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「健康コスパ」ヨーグルトでより「腸活」に効果的なのは? 管理栄養士浅野まみこさんに聞いた
「健康コスパ」ヨーグルトでより「腸活」に効果的なのは? 管理栄養士浅野まみこさんに聞いた 浅野まみこ(あさの・まみこ)/クリニックや企業での栄養相談の経験を生かし、食育活動やレシピ開発、食のコンサルティングなど多方面で活躍中(写真:本人提供)    消費に関する価値観としてコスパやタイパが重視される時代。管理栄養士の浅野まみこさんは、食の選択基準である「健康コスパ」を提唱する。AERA 2023年10月9日号より。 *  *  *  コスパやタイパもいいけど、食の選択基準には「健康コスパ」を──。今年4月からそう提唱しているのは各メディアで引っ張りだこの管理栄養士、浅野まみこさんだ。  健康コスパとは、「健康を軸にコストパフォーマンスを見る」という概念。食品の栄養素に特化して着目し、含まれる栄養素などからカラダへの価値やメリットがどのくらいあるのかを表す指標だ。一般社団法人「ウェルネス総合研究所」も注目し、普及啓発に取り組んでいる。 コスパ重視の時代こそ  健康コスパの意義について浅野さんはこう話す。 「コスパやタイパというキーワードが注目されていますが、食品を選ぶ際にはそれだけではベストな効果を得られません。健康維持を図る上で最も大切な栄養バランスも意識して食品を選択する習慣をぜひ身に付けていただきたいと思いました」  なぜなら、「食べる」ことの最大のメリットはカラダに必要な栄養素を取り込み、健康を維持することにあるからだ。ところが、この当然ともいえる価値基準がかすみがちなのも否めない。スーパーでもネット通販でも、安価な商品は価格表示を見れば一目瞭然。「見た目」においしそうな食品はあふれている。調理の手間がかからない総菜やサプリもコンビニで手軽に買える。食品の物価高も相まってコスパに目が向きがちだが、だからといって、安価で調理が簡単な食品ばかり口にして体調を崩せば元も子もない。「コスパが重視される時代だからこそ、目に見えない『健康コスパ』に注目してもらいたい」という浅野さんの主張に思わず、ハッとさせられる。  厚生労働省は日本人の理想的な食事の栄養バランスとして、一日に必要なエネルギーの13~20%をたんぱく質から、20~30%を脂質から、50~65%を炭水化物から摂取することを推奨している。食品のパッケージにはこれらの栄養成分が表示されている。原材料も、多く含まれる順に記載され、添加物やアレルギー表示も記載されている。とはいえ、一品一品、栄養素や原材料を調べて足し算しながら買い物するのも疲れる。そこで、実生活ですぐに役立ちそうな、日常でよく使う食品の比較や選択方法を浅野さんに手ほどきしてもらった。 AERA 2023年10月9日号より(写真:ウェルネス総合研究所提供)    まずはヨーグルトから。「腸にいい食品」というイメージが強いが、どのヨーグルトも健康効果は同じかといえば、そうではないという。 「乳酸菌、ビフィズス菌など含有している菌の特性によって健康効果は変わります」(浅野さん)  実はヨーグルトには、「乳酸菌のみのヨーグルト」と「乳酸菌+ビフィズス菌入りのヨーグルト」があり、健康コスパに差があるという。乳酸菌、ビフィズス菌のいずれも整腸作用が期待できるのは同じ。だが、「乳酸」を作り出す乳酸菌は主に小腸で作用するのに対し、ビフィズス菌は主に大腸で働き、乳酸だけでなく、短鎖脂肪酸の一つである「酢酸」を作り出す。酢酸は口から摂取すると胃腸で消化吸収されてしまうが、ビフィズス菌により大腸で生み出すことで「酢酸」が大腸で腸内環境改善に効果を発揮する、と浅野さんは強調する。 「腸活」に効果的なのは 「通常、『腸活』と言われているのは大腸の腸内細菌を整えることを指しています。ビフィズス菌を摂取すると、大腸で新しい栄養素が生まれ、乳酸菌単体よりも効果的な働きをしてくれます」  ビフィズス菌によって作られる短鎖脂肪酸は大腸のぜん動運動を活発にするほか、脂肪の蓄積の抑制や肥満、糖尿病の予防への効果が期待できる。また、免疫機能にも関与している。したがって、「乳酸菌+ビフィズス菌入りヨーグルト」のほうが、「乳酸菌のみ」より健康コスパは高くなる、というわけだ。「ビフィズス菌入り」のヨーグルトは、たいてい商品パッケージの目立つ位置に大きく表示されている。このため菌の効能に関する知識さえあれば、容易に違いを見極められるのがうれしい。  次に、ツナ缶とサバ缶を比較しよう。魚の缶詰の中でも使い勝手のいいツナ缶とサバ缶は好みやメニュー、価格でなんとなく選んでしまうことが多いが、これも栄養価で見ると意外に大きな差があるという。 大きな差はないけれど  ツナ缶(びんながマグロ水煮フレーク)とサバ缶(水煮)を100グラムあたりで比べると、DHA(ドコサヘキサエン酸)はツナ缶が440ミリグラム、サバ缶は1300ミリグラムと、サバ缶が約3倍。EPA(エイコサペンタエン酸)はツナ缶110ミリグラムに対し、サバ缶が930ミリグラムと、サバ缶が8.5倍も多い。DHAやEPAは生活習慣病や動脈硬化、認知症の予防などに効果が期待できる。浅野さんは言う。 「これは外せません。なぜかと言うと、今の日本人は魚の摂取量が少ない上、DHAやEPAの摂取量が少ないからです。これらを手軽に取るのにサバ缶は最適な食品なのです」  最後は豆腐。木綿豆腐と絹ごし豆腐は硬さだけでなく、栄養価にも違いがあると知る人はそう多くないだろう。着眼点は製法の違いだ。木綿豆腐は大豆をゆでて絞った豆乳をにがり(凝固剤)で固めたものを型に入れ、圧力をかけて水分を搾り押し固めて作る。一方、絹ごし豆腐は、豆乳ににがりを加えてそのまま固める。水分を抜いて凝縮して作る木綿豆腐は、たんぱく質やカルシウムなどの大豆本来の栄養素が多く含まれ、絹ごし豆腐に比べて全体的に少しずつ栄養価が高い。反対に水分量が多い絹ごし豆腐は、栄養価はやや下がるが、カロリーが低く、カリウムが多いのが特徴という。 「栄養面での大きな差はありませんが、より多く栄養素を含んでいるという点では、木綿豆腐のほうが、少しだけ健康コスパが高いといえます」(浅野さん)  コロナ禍による環境の変化などで健康意識が高まっている今だからこそ、同じ価格や似たような食品ならできるだけカラダに良いものを選びたいというニーズも高まっている。浅野さんはそう考え、健康コスパを提唱した。  自分にとってベストな食品とは何か。効率だけではない、日々の選択の積み重ねがものを言う。健康は一日にして成らず。肝に銘じたい。(編集部・渡辺豪) ※AERA 2023年10月9日号
最低賃金1500円の実現には「消費税の全廃が一番確実」 なぜ日本の賃金は上がらないのか、森永卓郎氏らが指摘する原因と対策
最低賃金1500円の実現には「消費税の全廃が一番確実」 なぜ日本の賃金は上がらないのか、森永卓郎氏らが指摘する原因と対策 ※写真はイメージ(gettyimages)    最低賃金は全国平均で1004円と、政府が目標とする「1千円」を初めて超えた。だが喜んではいられない。そもそも、日本の賃金が低いのはなぜか。有効な対策は。AERA 2023年10月9日号より。 *  *  *  日本の賃金は伸び悩んでいる。  経済協力開発機構(OECD)のデータなどを元に、政府がG7各国の実質賃金の推移を調べたところ、1991年を100とすると、2020年に米国は約147、イギリスは約144。対して、日本は約103にとどまる。  他国の実質賃金が上昇する中、日本の停滞が際立っている。なぜか。  経済学者で一橋大学の野口悠紀雄名誉教授は、「日本企業の生産性の低さに要因がある」と指摘する。 「生産性とは稼ぐ力、正確に言うと付加価値です。企業は付加価値から賃金を支払っているので、付加価値が増えていかなければ賃金は増えません。高度成長期では付加価値は伸びましたが、1990年代の初めごろに頭打ちになりました」  日本が生産性を上げることができなくなったのは、80年代以降、世界経済が大きく変わったからだという。中国が工業化に成功し、それまで日本がつくっていた工業製品を自前でつくれるようになった。90年代になるとアメリカでIT革命が起き、製造業から情報産業に大きく変わった。 AERA 2023年10月9日号より   都市と地方の賃金格差、最大で年間約42万円  この時、日本も構造改革に踏み切らなければいけなかった。だが、日本政府はこうした政策をとらず、2000年代初めごろから円安に誘導する政策を取り、円安による価格競争で対抗したと野口名誉教授は語る。 「円安により輸出企業の利益は上がりましたが、企業は何もしなくても自動的に利益が増えるため、技術革新する努力を怠りました。その結果、生産性が上がらないので賃金も上がらず、人材の海外流出が起き、人材の確保が難しくなりました。こうして足腰が立たなくなったのが、今の日本です」  最近は、物価高に加え、ガソリン代の高騰も人々の家計を直撃する。  東日本の地方都市に住む、保育園に通う2人の娘を育てるシングルマザー(33)は嘆く。 「ガソリン代が痛いです」  5年前に離婚し、派遣社員として工場で週5日働く。時給は1100円で、月の収入は手取り14万~15万円。   AERA 2023年10月9日号より   実家なので家賃はいらないが、生活はカツカツ。月の食費は2万円以内に抑え、旅行もほとんど県内だという。  そんな中、ガソリン代が上昇していった。女性は、子どもの保育園への送り迎えや通勤に車は手放せない。しかし、少し前まで月2万円程度だったガソリン代が、今では月3万円近くかかる。交通費は支給されないので、そのまま家計を圧迫する。女性は言う。 「地方でもお金がかかります。もう少し補助がほしいです」  社会保障が専門の、静岡県立大学短期大学部の中澤秀一准教授は、「最低賃金は地域間格差も是正する必要がある」と指摘する。かつては地方と都市では生活費に差があり、地方は都市と比べ生活費はかからなかった。しかし今は、実態に合わなくなっている、と。 「地方は家賃が安くても、車が必需品で維持費がかかります。対して都市は、家賃が高くても、電車やバスなど公共交通が発達しているので交通費は安く抑えられます。家賃と交通費がトレードオフ(相反)の関係にあるため、地方と都会とで生活費にほとんど差が生じません」(中澤准教授)  今回の改定で、最低賃金の最高額は東京の1113円、最低額は岩手の893円。差は220円で、年間約42万円の賃金格差になる。 「この差が何を生み出すかと言えば、人口の流出です。より良い生活をしたい人は、都市に行きます。時給は全国一律にすることが重要です」(同) AERA 2023年10月9日号より   日本の賃金が上がらない大きな原因は「消費税」  8月31日、岸田文雄首相は、新しい資本主義実現会議で最低賃金は「30年代半ばまでに全国平均が1500円となることを目指す」と表明した。時給1500円だと、週40時間働いて年収300万円程度の水準になる。  中澤准教授は、最低賃金1500円の実現には、中小企業への支援と社会保障をセットで取り組むことが重要だと話す。 「中小企業の支援策として、すでに業務改善助成金がありますが、申請の仕組みが煩雑であまり利用されていません。使い勝手のよい支援策を実施し、同時に教育費や家賃補助、児童手当の増額といった社会保障を充実させる。支援と社会保障の組み合わせで、生活が成り立つ仕組みづくりが必要です」  経済アナリストで独協大学の森永卓郎教授は、「最低賃金1500円はすぐにも実現することが重要」として、次のように提言する。 AERA 2023年10月9日号より   「そのためには、消費税を全廃することが一番確実です。消費税をゼロにすれば、実質賃金は5~6%プラスになります。そうなればお金が消費に回り企業の売り上げが増加し、企業は活力を取り戻しますから、賃金を支払う余力が出てきて最低賃金も上がります」  森永教授は、そもそもこの30年近く日本の賃金が上がらなかったのは、消費税が原因だという。消費税が導入されたことで消費が冷え込み、それに伴い企業の売り上げが落ちた。その結果、企業は人件費を上げることができなくなった、と。 「消費税をゼロにすると、地方税を含め年29兆円近い税収が吹き飛びます。しかし、安倍政権下の20年度に日本は80兆円の基礎的財政収支の赤字を出しましたが、財務省が心配した国債の暴落も円の暴落も、ハイパーインフレも起きませんでした」(森永教授)  ただ、一度に消費税をゼロにすると混乱が起きるかもしれない。そこでまず10%から5%に下げ、3年後にゼロにする。そうした道筋を政府は国民に示し、二度と消費税は創設しないと約束する。そうすれば国民も、安心してお金を使うことができると森永教授。そしてこう続ける。 「同時に、全ての国民に一定額を定期的に支給するベーシックインカムも導入するべきだと考えています。金額は、1人月7万円です。不要になる基礎年金や失業保険を廃止すれば、必要な財源は70兆円ほどになります。消費税の廃止を含めて100兆円の赤字が短期的には出ますが、その後の税収増で赤字幅は減少していくでしょう」  前出の野口名誉教授は、賃上げには、今の状況を逆転させること、つまり企業が新しいビジネスモデルをつくり技術革新を行い、生産性を高めることだと提言する。 「特に情報産業の生産性を上げることです。日本には90年代のIT革命以降の世界の大きな変化に、対応できる企業がありません。最近では、生成AIに象徴されるAI技術です。これらに対応できるかどうかが課題です」  そのためには、人材の育成が不可欠と、野口名誉教授は言う。 「人材の育成は教育機関の役割です。ただ、日本の大学が養成しているのは、依然として古いタイプのエンジニアです。日本の大学教育の構造改革を行い、そこで高度な専門性を持った人材を育て、新しいタイプの産業や企業をつくっていく。こうして企業の稼ぐ力、生産性を上げることでしか賃金を上げることはできません」  誰もが安心して暮らせる賃金を得られる社会へ──。課題は多いが、歩みを進めなければいけない。(編集部・野村昌二) ※AERA 2023年10月9日号より抜粋
手取り10万円、2児のシングルマザー「家族3人、ギリギリの生活です」 最低賃金「1千円」超えでも喜べない現実
手取り10万円、2児のシングルマザー「家族3人、ギリギリの生活です」 最低賃金「1千円」超えでも喜べない現実 10月から最低賃金が全国平均1004円と、初めて1千円台になった。しかし、先進国の中でなお低い水準で、地域間格差など問題も多い(撮影/編集部 野村昌二)    最低賃金が初めて1千円を超えた。しかし、これでは、健康で文化的な最低限度の生活を送ることはできない。AERA 2023年10月9日号より。 *  *  *  時給970円。収入は手取りで月10万円いくかいかないか。 「家族3人、ギリギリの生活です」  兵庫県に住む、小学6年生の息子と中学3年生の娘を育てるシングルマザー(46)は言う。 ※写真はイメージ(gettyimages)    2年前、夫のモラハラが原因で離婚。近くの保育園で保育士資格のない「保育補助」として週4日働く。  家賃は月6万4千円。他にも光熱費に食費、日用品……。どんなに切り詰めても1カ月の生活費は20万円近くかかる。子どもの児童手当と児童扶養手当の他、長女に障害があり特別児童扶養手当を受給している。そうした手当が合わせて月10万円程度ある。それで収支がトントンだという。 「お金がなくても前向きに」と女性。だが、生活は厳しい。貯金は1万円あるかないか。フードバンクなどからも支援を受けているが、急な出費の時は、カードローンを利用することもある。  これから子どもたちにお金がかかる。息子は野球をしていて、中学に入っても続けさせてあげたい。収入を上げるにはスキルアップが必要だ。いま女性は、保育士の資格を取るため国家試験に挑戦している。年内には取得し、保育士として働きたいという。 AERA 2023年10月9日号より   「保育士資格があれば、時給1300円ぐらいはもらえます。そうすれば、将来にも備えていくことができると思います」(女性)  この女性を支援する一般社団法人「ひとり親支援協会(エスクル)」代表の今井智洋さんは、ひとり親世帯が置かれた状況をこう話す。 「ひとり親はどうしても仕事を休みがちになるため、近くに頼れる人がいないと正社員としてなかなか雇ってもらえません。正社員でも肩を叩かれ非正規になり、最低賃金が下がって生活が困窮することが少なくありません」 AERA 2023年10月9日号より    企業が従業員に支払う最低賃金(時給)。都道府県ごとに定められ、毎年改定される。そんな、働く人の生活を守る大切な安全網が今年度、全国平均で1004円と、政府が目標とする「1千円」を初めて超えた。引き上げ額は物価高を考慮し43円、と過去最高になった。引き上げは10月1日以降、順次実施される。   【こちらも話題】 生きるために「風俗」で副業 手取り月16万円、4人の子持ち40代シングルマザーの覚悟 AERA 2023年10月9日号より   一人暮らしに必要な金額は月24万~26万円  だが、1千円を超えたからといって喜んではいられない。 「時給1千円でも、週40時間働いて年収は200万円程度。ギリギリの生活を送ることはできると思います。しかし、たまに旅行に行ったり友人と外食をしたりする、憲法が保障する健康で文化的な最低限度の生活を送ることはできません」  そう指摘するのは、社会保障が専門の、静岡県立大学短期大学部の中澤秀一准教授だ。  中澤准教授は2015年から労働組合と協力し、全国27都道府県で「最低生計費試算調査」を行っている。 AERA 2023年10月9日号より    ワンルームの賃貸マンション(25平方メートル)に住む一人暮らしの25歳男性を対象に、生活実態や持ち物の数量を調べ必要な費用を積み上げた。その結果、一人暮らしの若者が、健康で文化的な生活を送るには月24万~26万円(税・社会保険料込み)が必要になることがわかった。この金額を月の法定労働時間(月173.8時間)で換算すると、時給1500円になる。 「つまり、一人暮らしで安定した生活を送るには、最低でも時給1500円が必要です」(中澤准教授) (編集部・野村昌二) ※AERA 2023年10月9日号より抜粋   【こちらも話題】 「就職氷河期世代」国立大学院卒・手取り月11万円、副業はパン工場 40代男性「身体も心も限界です」非正規公務員の現実
「岸田政権」2年間の“不祥事と炎上”を振り返る 「息子は優遇」「庶民は増税」を涼しい顔でする宰相の素顔
「岸田政権」2年間の“不祥事と炎上”を振り返る 「息子は優遇」「庶民は増税」を涼しい顔でする宰相の素顔 内閣改造後、記者会見する岸田文雄首相    岸田政権の発足から4日で2年となった。一時期は内閣支持率が59%(朝日新聞世論調査)まで上がったこともあったが、閣僚などの不祥事が続いた上に、重要政策を強引に推し進めたことなどから支持率が下落。現在も低い支持率にとどまっている。政治ジャーナリストの角谷浩一さんはこの2年について「良くても100点中30点」と落第評価だ。改めて岸田政権の2年間を振り返ると、岸田文雄首相の“本性”が浮き彫りになってくる。 *  *  * 「政権として力強さを感じることはないが、低空飛行でしぶとい印象です」  政治ジャーナリストの角谷浩一さんは岸田政権の2年をこう振り返る。  安倍政権、菅政権と続いた“強権政治”とは違い、一見、岸田首相は穏健派に映る。だが、その実、防衛増税も含めて政策決定は乱暴で、民意を顧みないことも少なくない。一体、岸田政権とはいかなるものなのか。政権支持率と主な出来事を突き合わせながら、振り返ってみたい(肩書はすべて当時のもの)。  岸田政権は2021年10月、菅義偉首相から引き継ぐかたちで発足した。政権スタートの支持率は45%(朝日新聞世論調査、以下同)だった。この数字は01年以降の新政権発足時で過去最低の支持率だった。  岸田首相は総裁選でも、自身の長所として「聞く力」を掲げていた。それを発揮していた(と思われた)当初は、国民の支持率が上がる局面もあった。    たとえば、21年12月。18歳以下への10万円の給付方法を現金とクーポンで別々に給付するとしていたが、世論や自治体からの反発を受けて、全額を一括で現金で給付することも可能とする方針に転換した。  こうした対応を受けて、同年12月の世論調査では支持率は49%に上昇した。当時の世論調査でも、岸田首相の「聞く力」については、「発揮していると思う」が48%とおよそ半数を占めるほどだった。  22年に入ってからは、ロシアのウクライナ侵攻に対し、岸田首相は「認めることはできない。強く非難する」などと述べ、欧米各国と歩調を合わせながら経済制裁を実施した。一連の対応は国民から評価され、同年3月の支持率は50%、4月は55%、5月は59%と3カ月連続で上昇した。ここが岸田政権の支持率の“ピーク”だった。  その後、支持率は減少に転じることになるが、ポイントとなったのは、同年7月の参院選後だった。  参院選の終盤に安倍晋三元首相の銃撃事件が起こり、それ以降、旧統一教会と自民党議員との深いつながりが次々と明るみに出た。  旧統一教会との関係を含めて、生前の安倍元首相は政治家としての評価が二分されていたが、岸田首相は、党内の保守派や保守層を意識し、安倍元首相の国葬の実施を決定した。世論の半数以上が反対の意向を示しながらも、9月27日に国葬を強行した。 安倍晋三元首相の国葬で、追悼の辞を述べる岸田文雄首相        国葬後に実施された世論調査では、支持率は40%まで下落。この後、炎上や不祥事のオンパレードとなっていく。  10月には岸田首相の息子・翔太郎氏が首相秘書官に就任することが発表され、「公私混同」などと強い批判を浴びた。  その後、山際大志郎経済再生相が旧統一教会との関係を相次いで指摘され辞任。  11月も葉梨康弘法相が死刑執行に関して軽んじるような発言をし、辞任。  さらには寺田稔総務相が、政治資金をめぐる問題が複数発覚し、辞任した。 首相秘書官になった長男・翔太郎氏(左) 岸田文雄首相に辞表を提出後、取材に応じる山際大志郎経済再生相    極め付きは、12月に決まった防衛政策の転換だ。岸田首相は12月に防衛費の安定した財源確保に向け、増税を検討すると表明。さらに、国会での議論を経ずに、敵基地攻撃能力の保有などを盛り込んだ安保関連3文書の改定を閣議決定した。  閣議決定だけで、国民の生活や国のあり方を変えてしまうような重要政策を決めてしまうことに世論は反発。閣僚の不祥事が重なったこともあり、世論調査でも支持率31%と最も低い数字をたたき出した。  23年に入ってからもスキャンダルが相次いだ。1月には息子・翔太郎氏が首相の外遊に同行した際に観光をしていた疑惑が報道され、SNSなどで炎上した。  さらに、荒井勝喜首相秘書官が性的少数者らに対して「隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」などと差別発言をしていたことが発覚し、更迭された。   安保関連3文書の改定に向け臨時閣議に臨む岸田文雄首相(中央) 首相官邸に入る荒井勝喜首相秘書官(右)          一方で、5月に「G7広島サミット」が控えていたことから、政権運営としては“安全運転”が続き、5月の政権支持率は46%にまで回復した。  角谷さんはこう語る。 「岸田首相の支持率が上がるときは、選挙やサミットがあり余計なことを何もやらないときです。反対にそうしたイベントが終わると、キャッチーだけど中身のない政策をぶち上げて、ガクッと支持率が落ちる。また、閣内や党内の不祥事が多く、支持率を下げる要因が毎月のように起こっています」  岸田政権の炎上、不祥事はサミット後もとどまることはなかった。  サミット後の5月下旬、息子・翔太郎氏が首相公邸で忘年会を開き、記念撮影などをしていたことが発覚。岸田首相は息子をかばう態度も見せたが、批判の声を抑えきれず、翔太郎氏は更迭された。  6月には、マイナンバーをめぐり個人情報が漏洩していた問題などが続々と発覚したことを受けて、「総点検本部」が設置された。この問題を巡っては河野太郎デジタル担当相は当初「マイナンバーカードの信頼性に影響するものではない」などと強弁していたが、デジタル庁から行政指導されることになった。  7月には木原誠二官房副長官が妻の元夫の不審死をめぐり、刑事事件の捜査に介入した疑惑を週刊文春が報道。8月には秋本真利外務政務官が風力発電会社から賄賂を受け取った疑惑で外務政務官を辞任、自民党も離党した。 「マイナンバーカードの信頼性に影響するものではありません」などと答えていた河野デジタル相 木原誠二官房副長官        さらに、自民党女性局長の松川るい参院議員が、フランス研修中にエッフェル塔前で塔をまねたポーズを写真に撮りSNSで投稿したことが、「不適切」として大炎上した。研修がどういったものだったのか、報告書の公表を求める声が強いが、いまだに公表されていない。  一方で、物価高騰は止まらず、庶民の生活は圧迫されていく。ガソリン価格の高騰を受けて、ガソリン税を軽減する「トリガー条項」の発動を求める声が多くあがっていたが、鈴木俊一財務相は「発動は見送る」と述べ、批判が殺到した。  9月13日には支持率回復を狙った内閣改造・党人事を実施したが、過去に自身の政治団体で不明朗な会計処理が問題になった小渕優子衆院議員が選対委員長に就任したことで、「説明責任が果たせていない」などと批判が再燃。事件当時、検察が押収したパソコンのハードディスクがドリルで壊されていたという事実があり、“ドリル優子”と揶揄する投稿がSNSにあふれた。  直近の世論調査では8月は支持率33%、9月の改造後の支持率も37%と低い水準にとどまっている。 エッフェル塔ポーズをとる松川るい氏(中央)。本人のSNSより、現在は削除されている 自身の政治団体の問題に対する説明責任に関する質問に答え、頭を下げる自民党の小渕優子選対委員長(中央)    こうして振り返ると「不祥事と炎上のオンパレード」と言ってもいいような政権だが、岸田政権はなぜここまで持ちこたえているのか。角谷さんはこう説明する。 「岸田首相は『自分に責任がある』とは言うが、責任は取りません。普通の感覚では『責任がある』と言えば、辞任してけじめをつける話なんですが、そうはなりません。これは『安倍論法』と言われ、安倍元首相が多用した手法です。旧統一教会とのスキャンダルについては『関係を断つ』と言いながら、関係が深いとされる議員が閣内や党内の要職に就いています。メディアはこうした事態に厳しく対峙する必要があるのですが、受け入れてしまっている。その結果、低空飛行で政権が維持される結果になっているのだと思います」  また、岸田首相の“見た目”の印象も影響を与えていると見る。 「麻生(太郎)氏が岸田首相について『リベラルそうに見えるあの顔が世の中に受ける』と言っていましたが、実際そういった側面がしぶとさにつながっていると思います。岸田首相は宏池会なのでリベラル、ハト派のような印象がありますが、実際はそうではない。メディアも野党も岸田首相のイメージを正確につかみ切れていないため、のらりくらりと岸田政権を生かすことになっています。このまま政権を維持し続けることもあり得ます。岸田首相を改めて“解剖”し、正確に理解する必要があると思います」  ちまたでは、10月に解散かという声も出始めている。この国のかじ取りをこれからも岸田首相に任せていいのか、われわれはよく考える時期を迎えている。 (AERA dot.編集部・吉﨑洋夫)
手のふるえはパーキンソン病のサイン? 「生真面目な性格」が発症に影響という指摘も【チェックリスト】
手のふるえはパーキンソン病のサイン? 「生真面目な性格」が発症に影響という指摘も【チェックリスト】 ※写真はイメージです(写真/Getty Images)    パーキンソン病という病名を聞いたことはあっても、どんな病気なのかはよく知らない人は少なくないようです。日本での患者の割合は約1000人に1人と、パーキンソン病は決して「珍しい病気」ではなく、治療で症状をコントロールしながら、仕事を続けたり、趣味などを楽しんだりできます。症状や発症の仕組みなどについて、パーキンソン病を専門とする脳神経内科の医師に聞きました。この記事は、週刊朝日ムック「手術数でわかるいい病院」編集チームが取材する連載企画「名医に聞く 病気の予防と治し方」からお届けします。「パーキンソン病」全3回の1回目です。 *  *  *   「パーキンソン病」は脳の神経細胞に変化が生じて、手足がふるえる、動きが遅くなるなど、主に体の動きが悪くなる病気です。治療のベースは内服薬で症状をコントロールすること。今のところ、治療で進行を完全に止めること、完治することはできませんが、症状の進行をゆるやかにすることはできるため、すぐに寝たきりになることはなく、過度に恐れる必要はありません。  パーキンソン病の患者会との交流に力を入れている順天堂大学順天堂医院脳神経内科准教授の大山彦光医師は、次のように話します。 「治療法が発達したことにより、患者さんは長く自立した生活を送れるようになっています。多くの高齢者と同様、やがては介護が必要になりますが、パーキンソン病ではない人と比べても、寿命は大きく変わらなくなりました」  介護を受けながらの生活が続くうち、やはりほかの高齢者と同じように、加齢に伴って全身の機能が低下していって、誤嚥(ごえん)性肺炎や尿路感染症などの合併症で亡くなることが多く、パーキンソン病そのもので亡くなるというわけではありません。 発症に気づきやすい「運動症状」とは  パーキンソン病の主な症状に、振戦(ふるえ)、動作緩慢(動作が鈍く、遅い)、筋強剛(関節の動きが硬い、ぎこちない)、姿勢保持障害(転びやすい)があります。  振戦は、じっとしているときに片側の手や足に起こりやすく、周りも気づきやすい症状です。進行するとやがて反対側にも広がります。なかには首やあごがふるえるという人もいます。あわてたり緊張したりすると、ふるえは大きくなります。ふるえは有名な症状ですが、ふるえが出ないタイプの人も少なくありません。  動作緩慢というのは動きが遅くなる症状で、そのため何をするにも時間がかかるようになります。また、動き始めるのに時間がかかってすくんでしまうこともあります。筋強剛は筋肉がこわばり関節の動きが硬くなる症状で、手足の動きがぎこちなくなります。体幹の筋肉がこわばると背中が曲がったり姿勢が前かがみになったりします。姿勢保持障害は、発症から5~10年経ってから出てくる症状です。立ち上がったときや歩行時、少し体勢をくずしただけでバランスがとれず、転倒しやすくなります。  自分や家族にどんな症状があるとき、パーキンソン病を疑えばいいのでしょうか。専門医の少ない地域での医療相談にも取り組む国立病院機構宇多野病院臨床研究部長の大江田知子医師は、次のように話します。 「周りから最も気づかれやすい症状は、ふるえです。例えば、テレビを見ているときなどに、『片側の手や足がふるえているよ』とご家族が教えてくれます。パーキンソン病の場合、初期には左右どちらかに症状が出るのが特徴です。動作緩慢や筋強剛は少しわかりにくいかもしれません。卵を溶いている途中で箸を持つ手が止まってしまう、シャンプーしているとき片方の手が止まってしまうと訴えて受診する人もいます。着替えに時間がかかるようになった、前かがみでちょこちょこ歩きになったといって来る人もいます。表情が少なくなり声が小さくなったのを気にして受診された人もいました」  散歩を習慣にしていた夫婦の場合では、同じ速さで並んで歩いていたのに、だんだん妻が遅れるようになり、「速く歩けなくなったね」と夫が気づいた例もあるそうです。    パーキンソン病では、「非運動症状」といって、体の動き以外にもさまざまな症状が起こります。例えば、便秘、嗅覚(きゅうかく)の低下、「レム睡眠行動異常症」は、運動症状より前に起こりやすいとされています。レム睡眠行動異常症とは、眠っている間に夢を見ながら大声を上げたり手足をばたばた動かしたりする症状です。ほかに、不安やうつ症状、睡眠障害、頻尿、立ちくらみ(起立性低血圧)などもよく合併します。病気が進むと、幻視(部屋に子どもや動物がいると言い張る)が表れたり、もの忘れが目立ったりしてくることもあります。 65歳以上だと100人に約1人発症  パーキンソン病の患者数は、28万9000人と推定されています(厚生労働省「令和2年患者調査」)。人口1000人あたり1~1.8人の割合で発症します。高齢になるにつれて発症する人が増え、65歳以上では100人に約1人と、珍しい病気とはいえません。人口の高齢化に伴い患者数は増えており、今後も増えると考えられています。なお、まれに40歳以下で発症することもあります。    親や親族がパーキンソン病になると、「自分も遺伝的に発症しやすいのだろうか」と心配になるかもしれません。しかし、発症に遺伝が強くかかわる「遺伝性(家族性)パーキンソン病」は、全体の1割程度と考えられています。約9割は、主に加齢や環境的要因などが重なって発症し、親から子へ遺伝することのない「孤発性パーキンソン病」とされます。 「40歳以下で発症した人には遺伝性が多いと考えられており、60歳前後で発症した場合は、遺伝性ではなく孤発性だろうと推定されます。身内にパーキンソン病の人がいるからといって、必ずしも自分もパーキンソン病になるわけではないので、心配し過ぎないようにしましょう」(大山医師)  環境的要因には、農薬や化学物質、栄養の偏り、飲食物の嗜好(しこう)などが指摘されていますが、完全には解明されていません。 「生真面目な性格が発症に影響するという指摘もあります。実際、患者さんには生活態度がきちんとしている人が多いという印象があります。また、尿酸値が高いことや喫煙は発症しにくくする要因とされ、これらを考えあわせると、真面目過ぎないほうがいいのかもしれません。だからといって、過度な飲酒、尿酸値が高くなる、喫煙するというのは、生活習慣病やがんなど、ほかの病気のリスクを上げることになり、お勧めできません。腸内細菌の変化が発症に関係するという研究がおこなわれているので、腸内環境を整えるのはいいと思います」(大山医師) 脳内で神経細胞が減り、ドパミンが減っていく  神経伝達物質の一種に「ドパミン」があります。パーキンソン病では、脳の奥にある中脳の黒質という部位で、このドパミンが減少しています。ドパミン減少の理由は、ドパミンをつくる神経細胞が減るためです。「α-シヌクレイン」という異常なたんぱく質が神経細胞に集まり、それが塊(レビー小体)をつくることで神経細胞が減ると考えられています。ただし、α-シヌクレインがどのようにして集まるのかは解明されていません。  レビー小体は、パーキンソン病の進行に伴い黒質以外の大脳皮質にまで広がり、認知機能の低下を起こすことがあり、パーキンソン病の人は、そうでない人に比べ認知症を起こしやすいとされます。  レビー小体が神経細胞にたまる病気には「レビー小体型認知症」もあります。この場合、パーキンソン病と違って、レビー小体は最初から大脳皮質にたまります。レビー小体型認知症の特徴は、認知機能の低下に加え、幻覚・妄想、そしてパーキンソン病と同様の運動症状が起こることです。 「パーキンソン病とレビー小体型認知症は、兄弟のような病気と言えるでしょう。今のところ両者の区別は、認知機能の低下が運動症状と同時もしくは1年以内に起こった場合はレビー小体型認知症、運動症状より1年以上遅れて認知機能の低下が起こった場合はパーキンソン病に伴う認知症とされています」(大山医師)  発症の仕組みが徐々にわかってくることで、病気の根本にアプローチする研究も進んでいます。例えば、血液中からα-シヌクレインに関わる物質を検出することに成功しており、運動症状が表れる前にパーキンソン病の前兆をとらえる血液検査や、α-シヌクレインを取り除くような治療の開発につながるものと期待されています。  足を引きずる、表情が乏しくあまり活動しなくなったなど、気づいた症状によっては、最初に整形外科や精神科を受診する人もいます。その後、脳神経内科に紹介されることもありますが、しばらくパーキンソン病だと気づかれず診断が遅れることもあります。 「パーキンソン病は早期に発見して早期に適切な治療を開始することが大切です。また、パーキンソン病とよく似た症状で始まるほかの脳変性疾患もあるため、よく区別しておくことが必要です。それらしい症状があれば、ためらわずに脳神経内科にご相談ください。日本神経学会のホームページを見ていただくと、神経内科の専門医や主要な病院を探すことができます」(大江田医師) (文/山本七枝子)   【取材した医師】 順天堂大学順天堂医院 脳神経内科 准教授 大山彦光医師 2002年、埼玉医科大学医学部卒。10年、順天堂大学医学研究科で博士号取得。米フロリダ大学Movement Disorder Center フェロー等を経て、14年4月から現職。脳深部刺激療法(DBS)治療のチームリーダーを務めるほか、遠隔地にいる患者の体の動きを3次元でとらえる3次元オンライン診療システムの開発にも携わる。患者会(パーキンソン病友の会)のイベントに参加するなど、患者との交流にも力を入れている。 順天堂大学順天堂医院:東京都文京区本郷3-1-3 順天堂大学順天堂医院 脳神経内科 准教授 大山彦光医師   国立病院機構宇多野病院 臨床研究部長/京都大学医学部 臨床教授 大江田知子医師 1993年、大阪市立大学医学部卒。2003年、京都大学大学院で博士号取得。01年から国立病院機構宇多野病院脳神経内科。脳神経内科医長を経て、16年から現職。診断から進行期にいたるまで、パーキンソン病を中心とした脳変性疾患の診療に携わり、「最適な治療は患者さんを知ることから」をモットーにコミュニケーションを大切にしている。専門医の少ない地域での保健所による個別医療相談にも取り組む。 国立病院機構宇多野病院:京都市右京区鳴滝音戸山町8 国立病院機構宇多野病院 臨床研究部長/京都大学医学部 臨床教授 大江田知子医師     連載「名医に聞く 病気の予防と治し方」を含む、予防や健康・医療、介護の記事は、WEBサイト「AERAウェルネス」で、まとめてご覧いただけます。
「腹が……減った」チョコザップに1カ月通った運動不足の50代記者に起きた変化
「腹が……減った」チョコザップに1カ月通った運動不足の50代記者に起きた変化 24時間営業でスタッフがいないチョコザップの店舗。利用者が次々に入れ替わり、それぞれのトレーニングメニューに励む(撮影/伊ケ崎忍)    ようやく暑さも一段落して、日頃の運動不足解消に、さあ体でも動かそうか、とお考えの方も多いだろう。でも何を、どうやって? なかなか始まらない、始められない方々に、記者の「コンビニジム」体験記を紹介する。AERA 2023年10月9日号より。 *  *  *  長年の不摂生で内臓の調子が春以降ずっと悪い。おまけに猛暑で食欲も減衰。この夏は日課のウォーキングも途切れがちで、ほぼ室内にこもりきりだった。さすがにこれではまずい。少しでも体力を取り戻すべく、ジム通いを決心した。とはいえ、すぐに飽きる可能性もある。高価な入会金や会費を払うのは論外だ。そもそも猛暑の日中にジムに出かける気にもなれない。通うなら早朝か深夜。そう考えると、「コンビニジム」しか選択肢はなかった。  ずっと気になっていたのが、RIZAPが運営する「chocoZAP」(チョコザップ)だ。昨年7月のブランド開始以降、急成長を続け、店舗数は880店舗、会員数は80万人(いずれも8月15日現在)を突破。業界トップの人気を誇る。「どうせなら仕事を兼ねて」ということで、秋の気配が程遠い9月1日から体験ルポに臨んだ。 スマホをかざして入館  初期費用は入会金と事務手数料で5千円(税込み)、月会費3278円(同)を合わせて8278円。入会すると体組成計とヘルスウォッチがもらえる。これらをスマホにダウンロードしたチョコザップのアプリと連動させる。体重を測るのは昨年の健康診断以来だ。恐る恐る数字をのぞくと59.8キロ。BMI(身長と体重の関係で肥満度を表す指標)は21.2で、いずれも「標準」と表示されていたが、60キロを切っているのには驚いた。中学生以来だろうか。  無理もない。思い起こせばこの2カ月間、肉や魚はほぼ口にせず、毎日ソーメンばかり、というヴィーガンのような食生活だった。体内年齢は44歳と実年齢より10歳若かったものの、内臓脂肪は9.0。メタボリック症候群の診断基準である「10以上」の一歩手前だった。健康診断で「境界型糖尿病」と診断されたこともあるため自覚はしていたものの、やはり運動不足はカラダに良くないのだと悟った。  仕事がひと段落した午後9時。いよいよ「初チョコザップ」へ。アプリを起動し、最寄りのジムの混雑具合を確認する。金曜夜のため混んでいるかと思ったが、表示は空きを示す「空」だった。ジムは自宅から片道2.6キロ、徒歩で約20分。ウォーキングにはもってこいの距離だ。スマホに表示された入館証のQRコードを入り口でかざして入館する。 アプリに表示された体組成計の計測値に基づく記者のカラダ記録。ヘルスウォッチと連動し、血圧や心拍数、体表面温度も記録、表示される    ジムの中はエアコンが利いていて快適だった。持ち物はスマホだけ。着替えや靴を履き替える必要もない。入り口近くに、鍵のないむきだしの棚が設置されていた。これも低料金に抑えるためだろうが、さすがに盗難のリスクが気になり、スマホを置くのは控えた。チョコザップ広報によると、スマホや財布などの貴重品はロッカーに置かず、手荷物として持って利用する人が多いとのこと。盗難予防措置として各店舗に約10台の監視カメラを設置しているという。 たまらず焼きそば食う  ジムの広さはコンビニの店内ほど。10人近くの男女が入館していたが、トレーニングマシンの約半分は空いていた。「静かだな」というのが最初の印象だった。マシンの重りの金属音が時折、「ガシーン」と響くだけでBGMもなく、会話をする人もいない。トレーニングメニューはアプリで推奨している週2回の「ちょいトレ」と決めていた。上半身を鍛えるチェストプレス、ラットプルダウン、下半身を鍛えるレッグプレス、アダクションという4種類のマシンを使った15回×2セットのメニューだ。これを約20分で完了。それだけで、パソコン仕事で蓄積されていた全身の凝りが意外なほどすっきりした。退館時も出口でスマホ認証が必要なのは、スマホの置き忘れを防止する意図もあるのだろう。利用者の回転が速く、来た時のメンバーの半分くらいは入れ替わっていた。  ちなみに、トレーニングマシン1台あたりの平均利用時間は約4.8分。1人当たりの平均滞在時間は30分程度という。  うっすら汗ばむ程度の運動量。秋風というには生暖かいが、外気が心地よく感じられたのは久しぶりだった。その直後、自分が「孤独のグルメ」の主人公、井之頭五郎になった気がした。「腹が……減った」。たまらずコンビニで焼きそばを買い、部活帰りの中学生のように一瞬で平らげてしまった。  スキマ時間を使って、「ちょこっと運動したいニーズ」に応えるコンセプトは、先方の都合に合わせて不規則に取材が入る私の生活にマッチしていた。特に早朝の時間帯は利用者が少なく、落ち着いて利用できる。 アプリに表示された体組成計の計測値に基づく記者のカラダ記録。ヘルスウォッチと連動し、血圧や心拍数、体表面温度も記録、表示される   気づけば1日おきに…  週2回のつもりだったのが、気づけば1日おきに通っていた。設置されているトレーニングマシンをほぼすべて使うようになったが、15回×2セットをこなしても滞在時間は30分を超えない。相変わらずジムを出ると、たまらなくおなかがすいた。ジムの階下には「吉野家」があった。ここでトレーニングの後、朝牛セット(牛丼とお新香、みそ汁)を食べるのが日課になった。  入会時にチョコザップの広報担当者からこんなアドバイスを受けていた。 「短期間で痩せるといった結果を出すというよりは、無理のない範囲で生活習慣に取り入れて継続して運動することで健康になってもらえれば、と考えています。体感として心身がリフレッシュしたとか気分が良くなったという変化に留意してください」 1カ月で数値は横ばい  実際、約1カ月利用して体重などカラダのデータはいずれもほぼ横ばいだった。が、心境には変化が生じていた。そのことを自覚したのは、あるハプニングに遭遇した時だ。ジムに着いた際、スマホアプリの画面がフリーズし、入館証が表示されないトラブルが一度だけあった。スタッフがいない施設だけに、入館証が表示できなければ撤退せざるを得ない。この直前まで、私の頭の中では「きょうはどのマシンから使おうかな」と少し弾む心持ちで、既にトレーニングをしている自分の姿がイメージされていた。それが不意に奪われた衝撃は、自分でも意外なほど大きかった。もちろん、帰り際に牛丼を食べる気にもなれない。  もうウォーキングだけで気分転換できるカラダではなくなっていた。私にとっての「ちょいトレ習慣」は、もはや一日のスタートとして欠かせない生活リズムに組み込まれつつあったのだ。帰宅後、アプリで紹介されていた自宅でできる筋トレメニューをこなしてなんとか気分をすっきりさせた。そのあと、チョコザップのコールセンターに問い合わせ、入館証の表示が無事復旧した時には、文句どころか、担当者にお礼を繰り返す始末。その時、ふと思った。この料金と時間で心身がリフレッシュできるのは何物にも代えがたい。それが健康にもつながるというのであれば、通い続ける以外に選択肢はない、と。(編集部・渡辺豪) ※AERA 2023年10月9日号
iPS細胞初移植の女性医師が50歳で目覚めた“4次元”の重要性 医療システム改革を大胆提言
iPS細胞初移植の女性医師が50歳で目覚めた“4次元”の重要性 医療システム改革を大胆提言 眼科医・ビジョンケア社長 高橋政代さん(62)  世界初のiPS細胞を使った眼科手術を主導した高橋政代さんは、再生医療をはじめ費用が高い最先端治療の普及には医療制度の変革が必要だとアピールしている。日本の医療には、保険診療と自由診療があり、自由診療はお金がかかるほか、医療の質が担保されていないという課題がある。そこに学会が関与する形で民間保険を入れて、自由診療の枠組みを利用して高額な先進的医療を多くの人が受けられるようにすべき、というのだ。「国民皆保険」という世界に誇る制度をこれで守れると位置づける。未来を見据えて大胆に進み続ける高橋さん。ここまで、どんな道を歩んできたのだろう。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子) >>【前編】「ブルドーザーに乗ったサッチャー」と呼ばれて 「そんなん無理」を超えてきた女性眼科医(62)の歩み *  *  * ――お生まれは大阪ですね。  はい、父は普通のサラリーマン、母は専業主婦で、一人っ子です。地元の小学校から、大阪教育大学附属池田中学校へ。近所のおばちゃんが「この子わりと賢いから挑戦してみたら」って言ったらしいんです。母はそんな意識がなくて、塾も行ったことがなかった。 ――それで受かったんですか。  あのころの中学受験では、塾に行かない人も半分ぐらいいたと思いますよ。家で過去問はやりました。電話帳みたいに厚いやつ。大学受験のときも予備校には行かなかった。夏期講習だけは行って、有名な物理の先生の授業を聴いたら、物理の点数が途端に上がりました。あ~、わかった~っていう感じで。これにはびっくりしました。 「絶対嫌や」と反抗した ――お母さまが医学部受験を勧めたとか。  そうです。親戚には歯医者が多かったんですけど、母は「戦争になっても食いっぱぐれがない」とか言って、医者を勧めた。母親はわりと勝気だったんだけど、昔だから、女学校しか行かせてもらえなかったとか、専業主婦で我慢しなあかんかったとか、あったんだと思うんです。で、自分で生活できるようにしたほうがいいと私に言っていた。 ――そう言われて、何の疑問もなく?  いや、もう絶対嫌やって反抗してました。血を見るのは嫌だ、とか言って。でも、そのころは本当に嫌だと思っていましたけど、別に慣れるんですね。だから、みんなに言いたい。そう思って医学部の受験をやめる女の子はいっぱいいると思いますけど、そんなのはどうもない(笑)。  結局、反抗したけれど、じゃあ、何をやりたいのか、何学部に行きたいのかというのがなかった。あちこちで言ってますけど、30代半ばで米国に留学するまでは、自分でやりたいことというのは何もなかったんです。自分の意見というのもなくて、誰の意見にも合わせるから、「合わせの小池」って、あ、私の旧姓は小池っていうんですけど、そう呼ばれていた。聞いているばっかりで、自分でしゃべることってあんまりなかったですね。 ――今と大違いですね。  そうなんです。同級生は「あんなに可愛かったのに、どうしてこうなった」と言います(笑)。35歳でやりたいことに出会ってから、言いたいことがどんどん出てきて。今は人が言っている最中にかぶせて話してしまう。これはまずいから自重しないと、と思っているところです(笑)。 テニスなのに泥だらけ ――ちょっと時間を戻すと、京大の医学部に入って、卒業と同時に結婚。お相手は同級生でいま京大iPS細胞研究所長の高橋淳先生でした。  彼の専門は脳外科ですけど、テニス部で一緒だったんです。彼のテニスは高校野球みたいなんですよ。 ――え? 一生懸命ということですか?  そう、何故かテニスなのに泥だらけになる。それぐらい、どんな無理と思われるボールでもくらいついていく。それと、女子と男子で練習するとき、女子にはみんな容赦するのに、彼は容赦しなかった。それが良かったですね。いま思い出しました。  私は母親にかなり洗脳されて、ちゃんと手に職をつけて、結婚して子育てもするんだと思い込んでいた。だから、子育てをしやすい科として眼科を選びました。卒業直後の研修医時代は手に職をつけるためしっかり勉強しないといけないので、「その間は子どもを産みません」と姑さんに手紙を書いた。あのころはすぐに「子どもはまだ?」って聞かれるから、先制攻撃です。 ――すごいな、それは。  2年の研修医が終わって大学院に行っている間に1人目を産み、2人目は大学院を修了して京大付属病院で助手をしているときに産みました。小さい子が2人いる生活はしんどかったですね。脳外科の旦那は睡眠3時間で働いていて、家にいない。0歳と2歳の子をお風呂に入れるのは大変で、自分の顔を洗うとか髪を洗うとかできなかった。 ――あ~、乳幼児のお風呂は大人が2人いないと無理です。  今から考えてもよくやったと思います。あのころは当直免除とかもなかったですし。それでも、眼科はリベラルで、女性だからといって蔑視されることはなかった。すごく優秀な女性の上司がいましたし、私と同年代で子持ちの女性教員が3人いた。教授が心の広い人だったというか、何も考えていないというか、とにかくラッキーでした。他の科なんか、妊娠したら大学病院を辞めるという不文律がありましたから。 ――え~、産婦人科や小児科にとっては妊娠を経験した女性医師は千人力でしょうに。  本当にそうですよ。今は時代が変わりましたけど、当時の京大病院で眼科以外に女性教員がいる科はほとんどなかったですね。眼科の女性教員の同僚はみな豪傑で、私も含め仕事に穴は開けないし、夜の9時10時まで手術をしていた。でも通常は保育園のお迎えがあるから7時に帰る。そこで仕事を切り上げないといけないことにすごくストレスを感じていましたね。 それをやるのは私だ ――運命の分かれ道となる米国留学に行かれたのが1995年ですね。  夫が脳の神経幹細胞を研究するために米国ソーク研究所に留学したので、子ども2人を連れてついて行きました。それまで自分はあまり研究に向いていないと思っていたんですけど、ここで幹細胞の研究を始めたら、すごく面白い。臨床医をしてきた私は幹細胞の価値がすぐわかった。幹細胞を使って網膜を再生できれば、失明した人に光を取り戻すことができる。それをやるのは私だと思った。 留学時代の記念写真。左端に座るのが高橋政代さん、その奥にいるのが夫の高橋淳さん= 1995年、米国ソーク研究所(高橋政代さん提供)  それで、日本に帰ってからも幹細胞の研究を続けました。当時はES(胚性幹)細胞を使って研究し、2004年には霊長類のES細胞を使った動物実験で治療ができるという世界初の論文を出した。京大の助教授時代です。世界はヒトへの臨床応用に向かってどんどん動いていきましたが、日本では倫理的に慎重さを要求された。ES細胞はヒトの受精卵から作るからです。そこに、皮膚細胞から作れるiPS細胞が出てきたわけです。 ――新聞でも、iPS細胞はES細胞と違って倫理的問題がない、と盛んに書きました。それに、患者本人の細胞を使って作れば、拒絶反応が起こる心配もない。  ES細胞には枕詞のように「倫理的問題のある」という説明がつきましたが、これはおかしいと当時から思っていました。カトリックでは「生命の誕生は受精のとき」と教義にありますから問題視するのはわかりますが、日本では中絶が行われている。にもかかわらずES細胞を問題視するのはダブルスタンダードです。それよりも拒絶反応のことが問題でした。対象疾患の一つ、加齢黄斑変性は高齢になって発症する。高齢者に免疫抑制剤を使用したくなかった。  マウスでiPS細胞ができたと論文発表されたのが2006年で、その年に私は京大から神戸市の理研に移りました。翌年にはヒトでiPS細胞ができたと論文発表された。私は山中先生に「5年で臨床試験をします」と宣言したんです。国も再生医療の特質に合わせた法律、制度づくりを進めてくれて、再生医療については世界最先端の法律ができた。それもあって、異例のスピードで第1例の手術にこぎつけました。 ――米国から帰ってきてから全速力で駆け抜けてきた感じですね。ところが、1例目の手術をしたころは泣き暮らしていたとおっしゃったのには本当に驚きました。そこから不死鳥のように立ち上がったのも素晴らしい。帰国してからの子育てはどうされていたのですか? 米国から一時帰国したときの一家4人=1996年、関西空港(高橋政代さん提供)  米国では臨床医として働く必要はなくて研究だけできたので、本当に解放されて、楽しかった。上の子は6歳になって、小学校の前の段階のプレスクールに入ったんですけど、あらゆることが「お母さんは働いている」という前提で進むから、すごく楽だった。アフタースクールが充実していて、民間の会社が何社も入って、スポーツをやる、勉強する、音楽や美術に親しむとか、いろいろ特徴があって、親が選べるんですよ。お金はかかりますけれど、すごくサービスがいい。学校にずらっとバスが並んで、子どもたちはそれに乗って会社の施設まで行って、遊んだり勉強したりしたあと送ってもらう。  日本に帰ってきたら、学童保育は全然違った。楽しくなかったみたいで、子どもが行きたがらなくなって。保育園は7時まで預かってくれたので自分だけでところどころアウトソースして子育てしていましたが、小学校低学年はすごく早く帰ってくる。それで、姑さんに放課後の子どもの面倒を見てもらうことにしたんです。 ――お姑さんはお仕事をされていなかったんですか?  少し前に保育園の副園長を引退したところでした。 ――お~。安心してお任せできますね。  日本の小学校は、母親がPTA役員などをするものという体制で回っているから、米国とはまるで違う。私もPTAの広報委員会に昼間出席したりしましたよ。  男女共同参画に関して日本の一つの問題は、家事や育児のアウトソースを嫌がることですね。お金がかかっても、ちょっと家事を手伝ってもらうだけで、すごい楽なんですよ。アジアの国々では、第一線で働く女性の家にはお手伝いさんがいる。日本も戦前はそうだったんですが、それを手放してから、全部奥さんがやらないかんとなった。今は男女区別なくなってきましたが、アウトソースを抵抗なく活用できるようになるといいですよね。 ――お嬢さんたちは今どうされているのですか?  2人とも就職して、結婚して、働きながら子どもを産みました。それは、私が母親から譲り受けたように、娘たちに「結婚するのよ」「早めに子どもを産んだほうがいいよ」って刷り込んだから。卵子や精子の老化という科学的問題がありますから。子どもってね、反抗するけど、なんか刷り込まれて叶えようとするのかな、と思います。 公的保険以外の財源が必要  私は今、4次元の会社にしようと言っているんです。2次元は薬などのモノをつくる、3次元は手術など含めて医療をつくる。再生医療はこれで、ここまではできた、と。次は社会の仕組みをつくる、それが4次元の会社です。医療のシステムを変えないと再生医療は広がらない。今の医療費抑制の中でイノベーティブな医療を進めるには、公的保険以外の財源が必要で、それには互助的な民間保険を活用するのがいいと私は言っています。そして、エビデンスのある自由診療という高度医療のカテゴリーをつくって、質が確保されたものにする。 ――自由診療というと、医師会が反対するのではないですか? 国民皆保険は世界に誇る制度で、公的保険を使って必要な医療を受けられるようにするのが筋だ、と言っていたと思います。  医師会の方に「皆保険を守るために必要です」と説明したら納得してくれた。これは今、私の中で一番ホットな問題です。自然科学でいくら頑張っても社会科学が進んでいないと社会実装できないとわかったから。50歳で「社会」に目覚めたんです。 研究メンバーと高橋政代さん(ビジョンケア提供) 【お知らせ】11月11日(土)、オンラインセミナー「研究者に聞く仕事と人生-アエラドットの連載から学ぶ」が東京理科大理数教育センター主催で開催されます。  【前編から読む】 「ブルドーザーに乗ったサッチャー」と呼ばれて 「そんなん無理」を超えてきた女性眼科医(62)の歩み https://dot.asahi.com/articles/-/202745 高橋政代(たかはし・まさよ)/1961年大阪市生まれ。1986年京都大学医学部卒業、1992年京大大学院医学研究科博士課程修了、医学博士。1992~2001年京大医学部付属病院眼科助手(途中1995年から2年間米国ソーク研究所研究員)、2001年10月~2006年9月京大医学部付属病院探索医療センター開発部助教授、2006年4月~2012年3月理化学研究所網膜再生医療研究チームチームリーダー、2012年4月~2019年7月理研網膜再生医療研究開発プロジェクトプロジェクトリーダー、2019年8月~株式会社ビジョンケア代表取締役社長、2022年4月~神戸市立神戸アイセンター病院研究センター顧問、立命館大学客員教授・立命館先進研究アカデミー(RARA)フェロー。
「来ないほうがいいよ」 ウィシュマさんの死に誰も責任を取らない日本の息苦しさ 北原みのり
「来ないほうがいいよ」 ウィシュマさんの死に誰も責任を取らない日本の息苦しさ 北原みのり   9月27日、閉廷後の記者会見で、国側の意見書に対する感想を述べるウィシュマさんの遺族ら  作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、名古屋出入国在留管理局で収容中に死亡したウィシュマ・サンダマリさんの事件について。 *   *  *  2021年、名古屋入管で死亡したスリランカ人のウィシュマさんの事件は、結局、「誰の責任も問わない」という形で終わった。遺族は殺人などの容疑で職員13人を告訴していた。昨年12月の検察審査会は、「殺人罪」は不起訴相当にしたが、「業務上致死罪」の不起訴を不当とし、再捜査が行われていた。  苦しいと訴えても誰にも耳を貸してもらえず、ベッドから落ち冷たい床の上で寒さを訴えても全身に毛布をかけてもらえず、病院に連れて行ってくれと嘆願しても聞き入れられず、ウィシュマさんは亡くなった。死に至るまでのウィシュマさんの動画を見た妹たちは、「姉は動物のように扱われ殺された」と訴えていた。  同居する男性からのDVから逃げるため日本の警察に相談したことが、全ての始まりだった。警察はウィシュマさんを保護せず、ウィシュマさんは収容されて約半年後に死亡した。もし適切な医療を適切なタイミングで受けられたら、33歳の健康な女性が苦しみながら亡くなるなどということがあるだろうか。最後は食事も喉を通らず、飢餓状態にあったというウィシュマさんの絶望を思うとやりきれない。  9年前、知人の事件に巻き込まれる形で私は逮捕され、3日間、国家権力によって拘束された。  初めて中に入って驚愕したのは、留置所に収容されている8割以上が外国人だったことだった。それでも、私が知る限り、外国語を喋る職員はいなかった。驚いたのは、裁判の時に通訳を要請するかどうかを問う書類を、日本語で聞いていたことだ。檻越しに中国人に日本語の書類を見せて、「通訳が必要だったら、ここに印をつけて」と職員が大声で話している。意味が分からず中国人が困っていると、職員はさらに大声でゆっくりと話すのだった。そういう問題じゃないでしょ、と隣に行き、「ここに✓したらいいよ」と紙を指さすと、職員は私を激しく叱りつけたのだった。まさに犬をしつけるかのような勢いで(今どき、犬にだってそんな叱り方はしないが)、黙れ、離れろ、口を出すな、という調子だった。女性の留置所なので職員は全員女性だったが、人間的な感覚が完全に麻痺する職場なのだと思った。  入管は留置所よりもさらに管理が厳しいと聞いている。  職員はどういう教育を受けているのだろうか。そこにいる人を「人間として見ない」ことを、求められているのではないか。こんなところに来る奴らなんて、そもそもクズだ。人権などないようなものだ。どう扱ってもいいのだ。監視し、管理する対象=モノとして見るのだ。そんな教育を徹底的に受けているとしか思えないほど、非人間的な振る舞いがふつうに行われている。そういえば、私のいた湾岸警察署の食事は信じられないほど粗末だった。どれほど日本が貧しくなったとはいえ、9年前に見た弁当以上に粗末な弁当を、私は見たことがない。朝食のメインが安い油で揚げたちくわだった。せめて水分でおなかを膨らまそうとお茶をおかわりしたら怒られた(というより笑われた)。  もう、今の日本になんて、できるだけ来ないほうがいいよ、という思いになる。  働く場としても、生きていく場としても、ここは、決して良い国ではない。  私は今、東京と八ケ岳の2拠点で暮らしている。八ケ岳にはレタス農家が多く、車で走っていると、ベトナム人によく出会う。週末にもなると、国道沿いを集団で自転車で走っているベトナム人の集団に遭遇する。彼らは車を持っておらず、ここら辺は電車も不便で、出かけるといっても近所のスーパーに自転車で向かうくらいなのかもしれない。週末、近所の野菜や雑貨の直売所にベトナム人男性が10人くらいいて、それぞれがよっちゃんイカなどの駄菓子を買っていた。酒のあてにするのだろうか。休日の気楽さか、若者たちは互いの肩にもたれたりなどじゃれ合い楽しげだ。レタス畑の農道を勢いよく自転車で帰っていく姿は、まだとても若い。  安い賃金で働いてくれる外国人労働者がいないと今、日本のレタス産業は成り立たない。日本人の若者が働きに来ても、あまりに過酷な労働ですぐに辞めてしまうのだと、地元の人が話していた。それでもこんなに若いベトナム人たちが日本のレタス農家で働くことで、彼らにどんな未来があるのだろうか。彼らはほとんど日本人と関わらないから日本語を覚えない。辺鄙(へんぴ)な場所で集団生活を強いられるが遠出する足もなく、近所のスーパーで仲間たちと酒のあてを買うのが彼らの休日の過ごし方のようだ。「技能実習生」とはいうが、労働者として、人として、彼らにどれほどの敬意が払われていると言えるのだろう。  一方、日本からは今、東南アジアに向かって働きに出る女性たちが増えているという。  先日、商談の場で「今、ベトナムが熱いよ」という話を聞いた。ビジネスの場で「熱いよ」とは「儲かるよ」ということである。ベトナムの富裕層向けに、日本の医療法人が現地で開業したりして、富裕層向けのサービスが急激に広がっているという。日本人女性看護士は好待遇で迎えられ、日本で働くより高給だそうだ。またベトナムやカンボジアの富裕層向けのキャバクラも次々にオープンしており、そこでは日本人女性が求められているという。日本のキャバクラよりも富裕層が遊ぶので現金になるらしい。  今そんなふうに、若く貧しい女たちがベトナムに出稼ぎに出かけ、若く貧しいベトナム人が日本で日本人が就かない第1次産業を支えている。そんな奇妙なループが生まれている。豊かな人は貧しい者たちをのみ込みどんどん豊かになっていくが、その豊かさは社会に還元されず、厳しい人生を歩む人により厳しい社会になっているのかもしれない。政治も貧しい者には冷たい。 「ウィシュマさんの死がこのような形で終わる国に住んでいるのが苦しい」  SNSでそんなことを書いている人がいた。その苦しさを私も知っていると思った。その苦しさが、もうこの社会の空気そのものになっているのだとも思った。  外国から来た30代の女性が国家権力によって拘束されている状況で亡くなった。自分の意思で出ていくこともできず、自分の意思が何一つ通用しない場で、亡くなった。原因は分からない。だから誰も責任を取らない。そうやって事件は終わってしまった。そんな国のあり方が、この国自らの首を絞めている。そしてその苦しさは、この国を生きる私たちの日常になってしまっているのかもしれない。  ウィシュマさんの死に、私たちはこれからどう向き合っていけるのか。
ベストセラーを生み出す、DNP  大日本印刷のマーケティング分析力
ベストセラーを生み出す、DNP 大日本印刷のマーケティング分析力 「プライベートで、本屋に行くのが好き。海外旅行でも、外国の書店に立ち寄っています」竹崎雄一課長。(写真/すべて長谷川拓美)  出版の危機が叫ばれ続けている。  2023年上半期の紙と電子を合算した出版市場は、前年同期比3.7%減の8,024億円だった。紙の出版市場は同8.0%減となり、電子出版は同7.1%増となった(『季刊 出版指標』2023年夏号、2023年上半期書籍・雑誌分野別動向より)。紙媒体の市場の中でも雑誌の縮小が続き、コロナ特需(自粛に伴う巣ごもり需要)も終息したとみられる。また、報道などで「書店の閉店」を目にする機会も増えているが、メディアが報じるのは出版と書店の危機ばかりで、どうして衰退していったのかが取り上げられることは少ない。  しかし、将来の出版業界を見据えた取り組みをしている会社がある。世界最大規模の総合印刷会社である「大日本印刷(DNP)」だ。  DNPは、1876年の秀英舎(東京・銀座)の発足から始まる。1935年には日清印刷と合併し、DNPが誕生した。戦後の印刷業界をリードし続け、出版印刷以外の分野にも果敢に挑み続ける。例えば、IT社会の到来を真っ先に捉え、非接触ICカードを開発した。その後も、NTTドコモの携帯電話用「FOMAカード」の開発、東京医科歯科大学と共同で毛細血管のパターン形成にも成功し、再生医療分野にも進出した。  出版という軸でDNPを見るならば、歴史ある活版印刷からはじまり、2006年には電子書籍の制作・流通ライセンス事業へ本格的に参入し、08年に丸善、09年にはジュンク堂書店を傘下にし、紙と電子の書籍を提供するハイブリッド型総合書店「honto」を2012年にスタートした。 「出会うべき本と出会える世界を目指しています」  そう話すのは、大日本印刷 出版イノベーション事業部BLM企画本部データマネジメント部の阿部山吾郎部長だ。 「DNPに対して皆さんが真っ先に想像するのは、エレクトロニクスやパッケージの印刷などかもしれません。私たちのチームである出版イノベーション事業部は、生活者にとって「読みたい気持ちが生まれ、読みたい本を、読みたい時に、読みたい形で」入手できる環境を目指し、営業、企画、製造部門が連携して様々な取り組みをしています。(BLM:ブック・ライフサイクルマネジメント)その実現に向けて、マーケティング分析に力を入れ、本が生まれてから読者の手元に届くまでの、読者との様々なタッチポイントで、SNS分析や購買分析などを実施しています。」 「市谷」という地名から、「革新」をもたらす部署名に  本社のある市谷に拠点を構えるという意味の「市谷事業部」という部門名だった祖業の出版部門は、様々な組織改革を経て、2019年10月に「出版イノベーション事業部」と名称変更をした。市谷事業部の時代は、各出版社の担当営業が編集部などを回って進行(入稿・校了)を確認したり、新雑誌の立ち上げ時に製造の打ち合わせをしたりするなど、出版社からの受注仕事中心の組織だった。  竹崎雄一課長(出版イノベーション事業部BLM企画本部データマネジメント部分析企画課)はこう話す。 「旧来の工場は、雑誌製造に特化していました。また、電子書籍が現れても、紙の本と電子は別の部署が担当し、営業・製造・流通もまた各部署で遂行していました。でもそれでは、“気づき”が生まれません。バラバラだったものを1つにし、新たに企画部門も組み入れました。出版業界全体の課題を一貫して考える組織となることで、出版業界に革命を起こしたいという思いもあって、私たちは、業態を変化させて部署名も変えました。さらに、読者の目線で本との出会いを考える取り組みを強化し、絶版になっている絵本を復刻する『復刻書店 いにしえ』や、実験的な試みを行う本屋『外濠書店』(新宿区市谷田町DNPプラザ)など多くのアイデアを生み出してきました」 出版の強みとは何か、今も紙メディアの優位性はあるのか 「ニュースはほぼ、ネットで読んでいます」「新聞の購読はやめました」「この1年、雑誌を買っていないな」。そういう人は、年々多くなっている。  紙文化は終焉したのか……。  メディアの優位性として、紙とウェブを比較してみると見えてくるのはやはり、「信頼性」だろう。以前、某料理ウェブサイトで、離乳食にハチミツを使ったレシピが紹介された問題になったことがある。今でも、正しくない情報がウェブメディアに散見される。では、正しい情報を読者の元に届けるには、何が必要なのか。  竹崎さんは、「記事を1つ作るにしても、出版社の場合は、編集者や副編集長に編集長、校閲など多くの目=フィルターが入ります。間違った情報やフェイクニュースを避ける仕組みが、長年にわたって続けられてきたことが、紙メディアの強みだといえます」と話しながらも、 「しかし、フィルターのかかった情報ばかりを見ていると、 偏った視点といいますか、自分好みの視点だけになりがちになります。本当は、情報こそ多面的に見ることが必要で、紙とウェブを比較した場合は多分、紙からの情報のほうが多方向からの視点が入ってくると思います。同じ情報でも雑誌の場合、写真の有無で読者の受け取り方や想像することが変わったり、レイアウトによって必要な情報を見つけやすくできたりもします」  休刊する雑誌が増えている。もちろん、雑誌離れが進んだ結果、売り上げが芳しくないこともあるが、雑誌広告に頼った収益構造が休刊につながっているともいえる。しかし竹崎氏は「雑誌という形態自体が、必ずしもダメとは思っていません」と話す。 「昨年対比で1割ほど、雑誌市場の部数減は進んでいます。しかし、紙とウェブの両輪で伝えるすべを持っている出版社の場合、速報性はウェブですが、網羅性(全体をまとめる力)は紙の方が強い。雑誌は今、季刊誌が増えていますが、次号までの間をウェブマガジンが繋いでいるという出版社も増えてきました。雑誌名などのブランドビジネスを確立&強化し、読者(生活者)とのコミュニケーションもしっかり取ることが重要だと考えます。今までは、雑誌を発行したらゴールというような、情報を一方通行として届けるだけだった出版社も多かったでしょう。しかし、情報は相互通行が大切です。雑誌へのこだわりが強い編集者と読者の距離を近づけることで雑誌のブランドの価値も高まり、結果としてファンが増えていくと考えます」(竹崎さん) 書店での売れ行きから「読まれる本」のタイトルを分析するだけでなく、大日本印刷は出版社に対してジャンル戦略検討に活用できるSWOT分析も実施。内部環境のS(強み)とW(弱み)、外部環境のO(機会)とT(脅威)を掛け合わせることで、「維持して稼ぐ」「さらに強化する」「取捨選択する」「撤退する」ジャンルを決めることができる(円が大きいほど現在の主力ジャンルであることを示す)。 他の業種と違う、出版社の仕組みと課題  出版社は、本や雑誌を作って売ることで経営が成り立っている。しかし、作って売ることに目を向けた場合、他の業種とは違う仕組みが見えてくる。まず、自社で製造の体制を持っていない。また、販売先(本屋やネット書店など)を持っていない出版社が多い。要は出版とは、究極のBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)で成り立っているのだ。編集や販売、販促、などといった必要なところだけに自分たちの機能を強化し、それ以外のところは専門業者に外部委託をしている。また、再販売価格維持で、紙の本の場合どこの書店で購入しても同じ値段で手に入るが、一部例外はあるものの値段を下げて売ることはできない。  以前から、出版業界は多くの構造的な課題を抱え続けているといわれている。その1つが返品率の問題だ。返品率とは書店が仕入れた商品が売れずに、販売会社(取次)に返品される割合のことを言い、現在、書籍は35%超、雑誌は40%超。この高い返品率を改善することが出版業界の大きな課題だ(出版科学研究所 出版関連用語集より)。 編集部との会議により、読まれる本を生み出していく  出版イノベーション事業部では現在、マーケティング分析力を生かしていくつかの出版社と企画や営業の会議を頻繁に開催している。例えば「旅行ガイドブックを出版したいが、北海道や京都といったメジャーな観光地ではなく、今まで取り上げられなかった県やエリアで人気がある場所を知りたい」「子ども向けの学習マンガとして、歴史上の人物でも女性が主役の企画を考えているが、人気なのは誰か?」という編集者からの質問に対して、マーケティング分析から答えを導きだしているのだ。 「コロナ禍を経た今、書店での本の販売傾向や売れる本の内容は変化しました。POS分析(販売時点情報管理)だけでなく、DS.INSIGHT(ヤフーの保有する行動ビッグデータ)や本好きの人がつぶやくX(旧Twitter)などもチェックし『読者がほしい情報』を集約しています。分析した情報は、編集部の企画立案時に大いに利用してほしいです。関連するジャンルの動向などを分析することで、当社でもノウハウを積み上げPDCAサイクルを回して提供価値の向上に努めています。」(竹崎さん)  分析による需要予測も可能だという。主に出版社の営業部との会議において、発行した新刊の動きから、その後の売り上げはどの程度まで伸びるか、適正在庫数はどのくらいか、市中在庫のあるべき冊数はどれくらいか、返品率の推移はどうなっていくのかをロジックで導き出している。  ただ、本の売れ行きにはスーパーエビデンスがあるわけではない。 「テレビ番組の中で取り上げられたりすると、急にその本の在庫が逼迫します。重版を出版社が決定しても、オフセットで印刷し市中に並ぶには10日くらいかかります。今、分析には『Tableau(タブロー)』というBIツールを主に使っています。そこには、本のPOSデータだけでなく、グループのhontoサイトにおける行動データや、生活者が『honto with』というアプリで「欲しい本登録」を行った件数データもそのツールで可視化しています。購入前の『認知』や『関心』を測る指標として需要予測などの分析に活用しています。また、SNSのデータの取得や活用についても研究を進めています。」(竹崎さん) 「学生時代から統計学が好きです。購買データやTVで紹介された日時などの情報を収集して組み合わせ、独自で分析をしていました」。自分の中で経験値が上がるのが楽しいと竹崎さんは言う。 「なぜ買うのか」「なんで読むのか」をもっと掘り下げる  本の中身が良ければ売れる時代は終わった。いかに消費者(読者)に知ってもらうかが、重要になる。 「本を読むことに興味がない人や読書習慣がない人に、どうやって本を読む機会を作ってもらうかを常に意識しています。読者に対するベネフィットと、一般生活者に対するベネフィットが両輪となることで、本の価値はより高まっていきます。『なぜ買うのか』『なんで読むのか』。出版イノベーション事業部としては、生活者インサイト(潜在的に欲しているモノ)を読み解く力を今後はもっと強固にしていきます。データを活用することで流通や販売を効率化し、出版社が抱える課題をサポートしていくことが、未来の出版業界の発展につながっていくのです」(竹崎さん) (朝日新聞出版・長谷川拓美)
「就職氷河期世代」国立大学院卒・手取り月11万円、副業はパン工場 40代男性「身体も心も限界です」非正規公務員の現実
「就職氷河期世代」国立大学院卒・手取り月11万円、副業はパン工場 40代男性「身体も心も限界です」非正規公務員の現実 冒頭で紹介した風俗で副業をする女性は、政治家が言う貧困対策はリップサービスにしか聞こえないといい、「(政治に)あきらめているから、副業をしています」と話した(撮影/写真映像部・馬場岳人)    低収入で不安定な待遇の非正規公務員。生活のために副業せざるを得ず、心身ともに限界を迎えているという。非正規公務員の実情に迫った。AERA 2023年10月2日号より。 *  *  *  副業によって追い詰められていく人は少なくない。  いつまでこんな仕事をつづけなければいけないのか──。  福岡県の地方都市。40代の男性は、深夜のパン工場で副業をしながらそう思う。  本業は、県内の高齢者施設で介護の仕事をしている非正規公務員。25年ほど前に国立大学の大学院を修了した。研究職に就きたかったが、折しも就職氷河期。正社員への道はなく、主に非正規公務員として雇い止めを繰り返しながら働いた。高齢者施設は昨年10月から、県から派遣される形で働いている。時給は950円で、週5日フルタイムで働き、収入は手取りで月11万円程度。  ギリギリの暮らしのなか、さらに状況が悪化する出来事が起きた。昨年、同居する70代の母親が転んで骨折し、リハビリのため特別養護老人ホームに入所することになったのだ。入居費は月7万円。とても、本業の収入だけでは賄えない。  今年になって始めたのが、近所のパン工場での副業だった。主に夜勤で、月5日から10日働く。時給は県の最低賃金の900円で、月5万~8万円の収入がある。こうして何とか生活できているが、疲労が蓄積しひざを痛めたという。  しかも、介護は全くの未経験。入居者のおむつ替えや入浴など慣れない仕事に手間取っていると、年下の正規職員から「使い物にならないので、やめてくれ」とパワハラも受ける。 「身体も心も限界です」  何とか正社員の仕事に就きたい男性は、就職氷河期世代を対象とした公務員の正規職員の採用試験を受けている。昨年は最終面接までいったが、不合格だった。今年も10月に挑戦する予定だ。男性は言う。 「私のような就職氷河期世代は『負け組』といわれます。再チャレンジできるようなシステムをつくっていただきたい」 【こちらも話題】 ITスキルを生かした副業で1200万円 30代男性「こんなに自分が必要とされる」衝撃  男性のような非正規の地方公務員は、総務省の調査で全国に約113万人いる。国は20年、非正規の地方公務員に賞与を出すなど待遇改善を図るとして、会計年度任用職員制度を導入した。  だが、非正規公務員の待遇改善に取り組む「公務非正規女性全国ネットワーク(はむねっと)」共同代表の瀬山紀子さんは、非正規公務員が置かれた状況は「明らかに不安定になった」と指摘する。 「会計年度任用職員制度の導入以前は、単年度ごとの契約更新であっても、長期にわたり働くことができた自治体も少なくありませんでした。しかし制度がはじまり、1年ごとの雇用が全国的に厳格化されたと言え、雇用がより不安定化しました」  そして収入は「不安定なまま」(瀬山さん)。はむねっとが22年に行った調査では、回答した705件のうち、21年の就労収入が200万円未満は53%に上った。瀬山さんによれば、制度導入と同時に時給や労働時間を引き下げた自治体が多く、収入増につながっていないという。 「こうした状況下で、仕事を掛け持ちせざるを得ない非正規公務員はかなりいると思います。低収入の上、いつ切られるかわからない不安定雇用では、不安は大きく心身が疲弊し、未来も見えずにやめていく人は少なくありません」(瀬山さん) 私は「使い捨て」  西日本の高校で、美術の非正規教員として働く40代の男性も、漠然とした将来への不安と背中合わせで暮らしている。 「使い捨て公務員です」  大学で絵画を専攻し、絵を追求したいとの思いから、比較的自由が利く非正規教員として働くようになった。  給与は1コマ約2800円。一つの学校で週に平均6コマを担当する。三つの学校を掛け持ちするが、年収は合わせて200万円いくかいかないか。多い時は学習塾など三つの副業を掛け持ちしていたが、体調を壊し、いまは教育関係の副業一つに絞っている。収入は年60万~70万円ほどだという。  不安は収入だけではない。体を壊して働けなくなっても、雇用保険が適用されない。さらに、給与は授業のコマ数に応じて支給されるが、授業が終わった後の部屋の片づけや生徒の成績評価を無給でさせられるなど、理不尽なことも少なくない。そして、何より心配なのが、先のことだ。   【あわせて読みたい】 生きるために「風俗」で副業 手取り月16万円、4人の子持ち40代シングルマザーの覚悟 AERA 2023年10月2日号より AERA 2023年10月2日号より    契約は単年度ごとなので、いつ「雇い止め」になるかわからない。しかも、1校で契約を更新されなかったら、残り2校の収入だけではとても生活できない。いつも年度末になると、来年はどうなるか不安になる。  将来を描くことができますか──。そう問うと男性は言った。 「全く描くことができません」  はむねっとの瀬山さんは、現状を変えるには「賃金格差の是正と、雇用年限の廃止の二つの対策が必要」と説く。 「非正規公務員は不当に買い叩かれています。仕事を掛け持ちしなくていいように、正規と非正規との賃金格差をなくすこと。そして、単年度雇用を廃止し、安心して働ける職場環境を築くことが重要です。継続して質のいい公共サービスを提供するためには、働き手が安心して働ける環境が重要です」 『「副業」の研究』の著書もある東洋大学の川上淳之(あつし)教授(労働経済学)は言う。 「副業をすれば何とかなるという生活は、決して望ましい解決策ではありません。長期的に一つの仕事で安定した収入を得られるよう、生活面も含めた環境整備や社会福祉政策の実施が求められます」 (編集部・野村昌二) ※AERA 2023年10月2日号より抜粋   【こちらも話題】 「横須賀市をもっと良い街にしたい」 市職員が起業と副業を決意、市長に直談判した事情
【独自】pecoが語る ryuchell急逝後の心境「息子の強さで一緒に乗り越えていける」
【独自】pecoが語る ryuchell急逝後の心境「息子の強さで一緒に乗り越えていける」 pecoさん(撮影/写真映像部・東川哲也)    AERA dot.で「peco & ryuchellの子育て日記 新しい家族のかたち」を連載してきたryuchellさんが7月12日に亡くなってから、約2か月半が過ぎた。四十九日を終え、pecoさんがAERAdot.編集部のインタビューに応じてくれた。深い悲しみが残るなか、一つの区切りをつけ、これから仕事も再開していくという。AERA dot.での連載も10月から再スタートする予定だ。  本格的な活動再開を前に、ryuchellさんへの心境や、5歳になった息子の受け止め、ryuchellさんとの最後のやり取りなどについて語った。〈後編〉 【前編はこちら】 【独自】pecoが明かすryuchellと最後のやり取り「私は救われました」 家族にだけ見せていた姿とは https://dot.asahi.com/articles/-/202653 *  *  * ――息子さんにはryuchellさんの死についてどうやって伝えたのでしょうか。  息子には亡くなったことを帰国後に伝えました。亡くなったことを伝える瞬間が本当に辛かったです。生きてきた中でいちばん辛かった。伝えたときは息子もワーって泣いていました。  以前この連載でもお話しましたが、息子はディズニー映画の「リメンバー・ミー」(編集部注・先祖たちが暮らす“死者の国”に迷い込んでしまう物語)が大好きで、以前から死について関心を持っていました。小さい子に人の死について説明するのは難しいですが、息子は死について理解していました。     息子くんとryuchellさん(提供)    少し落ち着いたあとに「ダダはこれから、リメンバー・ミーみたいに、死者の国に行くんだよ」「怖いところにいくわけじゃないんだよ」ということを伝えました。  そしたら、息子は「きっとダダはかわいいメイクしているよね」「ガイコツにもメイクしてあげているよね」と言ってくれました。私も「そうだね」なんて話をしたら、少し心が軽くなりました。  息子は自分の頭で自分なりに解釈していて、「ダダにまだ会えるよね」「まだ形はあるよね」と聞いてきたので、「まだ会えるから、会いに行こう」といって、ryuchellのところに行きました。 ――葬儀はどのような様子だったのでしょうか。  葬儀は沖縄で親族だけで見送りました。  最後のお別れのとき、息子がショックを受けるのではないかと私は心配していました。私も祖母が亡くなったとき、初めての火葬を経験し、ショックを受けたことを覚えています。火葬のあいだは私がずっと抱っこしていました。  息子は亡くなった人が煙になってお空に行けると理解していましたが、「火葬は怖いことなの?」と聞いてきました。なので「ダダがちゃんとお空に行けるためにすることだから、大丈夫」「ダダがここにずっといたら道に迷っちゃう、リメンバー・ミーのところに行けないから」と伝えたら、「そうか、わかった」と言ってくれました。  火葬するときに「お空にいくときだから、バイバイしよう」といったら、「バイバイ行ってらっしゃい」と言ってくれました。 今年、新しくアルバムをリリースした際のryuchellさん   今年、全国でライブツアーを行ったときのryuchellさん   ――pecoさんはryuchellさんに最後に何かを伝えたのでしょうか。  何度も伝えたのですが、最後のお別れのときにも、息子のことは私に任せてくれて大丈夫だからねと言いました。心配して、安心して過ごせないというのが一番悲しいので。穏やかに安心して大丈夫だなという思いで見ていてほしい、任せてという思いでした。 ――その後、息子さんのご様子はどうでしょうか。  お骨を家に持って帰ってきてから、息子が決めた場所に骨壺を置いて、ryuchellの写真も置いてくれてました。そしたら、ryuchellの写真にスプーンでご飯を食べさせてくれるんです。  息子は毎朝毎晩、ryuchellの写真に「おはよう」「おやすみ」と言ってくれて、一人でいるときにすごく話かけているんです。昨年末に亡くなってしまった私たち二人の友人がいるのですが、「友達に会えた? 見つけていないの? 早く見つけないとダメだよ。待っているよ」とか。  この間は「実はダダと一緒に学校に行っている」と言っていました。「でも、それを先生にいうと怒られるから、秘密なんだ」とも。  息子は毎晩、ryuchellが使っていた枕を抱きしめながら、「ダダ、大好きだよ」と言いながら寝ています。夜は毎日、ryuchellの話をしてくれます。ryuchellが夢に出てきたようで、「一緒にショーに出て、踊った」と言っていました。  日中は元気なんですが、夜寝るときになると「ダダ、ダダ」と寂しくなって泣いていることが続いていました。最近は少し落ち着いてきましたが、寂しがっています。 pecoさん    息子は自分が悲しいのに、ryuchellの心配をしてくれるんです。「ダダが独りぼっちだったらどうしよう」って。「友達がいるから大丈夫か」なんて話しています。 ――8月29日でryuchellさんの四十九日を迎えました。  この日は普段以上にryuchellの好きなものを用意してあげました。ビール、チャミスル(韓国焼酎)、コーラ、マンゴー、チョコ、はちみつ梅とかですね。いただいたゼリーもお供えしました。  息子と一緒に「もうそろそろお空に着いたかな」とか言いながら、過ごしていました。息子は「さみしくならないように」と自分の写真をryuchellの横に置いてあげたり、ryuchellの写真にゼリーをあげたりしていました。  夜寝るときに、私が息子に「格好いいところも、面白いところも、優しいところも、怒っているところも、泣いているところも、全部好きだよ」と伝えたら、息子は「面白いのは僕じゃない、ダダからもらったんだよ」と言っていました。「僕はダダの面白いところを見ていた」って。  私から見ると、とても優しいところもryuchellに似ていると思います。面白いことを言うのも、のんびりでマイペースなところも、家で踊りだすのもryuchellですね。強いところは私に似ていると感じますが、それ以外はryuchellに似ています。ryuchellと私の子どもなんだなと感じます。  ryuchellの写真にご飯をあげたりする息子の姿を見て、「ryuchell、これ、めっちゃ幸せなことやで」なんて感じたりしています。それはryuchellが息子に本当に愛を与えていたからなんだと思います。 左手の中指に見えるファミリーリング。婚姻解消後に「家族の証」としてpecoさんと購入した    ryuchellが亡くなったことはとても悲しいのですが、悲しいからと言って思い出にフタをするのではなくて、「ryuchellはこんなことを言っていたよね」とか、「ダダはこんなことをしていたね」とか、いっぱい思い出せる自分でありたいし、本当に楽しかったね、と言いたいです。息子もryuchellについて前向きに話してくれて、よく2人で笑っています。  悲しくてryuchellの写真を見れない日もあるけど、息子がいるから、前を向けます。息子の姿に助けられます。私は息子の強さで、これから一緒に乗り越えていけると感じています。 ――昨年、婚姻解消をされた際に、「新しい家族のかたち」になると表明されました。これからはどうなるのでしょうか。  ryuchellが息子の親であることは今後も変わりません。そういった意味で私たちはずっと家族なんだと思います。  ryuchellと出会って、結婚して、出産したと思ったら、カミングアウトがあり、ryuchellが女性になって、そしていなくなってしまいました。  私の目線から見ても大変な経験だと思いますし、息子の目線でもパパが女の子になって、いなくなってしまって、と同じだと思います。  「多様性」とか、「家族のあり方」と言葉で言っても、その内実はとても難しい話がたくさんあります。ryuchellがいなくなっても、私たちが経験したことがどういったものだったか、というのはこれからも伝えていければと思っています。 左手の中指にはryuchellさんと購入した「ファミリーリング」があった   pecoさん   ――pecoさんの活動はこれからどうされるのでしょうか。  これまではryuchellが仕事をして、私が息子との時間を大切にするという役割分担でやってきました。  息子もいますし、愛犬のアリソンもいますから、生きていくためにも私が仕事をしっかりとしていく必要があると思っています。  新しく自分のファッションブランドもやらせていただくことになりました。お話があれば、芸能活動もやっていきたいと思っています。  新しい生活をつくっていく感じですね。これからも私たち家族のことを見守っていただけると嬉しいです。 (構成/AERA dot.編集部・吉崎洋夫)   【前編はこちら】 【独自】pecoが明かすryuchellと最後のやり取り「私は救われました」 家族にだけ見せていた姿とは https://dot.asahi.com/articles/-/202653 【ryuchellさんの遺稿を公表します】 ryuchell遺稿「多様な価値観を互いに認められる社会になってくれれば」最後に連載で伝えたかったこと https://dot.asahi.com/articles/-/202685    
「らんまん」の脚本家・長田育恵 「登場人物の目に乗り移りながら書いていく」
「らんまん」の脚本家・長田育恵 「登場人物の目に乗り移りながら書いていく」 この道を歩むまで、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館に勤務していた。「坪内逍遥は劇作家の大先輩です」(撮影/品田裕美)    劇作家・脚本家、長田育恵。朝ドラ「らんまん」の執筆中、長田が特に考え抜いたのは登場人物の言葉だったという。「作家として書きたいだけなのか、本当にその人物に必要な言葉なのか」。そこには、劇作家・井上ひさしから研修生最後の日に受けた助言があった。スポットを当てる人物たちは決して派手ではないが、その等身大の生きざまには、いつも希望がある。 *  *  *  スコールのような雨が降りやむと、鬱蒼(うっそう)と生い茂った木々や草花たちは、一斉に、みるみる輝きを増していった。9月のある日、長田育恵(おさだいくえ・46)は、高知新聞の記者に誘われて高知県立牧野植物園を散策していた。地元の植物学者・牧野富太郎博士(1862-1957)の功績をたたえ、五台山(ごだいさん)に広がる約8ヘクタールの園内には3千種以上の植物が植えられている。劇作家・脚本家として演劇、ミュージカル、テレビドラマの世界で活躍の場を広げてきた長田は、牧野富太郎をモチーフに描いたNHK連続テレビ小説「らんまん」の脚本執筆を終えたばかりだ。どこか安堵(あんど)の表情を浮かべつつ、自身の牧野像について語ってくれた。 「究極的には、草花を愛するということを伝えた人。戦争など厳しい時代になってくると、草花を愛するなんて心は真っ先に捨てられます。でも、ひとが持っていても良い、当然の美しい心なのだと世に伝えてくれました。最大の功績です」  牧野富太郎は高知の小学校を中退し、独学で植物学を修め、上京後は東京大学で助手、講師を務めた。「日本の植物分類学の父」と呼ばれる。 「らんまん」執筆中、長田は強く思っていたことがある。数々の新種の植物を探し当て、新しく名付けることは、相手の「本当の名前」を見つけることでもある。植物の氏素性を知り、性質や特徴、どこで生きるかも調べ抜いて初めて「本当の名前」を特定できる。この解釈を、長田は人物描写にも当てはめた。名前を持った一人ひとりがどう生き、死んでいったのか。長田は常に意識し続けた。  だからなのか、長田によって生み出される登場人物は、誰もが好もしい。誰ひとり徹底的には憎めない。一人ひとりの人物像を、彫刻刀のように、言葉でこつこつと造形していった。 登場人物の目になって 初めて台詞が書ける 「植物を題材にすることは、地面に一番近い視線から、人の暮らしを描くことでもありました」  千本ノックのような執筆の日々が続いた。 「『らんまん』ファン感謝祭 in 高知」に登壇。松坂慶子演じるタキは亡くなる直前、「らんまんじゃ」とつぶやく。激動の時代を生きた彼女による、後世に向けた寿(ことほ)ぎの言葉だと長田は語った(撮影/品田裕美)   「これまでも、何の言葉を置くか、私は演劇の稽古場において、厳しく、揉(も)まれながら生み出してきました。今回は特に、作家として書きたいだけの言葉なのか、本当にその人物に必要な言葉なのか、厳しくジャッジするようになりました」  神木隆之介の演じる槙野万太郎が、祖母・タキと対峙(たいじ)するシーンがある。実家の造り酒屋を継がず、上京し、植物学の道へ進むことを決めた万太郎は、自身を育ててくれたタキに、こう告げる。 「おばあちゃんの孫と生まれて、ほんまに、ほんまに、幸せでした」  だが、タキはこう言い返す。 「わしは、許さんぞね! わしは、決して、おまんを許さんぞね。許さんぞね……!」  長田はこの台詞(せりふ)に込めた真意を語る。 「タキの、万太郎への最後の贈り物。『許さない』という言葉があるからこそ、それでも万太郎は出ていく。一生をかけて植物学の道を行く決意を万太郎にさせるんです。同時に、肉親としての愛情が深く伝わります。最大限の励ましの言葉です」  タキ役を演じた松坂慶子(71)は、振り返る。 「『許さんぞね』って言った時、感情があふれ出して、涙が流れ、驚きました。私自身、孫を送り出すなんて経験もないのに『何で、不思議』って。嬉しく思いました。脚本の言葉が琴線(きんせん)に触れるのですね」  長田の脚本が届くと、松坂はまず読み、書いていく。そして録音し、相手の台詞も録音して覚えた。このシーンの撮影チェックの際、松坂は思わず「大変だけど、良い本ねえ」とつぶやいた。すると、現場スタッフから、どっと笑いがおきたそうだ。  長田は言う。 「あらすじを考える時は、筋しかわかりません。書き始めてみて、登場人物の目に乗り移りながら書いていく。書きながら、視界に何が見えているかがわかると、初めて台詞が書けるんです」  東京都大田区の馬込に生まれ育った。中高一貫校の普連土学園に進み、物語を書くことを将来の夢とした瞬間があった。それは湯本香樹実による小説『夏の庭 The Friends』を再読した時のことだ。少年たちと老人との、世代を超えた交流。最初に読んだのは中2の頃だったが、高3で読み直し、長田は泣きじゃくったという。 「祖父の死など、いろんな経験を経たからでしょうか。こんなに泣いたことないほど、大泣きしてしまった」 NHK高知放送局の取材光景。高知市内の通りには「らんまん」塗装の路面電車が走り、商店街アーケードには主役・神木隆之介の微笑む旗がたなびく。書店では牧野博士の本が並び、街全体が喜んでいる(撮影/品田裕美)    物語の秘めた力に圧倒され、小説家になることを決めた長田は早稲田大学第一文学部(当時)の文芸専修に進んだ。ミュージカル研究会の門を叩き、見よう見まねで書いた脚本がいきなり本公演に採用。研究会の「掟(おきて)」として、脚本を書いた学生が演出も担当しなければならない。照明、音響の仕事に就いた先輩のもとに駆け込み、舞台設営の作業を手伝わせてもらった。そんなある日、紀伊國屋ホールで観た舞台に、長田は息をのむ。 「最後のシーンで、言葉が一切なかったんです。なのに、登場人物が何を考えているかが、客席にいながら、手に取るように伝わってきた」  言葉のない空間に、言葉を響かせていく。舞台の深淵にのめり込んだ瞬間だった。 井上ひさし最後の研修生 言葉に本当の意味を宿す  卒業後、社会人として生活を送りながら、ミュージカルの脚本執筆に携わり続けた。2007年、日本劇作家協会の「戯曲セミナー」に参加し、受講中に書き記した戯曲が認められ、翌年、劇作家・井上ひさしの個人研修生として選ばれる。  ある日、劇場にいくと、井上はロビーで物販本にサインしながら、矢継ぎ早に話し始めた。 「この間のあなたの提出作品、あの場面は……」 「ええっ、今ですか?」  急に始まった井上のアドバイスを、長田は直立不動で聞く。その助言が終わるや、劇場の客席で明かりが落ちるまで、たった今聞いた言葉を書き連ねた。そんな「研修生生活」最後の日、井上がかけた言葉の束が、長田の背中を今も押している。 「今日一日を、あなた自身の心の力で、良い方向に向かわせなさい」 「人が人生で一度だけ言うような、言葉に本当の意味が宿る瞬間を、必ず劇のなかに書き込みなさい」  研修の2年後、井上は世を去った。長田は、井上の最後の研修生になった。 「戯曲セミナー」の研修が終わる頃、30歳になっていた。焦っていた長田は、東京・王子の小劇場に駆け込んだ。 「演出家もいません。出演者も誰もいません。だけど、1年後にはどうにかします。だから、劇場だけ貸してください!」  長田は当時の思いを振り返る。 「劇作家には早くなりたいけれど、どうすれば良いのかわからない。自分の作品をプレゼンしなきゃ、と思ったんです。劇場だけは押さえようと」  目を丸くした小劇場の支配人は、こう告げた。 高知県立牧野植物園では、高知新聞きっての「牧野通」竹内一記者と植物園研究員の藤川和美博士が長田を案内。草花を見つめるその姿は万太郎そのもの(撮影/品田裕美)   「今日、ここで上演する劇団さんが、上演後にお茶会をするって言っているから、観ていけば」  客席で観た作品に感動し、長田は終演後に俳優とスタッフたちに声を掛けて回った。そのうちの一人が、杉山至(57)。劇作家の重鎮・平田オリザの盟友の舞台美術家だ。杉山は言う。 「長田さんが目を輝かせ『美術の人を探していて、お願いできませんか』って、台本を渡されたんです。天文学に関する内容でした。僕の兄(天文学者の杉山直(なおし)・名古屋大学総長)が宇宙物理の専門で興味があったから、二つ返事でOKしました」  その舞台に立っていた俳優で演出家の扇田(せんだ)拓也(46)も、笑って振り返る。 「終演後に、『すいません、これ良かったら』って台本を渡されました。それがすごく良かった。でも衝撃でした。こんな頼み方があるのかと」  翌年、長田の主宰する劇団「てがみ座」は、王子の小劇場で旗揚げ公演を迎えた。杉山は長らく舞台美術として、扇田は演出も担うようになる。運をつかみ、縁を繋ぎ、長田は物語を紡ぎ始めた。 「てがみ座」はハイペースで公演を重ね、ファンを増やした。新宿の老舗喫茶店「らんぶる」で、長田と打ち合わせを重ねた扇田は語る。 「長田さんは、胸に秘めていた『とっておきの言葉』に向かうための物語をつくる。取材では必ずその場所に出向き、主人公が育った村や町のにおいをかぐんです」 商業演劇に自信喪失の日々 心の柔らかい部分を使う  まるで海の底に潜るようにして言葉を探しあて、台本にしていく。たとえば詩人・金子みすゞを題材にした作品「空のハモニカ」(2011年)の際には、世間の思い描く「聖女」イメージとは異なる描写でみすゞを綴(つづ)った。扇田は続ける。 「長田さんが、みすゞの生い立ちや日記を読んで、『もっと生々しい、たいへんな人間関係の中で、泣きたい思いがあったからこそ、美しい詩を書いた』って。長田さんは、埋もれていった人たちの魂をすくい上げる」  民俗学者の宮本常一(みやもとつねいち)、思想家の柳宗悦(やなぎむねよし)──。単なる評伝劇としてではなく、現代人に通じる「ひととしての矜持(きょうじ)」を刻み記した。 「てがみ座」に軸足を置きつつ、長田は活躍の場を順調に広げていく。14年、戯曲「地を渡る舟」が岸田國士戯曲賞候補作に、そして16年には、戯曲「蜜柑(みかん)とユウウツ~茨木のり子異聞~」が鶴屋南北戯曲賞に輝いた。  この「蜜柑と~」を世に送り出せたことが、大きなターニングポイントになった。じつは商業演劇に関わり始めた頃、演出家によって脚本を突き返され、役者の力量に即した台詞へ変えられ続けるつらい経験をしていた。自信喪失の日々を送るなか、どうにか書き上げたのが、「蜜柑と~」だった。演出を担ったのは、劇作家でもあるマキノノゾミ。彼は最初に脚本を読み、こう語りかけた。 「これは、とても美しい本だと思う。一つ一つの場面が詩のように連なって、全体で一冊の詩集のようになるように、全ページを磨こう」  マキノは、当時を振り返る。 「長田さん傷ついてましたね。まぁ、駆け出しの時には誰もが通る道なんですけど。脚本を書くっていうのは、自分の心の中の、ある種『とっておきの柔らかい部分』を使う行為ですからね。多かれ少なかれ、心の中の、そういう部分を使わないと書けない。だから否定されると、すごく傷つきます。それを乗り越えて、広い世界でやってゆける人になるのか。それとも、もっと小さな親密な場所で、自分の信頼する人たちとだけやってゆくのか。分かれ道でもあったと思います」  のちに「朝ドラ脚本家」の大先輩となるマキノの、こうした視点が、長田をどれだけ励ましたかわからない。長田は「これまでは机上だけで考えていた言葉が、俳優の肉体を通じ演劇空間を駆けめぐりました」と振り返る。演出家の緻密な研磨によって、言葉はみるみる昇華していった。 「劇団四季」「劇団民藝」「PARCOプロデュース」──日本演劇界を牽引(けんいん)する存在からオファーが相次ぐようになった。「劇団四季」代表取締役社長の吉田智誉樹(ちよき・59)は18年、海外翻訳ミュージカルの上演と並行し、オリジナル作品の創作に再び注力するため専門部署を設立した。そこで白羽の矢を立てたのが、長田だった。吉田は振り返る。 「初めて観た『てがみ座』の『対岸の永遠』が、とにかく素晴らしかった。時間が行ったり来たりして、複雑な構造を持っているのに、観客にはちゃんと伝わり、ロジカルに話が進む。台詞は文学的で井上ひさしさんや三島由紀夫さんの香りがする。構成力と文体が見事で、ファンになりました」  20年秋、長田による戯曲でミュージカル「ロボット・イン・ザ・ガーデン」(原作:デボラ・インストール)の上演が実現した。吉田は言う。 「長田さんの書く台詞は、背景にとんでもなく大きなイデアをイメージさせる。以前は、舞台でこそ映える言葉なのかなと思っていましたが、テレビドラマを観て考えを改めました。球が速く勢いが良いのに加え、老獪(ろうかい)なコントロールピッチャーの技まで覚えられた。身体に気を付けてほしい。『あなたは日本演劇界の宝だから』と」 母の言葉が孤独を支えた ラストは必ず光が射す  時計の針を戻す──。 「てがみ座」で舞台美術を担ってきた杉山が、今から十数年前のある日、長田にこう告げた。 「長田さん、牧野富太郎のことを書いてみたら?」  杉山は、その瞬間をはっきり覚えている。 「有名人ではなく地域の人々で、深く何かを研究し、洞察した人を描くのが面白いと思ったんです」  いっぽう、長田は、杉山に言われて初めて「牧野富太郎」という人物を知る。 「演劇で植物学は……。植物標本の緻密な部分は、手元をクローズアップしない限り、どうしようもない。だから、ずっと心の底にしまっていました」  それから十数年、ようやく日の目を見た「らんまん」の物語は、大好評のまま、最終回を迎える。放映を誰よりも待ち望んでいたのが、長田の母親だ。膠原(こうげん)病で長年、入退院を繰り返した。最期は自宅で看取(みと)ろうと退院させ、家族が介護した。 「朝ドラを書くことになったよ」  リリース発表の日、長田が語りかけた。すると母親は、こう答えたという。 「小説は書き上げられた?」  長田は首を横に振って、語りかけた。 「朝ドラだよ。小説じゃないよ」 「でも、あなたは小説を書きたいって、ずっと言っていたじゃない」  長田は柔和な表情で、やりとりを振り返る。 「母の中で朝ドラは無事に終わった前提で、その先に私が小説を書いて、それもうまく書き上げられるように、って言ってくれているんだな、って」  長く話したのは、それが最後になった。5日後、母親は天に召された。母親の最後の言葉が、執筆の孤独を支えてくれた。 「らんまん」劇伴の作曲を担った音楽家の阿部海太郎(45)は、こう語る。   「長田さんは北極星。絶対的に揺るがない。だから、北極星だけを道標として曲をつくりました」  ここ数年、長田戯曲の数々の劇伴を相次ぎ手がけてきた。今回は重厚な弦の調べも含め約90曲の楽曲を制作し、すべて生の楽器で録音し臨んだ。 「長田さんの戯曲の美点は、必ずラストで圧倒的な何かに向かうこと。長田さんっていう人自身に、それを感じます。作りたい作品が、一度も揺らぐことがない。同世代の作家として励みになる。僕らの世代の表現者は、戦前・戦後を跨(また)いだ世代の人たちと比べ、勉強が足りているか危惧があります。でも長田さんには、そこに対抗できる大きさと視野の広さがある。脅威ですらある。自分も頑張らないと」  長田の編む物語の登場人物は皆、思いもよらぬ運命に翻弄(ほんろう)される。観る者の心は、そのたび揺さぶられる。けれども最後には必ず、光射すほうへ向き直す描写を織り込んでくれる。それこそ北極星のように、漆黒を照らす唯一無二の光として。 「北極星ですか……。だとすれば、私はそれしかできないのかもしれません。この先、北極星を必要としてくださる人がいるなら、作品を書いていく。そんなふうになれたらいいと思います」(長田)  言葉を磨き上げ、流転する運命をすくい上げ、長田は等身大の人間を描いていく。 (文中敬称略)(文・加賀直樹) ※AERA 2023年10月2日号
生きるために「風俗」で副業 手取り月16万円、4人の子持ち40代シングルマザーの覚悟
生きるために「風俗」で副業 手取り月16万円、4人の子持ち40代シングルマザーの覚悟 副業は長時間労働につながり、体を壊すなど健康面でのリスクも指摘されている(撮影/写真映像部・馬場岳人)    低収入にあえぎ、生活のために副業をせざるを得ないシングルマザーは少なくない。昼間は社会福祉施設の職員、夜は派遣型風俗で働く40代女性の実情を追った。AERA 2023年10月2日号より。 *  *  *  夜9時過ぎ。東日本に住む40代の女性は車を運転し、市内にあるビルに向かう。ビルの一室は、派遣型風俗(デリヘル)の待機場所。そこで時間をつぶしながら、「オーダー」が入るのを待つ。オーダーが入れば、ドライバーの車で指定されたホテルなどに向かう。こうして、翌午前1時ごろまで働く。 「いくら体がボロボロになろうが、子どもたちのために働こうと、思っています」  4人の子どもを育てるシングルマザー。「副業」として風俗で働き始めたのは15年ほど前だ。夫のDVが原因で離婚し、昼間はパートで働き始めた。だが、給与は最低賃金。4人の子どもを育てるだけの収入はない。そんなとき地元のフリーペーパーで「好きな時間に働け、頑張り次第で高収入も」という広告を見つけた。面接時に、デリヘルや風俗という仕事があることを初めて知った。抵抗があったが、生きていくために働くことに決めた。 子どもたちのために  昼間の仕事が終わるといったん家に帰り、子どもたちにご飯を食べさせた後、出勤する。子どもたちには「皿洗いのバイトに行ってくる」と言って出かける。いまも子どもたちは、母親が本当は夜に何の仕事をしているか知らないという。  いま女性は昼間、社会福祉施設の職員として働く。正規と非正規の中間的な扱いとされる「準職員」で、収入は週5日フルタイムで働いても、手取りで月16万円ほどだ。  昼間の仕事でくたくたで、最近は片頭痛がひどい。それでも、体力に余裕がある時は風俗で働く。風俗の仕事は、性病や感染症の危険とも隣り合わせで怖い。客からストーカー行為に遭ったこともあるという。  他にも女性は、スナックで月に1度は働き、休日は家事代行の仕事もする。こうして三つの仕事を掛け持ちし、収入は月に計7万~8万円。心身を削っても頑張れるのは、子どもたちの存在があるからだ。4人の子どものうち3人が三つ子で、いま高校3年生。全員が大学への進学を希望している。女性は言う。   【こちらも話題】 あなたは何タイプ?「副業」で稼げる人、続かない人の違いは“性格”で決まる AERA 2023年10月2日号より AERA 2023年10月2日号より   「子どもたちはみな将来やりたい仕事を決め、それに向かって大学に進学したいと言っています。私が頑張るしかないと思い、腹をくくっています」 「200万円未満」で  低収入にあえぎ、生活のために副業をせざるを得ない人は少なくない。  労働政策研究・研修機構が昨年行った副業に関する調査では、副業をする理由(複数回答)は「収入を増やしたいから」が54.5%と最も多くなった。  副業に詳しく、『「副業」の研究』の著書もある東洋大学の川上淳之(あつし)教授(労働経済学)は、「副業は所得の低い人の問題だ」と指摘する。 「本業の年収が200万円未満の低所得層の人の副業が伸びています」  川上教授が2017年と22年とで副業をしている人の割合を調べたところ、年収200万円超の層にはあまり変化がなかったが、年収200万円未満の層は約2%増えていた。 「00年代以降の変化として、一つは働き方改革によって正社員にも副業が基本的に認められたことがあります。一方で、非正規雇用の割合が高まり、コロナ禍で会社が時短になったりして収入が減ったことや物価高も影響し、副業を始めたと考えられます」  と話す川上教授は、副業で収入を確保できる点では望ましいが、収入のみを目的とする副業は幸福感を高めず、健康面でリスクも生まれると指摘する。 「副業をすることで労働時間が長くなり、健康上のリスクが増します。とくに、本業の仕事が終わりすぐ深夜の時間帯に働く働き方は、肉体面だけでなく、精神面でもよくありません」(編集部・野村昌二) ※AERA 2023年10月2日号より抜粋   【あわせて読みたい】 ITスキルを生かした副業で1200万円 30代男性「こんなに自分が必要とされる」衝撃
会社員と「二刀流」歌人・岡本真帆 創作は「心地よさ」を大事に限られた時間を有効活用
会社員と「二刀流」歌人・岡本真帆 創作は「心地よさ」を大事に限られた時間を有効活用 岡本真帆(おかもと・まほ)/1989年生まれ。高知県・四万十川のほとりで育つ。2022年に第一歌集『水上バス浅草行き』(ナナロク社)を刊行(写真:本人提供)    二つの仕事の「二刀流」で成功している人も少なくない。会社員として働きながら歌人として活躍する岡本真帆さんもその一人だ。岡本さんの時間管理や仕事術に迫った。AERA 2023年10月2日号より。 *  *  * 「生活していく上での基盤が二つある、という感じでしょうか」  こう話すのは歌人の岡本真帆さん(34)だ。昨年3月に発刊した初の短歌集『水上バス浅草行き』が現在8刷、累計2万部のヒットを続けている。短歌以外にも文芸誌のエッセイなど文筆の仕事を幅広くこなす一方、クリエイターのマネジメント会社で企画やPRなどを担当する会社員でもある。 「会社員としても歌人としてもお金をいただいていますが、どちらがメインという意識はありません」  歌人と会社員の顔をその都度、使い分けている実感はない、と岡本さんは言う。 「短歌って、自分にとって心地よい生活をしている時に副産物のように生み出せるもの。なので、(短歌の創作は)生活していることと等しい、ライフワークのような感覚です」  一方で、一日の中で多くの時間を割く会社員の仕事も、人間関係や心身の安定を保つ上で欠かせない、岡本さんにとっての「心地よさ」の一部。だからこそ、限られた時間を有効に使って創作活動が続けられている。 共通するベース  短歌に興味を持ったのは大学生の時。雑誌「ダ・ヴィンチ」で歌人の穂村弘さんが連載している短歌募集のコーナーで、読者が投稿する個性豊かな作品に触れ、「自分の言葉で表現する」営みに魅力を感じた。実際に短歌を創作したのは社会人になって数年後。前職の広告会社でコピーライターとしてクライアントの要求に応じるうち、自分の作品を創作したい、という欲求が高まった。  だが、コピーライターのスキルを磨けば短歌も創作できる、というわけではない。ただ、岡本さんは応用できる点を見いだした。それは「思考の段取り」ともいえるステップだ。 「例えば、短歌のお題から具体的なイメージを深めていく時、1人でブレーンストーミングするようにモチーフの断片をノートに書き出します。このスタイルは広告のコピーを考える時に商品の魅力や特徴を表現する言葉を書き出していたのと同じです」(岡本さん)  これは岡本さんの創作手法の一つにすぎない。しかし、表現のモチーフを探すアプローチは短歌と広告コピーで共通するベースもある、というわけだ。 岡本真帆さんの第一歌集『水上バス浅草行き』。若者を中心に、日常をつづった岡本さんの短歌に心を動かされた人たちから読者カードが続々届いている(写真:本人提供)    歌集の発刊後は、メディアへの露出の機会が一気に増えた。そんな中、岡本さんが意識しているのは自分の生活リズムを崩さないこと。創作の時間は就業前の朝の2時間(午前8~10時)と決めている。 「この2時間で集中してやるぞ、という気持ちで向き合って、そのあとは会社の仕事に専念します。創作のための時間を習慣化して生活の一部に溶け込ませている感じです」(同) 集中して成果を出す  通勤時間のないフルリモートの職場だからこそできるスタイルだが、その分、自己管理を怠らない。  例えば、残業は極力しない。疲れが残ると、翌朝の創作の時間に影響するからだ。一方で「リラックスして好きなことをやる時間」は削らない。岡本さんにとって映画鑑賞や漫画を読んだり、友人と対話したりする時間は不可欠という。 「そういう遊びの時間がなくなると、何にも集中できなくなってしまいます。忙しくなればなるほど、自分が持つ限られた時間を大切にしたい、という思いが強くなります」  文筆の仕事も「やらされている感」が出ないぎりぎりのラインを見極めるのが大事、と岡本さんは考えている。 「目の前のことに集中して成果を出す、という気持ちでいないと、自分の好きなことをやりきれない。今が幸せだから、この楽しい瞬間を重ねつつ、研鑽していくしかないって思っています」  自分にとっての「心地よさ」を大事にしながら能動的な時間をどれだけキープできるか。二刀流であろうとなかろうと、「いい仕事」を続けていくのに必要な胆力が岡本さんには備わっているように感じられた。(編集部・渡辺豪) ※AERA 2023年10月2日号   【あわせて読みたい】 「将棋人間」を変えた麻雀との“二刀流” 鈴木大介九段「マンネリ化の払拭」が最大のメリットに
空腹時にスーパーに行くと食料品を買い過ぎてしまうのはなぜか? 行動経済学でこの心理を説明できる
空腹時にスーパーに行くと食料品を買い過ぎてしまうのはなぜか? 行動経済学でこの心理を説明できる (写真はイメージ/GettyImages)  空腹でスーパーに行くと、食材を買いすぎてしまいがち。行動経済学では、この行動を「投影バイアス」という心理によって、おなかがすいた状態が将来も続くかのように思い込んだ結果だと分析している。マーケティング&ブランディングコンサルタントで昭和女子大学現代ビジネス研究所・研究員の橋本之克の著書『ミクロ・マクロの前に 今さら聞けない行動経済学の超基本』(朝日新聞出版)から、この心理と対処法を抜粋して紹介する。 *  *  *  人が将来の自分を予測するとき、ずっと今の状態が続くと思うものです。現在の自分を過大評価し、今の状態、感情や好みなどが、将来も変化せずに続くと思ってしまうのです。いわば現在の自分を、そのまま未来に「投影」してしまうような状態です。  こうした不合理な心理を「投影バイアス」と呼びます。バイアスとは、人間の思考や判断に特定の偏りをもたらす要因のことです。  人は将来の感情を予測できないので、現在の状況を大きく、長く続くように感じがちです。 バイアスに惑わされず正しく将来を予測するには  このような自分自身に働く「投影バイアス」の心理を知らないと、無意識に不要な買い物をしすぎるといった自爆状態になるので要注意です。今の自分の状態が、この先もずっと続くのかを予測して、そのうえでその商品が本当に必要かどうかを判断することが必要です。  将来を予測するとき、「投影バイアス」によって、今の状態が続くと感じます。でも、今の状態は永遠に続くわけではありません。そのことを知って、買い物をしたり、将来の準備をしたりしましょう。  投影バイアスによる失敗としては、こんな例を挙げることができます。 春先でも、寒い日があるとセーターを買ってしまう 「投影バイアス」によって寒さが続くと思い込んで、あと少しで必要ではなくなる商品を買ってしまう ずっと元気に働けると思って老後資金の準備をしない 「投影バイアス」によって今の元気な状態が続くと思い込んで、投資や保険など、老後資金などの必要性を考えない。  「投影バイアス」に惑わされて、無意識に現状が続くと思いこまないよう注意が必要です。また、将来を正しく予測するには、楽観的にも悲観的にもなりすぎないことが大切です。 (構成 生活・文化編集部 上原千穂)
革新自治体からのプレッシャーで国政が良くなる 地方の独創的な政策に託された日本の未来
革新自治体からのプレッシャーで国政が良くなる 地方の独創的な政策に託された日本の未来 ※写真はイメージです(Getty Images)    2023年の統一地方選では、統一教会の問題がありながら、自民党は負けもしなかったが、勝ちもしなかった。問題はだらだらと先送りされ、国民も関心がなくなり、うやむやに…。このパターンでいくつもの政治危機を乗り切ってきた。一方、地方議会だとイデオロギー的な対立が前面に出ることはあまりない。白井聡氏と内田樹氏の新著『新しい戦前 この国の“いま”を読み解く』(朝日新書)の中では、今後の国政を変えていく足掛かりについて、対談形式で述べられている。同著から一部を抜粋、再編集し、紹介する。 *  *  * 地方政治から変えていく 内田樹(以下、内田):2023年の統一地方選では自民党の議席ががた減りすると僕は予測していました。今回は統一教会の選挙応援が当てにできませんから、これまで当落ラインぎりぎりのところで下位当選していた自民党の地方議員たちは、落選する可能性が高いと読んだんです。統一教会問題にきちんと対応しなかったから有権者が離れたという総括になるのかなと思っていたんですけど。 白井聡(以下、白井):結局、解散命令などもないまま、ひどくうやむやなかたちで統一地方選は終わり、自民党は勝ちもしなかったけれども、負けもしませんでした。 内田:あらゆる問題がそうなんですけれども、解決を先送りしてだらだらしているうちにメディアが報道しなくなり、国民も関心をなくして、うやむやになる……というパターンで自民党はいくつもの政治危機を乗り切ってきた。統一教会についてもやることは同じだと思います。だらだら先送りしているうちにうやむやになる。 白井:田舎になればなるほど政治の世界は一種の利権共同体です。つまり、与党も野党もない。形式的にはあったとしても、だいたいみんな地元の仲間だから、そんなにひどい喧嘩をするわけにもいかないのです。 内田:地方議会だとイデオロギー的な対立が前面に出ることはあまりないですね。同じ共同体のメンバーですから。 白井:だからそこそこのところで利害調整をしますよね。いわゆる相乗りです。「みんな仲間だよね、敵対していないよね」と確認して、あとはそれなりに調整していく。それが地方政治の基本です。問題は、どんどんリソースが減ってくるなかで、調整していればよいという状況ではなくなってきたことですよね。 内田:地方政治は知事や市長が大きな権限を持っていますから、知事・市長個人の人格見識が、そこで暮らす人たちの生活の質にダイレクトにかかわってくる。僕はここ数年ある県の知事と定期的に会って県政へのアドバイスのようなことをしています。僕と哲学者の鷲田清一さんが二人で知事に提言をするというかたちなんですけれど、知事が僕たちの提言を真剣に検討してくれるチャンネルがあるのはありがたいです。 白井:それは素晴らしいですね。提言がどう政策に反映されるかが見物です。 内田:地方自治体の首長に必要なのはやはり包容力と見識ですね。そういう人が3期、4期と継続して行政のトップにいると、かなり独創的な行政ができる。たとえば、兵庫県の豊岡市長を5期務めた中貝宗治さんはコウノトリの野生復帰から始めて、城崎国際アートセンターや芸術文化観光専門職大学の開校など、文化行政の面で個性的な市政をしました。劇作家の平田オリザさんが長くアドバイザー的なことをされていましたので、僕も何度もお会いしてお話をする機会がありましたが、まことにフットワークのよい市長さんでした。 白井:中貝さんは男女共同参画の徹底的な推進でも有名ですが、もともと兵庫県職員ですよね。 内田:お父さんが県会議員で、跡を継いで県会議員になった世襲の政治家です。県議を3期やって2001年に旧豊岡市の市長になりました。 白井:2021年の市長選で落選したのには驚きましたね。 内田:やはり続けて5期20年も首長をやると、システムが硬直化するのかも知れない。 白井:難しいですね。長期政権ではどうしてもそういうことが起こります。 内田:長期間かけないと実現できない政策もあるから、一概に「多選は悪だ」とも言い切れないんですが、やはり3期くらいが限度じゃないかな。その後も自分の政策を継続して欲しかったら、後継者を在任中に育てておく必要がある。でも、能力の高い人は、人に任せるより自分がやった方が早いので、後継者を育てられないんです。 白井:自分は永久に生き続けるような気がしてしまうのでしょうね。 内田:後継者育成は組織のトップに立ったら、その時点でスタートしないとほんとうは間に合わないんですけどね。 「革新自治体」でプレッシャーを 内田:地方自治には国会議員の影響力はあまりないんです。大阪市長だった平松邦夫さんが2期目の立候補をした2011年の出陣式に呼ばれたことがあります。最初にスピーチしたのが後援会長、次が市の特別顧問をしていた僕でした。そんなに早い順番でいいのかなと思ってたんですけれど、衆参両院の国会議員の先生方は全員壇上に呼ばれて、名前を紹介されて、一礼して終わりでした(笑)。たしかにあれだけ数がいると、一人ずつ話させたら、それだけで終わってしまうから。 白井:近年、国会議員が首長になるケースが増えていますよね。たとえば、衆議院議員から世田谷区長になった保坂展人さんはもう4期目です。区政でいろいろな実績を上げたのだからまた国政で暴れてほしいと言う人もいますが、本人は全くその気がないそうです。人口約91万人の世田谷区の区長のほうが全然やり甲斐があるからと。 内田:そうです。党執行部の指示通りに立ったり座ったりするだけの「陣笠議員」だったら、やっても面白くないでしょう。それよりは地方自治体のトップにいた方がやりたいことができる。 白井:もうそこにしか希望はないかも知れない感じがあります。思い起こせば、70年代に革新自治体が増えてきた時、日本が社会主義体制になるのではないかというムードが流れました。 内田:革新自治体の下に4500万人の住民が暮らしていると言われた時期もありました。 白井:だから自民党はプレッシャーを受けて、結局、老人医療費の無償化など革新自治体の政策をぱくっていくわけです。ちゃんと福祉をやらないと転覆させられてしまうぞと。つまり、地方自治体が良い政治をやり始めると、国のレベルでも良い政治を行なうことを強制されてくるわけですね。 内田:でも、政治に関しては、ほんとうに先行き何が起きるか予測が立ちません。高校生ぐらいの時から、日本の政治はこの先こうなるんじゃないか、ああなるんじゃないかといろいろ予想してきましたが、みごとに一つも当たりませんでした(笑)。そういうものなんですよ。政治は複雑系ですから、何か一つ事件が起きると、全部がらっと変わってしまう。たとえば、習近平が急死したら……。 白井:大騒ぎになって、大混乱です。 内田:あるいは訴追されて窮したトランプが支持者に「銃を持って立て」と言い出して、ワシントンDCで銃撃戦が起きることだって……。 白井:あまり冗談にはなりませんね……。 ●内田 樹(うちだ・たつる) 1950年東京都生まれ。神戸女学院大学名誉教授、昭和大学理事。東京大学文学部仏文科卒業、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。神戸で哲学と武道研究のための私塾凱風館を主宰。合気道七段。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第6回小林秀雄賞、『日本辺境論』(新潮新書)で第3回新書大賞、執筆活動全般について第3回伊丹十三賞を受賞。 ●白井 聡(しらい・さとし) 1977年東京都生まれ。思想史家、政治学者。京都精華大学准教授。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士後期課程単位修得退学。博士(社会学)。著書に『永続敗戦論─戦後日本の核心』(講談社+α文庫、2014年に第35回石橋湛山賞受賞、第12回角川財団学芸賞を受賞)をはじめ、『未完のレーニン─〈力〉の思想を読む』(講談社学術文庫)など多数。
IQ139「ギフテッド」の21歳東大生が小中時代に抱いた違和感 「フルパワーでしゃべれる相手がいない」
IQ139「ギフテッド」の21歳東大生が小中時代に抱いた違和感 「フルパワーでしゃべれる相手がいない」 こゆきさん(撮影/写真映像部・和仁貢介)    ギフテッドと呼ばれる人たちがいる。高い知性や能力を発揮する一方で、発達の偏りや気性の激しさなど、さまざまな困難を抱えるケースも多い。好評発売中の書籍『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)では、そんなギフテッドたちの声を取り上げてきた。東京大学で教育心理学を学ぶこゆきさん(21)もその一人だ。2歳ごろから自分で本を読み、物語の世界に没入。その一方で、学校に行きたくない一心で激しい感情をあらわにし、両親を困らせた。次第に、こゆきさん自身も、小説の登場人物たちのように人と仲良くできない自分を責め、苦悩を深めていった。 *  *  *  9歳まで東京で育ち、そこから18歳までを茨城県で過ごしたこゆきさん。昔から、友達と遊ぶよりも、ひとりで本を読むのが好きだったという。 「本を読んでいる記憶で一番古いのが、2歳ごろの記憶。物心がつくのと本を読むの、どちらが早かったんだろうというほどでした。母によると『読み聞かせをされるよりも、自分で読むほうが好きだった』そうです。そのころの自分は『物語の中の人たちのほうが、現実の世界の人たちよりもイキイキしてるし、楽しい』と思っていました。そういう風につくられているから当然なのですが(笑)、物語ってすごく面白いですよね。だから、当時の自分にとっては、本の世界のほうが、現実よりも大きな存在だったんです」 こゆきさん(撮影/写真映像部・和仁貢介)    なんでも読む乱読派だが、特に好きだったのは『ハリー・ポッター』『ナルニア国物語』、日本だと上橋菜穂子の『獣の奏者』、宗田理の『ぼくら』シリーズなど。ハリーやロンと比べれば、現実の人間はそこまでイキイキしてないのは間違いない。  このような気持ちだったため、周囲の子どもたちに関心が向くことは少なく、友だちもなかなかできなかった。両親は「友だちと遊ばなくていいの?」と心配したが、物語の世界に没入していたこゆきさんの耳には、届いていなかった。  また、両親は別の部分でも難しさを感じていた。当時のこゆきさんは人並み以上に気性が荒く、両親(特に母親)を困らせることが多かったという。 「とにかく、幼少期から負けず嫌いな性格でした。大人たちと対等に話したい気持ちが強かったんですね。主張したいことを言葉にできず、両親や大人に言い負かされて、すごく荒れていたように思います。母によると、とくに未就学の頃は感情的で、手がつけられなくなることが多かったそうです。小学生になると言語的にも発達して、母親と論戦を繰り広げるようになりました。『食事中に本を読むのはやめなさい!』と言われて『なんでダメなの?』と言い返したり」 【あわせて読みたい】 IQ130超「ギフテッド」女性が小学校の担任に嫌われた切ない理由 「人の感情を“データ”で理解しようと…」 こゆきさんの知能検査の結果(画像=本人提供)    ギフテッドと言うと、「才能」「個性」などのワードが想像されやすい。その一方で、広くみられる特性として、「激しさ」がある。以下、専門書より一節を引用したい。 「ギフティッド児や成人ギフテッドにほぼ普遍的にみられる特性は、激しさである。ある母親は次のように語った。『この子の人生のモットーは、すべきことは猛烈にすべし、感じることは強烈に感じるべしなんです!』このような子どもはあらゆることにつけて激しく、『過剰パーソナリティ』ではないかと思えてしまうほどである」(『ギフティッド その誤診と重複診断』より)  本が読みたい、外で遊びたくない、学校が嫌だと泣き叫び、怒り狂う娘……さまざまな困りごとが重なるうちに、両親はこゆきさんとの接し方がわからず、知能検査を受けさせることにした。 「最初に受けたのが未就学のとき。私はまだ小さかったので覚えてないのですが、母によると心理士さんは『お宅のお子さんは天才ですよ!』と言ったそうです。小2ぐらいで再び受けたときも『能力が高いお子さんです』というようなことが書いてあったと聞いています」  それらの結果を見て、両親は「この子は天才だ!」と喜んだ……わけではなかった。 「高知能だと聞いて、両親は『どうしよう……育て方がわからない』と思ったそうです。というのも、父母はどちらも『真面目で、努力家な優等生』タイプの人。だから、知能検査で高い数値が出ても鼻高々ということはなく、むしろ『どうやってこの子を”普通”に育てようか』という話になったそうです」 【あわせて読みたい】 知能が高すぎる「ギフテッド」で精神を病んだ40歳女性が見つけた希望 自ら望んで「閉鎖病棟」へ入った理由     こゆきさん(撮影/写真映像部・和仁貢介)    また、こゆきさんは学校でも困難を感じることが多かった。例えば、学校の授業は基本的にずっと退屈だったという。 「幼少期から読書好きだったので、そもそも知ってることが多かったですし、授業のスピードも遅いなと思っていました。もちろん、それが多くの人にとって最適なスピードなのは理解していました。だからこそ、『暇だな』と思いながら、授業中は資料集を眺めたり、電子辞書に入っている百科事典や青空文庫をひたすら読んで過ごしていました。でも電子辞書を持てたのは高校生からだったので、それまでは暇で仕方がなかった。『良くて暇、悪くて拷問』といった気持ちでした」  また、こゆきさんは書字に苦手意識を持っていた。  後年に受けた知能検査「WAIS-Ⅳ」の結果を見ると、「言語理解」が146、「知覚推理」が130、「ワーキングメモリー」が147なのに対し、「処理速度」が96と、極端に低い。「処理速度」は「視覚情報を、どれぐらい迅速かつ正確に処理できるか」の指標だ。これが低いと板書や手先を使った作業が苦手になったり、時間内に課題を終えることができなかったりといった困りごとにつながりやすくなる。 「板書を取らないといけなかったことも、学校が嫌いだった理由のひとつ。『書くより、もっと自分に適した方法がある』と思っていましたし、そもそもあんまりノートを取る必要性を感じてなかったので、できれば取りたくない派でした。でも、それだと先生は怒るんですよね」 こゆきさん(撮影/写真映像部・和仁貢介)    覚えたかどうかよりも、覚えるための行動の中にある”真面目さ”を見る……先生の、そんな思考が透けて見える。  ただ、こゆきさんは「自分は悪くない! 悪いのは他の人だ!」とは思っておらず、むしろ、「自分の能力が低いからダメなんだって思っていました」と思っていた。背景には、彼女が幼少期から”本の虫”で、さまざまな物語世界を現実の世界以上に受け止めてきたことが関係している。 「私は、物語を通して人間という生き物を理解していました。物語の中に出てくる中学生ってすごく大人じゃないですから。だからこそ、ああいう風になれない自分が当時はすごく嫌だったんです。本を開くと、ハリーはロンやハーマイオニーと、一緒にいろんな楽しみを共有している。でも、私は周りが楽しめてるものを自分だけ楽しめずにいる。クラスの子と仲良く、うまくやれない。その結果、『もし自分にもっと協調性があったら、親や先生を困らせなかったのかな?』『自分自身はそこまで興味がなくても、周りのクラスメイトたちが好きなことや楽しんでいることを尊重できたなら、学校も苦痛じゃなくて、周りみたいに頑張れたのかな?』『それができない自分には、何か欠陥があるんじゃないか』と思うようになって……。いま思えば、完璧主義だったところもあるかもしれませんね」  小説は基本的に大人が書いているので、その中に登場する子どもたちも当然かなり大人びているが、こゆきさんは自身にも周囲にも、高い水準を求めてしまっていたようだ。 こゆきさん(撮影/写真映像部・和仁貢介)   「東京の学校にいたころは、クラスが学級崩壊していて、自分がいじめられて大変だった時期もありました。私は器用になんでもできるタイプではなくて、得意不得意がはっきりしています。例えば、芸術方面や運動は苦手でした。とくに運動は、生まれつき片目が見えないこともあって、球技が壊滅的にできないんです。だから、『浮いている』というだけでいじめの標的になりやすくて。からかう理由なんて、何でもいいんですよね」  その後、こゆきさんは中学校に進学。いじめの標的にされることはなくなったが、対人関係ではまた違った難しさを感じるようになった。友人と考えが対立したときに、相手を「論破」してしまうことがあったのだ。 「印象的だったのが、中学のクラスメートと口げんかをしたときのこと。私が正論で追い詰めると、怒った相手が私に手をあげたんです。それを見た先生に『確かに手を出した友だちも悪いけれど、正論で友だちを追い詰めたあなたも悪い』と怒られてしまって……。私は普通に口げんかをしているつもりだったので、『納得いかないな』と思いました。自分の素を出して、フルパワーでしゃべれる相手がおらず、疎外感につながっていました。自分が集団に合わせないといけない……と悟っていました」  家庭にも学校にも居場所のなさを感じていたこゆきさん。しかしその後、ある場所が彼女の救いとなった。後編では、その救いとなった場所、予想外だった高校生活、不適合を乗り越えた今思うことを聞いた。 (岡本拓) ※【後編】<IQ139「ギフテッド」の女性が「正論で友達を追い詰めた」過去から学んだこと 「他者に寄り添うために能力を生かしたい」>に続く
天龍さんが語る“巨漢と小兵” 小兵選手で思い浮かぶのは後にも先にもグラン浜田だ!
天龍さんが語る“巨漢と小兵” 小兵選手で思い浮かぶのは後にも先にもグラン浜田だ! 天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)   「環軸椎亜脱臼(かんじくつい・あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」であるということがわかり、長らく入院生活を送っていた天龍さん。6月22日に退院し、すぐにイベント出演など、精力的に活動を再開した天龍さん。今回は“巨漢と小兵”にまつわる思い出を語ってもらいました。   * * *    巨漢力士で思い浮かぶのは、立浪部屋にいた若見山関。身長こそ177センチとそんなに大きくないが、体重が176キロもあるという巨漢で、俺が相撲の世界に入ってすぐくらいに初めて見たもんだから、余計に大きく感じたんだと思う。    とにかく大きいという印象で、相撲自体は大味というか、脇が甘くて自分のからだの大きさだけで押したり、しのいだりしていたという印象だ。今は大きくても技術のある力士は多いが、あの頃はからだが大きい力士で器用な人はいなかったからね。当時は幕内で120~130キロくらいが普通だったから、若見山関は図抜けて大きかったよ。    もう一人の巨漢力士は、大関までいった大内山関。身長が2メートルもあって、周りの力士が170~180センチ前後の時代だから群を抜いていたね。俺が相撲の世界に入ったころはもう現役を退いていて、時津風部屋で親方をしていたんだけど、それでもデカいね。初めてみたときも「これが大内山か!」と強烈な印象があった。 【人気記事はこちら】 天龍源一郎が語る“古希” 70歳にして早逝したジャンボ鶴田に思いを馳せる https://dot.asahi.com/articles/-/103015       2月の誕生日ショットはこちら!(天龍源一郎オフィシャルInstagramより)/天龍源一郎が主峰するプロレス団体・天龍プロジェクトpresents'『NEXT REVOLUTION』Vol.3 10月7日(土)大会情報、チケットのお求めは天龍プロジェクト各種SNS、HPなどでご確認いただけます。◆天龍プロジェクト公式Webショップ→https://www.tenryuproject.jp/    デカい力士と対戦するのは「やりづらい」のひとことだ。自分から攻めていって、どこで突破口ができるか、かすかな望みを抱いてぶつかるという戦い方だったね。俺のときは高見山関をはじめ、大型力士が増え始めた時期。俺も189センチと身長は高かったけど、体重が110キロくらいだったから、やっぱり体重がないと厳しいものがあった。   何度も転がされた小兵は?    そんなからだの大きさがものをいう世界にあって、小兵ながら俺をはじめ、多くの力士を苦しめたのが出羽ノ海部屋の吉の谷と鷲羽山で、二人とも同年代で何度も対戦した。吉の谷は足取りが上手くて苦手な相手だった。立ち合いのときにバッと足を取られてそのままひっくり返されてやられるんだ。そのタイミングが絶妙だったね。何度転がされたことか。     鷲羽山は関脇までいった力士で、すばしっこい業師という印象。まあ、対戦成績だけでいえば、俺が突っ張って突き出して何度も勝っているが(笑)。それから、立浪部屋の若浪関も印象深い小兵力士だ。この人は幕内最高優もしていて、立ち上がったところで懐に潜り込むのが上手い力士だった。そもそも、小さい力士と対戦するとき、俺は突き勝てばいいだけだから、そんなに気にならなかったんだ。それでも、今でも印象に残っているということは、吉の谷も鷲羽山も上手い力士だったということだね。    プロレスには巨漢レスラーは多くいるが、特にジャイアント馬場さんとジャンボ鶴田は、運動神経が抜群で、対戦するのもそんなに嫌な相手ではなかった。2人はなんでも器用にこなしてくれたから、俺も好き勝手やれる面もあったからね。こちらの攻撃をすべて受け止めてくれる大きな人という感じで、やりやすかったんだ。    俺も小さい方じゃないから、自分より小さい相手と戦うのは気持ちの面でも「こんなのに負けるわけないだろう」って優位に立てるもんだ。馬場さんもジャンボも、俺をはじめ、自分より小さい選手と戦うのは楽だったろうなって思うよ。 【先週のコラムはこちら】 天龍さんが語る“追悼テリー・ファンク”「俺もテリーになりたい」レスラーが憧れたレスラー https://dot.asahi.com/articles/-/200905    デカい選手相手に技をかけようとしても、自分のタイミングだけじゃあダメで、場数を踏んで、何度も対戦しないと技はかからない。やっぱり“間”というものがあるんだ。逆に、デカいやつはどうしうたって、持ち上げられると高さがある分、ボディスラムなんかの投げ技も受けるとダメージもデカいんだ。   それなりの経験と覚悟が必要    だから、技をかけるのも受けるのも、デカいレスラー相手には、それなりの経験と覚悟が必要になる。また、からだこそそんなに大きくなかったが、俺の中ではビル・ロビンソンやザ・デストロイヤーも戦うと、実際よりも大きく感じた選手だ。おそらく、ロビンソンの強烈なバックブリーカーや、デストロイヤーの太い足で決まったら抜けようがない足4の字固めをやられたときの印象が強かったんだろうね。    一方で、小兵レスラーといえば、なんといってもグラン浜田だ。167センチの小さなからだでメキシコにわたって、トップに上り詰めたことを尊敬している。彼が修行していた当時のメキシコはリングがほとんど板みたいな硬さだし、マットの下はむき出しのコンクリだし、大変な環境だったはずだ。だからこそ、受け身も逃げ方も上手くなったんだろう。    日本にルチャリブレを持ってきたパイオニアで、帰国した当時はメキシカンスタイルのレスリングがなかったこともあって、小柄でもリングの上での存在感は図抜けていたよ。俺が小兵選手と言われて思い浮かぶのは、後にも先にもグラン浜田選手しかいない! 【こちらも話題】 天龍さんが語る“プレゼント” ジャイアント馬場からの贈り物はまさかの「年金」!  https://dot.asahi.com/articles/-/12820    もし、俺が小柄だったら……。それこそプロレスもやっていなかっただろうし、相撲の世界にも入っていなかったんじゃないか。からだが大きくなったから、あれをやってみようこれをやってみようと思うようになれるんだ。    だから今、小柄でも相撲やプロレスに志願して入ってくるあんちゃんたちを見ると、つくづく根性があるなと思うよ。ただ、からだの大きい人はほかのスポーツに行ってしまうから、相撲もプロレスも人材不足だ。だからこそ、相撲やプロレスが好きで、その世界に飛び込んでくる若者がいると嬉しいし、頼りになるね。 (構成・高橋ダイスケ)  
恋人と円満に別れる方法を脳内科医が指南! ストーカー化させないたった1つのポイントとは
恋人と円満に別れる方法を脳内科医が指南! ストーカー化させないたった1つのポイントとは (写真はイメージ/GettyImages)  別れ話は、相手の気持ちを考えて曖昧な言葉で優しく伝える人も多いが、脳内科医で、「脳の学校」の代表や加藤プラチナクリニックの院長も務める加藤俊徳(かとう・としのり)さんは、「上手に別れたいなら、別れたい理由を明確にわかりやすく伝えることが大切。相手の脳が『縁の切れ目』『今までと違う』と理解できるようにはっきりと示すのがポイント」と話す。加藤さんが監修した『脳ドクターが教える 脳とココロの引き寄せルール』から、恋人と上手に別れる方法を抜粋して紹介する。 *  *  *  そもそも「縁を切りたくなった」ということは「方向性が違ってきたよ」という脳からのサインです。ところが相手は「今まで向き合っていたのになんで急に後ろを向くの?」とわけがわからない。上手に縁を切るためには、向いている方向が違うんだということを相手に確実に理解してもらわなければいけません。別れたい理由づけを明確にすることは、引き寄せ的にも、相手をストーカー化させないためにも大事なポイントです。  自分は何もしないで相手のほうから嫌いになってくれたらいいのに…というのは難度が高すぎます。人は生き物ですから、相手を思い通りにコントロールすることはできません。“縁の切れ目”を判断するのは脳なので、相手の脳にもわかるように切れ目を示してあげる必要があります。 別れたいなら「会わない」のがいちばん  口でいってもわからないタイプの人には『会わない』のがいちばんです。仕事や用事を目いっぱい入れて、相手と一緒に過ごす時間をなくしてしまいましょう。  別れるということは、共通の記憶をそれ以上作らないということ。ですから、「別れ話をするために旅行に誘う」といった矛盾した行為は、脳が混乱する原因になります。 服装や髪型をガラリと変えるのも有効  今までずっと持っていたお守りなどを新しく別なものに変えたり、服装や髪形をガラリと変えたりするのも効果的です。「あなたが知っている私と今の私は違う」ということ、つまり「方向性が変わった」ことが目で見てわかるので、相手の脳が別れを受け入れやすくなります。 別れたい理由は「事実」で伝える  聴覚系が強いタイプの人は、話の筋が通っていればすんなり別れられることが多いです。「定職につかないから」「浮気するから」など、別れたい理由となる“事実”をはっきりと言葉で表しましょう。すでに別れているのに何かと口実をもうけて電話してくるような人には、電話していい時刻を決める、チャットだけ許可するなど“制限”を設けるといいでしょう。 (構成 生活・文化編集部 端 香里)
SNSが子どものメンタルヘルスに与える悪影響 2時間以上はうつ病のリスク高める 3万人調査
SNSが子どものメンタルヘルスに与える悪影響 2時間以上はうつ病のリスク高める 3万人調査 ※写真はイメージです(写真/Getty Images)    厚生労働省によると、2022年の小中高生の自殺者は514人にのぼり、統計がある1980年以降で過去最多となった。これを受けて、今年6月には政府がオンラインによる「心の健康診断」を全国で導入する方針を固めたばかり。また、アメリカ公衆衛生局長官が「1日に3時間以上SNSを利用する子どもは、心の病のリスクが倍増する」と注意喚起するなど、子どもの自殺対策はいまや世界共通の問題だ。国内で、子どものからだと心に関する研究を続ける大学教授に、SNSが子どものメンタルに与える悪影響と対処法をうかがった。 *  *  *  これまで、テレビやゲーム、SNSなどの画面閲覧時間(スクリーンタイム)は子どものうつ病発症リスクに大きく関係すると見られてきた。だが、実はデバイスごとの検証は不十分で、全てのスクリーンタイムが子どもに悪影響を与えるとは限らない。  日本体育大学体育学部の野井真吾教授と、同学部の城所哲宏准教授らの研究チームはこの関係性を明らかにするため、東京都世田谷区の公立小中学校の8~15歳にあたる3万4643人にアンケート調査を実施。小学校・中学校の男女別に、利用するスクリーンの種類、使用時間を調べ、メンタルヘルスにどんな影響を与えているのかをまとめた。 日本体育大学体育学部の野井真吾教授    そして2022年に「Different Types of Screen Behavior and Depression in Children and Adolescents」という研究論文を発表。使用する電子メディアによってメンタルヘルスに及ぼす影響は異なり、特に2時間以上の動画視聴およびSNSの使用が、うつ病のリスクを高める可能性が示された。 日本体育大学体育学部の城所哲宏准教授    城所准教授によると、これには(1)スクリーンタイムの増加に反比例して運動や睡眠の時間が減り、結果的にメンタルヘルスに悪影響を及ぼす「置き換え理論」、(2)特に他人のSNSの投稿を見て劣等感を抱き、メンタルヘルスがマイナスに傾く「社会的比較理論」という二つの理由が考えられる。  一方で、テレビの視聴はメンタルヘルスにいい影響を与えるという予想外な結果も生まれた。 予想外の結果「テレビの視聴はメンタルヘルスに好影響」  性別と発達段階のアンケート結果を見ると、テレビはどの属性でもほとんど悪影響を及ぼさず、特に小学生男子の場合は、テレビを全く見ないよりも30分ほど見ているほうがメンタルヘルスの状態がいいことがわかった。  この結果について野井教授は、「日本の住宅事情が大きく関係しているのではないか」と予測している。 「日本では、小学生や中学生の子ども部屋にテレビはなく、リビングに置いてあることが一般的です。家族と過ごしながらテレビを見ているため、スクリーンタイム中でも人との交流があります。それが、メンタルヘルスに好影響を与えたのだと考えられます」  また、今回の研究結果から、スクリーンデバイスの評価方法の見直しという課題も生まれたと城所准教授は続ける。 「スクリーンを視聴しているといっても、人によってはながら見をしているケースも考えられます。すると、結果を過大評価してしまう懸念が生まれます。今後は、スマートフォンのスクリーンタイムのスクリーンショットを提供してもらうなどをして、客観的にスクリーンタイムを評価する必要があると感じました」  SNSの使用についても、「視聴するだけの場合」と「投稿する場合」とではメンタルヘルスへの影響が違うのではないかという疑問も発生。能動的・受動的、それぞれの使い方が、メンタルヘルスにどんな影響をもたらすのかも明らかにしたいと話す。 スクリーンのメリット・デメリットとルール設定  近年の子どもの自殺者数の増加の背景に、スクリーンの存在があることは無視できない。2023年6月には、政府がオンラインによる「心の健康診断」を全国で導入する方針を固めるなど、国をあげて救済政策に乗り出している。しかし、いまやパソコンやスマートフォンといったスクリーンデバイスは、私たちの生活からは切っても切り離せない存在だ。  スクリーン・子どものうつ病・自殺が複雑に絡み合っている現状を鑑みると、今後、子どもたちをうつ病リスクから引き離すためには、スクリーンタイムを短くするだけでは解決しない。さらに、うつ病を発症した子どものケアは不可欠だが、そもそも子どもがうつ病にかからない環境づくりが重視される。  野井教授は、「現代人はスクリーンの面白さに負け、スクリーンに使われてしまっている。さらに、スクリーンタイムに変わる経験ができる機会を提供しきれていない」と語る。 「ある時、小学生たちに鬼ごっこを教えたところ、その楽しさに『鬼ごっこを考えた人は天才だ!』という予想外の発言が上がりました。私たちは動いてはじめてヒトという動物になり、群れてはじめて人間になる。大人がスクリーンに負けたと思い込んでいただけで、当たり前に知っている伝承遊びなどを伝えきれていなくて、その結果、子どもたちをスクリーンに向かわせていたのかもしれない」  現在、野井教授と城所准教授は、メンタルヘルスに好影響を与えるとされる自然との触れ合い、いわゆるグリーンタイムの有用性の研究を進めている。  小学生・中学生の子どもを持つ家庭には、スクリーンのメリット・デメリットをきちんと伝えたうえで、子どもと一緒に使い方や使う時間のルールを考えて作るといいと助言する。 「なかには、SNSに救われている子どももいるでしょうし、スクリーンから無理やり引き離すのは得策ではありません。そのため、親御さんには、子どもと一緒にスクリーンとの向き合い方を考えて実行することを推奨します。ポイントは、サポートに徹するのではなく、実際に自分も子どもと一緒にやってみること。お子さんをスクリーンに使われるのではなく、スクリーンを使いこなせる人間になれるよう、導いてあげてください」(野井教授) (文/安倍季実子)

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