中村千晶
松原智恵子、監督に竹内結子、蒼井優と“3姉妹”と言われたワケ
松原智恵子(まつばら・ちえこ)/1945年、名古屋市出身。61年、映画のヒロインとなり、吉永小百合さん、和泉雅子さんとともに「日活三人娘」として人気者になった。映画「ゆずの葉ゆれて」(2016年)で第1回ソチ国際映画祭主演女優賞受賞。19年公開作に「笑顔の向こうに」(榎本二郎監督)、「君がまた走り出すとき」(中泉裕矢監督)、「長いお別れ」(中野量太監督、5月31日公開)がある。テレビ朝日系「やすらぎの刻~道」(倉本聰作)にも出演する (撮影/大野洋介)
松原智恵子さん (撮影/大野洋介)
もし、あのとき、別の選択をしていたなら。著名人が岐路に立ち返る「もう一つの自分史」。今回は、優しくスカートを揺らしながら、取材場所に現れた松原智恵子さん。「可憐」「ふんわり」という言葉がぴったりだが、実は行動力と決断力はたしか。仕事でも私生活でも「決めるところは決める」タイプなのかもしれない。デビューから60年近くたったいま、その胸中に浮かぶものは?
* * *
――名古屋で暮らしていた15歳のとき、日活の「ミス16歳コンテスト」に自ら応募したという。
2人の姉がそれぞれ「ミス」を獲っていたんです。そんなとき、たまたま新聞で日活の「ミス16歳コンテスト」の募集を見て、じゃあ自分も、と思いました。
まだ15歳だけど数え年なら16歳かな?と勝手に解釈して、軽い気持ちで応募したんです。入選のご褒美が東京見物で、それが目当てでもありました。いずれ東京に出たいと思っていたので、これはいいチャンスになるかな、と。
――見事、入選を果たし、ほかのミスたちとともに東京見物に繰り出した。
当時流行していたジャズ喫茶に連れていってもらったり、日活の撮影所の見学もしました。そのとき、なぜか私ともう一人だけ呼ばれて、お化粧をされて、カメラテストを受けたんです。
そのあと「日活に入りませんか」とお話をいただきました。女優を目指していたわけではなかったけれど、躊躇(ちゅうちょ)はありませんでした。15歳だったし、なんでも挑戦してみたかったのです。東京に親戚の家があったので、そちらに下宿しながら日活に通うことになりました。
日活は最初から女優として本気で育ててくれるつもりだったようで、通いはじめて1週間もたたないうちにセリフのある役をいただいて、映画の主演も決まりました。両親も「それならば」と理解してくれました。
――16歳で映画デビュー。吉永小百合さん、和泉雅子さんとともに「日活三人娘」として活躍するようになる。
2人と一緒に仕事をしたのは年に1回くらいです。ほとんどが雑誌の写真撮影でした。ライバルなんて意識はまったくありませんでした。
というのも、次から次へと仕事が来るので、自分の仕事をこなすこと、高校に通うことで精いっぱいで、そんな意識を抱く暇もなかったんです。
撮影が休みの日には高校に通って、大学の夜間部に進学しました。もしかしたら、大学生の役が来るかもしれない。そのためには経験を積んでいたほうがいい、と考えたのです。
小百合ちゃん、雅子ちゃんとはいまも仲良しです。年に一度は小百合ちゃんが声をかけてくれて、みんなで集まる会をやってきました。
――16歳にしてスタートした女優業。演技のレッスンも少しは受けたが、ほぼゼロに近い状態で飛びこんだという。苦労はなかったのだろうか?
下手なりになんとか、がんばりました(笑)。すべて、現場で身につけたと思っています。
例えば鈴木清順監督はご自身で動きまで指示しながら「こういうふうにするんだよ」と、演技を教えてくださいました。
ほかの監督とのお仕事でも、とにかく監督の言うことをよく聞いてやってみる、という形で学んできた。本当に「撮影所で育った」という感じなんです。
バレリーナの役、サーカスのブランコ乗り……いろんな役をこなしました。サーカスのバイク乗りの役もありましたね。遠景の檻の中をバイクで走るんです。実際に檻の中で走るのは別の方ですけど、アップのシーンでは自分で運転をしました。
撮影前に練習をすることも多かったですが、そんなに大変とは思わなかった。まだ若かったから。
ただ、苦手だったこともあります。強く人にものを言うことができないんです。パッと感情を爆発させたり、怒らなきゃいけない役は難関でした。
――27歳での結婚は、大きなターニングポイントだった。4歳年上で、ジャーナリストの黒木純一郎さんとの出会いは、週刊誌の取材。
密着取材で出会ったんです。第一印象は行動的、という感じでしたね。話しやすかったですし、話を引き出すのも上手だなと思いました。
最初は彼の事務所のバーベキューやキャンプに誘われて、みんなで集まっていました。あまり大勢で行動した経験がなかったので、ワイワイとした雰囲気で過ごすのが楽しかった。
お付き合いが始まり、3年くらい交際して、結婚することになったんです。日活からは「まだ早い」と引き留められましたけど、気にはしなかったですね。「仕事は続けます。ただ、1年間は世界各国をまわる新婚旅行に行かせてください」とお願いしました。
――互いにわりと温和な性格で、1年間に及ぶ新婚旅行中も、ケンカをしなかったという。
結婚前から女優の仕事を続けていい、と言ってくれましたし、いまもいろいろ気遣ってくれます。
彼の仕事は午後から夜にかけて行われることが多かったので、私が朝早い仕事のときは起こさないようにそーっと帰ってきたり、家にいてもそーっと静かにしてくれています。
結婚による仕事への変化は、あまりなかったと思います。39歳で長男を出産したときには少しお休みをいただきましたが、翌年4月には、テレビ番組のレギュラーとして完全に復帰しました。
――仕事も子育てもしっかり両立させる。いまで言うワーク・ライフ・バランスを、80年代から自然に実践してきた。
そんなに深刻に捉えない性格なんですよね。だから悩まないし、役を引きずったりするタイプでもない。監督の言うことを聞いて素直にやります。
最初からそうだったので、いまでも監督に「こうしてほしい」と言われるほうが安心できるんです。最新作「長いお別れ」の中野量太監督もそういう方だったので、昔の日活時代の監督のような感じがしてやりやすかったです。
――映画「長いお別れ」は原作者・中島京子さんの実体験をモチーフにした作品だ。松原さんは、認知症を患い日々変わってゆく夫(演じるのは山崎努さん)を、2人の娘とともに支える妻・曜子を演じる。
認知症という題材をあたたかく、ユーモラスに扱った、とてもすてきな作品なんです。
でも最初に脚本を読んだ瞬間は、ものすごく胸にドン!ときてしまった。認知症や介護、別れ……これから自分たちが進む未来そのものが描かれているようで、ちょっと落ち込んでしまったんです。
曜子さんの優しさや明るさをどう表現すればいいのか、悩んでしまった。でも中野量太監督が「認知症になっても落ち込んでいるばかりではなく、人は前を向いて進むもの。曜子さんはそんな感覚を自然に持っているお母さんなんです」と言ってくださった。何度も優しく叱咤激励していただいて、演じることができました。
娘役の竹内結子さん、蒼井優さんとは初共演。2人ともすごくしっかりしていました。
そのなかで、私が一番頼りなかったのかな。監督には「撮影中も現場でも母と娘というより3姉妹、しかも松原さんが一番下の妹のようだった」と言われてしまいました(笑)。
――中野監督は、宮沢りえさんが主演した作品「湯を沸かすほどの熱い愛」で、さまざまな賞を受けた実力派だ。
中野監督はやわらかくて、優しいんです。私と同い年のお母さんがいらっしゃる、と話してくださいました。撮影中も絶対にダメって言わないんです。「松原さん、いいですね! いいですね~! でもこうしたほうが、もっといいかな?」と、上手に自分が思う方向へと、役者を運んでいくんです。
この映画のストーリーは本当に身につまされるもの。次はもう、自分が介護される番なんですよね。夫と二人で日々の生活のなかで転んだり、入院することがないようにしようね、と気をつけています。健康のためにはバランス良く食べること。そして何かと用事を見つけて出かけることも大事。最近は散歩をして、より意識的に歩かなければ、と思っています。
――デビューから60年近くなった。まだまだ仕事を続けていく、と微笑む。
常にいただいた役柄に集中して一生懸命にこなしてきました。殺人犯の役もやりましたしね。そこに至るバックボーンがしっかり描かれていれば、やる意味があると思うんです。
私には自分から「これがやりたい!」と言い切れるものがないんです。こういう役がやりたい、とアピールするタイプでもない。それでもやっぱり演じることが好きなんですね。
(聞き手/中村千晶)
※週刊朝日 2019年6月7日号
週刊朝日
2019/06/01 11:30