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    武豊騎手が「ウマ娘」ブームを語る 「よみがえってうれしい」と語った悲劇の競走馬とは

     ゲームアプリ『ウマ娘 プリティーダービー』は、実在した競走馬を美少女キャラに擬人化したコンテンツで、「Yahoo!検索大賞」や「Google Play ベスト オブ 2021」の「ベストゲーム 2021」を受賞するなど、競馬好きの中高年から若年層まで幅広い層から人気を集めている。この一大ムーブメントを「相棒」である騎手はどのように感じているのか。サイレンススズカやスペシャルウィークをはじめ、長年多くの名馬に乗ってきたレジェンド騎手の武豊さん(52)は、このブームにを喜び、NHKの番組内でもビデオメッセージを寄せていた。武さん本人にインタビューし、「ウマ娘が競馬界にもたらしたもの」について語ってもらった。 ――「ウマ娘」のブームで、競馬人気も高まっています。影響を感じてますか? ウマ娘の話題は本当によく耳にしますし、すごい影響力だなと思っています。実際、僕の周りでも、中学生ぐらいの知人の息子さんから、僕が過去に出ていたレースのことなど質問をされるようになりました。僕が乗ってきた馬たちも、たくさんキャラクターになっているからです。ウマ娘がなかった頃は、子どもたちと競馬の話をあまりしたことがなかったのに、急にいろいろ聞いてくるようになってびっくりしています。今の中学生は、スペシャルウィークやディープインパクトのレースを見たことがない世代。その世代が過去の馬に興味を持ってくれるのは、すごいことですよね。 ――ナイスネイチャなど、ウマ娘のモデルになった引退馬への寄付が倍増するといった現象も起きています。 現役時代の彼らを知らなくても、ウマ娘をきっかけにその馬のことを調べてもらえて、馬が脚光を浴びているのは嬉しいですね。引退後の馬も、支援があれば救われる。いろんなところにいい影響が出ていると思います。 ――競走馬が美少女に擬人化されることについて、当初はどんな印象を抱いていましたか? ウマ娘の立ち上げ当時、僕も「何か協力できることがあれば」ということで少し関わらせていただいたのですが、実は最初に話を聞いた時は、あまりピンとこなかったんです(笑)。馬がアニメのキャラクターになって、女の子が競馬場を駆けるというのは想像がつかなかったし、最初に登場キャラの絵を見たときは、なんだか不思議な感じでした(笑)。自分が乗ってきた馬ですから、擬人化したキャラと同一視するにはなかなか時間がかかりましたね。 ――実際の馬の特徴が、キャラの能力や性格に反映されているところもウマ娘の魅力ですね。 かつてライバル同士だった馬が作中のストーリーでもライバルとして扱われていたり、馬の個性が細部まで表現されていたりして、さすがだなと思いました。たとえばウオッカだと、寝つきが良いといった特徴まで再現されていて、面白い。おそらくですが、実際にウマ娘のコンテンツを作っている方たちは、若い頃に競馬を楽しんでいて、知っている馬たちを遊び心たっぷりに、そして細かいところまで再現してくれたのでしょう。競馬愛を感じます。 ――作中では、武さんが騎乗してきた馬も多数登場します。 立ち上げのときも「実際どういう馬でしたか」といったことを聞かれて、スペシャルウィークなど、馬について少し情報をお伝えさせていただきました。ウマ娘のおかげで僕自身も、「ああいう馬だったな、こういう馬だったな」と、過去に乗ってきた馬たちに思いを馳せることができました。たとえば、僕がたくさん乗ってきたバンブーメモリー(作中では風紀委員長を務め、直球勝負のレースを見せる)は30年以上前に活躍していた馬ですし、懐かしさを感じます。そして、サイレンススズカは足を骨折した1998年の天皇賞(秋)のレースを最後に活躍が止まってしまったので、それがウマ娘の姿でよみがえってくれたのは、僕としてはとてもうれしいです。 ――武さん自身も、アニメ第5話に実況として登場します。 騎手の自分が、まさかアニメのキャラとして解説する日が来るとは思いもしなかったです。登場したのは1回でしたが、小学4年生ぐらいの女の子から、「あ、ウマ娘のおじさんだ」って声をかけられて。ウマ娘がきっかけで知ってもらえているのはなんだか新鮮ですし、微笑ましいです。 ――レースの投票サイト「JRA IPAT」への年代別アクセス数も、20代ユーザーが今年3月ごろから急増し、60代と並ぶ水準に達しています。かつて「若者の競馬離れ」と言われていた状況もすっかり変わりましたね。 若者の獲得は競馬界の課題でしたから、そういう意味では、多くの若者が競馬に参加しているのを聞いてうれしく思っています。やはり、大きなきっかけの一つがウマ娘でしょう。ウマ娘が新たな入り口となって、今まで競馬に興味がなかった人も楽しんでくれるようになりました。新たな競馬ファンが増えれば、その方々から様々な声や要望も出てくるでしょうし、我々も気づけることがあると思います。競馬界は、より良い方向に変わっていけるはずです。 ――ウマ娘以外でも、藤田菜七子さんのような騎手が活躍していることもブームをけん引しています。 彼女をきっかけに競馬を知った人もたくさんいるはず。藤田さんをはじめ、女性ジョッキーの活躍が目立つようになり、雰囲気も明るい感じになりましたね。男女一緒に勝敗を競うスポーツも珍しいですし、そこが競馬の魅力の一つだと思います。 ――スタンドの客層も変わりました。競馬界も、女性限定のリラックススペース「UMAJO SPOT」を開設したり、子ども向けの遊具を充実させるなどし、女性や家族連れが足を運びやすい環境を作ることに注力しています。 スタンドも綺麗になり、女性だけのグループやファミリーでも行きやすい雰囲気になりました。昔はおじさんばかりでしたから、だいぶ色が変わったなと思います。家族連れで来て、子どもたちに楽しんでもらえる姿を見ると嬉しくなります。 ーーウマ娘のブームで、スタンドの雰囲気もさらに変わりそうですね。 今後どうなるのか楽しみです。ウマ娘のブームはコロナの時期と重なったので、しばらくは無観客でしたし、今も入場制限をしているので、競馬場での影響はまだダイレクトに感じられていません。コロナが落ち着いて、今後は競馬場で「ウマ娘」とコラボしたイベントのようなものができるようになればいいなと思います。 ――最後に、競馬ファンへのメッセージをお願いします。 ウマ娘をきっかけに、競馬を見に来てくれたら嬉しいですし、これが一時のブームにとどまらず、ファンが定着して未来の競馬界を後押ししてくれていることを願っています。そのためにも、僕らはいいレースをすることで、来てくれた皆さんを楽しませたい。そして今後も、アニメ・ゲームで活躍できるような新キャラを、自分たちのレースでどんどん作っていきたいなと思っています!(構成/AERA dot.編集部・飯塚大和)

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    3時間前

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    なぜ小室眞子さんは圭さんに必死だったのか 秋篠宮さまのよそよそしさから読み解く

    「夫の方については」「面会していた時間が20分位」「何か印象に残ることというのは特にありません」――。  秋篠宮さまの56歳の誕生日会見で国民が感じたのは、長女眞子さんの夫、小室圭さんへのよそよそしさだった。   もともと秋篠宮さまは、記者会見において家族を名前で呼ぶことはほとんどない。眞子さんや佳子さま、悠仁さまについても「長女」「次女」、「長男」といった呼び方をしていた。  一方、小室圭さんについては、婚約が発表された2017年や翌18年の誕生日会見では、<小室さんの印象ですけれども>、<小室さんに関わること、これが毎週のように週刊誌等で報道されていることはー>と自然な流れで名前を出していた。それが、令和の世に移った翌19年は、<小室家とは連絡は私は取っておりません>と、どこか他人行儀な表現を選び、翌20年の会見では、「小室」という名前すら出さなかった。  そして今年。圭さんは、長女の夫という「家族」になったとはいえ、圭さんを「夫の方」と呼び、圭さんが結婚前にあいさつに訪ねてきたひとときを、「面会していた時間は20分位」と話し、距離感を感じさせる表現だった。  圭さんが秋篠宮邸を訪問した10月18日、秋篠宮夫妻は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑秋季慰霊祭への臨席という公務があった。とはいえ、数日後に結婚する娘の結婚相手と食事をともにすることもなく終了したという現実は何を物語るのか。  秋篠宮さまは先の会見で、結婚に伴う儀式を行わなわないと判断を下したのは「私の独断」だと明かした。さらに、皇室の行事が「非常に軽い」印象を与えてしまったと、苦汁をにじませた。  儀式を行わなかった理由は、小室さんが金銭トラブルについて春に公表した28枚の文書にあった。 <この春に娘の夫がかなり長い文書を出したわけですね。(略)あれを読んでどれぐらいの人が理解できるか><これはもう私の独断です、私の個人の考えとして、あれを読んでみんながすぐに状況を整理して納得できるというものではないと私は判断しました>  さらに、10月26日の結婚会見についても、自身が思う形とは異なっていたと胸中を吐露した。 <双方向での会見という形にしてほしかった><私としては自分の口からそのことについて話をして、そして質問にも答える,そういう機会があった方が良かった>  秋篠宮さまが口にしたように、金銭トラブルについての説明も本来は、小室さんが自分の口から説明すべきものだろう。小室圭さんが内親王の結婚相手として祝福できる存在足り得なかったことも、会見の言葉から伝わってくる。 こうした父親の気持ちをよそに、眞子さんは、圭さんに留学を進言しただけでなく、金銭トラブルについても一貫してかばい続けた。  なぜ、内親王がここまで必死になったのだろうか。  眞子さんとよく世間で比べられる黒田清子さんの場合も実は、結婚相手へ相当の配慮があったという。   清子さんは、当時の天皇ご夫妻の長女。内親王のなかでも、身位の高い皇女という立場だ。清子さんもまた、結婚相手である黒田慶樹さんに関する細かな情報を公表することについて、積極的ではなかった。  上皇后美智子さまや皇后雅子さまが結婚した時代は、結婚相手の家系図が報道されるのは、当たり前という感覚であった。両親はもちろん親族の職業や出身地なども詳細に、国民の知ることとなった。 「しかし清子さんからは、黒田慶樹さんと結婚するにあたり、相手がどういう人であるといった細かなことまで、自分たちから情報を提供することは、好ましくない、という考えであった」(当時の事情を知る人物)  清子さんが相手の情報をつまびらかにすることに難色を示した背景には、「皇族という立場の自分と結婚してくれる相手なのだから、迷惑をかけたくない」という考えがあったのだという。  多くの女性皇族にとって、結婚は皇室の外に出る平和的な手段でもある。ある皇族女性は、「皇室から出るためには結婚しかない」と吐露したという。佳子さまも、早く皇室を出て民間で暮らしたいとの考えを持っているとの話も聞こえてくる。  皇室に仕えてきた人物は、こう分析する。 「皇族と結婚する相手は、マスコミに追いかけられ、プライバシーもない生活に巻き込まれる。そうしたリスクを受け入れても自分と結婚してくれる相手は、できる限り守りたいという心情をお持ちになるのは、自然なことです。秋篠宮さまの会見からは、小室圭さんに対する複雑な心境が明確に伝わりました。一方で、眞子さんは、世間には不自然に思えるほど相手をかばい続けました。逆にいえば、皇族が『私のような立場にある女性と結婚してくれる相手』という心情にならざるを得ないほど、追い込まれている現実がある、ということでしょう」  秋篠宮さまも、眞子さんの結婚が「皇室に影響を与えた」と懸念を口にしていた。眞子さんの結婚騒動は、皇室と国民の距離の変化を世間に知らしめた。  若い世代の皇族は、令和という時代のなかで「皇室にあるべき姿」を模索しなければならないのだろう。 (AERAdot.編集部 永井貴子)

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    助っ人「ベスト3」と「ワースト3」を選出 今季の働きを査定!【セ・リーグ編】

     日本シリーズも終わり、プロ野球は年間の表彰と契約更改、来季に向けての動きが話題となる時期となった。チームの命運を握ることが多い外国人選手も退団、新入団、移籍含めて様々な動きが出てきているが、今年の活躍が目立った選手と、期待に応えられなかった選手をそれぞれ3人ずつ選定してみたいと思う。今回はセ・リーグ編だ。 *  *  * ■セ・リーグベスト3:オースティン(DeNA) 成績:107試合113安打28本塁打74打点1盗塁 打率.303  コロナ禍でチーム合流は遅れたものの、中軸として十分な役割を果たし、セ・リーグの野手では最も活躍が目立った選手と言えるだろう。来日2年目で日本の野球に慣れたということもあってか、持ち味の長打力だけでなく確実性も向上し、規定打席には未到達ながら打率3割もクリアした。打つだけでなく守備、走塁での献身的なプレーも目立つ。唯一気になるのは故障が多いところ。コンディションさえ万全で、1年を通じて中軸に定着すれば打撃タイトル争いに絡む可能性も高いだろう。 ■セ・リーグベスト2:マクガフ(ヤクルト) 成績:66試合3勝2敗31セーブ14ホールド 防御率2.52  来日3年目でキャリアハイとなる成績を残し、チームのリーグ優勝と日本一にも大きく貢献した。開幕当初は中継ぎだったが、石山泰稚の不調もあってシーズン途中からは抑えを任されて30セーブをクリア。とにかくタフで東京五輪でもアメリカ代表としてフル回転しながらも、シーズン終盤でもその球威は落ちることがなかった。外国人投手でありながらクイックや牽制が上手く、走者を背負ってから強いというのも大きな長所だ。日本に来てから着実にレベルアップを果たしており、来年も守護神としての活躍が期待される。 ■セ・リーグベスト1:スアレス(阪神) 成績:62試合1勝1敗42セーブ0ホールド 防御率1.16  ソフトバンク時代の故障から鮮やかに復活し、2年連続でセ・リーグの最優秀救援投手に輝いた。防御率は1.16で、1.00を切れば超一流と言われるWHIPは0.77をマーク。ストレートはコンスタントに160キロ前後をマークし、コントロールで自滅することもない。制球力を表す指標で、3.50を上回れば優秀と言われるK/BBでも7.25と他のリリーフ投手の追随を許さない圧倒的な数字を残してみせた。パドレスが早々に獲得したのもうなずける活躍で、阪神にとっては来年その穴を埋めることが大きな課題となるだろう。 ■セ・リーグワースト3:クロン(広島) 成績:42試合30安打6本塁打16打点0盗塁 打率.231  マイナーリーグではホームランを量産した長打力が期待されて契約。コロナ禍の中でも年明け早々に来日していち早く日本の野球に対応しようという姿勢も好感が持てたが、シーズンが始まると変化球に対応することができずに三振を量産。6月に二軍降格となると、そのまま一軍復帰を果たすことができずに退団となった。かつてチームで活躍したエルドレッドと似たタイプだったが、スイングがワンパターンで、ボールになる変化球を見極めることができなかったのが低迷の要因と言えそうだ。 ■セ・リーグワースト2:ガーバー(中日) 成績:12試合7安打0本塁打1打点0盗塁 打率.156  マイナーリーグでの好成績と、外野手としての守備力が期待されて入団。一軍初出場となった試合でいきなり初安打をマークしたが、その後は全く快音が聞かれずに打率は2割を大きく下回り登録抹消。二軍でも積極的に起用されたが打率は2割を超えるのがやっとで、ホームランもわずかに1本と結果を残すことができず、9月に家庭の事情で帰国すると、そのまま退団となった。長打力が不足しているチームの救世主として期待されたが、スイングの力強さやヘッドスピードもそれほど感じられず、広いバンテリンドームではとてもホームランを量産できるようなタイプには見えなかった。ビシエド以降、なかなか安定して打てる外国人野手を獲得できていないのは中日の大きな課題である。 ■セ・リーグワースト1:テームズ (巨人) 成績:1試合0安打0本塁打0打点0盗塁 打率.000  韓国球界のNCでは2年連続で40本塁打をマークするなど主砲として活躍。その後メジャー復帰を果たすと、ブルワーズでは2017年に31本塁打、2019年に25本塁打を放つなど長打力を発揮し、その実績が買われて巨人に入団した。二軍では9試合の出場ながら打率5割をマークして格の違いを見せつけたが、一軍初出場となった4月27日のヤクルト戦で守備の時にアキレス腱を断裂。長期治療が必要となり、シーズン中の復帰は絶望ということでわずか2打席の出場で退団となった。試合中のアクシデントによるケガという不運は仕方のない部分はあるが、もし万全の状態で1年間プレーしていれば、巨人のチーム成績ももう少し上向いていた可能性はありそうだ。  テームズ以外にもわずかな試合しか出場することなくチームを退団となった選手が目立ち、また打撃成績の上位はほとんどが日本人選手と全体的に野手が苦戦したシーズンという印象だ。来季に向けて既に新外国人選手の獲得を発表している球団も出てきているが、来年はタイトル争いに加わるような助っ人選手が野手、投手ともに現れることを期待したい。 (文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員

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    愛子さまが借りるティアラ、清子さんからの理由は「格」の違い 秋篠宮家へは逆風やまず

     天皇・皇后両陛下の長女、愛子さまが12月1日に20歳の成年を迎える。  とくに話題を集めたのは、愛子さまがティアラを新調せず、叔母の黒田清子さんのティアラを借りて祝賀行事にのぞむ、異例の成年式となることだ。宮内庁は、「コロナ禍で国民生活に影響がでていることに配慮した愛子さまが、両陛下と相談した決めた」と説明している。 「どうも、何をとってもタイミングが悪く秋篠宮家への逆風になってしまう」  そうため息をつくのは、皇室に長く仕えた人物だ。秋篠宮家の長女、眞子さんが小室圭さんと結婚したのちに渡米したばかり。  渡米前に国内で滞在したのは、渋谷区の東京メトロ外苑前駅近くにある長中期滞在者向けの高級サービスアパートメントだった。結婚によって皇籍から離れたばかりの元内親王に、所轄する警察の警備がつくのは当然のことだ。とはいえ、外出の度に報じられた結果、特別な警備体制に注目が集まった。  そしてNYでの新居の豪華さも報じられている。英タブロイド紙のデイリー・メールなどの海外紙によれば、小室夫妻の住まいは、セントラルパークやタイムズスクエアに近いヘルズ・キッチン地区にあるタワーマンションだ。2017年に建てられたばかりで、24時間対応のロビーやフィットネスルームにヨガスタジオ。スパやゴルフシュミレーションセクションなどを備えた豪華な仕様だという。  小室さんのLawClerk(法務助手)の年収は600万円程度と見られている。一方で、海外紙によれば、ワン・ベッドルームとはいえ家賃は、月額約4800ドル(55万円)と安くはない。  宮内庁関係者の間でも、眞子さんの結婚と米国移住が無事にすんではればれしたという空気と同時に、小室夫妻の先行きを案じる声もわずかに漏れてくるようだ。  そんなタイミングで宮内庁が公表したのが、愛子さまが「借りたティアラ」で祝賀行事に臨むというニュースだった。  女性皇族にとって、成人を迎えた誕生日は宮殿行事デビューの日でもある。まず皇室の祖神・天照大神などが祭られる宮中三殿に参拝し、宮殿で天皇陛下から宝冠大綬章が授与される。 ローブデコルテの正装に新調したティアラとネックレス・ブレスレット・イヤリング・勲章どめの宝飾品5点を身に着け、両陛下にあいさつするのが恒例だ。  内親王だった眞子さんの場合、ティアラと宝飾品は「和光」で2856万円、佳子さまは「ミキモト」で2793万円をかけて制作された。大正天皇のひ孫にあたる三笠宮家や高円宮家の女王方の場合は、1500万円前後だ。  ティアラなどの宝飾品は、ぜいたくをするために制作するわけではない。成年皇族は公務を担うようになり、宮殿行事や外国からの国賓や賓客を接遇する晩さん会など国際親善の場では、勲章とともに正装を持って迎えるのが礼儀だからだ。  皇后や皇太子妃は代々受け継がれるティアラなどを所有している。そのなかには、平成の時代に皇后が故・秩父宮勢津子さまから譲り受けたティアラなどもある。つまり、他の宮妃や最近では眞子さまのティアラも宮内庁に預けられている。  女性皇族の所有していたティアラもあるなかで、なぜ愛子さまは清子さんより「借りる」形になったのか。  眞子さんをはじめ、最近の女性皇族が成年を迎えた際に新調したティアラは、いずれも宮内庁が管理する公金で制作されている。そのため、公金で作られた眞子さんのティアラは、離脱とともに宮内庁に預けられた。  一方で、黒田清子さんが成年を迎えた時に、新調されたティアラと宝飾品は、天皇家の私的なお金であるお手元金で制作された。  元宮内庁関係者は、ティアラを公金で支払うようになったのは、三笠宮家の彬子さまのときからではないか、と話す。 「明治以降の近代皇室においては、天皇家も宮家も相応の財産を持っていたこともあり、宝冠など装身具は私的な費用で賄っていました。黒田清子さんのティアラもその流れだったと記憶しています。日常費で制作したものは、扱いがあいまいなところもある。昔の皇族のように、『娘に持たせてあげたい』、と結婚先で大切に保管されているものもあると聞きます」  お手元金で制作した黒田清子さんのティアラは、ご本人のものだ。そのため、「借用」という形になった。  さらには、前述したように、内親王と女王というご身位の違いによって、ティアラの金額も異なる。 「眞子さんの結婚のタイミングは、ギリギリまで読めませんでした。加えて、同じ内親王でも、天皇家の娘である愛子さまと、皇嗣家の眞子さんと佳子さまでは立場も異なる。同じ皇女である清子さんのティアラが格という点でも、相応しかったのでしょう」(皇室の事情に詳しい人物)  異例続きとなったのは、ティアラだけではない。  女性皇族、特に内親王は、二十歳の成年を迎えた際と結婚して皇籍を離れる際に会見を開き、記者の質疑に答えるのが恒例だった。  いまのところ、愛子さまの記者会見は、日程が決まっていない。成年の会見は、その成長を国民が感じる大切な機会でもある。  眞子さんが皇室を離れたいま、愛子さまへの期待は、高まっている。 (AERAdot.編集部 永井貴子)

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    「愛子さまのお気に入りは子どもの頃から変わらない」天皇一家の追っかけ主婦が語る激写20年

     愛子さまはあどけなさがあったのに、成人皇族になられて、大人びてステキな女性になられ、うれしいですね」  こう話すのはカメラを片手に天皇ご一家を28年半、追っかけてきた主婦の吉田比佐さんだ。  12月1日に20歳の誕生日を迎え、成年皇族となった愛子さま。5日には成年の祝賀行事が行われ、愛子さまのドレス姿が初お披露目となる。  5日午前は長袖で淡い色味の「ご参拝服」を身につけて皇居の宮中三殿を参拝される。その後、襟元の詰まった長袖のドレス「ローブ・モンタント」に着替えられ、天皇陛下から勲章を受けとられるという。  午後は襟元の開いた「ローブ・デコルテ」に勲章、ティアラを着用した正装姿で、両陛下に挨拶される予定だ。 「愛子さまが身につける髪飾りのティアラが話題になりましたが、ティアラには女性としてすごく憧れますね。車の中の皇族を撮る時にはティアラをしているかどうかは、私たち追っかけにとっては大きいです。ティアラをしているお姿ってなかなか見れないので、”きょうはティアラをしているかもしれない”って思うと、疲れていてもがんばって、撮影ポイントに並ぼうという気になりましたね」  今回、愛子さまはコロナ禍の影響を配慮し、天皇陛下の妹(紀宮さま)で、結婚して皇籍を離脱した黒田清子さんが所有するものを借用する。 「眞子さん、佳子さまのティアラもそれぞれ2800万円もする豪華なものでしたけれど、私の見た印象では、黒田清子さんのティアラはクラシックな印象でした。清子さんのティアラのデザイン方が好き、愛子さまはお似合いになると思います」  吉田さんは過去、ティアラをつけた皇族の撮影経験もある。 「ディアラをつけられるのは特別な日だけですね。新年の祝賀の行事の時とか、外国からお客さまが来る時の接待で宮中晩餐会にお出になられる時です」  吉田さんが、追っかけを始めたのはまだ愛子さまが生まれるずっと前、1993年6月9日の両陛下のご成婚パレードからだ。 「ご成婚パレードでは、雅子さまが1000個のダイヤをちりばめた豪華なティアラをして、ローブ・デコルテの衣装を身にまとっていました。とてもステキな写真が撮れました」  そのお姿が脳裏から離れず、雅子さまを追いかけるようになった。 「愛子さまもローブ・デコルテを新調なさるそうですね。格式のあるロングドレスで、襟元や背中が大きくカットされているそうです。愛子さまがお召しになるとどんな感じになるのかとても楽しみです」  愛子さまを生まれたばかりの幼少期から見守り続けた吉田さんは20年の歳月をこう振り返る。 「愛子さまが赤ちゃんの頃、私たちは仲間うちで“愛子ちゃま”と呼んでいました(笑)。雅子さまに抱っこされている姿が、今でもきのうのことのように目に浮かびます」  天皇陛下と雅子さまの結婚会見のとき、記者から「お子さまは何人くらい?」 と質問され、雅子さまは「家族でオーケストラが作れるような子供の数ということはおっしゃらないでください、と(陛下に)申しました」とジョークで返した。 「陛下も愛子さまも音楽がお好きです。実際に陛下がヴィオラ、愛子さまがチェロを演奏するオーケストラのコンサートに参加された時、雅子さまがご覧になっていましたね」  愛子さまは文武両道でスキー、水泳なども、お好きだという。 「御所の中では陛下と一緒にジョギングをしたりしているそうです。毎年、夏になると、ご家族で下田(静岡県)や那須(栃木県)にご静養に行かれるのですが、下田の御用邸の裏手には海があって、愛子さまはいつも真っ黒になって東京に帰って来ていましたね」  愛子さまファッションには特徴があるという。 「愛子さまは夏場には、ワンピースをけっこう着てらして、ふわっとしたフレアスカートのワンピースをよく見かけましたね。冬は赤いセーターを着たり、ピンクのブラウスを着たり、全体にフェミニンです。先日、20歳のお誕生日に愛犬の由莉(ゆり)ちゃんと一緒の映像でも、茶系のふわっとしたスカートだったので、そういう服装がお気に入りでいらっしゃるところは、子供の頃と変わらないなと思いました」  愛子さまは学習院中等科時代に”激やせ”し、体調が心配されたこともあった。 「あの時はダイエットしているやせ方とはちょっと違うのかなと思いました。雅子さまの体調にも波があって、愛子さまもお母様のことを心配されていたのではないかと思います。雅子さまは新皇后になってから、自信が取り戻せたのではないでしょうか」  2019年11月9日に行われた「天皇陛下ご即位をお祝いする国民祭典」では、嵐のパフォーマンスが行なわれ、一家団欒で楽しむ様子が放映された。 「雑誌で読んだんですが、愛子さまは嵐の相葉雅紀君の”推し”だそうですね。カラオケも歌われるのだとか」  吉田さんは94年5月、会社員の夫と結婚した。結婚前から追っかけをしていたから、夫は理解があり、朝早くから出かけても何も言わないという。  コロナ禍のステイホームにより、雅子さまや愛子さまのお出かけが減った。加えて、天皇陛下ご一家は今年9月、赤坂御所から皇居に引っ越した。 「これまでは、ご一家が赤坂御所と皇居の行き帰りを張っていれば、写真が撮れたんですが、皇居に住まわれるようになると、皇居内での宮中行事が多いですから、シャッターチャンスも減ってしまいました」  吉田さんは今年7月から就職し、平日はフルタイムで働き、平日は追っかけが難しくなったが、できる限り続けたいという。 「愛子さまは車の中でも、窓を開けてお手ふりしてくれますよ。ニコッと笑う愛子スマイルが、かわいらしい。あの笑顔を見ると、こちらも気持ちが安らぎます。これからも雅子さまとともに、愛子さまのご公務の様子も拝見できたら、嬉しいなと思っています」  愛子さまの祝賀行事の撮影現場に吉田さんはもちろん、カメラ片手に出かけるという。どんな愛子さま笑顔が撮れるのか。 (AERAdot.編集部 上田耕司)

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    眞子さまと小室圭さんは結婚後、皇居に足を踏み入れることはできるか “サーヤ”黒田清子さんご夫婦との違い

     秋篠宮家の長女、眞子さま(29)との結婚を控えた小室圭さん(30)は18日、秋篠宮邸がある東京都港区の赤坂御用地を訪れ、秋篠宮ご夫妻に結婚のあいさつをした。眞子さまは22日に天皇・皇后両陛下、25日に上皇・上皇后両陛下に結婚の報告をするという。皇室ジャーナリストの神田秀一氏にこれらの予定ついて、その意味を読み解いてもらった。  小室さんは18日午前8時前、横浜市内の自宅マンションからスーツ姿で出てきた。右手にはカバン、左手には白い紙袋2つを持っていた。   「秋篠宮家に持っていく手土産とご夫妻や宮内庁に見せるための書類などが入っていたのではないでしょうか。アメリカで用意した手土産かもしれませんが、どんな中身かはわかりません」   後頭部で縛っていたロン毛は短く整えられていた。  「小室さんは髪型でいろいろと騒がれましたし、秋篠宮家に正式な挨拶に行くのですから、きちんとした髪型にしたのでしょう。皇室であのような頭髪であいさつをする慣習はないんですよね。民間人が皇族に会うのですから、切らざるを得なかったのでしょう」    神田氏が着目したのは小室氏を出迎えた黒いワゴン車。午前9時15分ごろ、赤坂御用地の巽門(たつみもん)へと入って行った。  「車には、宮内庁発行の門鑑(もんかん)がステッカーとしてついていましたね。ということは宮内庁が、小室さんが秋篠宮ご夫婦に会いに行くことを認めたのです。アメリカから帰国し、結婚を進める上で、あいさつだけはしておかなければ、という小室さんの考えと、宮内庁の意見が一致したのでしょうね」    8日後に迫った結婚。秋篠宮ご夫妻は、2人の結婚を認めたのだろうか。  「憲法の規定により、日本人であれば両性の合意に基づく結婚そのものをダメだとは言えない。秋篠宮ご夫妻も宮内庁も政府も同じ考えです。しかし、結婚は認めるものの、その前に解決しなくてはいけないこと、あるいは報告を受けなければいけないことがいろいろあると思います。それは今のところ未解決のままなので、秋篠宮さまとしては『挨拶にはおいでになってもかまいません。聞くことは聞きましょう。いらっしゃるというのなら待っております』というスタンスで、そこまでは許したのだと思います」    眞子さまと小室さんは3年2カ月ぶりに再会した。  「私の得た情報では、小室さんが秋篠宮ご夫妻にあいさつしをして30分後くらいに、秋篠宮邸のどこか別室で眞子さまと小室さんが会うことを許してもらえたと聞いています。眞子さまの部屋かもしれませんね。佳子さまがいらっしゃったかもしれませんが、2人だけの可能性が高いと思います」   眞子さまは22日、皇居・御所を訪れ、天皇、皇后両陛下に結婚を報告し、25日には東京都港区の仙洞仮御所を訪れ、上皇陛下と美智子さまにも結婚を報告する予定だ。現時点でそれに小室さんが同席する予定はない。  「一般の結納にあたる『納采の儀』も行っていませんし、皇籍を離脱する際に支給されるはずの『一時金』も眞子さまは辞退なさった。小室家を巡る諸問題も解決されていないので、天皇・皇后両陛下は眞子さまからの結婚報告を受けても、『体に気をつけて、元気で』とか『健康でお幸せな日々をお祈り致します』とお伝えするのにとどまるのではないでしょうか。『おめでとう』とおっしゃることはできないと思いますよ」   眞子さまは26日に婚姻届を自治体に提出し、皇籍を離脱する予定。今後、皇室との距離はどうなるのだろうか。  「皇室としての結婚を許したわけではないけれども、2人の意思で一緒になるならば致し方ないということ。もう2度と皇居に足を踏み入れることが許されなくなる可能性はありますね。サーヤの愛称で親しまれた黒田清子(さやこ)さんも結婚して皇籍を離脱しましたが、お相手の黒田さん一家には何の問題もないし、清子さんは皇室とゆかりのある伊勢神宮の祭主を務めているので、皇籍離脱後も皇居を訪れています。けれども、眞子さまの場合は、黒田さんご夫婦と同じようにはならないでしょう」    26日に予定されている記者会見はどのようなものになるのだろうか。  「報道陣と宮内庁の係官が合わせて50人くらい集まるのではないかと聞きます。警備も、コロナ対策も万全なホテルというのは限られてきます。宮内記者会、雑誌協会、外国人記者クラブで合計3問くらいの質問ではないか。それ以上、質問の声を上げ続ける記者がいるかもしれませんが、『本日の会見は終了します』と打ち切るでしょう。政治家でも誰でも、長く話すとボロが出るものですから」   会見に先立ち提出される自治体への婚姻届けについて、神田氏は次のように推測する。  「秋篠宮家から命令を受けた職員が、小室夫妻になる2人の代理人として、自治体の戸籍係のところに持って行くというふうに聞いています」   会見後、 眞子さまは年内にも渡米し、ニューヨークで新生活を始めるとみられている。お2人の行く末は……。  「ヨーロッパの王室ではこのくらいのことはあるレベルのことのようですが、日本の皇室では前代未聞の事態で、眞子さまは離婚しても、もう皇族には戻れません。幸福になるか、不幸になるかはチャレンジしてみなければわからないですね。結果は誰にもわかりません」 (AERAdot.編集部 上田耕司』

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    【写真特集20枚】愛子さまのキュートな笑顔を一挙公開 20年のアルバム

    【関連記事はこちら】「愛子さまのお気に入りは子どもの頃から変わらない」天皇一家の追っかけ主婦が語る激写20年 12月1日に20歳の誕生日を迎え、成年皇族となった愛子さま。5日には成年の祝賀行事が行われ、愛子さまのドレス姿が初お披露目となった。天皇一家の追っかけ主婦やカメラマンが激写した20年の軌跡を振り返る。▼クリックすると拡大画像と解説がご欄になれます

    3時間前

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    戦力外通告を受けたけど… 他球団でまだまだ“活躍できそう”な選手は誰だ!

     10月11日に行われたドラフト会議では支配下、育成合わせて128人の選手が指名を受けたが、プロ野球の世界に入ってくる選手がいるということは逆にユニフォームを脱ぐ選手もいるということである。既に各球団では俗に言う“戦力外通告”が行われており、ここ数日は引退試合のニュースも増えている。しかしその一方で他球団での現役続行を希望する選手も少なくない。今回は現時点で自由契約が発表された選手の中から、まだ戦力になる可能性を秘めた選手がいないか探ってみたいと思う。  まず投手で申し分ない実績を誇るのが吉田一将(オリックス)だ。2013年のドラフト1位で入団すると、1年目には先発として5勝をマーク。2年目のシーズン途中から中継ぎに転向すると、2016年には5勝21ホールド、2018年にも3勝21ホールドとブルペン陣を支える存在となった。2019年以降は年々成績を落とし、今年は二軍でも防御率7点台と結果を残すことができず、プロ入り後初となる一軍登板なしに終わったが、通算226試合に登板している実績は貴重である。何かきっかけをつかめばまだ復活する可能性も十分にありそうだ。  投手では渡辺雄大(ソフトバンク)と三ツ間卓也(中日)の2人も面白い。渡辺は青山学院大では実績はなかったものの、BCリーグの新潟で力をつけて26歳となる2017年のドラフト育成6位でソフトバンクに入団。二軍、三軍で実績を残して昨年8月に支配下登録されている。その後は肘の故障もあって一軍登板は3試合にとどまったものの、今年も二軍では34試合に登板して防御率1.67と安定した成績を残している。左のサイドスローから投げ込むスライダーは打者の手元で鋭く変化し、左バッターにはかなり厄介なボールとなっている。戦力外が報じられたのは今朝で、今後についての意向は不明だが、貴重な左の中継ぎとして需要の高い選手であることは間違いない。青山学院大時代の同期である杉本裕太郎(オリックス)が今年大ブレイクを果たしただけに、渡辺もここからもう一花咲かせることを期待したいところだ。  三ツ間は渡辺と同じくBCリーグの武蔵で力をつけて2015年の育成ドラフト3位で中日に入団。1年目のオフに支配下登録されると2017年には35試合に登板して2勝11ホールド、2019年にも29試合に登板して2勝4ホールドとブルペン陣を支える1人として結果を残している。また昨年7月のヤクルト戦では延長戦でベンチにいた野手を使い果たしていたため、代打として出場して話題となった。今年は二軍でも29試合に登板して防御率は4.05に終わっているが、チームトップタイとなる5セーブをマーク。WHIPも0.98と投球内容自体は決して悪くない。本人も現役続行の意思を表明しており、中継ぎ陣の苦しい球団にとっては狙い目の選手となりそうだ。  野手で圧倒的な実績を誇るのが藤田一也(楽天)だ。プロ入り8年目の2012年シーズン途中にDeNAから楽天に移籍したことをきっかけに才能が開花。これまで2度のベストナインと3度のゴールデングラブ賞に輝き、パ・リーグを代表するセカンドとして長年活躍を見せている。2019年以降は浅村栄斗の加入もあって出場機会が減少し、今年は一軍出場なしに終わった。功労者ということでチームもポストを用意していたとのことだが、本人は現役続行を希望して自由契約となっている。  多くのファンを魅了してきたセカンドの守備力は天下一品で、二軍では3割近い打率もマークしているようにまだまだ力が衰えているわけではない。若手の内野手のお手本としてプレー以外でもチームのプラスになることが考えられるだけに、オファーを出す球団が出てくることも十分にありそうだ。  野手では武田健吾(中日)も注目の存在だ。今年は打率1割台だったものの、シーズンを通じて一軍に帯同し、93試合に出場するなど貴重な戦力となっていただけに、戦力外となったニュースには驚きの声も多かった。オリックス時代の2017年には97試合に出場して61安打、打率.295という成績も残しており、元々パンチ力のある打撃にも定評のある選手である。今年で27歳と年齢的にもまだ若いだけに、外野手が手薄な球団が獲得を検討する可能性もありそうだ。  一度戦力外となってから他球団との契約を勝ち取ることは容易なことではないが、今年もシーズン開幕後に宮国椋丞(DeNA)が育成契約で入団して支配下登録され、古巣の巨人を相手に勝利もマークしている。今後も戦力外となる選手の発表はまだしばらく続くことになりそうだが、1人でも多くの選手が鮮やかな復活を遂げることを期待したい。(文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員

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    【写真】武豊騎手が乗りこなした「ウマ娘」モデルの名馬たち

    インタビューに応じた武豊騎手は、過去のレースで数多くの「ウマ娘」モデルの馬を乗りこなしてきた。【関連記事はこちら】武豊騎手が「ウマ娘」ブームを語る 「よみがえってうれしい」と語った悲劇の競走馬とは▼クリックすると拡大写真とレース名が表示されます

    3時間前

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    作家・小池真理子「平均的な夫婦の千倍の言葉を交わしてた」『月夜の森の梟』が話題

     最新エッセー『月夜の森の梟』が、圧倒的な共感を呼び、話題になった小池真理子さん。夫で作家の藤田宜永さんの病と死に向きあった。お二人と親しかった林真理子さんは、「魂ごとわかり合える」ご夫婦のあり方に、あらためて感激していました。小池さんと林さんの対談です。 【作家・小池真理子が語る夫の死 「小説で書いたことが起こってる」】より続く *  *  * 小池:私たち、子供もつくらずダブルインカムだったので経済的にそんなに困らないし、そろそろ仕事のペースを落として、彼が長くいたフランスに1カ月か2カ月滞在して、そこからヨーロッパをいろいろ回ろうという計画を立てていたんです。私も『死の島』が本になって出てしまえば、あとはゆっくりゆっくりやろうと思っていたので、すごく楽しみにしていたんですよ。 林:そうだったんですね。藤田さんって、基本的には寂しがり屋のお坊ちゃまだったんですよね。 小池:うん、本当にそうです。 林:ピアノを弾いてて、私が「ショパンとジョルジュ・サンドみたい」と言ったら笑ってたけど(笑)。 小池:軽井沢の家は、ピアノを弾くと、音が家中、筒抜けになるんですよ。私の書斎の真下がピアノを置いてある部屋なんですけど、私が仕事をしているときもお構いなしに弾き始めるような、そういう自分勝手なお坊ちゃまでした。私が怒ると「あ、悪い悪い」って言いながら弾き続ける。ある意味、伸び伸び育った人ではありました。 林:育ちのよい感じは、いたるところにありましたよね。 小池:だけど、彼いわく「支配的な母親に育てられなかったら、俺は作家になんかならずに、ずっと福井にいて小さな会社に勤めて、ふつうに結婚して子供をつくってたかもしれない」って。 林:そういうお母さまから逃げて、小池さんみたいな自立した女性と愛し合って、家庭を持ったのは運命だったのかもしれませんね。 小池:母親から逃げたくて、母親の代理を探してたんでしょうけれど、お母さんの役をやってくれる女性なんかいないじゃないですか。林さんも同じような世代だからわかると思うけど、70年代前後から女性の自立が提唱されて、男にツンケンしたもの言いをする女の子たちが増えてきましたよね。彼はそういうツンケンした女性たちを口説いてみて、うまく自分になびいたら自信がつくという流れで楽しんでいた時期があったみたい。 林:藤田さん、どこかで「恋愛経験は少ないほうではないと思うが、すべて小池真理子と出会うためのものだった」と言ってましたよ。 小池:アハハハ。たまに言ってましたね、そういうことを。あの世代の男には珍しく、言われると女性がポッと顔を赤らめて喜びそうなことを、照れずに平気で言えるところのある人でした。 林:でも、それは小池さんだけに言っていたんだと思いますよ。 小池:いやいや、ほかでも言ってたと思いますよ。けっこうほめ上手なので、銀座でもモテていたらしい。 林:まあ、そうなんですね。ところで軽井沢って、私も別荘があるからときどき行くんだけど、アウトレットなんかもあるでしょう。もちろん藤田さんの闘病中はそれどころじゃなかったでしょうけど、普段は軽井沢でお洋服たくさん買ったりしていたんですか? 小池:アウトレットではほとんど買いませんね。基本的に洋服は、東京に出てきたときに買っています。でも、ここ最近はコロナ禍だったし、その前には夫がずっと闘病していたので、洋服なんかぜんぜん買いに行く気分になれませんでしたよ。必要になったら、軽井沢の「しまむら」とかで買うくらい(笑)。 林:えっ、うそ。小池さん、わりとミニマリズムの生活だよね。 小池:林さんに比べたらね(笑)。 林:私、軽井沢でけっこうアウトレットに行くんだけど、このあいだ、わりと高い革のジャケットを買ったら、「お買い上げありがとうございました」ってメールが来たわけ。だけど、それまで買ったことさえ忘れていて、どこにあるのかもわかんない(笑)。 小池:どうしてそういうことが起こるんだろう(笑)。 林:ストレス発散で買い物するけど、それで気がすんで忘れちゃうわけ。よくないなあ、ってつくづく思いますよ。小池さんは、朝起きて、野鳥にヒマワリの種を……。 小池:エサ台に出しておくと、10種類ぐらい野鳥が来ますよ、冬は。 林:そのあと朝食をつくって。 小池:ブランチですけどね。自分でつくって、猫にごはんをやって……。 林:それから執筆に入るんでしょう? すごく清潔ですてきな暮らしですよね。 小池:もともと一人でそういう生活をしていたわけじゃなくて、そこに夫がいたわけです。夫がいなくなったあともそういう習慣をこわしちゃいけないと思って、渾身の努力をしてるんですよ。 林:ああ、そうなんですね。 小池:一人になったからずっと寝てようとか、食事もテイクアウトにしちゃおうとか、生活のリズムをこわして自分勝手にやってたら、私はこわれていくだろうなという予感があったんです。それが怖かったので、夫がいるときと同じ時間に起きて、だるくて体調がよくなくても、それなりにまともな食事をつくって食べる。それは、徹底して自分に課しています。 林:まったく同じ状態でまったく同じことをして、体と心が定点観測していないと、四季の移ろいと心の変化は書けないんですね。 小池:これまでの生活を変えて、私が気持ちのいい、楽な方向に生活の時間割をつくっていたら、確かにこのエッセーは書けなかったかもしれない。見てるものが違ってきちゃいますもんね。 林:そう思います。だからまたすごい傑作をお書きになるんじゃないかと思う。 小池:今のところはダラダラしてますよ。自分をちょっと甘やかしてる。やっぱり疲れました。病気の藤田に寄り添っていた1年と10カ月、そして死別のダメージが、去年よりも今のほうが来ているなと感じるんです。だからあんまり無理せず、ジタバタしないで書いていきたいなと思ってます。 林:この本を読むと、やっぱり夫婦っていいなと思う。最近は一人で生きることがカッコいいという風潮もあるけど、愛する人とめぐり合って、人生を共にするってこんなに尊いことなんだと再認識しましたよ。こんなにも自分を理解してくれて、魂ごとわかり合える人と出会えて、藤田さんはほんとに幸せな人だったなと思う。 小池:二人とも作家になりたくて、実際に作家になったという背景があるから、平均的な夫婦が交わす会話の100倍、千倍ぐらいの言葉を交わしてたと思うんです。だからケンカになったり、家を飛び出したりもしたけど、言葉をやりとりすればするほど、否が応でも相手のことを理解しちゃいますよね。ほとんどのことはわかってたつもりです、彼のことは。 林:この本が何よりもの手向けになりましたね。私も、夫をもっと大事にしないと……。今日は本当にありがとうございました。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 小池真理子(こいけ・まりこ/1952年、東京都生まれ。成蹊大学文学部卒。出版社勤務を経て、78年にエッセー『知的悪女のすすめ』を発表。89年「妻の女友達」で日本推理作家協会賞、96年に『恋』で直木賞、98年に『欲望』で島清恋愛文学賞、2006年に『虹の彼方』で柴田錬三郎賞、12年『無花果の森』で芸術選奨文部科学大臣賞、13年『沈黙のひと』で吉川英治文学賞を受賞。近著に『死の島』『神よ憐れみたまえ』など。最新刊はエッセー『月夜の森の梟』。※週刊朝日  2021年12月10日号より抜粋

    週刊朝日

    1時間前

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    藤浪晋太郎、武田翔太、神里和毅…「トレード要員」で他球団から評価が高い選手

     各球団が来季に向けて秋季キャンプで現有戦力の底上げを図る中、トレードも補強戦略の1つだ。今年は開幕前に巨人とヤクルトの間で田口麗斗と廣岡大志のトレードを敢行。ロッテはシーズン途中にトレードで獲得した国吉佑樹、加藤匠馬が優勝争いを繰り広げるチームに不可欠な戦力として活躍した。  復活が待たれる阪神・藤浪晋太郎は依然として他球団の評価が高い。高卒1年目から3年連続2ケタ勝利とエース格として稼働したが、制球難に悩まされて投球フォームを崩すと、その後の17~20年の4年間で計9勝のみ。  今年はオープン戦で快投を続け、プロ9年目で自身初の開幕投手に抜擢されたが、制球が不安定で4月下旬に登録抹消された。その後は救援に配置転換されたが結果を残せず、9月に登録抹消されて以降はファーム暮らし。21試合登板で3勝3敗4ホールド、防御率5.21と不本意な結果に終わった。 「パリーグの複数球団が調査していると聞いています。藤浪は巨人からロッテに移籍して輝きを取り戻した沢村拓一(レッドソックス)と重なる部分があります。制球難は技術的な問題が当然あると思いますが、精神的な部分も影響しているように感じます。環境を変えることで劇的に変わる可能性がある。あれだけのスピードボールを投げられる投手はなかなかいない。同期入団の大谷翔平(エンゼルス)に引けを取らない潜在能力を秘めているので、このまま伸び悩むのは惜しい」(スポーツ紙デスク)  他球団が今季途中にトレードで調査をしていたのがソフトバンク・武田翔太だ。高卒ルーキーの12年に8勝1敗、防御率1.07をマーク。15年に13勝、16年に14勝とエースへの階段を順調に駆け上がっていたように見えたが、近年は度重なる故障に加えて好不調の波が激しく、先発ローテーションに定着できていない。今季は12試合登板で4勝5敗、防御率2.68。7月10日にファーム降格すると、再昇格しないままシーズンを終えた。 「縦に大きく割れるドロップカーブ、縦と横の2種類のスライダーを軸にした投球スタイルで良い時は手も足も出ない。ソフトバンクは先発の軸として稼働したマルティネスが退団したので、武田をトレードで出すことは考えづらいですが、他球団に行けばエースで復活する可能性を秘めた素材です。出血覚悟で欲しい球団は多いでしょう」(スポーツ紙記者)  野手では俊足巧打が持ち味のDeNA・神里和毅の評価が高い。プロ2年目の19年に自己最多の123試合出場で打率.279、6本塁打、15盗塁をマークするなどリードオフマンとして打線を牽引したが、昨季は88試合出場で打率.191、4本塁打、15打点、4盗塁。中堅のレギュラーを桑原将志に奪われ、楠本泰史、関根大気も台頭している。  外野の中で神里の序列が下がっているが、走攻守3拍子揃ったプレースタイルでこのまま出場機会が失われるのは惜しい。最下位に沈んだDeNAは投手陣の再建が急務になっている。先発陣は大貫晋一の6勝が最多とコマ不足が深刻だ。神里をトレードで放出して、先発要員を補強する可能性は十分考えられる。  楽天から巨人に加入したウィーラー、高梨雄平が新天地で輝きを取り戻したように、トレードで野球人生が大きく変わる可能性がある。今オフに野球ファンが驚くトレードが成立するかもしれない。(安西憲春)

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    2時間前

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    15歳の茶トラ愛猫の看取りと旅立ち 「ここにおるよー」瀕死の借りぐらし猫が喪失感を埋めた

     飼い主さんの目線で猫のストーリーを紡ぐ連載「猫をたずねて三千里」。今回お話を聞かせてくれたのは、福岡県在住のヨガ講師、児玉妙子さん。自営業の夫と高齢猫とのんびり暮らしていた夏の終わり、家の前で一匹の三毛猫と出会いました。その猫は顔に大けがを負っていて、獣医師によると「傷口からしてエンジンルームでの事故」だそうです。前編・後編にわけて掲載します。今回は後編。保護から2ケ月が過ぎると、その猫と猫をとりまく環境に変化がおきました。  >>【前編:振り返った猫を見て「まさか顔に穴?」 ガリガリの一匹を保護した夫婦「どうか猫バンバンを」】から続く  <前編の記事のあらすじ> 顔に穴が空いてように大きなけがを負った野良猫。車のエンジンルームに入って事故にあったと思われました。傷は深く、生々しく治癒していない上に、病気もあり、相当厳しい状態。それでも児玉さん夫婦は見捨てることができず、保護することを決めました。先住猫いたので、隔離しながらの生活です。児玉さん夫婦は、まだ名前をつけることができず、親しみを込めて「あいつ」と呼んでいました。 *  *  * 保護から2ケ月、「あいつ」に変化が起きました。 「あいつ」は玄関でひとりでいる時に、にゃあにゃあと鳴くようになったのです。ごはんをあげる時の狂わんばかりのトーンとは違う感じの声です。人恋しい、とでもいうような。  もしかしたら、わが家にきて、外の生活では感じなかった「さみしい」という感情に出会ってしまったのかもしれません。大けがをしてしんどい時に、そばに人間でもなんでもいた方が気がまぎれるとか、そんな感じなのでしょうか。  前編でも紹介したとおり、家には15歳の「きな」という茶トラのおばあちゃん猫がいました。大けがを負った「あいつ」は、白血病ウイルスは陰性、猫エイズが陽性でした。傷がひどいので、「きな」といきなり接触させないように隔離していたのです。だから「あいつ」は玄関のケージで生活していました。  にゃあにゃあという声が玄関から聞こえると胸が痛みました。始終そばにはいられないし、まだまだ(傷の具合からしても)「きな」と一緒にできません。そこがすごくつらかった……。でも「こちらも最大限尽くすので、君も早く傷を治して、私たちや『きな』と思いきり一緒にいられるようにがんばれ」と思うようにしました。  完治するまで(お金も時間も)どれくらいかかるかわからないけど、「きれいになった顔の写真が撮れる日が早くきたらいいなあ」と思うようにもなりました。  獣医の先生は「どうなるかわからないが、鼻ぺちゃのパグみたいになるかもしれない」とおっしゃいました。私は、ニュータイプの猫さんになるかもな、と。もちろん、どんな見た目でも気にしません。猫である時点でもう、かわいいのだから。  とにかく助けた以上はなんとか命をつなぎたいし。私にできることがあれば、精いっぱいやってあげたい。まさに、これは献身のヨガ。バクティヨガです。何でも修行に結びつけてしまいますが(笑) ◆ 先住猫と同居はかなわなかったけど 一字もらって命名 「あいつ」と出会ったのは8月の終わり。9月、10月と「あいつ」が玄関のケージ内でけがの治癒に向けてがんばる一方で、部屋にいるおばあちゃん猫「きな」の状態が悪くなっていきました。もともと「きな」は慢性腎臓病を患っていたのですが、11月になり容体が悪くなり、半月ほど点滴を受けるなどして、闘病を続けました。  悟り開き系の女子猫と、おばあちゃん猫は、“合う”かもなんて同居を夢みましたが、残念ながら叶わず、「きな」は先日、息をひきとりました。  「きな」は15年前、以前住んでいたアパートの前で出会った野良の茶トラでしたが、茶トラの雌というのは珍しいそうです。わがまま放題のお姫様で、気が強くて……でも優しく、美しかった。  じつは私たち夫婦は、1月にも、茶トラの「まる」という雄猫を14歳で亡くしているんです。「まる」は、私と夫の目の前を走る車に急にぶつかり、保護した猫でした。まるで、体を張って「僕を拾って」とアピールするようでした。  『ラブストーリーは突然に』という歌がありますが、猫との出会いもいつも突然に訪れる。そして別れはいつも悲しいもの。  「まる」の最期は(都合で)夫だけで看取り、「きな」の最期は私がしっかり看取りました。ひとりぼっちで逝かせなかったことはよいのですが、いざいなくなると想像以上の喪失感でした。私たち夫婦には子どもがいませんが、子どもが巣立った後はこんな感じかなと……。  けれど「あいつ」がおなかをすかせています。「ここにおるよー」と鳴きます。「あいつ」のお世話をさせていただけるのだから、ぼんやりしてもいられません。 「きな」が旅立ったあと、「あいつ」の正式な名前を決めました。  それまで呼んでいた「あいつ」の“つ”と、「きな」の“な”をもらい、「つな」としました。  これは想像ですが、「きな」は体が悪くなる前に、扉越しに「つな」に猫語で話していたんじゃないかな。 「私、だいぶ腎臓が悪いんよ、こいつら夫婦のこと頼むよ。こいつら、猫おらんかったらダメだから」  ……そう思えるほどのがんばりを、「つな」は「きな」亡き後に、見せてくれました。 ◆「つな」の頑張りと、わたしからのお願い  12月に入り、「つな」との生活は、3カ月を越えました。獣医の先生も驚いていました。  かさぶたが取れて傷が少しよくなったので、ケアも前進。今は「つな」を洗面台に連れていき、洗浄ボトルにいれた水で顔の傷口を洗い流すようにしています。洗った後は赤ちゃん用のおしりふきで優しくぬぐい、そこに抗生剤入りの軟膏を塗り、目薬も差すようになりました。 ふつう、猫は一つの場所にとどまるのが苦手だと思うのですが、「つな」は洗面所でもおとなしくして、やはり動じません。  ただ、少し前に病院に行った時。先生が、「傷は治ってきているが、基礎疾患もあるし、年を越すのは難しいかも。怪我が治る前に病気で逝くかもな」とつぶやいたのです。  余命を突き付けられた感じです。  でも余命はあまり気にしていません。  毎日お世話をしてきて、人間とは違う猫の生命力のすごさを身に染みて感じているから。  もし「つな」が先生のいうように年を越せなかったとしても……寒くないようにして、ごはんを食べて、最期の時までゆっくりと過ごしてくれればうれしいし、もっと生きてくれるのは大歓迎。  そもそも、「つな」は、事故がなければ地域猫として、(病気を抱えながらも)外で今も自由に暮らしていたはずです。大けがを負ったのは、車=人間のせいだと思っています。  私は「つな」のけた外れのファイトを称えたいと同時に、事故に遭ったことに意味を付けたかった。だから、少し衝撃的な話だけれど、このコーナーに応募しました。  これから寒くなるにつれて、外にいる多くの猫さんが、暖を取るためにタイヤの間やエンジンルームに入りやすくなります。どうか、車に乗ったらエンジンをかける前に、車のボンネットをバンバンと叩いて猫さんに知らせる(車から出す)「猫バンバン」をしてみてください。  「つな」と私からの、お願いです。  (水野マルコ) >> 【前編:振り返った猫を見て「まさか顔に穴?」 ガリガリの一匹を保護した夫婦「どうか猫バンバンを」】を読む 【猫と飼い主さん募集】「猫をたずねて三千里」は猫好きの読者とともに作り上げる連載です。編集部と一緒にあなたの飼い猫のストーリーを紡ぎませんか? 2匹の猫のお母さんでもある、ペット取材歴25年のベテラン・水野マルコ記者が飼い主さんから話を聞いて、飼い主さんの目で、猫との出会いから今までの物語をつづります。虹の橋を渡った子のお話も大歓迎です。ぜひ、あなたと猫の物語を教えてください。記事中、飼い主さんの名前は仮名でもOKす。飼い猫の簡単な紹介、お住まいの地域(都道府県)とともにこちらにご連絡ください。nekosanzenri@asahi.com 連載一覧はこちら>>

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    23時間前

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    小室圭さん帰国便同乗者が目撃した姿「彼はまるでエグゼクティブ」 自宅前では深々とお辞儀

    颯爽と歩きながら、小室圭さんがアメリカから帰国した。日本の地を踏むのは2018年8月に渡米して以来、3年2か月ぶりだ。  成田空港は多数の報道関係者が集まっており、ピリピリムード。報道陣に対して、カメラのフラッシュ禁止、声掛けも禁止といった規制が敷かれていた。報道関係者からは「どうして?」と不満の声も漏れていた。  午後3時20分過ぎ、成田空港に飛行機が到着。一般客が飛行機から降りたあと、小室さんが、報道陣の前に姿を現した。警護と思われる男性やキャビンアテンダント(CA)の女性などに囲まれていた。キャリーバックを転がしながら、白マスクに、濃紺のスーツ、ストライプの入ったシャツ、ノーネクタイといういで立ちで、髪の毛は後ろに縛っていた。  飛行機から出てきた小室さんは報道陣に一礼したあと、新型コロナウイルスの抗原検査、そして入国手続きに進んだと見られる。  小室さんは機内でどのような様子だったのか。偶然、同乗していた男性(51)に話を聞くことができた。 「私がファーストクラスで座っていると、ドアが閉まるギリギリになって小室さんが搭乗してきました。まるでエグゼクティブのようでした。後ろの髪を結っていたので、すぐに彼だとわかりましたね。彼一人に女性CAが2人くらいついて、会話しながら案内されて入ってきました」  当初はエコノミークラスのチケットを買ったと報じられていたが、この男性はこう語る。 「右の列のビジネスクラスの前方の席で、窓際に座っていましたね。私の席から右斜め後ろのほうの席でした。ただ、カーテンでファーストクラスとは仕切られていたので彼の表情などはわからなかったです」  男性は飛行機から降りた後、抗原検査のために、大きめの部屋に移ったという。40分ほどその部屋に滞在したが、そこに小室さんの姿はなかった。 「今か今かと待っていたのに、残念でした」(男性)  そのころ、到着ロビーには多数の報道陣のほか、「皇室系Youtuber」といったタスキをかけた人物や一般客も小室さんの姿を一目見ようと集まっていた。その数、50~60人ほど。  津田沼から来たという白髪交じりの一般男性は手にハンディカムを持ち、小室さんを待ち構えていた。妻に頼まれて自宅で見るために撮りに来たという。  しかし、小室さんは一般客が使う到着ロビーを通らず、地下駐車場から車に乗り込み、成田空港を後にした。「地下駐車場から空港を出たらしい」と男性に知らせると、「こんなに待っていたのに……」と不満げな様子だった。  小室さんを乗せた乗用車が向かった先は、母・佳代さんが住む横浜の自宅だった。自宅前は朝から報道陣が詰めかけ、警察は臨時の派出所を設置し、周辺警備に当たるなど、ものものしい雰囲気が漂っていた。夕方には100人を超える報道陣が押し寄せており、ベランダから様子を一目見ようとする住民の姿も見られた。  19時過ぎ、小室さんを乗せた車が到着。警察が後部座席のドアを開け、車から出てきた。小室さんは、報道陣から「どんなお気持ちですか」と声を掛けられたが、反応は示さず、自宅マンションの入り口で2回ほど深々とお辞儀をして、黒いスーツを着た男性らと中に消えていった。  近くに住む60代の男性はこう語る。 「ヘリコプターの音がすごくて『何事か』と思って見に来た。3年前の婚約会見後のときと同じような状況だと感じましたね。小室さんがニューヨークに行ってからは、静かになっていたんだけど……。またしばらく騒々しくなるのかなと思っています。どの家庭も問題を抱えていますし、小室さんと眞子さまも早くアメリカで幸せになってほしいですね」    小室さんは今後、自宅で2週間の隔離を終え、その後、記者会見に臨むと見られている。果たして何を語るか。注目が集まる。 (AERAdot.編集部/上田耕司、飯塚大和、吉崎洋夫)

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    小池真理子も驚いた夫の“切ない愛の言葉” 「よくそんなセリフが…」

     昨年、作家で夫の藤田宜永さんを亡くされた小池真理子さん。作家・林真理子さんとの対談では、藤田さんの闘病や死をつづったエッセー『月夜の森の梟』を刊行した理由を明かしてくれました。 *  *  * 林:お久しぶりです。軽井沢はもう冬の装いですか(取材は11月初旬)。 小池:そうですね。今年の秋は例年より暖かいんですけど、冬はすぐそこまできてる感じです。 林:小池さんの最新刊『月夜の森の梟』は、朝日新聞に連載していらしたエッセーをまとめたものですが、連載中からすごい反響だったんでしょう? 小池:そうなんです。連載を始めたのは去年の6月からだったんですけど、最初の1、2回は感想メッセージがポツポツって感じだったのが、回を重ねるうちにトータルで千通ぐらいメールや手紙をいただいて。 林:亡くなったご主人の藤田宜永さん(作家)との思い出を、素晴らしい文章でつづったエッセーですが、読者からのお手紙を読んで、つらくなったりしませんでした? 小池:ううん。私は読むのがすごく楽しみでした。感想をくださるのは死別を経験した方が多かったです。配偶者だけじゃなくて、両親や兄弟姉妹、恋人、ペットとかいろいろで、一つひとつの手紙にその人の人生が詰まっているんです。「週に1回、この連載を読むと滂沱(ぼうだ)の涙になってしまうので、家族から離れて、誰にも見られないところに新聞を持っていって読んでいます」とか。 林:私も毎週読んでいました。軽井沢の四季を織り込みながら、人が生きるとはどういうことか、死とはどういう意味を持つのか、毎回短い文章でよくここまで掘り下げて書かれて、しかもそれがさりげなくて、作家のワザをみせられたという思いでしたよ。今回、一冊の本にまとまったものを読むと、毎回毎回、同じ感想を持つものがないってすごいなと思いました。 小池:「藤田さんのことを書きませんか」という依頼を受けたのが去年の4月でした。亡くなったのは1月30日だから、まだ2、3カ月しかたっていなかったですね。私はぜんぜん仕事ができない状態だったし、以前の自分とはまったく違う精神世界の中にはまっていた時期でした。すごく迷いましたが、作家って、新しいものを書くときに、何かしら「たくらみ」があるものでしょう。でも、新たな境地なんか切り開こうとしなくていいから、ただただ悲しみにひたっているこの風景を、散文詩のように書いていけるのであれば、と思って引き受けました。 林:ああ、散文詩のように。 小池:散文詩って起承転結もないし、散文的な文章なら、自分のこの悲しみを、正直にてらいなく書けるんじゃないかと思ったんですね。たくさんの野鳥が毎年卵を産んで元気なヒナがかえり、キツネやテンが行き来している。そういった自然界の法則って、私がどんなに嘆き悲しんで孤独にあえいでいても、それまでどおりの秩序の中で淡々と繰り返されていくわけですよね。そんな世界に自分を放り込んで暮らしているうちに、自然と言葉が生まれてきたみたいです。 林:藤田さんは、亡くなる少し前に「年をとったおまえを見たかった。見られないとわかると残念だな」とおっしゃったとか? こんな切ない愛の言葉、聞いたことないというぐらいすごいですよ。やっぱり藤田さん、作家なんですよね。 小池:病気になってからは、それに類することをよく言ってました。生き続けたかったんだと思います。「俺は三島が好きだったけど、今は太宰治になった」とか言って、太宰の虚無主義的な生き方を参考にして、自分の死を一生懸命受け入れようとしてたんですけどね。でも、死が近づけば近づくほど、この人は今、本当に生きたがっている、死にたくないんだ、というのが伝わってきてつらかったです。どれだけがん細胞に侵されても、「生きたい」と願っていた。そういう状態の中で、よくそんなセリフが出てきたな、と今は思います。 林:本当にそうですね。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 小池真理子(こいけ・まりこ/1952年、東京都生まれ。成蹊大学文学部卒。出版社勤務を経て、78年にエッセー『知的悪女のすすめ』を発表。89年「妻の女友達」で日本推理作家協会賞、96年に『恋』で直木賞、98年に『欲望』で島清恋愛文学賞、2006年に『虹の彼方』で柴田錬三郎賞、12年『無花果の森』で芸術選奨文部科学大臣賞、13年『沈黙のひと』で吉川英治文学賞を受賞。近著に『死の島』『神よ憐れみたまえ』など。最新刊はエッセー『月夜の森の梟』。※週刊朝日  2021年12月10日号より抜粋

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    「嘲笑の的」だったフレディの姿は“戦略的演出” 楽曲は「人生の応援歌」 80年代のQUEENの魅力

     結成50年、フレディの死から30年。足跡をたどるQUEEN展が開催中。「ボヘミアン・ラプソディ」に代表される70年代に限らない、彼らならではの魅力がそこに。AERA 2021年12月6日号の記事を紹介する。 *  *  *  大型スクリーンに映し出されたフレディ。一度見たら忘れられないあの顔が、マイクを手に歌い上げる。1985年7月、世界規模で開かれたロックのチャリティーコンサート「ライブ・エイド」でのクイーンの雄姿である。  ああフレディ・マーキュリー。早世したロック界のマラドーナ、異形の大輪の華よ。フレディなくしてクイーンが不朽の存在であることは、おそらくなかったろう。91年にエイズのため45歳で死去。その生涯を描いた大ヒット映画「ボヘミアン・ラプソディ」のクライマックスは、圧倒的パフォーマンスで語り草になったこのシーンだった。  フレディ、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・ディーコン。不動のメンバーがそろった結成から50年、フレディの死から30年の今年、その足跡をたどる「QUEEN50周年展」が東京・渋谷の西武渋谷店モヴィーダ館で開催中だ(来年2月13日まで)。  メンバー4人の子どものころの貴重な写真(ブライアンの女装姿など)に始まり、前身バンド「スマイル」時代、73年のデビュー、そして美貌の4人が織りなす、ロック史に輝く不滅の名曲「ボヘミアン・ラプソディ」に代表される怒濤の快進撃が年代順に紹介される。 ■80年代は人気低落?  QUEEN展は結成40周年の年や昨年初めにも開かれたが、「今回はあまり日の当たらない『ライブ・エイド』後の80年代後半以降に焦点を当てた」と製作委員会の担当者。86年の欧州ツアーでフレディが身にまとったド派手なマントと王冠や、晩年の曲「愛しきデライラ」のアイデアが走り書きされたメモ用紙の展示が目を引く。 「彼は先が長くないのはわかっていたけれど、決して哀れみを乞うようなことはなかった」  とフレディについて語るブライアンの最近のインタビュー映像も。 「企画の趣旨はとてもうれしい。80年代の楽曲はずっと無視されがちだったから」  と話すのは朝日順子さん(51)。英語と日本語のバイリンガルで、全楽曲の歌詞を解説した『クイーンは何を歌っているのか?』を一昨年に出版。曲を深掘りするNHK-FMの毎週日曜の番組「ディスカバー・クイーン」にも出演している。  朝日さんと一緒に、クイーン展を見て回った。  父の仕事で子ども時代を米国で過ごした朝日さんは80年、小学4年のときに帰国。年上のいとこからクイーンのライブ盤を借りて聴き、夢中になった。 「でも80年代になってクイーンの人気は落ち込み、私の周りにはファンなんていなかった。音楽雑誌にも載らなくなっていた」(朝日さん)  75年に初来日したクイーンは、長髪で痩身、中性的で美しいルックスもあいまって、それまでロックと縁のなかった少女たちから絶大な支持を獲得。洋楽ロックの世界を席巻した。  当時筆者は(すでに解散していた)ビートルズ好きの北海道の中学生。キャッチーでノリのいいハードロックと「キラー・クイーン」「ボヘミアン・ラプソディ」の素晴らしさに仰天した。アルバム「オペラ座の夜」は新時代の「サージェント・ペパー」のようだった。ロック以外のさまざまな要素を取り込む創作法もビートルズと似ていた。 ■舞台芸術と自己演出  だが全身にぴったり張り付いたタイツに身を包み、怖いもの見たさの女子をドキドキさせるようなフレディのパフォーマンスは、ロックの華麗さと猥雑ぶりが満開。田舎の男子学生をひるませた。  80年代になると短髪にひげ、「ハードゲイ風のファッション」が彼の定番となり、「遠い存在」と正直感じた。  80年にクイーンの楽曲にほれ込み、ファンになった朝日さんにとっては、ファッションより曲こそが重要だった。 「80年代、フレディの姿は嘲笑の的だった。でもそれはいい。ゲイファッションが欧米のロック界で流行、彼は戦略としてその波に乗ったんです。70年代の中性的な衣装もそう。彼は舞台芸術と自己演出に関心と才能があった」「でも、80年代の彼らの素晴らしい音楽まで馬鹿にされるのが不思議で、とても腹が立ちました」 ■寄り添ってくれる歌  85年5月、中学3年の朝日さんはオリジナルメンバー最後のクイーン日本公演に行った。2カ月後のライブ・エイドではテレビの前にかじりつき、クイーンの「伝説のチャンピオン」の途中でCMになり激怒した。  91年11月24日、フレディ死す。朝日さんは大学生だった。生前最後のアルバム「イニュエンドウ」を聴けなくなった。正気を保てなくなる気がしたからだ。2018年に映画「ボヘミアン・ラプソディ」公開。見て平静でいられなかった。クイーンはいまも生々しい存在なのだった。  クイーンの歌詞は、70年代では伝説や神話を取り入れるなど英国的に作りこんだ曲が目立つが、80年代になると、米国進出を意識したこともあり、シンプルさが特徴という。 「人生の応援歌と解釈できる歌がいくつもある。厳しい現実に立ち向かう勇気を与えてくれる。現実から逃れたいときに聴いても最強。しっかり寄り添ってくれる歌だから。SNSでバッシングされて悩む人にもクイーンのよさを勧めたい」(朝日さん) ■あこがれと美を体現  クイーンは、デビューからずっと英国などで評論家筋に叩かれ続けたバンドだ。ロックがカウンターカルチャーでなくなり、娯楽となった時代に大成功したせいもあるかもしれない。 「第二の母国」と呼ぶほど愛した日本のファンへの対応は格別だ。一部が日本語で歌われる曲「手をとりあって」では「僕らはみんな愚かで無知だと人は言うだろう でも心を強く持って くじけてしまわないで」と呼びかける。それがファンの心に刺さるのだ。  70年代に日本の少女の心をワシ掴みにしたクイーン。あこがれと美を体現する存在として、メンバーを少女漫画のイラスト風に描くなど多くの人が「私だけのクイーン」愛を育てた。年齢を重ねたいまも想いが変わらない人もいるだろう。  長年のビートルズファンである筆者は何となくわかる気がする。ジョンとポールが演奏中に軽く笑顔でうなずきあう映像を見ると、満ち足りた、幸せな気分になる。この喜びは他のものでは代えがたい。ファンにしかわからない愛し方があるのだ。 「地獄へ道づれ」「永遠の誓い」「アンダー・プレッシャー」「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」「ONE VISION─ひとつだけの世界─」「アイ・ウォント・イット・オール」──。80年以降の名曲の数々。あ、どこかで聴いたな、という曲ばかりだ。  アフリカの非キリスト教徒の家に生まれ、インドで育ち、難を逃れ英国に移り住んだフレディの人生を思うとき、その背景と才能が、クイーンを唯一無二の「娯楽としてのロックの巨人」たらしめたと思わずにいられない。  THE SHOW MUST GO ON.(ライター・小北清人)※AERA 2021年12月6日号

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    作家・小池真理子が語る夫の死 「小説で書いたことが起こってる」

     昨年亡くなった、夫で作家の藤田宜永さんとの思い出をつづったエッセー『月夜の森の梟』が、新聞連載時から多くの共感を呼んでいる作家・小池真理子さん。ご夫婦ともに親しかったという林真理子さんに、二人の暮らしを語っていただきました。 【小池真理子も驚いた夫の“切ない愛の言葉” 「よくそんなセリフが…」】より続く *  *  * 林:『月夜の森の梟』の前に出された『神よ憐れみたまえ』は、構想10年の書き下ろしということでしたが……。 小池:あの作品は、残り150枚か200枚ぐらいまで来ていて、あと少し書いたら推敲、というところで、藤田が末期がんの宣告をされたんです。 林:まあ、そうだったんですか。 小池:私はちょうどその数カ月前、『死の島』という、がん患者の尊厳死をテーマにした作品の連載を終えたところでした。藤田をモデルにしたわけでもなんでもなくて、ずっと前からあたためていたテーマだったんです。でも、彼のがんがわかったのは、『死の島』が、単行本になって刊行された2週間後。でも、作家ってこういうことありません? デジャヴ(既視感)というか。「これ、私が以前小説で書いたとおりのことが起こってるな」と思うことが。 林:あります、あります。 小池:いきなり「末期の肺がんで、余命半年です。年を越せるかどうかわからない」って言われて。それが2018年の春でした。もう、書くどころじゃなくなってしまって。 林:「相棒をなくしたような気持ち」って、書いてましたね。 小池:「おしどり夫婦だったから」とか「ラブラブでしたもんね」とかおっしゃる方が多いんですけど、それはかなり遠い昔に卒業しています。彼の死をあえて形容すれば、森の中の湿った巣穴の中で、居心地よく一緒に住んでいた相手の動物が、罠にかかって死んじゃったみたいな、そういうイメージですね。 林:「私たちは繭のように生きてきた」って書いてありますけど、あのすてきなおうちの中で、ピアノを弾いたり、猫ちゃんと戯れたりしながら、あまり外に行くこともなく、外食もなさらず。 小池:二人とも出かけるのが面倒くさいインドア派。彼は外食をあまり好まなかったし。私は毎日、夕方の6時にはパソコンを閉じて、誰かと電話をしていても切り上げて、キッチンに行ってごはんをつくってました。彼は6時40分になると、同じ敷地にある仕事場から帰ってくるんですね。判で押したように帰ってくるから、自分のことを「判で押した君」とか言っちゃって(笑)。 林:二人で巣の中にいて、仕事して、毎日一緒にごはんを食べて、毎日同じように過ごして、ずっとしゃべってしゃべって……。 小池:さすがに飽きてましたよ、それは(笑)。三十数年間ですよ。だけど、お互い「飽きたねえ」って隠さずに言い合えたんですね。「もう飽きた。生まれ変わったら別な人と生きたいよね」みたいなことを言いながら、夜になったら、「きょうは『刑事コロンボ』見て寝ようか」「そうしようそうしよう」となる。男女とか夫と妻を超えた、巣穴の中の動物同士みたいな感じでしたね。 林:「すべての財産を妻・真理子に贈る。『送る会』はするな」が、遺言だったんでしょう? 小池:彼は一人っ子で、私たちには子供がいなかったしね。「死んでまで人に顔をさらして気を使いたくない。お通夜、告別式もいらない。お別れ会は絶対するな」とずっと言ってました。そのほうが私もラクだろう、という気づかいもあったんでしょうね。 林:入籍したのはいつですか。 小池:彼が60歳になった年で、11年くらい前かな。事実婚だと、どっちかが病気になったり、死んだりしたときに手続きがすごく大変だと聞いてたので、60でちょうどきりがいいし、ということで。 林:夫婦で同時に直木賞の候補になって、小池さんが受賞して、藤田さんはとれなかったとき、「胸の奥に水色の淡い、哀しい煙のようなものがわきあがってきた」ってこの本に書いてあるけど、そのあと藤田さんが直木賞をとって、朝日新聞は1面トップで扱ってましたよね。 小池:しかも、真ん中にカラー写真よ。ハグし合っちゃって(笑)。あれは驚きましたね。 林:いまだかつて、直木賞が1面でカラー写真なんてなかったと思う。だから夫婦で直木賞ってどれだけすごいことだったか。あのとき、軽井沢から来る小池さんをみんな待ってたんですよね。 小池:途中、携帯で連絡をとりながら新幹線に乗ってて、文春の司会者が会場で「ただいま小池さんは大宮を通過しました」って(笑)。私の担当編集者が東京駅まで迎えに来てくれて、すぐに駆けつけたら……。 林:カメラのシャッターがバシャバシャッと。 小池:私も込み上がってくるものがあって、思わずお互いハグし合ったところを撮られたんです。 林:直木賞がいちばん有名ですけど、その先に私たちエンタメ系作家の目標となる吉川英治文学賞という大きな賞があって、夫婦が受賞者って、もう絶対出てこないと思うけど、小池さんが先にとって、その何年後? 小池:私の吉川英治文学賞が13年で、彼が17年だから4年後。がんが発覚する1年前でしたから、私はそれはほんとによかったと思っています。彼は吉川英治文学賞を受賞する前後から、疲労を訴えることが多くなっていました。吉川英治文学賞という最高峰の賞がとれたので、「お互い、もう少し休み休みやろうよ」と言い始めていたんですが。 林:藤田さん、人間ドックとかには入ってなかったの? 小池:病院とか検査とか、大嫌いでしたもん。「検査受けてきてよ」と言うと、「イヤだ。死んでも行かない」とか言って、そこでケンカになるという感じ。 林:ああ、そうでしたか。 (構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄) 小池真理子(こいけ・まりこ/1952年、東京都生まれ。成蹊大学文学部卒。出版社勤務を経て、78年にエッセー『知的悪女のすすめ』を発表。89年「妻の女友達」で日本推理作家協会賞、96年に『恋』で直木賞、98年に『欲望』で島清恋愛文学賞、2006年に『虹の彼方』で柴田錬三郎賞、12年『無花果の森』で芸術選奨文部科学大臣賞、13年『沈黙のひと』で吉川英治文学賞を受賞。近著に『死の島』『神よ憐れみたまえ』など。最新刊はエッセー『月夜の森の梟』。 >>【作家・小池真理子「平均的な夫婦の千倍の言葉を交わしてた」『月夜の森の梟』が話題 】へ続く※週刊朝日  2021年12月10日号より抜粋

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    1年に3日しか休めなかった心臓外科医が、働き方も診療の質も劇的に改善させた「業務改革」とは

     忙しい医師の世界のなかでも、とりわけ多忙と言われる心臓血管外科医。神奈川県の菊名記念病院・心臓血管外科部長の奈良原裕医師も、これまで「年に3日しか休みがない」という生活を送っていた。こうした働き方では「医療の質も担保できない」と危機感を覚えた奈良原医師は、業務改革に取り組み、働き方のみならず診療の質を向上させることにも成功した。会社員を経て医学部に入り、38歳で心臓外科医になったという“異色”の医師は、どうやって心臓血管外科を変えていったのか。<<前半・偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生>>から続く *  *  * 北陸新幹線の佐久平駅から車で30分。長野県佐久穂町立千曲病院に、奈良原医師は毎週金曜日、東京から片道2時間半かけて日帰りで勤務する。 「佐久穂町は意外と近いですからね。以前は、片道3時間半かけて新潟県・松之山や5時間半かけて北海道・木古内に日帰りで診療に行っていました」  奈良原医師は、中央大学法学部を卒業後、一般企業での4年半の社会人経験を経て、29歳で医学部に合格。35歳で卒業後、激務ゆえ学会では「30歳以下でなることが望ましい」と言われるという心臓血管外科医を38歳からめざしたという“異色”のキャリアをもつ。  現在、常勤先である菊名記念病院の心臓血管外科部長として多忙な日々を送るなか、奈良原医師は週に1回、医師不足の町へと日帰りで診療を行っている。だがそれができるまでには、10年にわたる心臓血管外科の業務改革が必要だったという。 ■「1ヶ月のうち91%は病院で過ごしていた」  10年前、菊名記念病院心臓血管外科は、奈良原医師とその上司の2人で切り盛りしていた。病院のそばに住んではいたものの、家に帰ることはほとんどなく、病院に泊まることもしばしばだった。 「振り返ってみると、1ヶ月のうち91%は病院で過ごしていたようです。一番ひどい年は、年間の休みは3日だけ。そのうち1日は地方の結婚式に、残りの2日間は学会に出席していました」  奈良原医師が同病院で働き始めた2008年ごろ、患者の50%以上は救急患者だった。救急で来るということは当然、緊急性が高いため、すぐに治療しなければならない。夜中に飛び起きて手術、外来で待合室に患者がいても手術を優先する、という日常生活を送っていた。手術が終わっても一段落とはいかない。重症患者の場合、術後の不整脈や再出血など、さまざまな対応をしなければならなかった。  重症ゆえに日曜日も入院患者の様子を見る必要があった。別の診療科の医師がすぐ対応できるほど、心臓手術後の患者の対応は「甘くない」という。結局、週7日で勤務する日々が続いていた。 「1人の患者に対する業務量はかなり多い。忙し過ぎれば医療の質が落ちる可能性もあるし、場合によっては安全性も担保できないかもしれない。このままではだめだ、という危機感がありました」 ■起死回生のFacebookで「いいね」3000超え  そこで上司と一緒に始めたのが、Facebookでの情報発信だ。「当時、病院がSNSで情報発信するのは珍しかった」と奈良原医師は振り返る。内容は、診療に当たって日頃思っていることや一緒に働く仲間のこと、今日食べたランチなど心臓血管外科医の日常をありのままにつづるというもの。これを写真とともに投稿したFacebook記事には3000以上の「いいね」がつき、先駆的な試みとして医療系のメディアで紹介されることもあった。 「発信の目的は自分たちを知ってもらうこと。私たちの人となりを見てもらって、患者さんや他院から少しでも信頼していただけたらと。その結果、こんな先生がいるからここで手術してもらってはどうですかと、他院から患者さんたちが次第に紹介されるようになりました。紹介患者さんの手術は緊急ではなく予定された手術としてスケジュールが組めるので、看護師さんたちも含めて仕事がやりやすい。仕事の予定が立つというのは、救急患者ばかりのそれとは負担感が全く違います。結果的に、手術後の患者さんの病状も安定していることが多くなります」  手術前の診療にも良い影響があった。紹介で来院した患者と話すと、「先生のことはFacebookでよく見ています」「このあいだ投稿していたお弁当、おいしそうでしたね」と話が始まる。初対面でもうち解けた雰囲気で、患者との信頼関係をつくることができた。  さらにFacebookを見た医療関係者のなかから、この病院で働きたいという若手があらわれた。働き方改革だけでなく、仲間を増やすこともできたという。  休みがほぼない状況で働きつづけて10年。二人の部下ができたおかげでやっと週に1日の休日を手に入れた。しかし奈良原医師は「休みができたからには、何か世の中のためになることをやりたい」と考え、空いた時間を地域医療に使うことにした。社内で評価されることを第一に考えて働いていた会社員生活を捨て、人のために働きたいと思って医師の道へ――。そのときの思いが自分を突き動かしたという。 「地方では、6、70代、場合によっては80代の先生が一人で頑張って医療を支えているところも多い。また、必要な専門医が不在なため医療が不十分となっている地域もあります。そこで医師不足で困っているところのお手伝いをしようと考えました」  全国自治体病院協議会という団体に相談し、2016年、新潟県十日町市の松之山診療所で診療を始めた。 「ある先生がたった一人でやっている診療所なのですが、その先生は午前中に別の診療所で働き、午後にそこから車で1時間近くかかる松之山診療所に来るという働き方をしていました。医師が足りていないため、そうせざるをえないようでした。週に1日だけでも支援してくれるとありがたいということで、毎週金曜日に日帰り診療に行くことになりました」 ■都市部と地方の交流で医療格差を解決したい  地方では「こんな遠いところまで日帰りで来てくれる医師はいないだろう」という発想になりがちだと奈良原医師は言う。 「だからニーズがあるのに、それを上手く生み出せていません。でも今は、新幹線をはじめとして交通も発達しているから、都市部から地方に日帰りすることも可能です。また、会社もそうですが、4月になって人が入れ替わると、組織が活性化しますよね。外部の医師との交流が生まれることは、地方にとってもいい効果があると思っています」  奈良原医師は今、自身のSNSで、佐久穂町への日帰り診療の様子を発信し続けている。診療のことだけでなく、食べたものや町で行われたイベントについてなど、話題はごく身近なものも多い。 「都市部と地方の医師の交流が進めば、医師の偏在や地域間医療格差の解決につながるのではないかと、本気で思っています。どちらの医師にとっても、またそこで暮らす患者さんたちにとっても良い流れになったらいいなと思って、楽しみながら日帰り診療を続けています」 (白石圭) <<前半・偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生>>から続く

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    東大卒ママも夢中に!人気キャラのカードゲームで、子どもの「算数脳」が鍛えられるワケ

     うつ病を克服し、偏差値29から東大に合格した杉山奈津子さんも、今や小学生の男の子の母。日々子育てに奮闘する中でとり入れている心理テクニックや教育方法をお届けします。  杉山さん自身が心理カウンセラーとして学んできた学術的根拠も交えつつ語る『東大ママのラク&サボでも「できる子」になる育児法』も絶賛発売中です。ぜひご覧ください。 *   *  * 以前、「小学生にとって算数を現実に落とし込んで学ぶ機会があまり存在しない」という記事を書きました。  しかし先日、息子と遊んでいたときに、「これだ!」というものに出合ったのです。 ■カードゲームで、計算をくり返す  それは何かというと、デジタルではなく、アナログのカードゲーム。  私たちがやったものは、「ポケモン」のカードを使ったものでした。  きちんと説明書を読まずにやったので一般的なやり方とは少し違うかもしれませんが……ルールは、手持ちのカードの中からそれぞれキャラクターを6体程度選び、1枚を前に出して、自分と相手が交互に攻撃していく、という簡単なもの。  強いダメージをくらってしまい、カードに書かれたHP(ヒットポイント)の数値を超えてしまうと、そのキャラクターは「きぜつ」して、使えなくなってしまいます。  ただ、弱っていてもギリギリ生きていれば、後ろに引っ込めて、まだたくさんHPが残っているキャラクターを前に出してバトルができるのです。  この、ダメージをくらうときや与えるときに、毎回毎回、とにかく計算をするのです。  たとえば30ダメージを与えるキャラに2回攻撃されれば、合計で60ダメージをくらいます。  そこでダメージの数だけ、小さな数字の紙をカードの上に置いていくのですが、その数字の紙が素晴らしい。  実は数字の紙には、10と50と100の3種類しかありません。そのうえ、1種類につき、15枚程度しかないのです。  ですから、30ダメージをくらっているときに、さらに30ダメージが加わり、合計60ダメージになる場合、10のカードを6枚置いていくようなことをしていると、すぐに数字カードがなくなって遊べなくなってしまうのです。 ■夢中になって遊んでいるうちに足し算の勉強になる 「30+30で60」になったら、50のカード1枚と10のカード1枚、つまり「50+10」に交換。  70ダメージを負っている際に40ダメージをくらうと「70+40で110」になりますから、50を1枚と10を2枚で「50+20で70」にしてあったカードを、100が1枚と10が1枚の「100+10で110」に換える……というように、とにかく毎回計算して換えていかねばなりません。  カードゲームをやっている最中は、私も息子も熱中してアドレナリンが出ていたのか、あっという間に2時間くらい経っていました。  その間に息子は本当に細かく、何度も繰り上がりを含む足し算をしました。小学校低学年の宿題でいったら1週間分くらいの分量はありそうですが、夢中になって遊んでいたので、まったく苦痛ではなさそうでした。 ■楽しみながら算数の脳を鍛える  もちろんポケモン以外のゲームでも、アナログでこのように楽しみながら計算できるものはいくつかあるのではないでしょうか。  息子は先日、自分で好きな絵を描いたカードを手作りし、「次はこれで遊ぼう」と持ってきました。  ルールや形式にとらわれなくても、数字が書かれたカードさえあれば、はっきりいってどんなゲームでもいいのです。  攻撃してダメージを加えていくのも、人生ゲームのようにお小遣いをためていくのも、洋服やアクセサリーを買っていくというのも、計算する過程さえあれば、楽しみながら「算数の脳」が鍛えられます。  ゲーム機を使うものだと敬遠する親が多いですが、このようなアナログのゲームでしたら、あまり抵抗なく受け入れられるのではないかと思います。  手作りのカードで作ったものなら、もしかしたら学校に持っていっても怒られないかもしれません。 ■デジタルゲームの「もったいない」と感じるところ  現代は、子どもが遊ぶゲームはデジタルがほとんどです。ゲーム売り場やゲームセンターに行くと、仮面ライダーやドラゴンボールヒーローズなど、大きく派手なアクションが画面いっぱいに広がり、ダメージも1万を超えるなど、迫力があるものをたくさん見かけます。  手持ちのキャラと敵を戦わせるスタイルは同じでも、これらと比較すればアナログのカードゲームは刺激が少なく、地味なものになるでしょう。  ただ、アナログのゲームをしてからは、デジタルのゲームを少しもったいなく感じるようになりました。デジタルゲームは、ダメージをコンピューターが一瞬で計算してしまうからです。  純粋に遊ぶためにはありがたい設定なのですが、せっかく数字があるのに頭をまったく使わないので、当たり前ですが、「ただ遊んでいるだけだなぁ」と思うのです。  少しスケールが小規模にはなりますが、150くらいの3ケタの数字程度のダメージにして、計算の過程をある程度までプレーヤーに任せてみるスタイルのゲームが発売されたら、なんて想像をしてしまいます。  そういうゲームだったら子どもは遊びつつ脳を鍛えられるので、大人のゲームに対する見方が変わるのではないかな……なんて、ひそかに思っています。

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    愛子さまと雅子さまの髪形には意味があった? “お揃いヘア”卒業に見た2人の「強さ」

     愛子さまが成人する。その際に注目するのが、ヘアスタイルだ。髪形には、愛子さまの思いや雅子さまとの距離感などが投影されてきたようなのだ。 AERA 2021年12月6日号から。 *  *  *  天皇陛下と皇后雅子さまの長女愛子さまが12月1日、20歳の誕生日を迎える。大学の授業の関係で、成年の行事は1日と5日に分けて行うという。  5日に宮中三殿の参拝、勲章(宝冠大綬章だそうだ)親授などを経て、上皇ご夫妻にあいさつ、その後、宮殿で皇族方や三権の長から祝賀を受ける。  行事にあたり、愛子さまは参拝服、ローブ・モンタント、ローブ・デコルテと3着を新調したという。どんなデザインなのか、とても楽しみだ。が、それ以上に私が注目しているのは、愛子さまのヘアスタイルだ。  秋篠宮家の佳子さま(2014年に成人)と眞子さま(小室眞子さん、11年に成人)は、そろって長い髪をアップにして式に臨んだ。紀宮さま(黒田清子さん、1989年に成人)は、顎のラインでまっすぐに切り揃えたボブスタイルだった。愛子さまはこのところ、髪の毛を伸ばしているようだ。やはりアップにするのだろうか……。  などと思うのは、愛子さま、そして雅子さま、お二人にとって髪形はとても大きな意味を持つ──勝手にそうとらえているからだ。ある時からずっと、お二人はそっくりのロングヘアになった。写真をさかのぼると、愛子さまが先に伸ばし、雅子さまが追いかけたことがわかる。「適応障害」という病を得た雅子さま。学校に行きづらい時期もあった愛子さま。お二人そっくりの髪形は、皇室という場所で悩みながら生きる母娘の「絆」の象徴のように思っていた。 ■おでこ見せロングヘア  ところが今年4月、愛子さまは腰近くまであった髪をばっさり切り、肩までのボブヘアになった。その日、愛子さまが乗っていた車の隣には雅子さまがいて、ロングヘアをまとめる定番の髪形だった。ああ、もうお揃いは完全に卒業なのだとしみじみした。お二人がそれぞれの「強さ」を得た、と思えたのだ。  まずは簡単に、愛子さまのヘアスタイル史を振り返ってみる。  06年4月、学習院幼稚園の入園式に出席した愛子さまは、制帽から肩下10センチほどの髪を見せている。お隣で微笑む雅子さまの髪は、肩まで届いていない。それから2年、08年の学習院初等科の入学式。愛子さまの髪はさらに長くなり、前髪を上げておでこを見せている。雅子さまも前髪を上げたロングヘア。お揃いヘアでの入学式。  雅子さまのお誕生日に公表される写真を見てみると、07年にはお二人お揃いになっている。つまり06年から1年かけて、雅子さまが愛子さまお好みのロングヘアに追いつき、以後それをキープしているということになる。お揃いの「おでこ見せロングヘア」は愛子さまが5歳の時からの定番なのだ。 ■つらい状況の風除け  あの当時を振り返ると、雅子さまの「適応障害」が公表されたのが04年。その年と翌年は、お誕生日にも写真が公表されないという事態だった。06年に皇太子さま(当時)も一緒にオランダを私的訪問、雅子さまと愛子さまが「笑っている」ことが話題になったりした。その時、雅子さまはまだ肩くらいの髪、その横で長い髪を可愛く編み込んだ愛子さまがはしゃいでいた。  07年以降のお二人そっくりの髪形は、つらい状況に耐える風除けのようにも見えた。雅子さまには髪を娘と同じ長さにすることが心の支えだったろうと思う。10年、初等科2年の愛子さまに不登校問題が起きた時も、お揃いヘアの雅子さまが毎日のように付き添った。が、中等科でも不登校が報じられる。  愛子さまの「生きづらさ」のようなものの深刻さは、15歳になった16年のお誕生日写真にはっきり写っていた。折れそうなほど痩せた姿だった。「生きにくさ」はどこから来るのか。「生まれた時から男の子でないことが自己否定につながっている」と指摘してくれた女性がいて、目から鱗が落ちたのは令和になる直前だった。それはさておき。  翌17年、高等科に入学してから愛子さまは元気になっていった。お代替わりに向けて雅子さまの活動も確実に増えた。愛子さまは「前髪ありのロングヘア」が定番になり、時に顔の両横に長い髪を一筋垂らすこともあり、「今どきの女の子だなあ」とホッとした記憶がある。  20年、学習院女子高等科の卒業式はコロナ禍もあり、愛子さま1人で報道陣の前に立った。堂々とした受け答えの後、式場に向かう後ろ姿には、ポニーテールが揺れていた。 ■19歳の春ボブに変身  そして今年4月、愛子さまはボブヘアへと大変身した。30センチ近くは切ったであろう思い切りの良さに、愛子さまの強さを感じた。愛子さまは皇室を「自分の場所」としたのだろう、と。皇后となった雅子さまもきっと同じ思いに違いない、とも。  などという勝手な解釈より、愛子さまの言葉だ。聞ける日が近い。成人にあたっての記者会見が開かれるのが、内親王の恒例だ。いつになるのか、宮内庁は発表していない。来年以降という報道もあったが、愛子さまが初めて国民に対して思いを語る場となる。これからと将来、両方を語ることになるだろう。  愛子さまは「女性皇族」としての自分をどうとらえているのだろう。眞子さんが儀式なし、一時金辞退という結婚を選択したのは、女性皇族と一個人とのせめぎ合いの結果だったように思う。「天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」とだけ皇室典範で定められている女性皇族。公務に励んでも、その先に待っているのが何なのか、すごく曖昧な存在だ。愛子さまは、「天皇家の長女」という立場と、「愛子」という一個人としての立場をどう捉えているのだろう。(コラムニスト・矢部万紀子)※AERA 2021年12月6日号より抜粋

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    眞子さまと小室圭さんは結婚後、皇居に足を踏み入れることはできるか “サーヤ”黒田清子さんご夫婦との違い

     秋篠宮家の長女、眞子さま(29)との結婚を控えた小室圭さん(30)は18日、秋篠宮邸がある東京都港区の赤坂御用地を訪れ、秋篠宮ご夫妻に結婚のあいさつをした。眞子さまは22日に天皇・皇后両陛下、25日に上皇・上皇后両陛下に結婚の報告をするという。皇室ジャーナリストの神田秀一氏にこれらの予定ついて、その意味を読み解いてもらった。  小室さんは18日午前8時前、横浜市内の自宅マンションからスーツ姿で出てきた。右手にはカバン、左手には白い紙袋2つを持っていた。   「秋篠宮家に持っていく手土産とご夫妻や宮内庁に見せるための書類などが入っていたのではないでしょうか。アメリカで用意した手土産かもしれませんが、どんな中身かはわかりません」   後頭部で縛っていたロン毛は短く整えられていた。  「小室さんは髪型でいろいろと騒がれましたし、秋篠宮家に正式な挨拶に行くのですから、きちんとした髪型にしたのでしょう。皇室であのような頭髪であいさつをする慣習はないんですよね。民間人が皇族に会うのですから、切らざるを得なかったのでしょう」    神田氏が着目したのは小室氏を出迎えた黒いワゴン車。午前9時15分ごろ、赤坂御用地の巽門(たつみもん)へと入って行った。  「車には、宮内庁発行の門鑑(もんかん)がステッカーとしてついていましたね。ということは宮内庁が、小室さんが秋篠宮ご夫婦に会いに行くことを認めたのです。アメリカから帰国し、結婚を進める上で、あいさつだけはしておかなければ、という小室さんの考えと、宮内庁の意見が一致したのでしょうね」    8日後に迫った結婚。秋篠宮ご夫妻は、2人の結婚を認めたのだろうか。  「憲法の規定により、日本人であれば両性の合意に基づく結婚そのものをダメだとは言えない。秋篠宮ご夫妻も宮内庁も政府も同じ考えです。しかし、結婚は認めるものの、その前に解決しなくてはいけないこと、あるいは報告を受けなければいけないことがいろいろあると思います。それは今のところ未解決のままなので、秋篠宮さまとしては『挨拶にはおいでになってもかまいません。聞くことは聞きましょう。いらっしゃるというのなら待っております』というスタンスで、そこまでは許したのだと思います」    眞子さまと小室さんは3年2カ月ぶりに再会した。  「私の得た情報では、小室さんが秋篠宮ご夫妻にあいさつしをして30分後くらいに、秋篠宮邸のどこか別室で眞子さまと小室さんが会うことを許してもらえたと聞いています。眞子さまの部屋かもしれませんね。佳子さまがいらっしゃったかもしれませんが、2人だけの可能性が高いと思います」   眞子さまは22日、皇居・御所を訪れ、天皇、皇后両陛下に結婚を報告し、25日には東京都港区の仙洞仮御所を訪れ、上皇陛下と美智子さまにも結婚を報告する予定だ。現時点でそれに小室さんが同席する予定はない。  「一般の結納にあたる『納采の儀』も行っていませんし、皇籍を離脱する際に支給されるはずの『一時金』も眞子さまは辞退なさった。小室家を巡る諸問題も解決されていないので、天皇・皇后両陛下は眞子さまからの結婚報告を受けても、『体に気をつけて、元気で』とか『健康でお幸せな日々をお祈り致します』とお伝えするのにとどまるのではないでしょうか。『おめでとう』とおっしゃることはできないと思いますよ」   眞子さまは26日に婚姻届を自治体に提出し、皇籍を離脱する予定。今後、皇室との距離はどうなるのだろうか。  「皇室としての結婚を許したわけではないけれども、2人の意思で一緒になるならば致し方ないということ。もう2度と皇居に足を踏み入れることが許されなくなる可能性はありますね。サーヤの愛称で親しまれた黒田清子(さやこ)さんも結婚して皇籍を離脱しましたが、お相手の黒田さん一家には何の問題もないし、清子さんは皇室とゆかりのある伊勢神宮の祭主を務めているので、皇籍離脱後も皇居を訪れています。けれども、眞子さまの場合は、黒田さんご夫婦と同じようにはならないでしょう」    26日に予定されている記者会見はどのようなものになるのだろうか。  「報道陣と宮内庁の係官が合わせて50人くらい集まるのではないかと聞きます。警備も、コロナ対策も万全なホテルというのは限られてきます。宮内記者会、雑誌協会、外国人記者クラブで合計3問くらいの質問ではないか。それ以上、質問の声を上げ続ける記者がいるかもしれませんが、『本日の会見は終了します』と打ち切るでしょう。政治家でも誰でも、長く話すとボロが出るものですから」   会見に先立ち提出される自治体への婚姻届けについて、神田氏は次のように推測する。  「秋篠宮家から命令を受けた職員が、小室夫妻になる2人の代理人として、自治体の戸籍係のところに持って行くというふうに聞いています」   会見後、 眞子さまは年内にも渡米し、ニューヨークで新生活を始めるとみられている。お2人の行く末は……。  「ヨーロッパの王室ではこのくらいのことはあるレベルのことのようですが、日本の皇室では前代未聞の事態で、眞子さまは離婚しても、もう皇族には戻れません。幸福になるか、不幸になるかはチャレンジしてみなければわからないですね。結果は誰にもわかりません」 (AERAdot.編集部 上田耕司』

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    なぜ小室眞子さんは圭さんに必死だったのか 秋篠宮さまのよそよそしさから読み解く

    「夫の方については」「面会していた時間が20分位」「何か印象に残ることというのは特にありません」――。  秋篠宮さまの56歳の誕生日会見で国民が感じたのは、長女眞子さんの夫、小室圭さんへのよそよそしさだった。   もともと秋篠宮さまは、記者会見において家族を名前で呼ぶことはほとんどない。眞子さんや佳子さま、悠仁さまについても「長女」「次女」、「長男」といった呼び方をしていた。  一方、小室圭さんについては、婚約が発表された2017年や翌18年の誕生日会見では、<小室さんの印象ですけれども>、<小室さんに関わること、これが毎週のように週刊誌等で報道されていることはー>と自然な流れで名前を出していた。それが、令和の世に移った翌19年は、<小室家とは連絡は私は取っておりません>と、どこか他人行儀な表現を選び、翌20年の会見では、「小室」という名前すら出さなかった。  そして今年。圭さんは、長女の夫という「家族」になったとはいえ、圭さんを「夫の方」と呼び、圭さんが結婚前にあいさつに訪ねてきたひとときを、「面会していた時間は20分位」と話し、距離感を感じさせる表現だった。  圭さんが秋篠宮邸を訪問した10月18日、秋篠宮夫妻は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑秋季慰霊祭への臨席という公務があった。とはいえ、数日後に結婚する娘の結婚相手と食事をともにすることもなく終了したという現実は何を物語るのか。  秋篠宮さまは先の会見で、結婚に伴う儀式を行わなわないと判断を下したのは「私の独断」だと明かした。さらに、皇室の行事が「非常に軽い」印象を与えてしまったと、苦汁をにじませた。  儀式を行わなかった理由は、小室さんが金銭トラブルについて春に公表した28枚の文書にあった。 <この春に娘の夫がかなり長い文書を出したわけですね。(略)あれを読んでどれぐらいの人が理解できるか><これはもう私の独断です、私の個人の考えとして、あれを読んでみんながすぐに状況を整理して納得できるというものではないと私は判断しました>  さらに、10月26日の結婚会見についても、自身が思う形とは異なっていたと胸中を吐露した。 <双方向での会見という形にしてほしかった><私としては自分の口からそのことについて話をして、そして質問にも答える,そういう機会があった方が良かった>  秋篠宮さまが口にしたように、金銭トラブルについての説明も本来は、小室さんが自分の口から説明すべきものだろう。小室圭さんが内親王の結婚相手として祝福できる存在足り得なかったことも、会見の言葉から伝わってくる。 こうした父親の気持ちをよそに、眞子さんは、圭さんに留学を進言しただけでなく、金銭トラブルについても一貫してかばい続けた。  なぜ、内親王がここまで必死になったのだろうか。  眞子さんとよく世間で比べられる黒田清子さんの場合も実は、結婚相手へ相当の配慮があったという。   清子さんは、当時の天皇ご夫妻の長女。内親王のなかでも、身位の高い皇女という立場だ。清子さんもまた、結婚相手である黒田慶樹さんに関する細かな情報を公表することについて、積極的ではなかった。  上皇后美智子さまや皇后雅子さまが結婚した時代は、結婚相手の家系図が報道されるのは、当たり前という感覚であった。両親はもちろん親族の職業や出身地なども詳細に、国民の知ることとなった。 「しかし清子さんからは、黒田慶樹さんと結婚するにあたり、相手がどういう人であるといった細かなことまで、自分たちから情報を提供することは、好ましくない、という考えであった」(当時の事情を知る人物)  清子さんが相手の情報をつまびらかにすることに難色を示した背景には、「皇族という立場の自分と結婚してくれる相手なのだから、迷惑をかけたくない」という考えがあったのだという。  多くの女性皇族にとって、結婚は皇室の外に出る平和的な手段でもある。ある皇族女性は、「皇室から出るためには結婚しかない」と吐露したという。佳子さまも、早く皇室を出て民間で暮らしたいとの考えを持っているとの話も聞こえてくる。  皇室に仕えてきた人物は、こう分析する。 「皇族と結婚する相手は、マスコミに追いかけられ、プライバシーもない生活に巻き込まれる。そうしたリスクを受け入れても自分と結婚してくれる相手は、できる限り守りたいという心情をお持ちになるのは、自然なことです。秋篠宮さまの会見からは、小室圭さんに対する複雑な心境が明確に伝わりました。一方で、眞子さんは、世間には不自然に思えるほど相手をかばい続けました。逆にいえば、皇族が『私のような立場にある女性と結婚してくれる相手』という心情にならざるを得ないほど、追い込まれている現実がある、ということでしょう」  秋篠宮さまも、眞子さんの結婚が「皇室に影響を与えた」と懸念を口にしていた。眞子さんの結婚騒動は、皇室と国民の距離の変化を世間に知らしめた。  若い世代の皇族は、令和という時代のなかで「皇室にあるべき姿」を模索しなければならないのだろう。 (AERAdot.編集部 永井貴子)

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    愛子さまが借りるティアラ、清子さんからの理由は「格」の違い 秋篠宮家へは逆風やまず

     天皇・皇后両陛下の長女、愛子さまが12月1日に20歳の成年を迎える。  とくに話題を集めたのは、愛子さまがティアラを新調せず、叔母の黒田清子さんのティアラを借りて祝賀行事にのぞむ、異例の成年式となることだ。宮内庁は、「コロナ禍で国民生活に影響がでていることに配慮した愛子さまが、両陛下と相談した決めた」と説明している。 「どうも、何をとってもタイミングが悪く秋篠宮家への逆風になってしまう」  そうため息をつくのは、皇室に長く仕えた人物だ。秋篠宮家の長女、眞子さんが小室圭さんと結婚したのちに渡米したばかり。  渡米前に国内で滞在したのは、渋谷区の東京メトロ外苑前駅近くにある長中期滞在者向けの高級サービスアパートメントだった。結婚によって皇籍から離れたばかりの元内親王に、所轄する警察の警備がつくのは当然のことだ。とはいえ、外出の度に報じられた結果、特別な警備体制に注目が集まった。  そしてNYでの新居の豪華さも報じられている。英タブロイド紙のデイリー・メールなどの海外紙によれば、小室夫妻の住まいは、セントラルパークやタイムズスクエアに近いヘルズ・キッチン地区にあるタワーマンションだ。2017年に建てられたばかりで、24時間対応のロビーやフィットネスルームにヨガスタジオ。スパやゴルフシュミレーションセクションなどを備えた豪華な仕様だという。  小室さんのLawClerk(法務助手)の年収は600万円程度と見られている。一方で、海外紙によれば、ワン・ベッドルームとはいえ家賃は、月額約4800ドル(55万円)と安くはない。  宮内庁関係者の間でも、眞子さんの結婚と米国移住が無事にすんではればれしたという空気と同時に、小室夫妻の先行きを案じる声もわずかに漏れてくるようだ。  そんなタイミングで宮内庁が公表したのが、愛子さまが「借りたティアラ」で祝賀行事に臨むというニュースだった。  女性皇族にとって、成人を迎えた誕生日は宮殿行事デビューの日でもある。まず皇室の祖神・天照大神などが祭られる宮中三殿に参拝し、宮殿で天皇陛下から宝冠大綬章が授与される。 ローブデコルテの正装に新調したティアラとネックレス・ブレスレット・イヤリング・勲章どめの宝飾品5点を身に着け、両陛下にあいさつするのが恒例だ。  内親王だった眞子さんの場合、ティアラと宝飾品は「和光」で2856万円、佳子さまは「ミキモト」で2793万円をかけて制作された。大正天皇のひ孫にあたる三笠宮家や高円宮家の女王方の場合は、1500万円前後だ。  ティアラなどの宝飾品は、ぜいたくをするために制作するわけではない。成年皇族は公務を担うようになり、宮殿行事や外国からの国賓や賓客を接遇する晩さん会など国際親善の場では、勲章とともに正装を持って迎えるのが礼儀だからだ。  皇后や皇太子妃は代々受け継がれるティアラなどを所有している。そのなかには、平成の時代に皇后が故・秩父宮勢津子さまから譲り受けたティアラなどもある。つまり、他の宮妃や最近では眞子さまのティアラも宮内庁に預けられている。  女性皇族の所有していたティアラもあるなかで、なぜ愛子さまは清子さんより「借りる」形になったのか。  眞子さんをはじめ、最近の女性皇族が成年を迎えた際に新調したティアラは、いずれも宮内庁が管理する公金で制作されている。そのため、公金で作られた眞子さんのティアラは、離脱とともに宮内庁に預けられた。  一方で、黒田清子さんが成年を迎えた時に、新調されたティアラと宝飾品は、天皇家の私的なお金であるお手元金で制作された。  元宮内庁関係者は、ティアラを公金で支払うようになったのは、三笠宮家の彬子さまのときからではないか、と話す。 「明治以降の近代皇室においては、天皇家も宮家も相応の財産を持っていたこともあり、宝冠など装身具は私的な費用で賄っていました。黒田清子さんのティアラもその流れだったと記憶しています。日常費で制作したものは、扱いがあいまいなところもある。昔の皇族のように、『娘に持たせてあげたい』、と結婚先で大切に保管されているものもあると聞きます」  お手元金で制作した黒田清子さんのティアラは、ご本人のものだ。そのため、「借用」という形になった。  さらには、前述したように、内親王と女王というご身位の違いによって、ティアラの金額も異なる。 「眞子さんの結婚のタイミングは、ギリギリまで読めませんでした。加えて、同じ内親王でも、天皇家の娘である愛子さまと、皇嗣家の眞子さんと佳子さまでは立場も異なる。同じ皇女である清子さんのティアラが格という点でも、相応しかったのでしょう」(皇室の事情に詳しい人物)  異例続きとなったのは、ティアラだけではない。  女性皇族、特に内親王は、二十歳の成年を迎えた際と結婚して皇籍を離れる際に会見を開き、記者の質疑に答えるのが恒例だった。  いまのところ、愛子さまの記者会見は、日程が決まっていない。成年の会見は、その成長を国民が感じる大切な機会でもある。  眞子さんが皇室を離れたいま、愛子さまへの期待は、高まっている。 (AERAdot.編集部 永井貴子)

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    助っ人「ベスト3」と「ワースト3」を選出 今季の働きを査定!【セ・リーグ編】

     日本シリーズも終わり、プロ野球は年間の表彰と契約更改、来季に向けての動きが話題となる時期となった。チームの命運を握ることが多い外国人選手も退団、新入団、移籍含めて様々な動きが出てきているが、今年の活躍が目立った選手と、期待に応えられなかった選手をそれぞれ3人ずつ選定してみたいと思う。今回はセ・リーグ編だ。 *  *  * ■セ・リーグベスト3:オースティン(DeNA) 成績:107試合113安打28本塁打74打点1盗塁 打率.303  コロナ禍でチーム合流は遅れたものの、中軸として十分な役割を果たし、セ・リーグの野手では最も活躍が目立った選手と言えるだろう。来日2年目で日本の野球に慣れたということもあってか、持ち味の長打力だけでなく確実性も向上し、規定打席には未到達ながら打率3割もクリアした。打つだけでなく守備、走塁での献身的なプレーも目立つ。唯一気になるのは故障が多いところ。コンディションさえ万全で、1年を通じて中軸に定着すれば打撃タイトル争いに絡む可能性も高いだろう。 ■セ・リーグベスト2:マクガフ(ヤクルト) 成績:66試合3勝2敗31セーブ14ホールド 防御率2.52  来日3年目でキャリアハイとなる成績を残し、チームのリーグ優勝と日本一にも大きく貢献した。開幕当初は中継ぎだったが、石山泰稚の不調もあってシーズン途中からは抑えを任されて30セーブをクリア。とにかくタフで東京五輪でもアメリカ代表としてフル回転しながらも、シーズン終盤でもその球威は落ちることがなかった。外国人投手でありながらクイックや牽制が上手く、走者を背負ってから強いというのも大きな長所だ。日本に来てから着実にレベルアップを果たしており、来年も守護神としての活躍が期待される。 ■セ・リーグベスト1:スアレス(阪神) 成績:62試合1勝1敗42セーブ0ホールド 防御率1.16  ソフトバンク時代の故障から鮮やかに復活し、2年連続でセ・リーグの最優秀救援投手に輝いた。防御率は1.16で、1.00を切れば超一流と言われるWHIPは0.77をマーク。ストレートはコンスタントに160キロ前後をマークし、コントロールで自滅することもない。制球力を表す指標で、3.50を上回れば優秀と言われるK/BBでも7.25と他のリリーフ投手の追随を許さない圧倒的な数字を残してみせた。パドレスが早々に獲得したのもうなずける活躍で、阪神にとっては来年その穴を埋めることが大きな課題となるだろう。 ■セ・リーグワースト3:クロン(広島) 成績:42試合30安打6本塁打16打点0盗塁 打率.231  マイナーリーグではホームランを量産した長打力が期待されて契約。コロナ禍の中でも年明け早々に来日していち早く日本の野球に対応しようという姿勢も好感が持てたが、シーズンが始まると変化球に対応することができずに三振を量産。6月に二軍降格となると、そのまま一軍復帰を果たすことができずに退団となった。かつてチームで活躍したエルドレッドと似たタイプだったが、スイングがワンパターンで、ボールになる変化球を見極めることができなかったのが低迷の要因と言えそうだ。 ■セ・リーグワースト2:ガーバー(中日) 成績:12試合7安打0本塁打1打点0盗塁 打率.156  マイナーリーグでの好成績と、外野手としての守備力が期待されて入団。一軍初出場となった試合でいきなり初安打をマークしたが、その後は全く快音が聞かれずに打率は2割を大きく下回り登録抹消。二軍でも積極的に起用されたが打率は2割を超えるのがやっとで、ホームランもわずかに1本と結果を残すことができず、9月に家庭の事情で帰国すると、そのまま退団となった。長打力が不足しているチームの救世主として期待されたが、スイングの力強さやヘッドスピードもそれほど感じられず、広いバンテリンドームではとてもホームランを量産できるようなタイプには見えなかった。ビシエド以降、なかなか安定して打てる外国人野手を獲得できていないのは中日の大きな課題である。 ■セ・リーグワースト1:テームズ (巨人) 成績:1試合0安打0本塁打0打点0盗塁 打率.000  韓国球界のNCでは2年連続で40本塁打をマークするなど主砲として活躍。その後メジャー復帰を果たすと、ブルワーズでは2017年に31本塁打、2019年に25本塁打を放つなど長打力を発揮し、その実績が買われて巨人に入団した。二軍では9試合の出場ながら打率5割をマークして格の違いを見せつけたが、一軍初出場となった4月27日のヤクルト戦で守備の時にアキレス腱を断裂。長期治療が必要となり、シーズン中の復帰は絶望ということでわずか2打席の出場で退団となった。試合中のアクシデントによるケガという不運は仕方のない部分はあるが、もし万全の状態で1年間プレーしていれば、巨人のチーム成績ももう少し上向いていた可能性はありそうだ。  テームズ以外にもわずかな試合しか出場することなくチームを退団となった選手が目立ち、また打撃成績の上位はほとんどが日本人選手と全体的に野手が苦戦したシーズンという印象だ。来季に向けて既に新外国人選手の獲得を発表している球団も出てきているが、来年はタイトル争いに加わるような助っ人選手が野手、投手ともに現れることを期待したい。 (文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員

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    15歳の茶トラ愛猫の看取りと旅立ち 「ここにおるよー」瀕死の借りぐらし猫が喪失感を埋めた

     飼い主さんの目線で猫のストーリーを紡ぐ連載「猫をたずねて三千里」。今回お話を聞かせてくれたのは、福岡県在住のヨガ講師、児玉妙子さん。自営業の夫と高齢猫とのんびり暮らしていた夏の終わり、家の前で一匹の三毛猫と出会いました。その猫は顔に大けがを負っていて、獣医師によると「傷口からしてエンジンルームでの事故」だそうです。前編・後編にわけて掲載します。今回は後編。保護から2ケ月が過ぎると、その猫と猫をとりまく環境に変化がおきました。  >>【前編:振り返った猫を見て「まさか顔に穴?」 ガリガリの一匹を保護した夫婦「どうか猫バンバンを」】から続く  <前編の記事のあらすじ> 顔に穴が空いてように大きなけがを負った野良猫。車のエンジンルームに入って事故にあったと思われました。傷は深く、生々しく治癒していない上に、病気もあり、相当厳しい状態。それでも児玉さん夫婦は見捨てることができず、保護することを決めました。先住猫いたので、隔離しながらの生活です。児玉さん夫婦は、まだ名前をつけることができず、親しみを込めて「あいつ」と呼んでいました。 *  *  * 保護から2ケ月、「あいつ」に変化が起きました。 「あいつ」は玄関でひとりでいる時に、にゃあにゃあと鳴くようになったのです。ごはんをあげる時の狂わんばかりのトーンとは違う感じの声です。人恋しい、とでもいうような。  もしかしたら、わが家にきて、外の生活では感じなかった「さみしい」という感情に出会ってしまったのかもしれません。大けがをしてしんどい時に、そばに人間でもなんでもいた方が気がまぎれるとか、そんな感じなのでしょうか。  前編でも紹介したとおり、家には15歳の「きな」という茶トラのおばあちゃん猫がいました。大けがを負った「あいつ」は、白血病ウイルスは陰性、猫エイズが陽性でした。傷がひどいので、「きな」といきなり接触させないように隔離していたのです。だから「あいつ」は玄関のケージで生活していました。  にゃあにゃあという声が玄関から聞こえると胸が痛みました。始終そばにはいられないし、まだまだ(傷の具合からしても)「きな」と一緒にできません。そこがすごくつらかった……。でも「こちらも最大限尽くすので、君も早く傷を治して、私たちや『きな』と思いきり一緒にいられるようにがんばれ」と思うようにしました。  完治するまで(お金も時間も)どれくらいかかるかわからないけど、「きれいになった顔の写真が撮れる日が早くきたらいいなあ」と思うようにもなりました。  獣医の先生は「どうなるかわからないが、鼻ぺちゃのパグみたいになるかもしれない」とおっしゃいました。私は、ニュータイプの猫さんになるかもな、と。もちろん、どんな見た目でも気にしません。猫である時点でもう、かわいいのだから。  とにかく助けた以上はなんとか命をつなぎたいし。私にできることがあれば、精いっぱいやってあげたい。まさに、これは献身のヨガ。バクティヨガです。何でも修行に結びつけてしまいますが(笑) ◆ 先住猫と同居はかなわなかったけど 一字もらって命名 「あいつ」と出会ったのは8月の終わり。9月、10月と「あいつ」が玄関のケージ内でけがの治癒に向けてがんばる一方で、部屋にいるおばあちゃん猫「きな」の状態が悪くなっていきました。もともと「きな」は慢性腎臓病を患っていたのですが、11月になり容体が悪くなり、半月ほど点滴を受けるなどして、闘病を続けました。  悟り開き系の女子猫と、おばあちゃん猫は、“合う”かもなんて同居を夢みましたが、残念ながら叶わず、「きな」は先日、息をひきとりました。  「きな」は15年前、以前住んでいたアパートの前で出会った野良の茶トラでしたが、茶トラの雌というのは珍しいそうです。わがまま放題のお姫様で、気が強くて……でも優しく、美しかった。  じつは私たち夫婦は、1月にも、茶トラの「まる」という雄猫を14歳で亡くしているんです。「まる」は、私と夫の目の前を走る車に急にぶつかり、保護した猫でした。まるで、体を張って「僕を拾って」とアピールするようでした。  『ラブストーリーは突然に』という歌がありますが、猫との出会いもいつも突然に訪れる。そして別れはいつも悲しいもの。  「まる」の最期は(都合で)夫だけで看取り、「きな」の最期は私がしっかり看取りました。ひとりぼっちで逝かせなかったことはよいのですが、いざいなくなると想像以上の喪失感でした。私たち夫婦には子どもがいませんが、子どもが巣立った後はこんな感じかなと……。  けれど「あいつ」がおなかをすかせています。「ここにおるよー」と鳴きます。「あいつ」のお世話をさせていただけるのだから、ぼんやりしてもいられません。 「きな」が旅立ったあと、「あいつ」の正式な名前を決めました。  それまで呼んでいた「あいつ」の“つ”と、「きな」の“な”をもらい、「つな」としました。  これは想像ですが、「きな」は体が悪くなる前に、扉越しに「つな」に猫語で話していたんじゃないかな。 「私、だいぶ腎臓が悪いんよ、こいつら夫婦のこと頼むよ。こいつら、猫おらんかったらダメだから」  ……そう思えるほどのがんばりを、「つな」は「きな」亡き後に、見せてくれました。 ◆「つな」の頑張りと、わたしからのお願い  12月に入り、「つな」との生活は、3カ月を越えました。獣医の先生も驚いていました。  かさぶたが取れて傷が少しよくなったので、ケアも前進。今は「つな」を洗面台に連れていき、洗浄ボトルにいれた水で顔の傷口を洗い流すようにしています。洗った後は赤ちゃん用のおしりふきで優しくぬぐい、そこに抗生剤入りの軟膏を塗り、目薬も差すようになりました。 ふつう、猫は一つの場所にとどまるのが苦手だと思うのですが、「つな」は洗面所でもおとなしくして、やはり動じません。  ただ、少し前に病院に行った時。先生が、「傷は治ってきているが、基礎疾患もあるし、年を越すのは難しいかも。怪我が治る前に病気で逝くかもな」とつぶやいたのです。  余命を突き付けられた感じです。  でも余命はあまり気にしていません。  毎日お世話をしてきて、人間とは違う猫の生命力のすごさを身に染みて感じているから。  もし「つな」が先生のいうように年を越せなかったとしても……寒くないようにして、ごはんを食べて、最期の時までゆっくりと過ごしてくれればうれしいし、もっと生きてくれるのは大歓迎。  そもそも、「つな」は、事故がなければ地域猫として、(病気を抱えながらも)外で今も自由に暮らしていたはずです。大けがを負ったのは、車=人間のせいだと思っています。  私は「つな」のけた外れのファイトを称えたいと同時に、事故に遭ったことに意味を付けたかった。だから、少し衝撃的な話だけれど、このコーナーに応募しました。  これから寒くなるにつれて、外にいる多くの猫さんが、暖を取るためにタイヤの間やエンジンルームに入りやすくなります。どうか、車に乗ったらエンジンをかける前に、車のボンネットをバンバンと叩いて猫さんに知らせる(車から出す)「猫バンバン」をしてみてください。  「つな」と私からの、お願いです。  (水野マルコ) >> 【前編:振り返った猫を見て「まさか顔に穴?」 ガリガリの一匹を保護した夫婦「どうか猫バンバンを」】を読む 【猫と飼い主さん募集】「猫をたずねて三千里」は猫好きの読者とともに作り上げる連載です。編集部と一緒にあなたの飼い猫のストーリーを紡ぎませんか? 2匹の猫のお母さんでもある、ペット取材歴25年のベテラン・水野マルコ記者が飼い主さんから話を聞いて、飼い主さんの目で、猫との出会いから今までの物語をつづります。虹の橋を渡った子のお話も大歓迎です。ぜひ、あなたと猫の物語を教えてください。記事中、飼い主さんの名前は仮名でもOKす。飼い猫の簡単な紹介、お住まいの地域(都道府県)とともにこちらにご連絡ください。nekosanzenri@asahi.com 連載一覧はこちら>>

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    小室圭さん帰国便同乗者が目撃した姿「彼はまるでエグゼクティブ」 自宅前では深々とお辞儀

    颯爽と歩きながら、小室圭さんがアメリカから帰国した。日本の地を踏むのは2018年8月に渡米して以来、3年2か月ぶりだ。  成田空港は多数の報道関係者が集まっており、ピリピリムード。報道陣に対して、カメラのフラッシュ禁止、声掛けも禁止といった規制が敷かれていた。報道関係者からは「どうして?」と不満の声も漏れていた。  午後3時20分過ぎ、成田空港に飛行機が到着。一般客が飛行機から降りたあと、小室さんが、報道陣の前に姿を現した。警護と思われる男性やキャビンアテンダント(CA)の女性などに囲まれていた。キャリーバックを転がしながら、白マスクに、濃紺のスーツ、ストライプの入ったシャツ、ノーネクタイといういで立ちで、髪の毛は後ろに縛っていた。  飛行機から出てきた小室さんは報道陣に一礼したあと、新型コロナウイルスの抗原検査、そして入国手続きに進んだと見られる。  小室さんは機内でどのような様子だったのか。偶然、同乗していた男性(51)に話を聞くことができた。 「私がファーストクラスで座っていると、ドアが閉まるギリギリになって小室さんが搭乗してきました。まるでエグゼクティブのようでした。後ろの髪を結っていたので、すぐに彼だとわかりましたね。彼一人に女性CAが2人くらいついて、会話しながら案内されて入ってきました」  当初はエコノミークラスのチケットを買ったと報じられていたが、この男性はこう語る。 「右の列のビジネスクラスの前方の席で、窓際に座っていましたね。私の席から右斜め後ろのほうの席でした。ただ、カーテンでファーストクラスとは仕切られていたので彼の表情などはわからなかったです」  男性は飛行機から降りた後、抗原検査のために、大きめの部屋に移ったという。40分ほどその部屋に滞在したが、そこに小室さんの姿はなかった。 「今か今かと待っていたのに、残念でした」(男性)  そのころ、到着ロビーには多数の報道陣のほか、「皇室系Youtuber」といったタスキをかけた人物や一般客も小室さんの姿を一目見ようと集まっていた。その数、50~60人ほど。  津田沼から来たという白髪交じりの一般男性は手にハンディカムを持ち、小室さんを待ち構えていた。妻に頼まれて自宅で見るために撮りに来たという。  しかし、小室さんは一般客が使う到着ロビーを通らず、地下駐車場から車に乗り込み、成田空港を後にした。「地下駐車場から空港を出たらしい」と男性に知らせると、「こんなに待っていたのに……」と不満げな様子だった。  小室さんを乗せた乗用車が向かった先は、母・佳代さんが住む横浜の自宅だった。自宅前は朝から報道陣が詰めかけ、警察は臨時の派出所を設置し、周辺警備に当たるなど、ものものしい雰囲気が漂っていた。夕方には100人を超える報道陣が押し寄せており、ベランダから様子を一目見ようとする住民の姿も見られた。  19時過ぎ、小室さんを乗せた車が到着。警察が後部座席のドアを開け、車から出てきた。小室さんは、報道陣から「どんなお気持ちですか」と声を掛けられたが、反応は示さず、自宅マンションの入り口で2回ほど深々とお辞儀をして、黒いスーツを着た男性らと中に消えていった。  近くに住む60代の男性はこう語る。 「ヘリコプターの音がすごくて『何事か』と思って見に来た。3年前の婚約会見後のときと同じような状況だと感じましたね。小室さんがニューヨークに行ってからは、静かになっていたんだけど……。またしばらく騒々しくなるのかなと思っています。どの家庭も問題を抱えていますし、小室さんと眞子さまも早くアメリカで幸せになってほしいですね」    小室さんは今後、自宅で2週間の隔離を終え、その後、記者会見に臨むと見られている。果たして何を語るか。注目が集まる。 (AERAdot.編集部/上田耕司、飯塚大和、吉崎洋夫)

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    戦力外通告を受けたけど… 他球団でまだまだ“活躍できそう”な選手は誰だ!

     10月11日に行われたドラフト会議では支配下、育成合わせて128人の選手が指名を受けたが、プロ野球の世界に入ってくる選手がいるということは逆にユニフォームを脱ぐ選手もいるということである。既に各球団では俗に言う“戦力外通告”が行われており、ここ数日は引退試合のニュースも増えている。しかしその一方で他球団での現役続行を希望する選手も少なくない。今回は現時点で自由契約が発表された選手の中から、まだ戦力になる可能性を秘めた選手がいないか探ってみたいと思う。  まず投手で申し分ない実績を誇るのが吉田一将(オリックス)だ。2013年のドラフト1位で入団すると、1年目には先発として5勝をマーク。2年目のシーズン途中から中継ぎに転向すると、2016年には5勝21ホールド、2018年にも3勝21ホールドとブルペン陣を支える存在となった。2019年以降は年々成績を落とし、今年は二軍でも防御率7点台と結果を残すことができず、プロ入り後初となる一軍登板なしに終わったが、通算226試合に登板している実績は貴重である。何かきっかけをつかめばまだ復活する可能性も十分にありそうだ。  投手では渡辺雄大(ソフトバンク)と三ツ間卓也(中日)の2人も面白い。渡辺は青山学院大では実績はなかったものの、BCリーグの新潟で力をつけて26歳となる2017年のドラフト育成6位でソフトバンクに入団。二軍、三軍で実績を残して昨年8月に支配下登録されている。その後は肘の故障もあって一軍登板は3試合にとどまったものの、今年も二軍では34試合に登板して防御率1.67と安定した成績を残している。左のサイドスローから投げ込むスライダーは打者の手元で鋭く変化し、左バッターにはかなり厄介なボールとなっている。戦力外が報じられたのは今朝で、今後についての意向は不明だが、貴重な左の中継ぎとして需要の高い選手であることは間違いない。青山学院大時代の同期である杉本裕太郎(オリックス)が今年大ブレイクを果たしただけに、渡辺もここからもう一花咲かせることを期待したいところだ。  三ツ間は渡辺と同じくBCリーグの武蔵で力をつけて2015年の育成ドラフト3位で中日に入団。1年目のオフに支配下登録されると2017年には35試合に登板して2勝11ホールド、2019年にも29試合に登板して2勝4ホールドとブルペン陣を支える1人として結果を残している。また昨年7月のヤクルト戦では延長戦でベンチにいた野手を使い果たしていたため、代打として出場して話題となった。今年は二軍でも29試合に登板して防御率は4.05に終わっているが、チームトップタイとなる5セーブをマーク。WHIPも0.98と投球内容自体は決して悪くない。本人も現役続行の意思を表明しており、中継ぎ陣の苦しい球団にとっては狙い目の選手となりそうだ。  野手で圧倒的な実績を誇るのが藤田一也(楽天)だ。プロ入り8年目の2012年シーズン途中にDeNAから楽天に移籍したことをきっかけに才能が開花。これまで2度のベストナインと3度のゴールデングラブ賞に輝き、パ・リーグを代表するセカンドとして長年活躍を見せている。2019年以降は浅村栄斗の加入もあって出場機会が減少し、今年は一軍出場なしに終わった。功労者ということでチームもポストを用意していたとのことだが、本人は現役続行を希望して自由契約となっている。  多くのファンを魅了してきたセカンドの守備力は天下一品で、二軍では3割近い打率もマークしているようにまだまだ力が衰えているわけではない。若手の内野手のお手本としてプレー以外でもチームのプラスになることが考えられるだけに、オファーを出す球団が出てくることも十分にありそうだ。  野手では武田健吾(中日)も注目の存在だ。今年は打率1割台だったものの、シーズンを通じて一軍に帯同し、93試合に出場するなど貴重な戦力となっていただけに、戦力外となったニュースには驚きの声も多かった。オリックス時代の2017年には97試合に出場して61安打、打率.295という成績も残しており、元々パンチ力のある打撃にも定評のある選手である。今年で27歳と年齢的にもまだ若いだけに、外野手が手薄な球団が獲得を検討する可能性もありそうだ。  一度戦力外となってから他球団との契約を勝ち取ることは容易なことではないが、今年もシーズン開幕後に宮国椋丞(DeNA)が育成契約で入団して支配下登録され、古巣の巨人を相手に勝利もマークしている。今後も戦力外となる選手の発表はまだしばらく続くことになりそうだが、1人でも多くの選手が鮮やかな復活を遂げることを期待したい。(文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員

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    1年に3日しか休めなかった心臓外科医が、働き方も診療の質も劇的に改善させた「業務改革」とは

     忙しい医師の世界のなかでも、とりわけ多忙と言われる心臓血管外科医。神奈川県の菊名記念病院・心臓血管外科部長の奈良原裕医師も、これまで「年に3日しか休みがない」という生活を送っていた。こうした働き方では「医療の質も担保できない」と危機感を覚えた奈良原医師は、業務改革に取り組み、働き方のみならず診療の質を向上させることにも成功した。会社員を経て医学部に入り、38歳で心臓外科医になったという“異色”の医師は、どうやって心臓血管外科を変えていったのか。<<前半・偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生>>から続く *  *  * 北陸新幹線の佐久平駅から車で30分。長野県佐久穂町立千曲病院に、奈良原医師は毎週金曜日、東京から片道2時間半かけて日帰りで勤務する。 「佐久穂町は意外と近いですからね。以前は、片道3時間半かけて新潟県・松之山や5時間半かけて北海道・木古内に日帰りで診療に行っていました」  奈良原医師は、中央大学法学部を卒業後、一般企業での4年半の社会人経験を経て、29歳で医学部に合格。35歳で卒業後、激務ゆえ学会では「30歳以下でなることが望ましい」と言われるという心臓血管外科医を38歳からめざしたという“異色”のキャリアをもつ。  現在、常勤先である菊名記念病院の心臓血管外科部長として多忙な日々を送るなか、奈良原医師は週に1回、医師不足の町へと日帰りで診療を行っている。だがそれができるまでには、10年にわたる心臓血管外科の業務改革が必要だったという。 ■「1ヶ月のうち91%は病院で過ごしていた」  10年前、菊名記念病院心臓血管外科は、奈良原医師とその上司の2人で切り盛りしていた。病院のそばに住んではいたものの、家に帰ることはほとんどなく、病院に泊まることもしばしばだった。 「振り返ってみると、1ヶ月のうち91%は病院で過ごしていたようです。一番ひどい年は、年間の休みは3日だけ。そのうち1日は地方の結婚式に、残りの2日間は学会に出席していました」  奈良原医師が同病院で働き始めた2008年ごろ、患者の50%以上は救急患者だった。救急で来るということは当然、緊急性が高いため、すぐに治療しなければならない。夜中に飛び起きて手術、外来で待合室に患者がいても手術を優先する、という日常生活を送っていた。手術が終わっても一段落とはいかない。重症患者の場合、術後の不整脈や再出血など、さまざまな対応をしなければならなかった。  重症ゆえに日曜日も入院患者の様子を見る必要があった。別の診療科の医師がすぐ対応できるほど、心臓手術後の患者の対応は「甘くない」という。結局、週7日で勤務する日々が続いていた。 「1人の患者に対する業務量はかなり多い。忙し過ぎれば医療の質が落ちる可能性もあるし、場合によっては安全性も担保できないかもしれない。このままではだめだ、という危機感がありました」 ■起死回生のFacebookで「いいね」3000超え  そこで上司と一緒に始めたのが、Facebookでの情報発信だ。「当時、病院がSNSで情報発信するのは珍しかった」と奈良原医師は振り返る。内容は、診療に当たって日頃思っていることや一緒に働く仲間のこと、今日食べたランチなど心臓血管外科医の日常をありのままにつづるというもの。これを写真とともに投稿したFacebook記事には3000以上の「いいね」がつき、先駆的な試みとして医療系のメディアで紹介されることもあった。 「発信の目的は自分たちを知ってもらうこと。私たちの人となりを見てもらって、患者さんや他院から少しでも信頼していただけたらと。その結果、こんな先生がいるからここで手術してもらってはどうですかと、他院から患者さんたちが次第に紹介されるようになりました。紹介患者さんの手術は緊急ではなく予定された手術としてスケジュールが組めるので、看護師さんたちも含めて仕事がやりやすい。仕事の予定が立つというのは、救急患者ばかりのそれとは負担感が全く違います。結果的に、手術後の患者さんの病状も安定していることが多くなります」  手術前の診療にも良い影響があった。紹介で来院した患者と話すと、「先生のことはFacebookでよく見ています」「このあいだ投稿していたお弁当、おいしそうでしたね」と話が始まる。初対面でもうち解けた雰囲気で、患者との信頼関係をつくることができた。  さらにFacebookを見た医療関係者のなかから、この病院で働きたいという若手があらわれた。働き方改革だけでなく、仲間を増やすこともできたという。  休みがほぼない状況で働きつづけて10年。二人の部下ができたおかげでやっと週に1日の休日を手に入れた。しかし奈良原医師は「休みができたからには、何か世の中のためになることをやりたい」と考え、空いた時間を地域医療に使うことにした。社内で評価されることを第一に考えて働いていた会社員生活を捨て、人のために働きたいと思って医師の道へ――。そのときの思いが自分を突き動かしたという。 「地方では、6、70代、場合によっては80代の先生が一人で頑張って医療を支えているところも多い。また、必要な専門医が不在なため医療が不十分となっている地域もあります。そこで医師不足で困っているところのお手伝いをしようと考えました」  全国自治体病院協議会という団体に相談し、2016年、新潟県十日町市の松之山診療所で診療を始めた。 「ある先生がたった一人でやっている診療所なのですが、その先生は午前中に別の診療所で働き、午後にそこから車で1時間近くかかる松之山診療所に来るという働き方をしていました。医師が足りていないため、そうせざるをえないようでした。週に1日だけでも支援してくれるとありがたいということで、毎週金曜日に日帰り診療に行くことになりました」 ■都市部と地方の交流で医療格差を解決したい  地方では「こんな遠いところまで日帰りで来てくれる医師はいないだろう」という発想になりがちだと奈良原医師は言う。 「だからニーズがあるのに、それを上手く生み出せていません。でも今は、新幹線をはじめとして交通も発達しているから、都市部から地方に日帰りすることも可能です。また、会社もそうですが、4月になって人が入れ替わると、組織が活性化しますよね。外部の医師との交流が生まれることは、地方にとってもいい効果があると思っています」  奈良原医師は今、自身のSNSで、佐久穂町への日帰り診療の様子を発信し続けている。診療のことだけでなく、食べたものや町で行われたイベントについてなど、話題はごく身近なものも多い。 「都市部と地方の医師の交流が進めば、医師の偏在や地域間医療格差の解決につながるのではないかと、本気で思っています。どちらの医師にとっても、またそこで暮らす患者さんたちにとっても良い流れになったらいいなと思って、楽しみながら日帰り診療を続けています」 (白石圭) <<前半・偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生>>から続く

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    オミクロン株警戒も空港検疫に“穴”? 「抗原検査ではなくPCR検査をすべき」と専門家指摘

     新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」の世界的な感染拡大を受け、政府は矢継ぎ早に水際対策の強化に乗り出している。しかし、専門家のあいだで、対策の要である空港検疫の「穴」を指摘する声が上がっている。現在、PCR検査ではなく抗原定量検査を行っているからだ。厚生労働省は「PCRと同等に検査の精度は高い」「PCRは現場への負担が強い」と説明するが、「変異株の侵入を阻止するにはPCRが適切」と識者は批判する。 *  *  * 「東京五輪がないと、ここまで対応が早いのかと驚いています」  こう話すのは、関西福祉大の勝田吉彰教授(渡航医学)だ。  オミクロン株の感染が各国で急拡大していることを受け、岸田文雄首相は29日に外国人の入国禁止を発表。日本人帰国者についても、国が指定する宿泊施設での待機を求める対象国を14カ国・地域から44カ国・地域に強化した。  翌30日にナミビアから帰国した入国者のオミクロン株への感染が初めて確認されると、従来、陽性者と同乗していた乗客については前後2列以内に座った人たちが濃厚接触者の対象になっていたが、同乗者70人全員を濃厚接触者とした。さらに12月1日にペルーからの帰国者が2例目の感染者として報告されると、日本に到着する国際線の新規予約を当面停止するよう各航空会社に要請。その後、予約停止の要請については「混乱を招いた」「予約状況や需要動向にきめ細かく対応していく」などと軌道修正した。  勝田教授はこう話す。 「安倍・菅政権と打って変わって、水際対策に迅速に対応しているのは評価できます。変異株が入ってくるのを100%防ぐことは不可能です。少しでも入ってくるのを遅らせて、感染流行のピークを抑え、医療現場などが対策するための時間を稼ぐことが重要になってくる。これまで感染拡大を防いでこられなかった強い反省があるのでしょう。ただ、重症化しにくいなどのデータがわかり被害想定が軽くなりそうであれば、対策を柔軟に緩和することも必要です」  評価の声があがる一方で、水際対策の「穴」を指摘する専門家もいる。現在、海外から日本に入国する際、空港では感染の有無を確認するため、「抗原定量検査」を実施。抗原定量検査で陽性であったり、判定ができなかったりした場合にPCR検査をしている。これに対し「なぜ初めからより精度の高いPCR検査をしないのか」という指摘だ。  自民党外交部会長の佐藤正久参議院議員は<南ア方面等からの入国者には、水際対策で抗原定量よりPCR検査を多用する柔軟性も必要>などとツイッターで発言。立憲民主党の石垣のりこ参議院議員も<水際で、最も精度の高いPCR検査を国が責任もって行うしかない>と問題提起している。  抗原定量検査とは、専用の機器を使い、ウイルスのもつ特徴的なたんぱく質(抗原)の量を調べる検査のことだ。9月に薬局での販売が承認された抗原検査キットは「抗原定性検査」と呼ばれるもので、抗原があるかどうかを調べる。「定量」検査の方が「定性」検査よりも精度は高いが、PCRには及ばないとされている。  空港の検疫はもともとPCR検査が実施されていたが、昨年7月、抗原定量検査に変更した経緯がある。厚生労働省の担当者によると変更の理由は「PCRと同等程度の感度と特異度(検査の精度のこと)があることと、現場への負担を考慮したものだ」という。  PCR検査は結果が出るまでに数時間かかる一方で、抗原定量検査は30分程度で結果が出るとされる。また、PCRは専門のスタッフが鼻などに綿棒を入れて、粘液を採取する一方で、抗原定量検査は唾液で簡単にサンプルを採取することができる。また、PCR検査は手間に加えて、専門スタッフの感染リスクもあった――。こうした理由で、空港で多くの入国者を検査するためには「抗原定量検査が実効性がある」(担当者)というのが厚労省の言い分だ。  これに対し、PCR検査に詳しい国立遺伝学研究所の川上浩一教授は「抗原定量検査とPCRの感度は明らかに違う。抗原定量検査ではすり抜けが出てしまう」と指摘する。  空港検疫で使われている検査機器と検査キットは富士レビオ(本社:東京都)の「ルミパルス」という製品だ。医薬品の審査などを担う厚生労働省の独立行政法人・医薬品医療機器総合機構が公表している資料を見ると、PCRでは24件を陽性と判定したところをルミパレスの試薬では22件を陽性、2件を陰性とした。また、PCRでは301件を陰性と判定したところを、この試薬は陰性を293件、陽性を8件と判定している。判定が不一致となったのは全て回復期の検体だった。  政府は「同等の感度」と評価しており、専門家のなかでも「PCR検査ができるなら越したことはないが、抗原定量検査の精度は十分に高い」という声もある。しかし、川上教授はこう指摘する。 「国立感染症研究所が出した研究結果でも、PCRのほうが約1千倍感度が高いという結果です。ウイルス保有量が検出限界以下の感染者を見逃す可能性があることを指摘しています。いずれにしろ、感染しているのに陰性となる『偽陰性』、感染していないのに陽性となる『偽陽性』が出てくる懸念があるということです。海外からのオミクロンのような変異株の侵入を阻止するには、PCRがより適切です」  さらにPCR検査の現場への負担については、川上教授は「PCR検査は唾液でもできるし、結果が出るまで50分~1時間」という。試薬製造大手のタカラバイオの担当者も「負担は大きくない」とし、次のように説明する。 「従来のPCR検査はサンプルの前処理だけで1時間かかっていたが、当社の検査キットでは10分以内でできるようになった。検査結果は1時間以内に出ます。また、唾液を採取するだけで検査ができるため、スタッフの感染リスクも大幅に抑えられています。製品の価格は1回あたり約1千円と安いのも特徴です」(担当者)  医療現場でPCR検査を扱う専門家はどう見るか。新型コロナ患者の診療を行っているインターパーク倉持呼吸器内科の倉持仁院長は「空港検疫でPCR検査は可能だ」と主張する。倉持氏のクリニックではPCR検査機器が8台あり、フル稼働させれば1日6千人分の検査はできるという。 「空港検疫をPCRから抗原定量検査に変えた当初に言われていた検査スピードの差は、ほぼないと見ています。検査結果が出るまでの待機所を用意して、迅速に検査ができる体制を整えれば、空港でもPCR検査はできる。要は、やる意思があるかないかの問題。空港検疫の穴をふさぐべきです」  厚労省も「PCRにするべきという議論が出てくれば、当然検討せざるを得ない」(担当者)という。水際対策をより強化するためには、検査方法についても考える視点が必要だろう。 (AERAdot.編集部・吉崎洋夫)

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    振り返った猫を見て「まさか顔に穴?」 ガリガリの一匹を保護した夫婦「どうか猫バンバンを」

     飼い主さんの目線で猫のストーリーを紡ぐ連載「猫をたずねて三千里」。今回お話を聞かせてくれたのは、福岡県在住のヨガ講師、児玉妙子さん。自営業の夫と高齢猫とのんびり暮らしていた夏の終わり、家の前で一匹の三毛猫と出会いました。その猫は顔に大けがを負っていて、獣医師によると「傷口からしてエンジンルームでの事故」だそうです。保護から3カ月、奇跡的ながんばりをみせる猫のこと、今の思いを話してもらいました。 ◆三毛猫に声をかけると、振り返った顔が……  8月末の夕方のこと、仕事から帰ってくる時に、自宅の前をふらーっと歩く猫さんをみかけました。毛がぼさぼさで体もガリガリな三毛猫です。  私は日ごろから、猫さんを見つけると「おーい」と声をかけるタイプなので、いつものように呼んだのですが、振り返った瞬間、「きゃっ」と叫びそうになりました。鼻や上唇がなく、顔に穴が空いているよう……。  こわごわ見ると、何かでスパッと顔を削られたような感じです。 「なんか猫とは思えない猫さんがおる、顔がめちゃくちゃで」  急いで家にいた夫を呼びました。遠巻きに見ていると、猫さんはブロック塀を登ろうとしながら(力が入らないのか)難儀していました。  猫さんを病院に連れていこうと決め、キャリーバッグにいれました。ところが、受け入れてくれる動物病院がなかなか見つからない。  事前に「こんなけがを負って痩せた野良猫さんがいるんですが、連れていっていいですか?」と電話で説明すると、「状況からして人獣共通感染症もありそうだし、うちは無理」とか、「連れてきても無駄です」とことごとく断られてしまった。でも一カ所だけ、診てくれる動物病院が見つかり、車で連れていきました。  先生は猫さんの傷口を見て、「かなり鋭利なもので切れている。これはおそらく車のエンジンルームに入ったことによる事故でしょう」と診断しました。  虐待とかの傷ではないなと私も素人ながら思っていたのですが。ファンベルトが回った瞬間に顔が触れて、一瞬にして切れたようでした。一時期、車のボンネットをバンバンと叩いて猫さんに知らせる(車から出す)「猫バンバン」がネットでも話題になりましたが、入り込んでしまう猫さんは実際にいるものなのです。  診察した上で先生は、今後の見通しを冷静に説明してくれました。 「純然たる野良だと人にお世話をさせてくれないことがある。もし、人間のお世話を受け入れてくれたら“生きる芽”があるけれど、受け入れなければ難しい。受け入れたとしても、基礎疾患もあるのでかなり厳しい」と。  ただ、奇跡的に口と目は無傷で、鼻も“機能”は失われておらず、匂いを感じることができるようでした。匂いがわかるということは、ごはんを食べられるということです。望みがありました。  ……動物病院で抗生剤の注射とノミ、ダニの駆除をして、抗生剤や止血剤などをもらい、猫さんを家に連れて帰りました。自宅で、できる限りのケアをしてあげようと思ったのです。緊急のケアのために、自分で開いているヨガの教室も、何日かお休みしました。 ◆動じない猫さん、悟りを開いて肝が据わっていた  けがをした猫さんには、玄関に置いたケージで、“借りぐらし”をしてもらうことにしました。  なぜ玄関かというと、家には15歳の「きな」という茶トラのおばあちゃん猫がいたからです。  猫さんは、白血病ウイルスは陰性、猫エイズが陽性でした。2度目に病院に連れて行った時にわかったことでし。猫さんは生命の危機はいったん脱しましたが、傷がひどいので、「きな」といきなり接触させないように隔離することにしたのです。  正直なところ、家に入れるにあたり、私も夫も、先住の「きな」に対して申しわけない気持ちもありました。一般的に、猫さんは新入りが苦手ですよね。ひと悶着あってだんだんと慣れていくような感じで。高齢の「きな」にはストレスを与えたくないし。  そうした先住猫への思いもあり、すぐに保護した猫さんに名をつけることもためらわれて……ちょっと言葉は悪いけど親しみも込めて、猫さんのことはしばらく「あいつ」と呼ぶことにしました。  周囲に聞くと、「あいつ」は地域猫で、2015年頃に“おとなの猫”としてわりと近くで目撃情報がありました。だから年齢は若く見積もっても7~8歳。ずっと外にいたのに、いきなりのケージ暮らしでしたが、“悟り”を開いたようにおとなしくて。ケージのドアは、出ようと思えば出られる簡単な作りでしたが、中でじっとしていました。  けがの処置は、初めのうちは抗生剤と止血剤をウエットフードに混ぜてあげていました。薬入りをちゃんと食べてくれましたよ。食べることに執着があるのか、朝夕、食事の時間になると立ち上がって“人間、メシくれ、メシ”というように騒ぎますが、それ以外は静か。肝が据わってる感じでした。  大きな音も平気。掃除機をかけてもおびえず、それどころか、(ケージの隙間から)前足を延ばして、掃除機を叩こうとしたり。  だから、「『あいつ』は、動じない。すごいよね」と夫とも話していました。  平然と話しているように思われるかもしれないですが、私は初めの頃に顔のけがを正視できず、眼鏡の上にさらに大きめのサングラスをして、視界に制限をかけてケアをしていたんです。  その点、夫は冷静でした。夫は実家でもずっと猫のいる環境で育ってきていたので、猫を許容する力も大きく、猫を愛する用意もすごくできていた。 「あいつ」は、けがのせいでグルーミングができず皮膚にノミの糞がそのまま残って、抜け毛もそのまま絡まって、それでぼさぼさしていました。シャンプーをしても毛の絡まりがほぐれなかったので、夫が毎日、櫛でせっせと梳いてくれました。  夫の理解があったからこそ、「あいつ」のケアもわが家でできました。夫がいなければ、玄関に置くことすら無理だったでしょう。  家に来て2カ月くらいすると、「あいつ」に変化が起きました。 >>【後編:15歳の茶トラ愛猫の看取りと旅立ち 「ここにおるよー」瀕死の借りぐらし猫が喪失感を埋めた】 に続く (水野マルコ) 【猫と飼い主さん募集】「猫をたずねて三千里」は猫好きの読者とともに作り上げる連載です。編集部と一緒にあなたの飼い猫のストーリーを紡ぎませんか? 2匹の猫のお母さんでもある、ペット取材歴25年のベテラン・水野マルコ記者が飼い主さんから話を聞いて、飼い主さんの目で、猫との出会いから今までの物語をつづります。虹の橋を渡った子のお話も大歓迎です。ぜひ、あなたと猫の物語を教えてください。記事中、飼い主さんの名前は仮名でもOKす。飼い猫の簡単な紹介、お住まいの地域(都道府県)とともにこちらにご連絡ください。nekosanzenri@asahi.com 連載一覧はこちら>>

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    ゴマキ弟、朝倉未来の無償サポートで首のタトゥー除去も「腹に愛犬5匹のタトゥー」で賛否両論

     元モーニング娘。・後藤真希さんの実弟で元アイドルの後藤祐樹さんが格闘家・朝倉未来の無償サポートを受け、自身の首に入っていたタトゥーを消したYouTube動画が大きな反響を呼んでいる。  後藤はAbemaで配信された「朝倉未来にストリートファイトで勝ったら1000万円」で朝倉さんに挑戦したが、試合開始45秒で敗北。左目を腫らして痛々しい姿だった。  その後に、後藤さんと朝倉が互いのYouTube動画で対談企画が実現。朝倉が11月30日に公開したYouTube動画では、朝倉からの「ヤンキー路線にいたんですよね?」という質問に対し、「元々アイドルになる前から若干グレてはいたんですけど。芸能界に入って、そういうカセではないですけど、ヤンチャできない時期があって、芸能界を辞めてから反動が一気に」とアイドル時代に3回も謹慎を食らったことや、逮捕されて刑務所で服役した後に更生のきっかけとなったエピソードなどを赤裸々に語った。  対談の中で後藤さんが企画に応募した理由の一つに話題が及んだ。鯉のタトゥーが首の左側に入っており、消すことが亡き母との約束だったが、金銭的に厳しく今まで消去することができなかったという。朝倉は後藤さんのタトゥーを無償で消去してくれるクリニックがあると紹介した。動画では、後藤がクリニックで首と指に入れたタトゥーを消す施術を受ける様子も公開。痛みを伴うが完全に消去するまで何度も施術を受ける必要があり、「自分がノリで入れた入れ墨の最後のケジメなので頑張ります」と誓った。  ネット上では「朝倉未来って改めてすごいなと思った。普通はここまでやらないよ」、「心が揺さぶられました。天国のお母さんも喜んでいるんじゃないかな」など感動したというコメントが多く寄せられたが、一方で違った見方もあった。  後藤さんは今年に入ってから腹に愛犬5頭のタトゥーを入れている。この様子はYouTube動画でも投稿され、7月に配信されたタトゥーを入れた彫師との対談で、「今のワンちゃんたちと生活している中で、もともと入れ墨が好きなので、ワンちゃんをものとして残せるものはないかなとずっと考えていたんですよ。ワンちゃん自身を自分の体に刻みたいなと」と思いを語っている。 「亡くなった母親の願いが首の入れ墨を消すこと、金銭面的に厳しくて消すことが出来なかった…なのに腹部に巨大な犬5匹のタトゥーを入れることは出来たんだ?不思議だね。これを美談みたいに語ってる意味が分からない」と疑問を呈するコメントのほか、「数年前から消したいって話してたのにまだ消してないってことにびっくりしたよ。こういうのは自分で消す費用貯めて消すから意味が合うんだと思うけど…過去の後悔を人の金で尻拭いしてもらうって、結構だらしない。ノリでタトゥー入れてた頃と何も変わってないんだなと感じる」という指摘もあった。 「朝倉未来に落ち度はないと思います。後藤さんの奥さんに高級な洗濯乾燥機をプレゼントした動画も大きな反響を呼びましたが、挑戦してくれた後藤さんの勇気を称えると共に心配をかけた奥さんに何かをプレゼントしたいという純粋な気持ちだったと思います。タトゥーの件は捉え方が難しいですね。首のタトゥーはなかなか隠せないから除去したかったのか…。お腹のタトゥーは良くて首はなぜダメなのか、お腹のタトゥーを入れるお金で首のタトゥーを消せなかったのかなど、視聴者が色々な事を疑問に思ったのかもしれません」(スポーツ紙芸能担当記者)  亡き母の願いだった首のタトゥーを消すことで、新たなスタートが切れるだろうか。(松木歩)

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    眞子さまの結婚どう思う? 瀬戸内寂聴が27歳スタッフに質問した結果

     半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。*  *  *■横尾忠則「スジ金入りの肉体的朦朧体、大観より本格派です」 セトウチさん 耳が聴こえなくなったと言うと、「きっと作品が変るわよ」と、ベートーベンじゃあるまいし、変なことおっしゃると、その時はそう思いましたが、本当に変ったんです。その変り方が理に適(かな)っているといえば適っている。つまり聴こえないことは、音の輪郭が失くなることです。そうなると音が朦朧(もうろう)となって、横山大観の朦朧体の絵のように音がボケて聴こえるんです。耳がボケると、日常生活もボケて、曖昧模糊(あいまいもこ)となって、したことと、してないことの区別もわからなくなるんです。つまり虚実の区別ができなくなって、夢で見た仕事の依頼を、本当に依頼されたと思って、やっちゃったりするんです。ボケの症状に似てるけれど、ボケ老人になったんではなく耳のせいだと理解しているので、そこはまだ理性がコントロールしています。 ハイ、絵の話だったです。大観は思想で朦朧体を描きましたが、僕はスジ金入りの肉体的朦朧体なので、思想のようなチョロコイ考えではなく、肉体的ハンデキャップによる堂々たる自然体派です。大観よりこっちの方が本格派です。そんなわけでセトウチさんの大予言は的中しました。 先っきも言いましたが境界線が失くなるということは自由のキャパシティも拡張したことになります。近代人は何でもかんでも境界線を引いて、全てを分業化します。縄文時代はひとりの人間が、多面的に物事をこなしていました。狩猟(しゅりょう)も農業も、漁業も工芸も、子育ても、教育もひとりでするという、境界線をはずした労働生活です。現代のような役割分担などしません。正に多義的です。越境した狩猟社会です。 難聴が与えてくれた神の恩寵です。だから病気の高徳です。僕が度重なる病気によって救われてきたということはこういうことです。神は人間に色々な苦難を与えますが、病気は罪ほろぼしでもカルマ落としでもなんでもないのです。人間の進化向上のためのカリキュラムだと思えばどうでしょう。難聴のほかに、腱鞘炎(けんしょうえん)にもなりました。もう、セトウチさんの「幻花」のような繊細(せんさい)な描写の絵など描けません。今は太い筆やハケを握りしめて、キャンバスにバンバン叩きつけるように描いています。それも痛いので、左手で描きます。左手は思うような形が取れません。幼児の絵より下手くそになります。でも、デュビュッフェは幼児の絵のマネをして、幼児風に描きますが、そんな意図的なことをしなくても、僕の左手はそのまま幼児以上に下手に描けます。これもハンデキャップから来た自然体です。 今書いている手紙では、前にも同じことを書きましたかね。境界を越えると時間差もなくなって、やったことと、やらないことの区別がわからなくなるのです。いよいよ本格派老人です。100歳老人のセトウチさんにも負けていません。ただ僕はセトウチさんのように年齢には拘っていません。拘っているのは他人の方で、今行っている展覧会では「85歳、85歳」と年齢を売り物にされています。歳のことは言うな! アーティストには年齢はないのです。昨日の続きが今日、今日の続きが明日です。原始社会では年齢など無関係です。アーティストは原始人です。■瀬戸内寂聴「私もヨコオさんに負けないように!」 ヨコオさん 何だか、ずいぶん久しぶりにこの往復手紙を書いているような気がします。 それにしても相変わらずコロナは豪勢を極め日本はおろか、世界的にその力を奮っています。 コロナのせいで、人に会えず、寂庵はずっと門を閉めっぱなしです。コロナになる前はもちろん、一も二もなく門内に入ってもらっていました。 大抵遠く九州や東北から来られた人で、まだ生きている私に逢えたと言って、抱きついて泣き出します。もちろん、私は丁寧にお迎えして、写経などしてもらい、お茶菓子を一緒に食べて、しばらくその人のお話を聞きます。つきあいの人もあれば、寂庵の信者を自称する人もあり、初めて門内に入ったという人もいます。「まさか、門内に入れてもらえると思わなかった」と泣き出す人もあれば、「生きている寂聴さんに逢えた!」と、子供のように足を踏み鳴らす人もいる。「とても百歳には見えない!」と誰もが感嘆してくれるが、終日ベッドに横になり、本ばかり読んで、一日を過ごしている私の毎日の状態など話せない。私は、人に逢っている間だけは、必死になって元気らしさを演じ、声を張り上げる。客の帰る時は、長い廊下の途中で、へばってしまい、さっさと歩く客の跡がおえない。 ──だって百だもの……──と、私は廊下の途中で、ペシャンコに座り込み、つくづく、自分に向かって言う。 食事だけは時間が来ると、しゃきっと体がのび、食卓の自分の位置に早々と座り込んでいる。「あら、お昼はもう召し上がりましたよ!」 スタッフの一人が、わざと大きな声を張り上げる。「私のスパゲティは、どうしてこんなに美味しいのだろうなんて、お世辞までいただいて」「そうよ、ほんとに! でも今ここに座ったのは、食べるためでなくて、眞子さんの結婚をどう思うかって、寂庵で一番若い二十七歳のP子の意見を聞きたいのよ」「ああ、眞子さん、ほんとに、よかったですね。大体、みんなあんまりこの結婚に意地悪すぎましたよ。でも、どうして一時金を眞子さんは辞退なさるのかしら? 貰う権利のあるお金でしょう? あんまり弱気にならない方がいいと思うけど……」 ヨコオさん、今、寂庵の中は、こんなにのんびりしています。耳が聞こえないのは、私も同然です。テレビの時なんか、びっくりするほど大きな声にしてくれるので、何とか会話が出来ています。鶯も、秋の夜の虫の音も、私の耳にはさっぱり聞こえません。ヨコオさんとTELしてるのを横で聞いてる人があれば、どんなにおかしいでしょうね。耳だけでなく体のあちこちがどしどし衰えてきます。 そのうち、きっと、自分の死んだこともわからなくなって、──ヨコオさんにTELして!──など叫んでる日が来るのでしょうね。でも目がよく見えているので、一日に二冊は厚い本を読み切っています。ヨコオさんの展覧会、ますます人気上昇でおめでとうございます。私もヨコオさんに負けないよう、あっとこれまでと変わった小説を二つくらい書き残して死にたいものですね。 では、また。※週刊朝日  2021年9月17日号

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    愛子さまと雅子さまの髪形には意味があった? “お揃いヘア”卒業に見た2人の「強さ」

     愛子さまが成人する。その際に注目するのが、ヘアスタイルだ。髪形には、愛子さまの思いや雅子さまとの距離感などが投影されてきたようなのだ。 AERA 2021年12月6日号から。 *  *  *  天皇陛下と皇后雅子さまの長女愛子さまが12月1日、20歳の誕生日を迎える。大学の授業の関係で、成年の行事は1日と5日に分けて行うという。  5日に宮中三殿の参拝、勲章(宝冠大綬章だそうだ)親授などを経て、上皇ご夫妻にあいさつ、その後、宮殿で皇族方や三権の長から祝賀を受ける。  行事にあたり、愛子さまは参拝服、ローブ・モンタント、ローブ・デコルテと3着を新調したという。どんなデザインなのか、とても楽しみだ。が、それ以上に私が注目しているのは、愛子さまのヘアスタイルだ。  秋篠宮家の佳子さま(2014年に成人)と眞子さま(小室眞子さん、11年に成人)は、そろって長い髪をアップにして式に臨んだ。紀宮さま(黒田清子さん、1989年に成人)は、顎のラインでまっすぐに切り揃えたボブスタイルだった。愛子さまはこのところ、髪の毛を伸ばしているようだ。やはりアップにするのだろうか……。  などと思うのは、愛子さま、そして雅子さま、お二人にとって髪形はとても大きな意味を持つ──勝手にそうとらえているからだ。ある時からずっと、お二人はそっくりのロングヘアになった。写真をさかのぼると、愛子さまが先に伸ばし、雅子さまが追いかけたことがわかる。「適応障害」という病を得た雅子さま。学校に行きづらい時期もあった愛子さま。お二人そっくりの髪形は、皇室という場所で悩みながら生きる母娘の「絆」の象徴のように思っていた。 ■おでこ見せロングヘア  ところが今年4月、愛子さまは腰近くまであった髪をばっさり切り、肩までのボブヘアになった。その日、愛子さまが乗っていた車の隣には雅子さまがいて、ロングヘアをまとめる定番の髪形だった。ああ、もうお揃いは完全に卒業なのだとしみじみした。お二人がそれぞれの「強さ」を得た、と思えたのだ。  まずは簡単に、愛子さまのヘアスタイル史を振り返ってみる。  06年4月、学習院幼稚園の入園式に出席した愛子さまは、制帽から肩下10センチほどの髪を見せている。お隣で微笑む雅子さまの髪は、肩まで届いていない。それから2年、08年の学習院初等科の入学式。愛子さまの髪はさらに長くなり、前髪を上げておでこを見せている。雅子さまも前髪を上げたロングヘア。お揃いヘアでの入学式。  雅子さまのお誕生日に公表される写真を見てみると、07年にはお二人お揃いになっている。つまり06年から1年かけて、雅子さまが愛子さまお好みのロングヘアに追いつき、以後それをキープしているということになる。お揃いの「おでこ見せロングヘア」は愛子さまが5歳の時からの定番なのだ。 ■つらい状況の風除け  あの当時を振り返ると、雅子さまの「適応障害」が公表されたのが04年。その年と翌年は、お誕生日にも写真が公表されないという事態だった。06年に皇太子さま(当時)も一緒にオランダを私的訪問、雅子さまと愛子さまが「笑っている」ことが話題になったりした。その時、雅子さまはまだ肩くらいの髪、その横で長い髪を可愛く編み込んだ愛子さまがはしゃいでいた。  07年以降のお二人そっくりの髪形は、つらい状況に耐える風除けのようにも見えた。雅子さまには髪を娘と同じ長さにすることが心の支えだったろうと思う。10年、初等科2年の愛子さまに不登校問題が起きた時も、お揃いヘアの雅子さまが毎日のように付き添った。が、中等科でも不登校が報じられる。  愛子さまの「生きづらさ」のようなものの深刻さは、15歳になった16年のお誕生日写真にはっきり写っていた。折れそうなほど痩せた姿だった。「生きにくさ」はどこから来るのか。「生まれた時から男の子でないことが自己否定につながっている」と指摘してくれた女性がいて、目から鱗が落ちたのは令和になる直前だった。それはさておき。  翌17年、高等科に入学してから愛子さまは元気になっていった。お代替わりに向けて雅子さまの活動も確実に増えた。愛子さまは「前髪ありのロングヘア」が定番になり、時に顔の両横に長い髪を一筋垂らすこともあり、「今どきの女の子だなあ」とホッとした記憶がある。  20年、学習院女子高等科の卒業式はコロナ禍もあり、愛子さま1人で報道陣の前に立った。堂々とした受け答えの後、式場に向かう後ろ姿には、ポニーテールが揺れていた。 ■19歳の春ボブに変身  そして今年4月、愛子さまはボブヘアへと大変身した。30センチ近くは切ったであろう思い切りの良さに、愛子さまの強さを感じた。愛子さまは皇室を「自分の場所」としたのだろう、と。皇后となった雅子さまもきっと同じ思いに違いない、とも。  などという勝手な解釈より、愛子さまの言葉だ。聞ける日が近い。成人にあたっての記者会見が開かれるのが、内親王の恒例だ。いつになるのか、宮内庁は発表していない。来年以降という報道もあったが、愛子さまが初めて国民に対して思いを語る場となる。これからと将来、両方を語ることになるだろう。  愛子さまは「女性皇族」としての自分をどうとらえているのだろう。眞子さんが儀式なし、一時金辞退という結婚を選択したのは、女性皇族と一個人とのせめぎ合いの結果だったように思う。「天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」とだけ皇室典範で定められている女性皇族。公務に励んでも、その先に待っているのが何なのか、すごく曖昧な存在だ。愛子さまは、「天皇家の長女」という立場と、「愛子」という一個人としての立場をどう捉えているのだろう。(コラムニスト・矢部万紀子)※AERA 2021年12月6日号より抜粋

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    「戦力外」今季はギリギリ回避も…もう後がない“崖っぷち”の選手たち

     プロ野球の日本シリーズも終わり、ストーブリーグ、契約更改も本格化する時期となってきた。戦力外通告期間は11月29日に終了となり、イレギュラーなケースを除いてここから自由契約になることは考えづらいが、何とかチーム残留が決まりながらも、もう後がない状態の選手も少なくない。今回はそんな“崖っぷち”からの再起を目指す選手をピックアップしてみたいと思う。  まずこのオフにあらゆる意味で非常に厳しい状況に立たされているのが平田良介(中日)だ。長く外野の一角として活躍し、FA権を取得した2016年オフには権利を行使せずに5年の大型契約でチームに残留。しかしここ数年は故障で成績を大きく落とし、今年は異型狭心症を発症するなどレギュラー獲得後としては最低の数字に終わり、1億5000万円の大幅ダウンで契約更改となっている。現在も診察を継続しているというが、プレーに関しては影響ないところまで回復しているのは好材料だ。  チームは立浪和義新監督を迎え、また打撃スタイルにも似たところがある中村紀洋打撃コーチが就任したことも平田にとってはプラスではないだろうか。右方向へも大きい当たりが打てる長打力は貧打に悩むチームにとってまだまだ貴重な存在である。まずは体調を万全にしてキャンプに臨むことが第一だが、豊富な経験とフルスイングを武器に鮮やかな復活を遂げることを期待したい。  日本一に輝いたヤクルトでは内川聖一、坂口智隆の両ベテラン野手が崖っぷちに立たされている。昨年オフにソフトバンクを自由契約となり今年からヤクルトに移籍した内川だが、開幕当初はスタメンでも起用されていたものの、オスナが合流して以降は代打での起用が続き、11安打で0本塁打、2打点、打率.208と寂しい成績に終わっている。ソフトバンク時代と合わせて個人では日本シリーズ5連覇という偉業達成となったが、この数字には本人も到底満足はしていないだろう。コーチ的な役割としての面も評価されていると考えられるが、やはりその芸術的なバッティングを多く見たいというファンも多いはずだ。  一方の坂口も昨年は98本のヒットを放ち復活を印象付けたが、今年は二軍暮らしが長く続き、わずか8安打で打率.160という結果でシーズンを終えている。日本シリーズではスタメンでも出場するなどまだ貴重な戦力として見られてはいるものの、この成績が2シーズン続けば当然引退という文字も見えてくる。これまでも一度オリックスを自由契約になってから、ヤクルトで復活を果たしているだけに、再びV字回復を見せることができるのかに注目が集まる。  投手で苦しい状況に立たされている代表格が金子弌大(日本ハム)だ。日本ハムに移籍した2019年には8勝(7敗)、防御率3.04をマークしてまだまだ力があるところを見せたが、翌年以降は低迷。今年はルーキーイヤーの2005年以来となる一軍勝利なしに終わっている。昨年オフに大幅年俸減となっていなければ、西川遥輝、大田泰示、秋吉亮と並んでノンテンダーで自由契約になっていた可能性も十分に考えられただろう。二軍では12試合に登板して防御率2点台とまずまずの成績を残しており、高い制球力と投球術はまだまだ健在だけに、ストレートの勢いを少しでも取り戻して何とか復活を目指したいところだ。  投手でもう1人何とか生き残ったという印象が強いのが内海哲也(西武)だ。2018年オフにFAで移籍した炭谷銀仁朗の人的補償として15シーズンを過ごした巨人から移籍。貴重な左の先発ピッチャー候補として移籍当初は期待は高かったが、これまでの3年間で一軍では2勝(2敗)と寂しい結果に終わっている。来年で40歳という年齢を考えると自由契約となってもおかしくなかったが、野球に対する取り組みが評価されて、来季は投手コーチ兼任として残留が発表された。コーチとしての役割も重要になってくるが、チームの投手陣は手薄なだけにまだまだチャンスはあるはずだ。キャンプから首脳陣にアピールして、何とかローテーションの谷間に入り込むことを狙いたい。  今年は阪神からオリックスに移籍した能見篤史が42歳という年齢ながら貴重なリリーフとして活躍しており、また同じ学年の石川雅規(ヤクルト)も先発の一角としてチームの日本一に貢献している。これまでも山崎武司(元中日、楽天など)など、大ベテランとなってから鮮やかな復活を遂げた選手もいるだけに、ここで紹介した選手たちもファンの期待に応えるような活躍を見せてくれることを期待したい。(文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員

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    「この子には障がいがあります」 障害をオープンにするタグを配布する47歳母親の決意

     8年前、生まれて間もない長男に障害があることを知り泣き崩れた母親。だが彼女は今、障害当事者の子どもが身につけられるタグ型のマークを作るためにクラウドファンディングで資金を集め、長男に着けるだけではなく、無償で配布している。「この子には障がいがあります。」。オレンジ色のタグに書かれたストレートな言葉。母が込めた思いとは。 *  *  *「お子さんもう大きいんだから、歩いて階段で下りさせなさいよ」  3年ほど前だったか。東京都在住の穐里(あきさと)明美さん(47)が、バギー型の車いすに乗った長男と駅のエレベーターに乗っていた時、同乗していた中年女性に、こう強く言われた。  特別支援学校に通う8歳の長男・明ノ心(あきのしん)君は「ワーデンブルグ症候群」と「自閉症スペクトラム」という複雑な障害を抱える。両耳が難聴で、人工内耳を着けて生活しており、言葉を発することはできない。肢体不自由と呼ばれている症状もあり、身体を自由に動かすことができず、歩いてもすぐ転んでしまうため、外出時は専用のバギー型車いすに乗る。外出先で、突然大声を上げることもある。  ただ、一見しただけでは元気な男の子で、障害があるようには見えない。冒頭の中年女性は「歩くことができる年齢の男の子がバギーに乗って他人の邪魔をしている」「母親は注意しようともせず、さらには使う必要のないエレベーターに乗った非常識な親だ」と思ったのだろう。  バスに乗っているとき、男性にバギーを蹴られたこともあったし、舌打ちされたことは数多くある。 「車両が混んでくると、いたたまれなくなり『すみません』と心の中でつぶやきますし、突然、息子が大声をあげたときには私自身がパニックになってしまうこともありました。その一方で、明ノ心が大きくなるにつれ、バギーに乗せて外出する機会が増えていく中で、『この子は歩けないんです』と説明する機会が多くなってきたとも感じていました」  明ノ心君は、「こんにちは」などと声をかけられても答えることができないので、感じの悪い子どもだと思われてしまうことがある。 「私もそうですが、同じような障害の子を持つお母さんたちとお話しすると、せっかく声をかけてくれたのに気分を害してしまい、申し訳なく思ってしまうという声をよく聞きます」(明美さん) 「見えない障害」。当事者やその家族が、事情に気づいてもらえず誤解されてしまうケースは少なくない。  ただ、明美さんの脳裏には、明ノ心君が2歳頃の、ある記憶が焼き付いている。 「障害があります」と書いてある缶バッジがたまたま病院にあり、職員に勧められたため、明ノ心君の身に着けて出かけるようにした。 「バッジに気づいた人から『何かできることはないですか』と声をかけていただいたり、どんな障害なのかを聞いてくださったり、バッジがきっかけで声をかけてもらうことが増えたんです。みなさん、とても優しくて。その時、周囲の人は決して障害者に無関心なのではないと知ることができました。障害をオープンにすることで、優しくしてもらえることに気づきました」  保育園に入った時も、同じような経験をした。人工内耳を着けていることは外見で分かるため、明美さんは、他の子と見た目が違う明ノ心君がいじめを受けたりするのではないかと不安を抱いていたという。 「保育園の先生が園児たちに、人工内耳を触ってはいけないことなど、息子への接し方をていねいに教えてくれたんです。すると、誰かが息子に『遊ぼう』と声をかけると、別の子が『これ(人工内耳)は触っちゃだめだよ』と言ってくれたり、みんな仲よく遊んでくれました。私の不安は取り越し苦労だったんです」  その後、缶バッジが壊れてしまい、同じようなものが欲しいと考えていたという。冒頭のエレベーターでの一件や、バスでバギーを蹴られたりといった出来事が続く中で、決断した。 「自分で作っちゃおうかなと思ったんです。障害のある子を持つ親で、欲しい人もきっといるはずだと。周囲の目が気になってしまうという方がたくさんいますから」(明美さん)  マークに入れる言葉は、いくつかの候補から、職場の同僚らと相談したり、友人や障害のある子を持つ親たちにアンケートを取ったりして、ストレートな表現に決めた。今年5月から6月にかけクラウドファンディングを実施。565人から計420万円の支援を受け、現在までに、個人や事業者に2000個弱を配布した。問い合わせも続いているという。  マークを着けた第一号は明ノ心君だ。今年春から、出かけるときはバギーとバッグ、明美さんのバッグと3か所に着けている。 「自分で作ってはみたものの、心のハードルはありました。本当にいい方向に向かうのだろうかと。でも、今は着けて良かったと実感しています。コロナ禍で人と出会う機会が少ない中でも、マークに気付いたお母さんが自分の子どもに、どうして明ノ心がバギーに乗っているかを説明してくれたりする場面が増えています。障害をオープンにすることで、話しやすくなる効果があるんだと思います」  前向きに話す明美さんだが、ずっとこうだったわけではない。  明ノ心君が生まれてまもない頃、明美さんは息子が目を全然開けないことに気が付いた。指で開いて目をのぞき込んでみると、眼球が黒ではなく灰色で、横に揺れていた。インターネットで調べ、障害の可能性を知った。  生後2カ月で眼科に行ったところ、医師から将来、弱視になる可能性を告げられた。そして3カ月目、今度は自治体の健診で、両耳が聞こえないことが分かった。  明美さんは、その帰り道に泣いた。「これは夢なのか、本当のことなのか」。なぜこの子は耳が聞こえないのか。どうしてこんなことになったのか。自分の何がいけなかったのか……。自分を責めて毎日泣いた。  1週間ほどたったある日。息子を見ていて、ふと、気が付いた。明ノ心君は、何も変わっていない。毎日、懸命に生きようとしている赤ちゃんのままだ。変わったのは自分の心だけだということに。 「自分を責め続けているということは、気持ちの矢印が自分だけに向いているということ。明ノ心に向いていないことに、はっと気が付いたんです。息子の前では笑っている母でいようと、その時、決めました。泣くんだったら、笑いながら泣きます」  あれから8年。明ノ心君は今年、1人でトイレができるようになり、おむつが取れた。少し前までは目を合わせることがなかったが、徐々に表情が豊かになり、明美さんの顔をのぞき込んできて笑顔を作ることも増えた。  明美さん自身が驚かされたこともあった。明美さんは毎日、入浴後にアイスを食べるのが日課なのだが、昨夏のある夜、明ノ心君が入浴後の明美さんに突然、冷凍庫からアイスを持ってきてくれた。 「こんなことがあるのって、あの瞬間は本当にびっくりしました」  子どもの成長に、母も学ぶのだ。「生まれてきてくれてありがとうって、今は心からそう思います」  明美さんは、自分たちの手で作ったマークに何を願うのか。 「マークが、明ノ心のような障害がある人と、周りの人をつなぐ、架け橋になってほしいと願っています。障害を主張するのではなく、知ってくださった方、その一人一人に、こういう障害や症状があるんですよと丁寧に説明していくことで、少しずつ社会が変わっていけばと考えています」  障害があることを「見える化」することで、聞いてはいけない、触れてはいけない、と決めつけがちな健常者の心のハードルが下がるかもしれない。それも明美さんの思いだ。 「私が死ぬまでに、明ノ心にどんな環境を残してあげられるか。泣いている暇なんてないですよね」  かつて大泣きした母は、笑顔で言い切った。(AERAdot.編集部・國府田英之)

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    自分のために頑張ることができない人は、自分が「安全に暮らすため」に頑張ろう しいたけ.さんがアドバイス

     AERAの連載「午後3時のしいたけ.相談室」では、話題の占い師であり作家のしいたけ.さんが読者からの相談に回答。しいたけ.さんの独特な語り口でアドバイスをお届けします。 *  *  * Q:仕事の線引きが下手なのか、望むような働き方ができません。職場ではいつもビクビクしていて、相手に合わせるうちに時間が過ぎて、毎日残業で疲れます。「自分のために頑張ってみれば」とアドバイスをくれる人もいるのですが、自分のために頑張るってどういうことですか?(女性/会社員/44歳/みずがめ座) A:「自分のために頑張る」。これは難しい人にとっては難しいし「それってどういうことなの?」という気持ち、よくわかります。  僕は、自己肯定感が高いことがすべてだと思っていませんが、自分のために頑張ることは、自己肯定感が強い人ができることだとも思うんです。  最近自分でも経験したことなんですが、会話の中でちょっとドキッとする場面があって。僕がもう少し自己肯定感が高かったら「は?」ってなって、「そこまで言われることですか?」と怒りに変えることができたと思うんです。  このまま帰ったら傷が残るだろうな、動揺が広がってもしかしたら寝つけなくなるかもしれないな、と思った時に怒りのスイッチを入れて「それおかしくないですか?」と言えば、その場でモヤモヤを解消することができます。自己肯定感が強い人、自分のために生きている人たちは、言い換えると「今日の私の寝つきを邪魔するものを許せない」人たち。だからその場で言い返して解消しようとします。  傷ついた状態を残したまま、家に持って帰る選択をしちゃう人のほうが自己肯定感が低いし、優しい人なんですよね。やっぱりちょっと損してしまうところがあります。「自分のために頑張ってみれば」というアドバイスができる人は、その場で怒ったり反論したりすることができる人。これは結構はっきりタイプが分かれます。仕事の線引きが下手というあなたも、なかなかその場で言い返せないタイプの人のような気がします。僕と一緒です。  信頼する人同士、親友とか恋人とかの前では、その場で言い返す練習や怒る訓練をしてみてもいいと思います。でも、赤の他人を巻き込んでまで、自分が苦手なことをやる必要はありません。  じゃあどうするか。自分のために頑張ることができない人は、自分が「安全に暮らすため」「脅かされずに生きるため」に頑張ることをモチベーションにしてほしいんです。 「ちょっと昨日は疲れました」とか「もう二度とやりたくないです」とか、「無理」という空気を少し出しておく。自分が嫌なことって驚くぐらいに相手に伝わっていません。  みずがめ座は「自分に修業が足りない」と思ってしまいがちです。サービス残業だろうが何だろうが押し付けられたことを乗り越える力を自分が手に入れていかなければいけない、と思ってしまう。  こまめに毒を出していかないと、面の皮が厚い相手の要求はどこまでも大きくなっていきます。 しいたけ./占い師、作家。早稲田大学大学院政治学研究科修了。哲学を研究しながら、占いを学問として勉強。「VOGUE GIRL」での連載「WEEKLY! しいたけ占い」でも人気※AERA 2021年12月6日号

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    注目は日大付属、女子校、臨海部…2022年中学入試「志願者動向」を模試結果から予測

     今春の首都圏の中学入試は過去最高の受験率を記録しましたが、その傾向は来年度入試でも続くのでしょうか。大手進学塾などが行っている模試の結果は、受験者の動向を探る指標になります。中学受験の専門家たちは模試の結果をどう読み解いているのか。10月に行われた各塾の模試結果から、来年度の入試傾向や志願者数の増えそうな学校がどこかを聞きました。 *  *  * ■中学受験率は「過去最高」を更新か  首都圏模試センターの調べでは、中学入試は7年連続で受験生が増加し、2021年度の受験率は16.86%と、過去最高に達した。  この傾向は来年度も続くのだろうか。今回取材した3氏(安田教育研究所代表の安田理さん、森上教育研究所代表の森上展安さん、首都圏模試センター取締役教育研究所長の北一成さん)はいずれも、中学受験率は来年度も上昇し、記録を更新すると予測する。安田教育研究所の調べによると、今年10月に行われた4大模試(首都圏模試センター・四谷大塚・日能研・サピックス)の受験者の合計は4万7255人で、昨年同期の4万5693人と比較して1562人増、約3.4%増えている。安田さんは、「小規模塾の生徒のなかには、4大模試を受けていない生徒もいる。本番の入試では4%増くらいになるのでは」と予想する。  さらに北さんは増加傾向について、次のように話す。 「6年生はもちろんですが、模試を受ける5年生も増えています。来年度はまずまちがいなく増えるでしょうが、再来年度も増加するでしょう」  中学受験者数が増加傾向にある背景には、昨年同様、コロナ禍での公立と私立の対応の差があるとみられている。オンラインでいち早く授業を再開した私立に比べて、公立は後手に回り、その結果「私立に入れたほうが安心」という家庭が増加した。北さんは「コロナ禍が私立の追い風になった」と話す。  森上教育研究所の調べによると、東京・神奈川の入試初日となる2月1日の午後や、2日以降の入試の受験者数が増えているという。 「第1志望とされる学校が多い2月1日午前に実施される入試の合格率は約3割にすぎません。21年度入試では、残り7割の受験生が途中であきらめることなく、最後まで受け続けた。何がなんでも私立に行きたいという意思の表れでしょう」(森上さん)  もっとも安田さんは「コロナ禍以前から私学への傾斜は始まっていた」と、次のように分析する。 「ここ2年の増加傾向はコロナ禍で顕在化した公私の教育内容の差が理由でしょうが、それ以前から受験生は微増していた。大学入試改革がゆれ動いて不安が募り、保護者や受験生は『私学のほうが入試改革に、より敏速に対応してくれる』という期待があったのでは。大学付属校人気も、それが要因のひとつでしょう。また、社会のグローバル化、デジタル化が急速に進んでいますが、英語、ICT(情報通信技術)教育は私学のほうが進んでいます」 ■家計的に私立へのハードルが下がった  森上さんは、「家計の面でも私立へのハードルが下がった」と分析する。夫婦共働き世帯は1990年代に専業主婦世帯を上回り、今では2倍以上の差になっている。 「中高で私学に進学するためには、年収800万円以上が必要と言われていますが、給与自体は上がらなくても、2人が働くことで2倍になる。さらに2020年からは私立高校向けの就学支援金制度の額が増加し、実質無料となるケースも。家計的に中学3年間だけ乗り切ればなんとかなるという意識で私立中学を志望する家庭も増えているのでは」  ただ、受験生の増え方には偏りがある。森上教育研究所の調べによると、偏差値帯(四谷大塚の場合)を〔A65以上、B64~60、C59~55、D54~50、E49~45、F44~40、G40未満、H非エントリー〕と分類した場合、Eより下の中堅校以下での増加が著しいという。 「通常、中学受験する際は小学3年の2月に入塾し3年間勉強しますが、昨年のコロナ禍での私立中の対応を見て、5年次に塾に駆け込んだ生徒もいたのでは。2年間の準備では上位・難関校には届かないため、中堅以下の学校の志望者が増えているのでしょう」(森上さん)  北さんは、受験生の意識が二極化していると指摘する。 「従来通り難関校を狙う層と、偏差値や大学進学実績にとらわれないで、新しい教育に期待する層にわかれてきました」  ここで10月模試の注目校を見てみよう。男子校では獨協(東京都文京区)が大きく伸びている。21年度から2月1日に午後入試を導入。併願ができるようになったことから、大勢の受験生が足を運び、立地や環境の良さなどが認識され、人気に火が付いた。同様に21年度から午後入試を導入した神奈川大附属(横浜市)も注目され、志望者数を伸ばしている。日本大学系の付属は21年度に引き続き好調。特に日大系付属の唯一の男子校、日本大豊山(東京都文京区)は連続で志望者を増やしている。ただ今後、日大の不祥事が付属校の志望者数にも影響するかは未知数だ。 ■低迷していた女子校人気が復活  一時期低迷していた女子校の人気も復活。歴史のある伝統校が盛り返している。特に山脇学園(東京都港区)の伸びが目立った。 「赤坂という立地に加えて、短大の施設を上手に活用し、イングリッシュアイランド、サイエンスアイランド、リベラルアーツアイランドという三つの教育プラットフォームを設置。SNSで盛んに発信するなど、デジタルの活用も進んでいる」(安田さん)  そのほか学習院女子(東京都新宿区)、実践女子学園(東京都渋谷区)、三輪田学園(東京都千代田区)、跡見学園(東京都文京区)なども伸ばしている。 「コロナ禍で学校説明会ができなかったため、新たな学校を知る機会がなく、知名度のある伝統校に人気が集まった。今は伝統校もあぐらをかいていないで、ICTを積極的に取り入れるなどしています」(安田さん)  一方、北さんは女子校の人気回復について、コロナの影響を指摘する。 「保護者に聞くと、授業の再開よりも、先生方がオンラインを駆使して生徒と学校とのつながりを保ったことへの感謝が大きかった。女子校は生徒のメンタルケアをきめ細かく行っており、それが評価されたのではないでしょうか」(北さん) ■湾岸エリアの学校に注目  共学校の注目は、広尾学園小石川(東京都文京区)の躍進だ。今年改組したばかりだが志願者を大幅に伸ばし「安全校として併願するのは危険」という存在になっている。今年共学化し校名を変えた光英VERITAS(千葉県松戸市)や、昨年から共学化・校名変更した品川翔英(東京都品川区)も志望者を集めた。 「国際系を標ぼうする学校は、安定しています。志願者が目立って増えているわけではありませんが、高止まりしているのが三田国際学園(東京都世田谷区)、開智日本橋学園(東京都中央区)、東洋大京北(東京都文京区)。いずれも共学化してから今年初めて卒業生が輩出して実績を上げており、さらに人気が出そうです」(北さん)  もうひとつの注目が、開発が目覚ましい湾岸エリアの学校だ。今年共学化した芝浦工業大学附属(東京都江東区)、かえつ有明(同)、青稜(東京都品川区)、安田学園(東京都墨田区)など臨海部周辺の学校が志望者を集めている。 「臨海部は人口が増えており、所得が高く教育熱心な層が多い。これからも伸びていきそうです」(安田さん)  来年度も志願者が増え、今年度以上に競争が激化しそうな中学入試。しっかりと志望校の動向をキャッチして対策を講じたい。 (柿崎明子)

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    岸田新総裁は開成高、早稲田大卒 総裁選を争った4人の出身校と華麗なる同窓生たち

     9月29日、第27代自民党総裁に岸田文雄議員が決定した。  これで事実上、岸田首相が誕生することになる。9月上旬、菅義偉首相が不出馬を表明してから自民党総裁選挙がはじまり、岸田文雄、河野太郎、野田聖子、高市早苗の4人が立候補。自民党国会議員と党員・党友によって投票が行われ、新しい日本のリーダーが誕生したわけだ。総裁選を争った4人について、出身校とその特徴、同窓生をみてみよう。 ■岸田文雄氏  岸田文雄は1957年生まれ。開成高校を卒業して東京大を目指したがかなわず、早稲田大に進んだ。  開成には永田町・霞が関開成会(永霞会)という同窓会組織がある。同校OBの国会議員、省庁職員が集まる親睦会だ。現在、議員は9人、国家公務員は1府12省庁で約600人にのぼり、事務次官クラスが10人近くいるといわれている。  開成OBの国会議員には東京大、官僚経由が多い(カッコ内は出身省庁)。  上野宏史(経済産業省) 小林鷹之(財務省) 鈴木馨祐(財務省) 城内実(外務省) 鈴木憲和(農林水産省)  永霞会事務局長の井上信治議員に「永霞会が開成OBを総理に、と盛り上がることはありますか」とたずねたところ、こう答えてくれた。 「開成から総理が生まれるのはうれしいけど、そのために永霞会を発足させたわけではありません。OBの政治家と官僚が国のために折に触れて協力し合えばいいと考えています」(「週刊朝日」2021年4月2日号)  昨年の総裁選では菅義偉と岸田が争ったが、永霞会の開成OB議員は菅に投票しているという。これは同校OB議員が所属する派閥の事情によるものだった。 ■河野太郎氏  河野太郎は1963年生まれ。慶應義塾中等部、慶應高校から慶應義塾大経済学部に進む。総裁選でタッグを組んだ石破茂は高校から慶應に進み、慶應義塾大法学部というコースをたどった。  慶應高校出身の国会議員はおよそ30人いるが、2世、3世が多い。父や祖父が大臣経験のある大物議員が並ぶ。(*は首相経験者)  竹下亘 異母兄は竹下登*(17日に死去) 福田達夫 祖父は福田赳夫*、父は福田康夫* 岸信夫 父は安倍晋太郎、祖父は岸信介*で、岸家と養子縁組。兄は安倍晋三* 石原伸晃、石原宏高 父は石原慎太郎  奥野信亮 父は奥野誠亮 高村正大 父は高村正彦 中曽根康隆 父は中曽根弘文、祖父は中曽根康弘*  慶應高校出身の国会議員は「華麗なる一族」を持つ。このうち中曽根康隆の祖父、福田達夫の父と祖父、岸信夫の祖父と兄、竹下の異母兄は首相となった。逆に言えば、首相は親族を慶應高校に入れたがる傾向にあるということか。河野太郎の父、河野洋平、そして祖父・河野一郎も派閥、小グループの領袖であり、首相候補だった。  だが、不思議なことに慶應高校出身の首相は生まれていない。慶應義塾大からは橋本龍太郎、小泉純一郎などの宰相が輩出したのだが、塾高出身は縁がない。 ■野田聖子氏  野田聖子は1960年生まれ。田園調布雙葉高校を中退してアメリカのハイスクールで学ぶ。田園調布雙葉の3学年下には雅子皇后がいた。同校には各界著名人の子女が通っていることでも知られる。長嶋茂雄の次女でスポーツキャスターの長島三奈、佐田啓二の長女で俳優の中井貴惠などだ。  野田は帰国して上智大学外国語学部比較文化学科に入学する。現在の国際教養学部である。もともと上智大国際部と称していた。同学科は芸能人を多く送り出している。范文雀、ジュディ・オング、南沙織、アグネス・チャン、早見優、西田ひかる、リサ・ステッグマイヤー、クリスタル・ケイ、青山テルマ、はな、川平慈英、デーブ・スペクターなど。キャスターには安藤優子、山口美江、小牧ユカなどもいた。  なお上智大出身の国会議員には平井卓也、西銘恒三郎、小林史明(以上、自民)、玄葉光一郎、山崎誠、松平浩一、今井雅人(以上、立憲民主)などがいる。同大学からは細川護熙元首相が輩出した。  野田は1993年に初当選し、1998年には当時、戦後最年少の37歳10カ月で郵政大臣に就任する。このとき近い将来、初の女性首相誕生かと注目された。それから20年以上経ったが、今回も国のトップにはなれなかった。 ■高市早苗氏  高市早苗は1961年生まれ。野田と学年は一緒である。奈良県立畝傍高校の出身。うねびと読む。その由来について、学校史にこう記載されている。 「『畝傍』(うねび)という校名については、創立以来今日にまで続き、幾多の卒業生にとって無限の郷愁もたらす名称であるが、その由来を示す確かな記録は見当たらない」(畝高七十年史、1967年)  そっけない。近くに畝傍山、畝傍御陵という古くからの地名があり、ここからとられたのではないかといわれている。  同校卒業生はなかなかおもしろい。日本郵政初代社長で、三井住友フィナンシャルグループ社長をつとめた西川善文、舞踏家で大森南朋の父である麿赤兒、『試験にでる英単語』で受験界を一世風靡した元日比谷高校教諭の森一郎、中央公論社の社長だった嶋中雄作、元文部科学事務次官の前川喜平の祖父で和敬塾創始者の前川喜作など。多士済々だ。  高市は大学入試で早稲田大、慶應義塾大に合格したが、親のすすめで神戸大経営学部に入学した。同大学出身の国会議員には山田賢司、繁本護(以上、自民)、吉川元(立憲民主)がいる。  なお、神戸大経営学部の前身である神戸商業大出身には、宇野宗佑元首相がいた。  1989年6月3日の宇野内閣発足後まもなく参議院選挙が行われるが、リクルート事件、消費税導入、宇野の女性問題報道で支持が得られず、自民党は大敗し、投票日翌日の7月24日に退陣を表明した。宇野の首相在任期間は69日、日本政治史上4番目の短さだった。  このころ、高市は松下政経塾を卒塾したばかりで、国政選挙に出る準備をしていた1992年、参議院選挙で落選、1993年、衆議院選挙で初当選した。  出身高校、大学のカラーと政治家は直接関係ない。だが、高校、大学をどのように過ごしたか、そこで、どのようなことを考え、何を目指したかは、その政治家の国家観を知るうえでヒントになる。そこで受けた教育、出会った恩師や先輩、築き上げた友人の力は大きいからだ。高校や大学で社会と向き合うようになったときのこと、やがて政治家になろうと思ったときのことなど、自身を振り返って語ってもらいたい。 <文中敬称略>(教育ジャーナリスト・小林哲夫)

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    【写真特集】あっ、カモを落としちゃった!大慌ての眞子さま 「失敗」で見せた驚くほど豊かな表情

     秋篠宮家の長女、眞子さま(29)は、感情をあらわにしないロイヤルスマイルがお上手だ。そんな眞子さまも、ふとした瞬間に、驚くほど豊かな表情を見せることがある。ビックリして慌てたり、失敗をして恥ずかしそうに苦笑いをしたり、表情が豊かに変える眞子さまの貴重なショットを紹介する。  笑顔が絶えない眞子さまの公務の場といえば、鴨場での接遇だ。眞子さまが最初に鴨場での接遇を行ったのは、二十歳の成人を迎えた2011年冬のこと。毎年、この時期に鴨場での接遇を重ねているが、生き物相手に苦戦する様子が伝わってくる。 眞子さまが22歳の冬には、こんな出来事があった。〈2013年末、埼玉・越谷の宮内庁「埼玉鴨場(かもば)」。皇室が明治時代から続けてきた接遇の場で、眞子さまは外国大使のホスト役を務めていた。 この日のハイライト、カモを空高く飛びだたせる「放鳥」場面。眞子さまが抱えたカモはバタバタと暴れ、空を舞うことなく地面を走っていった。慌てて後を追う眞子さま。一生懸命な姿が、いつしか周囲の空気を和らげていく。眞子さまらしさが垣間見えた。〉(朝日新聞デジタル2017年9月4日配信記事) 暴れて飛び立つカモを追いかける眞子さまからは、「あ~、飛んで行っちゃった」というセリフが聞こえそうだ。 口に手を当てて、困ったように笑う眞子さま。その後ろには、優しく微笑む各国の大使や夫人の様子が写っている。 2017年、同じ埼玉県の鴨場で、ふたたびアクシデントが起こる。 26歳になった眞子さまは、外国大使らと日本伝統のカモ猟を行っていた。いざ、カモを空高く飛びたたせようと放鳥する場面で、なんと眞子さまは、手にしたカモをポトンと落としてしまう。写真には、逆さまに落ちてゆく鴨の黄色い脚が映っている。 その後、落としたカモが池に歩いてゆく様子を、手を合わせて心配そうに見守る眞子さまの姿が見て取れる。うしろでは、眞子さまを笑顔で見守りながらも、パシャリとスマホで撮影する外国大使の男性の姿も。 初々しい仕草を見せていた眞子さまも、2019年に行われた千葉県の新浜にある鴨場で行った接遇では、ずいぶん様になっていた。 妹の佳子さまを、優しくサポートしていた。お二人の笑顔が印象的な一枚だ。

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    家を買うのが早すぎた?「子ども部屋を見ると悲しくなる」 戸建て購入37歳共働き夫婦の後悔

     晩婚化に伴い、マイホーム購入の平均年齢が上がっている。金融機関が貸してくれる時代とはいえ、ローンは早めに完済したほうがベターだ。それでも人生は予期せぬことが起こりうるもの。リアルな事例や最近の不動産事情を探った連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。今回は、20代で計画的に購入した夫婦の事例から、戸建てを検討する際にどんなことを考慮すべきなのか。専門家に聞いた。 *      *  *「家を買うのが早すぎたのかもしれない……」  神奈川県で夫と2人で住んでいるAさん(37)は、10年前に家を建てたことを悔やみ始めている。  Aさんは「若い頃から将来設計をしっかり立てておきたいタイプだった」というように、25歳での結婚を機に、ファイナルシャルプランナーに収入に応じたライフプランを相談。「住宅ローンのことを考えても、家を買うなら早いに越したことはない」というアドバイスのもと、27歳で新築一戸建てを購入した。  夫婦ともに地方出身で、広々とした戸建で育ってきたことから、マンションは選択肢になかったという。カフェ風のお洒落なインテリアを実現したいとの思いから、注文住宅でそのこだわりを実現した。 「これから子どもを産んで家族も増えるはず」  広めの子ども部屋も構え、期待で胸を膨らませながらマイホームでの暮らしを満喫していた。  ところが翌年、Aさんにがんが発覚。幸い大事には至らずに済んだが、手術を経て子どもができづらい体になってしまった。気づけば、高校や大学の同級生らは出産ラッシュ。 「今、子ども部屋を見ると、何とも言えず悲しい気持ちになります」(Aさん)  戸建てへのこだわりを優先した分、交通の便は犠牲にしていた。共働きで、満員電車に揺られ、片道約1時間半かけて都心へ通う日々。駅から家まで徒歩25分と距離が遠く、家から駅までは自転車が欠かせない。退院後に長時間通勤は正直、つらかった。  昨年からのコロナ禍で「戸建てでよかった」と思い直したかというと、そうでもない。確かに、残業が多く深夜帰宅が当たり前だった日常は、コロナの影響で一変した。夫婦ともにテレワークが基本となり、出社は月1~2回。感染状況が比較的落ち着いている今もテレワーク中心であることは変わらず、以前に比べて格段に自由な時間が増えた。  プライベートを充実させようと、海辺に引っ越した同僚もいるという。Aさん夫婦が家を建てたのは住宅街。特段、緑の多いエリアでもない。 「今の家は、都心への通勤を考えて、自分たちが無理ない範囲で戸建が持てるエリアということで決めた場所。都心へのアクセスも周辺の環境も、言ってみれば中途半端な郊外の住宅地です。こんな状況になるなら、もっと自然豊かな場所に住むか、仕事中心のライフスタイルに合わせて都心のマンションという選択肢でも良かった」(Aさん) ◆ 商業施設が撤退する地域は値段に響く  人生、いつ何が起きるか分からないのは万人に共通すること。専門家にも相談し、長い目で見て良かれと判断し、早めに行動したAさんのような人でも、予測できない事態に後悔することがある。どんなことに留意すべきなのか。Aさんのケースを検証しながら、ポイントを整理していこう。 「家を買う時には、『もし自分がそこで住めなくなったら』という仮定をして考えてみることが大事です」   不動産コンサルタントの午堂登紀雄さんは、Aさんの例についてこう指摘する。想定外のことが起こり、もし自分がそこで住めなくなった場合は、人に「売る」か「貸す」か、どちらかの選択肢しかない。 「だからこそ、何かあったら『売れる』、もしくは『貸せる』物件を選ぶ視点が必要です」(同)  ここで改めてAさんの家の立地について整理しよう。Aさんの家は、最寄り駅から徒歩25分。晴れた日は自転車で駅まで向かい、駅に隣接する駐輪場に駐車する。雨の日はバスを利用するか、急いでいる時はタクシーを呼んで駅まで向かうこともあった。最寄り駅から都心のターミナル駅までは、乗り換え1回を挟み、1時間超かかる。通勤時間帯には郊外から通勤する乗客がひしめき、特に朝のラッシュ時間の満員電車は過酷な状況だった。  午堂さんは言う。 「駅から徒歩15分を超えた立地や、バスを利用しなくてはいけない立地など、アクセスの悪さは想像以上に売る時の値段に響いてきます。また郊外のニュータウンなどの高齢化が進む地域や、周辺の商業施設が撤退するなど衰退が進む地域も要注意。いざという時に売りにくくなり、資産価値が低下しやすい」 ◆ 実は「建売住宅」のほうが次に売りやすい  主に都市部で売れる物件の条件については、前回の記事に詳述しているが、Aさんの場合はマンションでなく戸建であることもポイントだ。戸建には思わぬリスクもあるという。 「一般的に戸建は、建物が木造であることが多いため、鉄筋コンクリート造であるマンションに比べ、価格が下落するスピードが早い。また、木造住宅の価値は、築20~24年前後でほぼゼロと評価されることから、土地だけの価格になってしまうことが多いのです」(午堂さん)  その土地代も、手放したいと考えるときには価値が下がってしまうこともある。例えば郊外の新築一戸建を買って数十年が経過した後、売却したいと考え、土地部分の価格のみで売りに出す。しかしなかなか買い手が現れないために土地部分の価格も下げることを余儀なくされ、結果的に大幅に資産価値を下落させてしまうケースもよく見られるという。  さらに、こだわりを実現するための「注文住宅」という点にも、意外な落とし穴が潜んでいる。実は一戸建の場合、一見ぜいたくなほど細部にこだわった注文住宅より、建売業者が建てたよくある間取りの建売住宅の方が売りやすい場合も多いという。これまで6千件を超える不動産取引を行ってきた不動産コンサルタントの後藤一仁さんは言う。 「なぜなら建売業者は、建物を建てる前に、そのエリアの需要の傾向や価格相場などのマーケット調査をし、それを基に万人に受けるであろう外観デザインや間取り、建具、設備、内装などにしていることが多いからです。自分仕様にこだわって建てた注文住宅が、リセール時の買い手に気に入ってもらえれば良いのですが、その個性が逆に買い手を狭めてしまい、結果的に売りにくくなってしまうことがあります。住宅においてはある意味、“個性のなさ”が買い手を限定させず、売りやすさを高めるとも言えます」 (松岡かすみ) >>【後編:マイホームは「子ども部屋なし」がトレンド?! 勉強部屋に風呂なしアパートを借りる賢い選択】に続く

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    マイホームは「子ども部屋なし」がトレンド?! 勉強部屋に風呂なしアパートを借りる賢い選択

     晩婚化に伴い、マイホーム購入の平均年齢が上がっている。金融機関が貸してくれる時代とはいえ、ローンは早めに完済したほうがベターだ。それでも人生は予期せぬことが起こりうるもの。リアルな事例や最近の不動産事情を探った連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。今回は、20代で計画的に戸建てを購入した夫婦の事例を検証する。 >>【前編:家を買うのが早すぎた?「子ども部屋を見ると悲しくなる」 戸建て購入37歳共働き夫婦の後悔 】を読む *  *  *<30代後半Aさん夫婦のケース>10年前に27歳で神奈川県の郊外の住宅地に戸建てを購入。広さを優先した分、利便性は犠牲にして通勤は片道1時間半かかる。ローンの返済は順調だが、予想外だったのが、がんを患ったこと。子どもが授かりにくくなってしまい、せっかく作った子ども部屋を使用する予定はないという。 ◆ 80歳までローン返済…早い段階で購入することは“正解”    Aさん夫婦の事例をライフプランという視点から考察してみよう。ローン完済までの余裕が生まれ、返済計画も安定しやすいことから、早い段階で家を購入すること自体は間違っていない選択だ。  今は晩婚化の影響もあり、家を買う年齢が上昇傾向にある。最新の住宅市場動向調査(令和元年度・国土交通省住宅局)によれば、初めてマイホームを購入する人(一時取得者)の平均年齢は、注文住宅が39.1歳、分譲戸建住宅が36.8歳、分譲マンションが39.4歳、中古戸建住宅が42.8歳、中古マンションが44.8歳と、40歳前後。これに伴い、住宅ローンの完済年齢も上がっており、以前は最長70歳までが一般的だったところが、現在は最長80歳まで延長して設定している金融機関が増えている。 仮に40歳で家を買うとなると、35年ローンを組めば完済が75歳と定年退職後の年齢になる。大手不動産会社出身で、住宅購入における資金計画に詳しいファイナンシャルプランナーの飯田敏さん(FPフローリスト)は言う。 「家の購入年齢が上がるに伴い、一昔前までは住宅ローンを『遅くとも65歳には完済したい、できれば60歳までに返したい』という人が多かったのが、最近は『遅くとも70歳には完済したい、できれば65歳までに返したい』に変わってきています。借入額を増やすためにも、35年の最長期間でローンを組む人が多いですが、繰上げ返済を計画的にしていくことで、なるべく現役のうちに完済することを目指す人が多い」  また、Aさんのように病気になるのも、誰しもが抱えるリスクだ。銀行で住宅ローンを借りて家を買う場合には、債務者が死亡または高度障害に陥ったときに返済が不要になる団体信用生命保険(以下、団信)に加入する必要がある。通常の団信は、病気にかかったときの保証はないが、がん、脳卒中、急性心筋梗塞の三大疫病型特約付の団信や、三大疫病に重度慢性疾患を加えた八大疫病型特約付など、病気や怪我を保証する団信のバリエーションが広がっている。 なお、多くのがん団信の加入上限年齢は、46歳以下と設定されている。Aさんの場合、債務者が死亡または高度障害に陥ったときのみの通常型の団信加入であったために保険金の支払い対象とはならなかった。仮にがん団信に加入していたら、がんと診断された時点で、団信に加入している保険会社からローンを借りている銀行に保険金が支払われ、ローンの債務がゼロになっていただろう。 「まさか自分が病気にかかるなんて思いもしなかった。あの時、がん団信に加入していたら……と、どれだけ悔やんだか分かりません」(Aさん) ◆ 自宅は子ども部屋ナシ 勉強部屋を借りる世帯も  飯田さんは、早い段階で購入に踏み切ったAさんの選択自体は「良い選択だった」としながらも、“妊娠前から子どものための部屋を構える”という点については「少し早まったかもしれない」と指摘する。 「リスクの想定は線引きが難しいですが、想定外のことが起こるかもしれないという可能性を踏まえると、『必要が生じたときに、必要に応じて動く』という視点のほうが『こんなはずじゃなかった』ということになりにくい。病気にかからずとも、子どもを授かれないという例も珍しくありません。また結婚することを前提に新居を購入した人が、実際は結婚に至らなかったというケースもままあります」  この「必要が生じたときに、必要に応じて」という観点は、不動産の視点に置き換えても応用が効く。例えば「子ども部屋」について。「子どもに個室が必要な期間というのは、意外と短い」とは前出の後藤さんだ。小学校低学年のうちは、個室があっても、家族のいるリビングで宿題をするケースも多いことや、大学入学を機に一人暮らしをする例も少なくない。  仮に小学3年生から高校卒業までが個室が必要な期間とすると、合計10年だ。都心では50~60平米の空間で、家族3~4人が暮らす例も珍しくはない。この10年のために、限られた空間の中で子ども部屋を設けるかどうか悩む人も多いという。これまで6千件を超える不動産取引を行ってきた不動産コンサルタントの後藤一仁さんは次のように言う。 「今はその辺りを合理的に考えて、子どもの勉強部屋用に、自宅近くのアパートの一室を賃貸で借りるケースも見られます。勉強用に借りる部屋ですから、狭くて風呂なしでも十分。また子ども部屋が必要な期間だけ、自宅を定期借家として人に貸して、家賃を元手に家族全員で広めの賃貸住宅に移るというケースも少なくありません」  多くの人にとって、人生で一番高い買い物とも言える住宅購入。想定通りに事が進むことばかりではないのが人生だが、家の選び方や買い方には思わぬ落とし穴もある。後の人生を左右すると言っても過言ではない住宅選びだからこそ、後悔しないためのコツを身につけておきたい。(松岡かすみ) >>【前編:家を買うのが早すぎた?「子ども部屋を見ると悲しくなる」 戸建て購入37歳共働き夫婦の後悔 】を読む

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    1年に3日しか休めなかった心臓外科医が、働き方も診療の質も劇的に改善させた「業務改革」とは

     忙しい医師の世界のなかでも、とりわけ多忙と言われる心臓血管外科医。神奈川県の菊名記念病院・心臓血管外科部長の奈良原裕医師も、これまで「年に3日しか休みがない」という生活を送っていた。こうした働き方では「医療の質も担保できない」と危機感を覚えた奈良原医師は、業務改革に取り組み、働き方のみならず診療の質を向上させることにも成功した。会社員を経て医学部に入り、38歳で心臓外科医になったという“異色”の医師は、どうやって心臓血管外科を変えていったのか。<<前半・偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生>>から続く *  *  * 北陸新幹線の佐久平駅から車で30分。長野県佐久穂町立千曲病院に、奈良原医師は毎週金曜日、東京から片道2時間半かけて日帰りで勤務する。 「佐久穂町は意外と近いですからね。以前は、片道3時間半かけて新潟県・松之山や5時間半かけて北海道・木古内に日帰りで診療に行っていました」  奈良原医師は、中央大学法学部を卒業後、一般企業での4年半の社会人経験を経て、29歳で医学部に合格。35歳で卒業後、激務ゆえ学会では「30歳以下でなることが望ましい」と言われるという心臓血管外科医を38歳からめざしたという“異色”のキャリアをもつ。  現在、常勤先である菊名記念病院の心臓血管外科部長として多忙な日々を送るなか、奈良原医師は週に1回、医師不足の町へと日帰りで診療を行っている。だがそれができるまでには、10年にわたる心臓血管外科の業務改革が必要だったという。 ■「1ヶ月のうち91%は病院で過ごしていた」  10年前、菊名記念病院心臓血管外科は、奈良原医師とその上司の2人で切り盛りしていた。病院のそばに住んではいたものの、家に帰ることはほとんどなく、病院に泊まることもしばしばだった。 「振り返ってみると、1ヶ月のうち91%は病院で過ごしていたようです。一番ひどい年は、年間の休みは3日だけ。そのうち1日は地方の結婚式に、残りの2日間は学会に出席していました」  奈良原医師が同病院で働き始めた2008年ごろ、患者の50%以上は救急患者だった。救急で来るということは当然、緊急性が高いため、すぐに治療しなければならない。夜中に飛び起きて手術、外来で待合室に患者がいても手術を優先する、という日常生活を送っていた。手術が終わっても一段落とはいかない。重症患者の場合、術後の不整脈や再出血など、さまざまな対応をしなければならなかった。  重症ゆえに日曜日も入院患者の様子を見る必要があった。別の診療科の医師がすぐ対応できるほど、心臓手術後の患者の対応は「甘くない」という。結局、週7日で勤務する日々が続いていた。 「1人の患者に対する業務量はかなり多い。忙し過ぎれば医療の質が落ちる可能性もあるし、場合によっては安全性も担保できないかもしれない。このままではだめだ、という危機感がありました」 ■起死回生のFacebookで「いいね」3000超え  そこで上司と一緒に始めたのが、Facebookでの情報発信だ。「当時、病院がSNSで情報発信するのは珍しかった」と奈良原医師は振り返る。内容は、診療に当たって日頃思っていることや一緒に働く仲間のこと、今日食べたランチなど心臓血管外科医の日常をありのままにつづるというもの。これを写真とともに投稿したFacebook記事には3000以上の「いいね」がつき、先駆的な試みとして医療系のメディアで紹介されることもあった。 「発信の目的は自分たちを知ってもらうこと。私たちの人となりを見てもらって、患者さんや他院から少しでも信頼していただけたらと。その結果、こんな先生がいるからここで手術してもらってはどうですかと、他院から患者さんたちが次第に紹介されるようになりました。紹介患者さんの手術は緊急ではなく予定された手術としてスケジュールが組めるので、看護師さんたちも含めて仕事がやりやすい。仕事の予定が立つというのは、救急患者ばかりのそれとは負担感が全く違います。結果的に、手術後の患者さんの病状も安定していることが多くなります」  手術前の診療にも良い影響があった。紹介で来院した患者と話すと、「先生のことはFacebookでよく見ています」「このあいだ投稿していたお弁当、おいしそうでしたね」と話が始まる。初対面でもうち解けた雰囲気で、患者との信頼関係をつくることができた。  さらにFacebookを見た医療関係者のなかから、この病院で働きたいという若手があらわれた。働き方改革だけでなく、仲間を増やすこともできたという。  休みがほぼない状況で働きつづけて10年。二人の部下ができたおかげでやっと週に1日の休日を手に入れた。しかし奈良原医師は「休みができたからには、何か世の中のためになることをやりたい」と考え、空いた時間を地域医療に使うことにした。社内で評価されることを第一に考えて働いていた会社員生活を捨て、人のために働きたいと思って医師の道へ――。そのときの思いが自分を突き動かしたという。 「地方では、6、70代、場合によっては80代の先生が一人で頑張って医療を支えているところも多い。また、必要な専門医が不在なため医療が不十分となっている地域もあります。そこで医師不足で困っているところのお手伝いをしようと考えました」  全国自治体病院協議会という団体に相談し、2016年、新潟県十日町市の松之山診療所で診療を始めた。 「ある先生がたった一人でやっている診療所なのですが、その先生は午前中に別の診療所で働き、午後にそこから車で1時間近くかかる松之山診療所に来るという働き方をしていました。医師が足りていないため、そうせざるをえないようでした。週に1日だけでも支援してくれるとありがたいということで、毎週金曜日に日帰り診療に行くことになりました」 ■都市部と地方の交流で医療格差を解決したい  地方では「こんな遠いところまで日帰りで来てくれる医師はいないだろう」という発想になりがちだと奈良原医師は言う。 「だからニーズがあるのに、それを上手く生み出せていません。でも今は、新幹線をはじめとして交通も発達しているから、都市部から地方に日帰りすることも可能です。また、会社もそうですが、4月になって人が入れ替わると、組織が活性化しますよね。外部の医師との交流が生まれることは、地方にとってもいい効果があると思っています」  奈良原医師は今、自身のSNSで、佐久穂町への日帰り診療の様子を発信し続けている。診療のことだけでなく、食べたものや町で行われたイベントについてなど、話題はごく身近なものも多い。 「都市部と地方の医師の交流が進めば、医師の偏在や地域間医療格差の解決につながるのではないかと、本気で思っています。どちらの医師にとっても、またそこで暮らす患者さんたちにとっても良い流れになったらいいなと思って、楽しみながら日帰り診療を続けています」 (白石圭) <<前半・偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生>>から続く

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    コレステロール、中性脂肪は「男女」「年齢」で基準値が違う! 参考にするべき数値をチェック

    「人の老化は血管から始まる」ともいわれるように血管ケアはアンチエイジングの要。年齢を重ねることで硬くなっていく血管をケアしていくには日々の食事や運動で脂質をコントロールすることが大切です。まずは、コレステロールや中性脂肪の値を知ることがセルフケアの第一歩。女性は年齢に応じた基準値があるのでチェックしてみましょう。今回は女性の血管ケアについて、日本の「性差医療」の草分け的存在である天野惠子先生にお聞きしました。今回は、前編・後編の前篇をお送りします。(自分で自分の健康を守るための健康情報を発信する「セルフドクターWeb」より転載) *  *  * 動脈硬化は他人事じゃない  女性ホルモンのエストロゲンには、血管が正常に機能するのを助ける働きと共に、LDLコレステロールを減らすなど、動脈硬化を抑制する作用があります。そのためエストロゲンが多く分泌されている20~30代までは、特別なケアをしなくても血管は比較的しなやか。これは30代から動脈硬化が見られる男性とは明らかな違いといえます。  ところが女性も閉経を迎え、エストロゲンの分泌が止まると共に、血管の硬化が急速に進みます。血液中を流れる脂質にはコレステロールや中性脂肪がありますが、これまでエストロゲンによって抑えられていたそれらの数値も自然と高くなり、血液の流れを妨げることに。動脈硬化の進行に大きく影響してしまいます。  さらにLDLコレステロールが血管の内壁にたまったものが、やがてドロドロの粥状のこぶのようになります。これがプラークです。プラークが破れると、そこに血栓ができて血管を詰まらせ、心筋梗塞や脳梗塞の発症につながるのです。 「閉経前の女性が動脈硬化から心筋梗塞や脳梗塞を発症する割合は低く、男性の約5分の1といわれています。ところが閉経後の55歳くらいから発症率はぐんとアップしてしまいます」と天野先生。女性は閉経後、意識的な血管ケアが必要不可欠となるわけです。  閉経前にはエストロゲンによって動脈硬化から守られている女性たちでも、「その効果を帳消しにしてしまう危険因子がある」と天野先生。それが「喫煙」です。タバコに含まれるニコチンの作用で血管が収縮して血流が低下。血管は硬くなり、動脈硬化が進行します。喫煙をしている女性は吸っていない人より、急性心筋梗塞のリスクが8.2倍も高まることが分かっています。 コレステロールや中性脂肪の数値をチェック  コレステロールや中性脂肪は増え過ぎると血液の流れを悪くし、血管にも悪影響となります。でも、これらの脂質は決して健康の敵ではありません。細胞膜やホルモンの原料となったり、体を動かすエネルギー源となったりする大事な要素なのです。  女性の場合は、閉経後に急に脂質の数値が高くなった方もいるでしょう。でも、慌てないで。女性の体の変化に対応した基準範囲があるのです。 「そもそも女性と男性ではコレステロールや中性脂肪の検査値が違って当然。それなのに、これまでは男性も女性も同じ値で見ていました。また、女性はエストロゲンの分泌量が年齢で変わるため、年齢によっても基準範囲は変わります」と天野先生。女性が参考にしたいのは、下記の男女・年齢別に分けた基準範囲です。なお、総コレステロールとは、LDLコレステロールやHDLコレステロールなどを合計した血液中のコレステロールの総量です。下記の基準ではHDLコレステロールの基準範囲は示されていません。 更年期を迎えたら、全身をくまなく検査したい  エストロゲンの分泌が減少すると循環器、消化器、呼吸器などの活動を調整している自律神経も乱れやすくなり、体のあちこちにトラブルが起こるようになります。よくないのは、不調があっても、「更年期だから仕方ない」と放っておいてしまうこと。実は脳血管障害の症状だったケースもあるそうです。そこで先生は、「女性の体がダイナミックに変わる節目の50歳あるいは閉経を機に、頭から足の先まで自分の体の状態をきちんと検査することが大事」と提案します。  栄養素や酸素を行き渡らせる血液の流れが滞ると、体のどこかに支障を来します。全身を検査することは、全身の血管に詰まりがないか、動脈硬化がないかの確認でもあるのです。健康診断だけでは十分とはいえないため、自費にはなりますが病院やクリニックで行っている個別検診で、詳細に調べることをおすすめします。 こんな検査を受けておこう  健康診断や特定健診で行う身体測定(身長・体重・BMI・腹囲を測る)や血液検査、血圧測定(血圧脈波検査)に加えて、より精密な検査が行える個別検診。それによって、健康診断では見落とされた疾患や異常が見つかることも。女性特有の病気を網羅した検診メニューを用意しているクリニックもあります。 <脳検査>MRI(脳実質撮影)、MRA(脳血管撮影)などで脳血管疾患を調べる。 <循環器検査>心臓や血管の状態をチェック。動脈硬化や心血管疾患の有無を調べる。 頸動脈エコー検査 胸部エコー検査 胸部X 線検査 冠動脈CT 検査 心電図 <血液検査>女性に多い甲状腺機能障害や膠原病、関節リウマチの素因の有無を調べる。 甲状腺機能 抗核抗体 リウマチ因子 炎症反応 ホルモンチェック 腫瘍マーカー <眼科検査>眼底検査で高血圧や動脈硬化の進行、糖尿病の発見、眼球の病気の有無をチェック。 <婦人科検査>子宮や卵巣のがん、乳がんなど、40代以降にリスクが高くなる病気を検査。 子宮頸がん検査 子宮体がん検査 経腟超音波検査 乳房視触診 マンモグラフィー 乳房超音波検査 <その他> 骨密度検査 PET-CT 検査 更年期の悩みはどこで相談できる?  更年期に起こる心身の不調は、診療科を特定できないことが多いもの。そんな時は女性の全身症状をトータルで診察してくれる「女性外来」への受診をおすすめします。女性外来の先生は呼吸器、内分泌、循環器などと専門分野は違いますが、性差医療について勉強しているため、メンタル面も含めいろいろと相談にのってくれるはずです。女性外来の受診をきっかけに、かかりつけ医をもつとよいでしょう。 全身を検査する費用はどのくらい?  健康診断や特定健診の費用は無料か、有料でも低額です。全身を診る個別検診の場合、基礎検査を中心とした日帰りの費用は平均3~8万円くらい、泊りがけでMRIやMRA、PET-CT(※)、エコー検査を行って、より詳しく検査する場合は10万円以上かかることも。個別検診は健康保険の適用外なので、費用は全額自己負担。ただし居住地の市町村や所属している健康保険協会、健康保険組合、あるいは契約している保険会社によっては、補助金や助成金、割引サービスが受けられる場合があるので、問い合わせてみましょう。 ※PET(陽電子放出断層撮影)検査とCT(コンピュータ断層撮影)検査を融合させた検査。がんの発見に役立つ。 <後編>「硬くなっていく血管をケアするには? 医師がすすめる日々の食事と運動の方法」に続く 監修/天野惠子(あまの・けいこ)先生 一般財団法人野中東晧会 静風荘病院特別顧問。日本の「性差医療」研究の草分けとして普及に努め、鹿児島大学及び千葉県にて、性差に基づく女性医療の実践の場として女性外来を立ち上げ、治療に当たる。2009年より現職。日本性差医学・医療学会理事。 セルフドクターHP

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    手取り14万円「正社員なのに貧困」苦悩する20代女性 唯一の贅沢は月1度の銭湯

     低賃金で働く正社員が増えている。背景には経済のグローバル化と日本型雇用の崩壊がある。AERA 2021年11月29日号から。 *  *  *  手取り14万円──。毎月の給与明細を見るたびに、関東地方で暮らす会社員の女性(20代)は嘆息する。 「夢も希望も持てないです」  就活に失敗し、大学を卒業後は塾の講師やパン屋のアルバイトなどで生活費を稼いだ。当時の収入は手取りで25万円ほど。普通に暮らせたが、安定した仕事に就こうと2年前にインターネットで見つけたのが今の会社だった。社員20人程度の建築会社の事務職。給与が低いことはわかっていたが、賞与もあるというので決めた。  雇用形態は「正社員」。だが、賞与は「スズメの涙」程度だった。年収は300万円いくかいかないか。 「バイトしていたときのほうがお金はありました」 ■外食せず服も買わない  一人暮らしの部屋の家賃は6万円。生活を切りつめても赤字だ。学生時代に借りていた奨学金の一部を貯金していたので、それを取り崩しながら暮らす。外食はせず、服も買わない。唯一の贅沢(ぜいたく)は月に1度、近くの銭湯に行くことだという。 「正社員なのに貧困って、おかしいですね」  これまで「貧困」と言えば、非正規社員に多いとされていた。しかし、今や正社員にも貧困化が進んでいる。  厚生労働省が毎年実施する「賃金構造基本統計調査」を元に、賃金に詳しい都留文科大学名誉教授の後藤道夫さんが、従業員10人以上の企業を対象に「最低賃金+α(プラスアルファ)」より下で働く正社員が2007年と20年でそれぞれ何%を占めるかを試算し、比較した。  最低賃金の1.1倍未満で働く人の割合は07年の1.5%から20年は3.8%、同様に1.2倍未満は2.4%から6.9%に上昇した。1.3倍未満まで広げると4.1%から11.7%に増えた。  また、中所得者層より上の収入の正社員も減っている。年収400万円以上の35~39歳の男性正社員の割合は、1997年の約8割から17年には6割にまで減ったという。  こうしたことの理由について、後藤さんは(1)グローバル化の進展(2)日本型雇用の崩壊──の2点が大きいと指摘する。 「日本の大企業は1980年代後半から本格的にグローバル化を進め、90年代後半にはそれとぶつかる場面が多い年功型賃金や長期雇用といった日本型雇用が見直され、賃金は長期に低下し始めました。グローバル競争に勝つためにコスト削減が強まり、勤続年数とともに給与が上がる正社員が減っていきます」 ■経営側に抵抗しにくい  後藤さんは労働組合の問題も指摘する。 「日本は企業別組合。社内の従業員だけでつくられているので、経営側にどうしても抵抗しにくい形態となっています。対して世界は産業別にまとまった産業別組合です。交渉は経営者団体と産業別の労働組合のリーダーで行うため、産業全体のことを考え賃金も上がりやすくなっています。日本にも産業別組合はありますが、企業別組合の連合体をそう呼んでいるだけで、実質は企業別組合と同じです」  実際、日本の賃金水準は他の先進国と比べると低い。経済協力開発機構(OECD)によれば、20年の日本の平均賃金は3万8514ドル(約437万円)と、加盟35カ国中22位。差が大きかった韓国にも15年に抜かれた。  賃金も上がっていない。OECDによると、20年までの30年間で日本の賃金上昇率はわずか6%。対照的に米国は50%、英国は48%、フランスは33%、ドイツは35%、韓国は88%も伸びている。(編集部・野村昌二)※AERA 2021年11月29日号より抜粋

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    眞子さまと小室圭さんは結婚後、皇居に足を踏み入れることはできるか “サーヤ”黒田清子さんご夫婦との違い

     秋篠宮家の長女、眞子さま(29)との結婚を控えた小室圭さん(30)は18日、秋篠宮邸がある東京都港区の赤坂御用地を訪れ、秋篠宮ご夫妻に結婚のあいさつをした。眞子さまは22日に天皇・皇后両陛下、25日に上皇・上皇后両陛下に結婚の報告をするという。皇室ジャーナリストの神田秀一氏にこれらの予定ついて、その意味を読み解いてもらった。  小室さんは18日午前8時前、横浜市内の自宅マンションからスーツ姿で出てきた。右手にはカバン、左手には白い紙袋2つを持っていた。   「秋篠宮家に持っていく手土産とご夫妻や宮内庁に見せるための書類などが入っていたのではないでしょうか。アメリカで用意した手土産かもしれませんが、どんな中身かはわかりません」   後頭部で縛っていたロン毛は短く整えられていた。  「小室さんは髪型でいろいろと騒がれましたし、秋篠宮家に正式な挨拶に行くのですから、きちんとした髪型にしたのでしょう。皇室であのような頭髪であいさつをする慣習はないんですよね。民間人が皇族に会うのですから、切らざるを得なかったのでしょう」    神田氏が着目したのは小室氏を出迎えた黒いワゴン車。午前9時15分ごろ、赤坂御用地の巽門(たつみもん)へと入って行った。  「車には、宮内庁発行の門鑑(もんかん)がステッカーとしてついていましたね。ということは宮内庁が、小室さんが秋篠宮ご夫婦に会いに行くことを認めたのです。アメリカから帰国し、結婚を進める上で、あいさつだけはしておかなければ、という小室さんの考えと、宮内庁の意見が一致したのでしょうね」    8日後に迫った結婚。秋篠宮ご夫妻は、2人の結婚を認めたのだろうか。  「憲法の規定により、日本人であれば両性の合意に基づく結婚そのものをダメだとは言えない。秋篠宮ご夫妻も宮内庁も政府も同じ考えです。しかし、結婚は認めるものの、その前に解決しなくてはいけないこと、あるいは報告を受けなければいけないことがいろいろあると思います。それは今のところ未解決のままなので、秋篠宮さまとしては『挨拶にはおいでになってもかまいません。聞くことは聞きましょう。いらっしゃるというのなら待っております』というスタンスで、そこまでは許したのだと思います」    眞子さまと小室さんは3年2カ月ぶりに再会した。  「私の得た情報では、小室さんが秋篠宮ご夫妻にあいさつしをして30分後くらいに、秋篠宮邸のどこか別室で眞子さまと小室さんが会うことを許してもらえたと聞いています。眞子さまの部屋かもしれませんね。佳子さまがいらっしゃったかもしれませんが、2人だけの可能性が高いと思います」   眞子さまは22日、皇居・御所を訪れ、天皇、皇后両陛下に結婚を報告し、25日には東京都港区の仙洞仮御所を訪れ、上皇陛下と美智子さまにも結婚を報告する予定だ。現時点でそれに小室さんが同席する予定はない。  「一般の結納にあたる『納采の儀』も行っていませんし、皇籍を離脱する際に支給されるはずの『一時金』も眞子さまは辞退なさった。小室家を巡る諸問題も解決されていないので、天皇・皇后両陛下は眞子さまからの結婚報告を受けても、『体に気をつけて、元気で』とか『健康でお幸せな日々をお祈り致します』とお伝えするのにとどまるのではないでしょうか。『おめでとう』とおっしゃることはできないと思いますよ」   眞子さまは26日に婚姻届を自治体に提出し、皇籍を離脱する予定。今後、皇室との距離はどうなるのだろうか。  「皇室としての結婚を許したわけではないけれども、2人の意思で一緒になるならば致し方ないということ。もう2度と皇居に足を踏み入れることが許されなくなる可能性はありますね。サーヤの愛称で親しまれた黒田清子(さやこ)さんも結婚して皇籍を離脱しましたが、お相手の黒田さん一家には何の問題もないし、清子さんは皇室とゆかりのある伊勢神宮の祭主を務めているので、皇籍離脱後も皇居を訪れています。けれども、眞子さまの場合は、黒田さんご夫婦と同じようにはならないでしょう」    26日に予定されている記者会見はどのようなものになるのだろうか。  「報道陣と宮内庁の係官が合わせて50人くらい集まるのではないかと聞きます。警備も、コロナ対策も万全なホテルというのは限られてきます。宮内記者会、雑誌協会、外国人記者クラブで合計3問くらいの質問ではないか。それ以上、質問の声を上げ続ける記者がいるかもしれませんが、『本日の会見は終了します』と打ち切るでしょう。政治家でも誰でも、長く話すとボロが出るものですから」   会見に先立ち提出される自治体への婚姻届けについて、神田氏は次のように推測する。  「秋篠宮家から命令を受けた職員が、小室夫妻になる2人の代理人として、自治体の戸籍係のところに持って行くというふうに聞いています」   会見後、 眞子さまは年内にも渡米し、ニューヨークで新生活を始めるとみられている。お2人の行く末は……。  「ヨーロッパの王室ではこのくらいのことはあるレベルのことのようですが、日本の皇室では前代未聞の事態で、眞子さまは離婚しても、もう皇族には戻れません。幸福になるか、不幸になるかはチャレンジしてみなければわからないですね。結果は誰にもわかりません」 (AERAdot.編集部 上田耕司』

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    戦力外通告を受けたけど… 他球団でまだまだ“活躍できそう”な選手は誰だ!

     10月11日に行われたドラフト会議では支配下、育成合わせて128人の選手が指名を受けたが、プロ野球の世界に入ってくる選手がいるということは逆にユニフォームを脱ぐ選手もいるということである。既に各球団では俗に言う“戦力外通告”が行われており、ここ数日は引退試合のニュースも増えている。しかしその一方で他球団での現役続行を希望する選手も少なくない。今回は現時点で自由契約が発表された選手の中から、まだ戦力になる可能性を秘めた選手がいないか探ってみたいと思う。  まず投手で申し分ない実績を誇るのが吉田一将(オリックス)だ。2013年のドラフト1位で入団すると、1年目には先発として5勝をマーク。2年目のシーズン途中から中継ぎに転向すると、2016年には5勝21ホールド、2018年にも3勝21ホールドとブルペン陣を支える存在となった。2019年以降は年々成績を落とし、今年は二軍でも防御率7点台と結果を残すことができず、プロ入り後初となる一軍登板なしに終わったが、通算226試合に登板している実績は貴重である。何かきっかけをつかめばまだ復活する可能性も十分にありそうだ。  投手では渡辺雄大(ソフトバンク)と三ツ間卓也(中日)の2人も面白い。渡辺は青山学院大では実績はなかったものの、BCリーグの新潟で力をつけて26歳となる2017年のドラフト育成6位でソフトバンクに入団。二軍、三軍で実績を残して昨年8月に支配下登録されている。その後は肘の故障もあって一軍登板は3試合にとどまったものの、今年も二軍では34試合に登板して防御率1.67と安定した成績を残している。左のサイドスローから投げ込むスライダーは打者の手元で鋭く変化し、左バッターにはかなり厄介なボールとなっている。戦力外が報じられたのは今朝で、今後についての意向は不明だが、貴重な左の中継ぎとして需要の高い選手であることは間違いない。青山学院大時代の同期である杉本裕太郎(オリックス)が今年大ブレイクを果たしただけに、渡辺もここからもう一花咲かせることを期待したいところだ。  三ツ間は渡辺と同じくBCリーグの武蔵で力をつけて2015年の育成ドラフト3位で中日に入団。1年目のオフに支配下登録されると2017年には35試合に登板して2勝11ホールド、2019年にも29試合に登板して2勝4ホールドとブルペン陣を支える1人として結果を残している。また昨年7月のヤクルト戦では延長戦でベンチにいた野手を使い果たしていたため、代打として出場して話題となった。今年は二軍でも29試合に登板して防御率は4.05に終わっているが、チームトップタイとなる5セーブをマーク。WHIPも0.98と投球内容自体は決して悪くない。本人も現役続行の意思を表明しており、中継ぎ陣の苦しい球団にとっては狙い目の選手となりそうだ。  野手で圧倒的な実績を誇るのが藤田一也(楽天)だ。プロ入り8年目の2012年シーズン途中にDeNAから楽天に移籍したことをきっかけに才能が開花。これまで2度のベストナインと3度のゴールデングラブ賞に輝き、パ・リーグを代表するセカンドとして長年活躍を見せている。2019年以降は浅村栄斗の加入もあって出場機会が減少し、今年は一軍出場なしに終わった。功労者ということでチームもポストを用意していたとのことだが、本人は現役続行を希望して自由契約となっている。  多くのファンを魅了してきたセカンドの守備力は天下一品で、二軍では3割近い打率もマークしているようにまだまだ力が衰えているわけではない。若手の内野手のお手本としてプレー以外でもチームのプラスになることが考えられるだけに、オファーを出す球団が出てくることも十分にありそうだ。  野手では武田健吾(中日)も注目の存在だ。今年は打率1割台だったものの、シーズンを通じて一軍に帯同し、93試合に出場するなど貴重な戦力となっていただけに、戦力外となったニュースには驚きの声も多かった。オリックス時代の2017年には97試合に出場して61安打、打率.295という成績も残しており、元々パンチ力のある打撃にも定評のある選手である。今年で27歳と年齢的にもまだ若いだけに、外野手が手薄な球団が獲得を検討する可能性もありそうだ。  一度戦力外となってから他球団との契約を勝ち取ることは容易なことではないが、今年もシーズン開幕後に宮国椋丞(DeNA)が育成契約で入団して支配下登録され、古巣の巨人を相手に勝利もマークしている。今後も戦力外となる選手の発表はまだしばらく続くことになりそうだが、1人でも多くの選手が鮮やかな復活を遂げることを期待したい。(文・西尾典文) ●プロフィール西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員

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    愛子さまが借りるティアラ、清子さんからの理由は「格」の違い 秋篠宮家へは逆風やまず

     天皇・皇后両陛下の長女、愛子さまが12月1日に20歳の成年を迎える。  とくに話題を集めたのは、愛子さまがティアラを新調せず、叔母の黒田清子さんのティアラを借りて祝賀行事にのぞむ、異例の成年式となることだ。宮内庁は、「コロナ禍で国民生活に影響がでていることに配慮した愛子さまが、両陛下と相談した決めた」と説明している。 「どうも、何をとってもタイミングが悪く秋篠宮家への逆風になってしまう」  そうため息をつくのは、皇室に長く仕えた人物だ。秋篠宮家の長女、眞子さんが小室圭さんと結婚したのちに渡米したばかり。  渡米前に国内で滞在したのは、渋谷区の東京メトロ外苑前駅近くにある長中期滞在者向けの高級サービスアパートメントだった。結婚によって皇籍から離れたばかりの元内親王に、所轄する警察の警備がつくのは当然のことだ。とはいえ、外出の度に報じられた結果、特別な警備体制に注目が集まった。  そしてNYでの新居の豪華さも報じられている。英タブロイド紙のデイリー・メールなどの海外紙によれば、小室夫妻の住まいは、セントラルパークやタイムズスクエアに近いヘルズ・キッチン地区にあるタワーマンションだ。2017年に建てられたばかりで、24時間対応のロビーやフィットネスルームにヨガスタジオ。スパやゴルフシュミレーションセクションなどを備えた豪華な仕様だという。  小室さんのLawClerk(法務助手)の年収は600万円程度と見られている。一方で、海外紙によれば、ワン・ベッドルームとはいえ家賃は、月額約4800ドル(55万円)と安くはない。  宮内庁関係者の間でも、眞子さんの結婚と米国移住が無事にすんではればれしたという空気と同時に、小室夫妻の先行きを案じる声もわずかに漏れてくるようだ。  そんなタイミングで宮内庁が公表したのが、愛子さまが「借りたティアラ」で祝賀行事に臨むというニュースだった。  女性皇族にとって、成人を迎えた誕生日は宮殿行事デビューの日でもある。まず皇室の祖神・天照大神などが祭られる宮中三殿に参拝し、宮殿で天皇陛下から宝冠大綬章が授与される。 ローブデコルテの正装に新調したティアラとネックレス・ブレスレット・イヤリング・勲章どめの宝飾品5点を身に着け、両陛下にあいさつするのが恒例だ。  内親王だった眞子さんの場合、ティアラと宝飾品は「和光」で2856万円、佳子さまは「ミキモト」で2793万円をかけて制作された。大正天皇のひ孫にあたる三笠宮家や高円宮家の女王方の場合は、1500万円前後だ。  ティアラなどの宝飾品は、ぜいたくをするために制作するわけではない。成年皇族は公務を担うようになり、宮殿行事や外国からの国賓や賓客を接遇する晩さん会など国際親善の場では、勲章とともに正装を持って迎えるのが礼儀だからだ。  皇后や皇太子妃は代々受け継がれるティアラなどを所有している。そのなかには、平成の時代に皇后が故・秩父宮勢津子さまから譲り受けたティアラなどもある。つまり、他の宮妃や最近では眞子さまのティアラも宮内庁に預けられている。  女性皇族の所有していたティアラもあるなかで、なぜ愛子さまは清子さんより「借りる」形になったのか。  眞子さんをはじめ、最近の女性皇族が成年を迎えた際に新調したティアラは、いずれも宮内庁が管理する公金で制作されている。そのため、公金で作られた眞子さんのティアラは、離脱とともに宮内庁に預けられた。  一方で、黒田清子さんが成年を迎えた時に、新調されたティアラと宝飾品は、天皇家の私的なお金であるお手元金で制作された。  元宮内庁関係者は、ティアラを公金で支払うようになったのは、三笠宮家の彬子さまのときからではないか、と話す。 「明治以降の近代皇室においては、天皇家も宮家も相応の財産を持っていたこともあり、宝冠など装身具は私的な費用で賄っていました。黒田清子さんのティアラもその流れだったと記憶しています。日常費で制作したものは、扱いがあいまいなところもある。昔の皇族のように、『娘に持たせてあげたい』、と結婚先で大切に保管されているものもあると聞きます」  お手元金で制作した黒田清子さんのティアラは、ご本人のものだ。そのため、「借用」という形になった。  さらには、前述したように、内親王と女王というご身位の違いによって、ティアラの金額も異なる。 「眞子さんの結婚のタイミングは、ギリギリまで読めませんでした。加えて、同じ内親王でも、天皇家の娘である愛子さまと、皇嗣家の眞子さんと佳子さまでは立場も異なる。同じ皇女である清子さんのティアラが格という点でも、相応しかったのでしょう」(皇室の事情に詳しい人物)  異例続きとなったのは、ティアラだけではない。  女性皇族、特に内親王は、二十歳の成年を迎えた際と結婚して皇籍を離れる際に会見を開き、記者の質疑に答えるのが恒例だった。  いまのところ、愛子さまの記者会見は、日程が決まっていない。成年の会見は、その成長を国民が感じる大切な機会でもある。  眞子さんが皇室を離れたいま、愛子さまへの期待は、高まっている。 (AERAdot.編集部 永井貴子)

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    なぜ小室眞子さんは圭さんに必死だったのか 秋篠宮さまのよそよそしさから読み解く

    「夫の方については」「面会していた時間が20分位」「何か印象に残ることというのは特にありません」――。  秋篠宮さまの56歳の誕生日会見で国民が感じたのは、長女眞子さんの夫、小室圭さんへのよそよそしさだった。   もともと秋篠宮さまは、記者会見において家族を名前で呼ぶことはほとんどない。眞子さんや佳子さま、悠仁さまについても「長女」「次女」、「長男」といった呼び方をしていた。  一方、小室圭さんについては、婚約が発表された2017年や翌18年の誕生日会見では、<小室さんの印象ですけれども>、<小室さんに関わること、これが毎週のように週刊誌等で報道されていることはー>と自然な流れで名前を出していた。それが、令和の世に移った翌19年は、<小室家とは連絡は私は取っておりません>と、どこか他人行儀な表現を選び、翌20年の会見では、「小室」という名前すら出さなかった。  そして今年。圭さんは、長女の夫という「家族」になったとはいえ、圭さんを「夫の方」と呼び、圭さんが結婚前にあいさつに訪ねてきたひとときを、「面会していた時間は20分位」と話し、距離感を感じさせる表現だった。  圭さんが秋篠宮邸を訪問した10月18日、秋篠宮夫妻は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑秋季慰霊祭への臨席という公務があった。とはいえ、数日後に結婚する娘の結婚相手と食事をともにすることもなく終了したという現実は何を物語るのか。  秋篠宮さまは先の会見で、結婚に伴う儀式を行わなわないと判断を下したのは「私の独断」だと明かした。さらに、皇室の行事が「非常に軽い」印象を与えてしまったと、苦汁をにじませた。  儀式を行わなかった理由は、小室さんが金銭トラブルについて春に公表した28枚の文書にあった。 <この春に娘の夫がかなり長い文書を出したわけですね。(略)あれを読んでどれぐらいの人が理解できるか><これはもう私の独断です、私の個人の考えとして、あれを読んでみんながすぐに状況を整理して納得できるというものではないと私は判断しました>  さらに、10月26日の結婚会見についても、自身が思う形とは異なっていたと胸中を吐露した。 <双方向での会見という形にしてほしかった><私としては自分の口からそのことについて話をして、そして質問にも答える,そういう機会があった方が良かった>  秋篠宮さまが口にしたように、金銭トラブルについての説明も本来は、小室さんが自分の口から説明すべきものだろう。小室圭さんが内親王の結婚相手として祝福できる存在足り得なかったことも、会見の言葉から伝わってくる。 こうした父親の気持ちをよそに、眞子さんは、圭さんに留学を進言しただけでなく、金銭トラブルについても一貫してかばい続けた。  なぜ、内親王がここまで必死になったのだろうか。  眞子さんとよく世間で比べられる黒田清子さんの場合も実は、結婚相手へ相当の配慮があったという。   清子さんは、当時の天皇ご夫妻の長女。内親王のなかでも、身位の高い皇女という立場だ。清子さんもまた、結婚相手である黒田慶樹さんに関する細かな情報を公表することについて、積極的ではなかった。  上皇后美智子さまや皇后雅子さまが結婚した時代は、結婚相手の家系図が報道されるのは、当たり前という感覚であった。両親はもちろん親族の職業や出身地なども詳細に、国民の知ることとなった。 「しかし清子さんからは、黒田慶樹さんと結婚するにあたり、相手がどういう人であるといった細かなことまで、自分たちから情報を提供することは、好ましくない、という考えであった」(当時の事情を知る人物)  清子さんが相手の情報をつまびらかにすることに難色を示した背景には、「皇族という立場の自分と結婚してくれる相手なのだから、迷惑をかけたくない」という考えがあったのだという。  多くの女性皇族にとって、結婚は皇室の外に出る平和的な手段でもある。ある皇族女性は、「皇室から出るためには結婚しかない」と吐露したという。佳子さまも、早く皇室を出て民間で暮らしたいとの考えを持っているとの話も聞こえてくる。  皇室に仕えてきた人物は、こう分析する。 「皇族と結婚する相手は、マスコミに追いかけられ、プライバシーもない生活に巻き込まれる。そうしたリスクを受け入れても自分と結婚してくれる相手は、できる限り守りたいという心情をお持ちになるのは、自然なことです。秋篠宮さまの会見からは、小室圭さんに対する複雑な心境が明確に伝わりました。一方で、眞子さんは、世間には不自然に思えるほど相手をかばい続けました。逆にいえば、皇族が『私のような立場にある女性と結婚してくれる相手』という心情にならざるを得ないほど、追い込まれている現実がある、ということでしょう」  秋篠宮さまも、眞子さんの結婚が「皇室に影響を与えた」と懸念を口にしていた。眞子さんの結婚騒動は、皇室と国民の距離の変化を世間に知らしめた。  若い世代の皇族は、令和という時代のなかで「皇室にあるべき姿」を模索しなければならないのだろう。 (AERAdot.編集部 永井貴子)

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    16時間前

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    巨人なのに非紳士的…他球団のファンも激怒した“ずるい”プレーと発言

    「巨人軍は常に紳士たれ」とチーム憲章にあるように、巨人の選手たちは、社会人の模範になるような行動が求められている。グラウンドでも当然紳士らしくフェアプレー精神に則り……と思いきや、ところがどっこい、過去には、紳士とは大違いの“ずるいプレー”も何度となく演じているのだ。  失点を防ぐために守備妨害を演出したとしか思えないプレーが見られたのが、昨年9月17日の阪神戦だ。  1回表、2点を先行された巨人は、なおも2死満塁のピンチで、木浪聖也の打球は、高くバウンドして、二塁方向へ。セカンド・若林晃弘が前進して捕球に行ったが、タイミング的に内野安打になりそうに見えた。  すると、若林は左手のグラブをヒョイと一塁方向に差し出した。そこには若林との接触を避けようとスピードを落とした一塁走者・陽川尚将の姿があった。  打球を処理するはずのグラブで陽川に接触している間に、ボールは後方へと抜けていった。これを見た森健次郎二塁塁審は、守備妨害を取り、陽川にアウトを宣告した。  矢野耀大監督が抗議したが、「打球を処理する守備優先」という鉄則がある以上、どうにもならない。結果的にルールの盲点を突いた形の巨人は3点目を阻止したものの、自ら当たりに行ったような若林の不自然な動きが物議を醸したのは言うまでもない。  解説者の巨人OB・篠塚和典氏はさすがに言葉を選びながら「若林はうまく演技してますね」と評したが、阪神OBの関本賢太郎氏は「僕には悪質な……故意にぶつかりに行ったように見えましたけどねえ」と批判した。  ネット上でも「どこが守備妨害だよ笑」などの非難コメントが相次ぎ、巨人の3投手も、怒りを闘志に変えた猛虎打線に滅多打ちにされて計11失点と大炎上。目先の1点阻止にとらわれた代償は高くついた。  フライを落球したにもかかわらず、あたかも捕球したかのように演技し、審判の目を欺く事件が起きたのが、11年4月20日の阪神戦だ。  2対2の7回、阪神は鳥谷敬の犠飛で1点を勝ち越し、なおも2死一、三塁で、ブラゼルが二塁後方に高々と飛球を打ち上げた。  セカンド・脇谷亮太が背走しながら捕球したかに見えたが、次の瞬間、ボールがグラブからポロリとこぼれ、地面に落下した。だが、土山剛弘一塁塁審の立ち位置からは、死角になって見えない。直後、しゃがみ込んだ姿勢の脇谷が右手にボールを握りながら、直接捕球をアピールすると、土山塁審は「アウト!」をコール。安打と判定されていたら、阪神は1点を追加していただけに、「そりゃないよ!」である。  真弓明信監督が「(判定は)微妙じゃないだろう。(土山塁審は)たぶん見えていない。二塁塁審も見る場所が悪過ぎる」と抗議したが、VTRにボールが地面に落ちた瞬間がはっきり映っているにもかかわらず、判定は変わらなかった。  そして、この誤審が試合の流れをも変えてしまう。8回、巨人は長野久義の幸運な三塁強襲二塁打などで3点を挙げ、逆転勝ち。踏んだり蹴ったりの阪神側は「(地面に)落ちているよ。お客さんも見ている。アンパイアで負けたと言われても仕方がない」(木戸克彦ヘッドコーチ)とカンカンだった。  さらに脇谷の「VTR?テレビの映りが悪いんじゃないですか?」の新聞コメントが、虎党の怒りを倍加させた。「審判が判定したのだからアウト」ならまだしも……。   当時、テレビメーカーが「映りが悪くなることはない」と反論したことも懐かしく思い出される。  生還を阻止せんとばかりに、三塁ベース上で走者を上から押さえつけるプロレスまがいのプレーで騒然となったのが、00年6月8日の阪神戦だ。  5対3とリードの阪神は、8回にも平尾博司の二塁打で無死二塁のチャンスをつくり、次打者・ハートキーは投前に送りバント。河本育之は素早く処理し、三塁に投げたが、悪送球となり、ボールはファウルグラウンドを転がっていった。  二塁走者の平尾はこの間に十分本塁を狙えるはずだったが、なんと、捕球に失敗したサードの元木大介が、三塁にヘッドスライディングした平尾の上からのしかかるようにして押さえつけているではないか。「どさくさに紛れて押さえ込まれた」(平尾)。これでは動くに動けない。  ここで平尾の救出に向かったのが、伊原春樹三塁コーチ。怒りをあらわにして突進すると、あっという間に元木を突き飛ばし、平尾に「早く本塁に行け!」と指示した。「思わず手が出ちゃった。クセ者の元木がなかなかどかないから」(伊原コーチ)。  ところが、今度は巨人・長嶋茂雄監督がベンチを飛び出し、伊原コーチの行為がインプレー中だったことを理由に、守備妨害で平尾をアウトにするよう要求。騒ぎはさらにヒートアップした。  だが、井野修三塁塁審は「すべてのプレーが終了したうえで判断すれば、一番悪いのは元木」と走塁妨害を適用し、生還を認めた。  結局、この6点目がモノを言い、阪神は1点差で逃げ切ったが、元木のプレーは「ずるい」と言われてもしょうがないものだった。  元木といえば、ほかにも隠し球や併殺阻止の万歳スライディングなど、“ずる賢いプレーのデパート”的存在。紳士の球団では、異色のプレーヤーだった。(文・久保田龍雄) ●プロフィール久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」(野球文明叢書)。

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    愛子さまと雅子さまの髪形には意味があった? “お揃いヘア”卒業に見た2人の「強さ」

     愛子さまが成人する。その際に注目するのが、ヘアスタイルだ。髪形には、愛子さまの思いや雅子さまとの距離感などが投影されてきたようなのだ。 AERA 2021年12月6日号から。 *  *  *  天皇陛下と皇后雅子さまの長女愛子さまが12月1日、20歳の誕生日を迎える。大学の授業の関係で、成年の行事は1日と5日に分けて行うという。  5日に宮中三殿の参拝、勲章(宝冠大綬章だそうだ)親授などを経て、上皇ご夫妻にあいさつ、その後、宮殿で皇族方や三権の長から祝賀を受ける。  行事にあたり、愛子さまは参拝服、ローブ・モンタント、ローブ・デコルテと3着を新調したという。どんなデザインなのか、とても楽しみだ。が、それ以上に私が注目しているのは、愛子さまのヘアスタイルだ。  秋篠宮家の佳子さま(2014年に成人)と眞子さま(小室眞子さん、11年に成人)は、そろって長い髪をアップにして式に臨んだ。紀宮さま(黒田清子さん、1989年に成人)は、顎のラインでまっすぐに切り揃えたボブスタイルだった。愛子さまはこのところ、髪の毛を伸ばしているようだ。やはりアップにするのだろうか……。  などと思うのは、愛子さま、そして雅子さま、お二人にとって髪形はとても大きな意味を持つ──勝手にそうとらえているからだ。ある時からずっと、お二人はそっくりのロングヘアになった。写真をさかのぼると、愛子さまが先に伸ばし、雅子さまが追いかけたことがわかる。「適応障害」という病を得た雅子さま。学校に行きづらい時期もあった愛子さま。お二人そっくりの髪形は、皇室という場所で悩みながら生きる母娘の「絆」の象徴のように思っていた。 ■おでこ見せロングヘア  ところが今年4月、愛子さまは腰近くまであった髪をばっさり切り、肩までのボブヘアになった。その日、愛子さまが乗っていた車の隣には雅子さまがいて、ロングヘアをまとめる定番の髪形だった。ああ、もうお揃いは完全に卒業なのだとしみじみした。お二人がそれぞれの「強さ」を得た、と思えたのだ。  まずは簡単に、愛子さまのヘアスタイル史を振り返ってみる。  06年4月、学習院幼稚園の入園式に出席した愛子さまは、制帽から肩下10センチほどの髪を見せている。お隣で微笑む雅子さまの髪は、肩まで届いていない。それから2年、08年の学習院初等科の入学式。愛子さまの髪はさらに長くなり、前髪を上げておでこを見せている。雅子さまも前髪を上げたロングヘア。お揃いヘアでの入学式。  雅子さまのお誕生日に公表される写真を見てみると、07年にはお二人お揃いになっている。つまり06年から1年かけて、雅子さまが愛子さまお好みのロングヘアに追いつき、以後それをキープしているということになる。お揃いの「おでこ見せロングヘア」は愛子さまが5歳の時からの定番なのだ。 ■つらい状況の風除け  あの当時を振り返ると、雅子さまの「適応障害」が公表されたのが04年。その年と翌年は、お誕生日にも写真が公表されないという事態だった。06年に皇太子さま(当時)も一緒にオランダを私的訪問、雅子さまと愛子さまが「笑っている」ことが話題になったりした。その時、雅子さまはまだ肩くらいの髪、その横で長い髪を可愛く編み込んだ愛子さまがはしゃいでいた。  07年以降のお二人そっくりの髪形は、つらい状況に耐える風除けのようにも見えた。雅子さまには髪を娘と同じ長さにすることが心の支えだったろうと思う。10年、初等科2年の愛子さまに不登校問題が起きた時も、お揃いヘアの雅子さまが毎日のように付き添った。が、中等科でも不登校が報じられる。  愛子さまの「生きづらさ」のようなものの深刻さは、15歳になった16年のお誕生日写真にはっきり写っていた。折れそうなほど痩せた姿だった。「生きにくさ」はどこから来るのか。「生まれた時から男の子でないことが自己否定につながっている」と指摘してくれた女性がいて、目から鱗が落ちたのは令和になる直前だった。それはさておき。  翌17年、高等科に入学してから愛子さまは元気になっていった。お代替わりに向けて雅子さまの活動も確実に増えた。愛子さまは「前髪ありのロングヘア」が定番になり、時に顔の両横に長い髪を一筋垂らすこともあり、「今どきの女の子だなあ」とホッとした記憶がある。  20年、学習院女子高等科の卒業式はコロナ禍もあり、愛子さま1人で報道陣の前に立った。堂々とした受け答えの後、式場に向かう後ろ姿には、ポニーテールが揺れていた。 ■19歳の春ボブに変身  そして今年4月、愛子さまはボブヘアへと大変身した。30センチ近くは切ったであろう思い切りの良さに、愛子さまの強さを感じた。愛子さまは皇室を「自分の場所」としたのだろう、と。皇后となった雅子さまもきっと同じ思いに違いない、とも。  などという勝手な解釈より、愛子さまの言葉だ。聞ける日が近い。成人にあたっての記者会見が開かれるのが、内親王の恒例だ。いつになるのか、宮内庁は発表していない。来年以降という報道もあったが、愛子さまが初めて国民に対して思いを語る場となる。これからと将来、両方を語ることになるだろう。  愛子さまは「女性皇族」としての自分をどうとらえているのだろう。眞子さんが儀式なし、一時金辞退という結婚を選択したのは、女性皇族と一個人とのせめぎ合いの結果だったように思う。「天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」とだけ皇室典範で定められている女性皇族。公務に励んでも、その先に待っているのが何なのか、すごく曖昧な存在だ。愛子さまは、「天皇家の長女」という立場と、「愛子」という一個人としての立場をどう捉えているのだろう。(コラムニスト・矢部万紀子)※AERA 2021年12月6日号より抜粋

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    小室圭さん帰国便同乗者が目撃した姿「彼はまるでエグゼクティブ」 自宅前では深々とお辞儀

    颯爽と歩きながら、小室圭さんがアメリカから帰国した。日本の地を踏むのは2018年8月に渡米して以来、3年2か月ぶりだ。  成田空港は多数の報道関係者が集まっており、ピリピリムード。報道陣に対して、カメラのフラッシュ禁止、声掛けも禁止といった規制が敷かれていた。報道関係者からは「どうして?」と不満の声も漏れていた。  午後3時20分過ぎ、成田空港に飛行機が到着。一般客が飛行機から降りたあと、小室さんが、報道陣の前に姿を現した。警護と思われる男性やキャビンアテンダント(CA)の女性などに囲まれていた。キャリーバックを転がしながら、白マスクに、濃紺のスーツ、ストライプの入ったシャツ、ノーネクタイといういで立ちで、髪の毛は後ろに縛っていた。  飛行機から出てきた小室さんは報道陣に一礼したあと、新型コロナウイルスの抗原検査、そして入国手続きに進んだと見られる。  小室さんは機内でどのような様子だったのか。偶然、同乗していた男性(51)に話を聞くことができた。 「私がファーストクラスで座っていると、ドアが閉まるギリギリになって小室さんが搭乗してきました。まるでエグゼクティブのようでした。後ろの髪を結っていたので、すぐに彼だとわかりましたね。彼一人に女性CAが2人くらいついて、会話しながら案内されて入ってきました」  当初はエコノミークラスのチケットを買ったと報じられていたが、この男性はこう語る。 「右の列のビジネスクラスの前方の席で、窓際に座っていましたね。私の席から右斜め後ろのほうの席でした。ただ、カーテンでファーストクラスとは仕切られていたので彼の表情などはわからなかったです」  男性は飛行機から降りた後、抗原検査のために、大きめの部屋に移ったという。40分ほどその部屋に滞在したが、そこに小室さんの姿はなかった。 「今か今かと待っていたのに、残念でした」(男性)  そのころ、到着ロビーには多数の報道陣のほか、「皇室系Youtuber」といったタスキをかけた人物や一般客も小室さんの姿を一目見ようと集まっていた。その数、50~60人ほど。  津田沼から来たという白髪交じりの一般男性は手にハンディカムを持ち、小室さんを待ち構えていた。妻に頼まれて自宅で見るために撮りに来たという。  しかし、小室さんは一般客が使う到着ロビーを通らず、地下駐車場から車に乗り込み、成田空港を後にした。「地下駐車場から空港を出たらしい」と男性に知らせると、「こんなに待っていたのに……」と不満げな様子だった。  小室さんを乗せた乗用車が向かった先は、母・佳代さんが住む横浜の自宅だった。自宅前は朝から報道陣が詰めかけ、警察は臨時の派出所を設置し、周辺警備に当たるなど、ものものしい雰囲気が漂っていた。夕方には100人を超える報道陣が押し寄せており、ベランダから様子を一目見ようとする住民の姿も見られた。  19時過ぎ、小室さんを乗せた車が到着。警察が後部座席のドアを開け、車から出てきた。小室さんは、報道陣から「どんなお気持ちですか」と声を掛けられたが、反応は示さず、自宅マンションの入り口で2回ほど深々とお辞儀をして、黒いスーツを着た男性らと中に消えていった。  近くに住む60代の男性はこう語る。 「ヘリコプターの音がすごくて『何事か』と思って見に来た。3年前の婚約会見後のときと同じような状況だと感じましたね。小室さんがニューヨークに行ってからは、静かになっていたんだけど……。またしばらく騒々しくなるのかなと思っています。どの家庭も問題を抱えていますし、小室さんと眞子さまも早くアメリカで幸せになってほしいですね」    小室さんは今後、自宅で2週間の隔離を終え、その後、記者会見に臨むと見られている。果たして何を語るか。注目が集まる。 (AERAdot.編集部/上田耕司、飯塚大和、吉崎洋夫)

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    中古マンション争奪戦「10年間、タダで住めたようなもの」世帯年収800万円夫婦も狙う物件とは

     新築信仰は今は昔。都心部で家を買う場合、中古マンションが争奪戦となっている。超低金利時代、世帯年収がそれほど高くなくても手が届くようになったことも大きい。最近の不動産事情を探った短期集中連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。子育て世代がいま、都心で家を買うならば、何が“正解”なのか。今回は、中古マンション購入のリアルな事例と最近の傾向を紹介する。 *     *  * 千代田区、2LDK、55平米、最寄り駅から徒歩10分以内。  都心の大手企業に勤めるAさんは、妻(33)と1歳の子どもと3人暮らし。そのAさんが3年前に購入したマンションの特徴だ。子どもが小さいとはいえ、子育て世代の“あこがれあのマイホーム”としては、55平米はちょっと手狭ではないだろうか。子どもはこれからどんどん大きくなる……。  すると、Aさんはあっけらかんと答えた。 「5年後にはだぶん売却していますよ」  いまAさんが住んでいるマンションは中古物件で購入時の価格は約6千万円。土地柄、文教施設も多い。「周囲に大学が多く、資産価値が下がりにくいだろう」という不動産屋のアドバイスを踏まえ、決めた。  このマンションを購入するまでは、渋谷区で月18万円の賃貸マンションに夫婦で住んでいたが、「高額の家賃を払い続ける生活はもったいない」と、購入に踏み切った。その時に大きな後押しとなったのが、10年前に買った渋谷区のマンションを、購入時とほぼ同じ価格で売却したという会社の先輩の話だ。  その先輩は妻と子ども2人の4人家族。子どもの成長とともに部屋が手狭になったことから、2人目の子どもが小学校に上がるタイミングで、「より広い部屋に移り住もう」と住んでいたマンションを売却。利便性が高い人気エリアだったこともあり、購入時とほぼ同じ金額でも、すぐに買い手がついたという。「10年間、タダで住めたようなもの」とホクホク顔の先輩を見て、Aさんは「自分も資産価値が保てる家を選ぼう」と心に決めた。  買うと決めてから、今の家に出会うまでの期間は約半年。子どもが小学校に上がる5年後のタイミングで資産価値が大きく下がらなければ、今の家を売却し、その資金を元手に、もう少し広い部屋に住み替えを検討しているという。 「売却時に実際いくらで売れるかはその時になってみないと分かりませんが、現状の周辺エリアの売却相場を見る限り、価値は維持できるだろうと踏んでいます」(Aさん)  今、Aさんのように、都市部を中心に、いずれ売却することを想定してマイホームを買う人が増えているという。たとえ「一生住み続けるつもり」で家を買ったとしても、人生100年時代と言われる中、自分を取り巻く状況がいつ変わり、何が起こるか分からない。先が見通しにくい時代だからこそ、リスクヘッジという意味でも、「いざとなれば家をお金に換えられる」買い方を望む人が増加している。 「今は家の選び方によって、その後の人生の明暗が変わってくる可能性があると言えるほど、物件選びが重要な時代です。選び方の知識がないと、後悔することになりかねません」  首都圏を中心に不動産の購入、売却など、これまで6千件を超える取引を行ってきた不動産コンサルタントの後藤一仁さんは、こう指摘する。  現在、首都圏の住宅購入において最も取引が活発なのは中古マンションだ。都心を中心に新築マンションの価格が高騰していることからも、中古マンションに目を向ける人が増えており、激しい争奪戦が繰り広げられているという。  マンショントレンド評論家の日下部理絵さんも、こう続ける。  「以前は新築信仰が強い傾向でしたが、今は中古に対する抵抗感を持つ人が少なく、ここ最近は築浅物件のみならず、都心にある築30~40年の古い物件もよく動いています。リノベーションの専門業者も増え、中古物件を自分好みにリノベーションして住みたいと考える人も増えています」  とはいえ都内、それも都心周辺に家を購入できるのは、高額所得者に限られるのではないか。 「そうとも言えません」というのは、前出の後藤さんだ。後藤さんによれば、資産価値を考えたマンション購入を検討している層は、30代~40代の共働き世帯も多く、購入予算は5千万~6千万前後。平均の世帯年収は800万~1千万前後で、自己資金として夫婦で400万~600万程度貯めている世帯が多いという。 「例えば年収500万円前後の夫と400万前後の妻で、二人合わせて世帯年収が800~900万前後という方も多く検討されています。今は住宅ローンが史上最低とも言える超低金利ということもあり、金利が上がらないうちに、ここ1年ぐらいで買おうと考えている方も少なくありません」(後藤さん)  いずれ売ることを視野に入れて家を買うとなると、選び方にもコツが必要だ。もちろん実際に自分が住む家となると、資産価値という尺度だけでは測れない“住み心地”や“快適さ”など、感覚的な部分も大事だが、それは人それぞれの価値観がある。ここではあくまで、「資産価値を保ちやすい家」という視点で解説しよう。専門家らの話を紐解くと、4つのポイントが浮かび上がってきた。(松岡かすみ)  >>【後編:マンション購入「妻の実家の近く」で選んで失敗 いい物件の見極めは? 駅徒歩7分、60平米…】に続く

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    【独自】小室圭さん、米大手事務所から断られていた 弁護士が語る“厳しい現実”

    「小室圭さんの実力では無理だと思います」 こう話すのは、全米で「トップ100」と呼ばれる大手弁護士事務所(ビッグロー)のパートナー弁護士のA氏。専門は、海外企業同士のM&Aなど。米国を拠点に世界を飛び回り、収入も桁違い。この姿こそ、小室さんが思い描く将来でもあるようだ。 昨年の秋ごろ、A氏の事務所に、働かせてほしい、と小室さんの「経歴書」のようなレジュメが別の弁護士を通じて届いたという。小室さんは、ニューヨークなど大都市での弁護士の仕事を探しており、ビッグローか、その下の規模のミッドローでM&Aなどをやりたいという。 A氏がそのレジュメを見て思ったのが、冒頭の言葉だ。なかでも、A氏が首をかしげたのがニューヨークのフォーダム大ロースクール(法科大学院)への留学の部分だ。「疑問なのは、彼がLLM(法学修士)のコースに入ったことです。しかも1年学んだ後に、JD(法務博士)コースに編入している。大きな事務所を目指してて、こんな動き方をするなんて聞いたことがない」 LLMとJDというのは、ロースクールでのコース名だ。米国の大学には法学部がなく、弁護士を目指す人は、大学卒業後にJDに入る。ここで3年間学び、事務所に入るのが一般的なパターンだという。 一方、LLMは、法律の資格を持つ外国人留学生が多いといい、「表現として正しいかわかりませんが、キャリアに“箔(はく)をつける”ようなイメージです」。 A氏によると、米国で弁護士となるのに重要なのはJDでの1年目だ。「米国での就職活動は、2年生の終わりの夏休みで終わります。事務所のサマープログラム(インターン)で働き、その後よほどのことがない限り、その事務所からオファーを受けて就職します。どの事務所のプログラムに入れるかは、1年時の成績で決まります。だから学生の競争も壮絶です。本を隠すなどの足の引っ張り合いもあります。小室さんはその1年をLLMに入っています」 ビッグローのインターンの募集は、ハーバードやエール、コロンビアといった有名大学で公募し、最初の書類選考で成績優秀者に絞り、次の面接で決まる。A氏が言う。「採用された学生には、1年目から19万数千ドル(2千万円以上)の給与が支払われます。それも5年くらいは半人前で、彼らから利益は出ません。それでも欲しい人材ということなんです。だから相当厳選します。原則でいえば、ビッグローはインターン以外の方法では採用しないです」 チャンスをつかめる学生は、ほんの一握りだ。小室さんは、そもそもLLMに入った時点で、希望するビッグローへの道は閉ざされたといっていい。なぜLLMに入ったのだろうか? A氏が話す。「こう言っては何ですが、彼の経歴に目を見張るモノはありません。あるとすれば眞子さまのフィアンセという一点。それでも奨学金を取得できたり、JDへ編入したり、弁護士が出てきて仕事を探したり。知恵をつけている人がいるんでしょう」 では、ビッグローは無理でも、M&Aは他でもできるのだろうか?「米国には約43万の事務所がありますが、M&Aの70%超は『トップ100』が扱っています。小室さんが弁護士として働くにはM&Aにこだわらないことですね。移民法の弁護士などは圧倒的に多い。日本人も多いです。もうからないので人気はないのですが」 そして、こう続けた。「詳しいことは申し上げられませんが、彼の『経歴書』を見る限り、とても“権威”が好きなんだと思います。M&Aも彼からすれば格好良く見えるんでしょうけど、実際は相当厳しい世界です。パートナー弁護士になるのは10年後くらい。それまで生き残っているのはわずかです。彼がそもそも弁護士という職業に向いているのか……。野心家だと思うので、ベンチャーのような起業家とかが向いているような気がします」(本誌・矢崎慶一)※週刊朝日  2021年9月17日号に加筆

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    硬くなっていく血管をケアするには? 医師がすすめる日々の食事と運動の方法

    「人の老化は血管から始まる」ともいわれるように血管ケアはアンチエイジングの要。年齢を重ねることで硬くなっていく血管をケアしていくには日々の食事や運動で脂質をコントロールすることが大切です。今回は女性の血管ケアについて、日本の「性差医療」の草分け的存在である天野惠子先生にお聞きしました。前編に続いて、後編では、どのような血管ケアを行ったらよいかを具体的にご紹介します。(自分で自分の健康を守るための健康情報を発信する「セルフドクターWeb」より転載) *  *  *食事の工夫で血液中の脂を増やさない  コレステロールが高いから卵はダメ、肉もダメというのではなく、コレステロールや中性脂肪を減らしたり吸収を抑えたりする食材を使って、賢く脂質コントロールしましょう。コレステロールの7~8割は体内でつくられ、食べ物から摂取されるのは2~3割しかありません。コレステロールの生成や貯蔵は全て肝臓で行われ、肝臓は体内のコレステロールが一定になるように需要と供給のバランスを上手に調整しています。そのため、コレステロールが多く含まれる食べ物を摂っても、すぐにコレステロール値が上がるということはありません。  とはいえ、動物性脂肪を摂り過ぎればLDLコレステロールが増え、炭水化物(糖質)や脂肪、アルコールを摂り過ぎれば中性脂肪が増えるのも事実。バランスを心がけましょう。脂質コントロールのお助け食材となるのが、意外なことにある種類の油。青背魚や亜麻仁油、オリーブ油などの油は、コレステロールや中性脂肪を減らしたり、血流をよくしたりするのに一役買ってくれます。  天野先生の心配は、実は更年期よりも20代、30代の女性たち。「見ていると、40代の半ばから50代には料理をする人がたくさんいますが、若い女性たちに聞くと、家に包丁もない、コンビニで買ってきた物を食べるという人も多い。栄養の偏りも多く、あまり摂りたくない油も日常的に摂っています」と先生。これではエストロゲンが出ていても、血管や血流に危険信号が灯ってしまいます。 食事で摂りたいのは「オメガ3脂肪酸」  血管ケアに特におすすめなのが、魚に含まれるEPAやDHA、亜麻仁油などに含まれるα-リノレン酸などの「オメガ3」ことn-3系脂肪酸。この種類の油には、血液中の中性脂肪を減らしたり、血栓ができるのを防いだりする働きがあります。「オメガ3には抗炎症作用があり、認知症の予防にもなるんですよ」と天野先生。また、オリーブ油、キャノーラ油(菜種油)もLDLコレステロールを減らす働きがあります。  ちなみに、脂肪酸の種類は、大きく分けて動物性脂肪などの「飽和脂肪酸」と植物性脂肪などの「不飽和脂肪酸」、化学的に生まれた「トランス脂肪酸」に分けられます。飽和脂肪酸はコレステロール値の高い人は控えたい油。この他、コレステロール値にかかわらず控えたい油に、マーガリン、ショートニング、食用精製加工油脂に多く含まれているトランス脂肪酸があります。血管に対する毒性が指摘されているため、加工食品を購入する時は原材料表示を確認するようにしましょう。  また、食物繊維には、コレステロールの吸収を抑える働きだけでなく、糖質の急激な吸収を抑え、腸内の有害物質を体の外に排出してくれるといった、うれしい働きがあります。水溶性食物繊維のほうがコレステロールを減らす効果は高いとされますが、不溶性食物繊維も腸の働きを整えて、コレステロールや中性脂肪の数値を下げる働きがあるため、どちらもしっかり摂ることが大切です。 運動でしなやかな血管を目指す 「年をとれば誰しもキレイな血管ではいられません。それでも硬くなることを防ぎたい。それには内皮細胞が、血管拡張作用をもつ一酸化窒素(NO)を出し続けてくれるような生活をしていればいいわけです」と天野先生。内皮細胞というのは、血管の最も内側にあり、血液と接しています。そこで重要になるのが、血流。血流がよいと内皮細胞がこすれて血管を拡張するNOを放出。これが動脈硬化の予防にもつながります。  血流をよくする一番の方法が、運動です。定期的に運動することによって中性脂肪が減り、HDLコレステロールが増えることが分かっており、逆に運動不足の人ほど、動脈硬化が進みやすいことも分かっています。だから厚生労働省も1に運動、2に運動、3に運動と言っているのです。運動で血流をよくし、しなやかな血管をキープしましょう。 有酸素運動で脂肪を燃焼  血管対策としてはまず、有酸素運動から始めるのがおすすめ。そこに筋トレを組み込めば相乗効果が期待できます。運動時間は30分以上を、週3回以上が望ましいですが、時間がなければ10分×週3回でもOK。寒い季節は心筋梗塞のリスクが高まる早朝などの時間帯は運動を避けましょう。  有酸素運動は、体内に取り込んだ酸素を使って糖質や脂肪を燃焼しながらエネルギーをつくり出す運動のことで、比較的負荷が軽く、運動習慣のない人でも気軽に始められるのが魅力。有酸素運動を30分以上続けると脂肪をよりよく燃焼できます。代表的なものが、ウォーキング、ジョギング、踏み台昇降、水中ウォーク、ゆっくりした水泳、エアロビクス、サイクリング、ゴルフなどです。 <前編>「コレステロール、中性脂肪は「男女」「年齢」で基準値が違う! 参考にするべき数値をチェック」から続く 監修/天野惠子(あまの・けいこ)先生 一般財団法人野中東晧会 静風荘病院特別顧問。日本の「性差医療」研究の草分けとして普及に努め、鹿児島大学及び千葉県にて、性差に基づく女性医療の実践の場として女性外来を立ち上げ、治療に当たる。2009年より現職。日本性差医学・医療学会理事。 セルフドクターHP

    セルフドクター

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    偏差値38、文系卒だった会社員が29歳で国立大医学部へ 心臓外科医になるまでの半生

    「会社の上司ではなく、目の前にいる人のためになる仕事をしたい」――私立大文系卒の営業職だった27歳男性が、仕事に疑問を感じてめざしたのは医師だった。現在、神奈川県横浜市の菊名記念病院で心臓血管外科部長を務める奈良原裕医師(51)。大手企業での安定を捨て、1年半の浪人生活で会社員時代の蓄えをほぼ使い切り、29歳で高知大医学部に合格。6年間の勉強の末に医師免許を手にした後も、年齢的に厳しいとされる30代後半で心臓血管外科医の道を選んだ。奈良原医師はどのような思いで勉強をしてきたのか。その半生を語ってもらった。<<後編・1年に3日しか休めなかった心臓外科医が、働き方も診療の質も劇的に改善させた「業務改革」とは>>に続く *  *  * 私は中央大学法学部を卒業後、石油会社に勤めていました。医師になる道を考え始めたのは社会人4年目になったころです。東京・品川のオフィスで深夜11時ごろに残業を終えた私は、同期と一緒に近くの牛丼屋に入りました。そのカウンターで、「医者になりたいな」という言葉がポロッとこぼれたのです。  仕事は評価されていました。任された業務の範囲は広く、支店長室のソファをベッド代わりにして何日も会社に寝泊まりしていました。上司からは一番上の評価をもらっていたと聞いています。けれども、そんなワーカホリックな日々の中で、いかに上司から褒められるかを目標にする生き方に、次第に違和感を覚えるようになりました。  石油は社会や経済を支える基盤となる重要なエネルギーです。もちろん、それを取り扱う仕事の社会的使命はとても大きい。しかしその一方で、自分がやっているのは、目の前のお客さんに少しでも高い金額を提示して商品を販売し、利益を出すということでした。自分の目の前にいる人ではなく、自分の後ろにいる、自分を評価する人の方向を見て仕事をしていることに、疑問をもち始めたのです。  結局自分は、中学・高校生時代にやっていたことを繰り返しているのだと思いました。学生時代は一生懸命勉強しました。でもなぜ数学の公式を使えるようにならなければならないのか、なぜ歴史を覚えなければならないのか、その理由までは考えなかった。仕事も同じでした。意味や背景まではそこまで深く考えず、とにかくやっていた。大学では法学部に進みましたが、付属校時代に勉強した結果として偏差値の高い学部に内部進学できたというだけで、法律の勉強をしたいという気持ちからではありませんでした。その延長戦が社会に出てからもずっと続いていたのです。  それでも自分は間違ってはいないと思っていました。しかし、そんな毎日が続いていたある日、兄が自殺しました。その理由を私はまったくわかりませんでした。というよりも、兄のことが何もわかっていませんでした。いや、兄だけでなく父、母、祖母のことも。目の前の一番大切な家族のことを気にしない生き方になっていること気がつき、27歳の9月、新卒で4年半勤めた三菱石油(現ENEOS株式会社)を退職しました。  目の前の人のためになるような、そんな仕事をしたいと思いました。そこで行き着いたのが医療従事者です。医師、看護師、介護士……そのなかでも指揮官である医師をめざしました。学費が比較的かからない国立大の医学部を目標にして予備校に入ったのですが、私が置かれたのは8クラスあるうち下から2番目のクラスで、国立の医学部に受かる人はほぼいないと言われていました。 ■模試は「E判定」、偏差値は38  そもそも私は付属校からの内部進学組だったので、受験というものを知りませんでした。過去に大学受験をしたことのない社会人からすると、センター試験の出願の仕方すらわかりません。また、学校の教科書も持っていないので、出題範囲もまったくわからない。まず大学受験の仕組みを知るのに3、4カ月はかかったと思います。  10月に受けた模試は当然E判定。数学の偏差値は38。その年の受験は、センター試験も6割程度しか得点できず、医学部には箸にも棒にも掛からぬ結果でした。そこからまた浪人生活が始まりました。ただ、受験は2回までにしようと思っていました。1年間かけて受からなかったら医師はあきらめて、別の医療従事者をめざそうと思っていました。  後にも先にも、この時が一番勉強したと思います。会社員時代はデータを使って顧客分析や商圏分析をしていたので、それにならって受験勉強も分析していました。細かい勉強計画表を作り、どの科目を何時間勉強したのか、1週間ごとに計画と実績の差をチェックしていました。  部屋中には物理の公式や化学式などを書いた紙を貼っていました。トイレにも貼って、そこにこもって暗記をしたり。勉強は受験に向けて追い上げていくといったものではなく、最初から限界ぎりぎりのスケジュールで取り組んでいました。集中力を保ちながら勉強できるのは一日最大16時間。これを続けるのは本当に大変でした。当時のノートを見ると、文字がびっしり書かれていて、ちょっと狂気じみているようにも感じます。  同棲していた妻は、ピリピリしていた私を横目にいつも長いコードの付いたヘッドホンをしてテレビを見ていました。お笑い番組を見ながら、私の勉強を妨げないように笑いを押し殺していたのを覚えています。妻とは会社を辞めて医学部浪人を始めると決めたころに付き合い始めました。よくそんな人と付き合ったものですね(笑)。  志望校は高知大医学部に決めました。一番の理由は学力的に合格が狙えそうだったからですが、理由はそれ以外にもありました。予備校の友人の兄が高知大医学部出身で、新聞販売店に住み込みで働きながら勉強して合格したというのです。その話に感銘を受け、第1志望が決まりました。 ■「受かるまで外さない」つけた腕時計  浪人中はずっと、トライアスロンの人がよく使っているタイマー機能付きの腕時計をつけていました。お風呂や休憩も時間を区切るために、「受かるまで外さない」と決めたのです。当時27、8歳で、10個下の現役高校生よりはメンタルも落ち着いている。そんな私が重い決意で勉強をすれば受かるはずだ、という妙な自信がありました。  しかし模試は最後までE判定で、これで医学部に受かるのは奇跡でした。ところがその年のセンター試験は数学が難化したり、難解な現代文で大量失点する人が出たりして「荒れた」のです。その結果、8割ちょっとの得点でなんとかボーダーラインを超えることができました。2次試験を受験し、妻と一緒に合格の通知を受け取ったときは、正直、信じられませんでした。何か採点ミスなどが発覚して、合格が取り消されるのではないか……医学部合格から22年が経ち手術を執刀している今ですら、そう思うことがあります。  4月からはすぐに高知での生活となるため、アパートや中古車などを1日で準備しました。妻は高知についていくことになんのためらいもなかったようです。その後、学部1年生の時に結婚することになりました。  高知大の医学部には他に再受験生が2人いましたが、私が一番年上でした。でも基本的には、ごく普通に周りの同級生と同じように過ごしていました。空手道部に入りましたが、中では当然、先輩後輩の関係がありました。会社員時代の蓄えは受験生時代に底を突きかけていたため、朝は新聞配達のアルバイトをし、学校に行って勉強や解剖の実習をし、夕方は酒屋さんで配達のアルバイトをしていました。妻も喫茶店でアルバイトをしていました。  進級試験、卒業試験、そしてそのあとの医師国家試験など、勉強は1回目の大学時代よりずっと大変だったと思います。しかし、仕事を辞めて挑戦した医学部受験のときのほうがもっと大変でした。  研修医としての2年間も楽しく過ごしました。目の前にいる患者さんに感謝されるのは本当にうれしいですね。当時、主治医として診療に当たっていた患者さんのなかには、いまでも年賀状やお手紙をやりとりしている人もいます。外科の後期研修医として行った横浜の病院も、1年だけではありましたが思い出深いものでした。 ■「30歳以下が望ましい」心臓血管外科に転身  医学部時代、私が一番好きだったのは心臓手術だったので、心臓血管外科医をめざしました。しかし日本心臓血管外科学会では、心臓血管外科医になるのは30歳以下が望ましいと言われています。体力的な問題もありますし、比較的、一人前になるまでの階段が長いという要因もあると思います。そのため、一度は心臓血管外科医をあきらめました。しかし外科の後期研修をしていく中で、その気持ちが抑えられず、研修先の病院を変えました。  38歳だった私は、現役医学部生から心臓血管外科医になった人と比べると10歳も年上ですが、上司は私を現役同様の新人として扱ってくれました。これまでの経験が生かせる職場ではまったくなかったので、教えを請う立場であることをわきまえるのは極めて大切なことだと思っています。  実は、会社を辞めて医師をめざすときも、研修医後に外科へ進むときも、そして心臓血管外科医を目指すときもすべて、家族・友人・知人の皆に反対されました。今さらそんなこと出来るわけがないだろうと思われたのだと思います。私はこれまで、みんなが右を向いたら右を、左を向いたら左を、少しでも早く向こうとする人間でした。でもあるときから、人が右を向こうと左を向こうと自分の見たい方向を見るようになりました。会社を辞めて、医師をめざそうと思ったところが、人生の転換点だったように思えます。 (構成/白石圭) <<後編・1年に3日しか休めなかった心臓外科医が、働き方も診療の質も劇的に改善させた「業務改革」とは>>に続く

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    都心タワマン新築1億円を共働き夫婦が「買える」理由 パワーカップルの意外な金銭感覚

     コロナ禍で田舎暮らしへの憧れはあるものの、都心で働く夫婦が家と買うとなればやはり首都圏の物件が現実ではないだろうか。共働き夫婦のリアルな事例事情や最近の不動産動向を探った短期集中連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。一回目のテーマはパワーカップルとタワマン。首都圏の新築マンションの価格は高騰し、タワーマンションならば1億円超えの「億ション」も珍しくなくなった。資産家の投資用かと思いきや、普通の会社員夫婦が購入して住んでいるのだという。共働きで稼ぐ、いわゆるパワーカップルだ。 *   *  *東京都中央区、最寄り駅から徒歩5分、33階建ての新築タワーマンションの一部屋。窓からはいかにも東京らしい都心のビル群や湾岸エリアが一望できる。ここを約8千万円で昨年購入したのは会社員男性のAさん(41)だ。  「夫婦ともに定年まで辞めるつもりはないので、払えると踏んで購入しました」  都内の大手商社に務めるAさんは、広告代理店勤務の妻(40)と夫婦二人暮らし。共働きのAさん夫婦の世帯年収は、約1600万だ。頭金1千万円を夫婦の貯金で支払い、残りの7千万は35年の住宅ローンを組んだ。月々の返済額は、管理費と合わせて22万円程度。夫婦の手取り月収は合わせて78万円前後なので、毎月約28%の収入がローン返済に充てられることになる。かなり高額な買い物だが、会社の同僚には1億円超えの物件を購入した人もいるという。  Aさんの背中を押したのは、「駅近で都心までのアクセスも良く、活気あるエリアの物件で、今後も一定の資産価値を維持できるだろう」という不動産屋の言葉。購入時と同じ8千万円の価格か、それ以上に価値が上がる可能性もあると期待している。一生住むつもりで買った物件だが、「何かあれば買った金額で手放せるはず」ということが、安心感に繋がっているという。 「言ってみれば、貯蓄効果もある買い方。もちろん高い買い物ではあるけれど、値段が下がりづらい物件を買うことは、資産防衛術とも言えると思う」(Aさん)  コロナ禍で景気低迷ばかりが取り沙汰される現在だが、実は首都圏を中心に、高額の新築マンションを買う人が増えている。主な購入層は、「パワーカップル」とも呼ばれるAさん夫妻のような高収入の共働き世帯だ。首都圏のマンション価格は年々高騰しており、不動産経済研究所の2021年度上半期(4~9月)の新築マンションの一戸当たり平均価格は、首都圏(1都3県)で前年同期比10.1%増の6702万円。1973年の調査開始以来、上半期としてバブル期を超える最高値を記録し、高額の東京都心の物件を中心に人気が集まっている。  都心のタワーマンションといえば、不動産業界でも、以前は限られた富裕層のみが買う「特殊住戸」と呼ばれていた。一定の収入がないと買えない物件であることは今も変わりないが、その敷居は以前に比べると下がっており、積極的な購入層は世帯年収1千万~2千万円前後の会社員だという。Aさんはその典型例だろう。  なぜ、会社員夫婦がこうした物件の購入ができるようになったのだろうか。  まず、背景にあるのが、超低金利という今の時代だ。頭金をそれほど用意せずとも、長期のローンを組むことで、年収の高い会社員であれば6000~7000万円程度は容易に借り入れすることができる。夫婦ともに稼ぐ共働き世帯ともなれば、2人で1億円を超えるローンも組むことができる時代だ。大手銀行の借り入れ限度額は1億円が主流だが、ここ数年で高額物件用の借り入れ需要が増している背景から、新興金融機関では上限2億円超えまで対応しているところも多い。こうして夫婦両輪で多額のペアローンを組み、新築の億ションを共有名義で買っている世帯が増えているという。  「一昔前まで住宅ローンの返済額の目安とされていた『世帯収入の20~25%が上限』というセオリーが崩れ、過大なローンを組む人が増えている」  こう指摘するのは、大手デベロッパー出身の不動産コンサルタント、長谷川高さん(長谷川不動産経済社代表)。初めて家を購入する平均年齢は、40歳前後の現在。働き盛りで管理職などになり、それなりの収入を得られていると実感しやすい年齢だ。また、共働きが当たり前の時代になったことも大きい。 「少し前までは、夫婦共働きであっても、どちらか一方の収入を元にローンを組むことが一般的でした。ですが今は、夫婦両輪の“大車輪”のごとく、多額のペアローンを組む例が珍しくない」(長谷川さん)  ローン完済年齢も上がってきている。人生100年時代、60歳以降も働くのが当然という意識を持つ人は多い。「10年ほど前までは、60歳以降は働かない前提で考える人が多かったのが、ここ最近は70歳まで働くことを見据えてローンを考える人が増えている」とは、首都圏を中心とした住宅購入における相談実績も多いファイナンシャルプランナーの飯田敏さん(FPフローリスト)。  Aさん夫妻も、仕事が生活の中心というライフスタイルを変えるつもりはなく、今後子どもを持つ計画もない。ともに働き盛りの40代。仕事は多忙を極め、帰宅は連日深夜がお決まりだ。終電を逃してタクシーで帰宅することも多く、会社のある都心に近いことは必須条件だった。40歳から35年のローンとなると、完済時の年齢は75歳。だが、繰り上げ返済を計画的に行うことで、60~65歳のローン完済を目指している。 「今の社会の流れを見ると、自分たちの頃には70歳まで働くことが当たり前の時代になっているのでは。年金には期待できないけれど、長く働くことで一定の収入は得られるはず」(Aさん)  こうした時代の流れに加えて、タワマンを購入するパワーカップルは「意外と生活は堅実」という点も特徴かもしれない。冒頭のAさん夫妻も高収入ではあるが、ブランド物を買ったり、頻繁に贅沢な食事をしたりするわけでもなく、夫婦一緒に毎月コツコツと貯金を続けている。頭金として1千万円を用意できたのも、浪費をせず、計画的に貯金してきたからこそだ。つまり、ぜいたくな暮らしをしたいからタワマンを購入したわけではないのだ。タワーマンションなどいわゆる高級マンションに住む理由は、ステイタスやブランド意識からではなく、Aさん夫妻のように「資産価値が優れていて、価格が下がりづらい」という背景から選ぶ人も多いという。  不動産コンサルタントの後藤一仁さんは言う。 「確かに都心のタワーマンションはよく売れていて、積極的に買おうとする動きが活発です。ただ、こうした物件を購入する会社員夫婦は、資産を持て余しているから買うのとは少し違います。自分たちの収入の中で買える範囲で、なるべく資産価値を維持できる住宅を求めており、“稼いだお金を減らしたくない”と考える人が多い」  すなわち、現金という流動資産を一旦「タワーマンション」という固定資産に変え、十分に利用したら、またほぼ同じ金額の流動資産や他の固定資産、金融資産などに変えるという作業を計画的に行うという流れだ。 「つまり1億円で買ったマンションが、10年間住んだ後も1億円で売れる可能性が高い、という理由からタワーマンションを選ぶ人も少なくない。タワーマンションは、街の再開発とセットで建てられるケースも多く、一般的に駅近であればなお価値が下がりにくいと言えます」(後藤さん)  Aさんもこんなことを言っていた。 「いざとなれば、買った時と変わらない金額で手放せる物件。この新築タワーマンションは、その条件に当てはまると思いました」  なるほど、今、タワマンを買うのは意外と堅実な選択肢なのかもしれない。しかし、大きな買い物には、ときに意外な落とし穴が潜んでいるもの。次は、長い目で見たときの不動産リスクについて説明しよう。(松岡かすみ) >>【後編:新築マンション高騰の裏で設備がチープ化?ローンを返せない共働き夫婦も 超低金利時代の落とし穴】に続く

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    マンション購入「妻の実家の近く」で選んで失敗 いい物件の見極めは? 徒歩7分、60平米…

     都心部で働く子育て世代の夫婦が家を買うとしたら、どんな物件が“正解”なのか。そこ一生住むつもりで物件を選ぶよりも、将来、住み替えることを前提にした購入がトレンドだという。つまり、売ることを前提にした購入だ。だが、購入してから資産価値が落ちたり、いざ売る際になかなか買い手がつかなかったりしたら、のちの人生設計も狂ってくる。最近の不動産事情を探った短期集中連載「それでも夫婦は東京に家を買う」。今回は物件選びのポイントを不動産のプロに聞いた。 >>【前編:都心中古マンション争奪戦「10年間、タダで住めたようなもの」 世帯年収800万円夫婦が狙う物件とは】から続く *     *  * まずは「こんなはずじゃなかった」と頭を抱えてしまったBさんのケースを紹介しよう。  埼玉県内に、10年前にマンションを購入したBさん。妻の実家近くにある、最寄り駅から徒歩18分の4LDK(81平米)の新築物件を3500万円で購入した。うち3300万円は住宅ローンを組み、月々の返済額は約12万円。返済も順調だった。  しかし、ローンがあと20年ほど残っている時点で、仕事と子どもの学校の関係で、どうしても引っ越さないといけなくなり、売却したいと考えた。現在の売却想定額を査定したところ、金額は1800万程度だという。住宅ローンの残債はまだ2400万前後あり、売却想定価格をはるかに上回っている。「ならば貸せないか」と考え、今度は家賃を査定してもらったところ、相場から月10万5千円前後を算出された。Bさんの物件は駅から距離があり、購入時には営業していた近隣のスーパーマーケットなどが撤退し、買い物にも不便という環境要因が響いた。毎月12万の住宅ローンの支払いを考えると、貸しても赤字という計算になる。  Bさんは、購入時点では生涯住むつもりだった。子どもの成長などライフステージの変化に対応する間取りを考え、それが無理ない予算で買える場所という視点から物件選びを始め、「まったく知らない土地に行くよりは、子育ても考えて妻の実家近くにしよう」と決めた家だった。試算が狂い、Bさんは今、人生設計を見直している。  首都圏を中心に不動産の購入、売却、賃貸など、これまで6千件を超える取引を行ってきた不動産コンサルタントの後藤一仁さんは、こう指摘する。 「自分たちにとっては良い場所であっても、売る・貸すとなった時に価値が維持できるとは限りません。一般的に、郊外のマンションは都心のマンションに比べ、買うときの価格が安い一方で、売るときには価格が下がっている可能性が高い。資産価値という視点から見た場合、マンションにおいては立地の影響が想像以上に大きく、価格が落ちにくいマンションとは、都心に近く交通の便が良いマンションの場合が多いのです」  どこから光を当てるかによって、その家の価値は変わる。ここではあくまで、「資産価値を保ちやすい家」という視点で解説しよう。専門家らの話を紐解くと、4つのポイントが浮かび上がってきた。 (1)  山手線沿線の駅から電車で15分圏内  まっさきに押さえるべきポイントは、都心に近く、交通の便が良い場所という条件。具体的に挙げると、山手線の駅周辺の都心、または山手線の駅から電車で約15分圏内の準都心と呼ばれるエリアだ。例えば小田急小田原線の場合は経堂駅ぐらいまで、京王線の場合は千歳烏山駅ぐらいまで、東急田園都市線の場合は二子玉川駅ぐらいまでが準都心の目安となる。 「都心、準都心のエリア内であれば、築35年の60平米ぐらいのマンションでもそれなりの価格で取引されていることが多い。例えばここ10年ぐらいの間でも、港区、千代田区、渋谷区、目黒区などでは4千万~6千万台ぐらいで、新宿区、文京区、豊島区、杉並区、品川区などでも3千万前後から5千万台ぐらいで取引されています」(同) (2)  駅近の目安は徒歩7分以内  主な物件の探し方がインターネットである今、駅から遠い物件は検索段階で切り捨てられてしまうことも多い。通勤や通学ともなると毎日のことなので、「駅から徒歩何分以内か」という点は資産価値を維持する上で重要なポイントだ。 高齢化率の上昇や、全国的に市街地計画をコンパクトに形成していこうとする行政の動き(コンパクトシティ構想)を踏まえても、駅から近い物件は今後ますます有利に働く可能性が高いという。不動産コンサルタントの午堂登紀雄さんは言う。 「エリアにもよりますが、原則、駅から徒歩10分以内の立地で選ぶと比較的売りやすい。駅からの近さはどの世代にも共通して求められているポイントです。郊外の戸建に住んでいたシニア層が駅近のマンションに住み替えるケースも増えています。できれば5分以内、目標は7分以内と、少しでも駅に近い方が有利です」 (3)  ファミリータイプは需要減、60平米が売れ筋  国立社会保障・人口問題研究所「日本の世帯数の将来推計」によれば、2015年時点でいわゆるファミリー世帯である「家族と一緒に住む世帯」は約1429万世帯なのに対し、「1人暮らし世帯」は約1842万世帯、「夫婦のみ世帯」は約1072万世帯。さらに2025年の予測では、「家族と一緒に住む世帯」は約1369世帯と減る一方で、「1人暮らし世帯」は約1996世帯、「夫婦のみ世帯」は約1120世帯と増えることが予想されている。 生涯未婚率や離婚率の上昇、シニアの増加により、1人暮らし世帯が急増し、ファミリー世帯が減っているのが現状だ。 「この状況を踏まえると、これまでファミリー用マンションとして考えられていた70~80平米前後と広めのマンションは、これからは長い目で見ると需要が見込みづらい。一方で狭すぎず、広すぎない60平米前後のマンションは、都心においては需要が多いのに供給が少なく、貸しやすい面積帯です。一人暮らし世帯、夫婦のみ世帯を中心に、夫婦と子ども1人、夫婦と小さな子ども2人、シニアと幅広い層が住みやすく、価格も手頃な60平米前後が最も売れやすく、貸しやすいでしょう」(後藤さん) (4)  中古でも2001年以降に完成  「住宅の品質確保の促進等に関する法律(品確法)」(2000年)の施行により、デベロッパーの建物に対する責任性が強まったことから、2001年以降に完成した物件は一般的に住宅の基本性能が高まっている傾向にあるという。 「2001年頃からの完成物件は、耐震や省エネルギー、遮音性などを向上させた物件が比較的多く出ています。今は新築マンションでも設備をチープにする物件が増えているため、むしろ10年ほど前に完成した物件の設備の方が優れている場合も少なくありません。中古物件を選ぶ際は、2001年以降に完成した物件であれば、価格が手頃で良質な建物であることが多い」(後藤さん) ◇  資産価値が落ちない家を選ぶためには、価格が安い物件を買おうとするのではなく、少し価格が高かったとしても購入後に価格が落ちにくいであろう物件を購入する姿勢が必要だ。  大切なのは、今後住み替えなどの可能性があり、住まいに換金性を求める場合に、希望する額から大きく目減りすることがないかどうか。10年、20年先を想定した売却のみならず、「最終的に高齢者施設に入ることを考えたら、家を売って少しでも施設費の足しにできた方がいい」と考える人もいるという。 先行き不透明な時代だからこそ、それだけ後悔しない買い方を求める人が増えているのかもしれない。家を買うことにも、これまで以上に戦略が必要な時代だといえそうだ。(松岡かすみ) >>【11月28日10:00公開】それでも夫婦は東京に家を買う#5

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    「授業準備は5分」に「小学校をなめているのか」 公立教員残業代訴訟の「仕分け」に教員ら困惑

     公立小学校教員が未払い残業代を求めた訴訟で、司法が勤務時間外の労働時間を仕分けた。現場の実態や価値観と合わないチグハグさが、大きな波紋を呼んでいる。AERA 2021年11月29日号の記事を紹介する。 *  *  * 「翌日の授業準備は1コマ5分」「保護者対応はしません」──。もしそんな小学校教員が子どもの担任だったらどうだろうか。一方でその教員は「扇風機の清掃とビニール掛け」「エアコンスイッチ入り切りの記録」には時間を割いている。冗談に思われるかもしれないが、こんな教員が全国で増えても不思議でない状況が生まれているのだ。  10月1日、全国の教員が固唾(かたず)をのんで見守った裁判の判決が出た。埼玉県の公立小学校教員の田中まさおさん(仮名・62)が、時間外労働に対して残業代が支払われないのは労働基準法違反だとして、県に未払い賃金の支払いと国家賠償を求めた裁判だ。教員の慢性的な長時間労働は残業代が発生しないことが元凶とし、歯止めをかける狙いだった。だが、さいたま地裁は訴えを退けた。  公立学校教員の給与は、1971年に制定された教職員給与特措法(給特法)で規定されている。教員の仕事は裁量が大きく特殊だとして、月給の4%分の教職調整額を支給する代わりに、残業代を支払わない。ただし、制定にあたり長時間労働を招く懸念の声があったため、残業させられるのは、校外実習、学校行事、職員会議、非常災害の「超勤4項目」に限った。 ■「自発的行為」なのか  ところが、田中さんは月平均約60時間の残業のうち、9割が4項目以外の業務だと主張。しかも、それらの業務は必要に迫られて行っているのに、教員が好きで勝手にやっている「自発的行為」と見なされ、賃金の対象外にされているのは「おかしい」と訴えているのだ。  これに対して地裁は、田中さんが提出した残業の内容を「労働時間」か否かに仕分けし、時間数も計算。その結果、時間外の労働時間を認めたものの、未払いの残業代の支払いについては給特法が適用されるとして棄却。国家賠償についても、賠償に値するほどの時間量でないとして認めなかった。  その仕分けの一部を抜粋した。これが公開されるや大きな波紋を呼んだ。とりわけ教員から困惑の声が多く上がったのが、「翌日の授業準備は1コマ5分」が相当とする判断だ。  50代の女性教員は言う。 「小学校をなめているのかと思いました。例えば理科の実験授業があるときは、予備実験をします。児童は毎年違うため、同じ実験でもやり方を変えるのです。こうした地道な準備を通して、私たちは授業の質を保ちます。司法にこんなことを言われて、文部科学省や教育委員会は抗議しないのでしょうか?」  労働時間か否かを分かつ大きなポイントとなったのが、校長の指示や命令があったかだ。  SNSには「『労働時間でない』と司法が線引きした残業についてはやらない。断ることだ」「これからはひとつひとつの業務について、校長に『それは命令ですか?』と確かめる必要がある」といったような教員の声が見られた。一方、「労働時間として認められないからといって『保護者対応も教材研究もやりません』なんて無責任なことを教員はできない。それを見越して、つけ込まれている」のようなジレンマの声も少なからずあった。 ■未来の教員にも影響  判決の影響は、教員だけでなく、教員志望の若者にも及んでいる。教育学部3年の女子学生(22)は、高校3年のとき勉強の悩みから学校に通えなくなった時期があった。どん底から救ったのは丹念に話を聞いてくれた教員の存在だった。それが、教職を目指す動機になっている。 「恩師が朝に夕に私にしてくれたことは、今回の判決の理屈でいくと『労働時間とみなされない、好きでやっているボランティア』と判断される可能性が高く、悲しくなりました。恩師に連絡すると『教師の本分だ。構わない』と言ってくれました。その代わり『本分でない仕事は減ってほしい』とも言っていました。恩師は過重労働でメンタルを病み、一時期休職をしていました。国は本気で、教員や教員志望者が安心して働ける労働環境を作ってほしい」(女子学生)  司法上の手続きとはいえ、教育現場の実態や価値観と合わない、この仕分けのチグハグさは何に起因するのか。田中さんの証人として、意見書を提出した埼玉大学の高橋哲准教授(教育法学)は、次のように説明する。 「『翌日の授業準備1コマ5分』というのは、裁判官が主観で決めたもので、教育の専門的見地からではありません。教員のモチベーションやモラルを低下させる可能性は否めません」 ■残業は「無賃強制労働」  一番の問題は、児童の提出物のペン入れや保護者対応など、教員の核心といえる業務が勤務時間内にできず、時間外に押しやられている点だ。 「例えばアメリカの学校では、保護者対応の時間を1週間に80分、勤務時間内に確保しなければいけないなどと決めています。教員のコアな業務については、標準時間を定め、勤務時間内に時間を確保できるよう労働環境を変えていかなければいけません」(高橋准教授)  裁判を起こした田中さんが、教員になったのは81年。このころは児童が下校したあと翌日の授業準備をし、定時で帰れた。状況が変わったのは、2000年ごろからだ。校長の権限が強化され、職員会議が校長の補助機関に変わった。それまでは、職員会議でさまざまな業務について話し合いで決めていたが、今は意見を言う教員はほとんどいない。業務量はどんどん膨らみ、勤務時間内に終えられなくなった。 「英語、プログラミング、コロナ対応……新しい仕事がどんどん降ってきます。校長は、残業の指示や命令はしていないと裁判で述べましたが、勤務時間内に終えられないほどの量があり、残業を余儀なくされているのです。残業は“自発的行為”という名のもとの『無賃強制労働』です」(田中さん)  16年の文科省の調査では、小学校教員の3割、中学校教員の6割が、過労死ラインとされる月80時間以上の残業をしている実態が明らかになった。 「若い女性教員が、今の働き方では『子どもを産み育てることはできない』というのを聞いて、ショックを受けました。今の労働環境を若い教員たちに引き継いではいけないと思い、訴訟を起こしました」(同)  田中さんは一審を不服として控訴した。二審は早ければ年内か年明けに、東京高等裁判所で開かれる見通しだ。今回の判決を受けて、田中さんの支援事務局が始めた署名は4万筆以上集まった。裁判費用のクラウドファンディングも目標の200万円に到達しそうな勢いだ。 ■部活も時間外に重負担  支援事務局を立ち上げたのは、東京学芸大学4年の石原悠太さん(24)。4人の学生で運営している。石原さんは言う。 「この裁判は僕たちにとって他人事ではありません。既に教壇に立っている仲間もいます。労働環境を改善し、より良き教育につなげていきたいです」  一審は敗訴となったが、画期的な前進もあった、と前出の高橋准教授は指摘する。 「これまでの裁判では、教員の残業は『自発的行為』として労働時間が一切認められませんでしたが、今回、初めて労働時間が認められました。これによって教員も1日8時間を超えて勤務させられた場合は、違法になる可能性が出てきました」  かねて中学や高校では部活動の時間外労働の負担の重さに、多くの教員が声をあげてきた。もし訴訟を起こした場合、どうなるのだろう。田中さんの代理人の若生直樹弁護士は言う。 「今回の判決を前提に見た場合、まず部活動は学校教育の一環として学習指導要領に位置付けられています。このため校長が部活動指導を当該教員に任せていた実態が認められれば、教員が自主的に行った活動とはいえず、労基法上の労働時間と判断される可能性があります。長時間の時間外労働が認定されれば、国家賠償の対象になる可能性も十分あると考えられます」  文科省は、取材に対して「学校における働き方改革を一層進めていく。給特法については、来年度実施する勤務実態調査の結果を踏まえ検討する」と答えた。全国の教員の残業代を仮に支払うとなると、年間約9千億円と試算されている。もはや細かな施策で解決できるレベルを超えている。新政権の本腰を入れた取り組みが問われている。(編集部・石田かおる)※AERA 2021年11月29日号

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    2万円近く年金が増えた! 意外と知らない厚生年金「経過的加算」

     簡単に年金を増やせるのに、なぜかほとんど知られていない制度がある。厚生年金の「経過的加算」がそれ。一定の条件の60歳以上の人が会社で働けば、それだけで1年で約2万円も年金が増えるのだ。しかも、今の50歳代以上ならほぼ全員が使えるという。年金世代、準備世代必読! *  *  * 「よし、予定どおり順調に増えている」  10月初旬、今年度の「ねんきん定期便」が自宅に届いたとき、記者はこう感じた。定期便のある部分の金額が昨年より約1万9400円も増えていたのだ。 「それにしても、1年でこんなに増えるとは……。すごい威力だ」  記者は62歳。出向元の会社の定年が数年前、60歳から65歳に延びたため、今も勤務を続けている。  金額が増えた定期便の「ある部分」とは、65歳以上の老齢厚生年金の欄の「経過的加算部分」(以下、経過的加算)と書かれているところだ。ここ数年の推移をみると、60歳になった19年はわずか「337円」だったのが、昨年20年は一気に「約1万5300円」になり、今年はそれが「約3万4700円」になった。確かにこの1年で2万円近く増えている。  実はこの「経過的加算」こそ、現在の50歳代、60歳代が60歳以降に年金額を一番簡単に増やせる方策なのだ。しかし、この制度、残念ながら一般人の間での知名度はほぼ「ゼロ」。いったい、「経過的加算」とは何なのか。  それを知るには年金の歴史を振り返る必要がある。  厚生年金ができたのは第2次世界大戦中の1944年にまでさかのぼる。戦後の混乱期を経て54年に法律が全面改正され、今に至る厚生年金の基礎ができた。老齢年金は「定額部分」と「所得比例部分(現在の報酬比例部分)」の2階建てという形ができたのだ。  その後、高度経済成長を経て年金額はどんどん上がっていき、再び86年に大改正を迎える。この改正では全員共通の「老齢基礎年金」が新設された。支給開始年齢は高齢化に合わせて60歳から65歳に引き上げられた。  年金の世界では86年より前の法律を「旧法」、後を「新法」と呼んでいる。厚生年金は旧法では「定額部分+所得比例部分」だったのが、新法では「老齢基礎年金+報酬比例部分」に変わったわけだ。  しかし、この定額部分と老齢基礎年金、計算方式の違いなどで、少額だが微妙に定額部分のほうが高くなってしまうのである。となると、厄介な事態が生じる。  新法で支給開始は65歳からに変わったが、激変緩和措置で60歳代前半は「特別支給」という形で、これまでと同様、60歳から定額部分を含む厚生年金が支給されていた(現在、「特別支給」は廃止途上)。すると、65歳になって定額部分が老齢基礎年金に切り替わったときに年金額が下がってしまう。  そこで、その減額分を補填するために考え出されたのが「経過的加算」である。要するに、その差額を補填するのだ。  老齢基礎年金は20歳から60歳までの40年間の加入で、一方、厚生年金の定額部分は会社に勤めた全期間だ。従って、「経過的加算」の対象期間は二つの重なる部分、「20歳から60歳までで会社に勤めていた期間」になる。そして老齢基礎年金の加入期間40年に合わせて、「経過的加算」の計算では定額部分は「480カ月(40年)分」が上限になっている。  しかし、これだと、もともと二つの差は少額だから「経過的加算」は大きな金額にはならない。ところが、ここに「空白」ともとれる期間が存在する。「20歳前」と「60歳以降」の期間である。この期間に定額部分が480カ月に届いていない人が会社で働くと、定額部分のみがどんどん膨らんでいくのだ。それは、「経過的加算」が増えていくことにほかならない。  これが、記者のように60歳代で会社で働いている人に起きている現象だ。今受給を開始する人たちには60歳代前半の定額部分は支給されていないが、65歳のときに改めて計算されて「経過的加算」が支給され続けている。  それでは、なぜ、今の年金世代は定額部分が480カ月に届いていないのか。これこそ今の50歳代以上に共通した現象だ。この世代が若いころは、20歳以上の大学生は年金制度への加入が義務付けられていなかったのだ。  会社に入って厚生年金に加入して初めて公的年金制度に関わる、こんな人がほとんどだった。すると、ストレートに大学まで卒業しても約2年、浪人や留年をしたりすると3~4年、40年に足りなくなる。そんな人が60歳を過ぎて会社で働くと、それだけで480カ月に達するまで「経過的加算」が増えるのである。  大学生が強制加入になったのは91年4月から。従って、これ以前に20歳になった大学生、つまり「71年4月1日以前」に生まれた人(今の50歳以上)に特有の問題だ。  1カ月の定額単価は「1628円」(今年度の価格)。1年会社で働くと、それだけで約1万9500円(1628円×12カ月)年金が増える。例えば5年足りない人が60歳代で5年働けば、約9万7500円も増える計算だ。  成り立ちからわかるように、「経過的加算」の1年分は国民年金に1年加入して獲得できる老齢基礎年金(約78万円÷40年)とほぼ同じだ。だから、40年に足りない人が定額部分が480カ月になるまで働いたとすると、満額の老齢基礎年金をもらうのと同じ効果が得られる。足りない分を「経過的加算」で穴埋めしたことになる。  また、働いている間は厚生年金の保険料を納めているので、本来の老齢厚生年金(報酬比例部分)も増える。月給20万円の人が1年働くと約1万3100円、同30万円だと約1万9700円。「経過的加算」と合わせてダブルに増えるのだ。 「経過的加算」は「定額」ゆえに給料の低い人ほど恩恵が大きくなることも覚えておきたい。例えば、月給10万円の人が1年働くと、報酬比例部分は約6500円しか増えないのに、「経過的加算」は同じ1年で2万円近く増える。だから40年に足りない女性がパートで働いて厚生年金に加入する場合などに、一番効果が大きくなる。  いずれにせよ、年金制度への加入期間が40年に足りない人には、ぜひ知っておいてほしい制度である。きっと実践し始めると、記者のように定期便を見るのが楽しくなるはずだ。(本誌・首藤由之)※週刊朝日  2021年12月3日号

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