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なぜハマスがガザを実効支配しているのか 世界が反対した「分離壁」とパレスチナ内の対立の末に
なぜハマスがガザを実効支配しているのか 世界が反対した「分離壁」とパレスチナ内の対立の末に ヨルダン川西岸にイスラエルによって作られた分離壁(Alamy/アフロ)    パレスチナ自治区を実効支配するイスラム組織「ハマス」とイスラエルの戦闘はますます過酷になっている。この根深い対立については、「ハマス」・イスラエルの関係にとどまらず、イスラム世界の中での対立も関係してくるという。なぜ対立が続くのか、戦史・紛争史研究家の山崎雅弘さんの『新版 中東戦争全史』(朝日文庫)から、一部を抜粋、再編集して紹介する。 *  *  * イスラエル人を標的とする自爆攻撃の増加と「分離壁」の建設  二〇〇一年九月一一日にイスラム過激派組織「アルカーイダ」が引き起こしたテロ攻撃の政治的余波は、直接的にはイスラエルとパレスチナには及ばなかったが、それはイスラエルの「平和」を意味しなかった。  旅客機による体当たり攻撃と同種の「自爆テロ(実行者側の用語では『殉教攻撃』)」が、イスラエル国内でもパレスチナ人の実行犯によって繰り返されていたからである。二〇〇一年だけで、一〇〇人を超えるイスラエル人が自爆テロの犠牲となったが、イスラエル政府はその対策に頭を悩ませていた。銃などの武器を持たず、逃走経路も必要としない「殉教攻撃」の実行犯を、通常の警備体制で取り締まることは困難だった。 【あわせて読みたい】 西欧諸国の「イスラエルの味方」はダブルスタンダード 「ハマスが育った」責任は誰にあるのか https://dot.asahi.com/articles/-/206370 ヨルダン川西岸行政権と分離壁    最終的に彼らがたどり着いた結論は、パレスチナの西岸地区とイスラエルの境界に、人間の行き来を阻害する「分離壁」を建設するというものだった。分離壁は、二〇世紀後半の世界で東西分断のシンボルとなった「ベルリンの壁」をさらに高くしたコンクリート壁と、鉄条網による柵の二種類で構成される計画だった。  二〇〇二年九月、イスラエルは高さ六ないし八メートルのコンクリート壁を連ねる分離壁の建設を開始したが、その全長は七〇〇キロにも達する予定だった。一方、鉄条網の柵には監視用カメラが装着され、さらに柵の両側に深い壕が掘られて、短時間に乗り越えることが不可能な形状に設計されていた。  自爆テロを防ぐという目的に関しては、分離壁の効果はすぐに現れた。二〇〇四年一二月までの二年間で、イスラエルにおける自爆テロの発生件数は、分離壁が構築される以前の二割程度にまで減少したのである。別の統計では、二〇〇〇年から二〇〇三年七月に発生した、西岸地区のパレスチナ人による自爆テロは七三件だったが、二〇〇三年八月から二〇〇六年一二月には一二件(前者の一六パーセント)に減少した。  しかしその反面、現地で暮らす一般のパレスチナ人にとっては、ただでさえ苛酷な生活環境がさらに不便になるという苦難を押し付けられる形となっていた。自宅から学校や診療所、農場などに向かう道を分離壁に阻まれたパレスチナ人の数は四〇万人を超え、ごく限られた場所にしかない通用口では常に検問による混雑が生じていた。 【あわせて読みたい】 イスラエル、異様なまでの殺戮に結びついた背景に何が? ハマスを殲滅しても「残るもの」 https://dot.asahi.com/articles/-/206345  また、分離壁の連なる線が、イスラエルとパレスチナ西岸地区の境界でなく、西岸地区内に入り込む形で作られた「イスラエル(ユダヤ)人入植地」とパレスチナ人居住地域の間に設定されていることも、パレスチナ側の不満と怒りを増大させていた。  この不条理な分離壁の建設については、イスラエルの一部の政治家ですら「あまりにひどい」と感じ、一九六七年の第三次中東戦争勃発前の境界に沿うようにしてはどうかとの提言を行った議員もいた。だが、シャロン首相はその提言を拒絶し、イスラエル国民の多くも自国政府のやり方を支持する意志を示した。  二〇〇三年一〇月二一日、国連は分離壁の建設中止と即時撤去を求める決議を採択し、国際司法裁判所も「分離壁の建設は国際法に違反しており、パレスチナの住民の権利を不当に侵害している」との撤廃勧告を、二〇〇四年七月九日にイスラエル政府へ送付した。しかしイスラエル側は、これらの勧告を無視し、分離壁のさらなる建設を進めていった。 「PLOの顔」アラファトの死とアッバスの登場  9・11から三年が経過した二〇〇四年一〇月一〇日、パレスチナ自治政府のアラファト議長(大統領)が突然体調を崩して病に伏した。地元の医師団による診察と治療を受けたものの、容態は一向に改善せず、アラファトは日に日に衰弱していった。 【こちらも話題】 「いつ死ぬかわからないから…」下重暁子、パレスチナキャンプ取材を思い出す https://dot.asahi.com/articles/-/72400  一〇月二九日には、より高度な治療を受けるべく、ヨルダン経由でフランスのパリに飛行機で移送され、ペルシー仏軍病院に入院した。だが、治療の甲斐なく昏睡状態に陥り、同年一一月一一日に同病院のベッドで、七五年の波乱に満ちた生涯を終えた。  彼の後任大統領には、PLOの幹部を長年務めたマフムード・アッバスが、二〇〇五年一月一五日付で就任したが、彼は若き日にテロ攻撃を指導した「武闘派」アラファトとは対照的に、ソ連の大学に留学した経験を持つ学者肌の人物(歴史学の博士号を取得)で、イスラエルに対する過激な武力闘争には批判的な立場をとっていた。  こうしたアッバスの「穏健派」という特徴は、パレスチナ西岸地区では一定の支持を得た反面、ガザ地区で絶大な支配力を握る「対イスラエル強硬派」のハマスからは強い不信感と敵意を向けられることとなった。なぜなら、アッバスはかつてパレスチナ自治政府の首相としてイスラエルのシャロン首相と交渉を行い、イスラエル側の言い分にも耳を傾けて譲歩する姿勢を見せていたからである。  9・11から一年後の二〇〇二年六月二四日、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領は「パレスチナが独立国家としてイスラエルと平和に共存することを求める」との声明を発表し、この認識に基づく中東和平に向けた「ロードマップ(行程表)」も提言した。三年後の二〇〇五年末を目途に、パレスチナ国家の樹立を実現するべく、三段階の具体的な交渉内容が列挙され、アメリカとEU(欧州連合)、ロシア、国連の四者がパレスチナ国家の実現に向けた支援を行うことも明記された。 【こちらも話題】 「あまりにも理不尽でひどい」記者が見たエルサレム「首都宣言」の代償 https://dot.asahi.com/articles/-/124902  このロードマップ交渉におけるパレスチナ側の代表者を務めたのが、二〇〇三年三月一九日にパレスチナ自治政府の首相に就任したアッバスだった。同年六月四日、サウジアラビアのアカバでアッバスとシャロン、そしてW・ブッシュ大統領の三者会談が行われ、サウジアラビアとエジプト、ヨルダンの指導者もロードマップへの支持を表明した。同年七月一日、エルサレムでアッバスとシャロンが正式にロードマップ和平交渉の開始を宣言し、その模様はアラビア語とヘブライ語のテレビ放送で生中継された。  だが、イスラエルへの譲歩を伴う和平交渉に反対する意見は、パレスチナの内部で依然として根強く、ロードマップ交渉は間もなく暗礁に乗り上げてしまう。国際的な非難にもかかわらず、先に挙げた分離壁の建設をやめないイスラエルに対するパレスチナ人の不信感も、交渉を阻害した原因の一つだった。また、最終的な決定権を握るアラファトも、イスラエルへの大幅な譲歩には乗り気ではなかった。  失望したアッバスは、九月六日に首相を辞任したが、PLOの事務局長という役職は継続し、実質的にアラファトに次ぐナンバーツーの地位を占めていた。そのため、PLOの内部では、アラファトの後継者はアッバスだと早くから認められていたが、PLOの傘下にないハマスにとっては、敵と交渉するアッバスは信用ならない相手だった。 【こちらも話題】 ガザ情勢悪化による3つの波及とは 報復が泥沼化し“アラブの春第2弾”となる可能性も https://dot.asahi.com/articles/-/203965 PLO主流派「ファタハ」とハマスの事実上の内戦  パレスチナ自治政府の第二代大統領への就任から翌月の二〇〇五年二月三日、アッバスはイスラエルのシャロン首相とエジプトのシャルム・エル・シェイクで会談を行い、各地で頻発していた武力衝突の停戦に合意した。  だが、相手側への譲歩と引き換えの和平という解決策に反対する人間は、イスラエルとパレスチナの双方に数多く存在しており、ロードマップ交渉の本格的な再開は遅々として進まなかった。それどころか、パレスチナではアッバスが創り出そうとした和平と共存への流れに逆行するような出来事が、その一年後に発生する。  二〇〇六年一月二五日、パレスチナ自治政府の選挙が行われ、評議会の定数一三二議席の過半数に当たる七六議席を、ハマスの候補者が獲得したのである。  これを受けて、アッバス大統領は同年二月一六日、ハマスの幹部イスマイル・ハニヤを新首相に任命したが、ハニヤは就任演説で「イスラエル国を承認せず、武力闘争路線を継続する」と宣言し、ロードマップ交渉の再開という道を断ち切ってしまう。  この頃から、パレスチナではアッバスに忠誠を誓う大統領護衛隊やPLO主流派の組織ファタハと、ハニヤを支持するハマスの武装部門の間で衝突が頻発するようになり、パレスチナの情勢に「対イスラエル」とは異なる対立図式が生じていた。PLO/ファタハとハマスの対立は、二〇〇六年一二月一五日に発生したファタハによるハニヤ暗殺未遂事件でさらにエスカレートし、双方の武装集団による襲撃が繰り返された。 【こちらも話題】 「なぜユダヤ人は不人気なのか」親日家イスラエル人が明かす胸の内 全世界から批判されても戦う理由 https://dot.asahi.com/articles/-/203783  同じパレスチナ人同士での暴力の応酬を見かねた、シェイク・アブデル・ナセルという高名なイスラム学者が、二〇〇七年一月五日にガザで説教を行い、ハマスとファタハの双方に戦いをやめるよう訴えたが、彼はその直後にハマスの戦闘員に暗殺された。また、ロードマップ交渉に期待を寄せていた西側諸国は、ハニヤの就任演説での強硬な声明に失望して、パレスチナ自治政府に対する経済援助の打ち切りを決定した。  二〇〇七年の五月から六月にかけて、ハマスとファタハの武力衝突はさらに激しさを増し、もはや自然収束は望めないと判断したアッバスは、六月一四日に非常事態宣言を布告して、ハマス主導の挙国一致内閣を解散させた。  そして、ハマスによるガザの統治は非合法に行われていると断定し、六月一七日にはハマスの党員を排除した非常事態政府の樹立を宣言した。非常事態政府の首相には、元世界銀行の副総裁でパレスチナ自治政府元蔵相のサラム・ファイヤードが任命された。このアッバスの強権発動は、アメリカや西欧諸国から好意的に評価された。アメリカ政府は、二〇〇六年三月から一五カ月間にわたって行った対パレスチナ禁輸措置を解除し、EUからの経済援助も再開された。  一方、ハマス側はハニヤの解任は違法だとして承服せず、ガザの統治も正統な手順に基づくものだと反論した。  しかし、ハマスが大きな影響力を持つガザではこの頃、新たな問題が発生しようとしていた。二〇〇六年からハマスがイスラエルに対して行った、新たな手段による「無差別攻撃」が、イスラエル側からの凄まじい「報復攻撃」を引き起こしたのである。 ●山崎雅弘(やまざき・まさひろ) 1967年、大阪府生まれ。戦史・紛争史研究家。政治や民族、文化、宗教など、様々な角度から過去の戦争や紛争を分析・執筆。著書に、『[新版]独ソ戦史』『[新版]西部戦線全史』『「天皇機関説」事件』『1937 年の日本人』『[増補版]戦前回帰』『日本会議』『歴史戦と思想戦』『沈黙の子どもたち』など多数。
「自宅からは三味線の音」 市川猿之助被告「執行猶予5年」でささやかれる“香川照之”との復帰プラン
「自宅からは三味線の音」 市川猿之助被告「執行猶予5年」でささやかれる“香川照之”との復帰プラン 初公判の判決が出た市川猿之助被告    懲役3年、執行猶予5年――。両親の自殺ほう助の罪で起訴された歌舞伎俳優の市川猿之助被告(47)の判決公判が、17日、東京地裁で開かれた。執行猶予がついたことで再び取り沙汰されるのは、猿之助被告の“復帰プラン”だ。関係者の思惑や、猿之助被告の現在の様子などを取材した。 *  *  *  判決前日の16日の午後4時過ぎ。東京・目黒区の猿之助被告の自宅を訪れると、家の中から、ある「音」が聞こえてきた。  耳を澄ますと、三味線を弾く音がハッキリと聞こえてくる。家の中では“復帰”へ向けての稽古が始まっているのだろうか。  事情を聴こうと玄関のインターホンを鳴らしたが、応答はなかった。玄関前には自転車が1台止めてある。  猿之助被告は今、どのような生活を送っているのか。近所に住む女性はこう話す。 「事件前は太鼓をたたく音や、歌声、三味線の音色、飛び上がっているのか床をドンドンする音など、稽古をしているような音が聞こえていました。事件後も毎日、家の灯はついています。おそらく(猿之助被告は)中にいるんじゃないですかね」  猿之助被告が、拘留されていた警視庁原宿署から保釈されたのは7月末のこと。その後、都内の病院に入院し、8月中旬には退院したと報じられた。それ以降は自宅に戻って“潜伏生活”をしている。 自宅へと続く道路には「警視庁」と書かれた三角コーンが置かれている(撮影/上田耕司)   マネージャーが付き添って生活 「今はマネージャーの男性がずっと付き添っているようです。身の回りの世話のほかに、自殺衝動が起きないようにという意味もあるようです。自宅近くで張り込んだマスコミもいたのですが、自転車に乗って出入りするマネージャーの姿しか確認できず、どの社も本人の姿は確認できなかったようです。しかし、『女性セブン』(8月31日発売号)は、夜に猿之助が帽子をかぶり、サングラス、マスク姿で自転車に乗って外出する写真を撮ることに成功しています」(週刊誌の芸能担当記者)  猿之助被告の初公判が行われたのは、10月20日。初公判では、検察側の冒頭陳述で、猿之助被告の「許されるのであれば歌舞伎界に戻り、舞台に立ちたい」という供述が読み上げられた。猿之助被告自身も証言台に立ち、「この反省を一生背負っていく思いです。僕にしかできないことがあるならさせていただき、生きる希望としたい」と語った。  猿之助被告は歌舞伎役者だった父・市川段四郎さん(享年76)と母・延子さん(享年75)と3人家族。今年5月17日、向精神薬入りの水を父親と母親に飲ませ、自殺を手助けした罪に問われている。猿之助被告は母親の足が冷たくなったのを確認してから、顔にビニール袋をかけたとされる。  一家心中のきっかけは、猿之助被告のセクハラ、パワハラを報じた週刊誌の前刷り記事を見たこと。猿之助被告は初公判で「地獄の釜のふたが開いたという表現がしっくりくる」と答えた。 市川中車(左はし)と市川猿之助被告(右はし)   猿之助と中車の「実力差」   猿之助被告が不在となった今、一門の澤瀉屋を支えているのは、市川中車(57=俳優の香川照之)だ。事件後も、長男の市川團子(19)とともに公演を続け、澤瀉屋を牽引している。だが、演劇評論家の山本健一氏は「猿之助と中車ではかなりの実力差がある」と話す。 「歌舞伎の演技力は圧倒的に猿之助の方が上です。中車はせいぜい、セリフ劇ができる程度。踊りの表現力や、時代もののセリフ回しなど、歌舞伎の本道で求められる演技力は猿之助とは比較になりません」  香川(中車)は、三代目市川猿之助(二代目猿翁)と浜木錦子の長男。本来なら、香川が四代目猿之助を名乗っても不思議ではない家柄だが、香川が3歳の時、両親が離婚。三代目猿之助は2000年に舞踏家の藤間紫と再婚したことで、香川とは長い間、断絶関係が続いた。  その香川は俳優としての道を歩み、「半沢直樹」シリーズなどで大ブレーク。ドラマ、映画に引っ張りだこになったが、22年に「デイリー新潮」が銀座のクラブのホステスへのセクハラ暴行疑惑を報じ、テレビ界から姿を消した。そして、猿之助被告の事件後、再び歌舞伎界に舞い戻ったのだ。  前出の山本氏は言う。 「テレビの演技と歌舞伎とはまた違いますからね。きちんと踊りの稽古を積んでおかないと、一挙手一投足が形にはまってこない。歌舞伎俳優の体というのは彫刻みたいなもの。四方八方どこから見ても、彫刻のように美しい形を保たなきゃいけないんです。その基本は日舞、つまり踊りです。中車は、歌舞伎俳優として訓練を経ていないから、どうしても活躍の場が限定されてしまう」 東京・歌舞伎座   松竹は大幅赤字に転落  事件前の猿之助被告と香川の関係を知る人物はこう話す。 「飲み屋では猿之助さんが電話で香川さんを呼び出し、後から香川さんがやって来るという感じ。猿之助さんは飲むと、陽気でよくしゃべり、座を盛り上げる中心的存在。香川さんは猿之助さんには頭が上がらない感じで、いつも猿之助さんに気を使っていたように見えました」  その関係は、今回の事件をへて変化が生まれるのだろうか。長男の團子は猿之助被告が逮捕された際、急きょ、上演中の舞台の代役を務め、拍手喝采を浴びたことも記憶に新しい。 「中車はわが子かわいさで、親子ともども教えてほしいと、猿之助に頼むだろうね。そういう師弟関係になっていくんじゃないかな。猿之助の復帰については、松竹のお偉いさんが罪の重さと復帰とのバランスを考えて判断するのではないか」(山本氏)  松竹は今年6~8月期の連結経常損益が2.6億円の赤字に転落した。歌舞伎に詳しい著述家の米原範彦氏はこう話す。 「東宝には映画の『ゴジラ』などの人気コンテンツがある。東映もアニメがある。それに比べて、松竹の映画は劣勢にみえる。そうなると、頼りは松竹演劇となる。松竹演劇でお客さんが入るのは旧ジャニーズのタレントを使った時が多いように思われますが、それも今の状況ではあやしくなってきた。経営的な事情で歌舞伎の収益を上げなければいけないのはわかりますが、だからといって、猿之助を復帰させようというのは安直だと思います」 保釈時の猿之助被告   「私には歌舞伎しかできない」  猿之助は「私には歌舞伎しかできないので、舞台に立って償いたい」と周囲に語っているという。  だが、米原氏はこうくぎを刺す。 「最低でも、執行猶予期間の5年は、復帰を自粛すべきだと思います。本人が復帰したい気持ちはわかるし、周囲の歌舞伎界の熱い期待もわかりますが、『自殺ほうじょ罪』とはいえ、両親が死ぬ手助けをしたという陰惨な事件です。自分のしてしまった罪を内省する期間は必要だと思います。その方が週刊誌にこれ以上たたかれることもなく、本人のためにもなると思います」  拙速な復帰よりも、まずは罪と向き合う時間が必要だろう。 (AERA dot.編集部・上田耕司) ◆「日本いのちの電話」相談窓口◆  厚生労働省は悩みを抱えている人に対して相談窓口の利用を呼びかけている。 ◆ナビダイヤル 0570・783・556(午前10・00~午後10・00) ◆フリーダイヤル 0120・783・556(毎日:午後4・00~9・00、毎月10日:午前8・00~翌日午前8・00)
なぜ佳子さまに激しいバッシング? 「生まれながらの特権と、不満のはけ口に」名大河西准教授
なぜ佳子さまに激しいバッシング? 「生まれながらの特権と、不満のはけ口に」名大河西准教授 ペルーから羽田空港に到着した秋篠宮家の次女佳子さま。疲れた様子も見せず、笑顔であいさつをしていた=11月10日、東京・羽田空港    多くの皇室の公務をこなし、メディアに登場する機会が増えている秋篠宮家の次女佳子さま。しかし、SNSなどでは否定的な書き込みも目立ち、佳子さまが秋篠宮家や天皇制に対する批判の矢面に立つ格好になっている。そして、皇室側から「反論」するような動きも見られない。天皇制に対する賛否はともかくとしても、なぜ佳子さまら個人に対する批判が止まないのか。 *   *   *   今月1日から10日まで、ペルーを公式訪問した佳子さま。その様子がニュースで報じられるたび、その記事のコメント欄やSNSには、厳しい言葉が繰り返し書き込まれた。 〈「視察という名の」海外観光旅行おつかれさま〉 〈どれだけの税金が投入されているのか〉  佳子さまは4日、世界遺産のマチュピチュ遺跡を視察。 「すごく壮大な景色で、写真では拝見したことがあったのですが、この場に立ってみてみると、おーという感じがすごくします。何かすてきな空気を感じます」  同行記者に感想を求められ、そのように返した佳子さまの言葉に対しても、 〈「おーという感じがすごくします」って、28歳の語彙(ごい)力とは…〉  などと書き込まれた。  首都リマでは、ペルーの手話でろう学校の子どもたちと接し、ペルー初の女性大統領であるボルアルテ氏も表敬訪問。忙しい日程をこなして帰国した。 〈佳子様お疲れ様でした。あのハプニングでよく頑張った!帰国したらゆっくり休んで下さいね。〉 〈佳子さまの笑顔はこの疲弊した日本に唯一の希望の光です〉  そんな好意的な反応も、真逆のコメントに押され気味だった。     【こちらも話題】 佳子さまが「エネルギッシュな笑顔」でペルーへ出発 なぜ秋篠宮家が南米の訪問を担うのか https://dot.asahi.com/articles/-/205363     「高校生手話パフォーマンス甲子園」に出席するため、鳥取空港に到着した佳子さま。翌日、新型コロナ感染がわかった=9月、鳥取県    批判的なコメントは、ペルー訪問に限らない。  佳子さまは9月末に鳥取県と宮城県をそれぞれ訪れた後、都内でのさまざまな行事をはさみ、10月も大阪府、そして鹿児島県を2度訪問した。  しかし、そんな過密な日程を報じた記事にも、 〈どうせニコニコ笑っているだけでしょ〉 〈公務をするたび警備費も含めていくら税金が消える〉 〈お車代はいくら?〉と  などといった内容が書き込まれていた。  訪問先の鳥取県で新型コロナ感染がわかったことを伝えた記事には、 〈コロナ感染でホテルで静養していたなんて、記事にする必要ある? 〉 〈マスクをしないなんて非常識〉  との言葉が並んだ。   国民がモノ申していいという「正当性」  少子高齢化で公務の担い手が減り続けている皇室で、皇嗣家では秋篠宮ご夫妻、そして内親王の佳子さまが、連日のように公務に取り組んでおり、さまざまなメディアで多く報じられている。  そして、そのニュースに対してネット上では賛否の意見が飛び交うが、「秋篠宮家は不要」といったもののほかに、皇族個人の人格を否定するような辛辣なコメントも少なくない。   「Yahoo!ニュース」のコメント欄(ヤフコメ)で公式コメンテーターを務める精神科医の井上智介さんは、 「そもそも政治家や公務員、皇室など公的な活動をする人物に対して、国民がモノを唱えるのは正当である、という認識が根本あります。それは、ときにゆがんだ正当性を増幅させる危険をはらんでいます」  と指摘する。  また、「努力をした」とイメージしやすいアスリートや芸能人などは批判しづらい一方で、コロナ禍による不況や急激な物価高で国民があえぐなか、「生まれながらの特権を持っている」と捉えられてしまった皇室は不満のはけ口になりやすいと、象徴天皇制を研究する名古屋大の河西秀哉准教授は指摘する。   【こちらも話題】 佳子さまが「エネルギッシュな笑顔」でペルーへ出発 なぜ秋篠宮家が南米の訪問を担うのか https://dot.asahi.com/articles/-/205363   ペルーへ出発する佳子さま=11月、東京・羽田空港   再び批判されるという天皇家の恐怖  国民からの批判に対し、皇室側からの「反論」は可能なのか。  宮内庁は平成の一時期、事実誤認があったメディアの報道に対し、ウェブサイトで指摘をしていた。しかし、国民を相手に何らかのアクションを起こしたことはない。  宮内庁は今年4月に「広報室」を新設。反論も含めた新しい情報発信が期待されたが、今のところ目立った取り組みは見えていない。  河西准教授は、 「皇室にとって国民の声は耳を傾けるべき存在。誰かを批判すればその人を傷つけたり、他の人からその人への攻撃が始まったりする可能性もある。そのため、根拠に乏しい内容であっても無下に否定はできないという苦しさがある」  と指摘する。  しかし、「何を書いても反論しない」「何を書いても訴えられない」と認識されれば、批判はエスカレートしていくばかりだと、河西准教授は懸念する。    他方、事実上反論ができないことで、皇室を萎縮させている可能性があると見る。 「国民の状況に配慮して、愛子さまはティアラを新調せず、皇后さまも衣装の新調を控えめになさっている。これは美談だと国民に受け入れられています。しかし、配慮だけが理由ではないように思います。平成の時代に大バッシングを受けている天皇ご一家にしてみれば、いつ自分たちも再び批判されるかという恐怖をお持ちでしょう。目立たず控えめにと思わざるをえなくなっているではないでしょうか」   「自分の批判は正しい」という思いは強固に  では、批判の声を受け止めていれば、いつか沈静化するのだろうか。  井上医師は否定的だ。     【こちらも話題】 佳子さま「食事や生活は宮邸?」「不仲ではない」 秋篠宮家と親交があるジャーナリストらの「反論」 https://dot.asahi.com/articles/-/196501      現実の社会なら周囲の目もあり、自制が働きやすい。しかし、ネットの世界は異なる。 「SNSで怖いのは、相手を批判する自分の行いに正当性を見つけやすいという点です。強い批判的な意見を書いた当初は罪悪感があっても、賛同するコメントが書き込まれたり、同じような意見を目にしたりすれば、『自分は正しい』という思いが強固になります」    そして、天皇や皇族も人間である以上、叩かれ続ければ精神的な傷を負うのは当然だ。 「人間は、よいことよりも悪いことのほうが記憶に残りやすい。『批判は気にしない』と思っていてもダメージを受ける。批判にさらされ続けば佳子さまも、姉の小室眞子さんが複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されたように、うつの症状などが出てもおかしくはない」    皇室は、国民から敬愛される一方、強いバッシングも受ける存在だ。そのなかでも秋篠宮家は、長女の小室眞子さんの結婚騒動に端を発し、多額の税金をかけた宮邸の改修工事などの「火種」を抱えている。そのような状況だが、佳子さまにはその笑顔を絶やさないでほしいと願うばかりだ。 (AERA dot.編集部・永井貴子)   【こちらも話題】 佳子さまの本質はファッションではない 実は、皇室の「祈り」に向き合う存在 https://dot.asahi.com/articles/-/195016  
社会性がない、努力できない、知ったかぶりをする......全部遺伝子のせい? 生物学的視点から悩みを分析
社会性がない、努力できない、知ったかぶりをする......全部遺伝子のせい? 生物学的視点から悩みを分析 『生物学的に、しょうがない!』石川幹人 サンマーク出版  嘘をついたり知ったかぶりをしてしまう、小さなことですぐイライラしてしまうなど、日々の生活の中で行動や感情を制御できず悩むのは、多かれ少なかれ誰にでもあることです。しかしそのことで「なぜ他の人のようにうまくいかないのか」「自分はなんてダメな人間なんだ」と自責の念にかられて、深く落ち込むことも......。 でもそれ、生物学的にしょうがないんです! そんな言葉でわたしたちの悩みを一蹴してくれる書籍『生物学的に、しょうがない!』が、落ち込んだときに心強い味方になってくれそうです。著者は『サイエンスZERO』(NHK)や『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日)ほか数多くのテレビやラジオに出演する生物学の専門家・石川幹人(いしかわ・まさと)さんです。 ただ、「生物学的にしょうがない」なんて言われても、すぐにはピンとこないかもしれません。そこで同書の冒頭で石川さんは、「遺伝子に問いかける問題」を出題しています。次の文章を読んで、あなたはどんな気持ちになるでしょうか? 文章の内容をよく想像しながら読み進めてみてください。「ある雨の日、あなたは友人に誘われて初対面の人ばかりがいる会合に出かけることになりました。その会合では、ひとりにつき3分、出席者の前で自分のことを話す時間が設けられています」(同書より) 上記の文章を読んで「こんなところ行きたくないなあ」と嫌な気持ちになりませんか? 「すっごくワクワクする!」と思った人は少ないでしょう。 石川さんによると、「雨の日」「初対面の人」「人前で話す」というポイントは、「人間が生物として持っている遺伝子に刻まれたプログラムが原因」で、できれば避けたいと感じるのだそうです。 「友だちとの約束があるのに雨が降ったから行きたくなくなっちゃった」や「新しい環境で初対面の人に話しかけられず友だちを作るのに苦労する」といった気持ちに、多くの人が共感できるはず。それは遺伝子が嫌がっているからなので、「自分には社会性がない......」なんて落ち込む必要はないということです。 また、人はそれぞれ個別の遺伝子を持っているため、「他の人はできるのに自分にはできない」という状況がどうしても生まれてしまいます。そのことで劣等感を抱き、他人と比べて落ち込むこともあるでしょう。その劣等感があるからこそ、すさまじい努力ができることもありますが、その「努力の総量」にも生物学的な限界があると石川さんは記します。「『同じ人間なのだから、きっとできるはずだ』とか、『努力を重ねれば誰でも絶対達成できる』などと言う人がいます。(中略)私は『やめてくれ!』と強く思います。遺伝子の影響力を知らないからそう言えるのです」(同書より)「努力を続けている人は、その才能や個性が興味ある対象とピッタリ合致したので、限られた努力をそれに向けつづけているのです」(同書より) 石川さんはこのように、生物学的視点から、さまざまな悩みを分析・解説しています。たとえば冒頭で出した「嘘をついたり知ったかぶりをしてしまう」という悩み。実は人類は、最初から嘘つきだったわけではないようです。わたしたちは、言語が主なコミュニケーション手段になったことで、誰でも簡単に嘘をつけるようになり、しかも「ウソを見抜くことが非常に不得手」なのだそうです。「私たちの能力の大わくが確立した狩猟採集時代では、ウソに効果があまりなかったのでウソをつく人が少なく、そのため、ウソを見抜く能力も進化しなかったのです。情報メディアが高度に発達した今日では、より手軽にウソがつける社会になっています。SNSで気軽に多くの人にメッセージが伝えられる便利な社会は、同時に、知ったかぶりがあふれ、ウソが渦巻く不信社会となったのです」(同書より) そのため石川さんは「ウソをつかないことよりも大切なのが、誠実な人づきあい」と記します。たとえ知ったかぶりをしたり嘘をついたりしてしまっても、そのあとに素直に謝ることです。石川さんは「諦めなさい ウソにメリットがある 社会になったのだから」と締めくくります。 他にも同書では、「嫉妬しちゃうの、しょうがない!」、「整形したくなるの、しょうがない!」、「マウントとろうとしちゃうの、しょうがない!」、「SMプレーが好きなの、しょうがない!」など、さまざまな悩みと遺伝子の影響を紹介しつつ、「しょうがない」「諦めなさい」と生物学的視点から甘えさせてくれます。 もちろん遺伝子を言い訳に逃げ続けていても人生が好転するとはいえません。ただ、すごく頑張っているのにずっと心が苦しい、自分のダメな部分にばかり目がいってしまうなど、海の底に沈んだような気持ちで日々暮らしている人がいたら、ぜひ同書を手に取ってみてほしいのです。心に積もった小さなストレスを少しずつ取り除くことができるかもしれません。[文・春夏冬つかさ]
サバンナ八木×テスタ対談「不景気になるとテレビでトーク番組が増える理由」
サバンナ八木×テスタ対談「不景気になるとテレビでトーク番組が増える理由」 サバンナ八木さんとテスタさん(撮影/門間新弥)   「2級ファイナンシャル・プランニング技能検定」に合格したお笑いコンビ「サバンナ」の八木真澄さん。テスタさんは「八木さんがFP芸人になったら素晴らしい」と応援。アエラ増刊「AERA Money 2023秋冬号」より。 (テスタ)八木さんはSNSに怪獣みたいなイラストを毎日投稿したり、ライブ配信サービス「SHOW ROOM」で1000日以上も連続で動画をアップしたり、とにかく「続けること」の天才ですよね。  プライベートでは、どんなに忙しい日でも毎晩、必ずジムに行って筋トレしているという話を聞いたときもびっくりしました。 (編集部)テスタさんと八木さんはテレビのバラエティー番組をきっかけに知り合ったんですよね? (テスタ)出演したのが株のデイトレーダーを特集した番組だったんです。  そこでお会いした八木さんが「投資の世界に興味がある」っておっしゃられていたので、「ごはんでも食べに行きましょうか」という話になったような……。 (八木)コロナが流行する前の2019年秋に僕が入院していたときテスタさんがお見舞いに来てくれたのを覚えています。  もう4年の付き合いになりますかね? (テスタ)もう4年経ったのか〜。 八木「5年後が不安」 (八木)投資の世界に興味があると言ったのは、テスタさんみたいに億万長者になりたいっていう意味じゃなく。  芸人って、将来に対する不安がめちゃくちゃありますから。  お金のことが心配で投資に興味を持つ人は多いのかなと。 (テスタ)八木さんは30年近くテレビに出られているじゃないですか。それでも5年後が不安? (八木)20代より30代が怖いし、30代より40代が怖いですよ。  20代は独身でしたから「自分一人ぐらいなんとかなる」っていう気分でした。  今は奥さんや子どももいますし。僕の場合、「×4」でしょ。  フードコートに家族で食べに行っても、1人なら600円くらいで済むのに、家族で行くと3000円くらいかかってしまいます。 【こちらも話題】 50億円トレーダーのテスタに杉原杏璃が直球質問「何十億円もあるのに、まだ投資するのはナゼ?」 https://dot.asahi.com/articles/-/62349 八木真澄(やぎ・ますみ)(サバンナ)/1974年、京都府出身。吉本興業所属。1994年、立命館大学在学中に高橋茂雄とサバンナを結成。1997年、ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞受賞。「ブラジルの人、聞こえますか~!」など1000個以上のギャグを持つ。柔道2段、極真空手初段の筋肉芸人として活動しているほか、Instagramでの未確認生物のオリジナルイラスト投稿や、YouTubeでの「サバンナ八木の芸人男塾」の配信など、幅広く活動している。2023年に2級ファイナンシャル・プランニング技能士の資格を取得。現在、1級を目指している(撮影/門間新弥)   (テスタ)八木さんって、めちゃくちゃ電車に乗りますよね。タクシー使わないのも、節約のため? (八木)全部タクシーで動いたらお金かかりますし。大阪時代はすべて原付き(バイク)で移動してた。 (テスタ)八木さんって一見、破天荒そうなキャラですけど……。 (八木)基本的に真面目なんですよね。なんで芸人という職業を選んでしまったのか(笑)。 (テスタ)お給料の安定してる会社員になっても活躍しそう。 (八木)ねぇ。芸人は波がありますからね。景気が悪いとギャラも下がりますよ。 芸人は景気感じまくり (編集部)「経営者は会社員より景気の浮き沈みをリアルに感じる」という話を聞きますが。 (八木)自慢じゃないですが、芸人の「景気敏感度」も最先端いってると思いますよ(笑)。 (テスタ)景気の波を、まともに食らうということですか。 (八木)今の世の中で、どの業種が儲かっているか、早い段階でわかるのが芸人という職業かもしれません。  芸人を呼んでくれるような、景気のいいクライアントさんと日頃から接するわけで。 (テスタ)仕事を通じて、肌で感じられるわけですね。 (八木)そりゃもう、景気、感じまくりです。  一番リアルに感じたのはリーマン・ショックが起こった翌年の2009年ですかね。  テレビ番組の台本が、これまでの片面刷りから表裏の両面刷りに変わったのを覚えています。  台本に使う紙代すら節約するわけですから、当然、大がかりなセットも作れません。  あの頃は、芸人のトーク番組がやたら増えましたよ。 (テスタ)えっ、そうなんですか? (八木)トーク番組って、いっぱいお金をかけなくても「尺が持つ」じゃないですか。  僕らサバンナでいうと、相方(高橋茂雄さん)は特にトークが得意なんで、その波に乗っていつもよりテレビにたくさん出られた。 (テスタ)サバンナ的には、リーマン・ショックでテレビの仕事が増えたわけですね。 不景気で若手の仕事増 (八木)ギャラの高い低いでいうと、不景気になるとギャラの安い若手が多く使われるようになります。  コロナの感染拡大で2020年以降しばらくは、その傾向が強かったと思うな。  在宅時間が増えたことにすぐ気づいてユーチューブのネット配信をはじめた芸人が一気に頭角を現したりもしましたね。  時代時代の波に乗る人間はいつもいます。不況になると波が変わって、新しいニーズが生まれますね。 【こちらも話題】 40億円トレーダーテスタさん「1億円損失」の失敗論 https://dot.asahi.com/articles/-/83113 テスタ/兵庫県生まれ。学生の頃、通学中に満員電車を見て「僕はあんな電車に乗りたくないな」と思っていた。2005年に株式投資の世界に飛び込み、専業トレーダーに。最初はスキャルピング(超短期取引)を中心としたデイトレードからスタート。ITバブル崩壊、リーマン・ショックなど、幾多の市場暴落で退場するトレーダーが続出する中、寡黙に荒波を乗り越える。2021年8月に総利益50億円を達成。投資先のメインは日本株、米国株、先物、REIT(撮影/門間新弥)   (テスタ)FP(ファイナンシャル・プランナー)の勉強をはじめた理由は何ですか? (八木)FPの勉強をすれば、貯金や税金、ローンなど、お金にまつわることをまんべんなく学べるなと思って。  たとえば、テスタさんが亡くなって相続が発生すると誰がどれくらいもらえるかのルール、知ってますか? (テスタ)確か相続税は3000万円の基礎控除があって。「相続人の数×600万円」も基礎控除。(意外に詳しく答えるテスタさん) (八木)おおっ。それが夫婦間の相続だけは配偶者控除で1億6000万円まで非課税になる、とか。  それ以外に、結婚して20年以上の夫婦なら、住居用の不動産を取得するためのお金を贈与したとき2000万円まで控除できたりする。  最初「こんな控除使う人、どこにおるん?」って思いましたけど、「あ、そうか、テスタさんみたいな人が使うんか」とテスタさんを思い出しつつ教科書にマーカーしてましたよ(笑)。 (テスタ)さすが、この前(2023年3月)FP2級を取っただけあって、詳しい! (八木)相続税のことは、FPの勉強の前に調べてたんです。 「子どもは、これくらいもらうんや」とか「奥さんの権利がかなり強いぞ」というあたりが新鮮だった。 筋トレ中にFPの勉強 (テスタ)この先、FP1級も目指すんですか? (八木)はい、取ろうと思っています。今も1日2時間くらい毎日勉強してますよ。 (テスタ)仕事をしつつですよね。 (八木)仕事の移動中にも、勉強はできるもんですよ。  ジムで筋トレしている間も、ユーチューブを見ますし。毎日ジムに行くと、もれなく勉強もできるので。 (テスタ)勉強しながら筋トレしたら、筋肉も賢く育ちそう(笑)。 (八木)FPの勉強、実はテスタさんの助言も大きいんですよ。  さっきテスタさん言ってくれましたけど、僕、何でも続けてしまうじゃないですか。  日記は、17歳の頃から1日も欠かさずつけてますし。 (テスタ)絵や動画の他に日記までつけてたんですか⁉ 本記事が丸ごと読める「AERA Money 2023秋冬号」はこちら FPの参考書が八木さんには小さかったので、全ページを拡大コピーして勉強。書きながら考え、覚えるタイプ   (八木)インスタグラムに掲載している未確認生物の絵は、あまりにクオリティーが低すぎて、それほど話題になっていませんが(笑)。  でもテスタさんと飲んだとき、「八木さんには、毎日、何かをやり続ける能力がある。それってすごいことや」と言ってもらって。 「ということは、続けるだけで少しでも伸びていくことを何か別ではじめたら、スピードは遅くても右肩上がりで上達するんじゃないか」とアドバイスをくれましたよね。 (テスタ)八木さんって、伸びなくても続けるから(笑)。  どうせ続けるなら、少しずつでも上向きになるものがいいんじゃないかと。 続けられることを武器に (八木)そうなんです。これまでの人生、全く上達しないことでも、なぜか続けてしまっていたけど、「そうや! ちょっとだけでも伸びることをやるといいんだ」と。  僕の性格を見切ったうえでのアドバイスでしたから、ありがたかった。  うちら夫婦の間では「テスタさんは天才」ってことに。 (テスタ)天才ちゃうし(笑)。  普通、ウケないやつはやめることが多いですよね。  僕から見て、八木さんは世の中からそれほど需要がないことでも続けている。  その時間をもっと伸びしろのあるものに割いたほうがいいと思っただけ。 (八木)テスタさんにそう言われてはじめたのがFPの勉強だったというわけ。  僕自身、「ずっと続けることだけはできる」と思ってるので。  今のところ1日も休まずにFP1級の勉強してますよ。 (編集部)FP1級は、2級と比べてグンと難しいですよね。 (テスタ)僕は絶対、取れなさそう。 (八木)僕が1級をはじめて受けて落ちたときは、合格者が170人しかいなかった。 編集部注:八木さんがFP1級の試験をはじめて受けたのは2023年5月28日、きんざい(金融財政事情研究会)主催のファイナンシャル・プランニング技能検定。2級は日本FP協会主催のFP検定で取得した (テスタ)何人中170人ですか? (編集部)FPの資格検定試験を行う日本金融財政事業研究会のホームページによると、受検者数4831人に対して合格者は170人。合格率は3.51%でした。 対談は吉本興業本社(新宿)で。撮影後も雑談が止まらない二人(撮影/門間新弥)   (テスタ)少なっ! (八木)試験会場の雰囲気がおもしろかったです。漫画『ドラゴンボール』の「天下一武道会」みたいな感じで。 税理士っぽい人、銀行員や保険会社の人っぽい人がわらわら集まっていて。僕、浮いてたかもしれん(笑)。 FP1級を取ったらどうする? (テスタ)八木さんって、投資は昔からしてるんですか? (八木)僕は若い頃に株を買ったことありますよ。  それこそ20年近く前から、楽屋で後輩芸人なんかに「国民年金だけでは不安やから国民年金基金や小規模企業共済にも入っておいたほうがええでぇ」とアドバイスしてました。   そんな芸人、僕だけかも(笑)。 編集部注:国民年金基金…自営業者などが、国民年金に上乗せして加入できる年金制度。掛け金は1カ月当たり6万8000円が上限。老後は掛け金によって決められた年金額を受け取れる。掛け金は全額所得控除の対象となり、節税も可能になる。小規模企業共済…中小企業の経営者や個人事業主などが廃業するときなどに退職金の代わりの生活資金としてお金をつみたてる制度。こちらも掛け金を全額所得控除できる他、事業資金の借り入れもできる (テスタ)僕は国民年金基金も小規模企業共済もやってない。 (八木)テスタさんにはもはや必要ない(笑)。  僕ら個人事業主は国民年金だけだと、今は満額でも月に6万6250円(2023年4月分〜)しかもらえませんから。 (テスタ)この先、FP1級を取ったら、どうされるつもりですか? (八木)子ども向けに税金の勉強会をやりたいなと思ってます。  まずは持ちネタの「ギャグラジオ体操」を10分やって、そのあと30分、お金の話をして、最後の10分間はギャグに戻るっていう。 (テスタ)八木さん以外は、誰もできない勉強会になりそう。 (八木)子どもたちに「みんな〜、税金払ってますか〜?」って聞くの。  そうしたら「払ってな〜い」という答えが返ってきますよね。  そこで「実は消費税払っているんですよ〜」というツッコミを入れようと思ってます(笑)。 本記事が丸ごと読める「AERA Money 2023秋冬号」はこちら (テスタ)ツッコミまで(笑)。 (八木)若手でおもしろいことやる芸人がどんどん出てきますから。突き上げは常にきついんです。  今まで通り、普通にネタやってるだけでは勝てません。  FP1級の資格を取って、全国各地を回れるようになりたい。 (テスタ)今は高校の家庭科の授業で金融教育をやるくらいですから、ニーズはすごくありそう。  普通の先生に教えてもらうより、芸人の八木さんに教えてもらったほうがおもしろいですし。なんとしてもFP1級、取るしかないですね。 (八木)来年(2024年中)までに合格したいですね。 二人で投資の話はせず (編集部)お金に詳しい八木さんと投資のプロのテスタさんで食事されるとき、投資の話はするんですか? (テスタ)全然しないです。お互い格闘技が好きなんで、その話題が多いかな。  会うといっても、3カ月とか4カ月に1度なので、その間、八木さんに起こったことを聞くだけでも、おもしろくて時間が過ぎてしまいますね。会うときは交互におごり合ってます。 (八木)こないだはテスタさんの番で、お勘定をチラッと見て度肝を抜かれました。  僕のときは、これでも気張ってるつもりだけど、あれに比べたら激安(笑)。 (編集部)八木さんから見てテスタさんはどんな人ですか? (八木)株式投資って、自分以外の投資家の行動を読む作業じゃないですか。  だからなのか、テスタさんは相手のことを読むのが、ものすごくうまくて早い。  会話も含めて、どんなときでも、3手先……いや5手先くらいを読んでる。  メールのやりとり一つとっても、先読みの力があるから、こちらが返信しやすいメールが来ます。 (テスタ)(照れながら)いやいや、僕は普通のことをしてるだけですよ、ホントに(苦笑)。 八木真澄(やぎ・ますみ)(サバンナ)/1974年、京都府出身。吉本興業所属。1994年、立命館大学在学中に高橋茂雄とサバンナを結成。1997年、ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞受賞。「ブラジルの人、聞こえますか~!」など1000個以上のギャグを持つ。柔道2段、極真空手初段の筋肉芸人として活動しているほか、Instagramでの未確認生物のオリジナルイラスト投稿や、YouTubeでの「サバンナ八木の芸人男塾」の配信など、幅広く活動している。2023年に2級ファイナンシャル・プランニング技能士の資格を取得。現在、1級を目指している テスタ/兵庫県生まれ。学生の頃、通学中に満員電車を見て「僕はあんな電車に乗りたくないな」と思っていた。2005年に株式投資の世界に飛び込み、専業トレーダーに。最初はスキャルピング(超短期取引)を中心としたデイトレードからスタート。ITバブル崩壊、リーマン・ショックなど、幾多の市場暴落で退場するトレーダーが続出する中、寡黙に荒波を乗り越える。2021年8月に総利益50億円を達成。投資先のメインは日本株、米国株、先物、REIT(不動産投資信託) 編集/綾小路麗香、伊藤忍 ※『AERA Money 2023秋冬号』から抜粋
「地方出身の高学歴な父親」が中学受験の子どもをつぶす? プロ家庭教師が考える理想的な親の関わり方とは
「地方出身の高学歴な父親」が中学受験の子どもをつぶす? プロ家庭教師が考える理想的な親の関わり方とは 写真はイメージ(iStock)    中学受験といえば母親が中心になるケースがかつては主流でしたが、近年は父親と母親、両親でサポートするというケースも増えています。一方、父親のサポートが過熱して「結果的に子どもがつぶされてしまうケースも少なくない」とプロ家庭教師・西村則康先生は指摘します。なかでも、中学受験経験のない地方出身の高学歴な父親が熱心に関わっている家庭が「一番難しい」と言われます。その理由や、親としての理想的な関わり方などについて、西村先生に聞きました。 *  *  * 高校受験の偏差値70と中学受験の偏差値50、その差のリアル 「中学受験で一番対応が難しいのは、地方出身の高学歴なお父さんです。ご自身の教育観を頑なに曲げず、子どもに押しつける傾向が見られます」  重い口ぶりで語るのは、西村先生。中学受験をサポートしていた男児生徒A君は、御三家を目指していたものの一歩及ばず、四谷大塚の入試偏差値50超の、都内の中堅の男子校に進学しました。  しかし、A君の父親は偏差値だけを見てこの学校への入学に強い不満を漏らしたそうです。父親自身は中学受験を経験しておらず、自身が地元の公立高校から難関大学に合格していました。A君が進学した中高一貫校の大学進学実績は2023年度で見ると東京大学6名、京都大学3名など難関進学校に迫る水準でしたが、父親は同校の大学実績についても知らず、「偏差値の高い学校でなければ有名大学への進学は困難だ」と考えていたようです。 「お父さんはご自身が偏差値70以上の高校出身であったことから、A君の学校を否定的に捉え、『偏差値50の学校に行かせるために金を払っているんじゃない』とおっしゃっていました」  そもそも、ごく一部の優秀な子だけが行う中学受験とほぼ全員が受験する高校受験では偏差値の母集団が違うため、同じ偏差値50でもその実力は雲泥の差だと西村先生は指摘します。 「お父さんにとっての偏差値50の感覚は、公立中学校の平均的な子どもたちです。しかし、中学受験における偏差値50はとてもハイレベル。首都圏の中学受験生たちが競い合う、極めて高い水準での平均値です。それを、自身が高校時代に見下してきた子たちと同じレベルだと勘違いをしていました」  A君は御三家を狙えたほどの実力を持ちながらも、中学では成績び悩む結果に。せっかく入学した学校も父親から罵られたうえ、自身も「自分が周囲より圧倒的に賢い」と思い込んで勉強をおろそかにしてしまったことが背景にあるようです。その一方で、A君が入学した学校にあこがれて入ってきた同級生たちは前向きに勉強に取り組み、成績を伸ばしていったといいます。 「たとえ第二志望、第三志望に進学することになったとしても、進学先がいい学校だと思えるかどうかがとても重要です。親の声かけは色濃く影響するため、親御さんが率先して進学先を『子どもにとって最良の学校だ』と前向きに捉えましょう」 偏差値30からの最上位校へ、成功の鍵は親のポジティブさと子の素直さ  西村先生の教え子に、A君一家とは対照的なご家庭がありました。中学受験で偏差値30程度の学校に進学したB 君です。彼の親御さんは、どんな結果でも決して子どもをとがめることはなかったそうです。 「模試で偏差値25を取ったときでも『ここまで間違えられるなんて素晴らしい!』と笑い飛ばすようなお母さんでした。中学受験についても、決して失敗だとはおっしゃらず『行けるところがあってよかった』と。その後、彼はコツコツと勉強を続けて、早稲田大学の政治経済学部に合格しました」  B君が飛躍的に成長した理由は、彼の素直さにもあるといいます。 「彼はのちに『先生の算数は難しかったけど、面白かった』と言ってくれました。彼の中で勉強を頑張っていると、楽しいことを見つけられるという感覚があったようです。また、最後の授業で私が『大学受験では英語が一番大事だから、文系・理系問わず毎日30分は勉強しよう』と言ったことを覚えて実行してくれていました。お母さんも継続のためにB君に声をかけ続けていたらしく、親子で努力した結果です」 地方の高学歴父が、自分の成功体験を盲信する理由  A君のお父さんのように、自身の教育観を頑なに変えない父親は少なくないそうです。そして、周りがどれだけ現状を伝えたとしても、それを受け入れる姿勢はほとんどみられないといいます。 「お父さんは、子どもの可能性もっと信じてあげてください。今の可能性だけでなく、遠い未来の可能性も。『中学受験に成功しなければ大変なことになる』と思う方が多いですが、そんなことはありません。たとえ第一志望が不合格になったとしても、学習の過程で得た学びはどこかで生きてきます。  それは大学受験かもしれないし、社会人になってからもしれません。遠い未来を考えながら、子どもと付き合ってみてください。勉強の中身を教えるのでなく、子どもの気持ちに寄り添う付き合い方を。欠点の指摘や修正でなく、長所を探して伸ばそうとすることが大切です」  親として理想的な関わりをするために、西村先生は以下の3つをポイントに挙げます。 (1)現代の受験情報を率先して知ること。中学受験のルールや偏差値の考え方をはじめ、中高一貫校特有の学習環境や大学受験サポートなど、自身の経験では知り得ない情報を積極的に知ることで、子どもへの関わり方も柔軟になるといいます。 (2)自分の大学受験の成功経験を持ち込まないこと。父親世代の学習といえば、“詰め込み学習”。暗記や大量の演習問題で合格を勝ち取った経験に自負を持っています。しかし、中学受験をするのは小学生。小学生と高校生では脳の発達段階が異なります。中学受験では、暗記や大量の演習を中心とした学習だと効果が現れないケースは珍しくないようです。一方、高校生の学習では、それまでに収納してきた知識と新しい知識が自然とつながるので、暗記や演習での効果が出やすいといいます。 (3)子どもが楽しく学べる方法を考えること。小学生の場合、もともと収納された知識が乏しく、新しい知識と結びつけるものが遊びや生活体験になります。ブランコで物理の原理を体感させるなど、遊びに工夫を凝らすことで高い学習効果が得られることを、親が理解する必要があります。  3番目の点については、中学受験を控えている5、6年生だと、遊びを通じた学習をしている余裕がない家庭も多いでしょう。どうやって楽しませるのでしょうか。 「理解した瞬間に得られる喜びや楽しさを思い出させるのです。ハードな勉強で締め付けられてきた子は、普通なら持てるはずの『わかった』という楽しさを感じられなくなっています。理解したときに『よくわかったね』と認めてあげることで、楽しさを感じやすくなるでしょう」(西村先生)  子どもは親と別人格であり、思考も能力も適性も異なります。自分の経験則ではなく、子どもに寄り添うことを優先してみることが、親子の信頼関係を強めることにつながるのでしょう。 (取材・文/東山令) 〇西村則康(にしむら・のりやす)/プロ家庭教師集団「名門指導会」代表。塾ソムリエ。40年以上、難関中学、高校受験指導を行っている。著書は『中学受験の成功は幼児期・低学年がカギ!「自走できる子」の育て方』(日経BP社)ほか多数。
中学受験で合格を勝ち取ったのに入学後に「深海魚」に プロ家庭教師がみた親の“悪い伴走”の弊害
中学受験で合格を勝ち取ったのに入学後に「深海魚」に プロ家庭教師がみた親の“悪い伴走”の弊害 写真はイメージ(iStock)    中学受験で親がもっとも気をつけたいことは、「伴走の仕方を間違うと、中学受験後の子どもの人生にも深刻な弊害を及ぼしてしまう」ということです。前編では、「良い伴走」と「悪い伴走」の違いについてお伝えしましたが、後編となる本記事では、悪い伴走がもたらす影響とその原因について深掘りします。プロ家庭教師・西村則康先生に話を聞きました。 *  *  * 「成績上位でもあえて学校に行かない」親を苦しめるための反抗  中学受験では、志望校への合格を目標とするのが通常ですが、実は、親はもっと「目標を広げる」必要があると西村先生は話します。 「中学受験は、その後の人生を豊かにするための関門の一つでしかありません。子ども自身は第一志望合格が目標でよいですが、親が第一志望校合格だけに価値を置くと、合格のために無理をさせる粗暴な受験になり、子どもが親に反感を抱くきっかけにもなりやすくなるのです」  中学受験を終えた子どもたちになかには「深海魚」になる子がいる、と言われます。深海魚とは、中学受験で合格を勝ち取って中学に入学したものの、学校の勉強についていけず成績が低迷して浮上できない状態のことを表します。  深海魚問題は、志望校と子どもの実力のミスマッチが原因と思われがちです。しかし、合格のために過剰に勉強をさせるような「悪い伴走」をした親への反抗心から、深海魚につながるケースも少なくないと西村先生はいいます。 「中学受験のために、親から勉強を強要されるばかりで自発的に取り組まなかった子は、上位の成績で入学しても、あえて自ら深海魚になることがあります」  無理な勉強の例としては、子どもの生活時間を勉強で埋め尽くすこと。なかには、大手中学受験塾以外に、家庭教師や個別指導、単科塾(一教科だけを受ける塾)のかけもちをさせているケースもあります。  「思春期を迎えて自我が出てくると、ようやく親に本音を出せるようになります。直接言葉にできなくても、『勉強しろと言うから俺はする気にならない』という気持ちを示すために、深海魚になって反抗するのです。親との問題が解決されるまで学校に行かなかったり、学校に行っても勉強しなかったりという状態が続きます」 【こちらも話題】 東大合格を蹴ったのは9人 「史上最優秀の入学辞退者」はどこに進学したのか? https://dot.asahi.com/articles/-/71715 金属バットも深海魚も、反抗の現れ方が違うだけ  自分の意思で勉強をしない子は、まだ救いがあると西村先生は言います。勉強の必要性をわかっていてもする気になれない子、根は真面目なのに学習に嫌悪感をもってしまっている子は、家庭内暴力に発展するパターンもみられるそうです。 「勉強をしないことを責められてイライラすると、勉強を頑張らなくてはいけないという義務感が苛立ちに拍車をかけ、鬱憤を発散するため、最初は自分の拳で部屋の壁を殴ります。それではスッキリせず、足で壁を蹴飛ばすように。それでも足りないと金属バットを振り回すことに発展します」  つまり、中学受験で溜まった親へのイライラが、受験終えて時間が経った後に爆発するのです。そういう意味では、深海魚と金属バットはほとんどイコール。無気力な深海魚なのか、行動的な深海魚なのか、反抗の表れ方が違うだけだといいます。  西村先生自身、金属バットを振り回して暴れるご家庭に対応した経験があるといいます。1年前に指導を終えた子の親から「息子が暴れているからなんとかしてほしい」というSOSの電話が入り、彼の自宅へ直行。物の壊れ方が激しく、部屋はひどい状態だったそうですが、西村先生と話をすると落ち着いたそうです。 「彼は『いけないとわかっていても、どうしようもなかった』と漏らしました。受験時代は知らなかったのですが、彼にもやはり家庭教師が複数人ついていたそうです。宿題は少ししか出していないのにこなせなかったり、私が教えた方法と違う解き方をしていたり、当時から違和感はあったのですが。親が彼の思いに寄り添わず、何人もの先生にアウトソーシングをするという、『悪い伴走』が続いた結果でした」 悪い伴走の根底に潜む親のコンプレックス  悪い伴走が常習化している家庭では、「親が望む進路を義務づけているケースが目立つ」と西村先生。東大や国立医学部の受験を決められていたり、子どもの頃から医師になるよう諭されていたり、強いプレッシャーのなかで勉強を継続している様子がうかがえます。 【こちらも話題】 MARCHはもう古い 注目の大学グループは「SMART」だ! https://dot.asahi.com/articles/-/116399 「ハイレベルな要求をされていることも、大変な努力の継続が必要なことも、子どもはよくわかっています。しかし、自信のなさが根本にあるため、不安とプレッシャーが募り爆発してしまうのです」  親が進路を義務づける背景には、親自身の学歴への強い劣等感が潜んでいるケースもあるそうです。西村先生の経験では、これは母親より父親に多く、周囲には絶対的な自信をもっているように見せていても、自身が抱いてきた劣等感を子どもに味わわせたくないがために悪循環に陥る人が多い、といいます。 「国立医学部にこだわる私立医学部出身のお父さんが、『私立の先生は肩身が狭い』とよく言っていました。医師の世界にも学歴は関係することを痛感しているが故に、子どもには国立医学部を目指すように強くすすめていたようです。どの親御さんも、決して子どもを苦しめたいわけではありません」 親子で一緒に共感できる目標をもつ  では、「勉強は我慢しながらやるもの」というイメージを子どもにもたせないように、するにはどうしたらよいのでしょう。西村先生は、「新しいことを知る喜びや、勉強の必要性を感じられる取り組みが重要」といいます。そのためのアクションとして、親子で一緒に共感できる目標を立てるといいそうです。 「将来、何になりたいか子どもに尋ねてみてください。その答えに対して『やってみれば』、『あなたならできるよ』という声かけをするとよいでしょう。年長者としての知識を添えて、『それなら、こうするといいかも?』という話をしてあげると、親子で一緒に目標に向かうことができます」  中学受験の志望校を親が決めるのもNG。親が行った説明会の感想を伝えるなどして、子どもの興味をひくのはOKですが、自分で選ばせる形にすることが大事だそうです。本人が気に入った学校があれば、『頑張ってごらん。サポートするよ』と伝えるのも一つの手。子ども自身が自分で作った目標であれば、プレッシャーを感じることなくポジティブに向き合えるといいます。 「たとえ、その受験に失敗したとしても、チャレンジは決して無駄になりません。しかし、それが押しつけられた目標だと、ネガティブになります。自分主導なのか親主導なのか、どちらか次第で心もちは大きく変わります」 (東山令) 〇西村則康(にしむら・のりやす)/プロ家庭教師集団「名門指導会」代表。塾ソムリエ。40年以上、難関中学、高校受験指導を行っている。著書は『中学受験の成功は幼児期・低学年がカギ!「自走できる子」の育て方』(日経BP社)ほか多数。
子どもが志望校合格も“中受離婚” 「夜中2時に過去問コピー」40代男性が家を出るまでの顛末
子どもが志望校合格も“中受離婚” 「夜中2時に過去問コピー」40代男性が家を出るまでの顛末 子どもの中学受験を通して、夫婦が葛藤を抱えるケースが増えている。教育方針を巡ってもめ、子どもが第1志望には入れても、離婚を選ぶ家庭もある(撮影/写真映像部・佐藤創紀)    2024年度の中学入試本番まで、100日を切った。親も模試の結果に一喜一憂し、ほかの子の親への妬みを抱くなど、自分の知らなかった自分と向き合う中学受験。夫婦の危機があらわになることも少なくない。AERA 2023年11月13日号より。 *  *  *  首都圏の中学受験者数は2023年に過去最多の約5万2600人を記録した(首都圏模試センターの推定)。裾野が広がっているだけでなく、最難関を目指すトップ層の競争は毎年レベルアップして過酷さを増している。大手中学受験塾の某講師は「たった数年で3割、下手したら5割も6年生の課題が増えた気がする」と言う。そこにSNSの玉石混交の情報が拍車をかける。  この過熱した状況では、親にかかる負担やプレッシャーも増している。当然ながら、夫婦間の葛藤も増える。  特に小6の11月が危ない。それまで一歩引いて見ていた父親でも、いよいよあとがなくなったわが子に対して急にプレッシャーをかけたり、成績が上がらないのを伴走する母親のせいにしたり、志望校選びに口を挟んで混乱させたりする。父親主導の中学受験も増えており、子どもの中学受験にあまりに熱くなる夫の姿を見て幻滅したという母親の声も増えている。  夫婦関係にひびが入り、最悪の場合は離婚にいたる。いわば「中受離婚」である。  都内に住む40代の男性、金井さん(仮名)は、息子の中学受験にぴったりと伴走し、第1志望合格という最高の結果で走り終えたあと、家を出た。 「仕事帰りの夜中の2時とかに、コンビニに行って延々と過去問をコピーしました。あの、ピカッて光を何度も浴びてると、本当に心がすさんでくるんですよ。なんであのひとは何もしてくれないんだって」 「あのひと」とは、妻のことである。専業主婦なんだから、過去問のコピーくらい、分担してくれてもいいじゃないかといういら立ちだ。  小5の11月に、子どもへの態度をめぐって金井さん夫婦は大喧嘩をした。この夜から、夫婦の会話はなくなった。その代わり金井さんは、息子の中学受験にコミットしようと決意する。学習予定を立て、テストの結果はエクセルに入力し、対策を本人に考えさせ、タスク化し、それをまたスケジュールに落とし込む。スケジュール通りにタスクが消化できているかを毎日管理する。できていないときは厳しく叱った。   【こちらも話題】 中学受験、「毒」か「良薬」かは親次第? ほとんどの親が襲われる「魔物」との向き合い方とは https://dot.asahi.com/articles/-/63391 子どもの中学受験勉強のため、親たちはひたすら過去問をコピーする。1年分が数十ページにわたるうえ、本番形式に近いかたちで過去問を解けるよう、原寸大に拡大し、表紙を付けるなど整える(撮影/写真映像部・佐藤創紀)    このやり方が功を奏し、息子の成績は安定した。面白くないのは妻である。「やれるもんならやってみなさい」というつもりで夫に任せたら、成果が出てしまった。それ以降、中学受験にはノータッチになってしまった。  息子の勉強を見るためだけに家に帰る日々。中学受験さえなければこんな家にいたくない。金井さんは都心にもアクセスがいいリゾートマンションをネットで検索した。手ごろなものが見つかった。家を出てのんびりと暮らすことを夢見て、ストレスに耐えた。 フルタイム勤務でワンオペ、ストレスが娘への罵倒に  中学受験で夫婦は破綻した。せめてもの救いは、息子が熱望した学校での生活を最高に満喫していることだ。  40代の赤堀さん(仮名)はフルタイムのワーキングマザーだ。小学校での吹奏楽の部活と中学受験の両立は、娘本人だけでなく、母親である赤堀さんにとっても過酷だった。仕事も家事も、下の子の面倒もぜんぶワンオペ。そもそも夫は中学受験に否定的だ。  赤堀さんのストレスはそのまま娘への罵倒として吐き出された。 「やる気がないなら中学受験なんてやめなさい!」  仲裁に入る夫にも、「あなたは黙っててよ! 中学受験もしたことないくせに!」と食ってかかった。そんなことが続けば続くほど、夫の気持ちがだんだんと遠のいていくのが赤堀さんにもわかっていたが、止められなかった。  紆余(うよ)曲折ありながらも、なんとか娘は希望の中学に合格した。しかしその直後、赤堀さんは夫から「離れて暮らそう」と告げられる。  青天の霹靂(へきれき)だった。しかしそうとなったら切り替えは早い。赤堀さんは自分主導で離婚の手続きを進めた。公正証書も整えて、あとは離婚届に判を押してもらうのを待つばかり。しかし夫はいまだ家にいて、判は押さない。赤堀さんは言う。 「だましだましで人生を丸ごと無駄にするよりもいま気づいて良かった。これから人生の新たな局面が始まると思うと将来が楽しみ」  20代の男性、ソウタさん(仮名)は、自分が中学受験生だった小5の秋に、両親の離婚を経験した。  中学受験の生活が始まってから、母親はソウタさんを頻繁になじるようになった。見かねた父親が止めに入ったことがある。それから、母親は父親を無視するようになった。食卓には父親の食器だけ出てこない。 「あれー、ママ、なんか忘れてるね。もう、しっかりしてよ~」  意図的に自分が無視されていることはわかっているが、父親はソウタさんの前ではおどけてみせる。その茶番が毎度くり返された。   【こちらも話題】 中学受験で付属校に入るのは本当にお得? 受験の「プロ」たちの答えは https://dot.asahi.com/articles/-/70272 希望の中学校には入れたが、両親の夫婦仲は破綻した  さらに離婚を決定づける事件があった。母親の罵倒からソウタさんをかばおうと覆いかぶさった父親を母親が押した。父親がその手を払いのけると、「たたいたわね!」と母親は逆上。そこから両親の取っ組み合いが始まった。  それから1カ月ほどすると、離婚が決定したことを母親から告げられ、父親は本当に家を出ていった。家庭内暴力で離婚したと、母親は親戚中に触れ回った。しかし父親は頻繁にソウタさんに連絡をくれ、面会もできた。中学受験の最中も、中学生になってからも、大学の進路で迷ったときも、父親としてソウタさんに寄り添ってくれた。  ソウタさんへのインタビューのあと、父親にも直接話を聞くことができた。 「もちろん悩んで苦しみました。でも、息子はすでに思春期にさしかかっており、必ずしも父親がいつも近くにいなくていい年ごろを迎えつつありました。面会さえ認めてもらえれば、成長段階に応じた父親としてのメッセージは伝えることはできるはずだ。会えないときは手紙を書けばいい。そう考えて、妻からの離婚の提案を受け入れることにしました」  子どもは希望の学校に入れたが、両親の夫婦仲は破綻した。これらの中学受験は成功といえるのか?  以上三つのエピソードは、セミ・フィクションとしてまとめた拙著『中受離婚』(集英社)の取材成果の一部をルポとして改めて書き下ろしたものだ。  私は教育ジャーナリストとして中学受験に挑む家族を数多く取材してきた。なかには志望校合格のために払う犠牲が大きすぎると感じるケースもあった。子どもの主体性が奪われてしまったり、親子の信頼関係にひびが入ったり……。さらに最近、夫婦の葛藤を訴えるケースが増えているのである。そこに焦点を当ててみようと考えた。そうすることで、家族にとっての中学受験の意味が描けると考えたからだ。 夫婦はもともと赤の他人、アプローチが違って当然 「中学受験は、お互いを認め合える夫婦であるかを試される機会だった」と金井さんはふりかえる。赤堀さんは、「中学受験では、それまでのだましだましが通用しなくなり、考え方の違いがもろに出てくる」と苦笑いする。  夫婦はもともと赤の他人である。出身家庭の文化が違えば価値観が違う。ならば、子どもを思う気持ちは同じでも、アプローチの仕方が違って当然だ。そこで、どちらのアプローチが正しいかを争う綱引きを始めてしまうか、子どもに対して複数のアプローチをもっているチームであると思えるかが、夫婦のあり方を大きく左右する──。これが、三つのエピソードを通して得られる教訓であった。 中学受験は年々過熱し、人気の中学受験塾には小3の2月に入ろうと思ってもすでに定員になってしまうため、低学年から入塾する子も少なくない(撮影/写真映像部・佐藤創紀)    金井さんに意地悪な質問をしてみた。 「夫婦関係を犠牲にしたら第1志望に合格させてやると悪魔に取引をもちかけられたら、どうしますか?」 「すごい質問ですね。でも答えは明確です。息子の第1志望を優先します」  しかし、こうも付け足す。 「学校生活を楽しんでいる息子の姿を見ているから断言できますが、もし中学受験を始める前に同じ質問をされたら、そこまでして合格させたいとは思わないと答えるかもしれませんね」  中学受験は、親の未熟な部分をあぶり出す。学歴なんて関係ない、偏差値なんて関係ないと口では言っていた親が、実際には模試の結果に一喜一憂し、場合によっては子どもに暴言を吐くようになる。わが子よりできる子をもつ親を妬(ねた)んだり、他人の不合格を心の底で笑ったりする。自分にこんな一面があったのかと自分自身が驚く。  未熟な部分が夫婦関係において露呈すると、「中学受験クライシス」に陥る。中学受験がきっかけになって、もともと夫婦の間に隠されていた火薬に引火するのだ。もともとあった火薬が多ければ多いほど、爆発は大きくなる。  でもこれは成長のチャンスでもある。自分たちの未熟なところをお互いに認めて、それぞれに改善を重ねることができれば、夫婦の絆はむしろ強まる。仮に中学受験クライシスをだましだまし回避しても、長い人生の中では夫婦関係を揺るがすクライシスはいくらでも襲ってきていずれ破綻する。  中学受験のせいで夫婦関係が危機に陥ったと考えるのではなく、中学受験のおかげで、夫婦として克服すべき課題が明確になったと考えるべきであろう。受験生がテストを受けて、克服すべき弱点を発見するのと同じである。  それでもなお、パートナーでいる意味が見いだせないなら、発展的解消という意味での離婚も、大切な選択肢だ。  両親の離婚を経験した子どもの立場からソウタさんは提言する。 「子どもには子どもの人生があるのだと認識する必要が親にあるのと同様に、親には親の人生があるのだと子どもも認識したほうがいい」  離婚すべきか、すべきでないか。この問いに対し、子どものためにどちらを選ぶのが正解かと考えるのではなく、わが子にはどんな人生を歩んでほしいかと考えて、そういう人生をまず親自身が選択すればいいのではないか。  離婚は悪であり極力避けるべきという思い込みに縛られていると、不本意な気分で人生をすごし続けることになりかねない。しかし、いざとなったら離婚も辞さずという前提に立ってもなお二人でいることを夫婦がともに選択するのなら、それは奇跡のような幸運なのかもしれない。  結婚とは何か、夫婦とは何か、家族とは何か……。中学受験はときにそんな大きな問いまで私たちに突きつける。難問に挑まなければいけないのは子どもだけではないし、成長するのも子どもだけではないのである。(教育ジャーナリスト・おおたとしまさ) ※AERA 2023年11月13日号   【こちらも話題】 「中学受験沼」にハマった48歳エリート会社員の悲劇 「偏差値35」から“御三家”狙う息子に何度も手を上げた https://dot.asahi.com/articles/-/14305
4度目の不倫報道でも「斉藤由貴」が絶対に“干されない”理由 すべての不倫を「生産的」にする格の違い
4度目の不倫報道でも「斉藤由貴」が絶対に“干されない”理由 すべての不倫を「生産的」にする格の違い 「6年ぶり4度目」の不倫報道があった斉藤由貴    斉藤由貴(57)がまた、不倫を報じられた。今度は誰と? という反応をした人がいるかもしれないが、6年前の「W不倫」と同じ相手だ。  2017年、かかりつけの開業医との「手つなぎデート」をスクープされ「家族がみんなお世話になっているおじさん」だと説明。しかし、その後、キス写真が出てきたことで、 「女優としても、女性としても、頼りすぎてしまいました。でも、もう、終わりにしました」  と、謝罪文のなかで語った。  ところが、6年前のスクープに続いてふたりの関係を報じた「週刊文春」によれば、不倫が終わっていないことを思わせる出来事があったという。「狂乱動画入手 斉藤由貴 6年不倫で警察出動」と題された記事には、10月最後の土曜日の夜、相手の医師が経営するクリニックの前で「入れて!閉めないで!」と泣き叫ぶ彼女と、入れまいとする相手との修羅場が描かれている。  また、相手の医師が目撃者に対し、 「この人、薬を飲み過ぎておかしくなってしまったんです」  と説明していた、とも。  さらに、記事の後半、相手の医師は編集部とのやりとりのなかで、その説明について「言った覚えはない」としつつも「斉藤さんがまともな精神状態でなかったのは本当です」と発言。また、不倫後の離婚で財産を前妻にとられたことや、現在、斉藤の離婚問題の相談にのっていることを明かしたうえで、 「斉藤さんは僕になついている」  と、意味深なことを言っていた。 斉藤由貴(写真:西村尚己/アフロ)   不倫有名人としては「格が違う」  一方、彼女は、 「関係が続いているとかそういうのはないです」  と、不倫の継続を否定。所属事務所による、こんなコメントも掲載されている。 「警察に通報したのは斉藤本人で、その場の状況を受けて判断した対応と報告を受けております。現在も夫婦関係は変わっておらず(略)2017年以降お付き合いはしておりません」  ちなみに、彼女が不倫を報じられたのは1991年の尾崎豊、93年の川崎麻世に続き、この相手を2回と数えれば、6年ぶり4度目。高校野球の強豪紹介みたいだが、実際、不倫界きっての強豪だ。  一度の不倫で大失速する人も多いなか、むしろ「芸の肥やし」にして大女優への道を歩んできた。それゆえ、今回も逆風はそれほど吹いていない。  ネットニュースを見ても『学ばない斉藤由貴〝4度目不倫〟報道 「狂乱動画入手」の驚き 過去に謝罪会見も「芸能活動を続けている珍しい存在」』(夕刊フジ)とか『斉藤由貴「狂乱不倫動画」に世間は反応薄…広末涼子の不倫、6年前の自身の不倫からもトーンダウン』(日刊ゲンダイ)といった、彼女の揺るぎない存在感を面白がるものが目立つ。  筆者が感心したのは『ナイツ塙 コンビ独演会に大物女優 漫才でイジらなかったら本人が…「さすがだなと思った」』(スポニチアネックス)という記事だ。ナイツが自身のラジオ番組で明かしたところによると、彼女は今回の報道直後、彼らの独演会に来たという。  塙宣之いわく「俺たち時事ネタで50人くらいイジるんだけど、斉藤由貴さんは入れなかった。さすがに」とのことだが、彼女は終わったあと、自らこう言ってきたというのだ。 「私の名前がいつ出てくるかと思ってヒヤヒヤした」  なんというか、不倫有名人としての格の違いを感じさせる話だ。 31年前の斉藤由貴   「本当に学ばない人間なんだな」と自己分析  ではなぜ、彼女は例外的存在でいられるのか。  筆者は4年前、本サイトで「三度の不倫報道でも消えない 斉藤由貴に世間が優しいのはなぜか?」という記事を書いた。自身で行ったインタビューでの印象や、それ以外での彼女の過去発言などから、その打たれ強さの謎をひもといたものだ。その際の見解に新たな解釈を加えつつ、もう一度ひもといてみたい。  よく知られているように、彼女はモルモン教徒であり、また、子どもの頃から芸術家志向だった。それゆえ、健全と退廃、モラルとインモラルといった両極端なものに惹かれるところがあり、不倫をするにしても、官能的な満足だけでなく、魂のつながりを欲してきたことが感じられる。  たとえば、尾崎豊とのときには「同志みたいな感じなんです」、川崎麻世とのときには「傷をなめ合う仲」だと説明していた。さらに、川崎とのときには、 「前の人とのことがあったにもかかわらず、本当に学ばない人間なんだなと自分のことながら悲しい気持ちです」  という名言を残すわけだが、じつはこのとき、彼女は自分が「学ばない人間」であることを学んだのだ。というのも当時、こんな自己分析もしていた。 「宗教の重荷がなかったら自分がどこかへ飛んでいっちゃうから。逆にそういう重荷があるからこそ、自分が飛んでいこうと思ってあがくのかもしれない。(略)モラルとかインモラルとかいう言葉にしても、そのふたつが離れているほど、よりドラマチックな生き方になりますよね」(「VIEWS」) 28歳ごろの斉藤由貴   不倫のきっかけはダイエット?  自分がそういうタイプの人間である以上、信仰などを活用してうまくバランスをとっていくしかない、という人生観が見てとれる。  実際、この翌年、彼女は同じモルモン教徒の一般男性と結婚。3児の母となり、しばらくは平穏な家庭生活を続けていくわけだ。  ただし、モラル=健全の側に安住し続けられる人でもないので、子育ても落ち着いてくると、また、インモラル=退廃の側へといざなわれるようになる。きっかけは、ダイエットだ。  2012年に父親から「背中が丸いな」と言われたことから、3ヶ月で11キロ減量。これにより、アイドル時代の清純な芸風、結婚してからのコミカルな芸風に続き、悪女っぽい芸風も身につけ、女優としての活況をまた呈していくのである。  注目したいのは、開業医との不倫もこのダイエットのあたりから始まっていたこと。彼女は「女優業」について「空気のようなもの。吸わないと死んでしまう」と語っているが、女優としての高みを目指すうえでこの不倫が必要だったのかもしれない。そしてしっかり、芸や作品につなげたわけだから「生産的な不倫」ともいえる。  そういえば、彼女らしいエピソードとして、高2のとき、間違えて別の高校に行き、遅刻したというのがある。自分が通う公立高校と制服が似ていた近所の女子校にいつのまにかたどり着いてしまっていたそうで、その話をじつに楽しそうに語っていた。  おそらく、迷うことが好きで、そんな自分を楽しめる人でもあるのだ。これまでの不倫が「生産的」であることに加え、そんな「迷子キャラ」のようなものもなんとなく伝わるからこそ、世間も彼女には強く当たらないのではないか。つまり、世間も彼女についてかなり学んでいるわけだ。 斉藤由貴(写真:つのだよしお/アフロ)   芸能人としては「ギャップ」がなくなった  とはいえ、今回の不倫報道が盛り上がらないのは、ネタとして今ひとつというのも関係しているだろう。  尾崎は当時すでにカリスマ的存在で、覚せい剤での逮捕歴もあり、不倫発覚と破局の翌年、26歳で急死して、伝説の人となった。川崎もまた、華のあるイケメンで、かつ、不倫に怒ったカイヤ夫人(当時)の鬼嫁ぶりが話題を集めることに。開業医は一般人だが、前回の騒動時には「斉藤のものとおぼしきパンティーを頭にかぶった写真」が飛び出すなどして、面白がられた。  こうした相手側のインパクトやクセの強さは、彼女への当たりを弱めることにもつながったが、今回は相手側にも彼女にもそれほどの関心は集まってないようだ。  その背景には、世間の移り気というのもある。  16年の「ゲス不倫」から7年。さすがに不倫も飽きられてきたのか、最近は統一教会騒動やジャニーズ騒動など、洗脳やハラスメントといったものが関心を集めるようになってきた。メディアが優先して取り上げるのも、そういう騒動だ。  この原稿の前半で触れた「日刊ゲンダイ」の記事は「斉藤はアラ還を目前にして"無敵状態"になりつつある」と締めくくられているが「無敵」であるとともに「無関心」という要素も加わってきていることは否めない。それは世間が、彼女について学んだ結果、不倫をしても驚かなくなったということでもあり、ギャップがまったくなくなるのも芸能人としてはあまりよくないことだ。  なお「週刊文春」の続報では、斉藤夫妻がモルモン教の規律に反することでもある離婚に踏み切る可能性も出てきているという。が、そういう私生活の変化より、女優としてこれからどうなっていくかを注目したいところだ。  ここはいっそ、板につきすぎた感もある悪女っぽい役ではなく、思い切り聖女の方向に振り切った役を演じて、培ってきた女優力を示すときかもしれない。 ●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など
クマ駆除抗議に研究家が抱く危機感 襲われて死亡した被害者宅に「自業自得だ!」の残酷電話も
クマ駆除抗議に研究家が抱く危機感 襲われて死亡した被害者宅に「自業自得だ!」の残酷電話も クマが頻出する民家の近くに立てられた注意喚起の看板=秋田県北秋田市   クマを保護したり、時には駆除するか否かの判断を任されたりしてきた研究家がいる。ここ最近、クマを駆除した自治体への抗議殺到が問題化しているが、この研究家は、自身も自治体に勤務していた時代に数多くの抗議を受けてきたという。クマに襲われた被害者の家に「自業自得だ」などの残酷な電話があったともいい、抗議がエスカレートする状況に複雑な思いを語る。  全国的にクマによる人身被害が多発している。先月、檻(おり)に入ったクマ3頭を駆除して抗議電話が殺到した秋田県だが、8日にも大仙市で男性がクマに襲われてケガをする被害が発生。県内では今年66人目のけが人で、11月に入って5人目と、被害が続いている。 「昔から、動物の駆除に対しては様々な抗議がありました。ただ、クマに関してはここ数年、抗議がエスカレートしていると感じています」  そう話すのは50年以上、クマの生態を追い続けてきたNPO法人日本ツキノワグマ研究所の米田(まいた)一彦理事長(75)だ。  米田さんは大学卒業後に秋田県庁に就職し、自然保護課に配属された。14年間、自然保護行政に携わるなかでクマとかかわりを持ち、1986年に退職後、フリーの研究者として活動を始めた。  国内外でクマを研究し、環境省や中国地方の自治体からの委託を受け、山に入ってクマの生息状況を調査した。クマとの遭遇は数知れず、襲われて命の危険にさらされたことは何度もある。  人里に現れたり、イノシシ用のわなにかかったりしたクマを山に返すか、駆除するかの判断を任されるときもあった。 【こちらもお薦め】 キャンプ場でクマに襲われた女性が告白「死を覚悟した」 経験から得られる教訓を生かすには https://dot.asahi.com/articles/-/40650  動物の駆除に対する自治体などへの抗議は今に始まったことではない。米田さんも県庁に勤務していた時に、「なぜ駆除するのか」「なぜ駆除しないのか」の双方で抗議を受けたといい、「君の名前を言え!」と言われたこともあるという。10月に秋田県にかかってきた抗議のなかにも「責任者の名前を言え!」というのがあった。  米田さんは、「役所にはさまざまな意見が来るので、ある程度の抗議を受けるのは仕方がないかもしれません」としつつ、現状への懸念を口にする。  「近年、クマが多く生息し、人身被害が発生している土地に生きる人々の現実と、動物愛護の思いを強く持つ人たちとの意識の乖離(かいり)が、非常に大きくなっていると感じます。例えば、私が講演で、人里にクマが来ないように『庭に柿の木がある人は、果実はもいでおくように』とアドバイスしたところ、『果実はクマに食べさせてあげたらいいだろう!』との抗議電話がきたこともありました」  米田さんによると、駆除をしたハンターの家に抗議がきたケースや、さらには、山に入ってクマに襲われて死亡した人の家に、「自業自得だ」といった、駆除の原因を作ったのはお前だ、と決めつけんばかりの電話が続いた事例もあったという。このように個人を特定し、攻撃する風潮に米田さんは危機感を募らせる。  「数が増えすぎて頭数調整をしなければならないなかで、肝心のハンターは減っています。山間部に生きる人たちには、山の恵みを受けて暮らしてきたという生活文化があり、山に入ることに罪はありません。にもかかわらず抗議が殺到してしまう現状はどうにかしていかなければならないですが、抗議をする側も、『自分は正しい』と思って電話をしているのでしょう。果たしてどのような解決策があるのか、簡単には思いつかないというのが本音です」 クマの被害を防ぐ緊急策として、管理者がいない空き家の柿の木を自治体が伐採=2023年11月2日、富山県魚津市   【あわせて読みたい】 リアルな狩猟描写が話題の漫画「クマ撃ちの女」 作者が語る本当の怖さと怪物ヒグマ「OSO18」の“正体” https://dot.asahi.com/articles/-/12434 被害があった現場の前の道路に残ったクマとみられる足跡=2023年10月31日、富山市    秋田県は、ツキノワグマを国の「指定管理鳥獣」に指定するよう求める方針を固めた。  環境省が「集中的で広域的な管理が必要」と認めた動物が対象で、現在は、イノシシと二ホンジカが指定されている。クマも指定されれば、捕獲する際に国から補助金が交付される。  また、夜間に猟銃を使用することや、捕獲した個体を山中に放置することができるようになる。  「国としてクマの問題をどう扱っていくのか。今後の判断を見守りたいと思っています」  クマと人間との共生を考え続けてきた米田さんは、そう話した。 (AERA dot.編集部・國府田英之) 【あわせて読みたい】 キャンプ場でクマに襲われた女性が3年ぶりに歩いた「現場」 人の食料の味を覚えたクマの“その後” https://dot.asahi.com/articles/-/199930
日本人男性と離婚で失った在留資格 フィリピン人母娘は読み書きができずに社会で孤立の不安
日本人男性と離婚で失った在留資格 フィリピン人母娘は読み書きができずに社会で孤立の不安 ※写真はイメージです(Getty Images)  移民のルーツをもつ子どもたちが集まる、大阪・ミナミの「Minamiこども教室」。この教室に通う子どもたちの半数ほどが、フィリピンをルーツとしている。ほとんどがフィリピン人の母、日本人の父をもち、シングルマザーの家庭も多い。その背景には「繁華街ミナミ」という土地柄があった。ロンドンの大学院で「移民」について学び、この教室でボランティアをしている朝日新聞記者・玉置太郎氏の新著『移民の子どもの隣に座る 大阪・ミナミの「教室」から』(朝日新聞出版)には、フィリピン人女性が日本に増えた理由と、そこで起こる問題が記されている。一部を抜粋、再編集し、紹介する。 *  *  * 【こちらも話題】 #1 「どうせアホやから、高校行かれへんし」と漏らす移民の子ども #2 小学校入学に不安抱える移民シングルマザーが図った無理心中 #3 移民の子を全力でホメる理由を聞いて記者は「目が覚めた」 #4 日本人男性と離婚で失った在留資格 フィリピン人母娘の不安 (随時掲載していきます)  法務省の統計をみると、日本に住むフィリピン国籍者は二〇一〇年代、ずっと二十万人台で増え続け、二〇二二年末には約三十万人に達している。国籍別では、中国、ベトナム、韓国に次いで四番目に多い。  他の国籍グループとの際だった違いが、男女の割合だ。主な国籍グループでは男女の数にそれほど差がないが、フィリピン国籍者は男性が約十万人なのに対して、女性が倍の約二十万人を占める。  その偏りの大きな要因に、「興行」という名の在留資格がある。 【あわせて読みたい】 「どうせアホやから、高校行かれへんし」と漏らす移民の子ども 隣に座って見えた“重荷” https://dot.asahi.com/articles/-/205582  いわゆる「興行ビザ」は本来、海外から来日する歌手やダンサー、俳優といったエンターテイナーに出される在留資格だ。しかし一九八〇年代に入ると、興行ビザで来日して、パブやラウンジでホステスとして働くフィリピン人女性が増えていった。  その前史には、一九六〇年代のフィリピンで栄えた駐留米軍相手のエンターテインメント産業、性サービス産業の存在がある。一九七五年にベトナム戦争が終わった後、米軍は徐々にフィリピンから撤退していったが、その空白を埋めたのが日本からの買春観光だった。そして一九八〇年代、買春観光が批判を浴びて下火になると、現地に拠点を置く日本人業者を中心に、こんどはフィリピン人女性を日本へ働きに出す流れが生まれた。  フィリピン政府は経済政策の一環として、海外での出稼ぎを後押ししてきた。特に家事労働に就くフィリピン人女性は世界各地にいる。  その流れの中で、フィリピンから興行ビザで来日する女性も増え続け、二〇〇三年には年間八万人に達した。もちろんその数字の背景には、女性を搾取し、消費してきた日本国内の男性がいることを忘れてはならない。悪質なブローカーや店舗経営者が、ホステスに長時間労働や売春を強いたケースも明らかになっている。 【こちらも話題】 「お道具箱には、何がいりますか?」 小学校入学に不安抱える移民シングルマザーが図った無理心中 https://dot.asahi.com/articles/-/205593  しかし、フィリピンから日本へ向かう女性の流れは、二〇〇五年に終わりを迎える。  前年にアメリカ国務省が出した「人身売買報告書」の中で、日本のフィリピン人エンターテイナーに関して「人身取引の疑い」が指摘されたのだ。対応を迫られた日本政府は、興行ビザ発給の条件を厳しくし、それ以降、フィリピン人女性の来日は激減した。  ただ、すでに来日していたフィリピン人女性と日本人男性には、多くの恋愛関係、婚姻関係が生じていた。そして、その間には多くの子どもが生まれた。  子どもたちは「ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン」(JFC)と呼ばれている。  JFCの中には両親が離婚し、フィリピン人の母親が一人で育てる家庭の子や、そもそも日本人の父親が法律上の結婚をしようとせず、未婚のまま母親が育てる家庭の子が少なくない。  そんな歴史を背負ったJFCの母子が日本の社会で生き抜くなかで、西日本屈指の繁華街であるミナミへとたどり着くのだ。 *  Minamiこども教室に通う小学生のジェニファーも、フィリピン人の母親と日本人の父親との間に生まれたJFCの女の子だった。  母親のアンジェラさんは二〇〇〇年ごろに、興行ビザでマニラから東京へ移り住んだ。フィリピンパブのホステスとして、夜七時から朝六時まで働いたという。 【こちらも話題】 「なんでそんなに褒めるんですか」 移民の子を全力でホメる理由を聞いて記者は「目が覚めた」 https://dot.asahi.com/articles/-/205676  疲れ切った勤務の後には、ダンスの練習が二~三時間もあった。遅刻などの罰金が給料から細かく天引きされ、来日前に聞いていたほどは稼げない。フィリピン人ホステスに対する日本人従業員の態度も厳しかった。  我慢できず、「フィリピンに帰りたい」と店のマネージャーに相談したが、「来日させるための費用がまだ回収できていない」と許してもらえない。  働き始めて三カ月がたったころ、アンジェラさんは先に来日していた同郷の知人に連絡をとり、大阪へ逃げた。  大阪ではミナミのパブで、ホステスとして懸命に働いた。そんな生活で出会った日本人男性との間に、未婚のままジェニファーを授かった。  男性は別に家庭をもち、そもそも結婚する意思がなかったようだ。出産前には「子どもの認知はする」と言っていたが、それを知った男性の家族が猛烈に反対し、結局うやむやにされたという。出産後しばらくたつと、経済的なサポートも途絶えた。  日本人の父親からの認知がないまま生まれたジェニファーは日本国籍を取れず、フィリピン国籍者として日本で暮らしていくことになった。  アンジェラさんはその後、別の日本人男性と結婚した。しかし、その夫からはDVを受け、暴力の矛先は時に娘のジェニファーへも向かった。 【こちらも話題】 ブレイディみかこ「英国の貧しさは移民のせいではなく、国の経済政策がポンコツなせい」 https://dot.asahi.com/articles/-/199832  アンジェラさんは離婚を決意し、それ以降、母一人、娘一人の母子家庭で暮らしてきた。  ただ、その離婚によって、二人が日本で暮らせなくなる事態が起きていた。在留資格の問題だ。  日本人男性と結婚している間、アンジェラさんには「日本人の配偶者等」という在留資格があった。その娘であるジェニファーにも「定住者」という在留資格が出ていた。しかし、そのいずれもが、離婚によって失効してしまったのだ。日本語の読み書きができないアンジェラさんは、そのことに気付けていなかった。 「日本人男性との婚姻」によって在留資格を得ているという状況は、移民の女性、とりわけフィリピン人女性にしばしば問題を引き起こしてきた。  日本で暮らし続けるためには、夫との関係を良好に保たなければならない。移民に対する偏見が根強い日本の社会では、日本語の不自由な移民女性が就ける職は限られ、夫への経済的な依存からも逃れられない。その偏った力関係が移民女性を従属的な立場に置き、DVを生みやすいのだ。  国籍、エスニシティ、ジェンダー、在留資格、言語、経済力……、いくつもの軸が交差するように社会の抑圧が折り重なり、フィリピン人の母親らは弱い立場に置かれてきた。 【あわせて読みたい】 「うちは、“社会問題解決型不動産”」 シングルマザーの住居も仕事も食も居場所も作る https://dot.asahi.com/articles/-/195365  アンジェラさんの離婚から数カ月がたち、ジェニファーの通う南小学校の教師が、在留資格の問題に気付いた。南小の校長だったヤマザキさんとMinamiこども教室のスタッフが家庭訪問をして、在留資格が切れていることを確認した。  ヤマザキさんらは在留資格の問題に詳しい弁護士に依頼し、入管との交渉にあたった。  弁護士は私の取材に、「入管の対応はかなり厳しく、そのままでは入管施設に収容され、強制送還される可能性があった。子どもに対しても『小学生の間であれば、フィリピンの環境に十分に対応できるはずなので、国籍のある本国に帰れ』という姿勢だった」と話していた。  ジェニファーは幼いころからぜんそくの発作があり、通院が途絶えると命の危険さえあった。かかりつけの医師の協力も得て、入管に事情を伝え、なんとか母娘に在留資格が出ることとなった。ただ、一年ごとの資格更新が必要で、二人にとっては不安な日々が続いた。  教室のスタッフは在留資格の相談をきっかけに、アンジェラさん母子から、公的支援の利用状況についても聞き取った。本来であれば受給できるはずの児童手当やひとり親家庭向けの児童扶養手当を申請できておらず、健康保険料の滞納によって、保険証も失効していることがわかった。 【こちらも話題】 「あの条例ができたら終わってた」 40代母の本音と海外移住者が感じた日本の子育ての限界 https://dot.asahi.com/articles/-/205201  役所からは督促状が来ていたが、日本語が読めないアンジェラさんは、それに気付けなかった。  日本で生まれ育ち、日本語が問題なく読み書きできる人の目には、ただ無責任な親だと映るかもしれない。しかし、児童手当などは、自分から役所に申し込まない限り支給されない「申請主義」をとっている。日本語が不得手な移民にとって、簡単なことではない。役所に行っても、難しい行政用語で説明を受けたり、窓口をたらい回しにされたりして、あきらめた経験をもつ人は少なくない。  教室スタッフがアンジェラさんと一緒に役所へ行き、窓口での説明をやさしい日本語にかみ砕いて伝えた。申請用紙の記入も手伝った。  この同行支援をきっかけに、アンジェラさんは教室につながった。彼女は娘を大切にするあまり、学校以外の活動にジェニファーを参加させることをためらいがちだった。しかし、教室スタッフと顔の見える関係ができたことで、娘を教室へ送り出すようになった。  にぎやかな子どもが多い教室の中で、ジェニファーは物静かな方だった。いつも仲良しの同級生女子と並んで座り、ひそひそ声で楽しそうにおしゃべりしていた。 【あわせて読みたい】 「どうせアホやから、高校行かれへんし」と漏らす移民の子ども 隣に座って見えた“重荷” https://dot.asahi.com/articles/-/205582  ある日の学習が終わった後、私が自宅まで送る道中、ジェニファーは「コンビニに寄りたい」と言い出した。寄り道は禁止だが、「どうしても」と言うので一緒に店へ入った。彼女は白ご飯のパックと小さな総菜を二つずつカゴに入れて、レジへ向かった。 「お母さんと私の晩ご飯やねん」  そう言って見せた、はにかむような笑顔を、私は忘れることができない。  母一人、娘一人の暮らしは常に楽ではない。アンジェラさんはミナミのパブで午後八時から午前一時まで、時給二千円で働いていた。少しでも生活費を稼ごうと、別の店へもアルバイトとして働きに出ていた。夜に出勤する間は、フィリピン人の友達に娘の世話を頼んだ。それでも手取りは月十数万円で、生活はぎりぎりだった。 「ジェニファーには大学までいって、いい仕事についてほしいね。マミーと一緒の仕事はだめだからね!って、いつも言ってるから」  ピンク色の装飾が鮮やかな1Kの自室で、アンジェラさんは冗談めかして笑った。 【こちらも話題】 #1 「どうせアホやから、高校行かれへんし」と漏らす移民の子ども #2 小学校入学に不安抱える移民シングルマザーが図った無理心中 #3 移民の子を全力でホメる理由を聞いて記者は「目が覚めた」 #4 日本人男性と離婚で失った在留資格 フィリピン人母娘の不安 (随時掲載していきます) ●玉置太郎 (たまき・たろう) 1983年、大阪生まれ。2006年に朝日新聞の記者になり、島根、京都での勤務を経て、11年から大阪社会部に所属。日本で暮らす移民との共生をテーマに、取材を続けてきた。17年から2年間休職し、英国のロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で移民と公共政策についての修士課程を修了。
今オフ「戦力外」を免れたが厳しい立場なのは? 来季が正念場の「崖っぷち」選手たち
今オフ「戦力外」を免れたが厳しい立場なのは? 来季が正念場の「崖っぷち」選手たち 今季は0勝に終わった阪神・秋山拓巳  11月6日、今年の第2次戦力外通告期間が終了した。既に引退の意向を表明している選手や育成選手として再契約する見込みの選手も含まれているが、12球団合計で143人が自由契約となっている。11月15日には12球団合同トライアウト(鎌ケ谷スタジアム)が行われるものの、ここから来季も支配下選手としてプレーできる選手は一握りと言えるだろう。  一方でこのオフは自由契約とならなかったものの、苦しい立場となっている選手も少なくない。まず大きな話題となっているのが銀次(楽天)だ。10月13日には複数のメディアから来季の構想外となっているという報道があったものの、結局球団からは正式な発表はないまま通告期間は終了している。  銀次は球団創設2年目の2005年の高校生ドラフト3巡目で入団し、生え抜き選手としては初となる通算1000本安打も達成したまさに球団の顔と言える選手の一人である。しかし今年は出場機会が激減。一軍でわずか6試合の出場で1安打という成績に終わった。来季も現役を続けるかは極めて不透明な状況で、その動向を注目しているファンも多いが、仮に残留となったとしても正念場のシーズンであることは間違いないだろう。  セ・リーグで実績がありながら、ここ数年一気に苦しい立場となっているのが小林誠司(巨人)だ。2017年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)、2019年のプレミア12では侍ジャパンにも選ばれるなど球界を代表する守備型のキャッチャーとして活躍したが、2019年オフに4年契約を結んでからは成績が一気に悪化。この4年間で放ったヒットはわずか22本に終わっている。  毎年のようにトレードの噂がありながら残留となってきたが、今年で契約が切れることを考えると、このオフには大幅減俸となる可能性は極めて高い。同じ捕手出身の阿部慎之助新監督がどう小林を評価しているかは分からないが、来年で35歳という年齢を考えても、選手生活の大きな分岐点となるシーズンとなりそうだ。 【こちらも話題】 巨人は今オフどう動く 森唯斗の獲得は“微妙”? 機動力アップを狙い西川遥輝も候補か https://dot.asahi.com/articles/-/205735  2年連続の最下位に沈み、再建期間の真っ最中という印象を受ける日本ハム。かつての強さを知る選手はだいぶ少なくなってきている印象を受けるが、野手で苦しい立場となっているのが中島卓也だ。2015年には盗塁王に輝き、ショートのベストナインにも選出され、翌2016年にも全試合に出場してチームの日本一にも貢献。しかしその後は年々出場機会が減り、今年は17試合の出場で6安打に終わっている。  先日、海外フリーエージェント(FA)権を行使せずに、来シーズンもチームに残留することが発表されたが、推定年俸はピーク時の1億円から1/4となる2500万円まで減少しており、そのことも苦しい立場を物語っている。年齢的には来年で33歳とまだまだ余力がありそうだが、日本ハムはかつてのレギュラーに対しても積極的に他球団への移籍を促してきた経緯があるだけに、来季は周囲を黙らせるくらいの結果を残す必要があるだろう。  低迷しているチーム以外にも崖っぷちと見られる選手は存在している。パ・リーグ三連覇を達成したオリックスではT-岡田がその筆頭と言えるだろう。2010年にはホームラン王に輝き、通算204本塁打を誇る大砲も今年は一軍定着してから初となるホームラン0本に終わった。  ポストシーズンでは打席に入るとファンから人一倍大きい声援が送られており、その人気と存在感はまだまだ健在だが、この結果がもう1年続くようであれば、さすがに残留は難しいだろう。何とか来シーズンは代打でも存在感を示してもらいたいところだ。  38年ぶりの日本一を達成した阪神では秋山拓巳も厳しい状況と言える。過去に3度二桁勝利をマークし、先発ローテーションの一角として活躍してきた右腕も、昨年から一気に成績を落とし、今年は一軍で0勝に終わった。140キロに満たないストレートでも抜群のコントロールを武器に相手打線を抑え込んできたが、同じスタイルでは厳しくなってきていることは確かだ。  今年のドラフトでも支配下では大学生、独立リーグ、社会人から4人の右投手を獲得しており、来年はさらに競争が激しくなることが予想される。スタイルの変更や新たな球種をマスターするなど、何か変化をつけないと生き残るのは簡単ではないだろう。  来年も多くのルーキーが加わり、中には即戦力として期待される選手もいるだけに、立場が危うくなる選手は他にもまだまだ存在している。ただ、最近ではトレーニングの進化によって、ベテランとなっても活躍できる例が増えていることも確かだ。ここで挙げた選手たちの一人でも多くが鮮やかな復活を遂げてくれることを期待したい。(文・西尾典文) 西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員。 【こちらも話題】 ロッテがFAで中田翔の獲得に動く可能性も 「大量の元巨人組」でV奪回狙う https://dot.asahi.com/articles/-/204845
アトピー性皮膚炎の悪化「25歳の息子が仕事に就けなくて」60代母の涙 見た目を気にして閉じこもりに
アトピー性皮膚炎の悪化「25歳の息子が仕事に就けなくて」60代母の涙 見た目を気にして閉じこもりに ※写真はイメージです(写真/Getty Images)   大人のアトピー性皮膚炎は、学校や仕事などがある中で治療をしなければならない点がやっかいです。どのように病気と付き合っていけばいいのでしょうか。民間療法とはどう付き合えばいいのでしょうか? 専門の医師に聞きました。この記事は、週刊朝日ムック「手術数でわかるいい病院」編集チームが取材する連載企画「名医に聞く 病気の予防と治し方」からお届けします。「アトピー性皮膚炎」全3回の2回目です。 *  *  *   「息子が仕事に就けなくて……。今はいいけれど、親が年をとってリタイアした後はどうするの?って聞いたら、『お金を稼げないから、一緒に住み続けたい』って言うんです」 【第1回の記事はこちら】 【アトピー性皮膚炎】かゆみをともなう湿疹を繰り返す 原因は2つ「皮膚の乾燥」と「アレルギー体質」 https://dot.asahi.com/articles/-/205075  藤田医科大学ばんたね病院総合アレルギー科にやってきた60代の女性、松岡美紀さん(仮名)は涙ながらに話を始めました。傍らにいるのは息子の健二さん(仮名・25歳)。アトピー性皮膚炎がかなり悪化している状態です。病気の発症は乳児のとき。自宅近くの皮膚科で治療を受け、いったんはよくなりましたが、高校生になると湿疹が再びあらわれました。  やがて全身に広がり、かゆみで夜も眠れなくなってきました。気を紛らわせるためにネットゲームに夢中になるうち、昼夜逆転になって不登校気味に。高校はなんとか卒業できたものの、その後、気力がなくなってしまい、仕事に就けない状態が続いているというのです。 大人のアトピー性皮膚炎は、悪化すると治りにくい  健二さんの主治医で、スキンケア指導など患者教育にも力を入れる同院教授の矢上晶子医師によれば、アトピー性皮膚炎の多くは子どものうちに寛解し、症状がほぼ消失しますが、一部の人は成人になっても症状が続きます。また、健二さんのように思春期に再び悪化するケースもあります。大人になってからアトピー性皮膚炎を発症するケースもありますが少数です。 「アトピー性皮膚炎は慢性的な疾患ですが、大人の場合、きれいだった肌が1カ月後には炎症で真っ赤になってしまうなど、短期間のうちに重くなることがあります。一度、悪化するとなかなか治らないのも特徴です。悪化のきっかけとして学業や仕事などによる心理的ストレスによるものが多いことがわかっています」 出典:アトピー性皮膚炎診療ガイドライン2021  湿疹が体幹や手足とともに、顔や首にあらわれやすいのも、大人の特徴です。 「炎症がひどくなるとかゆみもより強くなるので、かきむしって、皮膚が傷つき、さらに炎症がひどくなるという悪循環に陥ります。治りにくい紅斑(こうはん)や痒疹結節(ようしんけっせつ・かゆみの強い硬いしこり)、苔癬化(たいせんか・象の肌のようなゴワゴワとした皮膚)が起こるとステロイド外用薬だけでは治りません」(矢上医師)  アトピー性皮膚炎診療ガイドライン作成委員である広島大学病院皮膚科教授の田中暁生医師は、「大人になって、突然、悪化した場合、あるいはステロイド外用薬を塗っているのによくならない場合はアトピー性皮膚炎以外の病気の可能性もあります」と話します。 「学業や仕事でなかなか受診ができない人も多いと思いますが、治療が遅れてしまうと、病状が悪化してしまいます。悪化した皮膚の見た目を気にして、家に閉じこもり気味になる患者さんもいらっしゃいます」と矢上医師は言います。 「近年、厚生労働省は企業に対し、アトピー性皮膚炎を含むさまざまな慢性疾患を持つ従業員の、治療と就労を両立する支援の取り組みを始めています。こうした後押しもありますので、必要なときは会社を休み、医療機関を受診して、時間に余裕を持つ中で、外用薬の塗布をしっかりおこなうなど、ご自身の皮膚と向き合う時間を作るといいでしょう」(矢上医師) 「民間療法」にエビデンスはない  アトピー性皮膚炎については、いわゆる「民間療法」に関する情報も多数出回っています。インターネットで調べると、「糖質制限」「温泉療法」などさまざまです。  矢上医師も田中医師も、「アトピー性皮膚炎はよくなったり、悪化したりを繰り返します。何かの民間療法を始めたタイミングとアトピー性皮膚炎がよくなるタイミングがたまたま一致するということもあり得るでしょう。民間療法が効くというエビデンスはありません。からだに害のない療法であれば否定はしません。ただし、アトピー性皮膚炎の医療機関での治療は継続してほしい」と話します。  一方、「脱ステロイド」と名のついた療法については、注意喚起をしています。湿疹がひどいときにステロイド外用薬をやめると、急速に悪化することが多いからです。脱ステロイドに傾倒している人として、「1990年代、ステロイド外用薬の副作用についての誤解が広がった際、子どもだった世代の方ということがあります」と矢上医師は言います。 「その人たちが親になり、子どもに脱ステロイドをすすめていることがあります。子どもの症状がひどくなり、慌てた他の家族が連れてくるケースを経験しています。このようなことを防ぐためにも、主治医と患者側との信頼関係が重要と考えています」(矢上医師) 内服薬や注射剤で重症のアトピー性皮膚炎が改善することも  矢上医師によれば、アトピー性皮膚炎の治療法は確立していますが、外用薬の塗り方や生活面での指導などを含め、治療への取り組み方には医師間で差があります。 「このため、現在、かかっている医師の治療に不安や疑問を感じる場合は、思い切って医療機関をかえてみることをすすめます」  医師や医療機関を選ぶ際には、アトピー性皮膚炎の治療に取り組んでいる全国の医療機関や専門医が掲載されている「アレルギーポータル」(https://allergyportal.jp/facility/)が参考になります。 重症・長期化するアトピー性皮膚炎患者への治療薬  専門医のいる医療機関では、ステロイド外用薬のほか内服薬や注射剤による全身療法、スキンケアや生活指導までを丁寧におこなっています。 「とくに全身療法は効果的で、なかなかよくならなかった患者さんが寛解を維持できるようになりました。高校2年生の女の子はハウスダストやダニアレルギーのある重症のアトピー性皮膚炎で、家に閉じこもりがちでしたが、注射剤の生物学的製剤(デュピルマブ)を始めたところ症状がきれいに改善。幼少期以来、初めて友人の家に遊びに行くことができました。『部活も続けることができる』と喜んでいました」(矢上医師)  冒頭に紹介した健二さんも、この注射剤を使用しています。 「治療の選択肢は広がっていますから、あとは本人の治したい気持ちが重要。時間はかかっても、『ここに来てよかった』と思ってもらえるよう、サポートしていきたいと思います」(同) (文/狩生聖子) 【取材した医師】 藤田医科大学ばんたね病院総合アレルギー科教授 矢上晶子(やがみ・あきこ)医師 1996年藤田医科大学医学部卒。国立成育医療研究センター免疫アレルギー研究部、同大医学部講師、准教授などを経て2021年から現職。日本皮膚科学会皮膚科専門医、日本アレルギー学会アレルギー専門医・指導医、日本アレルギー学会理事、日本皮膚免疫アレルギー学会理事、日本アトピー性皮膚炎治療研究会世話人など。 藤田医科大学ばんたね病院 名古屋市中川区尾頭橋3−6−10 藤田医科大学ばんたね病院総合アレルギー科教授 矢上晶子医師 広島大学病院皮膚科教授 田中暁生(たなか・あきお)医師   2000年広島大学医学部卒。JA広島総合病院皮膚科、中電病院皮膚科部長、広島大学大学院 皮膚科学准教授などを経て現職。専門はアトピー性皮膚炎、じんましんなど。日本皮膚科学会代議員、アトピー性皮膚炎診療ガイドライン作成委員、日本皮膚免疫アレルギー学会 評議員、同アトピー性皮膚炎部会委員、アトピー性皮膚炎治療研究会世話人など。 広島大学病院 広島市南区霞1−2−3 広島大学病院皮膚科教授 田中暁生医師       連載「名医に聞く 病気の予防と治し方」を含む、予防や健康・医療、介護の記事は、WEBサイト「AERAウェルネス」で、まとめてご覧いただけます。
麻布台ヒルズ、なぜ都心に職・住・遊を集約? グローバル企業から「選ばれる都市」になるために必要なこと
麻布台ヒルズ、なぜ都心に職・住・遊を集約? グローバル企業から「選ばれる都市」になるために必要なこと 11月下旬から順次開業する麻布台ヒルズ。日本一の高さの高層ビルがそびえる「都市の中の都市」だ(撮影/写真映像部・上田泰世)   「100年に一度」と言われる再開発ラッシュの国際都市・東京。港区では今月、「麻布台ヒルズ」が開業する。虎ノ門・麻布台エリアは今度どうなるのか。AERA 2023年11月13日号より。 *  *  *  東京の各地で「100年に一度」と言われる再開発ラッシュが進行している。11月には港区に日本で最も高い330メートルの超高層ビルを含む「麻布台ヒルズ」が開業。渋谷駅周辺では複合施設「渋谷サクラステージ」が完成する。ほかにも、都心6区(千代田区、中央区、港区、新宿区、渋谷区、文京区)を中心に大規模再開発が目白押しだ。成熟期にある国際都市にふさわしい首都・東京の姿はどうなるのか。 「都心の各エリアでコンパクトシティ化が進む」と指摘するのは不動産調査を行う「東京カンテイ」市場調査部の井出武・上席主任研究員だ。 コンパクトシティ化へ  コンパクトシティは住まいや交通インフラ、商業施設などの生活機能を市街地に集約するサスティナブルな都市政策として知られる。公共サービスの効率化など行政コストの削減を図るメリットがあり、人口減少や高齢化に伴う課題を克服する「地方再生」の文脈で取り上げられることが多い。それが、地方よりも東京の都心の再開発で進展しつつある、と井出さんは言う。 「都心に職・住・遊の環境を集約するトレンドです。コンパクトシティの発想自体、経済合理性の追求という考え方が背景にあることを踏まえれば、開発のポテンシャルが高く、資本が集中投下されやすい東京の都心エリアで顕在化するのは必然と言えます」  たしかに、都心の一等地に立つ超高級マンションの増加に伴って、「都心に住む」というフレーズをよく聞くようになった。 「コロナ禍以降の在宅勤務の増加など働き方の変化による影響もあり、オフィステナントに偏ると供給過剰のリスクが高いというディベロッパー側の判断もあると思いますが、それ以前から、『定住人口を確保してこそ都市の魅力を確立できる』という認識がまちづくりにかかわる人たちの間で定着するようになったことが大きいと思います」(井出さん) AERA 2023年11月13日号より    ターゲットは国内外の富裕層だ。オフィス・マンションを問わず、日本の不動産購入にあたって海外の取引先の意識は「東京一択」だと井出さんは言う。 「東京の認知度が国際的にずば抜けて高いことが背景要因に挙げられますが、大阪や名古屋などと比べてもこれだけ継続的に面的な広がりのある再開発が進んでいるのは国内では東京以外にありません。東京一極集中が進むなか、将来性を考えた時に東京のアセット以外は考えられないという判断だと思います」 【港区 虎ノ門・麻布台エリア】  都心で国内外の富裕層が集まるエリアといえば港区。虎ノ門、麻布台、六本木にまたがる約8.1ヘクタールの敷地に11月24日に開業予定の「麻布台ヒルズ」が、まさに「コンパクトシティ」を標榜している。 東京の国際競争力強化  東京タワーの北西約400メートル。カバーのついたエリア表示や引っ越し業者のトラックが横付けされ、「街」の始動が秒読み段階にあるのが分かる。超高層ビル3棟のうち、最も高い64階建ての「森JPタワー」は、東京タワーと肩を並べる約330メートルで、大阪市のあべのハルカス(高さ約300メートル)を抜いて、日本一の高さだ。  今なぜ、都会の真ん中に「コンパクトシティ」を造るのか。この質問に、開発を手掛ける森ビルは、30年以上前から「首都・東京が国際都市間競争に勝ち抜かなければ日本の未来はない」との認識のもと、グローバル企業やグローバルプレーヤーから「選ばれる都市」になるために必要な都市再生に取り組んできた経緯を説明。そしてこう続けた。 「グローバルプレーヤーが求めているのは立派なオフィスだけではありません。家族を含めた生活、教育、文化、環境なども重要なテーマです。彼らのニーズを満たすのは、国際水準の住宅、ホテルや文化施設、ショップやレストランなどの商業施設、医療機関や教育機関、緑豊かな自然環境など多様な都市機能が徒歩圏内に集約された、まさに麻布台ヒルズのようなコンパクトシティです」 撮影/写真映像部・上田泰世    目につくのは緑の多さだ。6千平方メートルの中央広場を含む約2.4ヘクタールの緑地を確保。この圧倒的な緑に包まれた環境の中に、オフィスやレジデンス、インターナショナルスクール、予防医療センター、フードマーケット、デジタルアートミュージアムといった「都市の中の都市」としての機能を配している。  森ビルは、麻布台ヒルズの誕生で虎ノ門ヒルズ、六本木ヒルズ、アークヒルズなどの開発エリアがつながり、相乗効果によって東京の国際競争力をさらに強化できる、との考えだ。  再開発エリアの外側の住民はどう感じているのだろう。近隣の商店街を歩くと、飲食店で働く40代女性からはこんな声も聞いた。 「うちの店は地元の古いお客さんが多いので、また雰囲気が変わっちゃうね、と嘆く声も聞かれます」 「都市再生」によって新旧住民の意識にギャップが生じる面は否めない。都内屈指の再開発エリアとなった状況を地元・港区はどう受け止めているのか。 米軍へリポートの存在  武井雅昭区長は「定住人口の確保」に努めるとともに、国際水準のオフィス環境の整備や外国企業の進出など「国際ビジネス交流拠点」としての役割を担う重要性を指摘。その上で、再開発事業については「(今は)老朽化した建物の更新期にあたり、都市基盤の整備や防災、緑化などの環境にも配慮した住宅、業務、商業、工場などが共存するまちが実現するよう計画的に指導・誘導しています」と回答した。  ただ、港区は「23区で唯一」の事情も抱えている。ヘリポートを併設した米軍施設「赤坂プレスセンター」(港区六本木)の存在だ。旧日本陸軍の駐屯地が戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収され、現在に至る。米軍ヘリは日米地位協定で日本の航空法の適用を除外されているため、超高層ビルが立ち並ぶ都心上空で日常的に低空飛行を繰り返しても処罰の対象にならない。区には長年、米軍ヘリの騒音や家屋の振動、離着陸や飛行途中の事故への懸念などが寄せられているという。  武井区長は近年の再開発による「環境の変化」を踏まえ、こんな懸念を吐露する。 「米軍ヘリポート基地周辺には2003年に六本木ヒルズ、07年に東京ミッドタウンといった超高層ビルが立ち並び、基地周辺の半径600メートルの範囲では、12年に11棟だった高さ60メートル以上の建物が23年10月時点で15棟になりました。こうした開発で、まちに住む人や集う人が着実に増えていることから、環境面での影響や安全への不安は増しています」  区は根本的な解決策として米軍ヘリポートの早期撤去を求めている。(編集部・渡辺豪) ※AERA 2023年11月13日号より抜粋
「恋愛しない人生が悲しい」30代独身女性に鈴木涼美が手ごろな男をすすめない理由「ロクなことにならない」
「恋愛しない人生が悲しい」30代独身女性に鈴木涼美が手ごろな男をすすめない理由「ロクなことにならない」 鈴木涼美さん  作家・鈴木涼美さんの連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」がスタートしました! 本日お越し頂いた、悩めるオンナは……。 Q. 【vol.1】恋愛と呼べないような、思い出にもならない記憶のみで死んでいくことに、ふと悲しくなったワタシ(30代女性/ハンドルネーム「秋の季節が1番好き」)  涼美さんの著書、いつも楽しませて頂いています。「鈴木涼美のBISTRO LOVIN'」(編集部注:2022年3月までレギュラー配信され、女性の恋や性にまつわるお悩みを取り上げた、「ELLE DIGITAL」のポッドキャスト番組)も大好きで、今も聞きかえしていたので、相談機会がありとても嬉しいです。  30代半ばの独身女性です。中高時代、男子生徒から容姿をからかわれたおかげで自信が持てず、恋愛においては自尊心が低いです。自分から好きになった人に対しては早々に自分は好かれないとあきらめ、好意を寄せてくれた人を好きになることも苦行だと感じながら20代はすぎ、まあ1人でもいいかなと思っていました。  しかし最近、恋愛と呼べないような、思い出にもならない記憶のみで死んでいくことに、ふと悲しくなりました。今一度、好きな人ができた際の心持ちをどのようにすべきか、アドバイス頂けたら嬉しいです。     A. 恋する相手は実在する人間の雄じゃなくて全然いい。  著作など色々これまでも読んでいただいたようでありがとうございます。最近皆様から定期的にお悩みを送ってもらう機会がなくなっていたのですが、私自身、人の悩みや問いを聞くことで、視野が広がったり新しい発想に出会えたり時代の流れを感じたりすることが多いので、またこういう形でお悩みをいただくことができてとても嬉しいです。  私も、一人暮らしも長いし恋愛は消耗するし一人が気楽でいいかな→でもこのまま年老いて今ほど体力も気力もなくなったら一人の人生は孤独かな→やっぱり生活のパートナー欲しいかも→なんかこの人となら結婚したいかも!→やっぱり人と付き合うって面倒くさいな→自由だし一人でいいかな、の繰り返しで、一度もはっきりした自分の答えや思想を持たないまま、特に長期的なパートナーを作らず今年で四十歳になりました。女の場合は出産年齢など特殊事情も絡むので三十代後半は、このままなんとなく一人でいいのか、とか、何かとてつもなく大きな選択を知らぬ間にスキップしちゃってるんじゃないか、とか色々悩みますよね。私も別にどこかの時点で、結婚しない人生、子どもを作らない人生を積極的に選択したわけではなく、選択を先延ばしにしていたら気づいたらこうなったというだけなので、時々自分の年齢に慄きます。  恋愛って子どももお年寄りも誰でもする資格を持っていますが、好きな人を一人選んでその人と長く付き合うという、今たまたま良いとされている恋の形は向き不向きがあるし、別にしなくても良いというのが暫定的な私の意見です。周囲を見渡しても、恋愛しているととても幸福そうで肌も艶やかという人もいれば、恋愛していない期間はまっとうで頭の良い人なのに恋愛すると行動から何からすごくダサくなる人もいませんか。向いている人と同じくらい向いていない人はいると思うので、私は割と開き直って恋愛がうまくいかない女友達同士でつるんでいます。恋愛もセックスも仕事もスポーツも勉強も友人関係も、好きなものをいくつか組み合わせれば時間が潰れますし、生活のパートナーや子育てのパートナーが欲しくなった場合には別に恋愛なんかを起点としない関係で十分成立する、と、最近『SPY×FAMILY』とか是枝作品の家族像を見て楽観的に解釈しています。  私もそうですが、特に女に容姿のコンプレックスを持つように煽って、そこに商機を見いだすこの社会では、何かしら自分の容姿に気になる箇所ができるのが普通だとも思います。自己評価が低いと恋愛がうまくいかないとよく言われますが、そんなこと言われても急に自分の顔が可愛く思えるものじゃないし、人間的にはえらく自己評価が高い人よりも、コンプレックスを抱えながらなんとか自分の価値を見つけようとしている人の方が他者に対する想像力を持てる上に、複雑で繊細で魅力的だと思っておくことにしています。それが原因で相手に合わせてしまう、理不尽なことを呑んでしまうと思っている場合、九割は選ぶ相手の性格に問題があるだけなので気に病む必要はありません。無理にレベルの低い男と付き合う必要もないけど、もっと上狙えるのにもったいないよーと言ってくる女友達や、自分を好きになろう的な瞳孔開いた女性誌コピーは無視しましょう。  すっごく好きな人とは付き合えないから手ごろな相手で我慢する、というのは実は多くの人がそうだと思うのですが、そもそも手ごろな相手と付き合うくらいなら別に恋愛していなくても困らないわけです。ではどうしてこんなに恋愛を推奨されている気分になるのか。おそらく恋やセックスに人が向けるエネルギーというのはすごく膨大で、ちょっと他のものがかすむほどだからなのでしょうね。長く恋人がいない時って、生活は問題なくまわるけど、ふるえるほどの幸福がない気がしてちょっと焦るという気持ちもわかります。そういう時にいわゆる一対一のマッチングにこだわったみんなと同じ恋愛関係で勝負しなくてはいけない、と思うと、それこそ向き不向きや自分の自信のなさが邪魔をして、支配的な男のいいなりになったり、不倫で都合よく使われたり、理不尽な関係に甘んじたりしてうまくいかないことが結構ありませんか。私は大いにあります。 仕事や友人関係の中からたまたま恋に落ちて、たまたま向こうもこちらを好いてくれて、たまたまお互い独身で、ということがあればいいですが、めったにないし、そもそも学校みたいに大人数の同年代の知らない人と毎日大量に会うような場にいた頃を除いてそう簡単に恋には落ちない。本当に好きな人ができた場合は心持ちなんてものは吹き飛ぶし、いくらイイ女でいようとか、思いやりを持とうとか色々計画していたとしても、心身ともに言うことは聞きませんから、心と身体の欲望に耳を傾ければ良いとは思います。それよりも、大して恋に落ちていないのに無理やり都合の良い相手と恋愛関係を見いだそうとすると、あんまりロクなことにならない気がします。十代だったら適当に付き合って、一応何回か恋愛したことある、という記憶を作っておくのもいいとは思うんですが。  恋する力を注ぐ先は、何も実在する人間である必要は全然ないと私は思っています。たとえば私個人は、街や仕事場であんまり恋に落ちませんが、フィクションの登場人物にだったら簡単に恋できます。漫画の登場人物に恋していると何度読んでも楽しいし、別にその気持ちが恵比寿あたりで手を繋いで歩いている恋人同士の楽しさに劣るとは全然思えません。というか『キングダム』の武将とか『スラムダンク』のバスケ部員たちより魅力的かつドラマチックな人なんてほぼいないので、こっちの方が上のような気すらします。 その対象はもちろんフィクションに限るわけではなく、動物相手なら無限に愛しさが溢れるという人もいるだろうし、アイドルやスポーツ選手の推し活をしている同年代の友人たちの情熱は正直交際なんかよりもずっと熱量が高い気がするし、自分が創作した想像上の生物でも構わない。エッフェル塔と結婚した人や自転車とセックスした人なんていうのもいるらしいので、ある種の性的な衝動も含めて恋する対象さえ自分にあれば、ハリのない毎日、とか、夜の孤独感みたいなものからは解放される気がします。そうやって情熱を注ぐ対象をもう少しレンジを広くして考えてみると、意外と自分はちゃんと恋してるなと思うかもしれません。少なくとも私は日々ヤンジャンとか読みながら妄想に浸っているのでいかなる心持ちもないですし、時々実在の男と恋愛した際に、次は優しくしようとか次はあんまり都合よい女にならないようにしようとかいう心持ちは役に立ったためしがありません。 【鈴木涼美さんへのお悩みを募集中!】 連載「涼美ネエサンの(特に役に立たない)オンナのお悩み道場」では、恋愛、夫婦、家族、仕事、友人など、鈴木さんと同世代の30~40代女性を中心に、お悩みを募集しています。ご応募はコチラから! ●鈴木さんからのメッセージ 私は結婚もしていないし子供もいないし仕事も不安定で、地べたにはいつくばって生きている感じなので、こんな風にすれば素敵な人生送れるよ!というアドバイスは何もないですが、ピンチに陥ったり崖っぷちに立ったりすることは多い日々だったので、痛み分けする気分で、気負わずなんでもお便りお待ちしてます。
【実例3ケース】「仕事減」「収入減」に私はこうして立ち向かった
【実例3ケース】「仕事減」「収入減」に私はこうして立ち向かった photo gettyimages  いま、金融、つまり「お金」をめぐる現状は、コロナ禍やその後の円安、物価上昇などの影響で激変している。子どもの環境・経済教育研究室代表でファイナンシャル・プランナーの泉美智子さんは、監修を務めた『改訂新版 節約・貯蓄・投資の前に 今さら聞けないお金の超基本』(坂本綾子 著)の前書きで、経済の「不確実性」について述べている。 「消費者も企業も不確実性のもとで意思決定を日々繰り返さなければなりません。不確実性のもとでの意思決定はリスクが伴います。リスクへの対処の仕方について学ぶことも『お金の基本』だと、今、改訂新版を監修するにあたり痛感しています」  日々、意思決定を繰り返しながら生活している「普通の人々」は、突然降りかかってくるリスクにどう対処しているのだろうか。泉さん監修のこの本から、いくつかの事例を紹介したい。 *** 夫の仕事が激減→役割分担と家計の見直しで乗り切った 「共働きでよかった!」。2020年の末、千葉県に暮らす30代夫婦は実感していた。夫は飲食店の店長。コロナ禍直撃により、かなりの期間、休業せざるを得ず、収入は激減した。妻は、フリーランスのライターでウェブサイト向けに執筆している。年中の男の子がいるが、フリーランスのため収入が不安定、労働時間もわかりにくいとみなされ審査で不利になり、保育園になかなか入れなかった。ベビーシッター代がかさんで仕事を辞めようかと思ったこともある。やっと入園できたのは2019年4月だった。  保育園への送り迎えや仕事が軌道に乗ってきた頃、突然始まったのがコロナ禍だ。休業状態になった夫とは逆に、妻への仕事の依頼は急増。「私にとってはチャンスだし、あなたの収入が減った分を補いたい」。妻は夫にそう宣言し、依頼された仕事を全部引き受けて、必死で働いた。その結果、夫婦合わせた世帯年収は、以前とほぼ同じ金額を維持することができた。  一方、家にいる時間が長くなった夫は、育児や家事を引き受け、家計管理を担当。店長という仕事柄、収支計算や分析は得意なので、それを家計に生かした。どんぶり勘定だった家計を見直し、スマホのプランは安いものに変更、家計簿アプリを使って家計のデータを夫婦で共有する仕組みも作った。夫婦でお金の話をする時間が増え、危機感を持ったせいか、1年間の貯蓄額は以前よりも増えた。  現在はほぼ通常の生活に戻りったが、夫婦で協力し、今後も徹底した家計管理を今後も続けるつもりだ。 節税したはずなのに税金が戻らない!→申告のやり直しで控除適用  次は、節税マニアの40代男性の経験談を。節税に関連するWEBの記事やSNSの投稿を、ついつい読んでしまうという男性。節税のために、所得控除を受けられる生命保険や地震保険に加入し、住宅ローン控除を受け、iDeCo(個人型確定拠出年金)やふるさと納税も始めている。今年も勤務先から住民税決定通知書を受け取り、ふるさと納税で住民税が安くなっていることを確認しようと見てみると……。寄附金税額控除の欄に数字が入っていなかった。ふるさと納税をすると、寄付金額に応じて所得税と住民税が戻るはずなのに。 「えっ? なんで? 」。驚いた男性が最寄りの税務署に電話で問い合わせると、「もしかして確定申告をしましたか? その場合は、ふるさと納税の寄附金控除も確定申告で行う必要があったんです」と教えてくれた。  昨年は、子どもの不正咬合の歯列矯正を行い、妻が体調を崩して入院するなど医療費がかさみ、医療費控除のために確定申告をした。しかし、会社員の男性は、ふるさと納税はワンストップ特例で申請しているから確定申告書に記載する必要はないと思い込んでいた。「更正の請求により寄附金控除の適用を受けられますよ」とのアドバイスに胸をなでおろし、さっそく手続きをしたという。 営業職の夫は毎月の収入に増減あり→「こづかい連動性」を導入  結婚後すぐに子どもに恵まれたという30代の女性。いま、2歳と3歳の子どもがいる。年子の子育てが大変なので、いったん仕事を辞め、現在は子育てや家事に専念、家計管理も担当している。  夫は営業職で、営業成績により収入が大きく上下するため、結婚当初は戸惑った。収入が少ない月は赤字になってしまうこともあるが、夫は給与を把握しているため、収入が多い月は外食やレジャーなどにお金を使いたがるのがやっかいだ。「頑張って稼いだのだから、楽しいことにもお金を使えないと、次のやる気が出ない」と主張する夫と、「収入が少ない月のために多い月の分を取っておきたい」と考える妻――。 photo gettyimages  そこで妻は、結婚後、最も収入が少なかった月の家計簿を確認し、基本的な生活費をその金額でまかなえるよう家計を見直した。保険や携帯電話のプラン、食費……。以前は頻繁に購入していた子どもの衣類や雑貨も安く抑えることを心掛け、生活費の予算を守ることを徹底した。収入が生活費を上回った月は、貯蓄、夫のこづかい、家族でのレジャー費に3等分することにして、夫にもそれを伝えた。  生活費の予算をしっかり守れば、余剰金は将来への貯蓄と楽しみに使うことができる。レジャーに使える金額も毎月はっきりするし、収入が増えれば連動してこづかいも増えるところは、夫の励みになっているようだ。妻は毎月、給与明細をもとに、貯蓄額、夫のこづかい、家族でのレジャー費を夫に伝え、一緒にレジャーの計画を立てている。夫婦でお金の話をするのが楽しくなったという。 (構成 生活・文化編集部 上原千穂)
「お道具箱には、何がいりますか?」 小学校入学に不安抱える移民シングルマザーが図った無理心中
「お道具箱には、何がいりますか?」 小学校入学に不安抱える移民シングルマザーが図った無理心中 ※写真はイメージです(Getty Images)    朝日新聞記者で「国境を越えて生きる人たち」をテーマに記事を書いてきた玉置太郎氏は、大阪・ミナミの「Minamiこども教室」で二〇一四年から取材を兼ねて、学習支援のボランティアをしている。多くの移民の子どもを支えるこの教室設立の背景には、ある移民の家族に起こった「事件」があった。同氏の新著『移民の子どもの隣に座る 大阪・ミナミの「教室」から』(朝日新聞出版)から一部を抜粋、再編集し、移民のシングルマザーが抱える苦悩について紹介する。 *  *  *   【こちらも話題】 #1 「どうせアホやから、高校行かれへんし」と漏らす移民の子ども #2 小学校入学に不安抱える移民シングルマザーが図った無理心中 (随時掲載していきます)    Minamiこども教室の始まりには、はっきりとしたきっかけがある。  それは文字どおりの「事件」だった。教室設立の前年、二〇一二年に島之内で起きた、フィリピン人母子の無理心中事件のことだ。  母子は島之内にある十階建てマンションの、1Kの一室で暮らしていた。当時二十九歳だった母ソフィアさん(仮名)と、六歳の息子、四歳の娘の三人家族。シングルマザーとして、子ども二人を育てていた。  事件の翌年、児童福祉に関する大阪市の審議会が公表した検証報告書がある。その内容や私自身の取材に基づいて、家族のたどった経路をふり返ってみたい。  ソフィアさんがフィリピンから日本へやって来たのは二〇〇一年。複数の仕事をかけもちしながら、飲食店で「歌手」として働いたという。   【あわせて読みたい】 「どうせアホやから、高校行かれへんし」と漏らす移民の子ども 隣に座って見えた“重荷” https://dot.asahi.com/articles/-/205582  日本ではバブル期から二〇〇〇年代半ばにかけて、「興行ビザ」でフィリピンから来日する女性が多くいた。一般的には歌手やダンサーに出される在留資格だが、実際には来日女性の多くがパブやラウンジで客を接待するホステスとして働いていた。  ソフィアさんは二〇〇四年に日本人男性と結婚し、二人の子を産んだ。しかし、結婚生活は長続きせず、四年後に離婚。いったんフィリピンに帰国し、子どもを両親に預けたあと、単身で再来日して働いたという。  事件のちょうど一年前、二〇一一年四月に島之内へ移り住み、子どもたちを実家から呼び寄せて一緒に暮らすようになった。島之内には同じように「興行ビザ」で来日し、子を育てるフィリピン人女性が多く暮らす。ソフィアさんも夜間、子どもたちを友人に預けて、飲食店で働いた。  このころ、彼女は生活保護の申請のため、大阪市中央区の保健福祉センターを訪れている。それをきっかけに、ケースワーカーが数度にわたって面談や家庭訪問を行った。ソフィアさんは夜間の仕事と子育てを両立するストレスを打ち明け、相談の中で泣き出すこともあったという。  長男はフィリピンにいたころ、じっとしていることが難しい「多動」だと診断されていた。日中、勝手に自宅から出ていってしまい、警察に保護されるというトラブルも二度続いた。   【こちらも話題】 「お前は奴隷」 熱湯をかけられ…両親の虐待に苦しむも今は「幸せ」 サバイバーが伝えたいこと https://dot.asahi.com/articles/-/205349  近所の住民から「子どもの泣き声が聞こえる」と通報があったことで、大阪市の児童相談所(児相)にも連絡がいった。児相の児童福祉司が、ソフィアさんとケースワーカーとの面談に同席したが、子どもを保護するレベルの問題は見られなかったという。長男が通う幼稚園への聞き取りでも、日本語の習得こそ他の子と比べて少し遅かったものの、園の行事にも母親が熱心に参加するなど、大きな問題はないようだった。  児相はソフィアさんに対して、保育所を利用して昼間の仕事を探すことを勧め、あとは区の対応に任せた。  当時の児相の担当者に、ずっと後年になって取材をしたことがある。この担当者は「子どもがやせ過ぎているとか、けがをしているとかいうこともない。お母さんが子どもを大切にしている印象もあり、その時点では大きな問題は感じられなかった。お母さんの心の中に何があったのか、それは今もってわからない」と話していた。  ソフィアさん母子のケースは、大阪市の児相に年間数千件も届く「虐待疑い」通報の一件として、埋もれていった。  そして事件は二〇一二年四月十五日、午前五時ごろに起きた。  ソフィアさんが自室で、子ども二人と無理心中を図った。  ソフィアさんの大声を聞いた同じマンションの住民が一一〇番へ通報。駆けつけた救急隊が三人を病院へ搬送したが、まもなく長男の死亡が確認された。長女とソフィアさんも重傷を負った。   【あわせて読みたい】 「うちは、“社会問題解決型不動産”」 シングルマザーの住居も仕事も食も居場所も作る https://dot.asahi.com/articles/-/195365  私は当時、朝日新聞の大阪社会部で事件担当の記者になったばかりだった。先輩記者から「子ども一人が亡くなって、一人が重傷の殺人容疑事件が起きた」と一報を受け、島之内の現場へ急行した。  警察の規制線が張られたマンションの周辺で、聞き込みをいくらかしただろうか。正直言って、ほとんど記憶がない。同僚による大阪府警への取材で事件の状況が少しずつわかり、「どうやら無理心中のようだ」という連絡が入ったからだ。  新聞紙上では、家庭内で起きた事件、特に自殺や心中は「社会性が小さい」と判断され、掲載を見送ったり、小さく扱ったりすることが多かった。この時の私たちも、そんな判断に基づいて取材態勢を縮小し、まもなく私は別の事件現場へ「転戦」した。  今ふり返れば情けないことだが、無理心中の背景に思いを巡らすことはなかった。事件については、先輩記者が翌日の朝刊に短い記事を出した。次から次へと起きる新たな事件に流され、私がその後、この事件について思い出すことはなかった。  大阪府警は翌五月、けがの回復を待ってソフィアさんを殺人容疑で逮捕した。  しかし、大阪地検はその秋、精神鑑定の結果をふまえて、ソフィアさんを不起訴処分とした。善悪が判断できない「心神喪失状態」だったため刑事責任を問えない、という結論だった。   【こちらも話題】 「あの条例ができたら終わってた」 40代母の本音と海外移住者が感じた日本の子育ての限界 https://dot.asahi.com/articles/-/205201  ソフィアさんはその後、フィリピンの親族のもとへ送還されたという。  刑事事件としては、そこまでだ。新聞報道もそこで止まっている。  大阪市の審議会が翌年に出した報告書は、ソフィアさんが無理心中に及んだ背景について「直接的なきっかけは不明な点も多い」としつつ、「長男の幼稚園での、同国籍の保護者との交流が支えになっていたが、小学校に上がって交流がなくなるのが不安材料となった」「孤立した状況で、混乱が極限まで高まっていった」と指摘した。  孤立したシングルマザーの移民家庭で、幼い子どもの命が失われた――。  事件は、ミナミの街に小さくない爪痕を残した。 *  少しだけ時間をさかのぼる。  事件の九日前にあたる四月六日、亡くなった息子と母ソフィアさんは、地元の大阪市立南小学校で入学式に臨んでいた。フィリピンから一時的に来日した祖母も一緒だった。ソフィアさんはタブレット端末を掲げて、息子の晴れ姿を写真に収めていたという。  当時、南小の校長だったヤマザキさんは入学式の前日、ソフィアさんが学校を訪ねてきた姿をよく覚えている。  彼女はいろんな学用品を入れた大きな袋を見せながら、「お道具箱には、何がいりますか?」と尋ねてきた。「お道具箱」は日本で育った人なら知っていて当たり前の存在に思えるが、日本に特有の学校文化だ。日本語の読み書きができないソフィアさんにとって、こまごました学用品をそろえることは簡単ではなかっただろう。   【こちらも話題】 「韓国人増加プロジェクト」は日本にはない発想 少子化で外国人妻の受け入れは20年前から https://dot.asahi.com/articles/-/12948  ヤマザキさんはのりやはさみなど必要な物を選んで示し、お道具箱に入れてくるようソフィアさんに伝えた。担任にも引き合わせた。一年生の担任を務めるベテラン教員は移民家庭への理解があり、保護者に配るお便りの漢字にはすべてルビをふるような人だったという。  長男は四月九日から毎日登校し、クラスメイトとも仲良く遊んでいる様子だった。十二日と十三日は遅刻が続き、教務主任が家庭訪問をしていた。  そして十五日の早朝、事件があった。  ヤマザキさんには教員を退職した今も、「あの時、何かできんかったんか」という悔いが残る。  南小があるのは大阪市中央区の東心斎橋。繁華街ミナミのど真ん中だ。土地柄、児童数は百数十人という小規模校だが、移民のルーツをもつ児童が半数ほどを占める。  ヤマザキさんは事件のあった四月、南小に着任したばかりだった。彼の目には、教員たちが疲れ果てて見えたという。  教育委員会からは全国学力テストの平均点を上げるよう求められるが、学校には日本語が十分に習得できていない子も多い。深夜まで飲食店で働く親が多く、子の遅刻や欠席が続く。保護者に協力を求めようにも、日本語をほとんど話せない親もいる。経済的に貧しく、学用品をそろえるのに苦労する家庭も多い。   【こちらも話題】 15歳から母と弟を養った「山田まりや」が感じる子どもの生きづらさ 「『子ども居酒屋』をつくればいい」の真意は? https://dot.asahi.com/articles/-/199660  教員たちは「この子たちを何とかしたい」という思いを強くもっていた。そして、思いが強い教員ほど、結果につながらないことに疲れ果てていた。  無理心中事件は、そうして積み重なった課題の、取り返しのつかない帰結だったのだろう。ヤマザキさんは「家庭が抱えてる大きな課題をそのままにして、教職員がため込んでいる思いをそのままにして、この学校が良くなっていけるとは思えない」と感じていた。 「とにかく、思ってることをいっぺん全部出してみいへんか」  ヤマザキさんはそう呼びかけ、学校の教職員二十数人を集めた話し合いの場をくり返しもった。おのおのが自分の考えをふせんに書き、大きな模造紙に貼っていく方法で、思いの丈をはき出した。  ある教員からは「保護者が宿題をみてくれない」という意見が出た。それに対して、別の教員からは「子どもが帰ったころに保護者が出勤してしまうから、なかなか難しいんやろう」という声が上がる。「クラスに日本語を十分に話せない児童が多すぎる」という声が上がれば、「なんとか学校独自で、日本語指導の担当者を増やしていかんとあかんよな」という意見が出た。  それぞれが漠然と抱えていた負担感を共有することで、これまでになかった視点からの気付きが生まれた。  子どもの学習面の課題はなんとか学校内で対応ができる。残るのは生活面の課題だった。特に経済的に苦しい移民の家庭を、学校だけで支えていくことは難しい。  ヤマザキさんは学校の外での支えを求めて、動き始めた。     【ほかの回もあわせて】 #1 「どうせアホやから、高校行かれへんし」と漏らす移民の子ども #2 小学校入学に不安抱える移民シングルマザーが図った無理心中 (随時掲載していきます)   ●玉置太郎 (たまき・たろう) 1983年、大阪生まれ。2006年に朝日新聞の記者になり、島根、京都での勤務を経て、11年から大阪社会部に所属。日本で暮らす移民との共生をテーマに、取材を続けてきた。17年から2年間休職し、英国のロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で移民と公共政策についての修士課程を修了。
イスラエルの攻撃を「大量虐殺」と呼ばないマスコミ ジャニー氏の行為を「レイプ」と報じないのと同じ愚行だ 古賀茂明
イスラエルの攻撃を「大量虐殺」と呼ばないマスコミ ジャニー氏の行為を「レイプ」と報じないのと同じ愚行だ 古賀茂明 古賀茂明氏    ハマスのイスラエル攻撃への報復(イスラエルによれば自衛権の行使)により、ガザ地区を中心にパレスチナ人の大量虐殺が進んでいる。このイスラエルの攻撃について、マスコミは、報復攻撃、テロ掃討、軍事攻撃、軍事作戦、空爆、地上攻撃、地上作戦など、刻々とさまざまな言葉を使って伝えている。しかし、こうした言葉では、ガザで起きていることの本質を正しく伝えることはできない。  なぜなら、イスラエルの行為は彼らがどのように言い訳しても、ジェノサイド条約第2条に定める「ジェノサイド」に当たるからだ。  念のため同条約の第1条と第2条を引用しておこう。 第1条  締約国は、集団殺害が平時に行われるか戦時に行われるかを問わず、国際法上の犯罪であることを確認し、これを、防止し処罰することを約束する。 第2条  この条約では、集団殺害とは、国民的、人種的、民族的又は宗教的集団を全部又は一部破壊する意図をもつて行われた次の行為のいずれをも意味する。 (a)集団構成員を殺すこと。 (b)集団構成員に対して重大な肉体的又は精神的な危害を加えること。 (c)全部又は一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること。 (d)集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること。 (e)集団の児童を他の集団に強制的に移すこと。  これを読むと、ジェノサイドの定義は普通の人が想像するよりも広いことに気づく。  国民的、人種的、民族的または宗教的集団を全部または一部破壊することを目的に行われる集団構成員の殺害はもちろん、肉体的・精神的な危害、さらには肉体的破壊をもたらす生活条件を課すことまで含まれる。イスラエルがやっていることはことごとくこの定義に当てはまる。  イスラエルは、パレスチナ人をことさら狙っているのではなく、ハマスというテロリストの攻撃からイスラエルの国家・国民を守るための自衛権を行使している戦闘でたまたまパレスチナの民間人が巻き添えになっているだけだと言い訳している。  しかし、彼らは、民間の建物の下のトンネル内にいるハマス戦闘員を攻撃するのに、空爆や地上からの砲弾による攻撃を行えば、大量のパレスチナの民間人、なかんずく女性や子供たちが殺害されることを理解した上で軍事侵攻を行っている。しかも、彼らの攻撃の後には、すべてが破壊された土地が残るのみで、そこにあった生活インフラは完全になくなり、パレスチナ人が住むことができなくなることもわかっている。  さらに、パレスチナ人をガザ地区から逃げられないようにしてこうした行為を行っているのだから、なんと言い訳しようとも、パレスチナ人の大量殺戮を、百歩譲って積極的ではないとしても、意図して行っていることは否定できない。  したがって、イスラエルの行為は「ジェノサイド」と言うべきなのだ。  ハマスのイスラエル民間人に対する攻撃はテロ行為であり、もちろん、国際法違反だが、だからと言って、その報復のためにジェノサイドが正当化されることにはならない。  マスコミは「停戦」「休戦」という言葉を使っているが、「ジェノサイド停止」という言葉を使った方が、より物事の本質と緊急性が理解されるだろう。  日本は残念ながらジェノサイド条約を批准していない。だから、ジェノサイドを止めてその犯罪者を処罰する義務を負っていないという議論を見たことがあるが、これは間違いだ。なぜなら、日本は国際刑事裁判所に関するローマ規程に加盟しており、その中で、ジェノサイドは犯罪として定義され、処罰すべしと書かれているからだ。  したがって、日本は、ジェノサイド条約に加盟していなくても、少なくとも道義的には、ジェノサイドを見て見ぬ振りをするわけにはいかないはずだ。  ところが、日本は、このジェノサイドを止めようとする世界の動きに対して、完全に反対の動きをしている。国連安保理に提出された即時停戦を求める決議案に米英などとともに反対しただけでなく、国連総会では、人道的休戦を求める決議に対して棄権した。この決議案には、121カ国という圧倒的多数が賛成し、反対したのは米国などわずか14カ国だけで、棄権も44カ国にとどまった。米国の同盟国は米国に追随して反対ないし棄権したと思っている人が多いかもしれないが、NATO加盟国のフランス、ベルギー、スペインなどは賛成している。米国の言いなりなどにはならず、独立した判断を示したのである。   【こちらも話題】 岸田首相の「経済、経済、経済」は大企業と金持ちのため 減税のしっぺ返しは庶民に来る 古賀茂明 https://dot.asahi.com/articles/-/205158 首根っこをつかまれていると話題に。首脳会談へ向かうバイデン米大統領(右)と岸田首相(2023年1月13日)    一方の日本は、「総合的判断」というだけで、明確な理由も示さず棄権した。もちろん、世界中が、日本は人権には無関心だと見抜いているし、米国の属国であるということもわかっているから、特に驚いてはいないはずだ。だから日本をことさらに批判する国はない。それをいいことに、日本は単に米国の顔色をうかがいながら行動しているのだ。  さらに問題なのは、岸田文雄首相に、今回の判断をするにあたって、悩んでいる様子が見えないことだ。なぜ、悩まないのかというと、おそらく、「日本の国民はバカだから、イスラエルとパレスチナの問題など理解できない。とりあえず、アメリカに寄り添う判断を見せていれば特に強い批判の声は出ないだろう」と考えたからではないだろうか。  確かに、この戦争を見ていて、驚いたことがある。それは、多くの日本人が、パレスチナとイスラエルの歴史を全く知らないように見えたことだ。  私が中高生だったころ(1970年ごろ)、何で習ったのかは定かではないが、私も私の友人たちも、パレスチナ問題といえば、いつもイスラエルがパレスチナ人に酷いことをしているというイメージで捉えていた。  当時は、ベトナム戦争が若者の関心の中心になっていたが、そこでは米国が悪者だった。その米国が応援するイスラエルがパレスチナを攻撃しているとなれば、当然悪いのはイスラエルで正義はパレスチナにありということになる。   【こちらも話題】 驚くべき勢いで戦争準備が進む日本 パレスチナもウクライナも利用する自民党に騙されるな 古賀茂明 https://dot.asahi.com/articles/-/204530  しかし、私たちはそれだけではなく、第1次世界大戦の時に、フランスと裏で結託したイギリスにパレスチナ独立という甘い言葉で騙されたパレスチナ人の悲劇や、同じく建国の約束を得ていたイスラエルが、一方的に独立を宣言し、国連の決議などを無視して強引にパレスチナに植民=占領行為を行っていったという経緯も概要だけかもしれないが、理解していたように記憶している。ただし、多くの人はいつの間にか忘れてしまったようだ。  そうした背景があるので、私が今回のハマスの攻撃を知った時、ハマスはこんな酷いことをするのかと驚いたのはもちろんだが、それと同時に、ここまで追い込んだのは、イスラエルと米国だという考えが条件反射的に頭の中に湧き起こった。  ハマスの攻撃は許されないにしても、イスラエル「政府」が行っていることは、それ以上に非人道的で許されないことだということを瞬間的に理解できる日本人がどの程度いたのか。いなかったとしたら、それは教育の問題なのだろうか。  さらに、私にはもう一つ疑問に思うことがある。  それは、今回の事件が10月7日に突然始まったのではなく、何十年も続いたイスラエルによるパレスチナに対する国際法違反の度重なる虐殺の黒い歴史の中で起きた事件なのだということを、なぜ最初にマスコミが大きく伝えなかったのかということだ。  やはり、日本政府が米国に無条件に従うことが慣例となってしまったこの10年で、米国に反対する言論を展開することを日本のマスコミが躊躇するようになったのだろうか。  TBSなどは比較的早く、こうしたニュアンスを伝え始めたが、それでも、ジェノサイドを止めろという強い言葉は出て来ない。それは、危機感がないからであり、多くの場合は、戦争からは何も生まれないとか弱者ばかりが悲惨な目に遭っているとか、憎悪の連鎖を断ち切らなければというようなありきたりのコメントとともに、最後は、「しっかり注視していかなければなりませんね」というようなまとめで終わってしまう。   【こちらも話題】 2350億円の無駄では済まない「大阪万博」 中止こそが日本を救うと断言できる3つの理由 古賀茂明 https://dot.asahi.com/articles/-/203777  ハマスを非難するのはもちろんなんの問題もないが、それ以上に今は、イスラエルが行っているジェノサイドを思い切り非難し、その行動を無条件に止めるべきだということをもっと強調すべきだと思う。  話は少し脱線するが、こうしたことを考えていた時に思い浮かんだのが、ジャニーズ問題との類似性だ。  ジャニー喜多川の犯罪行為が明確に批判され始めても、その凶悪性を本当には認識できていないため、「性加害」という言葉でマイルドにしか伝えられなかったマスコミの「鈍感さ」。  今日のイスラエルの行動をジェノサイドという最大の危機であるということが理解できず、イスラエルの「報復攻撃」とか「地上戦」という言葉に置き換えて、強く非難することなく、結果的に傍観しているのと同じことになっているのもまた、マスコミの「鈍感さ」のなせる業なのかなと思ってしまうのである。  私たち国民も、停戦を早くという言葉は口にしても、「ジェノサイドを止めて!」という緊急性を持った言葉で声を上げるにはまだ至っていないようだ。  これまで何十年も放置されてきたパレスチナの人々に対して無関心であった私たちは、そのことを謝罪するとともに、今こそ、イスラエル政府のジェノサイドを止めろという声を上げる責任があるのではないだろうか。  そうした声が大きくならないために、岸田首相はなんの心配も迷いもなく、米国追随外交を呑気に続けられるのだということを私たちは反省しなければならない。  今ここで、このジェノサイドを止められなければ、それに事実上加担した国の国民の一人として、私たちは、これから先長きにわたって、後ろめたさと悲しみを持って生きなければならなくなるだろう。  なお、イスラエル「政府」の行為がジェノサイドだとしても、それをユダヤ人一般に対する非難や攻撃に繋げることがないように細心の注意が必要である。このことも大きな声で叫ばなければならない。   【こちらも話題】 ジャニー喜多川氏の行為は「レイプ犯罪」 テレビ局も損害賠償金を負担し責任者は辞職せよ 古賀茂明 https://dot.asahi.com/articles/-/201671  
「どうせアホやから、高校行かれへんし」と漏らす移民の子ども 隣に座って見えた“重荷”
「どうせアホやから、高校行かれへんし」と漏らす移民の子ども 隣に座って見えた“重荷” ※写真はイメージです(Getty Images)    朝日新聞記者・玉置太郎氏は、住民の三割以上が外国籍で日本でも指折りの移民集住地、大阪・ミナミの「島之内」という地域に住んでいる。同氏が毎週火曜に行くのが「Minamiこども教室」だ。この教室に集まる子どもたちは皆、移民のルーツがある。教室では、ボランティアが一対一で子どもの隣に座る。この「一対一」を、教室は大切にしてきた。親の多くが夜の飲食店で働いているため、子どもたちは大人が自分だけに向き合ってくれる時間を求めている。ロンドンの大学院で「移民」について学んだ玉置氏の新著『移民の子どもの隣に座る 大阪・ミナミの「教室」から』(朝日新聞出版)から一部を抜粋、再編集し、移民のルーツをもつ子どもたちを支える「Minamiこども教室」で大切にされていることを紹介する。 *  *  *   【こちらも話題】 #1 「どうせアホやから、高校行かれへんし」と漏らす移民の子ども #2 小学校入学に不安抱える移民シングルマザーが図った無理心中 (随時掲載していきます)    来日したばかりの子は、日本語の学習に取り組む。「あいうえお」から教えることも時々ある。日本での新生活に対する不安と期待から、彼らには学習に向き合う切実さがある。  もちろん、勉強そっちのけでおしゃべりをしたがる子も多い。学校であったこと、親の愚痴、いま夢中になっているアニメのあらすじ……。とりとめもない話にただ耳と心を傾けることも、ボランティアの大切な役割だ。  十五分ばかりの休憩時間には、みんな解き放たれたように遊び回る。大人と一緒に鬼ごっこや腕相撲をしたり、ホワイトボードに落書きをしたり。わずかな時間なのに、オセロやトランプを持ち出す子もいる。  小学校低学年の子どもたちは、おんぶや相撲の相手を求めてくることが多い。夜に働く親とはすれ違いの生活で、大人との直接の触れ合いが足りていないようだ。   【こちらも話題】 ブレイディみかこ「英国の貧しさは移民のせいではなく、国の経済政策がポンコツなせい」 https://dot.asahi.com/articles/-/199832  午後六時から八時前までの学習を終えたら「終わりの会」をする。次週のお知らせをして、新しく教室にやって来た子の紹介をして、最後に当番の子のかけ声に合わせてあいさつをする。 「ボランティアさんの方を向いてください。ボランティアのみなさん、ありがとうございました」「気を付けて帰りましょう。さようなら」  たった二時間。それでも、隣に座った大人との「一対一」の二時間を経て、子どもたちはどこか朗らかで、しなやかな顔つきになっている。  小学生は数人ずつのグループに分かれ、ボランティアが自宅前まで送っていく。道すがらにぽつりと漏らす言葉が、その子の本音だったりすることも多い。  ほとんどの子どもは島之内の中層マンションに住んでいる。一人でエレベーターに乗るのを怖がって、自室の前まで送ってほしがる子もいる。開いたドアの隙間から見える玄関の様子に、あるいは顔をのぞかせた親の表情に、子どもの生活の「荒れ」を感じることもある。  教室では最後に、ボランティアみんなでミーティングを開く。自分が隣に付いた子どもの学習内容や気になった様子を共有する。 「この子は九九の七の段がまだあやしいから、また確認してあげてください」   【こちらも話題】 文京区の貧困家庭支援「こども宅食」 「恥ずかしい」をなくす気配りも https://dot.asahi.com/articles/-/125137 「いつも途中で教室を飛び出してしまう子ですけど、今日はちゃんと座って、学校の話をしてくれました」 「この子の親はいま仕事をなくして、しんどい状況みたいです。学校でも遅刻や欠席が増えているようなので、気にかけておいてください」  報告の内容は、学習のことから生活のことまで幅広い。 *  そんな火曜の夜を数百回、私は一人のボランティアとして過ごしてきた。そして、たくさんの子どもの隣に座った。 「隣に座る」ことは、教室が大切にする「子どもとの向き合い方」を象徴しているように思う。  隣に座って勉強をみていると、子どもはわからない問題がある時だけ、教科書から目を上げて、何かヒントを出すよう促してくる。あるいは、勉強の合間におしゃべりをしたくなったら、こちらを向いて勝手に話し出す。  子どもにとっての「必要」が、いつも先にある。  だから、子どもから全く必要としてもらえない日もある。自分一人で宿題をやれる子、気軽におしゃべりをするほど私には心を開いていない子、学校や家で嫌なことがあってふさぎ込んでいる子。彼らはボランティアの方を見向きもしない。  そんな時はただ、隣に座る。何もせずにただ座って、隣に居ることだけを伝える。そして子どもがこちらを必要とする瞬間を、ただ待つ。   【こちらも話題】 講師は全員「手弁当」 “教育版”子ども食堂が教育格差を救う https://dot.asahi.com/articles/-/126540  そうやって毎週座っているうち、子どもがこちらに見せる表情は少しずつ柔らかくなっていく。そしておもむろに、その日あった出来事を話してきたりする。  何もしていないようでも、一緒に居る時間の積み重ねには、それなりの力がある。  もう一つ。「隣に座る」ことは、目線を子どもと同じにすることでもある。  立って見下ろす時とは違って、子どもの姿が大きく見える。すると不思議なもので、その子の存在自体が私の中で大きく感じられる。  子どもは逆に、私を普段より小さく感じるのだろう。自然と態度が大きくなり、対等な相手として接してくる。  それがいい。「支援」という言葉のもつおごりが、少しは薄められるように感じる。  子どもの目線になって、必要とされるまで隣に居ること――。教室がずっと大切にしてきた佇まいだ。  毎週毎週そうしていると、ふと子どもの背負っている重荷が垣間見えることがある。 「どうせ私アホやから、高校とか行かれへんし」と、勉強に向き合えない子。  言葉や態度はやたら乱暴なのに、勉強中に足先をすり寄せてくる子。 「お母さんと食べるねん」と、帰り道のコンビニで白ごはんと総菜を買う子。 「あーあ、私も日本人やったらよかったのに」と口にしてしまう子。  肌の色の違いを気にして、夏の日焼けを極端に嫌がる子。  教室で普段見せている無邪気な笑顔の向こうに、子どもたちが心と体に抱えているしんどさがにじむ。   【こちらも話題】 貧困問題で話題…「子ども食堂」に潜入してみた! https://dot.asahi.com/articles/-/95452  ユウ(仮名)という子は、教室に来ても全く勉強に向かおうとはせず、すぐに机の下に潜り込んだ。ボランティアが話しかけても応じず、私の問いかけもよく黙殺された。それでもユウは毎週、教室にやって来た。  移民であるユウの母親は不安定な職に就き、一人で子どもを育てていた。その暮らし向きのしんどさは、ユウが自身のルーツを否定する気持ちにつながり、目の前の学習や生活を大切にできない心性につながっているようだった。  ユウはその後、事情があって母親とは一緒に暮らせなくなった。児童相談所の一時保護を経て、里親のもとで暮らすようになった。  生活がすっかり変わってしまったその間も、教室のスタッフらはユウとつながり続けた。それですべての問題が解決したなんてことは決してない。それでも、ままならない生活と自分の将来に悩みながら生きるユウのそばに、ずっと教室があって、今もある。  ユウの大人ぶった物言いも、落ち込む友達にそっと寄り添う優しさも、場を明るく照らす笑顔も、不安を周りに悟らせまいと努める気遣いも、長い間見続けてきた人たちがいる。  それぞれに事情は違えども、ユウのようにしんどさを抱える子どもたちが、教室には集まってくる。そして、大人たちの隣に座る。  子どもたちの親とも、教室からの帰り道やイベントで顔見知りになる機会がある。ひとり親、特にシングルマザーの家庭が多い。それぞれが歴史や政策の大きな流れに翻弄されながら、家族にとって少しでもよい人生を選び取ろうと、ミナミで働き、子を育てながら生きていた。  そんな移民の子どもたち、親たちと接するなかで、ボランティアの大人たちも多くを学び、生き方を変えていった。  私もその一人だ。     【ほかの回もあわせて】 #1 「どうせアホやから、高校行かれへんし」と漏らす移民の子ども #2 小学校入学に不安抱える移民シングルマザーが図った無理心中 (随時掲載していきます)   ●玉置太郎 (たまき・たろう) 1983年、大阪生まれ。2006年に朝日新聞の記者になり、島根、京都での勤務を経て、11年から大阪社会部に所属。日本で暮らす移民との共生をテーマに、取材を続けてきた。17年から2年間休職し、英国のロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で移民と公共政策についての修士課程を修了。
過去最悪のクマによる人的被害 10月に住民33人が襲われた秋田県の担当者は「名前を明かさないで」と懇願
過去最悪のクマによる人的被害 10月に住民33人が襲われた秋田県の担当者は「名前を明かさないで」と懇願 クマが出没した現場近くの寺では、クマが入って来ないように自動ドアの電源を切った=10月9日、秋田市    全国各地でクマの被害が相次いでいるなか、クマに襲われる人的被害の件数が過去最悪になったことが、環境省の調べでわかった。なかでも秋田県は、人的被害の3分の1を占める「異常事態」。東京都内でも、目撃例が相次いでいる。要因の一つと考えられているのが、クマのエサであるブナ類(ドングリ)の「大凶作」。今後も冬眠のため、エサを求めて動きが活発化すると見られており、警戒が必要だ。 *   *   *  環境省は11月1日、ツキノワグマやヒグマによる人的被害の状況について発表。人身被害は全国で180人(10月31日現在)に上ったと明らかにした。記録がある2006年以降、これまで最多だった20年度の158人を上回り、過去最悪となった。  そのなかでも最も被害が多いのが、秋田県だ。 「もう何と言ったらいいのか。異常事態だとおっしゃる方もいます」  秋田県自然保護課の担当者は、切迫した状況を口にする。 「本当に毎日、クマが出る。毎朝、地元新聞に出没情報が掲載されますが、ものすごい数です。ありとあらゆる場所にクマが出ている。記事もクマの話題ばかりですよ」    県によると、今年度のツキノワグマによる人身被害は、11月2日現在で64人。すでに昨年の10倍以上だ。このうち10月だけで33人も襲われており、被害がほぼ毎日のように起きている状況だ。 「20年度は9人、21年度は12人、22年度は6人でしたから、今年はとんでもなく多い。クマの生息範囲が広がり、人の生活圏に出てきたクマと遭遇するケースが目立ってきました。今年は特にそうです」  10月9日、秋田市新屋寿町の住宅地にクマが現れ、回覧板を届けようとしていた70代の女性や散歩中の80代の男性など、5人が襲われた。     【こちらも話題】 クマに出会ったら逃げてはいけない…市街地に出没する「アーバンベア」は人への警戒心が薄い https://dot.asahi.com/articles/-/202538     東京都内に設置したセンサーカメラで撮影されたツキノワグマ=東京都環境局提供    鹿角市八幡平地区や仙北市玉川地区などには、人が集めた山菜を奪うなど、積極的に人を襲う、危険性の高い個体が生息しているとみられ、県はこれらの地区に立ち入るのを禁止している。  ところが今年は「いつでも」「どこでも」「誰でも」クマに遭遇するリスクがあると、県がウェブサイトなどで注意喚起。担当者は、 「本当にどこにでもクマがいる」  と話す。以前はタケノコ掘りや山菜採りなどのために山に入った人が襲われるケースが多かった。しかし最近は、市街地にクマが出没し、襲われるのだ。  県は、クマと鉢合わせしないよう、鈴やラジオ、スマホを鳴らすなどして、音で人間の存在をクマに知らせるよう推奨している。しかし、それでも道端の藪の中から飛び出してきたクマに襲われた事例もあり、残念ながら被害を完全に防ぐ方法はないという。   本当の原因はわからない  クマによる被害が増えている背景には、過疎化の進行とともに耕作放棄地が増え、クマの生息範囲が拡大していることがあるとされている。  ではなぜ今年、これほど被害が多発しているのか。  その理由の一つとされているのが、クマの食料不足だ。  林野庁は10月20日、東北各県のブナの結実状況を発表。青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県の東北全県で、「大凶作」という結果だった。  ブナは、クマの主要な食料の一つとされる。日本の山岳地帯の森に広く分布する広葉樹で、春から初夏にかけて花が開き、10月ごろに実をつける。ところが今年、東北地方のブナはほとんど花を咲かせなかったのだ。  食べるものが激減したクマは、集落に植えられているクリやカキなどに引き寄せられ、人の生活圏に接近してきたと考えられている、  秋田県は住民に対し、早く実を収穫するよう呼びかけているが、 「昔のように一生懸命にクリやカキを取る人も少なくなっており、なかなか難しい」  と担当者は言う。     【こちらも話題】 キャンプ場でクマに襲われた女性が3年ぶりに歩いた「現場」 人の食料の味を覚えたクマの“その後” https://dot.asahi.com/articles/-/199930   東京都内に設置したセンサーカメラで撮影されたツキノワグマ=東京都環境局提供    ただ、それでも今年は被害が多すぎる、と担当者も首をかしげる。 「ブナの実の凶作だけがすべての原因ではないと思います。そもそも最近のクマは山奥ではなく、人里近くに住みついているという話もあります」  クマが冬眠に入るのは、あと1カ月ほど先になる。 「今後、状況がどうなっていくのか、予測がつきません」   東京都の町田市でも  クマの生息範囲が広がりつつあるのは、東北地方に限った話ではない。東京都町田市で10月18日、初めてクマが目撃されたのだ。  場所は町田市西部にあるアウトドア施設「Nature Factory 東京町田」で、テントサイトや野外炊事場のそばを流れる境川の茂みにクマが現れた。施設の笠倉秀貴所長は、当時の状況をこう語る。 「高齢者2人が登山道を下ってきたところ、5、6メートルほど離れた沢筋の方向から、がさがさと木が揺れる音を耳にしたそうです。何かと思ったら、黒い動物が急斜面を登り、その途中で脚を止めて、登山者の方を振り返った。そのとき、お互いに目が合って、イノシシではなく、クマだということがわかった」  クマが目撃されたのは、東京都八王子市と神奈川県相模原市に挟まれたエリア。両市ではクマが出没しているので、そのうちの1頭が町田市を通過したのではないか、と笠倉所長は推測する。 「このあたりの森はヒノキやスギで、クマが食べるものがないんですよ。フンが見つかったという情報もありません。エサを探して歩いている最中にこのエリアに入り、たまたま人間と出合った、という感じがします」  24日も相模原市でクマが目撃されており、同じ個体である可能性があるが、実際のところはわかっていない。  念のために笠倉所長は町田市と協議し、テントサイトと野外炊事場の隣にあるキャビンの利用を、11月15日まで止めることを決めた。  ただ、東京都内での今年度の目撃件数は112件(10月27日現在)で、去年の同時期と比べると少ない。 「とはいえ、奥多摩の方からクマの生息エリアが少しずつ広がっているのは事実のようです」(笠倉所長)     危機的状況でも非難の声  都環境局によると、東京は世界的にも珍しい「クマが生息している首都」だという。  今回、目撃があった南多摩地域ではクマは絶滅危惧2類に指定され、「保護上重要な野生生物種」だ。都は08年から狩猟によるクマの捕獲等を禁止している。  クマは人や農作物に被害を引き起こす動物だが、一方で繁殖率が低いため、いったん生息数が減ってしまうと回復がとても難しい生物でもある。  人的被害の多い東北地方でも、宮城県は被害の予防・軽減とクマの個体数維持の両立を目標としている。市街地にクマが現れた場合、基本対応は「追い払い」で、人的被害が差し迫っていなければ、「捕獲」はしないという。  秋田県も危機的状況のなか、クマへの対応に苦慮している。連日のように人的被害が発生しているにもかかわらず、クマを捕獲すると抗議の電話が殺到し、心ない言葉を浴びせられる。 「記事では名前を明かさないでください」と、絞り出すように語った担当者の声が胸に刺さった。 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)   【こちらも話題】 「責任者の名前を言え!」 クマ3頭駆除に秋田県や町に抗議殺到 長時間電話で職員に疲れ https://dot.asahi.com/articles/-/203166

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