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悠仁さまの「トンボ」好き、進学に適した大学は? 東大、東農大などの他に明治大も
悠仁さまの「トンボ」好き、進学に適した大学は? 東大、東農大などの他に明治大も
秋篠宮家の長男・悠仁さま  ちょうど、昨年のいまごろ、秋篠宮家の長男・悠仁さまの進学先が「筑波大付属高等学校」なのではないかと話題になった。子どもの成長は早いもので、高校に入ったばかりかと思っていたら次の進路の話が出てくる。筑波大付属高校に通う悠仁さまも同様、大学進学先が色々と取りざたされている。 *  *  *  悠仁さまは、2013年にお茶の水女子大学附属小学校にご入学された。現行の皇室典範の下で、皇族が学習院初等科以外の小学校に入学されたのは初めて。中学校もそのままお茶の水大学付属中学校に進んだが、高校からは女子のみとなるため、昨年末から「悠仁さまの進学される高校は?」と話題になった。  筑波大付属高校への入学は、中学まで通っていたお茶の水女子大附属との『提携校進学制度』を使える最後の年が悠仁さまの進学時期と重なり「悠仁さまのために設けられたような制度」と憶測を呼んだ。  結局進んだ先の筑波大付属高校は、在校生の6割が東大を受験し、毎年30人程の東大合格者を輩出する名門。悠仁さまの進学先の候補の一つに東京大学という名が浮上してもおかしくはない。  このことに、象徴天皇制に詳しい歴史学者で名古屋大学人文学研究科准教授の河西秀哉氏は「大前提として、皇族であっても学びたいことがある学校に進むというのは大事なことだと思います」としたうえでこう話す。 「一般的に東京大学などの高い学歴を目指すときにはステップアップなどの目標や目的があると思うんですが、皇位継承順2位で将来天皇陛下になるであろう方が、そうしたステップアップの必要はないため、あえて目指さなくてもいいのではという思いもあります。将来の天皇陛下になるであろう人物が、ある種の受験競争を助長する、学歴の序列を肯定するような行為を示すのは、ちょっと違うのではないかと考えるからです」(河西准教授)  あくまでも学歴や肩書きとしてトップの大学を目指すのでなく「学びたいことがそこにあるならそれはそれでいい」と続けてこう話す。 赤坂御用地を秋篠宮さま、紀子さま、佳子さまとともに散策する悠仁さま。身長は秋篠宮さまを抜いてしまいそうだ 「学びたいことが東大にある可能性は高いんです。東大には日本や世界の第一線で活躍する先生たちがたくさんいらっしゃる点など、そういう意味では学びたい学問があるのかもしれない。高校に進学するとき『提携校進学制度』の話題が浮上しましたが、もし東大に進むのであれば、学歴社会を強化するというのではなく学びたいことがあったことなどを秋篠宮家なり、宮内庁から国民に説明なさったほうがいいのかもしれません。もし、悠仁さまがこれまでの皇族の多くが学んできた学習院大学に進学するならばそこまでは求められないかもしれませんが、新しい進学先を考える場合、説明をしないと様々な疑念を生んでしまうかもしれません。」(河西准教授)  進路を選択するうえで、興味・関心の分野は大きなポイントだ。悠仁さまのお誕生日である今年9月6日、宮内庁のホームページに皇嗣職名で「悠仁親王殿下16歳のお誕生日に当たり」と題する報告が公開された。高校に入ってバドミントン部に入ったとか夏季休暇は学校行事で蓼科山に登ったなど、16歳らしい姿がうかがえる報告であるが、そこに多くの記述があるのが、かねて悠仁さまがご興味があるとされている「トンボ」だ。 【学校以外の時間には、トンボ類をはじめとする生き物の生息環境の調査や、野菜や稲の栽培などに励んでおられると伺っております。小学生のときからご関心をお持ちだったトンボ類の生息環境の調査は、とくに熱心に続けられています。高校に進学された今も、国立科学博物館が刊行した報告書(「赤坂御用地のトンボ類」国立科学博専報(39)2005年3月)をご覧になりながら、調査時に飛来していたトンボと現在見ることができるトンボの種類を確かめるなど、センサスを続けておられます。COVID-19の拡大により、赤坂御用地から外出しての調査が難しい状況がしばらく続きましたが、むしろ、身近な自然環境を見つめ直す機会を持たれ、そこに生きる虫や植物などの生物多様性の保全にも関心を広げられたようです。そのような場所に生息するトンボをはじめとする生き物の生息環境が良くなるよう、積極的に環境づくりに取り組んでおられます】(宮内庁ホームページより)  余計なお世話だが、トンボ好きに適した大学はあるのだろうか? 入試で活かされるかも気になるところ。大学入試に詳しい大学ジャーナリストの石渡嶺司氏に聞いた。 「トンボに関して、悠仁さまの論文等が高く評価された、または、コンテスト等で入賞したかどうかによって話が変わってきます。論文等が入賞・高評価ということであれば、東大推薦入試で合格、という可能性は十分にあるでしょう。皇室の方への忖度云々ではなく、東大が示す基準をクリアしているからです」(石渡氏)  では、東大以外では? 石渡氏は続けてこう話す。 「他の大学も、もちろん論文等の評価での推薦入試は同様です。ただ、悠仁さまからすれば、どの大学でもいい、というわけではなく、トンボの研究ができるかどうか、そこが大きいはずです。そうなると、トンボの研究が可能な農学部系統のある大学が有力です。東大農学部以外だと、明治大学農学部、東京農業大学農学部、千葉大学園芸学部、東京農工大学農学部、筑波大学生物資源学類、などが候補に挙がります。首都圏の大学にこだわらなければ、昆虫学研究に強い京都大農学部も有力候補となるでしょう。ここに挙げた大学いずれも、東大推薦入試と同様、論文・コンテストの高評価・入賞という実績、かつ、高校時代の評定平均が揃っていれば、問題ないでしょう。仮にですが、論文・コンテスト等での高評価・入賞がない、ということであれば、学校推薦型・総合型選抜ではなく、一般入試での受験となります」(石渡氏)  トンボに関して河西准教授は「トンボはそれはそれでいいのではないですか。お父さんである秋篠宮さまはナマズの生態研究ですし。好きなことをやったらいいのでは」としながら、最後にこう話す。 「例えば今の天皇陛下は天皇の歴史を学んできています。高校時代、学校の授業とは別に、先生をつけて学ばれた。大学の教授がいわゆる家庭教師として、昔の天皇はこのようなことをやっていたなどは学び、今に活かされています。悠仁さまも将来天皇陛下になるのであれば、トンボ以外にそういうことは学ばれるほうがいいのではと思います」(河西准教授)  今年もあと残りわずかで、年が明けると大学入試を皮切りに受験シーズンとなる。まだ少し先とはいえ、悠仁さまの進学先は絞られてくるのだろう。(AERAdot.編集部・太田裕子)
悠仁さま皇室秋篠宮家
dot. 2022/12/04 08:00
【追悼】渡辺徹さん「初めて買ったレコードは榊原郁恵さん」結婚30年夫婦インタビューで“告白”
【追悼】渡辺徹さん「初めて買ったレコードは榊原郁恵さん」結婚30年夫婦インタビューで“告白”
渡辺徹さん  俳優やタレントとして幅広く活躍した渡辺徹さんが11月28日、敗血症のため亡くなった。昨年、俳優生活40周年を迎え、まだ61歳という若さだった。妻の榊原郁恵さんとは、俳優とアイドルという人気者同士の結婚で、当時、大きな話題に。おしどり夫婦として知られた2人が結婚30年の節目となった2017年に、週刊朝日のインタビューにそろって答えた。2人が出会い、互いに感じたこととは……。内容を一部抜粋して紹介する。 *  *  * ――もともと渡辺さんは榊原さんの大ファンだったそうで? 夫:まさか自分が役者になるなんて、思ってませんでした。高校3年まで、弁護士になるつもりだった。 妻:私もそう。ホリプロタレントスカウトキャラバンで優勝するまで、幼稚園の先生になるつもりでしたね。 夫:人形浄瑠璃しか芸事の経験のない女子高生だったのに……(笑)。 妻:そう! 地元相模原に伝わる「相模人形芝居」を保存しようっていう先輩たちが、人形浄瑠璃の同好会をやっていて、面白そうだなと。だからスカウトキャラバンへの応募は、ほぼ、思い付き。その割には周囲の反対も押し切って。何だったんだろうな、あのパワーは。 夫:僕も進路を決める段になって考えたんですよ。確たる目標があって弁護士になりたかったわけじゃない。生徒会長として、県内の他校を巻き込んでの活動をしてたんですが、その経験がすごく充実していて。「何か、みんなで作り上げられる仕事がいい」って思うようになった。 妻:それでお芝居へ? 夫:一度だけ、地元のアマチュア劇団の手伝いをしたことがあったんだよ。老人ホームへの慰問だったんだけど、終わってみたら、おじいちゃんおばあちゃんが涙流してる。芝居の力ってすごいなあと。 妻:それでよく、文学座受かったねえ。 夫:もちろん、学校からも親からも大反対されましたよ。僕の父親はね、流しをやっていたんです。アコーディオンひとつで雨の日も風の日も、一曲20円ぐらいの商売で僕を育ててくれた。だから芸事の厳しさを嫌というほど知っていたんでしょう。そんな思い付きで役者を目指すなんてって、それは怒ってましたね。 榊原郁恵さん ――ファンだったはずなのに第一印象はがっかり? 夫:彼女のことは、テレビでよく見てました。大ファンっていうわけでもなかったけど、初めて買ったレコードは榊原郁恵さんでした。 妻:何買ってくれたの? 夫:「ラブリー・ポップ」。 妻:うわあああ! 恥ずかしい! 夫:レコードを予約するとポスターがもらえてさ。部屋に貼ってた。初めて会ったのは渋谷公会堂だったね。「ザ・トップテン」で。 妻:そうそう、堺正章さんと私が司会だったんです。 夫:こっちは郁恵ちゃんに会える!って、ドキドキだったんですけどね。廊下で「よろしくお願いします」ってあいさつしたら、軽く「あ、どうもー」って。 妻:覚えてないのよ、それ。 夫:郁恵ちゃんて、もっと「わーっ」って飛びついてきてくれるようなイメージだったのに。 妻:何、そのファン目線! 夫:がっかりしちゃった。 妻:この人はこの人で、とにかくチャラくて! 緊張のせいだか何だか知らないけど、突然チアガールの物まねとか始めちゃうんです。生放送なのに! 夫:ははは。 妻:チアガールのまんま、どんどんステージの先端まで行っちゃって。堺さんと「ありゃー、どうする? これ」って。 夫:世界が違いすぎて、どうしていいかわからなかったんですよ。だから手あたり次第、パントマイムやったりして。最初は、僕にはスタイリストさえいなかったんですよ。リハーサル後に「じゃあ、本番衣装に着替えてください」って言われても、着たきりすずめ。昼飯でしょうゆ飛ばしたジーンズのままで歌ったよね。 妻:この人、トップテンに3回、出てるんですよ。 夫:よく覚えてるね。 妻:それが、来るたんびにどんどん太ってくの! 夫:ははは! 妻:大抵、芸能界に入ると、どんどんシェイプされていくものなのに。どんだけお気楽な人なの?って思った。 夫:俺、痩せてたのって、ラガー刑事(「太陽にほえろ!」)の最初の半年だけですからね。もともとコロコロしてたんですよ。そもそもあの役は太ってるから選ばれたんです。ラグビーでしょ。五郎丸さん見てもわかるじゃない。 妻:がっしり、どっしりね。 夫:「次の新人刑事は額に汗して、走って走って犯人を捕まえるキャラにしたい」って言われて。じゃあ体力つけなきゃと思って、必死で走り込みしたら……。 妻:痩せて絞り込んだ状態でデビューしちゃった。 夫:みなさん、太った太ったって言うけど、元に戻っただけなんだよ!(笑)。 (聞き手・浅野裕見子) 【追悼】渡辺徹さん 夫婦インタビューで明かした「結婚してから、ほとんど共演してこなかった」理由に続く
渡辺徹
週刊朝日 2022/12/02 18:00
愛子さま21歳の誕生日 国民に愛される理由は「人見知りでも自然体で好印象」
愛子さま21歳の誕生日 国民に愛される理由は「人見知りでも自然体で好印象」
昨年20歳になり、成年皇族の仲間入りをした愛子さま。今年3月に行われた記者会見では緊張気味で初々しさがあふれていた  天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは1日に21歳の誕生日を迎えた。先日、佳子さまと雅楽を鑑賞なさったときの愛子さまは「所作が両陛下に似ている」と評判だったが、国民に愛される愛子さまの21年間をご家族の写真とともに振り返る。 *   *   *  11月5日、天皇皇后両陛下の長女・愛子さまが、宮内庁楽部による雅楽の定期演奏会をそろって鑑賞されたとき、SNSでは「お辞儀なさるときも丁寧に落ち着いたご様子で。学ぶことに対する熱心な姿勢は天皇皇后両陛下譲りですね」「愛子さまの所作が両陛下そっくり!」「敬宮愛子さま、出迎えた方々一人ひとりに丁寧に会釈されていて素敵だわ。天皇皇后両陛下の薫陶を受けていらっしゃる。所作が両陛下そっくりで美しい」との声があふれた。  写真を紐解くと、愛子さまに注がれた愛情と家族の仲むつまじい姿が見える。 【12月1日にご誕生された愛子さまと退院】 愛子さまを優しく抱っこして退院される雅子さま  2001年12月1日にご誕生され、8日に雅子さまと退院された愛子さま。ご誕生に際した記者会見で、パパになった天皇陛下(当時皇太子さま)は名前の由来にからめて、こう述べられた。 「愛子には1人の皇族として立派に育ってほしいですし、名前のように、人を愛して人からも愛され、人を敬い人からも敬われるような人に育ってほしいです」  名前の由来の通り、生まれてすぐにご両親からの愛情をたくさん受けた愛子さま。天皇陛下(当時皇太子さま)は分娩室で出産に付き添われ、その後もおむつ交換や沐浴など、よく子育てを手伝われイクメンだったそう。 愛子さまを抱っこするイクメンな天皇陛下(当時皇太子さま)と寄り添う雅子さま  また、母である雅子さまが後の記者会見で、愛子さまの誕生について語られたお言葉は、いまでも私たちの心にしみわたる。 「誕生を楽しみに思うと同時に、無事に出産できるまでは、と不安に思うこともありました。無事に出産できたときには、ほっとすると同時に、生まれた子どもの姿を見て、ほんとに『生まれてきてありがとう』という気持ちでいっぱいになりました。いまでもその光景ははっきり目に焼き付いています」  思わず涙がこぼれる雅子さまの背中に、天皇陛下(当時皇太子さま)が優しくさするように手をあてて励まされた。その手の温もりを受けて、「母親になって涙もろくなったようです」と笑顔を見せられた。さすが機転のきく雅子さま、すぐに場の空気を切り替えられた。 【3人の共通のスポーツと言えばスキー】 2005年2月、長野県の奥志賀高原でスキーを楽しむ雅子さまと愛子さま  長野県の奥志賀高原で、愛子さまは3歳の時に、天皇陛下(当時皇太子さま)に抱っこされてゲレンデデビュー!  雅子さまのスキーデビューも実は3歳だったそう。デビューはなんとモスクワ! 当時外交官だった父親の赴任先がロシア・モスクワだったからで、天皇陛下のスキーデビューは6歳。こちらは、赤坂御用地に積もった雪が初滑りだった。愛子さまは学習院女子高等学校の入学式でのスキー焼けの笑顔が印象的だ。 愛子さま学習院女子高等学校入学式。スキー焼けで満面の笑みが可愛らしい!  スキーだけでなく、天皇陛下、雅子さま、愛子さま全員スポーツ好き。愛子さまは20歳の記者会見でもこう明かしている。 「昔から体を動かすことが好きですので父と一緒に敷地内をジョギングしたり、以前は家族3人でテニスをしたり、現在は新型コロナウイルス感染症の感染対策を徹底しつつ、職員とマスクを着用したままバドミントンやバレーボールをしたりすることもございます」  ジョギング、テニス、バドミントン、バレーボール……なんともアクティブだ! そして、相撲観戦も! 【大相撲ファンの愛子さまと楽しそうな天皇陛下】 ご一家で相撲観戦。天皇陛下(当時皇太子さま)と何やらお話をされる愛子さまは本当に楽しそう  国技館に初めてお出ましになったのは2006年の愛子さまが4歳の時。このころから大相撲ファンというのは有名だ。天皇陛下(当時皇太子さま)と雅子さまの間に座る4歳の愛子さまの笑顔は、こちらも思わず微笑んでしまうほどだった。         13年ぶりの20年1月25日に相撲観戦されたときは、持ち込んだメモ帳に書き込みをしたり、八角理事長(元横綱北勝海)に「土俵の高さは何センチですか」と質問をされ関係者から笑みがこぼれたそう。このとき久しぶりの和服姿だった雅子さまの笑顔からも楽しまれていることがうかがえる。 【御養蚕では、天皇陛下と愛子さまはチェック柄かぶり】 22年6月11日、皇居内の紅葉山御養蚕所で天皇陛下、雅子さまと愛子さま  22年6月11日、天皇陛下、雅子さま、愛子さまはご一家揃って皇居にある「紅葉山御養蚕所」で養蚕の作業をされた。御養蚕は明治以降、歴代の皇后に引き継がれてきたもの。天皇陛下の希望で、今夏は家族揃ってとなったが、天皇陛下と愛子さまはカジュアルな服装で、そのシャツはチェックの柄かぶり! 柄が同じとは仲の良さがここでも垣間見られる。学習院初等科3年生以来、自ら蚕を飼育。10年以上にもわたり毎年、卵からふ化させて飼育されているそう。 【3年ぶりご一家揃っての公の場はコーデがリンク率高め!】 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」を鑑賞されに東京国立博物館に到着した天皇陛下と雅子さまと愛子さま  22年11月24日、天皇皇后両陛下と長女の愛子さまが、特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」を、およそ1時間半にわたって鑑賞された。  3人揃っての公の場は、20年1月の両国国技館での大相撲観戦以来のこと。天皇陛下と雅子さまの装いは色合わせなどリンクすることが多いと話題だが、今回の天皇陛下と雅子さま、そして愛子さまもリンク率高めだった。天皇陛下は黒いスーツに薄い水色ドット柄のネクタイ、雅子さまは淡い水色のパンツスーツ。愛子さまは薄水色に紺色のラインの縁取りが入ったノーカラージャケットにネイビーのスカートといういでたち。  10月22日、23日に沖縄訪問の天皇陛下と雅子さまとの色合わせやかりゆし姿のおそろいコーデも話題になったが、今回のご家族揃ってのコーデの統一感は、まさに仲の良さがにじみ出たものだった。昨年、20歳のお誕生日を迎え成年皇族の一員になられたときの家族のエピソードも仲良し家族である様子がうかがえた。 「両親との思い出といいますと、やはり私の学校の長期休みに出かけた旅行のことが真っ先に思い浮かびます」と語った愛子さま。ご静養先で「サーフボードに天皇陛下と雅子さまと愛子さまで3人で座るチャレンジ」で、まさかの海にドボン! そんなほほ笑ましいエピソードを披露した。思い出話の締めには「お話しし始めると日が暮れてしまうかもしれません」とユーモアでまとめるところも天皇陛下譲りなのかもしれない。  こうしたエピソードも含め、なんともほほ笑ましい愛子さま。元宮内庁職員で、『いま知っておきたい天皇と皇室』(河出書房新社)の著書がある皇室解説者の山下晋司さんは愛子さまが愛される理由をこう分析する。 「雅楽鑑賞のとき、明らかに緊張しておられたところが、かえって自然体でした。今年3月の20歳をお迎えになっての記者会見でも、話し方、表情、そして緊張されているところも含めてとても自然体でした。無理に笑顔を作ろうとして口角を上げたりするなど作ったところが全くなくて『素の愛子さま』という印象がとても良かったのでしょう。この記者会見で、ご自分の性格を『人見知りなところがある』と話されました。お小さいころから人見知りなところがあると聞いておりましたので、皇室の方が人見知りなのはいかがなものかと思っていました。しかし、記者会見でのご様子からもわかるとおり、公務に支障が出るほどの人見知りではありませんし、その性格も含めた自然体にむしろ国民は親しみを感じるのではないでしょうか。ですから今は人見知りのままでいいのではないかとまで思っています」(山下晋司さん)  21年間をご自身のペースで自然体に歩まれてきた愛子さま――21歳のお誕生日も天皇陛下、雅子さまとご家族揃って成長を祝い、楽しまれることだろう。(AERAdot.編集部・太田裕子)
天皇陛下愛子さま皇室雅子さま
dot. 2022/11/30 07:00
『silent』ロケ地巡りに全国からファンが殺到 目黒蓮の“号泣スポット”で泣き崩れる女性たち
上田耕司 上田耕司
『silent』ロケ地巡りに全国からファンが殺到 目黒蓮の“号泣スポット”で泣き崩れる女性たち
耳が聞こえないことを告白した想が、フェンスにしがみつきながら号泣した場所。墨田区から来た高校1年生は同じポーズで号泣を「追体験」していた(画像は本人提供)  毎週木曜22時から放送中の川口春奈主演のドラマ『silent』(フジテレビ系)の勢いが止まらない。  民放公式テレビ配信サービス「TVer」では、第4話が配信後1週間で582万再生を記録。TVerで配信された全番組の最高記録を更新した。さらにツイッターでは「#silent」が国内トレンド、世界トレンドともに1位となるなど大きな反響を呼んでいる。  それに伴い、ファンによるドラマのロケ地巡りも過熱。地方から『silent』のロケ地巡りのために東京へ旅行に来る人も多いという。  その足跡をたどるため、筆者もドラマでたびたび登場する小田急線の世田谷代田駅に向かった。  同駅の西口改札を出たとたん、若い女性たちがスマホで撮影する光景が目に飛び込んできた。ドラマで見た駅の茶色い壁の前で、女性たちが代わる代わる記念写真を撮っている。ここは川口春奈が演じる青羽紬(つむぎ)が、3年前に別れた元カレの佐倉想(目黒蓮)に会いたくて,あてどなく待ち続けた場所。壁の前で記念撮影をしていた18歳の女子高生はこう話す。 「今日は、ロケ地巡りのために三重県からパパと来ました。私はSnow Manが好きで、目黒蓮君のファン。ドラマを見始めたら、ハマッちゃいました」 紬が想を待っていた世田谷代田駅西口の壁の前。写真は、三重県から来ていた女子高生(撮影/上田耕司)  通学する高校でも、今もっとも熱い話題なのだという。 「毎週、感動して大号泣。次の日は目をパンパンに泣きはらしながら学校へ行っています。友達にも勧めまくっていて、『あのシーン良かったよね』と私の話を聞いてもらっています」 紬が落としたイヤホンを、想が拾った世田谷代田駅前のベンチ。写真は、三重県から来ていた女子高生(撮影/上田耕司)  駅前には、想が座ったベンチがある。ここで、想は紬の落としていったイヤホンを見つけ、拾い上げる。このベンチも観光スポットのひとつになっている。同駅の駅員はこう話す。 「『silent』の効果で、乗降客が増えました。特に若い女性の2人組が多く、明るい時間から陽が沈むまで、女性同士で写真を撮っている方が多いですね」  駅から歩いて2~3分のところにある公園には、弧を描く円形のベンチがある。ドラマの中では、このベンチに座った、鈴鹿央士が演じる戸川湊斗が、紬にコーンポタージュを渡すシーンがある。 世田谷代田駅近くの公園のベンチ。このベンチで湊斗は紬に、「パンダ スペース 落ちる」と検索するように言う。写真は墨田区の高校1年生(撮影/上田耕司)  このベンチに行くと、女性2人組がまさに“缶のコンポタ”を持って座っていた。2人は墨田区内の高校1年生だという。 「本物のコンポタは、フタ式なんで、ちょっと形が違うんですけど、似たようなものを探して買ってきたんです」  と1人が笑って見せてくれた。 「Snow Manが好きで、ドラマを見て、毎回キュンキュンしています。先の展開がわからないのもドキドキしますね」  ベンチの近くには、第1話で想がフェンスをつかみながら泣き崩れるシーンの撮影場所がある。 「私もフェンスにつかまりながら、しゃがみ込みました。同じ格好をすることで、雰囲気を追体験したかったんです」(前出の高校1年生)  ベンチがある公園に続く「代田富士見橋」も定番の人気スポットとなっている。 世田谷代田駅近くの代田富士見橋。写真は、都内大学の保育学科に通う女子大生3人組(撮影/上田耕司)  想は3年前、付き合っていた紬と理由を告げずに別れている。橋の上で、想は耳がだんだん聞こえなくなったことを、初めて手話で紬に告白する。多くの人が涙したであろうシーンだ。  その橋の上で撮影していた3人組の女性たちは都内の大学1年生。口々にこう話した。 「放送のあった翌日の金曜日に大学へ行くと、『泣いた?』と言うのがしょっぱなのあいさつ。見ていないと言ったら、のけ者ですよ(笑)」  3人組の1人は、「『silent』が楽しみで生きています」と絶賛する。 「最近のドラマとはちょっと違う。ベタな恋愛ドラマに飽きちゃっているので、『silent』は新鮮です。音のない静かな世界で、手話で会話するからこそ、伝えたい感情がリアルに映像に出てくる感じがいいんですよね」  もう一組、豊島区から来ていた幼なじみという女性2人組にも話を聞いた。そのうちの25歳の女性は、紬になりきって撮影したと話す。 「私はSnow Manの目黒君が好きなので、橋の上でも、紬目線で、スマホを目黒君がいる方向に向けて撮りました」  前述のように、「TVer」の再生数は第4話が歴代最高記録を更新した。その第4話で、紬と湊斗が広場で、通りすがりの犬の散歩の飼い主に「(犬を)ワシャワシャしていいですか」と話しかけ、犬をなでる場面がある。ちょうど、夏帆が演じる奈々と想もその近くを歩いていて、湊斗と想の目が合うというシーンだ。 シモキタ雨庭広場。ロケ地巡りに来ていた女性2人は、ドラマで紬がよく着ているブルー系のニットを着ていた(撮影/上田耕司)  このシーンが撮影されたのは、世田谷代田駅から下北沢駅まで歩く途中にある「シモキタ雨庭広場」。この広場に、青いニットのセーターを着た女性2人組がいた。実は、2人とも青い服を着ているのには理由がある。 「青いセーターは川口春奈ちゃんがドラマの中で、毎回のように着ているから。でも私たち2人して青のカーディガンだとちょっと恥ずかしいかなと思って、私だけは上に黒のコートを羽織ってきました」  確かによく見ると、ロケ地巡りをしている人たちの中には、青のニットを着ている女性の姿をちらほら見かける。服装も似せて、ドラマを追体験したい人が多いのだろう。 「ビオ オジヤン カフェ 下北沢店」。店長によると売り上げは170%にアップしたという(撮影/上田耕司)  そこから、下北沢駅まで歩き、駅近くの喫茶店「ビオ オジヤン カフェ 下北沢店」に向かった。第2話で、想と奈々が手話で会話したシーンで使われた店だ。案の定、放送後は大反響だったと斉藤友明店長が明かす。 「放送の翌日には、『ここですよね』と言って、多くのお客さんが来てくれました。放送前に比べて、売り上げが170%くらいになりました」  放送後、ドラマで使われた席はあえて空席にしているという。 ドラマで使われた「ビオ オジヤン カフェ 下北沢店」の席。あえて空席にしているという(撮影/上田耕司) 「誰か座ってしまうと、空くまで取り合いになってしまうので。空席にしておけば、お客さんが好きに写真を撮れますから」(同)  もうひとつ、外せないカフェがある。下北沢駅から京王井の頭線に乗り3つ目、神泉駅から徒歩8分ほどのところにある「Anea cafe 松見坂店」だ。現地に着くと、夕方なのに店の前には長い行列ができていた。筆者も最後尾に並んだが、お店に入れたのは1時間10分後。待っている間、後ろに並んでいた横浜市の高校2年生・中村百花さん(16)に話を聞いた。 「この店ではカフェラテを注文すると、(頼めば)ラテアートでsilentと書いてくれるので、それを注文したいと思って来ました。『silent』は同級生もめっちゃ見てますし、今、一番話題になっています」 「Anea cafe 松見坂店」では依頼をすれば「silent」のカフェアートをしてくれる(撮影/上田耕司)  このカフェはドラマで毎回のように登場し、想と紬が重要な話をする時の待ち合わせ場所でもある。それゆえ、いつも行列ができる人気店となっているが、ドラマ席に座るには事前の予約が必要だ。 「Anea cafe 松見坂店」のドラマ席に座っていた千葉県の29歳女性。お店に「100回くらい」電話をして席をゲットしたという(撮影/上田耕司) 「すでに予約で一杯です。次に予約が解放されるまで空きがありません。(空き状況は)インスタのストーリーでお知らせします」(店員)  この日、予約席に座っていたのは、千葉県から来た福祉関係の会社に勤める女性(29)。同僚の女性(24)と来店していた。やはり1人は青のニットセーターを着ている。 「ドラマ席は、1カ月くらい前に電話で予約しました。最初は店に電話してもつながらなくて、100回くらい電話しました(笑)。ドラマ席でなくてもどうしても来たかったので、今月初めにはオープン前から4時間くらい並んで入ったこともあります」(29歳女性)  ドラマ席の座り心地はどうだったのだろうか。 「やっぱり、この席で想と紬が会っていたんだと思うと、独特の雰囲気を味わえますね。ファン心理としては、やっぱり『ドラマと同じ席で同じことをしたい』という願望があります。私は手話は全然できないんですが、ドラマで出てくる手話は自然と覚えちゃいました。『探す』とか『片思い』とか。生まれながら耳が聞こえない奈々を演じる夏帆ちゃんの演技は、普段から手話を使っているのかと思わせるくらい上手ですね」(同)  最後に訪れたのは、紬がアルバイトをしている「タワーレコード渋谷店」。店の前で、大阪からやってきたという25歳の女性2人組に出会った。 紬がアルバイトをしている「タワーレコード渋谷店」(撮影/上田耕司) 「とりあえず、紬が勤めているタワレコにやってきました。今から世田谷代田のロケ地巡りをしようと思っています。私は役者さんのファンというよりも、ドラマの物語性が好きです。紬が想の下の名前を初めて呼んだシーンの細かい演出やメッチャきれいな映像に感動しました」  タワレコに入ると、Snow Manのブースにドラマのバックで流れるスピッツのCDが並べてあった。結成35周年のスピッツも再注目されているようだ。  放送を重ねるごとに「聖地」となっていくsilentのロケ地。しばらくはファンが押し寄せる状態が続くだろう。(AERA dot.編集部・上田耕司)
silentロケ地川口春奈目黒蓮
dot. 2022/11/28 11:30
認知症を予防する食生活とは?「15のチェック項目」と適した食べ物を伝授
認知症を予防する食生活とは?「15のチェック項目」と適した食べ物を伝授
写真はイメージです  将来自分は認知症になりたくない、または親や祖父母に認知症にならないでほしいと願う人は多いでしょう。年を取るとある程度仕方ないことではありますが、最近では研究が進み、生活習慣や食生活を見直すことで認知症になりにくくできることが分かってきました。今回は、「認知症予防と食」というテーマでお伝えしていきます。(管理栄養士 岡田明子) 認知症は脳の病気や障害などが原因で起こる  厚生労働省によると、日本における65歳以上の認知症の人数は2020年時点で約600万人、2025年には約700万人が認知症になると予測されています。これは、高齢者の約5人に1人が認知症になるという数字です。  老化による単純な物忘れとは異なり、認知症とは、脳の病気や障害などさまざまな原因により認知機能が低下し、日常生活全般に支障が出てくる状態のことです。記憶力を中心に、知覚力、会話能力、問題解決能力、判断力などの認知機能が低下し、日々の仕事や買い物、食事の準備、着替え、入浴などの生活機能が持続的に支障をきたしている状態をいいます。 日本では高齢化の進展とともに、認知症の人も増加している 出典:政府広報オンライン 認知症の原因となる主な脳の病気 【アルツハイマー病】 脳の海馬などの神経細胞が死滅することで脳が委縮し、認知機能が低下していく病気です。初期段階では、記憶障害、意欲の低下などから始まります。 【脳血管性認知症(血管性認知症)】 脳卒中で脳の神経細胞が障害を受け認知機能が低下していきます。行動や考えが遅くなる、意欲低下、無関心などとともに手足の麻痺などを合併する場合もあります。 【レビー小体型認知症】 大脳皮質の神経細胞が徐々に死滅し、認知機能が低下していきます。現実にはないものが見える幻視、幻覚、筋肉のこわばりなどパーキンソン病の症状や、自律神経障害、物忘れなどさまざまな症状があります。 認知症の原因となる病気 出典:政府広報オンライン 生活習慣病や睡眠障害と認知症の関係  高血圧症、糖尿病、脂質異常症などの生活習慣病の改善は、認知症予防において重要なポイントです。心疾患は、脳血管性認知症のリスクを高めます。また、中年期(40~64歳の25年間)からの高血圧症や糖尿病、脂質異常症は、脳血管性認知症だけではなく、アルツハイマー型認知症の発症リスクを高めると言われています。生活習慣病がある方は、医療機関を受診し、適切な治療を受けましょう。  また、生活習慣病の主な原因として肥満が挙げられます。肥満の基準を定めたBMIが25以上の方は、食習慣を見直して健康的な減量に取り組みましょう。  また、睡眠障害やうつ病は、アルツハイマー型認知症の発症リスクを高めると言われています。まずは、それを改善するために医療機関で相談することから始めましょう。 認知症予防と食  認知症予防のための食事の基本は、栄養バランスがとれた食事です。普段の食生活を、以下のチェック項目で確認してみてください。 認知症予防のための食事チェック15項目・1日3食、欠食しないように食事がとれている・主食、主菜、副菜をそろえたバランスの良い食事がとれている・主食(ご飯やパン、麺類)は毎食摂取している・肉を2日に1回は摂取している・魚を2日に1回は摂取している・乳製品(牛乳やヨーグルトなど)を1日1回は摂取している・大豆製品(豆腐や納豆など)を1日1回は摂取している・野菜、海藻類、きのこ類などは毎食2皿、摂取している・果物を週に何回かは摂取している・水分を1日に1~1.5リットル位は摂取している・塩分を減らすように心がけている・お菓子は食べ過ぎないように注意している・アルコールは飲みすぎないように注意している・なるべく自炊するように心がけている・食べることを楽しんでいる  チェックが付かなった所を意識することで、食生活の改善ポイントが明確になります。チェックが増えるよう、日々の食生活を見直していきましょう。 認知症予防のために食べたいものは? 【野菜や果物】 野菜や果物は、抗酸化作用のあるビタミンCやビタミンE、βカロテンやポリフェノールを多く含みます。野菜は1日350gを目標に取りましょう。1食で野菜のメニューを2皿摂ることを意識して、2皿のうち1皿は、色の濃い野菜(ブロッコリー、ピーマン、ニンジン、カボチャなど)を意識して食べるようにしましょう。 【青魚】 サンマやサバ、アジなどの青魚は、血液を固まりにくくする働きのある、DHAやEPAなどの不飽和脂肪酸を多く含みます。2日に1回は、魚料理を取り入れていきましょう。 【良質な植物油】 えごま油や亜麻仁油、オリーブ油、くるみやアーモンドなどのナッツ類は、動脈硬化を予防する働きのある、オレイン酸やリノレン酸を多く含みます。減量中でも、良質な油を使用してサラダのドレッシングにしたり、間食にナッツを取り入れたりして適量を摂取していきましょう。  食事のメニューを考え、買い物に行き材料を選び、自分で調理するといった行為は脳を活性化させます。気分転換や、生活の張りにもつながり、認知機能を維持する効果も期待できます。食べることや、作ることも楽しみましょう。日々の食事を見直し、楽しみながら買い物に行ったり、調理をしたり、楽しく食べることは認知症予防につながっていきます。身近なところから認知症予防に取り組んでいきましょう。 岡田明子管理栄養士同志社女子大学管理栄養士専攻卒業後、高齢者施設に勤務し、利用者の食事管理を行う。その後ダイエットサプリメント会社の立ち上げに関わり、自身の13kgのダイエット成功経験をいかして「食べてキレイに痩せる」ダイエットメソッドを確立。その後、独立しヘルスケア関連を中心にレシピ監修や商品開発、講演や執筆活動、テレビなどのメディア出演などを精力的に務めるほか、個人への食事サポートも行い、ダイエットなどに悩む方への個々の生活習慣に合わせた的確な指導に定評がある。食事アドバイスサポート実績は延べ1万人に及ぶ。2014年一般社団法人NS Labo(栄養サポート研究所)を設立し、栄養士、管理栄養士をサービスパートナーとして、健康事業のサポートとヘルスケア分野で活躍できる人材育成を行っている。著書に『朝だから効く!ダイエットジュース』(池田書店)がある。
認知症
ダイヤモンド・オンライン 2022/11/27 12:01
辻村深月×加藤シゲアキ 作品の文庫化は「いよいよ手を離れる緊張感がある」
辻村深月×加藤シゲアキ 作品の文庫化は「いよいよ手を離れる緊張感がある」
対談では文庫ならではの「解説」についても思いを語り合った。誰に書いてもらうかは悩ましく、解説は一つのご褒美のようでもあるという/photo 写真映像部・東川哲也 hair & make up 松橋亜紀(辻村さん) KEIKO(Sublimation)(加藤さん) styling 吉田幸弘(加藤さん)  著作『傲慢と善良』、『できることならスティードで』がそれぞれ文庫化した辻村深月さんと加藤シゲアキさん。作品の魅力と文庫ならではの楽しみを語り合った。AERA2022年11月28日号の記事を紹介する。 *  *  * ──人気小説を次々と世に送り出す辻村深月さんと、アイドルでありながら作家としても活躍する加藤シゲアキさん。二人が著作の文庫化に伴い、作品の作り手として、そしてお互いの作品の読み手として、じっくり語り合った。共感に次ぐ共感で盛り上がった対談とは──。 辻村深月(以下、辻村):雑誌連載、単行本化を経て文庫化する時って、いよいよこの小説が自分の手を離れるんだという緊張感があると同時に、文庫は長く残るし、広く読まれるという嬉しさもありますよね。 加藤シゲアキ(以下、加藤):今回、『できることならスティードで』は単行本から約2年半後の文庫化なんです。 ■書き手としての誠実さ 辻村:『傲慢と善良』は3年半後の文庫化なので、私より1年はやいですね。 加藤:エッセイ集だし、世相の反映もあるので、「はやく出そう」と言われました。 辻村:物理的な移動のある旅だけでなく、時間というものの旅だったり、ちょっとした非日常的な体験だったりもあって、読者としていろんな旅を体験できました。私は、最終章をどう書くか迷ったり考えたりしている文章がすごく好きでした。一冊の本になる時にどういうものを届けたいか深く考えていらして、エッセイの書き手としての加藤さんの誠実さがすごく出ていました。 加藤:本当ですか。嬉しいです。 辻村:印象的だったのは、ふたつの別離について書かれた章です。お祖父さんとの別離と、ジャニー喜多川さんとの別離。 加藤:どちらも最初は、書いていいのか迷いがありました。祖父のことを書いたのは、祖父が喜ぶだろうな、という思いがありました。もともと、ブログで祖父が亡くなる前に見舞いに行った話を書いたことがあったんです。その話を完結させることが祖父に対する弔いになるだろうと思いました。亡くなったジャニー喜多川(前)社長については、ジャニーズ事務所に所属していて、書く仕事をしている僕が書かないのも無責任な気がしたんです。(前)社長はものを作る、言葉にするという姿をずっと見せてくれていたから、それに対して作品で返すのが弔いなのかな、と思って。 辻村:個人的な出来事をこの形で読ませてくれるのか、と読者として感激しました。 『できることならスティードで』/大阪やパリ、スリランカ紀行から、 故ジャニー喜多川氏との思い出や学校の意義を問う思索まで、広義の“旅”をテーマにした著者初のエッセイ集。文庫版あとがきも収録。解説は朝吹真理子氏。(photo 写真映像部・上田泰世) ■筆のノリが分かる 加藤:僕は辻村さんの『傲慢と善良』を最初、恋愛小説かと思って読んだんです。そうしたらめっちゃミステリーでしたね。結婚願望が強くなかった架(かける)というもうすぐ40歳になる男性が、婚活アプリで出会った真実という女性とつきあいはじめるんですが、彼女はストーカーに追われているという。そんな真実が失踪して、架は彼女を捜すために、彼女の実家や友人たちを訪ねていく。そうして真実の実像がだんだん分かってくるわけですが、僕、最初は、すごく主人公の架に共感したんですよ(笑)。 辻村:おお。 加藤:架はめっちゃできるタイプで、モテなくないタイプで、でも手痛い失恋もしているっていう。絶妙にモテる感じに共感しましたなんて、あまり言いたくないんですけれど(笑)。 辻村:あはは。 加藤:共感したなんていうと、それこそ「傲慢」じゃないですか(笑)。 辻村:架は絶対にモテる男性にしようと思っていました。書いていてめちゃくちゃ楽しかったです。文庫化の際に読み返しても、自分の筆がノッているのが分かるんですよ。 加藤:なんでですか。ややモテる男が苦悩するのが楽しかったんですか(笑)。 辻村:ふふふ。架がなんでモテるかっていうと、鈍感だからなんですよね。 加藤:ああ、たしかに架は傲慢であると同時に、鈍感ですよね。鈍感ってある意味、図太いというか、強いじゃないですか。それが処世術に繋がっているというか。 辻村:そうなんですよ。でも架は鈍感だからこそ、真実の気持ちを考えずに、この子はずっと自分のそばにいるだろうと思いあがってしまっていたんですよね。過去に一度手痛い振られ方をしているうえに、さらにこういう事態にならないと気づけないのか、っていう。真実も気が弱いようでいて強いわけですが、そういう子は多いですよね。 ■正直、もどかしかった 加藤:真実はアクセルとブレーキのかけかたが下手っていうか。もっとギアチェンジをうまくやればいいのに、いきなり5速に入れてる印象です。ちゃんと言葉で言ってくれないと、気持ちを察するなんて無理だなって僕は思ってしまいました。プロローグが真実目線で書かれているから、彼女の内面がすごく煮えたぎっているのは読者には分かるけれど、でもそれをちゃんと言わないと、架には伝わらないよ、って。 『傲慢と善良』/婚約者・坂庭真実が姿を消した。その居場所を捜すため、西澤架は、彼女の「過去」と向き合う。恋愛、そして人間を描き切り、生きていくうえでのあらゆる悩みに答えてくれる作品。解説は朝井リョウ氏。(photo 写真映像部・上田泰世) 辻村:もどかしかったですか。 加藤:正直、もどかしかったです。ちゃんと伝えてくれずにああいうことをされると、男は本当につらい!(笑) 辻村:女子の「言わなくても気づいてほしい」と男子の「言ってよ!」のすれ違いですよね。婚活に限らず、誰かを選んだり、誰かと誰かを比べる行為ってしんどいなと思うんです。今回、文庫化にあたって、巻末解説を朝井リョウさんにお願いしたんですね。そうしたらその解説が絶妙で、「解説を誰に書いてもらうか選ぶのは難しい」というような話から始まるんです。たとえば、カズオ・イシグロには頼めない、とか。 加藤:高望みするなってことですね(笑)。 ■相手を選ぶ解像度 辻村:断られるのが分かっていますよね。そこから、これは相手を選ぶことの解像度を高めた小説だ、ということを書いてくださったんですけれど、小説で選ぶ難しさを書いている作家も、誰に解説を書いてもらうか相手を選んでいるのだという鋭い指摘で、もう、著者の私にも刺さりまくりました(笑)。 加藤:朝井さんらしい。『できることならスティードで』の解説は朝吹真理子さんにお願いしました。朝吹さんの作品が好きだし、ご本人も旅のエッセイを書かれているので。 辻村:文庫って、巻末に解説がつく楽しみがありますよね。自分に対するご褒美みたいに思っています。 加藤:それもあわせて、読者の方にも、文庫版を楽しんでもらえたら嬉しいですね。 (構成/ライター・瀧井朝世)※AERA 2022年11月28日号
AERA 2022/11/26 12:00
杉並区長が作家・中島京子に語った「決まったなら仕方ない、というあきらめが日本に蔓延」の真意
杉並区長が作家・中島京子に語った「決まったなら仕方ない、というあきらめが日本に蔓延」の真意
岸本聡子・杉並区長(左)と作家の中島京子さん(撮影/写真映像部・加藤夏子)  これからの地方自治と未来、分断の行方などについて、岸本聡子・杉並区長と作家・中島京子さんが語り合った。本誌インタビューでは掲載しきれなかった、2人の思いを紹介する。 *  *  * 問題を「課題」と捉えること 中島:この10年くらい、「いいことがない」というか、未来を明るく考えられませんでした。選挙も、気分としては負け続けでしたし。 岸本:そう感じている人は多かったと思います。 中島:でも今回、岸本さんが僅差であっても当選してくれたことで、希望を感じました。同じ気持ちになった人は区民に限らず、たくさんいると思います。岸本さんの本、『私がつかんだコモンと民主主義』や『水道、再び公営化!』を読んだとき、「未来があるかもしれない」と励まされたんですよね。さらに杉並区長となった岸本さんが、区の仕事にやりがいを感じているとうかがって、嬉しくなりました。杉並区民かどうかに限らず、「未来を考えるための明るい要素」ができたと感じています。 岸本:中島さんがおっしゃった、「希望」や「未来」は、キーワードだと思います。だって、今は本当に暗い時代じゃないですか。 中島:海外では戦争も起こっていますし。 岸本:それにコロナも続いています。10年前には東日本大震災があり、原発事故も起こりました。この10年は本当に酷い時期だった。国際的にも2008-9年にはリーマンショックが起こり、世界的にも危機の連続だったんですよね。 中島:ヨーロッパでもイギリスのブレグジットがあって、EUが壊れていくようでもありました。各国で、極右勢力が台頭してきましたし。 岸本:ロシアによるクリミア併合もあり、とうとう戦争にまでなってしまった。しかもこの3年間はパンデミックで、未曾有の経験です。 中島:世界中がどん底にいるような感じですよね。 岸本:私、子どもたちのことが本当に心配なんです。今、10歳の子どもは、うまれてからずっと大変だった歴史しか知らない。20歳の人だって、成長期の記憶が暗い10年しかないわけです。  私は48歳なんですが、大学を卒業した頃から小泉純一郎さんによる新自由主義の労働改革が始まって、働きたくても不安定な非正規雇用が常態化してしまいました。私の世代も子どもたちも希望がない中で生きてきたんですよね。とはいえ希望がないことについては、自分の世代の責任も非常に強く感じています。私たちの世代にも希望は必要だけれど、若い人たちがもっと希望を持てるような社会であってほしいんです。 中島:世界的に問題が多いですが、日本はとくにジェンダーギャップ指数が低かったり、福島第一原発の廃炉も目処が立たないなど、環境問題も深刻です。 岸本:問題が山積していますよね。でも、一方で希望と課題は結びついていると思うんです。  中島:問題を課題としてとらえなおす――ということでしょうか。 岸本:はい。女性の生きにくさの問題や気候変動問題は「危機でもあり希望でもある」んですよね。そこをつないでいくのが政治の役割だと思います。日本はジェンダーギャップ指数が146カ国中116位だけれど、同時に「変えていける」という希望があるじゃないですか。実際に変わらなくてはいけないし、多くの人が変わりたいと思っている。それこそが力だと思いますし、気候変動問題も同じです。そうした課題を杉並区に重ねていったらどうなのかな?と、思うと、ワクワクしてくるんですよ。 杉並区長 岸本聡子さん(48)/1974年、東京都生まれ。アムステルダムを本拠地とする政策シンクタンクNGO「トランスナショナル研究所(TNI)」に2003年から所属。現在は退職(撮影/写真映像部・加藤夏子) 作家 中島京子さん(58)/1964年、東京都生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒。出版社勤務、フリーライターを経て、2003年『FUTON』で小説家デビュー(撮影/写真映像部・加藤夏子) 中島:区長選のとき、バルセロナ市長から応援のメッセージが来ていましたよね。「地方自治を通じて、日本と世界の都市がつながるということもあるんだ」という視点をもらって、それも希望のひとつになりました。 岸本:国政選挙と地方自治、どちらが大事ということではないのですが、「子どもや福祉、環境問題など、自分が関わることで希望が生まれそうなのは地方自治のほうかな」と思ったのは確かですね。かといって、国をあきらめてもいません。有権者としては、絶対にあきらめないのはもちろんです。 中島:岸本さんのお書きになった『水道、再び公営化!』で、パリ市で民営化した水道が大問題になって再公営化するときに、すでに実践していたグルノーブル市がノウハウをシェアしてくれたことを知りました。公共事業にすると変なお金の使いかたがなくなるので、結果として料金が安くなる――とか、とても大事な視点です。「水をどうするか」はあらゆる人に関わる問題。いきなり国政を動かせなくても、自治体の経験が国の方針を決めることにつながるかもしれません。 岸本:「水はコモンズ(公共財)の象徴」なんですよね。同時に、保育園や公園、図書館なども、みんなで運営して使っているコモンズと言って良いと思うんです。なかでも図書館は、とても大事にすべき象徴的なコモンズだと思います。 中島:図書館は誰もが無料で「知」にアクセスできる、素晴らしいものです。 岸本:地域のなかの知の拠点であり、私たちの知る権利を保証するインフラが図書館です。だから図書館を例にあげて考えるとわかりやすいんですが、そこで働く司書さんたちは非正規雇用なんですよ。 中島:やりがい搾取になっていますね。 岸本:練馬の司書さんがストライキを起こそうとして話題になりましたが、本が大好きだから資格をとって、図書館で働きたい人がたくさんいらっしゃる。でも実際には図書館で働く方の多くは非正規雇用です。 中島:人と本をつなげる場所、子どもたちの居場所にもなっている図書館は、とても大切なはずなのにおかしなことです。 岸本:私はコモンズやケアの大切さにこだわりたいんです。たとえば杉並区の自校式の学校給食は素晴らしいんですが、調理業務の大半は委託なんですよ。私が子どもの頃は「給食のおばさん、おじさん」が作っていたけれど、今は企業で雇用された方が作っています。 中島:図書館や学校・病院は、みんなが使い、そこで暮らす人すべてが恩恵を得るものです。保育園を直接、使っていなくても、地域にあるから働ける人がいて、まわりまわって暮らしている人たちに還元されていく――コモンズのありかたこそが大切ですね。 岸本:ケアに関する仕事――保育士、介護福祉士、社会福祉士、図書館司書、学校の先生などは、人と向き合う大事な職業です。同時にCO2をほぼ出さない仕事でもあるんですよ。社会でとても重要なケアの仕事が非正規化され、コストカットの対象になってきたのは大きな問題だと思いますし、今の社会を特徴づけている傾向です。さっき中島さんがパリ市の水道についておっしゃったように、社会にとって大切な仕事について、働く人達や利用する人、そこで暮らす人がみんなで考えていくことを、地方自治の場から始めていきたいんです。 岸本聡子・杉並区長(左)と作家の中島京子さん(撮影/写真映像部・加藤夏子) 中島:ここ数年、私がショックを受けてきたのは「同じ時代に生きて、同じ経験をしてきたはずなのに、見えている風景がまるで違う人がいる」と、感じる出来事が増えたことです。まるでパラレルワールドを生きているようで、そうした人と対話ができるのだろうか、と、考えるようになりました。 岸本:先ほど「暗い10年があった」と言いましたが、その期間は「分断の10年」だったのかな、と思うんです。 中島:東京オリンピックや安倍さんの国葬についても、まさに市民が分断されましたね。 岸本:杉並区もまさに、児童館の廃止や道路の拡張をめぐって、分断が起こっていました。いつも丁寧な議論はありませんでした。決まってから発表して強行する。議会もその方針を認めると、行政(役所)は執行機関ですから、実行せざるをえません。リーダーシップの問題があるんです。 中島:区長さんの権力は大きいんですね。 岸本:やろうと思えば、行政というのはものすごいスピードで進めることができます。けれど、ゆっくりとみんなで議論することが大事じゃないでしょうか。「確かに子どもの数は減っているね」「居場所の形は変わったほうがいいかもしれない」「じゃあどんな形がよいんだろうか」、いろいろなファクターがあるなかで、私たちは何を選び取りたいのか、対話を重ねることが大切です。話し合い、決めていくためにはみんなが情報を持っていなくてはできません。簡単な正解はないかもしれないけれど、地道なやりかたが、中島さんがおっしゃる「パラレルワールドの進行」を止めることになるんじゃないか、と思います。 中島:そうですね。 岸本:問題は、たとえば「道路の拡張の是非」じゃないんですよ。「どういう道路が必要なのか」をみんなで話すことが大事なんです。そうした当たり前のことを言って、とくに若い人が意見を言う場があることが対話につながるし、分断を乗り越えていくんじゃないでしょうか。 岸本聡子・杉並区長(左)と作家の中島京子さん(撮影/写真映像部・加藤夏子) 中島:今、うかがっていて、マイナンバーカードのことが思い浮かびました。利便性や懸念について具体的な説明がないまま、いきなり「保険証と一体化します」と、結論だけが発表されましたよね。デジタル化することでメリットがあるのかどうか、自分が納得できないまま強引に推進されると、東京オリンピックや国葬が強行された記憶から、何かが隠されているんじゃないか、と疑心暗鬼になってしまう。「利権があるのか?」とか。 岸本:オリンピックもあとから汚職が出てきましたからね。 マイナンバーカードに限ったことではありませんが、国家と個人の間には信頼関係が必要です。その信頼を作るために、国家は説明を尽すために、物凄く努力をしなくてはいけないはずなんです。権力を持っている者は、どのレベルであっても説明し、対話し、そのための土俵を作り続ける責任があります。それができない人に権力をもたせ続けてはいけないんです。 中島:そうですよね。これまであまりに説明なしで「閣議決定で決まった」と大事なことを決めてきた人たちが言うことを、簡単に信用はできません。その、有権者の不信感を理解せずに強行していくって、もう独裁政権ですよね。 岸本:問題は、そうした状況について「おかしい」と怒る人がマジョリティではないことです。「決まったなら仕方ない」といったあきらめが日本に蔓延していて、その人達は政治に関心を持てず、選挙にも行かなかったりする。さまざまなレベルで分断が起こっていて、たとえば労働者も分断されています。区役所で働く人も4割が会計年度任用職員という名の非正規雇用の人達です。正規職員の補助的な仕事で給与体系が異なる有期雇用です。しかし、例えば人手が足りてない職場では非正規職員でも能力のある人は正規職員と同じような仕事をしていることもあると聞きます。そういう問題も具体的なレベルで解決したいと思っているんです。 中島:岸本さんの行動力は、それこそ希望です。所信表明演説で「杉並区版パートナーシップ制度の年度内の条例化を目指して準備を進めていきたい」と話していらして、そこに事実婚も入っていたのが、とても嬉しかったんです。私とパートナーは事実婚なんですよ。 岸本:そう、今日は家族についてもお話したいな、と思ってきました。中島さんが小説でお書きになってきた、家族の形についてもお聞きしたかった。私も家族のありかたについて考え続けてきたので、次にお会いした時はぜひ、お話させてください。 (構成 ライター 矢内裕子)  ※AERAオンライン限定記事
AERAオンライン限定
AERA 2022/11/26 07:00
女子ゴルファーの稼ぎは“男勝り” 今季最も稼ぐ山下美夢有はJリーグならトップクラス
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女子ゴルファーの稼ぎは“男勝り” 今季最も稼ぐ山下美夢有はJリーグならトップクラス
賞金額が日本人としては初となる2億円を突破した山下美夢有  山下美夢有が国内女子ツアーの伊藤園レディスゴルフトーナメント(11月11~13日/千葉県/グレートアイランド倶楽部)で今季4勝目を挙げ、史上最年少(21歳103日)での年間女王を確定させた。  昨年にルーキーシーズンながら初優勝を果たした山下。今季5月のワールドレディスチャンピオンシップ サロンパスカップでは初メジャータイトルを獲得し、トップ5入りも17回と抜群の安定感を見せた。年間女王は今季からメルセデス・ポイントによって争われることとなったが、賞金額も2億円を突破。これは2015年のイ・ボミ以来の快挙で、日本人では初の達成となった。(2シーズン合算の20-21シーズンを除く)  3月の開幕からほぼ休みなく大会が開催される国内女子ツアーの賞金総額は上がり続けている。今季は全38試合が組まれ、賞金総額は42億9600万円で過去最高だ。今週の最終戦JLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ(11月24~27日/宮崎県/宮崎カントリークラブ)を残した段階で1億円以上稼いでいる選手が7名おり、これも過去最多となる。  そもそも、一昔前まで賞金女王争いの1つのターゲットとなっていた1億円が初めて突破されたのは2000年。この年、6勝をマークした不動裕理が1億2000万円を獲得し、初の大台突破となった。  激しい競争がある個人競技ながら現役期間が長いこともあり、「稼げるスポーツ」というイメージもあるゴルフだが、日本のなかで規模の大きいプロスポーツであるプロ野球、Jリーグなどと比較をしてみるとどうだろうか。  日本で最も市場規模が大きいプロスポーツであるプロ野球の年俸をみてみると、もっとも高いのは楽天ゴールデンイーグルスの田中将大投手の9億円(金額は推定)。福岡ソフトバンクホークスの柳田悠岐が6億2000万円、読売ジャイアンツの坂本勇人らが6億円で続いており、国内スポーツの中では群を抜いている。  ちなみに、プロ野球の年俸ランキングに山下の賞金額(約2億円)を当てはめてみると約40位ぐらいとなる。外国人選手も含めて、1億円プレーヤーはプロ野球に120名近くいるとみられており、いかにプロ野球の年俸水準が高いかがわかるだろう。  続いて、市場規模2位のJリーグをみてみよう。Jリーグの最高年俸はヴィッセル神戸に所属するアンドレス・イニエスタの20億円。これは日本のプロスポーツにおける最高年俸であるが、世界的なスーパースターを獲得した経緯なども含めて“例外”として扱おう。  しかし、イニエスタを除くと、2位の大迫勇也(ヴィッセル神戸)は4億円と高額だが、3位の酒井高徳(ヴィッセル神戸)は2億円であり、Jリーグのランキングに当てはめると、山下は上位に位置する。また、Jリーグにおける1億円プレーヤーは外国籍の選手も含めて30名程度いるが、日本人選手では昌子源、宇佐美貴史(ともにG大阪)、家長昭博(川崎)、酒井宏樹(浦和)ら日本代表クラスの選手の年俸がちょうど1億円であり、女子ゴルフのトッププレイヤーは稼ぎ的にはJリーガーに負けないともいえる。  他の競技では、市場規模3位となっているBリーグ(バスケットボール)の最高年俸は富樫勇樹(千葉ジェッツ)の1億円と、こちらではむしろ上回っている。  これらの数字をみても、ゴルフという競技は、一部トッププレーヤーにとっては国内スポーツの中でも高いお金を手にすることができるスポーツであることがわかる。しかし、野球やサッカーなどチームスポーツは、トッププレイヤーが複数年契約を結ぶことが多いのに比べ、ゴルフは個人競技であるが故に毎年が勝負であるため、単純比較するのは難しいだろう。  国内女子ツアーがこれ以上試合数を大幅に増やすことはスケジュールの関係上現実的ではないように見えるため、これからも賞金額を増やしていくには4日間大会の増加などを視野に入れる必要が出てくるだろう。さらなる賞金アップへ向けてはハードルもあるが、女子ゴルフ人気はさらに増しそうな雰囲気もあり、今後どれだけ女子ゴルファーが“稼ぎ”を増やしていくか楽しみでもある。
ゴルフ
dot. 2022/11/25 18:00
人の心にすーっと入ってくる不思議なファンタジー 芸人・漫画家・矢部太郎
矢部万紀子 矢部万紀子
人の心にすーっと入ってくる不思議なファンタジー 芸人・漫画家・矢部太郎
映画「探偵マリコの生涯で一番悲惨な日」(2023年公開予定)の撮影現場で(撮影/篠塚ようこ)  芸人・漫画家、矢部太郎。佐藤さんや鈴木さんには理解していただけないかもしれないが、同じ苗字の筆者は矢部という名字の人と会うと、こそばゆい。あまり多い名字じゃない者同士だからだと思う。クラスに矢部さんがいたこともないし。という話を、初対面の矢部太郎にしたところ、「僕は、あります」と小さい声で返ってきた。そんな感じの全編だ。(文・矢部万紀子) *  *  *  10月21日に発売された矢部太郎(やべたろう)(45)の最新刊『楽屋のトナくん』は、動物たちが主人公。サルのアーコ、スカンクのポール、ラッコのらっ子師匠……。動物園に所属する彼らの、楽屋の日々が描かれる。 『大家さんと僕』『ぼくのお父さん』を描いてきた矢部にとって、初めての「僕」も「ぼく」も登場しない漫画。とはいえ主人公トナくんはトナたろうだからトナカイの太郎で、優しくまじめで内省的な性格とくれば、どうしても矢部と重なる。 「そう読んでいただいてもありがたいのですが、もうちょっと何か、僕の中で何年もかけて沈殿して、抽象化されたというか、普遍化されたというか、そういうものを描いています」  誰もが持つ悩みのようなものを入り口に描いている、と矢部。だからだろう、女優・江口のりこは帯に、こんな感想を寄せている。 <中年の私に響く、笑えて、寂しい、変な漫画>  らっ子師匠と、その弟子らこ助&小らこのお話を紹介する。兄弟子・らこ助は完璧に師匠をサポートするが、笑いをとるのは弟弟子・小らこ。結局、らこ助は引退を選ぶ。引き留めるトナたろうに、らこ助は「才能」について語り、去る。トナたろうの心の声。<らこ助さんは もう戻ってこない たしかなものなんてなくて いつまでも変わらないものもない でも… だから… 前をむいていくしかないんだと思います きっとどこにもないから いつもの楽屋なんて>  生々流転(しょうじょうるてん)。週刊誌「モーニング」の連載時、ここを読んでこの言葉が浮かんだ。すると8月末、『楽屋のトナくん』発売を告知する矢部のツイッターが。 <誰にでもきっとある大切な場所で続いていく日々のお話です。はじめて終わらないマンガを描いています。第一巻ですが、最終巻でもいい! そんな気持ちです。日々とはそういうものだと思うからです> ■入江君に誘われて入った お笑いの世界に迷い込む  矢部に会い、我が意を得たりと「生々流転」を語った。返ってきたのは、「1巻だけど最終巻くらい(の作品)だと言いたくて、それだけだと宣伝っぽいので、いろいろ文章を足したんです」。 「探偵マリコの生涯で一番悲惨な日」には矢部太郎役で出演(撮影/篠塚ようこ)  肯定され過ぎと感じると、冷めた反応をする。それが矢部だという話は後述する。こう続けた。 「年齢もあって、いろいろな別れもありました。変化は続いていくし、そう思えば結局は今しかない。生々流転、しっくりくるかもしれないです」  トナたろうは、よく屋上に行く。楽屋に自分の居場所がないと感じると、行く。 <今日の失敗もちっぽけに思えてくるなあ… 大きな空が僕の楽屋だ>  油断すると、泣かされる。罪深きトナくん。モーニング編集部の担当である加藤大(44)は、「ほんわかしたタッチで、エンターテインメントの厳しさを描いている。そのギャップが心をつかむのだと思う」と言った。そしてこんな分析も。 「お笑いの世界にちょっと迷い込んでしまった人が観察している。そんな感じのする作品だと勝手に思っています」 「迷い込んだ」が腑(ふ)に落ちるのは、しのぎを削るお笑いの世界で矢部がすごく珍しいタイプだから。例えば矢部は毎週水曜日、UTY(テレビ山梨)の「スゴろく」に出演している。2016年、「ウッティタウン6丁目」でレギュラーになって以来の出演だ。なのに、こんなふうに言う。 「東京から通わせてもらっていいのだろうかというような気持ちは、あります。疑いなく全ての場面で自分が中心になってフィットする人もいると思うけど、僕はそうじゃないなって。そんなことずっと感じているかもしれない」  高校の同級生・入江君に誘われて、この世界に入った──。矢部はいつもこう説明する。都立保谷高校の文化祭で「コントをしよう」と誘われた、と。なぜ、矢部をお笑いの世界に誘ったのか、入江慎也(45、ハウスクリーニング会社「ピカピカ」社長)に聞いた。  入江の語りは明るかった。ひばりが丘パルコが高1の時にできて、そこに集まっていたら矢部も来て、保谷高校の“ギャル四天王”の一人と矢部はつきあっていて、矢部は時事ネタで笑いを取っていたけど、自分の方が面白いと思っていて……。青春グラフィティーに苦さが加わったのは、「天才たけしの元気が出るテレビ」のオーディションから。合格し収録に行ったら、ビートたけしがいじったのは矢部。「僕が応募したのに何で、って」 ■「滑稽は悲しみと表裏」 生きるリアルさがある  卒業し、大学と専門学校と進路は分かれたが、お笑いは続けた。「いいとも言われなかったけど、嫌とも言われなかったから」と入江。渋谷公園通りの劇場にネタを見せに行ったことがきっかけで、在学中に吉本興業へ。「入ってから、矢部って面白いんだと気づきました。テレビに出てからは、もう嫉妬ですよね」 毎週水曜日は「スゴろく」出演のため甲府へ。中央のメインMCケンキからは「太郎ちゃん」と呼ばれている(撮影/篠塚ようこ)  テレビとは、「進ぬ!電波少年」。01年、「○○人を笑わしに行こう」という、矢部が外国語を覚える企画が始まった。マンションの一室に“軟禁”されてのスワヒリ語学習から始まり、モンゴル語、韓国語、コイサンマン語と11カ月で4カ国語を身につけた。有吉弘行ら人気者をたくさん生んだ番組だが、ブームは過ぎていた。矢部の企画も視聴率はさほど上がらなかったが、出演後、カラテカの仕事は増えた。それまでただ楽しいだけだったお笑いが、この番組で変わったと、矢部。 「お笑いは仕事で、一生続くんだと思うようになりました。責任感も芽生えたんでしょうね」  一方、そんな生活を続けたことの影響も出た。 「入江君にもマネージャーにも性格が変わったと言われました。もともとあったかもしれないですけど、内省的になったということかと思います」  マネージャーとは、現・興行会社スラッシュパイル社長の片山勝三(48)。吉本興業入社2年目の1998年に、カラテカのマネージメントを買って出た。面白いことを考え出す矢部の力は卓越していたから「電波少年」で上昇気流に乗れると思っていた。だが1年近いブランクで「矢部の(笑いの)触覚が鈍ってしまった」と片山。そこからカラテカには遠回りさせたと後悔を口にする。  間もなく片山は、矢部に気象予報士の受験をすすめる。07年、3回目で合格すると、すぐにお天気キャスター・矢部をテレビ局に売り込んだが、うまくいかなかった。「お天気は、女子に教えてもらいたいんでしょうね」と片山。  一方で矢部に俳優の仕事が増えていく。04年・三谷幸喜作の大河ドラマ「新選組!」、06年・映画「晴れたらポップなボクの生活」、08年・つかこうへい作・演出「幕末純情伝」で土方歳三役に抜擢(ばってき)される。  つかは「さんまのスーパーからくりTV」に出ている矢部を見てオファーした。カラテカで5年以上、「前説」の仕事をした後につかんだ出演だった。公演の記者会見でつかは「矢部さんは、悲しいのがいい」と言った。それがつかとの初対面。 「滑稽は悲しみと表裏というか、僕の中にあるそういう部分を見つけてくださった。滑稽であればあるほど、フリになってペーソス(悲哀)につながる。出演して、その構造を体感しました。芸人としての僕の表現があったから広がるんだ。そういう気持ちになりました」 『大家さんと僕』もこういう体験があったから描けた、なかったら面白さを追求したギャグ漫画にしたかもしれないし、そもそも大家さんの良さが見えなかったかもしれない。そうも語った。 クリーニングの袋のままの衣装を持ってスタジオ入りした(撮影/篠塚ようこ)  役者としても活躍する吉本興業の板尾創路(59)は、映画も撮る。監督作品「月光ノ仮面」(12年)、「火花」(17年)に矢部を起用、個人的にも親しい。「板尾さんと親しいのが、矢部の笑いのセンスの証し」と言ったのは片山だが、板尾は「矢部に面白さは当然あります。でも僕は笑いより被写体、役者としての期待の方が強い」と言う。そして、矢部の魅力を「ファンタジー」と表現した。 「男なのか女なのか、一瞬わからなくなるんですよ。おじいちゃんでもおばあちゃんでもあり、おっさんでもおばはんでもあり。そうかと思うと子どもみたいで。現実は40を越したおっさんで、その上、すーっと人の心に入ってくる。そういう不思議なファンタジー」  カメラ越しの矢部は違和感を放ち、それが生きるリアルさと感じられ、目が追ってしまうと板尾。その存在感はどこから来たのかと問うと、「頭の良さ、そして体形ではないか」と返ってきた。 「体力も腕力もないからいじられて、強いやつに押さえつけられて、そんな青春やったと思うんです。その積み重ねが彼の中に溜(た)まって、ちょっと歪(ゆが)みかけて、バネになっていると思います」 “いじられ芸人”として納得のいかない扱われ方も多かったはずで、言い返すかわりに人を観察してきただろう、と板尾。「だからあいつ、世間に対して、厳しいときは厳しいですよ」  重なったのが、片山が口にした「黒矢部」という表現。ダークな、野心的な側面もあって矢部なのだ、と。そして板尾と片山に共通していたのが、漫画家としての成功は必然だったということ。 ■みんなが出るから出る 徒競走もM-1も違和感 「負けず嫌いの矢部がふつふつと、いつか、いてこましたる、と思っていたと思う」と片山。板尾は「芸人としては『いじられ笑われる』という関係性が固まっていて、俳優の仕事もオファーを待つしかなく、どちらも自分ではコントロールできない。そこに漫画という自分で勝負できるものが見つかった。方向を定め、あとは結果を出したということでしょう」  お笑い界で勝負といえば、M-1グランプリだ。入江によれば「(予選に)出たい入江」対「出たくない矢部」で、よくもめたという。「俺ら、芸人だろ」の入江に、矢部は「違うところで戦ってもいいんじゃない」。入江は一人芸のR-1に出ることにした。「芸人のふりをするのが、矢部は好きじゃないんで」  矢部に聞くと「出ましたよ、何回か。もともと芸歴が長いんで、そんなに出られないっていうか」  肯定され過ぎと感じるとクールになる、と最初の方にも書いた。質問の意図の単純さを警戒するのだろう。複雑ゆえに、矢部は用心深い。クールに反応してから、少しずつ答える。 「みんなが出るから出るというのは、すごく違和感があります。得意だったら出たかもしれないですが、得意じゃないですし」  ネタ作りは好きだと言っていたが、と食い下がると、「小学校の時に、徒競走っていうんですかね」と話を始めた。「途中で走るの、やめたんです」と。  何年生だったかは記憶がないが、親にも先生にも怒られた。「並ばされて走ってるけど、何をしてるんだろって思っちゃって。そういうことを感じる局面、今でもいっぱいありますね」  背が低い自分に徒競走は勝てない。M-1も見たら感動するが、自分向きでない。何より、同じルールで競い合う、そういうもの全般に馴染(なじ)めない。そんな話をポツリポツリと続けた。そして、 「自分のことは、ちょっと批評的に見たいなと思っているかもしれないですね」  こういう矢部を、板尾が適切に表現した。 「矢部太郎はある意味、矢部太郎のプロですよ」 (文中敬称略) ※記事の続きはAERA 2022年11月28日号でご覧いただけます。
現代の肖像
AERA 2022/11/25 18:00
杉並区長・岸本聡子×作家・中島京子「地方自治は日本の政治を変える希望になる」
杉並区長・岸本聡子×作家・中島京子「地方自治は日本の政治を変える希望になる」
地方自治の課題やこれからの希望について語り合った岸本聡子・杉並区長(左)と作家の中島京子さん(撮影/写真映像部・加藤夏子)  これからの地方自治と未来について、岸本聡子・杉並区長と作家・中島京子さんが語り合った。AERA 2022年11月21日号の記事を紹介する。 *  *  * ──今年6月、岸本聡子さんは、その差187票という激戦を制して、杉並区長に当選した。同区初、東京都でも史上3人目という女性区長の誕生だった。  ちなみに東京都の区長の平均年齢は67歳。もっとも多いのは70代というから、48歳の岸本さんは圧倒的に若い。選挙の2カ月前に帰国し、立候補した岸本さんを支援したのは、さまざまな市民グループだった。  岸本さんを応援したひとりで、杉並区在住の作家・中島京子さんと、選挙について、またこれからの地方自治の課題と可能性について語ってもらった。 中島:こうして二人でお話しするのは初めてですね。岸本さんの存在は本や記事で知っていましたが、区長選に出馬なさったときはびっくりしました。今回の選挙はどういう経緯で出馬なさったのでしょうか。 岸本:人生には「偶然と宿命」があると、いつも思っているんですが、もともと志を同じくした市民グループの方々と長いご縁がありました。私自身は、2022年4月に帰国するまで、20年近くオランダやベルギーに住んで、オランダの政策研究NGO「トランスナショナル研究所(TNI)」に所属していました。環境と地域と人を守る公共政策に関する調査や、社会運動の支援を行っていたんです。 ■可能性感じて立候補 中島:私も『水道、再び公営化! 欧州・水の闘いから日本が学ぶこと』を拝読しました。 岸本:水道や電気などの公共サービスの料金が民営化によって上がると、人々の生活に大きな影響を与えます。人権に関わる問題です。こうしたグローバル化の弊害や新自由主義の問題を労働者や環境の視点から問い直す活動を30年近くやっているなかで、日本で同じ関心を持っている人やグループとのつながりができました。日常的にディスカッションを続けていて、地方議員や市民グループの依頼で講師を務めてもいました。 中島:日本の状況への関心はずっと持っていたんですね。 岸本:グローバルな問題を考えるうえでも日本の立ち位置は大事ですし、選挙のたびに仲間と議論していました。そんななかで、日本の政治を変えていくには、やっぱり地方、地域から変えていくことが大切で、そこにこそ大きな可能性があると感じたんですね。そうしたら「杉並区長選がある」と。 作家 中島京子さん(58)/1964年、東京都生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒。出版社勤務、フリーライターを経て、2003年『FUTON』で小説家デビュー(撮影/写真映像部・加藤夏子) 杉並区長 岸本聡子さん(48)/1974年、東京都生まれ。アムステルダムを本拠地とする政策シンクタンクNGO「トランスナショナル研究所(TNI)」に2003年から所属。現在は退職(撮影/写真映像部・加藤夏子) ■杉並のレジェンドたち 中島:杉並には児童館の存続や道路の開発、高齢者の居場所、子ども食堂──いろいろな問題があって、それぞれ解決したいと活動している市民グループがある土地柄です。 岸本:はい、いろいろな方が杉並に集まっていて、「あとは候補者だけがいない」と。国政だと議員が直接できることは限られていますが、地方自治は「そこに希望がある」と考えて、この10年、研究者・活動家として取り組んできたので、「絶対、区長のほうが面白そう」と、思ってしまったんです。 中島:私が素晴らしいな、と思ったのは、杉並で長く運動をしてきた、いろいろな人たちがウワーッと集まって、みんなで選挙を作っていくのを目の当たりにできたことです。杉並区は「原水爆禁止署名運動発祥の地」だし、お母さんたちが学校給食の自校調理方式を守ったり、さまざまな活動をしている区民が多いんです。 岸本:私がレジェンドと呼んでいる方々です。 ■国葬反対デモに参加 中島:そうした皆さんが集まって、みんなで選挙を作っている──それは岸本さんによって生まれた風景で、選挙そのものがとても面白かった。「杉並っていいところだ」と思えました。 岸本:選挙運動がスタートしたばかりの頃、中島さんが集会に来てくださったでしょう。嬉しかったです。 中島:実際に議会が始まってみて、いかがですか。議会の様子をネットで見ていたら、驚くような質問が出ていましたが、想定内でしたか。 岸本:最初の頃は国葬反対デモに行ったこと、それから参院選の応援のことなどを質問されましたね。私は個人としてデモに行ったんですが、「まるで杉並区民全員が反対しているように思われる」と言われました。 中島:そうは思いませんけど。 岸本:どんなことでも説明するのが大事だとあらためて思っていまして、そこのところは少し意識がいってなかったかなと反省するところもあります。デモのことも西荻の小さなグループが30分くらい歩くだけ、きわめて平和的なものだったんですよ。その日は休みでお天気もよくて、一人の生活者、人間、有権者として「表現しなきゃ」と思って参加しました。 中島:そもそも「国葬に反対しない」というのも政治的な姿勢ですからね。 岸本:選挙応援したのは無所属だった私を推薦してくれた国政政党のなかでも、特に私が信頼している方々で、なんとしても国会に居てもらわなくてはいけないと思って行きました。最後の週末に1日だけ、ひとりの有権者として、行かずにはいられなかった。 中島:区民としては、議会でなぜそうした質問をするのかが疑問でしたが、嫌になったりしませんか? 岸本:代表質問などネットに流れるのはごく一部で、議会の大半はきわめて真っ当なやりとりなんです。勉強になりますし、議員さんの姿勢や論理もわかって面白かったです。 中島:手応えを感じているんですね。 岸本:私には新鮮ですし、区政のプロセスを区民にどうやって伝えようかと考えています。応援してくれた方々にとっても選挙と選挙のあいだが重要なので、区民に区政を伝える仕組みを楽しみながら考えています。 ■子どもたちに希望を 中島:この10年、未来を明るく考えられなかったんですが、岸本さんが当選してから「未来がある」と思えてきました。 岸本:「希望」や「未来」ってキーワードですよね。今は戦争もコロナもあって、10年前には東日本大震災や原発事故があった。国際的に見ても危機の連続なので、その中で成長してきた子どもたちが心配なんです。 中島:コロナ禍でも、学校や子どもたちの問題は後回しでした。 岸本:社会に「希望がない」ことについて、自分の世代の責任を感じています。一方で希望と課題は結びついていて、女性の生きにくさや気候変動の問題も、危機でもあると同時に希望でもあると思う。実際、もう変わらないと生きていけないですから。 中島:こうした問題は杉並だけのものではないですよね。 岸本:ヨーロッパで運動している中で生まれた点のような小さな希望が集まって、ドットになり、つながって線に、時には面になるのを見てきました。日本の杉並は象徴的な一つの点ですが、他にも点はあるし、これから生まれてくるところもあるでしょう。そうなったらお互いに希望のヒントを出し合える。地方自治の面白さだと思います。選挙はそのためのツールでしかなく、選挙と選挙のあいだに何をするかが楽しいですよね。 中島:今日は岸本さんから「楽しい」という言葉が何度も出てきたのが嬉しかったです。 (構成/ライター・矢内裕子) ※AERA 2022年11月21日号
AERA 2022/11/21 08:00
「年齢別マーケティング」なんていらない 雪肌精「おすすめの年齢はありません」に共感
「年齢別マーケティング」なんていらない 雪肌精「おすすめの年齢はありません」に共感
伊藤蘭さん(撮影/写真映像部・高橋奈緒) 「シニアのために」とターゲットを絞り込むのは販売戦略だとわかっています。でも、「押しつけは勘弁して」と感じる大人だって少なくないと思うのです。コラムニスト・矢部万紀子氏が、「年齢別」を薦められる違和感を綴ります。 *  *  *  夏の終わりに伊藤蘭さんのコンサートに行った。会場は「KT Zepp Yokohama」。キャンディーズ時代からのファンらしき50代以上男性がずらりと並ぶ。女性もいるが夫婦連れらしく、女性一人はかなりの少数派。アウェーの風。  でもいいの、だって私ってば、伊藤さんのファンなのだ!  それは2019年9月にさかのぼる。41年ぶりに歌手復帰した伊藤さんが、新曲「女なら」を「うたコン」(NHK総合)で歌っていた。驚いた。だって、こう始まった。 「連れて行って どこか遠く ここじゃない場所へ プライドは砂の城 あなたの手で壊して」  恋愛、それも背徳の匂いさえする歌だった。作詞も伊藤さん。1955年生まれ、当時64歳。いいぞ、蘭ちゃんゴーゴー。  と盛り上がったのは、直前に特別番組「竹内まりやMusic&Life~40年をめぐる旅」(NHK総合)を見たから。デビュー40周年を彩る番組の最後の歌が「人生の扉」。竹内さん作詞作曲で、サビは英語だった。 「I say it’s fun to be 20 You say it’s great to be 30」から始まり、40歳は「lovely」、50歳は「nice」、60歳は「fine」、70歳は「alright」、80歳は「still good」、90歳も「maybe live」。ベタな日本語にするなら、年を取るって素敵。そういう歌だった。  61年生まれ、58歳(当時)の私は、「fine」な60歳を前に、どうにも居心地が悪かった。おしゃれに励ましてくれている。それがわかるからモヤモヤした。素敵って励まされるのは、素敵じゃないから。体力、知力の衰えを自覚する身ゆえ、そう思った。へそ曲がりの自覚はある。  番組後、竹内さんも55年生まれだと知った。そして、女性歌手は60歳前後になると人生応援系の歌を作詞して歌いがちということも知った。  例えば薬師丸ひろ子さん(64年生まれ)作詞の「アナタノコトバ」。20年に「SONGS」(NHK総合)で聞いた。「アナタ」は母だった。「コトバ」はというと、繰り返された歌詞が「良く生きよう」。母への郷愁、前向きに生きようという決意。みなさんもそうですよね──という歌だった。  原由子さん(56年生まれ)の「鎌倉 On The Beach」はごく最近、10月20日の「SONGS」で聞いた。原さんが31年ぶりに発売するアルバムの一曲で、作詞は原由子&桑田佳祐。 「幽玄の風鳴いて」で始まり、オーという合いの手(?)をはさみ、「生かされて私は ここで幻想(ゆめ)を見る」と来て、「盂蘭盆会の参道(みち)」で誰とすれ違ったかを問うサビ。  お盆に鶴岡八幡宮を歩く原坊。来し方行く末を思う。みなさんもいろいろありますよね──という歌だった。  3曲とも名曲だ。メロディーともども癒やされもする。なのになぜ私は素直になれないのだろう。 「国歌みたい、だからじゃないですかね」  そう言ってくれたのは、音楽評論家の能地祐子さん(64年生まれ)。人生の肯定を歌えば、誰も反対しない。普遍的で、富士山みたいですよね、と。  すごく腑に落ちた。正しいことを正しく言われている。その上「富士山お好きでしょ」という圧。どちらもわりと苦手だ。  能地さんは50、60代女性は本来、なまじな歌詞より、変わらない声で歌うシンガーの存在にこそ励まされると思っている。だがそれでは心もとないのか、「キャンペーンを打つ」のが音楽業界。結果、「レジェンド」が多発していることに引っ掛かっているという。  デビュー○○年、アルバム発売○○年など、周年のたびに「レジェンド」と付けるのは、若い人にわかりやすく売るため。わかりやすくすると薄っぺらくなる矛盾だけでなく、若くない、もののわかる聞き手を見ていないのがもどかしいという。ただ人生応援系の歌がビジネス戦略だけから来ているとは思わないそうだ。 「雪肌精」のキービジュアル(コーセー提供)  松任谷由実さん(54年生まれ)が日本の音楽史を塗り替えたのは、少し外れた場所にいた女子たちの喜びや悲しみや孤独を歌い、「私たちの歌」と感動させたこと。つまり共感ベースがユーミン以降の世代。  能地さんは、ある同世代アーティストが「リーマンショック頃から客席に閉塞感を感じるようになった」と言うのを聞いたことがあるそうで、「今の時代、音楽で人を力づけたいと思うのはごく自然なこと」と言う。だから人生応援ソングは、ある種の「ノブレスオブリージュ」。そう分析した。  さて冒頭のコンサートだが、61歳になった私が行ったのにはきっかけがあった。地下鉄で見た化粧品のCM。新垣結衣さんが映り、「雪肌精におすすめの年齢はありません」と静かに訴えていた。  むやみに感動した。だって化粧品といえば年齢別マーケティング。「年齢を重ねた年齢肌」と呼びかけるドモホルンリンクルしかり、風吹ジュンさんが「人生これからー」と叫ぶ資生堂しかり。でもなぜか「年齢別」を薦められるのは、若くない世代。な気がする。  と言ったら、能地さんが「雑誌で見たはやりの化粧品を買いに行っても、『お客さまでしたらー』って10万円もするようなセットを薦められますよね」とわかってくれた。  そう、そういう化粧品の世界だから、「おすすめの年齢はありません」は画期的なのだ。励まされるより恋愛の歌、年齢別より年齢なしでしょ。そうだ、伊藤さんのコンサートに行こう。雪肌精のコーセーに話を聞きに行こう。と、決めた次第。  雪肌精のCMは羽生結弦選手も登場、「雪肌精に男性用はありません」と訴える。新垣さん、羽生選手出演の6月からのCMは、どちらも「性別や年齢を問わず使える自然の恵みでつくられているから」と説明し、「地球生まれの透明感」で締めくくる。このCM、どこから来たの?  雪肌精企画室の亀山康平さんは、20年に同業他社から転職、驚いたのが若者向けと思っていた雪肌精の購入者の中心が40、50代だったこと。自分も学生時代に使っていたブランドが、若者離れを起こしていた。 「雪肌精」のCM(コーセー提供)  そこで振り返ったのが、37年の歴史を支えた商品特性だったと亀山さん。雪肌精発売の85年に立ち返れば、ハトムギエキス入り=植物由来で、漢方の発想に基づいた雪のような透明感──それが「競合優位性」だった。  年齢と性別を軸に区切るのは、消費者に自分向けと思ってもらえるマーケティングの王道。それをしないことでターゲットがぼやけ、誰も手を伸ばさない。そういう懸念もあった。が、「年齢や性別に関係なく、好きな人が好きなものを堂々と使う。世の中がそうなりつつあるのではないかという思いもあったし、そういう対象に雪肌精がなってほしいと思いました」と亀山さん。  CMの2人に共通するのは「一本芯が通っているけどニュートラルで社会性のあるメッセージを届けやすいこと」と、宣伝部の山内鞠那さん。羽生選手が「男性も使えます」でなく「男性用はありません」と言うことで、女性が「自分向けでない」と思うことなく、「男女関係ないブランド」と伝わったという。  もう一つ、この戦略を後押ししたものがある。それは、コロナ禍。  雪肌精は中国で大人気、日本では主にドラッグストアで展開していた。コロナ禍で中国経済は急ブレーキ、日本のドラッグストアも1000円前後の商品=活況、3000円以上=苦戦とはっきり分かれた。雪肌精は後者。つまり国内外ともに厳しい。8月に発表された22年12月期第2四半期決算短信にも「主力ブランドの『雪肌精』は苦戦が続きました」とある。 「そういう時期だったから、思い切った戦略をとれたというのはあります」と亀山さん。結果は上々。ウェブでサンプルプレゼントキャンペーンを実施したら、過去の2倍以上の応募があり、何よりドラッグストアでの売れ行きが、計画を10%超上回る好調ぶり。「コロナ禍でSDGsがこれまで以上に叫ばれるようになったことも雪肌精の発信するジェンダーレス・エイジレスへの共感につながったのではないかと感じます」  というわけで、「蘭ちゃんと雪肌精ゴーゴー」と勝手に応援する私だ。この気持ち、男性にもわかってもらえるだろうか。ということで、『大人の人間関係』などの著書があり、「大人」に詳しいコラムニストの石原壮一郎さん(63年生まれ)に縷々(るる)説明してみた。 「いくつになっても今を楽しみましょうって言われると感じる嘘っぽさですよね」と石原さん。「男の盛りは60歳からだよと言われると、なんか弱みにつけ込んでくる気配を感じる。それを弱みと感じてしまうところがまた情けないっていうか」。はい、それです!  石原さんはかつて「週刊朝日」誌上で、著名で高齢な人たちのインタビュー連載を担当していた。70、80、90代でも元気な人たちに共通していたのは「年を忘れていること」。年齢の川を船でゆらゆら揺られながら「そういえば89歳だけど、まだできることあればやりましょう」。そんな人たち。でもそれを「長生きの秘訣」とも思っていない。それが秘訣ですかね、と石原さん。うーむ。深い。  と思ったところで最後に紹介するのが、竹内まりやさんの歌「最後のタンゴ」。「こういう歌もあるんですよ」と能地さんが紹介してくれた。作詞は伊集院静さん。  はい、ご想像通りの色っぽさ。年をまだ忘れられないみなさん、ぜひ聞いてみてください。※週刊朝日  2022年11月25日号
週刊朝日 2022/11/20 11:00
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クロちゃん クロちゃん
みちょぱ結婚にクロちゃんが「スロット打ちながら号泣」 ショックでギャル系女子とデートも撃沈
先日、結婚発表をしたみちょぱさん  安田大サーカスのクロちゃんが、気になるトピックについて"真実"のみを語る連載「死ぬ前に話しておきたい恋の話」。今回のテーマは「みちょぱ」の結婚。SNSで自身が発表した「好きな女の子ランキング」では2年連続で1位に選ぶなど、以前から、みちょぱ好きを公言してきたクロちゃん。バラエティー番組で共演することも度々あり、クロちゃんの熱烈なアプローチに、みちょぱが「気持ち悪い」となじる光景は、すっかりおなじみだ。みちょぱの結婚に、クロちゃんは、どんな思いを抱いたのか。クロちゃんが結婚発表当日を振り返った。 *  *  *  10月22日、ボクの大好きなみちょぱ(24)が結婚を発表した。  怒られるかもしれないけど、これは、ほんとうにショックだった……。  以前から、みちょぱが「今年中(2022年)には結婚したい」とか「25歳までには子供欲しい」って口にしていたのは知っていた。だから、「今年、結婚はあるかもしれない」、そんな考えがよぎったこともあった。でも、一向にそんな気配もないまま、時間は過ぎていくから、「たぶん、今年の結婚はないね。やっぱり理想と現実は違う」、そんな安心を抱いていた直後の発表だったから、報道を見た瞬間は、言葉を失った。  青天のへきれきとは、まさにこのことだよね。  発表があった当日は、ボクは自分のYouTubeチャンネルの生配信の仕事があったんだけど、急きょ、お休みさせてもらった。とてもじゃないけど、仕事ができる精神状態じゃなかったんだよね。自分のチャンネルだから、ある程度融通がきくっていうのもあったし、今回ばかりは甘えさせてもらった。芸能界に入って、20年以上経つけど、自分の個人的な都合だけで、仕事を調整にしてもらったのは、初めてだった。ほんとうに、ごめんなさい。  その後は、とても一人じゃいられなくて、とにかく「誰かに話しを聞いてもらいたい」、そんな思いがかけ巡った。  だから、友人であるギャルの女の子をデートに誘ったんだ。時間も決めて、お店だって予約した。もやもやしながら、デートの約束の時間を待っていたんだけど……その後、まさかのドタキャン。これに、また落ち込んだ……。 クロちゃん/1976年12月10日生まれ。広島県出身。2001年4月に団長安田、HIROと「安田大サーカス」を結成。スキンヘッド、強面には似合わないソプラノボイスが特徴(撮影/小黒冴夏)  なんとか気分を変えるために、そのままスロットを打ちにいってみた。でも、やっぱり、「誰かに話を聞いてもらいたい」という思いは消えず、スロットを打ちながら、また違う女の子をデートに誘ってみた。でも、その女の子からは「ごめんなさい。私、結婚したので、もうご飯とかはいけません」っていう、まさかの連絡が返ってきた。  この女の子からのLINEで「結婚」っていうワードを見てしまったから、みちょぱの結婚のことが、再びグサっと心に刺さり、ボクは、スロットを打ちながら、号泣してしまった。周囲の人は、困惑していたけど、もう涙を止めることはできなかった。  気持ちを落ち着かせようと、ツイッターで、いろんなことをつぶやいたりもした。ボクは笑わすつもりなんて一切なかったけど、「ツイートが面白い」とバズったりもしていたみたいで、結婚発表から2~3日で、フォロワーが1万5千人ほど増えていた。普段ならすごく喜ばしいことなのに、今回に限っては少し複雑だった……。  みちょぱは、平成ノブシコブシの吉村さんと一緒にYouTubeをやっているんだけど、ボクが思うに、みちょぱに対して、吉村さんが結婚を後押しするような、余計なことを言ったんじゃないか、そんな疑いを抱いたりもした。確証はないけど、絶対そうに違いない!  だから、ボクは吉村さんが嫌いだ。以前、付き合った彼女が、吉村さんのファンだったこともあって、もともと、ボクは吉村さんが嫌いなんだけど、今回のことで、もっと嫌いになった!  ちなみに、2人のYouTubeチャンネルの再生回数や登録者数がいまいち伸びないのは絶対吉村さんのせいだ。みちょぱ1人でやったほうが絶対もっと成功するよ! ●結婚発表は「かっこいい」  と、ここまでいろんな思いをつづってきたけど、結婚発表から、もうすぐ1カ月。  最近になって、やっと自分の気持ちの整理ができてきた。  思い返せば、みちょぱと初めて会ったのは5年くらい前だったかな。たしか、オードリーの若林さんがMCの特番で、みちょぱは、若林さんのアシスタントっていう役割だったと思う。  第一印象は、見た目がすごいタイプだなってくらいだったんだけど、その特番での、みちょぱの一生懸命な仕事ぶりに、ボクはすっかり心を奪われてしまった。何かをふられても、「ギャルだから」って言葉で逃げたりせずに、とにかく全力だったんだよね。  その後、有吉さんの番組でも共演して、みちょぱとボクで、セクシー対決みたいなことをしたことがあるんだけど、その時も、口では「嫌だ嫌だ」とかって言うくせに、いざ、ふられたら、セクシーなしぐさなどを振り切って全力でやれるんだよね。  これって、実はすごく難しい。振られてもできない子は多いし、いざやってもスベっちゃったりすることも少なくない。でも、みちょぱは、笑いがとれて、現場も盛り上げることができる。そりゃ、いろんな芸人から好かれるはずだよね。  それに、みちょぱは、「なぜ、自分が、この番組に呼ばれているのか」っていう番組サイドの意図みたいなことも理解できているんだと思う。  だから、ボクのことも「気持ち悪い」とかって散々いうくせに、絶対共演NGにはしない。先日から、水曜日のダウンタウンで「モンスターラブ」っていう、ボクが9人の女性とカップル成立を目指すという新たな企画が始まったんだけど、みちょぱは、初回ゲストでしっかりと呼ばれていた(笑)。そして、いつものように、ボクのVTRを見ながら、「気持ち悪い」「最低!」っていうコメントもちゃんと残していた。番組サイドや視聴者も、そういうボクとの絡みを期待しているって、どこかで感じているんだろうね。みちょぱは、けっこうクレバーだから。SNSなどでは、「みちょぱが私たちの気持ちを代弁してくれている」「クロちゃん企画の時は毎回みちょぱをゲストで呼んでほしい」、そんな称賛の声があふれていた。  もうプロフェッショナルだよね。  やっぱり、みちょぱは、すごいよ。  結婚に関しても、タレントとして、今これだけ成功しているんだから、「このタイミングではまだしないでおこう」って判断しても別におかしくないと思うんだ。結婚や妊娠ってなると、仕事をお休みしないといけない時期がくるかもしれないし、もし、お休みしてしまったら結婚前よりも仕事が減ってしまう可能性だってある。この世界は、競争が厳しいからね。  でも、みちょぱは、そんなことには惑わされず、自分が描いた人生プランをまっすぐ進んでいってる。それって、なかなかできることじゃないよね。  素直にかっこいいなって思うよ。  結婚はショックだったけど、こうなってしまった以上、今は、ひとまず「自分のものにしたい!」っていう気持ちだけは、ちゃんとおさえなきゃって思っている。だって、もし、今、仮に、みちょぱとボクの恋愛がうまくいったとしても、それは不倫になっちゃうしね。ボクは、不倫は絶対嫌だから。  好きって気持ちは変えられないけど、これからは、みちょぱの幸せを遠くから見守ることにするよ。  でも! もし、この先、みちょぱが、傷ついたり、疲れたりしたら、ボクは、いつでも待ってるからね!  みちょぱー!!! (構成/AERA dot.編集部・岡本直也)
クロちゃん
dot. 2022/11/17 11:30
愛子さまと佳子さま「紅白コーデ」に弾み、眞子さんの「道」に思いを馳せた
矢部万紀子 矢部万紀子
愛子さまと佳子さま「紅白コーデ」に弾み、眞子さんの「道」に思いを馳せた
雅楽演奏を鑑賞する愛子さまと佳子さま(代表撮影)  皇室のファッションは国民の関心が高いテーマ。先日も、愛子さまと佳子さまの「紅白コーデ」が話題を呼んだ。服装には着る人の内面が表れ、その場に居合わせた人との関係性を露わにすることもある。コラムニストの矢部万紀子さんが、紅白コーデを読み解いた。 *  * *  天皇、皇后両陛下の長女愛子さまと、秋篠宮家の次女佳子さまがそろって雅楽演奏を鑑賞した。11月5日のことだ。皇居内の宮内庁楽部で開かれた秋季雅楽演奏会に出席したのだが、その映像をテレビで見た瞬間、うれしくなった。2人で相談したのかな、そうだといいな。そんな思いで心が弾んだ。  ファッションのことだ。愛子さまは白のスーツ、佳子さまは深紅のスーツ。紅白で一対をなしているように見えた。襟のデザインや全体の感じなど微妙にというかだいぶ違うけれど、なぜか調和がとれていた。7歳違いのいとこ同士、仲良しだからだろうか。そんなふうにも思った。  愛子さまが雅楽演奏会に出席するのは初めてで、学習院大学で日本の伝統芸能に関する授業を選択したことから興味をもったと報じられていた。佳子さまは2度目の出席だというから、愛子さまは会場の雰囲気などを尋ねたのではないだろうか。  今どきの女子なのだから、職員を通しての相談でなく、LINEなどで直接やりとりしているのでは? そうだ、それでスーツの紅白コーデが決まり、「いいね」と可愛いスタンプを送りあったりしたのでは? などなどと妄想しつつ、こちらまで華やかな気分になった。  女性皇族が2人以上そろう姿を目にする機会は案外多くない。雅子さまは天皇陛下と行動することが多いし、紀子さまは秋篠宮さまと行動することが多い。母娘や姉妹が一緒に行動することはあっても、プライベート中心。成人した独身皇族の公務は単独が基本だから、「誰かと誰かが一緒」の光景は珍しい。  ただし例外が一つある。皇后さまが名誉総裁、他の妃殿下方が同副総裁を務める日本赤十字社の全国大会だ。活動に貢献した人々を表彰する会で、名誉総裁、同副総裁がそろって出席する。コロナ禍で2020年、21年は開かれなかったが、22年5月には3年ぶりに開かれ、雅子さま、紀子さま、寛仁親王妃信子さま、高円宮妃久子さまが出席した。  この大会の写真や映像は古くからのものが残っている。今に残る一枚のお写真――と、これは2022年9月に亡くなった皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんが好んで使ったフレーズだ。莫大な写真や映像を記憶していた渡邉さんに教わったのが、1968年11月2日の赤十字社有功章、特別社員章親授式の写真だ。  名誉総裁は香淳皇后で、壇の中央で手に紙を持ち何か文章を読んでいる。少し離れて同副総裁である女性皇族がずらりと並ぶ。香淳皇后に近いほうから、美智子さま(当時は皇太子妃)、常陸宮妃華子さま、秩父宮妃勢津子さま、高松宮妃喜久子さま、三笠宮妃百合子さま。 1968年日赤有功章 特別社員章親授式  モノクロ写真の時代だから、正確な色はよくわからない。が、見えたままを説明すると、香淳皇后は黒い服を着ている。美智子さまは白い服を着ている。華子さま、勢津子さま、喜久子さま、百合子さまは黒い服を着ている。つまり、美智子さまだけ白い服を着ている、という写真なのだ。  これはどう見ても、美智子さまにだけドレスコードが伝わっていない。そういうことだと渡邉さんは解説してくれた。その事情については、渡邉さん言うところの「超一級の史料」である『入江相政日記』を引いて、解説してくれた。  入江氏は昭和天皇の侍従長を務めた人で、58年10月11日の記述にこうある。<東宮様の御縁談について平民からとは怪しからんといふやうなことで皇后さまが勢津君様と喜久君様を招んでお訴へになつた由>。東宮様は現在の上皇さま、皇后さまは香淳皇后、勢津君様は勢津子妃、喜久君様は喜久子妃。黒い服というドレスコードが伝わっていたであろう人々。「平民から」とは美智子さまのことで、「怪しからん」を今どきにすれば「ありえない」だろうか。  結局のところ皇太子さま(当時)と美智子さまは、59年に結婚した。それから9年経った赤十字の式典でも、美智子さまにはアウェーの風が吹いていた。  この大会から50年、2018年5月16日に全国赤十字大会が開かれた。写真も映像もたくさん残っているのは、平成最後の大会で、雅子さまが15年ぶりに出席したことも大きい。「来年から、雅子さまは大丈夫だろうか?」という空気は、国民の間にまだ残っていたと思う。 【こちらもおすすめ】 【写真】「あわや尻もち」の雅子さまを陛下がナイスアシストした瞬間はコチラ https://dot.asahi.com/articles/photo/36927?pn=3  その大会の最後、美智子さまは雅子さまのほうを振り返り壇の中央に招いた。美智子さまは雅子さまの腕を軽く取り、言葉をかけた。雅子さまはぱっと笑みを浮かべ、客席に向かって頭を下げた。続いて、美智子さまも頭を下げた。「次はあなたよ、がんばって」。美智子さまのそんな声が聞こえてくるような、サプライズ演出だった。 全国赤十字大会に出席した皇后さま、皇太子妃雅子さま、秋篠宮妃紀子さま、寛仁親王妃信子さま、高円宮妃久子さま  美智子さまは白いスーツ、雅子さまは紺色のスーツだった。他の皇族方も白系統と紺系統で順番に並んでいた。50年前の「1人だけ白」を乗り越え、最後は温かな演出で幕を閉じた。美智子さまの人生が凝縮された大会だった。全員の服装について「遠目にはまるでオセロのようで、女性皇族の一体感を演出しているように見えた」と書いたメディアもあった。  ことほどさように、女性皇族が集合するのは大変なのだ。だから、というわけではないだろうが、愛子さまと佳子さまの「紅白コーデ」はとても話題になった。そして愛子さまは服装だけでなく、髪形も注目の的だった。「“ヘアゴム隠し”のポニーテール」と名づけて「艶やかな髪を緩く巻き、ひとつに束ね、ヘアゴムの結び目の上から髪を巻きつけ」と解説したのは「女性セブン」(22年11月24日号)で、流行中の新しいヘアスタイルだとしていた。  愛子さまのお出かけが少ないという事情がある。21年12月に成年皇族になり、22年3月の初めての記者会見で国民を魅了した愛子さまだが、コロナ禍で大学もリモート学習を通していて、ファッション情報もほとんどない。  一方、積極的に外出しているのが佳子さまだ。10月1日から11月10日までの佳子さまの日程を朝日新聞デジタルの「皇室7days」でチェックすると、1泊2日(栃木県と奈良県)を含め皇居の外へのお出かけが9回。ちなみに愛子さまとの雅楽鑑賞は入っていないから、あれはプライベートということなのだろう。  そして佳子さま、失礼を承知で書かせていただくなら、「おしゃれ番長」だ。9月24日、鳥取市での車いすツインバスケットボールの練習会場ではブルー系の縦ストライプのワンピース(上に白のジャケット)を着て、きっぱりした感じを見せていた。そうかと思うと10月1日、日本デフ陸上競技選手権大会会場では濃いワインレッドでレース地のワンピースを着て、フェミニンな感じに。どちらもよく似合い、佳子さまはファッションが好きなのだと思わせる。笑顔はいつも弾けるようだし、デフ陸上の会場で手話を使いこなす様子はとても気さくだ。  そんな佳子さまの日々を見て、「婚活ファッション」などと書くメディアもあった。が、働く女子の大先輩として言わせていただくなら、それは違う。婚活のためより、まず自分のため。それが職場ファッション。職場(佳子さまにとっては、公務で出かける先は職場だ)で自分好みのファッションを着られるのは、仕事が充実している証拠だと思う。 結婚の会見時の小室圭さんと眞子さん  ということで、愛子さまと佳子さまの紅白コーデに戻る。冒頭で2人のファッションを見てうれしくなった、と書いた。自分の気持ちを分析するなら、2人が皇室という自分の生きる場所を楽しめているような気がしたのだと思う。背景にあるのは小室眞子さんの結婚までの道で、眞子さんは皇族であることがしんどかったのだろうと思うのだ。  愛子さまと佳子さまの心の奥底はわからない。でも雅楽を聞きにいくにあたり、ファッションをあれこれ考え、紅白コーデになった。そのことを思うと、安堵の気持ちがわいてくる。これからも愛子さまと佳子さまが、ファッションを楽しめますように。願ってやまない。
佳子さま愛子さま皇室
dot. 2022/11/16 08:00
金田久美子、11年ぶりの2勝目 丸山茂樹も感激「出会いは5歳」
丸山茂樹 丸山茂樹
金田久美子、11年ぶりの2勝目 丸山茂樹も感激「出会いは5歳」
丸山茂樹  プロゴルファーの丸山茂樹さんが、最近行われた注目の試合や選手を紹介する。 *  *  *  国内男子ツアーの「HEIWA・PGM CHAMPIONSHIP」(10月27~30日、茨城・PGM石岡GC)で、星野陸也(26)がツアー6勝目を挙げました。「プロになって一番の目標だった」という地元茨城での優勝に、男泣きでしたね。  僕も千葉で初めて優勝したとき、うれしかったですもんね。陸也ほど感情表現はしなかったけど。ハハハ。気持ちは分かります。地元の人たちに支えられてたと思うんで、ひときわうれしかったんでしょう。  テレビの解説をさせてもらいましたけど、最終日はほんとにいいリズムで、圧巻の内容でした。16番パー5ではバンカーからのチップインイーグルで勝負あり。18番で歩きながら、もう泣きそうになり、最後のパーパットは涙をこらえて打ったそうです。  自分の中で相当の手応えがあったみたいですね。そう感じたときにしっかりいい結果を出せるというのが、彼の成長した部分でしょう。  昔はアプローチだったりパッティングだったり、抱えてた不安が試合で顔をのぞかせた。肝心なところで左に引っかけたりとか。多くの失敗がのちに成功につながるというケースだと思うんですけど、それがここ数年、優勝できている要因の一つだと思います。  とくに今年は茨城での試合が2位と6位と7位でしたから、届きそうで届かないもどかしさもあった。こうして地元で勝ったのは、彼のこれからにつながってくるはずです。狙った試合で勝ったってことですから、これは大きな自信になる。  先日の日本オープンで勝った蝉川泰果(東北福祉大4年)が、10月31日にプロ宣言しました。いいタイミングだと思いますよ。アメリカの大学生だったら、1、2年生のときにああいう成績を出したら、すぐにターンしますから。そこはもう迷いなくいった方がいいと思います。  日本オープンの優勝で5年シードが手に入ってるのが強みです。自分の計画で物事を進められますから。その5年間でどう世界に向かっての地固めをするかっていうのが、彼のゴルフ人生を左右するでしょう。 キンクミちゃん、よかったね  プロデビュー戦が地元兵庫での「マイナビABCチャンピオンシップ」(11月3~6日、ABCGC)なので、楽しみですね。ゴルフ場の景色も関西は独特なんですよね。起伏があって、ちょっとねじれてて、OBが少し見えて。彼はすごく慣れてるんで、日本オープンでもバンバン振りちぎってましたから。  いやあ、驚いた。「キンクミ」こと金田久美子さん(33)が国内女子ツアーで11年189日ぶりに2勝目をつかみとりました。  5歳のときに初めて会って、食事をして。それからジュニアの番組で一緒になったりとか、節目節目で会ってきました。彼女自身も「もう2勝目はないのかな」と思ってたでしょう。でもこのチャンスは逃さなかった。うれしいですよね。すばらしかったですよね。 丸山茂樹(まるやま・しげき)/1969年9月12日、千葉県市川市生まれ。日本ツアー通算10賞。2000年から米ツアーに本格参戦し、3勝。02年に伊澤利光プロとのコンビでEMCゴルフワールドカップを制した。リオ五輪に続き東京五輪でもゴルフ日本代表監督を務めた。セガサミーホールディングス所属。※週刊朝日  2022年11月18日号
丸山茂樹
週刊朝日 2022/11/13 07:00
貫禄の宇野昌磨、成長見せた三浦佳生、「りくりゅう」ペアはGP初優勝 スケートカナダで日本勢が躍動
貫禄の宇野昌磨、成長見せた三浦佳生、「りくりゅう」ペアはGP初優勝 スケートカナダで日本勢が躍動
宇野昌磨(24) 男子1位の合計273.15点。SPは2位の89.98点だったが、フリーは1位の183.17点で逆転した  フィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ第1戦に続き、第2戦のスケートカナダ(10月28~30日)でも日本勢が活躍した。男子では宇野昌磨が貫禄の滑りを見せ、女子は渡辺倫果が大逆転V。「りくりゅう」は日本ペアでGP初優勝を果たした。AERA 2022年11月14日号の記事を紹介する。 *  *  *  大会前の予想通り、男子を制したのは宇野昌磨(24)だった。  ショートプログラム(SP)2位からのスタートになったが、世界王者は慌てない。4種類5本の4回転ジャンプを組み込んだフリー。構成からして別次元で、ジャンプにミスはあったものの、格の違いを見せつけた。 「優勝はうれしいことですけど、僕の現在の実力というのが確かめられた点数だったのかなと思います」 ■結果よりも過程に重き  この試合、宇野は「結果」よりもむしろ「過程」に重きを置いていたように思う。  その象徴とも言えるジャンプが、4回転-3回転の2連続トーループだ。 「僕はコンビネーションが下手なんです」  慢心することなく、常に自らの「刀」を研ぎ澄ませていくイメージだろう。SPで失敗したこの連続ジャンプを、フリーではしっかり決めてみせた。 「一つ目(のトーループ)さえ跳べてしまえば、きれいに(連続ジャンプを)跳ぶことができる。1日という短い期間ではあったけど、SPでのトーループ失敗をいろいろ考えた末、『こんな感じなのかな』というのが何となく想像できた」  プログラム全体を仕上げつつも、気になるポイントを押さえていく。シーズン序盤、宇野は自分のペースで歩を進めている。  その宇野に「すごいスピードで成長していて、今年中に世界のトップで戦う選手になる。僕も置いていかれないように頑張らないといけない」と言わしめる選手がいる。  男子2位に入った17歳の三浦佳生(かお)だ。SPは前週のスケートアメリカに続いて首位に立った。  三浦の武器は、スピードに乗った状態で豪快に決める4回転ジャンプだ。軸が多少斜めになっても、氷上へ体をねじ伏せるように着氷してしまう力がある。この能力を三浦は「軸を支配する」と表現する。 三浦佳生(17) 男子2位の合計265.29点。SPは1位の94.06点で、フリーは2位の171.23点だった 「自分は理論的ではないので、とりあえず(空中で)体を締めたら降りることしか考えていないです」  今季から三浦の体のケアを担当する前波卓也トレーナーは、 「体の基礎能力が高い。ポテンシャルがずば抜けている。新しい世界の人だと思う」  2014年ソチ五輪代表の町田樹さんら数々の選手を見てきたトレーナーの言葉には、驚きすらにじむ。 ■GPファイナル出場も  ジャンプ以外の部分でも、短期間で急激な成長を見せた。SPのスピン、ステップは四つ全てが最高評価の「レベル4」。スケートアメリカでは一つだっただけに大きな飛躍だった。  フリーは6分間練習中に右足の靴ひもが切れるトラブルに遭い、急きょジャンプの構成を変えた。ジャンプの状態はいま一つだったが、総合2位。これで2戦連続2位となり、GPファイナル(12月8~11日、イタリア・トリノ)出場もあり得る。  三浦が言う。 「全く予想していませんでした。頑張って表彰台に上れたらいいなと思っていた。アメリカで2位になったところから、この大会も2位になることができて、予想外。もしファイナルに行けるとなった時は、本当に万全なコンディションで力を出し切れるように頑張りたいです。もし行けたら……」 ■日本ペアがGP初優勝  カナダでは日本フィギュア界の歴史をこの2人がまた塗り替えてくれた。「りくりゅう」の愛称で知られるペアの三浦璃来(20)、木原龍一(30)組だ。  大会ポスターに、ペアでは唯一紹介された。その期待にしっかり応え、SP、フリーともに1位の完全優勝。日本ペアがGPシリーズで優勝するのは初めてのことだ。  昨季世界選手権は銀メダルに輝いたが、今季は約2カ月の出遅れがある。  三浦が夏のアイスショーで左肩を脱臼。このケガのためにペアを組んで練習し始めたのは9月中旬からだという。フリーに関しては、「(10月29日の本番が)通しでやるのは5度目」と木原は明かす。  確かに、細部を見ればかみ合っていないところもあった。だが、この2人に関しては他のペアを圧倒するスピードがある。さらに、ツイストリフトなど一つ一つの技の精度が高く、もはや世界を代表するペアだ。 三浦璃来(20)、木原龍一(30)組 ペア1位の合計212.02点。SPは73.39点、フリーは138.63点とともに1位で、日本ペアとして初めてGPシリーズで優勝した  メダリスト会見で木原は語っていた。 「まだ自分たちがトップにいるという感覚はない。やっぱり常に気持ち的には追う側なので。歴代のメダリストの方に、まだまだ自分たちは追いつけていないと思うので、その人たちに追いつきたいです」  ペアは、ウクライナ侵攻で出場を認められていないロシア、今季はGPシリーズにエントリーしていない中国が強い。それは2人も分かっている。  今は自分たちの強みを磨きつつ、世界トップで競える土台作りが重要だ。特に三浦はケガ明けなだけに、目の前の試合よりも長期的な視点で無理せず練習していくことが必要だろう。  ■渡辺倫果は大逆転V  女子は日本の新星が優勝をもぎ取った。  20歳の渡辺倫果だ。SP6位からの大逆転。18年の紀平梨花(20)以来、日本勢2人目となるGPシリーズデビュー戦での優勝だった。  逆転を果たした渡辺の武器はトリプルアクセル(3回転半)。フリーの冒頭で鮮やかに決めた。  試合後、「いまだに信じられないし、実感がわかない」とした上で、 「他の人に感動や刺激を贈れるような演技をしたい」  とにこやかに話した。  ジュニア時代はケガに苦しんだ。中学3年の時、カナダ・バンクーバーに拠点を移した。20年にコロナ禍で帰国。今は千葉・船橋のMFアカデミーを拠点に。中庭健介ヘッドコーチらの指導で飛躍を遂げた。 渡辺倫果(20) 女子1位の合計197.59点。SPは6位の63.27点だったが、フリーは1位の134.32点で、GPシリーズデビュー戦での優勝を果たした  遠回りしてきたように見えるが、渡辺は言う。  「全てが必要だったと思う。どのピースが欠けても私はここにいないです」  渡辺の次戦は、NHK杯(11月18~20日、札幌)。 「奇跡的なことが最近起きているなあ、という思いがある。その良い方向に向かっているのを怖がらずに、どんどん突き進んでいきたい」  NHK杯ではフリーに2度の3回転半を組み込む意向を公言。この気持ちの強さが、渡辺の最大の武器かもしれない。(朝日新聞スポーツ部・坂上武司) ※AERA 2022年11月14日号
りくりゅうフィギュアスケート宇野昌磨
AERA 2022/11/09 11:30
浅田真央のパッション「技術が下降するようなことがあったら、もう滑ることはない」
浅田真央のパッション「技術が下降するようなことがあったら、もう滑ることはない」
アイスショー「BEYOND」での浅田真央さん  アイスショー「BEYOND」で座長を務める浅田真央さんがAERAに登場。現役時代は自分に厳しく、孤高に技術を磨いてきた。周りの意見を採り入れる柔軟さと、高みを目指すまっすぐな情熱。二つのバランスが彼女の真骨頂だ。AERA 2022年11月14日号から。 *  *  *  アイスショー「BEYOND」で、90分間ノンストップで自身の過去ナンバーのリメイクを滑り抜く。メンバーの大半は20代だが、自身は32歳になった。35歳の柴田嶺とはペア演技に初挑戦、43歳の田村岳斗からは刺激を受けた。 「私は体力限界でやっていますが、嶺君、40代の岳斗さんは限界を超えているすごさがあります。私は、これだけたくさんの人が関わり運営するなかで『失敗できない』というプレッシャーを感じて氷に立つんですが、若いメンバーは本番前に『今日はお母さんが見に来てるんだ』とか、発表会みたいで楽しそう。『こんな感じでいいんだ』って、逆にパワーをもらっています」  公演が終わるたびに、ファンの感想を聞き、内容を修正する。 AERA2022年11月14日号 「SNSの声は賛否両方うれしいです。『この演出でいいのかな?』って思っている部分も、意見を受け止めて改善する。正面席へのアピールだけでなく、もっとサイド方向でストップしたり、曲を再編集したり、ステージは初演からかなり変わりました。自信ももらいます。初演後に『想像を遥かに超えました』というコメントがあって、『やったー!』って。やっぱり、私は『超えたい』という思いが一番強いんです」  現役時代は、当時の女子選手としては唯一ともいえるトリプルアクセルを武器に戦ってきた。 「氷の上にのったら、選手の時とパッションは変わりません。他の人ができないことをやって驚かせたい、という気持ち。このBEYONDにぶつける思いは、トリプルアクセルと変わりません。自分の情熱がなくなったり、技術が下降するようなことがあったら、もう滑ることはないと思います。それくらいの覚悟で、私たちにしかできないショーを届けます」 (ライター・野口美恵)※AERA 2022年11月14日号
フィギュアスケート浅田真央
AERA 2022/11/08 11:30
「見えない」女性のひきこもり 根っこに「毒親」「親ガチャ失敗」による生きづらさ
野村昌二 野村昌二
「見えない」女性のひきこもり 根っこに「毒親」「親ガチャ失敗」による生きづらさ
19歳の頃からひきこもるショウコさん(30代)。ひきこもるようになったのは、生きづらさを感じたから。今も、人と関わって裏切られる怖さがあるという(写真:ショウコさん提供) 「家事手伝い」や「専業主婦」という言葉で、見えない存在とされてきた「女性のひきこもり」。死にたい、将来が不安……。様々な生きづらさを抱える女性たち。ひきこもる原因の一つに、「親との関係」も見えてきた。親はどうすればいいのか。AERA 2022年11月7日号の記事を紹介する。 *  *  *  今年6月、人口約70万人の東京都江戸川区が独自に行ったひきこもり調査が注目を集めた。  昨年7月から今年2月にかけ、約18万世帯を対象とした調査で、7919人がひきこもり状態にあると判明した。年齢別では40歳代が最多の1196人、次いで50歳代が1155人、30歳代が968人と働き盛りが多い。ひきこもりの期間は1~3年未満が28.7%と最多で、次いで10年以上が25.7%となっている。そして、男女別では女性が3684人(51.4%)と、男性の3461人(48.3%)より多いことがわかったのだ。  ひきこもり経験者らでつくる一般社団法人「ひきこもりUX会議」共同代表理事の恩田夏絵さん(36)は、女性のひきこもりは、女性が長年置かれた立場が影響して、より可視化されにくかったのではないかと話す。 「日本では『家事手伝い』や『専業主婦』という言葉で、女性は家にいるものだという社会通念がありました。そのため生きづらさを感じて家にいても、『見えない存在』であり、『ひきこもりではない』とされてきたのだと思います」  同会議では、ひきこもる女性等の居場所として女性限定の「女子会」を2016年6月から開始し、今年9月までに全国で170回以上開き参加者は延べ4700人以上になった。恩田さんは、「女性には安心して話せる場が少ない」と指摘する。 ■ひきこもりの根っこに「毒親」「親ガチャ失敗」 「『見えない存在』として扱われていたこともあり、長らくひきこもり当事者は男性が多いと考えられてきました。当事者会などの集まりでも男性参加者が多くなることがほとんどです。また、DVやセクハラなどの被害を受け、男性に苦手意識を持っている女性も少なくありません。女性が安心して話せる場所が少ないのは、当事者が抱えている苦悩の一つだと思います」  女性が抱える生きづらさは、様々だ。  19歳のころから実家にひきこもる、関西地方に住むショウコさん(30代)は将来の不安について話す。 AERA 2022年11月7日号より 「今は身のまわりのことを母親にしてもらっていますが、このまま両親が年をとったら私はどうなるのだろうと。将来のことを考えると、不安で死にたいと思う時があります」  取材を進めると、ひきこもりの根っこに「親との関係」を抱えている女性が少なくないことがわかった。「毒親」「親ガチャ失敗」──。そう語る当事者の女性は何人もいた。  首都圏に暮らす女性(20代)もそんな一人。中学生の頃から断続的にひきこもっている。きっかけは、幼少期の親からの精神的虐待にあった。  小学生の時にいじめに遭い不登校になると、親は登校を強く促し、勉強ができないと責め立てた。中学になると自室にこもるようになった。最近は少しずつ外に出られるようになったが、こう話す。 「親から自由になって、自分の人生を生きたいです」  生きづらさを抱える人たちに、先の恩田さんはこう声をかける。 「私にとって、自分のタイミングで動きはじめるということはとても重要でした。しんどくて仕方がない時は、まずは休むことに集中してほしいです。周りや社会から追い立てられるような言動やプレッシャーがあるかもしれませんが、しっかりと心や身体を休めながらエネルギーをためて、自分自身が一歩踏み出してみようと思うタイミングを待つことが大切かなと思います」 ■親の自己満足の「よかれ」が子どもの生きる力を奪う  自身も母親との関係でひきこもり経験のある、ひきこもりUX会議共同代表理事の林恭子さん(56)は、生きづらさの背景には「親のエゴ」も大きく影響していると指摘する。 「勉強にしろ、習い事にしろ、しつけにしろ、どの親も恐らく子どものために『よかれ』と思いやっています。しかし、それは、親が自分の価値観を子どもに押しつけているだけかもしれない。子どもにすれば、存在を否定されていると感じるかもしれません」  同会議が19年に実施した「ひきこもり・生きづらさについての実態調査」では、生きづらさの理由に「母親との関係」と回答した女性は51.8%、「父親との関係」と答えた人も44.9%いて、半数近くが親との関係から生きづらさを感じていると答えた。  特に母親と娘では、互いの距離の近さが問題になる。林さんの場合「私の言うことを聞いていれば間違いない」が母親の口癖で、それに口答えするなど考えたこともなかったという。林さんは言う。 「親が絶対的な存在である子どもは、親の期待に応えようと一生懸命がんばります。しかし、無理を重ねた結果、心が壊れひきこもる人は少なくありません」  親のコントロール下にいた子どもは、自分の意志で行動した経験がないため、自分が何をしたいのか何が好きなのかを考えたことがない。ひきこもっていた人の自己肯定感が低いことの理由のひとつにもなる。林さんは、「親に気づいてほしい」と話す。 「子どもはどんなに小さくても人格がある一人の人間です。それを最大限に尊重し、むやみやたらに土足で踏み込むのは、たとえ親であってもしてはいけない。親は子どものために『よかれ』という言葉が頭をよぎったら、立ち止まってほしい。その『よかれ』が本当に子どものためか、自分の満足のためではないかと考えてください。気づけば、接し方も変わると思います」  ひきこもり当事者とその家族でつくるNPO法人「KHJ全国ひきこもり家族会連合会」理事の池上正樹さん(60)は、まず親が動き出すための支援が重要だと説く。 「親も時代とともに生きてきて、成功体験や自信に裏打ちされた価値観を子どもに向けているのだと思います。その意味では、ひきこもりは時代がつくり出したものとも言えなくはありません。しかし、親が若かった頃は経済も右肩上がりで頑張れば報われる時代でしたが、今はそうではありません。親はよかれと思い言っていることも、子どもにとっては強要となり、生きる力を奪うことになっています」  かといって、親もこれまで築いてきた自身の価値観を変えるのは難しい。池上さんは、疲弊している親への当事者家族が集まる「家族会」や講演会などに足を運べる支援づくりが必要と言う。同連合会のホームページでは、全国にある家族会の情報を掲載している。 「認識が違っても、親御さんは子どもの潜在力を信じて見守ってほしいと思います。新しい時代の中で、お子さんたちは生きようとしていることを親御さんが受け入れ理解していくことが大事です。そして子どもには、感謝の言葉をかけてほしい。洗濯物を取り入れてくれたり、花に水をあげてくれたりした時は『ありがとう』と。返事はないかもしれませんが、ちゃんと届いています」(池上さん) (編集部・野村昌二)※AERA 2022年11月7日号より抜粋
AERA 2022/11/06 11:30
「入社1年目でお茶くみを拒否したら全女性が敵に」均等法第一世代の女性を定年まで苦しめたものの正体
黒川祥子 黒川祥子
「入社1年目でお茶くみを拒否したら全女性が敵に」均等法第一世代の女性を定年まで苦しめたものの正体
※写真はイメージです(GettyImages)  均等法第一世代の女性たちが定年を迎える年齢に達している。この法律は、女性に何をもたらしたのか。窪田礼子さん(仮名)は男女雇用機会均等法が制定された1985年に就職。入社1年目にお茶くみの廃止と制服の撤廃をやってのけた。女性の負担を和らげると信じて実行したことだったが、かえって女性から批判を受けることになった――(1回目/全2回)。 採用されるのは「広告主のお嬢さん」だけ  目の前に座る女性は、端正な服に身を包み、やわらかな笑みをたたえていた。休日の朝とは思えない、隙がない装いだ。窪田礼子さん。対面した瞬間、手元のブレスレットの美しさに目が吸い寄せられた。 「これは私がデザインしたもので、長さが調節できるんです。残念なことに、商品化には至らなかったのですが」  窪田さんは、ラグジュアリーブランドのデザイナーだ。60歳を過ぎた今は、再雇用でありながら責任のあるポジションに就いている。  グラフィックデザインの仕事に就きたいと思っていた窪田さんだが、今の会社を選んだのは、1980年代半ばに存在していた就職における厳然たる男女差別と、“イエ制度”を重視する厳格な父への“忖度(そんたく)”からだった。 「最も行きたかった大手広告代理店は、女性を採らないという暗黙のルールがあり、涙をのみました。女性を採るとしたら、広告主のお嬢さんという時代でした」  窪田さんと同世代の私にはわかる。当時、就職には見えない壁があった。「四年制大学を出た地方出身の女子は採らない」のもそうだ。 このままでは見合いで嫁に行かされる…  そしてもう一つ、窪田さんを縛っていたのが実父の封建的な考えだった。 「“イエ制度”の憲法の下で育った昭和一桁生まれの父は、“家”をものすごく重視し、自身はサラリーマンで継ぐべき家などないのに、私の兄を当主であり、後継ぎだと言っていました。女の私は見合いで嫁に行かされることがわかっていたから、就職は絶対に東京に行こうと……」  広告の次に興味があったのはファッションだったが、父が「何処の馬の骨ともわからない」と難色を示したため、ラグジュアリーブランドを傘下に収める企業への就職を決めた。 「父への反発、男女不平等への怒りはありましたが、親と決別してまで貫くという気持ちはなく、万事丸く収まる方法として選んだ就職先でした。住宅手当も出て、自分の技能を生かしデザイナーとして働けるのだからと」 給料が8000円も低いのになぜ就業前30分の掃除を…  社会人1年目は1985年、男女雇用機会均等法の施行を翌年に控えた時期だった。  窪田さん自身、男女差別がない企業だと思って就職したのだが、ふたを開けてみれば全く違った。 「デザイナーは男女いたのですが、女性の給料は男性より8000円安いという設定でした」  初任給の平均が15万円に満たなかった時代に、この差は大きい。さらに驚いたのが7月、正式に配属先となった部署の係長から「女性は30分早く出社して、掃除とお茶くみを」と言われたことだ。 「私、そこで瞬間湯沸かし器のように、怒りが込み上げてしまいました」  窪田さんは、上司に真っ向から反論した。男女雇用機会均等法が翌年に施行されるというのに、時代錯誤も甚だしいではないか。 「何、言ってるんですか? 8000円も給料が安いのに、なぜ女性だけ30分も早く? それも無給で掃除……。お茶くみなんて絶対にやりません。自分で好きなものを入れたらいいんじゃないですか!」  後から聞いたところによると、このことは大騒動となり、その日のうちに電話で全社の女性社員に知れ渡っていたという。 「自分たちがやってきたことをやらない、わがままな新入社員だと、反応のほとんどがネガティブなものでした」 会社中に女性の敵をつくってしまった  窪田さんの部署ではお茶くみは無くなり、犠牲を払った価値はあったと思うものの、要らない敵を会社中に作ってしまい、定年まで響いたと今は思う。  窪田さんはお茶くみを拒否したことによるいじめを、長い期間にわたって受けてきた。 「私に来客中で、手が空いている人にお茶を出してほしいと言うと『窪田さんはお茶入れをしないんだから』と強く拒否されたり、虫の入ったお茶を出されたりもしました。お金がかかった嫌がらせもありました。  ある日、ひとりの先輩女性Aが、一個1000円近くするデザートを所属部署の人数分買ってきました。そして紅茶も入れて全員にサービスして回り始めました。皆、不思議がりました。ふだんそんな習慣はなかったからです。Aは『おいしそうだから皆さんにごちそうしたくなって買ってきたの』と言うばかり。  そしてAは私の席に近づくと、私にもそのデザートが乗った皿を差し出しました。私が思わずそれを受け取ると、Aはにっこりと笑って『あなたはお茶はいらないわよねぇ?』と、周囲にも聴こえるような大きな声で言い放ったのです。  ここまで手の込んだ嫌がらせをするのかと、ばかばかしくて、笑ってしまうような出来事です。これまで自分たちはずっとお茶を入れて掃除をしてきたのに……と、被害者意識が間違った形で歪んで、自由に振る舞う女性に向かう。だから女性同士のネットワークが育たないんです」  女性の負担を減らすことをしているのに、なぜその女性に敵視されてしまうのか。それは、会社の体質によるものが大きかった。 8割が女性の会社で女性管理職は一人もいない  次第に窪田さんに、会社の内実が見えてくる。8割が女性という会社なのに入社当時、管理職には女性が一人もいない。女性が身につける装飾品なども数多く扱う企業でありながら、実際に牛耳るのは男性社員という、揺るぎない構図があった。 「大半が、お坊ちゃまなんです。それも、“鶏口牛後”の人たち。良家のボンボンで父親が社長だけど家業を嫌がったり、次男だったりして会社を継げない人が入ってくる。競争相手になる男性社員が少ない会社なら上に行けるからと。プライドだけはあるけど、仕事への熱量が低い、せこい考えの人が多かったですね」  女性が身につける商品の開発には女性の意見やアイデアを重用するという考えは、社内にはない。彼らの言い分はこうだ。 「財布は男が持っている。払うのは男だ」  窪田さんの口からため息が漏れる。それは長年、そういう男性を見てきたからだ。 「男の人は女というものを否定するためには、どんな小さいことでも見つけてきますから」 「白馬の王子様を探しにきているんだから、邪魔しないで」  一方、お茶くみ廃止に過敏すぎるほどのアレルギーを示した女性社員の内実も見えた。 「デザイナーは募集をかけて面接をして採用しますが、他の社員はほとんどが顧客の娘。あるいは、有名企業の社長令嬢のお預かり。結婚するまでここで働いていたという、お見合いに箔はくをつけるための入社。実際、縁故を使って入っているのに、簡単に辞めますよ。生活するために就職する人がほとんどいなくて、私は例外的な存在でした」  だから女性たちから、窪田さんへのブーイングが起きたのだ。結婚する目的のためだけに就職した女性にとって、フェミニズム的行動はマイナスでしかない。目の上のたんこぶであり、邪魔でしかない。 「実際、ある先輩から『私は白馬の王子様を探しにきているんだから、邪魔しないで』と言われましたね」  同じ言葉を繰り返し浴び、窪田さんは悪いのは自分なのかと苦しくなっていったという。そんな時は社外の人間関係をつくることで、かろうじてバランスを取った。 「外国人が集まるコミュニティーで話を聞いてもらって、『それおかしいよ』って言われることで、やっぱり、私、おかしくないんだって思い返していました」 制服の撤廃に取り組む  お茶くみ廃止だけでなく、窪田さんは入社1年目の身でありながら、女性差別的な慣習にさらに切り込んでいく。それが、制服の撤廃だ。店頭での制服は店の演出手段だから容認できるが、窪田さんが問題視したのは、非営業職の女性の制服だった。女性だけがベストとスカートというお仕着せの制服を着用しなければならなかった。  お茶くみ騒動で懲りたので、今度はもっと上手にやった。それが、顧客からの指摘をきっかけに上層部に訴えかけることだった。 「地方の催事でご一緒した顧客が、東京に行くのでそのときに相談したい案件があるとのことでした。東京での私は会場と違って制服を着ていますから、同じ方と思えず、がっかりしたと。この話を上司にしました。顧客から言われたということで、あの時はすぐに要望が通りましたね」 総合職となり、デザインの仕事から離れる  1986年、男女雇用機会均等法が施行された。これにより、男女間の給料格差は無くなった。窪田さんは、総合職・第一世代となった。 「総合職制度というのは均等法施行後すぐに、うちでも導入されました。デザイナーは全員、自動的に総合職になったのですが、『あなたは総合職になったのだから』と、望んでもいないのに別の部署に異動させられたんです。デザイナーなのに、苦手な事務仕事です」  なぜ、この仕事をするのかと上司に詰め寄ったが、答えは「あなたは、総合職だから」。  社内を見渡せば、販売スタッフで総合職になった人が転勤を急に命じられたり、総合職を嫌い、給料は下がってもあえて「一般職」を選ぶ人もいた。確かに均等法で男女同一賃金となり、給料は上がったものの、窪田さんの実感はハッピーでも、バラ色の未来を思い描けるわけでもなかった。 「総合職を作ったけれど、会社が社員を思い通りに動かして、実態としては男女の機会均等というより、会社に利用されている感じでしたね」 結婚生活は数年で破綻を迎えた  20代の頃に、窪田さんは年下の男性と結婚した。その結婚は数年で終わるのだが、うまく行かなくなったきっかけの一つに夫婦の年収格差があった。 「年収の差が300万円くらいありました。私の給料に対してすごくコンプレックスを抱いてしまって、ギクシャクし始めました」  加えて、当時の働き方がめちゃくちゃだった。総合職になってから、労働時間に残業という概念が無くなった。 「毎日、夜中まで働いていました。労働時間がものすごく長いし、言われた通りにやらないと人格を否定するようなパワハラを受けるので、もう、やらざるを得ない。一度、あまりにつらくて逃げ出したことがあるのですが、やっぱり言われたことをやるしかないと思い、毎日、夜中にタクシーで帰っていました」 離婚し、多額の借金を背負う  お互いの生活時間がバラバラで、結婚生活がうまくいくはずもなかった。夫は会社でトラブルを起こして失踪、家のローンの支払い全額が窪田さん一人の肩にのしかかった。 「仕事がつらくても転職を考えなかったのは、この借金があったからです。転職なんて、到底できませんでした」  男女雇用機会均等法・第一世代である窪田さんに、同法がもたらしたのは何だったのか。 「メリットというのは、しばらく感じませんでした。望んだ部署ではなかったので。メリットを感じたのはずっと後、入社20年ぐらいですね。いろいろな経験をさせてもらった、デザインだけでなく、マネジメントの仕事もやりましたし。何でこんなしんどい仕事をやらされるんだろうって思ったけれど、逆にこんな貴重な体験はないとも思えるわけで、要は自分の捉え方次第なのだというのは、今にして思えばありますね」  確かに、給料は上がった。元夫よりはるかに稼ぐ女となったわけだが、そこに窪田さんの幸せはなかったと言っていい(後編に続く)。 【後編】「これでお前をいつでもクビにできる」同期で出世レースの先頭を走った女性にかけられた怖すぎる一言 黒川 祥子(くろかわ・しょうこ)ノンフィクション作家福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)などがある。Twitter 
プレジデントオンライン 2022/11/04 10:55
トトロやカオナシに会える! ジブリ作品の名シーンを五感で楽しむ「ジブリパーク」
野村昌二 野村昌二
トトロやカオナシに会える! ジブリ作品の名シーンを五感で楽しむ「ジブリパーク」
ジブリ作品の名場面の中に入りこめる、企画展「ジブリのなりきり名場面展」。「千と千尋の神隠し」に登場する、謎のカオナシと並んで写真を撮りたい[撮影/写真映像部・高野楓菜、(c)Studio Ghibli]  ジブリの世界を表現した「ジブリパーク」が11月1日にオープンする。トトロにネコバス、ロボット兵……。そして、カオナシも。大きなアトラクションはないけれど、きっと夢中になれる。AERA 2022年11月7日号より紹介する。 *  *  * 「本当に千尋(ちひろ)になったみたい」  カオナシと一緒に並んで座った女性(40代)は、楽しそうに笑った。  スタジオジブリ作品の世界観を表現した「ジブリパーク」(愛知県長久手市)が、11月1日についに開園する。それに先立つ10月12日、メディア向けの内覧会があり、記者は一足先にジブリの世界にたっぷり浸った。  オープンするのは、2005年に開かれた愛知万博の長久手会場跡地に造られた県営の「愛・地球博記念公園(モリコロパーク)」の敷地内。全5エリア、計約7.1ヘクタールで構成されるが、まず第1期として「ジブリの大倉庫」と「どんどこ森」と「青春の丘」の、三つのエリア(計約3.4ヘクタール)が開園する。残る2エリアは、23年秋に「もののけ姫」の作品世界を舞台にした「もののけの里」が、24年3月にジブリ作品で描かれるヨーロッパ風の空間を表現した「魔女の谷」がそれぞれオープンする予定だ。 ■作品を後世に残したい  そもそもジブリパーク構想は、17年に立ち上がった。同年11月に県庁内に「ジブリパーク構想推進室」を設置し、翌18年の4月、愛知県は5エリア整備の概要をまとめた基本デザインを発表した。続いて19年11月、中日新聞社とスタジオジブリがジブリパークを運営管理する「株式会社ジブリパーク」を設立。こうして愛知県とスタジオジブリがタッグを組み、20年7月に起工式が行われた。事業費は総額約340億円。県が全額を負担した。工事着工から2年4カ月、第1期の整備を終えオープンにこぎつけた。  内覧会の日、ジブリパーク内で会見した宮崎駿氏の長男でパークの監督を務める宮崎吾朗氏は、ジブリパークをつくった動機についてこう述べた。 「ジブリ作品を後世に残していくためにどうするか。ジブリの色んなものをぎゅっと詰め込み、多くの人にジブリ作品が忘れられないようにしたかった」  その言葉通り、パーク内にはジブリ作品が凝縮されている。  まず、来場者を迎えてくれるのは、高くそびえる「エレベーター塔」だ。高さ約30メートル。ジブリ映画の「天空の城ラピュタ」や「ハウルの動く城」に代表される、19世紀末の空想科学的な世界観を表現しているといい、時計をあしらった茶色のシックな外観だ。 ■カオナシの隣に座る  今回、三つのエリアのうち最も注目されるのが巨大な「ジブリの大倉庫」だ。もともと温水プールのあった場所を丸ごと生かした空間で、天井やガラス張りの外壁はそのまま。一部2階建て、延べ床面積9600平方メートルある。  建物内に入って真っ先に目に飛び込むのが、1階と2階を結ぶカラフルにデザインされた中央階段だ。  屏風絵のような色鮮やかなタイルが敷き詰められている。タイルの数は、何と約20万枚。地元の名産・瀬戸焼でつくられ、多くがジブリパークのためにデザインされたオリジナルだという。  見上げると、「天空の城ラピュタ」の空飛ぶ巨大な船の模型が天井から吊り下げられ、プロペラを回しながら浮かんでいる。今にも空に飛び立っていきそう。  大倉庫内はいくつものブロックに間仕切りされ、期間限定の企画展が三つ行われている。その一つ、ジブリパークで“映えスポット”になるといわれるのが「ジブリのなりきり名場面展」。ジブリの13作品14の印象的なシーンが再現され、映画の中に飛び込んだ気分を味わえる体験型の展示だ。  まず、冒頭で紹介した「千と千尋の神隠し」の名場面が迎えてくれる。主人公の10歳の少女・千尋と、黒い身体にお面をつけたような顔の謎のキャラクター・カオナシが、銭婆(ぜにーば)の家に行く時に乗った海の上を走る電車のシーンだ。  記者もカオナシの隣に座った。後ろを踏切の音が流れる……。まさに映画のワンシーン。何とも不思議な気持ちになった。  他にも「紅の豚」「崖の上のポニョ」「もののけ姫」「風立ちぬ」など、数々の名場面が再現されている。  2階には、「天空の城ラピュタ」に登場するロボット兵がいた。ラピュタを守る自律式戦闘ロボットだ。高さ約4メートル。つたや苔に覆われたまま、主(あるじ)の帰りをじっと待っている。迫力もさることながら、ディテールにもこだわりが詰まっている。ロボット兵の足元には、ヒロインのシータに摘んで渡した花まであった。  近くには、「千と千尋の神隠し」に出てくる、魔女の湯婆婆(ゆばーば)が館長として執務にあたる「にせの館長室」がある。中では、実物大の湯婆婆が仕事に没頭している。  ここで働かせてください──。  千尋が震えながら湯婆婆にお願いした、あのシーンが浮かんでくる。  さらに、ジブリファンなら一度は「乗ってみたい!」と憧れる、「となりのトトロ」でお馴染み「ネコバス」の大きなぬいぐるみまであり、実際に乗ることができた。 ■トトロがいる森  さて、次に向かったのは、メインゲートから一番離れた公園南側の「どんどこ森」エリア。「どんどこ」とは、「となりのトトロ」でサツキとメイの姉妹がトトロと一緒にまいた種の発芽を願って踊る「どんどこ踊り」から来ているそう。  緩やかな坂を越えて約20分。池のほとりに、見覚えのある建物が見えてきた。 「となりのトトロ」でサツキとメイたち草壁一家が暮らした「サツキとメイの家」だ。05年の「愛・地球博」のパビリオンとして建てられたものを、リニューアルしてジブリパークに引き継がれ公開されている。  家の中は台所や風呂、お父さんの書斎など、作中に登場するシーンがそのまま再現された作り込み。棚やたんすを開けると一家の皿や服が並び、サツキの勉強机も再現されている。  この日は、午後から地元の人たちも招待された。幼稚園に通う娘と訪れた長久手市の女性(37)は、 「トトロが大好きなので、つい感情移入します。ジブリ作品の温かい感じが大好きです。子どもも喜んでいて、また来ます」  と笑顔で話した。  家の裏手は「どんどこ森」。  頂上まで続く長い階段を上ると、5.2メートルの「トトロ」の形をした木製遊具「どんどこ堂」がある。体は土壁でできていて、本物さながらの迫力。  残念ながら内部に入って遊べるのは、小学生以下の子どもだけ。内覧会でも内部の撮影は禁止で、詳細は「秘密」だという。 ■甘酸っぱい「青春の丘」  帰りは、どんどこ堂のすぐ近くから発車するスロープカー「どんどこ号」で下る。ベビーカーや車椅子を利用する人たちが優先となるが、一般の人でも乗車は可能。実はこの車両、昭和30~40年代に名古屋市を走った路面電車がモチーフだとか。鉄道ファンも注目だ。  ジブリパークの見どころは、これで終わりではない。  メインゲート近くには、「青春の丘」がある。ジブリ作品の中でも、甘酸っぱい青春ストーリーのファンにはたまらないエリアとなっている。  そこに建てられているのが、3階建ての洋館「地球屋」。「耳をすませば」で主人公の中学生・月島雫が猫に導かれて辿り着いたアンティークショップだ。  2階から中に入ると、作品に登場するエメラルドグリーンの眼をした、猫の男爵「バロン」が出迎えてくれる。そこかしこで、「かわいい!」の声が。室内には、映画の世界観に合わせるためイギリスはじめ世界中から集めてきたというアンティークの家具や機械仕掛けのからくり時計、人形や木馬なども置かれていて、見ているだけで楽しい。 ■公園内には「忘れ物」も  細い階段で1階に下りると、バイオリン工房。雫が恋をする、同級生の天沢聖司がバイオリンをつくっていた工房だ。  机の上にはつくりかけのバイオリンが置かれ、床には木くずが敷いてある。木くずは、映画の舞台とされる、東京・聖蹟桜ケ丘に実在するバイオリン工房で出たものだという。  つい10分ほど前まで人がいた形跡──。パークのスタッフによれば、そんな雰囲気を表現しているという。 「めっちゃすごい、やばいです。ディテールの細かさがすごい」  同行したジブリファンの女性カメラマンが興奮気味に話す。  地球屋のすぐそばには、「猫の恩返し」に登場する「猫の事務所」が再現されている。  主人公の女子高校生・吉岡ハルが猫のサイズになるという設定を受け、事務所の大きさもミニチュアサイズ。中には入れないが、小窓から覗き込むと、バロンと大猫のムタがソファでゆったりとくつろいでいる様子を見ることができる。  広い公園内にはちょっとした仕掛けもある。各所に置かれたベンチには、ジブリ作品に登場するキャラクターが忘れ物をしたという設定で、様々な「忘れ物」のオブジェが置かれている。  ジブリパークには、遊園地にあるジェットコースターのような派手なアトラクションや乗り物は一切ない。  見て、触って、体験して、感じる──。それが、ジブリパークの楽しみ方だ。さあ、ジブリの世界に。トトロやカオナシが待っている。(編集部・野村昌二) ※AERA 2022年11月7日号
AERA 2022/11/03 11:00
「病理医になる人を増やしたい」中高生に病理診断体験セミナー 開催する病理医が語る魅力とは
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順天堂大学医学部附属練馬病院の病理診断科先任准教授の小倉加奈子医師(写真/写真映像部・高野楓菜) 「病理医」という医師をご存じだろうか。診断や治療に欠かせない役割を果たしている医師だが、患者と接することがないため、一般的にはあまり知られていない。それは医師を目指す学生にとっても同様で、「病理医になる人を増やしたい」と中高生に病理医の仕事を紹介する活動に取り組む医師がいる。順天堂大学医学部附属練馬病院の病理診断科先任准教授の小倉加奈子医師だ。好評発売中の週刊朝日ムック『医学部に入る2023』では、小倉医師を取材した。 *  *  *  病院には、患者に接することはなくても、診断や治療に欠かせない役割を果たしている医師がいる。「病理医」もその一人だ。病理医の主な仕事は、手術や検査で切り出した病巣の一部を顕微鏡で観察し、病状を診断すること。小倉加奈子医師はこう話す。 「とくにがんの場合、胃カメラやCTなどの画像で病変を見つけ出すことはできますが、良性なのか、悪性(がん)なのかまではわかりません。病理医が顕微鏡で細胞や組織の『形』を見て、確定診断を下しています」  がんと診断がついたらさらに、どんなタイプのがんか、どの薬が効くのか、手術で摘出された臓器を調べる場合はどのような病変がどのくらい進行していたか、手術で取りきれたのか、追加治療は必要か―。各科の臨床医は病理医の報告をもとに、次の治療方針を決定していく。 「臨床医からの問いかけに対して、答えを提示するのが私たちの役割。患者さんにとってベストな治療を選択できるように、道を示してあげる。『もう一人の主治医』として、患者さんを支えています」 ■女子大生から一転 医師になる道へ  小倉医師の小学生時代の愛読書は、『からだのひみつ』(学研)。「からだの構造や仕組みに興味があって、胃や腸のイラストを描くのが大好きな、ちょっと変わった子どもでした」  初めて医師になりたいと思ったのは、高校生のとき。医療を扱ったドラマを見て、医師の仕事ぶりに憧れた。しかしそのときは医学部受験に挑戦するほどの自信も覚悟もなく、中高付属女子大の英文科へエスカレーター式に進学した。バラ色の女子大生生活が始まるはず……が、授業を受けて感じたのは強烈な違和感だったという。 「私が学びたかったのはこれじゃないと思った。同時に絶対に医師になりたいという思いが湧き上がってきて、早々に医学部受験に舵を切りました」  当初は女子大に通いながら仮面浪人をしていたが、夏になっても苦手な数学の成績が伸びず、「こんな中途半端なことをやっていてはだめだ」と女子大を中退。退路を断って半年間死に物狂いで勉強し、1浪で順天堂大学の合格を勝ち取った。 「親には迷惑をかけたけれど、女子大に入学したことは無駄ではなかったと思っています。その経験があったから受験勉強を頑張れたし、医学部の6年間は本当に楽しかった。やりたかった勉強を思いきりできる喜びがありました。医師になってからも、なんとしてもこの仕事を続けようというモチベーションにつながっています」 ■子育てと両立しやすい病理医の仕事  小倉医師が医師免許を取得した当時は今のような初期研修制度はなく、大学卒業後は母校の病理学研究室に入局した。病理を選んだ理由を、小倉医師はこう話す。 「からだの仕組みに関心があったので、一部を専門的に診る科よりもからだ全体を診る診療科に行きたいという思いはずっとありました。医学部6年で結婚していたことも大きかったですね」  実際に病理医になってみると、当直はなく、勤務時間は比較的規則正しい。術中迅速診断のようなスピードを求められる業務もあるものの、臨床の診療科に比べると仕事の計画は立てやすく、プライベートとの両立はしやすかった。2児の母となるがその間も仕事を続け、学位と専門医資格を取得。キャリアを中断することはなかった。 「周りのスタッフや家族などたくさんの人に助けてもらいましたし、苦労もありましたが、それでも子育てと並行して継続的にスキルを伸ばしてこられたのは、病理医だったからだと思います」 ■全身を診るため幅広い知識が必要  病理検査室には、頭のてっぺんから足の先まで、さまざまな検体が持ち込まれる。 「病理はすごく狭い世界というイメージがあるかもしれませんが、私たち病理医は、どんな検体でも診断できるように、臨床科の枠を超えた病気に関する幅広い知識を身につける必要があります」  と、小倉医師は言う。診断をする際に心がけているのは、先入観を持たずに標本を見ること。たとえばこれはがんだ、と思って検体を見ると、がんに見えてしまうことがある。逆に臨床医の「良性で間違いないと思うけど……」という言葉に引きずられると、がんを見逃してしまうことにもなりかねない。 「一例一例を大切に。私たちにとっては日常でも、患者さんはこの一回の手術に命をかけて臨んでいます。私たちの診断が患者さんのその後の人生を左右する。その責任感はつねに持ち続けなければならないと、肝に銘じています」  患者と直接触れ合う機会はほぼないが、臨床医からは感謝され、頼りにされていることを実感する。 「病理医によってポリシーは異なると思いますが、私は臨床の先生に手紙を書くような気持ちで報告書を書いています。診断をつけるプレッシャーは常にありますが、私が受け取った情報と結論に至ったプロセスをきちんとした文章で伝えるよう、心がけています」  近年は病理医の仕事に遺伝子異常の探索も加わり、病理医の需要はますます高まっている。しかしその数は少なく、医師全体の1%にも満たない。しかも平均年齢は50歳を上回っている状況だ。 週刊朝日ムック『医学部に入る2023』  そこで小倉医師は7年ほど前から中高生向けに病理診断を体験してもらうセミナーを開催。病理医の仕事を紹介してきた。さらに間口を広げ、10年後の医療について考える教材作りや、書籍執筆にも取り組む。病理医になる人を増やしたいという思いから始めた活動だったが「自分自身の視野も広がった」と、小倉医師は言う。 「医療以外の、さまざまな人と交流することで刺激を受けています。これからの医師には専門性だけでなく、社会的視点や豊かな教養も必要だと感じています。医師を目指す人たちに、そんなアドバイスも発信していきたい」 (文/熊谷わこ) 小倉加奈子医師 2002年順天堂大学医学部卒。06年同大学院博士課程修了。順天堂大学医学部附属練馬病院病理診断科先任准教授、病理診断科長。NPO 法人「病理診断の総合力を向上させる会」理事。 ※週刊朝日ムック『医学部に入る2023』より
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dot. 2022/11/02 08:00
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