小長光哲郎
井上有紀子
フリーランス医師=「ドクターX」は幻想 でも給与は勤務医より「はるかによくなる」
※写真はイメージ(gettyimages)
医師として診療するだけでなく、広く知識や技術を生かした挑戦をする人たちがいる。大学病院の医局から離れたからこそ、実現できた新しい働き方とは。AERA2020年3月2日号から。
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多くの人のニーズに親身に応えるため、起業を選択した医師もいる。「Child Health Laboratory」代表の森田麻里子さん(32)だ。森田さんが起業した同社は、夜泣きの悩みなど赤ちゃんの安眠サポート情報を発信する。
森田さんは東大医学部を卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)での初期研修で、麻酔科医を目指すと決めた。その時点では、後期研修先として東大の医局も選択肢にあった。医師である夫は一足先に、福島県相馬市内の病院に行くと決めていたが、相馬市には麻酔科のある病院がなかった。相馬に近い仙台の病院か、実家のある東京の病院か。両方を見学したという。
「仙台厚生病院では初期研修を終えたばかりの3年目の医師が心臓麻酔の手術を一人で行っていて、驚きました。一方、東大では5年目の医師が、ベテラン医師の介助をしていた。早く経験を積んで自立したかったので、仙台に決めたんです」
多くの医師は、初期研修で違う病院に行き、後期研修で出身大学の医局に戻ってくる。森田さんの同期生の7割ほどもそんな選択をしたという。
「夫と一緒に子どもを育てたいと考えていたので、働く場所を自分で選びたかった。医局は魅力的ではなかったんです」
仙台で2年過ごし、南相馬市立総合病院に移った。翌17年に子どもが生まれ、半年後、同病院に復帰。
復帰までの6カ月間に、妊婦への情報が少ないことも実感した。子育てをしながら、年齢を重ねて夜中まで働く生活をしたいのかを考えた。転機は子どもの夜泣きに悩み、子どもの睡眠について様々な文献を読んで調べた時に訪れた。
「病気を治すだけでなく、子育てに必要な知識を広めて社会に貢献したい、と起業を決意したんです」
18年4月、東京で会社を立ち上げた。現在は週に1回、昭和大学病院附属東病院睡眠医療センターで非常勤医として、赤ちゃんの夜泣きなど「子どもの睡眠」を中心に、外来診療を行う充実した日々を送っている。
ツイッターやユーチューブで医療や転職の情報を発信する関東在住の30代の整形外科医「おると」さんは、大学病院などでの勤務を経て、数年前から「フリーランス医師」として働く。
「今は仕事が楽しくて仕方ないです」
フリーランス医師と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、人気ドラマ「ドクターX」の外科医、大門未知子や、古くは手塚治虫の「ブラック・ジャック」かもしれない。カリスマ的な技術を持ち、高額な報酬と引き換えに誰にも治せないようなけがや難病を治療していく。しかし、実際の姿は少し違うと、おるとさんは言う。
「周囲で多いのは、複数の病院と非常勤の契約を結び、週3~6日出勤する働き方です。非常勤だと継続的に入院患者を診ることや、前後に検査や経過観察が必要な手術をすることはあまりなく、業務の多くは外来。育児や介護をしながら、フリーランスをしている人もいます」
おるとさんも、当初は医局に入り、医局人事に沿って派遣された関連病院などで勤務医を続けていた。しかし、雑務が多かったことや、拘束時間に対する給与の低さに不満があった。手術より患者と対話する外来をしたいという思いもあり、医局を出て別の道へ進むことにした。浮かんだのは、「自分が主軸で患者に対してチーム医療を行う」開業という選択肢だ。その準備期間としてフリーランスを選択した。休日数も自分でコントロールしやすく、整形外科は麻酔科と並びフリーランスの需要が多いことも、選択を後押しした。
「開業の勉強をしつつ、フリーランスでQOL(生活の質)を保ちながら研鑽(けんさん)を積もう、と」
今年度は月~水・金曜に病院やクリニックの非常勤で外来をつとめ、木曜は休み。土は隔週で半日の非常勤を入れている。
「ときどきアルバイトもしています。フリーランス医師の給与は、勤務医時代よりはるかによくなると言われます。常勤の医師では手が足りない現場はたくさんあるので、需要があります」
勤務医時代より時間もできた。本を書き、ウェブ連載も持つ。ユーチューブでは医療情報の解説動画をアップする。
「自分の裁量で動けるので、メリハリがつきました。大学病院の頃に比べると、いまの方が精神的に非常にいい状態です」
医局離れは、実は04年に「新臨床研修医制度」が導入されたころから顕著になってきた動きだ。研修医が全国の研修指定病院に希望を出し、病院側は希望者の中から採用する「マッチング制度」が導入され、若手医師が全国に研修に出た。
だが、18年になって「新専門医制度」ができ、学会ごとに認定していた専門医の資格を、第三者機関である「日本専門医機構」が統括する形になった。研修病院を認定し、そこから地方の病院に若手医師を派遣する。研修病院の多くは、大学病院だ。専門医認定を受けるため、医局を選択する医師が再び増えた。
医師で医療ガバナンス研究所理事長の上昌広さんは、この制度は「時代に合わなくなった大学病院の延命策」と手厳しい。
症例数の多い専門病院には、多くの若手医師が勤務を希望する。経験を積むなら、医局に入らず、最初から専門病院に就職すればいい。上医師は言う。
「それなのに、『専門医』の資格を得るために、何年も症例数の少ない大学病院で働くことになってしまいます」
上医師は医師という仕事の未来をこう考えている。
「若い医師には、時代の変化にも対応していく力を持ってほしい。真の専門家を目指すか、肩書をとるか、おそらく選択を迫られることになるのですから」
臨床経験が豊富で深い知見を持つ医師が増えることは、患者にとってもプラスだ。(編集部・小長光哲郎、ライター・井上有紀子)
※AERA 2020年3月2日号より抜粋
AERA
2020/02/27 11:30