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由紀さおりが明かした離婚した元夫への想い「私は幼かったのよ」
由紀さおりが明かした離婚した元夫への想い「私は幼かったのよ」
由紀さおり(ゆき・さおり)/群馬県生まれ。幼少期からひばり児童合唱団に所属。童謡歌手として活躍。1969年、「夜明けのスキャット」でデビュー、国民的ヒット歌手となる。以来、歌、女優、司会、バラエティーと大活躍。2011年、米ジャズオーケストラ「Pink Martini」とのコラボアルバム「1969」をリリースし、世界的ヒットに。今年、デビュー50年を記念し、アルバム「PASSING POINT」「BEGINNING」(ユニバーサル ミュージック)を発表。全国で記念コンサートを公演中。近著に『明日へのスキャット』(集英社)。 (撮影/写真部・片山菜緒子) 由紀さおりさん(左)と林真理子さん (撮影/写真部・片山菜緒子)  多くのヒット曲を持ち、50年にわたり、第一線で活躍を続ける歌手、由紀さおりさん。歌うことから、母や姉など家族の話、これまで語られなかった結婚の話、さらに年を重ねることの楽しさについて、デビュー50年の道のりを振り返りながら、作家の林真理子さんとの対談でたっぷりと語りました。 * * * 林:お久しぶりです。まあ、素敵なお着物! 由紀:最初にこちらでお目にかかったとき(2008年8月)も着物を着てまいりましたので、今日もそうしようと思って着てまいりました。 林:覚えてます。素敵なお着物でした。これは江戸小紋ですか。 由紀:そうです。綸子ですね。 林:帯もすごく素敵。お着物は何枚ぐらいお持ちなんですか。 由紀:このところすごく増えました。 林:着物って、そろえ始めるとお金が果てしなく飛んでいきませんか。 由紀:でも、いただきものが多いんです。私の知り合いのおばさまが「着ない着物がいっぱいあるの。ちょっと着てちょうだいよ」と言って、どんどんくださるようになったんです。それを自分の寸法に整えたり、裾除けの色をちょっと変えたりと、自分仕様に直させていただいて着ています。呉服屋さんにも、「もうこれを織る人がいませんので、大事に着たほうがいいですよ」って言われたりして。 林:お着物は、ご自分でお召しになるんですか。 由紀:今日は着付けの方にお願いしました。でも、少しずつ自分でも着られるようになりました。お三味線と踊りのお稽古に行くときは自分で着ます。 林:お三味線と踊りもやってらっしゃるんですね。 由紀:この9月にGINZA SIXの地下の観世能楽堂で、デビューして50年の特別公演として「夢の女─蔦代という女─」という一人芝居をさせていただいたんです。原作は有吉佐和子先生の『芝桜』で。その稽古で、お三味線と踊りを始めたんです。踊りはデビューして何年かに花柳の名取にはなったんですけれど。 林:お芝居、都合が合わずうかがえなくて残念でした。見たかったです。 由紀:お芝居をして、踊って、お三味線を弾き、歌って……と、楽しかったですよ。お三味線、鼓、笛と太鼓と、みんな生の音でしょ。能舞台の空間はアコースティックですから、ものすごく響きがいいんですよ。 林:へぇ~。『芝桜』って芸者さんの話ですよね。 由紀:そうです。私はもともと、話術が巧みなお座敷のお姐さんたちに憧れてるんですよ。新橋のお姐さんとか赤坂のお姐さんとかに。一緒にあちこち連れてってもらったりするおつき合いもあって、私の公演でも皆さんがずらっと総見してくださったりするんですけれど、ああいうお姐さんたちが好きなの。 林:ええ、ええ。 由紀:ちょいちょい着(ちょっとした外出で着る着物)のおしゃれが似合う女性でいたいなあと思っていて、私は女優の池内淳子さんが大好きだったんです。池内さんはふだんから何気なく素敵で、「私は沢村貞子さんみたいに、さらっと着物を着たいのよ」とおっしゃってたけど、そういう方がみんなあっちに逝っちゃったでしょ。 林:そうなんです。 由紀:杉村春子先生も森光子さんもそうだし、このあいだ雪江さんも逝っちゃったしさ。 林:ゆきえさん? 由紀:朝丘雪路さん。あの方はジャズも歌って、歌謡曲も歌って、踊りも深水流というご自身の流派を立ち上げたでしょ。雪江さんが亡くなったのはけっこうショックでした。 林:由紀さんはそういう芸者さんをやるような女優さんの系譜に連なってますよね。今、若い女優さんが芸者さんの役をやると、どう見てもコスプレという感じですけど。 由紀:着物は「着るより慣れろ」というか、日々それで暮らしているかどうかが所作にあらわれますよね。うちの母は、私が小学校5~6年まで着物を着ていたので、私はそれを見て育ったんです。母は着物教室で着付けの先生をしていて。 林:由紀さんの『明日へのスキャット』(集英社)という本を読ませていただきましたけど、お母さま、すごい方だなと思いました。教育の面では、自分が前に出て子どもたちを守るという感じで、学問の道に進む子にはそのための教育を受けさせて、歌の道に進む子にはこういう教育をって、ちゃんと見きわめてらっしゃったんですよね。 由紀::母は子どもたちに「どうしたいの?」って聞いて、情報だけを集めて、「選ぶのはあなたよ」というやり方でした。私たちは最初、桐生(群馬県)で生まれて、それから横浜に移ったんですけど、兄は「東京工業大学に行きたい」と言って化学を学んだんです。卒業して就職し、機会をいただいてMIT(マサチューセッツ工科大学)に留学しました。社会人の留学はまだ珍しい時代でした。 林:お兄さまもすごいです。 由紀:お姉ちゃん(安田祥子さん)は、「性格とか声の質でクラシックに進んだほうがいいだろう」というひばり児童合唱団の先生のすすめで、うちの遠い親戚で声楽を教えている先生のところに通ったんです。 林:そして芸大に入られて、そのあとニューヨークのジュリアード音楽院に行かれて、芸大の先生にもなられたんですよね。 由紀:そう。私は「歌を続けたいなら、それを許してくれる学校に行きなさい」と言われて、ひばり児童合唱団の先生のツテで、洗足学園第一高等学校というところに入って、「あまり目立たないように」みたいなことを先生に言われながら歌の勉強をしてたんです。クラシックをやってもお姉ちゃんを越えられないと思って、ジャズを習いに通ったり。 林:そうなんですか。 由紀:当時、歌謡曲といえば、作曲家の先生の内弟子にならないとデビューの道が開けなかった時代なので、「中学を卒業したら内弟子に入りなさい」と言われたけど、私が「高校に行きたい」と言ったら、母が「娘がそう言ってるので、そうさせてください」と言って高校に行かせてくれたんです。風が強いときには必ず母が守ってくれましたね。 林:素晴らしいです。お姉さまと二人で歌うようにすすめたのもお母さまなんですよね。デビュー15周年のときに。 由紀:そう。母の深慮遠謀だったような気もするけど、「二人で歌ってほしい」って。お姉ちゃんはクラシック、私は歌謡曲だったけど、「いい歌に変わりはないじゃないの」というのが母の口ぐせだったんです。 林:「NHK 紅白歌合戦」にも何度もお出になりましたけど、アカペラで歌われていましたよね。 由紀:ええ。私はソロとして13回、お姉ちゃんとは10回出させていただいてますけど、「赤とんぼ」を3回歌ってるんですよ。アカペラで歌うときは、姉と「同じ精神性を持とう」ということで松島湾(宮城県)に昇る朝日を見に行きました。私一人で出させていただいたときも「赤とんぼ」は2回歌っていて、北島(三郎)先輩とトリをとったときは、歌の出だしをアカペラで歌って、お姉ちゃんもアンサンブルで参加してくれました。 林:今、歌手の皆さんって、歌うときにイヤホンをつけてるじゃないですか。あれでカウントをとってるんですね。 由紀:あれは自分の声を耳に返しているんです。ドームのコンサートみたいに大きい会場だと、自分が歌った声が向こうの壁にぶつかって、エコーみたいにして遅れて戻ってくるんです。その音に引きずられちゃうから、自分が歌ったテンポをキープするためにイヤモニ(イヤーモニター)で自分の声を返すようになったんじゃないかと思うんです。 林:なるほど。そうなんですか。 由紀:でも、今は300人ぐらいのホールでも皆さんイヤモニをして歌うから、私はそれが気持ち悪くてね。私は後ろにいるバンドの皆さんの生の音を聞き、自分の声を聞き、ホールの音の響きを感じながら歌ってきたから、イヤモニは逆に難しいんです。今はそれがあたりまえとして音楽番組をつくる時代になっているので、私はもうこういうところでは歌えないというのが正直な気持ちです。 林:まあ、そうおっしゃらずに。 由紀:今、電車に乗ると、前に7人座ってたら、7人ともスマホでゲームとかメールをやったり、音楽を聴いてるでしょ。みんな個の世界にいて、人の声とか雑音が聞こえないんですよ。でも、自分が雑踏の中の一人を感じるって、すごく意味があることだと思ってるんです。  林:外国の人にとって、由紀さんの透明で透き通った声ってめずらしいみたいですね。バーブラ・ストライサンドみたいな肉厚な声を聞いてる人にとって。 由紀:今の歌い手の方って、ほとんど地声で歌うんです。私のようにファルセット(喉の負担が小さい高音の発声法)をうまく使う人はほとんどいないんです。特にポップスの人は基本的に地声です。それで長く歌えないんじゃないかと思います。 林:もともと由紀さんは声帯がすごく細いんだそうですね。 由紀:ええ。私は小学校4年生ぐらいのときに風邪をこじらせて、それでも歌ったら、音声障害を起こして声が出なくなっちゃって、ひばり児童合唱団の先生にすすめられて、九品仏(東京・世田谷)のお医者さんに行ったんです。そこは声に関わるお仕事をしている人たちが通っているところで、「あなたの声帯はすごく薄い。調子が悪いときは無理に声を出さないようにして、この声帯を大事にしなさい」って言われたんです。それがいい意味での私のトラウマですね。 林:それが今までのご活躍を支えてきたんですね。女優さんをやってらっしゃるときは、声帯の使い方はどうしてるんですか。 由紀:舞台を初めて経験するときに、美空ひばりさんの映画を見たんです。ひばりさんのセリフの声を聞くと歌ってるの。歌う声でセリフを言ってるな、と思いました。それで私もそうしよう、と。 林:オペラと同じですね。イブニングドレスを着てお出になるわけですから、体形の維持なんかも……。 由紀:食生活とかも大変です。今は自分の家の中を歩く道すがらというか、たいして広くないんですけど、よく通るところにスクワット専用のいすが置いてあるんですよ。最近、流行ってるんです。 林:へえ~、そんなものがあるんですか。 由紀:あるんです、通販よ(笑)。だけどそんなぐらいしかできないんです。外側はもうヨレヨレよ(笑)。拒めるものは拒みたいけど、拒みきれないものもいっぱいあるじゃない? それは受け入れるしかないでしょ。 林:たばこもお酒も一切やらず、非常にストイックに暮らしてらっしゃるそうですね。 由紀:そうですね。日々の暮らしはあした歌うための準備です。 林:わあ~、素敵。 由紀:何を食べるかというお食事も、お風呂に入ったりシャンプーしたりするタイミングも、みんなあした歌うための準備ですね。 林:由紀さんが「自分に満足できなくなったら、自分で引導を渡す覚悟ができています」と言ったら、亡くなった二葉あき子先生(歌手)が「何言ってるのよ。私なんか入れ歯が取れたってみんな喜ぶんだから」とおっしゃったんでしょう? 由紀:アハハハ、そう。先生は「私、歌ってると、ときどき入れ歯がはずれるのよ。でも、間奏のときに後ろ向いてカッと入れ歯を入れるの。だからそんなこと言わないで、ファンがいるうちは歌ってあげてちょうだいよ」っておっしゃってました。 林:本の中のそのエピソード、私、大好きなんです。 由紀:二葉先生のライバルは淡谷のり子先生(歌手)なんですね。「淡谷先生よりも1年でも長くリサイタルをやりたい」というのが二葉先生の目標で、実際にそれをおやりになってからすぐ、旅立たれました。 林:そうなんですか。 由紀:淡谷先生って、ピアノに寄りかかって歌うじゃない。そのとき後ろにクッションがあったりするのよ。私が見た先生の最後の舞台では、キャスターがついてる台の上にソファがあって、そこに座って歌って、歌い終わるとそのまま台ごとスーッと動かして引っ込むんです。 林:まあ、ほんとですか。 由紀:テレビの番組だから、そこは映らないのよ。でも、会場に来てる人にはわかっちゃうわけ。なんであそこは暗転にしなかったのかしらって思うんだけど、でも最後までヒールで歌ってらっしゃいました。 林:素晴らしいです。 由紀:ペギー葉山さんが亡くなったのも、すごくショックだった。いい歌をたくさんお歌いでした。ちょっとバタくさいジャジーなものとか。 林:でも、由紀さんはそうした皆さんよりずっとお若いんですから、そういう先輩たちは記憶の外に置いて、ときどき思い出す程度でいいじゃないですか(笑)。ご本を読んでわかったんですけど、「夜明けのスキャット」の大ヒットの最中、もうご結婚されてたんですね。びっくりです。 由紀:うふふ。私は童謡歌手から大人の歌手になるあいだ、コマーシャルソングをいっぱい歌ったんです。相手は大森昭男さんというCM音楽プロデューサーの方で、小林旭さんの「熱き心に」とか、堀内孝雄さんの「君のひとみは10000ボルト」とか、矢沢永吉さんの「時間よ止まれ」とか、石川さゆりさんの「ウイスキーが、お好きでしょ」とかを手掛けた人なんです。コマーシャルソングとしてつくったものがヒットするという時代ですね。音の切れ方とか、音のピッチとか、「ここはもう少し明るく響かせて」とか、音に対してすごく厳しい方でした。 林:当時、由紀さん20歳だったんでしょう? 結婚はもう少し待ってもらってもよかったんじゃないですか。 由紀:「高校を卒業したら結婚したい」って言われたんです。でも、上の二人が行ってなかったので、「下から行くのは順序が違うだろう」って父が言って、短大を出たあとすぐに結婚したんです。 林:でも、お別れになったんですね。私、コピーライターをしてたとき、「あれが由紀さおりさんの旦那さんだった人だよ」って言われて、そうなんだと思ってマジマジと見た記憶があります(笑)。ハンサムな方だったという印象でした。 由紀:笑顔が素敵でしたね。ピンク・マルティーニというアメリカの人気バンドとコラボして40周年のアルバムをつくったんですけど、そのときのプロデューサーが発掘した韓国の歌い手さんのライブを見に行ったら、そこに彼がいたの。みんな慌てちゃってね。私がいて“元亭”もいるわけだから。みんなに気をつかわせちゃ悪いなと思って、「お元気ですか」って私が彼のテーブルに行って、座って一緒にライブを見たんです。 林:まあ、大人の対応(笑)。 由紀:彼の事務所があるマンションに私の知人がいたので、そのあとにも偶然に会ったりして、「あのアルバムよかったね」って言ってくださって、それが最後だったかな。去年、お亡くなりになりました。 林:そうなんですか。 由紀:そのあとに、彼の追悼文を集めた本ができて、弟さんから私のところに送られてきたんです。私はまだ読んでないんですけど、弟さんに電話をしたんです。「私は幼かったのよ。だからご苦労かけちゃって」と言ったら、弟さんが「それを聞いたら兄貴は喜ぶと思います」って。「今、私が歌を歌っていく姿勢は、あの人から教わったことが生きてると思うわ」と言ったら、「ああ、それはよかった」と言ってくださいました。 林:そうですか。いいお話ですね。 由紀:ご本を送っていただいたことがきっかけでそんなお話ができたんです。はじめは手紙を書こうと思ったんですけど、ペンを持ってもなかなか進まないんですよ。やっぱり残るのはイヤだなと思って電話にしたんです。 林:わかります。私も、昔出したラブレターを持っていられたらどうしようかと思いますから(笑)。ドラマとか映画のご予定は何かおありなんですか。 由紀:「ブルーヘブンを君に」という映画に主演します。岐阜の大垣を舞台にした地方創生ムービーで、ブルーヘブンという青いバラをつくっているおばちゃまがモデルで、その方を私がやります。来年のバラのシーズンに公開されると思います。 林:楽しみです。由紀さん、さっきスタッフの方に聞いたら、電車にお乗りになるそうですね。 由紀:はい、普通に乗ります。 林:気づかれません? 由紀:ボディーのマッサージとかのメンテナンスに通うのに電車のほうが便利なんです。この前は日傘を持ってスッピンで地下鉄に乗って、お姉ちゃんと二人でペチャクチャおしゃべりして、「降りなきゃ」って降りようとしたら、前にいたおじさんが「由紀さん、傘忘れてますよ」(笑)。 林:わかってたんですね(笑)。 由紀:「スッピンだったのにね」って二人で笑っちゃった(笑)。 林:そのお声でわかっちゃうんじゃないですか。 由紀:そうかもね。タクシーに乗って「どこそこまで」って言うと、「あ、由紀さんですね」ってわかっちゃうから(笑)。 林:うふふ。これからのご活躍も楽しみに応援させていただきます。 構成 本誌・松岡かすみ ※週刊朝日  2019年11月8日号
週刊朝日 2019/11/05 08:00
【Vol.06】人々の胃袋を支えてきた築地の地で行われる「日本一おいしい盆踊り」
【PR】【Vol.06】人々の胃袋を支えてきた築地の地で行われる「日本一おいしい盆踊り」
複雑な歴史をたどってきた 築地の地ならではの魅力  築地は少々特殊な場所だ。もともとこの地には海が広がっていたが、1657年に起きた記録的な大火ののち、西本願寺の別院(現在の築地本願寺)の信徒を中心に埋め立てが進められ、築地の地が造成されたという。1923年の関東大震災の際には一面焼け野原となるが、その後各地の新鮮な食材が集まる築地市場が完成。2018年に移転するまで東京の住民たちの胃袋を支え続けた。  そのように紆余曲折を経てきた築地の中心地、築地本願寺で行われている築地本願寺納涼盆踊り大会は「日本一おいしい盆踊り」とも呼ばれている。場内には築地の名店が出すブースが立ち並び、それぞれの名物料理を安価で楽しむことができる。こちらを目当てにやってくる来場者も多く、各ブースには開始してすぐに長い行列ができる。  この盆踊りは2019年で72回目という歴史を誇るが、一部の飲食ブースではリユース食器が使われるなどゴミの削減にも積極的に取り組んでいる。また場内アナウンスは日本語だけでなく英語や中国語でも行われ、来場者の変化にも対応する現在進行形の盆踊りでもある。築地本願寺ボーイスカウト・ガールスカウトや築地本願寺合唱団楽友会がブースを出していたりと、築地本願寺を中心にしたコミュニティーの強いつながりを感じさせるが、やってくるのは地元住民とその家族、仕事帰りのビジネスパーソン、外国人観光客など多種多様。開かれた雰囲気があり、ピクニックのようなリラックスしたムードが会場を覆う。 エキゾチックな本堂のもと、 盆踊りの伝統的味わいを堪能  この盆踊りのもうひとつの魅力は、建築家・建築史家の伊東忠太博士が設計し、1934年に完成した本堂のエキゾチックなたたずまいだ。古代インド・アジア仏教様式を模した本堂には色とりどりのステンドグラスや動物の彫刻が施されており、眺めるだけでも楽しい。設計に際しては建築研究のためアジア各国を旅した博士の体験が生かされているそうで、提灯の明かりと月明かりのもと、仏教伝来のルーツが美しく浮かび上がる光景は目をみはるほどの美しさだ。なお、盆踊り期間中は夜20時まではその本堂も開いており、参拝することが可能。「夜の法座」が行われることもあり、深遠な仏教世界に触れることもできる。  この盆踊りでかかるのは古風でオーセンティックな楽曲が中心。近隣の盆踊りで定番化しているディスコ調の盆踊りソングがかかることもない。宮城県の代表的民謡「斎太郎節」が踊られるが、築地では三橋美智也が1960年代に吹き込んだ重厚なバージョンがかかる。最後に踊られるのは、同地のご当地音頭である「築地音頭」。さまざまな踊り手に対して開かれた盆踊りでありながら、築地という土地のプライドと美学も感じさせる盆踊り大会である。 築地本願寺納涼盆踊り大会 毎年7月から8月ごろ 会場:築地本願寺 築地本願寺 https://tsukijihongwanji.jp/ 文:大石始 写真:大石慶子 本企画は『東京の魅力発信プロジェクト』に採択されています。 このサイトの情報は、すべて2019年8月現在のものです。予告なしに変更される可能性がありますので、おでかけの際は、事前にご確認下さい。 →英語版はこちら(English version)
2019/11/01 10:41
スザンヌが明かす熊本移住の本音「子どもと2人で東京暮らしは想像できなかった」
スザンヌが明かす熊本移住の本音「子どもと2人で東京暮らしは想像できなかった」
スザンヌさん(撮影/写真部・小山幸佑)  地元熊本で子育てをしながら、タレントとしても活躍を続けるスザンヌさん(33)。自身のSNSでは自然やたくさんの人に囲まれてのびのびと暮らす普段の様子を綴っている。「地方でもできる仕事が増えている」と語る彼女を支えたのは、20歳でブレイクしたときに考え始めた「やりたいこと」とSNSだった。  4年前に東京から熊本へのUターンを決めた理由は何だったのか。当時の不安や、シングルで子育てすることへの思いも明かした。 *  *  * ――現在は熊本を中心に仕事をされているのでしょうか。  基本的には月に4~5日は東京で、あとは大阪や福岡、熊本ですね。熊本にいるときは幼稚園から帰ってきた息子(5)を連れて、地元のテレビ局に行っています。収録中、息子は楽屋でマネージャーさんと遊んだり、お絵かきしたりして待っています。私の父は元競輪選手で、母も一般の人ですが、2人とも地元のテレビに出させてもらっていて、私も一緒に出ることもあり、そういう日の楽屋はもう保育所みたい(笑)。すごくプライベート感満載で、こんなにリラックスした環境で仕事をさせてもらえて幸せだなと思っています。 ――仕事で自宅を離れるとき、息子さんはどうされていますか。  東京に行くときは母や妹にみてもらっていて、今日も妹が子どもを連れて家に泊まりに来てくれています。昨日は朝から子どもが体調が悪そうで病院に行ったら、胃腸炎で……。点滴をしてもらっていました。たまたま仕事が休みで良かったのですが、私がいないときは家族に病院につれて行ってもらったり、看病してもらったり、お世話になっています。  そうやって離れている時間がある分、一緒にいるときは全力で子どもに向き合いたいと思っていますね。いつも14時には幼稚園に迎えに行くんですが、休みの日はその時間からでも公園に遊びに行ったり、2人で温泉に泊まって翌日はそのまま登園することもあります。 ――自身のインスタグラムでは、たくさんの人に囲まれ食事する様子が頻繁にアップされていますね。  友達と一緒に楽しく食事したり、お酒を飲んだりするのが大好きなんです! 子どもを置いて行きたくないので、どこでも連れて行きますね。都会だと「こんな場所に子どもを!?」って言われちゃうかもしれませんが、熊本はそういうことに寛大で、焼き鳥屋さんなど大人が集まる店でも子どもがいっぱいいるんです。  私の家に集まって手巻き寿司パーティーなんかをすることもしょっちゅう。週末に休みの日があると友達に声をかけて、大人6~7人、子どもを含めると20人ぐらいでワイワイしていますね。実家や大好きな友達の近くに住んだことで、子どもがこんなにたくさんの人に愛されているんだと知ることができて、本当に幸せだなと思います。 公式インスタグラム(@suzanneeee1028)より ――2015年に地元に拠点を移していますが、改めてその理由を聞かせてください。  もともとは結婚して福岡に住んでいましたが、離婚した後、子どもと2人で東京で暮らすことが私には全然想像できなかったんです。この仕事を続けていくには東京に住むだろうと周囲は思っていたらしいのですが、実家の近くに住みながら、仕事で行ったり来たりするほうが、子どものためにも自分のためにも良いかなと。お金の計算なんかせず、直感でした(笑)。  もちろん最初は、こんなに遠くに住んでいるのに(仕事に)呼んでもらえるかなと不安もありました。でも、収入が半分になっても使うお金も半分以下になる、それなら大丈夫って思えました。仕事がなかったら最終的には母が経営するバーで働かせてもらおう!と。結構、能天気なんです。  実際に暮らしてみると、本当にお金がかからないんですよ!  家賃は東京の相場の1/3ぐらいだと思うし、駐車場代なんて「どこでも止めていいよ」という感じで、ほぼ無料!(笑)。おいしくて新鮮な食材が東京の半額以下で買えたり、近所の人が「食べなさい」って野菜をおすそ分けしてくれたり。ほかにも東京に住んでいたころはマッサージや美容室、ネイル、お洋服屋さんなど、細かいところでもすごくお金を使っていたんだろうなと思います。熊本にいると、ネイルもマッサージも行かなくなるから不思議です。 (撮影/写真部・小山幸佑)  ちょっと特殊な例かもしれませんが、芸能界のママ友からはベビーシッター代が家賃を超えたとか、お受験に向けて3歳から月20万円かけてバイオリンを習わせているなどと聞いていました。もちろん、そういう選択も素晴らしいし、子どもの将来のために頑張っているお母さんたちって本当に尊敬します。でも私は、高校で福岡に行ったときに「有料道路って何?」って初めて知ったぐらい結構な田舎で育ったこともあり、地方でのびのび子育てをしている方が向いているのかなと感じていたんです。 ――もともと上京したのは、仕事のためだったんですか?  芸能コースがある高校に行ったのをきっかけに芸能の仕事がしたいと思うようになり、先生方やいろんな出会いがあり、いまの事務所に入ることになりました。せっかく芸能界に入るなら東京に行ってみたいと思って上京を決め、親や友達には事後報告でしたね。 ――その約1年後には「クイズ!ヘキサゴンII」に出演し、20歳でブレイク。トントン拍子でした。  今考えると、運と時代とがちょうどマッチしていて、本当に良かったなと思います。番組が放送されるたびに道で声をかけられるようになり、当時は周りの変化するスピードについていけなくて。1、2年は睡眠時間が1日2~3時間、瞬きしたら次の場所に行っている感じでしたし、まだ若かったのもあって自分が何をしているかわからなかったですね。  でも、そのころ芸能の先輩たちや同期にすごく良くしてもらって、「いつかこの状態は終わるから、次はどうする?」とアドバイスしてもらいました。落ち着いたときに何をするかは自分次第だよ、だからこそ何をしたいか考えなきゃって。  そのころから結婚して子どもがほしいというのは夢だったし、お洋服やアクセサリー、インテリアも好きだなと思っていました。子育て中も私服の写真をアップしたり、今の家に引っ越すときにリノベーションの過程をSNSに載せたりしていたら、それを見てくれたアパレル会社さんや地元のハウスメーカーさんから声をかけもらい、商品をコラボさせてもらっています。  そうやってお仕事ができるのは、すごく不思議な感覚ですがうれしいですよね。特に私が熊本に戻った時期は、SNSが広がる時期でそれも運が良かった。いまは地方に住んでいてもできる仕事が増えてきていると感じます。  漠然といつかは熊本にとは考えていましたが、20代でとは思っていなかったんですよ。でも今は、戻るべくして戻ったかなと感じます。 (撮影/写真部・小山幸佑) ――服のプロデュースなどの仕事はお子さんが寝た後に?  そうですね。イメージ画を描くこと以外にも、好きなお洋服の画像をピンタレストに集めたり、スクラップしたりして、自分がプロデュースするときのヒントにしていますね。自分の将来のためと意識して時間を作っていたわけじゃないんですが、夜の時間は海外ドラマを見たり、疲れているなと思ったら半身浴で汗をかいたりしてストレス発散しているので、その延長みたいな感じです。  特に仕事が休みの日は、子どもがすっごく早く寝るんですよ。外でたくさん遊んで疲れているし、6時までに夕食を食べ始め、8時半ぐらいにはベッドに入る。夕食は、ご飯とみそ汁とちょっとしたおかずで「朝ごはんみたいな夕ご飯」なんですが(笑)、親子2人なので誰も責める人はいないし、食事の時間は楽しく!  お総菜の日もあるし、週末は大人と同じ時間に寝ることもあるのですが、できる日はそうしています。 ――健康的な生活! 自宅は自然の多い地域にあるんでしょうか。  市街地からは近いんですが静かな住宅地なので、私の中では「熊本の松濤(東京・渋谷区)」みたいな感じかなと。川沿いでおやつ食べたり、息子が昆虫にハマっているので虫取りをしたりできますよ。 ――公園でボール遊びができなかったり、電車内のベビーカーが問題になったりするような、都市部の子育てとは環境がずいぶん違いますね。  もちろん、ボール遊びを禁止するのだって安全に配慮してのことだと思いますが、そうなると子どもが思いっきり体を動かすには、お金を払ってスクールに通うしかなかったりしますよね。  以前、東京の友達と子連れでディズニーランドに行ったとき、駅に階段しかなくてベビーカーの移動に困ったり、エレベーターがあっても満員で何度か見送らないと乗れなかったりして、小さなことの積み重ねで都会での子育ては大変なんだなと感じました。それで子どもが不機嫌になってしまうのももったいないですしね。 ――シングルで子育てしている人たちにとっても、家族のサポートを受けながらのびのびと過ごせているスザンヌさんの暮らしは憧れかもしれません。  私は芸能の仕事をしているのでちょっと特殊かもしれませんが、みんなそれぞれの場所で精一杯やりながら、ハッピーなことも大変なことも日々あると思います。もちろん私もそうだし、自分の人生が素晴らしいと言うつもりもありませんが、一つのチョイスとして田舎暮らしや実家の近くに住むのも良いことがたくさんあるよということは伝えたいなと思います。  実は今、実家と同じマンションの別の部屋に住んでいて、料理も熱いまま持って帰れるし、やっぱり実家に近いのが一番なんですよ!(笑) 特に、熊本は3年前に地震があったので、家族が近くにいてくれるだけで安心。その安心感のせいか同じマンションに引っ越してからは親と会う回数が減っているんですよね。以前は、孫の顔を見せなきゃとか、無意識に頑張っていたのかもしれない。 (撮影/写真部・小山幸佑)  それに熊本の人はシングルマザーにすごく優しいので、オススメですよ。シングルで私たち姉妹を育てた母も「昔からそうだった」と言っていますし、ひとり親世帯にはいろんな助成や手当やケアがあって、本当に住みやすいと思います。 ――逆に、地方のデメリットを感じることもありますか。  良くも悪くもですが、選択肢が少ないですね。習い事一つを取っても、東京にはお勉強系も、感性を磨くようなアーティスティックなものも何でもある。仕事の幅もそうで、多少グレたり勉強が苦手だったりして王道のルートを外れたとしても、クリエイティブな道に進むという選択肢が都会にはあると思うんです。でも、地方だと子どもたちがそういう人に出会う環境が少なく、選択肢の中にあまり入っていないのかなと感じます。  住む場所はどうであれ、息子には、私がそうだったように、自分の夢のきっかけになるような人に出会ってほしいなと思っています。今は心配になるぐらい甘えん坊ですが、できるだけいろんな世界を見せてあげて、自分がやりたいことが出てきたら全力で応援したいと思っています。 (聞き手/AERA dot.編集部・金城珠代)
ママ友働き方働く女性出産と子育て
dot. 2019/10/29 11:30
「衝撃的なおいしさ」黒沢年雄がはじめて食べた“ナポリタンの店”とは?
「衝撃的なおいしさ」黒沢年雄がはじめて食べた“ナポリタンの店”とは?
ホテルニューグランド ザ・カフェ スパゲッティ ナポリタン/昭和2年、西洋式ホテルとして港町・横浜に開業。「スパゲッティ ナポリタン」(1800円)は同ホテル発祥のメニュー。戦後、米軍の占領下で進駐軍文化の影響を受けて生まれた。2代目料理長の入江茂忠氏が、当時米兵が食べていたトマトケチャップ味のスパゲッティをアレンジすべく、生、水煮、ペーストの3種類のトマトを合わせてひと手間かけたソースを考案。麺は前日にゆで置くことで、もちっとした食感に、バターのコクを加えてまろやかな味に仕上げた。税・サ別 (撮影/写真部・小黒冴夏) ホテルニューグランド ザ・カフェ/神奈川県横浜市中区山下町10(営)10:00~21:00L.O.(休)なし (撮影/写真部・小黒冴夏)  著名人がその人生において最も記憶に残る食を紹介する連載「人生の晩餐」。今回は、俳優・黒沢年雄さんの「ホテルニューグランド ザ・カフェ」の「スパゲッティ ナポリタン」だ。 *  *  *  僕は男4兄弟の長男として、横浜で育ちました。16歳の時、働き者のおふくろが病気で亡くなったので、弟たちを食べさせるために高校を辞めて働きに出た。昼間は港近くの貨物会社で働いて、夜はキャバレーのボーイをやったりして。朝から晩まで仕事を掛け持ちしていました。それを知った会社の上司が「黒沢、お前頑張ってるな」と言って、ご馳走してくれたのがこのナポリタンでした。  当時はホテルの本館5階に眺めのいい「スターライトグリル」というレストランがありました。まだ10代の若造には、そりゃあ敷居が高かったですよ。緊張しながら生まれてはじめて食べたスパゲッティの味を今でも忘れません。何しろ今から60年近く前の話ですから、それまで洋食なんて口にしたことがなくて。麺と言えばラーメンばかり食べていましたから、真っ赤なトマトソースは衝撃的なおいしさでしたね。これをきっかけに、ホテルがあまりにも気に入ったものだから、一番下の弟を就職させたくらいです(笑)。 (取材・文/沖村かなみ) 「ホテルニューグランド ザ・カフェ」神奈川県横浜市中区山下町10/営業時間:10:00~21:00L.O./定休日:なし ※週刊朝日  2019年11月1日号
人生の晩餐
週刊朝日 2019/10/28 17:00
漫画喫茶で一人で出産…漂流する妊婦も 「住まいの貧困」対策が急務
野村昌二 野村昌二
漫画喫茶で一人で出産…漂流する妊婦も 「住まいの貧困」対策が急務
生後間もない女児の遺体が遺棄されたコインロッカー。新宿区歌舞伎町 (c)朝日新聞社 「住まいの貧困」は見えにくい(AERA 2019年10月28日号より)  若者を中心に生活の基盤となる居場所「家」がない「住まいの貧困(ハウジングプア)」に陥る人が増えている。若い生活困窮者の住宅支援は遅れている現状ではあるが、少しずつ広がりをみせている。だが、居場所がない若者の中には、SOSを出せない人も少なくない。AERA 2019年10月28日号に掲載された記事を紹介する。 *  *  *  昨年5月、東京都新宿区歌舞伎町のコインロッカーから生後間もない女児の遺体が見つかった。死体遺棄容疑で逮捕されたのは、実の母親(当時25)だった。母親は事件の1年ほど前から現場付近の漫画喫茶で生活していて、その個室で子どもを出産、赤ちゃんが声を上げたので周囲にばれると思い殺したと容疑を認めている。なぜ、臨月を迎えた25歳の妊婦が漫画喫茶で寝泊まりをし、一人きりで出産せざるを得なかったのか。 「日本の社会には、貧困や暴力にさらされ安心できる『家』をなくし、その日の居場所を絶えず探し続けて漂流する妊婦のための場所が足りません」  と話すのは、予期せぬ妊娠に悩む女性の相談支援に取り組むNPO法人「ピッコラーレ」(東京都豊島区)の代表理事で、『漂流女子』(朝日新書)の著書もある中島かおりさんだ。  同NPOは15年に設立され、これまで延べ1万3千件近い相談に乗ってきた。避妊の失敗、未婚での妊娠、想定外の妊娠、性被害……。年齢の内訳は10代が30%、20代が37%、30代は18%。ネットカフェや一夜限りの男性宅、公園など危険な居場所から、やっとの思いで連絡をくれるという。  ある女性(24)は、風俗店の寮で住み込みで働いていたが、お客の子どもを妊娠すると寮を追い出され、行く場所がなくネットカフェで寝泊まりするようになった。妊娠30週を超えた時、未受診の妊婦が病院に担ぎ込まれるテレビドラマを観て、「これは私だ」と思い怖くなり、同NPOにメールをしてきた。 <ネットカフェ難民しています。もうすぐ赤ちゃんが生れると思います>  メールを受け取ったスタッフが女性と一緒に区の福祉課に行くと、女性相談員が妊婦健診をしてくれる病院を予約してくれ、近くに妊産婦を支援してくれる施設があることも教えてくれた。その後、女性は妊産婦支援施設に入り、無事に病院で出産したという。 中島さんは言う。 「漫画喫茶で出産して赤ちゃんを死なせてしまった母親は、誰かに『助けて』と言う気力を奪われていたのかもしれません。長い間暴力や社会的排除を受けてきた結果、絶望や無力感の中にいて、何をしても無駄だとあきらめていたのかもしれません」  日本にはDV防止法や児童福祉法、売春防止法など女性と子どもを守るための法律にのっとり、提供される居場所はいくつかある。しかし、妊婦を想定して用意された居場所は少ない。同NPOは来年3月を目標に、漂流する妊婦が安心できる居場所「プロジェクトホーム」を豊島区内に計画中だ。滞在するだけでなく、助産師や社会福祉士などが、利用者一人一人のニーズに合わせて協働する居場所になるという。 「彼女たちが安心して次の一歩を踏み出す準備ができる場を、地域に開かれた居場所にしていきたい。それが彼女たちの困難を可視化し、社会と共有することにつながります」(中島さん)  一般社団法人「つくろい東京ファンド」代表理事で、立教大学大学院特任准教授(居住福祉論)も務める稲葉剛さん(50)は、住まいの貧困対策として「ハウジングファースト」を提唱する。  これまでホームレスなど住む場所をなくした人たちへの支援は、シェルターなどで暮らしながら就労支援を受け、仕事を見つけてからアパートに移り住むという「ステップアップ方式」が主流だった。だが、集団生活になじまずドロップアウトし、再び路上に戻るという悪循環があった。ハウジングファーストは「住まいは基本的人権」という考え方のもと、最初から安定した住まいを提供した上で、医療や福祉の専門家が支えていく。1990年代初頭に米国で始まった考えで、フランスでは国策として取り組む。  稲葉さんはこの方式を日本でも導入し、住む場所をなくし人たちが社会復帰しやすい仕組みをつくった。14年に中野区に個室シェルターを用意して以来、新宿区や墨田区など都内4カ所に個室シェルターなど23部屋を用意。これまで90人近くが生活保護を利用するなどして、一般のアパートに移り、そこを拠点に新たなつながりをつくっているという。稲葉さんは言う。 「欧米では若者の住宅支援は『離家支援』と言い、公営住宅を格安で使えるなど仕組みができています。若者に早く実家を出てもらい次の世帯形成をしてもらうのは、少子化対策としても有効といわれています。日本でもこうした支援が必要ですが、民間の力だけでは限界があります。政治により普遍的な支援の体制を築きあげていく作業が欠かせません」 (編集部・野村昌二) ※AERA 2019年10月28日号より抜粋
AERA 2019/10/28 11:30
”打ちたて麺”にこだわる店主が「東京ラーメンストリート」出店を断った意外すぎる理由
井手隊長 井手隊長
”打ちたて麺”にこだわる店主が「東京ラーメンストリート」出店を断った意外すぎる理由
ちばき屋の「支那そば」は一杯700円。トッピングで煮卵(100円)をつけた(筆者撮影)  日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、名店店主が愛する一杯を紹介する本連載。和食の世界からラーメン界に飛び出し、支那そば一本で27年間駆け抜けてきた店主の愛する一杯は、100年後のラーメン文化を変えようと麺の真の旨さを追求する男の究極の一杯だった。 ■東京「ちばき屋」店主が震災復興に乗り出す  江戸川区葛西にある「ちばき屋」は1992年のオープン以来、あっさりとした支那そばが老若男女から愛されている。“半熟煮卵”の元祖として、90年代からのラーメンブームを支えてきた。店主の千葉憲二さん(68)はラーメン界のレジェンドの一人としても知られている。  千葉さんが生まれて初めて食べたラーメンは、地元の宮城県気仙沼市にある「かもめ食堂」のラーメンだった。目の前には魚市場があり、朝食を食べる人たちで毎日賑わっていた。あっさり系でほっとする味わいの支那そばが人気で、まさに「ちばき屋」の原点ともいうべきお店である。 店主の千葉憲二さん。ちばき屋 葛西店前で/東京都江戸川区東葛西6-15-2/平日11:30~14:45、17:00~23:00、土曜11:30~23:00、日曜祝日11:30~22:45/定休日なし/筆者撮影  ある時、千葉さんは気仙沼でご当地ラーメンを作らないかと誘われ、久しぶりに「かもめ食堂」を訪れた。「博多一風堂」の河原成美さんや「くじら軒」の田村満儀さんも一緒だった。千葉さんが子どもの頃からこの店で働いていた女性は「お姉さん」からおばあさんになっていて、この店が続くのは長くないかもしれないと思った。河原さんは「千葉ちゃん、このお店継ぎなよ」と笑いながら提案をくれた。  そして、「かもめ食堂」は2006年に惜しまれながら閉店。それから5年後の11年3月11日、東日本大震災が気仙沼を襲った。  居ても立っても居られず、千葉さんはトラック2台に物資を積んで気仙沼に向かう。津波で流されてしまった故郷を目にして絶句した。空き店舗になっていた「かもめ食堂」も跡形もない状態だった。  港にひとつ明かりを灯したい――自分にできることはないかと考えたとき、千葉さんは「一風堂」の河原さんの言葉を思い出した。「かもめ食堂」が復活すれば、地元の人たちの笑顔を取り戻せるかもしれない。千葉さんは、あの「おばあさん」を訪ね、「かもめ食堂」を継がせてほしい、と頼み込んだ。こうして「気仙沼 かもめ食堂復活プロジェクト」がスタートした。 「かもめ食堂」の「かもめラーメン味玉のせ」は半熟煮卵がかもめのたまご風に切ってトッピングしてある(新横浜ラーメン博物館提供)  だが、震災後の気仙沼では、お店を建てることさえ難しかった。建築制限が解除されるまでは3年はかかると言われ、何から準備すればいいのかわからなくなってしまった。そんな千葉さんに、新横浜ラーメン博物館(「ラー博」)の館長で友人でもある岩岡洋志さんが、「首都圏からでも気仙沼市の魅力を伝えることはできる。復興するまで、『かもめ食堂』をラー博で温めましょう」と提案してくれた。  提案からわずか4カ月後の12年2月、「かもめ食堂」は新横浜ラーメン博物館で復活した。それから15年4月に“卒業”するまでの3年間、新横浜で気仙沼のラーメンを発信し続けた。 新横浜ラーメン博物館で復活した「かもめ食堂」(同館提供)  気仙沼での土地探しも続けていた。かつてお店があった場所の近くに出店できないかと探し続け、海沿いにある120坪の土地を見つけた。こうして15年11月19日、気仙沼「かもめ食堂」が帰郷オープンした。  オープン時にはラー博の岩岡さんも駆けつけ、車の整理を手伝ってくれた。たくさんの人の力を借りてようやく実現した「かもめ食堂」の復活だった。  ラーメンを作る上でこだわったのは、気仙沼の味を広めることだった。気仙沼はサンマの水揚げ量が多いことから、サンマの香油を使うことにした。さらに、千葉さんならではの半熟煮卵をトッピングもした。売り上げは右肩上がりで、「かもめ食堂」のラーメンを食べに各地から気仙沼に訪れる人も増えてきた。 気仙沼「かもめ食堂」の帰郷オープンには大勢の人が駆け付けた(新横浜ラーメン博物館提供) 「『かもめ食堂』を気仙沼復興のシンボルにしたいと思いました。自分を育ててくれた原点の味。ここがなければ『ちばき屋』もありません。先代の『かもめ食堂』が私の気仙沼の思い出となったように、これからの子どもたちにとってもここが気仙沼の思い出となるように努力していきます」(千葉さん)  そんな千葉さんが愛するラーメンは、店主が100年後にその文化を残すべく作った究極の一杯だった。 ■24歳で大失恋を経験 小笠原諸島に移住  中央区八丁堀にある喜多方ラーメンの「麺や 七彩」は、注文を受けてから麺を打つ“打ちたて麺”のラーメンを提供するお店だ。数多あるラーメン店の中で、麺でこれだけの個性を出せるお店というのはそうそうない。まさにここでしか食べられない一杯だ。  店主の阪田博昭さん(48)のラーメンとの出会いは、幼いころに食べたサッポロ一番塩ラーメンで、「ソウルフードだった」と振り返る。  阪田さんは16歳の頃に池袋ショッピングパークのラーメンチェーン「いとぐるま」でアルバイトを始めるが、深い理由があったわけではない。当時はバンド活動に明け暮れていたが、それだけで食べていけるほど世の中は甘くないと感じていた。飲食店であれば食いっぱぐれないだろうとの軽い考えで選んだアルバイトだった。 麺や 七彩/東京都中央区八丁堀2-13-2/平日11:00~15:00 / 17:00~22:00 土・日・祝11:00~15:00/17:00~21:00/毎月第3火曜日定休/筆者撮影  だが、幼少期から何かを作ることが好きだった阪田さんは、次第に料理の面白さに取りつかれていく。チェーン店という制約の中でどうしたら美味しいものを作れるかにこだわり、気が付けばアルバイトの中でもリーダー的な存在になっていた。この頃から、料理と音楽の2足のわらじで生きていこうと決心する。  そして、「料理をもっと勉強したいなら」と、先輩から紹介され、池袋のうどん居酒屋「きらら」に移る。20歳の頃だった。  和食メニューも充実していて、宴会料理を作ることも多かった。阪田さんは見よう見まねでたくさんの料理を自分のものにし、料理人としての自信も少しずつついてきた。  しかし一方で、アルバイトの立場ではできることに限りがあることにも阪田さんは気づいていた。仕事に悩むなか、プライベートでも大きな失恋を経験。一度都会の喧騒から離れようと、先輩のお母さんを訪ね、24歳で小笠原諸島に移住する。昼間は土工の仕事をしながら、夜は包丁の練習や料理をした。  ゆったりとした時間を過ごしていた阪田さんのもとに、「いとぐるま」時代の上司から電話が入る。人気イタリアン「カプリチョーザ」のFC展開の誘いだった。 「まだ小笠原でゆっくりしたいという思いもありましたが、周りの仲間からはチャレンジしてこいと背中を押されました。せっかく戻るなら天下を取ってやるという気持ちで東京に帰りましたね」(阪田さん)  こうして阪田さんは25歳でイタリアンの世界に飛び込んだ。上司と当時の店長、そしてもう一人、「いとぐるま」飯田橋店出身の藤井吉彦さん(51)が集まった。藤井さんはのちに阪田さんとともに「七彩」を立ち上げることになる人物である。 「カプリチョーザ」を新宿ワシントンホテル、新宿東口、新宿アイランドタワー、御茶ノ水と4軒展開し、店舗運営から厨房までを幅広く担った。マニュアル作りも行い、すべてのお店が繁盛店に成長する。この経験が阪田さんの大きな自信になる。  その後、27歳でソムリエスクールの運営や利き酒師の試験を主催する会社へ転職する。料理の腕を生かして講師などをしていたが、同時に岩手の日本酒「あさびらき」の蔵元レストランのプロデュースも手がけた。ここでも成功を収め、阪田さんは、転職先の社長と藤井さんと3人で、自分たちの原点であるラーメン店を地元で開こうと思い立つ。 「麺や 七彩」店主の阪田博昭さん(筆者撮影)  こうして1999年、武蔵浦和に「むさし坊」がオープンする。当時は珍しかった鶏白湯(とりぱいたん)のスープを使い、化学調味料不使用で、麺には全粒粉を練りこんだ。和食やイタリアンなど今までの経験を生かした味作りとレストランレベルのサービスを取り入れ、オープン当初から話題のお店となった。周りのラーメン屋店主らから、売り上げは月300万円いけばいいところだと言われていたが、初月から500万円を突破。ピーク時は1200万円売り上げる人気店となった。雑誌やテレビにも多数紹介され、世話になった社長に恩返しもできた。 「むさし坊」が軌道に乗ったことで、阪田さんは藤井さんと2人で独立に向けて動き始める。中野区の都立家政にいい物件が見つかり、契約することにした。都立家政商店街は中野区で一番古い商店街で、年配のお客さんも多い場所だ。ここに合うラーメンをと考えて浮かんだのが、喜多方ラーメンだった。 「喜多方では有名店は朝から大行列で、年配のお客さんも多いのです。喜多方ラーメンの認知度は高いけれど、都内では『坂内』や『小法師』などのチェーン店はあっても、個人店はあまりない。『これならナンバーワンになれる!』とオープン3日前に決心して、必死に味作りをしました」(阪田さん)  独立するときには、ゲン担ぎしようと吉方や開店時期などを占ってもらった。そのとき、2人に縁のある数字が2と7だと言われ、店名は「麺や 七彩」にした。「七彩」には何色にでも色が変わるという意味があり、2人のラーメンの多彩さを表した。オープン日も2007年2月7日と、2と7にこだわった跡が見える。宣伝や告知を特にしていなかったものの、なぜか初日から行列ができたという。  ラーメンの主役は“麺”であると阪田さんは断言する。初めは製麺所に作ってもらっていたが、いつでも自家製麺に切り替えられるように準備をしていた。 「麺や 七彩」は打ち立て麺にこだわり続ける(筆者撮影) 「最初は資金がなくて、茹で麺機を買うことができませんでした。なので、ボウルで麺を茹でていたんです。100食限定で昼だけ営業して、夜に仕込みをしていました。少しずつお金を貯めて、徐々に機械をそろえていきました」(阪田さん)  こだわりが功を奏して、「七彩」はこの年、業界最高権威といわれる「TRYラーメン大賞」の新人大賞を受賞する。ピーク時には50人以上が並び、3時間待ちということもあった。  11年には東京駅の「東京ラーメンストリート」から出店依頼が入る。料理人として、他のラーメン職人に食材や製法などの大切さを伝えたいと考えていた阪田さんは、そのためにはとにかく注目されることが必要だと感じていた。「カプリチョーザ」時代に大きな店を回していた経験も、出店を後押しした。  阪田さんにとっては願ってもいないチャンスだったが、一度出店を断った過去がある。なぜか。 麺や 七彩の「喜多方らーめん」(筆者撮影) 「最初に声をかけていただいたときは店の運営に夢中で、無意識に出店を断っていたようなんです。断ったことも覚えていないくらい、目の前のことしか見ていなかった。でも、二度も打診してくださって本当にうれしかった」(阪田さん)  東京駅を本店にしようと、都立家政の店は「食堂 七彩」と名前を変え、新たなラーメンにチャレンジすることにした。東京駅でオープンしたお店では観光客を始め、新たなファンの獲得に成功した。 「東京ラーメンストリート」の4年の契約を終え、「麺や 七彩」は現在八丁堀でお店を開いている。そして、この移転と同時に実現したのが“打ちたて麺”だ。  注文を受けてからその場で麺を打ち、打ちたて切りたての麺を茹でてラーメンにして仕上げるという前代未聞のチャレンジだった。そば打ちの技術を応用した製法で、打ちたてならではの小麦の香りと甘さを感じることができる。手打ちでしか出ない麺の食感も最高だ。 打ち立て麺。「小麦の香りが引き立っていてとても美味しい」とちばき屋の千葉さんは言う(筆者撮影) 「日本で昔から大切にされてきた『手打ち』『手仕事』の文化を今後も残していきたいという思いから“打ちたて麺”を始めました。このお店を100年続けることで、新たな文化として『打ちたてのラーメン』を日本に根付かせたいと思っています」(阪田さん) 「ちばき屋」千葉さんは阪田さんのラーメンへの向き合い方を高く評価している。 「『七彩』の打ちたては、熟成させずに作る日本そば的な感覚の麺です。小麦の香りが引き立っていてとても美味しい。阪田さんはまさに職人。食としてのラーメンにきちんと向き合っていて、今後も残っていける店作りをしていますね」(千葉さん)  阪田さんも、レジェンド・千葉さんに敬意を抱いている。 「同じラーメンを繰り返し、繰り返しブラッシュアップしていったことで、他の人では到達できないところまでいったレジェンドですね。長く残る名店は人々から必要とされ、求められている証拠です。我々も後輩として負けずに頑張っていきます」(阪田さん)  27年突っ走ってきたレジェンドが愛するラーメンは100年後を見据えた一杯だった。2人とも一過性のブームではなく、長く続くもの、人々から必要とされるものにきちんと目を向けてラーメンを作っていることがわかる。先人からのバトンは確実に今に繋がっているのだ。(ラーメンライター・井手隊長) ○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて18年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。 ※AERAオンライン限定記事
AERAオンライン限定ラーメン井手隊長
AERA 2019/10/27 12:00
1億円超の申告漏れで気になるチュート徳井の今後の露出 当面は活動自粛
1億円超の申告漏れで気になるチュート徳井の今後の露出 当面は活動自粛
報道陣らの前で頭を下げるお笑いコンビ「チュートリアル」の徳井義実=23日午後11時すぎ  東京国税局から7年で計約1億2千万円の申告漏れを指摘され、吉本興業大阪本社で謝罪会見をしたお笑いコンビ「チュートリアル」の徳井義実(44)。だれもが気になるのは今後のテレビ番組などへの出演だ。各局が様子見の状態だったが、25日にはTBSが番組の放送休止を発表した。一方、吉本興業は26日付けで、徳井の活動自粛を発表した。期間については、「当面の間」としている。  23日夜の会見で徳井は、「このたびは私のだらしなさ、怠慢により、しっかりとした納税ができず、ちゃんと納税されている方など、多大なるご迷惑、また不快感を与えたこと、本当に申し訳ございませんでした」と頭を下げ、謝罪した。  今後については、 「徳井が出ていると気分が悪いと言われたら、仕事ができなくなっても致し方ない。納税されている国民すべての方にとんでもない不快感を与えてしまいました」  と話していたが、仕事は続けたいとの意思を示している。  徳井は地上波、BS、CSなどで計10本超のレギュラー番組を抱えている。局側の反応はどうだろうか。  25日現在、「しゃべくり007」など多くのレギュラー番組を放送する日本テレビは「対応を検討中」(広報部)。  NHKでは今後、大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」への出演が控えている。この番組は以前、ピエール瀧が麻薬取締法違反容疑で逮捕されたことで、出演場面をカットしたり、代役で撮影をやり直したりといった対応をしている。NHK広報部は「対応を検討中。いつごろまでに判断するかの見通しは立っておりません」としている。  一方、TBSは25日、ホームページに「おわび」と題し、「今週の『人生最高レストラン』について、通常通り放送するとお伝えしていましたが、徳井義実さんの会見後、新たな事実関係が確認されたことなどに鑑み、明日26日(土)の放送を休止することにしました。来週以降の放送については未定です」と発表した。  今後も番組休止などはあるのだろうか?  芸能評論家の三杉武氏は、「(徳井の)露出は減るでしょう」と語る。 「今回の件は、悪質極まりないことであって、印象は確実に良くない。昔に比べると、テレビ業界、CM業界ともコンプライアンスに過敏になっているうえ、世間の反応も厳しい。とくに近年は出演タレントの不祥事などの批判の矛先が、テレビ局や番組、CMのスポンサー企業に及ぶこともある」 との見方を示す。その上で、 「人気タレントではあるが、代えがきかないほどのポジションにはなく、リスクヘッジという意味でCMなどは差し替わる可能性が高い。芸能人が個人の会社を設立して、節税するケースは出てきているが、今回のケースとは全く別の話」  とバッサリ。  12年に、元プロ野球選手でタレントの板東英二氏の個人事務所が税務調査を受け、7年間で約7500万円の申告漏れがあったと指摘され、非難が殺到。当時のレギュラー番組は降板や打ち切りとなった。他にも、人気グループ「EXILE」などが所属する事務所「LDH JAPAN」が、17年3月期までの4年間で約3億円の法人税などの申告漏れを東京国税局に指摘されている。  大手芸能事務所関係者によると、近年、芸能界でこうした傾向が顕著に見られるという。 「最近、芸能界は国税庁からマークされている傾向があり、今後もお金に関する問題があらわになっていく可能性が高い。一般の会社に比べると、芸能界のお金の流れは不透明なケースも多いし、交際費もたくさん使う。今まで以上に世間の目も厳しくなっている」  徳井の対応が鍵になりそうだが、今後の芸能活動に支障を来す可能性が大いにありそうだ。(本誌・田中将介) ※週刊朝日オンライン限定記事
週刊朝日 2019/10/26 13:35
メタボも不調もぜんぶ腸のせいだった! たった2カ月で健康に10キロやせた理由とは
小長光哲郎 小長光哲郎
メタボも不調もぜんぶ腸のせいだった! たった2カ月で健康に10キロやせた理由とは
イラスト:花モト・トモコ  毎晩の肉食志向に自己流の糖質制限ダイエット──。現代人が好みがちな食習慣が腸内環境に打撃を与えているという。余分な脂肪を脱ぎ捨て、腸内環境をきちんと上げるにはどうすれば? AERA 2019年10月28日号から。 *  *  * 「腸がこんなにも大切だったんですね……」  会社経営者の男性(53)は、医師にしみじみとつぶやいた。ずっと苦しんできた不調の「原因」が、あまりに意外なものだったからだ。  男性は単身者で、仕事が生活のすべて。朝から深夜まで、休日も休みなく働いていた。食事は3食コンビニで済ませ、暴飲暴食もしがちだった。気づけば身長167センチで体重75キロという典型的なメタボ体形。喫煙習慣があり、極度の運動不足で、血圧は160台、悪玉コレステロール(LDL)値も220mg/dlと高かった。  最初にかかった医師からは、運動と食事療法を指導された。だが、多忙のため実行できず、指導とはほぼ真逆の生活を送るばかり。やがて、深刻な不調が表れた。  いつも体がだるくて疲れやすい。頭はぼうっとしがちで、慢性的な便秘もあった。男性は江田クリニック院長・日本消化器病学会専門医の江田証医師のもとに駆け込んだ。 「いわゆる慢性疲労症候群で、ブレイン・フォグもあるようでした」  診察した江田医師はそう振り返る。ブレイン・フォグとは、脳に霧がかかったようにぼんやりした状態が続くことを言う。  江田医師は、「ある狙い」で食事指導を始めた。食物繊維が豊富な玄米、キャベツやブロッコリースプラウトなどの野菜を食べること。スクワットなどの筋トレも取り入れた。  結果、男性は2カ月ほどで症状が劇的に改善。体重も10キロほど落ち、メタボ体形から抜けだした。人生は一変した。  男性を激変させた江田医師のある狙いとは、「腸内環境の改善」だった。江田医師は腸内環境の重要性をこう指摘する。 「腸内環境を整えることが、ダイエットはもちろん、慢性疲労症候群などあらゆる心身の不調を改善するカギになります」  腸内環境を左右するのが、腸内に約100兆個存在すると言われる「腸内細菌」だ。腸の粘膜にびっしりと敷き詰められるように生息し、その様子が花畑のように見えることから、「腸内フローラ(腸内細菌叢)」とも呼ばれる。腸内細菌は、宿主である人間がとる食べものから食物繊維や糖などをエサにして増殖する。さまざまな代謝物を生成し、体の機能に多大な影響を与えることがわかっている。  腸内細菌は、大きく三つに分けられる。(1)代謝物が消化・吸収機能に役立ち、体によい影響を与える「善玉菌」、(2)代謝によって有害な毒素を作り、下痢や便秘など体に悪影響を及ぼす「悪玉菌」、(3)善玉、悪玉の数的に優位な方に加勢する「日和見菌」だ。主な善玉菌にビフィズス菌やラクトバチルス、悪玉菌はクロストリジウムや大腸菌、日和見菌にバクテロイデス、ファーミキューテスなどがある。  3者の理想的な比率は「2:1:7」とされる。だが、悪玉菌が増えてバランスが崩れ、日和見菌が悪玉菌に加勢すれば、腸内環境が悪化し、さまざまな不調が表れることになる。  現代社会には、「冒頭の男性のように腸内環境のバランスを崩している人は極めて多いのでは」と江田医師をはじめ、多くの専門家が警鐘を鳴らしている。  なかでも陥りがちな落とし穴のひとつが、ストレスなくやせられると本誌でも取りあげたことがある「糖質制限ダイエット」だ。糖質制限では、炭水化物の摂取を制限する代わりに、たんぱく質や脂質が豊富な食べものをとる。だが、「糖質を一切とらない」など極端な制限をかけてしまうと、腸に悪影響を与えることになる。  大妻女子大学の青江誠一郎教授(栄養学)は言う。 「腸内の善玉菌や日和見菌にとって最大のエサが食物繊維です。炭水化物は食物繊維と糖質からできていて、可食部100グラムあたりの食物繊維含有量は、大麦は9.6グラムと多く、ゴボウ5.7グラム、玄米も3グラムある。穀物を食事から抜いてしまうと、善玉菌や日和見菌のエサが減り、結果、腸内環境の悪化につながるのです」  順天堂大学医学部教授で、同大に日本で初めての便秘外来を開設した小林弘幸医師も、こう指摘する。 「炭水化物を抜く食事は、腸によくありません。なぜ、現代人が生活習慣病や肥満に悩むのか。答えはただ一つ、『食物繊維の不足』です。第2次世界大戦直後の日本人の食物繊維摂取量は1日約30グラムですが、現在はたった十数グラム。これがさまざまな生活習慣病を生んでいることは間違いありません」  前出の江田医師は、糖質制限そのものに加え、「食事の偏り」も腸内環境の乱れにつながると言う。腸内細菌の多様性が保たれていることも、腸内環境にとって重要だからだ。 「単一の菌ばかりが増え、多様性が失われる状態を『ディスバイオシス』と言います。腸内細菌のバランスが崩れ、体に悪影響を及ぼすことになる。さまざまな食物をとり、腸内細菌が多様に増えるのが、理想的な腸内環境です」(江田医師)  ごはん抜きやリンゴだけなど、単一の食べものを増やしたり減らしたりすれば、腸内環境は乱れやすくなる。  特に、糖質制限をしていると、便秘になるケースも多いうえ、控えた炭水化物の代わりに、どうしても「ある物」ばかり食べるようになる。 「肉です。たんぱく質は消化の過程で分解され、アミノ酸になります。肉を食べすぎればアミノ酸は小腸で吸収しきれず、大腸まで到達します。アミノ酸をエサにするのは主に悪玉菌で、アミノ酸を分解する過程で硫化水素を作り、卵の腐ったような強烈なにおいを発します。実は、プロテインや肉類を多く摂取するボディービルダーのおならは非常に臭い。臭いおならが続くなら、不調のサインと捉えてください」(同)  悪玉菌はアミノ酸を好んで食べ、腐敗物質をつくる。臭いおならは、腸内環境が悪玉菌優位の状態になっている証しだ。  年齢を重ねることでも腸内環境は変化する。注意すべきは50代以上だ。 「人間は赤ちゃんの時は、善玉菌の割合が非常に多い。60歳を過ぎると善玉菌が徐々に減り、悪玉菌が増え始めます」  若い時は、食べたものはほぼすべて小腸で吸収され、大腸にまわるのはほとんど「搾りかす」だった。だが、加齢によって小腸の吸収能力が落ち、本来は小腸で吸収されるべきアミノ酸などの栄養が大腸まで届くようになる。結果、大腸で悪玉菌が増殖してしまうのだ。江田医師によると、腸内環境の悪化は、実は肝臓がんや大腸がんになるリスクまではらんでいるという。 「本来届かなくてもいい過剰な栄養分が大腸まで届き、富栄養化します。すると、ある菌が増殖し、大腸がんのリスクになる『二次胆汁酸』という物質をつくります。二次胆汁酸は、血液の流れに乗って、腸内の血管から門脈までいき、肝臓にたどり着く。すると肝臓がんのリスクになることがわかっています」 この菌は、発見したがん研有明病院にちなんで、「アリアケ菌」と呼ばれている。 (編集部・小長光哲郎) ※AERA 2019年10月28日号
ダイエット病気
AERA 2019/10/25 11:30
ミッツ・マングローブ「変わり続ける日本の“洗剤”意識」
ミッツ・マングローブ ミッツ・マングローブ
ミッツ・マングローブ「変わり続ける日本の“洗剤”意識」
ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する ※写真はイメージです (Getty Images)  ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「洗剤のCM」を取り上げる。 *  *  *  時代の価値観が純粋に反映されるもの。そのひとつが「洗剤」のCMです。白さ・泡立ち・手間なし・無添加・除菌効果にお洒落着洗いなど、その時々の社会のニーズや日常の理想が「洗剤」には詰まっています。  私が子供の頃(昭和50年代)一世を風靡した♪嬉しい白で~す~ブルーダ~イヤ~♪のCM。様々な公害問題に直面していた時代、『ブルーダイヤ』は「無リン」を掲げ、同じくライオンの「酵素パワーのトップ!」と両雄を張った粉洗剤です。CMの最後に流れる♪金銀パールプレゼントッ♪のフレーズを覚えている人も多いでしょう。抽選で宝飾ペンダントが当たるキャンペーンでしたが、当時「洗剤の中に金銀パールが混ざっている」と勘違いし、中身を床にブチまける主婦が続出したとか。まだ日本が駄菓子屋文化の上に成り立っていた頃の話です。ちなみに現在も『消臭ブルーダイヤ』として販売されています。「金銀パールプレゼントキャンペーン」は、その後ミキモトや田崎真珠といった大型ブランドとのコラボを展開し、最終的には「氷川きよしモデル」という頂点を極め、2008年にその幕を閉じました。まさに昭和後期から平成にかけての「日本の洗濯事情と主婦市場」の変遷です。 「無リン時代」を経て日本が本格的に潤っていく中、常に洗剤も進化し続けてきました。液体洗剤やコンパクト洗剤の台頭、漂白剤入り、植物由来、ナチュラルハーブにUVカット。「地球にやさしく! でもシャツは白く!」。世の主婦たちが求める終わりなき願いは、常に洗剤とともにあったと言えるでしょう。  そして21世紀。洗濯は主婦だけの仕事ではなくなり、共働きや家事分担、ひいては未婚や離婚の増加も相まって、男たちとてせっせと自分のシャツや下着を洗わなくては生きていけない時代になりました。そこで登場した新たな必須項目は、ずばり「消臭」です。今や洗剤が「服の汚れを落とす」のは当たり前。それだけでなく「服の臭いを消す」ことも絶対的任務。中でも「男臭」や「オヤジ臭」の類は特に嫌われ、かつて聖子ちゃんや宇多田ヒカルが「タバコの匂いのシャツにそっと♪」とか「最後のキスはタバコのflavorがした♪」と歌っていたことなど昔の話です。  さらにはグローバル化やらダイバーシティやらが進み、小倉優子は隣の外国人主婦と洗濯物を干し、菅田将暉・松坂桃李・賀来賢人は男同士で「洗濯愛」を語り合い、鈴木亮平はひたすら楽しそうに「テッペキーン!」と叫びまくる。「金銀パール」の頃には想像もできなかった光景です。生田斗真・桃井かおり・佐々木健介・国枝慎吾(車椅子テニス)といった多様なメンツが「ジェルボール(3D洗剤)」の使いやすさに心躍らせるというCMもありました。白いシャツは「健全な社会」の象徴であり、洗剤のCMは「理想の日常」を映す鏡。そう考えると、まだその中にゲイやオカマが存在する場所は確立されていないのかなと思ったり。  唯一、消臭柔軟剤のCMに出演しているマツコさんとて、立ち位置は「洗濯する主婦」や「男子臭に悩むサラリーマン」を見守る側であり、日常を生きる「当事者」としては描かれていません。小倉優子の向こう隣には、夜中に男物下着とブラジャーを部屋干ししている独り身のオカマが住んでいるかもしれないのに。 ※週刊朝日  2019年10月25日号 【週刊朝日編集部からのお知らせ】 いつも『アイドルを性(さが)せ!』をご愛読くださり、ありがとうございます。この連載は2016年5月から週刊朝日で始まりましたが、このたび書籍化して、単行本『熱視線』(本体価格1400円)として発売されました。連載の内容を大幅に加筆修正し、ミッツさんご自身が描いているアイドルの似顔絵(AERA dotでは未掲載)も収載しています。装丁にもこだわりました。毒と愛を込めて作った一冊です。ぜひ、紙の本でじっくり味わってお楽しみください!
ミッツ・マングローブ
週刊朝日 2019/10/23 16:00
20代30代で増加する“スマホ老眼”…進行を食い止める習慣6つ
20代30代で増加する“スマホ老眼”…進行を食い止める習慣6つ
目と画面の距離が30センチ以内、スマホとパソコンを1日8時間以上使う、寝る前にスマホを見るなどが、視力低下の原因となる(撮影/写真部・片山菜緒子) スマホ老眼による主な症状(AERA 2019年10月21日号より) ピント調整に関係する部位(AERA 2019年10月21日号より)  年齢を問わず、スマホによる視力低下が進んでいる。ごく初期なら回復の可能性もあるが、生活習慣を改善できる人は少ない。少しでも進行を遅らせるために気を付けるべきことは。AERA 2019年10月21日号に掲載された記事を紹介する。 *  *  *  証券会社に勤める男性(32)は、飲食店でメニューを目から離して見ていたら、50代の上司にからかわれた。 「俺と同じで老眼か?」  まさかと思ったが、スマホの文字や駅の表示などがぼやけることがよくあった。何回かまばたきをして目をこらすと見えるようになる。気になって眼科を受診すると、こういわれた。 「老眼気味になっているので、生活に支障があるようなら老眼鏡を作りますか?」  30代で老眼鏡なんて……。そう思い、「大丈夫です」と断ってしまった。  手元が見えづらい、目がしょぼしょぼする、視界がぼやける……。老眼年齢に達していない20~30代で、老眼のような症状が表れるケースが増えている。神田眼科診療所院長の矢島寿広医師はこう話す。 「こうした患者さんに普段の生活について聞いてみると、必ずと言っていいほどスマホの見過ぎで目を酷使しています」  冒頭の男性も、仕事の情報収集からメールやSNSでのやり取り、動画鑑賞まで「起きている時間の7割以上はスマホを見ている」と自覚している。  目にはオートフォーカス機能があり、対象物との距離に応じ、自動でピントを合わせる。ピント調節に関係するのは、カメラのレンズのような働きをする「水晶体」と、それを支える「毛様体筋」だ。遠くのものを見ようとするとき毛様体筋はリラックスした状態となって水晶体が薄くなり、近くのものを見ようとするときは毛様体筋がギュッと縮んで水晶体の厚みが増す。  一般的な老眼は、加齢によって水晶体が硬くなったり、毛様体筋が衰えたりすることでピント調節機能が低下する。一方、若年層に起きる老眼は、至近距離でスマホ画面などを長時間見続けることで毛様体筋の緊張状態が続き、凝り固まってピントが調節しづらくなる。近くにピントを合わせるときのほうが目に負担がかかるので、画面も文字も小さいスマホは毛様体筋の筋肉疲労を起こしやすい。さらに、ブルーライトによる刺激や、目に入ってくる情報量の多さなども、負担を増大させている。矢島医師は言う。 「これらの症状は“スマホ老眼”と呼ばれていますが、学童期に多い仮性近視と同じ状態です」  どちらも問題はピント調節機能にある。スマホの使い過ぎで手元が見えづらくなる人は、遠くの文字も見えづらくなるケースが多いという。 「目に悪い習慣をやめれば調節力が回復しますが、それができる人は少ない。ほとんどの人が、そのまま調節力が低下していきます」(矢島医師)  スマホが原因とわかっていても、キッパリやめられる人は少ないだろう。これ以上の進行を食い止めるためには、以下の点に気を付けるとよいという。 ●スマホよりも、パソコンやタブレットなど画面の大きい機器を使う ●文字は大きめに設定する ●画面と目の距離を40センチ以上離す。少し下を向くくらいの角度のほうが目が乾燥しにくい ●夜間はブルーライトの量を減らす設定にする ●40度前後のホットタオルで目を温め、血行をよくして毛様体筋のコリをほぐす ●スマホやパソコン作業を連続で続けず、30分に1度は途中で景色などを見る時間を作り、毛様体筋をリラックスさせる (ライター・熊谷わこ) ※AERA 2019年10月21日号より抜粋
AERA 2019/10/22 17:00
the pillows結成30周年ライブ公式レポ到着 「ずっと変わらない哲学。新しいも古いもない世界。それは“ロックンロールだ!!!”」
the pillows結成30周年ライブ公式レポ到着 「ずっと変わらない哲学。新しいも古いもない世界。それは“ロックンロールだ!!!”」
the pillows結成30周年ライブ公式レポ到着 「ずっと変わらない哲学。新しいも古いもない世界。それは“ロックンロールだ!!!”」 the pillowsが10月17日、結成30周年を祝して【the pillows 30th Anniversary Thank you, my highlight Vol.05“LOSTMAN GO TO YOKOHAMA ARENA”】を開催。そのオフィシャル・ライブ・レポートが到着した。  「オレたちみたいな偏屈なバンドが横浜アリーナに立って、こんなにたくさんの人がアニバーサリーを祝ってくれるなんて...、“不思議”だ」。山中さわおはMCでそう表現した。10月17日(木)・横浜アリーナ。「the pillows 30 th Anniversary Thank you,my highlight Vol.05 LOSTMAN GO TO YOKOHAMA ARENA」は、まさにthe pillowsとBUSTERS(=the pillowsファンの名称)が積み上げた“DAYDREAM WONDER”だった。  客電が落ち、前方の大型LEDモニターに少年の写真が現れる。「律儀な赤ん坊だったの...」。女性の肉声が重なる。面影からthe pillowsメンバーであることがわかり笑いが溢れた。そう、佐藤シンイチロウ(ds)、真鍋吉明(g)、山中さわお(vo,g)の順で、幼い頃からバンドを始め、デビューし、30周年を迎える変遷が母親の視線から語られる演出。異口同音で一様に「ファンに恵まれてのこと」と30年続いた理由が語られ、のっけからBUSTERSの涙腺が決壊する。“聴こえてくるのは~キミの声~”、アカペラで山中のボーカルが鳴り響き、「この世の果てまで」で祝宴の幕は上がった。  「オレたち30年間ロックバンドを続けてきたんだ。今夜はその集大成を、俺たちの音楽を受け取ってくれよ」。まさに山中のMC通り、the pillowsが30年に渡って自分たちのやり方を貫いて辿り着いたバンドの魅力が一望できる究極のセットリスト。歌詞に背中を押され支えてくれた曲、隣で寄り添ってくれた曲、軽快なロックンロール、究極のオルタナティブ、切々としたバラードと、初期から近年のナンバーまで絶妙な構成。他にも聴きたい曲があったBUSTERSはいただろう。それでもワンステージ、2時間30分でthe pillowsを堪能するにベストな集大成だ。  「みんな無職(笑)? オレの言いつけを守って仕事辞めてきた?」と、山中ならではの言い回しで、平日の横浜アリーナが、スタンディング、指定席が完売し、急遽立見席を開放するほど集客されたことに感謝を届ける。20周年のベスト盤で唯一の新曲「1989」での“必要とされたい”という叫びが10年後にこれほど多くの人に必要とされているさまや、「じゃあ10年ぶりに歌うよ」と前置きされた「雨上がりに見た幻」には泣けた。冒頭で山中の母がこの曲を「いいな」と語ったことがフラッシュバックする。  アンコールで「ストレンジ カメレオン」、「ハイブリッド レインボウ」と、バンド史において重要曲を連発。リーダーが脱退し3人でバンドを続けると決め、廻りの声に惑わされずバンドの意志を表明した2曲だ。30周年記念映画「王様になれ」でもキーワードとなった“昨日まで選ばれなかった僕らでも明日を持ってる”が1万人超えのBUSTERSにリアルに届けられる瞬間に鳥肌が立つ。  「オレは音楽業界を信用してない。だけどキミたちのことは信じたいよ」。山中からの究極のメッセージに、BUSTERSの心の中には「こちらこそ」が浮かんだに違いない。  「最後に、若者だった自分を救ってくれたもの、そして50代になったバンドを今でも救ってくれるもの。それは普遍的なものだ。ずっと変わらない哲学。新しいも古いもない世界。それは“ロックンロールだ!!!”」山中の渾身のシャウトから「Locomotion,more! more!」で、この至福の夜は幕を閉じた。  このバンドと出会えてホントに良かった。音楽を超えて、生き方を教えてくれた。30周年を一緒に祝えたこの日を僕は一生忘れない。“DON’T FORGET TODAY!”。もちろん忘れられる訳がない。 取材/文:浅野保志(ぴあ)
billboardnews 2019/10/21 00:00
後を絶たない台風のときに「川を見に行く人」にはどんな心理が働いているのか?
後を絶たない台風のときに「川を見に行く人」にはどんな心理が働いているのか?
相馬市を流れる宇多川の増水で道路がえぐられた(13日撮影) (c)朝日新聞社  甚大な被害をもたらした台風19号。死者77人(警察庁発表、18日15時現在)、行方不明者13人(消防庁発表、18日15時現在)、堤防の決壊は7県71河川128か所(国土交通省発表、18日15時現在)にのぼっており、被害の全容はまだわかっていない。まさに未曽有の災害といえるが、だからこそ、今回の台風報道の端々でも触れられたあるキーワードに関心が集まっている。 * * * 「外の様子を見に行く」「川の様子を見に行く」「田んぼの様子を見に行く」――。今回に限らず、台風のたびにこうした言葉を残して亡くなったり、被害にあったりする人が後を絶たない。  茨城県常陸大宮市では、71歳の男性が12日夜、近くの沢の様子を見に行ったまま行方不明になった。特に今回の台風の場合、上陸前から盛んに注意喚起がなされていたにも関わらず、こうした悲劇が起きてしまうのは何故なのか、本人や周囲の人間はどのような心構えを持つべきなのか、兵庫県立大学で災害時の人間心理や行動を研究する木村玲欧教授に話を聞いた。 ■「これまでの常識は通用しない」 「外(や川、田んぼ)の様子を見に行く」といっても大きくふたつのパターンが存在する、と木村教授は語る。「ひとつは単純にどのような被害がでているか知りたくなり、出かけてしまうケース。もうひとつは仕事として外出せざるを得ないケースです」  前者の行動をとる人の心理には「少しだけなら大丈夫だろう」「自分は大丈夫なはずだ」「ニュースで言われていることが自分に起こるはずはない」という楽観がある。これは専門用語で「正常性バイアス(正常化の偏見)」と呼ばれ、自然災害や事件など、自分にも被害が予想される状況に直面しても、それを普段の生活の延長として捉え、リスクを過小評価してしまう。実のところ、正常性バイアスがあることで、人はちょっとやそっとの環境変化にも耐えることができ、様々な自然環境・社会環境に適応することができる場合もあるのだが、災害時には被害に巻き込まれたり、逃げ遅れたりする原因にもなる。  木村教授が強調するのは、地球温暖化の影響で近年の台風は非常に強力になっており、今回のような台風がこれからも頻繁に襲来する可能性が高いこと、ゆえに経験則からの「自分は大丈夫だろう」という思い込みは持つべきではないということだ。 「これまでの常識は通用しない、という意識を強く持ってください。『自然環境は変わった』と認識し、自分たちの行動を変えていかなければなりません。台風後、被災地に赴いた際、『50年に一度の大雨といわれている。ならば今後の50年は大丈夫なのではないか』という地元の人々の声をたびたび耳にしました。しかし今の時代、毎年のように今回のような台風が来てもおかしくはないのです」  こうした正常性バイアスは人間の本能のようなもので、自分でそれを認識して、行動を改めるのは簡単なことではない。だからこそ、家族や町内会など、周囲の人々で声を掛け合う体制や習慣を築いていくのが重要になるという。台風の際に外出するという人を見かけたら、決して楽観せず、強く制止してほしい。 ■災害を「わがこと(我が事)」化する大切さ  もうひとつの「仕事として外出せざるを得ないケース」はむずかしい問題だ。  台風19号が上陸した10月中旬は農作物の収穫を控えた地域も多かった。田んぼの水量の調整や防風ネットの様子を見るために外出した農業関係者は少なからず存在しただろう。  茨城県つくば市の農家の男性(44)は「居てもたってもいられなくて大雨のなか田んぼを見に行った。危険であることも、行っても何も変わらないことも承知していたが、体が動いてしまった」とAERA dot.の取材に答えた。  木村教授は語る。「多くの場合、そうした方々は使命感に駆られて行動しています。使命感を抱いていると身の安全について正常な判断がしづらいほか、周囲の人々も止めづらい。しかし、命の方が大事であることを改めて思い出してください」  外の様子が気になる、被害が心配である、という心情を責めることはできない。ひとつの代替案はウェブカメラを活用することだ。多くの河川敷にはカメラが設置され、河川の状況をライブで公開している。田んぼや農地などの私的な土地であっても現在では安価に取り付け、自宅で監視することができる。事実、木村教授が行った聞き取りでも、こうしたライブ映像を見ることで外出をあきらめることができた、という声が聞かれたという。  災害から命を守るためには、災害の「わがこと(我が事)」化が肝要といわれる。報じられる被害が自分にいつ降りかかってもおかしくないという認識をもつことだ。そのためには大手メディアだけでなく、SNSや気象庁のサイト、都道府県などが提供するアプリ等、さまざまなソースから情報を取得する習慣を、住民一人ひとりがもつことだという。  大手メディアが提供する情報は最大公約数的なものになりがちで、どうしても自分の住む地域単位で実際に何が起こっているのか、それが自分たちのどのような被害や影響をもたらすのかという「わがこと意識」が生じづらい。多角的に情報を集めることが正確な現状把握につながり、そこからわがこと意識が育まれる。そうすれば台風の際、「様子を見に行きたい」と思っても、リスクを正しく見つめなおす余地が生まれるはずだ。(小神野真弘) ○木村玲欧(きむら・れお)/兵庫県立大学環境人間学部・大学院環境人間学研究科教授。防災心理学を専門とし、災害時の人間心理・行動、防災教育・地域防災力向上手法などを研究。『災害・防災の心理学-教訓を未来につなぐ防災教育の最前線』(北樹出版)など著書多数。
dot. 2019/10/20 11:00
「お母さんが幸せならそれでいい」ストリートチルドレンの言葉に日本の中高生は何を思う
「お母さんが幸せならそれでいい」ストリートチルドレンの言葉に日本の中高生は何を思う
「国境なき子どもたち」は毎週、ストリートチルドレンに絵本を読み聞かせる活動をしている。ストーリーに引き込まれるヨハン君(左から2人目)(撮影/清水匡) 路上での生活は厳しいが、今も昔も道ばたではいきいきとした子どもたちの姿が見られる/2010年、マニラで(撮影/清水匡) 「いつもどこで寝ているの?」という質問に再現して見せるヨハン君。高橋叶多君(左)もマイクを持ちながら、ヨハン君の隣で横になった(撮影/清水匡) ミッシェルさんにインタビューする伊藤里久さん。表からは見えない現実を知った(撮影/清水匡) 「あなたにとって幸せに思うことって何?」──この夏、マニラの路上で暮らす子どもたちに、日本の中高生が問いを投げかけた。同世代の子どもたちとの交流で見えてきたこととは。AERA 2019年10月14日号に掲載された記事を紹介する。 *  *  *  薄暗い路地に足を踏み入れると、アンモニア臭が鼻を刺激する。ぬかるんだ地面に敷かれた段ボールには、若いカップルが寝転んでいた。近寄ると、鋭い視線を向けて立ち去った。  フィリピンの首都マニラ。この夏、2人の中高生を連れて、ストリートチルドレンが多く集まる一角を訪れた。  NPO法人「国境なき子どもたち」の教育プロジェクトの一環で、1995年以来、カンボジアやヨルダンなど12カ国に64人の「友情のレポーター」を派遣してきた。今年のレポーターは、新潟県の高校1年生、伊藤里久(りく)さん(16)と埼玉県の中学3年生、高橋叶多(かなた)君(15)だ。  若いカップルと入れ替わるようにやってきた、好奇心旺盛な2人の少年に里久さんがインタビューを始めた。 「どうしてここにいるの?」 「シンナーを吸いに来た」と少年が答える。「どうしてシンナーを吸うの?」と重ねて聞くと、「シンナーは吸っていない」と発言を翻した。路上では、多くの子どもたちが空腹を紛らわせるためにシンナーに手を出している。だが、違法行為なので彼なりに警戒したのだろう。  少年の名はジョージ。年は11歳と答えたり10歳と答えたり、本人もよくわかっていない。13人兄妹だが、全員の名前は覚えていないのだという。 「ストリートチルドレンがシンナーを吸うことは本を読んで知っていたけど、いざ目の前にいる子が……と思うと驚かずにいられなかった」(里久さん)  近くのスーパーマーケットの裏手に移動すると、1人の少女がニコニコしながら里久さんに近づいてきた。名前はミッシェル(15)。 「そのヘアバンドかわいいね」  と褒めると、ヘアバンドを外し、里久さんの頭に付け替えた。路地でインタビューを始めた時からこわばっていた里久さんの顔に、笑みが浮かんだ。 「お母さんとは一緒に住んでるの?」と尋ねると、「住んでいない。家もないの」とミッシェルさん。地方で暮らしていたが、義理の家族との関係がうまくいかず、一人でマニラにやってきた。道ばたのペットボトルなどを拾って換金しながら、その日暮らしをしているという。 「あなたにとって幸せに思うことって何?」  里久さんが尋ねると、ミッシェルさんはこう答えた。 「学校に行って、家があって、バラバラになった家族と会えたら幸せだと思う」  自分にとって当たり前のことが、「幸せなこと」として返ってきた。里久さんは、泣き出しそうな顔になった。 「ヘアバンド、里久ちゃんにプレゼントするってミッシェルが言ってたよ」と通訳して教えると、今度は目を丸くして喜び、ミッシェルさんに抱きついた。 「Tシャツに日本語でリクの名前を書いて」  ミッシェルさんに頼まれた里久さんは、大切なTシャツなのに構わないのかと戸惑いながら、袖に「リク」とマジックで書いた。  約20万人が暮らすスラム街バゴンシーランにも足を運んだ。市場に冷蔵設備はなく、生肉が台の上に並ぶ。市場の外では、路上にシートが敷かれ、さらに安い値段で野菜や魚などが売られていた。ここで働く人たちは、家族がぎりぎり生活できる程度の収入を得ているという。子どもたちの姿も目立つ。2人は露店で働く少年、ヨハン君(12)の家を訪ねた。  ヨハン君の父親は彼が幼い時に殺され、母親は別の町で新しい家族と暮らしているという。ヨハン君は叔父と祖父母に育てられ、午前中は学校に行き、午後3時から夜8時まで露店で野菜売りの手伝いや掃除をして稼いでいる。 「今の生活は幸せだと思う?」  叶多君が尋ねると、「うん、幸せだよ」とヨハン君は笑って返した。 「新しい家族と暮らしているお母さんのことをどう思う?」  と聞くと、「お母さんが幸せならそれでいい」と返ってきた。 「大切な人を失っても、前を向いて生きている姿を見て、ヨハン君はどんなに強いのか、と思いました」(叶多君)  この後、露店で働く姿を見せてもらおうとヨハン君に頼んだら、「今日は仕事はないよ」と言う。渋滞の一因となる露店がこの日、行政によって一掃されてしまったのだ。その後も日中は監視が続き、住民たちは夜間に露店を出して商売を続けるが、収入は減り、生活は厳しくなった。  家があり、家族と暮らすことが幸せだと答えたミッシェルさん。母親が別の家族と生活していても、自分は幸せだというヨハン君。日本で暮らす2人にとって、本当の幸せとは何なのか、自分自身に問いかける旅となった。 (フォトグラファー・清水匡) ※AERA 2019年10月14日号
AERA 2019/10/13 17:00
【往復書簡】瀬戸内寂聴「葬儀委員長は横尾忠則さんしかありません」
【往復書簡】瀬戸内寂聴「葬儀委員長は横尾忠則さんしかありません」
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。『場所』で野間文芸賞。著書多数。『源氏物語』を現代語訳。2006年文化勲章。17年度朝日賞。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。(写真=横尾忠則さん提供)  半世紀ほど前に出会った97歳と83歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * ■横尾忠則「初の口述筆記、しゃべり続け疲れた」  セトウチさん。書けなければ口述筆記にしなさい、と言って下さるのは嬉しいんですけどね、何となく病人の僕のために一週休載ということになっているようですが、違(ち)ゃいます。セトウチさんが僕の「往」に対して「復」の原稿が遅いので、とうとう休載することになったというのが事実で、編集者の木元さんがこっそり教えてくれました。  僕はセトウチさんに比べると、すぐ書くので編集部は喜んでくれています。(エヘン!)問題はセトウチさんなんです。セトウチさんが、僕の往に対してすぐ反応してくれればいいのが遅いんです。僕は素人だから、今でもすぐ書けるんですがセトウチさんは作家なので、文章や内容を吟味して文学者として恥ない文を書こうとされるから、かえって、時間がかかって書けないのか、文章の仕事を沢山かかえておられるせいか、それともマナホとおしゃべりが過ぎたり、ステーキを食ったりで執筆時間がなくなっているんじゃないでしょうか。この企画のいい出しっぺはセトウチさんです。だから僕はすぐ対応しています。僕のことグズだと思っているでしょうけど、とんでもないです。文章は下手だけれど驚異的に早書きです。ウソだと思われるなら木元さんに聞いてみて下さい。木元さんは、いつも横尾さんは、驚くほど早く書いてくれると喜んでくれています。問題はセトウチさんです。忙しいセトウチさんこそ口述筆記にした方がいいんじゃないでしょうか(笑)。この原稿を入れて、すでにセトウチさんに2本を書いて送っています。僕は病気を理由に休載などしたくないのです。あとは木元さんが、セトウチさんの尻を叩いて、どんどん書くように仕向けて下さい。  この間、病院の超音波検査のベテラン看護師さんが、この週刊朝日の連載を読んでくれていて、その看護師さんは「横尾さん、セトウチさんに負けちゃいけませんよ。97歳であのパワーでしょう。横尾さんはまだ若いんです。食っちゃうくらいにガンバッテ、セトウチさんには絶対負けないで下さい」と病人を激励してくれました。この文章はセトウチさんのお望み通りの口述筆記です。  口述筆記など生まれて一度もしたことがないので難しいというか、しゃべり続けるのが、かえって病人には体力がいります。またしゃべり言葉と書き言葉はセトウチさんには変りはないと思いますが、僕にはやりづらいです。いっそのこと関西弁でしゃべった方がええような気がします。次の口述筆記は関西弁にします。2人共関西弁ができるので、きっと面白いでしょう。でもセトウチさんの関西弁は王朝のみやびの高級お公家関西弁。僕は、大阪の河内出身の荒くれ者の言葉か、または西脇弁のへなへなした骨のないタコの足のような話しかできません。  でも関西弁はどこか身体的なものとひとつになった言葉ですから、どうしても肉体的パフォーマンスを伴います。身体をグネグネタコみたいに動かしながらしゃべるさんまや鶴瓶みたいです。関西人はラテン系で、いきあたりバッタリなところがあります。あまり、色々計画などたてません。なるよーにしかならへんで、しゃーないやんけというあの刹那主義です。その内元気になります。ホナまた。 ■瀬戸内寂聴「葬儀委員長はヨコオさんしかありません」  ヨコオさん。第八回と第九回のヨコオさんのゲラを、まなほが怖い顔をして、私がだらしなく朝から横になっているベッドに運んできて、ゲラで私の顔をパンパンと叩き、 「ホラ! ヨコオさんの律義なこと! 病人のヨコオさんに恥しいと思いなさい! このなまけ者め!」  と、尚もパンパンと叩きつづけます。 「そんなこと、胎教に悪いぞ!」  と、尚も寝ころんだままの姿勢で私がどなってやります。いきり立っていたまなほは、たちまち、シュンとおとなしくなります。  つい、この間、六月に結婚式をあげた彼女は、もうお腹に赤ちゃんがいるのです。ウエディングドレスを二度、お色直しをした結婚式のまなほは、それは美しかったですよ。  花婿は、まなほより三歳若いまだ二十代のサラリーマンで、舞台の人になった方がいいようなイケメンです。お腹の赤ちゃんは男の子だそうで、鼻が高いそうです。クリスマス前に産まれるので、クリステルさんより一ヶ月ほど早いお産みたいです。  今は、早々と、鼻が高いか低いかなんて解るんですね。そんなわけで、まなほが私のだらしなさを偉そうにとがめる度、「胎教に悪いぞ!」とおどしつけると、シュンと静かになります。いい気味!  実は私もヨコオさんほどでないまでも、最近、体調がいちじるしく弱ってきて、起きているのがこたえられない程、躰じゅうがだるく痛い。三ヶ月毎に病院に通っているし、週に三回は、リハビリの名人が通ってきてくれているのに、老衰の度がとみに進んでいる感じがします。呆けも出はじめたかと不安になりますが、まなほに言わせると呆けは、もうとっくから出はじめていると断言します。昨日と今日が入れちがってこんがらがったり、朝と夜がひっくり返ったりします。「遂に来た!」という感じが切実で、いささかショゲています。何しろ満九十七歳だものね、数えだと、というと、六十六も若いまなほが、 「“数え”なんて知らないっ! そんな死語、もう使わないで!」  とわめく。ヨコオさんならわかってくれるでしょ。数えって、なつかしいよね。満になった時は、いきなり二歳若くなって、私たち娘どもは得したみたいに、大喜びしたものでしたよ。最近、 「百歳のお祝いは、どんな型にしますか?」  など大真面目な表情で訊いてくれる長いつきあいの編集者もあらわれました。もっと親しい人は、 「葬儀委員長は、どなたにお願いしますか?」  と訊いてくれます。約束出来ていた梅原猛さんが先に亡くなってしまったので、もうヨコオさん、あなたしかありませんよ。伏してお願いしておきます。辞世の句を一つと、内心あせっているけれど、これがなかなか出て来ない。でもこんなことを夢うつつに考えているのは、思いがけず優雅な心境で悪くありません。  この原稿が遅れているのは、すべて私のせいです。ハイ、認めます。心からヨコオさんにも、早くもこの原稿を愛読してくれているベテランで美人の看護師さんにも深く深くおわび申しあげます。ではくれぐれもお大切に。寂聴 ※週刊朝日  2019年10月18日号
週刊朝日 2019/10/13 12:00
うつ病予防どうすれば? 会社に行きたくないときは休むべき? 専門家がQ&Aで解説
渡辺豪 渡辺豪
うつ病予防どうすれば? 会社に行きたくないときは休むべき? 専門家がQ&Aで解説
イラスト:添田あき うつの早期症状チェックリスト(AERA 2019年10月14日号より)  誰がいつ、うつになってもおかしくない時代。ビジネスパーソン向けに、うつの予防とケア、不安との向き合い方などを東邦大学の水野雅文教授(予防精神医学)に聞いた。 AERA 2019年10月14日号に掲載された記事を紹介する。 *  *  * Q:うつ病とうつ状態は違うのですか A:自殺のリスクも伴う「うつ病」と、ビジネスパーソンが勤労意欲を失う「うつ状態」によって「適応障害」などの診断を受けるケースは医学的に別物です。ここでは主に、後者の比較的軽度な「うつ」を対象に解説します。 Q:何がきっかけでうつになるのですか A:生涯に5人に1人は心の病にかかり、そのうち75%は25歳までに発症しています。職場でうつにかかりやすいのも若手で、20~30代が目立ちます。人間関係のストレスが引き金になるケースが多く、複数の要因が重なっていることが多いです。たとえば、過重労働や上司のハラスメントに加え、職場に対する期待値とのギャップが膨らむ状態です。男女平等やダイバーシティーをうたう企業の内実が、「見えない天井」に塞がれているのを目の当たりにすると、これまで自分が大事にしてきた価値観を踏みにじられる挫折体験に見舞われます。  産休や育休から復職したタイミングも要注意です。育児と業務の両立に追われる中、会社の支援不足を実感したり、就労規則の不備に直面したりすると、仕事への情熱を失うことがあります。不安が高じて転職も考えるものの、厳しい現実を知って新たなストレスが加わるという、負の連鎖につながることもあります。  50代は職場の配置転換や体調の変化をきっかけに、心のバランスを崩すケースが見られます。環境の変化に対応するのが年齢と共に不得手になるため精神疾患にかかりやすくなるのです。 Q:パワハラ上司になりたくありません A:上司の言葉が、部下の人格や価値観を踏みにじるようなツボにささると、大きなダメージを与えてしまいます。ただ、人によって感性は異なります。このため上司には、平素から部下の生活環境や個性も把握できる距離感を保ち、個人差を踏まえたコミュニケーションが求められます。上司も自己開示しないと、部下の信頼を得られません。若い頃の失敗談や、かつての職場環境のひどさを笑い話にして伝え、以前よりは一人ひとりが配慮されてきているという認識を共有するのも有意義でしょう。  職責ですから、上司の方は自信をもって対応してほしいですね。不安であれば、上司側が複数で面談するなどの対応も安心につながります。 Q:どうすればうつを予防できますか A:睡眠、食事、運動、休養。この四つは基礎的な体力と精神力を保つのに不可欠です。とりわけ、うつ予防に重要なのは睡眠と食事。日本人は睡眠時間だけでなく、ベッドでリラックスしてゴロゴロしている時間も短いのが問題です。夜中のスマホの使用と深酒は控えましょう。運動は週1ペースでいいので楽しんで習慣化すること。  周囲に不安や不満を打ち明けるのも大事です。心の中でもやもやしたまま留めずに、言葉にして聞いてもらうだけで楽になります。ほっとできる空間や時間、話し相手を持つのは強みです。 Q:会社に行きたくないときは休むべき? A:仕事の状況にもよると思いますが、可能な限り休むことをおすすめします。当日朝でもいいから会社に連絡し、有給休暇を取ればいいのです。2、3日休んですっきり回復することで長期にわたる休職を回避できれば、組織の効率アップにもつながります。  とはいえ、どの程度なら休むべきか、という判断の線引きは難しいところです。風邪をひいたとき、「これぐらいなら」と出勤することもあれば、「ちょっと厳しいかな」と休むときもありますね。心のバランスも同じで、普段の自分のコンディションを知り、自己管理できるようになるのが理想です。さえない表情で周囲の士気を下げるよりは、休んでしまった方がいいという判断もありです。 Q:受診をすべきタイミングはいつ? A:大事なのは、健康と症状が出る境目の段階での早期発見・早期治療です。不安や憂鬱な気分は、誰もがしょっちゅう感じています。これを強度と期間の二つの軸に照らし、「普段と違うな」と気付いたときには受診をおすすめします。  心の不調を早めに察知するには、自分の心の中を時々のぞく習慣を身につける必要があります。心は揺らぐもの、心の病気は誰でもかかることを知っておくのも大切です。精神疾患はいろいろありますが、どれも最初は不安やいらいらといった感情の変化のほか、頭痛、下痢、不眠、食欲低下、生理不順など体の不調として表れます。ランチの行く先を決められなかったり、仕事が終わってもなんとなく職場に残っていたりするのも、うつのサインかもしれません。 Q:主治医を選ぶとき注意することは A:遠くの名医よりも通いやすい近所の専門医を。専門医は日本精神神経学会のホームページで確認できます。初診で30分以上割いて、話を聞いてくれる医師であること。受診によって医師と心のつながりができたという実感や、安心できたという体験を積むのが治療の大切なプロセスになります。いきなり投薬治療を勧める医師は要注意です。  初診時に採血をしてくれるかも大事です。甲状腺ホルモンの異常で気分の変調をきたすこともあるからです。中高年のうつの場合、認知症との区別が問題になります。うつが治らないまま認知症になる人もいます。そうした点からも、メンタル以外にも基本的な健康チェックに目が届く医師は信頼できます。 Q:うつと診断されたらまずすることは A:あらゆる病の治療の基本は休養です。うつもしばらく休職すれば回復しますが、そのまま同じ職場に戻ると、たちまち再発してしまいます。休養中に心のバランスを崩した要因を考え、働き方や生き方、極端にいえば人生観をリセットするぐらいでないと休んだ意味がありません。仕事の量を8割にセーブするなど、自分で意識して負荷を減らさないと、投薬や通院だけでは治りません。  うつの症状がない人も50歳を過ぎれば自己点検が必要です。休みの日に、こんな日々が続くんだという想像を働かせ、定年後の生活の変化を現実的に見据えておく。そうすれば、計画的に生活や価値観の見直しを図れるはずです。 Q:どうすれば再発を予防できますか A:大事なのは、心のしなやかさや柔軟性の回復です。その点、「街はリハビリの宝庫」といえます。映画館でもスポーツジムでも、職場以外で快適に過ごせる居場所を見つけられれば、仕事のオン・オフの切り替えが容易になります。カルチャーセンターで関心のある分野の講座を受講し、自分も周囲の参加者と同じように笑えるか、興味を持続できるかを確認するのもリハビリになります。  また、普通なら見過ごすようなごくありふれたものに注意を向けてみるのも効果的です。路傍の緑や花を愛でる習慣を身につけることは、季節の変化による心の浮き沈みへの対応力アップにつながります。  日常の仕事をきちんとこなすのも大事です。目の前のことをしっかりやっていこうという心構えがあれば、不安は消えなくとも、しばらくは忘れています。ちょっとした頭痛があっても、電話がかかってきて会話に集中していると、痛みを忘れていることがありますよね。このように注意をそらすのは一つの知恵です。ただ、うつになると注意力や集中力が低下するため、一つのことに打ち込むのは難しい面もありますから、そのときは無理せず休んでください。 Q:消えない不安との向き合い方は A:不安は消し去ることはできないと思い知るべきです。生きている以上、心は揺れるし、健康を損なうこともある。なのに、不安をゼロにしようと思うと、常に不安と向き合うことになり、不安が不安を呼ぶ悪循環にはまります。  親しい人が亡くなったり、地震や台風によって被災し、生活が一変する状況に置かれたりすれば誰でも精神的に落ち込みます。そんなときも、本来の自分らしさを取り戻すスイッチをもっていれば乗り越えやすくなります。不安や悲しみで頭がいっぱいのとき、別のことを考えて頭を切り替えるよう、前向きになれる人生のストックをいくつか用意しておくのです。過去の成功体験の思い出でも、好きな風景や絵画、音楽でもいい。気持ちが沈んだときに心が楽になれる要素をいつでも取り出して、快くかみしめる。そうすることで、独りでも不安や悲しみを乗りきるきっかけを得ることができます。 (編集部・渡辺豪) ※AERA 2019年10月14日号
AERA 2019/10/12 08:00
【TBS『金スマ』で話題沸騰!】「番組史上最も楽して痩せる食事術」とは?
【TBS『金スマ』で話題沸騰!】「番組史上最も楽して痩せる食事術」とは?
※写真はイメージです (Getty Images) 江部康二(えべ・こうじ) 医師、一般財団法人高雄病院理事長 一般社団法人日本糖質制限医療推進協会代表理事。1950年生まれ。74年京都大学医学部卒業。78年から医局長として高雄病院勤務。99年高雄病院で糖質制限食を開始。2000年に理事長に就任。01年から糖尿病治療の研究に本格的に取り組み、肥満・メタボリック症候群・糖尿病克服などに画期的な効果がある「糖質制限食」の体系を確立。05年に『主食を抜けば糖尿病は良くなる!』(東洋経済新報社)で糖質制限食を初めて全国に紹介し、大反響を巻き起こした。以後、元祖・糖質制限のカリスマ医師として活躍。糖尿病関係ではもっとも閲覧者の多い人気ブログ「ドクター江部の糖尿病徒然日記」を運営中。低糖質食品・メニューの指導・監修にもあたっている。著書に『内臓脂肪がストンと落ちる食事術』『主食をやめると健康になる』(ともにダイヤモンド社)、『人類最強の「糖質制限」論』(SB新書)など多数。  TBS系『金スマ』で「番組史上最も楽して痩せる食事術!」として紹介され、爆発的な大反響をみせた『内臓脂肪がストンと落ちる食事術』。  1日2食の半日断食と糖質制限の組み合わせで、誰でも無理なく1週間で2~3kgストンと落ちる。  これは医師である著者自身が長年実践しているメソッドであり、70代目前でありながら20代の頃と同じ体重をキープしており、以下のような効果も身をもって実証している。 ☆身長は年をとっても縮んでいない ☆歯は全部残っていて虫歯も歯周病もない ☆視力もよく『広辞苑』の小さな文字も裸眼で読める ☆聴力の低下もない ☆毎日7時間睡眠で夜中に尿意で目覚めることはない ☆定期的に飲んでいる薬もなければサプリメントとも無縁 ☆コレステロール値も中性脂肪値も基準値内 ☆いまも朝勃ち(夜間陰茎勃起現象)する 「朝勃ち」なんていうと下品に思われるかもしれないが、動脈硬化や内臓疾患、うつ病などのバロメーターにもなる。バカにしてはいけない。  まるで“浮き輪”のようなお腹まわり……このポッコリお腹をなんとか凹ませたい。でも、「あんまり頑張らずに」ってのが人情である。  運動すれば痩せるのはわかっている。けれど、それができない、やりたくないのだ。  その体脂肪、運動ナシで落とす方法を教えましょう。  ひもじくなるようなカロリー制限はナシ。お腹いっぱい食べていいし、筋トレもジョギングもしなくていい。 『内臓脂肪がストンと落ちる食事術』で、ポッコリお腹は、気づけばみごとに凹んでしまうのだ。 ●朝食抜きの1日2食で脂肪を燃やす  私は35年前の1984年、34歳のときに初めて断食を経験して以降、朝食抜きの1日2食を続けています。  朝はコーヒーに生クリームを入れて飲むだけで、何も食べません。昼と夜は仕事の状況に応じて臨機応変に食べています。  糖質制限をしていれば、お腹が空く原因となる“血糖値の乱高下”が生じないので、朝食なしでも、お昼までお腹が空きません。 「腹が減った」の正体は、ご飯やパン、麺類、イモ類など、糖質をたくさん含むものを食べることにあるのです。  実際、糖質制限をしている人の多くが1日2食を実践していますが、「お昼になっても不思議とお腹が空かない」という人が多いです。 「昼食の時間だから食べておくか」という程度です。  ときには小腹が空くこともありますが、そのときはチーズやミックスナッツをつまみます。  私の1日2食は、昼食抜きでも夕食抜きでもなく、朝食抜きです。朝食抜きの1日2食には大きな健康効果があるからです。  たとえば、夕食を夜7時に食べたとしましょう。翌朝に朝食を食べず、正午に昼食を食べたとすると、食事をしない断食の時間は半日以上、なんと17時間にも達します。  この間ずっと断食しているわけですから、糖質の摂取は当然ゼロです。  17時間もの間、血糖値の乱高下がなく血糖値がずっと安定するので、血管や臓器へのダメージは皆無です。  何より朝食を食べないと、前日の夕食から当日の昼食までの間、内臓脂肪を始めとする体脂肪がメラメラと燃焼し続けるのです。  そもそも朝起きたばかりでまだ何も活動していないのに、すぐに食事を摂るという習慣は、人類の歴史でまずなかったと考えられます。  午前中の活動に備えるなら、体脂肪として貯蔵されているエネルギーで十分まかなえます。    朝食抜きは理にかなっているのです。 (江部康二:医師・財団法人高雄病院理事長)
ダイエット
ダイヤモンド・オンライン 2019/10/07 13:57
松重豊、北川景子と妊活夫婦役で「ざまあみろ!」? 病院での男性の扱いに疑問も
中村千晶 中村千晶
松重豊、北川景子と妊活夫婦役で「ざまあみろ!」? 病院での男性の扱いに疑問も
松重豊(まつしげ・ゆたか、右):1963年、福岡県出身。ドラマ「孤独のグルメ」シリーズ(2012年~)などで活躍。本作で映画初主演/北川景子(きたがわ・けいこ): 1986年、兵庫県出身。映画「スマホを落としただけなのに」(2018年)ほか、ドラマ「家売るオンナの逆襲」(19年)などに出演(撮影/写真部・小山幸佑) 作家ヒキタクニオの実体験を綴った映画「ヒキタさん!ご懐妊ですよ」(細川徹監督)は10月4日から全国で公開 (c)2019「ヒキタさん! ご懐妊ですよ」製作委員会  あまり語られてこなかった「男の妊活」に真っ向から挑んだのが、映画「ヒキタさん! ご懐妊ですよ」。実話をコミカルに描いている。夫役の松重豊さんと、妻役の北川景子さんは、演じながら何を感じたのか。AERA 2019年10月7日号に掲載された記事を紹介する。 *  *  * ――アラフィフの夫ヒキタクニオを演じた松重豊さん(56)と、16歳下ながらしっかり者の妻サチを演じた北川景子さん(33)。実年齢差も23ある。 松重豊(以下、松重):男性の不妊治療ってあまり触れられてこなかった題材なので、演じてみたいなと思ったんです。でも相手役が北川さんと聞いたときには耳を疑いました。年齢差もだけどビジュアル的にバランスが取れるのか? 観客に「夫婦に見えない!」って思われたらどうしよう!って。 北川景子(以下、北川):全然そんなことないですよ。夫婦役は初めてですが松重さんとは何度も共演させていただいています。スタッフにもキャストにも分け隔てなくニュートラルで、役者として尊敬する大先輩でもある。「全然大丈夫! 夫婦になれる」って思いました。 松重:そう、北川さんに「え?そんなに年齢、違いましたっけ?」とサラッと言っていただけて勇気づけられました。北川さんってね、懐が深いんですよ。「私がやるわ!」ってどーんと引き受けてくれる潔さがある。言い方はヘンですけど男気があるというか。 北川:それ、よく言われます。 松重:でしょう? 撮影中は「北川丸」という大船に乗ったような気持ちでいました。でもね、夜桜の下でサチと抱き合うシーンの撮影中、見学してる地元の人たちが「お父さん、娘さん見つかってよかったわねえ!」という目で見てるのがわかった(笑)。違うぞ! ざまあみろ、妻なんだぞ! って思ってました。 ――気ままな夫婦二人暮らしを楽しんでいたクニオは、妻の一言で妊活をはじめることになる。が、なかなか妊娠に至らない。やがて自分の精子に問題があるとわかるのだが……。 松重:とにかく男性の不妊治療は情報が少なすぎる。演じてみても驚くことが多かったです。産婦人科のシーンで「こちらで精子とってきてください」と通されるメンズルームが出てきますが、ひどいでしょう? エロ本やAVが無造作に置いてあって「雑っ!」って感じ。あれじゃ映画のとおり「家に帰らせてください」ってなりますよ。 北川:女性ばかりの病院に男性一人なのも居心地が悪そう。 松重:専門外来作ってくれよ!って思いますね。演じながら看護師さんの言葉の一つ一つに「デリカシーがないなあ!」って憤ったし、理不尽さや、やるせなさを痛感しました。 北川:私も不妊治療について知っていたようで知らなかったことがたくさんありました。一番驚いたのはやはり費用です。 松重:保険が利かないしね。 北川:不妊治療をやめる人の多くは予算がなくなってやめる、という現実を知ってショックでした。命がお金で左右されてしまうということに驚きましたね。それに女性は手術のような準備が必要で、全身麻酔を打ったり、強いホルモン剤を打たれたり副作用がこんなにつらいんだ、とか。でも暗い話ではないんですよね。明るく笑いながら、治療に取り組む人を勇気づけられれば、と思いながら演じました。 松重:この映画に出たと話したら、「実は僕も……」って言う人が周囲にけっこういたんですよ。 ――それぞれ実生活でも結婚生活を送る身として、テーマに思うところも多かったという。 北川:私は結婚して3年半で、いま33歳。サチと同じ世代なんです。自分がこの役をやることで多くの人にこの問題について知っていただけるんじゃないかなと思いました。 松重:うちの息子は家を出ましたし、娘もそろそろ出ていくでしょうけど、子どもをつくるということは本当に一大イベントだったんだなと実感しました。うちもね、できない時期があったんですよ。不妊治療とかはしなかったけど、昔はやっぱり女性が一方的に責められていた。ヒキタさんのように「ダメ金玉!」と自分を罵倒できる時代になってきたいまのほうが、まだ女性の荷は軽いのかな。 北川:演じながら、夫婦の問題やぶつかる壁って、子育てのなかでの意見の相違とかも多いのかなと思いました。 松重:まだまだ出産も子育てもどうしても女性が不利なんですよね。仕事を持つ女性は長くお休みしなきゃならないし。 北川:そうなんですよね。 松重:不公平だなあって思いますよ。女性がものすごくリラックスした状態で子どもを心置きなくつくれる状況を社会が作っていかなきゃ、ホントにこの国は滅びるぞって。 北川:それに不妊治療だけじゃなく、どんな家族も夫婦も必ず問題を抱えていますよね。何もない人なんていない。そういうときに力を合わせてやっていく大切さ、みたいなものも映画から伝わればと思うんです。 松重:そのとおりです。妊活で夫婦の間に芽生えた感情は墓場まで持っていけるものだと思う。たとえ最終的に子どもができなくても「新しい命を授かった」と同じくらい、ひとつ大きな宝物を二人で共有したという感覚を持てるんじゃないか。結果じゃなくて過程が夫婦を祝福してくれるんだと思います。 (フリーランス記者・中村千晶) ※AERA 2019年10月7日号
AERA 2019/10/04 11:30
仕事効率アップのカギは「血糖値と体内時計」医師が教える理想の食べ方
仕事効率アップのカギは「血糖値と体内時計」医師が教える理想の食べ方
何を食べるかと同時に、いつ、どんなふうに食べるかが、よいパフォーマンスをひき出すポイントだ(撮影/写真部・高野楓菜) 血糖値が急上昇しやすい糖質ワースト5(AERA 2019年10月7日号より) 血糖値の急上昇でパフォーマンスはこんなにも下がる(AERA 2019年10月7日号より) 糖質中毒チェックリスト(AERA 2019年10月7日号より)  朝のだるさ、昼食後の眠気、残業時の疲労感──。体質や年齢のせいと思っていた悩みは、食べ方を変えるだけで改善できる。効果はすぐにでも実感でき、習慣化すればパフォーマンスは飛躍的に向上する。AERA 2019年10月7日号に掲載された記事を紹介する。 *  *  * 「おい、しっかりしろ」  千葉県にある総合病院の手術室。29歳の男性医師は、先輩医師の声で目が覚めた。  ──またやってしまった。  慌てて姿勢を正したが、先輩は苦い顔、執刀医は無言で手術を続けているが怒っている様子が伝わってきた。医師になって4年目、まだ手術助手をさせてもらえることは少なく、先輩たちの手術を見学することが多い。手術は朝9時ごろに始まり、短くても2時間はかかる。当然、立ちっぱなしだ。集中しなければとは思うが、午前中はどうしても眠気を抑えられない。看護師に肩を叩かれ、起こされることもしょっちゅうだった。  もともと夜型で、朝は苦手。やることは山ほどあり、仕事はなかなか終わらない。病院の敷地内にある独身寮に帰る時間は深夜になることもある。そこから勉強するので、朝はなかなか起きられない。出勤時間の15分前に起き、途中にある自販機でエナジードリンクを買って朝食代わりにしていた。  そんな日々が変化したのは今年4月、院内にコンビニがオープンしてからだ。物珍しさもあって出勤途中にサンドイッチやおにぎりを買い、食欲はないながらも食べるとエンジンがかかる時間が前倒しになってきた。明らかに調子がよくなり、朝食を食べるのが習慣になった。すると夜中にドカ食いしたり菓子をつまむこともなくなった。今は起きると自然に食欲がわき、目覚めもよく、居眠りもしない。 「先日たまたま朝食を食べ損ねたら、イライラして仕事に集中できなかった。食べていなかった頃は、そんな不安定な精神状態だったのかもしれません」  この男性医師が仕事のパフォーマンスを向上できた理由として考えられるのは(1)血糖コントロール(2)体内時計のリセットの二つだ。  まず、血糖コントロールから見ていこう。 「現代人の多くは、『糖質中毒』に陥っています」  そう話すのは、『医者が教える食事術』などの著書がある牧田善二医師だ。糖質は主に砂糖や米、小麦、イモ類などの炭水化物に含まれる。糖質をとると、血液中のブドウ糖濃度(血糖値)が上昇するため、血糖値は食事のたびに変動するが、この上下が70~140mg/dlの間でゆるやかに行われるのが、理想的だという。ところが、大量の糖質を摂取すると血糖値がジェットコースターのように急上昇する「血糖値スパイク」が起きる。缶コーヒーやエナジードリンク、砂糖の入ったジュースには、角砂糖7~10個以上の糖質が含まれるものが多い。さらに液体はあっという間に小腸で吸収される。 「健康な人でも30分後には血糖値が140mg/dlを超えてしまう可能性があります」(牧田医師)  血糖値が上がると、セロトニンやドーパミンという脳内物質が分泌されて、一瞬ハイな気分になる。ところが膵臓からは急上昇した血糖値を下げるため、インスリンが大量に放出される。すると今度は血糖値が急降下、ハイな気分から一転、イライラしたり、眠気や頭痛、吐き気に襲われる。またハイな気分に戻りたくて糖質をとる悪循環だ。  空腹で口にした場合は、さらに影響は大きい。冒頭の男性が午前中、眠気に襲われたのは、エナジードリンクで急上昇した血糖値が急降下し、低血糖状態に陥った可能性が考えられる。  かつて「ブドウ糖は脳の唯一のエネルギー源」と喧伝されたこともあり、集中力を高めたいときにお菓子を口にしている人は多い。経理を担当している40歳の女性は「小分けになっているクッキーやチョコレートを常備して処理スピードが落ちてきたら口に入れる。脳に栄養が行き届くような気がする」と話すが、牧田医師はこう語る。 「たしかにブドウ糖は脳のエネルギー源ではありますが、集中力が続かない、いいアイデアが浮かばない、体がだるいといった場合、多くは糖分が足りないのではなく、とりすぎなのです」  健康診断の空腹時血糖値やヘモグロビンA1c(過去1~2カ月間の平均血糖値の状態)などに異常がない場合でも、糖質中毒に陥っている可能性はある。また、糖質のなかにも血糖値を急上昇させるものと、比較的ゆるやかに上昇させるものがある。ワースト度の高いものは、思い切って断つ覚悟も必要だ。最初はつらいかもしれないが、早い人なら3、4日で慣れ、甘いものが欲しくなくなってくるという。  体内時計のコントロールもまた、仕事のパフォーマンスを向上させるのには欠かせない。  時間栄養学研究の第一人者で早稲田大学先端生命医科学センター長の柴田重信教授は、午前中にパフォーマンスが上がらないのは、「社会的時差ボケを起こしている状態」と指摘する。  人間の体を構成する細胞の一つ一つには「時計遺伝子」が内蔵されている。1日は24時間周期だが、これらの時計遺伝子から成る体内時計の周期は1日24・5時間。つまりどんな人でも毎日30分ずつズレが生じている。さらにいわゆる夜型の人は夜遅く寝て朝もゆっくり起きるという体内時計を持っているのに、9時5時勤務といった社会生活に合わせて生活している。そのため午前中ぼんやりする、眠気がとれないといった症状が起きてしまう。  さまざまな研究から、社会的時差ボケが大きいほど学業が振るわない、身体活動が低いなど、パフォーマンスの低下に直結することが明らかになっている。柴田教授はこう続ける。 「日々生じるズレを修正するために有効な体内時計リセット法は二つ。一つは朝起きたら日光を浴びること。もう一つは起床2時間以内に朝食をとること。特に糖質をとることが重要です」  糖質をとるとインスリンが分泌され、時計遺伝子が働いて体内時計がリセットされる。ただし、糖質ならなんでもよいというわけではない。 「よく果物はダメですかと聞かれますが、果糖(フルクトース)はインスリンの分泌を促進しません。リセットにはご飯やパンなどの炭水化物が必要です」  さらにたんぱく質をとると、主に肝臓でIGF‐1というインスリンに似た物質が分泌され、リセット効果を発揮する。 「たんぱく質は、筋力アップのためにも必要です。とくに朝のたんぱく質が足りていない人が多い。私たちの研究でも、朝、たんぱく質をとる方が夜とるよりも筋肉が増えることがわかっています」  脂質をとる場合は、魚油が最も効果的で、中でもマグロに含まれる油が効率的に体内時計を調整できる。朝食でとるなら、ツナ缶がお手頃だ。  血糖値、体内時計の両面から理想的な食事を考えると次のようになる。 (1)3食食べる (2)朝食は多め、夕食は少なめ (3)朝食は起床後2時間以内、夕食は寝る4時間以上前 (4)野菜→たんぱく質→糖質の順に食べる (5)ゆっくりよく噛んで食べる  柴田教授によると、1日の食事の理想的な比率は朝4昼3夕3。難しい場合はせめて朝3昼3夕4くらいにしたい。 「夜、もう一つ唐揚げを食べたいと思ったら冷蔵庫に入れて翌朝食べてください」(柴田教授)  牧田医師は、糖質は朝食と昼食でとり、夜はご飯や麺などの主食を食べないくらいでちょうどいいと語る。 「糖質摂取量の割合を朝5昼5夜0にするぐらいの気持ちで、ようやく朝3昼5夜2ぐらいになるでしょう」(牧田医師)  朝はご飯やパンなどの糖質にプラスして、卵や納豆、魚、豆腐、牛乳などでたんぱく質をプラスする。忙しければコンビニで買った鮭のおにぎりやツナサンドでもいい。 「いきなり糖質をとるのではなく、サラダやみそ汁などを先に食べることで、血糖値の急激な上昇を抑えられる。早食いも血糖値を急上昇させます。同じものでもゆっくりよく噛んで食べるだけで、血糖値の上昇をゆるやかにできます」(同)  カフェインは覚醒作用で知られるが、柴田教授によると体内時計をリセットする効果もあるという。朝食に日本茶やコーヒー、紅茶を加えれば、いいスタートが切れそうだ。ただし、夕方以降は控えたほうがいい。  遅い時間に夕食をとると、体内時計は夜型にシフトするうえ、食べてすぐ寝ると消化不良を起こす。糖質も消費されずにため込まれ、肥満につながる。夕食は寝る4時間以上前にすませるのが理想だ。とはいえ残業などで難しい人も多いだろう。そこで柴田教授が勧めるのが「分食」だ。 「夜12時に寝る人なら6時か7時ごろに軽く何かをつまみ、家に帰ってから食べる夕食の量を少なくする。これで夜型化を防ぐことができます」(柴田教授)  早い人なら3日、普通の人は1週間ほどで、体内時計の変化を実感できるようになるという。  IT企業に勤務するシステムエンジニアの男性(40)の帰宅は早くても午後9時過ぎ。午前様になることもたびたびだった。以前は妻が作ってくれた夕食を帰宅後に一人で食べていたが、「遅くなる時は社員食堂で食べる」と割り切り、夜7時にはとることにした。帰宅したら風呂に入って寝るだけだ。  すると目覚めがよくなり、翌朝自然と食欲がわくようになってきた。夜中に食べていたころは朝食も食べなかったが、今は朝食が家族団欒の時間になっている。標準をややオーバーしていた体重は減り、体も軽い。 「仕事のパフォーマンスは明らかに向上し、限りある時間を効率的に使えるようになりました。妻も夕食に気を使わなくて済むようになったと喜んでいます」  では、どうしても3食とれない場合はどうしたらよいか。国際医療福祉大学病院外科教授の吉田昌医師(57)は、日々集中力が欠かせない緻密な手術や検査をこなしているが、日中は手術が長引いたり緊急の処置が入ったりで、きちんとした食事がとれないことも多い。 「集中力を保つためにエネルギー補給は必要。素早くとれるものを持ち歩いています」  とくに4時間以上の集中が必要な時はチョコレートを少しとコーヒーを選んでいるという。 「脂質をエネルギー源とした場合、血糖値が4時間後に上昇することが根拠です。チョコレートの場合、糖分と脂質をとれるので、直後から4時間以上の集中を支えてくれます」  吉田医師の場合、「ここぞ」というときの栄養補給を見越して、ふだんの食事は脂質量を制限し、軽度のカロリー不足をベースにした食生活をしている。  牧田医師も間食としてナッツやチョコレートを薦めている。 「ナッツは糖質が少なく、食物繊維や不飽和脂肪酸など、体にいい成分が詰まっている。チョコレートの原料であるカカオはポリフェノールの塊で、非常に強い抗酸化作用を持っている。ただし、カカオ含有量の低いチョコレートは、糖質と脂肪の割合が高い。カカオ含有量70%以上のものを選んでください」 (ライター・熊谷わこ) ※AERA 2019年10月7日号
働き方
AERA 2019/10/02 08:00
大学までのエスカレーターを狙うなら幼稚園から? 知られざる幼稚園お受験事情
大学までのエスカレーターを狙うなら幼稚園から? 知られざる幼稚園お受験事情
岡本さんの説明会用ワンピースに、本番で使ったバッグ、スリッパ。色は紺がお約束(撮影/写真部・小黒冴夏) 東京・四谷の幼児教室「キッズエデュ」で、幼稚園受験で問われる生活習慣を学ぶ女児(撮影/大野洋介)  中学、高校、大学と続く受験。「わが子には、小さいうちからエスカレーター式の学校に」と願う親もいるだろう。「お受験」とは小学校受験を指す言葉だったが、近年は低年齢化し、高校・大学付属の名門幼稚園をめざす「お受験」もある。小学校受験と比べても情報が少なく、門戸が狭い幼稚園受験。都内の名門幼稚園に合格したママや、幼児教室を訪ね、その実態を探った。AERA English特別号「英語に強くなる小学校選び2020」(朝日新聞出版刊)から抜粋してお届けする。 *  *  *  長女の幼稚園受験の経験を著書『名門幼稚園お受験はママが9割』にまとめた岡本なな子さん(仮名、43)。ワーキングウーマンで、夫も高学歴という共働き夫婦だ。「お受験」のきっかけは、子どもが同じ保育園に通うママ友だった。 「当時は2歳のイヤイヤ期で、おむつを外す練習中。そんな時に、ママ友が突然、幼稚園受験すると言い出したんです。しかも偏差値の高い女子大までエスカレーター式の幼稚園で。そんな園の存在すら知らず、『何それ!?』と思いました」  幼稚園には2年保育(以下2保)と、3年保育(同3保)がある。試験は入園前年の10月ごろに行われることが多く、3保の場合、早生まれならわずか2歳で「お受験」することになる。ちなみに東京の有名幼稚園だと、3保は青山学院、日本女子大学附属豊明、※東洋英和、※白百合学園、※お茶の水女子大学附属など。2保は雙葉、田園調布雙葉、学習院、暁星、東京学芸大学附属竹早などがある。(※2保の募集もある、東洋英和は男児のみ) ■幼少期から一貫校で過ごすメリットとは? 「私も夫も中学受験の経験者です。将来、働きながら受験勉強を娘と乗り越えられるか考えると、早い段階で一貫校に入れてあげたかった。でも、小学校受験で知育やペーパー対策をさせて、子どもらしさを壊したくない。幼稚園受験なら準備期間は1年間。時間的、金銭的負担が少ないと思ったのです」  本命の園はどう選んだのか。 「園のブランド力や、付属高校の大学進学率が気になりがちですが、大事なのはわが子と園の教育理念との相性です。たとえば、キリスト教系でも、指先を使ったモンテッソーリの課題をする白百合学園のような園もあれば、泥んこで遊ぶのをよしとする田園調布雙葉のような園もあります。その子に向いている園はすごい倍率でも受かります」  振り返れば、合格を増やしたいあまり、娘に到底向いていない園の対策に労力を費やしてしまい、結果その園は合格に至らず、後悔しているという。  だが、志望園を選ぼうにも、身近に卒園生がいない限り、園の雰囲気や内情を知ることは難しい。そこで、ほとんどの親が頼るのが、受験専用の幼児教室だ。  岡本さんが最初に足を運んだのは、受験の1年前、娘が2歳のとき。最初は週1回、直前は週2、3回通った。 「関係者以外でも入れる園の行事を教えてくれるなど、お教室の価値は、個人では知り得ない情報を持っている点にあります。合否を左右する願書も添削してくれました」  支出総額は、直前の面接対策も含め、約100万円だったそうだ。「小学校受験と比べたら、かなり安いと思いますよ」  小学校受験では「1年間で200万円以上費やした」と、記者も友人のママから聞いたことがある。だが、幼児教室の授業が一回90分約1万円、仮に1年間週2回通うと約100万円。やはり家計への負担は小さくない。 ■受験対策が日常の子育てに浸透  入園試験では、数や色を理解しているかなど、月齢に応じた知力を多少はみられるものの、集団での自由遊びや親子遊びを通して、「丁寧に育てられているか」が最も重視されるという。あいさつや片付けができるか、脱いだ靴をきちんとそろえることができるか、などをみる園もある。  岡本さんは、受験を決めてからは仕事量を抑え、娘と塗り絵をしたり、動物園に行ったりする時間を増やした。面接で台所用品の名前や用途を聞かれることも多い。毎日夕食をつくるところを娘に見せて手伝わせた。受験対策が、日常の子育てに浸透していった。 「大切にしたのは、子どもとの基本的信頼関係を築くこと。ママとラブラブで過ごし、信頼関係ができると、折り紙をきれいに折るとか、食器を運ぶとか、多少の負荷をかけても言うことを聞いてくれるようになります。どうすれば子どものやる気を引き出せるかトライ&エラーを重ね、試験が日常の延長になるように親が調整することが大切です」  それまで夜に会議を入れるなど、ワーカホリックだった岡本さんだが、「合格できなくても、1年間娘と向き合えてよかった」とまで思えるほど、親子で濃密な時間が過ごせたという。その結果、見事、第1志望の2年保育の難関幼稚園に合格した。 「ぜひ受験準備の過程で、わが子の適性を見抜いてください。向いている園の対策なら、親子にとってかけがえのない時間になるはずです」  とはいえ、入園の壁は高い。今回、難関幼稚園に合格したほかのママたちにも話を聞いた。そのなかで聞こえてきたのが、「保育園児(=働く母親)は不利」との声だ。確かに、多くの有名幼稚園が、説明会や願書配布、受験日を平日の昼間に設けており、共働き家庭にはハードルが高い。受験日から逆算して第2子を妊娠し、育休中に上の子どもの入園対策に励む「戦略的ワーママ」もいるほどだ。   だが、ある大手幼児教室の関係者は、「昔ほど『保育園児NG』の風潮はありません。エスカレーター式の幼稚園の場合、少子化のなか、門戸を広げて優秀な子どもを低年齢のうちから確保したいという思惑がある」と話す。  そもそも幼稚園の中には、関係者以外の合格枠がわずか10人程度という園があったり、人気の国立大付属園の倍率が15倍以上だったりと非常に狭き門だ。幼児教室「キッズエデュ」を主宰する高橋記代子さんは、親の心構えをこう説いた。 「不合格でも親子が否定されたわけではありません。ご縁があった環境で楽しく過ごすことが大切です。入園してみて、ご家庭の教育方針と合わず、『こんなはずじゃなかった』というのもだめ。親の心は子どもに伝わり、幼稚園に行きたくなくなります。また、お母さまだけが熱心なケースが多いので、お父さまともよく話し合ってください」 ■保護者たちに聞く「本音」  最後に、東京23区内の有名幼稚園に通う(または過去に通った)子を持つ保護者5人に、「お受験」にまつわる本音を聞いてみた。以下に紹介する。 ▽幼稚園受験のメリットは? ・中学・高校受験がないので勉強以外のスポーツや趣味、留学に打ち込める(私立女児) ・子どもが合否を自覚しにくい(複数回答) ・幼少期からのほうが学校の教育方針に色濃く染まることができる(私立女児) ▽デメリットは? ・似たような家庭ばかりで多様性にはほど遠い環境(私立女児) ・満員電車での通園が大変(全員回答) ・地元の友達が少ない(全員回答) ・お迎え時間が早すぎる(全員回答) ▽準備期間と費用は? ・1年間、幼児教室に週2、3回。150万円(私立女児) ・5カ月、幼児教室に週1回。30万円(私立女児) ・受験料のみ。面接服も手持ちのもの(国立男児) ▽入園後の生活は? ・同じ価値観の家庭が多く、母子ともにストレスがなく快適(複数回答) ・抽選のはずなのに、クラスの半数が医師や弁護士の家庭で驚いた(国立女児) ・小学校に上がると、中学受験の必要がない環境にもかかわらず、結局みんな塾通いだった(国立女児) ▽合格の決め手は? ・「世の中は自分の思い通りにならないのが当たり前」と教え育てたので、面接の長い待ち時間もきちっと待てた(私立女児) ・初めての場所でも物おじしない性格だった(国立男児) ・親子遊びのとき、子どもに手を貸しすぎず、適切な言葉がけができた(国立女児) ▽ここだけの話、聞かせてください ・同じクラスの世帯平均年収は2500~3000万円と感じる(私立女児) ・願書の備考欄には「親の学歴や職業」「親族に卒園生がいるか」などを書くのが定石(複数回答) (文=AERAムック編集部・曽根牧子)
AERA with Kids+ 2019/09/30 08:00
50年で3倍に増えた「尿路結石」 予防には食生活改善と…?
50年で3倍に増えた「尿路結石」 予防には食生活改善と…?
尿路結石症患者の男女別、年齢別分布  (週刊朝日2019年10月4日号より)  血尿や突然の激痛が襲う尿路結石症の患者が、この50年で3倍以上の数に増えている。男性なら10人に1人ぐらいがかかり、壮年の男性と閉経後の女性に多い。半数近くが再発している。患者が増えている背景には何があるのか。予防するには食事など、どのような生活をすればいいのだろうか。 *  *  *  東京都内で仕事をする男性は40代のある日、下町の繁華街を散策していた。交差点に差しかかったときに突然、下腹部に激痛が走り、その場にしゃがみこんでしまった。冷や汗も出てきてパニック状態。同伴者にすぐに救急車を呼んでもらい、病院へ搬送された。  病院で尿路結石症と診断された。入院中はずっと点滴を受け、痛みは2日ぐらいすると消えた。排尿の際には痛みがあったが、あるとき、尿に混じって玉のような塊が出てきた。これが問題の結石だったのだろうと男性はみている。  50代のときにも結石に見舞われた。痛みはなかったが、排尿の際に何となく詰まった感じがして、尿道からは血液が出てきた。病院へ行くと結石と診断され、処方薬を飲んで治った。当時は太っていて、体重が100キロ近くまであったという。  尿は腎臓でつくられ、そこから尿管や膀胱(ぼうこう)、尿道を通って排泄(はいせつ)される。尿路結石症は尿の通り道に石ができるもので、食事などの生活が大きく関係していると考えられている。原因にはわからないことも多いが、シュウ酸カルシウムなどが尿中で飽和状態になって結晶ができ、そこにシュウ酸などが付着して成長し、結石になると考えられている。  微小な結石は自然に排出されることも少なくない。だが、尿路の粘膜を傷つけ、出血に至ることがある。また、結石が尿の流れを妨害して腎臓の圧が上昇することで、激痛を引き起こすことがあり、吐き気などを伴うこともある。  患者は、この半世紀で3倍以上の数になっていることが日本尿路結石症学会の全国疫学調査でわかった。厚生労働省の患者調査では、尿路結石症で2017年に医療機関にかかったとみられる患者が年間に6万6千人程度いたと推計。このうちの3分の2近くを男性が占めていた。患者数は男性が女性の2倍近くになっている。中高年に多いのが特徴だ。女性ホルモンが抑制因子になっている可能性があり、女性の患者は特に閉経後に多い。  患者が増えている背景として、食生活の欧米化が進んでいることのほか、診断機器の向上で小さな結石が見つかるようになったと指摘するのは、東京腎泌尿器センター大和病院・泌尿器科の山本隆次医師。尿検査で血液が混じっていないか調べるほか、腹部CT検査でX線を使って断面を撮影したり、超音波(エコー)検査をしたりする。 「痛みがない場合はたいてい血尿があります。痛みは結石の大きさと関係なく、小さくても痛い人もいます。ほとんどは自然排石されていますが、小さい石でも詰まることがあります」  痛みがあれば結石の発見につながりやすいが、痛みがない場合は大変だと山本医師は話している。腎臓は血液から老廃物などを濾過(ろか)して尿をつくるが、結石が障害となって尿路が詰まり、腎臓の機能が低下して腎不全に陥ることもあるからだ。結石が腎臓にあるうちは症状が全くないこともあるという。  検査などで結石が見つかると、最初は尿管を広げるなど排出を促進する薬を使い、自然排石を試みることになる。結石による尿路の閉塞期間が長くなると腎臓の機能が悪くなるため、だいたい3カ月ぐらいがめどになるという。  ここで問題になるのは、痛みがなくなって治ったと自己判断して病院に通わなくなる患者がいること。腎臓機能の悪化につながらないようにするためには、きちんと排石したのかを確認する必要があると山本医師は指摘している。  結石の大きさが10ミリ以上になるなど、自然排石を期待することが難しい場合は、結石を砕いたり取り除いたりする。一つは体外衝撃波結石破砕術で、体外から衝撃波を照射して結石を細かく砕き、排出させる。山本医師はこう話す。 「3次元的に結石に焦点を合わせて破砕します。的が大きい場合は問題がありませんが、小さいと隠れてしまうこともあります。8~9割は1回の破砕で大丈夫ですが、期間をおいて数回になることもあります」  もう一つは内視鏡を使って取り除く方法がある。山本医師によると、取り出すという確実性はあるが、結石にうまく到達できるかどうかという問題がある。  尿路結石症にならないようにする予防策はあるのだろうか。再発率が高いこともあって、山本医師は患者に食事指導をしており、一定の効果があるという。  シュウ酸の多い食べ物には注意が必要だ。ホウレンソウ、タケノコ、レタス、ナス、サツマイモ、ピーナツ、チョコレートなどのほか、コーヒー、紅茶、緑茶、ココアなどにも含まれる。ホウレンソウなどはゆでるとシュウ酸が少なくなるとされており、生でサラダのような食べ方は避けたい。  また、カルシウムと一緒に取ると腸内でシュウ酸と結合して便となって排泄されるため、尿中のシュウ酸が増えない。このため、ホウレンソウのおひたしには、チリメンジャコなどを加えるのもいい。  コーヒーや紅茶などを飲むときにはミルクを入れ、チョコもミルクチョコにするのがいいとされる。  一方、同じお茶でも、麦茶やほうじ茶はシュウ酸が少ないとされている。  水分を十分に取ることも忘れないようにしたい。あまり取らないと尿の濃度が濃くなってしまい、結石ができやすくなるとされる。  動物性脂肪は多く取りすぎると、腸内に脂肪酸が増えてカルシウムと結合するため、シュウ酸がカルシウムと結合するのを妨げることになる。そのため、シュウ酸が尿中に出てきて、結石ができやすくなる。  また、動物性たんぱく質をたくさん取ることで、尿が酸性化して結石ができやすくなる。肉類中心の食事は避け、野菜を取るなど、バランスのいい食事を心がけるようにしたい。 「石は夜つくられる」  専門医の間ではそう語られているという。水分補給のできない就寝中は尿が濃くなり、そこに原因となるものを食べていると結石の元となる結晶ができやすくなる。しかも体を動かさないため、結石をつくりやすい環境にもなっている。予防するには、夕食は寝る4時間前までに済ませたい。  患者の特徴として、肥満傾向や運動不足も指摘されている。山本医師は「男性の患者さんはメタボ的な人が多い」とも言う。  バランスのいい食事や適度な運動を心がけ、定期的な健康診断で早めにチェックしていくことが大切だ。(本誌・浅井秀樹) ※週刊朝日  2019年10月4日号
週刊朝日 2019/09/27 07:00
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