割分担などしません。正に多義的です。越境した狩猟社会です。 難聴が与えてくれた神の恩寵です。だから病気の高徳です。僕が度重なる病気によって救われてきたということはこういうことです。神は人間に色々な苦難を与えますが、病気は罪ほろぼしでもカルマ落としでもなんでもないのです。人間の進化向上のためのカリキュラムだと思えばどうでしょう。難聴のほかに、腱鞘炎(けんしょうえん)にもなりました。もう、セトウチさんの「幻花」のような繊細(せんさい)な描写の絵など描けません。今は太い筆やハケを握りしめて、キャンバスにバンバン叩きつけるように描いています。それも痛いので、左手で描きます。左手は思うような形が取れません。幼児の絵より下手くそになります。でも、デュビュッフェは幼児の絵のマネをして、幼児風に描きますが、そんな意図的なことをしなくても、僕の左手はそのまま幼児以上に下手に描けます。これもハンデキャップから来た自然体です。 今書いている手紙では、前にも同じことを書きましたかね。境界を越えると時間差もなくなって、やったことと、やらないことの区別がわからなくなるのです。いよいよ本格派老人です。100歳老人のセトウチさんにも負けていません。ただ僕はセトウチさんのように年齢には拘っていません。拘っているのは他人の方で、今行っている展覧会では「85歳、85歳」と年齢を売り物にされています。歳のことは言うな! アーティストには年齢はないのです。昨日の続きが今日、今日の続きが明日です。原始社会では年齢など無関係です。アーティストは原始人です。■瀬戸内寂聴「私もヨコオさんに負けないように!」 ヨコオさん 何だか、ずいぶん久しぶりにこの往復手紙を書いているような気がします。 それにしても相変わらずコロナは豪勢を極め日本はおろか、世界的にその力を奮っています。 コロナのせいで、人に会えず、寂庵はずっと門を閉めっぱなしです。コロナになる前はもちろん、一も二もなく門内に入ってもらっていました。 大抵遠く九州や東北から来られた人で、まだ生きている私に逢えたと言って、抱きついて泣き出します。もちろん、私は丁寧にお迎えして、写経などしてもらい、お茶菓子を一緒に食べて、しばらくその人のお話を聞きます。つきあいの人もあれば、寂庵の信者を自称する人もあり、初めて門内に入ったという人もいます。「まさか、門内に入れてもらえると思わなかった」と泣き出す人もあれば、「生きている寂聴さんに逢えた!」と、子供のように足を踏み鳴らす人もいる。「とても百歳には見えない!」と誰もが感嘆してくれるが、終日ベッドに横になり、本ばかり読んで、一日を過ごしている私の毎日の状態など話せない。私は、人に逢っている間だけは、必死になって元気らしさを演じ、声を張り上げる。客の帰る時は、長い廊下の途中で、へばってしまい、さっさと歩く客の跡がおえない。 ──だって百だもの……──と、私は廊下の途中で、ペシャンコに座り込み、つくづく、自分に向かって言う。 食事だけは時間が来ると、しゃきっと体がのび、食卓の自分の位置に早々と座り込んでいる。「あら、お昼はもう召し上がりましたよ!」 スタッフの一人が、わざと大きな声を張り上げる。「私のスパゲティは、どうしてこんなに美味しいのだろうなんて、お世辞までいただいて」「そうよ、ほんとに! でも今ここに座ったのは、食べるためでなくて、眞子さんの結婚をどう思うかって、寂庵で一番若い二十七歳のP子の意見を聞きたいのよ」「ああ、眞子さん、ほんとに、よかったですね。大体、みんなあんまりこの結婚に意地悪すぎましたよ。でも、どうして一時金を眞子さんは辞退なさるのかしら? 貰う権利のあるお金でしょう? あんまり弱気にならない方がいいと思うけど……」 ヨコオさん、今、寂庵の中は、こんなにのんびりしています。耳が聞こえないのは、私も同然です。テレビの時なんか、びっくりするほど大きな声にしてくれるので、何とか会話が出来ています。鶯も、秋の夜の虫の音も、私の耳にはさっぱり聞こえません。ヨコオさんとTELしてるのを横で聞いてる人があれば、どんなにおかしいでしょうね。耳だけでなく体のあちこちがどしどし衰えてきます。 そのうち、きっと、自分の死んだこともわからなくなって、──ヨコオさんにTELして!──など叫んでる日が来るのでしょうね。でも目がよく見えているので、一日に二冊は厚い本を読み切っています。ヨコオさんの展覧会、ますます人気上昇でおめでとうございます。私もヨコオさんに負けないよう、あっとこれまでと変わった小説を二つくらい書き残して死にたいものですね。 では、また。※週刊朝日  2021年9月17日号

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    【2021ドラフト採点簿】セ・リーグで“最も良い”指名ができたチームは?

     新型コロナウイルスの影響で、昨年に続いてリモートという形で行われた2021年のプロ野球ドラフト会議。支配下77人、育成で51人の合計128人が指名される結果となったが、チームの将来に適した指名ができた球団はどこだったのか、採点してみたいと思う。今回はセ・リーグ編だ。 *  *  * ■DeNA:90点  競合を避けることなく高校生では1番人気となっていた小園健太(市立和歌山)に入札して引き当てたのが何よりも大きい。親会社がDeNAになってから初の高校生投手の1位指名だが、将来の太い柱として期待できる素材だ。5位の深沢鳳介(専大松戸)も高校生では完成度の高いタイプだけに、この2人の加入は将来のチームにとって大きなプラスである。少し気になるのが2位の徳山壮磨(早稲田大)、4位の三浦銀二(法政大)が最終学年で調子を落としているところ。元々力のある投手だが、不調の投手を2人揃えたところは不安が残る。一方の野手は粟飯原龍之介(東京学館)、梶原昂希(神奈川大)とスケールのある選手を2人揃えた。ともに少し時間はかかりそうなタイプだが、現在の野手の充実ぶりを考えると納得がいく指名だった。 ■阪神:80点  1位では小園健太(市立和歌山)を外したものの、同程度の評価を受けていた森木大智(高知)を指名できたことで大きなマイナスは感じられない。2位の鈴木勇斗(創価大)、3位の桐敷拓馬(新潟医療福祉大)も中央球界ではないものの実力派の大学生サウスポー。5位の岡留英貴(亜細亜大)も本格派サイドスローでこの秋に評価を上げてきており、投手陣の底上げについては狙い通りの指名ができた印象だ。野手も強打が魅力的な外野手の前川右京(智弁学園)、豊田寛(日立製作所)の2人と、ディフェンス力が光る捕手の中川勇斗(京都国際)と特徴のある選手を指名。大化けが期待できるスケール型のプレイヤーはいないものの、バランスの良い指名だった。 ■巨人:70点  支配下の7人のうち6人が投手という徹底した指名となった。エースの菅野智之に衰えが見られ、今年は投手に好素材が多いということを考えると中日の野手偏重指名よりも理解はできる。ただ1位の翁田大勢(関西国際大)、2位の山田龍聖(JR東日本)はともにストレートは素晴らしいが、トータルで試合を作る能力という意味ではまだまだであり、即戦力と考えるのは極めて危険だ。現場とスカウト陣の今後の育成プランについてのやり取りが重要になるだろう。評価したいのは4位以下で指名した高校生投手3人だ。いずれも大型だが馬力よりもセンスを感じるタイプで、上手くフィジカル面を鍛えれば大化けが期待できる。彼らの中から将来のエース候補を育てられるかが大きなポイントとなるだろう。 ■ヤクルト:65点  1位では隅田知一郎(西日本工大)を外して同じ大学生左腕の山下輝(法政大)を指名。3位の柴田大地(日本通運)、5位の竹山日向(享栄)と投手3人はストレートの力が持ち味で、現在のチームに不足しているタイプだけに貴重な戦力となることが期待される。ただ少し気がかりなのが3人とも故障歴があるというところ。ヤクルトは伝統的に投手の故障が多く、素材が良くても短命という選手も目立つ。アマチュア時代の実績もそこまである投手ではないだけに、長い目での戦力と考える必要があるだろう。野手は若返りが必要な外野の手当てとして丸山和郁(明治大)、右でパンチのある選手として小森航大郎(宇部工)を指名したのは悪くないが、捕手も1人は狙ってもらいたかった。 ■広島:60点  1位では隅田知一郎(西日本工大)、山下輝(法政大)を外したものの、上位で黒原拓未(関西学院大)、森翔平(三菱重工West)と徹底してサウスポーにこだわった。チーム事情を考えれば分からなくもないが、森下暢仁、栗林良吏、森浦大輔と大学生、社会人投手の上位指名が続いているだけに、高校生投手にももう少し目を向けても良かったのではないだろうか。一方の野手は鈴木誠也のメジャー移籍に備えて中村健人(トヨタ自動車)、末包昇大(大阪ガス)と社会人の右打者を2人獲得。ただともに力はあるが、プロの変化球への対応には不安が残る。左投手と右の強打者というポイントは押さえているが、全体的には可もなく不可もなくという指名だった。 ■中日:55点  歴史的な貧打解消を狙い、6人中5人が野手という指名となった。ある意味狙いは分かりやすいと言えるが、極端な偏りにはやはり不安を感じる。1位のブライト健太(上武大)、2位の鵜飼航丞(駒沢大)、6位の福元悠真(大阪商業大)は全員が右打ちの外野手というだけでなく、長打力はあるものの確実性には乏しいという点も共通しており、分かりやすい表現をすれば0か100かというタイプである。3人のうちだれか1人でも戦力になれば御の字という考え方もあるが、やはりバランスには欠けた指名だった印象が強い。高校生の2人の野手でバランスを取り、左のリリーフとして石森大誠(火の国サラマンダーズ)を補強できたのはプラスだが、もう少し純粋にその年に評価が高い選手を狙う姿勢も欲しかった。 (文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員

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    小室圭さん帰国便同乗者が目撃した姿「彼はまるでエグゼクティブ」 自宅前では深々とお辞儀

    颯爽と歩きながら、小室圭さんがアメリカから帰国した。日本の地を踏むのは2018年8月に渡米して以来、3年2か月ぶりだ。  成田空港は多数の報道関係者が集まっており、ピリピリムード。報道陣に対して、カメラのフラッシュ禁止、声掛けも禁止といった規制が敷かれていた。報道関係者からは「どうして?」と不満の声も漏れていた。  午後3時20分過ぎ、成田空港に飛行機が到着。一般客が飛行機から降りたあと、小室さんが、報道陣の前に姿を現した。警護と思われる男性やキャビンアテンダント(CA)の女性などに囲まれていた。キャリーバックを転がしながら、白マスクに、濃紺のスーツ、ストライプの入ったシャツ、ノーネクタイといういで立ちで、髪の毛は後ろに縛っていた。  飛行機から出てきた小室さんは報道陣に一礼したあと、新型コロナウイルスの抗原検査、そして入国手続きに進んだと見られる。  小室さんは機内でどのような様子だったのか。偶然、同乗していた男性(51)に話を聞くことができた。 「私がファーストクラスで座っていると、ドアが閉まるギリギリになって小室さんが搭乗してきました。まるでエグゼクティブのようでした。後ろの髪を結っていたので、すぐに彼だとわかりましたね。彼一人に女性CAが2人くらいついて、会話しながら案内されて入ってきました」  当初はエコノミークラスのチケットを買ったと報じられていたが、この男性はこう語る。 「右の列のビジネスクラスの前方の席で、窓際に座っていましたね。私の席から右斜め後ろのほうの席でした。ただ、カーテンでファーストクラスとは仕切られていたので彼の表情などはわからなかったです」  男性は飛行機から降りた後、抗原検査のために、大きめの部屋に移ったという。40分ほどその部屋に滞在したが、そこに小室さんの姿はなかった。 「今か今かと待っていたのに、残念でした」(男性)  そのころ、到着ロビーには多数の報道陣のほか、「皇室系Youtuber」といったタスキをかけた人物や一般客も小室さんの姿を一目見ようと集まっていた。その数、50~60人ほど。  津田沼から来たという白髪交じりの一般男性は手にハンディカムを持ち、小室さんを待ち構えていた。妻に頼まれて自宅で見るために撮りに来たという。  しかし、小室さんは一般客が使う到着ロビーを通らず、地下駐車場から車に乗り込み、成田空港を後にした。「地下駐車場から空港を出たらしい」と男性に知らせると、「こんなに待っていたのに……」と不満げな様子だった。  小室さんを乗せた乗用車が向かった先は、母・佳代さんが住む横浜の自宅だった。自宅前は朝から報道陣が詰めかけ、警察は臨時の派出所を設置し、周辺警備に当たるなど、ものものしい雰囲気が漂っていた。夕方には100人を超える報道陣が押し寄せており、ベランダから様子を一目見ようとする住民の姿も見られた。  19時過ぎ、小室さんを乗せた車が到着。警察が後部座席のドアを開け、車から出てきた。小室さんは、報道陣から「どんなお気持ちですか」と声を掛けられたが、反応は示さず、自宅マンションの入り口で2回ほど深々とお辞儀をして、黒いスーツを着た男性らと中に消えていった。  近くに住む60代の男性はこう語る。 「ヘリコプターの音がすごくて『何事か』と思って見に来た。3年前の婚約会見後のときと同じような状況だと感じましたね。小室さんがニューヨークに行ってからは、静かになっていたんだけど……。またしばらく騒々しくなるのかなと思っています。どの家庭も問題を抱えていますし、小室さんと眞子さまも早くアメリカで幸せになってほしいですね」    小室さんは今後、自宅で2週間の隔離を終え、その後、記者会見に臨むと見られている。果たして何を語るか。注目が集まる。 (AERAdot.編集部/上田耕司、飯塚大和、吉崎洋夫)

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    ソフトバンクの工藤監督退任 小久保ヘッドが後任有力候補もファンのイチオシは「あるコーチ」

     ソフトバンク・工藤公康監督が今季限りで退団することが、メディアで一斉に報じられた。  指揮官としての実績は際立っている。就任1年目の15年、17年、20年と3度のリーグ制覇。CSを勝ち抜いた18、19年と2度の「下克上」を合わせ、昨季までの7年間で5度の日本一に導いている。2年契約最終年の今季は5年連続日本一を目指したが、故障者が続出したことが大きな誤算だった。エース・千賀滉大、4番・グラシアル、守護神・森唯斗と主力が次々に離脱。黄金時代を支えてきた松田宣浩、今宮健太らレギュラーメンバーも打撃不振や故障で陰りが見られるようになり、若返りもなかなかうまくいかなかった。  12球団トップの8度優勝と得意にしていた交流戦で5勝9敗4分、球団史上最低勝率,357と失速。9月30日の西武戦(ペイペイドーム)から引き分けを挟み8連敗と勝負所で王者らしい戦いを見せられず、優勝争いから脱落した。  工藤監督は勉強熱心で知られていた。相手を綿密に分析し、コロナ禍の前は多忙な合間を縫ってオフに渡米。トレーニング施設を回るなど最先端の理論を勉強し、選手たちに飛躍するための助言を送り続けた。とりわけ、大きな功績はバッテリーを12球団屈指の陣容に育て上げたことだろう。  育成枠で入団した千賀滉大、石川柊太をエースに育て上げ、救援陣も若手を積極的に登用。ピンチを抑えることで自信をつけ、パフォーマンスも上がる。チーム内のハイレベルな競争が強さの源だった。正捕手は育成枠出身の甲斐拓也を据え、日本を代表する捕手に成長を遂げた。  後任は小久保裕紀ヘッドコーチが有力候補と見られる。 「侍ジャパンで監督を務めた小久保コーチは今季から入閣して野手陣の強化を期待されましたが、難しさを感じたでしょう。今季は貧打が深刻な時期が長く、上昇気流に乗れない一因になった。若手は三森大貴が台頭し、リチャードもシーズン終盤に出てきて自慢の長打力を発揮していますが潜在能力を発揮しきれていない若手が多いのが現状です」(福岡のテレビ局関係者)  小久保ヘッドコーチに対し、ソフトバンクファンからは手厳しい評価が目立つ。次期監督の有力候補にあげられていることに、SNS、ネット上では「どうしても小久保監督にしたいなら来年3軍監督、再来年2軍監督、そして3年後なら。繋ぎは秋山(幸二)さんに何とかお願いして欲しい。それくらいしないとホークスファン納得しないよ」、「現時点で小久保監督では暗黒時代に陥ります。経験を積ませるためにWBCの監督に据えたのだろうと思いますが、短期決戦は弱かった。ホークスが世代交代の過渡期とは言え、硬直化したスタメンで、長丁場も弱かった。負けが込んで若手も育てられないという最悪の結果です」などのコメントが相次ぐ。  秋山幸二元監督の再登板、内部昇格なら楽天で19年に監督を務め、最下位から3位に躍進させた実績を持つ平石洋介打撃コーチを推す声が多い。 「平石コーチは選手とコミュニケーションを密に取り、人心掌握術に長けている。野球脳も高く、質の高い野球を目指す姿勢で志が高い。楽天では1年限りで監督を退団しましたが、『もう少し見たかった』と楽天ファンから惜しむ声が多かった。現役時代に目立った実績はないですが、指導者としては非常に優秀な人材です」(スポーツ紙記者)  工藤監督の後任に選ばれるのは果たして――。(牧忠則)

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    眞子さまへの複雑性PTSD診断は“勇み足“? 精神科医・和田秀樹氏が語るこれだけの疑問

     眞子さま(29)と小室圭さん(29)の結婚を宮内庁が発表した。それと同時に公表されたのが、眞子さまが「複雑性PTSD」と診断されていたということだ。しかし、この診断に対して、複雑性PTSDに詳しい精神科医の和田秀樹氏が「診断は“勇み足”ではないか」と疑問を投げかけた。 ――複雑性PTSDとは何でしょうか。  PTSD(心的外傷後ストレス障害)というのは、単発的な出来事によって、発症するものです。例えば、レイプなどの暴行を受けた、目の前で人が死ぬのを見たなど、いわゆるトラウマになるような出来事があって、発症します。  それに対して複雑性PTSDは反復的、長期的なトラウマによって引き起こされるものです。例えば、長期間苛烈ないじめや虐待を受けていたり、民族対立の中、常に怖い思いをしていたとかです。 ――PTSDとは症状が違うのでしょうか。  PTSDより複雑性PTSDのほうがより深刻な症状が出ます。  人とうまく付き合えなくなったり、感情が不安定になったりします。また、「解離症状」というのが出て、記憶が飛んで、おかしな行動が出るなどの症状があったりします。  人格が変わってしまったり、意識レベルにもかかわるもので、「パーソナリティ障害」や「多重人格」(解離性同一性障害)といったものです。 私も複雑性PTSDの患者を診ていますが、仕事に就けない人も多いです。 ――眞子さまも複雑性PTSDということだが、どう捉えたか。  実際に診ていないのでわからないですが、直前まで公務をされていたことを踏まえると、「適応障害」のほうが近いと思います。  先ほど述べましたが、複雑性PTSDは虐待を受けてきたような人が、仕事も就けず、性格も安定しないなどの症状が出るほど深刻なものです。  皇室にいることで一般人では言われないようなことを多く言われる、多数書かれるという状況です。その状況に適応できていないということのほうが、症状として近いのではないでしょうか。 ――そうなると、宮内庁が「複雑性PTSD」を発表した意図はどこにあると思いますか。  複雑性PTSDは同じトラウマを何度も受けることで症状がどんどん悪くなりますので、これ以上小室さんのネガティブなことを書くと眞子さまの症状が重くなる、ということを警告しているのだと思います。  ただ、複雑性PTSDは虐待レベルのひどいときに起こるものです。診断基準を見てもらえればわかりますが、悪口を言われた程度でそう診断されるのには疑問です。診断した医師の“勇み足”のようにも見えます。 ――宮内庁の発表では「誹謗中傷と感じられるできごとがなくなれば、複雑性PTSDの改善が進むと考えられます」とありました。  それで症状が良くなるのであれば、やはり適応障害というのがより適切な診断と思います。  複雑性PTSDは本当に気の毒なほど虐待を受けてきた人が多い。長期的なカウンセリングが大事なもので、そのように簡単に治るものではないです。 ――アメリカに行っても大丈夫なのでしょうか。  本当に複雑性PTSDなら、アメリカに行ったほうがいいです。日本では治療ができる専門家が少ないのが現状です。アメリカの方が治療できる医師が多いです。  ただ、今回の発表を受けて思ったのは、「複雑性PTSDが軽いものなんだ」という誤解はしてほしくないということですね。 ――複雑性PTSDで苦しんでいる方はどのくらいいるのでしょうか。  2020年度に全国の児童相談所が対応した児童虐待の件数は20万件を超えています。そう考えると、児童虐待を受けていた人は毎年累積していて、相当数(おそらく100万人以上)が複雑性PTSDで苦しんでいることが伺えます。 一度複雑性PTSDになると、治らないことも多いです。 (AERA dot.編集部・吉崎洋夫)

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    【独自】美智子さま、雅子さま、眞子さま…繰り返される皇室女性の悲劇「宮内庁は変わるべきだ」の声

     秋篠宮家の長女・眞子さまの複雑性PTSDとの診断公表は衝撃的だった。振り返れば美智子上皇后は声を失われ、雅子皇后は「適応障害」と、皇室の女性の悲しみは30年経ても続いている。批判報道だけが原因なのだろうか。ジャーナリスト・友納尚子氏が宮内庁のあり方を問う。 【前編/眞子さまの「儀式行わない」意向も、天皇陛下は「朝見の儀」を望んでいた】より続く *  *  *  結婚の正式発表の会見には、皇嗣職大夫と医務主管と並んで、眞子さまを診断した精神科医も同席。病名は「複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」だった。精神科医は、その原因について「秋篠宮ご一家や小室さんとその家族への誹謗中傷と感じられることを長期的に体験したこと」だと説明した。  さらに「誹謗中傷がなくなれば、症状は改善する」と医師は忠告した。 「今回の眞子さまのご病気の発表は、もちろんご本人も承諾されてのことだったと思いますが、慶事の発表に水を差すようなトーンとなってしまいました。誹謗中傷がなくなれば回復すると述べる忠告だけにとどまり、眞子さまが病気と向き合われているご様子やサポート体制について説明されなかったため、理解が得られにくかった」と宮内記者は明かす。「昨年までは眞子さまが精神科医にご相談されていることはなかったようなので、ご結婚間近のこのタイミングの発表となると、眞子さまのご体調は、会見に耐えうるのだろうかと、ますます注目されています」  皇族が治療を必要とする精神疾患にかかられたならば一大事である。ましてや結婚を控えられている眞子さまとあれば、報道は熱を帯びていっても無理はない。  皇嗣職大夫が「守りきれなかった」と会見で声を詰まらせる場面もあったというが、宮内記者らは冷静だったという。  結婚の延期から始まり、婚約者の親族の金銭トラブル、さらに金銭トラブルを説明する文書の発表、結婚一時金辞退、儀式を執り行わないこと、そして正式な結婚発表と同時の眞子さまのご病気公表──。一体、いくつの歴史上初の“前代未聞”があっただろうか。そのたびに騒動はより大きくなった。「守りきれなかった」というが、この4年間で見えたのは対症療法的な宮内庁の対応であり、長期的な視野からの「守りきる」具体的な動きは伝わってこなかった。  眞子さまが精神疾患だと発表されて、すぐに頭に浮かんだのは、今も病と向き合われている雅子皇后のことだ。病名は違っても雅子さまに与える影響や、同じ「複雑性PTSD」に苦しまれている人たちのことも気になった。  振り返れば、雅子さまは10年以上もバッシング記事にさらされてきた。火の粉は皇太子(現天皇)や幼い愛子さまにまで及び、雅子さまは「自分のことなら我慢するけれど、陛下や愛子のことまで言われるのはつらい」と吐露されていたという。  宮内庁は、こうした雅子さまの苦しみと悲しみのお気持ちを、眞子さまに繰り返させないために積極的に策を練り、「守りきる」ことはできたのではないだろうか。 「宮内庁は、官僚人事なので長くお仕えするということはありません。天皇家や秋篠宮皇嗣家といった独立した組織にそれぞれお仕えしていますので、長官に報告を上げるのはすべて終わってからです。そこに難しさがあるのです」(宮内庁職員)  陛下も皇太子時代から、何十年もの間、相談できるような有識者を探しておられたというが、いまだにそのような人物はおそばにいない。  宮内庁参与ではなく、もっと身近で進言も厭わない人物を本気で探すか、宮内庁の中に問題が起きた時に対処する専従班を配置するなど根本的な構造改革を行えるかが問われている。そうでなければ同じような悲劇を繰り返すだけではないだろうか。  雅子さまも「力が入らない」「怖い夢を見る」などのご体調の不調を訴えられて、自ら公務先の医者などに相談してから、やっと主治医が着任したのは皇太子(現天皇)の「人格否定発言」のあった04年。同年7月に病名「適応障害」の発表となるまでには、雅子さまが体調の変化を訴えられてから、実に3年も要した。  皇太子当時の陛下は主治医と相談しながら、雅子さまの治療に向けての環境作りをなさり、サポートをされてきた。雅子さまの場合、皇室という限られた環境下での治療という難しさがあった。  眞子さまは皇籍離脱をされて、海外生活を送るという違いはあるが、病名だけでみると、雅子さまの適応障害よりも治療に時間がかかるとされ、日本から出れば治るというものでもないという。専門医は語る。 「眞子さまが海外に出られてからも、あれだけ騒がれた小室さんの動向をメディアが放っておくとは思えません。眞子さまが海外で治療を続けるには、多忙な弁護士事務所に通う小室さんだけで支えられるのでしょうか」  正式な結婚発表時での病名公表は、「海外に行けばメディアの露出も減るだろう」という短絡的な判断ではなかったか。同時に雅子さまの精神疾患も理解しているのだろうかと疑問に思う。  雅子さまはご病名発表後も公務を欠席したことなどから「仮病」「わがまま」と批判され続けた。  驚いたのは、当時の情報源のひとつに、宮内庁幹部が関与していたとされることだ。批判はご夫妻の別居や離婚、ひいては廃太子による皇位継承順位の変更という暴論にまで至ったが、宮内庁は黙認したままだった。  そんな中、当時の皇太子はお一人で公務などを黙々と続けられた。こうした記事を掲載する雑誌広告が目に触れないよう、陛下は主要な国内外の記事だけを切り取って雅子さまに渡された時期もあったという。  さらに遡れば、美智子上皇后陛下の声が出なくなったのは、1993年10月の誕生日の朝だった。原因は、週刊誌などによるバッシング報道にストレスを感じている中、親しい友人からの手紙に皇太子妃決定過程に関わることが記されていたことも追い打ちをかけたともいわれた。  美智子さまのお悲しみ、雅子さまと眞子さまのご病気。30年近く経っても同じことが繰り返されている。これからは、自由を求める皇族方がもっと増えるだろう。宮内庁が「お仕え」するだけの組織であり続けるならば、その変化を受けとめきれなくなる。そうなれば国民の信頼を失い、皇室離れに繋がりかねない。  眞子さまのご結婚は、宮内庁のあり方にも警鐘を鳴らし、変化のきっかけになるのではないか。4年間の苦しみを繰り返してはならないと思う。(ジャーナリスト・友納尚子)※週刊朝日  2021年10月22日号より抜粋

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    小泉進次郎氏、国民の人気なかった? 「好きな政治家」調査でトップ10入らず

     本誌が実施した「好きな政治家、嫌いな政治家」アンケート。総裁選でタッグを組んだ「小石河連合」の人気の差が出た結果となった。河野太郎氏は1位、石破茂氏は4位に入ったが、小泉進次郎氏はトップ10圏外だった。 *  *  * 「国民の人気が高い」というのは、この人の枕詞だったはず。ところが小泉進次郎氏は「好き」9票でランクインできず。「嫌い」も圏外だが14票で「好き」を上回った。  総裁選で「小石河」と呼ばれたが、河野、石破両氏とは決定的な差が出た。どうしてこんなことに? 「嫌い」の理由を見てみよう。 「国民のことをまったく考えておらず、自分のことしか考えていない」(46歳・東京都・女性)、「無能」(63歳・神奈川県・男性)、「自分ファースト」(51歳・東京都・男性)、「親の七光り。見ててイライラする」(24歳・北海道・男性)、「ただの目立ちたがり屋で無能」(72歳・東京都・女性)、「人気取り。国民を愚民とばかにしている」(51歳・東京都・女性)などさんざん。 「父は純一郎さんだし、イケメンで、鳴り物入りで政界入りしたから、女性のファンも多かった。でも実際はからっぽでした。菅さんが辞めるとき、なんでお前が泣いてるんだと思った人は多いでしょう。自分に酔っているだけの人ですし、嫌われる勇気もありません」(作家の鈴木涼美さん) 「政治の世界では、挨拶だけがうまい“司会議員”というのがいますが、それに近いのでは。器ではないことが、入閣してばれました」(政治ジャーナリストの角谷浩一さん)  しばらく要職に就くことはなさそうだし、ぜひともこの間に精進してほしい。(本誌・菊地武顕)※週刊朝日  2021年10月22日号

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    山本太郎氏が東京8区出馬断念した裏事情 小沢グループと立憲幹部の調整不足か

     衆院選で東京8区から出馬宣言していたれいわ新選組の山本太郎代表が10月11日、発言を撤回し、波紋を呼んでいる。8日に出馬宣言し、たった4日間で断念に追い込まれた「山本劇場」の舞台裏を取材した。 「まあ、うちが批判を浴びそうだったので、山本氏が降りてくれて助かった」  立憲民主党(以下は立民)の幹部は胸をなで下ろした。横浜市で行った断念表明の演説で山本氏は東京8区から出馬表明に至るまでの経過をこう明かした。 「無理やり山本太郎が東京8区に侵攻してきた。それは違います。『東京8区でどうでしょう?』。こうお言葉をいただいたのは、実は立憲民主党からです。2019年11月29日です。ずいぶん前でしょう。『山本さんが手を打つなら候補者を下げることもやぶさかではない』と。話し合いに参加したのはうちの党の人間、向こうは政治家でした」  2年近く前に立民から東京8区から出馬の打診があったというのだ。山本氏はその後も水面下で話し合いを続けていたという。  9月末に立民の平野博文選対本部長は、野党共闘の候補者調整で小沢一郎氏に協力を依頼した。小沢氏が生活の党時代、山本氏は政党「生活の党と山本太郎となかまたち」の共同代表に就いたこともあり、近い関係にある。その後、小沢氏と山本氏と平野氏と立民幹部らが会談した。 「その時の話し合いでも、山本氏は東京8区から出馬でどうか、という話がでて、概ねそれでいいんじゃないかとまとまり、今の候補者は降ろそう、他党にもそれで調整しようという方向性になった。ただ正式決定ではなかった」(小沢氏に近い関係者)  だが、山本氏はこの話し合いを「決定」と認識し、それが8日の出馬宣言につながったという。山本氏は立民とのやり取りの音声データもあると主張している。 「山本氏は東京8区から出馬するつもりで、ポスターなど出馬準備までしていた」(れいわ新選組関係者)  しかし、立民の枝野幸男代表は山本氏の出馬宣言に苦言を呈した。 「困惑している。できれば降りていただきたい」  山本氏も「枝野代表が言っているのは、山本太郎エイリアンが入ってきてちょっと勘弁してよ、ということでしょう」と理解したという。  立民では東京8区は吉田晴美氏が野党統一候補になる方向で調整が進んでいた。立民は”想定外”の山本氏の出馬宣言に動かざるを得なかった。前出の立民幹部がこう語る。 「山本氏の話が本当なら、もっと早く東京8区から出馬宣言をしてもよかったのに…。得意のサプライズ狙いでぎりぎりに表明したことが仇になった。吉田氏を呼び出して、来年の参院選はどうか、と立民幹部が説得していたが、難航していた」  山本氏のれいわ陣営でも想定外だったのは、吉田陣営の反発があまりに強かったことだ。 「#吉田はるみだと思ってた」というデモが開かれ、東京8区の吉田氏の支援者が活発に動き出したのだ。 「山本氏が入ってきたら、体を張ってでも演説させない」という吉田氏の支援者もいたという。れいわ新選組関係者がこう話す。 「山本氏はあまりに地元の反発が強いことに驚き、調整不足だったと痛感していた」  そして山本氏は枝野氏の一連の発言に不信感を抱くようになったという。 「(これまでの経緯から)どうやって辻褄を合わせるのか。最後の最後、生みの苦しみで、こちら(山本氏)が譲りましたという形が作られようとしている。そんなの野党共闘ではない。批判されるのは、(枝野)代表だ。代表には説得するという気概がなく、混乱だけ生み出した」  そして山本氏は東京8区出馬を断念した経緯をこう説明した。  「このまま、混乱したまま選挙に突入する? 無理ですよ。じゃあ、どうすればいいか。話は簡単です。私が下りればいい。東京8区から出馬を下りることにした。お騒がせをした。いきなり、れいわが悪という共闘はない。この混乱、私が下りて収束させて次に進もうと言いたい」  しかし、山本氏は次の選挙区については、語らなかった。自民党幹部はこう警戒する。 「山本氏の東京8区は怖いと思っていたが、出馬断念で助かった。ただ、以前から萩生田光一経産相の地盤である東京24区(八王子市)からの出馬もささやかれている。山本氏の破壊力、無党派層の票を一気に持っていくパワーが東京全体にも波及しかねない。昔、東京8区で出馬したときも公示前日にサプライズ表明した。野党共闘のジョーカーである山本氏の動きからは目が離せない」 (AERAdot.編集部 今西憲之)

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    渡部建、49歳になって仕事ゼロでもなぜか余裕 復帰を焦らなくてもいい「うらやましい理由」

     昨年6月までは8本のレギュラー番組を抱える売れっ子だったアンジャッシュの渡部建(49)だが、不倫騒動で芸能活動を自粛して以降、復帰の道筋は見えてこない。  渡部の近況を報じた週刊誌「FLASH」(9月28日・10月5日号)によると、普段は総額35万円のハイブランドコーデで“主夫”をこなしているという。  一方、一家の大黒柱となった佐々木希(33)は、三池崇史監督が演出を手掛ける舞台「酔いどれ天使」に出演中だ。東京公演の千秋楽を迎えた20日には、3歳の長男がサプライズで花束をプレゼントしてくれたことをインスタグラムで報告した。 「佐々木は4億円のマンションをキャッシュで購入し、息子を年間の授業料が200万円以上といわれる幼稚園へ転園させたことが報じられました。10月からは舞台の大阪公演が始まりますが、今の彼女は精力的に仕事をこなしています。もちろん佐々木が仕事の間は渡部が家事と育児をこなしているそうです」(女性誌記者)  渡部の復帰に関しては昨年末の「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」(日本テレビ系)への出演情報が流れたことで、渡部も慌てて“謝罪会見”を開いたが、これが完全に裏目に。しどろもどろの受け答えに終始し、結局、騒動を蒸し返されるだけに終わった。 「『ガキ使』の出演はお蔵入り、さらに『有吉反省会』(同・9月で終了)の最終回にサプライズ出演のうわさも流れましたが、これは有吉本人が否定しました。渡部自身は、テレビへの未練はあると思いますが、実際、以前のような形で復帰するのは難しいと感じているようですね。昨年の会見で懲りたというか、このまま表舞台に出たところで、一生“トイレ不倫”は言われ続けるでしょうし、忘れた頃にまた蒸し返されたり、あるいは別の女性が告白したりという不安は絶えないでしょう。YouTubeでの復帰なども、オファーはあったみたいですがすべて断っているそうで、今は静かに暮らしたいそうです」(テレビ関係者)  スポーツ紙記者も「宮迫(博之)さんのケースを目の当たりにしているので、YouTubeなどでも露出は控えたいようです」と話す。 「得意のグルメも今では、イメージダウンで厳しいですし、相方の児嶋一哉のYouTubeが好評なので、その邪魔をしたくない、という思いもあるのかもしれません。一方で佐々木の仕事は順調で、今の舞台の演技も好評なので、すでに映画やドラマのオファーも来ているようです。佐々木も渡部には『復帰は焦らなくていい』と話しているそうですし、渡部にしてみれば、やっと生活のリズムが落ち着いてきたところなのではないでしょうか。今は将来的なことも考え、子どもの送り迎えや家のことをこなす合間に、資格取得のための勉強も始めたという話もあります」  23日に49歳を迎えた渡部だが、1年後の50歳でも芸能界復帰はしていない可能性もありそうだ。もう復帰とは別の道を歩むための準備を始めたのかもしれない。(坂口友香)

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    赤木雅子さんの“総理への手紙”が生んだ奇跡 森友問題が衆院選で最も重視するテーマ1位に

     1通の手紙が今、話題を呼んでいる。便せんに1枚と少々。短いけれど手書きで丁寧に思いをつづっている。 「内閣総理大臣 岸田文雄様 私の話を聞いてください。」  こういう書き出しで始まる文面は、すぐに深刻な内容に変わる。 「私の夫は三年半前に自宅で首を吊り亡くなりました。亡くなる一年前、公文書の改ざんをした時から体調を崩し、身体も心も壊れ、最後は自ら命を絶ってしまいました。」  当時、安倍政権を揺るがせた財務省の公文書改ざん事件。森友学園への国有地巨額値引きが不透明だと国会で追及される中、取引に関連する決裁文書を改ざん。安倍晋三総理(当時)の妻、昭恵さんの名前が書かれていたのをすべて消した。これを現場の近畿財務局で実行させられた職員、赤木俊夫さん(享年54)が、1年間苦しみぬいた末、改ざんを告発する文書を残し、命を絶った。ところが… 「財務省の調査は行われましたが、夫が改ざんを苦に亡くなったことは(調査報告書に)書かれていません。なぜ書いてないのですか?」 「夫は改ざんや書き換えをやるべきではないと本省に訴えています。それにどのように返事があったのか、まだわかっていません。夫が正しいことをしたこと、それに対して財務省がどのような対応をしたのか調査してください。」  最後に改めて総理に訴えかける。 「正しいことが正しいと言えない社会はおかしいと思います。岸田総理大臣ならわかってくださると思います。第三者による再調査で真相をあきらかにしてください。赤木雅子」  手紙の送り主、赤木雅子さん(50)は、改ざん事件で犠牲になった近畿財務局職員、赤木俊夫さんの妻だ。夫を死に追い詰めた改ざん事件の真相解明をめざし、国と、改ざんを指示した佐川宣寿元財務省理財局長を相手に、裁判で闘っている。 ◆総理への手紙を出した後の赤木雅子さんの1週間  今なぜ“総理への手紙”を出したのか? それから1週間の怒涛の展開とともにお伝えする。  始まりは、立憲民主党副代表の辻元清美議員から、人づてに寄せられた申し出だった。 「国会の代表質問で森友事件の再調査を取り上げます。赤木雅子さんの言葉を直接岸田総理に伝えたいと思いました。もしも総理に訴えたいことがありましたら、私から伝えさせていただけませんか?」  辻元議員はそれまで雅子さんとのやり取りはなかった。うかつに政治に巻き込んではいけないと、連絡を控えていたそうだ。でも今回、総理大臣が岸田氏に代わり、「人の話を聞くのが得意」と述べたことから、雅子さんの言葉を何とか総理に伝えたいと考えたという。  総理大臣に直接言葉を伝えてもらえるとは、ありがたいことだ。しかも代表質問はNHKのテレビで全国に生中継される。またとないチャンスだけれども、雅子さんには不安の方が強かった。辻元さんは国会でもネットでもよく誹謗中傷のような攻撃を受けている。総理への訴えを託したら雅子さんも攻撃されるかもしれない。申し訳ないと思いつつ、丁重にお断わりした。  でも、これを機会に雅子さんは真剣に考えた。総理大臣に直接、思いを伝えるというアイディアはすごくいい。人に任せず自分で出せばいいのでは?…いや、それでも「総理に直接手紙なんか出して」と批判されるかもしれない。夫を亡くし独り暮らしになった雅子さんは、常に不安と孤独の中にいる。怖い気持ちと、かすかな希望。どうしよう…数日間、迷いに迷った末、朝の目覚めの後、神戸市内の自宅でコーヒーを味わいながら決めた。 「やっぱりやってみよう。手紙を送るだけなら、すぐできる」  いったん決断すると、雅子さんの行動は早い。その日の午前中、予約していた歯の治療を受けながら頭の中で文案を練った。治療が終わるとすぐに手元のスマホで入力。自宅に帰って便せんに丁寧に書き始めた。やはり手書きの方が思いがこもるから。でも2回書き損じた。3回目でようやく書き上げると、記録用に写真とコピーをとった。再び自宅を出て郵便局へ。間違いなく届いたことを確認するには、郵便局で配達証明付きで送るのがいい。森友学園の小学校の名誉校長を務めていた安倍昭恵さんにお手紙を出す時にもそうした。  朝、決めて、夕方には手紙を出す。即断即決即実行。10月6日、水曜日のことだった。この日から、雅子さんが思いもよらぬ勢いで事態が進展してゆく。  速達で出したから着くのは早い。翌7日午前10時23分に総理大臣官邸に届いたことが配達証明で確認できた。約1時間後の午前11時半、雅子さんは大阪で弁護士と記者会見。岸田総理宛に手紙を送ったことを明らかにした。手紙のコピーを掲げて文面を読み上げた。「岸田さんならわかってくれる」という言葉にどういう思いを込めたのか、質問が出た。よくぞ聞いてくれました、という表情で答える雅子さん。 「総裁選の時、岸田さんは最初、再調査をするような発言をしていました。でもすぐに変わりました。誰かから何か言われたんでしょうか? 本当は再調査すべきだと思っているから最初そう言ったんだと思います。正しいことが正しいと言えない社会はおかしい。それが誰よりわかるはずだから、こう書きました」  会見の後、雅子さんは弱気なつぶやきをもらした。 「みんな、どれだけ記事にしてくれるかなあ?」  そんな心配は皆無だった。早くもお昼のニュースで“総理への手紙”がオンエア。テレビも新聞も各社次々に記事を出し、ネットにも流れた。一時はヤフーのトップニュースにあがるほどの勢いだった。 ◆予想外に大きかった総理への手紙の反響  この日、岸田総理大臣は参院補選の応援で静岡にいた。手紙について記者団に問われた総理は…「お手紙まだちょっと手元に届いておりません。受け取った上で対応を考えたい」  次の日、8日は国会で岸田総理大臣の所信表明演説が行われる日。雅子さんは初めて傍聴に訪れた。衆議院の本会議場、一段高い所にある傍聴席で、総理の演説にじっと耳を傾けた。  演説中、自民党議員の席から盛んな拍手が、野党議員の席からはヤジがとばされる。その時、雅子さんの耳にこんな言葉が飛び込んできた。 「再調査はどうした!」  はっとして野党席を見つめた。今、誰かが「再調査」と言った。「人の話を聞く力がある」と自認する岸田総理にとって、もっとも聞きたくないヤジの一つだろう。その言葉が国会の議場に響いたことが純粋にうれしかった。演説中、再調査に関するヤジは少なくとも3回聞こえた。  その日、手紙の記事を見た辻元議員から連絡があった。公開された赤木雅子さんの手紙を、代表質問で全文読み上げてもいいだろうかという打診だった。総理に回答を迫るという。“総理への訴え”を託すのを断ったのに、そこまでしてくれるなんて…雅子さんは再び即断した。 「辻元さんにお礼を伝えに行きます」  誹謗中傷への怖さより、大切なことがある。帰りの新幹線から見えたきれいな夕焼け雲も、励ましてくれるようだった。 ◆大阪で初めて対面した辻元議員の素顔  翌9日、午後6時半、大阪府高槻市。雅子さんは辻元議員の地元事務所を初めて訪れた。ここ数日、初めてのことだらけだ。辻元議員は総選挙を前に大阪府豊中市で応援演説をしていて、少し遅れるという。豊中といえば因縁の場所。森友学園に8億円値引きして売却されたあの国有地があるところだ。  しばらくすると、「すみませ~ん、お待たせしちゃって」とお詫びしながら部屋に入ってきた辻元議員。室内の雰囲気がさっと明るくなったように雅子さんは感じた。 「こちらこそ、お忙しい所にいきなりお時間をとっていただいて」  向かい合ってあいさつするやいなや、辻元議員が雅子さんの口元を指して笑顔を見せた。 「あ~っ、同じや!」 「そうですね」  二人とも同じピンクの不織布マスクをつけていたのだ。 「どこで買うたん?ネットやろ?」 「いくらやった?〇〇円ちゃう?」  ポンポン飛び出る、いかにも大阪人らしい言葉に、初対面の固さが一気にうちとけた。辻元議員はバリバリの大阪弁で笑かしてくれるが、ご本人はとてもスマートだ。雅子さんは見とれてしまった。手元を見ると、スマホのカバーもピンク、その他の身の回りの品もピンク。 「男が中心の政界で頑張っているけど、本当は可愛い人なんだな」  なんだかほっとした。そこでふと気がついた。 「私は辻元さんのように攻撃されるのが怖かったけど、辻元さん自身は怖くない。怖いのは攻撃してくる人たちなんだ」  やがて辻元議員が雅子さんの目をじっと見ながら心配するように語り掛けた。 「一人で暮らしてるの?」  その言葉に雅子さんは、お互い一人で闘う女性としての心遣いを感じた。辻元さんも攻撃されれば傷つくし怖いこともあるだろう。雅子さんも同じだ。政界も裁判も財務省も、周りは男だらけ。男性たちに囲まれる圧迫感、攻撃される恐ろしさ。女性同士だからわかりあえる。 「私の裁判人生に、やっと女性が現れた…」  そう思うと気持ちが落ち着いた。…帰りに、辻元議員おススメの地元中華料理店の餃子をいただくのも忘れなかった。  週明けの10月11日。赤木雅子さんは朝早くから新幹線で東京へ向かっていた。この日、衆議院本会議で行われる代表質問を傍聴するためだ。報道各社には事前に、立憲民主党の辻元清美議員が代表質問で雅子さんの“総理への手紙”を読み上げること、それを傍聴した後、取材に応じることを伝えていた。 ◆冷やかだった麻生前財務大臣の反応  でも、どのくらい取材に来てくれるだろう? 麻生前財務大臣は先月の記者会見で再調査について「読者の関心があるのかねえ?」と冷ややかに語った。世間の関心があるのか、雅子さんにも自信がなかった。  ところが報道各社から次々に問い合わせの電話が入る。議場に着くと取材席のテレビカメラが傍聴席の雅子さんを狙っている。かなり関心がありそうだ。  午後3時過ぎ、辻元議員は代表質問で、赤木雅子さんと初めて面会したことを明かした。その時に受け取った“総理への手紙”のコピーを取り出し、全文を読み上げて紹介した。傍聴席の雅子さんは身じろぎもせず、じっと手元のハンカチを握りしめたまま聞いていた。  辻元議員の質問には普段、自民党議員のヤジが激しく飛ぶが、手紙の朗読中、議場は静まり返り、誰一人ヤジを飛ばす議員はいなかった。手紙を読み終えると辻元議員は岸田総理に向き直った。 「どんな思いでお手紙を出したのですか?と(雅子さんに)お聞きすると、『岸田総理は人の話を聞くのが得意とおっしゃっていたから、私の話も聞いてくれるかと思い、お手紙を出しました』とおっしゃっていました。総理はこのお手紙、どのように受け止められましたか? 総理、お手紙で求めていらっしゃる『第三者による再調査』、実行されますか?」  岸田総理は答えた。 「御指摘の手紙は拝読いたしました。その内容につきましては、しっかりと受けとめさせていただきたいと思います」  手紙を読んだことを認めたが、対応については…。 「今現在、民事訴訟で法的プロセスに委ねられていて、返事などは慎重に対応したいと思っています」 「財務省で事実を徹底的に調査し、自らの非を認めた調査報告書を取りまとめています。検察の捜査も行われ、結論が出ています」 「本件については、これまでも国会などにおいて、さまざまなお尋ねに対して説明を行ってきたところであると承知をしており、今後も必要に応じてしっかり説明をしてまいります」  要するに、安倍政権、菅政権と同じ。「調査は尽くした。問題はない」を繰り返し、最後は「裁判中なので」と逃げる。再調査を行う気がかけらもないことはよくわかった。ところが雅子さんの感想は少し違った。 「岸田さんの答弁は言葉が丁寧ですね。そこが安倍さんや麻生さんとは違います。内容はゼロ回答なんだけど、何だか今後に期待できるような気がしてしまいます」  だから、代表質問が終わった後の報道各社の取材でもこう答えている。 「再調査にむけて前向きな返答を頂けなかったことは、本当に残念です。だけど(岸田総理の)考えが変わる時がくるんじゃないかと思うので、期待してまだ待っていようと思いました」  雅子さんの手紙は議場の議員たちの心も揺さぶったようだ。内容に「胸を打たれた」という声が、与野党双方の議員から辻元議員に寄せられている。手紙のことは報道で知っていても内容まで詳しく知らない議員がほとんどで、「全文を読み上げてもらってよかった」とも言われたという。 ◆赤木雅子さんと会い、うつむく財務省職員  偶然ってあるものだ。取材対応が終わると、赤木雅子さんはとある用事で都内のある建物のエレベーターに乗った。乗り合わせた5人の男性の首から身分証が下がっている。それを見て雅子さんは気づいた。 「この人たち、財務省の人たちだ」  そこで雅子さん、彼らに向き直るといきなり「すみません、皆さん財務省の方ですか?」と問いかけた。戸惑いながらも「ええ」と答える男性たち。すると雅子さんが笑顔で踏み込んだ。 「私の夫も財務省に勤めていたんですよ」  筆者は横で見ていて「ここで寸止めするんだろうな」と思った。だがそれは甘かった。最後にとどめの一撃が。 「夫は亡くなったんですけどね。3年半前に」  これで彼らも、目の前にいる女性が誰か、はっきりわかっただろう。返事もなく、うつむきながら、先にエレベーターから降りていった。  翌12日、雅子さんの代理人弁護士のもとに、財務省近畿財務局から文書が届いた。8月に雅子さんが提出した情報開示請求に対する回答だ。裁判の資料とするため、財務省が改ざんの調査報告書をまとめる際に使ったすべての文書と、事件の捜査で検察庁に提出したすべての文書を開示するよう求めていた。  しかし回答は、すべて「不開示」。まさにゼロ回答。岸田総理の答弁と同じだ。これより先、岸田総理は「裁判の中で、財務省として丁寧に対応するよう、私からも財務省に指示を出した」とも発言している。そこにこの回答、雅子さんもあきれた。 「丁寧に出した答えがこれです。何度も聞かされてきたフレーズです」 ◆衆院選挙で最も重視するテーマ1位に森友問題  ところが話はこれで終わらない。ヤフーニュースの中の「みんなの意見」というコーナーで現在、「衆院選、あなたが最も重視するテーマは?」というアンケート調査が行われている。12日の時点で12万人余が投票(締め切りは31日)。その結果を見ると… 1位…「森友問題の再調査」 3万2000人余 27.2% 2位…「外交・安全保障」 2万4000人余 20.5% 3位…「経済・成長戦略」 1万5000人余 12.4% 4位…「コロナ経済・補償対策」 1万人余 8.7% 5位…「憲法改正」 8000人余 6.8% https://news.yahoo.co.jp/polls/domestic/42663/result  森友再調査がダントツのトップ。普段なら選挙の最重要テーマになりそうな項目をはるかに上回っての1位だから、何か原因がないとありえない。  この調査が始まったのは10月5日だ。その後、事態を大きく動かしうる出来事と言えば…6日に出した赤木雅子さんの“総理への手紙”しかないだろう。  勇気を出して手紙を書いた。それがマスコミで大きく報じられた。国会の代表質問で全文が読み上げられ、その様子がNHKのテレビ中継で全国に流れた。代表質問2日目の12日、共産党の志位委員長も“総理への手紙”を取り上げた。共同通信の世論調査では「再調査すべき」という回答が6割以上を占めた。流れは今も続いている。 ◆わずか1週間で”亡霊”を呼び覚ます  国有地の巨額値引きと、取引を記した公文書の改ざん。森友事件は4年前に発覚し、3年前にまじめな公務員の命を奪った。  その後、忘れられかけていた事件が今、“亡霊”のように蘇っている。それは犠牲者の妻、赤木雅子さんが出した“総理への手紙”がきっかけだ。わずか1週間で“亡霊”を呼び覚まし、日本中に共感が広がっている。奇跡の1週間だ。  奇跡による“亡霊”の復活を怖れているのは、事件を“なかったこと”にしたい人たち。その筆頭が、安倍晋三元総理ではないか。  手紙を出して1週間となるきょう13日、赤木雅子さんは大阪地裁で国と佐川氏を相手の裁判に臨む。翌14日に衆議院が解散。日本は総選挙に突入していく。多数の人々が支持する「森友再調査」が実際に選挙の最重要争点になれば、本当に“奇跡”が起きるかもしれない。 (相澤冬樹) ◆あいざわ・ふゆき NHKで31年、記者。現在は無所属で週刊文春、ヤフーニュースなど各種メディアに執筆。各地で取材・講演中。

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    80歳を超えた二階氏、麻生氏は後進に道を譲るべき? 自民党若手と亀井静香氏に“本音”を聞いた

     自民党で長きにわたり権力を握ってきた二階俊博前幹事長(82)と麻生太郎副総裁(81)。2人はすでに80歳を超えてすでに「長老議員」の域に入っているが、いまだ派閥の領袖として若手・中堅議員への影響力は大きく、次期衆院選への出馬も決まった。衆院選の比例代表では「73歳定年制」という自民党独自のルールがあるが、この撤廃を求めるベテラン議員と堅持しようとする若手議員との間では意見が対立してきた。総選挙も間近に迫るなか、党内で長老議員が幅をきかせ続ける現状について、自民党の若手議員はどう思っているのか。現職の若手や自民党OBに聞いた。 *  *  * 「次の衆院選に私が立候補するのは、当たり前のことだ」  二階氏は今月2日、和歌山県内のホテルで後援会関係者ら400人を集めた会合を終え、記者団にこう述べた。当選12回。直近まで歴代最長となる5年超も幹事長として権勢を振るい、これまで自民党総務会長や経産相も歴任した二階氏だが、いまだ権力欲は衰えない。11日に自民党が発表した次期衆院選の1次公認候補(小選挙区)にも選出され、正式に出馬が決まった。だが、二階氏が出馬の意向を示すと、ネットでは「いつまで権力にしがみつくのか」「若い議員に道を譲るべきだ」といった批判も噴出した。  次期衆院選を機に、伊吹文明元衆院議長(83)、大島理森衆院議長(74)、塩崎恭久元官房長官(70)など、引退を表明した自民党の大物議員も多い。その一方で、二階氏や麻生氏は80歳を超えてもなお、後進に道を譲る様子はない。政治ジャーナリストの角谷浩一氏は、その理由をこう推察する。 「二階さんはこれから何かを成し遂げようというよりも、党内ににらみを利かせるために政界に残る判断をしたのでしょう。麻生さんもそうですが、官僚出身でない親分肌の党人派の人たちは、こういうことをやりたがる。二階さん、麻生さんの顔色をうかがいながら仕事をするのに疲れている若手・中堅議員は党内にたくさんいるはずです」  一方、80歳を機に政界を引退した元建設相の亀井静香氏(85)は、立候補を続ける二階氏の気持ちは「わかる」として一定の理解を示す。 「まだあいつは82歳だし、鼻たれ小僧だよ。今は議員も100年時代。逃げ出しちゃ駄目だし、二階には頑張ってほしい。特に今の与党は、若い連中がモヤシみたいに頼りないからね。そういう時には年寄りがしゃしゃり出て、『お前たちは何してんだ!』って背中を押さなければいけないんだよ」  和歌山3区で盤石の地盤を築いてきた二階氏であれば、次の総選挙でもまず負けはしないだろう。自民党も小選挙区では年齢制限を設けていないため、年齢に関係なく立候補することができるが、角谷氏は「負の側面もある」と話す。 「重鎮が『俺はまだやれる』と言えば、地元の有権者は当選させようと票を集めてしまう。だから、選挙で落ちることはほとんどない。『まだ元気なのだから、どんどん働いてもらえばいい』という意見は一見正しいように思えますが、政治家が一つの選挙区にしがみつけば、有権者の選択肢はそれだけ狭まるわけです。候補者も次第に権力のうまみだけを吸いたがるようになったりと、良いことばかりではありません。後進からすれば『あなたが牛耳っている限り、若い人が物を言いにくい』『ゆっくり休んで、後は私たちに任せてください』と思っている人も多いと思いますよ」  自民党は衆院選比例代表では「73歳定年制」の独自ルールを設けている。比例代表は名簿順でベテラン議員の方が有利になる傾向があるため、「世代交代」を促すのが狙いだ。  このルールが生まれたのは小泉政権時代。当時から長老議員の引き際は議論になっていたが、制度を設けた2003年には早速、引退をめぐる象徴的な騒動が起きた。当時85歳で比例の単独候補だった中曽根康弘氏(故人)に、小泉純一郎氏は「定年制」を理由に立候補を断念するよう勧告した。だが、中曽根氏は「これは政治的テロだ」として憤慨。議論が巻き起こったが、結局、中曽根氏が矛をおさめる形で同年に引退した。小泉氏は後に「嫌なことを言いに行くのは気が重かった」と述懐している。  昨年6月にも衛藤征士郎衆院議員(80)らベテラン議員が「政府が人生100年時代を唱える中で、年齢によって差別を行うのはおかしい」として、二階幹事長(当時)らに定年制廃止を求める要望書を提出。衛藤氏は「(二階氏は)当然じゃないか」と同意を示していたと記者団に語った。  こうした動きに、自民党青年局は、「(定年制撤廃は)世代交代に逆行している」として反発。当時の青年局長だった小林史明衆院議員(38)が下村博文選対委員長(当時)に定年制の維持を申し入れた。今年1月や8月にも、牧島かれん青年局長(44、現・デジタル相)が定年制厳守の申し入れをするなど、世代間の対立が続いている。  では、来るべき総選挙を前に自民党の若手議員はどう感じているのか。当選2回の三谷英弘衆院議員(45)はこう語る。 「定年制は、有権者からの期待に応えていくために必要な制度。この制度には、若い方をもっと登用してほしいという有権者の気持ちが反映されている。(政治の世界は)やはりどうしても高齢者ばかりになりがちなので、老壮青のバランスをとるために、党が決めた定年制をしっかり守っていただきたい」  二階氏、麻生氏ら重鎮が小選挙区で出馬を続けることはどう思っているのか。 「有権者から『国のためにこの人は必要だ』と思われるから当選するわけですから、それについては私がとやかく言えません。長年地盤を守ることも大変だと思いますし、80歳を超えても多くの方に応援してもらえるということは、それはそれで、すごいことだと思います」  その上で、党の未来についてこう話す。 「ご高齢の先生方に党内でいろんな仕事をされてしまうのか、それとも若手がご高齢の方を押しのけて仕事していくのかは、自民党の中にいるわれわれ次第。ご高齢の先生方に打ち勝っていく若い力をつけるためにも、党内で声を上げ、存在感を示していく必要があります。その意味で、若手の福田(達夫)さんが党総務会長に登用されたのは良いことだと思います」  当選3回以下の若手議員らでつくる「党風一新の会」に所属する衆院議員(50代)も、定年制については「厳守するべきです。中曽根さんをはじめ、歴代の議員たちも断腸の思いで勇退なさったわけだから、その決断を引き継いで尊重しなければならない」との考えだ。  また、当選3回の別の衆院議員(40代)も「(定年制は)そのまま堅持するべきです。経験豊富な議員が出ることにもメリットがありますが、それだと硬直化してしまう。党の若返りを図る意味でも、必要な制度だと思います」と述べた。  一方、前出の亀井氏は、定年制に反対意見を示す。 「赤ちゃんのくせにさ、『お父ちゃんお母ちゃんはもういらない』というのと一緒じゃないか。親だって、赤ん坊を捨てるわけにはいかない。もう親が必要ないなら、いなくなればいいんだけれど、子供が育たないとしょうがない。若い奴が育たないと引くに引けない。俺は今、社員2000人の会社を引き継いでいるけど、これも放っておけないんだよ」  だが、二階氏、麻生氏の2人は、その役割が果たせていないとも話す。 「今のままの2人だったら、引っ込んだほうがいい。老害になるよ。老害にならないためにはまず、あいつら自身が滝に打たれて考えなければいけないね。それで自らの歴史観、国家観をしっかりと持って、次世代に伝えていくべきだ」(亀井氏)  角谷氏は最後にこう語る。 「(長老議員が)権力がなければ仕事ができないと思っているのであれば、それ自体が問題です。議員バッジを付いていなくても、世のため人のために尽くしてきた人であれば、社会に貢献できるはずです」  80歳を超えた長老議員に権力を預けたままにしておくのか、若い世代による刷新力を期待するのか。「生まれ変わった自民党を国民に示す」と語った岸田首相の手腕が試される。(AERA dot.編集部・飯塚大和)

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    【独自】眞子さまの「儀式行わない」意向も、天皇陛下は「朝見の儀」を望んでいた

     婚約内定発表から4年、秋篠宮家の長女・眞子さま(29)の結婚が正式に発表された。結婚一時金を受け取らず、関連儀式は行わないとされる。そうした中、天皇陛下は、単に挨拶だけではない理由で儀式を望んでいたという。ジャーナリスト・友納尚子氏が綴る。 *  *  *  小室圭さん(30)との結婚を控えた眞子さまは、宮内庁による正式発表(10月1日)以降、皇族としての最後の務めを粛々となさっていた。  12日には、昭和天皇が眠る武蔵野陵と香淳皇后が眠る武蔵野東陵を参拝。曽祖父母への結婚のご挨拶をされた眞子さまは、今後、上皇、上皇后両陛下、天皇、皇后両陛下、皇族方と順番に私的な挨拶をなさる予定だという。高橋美佐男上皇侍従次長は、8日の会見で眞子さまについて、「上皇后陛下にとって、眞子さまはより近いところにいた。(結婚なさる)幸せを願われないはずがない。健康を害していらっしゃるということは驚かれたと思うし、ご心配されている」と述べた。  眞子さまの結婚騒動で、的確な判断をなさる美智子上皇后(86)が沈黙されているのは、気になるところだったが、上皇侍従次長は、「眞子さまの内心の問題、心の問題であり、自分で考えを深めるためには、周囲からの雑音が無いように見守ることが大事と当初からのお考えなので、一切自分たちは何も言わないし、尋ねることもしないという姿勢を貫いていらっしゃいます」と語る。  上皇、上皇后へのご挨拶の日程は決まっていないというが、眞子さまも初孫として可愛がっていただいてきたお礼をお伝えしたいと願われているといわれる。  同日、眞子さまに、日本人移住110周年にあたる2018年に訪問されたブラジル政府から、日本と両国を繋ぐ深い敬意、友情、親近感の証しとして、「リオ・ブランコ勲章大十字型賞」が贈呈された。同年のブラジル訪問は、眞子さまの公務の中でも、思い出深いものの一つだとされる。11日間に五つの州と14の都市を回り、各地での記念行事に臨席され、2国間の友好親善に貢献された。  眞子さまは、皇族としてこれまで何年にもわたって公務に尽くされてきた。過密なスケジュール、長期滞在の外国訪問、厳しい気候の中での長時間のご臨席などもあった。やがて皇室を離れる女性皇族には、単発的な公務が多くなりがちだといわれるが、その分、集中力が問われることも多かった。  今回、眞子さまは結婚一時金を受け取らないと言われたが、これまで伝えられていなかった貢献ぶりや決して自由とは言えない生活を強いられてきたことを考えれば、受け取られても良かったのではないかと思う。  実際の皇族の仕事というのは決して楽なものではないということを、取材を通じて実感する。  眞子さまは17日、最後の祭祀にご出席。後日、宮中三殿に結婚報告をなさるという。結婚会見の当日は、小室さんとお二人で出席。気になるのは小室さんの髪形の変化ではなく、4年前の婚約内定会見時のように、一連の騒動を吹き飛ばしてしまうお二人の仲睦まじい姿が見られるかどうかだ。そうであって欲しいと、待ち望んでいる国民もいる。  このところの赤坂御用地内にある秋篠宮邸では、夜遅くまで灯りがついているという。眞子さまが引っ越しの荷物をまとめられたり、小室さんとやり取りをなさったりされているためだ。新居となる米ニューヨーク州のマンションに荷物を送られるのは、26日の婚姻届提出後だが、必要最低限のもの以外は引っ越し先で揃えるので、荷物は意外に少ないといわれる。  秋篠宮家の次女の佳子さま(26)は、荷物が積まれた部屋の外から眞子さまのご様子を、そっとうかがっていることが多くなったそうだ。仲が良い姉妹は、これまで学校のことやおしゃれのこと、友人のことなどたくさんの話をしてこられた。佳子さまにとって眞子さまは、よき理解者であり、頼りになる存在だった。希望を胸に旅立つ眞子さまの姿はうれしくもあるが、少しお寂しい気持ちもあるのではないだろうか。 「長らくお会いできなくなることへの実感が、日を追うごとに迫ってきておられるのではないでしょうか」と秋篠宮家関係者は語った。  眞子さまのご結婚についての正式発表は、慶事とは思えない後味の悪さがあったが、宮内庁関係者は、いまだその話題となると色よい対応をしない。結婚一時金を受け取らず、儀式は行わないという妥協点で、事態を収めようとしているかのようにも見える。  結婚に関する儀式は、「国民からの理解」の有無を問わず行っていただきたかったと思う。眞子さまのご意思や両陛下、秋篠宮皇嗣同妃両殿下のお気持ちがあるのはもちろんだ。しかし、厳粛な儀式に臨まれるお二人の姿を国民が見られれば、一連の騒動を払拭できた可能性もあったかもしれない。  儀式とは、簡単に立ち入ることができない厳かなものであり、喧しい俗世の声を静粛に導く力があるからだ。  天皇陛下(61)も当初は「朝見の儀」を望まれていたという。「朝見の儀」とは、眞子さまが天皇、皇后両陛下にこれまでのお礼とお別れの挨拶をされて、陛下からお言葉を頂く儀式で、皇族方もそろって参列される。陛下が執行に心を寄せられたのは、挨拶の重要さだけではなく、正式な儀式を経たほうが、いつか眞子さまが皇室に連なる仕事に携わる時に、戻りやすいのではないかとのご配慮だったとされる。  皇室関連の行事や執務を担う皇族の人数は圧倒的に少ない。天皇の妹で眞子さまが「ねえね」と呼ぶ元皇族の黒田清子さん(52)は、都庁職員の黒田慶樹さん(56)と正式な儀式を経て挙式し、結婚後も伊勢神宮祭主として活動されている。  秋篠宮家の「儀式を行わない」という意思は固かったといわれる。さらに眞子さまが精神疾患だということも、天皇陛下のご意思の方針転換に繋がったようだった。陛下は同様の精神疾患の雅子皇后(57)と歩まれてきただけに、眞子さまに無理はさせたくないとのお気持ちも強かったのかもしれない。(ジャーナリスト・友納尚子) >>【後編/美智子さま、雅子さま、眞子さま…繰り返される皇室女性の悲劇「宮内庁は変わるべきだ」の声】へ続く※週刊朝日  2021年10月22日号

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    King Gnuの井口理が東京藝大の恩師と対談 「バンドやりたい」と告げたときは泣きそうだった

     King Gnuのボーカル、井口理さんがホストを務めるAERAの対談連載「なんでもソーダ割り」。今回のゲストは、井口さんの学生時代の恩師・櫻田亮先生(東京藝術大学音楽学部声楽科 教授)です。クラシック歌手を志し、国内最高峰とされる東京藝大の門を叩いた井口さん。毎週のレッスンを通じて紡がれた二人の絆とは。AERA2021年10月11号に掲載した“歌うこと”をめぐる師弟対談、スタートです。 *  *  * 井口 ご無沙汰しています。直接お会いするのは3、4年ぶりですね。 櫻田 あれはKing Gnuがものすごい勢いで売れ始めた直後ぐらいのタイミングだったかな。 井口 はい。卒業する櫻田門下生を送る会でした。たしか上野のアメ横の飲み屋でしたよね。 櫻田 突然やってきたから本当にびっくりした。「お前大丈夫なのか? こんなところにきて」って(笑)。 井口 久しぶりに先生の顔を拝ませてもらおうと思ったんです。学生時代にあれほどお世話になったのに、卒業してからは全く挨拶できていなかったので。 櫻田 今日はどこまで話していいの? 色々と思い起こしてみたんだけど。 井口 いやいやいや(笑)。 櫻田 井口は学生の頃からムードメーカー的なところがあったよな。 井口 ははは! 櫻田 門下生を中華の食べ放題に連れて行くと、みんな注文しすぎて、毎回最後に井口がひどい目に遭ってね。 井口 はい、みんなの食べ残しを全部食べてました(笑)。懐かしいです。 櫻田 ハメを外した井口を説教したこともあったね。「人に迷惑をかけちゃいけないよ」って。 井口 うわ~、あの件ですね。 櫻田 まあでも、後にも先にもあの1回だけだったからね。基本的にはすごくまじめな学生でした。 井口 その節はご迷惑をおかけしました! 櫻田 ふふふ。当時の僕は教員1年目で、最初に受け持った井口たちにはやっぱり特別な思い入れがあって。初めて顔を合わせた時のこともよく覚えてる。「細っ!」って思ったから。 井口 細かったですね、たしかに(笑)。今より15キロぐらい痩せていました。僕が今でも鮮明に覚えているのは、「実はバンドをやりたくて、クラシックのほうには進みません」って先生に言いに行った日があって。 櫻田 覚えてるよ。あれは3年生の時だよね。 井口 はい。大学院を目指すのか目指さないのかっていうタイミングで。すごく緊張しながら、バンドのCDを持って先生のところへ行きました。 櫻田 あの時、そんなに緊張してたのか。 井口 ガチガチで泣きそうでした。ある種の裏切りでもあるから、一体どんなふうに言われるんだろうって。でも、先生の生き方というか、考え方の自由さだと思うんですけど、すぐ一言目に「頑張りなよ」と言ってくれて。声楽家っていうのは、クラシックのみならずいろんなジャンルの歌を歌えてこそだよと言ってくださったのが、ものすごく励みになりました。 櫻田 井口の話を聞いて思ったのは「同じ音楽じゃん」ってこと。クラシックではなくても、これからも音楽をやりたいと思ってくれているんだから、止める理由なんて一切ない。それに、同じ音楽でも好きなジャンルで伸び伸びやるほうが絶対に力が出るはずなので。 井口 そうやって優しく背中を押してくれた先生の言葉が、その後の僕を支えてくれたんです。 櫻田 でも、バンド活動をやりながらクラシックの勉強をするのは、きっとキツかったよな。声の出し方とか、歌う時のフレーズの作り方とかがずいぶん違うじゃない? そういうギャップをよくこなしていたなと思う。 井口 確かにキツかったんですけど、先生からクラシックを教えてもらうのはすごく楽しかったし、自分の身になると思ったからできたんです。もし櫻田先生じゃなかったら、たぶん僕は途中で大学を辞めていたと思います。 ◯さくらだ・まこと/1968年、北海道生まれ。テノール歌手。東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程修了。欧州の音楽祭や、バッハ・コレギウム・ジャパンの公演など、国内外で活躍中。2013年から東京藝大で教鞭を執っている ◯いぐち・さとる/1993年、長野県伊那市生まれ。2017年、4人組バンドKing Gnuを結成、ボーカルとキーボードを担当。19年、アルバム「Sympa」でメジャーデビュー。音楽活動のみならず、俳優としてドラマや映画にも出演している (構成/編集部・藤井直樹) ※10月11日発売の「AERA10月18日号」では、対談の続きを掲載しています。

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    【2021ドラフト採点簿】パ・リーグには12球団唯一の“満点”評価のチーム

     新型コロナウイルスの影響で、昨年に続いてリモートという形で行われた2021年のプロ野球ドラフト会議。支配下77人、育成で51人の合計128人が指名される結果となったが、チームの将来に適した指名ができた球団はどこだったのか、採点してみたいと思う。今回はパ・リーグ編だ。 *  *  * ■西武:100点  1位で4球団が競合した隅田知一郎(西日本工大)を引き当て、2位でも佐藤隼輔(筑波大)の指名に成功。左の先発投手がいないチーム事情を考えると、この2人を指名できただけでかなりの高得点をつけられる。また隅田、佐藤にとっても先発左腕が不足していることでチャンスが多くなるというのもプラスだろう。更に3位では大学ナンバーワン捕手の古賀悠斗(中央大)を指名できたことも大きい。そして完成度の高い3人を指名できたことに加えて評価できるのが下位でスケールの大きい選手を指名している点だ。羽田慎之介(八王子)、黒田将矢(八戸工大一)の2人は完成度こそ低いもののポテンシャルの高さは高校球界でも上位で、6位の中山誠吾(白鴎大)も粗削りだが西武が得意とする強打者タイプである。トータルで見て12球団最高評価とした。 ■ソフトバンク:90点  事前に公表していた風間球打(明桜)の単独指名に成功したことがまず大きい。ストレートの威力、角度は大学生、社会人を含めてもナンバーワンの迫力であり、メジャー移籍も噂される千賀滉大の後釜としてぴったりの人材である。また3位で指名した木村大成(北海)も高校生サウスポーではトップと言える存在で、この左右の両輪を指名できたことで投手陣の未来は一気に明るくなった。世代交代が急務の野手でも東京六大学を代表する大砲の正木智也(慶応大)を指名。最初はプロのボールに苦労しそうだが、飛ばす力は間違いないだけに将来の中軸候補として期待したい。4位の野村勇(NTT西日本)、5位の大竹風雅(東北福祉大)は少し意外な指名だったが、お家芸の育成でも好素材の高校生と実力派の大学生を上手く指名しており、またここから次代の育成の星が誕生することも期待できそうだ。 ■日本ハム:90点  支配下では12球団で最も多い9人を指名。3年連続Bクラスが濃厚ながら、目先の補強ではなく、将来のチームを考えた指名に見えたところは高く評価できる。その象徴的な指名が1位の達孝太(天理)と2位の有薗直輝(千葉学芸)だ。ともに少し時間がかかるタイプに見えるがポテンシャルの高さは高校球界でもトップクラスであり、将来のエース、中軸候補として期待できる。更に4位の阪口樂(岐阜第一)、5位の畔柳亨丞(中京大中京)、7位の松浦慶斗(大阪桐蔭)も将来性は抜群で、チームのスケールを大きくしようという意欲が感じられた。大学生と社会人も実力者揃い。特に北山亘基(京都産業大)は8位で指名できたのが不思議な投手で、早くから戦力として期待できる。トータルで見ても非常に納得のいく指名だった。 ■オリックス:80点  投手陣はリリーフ、野手はセンターラインの強化という狙いがよく見えた指名だった。1位の椋木蓮(東北福祉大)は今年の候補の中でもリリーフタイプとしてトップとも言える投手で、コンスタントに150キロを超えるスピードだけでなく高い制球力も備えている。早くから一軍のブルペンに加わることも期待できそうだ。下位で指名した横山楓(セガサミー)、小木田敦也(TDK)の2人もリリーフで力を発揮できるタイプだ。一方の野手は野口智哉(関西大)と池田陵真(大阪桐蔭)は打撃、福永奨(国学院大)と渡部遼人(慶応大)は守備と特長がはっきりした選手を指名した。特に野口は最終学年で守備が大きくレベルアップしており、あらゆるポジションを守れるのも長所だ。左の強打者タイプが欲しかったチーム事情にマッチした選手と言えるだろう。有望株の多かった高校生投手を育成まで含めて1人も指名しなかったのは少し気になったが、全体的にはチーム事情に合った力のある選手をしっかり指名できた印象だ。 ■ロッテ:70点  1位でいきなり高校生捕手の松川虎生(市立和歌山)を指名。将来の正捕手候補が必要なチーム事情はよく分かるが、かなり思い切った指名に踏み切った。2位でも強打者タイプの池田来翔(国士舘大)を指名したが、こちらも少し順位が高い印象だ。この上位2人だけを見ると高得点はつけづらいが、幸運だったのが3位で社会人ナンバーワン投手の広畑敦也(三菱自動車倉敷オーシャンズ)を指名できたことだ。即戦力という意味では今年の候補の中ではトップと言える存在で、来年からローテーション入り、もしくは勝ちパターンのリリーフとしても期待できる。下位で指名した秋山正雲(二松学舎大付)と八木彬(三菱重工West)も特徴のある投手で、特に八木はリリーフとして即戦力の期待がかかる。全体的に有望選手が少ないと見られていた野手を早めに確保し、3位以下で残っていた力のある投手を指名するという流れはある程度成功したと言えそうだ。 ■楽天:60点  1位から3位まで強打者タイプの野手を揃えるという思い切った指名に踏み切った。レギュラーに中堅からベテランが揃っていることを考えると理解はできる指名だが、過去を振り返ると中川大志、西田哲朗、内田靖人、岩見雅紀と上位で獲得した強打者タイプが軒並み停滞しているという点は大きな不安要素である。また続いて指名した泰勝利(神村学園)、松井友飛(金沢学院大)の投手2人も典型的な未完の大器タイプだ。投手も野手と同様に粗削りな選手が主力へと成長した例が少ないだけに、こちらも不安が残る。どの選手も“大器”の部分に目を向ければ非常に魅力のある人材であり、チームとしても大きなチャレンジをしているという点は評価できるが、選手の完成度の部分を軽視した指名という印象は否めない。分かりやすい表現で言うと、とにかくハイリスクハイリターンに徹したドラフトだった。 (文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員

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    「専業主婦に戻りたいのに夫に反対されます」悩む52歳女性に鴻上尚史が指摘した“仕事を辞めても解決しない問題”とは

     高校事務でのパートの仕事がとても辛く、仕事を辞めたいと嘆く52歳女性。専業主婦に戻りたいが夫に「ワガママだ」と反対されている相談者に、鴻上尚史が一つずつ紐解く「家事」と「子育て」と「生きがい」とは。 【相談120】専業主婦に戻りたいというのはそんなにワガママな事なのでしょうか?(52歳 女性 ゆみゆう)  いつも楽しく拝見しております。実はパート事務員をしているのですが、仕事がとても嫌です。結婚前はOLをして、仕事がとても楽しくて、今もその時の同僚と会ったりするほど、いい思い出でした。でも子育ても一段落し、友人に紹介してもらった高校事務でのパートの仕事がとても辛いです。条件がとてもよく、人間関係もそこそこです。ずっと専業主婦で23年ぶりに復帰、パソコン入力、電話対応、その他事務処理を再びしていますが、以前とは違う気持ちで、一切爽快感がありません。  でもお金を貰っているので、失敗出来ない、必死でしないとと思ったら、2年前に胃潰瘍になりました。それでも失敗するので、自己嫌悪に陥って寝られない時もあります。友達の紹介の手前と、子供の教育費等辞めたくても辞められず今に至っています。主人に訴えても、根性がない、辞めるなら俺も辞めたい、その代わり趣味の茶道もやめてしまえと、毎日のように言われて苦痛です。専業主婦に戻りたいというのはそんなにワガママな事なのでしょうか? 【鴻上さんの答え】 ゆみゆうさん。胃潰瘍になってしまいましたか。大変ですね。  相談の文章からも、ゆみゆうさんが混乱している雰囲気が感じられます。  問題を整理しますね。  まず、「専業主婦に戻りたいというのはそんなにワガママ」かどうかですね。 「ワガママ」というのは、「自分のことしか考えてない」ということですよね。「専業主婦」に戻ることは、ゆみゆうさんとしては、「自分のことしか考えてない」ことになりますか?  僕にはそうは思えないですね。専業主婦に戻ったとしたら、ゆみゆうさんは夫と子供のために家事一般をするわけですね。これは、立派な労働ですね。  一時期、「家事労働を賃金に換算したらいくらになるか」という議論がさかんに行われました。考え方はいくつかあって、「家事をしている間に仕事に出ていたらどれぐらいの収入になるか」とか「家事代行サービスだと考えたら料金はいくらか」「それぞれの仕事を専門職に頼んだらいくらになるか」など、実証的なアプローチもされました。  子供が幼いかどうか、何人いるのかどうかなど、家庭の事情で家事労働の賃金はかなり幅が出るのですが、それでも、月に20万円から30万円ぐらいの金額ではないかと判断する例が多く見られました(もちろん、もっと多い金額や少ない金額を言う人もいます。ネットでググれば、さまざまな考え方と出合うと思いますから、ゆみゆうさんが納得できる考え方を見つけられたらと思います)。  どんな考え方、計算の仕方であれ、専業主婦は無償の労働ではなく、家事労働としてちゃんと考えられるものだということははっきりしています。  ですから、「専業主婦に戻る」ことが「ワガママ」だというのは、夫と子供のためには一切の家事労働をしないという前提でない限り、当たらないと僕は考えます。  で、次の問題ですね。  専業主婦に戻ることがワガママでなくても、そうできない理由を、ゆみゆうさんは「友達の紹介の手前と、子供の教育費等」と書いていますね。  二つならべて書いていますが、これはまったく別の話ですね。「友達の紹介」は、最終的に友達に頭を下げればすむ話だと僕は思います。それで「私の紹介した仕事を辞めるなんて、私の顔に泥を塗るのね! あなたとはもう絶交!」と怒る友達なら、そんな友人関係はやめた方がいいと思います。そんな友人より、胃潰瘍に苦しんだ身体を優先すべきです。  が、「子供の教育費」は、別です。ゆみゆうさんが働かなければ、子供の教育費が足らなくなり、十分なチャンスを子供に与えられなくなるのなら、ゆみゆうさんも夫もつらいんじゃないですか?  ゆみゆうさん。どうですか? ゆみゆうさんのパートで稼ぐお金がなくなったとしたら、子供の教育にどれぐらい影響しますか? 塾のお金とか参考書とか資格試験などの受験料、将来の学費など、ゆみゆうさんの稼ぐお金が必要ですか? それとも、たいした影響はありませんか? 現在、および未来にどれくらい影響があるか、夫と話しましたか? 「根性がない、辞めるなら俺も辞めたい」と、夫が怒るのは、「専業主婦は楽」というイメージに振り回されて、ただ感情的になっているだけですか? それとも、具体的に子供の教育に影響が出るのを分かっていて、「専業主婦に戻りたい」と言っているゆみゆうさんを許せないから怒っているのですか?  もし、夫の給料だけで子供の教育費もなんとかなるのなら、専業主婦は賃金に換算できる正当な家事労働で、決してワガママなんかじゃないと、頑張って夫を説得するのがいいと思います。ネットに例がありますが、こまかく時間を出して(炊事に何分、掃除に何分、買い物に何分等)感情的ではなく、具体的に実証的に粘り強く夫に語るのです。  けれど、冷静に話し合って、子供の充分な教育費のためには、どうしてもパートの給料が必要だという結論に達したとしたら、僕のアドバイスは以下のようなものです。 「今の仕事を続けながら、なるべく早く、別の仕事を見つける」です。  条件は「今の職場よりはストレスがない仕事」「今の職場よりは楽しくできる仕事」です。  給料の条件は下がるかもしれませんが、それも夫と話し合って、「最低限、教育費のためにどれぐらい稼げばいいか」が判断基準になると思います。  このまま、嫌な職場で仕事を続けていたら、また身体を壊す可能性が高いと思います。そうなったら、どんなに今のパートの給料がよくても、結果的にはマイナスになってしまうでしょう。  今、ゆみゆうさんは、とにかく仕事が嫌で、家庭に戻りたいという気持ちが強烈なので、冷静に考えられないのではないかと心配します。  本当は、専業主婦に戻るにしろ、あらたな職場を探すにしろ、「これからの生きがいは何か?」ということを考えることが大切だと僕は思っています。 「子育ても一段落」した今、子供の教育費を稼ぐという当面の目標を実行しながら(またはそんなことをする必要がない場合でも)、ゆみゆうさんの次の人生の目標を考えるといいんじゃないかと感じます。 「子育て」という生きがいの次ですね。教育費のために働かなければいけない場合は、次の仕事が生きがいになったら、こんなに素敵なことはないと思います(小さなことでも人に頼られたり、自分じゃなきゃできないことがあったり、感謝されたりすると、それは生きがいになりますからね)。  専業主婦に戻った場合は、「子育て」の次に、なんらかの生きがいを見つけるといいと思います。  ゆみゆうさん。そんな考え方で、まずは夫と話してみませんか? ■本連載の書籍化第3弾!『鴻上尚史のますますほがらか人生相談』が発売中です!

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    小室圭さんのロン毛を見てストンと胸に落ちた 私は眞子内親王の新しい人生を応援します

     作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、眞子さまの結婚について。*  *  * 小室圭さんのロン毛を見て、いろんなことがストンと胸に落ちた。   日本中が好奇の目を向けている中でのロン毛での帰国は、小室さんの圧勝が決まった瞬間のように見えた。多くの人の想定を超える空気の読めなさと(誰が小室さんがロン毛で帰国することを予想できただろう)、垣間見える尋常ではない深く強い自己肯定感。こういう人でなければ、何の後ろ盾もない一般男性が皇室の女性にプロポーズするなど、無理なことなのだと理解した。  おそらく眞子内親王には、それが分かっていたのではないだろうか。もう二度と、こんな男性は現れない、恋愛感情がいつか終わることなど百も承知、賛成されていないのも百も承知、とんでもない間違いを犯している可能性も百も承知、耳に入れたくない「言いたい放題」があることなど眞子内親王自身が百も承知だろう。それでもこの機会を逃したら一生ここから出る機会はないに等しい。出られたとしても、もうそれは10年、20年後のことかもしれない。少なくとも眞子内親王と恋愛し、無謀とも思えるプロポーズをするような2人目の「一般男性」が現れる可能性は限りなく低いだろう。「生きていくために必要な選択」というのは、眞子内親王にとって大げさでない真理なのだ。  改めて、皇室の女性たちが置かれている特殊で残酷な環境に思いを馳せずにはいられない。日本のプリンセスは結婚したとたんに「一般人」にならなければいけないという、女性だけに科せられた罰のような制度がある。罰のような制度にもかかわらず、女性が皇室にとどまることは“空気”として許されていない。とはいえ一人で勝手に出ていくことはできず、現実的には男性と結婚することで出ていかねばならない。  そのような現在の皇室そのものが性差別も甚だしい前近代的な制度であるにもかかわらず、「皇室は特別ですから」と放置され続けてきた。眞子内親王の結婚をめぐるさまざまな事柄が私たちに見せたのは、皇室の女性たちが強いられる制限が、もはや人権問題の域に入っていることなのかもしれない。東京のど真ん中に、憲法24条が無効の性差別が横行している巨大な村があるようなものだ。その村から女が自力で出るためには結婚という方法しかなく、その自力すら認められるのは非常に難しい。  眞子内親王と小室さんの結婚を応援している若い女友だちの話を聞くと、自分の人生を内親王の人生と重ねている女性が少なくないことに驚く。 「眞子さまには、幸せになってほしいです。私も眞子さまと同じで、結婚しか家を出る方法がありませんでした」  内親王より少し年上のその女性は、「家柄」を自慢するような家に育ち、親が思う「適齢期」の頃には「ゼクシィ」が山のように積まれ続け「結婚しろ」のプレッシャーを感じるようになった。ひとり暮らしを希望したが「とんでもない」と聞き入れられることは一切なく、「なにはともあれ結婚」と言われ続けた。大学時代から付き合っていた男性(アルバイトで生活をつなぐミュージシャン)との結婚を心から望んでいたが、「あり得ない」と一蹴され、親戚にすすめられた見合いで公務員の男性と結婚したのは29歳の時。夫に恋愛感情を持つことは一切ないが、そうでもしなければ自分の人生は始められなかったと言う。結婚して初めて、自分が選んだ食器をテーブルに並べた時の解放感は今でも忘れられないと言う。これ、100年前の話じゃなくて、今の東京での話だ。  健康に不安を抱えるシングルマザーの母親に育てられた別の女性は、母を一人にできないという思いで、今も高齢の母親と暮らしている。結婚する機会はあったが、どの男性も母親が嫌い、ののしり、否定し、一晩の旅行すら許されず結局諦めてきた。今は強い後悔をしている。結婚すればよかった、ほんとうはそれしか母親から離れる機会は私にはなかった、と。  また父親や親戚からの性暴力を継続的に子供時代から受けている女性は、家を出るための結婚を急ぐこともある。女のひとり暮らしなど到底許されない支配的で暴力的な空気のなか、家を安全に出られる唯一の手段が結婚という場合もあるのだ。  眞子内親王は、旧宮家でもなく、お見合いでもなく、「お家柄」でもなく、誰にすすめられたわけでもない一般男性と自らの強い意思で恋愛をした戦後初めてのプリンセスだ。そういう女性に、今、日本の若い女性たちが共感を寄せている背景に、日本を生きる女性たちが沈められている暗い沼の存在が他人ごとではないからかもしれない。内親王の決断は「家を出るため」の唯一の手段に見えるからかもしれない。それなのに、その意思を貫くために約1億5000万円の一時金を辞退したり、日本以外の国で暮らすことを選択したりする状況に追い込んだものは何なのだろう。  小室さんのロン毛。女性の自由と権利を搾取するシステムそのもののおかしさを超越した破壊力。私は初めて、小室さんを好きだと思った。もうこういう破壊力を持つ人しか、日本のプリンセスを自由にできないのかもしれない。眞子内親王の新しい人生を応援します。 ■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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    【写真特集】あっ、カモを落としちゃった!大慌ての眞子さま 「失敗」で見せた驚くほど豊かな表情

     秋篠宮家の長女、眞子さま(29)は、感情をあらわにしないロイヤルスマイルがお上手だ。そんな眞子さまも、ふとした瞬間に、驚くほど豊かな表情を見せることがある。ビックリして慌てたり、失敗をして恥ずかしそうに苦笑いをしたり、表情が豊かに変える眞子さまの貴重なショットを紹介する。  笑顔が絶えない眞子さまの公務の場といえば、鴨場での接遇だ。眞子さまが最初に鴨場での接遇を行ったのは、二十歳の成人を迎えた2011年冬のこと。毎年、この時期に鴨場での接遇を重ねているが、生き物相手に苦戦する様子が伝わってくる。 眞子さまが22歳の冬には、こんな出来事があった。〈2013年末、埼玉・越谷の宮内庁「埼玉鴨場(かもば)」。皇室が明治時代から続けてきた接遇の場で、眞子さまは外国大使のホスト役を務めていた。 この日のハイライト、カモを空高く飛びだたせる「放鳥」場面。眞子さまが抱えたカモはバタバタと暴れ、空を舞うことなく地面を走っていった。慌てて後を追う眞子さま。一生懸命な姿が、いつしか周囲の空気を和らげていく。眞子さまらしさが垣間見えた。〉(朝日新聞デジタル2017年9月4日配信記事) 暴れて飛び立つカモを追いかける眞子さまからは、「あ~、飛んで行っちゃった」というセリフが聞こえそうだ。 口に手を当てて、困ったように笑う眞子さま。その後ろには、優しく微笑む各国の大使や夫人の様子が写っている。 2017年、同じ埼玉県の鴨場で、ふたたびアクシデントが起こる。 26歳になった眞子さまは、外国大使らと日本伝統のカモ猟を行っていた。いざ、カモを空高く飛びたたせようと放鳥する場面で、なんと眞子さまは、手にしたカモをポトンと落としてしまう。写真には、逆さまに落ちてゆく鴨の黄色い脚が映っている。 その後、落としたカモが池に歩いてゆく様子を、手を合わせて心配そうに見守る眞子さまの姿が見て取れる。うしろでは、眞子さまを笑顔で見守りながらも、パシャリとスマホで撮影する外国大使の男性の姿も。 初々しい仕草を見せていた眞子さまも、2019年に行われた千葉県の新浜にある鴨場で行った接遇では、ずいぶん様になっていた。 妹の佳子さまを、優しくサポートしていた。お二人の笑顔が印象的な一枚だ。

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    2000人に聞いた「妻が夫に言われて許せない言葉」とは 2位は「何が言いたいの?」 1位は?

     脳科学研究者の黒川伊保子さんの著書『妻のトリセツ』がベストセラーになったのは、約3年前。だが、依然として妻は夫の一言に幻滅し、コミュニケーションはすれ違ったままだ。そこで、AERA dot.とYahoo!ニュースは「夫(パートナー)に言われてもっとも許せなかった言葉」を調べる共同アンケートを実施。既婚者、事実婚の女性2000人から回答を得た。すると、夫(パートナー)の何げない一言に「許せない!」という妻の叫びが浮かび上がってきた。 (調査は9月7日から10日にかけて実施。対象はYahoo! クラウドソーシングユーザー2000人)*  *  * 神奈川県に住むAさん(39)は、夫婦共働きで、1歳年上の夫と小学4年生の長男と3人暮らし。現在はほぼリモートワークだが、週に1度、会議で会社に行く日は、帰宅後、夫の態度にイラっとするという。 「会社であれこれたまった業務を片付けると、だいたい帰宅は19時過ぎ。こっちは疲れて帰ってきてるのに、夫は毎回のように無神経なことを言うので、本当に腹が立つんです」  Aさんが帰宅してリビングに入ると、まず目に入るのは、夫がハイボール片手に薄くほほえみながら携帯を見ている姿。これは、インスタグラムでおもしろ画像を見ている時の夫の顔の特徴だ。一方、長男はYouTubeでゲーム実況に夢中。Aさんが「宿題は? 明日の学校の準備は?」と聞くと「まだー!」。ベランダには取り込まれずに夜風で冷たくなった洗濯物がはためている。この時点で、すでに気持ちはげんなりしている。  さらに、夫に「お風呂は?」と質問すると「え? まだだけど?」と携帯から目を離さずに答える。Aさんは疲れた体のまま、洗濯物を取り込み、風呂掃除をし、お湯をはり、リビングのテーブルを片付け……。徐々に増していくストレス。イライラ、イライラと動き回るAさんに、夫はソファに寝転び、携帯をスクロールしながらこんな一言を放つ。 「ねぇ、遅くなる日はカレーでいいよ」  あ然とするAさん。そして今日も夫にキレてしまう。 「はぁぁ? この時間からカレーを作れと? そのカレーでいいよ、の『で』って何だよ? どこからか自動でカレーが出てくるのかよ!」  Aさんが憤るように、夫が何げなくつける「で」は妻からかなり評判が悪い。実際、アンケートでも「(そうめんやカレーなど簡単なもの)~でいいよ」は3位にランクイン。  この「で」が余計であり、料理や家事を軽んじられていると感じる妻は、7・9%もいた。 「妊娠中だということもあり、体を動かすこと自体が大変な中、“〇〇でいいよ”のフレーズを毎日毎日聞いています。夫は気を遣っているつもりなのか、それとも自覚がないのか……イライラしても状況は改善するわけでもないので流していますが、気になります」(40代/静岡県)「パートで疲れて帰ってきてもすぐに夕食の支度をしなければならないのに、私が“疲れた~”とため息をつくと、夫は“パスタでいいよ”と言われることがよくあります。準備から後片付けまであるのに、とても軽く考えていることが“で”に表れていて、とっても腹立つ!」(40代/千葉県)  この「で」問題はかなり溝が深いようで、アンケートへの具体的な理由の自由記入には「丸投げ感があってイラつく」「苦労をわかっていない」「敬意がない」「下に見られている感じ」「で、なら自分でやれよ!」などの意見が続出。夫側からしてみたら気遣いをしているつもりなのかもしれないが、「は? 気を遣っているつもり?」と一刀両断する記述もあり、妻からのイライラが伝わってきた。 ■第1位の言葉は夫の「主体性のなさ」に怒り  第2位は、夫婦の会話がそこで終わってしまいかねない、致命的な一言!  「何を言っているかわからない/で、何が言いたいの?」   話をまともに聞こうとしない夫の態度に憤りの声を上げた妻は、全体の8・0%を占めた。 「人と話す機会が減っているので、今日あったことを話すと“一気に話されても、その話す過程が長ったらしくて、で、結局、何が言いたいの?”と言われてとても傷ついた」(20代/京都府)「今後のこと。お金のこと。子供をつくるか、つくらないか。ちゃんと話し合いたいのに、いつも私の言葉が難しいとか理解できないとか言って話にならない。もう疲れました」(40代/岡山県)「夫が私の言動で腹が立ったことがあったらしく、そこを指摘された。私はその言い方に腹が立ち、文句を言ったところ“で、何が言いたいの? また俺が悪いってこと? はぁ!?”とあきれたような言い方をされて、めっちゃ腹が立った!」(30代/北海道)   聞いてもらいたい事、2人にとって大事な事を話したいのに、そこで夫から放たれる「で、何が言いたいの?」には、まるで会話をシャットダウンされた絶望感がある。腹が立つだけでなく、悲しんだり、傷ついたりしていることも理解してほしいところだ。  そして、第1位となったのは、ある種、夫やパートナーの頼りなさからくる言葉だ。 「どっちでも任せるよ」  夫婦の大事な決断も委ねてくるようなこの言葉には、10・4%、つまり10人に1人以上が「許せない」と答えた。 「生活している中でいろいろ決断しなければならないことがあるじゃないですか。そういう事を相談すると、夫は“任せるわ”と判断をいつも丸投げ。仕方なく私が考え抜いて“こうしたらどうだろうか”と提案すると、それには“わかった。じゃあ、それで!”と。その後、思うように進まない時は“あの時、おまえが言ったから!”と責め、うまくいった時は“最終決断は俺がしたからな”と言ってくる」(50代/兵庫県)「旅行にと言うので、行き先や、やりたいことをいくつか提案したら“任せるよ~”と。行きたいと言ったのはそっちだろ!」(40代/山口県)「夫は頻繁にこの言葉を使う。面倒な事に関わりたくない、責められたくない、責任から逃れたい……とても頼りない。最近は、インコの巣箱の話で“任せるよ”と言われて、聞かなきゃよかったと思った」(40代/東京都)  家の購入、大型家電の買い替え、妊活、子どもの進路、旅行、お互いの両親のことなど大きな決断もさることながら、「何、食べたい?」と聞いた時ですら「任せるよ~」となると、四六時中この言葉を浴びせられている気がしなくもない。 ■女性から男性に求める像はひと昔前に戻っている  なぜ妻は夫に“任せるよ”と言われると、ここまで憤るのか。夫婦問題研究家の岡野あつこさんはこう分析する。 「コロナ禍で誰しも不安な時代、女性から男性に求める像が『頼りたい』『男らしい』『一家の大黒柱でいてほしい』など、ひと昔前の男性像に逆戻りしている傾向があります。『任せるよ』と大事な決断を相手に委ねるというのは、女性が男性に求めている像の真逆で、ここぞという時に頼りたいのに頼れない。また、一方で『任せるよ』と発する夫からしてみると、相手を立てて、いい事を言っていると思っている。この気遣いと“お前の意見を尊重しているんだぞ”という態度が、妻からしたら頼りなさ以外の何物でもない。なぜ多くの女性が韓国ドラマに魅了されるかといえば、“男性は女性に何かあった時は必ずしっかり助けてくれる”という王道を外していないからです」  ちなみに、4位から10位は以下の通り。 4位 家事するだけなら楽だよね/主婦は気楽でいいよね(専業主婦を見下す)=7・0%5位 俺より稼いでいないくせに(経済的優位性をアピール)=6・8%6位 お前さ~(下に見るような呼称)=6・3%7位 老けたんじゃない? 太ったんじゃない?(容姿への指摘)=6・0%8位 何でできないの?(能力を見下す)=5・7%9位・同率10位 味が薄い/まずい/量が多い(料理の味付けボリュームの注文)=4・9%(家事・育児を)手伝うよ・ゴミ散らかっているよ・ごはんまだ?(家事育児の主体性のなさ)=4・9%  全体の傾向を見て、岡野さんは改めてこう話す。 「男女平等世代からすると、例えば第6位の“お前”という言葉は、妻と夫の立ち位置の問題で、普段から上目線の人から言われるからムカつくわけです。腹が立たない“お前”もありますが、それは信頼関係が元になっている。離婚の危機にある夫婦のグループLINEに私を入れて3人で会話をすることがありますが、今の人は言葉尻で怒ってしまう傾向にあります。夫の“バカだな~”に妻は“バカって言われた! バカって!!!”みたいな感じです。同じ言葉でも相手に愛があるのか、理解し合っているのかで言葉の捉え方が変わってくるのです」  リモートワークやステイホームで家にいる時間が長くなった今、妻は夫が放つ無神経な「一言」により敏感になっていることは間違いないだろう。(AERA dot.編集部・太田裕子) ※この記事はAERA dot.とYahoo!ニュースによる共同企画です。

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