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SOTA「理想のBE:FIRST に近づくための勝負」  あるフェスで全員が選んだ1曲とは
SOTA「理想のBE:FIRST に近づくための勝負」 あるフェスで全員が選んだ1曲とは
  SHUNTO、LEO、RYOKI(写真映像部・高野楓菜)  グループとして、成長期のただ中にいる。4thシングルをリリースしたばかりのBE:FIRST。音楽やステージについて語れば、言葉の端々に彼らの情熱があふれ出る。 *  *  * ― 公開中のドキュメンタリー映画「BE:the ONE」は、オーディション番組「THE FIRST」から始まったBE:FIRSTの約2年間の軌跡が収められている。 RYOKI バックステージでのやり取りとライブ本番がつながっていて、どうしてそのステージングになったのか、僕たちの思いが伝わる作りになっていると思いました。制作チームがたぶん僕たちと同じ目線に立ってくれて、飾らない部分を映し出してくれた。そこが「すごい!」と思いました。BE:FIRSTが大切にしている“アーティシズムファースト”が詰まった映画だと思います。(成長を実感したかと聞かれて)志は同じで変わらずというか、僕らは継続している感じです。 RYOKI(撮影/写真映像部・高野楓菜)   LEO 2回見ました。昨日と言われても昨日という気になるし、ホームビデオ見ている感覚に近くない? RYUHEI 面白かったし、いつものメンバーがいる感じでした。僕たちのライブにかける思いが、より伝わると思います。一緒にライブをやっているような感覚にもなるんじゃないかな。 ― 劇中、SHUNTOは「“頑張る”という言葉を使うのをやめた。強制ではなく楽しみたい」と語っていた。 SHUNTO 昔は自分に「頑張れ」と強く言い聞かせていました。そのためにいろいろなことに気付けず、視野が狭くなっていた時期があった。それに気づいて、最近は「楽しんで」と言うようにしています。 JUNON 僕も人には「楽しんで」って言うかもしれない。「頑張れ」は、なんというか、硬さがあるよね。 SHUNTO そうなんだよ。 JUNON “頑張る”って自分が思うことだしね。 MANATO あそこは胸に響いたシーンです。僕もそこから「頑張れ」とは言わないようになりました。 ー 映画からは、7人の音楽愛が伝わってくる。なぜ、音楽に魅了されるのだろうか。 RYOKI 言語化するのは難しいですね。唐揚げが好きなのと同じぐらい、理由を考えたことがない。 LEO 言えても「ジューシーだから」とか「おいしいから」とかだよね。俺も寿司が好きだけどやっぱりおいしいからだし(笑)、音楽を好きになるのはすごく自然なことです。 LEO(撮影/写真映像部・高野楓菜)   RYOKI  言葉を覚えていくのと同じように、自然と音楽を好きになっていった。 RYUHEI 僕はそうだなあ、音楽はくくりがないのが面白いと思います。音楽は考え方でもあるし人間性そのものだったりする。形にとらわれない自由があるからこそ、いろいろなジャンルが生まれてきた。ある人にとっては生きがいであり、ある人にとっては表現するもの。その先にいきついたものが音楽だと思うので、その自由に音楽の楽しさがあると思っています。 MANATO、SOTA(撮影/写真映像部・高野楓菜) ― 9月13日にリリースされた4thシングル「Mainstream」では、メンバーが1から楽曲制作に携わった。カップリングの2曲にもメンバーの意志が反映されているという。 LEO 僕たちが楽曲のリファレンスを提示して、社長が大枠を作ってくれた上で、表題曲とカップリングの2曲をどの曲にするかを話し合って決めました。3曲とも僕たちがより深く関わった作品です。BE:FIRSTとして大きな意味があると思っています。 SOTA 3曲の曲調やサウンドの年代、イメージは全然違いますが、ノリやバイブスが途切れずに流れで聞けると思います。1曲聞くとそのまま他の2曲も聞けると思う。 SOTA(撮影/写真映像部・高野楓菜) JUNON 確かに一気に聞きたくなる3曲だよね。 SHUNTO しかも3曲の順番をいろいろと変えて聞きたくなる! SOTA そういうシングルができたから、「これだよ!」というスタートラインに立てた感覚があります。 JUNON 今後どんなジャンルの楽曲をやるかはわからないけれど、楽曲制作に深く関わることができたからこそ、より濃いライブができると思う。やりたい楽曲は時期によって変わっていきますが、自分たちが納得できる楽曲を作り続けることが大切だと思っています。 JUNON(撮影/写真映像部・高野楓菜) LEO うん。シンプルにいい曲を作り続けていきたい。今回はシングルなので3曲ですが、やりたい曲は他にも本当にたくさんありました。 SOTA 自分の好きな音楽をメンバーとの会話の輪に投げることで、お互いの音楽に対する知識やキャパシティーが自然と増えていく。これまであまり興味がなかった音楽も好きになりました。いろんなジャンルに惹かれて、創作意欲が盛り上がっている状況です。 セットリストでも、意見を出し合い、試行錯誤を繰り返すようになった。アルバムツアーを終えた今年の春フェスから、SOTA、SHUNTO、RYOKIによるユニット曲「Spin!」を入れるなど、ギアチェンジを図っている。 JUNON 結構、自分たちで考えています。かなり長い時間をかけて話しているよね。(5月の)JAPAN JAMくらいから、自然と。 SOTA ロックフェスという場で、どの瞬間も自分たちらしさを伝えたいと思って組んでみたら、全曲「攻め」みたいな感じになったんです。この7人が観客としてステージを見ているのを想像して、一番格好いいBE:FIRSTを提示したい。自分たちの思いを自分たちに反映させている感じです。(全員に)よろしいでしょうか? MANATO よろしいです。ばっちりです。 SHUNTO  セットリストは今の僕たちにとっての自己紹介なんだよね。 RYUHEI、JUNON(撮影/写真映像部・高野楓菜)   ― 7月の「INSPIRE TOKYO 2023」ではアルバム「BE:1」のリード曲「Scream」をラストに披露した。RYUHEIのアイディアだったという。 RYUHEI ライブでの爆発力が日に日に増えている実感があったので、それを最大限活かしたかった。クールだけど、ずっと燃えているような表現が好きで、「Scream」をライブの序盤や中盤ではなく最後に持ってきたら、いい意味でエネルギーを叩きつけて去って行く感覚が残せるのではないかと思った。やってみたら、すごくハマりました。 RYUHEI(撮影/写真映像部・高野楓菜) LEO よかったよね。 RYOKI 僕は「Scream」は永遠にやっていたいぐらい大好きな曲なんです(笑)。ああいう曲をクオリティー的にもバイブス的にもしっかり担保したパフォーマンスができるグループは、なかなかいないと思う。「僕らはそれができるんだから、やった方がいいよね」という話になり、実際にやってみたら、本当に良かった。メンバーがお互いに心から讃え合っているバイブスや音楽を楽しむ姿勢が最高潮に達したところで、ライブを終えられた気がしました。 RYUHEI 音的にも、ライブ後半で「Bye-Good-Bye」や「Smile Again」といったクリアなサウンドが続いて、最後「Scream」で歪んだギターの音が響くのはインパクトがありますし、ロックの良さが詰まっていると思います。 SOTA 良い意味でライブと音源のギャップが一番ある曲かもしれない。 MANATO ちゃんとトップギアまで上げてくれるし、ちゃんと締めてくれる曲でもある。それはやってみたからわかったことです。ROCK IN JAPAN FESTIVALの「Milli-Billi」から始まるセットリストも良かったよね。 MANATO(撮影/写真映像部・高野楓菜)   SOTA そうだよね。見る側の視点で考えて、「『Milli-Billi」で登場したらかっこいい』と思ったのでやってみました。一音楽ファンとして、BE:FIRSTの7人を想像して一番かっこいいと思うものを提示するようなアプローチに変わりましたね。 JUNON 自分たちのことだけど、かなり客観視して考えてるよね。 SOTA “やっていて楽しい”ではなく、“自分たちが見てどう思うか”を念頭に置くと、自分たちが格好いいと思うものになる。他のアーティストのライブを見て、「このアーティストはここが格好いい」と思うのと同様に、自分たちが格好いいと思えるBE:FIRSTを見せていきたい。 7人組のボーイズグループ、BE:FIRST(撮影/写真映像部・高野楓菜   SHUNTO ライブを重ねると、自然とセットリストが固まってくるでしょう。でも、どんどん新しい楽曲を試すほうが次に作る曲にも良い影響があると思ったので、東京のSUMMER SONICでは僕が強く推して、初めてフェスで「Softly」(アルバム『BE:1』に収録されているMANATO、RYUHEI、JUNON、LEOによるユニット曲)をやりました。屋内のステージなのだったので、しっとりとした「Softly」は絶対に合うと思った。実は社長に「『Softly』を入れるのはどう思いますか?」と聞いたら、「別の曲を抜いて『Softly』を入れるのは今のタイミングじゃないかもしれない」と言われたんですが、「でもやりたいんです!」と(笑)。スタッフさんとも大分話し合いました。 JUNON 大分長く話し合ったよね。 SHUNTO  僕は「Softly」がやりたくて仕方なかったんです。 SOTA  SHUNTOは歌わない曲だから「やりたくて」はちょっとおかしいけど(笑)。でもSHUNTOがそう思ったのも、自分が見る側になって考えた時、「BE:FIRSTがここで『Softly』をやったら格好いい」という確信が持てたからだと思うんです。だから、理想のBE:FIRSTに近づくための勝負として、「Softly」をやることはすごくいいと全員が思ったんです。僕らが何に困るって、(持ち時間の制限があるときに、セットリストから)抜く曲がないんです。 SHUNTO 決まるまでは結構紛糾しました。最終的に社長が「やらないで後悔すると、その後悔は一生残るからやってみてもいいんじゃない?」と言ってくださいました。 SHUNTO(撮影/写真映像部・高野楓菜) MANATO サマソニはいろいろなお客さんが来るイメージがあるので、それを踏まえても「Softly」は良いと思いました。いろいろなフェスやイベントに出させていく中で、客層に対する経験値が増えていったことも大きい。 JUNON サマソニでやらなかった曲を期待してくれた方や、やった曲を聞いて気になってくれた方は、秋からのアリーナツアーに来てもらえたら嬉しいですね。 MANATO セットリストもそうですが、7人が本当に多くのことを吸収してきて、各々がBE:FIRSTになる前に培ってきたものもたくさんあって、自分たちのやりたいことを表現する時期になっているのだと思います。 RYOKI ライブを通して、グループ全体のバイブスを伝えるアベレージがとても高くなった気がしています。7人全員がどの曲でも高いパフォーマンス力を発揮できていると思う。 LEO それは今、すごく感じる。チーム全体が、いい感じだよね。 (構成 ライター 小松香里) ※AERAオンライン限定記事
AERAオンライン限定BE:FIRST
AERA 2023/09/16 11:00
阪神優勝おめでとう! 優勝時の名選手たちを振り返る 「JFK」、バース、掛布、岡田
大谷百合絵 大谷百合絵 唐澤俊介 唐澤俊介 吉崎洋夫 吉崎洋夫
阪神優勝おめでとう! 優勝時の名選手たちを振り返る 「JFK」、バース、掛布、岡田
セ・リーグ優勝を決め、ペナントを手に場内を一周する阪神の岡田彰布監督    プロ野球・阪神タイガースが14日、阪神甲子園球場で巨人を破り、18年ぶり6度目のセ・リーグ優勝を決めた。2位広島とは13ゲーム差をつけ圧倒した。甲子園で岡田彰布監督(65)が高々と宙を舞った。  阪神の優勝をさかのぼると、2005年(岡田監督)、03年(星野仙一監督)、1985年(吉田義男監督)あたりが記憶に“新しい”ところ。当時の印象に残る活躍、場面などを写真で振り返る。   ●他球団に絶望を与えたJFK(05年) 05年、胴上げされる岡田監督  05年の阪神は、セ・パ交流戦で首位の座に就いてから、一度もその座を明け渡すことなく優勝した。「JFK」(ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之の頭文字)と呼ばれたリリーフ陣は驚異的な安定感を誇り、チームを優勝に導いた。当時、他球団からは「6回までにリードしていないと負け」と言われたほど。岡田監督の「最高傑作」とも言われる。 ジェフ・ウィリアムス(J) 藤川球児(F) 久保田智之(K)  その他にも、赤星憲広が5年連続となる盗塁王、下柳剛が最多勝、今岡誠が球団新記録となる147打点で打点王、金本知憲がセ・リーグMVP(最優秀選手)に輝くなど、記録面での活躍も目立った。 赤星憲広 下柳剛 今岡誠 金本知憲   鳥谷敬 ●エース井川が投手タイトルを総なめ(03年) 優勝パレードで手を振る星野仙一監督(手前)    この年は井川慶が20勝、伊良部秀輝が13勝、トレイ・ムーアと下柳がそれぞれ10勝をあげ、チーム防御率リーグ1位の活躍を見せた。井川はこの年、最多勝、最優秀防御率、沢村賞、MVPとタイトルを総なめにした。 井川慶   伊良部秀輝  打撃面では「第三次ダイナマイト打線」と呼ばれる強力打線で快進撃を続け、7月8日に優勝マジックを点灯させた。これはセ・リーグ史上最速(当時)だった。今岡が打率.340で首位打者、赤星が盗塁61個で盗塁王のタイトルを獲得した。矢野輝弘は捕手ながらも打率.328でリーグ3位の成績を残し、ベストナインに輝いている。 赤星憲広(中央)   星野監督と矢野輝弘(右)  ちなみに、この年の優勝時、道頓堀川に5000人以上が飛び込み、1人が死亡する事故が起きている。そのため、次の阪神の優勝時には、川に飛びこませないためのバリケードが設けられるなどしている。 ●バース・掛布・岡田の「ニューダイナマイト打線」(1985年) 胴上げされる吉田義男監督  この年は21年ぶり3回目のセ・リーグ優勝を果たした。1番・真弓明信、3番・ランディ・バース、4番・掛布雅之、5番・岡田彰布らによる強力打線が打ちまくり、「ニューダイナマイト打線」と呼ばれた。219本塁打を放ち、本塁打セ・リーグ記録(当時)を更新している。4月17日の巨人戦で、槙原寛己からバース、掛布、岡田がバックスクリーンに3連打を放ったことは今でも伝説のように語られている。 ランディ・バース(左)と岡田彰布 掛布雅之 真弓明信  投手陣は「手薄」と言われていたが、先発のリッチ・ゲイルが13勝、ストッパーとして中西清起が11勝19セーブの好成績をあげた。中西は胴上げ投手になっている。 リッチ・ゲイル 優勝決定の瞬間、抱き合って喜ぶ中西(右)、木戸のバッテリー  この年の優勝後は、狂喜乱舞したファンが、カーネル・サンダースの像を道頓堀川に投げ入れている。その後、阪神は長期にわたり成績が低迷したため、「カーネル・サンダースの呪い」という都市伝説が生まれた。 呪いをかけられた? 2009年に道頓堀川から見つかったカーネル人形   ●番外編:優勝は経験できずもファンに愛された監督・選手たち    江夏豊 1968年にシーズン401奪三振を達成。23年現在も日本記録になっている。オールスターで9者連続三振を奪うなどの伝説を残している。 江夏豊 野村克也 1999~2001年まで監督を務めた。その後の優勝につながる礎を築いたと言われる。 野村克也監督(中央)  新庄剛志 「敬遠サヨナラ打」「投手兼任」など話題を集め、記録よりも記憶に残る選手と呼ばれていた。 新庄剛志 (AERA dot.編集部・吉崎洋夫、唐澤俊介、大谷百合絵)    
阪神タイガース優勝おめでとう
dot. 2023/09/14 22:14
90歳でも現役の高木ブー 「けっこう健康的。少し減塩してって言われる程度」の秘訣、ドリフに誘われた理由
90歳でも現役の高木ブー 「けっこう健康的。少し減塩してって言われる程度」の秘訣、ドリフに誘われた理由
90 歳を超え舞台やテレビで活躍、ウクレレ奏者としても、第一人者として活動を続ける高木ブーさん(撮影/写真映像部・東川哲也)  大人から子どもまで、テレビの前で笑い転げて観たザ・ドリフターズの「雷様」といえば高木ブーさん。90歳の今も舞台やテレビ、またウクレレ奏者として活躍中です。長く元気に活動している高木さんに、その秘訣を伺いました。発売中の「朝日脳活マガジン ハレやか 2023年10月号」(朝日新聞出版)より抜粋して紹介します。 娘と旦那さん、孫と楽しい4人暮らし  今年3月に90歳になりました。その記念に出版したのが『アロハ90歳の僕 ゆっくり、のんびり生きましょう』(小学館)。表紙の僕の写真、いいでしょう。実は、孫のコタロウが撮ってくれた写真なんです。今年大学生になったコタロウはカメラに熱中してて、僕がフェスに出演するときもオフィシャルカメラマンをやってくれたり、けっこういい写真を撮るんですよ。  今は、一人娘のかおると、その旦那さん、そして孫のコタロウと4人暮らし。カミさんが58歳という若さで亡くなってしまったこともあって、かおるが結婚するときは「同居してくれる相手じゃなきゃ絶対ダメ」って釘を刺したんです。だって一人暮らしになったら寂しいじゃない。幸い旦那さんがいい人で、快く一緒に住んでくれました。それからしばらくして孫が生まれて、こうやって4人でにぎやかに楽しく暮らせてるわけです。本当に感謝してます。  コタロウが小さいときは、ベビーカーに乗せて公園を散歩したり、一緒に映画を見たり遊んだり……。あっという間に大きくなって、僕より背が高くなっちゃったけど、孫はかわいいね。娘のかおるは、僕がまだザ・ドリフターズ(以下、ドリフ)に入る前に生まれ、その後ドリフのメンバーになって、ものすごく忙しい時期だったから、少し寂しい思いをさせちゃったかもしれない。今みたいに時間的にも気持ち的にも余裕がなかった時代だからね。 長さんからドリフに誘われた理由  ドリフに加入したのは、東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年。長さん(いかりや長介)に誘われたのがきっかけ。当時は、わりとバンド間でメンバーの引き抜きとか移籍は頻繁にあって、ドリフに入る前は、ジャズコーラスのバンドを結成したり、ジェリー藤尾さんの専属バンドでギターやウクレレを弾いたりしていました。   【こちらもおすすめ!】 仲本工事さんドリフの中で「なんでもできるやつ」と評価されていた一見地味な偉大なコメディアン   「8時だョ!全員集合」の記念すべき第1回が放送された1969(昭和44)年10 月4日の朝日新聞テレビ欄。全盛期はあまりの人気に、プロ野球中継などで番組を休止させることはほぼなかった。ちなみに当時、後の9時からの番組はこれも大人気だった「キイハンター」。(写真/朝日新聞社)    ドリフも当初はロカビリーバンドで、少しコミカル路線を取り入れてきた時期。ジャズ喫茶で演奏するときに、よく共演もしていました。僕を誘ったのはギターの腕を買われたから? そう思って長さんに聞いたら「デブだからだよ」って(笑い)。メンバーの中に一人デブがいると、それだけで面白みが出ると考えたそうなんです。  時代的にはジャズ喫茶なんかも生演奏からカラオケに少しずつ移行して、バンドマンたちはテレビに出演するようになっていました。これから到来する〝テレビの時代〟に向けて、音楽だけじゃなくてお笑いもできるメンバーを集めていたそうで、長さんはそういう先見の明があったんです。  ドリフに入ったときは、長さんと加藤(茶)だけで、僕と荒井(注)さんは同時期に加入。仲本(工事)は翌65年に僕が誘ってメンバーになりました。仲本とはドリフに入る前に一緒にバンドで活動したこともあって、当時は音楽をやめて会社員になっていたから、二つ返事で参加が決定。こうしてドリフの5人のメンバーがそろった。  実は僕には「高木智之」っていうバンド時代からの芸名があって、ドリフに入ってしばらくは、それで活動していました。ある日、先輩であるクレイジーキャッツのリーダーのハナ肇さんがメンバーみんなに、ドリフらしい芸名を付けてくれることになりました。「長介」「茶」「注」「工事」もすべてハナさんがつけた芸名です。僕は最後に「お前は『ブー』でいいや」って。確かに周りから「ブーたん」って呼ばれてたけど、芸名に「ブー」は、あんまりじゃないかと思いましたよ。でも、皆が親しみを込めて「ブーさん」とか「ブーちゃん」って呼んでくれて、いい芸名をもらって今はとても感謝してます。  この5人で、「8時だョ!全員集合」が1969年にスタート。土曜日の夜8時から毎週、公開生放送だったからとにかく大変。木曜日の午後3時に集まって、コントのネタを決める会議。ドリフのメンバー5人と、ディレクターや放送作家、セットを作る美術スタッフも入れると毎回30人くらい。長さんが納得するまで会議は続くから、朝方まで終わらないこともありました。  ようやくネタが固まったら金曜日の午後3時からリハーサル。ここでも何度もネタや舞台を修正して本番ギリギリまでやってました。あそこまで徹底してこだわって作り込んでいったからこそ、面白い番組になったんだろうね。  74年に荒井さんが脱退して、志村(けん)が新しくメンバーになったけど、加藤とのコンビも良くって、ドリフの笑いにも厚みが出て「全員集合」はますます人気番組になっていきました。 2023年3月に90歳になった高木ブーさん(撮影/写真映像部・東川哲也)   目標は100歳でウクレレのライブ 「全員集合」は1985年の9月28日まで続きました。16年にわたって毎週土曜日8時台のお茶の間を占拠した、まさにお化け番組でした。「全員集合」をやってる間は、ピン(単独)での活動が禁止されてたんだけど、その掟おきても解除されて、それぞれ活動するようになった。加藤と志村はコンビでお笑い番組を持ち、長さんや仲本、僕は役者をやったり、僕は久しぶりにウクレレを本格的に演奏して、NHKの番組でウクレレの講師をしたりもしました。そして「ドリフ大爆笑」でメンバーが集まってコントをする。〝雷様〟っていう当たり役もできて楽しかったね。  今でも、コントやウクレレの演奏、絵を描いたり、昔のアルバムを整理したり、好きなことをのんびりとやらせてもらっています。今年の2月にはハワイの音楽イベントに参加してウクレレを演奏してきました。  こう見えて、実はけっこう健康的で健康診断を受けても「少し減塩して」って言われる程度。娘が「野菜中心」ってうるさいくらいに食事の管理をしてくれてるおかげかな。本当はもっと肉とかも食べたいんだけどね(笑い)。  今ではドリフは加藤と2人だけになっちゃったけど、仲本と3人で結成した「こぶ茶バンド」の活動は続けていこうと話をしています。今年で90歳になったけど、これからの目標は100歳でウクレレのライブをやることかな。孫のコタロウもギターをやってるので、一緒に舞台に立てれば最高だと思ってます。 (構成・文/山下 隆) ※「朝日脳活マガジン ハレやか」(2023年10月号)より抜粋 たかぎ・ぶー/1933(昭和8)年、東京生まれ。子どものころから音楽に興味を持ち、中央大学卒業後、プロミュージシャンとなる。いくつかのバンドを経て、64年にザ・ドリフターズに加入。視聴率40 ~ 50%を記録した怪物番組「8時だョ!全員集合」(TBS系)で国民的な人気者となる。90年代後半以降はウクレレ奏者としても活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらし、現在も国内外でライブ活動中。2023年4月には『アロハ 90 歳の僕ゆっくり、のんびり生きましょう』(小学館)を発売。幼少期からこれまでを振り返るほか、加藤茶さんなど縁の深い著名人に人間「高木ブー」についてインタビュー。ハッピーで健康なシニアとして生きるヒントが満載の一冊となっている。
高木ブー脳活ハレやか
dot. 2023/09/02 08:00
なぜか好かれる人が「おはようございます」の後に“ちょい足し”する言葉とは【2023年上半期ベスト10】
なぜか好かれる人が「おはようございます」の後に“ちょい足し”する言葉とは【2023年上半期ベスト10】
いつものことばに「ちょい足し」するだけで好印象に(※写真はイメージです。本文とは関係ありません)写真:Choreograph / iStock / Getty Images Plus  2023年夏も半分ほどが過ぎた。AERA dot.では、猛暑の中でも読みたい「上半期で読まれた記事ベスト10」を紹介する。5位は「なぜか好かれる人が「おはようございます」の後に“ちょい足し”する言葉とは」(2月21日配信)だった。(※肩書年齢等は配信時のまま) *  *  *  コミュニケーションで悩む人にぜひ試してほしいのが、「ちょい足しことば」です。TBSアナウンサーとして活躍後、アナウンサーや有名企業などの重役から新入社員まで、さまざまなビジネスの現場でコミュニケーション法を伝授してきた今井登茂子さんが提案するのは、「いつも使っていることばに、ひとこと足すだけ」というシンプルな方法。新刊『さりげなく品と気づかいが伝わる ちょい足しことば帳』でも紹介した簡単な「ちょい足しことば」とその効果を、本書から一部を抜粋・改編してお届けします。 【こちらもおすすめ】 葬式で「ご愁傷様です」と言われたら、なんと返せばいいのか…「ありがとうございます」を避けるべき理由 https://dot.asahi.com/articles/-/875 *  *  * ■知ってるのに、実は使えていない  突然ですが、「ちょい足し」と聞いて、あなたは何を思い出されたでしょうか。  テレビ番組などでよく見かけるカップラーメンやコンビニエンスストアで手に入る食品などに、何かをちょっと加えるだけで俄然おいしくなる「ちょい足しレシピ」を連想される方が多いかもしれません。  簡単で手間がかからないけれど、意外な効果がある。そんな場合に使われています。  私が提案する「ちょい足しことば」も、まさにそんなひとことです。  たとえば、こんなふうに使います。 【いつでもどうぞ】  Aさん:この資料、もう一度見て、またわからなければ聞いてもいいでしょうか。  Bさん:はい、かまいません。  というところを、  Bさん:はい、かまいません。いつでもどうぞ。  いかがですか? 「いつでもどうぞ」をちょい足しするだけで、相手の心理のハードルが下がる感じがしませんか? 【でも、うれしいです】  Aさん:これから清水さんと飲みに行くけど、藤井さんもどう?  Bさん:まだ仕事が残っていて……、すみません。  というところを  Bさん:まだ仕事が残っていて……、すみません。でも、うれしいです。  こちらも「でも、うれしいです」をちょい足しするだけで、相手に与える印象がガラリと変わります。  もしかしたら「こんなこと?」と感じられるかもしれませんが、実は、多くの方が普段使いできていないのです。こんなに簡単で、効果絶大なのに! 【↓声で聴くにはこちら↓】 今井登茂子さん(写真:著者提供) ■自信のない私に心理学者が言ったこと  ここで、少し自己紹介をさせてください。  私はTBSテレビにアナウンサーとして入社、その後独立してフリーランスで活動したのちに、コミュニケーション塾を開き、アナウンサーや企業の経営者層にアドバイスをしたり、社会人になりたての方々に研修を行ったりしながら、60年以上ことばの世界に身を置いてきました。 なぜアナウンサーを目指したかといえば、女性として独立できる仕事に就きたかったからです。 そうして話す仕事を選んだものの、就職してからも難なくコミュニケーションをしている同僚に焦りを感じていました。辞めようと思ったことも一度ではありません。  あるとき、インタビュー番組が終わって出演者にお疲れさまでしたのあいさつをしたところ、その高名な心理学者に言われました。 「こんなことをしていたら、ダメになっちゃうよ」。  言い方は優しくてお父さんみたいでしたが、心にピシリと刺さりました。  かえりみれば、そのときの私はコミュニケーションの取り方や会話に自信を失っていて、どう考えたらよいのか迷いに迷っていました。  その原因のひとつに、当時はまだ女性のアナウンサーはメインのニュースを読ませてもらえなかったということがあります。男女ペアの司会では脇役にまわり、ニコニコ笑顔であいづちを打っていればよいという時代でした。  でも私は黙っていられなくて、意見を言ってしまい、せっかくのオーディションをふいにしたり、降板の憂き目に遭ったりしていたのです。そんな日々でしたので、このインタビュー番組でも、つい不安になり、予定台本通り無難にこなしました。  やはり、そこは心理学者。私のなかに自分の意見があることも見抜き、あえてはっきりとことばにして教えてくれたのだと、何十年もたった今でも忘れられない思い出です。 ■「第二のあいさつ」との出会い 「もう一度がんばってみよう」と思えたとき、周りの人達の会話に耳をすませるようにしたところ、あることに気が付いたのです。  皆から好かれている人は、ただ決まり文句の「おはよう」や「お久しぶり」だけでなく、必ずひとこと「風邪治った?」「資料作るの大変だったでしょう」と相手に寄り添う「自分のことば」を掛けていることに。 今井登茂子『さりげなく品と気づかいが伝わる ちょい足しことば帳』好評発売中! ※Amazonで本の詳細を見る  心優しい関心を持ってくれた相手に好感を抱くという心理は誰しも同じはず。 「なるほど、これだったのか!」と、こうしたことばを「第二のあいさつ」と名付けて実践してみたのです。 「おはようございます」の後に、たとえば「きのうは、最終バスに間に合いました?」というふうに、あなたのことを覚えていますよ、関心を持っていますよ、心を寄せていますよ、ということが伝わる心配りのひとことをつけ加えてみると、相手は心ひらいて「それがね」と話し始めるのです。  これを試しているうちに、少しずつ周りが変わってくるのが実によくわかりました。向こうから声さえ掛けてくれるではありませんか。  そうか、自分を受け入れてもらいたかったら、まず相手の立場に立ってみなければ。そう気づかされ、この必死の試みはコミュニケーションの土台ともいうべき貴重な収穫となったのです。 ■あなたのこころづかいが相手に伝わる  ここ数年、コミュニケーションのかたちが変わってきています。新しい発見も、もちろんあるでしょう。でも、私の実感としては、特にこの間に社会人になった方々、そんな若者たちを迎え入れた職場の人たちには、戸惑っている人が増えました。  会話は、常に「とっさ」です。だからこそ無意識に心のなかを見せてしまっています。  ただ、そうした自分の会話スタイル(癖)を客観視することは簡単ではありません。私が主宰するコミュニケーション塾で、生徒の方々に自分が話しているところを動画で撮って見てもらうと、ほぼ9割の人が「自分はもっとましだと思っていた」とガッカリしています。 「ちょい足しことば」は、そんなとっさの場面で思わず出てくるあなたの会話スタイルを磨き、コミュニケーションの「品」を高める強力な武器となってくれます。  ことばづかいは、こころづかい。そして、こころづかいこそ品なのです。  あなたの中にあるこころづかいをそのままにしないでください。  飲み込んでしまわず、この「ちょい足しことば」で相手に届けてください。  あなたの思いやりがこもったひとことは、無理なく相手の話を引き出すだけでなく、あなた自身の意見や言いにくいことも、やわらかく伝えることができます。  ちょい足しのひとことは、きっとあなたを助け、コミュニケーションの輪をひろげてくれると信じています。 「2023年上半期ベスト10」一覧はこちら
人に好かれる今井登茂子書籍朝日新聞出版の本話し方読書2023年上半期ベスト10
dot. 2023/08/13 07:00
飛行機からの緊急脱出や巨大昆虫とのバトルを体験!「サバイバル」イベント全エリアをレポート
飛行機からの緊急脱出や巨大昆虫とのバトルを体験!「サバイバル」イベント全エリアをレポート
入り口では、サバイバルの人気キャラクターがお出迎え!(撮影/上田泰世) 「科学漫画サバイバル」シリーズ初の体験型イベントが現在、大阪市住之江区の大阪南港ATCホールで開催中。不時着した飛行機からシューターを使って脱出したり、夜のサファリパークで不気味な動物に驚いたり、巨大な虫に立ち向かったりと、リアルなサバイバル体験ができるイベントは、家族連れで大にぎわいだ。イベントに「特別協力」として参加している「科学漫画サバイバル」シリーズの編集部も参戦。写真と合わせて全エリアを徹底レポートする。  スクリーンに現れたのは見上げるほど巨大な虫たち。今にも飛び出してきそうだ。「エイッ」「ソイヤッ」。立ち向かう子どもたちは、かけ声もにぎやかにボールを投げ、身長の倍ほどもあるカマキリやバッタ、カブトムシなどと必死に戦う。果たして、無事に生還できるのか……? 巨大な虫たちとの戦う「昆虫世界のサバイバル』エリアはひときわ人気を集めていた(撮影/上田泰世)  これは、「昆虫世界のサバイバル」エリアのアトラクション。夏休みに虫とりに出かけた草むらで不思議な光を浴び、体が小さくなってしまう、という設定がそのまま再現されている。今年15周年を迎え、累計1350万部を突破した「科学漫画サバイバル」シリーズ初の体験型イベントとあって、会場には初日から、多くの家族連れが詰めかけている。 「昆虫世界のサバイバル」エリアでは、大迫力の巨大カマキリと親子で記念撮影(撮影/上田泰世) 【単行本発売中!】科学漫画サバイバルシリーズ『昆虫世界のサバイバル』  広大な会場スペースには、「新型ウイルス」「台風」「宇宙」など、シリーズ10作品の世界観を再現した体験型コンテンツが並ぶ。会場を入るとすぐ、ジオ、ピピ、ケイなどの人気キャラクターに加え、今夏、デビューしたばかりの『昆虫世界のサバイバル』改訂版の新キャラクター、ダイヤ、キュリ、マーレが出迎えてくれる。 『昆虫世界のサバイバル』改訂版の新キャラクター、ダイヤ、キュリ、マーレにも会える(撮影/上田泰世) 「昆虫世界」に20回以上チャレンジしたという大阪市福島区の男の子(9)は、虫たちとの戦いで汗だく。肩で息をしながら「学校の図書館で、サバイバルは一番人気だよ」と話すと、もう一度バトルするために駆け出して行った。  男の子の母親によると、ふだんから「科学漫画サバイバル」シリーズが大好きで、コラムまで熟読している。「いろいろな知識を吸収しているようで、なんでそんなこと知ってるの? とびっくりすることがあります。先日は、プラスチックが長期間分解されずに環境に残る話をしていて驚いたのですが、『ゴミの島のサバイバル』のコラムで覚えたそうです」。イベントを訪れる前の日には、「予習のためにこれ読んどき」と『ナイトサファリのサバイバル』を渡してくれたそうだ。  会場には「ナイトサファリのサバイバル」のコーナーもある。ひときわ目をひくのは、大迫力の巨大ゴリラだ。喜んで駆け寄る子がいる一方、大阪市の小1の男の子(6)は、「こわいよ、近くに行くのヤダ」と涙目。同コーナーには大口をあけたワニとの記念撮影や、丸太を模した障害物をくぐり抜ける、アスレチックのようなアトラクションもあった。体験した兵庫県尼崎市の女の子(7)の感想は「ふわふわして気持ちよかった」。 不気味にそびえ立つ巨大ゴリラは、絶好のフォトスポットになっている(撮影/上田泰世) 「ナイトサファリのサバイバル」エリアでは、丸太を模したふわふわの遊具で、障害物の森を潜り抜ける体験ができる(撮影/上田泰世)  会場の中央にそびえる「飛行機」の脱出シューターは、高さ約3メートル。機体へと続く階段をのぼると、緊急を知らせる赤いランプが点灯! モニターに映ったCA姿の女性から、飛行機が不時着したことを告げられる。スタッフに緊急脱出時の姿勢を教えてもらい、緊迫した雰囲気の中シューターの入り口をのぞくと、とにかく高い! 「飛行機のサバイバル」エリアの脱出シューター体験は、大人もハラハラドキドキ!(撮影/上田泰世)  プールの飛び込み台でビクビクするような気持ちになりながら、思い切って滑り降りた。緊急脱出用のシューターは、手を前に出し前傾姿勢で降りないとスピードが出すぎるなどして危険だというが、実際に体験してみると、最初から最後まで姿勢を保ちながら滑り降りるのは意外に難しい。リアルに直面したくはないが、これは貴重な体験。大阪府高石市の女の子(7)は、一番好きな「サバイバル」シリーズのキャラクターが『飛行機のサバイバル』のニナだといい、「ハラハラして、一番楽しかった!」と話した。 各コーナーには、科学知識が詰まったパネルも用意されており、自由研究の素材にもなる(撮影/上田泰世)   地震が起きた時に緊急停止したエレベーターに閉じ込められないための知識を、遊びながら学ぶことができるのは「地震のサバイバル」エリアだ。幼稚園のときから仲良しの友達と、親子2組で遊びにきたという大阪市平野区の女の子(8)は、「エレベーターで地震が起きたとき、近くの階に降りるために、全部のボタンを押したほうがいいことを、初めて知った!」とうれしそうだった。 「地震のサバイバル」エリアには、エレベーターの中で地震に見舞われた状況を想定した、体験型アトラクション(撮影/上田泰世) 「防災のサバイバル」エリアでは、大阪市西淀川区の男の子(8)と妹(4)が非常用持ち出し袋の中身の整頓にチャレンジ。2人で相談しながら、「すぐ使うもの」「重いもの」「軽いもの」を張り切って仕分けしていた。男の子は『山のサバイバル』をきっかけにサバイバルシリーズのファンになり、30冊以上読んだという。 非常用のリュックを整頓してみよう。チャレンジした男の子(8)は「大量に間違えちゃった~」(撮影/直木詩帆)  会場10カ所にある科学知識が詰まったパネルを楽しんだのは、大阪市生野区の女の子(11)。漫画『はたらく細胞』(講談社)の影響で人体の勉強が好きだといい、「コロナウイルスやインフルエンザなど、いろんなウイルスがどんな形をしているか知ることができた」と満足そう。  スタンプラリーもある。10作品分のサバイバル体験を済ませてスタンプを集め、見事「サバイバルキング」になった大阪府豊中市の男の子(7)を出口付近でキャッチ。「昆虫世界」で巨大カマキリを倒したことが印象に残っているといい、「サバイバルキングになれてうれしかった?」と聞くと、少し恥ずかしそうに「はい!」と手を挙げて答えてくれた。 小学3年生の2人組が、集め終わったスタンプラリーを見せてくれた(撮影/直木詩帆)  会期は9月3日まで。アトラクションも展示も盛りだくさんで、混み具合にもよるが、すべて体験すると2時間程度はかかりそうだ。 「新型ウイルスのサバイバル」エリアでは、暗闇のなか、光るウイルスを避けて通り抜けるドキドキの体験ができる(撮影/上田泰世) 「超高層ビルのサバイバル」エリアでは、超高層ビルから脱出するため救命用具に飛び込むサバイバル体験!(撮影/上田泰世) ビルの外壁でボルダリングをする、「ビルダリング」にチャレンジ(撮影/上田泰世) 「南極のサバイバル」エリアでは、流氷の上をホップ、ステップ、ジャンプ!(撮影/上田泰世) 氷河に現れる大きな割れ目「クレバス」。落ちないよう、慎重に進もう(撮影/上田泰世) 「台風のサバイバル」エリアでは、台風並みの瞬間最大風速を実際に体験できる。強風とミストにびっくり(撮影/上田泰世) 「宇宙のサバイバル」エリアでは、隕石や惑星の間を飛び跳ねる体験ができる。終わったらすぐ「もう一回!」と列に並ぶ子も多かった(撮影/上田泰世) (生活・文化編集部 直木詩帆) 【「科学漫画サバイバル」シリーズ  絶体絶命!?キミたちのサバイバル】 日程:2023年7月22日(土)~9月3日(日) 開館時間:9:30~16:30(最終入場は16:00まで) 会場:大阪南港ATCホール(大阪市住之江区南港北2-1-10) 入場料:一般1,800円(1,600円)、3歳~中学生 900円(700円) ※2歳以下入場無料 ※( )内は20名以上の団体料金 展覧会公式サイト:https://www.ktv.jp/event/survival/ お問い合わせ:キミたちのサバイバル事務局 06-6615-5556 (c) Han Hyun-Dong/Mirae N/Ludens Media/朝日新聞出版
科学漫画サバイバル体験型イベントジオ
dot. 2023/08/04 11:40
韓国・釜山から1時間で1000年の古都へ―新羅王朝の栄華を体感! 映える美橋の撮影秘話も
韓国・釜山から1時間で1000年の古都へ―新羅王朝の栄華を体感! 映える美橋の撮影秘話も
王宮の復元の第一弾として再建された月精橋。赤と緑の柱のコントラストにうっとり(撮影/生活・文化編集部 永井優希)  韓国第二の都市である釜山(プサン)がコロナ禍に大きな進化を遂げたことは、7月14日に配信した記事【釜山に行くなら「ビーチ」推し!進化した「海上散歩」「海辺列車」を現地リポート】で詳報した。「&TRAVELソウル」編集部が6月末に参加した韓国観光公社主催の視察旅行では、釜山から車で1時間ほどの古都・慶州(キョンジュ)も訪ねた。4つの世界遺産を擁する慶州は、いわば韓国の京都。王宮の復元が進み、歴史の街としての魅力を増しているほか、ニューレトロな名所も誕生していた。  朝鮮半島を統一し、紀元前1世紀から10世紀まで約1000年もの間、栄華を極めた新羅王朝が首都を置いたのが慶州。古墳など多くの文化財が残り、「屋根のない博物館」の異名をとる。韓国では修学旅行の学生たちも多く訪れる場所だ。  なかでも「仏国寺(プルグッサ)」は、1300年以上前の統一新羅時代751年に作られ、近くの石窟庵(ソックラム)とともに1995年に韓国初の世界遺産に登録された由緒ある寺院。当時の10分の1しか残っていないというが、それでも全て見るには1時間半はかかる。 仏国寺の守護神。なんともいえない愛嬌のある表情が印象的(撮影/生活・文化編集部 永井優希) 仏国寺には、カラフルな提灯。この写真は「映え」間違いなし?(撮影/生活・文化編集部 永井優希)  到着すると、四天王像が迎えてくれる。そして、あちこちにカラフルな提灯。赤、青、ピンク、黄色、緑……お釈迦様の誕生日である旧暦4月8日(2023年は5月27日)の前後に多く飾られ、いつもあるものではないようだが、美しい。しばし撮影タイム。広い敷地内では、韓国の伝統色である赤、青、白、黄、緑の5色で塗られた建造物が新羅の仏教文化のきらびやかさを伝えてくれる。日本の寺院とは異なる趣。石造の橋や塔、圧倒な輝きの金銅製の仏像など、7つは国宝に指定されているという。 仏国寺の大雄殿。いわゆる本堂にあたり、国宝・釈迦如来を祀る(撮影/生活・文化編集部 永井優希)   ランチは韓牛ユッケムルフェ。見た目とは裏腹に辛くなくて食べやすい(撮影/生活・文化編集部 永井優希)  ランチに釜山名物「韓牛ユッケムルフェ」をいただいた後は、「大陵苑地区」へ。慶州は全域に古墳や史跡が点在し、「慶州歴史地区」としても世界文化遺産に登録されているが、大陵苑地区はなかでも、新羅時代の王や王妃、貴族の古墳が集中しているエリアだ。約15万平方メートルに23基の古墳が並び、「古墳公園」とも呼ばれている。装身具や武器が出土した「天馬塚(チョンマチョン)」は、その中に入ることもできる。 大陵苑地区では、こんもりとした古墳の前を民族衣装で歩く男女に遭遇(撮影/生活・文化編集部 永井優希) 天馬塚古墳の内部。出土品の多くはソウルの国立博物館に展示されている(撮影/生活・文化編集部 永井優希)  そして古墳公園から一歩外に踏み出すと、全く別の光景が目の前に。原宿・竹下通りを思わせる「皇理団(ファンニダン)キル」だ。「皇理団」という名前は、ソウルの梨泰院(イテウォン)にある若者に人気の通り「経理団(キョンニダン)キル」にあやかってつけられたもので、カフェやアイスクリーム店、占いの館や写真館、雑貨店、アパレルショップなどが約500メートルほど続く道の両側にぎっしり並ぶ。土曜日の午後だったこともあって、歩くのにも苦労するほどの混雑していた。ところどころに韓国の伝統的な家屋「韓屋(ハノク)」を改装した店舗もあり、ニューレトロな新名所となっている。 皇理団キルの占いの館。車も多く行き交う。ところどころに藁葺きの韓屋も(撮影/生活・文化編集部 永井優希) 王の一族の子孫が運営している伝統的建築様式の韓屋レストラン。古墳公園からも月精橋からも近い(撮影/生活・文化編集部 永井優希)  慶州のクライマックスは、穏やかな流れの広い川に架かる、赤と緑の鮮やかな橋「月精橋(ウォルジョンギョ)」だ。韓国最大級の木造橋で、『三国史記』には統一新羅時代の760年に架けられたと記されている。現在の橋は、2018年4月に復元されたものだ。夜景スポットとして知られ、ライトアップされるとご覧の美しさ。今後、この橋を中心に、新羅王京の遺跡の復元がさらに進められていくという。 月精橋は全長約66メートル。この日はちょうど、満月だった(撮影/生活・文化編集部 永井優希)  川の中には飛び石が置かれていて、そこから橋の全景を眺めることもできる。ならばその全景を撮影しようと、カメラを抱えて飛び石へと降りたが、大股を広げてやっと届くくらいの間隔で50~60センチ四方の石が配置され、人とすれ違うのもギリギリ。カメラを落とさないように、ビビりながら撮った1枚がこちら――。 月精橋は左右対称の橋。発掘調査で確認できたのは柱の存在のみで、全体は想像で復元(撮影/生活・文化編集部 永井優希)  進化し続ける釜山と、新羅王朝の栄華を体感できる慶州を組み合わせれば、一度の旅でいくつもの思い出を持ち帰ることができる。視察旅行は駆け足だったが、写真の腕を磨いて(!)再訪したい。 (生活・文化編集部 永井優希)
旅行釜山韓国
dot. 2023/07/15 07:00
韓国・釜山に行くなら「ビーチ」推し! 進化した「海上散歩」と「海辺列車」を現地リポート
韓国・釜山に行くなら「ビーチ」推し! 進化した「海上散歩」と「海辺列車」を現地リポート
松島海上ケーブルカーから眺めた海越しのビル群。絶対乗りたい(撮影/生活・文化編集部 永井優希)  まるで鳥になって海の上を飛んでるみたい――。韓国・釜山西部の松島(ソンド)海水浴場で乗った「松島海上ケーブルカー」で、そんな気分を味わった。ケーブルカーという名前だが、日本で言うところのロープウエー。湾を横切るように作られていて、1.62キロを10分間かけて渡る。  床が透明のコンパートメント「クリスタルクルーズ」に乗り込むと、すべるように出発。海面からの高さは最大で86メートルと、マンションなら30階に近い。鳥の目で眺めたこの日の海は穏やかで、高さを意識することはなかったが、陸に近づくと人影は指でつまめそうなほど小さかった。 「釜山(プサン)」と聞いて、どんなイメージを抱くだろうか。人気のソウルに比べると少し影が薄いが、アジアの物流の拠点「釜山港」を擁する韓国第二の都市で、趣の異なるビーチが7つもあるリゾート地でもある。アジアを代表する映画祭「釜山国際映画祭」でも知られるこの街が、コロナ禍を経て大きく進化を遂げていた。 「&TRAVELソウル」編集部は6月末、韓国観光公社主催の視察旅行に参加して、釜山と釜山に隣接する古都・慶州(キョンジュ)を取材した。海の上を散歩できるロープウエーや近未来都市のような顔を見せる新たなランドマーク、1000年の時を超える「映え」スポットなど、釜山と慶州の最新事情をリポートしたい。まずは、「海上散歩」を楽しめる釜山の二大ビーチから。 松島海水浴場はサーフィンの名所としても知られている(撮影/生活・文化編集部 永井優希)  冒頭の松島海水浴場は、1913年にオープンした韓国第1号の海水浴場。「東洋のナポリ」とも呼ばれていた場所だ。1960~70年代をピークに客足が衰えていたが、再整備が行われ、2017年に29年ぶり(!)に「松島海上ケーブルカー」の運行を再開したところ、かつてを上回る人気スポットに。いまでは年間500万人以上の観光客が訪れるまでに「復活」した。  人気なのはケーブルカーだけではない。海に突き出す遊歩道「松島スカイウォーク」も「雲(クルム)の散策路」と呼ばれる絶景スポット。晴れていればたっぷりの日差しを浴びながら、少しだけ緑がかった青い海の上を、優しく打ち付ける白い波やビーチに点在する色とりどりのパラソル、沖に浮かぶ大型船舶を眺めながら歩くことができる。 スカイウォークはどの角度からでも写真映えする(撮影/生活・文化編集部 永井優希)  もう一つ、松島に負けず劣らず人気のビーチが、釜山東部に位置する「海雲台(ヘウンデ)」だ。現地ガイドが「今や韓国の新婚旅行先としても人気です」と話すこちらの目玉は、2020年に運航を開始した「海雲台ブルーラインパーク」。海雲台ビーチの東端「尾浦(ミッポ)駅」から「松亭(ソンジャン)駅停留場」まで全6駅を海岸線に沿って走る観光用の「海辺列車」と、一部区間で海辺列車の真上を走るモノレール「スカイカプセル」から海の絶景を堪能できる。  約4.5キロの道のりを約30分かけて走る「海辺列車」は、尾浦駅前に到着したところからすべてが楽しい。高さ10メートルほどもある花のゲートに迎えられ、韓国ではやりのセルフフォトスタジオやトルネードポテトの屋台が並ぶ道を通って駅舎へ。ホームの入り口で待っていると、ガタンゴトン、ガタンゴトンと音を立てて、列車がやってきた。 海辺列車なら、どこに座っても大きな窓から海を臨める(撮影/生活・文化編集部 永井優希)  上半分がクリーム色、下半分が緑色の車両に乗り込むと、内部は乗客全員が海側を向いて座る、文字通りの「海辺」仕様。天井付近まで広がる大きな窓から、ただただ海を眺め続ける贅沢な時間が続く。海の青さに見ほれたり、ビーチで何をしようかと考えたり、海岸線に立つカフェや海鮮レストランを横目に今夜の夕食に思いを巡らせたり。終点の「松亭駅停留場」で降りてからは、「韓国訪問の年ポップアップストア」へ。  2023~24年は韓国政府が外国人観光客誘致に力を入れる「韓国訪問の年」。自分の名前をハングルで記載したスタンプを作れたり(1日100人限定)、日本に手紙を送れたりと無料の体験コーナーが用意されている。編集部も、今回の釜山旅行の思い出を記した手紙を投函してきたので、届くのが楽しみ!釜山でのポップアップは終了してしまったが、8月からはソウルの「ザ・現代ソウル」で第2弾のポップアップが予定されている。 青沙浦駅のカフェmansion501。抹茶にバニラとラテメニューは豊富(撮影/生活・文化編集部 永井優希)  青沙浦(チョンサッポ)駅と尾浦駅の間の2キロの区間、海辺列車の真上を30分かけて走るモノレール「スカイカプセル」にも試乗した。4人乗りのカプセルは、赤、黄、青、緑などのポップな色合い。線路の白に映え、青沙浦駅行きと尾浦駅行きが行き交う様子はまるで遊園地のアトラクションのようだ。近づいてくる対向車線のカプセルと海をうまく写真に収めれば、映えること間違いなし。「あ!カプセルが小さくなった……」「もう少し我慢して近づいてからシャッターを押さなきゃ」などとリテイクを繰り返しているうちに釜山の高層ビル群が近づいてきて、30分はあっという間だった。 海岸線を走るスカイカプセル。列車は赤、青、黄…と色とりどり(撮影/生活・文化編集部 永井優希) スカイカプセルでは、外を眺める後ろ姿を撮るのが定番だ(撮影/生活・文化編集部 永井優希)  二大ビーチを堪能したら、釜山の海岸線のもう一つの「顔」も楽しみたい。「海東龍宮寺(ヘドンヨングンサ)」は、海雲台から車で約20~30分ほどのところにある仏教寺院で、濃いブルーの海の岩場に色とりどりの建物が連なる。1300年後半の高麗の時代に、「海辺で龍に乗って空を飛ぶ菩薩の夢を見た」という和尚によって創建されたと伝えられ、豊臣秀吉による朝鮮出兵「文禄・慶長の役」で失われたが、1930年代始めに再建された。 海東龍宮寺。韓国ならではの色彩「丹青(ダンチョン)」が映える(撮影/生活・文化編集部 永井優希)  本堂を目指して屋台が並ぶ参道を上がっていくと、十二支の石像が迎えてくれる。ここでは、自分の干支とのツーショット撮影がマスト!煩悩を取り去る108の階段を下り、いくつかの門を抜けて石橋を渡ると本堂に到着。日本の神社のように、本殿の外に置かれたさい銭箱に小銭を入れ外から手を合わせることもできるが、海東龍宮寺は「心から祈りさえすれば必ず一つの願い事を叶えてくれる」と言われている寺院なので、韓国式のお参りに挑戦したい。正面ではなく横の入り口から本殿に入り、置いてあるマットや座布団の上でひざまずき、おでこを地面につけて立ち上がる動作を3回以上繰り返す。中には108回、3000回と繰り返す人もいるそうだ。 海東龍宮寺で見かけた金の豚。韓国では豚は幸運のシンボルだ(撮影/生活・文化編集部 永井優希)  夜は、2020年に建てられた新しいランドマーク「海雲台LCTランドマークタワー」へ。お目当ては99階の展望台「BUSAN X the SKY」だ。エレベーターを降りると、目の前にきらめく夜景……のはずが、当日は雨。読者の皆さんには、BUSAN X the SKY提供の以下の写真で釜山の新絶景を疑似体験してほしい。 BUSAN X the SKYからは釜山の名所が一望できる。天気がよければ対馬の島影も見える(写真/ BUSAN X the SKY提供)  ただ、雨だからといってスキップできないのが、この新ランドマークのすごいところ。1階から98階まで56秒でという超高速エレベーターやタワー内を彩るデジタルアートなど、見どころは盛りだくさん!逆に雨の日こそ、ぬれずに過ごせて混雑も避けられる「穴場」かもしれない。 雨の日は先端まで見えず神秘的な様相のLCTランドマークタワー(撮影/生活・文化編集部 永井優希)   進化し続けるリゾート地、釜山。日本の成田空港から釜山最寄りの金海(キメ)空港までは2時間30分弱、空港から中心部へも車で1時間ほどだ。福岡からは船で行くこともできる。時差もなく、気候も日本より少し涼しい程度。近郊の古都・慶州とともに、久々の海外旅行の行き先としてはベストチョイスの一つだろう。 (生活・文化編集部 永井優希)
旅行釜山韓国
dot. 2023/07/14 17:00
男性優位の映画業界へ、膨大な取材をもとに切り込んだリアル・フィクション
中村千晶 中村千晶
男性優位の映画業界へ、膨大な取材をもとに切り込んだリアル・フィクション
(c) 2019 Luminary Productions, LLC. All Rights Reserved.  ジェーン(ジュリア・ガーナー)は映画プロデューサーを夢見て、映画業界に飛び込んだ新人アシスタント。早朝、誰もいないオフィスで雑用をし、ボスに電話で暴言を吐かれても、黙々と働く。が、ある出来事をきっかけに疑問が湧き上がり──。膨大な取材をもとに編まれたリアル・フィクション映画「アシスタント」。キティ・グリーン監督に見どころを聞いた。 (c) 2019 Luminary Productions, LLC. All Rights Reserved. *  *  *  2017年に(元映画プロデューサーのハーヴェイ・)ワインスタインの事件が報道され、自分のいる業界にテーマがあると気づいたんです。100人以上の主に女性、組織の下層にいる人々に話を聞き、そこからジェーンというキャラクターが生まれました。 (c) 2019 Luminary Productions, LLC. All Rights Reserved.  取材から映画業界がいかに男性優位であるか、男性が全体をコントロールし、その構造を悪用しているかがあらためて見えてきました。ただ描きたかったのは特定の「悪者」ではなく、なぜ業界の構造がそうした悪を可能にしているかということです。それを見つめるためにジェーンの日々の仕事をドキュメンタリーのように観察し、感情を排し、淡々とスクリーンで見せるという手法をとりました。 (c) 2019 Luminary Productions, LLC. All Rights Reserved.  ジェーンは状況に変化をもたらそうと動きますが、何も変えられないことに気づきます。実際に問題を上に報告しようとして無視されたり、「仕事を失うよ」と脅迫されたりした体験を多く聞きました。当時は「何をしても変えられない、変わらない」という悲観的な意見が多かったのですが、23年のいま、状況は確実に変わっています。 キティ・グリーン (監督・脚本・製作・共同編集)Kitty Green/1984年、オーストラリア・メルボルン出身。代表作に長編ドキュメンタリー「ジョンベネ殺害事件の謎」(2017年)。全国順次公開中  17年以前は問題について、どのように語るべきかもわからなかった。でもいま人々は声をあげることを学びました。安全な職場環境や善悪や不平等について語り、改善しようと動いています。私も本作によって過去の経験を口に出し、自分の中のモヤモヤを吐き出すことができたと感じています。  本作を観た企業の上の立場の人たちから「部下をフェアに扱うべきだと気づいた」「より女性に平等に機会を与えるべきだとの認識が芽生えた」という意見をもらいました。会社や社会の中でディスカッションが起き、誰もが平等に機会を得られるよう、変化が起きればと思っています。 (取材/文・中村千晶) ※AERA 2023年6月26日号
シネマ×SDGs
AERA 2023/06/25 07:30
「中国は攻めてこないよ」 台湾の離島「金門島」が抱える複雑な事情を表す朝食の広東粥
下川裕治 下川裕治
「中国は攻めてこないよ」 台湾の離島「金門島」が抱える複雑な事情を表す朝食の広東粥
金門島の中心街。かつての金門島と比べると、街並みは台湾っぽくなった。看板の密度が教えてくれる  中国の台湾周辺での軍事力強化が進み、世界的に台湾有事への関心が高まっている。4月には中国の習近平政権が、台湾の蔡英文総統の訪米に反発し、台湾周辺で軍事演習を行った。台湾が実効支配する東沙諸島や中国沿岸の金門島など、離島への進攻というシナリオはこれまでも議論されてきた。実際、“最前線”で中国と向き合っている離島の現状について、旅行作家でジャーナリストの下川裕治氏がルポした。  *  *  *  今回、最初に訪れたのは、台湾からは200キロ以上離れているが、中国・福建省アモイからは10キロにも満たない金門島。  1949年、国民党との内戦に勝利した共産党によって中華人民共和国が成立すると、国家指導者となった毛沢東氏は、台湾に逃れた蒋介石氏率いる国民党政府に対して断続的に武力攻撃を仕掛けた。58年には金門島の攻略を試み、砲撃などの武力攻撃を仕掛けたが、台湾支援に動いた米国が艦隊を送り、第2次台湾海峡危機が起きた現場でもある。今はそのとき以来の緊張関係とも言われる。  台湾有事――。大陸の喉に刺さったようなこれらの島は、最前線になるのだろうか。そんな不安を胸に、台北の松山空港経由で金門島に向かった。  プロペラ機に乗り、約1時間で金門空港に着いた。そこから路線バスで島の中心街、金城鎮へ。  ●もしもの際は防空壕に   バスターミナルに到着し、バスを降りるとにぎやかな雰囲気が漂う。カフェ、レストラン、ホテルや銀行、土産物屋などがぎっしりと立ち並んでいる。台北の繁華街のようだ。  そんなかに、「金城民防坑道」という表示がバスターミナルの壁にあるのが見えた。坑道の入り口がここにあるようだ。  金門島やその周辺の島では、中国からの攻撃に備え、1968年から盛んに坑道が掘られていた。金城民防坑道もそのひとつだ。ほかの坑道と違い、中心部にあるため、戦時には金門島の政治や経済機能を移す役割があった。そのため25ものシェルターがつくられているという。 金門島のバスターミナル。この左に階段があり、その先が金城民防坑道の入口  現在、1日に数回、ガイド付きの無料ツアーが行われている。さっそく申し込み坑道の入り口で待っていると、ガイドが現れてヘルメットを渡された。  僕と同行カメラマン、そして台湾人3人がガイドの後について坑道に入った。坑道といっても鉱山のそれとは違い、避難路を兼ねた防空壕である。街の中心の地下5メートルほどの深さに、狭く、暗い通路が続く。 金城民防坑道。坑道内は照明がないところもある。手探りならぬ足探りで進む  しかし明かりをとる小窓もない坑道は、見るものがなにもない。わずかな照明を頼りにただ歩く。つい早足になってしまう。途中では爆撃の音が響く。見学者に警戒を促す演出だ。しかし暗い坑道のなかで聞くと息が詰まる。20分ほど歩いただろうか。最後には戦闘意識を鼓舞するような歌が流れた。ガイドに聞くと、「英雄歌」だと教えてくれた。 坑道に沿ってこんな小部屋がいくつもある。武器や弾薬、食糧の貯蔵用スペースだ  長さ約2・5キロの坑道の出口は、金門高級中学の近くだった。息苦しさから解放された。強い太陽の光が目を射る。もし中国からの攻撃がはじまったら、金門島の繁華街にいる人々はこの坑道に逃げ込むことになる……。 ここが金城民防坑道の出口。周囲に広がる金門島の日常と坑道内の戦争の折り合いはつかない  地上の道を歩いてバスターミナルに戻った。道に沿って並ぶおしゃれな飲食店などを眺めながら、そこに流れるいたって穏やかな空気と、この地下に掘られた坑道の差がどうしても埋まらない。 金門島の商店街の下を坑道が走っている。この道の下にも  テイクアウト専門のコーヒーショップの前にいた店のオーナーのLさん(35)に声をかけた。 「日本から? 早くきてほしいのは中国人なんだ。彼らがやってきてくれないと商売はあがったり。この店だっていつまでもつかわからないんだよ」  中国への思いを聞こうと思ったのだが、その前に中国人観光客を期待する声が機関銃のように耳に届く。以前は、台北郊外で兄と一緒にコーヒーショップを開いていたという。 「金門島は中国人バブルで儲かると聞いて借金をして店を出したけど、新型コロナと中国との緊張関係で中国人観光客は台湾にくることができない状態がつづいた。今も資金繰りに四苦八苦している」  混乱してしまう。金門島の人々は、攻撃してくるかもしれない中国からの観光客を渇望している。折り合いがつかない。  実は、僕が金門島に訪れたのは今回が初めてではない。20年ほど前にも一度来たことがある。そのとき目にした光景は、今とはまったく違った。店などはほとんどなかった。   第2次大戦が終わり、中国は国共内戦に陥る。中国国民党と中国共産党の内戦だ。1949年に台湾に拠点を移した国民党が大陸の共産党と対峙(たいじ)したのが金門島だった。大きな戦闘が何回かあり、金門島には10万人規模の兵士が駐留し、“軍事島”と化していく。兵士の数は島民の人口より多かった。  島全体が要塞化への道を進んでいく。そのなかで金門島の人々は、産業を興すこともできなかった。台湾本島からの行き来は制限され、島の発展は止まった。人々は兵士の世話をするような仕事で生きのびるしかなかったという。  しかし台湾と中国の間の緊張は少しずつ緩んでいく。1987年、台湾本島に敷かれていた戒厳令が解除され、金門島もそれから5年後に解除された。金門島は軍事公園として観光地の道を進みはじめた。台湾本島から観光客が訪れるようになっていた。  僕がはじめて金門島を訪ねたのはそうした時期だった。観光地への展開は道半ばで、島は軍事島時代の緊張をまだ保っていた。  ●年々増える中国人観光客  金門島を本格的に活気づけさせたのは、2001年からはじまった「小三通」だった。ビジネス、交通、通信のことを中国語で三通という。通商、通航、通郵の自由化という意味を含んでいる。その小規模な交流が、金門島と対岸のアモイ、泉州との間にはじまったのだ。この交渉をまとめたのが、いまの台湾総統の蔡英文氏である。  連日、何便ものフェリーが中国側からやってきた。アモイから金門島へは高速フェリーに乗れば30分で着いてしまうから日帰りも可能だった。金門島にやってきた中国人は、年を追って増えていく。交流が始まった2001年は千人に満たなかった中国人客は、2010年代の後半には30万人を超えるまでになった。 「金門島バブル」という言葉が生まれ、中国人観光客をターゲットにした店が次々にできていく。 金門島の繁華街には、金門島バブルを聞いて台北から進出した店が多い  そこを襲った新型コロナとそれにつづく台湾、中国との緊張状態。金門島の中心街では一時、一気に店が増えたが、その多くが経営難を強いられることになる。ホテルのなかには休業しているところもあった。  金門島の中心街を歩くと、ドラッグストアが多いことに気づく。日本でも同じだが、中国からの観光客がこの種の店に落とすカネは大きい。大きな店舗を構える康是美(コスメド)に入ってみる。台湾の大手ドラッグストアチェーンだ。客はまばらで、並ぶ化粧品の前で店員が暇そうに立っていた。  路線バスに乗って島内の山外にある昇恒昌金湖広場を訪ねてみた。ここは2015年にできた大きな免税店で、完成したときはアジア最大規模という宣伝文句が躍っていた。もちろん狙いは大陸からの観光客だ。しかしそのフロアは閑散としていた。  金門島は中国と台湾の緊張を左目で眺めながら、右目では往来の活発化をにらんでいる。そんな空気が伝わってくる。  ●朝食は「島名物」のはずなのに?   島内の民宿に泊まった。客はほとんどいない。朝食つきの宿で、オーナー(58)からは、「金門島の名物朝食を用意します」といわれた。  翌朝、食堂に置かれていたのは広東粥だった。台湾の朝食といったら、揚げパンなどが入った塩味の豆乳やもち米のおにぎり、卵入り台湾風クレープやハンバーガーだ。しかし金門島の朝食は昔から広東粥だという。  前夜に入った食堂の主人の言葉がよみがえる。 「台湾有事っていうけど、中国は金門島には攻めてこないよ。この島の大多数は大陸の福建人と同じ意識というか、大陸の福建省と一体化しているから。領土的には台湾だけど、意識は中国。“本省人”主体の台湾とは違う」  本省人というのは台湾で生まれ育った人たちのことをいう。  たしかに、対岸にはアモイの高層ビル群が見え、そこから多くの中国人が訪れてきた。島も経済的な恩恵を受けたとあれば、昔の意識とは違ってきても不思議ではない。 金門島に撃ち込まれた砲弾の弾殻からつくられた包丁は島の名物。材料の弾殻はまだまだあるという  しかし、先の大戦後、中国の共産党は金門島に攻め込んだと水を向けると、 「それは台湾に逃れた国民党の軍隊が金門島に駐留したからこの島が戦場になった。私たちは犠牲者。当時とは構造が違う。いまの緊張は本省人の台湾と中国との間に起きていること。昔は国民党と共産党の内戦だったから」  このあたりの感覚が難しい。金門島の中心部にある金城民防坑道から伝わる戦闘と、いまの台湾有事は構造が違うというのだ。金門島は台湾ではなく中国だと、あまりに自信ありげな主人の面もちだった。  金門島の人々が広東粥を毎朝食べていたのは、そういうことだった。民宿で広東粥を食べながら、その意味が少しわかった気がした。 民宿の朝食に出された広東粥。とろりとした舌ざわり。香港で食べたという人は多い (下川裕治) ■しもかわ・ゆうじ 1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(毎週)、「たそがれ色のオデッセイ」(週)、「沖縄の離島旅」(毎月)。
台湾有事金門島
dot. 2023/05/09 06:30
天海祐希「私が宝塚時代のことをあまり語らない理由」 松下洸平とのバディ対談!
古田真梨子 古田真梨子
天海祐希「私が宝塚時代のことをあまり語らない理由」 松下洸平とのバディ対談!
松下洸平さん(写真左)と天海祐希さん。hair & make up 宮田靖士(THYMON Inc.) 林智子、styling 丸本達彦(UNFORM) 大沼こずえ、costume m's braque Y's、photo 写真映像部・東川哲也  松下洸平さんがホストを務めるAERAの対談連載「じゅうにんといろ」、9人目のゲストは俳優の天海祐希さんです。元宝塚トップスターであり、俳優としても確かなキャリアを築いておられる天海さんには、お聞きしたいことが盛りだくさん。学び多き時間のスタートです。 松下 よろしくお願いします! この対談は昨夏にスタートして、だいたい1カ月に1度のペースで、新たなゲストの方とお話しさせていただき、それを4週にわたって掲載しています。対談のルールは特になくて、ただ楽しくお話しするだけです。 天海 わかりました、よろしくお願いします! 松下 天海さんとは、4月スタートのカンテレ・フジテレビ系ドラマ「合理的にあり得ない」(月曜10時)で初共演させていただいて、撮影現場では、隙あらばお話しさせてもらっています。今回のドラマのことはもちろん、宝塚時代のお話なども聞かせていただいていますが、テレビや雑誌などで宝塚のことをお話しになる機会はあまりないんですか? 天海 その話は……、あまりしないようにしてます。 松下 ああ、話さないようにされているんですね。 松下洸平さん(写真左)と天海祐希さん。hair & make up 宮田靖士(THYMON Inc.) 林智子、styling 丸本達彦(UNFORM) 大沼こずえ、costume m's braque Y's、photo 写真映像部・東川哲也 天海 うん。「宝塚で苦労したこと、大変だったことは何ですか」と聞かれることはよくあります。当時の裏話を聞きたいと思ってくださる方はたくさんいらっしゃるとは思うんだけど、楽しく観ていてくださった時に、裏で何があって、私がどんな思いでいたかを情報として入れたくないじゃないですか。特にネガティブなことや、こんな苦労してました、なんて話をすることは、良いことだとは思えないんです。これは宝塚の教えということではなく、私自身の考えでね。  宝塚とは、とても多くの人が目指す場所で、そんな素晴らしい場所に立たせてもらっていた私が「大変です、つらいです」というのは、あり得ないな、と。観てくださった思い出を大事にしてほしいと思っています。 松下 もともと宝塚に入られたきっかけはなんですか。 天海 宝塚というよりも、お芝居をする人になりたかったんですよね。私、本名は祐里なんですけど、幼稚園の時、お遊戯会で先生に「祐里ちゃんは声が大きくてお芝居が上手ね」と褒めてもらったことがあって。子どもだから単純に「祐里ちゃんはお芝居上手なんだ! 祐里ちゃんはお芝居する人になる」と思いこんだの。そこからですね。 松下 へー! そんな幼い時から! 天海 お芝居する人にどうすればなれるんだろう、と思っていたら、中学校の担任の先生が宝塚ファンで、「あなたは、背も高いし、踊りもやっているから、宝塚に行ったら?」と言ってくださった。宝塚だったら、歌も踊りも全部教えてもらえることがわかって、本格的に目指すようになったの。 【こちらも話題】 「理想の女性上司」天海祐希は、イメージを裏切る「グダグダな人間」 https://dot.asahi.com/articles/-/101440 松下洸平さん直筆の連載タイトルロゴ 松下 そんなきっかけもあったんですね。 天海 中学を卒業後、高校2年で中退して宝塚音楽学校に入るまで、通っていたバレエ団の宝塚受験クラスに在籍して、いろんなことを教えてもらいました。宝塚の公演も演目が変わるごとに観に行くようになってね。当時、東京宝塚劇場は3階席が900円だったの。レッスンが終わったらみんなで観に行って、ああ、すごい世界だな、と。 松下 入団されて、トップも務められました。 天海 1987年に宝塚に入団し、月組トップスターになったのは93年です。「異端児」とよく言われてましたし、自分でもそうだなと思っていました。トップになるまでの段階は一応踏んでいるけれど、「男役10年で一人前」と言われていたので、ちゃんと年輪を重ねた男役さんではないということは自覚していました。  当時は、なぜ自分がこういう立場に置かれているのかをすごく考えてましたね。上級生たちに比べて、私はバババッときてしまっているから経験がない。だけど、トップに置いていただいたということは、上級生たちと自分の持ち味が違うからだろう、と。そう思うしかないよね。上級生が身につけているものが自分にはない。だったら新鮮に、若いままでいくしかない。これを、ひとつの取り柄にすればいいんじゃないかとは思っていました。そう思うことで自分を支えるというか。 松下 そこで「自分は特別なんだ」と思われなかったんですね。 天海 そんなこと全然思わないよ! すごい上級生たちが本当にたくさんいらっしゃる中で、私はたまたま居させてもらっただけだとずっと思っていました。  よく女優への足がかりとして宝塚に入ったんだろう、と言われることがあるけれど、いやいや、その程度の思いだったら、もっと早くやめてます。自分のいた世界に尊敬や愛情がない限り、自分の一番いい青春時代をかけて頑張ることなんてできないですよ。  私があまり宝塚のことを話さないのは、あまりに自分にとって大切なものだからということもありますね。話すことによって、大切な思い出が薄まるような気がして。 松下 それは、なんだか少しだけわかるような気がします。  天海さんの周囲に感謝する精神と礼儀を重んじる姿勢を、僕はすごくリスペクトしていて。本番前、天海さんはいつも「よろしくお願いします」と言われる。そんな方、見たことないです。 天海 ああ、言いますね。現場を支えてくれている、例えば小道具を作ってくださったスタッフとか、その場にいない方へも頑張ってきます、という気持ちでね。自分にももちろん言い聞かせているけど。 松下 本当に素敵なことだと思います。僕は、その言葉を聞くたびに感動しています。 ○あまみ・ゆうき/1967年生まれ、東京都出身。宝塚歌劇団では史上最年少で月組トップに。95年に退団後、ドラマで俳優デビュー。映画、舞台でも活躍。2023年6月、主演映画「劇場版 緊急取調室 THE FINAL」公開予定 ○まつした・こうへい/1987年生まれ、東京都出身。1stアルバム「POINT TO POINT」、写真集『体温』発売中。2023年エランドール賞新人賞受賞。8~9月、こまつ座40周年(第2弾)第147回公演「闇に咲く花」に出演予定 (構成/編集部・古田真梨子) ※この対談の続き(全4回)は下記に掲載しています。 第2回:AERA 4月3日増大号(3月27日発売) 第3回:AERA 4月10日増大号(4月3日発売) 第4回:AERA 4月17日号(4月10日発売)
じゅうにんといろ
AERA 2023/04/27 18:00
“憧れの君”との同居を叶えた野良猫チャトラン 恋と友情と絆「三角関係」から穏やかな時間へ【後編】
水野マルコ 水野マルコ
“憧れの君”との同居を叶えた野良猫チャトラン 恋と友情と絆「三角関係」から穏やかな時間へ【後編】
チャトラン(左)とウイスキー(提供) 飼い主さんの目線で猫のストーリーを紡ぐ連載「猫をたずねて三千里」。埼玉県在住のゆかりさん(64歳)は3匹の猫と暮らしています。うち1匹は元野良のオスの茶トラ猫で、庭に訪れてはゆかりさん宅の美猫に熱い視線を送っていたのですが、あることを機に家猫となります。“憧れの相手”と同居を果たした茶トラですが、意外な事実が待ち受けて……。後編は、猫の恋と友情のお話です。 【前編:「私の不注意で……」大けがを乗り越えたわが家のイケメン猫 変わらず甘えてくれる姿に救われた】より続く *  *  *  うちには「ウイスキー」と「シャンパン」と「チャトラン」という猫がいます。ウイスキーとシャンパンは保護猫カフェから迎えた兄妹で、チャトランはウイスキーを気に入って、わが家の庭に頻繁に通うようになった元野良猫です。  ウイスキーは親バカながら超美猫なので、一目惚れされても不思議ではありません。とはいえ(去勢はしていますが)男の子です。でもあれは、どう考えても “恋”でした(笑)。 外からじーっと覗いていたチャトラン(提供)  チャトランが庭に初めて来たのは、2018年10月。年は1歳未満くらい。当時、ご近所の中には飼い猫を表に自由に出す方もいたので、「どこかの家の子かな」と思いました。首輪はないけど、とても人懐こい。外猫用に置いていたごはんをよく食べる。  チャトランという愛称をつけて、行動を見ていたら、視線の先にウイスキーがいることに気づきました。ウイスキーが居間にいれば庭先からじーっ、ウイスキーが隣の和室に移れば自分も移動して縁台からじーっ。 「チャトラン、恋煩いだよね」と、娘も言っていました。ウイスキーのほうは、「また来たんだね」とのんびり窓から外を見ていましたが。チャトランのまなざしは熱くなる一方です。 ウイスキーに恋煩いのチャトラン(提供)  そこまで焦がれているなら中に入れてあげたい気もしましたが、飼い猫かもという迷いもあったので様子を見ました。でも2カ月後くらいに、チャトランに異変が起きたのです。  寒くなってきた12月。庭の掃き出しのところに血の跡が見えたので、あら?と思って少し窓を開けたら、チャトランが姿勢を低くして室内に入ってきたんです。そして、ピアノの下に置いてあったキャリーバッグにスッと入りこみました。 自らキャリーバッグに入ったチャトラン(提供)  床にも血がついたので、キャリーの蓋をすぐに閉めて、そのまま動物病院に連れていきました。すると、左右とも肉球4カ所が切れていて、先生は「猫よけの突起物を踏んだのかも」と。念のため血液検査をしてもらうと、猫エイズが擬陽性でした。  痩せていて去勢手術もされていないし、「飼われていた猫が、迷ったか捨てられたかで野良になったのだろう……どうしますか?(飼いますか?)」と先生に聞かれました。  頼るように家に入ってきた、だから迎えたい……。そこで、肉球の治療をし、免疫を上げる注射を打ち、通院しながら室内のケージで過ごしてもらうことにしたのです。肝臓の数値が悪くて麻酔は打てなかったので、去勢手術は肝臓の治療後にすることにしました。  ウイスキーとシャンパンは、チャトランを窓から見ていたせいか、家(のケージ)に入れても驚きませんでした。チャトランはしばらく免疫アップの注射を続け、猫エイズが陰性となった後、ついに、直接のご対面となりました。 ■ウイスキーを「女の子」と思い続けていた?  ケージから出たチャトランは、こたつで寝ていたウイスキーに寄り添いました。ぐいぐい行くわけでなく静かに。ウイスキーも自然に受け入れ、日に日に仲の良さが増します。 憧れのウイスキーにそっと寄り添って(提供)  あまりに仲良しなので、「兄弟でないオス同士がべったりするものですか?」と獣医の先生に聞いたら「お互いの性格が優しく、年齢が近く、相性があったからでしょう」とのこと。  でも私の中には、その時に“ある疑い”が残っていました。チャトランがウイスキーを異性(女の子)と勘違いして好きなのではないか、と。  チャトランの去勢は、肝臓の数値がよくなった翌2月に終えたのですが、じつは未去勢の時に、ウイスキーに一度マウンティングをしかけたのです。リアル女子のシャンパンに対しては一度もしなかったので、狙ってますよね。 ウイスキーへの思いがますます募るチャトラン(提供)  このことも先生に聞いてみると、「ウイスキーを女の子として見初め、部屋でもしばらくそう思っていたかもしれない」と頷きました。やっぱり!という感じです。  それでもどこかのタイミングで、チャトランは「違うな」と気づいたのか、さらに自分も去勢を施された身となってからは、恋が友情へと変わったよう。 妹シャンパンはウイスキーが大好き(提供)  しかしその後、シャンパンに変化が起きました。兄と新たな仲間の仲が良くなるにつれ、ご機嫌が悪くなっていったのです。  シャンパンはイケメンのウイスキーお兄ちゃんが大好き。おとなになっても兄妹の絆が強く、夜は必ず一緒に寝ます。(その時はチャトランは一人寝)。  もともと友好的で物怖じしないキャラでもあるシャンパンは、チャトランが庭に来ていた時も威嚇せず、すんなりと受け入れていました。  ところがチャトランがウイスキーにくっついてばかりいると、「私のお兄ちゃんよ」といわんばかりに焼きもちを妬いて。拗ねるだけでなく、行動を起こすようになりました。自分の目の前を通るチャトランの頭を前足で押さえたり、威嚇してみたり……。 妹シャンパンが妬くほど仲良しのウイスキーとチャトラン(提供)  特に機嫌悪いのは朝。シャンパンはいつも真っ先に起きて居間にきて「ごはんごはーん」と食事係のパパに可愛い声で甘えます。その後、ウイスキー、チャトランが起きてくるのですが、ある時チャトランがごはんを食べにきたら、「てめぇはくるんじゃねえよ」とでもいうように、シャンパンが目をつり上げ、肩をいからせ、チャトランの耳を噛んだのです。 「わっ、女番長。シャンパンにこんな面が」と驚きました。爪研ぎをしようとしたシャンパンとチャトランが“鉢合わせ”した時は、小さな体でチャトランを押し出したことも。  優しいチャトランはシャンパンに爪とぎを譲り、すごすごと隣の部屋に移動。その姿はなんともいじましく、でも家族としてはチャトランへの愛しさが募ったものです。 輪に入れず、いじけるチャトラン(提供)  このまま三角の関係性が尖り、シャンパンの女番長ヅラが激しくなるなら、先生に相談しようとも思ったのですが、大げんかするわけでもなくて。チャトランと並んでごはんを食べたり、くっついたりすることもあるので、「なんだかんだいって仲はいいのよ」と娘も話していました。実際にだんだんと落ち着き、シャンパンはチャトランを仲間として認めていったようです。 並んで食事するチャトランとシャンパン(提供)  ウイスキーを中心に3匹が結束して猫団子になったり、廊下で猫会議したり。猫の社会や関係はとても面白く、チャトランはわが家に新たな楽しみと癒しをもたらしてくれました。そして、家猫になったチャトランは、すっかり毛並みもよくなり、ウイスキーに負けず劣らずのモフモフぶりです。 ライバル同士、朝日をチャージ中(提供) どうすればみんな仲良くなる?猫会議中(提供) ■チャトランを再び受け入れた兄妹  そんなチャトランが、家に迎えて3年目の4月、とつぜん家を出たことがありました。  その日、庭に1匹の猫が来ていました。前にも来たことのあるオスの野良くんです。  足元にいたチャトランに気づかず、私が何気なく窓を開けたところ、チャトランが庭に出て、勢いよく野良くんを追いかけました。家猫になってから外に出たことがなかったので、慌てて主人と後を追うと、2軒先の家の裏でチャトランが野良くんを威嚇しています。帰ろう、と近づくと逃げて、捕まえることができず……そのまま見失ってしまったのです。  いつもチャトランが食べていたごはんをうちの庭先に置くと空になり、近くにはいるようでしたが、保健所や警察に連絡をいれて、家族で探しながら無事を祈りました。  ウイスキーとシャンパンは、チャトランがいなくなると、なぜか先住のシニア猫がいた時にそうしていたように、夜11時になると2匹揃って自分たちからケージに入って眠りました。チャトランを探す素振りは見せませんでしたが、静かないい子、になった感じでした。 「チャトランが戻ってきた!」と主人が声をあげたのは、脱走から2週間目でした。  庭の石の上にたたずみ、こちらを見ています。娘がガラス戸を開けて好物のおやつを見せると部屋に入ってきたので、戸を閉めて一件落着です。病院に連れていきましたが、けがもなく無事でした。  ウイスキーとシャンパンは、くんくんと匂いをかぎ、そのまますんなりチャトランを受け入れ、日常が戻りました。チャトランはお外が懲りたのか、それ以来、もう二度と庭に出ようとはしません。もしかしたら野良君を執拗に追ったのも「僕のうちだぞ」とアピールしたかったのかな。いずれにしても、脱走を経て、真に“うちの猫”になったように思うのです。 こたつ布団で幸せの猫団子(提供)  今日も3匹は一緒にこたつで寝ています。仲のいい兄妹とその兄を慕う男子猫と、穏やかにまあるくなって。これからもみんな仲良く、ハッピーな関係でありますように。  (水野マルコ) 【猫と飼い主さん募集】「猫をたずねて三千里」は猫好きの読者とともに作り上げる連載です。編集部と一緒にあなたの飼い猫のストーリーを紡ぎませんか? 2匹の猫のお母さんでもある、ペット取材歴25年の水野マルコ記者が飼い主さんから話を聞いて、飼い主さんの目線で、猫との出会いから今までの物語をつづります。虹の橋を渡った子のお話も大歓迎です。ぜひ、あなたと猫の物語を教えてください。記事中、飼い主さんの名前は仮名でもOKです。飼い猫の簡単な紹介、お住まいの地域(都道府県)とともにこちらにご連絡ください。nekosanzenri@asahi.com
猫をたずねて三千里野良猫
dot. 2023/01/14 14:00
北陸 令和5年最初の1か月予報 成人の日を含む三連休の天気やその後の寒気の動向
北陸 令和5年最初の1か月予報 成人の日を含む三連休の天気やその後の寒気の動向
メイン画像 北陸では中旬を中心に気温が上がり、積雪の多い地域を中心になだれ、融雪による土砂災害や浸水害に注意が必要です。下旬以降は短期的な大雪の可能性がまだあり、引き続き寒さや大雪への備えを怠りないようにして下さい。 気象台発表の最新の1か月予報 画像A 1/5、新潟地方気象台より、北陸西部の福井・石川・富山と北陸東部の新潟の4県を対象とした「北陸地方の向こう1か月の天候の見通し」が発表されました。そのポイントの一つは、「向こう1か月の気温は、寒気の影響を受けにくく、特に、期間の前半は気温がかなり高くなる」こと。もう一つは「冬型の気圧配置になりにくいため、向こう1か月の降雪量は少なく、日照時間は多い見込み」ということです。 2022年12月の実況は、地点別にみると大きな隔たりはありますが、北陸平均では平均気温は平年より低く、日照時間は平年より少なくなりました。また、降水量と降雪量はともに平年よりかなり多くなりました。 今後は積雪の多い地域では、なだれ、融雪による土砂災害や浸水害、屋根からの落雪に十分注意が必要です。 7日・8日・9日の三連休も天気はすっきりしない 平野部は雨主体となるも7日~8日は上空の強い寒気の影響で非常に不安定 アラレが降る所も 画像B 6日は冬型の気圧配置は緩み上空の寒気はやや弱まる見込みです。雨や雪の降り方は次第に弱まり天気は小康状態となるでしょう。 7日は、二つの低気圧が日本海と本州南岸を進む見込みです。午後を中心に天気が崩れ、平野部は雨が降り、標高の高い所では雪が降るでしょう。 7日夜遅くから8日未明は、上空約5500メートルに氷点下36度以下の強い寒気を伴った気圧の谷が北陸付近を進む見込みです。北陸地方は大気の状態が非常に不安定となるでしょう。下層には相対的に暖かい空気が流れ込むため平野部で広く降雪となることはない見込みですが、アラレが降って、局地的には見かけ上積雪したようになる所もありそうです。 8日の日中以降は一時的に冬型の気圧となる見込みです。上空の風の流れから山雪型となり、上越の山沿いを中心に積雪が増えるでしょう。スキーリゾートなど屋外で活動する方は最新の天気予報や道路情報を確認して下さい。 9日は気圧の谷が日本海を進む見込みです。雲が広がりやすく、平野部では雨の降る時間もありますが、北陸西部を中心に日差しも届きそうです。 12日からを対象に「高温に関する早期天候情報」発表 15日頃は晴れれば最高気温が20度に達する暖気流入も 画像C 新潟地方気象台からは併せて、1月12日頃からを対象にした「高温に関する早期天候情報」も発表されました。 北陸地方の向こう2週間の気温は、寒気の影響を受けにくく、暖かい空気に覆われやすいため高い日が多く、12日頃からはかなり高くなる可能性があるとのことです。 図は15日午前9時の上空約1500メートルでプラス6度以上の暖気予想域です。南から西日本と東日本がすっぽり覆われており、良く晴れて風の条件などが揃えば、最高気温が20度以上になってもおかしくない暖気が予想されています。 繰り返しになりますが、積雪の多い地域では、なだれ、融雪による土砂災害や浸水害、屋根からの落雪に十分注意が必要です。また、気温の変動が大きくなりますので体調管理にも十分注意して下さい。画像D 北陸の冬はまだ終わらない? 「高温に関する早期天候情報」の対象期間は「北極圏での寒気蓄積期間」と捉えるべし 画像E まもなく寒の入りとなり、1年で最も寒い期間に突入します。 最新の1か月予報では1/20までの期間の平均気温が高い予想となっていますが、各種モデルをみると、その後は、強い寒気が断続的に南下する予想もあります。 令和5年の二十四節気の「大寒」は1月20日です。その後の2月上旬頃にかけてが一年で最も寒さが厳しくなる時期となります。 北陸各都市の最低気温の観測史上最も低いランキングは、 福井:氷点下15.1度(1904年1月27日) 金沢:氷点下9.7度(1904年1月27日) 富山:氷点下11.9度(1947年1月29日) 新潟:氷点下13.0度(1942年2月12日)のように観測されています。 更に、一番多く雪が降る日について調べました。 対象期間は、1961年度~2021年度までの61年分で38豪雪や56豪雪などを含みます。 方法は、同一日の日降雪量を61年分積算して日別61年合計降雪量の多寡を比較する方法です。 その結果、その多くが大寒から2月上旬頃の期間に観測されていました。 20日の「大寒」から2月上旬頃の期間を中心に短期的な大雪となる可能性もまだありますので、引き続き寒さや大雪への備えを怠りないようにして下さい。
tenki.jp 2023/01/05 00:00
3人の“通”が厳選した「京都グルメ」 舞妓さんも通うお茶専門店から独創的なおばんざいまで
3人の“通”が厳選した「京都グルメ」 舞妓さんも通うお茶専門店から独創的なおばんざいまで
唐澤武彦さん/OMO by 星野リゾート 京都エリア(3施設)総支配人。お店選びのポイントは、地元の方に昔から愛されていること。「ネットで検索結果が出なくても素敵な店構えのお店に勇気を出して入ってみてください」  政府の観光支援策「全国旅行支援」が始まり、多くの観光地がにぎわいを取り戻している。17のユネスコ世界文化遺産が集中する京都もその一つ。観光名所のあれこれはガイドブックに任せて、今回は「京都通」を自認する3人に、いまこそ行くべき京都の最新グルメスポットを教わった。街歩きの途中に立ち寄りたいカフェや甘味処、創作手巻き寿司専門店、京都中華の名店からディープな「酒場」まで、めくるめく京都グルメをご堪能あれ。 ◆唐澤武彦さん おすすめの3軒(OMO by 星野リゾート 京都エリア3施設総支配人)  唐澤さんは、1999年に「星野リゾート」に入社。軽井沢のウェディングやエリア総支配人などを経て京都に移り、「旧ロテルド比叡」「星のや京都」支配人に。オーベルジュや日本旅館、現在は街を楽しむ都市ホテルと、さまざまな視点から京都の魅力を探求する日々を過ごし、現在は「OMO3京都東寺」「OMO5京都三条」「OMO5京都祇園」の総支配人を務める。  その唐澤さんがまず名前を挙げたのは、「茶香房 長竹」。石畳の通りが京情緒を感じさせる先斗町の8番路地に面したお茶の専門店だ。宇治茶の茶園主との親交を経てお茶のスペシャリストとなった店主は、作法などを難しく考えずに楽しめる“暮らしの茶”を提唱する。「お茶の葉を見て味わってほしい」と急須を使わず湯呑みや抹茶碗で直接淹れた煎茶は、まろやかな甘みと長い香りの余韻が心を打つ。 茶香房 長竹/唐澤さんいわく「京都のお茶をしっかり味わうならここ」。抹茶わらびもちは、上品なほろ苦さとなめらかな口当たりが格別。1500円のセットでは好きなお茶を選べる 「芸妓さんや舞妓さんが通うお店でもあり、中にはうちわと千社札がびっしり飾られています。風情ある先斗町の景色を楽しむだけでなく、ぜひお店にも入ってみていただきたいです」(唐澤さん)  飲み物は、玉露や煎茶、抹茶ミルクに加えて、中国茶、紅茶なども用意。フードは最高級の宇治抹茶を惜しみなく使った大福やわらびもち、パフェなどの抹茶スイーツから、番茶で炊いた茶飯の御膳やおばんざいといった食事メニューまで、どれも丁寧に作られた品々がそろっている。話し上手な店主の気さくなおもてなしで、お茶の魅力に目覚めた客が多いというのも納得。会話が弾むカウンター席がおすすめだという。 Bar Nostalgia/大人がゴキゲンに過ごせる地下の穴場。落ち着いた店内はまさに隠れ家だ。「偽電気ブラン」(900円)は、森見登美彦さんの小説『有頂天家族』にちなんだオリジナルのお酒  ゆっくり過ごしたいという人に唐澤さんがすすめる隠れ家バーは「Bar Nostalgia(バー ノスタルジア)」。にぎやかな河原町通に面していながら、地下ゆえに、喧騒とは無縁の落ち着いた店内。「秘密基地のような広い空間が素敵なんです」と唐澤さんは言う。  国内外のウイスキーからオリジナルカクテルまで多彩なメニューが揃い、オーナーバーテンダーによる丁寧で親しみやすい接客も好評。バー初心者にも最適の店だ。「マスターが親切で、一人一人の好みに合ったお酒を提供くださいます。ご近所さんにも文化人の方々にも愛されているのが印象的なバーです」(唐澤さん)  実際、森見登美彦さんの小説『有頂天家族』に登場するバーのモデルとなった店でもあり、作品にちなんだお酒も味わえる。洋食やおつまみ、デザートとフードも充実している。 祇園 鳴海屋/ここのわらび餅は本わらび入りで、時間がたってもふるふると柔らかい。10切きなこ付き(写真は和三盆味)で380円。近江米と北海道産小豆を蒸し上げた赤飯は100グラム190円  京都人の生活に寄り添うお菓子を味わえる店もある。「祇園 鳴海屋」だ。八坂神社のお膝元、祇園石段下で昭和初期から続く町の「おまん屋さん」。みたらし団子ややき餅といった普段のおやつや、正月、お盆、季節ごとのお菓子をそろえ、近所のおなじみさんから観光客までに広く愛されている。人気のわらび餅は、黒糖、和三盆、抹茶などの定番を始め、いちごや桜風味といった季節限定の味も登場。購入した商品は店頭の簡易席ですぐに味わうこともできるという。 「今では珍しくなった石臼で、毎日心をこめてお餅をついていらっしゃいます。お祝い事用のお赤飯や、京都の方が普段のおやつとして召し上がるような餅菓子やお饅頭も、ぜひお試しを」(唐澤さん) ◆バッキー井上さん おすすめの3軒(酒場ライター/「錦・高倉屋」店主) バッキー井上さん/酒場ライター。「錦・高倉屋」店主。もう一度行きたくなるのは、「食事の楽しさとお店を出てからの余韻」。「京都は普段使いの料理のレベルがとても高いので、街を歩いてフラッと入るのもいいと思います」  高校生の頃から酒場に惹かれ、ジャズ喫茶やロック喫茶などに出入りしていたというバッキー井上さん。画家、踊り子、「ひとり電通」などを経て錦市場の漬物店「錦・高倉屋」店主となった。そのかたわら、酒場ライターとしても活躍。京都の街・人・店について名文を多く残している。  その井上さんが「大人向けの酒場で飲むなら」と名前を挙げたのが、川端通にともる赤提灯が目印の「赤垣屋」。縄のれんをくぐって格子戸を開けると、使い込まれた飴色の空間が鰻の寝床式に奥まで続いている。昭和20年代から70年以上も地元客に愛されてきた、京都が誇る名酒場だ。 赤垣屋/仏産の高級な鴨肉を使った「かもロース」は1200円から。カウンターの中の良い色に煮込まれたおでんが食欲を誘う。カウンター席のほか、小上がり席、座敷の個室がある  品書きは旬の魚のお造りに始まり、名物のしめさば、かもロース、笹かれいや焼き鳥といった焼き物、煮物など約30品が並ぶ。加えて、通年で味わえるおでんが15種類ほど。価格が表記されていないため最初は戸惑うかもしれないが、1品あたり500~1500円目安とごく良心的なので、安心して味わえる。  井上さんは言う。「調理場に立つご主人親子のキリッとした佇まいがいいんです。俺の好きなカウンター席は予約ができないので、口あけを狙ってください」  1日の疲れがフッと抜けるような居心地のよさがありつつ、ちょっと背筋を伸ばして飲みたくなる凛とした空気感は、この店ならでは。料理や酒の味はもちろん、格好のいい先客に酒場でのふるまい方を無言で教えてもらえるのも大きな魅力だ。  井上さんが「下町名物で一杯飲むなら」と選んだのは、河原町八条にある食事処「糸ちゃん」。朗らかな女将さんと娘さんが中心になって営む、朝から飲める気軽な店だ。細め・太めのうどん、黄そば(中華麺)、そばと麺を選べるなべ焼きやカレーうどんなどの麺類、丼類が充実している。常連客から圧倒的な支持を受ける人気メニューは、「ミノ天」「レバー天」と呼ばれるホルモンのフライ。細かいパン粉を使った軽やかな衣に甘辛いソースがしみ、ビールやチューハイのお供にぴったりの一品だ。テイクアウトも可能だという。 糸ちゃん/普段使いでお昼を食べる地元の人も多い。ホルモンのフライは、ミノ天、レバー天各1個120円(注文は5個から)。甘めのだしに生姜が効いたなべ焼きは、卵、天ぷら、きつね、すじ肉か牛肉(選べる)が入る「全部入り」1000円 「街中からは離れるけれど、わざわざ目指す価値のある一軒」と井上さん。ミノ天、レバー天には、別でもらえる辛いソースをかけて食べるのが井上さんのおすすめだ。  そして、井上さん自身が「一人で気軽に行けるので長年週1くらいのペースで通ってます」と話す最後の1軒が、50年近く続く繁華街の人気店「龍鳳」。“京都中華”の発祥とされる伝説の店「鳳舞」や、その系列店「大一楼」で腕を磨き独立した店主が、新京極に構えた店だ。 龍鳳/店主がひとりできりもりする。ツーンと刺激的な「カラシ入そば」750円。鶏肉、エビ、シイタケ、白菜、ネギなどの具がたっぷり入っている。とろみをまとった豚肉、玉ネギ、ピーマンの相性が絶妙の「スブタ」は800円  カウンターと小さな赤テーブルだけのカジュアルな店構えながら、あっさりとした上品な広東料理を味わえる。修業店ではコースの締めメニューだったという「カラシ入そば」は、今や京都中華の名物の一つ。酢で溶いた粉辛子と醤油を合わせて熱々の玉子麺に絡め、具だくさんの中華餡をかけた食べ応えのある一杯だ。 「通し営業だから遅めの昼食にも重宝。かしわ玉子焼き、チャンポンもおすすめです」(井上さん) ◆ケイリーン・フォールズさん おすすめの3軒(フードイラストレーター) ケイリーン・フォールズさん/フードイラストレーター。「人は目で食べます。形が面白い、色が鮮やか、盛り付けなどが素敵なお店は美味しい確率が高いです」。SNSで写真をたくさん見てから行く店を決めているという  日本でデザイナー、イラストレーター、タレントとして活動中のケイリーン・フォールズさんは、アメリカ・ミネソタ州出身。バイリンガルリポーターとして、TBS「世界くらべてみたら」やNHKワールドJAPANの番組にも出演している。6月に刊行し、本物よりおいしく見えるフードイラストが話題の『日本のいいもの おいしいもの』でも、京都の「いいもの おいしいもの」を紹介している。  彼女のチョイスした「AWOMB西木屋町」は、色とりどりの手織り寿司で知られる創作手巻き寿司専門店。高瀬川沿いの細い通りに佇む京町家をリノベーションした店内は、1階にテーブル席とカウンター席、2階にはテーブル席があり、町家の造りを生かした内装。メニューは、具材のおばんざい、海苔、酢飯、椀物がセットになった「手織り寿し 養」のみだ。烏丸の本店とはまた違った味が楽しめ、「よもぎ麩の霰揚げ」「マンゴーの天ぷら」など独創的なおばんざいが平皿に並ぶ。濃茶塩やガーリックチップ、クルミ、豆乳マヨネーズなどの薬味や調味料で味変すれば、未知のおいしさに出合える。 AWOMB西木屋町/「手織り寿し 養」3630円。具材はどれを組み合わせてもOK。内容は時期によって変わるので、何度来ても飽きずに楽しめる。「ベジタリアンにもおすすめです」とケイリーンさん  ケイリーンさんも、「新しいものを食べるのが大好きな私にはピッタリのコンセプト。想像しなかった味のコンビネーションに意外な発見があります」 と太鼓判を押す。動物性タンパク質は一切使っていので、椀物まで全部食べてもヘルシー感満点なのも魅力だ。  ケイリーンさんの2軒目は、レトロな雰囲気のカフェ。庶民的なエリアの鞍馬口通の中ほどに現れる、風格ある門構えの「さらさ西陣」だ。1998年まで銭湯として営業していた築80年の「藤の森温泉」がリノベーションされ、市内で人気の「さらさ」の2号店として、カフェに生まれ変わった。和製マジョリカタイル全面張りのアンティークな雰囲気の店内で、ボリュームのあるフードやスイーツをいただける。 さらさ西陣/唐破風屋根の立派な外観に、今でもお風呂屋さんと間違えて入ってくる人がいるとか。店内は、花柄などのレリーフを施したタイルも鮮やか。「鉄板チョコブラウニー~アイスをのせて~」は750円 「廃業したお店を別の形で生まれ変わらせたことに感動。タイルや屋根など元の建物を生かして、レトロな雰囲気を残しているのが素敵!」 とケイリーンさん。ライブや展示会などイベントも多く、多様な世代が集まる交流場所として常に活気づいている。 伊藤軒/SOU・SOU清水店/POPで華やかなスイーツを食べたいならここ。「SOU・SOU」の代表的なテキスタイルデザインである数字は、カステイラになった。プレーンのほか、羊羹カステイラ黒糖1296円なども  最後にケイリーンさんが挙げたのは、「伊藤軒/SOU・SOU清水店」。1864年創業の和菓子店「伊藤軒」と京都の人気テキスタイルブランド「SOU・SOU」がコラボしたスイーツ&雑貨の店だ。「SOU・SOU」の大ファンで、クロゼットやアクセサリーの半分が「SOU・SOU」のものだというケイリーンさんは、「SOU・SOUのお菓子が味わえるなんて幸せ!」と興奮気味。数字など「SOU・SOU」の代表的なテキスタイルデザインをモチーフにした、カステイラや羊羹などの和菓子をラインアップし、見た目のかわいさはもちろん、美味しさも老舗和菓子店のお墨付きだ。マスクやがま口などのアイテムは、お土産にしたい。 (構成 生活・文化編集部 白方美樹)
京都
dot. 2022/10/23 11:30
事故に骨折、2度のおなかの手術に去勢 波乱の半年を過ごした愛猫に「ありがとう」の色紙を
水野マルコ 水野マルコ
事故に骨折、2度のおなかの手術に去勢 波乱の半年を過ごした愛猫に「ありがとう」の色紙を
興味深そうな目で何かを見つめるゆず  飼い主さんの目線で猫のストーリーを紡ぐ人気連載「猫をたずねて三千里」。今回、お話を聞かせてくれたのは、大阪府在住の介護職員の浅野さん。1年半前に駐車場で保護した雄猫は、事故で満身創痍(そうい)でしたが、懸命に生きて、後から迎えた雌猫の子とラブラブになります。でも蜜月は長くは続かず……。喪失を(人と動物が)どう超えるのか、胸に染み入る物語です。  *  *  *  最愛の猫、ゆずの“猫生”はまさに波瀾(はらん)万丈。  ゆずと出会ったのは2021年4月1日でした。スーパーで買い物を終えて駐車場に戻ると、私の車の横に倒れていたのです。外傷はないけど目やにがひどく、失禁もしていた生後3カ月くらいのキジ柄の雄猫でした。  当時、わが家には雄のチワワ「ライム」(12歳)と、雌猫「レモン」(1歳)がいたのですが、スーパーの店長に聞いても見たことのない猫だというので、うちで預かることにして、かかりつけの動物病院に連れていきました。  主治医の先生は、小刻みに揺れるゆずの頭をみて、「バイクか何かに当たって脳振盪(しんとう)を起こしているようだ」とおっしゃいました。脳震盪を起こすと48時間以内にてんかん発作の症状が出る可能性があり「危険」だというので、そのまま入院しました。 先住のレモン(下)と遊ぶゆず  48時間を越えたら退院する予定でしたが、ゆずはその1日後にてんかん発作を起こしてしまい、呼吸困難となりました。事故時に横隔膜に開いた小さな穴がてんかんのせいで大きく裂け、横隔膜ヘルニアを引き起こしたようです。それで(横隔膜を縫う)緊急手術となりました。その後の検査で腸骨(骨盤の骨)の軽度の骨折もわかりました。  先生は経過をLINEで送って下さったのですが、こんな文字に目が留まりました。  <いろいろ大変なことが重なりかわいそうな状態ですが、本人は頑張って生きてます>  強く生きようとするゆずに、私は心を動かされました。 先生とのラインのやりとりの一部  ゆずは結局、出会って1週間後にわが家にやってきました。最初は後ろ足を引きずるようにして歩いて、トイレの時はペットシーツまで行くものの、便が軟らかく、うんちまみれ。  うちは共働きで、娘も大学生で、家は留守がち。先生も「(高所に)飛べないような猫なら病院の子にするので」とおっしゃってくれたのですが、2週間もすると、ゆずは小走りし、トイレも問題なくできるようになり、柵も飛べるようになりました。  けれどほっとしたのもつかの間、試練は続きます。   家にきて1カ月後くらいに、ライムが台所に入らないように置いた“柵”を越えようとして、ゆずが後ろ足を引っかけて指をけがしました。最初は小さな擦り傷だったのがだんだん腫れてしまい、傷口をとにかくなめる。かさぶたができるとなめて、かさぶたがはがれるとまたなめて血が出ての繰り返し。  病院では「常同障害」と診断されました。常同障害とは、爪をかんだりグルーミングするようないわゆる普通の行動が、脳の問題やストレスなどで頻度を増すこと。  靴下をはかせても脱げるので、病院で伸縮性の布をもらって体から足先まで覆うお洋服を作りました。すぐに汚れるので3日おきに作るうちに服作りが“進化”して、看護師さんたちに絶賛されたほど! 「早くよくなあれ」と思いながら洋服を作るたびに、愛情が湧いていきました。  7月下旬には去勢手術をしたのですが、その際に、(横隔膜の前の傷痕が開きそうになっていたので)おなかの再手術もしました。まさに満身創痍。でも、いつもおとなしくしていました。  先住の動物との関係はといえば、チワワのライムとはつかず離れず。雌猫レモンは最初こそ威嚇をしましたが、甘えたいゆずを受け入れて、可愛がるようになりました。 ライムのケージに入り込むゆず  そうして3匹の生活が続いていたのですが、8月半ばに子猫が増えました。  私の職場(介護施設)の通用口の横に段ボールが置いてあり、生後1カ月くらいの子猫が5匹入っていました。幸い、猫好きが多い職場だったので、もらい先がどんどん決まり、うちでも雌1匹を引き取ることにしたのです。  しばらく隔離した後にうちの子たちに会わせると、ライムは特に関心なく、レモンは「シャー」。でもゆずは、目を輝かせて「にゃ~」と鳴き、べろべろなめはじめたのです。 「これは僕の子」といわんばかりに抱きしめるので、「ゆずがママだったの? いつ産んだの?(笑)」と声をかけるほど。くわえてどこかに連れていこうとするのでハラハラすることもありましたが、子猫に“ぴたっ”と寄り添うゆずの姿は、本当にいとおしいものでした。  こうして後から来た子猫を可愛がるのも、自分が来た時に先輩レモンに受け入れてもらったからかもしれません。「今度は自分が可愛がる番」と思ったのでしょう。 小さなこなつ(右)を抱えるゆず ■突然の状況に人も猫もついていけず  ゆずは、小さな恋人ができてうれしそうでしたが、なぜか足先をなめるのが止まらず、傷が治らないので、9月にまず爪を取り、その後、傷んだ指を一本切りました。ああまた痛い思いを、と胸がつぶれる思いでしたが、これで落ち着けばいいなと祈ったものです。  ゆずは足のこと以外は、順調でした。マイペースだけど、何をしても怒らないゆずは、家族みんなに愛されて。これからも、ゆず中心に生活が続くのだろうと楽しみでした。  ところが去年10月12日、そんな生活にピリオドが打たれました。  ゆずが、とつぜん旅立ったのです。  その頃、朝は主人が猫たちの世話をしてから出勤し、その後に私が起きるのが日常で、この日もそうでした。後で聞くと、朝少し元気がなく、ご飯も残したそうですが、それほど珍しいことではないのでそのまま出かけたのです。  うちでは外出時、ペットをそれぞれのケージに入れています。私が出かける時には、トイレ横の床に横になっていました。普段からトイレで転がっていたりするので、気にとめず、家を出てしまったのですが……。  夕方、先に家に戻った娘から何度か電話があったので、なにかな?とかけ直すと、「ゆずが動かない……死んじゃった」というのです。「ええ?」と耳を疑いました。 “あの日”の前日までくっついていたゆず(左)とこなつ  慌てて家に戻ると、娘は気丈にも箱の中に、ゆずを寝かせてくれていました。動物病院にも連絡しましたが、急なことに先生も驚いていらっしゃいました。  友人に連絡すると、きれいなお花を届けてくれたので、ゆずの周りをお花で飾り、色紙に家族のメッセージを記して上に置きました。ふだんうちに色紙などないのですが、職場の施設で使う(利用者様へ寄せ書き用の)残りがたまたまあったのです。 ゆずの写真を貼った色紙  レモンとこなつも、事態がよくわからなかったのでしょう。2匹はそわそわしてゆずを探し、ゆずがいたベッドなどをのぞきこみました。とくにこなつは、冬用ベッドに替えてしばらくすると、すごい目つきで“ふみふみ”と“チュパチュパ”をして、低い声、高い声、甘えた声と七色の声で鳴いて、主人や私に甘えて、服や体でも(チュパチュパを)始めました。かと思えば、レモンの新しいベッドを食いちぎったり……。 ■1カ月後に兄弟猫を迎えて  私も苦しくて、「あの朝になんでちゃんと顔を見てあげなかったのか」という思いにさいなまれたものです。  ゆずのいないケージは寂しく、「もう片付けようか」と悩んでいました。  でもそんな時にこなつの兄妹をもらった方から「引き取り手を探している子がいる」と保護猫のことを聞きました。気になって保護主さんのお宅に伺ってみると、兄弟でくっついていたので、2匹一緒にわが家に迎えることにしました。そして、2匹に“ゆずのいたケージ”を使ってもらうことにしたのです。ゆずがいなくなって1カ月後のことです。  娘は、私が「ねこねこネットワーク」(猫界で作られたとされる架空の連絡網)に登録されて、「猫を育てるために選ばれたのでは?」といいましたが、本当に「ゆずが運んでくれた縁」かもしれないですね……。  新たな猫たちは、沈んでいた家に優しい光をともしました。ペットは今5匹。にぎやかになり、家族に笑顔も増えました。こなつが鳴いてゆずを探すこともなくなりました。 上から新たに迎えたピノ、レモン、こなつ、リッツ  でもみんな、ゆずを忘れたわけではありません。  早いもので、まもなく一周忌を迎えるのですが、家族で毎日ゆずのことを話すし、こなつは“彼女”みたいに相変わらず夫にべったり(夫はゆずの代わりなのかも)。 夫に甘えるこなつ  先日こなつを病院に連れて行った時に、状態をあらためて獣医さんに話すと、分離不安症と確定診断され、やはり、という思いです。先生には「甘えたいだけ甘えさせて」とアドバイスされ、そうしています。 “あの日”以降、変えた習慣もあります。今は留守時にペットの見守りカメラをつけて、出かける時はすべての子の顔を必ず「ちゃんと見る」ように心がけています。 「寂しいよ、会いたいな」  自室に作ったお仏壇の前で、叶わぬ思いを日々ゆずに伝える私ですが、こなつたちと一緒に、頑張って前に進みたいと思います。 琥珀色の目がきれいなゆず 水野マルコ 【猫と飼い主さん募集】「猫をたずねて三千里」は猫好きの読者とともに作り上げる連載です。編集部と一緒にあなたの飼い猫のストーリーを紡ぎませんか? 2匹の猫のお母さんでもある、ペット取材歴25年の水野マルコ記者が飼い主さんから話を聞いて、飼い主さんの目で、猫との出会いから今までの物語をつづります。虹の橋を渡った子のお話も大歓迎です。ぜひ、あなたと猫の物語を教えてください。記事中、飼い主さんの名前は仮名でもOKす。飼い猫の簡単な紹介、お住まいの地域(都道府県)とともにこちらに連絡ください。nekosanzenri@asahi.com
ねこ保護猫猫をたずねて
dot. 2022/10/08 14:00
社会とともに発展するサステナブル・プロダクト~台湾発・持続可能な注目のプロダクト~
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コロナ禍で注目された 台湾製マスクの進化系  2019年を端緒とするコロナ禍で、多くの国にいち早く台湾製マスクを贈るといった国際貢献を行い、世界から注目を集めた台湾。現在は環境への配慮と高い機能性を兼ね備えたマスクも開発されている。そのひとつが、水洗いやアルコール消毒をして繰り返し使えるDacian Technology Material(大謙科技材料)の「マイクロパーティクル3D 立体マスク」だ。  通常の医療用マスクに使われているフィルターは時間の経過とともに効果的にエアロゾル粒子を除去することができなくなる。しかしこの製品はナノフィルムを使用したことで水分の影響を受けないうえ、通気性にも優れ、再利用防護率はN95規格マスクに相当するFFP2認証を通過した。使い捨てはもったいないし、かといって繰り返し洗えるウレタンや布マスクはウイルス通過率が高くて心配……そんな声にしっかりと応えてくれる。 Dacian Technology Material 大謙科技材料股份有限公司 http://www.dctpro.com 新旧共存の意識が高まるなか 建築物を長く生かすグリーン建材  サステナブル、つまり持続可能なものへの意識はなぜ高まっているのだろうか。台湾では2010年前後から、日本統治時代などの古い建築のリノベーションと民間活用がムーブメントになった。これは、元はといえばそういった建築のそばに昔からある古木を守ろうという環境保護運動に起因するものが多い。古い建物を生かしたカフェやクリエーティブスポットなどがあちこちにできている。 台北にある、古い建築を再活用したカフェやクリエーティブスポット「榕錦時光生活園区」。古い建築のそばには、南国の強い日差しのなかに涼しい影をもたらす大きく古い樹木が緑の葉を揺らす光景が多く見られる。  そうした新旧共存した街づくりが進むなかで活躍を見せるのが、環境に配慮したグリーン建材だ。  HUA TSAI PAINTS(華彩塗料)の「Medusa i-WaterProof 」は、植物からつくられた液状防水材。日常生活のなかのあらゆる素材に塗布でき、御影石など天然石の質感を再現する「新世代」塗料だ。見たものを全て石に変えてしまうギリシャ神話に出てくる女性メドゥーサをシリーズ名に冠している。亜熱帯・熱帯の湿気や雨の多い気候下でタイルの白化を防ぎ、構造物の寿命を延ばす効果がある。持続可能な「百年建築」を目指すうえでとても役立つアイテムだ。 HUA TSAI PAINTS 華彩塗料實業股份有限公司 http://www.medusa-paint.com.tw 高まるエネルギーへの関心 SDGsをリードする企業のOne for All 急速充電器  2011年の東日本大震災の際に多額の義援金を送るなどの支援を行った台湾。社会の関心は台湾自身のエネルギー政策にも寄せられ、反原発運動や2016年に「段階的な原発ゼロ」政策を掲げた現・蔡英文政権の誕生へとつながった。現在もサステナブルなエネルギーへの関心は高まるばかりだ。  そうしたなか、電力技術とエネルギー管理において50年以上の実績をもち、SDGsにも積極的に取り組む台湾企業のリーダー的な存在が、デルタ・エレクトロニクス(台達電子工業)である。ESGの視点で世界の企業の持続可能性を評価した「ダウ・ジョーンズ・サステナビリティ・インデックス(DJSI)」にも選ばれている。  同社製の急速充電器「C6 Duo USB-C 63W One for All 急速充電器」は、独自の技術により、どちらのポートもPD(Power Delivery)対応の急速充電を可能としているため、ノートPC、携帯電話、タブレット、ゲーム機など2台の機器の充電を迅速に行える。また、使用時にはデバイスの種類にあわせて最適な出力で効率よく充電できるうえ、150カ国以上の国々で使える変換プラグも付いている。生活が電子機器とともにある多くの現代人にとって何ともうれしい便利グッズだ。 DELTA ELECTRONICS(JAPAN), INC.  デルタ電子株式会社 https://www.delta-japan.jp 社会環境へ配慮した バリアフリーなシャンプー  企業の環境への意識の高まりは、2013年公開の「看見台湾」(邦題:「天空からの招待状」)がきっかけだろう。台湾全土を空撮で記録したドキュメンタリー映画で、空から俯瞰することによって、「かけがえのない台湾という島を守ろう」という共通意識が多くの人に芽生えた。また、企業の利益追求が環境を破壊している現状の認識にもつながり、いわば「看見台湾」によって、台湾企業は利益に対して社会環境に責任を負うべきという自覚が強まったといえる。  2003年に創業し、頭皮ケア分野の研究開発で数々の国際的な賞に輝くMacroHi(美科実業)は、2016年からは特に企業の社会的責任(CSR)にも重きを置く。同社の「スカルプシャンプー」は頭皮に注目したシャンプー。甘草やアボカドオイルなど植物由来の原料を使用し、頭皮や毛髪をすこやかに保つ。ブランドのカラーであるボトルの深いグリーンは森を想起させるほか、ハーブの香りでリラックスした気分に満たされる。また、角がとれたボトルの形状と「シャンプー」という点字が入っていることも特徴。視覚に障がいがある人にも使いやすく、スカルプケアにもバリアフリーの考え方が生かされている。 MacroHi Co., Ltd.  美科実業股份有限公司 https://www.aromase.com/ パイナップルの葉を生地に 社会運動とサステナブル  また、近年の台湾のサステナブルな意識の高まりにとりわけ強烈な影響を与えたのが2014年の「ひまわり学生運動」だろう。  きっかけは台湾と中国との不透明なサービス貿易協定への反発から起こった若者を中心とする社会運動だが、この経験を通じて改めて、市民こそが社会の主役というコンセンサスが得られた。この運動で能力を見いだされたのが、現在デジタル発展部長を務めるオードリー・タン氏。氏の主導で構築されたデジタル政策プラットフォーム「join」は、こうした市民参画型政策の一例だ。 「join」は一人の市民の提案が60日以内に5千人分の「附議(賛同)」を集めれば、政府の担当部局が必ず検討結果を2カ月以内に公表しなければならないというオンライン公開討論空間。選挙権を持たずとも、政策の影響を受ける人なら誰でも自分たちの社会を良くするための討論に参加できる。  過去には16歳の学生が発起人となり、「レストランやテイクアウトでのプラスチック・ストローを全面禁止にする」という提案がなされ、プラスチック製造業者や環境保護団体、政府の担当部署などのステークホルダーにまたがった話し合いの結果、段階的にプラスチック・ストローを禁止する政策がつくられた。こうした社会全体で討論していくプロセスが、台湾においてサステナブル素材への取り組みが盛んになったことにもつながっている。  例えば、パイナップル畑で出た廃棄物を加工して糸にした生地「パイナップル葉繊維生地」。葉の繊維を利用しているので分解可能なうえ、コットン風の布素材や動物皮革の代替品として靴・バッグ・ボール・家具・帆布などさまざまな用途に向く。この製品を開発したSuper Textile(世堡紡織)は1975年に設立された紡績企業の老舗だが、97年には業界に先駆けて廃ペットボトルを利用した繊維・テキスタイル・ファブリックの研究開発に取り組んできた、リサイクル繊維の草分け的存在である。 Super Textile 世堡紡織股份有限公司 https://www.supertextile.com/  1987年に世界最長といわれる戒厳令が解除され、民主化への道を歩んだ台湾。台湾における社会運動は、社会が前進するための大きな動力となり、サステナブルなものへの意識も高めている。台湾の「ものづくり」に関わる人々の思いは、こうした複雑な歴史的背景に連なるさまざまな経験に支えられ、だからこそ前進し続けるプロダクトが生まれているのだ。 文/栖来ひかり 撮影/熊谷俊之(榕錦時光生活園区) 大阪・梅田蔦屋に台湾エクセレンスの期間限定コンセプトストアがオープン! 台湾エクセレンスのコンセプトストアが大阪に誕生しました。マッサージチェアから自立ペン、コスメまで、受賞製品が集結。注目のプロダクトを実際に見て、触って、体験できます。購入はコンセプトストアと連動して開催している楽天のオンラインマーケットから。オフライン・オンラインの両方で台湾エクセレンスを楽しめます。 場所:梅田蔦屋書店ショールーム 大阪府大阪市北区梅田3-1-3 ルクア1100(ルクアイーレ)9F 期間:2022年9月8日(木)~10月28日(金) 購入サイト:楽天台湾エクセレンスECショップ「オンラインマーケット」 https://www.rakuten.ne.jp/gold/twdirect/2022_twe_conceptstore.html ※台湾エクセレンス受賞製品の買い物サイトはこちら(台湾直送) https://item.rakuten.co.jp/twdirect/c/0000000259/ 東京・日本橋の誠品生活に台湾エクセレンスのポップアップストアが展開中 日本初となる台湾エクセレンスのポップアップストアが、東京・日本橋で展開中です。自転車やデジタルデバイス、生活用品など、さまざまな受賞製品がそろいます。 場所:誠品生活日本橋店内 東京都中央区日本橋室町3-2-1  コレド室町テラス2F 期間:2022年8月18日(木)~10月17日(月) このページは台湾経済部国際貿易局(BOFT)が提供するAERA dot.のスポンサードコンテンツです。
2022/09/30 11:16
自転車競技でも圧倒。多品種少量生産で品質の頂点を求めてきた50年 鄭文祥さん/美利達工業股份有限公司
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“台湾製の自転車は修理拒否” 反骨心が創業のきっかけ  1960~70年代。台湾で自転車メーカーが設立されていたころ。米国の自転車店では台湾製の自転車の修理を拒否するところが多かった。台湾製の自転車の品質が低かったからだという。日本のオートバイメーカーなどに部品を供給する会社の機械技師だった曾鼎煌(ツォン・ティンホワン)さんがメリダを創業したのは1972年のこと。「台湾製の自転車の品質をなんとか高めたい」という反骨心とともに、「部品のサプライヤーのままでは会社に未来はない。自分たちで直接、消費者に届ける製品をつくりたい」との思いがあったという。創業当時について、副社長(副総経理)の鄭文祥(チョン・ウェンシアン)さんがこう話す。 「創業者は日本の教育を受けた人で日本語も堪能。日本の技術書を読んで知識を蓄えました。当時は日本の自転車メーカーが台湾に製造拠点を移転していた時期です。台湾に進出した日本企業からの技術的な支援も受けながら、高い品質の自転車を生産することができました。今年、当社は創業50周年を迎えましたが、日本企業からのサポートがあったことにまず感謝したいと思います」 台湾に進出していた日本メーカーの支援も受けながら高品質の自転車を生産する体制を整えていった 自転車競技でマウンテンバイクが 世界に注目された 自転車競技の盛んな欧州や米国のマーケットを見据え、ドイツにR&Dセンターを開設した(写真の製品はMerida e-bike_eONE-SIXTY)  メリダの50年の歩みは大きく二つの時期に分けることができる。前半の30年はとにかく生産量を増やすことに注力した。後半の20年は販売とマーケティングを重要視した。マーケティングでは特にユーザーの信頼を得ることを第一に考えたという。メリダが活路を見いだしたのはスポーツ用自転車だ。1980年代にマウンテンバイクを生産し、2000年ごろからマウンテンバイクのワールドクラスの選手へのスポンサーを行いはじめる。04年開催のアテネでの世界選手権のクロスカントリー競技では、メリダのマウンテンバイクに乗った選手が金メダルと銀メダルを獲得した。自転車競技においてメリダの名前を世界に知らしめる初のイベントとなった。  アテネでの3年前、01年にメリダはドイツ・シュツットガルト近郊のマグシュタットに研究開発拠点となるヨーロッパR&Dセンターを開設した。なぜ、ドイツなのか。鄭さんはこう話す。 「当社の主要マーケットは自転車競技の盛んな欧州と米国です。欧州のユーザーの声を自転車の研究開発に生かしたいと考えました。加えて、シュツットガルトはベンツなど自動車メーカーの工場が集中し、エンジニアも多かったことが挙げられます」  R&Dセンターでは試作車の強度テストを行うテストラボや、社内で自転車の工作を行うワークショップ、世界選手権などで優勝経験のある所属プロ選手を含むテストライダーによる長時間の評価を行って新型車を設計している。実験室でのテストだけでなく、実際に競技に出場している選手に使ってもらい、その声を製品開発にフィードバックすることで、製品の品質は飛躍的に向上する。素材についても、軽いが値段が高いカーボンと、重いが値段は安いアルミニウム。自転車をつくるうえで複数の素材をうまく組み合わせて重量、強度のバランスをとることが必要になる。素材の研究もこのR&Dセンターで行われている。 カーボンやアルミニウムなど複数の素材の特長を生かしながら、自転車の重量、強度のバランスをとっていく ロードレースのチームをサポートし ブランド価値を高めた10年 メリダは大量生産ではなく、各種高品質の自転車を少量生産してきたことが成功につながった(写真の製品はMERIDA SCULTURA)  品質はメリダが最もこだわる点だ。過去において台湾製の自転車が米国で修理拒否にあった苦い経験がある。創業者の「品質のいい自転車をつくる」との信念がメリダのDNAになっている。創業当時から台湾の規格であるCNSを満たす自転車を生産していたが、その後、日本、米国、ドイツなどのさらに厳しい規格にも合致する品質を維持している。年間生産台数は70万~80万台。いまでは大量生産というより、品質の高い自転車を多品種少量生産することに軸足を移している。そのぶん、価格は高くなる。出荷時の価格は約1900米ドル(約26万6000円。1米ドル140円で換算)。店頭での販売価格は約5000米ドル(約70万円)となる。最も高額なものでは約1万米ドル(約140万円)もするという。小型の車1台が買える価格だ。それでもメリダの自転車が世界中で売れるのは品質の高さが認められているからに他ならない。こうしてマウンテンバイクの分野では成功を手にしたメリダだが、ロードスポーツでは後れをとっていた。鄭さんが話す。 「毎年、東京で自転車関連の展示会が開催されているのですが、あるとき、ユーザーに『なぜメリダのロードバイクは売れないと思うか』と聞いたことがあります。『ロードバイクは100万円もする。競技大会に出ているバイクであれば安心して買うことができるが、そうでないバイクは買う気がしない』という答えでした。このとき競技チームをサポートすることが重要なんだと気づかされました」  そこで13年からロードバイクの競技チームをサポートすることになった。日本の新城幸也選手など約30選手が所属する「チーム バーレーン・ヴィクトリアス」は、昨年の「ツール・ド・フランス」や「ブエルタ・ア・エスパーニャ」、今年の「ジロ・デ・イタリア」など、世界三大ツールでチームとして連続優勝を果たしている。 「ロードレースのチームをサポートするようになったことが、この10年間の最大の変化です」  鄭さんはそう強調する。マウンテンバイクに続き、ロードバイクでもブランドの確立を実現した。ブランド価値は約4.5億米ドル(約630億円)(*)と、台湾の中でも屈指の企業だ。 *出典:BEST TAIWAN GLOBAL BRANDS 2021(台湾経済部工業局) メリダは2013年からワールドツアーのロードバイクの競技チームをサポートする。2021年にはツール・ド・フランスでチーム優勝している(写真上、中央)。「それがこの10年間の最大の変化」と話す鄭さん(写真下) ハイブリッドな自転車で 誰でもサイクリングを楽しめる 「台湾エクセレンス2022」銀賞を受賞した「eSILEX」。モーターをフレーム内に収めることでデザイン性や安全性を高めた 「台湾エクセレンス2022」銀賞を受賞した電動アシスト自転車「eSILEX」はメリダの技術の粋が詰まっているかのような自転車だ。マウンテンバイクとロードバイクの両方の機能を併せ持つこの自転車の特徴について、鄭さんが次のように話す。 「全体の重量が軽く、スタイリッシュなシルエットと洗練された外観です。また、多機能性があり、電動アシストを組み合わせていて、現代の旅、あるいは探検のスタイルにもマッチします」  もう一つの大きな特徴は電動アシスト自転車でありながら、モーターがどこにあるのか、外観からはわからないことだ。モーターやケーブル類をフレームの中に収めたことでデザイン性を高めるとともに、モーターに直接水が当たらないようにし、安全性を高めた。いま、台湾では電動アシスト自転車が人気だそうだ。マウンテンバイクやロードバイクはある程度健康で、体力のある人が乗るものだが、電動アシスト自転車を使えばいろいろな層の人が気軽にサイクリングを楽しむことができる。台湾の若い人の間では、台湾最高峰の玉山(標高3952メートル)に登ること、自転車で台湾を一周すること、観光スポットとして人気の湖、日月潭を自転車で一周するアドベンチャーが注目されているという。 「そこに当社の自転車が関われることはとてもうれしいことです」(鄭さん)    創業時から日本とは縁の深いメリダ。いまも日本の有名な自転車部品メーカーから品質の高いパーツの供給を受けている。 「『唇歯相依(チュンチーシアンイー)』という言葉があるように、今後も日本の企業と密接な関係を築くことでお互いに発展していければと願っています。自転車はもともと環境負荷の少ない乗り物ですが、日本と協力して、より環境に優しいクリーンプロダクトを生み出し、世界に販売していければと考えています」  台湾と日本の今後の関係について、鄭さんはそう期待を込める。 美利達工業股份有限公司  MERIDA INDUSTRY CO., Ltd. https://www.merida-bikes.com/ 文/西島博之 通訳/長谷川あゆ 写真提供/MERIDA INDUSTRY このページは台湾経済部国際貿易局(BOFT)が提供するAERA dot.のスポンサードコンテンツです。
2022/09/30 11:12
高い技術と対応力で「夢のヨットの建築家」に。顧客の輪を世界に広げる 呂哲宇さん/嘉鴻遊艇股份有限公司
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速度も船内の広さも確保した 3階建ての大型ヨット 「台湾エクセレンス2022」銀賞を受賞したホライゾンの大型ヨット「FD92」。舳先の角度が鋭角ではなく垂直で、3層デッキになっているのが大きな特徴だ。独自技術の開発により、従来にはないヨットを実現した(画像提供:嘉鴻遊艇)  全長94フィート(約29メートル)のそのヨットの船首は他のヨットとはかなり形状が異なる。舳先(へさき)の角度が鋭角ではなく、ほぼ垂直になっている。「これでは水の抵抗が増え、ヨットの速度が遅くなってしまうのではないか」。多くの人はそう考えてしまうだろう。ホライゾンが開発製造し、「台湾エクセレンス2022」の銀賞を受賞した大型ヨット「FD92」はそんなヨットの常識を覆した。同社マーケティングマネジャーの呂哲宇(リュイ・チョーユイ)さんがFD92の特徴を次のように話す。 「舳先の形状を垂直にすることによって、船内の空間をより広く使えるようにしたのがFD92の大きな特徴です。全長94フィートの船ですが、まるで100フィート(約30メートル)の船以上に感じる広さがあります。船首に波を切り分ける独自の装置HPPB(High Performance Piercing Bow)をつけることで、速度を落とさずに広い空間を確保することに成功しました」  もう一つの大きな特徴は、デッキを3層構造にしたことだ。呂さんが続ける。 「これまでのFDシリーズのデッキは2階までしかなかったのですが、顧客から『3階までつくってほしい』と要望があったのです。デッキを1階分増やすのは簡単そうにみえますが、そのぶん重くなり、速度も落ちます。重心が上にくるので船の安定性も低下します。大変難しい技術が必要になります。当社のデザイナー、技術者がいくつもの課題を克服して3層構造にすることができました」  FD92に代表されるホライゾンのFDシリーズはヨット界における「革命的な製品」(呂さん)として、ホライゾンがアジア屈指のヨットグループへと大きく成長する礎となった。 顧客からのカスタマイズの依頼は千差万別。どんな依頼にも対応し、顧客好みのヨットに仕上げていく技術をもつのがホライゾンの最大の強みだ(画像提供:嘉鴻遊艇) 港湾都市の高雄で創業 最大の強みはカスタマイズ力 ホライゾンが創業した高雄市はもともと造船業が盛んだった。ホライゾンは顧客の「夢のヨットの建築家」になることをめざし、1987年に設立された  台湾第3の都市、高雄市に本社を置くホライゾンは1987年に設立された。高雄市には台湾最大の港(*)、高雄港があり、もともと造船業が盛んだった。ホライゾン創業時には高雄市だけでも100社以上のヨットメーカーがあったという。顧客の「夢のヨットの建築家」になることをめざし、高雄市のヨットメーカーで働いていた複数のエンジニアが共同出資して設立されたのがホライゾンだ。  台湾のヨットメーカーは顧客の要望に応じてヨットをカスタマイズする技術に優れていた。呂さんがこう語る。 「カスタマイズは船内の内装を変更するといった簡単なことだけではありません。例えば、顧客の要望に応じてヨットの長さ自体を変える、ヘリポートを追加するなど大規模なカスタマイズもあります。また、AというヨットとBというヨットの中間的なヨットがほしいと言われると、その通りにします。顧客にとってヨットはぜいたく品で、美しさやデザイン性が重視されます。顧客のさまざまな要望に応じて、ヨットをデザインする力、木工技術に優れているのが台湾のヨットメーカー、特に当社の強みです」 *出典:「世界の港湾別コンテナ取扱個数ランキング」(2020年速報、国土交通省) 木製や金属製などの装飾部材が豊富にそろっているため、顧客のさまざまなカスタマイズの要求に応えることができる  顧客はどんなヨットがほしいか、イメージをもっているという。デザイン、製造、内装、販売まですべてグループ会社で対応できるホライゾンにカスタマイズの依頼がくるそうだ。なかには1000通もの大量のメールを送り、多岐にわたるリクエストを伝えてくる顧客もいるという。 「プロのデザイナー、エンジニアが顧客と話し合いながらヨットの設計を進め、顧客のイメージを具体化していきます」(呂さん)  自社スタッフだけでなく、世界中の著名なヨットデザイナー、エンジニアとも連携する。FDシリーズも、オランダの著名なデザイナー、コルド・ローバー(Cor D.Rover)さんから「こういうデザインのヨットをつくりたい」と依頼されたのがきっかけで実現したヨットだ。 リーマン・ショックが転機 OEMから自社ブランドの製造へ 熟練の造船技術者がホライゾンの「セルフビルド・セルフマーケット」戦略を支える  いまでは世界有数のヨットメーカーに成長したホライゾンだが、設立から約20年間はOEM(Original Equipment Manufacturing)による他社ブランドのヨットの製造が続いた。「自社ブランドのヨットを製造したい」との思いは創業時からずっとあったが、OEMの注文が次から次に入り、その対応で手いっぱいの状態だった。  転機は2008年に訪れた。リーマン・ショックだ。世界的な金融危機はヨット製造業界にも波及し、ホライゾンの主要取引先のヨットメーカーが破産。台湾のヨットメーカーの多くも経営危機に直面した。ホライゾン設立当初、100社あった高雄市のメーカーは、1990年代後半のアジア通貨危機やリーマン・ショックの影響を受け、ほとんどが倒産したという。そのなかで、ホライゾンは「セルフビルド・セルフマーケット」戦略に活路を見いだし、100フィートを超える、ホライゾンブランドの大型ヨットを相次いで開発製造した。呂さんが当時の様子をこう語る。 「当時、20年に及ぶOEMの経験、実績はありましたが、直接顧客に販売することはしていませんでした。顧客にはホライゾンという新しいブランドになじみがないなかで、いかに自社ブランドを広めていくかがとても難しいところでした」 「FD92」の操縦席に座る呂さん(写真上)。独自の波切り装置が船の速度を落とすことなく、舳先の角度を垂直にすることを実現している 幸運だったのは、OEM時代に培った高いデザイン力、技術力が世界的にも一流だったことだ。「品質については自信をもっていました」(呂さん)。ホライゾンの評判は口コミやプロモーションを通じて顧客の間に広まっていった。そして、看板商品であるFDシリーズによってホライゾンのブランドは揺るぎないものになっていく。顧客の3分の1はリピーターだ。要望に沿ったヨットを納入することで、また次の注文が入る。他の顧客を紹介してもらえる。顧客の輪がどんどん広がっていった。 ブランドの価値を向上させ 技術の継承にも力を入れる 空中を含め、さまざまな角度から写真を撮影し、顧客にヨットの立体的なイメージをもってもらう努力を惜しまない(画像提供:嘉鴻遊艇)  いまでもホライゾンのブランド価値の向上に向けてさまざまに取り組んでいる。新しい船が完成したら、船内、空中あるいは海上といったあらゆる角度から写真を撮影、顧客にヨットの立体的なイメージをもってもらう、年に3、4回、広報誌を発行し、ウェブでも公開する、豪華ヨットを所有することでどのようなライフスタイルが可能になるか、顧客を集めて美しい島をめぐるなどのイベントを開催する、などだ。  品質の高いヨットをつくり続けるための、職人芸もいわれる木工技術の継承にも余念がない。同社で働く技術者に「ヨット製造技術を学びたい」という子どもがいれば、有給で技術を学ぶ機会を設けている。学校とも連携し、ヨット製造に関する教材を提供したり、同社がつくった奨学金制度を利用して、学生が現場で学ぶ機会を設けたりするなどの支援を継続的に行っている。 造船に不可欠な木工技術の継承にも力を入れる。奨学金制度を設け、学生がホライゾンで技術を学ぶ支援を続けている  ホライゾンでは、米国や豪州などの顧客を中心にこれまでに870隻以上のヨットを納入している。このうち約230隻が80フィート(約24メートル)以上の大型ヨットだ。ただ、日本での納入実績はまだ少ないという。 「日本では50フィート(約15メートル)以下のヨットが好まれる傾向にあるためです。今後は日本の顧客にも当社のヨットをぜひ提供していきたいと考えています」  ホライゾンの水平線はまだまだ広がる。 嘉鴻遊艇股份有限公司 HORIZON Yacht Co., Ltd. https://www.horizonyacht.com/ 文/西島博之 撮影/熊谷俊之 通訳/長谷川あゆ このページは台湾経済部国際貿易局(BOFT)が提供するAERA dot.のスポンサードコンテンツです。
2022/09/30 11:10
1本のツイートからコロナ禍での巡回展へ。台湾のための作品をつくりたいと思った 奈良美智さん/美術作家
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隣人のように接してくれる台湾で アジアの一員であることを認識した ――最初に台湾に行かれた時は、どのような印象を持たれましたか? 初めて行ったのは2004年のグループ展のリサーチの時で、欧米に行くとみんな絵とか展覧会とかを通して僕を見てるんだけど、台湾では普通の一人の旅行者として受け入れられている感じがしました。それは他のアジアの国に行っても同じなんだけど、本当に隣人のように接してくれるっていうのが第一印象。街を歩いていても故郷に帰ってきたようで、自分はアジアで生まれ育ったんだなって再認識して、それまでは西洋ばかり見て、こんなに身近な台湾のことをよく知らなかったと反省しました。足元のアジアを全然見ていなかった自分に気づいたのが、最初に台湾に行ったときでした。 ――2021年の台湾での初個展は、どのようなきっかけで行われたのでしょう? コロナ禍の最初の頃に日本でマスクが不足して、台湾からマスクがたくさん贈られてきたでしょ。その時に、東日本大震災の時も台湾が日本に多額の寄付をしてくれたことを思い出して、Twitterでありがとうって書いたんです。 実はそれ以前に、蔡英文総統の猫についてツイートしたことがあって、その時に「うちの猫はいい子ですよ」みたいなリプが蔡さんからあってびっくりしたんだけど、マスクのお礼を書いたら、またリプをもらって、その時に、言葉だけじゃなくてもっと何かできないかなあと思ったのが始まりです。 その後、台湾の中華文化総会から展覧会をやりませんか?って話がきて、ちょうどロサンゼルスで大きな回顧展をやっていたので、自分の好きな作品はほとんどなかったんだけど、昔描いたドローイングとかでできるかなと思って、やることになりました。 台北で行われた展覧会のポスター 高雄での展覧会より。画像提供(上2点):文化總會(Photos courtesy of The General Association of Chinese Culture) 台湾のための作品を制作 会期前に蔡総統との朝食会も ――台湾の展覧会のために新作「Hazy Humid Day」を描かれていますね。 2021年1月まで森美術館(東京)で行われていた「STARS展」に出展していた当時の最新作の「Miss Moonlight」が台湾でも展示できるってわかった時に、この「Miss Moonlight」に対峙できるような絵を台湾での展示に組み入れたいという思いが自然に生まれました。やっぱり台湾のためにつくった作品がないといけないという気持ちもあったんだと思う。 Hazy Humid Day 2021 ©︎Yoshitomo Nara 台北での展覧会より。画像提供:文化總會(Photos courtesy of The General Association of Chinese Culture) ――「Hazy Humid Day」は展覧会後に台湾に残してほしいという声が強くあって、台湾にとどまることになったと聞いています 個人のコレクターが購入するとかじゃなくて、美術館とか公的機関の常設展示品として寄託したいと思っています。本当はもっとたくさん描いて、台湾のいろんなところに寄託できたらいいなと思っているんだけどね。 ――展示準備で台北に滞在中に蔡総統に朝食会に招待されたことも話題になりましたね びっくりしました。非公式なラフな感じで、朝ごはんはちゃんとグルテンフリーで、蔡さんの猫も歓迎してくれました。 蔡英文総統との朝食会。画像提供(上2点):文化總會(Photos courtesy of The General Association of Chinese Culture) 地方に足をのばし 文学作品にもふれる ――台湾の友人たちと台湾の旅もされていますね 何回も訪ねるうちに自分でもいろいろ調べたりして、台湾のことをどんどん知っていくじゃない。それで台北だけじゃなくて、もっと歴史にゆかりのあるところ、先住民の住んでいる村とか日本の統治時代の名残があるところにも行ってみたくなったんです。友達が車を運転してくれて、花蓮から山に入って阿里山まで行ったり。台湾の北側半分は結構いろんなところを訪ねました。 奈良氏が台湾旅行中に撮影した写真 ――印象的だった出来事はありますか? タイヤル族の兄弟と山の畑で一緒に芋を植えたり、あと、お年寄りは日本語が話せるので、僕が日本人だと知ると話しかけてくれるんですが、それが本当にきれいな日本語でびっくりしました。 都市に住んでいる台湾の友人たちもそういうところに行ったことがなかったらしくて、彼らにとっても自分たちの歴史を見直すいいきっかけになったって言っていました。 奈良氏が台湾旅行中に撮影した写真 ――台湾の文学作品などもいろいろ読まれていますよね 台湾には日本語で教育を受けて、20歳くらいで文学に目覚めた頃に日本が敗戦になって、それからは使い慣れない北京語で読み書きをしなければならなかった人々が日本語で書いた文学があります。たとえば杜潘芳格(Dupan Fangge)の詩集や日本統治時代から戦後までを綴った『フォルモサ少女の日記』とかが、すごくよかった。日本統治下の1943年に出版された『台湾の少女』という、当時10代だった黄氏鳳姿が書いた本を読みたくて探してたら、台湾の友達が台湾の図書館で当時の本を全ページコピーして送ってくれて、そういうのも読んだりしています。 ――最近は何を読んでいますか? 高妍さんという台湾人の漫画家が日本語でも出版した漫画『緑の歌』が面白かった。彼女は村上春樹さんの『猫を棄てる』の表紙と挿絵を描いている人で、『緑の歌』は、高校生の女の子がはっぴいえんど(*)の「風をあつめて」という歌に出合って、細野晴臣さんを好きになって、細野さんの台湾公演を見に行くっていうストーリー。上巻の帯には松本隆さん、下巻の帯には村上春樹さんが推薦文を書いています。 *はっぴいえんど=1969年に細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂によって結成され日本語ロックの黎明期に活躍したバンド。 高妍氏による漫画『緑の歌 収集群風』 奈良氏のアトリエには台湾関係の本がたくさん並んでいた 最近は台湾の漫画もよく読んでいるとのこと ――「夏は北海道で、冬は台南で暮らしたい」とのツイートがありましたが、特に台南が好きな理由は?  古いところをリノベーションして残している地域がいっぱいあって、それが観光用にきれいに残しましたっていう感じじゃなくて、本当に昔からの庶民の生活がそのまま残ってる感じ。下町的でフレンドリーで、気候は全然違うけど、自分が育った青森の弘前に似てるなって思いました。 台南滞在中には高雄近郊の先住民の村にも行くことができて、そこで伊誕・巴瓦瓦隆(Etan Pavavalung)さんという先住民の版画家の方と仲良くなりました。彼は山奥に住んでて、次回はそこにしばらく滞在して制作したいなと思ってます。 台南での展覧会より。画像提供:文化總會(Photos courtesy of The General Association of Chinese Culture) 親戚づきあいみたいな 個人のつながりが増えてほしい ――奈良さんから見て、台湾はこの10年でどんなふうに変わっていったと思いますか? 2012年に蔡総統が総統選に敗れた時の、前向きで人々を団結させようとするスピーチが素晴らしくて、次は絶対この人に総統になってほしいって思っていたら、2016年に総統になった。その間にひまわり学生運動もあって、あの時期に自分の中の観念的な台湾が消えて、本当に新しい台湾が生まれたって感じがしたんだよね。今はすごくニュートラルでアイデンティティーがよりクリアになった。この10年で台湾の若い層にも民主という概念が行き届いて、もう日本以上の「民主国家」のようだと僕は思っています。 ――これからの台湾に期待することはありますか?  たぶん自分は外から見てるから、台湾がどれだけ素晴らしいかわかるんだけど、実際そこに住んでる人は、それに気づいてないと思うんだよね。だから、ずっと気づかないでいてほしいなと思う。その素晴らしいところが当たり前の台湾であってほしい。気づいちゃうと押し売りするようになっちゃうじゃない、クールジャパンみたいな(笑)。そういう意味で、ずっと気づかないでいてほしいです。 ――日本と台湾の関係においてはどうでしょうか?  国としてとか、友好都市としてとかじゃなくて、親戚づきあいみたいな個人のつながりが増えていくといいと思う。その人数が増えれば、自然に大きなつながりになる。観光でもスポーツでも、もちろん芸術分野でも、たくさんの人がお互いに行き来して、もっと仲良くなっていけたらいいなあと思っています。 奈良美智(なら・よしとも)/美術作家 1959年青森県生まれ。愛知県立芸術大学美術学部美術科油画専攻卒業後、同大学院修士課程修了。1988年に渡独。国立デュッセルドルフ芸術アカデミー入学。アカデミー修了後の1994年にケルンに移住し、2000年の帰国まで生活。この時期に独自の作風が確立し国内外で高い評価を受ける。現在は日本を代表するアーティストとして国際的に活躍。絵画のみならず、彫刻、写真などの作品も多数。2018年には自身の作品などを展示するスペース「N's YARD」をオープンした。 文/サウザー美帆 撮影/森本美絵 ※「Twitter」は、Twitter, Inc.の商標または登録商標です。 このページは台湾経済部国際貿易局(BOFT)が提供するAERA dot.のスポンサードコンテンツです。
2022/09/26 10:52
朝ドラ「マー姉ちゃん」の原作「サザエさんうちあけ話」を原画で楽しめる展覧会の魅力
朝ドラ「マー姉ちゃん」の原作「サザエさんうちあけ話」を原画で楽しめる展覧会の魅力
「うちあけ話」展にちなんで作られたグッズ「表紙原画と、そのぬりえのポストカードセット」(200円)※価格はすべて税込みです 『サザエさん』をはじめ、『いじわるばあさん』『エプロンおばさん』など、昭和の一般家庭を舞台に傑作漫画を多数描いた長谷川町子。町子の自伝的な作品『サザエさんうちあけ話』を特集した企画展が、現在、東京都世田谷区の長谷川町子記念館で開催されています。 【貴重な原画、資料の数々】  本展では「サザエさんうちあけ話」に掲載されている原画を、間近に見ることができます。さらには、町子が歩んだ時代背景を伝える新聞記事、町子の幼少期や女学生時代の写真など、貴重な資料も鑑賞できます。 町子が歩んだ時代を振り返る展示  その他、町子の姉であり姉妹社(町子の作品を出版した会社)の社長でもあった長谷川毬子さんが新進気鋭の女流画家時代に描いた挿絵、町子の師匠である「のらくろ」の作者・田河水泡について綴った原稿用紙などが、「うちあけ話」のエピソードを補足する形で展示されているのも本展の魅力のひとつです。  原画をよく見ると、新聞連載用にモノクロで描いた後、単行本にする際は改めて色を付けている行程が分かるなど、町子の丁寧な仕事ぶりが伺えます。 【朝ドラの原作になった「うちあけ話」】 『サザエさんうちあけ話』は昨年の9月から今年2月まで、NHK・BSプレミアとBS4Kで再放送された朝の連続テレビ小説「マー姉ちゃん」(1979年放送)の原作本。町子が「マー姉ちゃん」のオープニングのために描いた背景画、ドラマの撮影見学に訪れた毬子さんと熊谷真実さん、田中裕子さん、藤田弓子さんら出演者との記念写真などが並ぶ「マー姉ちゃんコーナー」もありました。 「マー姉ちゃんコーナー」の展示  驚いたのは「マー姉ちゃん」劇中で使われた「サザエさん」の四コマ漫画を、町子がドラマのために、わざわざ描き下ろしていたこと。ドラマの中では、マチ子役の田中裕子さんが描いたように映っていたわけですが、町子自ら復元してドラマに提供したそう。これは非常に貴重な作品と言ってよいのではないでしょうか。必見です。 企画展のポスター・チラシ(長谷川町子美術館提供) 【漫画家の人生はやっぱり面白い】  元来引っ込み思案で、人が多く集まる場には出不精だったと言われる町子ですが、「うちあけ話」では、家族、思い出の人たち、「サザエさん」や「いじわるばあさん」を思いついた瞬間を、漫画と文章で時にユーモラスに、時に感動的に、生き生きと描き出しています。  傑作漫画を描いた漫画家は、人生も起伏に富んだ面白い人生だったのだということが伝わってくる企画展です。  企画展「うちあけ話」と同じチケットで、長谷川町子美術館の「机上の世界」展にも入場可能。町子と毬子さんが集めたコレクションの中から、中川一政、岡鹿之助らの静物画が鑑賞できます。  11月27日まで開催されています(月曜日休館)ので、足を運んでみてはいかがでしょうか。 『サザエさんうちあけ話』の原画(長谷川町子美術館提供) 【DATA】企画展「うちあけ話」 会期 2022年11月27日まで 開館時間 10:00~17:30(受付締め切りは16:30) 休館日 毎週月曜日(9/19、10/10の月曜日は開館。9/20、10/11の火曜日は休館) 入館料(美術館と記念館両方入館可能) 一般900円、65歳以上800円、大学生・高校生500円、中学生・小学生400円 長谷川町子美術館(記念館は美術館の向かい側) 東京都世田谷区桜新町1-30-6 電話 03-3701-8766 https://www.hasegawamachiko.jp/ *入館に際しては、新型コロナウイルスの感染状況によって、入館者制限などがありますので詳しくはHPでご確認ください。 『サザエさんうちあけ話』(朝日新聞出版)
週刊朝日 2022/08/20 10:00
Stray Kids圧巻のライブを詳細レポート 彼らがいつも聞きたい「言葉」とは
Stray Kids圧巻のライブを詳細レポート 彼らがいつも聞きたい「言葉」とは
写真:田中聖太郎写真事務所  ワールドツアーを開催中のStray Kidsが、7月27日、国立代々木競技場第一体育館でライブを行った。その魅力に迫る。AERA2022年8月15-22日合併号の記事を紹介する。 *  *  *  今年3月にリリースしたミニアルバム「ODDINARY」は米ビルボードのメインアルバムチャート「ビルボード200」で1位を獲得した。K-POP史上3組目の快挙を達成し、自身2度目となるワールドツアーを開催。7月27日、約1カ月ぶりに東京・国立代々木競技場第一体育館でライブを行った。  LEDを搭載した巨大な装置を使った大掛かりな演出の中、バンチャン、リノ、チャンビン、ヒョンジン、ハン、フィリックス、スンミン、アイエンの8人が登場した。  まずはツアー名にもなっている「ODDINARY」のリード曲「MANIAC」を披露。この曲のトレードマークでもあるフィリックスの低音ボイスが炸裂し、8人のマイクリレーによって、みるみる場内の熱狂が高まっていく。 ■STAY、ただいま!!  Stray Kidsは作詞作曲のほとんどをバンチャン、チャンビン、ハンからなるプロデューサーユニット「3RACHA」が手掛ける。ビートが利いた先鋭的なサウンドと、ダンス、歌、ラップを一体化したパフォーマンスで、オーディエンスの心をつかんでいく様子が、会場の熱気から伝わってきた。  MCは誰もが認めるリーダー・バンチャンの「STAY(Stray Kidsのファンの呼称)、ただいま!!という挨拶(あいさつ)から始まった。メンバーそれぞれの「お久しぶりです!」もうれしい。フィリックスが「真夏の日差しのような熱い男」と自己紹介すると、メンバーから「熱い! 熱い!」とひやかされ、早速仲の良さが露わになり、オーディエンスの顔に笑顔が広がった。  ちなみに、前日の代々木公演からバンチャンのあだ名は“部長”になったそうで、度々メンバーから「部長!」と呼ばれていた。特にリノは気に入っていたのか、ことあるごとに「部長!」と呼びかけた。  そのバンチャンが、ヒョンジンの考案による、8人それぞれがリード付きの首輪につながれるという「Red Lights」のパフォーマンスを絶賛した。メンバーが口々に「天才!」と呼びかけると、ヒョンジンはノリノリで体を動かし、まんざらでもない様子だ。 アイエン/2001年生まれ、韓国出身。VOCAL RACHA(写真:田中聖太郎写真事務所) フィリックス/2000年生まれ、オーストラリア出身。DANCE RACHA(写真:田中聖太郎写真事務所) ヒョンジン/2000年生まれ、韓国出身。DANCE RACHA(写真:田中聖太郎写真事務所) チャンビン/1999年生まれ、韓国出身。3RACHA(写真:田中聖太郎写真事務所)  黒を基調とした衣装に着替えた8人にファンキーなビートが降り注ぐと、始まったのは「Back Door」だ。米「TIME」誌による「2020年のベストソング10」でK-POPから唯一選出された楽曲だ。  ふたり向き合って腕を斜め上に掲げ、腕で作ったゲートを次々とメンバーが通り抜け、ドアを勢いよく叩く仕草をする。そんな独創的なダンスが印象的だ。アイエンが腕のゲートをくぐるとき、いたずらっ子のような笑顔を浮かべたり、ヒョンジンが投げキッスをしたり、見事なシンクロに加えて、メンバー思い思いの表情や振りも見られるのがライブならではだ。  民族音楽調の旋律が聞こえ、4人編成のバンドが登場。韓服風の羽織をまとった8人が現れ、チャンビンのパワフルなラップから始まる「Thunderous」を披露した。途中チャンビンが「俺様の名前はなんだ?」と問いかけ、チャンビンの名前が知りたいか知りたくないかを巡っての日本語のユーモラスなやりとりを挟みながら、雷鳴のようなヘビー級の音像を叩きつける。LEDライトが降下するセンターステージに向かって8人がゆっくり歩き、そこに銀テープが飛び爆竹の音も上がるという演出も相まって、貫禄のパフォーマンスだった。そのまま、「DOMINO」に雪崩れ込む。サビの「DOMINO’DOMINO」というシャウトの破壊力たるや圧巻。その後は、ファーストフルアルバム「GO生(GO LIVE)」のリード曲であり、料理をモチーフにした振りが大きな反響を呼んで一気にStray Kidsの存在を世界中に知らしめた「God’s Menu」が続く。パフォーマンスの迫力は半端ではない。  アイエンが「『Thunderous』のチャンビンさんの『俺様の名前はなんだ?』のところが好きです」とうれしそうに言い、チャンビンがお礼を伝えた。迫力満点のパフォーマンスとは打って変わった、フレンドリーで微笑ましいやりとり。その振れ幅もStray Kidsの大きな魅力だ。 ■万華鏡のように変化  フィリックスが「ここからもっと暴れてみましょうか?」と言った後、アイエンが「皆さんどんな好きがチーズですか?」と言葉遊びで、満面の笑みで「1、2、3、チーズ!!」と叫んだあとは「CHEESE」。ファットなビートにノリノリの8人。二つのステージと花道、8人が散り散りになりながら、所狭しと動き、シャウトも交えたり手を振ったりして、盛り上げていく。「YAYAYA」と「ROCK」をつなげ、アウトロでチャンビンが見事なアクロバットを決め、大きな拍手が起きた。 バンチャン/1997年生まれ、オーストラリア出身。リーダー。3RACHA(写真:田中聖太郎写真事務所) リノ/1998年生まれ、韓国出身。DANCE RACHA(写真:田中聖太郎写真事務所) ハン/2000年生まれ、韓国出身。3RACHA(写真:田中聖太郎写真事務所) スンミン/2000年生まれ、韓国出身。VOCAL RACHA(写真:田中聖太郎写真事務所)  4人ずつに分かれての即興コーナーのあとは、「ODDINARY」に収録されているユニット曲を披露した。  バンチャン、リノ、スンミン、アイエンによるバラード曲「Waiting For Us」では、4人の伸びやかな歌声が堪能できた。スンミンが「最近J-POPに興味を持っている」と話し、Official髭男dismの「Pretender」を美声で歌い上げる一幕もあった。  一転して、チャンビン、ヒョンジン、ハン、フィリックスによる「Muddy Water」では、ワイルドでソリッドなラップとダンスを爆発させた。  JAPAN 2nd Mini Album「CIRCUS」のタイトル曲「CIRCUS」では、軽快でトリッキーなビートに合わせて、8人の歌、ラップ、ダンスの表情が、万華鏡のようにクルクルと変わった。  プレデビューシングル曲「Hellevator」でダークな音像で混沌に引きずり落とした後、「TOP -Japanese ver.-」で高みに上り詰め、「勝戦歌」と書かれた旗が映る前でアグレッシヴに踊り、勝利の快哉をあげる「Victory Song」という高低差のある流れも素晴らしい。  日本語のラップでメンバーそれぞれのキャラクターを順に紹介していく「FAM」の後、「MIROH」では、銀テープが放たれ、大盛り上がりの中、メンバーは「楽しいですね~」と口にしていた。  エンディングは、バンチャンが「STAYのエナジーはすごいですね」としみじみ話すところから始まった。サプライズで日本のSTAYからのメッセージがヴィジョンに映し出される。その後、観客が入場時に配布された「おかえり」と書かれた青いスローガンを掲げると、「すごくきれい!」「海みたい!」と喜ぶメンバー。 ■いつも聞きたい言葉 「“おかえり”という単語はいつも聞きたい言葉です」  そう、バンチャンが言った。「僕たちはいつも戻ってきますよ、という意味ですよね?」と呼びかけると、温かい拍手が起こった。メンバーそれぞれがオーディエンスに感謝と愛を、日本語だけではなく、英語や韓国語も交えて伝えた。チャンビンは「また必ず戻ってくること」を約束した。  締めは8人が笑顔で「Star Lost」「Haven」を歌い踊り、最後の時間を楽しんだ。バンチャンは「また来ます! 約束!」と力強く再会を誓った。  全米1位という快挙を成し遂げたにもかかわらず、おごりは一切感じられなかった。さらにパフォーマンスの精度を上げ、ユーモアを持って、超一級のエンターテインメントを届けてくれた。再会へ、はやくも期待が膨らんだ。(ライター・小松香里) ※AERA 2022年8月15-22日合併号
AERA 2022/08/16 11:30
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