1本のツイートからコロナ禍での巡回展へ。台湾のための作品をつくりたいと思った 奈良美智さん/美術作家
隣人のように接してくれる台湾で
アジアの一員であることを認識した
――最初に台湾に行かれた時は、どのような印象を持たれましたか?
初めて行ったのは2004年のグループ展のリサーチの時で、欧米に行くとみんな絵とか展覧会とかを通して僕を見てるんだけど、台湾では普通の一人の旅行者として受け入れられている感じがしました。それは他のアジアの国に行っても同じなんだけど、本当に隣人のように接してくれるっていうのが第一印象。街を歩いていても故郷に帰ってきたようで、自分はアジアで生まれ育ったんだなって再認識して、それまでは西洋ばかり見て、こんなに身近な台湾のことをよく知らなかったと反省しました。足元のアジアを全然見ていなかった自分に気づいたのが、最初に台湾に行ったときでした。
――2021年の台湾での初個展は、どのようなきっかけで行われたのでしょう?
コロナ禍の最初の頃に日本でマスクが不足して、台湾からマスクがたくさん贈られてきたでしょ。その時に、東日本大震災の時も台湾が日本に多額の寄付をしてくれたことを思い出して、Twitterでありがとうって書いたんです。
実はそれ以前に、蔡英文総統の猫についてツイートしたことがあって、その時に「うちの猫はいい子ですよ」みたいなリプが蔡さんからあってびっくりしたんだけど、マスクのお礼を書いたら、またリプをもらって、その時に、言葉だけじゃなくてもっと何かできないかなあと思ったのが始まりです。
その後、台湾の中華文化総会から展覧会をやりませんか?って話がきて、ちょうどロサンゼルスで大きな回顧展をやっていたので、自分の好きな作品はほとんどなかったんだけど、昔描いたドローイングとかでできるかなと思って、やることになりました。
台湾のための作品を制作
会期前に蔡総統との朝食会も
――台湾の展覧会のために新作「Hazy Humid Day」を描かれていますね。
2021年1月まで森美術館(東京)で行われていた「STARS展」に出展していた当時の最新作の「Miss Moonlight」が台湾でも展示できるってわかった時に、この「Miss Moonlight」に対峙できるような絵を台湾での展示に組み入れたいという思いが自然に生まれました。やっぱり台湾のためにつくった作品がないといけないという気持ちもあったんだと思う。
――「Hazy Humid Day」は展覧会後に台湾に残してほしいという声が強くあって、台湾にとどまることになったと聞いています
個人のコレクターが購入するとかじゃなくて、美術館とか公的機関の常設展示品として寄託したいと思っています。本当はもっとたくさん描いて、台湾のいろんなところに寄託できたらいいなと思っているんだけどね。
――展示準備で台北に滞在中に蔡総統に朝食会に招待されたことも話題になりましたね
びっくりしました。非公式なラフな感じで、朝ごはんはちゃんとグルテンフリーで、蔡さんの猫も歓迎してくれました。
地方に足をのばし
文学作品にもふれる
――台湾の友人たちと台湾の旅もされていますね
何回も訪ねるうちに自分でもいろいろ調べたりして、台湾のことをどんどん知っていくじゃない。それで台北だけじゃなくて、もっと歴史にゆかりのあるところ、先住民の住んでいる村とか日本の統治時代の名残があるところにも行ってみたくなったんです。友達が車を運転してくれて、花蓮から山に入って阿里山まで行ったり。台湾の北側半分は結構いろんなところを訪ねました。
――印象的だった出来事はありますか?
タイヤル族の兄弟と山の畑で一緒に芋を植えたり、あと、お年寄りは日本語が話せるので、僕が日本人だと知ると話しかけてくれるんですが、それが本当にきれいな日本語でびっくりしました。
都市に住んでいる台湾の友人たちもそういうところに行ったことがなかったらしくて、彼らにとっても自分たちの歴史を見直すいいきっかけになったって言っていました。
――台湾の文学作品などもいろいろ読まれていますよね
台湾には日本語で教育を受けて、20歳くらいで文学に目覚めた頃に日本が敗戦になって、それからは使い慣れない北京語で読み書きをしなければならなかった人々が日本語で書いた文学があります。たとえば杜潘芳格(Dupan Fangge)の詩集や日本統治時代から戦後までを綴った『フォルモサ少女の日記』とかが、すごくよかった。日本統治下の1943年に出版された『台湾の少女』という、当時10代だった黄氏鳳姿が書いた本を読みたくて探してたら、台湾の友達が台湾の図書館で当時の本を全ページコピーして送ってくれて、そういうのも読んだりしています。
――最近は何を読んでいますか?
高妍さんという台湾人の漫画家が日本語でも出版した漫画『緑の歌』が面白かった。彼女は村上春樹さんの『猫を棄てる』の表紙と挿絵を描いている人で、『緑の歌』は、高校生の女の子がはっぴいえんど(*)の「風をあつめて」という歌に出合って、細野晴臣さんを好きになって、細野さんの台湾公演を見に行くっていうストーリー。上巻の帯には松本隆さん、下巻の帯には村上春樹さんが推薦文を書いています。
*はっぴいえんど=1969年に細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂によって結成され日本語ロックの黎明期に活躍したバンド。
――「夏は北海道で、冬は台南で暮らしたい」とのツイートがありましたが、特に台南が好きな理由は?
古いところをリノベーションして残している地域がいっぱいあって、それが観光用にきれいに残しましたっていう感じじゃなくて、本当に昔からの庶民の生活がそのまま残ってる感じ。下町的でフレンドリーで、気候は全然違うけど、自分が育った青森の弘前に似てるなって思いました。
台南滞在中には高雄近郊の先住民の村にも行くことができて、そこで伊誕・巴瓦瓦隆(Etan Pavavalung)さんという先住民の版画家の方と仲良くなりました。彼は山奥に住んでて、次回はそこにしばらく滞在して制作したいなと思ってます。
親戚づきあいみたいな
個人のつながりが増えてほしい
――奈良さんから見て、台湾はこの10年でどんなふうに変わっていったと思いますか?
2012年に蔡総統が総統選に敗れた時の、前向きで人々を団結させようとするスピーチが素晴らしくて、次は絶対この人に総統になってほしいって思っていたら、2016年に総統になった。その間にひまわり学生運動もあって、あの時期に自分の中の観念的な台湾が消えて、本当に新しい台湾が生まれたって感じがしたんだよね。今はすごくニュートラルでアイデンティティーがよりクリアになった。この10年で台湾の若い層にも民主という概念が行き届いて、もう日本以上の「民主国家」のようだと僕は思っています。
――これからの台湾に期待することはありますか?
たぶん自分は外から見てるから、台湾がどれだけ素晴らしいかわかるんだけど、実際そこに住んでる人は、それに気づいてないと思うんだよね。だから、ずっと気づかないでいてほしいなと思う。その素晴らしいところが当たり前の台湾であってほしい。気づいちゃうと押し売りするようになっちゃうじゃない、クールジャパンみたいな(笑)。そういう意味で、ずっと気づかないでいてほしいです。
――日本と台湾の関係においてはどうでしょうか?
国としてとか、友好都市としてとかじゃなくて、親戚づきあいみたいな個人のつながりが増えていくといいと思う。その人数が増えれば、自然に大きなつながりになる。観光でもスポーツでも、もちろん芸術分野でも、たくさんの人がお互いに行き来して、もっと仲良くなっていけたらいいなあと思っています。
奈良美智(なら・よしとも)/美術作家
1959年青森県生まれ。愛知県立芸術大学美術学部美術科油画専攻卒業後、同大学院修士課程修了。1988年に渡独。国立デュッセルドルフ芸術アカデミー入学。アカデミー修了後の1994年にケルンに移住し、2000年の帰国まで生活。この時期に独自の作風が確立し国内外で高い評価を受ける。現在は日本を代表するアーティストとして国際的に活躍。絵画のみならず、彫刻、写真などの作品も多数。2018年には自身の作品などを展示するスペース「N's YARD」をオープンした。
文/サウザー美帆 撮影/森本美絵
※「Twitter」は、Twitter, Inc.の商標または登録商標です。
このページは台湾経済部国際貿易局(BOFT)が提供するAERA dot.のスポンサードコンテンツです。