瀬戸内寂聴「どの季節に死んでも全部使えます」 遺詠の句を作る
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。『場所』で野間文芸賞。著書多数。『源氏物語』を現代語訳。2006年文化勲章。17年度朝日賞。
横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。(写真=横尾忠則さん提供)
半世紀ほど前に出会った97歳と83歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。今回は猫特集にちなんで猫の話。
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■横尾忠則「タマにおでん…猫は“人生の必需品”」
セトウチさん
今週の本誌は猫特集です。猫の話をさせて下さい。野良で迷い込んだ猫が15年ほどわが家の住人(住猫?)として共生共存してきましたが、6年ほど前に15歳で夭折(ようせつ)しました。最初わが家の勝手口から這入(はい)ってきて、すぐ居候してしまいました。間もなくするとお腹が大きくなってきたのでこりゃ妊娠だ、お腹に卵が入っている、だから、タマゴと命名したのですが、しばらくすると元に戻りました。
野良の清貧生活のあと、わが家でドカ食い(関西では過食のこと)したために、妊娠していると思ってあんな名にしたのですが、単にぼくの思い違いで、「ゴ」を取ってありきたりの「タマ」にしたというわけです。
そんなタマを偲(しの)んでレクイエムのつもりで、旅にはキャンバスと絵具を持参、ホテルで寝る前とか朝の時間、それから度々入院時には病室がアトリエになります。現在七十数点になったので、来春辺りに画集と展覧会を計画しています。
猫は子供の頃から何匹も飼い、上京して一軒家を借りた時は5、6匹、今の家でも多い時は7、8匹いて、交通事故に遭ったり、行方不明になっていつの間にか減ってしまいましたが、猫はぼくにとっては生活必需品なので、猫のいない生活は絵筆を取り上げられたも同然、ぼくのアートに決定的なダメージを与えてしまうので、猫の切れた人生は死そのものです。今や人生の必需品として手放せません。
現在、事務所に2匹、わが家に1匹。アトリエにも欲しいのですが、留守になることが多いので、思案中です。自分の年齢を考えると猫の方が長生きするので、アトリエは、難しいですね。猫は犬と違って我儘(わがまま)ですよね。アーティストが見習わなければならない点はここです。もうひとつ、猫の無為な生き方です。
現在、わが家にいる猫はおでんという名前です。名前の由来は人に言うほどのものではないです。語感がいいのでおでんです。この子は事務所の2匹と姉妹ですが、事故に遭って、病弱だったのでわが家に引き取ったのです。三姉妹の母猫は野良で、いつも来ていたやはり野良が夫猫で、子供を産む時だけ部屋の中に這入ってきて、乳離れの時期が終わるとサッサと母猫は再び野良に戻りました。その間、子猫の父猫は病気で野たれ死にしました。
猫は帰巣本能があって、おでんは事務所と自宅が目と鼻の先なので、元いた事務所に戻るのではないかと心配したのですが、一向に戻ろうとはしません。事故に遭った時、首にラッパのようなものを付けられたり、全身包帯のグルグル巻きで透明人間みたいだったので2匹の姉妹に変な奴としていじめられたせいでしょうか、それとも帰巣本能を失ったのか、事務所には戻りません。事故で頭を打ったりしたので、少しアホ猫になり、雨の日は家の中、所かまわずオシッコをするのが困りものです。これもわれわれに与えられた試練かと思うしかありません。
その点、死んだタマは天才肌の猫で、読心術に長(た)けていました。人間の文化より猫の方が文明的です。今日は余計な話をしてしまいました。ニャンちゃって。
■瀬戸内寂聴「黒猫のマル、誰より早く私を出迎えた」
ヨコオさん
急に寒くなりましたね。風邪などひいていませんか。私は日々老いが増し、ヨコオさんの猫のように、終日ベッドに横になっています、と言いたいけれど、ものを書くのは、寝ては書けないので、ベッドに腰かけ、わき机をひきよせて書いています。
そんなに仕事するな、みっともないぞと、ヨコオさんに叱られそうだけれど、私は、書くのが本来大好きなので、書かない生活なんて考えられないのです。
先日も、『群像』の新年号に、小説二十七枚も書いてしまいました。
勢いが乗ったので、ついつい、徹夜をしてしまいました。年のせいで、その後がこたえます。当たり前ですよね。
でも、そんな暮らしが好きなのだから仕方がありません。私もヨコオさんと同じく、好きなことしかしていないのです。断りたいような仕事は頼んでこないので、みんな引き受けてしまうだけです。いやいや書いたものなど全くありません。
九十七にもなって、なぜ、まだ、カツカツした仕事をするのかと、言われることがありますが、好きだから書いているだけです。
遺言はまだ書いていませんが、一昨日の晩、遺詠の俳句は、十ほど作れました。
季語さえ変えれば、どの季節に死んでも全部使えます。
形見分けの品も、貰ってもらう人も整理出来ました。
さあ、いつでも来い、と「死」に向かって言っています。
日々、体力の衰えを感じるので、出来れば、自分でトイレに行ける間に、さっさと死にたいと願っています。
出家者の私は、すべてが、あなた(仏さま)まかせなので、それ以上、あれこれ案じたことはありません。
棺に、筆記用具など入れないでくれと、寂庵のスタッフに言ってあります。
あの世では、そんなものは買わなくても、必要な時、パッと目の前に出現するのではないでしょうか。
ヨコオさんとは向こうでもバッタリ、どこかで逢いたいものですね。
あちらでは「念」が強くなるので、そう念じれば逢うかもしれません。
置かれる段階がちがうけれど、時たま、ダンスパーティとか、盆踊りがあるのではないでしょうか。その時は、ヨコオさんがデザインしてくれたあのガイコツの、踊り用の浴衣を着て、パーティに出ましょう。
ああ、そんなことを想像すると、早くあの世で逢いたいですね。
それにしても九十七とか、八になると、人間の体は、ほんとに老衰がひどくなって、あまり動けなくなるのは、心外なことです。
そうそう、猫は、あちらでは飼い主と逢えるのですかね。うちの黒猫のマルは、留守の多い私が帰庵すると、誰よりも早く気がついて、走り出て出迎えました。やはり、「逢う」ということは、相手が人でも動物でも心の踊る嬉しいことかもしれないですね。ヨコオさんちの猫も、うちの猫たちも、わたしたちの逝くのを待っているような気がしてきました。
では、またね。
※週刊朝日 2019年12月13日号
週刊朝日
2019/12/07 11:30