由紀さおりが明かした離婚した元夫への想い「私は幼かったのよ」
由紀さおり(ゆき・さおり)/群馬県生まれ。幼少期からひばり児童合唱団に所属。童謡歌手として活躍。1969年、「夜明けのスキャット」でデビュー、国民的ヒット歌手となる。以来、歌、女優、司会、バラエティーと大活躍。2011年、米ジャズオーケストラ「Pink Martini」とのコラボアルバム「1969」をリリースし、世界的ヒットに。今年、デビュー50年を記念し、アルバム「PASSING POINT」「BEGINNING」(ユニバーサル ミュージック)を発表。全国で記念コンサートを公演中。近著に『明日へのスキャット』(集英社)。 (撮影/写真部・片山菜緒子)
由紀さおりさん(左)と林真理子さん (撮影/写真部・片山菜緒子)
多くのヒット曲を持ち、50年にわたり、第一線で活躍を続ける歌手、由紀さおりさん。歌うことから、母や姉など家族の話、これまで語られなかった結婚の話、さらに年を重ねることの楽しさについて、デビュー50年の道のりを振り返りながら、作家の林真理子さんとの対談でたっぷりと語りました。
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林:お久しぶりです。まあ、素敵なお着物!
由紀:最初にこちらでお目にかかったとき(2008年8月)も着物を着てまいりましたので、今日もそうしようと思って着てまいりました。
林:覚えてます。素敵なお着物でした。これは江戸小紋ですか。
由紀:そうです。綸子ですね。
林:帯もすごく素敵。お着物は何枚ぐらいお持ちなんですか。
由紀:このところすごく増えました。
林:着物って、そろえ始めるとお金が果てしなく飛んでいきませんか。
由紀:でも、いただきものが多いんです。私の知り合いのおばさまが「着ない着物がいっぱいあるの。ちょっと着てちょうだいよ」と言って、どんどんくださるようになったんです。それを自分の寸法に整えたり、裾除けの色をちょっと変えたりと、自分仕様に直させていただいて着ています。呉服屋さんにも、「もうこれを織る人がいませんので、大事に着たほうがいいですよ」って言われたりして。
林:お着物は、ご自分でお召しになるんですか。
由紀:今日は着付けの方にお願いしました。でも、少しずつ自分でも着られるようになりました。お三味線と踊りのお稽古に行くときは自分で着ます。
林:お三味線と踊りもやってらっしゃるんですね。
由紀:この9月にGINZA SIXの地下の観世能楽堂で、デビューして50年の特別公演として「夢の女─蔦代という女─」という一人芝居をさせていただいたんです。原作は有吉佐和子先生の『芝桜』で。その稽古で、お三味線と踊りを始めたんです。踊りはデビューして何年かに花柳の名取にはなったんですけれど。
林:お芝居、都合が合わずうかがえなくて残念でした。見たかったです。
由紀:お芝居をして、踊って、お三味線を弾き、歌って……と、楽しかったですよ。お三味線、鼓、笛と太鼓と、みんな生の音でしょ。能舞台の空間はアコースティックですから、ものすごく響きがいいんですよ。
林:へぇ~。『芝桜』って芸者さんの話ですよね。
由紀:そうです。私はもともと、話術が巧みなお座敷のお姐さんたちに憧れてるんですよ。新橋のお姐さんとか赤坂のお姐さんとかに。一緒にあちこち連れてってもらったりするおつき合いもあって、私の公演でも皆さんがずらっと総見してくださったりするんですけれど、ああいうお姐さんたちが好きなの。
林:ええ、ええ。
由紀:ちょいちょい着(ちょっとした外出で着る着物)のおしゃれが似合う女性でいたいなあと思っていて、私は女優の池内淳子さんが大好きだったんです。池内さんはふだんから何気なく素敵で、「私は沢村貞子さんみたいに、さらっと着物を着たいのよ」とおっしゃってたけど、そういう方がみんなあっちに逝っちゃったでしょ。
林:そうなんです。
由紀:杉村春子先生も森光子さんもそうだし、このあいだ雪江さんも逝っちゃったしさ。
林:ゆきえさん?
由紀:朝丘雪路さん。あの方はジャズも歌って、歌謡曲も歌って、踊りも深水流というご自身の流派を立ち上げたでしょ。雪江さんが亡くなったのはけっこうショックでした。
林:由紀さんはそういう芸者さんをやるような女優さんの系譜に連なってますよね。今、若い女優さんが芸者さんの役をやると、どう見てもコスプレという感じですけど。
由紀:着物は「着るより慣れろ」というか、日々それで暮らしているかどうかが所作にあらわれますよね。うちの母は、私が小学校5~6年まで着物を着ていたので、私はそれを見て育ったんです。母は着物教室で着付けの先生をしていて。
林:由紀さんの『明日へのスキャット』(集英社)という本を読ませていただきましたけど、お母さま、すごい方だなと思いました。教育の面では、自分が前に出て子どもたちを守るという感じで、学問の道に進む子にはそのための教育を受けさせて、歌の道に進む子にはこういう教育をって、ちゃんと見きわめてらっしゃったんですよね。
由紀::母は子どもたちに「どうしたいの?」って聞いて、情報だけを集めて、「選ぶのはあなたよ」というやり方でした。私たちは最初、桐生(群馬県)で生まれて、それから横浜に移ったんですけど、兄は「東京工業大学に行きたい」と言って化学を学んだんです。卒業して就職し、機会をいただいてMIT(マサチューセッツ工科大学)に留学しました。社会人の留学はまだ珍しい時代でした。
林:お兄さまもすごいです。
由紀:お姉ちゃん(安田祥子さん)は、「性格とか声の質でクラシックに進んだほうがいいだろう」というひばり児童合唱団の先生のすすめで、うちの遠い親戚で声楽を教えている先生のところに通ったんです。
林:そして芸大に入られて、そのあとニューヨークのジュリアード音楽院に行かれて、芸大の先生にもなられたんですよね。
由紀:そう。私は「歌を続けたいなら、それを許してくれる学校に行きなさい」と言われて、ひばり児童合唱団の先生のツテで、洗足学園第一高等学校というところに入って、「あまり目立たないように」みたいなことを先生に言われながら歌の勉強をしてたんです。クラシックをやってもお姉ちゃんを越えられないと思って、ジャズを習いに通ったり。
林:そうなんですか。
由紀:当時、歌謡曲といえば、作曲家の先生の内弟子にならないとデビューの道が開けなかった時代なので、「中学を卒業したら内弟子に入りなさい」と言われたけど、私が「高校に行きたい」と言ったら、母が「娘がそう言ってるので、そうさせてください」と言って高校に行かせてくれたんです。風が強いときには必ず母が守ってくれましたね。
林:素晴らしいです。お姉さまと二人で歌うようにすすめたのもお母さまなんですよね。デビュー15周年のときに。
由紀:そう。母の深慮遠謀だったような気もするけど、「二人で歌ってほしい」って。お姉ちゃんはクラシック、私は歌謡曲だったけど、「いい歌に変わりはないじゃないの」というのが母の口ぐせだったんです。
林:「NHK 紅白歌合戦」にも何度もお出になりましたけど、アカペラで歌われていましたよね。
由紀:ええ。私はソロとして13回、お姉ちゃんとは10回出させていただいてますけど、「赤とんぼ」を3回歌ってるんですよ。アカペラで歌うときは、姉と「同じ精神性を持とう」ということで松島湾(宮城県)に昇る朝日を見に行きました。私一人で出させていただいたときも「赤とんぼ」は2回歌っていて、北島(三郎)先輩とトリをとったときは、歌の出だしをアカペラで歌って、お姉ちゃんもアンサンブルで参加してくれました。
林:今、歌手の皆さんって、歌うときにイヤホンをつけてるじゃないですか。あれでカウントをとってるんですね。
由紀:あれは自分の声を耳に返しているんです。ドームのコンサートみたいに大きい会場だと、自分が歌った声が向こうの壁にぶつかって、エコーみたいにして遅れて戻ってくるんです。その音に引きずられちゃうから、自分が歌ったテンポをキープするためにイヤモニ(イヤーモニター)で自分の声を返すようになったんじゃないかと思うんです。
林:なるほど。そうなんですか。
由紀:でも、今は300人ぐらいのホールでも皆さんイヤモニをして歌うから、私はそれが気持ち悪くてね。私は後ろにいるバンドの皆さんの生の音を聞き、自分の声を聞き、ホールの音の響きを感じながら歌ってきたから、イヤモニは逆に難しいんです。今はそれがあたりまえとして音楽番組をつくる時代になっているので、私はもうこういうところでは歌えないというのが正直な気持ちです。
林:まあ、そうおっしゃらずに。
由紀:今、電車に乗ると、前に7人座ってたら、7人ともスマホでゲームとかメールをやったり、音楽を聴いてるでしょ。みんな個の世界にいて、人の声とか雑音が聞こえないんですよ。でも、自分が雑踏の中の一人を感じるって、すごく意味があることだと思ってるんです。
林:外国の人にとって、由紀さんの透明で透き通った声ってめずらしいみたいですね。バーブラ・ストライサンドみたいな肉厚な声を聞いてる人にとって。
由紀:今の歌い手の方って、ほとんど地声で歌うんです。私のようにファルセット(喉の負担が小さい高音の発声法)をうまく使う人はほとんどいないんです。特にポップスの人は基本的に地声です。それで長く歌えないんじゃないかと思います。
林:もともと由紀さんは声帯がすごく細いんだそうですね。
由紀:ええ。私は小学校4年生ぐらいのときに風邪をこじらせて、それでも歌ったら、音声障害を起こして声が出なくなっちゃって、ひばり児童合唱団の先生にすすめられて、九品仏(東京・世田谷)のお医者さんに行ったんです。そこは声に関わるお仕事をしている人たちが通っているところで、「あなたの声帯はすごく薄い。調子が悪いときは無理に声を出さないようにして、この声帯を大事にしなさい」って言われたんです。それがいい意味での私のトラウマですね。
林:それが今までのご活躍を支えてきたんですね。女優さんをやってらっしゃるときは、声帯の使い方はどうしてるんですか。
由紀:舞台を初めて経験するときに、美空ひばりさんの映画を見たんです。ひばりさんのセリフの声を聞くと歌ってるの。歌う声でセリフを言ってるな、と思いました。それで私もそうしよう、と。
林:オペラと同じですね。イブニングドレスを着てお出になるわけですから、体形の維持なんかも……。
由紀:食生活とかも大変です。今は自分の家の中を歩く道すがらというか、たいして広くないんですけど、よく通るところにスクワット専用のいすが置いてあるんですよ。最近、流行ってるんです。
林:へえ~、そんなものがあるんですか。
由紀:あるんです、通販よ(笑)。だけどそんなぐらいしかできないんです。外側はもうヨレヨレよ(笑)。拒めるものは拒みたいけど、拒みきれないものもいっぱいあるじゃない? それは受け入れるしかないでしょ。
林:たばこもお酒も一切やらず、非常にストイックに暮らしてらっしゃるそうですね。
由紀:そうですね。日々の暮らしはあした歌うための準備です。
林:わあ~、素敵。
由紀:何を食べるかというお食事も、お風呂に入ったりシャンプーしたりするタイミングも、みんなあした歌うための準備ですね。
林:由紀さんが「自分に満足できなくなったら、自分で引導を渡す覚悟ができています」と言ったら、亡くなった二葉あき子先生(歌手)が「何言ってるのよ。私なんか入れ歯が取れたってみんな喜ぶんだから」とおっしゃったんでしょう?
由紀:アハハハ、そう。先生は「私、歌ってると、ときどき入れ歯がはずれるのよ。でも、間奏のときに後ろ向いてカッと入れ歯を入れるの。だからそんなこと言わないで、ファンがいるうちは歌ってあげてちょうだいよ」っておっしゃってました。
林:本の中のそのエピソード、私、大好きなんです。
由紀:二葉先生のライバルは淡谷のり子先生(歌手)なんですね。「淡谷先生よりも1年でも長くリサイタルをやりたい」というのが二葉先生の目標で、実際にそれをおやりになってからすぐ、旅立たれました。
林:そうなんですか。
由紀:淡谷先生って、ピアノに寄りかかって歌うじゃない。そのとき後ろにクッションがあったりするのよ。私が見た先生の最後の舞台では、キャスターがついてる台の上にソファがあって、そこに座って歌って、歌い終わるとそのまま台ごとスーッと動かして引っ込むんです。
林:まあ、ほんとですか。
由紀:テレビの番組だから、そこは映らないのよ。でも、会場に来てる人にはわかっちゃうわけ。なんであそこは暗転にしなかったのかしらって思うんだけど、でも最後までヒールで歌ってらっしゃいました。
林:素晴らしいです。
由紀:ペギー葉山さんが亡くなったのも、すごくショックだった。いい歌をたくさんお歌いでした。ちょっとバタくさいジャジーなものとか。
林:でも、由紀さんはそうした皆さんよりずっとお若いんですから、そういう先輩たちは記憶の外に置いて、ときどき思い出す程度でいいじゃないですか(笑)。ご本を読んでわかったんですけど、「夜明けのスキャット」の大ヒットの最中、もうご結婚されてたんですね。びっくりです。
由紀:うふふ。私は童謡歌手から大人の歌手になるあいだ、コマーシャルソングをいっぱい歌ったんです。相手は大森昭男さんというCM音楽プロデューサーの方で、小林旭さんの「熱き心に」とか、堀内孝雄さんの「君のひとみは10000ボルト」とか、矢沢永吉さんの「時間よ止まれ」とか、石川さゆりさんの「ウイスキーが、お好きでしょ」とかを手掛けた人なんです。コマーシャルソングとしてつくったものがヒットするという時代ですね。音の切れ方とか、音のピッチとか、「ここはもう少し明るく響かせて」とか、音に対してすごく厳しい方でした。
林:当時、由紀さん20歳だったんでしょう? 結婚はもう少し待ってもらってもよかったんじゃないですか。
由紀:「高校を卒業したら結婚したい」って言われたんです。でも、上の二人が行ってなかったので、「下から行くのは順序が違うだろう」って父が言って、短大を出たあとすぐに結婚したんです。
林:でも、お別れになったんですね。私、コピーライターをしてたとき、「あれが由紀さおりさんの旦那さんだった人だよ」って言われて、そうなんだと思ってマジマジと見た記憶があります(笑)。ハンサムな方だったという印象でした。
由紀:笑顔が素敵でしたね。ピンク・マルティーニというアメリカの人気バンドとコラボして40周年のアルバムをつくったんですけど、そのときのプロデューサーが発掘した韓国の歌い手さんのライブを見に行ったら、そこに彼がいたの。みんな慌てちゃってね。私がいて“元亭”もいるわけだから。みんなに気をつかわせちゃ悪いなと思って、「お元気ですか」って私が彼のテーブルに行って、座って一緒にライブを見たんです。
林:まあ、大人の対応(笑)。
由紀:彼の事務所があるマンションに私の知人がいたので、そのあとにも偶然に会ったりして、「あのアルバムよかったね」って言ってくださって、それが最後だったかな。去年、お亡くなりになりました。
林:そうなんですか。
由紀:そのあとに、彼の追悼文を集めた本ができて、弟さんから私のところに送られてきたんです。私はまだ読んでないんですけど、弟さんに電話をしたんです。「私は幼かったのよ。だからご苦労かけちゃって」と言ったら、弟さんが「それを聞いたら兄貴は喜ぶと思います」って。「今、私が歌を歌っていく姿勢は、あの人から教わったことが生きてると思うわ」と言ったら、「ああ、それはよかった」と言ってくださいました。
林:そうですか。いいお話ですね。
由紀:ご本を送っていただいたことがきっかけでそんなお話ができたんです。はじめは手紙を書こうと思ったんですけど、ペンを持ってもなかなか進まないんですよ。やっぱり残るのはイヤだなと思って電話にしたんです。
林:わかります。私も、昔出したラブレターを持っていられたらどうしようかと思いますから(笑)。ドラマとか映画のご予定は何かおありなんですか。
由紀:「ブルーヘブンを君に」という映画に主演します。岐阜の大垣を舞台にした地方創生ムービーで、ブルーヘブンという青いバラをつくっているおばちゃまがモデルで、その方を私がやります。来年のバラのシーズンに公開されると思います。
林:楽しみです。由紀さん、さっきスタッフの方に聞いたら、電車にお乗りになるそうですね。
由紀:はい、普通に乗ります。
林:気づかれません?
由紀:ボディーのマッサージとかのメンテナンスに通うのに電車のほうが便利なんです。この前は日傘を持ってスッピンで地下鉄に乗って、お姉ちゃんと二人でペチャクチャおしゃべりして、「降りなきゃ」って降りようとしたら、前にいたおじさんが「由紀さん、傘忘れてますよ」(笑)。
林:わかってたんですね(笑)。
由紀:「スッピンだったのにね」って二人で笑っちゃった(笑)。
林:そのお声でわかっちゃうんじゃないですか。
由紀:そうかもね。タクシーに乗って「どこそこまで」って言うと、「あ、由紀さんですね」ってわかっちゃうから(笑)。
林:うふふ。これからのご活躍も楽しみに応援させていただきます。
構成 本誌・松岡かすみ
※週刊朝日 2019年11月8日号
週刊朝日
2019/11/05 08:00