北原みのり
北原みのり「『あれは性暴力だった』」
北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表
イラスト/田房永子
作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。北原氏は、50代の女友だちと過去の性暴力について話をしたという。
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性暴力被害の話を女友だちとした。数十年も前の記憶でも、それは鮮やかな光景としてすぐに蘇ってしまう。話したことのない過去でも、なぜか詳細に語ることができる。それはきっと、心の中で何度も何度も繰り返し自問してきたからなのだろう。「いったい、あれは何だったのか」と。
「あれは性暴力だったって、最近気がついた」と50代の女友だちが言う。大学生の頃、バニーガールのアルバイトをしていた。仕事終わりに職場の車で送られるのだが、彼女の家は一番遠く、最後は運転手の男と2人だけになるのが常だった。ある日、気がつくと男は人通りのない山道を走り、暗闇に車を止めた。そして助手席にいた彼女に「舐めて」と唐突に言ったという。「え? 嫌ですよ~」と冗談っぽく笑ってみせるが、男の真剣な顔に、選択肢がないと彼女はとっさに判断した。
彼女はそれを「性暴力」だと長年思わないでいたという。なぜなら「私が選択したことだから」と。車を降りず、泣き叫ぶこともせず性器を舐めることを「選択した」のだから。
「だけど、違ったんだよね」と彼女は重大な発見をしたように話してくれた。「圧倒的に不利な状況に置かれているのが、性暴力だったんだよね」
別の友人は深夜、目が覚めたら寝室に見知らぬ男がいた。「やらせろ」と覆い被さってきた男に、彼女はとっさに「キスならいいよ」と言い目をつむったという。客観的にみたら完全な犯罪だが、彼女は警察に行かなかった。なぜなら「キスを提案したのは私。これは事件じゃない」と考えたのだ。
真夜中の山道で車から降りるのか、殺される覚悟で抵抗するか。被害を軽くしたいと「キス」を提案するか。どちらにしても今の刑法で「抵抗」しなかった女性の行為が「被害者」として司法に“受け入れてもらえる”確率はどのくらいあるだろう。
私の話もした。高校1年の時、初めてのアルバイトは近所のスーパーだった。初日、「魚の捌き方を教える」と言う店長に背後から抱きつかれ手を握られ完璧に密着した状態で魚を捌いた。お尻に硬いものがあたった。翌日から私はアルバイトをやめ、「一日しか続けられなかったね」と家族に笑われても本当のことを言えなかった。その後も長い間、誰にも言わなかった。なぜなら私は逃げなかったし、自意識過剰かもしれないし、証拠はないし、加害者を逮捕できるわけでもないし。そんなふうに思ったからだろう。それは被害者に向けられる社会の視線を、高校生なのに十分知っていたということなのだろう。
被害者に沈黙を強いることでなかったことにされてきた性暴力。今、世界中であげられた声が、世界中の女性たちの記憶の蓋をあけている。その声が、もう黙らない、もう諦めない、という声が希望のある未来をつくっていけるのだと信じたい。「同意のない性交はレイプだ」「不利な状況に置かれることが強制だ」。その当たり前を誰もが感じられる社会に生きたい。
※週刊朝日 2019年4月12日号
週刊朝日
2019/04/06 16:00