AERA with Kids+ Woman MONEY aerauniversity NyAERA Books TRAVEL
検索結果4228件中 781 800 件を表示中

柱の上に立って37年暮らした“ストイック”な聖人 「静かな生活」を求めたのに観光地化
柱の上に立って37年暮らした“ストイック”な聖人 「静かな生活」を求めたのに観光地化 シリア・アレッポにある聖シメオン・スタイライト教会の遺跡(写真:Getty Images)  キリスト教が勢力を急拡大するにつれ、利権を求める者たちの聖職者の地位争いによって都市の教会は腐敗した。その一方、信仰と真摯に向き合うことを願う者たちは孤独に修行する“隠修士”となった。中でも特筆すべきは、高い柱の上で37年生活したことから「柱頭行者」と呼ばれた隠修士だ。清涼院流水氏の新著『どろどろの聖人伝』(朝日新書)では、キリスト教国で愛され語り継がれてきた聖人伝が紹介されている。同著から一部を抜粋、再編集し、「柱頭行者」と呼ばれたシメオンを紹介する。   *  *  * 【関連記事を一気に読む】 #1 “サンタクロース”はキレて投獄されていた 隣人にこっそりお金を配っていた「聖人」 #2 十字架で処刑中に“人生大逆転” キリストの言葉で天国行きが確定した「善良な強盗」 #3 毒入りの盃はまっぷたつ 裸の女性で誘惑させたライバルは圧死 厳格な修道士の起こした「奇跡」 #4 「知らないものは知らん」キリストを置いて全速力で逃げた弟子 逆さまで処刑された場所は今 #5 「猛獣に噛み殺されたい」大観衆の前での処刑を喜んだ司教 直後に起きた大地震に皇帝は #6 乳房を斬り落とされても元通り、喉に剣を突き刺しても平然 男の「憎」を奇跡で跳ね返した二人の聖女 #7 柱の上に立って37年暮らした“ストイック”な聖人 「静かな生活」を求めたのに観光地化 #8 天使の言葉を信じたジャンヌ・ダルク “魔女”として受けた「究極」の罰 #9 14カ所も刺して自分を殺した男の「回心」を、“死後”も願った11歳の聖女  ローマ帝国で最初は迫害されていたキリスト教が容認され、勢力を急拡大するにつれて、利権を求める者たちが聖職者の地位を奪い合い、都市の教会は腐敗しました。その一方、真摯に信仰と向き合うことを願う者たちは砂漠で孤独に修行する隠修士となりました。そんな隠修士たちが次第に共同生活するようになったのが修道院制度のはじまりですが、あくまで孤独を貫き、いつまでも群れるのを嫌った者たちもいました。中でも特筆すべきは「柱頭行者」や「登塔者」(英語名スタイライツ)と呼ばれるシメオンです。シリアのアレッポの近くに立てた高い柱の上の非常に狭いスペースで37年も生活したことから、彼は「柱頭行者」と呼ばれるようになりました。それ以前にそんな生活をした者は知られておらず、彼自身が発明した、それは修行の新ジャンルでした。  シメオンは10代前半の頃、最初は修道院に入り、極端に禁欲的で過激な独自の苦行を続けました。彼がヤシの葉をねじってつくった縄で全身を縛ったところ、それが肉に食い込んで死にかけたことがあります。その時は、修道士たちが液体で縄を柔らかくして切り裂くという治療を3日も続ける必要がありました。生還したシメオンは、「お前のように過激な修行を好む者に共同生活は無理だ」と、追放されてしまいます。  修道院を追われたシメオンは、以後しばらく崖のような狭い空間で、ひっそりと苦行を重ねながら暮らしていましたが、いつしか「だれよりもストイックな修行者」という彼の噂が広がり、弟子になることを希望する者が殺到したため、逃げ出します。  その後、シメオンは訪問者に修行の邪魔をされないように、高さ3メートルの柱の上で4年間、生活しました。彼は人々から隠れているつもりでそうしたのですが、逆に目立ってしまい、彼を訪ねる人が途切れませんでした。努力する方向を勘違いしたままエスカレートさせて、シメオンは、次に高さ6メートルの柱の上で3年、その後、高さ10メートルの柱での10年間を経て、最終的には高さ20メートルもの柱の上で20年も暮らすことになりました。支援者が運んできた食事を吊り上げて食べていたようです。柱の頂上には手すりがついて、シメオンは基本的に、ずっと立ったままでした。  最初は訪問者を避けるために柱に上る決断をしたはずなのに、皮肉にもその前代未聞の修行方法によって彼のカリスマ性が際立ち、シメオンは終生、彼の希望とは反対に、多くの弟子志願者を魅了し続けることになります。シメオンの柱は観光地化して、彼の指導を求めたクリスチャンたちやローマ帝国の皇帝、異教徒たちまでもが毎日見物に訪れたそうです。柱の上での生活を37年続けた西暦459年9月1日、シメオンは最後は立ったまま亡くなり、ようやく柱から下ろされ、近くに埋葬されました。  シメオンが発明した「柱頭行者」という斬新な修行ジャンルは、その後、多くのフォロワーを生み出し、彼のほかに同名の「柱頭行者シメオン」が3人います。本家は「大シメオン」、ふたりめは「小シメオン」、3人めは「柱頭行者シメオン3世」、4人めは「レスボス島の柱頭行者シメオン」と、それぞれ呼び分けられています。 【関連記事を一気に読む】 #1 “サンタクロース”はキレて投獄されていた 隣人にこっそりお金を配っていた「聖人」 #2 十字架で処刑中に“人生大逆転” キリストの言葉で天国行きが確定した「善良な強盗」 #3 毒入りの盃はまっぷたつ 裸の女性で誘惑させたライバルは圧死 厳格な修道士の起こした「奇跡」 #4 「知らないものは知らん」キリストを置いて全速力で逃げた弟子 逆さまで処刑された場所は今 #5 「猛獣に噛み殺されたい」大観衆の前での処刑を喜んだ司教 直後に起きた大地震に皇帝は #6 乳房を斬り落とされても元通り、喉に剣を突き刺しても平然 男の「憎」を奇跡で跳ね返した二人の聖女 #7 柱の上に立って37年暮らした“ストイック”な聖人 「静かな生活」を求めたのに観光地化 #8 天使の言葉を信じたジャンヌ・ダルク “魔女”として受けた「究極」の罰 #9 14カ所も刺して自分を殺した男の「回心」を、“死後”も願った11歳の聖女 ●清涼院流水(せいりょういん・りゅうすい) 1974年、兵庫県生まれ。作家。英訳者。「The BBB(作家の英語圏進出プロジェクト)」編集長。京都大学在学中、『コズミック』(講談社)で第2回メフィスト賞を受賞。以後、著作多数。TOEICテストで満点を5回獲得。2020年7月20日に受洗し、カトリック信徒となる。近著に『どろどろの聖書』『どろどろのキリスト教』(ともに朝日新書)など。
健康的な生活のために食事を楽しむ大切さ アメリカの祝日で女医が気がつかされたこと
健康的な生活のために食事を楽しむ大切さ アメリカの祝日で女医が気がつかされたこと 山本佳奈(やまもと・かな)/1989年生まれ。滋賀県出身。医師    日々の生活のなかでちょっと気になる出来事やニュースを、女性医師が医療や健康の面から解説するコラム「ちょっとだけ医見手帖」。今回は「アメリカの祝日・感謝祭に気づいたこと」について、鉄医会ナビタスクリニック内科医・NPO法人医療ガバナンス研究所の内科医・山本佳奈医師が「医見」します。   *  *  *  11月の第4木曜日(11月23日)、アメリカは最も重要な祝日の一つであるThanksgiving(感謝祭)を迎えました。有難いことに、サンディエゴで知り合った女性にお声がけいただき、伝統的な感謝祭の夕食をご馳走になることに。   人生ではじめて、感謝祭を経験することができたと共に、みんなで集まり食事を共にすることのありがたさ、文化や伝統を受け継いでいくことの大切さを感じたひと時となりました。    多くの日本人にとって、馴染みのない感謝祭ですが、在日米国大使館(※1) のホームページによると、「アメリカの感謝祭は、家族や友人と集い、伝統的な料理を食べ、日々の生活に感謝する日」であり、1621年に現在のマサチューセッツ州で3日間にわたり行われた豊作祭を起源とし、毎年11月の第4木曜日にお祝いするとあります。    もともとはというと、原住民であるワンパノアグ族が新大陸で生き延びるために必要な農作物の育て方、狩猟や漁の仕方などをイギリス人入植者に教えてくれたことへのお礼に、入植者たちがワンパノアグ族を食事に招待したことだそうで、入植者たちは野生の七面鳥、アヒル、ガチョウ、魚介類、トウモロコシ、野菜、ドライフルーツなどをふるまい、ワンパノアグ族は鹿肉を持ってきたのだとか。 【こちらも話題】 インフルエンザ大流行の日本に一時帰国 女医が改めて考えたワクチン接種の大切さ https://dot.asahi.com/articles/-/205118 (写真はイメージ/GettyImages)    私も、感謝祭に欠かせない七面鳥、マッシュポテトやサラダ、ハムや野菜のソテー、アップルパイやパンプキンパイなど、感謝祭の夕食のメニューとして語り継がれている手作りの料理をたくさんいただきました。    コロナパンデミック以後初めて大人数で食卓を囲み、食事や会話を楽しむ時間を過ごしたことで、過去に報告された食事に関する医学研究をいくつか思い出したので、共有したいと思います。 健康的な生活と記憶力低下の関連性  1つ目(※2)は、中国北京市にある首都医科大学の研究者らが、中国の60歳以上の高齢者2万9,072 人を対象に、健康的なライフスタイルと高齢者の記憶力低下との関連性について調べた調査です。    その調査の結果、健康的な食事を摂取すること、定期的に運動をすること、人と活発に交流すること、頭を使うこと、喫煙歴がないこと、酒を飲まないという健康的な生活習慣がより揃っている高齢者ほど、記憶力が衰えにくいことが示されたといいます。    大人数で集まり、伝統的な食事をいただいた感謝祭をきっかけに、社会人になってからというもの、食事を一人でとることが多くなっていたことに加え、コロナパンデミックをきっかけにすっかり大人数で食事を共にする機会が減ってしまっていたことに気がつくことができました。 【こちらも話題】 運動経験ゼロの女医がハマったエクササイズ「ズンバ」 3カ月で得た変化とは? https://dot.asahi.com/articles/-/199378    また、人と積極的に交流することがあまり得意ではない上に、日本を離れてからは、英語という言語の障壁のために、積極的にコミュニケーションを取ることを避けていた私ですが、人との交流や、健康的な食事摂取が、記憶力低下を遅らせる可能性があるという医学論文を読み直し、無理のない範囲内で、いろんな人との交流を大切にしていきたいと改めて感じるきっかけになりました。    2つ目は、カナダのゲルフ大学の研究者(※3)らが、両親と同居する14歳から24歳のアメリカの青少年および若年成人2728人を対象とした調査です。    その調査の結果、家族との夕食の頻度が高いことは、ファストフードやお持ち帰り食品などの画一的な外食が少なく、果物や野菜が豊富な、健康的な食事を摂取していることと関連していたことがわかったといいます。    私も、社会人になってからは一人で食事をすることが増えただけでなく、気がつくと、料理をしなくなり、スーパーマーケットで購入したお惣菜や、コンビニで購入した軽食で済ませることが増えていきました。    今振り返ると、健康を意識した食事というよりは、その時に食べたいものを食べるという習慣だったと反省しています。 【こちらも話題】 緊急避妊薬が処方箋なしで100円で手に入る衝撃 女医が憤ったミャンマーと日本の対応の差 https://dot.asahi.com/articles/-/195724  3つ目は、イギリスのケンブリッジ(※4)大学の研究者らが、社会人5442人を対象に、テイクアウト(持ち帰り)のお店の存在とテイクアウト食品の消費量、そして体重との関係性について調べた研究です。    その結果によると、家や職場の近辺、または通勤途中で立ち寄りうるピザやハンバーガー、揚げ物といったテイクアウトのお店が多い人ほど、それらの摂取量が多く、BMI値が高く、肥満になりやすことが示されたといいます。    アメリカに来てから、日本のようなコンビニがなくなり、かわりに身近な存在となったのが、ファストフードを含めたテイクアウトのお店です。食材を購入して料理を作るよりも安く済ますことのできるため、時間がないときはうっかり頼りがちですが、どうしても炭水化物が中心で、野菜がとても少ない食事になってしまいます。一つ目の論文結果を意識すると、なるべく避けたいところですね。    さて、最後に、アメリカの人々にとって感謝祭が重要な祝日であることがわかることの一つが、スーパーマーケットやジム、大型商業施設、カフェなど、ほとんどの施設が午前中、もしくは、遅くとも夕方には営業を終えてしまうことです。これは、感謝祭だけでなく、クリスマスなどの祝日にも当てはまります。    事前に計画的に買い出しをしなければならないことは、24時間いつでも必要なものが手に入る、便利な日本でのコンビニ生活に慣れていた私にとって、アメリカ生活で慣れないことの一つです。    しかし、みんながお祝いできるように、早めに営業を終えるという習慣は、素敵なことだなと感じます。営業を終えて電気を消灯する施設が、多かったからなのかもしれません。感謝祭の夜は、家々の明かりが普段よりも明るく、また暖かくも感じられたのでした。   【参照URL】 ※1https://amview.japan.usembassy.gov/thanksgiving/ ※2https://www.bmj.com/content/380/bmj-2022-072691 ※3https://jamanetwork.com/journals/jamanetworkopen/fullarticle/2715616  ※4https://www.bmj.com/content/348/bmj.g1464  
哺乳瓶で栄養剤飲む長女を「見ちゃダメ」と親子に言われ 家族はかわいそうとは思っていないのに
哺乳瓶で栄養剤飲む長女を「見ちゃダメ」と親子に言われ 家族はかわいそうとは思っていないのに 小学生の頃、哺乳瓶をつかって栄養剤を飲む長女。バニラ味で長女の好物だったので小児科の待ち時間などに飲ませていました(写真/江利川ちひろ提供) 「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害のある子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出合った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。 * * *  我が家には医療的ケアが必要な長女がいます。17歳になりましたが、首も座らず寝たきりです。もちろん会話をすることもできず、発語は私を呼ぶ「まぁま」のみです。  こう書くと「かわいそう」と思われる方もいるかもしれませんね。でも実は、家族はまったくかわいそうとは思っていません。むしろ彼女が生きている世界はいつも自由気ままで、私にはとても幸せそうに見えます。  今回は、長女のことを書いてみようと思います。 一時期は外出が怖くなった  現在は、長女は胃ろうにチューブをつないで薬や「エネーボ」と呼ばれる栄養剤を注入していますが、小学生頃までは液体は哺乳瓶に入れて飲んでいました。エネーボはバニラ味で彼女の好みでもあり、受診時の待ち時間などに、飽きてしまわないようにおやつ代わりとしても使っていました。  ある時に小児科の待合室で長女にエネーボを飲ませていると、3~4歳くらいの女の子が近くに来て長女をじっと見ていました。おそらくその女の子にとっては、自分よりもずっと身体が大きい人がバギーに乗っていることも、哺乳瓶で何かを飲んでいることも初めて見る光景だったのだと思います。すると、その姿に気づいたママが少し離れた位置から女の子に向かって「見ちゃダメ!」と言い、急いで別の場所へ連れて行きました。  私はこの頃にはもう長女を隠すこともなく、障害のある子どもを知ってほしいと思っていたので、女の子が興味を持ってくれたのはとても意味があることだと受け止めましたが、もしも長女がもう少し小さな頃だったら、ショックを受けたのだろうなと思いました。  双子の娘たちが赤ちゃんの頃は、ベビーカーに乗せて外出すると「双子ちゃんですか?」と笑顔で声をかけられることがありました。でも、その頃の長女は難治性てんかん(ウエスト症候群)の影響で斜視が強く、笑顔でベビーカーをのぞき込んだ方の表情がサッと変わったり、私と目を合わせずに去ってしまうことが何度かあり、一時期は外出するのが怖くなったこともありました。年配の方に「おめめどうしたの?」と言われ、「ちょっと障害があって」と言うと「かわいそうに」言われましたこともありました。まだ「障害」という言葉を口にするのも勇気がいる頃で、そのたびに「この子は幸せなのかな」と悲しくなったものです。 この子が楽しそうならいい  でも、そんなネガティブな感情を変えてくれたのも長女でした。我が家では夫も含め、長女の障害をギャグのよう笑い飛ばすことがあります。たとえば、私が長女に話しかけた時にきょとんとした顔をすると、「あら~また“この人何言ってるかさっぱりわかんないわ~”って思ってるでしょ(笑)」と、私ひとりで会話を完結します。すると長女は、言葉の意味は通じなくても私が笑っているので同じように笑顔を見せてくれます。そんな長女の笑顔に「この子が楽しそうならそれで良い」と思えるようになりました。  長女が暮らす世界はとても自由です。誰かに気を遣うことも、もめることもなく、楽しければ笑顔になり、嫌な時は不快な声を出します。常に自然体で大好きな音楽に囲まれて生活をしている長女は決してかわいそうではないと思うのです。  数日前、デイサービスの連絡帳にこんなことが書いてありました。 〈散歩に行きましたが、今日もナビゲーターゆうちゃんで、道案内はお任せしています。「行きたいところがあるの?」と聞くとうなずいていましたが、見たい景色があるのか、思い出の場所があるのか気になります〉  もちろん、長女は道案内をすることも言葉を理解して「うん」と言うこともできません。でも長女と接していると、言葉を使わなくても表情や声で十分通じることがあります。その答えは彼女の「笑顔」です。みんなに愛されて楽しそうに生活している長女を見ていると、幸せの価値観はひとつではないのだと気づかされます。 ※AERAオンライン限定記事
「猛獣に噛み殺されたい」大観衆の前での処刑を喜んだ司教 直後に起きた大地震に皇帝は
「猛獣に噛み殺されたい」大観衆の前での処刑を喜んだ司教 直後に起きた大地震に皇帝は ※写真はイメージです(Getty Images) 「天国では、だれがいちばん偉いのだろう?」と弟子たちが議論をしていたところ、イエス・キリストは、近くにいた幼い子供を示し「この子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉い」と言った。その時の子供・イグナティオスは、使徒ヨハネの弟子となり45歳で司教となったが、皇帝から強要されたローマ神への礼拝を拒否したことで死刑を言い渡されてしまう。彼は猛獣に噛み殺されると決まった時、「キリストの麦となる!」と大喜びした。清涼院流水氏の新著『どろどろの聖人伝』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し、紹介する。 *  *  *  【関連記事を一気に読む】 #1 “サンタクロース”はキレて投獄されていた 隣人にこっそりお金を配っていた「聖人」 #2 十字架で処刑中に“人生大逆転” キリストの言葉で天国行きが確定した「善良な強盗」 #3 毒入りの盃はまっぷたつ 裸の女性で誘惑させたライバルは圧死 厳格な修道士の起こした「奇跡」 #4 「知らないものは知らん」キリストを置いて全速力で逃げた弟子 逆さまで処刑された場所は今 #5 「猛獣に噛み殺されたい」大観衆の前での処刑を喜んだ司教 直後に起きた大地震に皇帝は #6 乳房を斬り落とされても元通り、喉に剣を突き刺しても平然 男の「憎」を奇跡で跳ね返した二人の聖女 #7 柱の上に立って37年暮らした“ストイック”な聖人 「静かな生活」を求めたのに観光地化 #8 天使の言葉を信じたジャンヌ・ダルク “魔女”として受けた「究極」の罰 #9 14カ所も刺して自分を殺した男の「回心」を、“死後”も願った11歳の聖女  イエス・キリストが各地で福音宣教していた頃、弟子たちが「天国では、だれがいちばん偉いのだろう?」という議論をしていたことがありました。その時、イエスは、たまたま近くにいた幼い子供を呼ぶと、その子を弟子たちに示しました。 「はっきり言っておく。この子供のように純粋で謙虚にならないと、あなたたちは天国に入れない。この子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉い」  その時、イエスに呼ばれた子供の名は、イグナティオス(イグナチオとも表記されます)。彼は成長して使徒ヨハネの弟子となり、西暦69年に45歳でアンティオキア教会の司教となり、以後、同教会を38年にわたり指導しました。  西暦107年頃、イグナティオスはローマ帝国の皇帝トラヤヌスの前に引き出され、ローマの神々への礼拝を強要されますが、「わたしたちが礼拝するのは天地を創造した唯一神のみです。木や石でつくった偶像を拝むことはできません」と拒んだことで皇帝は激怒し、死刑が確定します。ローマの円形闘技場で大観衆の見物する中、飢えた猛獣のエサにされると決まった時、イグナティオスは大喜びして叫びました。 「主よ、あなたのために、いのちをお捧げできる光栄に感謝します!」  ローマに護送される最中にイグナティオスが各地のクリスチャンたちに宛てて書いた7通の手紙が現存していて、初期キリスト教の内情がわかる価値の高い資料となっています。その中で彼は「皆さん、わたしを愛してくださるなら、わたしの受難をどうか妨げないでください。わたしはキリストの麦となるために、跡形も残らないくらい猛獣の牙で噛み殺されたいのです」と、書き記しています。聖書にある「一粒の麦が地に落ちないあいだは、それは一粒のままです。でも、それが地に落ちて死ねば、多くの実を結びます」という内容の聖句を意識した表現でしょう。  処刑場となる円形闘技場へイグナティオスを連行する刑吏のひとりが、隠れクリスチャンでした。その刑吏が、ふたりだけの時に「皇帝陛下に減刑をお願いしてみます」とイグナティオスに耳打ちすると、彼は激しく首を振り、「それはいかん! やめてくれ! わたしは猛獣に噛み殺されて殉教したいのだ」と希望し、譲りませんでした。  ローマの円形闘技場を埋め尽くす大観衆の前で、イグナティオスは偶像を礼拝するラスト・チャンスを与えられますが、当然のごとく拒み、人々に呼びかけました。 「ローマの人たち、わたしは悪いことをして罰を受けるわけではありません。わたしは信仰心ゆえに猛獣に噛み殺され、キリストの麦となる必要があるのです」  2頭の飢えたライオンが檻から解き放たれると、獰猛な野獣は競うように駆け出し、イグナティオスに飛びかかりました。聖人は平然とそれを受け止めると、満足げに微笑みながら噛み殺され、あとに残ったのは骨が数本だけだったそうです。イグナティオスの殉教後すぐ、アンティオキアで大地震が発生して、たくさんの民衆が亡くなり、皇帝トラヤヌスは恐れをなしてキリスト教の迫害を中止した、と伝えられています。 【関連記事を一気に読む】 #1 “サンタクロース”はキレて投獄されていた 隣人にこっそりお金を配っていた「聖人」 #2 十字架で処刑中に“人生大逆転” キリストの言葉で天国行きが確定した「善良な強盗」 #3 毒入りの盃はまっぷたつ 裸の女性で誘惑させたライバルは圧死 厳格な修道士の起こした「奇跡」 #4 「知らないものは知らん」キリストを置いて全速力で逃げた弟子 逆さまで処刑された場所は今 #5 「猛獣に噛み殺されたい」大観衆の前での処刑を喜んだ司教 直後に起きた大地震に皇帝は #6 乳房を斬り落とされても元通り、喉に剣を突き刺しても平然 男の「憎」を奇跡で跳ね返した二人の聖女 #7 柱の上に立って37年暮らした“ストイック”な聖人 「静かな生活」を求めたのに観光地化 #8 天使の言葉を信じたジャンヌ・ダルク “魔女”として受けた「究極」の罰 #9 14カ所も刺して自分を殺した男の「回心」を、“死後”も願った11歳の聖女 ●清涼院流水(せいりょういん・りゅうすい) 1974年、兵庫県生まれ。作家。英訳者。「The BBB(作家の英語圏進出プロジェクト)」編集長。京都大学在学中、『コズミック』(講談社)で第2回メフィスト賞を受賞。以後、著作多数。TOEICテストで満点を5回獲得。2020年7月20日に受洗し、カトリック信徒となる。近著に『どろどろの聖書』『どろどろのキリスト教』(ともに朝日新書)など。
北山宏光「自分に失望するような後悔だけはしたくない」 新しい道を決断した胸の内を語る
北山宏光「自分に失望するような後悔だけはしたくない」 新しい道を決断した胸の内を語る 北山宏光(撮影/蜷川実花 hair & make up 古久保英人(OTIE) styling 櫻井賢之(casico) costume アニオナ、トゥモローランド トリコ、ジジ)    38歳の誕生日、北山宏光は新しい場所から大きな一歩を踏み出した。17日にはデジタルシングル「乱心-RANSHIN-」の配信リリースを果たしたばかり。新天地での新たな生活、そして見据える未来とは──。AERA2023年11月27日号より。 *  *  * ──取材は10月下旬。TOBEに合流してひと月余り、どんな日常を過ごしているのだろう。  今は整理と準備の期間と言いますか、これまで自分がやってきたことに、1回「マルをつける」ということをやっています。今までお世話になってきた人たちと、もう1回会うこともそうだし……。21年の間にお世話になった方たちとどんどん会って、ちゃんとお礼をして、ざっくばらんに話をする。そんな時間を持つことが、僕が思う16歳から21年間やってきたことに「マルをつける」ってことですね。  自分の意思で新しい道を選択して……これまでも自分の意思でやってきたことに変わりないんだけど、でも、ズルズル次に進むんじゃなくて、ちゃんと区切りをつけなきゃな、と思って。 ──「もう一歩、進みたい」。退所前に出演したラジオでは、今回の決断に至る思いをそう語った。しかし本当に新しい一歩を踏み出すためには、とてつもなく大きな覚悟とパワーが必要だったことだろう。改めて、思いを貫いたその胸の内を尋ねた。 個人で挑戦してみたい  う~ん……ま、人生1回ですからね。もうすぐ迎える40代を見据えた時に、グループでいることもいいんだけど、でもやっぱり一人の人間として、「個人で挑戦してみたい」という思いを貫いとかないと、絶対に後悔するなと思ったんです。もしかしたらこの先、一人になったことを後悔するかもしれないけど、でも、やらないで後悔するより、やって後悔した方が、僕は絶対に納得いく人間なので。小さいころから、親に「やめなさい」と言われてもやり続けて、怪我して「やっぱダメだったんだな」と納得するような子だった。もう、そういう性分なんでしょうね。  あとは「歴」が長くなればなるほど、背負う荷物が増えて、それを下ろす勇気がなくなって動けなくなるんじゃないか、それは嫌だな、という思いもありました。下ろさないと新しい荷物は背負えない。僕はそう思うんです。でもその考え自体が正しいかどうかも分からない。他のメンバーに迷惑をかけられないし……。なによりファンのみなさんを驚かせてしまう申し訳なさもありました。でも、どこまで考えても最終的には自分の人生だな、と。これからの長い人生を考えた時に、自分に失望するような後悔だけはしたくない。そう思ったんです。 ──その後、TOBEに合流することが発表されたが、今「TOBEだからできること」をどう実感しているのだろう。   【こちらも話題】 北山宏光「初心を忘れず、これからは新しい自分をどんどん見せていきたい」 https://dot.asahi.com/articles/-/206934 AERA 2023年11月27日号より   音楽作るって楽しい!  それは多岐にわたってありますね。“枠”があってないようなものなので、これまでできないだろうと思ってきたことが、シンプルにできるというか。新しいアイデアとか、「こうしたい」と思うものに対して、「それはダメなんじゃない?」がない。もちろん何でもいいわけじゃないけど、自分が正しいと思うエンタメに関するアプローチはスムーズにできると思う。それだけで可能性って相当変わるんじゃないかな。大きな組織になればなるほど、ジャッジに時間がかかるじゃないですか。でも、TOBEは滝沢(秀明)社長と話してOKだったら、もうOK。楽曲も仕事を決めることも、すべてが驚くほどスピーディー。そこはTOBEならではの良さだと思います。 ──今、取り組んでいる音楽制作のスタイルも大きく変わった。  今までは、デモの段階の楽曲をコンペで集めた中から1曲選んで、「もっとこうしたい」というやり取りを重ねながら仕上げていく感じでした。それが今は、最初から僕が一緒にやりたいプロの方たちとスタジオに入って、その場で一緒に作っちゃう、コライト(複数人で制作する作曲スタイル)という形で作ったりしています。たとえば僕がギターを弾いて「こんな感じのコード、どう?」と提案して、そこにメロ(ディー)をラララで入れていく。それを受けて「じゃあベースはこんな感じでどう?」「ドラムはこの楽曲の、ここら辺のフレーズがかっこいいよね」「じゃ、そんな感じで作ってみましょう」みたいな。その間に僕は歌詞も書いて。その場でやりたいことが全部反映できるから、細かい自分のスパイスみたいなものを入れやすいし、一緒に作るプロの方たちもコンペに出すとかじゃないからウィンウィン。これまでにない楽曲制作のアプローチができるから、スタジオ内が盛り上がっています(笑)。作詞作曲はこれまでもやってきたけど、ここまで深く楽曲制作に携わるのは初めてで。こういう環境に自分の身を置けることが嬉しいし、なんか……音楽作るって楽しい!って。 (ライター・大道絵里子) ※AERA 2023年11月27日号より抜粋
泉房穂・前明石市長「子どもを応援しない社会に未来はない」 今、政治がやるべきこととは
泉房穂・前明石市長「子どもを応援しない社会に未来はない」 今、政治がやるべきこととは 泉房穂(いずみ・ふさほ)/1963年生まれ。前・兵庫県明石市長。弁護士、社会福祉士。著書に『日本が滅びる前に 明石モデルがひらく国家の未来』など   「失われた30年」から抜け出せない日本。その原因は「政治」にあるというのは、前明石市長・泉房穂氏だ。今の時代に必要なのは「子どもを守る政治」と訴える。AERA 2023年11月27日号より。 *  *  * ──「失われた30年」をどう見ますか。  歴史上、稀(まれ)に見るひどい30年でした。経済は成長せず給料も上がらないにもかかわらず、国民に鞭(むち)打つように税金と保険料だけは増え続け、未来に希望を持ちにくい社会になってしまいました。 ──原因はどこにあったのでしょう。  政治です。ただし、政治が何もしてこなかったからではありません。してきたけど、間違いを続けてきたのです。 ──どういうことですか。  日本の政治は、昔からほとんど変わっていません。例えば、人口も財源も右肩上がりだった時代の発想のまま、いまだ無駄な公共事業に湯水のごとくお金をつぎ込んでいます。しかも、日本は税金などの国民負担率は1960~70年代は20%台だったのが、今では47.5%と倍以上になりました。もう国民は十分すぎるほど負担しているのに、生活はちっとも良くなっていない。子育て支援も介護負担の軽減も、一向に進みません。今こそ政治が必要な時代なのに、この30年間、政治は機能しませんでした。 ──政治が貧困になったのでしょうか。  日本の政治は元々貧困なんです。日本に「政治家」はいません。いるのは私利私欲のため職業として政治に携わり、官僚に従う「政治屋」ばかり。今の政治主導は政治家のための政治主導であって、国民のための政治主導ではありません。政治家には国民への「愛」がありません。 子育てと教育の無償化 ──特に日本は、子どもに冷たい社会です。  これは私が大学生だった40年も前から言っていることです。「子どもを応援しない社会に未来はない」と、当時論文にも書きました。40年前は、子どもが泣いていても誰も気づかない時代でした。その後、子どもが泣いていることに気づいたけど、気づかないふりをする時代が続きます。そして、二十数年前に、さすがに子どもが泣いているから何とかしなければいけないと気づき、2000年に児童虐待防止法が成立しました。しかし、何をしていいかわからない時代が続いています。 「子どもとは未来そのもの、その子どもをみんなで応援したら、街が元気になり経済が回って、みんなが幸せになります」(泉さん)   ──泉さんは、明石市長だった今年4月までの12年間、「子ども」にフォーカスした施策を推進し、18歳までの子ども医療の無料化など「五つの無料化」を実施。その結果、出生率を1.65(2021年)に引き上げ、人口も10年連続で増やしました。  私が目指したのは、泣いている子どもがいた時に泣きやむ社会にすることではありません。そもそも、子どもが泣かなくていい社会、子どもがおなかをすかさなくていい社会にすることです。今の時代に必要なのは子ども。その子どもが将来の社会を支えていくわけです。子どもを応援すれば、経済も回ります。この一番マストのことをせず、無駄な予算の使い方をやりまくっているのが日本の政治。ええかげん、本来やるべき子どものことをやりましょうと言いたい。 ──政府は、経済対策として1人4万円の所得税と住民税の定額減税や、住民税非課税世帯への7万円給付を決定しました。  1年限りの減税やバラマキの給付では意味はありません。必要なのは、子育てと教育などの無償化です。加えて、今は多くの人は物価高で困窮していますから、食料品など生活必需品の消費税の免除も必要。イギリスは消費税率20%ですが、食料品は0%です。日本も同じようにトップが決断し舵を切れば、一気に生活は助かります。 「日本は復活できる」 ──政治が変わることは重要だと思いますが、特に今の若者は政治に期待していない人が少なくありません。  それは、国民の方を向いてくれる政治家がいないからです。私自身、12年前の最初の市長選は僅差での勝利でしたが、4年前に再出馬した際、30歳代の私への得票率は9割でした。これまで投票に行かなかった人が続々と私に投票しました。また、今年10月に行われた埼玉県所沢市の市長選では、私が応援した候補者が当選しましたが、全体の投票率は38.8%で、前回を7ポイント近く上回りました。年代別では30代が突出し、30~34歳では前回を9.55ポイント上回る29.13%になりました。特に女性は、10.71ポイントも跳ね上がり32%でした。所沢市民、特に子育て世代が目覚めたのです。 ──所沢では、新市長が就任するとすぐ、保護者から批判が出ていた、第2子のため育休を取得すると上の子が強制的に保育園を退園させられる「育休退園」が廃止となりました。  小中学校の給食費の無償化も始まります。市民が目覚めればトップが変わり、トップが変われば一瞬で街が変わり、生活がよくなり、子どもが泣きやむ社会をつくることができます。これは、どの地域でも同じです。 ──失われた30年から脱却できますか。  日本は復活できると思っています。そのためには、行動することが大切です。私たちが政治から目を離さず、市民の方を向かなければ勝てない選挙にする。そして、市民のための政治をする人を選ぶことです。身近な地方選挙が変わっていけば、国政選挙も必ず変わってきます。その気になれば、立候補することだってできます。あなたが動けば、社会は変わります。 (構成/編集部・野村昌二) ※AERA 2023年11月27日号
紫式部が「源氏物語」を書いたきっかけは 夫に先立たれて3年で終わった結婚生活
紫式部が「源氏物語」を書いたきっかけは 夫に先立たれて3年で終わった結婚生活    2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、平安時代を舞台に世界最古の長編小説といわれる「源氏物語」を生み出した天才女流作家・紫式部の人生を描く。ドラマ放送前に紫式部がどんな人物だったのかチェックしてみてはいかがだろう。『藤原氏の1300年 超名門一族で読み解く日本史』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集して紹介する。 * * * 『藤原氏の1300年 超名門一族で読み解く日本史』の記事をまとめて読む #1 ライバル謀殺に「策」をめぐらせた中臣鎌足 日本史上最強の「藤原氏」だったのは一日だけ #2 菅原道真の怨霊に立ち向かった貴公子に、大ムカデを退治した武人 “剛毅”な藤原氏の面々 #3 「源氏物語」の光源氏のモデルになった“貴公子”藤原道長 謳歌した春と涙の晩年  #4 紫式部が「源氏物語」を書いたきっかけは 夫に先立たれて3年で終わった結婚生活 #5 源義経を迎えて頼朝と「全面戦争」 きらびやかな中尊寺金色堂を建立した奥州藤原氏の“最後” #6 「悪人こそ救われる」 殺生が“仕事”の武士の心をつかんだ親鸞の悪人正機説 #7 応仁の乱を終わらせた女傑 高利貸しや“通行料”で蓄財した「悪女」の真相は #8 公家なのに上杉謙信と盟約、織田信長とも親密 藤原一族・近衛家の「波乱万丈」 #9 1300年を生き抜き、再び政治の「頂点」に 明治最後の総理大臣を輩出した藤原氏 #10 若くて知的で長身、演説がレコード発売される人気ぶり 日中戦争を起こしてA級戦犯とされた宰相・近衛文麿 夫に先立たれた悲しみの中で  女房は貴人に仕える侍女で、房(部屋)を与えられた比較的地位の高い女性をいう。外戚の地位をねらうトップクラスの貴族たちは、娘を入内させる時、優秀な女房を選んでかしずかせた。天皇には複数のキサキがいたから、娘に皇子を生んでもらうためには、天皇をひきつける魅力が必要である。親たちは才女を仕えさせることで娘に高い教養を身につけさせるとともに、娘をとりまくサロンの魅力を高め、天皇の歓心をかおうとしたのだ。  一条天皇の中宮彰子のサロンには赤染衛門、和泉式部ら当代一流の歌人が仕えたが、中でも抜きんでた学才と文学的才能にあふれた女性が紫式部であった。父は学者の大江匡衡が「凡位ではもったいない」と評した一流の文人藤原為時、母は学者を父にもつ藤原為信の娘である。両家系から文芸の才を受け継いだ式部は、幼い頃から才気にあふれていたらしい。父為時が嫡子の惟規に漢籍を教えていると、そばで聞いていた式部のほうがよく覚えたため、父が男子でないのを残念がったという逸話が『紫式部日記』に記されている。 紫式部(前賢故実、国立国会図書館デジタルコレクション)    長徳二年(九九六)、国守となった父為時とともに越前(福井県)に下った。帰京後、山城守藤原宣孝(良門の子高藤の末裔)と結婚し、長保元年(九九九)、娘賢子をもうける。しかし、その二年後に夫は亡くなり、結婚生活はわずか三年ほどで終わった。以後数年間、式部は引きこもりがちで、ぼんやりと物思いにふけり、花の色や鳥の声、霜や雪によってかろうじて四季の移り変わりを知るような状態が続いたという。沈んだ生活を送る中で、式部は物語執筆への思いを強くし『源氏物語』を書き始めたといわれる。  この『源氏物語』が高く評価されたことが縁となり、寛弘二年(一〇〇五)頃、一条天皇の中宮彰子に仕える。内気な式部が出仕を決意した動機は明らかではないが、父為時の出世を願う気持ち、自身の学才を発揮できる場であること、『源氏物語』をよりリアルに描き込むための見聞の場として宮中を見たいという思いがあったともいわれる。  当初、父の官職にちなんで藤式部と呼ばれたが、やがて『源氏物語』の人気を受け、ヒロインの紫の上の一字をとって紫式部と呼ばれるようになったといわれる。本名は不明だが、寛弘四年の女官除目で掌侍となった藤原香子と同一人とする説もある。 公卿たちとの交流  式部が出仕した頃、『源氏物語』は宮中で広く読まれており、一条天皇は「作者は『日本書紀』を読んでいるに違いない」と評したという(そのために「日本紀の御局」という不名誉なあだ名をつけられてしまったが)。また、藤原公任は祝宴の折、式部に「このあたりに若紫(紫の上の幼少時の呼び名)はいますか?」と冗談交じりに呼びかけたという。『源氏物語』には日本の史書のみならず、『白氏文集』『文選』『史記』『論語』など漢学の知識がちりばめられており、当代随一の文化人の審美眼にもかなうものだった。  女房として公卿と交流することも多く、『小右記』の筆者藤原実資が彰子の御殿に出入りする際、取り次ぎ役となったのが式部であった。ちなみに、同書の長和二年(一〇一三)五月二十五日に「越後守為時の娘」と出てくるのが、紫式部が貴族の日記に登場する唯一確実な記録とされる。また式部は、彰子の父道長とも和歌をやりとりする仲で、ある夜、道長が式部の部屋を訪れて戸をたたいたという逸話もある。二人が男女の関係にあったとする説もあるが真相は不明だ。  式部が体験した宮廷生活の様子は『紫式部日記』に克明に描かれている。寛弘五年(一〇〇八)から同七年一月までのできごとを記した日記・消息文で、彰子の初めての出産の様子をはじめ、自身の処世観や人物評などが流麗な和文で記されている。この中で、式部は定子に仕えた清少納言に対して「高慢で利口ぶっている」「漢学の才をひけらかしている」などと酷評しており、少なからずライバルとして意識していた様子がうかがわれる。  式部が宮廷を退いた時期は不明だが、『小右記』の記事から寛仁三年(一〇一九)頃までは出仕していた可能性があるという。晩年の様子や没年はわかっていない。一人娘の賢子は母と同じく彰子の女房を務めた後、後冷泉天皇の乳母となり、従三位に叙せられて大弐三位と呼ばれた。一流の歌人として知られ、女房三十六歌仙にあげられている。 『藤原氏の1300年 超名門一族で読み解く日本史』の記事をまとめて読む #1 ライバル謀殺に「策」をめぐらせた中臣鎌足 日本史上最強の「藤原氏」だったのは一日だけ #2 菅原道真の怨霊に立ち向かった貴公子に、大ムカデを退治した武人 “剛毅”な藤原氏の面々 #3 「源氏物語」の光源氏のモデルになった“貴公子”藤原道長 謳歌した春と涙の晩年  #4 紫式部が「源氏物語」を書いたきっかけは 夫に先立たれて3年で終わった結婚生活 #5 源義経を迎えて頼朝と「全面戦争」 きらびやかな中尊寺金色堂を建立した奥州藤原氏の“最後” #6 「悪人こそ救われる」 殺生が“仕事”の武士の心をつかんだ親鸞の悪人正機説 #7 応仁の乱を終わらせた女傑 高利貸しや“通行料”で蓄財した「悪女」の真相は #8 公家なのに上杉謙信と盟約、織田信長とも親密 藤原一族・近衛家の「波乱万丈」 #9 1300年を生き抜き、再び政治の「頂点」に 明治最後の総理大臣を輩出した藤原氏 #10 若くて知的で長身、演説がレコード発売される人気ぶり 日中戦争を起こしてA級戦犯とされた宰相・近衛文麿 ●京谷一樹(きょうたに・いつき) 歴史ライター。広島県生まれ。出版社・編集プロダクション勤務を経て文筆業へ。古代から近・現代まで幅広い時代を対象に、ムックや雑誌、書籍などに執筆している。執筆協力に『完全解説 南北朝の動乱』(カンゼン)、『テーマ別だから政治も文化もつかめる 江戸時代』、『年代順だからきちんとわかる 中国史』、『「外圧」の日本史』(以上、朝日新聞出版)、『国宝刀剣 一千年を超える贈り物』(天夢人)などがある。
「1部屋25億円」タワマンが人気、富裕層は過去最高で広がる格差 「失われた30年」を抜け出す糸口あるのか
「1部屋25億円」タワマンが人気、富裕層は過去最高で広がる格差 「失われた30年」を抜け出す糸口あるのか コロナ禍以降、食料配布の列に並ぶ女性や若者が増えている。「勝ち組と負け組の格差が深まっている」(TENOHASI事務局長の清野さん 撮影/横関一浩)    バブル崩壊から30年──。格差は広がり、国際競争力は過去最低になった。この30年で失ったものは何か、脱出するには何が必要か。AERA 2023年11月27日号より。 *  *  *  日本の凋落を端的に表しているのが国際競争力の低下だ。スイスに拠点を置く国際経営開発研究所が、「経済状況・経済パフォーマンス」「政府の効率性」などから「企業がビジネスでどれだけ競争力を発揮しやすい環境が整っているか」を調査し、順位付けして毎年発表する。  主要約60カ国の中で、日本の国際競争力は、89年からの4年間、日本はトップだったが、山一証券や北海道拓殖銀行が経営破綻した97年には17位に急落。以来、1桁台に返り咲くことはなく、今年は35位に沈み、とうとう過去最低となった。 「転落の30年でした」 AERA 2023年11月27日号より    経済アナリストで獨協大学の森永卓郎教授は、失われた30年をそう例える。背景には、「マクロ面では財務省の緊縮財政、ミクロ面では構造改革があった」と言う。 「1980年ごろ、財務省(当時の大蔵省)は『財政再建元年』というキャッチフレーズを掲げ、増税路線に舵を切ります。それ以降、緊縮財政の嵐が吹き荒れ、増税路線が続いています」 AERA 2023年11月27日号より   「富裕層」は過去最高に  森永さんに言わせると、日本は約1300兆円の借金があるが、約1100兆円の資産を持ち、「世界で最も健全な財政状況を持つ国の一つ」。しかし、財務省は、日本は世界最大の借金を抱え財政破綻が国民生活の破綻をもたらすという恐怖心から、消費税率を上げ続けていったという。 「そのため消費が落ち、消費が落ちれば、企業の売り上げも減り、日本の経済は転落していきました」(森永さん)  ミクロ面での構造改革とは、2001年に発足した小泉純一郎政権が推し進めた政策だ。中でも「不良債権処理」というお題目で、「黒字で何の問題もない企業を二束三文でハゲタカ外資に売り飛ばしていったことが日本を貧しくさせていった」と、森永さん。 「日本の世界に対するGDP(国内総生産)のシェアは落ち込み、日本の企業が日本のものではなくなり、おのずと日本の経済は失速していきました」 最上階の46階にある、25億円の部屋のモデルルーム。風呂やトイレからも、大阪の眺望を楽しむことができるという(写真:グラングリーン大阪開発事業者提供)    こうして日本が転落する一方、特に12年の第2次安倍晋三政権のアベノミクスで株高が進んで以降、富裕層が増えていった。一般に、借金を引いて1億円以上の金融資産を持つ世帯を「富裕層」と呼ぶ。野村総合研究所によれば、2021年に富裕層は148万5千世帯となり、同研究所が推計を始めた05年以降で最も多くなった。 JR大阪駅北側の再開発エリアに建設中のタワマンのモデルルーム。日本のタワマンでは初となる「カーギャラリー」付きの部屋もある(写真:グラングリーン大阪開発事業者提供)  そんな富裕層の象徴と言われるのが、タワーマンションだ。  JR大阪駅北側の再開発エリアに、「グラングリーン大阪 ザ ノースレジデンス」という名のタワマンが建設されている。 「1部屋25億円」が人気  地上46階建て、高さ約173メートル、総戸数は484戸。「次代の王宮」をイメージした高級な内装や設備が売りで、販売価格は1億円前後から。最上階の1部屋は25億円と、関西の分譲マンションとしては最高額だ。  今年10月にモデルルームが報道陣に公開されたが、25億円の部屋は、2LDKで広さ305平方メートル。天然石を一面に敷き詰めた玄関ホールを挟み、天井の高さ約5メートルのリビング・ダイニングがあり、まるで超高級ホテル。売り主の幹事社である積水ハウスによれば、反響は大きくモデルルームの見学予約は連日満席だとか。 「関西圏の富裕層を中心に多数のエントリーを頂戴(ちょうだい)しております」(同社)  先の森永さんは言う。 「富裕層の多くは株式や不動産の譲渡益で儲け、自分で働いて稼いだ人はほとんどいません。お金にお金を稼がせ、とてつもなくお金持ちになる人が爆発的に増え、格差が拡大しています」  政治の面から見ると、この30年はどんな時代だったのだろうか。政治学者で東京大学名誉教授の御厨貴さんは「政治が劣化していった30年」と評する。 「きっかけは1990年代の政治改革で、衆議院に中選挙区制から小選挙区比例代表制が導入されたことにあると思います」  未公開株が多数の政治家にバラまかれた88年のリクルート事件後の政治不信を受け、旧来型の自民党の派閥政治から脱却し、政党が政策で争って政権交代が実現しやすい仕組みにしようという名目の下に94年、小選挙区比例代表並立制を導入する政治改革4法が成立した。 AERA 2023年11月27日号より    これによって、二大政党による政権交代ができる期待があった。だが、一つの議席を巡って勝つか負けるか争う小選挙区制においては、選挙至上主義になり、選挙で戦う相手に対して余裕ある態度を示せなくなった、と御厨さんは見る。 「決定的だったのは、小泉純一郎さんです。彼は、2001年に総理になると『自民党をぶっ壊す』といい、郵政事業や道路公団の民営化など壊す政治をやっていきました。そして05年には、参議院での法案否決を理由に衆院を解散します。憲政史上、前代未聞の事態でした。その結果、政治のモラルが崩壊し、『選挙に勝てば官軍』になってしまいました」  その後に続いた安倍政権では、選挙に常に勝つ「選挙至上主義」がさらに鮮明になった。12年の第2次安倍内閣からの約8年間、安倍政権下で毎年のように選挙が行われ、自民党が勝利した。御厨さんは言う。 「安倍政権の時、森友問題や桜を見る会はじめ、いろいろなスキャンダルが起きました。しかし選挙に勝ったのだから、野党に説明する必要はないという状況を生みました。一方で、野党も、国会では週刊誌で報道されたネタをそのまま持ち出すくらいで、自ら自民党を追及することをしなくなりました。こうして国会での議論がどんどん形骸化していきました」 岸田首相のモグラ叩き  そして、今の岸田文雄首相を御厨さんは「イデオロギーがない」と指摘する。 「岸田さんがやっているのは、一種のモグラ叩き。問題が出てくると叩いて応急処置はします。しかし、やっぱり物足りない。イデオロギーがないから日本をこうしたい、そのためにはこういう政策が必要だという、情熱も深い思い入れも見えません」  貧困、経済、政治……。このまま何の手も打たなければ、日本は「失われた40年」へと進むことになる。まるで出口の見えない、長いトンネルを抜け出す糸口はあるのか。  御厨さんは「政治は希望」だと言い、いま政治に求められるのは、「政治家が、100年の大計とまではいわないが、10年の計を立て、大きな図を描くことだ」と説く。 「そして選挙至上主義によって、まともな政策論争ができない新人議員がたくさん当選しました。そのため日本が何をしていけばいいかという議論が何もない。議員一人ひとり、何のために政治家になったのか問い直すことも大切です」  貧困の現場を長年見てきた作家の雨宮処凛さんは「雇用の安定化が最も重要」と強調する。 「そのためには、正社員になりたい人は正社員にし、非正規であっても、自立して生活ができ結婚や出産・子育てができる賃金体系にすることが必要です。一人一人がささやかな夢を叶えられ安定した生活ができ、10年先まで長期的な展望を持てる暮らしができるようになれば、社会は強くなります」  森永さんは、政策として天下りの全面禁止と、財務省から国税庁を切り離して財務省の息がかからないようにすることが必要という。その上で、嫌な会社にしがみついて働いている人は「資本の奴隷から抜け出そう」と呼びかける。 「グローバル資本主義が奪ったのは仕事の楽しさでした。生産性を上げるため多くの仕事がマニュアル化されましたが、生産性を高めれば高めるほど、仕事がつまらなくなりました。こうして資本の奴隷になると、新たな挑戦をしないので付加価値が生まれません。日本が沈んでいったのは、これを30年間続けた結果でもあります」 「アーティスト」に希望  森永さんは、これからは自分の好きな分野で創造性を生かし仕事をする「アーティスト」になることが重要という。アーティストとは、音楽家や画家といった芸術家に限らない。人工知能にはできない、創造的な活動をする全ての仕事を含む。  ただ収入に不安が生じる。そこで、新たな社会保障制度として、国は全ての国民に一定額を定期的に支給する「ベーシックインカム」を導入するべきだという。金額は1人月7万円。必要な財源は100兆円ほどだが、国が国債を発行し、それを日銀に買ってもらい得た利益、「通貨発行益」を活用すれば増税せずに可能だと、森永さん。 「アーティストは巨額の富を築けないかもしれませんが、心の底から人生を楽しめます。資本の奴隷から抜け出し、アーティストとしてクリエイティブに生きることは、日本にとっての新たな希望になると思います」  取り組むべきことは多い。しかし、長いトンネルを抜け出すには、柔軟性を持ち、変革に対応できる社会の構築が喫緊の課題なのは、間違いない。(編集部・野村昌二) ※AERA 2023年11月27日号より抜粋
日本も大規模開発で「森」をつくる動き 先進国で「都市に緑を増やす」がトレンドのワケ
日本も大規模開発で「森」をつくる動き 先進国で「都市に緑を増やす」がトレンドのワケ 本物の森を再現した「大手町の森」。夏場はクールスポットにもなり、訪れた人々や近隣のオフィスで働く人たちが森林浴を楽しめる癒やしのスポットになっている(写真:東京建物提供)    街路樹の伐採や再開発に伴う樹木保全が国内各地で社会問題化している。しかし、先進国の主要都市では市街地の真ん中に緑を増やし、「森」をつくるのがトレンドになっているという。背景を探った。AERA 2023年11月27日号より。 *  *  *  日本のオフィス街の顔ともいえる東京・大手町に「森」があることを知る人はどれくらいいるだろう。じつはたびたび仕事で訪れている筆者も、「大手町の森」の存在を知ったのはつい最近。正直に明かせば、この夏だった。足早に通り過ぎるばかりだったのが、今年の猛暑でこのエリアの涼感に気づき、ふと立ち止まって周囲を見渡してみて驚いた。そこにあったのは街路樹ではなく、森だったのだ。 「ここには単なる緑地ではない、野性味のある『本物の森』が息づいています」  こう話すのは「大手町の森」を管理している「東京建物」のビルマネジメント第一部課長代理の高橋優希さんだ。  森の広さは約3600平方メートル。ここに植わる約200本の樹木は、2014年4月に完成した大手町タワー(東京都千代田区)の「公開空地」として13年に整備された。公開空地とは建築基準法や都市計画法に基づき、ビルやマンションの敷地に設けられた入居者や住民以外も自由に出入りできる空間。敷地内に一定条件を満たす公開空地を有する建築物は容積率や高さの制限などが緩和される。超高層ビルが林立する都心の再開発エリアに緑が多いと感じられるのはそのせいでもある。  とはいえ、大手町の森の規模はケタ外れだ。それにはこんな経緯がある。  敷地全体の約3分の1にあたる公開空地の整備に際し、開発を担う東京建物は「都市を再生しながら自然を再生する」というコンセプトを掲げた。これを具現化するため自然の森を調査した結果、【1】複雑な起伏の中で木が密集したりまばらだったりする(疎密)【2】幹の太さや木の高さなどさまざまな樹齢の木があり常に入れ替わっている(異齢)【3】常緑樹・落葉樹・地被類など多様な種類が混ざっている(混交)──という3要素が必要との認識に至る。 遺伝子かく乱に配慮、近郊の山から丸ごと移す  そこで導入したのが、「プレフォレスト」という手法だ。千葉県君津市の山林に、実際の「大手町の森」の約3分の1にあたる約1300平方メートルを確保。ここで土地の起伏や土壌の成分、樹木の密度や種類などを計画地と同じように整え、約3年かけて施工方法や植物の生育、適切な管理方法を検証した。こうして得られた植物や土壌を丸ごと君津市から移したのが大手町の森なのだ。森の造成にあたっては遺伝的かく乱に配慮するため、関東近郊の山から樹木を集めたという。 オフィス街のビルに囲まれた「大手町の森」の外観。「プレフォレスト」という手法で千葉県君津市の山林の樹木や土壌が丸ごと移された(写真:東京建物提供)    本物の森を再現した効果は生態系の豊かさに表れている。施工時に確認していた植物は樹木・地被類を合わせて約100種。これが約1年半を経て約300種に増えた後、2021年時点で208種が確認されている。中には、国や都のレッドリストに記載される希少種も含まれる。 「多くは土壌の中に含まれていた種子から発芽して育ったものと考えられます。完成から約10年が経過した現在、確認されている約200種は適者生存した種とみられ、生態系の均衡状態が形作られつつある、と捉えています。一帯には希少種の鳥類や昆虫類も生息しており、生物多様性は着実に高まっています」(高橋さん)  広大な緑地は冒頭で指摘した通り、気温の低い領域(クールスポット)を生み出し、ヒートアイランド現象の緩和にも貢献している。森をつくる前後の比較で敷地内の平均気温は1.7度低下したという。 「大手町の森」の地下にある土が一定量の雨を保水するため、下水に急激な流入が起きづらく、ゲリラ豪雨対策にも寄与しているという(写真:東京建物提供)    また、地下にある土が一定量の雨を保水するため、下水に急激な流入が起きづらく、ゲリラ豪雨対策にも寄与しているという。 「あれだけ広大なスペースに里山の植栽を非常に丁寧に作り込み、周辺で働く人々からも親しまれている。公開空地の整備事業の成功事例といってよいでしょう」  大手町の森をこう評価するのは、東京大学大学院工学系研究科の横張真教授(緑地環境計画学)だ。一方で、「プレフォレスト」については課題もあるという。 「プレフォレストの語源はプレハブ住宅に由来します。あらかじめ工場で部材を作って現地で組み立てるのと同じ考え方で、里山に森をつくり、それを都市の再開発現場に運んで新たな森とする。画期的に映る半面、もとの里山から見れば樹木や土壌を奪われてしまうことになります」  都心の再開発事業を見守ってきた横張教授は足もとの実態を見据え、こう続けた。 「じつは今、東京をはじめとする都市圏の大規模再開発に際し、里山のような森をつくる動きが盛んになりつつあります。そうなると、各地の里山に自生している見栄えのいい長樹齢の樹木がどんどん移植の対象にされる可能性が出てきます。こうした樹木は野生生物の営巣地になるなど生態系維持に大切な役割を担っており、むやみに移植するのは問題もはらんでいます」 AERA 2023年11月27日号より    都市緑化の意義は十分認めつつも、より広範囲の生態系への影響も考慮する必要がある、というわけだ。 都市間競争で重要な「緑豊かな自然環境」  実際、都内では大規模再開発が目白押しで、その多くが「緑」をアピールしている。  東京都港区の虎ノ門、麻布台、六本木にまたがる約8.1ヘクタールの敷地に11月24日に開業する「麻布台ヒルズ」。6千平方メートルの中央広場を含む約2.4ヘクタールの緑地を確保している。この圧倒的な緑を配置する背景には、グローバルな都市間競争の激化がある。  麻布台ヒルズの開発を手掛けた森ビルの担当者は「グローバルプレーヤーが求めているのは立派なオフィスだけではありません。家族を含めた生活、教育、文化、環境なども重要なテーマです」と強調する。海外のグローバル人材のニーズを満たす重要な要素の中には、国際水準の住宅や高度な医療機関、インターナショナルスクールなどと並び、「緑豊かな自然環境」も含まれるのだ。  環境に配慮したサスティナブルな土地活用は国内外の各種認証を取得する上でも大きなポイントになる。国土交通省は再開発にあたって公園整備やビルの壁面緑化などを効果的に進めているかを判定、評価する認証制度を来年度にも新設する方針だ。背景には、こうした認証取得が市場に評価され、緑地化に熱心な企業への投資が進むことへの期待がある。  とりわけ、株主から高度な社会的責任を求められる外資系企業は認証の有無を重視してビジネス拠点を選ぶ傾向が強い。開発業者にとっては、ハイクラスのテナントに入居してもらうためにも、「緑」は不可欠な要素なのだ。  もちろん、都市に緑を増やすトレンドは日本だけではない。横張教授は「都市に森や緑を再生する取り組みは先進国を中心にものすごい勢いで広がっています」と話す。 東京大学大学院 工学系研究科・横張真教授(よこはり・まこと)/都市緑化機構理事長。国土交通省社会資本整備審議会委員。他に日本都市計画学会長、日本造園学会長などを歴任(写真:本人提供)    米国ニューヨーク市では相次ぐ自然災害のリスクを低減するため、現在20%強の「樹冠被覆率」を2035年までに少なくとも30%に引き上げる官民プロジェクトが進行している。樹冠被覆率とは、土地の面積に対して枝や葉が茂っている部分(樹冠)が占める割合。いわば、「緑の日傘」を広げる運動だ。  パリやロンドンなど欧州の都市で顕著なのは、ビルの屋上や壁面の緑化推進だという。伝統的な景観や街並みの保全を重視する欧州では、日本のように大規模再開発に伴う公開空地を活用して緑を増やすのは困難なためだ。  背景には、気候変動対策や生物多様性の保全、都市住民の徒歩圏内での生活環境の向上といった環境的側面に加え、中心市街地の空き地対策の側面もあるという。 グリーン戦略で活力再生、空き地対策でも注目  新型コロナのパンデミックを契機に在宅勤務が進んだ結果、都心のビルに空きテナントが増加したり、産業構造の変化により人口が大幅減少し、工場跡地が放置されたりすることによる治安悪化が、世界の都市で問題になっている。そのソリューションの一つとして、「緑化」が位置づけられているのだ。  有名なのは財政破綻した米国ミシガン州のデトロイトの事例。空き地や工場跡地を緑化して、都市の活力を再生する「グリーン戦略」を採用している。これは地方を中心に人口減少が続く日本もよそ事ではない、と横張教授は言う。 「日本の緑化はこれまで環境的側面が主でしたが、今後は中心市街地の空き地対策としてもクローズアップされると思います」  緑化は都市の風景の荒廃を修復するだけでなく、人心の荒廃を防ぎ、防犯効果を高める側面も期待される。  一方、土地の少ないシンガポールでは2030年までに食料自給率を30%に引き上げる目標達成のため、野菜や果物を栽培する屋上農園の設置を政府が後押ししている。地球規模の気候変動や世界各地で起きる紛争などによって食料品の輸入が一層困難になるのを見越した対応だという。  また、建築技術の進歩と相まって、木材の使用比率が高い「木造ビル」の建設の動きも国内外の都市で進んでいる。これもCO2対策や林業振興を兼ねた政府や自治体の政策誘導と連動して注目されている。横張教授はこう強調する。 「世界情勢が流動化するなか、日本も農林業の振興も含め、緑が持つポテンシャルを最大限活用するさまざまな仕組みづくりが必要です」 (編集部・渡辺豪) ※AERA 2023年11月27日号
「源氏物語」の光源氏のモデルになった“貴公子”藤原道長 謳歌した春と涙の晩年 
「源氏物語」の光源氏のモデルになった“貴公子”藤原道長 謳歌した春と涙の晩年  藤原道長像(『前賢故実』より、国立国会図書館デジタルコレクション)   「この世をば我が世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」。藤原道長が詠んだ「望月の歌」は、藤原氏の栄華を表す歌として今も語り継がれている。道長はいかにして権力を掌握したのか。どのような生涯を送ったのか。『藤原氏の1300年 超名門一族で読み解く日本史』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集して解説する。 * * * 『藤原氏の1300年 超名門一族で読み解く日本史』の記事をまとめて読む #1 ライバル謀殺に「策」をめぐらせた中臣鎌足 日本史上最強の「藤原氏」だったのは一日だけ #2 菅原道真の怨霊に立ち向かった貴公子に、大ムカデを退治した武人 “剛毅”な藤原氏の面々 #3 「源氏物語」の光源氏のモデルになった“貴公子”藤原道長 謳歌した春と涙の晩年  #4 紫式部が「源氏物語」を書いたきっかけは 夫に先立たれて3年で終わった結婚生活 #5 源義経を迎えて頼朝と「全面戦争」 きらびやかな中尊寺金色堂を建立した奥州藤原氏の“最後” #6 「悪人こそ救われる」 殺生が“仕事”の武士の心をつかんだ親鸞の悪人正機説 #7 応仁の乱を終わらせた女傑 高利貸しや“通行料”で蓄財した「悪女」の真相は #8 公家なのに上杉謙信と盟約、織田信長とも親密 藤原一族・近衛家の「波乱万丈」 #9 1300年を生き抜き、再び政治の「頂点」に 明治最後の総理大臣を輩出した藤原氏 #10 若くて知的で長身、演説がレコード発売される人気ぶり 日中戦争を起こしてA級戦犯とされた宰相・近衛文麿 意外に豪快だった道長  藤原道長は光源氏のモデルの一人にもあげられ、スマートな貴公子のイメージがあるが、実際は豪放磊落な性格だった。花山天皇の御代のこと、雨が降る気味の悪い夜、天皇の提案で肝だめしが行われることになり、藤原道隆・道兼・道長の兄弟がそれぞれ決められた殿舎に向かった。二人の兄は恐れて途中から引き返したが、道長は大極殿までいって柱の一部を証拠として切りとり、もち帰ったという。  またある時、父兼家が諸芸に通じている藤原公任(頼忠の子、四納言の一人)をほめちぎり、「我が息子たちが、その影さえふめそうにないのは残念なことだ」というと、道長は「影ではなく顔を踏んづけてやろう」といったという。この逸話を記す『大鏡』は「将来、栄達する方は、心魂(精神力)が猛く、神仏の加護も強いようだ」と述べている。 【あわせて読みたい】 ライバル謀殺に「策」をめぐらせた中臣鎌足 日本史上最強の「藤原氏」だったのは一日だけ https://dot.asahi.com/articles/-/206598 道長を中心とした藤原家家系図    道長の日記『御堂関白記』は、現存する世界最古の直筆日記として、ユネスコの記憶遺産(世界の記憶)に登録されているが、中身は誤字やあて字が多く、細かいことにこだわらない道長のおおらかな性格をよく伝えている。  兼家の五男として生まれた道長は、本来摂関家の嫡流を継げる立場にはなかった。しかし、長徳元年(九九五)、兄の道隆・道兼が相次いで亡くなり、疫病により公卿の約三分の一が世を去ったことで、道長は一気に後継者候補に躍り出る。  一条天皇は内大臣伊周と権大納言道長のどちらを政権首班にするか迷ったが、母である東三条院の意見をいれて道長に内覧の宣旨を下す。従来、摂関は大臣が任じられてきたが、道長はまだ権大納言だったため、同等の職権をもつ内覧のみが与えられたのだろう。もともと一条は、伊周の関白就任をゴリおしする道隆に不快感を抱いていたといわれる。伊周自身も若く、政務経験が不足していたうえ、尊大で人望がなかったことも道長に有利に働いた。  こうして内覧となった道長は、間もなく右大臣に就任して名実ともに政権トップに立ち、藤氏長者、摂関家嫡流の地位をえた。さらに、長徳の変で伊周が左遷されると、道長は左大臣となり、内覧・左大臣として長期政権を築いていくのである。 【こちらも話題】 菅原道真の怨霊に立ち向かった貴公子に、大ムカデを退治した武人 “剛毅”な藤原氏の面々 https://dot.asahi.com/articles/-/206684 三条天皇との対立と一家三后の実現  道長の最大の幸運は、多くの子女に恵まれたことにあった。道長には二人の有力な妻がいた。正妻は左大臣源雅信の娘倫子、次妻は安和の変で失脚した源高明の娘明子である。どちらも多くの子女を生んだが、子どもたちの社会的地位には大きな差があった。正妻の倫子が生んだ頼通・教通はいずれも摂関となり、四人の女子はみな天皇・東宮の后・妃となっている。一方、明子の子は頼宗が右大臣になっただけで、能信・長家は大納言どまり、入内した女子もいない。母親が正妻であるかどうかが、出世に大きく左右したのである。  道長も父や兄にならい、天皇家との婚姻政策を強力に推し進めた。長保元年(九九九)、十二歳の長女彰子を一条に入内させ、翌年、定子を中宮から皇后にスライドさせたうえで、彰子を中宮に立てた。二后並立は道隆が先例を開いたが、今回は一人の天皇に二后が並び立つ異例の事態となったのである。彰子は寛弘五年(一〇〇八)に敦成親王(後一条天皇)、翌年に敦良親王(後朱雀天皇)を生み、道長が外戚となる未来を開いた。  ただし、それにはまだ時間が必要だった。同八年、一条が三十二歳で崩御し、道長の甥にあたる三十六歳の三条天皇(母は道長の姉超子)が即位した。中宮は道長の次女妍子、東宮は彰子の子敦成である。しかし、道長が敦成の即位を望んだこともあり、三条と道長の関係は冷ややかであった。翌年、三条が藤原済時の娘せい(おんなへんに成)子を皇后にしたことで対立は決定的となる。道長が行った一帝二后の並立を、今度は三条が行うことで反抗の姿勢をあらわにしたのだ。これに対し道長は、せい子の立后と同じ日に、あえて娘妍子の内裏参入の行事をぶつける嫌がらせをして報復した。公卿の多くが道長の権勢を恐れて妍子の入内に集まったため、立后の儀式は大臣のいないわびしいものになったという。 【こちらも話題】 粋を極める男性貴族たちの恋歌ー意外と知らない百人一首の世界を探求〈13〉 https://dot.asahi.com/articles/-/38985  やがて道長は、三条が目を病んだことを理由に退位をせまった。長和五年(一〇一六)、三条はせい子を母とする敦明親王の立太子を条件として後一条天皇に譲位した。外孫の即位により、道長はこの時初めて摂政に就任する。翌年、三条が亡くなると、敦明は道長の権勢を恐れて東宮を辞退し、小一条院の称号をえて政界から退いた。  代わって後一条の同母弟敦良が東宮となり、道長は天皇と東宮の外祖父として、その権力はいよいよ盤石となった。寛仁二年(一〇一八)には三女威子が入内して中宮に、三条の中宮だった妍子が皇太后になり、太皇太后の彰子とあわせて前代未聞の一家三后を実現。その宴席で「望月の歌」を詠み、わが世の春を謳歌したのである。 院政の先がけとなった大殿道長の政治  後一条の即位から一年後、道長は摂政を嫡子頼通にゆずった。自身の目の黒いうちに摂関職を息子に継承することで、安定的な権力移譲を図ることがねらいだったといわれる。  摂関政治の全盛期を築いた道長だが、実は摂政の経験はこの一年間だけで、関白には一度もならなかった。一条・三条朝の約二十年間、内覧・左大臣として政務を運営したのである。これは、道長が一上の地位にこだわったためと考えられている。一上は太政官の公事をとりしきる役で、左大臣以下の筆頭公卿が行うのが通例だった。しかし、摂関制度の確立の過程で、摂関に就任すると天皇の補佐に専念するため、一上の地位を次位の公卿にゆずる慣習が生まれ、関白は陣定などの公卿会議、受領任命の審議に加わらない形が慣例化した。つまり摂関でいる限り、会議に出席して議論を直接コントロールすることができないのである。そこで仕事熱心な道長は、内覧として実質的に摂関と同じ権限をもったまま、筆頭公卿の一上として自ら会議を主催し、公卿たちを直接統括したのである。 【こちらも話題】 紫式部「女としてのうぬぼれ」が描かせた源氏物語の空蝉 https://dot.asahi.com/articles/-/13654  道長は頼通に摂政をゆずった後も大殿として政治の実権を握り、摂政頼通に指示を与え、朝廷の人事を掌握した。藤原実資から皮肉まじりに「帝王のごとし」と評されたのもこの頃である。こうした道長の権力掌握のあり方を、上皇が天皇の父・祖父の立場で政治を主導する院政の先がけとする評価もある。来るべき中世は、道長の時代に用意されていたのである。  栄華の絶頂を極めた道長であったが、この頃から目と胸の病に苦しめられるようになる。人々は三条天皇の祟りではないかと噂した。寛仁三年(一〇一九)、道長は五十四歳で出家し法成寺の造営を開始。来世へ旅立つための終活に着手した。  晩年の道長は子どもたちに先立たれ、涙にくれる日が続いた。万寿二年(一〇二五)に小一条院の女御となっていた三女寛子が亡くなり、東宮敦良親王の子親仁(後冷泉天皇)を生んだ六女嬉子も、産後間もなく死去する。二年後、皇太后妍子が亡くなり、道長自身も背中のはれ物に苦しみながら、法成寺の阿弥陀堂で六十二年の生涯を閉じた。 『藤原氏の1300年 超名門一族で読み解く日本史』の記事をまとめて読む #1 ライバル謀殺に「策」をめぐらせた中臣鎌足 日本史上最強の「藤原氏」だったのは一日だけ #2 菅原道真の怨霊に立ち向かった貴公子に、大ムカデを退治した武人 “剛毅”な藤原氏の面々 #3 「源氏物語」の光源氏のモデルになった“貴公子”藤原道長 謳歌した春と涙の晩年  #4 紫式部が「源氏物語」を書いたきっかけは 夫に先立たれて3年で終わった結婚生活 #5 源義経を迎えて頼朝と「全面戦争」 きらびやかな中尊寺金色堂を建立した奥州藤原氏の“最後” #6 「悪人こそ救われる」 殺生が“仕事”の武士の心をつかんだ親鸞の悪人正機説 #7 応仁の乱を終わらせた女傑 高利貸しや“通行料”で蓄財した「悪女」の真相は #8 公家なのに上杉謙信と盟約、織田信長とも親密 藤原一族・近衛家の「波乱万丈」 #9 1300年を生き抜き、再び政治の「頂点」に 明治最後の総理大臣を輩出した藤原氏 #10 若くて知的で長身、演説がレコード発売される人気ぶり 日中戦争を起こしてA級戦犯とされた宰相・近衛文麿 ●京谷一樹(きょうたに・いつき) 歴史ライター。広島県生まれ。出版社・編集プロダクション勤務を経て文筆業へ。古代から近・現代まで幅広い時代を対象に、ムックや雑誌、書籍などに執筆している。執筆協力に『完全解説 南北朝の動乱』(カンゼン)、『テーマ別だから政治も文化もつかめる 江戸時代』、『年代順だからきちんとわかる 中国史』、『「外圧」の日本史』(以上、朝日新聞出版)、『国宝刀剣 一千年を超える贈り物』(天夢人)などがある。
「あっ、盗撮だ」 たとえ“揶揄”されようと鉄道の「乗客」を撮ることにこだわる写真家・川井聡
「あっ、盗撮だ」 たとえ“揶揄”されようと鉄道の「乗客」を撮ることにこだわる写真家・川井聡 撮影:川井聡   川井聡さんは数年前、テレビドラマのスチール撮影を担当した際、スタッフらに自らが手がけた鉄道写真の本を見せたところ、「この写真、どうやって撮ったの?」と、驚かれたという。 そこには自然豊かな風景の中を走る車両のほか、日々鉄道を利用する地元の人々の姿が写っていた。 「彼らは普段、一般の人が映り込むことに対して非常に気を使っているので、鉄道写真に当たり前のように乗客の姿が写っていることにびっくりしたんです」 川井さんがスタッフに見せた『とっておきの汽車旅―全国から選びぬいた24路線』(昭文社)は、旅情あふれるローカル鉄道のガイドブックであるとともに、乗客や沿線に暮らす人々を丹念に追ったルポでもある。 青森県田舎館(いなかだて)村と秋田県能代市を結ぶ五能線のページをめくると、雪に覆われた風景の中を走るオレンジ色の小さな車体が写っている。車内の写真には、結露でくもった窓ガラスにドラえもんを描く制服姿の学生や、防寒着で身を包んだ女の子に本を読み聞かせる母親の姿が見える。 ところが最近、そんな写真を撮影していると「あっ、盗撮だ」と、同業者から言われることに川井さんは困惑する。 「きちんと相手の了解を得て撮影しているにもかかわらず、乗客にカメラを向けると、知り合いから『盗撮』だと言われる。もちろんちゃかして言っているのはわかります。ただ、全然冗談になっていないというか、自分たちの首を絞める言動だから、やめた方がいいとしか思えません」 撮影:川井聡   和製「LIFE」で鍛えられた 鉄道写真には「形式写真」「走行写真」などのジャンルがあるが、川井さんのように旅先での人との出会いをテーマに作品づくりをする鉄道写真家は珍しい。 「ぼくは鉄道を『乗り物』として撮りたい、という気持ちが強いんです。もちろん車両も主役ですが、何よりも鉄道を利用するお客さんが主役だと思います。だから、お客さんをメインに撮った写真で作品をつくりたい」 そう思う背景には、鉄道車両を写した写真は仲間内にだけ通じるものになりやすいことがある。そのことに気づいたのは少年時代だった。 撮影:川井聡   1959年、川井さんは国鉄職員だった両親のもとに生まれた。暮らしていた国鉄アパートは現在の百済貨物ターミナル駅(大阪市)のとなりにあり、毎日、すぐ目の前で蒸気機関車(SL)が貨車の入替作業をしていた。 「鉄道を撮り始めたのは小学校5年生のときです。親父のカメラを勝手に持ち出して機関庫を撮りに行った。親父にはぶん殴られましたけど、それからずっと鉄道写真を撮るようになりました」 川井少年はSLの撮影にのめり込んだ。そのころ消えゆくSLを追いかけるSLブームが巻き起こっていた。一方、「SLの写真を見せて喜ぶのはSL好きの仲間だけ」であることを感じていた。 鉄道で旅をしながら人を撮る楽しみを知ったのは、中学卒業の際、北海道を訪れたときだった。 「親から、高校に合格したら北海道へ撮影に行っていいよ、と言われ、それで勉強を始めたんです(笑)。北海道への旅は初めての大旅行でした。見知らぬ風景にレンズを向けるのも新鮮でしたけれど、同じ車両に揺られながら旅する人たちを撮るのが楽しくなって、それが自分の撮影スタイルになっていったんです」 撮影:川井聡   「ポートレール」とは 24歳のとき、初めて写真展を開くと、政府の広報業務を受託していた時事画報社の編集部員が川井さんの作品に目を止め、仕事を依頼するようになった。 当時、時事画報社は米国のグラフ誌「LIFE」を手本に、国の施策を紹介する「フォト」や、日本を海外に紹介する「Pacific Friend(パシフィックフレンド)」などを発行していた。その撮影を手がけるうちに川井さんは「鉄道をどう撮影して見せるのか」という視点を鍛えられたという。 「例えば、『第三セクターによる鉄道の再生』といったテーマを与えられて取材するのですが、そこで求められるのは『鉄道写真』ではないんですよ」 鉄道の車両や設備はもちろんのこと、それをメンテナンスする作業員や駅員、行政担当者、乗客、さらには地元に暮らす人々の生活を追った。 「取材後は、撮影した写真をどう見せるか、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をしました。真正面からぶつかり合う、という感じだったですね」 このとき身につけたドキュメントタッチの撮影手法は、のちに『とっておきの汽車旅』にも生かされてゆく。 だが同時に、一般の人に声をかけて撮影することを躊躇する空気が業界の中に広まりつつあることに危機感を覚えた。 「そのとき、ふと頭に浮かんだのが『ポートレール』という言葉なんです」と、川井さんは振り返る。 それは、人を撮る「ポートレート」と、鉄道を象徴する「レール」を結びつけた言葉だった。 撮影:川井聡   写真は「出会いと発見」 「ポートレール」の一つの試みとして、川井さんは昨年9月、北海道小樽市を訪れた。そこには廃線になった旧国鉄手宮線の一部が保存され、観光スポットになっていた。 「ここで半日かけて、約20組の人に『ポートレールというテーマで撮影させてほしい』とお願いしたところ、ほぼ全員が『いいですよ』と、快く応じてくれました。みなさん本当に楽しそうに、思い思いのポーズをとってくれた。人を撮ることに対して萎縮したり、抑制する必要はなくて、こんなに開放的に撮れるんだ、ということを実感しました」 川井さんにとって写真とは「出会いと発見」であり、デジタルカメラは撮影者と撮影相手をつなぐコミュニケーションツールだという。 「写した画像を背面モニターで見せると、みんな喜んでくれますから」 撮影の際には、その人のエピソードを込める、という思いでレンズを向ける。例えば、北海道・釧網線の車内で撮影した写真には満面の笑みを浮かべるシニア世代の夫婦が写っている。 「ところが最初、このお父さんはずっと怒っていたんですよ。せっかく大阪から旅行に来たのに、転んで足をねんざしてしまったそうで、旅行が台なしになってしまったと、自分に対してすごく腹を立てていた。でも、30分くらい写真を撮っていたら、だんだんこの笑顔になった」 浮輪を手にする女性たちの姿もある。 「これは電車の中で浮輪を持っている謎の女子高生たちです。というのも、この写真を写したのは鳥取県の山の中なんですよ。彼女たちの自由さがいいな、と思って、いろいろなポーズをとってもらいました」 撮影:川井聡   形式写真も写すけれど 一方、コロナ禍の数年間は苦痛で、フラストレーションがたまったと、打ち明ける。 「マスク写真は撮りたくないし、撮られたくもないだろう、という気持ちがありました。撮影していても、いまひとつコミュニケーションが深まらなかった。だからこそ今、ポートレールというテーマで撮影している、という気持ちもある」 川井さんもほかの鉄道写真家と同様に形式写真や走行写真も撮影するという。 「でもやっぱり、人の写真を撮るのが面白いし、楽しいんです。他の鉄道写真家と競合しないのもいい。商売にはならないんですけどね(笑)」 (アサヒカメラ・米倉昭仁) 【MEMO】川井聡写真展「PORTRAIL ポートレイル」 ポートレートギャラリー 11月23日~11月29日
岸田首相はなぜお金を適切に使わないのか 荻原博子氏「内容のない政策で選挙へのアピール」
岸田首相はなぜお金を適切に使わないのか 荻原博子氏「内容のない政策で選挙へのアピール」 岸田内閣の支持率下落が止まらない    岸田内閣の支持率低下が止まらない。朝日新聞が18、19日に行った全国世論調査(電話)では、岸田内閣の支持率は25%(前回10月調査は29%)に低下。内閣発足以来の最低を記録した。不支持率は65%(同60%)に上昇した。背景には、岸田内閣の副大臣と政務官の3人が相次いで辞任したほか、総合経済対策への低評価がある。経済ジャーナリストの荻原博子氏は、岸田氏が掲げる経済政策について「国民のことを本気で支えようと思っていない。非常に残念な内容だ」と痛烈に批判する。  岸田文雄首相は今月2日の記者会見で、同日の臨時閣議で決定した総合経済対策の内容を発表した。同政策は「デフレ完全脱却のための総合経済政策」と位置付けられ、所得税の定額減税や低所得者世帯への現金給付が盛り込まれた。  荻原氏が言う。 「減税や現金給付などはすぐに行われるべきです。しかし所得税の減税の実施は来年6月が目処だとしています。これではあまりにも遅すぎます。家計が本当に苦しい人は、目の前の生活でいっぱいなんです。給付についても、せっかく今年度で計887億円の予算を盛り込んでマイナンバーの交付を進めてきたのだから、紐づけた口座にすぐ振り込むなど早急な対応が求められます」  総合経済政策の所得税の減税は、所得税と住民税合わせて1人計4万円を来年6月に実施する。給付については、低所得の住民税非課税世帯に、年内から年始にかけて1世帯7万円を給付する見通しだ。 【こちらも注目】 岸田首相の所得減税策に、なぜ消費減税ではない? 「増税メガネ」の払拭遠のく経済政策 https://dot.asahi.com/articles/-/205652   鈴木財務大臣    今回の朝日新聞社の世論調査では、この減税と現金給付について国民の評価は低く、「評価しない」は68%で、「評価する」の28%を大きく上回った。  荻原氏が続ける。 「岸田首相は、所得税減税について、過去2年間の税収増を国に還元すると述べましたが、その税収増分は国債の償還などですでに支出していると鈴木俊一財務大臣から否定されました。岸田氏はどうしてこんなデタラメを言うのでしょうか。首相への信頼性が問われます」  鈴木氏の発言にも問題があると荻原氏は指摘する。 「鈴木財務大臣は『(所得税の)減税をするならば、国債の発行をしなければいけない』と回答しました。そこが非常に残念なところです。これ以上の国の借金を作るのではなく、たまりにたまっている基金の抜本的な見直しを行うべきではないでしょうか」      荻原氏が指摘する“基金”とは、国が複数年度にわたる特定の政策に対して、必要なときに使うことができるもの。残高が膨れ上がっていることが問題視されている。これらの基金は、使い残しが総額は16兆円に上る。永田町関係者からは「使い道を十分に検討しないまま予算がついてしまっていることが原因。適切にお金を使うことができていない」とかねてから批判の声が上がっていた。  荻原氏が言う。 「ロシアによるウクライナ侵攻や円安の影響でエネルギー価格などが上がっており、止まらない物価高が続くなか、厚労省の調査(毎月勤労統計調査)によれば実質賃金は18ヶ月連続で減少しています。この有事の際に、こうした基金を使わなくてどうするんですか」   「少子化対策」は急務だ。(写真はイメージです/gettyimages)    岸田首相が掲げる「少子化対策」も不評だという。  岸田首相は、来年度以降の「こども誰でも通園制度(仮称)」の実施を進める。この制度は、上限を「月10時間」とし、子ども(生後6ヶ月から2歳のすべての未就学児が対象)を保育所や認定こども園などへ預けられるようにするもの。  しかし、荻原氏は「10時間で本当に足りるのでしょうか」と疑問を呈する。 「保育の質についても問題がまだ解決されていないなかで、保護者からの不安は高まっています。こうした内容のない政策では、選挙へのアピールと捉われても仕方がありません。国民のことを何もわかっていないとしか思えません」  そして、こう続ける。 「小泉純一郎政権時で財務相を務めた塩川正十郎氏の言葉を思い出します。塩川氏は03年の衆議院財務金融委員会で、『母屋ではおかゆを食ってけちけち節約しているのに、離れ座敷で子どもがすき焼きを食っておる。そういう状況が行われておる』と述べ、国のお金の使い方について厳しく批判しました。事業予算を適正に無駄なく使う重要性を訴えてきた人でした。岸田首相もこの言葉を強く受け止め、国民の現状を適正に捉えて無駄なく政策を打ってほしいものです」 (AERAdot.編集部・板垣聡旨)
若い女性たちの「卵子凍結」という選択が、女性の身体と命を守るものでありますように 北原みのり
若い女性たちの「卵子凍結」という選択が、女性の身体と命を守るものでありますように 北原みのり 「卵子凍結」は30代の女性の選択肢の一つになってきたようだ(写真はイメージです/gettyimages) 作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、指原莉乃さんも行ったという、「卵子凍結」という選択肢と、女性の身体と命について。 *    *  *  指原莉乃さんが、31歳の誕生日に「今年も今のところ結婚願望なし、卵子凍結済みで生活してます」とSNSに投稿し、「卵子凍結」が一時トレンド入りするなど話題になっている。反応も概ね好意的で、30代女性の選択肢の一つとして確実に「卵子凍結」が入ってきたことを実感する。  実際、この数年、「卵子凍結を考えてます」という20代〜30代前半の女性に私は何人か会っている。「今は仕事に集中したいし、相手もいない。でも、いつか子供はほしい。だから若いうちに卵子は凍結しておきたい!」という「人生を前向きに生きるための卵子凍結」という明るさがある。今年出版された「アンアン」のムック「私たちのフェムケア2023」でも、若い女性の選択肢として卵子凍結が紹介され、まるで卵子凍結がフェムテックの最先端のように扱われはじめているのを実感している。  そういう情報に素早く反応するのは、自分の人生を制限なく生きたいと望み、自分の人生を自分でコントロールしたいと強い意思を持ち、自分の人生を何一つ諦めたくないと主体的に生きようとする女性たちだ。  え、ちょっと待って! そんなキラキラした選択肢なんて、きっと訳ありよ! と疑い深い私などはモヤモヤするのだが、「女性の選択肢を広げる」という大義名分は強い。実際、私たちは不妊に苦しむ女性の物語を知っている。不妊治療には国が自ら力をいれているが、治療をしたからと言って、妊娠・出産が100%約束されるわけではない。さらに、不妊治療は女性の心身に苛烈な負担をかけるものでもある。そういった不妊治療の苦しさを、若い女性が先回りして自らの身体で回収し、解決する、それが「卵子凍結」という選択肢だ。将来後悔しないための賢い選択……若いうちから貯蓄に励み、将来に備えて資産運用するのと同じようなものだろう。  ただ、貯蓄をするのと、新しい命の担保をするのはやはり少し訳が違う。  貯蓄するのに痛みはないが、卵子凍結をするために、女性は大量のホルモン注射を打たなければいけない。さらに、卵子を採取するのに長い針を身体に刺すのは激痛を伴う。貯蓄は貯まるだけだが、卵子を維持するための費用は発生し続ける。費用だけの話ではない。例えば、自然に妊娠・出産した場合、凍結した卵子はどうするのだろうか。「もう、その卵子は、使いません」と決めるのはどのタイミングなのだろうか? 使われなかった卵子は、「捨てる」のだろうか? 再生医療や生殖医療技術研究に利用され得るとも言われているが、その事実をどう考えればよいのだろう。  わかるのは、妊娠・出産にまつわる医療ビジネスに、これまでターゲットにされていなかった若い健康的な女性たちが入ってきていること。「子供を産みたい、育てたい」という希望が、ビジネスの需要として急速に伸びていることだ。そこで消費されるのは、結局は女性の身体であり、利用されるのは「女性の自由意思」である。  女性の選択肢が増えるのは良いこと。  私自身、そう思って生きてきた。あまりにも私たちには選択肢がなかった時代が長かったから。結婚相手を選ぶ自由も。子供を産む自由、産まない自由も。それでも「選択肢」というキラキラした自由は、ときにもしかしたら罠をしかけてくるのかもしれない。生殖医療技術に関しては、そんな罠を感じ身構えてしまう。身構えるくらいでちょうど良いのだとも思う。  女性がした選択を批判はしたくない。私は指原さんのファンでもあるので、彼女の30代がますます活躍できる場になることを心から願っている。私の若い友人たちが選んだ選択肢が、彼女たちを救うものであってほしいとも思う。そのためにも、その選択肢が、結局はどこか女性の身体を、命を、削るようなものになるものであってはいけないと、見張り続けていく必要があるのだろう。女性の身体と命を守るために。
「何かを決める集団には多様性が必要 問題解決能力の低い政府が生まれるわけ」ブレイディみかこ
「何かを決める集団には多様性が必要 問題解決能力の低い政府が生まれるわけ」ブレイディみかこ 作家、コラムニスト/ブレイディみかこ    英国在住の作家・コラムニスト、ブレイディみかこさんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、生活者の視点から切り込みます。 *  *  *  中東情勢に注目が集まる今、英国内で粛々と続いているものがある。英政府の新型コロナウイルス対策に関する独立調査委員会だ。当コラムでその公聴会について「しつこい」と7月に書いたが、あれからもコロナ禍当時の閣僚や官僚が続々と呼び出され、責任を追及されている。  先日、元内閣副官房長のヘレン・マクナマラが、女性官僚が「突如として目に見えない存在にされた」という当時の首相官邸のムードについて暴露した。会議では、彼女が何か喋っていても割り込まれたり、無視されたりしたという。そのために、ロックダウン中のDV被害者への対策や、医療関係者用の個人防護具のサイズが女性には大きすぎる懸念、妊婦のケアや出産時の不必要な制限のルールなど、特定の課題が見過ごされたと主張した。子どもの学校の保護者たちとSNSで繋がっていた彼女は、政府と一般の人々のずれを感じていたという。  会議のテーブルにつくのが男性ばかりになれば、女性の視点が含まれなくなり、見過ごされる問題が増える。女性の意見が重要なのは、男性と女性の脳が違うからではなく、経験に基づく「気づき」が違うからだ。  米国のテッパー・スクール・オブ・ビジネスの教授が率いた研究では、ある集団の問題解決能力は、その集団に属する個人のIQよりも、その集団に何人の女性が含まれているかに関係しているという結果が出ている。いくら個々人の頭脳が優れていても、似たような経験しかしたことがなければ、同じような課題や解決策しか思いつかない。  何かを決める集団には多様性が必要なのだ。これは、単にいろいろな層の代表が含まれないと公平ではないという人権上の問題だけでなく、多様性がないと集団の問題解決能力が落ちるというシビアな事実を含む。パンデミックなどの一大事では、政府は問題解決能力を最大限に発揮せねばならないのに、均一な集団では能力が劣化する。  閣僚写真に同年代の男性がずらり並ぶ国もある。前述の調査に則れば、それは問題解決能力の低い政府だ。戦争、物価高と一大事が続く時代、政府の多様性はサバイバルの条件として捉えられるべきだ。 ブレイディみかこ(Brady Mikako)/1965年福岡県生まれ。作家、コラムニスト。96年からイギリス・ブライトンに在住。著書に『子どもたちの階級闘争』『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』『他者の靴を履く』『両手にトカレフ』『オンガクハ、セイジデアル』など ※AERA 2023年11月27日号
「機密費使って贈答品」だけではない馳浩知事の問題発言 地元テレビ局幹部が明かす「会見に社長を出せ」のクレーム
「機密費使って贈答品」だけではない馳浩知事の問題発言 地元テレビ局幹部が明かす「会見に社長を出せ」のクレーム 石川県の馳浩知事    石川県の馳浩知事が、東京都内で講演した際の東京オリンピック招致(2021年開催)をめぐる発言が物議をかもしている。東京オリンピックの招致に際して、安倍晋三元首相から「必ず勝ち取れ」「金はいくらでもある」「官房機密費もある」と言われたと話したが、翌日には「事実誤認だった」と撤回した。だが、具体的に発言のどこが「事実誤認」だったのかには言及せず、対応に批判が集まっている。これ以前にも、馳氏は地元で問題発言をしており、言動が問題視されている。 *  *  *  馳知事は17日、都内で講演した際、自身が自民党の東京オリンピックの招致推進本部長だった当時を振り返り、こんな裏話を披露した。 「当時、総理だった安倍晋三さんからですね。『国会を代表してオリンピック招致は必ず勝ち取れ』と。ここから、今からしゃべること、メモを取らないようにしてくださいね。『馳、カネはいくらでも出す。官房機密費もあるから』」 「それでね、IOC委員のアルバムを作ったんです。IOC委員が選手の時に、各競技団体の役員の時に、各大会での活躍の場面を撮った写真が(あり)、105人のIOC委員全員のアルバムを作って、お土産はそれだけ。だけども、そのお土産の額を今から言いますよ。外で言っちゃダメですよ。官房機密費使っているから。1冊20万円するんですよ」  馳氏はこれらの発言が明るみに出るとすぐに撤回。記者団には「事実誤認の部分を私も確認をしていて、発言は全面撤回した」と説明した。だが、発言のどの部分を事実誤認していたのかという追及には、 「五輪招致にかかわることであり、スポーツ庁、文科省にも報告しているので、これ以上私からのコメントは差し控えたい」  と答えなかった。それ以外の質問にも「事実誤認だった」「全面撤回した」と繰り返すばかりで、具体的な説明を避け続けた。 馳氏の「師匠」である森喜朗元首相   ■森喜朗氏が「師匠」  馳氏は1984年のロサンゼルスオリンピックにレスリングの日本代表として出場。その後、プロレスラーを経て、1995年に参院議員に当選して政界入り。2000年に衆議院にくら替えすると、衆院議員を7期務め、文部科学相などを歴任。昨年3月の石川県知事選で当選を果たし、知事に就任した。  ジャーナリストの鈴木哲夫氏は馳氏についてこう語る。 「馳さんは政治家になると、森喜朗元首相、安倍元首相の流れをくむ『清和会』に入りました。森さんはスポーツ界の人脈が豊富で、スポーツ関連政策を数多く手がけてきた。それをスポーツ事業へとつなげる、いわゆるスポーツ族議員です。馳さんにとっては、森さんが師匠。だから、彼もまたスポーツ族議員なんです」  馳氏が記者会見で話したところによると、講演会は日体大と連携協定を結んでいる地方自治体の意見交換会。講師として招かれ、公務として講演したという。  なぜこのような発言が飛び出したのか。 「馳さんとしては、慕っていた安倍さんをしのぶような思い出話が出てしまったのだと思います。確かに、馳さんの発言は軽率ではありますが、黙っていたらそのまま永遠に闇に葬られていた事実であり、“けがの功名”とも言えるわけです。馳氏の失言のおかげで、東京オリンピックがカネと利権の巣窟だったということが、再び浮き彫りになったのです」(鈴木氏)  その上で、馳氏の発言内容の問題点をこう指摘する。 「IOC委員100人以上に賄賂を渡していて、そのお金が内閣官房の機密費から出ていたということが最大の問題です。機密費が汚職に使われた可能性が浮上したわけです。この問題は、しっかりと国会で検証されるべきでしょう。そのためには、国会に馳氏を参考人として呼ぶなり、政府を追及して答弁を引き出すなりして、きちんとケジメをつける必要があります」 馳氏から抗議を受けた「石川テレビ」の本社   ■ドキュメンタリー映画に抗議  馳氏の発言が事実であれば、もちろん、IOC倫理規定に抵触する可能性も出てくる。東京オリンピックをめぐる汚職・談合事件では、電通などから複数の逮捕者が出ており、すでに裏金の存在が明らかになっているが、新たな疑惑が発生したことになる。  実は、馳氏の発言が物議をかもしたのはこれだけではない。  今年1月には、馳氏も題材として取り上げられたドキュメンタリー映画「裸のムラ」(昨年10月公開)に対して、馳氏自身や県職員の映像を無断で使用したと批判。「肖像権の取り扱いとして納得できない」と、制作した石川テレビの社長に「2月の定例会見への出席」を求めた。そして、同社社長が出てくるまでは定例会見を開かないと公言するなど、強硬な態度を示した。  石川テレビの常務取締役放送本部長で、「裸のムラ」でプロデューサーを務めた米澤利彦氏はこう話す。 「保守王国である石川県では前々知事が8期31年、前知事が7期28年を務め、長期県政が続いています。そうなると、どういう組織でも忖度が生まれます。映画は、果たしてそれがいいのかという問題提起がテーマです。また、一般家庭でも、父親が絶対的でそれに女性と子どもが従う『家父長制』の風潮が残っており、その風潮と県政への忖度が似ているのではないかということを描いています」  映画では、終盤に馳氏が新知事として登場するシーンがある。 「馳さんの主張は、商業映画の場合、県庁の職員に肖像権があり、事前に承諾を得るべきではないかというものでした。ですが、私たちは議会や記者会見など、取材活動が認められた場所から撮った映像しか使っていません。ドキュメンタリー映画であって、報道活動と何ら変わりません」(米澤氏) 今年9月、議場で大あくびをする馳氏   ■議会中にあくびを繰り返し批判も  馳氏は映画の内容に相当不満だったのだろう。石川テレビ社長が定例会見に出席するよう求めたが、同社は応じていない。 「当社の社長はいまだ出席しておりませんし、出るべきではないと考えています。定例会見というのは、県政について記者と知事がやりとりをする場です。(映画に対する議論は)まったくなじみません。もっと県民の生活に直結した課題を議論すべきでしょう」(米澤氏)  では、本当に定例会見は開かれていないのか。  馳氏も引くに引けなくなったのだろう。4月以降は「定例会見」という呼び方はせず、「随時会見」「県民会見」などという呼び名を付け、月に3回ほど会見を開いているという。  これ以外にも、今年9月15日には、石川県議会で、議員の質問中、馳氏があくびを繰り返して緊張感や謙虚さがないと批判を浴びたこともあった。  自らの体験を基にした発言が「事実誤認だった」という釈明は、誰が聞いても理解に苦しむ。その一方で、自身の意に沿わない報道に対しては強権的な態度を取る……111万人もの人口を抱える石川県を指揮する知事として本当にふさわしいのか、改めて注視していく必要があるだろう。 (AERA dot.編集部・上田耕司)
「美容医療にどこまでお金をかけるべき?」 最近自分の“傷み”を実感した鈴木涼美が「ビフォアアフターの目的よりも、最中の幸福を大切にしたい」理由
「美容医療にどこまでお金をかけるべき?」 最近自分の“傷み”を実感した鈴木涼美が「ビフォアアフターの目的よりも、最中の幸福を大切にしたい」理由 鈴木涼美さん  作家・鈴木涼美さんの連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」。本日お越しいただいた、悩めるオンナは……。 Q. 【vol.2】美容医療に手を出したいが、気になる箇所だらけで、どのようにお財布と折り合いをつけるべきか悩んでいるワタシ(30代女性/ハンドルネーム「おでんOL」)  年齢的にもそろそろ美容医療(注射を打ったり糸で引っ張ったり)に手を出したいのですが、一度始めたらやめられなくなりそうで悩んでいます。20代の頃とはちがい、気になる箇所だらけで、やろうと思えばどこまでもお金を使えてしまうなか、どのようにお財布と折り合いをつけながら老いと向き合い、美容医療にお金をかけていくべきでしょうか? A. 計画性は持たないでいいかも。  先日、何年も前から肩にボトックスを打ちに通っている美容皮膚科の先生に、初めて肌にハリを出すためのハイフと水光注射を勧められて、え、そんなに老け込んだのか私は、と重く受け止めました。というのもその先生は私のキャバクラ時代のお客である産婦人科の名医が紹介してくれた、美容系のクリニックにしては珍しくあんまりいろいろな施術をしないほうが良いと言ってくれる良心的なお医者さんだったからです。三十歳くらいから通っているのでもう十年近いのですが、昔は待合室のメニュー表などを見て「こういうの気になる! これやったらきれいになれますか?」とかいろいろ聞いても、「まだまだ必要ないよ、それはもっと年齢が上の人がやるやつ」と良い意味で取り合ってくれなかっただけに、多分本当に必要だと思ったのだろう……と帰り道は暗い気分でした。今まで唯一勧められたのは鼻の近くのホクロをとる、という二千円くらいの治療だけだったのに。   【こちらも話題】 「恋愛しない人生が悲しい」30代独身女性に鈴木涼美が手ごろな男をすすめない理由「ロクなことにならない」 https://dot.asahi.com/articles/-/205438   「生きていくことはごく自然に傷むこと。でも、それが苦痛や後悔として積み上がる仕事が、年齢を重ねるほど苦しい」とは不倫中の女優を描いた島本理生さんの小説『憐憫』の中の言葉ですが、女優でなくともかつて持っていたものが年齢とともに削り取られていくような感覚は多くの大人女性が感じたことのある感覚ですよね。もちろん、積み重なっているものも新しく得るものもあるのでしょうが、二月に親しい友人が産んだまだ一歳に満たない小さな女の子の肌や身体と自分のそれらとを見比べると、いかに自分が傷んできたかを実感します。  現在ではちょっとした整形から美容医療などが比較的どこでも気軽かつ安価に受けられますが、私は特に何も不調を抱えていなかった二十代前半のほうが、今思えば無駄なほど美容にお金と時間をかけていました。とはいってもどれも中途半端で、SNSでよく見る、20キロ痩せて人生変わった、とか、200万円かけた顔のビフォアアフター、みたいな次元で見た目が変わったことはありません。今は美容院もネイルサロンも最低限しか行きませんが、当時は雑誌で見た眉毛サロンに行きたいとか、ホテルのスパでトリートメントを受けたいとか、台湾で美容鍼を受けたいとか、そういうちょっとした美容体験を繰り返していました。スパでボディメイクをした直後に海に行って死ぬほど煙草を吸いながら日焼けして海の家で飲んだくれる、というような元来意識低い系の生活をしていたので、プラスマイナスで言えばマイナスのことのほうがきっと多かったかもしれません。  あの頃の私に、「エステなんて行かないでいいし、高い化粧品も買わないでいいから日焼けと煙草をやめて勉強して運動してよく食べてよく寝ろ」と言いたいですが、人生ってわかっていても変えられないことのほうが多いので今も夏になると血が騒いでうっかり水着の跡をつけちゃうし、煙草もやめてないし、睡眠も不規則で短いままです。  要は二十歳前後というとまだ自分の形も大して把握しておらず、今よりちょっとイイ女になりたいという願望だけがあって自分に本来的に何が足りていないかよくわかっていないので、とりあえずいろいろかじって大人気分を味わい、昨日より一ミリほどイイ女になったという幻想を糧に生きていたわけです。効果としてはそもそもまだ傷んでいないのだから、別に何もなかったけれど、あの時、たとえばおしゃれな一軒家サロンで初めて足の甘皮ケアをした時や初めてフェイシャルマッサージを受けた時に得た、これで私もいっぱしの女という若さゆえの愚かで幸福な気分はプライスレスと言えばプライスレスでした。  さてそんな二十歳そこそこの頃から二十年近くたち、あれをやっておいてよかったな、と思う美容や買っておいてよかったなと思う化粧品など一つもありません。脱毛は多くの人が割と後悔せずに経験している美容の一つだと思いますが、私はもともと毛が極端に細くて薄いためレーザー脱毛には向かず、今も細かい毛は生えてくるし、免税店に寄るたびに大量に買っていた化粧品は当然一つも残っていないし、そもそも毎年新しいエステの機械や新しい化粧品の成分が流行する中で、あの時代にあれをやっていた人は救われる、というようなことは起こらない。その頃からずっとハトムギ化粧水とヘチマコロンしか使っていない友人のほうが肌はきれいだし、ピンヒールばかり履いてタコだらけの私の足と比べて、おしゃれより運動派でずっとスニーカーを履いていた友人の足は白くてシミも傷もありません。  当然、二十代の頃とは違い、今の私は良心的な美容皮膚科医が見かねるほど肌が疲れているのだろうから、美容に多少の時間やお金をかけることは無駄ではないんでしょう。ただ、全く必要でない頃にさんざんいろいろやってきたことで、そういうことへの興味が良くも悪くも減退している私は、同年代の友人たちにあれこれ勧められてもかなり渋い反応しかしなくなりました。もともと女子たちが元気な消費主体としてなんとなくイイ女になるための資本主義の魔法を試すことは好きなので、友人たちがどんなに怪しげな美容法を試していたり、ものすごく高額をかけたりしていても別にそれが無駄とは思いません。しかし自分の腰は余程のことでないと重くて上がりません。  余程、とはこの場合、やっていて楽しいとか気持ちいいとかそういうことです。たとえば私はピアスや刺青が好きだったせいか、肌になんかを刺すのは全然苦痛ではなくむしろ好きなのでビタミン注射や肩凝り注射は、半分は刺すのが気持ちいいからという理由でたまに受けます。化粧品は長く同じものを使うとか運命のものを探すという考えは一切なく、買い物を楽しめる範囲で旅行の時などたまに大量に買ってそれを消費する日々です。匂いがいいとか広告が素敵だとかそんな理由で選びます。ピーリングやハイフなど、定期的に受ければきっと肌艶などがよくなると聞いても、そんなに楽しくなさそうというか、やっている気持ちのよさより効果や将来的な負担減を謳うものにはあまり食指が動きません。その代わり、リンパマッサージや温泉は好きだし、スリランカまで行ってスパでアーユルヴェーダを受けるみたいなことは今もします。  どんなに苦痛な美容法でも、十日で葉月里緒奈の顔になれるとか、篠原涼子のようなさばけたイイ女になれるとかならいくらでもしますが、たぶん資本主義社会がくれるのはそんなものすごい魔法ではなく、ちょっとよくなった気がする程度の小さな幻です。その小さな幻が今の自分にとって大きな幸福になる場合はいくらでもしたらよいけど、三年後のお肌のために、とか、若い時に比べてシミが目立つから消さなきゃ、とか計画や義務を感じる必要はないと私は思います。旅行は目的地よりも、その道行きこそが魅力と思っているのですが、美容もビフォアアフターの目的よりも、最中の幸福を大切にしたい。あとはせいぜい、美容に詳しい友人やその業界の人に聞いて信頼できる医者を一人見つけ、その人が絶対におすすめということだけする、とかでも現実的だと思います。私はまだ良心的な美容皮膚科医に答えを伝えていませんが。  生きていくことが自然と傷むことであることが自明で、若い時に比べれば傷や弛みがあることは当たり前、とはいえ、年を重ねたおばあちゃんの手こそ美しい的な論理で荒々しい現代の東京を生きる現役アラフォー世代は納得しません。年を重ねるのは喜びです、小さな傷や弛みも色気に、みたいなことを言ってた美人女優がいましたが、ただでさえ多くの人は美人女優ほど美人じゃないので、傷や弛みなんてないほうが良い。しかし、特に一部男性に根強い若さ信仰も手伝って、若さと張り合っているととても疲れる上に、気づくと整形お化けみたいな怖い美魔女になっていた、なんてこともありそうで、うーん、それも私の求めてることじゃない、というのが多数の本音のような気がします。美容に気合を入れるよりは、若い子が買えない高級スーツを着たり若い子が行けない高級鮨屋に通ったりして、「お嬢ちゃんたちにはまだ早いよ」と言えるような、何様な大人女性にギアチェンジしたほうが自尊心は守られるのでは、と思う今日この頃です。 【鈴木涼美さんへのお悩みを募集中!】 連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」では、恋愛、夫婦、家族、仕事、友人など、鈴木さんと同世代の30~40代女性を中心に、お悩みを募集しています。ご応募はコチラから! ●鈴木さんからのメッセージ 私は結婚もしていないし子供もいないし仕事も不安定で、地べたにはいつくばって生きている感じなので、こんな風にすれば素敵な人生送れるよ!というアドバイスは何もないですが、ピンチに陥ったり崖っぷちに立ったりすることは多い日々だったので、痛み分けする気分で、気負わずなんでもお便りお待ちしてます。
 神秘の島バヌアツに伝わる謎の信仰「カーゴ・カルト」。人か精霊か、預言者の真実を追って
神秘の島バヌアツに伝わる謎の信仰「カーゴ・カルト」。人か精霊か、預言者の真実を追って 「カーゴ・カルト」とは南太平洋のバヌアツに伝わる不思議な伝承。星条旗を掲げる奇祭「ジョン・フラム・フェスティバル」で知られている/(c) KENJI SATO  写真集『奇界遺産』『世界』やTV番組「クレイジージャーニー」で知られる写真家・佐藤健寿さん。これまで世界120カ国以上をめぐり、「人間の<余計なもの>を作り出す想像力や好奇心が生み出したもの」をはじめ、さまざまな奇妙な光景や文化を撮影してきました。最新作『CARGO CULT(カーゴ・カルト)』は、南洋に伝わる不思議な信仰に迫った希有な写真集。刊行を控えた写真家・佐藤健寿さんに話を聞きました。 *  *  * 人類学の世界で知られる謎に満ちた信仰の真相とは 約80年余り、島の人々はジョン・フラムの預言を信じ、アメリカの星条旗をかかげ、米軍を模した行進を行う奇祭を続けている。/(c)KENJI SATO ――まず、「カーゴ・カルト」という信仰はどのようなものなのでしょうか。  カーゴ・カルトは直訳すればカーゴ、つまり「物資」とか「積み荷」に対する熱狂的信仰という意味なんですが、もともと人類学の世界では20世紀初頭からメラネシアの各地で起きた不思議な信仰とか集団ヒステリーの一種だと言われていました。実際に今回現地を撮影してみたら、必ずしもそういうことでもなかったんですが、不思議な信仰であることには間違いがありません。 ――佐藤さんらしいテーマですね。興味をもった理由を教えてください。  きっかけは昔、諸星大二郎先生の漫画『マッドメン』で知ったのが最初ですね。パプア・ニューギニアの部族が飛行機を神様みたいに崇拝しているシーンがあるんですが、その時はただのフィクションだと思っていて。その後で2015年に初めてバヌアツのタンナ島を訪れたんですが、現地の人から「カーゴ・カルトを続けている村がある」という話を聞いたんです。調べてみると、毎年2月にジャングルの中で現地の人々が米軍兵の格好をしてパレードをしているということでした。  ずっと行きたかったんですが、まずタンナ島自体のアクセスが悪い上、お祭りが行われる時期がサイクロンのシーズンに重なるので、日程の調整が難しくてなかなか行けなかったんです。コロナもあったりして。それが今年ちょうどいろんなタイミングがぴったりあって、念願かなって行くことができました。 火山を間近で見られるヤスール火山はバヌアツの名所/(c) KENJI SATO ――なるほど、佐藤さんは諸星先生とパプア・ニューギニアを訪れ『マッドメンの世界』(河出書房新社)も出されていますよね。たしかに映画や漫画でもたまに耳にする言葉ですが、その実態とはメディアに描かれたイメージとは離れていたということでしょうか。  そうですね。日本では『マッドメン』、海外だと『世界残酷物語』(ヤコペッティ監督・1962)という映画の印象が強烈で、海岸や山の上で本当に人々が空を見ながら飛行機を待ち続けている、というイメージが強いんですが、それはかなりデフォルメしたものです。実際には第二次世界大戦や彼らの伝統生活と関わる相当に複雑な話でした。まずバヌアツにおけるカーゴ・カルトというのは、第二次世界大戦で突然文明社会と接した人々が、自分たちのアイデンティティを取り戻すために行なった特異な祖先、精霊崇拝ということが言えると思います。ちゃんと説明するとかなり長くなるので(笑)、大雑把にいうと、20世紀のはじめまでプリミティブな暮らしをしていた島に、唐突にイギリスの教会や植民地支配者、さらにアメリカの巨大艦隊が相次いで訪れた。そこで伝統社会が崩壊しそうになったとき、それを食い止めるジョン・フラムという謎の精霊が現れ、人々がその精霊に導かれて反抗運動を起こした、という出来事です。こうした神話的な物語はアフリカやメラネシアでは珍しいものではないかもしれませんが、興味深いことは、バヌアツではその信仰が現在もアクティブな形で続いているということですね。 伝統生活が続く、自然あふれる神秘の島で 80余りの群島国家バヌアツには古来変わらぬ伝統生活を維持した暮らしが今も残っている。/(c) KENJI SATO  バヌアツはパプア・ニューギニアなどと同じメラネシアの群島国家です。独立は1980年で、それまではずっとイギリスとフランスが植民地支配をしていました。植民地政府の本部や米軍基地があった首都のあるエファテ島などはリゾート的に発展しつつありますが、今回撮影の舞台となったタンナ島はほとんど熱帯雨林のジャングルで、今もほぼ全裸に近い形で暮らしている人々もいる。自分が訪れた中でいえば、例えばアフリカでも、あれだけ原始的な風景が残っている場所はもうないかもしれないと思います。ただそれは偶然生まれた光景ではなくて、さっき言ったように島の人々が宗主国のイギリスなどに抵抗して、自ら伝統生活を選んだ結果でもある。そこにはカーゴ・カルトというか、先のジョン・フラム信仰が深く関係していました。 取材・撮影は2023年初頭。エジンバラ公フィリップ王配を精霊として信仰する村など、村によって伝承と信仰が異なっていた。/(c)KENJI SATO   精霊か人かわからない存在を、伝承と歴史から紐解く旅  もともとはジョン・フラムを祀るお祭りの撮影だけで十分だと思っていました。それが実際に行ってみたら、彼らの信仰が想像よりもはるかに本気で、決して伝統芸能的に続けているものではなかった。ジョン・フラムという精霊は「伝統生活を守って暮らしていれば、いつかアメリカから私が多量の物資を持って戻ってくる」という事を人々に預言したんですが、彼らは今もその教えを強く信じていたんです。これが数百年前の預言者の話ならそれ以上追求しようのない神話になる。ただそもそもジョン・フラムが現れたのは20世紀半ばで、何なら目撃者さえ存命していたんですよ。  そういう話をたくさん聞いているうちにジョン・フラムの正体が気になり始めて、いろんな村で話を聞いたり撮影したんですが、村によって話が違いすぎて、聞けば聞くほどわけがわからなくなりました。さらに違う村ではフィリップ王配(エリザベス女王2世の夫)を精霊の王として祀っている村もでてきたりして、最後はもう撮影に来ているのか、謎解きに来ているのか自分でもよくわからなくなりました(笑)。今回お世話になった人はバヌアツ在住16年のベテランの方なんですが、彼をしてもこれだけカーゴ・カルトについて深く取材したことは過去前例がなかったとは話していましたね。 ――そのなかで新たな発見があったということですが、謎が解けたということでしょうか。  自分なりの結論はある程度ありますが、そこは詳しくは本を見ていただければと思います(笑)。 佐藤健寿『CARGO CULT(カーゴ・カルト)』(朝日新聞出版/撮影:写真映像部・佐藤創紀) こだわりの写真集には、自ら調べた3万字に及ぶ解説テキストも ――巻末には3万字近くの解説が掲載されています。これは佐藤さんが調べて書いたのでしょうか?  そうですね。最初はもっとシンプルに写真集にしたいと思っていたんですが、気づいたらだいぶしっかり解説を書いてしまいました。ビジュアルだけでも十分強烈で興味深いものですが、カーゴカルト自体、歴史とか風土とか伝承とか色んなものが混然一体となってあの文化を作り上げているので、説明抜きにみたら多分何のことかわからないんじゃないか、と編集者に言われて、確かにそうかなと。ただ日本でもカーゴカルトについて出た本は1981年が最後で、文献もほとんどなかったので、海外の研究者の論文などにもあたって相当調べたりもしました。 ――たしかに巻末は文字びっしりですね……今回の写真集の造本で特にこだわった部分を教えてください。  カーゴ・カルトという信仰もそうですし、今回バヌアツで見聞きしたものも、一言でいえばカオスでした。神話が過去の伝承ではなくて、現在進行形で続いている。人々の話のなかでは人間と精霊が平気で混ざり合ったり、歴史の話をしているのか神話を聞いているのかわからなくなったりすることが多々ありました。あとは彼らの言葉はビシュラマという公用語があるんですが、これはかつてここで奴隷貿易が行われたときに英語とフランス語が混じり合って生まれた混成言語なんです。だから外来語がめちゃくちゃ多くて、色んなものが文化の中に取り込まれて、混ぜこぜになっている。そういうコラージュ的で、カオスな雰囲気というか文化が、そのまま本にできれば良いなと思いました。  今回のデザインは前に写真集『世界』を手掛けてもらった佐藤亜沙美さんにお願いしたんですが、とてもこちらの意図をよく汲んでくれました。特に表紙は難しそうだなと思っていたんですが、自分が見たバヌアツというかカオスな光景とか空気感をそのまま封じ込めたような、独特でかっこいいものになったと思います。また表紙の写真はシールになっているため一冊一冊手作業で貼る必要があり、あまり見たことのないかなり手のかかったものになりましたね。 佐藤健寿『PYRAMIDEN(ピラミデン)』(朝日新聞出版) ――前作『PYRAMIDEN』につづき、本作も「Lens of Wonder」シリーズと冠されています。今後の展望や現在興味あるテーマがあれば教えてください。  まだ具体的な次回作の展望があるわけではないがですが、今後も特異な出来事や地域、文化に絞ってテーマ性のある撮影ができたときには、一冊にまとめてみたいですね。判型は揃えつつもデザインも内容にあわせてバラバラで、それぞれが本として写真もデザインも際立っているようなシリーズが作れたらいいなと思っています。前回はゴーストタウンで、今回は文化人類学的な内容なので、次作があるとすれば、また全然違うものにしたいですね。 佐藤健寿 写真家。世界の民俗から宇宙開発まで、世界120カ国以上を巡って幅広いテーマで撮影。代表作『奇界遺産』『世界』ほか多数。写真展「佐藤健寿展 奇界/世界」(群馬県立館林美術館他)、「世界 MICROCOSM」(ライカギャラリー東京他)ほか各地で開催。instagram@x51
冬でも「血糞」を見つけたらヤバイ…害虫「トコジラミ」が部屋に 「眠れないほど激しいかゆみ」 
冬でも「血糞」を見つけたらヤバイ…害虫「トコジラミ」が部屋に 「眠れないほど激しいかゆみ」  トコジラミ=写真はいずれも「日本ペストコントロール協会提供」   「かゆすぎ」「気持ち悪い」。韓国やフランスで大発生し、住民を恐怖に陥れている害虫「トコジラミ」(別名・南京虫)。寒さには弱いとも言われ、これから冬を迎える日本は安心かと思いきや、日本の暖かい家屋では話は別だ。害虫の専門家は「冬でも出るのが当たり前だと思った方がいい」と注意を促す。  トコジラミが大発生している韓国。 「渡韓する人は注意を」 「日本に持ち帰らないで!」  SNSには日本人の不安の声もあふれるが、韓国政府は11月13日から4週間を「集中防除期間」とし、被害拡大防止に乗り出した。 眠れないほどの激しいかゆみ  害虫の生態に詳しい「害虫防除技術研究所」代表の白井良和さんによると、そもそもトコジラミは「シラミ」ではなく「カメムシ」の仲間。体長は5~8ミリで、部屋が明るいときはベッドやソファの隙間、カーペットの裏、カーテンの折り目などに潜り込んで隠れている。  そして夜、寝静まった住人を襲い血を吸うのだ。このときに注入される唾液(だえき)でアレルギー反応を起こすと、眠れないほどの激しいかゆみを引き起こすことがある。  朝起きた時にはトコジラミはすでに潜伏場所に戻っていて人目にはつかない。また、数日経ってからかゆみが現れることがあり、なぜ体がかゆいのか、原因が突き止めにくい。 「トコジラミの存在になかなか気づくことができない点。絶食しても半年や、なかには1年以上も生きた個体が確認されており、1日に5~6個の卵を産むなど繁殖力も非常に強い。害虫のなかでも特にやっかいなのがトコジラミなのです」(白井さん) 押し入れ隙間の巣にいる成虫と卵 【こちらも読まれています】 北海道でゴキブリが「木にびっしり」…なぜ札幌の高級住宅街の隣が“聖域”となったのか https://dot.asahi.com/articles/-/204922 トコジラミに刺された痕    韓国のトコジラミ被害は、訪れた外国人旅行客が持ち込んだという見方が強いが、インバウンド需要が回復した日本にとっても「対岸の火事」ではまったくない。近年、相談件数は増加している。  有害生物を調査研究する公益社団法人「日本ペストコントロール協会」のまとめによると、2022年度のトコジラミに関する相談件数は683件。  統計を取り始めた09年度と翌10年度は130件前後だったが、その後に急増し、ここ10年は平均約580件となっている。  トコジラミは気温25度以上になると活動が活発化し、主な活動時期は6~9月。一方、寒さには弱いともされてきた。だが、昨年度の相談683件のうち、12~2月の3カ月間で47件が寄せられている。 暖かくなるのを待っている  白井さんがこう説明する。 「日本の家屋は暖かいので、人や物の出入りがある地域なら、冬でも活動するのが当たり前だと思った方がいいです。寒冷地で、一切暖房をつけないという家なら別ですが……。害虫駆除の業者にも、1年を通じて駆除や被害相談がきているのが実情です」  さらに、寒さは苦手だが、耐えしのぐ強靱(きょうじん)さがあるのがトコジラミ。絶食しても長く生きることができるため、寒い部屋ではどこかに隠れたまま「冬眠」のように活動を停止しているだけで、暖かくなるのを待っているのだ。 「人が生活している以上、ずっと寒い部屋はないはずで、例えば就寝時に少しだけ暖房をつけるだけでも、トコジラミが活動する環境は整います」(白井さん) トコジラミの腹側 トコジラミの大きさは数ミリ 【あわせて読みたい】 150以上の魚に寄生「アニサキス」の食中毒は秋にも多い 東京海洋大・嶋倉邦嘉准教授が特徴を解説 https://dot.asahi.com/articles/-/202828 和室の壁から出入りするトコジラミ     近年、既存の殺虫剤に耐性を持つトコジラミの出現が指摘されているが、白井さんは、 「効果がある可能性はあるので、市販の殺虫剤を使うなどできる対策はした方がいい」  と話す。  トコジラミは血を吸うため、血糞と呼ばれる2ミリくらいの糞を潜伏場所の近くに出す。血糞を発見したら、その周辺に殺虫剤をまく。 畳で見つかったトコジラミの糞    ポスターの裏側や読んでいない本の隙間に隠れていることもあるため、いらないものは思い切って捨てる。  潜伏していそうな場所にこまめに掃除機をかけ、吸い取ったゴミはすぐに捨てる。 きれいな宿泊施設にもリスクはある 「それでも被害が続いたり、虫が嫌いで耐えられなかったりする人は、すぐに駆除業者に依頼した方がいいでしょう」(白井さん)  旅先の宿泊施設では、キャリーバッグやカバンを開けっ放しにせず、ポリ袋で包み、玄関に置く。衣服もポリ袋で包み、帰宅したらすぐにクリーニングに出すなど対策をとる。 「トコジラミは、いかにも害虫が出そうな場所にいる害虫ではありません。きれいな宿泊施設でも古い宿泊施設でも、観光客らの出入りがある限り、トコジラミのリスクがあることを知って欲しいと思います」(同) 障子の敷居の隅にいるトコジラミ 【こちらもおすすめ】 夏に増殖する「トコジラミ」の被害が続出 血を吸われると「赤いぶつぶつ」になり深刻な皮膚トラブルも https://dot.asahi.com/articles/-/194884 畳の帯に生息するトコジラミ 障子の木枠にあるトコジラミの巣    訪日客は今後も増え、海外に行った日本人が持ち帰ってしまうケースも増えるだろう。インバウンド需要に期待するなら、トコジラミ大発生は観光地としてイメージが悪い。 「韓国では、電車内など外国人旅行客がトコジラミを持ち込む可能性がある場所で徹底した対策をしており、トコジラミによる吸血被害阻止に加えて、観光客減少を防ぐために懸命に駆除、消毒作業をされています。日本でも被害が拡大し続けたら、いずれ韓国のように、国が動く必要が出てくるかもしれません」   明日は我が身かもしれない難題である。 (AERA dot.編集部・國府田英之) 【あわせて読みたい】 布団に大量発生していた「黒くて小さな虫」 調べてみるとダニではなく意外な“害虫”だった! https://dot.asahi.com/articles/-/14645
医師が使う言葉「予後」ってどんな意味? 「生存率」以外にもさまざま【医師が解説・がんキーワード】
医師が使う言葉「予後」ってどんな意味? 「生存率」以外にもさまざま【医師が解説・がんキーワード】 ※写真はイメージです(Getty Images)   がんと告知され、「頭が真っ白になって先生の話が入ってこない」「どうすればいいかわからない」と、混乱し不安を抱く人は多いでしょう。できるだけ冷静に、これから始まるがんの治療について考えるためには、自分がどのようながんで、どのぐらい進行しているか、どんな治療の選択肢があるかを正しく知ることが大切です。そのために、まず必要なのが、医師の話をしっかり理解すること。本企画では、がんと診断された人が知っておくと役に立つキーワードについて、医師に解説してもらいました。全4回の2回目です。 *  *  * 今回解説するキーワードは、「予後」「5年生存率」「リンパ節郭清(かくせい)」です。 【第1回の記事はこちら】 「標準治療」は並の治療ではない ボクシングなら現在のチャンピオン【医師が解説・がんキーワード】 https://dot.asahi.com/articles/-/205751   【解説してくれた医師】 国立がん研究センター がん対策情報センター本部 副本部長 がん対策研究所がん情報ギフトプロジェクトリーダー 若尾文彦医師(わかお・ふみひこ) 国立がん研究センター がん対策情報センター本部 副本部長 がん対策研究所がん情報ギフトプロジェクトリーダー 若尾文彦医師(わかお・ふみひこ)   国立がん研究センター東病院 呼吸器外科長 坪井正博医師(つぼい・まさひろ) 国立がん研究センター東病院 呼吸器外科長 坪井正博医師(つぼい・まさひろ)   キーワード【予後】 病気や治療のその後の経過についての見通し。「生命予後」というと「生存率」と同じ意味でとらえることもできるが、「予後」のみの場合は、がんの増悪や患者の体調・状態、QOL(生活の質)など、状況により意味が異なる。  がんと診断されたときなどに、「このがんは予後が良いタイプです」「あまり予後が良くありません」などと言われることもあるかもしれません。この言葉は、病気の今後の経過を見通して使われる言葉ですが、「はっきりとした基準はない」と若尾医師はいいます。5年生存率などから判断されることもあり、がんの種類や病期、薬の効き具合や手術の成果など、さまざまな要因によって変わってきます。 「余命」は「あとどのぐらい生きることができるか」という意味で使われますが、「予後」は命だけでなくからだの状態や生活の程度など、例えば「健康な人と同じぐらい元気になれるのか」「いつまで家でふつうの生活が送れるか」など、その先の生活の長さや質についての見通しも含む言葉と考えられます。  医師から「予後」と言われ、どういうことかわからない場合は、「再発するリスクが高いということですか? どのぐらいの割合ですか?」「どのぐらいふつうに生活できますか?」など、具体的にどのようなことなのか、医師に尋ねてもいいでしょう。ただし、あくまでも目安であり個人差があること、先のことは誰にもわからないことを理解しておくことが大切です。 キーワード【5年生存率】 がんと診断された人が、5年後に生存している割合。がんのできる部位ごとに示され、治りやすさを表す指標として用いられる。あくまでも指標の一つであり、単純に「余命」と結びつけて考えないことが肝要。    多くのがんでは、診断から5年間(手術の場合は術後3年間)が最も再発が多く、5年を過ぎると再発する可能性が減っていきます。ただ、5年を過ぎれば絶対に再発しないというわけではありません。また、がんの種類や病期により、もう少し長く経過をみる必要があるものもあり、10年生存率のデータもあります。  生存率には、「実測生存率」「相対生存率」「ネット・サバイバル」などの種類があり、算出のしかたが異なります。また、5年生存率や10年生存率のほかに、診断から一定の年数が経過して生存している人の、その後の生存率を示す「サバイバー生存率」というデータも出てきています。  国立がん研究センターの報告では、2014~15年にがんと診断された人(全がん)の5年生存率は66.2%でした(ネット・サバイバルによる院内がん登録2014-2015年5年生存率集計、447施設約94万2717例)。ただ、がんの種類や病期によって、5年生存率は大きく異なります。坪井医師は、患者から生存率を聞かれたとき、こう話すといいます。 「この数値はあくまでも確率で、あなたが良いほうに入るか、悪いほうに入るかは誰にもわかりません。それに、早期がんで治療により完全に治った人でも、明日、災害や事故で亡くなることがあるかもしれない。数字はあくまでも数字で、先のことは本当にわからないですから、あまり気にしすぎないようにしたいですね」     キーワード【リンパ節郭清(かくせい)】 がん細胞は、リンパ液の流れに乗って全身に広がり、転移する。そのため、手術でがんを切除するときに、転移している可能性があるリンパ節も切除することをいう。再発予防や、リンパ節への転移の有無を診断する目的でおこなう。    医師からがんの手術についての説明を受けているときに、「がんの切除とあわせてリンパ節郭清をおこないます」と言われても、「郭清」という耳慣れない言葉に、すぐ理解できないこともあるかもしれません。リンパ節郭清とは、がんの近くにあるリンパ節と周りのリンパ管を含む脂肪を切除することですが、なぜ、がんと一緒にリンパ節を切除することが必要なのでしょうか。  私たちの体内では、血液が流れる血管と同じように、リンパ液が流れるリンパ管が体中に張り巡らされています。リンパ管の途中にはリンパ節という組織があり、からだを守るための免疫機能を担っています。リンパ液は、血管から出てリンパ管に吸収された水分で、リンパ液に侵入したウイルスや細菌、がん細胞などの異物は、リンパ節で退治・処理されるしくみになっています。がん細胞は、リンパ液の流れに乗って全身に広がりますが、リンパ節はがん細胞がその先に行かないように食い止めてくれるのです。  転移している可能性のあるリンパ節を切除することで、がんがどこまで進行しているか確認すること、そしてリンパ節に転移があった場合に周囲のリンパ管にがんを取り残さないことを目的としてリンパ節郭清をおこないます。 「例えば、肺がんではⅠ期で2センチ以下の小さいがんでも、がんのタイプによっては15~20%がリンパ節に転移しているというデータもあります。がんが大きくなるほど転移のリスクは高くなるので、がんがどのぐらい進行しているかを確認するために、肺がんでは手術を受けられる人は、がんの切除とあわせてリンパ節郭清をするのが標準治療となっています」(坪井医師)  がんの手術ではおこなわれることが多いリンパ節郭清ですが、リンパ節を切除することにより、合併症が起こることもあります。切除するリンパ節の位置によって症状は異なり、乳がん、子宮がん、卵巣がん、前立腺がんでは、リンパ節郭清によりリンパ液の流れが滞ることで、「リンパ浮腫」と呼ばれるむくみが生じることがあります。肺がんでは、一部のリンパ節の近くにある反回神経に触れることで神経のまひが起こり、声のかすれや食べたものが気管に入る誤嚥(ごえん)が起こりやすくなることもあります。  リンパ浮腫が生じた場合は、スキンケアやマッサージ、弾性ストッキングなどによる圧迫療法、運動療法などの治療をおこないます。 「早期に適切な治療をおこなうことで、症状の改善を図ることができます。リンパ浮腫は進行すると治りにくくなってしまうので、できるだけ早く見つけ、治療することが大切です」(若尾医師) (取材・文 出村真理子)   ●がん情報サービス https://ganjoho.jp ●がん情報サービスサポートセンターについて https://ganjoho.jp/public/institution/consultation/support_center/guide.html  がん電話相談  電話 0570-02-3410(ナビダイヤル)/03-6706-7797  受付時間:平日10~15時(土日祝日、年末年始を除く)  相談料金:無料  通話料金:利用者が負担。ナビダイヤルは全国均一料金   がんチャット相談(スマートフォンやパソコンからウェブサイトで相談ができる)  https://plaza.umin.ac.jp/~CanRes/system/system-activities/    受付時間:平日12~15時(土日祝日、年末年始を除く)  相談料金:無料  相談時間:原則20分以内  登録:不要  
視聴率ピンチ「ONE DAY」中谷美紀 “ミスキャスト”と言われても女優としての価値が落ちないワケ
視聴率ピンチ「ONE DAY」中谷美紀 “ミスキャスト”と言われても女優としての価値が落ちないワケ 中谷美紀(写真:AP/アフロ)    フジテレビを代表する看板ドラマ枠「月9」で現在放送中の「ONE DAY~聖夜のから騒ぎ~」が苦戦を強いられている。スポーツ紙などによると、第1話から視聴率7.8%と1ケタ発進となり、その後も低空飛行が続き、最新の第6話は4.8%と歴代ワースト目前となった(視聴率はビデオリサーチ調べ、関東地区)。  本作は主人公が3人おり、それぞれの「最悪な1日」が絶妙に交差していくという物語を3カ月かけて描くという野心作。しかも、主人公は中谷美紀(47)、二宮和也(40)、大沢たかお(55)という、映画やドラマで主演を張り続けてきた豪華キャストが集結している。脇を固めるのも、江口洋介、佐藤浩市、中川大志など今をときめく売れっ子俳優ばかり。なぜ主演俳優クラスをここまでそろえても大惨敗となってしまったのか。 「フジテレビからすれば、今年、最もお金も労力もかけている連ドラであることは間違いない。しかし、タイミングが悪かった。前クールはTBSの『VIVANT』が堺雅人や阿部寛、松坂桃李、二階堂ふみ、役所広司と同じく主演俳優を多数そろえ、『1話1億円』と言われる破格の予算を投下して大ヒットしました。直後に『ONE DAY』が始まったので、比較するとかすんで見えてしまいますし、SNSでも話題になりづらかった。フジテレビはもともと『ONE DAY』のようなオールスター級のドラマが得意技だったのですが、『VIVANT』に予算もキャスティングも当たり負けしたムードが漂っており、視聴者を遠ざけてしまったのだと思います」(ドラマライター) 中谷美紀   中谷の悲壮感のなさが“逆効果”に!? 「ONE DAY」のストーリーは、「VIVANT」のような“新しさ”がない点も敗因のひとつだろう。 「往年のフジテレビが得意とする『奇跡の展開』が、今の時代には古くさく見えてしまう。今回の惨敗は『VIVANT』の直後というタイミングの悪さもありましたが、フジテレビのコンテンツ力の無さが露呈する結果になりました。主役の3人は奮闘しているだけに、見ていて悲しいです」(同)  大沢と中谷といえば、かつて「JIN-仁-」(2009年、TBS系)で高視聴率をたたき出したコンビ。そこに「VIVANT」で重要な役を演じた二宮が絡むのだから、確実にヒットが期待できるキャストであることは間違いないのだが、いまいち物語とフィットしていないと見る向きもある。 「主人公3人のストーリーが交差していくという設定が、豪華さを薄めてしまったところがあります。また、1クールで1日を描いているので、物語が異様に進まないのも見ていてしんどい。大沢さんと中谷さんは『JIN-仁-』以来の共演になるため、当時ハマった人は今作も期待していたと思うのですが、そんな2人がドラマ中盤になっても全然出会わない。つまり、トリプル主演というこのドラマ最大の売りが、結果的に足を引っ張ってしまっているのです。中谷さんは連ドラとしては4年ぶりの主演作で、演技やたたずまいには安定感も華ある。しかし、今作の“崖っぷちのキャスター役”を演じるにしては、ちょっと凛としすぎている。中谷さん自身に悲壮感がないため、少しミスキャストっぽくなってしまっているのは残念です」(民放ドラマ制作スタッフ) オーストリアと日本の二拠点生活 和服姿も映える中谷美紀    低視聴率にあえぐ「ONE DAY」だが、メーンキャストの中谷は、これで俳優としてのキャリアに傷がつく事になるのか。 「中谷さんは2018年にドイツ人のビオラ奏者と電撃的に国際結婚し、現在は1年の半分をオーストリアのザルツブルクの山中で田舎暮らしをしています。オーストリアと日本を行き来して、連ドラや映画の仕事を精力的にこなし、今年は主演舞台のニューヨーク公演も成功させました。現在47歳であの美貌を維持しているのはすごいと思いますし、結婚後はお芝居にも丸みが出てきて、女優として、より幅が広がったように感じます。海外を拠点に生活しているので、今後は海外作品も視野に入れつつ、国際派女優になっていく可能性は非常に高いと思います。15年に所属していた大手事務所を退所していますが、以降は作品を選んで出演しているので、『ONE DAY』が不調だったとしても影響を受けることはないのでは」(同)  中谷のインスタグラムやエッセーからは、オーストリアでの優雅で自由な田舎暮らしを楽しんでいる様子がうかがえる。ドラマの視聴率に一喜一憂する必要はないのかもしれない。  芸能評論家の三杉武氏は、中谷についてこう述べる。 「中谷さんはもともと、アイドルグループのメンバーとしてデビューしましたが、元アイドルとは思えない洗練された雰囲気は特筆ものです。女優の中でもアーティスト志向が強く、整った顔立ちにエレガントな雰囲気で、今も同性、異性を問わず高い支持を集めています。映画『リング』や『嫌われ松子の一生』、ドラマ『ケイゾク』『ゴーストライター』など多数の作品で爪痕を残してきました。演技力に定評がある一方、『JIN-仁-』での花魁姿の美しさが当時話題になるなど、ビジュアル面でも視聴者を魅力し続けています。また、『電車男』は中谷さんにしては珍しい純愛ものですが、主人公にとって高根の花的な存在であるヒロイン役はリアリティーを感じましたね。現在、日本とオーストリアとの二拠点生活を送っていますが、行動力のある方ですし、自身の生き方や仕事に対して理解のある伴侶と出会ったことで、今後も女優としてさらなる活躍が期待できそうです」  中谷を筆頭に、メーンキャストの潜在力は高いだけに、「ONE DAY」の巻き返しに期待したい。 (藤原三星)

カテゴリから探す