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新型コロナでスーパーは一定間隔で行列、英国、フランス、スペイン、韓国のそれぞれの事情
新型コロナでスーパーは一定間隔で行列、英国、フランス、スペイン、韓国のそれぞれの事情
「手指の消毒剤が入荷したらしい」と聞いてロンドン中心部のドラッグストアに行列する人たち=3月10日(C)朝日新聞社 店舗が一斉休業しているパリのシャンゼリゼ通り=3月18日(C)朝日新聞社 ソウルで若者が集う弘大にあるカラオケボックス。店の前には店内を消毒していることを示す表示が出ている=3月11日(C)朝日新聞社  新型コロナウイルスの感染拡大を受け、「ロックダウン」(都市封鎖)の可能性を示唆した東京都の小池百合子知事。欧州などでは外出禁止令が出されている国もある。海外在住者らにそれぞれの事情を聴いた。  チャールズ皇太子やジョンソン首相も感染した英国。3月23日に原則外出禁止が発表された。ロンドン在住のライター・高野裕子さんは言う。 「買い物は食品か薬(などの生活必需品)以外はだめで、お店はほとんど閉まっています。在宅勤務はすでに広がっており、現在はほぼ誰もオフィスに行っていません」  公共の場で3人以上集まったり、結婚式など行事を開いたりすることも禁止。違反したら、警察が罰金を科したり解散命令を出したりするという。公共施設も閉鎖され、電車は運行しているものの本数が減らされている。 「町を歩いていると、必ず警官に質問されるようです。1時間以内だったら自宅付近でジョギングや散歩はOK。ただし、家族以外の人との集まりは禁止です」  困るのは買い物だ。スーパーに行くと、誰もが買いだめするので、必要なものがなかなか手に入らないという。 「今は高齢者らを守るため、スーパー開店後1時間は70歳以上の人などを優先。普通の人はその後に入れますが、2メートル間隔の列を作って外で待たなければなりません。入っても何が買えるのか……」  17日に全土で外出禁止令が出されたスペイン。バルセロナで豆腐店を営む清水建宇さんは、こう伝える。 「(14日から)警戒事態宣言が出ているので、オフィス、レストラン、バル、飲食店は休み。外出するには証明書が原則必要になります。スーパーなど食品店、病院、薬局、銀行などへ行くのは認められています。店内での飲食はだめでも、食べものを持ち帰れる店はOKです」  清水さんによると、バルセロナがあるカタルーニャ州政府の危機感は強く、23日からすべての州民に外出証明書の携行を求めることにした。 「報道によると、政府が警戒事態宣言で『不要不急の外出はやめて』と要請したのに、行楽地へ遊びに行く市民が多く、混雑する海岸までありました。20日だけで1万人が職務質問され、数百人が罰金を科せられたそうです。これに怒った州政府が厳格化に踏み切ったと言われています」  その外出証明書はA4サイズで、ダウンロードして入手できる。 「『食品の購入』『職場への通勤』『銀行』などのチェック項目に記入し、納税者番号を記入して署名します。『旅行』だけは目的地の住所・郵便番号まで書かねばなりません。私もダウンロードして印刷し、ポケットに入れて店に行っています」  清水さんは店の営業を続けているが、客は通常時の2割まで落ち込んだという。小規模店では店内に入れる客は2人まで。行列は1・5メートル間隔で並ぶなど様々な条件がある。 「飲食店など年間60万ユーロ(約7200万円)以下の売り上げ規模が小さな店は、休む代わりに従業員の給与は政府が保証してくれます。うちの店とか、バルなどが対象になります」  毎日午後8時になると、各地で拍手が湧き起こる。 「これはコロナと戦う医療関係者へのエールで、連帯感を持って危機を乗り切ろうという意志です。10分ぐらい続いていますね。コロナ禍がいつ終息するのか分かりませんが、さまざまな面で社会が変わるのでは。そのうちの一つが、この拍手に象徴される『市民の連帯の強まり』ではないでしょうか。そんなことも考えています」  それでも感染者の増加が止まらないスペイン。28日にはサンチェス首相がテレビ演説で、不要不急の経済活動をやめ、労働者は2週間自宅待機するように呼びかけた。  フランス文学者の海老坂武さんは、感染が拡大する前の2月下旬からパリに滞在している。 「私がパリに来た時は、誰一人マスクなどしていませんでした。すでにフランスで感染者が出ていた3月上旬になっても、どこかアジアの病という雰囲気でした。3月6日にマクロン大統領夫妻はのんびり芝居を見ていたし、11日にもパリ中心部の広場で『3・11』の追悼集会が開かれ、人々はハグをして握手をしていました」  雰囲気が変わったのは12日。マクロン大統領が「この100年で最大の公衆衛生の危機だ」とテレビ演説してからだという。17日から全土で外出禁止令が実施された。 「食料の確保や在宅勤務が不可能な場合の通勤などで外出する時には、『移動証明書』に自宅の出発時間、目的地を記載して携帯しなければいけません。さもないと135ユーロ(約1万6千円)の罰金が課されます。フランス人は言うことを聞かなかったのでしょう。罰金も当初は38ユーロ(約4500円)でしたが、1日で135ユーロに変わりました」  スーパーや食料店は開いており、特に品切れもない。ただ、人影はまばらで、見かけるのはジョギングなど運動をしている人だけだという。1時間程度の運動は移動証明書携帯のうえで許可されている。 「パリの街は静かですが、不満と不安、怒りが渦巻いています。先日は2階の窓からワーと怒鳴る人の声が聞こえました。相当、頭に来ているのでしょう。かと思えば窓から大音響でモーツァルトの曲と歌声が流れてきました」  閉塞(へいそく)感をなんとかしようとする動きも出てきたという。 「街では夜8時になると、人々が窓やベランダに出て、食前酒と称してアパートの上下左右や向かいの部屋の住人と乾杯をするんです。これはコロナウイルスと闘う医療関係者に『ありがとう』と感謝を口にする場でもあります」  連日、新聞記事の8割はコロナウイルス関連の記事で埋まっている。その報道によると、マスクが手に入らないことへの不満が国内で高まっているという。 「フランスでは政府がマスクを管理しており、一般の人は処方箋(せん)がないと購入すらできない。政府は、マスクは病人以外は感染を防止する効果はないと主張してきました。しかし、アジアの国をみると、みんなマスクをしている。おまけに感染者も死者も欧州より少ないじゃないか、という批判の声が高まり始めたそうです。マスクの効果は医療関係者の間でも議論が分かれています」  パリは、フランスでも感染が集中している地域の一つ。富裕層は地方の別荘に避難している、との話も出ているという。 「僕も4月中旬に帰国する予定なのですが、どうなるかわからないですね」  韓国では、ライターの田中将介さんによると、ピリピリとした雰囲気だという。 「ホテル、病院、レストラン、至るところに消毒用のハンドジェルが置いてあります。見渡せば、ほぼ全員がマスクをしていて、皆が口をそろえて『マスクをしていないと皆んなにみられるよ』と言うくらいです」  駅のホームでは、日本語でも「感染に気をつけてください」というアナウンスがずっと流れているという。出生年度によってマスクを薬局で買える日が限定され、田中さんも薬局が大行列になっているのを見た。 「韓国の美容クリニックは、コロナ問題でお客さんが来ないでとても困っています。韓国に住んでいる日本人に激安のキャンペーンを打ったり、韓国人に対してマーケティングを強めたりしています。あらゆる業界で、週3日勤務になったり、仕事場に来なくていい(実質解雇)と言われたりなどしています。仕事に困った人たちが職を探し回っています」  韓国語がわからない田中さん。それでも、カフェなどで韓国人同士の会話に耳を澄ませると、『コロナ』という単語がたくさん聞こえてくるという。(本誌取材班) ※週刊朝日オンライン限定記事
新型コロナウイルス
週刊朝日 2020/03/31 15:43
「持ちこたえている」から一転 五輪延期翌日に「感染爆発」 ちぐはぐな対応が招いた混乱
「持ちこたえている」から一転 五輪延期翌日に「感染爆発」 ちぐはぐな対応が招いた混乱
3月25日夜の緊急記者会見で「感染爆発 重大局面」と示す東京都の小池百合子知事。週末の外出自粛を要請した (c)朝日新聞社 3月27日朝、東京・丸の内は通勤客がまばらだった。JR東京駅前の横断歩道を渡る人たち (c)朝日新聞社  五輪延期が発表された翌日、小池百合子東京都知事は記者会見を開き、「オーバーシュート」「感染爆発」「重大局面」と強調し、週末の外出の自粛を要請した。直後、都内では食料品買い占めなどのパニックが始まった。AERA2020年4月6日号から。 *  *  * 「オーバーシュート(患者の爆発的急増)を防ぐためには、都民のみなさまのご協力が何よりも重要」 「このままの推移が続けば、ロックダウン(都市の封鎖)を招いてしまう」  3月25日午後8時すぎ、小池百合子東京都知事は記者会見し、強い印象のカタカナ言葉で感染拡大に危機感をあらわにした。  この日、都内の感染者が過去最多の41人に上った。この中には、台東区の永寿総合病院で院内感染したとみられる11人を含むほか、感染経路が追えなかった人たちも10人以上いた。  都民に対しては、平日は可能なら自宅で働くことを求め、週末の不要不急の外出を自粛するようにも要請した。  街の反応も早かった。会見の直後、東京・中目黒のスーパーは多くの客で混み合っていた。缶詰、即席ラーメン、冷凍食品。客が次々と手を伸ばし、レジには長い列ができた。  仕事帰りだという50代の男性は、8千円分以上の食料を買い込み、こう話した。 「小池知事の要請があったので、何日かは自宅にこもるつもりです。食べ物はまだこのスーパーにはありましたが、ロックダウンが本当にあれば、絶対に食べ物の奪い合いが始まりますよ。そうならないことを願ってはいますが」  小池知事が言及した「オーバーシュート」は、3月19日にも出ていたキーワードだった。政府の専門家会議の後、記者会見で副座長の尾身茂・地域医療機能推進機構理事長はこう述べていた。 「我々が最も重要だと思っていることは、本感染症は気がつかないうちに市中に感染が広がり、ある日突然爆発的に患者が急増する、いわゆる『オーバーシュート』が起こり得ることだと思います。こうしたことが起こると、医療供給体制に過剰な負担がかかり、適切な医療の提供ができなくなります」  それまで専門家会議は、「爆発的な感染拡大には進んでおらず、一定程度、持ちこたえている」としていた。それが、突如として、「オーバーシュート」に言及したのだ。  従来の発言からの一貫性が感じられなかったからか、尾身氏の発言はそこまで響かなかったようだ。20日以降の3連休では、咲き始めた桜や暖かな気候に誘われ、多くの人たちが街へ繰り出した。  前出のスーパーの男性は疑念をこう語った。 「メッセージを国民に適切に伝えようとしているとも思えません。伝わったのは、『持ちこたえている』というメッセージだけで、それによって国民が緩んだのではないでしょうか」  確かに対応はあまりにちぐはぐだ。24日、萩生田光一文部科学相は、休校にしている学校の再開を一定の条件下で認める方針を出したばかりだ。だが、翌25日の小池知事の会見では、オーバーシュートやロックダウンが注目を集めた。  会見の前日夜、東京五輪・パラリンピックの開催をめぐって安倍晋三首相と国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が電話で協議をしたうえで、「1年程度の延期」を検討することが決まった直後だった。  政治評論家の有馬晴海さんはこうみている。 「オリンピックの延期がひとまず決まって、障害が取れたのです。7月に投開票がある都知事選でも、これまで連携してこなかった自民党が候補者擁立を断念したばかりで、今は怖いものなし、思うようにできる状況なのでしょう」  都政に詳しい中央大学の佐々木信夫名誉教授も、五輪の延期が小池知事の言動に強く影響したとの考えを示したうえで、“封鎖”に関してはこんな見方を示す。 「封鎖した場合は、東京への出入りを止めることになり、経済活動が止まります。大きなダメージの引き金を引くことになり、一知事の権限でここまでしていいものか疑問です。首都崩壊の危機を招く可能性すらある。補償の話も出てくるでしょうが、都財政は五輪延期で経費がさらに膨らみ、基金はもう底をついている。都債を大量発行する可能性がありますが、都民の負担増に直結する話。“封鎖”は時期尚早。慎重にやらなければいけないでしょう」  ただし、レールは着々と敷かれている。26日には、新型コロナウイルスの特別措置法に基づき、「政府対策本部」が設置された。安倍首相が緊急事態宣言を出すにあたっての手続きで、宣言が出れば、都道府県知事の権限によって、住民の外出自粛や、学校、老人福祉施設などの使用停止など、市民の権利を制限するもろもろの要請・指示ができる。従わない場合に罰則があるケースもある。(編集部・小田健司) ※【「五輪開催するなら封鎖しかない」 免疫獲得か終息か「東京封鎖」の現実味】へつづく ※AERA 2020年4月6日号より抜粋
新型コロナウイルス
AERA 2020/03/30 17:00
ローソン社長・竹増貞信「アメリカで感じた豊かさとビジネスの源泉」
竹増貞信 竹増貞信
ローソン社長・竹増貞信「アメリカで感じた豊かさとビジネスの源泉」
竹増貞信(たけます・さだのぶ)/1969年、大阪府生まれ。大阪大学経済学部卒業後、三菱商事に入社。2014年にローソン副社長に就任。16年6月から代表取締役社長 インディアナ州の広大なトウモロコシ畑。私もご近所さんに教わりながら、育てていました 「コンビニ百里の道をゆく」は、50歳のローソン社長、竹増貞信さんの連載です。経営者のあり方やコンビニの今後について模索する日々をつづります。 *  *  *  私の社会人生活は27年前、東京で始まりました。直前まで地元の大阪で過ごし、上京したのは入社式前日でした。  東京駅で小腹が空いて、立ち食いうどんを探すも見つからない。やっと見つけた蕎麦屋で、きつねうどんを注文したら、出汁(だし)が黒くて麺が見えない。そうだ! これが東京のうどんだと洗礼を受けたような気持ちになりました(笑)。  カルチャーショックは続きます。当日夜遅くまで続いた寮の歓迎会のお酒が少し残った翌朝の朝食にはほとんど初体験のにおいとネバネバ感満載の納豆。大阪では食べる習慣があまりなく、お茶で流し込んだり……。そんな納豆も毎日食べるうちに少しずつ好きになって今では好物の一つ。どれも些細(ささい)なことですが、「郷に入っては郷に従え」ということだと思うのです。  まだ若く、自分の中に確たる芯もない。まずは新しい環境にどっぷり浸かってみよう。そう思い、仕事だけでなく遊びの誘いも断らずに参加しました。違和感に気付いたり、関心のある分野が定まったり。そうして見つけた価値観は仕事でも活(い)きてきます。  次の転機は32歳で米インディアナ州に出向したとき。仕事も10年目で、やりたいこともある。でも、インディアナのことはよく知らない。ここでも生活面から入り込もうと、現地コミュニティーにも積極的に参加しました。  現地では日本とは違う時間が流れています。朝6時に出社し、夕方には帰宅。畑を耕して、酒を飲み、日が暮れると眠りにつく。広大な土地のおかげか、お金ではない豊かさがあるのです。仕事もしっかりしていて、現場の人は責任感も強い。さすがはアメリカで、ビジネスの源泉ともいうべき働き方がありました。  新生活に不安はつきものです。でも、新しい価値観に出会うチャンスでもあります。いくつになっても臆せず飛び込みたいと思っています。 ※AERA 2020年4月6日号
竹増貞信
AERA 2020/03/30 16:00
客は1日11人でも「他店研究はしない」 矢沢永吉を愛する横浜のラーメン店主が貫く信念
井手隊長 井手隊長
客は1日11人でも「他店研究はしない」 矢沢永吉を愛する横浜のラーメン店主が貫く信念
中村麺三郎商店」の「海老ワンタン醤油らぁ麺」は一杯1100円(筆者撮影)  日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、名店店主が愛する一杯を紹介する本連載。中華の名店出身で、相模原で学生や地元客に愛される人気店の店主が愛するラーメンは、イタリアン、蕎麦の世界から「支那そばや」に行き着いた、“ちゃんとした仕事”を大切にする店主の紡ぐ自信溢れる一杯だった。 ■29歳で独立、大きなスランプはなかった  相模原の淵野辺にある「中村麺三郎商店」は青山学院大学淵野辺キャンパスにも近く、学生から地元客まで多くのお客さんで賑わっている。  店主の中村健太郎さん(33)は鹿児島県指宿市でラーメン店の息子として生まれ育つ。調理師専門学校で1年間学んだのちに、中華料理の名店「聘珍楼(へいちんろう)」で厳しい修行をこなした。その後、「麺の坊 砦」でラーメンの道へ進み、新横浜ラーメン博物館(ラー博)店の店長も務めた。全国の名店が集まるラー博では、他店の職人たちとの交流も生まれ、中村さんのラーメン作りにもより磨きがかかる。 店主の中村健太郎さん。中華の最高峰での経験が存分に生かされている(筆者撮影)  中村さんが独立したのは29歳のとき。ラーメン店主としては若いが、「聘珍楼」やラー博での経験が糧になり、大きなスランプに陥ることはなかったという。「聘珍楼」では下積みを3年やってようやく前菜作りにたどり着き、とにかく基礎をたたき込まれた。人気店の「砦」ではラーメン作りだけではなく、オペレーションや従業員教育まで広く学ぶことができた。 「19歳からの『聘珍楼』時代に、先輩の指導のもとしっかりと修行し、力をつけさせてもらいました。基礎作りはとても大変でしたが、だからこそ今があると思っています」(中村さん)  中華の最高峰から人気ラーメン店に移り、独立。経験と努力の両輪がしっかりしているからこそ、今の成功があるのだろう。従業員が育つまでは相模原に腰を落ちつけて頑張りたいと言うが、中村さんは実家のラーメン店の今後が気になっている。創業30年以上が経ち、父は70歳手前である。 中村麺三郎商店/〒252-0206 神奈川県相模原市中央区淵野辺4-37-23/[月・木~日] 11:30~15:00、18:00~21:00[火]11:30~15:00、水曜定休/筆者撮影 「いずれ自分が実家の店の経営やレシピなどの大枠を見ながら、誰かにお願いするなど考えていきたいと思っています。親父がラーメン屋をやってなければ今の自分はありません。『中村麺三郎商店』で自分がしっかりやっていくことが実家にもプラスになると思っています」(中村さん)  幼い頃からラーメンに触れてきた中村さんが、自分の店と実家をどう繋いでいくのか。中村さんの経験と技術が鹿児島の地元にも届く日が楽しみである。そんな中村さんが愛する一杯は、ラー博で出会った“ラーメンの鬼”と呼ばれた故・佐野実さんの弟子が紡ぐ、自信に満ち溢れたラーメンだった。 ラーメン星印/神奈川県横浜市神奈川区反町1-3-4ルミノ反町/11:00~15:00、18:00~21:00、[土・日・祝] 11:00~15:00、火曜定休/筆者撮影 ■「支那そばや」でネギ切りをさせてもらえなかった理由  横浜市神奈川区の反町エリアは知る人ぞ知るラーメン激戦区だ。反町駅から5分圏内には、「ShiNaChiKu亭」「中島家」「自家製麺SHIN」「麺処 田ぶし」「MEN YARD FIGHT」と有名店がひしめき合う。  このエリアを牽引する店の一つが「ラーメン 星印(ほしじるし)」。矢沢永吉が大音量で流れるロックな店かと思いきや、清湯(ちんたん)ながら旨味の詰まった美しいラーメンを提供している。  店主の沖崎一郎さん(42)は横浜市菊名出身だが、北海道出身の両親のもと、日頃からラーメンをよく食べていた。幼少期は夜中に目が覚めると、父が夜食にしていた「サッポロ一番」をつまみ食いさせてもらっていたという。  藤沢市の高校に通い、近くにあった名店「支那そばや」(現在は戸塚)に足しげく通った。“ラーメンの鬼”と呼ばれた佐野実さんの店で、当時は私語禁止で店内はピリピリしていた。だが、沖崎さんはバイトの給料が出ると欠かさず「支那そばや」に向かったという。 支那そばやの「山水地鶏ワンタン醤油らぁ麺」(筆者撮影) 「初めて食べた時、味はしないし麺は柔らかいしで何がいいのかわからなかったんです。でも、食べ終わったあとに残る味がすごくよかった。何度か通ううちに色んな味がしてくることにも気付いて、いつの間にかハマっていました」(沖崎さん)  沖崎さんが20歳で大学に進学したとき、横浜家系ラーメンブームが訪れる。「六角家」に魅了され、一時は1日に2回行くこともあった。ここからラーメンの食べ歩きに拍車がかかり、同級生と車で名店を探す日々が続いた。「まっち棒」「なんでんかんでん」「下頭橋ラーメン」などの行列を見て、「ラーメン屋ってカッコいい」と思ったという。  その後、たまたま食べに行った実家近くのラーメン店でアルバイト募集の貼り紙を見つけて働くことに。21歳の頃だった。その店はお客さんも少なく、おつまみも提供する“お酒の飲めるラーメン屋”だった。ラーメンは作らせてもらえなかったが、ホールの仕事も楽しく、「店主と間違われるぐらいまで頑張って働こう」と思ったという。  大学卒業後もそのまま働き、ラーメンを作る店主を見て作り方を覚えていった。毎日好きなラーメンが食べられて、お客さんにも喜んでもらえ、さらにお金も稼げる。最高な環境だと感じていた。ちょうどその頃、店に麺を卸している製麺所が経営する六本木のラーメン店を手伝う話が舞い込む。これも縁だと移籍したものの、作りたいラーメンを作れる環境が整わず、結局沖崎さんは退職してしまう。 「星印」店主の沖崎一郎さん。YAZAWA愛に溢れている(筆者撮影)  次に選んだのは、「化学調味料不使用(無化調)の味噌ラーメン」を謳う店だった。だが、厨房で化学調味料を使っているところを目撃してしまう。客をだましているという罪悪感にさいなまれ、3カ月で退職することにした。  ラーメンに嫌気がさし、麺料理の中で仕事をシフトすることを考えた沖崎さんは、イタリアンの世界に飛び込んだ。ラーメンとイタリアンの違いに戸惑いながらも、必死で仕事を覚える日々。盛り付けから食材の使い方、火の入れ方と次々に仕事を習得し、3年間無我夢中で働いた。  沖崎さんの価値観を変えた店がもう一つある。蕎麦屋だ。  料理人が書いた本を読み漁っていたとき、ある蕎麦屋の店主が書いた本に出合う。店主の考え方や世界観に魅了され、休日限定で無給で修行させてもらうことになった。 「ダメ元で手紙を書いたら、迎え入れてくれました。店主の魅力が詰まった店で、世界観も統一されている。ちゃんと料理をしている人ってシンプルにカッコいいんですよ。それがきっかけで、原点に立ち返って、ちゃんとやっているラーメン屋さんに戻ってみようと思ったんですね」(沖崎さん)  そのとき思い浮かんだのが、高校時代に通った「支那そばや」の佐野さんの顔だった。佐野さんのもとで学べば一人前のラーメン屋になれるかもしれないと社員採用に応募。厳しいと評判の佐野さん直々の面接に緊張が走ったが、佐野さんが発したのは二言だけだった。 「ラーメン好きなのか」 「お前は大学を出てるのか」  質問はこの二つで終了。何が決め手かよくわからなかったが、沖崎さんは無事に面接を通過。「支那そばや」での修行が始まる。27歳の頃だった。 「星印」の店内には矢沢永吉と並んで、ラーメンの鬼・佐野実さんのポスターが貼られている(筆者撮影)  当時ラー博で営業していた「支那そばや」はとにかく忙しく、オープン前から閉店まで絶えず行列ができていた。下っ端の沖崎さんは野菜洗いや鶏ガラの処理からスタート。60センチの寸胴5台で一日中スープを炊き続ける日々だった。朝から晩まで働き、地獄のような忙しさだったという。 「本当に大変でした。ですが、公表している食材をしっかり使い、扱いや調理法まで本当にちゃんとしているんです。こんなに複雑にラーメンを作るんだと感動しました。これ以上の店はないと確信して、絶対に逃げてはダメだと心に決めたんです」(沖崎さん)  少しずつ麺上げや包丁をやらせてもらえるようになったが、ネギを切る仕事だけは最後までやらせてもらうことができなかった。普通の店だとネギ切りはアルバイトに任せることも多いが、「支那そばや」では、切り方ひとつでラーメン全体を台無しにしてしまうと、ネギ切りを重要な仕事としていた。  30歳になり、沖崎さんはついに佐野さんから店長に任命される。そのとき、佐野さんが自ら九条ネギの切り方を教えてくれた。 ブームに左右されず、自分の一杯に向き合い続けている(筆者撮影) 「『支那そばや』の店長になるなんて、すごいことになってしまったと感じました」(沖崎さん) 「支那そばや」のラーメンには、佐野さんが全国を駆け回って見つけてきた最高の食材が詰まっている。しかし、スープや麺に使われている食材はお客さんには分かりづらく、魅力が伝わりにくいと沖崎さんは感じていた。沖崎さんは卵かけごはんのようなサイドメニューを開発し、食材の魅力がお客さんに伝わりやすくした。  沖崎さんの「支那そばや」での修行は順調に進み、最後の1年は戸塚に移転した本店の店長も務めた。その中で、かねてから考えてきた独立への思いが湧き上がってくる。もう33歳。このまま歳をとっていくと独立は難しいかもしれないという不安もあり、「支那そばや」を退社することにした。  退社後はアルバイトをしながら、休日には知人の店舗を間借りしてラーメンを作り、腕を磨き続ける。ラーメンの開発や資金調達には3年がかかった。十分なエリア調査ができぬまま、実家から程近い横浜の反町の物件を契約する。資金調達に苦労したこともあり、トータル200万円で店をオープンさせた。2014年3月のことだった。  屋号は「ラーメン 星印」。大好きな矢沢永吉のTシャツからヒントを得たという。自分の好きなものに囲まれながらラーメンを作りたいと、店内には矢沢のタオルやフィギュア、マイクスタンドまで飾っている。BGMももちろん矢沢だ。ラーメンのベースは「支那そばや」を踏襲した。 「星印」の特製醤油らぁ麺は一杯1100円(筆者撮影)  だが、集客はうまくいかなかった。開店から2年が経ってもお客さんが増える気配はない。1日11人という日もあり、いよいよ存続が難しくなってきた。自分で食べても美味しくないと感じるようになり、「何かが違う」とスープもタレも全てを捨ててしまった。  リセットしたことで気持ちが楽になり、改めて1からラーメン作りに取り組むことにした。「支那そばや」の丁寧なラーメン作りや食材に対する姿勢はそのまま、少しずつオリジナルのラーメンを作っていく。イタリアンや蕎麦店で培った技術を使ったメニューも考案し、限定で出したりもした。  壁にぶつかったとき、他店のラーメンを食べ歩く店主は多い。だが、沖崎さんはピンチになっても他の店の味を研究しなかった。そもそも、ラーメンを食べに行くことはほとんどないという。 「星印」のメニュー表(筆者撮影) 「ラーメン屋に行くと、味の分析を始めてしまうんです。職業病ですよね。そうなると“食事”じゃなくなる。本来の食事を楽しみたいので、あまり行かないようにしています。学ぶなら他の料理からと思っています。それでこそ、新しいものができますよね」(沖崎さん)  ピンチのときでも信念を貫き通した沖崎さん。すると、少しずつSNSなどで口コミが広がり始める。リピーターも増え、売上はオープン時の4倍になった。今やラーメン激戦区を牽引する人気店だ。 「中村麺三郎商店」の中村さんは、沖崎さんが将来の目標だという。 「独立する前から可愛がってくれる先輩で、真っ直ぐでブレないところに憧れます。自分のラーメンに凄く自信があるんだと思います。食べ歩きも全然せず、自分のラーメンだけに向き合い続ける。ブームにも一切興味がない。堂々としていて、自分も歳を重ねたら沖崎さんのようになりたいですね」(中村さん)  沖崎さんも、中村さんの技術を高く評価している。 「お互いがラー博にいた時代に知り合いましたが、中村君は技術があるのにおごりがなく、素直です。もともとの性格は大ざっぱで、昔は味がいきすぎたこともあったと思いますが、彼は一般の目線に近くてニーズを汲み上げる力がある。わかりやすく伝わる味を作っていると思います。若い人がどんどん立派になっていくので、自分も頑張らないといけないですね」(沖崎さん)  ラー博で出会った二人が、独立しても同じ神奈川エリアを引っ張っていく。それぞれ十分すぎる経験をラーメンに落とし込みながら、今日も最高の一杯を提供し続けている。(ラーメンライター・井手隊長) ○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho ※AERAオンライン限定記事
AERAオンライン限定ラーメン井手隊長
AERA 2020/03/29 13:00
瀬戸内寂聴が悲しむ訃報「生き過ぎた私が替ってあげれば…」
瀬戸内寂聴が悲しむ訃報「生き過ぎた私が替ってあげれば…」
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。『場所』で野間文芸賞。著書多数。『源氏物語』を現代語訳。2006年文化勲章。17年度朝日賞。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。(写真=横尾忠則さん提供)  半世紀ほど前に出会った97歳と83歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * ■横尾忠則「のんきな時代の“とんでもコックピット”」  セトウチさん  インドの海で水着で泳いだセトウチさんのことをエッセーで書いたら小島功さんがマンガにしたそーですね。僕は見ていないけれど。  今日は別のインドの話を書きます。セトウチさんがサリーを買いにお店に入ったまま全然出てこないので、店の前に腰掛けていたら子供が「来い」というのでついていくと、畑の中に植わっている水瓜を買え、と言う。人の畑の水瓜を売りつけようとするんだけれど、頭のいい子だと感心しました。  セトウチさんはまだ店から出てこない。店に入ると「3ルピーをまけてくれないのよ」とセトウチさんは、僕が水瓜畑に行っている間も一生懸命値切っているのです。 「セトウチさん、3ルピーは日本円で100円(当時)ぐらいですよ」と言うと、「ホント、1万円ぐらいだと思った」そうです。インドと日本は全て価値観が違うのでびっくりすることばかりです。  帰路、飛行機が給油のためバンコックだったかに止った時、ツアーのグループの2人が旅行中にできてしまってバンコックで降りてしまったために、われわれはエライことになりましたよね。できてしまった男性はセトウチさんの親戚の子だったですよね。機内に銃を持った兵隊がドヤドヤ入ってきて、「代表者は誰だ!」と言われて添乗員が引っ張って行かれて、セトウチさんはびっくりしました。僕は大したことないと思っていたけれど、セトウチさんを驚かそうと思って、「彼は捕まって、処刑されますよ」と。「エッ、本当! 大変じゃない!」「ハイ大変です」  その内機内に戻ってきてヤレヤレでした。するとセトウチさんは「添乗員にウイスキーを渡して、機長に謝って来なさいよ」と怒っていました。添乗員はウイスキーを持って機長に謝りに行ったまま帰って来ません。飛行機は日本に向って飛んでいます。 「どうして彼は帰って来ないの? もう1時間も経つわよ」「またエライ目にあっているんだと思いますよ」とデタラメなことを言うと、セトウチさんは頭から毛布を被ったまま、毛布の中で一生懸命、観音経だかをあげていました。  そのうち添乗員は真赤な顔をしてフラフラになって帰って来ました。セトウチさん「どうしたの、病気?」「いや、そーじゃないです、コックピットの中に入れてもらってパイロット達と一緒に酒を飲んでいたんですよ」  セトウチさんも真赤になって怒りましたよね。あんなこと今だったら新聞ダネになって「瀬戸内寂聴一行の添乗員、パイロットとコックピットで泥酔!」なんて、朝のワイドショーのニュースになったかも知れませんね。まあ、のんきな時代の、のんきなインドの旅でした。  セトウチさんとの旅行は予定通りに行かないことばかりで、2人のどちらに責任があるのか知らないけれど、変ちくりんなことだらけでした。どうも2人が何かをすると、こういう事態が発生するみたいです。芸術の創造と破壊が起こるようです。  死後の世界って、きっとこんなことの連続で面白いかも知れませんね。小説や絵がそのまま現実になるのがあっちの世界です。こちらで面白いことが起こるということは、半分向こうへ行っているのかもね。ではまた来週 ■瀬戸内寂聴「あの勝手な事件男は他界、ケロッと帰らないかな」  ヨコオさん  今年の春の早いこと! 今朝、気がついたら寂庵の桜が大空に広がり、まるで幕をかけたように、びっしり花をつけていました。寂庵の桜はしだれで、いつの間にか大木になり、道の遠くからでも、華やかによく見えます。  毎年、花祭りを賑やかにするのですが、今年は「コロナ」のせいで、すべての寂庵の行事は中止にしたので、淋(さび)しいけれど、静かな花祭りとなりました。  出入りの編集者さんたちも、出社せず、家で仕事をしている様子です。  私は相変わらず、食べて寝て、夜中も本を読み、妄想をあたため、夢のように自分の小説を思い描いています。と、言うことは、書いてはいない、頭の中で考えるだけということで、一作も現物はありません。  さて、今度のヨコオさんのお手紙にインドに一緒に旅したことを書かれていて、なつかしくなりました。ヨコオさんは、インドでも、新しい町に着くと、先(ま)ず、服飾店を見つけて、そこへ飛びこみ、着る物を片っ端から選(え)り抜いて、両腕にかかえられないほど買い占めます。その情熱的な買いっぷりは、十代の女の子のようで、可愛らしい様子でしたよ。パンツやシャツの他にじゃらじゃらしたアクセサリーも、お店が出せるほど買い占めます。何を着てもシックに着こなすヨコオさんは、インドの服もたちまち着こなして、おしゃれなインドの若い人たちがたちまち魅了され、ぞろぞろ後について歩くさまになります。買い物の時の真剣な表情は、絵を描く時のように殺気があります。あのダンディなヨコオおしゃれの根底は、ヨコオさんの芸術と同じ情熱がこもっているのだナと納得したことでした。  そうそう、帰りの飛行機がバンコックで止められた大事件は、ヨコオさんの記憶ちがいを訂正しておきます。帰りの飛行機がバンコックで給油の為(ため)留まったことは事実ですが、その時、私たちのグループの一人がす速く荷物をまとめ、さっさと機から降りてしまい、どこかへ一人旅に出てしまったのです。その人は、私の親戚の者ではなく、新婚の頃、北京で色々世話になった夫の友人の息子さんでした。私の理子と同い年です。奈良時代から続いた旧家のボンボンで、超のんびり屋さん。バンコックから一人旅をしたいと、さっさと機から降りてしまったのです。さあ、その後の大変さ!! 私たちグループは荷物と共に全員降ろされ、飛行場にはだしで立たされ、身体検査やら荷物検査やらを徹底的にやられました。どうにかその難を逃げるのに、小一時間飛行機は飛びませんでした。大変な迷惑で、ヨコオさんは湯気が出る程(ほど)、勝手な行動をした彼を怒っていました。ウイスキー事件は覚えていません。ところでその途中下車の事件男が、この三日前に亡くなりました。七十四、五歳になっていての病死でした。私とはずっと親類づきあいで、まるで息子のようだったので、ショックです。たまたま、このレターを書く時にその報(しら)せが入ったのでびっくりです。あの時のように、ケロッとした顔でひょっこり帰って来ないかな、生き過ぎた私が替(かわ)ってあげればよかったのに。  ヨコオさん、くれぐれもコロナに取りつかれないように! では、またね。 ※週刊朝日  2020年4月3日号
週刊朝日 2020/03/29 08:00
腸活のコツは「週末に発酵食品」 納豆1パックで循環器疾患の死亡リスク低下も
角田奈穂子 角田奈穂子
腸活のコツは「週末に発酵食品」 納豆1パックで循環器疾患の死亡リスク低下も
納豆/納豆菌は繁殖力が強い。「発酵に悪影響を及ぼす」と、酒蔵に行く前は食べるのを禁止されるほどだ(撮影/写真部・高野楓菜)  栄養を取り込み、免疫機能とも関わりの深い腸の環境を整えることは疲れた体を癒やすのに欠かせない。AERA2020年3月30日号は、腸内環境の改善に役立つ発酵食品を週末に取り込むメリットを紹介する。 *  *  *  精神的なストレスから下痢や便秘になったり、睡眠不足から食欲が落ちたり。疲れと胃腸は関係が深い。せっかく「疲れに効く食事」を心がけても、体内に取り込めなければ意味がない。  忙しいと、便通にも影響する。筆者の場合は、睡眠が不足したり、トイレに行くタイミングを逃したりすると、便秘で苦しむことになる。なんとか解消できないかと、専門家を訪ねた。 「食事を見直し、腸内環境を整えましょう。栄養バランスに加え、発酵食品にも目を向けるといいですよ」とアドバイスするのは、管理栄養士で発酵料理研究家の舘野真知子さん。週末に、「腸活」に取り組むといいと言う。  なぜ、「週末腸活」がよいのか。それには排便のメカニズムが関係している。  食べ物が消化吸収されて便として出されるまで、最短でも24時間。通常1~3日かけて排泄されるという。平日は、この排便のリズムが乱れやすい。時間がないので早食いしたり、炭水化物が多く、野菜不足になったり。水分補給もままならないと、ほどよい硬さと量のある便が作られにくく、その結果、下痢や便秘になってしまう。  そこで、仕事のストレスがなく、夜の睡眠が確保しやすい週末に排便のリズムを取り戻そうというわけだ。落ち着いて食事ができ、便意を感じたらトイレにも行きやすい。  発酵食品が腸内環境を整えるのに有効なのはなぜか。  腸には1千種1千兆個以上ともいわれる腸内細菌が生息し、これらの細菌は三つに分類できる。ビフィズス菌や乳酸菌など、体に役立つ働きをする「善玉菌」、ウェルシュ菌など腸内で有害物質を作り出す「悪玉菌」、善玉菌と悪玉菌のどちらにも属さない「日和見菌」だ。  善玉菌が優勢になると快便になり、免疫力も高まるが、悪玉菌が優勢になると有害物質が増え、便秘や下痢を起こしやすくなる。ちなみに日和見菌は優勢になったほうの菌に加担する。つまり、腸内環境を改善するには、善玉菌を優勢にすることがカギになる。善玉菌が優勢になれば腸内環境が酸性に傾き、悪玉菌が繁殖しにくくなるからだ。 「善玉菌を増やす方法は二つあります。一つは、善玉菌になる菌を食べ物から補う方法、もう一つは善玉菌のエサを増やして増殖を助ける方法です。発酵食品には麹(こうじ)菌や乳酸菌など、腸で善玉菌になる菌が豊富。それだけでなく、死んだあとも善玉菌のエサになり、増殖を助けてくれるのです」(舘野さん)  発酵大国の日本には、味噌やしょうゆ、酢、みりんの調味料から、納豆、日本酒、ぬか漬けに加え、くさや、ふなずしの郷土料理まで、発酵食品がずらりとそろっている。洋食から和食に切り替えるだけで、自然と発酵食品を口にすることになる。  舘野さんは、「微生物の消化プロセスで、栄養が強化されることも発酵食品のメリットです」と話す。糖質をエネルギーに変えたり、筋肉や神経の疲れをやわらげるビタミンB群や必須アミノ酸などが豊富に含まれるようになるのだ。  発酵食品が健康に与える好影響は、今年1月30日に発表された国立がん研究センター・社会と健康研究センターによる「多目的コホート研究(JPHC研究)」でも証明された。同センター疫学研究部室長の澤田典絵さんによると、この研究は、食事や生活習慣とがん・脳卒中・心筋梗塞(こうそく)などの病気との関係を明らかにするため、国内の成人男女約9万人を対象に、1995年以降、平均で15年間追跡調査したものだ。対象者に聞いた食事内容から大豆食品と発酵性大豆食品に絞り、食べた量で五つのグループに分けて分析した。 「その結果、男女ともに発酵性大豆食品の摂取量が多いほど、死亡リスクの低下がみられたのです」  最も摂取量が多いグループは最も少ないグループより約10%も死亡リスクが低かった。とくに女性は傾向が顕著だった。  この調査の発酵性大豆食品とは、味噌と納豆を指す。最も多く取っていた人たちの摂取量は1日約50グラム。納豆で換算すれば、およそ1パック分だ。 「死因別では、循環器疾患死亡で男女ともに納豆の摂取量が多いほど、リスクが低下する傾向を示しました」(澤田さん)  これまでも納豆は循環器疾患死亡リスクとの関係が報告されていたが、対象人数が少なかった。それが今回の大規模な研究で科学的に裏付けられたのだ。  発酵食品は保存性を高めたり、味をよくしたりする目的で生まれたものが多い。発祥がたどれないほど古いものが多いが、結核が日本人の国民病として恐れられていた近代に、研究開発された発酵食品もある。第一酵母が開発した飲料の「コーボン」だ。  酵母菌はビールやワインづくりの発酵にも使われる微生物で、その数は1千種類以上。「コーボン」の天然酵母は、伊豆にある天城山の大気中や常緑樹に生息していたものだ。  第一酵母取締役専務の多田一政さんは言う。 「私の祖父が発見し、1950年、発酵飲料を商品化しました。祖父は結核を患ったのを機に大学で生理学を学び、東洋医学も研究しました。その過程で昔から日本人が食べてきた味噌やしょうゆなどに含まれる酵母菌が腸内環境と関わりが深いことに気づいたのです」  第一酵母では、採取した菌をりんごやみかんなどの果物に付着・自然発酵させて仕込み、1年から1年半かけて発酵、熟成させている。1回分20ミリリットルを水や炭酸などで割って飲む。多田さんは疲れたときには、倍量に増やして飲むという。  そしてもう一つ、週末腸活に向いているのが、ぬか漬けだ。乳酸菌や酵母菌の発酵で、生で野菜を食べるよりビタミンB群などの栄養が強化される。  ぬか床の管理が面倒なら、まずは、市販のぬか床を活用して始めるのも一つの手だ。例えば発酵力が強く、増殖が安定している第一酵母のぬか床キットは、冷蔵庫で保存すれば毎日のかき混ぜは不要。漬けた翌日から食べられる。 「疲れたときには、にんにくやしょうがのぬか漬けもいいですよ」(多田さん) (ライター・角田奈穂子) ※AERA 2020年3月30日号より抜粋
AERA 2020/03/28 11:30
2週間「鶏むね肉」生活で朝のダルさがなくなった! 50代記者が実感した体の変化
野村昌二 野村昌二
2週間「鶏むね肉」生活で朝のダルさがなくなった! 50代記者が実感した体の変化
撮影/編集部・野村昌二  抗酸化作用で疲労の原因を緩和する成分「イミダペプチド」。効率よく摂取するには含有量はもちろん、カロリーや金銭面でも鶏むね肉が最適だ。AERA2020年3月30日号で、疲れが取れないという50代記者が「鶏むね肉生活」に挑んだ。 *  *  *  齢55、常にダルさを抱える中年記者は、鶏むね肉1日100グラムを2週間食べ、さびない体づくりに挑戦した。  サラダチキンを皮切りに、鶏むね肉のグラタン、親子丼、タンドリーチキン……。開始から4日間のメニューだが、ここまで鶏肉、しかもむね肉が中心の食事を取るのは初めてだ。  指導を仰いだ「東京疲労・睡眠クリニック」の梶本修身(おさみ)院長(57)によれば、鶏むね肉の調理法は、焼いても、揚げても、蒸しても、煮てもOK。ただし、水溶性のイミダペプチドは煮ると溶け出してしまうので、スープまで飲み干すことが大事だという。ほかにも注意点として、 「早食い、ドカ食い、夜遅い食事は、消化吸収にかかわる自律神経に大きな負担をかけ、疲労の原因になります」(梶本院長)  疲労を「見える化」する計測機器「疲労ストレス測定システム」で、2~3日おきに効果をみることにした。  1日目は、疲労度「66歳相当」、疲労とストレスの総合評価は3段階でもっとも悪い「要注意」。2度目の測定となった4日目は、せっせと鶏むね肉を食べたので改善したと思いきや、さらなるショックを受けた。現状維持どころか、悪化していたのだ。疲労度が「69歳相当」とさらに3歳上がり、もはや古希に近い。総合評価は「要注意」のままだ。  いったいどうして。鶏むね肉を食べる量をさらに増やすべきなのか。悪化した原因が分からず、梶本院長にメールで相談すると、すぐに返信が来た。 「イミダペプチドは『疲労を軽減させるもの=細胞のさびをつけにくくするもの』であって、『疲労を回復させる=細胞のさびを落とす』ものではありません。また、即効性もありません。最低1週間以上、イミダペプチドを200ミリグラム摂取してください」  それを聞いて安心した。再び、鶏むね肉を毎日むしゃむしゃ食べ続けると、6日目の測定で一転。なんと疲労度が「54歳相当」と実年齢より1歳下になり、総合評価も「良好」に。  ただ、相変わらず疲れはある。このまま食べ続けよう。  イミダペプチドはマグロやカツオ、豚肉や牛肉などにも含まれている。しかし今回は、鶏むね肉だけ食べ続けることにした。イミダペプチドが含まれる量が多く、低カロリーでしかも安価という理由からだ。 だが、これが仇(あだ)となった。鶏肉は嫌いじゃないが、毎日食べるとさすがに飽きる。しかもわが家は共働き。ともに忙しく、料理をする時間はあまりない。そのため、2週間のうち6日間はコンビニの「サラダチキン」となった。これから挑戦する人にはほかの食材も採り入れることを勧めたい。フードスタイリストの新田亜素美さんに、鶏むね肉のほか、豚ロース肉やマグロを使って手軽にできる料理を教わったので参考にしてほしい(下記レシピ)。  さて、その後の検査結果は、  ほとんど改善せず、「良好」と判定されたのは6日目の1度だけ。13日目は4日目のワースト記録に並んだ。2週間、鶏むね肉を食べ続け、結果だけ見ると疲れが軽減したとは言えない。  だが不思議なことに、開始1週間を過ぎた頃からダルさを感じなくなった。特に朝起きた時、以前のようなダルさがなく頭もスッキリ。数値が良くないのにどういうことか。梶本院長に再び問い合わせると、次のような返事が来た。 「プロジェクトの実験では改善率は76%で、もちろん全員に良好な結果を保証するものではありません。ただ、疲労感が軽快した場合、自然に遅い時間まで仕事して負荷が増えたり無理をしたりするケースもありますが、その可能性はないでしょうか? 私の場合も、日頃からイミダペプチドを摂取していますが、続けている時よりも出張などで中断した時に疲れが増し、日頃のありがたさを実感します」  疲れがとれたように感じたからといって、無理は禁物、ということだ。鶏むね肉パワーを実感した記者。還暦まであと5年。それまでは元気に現役生活を続行できるかも。そう思えるようになった。(編集部・野村昌二) ●蒸し鶏の新玉ねぎガーリックソース 【材料】鶏むね肉…1枚250g 塩…少々 酒…大さじ1 新玉ねぎ…1/4個 ニンニク…1かけ みじん切り 大葉…せん切り ごま油…大さじ2 醤油…大さじ2 酢…大さじ2 砂糖…小さじ1/2 赤唐辛子…小口切り 少々 【作り方】(1)鶏むね肉に塩少々をまぶし、耐熱容器に入れ、酒を加え軽くラップをかける。新玉ねぎは薄切りにする。(2)鶏むね肉を電子レンジの600Wで2分加熱し、裏返しさらに1分半加熱する。(3)ボウルに、醤油、酢、砂糖を入れよく混ぜる。フライパンにごま油とニンニクと赤唐辛子を加え、弱火でニンニクの香りが出るまで加熱する。(4)(3)を全て合わせ、新玉ねぎを入れ混ぜる。(5)器にスライスした鶏むね肉を盛り、(4)をかけて大葉を飾る。 ●トマトとスナップえんどうの酢豚 【材料】トマト…中 4個 豚肩ロース…1枚 150g スナップえんどう…5個 油…大さじ1 塩…少々 酢…大さじ3 醤油…大さじ1 砂糖…小さじ1 水…大さじ2 片栗粉…小さじ1 【作り方】(1)トマトは4等分、豚肩ロースは1.5センチ幅、スナップえんどうは斜め半分に切る。(2)ボウルに調味料を全て合わせる。(3)フライパンに油を熱し、軽く塩をした豚肩ロースを入れコロコロ転がしながら焼く。(4)トマト、スナップえんどうを加えさらに炒め、(2)の合わせ調味料を入れ、炒め合わせる。 ●マグロとセロリの辛子オリーブオイル和え 【材料】マグロぶつ切り…120g セロリ…1本 レモン汁…1/2個分 醤油…大さじ1 オリーブオイル…大さじ2 砂糖…小さじ1 辛子…小さじ1/2 【作り方】(1)セロリは斜め薄切りにする。葉っぱも少量みじん切りにする。(2)ボウルにレモン汁、醤油、オリーブオイル、砂糖、辛子を入れよく混ぜる。(3)(2)に(1)のセロリとマグロのぶつ切りを加えてあえ、器に盛り、葉っぱをのせる。 ※AERA 2020年3月30日号より抜粋
レシピ
AERA 2020/03/26 11:30
慢性的な疲労の原因は「脳」にあり! 自律神経の機能「40代で20代の約半分に」
野村昌二 野村昌二
慢性的な疲労の原因は「脳」にあり! 自律神経の機能「40代で20代の約半分に」
AERA 2020年3月30日号より の梶本修身(かじもと・おさみ、57)/大阪市立大学大学院特任教授(疲労医学)。東京疲労・睡眠クリニック院長。著書に『隠れ疲労』(朝日新書)など(写真:本人提供)  今や疲労は「国民病」ともいわれるほど、人々に蔓延している。AERA2020年3月30日号では、疲労研究のスペシャリストがそのメカニズムを解説する。 *  *  * 「66歳相当」 「判定 要注意」  2月28日、渡された検査結果を見て、衝撃を受けた。  現在、55歳。自慢じゃないが若いころは健康だけが取りえで、たばこ、深酒、夜更かしと不摂生な生活を送った。それでもメタボの心配もなく、健康診断も「異常なし」。  ところが、ツケが回ってきたのか「50の声」を聞いたあたりから疲れが取れにくくなり、今や半端ない。何かに追われながら、いつも疲れている。だるい、まぶたが重い、肩が凝る……。眠りが浅く、原因不明の不調を感じることも増えた。  だが、これではっきりした。疲労度を示す「年齢」が「66歳相当」と、実年齢より11歳も上。前期高齢者並みに疲れていたのだ。  ここは東京都港区にある「東京疲労・睡眠クリニック」の診察室。自分がどれだけ疲れているのか、現状をまず把握しようと、疲れ具合を測りに来た。  検査に使ったのは「疲労ストレス測定システム」と呼ばれる、疲労を「見える化」する計測機器。ゲームのコントローラーのような形状の測定器を手に持ち、側面の穴に両手の人さし指を差し込むだけでいい。  目を閉じること2分。  指先からの脈拍と心電波によって、自律神経の機能が示す年齢と自律神経のバランスなどを測定する。疲労度を示す「自律神経年齢」は前述の通り66歳。自律神経のバランスを示す指標は、基準値「0.8~2.0」を大幅に超え「12.41」。総合評価は「良好」「注意」「要注意」の3段階で示されるが、判定は、赤い泣き顔マークがついた「要注意」だった。 「このような状況が続くと、慢性的な疲労やメンタルヘルス障害に結びつくこともあります」  そんな深刻なことまで、評価欄には書かれていた。  記者だけではない。2002年に厚生労働省が働く人々を対象に実施した調査では、7割を超す人が普段の仕事で「疲れる」と回答。調査会社のマイボイスコムが18年にインターネットで行った「疲れ・疲労に関するアンケート調査」でも、約1万人の回答のうち7割弱が慢性的な疲労を感じていた。今や疲労は「国民病」。放っておくと、過労死や突然死にもつながる。こうした最悪のケースに至らないよう、まずは疲れの正体を見極めたい。  そもそも疲労とは、何か。 「それは、脳にある自律神経の中枢が疲弊することです。疲れるのは体ではなく、脳なのです」  こう話すのは、同クリニックの梶本修身(おさみ)院長(57)。03年10月から07年9月まで実施した産官学連携の「疲労定量化および抗疲労食薬開発プロジェクト」で統括責任者を務めた、疲労研究のスペシャリストである。  かつては筋肉中に増える乳酸が疲労の原因だと考えられてきたが、近年の研究で、心拍や呼吸の乱れを調節する力が落ちるからバテるのだとわかってきた。心拍や呼吸に加え、血液の循環、消化吸収など生きるために必要なさまざまな生理現象を調節しているのが自律神経だ。  全身の「司令塔」といわれる自律神経は、ほかの細胞と同じように酸素を消費しながら活動する。消費した酸素のうち1~2%は、強い酸化力を持ち、「活性酸素」と呼ばれる物質に体内で変化する。体には活性酸素から細胞を守るシステムが備わっていて、通常であれば細胞が傷つくようなことはない。ところが、激しい運動や長時間のデスクワークなどで強いストレスを感じると、酸素の吸入量とともに活性酸素の量も一気に増える。  すると、何が起きるか。 「細胞を守るシステムが処理できる量を超えてしまい、自律神経の細胞が酸化し、傷つく。このように酸化ストレスにさらされた状態では、自律神経本来の働きができなくなり、パフォーマンスが低下してしまう。これが疲労の正体です。自転車のチェーンがさびて動きにくくなるのと同じです」(梶本院長)  しかも、自律神経の機能は、年齢を重ねるごとに下がっていく。緊張状態で優位になる交感神経と、リラックス時に優位になる副交感神経の二つの機能の合計値をトータルパワー(TP)といい、個人差はあるが、年齢とともに右肩下がりに低下する。10代をピークに、20代から低下し、40代では20代の約半分、50代では3分の1……。 「筋肉は40代、50代になっても鍛えることはできますが、自律神経の機能の低下を防ぐことはできません。同じ活動をしても、年を取れば取るほど疲れやすくなったと感じるのは、仕方ないことなのです」(同)  だからといって、年のせいにして放置すると、仕事や生活の質も落ちていく。身体をさびつかせず、疲れをとるためには、どうしたらいいのか。  決め手の一つが食事だと、梶本院長は言う。 「働き方で肝心なのは、生産効率を上げること。食べ物や食べ方を工夫して疲れを減らすことは大切です」 (編集部・野村昌二) ※AERA 2020年3月30日号より抜粋
病気
AERA 2020/03/24 08:00
路上で性暴力被害を告白、「ありがとう」の声も…フラワーデモで胸を熱くした瞬間
路上で性暴力被害を告白、「ありがとう」の声も…フラワーデモで胸を熱くした瞬間
フラワーデモのはじまり/2019年4月11日、東京都千代田区で (c)朝日新聞社 国際女性デーにあわせたフラワーデモ。思い思いのメッセージを掲げた/20年3月8日、JR長野駅前で(c)朝日新聞社  性暴力に抗議し、被害者の痛みを分かち合うフラワーデモが始まって1年。参加者はのべ1万人を超え、社会の空気を変えた。名古屋高裁では、娘に性的暴行を加えた父親に逆転有罪判決が出た。性暴力をめぐる現状とフラワーデモを取材した、AERA 2020年3月23日号の記事を紹介する。 *  *  *  フラワーデモは、昨年4月11日に始まった。  同年3月12日に福岡地裁久留米支部で無罪判決があった。テキーラを飲まされ泥酔した女性に対する性暴力事件で、判決は、女性は「抗拒不能」だったと認めたものの、被告男性はそれを認識していなかったから無罪とした。  3月26日には、後に名古屋高裁で逆転有罪となった、実の娘に対する性的虐待事件で父親を無罪とした名古屋地裁岡崎支部の判決があった。  ほかにも無罪判決が続いていた。こうした司法判断にびっくりして「これでは被害者が声をあげられなくなってしまう」と案じた作家の北原みのりさん(49)や編集者の松尾亜紀子さん(42)が、同じ思いの人でとにかく集まろうと考え、東京駅前の行幸通りでスタンディングデモをするとSNSで告知した。被害者への連帯の気持ちを表す花を持ってくる、あるいは何か花柄のものを身に着けてくることが、約束事になった。  一連の無罪判決に多くの人が声をあげたのは、判決理由が、被害者の心理や行動にあまりに無理解に見えたからだと、私は思う。だが、「こんな判決おかしい」というコメントは、SNSで激しい批判にさらされた。「弁護士だという人たちから、素人がものを言うな、無罪判決は滅多に出ないのに批判するなといわれて、この判決がおかしいと言うと冤罪を増やすことになるのだろうかと怯えていた」と北原さんは振り返る。  4月11日、夜7時。寒い夜だったことは覚えている。そこは東京駅と皇居の間のキラキラした場所で、仕事帰りの人たちやカップルが歩いていた。  暗闇が深くなるにつれて人が増えていった。300人……500人……。スピーチは20人を超えた。自分の被害をマイクで話す人に、「ありがとう!」と声が飛ぶ。  それは信じられないような光景だった。私は1990年代半ばから細々と性暴力被害者の取材をしてきたが、初めは話してくれる人がなかなか見つからなかった。やがて、閉じた個室の中で話を聞かせてもらうようになり、最近は自分の被害をオープンにする人も増えてはきた。けれど、まさか路上で。真剣に聴く人たちがいれば、あふれ出る言葉があるのだ。自分の痛みも話していいのだ、と思える。  北原さんも「衝撃だった」と言う。新幹線で駆けつけてきた人や高校生もいた。2時間近く話しても集会は終わらず、「また会いましょう」ということになった。それが、のちにフラワーデモと名付けられた。  やがて、一人でもいいから、自分の暮らす地域でフラワーデモをやりたいという人たちが現れて、全国に広がっていった。  この3月までに、全都道府県に呼びかけ人が誕生し、参加者はのべ1万人を超えた。  名古屋市で呼びかけたカウンセラーの具(ぐ)ゆりさんは、「フラワーデモやりたいけど、デモって何をしたらいいのと北原さんに尋ねた」と話す。 「起きていることを、なかったことにさせたくなかった。性暴力は、受けた側も、なかったことのようにしてやり過ごすことが、私も含めてたくさんある。でも、フラワーデモで声が声を呼んだ。被害の実態が社会の中で可視化された。日本の#MeToo運動が動き始めた。ここから希望が持てる」  北原さんも「1年前とは社会の空気が変わった」と話す。 「被害者が声をあげたことで、社会の理解が深まった。もしその空気がこの判決を引き出したのであれば、声をあげたことは無駄ではなかった」  名古屋高裁の判決のあと、この性的虐待事件の被害女性が、弁護士を通じてコメントを発表した。幼少期から父親に暴力を受けてとても怖かったこと、次第に感情がなくなり「まるで人形のようでした」と綴られていた。そこにフラワーデモへの言葉もあった。 <無罪判決が出たときには、取り乱しました。荒れまくりました。仕事にも行けなくなりました。今日の判決が出て、やっと少しホッとできるような気持ちです> <昨年、性犯罪についての無罪判決が全国で相次ぎ、#MeToo運動やフラワー・デモが広がりました。それらの活動を見聞きすると、今回の私の訴えは、意味があったと思えています。なかなか性被害は言い出しにくいけど、言葉にできた人、それに続けて「私も」「私も」と言いだせる人が出てきました。私の訴えでた苦しみも意味のある行動となったと思えています>  フラワーデモは、国際女性デーの3月8日に全都道府県で一斉デモをして、一区切りとする予定だった。だが、新型コロナウイルス感染の拡大で延期や中止にする地域が続出。北原さんは「終わらない」宣言をした。  何かあれば、またつながり、立ち上がることができる。今後のデモの開催は各地域次第。名古屋は4月11日も開催する予定だ。「当面、11日には全国のどこかでフラワーデモがあるという形にしたい」と呼びかけ人の松尾さんは話す。(朝日新聞記者・河原理子) ※AERA 2020年3月23日号より抜粋 ■被害者の女性が発表したコメント全文(原文のまま) 今日の名古屋高等裁判所の判決を受けて(令和2年3月12日)  1.私は、実の父親からこのような被害を受けてとても悔しい気持ちでいっぱいです。  「逃げようと思えば逃げられたんじゃないか。もっと早くに助けを求めたらこんな思いを長い間しなくて良かったんじゃないか…」。そう周りに言われもしたし、そのように思われていたのはわかっています。  でも、どうしてもそれができなかった一番の理由は、幼少期に暴力を振るわれたからです。  「だれかに相談したい」、「やめてもらいたい」と考えるようになったときもありました。そのことを友達に相談して友達から嫌われるのも嫌だったし、警察に行くことで弟達がこの先苦労するのではないかと思うと、とても怖くてじっと堪え続けるしかありませんでした。  次第に私の感情もなくなって、まるで人形のようでした。  被害を受けるたび、私は決まって泣きました。「私にはまだ泣ける感情が残っている」ということ、それだけが唯一の救いでした。  私が一人っ子だったら、何も迷わずにもっと早くに訴えられていたかもしれません。やっぱり大切な弟たちのことが心配だったのです。  そんな弟たちと離れなくてはいけなくなること、生活が大変になるかもしれないこと、ただそれだけを考えると、嫌でも仕方なくてじっと我慢するしかできませんでした。  今も弟たちに会いたい。話したい。その気持ちでいっぱいです。今も会えないのは苦しいです。  2.二度と会いたくないのは、父親です。あの人が私の人生をぶち壊したんです。  返してください。私のこの無意味に空費した時間を!気に病んだ時間を!全部返してください。やってみたかったこと、本当はいっぱいありました。でも全部諦めました。  今、すべてのことを振り返ってみると、ひたすら悔しい気持ちです。父との毎日は非常識であり、ただただ気持ち悪かったです。どうしたらあんなことができるのか、わかりません。  私たちはただ普通に暮らしたいのです。暴力も暴行も、無慈悲な言動のない普通の生活がしたいんです。もう二度とこんな思いはしたくありません。  これから私は無駄にしてしまった時間を精一杯埋めていきたいので、邪魔しないでもらいたいです。私は父を許すことは絶対にできません。  不安と苛立ちに押しつぶされそうな苦しい毎日でした。そして今も同じです。私や弟たちの前に二度と姿を現さないでほしいです。  3.無罪判決が出たときには、取り乱しました。荒れまくりました。仕事にも行けなくなりました。今日の判決が出て、やっと少しホッとできるような気持ちです。  昨年、性犯罪についての無罪判決が全国で相次ぎ、#MeToo(ミートゥー)運動やフラワー・デモが広がりました。それらの活動を見聞きすると、今回の私の訴えは、意味があったと思えています。なかなか性被害は言い出しにくいけど、言葉にできた人、それに続けて「私も」「私も」と言いだせる人が出てきました。私の訴えでた苦しみも意味のある行動となったと思えています。  4.私が訴え出て、行動に移すまでにいろいろな支援者につながりました。しかし、「本当にこんなことがあるの?」と信じてくれる人は少なかったです。失望しました。疑わずに信じてほしかったです。  支援者の皆さん、どうか子どもの言うことをまず100%信じて聞いてほしいのです。今日、ここにつながるまでに、私は多くの傷つき体験を味わいました。信じてもらえないつらさです。子どもの訴えに静かに、真剣に耳を傾けてください。そうでないと、頑張って一歩踏み出しても、意味がなくなってしまいます。子どもの無力感をどうか救ってください。私の経験した、信じてもらえないつらさを、これから救いを求めてくる子どもたちにはどうか味わってほしくありません。  5.私は、幸いにも、やっと守ってくれる、寄り添ってくれる大人に出会えました。同じような経験をした多くの人は、道を踏み外してもおかしくないと思います。苦難を生きる子どもにどうか並走してくれる大人がいてほしいです。  最後に、あの時の自分と今なお被害で苦しんでいる子どもに声をかけるとしたら、「勇気を持って一歩踏み出して欲しい」と伝えたいです。一人でもいいから、本当に信用できる友達を持つことも大切だと思います。 以上 被害者Aより
AERA 2020/03/23 11:30
「もう面倒みれない」と高齢の父を突き返す長年の愛人 介護義務は誰に
「もう面倒みれない」と高齢の父を突き返す長年の愛人 介護義務は誰に
※写真はイメージです(Gettyimages) マイコさんらの家系図  少子高齢化で親の介護に頭を悩ませる人は多い。なかには、愛人と家を出ていった父が、高齢になって家族のもとに“返され”そうになり、その対応に苦悩する家もある。横浜市に住むマイコさん(50代)のケースを紹介したい。(名前はいずれも仮名) *  *  *  マイコさんの父・ヨシオさん(80代)は長年、母・ケイコさん(80代)と別居状態にあった。離婚こそしていないものの、別居中、ヨシオさんは千葉県に住む女性と暮らしていたのである。マイコさんら親族はこの女性のことを“愛人”と呼んでいた。  別居が始まる前から、ヨシオさんは家にほとんどいない父親だった。平日は家に帰らず、週末にふらっと現れては、夜ご飯を家族とともにする程度。マイコさんの妹の次女・アコさん(50代)は小学生のころ、「どうしてお父さんは家にいないの?」と母に聞いたことがある。 「母は『仕事が忙しくて、会社の寮に泊まっているのよ』と答えるだけでした。母は私たちの前で寂しそうな素振りは見せなかったんです。当時は子どもでしたから、本当のことはわかりませんでした」(アコさん)  当時(1980年代)、共働き世帯は珍しく、家事・育児は妻がやって当然という時代。マイコさんたちは父が家にいないことに疑問を感じながらも、深く考えることはなかった。だが、大人になるにつれ、父が家に現れない理由が、仕事だけではないことを理解し始める。 「誰に電話しているのか分かりませんが、母が受話器越しに『夫がそこにいるのはわかっているんですからね!』と怒っていたことがありました。そうしたことから、少しずつ“愛人”の存在に気付き始めたんです」(マイコさん)  ヨシオさんは「社交的だが短気」な人だった。酒を飲むと気が短くなり、ささいなことで怒っては、机をひっくり返したり、物を投げたりした。その後、仕事に行くかのようなきっちりとした服装に着替え、夜中に家を飛び出してそのまま帰ってこないこともあった。 「今思えば、あれは女性の家にいくための“口実作り”だったのかもしれません」(マイコさん)  マイコさんらによれば、ヨシオさんのこれまでの愛人歴はわかっているだけで2人。兄妹の間では、それぞれの愛人宅の場所から『栃木の人』『千葉の女』などと呼ぶようになった。別居が本格的に始まった年数から計算すると、このほかにも愛人がいた可能性は高いという。ヨシオさんは別居中、女性宅を転々としていたのだ。  あきれた妹のアコさんが母に離婚を勧めたこともある。だが、母は「手続きが面倒だからいい。生活費は入れてくれるし、老後に年金が半分もらえればそれでいい」と応じなかった。“別居状態”が続き、いつしか、父と会うのは盆や正月、親族の冠婚葬祭くらいになった。  年に数回だけ会いにくる父に、戸惑いはなかったのだろうか。 「ありましたよ。でも母が受け入れて家にあげていましたから、これでいいのかなと。孫のことも可愛がってくれますから、そこは割り切っていました」(アコさん)  そんな状態が揺らぎ始めたのが、3年ほど前だ。『千葉の女』と呼ぶ愛人から、マイコさんの兄の長男・タカオさん(50代)に次のようなメールがきたのだ。 「ヨシオさんが高齢になり、私も歳をとったので面倒を見切れなくなってきました。せめて老後は、ご家族のもとでお過ごしください」(千葉の女性)  これに兄妹は怒り心頭だ。 「思わず『ふざけんじゃないよ!』と叫んでしまいました。散々好き勝手しておいて、面倒をみれないから『お返しします』って、こんなに都合の良い話があります?」(マイコさん)  マイコさんは“千葉の愛人”と会うことにした。周囲に話を聞かれないようにと、マイコさんが待ち合わせに指定したのはカラオケ店。そこで今後について話し合うことになった。現れた女性に、マイコさんは驚きを隠せなかった。 「母にそっくりなんです。“愛人”っていうと、若くて派手な服を着た強気な女性を想像するじゃないですか。でも会ってみたら70代くらいの普通の女性だったんです」  話し合いでは「介護の義務なんてない」と主張し続けたマイコさんだが、相手の女性も折れない。その後も兄妹らは電話やメールなどで話し合いを重ねたが、議論は平行線のままだ。 「『面倒がみれないなら、勝手に別れてください。父のことは放っておいて大丈夫です』というと、女性は『そういうわけにはいかない』と言うんです。本当にきれいごとだと思いますよ」(マイコさん)  マイコさんらは今さら父の面倒をみるつもりはなく、母の介護で精いっぱいだという。父の収入は決して多くなかったことから、今後の遺産相続も期待していない。これからも現在のような別居関係を続けたいというのが本音だ。一方で、母と妹のアコさんが住む家は、今も父名義になっており、これにも兄妹は頭を悩ませている。  あくまで引き取りを拒み続けるマイコさんらだが、心中では「本当にこれでいいのか」という葛藤もある。思い出されるのは、マイコさんが高校生のときのことだ。 「友人や彼氏と遊ぶのが楽しくて、学校には行きたくなかったんです。家出して彼氏の家に転がり込んだのですが、どうやって調べたのか、数日後に父が家の前で一晩中張り込んで、私を連れ帰りにきたんです。今思えば、ありがたい話ですよね」(マイコさん)  その他にも、ヨシオさんは井の頭公園に家族を連れていってくれた。みんなで高尾山を登ったこともある。夕食に近くの洋食屋に行くのは週末の恒例だった。数こそ多くないが、どれもいい思い出だという。  母のケイコさんは最近、兄妹のいないところで兄のタカオさんの妻にこんなことを漏らしていた。 「子どもたちは覚えてないだろうけど、両手に長男・長女、背中に次女をおんぶして、駅前で、主人をつかまえて帰ろうとしたこともあるのよ」(ケイコさん) 「母は『子どもたちのため』だけではなくて、女性として父のことが好きだったと思います。あんなに女性にだらしない人でも、私たちにとっては父。憎み切れません」(マイコさん)  ケイコさんは認知症が進行しており、この問題については話していないという。ヨシオさんをどうするべきか、親族は途方に暮れている。  今回のケースについて、介護義務はだれにあるのか、愛人に賠償請求はできるのかを、次回の『愛人から突き返された夫 妻と子どもに面倒を見る義務はあるのか?』で弁護士に解説してもらう。 (AERA dot.編集部/井上啓太)
不倫介護を考える夫婦生活保護結婚
dot. 2020/03/20 11:30
新型コロナウィルス感染拡大による、海外の音楽イベント/コンサートへの影響まとめ(随時更新中)
新型コロナウィルス感染拡大による、海外の音楽イベント/コンサートへの影響まとめ(随時更新中)
新型コロナウィルス感染拡大による、海外の音楽イベント/コンサートへの影響まとめ(随時更新中)  2019年の年末以降、日本を含む世界各国で感染が広がる新型コロナウィルス(COVID-19)。3月19日の時点で、全世界176以上の国と地域で22万人以上の感染が確認されており、【サウス・バイ・サウスウェスト】を皮切りに、【コーチェラ・フェスティバル】、【ウルトラ・ミュージック・フェスティバル】、【ロックの殿堂】入り式典、【レコード・ストア・デイ】などの大型音楽フェスティバルやイベントの開催中止や延期が相次いでいる。  また、米大手コンサート・プロモーターのライブ・ネイションやAEGは、コンサート業界のリーダーたちとともにグローバル対策本部を立ち上げ、大規模なコンサートを3月末まで見合わせる共同提案を先週発表しており、これをうけて、ビリー・アイリッシュ、ポスト・マローン、シェール、KISSなどのアリーナ・ツアーが延期となっている。  ここでは、海外での音楽イベント/コンサートの動向や感染拡大を防ぐために各国が行っている対策を取り上げる。リストは、随時更新される。 <3月18日> アメリカ/カナダ:トランプ米大統領とトルドー加首相の同意のもと、アメリカとカナダの国境を一時的に閉鎖へ。貿易や物流は対象外。 ◎6月12日~14日にかけて、米テネシー州で開催予定だった【ボナルー・フェスティバル】が、9月24日~27日へ延期。ヘッドライナーは、トゥール、リゾ、テーム・インパラで、リゾは女性ソロ・アーティストとして、同フェス初のヘッドライナーに抜擢されていた。 ◎カリフォルニア州ナパにて5月22日~24日に開催予定だった【ボトルロック・フェスティバル】が10月2日~4日に延期。出演アーティストは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、デイヴ・マシューズ・バンド、スティーヴィー・ニックス、マイリー・サイラス、カリードなど。 ◎ジョージア州アトランタで、5月1日~3日にかけて開催予定の【シェイキー・ニーズ・フェスティバル】が10月16日~18日に延期。ザ・ブラック・キーズ、ザ・スマッシング・パンプキンズ、ザ・ストロークスがヘッドライナーを務める。 ◎【コーチェラ・フェスティバル】の主催者が手掛ける、80年代のアクトに焦点を置いた新フェス【Cruel World Festival】が、5月から9月12日に延期。モリッシー、バウハウス、ブロンディー、ディーヴォらが出演予定。 ◎トゥールが、4月16日~5月5日にかけての北米日程を延期。 ◎エンジェル・オルセンが、4月に北米南部で開催予定だったツアー日程を延期。 ◎キング・ギザード & ザ・リザード・ウィザードが、4月~5月にかけてのUS/カナダツアーを延期。 ◎ザ・ゾンビーズが、4月に予定されていたUS/カナダ日程を延期。 ◎スパイク・ジョーンズ監督によるビースティ・ボーイズのドキュメンタリー『Beastie Boys Story』の全米劇場公開が延期。 イギリス:ロンドンの複数の地下鉄駅が当面閉鎖に。 ◎今年50周年を迎える予定だった【グラストンベリー・フェスティバル】の開催が中止に。 ◎プッシーキャット・ドールズが、再結成UK/アイルランド・ツアーを10月19日~11月2日へ延期。 ヨーロッパ: ◎5月12日~16日にかけて、ロッテルダムで開催予定だった【ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト2020】が中止に。 オーストラリア/ニュージーランド:ニュージーランドは現地時間木曜日0時、オーストラリアは現地時間金曜日21時以降、国民と居住者を除くすべての人を対象に入国を禁止。また、ニュージーランドでは、会社、学校、公共交通機関を除く屋内での100人以上の集会を禁止。 ◎5月29日~6月7日にかけて開催予定だった【メルボルン・ジャズ・フェスティバル】が中止に。 ◎プッシーキャット・ドールズ、ジェシー・マッカトニー、スマッシュ・マウスらが出演予定だった【So Pop】が中止に。シドニー、パース、ブリスベン、アデレード、オークランドなどで開催予定だった。 <3月17日> アメリカ:50州すべてで感染者を確認。現在までに108人が死亡し、感染者は6,300人以上に達している。 ◎ザ・ローリング・ストーンズの【No Filter Tour】の北米日程が延期に。5月8日~7月9日にかけて開催予定だった。 ◎4月23日~26日、4月30日~5月3日にかけて開催予定の【ニュー・オーリンズ・ジャズ&ヘリテージ・フェスティバル】が秋に延期。日程や詳細などは、追って発表される。ザ・フー、デッド&カンパニー、スティーヴィー・ニックス、フー・ファイターズ、リゾ、ノラ・ジョーンズらの出演が決定していた。 ◎サウス・カロライナの音楽フェス【High Water Festival】がキャンセルに。ウィルコ、ナサニエル・レイトリフ、メイヴィス・ステイプルズらが出演予定だった。 ◎ZZトップが、3月20日~28日の間にラスベガスのヴェネチアンで行う予定だった常設公演が延期。 ◎スティーヴン・マルクマスが、3月~4月に行う予定だった【Traditional Techniques Tour】を延期。 ◎オイスターヘッドが、4月のツアーを延期。バークレーのグリーク・シアター公演は、翌年の同じ日に振替となっている。 ◎4月29日にラスベガスで開催予定だった【2020 ビルボード・ミュージック・アワード】が延期に。米ビルボードと米TV局テレムンドが共同主催する【2020 Latinfest+】と【ビルボード・ラテン・ミュージック・アワード】も同じく開催延期が発表。 EU:30日間にわたり、非加盟国からEUへの入国を原則禁止。 ◎7月上旬からのBTSのヨーロッパ・ツアーのチケットのプリセールが4月29日、一般発売が5月1日に延期。 イギリス:外務省が不要不急の海外渡航を避けるよう勧告。 ◎サム・フェンダーが、予定されているUKツアーを延期へ。 ◎マイケル・キワヌーカが、UKツアーを8月と9月に延期。 ◎ザ・フー、ポール・ウェラー、ノエル・ギャラガー、マムフォード&サンズらが出演予定だったロイヤル・アルバート・ホールでの【Teenage Cancer Trust】チャリティ・コンサート・シリーズが延期に。 台湾:19日午前0時以降、外国人の入国を原則禁止。 オーストラリア:スコット・モリソン首相が非常事態を宣言し、全国民の海外渡航を全面的に禁止。また、100人以上の屋内での集会も禁止。 <3月16日> アメリカ:ドナルド・トランプ米大統領が、今後15日間は10人以上の集会を自粛するよう要請。 ◎【Where Do We Go? Tour】の3月中の日程を延期していたビリー・アイリッシュが、4月17日までの日程も延期することを新たに発表。 ◎エルトン・ジョンが、【Farewell Yellow Brick Road Tour】の3月26日~5月2日の北米日程を来年へ延期。 ◎フー・ファイターズが、結成25周年を記念した【Van Tour 2020】を4月から12月に延期。 ◎デイヴィッド・リー・ロスが、ラスベガス常設公演の最後の6公演を延期。 ◎ダイアナ・ロスが、5月のハワイ公演をキャンセル。 ◎マリーナが、4月の北米ツアーをキャンセル。 ◎3月29日にLAで開催予定だった【iHeartRadio Music Awards】が延期に。アッシャーが司会を務め、リゾ、ジャスティン・ビーバー、ホールジーらがパフォーマンス予定だった。 カナダ:自主隔離中のジャスティン・トルドー首相が、カナダ国民と永住者以外の入国禁止を発表。アメリカ国民の入国は、禁止対象から当面除外される。 イギリス/ヨーロッパ:ボリス・ジョンソン英首相が、パブ、バーやレストランを避け、可能な限り在宅勤務すること、家族が感染した場合、同居者全員に14日間は自己隔離するよう要請。 ◎ルイ・トムリンソンが、来週から開催予定だったUKツアーの日程を延期。 ◎ジェイミー・カラムが、【Taller Tour 2020】の残りのUK日程を延期。 ◎クレイグ・デイヴィッドが、【TS5 World Tour 2020】の5月中のヨーロッパ日程をキャンセル。 ◎ビッフィ・クライロが、9月~2021年1月にかけて行う予定のUK、ヨーロッパ、オーストラリア・ツアーのチケット販売を延期。 オーストラリア:16日以降、オーストラリア連邦政府が500人以上の集団イベントの開催を禁止。首都のシドニーを含むニューサウスウェールズ州では違反した場合、11,000豪ドル(約72万円)以上の罰金が科せられ、懲役を受ける可能性もある。また、オーストラリア政府は、海外からの渡航者に対して、14日間の自己隔離措置を求めている。 ◎4月9日~13日にかけて開催予定だった今年の【Byron Bay Bluesfest】が中止に。およそ12万5000人のファンが毎年訪れ、昨年30周年を迎えたフェスには、デイヴ・マシューズ・バンド、クラウデッド・ハウス、パティ・スミス、アラニス・モリセットらが出演予定だった。 ◎7月23日~25日かけて開催予定の音楽フェスティバル【Splendour in the Grass】が、3か月後の10月23日~25日へ延期。フルーム、ザ・ストロークス、タイラー・ザ・クリエイターらがヘッドライナーとして発表されていた。 ◎3月21日~4月4日に開催予定だったザ・ナショナルのオーストラリア/ニュージーランド・ツアーが12月7日~20日に延期。 <~3月16日> アメリカ:米疾病予防管理センター(CDC)が、新型コロナウイルス対策ガイドラインを改訂し、コンサート、フェスティバル、パレードなど、今後8週間にわたり、50人以上の人が集まるイベントの開催を中止または延期するように勧告(3月15日)。 ポルトガル:国家非常事態を宣言。100人以上の集会を禁止(3月15日)。 南アフリカ:屋外・屋内での100人以上の集会を禁止(3月15日)。 ニュージーランド:学校などを除く500人以上の集会を禁止(3月15日)。 スペイン:非常事態を宣言。仕事や生活必需品の買い物以外の外出を制限(3月15日)。 フランス:14日深夜0時以降、薬局、食料品店、ガソリン・スタンドなどを除き、すべて商店の休業と自宅待機を政府が要請(3月14日)。 カナダ:ブリティッシュコロンビア州やケベック州での250人以上の集会を禁止、アルバータ州やオンタリオ州での250人以上、ニュー・ブランズウィック州で150人以上の集会の自粛を要請(3月12日)。 スコットランド:16日以降、500人以上の集会を自粛するように呼びかけ(3月12日)。 フィリピン:大統領が首都マニラへの出入りと夜間の外出を禁止(3月12日)。 ドイツ:ベルリンの劇場、オペラ、コンサート会場で行われる500人以上のイベント開催を4月19日まで禁止(3月11日)。 イタリア:薬局や食料品店などを除き、すべて商店の営業を禁止(3月11日)。
billboardnews 2020/03/19 00:00
勝間和代「政府はそこまで頑張ってない」少子化の一番の問題点とは?
勝間和代「政府はそこまで頑張ってない」少子化の一番の問題点とは?
勝間和代さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・小山幸佑) 勝間和代(かつま・かずよ)/1968年、東京都生まれ。早稲田大学ファイナンスMBA、慶応大学商学部卒業。当時最年少の19歳で会計士補の資格を取得、大学在学中から監査法人に勤務。アーサー・アンダーセン、マッキンゼー、JPモルガンを経て独立。現在、株式会社監査と分析取締役、中央大学ビジネススクール客員教授として活躍中。2005年、ウォールストリート・ジャーナル「世界の最も注目すべき女性50人」に選出。06年、史上最年少でエイボン女性大賞など。新刊『ラクして おいしく、太らない! 勝間式超ロジカル料理』(アチーブメント出版)発売中 (撮影/写真部・小山幸佑)  昨年からユーチューバーとしても活動している経済評論家・勝間和代さん。明快かつ論理的な語り口はもちろん、精神的にも経済的にも独立した生き方は、多くの女性が憧れる存在です。作家の林真理子さんが、今の若い女性のこと、少子化対策などについてうかがいました。 *  *  * 林:勝間さんの一日って、朝は世界のニュースをパソコンで見ることから始まるんですか。 勝間:ウェブニュースと新聞は一通り見ますけど、8時から運動するんですよ。銀座のトランポリンスタジオに行って。 林:トランポリン? おもしろいですか。 勝間:おもしろいです。40人ぐらいのスタジオで、小さな1人用のトランポリンに乗って、インストラクターの指示に従って、そんなに高くは上がらないんですけど、エアロビクスみたいな形で跳んだりステップ踏んだり。 林:毎日ですか。 勝間:毎日じゃないですけど、週3、4回は行ってますね。終わったらそのままゴルフの練習をするときもありますし、仕事に行ったり、みたいな感じで。 林:ほんとにムダな時間がないですね。ダラダラとテレビなんか見ないですか。 勝間:テレビはまったく見ない。 林:ドラマなんかも? 勝間:まったく。昔、ネットフリックスを見てたんですけど、時間ドロボーだと思って解約しちゃいました。 林:お芝居とかミュージカルとか見ないですか。 勝間:そういうのは人と行きます。月に2、3回、コンサートとか落語とか。 林:夜寝るのは何時ですか。 勝間:夜は11時には。7時間は寝るようにしてるんで。 林:勝間さんって、心と体のぜい肉が微塵もなくて、なんて私と正反対な生活なんだろうと思いますよ。もともと人間が違うのかな。 勝間:そんなことないですよ。習慣ですよね。私は体を動かすのが好きなんです。うち、ダラダラする場所がないんですよ。椅子も、エクササイズ用の椅子なんです。スクワットをするとか動くとか、座りながら運動をするようなものばかりで。 林:す、すごい……。話題を変えて、今の若い女性って、私から見ると恵まれてるように見えるのに、いま一つ充足感がない感じがしませんか。 勝間:男の人も女の人もそうなんですけど、単に会社に勤めてるだけで、昇給しないのがいちばんつらいんだと思います。だからどうやって技能をつけようかとか、どうやってステップアップしようかみたいなことをたくさん考えてるんで、私は今の人って大変だなと思って見てますね。特にお見合いの制度が今はすたれちゃったので、ボヤボヤしてると結婚できないんですよ。なので、みんなすごく婚活頑張ってますよね。 林:みんな結婚したいの? したくないの? 勝間:したいんですよ、女子は特に。20代後半、30代の女子たち、すごく結婚したがってます。 林:このままでは少子化がひどいことになって、去年1年で鳥取県の全人口に近い人数が日本から消えちゃったそうですもんね。勝間さんに少子化対策担当大臣にでもなってもらいたいけど。 勝間:私、少子化の本を書いたことがあって、初の少子化対策担当専任大臣の猪口邦子さんとの共著なんですけど、少子化の一番の問題は、子どもを育てるお母さんにお金とか時間が足りないことなんですよ。そこに向けて国とか社会が、やさしい気持ちとかお金とかを振り向けないと難しいことがわかってきてるんです。たとえば日本の会社って、子どもを持って働いた瞬間に、ほぼ出世はアウトですよ。あの仕組みはどうしようもないんです。 林:はい……。 勝間:一つはっきりわかってる指標があって、子どもの数と時間当たり生産性はものすごく連動するんです。1時間当たりたくさんお金を儲けられる社会は、長時間労働をしなくてすむので、子どもがたくさん生まれるんです。だから日本の抜本的な少子化対策は、実は長時間労働の撲滅なんです。これは男女ともに。でも、残念ながら日本政府はそこまで頑張ってないんですよ。 林:私、きょう週刊誌の連載の原稿を担当編集者に渡しましたけど、その編集者はお母さんで、「きょうは帰りが遅くなるので、子ども二人、家でカップ麺を食べてもらってる」って言うんです。それを聞いて、私も午前中か午後早い時間に原稿を渡せるように、ずっと頑張るようになりました。 勝間:みんながそうしていけばいいんです。 林:勝間さんは、学生結婚で21歳のときにお子さんを産んだんですね。高学歴のわりにはヤンキーのように若いときに子どもをつくって(笑)。 勝間:私、会計士の資格を持ってたので、仕事は一生あるわと思って。 林:もう子育ても終わって。でも、まだお孫さんはいないんですよね。 勝間:まだ孫はいませんけど、婚約してるんで、そのうち結婚して孫が生まれるんじゃないですかね。 林:勝間さんの孫育てもぜひ見てみたいですよ。「勝間式孫育て」。 勝間:私、今いちばん幸せですね。仕事ばっかりしてたり、子育てばっかりして何にも余裕がなかった時期に比べると、今は自分の好きなことができるし、仕事もすごくたくさんしなくてすむようになったし。ただ、先ほど姉からメッセージが来て、母が具合悪くて病院に連れてったら、けっこう重病だったというんです。 林:まあ! すぐ帰らなきゃ。 勝間:いや、急を要するわけじゃないんです。でも、今まで介護問題ってまったく縁がなかったのに、ほんとに介護問題って生じるんだということが、いま身に染みてます。これからバタバタッと体験することになるかもしれない。 林:今後、「勝間式介護」が出てくるわけですね。そのあとは「勝間式老後」。 勝間:アハハ。朝、トランポリンに行くと、どう見ても50代は私だけなんですよ。「これ、60代になってもできるかな。どうだろう」と思っちゃって。だから上手な年のとり方というのは、これからの一つのテーマですね。 林:じっと書斎にいて皮肉言ったりするんじゃなくて、行動的な上手な年のとり方をしてる人って、確かにいないと思う。 勝間:それをつくりたいですね。ロールモデル的に。 林:ぜひお願いしますよ。「勝間式行動的な年のとり方」を(笑)。 (構成/本誌・松岡かすみ、編集協力/一木俊雄) 【前編「勝間和代が変わった! ユーチューブ出演、家事本出版のなぜ?」はこちら】 ※週刊朝日  2020年3月20日号より抜粋
林真理子
週刊朝日 2020/03/15 11:30
瀬戸内寂聴はおばあちゃんを超え「今では“半ユーレイちゃん”」
瀬戸内寂聴はおばあちゃんを超え「今では“半ユーレイちゃん”」
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。『場所』で野間文芸賞。著書多数。『源氏物語』を現代語訳。2006年文化勲章。17年度朝日賞。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。(写真=横尾忠則さん提供)  半世紀ほど前に出会った97歳と83歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * ■横尾忠則「死んだら地球人でなし 自己主張媒体の絵描かず」  セトウチさん  この往復書簡もアッという間に29回に達しました。今日は僕の近況をお伝えします。先(ま)ず体調は去年の入院から6カ月になりますが、完全に元に戻ったかどうかは、あまり自信がないですね。歩くと動悸(どうき)、息切れがして、一般的な老人になったのかな、とちょっと情けない気もします。というのも僕の年齢の前後の人が次々と亡くなるからです。  それとは別に新型ウイルスの恐怖もヒタヒタと玄関のドアを叩(たた)いています。鍵を掛けて防げるようなものでもなさそうです。高齢者はウイルスのターゲットになっているだけに逃げよーがないですね。  話題を変えましょう。絵は相変わらず大きい絵を描いています。最近は絵を描くのが面倒臭く、その上、筆を持つ手が震えるので、大画面に向かって、エイッ、ヤッと筆というか刷毛(はけ)で絵具(えのぐ)をキャンバスに叩きつけています。荒っぽくて下手な絵が描けます。描こうと思っても描けない子供っぽい絵になります。これは体力不足のご利益です。頭で考えることを身体が禁じてくれています。若い頃のように上手な絵を描こうという意志は全くありません。絵が勝手に遊んでくれるので、こちらがわざわざ遊びとしての創作は考えなくていいのです。人間の身体は便利にできていますよね。  今は昔みたいに絵を描く楽しみなどないです。その代わり描く苦しみもないです。イヤイヤ描いています。イヤイヤ描いた絵はどんな絵になるのだろうという、また今まで考えたこともないことに興味が出てきています。イヤイヤ描くから、ああしよう、こうしようという作為は0(ゼロ)です。「絵に聞いてくれ!」って感じですかね。  ですから、主題も様式もないです。何を描くか、如何(いか)に描くかさえ超えています。すると絵を通して、どう生きるかということになるのですが、この、どう生きるか、さえどうでもいいという考えに、絵が描き手の僕に哲学してくるのです。絵が画家を創造しようとするのです。おかしいですよね。  そーいう意味ではこちらとしては作為を持とうとしても持たしてくれないのです。だから努力などする必要は全くないのです。絵が勝手に努力しているんじゃないでしょうかね。イヤイヤ描くということは半ば描くことを放棄しているわけですから、何を描くべきか、如何に描くべきか、なんて近代主義に洗脳された器の人間がチャンチャラおかしく見えてくるのです。絵は絵でええやんけ、みたいなアナーキーな感じ、と言ったらいいのですかね、知性を超えた、大気圏外に飛び出したコスミックな感じかな? ようわからんけど。  ここで死んだら二度と絵など描きたいとは思いません。絵を描くということは「私」という存在があるから描かなきゃと思うだけで、これは幻想です。死んだら大気圏内の地球人じゃなくなるわけですから、自己主張の媒体だった絵なんか二度と描くもんか、と今から宣言しておきます。その準備のために、今、僕はイヤイヤ描くことを遺作だと思ってやっているのです。その内、イヤイヤ展でもやりますか。イヤイヤ描いた絵をイヤイヤ見に来る人もいるでしょう。  さあ、今夜もイヤイヤ寝ます。そして見たくもない夢でも見ますか。おやすみなさい。 ■瀬戸内寂聴「もうすぐ満九十八歳の『半ユーレイちゃん』」  ヨコオさん  あなたは死ぬまで、一般的老人には、なりっこありませんよ。あなたの年齢の前後の人が次々亡くなるのは、当然。  だって、ヨコオさんは、いつだって、本来の年齢より三十歳は若く見えているけれど、一九三六年生(うま)れだから、当年とって八十四歳。八十過ぎなら、れっきとしたおじいちゃんです。二月(ふたつき)もすれば満九十八歳の寂聴なんかは「おばあちゃん」などとは昔の夢で、今では「半ユーレイちゃん」ですよ。足腰すっかり弱り、近頃では横になっている時が極楽!! 横になったまま、角田光代さん訳の源氏物語の厚い下巻を読み終わるのに、一週間もかかってしまった。私が源氏を訳した時は、六年半かかった。谷崎さんも、円地さんも、六年半かかっている。それでも、やりたくなるのが、作家の「業」というものでしょう。私は仕上がるまでに三度程、死にかける病気になりました。円地さんが訳される時、たまたまその仕事場にされたマンションに、私は住んでいたので、六十過ぎた円地さんが、訳の途中、視力を失い、重い病気で何度も死にかけたのを、つぶさに見ています。  入院される度、私は円地さんの病床にかけつけ、秘書のように、本当の秘書にはさせられないような、下々の内輪の用をつとめたものです。  円地さんのその頃の源氏に対する情熱は、傍目(はため)にも高揚しきっていて、目が見えなくなってもこの仕事は止めない。これを仕上げるためには、死んだりできるものかと、おっしゃっていました。小柄で色の白い円地さんが、熱と興奮で、顔をピンクに染め、使いすぎて、視力の薄れた目を血走らせて、うわ言のように言ってられたのを、今も忘れることはありません。円地さんの亡くなられたあと、私も源氏の訳をしましたが、やはり何度か命の危機を迎えたことでした。そして、角田さんが源氏の訳を始めたことは聞き知っていましたが、ああ、そうか、こうして源氏は次々新しく、若い世代へと送りつづけられるのだなと感動していました。  角田さんから、全三巻の、最終巻を送って頂いたので、嬉(うれ)しがって、夜昼となく読みふけったのです。かねがね角田さん作の小説は愛読していて、豊かな才能と、その筆使(ふでづか)いの達者ぶりに感心していました。  私の一番親しかった同世代の河野多恵子さん、大庭みな子さんに先立たれ、今は、孫のような世代の角田光代さんや、江國香織さん、井上荒野さんたちの、新鮮で芳醇(ほうじゅん)な才能が嬉しいのです。  ヨコオさん、ほら、ここまで書くと、私のおばあさんぶりがよくわかったでしょう?  新型ウイルスが怖いので、寂庵は安倍首相よりす早く、すべての行事を休み、閉門です。  門内は梅や椿(つばき)やまんさくが咲きみちて、極楽浄土。ほんとは、花のきれいな間に、ヨコオ御夫妻にいらしてほしいのだけれど……  甘いボタ餅とぜんざいをたくさん用意してお待ちしますよ。もちろん本職に作ってもらうから、おびえないで。  とにかくみんな揃(そろ)ってイヤイヤでも達者でいましょうね。では、今夜もイヤイヤやすらかにおやすみなさい。 ※週刊朝日  2020年3月20日号
週刊朝日 2020/03/15 08:00
広島のモテ男・菊池涼介が懺悔告白「交際相手に多額の慰謝料を請求され…」調停申し立て
広島のモテ男・菊池涼介が懺悔告白「交際相手に多額の慰謝料を請求され…」調停申し立て
インタビューを受ける広島の菊池涼介選手  広島カープの菊池涼介選手が3月6日付で東京簡裁に調停申立書を提出したことが本誌の調べでわかった。交際相手の女性から8千万円の慰謝料を請求されたという訴えだが、交際相手との言い分には大きな隔たりがある。一体、何があったのか? 「シーズン前のこのような時期に、私の個人的なことでお騒がせして申し訳ない限りです」  本誌にこう訴えるのは、広島カープのモテ男、菊池涼介氏だ。手にしていたのは、バットやグラブではなく、東京簡裁に出された3月6日付の「調停申立書」――。  2012年に広島カープに入団した菊池氏。内野手として鉄壁の守備で知られ、2013年から2019年まで7年連続でゴールデングラブ賞を獲得。一昨年までの広島3連覇に貢献した。昨年のシーズン後は、アメリカのメジャーリーグ挑戦を表明したが叶わず、今年も広島でプレーすることになった。そして昨年9月にはメディアに明かさず、“極秘結婚”。近く二世が誕生する予定だ。 「子供も間もなく生まれるとあって、これまで以上に頑張るぞとの思いで、キャンプのために1月27日、沖縄のホテルに入りました。見慣れない番号から着信があり、電話をとると弁護士と名乗り、『Aさんの弁護士です。わかっていますよね』と言われました。弁護士からAさんの名前を聞き、戸惑い、ただ震えるばかりでした」  Aさんは菊池氏が結婚前に交際していた女性で、その代理人の弁護士からの電話だった。弁護士からAさんが菊池氏に対して慰謝料を求めているという説明を受けた。菊池氏はこう振り返る。 「広島出身の知人からAさんを紹介され、『軽く付き合えるならお願いします』と返事をし、会うことになりました。知人は私以外のカープ選手とも親しく、真剣な交際ではないとの意味はよくわかっていると思って頼んだのですが…」  Aさんとの最初のデートは東京でのドライブだった。その10日後に菊池氏はAさんと肉体関係を結ぶことになった。その後、1~2か月に1度程度、遠征先のホテルなどでAさんと会い、交際が続いたという。  ところが、菊池氏は妻と知り合い、交際が始まった。Aさんとは疎遠になっていった。 「Aさんには恋愛感情はなく、私から一方的に〇日に東京だけどという感じでSNSのメッセージを送信したりしていました。Aさんの都合が合えば、ホテルで一夜を過ごす感じでした。恋人同士なら、好きだとか、愛しているとかそういうやりとりになるじゃないですか。けど、私とAさんとの間は、お互いの日程を伝える内容だけで恋愛感情は感じられませんでした」  昨シーズンが終わってからも日本代表、侍ジャパンに選出され、世界一に輝いた。その後、アメリカのメジャーリーグ挑戦を表明するなど多忙だった菊池氏。Aさんとは連絡も途絶えがちになった。  しかし、昨年12月8日、紹介者の知人からSNSで<菊ちゃん結婚したの?><Aさんに伝えた?>などとメッセージが入った。  菊池氏はプライベートを一切、公開しない主義。SNSやメディアに結婚報告を発信することもなかったという。  結婚を知っていたのは、広島の選手など限られた人だけ。なぜ、知人が知っているのか、不可解だった。 「急になぜと思いましたが、知人のアドバイスを聞き入れ、Aさんに報告と感謝のメッセージを送りました」  その内容は<今までわがまま聞いてくれたり、いつも一方通行で悪かったけどいろいろしてくれてありがとね! この先も元気で居てね>というもの。  すると、Aさんから菊池氏に電話が入り、会って話をしたいと求められた。だが、メジャー移籍などで菊池氏は日本とアメリカを行き来するなど、多忙で会う時間がとれなかった。 「電話で何度かAさんと話しました。真剣な交際だったとか、好きだったなどという話もありました。普通、恋愛感情があれば、『今日の試合頑張って』とか『勝ったね、おめでとう』とかメッセージがくるじゃないですか。そんなメッセージはこれまでありません。急に言われて違和感がありました」  そして、年が明けて冒頭のような電話が弁護士から入った。 「Aさんとの電話の会話、弁護士からの有無を言わせない口調の連絡があり、私は恐怖を覚えました。そして1月27日に弁護士から『書面を送りたい』と電話があったので、沖縄のホテル宛てにお願いしますと言いました。すると『ホテルは誰が見るか、わかない』『広島の自宅に送りたい。ご自宅では問題ですか?』という話をしてきた。そして届いた書面を見ると驚きました」  その書面には<真剣な交際として菊池氏を紹介された> <菊池氏の子供を産んでくれるかと質問された> <菊池氏から(Aさんに)恋愛感情を述べられた> <デートの場所や時間帯、あらゆる点で自分を殺して菊池氏に奉仕してきた> <バレンタインデーや菊池氏の誕生日にはプレゼントを渡すなどして、結婚を前提とした交際> <好きでなければホテルに呼ばないと(菊池氏から)告げられた> <2年間を菊池氏に捧げてきた><都合よくホテルに呼ばれ、弄ばれた> <(菊池氏は)極めて無責任な行為><人間不信、対人不安に陥り、眠ることのできない毎日を過ごしております>などと記されていた。  Aさんは菊池氏とは結婚を前提にした真剣な交際であったと主張。両者の言い分には、かなりの隔たりがあった。Aさんの訴えに対し、菊池氏はこう反論する。 「デートは最初で最後、ドライブと食事だけ。Aさんがどんな仕事をしているのかも知らないし、自宅も聞いたことがない。Aさんが恋愛感情、奉仕だと言っていることが信じられなかった。一方的な主張が書き並べられており、威圧感を感じました」  菊池氏は広島で弁護士と対応を相談。Aさんと肉体関係があったことは事実、誤解が生じた可能性があるので一定の誠意は見せるべきと判断したという。弁護士の指示にしたがって和解金として500万円を準備した。  だが、Aさんが弁護士を通して要求してきたのは、8千万円。1か月以内(3月5日まで)の解決という期限を設定してあった。  プロ野球の開幕まで時間もないことから、早急に解決しようと菊池氏は動いてきたという。その後、何度か弁護士同士で交渉したが、慰謝料の隔たりが大きく、合意点は見いだせず、「議論を行うのであれば、訴訟の場」と決裂したという。  そして菊池氏は冒頭の「調停申立書」を東京簡裁に提出したのだ。  その趣旨は<債務不存在 8000万円もの異例に高額な慰謝料要求> <妻と婚姻後、関係は解消> <(解決金5000万円を下る)支払いがないのであれば訴訟をすると、(Aさんの弁護士が)しきりに表明した> <婚姻外の男女関係においては、両当事者の合意の下で関係が形成され、婚約や内縁といった特別な事情がない限り、その関係解消が権利侵害と評価されることはない>  このように主張し、菊池氏に対してAさんの請求する8千万円の債務は存在しないという調停を求めたのだ。菊池氏の代理人はこう話す。 「Aさんとの関係は、菊池氏が独身時代のものです。こちらの認識は恋愛関係ではない。だが、Aさんは結婚を前提だったと主張。8千万円という法外な慰謝料を請求してきた。裁判所という公平な場で解決した方がよいという菊池氏の判断です」  一方で、Aさん側の主張は菊池氏と真っ向から対立する。代理人弁護士に取材を申し込むと書面で次のように回答があった。 「Aさんは大手企業に長年勤務した一般女性です。菊池氏に『早く結婚したい。子供を産んでくれるか』などと言われ、結婚を前提にした交際と信じていました。著名人であることから外で会うのは難しいといわれ、このような関係が一年近く続いたころ、不安を説明し気持ちを確認したこともあります。菊池氏は妻と入籍後も結婚を隠して2度もAさんをホテルに呼び、肉体関係を持っていました。Aさんは自分が知らぬうちに、重大な不貞行為に加担してたと知り、驚きと悲しみで心療内科への通院を余儀なくされました」  Aさん側の回答書には『適応障害』という医師の診断書も添えられていた。  Aさんの弁護人によると、菊池氏と連絡を取ろうとしても昨年末からきちんと返事がなく、極めて不誠実な形で放置された。そのため「一カ月以内」と期限を付けたという。 調停の焦点となっている慰謝料8千万円の是非についてはこう主張した。 「最終的に5千万円の減額提示をしたところ、菊池氏の最終提示は1千万円でした。菊池氏は弁護士から脅されたというような主張をしているとのことですが、一切ありません」  菊池氏は「Aさんを傷つけて申し訳ない」と謝罪した上でこう主張する。 「最初は名前を公にせず穏便にこっそりと解決をしたいと思ったのは事実です。そのためにお金も準備した。だが、Aさんの主張は信じがたいもので、事実関係の認識の違いが多々あります。Aさんは結婚後も私と関係を持ったと主張していますが、交際は独身時代だけです。今シーズンの開幕も目前ですし、妻の出産も近い。コロナ問題がありますが、侍ジャパン、東京五輪もある重要な時期です。法廷で争うことで名前も公になり、恥ずかしい思いもしますが、逃げ隠れせず、裁判所の常識ある判断で解決をしてもらおうとの考えに至りました」  一方、Aさん側の主張はこうだ。8千万円という慰謝料は日本を代表する野球選手として高額の年棒を得ている菊池氏にとって、痛みのある金額である必要があると、考えたからという。 「(東京簡裁への申立は)、Aさんの訴訟やむなしとなり、先手を打ち、被害者と加害者の立場を逆転させて、訴訟提起を封じ込め、自己に有利に導くことを目的としたきわめて不当な対応です」(Aさんの代理人弁護士)  今後、法廷での対決はどうなるのか。(本誌取材班) ※週刊朝日オンライン限定記事
週刊朝日 2020/03/14 11:55
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島沢優子 島沢優子
【現代の肖像】ヒューマン・コメディ代表取締役・三宅晶子「受刑者がやり直すチャンスを作る」
頼まれると断れない。「全部学びだと思ってやる。人を喜ばせると(自分の)魂が輝くから」(撮影/大野洋介) ※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。  2人に1人は刑務所に戻るという。再犯時に約7割の人に仕事がない。仕事があるかないかで、再犯率が変わってくるのだ。その現実に立ち向かおうと、三宅晶子は受刑者専用の求人情報誌「Chance!!」を立ち上げた。すでに200人以上問い合わせがあった。三宅自身もたばこを吸い、家出を繰り返した時期がある。でも支えてくれた人がいた。悲劇は喜劇に変えられると信じている。  三宅晶子(みやけ・あきこ)(48)は、いつも走り回っている。 「就労している出所者がトラブルを起こしたため、急遽行くことになりました」 「就職が決まった子のお祝いに」  あるときは新幹線で西へ、はたまた空を飛んで南の島へ向かう。昨年春、日本初の受刑者向け求人情報誌「Chance!!(チャンス)」を創刊した。「少年院・留置場・拘置所・刑務所内でも面接可能!」「身元引受可能、社宅・寮完備の全20社掲載!!」の見出しが躍る。「ひきこもり・過去にトラウマ・前科前歴あり」のどれかに該当したら即採用という会社まである。受刑者たちが紹介企業を身近に感じられるよう、社長の顔写真やメッセージをつける。刑務所に入ったことのある人もいて、少々強面の風貌の横に「過去があったおかげで、今の自分があると思えるきっかけを作りたい」など温かな言葉が並ぶ。  雑誌は専用の履歴書付き。入所回数と年数、犯罪歴、再犯しない決意や反社会的組織との関係、依存症を書き込む欄もある。  これを年4回、全国の刑務所、少年院、更生保護施設など約240カ所で無料配布してもらう。オールカラー約60ページ。企業紹介などほぼすべて三宅が取材、執筆する。 「社長さんには必ず会って話をして、掲載企業はこちらで精査している。変わろうとする人を本気で支えようとする企業のお手伝いをしたい。私は種をまくだけ。いつか花が咲けばいいなと思う」  自分の努力や実績を決してひけらかさないが、三宅の事業への注目度は高い。人口減もあって犯罪件数(刑法犯)は約20年減り続ける一方で、再犯者率が上昇しているからだ。2人に1人が刑務所に戻る現実がある。再入所した人のうち、再犯時に仕事がなかった割合は概ね7割。仕事がない人の再犯率は、仕事がある人のおよそ3倍に上る。この問題を解決するには、受刑者への就労支援が欠かせない。  創刊から1年半。問い合わせは200人を超えるが、三宅はその一人ひとりに「いくらでもやり直せるから、一緒にやってみよう」と返事を書き、太く、長く、サポートし続ける。 付き合いのある事業主が経営するカフェバーで談笑する三宅。社員が辞めない会社は家族のような空気感があり、誰かが話を聴こうとする。互いが向き合おうとすれば会社はよくなると信じる(撮影/大野洋介) ■尊敬しつつ嫌いな両親、酒に夜遊びと非行に走る  そんな三宅を「とにかく偉大な人」と表現するのは、「Chance!!」で求人募集をする大伸ワークサポート代表の廣瀬伸恵(40)だ。覚醒剤所持で2度服役。2度目に獄中出産した廣瀬は「自分は子どもがいたから立ち直れた。知り合いはみんなまだ刑務所にいる」。  やり直せる人とそうでない人の違いを「ここ(会社)が自分の居場所だと思えるかどうか。とにかく孤独にさせてはいけない」と言う廣瀬は、7人ほどの全社員の夕食を毎日作り、一緒に食べる。廣瀬の手料理に涙を流さんばかりに喜ぶのに、数日後は荷物を置いたまま突然いなくなる人もいる。 「裏切られても信じ続けるしかないよねって、三宅さんにいつも励まされる」  同社に採用された30代男性は両親が離婚。心が不安定になり不登校に。高校に行かず溶接工として働いたが、人間関係のストレスから罪を犯し刑務所へ。服役後、母親に身元引き受けを頼んだら「家に戻ってくるな」とにべもなかった。更生保護施設を経て解体の仕事に就いたが、周囲に不満を募らせ窃盗で捕まった。  舞い戻った刑務所で、同部屋だった受刑者に「Chance!!」があることを教えてもらう。廣瀬と三宅両方に手紙を書いたら、それぞれ返事をもらった。出所の際、廣瀬が車で片道4時間かかる刑務所まで迎えにきてくれたのには驚いた。 「僕なんて社会から見放された人間じゃないですか。それなのに、こうやって仕事ができて、毎日みんなとご飯食べて、愚痴とか話を聞いてもらえる。今までの人生で一番幸せです」  そう話す男性は、三宅の言葉を支えに生きる。 「世の中で差別されていい人なんてひとりもいない。自分の過去が、価値に変わる日が必ず来る。本気で変わりたいと思えば、人は変われるよ」  このことを、三宅は身をもって知っている。  新潟県に生まれ、両親ともに地方銀行に勤務。母・毬子(まりこ)は勤務する銀行を相手取り、男女間の賃金格差の是正を訴える「男女差別裁判」を起こして勝訴。三宅によると、1986年に施行される男女雇用機会均等法への流れを作った裁判だ。父・茂は「定年制延長裁判」を11年闘って敗れたものの、現代の雇用制度の源流になった。  知性と教養、正義感あふれる両親を、三宅は心から尊敬していた。が、何しろ忙しい。会議や仕事でほとんど家にいない。食事を作ってくれるのも、参観日に学校に来るのも父方の祖母。11歳年上の姉・泉(59)は頭脳明晰でやさしかったが、三宅が小学3年生のときに上京してしまう。 人懐っこい笑顔が相手との垣根を取り払う。おおらかだが繊細。「漢字があまり読めない受刑者もいるから」と「Chance!!」の全文にかなをふった。受け手に寄り添って、さまざまな工夫を凝らす(撮影/大野洋介)  誰も私の話を聞いてくれない、という孤独感。  立派すぎる親を超えられない、というジレンマ。  思春期と相まって、心がぐらぐら揺れた。 「それだけでグレたわけではないが、寂しさはあった。反発なのか、愛情の裏返しなのか。両親を尊敬する一方で、大っ嫌いだった」(三宅)  その変貌ぶりは、当時の人気ドラマ「積木くずし」の主人公を地で行った。小学生までクラス委員長と優等生だったのに、中学に上がった途端ヤンキー時代が幕を開ける。最初こそ赤い絵の具で髪を染めて登校するというかわいいものだったが、持ち前の学習能力で悪いことを覚えていく。すぐにライト級の非行少女になった。  シンナーは吸わねど、たばこ、酒、夜遊び。パンプスを履き、大人の気分を味わえるチャイナドレスを着た。仲間に褒められるとうれしくなった。 ■補導後迎えに来た担任、そのまま自宅に連れ帰る  親の財布から、社会活動の会費が入った缶から、遊ぶための金を抜き取った。母親から「返しなさい。もう、お小遣いもあげないわよ」と叱られると、「いいよ。盗んでくるから」と言い返した。見つからないよう少しずつではなく、大胆に盗んだのは、親との接触を欲していたのかもしれない。少年院に行くことはなかったが、家庭裁判所と警察には世話になった。  この時期の三宅に最も寄り添ったのが、中学3年で担任だった大滝祐幸(ひろゆき)(67)だ。のちに県随一の進学校である新潟高校校長を務めた教育者である。  補導された三宅を迎えに行ったときのこと。 「運転手さん、助けて! さらわれます!」  警察から帰るタクシーの後部座席で大声を出して暴れる三宅の腕を押さえながら「いいえ、違いまーす。私は担任です! 家出した子を連れ戻しています」と弁解し、大滝の自宅へ連れ帰った。 「もう時効だから」と大滝が教えてくれたが、三宅の両親にも、学校にも報告せず1週間預かったという。毎日、担任が教え子に「行ってくるよ」と言って学校へ行く。教師であれば、生徒に人生を説くようなことを言いそうなものだが、大滝は家に帰れとも、学校に行けとも言わなかった。 「中3ですよ。自分からしゃべらない限り、何言っても嘘をつくだけ」(大滝)  三宅は、大滝の当時4歳の長男と1歳の次男と遊んだり、テレビを見て大滝の妻とたわいない話をしたりして過ごした。夜は大滝の家族と夕げを囲み、テーブルで翌日の授業の準備をする大滝のそばで、ごろごろ寝転がった。  一度だけ逃亡を試みたが、息子たちを幼稚園に送って戻ってきた大滝の妻に連れ戻された。以来、憑(つ)き物が落ちていくように、不良少女は日に日にやさしい顔になっていった。 「何をやるのかワクワクさせる子だった。規格外の生命力があった」と言う大滝は、規格外の三宅を何とか伸ばしたくてかかわり続けた。 薬物乱用経験者とその家族が集う、警察と民間が協同で開催した薬物依存症回復支援「NO DRUGS」を取材する三宅。警視庁組織犯罪対策部の銃器薬物対策第一係主査警部、蜂谷嘉治の話を聞く(撮影/大野洋介)  その後無事高校に入学するも、両親との仲が険悪になり家出。学校に行かなくなり5カ月で退学処分に。大滝の同僚である中学の体育教師が、自身の友人が経営するお好み焼き屋を紹介してくれ、そこで働いた。  だが、すぐにヤンキー時代の幕を引く出来事が起きる。母が居眠り運転による追突事故で入院。久しぶりに会う母はベッドの上で泣いていた。 「すごく申し訳ないと思った。母親は事故に遭い、娘は退学で。そのとき、真っ黒な右肩下がりの人生のグラフが見えた気がした。これをいつかネタにしようと思った。15歳くらいでネタという言葉は知らなかったから、なんとなくそんなイメージかな。講演している姿とか」(三宅)  何者かになる。漠然とそう決めた三宅は「この堕(お)ちた人生をネタにするためにとりあえずいい大学に入っておこう」と決める。父親からデカルトの『方法序説』を渡されたが、全く理解できず勉強の必要性を実感したこともエネルギーになった。 ■育児放棄された少女を養子縁組して身元引き受け  高校を入り直し、早稲田大学第二文学部へ。貿易事務やカナダ・中国留学を経て、大手情報通信系企業に33歳で入社した。10年勤めたが、ペーパーテストで判断する昇格試験に意味を見いだせず、人材育成に関心があったこともあり退社。面倒でたまらなかった白髪染めをやめ、ストレスフリーになった三宅は興味のある方向へと走り出す。銀色に輝く髪をなびかせて、自立援助ホームや受刑者を支援する施設を手伝いにまわった。  そこで出所者がやり直しできない現実を知る。家族と縁を切られ身元引受人がいないため、仕事に就きにくい。住む場所も、金もなく、携帯電話も契約できない。わずかな所持金を使い果たすと、窃盗や無銭飲食を犯して刑務所に戻る。格差が開く一方では、再犯者が減るわけがない。  国が何とかすればいいのに――最初は少し他人事だった。  ところが、鹿児島・奄美大島の自立支援ホームで親しくなった17歳の少女との交流が、三宅を動かした。両親から育児放棄をされるなど、壮絶な過去を持っていた。腕にはリストカットの痕があった。人生の17年のうち15年を施設で暮らす彼女はその頃、福岡の少年院に入っていた。 「奄美に戻っても、また悪いことをするんじゃないかと思った。身元引き受けをしたくても、未成年のため養子縁組をしなくてはいけなかった」  同じ大学の空手サークルで出会って結婚した夫に言い出せずにいると、「養子縁組すればいいじゃん」とさらりと言われた。夫の頭と心の柔らかさに助けられた。そこから、夫の両親と夫、三宅と少女という血縁でつながる者がすこぶる少ないが、温かく心の通った5人の生活が始まった。  どうすればこの子は幸せになれる? 少女の将来を考えた三宅は、少年院や刑務所からの出所者を支援する事業を思いつく。そこで彼女が同じような境遇の人と仕事ができれば、過去を包み隠して生きる必要はないじゃないか、と。 「過去があるからこそ同じような境遇の人たちに親身になって対応することができる。彼女の過去が価値に変わると思った」 自宅で死に化粧の練習。1年前から納棺師を始めた。「事業で自分の給料は残らないのもあるけど、両親など死に接する機会が多かったから。死ぬのは怖くない」(撮影/大野洋介)  そして、2015年夏。少女の誕生日に会社を登記した。「生まれてきてくれて、ありがとう」の感謝を伝えたかった。三宅の中で、他人事が自分事になった瞬間だった。  社名は、父からプレゼントでもらった、米国の劇作家ウィリアム・サローヤンの著書『ヒューマン・コメディ』からとった。人生はトラジェディ(悲劇)以外全部がコメディ(喜劇)と言われる。 「目の前のどんな悲劇も、喜劇に変えてみせる。人生全部ネタにすればいいっていう私の生き方と合っていると感じた」(三宅) ■何度も裏切られても、「待ってるよ」と呼びかけ  両親との確執、ヤンキー時代、失業中に施設でボランティアをした過去さえも、三宅は自らの糧にして価値に変えてきた。急がば回れとはいうけれど、回り道はこんなにも人を豊かに成長させるのだ。  この底力は、遺伝子の妙か。すでに母、父と続けて見送った三宅は「二人が私の原点」と話す。傷ついた友人を自室で慰めていると、ユーモアを愛し慈愛に満ちた両親は、笑わせて元気づけようと、腰をくねらせ踊ったこともあった。「あなたは外に出たほうがいい」と言い続けた母は、23歳で上京する娘を見送ったあと「私は明日からどうやって生きていけばいいの」と新潟駅のホームで泣き崩れたと聞いた。姉の泉も「晶子は正義感とやさしさを両親から引き継いだ」と振り返る。  彼女のやさしさがうかがえる話がある。  三宅が初めて仕事を紹介したのは、たった一度の自転車泥棒がもとで人生を転落させていた男性。正社員になり、給料はひと月で10万円もアップした。「三宅さんの第1号であることが自分の誇り」と話していた。後に続く人の見本になってくれると三宅は信じたが、数カ月後に行方不明となり窃盗で捕まった。三宅が面会して半年後に別の場所で再び逮捕。「お世話になった人たちを悲しませちゃダメでしょ!」と最後は怒鳴ってしまった。  目を真っ赤にしてうつむいていた彼から、それきり連絡はない。だが、三宅は自社サイトで「待ってるよ」と呼びかける。裏切られても、嘘をつかれても、本気で信じ通そうとしているのだ。  出会った出所者のことを話すときの三宅は「ホント、あの子、危なっかしいのよ」とまるで母親のような顔になる。三宅自身は不妊治療をしたが、授からなかった。 「子育てをしていたら、この仕事には出会えなかった。親にならなかったのは、ほかに役割があるんだと思う」  出所者を、経営する物販の会社で預かったことのあるおだしプロジェクト主宰の土岐山協子(47)は「三宅さんが大好き。あの笑顔がヤバいでしょ。彼女は一生懸命に生きているから、どんどん救いの手が差し伸べられるのでしょう」と話す。 「(雑誌の)『Chance!!』は、私にもチャンスなんだよね」と三宅が話すのを聞いた。 「成功するかわからないけれど、それでもやりたいという熱量が凄まじい。社会貢献をしようとか、利益を上げようということよりも、彼女にとっての会社は、自分を生きることそのものだと思う」(土岐山)  損得よりも、生き方そのものが事業に横たわる。ストーリーが説得力になる起業家は強い。  再犯防止に取り組む法務省矯正局成人矯正課長の中川忠昭(58)は「民間で、受刑者の求人情報サービスをここまでやっている人はいない」と三宅に一目置く。養子縁組までして身元引受人になったと聞きビックリした。 「覚悟があるし、見返りを求めていない。ストレート勝負の人はたくましい。それに過去の経験があるからこそ、受刑者にとって彼女の話は説得力があるのでしょう」  もうひとつのエネルギーは、やさしくない社会への抵抗だ。社員時代、うつ病から復職してきた同僚のお世話係に任命された。ほかの社員に話すと「よく引き受けたな。絶対嫌だ」と言われた。うつで退社した人もいるのに。三宅はカンカンに怒りつつも、涙が止まらなかった。 「間違いを犯しても、そこから人の役に立つことをして最期に笑って死ねたら、喜劇になります」  正義感でぎゅうぎゅう詰めの遺伝子に導かれ、この荒(すさ)んだ社会に寛容と再生の道をつくる。その意義を信じて進む三宅の笑顔は、本当に美しい。 (文中敬称略) ■みやけ・あきこ 1971年 新潟市出身。熱心な共産党員だった父母と11歳上の姉、父方の祖母の5人家族に育つ。姉によると、自分が指さした以外の食べ物を口に押し込まれると吐き出したという。「3歳の保育園の入園式で鳥籠を開けて小鳥を掴もうとしたり、母が活動の会議に連れていくと会場のトイレットペーパーを残らず廊下や階段まで引っ張り出した」(姉)  77年 小学1年で担任に「何か悩みのある人は放課後残るように」と言われ、三宅だけが挙手。「自分の顔のほくろがどんどん大きくなって、先生のようなブスになったらどうしよう」と真顔で打ち明ける。  83年 地元の市立中学校へ。やんちゃだが正義感あふれる少女に。いじめっ子の机を、ひとりで学校近くの信濃川まで運び投げ捨てた武勇伝も。  89年 18歳で高校に入りなおす。自己紹介で「中退してきました!」と自らカミングアウト。男子と喧嘩して負けたのが悔しくて空手部へ。  94年 2浪し23歳で大学入学とともに上京。28歳で卒業した後は貿易関係の会社を経て、カナダと中国に留学。 2004年 中国留学中に母が71歳で死去。大手情報通信系企業へ就職。2年後に結婚し都内で暮らす。  08年 「迷ったときは、より大変なほうを選べば人生は間違いない」と教えてくれた父が78歳で急逝。  14年 会社を退職。  15年 株式会社ヒューマン・コメディ設立。出所者等を雇用する企業のための採用・教育支援と並行して、生きやすい考え方を学ぶための講座や啓蒙のための講演等を行う。前後して夫の両親と同居を始める。  18年 3月、「Chance!!」創刊。19年9月刊行の秋号で7号目に突入。創刊からおよそ1年半で、45人が内定をとり就職した。 ■島沢優子 著書に『世界を獲るノート』(カンゼン)、『部活があぶない』(講談社現代新書)など。本欄ではラグビー日本代表前HCエディー・ジョーンズ、脚本家・福田雄一らを執筆。 ※AERA 2019年10月28日号 ※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。
現代の肖像
AERA 2020/03/12 09:00
「俺もなかなか大人になれねえな」 世におもねらない歴史学者・本郷和人<現代の肖像>
「俺もなかなか大人になれねえな」 世におもねらない歴史学者・本郷和人<現代の肖像>
古文書を収蔵した東京大学の書庫。「きょうは、ツラ(顔)の調子もいいですよ」と冗談をとばした/倉田貴志撮影 毎月2回、東大(東京・本郷)の近くで開く「古文書研究会」。古文書愛好家十数人と中世の記録を丹念に読む。「ここは上下関係がないからとても楽しい」/倉田貴志撮影  豊富な知識と、語り口の上手さで、歴史番組の解説役としても人気の本郷和人さん。笑いを取りつつも、研究者としての信念はかたい。たとえ世間の潮流に逆らっても、自分の研究に基づいて語る。歴史を知れば現代の価値が分かる。しかし、国立大学の中世史研究がなくなると危機感を抱くほど、若者の歴史への興味が薄れている。  今年1月16日。歴史学者の本郷和人(59)は、自民党の勉強会「まなびと夜間塾」に講師として招かれた。開口一番、こう切り出した。 「最初に懺悔をいたします。私、令和という素晴らしい元号にミソをつけまして、大炎上をいたしました」  会場から笑いが起きた。同党中央政治大学院主催の開講記念講座。テーマは「日本史のツボ」。本郷の著書の一つと同名のタイトルだった。  テレビの歴史番組の解説役としてしばしば登場する。まるっこい体躯。どことなく愛嬌のある語り口に親しみを覚える視聴者も多い。出演する「BSフジ」の歴史バラエティー「この歴史、おいくら?」のチーフプロデューサー・柴田多美子は、「声のトーン、喋りの間、聞きやすさ、抑揚など、とても上手い」と評価する。2012年放送のNHKの大河ドラマ「平清盛」では時代考証を担当した。歴史関連著作は30冊近い。監修者として関わる『東大教授がおしえる やばい日本史』は累計発行部数30万部に上る。その本郷の名前をさらに広く知らしめたのが「令和」騒動だった。  昨年4月1日に発表された新元号「令和」。テレビでは様々なコメンテーターや識者らが褒めそやした。翌2日、テレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」に出演した本郷は、祝賀一色のムードに異を唱えた。 「『令』は上から下に何か命令をするときに使う字。安倍首相は、国民一人ひとりが自発的に活躍していこうという想いを込めたとおっしゃるが、その趣旨にはそぐわないのではないか」。論語の口先が上手く心がないことを表す「巧言令色鮮し仁」の「令」であり、ひっかかるとも話した。放送後、ネットでは本郷の発言への批判が渦巻いた。 「あ~、また言っちまったかなあ。俺もなかなか大人になれねえな。そう思ったよ」  反発は想定内のことではあった。炎上覚悟でこだわったのは、文字の意味合いもさることながら、いずれ令和が天皇の名前になることを懸念するからだ。「令」は、皇太子の命令の意で、「令旨」という。天皇の命令は「綸旨」。したがって天皇の名前となる元号に「令」を使うのはふさわしくないと考えたのである。 「考え方が分かれる問題には、いちいち文句は言いません。大人げないから。でも令和については学問的に〇か×というレベルなんだよね。で、火中の栗を拾いに行ったら、カチカチ山の狸だよね、火つけられちゃって」と苦笑する。自民党の勉強会では“懺悔”してみせたのも束の間、こう語った。 「曲学阿世という言葉がある。学問を曲げて世に阿る。誠に恥ずかしいこと。研究者は自分の研究に基づいて思うところを述べないといけない。研究者の中にもホンモノとニセモノがいることを見抜いてほしい。羽振りのいい研究者は疑ってかかる必要があります。テレビに出てくる研究者はたいていニセモノです」  最後はユーモアで煙に巻き、再び笑いが起きた。    歴史学者としての本業は、東京大学史料編纂所教授。専門は日本の中世政治史。編纂所では『大日本史料』の編纂を担当している。 『大日本史料』は、1901(明治34)年に明治天皇の命によって編纂が始まった歴史史料で、887年即位の宇多天皇の時代から江戸時代までの期間を対象としている。12編に分けて編纂し、本郷は第5編の担当。鎌倉時代中期、1221年の「承久の乱」から1333年の鎌倉幕府滅亡まで。対象となる時代の原典である手書きの史料を可能な限り集め、活字にして残す。1年分を記述し終えるのに10年かかるという。3年分を編纂するのに30年。編纂所での本郷の職業人としての人生はそれで終わることになる。ちなみに、『大日本史料』が完成するまでには800年を要する。  史料編纂所は、東大本郷キャンパスの赤門を入ってすぐの年季の入った建物にある。そこで日々、地道な仕事を続ける研究者が広く知られることはほとんどない。本郷は、その枠に収まり切らない。  日本は諸外国に比べても歴史史料が豊富に残っている国だ。侵略され、滅ぼされたことがないからだ。しかしそのことによる弊害もある。史料に寄りかかりすぎ、記録の解釈に忠実であるあまり、新しい視点を提示したり、多様な見方を論じたりすることが難しい。史料編纂所が象牙の塔になっていると本郷は嘆く。  日頃の研究の成果を社会に還元するべきだと考え、大手出版社と組んで「歴史講座」を企画したことがある。シリーズ全10回。「歴史を変えた人物」というテーマで聴衆を集め、講師は編纂所所員が務める。質疑にもたっぷりと時間をとる。話の内容を文章化し、書籍にまとめる。2年かけて所内の了解も得た。しかし最後に教授会で「一人の人間が歴史を変えるなんて、勘弁してくれ」と否定された。ショックだった。(文/高瀬 毅)               ※記事の続きは「AERA 2020年3月16日号」でご覧いただけます。
現代の肖像
AERA 2020/03/09 16:00
ふらっと「家出離婚」が急増 世代問わず、夫は訳が分からず
ふらっと「家出離婚」が急増 世代問わず、夫は訳が分からず
※写真はイメージです (Getty Images)  長く連れ添った夫婦が熟年離婚するケースは令和になっても珍しくない。だが平成の時代には計画的な離婚が目立ったが、最近はふらっと家出したまま突発的に離婚する人が増えているという。シニア世代の夫婦に何が起きているのか。熟年離婚を探ってみた。  関東地方の桜の開花が報じられた日曜の昼下がりのことだった。  元公務員で現在は不動産業を営む五十嵐勉さん(70歳・仮名)の妻の由紀子さん(67歳・仮名)が「ちょっとお友達の家に遊びに行ってくる」と外出した。だが、夜になっても帰宅しなかった。 「心配になって、妻の携帯に電話をしてみると、電源が入っていなかったんです。そこで妻の友達に電話をしたら、知らないとのこと。近所の人に聞いても、首を傾げるだけ。そこで息子に連絡を入れてみたら『心配することないよ。明日には戻ってくるんじゃないの』とまるで呑気。そこで『明日帰ってこなかったら、警察に届ける』と言ったら、翌朝、妻から『しばらく留守にするから心配しないで』というショートメールが届いたんです」  それから10日ぐらい経ってから、妻の弁護士から連絡があった。離婚をしたいとのことだった。 「寝耳に水とはこのことです。ふらっと出ていったきり、帰ってこない。心配していたら、離婚だなんて」  憮然とする五十嵐さんだが、離婚に対する妻の決意は固かった。  都内で複数の飲食店を経営する三上俊之さん(65歳・仮名)の妻・のぞみさん(62歳・仮名)も、朝「ちょっとコンビニに買い物に行ってくる」と出たきり、帰ってこなかった。深夜に三上さんが仕事から帰宅すると、妻の姿はどこにもなく、連絡もとれなかった。そこで妻の部屋を覗いてみると、妻のお気に入りの和服を始め、洋服類も、ほとんど消えていた。慌てて娘(34歳)に電話すると、「ママ、とうとう出ていったのね」と呟く。妻は以前から娘に離婚をしたいと打ち明けていたが、三上さんは全く気づいていなかった。1週間も経たないうちに、妻から離婚届が郵送されてきたという。 「ふらっと家を出てそのまま離婚というケースが、年代を問わずに増えています」  そう指摘するのは、1992年に「離婚110番」を開設以来、延べ3万9千人の相談を受け、また夫婦問題のカウンセラーとして多くのメディアでも取り上げられている澁川良幸氏だ。 「年末に妻が子供を連れて家を出ていき、年明けから別居あるいは離婚と、妻が計画的に離婚を進めるケースはこれまでもありました。ところが最近は妻が『ゴミ出しに行く』『コンビニに行く』などと言ったきり、帰ってこないまま、離婚に至るケースが目立っています」(澁川氏)  ふらっと家出離婚は、突発的に家出をしたケースと、計画的に離婚をしようとしていたがタイミングがつかめなくなった揚げ句、ある日ふらっと家出してみたら成功したというケースに分かれるという。五十嵐さんと三上さんの場合は後者だ。  五十嵐さんは頭を抱えながら、「代理の弁護士によると、10年前に私が定年退職したと同時に、妻は熟年離婚を実行するつもりだったそうです。ところが準備不足でずるずると延びてしまい、そのため長年にわたって離婚のチャンスを狙っていたというんですよ。息子には離婚の意思を打ち明けていて、荷物も少しずつ移していたんです」と嘆く。  そして「子育てに協力してくれなかったこととか、私が仕事に熱中するあまり、家庭を顧みなかったこととかに不満を抱いていたそうです。しかし夫と妻という役割を互いに担っていただけでしょう。それが離婚の原因になるなんて、にわかに信じがたいです」と、今でも五十嵐さんは妻の離婚の理由に納得がいかない。  一方、三上さんの場合も妻が娘にあらかじめ離婚の意思を伝えていた。過去に複数回あった三上さんの浮気が原因だと娘が説明したという。 「でも妻は許してくれると思っていました。私はもう女遊びができるような年齢でもないので、これからは妻と一緒に旅行にでもと思っていた矢先だったのに」と、三上さんは悔しそうに拳を握る。  だが、夫が気づかないだけで、妻は長年にわたって夫に怨念をためこんでしまう。それが突発的な家出を引き起こす要因にもなりかねない。 「結婚してから長い間、夫のモラハラに悩み、苦しんできました。突発的に家を出たのは、口が達者な夫に、反論されたり、丸め込まれたりするという危機を感じたからです」  と、とつとつとした口調で語るのは、渡辺直子さん(62歳・仮名)。渡辺さんは、二つ年上の会社員の夫が定年退職をした時から、介護の仕事に就くようになる。夫の定年と同時に別れたかったが、手に職がなかった。老後に一人で生きていくことを想定した渡辺さんは、介護施設で働きながら、介護福祉士の資格を取得しようとした。定年後、夫が一日中家にいるのが耐えられなかったこともある。 「若い頃から、私が夫にしてもらいたいことを言っても、夫は私を無視したり、時には『バカだな』と蔑んだりしました。子供のことで相談すると『そんなことはお前がやっておけばいいんだよ』と頭ごなしに怒鳴られます。35年以上続いていました。もう限界です」  夫の無言のモラハラにも耐えられなかった。今でも覚えているのは、小学生だった息子の運動会のことだ。 「夫に息子の運動会に出席してくださいとお願いしたんです。ところが返事がない。てっきり欠席と思っていたら、前日に『明日の運動会は何時だ、どこに行けばいいんだ』って。無視しておいて、直前に言いだすなんてあんまりです」  また一番酷いモラハラを感じたのは、息子の進学のことだという。 「相談しても無視するので、私が一人で重責を感じていたのです。ところが夫は息子と二人だけで話し合って決めていたんです。私なんか、どうでもいいのです」  夫からの長年のモラハラに耐えながら、性格のきつい義理の母親を看取った。その後で「夫と同じ墓に入りたくない」と離婚を決意したという。そして遂に突発的な家出となったのは、お盆休みの前日だった。  「お線香がなかったので『スーパーに行ってくる』と出ようとしたら、居間でテレビを見ながらソファで横になってビールを飲んでいた夫が『なんで用意してないんだ』と怒鳴ったのです。それでスイッチが入ってしまいました」  一日中家にいる夫は相変わらず上から目線だった。渡辺さんは、そのまま電車に乗って終点の新宿で降り、ビジネスホテルに泊まった。 「翌朝、清々しい気分で目が覚めました。これまで離婚するなら準備万全にと思っていましたが、家出してみたら、解放されました。翌日にはウィークリーマンションに引っ越しました」  息子も離婚の意思を受け入れてくれた。しかも夫の留守を見計らって渡辺さんの荷物をマンションに届けてくれたという。だが、弁護士から連絡をもらった夫は、モラハラを否定し、「オレのどこが悪かったんだ」と納得しないという。  前述の「離婚110番」の澁川氏は「妻が離婚を申し出てから、夫が気づくことが圧倒的に多いんです」と、その原因を手厳しく指摘する。 「夫は妻が自分のことを理解してくれるのは当然だと思っているのです。だから『仕事で忙しいのはわかるよね』とか『子育ては君の仕事だよ、わかるよね』とか、『わかるよね』を連発する。それが上から目線だということに気がついていないのです。妻が離婚を申し出て初めて妻が長年耐え続けていたことを知るケースが多い」  だがわかった時はすでに手遅れだ。離婚を拒否する夫は修復を図りたいと弁護士に相談。3回までは頑として意見を曲げなかったが、5回、6回と相談するうちに、あきらめの境地となって、離婚を受け入れていった。(作家・夏目かをる) 【後編『“家族だから”という期待が怨念に ふらっと「家出離婚」が増える理由』に続く】 ※週刊朝日  2020年3月13日号より抜粋
夫婦離婚
週刊朝日 2020/03/07 08:00
休校で子どもを「誰がみるの」問題 収入減に直結、在宅勤務でも両立不安…親たちの悲鳴
休校で子どもを「誰がみるの」問題 収入減に直結、在宅勤務でも両立不安…親たちの悲鳴
急な対応で学校もバタバタ。大阪市西区の小学校の職員室では、教員が児童たちに配布するプリントの印刷作業に追われていた=2月28日午前10時ごろ (c)朝日新聞社 親には3月2日からの休校連絡がメールなどで届いた。これからどうするか、親たちは頭を悩ませる(撮影/写真部・張溢文)  首相が突如打ち出した要請に、親たちが混乱している。子どもは感染から守りたい。だが1カ月もの間、 子どもたちを誰がケアするのか。AERA2020年3月9日号は親たちの悲鳴を聞いた。 *  *  * 「必要に応じて臨時休校」という2日前の方針から一転。2月27日夜、安倍晋三首相は新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、全国すべての小中高校と特別支援学校に対し、3月2日から春休みまでの臨時休校を要請すると表明した。 「電車通学なのでずっと心配でした。個別の学校判断ではなく、対応を統一してほしいと思っていました」(都内在住、小3の母親) 「夫が抗がん剤治療中で免疫機能が低下しているので、ここ最近ずっと神経質になっていた。休校が決まってほっとしました」(横浜市在住、小5の母親)  こう歓迎する親がいる一方、小1の息子を持つ都内在住の会社員の女性(44)は「あまりに急すぎ」と困惑する。政府は「学童保育は開く」としているが、通っている学童の対応は実際どうなるのか。もしも在宅勤務になった場合、子どもを見ながらでは仕事のパフォーマンスは落ちる。となれば評価も下がるかも。3月末までに使える今年度分の有休はあと4日しか残っていない……。押し寄せる不安で、気持ちは乱れる一方だ。  長くても1週間というインフルエンザによる学級閉鎖と違い、今回はそのまま突入する春休みも含めれば1カ月余りの長期戦だ。  行き場をなくした子どもたちを一体、誰がケアするのか。特に、共働きで頼れる祖父母などが近くにいない家庭からは悲鳴が上がる。  この女性は憤る。 「勤務先は1千人規模の会社ですが、在宅勤務申請をしているのは自分を含めて2人だけ。この緊急事態にわずか1日で対応しろというのはひどすぎる」  1人親家庭の場合、悩みはより深刻だ。都内に住む小2の女の子の母親(42)はフルタイム勤務のシングルマザー。転職したばかりで給料は歩合制だ。子どもをみるために営業に出向く時間が減れば収入減に直結する。 「困惑の一言。とても不安です」  子どものメンタルへの影響を心配する声もある。静岡県在住の女性(43)は言う。 「ニュースを見た小6の娘は、膝から崩れ落ちるように泣いてしまいました。最後の図工の作品づくりもまだ途中だし、卒業式もどうなってしまうのか」  この女性は休校が本当に感染リスクを減らす効果があるのか、懐疑的だという。 「学校で友達に会えなくなるので、子どもは習い事に行きたがります。お金があって親の目がなければ中高生はゲームセンターやカラオケにも行くでしょう。すべての外出を禁止しない限り、休校だけで果たして効果があるのでしょうか」   前出の横浜市在住の母親は「子どもたちの安全を考えれば仕方ない」と政府の対応に理解を示しつつも、こう訴える。 「ずっと家に缶詰めだとしたらメンタル面が心配。せめてグラウンドや公園は開放してほしい」  今回、一斉休校の要請対象となったのは小中高校。保育園や幼稚園・認定こども園など未就学児が通う施設は、含まれていない。その決定に、保育園児と小2の子どもを持つ都内の女性(37)は胸を撫で下ろした。 「正直言って助かります。いくら在宅勤務ができても、体力のあり余っている子どもを1日自宅に閉じ込めながら仕事をする状況は、親にも子どもにもすごいストレスですから」  働く親で全く同感だという人も多いはず。だがSNS上には、保育園で働く親の切実な声も相次いだ。 「私は保育園勤務。子どもは小1。私個人としては保育園も休園していただけるとありがたい。けど働くお父さん、お母さんが困るのはわかってるし……」  園によっては人繰りがつかないところが出る可能性もある。  さらに、通園する子どもたちの感染リスクも気になる。「保育園こそ濃厚接触の場」「満員電車で通勤する親が送り迎えするので、余計、感染リスクが高い」。そんな声を聞けば、「預けられる」と喜んだ親たちの心も揺れる。  子どものために最善の方法をとりたいという思いは共通。だが何が最善なのか、誰にも答えはわからない。  特に低年齢の子どもを抱える親にとって、休校要請が出る前からストレスは大きかった。 「ただの風邪だと信じたいけど」  2歳の長女と7カ月の長男を育てる函館市在住の女性は、2月19日に自身が結膜炎を発症。そこから数日、揺れる気持ちをツイッターに投稿した。喉の痛み、咳、鼻水、吐き気に発熱と症状は悪化。やがて長男に続き、長女も発熱した。折しも流れてきたのは「函館市内で新型コロナウイルスによる死者」のニュース。 「函館に住んでる身としては本当に怖いし、実際どうしたらいいかわからない。ずっと家にいるけど子ども達が他の病気(インフルとか)だったら病院連れて行きたいし…もしコロナ感染してたら外には出れないし…コロナ?ただの風邪?」  結局、熱が続く子どもたちの様子にたまりかねて保健所に連絡。女性はこう書き込んだ。 「今までどうすればいいかわからなくて不安だったが相談したら気持ちが落ち着いた。私みたいにどうすればいいかわからないお母さんたくさんいると思う」  川崎市内の小学校と幼稚園に姉妹を通わせている母親(40)は、子どもの症状についての情報不足が、親たちを必要以上に過敏にさせていると訴える。 「北海道で感染した小学生についても、症状や経過に関する情報が少なすぎる。子どもたちはマスクも嫌がってすぐにとってしまう。手洗いやうがいも大人ほど徹底しきれないので、周りの子のちょっとした咳にもヒヤッとする」  都内在住で第3子を妊娠中という30代の女性は、次男が通う幼稚園で同じクラスの子どもが熱性痙攣(けいれん)を起こし救急車で運ばれた、と聞いて焦った。 「診断結果はインフルエンザB型だったそうですが、それを聞くまでは気が気じゃありませんでした。インフルも大変ですからこう言うのもなんですが、インフルでホッとしました」  風邪や花粉症と症状の見分けがつかないことも厄介だ。静岡県の女性(40)はこうこぼす。 「うちの6歳の子は花粉症で鼻水や咳が出ます。もしかしてコロナ?と不安になりますが、よく考えれば毎年この時期はせき込んでいる。でもいまは周りのママたちもピリピリしているし、登園の判断に迷います」  不安やモヤモヤを抱えながら、2日からは休校期間がスタートした。混乱の中、親も学校も職場も知恵を絞り、協力していく以外に道はない。(編集部・石臥薫子、フリーランス記者・宮本さおり、大楽眞衣子) ※AERA 2020年3月9日号
新型コロナウイルス
AERA 2020/03/05 11:30
昭和30年代初頭 化粧品を売るために編み出した、今では当たり前の手法とは?
小林照子 小林照子
昭和30年代初頭 化粧品を売るために編み出した、今では当たり前の手法とは?
小林照子(こばやし・てるこ)/美容研究家。ヘア&メイクアップアーティスト。1935年、東京都生まれ。東京高等美容学院を卒業後、小林コーセー(現・コーセー)に美容部員として入社。数々の大ヒット商品を手掛け、85年、同社初の女性取締役に就任。その後独立・起業し、美容ビジネスの企業経営や後進を育てる学校運営をおこなっている。『人生は、「手」で変わる。』(朝日新聞出版)、『これはしない、あれはする』(サンマーク出版)、『小林照子流 ハッピーシニアメイク』(河出書房新社)ほか著書多数(撮影/写真部・片山菜緒子) ※写真はイメージです(Gettyimages)  人生はみずからの手で切りひらける。そして、つらいことは手放せる。美容部員からコーセー初の女性取締役に抜擢され、85歳の現在も現役経営者として活躍し続ける伝説のヘア&メイクアップアーティスト・小林照子さんの著書『人生は、「手」で変わる』からの本連載。今回は、「会社の仕事がつまらない」と不満を抱える人へ贈ります。 *  *  *  美容学校を卒業し、私が化粧品会社に就職したのは23歳のときのことです。化粧品の販売を行う美容部員を教育する「教育部門」での採用でした。そのあと現場でも勉強をということで、私は23歳から25歳まで美容部員として山口県内の25軒の化粧品店に毎月出張し、化粧品を販売する仕事に従事しました。  美容部員というのは、お客様に化粧品の説明をして、化粧品を買っていただくのが仕事です。私はもちろん、会社に言われたことはその通りにマスターしました。お店で化粧品を並べ、お客様に商品の特長を説明し、どんな順番で使っていくのかをお話しして、化粧品を普及させていくのです。先輩方は皆さんこのやり方で商品を売っていらっしゃるし、会社もそれでいいと言っている。だからその通りのことを続けていけば、及第点。それはごくごく当たり前のことです。  でも私には早くメイクアップアーティストになりたいという目標がありました。目標に近づこうと思ったら、やはりチャンスはフルに使うこと。 「お客様に商品を売るだけではなくて、私自身もメイクの腕を磨いていきたい。お客様のお顔にメイクをさせていただくには、どうすればいいのだろう」  私は考えに考えて、お客様にはサービスでお顔のマッサージをご提供することにしました。  時は昭和30年代初頭です。その頃は、化粧はまだ大人の女性たちが普通にするものではありませんでした。メイクアップは、夜の女性たちがするもの。そんなイメージがあったので、「化粧なんて私は結構よ」と、店の前を素通りする女性たちも多かった時代です。  そしていまのように、店頭で美容部員がお客様にメイクをして差し上げるのが当たり前の時代でもありません。商品を売るほうも買うほうも、まだ化粧というものに対して“おっかなびっくり”なところがありました。  そこで私は、「奥様、まず私が手で、とても気持ちいいお顔のマッサージをさせていただきます。そしてお肌の血行がよくなったあと、ちょっとだけお化粧をしてみませんか? 私、東京の美容学校を卒業しているんです。一生懸命お手伝いさせていただきます」とお話しして、マッサージとメイクをサービスでつけたのです。  メイクは派手な雰囲気ではなく、“自然な感じだけれど、ちょっときれい”という印象に仕上げるように心がけました。その頃はまだ「ナチュラルメイク」という言葉は存在しませんでしたが、やはり“塗りすぎていない感じ”というのは、いつの時代も女性たちに受け入れられやすいのかもしれませんね。  多い日は、一日に50人近くのお客様にメイクさせていただいたこともありました。  早く。早く。誰よりも早く。私は自分の手に確かな技術をつけていきたい。  その頃は毎日毎日が充実感に満ち溢れていました。でも何より嬉しかったのは、私がメイクしたあとに皆さんが喜んでくださったこと。「これが私? びっくり」「あなた、すごい技術者だわ」。  ひとが喜んでくれる。そのまわりのひとたちにも、幸せな空気が広がっていく。それがうれしいから、私も前に進んでいける。  生きる張り合いというものは、結局は「ひとに求められ、喜んでもらえる」ということにあるのかもしれませんね。  そして2年後、私はまた東京本社の教育部門に戻ることになりました。あの20代の頃、なぜ自分があそこまで夢中になって働けたのかはわかりません。ただ私は、こう思っていたのです。 「会社から言われた通りのことをやるだけでは、私以外のひとがやっても同じになってしまう。仕事には、自分の思いや夢ものせなくては。そして仕事の枠を広げていったときからが、本当の“自分の仕事”だ」と。  いま、会社の仕事がつまらないと感じていらっしゃる方もいるかもしれません。でも、前章でもお話ししましたが、会社の仕事がつまらないと嘆く前に、どうしたらおもしろくなるかを考えることも大切です。 「まあ、いいか。やることはやったし」と、“一応やりました”を繰り返していくことは、たぶん一番自分を遊ばせてしまうことになるはずです。  アイデアは、いつ浮かんできて、いつ大ヒットに結び付くかわかりません。  いま自分が置かれている状況が満足できるものでなくても、工夫を忘れないことです。そしてアイデアをひねり出す努力を怠らないこと。  これは会社勤めを35年以上して、さらに経営者として社員たち一人ひとりを見てきている私の実感です。 【しなやかに生きる知恵】 教わった通りのことをするのが仕事ではありません 教わった以上のことをしていくのが、仕事です
働く女性朝日新聞出版の本読書
dot. 2020/03/02 16:00
「不倫はもうしない」は信用できない? 夫婦カウンセラーが見た薬物との共通点
西澤寿樹 西澤寿樹
「不倫はもうしない」は信用できない? 夫婦カウンセラーが見た薬物との共通点
薬物も不倫も「共犯者がいる」から抜け出せない? ※写真はイメージです(Getty Images)  芸能人の薬物問題や不倫が盛んに報じられるが、この2つの問題には共通点があるという。カップルカウンセラーの西澤寿樹さんが夫婦間で起きがちな問題を紐解く本連載、今回は「非難と反省の効果」について解説する。 *  *  *  シンガー・ソングライターの槇原敬之さんが、覚醒剤取締法違反(所持)などの疑いで逮捕されました。槇原さんは過去にも逮捕歴があり、その前に逮捕された沢尻エリカさんは公判で「やめなきゃと思っていたけどやめられなかった」と供述したと伝えられています。田代まさしさんに至っては、薬物中毒者の支援施設で活動していても、自分は薬物と手を切れなかったようです。  もちろん、何かのきっかけで薬物から足を洗って更生している人も多数いるはずですが、薬物犯罪の再犯率は65%(特に50歳以上では80%を超えるという数字もあります)と高く、一般論でいえば抜け出すのが難しいのです。薬物そのものの依存性に加え、ある研究によれば、女性の覚せい剤事犯者は共犯者がいると再犯率が高いとされ、使用動機は、男性は「快感を得るため」が最も多く、女性では「嫌なことを忘れるため」が最も多いそうです。  これって、不倫の構図に似ている気がします。もちろん、不倫は民法的に違法、麻薬・覚せい剤は刑法的に違法であり社会的な許容度は異なりますが、背徳的ではあるけど、どこか魅惑的で生物的な興奮や快感を得られるという点が似ているように思います。同じ構図で薬物の研究が援用できるのだとしたら、不倫は必ず「共犯者」がいるので抜け出しにくいとも予想されます。  困惑した表情でおいでになったのは、ベンチャー企業経営者の彰さん(仮名、40代前半)と妻の直美さん(仮名、専業主婦、30代後半)です。お話によると、彰さんは部下の女性との不倫が発覚しました。  直美さんによると、以前から怪しいことは結構あったけど、「信じなきゃ」と思って信じてきたのだそうですが、3年前のある日、決定的なことがわかってしまいました。家族旅行で行きたいと思って何の気なしに検索して読んでいた海外のリゾートホテルに、夫のGoogleアカウントで評価と口コミが書かれていたのです。その内容はホテルの対応が悪く彼女を怒らせてしまったという内容でした。  その時は1週間以上、毎晩深夜まで話し合い、「双方納得」して、やり直そうと決めたそうです。その時の彰さんの意見の一つは、「直美さんが子育てに全力をあげていて、それが必要なこともわかるが『なんだよ~』という気持ちもあるし、自分は性欲も人一倍ある」ということでした。直美さんは夫にあまり意を向けていなかったことを反省するとともに、断腸の思いで「どうしてもの時は私にわからないように風俗に行って」「体だけの関係なら最悪許せるけど、個人的な関係を持たれるのだけは絶対に嫌」と話し、彰さんは、「もう直美を悲しませることはしない」と答えたそうです。  しかし、残念ながら、半年とたたないうちに部下との関係が復活し、1年ちょっと続いたところでまた発覚したそうです。その時は、彰さんが1週間近く平謝りに謝り、結局、彰さんは仕事に大きな穴が開くのを覚悟でその女性部下を解雇し、さらにその女性と彰さんそれぞれが「もう会わない」と誓約書を書いて直美さんに渡して、ようやくやり直すことになったそうです。  そしてまた今回です。さすがに直美さんは、こっそりかばんや財布を毎日チェックしたり、夫のPCのパスワードを突き止めたりして、過去のクレジットカードの明細などの資料をできる限り集め、さらに探偵も入れて調査したそうです。結果、最初に発覚した女性といまだにつながっているだけでなく、他にも何人かの女性とつながっているらしいことがわかったそうです。  直美さんは数日間しゃべれなくなってしまいました。ようやく話せるようになって何日か話し合ったそうですが、すっきりせずカウンセリングにおいでになりました。まだ、絞り出すように話せる程度です。  彰さんは言います。 「もうしないって断言できます」 「過去が過去だけになかなか信用してもらえないとは思うのですが、本当に懲りました」 「ただ、妻にはなかなか理解してもらえなくて」 「いろいろ妻を裏切るようなことをしてきましたけど、一時たりとも妻をないがしろに思ったことはないんです。それだけは信じてください」 「いつかやめないといけないと思っていたんです。こういう形になってしまいましたが、やめるきっかけができてほっとした部分もあります」 「どうにか、我々夫婦にとっていい方向にいけるように、お力添えをいただきたいと思い、恥を忍んでやってまいりました」 「可能なら、自分のこうした性格を変えていかないといけないと思っていますので、ぜひお手伝いをしていただきたい」  彰さんは、やり手経営者だけあって、いろいろとうまい言葉が出てきます。文字に書くと胡散臭く見えるような言葉も、直接聞いていると説得力を感じてしまうカリスマ性があります。  彰さんは、<現在の>気持ちを述べているだけで、嘘は言っていないと思います。ただ、直美さんが彰さんの発言にどの程度の信頼を置いていいかは別の問題です。薬物で逮捕された槇原さんも、田代さんも、その時々の気持ちに対して、嘘は言っていないと思います。しかし、残念ながら逮捕が繰り返されています。  同じように、彰さんも積極的に嘘は言っていないと思いますが、時間がたち、状況が変わると、変化してしまう気持ちに基づいて話すように、私には思えました。彰さんは、「これは今までみたいに浮ついた気持ではなくて、確固たる気持ち」だとおっしゃっていましたが、意地悪くいえば「確固たる気持ち」という気持ちもまたうつろいやすいのです。  なぜこういうことになってしまうのでしょうか。配偶者や社会からの非難は、<許してもらうため>の優等生的な反応を引き出してしまう、という点に大きな落とし穴があります。つまり非難する側は「これだけ言えばそれが伝わり、相手は真摯に反省して、もう繰り返さないだろう」という前提に立っているのに対し、非難される側は、非難されることが辛いので、自分の行動を振り返るのではなく、「どうしたら相手に許してもらうことができるか」がゴールになってしまうのです。それは突き詰めると、相手をなだめるためにどういうプレゼンをすればよいか、という目的意識だということです。彰さんにそういう視点もあると指摘したら、言下に否定されてしまいましたが……。  さらに、自分で反省する(自分で自分を非難する)ことを評価する風潮もあります。直美さんもそれを求めていましたが、それは非難とその反応(どうやって許してもらうかという意識)を自分の中でイメージトレーニングして繰り返しているようなものなので、もっとその反応が定着します。  つまり、本質的には何も変わらないのです。目に見える反省のもう一歩深いところには、その人の人生のポリシーとモチベーションが変わらずにあります。良い悪いは別にして、女性を自分の人生を彩るツールとしてしか見ていない男性は少なからずいるのが事実で、その男性たちも「君は僕が楽しく生きるためのツールだよ」とは言いません。  彰さんの場合は、その代わりに 「本当に愛しているのは、直美だけだ。それは天地・神に誓って間違いない」  とおっしゃいます。どういうところが好きなのかを聞くと「美人なところ」、「気が利くこと」、「安心して家庭を任せられるところ」とまさに、ツールとしての妻の機能を列挙されます。  逆に、夫をATMや人生の保険と思っている女性も少なからずいらっしゃいますが、それも言葉では言いません。直美さんはそれをカモフラージュして、 「子どもには責任がないのに、親が離婚して子どもの生育環境を下げるというのは、子どもに申し訳が立たない」  とおっしゃいます。  もちろん、結婚にはそういう現実的な部分が大なり小なりあるのは普通のことだと思いますが、気持ちと現実のどっちが主なのかは大事なポイントです。  結局、彰さんが直美さんを道具として見ている(部分がある)という側面に焦点を当てると、直美さんはカウンセリングで<いい話ができた>と若干元気になり、彰さんは、自分は妻を愛している、という話に持っていきます。一方、直美さんは彰さんをATMとして見ているところに焦点を当てようとすると、彰さんは「女性に分かれって言っても無理だとは思いますけど」とそのことをもっと妻にわかって欲しいと匂わせ、直美さんは妻子を養うのは当然の義務、と話をすり替えます。  つまり、お互いに、自分が直面し内省すべきところは話を逸らし、相手には直面し内省して欲しいわけです。自分は変わりたくなくて、相手には変わって欲しいという、なかなか難しい構図です。  もちろん、そういう隠れた構図から抜け出せる夫婦もいらっしゃいます。しかし、麻薬がダメだということは誰でもわかっているけど、実際にはなぜ自分が麻薬に手を出してしまうのかという本質的な部分にまで直面することが難しく、結果的に再犯率が高い(更生率が低い)のと同じように、なかなか抜け出しにくいのです。  これは、不倫される方にも問題があるという意味ではありません。パートナーの許せない言動があったとき、できればもっと手前の「あれ?」と感じるような違和感があったとき、「自分はこの人の何に惹かれて、付き合いたい・結婚したいと思ったんだっけ?」「相手は自分の何に惹かれて、自分と付き合いたい・結婚したいと思ったんだろう」と思いめぐらしてみるのは一つのヒントになるかもしれません。付き合うとか、結婚するという行動を引き起こした気持ちのもう一歩深いところに、それぞれにどのようなモチベーションがあったのかわかると、糸がほどけるかもしれません。  そしてその時、気を付けるべきことは、嫌なことをされているので、「本音はこうに違いない」とどうしてもネガティブに見がちですが、できる限り第三者的に冷静に自分と相手を観察することです。(文/西澤寿樹) ※事例は、事実をもとに再構成してあります
不倫夫婦男と女
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女性は、月経や妊娠出産の不調、婦人系がん、不妊治療、更年期など特有の健康課題を抱えています。仕事のパフォーマンスが落ちてしまい、休職や離職を選ぶ人も少なくありません。その経済損失は年間3.4兆円ともいわれます。10月7日号のAERAでは、女性ホルモンに左右されない人生を送るには、本人や周囲はどうしたらいいのかを考えました。男性もぜひ読んでいただきたい特集です!

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クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

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