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241年前「天王星」を発見したのは音楽家 作曲と天体観測で睡眠不足も「長生き」だった背景
早川智 早川智
241年前「天王星」を発見したのは音楽家 作曲と天体観測で睡眠不足も「長生き」だった背景
11月8日の皆既月食。天体観測が趣味でもある筆者・早川智医師が撮影した 『戦国武将を診る』などの著書をもつ産婦人科医で日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授の早川智医師が、歴史上の偉人や出来事を独自の視点で分析。今回は、天王星を発見した作曲家ウィリアム・ハーシェルを「診断」する。 *  *  *  11月8日は皆既月食と天王星の星食が重なるという442年ぶりの天文現象があった。この日は本業を早く切り上げて、埼玉の山の中で待機、同好の方々と共に世にも珍しい写真を撮った。この前に皆既月食中の惑星食(土星食)があった1580年というと「本能寺の変」の2年前、日本では織田信長が安土城を築き、英国では処女王エリザベス1世、スペインはフェリペ2世、フランスはアンリ3世の治世である。1580年7月26日の皆既月食中の月が土星を隠す現象は目の良い人は見たかもしれないが現存する観測記録はない。今回の天王星は6等級で望遠鏡でなければ見ることができないが、オランダのハンス・リッペルハイが望遠鏡を発明(正確には特許申請)したのは1608年である。そもそも天王星がウィリアム・ハーシェル(1738-1822)によって発見されたのはその200年後の1781年のことである。 本業は音楽家  今年は奇しくもハーシェルの没後200年にあたる。  彼の名は天王星の発見者のみならず、円盤形銀河系モデルや広範な星雲星団カタログの創始者として広く知られている。しかし天文については、もともとはアマチュアであり、本業は作曲家兼オルガン奏者だった。  フレデリック・ウィリアム・ハーシェル(Sir Frederick William Herschel)は1738年11月15日、ドイツ北部ハノーバーの軍楽隊オーボエ奏者イザーク・ハーシェルと妻アンナ・イルゼの次男として出生し、4歳のときからバイオリンの英才教育を受けた。父同様にオーボエを好み、15歳でギムナジウムを退学してオーボエ奏者として軍楽隊に入り、軍用で1755年、英国に渡る。当時、ハノーバー公国と英国は同君連合の関係にあり、人々の交流は盛んだった。ドイツ出身で英国籍を取得し、国民的作曲家となったヘンデルが彼の理想だったのだろう。 11月8日の天王星食。天体観測が趣味でもある筆者・早川智医師が撮影した  その後、1756年に除隊。当初は写譜で糊口をしのいでいたが、1760年にはダーラム(イングランド北東部)の管弦楽団の指揮者兼作曲家に。1766年、伝統あるバース(イングランド南西部)にあるオクタゴンチャペルのオルガニストに就任し、1770年までの10年間、多数のシンフォニーや協奏曲、 オルガンソナタ、室内楽ソナタを作曲した。  1772年には故郷ハノーバーに錦を飾り、妹カロリーネをソプラノ歌手として英国に伴う。妹は音楽活動もさることながら天体観測助手を務め、さらに彼女自身が多くの星雲星団や二重星を発見した。  1781年3月13日、ハーシェルは土星の外軌道にある天王星を発見した(彼自身はハノーバー出身の英国王に敬意を表して、ジョージの星<Georgium Sidus>と命名したが、後にベルリンの天文学者ヨハン・ボーデが命名したUranusが学界で承認された)。この功績により王立学会から表彰されて正会員となり、国王ジョージ3世に気に入られ、ロンドンで幼い王子王女に惑星を自作の望遠鏡で見せる王室付天文学者に任じられた。彼はその後も、王室付天文学者の地位に甘んじることなく、多数の二重星の観測データからニュートン力学が太陽系外の恒星の間でも作用する普遍的な原理であることを証明した。 最大口径の望遠鏡自作  あわせて、音楽活動も続けていた。  演奏される機会は少ないが、ハーシェルの音楽は後期バロックから初期古典派の典型的な作風で彼自身が創始した目新しいものはなく、変奏のパターン化や展開部の不足など作曲技法のぎごちなさもあった。しかし、それを補って余りあるメロディーラインの美しさや明快な構成が聞き手に心地よい印象を与える。同郷の先輩であるヘンデルや同時代のモーツァルト、ハイドンには及ばないにせよ、サリエリやシュターミッツなど他の前古典派作曲家の作品に、決して引けをとらないように思われる。  本業になった天体観測も天体望遠鏡作りも、作曲も、神によって創造された神秘的かつ数学的に明快な世界を解明するという彼の一生を通しての目的とは、なんら矛盾がなかったに違いない。ただ、有名となったハーシェルが王室付の天文学者、王立天文学会の初代会長としての活動が忙しくなり、作曲活動をやめてしまったことは大変に残念である。 ウィリアム・ハーシェル(gettyimages)  1786年、ハーシェルはウィンザー近郊スラウのクレーホールに移住した。この地で当時としては英国最大の口径48インチ(122センチ)の40フィート望遠鏡を自作し、さらに遠くの淡い星雲や惑星の観測をはじめた。この望遠鏡で1789年、土星の6番目と7番目の衛星「エンケラドス」と「ミマス」を発見したとされる。ただ、この望遠鏡は大きすぎて自動装置のない当時としては制御が難しかったらしく、天王星の衛星「チタニア」と「オベロン」や大部分の暗い接近重星の観測は愛用の20フィート望遠鏡で成し遂げたという。  ハーシェルは1788年にメアリー・ピットと結婚し、4年後に一子ジョン・フレデリック・ウィリアム・ハーシェルをもうける。十分な教育が受けられず独学で天文学を極めたハーシェルは、息子のジョンに大きな期待をかけた。その期待に違わず、ジョンはケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジを首席で卒業し、科学者になった。  彼は銀板写真術で有名だが、天文学でもケープタウンに大望遠鏡を建設し、高齢の父が果たせなかった南天の星々の観測を行い、多数の星雲星団を記載して父のカタログを完成させた。ハーシェルは晩年にナイトに叙せられるが、ジョンも王立天文学会会長を務め、彼の代でハーシェル家は従男爵に叙せられた。 健康な老年時代  ハーシェルは、青壮年期には昼と宵は音楽活動、夜は天体観測。有名になってからは、昼間は宮廷に伺候した後に天文学会や王立学会の仕事をこなし、晴れた夜は天体観測、曇った夜は執筆活動と、まさに慢性的な睡眠不足だった。だが、大きな病気をすることもなく、当時としては長寿の83歳まで健康に生きることができた。1792年スラウの自宅兼天文台には英国訪問中のハイドンが訪れ、親しく歓談した。そのときの英国滞在日記には、ハーシェルはたとえ来客中でも、晴れてさえいればいかに寒くても毎晩、数時間を観測に費やしていることが記されている。 11月8日、天体観測が趣味でもある筆者・早川智医師が撮影した  ハーシェルは亡くなる2、3年前まで精力的な観測を続け、1819年には詳細な彗星の観測記録を残している。しかし、その後はさすがに観測記録が少なくなり、1822年の死因は老衰といわれている。息子ジョンも健康に恵まれ79歳の天寿を全うした。さらにハーシェルの妹カロリーネは97歳まで長命している。家系的に長生きだったのかもしれないが、貴族になっても上流階級との華美な付き合いを避けて粗食に甘んじ(ふつうの英国料理かもしれないが)、真面目で規則正しい生活を送ったことも関係あるだろう。もちろん深酒すると天体観測はできないので、禁酒または節酒のはずである。  実は、アイザック・ニュートン、エドモンド・ハレーなど近代天文学の夜明けに貢献した学者に長生きは多い。またチャールズ・ダーウィンなど生物学の父たちも長生きしている。18~19世紀の英国紳士階級出身の彼らにとって立身出生競争や金儲けに追われず、趣味そのものであった大好きな学問と田舎の暮らしで人生を楽しむのが、長生きの秘訣だったのではあるまいか。 ◯早川 智(はやかわ・さとし)1958年生まれ。日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授。医師。83年日本大学医学部卒、87年同大大学院医学研究科修了。米City of Hope研究所、国立感染症研究所エイズ研究センター客員研究員などを経て、2007年から現職。著書に『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)など。趣味は天体観測。 ※AERAオンライン限定記事
AERAオンライン限定天王星皆既月食
AERA 2022/11/15 07:00
約4千人が登録する、同じ本を読んだ人と会話できるオンライン書店 月に約3組のカップル誕生
約4千人が登録する、同じ本を読んだ人と会話できるオンライン書店 月に約3組のカップル誕生
Chapters bookstore /毎月1冊の本と1回の出会いを届けるサービス。40代のエンジニア、30代の森本萌乃さん(写真)、20代のスタッフの3人で運営(photo Chapters bookstore提供)  現在読書専門カフェなど、読書体験を豊かにするためのサービスが多く展開されている。読書という趣味を通した出会いをサポートするオンライン書店もあるという。AERA 2022年11月14日号の記事を紹介する。 *  *  *  文庫本の選書とマッチングサービスを組み合わせたオンライン書店「Chapters bookstore」は昨年6月にオープンした。毎月のテーマに沿って4冊の文庫本が用意され、題名は隠されたまま、推薦文やイラストから1冊を選ぶ。家に届くまで題名はわからない。読み終えたら、同じ本を読んだ人と20分のビデオチャットをすることができる。月額1980円のサービスだ。 「20代後半の頃、マッチングサービスで恋人を作ろうとしたけど全然出会えず、出会い方にフォーカスしたワクワクするサービスがあったらいいなと思っていました。それを趣味の読書と融合させて作ったんです」  と代表の森本萌乃さん(32)は話す。もともと電通に勤めていたが、対企業より消費者に向けた仕事がしたくて、コスメ、アパレルの会社を経て自分のビジネスを立ち上げた。昨年、取次のトーハンから出資を受け、今年は特許を取得した。 「オープンまでは寝不足で目がバキバキになるくらい働きました。まだ生きていけるだけの利益は出ていませんが、お客様の満足度が高いのがうれしい」 ■選書に命かける  登録者はのべ約4千人。ほとんどが20代、30代で全体の6割を女性が占める。ビデオチャットで気が合えば連絡先を交換し、ひと月に3組くらいのカップルが誕生している。その一方、4割の人はビデオチャットには参加せず、選書サービスだけを利用する。つまり、本選びに迷う人たちの読書の案内役になっているのだ。  だから森本さんは「命がけ」と言うほど選書に力を入れる。書店員、ユーチューバー、出版社と相談し、エンタメ小説を中心に毎月20~30冊の候補作を読み、4冊に絞っていく。 「チャプターズのブックカバーが面白い本の証明になるといいなと思ってるんですよね。読んで損した、つまらなかったと思われたらもったいないから妥協できないんです」 SNSには「毎度選書センスに脱帽。届くまで待つ時間も良い」「しっかり泣いた本は久しぶり」「共通の趣味があると話が弾む」などの感想が(photo Chapters bookstore提供)  出版社から挙がってきた候補作が面白くないときはリストを出し直してもらう。 「私の信条は仕事しやすい人にならないこと。ちゃんとこだわらないと見たことのないものは作れない。面倒な人でいたい」  昨年、「秋のお出かけ」をテーマに一緒に選書をした新潮社文庫出版部の菊池亮さんは、森本さんの選書にかける真っすぐな思いを感じたという。 「とにかく顧客のことだけを考えている。1タイトル約400~500冊と販売数が思ったより多かったのも印象的でした」  結局、約3千タイトルの新潮文庫から原田マハ『楽園のカンヴァス』、角田光代『さがしもの』、佐藤多佳子『しゃべれどもしゃべれども』、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』が選ばれた。  出版社によっては品切れの作品を重版することもある。11月のテーマはコーヒーブレイク。特製ブックカバーとコーヒーのドリップパックが付いてくる。 「楽しい読書体験を届けたい。本の1ページ目を安心して開いてもらうにはどうしたらいいのか、いつも考えています」  小田急電鉄の特急ロマンスカーでは、車内で書籍の要約サービス「flier(フライヤー)」のコンテンツの一部を読むことができる。  flierはビジネス書を中心とした本の要約を1日1件ずつ配信するサービスだ。ユーザーは30代、40代が多く、無料会員を含めた累計会員数は98万人。コロナで在宅勤務が増えたときに大きく伸びた。  要約は出版社と著者の許諾を得ている。出版社の中には本のPRとして協力し、手応えを感じている会社もある。普段人気があるのは、すぐ役立つビジネススキルの本の要約だが、コロナ以降は『人は話し方が9割』のようなコミュニケーション関連本の要約を読む人が急増した。フライヤーの執行役員・井手琢人さんは言う。 「どんな要約が読まれているかでビジネスパーソンの悩みがわかります。最近はリベラルアーツへの関心が高まっている。ビジネス書の情報はこのサイトにいちばん集まっているという状況を作りたいと考えています」 (ライター・仲宇佐ゆり)※AERA 2022年11月14日号より抜粋
AERA 2022/11/14 19:00
女だからと押し付けられることには「なめんなよ!」 枝元なほみがキッチンから見た社会問題とは
女だからと押し付けられることには「なめんなよ!」 枝元なほみがキッチンから見た社会問題とは
「食べる」と「生きる」はつながっている。人が笑っている顔を見たいから、枝元はキッチンに立つ(撮影/植田真紗美)  料理研究家、枝元なほみ。捨てられる食べ物がある一方で、今日の食事に困る人がいる。「夜のパン屋さん」は、そんなねじれを解消する取り組みだ。売れ残ったパンを集め、ビッグイシューの販売員が販売する。この「夜パン」の発起人が、枝元だ。台所から見えてきたのは、フードロスや農業、貧困などの社会問題。女性に押し付けられる理不尽さをかわしながら、未来をつくりだす。 *  *  *  真っ赤に熟れたトマト、みずみずしいキュウリやナスと、旬の野菜で彩られたサラダやマリネ。カリッと揚げたてのカボチャ、フライパンで炒めた空心菜には生ハムとチーズの欠片を入れたオリーブオイルを隠し味に。キッチンに立つ枝元(えだもと)なほみ(67)は「今日はB品の集いなの」とほほ笑む。  8月末、東京都港区のマンションを訪ねると、枝元は手料理でもてなしてくれた。知り合いの農家から取り寄せたのは、形や色が不揃(ふぞろ)いで「B品(規格外)」とされる野菜だが、滋味あふれる格別の味。枝元は無農薬栽培で手をかけて作る生産者に思いをはせる。「本当においしいものを食べると、力をもらう感じだよね」と。  料理の世界では「エダモン」と親しまれ、テレビや雑誌で活躍。その活動は「料理の人」にとどまらない。「チームむかご」を立ち上げて、流通にのらずに捨てられてしまう食材を広める取り組みをする。近年はNPO法人「ビッグイシュー基金」の共同代表を務め、生活に困窮した人たちがパン屋で売り切れなかったパンを販売する「夜のパン屋さん」をスタート。今年10月には、キッチンから食べ物と向き合う視点でフードロスを考える『捨てない未来』を上梓(じょうし)した。 「フードロスとは、そもそも社会システムの問題なのに、家庭やキッチンにいる女に押しつけられるのはおかしい。男たちは知らん顔しているけれど、『なめんなよ!』と思う」と枝元の鼻息は荒い。  日本の農業の未来を憂い、貧困問題にも熱いまなざしを注ぐ「エダモン」。ふんわり柔らかな物腰に潜むパワーはどこから生まれているのだろう。  枝元なほみの「なほみ」は、本名「菜穂美」だが、姓名判断を調べて、ひらがなにしたという。 「漢字で書くと、『内助の功を尽くす良妻賢母』タイプ。ひらがなで書くと、『淫乱のパッパラパー』。どっちが楽しいかといったら、淫乱のパッパラパーでしょう。内助の功なんて絶対あり得ないもの」 神楽坂の「かもめブックス」の軒先で週3日開く「夜のパン屋さん」。自家製天然酵母にこだわったパンや人気の総菜パンが並び、仕事帰りや犬の散歩中に立ち寄る人たちがお目当てのパンを買っていく(撮影/植田真紗美) ■ヒッピーに憧れた高校時代 劇団に入ると賄いの担当に  父はサラリーマン、母は小学校教員という横浜の中流家庭で長女として育ち、幼い頃から超マイペースな少女だった。小学校では授業中に「宇宙の果てはどこか」などと考え、自分がどこにいるか忘れてしまうこともしきり。将来の夢もぼんやりしていたが、高校の教師に「おまえ、家政科へ行けよ」と勧められたときはひどくムカついた。 「女だから台所にいて、家族の食事を作ることを押しつけられるのなんて、鼻で笑っちゃうよと」  高校の頃からレッド・ツェッペリンが好きで、ロック喫茶に入り浸る“ハードロック少女”だった。ヒッピーカルチャーに憧れ、サリンジャーにも傾倒した。明治大学の英米文学科へ進学。19歳のとき、書き置きをして実家を飛び出した。 「一人暮らしの『清貧』に憧れて、まずは学生寮の友だちの部屋へ転がりこんで。そしたらバイトに行く電車賃もないくらい貧乏になっちゃった」  インスタントラーメンばかり食べていたら、友だちが見かねて牛肉のカレーを作ってくれた。大鍋にゴロゴロとお肉が入り、がんがん食べたら、夜中に鼻血が出たことも。やがて東京・阿佐谷の4畳半一間のアパートへ移ると、台所には鍋一つ。友だちにもらった素麺(そうめん)を茹(ゆ)でたり炒めたりと工夫を凝らす。さすがに飽きてスーパーで試食販売のバイトをしたら、素麺の担当でへこんだ。  大学3年のとき同級生のバンドマンの彼と東京・国立で暮らし始めた。当時、大学は学園紛争でロックアウト。枝元は友人に誘われ、学内の劇団へ入る。卒業後も就職せず、国立の長屋住まいは売れないミュージシャンや役者のたまり場に。「何を作っても『すげえ、うまい!』と喜んでくれる。お金がない食卓も面白かった」と懐かしむ。  あるとき現代音楽のパフォーマンスで、詩人の伊藤比呂美(ひろみ)と出会った。伊藤は枝元をこう顧みる。 「まともじゃなかったですよ。恰好(かっこう)も普通じゃなかったし、表情もしゃべり方も声もたぷたぷして、要領をえなくて、なかなか先に進まない。私たちの世代はヒッピーくずれなのにそれをまんまやっているのはすごいなと。でも、気が合ったんです」  伊藤に誘われ、「転形劇場」を観たのは26歳の頃。主宰の太田省吾の作品「水の駅」は、旅姿の役者が舞台上をゆっくり歩き、水道からつーっと垂れる水と関わり、またゆっくり去っていくという沈黙劇。人の生死や反戦の思いを表現する芝居に惹(ひ)かれ、大杉漣(れん)らがいる劇団の研究生になった。 台所で「捨てない」工夫も楽しんでいる。野菜はピクルスや浅漬けに、フレッシュハーブやだしをとった昆布は冷凍保存し、柑橘の皮は砂糖で煮てピール作りを。ベランダでは生ごみコンポストも実践中(撮影/植田真紗美) 「でも、私だけどんくさくて、『一人ママさんバレー』みたい(笑)。太田さんにはいつも、『おまえ、そのスカートは児童劇団?』といわれていて」  公演前やイベントのときは賄いを務め、団員や何百人ものお客さんに出す料理を作る。二升釜で「飯炊き」に励み、大根入りのカレーや鶏手羽先カレーなど、お金のかからない料理を工夫した。 ■家庭的に見えるが 価値観を壊すような料理  枝元の料理は、誰に習うことなく自分で考えた創作メニュー。腕が鍛えられたのは、中野の無国籍料理店「カルマ」でのアルバイトだ。店主はレモングラスや香菜など当時珍しかった食材やスパイスを仕入れ、好きなように料理していいという。 「値段につり合うものを作らなくちゃと思い、味やボリューム、見た目もすごく考える。お客さんに納得してもらえるよう切磋琢磨(せっさたくま)していました」  転機が訪れたのは32歳のとき。いきなり劇団の解散を知らされた。同居人の彼も「中国へ行く」と旅立ち、連絡が途絶える。数カ月後、帰国した時には心も冷め、枝元は彼と暮らした家を出た。 「劇団はなくなる、男はいなくなる、住むところもなくなった。普通なら結婚して、子どももいるような年頃なのに何にもなくなっちゃって……」  そんな枝元に友だちが料理のアシスタントの仕事を紹介してくれた。その後、「女性セブン」で初めて料理を作る仕事をもらう。4ページで30品のおかずを紹介する、料理研究家の登竜門のようなページだ。最初の頃はカメラマンに「先生はどなた?」と聞かれ、「(大学の)亀山ゼミです」と大ボケをかましたことも。料理界では著名な先生についたり、料理学校を出たりしている人が主流だったが、経験はなくとも枝元には確信があった。 「芝居を10年続けてもお金にならないし、役につけるかどうかもわからなかった。人生全般の下積みはあったから、何とかやっていけるだろうと」  仲間とつくっていく芝居の現場で培われたプロ魂があり、観客に喜んでほしいという思いは、自分の料理を見てくれる読者への目線につながる。 「母が教員だったので、急いで仕事から帰って家族のためにご飯を作る後ろ姿が浮かぶ。働く女性たちに向けてという思いはすごくありましたね」  主婦向けの雑誌や料理番組で活躍し、「エダモン」ファンが増えていく。多忙を極めていた40代の頃、枝元は伊藤比呂美とFAXのやりとりをしていた。独身で料理の仕事に追われる枝元と、詩人で主婦の伊藤。「何、食べた?」と、日々の食事を延々としゃべっていた。 「料理の話をしていると、すごく深くなるんですよ。彼女は本当に無国籍な人。文化人類学者と話している感じがするんですね。枝元の料理は一見平和に家庭的ですが、全然違う。むしろ家庭の持っている価値観をぶち壊すような脅威がある。日本の文化の中におさまらず、違うところで常に何か取っかかりを探していると思います」(伊藤) ■日本の農業の問題を見て 「チームむかご」を発足  40代に入り、枝元が初めて師事したのは料理研究家の阿部なをだ。明治生まれの阿部は青森出身の人形作家で、離婚を経て料理の道へ。みちのく料理の「北畔(ほくはん)」を営み、旬の食材を生かした心尽くしの料理をふるまっていた。「台所は女が一人でいられる場所」という凛とした生き方に憧れ、料理をする姿勢や食材との向き合い方を教えられた。  仕事の現場では全力投球。だが、食材の流行や時短テクなど時流のスタイルがあり、メディアが求めるものに応え続けることで消耗していく自分もいた。料理の仕事では食材の産地に招かれる機会も増えていく。生産者の声を聞くと、農業収入が安定しない現状があり、後継者不足も深刻だ。このままでは日本の農業がダメになると危惧した。 「生産者は『きれいな野菜じゃないと買ってもらえない』と言い、消費者は『見かけは悪くてもおいしくて安全なものを食べたい』と言う。生産者と消費者の関係がねじれていると思ったの。その真ん中にいる私にできることはないかと考えたとき、捨てられているむかごを思い出したんです」  むかご(山芋の葉の付け根につく球芽)は栄養があり、塩茹ですると美味(おい)しいが、売れないからと廃棄されていた。もったいないと思った枝元はそれを販売できないかと考える。捨てるものがお金になれば「希望の種」になるんじゃないかと。  その話をすると「よしわかった。何か力になれれば」と聞いてくれたのが、農畜産物流通コンサルタントの山本謙治だ。山本は北海道の山芋の一大産地へ枝元を連れて行くが、生産者は「人手が足りない」と冷ややかだった。それでも他の産地を訪ね、無農薬栽培の農家と懇意になっていく。新幹線で畑へむかごをとりに行き、洗って干して袋詰めし、マルシェで販売しても1袋200円。「どれだけ老後資金を注ぎ込んだか」と苦笑する。 「彼女はピュアでまっとうにぶつかっていく人。困っている人がいれば、ひと肌脱がないと気がすまない。料理研究家という枠だけにおさまらないアクティビストなのだと思います」(山本) (文中敬称略) (文・歌代幸子)※AERA 2022年11月14日号
現代の肖像
AERA 2022/11/13 18:00
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米倉昭仁 米倉昭仁
ツイッター大量解雇の背景 マスク氏は「キラキラ社員よりモーレツ社員」が必要? 巨大ITの人員削減事情
ツイッター社は今後どうなるのか(写真/アフロ)  11月9日、フェイスブックを運営するメタは社員の約13%に相当する1万1000人以上を削減すると発表した。ツイッターやアマゾンなど、SNSやネット通販で身近なサービスを提供してきた巨大IT企業の間で、解雇や新規雇用抑制の動きが広がりを見せている。IT業界で何が起こっているのか、ITジャーナリストの西田宗千佳さんに聞いた。 *   *   *  今、巨大IT企業は米国経済が減速するかもしれないという強い懸念に初めて直面していると、西田さんは言う。 「ここ10年ほど、米テクノロジー企業は大きく成長してきました。IT企業の株価上昇が米国市場の株価を牽引してきたわけです。それはITバブルというほどではありませんでしたが、着実にアメリカに好景気をもたらしてきた。ところがこの1年くらいはテック企業の業績が、タイヤがスローパンクして空気が抜けるようにゆっくりとしぼんできた」  その背景にあるのが記録的水準のインフレだ。 「テック企業が集まるシリコンバレーの周辺、例えばサンフランシスコで暮らすのは物価上昇で大変です。年収4千万円のビッグテック企業に勤める社員が貴族みたいな生活ができるかというと、ぜんぜんそんなことはない。年収1千数百万円とかだと、ぎりぎり生活できるレベルです」  これまでは物価の上昇にともなって賃金が増える経済の好循環が続いてきたが、 「さすがにもう許容範囲を超えてしまった、という話が出てきた。すると今後は物やサービスが余ることが予測される。売り上げを伸ばすことが厳しくなってくるので、広告費が抑えられる。なので、物やサービスだけでなく、広告費をベースに運営してきたIT企業も苦しくなる」  と西田さんは説明する。  米企業は雇用調整として日本よりたやすく社員を解雇するイメージがある。 「でも、なぜ、そうできるのかというと、単純な話、解雇時にたくさん支払うからです。どんどん雇って、仕事のできない人は解雇して、優秀な人を残す。でも、将来的に収益が上がる見込みがないと、大量に人を雇うことはできない。解雇するときに多額の費用がかかりますから。なので、まず、新規雇用を一時停止した。それがビッグテックの一つ、アマゾンです」 メタの次はグーグルか  アマゾンの社員構成はビッグテック企業のなかでも特殊で、ハイクラスのエンジニアとフルフィルメント(配送)センターの従業員に分かれるという。 「エンジニアを雇うには一人当たりのコストがものすごくかかりますが、人員の割合としてはそれほど多くない。一方、フルフィルメントセンターにはものすごい数の人が働いている。去年までは人手不足だったので、日本の感覚でいえば月給30万円くらいの金額を支払って比較的シンプルな仕事をしてもらっていた。ところが今年に入ってからアマゾンは雇用のブレーキを踏むことになった」 週刊誌「AERA」2014年11月24日号の表紙にイーロン・マスク氏  トップIT企業が必要としている優秀なエンジニアは米国西海岸の地域に住んでいることが多く、その人材は常に不足しているという。なので、解雇の危機にあるのは主にそれ以外の部門の社員という。  メタのマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)は、大規模解雇を断行する理由の一つとして広告収入の減少を挙げた。 「メタバース企業を目指しているメタが削減するのは広告の制作部門や、その営業部門の余剰人員でしょう。メタは中小企業向けに、オンラインで直接、顧客に製品を販売するためのチャットのサービスを提供していますが、その営業担当者を減らすとか」  実をいうと、消費マインドに一番直結している企業はアマゾンでもメタでもなく、アップルである。iPhoneなどの製品を販売して収益を得ている同社を中長期的に見れば、今後、消費マインドの冷え込みが業績に影響を与える可能性はある。 「でも、直近で消費マインドの低下傾向によって広告収入の減少し、広告事業が主体のメタは人員削減を打ち出したわけです。その次に影響が大きいのはグーグルでしょう」 キラキラ社員はいらない  一方、11月8日にニューヨーク証券取引所への上場が廃止となったソーシャルメディア大手のツイッターが行った大量解雇は、まったく別の理由という。 「ツイッターを買収してCEOになったイーロン・マスク氏が取締役や従業員を解雇するというのは以前から想定されていたことです。要するに彼は『寝ないで働くやつ』としか一緒に働かない、ということです」  これまでにマスク氏は、宇宙ロケット製造・打ち上げ企業「スペースX」を立ち上げ、とてつもないスピードでロケットの開発を推し進めてきた。さらに「ロケットの製造から量産、飛ばし方まで、すべてが従来と違っていた」。  マスク氏がスペースXで行ってきたことを振り返ると、取締役会や株主の了承を得たうえで事業を進めるというやり方は彼の流儀にはまったく合わないことがよくわかる。 「ツイッターの旧経営陣全員の首を切った、ということは、会社の方針をガラリと変える、ということです。彼が求めるのは日本の1950年代、60年代の『モーレツ社員』みたいな人です。深夜だろうと、休日だろうと、働くことをいとわない社員。なので、キラキラしたツイッターの名前に引かれて入ってきたような人はもういらない。できるかぎり彼と意識を共にして働ける人だけを残したい。そう考えているでしょうね」  さらに西田さんは、こうも言う。 「これまで赤字続きのツイッターを買っても儲けにならないのは明白です。今後、高いお金を出して買ってもらえる会社にもならないでしょう。では、なぜマスク氏はツイッターを買収したのか? アマゾン創業者のジェフ・ベゾス氏が新聞社、ワシントン・ポストを買った理由と同じだと思います。つまり、『これは必要なものだから』という理由で買収した可能性が高い。マスク氏はツイッターのヘビーユーザーなので、ツイッターがなくなったら困る、だから買った――単純にそれだけのような気がします」 SNSで稼ぐたった二つの方法  米経済誌「フォーブス」が発表した今年の「世界長者番付」によると、マスク氏の資産は2190億ドル=27兆円(発表時)で、世界一位だ。  それほどの大富豪がツイッターのCEOとなって何をやろうとしているのか? 「今、一番懸念しているのは、マスク氏が何をやろうとしているのかが見えないことです。最近、いくつかの大企業がツイッターへの広告出稿を一時停止したのは、よくわからないプラットフォームに広告を出すことのリスクを回避した、ということでしょう」  マスク氏は今年5月、ツイッターがトランプ前大統領のアカウントを「永久凍結」したことに対して、「道徳的に間違いで、愚かなことだ」として、永久凍結を撤回する意向を示している。 「これから半年後くらいの間に何らかの方向性が出れば、広告主の不安が払しょくされて戻ってくる可能性はあると思います。一方、ユーザーが減る傾向が強まれば広告は入らなくなる。それを想定して有料化を検討しているのかもしれません」  マスク氏は電気自動車と宇宙ロケットの世界でこれまでに誰も見たことのない地平を切り開いてきた。しかし、「SNSの事業において、そういうことができるのか、というと、かなり難しい」。  なぜか。  西田さんによれば、SNSで収益を上げるには二つしか方法はないという。 「広告収入に依存してユーザーをたくさん集めるか、ユーザーから直接お金をとるか。でも、後者で大成功している例はネットフリックスくらいしかありません。つまり、SNSって、お金を払ってまでやりたいと、みんなが思うかどうか。現状、それはなかなか難しいと思います」 すべてはマスク氏の頭の中に  西田さんいわく、SNSは「デジタル時代のたばこ」だと言う。 「なくても暮らせる。にも関わらず、なんとなく生活のすき間になくてならないものになっている。でも、たばこの値段が上がって、若者はどうなったか? もうたばこを吸う人はほとんどいないですよね。SNSを有料化するのは、たぶんそういうことだと思います。無料のときは書き込みをしたり写真をアップロードしたりして楽しんでいるわけですけど、有料化すると、別になくてもいいものなんだな、と気がついてしまう。なので、お金を払ってでも使うメリットをユーザーが感じられるものにしなければならない。でも、本当にそれが成り立つのか? マスク氏はまだそのモデルを示せていません」  これまでマスク氏はツイッターが「検閲」のない自由な言論空間であることが重要だと主張してきた。しかし、それが実現することによって、ユーザーが増えるかは誰にもわからない。 「エビデンスはありませんから、それによって儲けを出せるのか、きちんとしたビジネスができるのか、わかりません。広告主はそこを見ていると思います」  ツイッターは上場廃止となったので、株主の声を聞く必要がなくなり、マスク氏以外に取締役もいない。自分の意に沿わない社員も必要としない。  ツイッターにはどんな未来が描かれているのか、すべてはマスク氏の頭の中にある。 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)
イーロン・マスクツイッターメタ
dot. 2022/11/13 10:00
水野美紀がSNSバッシングに危機感「避けるのではなく理解したい」
水野美紀がSNSバッシングに危機感「避けるのではなく理解したい」
水野美紀(みずのみき)/ 1974年生まれ。三重県出身。2007年に自身が主宰する演劇ユニット「プロペラ犬」を旗揚げ。主な舞台出演作に、ケラリーノ・サンドロヴィッチ脚本・演出「グッドバイ」(読売演劇大賞最優秀作品賞)、栗山民也演出「ヘッダ・ガブラー」、蜷川幸雄演出「コースト・オブ・ユートピア」など。9月に子育てエッセー第2弾『水野美紀の子育て奮闘記 今日もまた余力ゼロで生きてます。』を上梓。(撮影/写真映像部・高野楓菜 ヘアメイク/面下伸一(FACCIA) スタイリスト/山下友子)  主宰する演劇ユニット「プロペラ犬」で、6年ぶりに作・演出・出演を務める俳優・水野美紀さん。舞台「僕だけが正常な世界」ではコロナ禍で実感した、想像力の大切さ。自分なりのメッセージを込めつつ、笑ってもらえる舞台を目指す。 *  *  * 「僕だけが正常な世界」は、池袋にある東京芸術劇場「シアターウエスト」で上演される。裏切られて傷ついた青年が、犯罪者へと突き進むなか、一人の役者が、隣にある劇場「シアターイースト」と間違って舞台に紛れ込んでしまい、「シアターウエスト」の世界を狂わせていくというストーリー。テーマは“コミュニケーション”だ。 「世の中には、コミュニケーションが得意な人と、自分は得意じゃないと思っている人がいますよね。私は、コミュニケーションって難しいなと常々思っているほうですが、コミュニケーション巧者からすると、『何をそんなに難しく考えているかわからない』と言われてしまったりする。でも結局、同じ時間に同じ場所で、同じ経験を共有したとしても、人によって見たことや感じたことは違うし、その場で起きたことの何を拾って、何を記憶に残しているかは、そこにいた人の数だけ変わってくると思うんです。でも、『同じ場所にいたから同じこと思ってるでしょ』って完結できる人は、コミュニケーションに強かったりする。そういう感性の違いから起きるソフトな断絶を物語にできないかなって」  昔から、心理学の本を読むのが好きだった。俳優として役を演じながら、台本にない役の心情──。「どうしてここでこういうセリフを言うんだろう?」だとか、「この行動を選択するに至るには、どういう気持ちの変化があったんだろう」という行間の部分は、すべて自分の想像で埋めていった。 「そうするうちに、人が何かを選択したり行動したりするときの動機を考える癖がついたのかもしれないです。日常生活でも、理解できないような行動をとる人がいたりすると、その人を避けるのではなくて、理解したいなと思うんです。人間の、少し変わった部分に興味を持つのは、職業病かもしれません(笑)」 撮影/写真映像部・高野楓菜 ヘアメイク/面下伸一(FACCIA) スタイリスト/山下友子 ■人と寄り添う感覚を大切に  いろんな人の立場を想像する癖がついているせいか、SNSの時代になって事件が起こるたび、一方だけがバッシングされてしまう風潮には危機感を抱くようになった。 「バッシングにさらされている人がいたとしますよね。でも、そういうときに、なぜそういう行動をとってしまったのか、少しでも理解しようと寄り添う感覚って、人とコミュニケーションをとっていく上で、すごく大事だと思うんです。私が演劇をやっていてとくに面白いと感じるのは、自分の欠陥や、愚かさ、情けない部分をさらすことができるところです。とくに空間がキュッとしていて、いちばん後ろの席でも、役者の表情の違いまで見える小劇場の空間は、俳優の人間的な部分を伝えやすくて、好きです」  映像作品では、人間的な部分というより、「できた人」を演じることが多かった。正義感の強い弁護士、人間的によくできた医師、人間離れした能力のある人……。それぞれに演じがいはあったが、与えられた役に対しても、「できた人物」の中に潜む、弱くて人間臭い部分を探りたくなった。 「メジャーな作品の主要キャストがお手本であることが求められるのは仕方がないこと。ただ、私の体質として、真っ当なものばかりに触れていると、少し息苦しくなってしまうというのがあって(笑)。ときどきでも、自分の中にあるひねくれた部分や、愚かな部分を、舞台でさらしていくことが必要なのかも。……なんていろいろ言ってますが、別に今度の舞台で難しいことを伝えたいわけじゃない。楽しんでいただければそれでいいです」  それにしても、水野さんの肩書は多い。母で妻で俳優で物書き、稽古が始まれば演出家。忙しい中、いつ書き物の時間を作っているのかと聞くと、「基本は子供が寝てから。夜の作業が多いですね」と言って、書き物がある日の一日のスケジュールを教えてくれた。 「幼稚園にお弁当の日と給食の日があって、お弁当の日は7時半ぐらいから準備を始めます。すごく締め切りに追われていたら、5時とかに起きて書いたりもするんですが、夜のほうが圧倒的にはかどります。9時までに幼稚園に子供を送っていったあと、エッセーだったら近くの喫茶店で書いたりすることもあります。子供を迎えに行く2時までの間に、買い物も済ませておいて、そのあと習い事に連れていったりして、6時ぐらいに先に子供だけ夕食を食べさせます。7時半から8時の間に寝かしつけて、読み聞かせもその時間にします」  そこから、書く仕事がないときは軽く晩酌をして、夕食。締め切りが迫っている場合は、お酒を飲まずに夕食を取って、あとは執筆。でも、一日のスケジュールはとにかく子供優先だ。 「子育てと舞台制作の共通点は、自分の目の前で人が“変化する瞬間”を見られることかもしれないです。稽古をしながら、役者さんが提示してくれるものがあって、それが思いもよらないようなプランだったりすると、稽古を重ねていく中で、どんどん現場の空気が変わっていく。そのプロセスがめちゃくちゃ面白いんですよ」  余力ゼロなのに、あれもこれもつい頑張ってしまうのは、想像しなかった何かが生まれる瞬間が、いつも人とのコミュニケーションの中にあるからだ。(菊地陽子 構成/長沢明)※週刊朝日  2022年11月18日号より抜粋
週刊朝日 2022/11/12 11:00
「スパイ・ゾルゲ」ロシアで大ブーム 銅像建立、ドラマ・映画化、ゾルゲ駅も
亀井洋志 亀井洋志
「スパイ・ゾルゲ」ロシアで大ブーム 銅像建立、ドラマ・映画化、ゾルゲ駅も
リヒャルト・ゾルゲ。日本の妻だった石井花子には「友達はいない。寂しい」(NHK「現代史スクープドキュメント 国際スパイ・ゾルゲ〈1991年〉」から)と弱音をはいたという  1941年10月に摘発された「ゾルゲ事件」。戦前の日本で暗躍した旧ソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲが現在、ロシアでブームになっている。日本では未公開だった機密文書を掲載した資料集も発刊された。伝説のスパイは何を残したのか。 *  *  *  ゾルゲは第2次世界大戦時に東京で諜報グループを組織し、機密情報をモスクワへ送り続けた。課された任務は、日本軍がシベリアに北進するのか、あるいは仏領インドシナへ南進するのかの情報収集。ゾルゲたちは膨大な証拠を掴み、打電。任務をほぼ遂行したところで逮捕された。  ロシアでは近年、祖国を救った英雄として評価が急上昇し、ゾルゲ・ブームが起きている。モスクワや極東のウラジオストクなどにゾルゲの銅像が建立され、モスクワ地下鉄外環状線の新駅は「ゾルゲ駅」と命名。ロシアの各都市には「ゾルゲ通り」と名付けられた街路が続々と誕生した。2019年に国営テレビが歴史ドラマ「ゾルゲ」(全12話)を放映。その後、映画も公開される。  評伝や資料集など関連本も続々と出版されている。日本研究者のアンドレイ・フェシュン氏(モスクワ大学東洋学部准教授)はゾルゲが送った電報や書簡、モスクワからの指令など650点の機密文書を編纂。その中から1941年以降の文書218点を収録した『ゾルゲ・ファイル 1941‐1945』(みすず書房)がこのほど刊行された。日本では、大半が初公開の文書だ。  訳者の名越健郎・拓殖大学特任教授(元時事通信記者)が、ロシアを席巻するゾルゲ・ブームについて解説する。 「ロシアは、ウクライナへの軍事侵攻によって経済制裁を受けて孤立しています。現在の厳しい安全保障環境は、社会主義国家の建設で孤立した第2次世界大戦前夜と似ています。このため、プーチン政権は命がけで祖国のために情報工作を行ったゾルゲの忠誠心を賛美し、愛国主義を鼓舞しようとの狙いがあるのです」  ゾルゲは1895年、ドイツ人の父とロシア人の母の間に生まれる。ロシア革命に共鳴し、大学生の時にドイツ共産党に入党。モスクワに移りコミンテルン(国際共産党)に所属した後、ソ連赤軍参謀本部情報局にスカウトされて、諜報活動に従事する。偽装のためナチスに入党し、1933年、ドイツ紙特派員を表向きの仕事として来日する。日本の情報に精通したゾルゲは、駐日ドイツ大使館のオット大使から絶大な信頼を得る。 ゾルゲの盟友だった尾崎秀実  ドイツ大使館員らを情報源としたゾルゲは、盟友だった朝日新聞記者の尾崎秀実(ほつみ)とともに、日本人エージェントを含む十数人のスパイ網を構築した。  ソ連は39年8月、英仏との対立を強めるドイツとの間で独ソ不可侵条約を締結。同年9月、ポーランドに侵攻したドイツに対して英仏が宣戦布告し、第2次世界大戦が勃発する。一方で、ヒトラーは水面下でソ連侵攻作戦「バルバロッサ」の策定を進めていた。その動向を、ゾルゲは東京のドイツ大使館でキャッチする。41年3月10日、モスクワの情報本部へ次のような電報を送る。 <新任の武官は、今の戦争が終了したら、ドイツの激烈な対ソ戦争が始まるに違いないと考えている>  5月2日には<オット(大使)は、ヒトラーはソ連を撃破し、ソ連欧州部を手中に収めて、ヨーロッパ全土を支配するための穀物と資源の基地にする決意だと述べた>と打電。さらに<ドイツの将軍たちは赤軍の戦闘能力を極めて低く評価しており、交戦すれば、数週間で粉砕できるとみている>と指摘している。  6月1日には<6月15日前後に独ソ戦が始まる>と具体的な日付を明示。この情報は来日中のドイツ軍人で、ゾルゲと親交のあったショル中佐からもたらされたものだった。15日には<対ソ戦はおそらく6月末まで延期される>と訂正。20日には、<オットは、独ソ戦はもはや避けられないと私に語った>と報告する。名越氏が語る。 「5月2日の打電は最も有名ですが、今回、ドイツ軍のソ連攻撃を予告した電報が10本程度も公開されました。しかし、スターリンはゾルゲの再三の警告を無視し、ヒトラーを最後まで信用して戦争準備を怠ったのです。独ソ開戦の6月22日以降、情報本部のゾルゲに対する評価が好転します」  41年4月、ソ連は日本と日ソ中立条約を締結したが、独ソ戦の開始によって、ドイツ、イタリアと三国同盟を結ぶ日本の動向を警戒せざるを得なくなった。当時、日本はソ連を攻撃する「北進」と、仏領インドシナに進駐する「南進」で国論が二分されていた。 東京・多磨霊園にあるゾルゲの墓。左の「ゾルゲとその同志たち」の碑には尾崎秀実の名も刻まれている  ゾルゲは近衛文麿政権の内閣嘱託に就いていた尾崎を通じ、7月2日の御前会議で決定された内容を掌握。7月10日の電報でこう伝えた。 <サイゴン(インドシナ)への軍事行動計画を変更しないことが、御前会議で決定された。ただし、赤軍の敗北に備えて、対ソ軍事行動の準備をしておくことも同時に決定された>。情報本部は<この情報は信頼に値する>と評価。その後、ソ連は日本の対ソ参戦はないと確信し、極東・シベリアの精鋭部隊をモスクワ戦線に投入、反転攻勢へとつなげていく。 「ゾルゲは10月に逮捕され、ドイツ大使館からソ連に情報が筒抜けになっていたことが明らかになります。日独間の信頼関係は失墜し、軍事的な連携にひびが入った。それはある意味、最大の功績と言っていい。日本は真珠湾攻撃をする際、ドイツには事前に一切知らせていません。日本は単独で日米開戦へと突入していくのです」(名越氏)  ゾルゲたちを命まで賭したスパイ活動へ駆り立てたものは何か。今年11月7日に発足する「尾崎=ゾルゲ研究会」事務局長の鈴木規夫・愛知大学教授が語る。 「1930年代の世界は、現在の自国優先主義のような偏狭なナショナリズムが蔓延(まんえん)していました。このため戦争が起きるのですが、その中でゾルゲと尾崎は共産主義者として、インターナショナリズム(国際主義)を共有していました。最終的に世界平和を目指すために、まずは日ソ間の戦争を回避させるという同じ使命感を持ったのです」  ゾルゲと尾崎に死刑が執行されたのは、44年11月7日。ロシア革命記念日だった──。(本誌・亀井洋志)※週刊朝日  2022年11月11日号
週刊朝日 2022/11/05 08:00
政府は小規模介入で時間稼ぎ? 証券マンたちが「荒れる金融市場」を予測
政府は小規模介入で時間稼ぎ? 証券マンたちが「荒れる金融市場」を予測
32年ぶりに1ドル=150円台の大台を突破した  政府・日銀による24年ぶりの円買い介入が実施されて荒れ模様の金融市場。ドル/円相場は10月に入って32年ぶりに1ドル=150円台の大台を突破したが、今後の影響はいかに? 金融のプロと個人投資家4人が緊急座談会を実施した。 ■座談会の参加者■ Aさん:40代男性。外資系証券で海外機関投資家担当のセールストレーダーを務める。海外機関投資家の動向に詳しい Bさん:50代男性。個人投資家。株、FX、先物、不動産投資などで2億円以上の資産を築いたが、下落トレンドが続く2022年の株で得たリターンは200万円程度 Cさん:30代男性。国内資産運用会社の株式トレーダー。複数の証券会社で経験を積んだ後の現職とあって、証券業界で顔が広い Dさん:40代男性。大手証券会社のプロップ(自己売買)トレーダー。中小証券、大手銀行系証券などで経験を積み、現在は数百億円の資産運用を任されることも *  *  * ──9月22日以降、政府・日銀が繰り返し為替介入を行い、マーケットが乱高下しています。仕事に影響は? A:私の仕事は海外の機関投資家から注文を受けて日本株の買い付けを行うセールストレーダーですが、9月22日と10月21日の介入はいずれも東京時間(日本時間午前9時~午後3時)外だったので、特に仕事に影響はありませんでした。  後日、外国人投資家から「岸田(文雄首相)はクレイジーだ」とグチをこぼされたぐらいで。世界の中央銀行のなかで唯一、日銀だけが金融緩和を続けて円安誘導しているのに、政府が円高方向へ為替介入をするんだから当然ですよね。ただ、介入があっても日本株は全然動いてないから、ヒマしてます……。 B:財務省の神田真人財務官は、介入の仕方を変えてきたように思います。9月22日の介入は午後5時4分から40分間ほど断続的にドル/円を売り浴びせてきたので、買い下がったうえで3連休明けの26日に手仕舞いするだけで稼ぐことができました。でも、10月21日は深夜11時半過ぎから1時間半近くも、売り浴びせてきた。 C:過去の介入相場を見れば、介入のときに一気に下げても数日かけて全戻しするのはほぼ確実でした。それを狙って介入時に買い向かうのは非常に勝率の高いトレード方法と言えます。その投資家心理を逆手に取って、売り浴びせてくるようになりましたね。 B:そうなんですよ。介入が終わったかなと思ってドル/円に買いを入れて、ドル高が進み始めると売りたたかれる。頭を切り替えて週明け10月24日早朝にドル/円を買おうと思ったら、今度は早朝から介入が入った。9月に稼いだ“介入ご祝儀”が吹き飛びましたよ。 D:僕は証券会社でまとまった資金を運用する自己売買部門のトレーダーで、夜遅くまで相場に張り付くことも頻繁にあります。だから、9月22日は同僚が「インターベンション!(介入の意)」と大声を上げて、介入が入ったことに気づき、それから深夜にかけてBさん同様、ドル/円の買いポジションを立てていきました。だけど、10月21日はトレードを躊躇(ちゅうちょ)しましたね。  というのも、プライス(為替レート)が壊れていたから。あまりにも大量のドル売り円買い注文が日銀から金融機関を経由してインターバンク市場に流れ、EBS(外国為替取引用の電子仲介システム)上では、現行レートよりもかなり下(円高ドル安)のBid(市場参加者が提示する買値)もバンバン約定していた。だから、10月21日の介入時のドル/円の最安値は146円20銭前後でしたが、翌日の日経新聞などが報じていたようにEBS上では144円半ばのレートでも約定していた。 ──10月21、24日について、財務省は介入の実施を認めていませんね。 D:覆面介入に転じたのは、単に手の内を見せたくないからでしょう。1992年のポンド危機時にイギリスはポンド買いの介入を実施しましたが、当時の英財務相が「100億ポンドかけても投機筋をたたく」と発言して、ジョージ・ソロスらに100億ポンド売り浴びせられて敗北したのは有名な話。神田財務官が「(円買い原資は)無限にある」と言ったきり、だんまりを決め込んでいるのは過去の教訓を踏まえてのことだと思います。 円買い介入はドル/円が140円を超えた1998年以来 B:覆面介入に転じたのはアメリカの影響もあるんじゃないですか? ドル安はアメリカのインフレ要因となるため、派手にやると米中間選挙を控えたバイデン政権の反発を招きかねない。実際、9月の介入後には米財務省は介入を容認したのに、10月15日にバイデン大統領は「ドル高は気にしない」と発言しているし、イエレン財務長官も10月24日に「介入が行われるとき、以前は日本から連絡があった」と不快感をにじませました。 ■150円“天井”意識させる展開 C:東京時間でなく、NY市場(午後10時半~午前5時※夏時間)に黙って介入したら、米財務長官としては気分はよくないでしょうね。場を荒らされてるわけですから。ただ、過去を振り返ると、1998年の円買い介入もNY時間にやっているんです。逆に、ドル買い円売り介入は東京時間に行うことのほうが多いけど。 ──介入による今後のドル/円相場と、株への影響が気になります。 A:10月21日の介入で、財務省は150円の節目をかなり意識していることが伝わり、24日には午前9時前だけでなく、午後9時頃にも149円50銭手前から介入のような下げ局面が見られたので、150円に近づくと介入への警戒感が高まるようになってきました。9月22日の介入は2兆8千億円で、10月21日は5.5兆円と言われてますけど(10月31日公表の財務省「外国為替平衡操作の実施状況」によると9/29~10/27の介入額は6兆3499億円)、、今後は小規模な介入を続けて、150円の“天井”を意識させる方向に変わっていくんじゃないかと見ています。 C:私も同意見です。なぜなら介入原資にも限度があるから。日本の外貨準備は180兆円ほどで、そのうち現金は約19兆円。理論上はすべて介入に投じることも可能ですが、やりすぎるとアメリカから為替操作国に認定されてしまう可能性がある。  米財務省が半年に1度公表する為替報告書によると、「過去12カ月間のうち8カ月以上の介入、かつGDP比2%以上の介入総額」をオーバーすると、「持続的で一方的な為替介入」に該当するとあります。日本のGDPは約550兆円ですから、その2%は11兆円。すでに9兆円を介入に使ったと考えると残りは3兆円程度。ドル/円を一気に5円も下げるような介入ができなくなっている可能性が高い。だから、小規模な介入を続けて時間稼ぎをするほかないと考えています。 B:時間稼ぎとは、どういう意味ですか? C:依然として8%を超える高いインフレ率のため、11月のFOMC(米連邦公開市場委員会)では0.75%の利上げが予想されていますが、インフレの頭打ち感から12月のFOMCでは0.5%の引き上げにとどまり、来年は0.25%の利上げを2回という予想が増えています。遅くとも来年早々には利上げというドル買い材料が剥落してくる。自然とドル安が進み始めるので、それまでの時間を稼げばいいということです。 ■来年の日経平均3万4千円へ? B:実際、10月26日には予想に反して、カナダ中銀が利上げペースを落として、円高が進みましたね。今後、他の中銀も追随するようなら、日銀の時間稼ぎの介入作戦は大成功と言えるのかも。 A:ただ、外国人投資家の警戒感は強いです。鈴木俊一財務相が「市場を通じて投機筋と厳しく対峙している」って言ったじゃないですか。そのためなら為替操作国認定を気にせず、介入を行うと予想するエコノミストも少なくない。日本の財務省に狙い撃ちにされたら、外国の投機筋も怖いはずです。 B:外国人投資家は株も積極的に買ってこないってことですか? C:FRB(米連邦準備制度理事会)はインフレ退治を優先しているので、米国株はもう少し下げてもおかしくない。日本株もそれに連れて安くなるので、日経平均は2万5千円までは下げるかなと予想しています。 D:僕はもう少し強気。というのも、アメリカ人は総じて米国株に全力ベットしているので、株安は政権支持率の低下に直結しやすい。岸田首相のように、株安につながる金融所得課税に動いたりすることは考えられないので、年内には底打ちして上昇に転じると考えています。  投資指標の一つとして有名な日経平均のPBR(株価純資産倍率)は1.0が下値目処で現状1.1を超えていますが、米国株が本格上昇に転じればコロナ前の高値水準である1.4を目指すと見ています。そのときの日経平均は3万4千円程度と見ています。 A:気になるのは、欧州の某大手金融機関の動向ですね。破綻懸念が浮上して事業の売却を進めていますが、金融不安の火種になりかねない。特に、欧州の景気減速は顕著だし、共産党大会を経て中国株が急落する場面があったようにリスクオフの材料も少なくはない。 C:その金融機関は一種の“生贄(いけにえ)”のように感じてます。2008年のリーマン・ブラザーズみたいなもの。政治・経済が混迷を極めているときは生贄を用意して折り合いをつけるところがありますよね。大手金融機関が潰れそうだとなれば、救済策を兼ねた大型経済対策が打ちやすくなる。つまり、こうした金融不安の材料は相場の底打ちのサインとも言えないでしょうか。 B:株の調整が続くと、個人投資家は厳しいです。手堅い投資先である国内のIPO(新規公開株)も今年は激減しています。昨年は125社もあったのに、今年は10月までで60社しかIPOしてないんです。目ぼしい投資先がないので、利回り5%超えのREIT(不動産投資信託)なんかを買ったりしてしのいできましたが、そのREITも右肩下がりになっている。弘中綾香アナウンサーの結婚相手が経営するプログリット(ビジネス英語コーチングサービス/9月29日上場)みたいに、ご祝儀相場に沸きそうな銘柄に飛び乗って小遣いを稼ぐ程度のことしかできていません。 ■インバウンド、半導体に注目 C:今後の注目はやっぱりインバウンド関連じゃないですか? ドラッグストアや家電量販店は早くも外国人の観光客で賑わいを見せているから、業績が上向くのは必至。ゼロコロナ政策を続ける中国がコロナ対策を緩和してくると、中国人に人気のラオックスなどの家電量販店は急騰しそう。 D:半導体市場の需給の逼迫(ひっぱく)はまだまだ続きそうなので、半導体関連検査装置のレーザーテックなどのテクノロジー銘柄はマーケットが底打ちしたら大きく値を伸ばすと見ています。半導体製造装置大手の東京エレクトロンなんてブルーチップ銘柄の代表格だったのに、この弱気相場でかなりの割安水準です。3.7%も配当利回りがあるから、買って放置しておいてもよさそう。 週刊朝日 2022年11月11日号より B:私は東京メトロとキオクシア(旧東芝メモリ)のIPOが実現したら全力で投資しようと思ってます。キオクシアは来年になりそうですが、東京メトロは年度内の上場もありえる。1998年にIPOしたNTTドコモしかり、大型の新規上場銘柄はやっぱり人気化しやすい。 A:富裕層はアメリカの国債を買ってますね。10年債で4%以上の利回りがあるから、ドル/円が140円台にとどまるなら十分リターンがある。 C:やっぱり問題は為替ですよね。日本の消費者物価指数はついに3%を超えてきて、輸入物価は48%(いずれも9月、前年同月比)という高水準。多くのエコノミストが指摘しているように、円安メリットは年々縮小しており、日本経済にはマイナスに働いているのが現状です。早くドル/円がピークアウトしないと、日本の物価上昇圧力は強まる一方なうえに、景気を冷え込ませかねませんよ。10月28日の金融政策決定会合でも日銀は量的緩和継続の姿勢を崩していませんが……。 A:そうなると、ポスト岸田・黒田(東彦・日銀総裁)に期待するほかはないかもしれませんね。来年4月に日銀総裁が代われば、金融政策を転換するチャンスにはなる。マーケット・アンフレンドリーな岸田さんが代わって、かつ日銀がインフレをうまくコントロールできるようになれば、外国人投資家の日本株買いも増えそうですけど。 (構成/ジャーナリスト・田茂井治)※週刊朝日  2022年11月11日号
週刊朝日 2022/11/04 11:00
「入社1年目でお茶くみを拒否したら全女性が敵に」均等法第一世代の女性を定年まで苦しめたものの正体
黒川祥子 黒川祥子
「入社1年目でお茶くみを拒否したら全女性が敵に」均等法第一世代の女性を定年まで苦しめたものの正体
※写真はイメージです(GettyImages)  均等法第一世代の女性たちが定年を迎える年齢に達している。この法律は、女性に何をもたらしたのか。窪田礼子さん(仮名)は男女雇用機会均等法が制定された1985年に就職。入社1年目にお茶くみの廃止と制服の撤廃をやってのけた。女性の負担を和らげると信じて実行したことだったが、かえって女性から批判を受けることになった――(1回目/全2回)。 採用されるのは「広告主のお嬢さん」だけ  目の前に座る女性は、端正な服に身を包み、やわらかな笑みをたたえていた。休日の朝とは思えない、隙がない装いだ。窪田礼子さん。対面した瞬間、手元のブレスレットの美しさに目が吸い寄せられた。 「これは私がデザインしたもので、長さが調節できるんです。残念なことに、商品化には至らなかったのですが」  窪田さんは、ラグジュアリーブランドのデザイナーだ。60歳を過ぎた今は、再雇用でありながら責任のあるポジションに就いている。  グラフィックデザインの仕事に就きたいと思っていた窪田さんだが、今の会社を選んだのは、1980年代半ばに存在していた就職における厳然たる男女差別と、“イエ制度”を重視する厳格な父への“忖度(そんたく)”からだった。 「最も行きたかった大手広告代理店は、女性を採らないという暗黙のルールがあり、涙をのみました。女性を採るとしたら、広告主のお嬢さんという時代でした」  窪田さんと同世代の私にはわかる。当時、就職には見えない壁があった。「四年制大学を出た地方出身の女子は採らない」のもそうだ。 このままでは見合いで嫁に行かされる…  そしてもう一つ、窪田さんを縛っていたのが実父の封建的な考えだった。 「“イエ制度”の憲法の下で育った昭和一桁生まれの父は、“家”をものすごく重視し、自身はサラリーマンで継ぐべき家などないのに、私の兄を当主であり、後継ぎだと言っていました。女の私は見合いで嫁に行かされることがわかっていたから、就職は絶対に東京に行こうと……」  広告の次に興味があったのはファッションだったが、父が「何処の馬の骨ともわからない」と難色を示したため、ラグジュアリーブランドを傘下に収める企業への就職を決めた。 「父への反発、男女不平等への怒りはありましたが、親と決別してまで貫くという気持ちはなく、万事丸く収まる方法として選んだ就職先でした。住宅手当も出て、自分の技能を生かしデザイナーとして働けるのだからと」 給料が8000円も低いのになぜ就業前30分の掃除を…  社会人1年目は1985年、男女雇用機会均等法の施行を翌年に控えた時期だった。  窪田さん自身、男女差別がない企業だと思って就職したのだが、ふたを開けてみれば全く違った。 「デザイナーは男女いたのですが、女性の給料は男性より8000円安いという設定でした」  初任給の平均が15万円に満たなかった時代に、この差は大きい。さらに驚いたのが7月、正式に配属先となった部署の係長から「女性は30分早く出社して、掃除とお茶くみを」と言われたことだ。 「私、そこで瞬間湯沸かし器のように、怒りが込み上げてしまいました」  窪田さんは、上司に真っ向から反論した。男女雇用機会均等法が翌年に施行されるというのに、時代錯誤も甚だしいではないか。 「何、言ってるんですか? 8000円も給料が安いのに、なぜ女性だけ30分も早く? それも無給で掃除……。お茶くみなんて絶対にやりません。自分で好きなものを入れたらいいんじゃないですか!」  後から聞いたところによると、このことは大騒動となり、その日のうちに電話で全社の女性社員に知れ渡っていたという。 「自分たちがやってきたことをやらない、わがままな新入社員だと、反応のほとんどがネガティブなものでした」 会社中に女性の敵をつくってしまった  窪田さんの部署ではお茶くみは無くなり、犠牲を払った価値はあったと思うものの、要らない敵を会社中に作ってしまい、定年まで響いたと今は思う。  窪田さんはお茶くみを拒否したことによるいじめを、長い期間にわたって受けてきた。 「私に来客中で、手が空いている人にお茶を出してほしいと言うと『窪田さんはお茶入れをしないんだから』と強く拒否されたり、虫の入ったお茶を出されたりもしました。お金がかかった嫌がらせもありました。  ある日、ひとりの先輩女性Aが、一個1000円近くするデザートを所属部署の人数分買ってきました。そして紅茶も入れて全員にサービスして回り始めました。皆、不思議がりました。ふだんそんな習慣はなかったからです。Aは『おいしそうだから皆さんにごちそうしたくなって買ってきたの』と言うばかり。  そしてAは私の席に近づくと、私にもそのデザートが乗った皿を差し出しました。私が思わずそれを受け取ると、Aはにっこりと笑って『あなたはお茶はいらないわよねぇ?』と、周囲にも聴こえるような大きな声で言い放ったのです。  ここまで手の込んだ嫌がらせをするのかと、ばかばかしくて、笑ってしまうような出来事です。これまで自分たちはずっとお茶を入れて掃除をしてきたのに……と、被害者意識が間違った形で歪んで、自由に振る舞う女性に向かう。だから女性同士のネットワークが育たないんです」  女性の負担を減らすことをしているのに、なぜその女性に敵視されてしまうのか。それは、会社の体質によるものが大きかった。 8割が女性の会社で女性管理職は一人もいない  次第に窪田さんに、会社の内実が見えてくる。8割が女性という会社なのに入社当時、管理職には女性が一人もいない。女性が身につける装飾品なども数多く扱う企業でありながら、実際に牛耳るのは男性社員という、揺るぎない構図があった。 「大半が、お坊ちゃまなんです。それも、“鶏口牛後”の人たち。良家のボンボンで父親が社長だけど家業を嫌がったり、次男だったりして会社を継げない人が入ってくる。競争相手になる男性社員が少ない会社なら上に行けるからと。プライドだけはあるけど、仕事への熱量が低い、せこい考えの人が多かったですね」  女性が身につける商品の開発には女性の意見やアイデアを重用するという考えは、社内にはない。彼らの言い分はこうだ。 「財布は男が持っている。払うのは男だ」  窪田さんの口からため息が漏れる。それは長年、そういう男性を見てきたからだ。 「男の人は女というものを否定するためには、どんな小さいことでも見つけてきますから」 「白馬の王子様を探しにきているんだから、邪魔しないで」  一方、お茶くみ廃止に過敏すぎるほどのアレルギーを示した女性社員の内実も見えた。 「デザイナーは募集をかけて面接をして採用しますが、他の社員はほとんどが顧客の娘。あるいは、有名企業の社長令嬢のお預かり。結婚するまでここで働いていたという、お見合いに箔はくをつけるための入社。実際、縁故を使って入っているのに、簡単に辞めますよ。生活するために就職する人がほとんどいなくて、私は例外的な存在でした」  だから女性たちから、窪田さんへのブーイングが起きたのだ。結婚する目的のためだけに就職した女性にとって、フェミニズム的行動はマイナスでしかない。目の上のたんこぶであり、邪魔でしかない。 「実際、ある先輩から『私は白馬の王子様を探しにきているんだから、邪魔しないで』と言われましたね」  同じ言葉を繰り返し浴び、窪田さんは悪いのは自分なのかと苦しくなっていったという。そんな時は社外の人間関係をつくることで、かろうじてバランスを取った。 「外国人が集まるコミュニティーで話を聞いてもらって、『それおかしいよ』って言われることで、やっぱり、私、おかしくないんだって思い返していました」 制服の撤廃に取り組む  お茶くみ廃止だけでなく、窪田さんは入社1年目の身でありながら、女性差別的な慣習にさらに切り込んでいく。それが、制服の撤廃だ。店頭での制服は店の演出手段だから容認できるが、窪田さんが問題視したのは、非営業職の女性の制服だった。女性だけがベストとスカートというお仕着せの制服を着用しなければならなかった。  お茶くみ騒動で懲りたので、今度はもっと上手にやった。それが、顧客からの指摘をきっかけに上層部に訴えかけることだった。 「地方の催事でご一緒した顧客が、東京に行くのでそのときに相談したい案件があるとのことでした。東京での私は会場と違って制服を着ていますから、同じ方と思えず、がっかりしたと。この話を上司にしました。顧客から言われたということで、あの時はすぐに要望が通りましたね」 総合職となり、デザインの仕事から離れる  1986年、男女雇用機会均等法が施行された。これにより、男女間の給料格差は無くなった。窪田さんは、総合職・第一世代となった。 「総合職制度というのは均等法施行後すぐに、うちでも導入されました。デザイナーは全員、自動的に総合職になったのですが、『あなたは総合職になったのだから』と、望んでもいないのに別の部署に異動させられたんです。デザイナーなのに、苦手な事務仕事です」  なぜ、この仕事をするのかと上司に詰め寄ったが、答えは「あなたは、総合職だから」。  社内を見渡せば、販売スタッフで総合職になった人が転勤を急に命じられたり、総合職を嫌い、給料は下がってもあえて「一般職」を選ぶ人もいた。確かに均等法で男女同一賃金となり、給料は上がったものの、窪田さんの実感はハッピーでも、バラ色の未来を思い描けるわけでもなかった。 「総合職を作ったけれど、会社が社員を思い通りに動かして、実態としては男女の機会均等というより、会社に利用されている感じでしたね」 結婚生活は数年で破綻を迎えた  20代の頃に、窪田さんは年下の男性と結婚した。その結婚は数年で終わるのだが、うまく行かなくなったきっかけの一つに夫婦の年収格差があった。 「年収の差が300万円くらいありました。私の給料に対してすごくコンプレックスを抱いてしまって、ギクシャクし始めました」  加えて、当時の働き方がめちゃくちゃだった。総合職になってから、労働時間に残業という概念が無くなった。 「毎日、夜中まで働いていました。労働時間がものすごく長いし、言われた通りにやらないと人格を否定するようなパワハラを受けるので、もう、やらざるを得ない。一度、あまりにつらくて逃げ出したことがあるのですが、やっぱり言われたことをやるしかないと思い、毎日、夜中にタクシーで帰っていました」 離婚し、多額の借金を背負う  お互いの生活時間がバラバラで、結婚生活がうまくいくはずもなかった。夫は会社でトラブルを起こして失踪、家のローンの支払い全額が窪田さん一人の肩にのしかかった。 「仕事がつらくても転職を考えなかったのは、この借金があったからです。転職なんて、到底できませんでした」  男女雇用機会均等法・第一世代である窪田さんに、同法がもたらしたのは何だったのか。 「メリットというのは、しばらく感じませんでした。望んだ部署ではなかったので。メリットを感じたのはずっと後、入社20年ぐらいですね。いろいろな経験をさせてもらった、デザインだけでなく、マネジメントの仕事もやりましたし。何でこんなしんどい仕事をやらされるんだろうって思ったけれど、逆にこんな貴重な体験はないとも思えるわけで、要は自分の捉え方次第なのだというのは、今にして思えばありますね」  確かに、給料は上がった。元夫よりはるかに稼ぐ女となったわけだが、そこに窪田さんの幸せはなかったと言っていい(後編に続く)。 【後編】「これでお前をいつでもクビにできる」同期で出世レースの先頭を走った女性にかけられた怖すぎる一言 黒川 祥子(くろかわ・しょうこ)ノンフィクション作家福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)などがある。Twitter 
プレジデントオンライン 2022/11/04 10:55
介護職が見た利用者と家族のリアル 「夫が死ぬまで連絡は結構です」という妻も
介護職が見た利用者と家族のリアル 「夫が死ぬまで連絡は結構です」という妻も
 高齢者の暮らしを支える介護業界の仕事に携わる人は、日頃どんな思いで高齢者と向き合っているのか。「なり手不足」が叫ばれて久しい介護業界で、現役で介護職として働く人のリアルな本音と実情に迫った。 【登場人物プロフィル】 Aさん(60代):介護施設に勤務する介護職歴20年のベテラン。若手教育にも携わる。 Bさん(40代):デイサービス勤務を経て、利用者宅を訪問し介護を行う訪問介護員歴15年。 Cさん(50代):介護職歴10年。現在、ケアマネジャーの資格を取るために勉強中。 *  *  * ──高齢化が進む中、介護業界の人手不足が深刻な問題になっています。 Aさん:うちの施設も求人を募ってもなかなか応募者がいないし、入っても離職率が高く、人が定着しない。介護施設では24時間態勢で利用者さんの生活を見守るため、夜勤やシフト制での不規則な働き方がきついと感じる人もいます。夜勤は拘束時間が長く、少人数で対応するため体力的な負担もかかってしまう。 Bさん:訪問介護員も人手不足が深刻です。うちの事業所では、15人の介護職のうち、9人が65歳以上で、介護職として働く人の高齢化もある。年齢を問わず働くことができる仕事でもあるので、50代で資格を取る人も結構多いんですよね。でも結局、体力的にきつかったり、人間関係の問題などで辞めてしまう人も少なくありません。 Cさん:仕事がきついわりに、給料が低いのも人材不足の要因。中には、高い志を持って、若くして介護業界に飛び込む人もいます。でも実際に介護業界で働く中で、「こんなに大変な仕事を、この条件でやってられない」となって辞める人も多い。私は今、給料アップのためにも、ケアマネジャーの資格を取るために勉強しています。 Aさん:排泄、食事、入浴の介助など、利用者に直接接する分、体力や気力を使う仕事であることは事実。体が大きい人だと、介助もその分大変になるし、認知症などでコミュニケーションが難しい人と日々向き合わないといけないつらさもある。でも、世の中になくてはならない仕事で、実際に介護職ならではのやりがいもあると思うんだけれど……。 Cさん:私もそう思います。高齢化が進む中で、ますます需要が高まる仕事であるはずなのに、介護職に対する世間の偏見はいまだに強い。私もプライベートの場面で、「介護の仕事をしている」と言ったとき、相手から「なぜそんな仕事を選んだのか」といった雰囲気や、「それは可哀想に……」という空気を感じ、惨めな気持ちになることがあります。 Bさん:以前の同僚で、婚約相手から「介護の仕事を辞めてほしい」と言われて辞めた人がいました。婚約相手の中で、介護職が汚いイメージだったのと、「妻にキツイ仕事をさせている夫」という見られ方をしたくないというのが理由だったようです。介護はいずれ皆が通る道で、なくてはならない仕事であるはずなのに、なんでそんな見られ方をしないといけないのか……。 Aさん:私も施設の人材育成に携わる一方で、自分の子どもが介護業界に行きたいと言ったら、止めてしまうかもしれない。それこそ年齢を重ねてからでも入れる業界なので、何も20代、30代で経験しなくてもと思ってしまう自分もいます。 ──介護職に嫌われる利用者とは? Bさん:介護の仕事は、気持ちの切り替えが早くないと続かない。キレやすかったり、理不尽な要求をぶつけてくる高齢者は、本当によくいます。直接的にいろんな人と関わる仕事である分、喜怒哀楽がダイレクトに伝わってくる仕事でもあります。 Cさん:私たち介護職の手が入るということは、思うように体を動かせない状態ということでもあり、そのもどかしさを私たちにぶつけてくる人もいるように感じます。優しく接しているつもりでも、「バカにするな!」「ヘラヘラ笑うな!」って怒鳴られたり。 Aさん:「こっちは金を払ってるんだから、言われたことは何でもやれ」という姿勢の人って、結構いますよね。介護職をまるで召使のように扱う人。プライドが高い人ほど、その傾向があるように感じます。以前、会社の社長を務めていたという男性を担当したとき、命令口調がひどくて精神的にすごく疲れました。その妻もまた、高圧的な態度で、明らかに私たちを下に見ているのが伝わる。「やってもらって当たり前」という態度が変わらないと、こちらもつらいものがあります。 Bさん:私も似たような経験があります。訪問介護員として利用者宅を訪問すると、中には「あれもやって、これもやって」と、介護職をお手伝いさんと勘違いしているような人がいます。私たちの仕事は、あくまで利用者の生活に関わる介助なのに、「家族の分の布団も干しといて」「洗濯全部、やっといて」「犬の散歩しといて」とか。「それはサービス範囲外なんですよ」と説明すると、「金払ってるだろうが!」ってキレられたり。 Cさん:話が通じない人は本当に困ります。「ありがとう」の一言があれば、こちらも気持ちよく仕事ができるのに、命令口調ばかりでは、どうしても辟易させられます。 Aさん:逆にサービス提供者側を使うのがうまいな、という利用者もいますよね。「いつもありがとうね」「あなたがいてくれて助かってるよ」の言葉があれば、私たちも気持ちよく動ける。相手の目線に立って接することができる人だと、「できることはやってあげたい」という前向きな姿勢になれます。介護職である前に、一人の人間であることをわかって接してくれる人は、私たちもやりがいを感じられる。 Bさん:いろんな人間ドラマを目にするというか、見たくない部分が見えるときもあります。家族間のトラブル、相続の問題、はたまた痴情のもつれとか……。以前、利用者本人から妹だと紹介されていた人が、実は愛人だったということがあって、真っ昼間に妻と自宅で鉢合わせして修羅場になった場面に出くわしたことがあります。 Cさん:いろんな家族のリアルな姿を目の当たりにしますよね。親のことなのに「面倒なんで、そっちで全部やってください」という子どもや、「夫が死んだら知らせてください。それまでの連絡は結構です」という妻もいました。あまりに無責任だなと思う一方で、家族にはそれまでの積み重ねと歴史がある分、私たちがとやかく言えることではないし……。 Aさん:家族間で、施設への訪問回数を競う人たちもいました。面会に来ると言っても、ほんの数分で帰ってしまって、特に何か手伝いをするわけでもないのに、「ほとんど毎日来て、いろんなことを手伝っている」「私が家族の中で一番、介護に関わっている」と大きな声で競い合う。「遺産の相続を見越しての動きなんだろうな」と思わずにいられませんでした。その利用者は寝たきりで口もきけない状態でしたが、声は聞こえていたんじゃないかな。 ──介護現場でのセクハラを理由に辞める人もいると聞きます。 Bさん:セクハラ問題は、線引きが難しい部分があります。利用者や家族との間で、波風をなるべく立てたくない施設も多く、「なかったことにする」という対応をしているところも少なくないのでは。特に認知症がある利用者となると、本人にその意識がない場合もある。私も施設で働いているとき、認知症の男性利用者の着替えや入浴、排泄介助のとき、お尻や胸を触られたりしたことがありました。「本当に気持ち悪いから嫌だ」と上司に泣きついたら、担当を男性に代えてくれましたが、「認知症だし仕方ない、忘れよう」という対応でした。 Aさん:今の80代は、セクハラという概念がない時代を生きた世代なので、そこまで大ごとと思ってなかったりもする。男性から女性だけでなく、女性から男性というセクハラもあります。しかし、どれだけ年を重ねても、若い男性が好きな女性は多いし、その逆も然り。「私の担当、○○さんにしてよ」と、お気に入りを指名したがる利用者は珍しくありません。 Cさん:わかります。キャバクラやホストクラブじゃないんだからって思うことがありました。若くて可愛い介護職員や看護師にはヘラヘラ優しいのに、50代の私が介助すると、ブスッとしている男性利用者もいて、「何様だよ!」とイラッとすることがあります(笑)。若い男性介護職員が来る日には、お化粧して甘い声を出すおばあちゃんとかはまだ可愛いんですが。 ──クレームにはどのようなものがありますか? Bさん:名指しでクレームが来たときには、「やってられない」という気持ちになります。こちらは一生懸命やっているつもりでも、「利用者を丁寧に扱っていない」「態度が偉そうだ」というクレームが寄せられたり。利用者から「さっさとしなさいよ」「またあなたなの?」など直接言われる分にはまだ良いのですが、つらいのは家族経由で“大問題”としてクレームを言われるとき。中には施設長宛てに長いクレームの手紙を書いて送ってくる家族もいました。 Aさん:家族が介護者側に求めるサービスのレベルが、あまりに高すぎるということもあります。以前、施設のベッドで尿を漏らした利用者の家族が、「家では漏らしたことが一度もなかったのに、この施設の対応はどうなっているんだ」とクレームを入れてきました。聞けば、「尿意をもよおしていることぐらい、表情の変化で読み取れ」と言う。私たち施設のスタッフは、常に特定の一人を見ているわけではないため、それは求めすぎ。でもそれが理解できない家族というのもいるんですよね。 Bさん:わかります。自分たちの手は汚したくないけど、介護者に対してめちゃくちゃな要求を振りかざしたり、何事にも意見してくる家族は、少なからずいますよね。 Cさん:老衰が進むことを受け入れられない家族というのもいますよね。利用者が認知症で服薬を忘れている現実を前に、「薬を飲みたくないんですね」と本人の意思の問題にすり替えたりする。老衰の現実を受け入れられず、「利用者がこうなったのは、介護者側の責任だ」と言わんばかりの態度を取る家族も。 Aさん:今年、60代の息子が90代の母親の担当医を殺害するという悲惨な事件が起きましたよね。家族の思いが強すぎるあまりに、医療者や介護者に敵意が向けられることは、少なからずあるように感じます。 Bさん:これは個人的な見解ですが、親一人、子一人の二人暮らしが長い親子は、共依存度が高いように思います。二人だけの世界ができあがっていて、私たちのような外部の人間をなかなか信用しない。以前、80代の利用者のお宅を訪問していたとき、60代の独身の娘さんから「ちゃんとやったんですか?」「もっと丁寧にやってください!」と執拗に高いレベルの要求を受けたことがありました。ある程度、こちらを信用して任せてもらえないと、精神的にも疲れてしまいます。 Cさん:「そこまで言うなら、自分でやってください」と言いたくなりますよね。逆に、前向きにやってあげたいと思えるような家族もたくさんいます。共通するのは、私たちサポート側を信頼してくれていること、相手の目線に立って物事を考えてくれること。また「今、何に困っている」と困りごとや質問を明確にしている人も、ケアがスムーズに進みやすい。 Aさん:「完全に丸投げ」ではなく、理解しようと動いてくれる家族だとやりやすいですよね。いざというときの人手という意味では、家族間の信頼関係ができているかどうかも、とても大きい。同居する家族はいても、ほとんどコミュニケーションを取らない家族というのもいますから。 Bさん:振り返れば、最初のころは、利用者や家族の心ない言葉にすごく傷ついたりすることもありましたが、徐々にちょっとやそっとのことで動じないようになりました(笑)。目下の悩みは、腰痛。オムツ交換や入浴介助など、仕事の中で前かがみや中腰の体勢が続くことが多く、慢性的な腰痛が続いています。 Aさん:腰痛は介護職の“職業病”。私も、コルセットや腰痛ベルトが手放せない時期がありました。ストレッチで少しは軽減されたけど、利用者から「あんたもいろいろ大変ねえ」なんて言われたり(笑)。 Cさん:体力のいる仕事ではありますが、「人の役に立っている」ということを実感できる仕事であることは間違いない。高齢者と接する中で学ぶことも多いし、生き方や人生についても考えさせられる。将来性もある仕事だと思っています。 Bさん:いろんな人と接する中で学ぶ部分は大きいですよね。利用者からの「あなたがいてくれて良かった」という言葉も、大きな励みになります。 Aさん:介護職は、人のいろんな面を見る仕事。大変なこともあるけれど、いろんな人の生き様から学ぶものは大きい。介護従事者がもっと胸を張って、仕事について話せる世の中になってほしいです。 (構成/フリーランス記者・松岡かすみ)※週刊朝日  2022年11月4日号
週刊朝日 2022/10/31 11:30
片づけたら、買って満足するコレクションの“沼”から抜け出せた
西崎彩智 西崎彩智
片づけたら、買って満足するコレクションの“沼”から抜け出せた
ごはんを食べるスペースが十分に取れなかったダイニングテーブル/ビフォー  5000件に及ぶ片づけ相談の経験と心理学をもとに作り上げたオリジナルメソッドで、汚部屋に悩む女性たちの「片づけの習慣化」をサポートする西崎彩智(にしざき・さち)さん。募集のたびに満員御礼の講座「家庭力アッププロジェクト®」を主宰する彼女が、片づけられない女性たちのヨモヤマ話や奮闘記を交えながら、リバウンドしない片づけの考え方をお伝えします。 case.33  どんよりしていた家の中の空気が一変 夫+子ども1人/接客・事務 「いつか自分が変われたら、きれいな家で素敵な暮らしができるだろう、と思っていました。でも順番を間違えていましたね。自分を変えることよりも、まずやらなければいけないことは“片づけ”でした」 「心を変えるためには片づけが、1番いい方法だと思います」と話してくれたのは、つい45日前までは散らかっている自分の家に悩んでいた女性です。  彼女は、夫と小学生の娘の3人暮らし。仕事は多忙で、週6勤務になるときもあります。朝8時過ぎに家を出て、帰ってくるのは18~20時。夫も同じく忙しいので、毎日とにかく「忙しい」と思っていました。夫や娘に「早くして!」「なんでできていないの!」と怒鳴ることも多かったそう。  仕事を終えて家に帰ると、荷物をドサッと置いてすぐに家事。「後で片づけよう」と思いながらも、その日のうちに片づける時間がないので、どんどん荷物がたまっていきました。気づくとリビングには子どものおもちゃや夫婦の荷物があふれ、テーブルの上は半分以上が物で埋められ、とても家族で食事を囲める状態ではありません。 「物を捨てるのは得意な方です。でも、整理が苦手。たまにバーッと一気に片づけていましたが、なかなかスイッチが入らなかったです。なんとかしたいと思いながらも、どうしていいかわかりませんでした」  悩む彼女は、「家庭力アッププロジェクト®」の広告を見てすぐに参加を決意。でも、家をきれいにできる自信はなかったと言います。 物がなくなり、家族で食卓を囲めるようになりました/アフター 「これは聞くべき!と思って申し込んだけれど、自分にできるかはわかりませんでした」  休日でも予定を詰め込むタイプで、土日もスケジュールがパンパン。平日は仕事と家事に手一杯で、冷静に考えると片づけに費やす時間はない。でも、彼女はあきらめませんでした。 「まず、目標をリビングに絞りました。家全体が散らかっていましたが、家族のために落ち着いて過ごせる空間を作りたくて。私は朝型の人間なので、プロジェクト参加者みんなで朝6時から10分間オンラインで片づけるという“朝活”がとても合っていました」  忙しい生活の中、朝の時間をうまく使って片づけられるようになりました。彼女の頭の中にいつもあったのは、プロジェクト中に聞いて胸に響いた「自分との約束を守る」という言葉。 「私は何でも先延ばしにしてしまう癖がありました。でも、できていないことが自己肯定感を下げて、家族や周囲の人に当たり散らしていた気がします。自分を認めてあげるためには、自分との約束を守って納得できるまでやらないと、と思えるようになりました」  家の中を見回すと、夫婦の趣味の物がたくさん保管されています。2人ともコレクションすることが好きで、気に入って買った物ばかりです。でも目の前にあるのは、飾られることもなく、使うこともなく、箱から出されてもいないグッズたち。ただ家の空間を占領して、圧迫感を与えているだけでした。 「買って満足していただけだと気づいたら、このグッズのせいで家の状態が悪くなっていることの方がいやだと感じるようになりました。夫の分は夫にまかせていますが、自分の分はかなり手放しましたね」  ここから彼女の価値観は変わります。「物を買う」よりも、その後の「物の管理」や「手放すまでの工程」が面倒だと思うように。プロジェクトによって家の収納スペースが把握できたので、これ以上増やせられないとわかったら気軽に物を買うこともなくなりました。買う前に「いつ使う?」「いつ見る?」と自問してやめることもしょっちゅうです。 キッチンからの眺めは散らかったリビングでいつもイライラ/ビフォー  気づけば、休日の友人の誘いを断ったり、夜も遅くまで起きたりして、真剣に片づける日々。その姿を見ていた夫と娘も変わり始めます。  今まで家事をやらなかった夫が、自発的にやってくれるようになりました。育児もまかせっきりだったのが、「もう歯は磨いた?」「そろそろ学校に行く時間だよ」と声をかけるように。 「今まで私があせって先に声をかけていたから、夫が声かけをするチャンスを奪っていたんですね。片づけが進んで心に余裕ができると、私が怒鳴ることもなくなってきました」 物がなくなり、家族みんながくつろげる空間に変身/アフター  夜、彼女が家に帰ってから宿題を始めることも多かった娘は、今では帰った時にはやるべきことをすべて終わらせています。家がきれいになってからは、友だちを家に呼べることがうれしく、以前よりも家が好きになったようです。 「家の中の空気が変わった気がするんです。そのよい状態を、家族みんながキープしようと支え合っている感じで。みんなの心の余裕ができたと思います。コミュニケーションは前より円滑になって、会話も増えましたね」  目標にしていたリビングはもちろん、ほかの部屋も見違えるほどきれいになりました。家族みんなで家での時間を満喫しています。 「なんであんなに散らかっていたのか、今となってはわかりません(笑)。もし今、物が雑然としていたら耐えられないですね。先延ばしにすると、片づける物が増えたりして自分が大変になるだけなので、すぐに片づけるようになりました」  プロジェクト終了後は、職場も片づけました。スッキリとして、頭がよく働くようになったと言います。 「家の中はまだ改善の余地があるので、理想の生活に向けてブラッシュアップしていこうと思っています」 リビングから続く洋間は念願の娘専用スペースになりました/アフター  そう笑顔で語る彼女に、「家の中に限らず、いろんなことがよい方向に進みそう」と声をかけると、「そうします!」と自信を持って断言してくれました。また自分との約束ができましたね。彼女ならこの約束を守ってくれるはず。 45日前に「こうなるといいな」と漠然と考えていたような彼女は、もうここにはいませんでした。 ●西崎彩智(にしざき・さち)/1967年生まれ。お片づけ習慣化コンサルタント、Homeport 代表取締役。片づけ・自分の人生・家族間コミュニケーションを軸に、ママたちが自分らしくご機嫌な毎日を送るための「家庭力アッププロジェクト?」や、子どもたちが片づけを通して”生きる力”を養える「親子deお片づけ」を主宰。NHKカルチャー講師。「片づけを教育に」と学校、塾等で講演・授業を展開中。テレビ、ラジオ出演ほか、メディア掲載多数。 ※AERAオンライン限定記事
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AERA 2022/10/31 07:00
早大院卒ダイエットコーチが教える 本当に試す価値がある「置き換えダイエット」プラン5選
計太 計太
早大院卒ダイエットコーチが教える 本当に試す価値がある「置き換えダイエット」プラン5選
写真はイメージ(GettyImages)  さまざまな食材が旬を迎え、どれだけ気をつけていても、つい箸が進んでしまう「食欲の秋」。家族や友人と夕食を楽しんだ翌朝、ヘルスメーターの数字を見て後悔の念にかられた、なんて経験が誰にも一度はあるのではないでしょうか。「体重は増やしたくないけれど、食欲もしっかりと満たしたい」。そんなダイエッターに向けて、早稲田大学大学院で運動生理学を学び、ダイエットコーチとしてYouTubeでも活躍するパーソナルトレーナー・計太さんが提案する「置き換えダイエット」を紹介します。明日から実践可能なプランなので、ぜひ参考にしてください。 * * *  SNSや情報サイトを利用していると、「1日3食のうち、1食を○○に置き換えればやせられる」といったダイエット法をよく目にします。実際にプロテインやスムージーを活用する、置き換えダイエットに挑戦した経験がある人も少なくないと思います。ただ、ダイエットコーチとしては、一食を別の食品に置き換えるだけの方法は、基本的におすすめしません。“基本的”にとしたのは、理論に裏付けされた置き換えであれば、取り入れる意味はあると考えているからです。そこで今回は、安全で、試す価値のある置き換えダイエットプランを五つ紹介します。 ■無理なカロリー制限は長続きしない  まず前提として言えるのは、SNSや情報サイトで手に入る置き換えダイエットの多くは、単なるカロリー制限にすぎないということです。たとえば夕食を150kcalのプロテインに置き換えれば、それだけで摂取カロリーが大幅に減り、体重を落とすことができるでしょう。そして、その生活を続けている限りは、落とした体重を維持できるかもしれません。  しかし、無理なカロリー制限は長続きしません。結局は元の食生活に戻ってしまうものです。それどころか、反動から朝食や昼食(間食も含め)で必要以上のカロリーを摂取してしまい、リバウンドにつながる可能性も高まります。  効果的にダイエットを進めるためには、無理なく続けられるプラン作りが大切です。私が提案する五つの置き換えプランは、「継続のしやすさ」という点で試してみる価値があると思います。 計太(けいた)/1989年、奈良県生まれ。大阪教育大学スポーツ科卒、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修了。パーソナルトレーニングジム「ボクノジム」経営。モットーは「2か月後の減量よりも1年後の健康」。 ■【置き換えプラン1】水を緑茶に  では実際に五つのプランについて解説していきます。まずひとつ目は、水分摂取の一部を水からお茶(緑茶)に置き換える方法です。緑茶に含まれるカテキンには、脂質の吸収やコレステロールの合成を抑制し、脂質の代謝UPにも関わることが科学的に証明されています。もちろん、緑茶を飲むだけで簡単にやせられるわけではありません。それでも、日常生活に必要な水分の一部を緑茶で摂取するだけでダイエット効果が期待できるのなら、試してみる価値は十分にあると思います。 ■【置き換えプラン2】白米を玄米に  【プラン1】と同じ理由で、白米を玄米に置き換える方法もおすすめです。玄米は栄養価が高く、ダイエット効果を高める食物繊維、ビタミン、ミネラルなどを豊富に含んでいます。また、玄米はかみ応えがあるため咀嚼(そしゃく)回数が増えます。結果として食欲が安定し、ダイエットがはかどる可能性があります。実際に「玄米生活を始めて体重が落ちた」というダイエッターも少なくありません。私自身の実体験からも、白米から玄米への置き換えは、ダイエット生活をステップアップさせる“きっかけ”になると断言できるので、ぜひ取り入れてください。 ■【置き換えプラン3】お菓子を果物に  お菓子を果物に置き換えるプランもダイエット効果が期待できます。糖質や脂質を多く含むお菓子類は、ダイエットに不向きな食品の代表格。対照的にフルーツは脂質が少なく、果糖のバランスが良いため食後に血糖値が急上昇することもありません。ビタミンを手軽に摂取することができ、抗酸化作用もダイエット生活でプラスに働きます。  「フルーツは糖分が多くて太りやすい」と誤解されがちですが、さまざまな栄養素がバランス良く含まれていることから、厚生労働省が推進する国民健康作り運動「健康日本21」では、1日に200~300gの果物を摂取することが推奨されています。もちろん取りすぎには注意が必要ですが、国の“お墨付き”があるので積極的に食べましょう。 ■【置き換えプラン4】肉を低脂質食材に  運動を取り入れたダイエットに、たんぱく質の摂取は欠かせません。ただ、積極的に摂取しようとするあまり脂質の摂取量まで増えてしまうと、ダイエットを停滞させる要因になります。そこでおすすめしたいのが、たんぱく質の摂取源を牛肉・豚肉・鶏肉から、低脂質食材に置き換える方法。たとえばイカ・タコ・エビなどの海鮮食材に置き換えることで、脂質の摂取量を減らすことができます。  この置き換えプランは、たんぱく質と一緒に摂取される脂質を減らすことが目的なので、アイデア次第でさまざまな食材で代用することが可能です。たんぱく質をしっかりと取りつつ、脂質の摂取量を制限内に抑えることができれば、ダイエットを効果的に進められるかもしれません。 ■【置き換えプラン5】夜散歩を朝散歩に  最後は少し角度を変えて、散歩する時間帯を夜から朝に置き換えるプランです。大前提として、運動する時間帯はダイエット効果を左右する大きな要素にはなりません。日中は仕事や家事に追われ、「どうしても夜間にしか運動時間を作れない」という人も多いと思います。ただ、日光を浴びると体内で作られるビタミンDには、糖の吸収に関わるインスリン抵抗性を改善したり、食欲を抑制する「レプチン」というホルモンへの作用など、ダイエット効果を高める働きがあります。つまり、朝日を浴びながら散歩をすることは、「運動」と「ビタミンDの生成」という二つのメリットが得られる、一石二鳥のダイエットプランだと言えるのです。  今回はダイエット効果が期待でき、一度は試す価値のある置き換えプランを紹介しました。すぐに実践できるものばかりなので、ぜひ明日から取り入れてください。繰り返しになりますが、単なるカロリーカットを目的とした置き換えダイエットは長続きしません。それに対して科学的根拠に基づき食材や行動を置き換える方法は、ダイエット生活をステップアップさせることができます。短期的に結果を求めるのではなく、小さな努力を積み重ねて、無理なく健康的にダイエットを成功させましょう。 (構成:加藤 徹)
ダイエットコーチ早稲田大学大学院計太
dot. 2022/10/30 09:00
日テレ・郡司恭子アナが「アパレル事業」立ち上げの真意を初告白 デザインに込めた“女性アナ”の視点
上田耕司 上田耕司
日テレ・郡司恭子アナが「アパレル事業」立ち上げの真意を初告白 デザインに込めた“女性アナ”の視点
郡司恭子アナ(撮影/加藤夏子) 9月22日、日本テレビアナウンサーの声から生まれたアパレルブランド「Audire」(アウディーレ)の発表記者会見が行われた。テレビ局のアナウンサーがアパレル事業を立ち上げるという初の試みに、多くのメディアの注目が集まった。この事業の提案者は、同局の郡司恭子アナウンサー(32)。報道・情報番組、スポーツ中継と多忙な彼女がアパレルブランドを提案し立ち上げた背景には、どんな思いがあったのか。郡司アナ本人に事業への熱意やファッションへのこだわりを聞いた。 *  *  * 日本テレビ汐留タワーにある会議室。郡司恭子アナウンサーは、ベージュで統一されたワンピースにジャケットを合わせた秋らしいファッションで現れた。 「郡司と申します」  アナウンサーらしいよく通る声と晴れやかな表情は、多忙な人気アナウンサーとは思えないほどゆったりとした雰囲気をかもし出す。  現在の主な担当番組は「スッキリ」や「情報ライブ ミヤネ屋」のニュースコーナー、他にも「NNNストレイトニュース」「深層NEWS」「夜バゲット」など引っ張りだこ。それに加えて、ゴルフや高校サッカーなどのスポーツ中継も担当する。  出演番組が増えるにつれ、アナウンサーとしての人気も急上昇した。郡司アナがインスタグラムを更新すると、すぐにスポーツ紙やネットメディアに記事として取り上げられるようになった。インスタにアップされる郡司アナのファッションにも注目が集まり、SNSでも「おしゃれ」「かわいい」など称賛の声が上がる。郡司アナは「ありがたいことです」と恐縮しながら、こう続けた。 「いつも取り上げていただいて、逆に私の方がどうしてだろうと思っているくらいです。インスタに載っている写真は普段の私なんです。プライベートでは本当に自分の好きなものだけを着ていて、デニムを履くことが多いです。レディライク(女性的)な部分とラフな部分がどこか混在しているようなファッションが好きなんです」 郡司恭子アナ(撮影/加藤夏子)  ファッションでも注目される郡司アナがアパレルブランドを立ち上げたのだから、話題となるのも当然だろう。 「Audire」(アウディーレ)は郡司アナが「アナウンサーも事業に貢献したい」と提案したところからスタートした。今年5月、日テレは新中期経営計画で「テレビを超えろ、ボーダーを超えろ。」をスローガンに掲げ、「新規ビジネス創出の加速」を重点項目のひとつとすると発表した。それ以前から社内では新規事業の公募が活発に行われており、郡司アナはそれに手を挙げていた。ただ、最初からアパレル事業を企画していたわけではない。最初に企画したのは「韓国ドラマのリメイク」だったという。 「最初に企画書を書き始めたのは、コロナ禍になった2020年の夏くらいです。そこで企画書を提出したのが、私のアナウンサーらしからぬ仕事の第一歩でした(笑)。提案したのは、韓国ドラマのリメイク版を放送する企画でした。女性アナウンサーを取り巻く人間模様をテーマにした韓国のミステリードラマと、韓国の芸能界を描いたドラマのリメイク版を企画しました。ただ残念ながらその企画は成立しませんでした。でもそれに懲りず、オリジナルドラマの企画も考えました。子会社のHuluに企画書を持ち込んだこともあるんですよ(笑)。企画のヒアリングを受けるところまで進んだものもあったんですが、実際に制作までには至りませんでした」  アナウンサーという本業を抱えながら驚くべき行動力だが、それから1年後の昨年8月。郡司アナは「アウディーレ」の事業計画を会社に提案した。「Audire」とはラテン語で「聞く」という意味だ。 「ブランドのコンセプトは『Wear the Voice.』=心地いい私をまとう、という意味です。私は10年近くアナウンサーをやってきて、自分の本音に耳を傾けて、自分の本音を知り、聞いてあげることが、何よりも大切だと思うようになりました。自分の本音をまとうことが、心地よい世界が広がるきっかけになると思ってブランド名をつけました。このコンセプトを作るだけでも4カ月かかりました(笑)」 郡司恭子アナ(撮影/加藤夏子)  ファッションセンスがある郡司アナとはいえ、数ある新規事業の中から、なぜアパレルブランドの立ち上げを提案したのか。ドラマの企画案などに比べると、いち社員が立ち上げる新規事業としてはかなりハードルが高いように思える。 「アウディーレ」は日テレがCEORY(セオリー)社をパートナーとして進めている事業だ。セオリー代表の佐藤俊介氏は「CEO(セオ)」名義で連続起業家兼アーティストとしても活動している。  取材に同席した、日本テレビで社長室専門室次長の太田正仁さんはブランド誕生までの経緯をこう説明する。 「最初のきっかけは、アパレルのベンチャー事業をやっていらした佐藤俊介さんから、当社の社長室に『アナウンサーをテーマにした新しいビジネスを一緒にやりませんか』という話をいただいたことです。当時のアナウンス部長と一緒にお会いしたのですが、当初はお断りするつもりでした。というのも、弊社ではアナウンサーを他社事業のアイコンにするようなことはルールとして認められていないからです。しかし、アナウンス部長が一応、アナウンス部内に持ち帰り、その話を伝えたところ、郡司から『他社の事業としてではなく、自分たちの事業としてアパレルを起こしたいです』と積極的な提案がありました。それから郡司がほぼ一人で企画書を書き上げました。事業の目的やさまざまな施策案など骨格もしっかりとしており、私自身も、これならいけると思いました」(太田氏)  郡司アナも「事業」として真剣に考えている。 「しっかりと事業計画を策定して、万が一うまくいかなかった場合の撤退基準も設けて事業運営しています。事業計画は2025年まで4年分つくっています。もちろん撤退などしたくないので、まずは自走できる事業にするのが直近の目標です。おかげさまで、百貨店さんから、うちの店のコーナーに置いてくださいというお話もいただいています。私も商談の席につくこともあります」   商品は店頭での販売はしておらず、当面は「アウディーレ」公式サイでのネット販売のみとなる。価格帯は1万円台後半から2万円台が中心。受注生産となるため、注文した商品が手元に届くのは11月以降になる予定。次作の販売は来年3月ごろを目指しているという。 郡司恭子アナ(撮影/加藤夏子)  日本初となるアナウンサーの声から生まれたアパレルブランドということで、細かいデザインにまで“こだわり”が詰まっている。 「日本テレビには20代から60代まで幅広い年齢層のアナウンサーがいるので、現場で実際に試着してもらって、丈感や着心地を確認してもらいました。デザインには、アナウンサーならではの視点も反映されています。たとえば、私たちは原稿を読む時、手首が机に触れることが多いのですが、袖口のボタンが机にぶつかってカチャカチャ鳴る音をマイクが拾ってしまうことがあるので、衣装選びでは袖口のデザインやボタンの位置に気をつかいます。そこで、アウディーレの洋服では、ボタンは見えるけれど机に当たらない位置にデザインするなど工夫をしました。リモートワークやPC作業が当たり前の現代に、この工夫を喜んでくださる方もいるかもと思って」 さらに、女性アナウンサーならではの視点も生かされている。 「女性の場合、ランジェリーの肩ヒモが見えてしまうと、だらしない印象になってしまいます。最初はきれいに着ていても、動くとヒモが見えてしまうこともあります。美しく着こなせるように、衣服の中に『スリップ止め』をつけて、ランジェリーのヒモを中でパチンと止めることができるような仕様にしています。これは女性アナウンサーの意見から生まれたアイデアです」  こういったこだわりは、世の女性たちと共感できるはずだとデザインに落とし込んだ。  ブランドの発表記者会見の報道では、郡司アナはチームの「代表」とされていたが、実際はどのようにメンバーを引っ張っているのか。 「私自身は代表という意識はなくて、あくまでも提案者という立ち位置です。新しくチームを作ってというよりも、アナウンス部全体の事業としてとらえています。日常的に会議に出ているアナウンサーは15人くらいでしょうか。出席はできないけれども、関わりたいと思って手を挙げてくれるアナウンサーもいます。会議に出席できないアナウンサーには、部内で私の方から声をかけて意見をもらうこともあります。実際に声を集めたアナウンサーは25人くらいになると思います」  これだけ注目を集める事業を立ち上げ、アナウンス部全体を巻き込んでリーダーシップを発揮する郡司アナ。もしかして、起業家に向いているのでは? 「いえいえ、今回は私がアナウンサーだったからこそ、生み出せた事業です。私のアイデンティティーは、やっぱりアナウンサーなんです」  そう語る郡司アナの目の輝きは、各界で活躍する女性リーダーに共通する“光り”が宿っているように見えた。(AERA dot.編集部・上田耕司)
アウディーレアナウンサー日本テレビ郡司恭子
dot. 2022/10/27 11:30
「はあちゅう」が離婚後に明かした“しみけんとの結婚生活”と“別居を決めた出来事”
「はあちゅう」が離婚後に明かした“しみけんとの結婚生活”と“別居を決めた出来事”
結婚生活とその後について語るはあちゅうさん(撮影/写真映像部・東川哲也)  9月27日、ブロガー・作家のはあちゅうさん(36)がAV男優のしみけんさん(43)との事実婚を解消すると公表した。現在は別居しており、3歳になる長男の親権は、はあちゅうさんが持つという。20代で華々しいキャリアを築き、インフルエンサーとしても、はあちゅうさんの言動は常に注目された。結婚、出産後も夫婦で共著を出版するなど仕事の幅を広げたが、プライベートでは結婚生活に困難を感じていたようだ。事実婚解消に至るまでどのような思いを抱えていたのか。シングルマザーとなった今、今後のキャリアをどう考えているのか。はあちゅうさんに聞いた。 *  *  * ――今も週末には家族3人で過ごしている様子をSNSにアップしていますが、離婚という形を選んだ理由を教えてください。   日々の小さな不満の積み重なりと、ちょっとしたけんかの繰り返しですかね。私は今も、彼の好きなところがいっぱいあるので、もう話したくないとか、連絡したくないというわけではありません。ただ、彼のほうはもう私のことを好きではないんだろうなとか、夫婦なのに子育てを一人でしていると感じる時期が2年ぐらい続いて、「それでも一緒にやっていくのが結婚でしょ」と思う自分と、「うまくいかないなら次のやり方をトライしようよ」と思う自分が交互に出てきていました。  長い結婚生活の中での一瞬の“揺らぎ”なのかなと思うこともあったんですが、いつか終わると思いながら耐え続けても、その“いつか”が来るかはわからない。自分の今を犠牲にするのではなく、今うまくいかないから、今やり方を変えてみようという選択です。結婚しながら次の人生を考えるのは、すごく不誠実な気がして私はできなかったし、いよいよ駄目だと思ったときには今よりも年を取って、選択肢も狭くなってしまうと思ったので。  理由は、一言で言うと「すれ違い」なのかもしれません。夜9時に息子と一緒に寝て、朝起きて子どもを預けて仕事に行く私と、深夜に帰ってきて昼前に起きて、仕事へ行く「完全夜型」の夫とは、顔を合わせるのがそもそも週末だけ。週末は家族で一緒に時間を過ごすスタイルは離婚前から同じなので、住む場所が変わっただけです。 【こちらもおすすめ】 セレブ妻・吉瀬美智子が離婚 3年前に明かしていた「寝室」での出来事 https://dot.asahi.com/articles/-/74639 事実婚を解消した後も、週末は変わらず親子3人の時間を過ごしている(本人提供)  よく、「子どもにどうやって離婚を説明していますか」と聞かれるんですが、子どもはこれまで通り「パパとは日曜日に会える」と思っていて、ショックを受たり情緒不安定になったりはしていません。彼の引っ越し先も家から近いので、気軽に会いやすい場所にいますね。 ――寂しさや大変さを感じることはありませんか。  マイナス面は多分お互いにあまり感じていないですね。私はシングルの方が気持ちが軽いぐらいです。結婚しながらワンオペ育児をしている時は、頭の中で「夫が手伝ってくれた場合」と「手伝ってくれなかった場合」の2パターンを常に考えて動いていました。そして負担の不平等感を常に感じることになる。シングルだと「自分でやる」という一択しかないので、思考回路がシンプルで、私には合うのかもしれないです。 ■「お手伝い兼秘書のような存在に」  もちろん、子どもの将来を考えても、自分でお金を稼いでいかないといけないという責任感は増しましたね。「いざとなれば、旦那が……」と、どこかで主婦という立場に寄りかかっていたんだとも感じます。  彼に「別居後の生活満足度は何%上がった?」と聞いてみたら、「10%上がった」と言っていて、その半分は睡眠の質が良くなったことらしいです。子どもの声や私が立てる物音で目が覚めてしまうタイプなので、大きな仕事がある日は特に寝つけないのが苦しかったようで、逆に、それでも一緒に暮らしてくれていたことに感謝しなくちゃと思いました。残りの5%は探し物が減ったこと。彼が出しっぱなしにした物を私が片づけていたので、「あれどこいった?」と聞くストレスがなくなったそうです。  ――別居ではなく、離婚だったのはどうしてですか。  7つ年上の彼は、昭和の環境で育ってきていて、個人の問題というより男性中心の社会構造の問題だと考えていますが、どうしても「女性が家のことを多く担って当然」という意識がありました。彼は外で仕事をして、家で長く時間を過ごす私は、彼のサポート役のようになっていました。そして愛情表現やボディータッチはどんどん減り、やりとりは用件だけになっていく。愛されていると感じないのに、家事育児の負担が多くなり、お手伝いさん兼秘書のような存在になっていました。一方で、結婚しているというだけで周囲からは「愛されて幸せな奥さん」と見られる。そういうことからいったん距離を置きたいと思いました。 はあちゅうさん(撮影/写真映像部・東川哲也)  私の父はサラリーマン、母は専業主婦で、関係がうまくいっていなかったのに母は32年も我慢して、妹が就職した後にやっと熟年離婚しました。その間、私は早く離婚してほしかった。両親がイライラしていると「どっちにつくか」みたい空気になるので、私はおどけてみたり、人の目を気にする癖がついてしまいました。親の仲が悪い状態が本当に嫌だったので、(結婚後も)他の家族なら、もしかしたらやり過ごすかもしれないけんかも、私は見過ごせなかった。自分の家庭はそうしたくないという気持ちがすごく強くて、それならいい状態のときだけ会う関係の方がいいんじゃないかと思うようになっていきました。 ■理想は「常にパパがママを愛している家庭」  理想は、常にパパがママを愛している家庭でした。もちろん、そのためには自分も相手も変わらなきゃいけないわけですが、子どもが生まれる前のけんちゃん(しみけんさん)は、足をマッサージしてくれたり、夫婦で映画を見たり、朝起きただけで「かわいい」「すき」と愛情表現してくれていました。あの時のけんちゃんはもう戻ってこないんだなと思うと悲しいですね。 ――しみけんさんも、子どもが生まれた後はセックスレスだったと明かしていました。   レスでも他の形でコミュニケーションが出来るなら、レスは問題ではないと思っています。でもハグや手を繋いだりというボディータッチがほぼゼロになったことは「もう愛されてないんだな」と感じる理由になりましたね。彼の仕事の幅が広がり、忙しくなって家に帰って来られなくなり、やりとりは用件だけ。旅行に行くにしても、彼のリクエストを聞いて、私が下調べして彼にお伺いを立てて許可を得る。でも、下調べの過程が見えていない彼からは、褒められて感謝されることがあまりなく、ダメ出しを貰って、否定されるみたいな構図になったり……。そういう状況はつらかったです。  夫からは仕事の相談を受けることが多かったので、アドバイスをしたり、時には実際に手伝ったりしていて、そのために自分のやりたいことをセーブしたりもしていました。でもそのうちに「旦那がいなかったら私って何なんだろう」という気持ちになっていました。自分のキャリアまで、夫とセットで考えてしまっていたところがあるかもしれません。 【こちらもおすすめ】 丸岡いずみが離婚を乗り越えて仕事復帰 息子が言った「ママが死ななくてよかった」の意味 https://dot.asahi.com/articles/-/14849 ――第2子の妊活もされていたそうですね。   そうですね。1~2年続けていた第2子の妊活を、今年7月にやめました。通院に疲れたのと、月経前症候群(PMS)がひどかったのでピルを飲みたいなとか、花粉症の舌下免疫療法をやってみたいとか、妊活中だとやりたいことが制限されてしまうので、いったんお休みしました。そしたら、この人とずっと一緒にやっていくという緊張の糸が切れたというか、もしかしたら全然違う未来もあるかもしれないという気持ちが芽生えました。   そのときに、ちょっとしたけんかがあり、彼が「出て行きたい」と。これまでも妊娠中と出産後に1回ずつぐらい、離婚に至るかもしれないと思うようなけんかがあったんですが、そのときは時間がたって少し落ち着いたら「やめますか」と元に戻っていました。今回はもう3回目だったし、今後もまた同じことを繰り返すのなら、いったん結婚という状態をやめてみようか、と話し合いました。お互いに、結婚生活や夫婦としてニコイチで見られることなども含めて、すべてに疲れていましたね。「休婚」というか、少しお休みしたいねという気持ちです。 はあちゅうさん(撮影/写真映像部・東川哲也)  私の周りには、離婚して再婚して幸せになっている人や、離婚して婚活して楽しそうな人がいて、離婚は悲壮感のあるものじゃないなと思えていたんです。だからいったん離婚してみてもいいのかなと。自分で稼いで意思決定して、世の中的に見たら“強い女”かもしれませんが、みんな幸せそうです。実際、私たちの年代はもし次の相手ができた場合、早く決断しないと子どもを産めるかどうかという問題が出てきますし。親世代のように熟年離婚まで我慢するより、離婚後も一緒に子育てしたいと思ったときに選択肢がある方がいいなと思います。 ※後編『「はあちゅう」が離婚後に見据えるシングルマザーのキャリア 「人生全部コンテンツ」は20代と変わらない』へ続く はあちゅう/ブロガー・作家。慶應義塾大学法学部卒。18歳からブログでの執筆活動を始め、電通コピーライター、トレンダーズを経てフリーに。2018年7月にAV男優・しみけんと事実婚を発表、翌年9月に第一子男児を出産。22年9月に事実婚を解消。著書『半径5メートルの野望』『「自分」を仕事にする生き方』ほか多数 (構成/AERA dot.編集部・金城珠代)
男と女出産と子育て夫婦
dot. 2022/10/24 11:30
一人息子が難関校合格の宮崎謙介元衆院議員が語る小学校受験 面接で驚いた子どもの一言とは
市川綾子 市川綾子
一人息子が難関校合格の宮崎謙介元衆院議員が語る小学校受験 面接で驚いた子どもの一言とは
一人息子の小学校受験に挑んだ宮崎謙介さん(撮影/上田泰世・写真映像部)  小学校受験の本シーズンとなる11月が近づいてきた。「親の受験」とも言われ、その対策はまさしく真剣勝負。元衆議院議員の宮崎謙介さんも、昨年、息子さんの小学校受験を経験した。難関小合格への道のりには、息子さんと向き合う工夫、妻で元衆院議員の金子恵美さんとの協力体制などがあった。リアルお受験談から見えてきた、宮崎さん流“父親の役割”とは。 *   *  * ―もともと小学校受験に関心があったのでしょうか。  我が家が小学校受験を決めたのは、息子が年中になるときです。まわりの受験組からは、「もう遅い」と言われ、焦ったことを覚えています。私も妻もずっと公立で学んできましたので、受験は考えていなかったんです。ただ、仲のよいママ友が、自身の卒業した私立小にお子さんも通わせていて、私立教育の魅力を常々耳にしていました。いいなと感じたのが、小学校からのメンバーで持ち上がっていくので、大人になってからも付き合いが続くこと。私の子ども時代は、商社マンだった父親の仕事の都合で、幼少期はマニラで過ごし、小学校、中学校と転々としました。密な友人関係は、一人息子にとって、プラスになるだろうと思ったのがきっかけです。 ―小学校受験は「親の受験」とも言われます。  受験は母親次第という見方がまだ根強いと思いますが、受験の先輩パパたちからは「父親のコミットが大事だよ」と聞いていました。関わり方はそれぞれあってよいと思いますが、私の場合は、もともと「育児をやる」と心に決めていたんです。特に幼児期は、とことん向き合いたいと考えていたので、受験もやれる限りのことをやろうと。  まず、生活スタイルをがらっと変えました。年中になるときに保育園から幼稚園に切り替えたんです。保育園のありがたいサポートで朝から晩まで仕事に集中できましたが、息子と一緒にいる時間があまりなく、「本当に向き合えているだろうか」と不安になったんです。まずは息子と過ごす時間を増やすことから実行しようと考えました。 (撮影/上田泰世・写真映像部) ―仕事との両立、さらに共働きという環境で、大変ではなかったですか。  息子を寝かしつけた後に仕事に出たり、受験直前期にはやむなく仕事をセーブしたりすることもありました。共働きなので、育児には家事も含まれます。受験はどうしてもピリピリしますから、私が家事をする分、「妻の負担が軽くなれば」という思いもありました。幼稚園2年間のお弁当作りも、私が担当しました。週末におかずをたくさん作ってストックしておいて、だいぶ手際もよくなって楽しくやっていましたね。小学生になった今はお弁当がないので、とても良い思い出です。 ―受験対策の教室通いはどうでしたか。  ママ友に薦められた教室に通いました。送迎だけでなく、親の参観も必須だったので、スケジュール管理を徹底していました。妻と私とどちらが行くかをきっちり決めておかないと、共働きはもめますから。たとえば2時間のうち前半を妻、後半を私、とやりくりするときもありました。結果的に、妻より多く行ったように思います。母親の参加が一般的なので、父親はポツンと私一人。最初は気まずい空気感が漂っていたように感じましたが、同じ目標を持った親同士、次第に会話が増えて、いつの間にかママたちの輪に入り込んでいました。 ―試験内容は学校によってもさまざまで、対策が肝心だと聞きます。  いくつか志望校を検討していたので、まんべんなく対策をする必要がありました。登園前の朝時間は私、夜時間は妻が担当。漏れがないよう、きっちりとタスク管理をしていました。できると思っていた分野が急にできなくなったり、さっき注意したことをもう忘れていたり。毎日コツコツとひたすらやり続けるのみで、親はどこまで向き合えるか。「親の受験」と言われる理由の一つだと思います。 ―「タスク管理」は、具体的にどうされたのですか。  手書きの表を作りました。横軸には日付、縦軸には取り組むこと。図形や数、常識、記憶といった問題の分野からボール、片足立ちといった運動の種類まで細かく分けて書きます。そして、やったらチェックをつけます。チェックの数で偏りがないかを「見える化」して、計画を立てます。頑張ったことや練習が必要なことを記録する成長日記もつけていました。ときには仕事が終わった真夜中に眠気と闘いながら、翌朝息子とやるペーパーや道具を準備することもありました。 (撮影/上田泰世・写真映像部) ―幼児期はまだまだ気持ちのコントロールが難しい時期だと思います。息子さんのモチベーション維持のために工夫していたことはありますか。  親として頭の使いどころでした。線の通りに紙をちぎって形を作るという手先を鍛える練習があるのですが、問題は私が手作りしていました。形のなかに息子の好きそうな絵を描いて、楽しんで取り組めるようにと。毎朝、絵の練習もしたのですが、息子が飽きないよう、私も隣で描くようにしていました。そして子どもの目線になって、「いいぞ!」と息子の絵を面白がることを心がけていました。海好きの息子は、潮の満ち引きをはっきりと感じられる広島の厳島神社に興味を持ったので、何度か遊びに行き、印象を深めました。心が動いたことは、絵のモチーフになるんです。 ―どの家庭も頭を悩ますといわれる願書作成はどうでしたか。  前もって家庭で大切にしていることを整理しておくことが大切で、なかなか苦しい作業でしたが妻と頑張りました。学校説明会に行ったり、参考本を読んだりして、学校への理解も深めました。出願前は私もそうでしたが、まわりのママたちも徹夜で取り組んでいました。ネット出願も増えていますが、手書きの願書は、書き損じの予備に数枚入手していました。仕上げた願書を妻に見せると、「字が汚い!」と書き直しを求められたりして、予備分が役立ったわけなのですが……大変でした。 ―直前期はどう過ごされましたか。  息子のスイッチが入らないときは、あえて簡単な問題をやって「すごいぞ!」と声をかけていました。もともとパズルが好きだったので、図形問題などは自分からやりたがることもあります。回転図や反転図など大人でも詰まる難問もあって、妻のほうがギブアップしてしまい、妻を励ましたりすることもありました。  ただ、瞬きが多くなるチック症状が出てしまったんです。取り組ませる量が多く、「気づかないうちに無理をさせてしまったのでは」と、すぐに妻と話し合いをして、1週間ほど受験対策から離れてゆっくり過ごすようにしました。すると、いつの間にか症状も消えました。それからは、詰め込まず、余裕をもたせて本番に臨むようにしました。 ―緊張の試験本番はいかがでしたか。  試験場に向かう道では毎回、「これで大丈夫だ!」とまじないをかけたキャンディを渡して、スイッチをオンにしていました。不安そうな時には、手を握るようにしていました。  ある学校の面接試験で、息子に驚かされたことがありました。「両親と何をして遊ぶと楽しいですか?」という質問で「他には?」と繰り返され、それでも順調に答えていたんですが、突然ピタッと止まったんです。私は内心、「うわ、止まった!」と焦っていたのですが、次の瞬間、息子は「幸せなことばかりで、思い出せません」と答えたんです。面接の模擬練習では「なんだっけ?」とふざけることもあった息子が、なんだか大きく見えました。  ―結果は合格。小学校受験を振り返ってみて、今、どんなことを感じていますか。  頑張ったことを褒め続けたのが自信となって、試験で運よく調子を出せたのだと思います。もしかしたら、私自身が受験準備を楽しんでいたのかもしれません。風呂敷で物を包める? 椿はいつ咲く? そういった文化的なことにも息子と一緒に改めて触れることができました。  何より、努力する姿勢を教えられてよかったと思っています。息子は「できない」と泣くこともありました。そんな時には、いつも伝え続けていました。負けるなよ、逃げるなよ、できないと思うな、と。受験はほんの入り口、これからが大切ですから。 (AERA dot.編集部 市川綾子)
小学校受験
dot. 2022/10/23 11:30
「アマゾン薬局」日本上陸すれば既存薬局に大打撃 「ネットで完結」便利さの裏に生じるリスク
米倉昭仁 米倉昭仁
「アマゾン薬局」日本上陸すれば既存薬局に大打撃 「ネットで完結」便利さの裏に生じるリスク
医薬品業界の「黒船」が与える影響は…(gettyimages)  あのアマゾンが処方薬の販売事業参入を検討している――9月5日夜、日本経済新聞がそう報じると、調剤薬局業界に激震が走った。翌日、業界最大手のアインホールディングスを始め、上場している調剤薬局各社の株価はほぼ全面安となった。米アマゾン・ドット・コムが日本での調剤薬局事業に参入するのは2023年1月から始まる電子処方箋(せん)の導入に合わせたものとみられるが、業界関係者たちの声は重苦しい。ある大手調剤薬局に話を聞こうとしたところ、「取材に協力できることは何もありません」と、けんもほろろに断られた。電子処方箋を利用すれば薬の受け取りはインターネット上で完結する。アマゾンのオンライン販売の優位性は誰もが知るところだ。アマゾンの参入によって、私たちの医療がどう変わるのか、取材した。 *   *   * 「アマゾン薬局」のオープンに向けて、着々と準備を進めているのか。  AERA dot.はアマゾンの薬剤師募集の情報を入手した。そこには、こう書かれている。 <アマゾンで医薬品販売するために医薬品専用物流センター(大阪)において、医薬品販売するために必要な、お客様への情報提供、適正販売の判断、薬機法遵守した販売のサポート等をおこなっていただく業務となります>(かっこは筆者付記。「薬機法」とは「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」) アマゾン薬剤師募集の知らせ(撮影/米倉昭仁)  月額基本給は46万2500円以上。これには月70時間の時間外労働手当に相当する金額などが含まれているが、「仮にこれがアマゾン薬局開始に向けての条件だとすれば、かなりいいと思います。都会の薬局に勤務している薬剤師であれば、応募する人はそれなりにいると思います」(業界関係者)。 オンライン薬局を体験  すでに米国では2年前にオンライン薬局「アマゾンファーマシー」が立ち上がり、処方薬のデリバリーサービスを行っている。プライム会員は送料無料。24時間年中無休で薬剤師が患者の相談に応じる。さらに自動音声認識AI「アレクサ」が薬の管理を支援する。そんなノウハウを持ったアマゾン薬局がもうすぐ日本にやってくる――。調剤薬局業界にとっては、まさに黒船到来だろう。  実は、オンラインによる処方薬の配送サービスは2年前から大手調剤薬局チェーンを中心に国内でも始まっている。その一つが日本調剤のオンライン服薬指導・薬局サービス「NiCOMS(ニコムス)」だ。  それはどんなサービスなのか? 体験してみることにした。 日本調剤のニコムス予約画面(撮影/米倉昭仁)  まず、スマホで日本調剤のホームページにアクセスし、NiCOMSに名前や生年月日、住所などの利用者情報を入力する。さらに健康保険証とクレジットカードを登録。これで準備完了だ。  筆者はかかりつけ医が発行した処方箋を手に、日本調剤・旗の台薬局(品川区)を訪ねた。受付に処方箋を出す際「オンラインでお願いします」と告げる。手続きはたったそれだけだ。  処方された薬についての説明(服薬指導)はあらかじめ予約した時間にスマホで受けられる。NiCOMSを開くと、画面に薬剤師の姿が現れた。「本日、担当する◯◯と申します。よろしくお願いいたします」。薬について丁寧な説明がされるほか、質問も自由にできる。最後に「お支払い」アイコンをタップしてクレジットカードで支払った(代引きも可能)。料金は薬代プラス送料(300円)。処方薬は翌朝、宅配便で自宅に届けられた。実にスムーズである。 今は患者全体の3~5%  旗の台薬局を訪ねた際、オンラインサービスについて、患者からどんな声がよせられているのか、羽鳥良主任に聞いた。 「オンラインを希望される患者様にはさまざまな理由がありますが、『時間』と『場所』の制約がなくなるという、大きな二つのメリットがあります。例えば、『一包化(複数の薬を1袋ずつパックすること)』には結構時間がかかりますが、オンラインの服薬指導であれば、待ち時間が必要なくなります。さらに小児患者のお母様も薬局で待つのは大変です。帰りの新幹線や飛行機の時間を気にされる患者様もいます」  旗の台薬局は昭和大学病院の前にある、いわゆる「門前薬局」で、全国各地から患者が訪れる。  意外だったのは、周囲を気にせずに相談できるメリットだ。 「店頭だと『混んでいるから早くしなければ』とか、周囲の目を気にしてしまい、じっくりと相談できないけれど、オンラインなら自宅でリラックスして話ができる、という声をかなりうかがっています」  この店舗では、オンライン服薬指導を利用する患者は全体の3~5%だが、若者から高齢者まで幅広い層が利用しているという。「最初にNiCOMSの使い方をしっかりと説明すると、次回からは高齢者の方でもすんなりと使われています」。  すでにNiCOMSの運用開始から約2年が経過し、薬剤師はオンラインでの会話に十分に慣れたため、画面に映る患者に合わせて阿吽(あうん)の呼吸で話せるようになったという。  これまで患者は処方薬を購入する際、紙の処方箋を薬局に提出する必要があったが、来年1月からは電子処方箋の制度がスタートする。これをオンライン服薬指導と組み合わせれば、患者は処方箋の引き換え番号をスマホや電話で薬局に伝えるだけで、好きな場所で処方薬を受け取れるようになる。  アマゾンはこれを機に処方薬の販売事業への参入を目指しているわけだが、それが刺激となってオンライン薬局が普及し、同業者間の競争は激しくなっていくだろう。 都会の薬局との大きな違い  一方、地方の薬剤師はインターネットによる処方薬の販売について、どう考えているのか、長野県諏訪市で「ららくま薬局」を営む薬剤師・熊谷信さんに聞くと、都会の薬局とは大きく異なる事情が見えてきた。 ららくま薬局の薬剤師・熊谷信さん  まず、熊谷さんはアマゾンの参入について、「薬剤師の間ではポジティブな反応は薄いですね」と言う。その理由として「自分たちの仕事が奪われてしまうかもしれない、という心配が大きい」と漏らす。 「オンライン薬局が増えることで、利用者が奪われ、既存の薬局は立ち行かなくなるところが出てくるでしょう。現在約6万ある薬局は数を減らしていくと予想されます」  その影響が特に大きいと思われるのが地方だ。というのも、熊谷さんはあくまで肌感覚だが「地方にはインターネットに不慣れな人が多い」と言い、こう続ける。 「例えば、うちの薬局では処方箋をスマホで撮影して送ってもらい、それをもとに薬を用意する、というアプリを導入しています。ところが、それを高齢の患者さんに勧めても『うーん、いらない』という人が多い。なので、今後、電子処方箋が導入されてもそれを使いこなせるかというと、なかなか難しいでしょう。要するに、アマゾンがオンライン薬局を展開するようになっても、ネット弱者の患者さんたちが取り残されないようにすることが必要だと思います」  アマゾン薬局が米国と同様に「プライム会員は送料無料」といったサービスを打ち出せば、便利さだけでなく、安さに引かれる患者は多いだろう。 「薬剤師の24時間年中無休対応も患者さんにとっては大きなメリットです。でも、中小の薬局ではそのようなサービスはなかなか成り立たないでしょう」 薬局はコミュニティー  一方、熊谷さんは、薬剤師は患者に対して単に薬についての説明を行い、薬を渡すだけの存在ではない、と訴え、こう続ける。 「医師が発行した処方箋はすべてが正しいわけでありません」  どういうことか。 「薬剤師は医師とは異なる視点で薬を監査して、患者さんを守ります。例えば、薬の飲み合わせが悪い、体質に合わない、ということが実際に起こってくる。そこで薬剤師が処方箋の内容について医師に問い合わせる『疑義照会』を行う。もちろん、アマゾンにはそれができない、とは思いません。しかし、普段から患者さんと顔を合わせている関係であったほうがそれをやりやすいのは確かだと思います」 ららくま薬局  これまで、ららくま薬局は諏訪地域のコミュニティーの一角を担ってきた、という自負が熊谷さんにはある。 「私の薬局では新型コロナの抗原検査も行っていますが、市内にある会社の社長さんから『うちの従業員が心配だから、検査を受けさせてもらえないだろうか』と、相談を受けることもありました。薬剤師の仕事とは直接の関係はありませんが、薬局にはそういった存在意義が確実にあります。それはオンライン薬局ではなし得ないでしょう」  新型コロナ対策のワクチン接種では海外の製薬メーカーのワクチンが頼りだった。 「ワクチン接種ではこれら製薬メーカー本社のある一部の先進国が先行しました。しかし、国産ワクチンがない状況では、それを受け入れざるを得ませんでした。アマゾン薬局の参入について、否定はしません。しかし、処方薬の多くをアマゾンに頼るような状況が生じてしまうと、それがリスクになりかねないと思います。アマゾン薬局とは別の選択肢も選べるような環境を維持していくことが必要でしょう」 薬の購入は「命」に直結  近い将来、アマゾン薬局が浸透すれば、前述のようにリアル店舗型の調剤薬局は苦境に立たされるケースがあるだろう。もちろん、薬局の省力化や効率化は大切だが、その一方で、薬の購入は患者の命や健康に直結する。調剤薬局が減ったあと、アマゾン薬局の収益が予測を下まわり、撤退するような事態となれば「不便」ではすまない状況となる。薬局は地域のインフラであり、失われることの代償はあまりに大きいと知っておくべきだろう。 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)
アマゾン薬局
dot. 2022/10/23 08:00
仕事が終わらないタイムループ! 竹林亮監督による、自分を俯瞰で見る新感覚ムービー『MONDAYS』
中村千晶 中村千晶
仕事が終わらないタイムループ! 竹林亮監督による、自分を俯瞰で見る新感覚ムービー『MONDAYS』
女性を主人公にした理由は「さえりさんの描く女性心理に共感したことと、妻をはじめ周囲に優秀でバリバリ働く女性が多く、それが自然だったから」と監督。同じ場面やセリフを何度も繰り返す撮影は複雑で、スタッフも俳優も「いま自分は何回目の月曜日にいるんだっけ?」と混乱したそう photo(c)CHOCOLATE Inc.  また月曜日がやってきた。小さな広告代理店で働く吉川(円井わん)は「この仕事が終わったら大手代理店に転職する」と野望を持ちつつ、日々仕事に追われている。そんなある日、吉川は2人の後輩から告げられる。「僕たち、タイムループしています!」──。連載「シネマ×SDGs」の24回目は、共感度100%&予測不能な新感覚ムービー『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』の竹林亮監督に話を聞いた。 *  *  * photo(c)CHOCOLATE Inc.  僕が所属する会社の上司(僕より3歳下です)は情熱的で、毎年正月に「今年もめちゃめちゃいいものを作るぞ!」とツイートをするんです。でも毎年同じ内容なので、脚本家の夏生さえりさんが「これ、タイムループに巻き込まれているんじゃない?」と(笑)。その一言が映画のはじまりです。 photo(c)CHOCOLATE Inc.  ヒロインの吉川は向上心や野心はあるけれど、自分のことしか考えていません。彼女がタイムループのなかで何に気づくのかがポイントです。僕自身CM業界で働き、20代は「これを納品したら自分のキャリアが変わるかも!」などと思いながら走ってきました。忙しくなると、周りの人としっかり向き合えてない自分に気づきつつも、止まれなかった。30代半ばになってドキュメンタリー映画「14歳の栞」で中学生と向き合ったり、国際協力の現場にいる方々と話す機会を持ったりしたことで、人生で大事に思うもののプライオリティーが変わった気がします。これまでの人生で「消費」してきたものとは別の大切さに気づけたというか。それを20代の吉川に気づかせてあげたかったのかもしれません。 photo(c)CHOCOLATE Inc.  コロナ禍で日本人の仕事への意識は確実に変わりました。それでも業界によってはいまだに「月曜の夕方にチェックしたいから月曜の朝までに送って。もしくは日曜の夜までに」と言われるようなこともあります(笑)。そういうときに「『MONDAYS』という映画があるんですけどね……」と、ジョークのように言ってもらえるとうれしいですね。がむしゃらに働く楽しさも理解できる。でもどんな立場の人も、もう少し余裕を持ったほうが健全だと感じます。成長の先には何があるのか。思い描いていたゴールと違うところにある価値のようなものを考えるきっかけになればとも思います。(取材/文・中村千晶) 竹林 亮(監督・共同脚本)/1984年、神奈川県出身。コマーシャルやYouTubeコンテンツの制作会社を経て独立。CHOCOLATE Inc.に所属。映画「14歳の栞」(2021年)では中学校の一クラス35人に密着した。10月14日から先行公開中、28日から全国順次公開 photo(c)CHOCOLATE Inc. ※AERA 2022年10月24日号
AERA 2022/10/23 07:00
「リハビリ医療を担う医師を育成していきたい」 大学内初のリハビリ医学講座を開設した医師が語るやりがい
「リハビリ医療を担う医師を育成していきたい」 大学内初のリハビリ医学講座を開設した医師が語るやりがい
医療法人社団輝生会理事長兼在宅総合ケアセンター成城センター長の水間正澄医師(写真/写真映像部・高野楓菜) 脳卒中や手術後の患者に対し、失われた機能の回復や残った機能を伸ばすリハビリテーション。近年、その重要性が注目され、超高齢社会においてリハビリテーション医と呼ばれる医師が担う役割が大きくなっている。しかし、一昔前は大学医学部にリハビリの医局はなく、学ぶ機会も十分になかった。そんななか、リハビリ医療を担う医師の育成の必要性を大学に訴え続け、08年に昭和大学リハビリテーション医学講座を開設、初代教授に就任したのが水間正澄医師だ。好評発売中の週刊朝日ムック『医学部に入る2023』では、水間医師を取材した。 *  *  *  お座りしかできなかったある障害児。母親は、「この子はここまでが限界」とあきらめていた。ところが月に2回のリハビリを開始したところ、手すりにつかまって立ち上がりができるように。さらにリハビリを続けたところ、両足立ちができるまでになった。  病気により車椅子生活になった高齢男性は、「秋祭りの役員として、20分だけ神社の椅子に座れるようにしてほしい」と訴えた。祭りは男性の生きがいだった。リハビリに取り組んだ結果、座位の姿勢を維持できるようになり、希望をかなえられた。  これらは、いずれも水間正澄医師が経験したケースだ。 「リハビリ医にとって大事なことは、患者さんの『できる』部分を見逃さないこと。患者さんの主体性を引き出し、専門職と協働して取り組めば、少しずつかもしれないが伸ばせる機能はある。うまくいったら、さらにできそうなことを見つけて取り組む。患者さんの変化を見逃さず、医学的管理をしながらできることをひとつずつプラスしていき、生きる希望を持てるように伴走する。これがリハビリ医の仕事です」と話す。  医師を目指したのは勤務医だった父の影響だ。医学部時代は内科医になりたいと思っていた。ところが、5年生のときの臨床実習でリハビリ医療に出合い、運命が変わった。 ■養護学校で働く医師を見てリハビリ医になることを決意  当時の大学にはリハビリの医局はなく、研究も診療も整形外科の医局が担っていた。その整形外科の実習で養護学校(現在の特別支援学校)の見学があった。 「養護学校では先輩医師が校医として障害児の保護者や教員の相談に応じたり、車椅子や機能を支える装具の作製に立ち会ったりしていました。『医師としてこういう働き方もあるのか』と初めて見る世界に心を奪われました」  その後、内科でも実習をしたが、ピンとこなかった。 「将来の医師像をイメージしたときに、養護学校で働いていた先輩医師の姿ばかりが浮かんでくるのです。『これはもう、リハビリ医しかないのかなあ』と。病院の外でも活動の場があるというのは、実は私の父も同じでした。患者さんに呼ばれてよく往診に行っていたのです。今思えば、その影響もあったのかもしれませんね」 写真右が水間正澄医師(写真/写真映像部・高野楓菜) ■障害児の自宅を訪問して初めてわかったこと  整形外科に入局後は、脊髄損傷患者のリハビリに力を入れていた福島県の太田熱海病院へ。研修医時代の2年間は、患者のリハビリを実際に行う療法士たちにお願いして、リハビリテクニックの数々を教えてもらった。 「療法士さんに教わったリハビリを医師がやるのです。患者さんにも随分とご協力いただきましたが、こうした経験は後進を育てるときの方法として大いに参考になりました」  研修終了後は大学病院に戻り、先輩について脳卒中や手術後の患者のリハビリに取り組む。同時に養護学校の校医も兼任。学校に来ることのできない障害児の自宅訪問も行った。  自宅訪問では、リハビリが患者の暮らしを支える医療であり、患者や家族を深く理解する意識が大事だと実感したという。 「例えば脳性麻痺などがあると起こりやすい痙縮(けいしゅく)という症状があります。筋肉が緊張して手足が動かしにくくなるものですが、強い痙縮があると夜間に痛みで眠れません。夜中に何度も起こされる親御さんも大変ですが、そうした現状は自宅を訪問しないとなかなかわかりません」  当時を振り返って、「今だったら、もっとできる」と思うことも多い。 「ある障害児のご自宅に行ったときのこと。お子さんが日常のほとんどを過ごすベッドが、家族が過ごす居間ではなく、廊下に置かれていました。間取りの関係で仕方がなかったのですが、今のリハビリ技術があれば、もう少しからだを起こせるようにしてあげられたかもしれない。ご家族とのコミュニケーションも深められただろうと思います」  医師としての経験を重ねるにつれ、リハビリをめぐるさまざまな課題を知ることになった水間医師。同じ思いを持ち、ともに働き将来のリハビリ医療を担う医師の育成をしていきたいという思いが募ってきた。大学当局にその必要性を訴え続け、08年にリハビリテーション医学講座の開設が実現した。 ■後遺症を抱える人たちの復職支援にも取り組む  退職後は複数のリハビリ病院を持つ医療法人の理事長として、訪問診療を含む地域リハビリテーションの普及に取り組んでいる。 「救命医療などの進歩で助かる命が増えれば、同時に、障害を持つ人も増える可能性がある。寿命が延びれば、誰にだって体に不具合が起こってきます。将来はリハビリのニーズがさらに高まることから、患者さんの身近な場所でリハビリを提供することが必須です」 週刊朝日ムック『医学部に入る2023』  さらに、「障害者が生きやすい社会の手助けになれば」と脳卒中後の後遺症などで障害を抱えた人の社会復帰もサポートしている。必要があれば、企業の担当者と話をするという。 「かつて担当した患者さんの中に復職後、閑職に追いやられ、退職を余儀なくされた人が少なからずいました。企業側に障害やリハビリについてもっと知ってもらえれば、こうしたケースは減らすことができると思っています」  水間医師が目指すのは、健常者と障害者が当たり前のように共生できる社会の実現だ。 「そのためにも健常者、障害者の区別なく、『同じ人間なのだから、できることを一緒にやっていこう』というマインドを持つ人を増やしていきたいですね。リハビリ医は患者さんの希望や人生を理解することが求められる仕事。医学として未知の分野が多い領域でもあります。リハビリ医を目指す若い皆さんに大いに期待しています」 リハビリ科とは・・・ 障害児や脳卒中などの病気やけが、難病や加齢で機能が障害された人を主な対象に、失われた機能の回復や残った機能を伸ばし、活動性を高める治療をおこなう。リハビリテーション医は検査、機能訓練や装具の処方、投薬などの医学的管理、褥瘡(じょくそう)や排泄障害などの合併症対策までをおこなう。看護師や理学療法士、作業療法士、言語聴覚士などの専門職とチームで取り組む。患者の自立や自己決定の手段を提供することも重要な役割。 水間正澄医師 1977 年昭和大学医学部卒。2008 年同大学医学部リハビリテーション医学講座主任教授、日本リハビリテーション医学会理事長、日本義肢装具学会副理事長などを歴任。現在、医療法人社団輝生会理事長兼在宅総合ケアセンター成城センター長。 (文/狩生聖子) ※週刊朝日ムック『医学部に入る2023』から
医学部に入る2023病気
dot. 2022/10/22 17:00
「夜のパン屋さん」を生み出した料理研究家・枝元なほみさんの“フードロス”との闘い方
「夜のパン屋さん」を生み出した料理研究家・枝元なほみさんの“フードロス”との闘い方
枝元なほみさん(撮影/朝日新聞出版 写真映像部 松永卓也)  料理研究家の枝元なほみさんは、農業生産者のサポートや「夜のパン屋さん」「大人食堂」などフードロス×飢餓ゼロ運動に力を注いでいます。世界的なパンデミックや戦争の影響で、ますます高まる食への不安。枝元さんは、これまでの価値観のままで暮らしていては未来を食べ散らかすことになる、と危惧しています。枝元さんがフードロス問題を考えた新刊『捨てない未来――キッチンから、ゆるく、おいしく、フードロスを打ち返す』から、一部を抜粋・改変して公開します。暮らしの「豊かさ」とは何か、いまだからこそ、考えてみませんか。 *  *  *■2、3週間もつ材料を1日で使うことも  長いこと私、料理を仕事にしています。分野は家庭料理。人が食べて生きていく、その日々の暮らしの中にある料理を考える仕事です。いろいろな食材と向き合い、冷蔵庫を開けたり閉めたり火の前で鍋を振ったりしながら、30年ほどキッチンで働いてきました。  家庭料理を作りながら実際の家庭料理と違うところは、仕事にしているということ。家族や友人たちと食べる料理を作るのではなく、写真に収めてもらうための料理を作るわけです。場合によって10時間も12時間も立ちっぱなしで多種類、大量の料理を作ったりするわけで、家庭だったらやりくりしながら2週間、3週間もつような材料を1日で使います。おまけにもし失敗したらなんて思ったり、作る途中のプロセス写真を撮るなんていうこともあったりして、買う材料はつい多め多めに、となります。  そんなわけででき上がりの料理もさることながら、半端なものが途方に暮れる量で残ります。役割は終えた、とそれらをそのままごみ箱行きにする? ふるふるふる(震えて否定)、そんなことをしたらもったいないおばけが出て、きっと私は地獄行きだとずうっと思ってきました。どうにかしてみんなに持って帰ってもらいたい、胃袋に収めていただきたい、そのために頑張る、それでも切りかけや切れ端の野菜、半端の肉なんかが残ります。それゆえ仕事の翌日や翌々日は冷蔵庫整理の料理が続きます。 スーパーで買って料理に使ったかぼちゃの種をベランダ鉢に植えてみたら、すくすく育って、この後、黄色い花を咲かせた。普段なら捨ててしまうものに、命がつづいていく可能性を感じた、と枝元さん(写真:著者提供)  あぁ片付けって、永遠に終わらないような気がします。こまごまと頭も使うし手間も暇もかかる。いっそのこと全部見なかったことにして捨てたりしたら……。家庭料理を考える資格がなくなっちゃう、そんな風にも思うわけで。 <フードロス>の大義から考えるというより、料理という命を養う行為(これはこれでちょっとオーバーな物言いですが)を生業(なりわい)としながら、その元の、食べ物の命を粗末にしかねない罪悪感と戦っていくような、料理をしながら食べ物を捨てない修行をするような、そんな感じもしているのです。 ■気持ちの豊かさで社会を廻す 「捨てる」って、すごくさっぱりします。すっきりします。でも余分なものをどこか見えないところに片付けて終わりにする現代の暮らしは、生き方自体を変えなければいけないところまで来ているのかもしれないと思います。  地球規模の経済的悪循環のシステムである、大量生産、大量消費、大量廃棄という負のループから降りて、未来を生きる子どもたちにおおらかな自然環境を残したいです。  大きな野望のようですけど、マジです、本気で思うようになりました。  物質的な豊かさではなく、気持ちの豊かさが社会を廻していく、そんな社会を考えていかないと子どもたちに申し訳が立たない。かなり切羽詰まったところまで、地球が悲鳴をあげるようなところまで、私たち、欲望を肥大化させてきてしまったのじゃないか、そうも思うのです。  行き過ぎちゃったとしたら、少し立ち止まって、または来た道を少し戻って、何が大事かをもう一度考え直したい。すぅすぅと風通しのいい循環の中に自分という存在を置いて、過不足なく、つまり「足るを知って」生きていく、そんな段階に進めたらなあ、と思うのです。 ■「ビッグイシュー」から「夜のパン屋さん」へ  話、少し変わります。  私は、生活に困窮した人たちに雑誌販売という仕事をつくって支援する「ビッグイシュー」にここ10年ほど関わってきました。あるとき、そのビッグイシューに篤志家の方からの寄付が寄せられました。みんなに配って終わってしまうのではなく、なんらかの形で循環するような使い方をしてほしいというご意向でした。 ※写真はイメージ。本文とは関係ありません(Nik_Merkulov / iStock / Getty Images Plus)  さて、一体何ができるだろう、考えました。その末に生まれたのが、2020年10月16日に始めた「夜のパン屋さん」です。  最初からプロジェクトの構想があったわけではなく、循環できる形、として考えたのが、あちこちにあるパン屋さんの閉店後に残ってしまいそうなパンを預かってきて販売するという小さな商いでした。  いろいろな場所で雑誌『ビッグイシュー』を販売している販売者さんたちに、その近くのパン屋さんからパンをピックアップしてきてもらうのはどうだろう? 最初の発想はそこからです。フードロス削減に多少なりとも貢献し、またその販売利益で、パンをピックアップして販売する仕事のギャランティをつくります。  まあ、きちんとお金を計算できる人が考えればあまり儲かる仕組みとは言えないと後になってわかりましたが、儲かるかどうかよりも、少額にせよギャランティを払ってパンをピックアップし、それをお客さんにお渡しする、食べ物の命を全うすることができる、そのことがなんだか誇らしくもありました。利益が第一目的というよりも、社会的に起業してごくごく小さい規模ながらオルタナティブな経済に参加する。少し鼻息も荒くなりました。 ■ロスパンとロスジェネ  夜の街角にぽつんと灯ったあかりの下、パン屋を開いて気がついたことがいろいろありました。  お客さんと売り手の私たちの間にパンがあるせいか、なんだか関係がやわらかいのです。  取材もたくさんしていただいたせいで「いい取り組みですね」と言っていただくことも多かったのですが、その上に何げない「おいしそうね」がありました。ゆるくふわりとしているけれど気持ちに陰のない感じもして、それはなんだか、食べ物の力のような気もしたのです。 <ロスパン>と呼ばれる、残って廃棄されてしまうかもしれないパン、そのロスという言葉のことも考えました。朝焼かれて、一日売り場にふくふくと豊かに華やかに並んでいたけれど、時間がきたら「残ったもの」になってしまう。でも買われていったパンも残ってしまったパンも同じパン。残って<ロスパン>になるのは、人間の都合なんだよなあ、と思いました。 枝元なほみ『捨てない未来――キッチンから、ゆるく、おいしく、フードロス打ち返す』好評発売中!※Amazonで本の詳細を見る 「夜のパン屋さん」の販売者さんたちは、折しもロスジェネと呼ばれる世代の人たちでした。パンも人も同じじゃないか、となんだか悔しくなりました。人間の都合、経済や社会の都合で、正規かロスかが決まる、必要か必要じゃないかが決められる。残ってしまったらロスとして廃棄だなんて、そんなのどう考えたってやっぱりおかしい。  豊かに、たっぷり、安くたくさんあるのがよいこと。常に新しい、一番上等のものを買えるのが、今どきの豊かさ。そんな価値観では、未来の人が受け継ぐべきものを先に食べ散らかしてしまうことになるんじゃないかと思えてきました。  そういえば、「一番搾り」や「一番だし」という言葉を最初に聞いたころ、じゃあ二番はどうなるんだろう、と考えたことを思い出しました。  一番の意味は少し違いますが、私たち、いつの間にか一番を競ってスーパーマーケットの棚に並ぶ、美しく並べられてラップでピシッと包まれた食べ物に慣れてしまったのかもしれないです。畑に行けば、大きいのや小さいの、曲がったのやいびつなの、虫喰いのあるのや傷のあるのだっておおらかに一緒に陽を浴びています。綺麗に形の揃ったものを並べるのは、箱の都合、スーパーの棚の都合、値段を決める都合だったりするんですね。 「訳あり」のその「訳」が、自然とともに生きる循環のためではなくて、利益のための「訳」になってしまった。  美しいやおいしいや儲かるを競争するところから、そろそろ降りたいなあと思うようになりました。競った先にあるのは、勝者と敗者だったり、1%と99%の区分けだったりするのかもしれません。 ■「効率の良さ」の前に「いい循環」を  またまた少し話は飛びます。  油のことを思い出しました。普段使いとしてどんな油を使うかを考えていたときに、いろいろな経緯から商品としてドレッシングを作ることになり、油選びにさらに力が入りました。原料が遺伝子組み換えでないもの、ドレッシング全体の味に馴染むもの、価格が折り合えるもの、などで探しました。 ※写真はイメージ。本文とは関係ありません(Aajan / iStock / Getty Images Plus)  紹介してもらって、なたね油を搾る小さな工場を見学しました。工場、というよりは工房と呼んでもいいような、懐かしく温かく感じる規模です。かまどだったか、古いレンガ組みの様子が、まるで絵本に出てくるようで印象に残っています。 「昔、カネミ油症事件(注)、というのがあったんです。そのとき、祖母が『おっかねえ油つくるんでねえよ。自分らで食べたくないもん、つくるんでねえよ』といったんですよ。その言葉をずっと守っているんです」というのは、製油会社の社長さんの説明。搾ったあとも、薬剤を使わずにお湯で何度も洗って精製して不純物と油を分離する方法でつくり上げた、おいしいいい油でした。  油の搾り方について教えてもらったことを覚えています、というか忘れられずにいます。圧縮搾り、というのはよく聞く言葉で、つまりぎゅうっと押し潰してたら~りと出てくる油を搾る方法ですが、搾りかすが残るわけです。で、普通の油の場合はそこに、ノルマルへキサンという溶剤を入れてさらに搾るのだそうです。溶剤、つまり搾りかすのなたねに残る油を溶かし込んで浮き上がらせるわけ。そうして上に浮いて来た油を加熱して溶剤を揮発させると油が残る、つまりたくさん搾れる、歩留まりがよくなるのだそうです。  見学していた私たちのところに、その工場では使っていないノルマルへキサンの小瓶が回ってきて、順番にみんなで匂いを嗅ぎました。「あっ、ベンジン!」「あっ、ベンジン!」という小さな声が広がりました。私は、揮発してこれがなくなったとしても、なんだかちょっと心配、食べ物じゃないものを使うわけだからなあと思ったのでした。  で、なぜ今こんな話をしているかというと、ロス=「捨てる」、「捨てない」ということに関係しているように感じたからです。  ノルマルへキサンを使って搾れば、同じなたねからたくさんの油が搾れる。そこで残ったなたねの搾りかすは肥料として使われることもあるそうですが、私にとっては不安の残ったものになります。だから、こっちの方こそロスにしたいもの、そう思えました。 ※写真はイメージ。本文とは関係ありません(TheLux / iStock / Getty Images Plus)  でもノルマルへキサンを使わなければ、搾りかすのなたねは、畑に入れるとてもいい安心な肥料になる。事実、創業した最初のころは、歩留まりが悪く値段が高めになってしまう油よりも、肥料としての油かすの人気のほうが高かったくらいなんですよ、とお聞きしました。  溶剤を使わないから搾りかすの中に多少油分が残る、でもだからこそいい肥料になる。油をとることだけを考えて、もっと安くもっとたくさん、最後の最後まで搾り切るために薬剤を使う。そうすると、逆にその添加した薬剤の分の不安が残るのではないかと思いました。薬剤を使わないことで畑に撒かれても安心な、作物を<育てるもの>に変わる。いい循環、ってこういうことじゃないかしら、と思ったのでした。  油そのものだけを考えれば、環境や人の健康に負荷のかかる遺伝子組み換え作物を原料にして、薬剤を使って搾れるだけ搾って捨てるほうが、安いに違いない。でも、循環していくことを考えたら、原料に除草剤を使わないことで土中微生物を殺さずにすみ、それが人の腸内細菌を殺さないことにもつながり、油の搾りかすは肥料となって土に還る。  作物の種を守りどう育てていくかという農業の未来も含めた大きな視点を持ったら、そのほうが健康的に循環するということになるのではないでしょうか。  捨てることが前提のシステムが持つ息苦しさは、常に値踏みされ競わされる私たちの苦しさのようにも思えてきました。<フードロス>を考えることは、<未来>を捨てないことにつながっていくのだ、そうも思えてきました。  フードロスのことを考えたいと、改めて思いました。  想像もしなかったパンデミックの広がりといつまで続くのかわからない不安、どう考えたらいいのかわからず立ち尽くしてしまうような戦争の現実。世の中の、そして自分の心の底に流れる解決の糸口が見えにくい問題の数々。そのことに向き合おうとすると、それは自分の小さな台所や食卓とつながっていたのでした。 ※写真はイメージ。本文とは関係ありません(Irina_Strelnikova / iStock / Getty Images Plus) <フードロス>の問題も、他の多くの問題と同じ根っこでつながっていました。社会の仕組みの問題であると同時に、その社会の仕組みを構成する私の、私たち自身の問題でもありました。だからこそ私たち自身が変えていく意思と力を持って、小さな声を集めて具体的に前へ向かって進んで行きたいと思うようになりました。 「食べて生きていく」という人の営みのおおもとをおおらかに肯定しながら、子どもたちに残すべき地球の未来を守っていきたい。  できることはきっとたくさんある、そんな風に思えるようになりました。 注)1968年、カネミ倉庫(北九州市)製造の食用油(米ぬか油)に、脱臭工程で熱媒体として用いられたポリ塩化ビフェニル(PCB)が混入し、摂取した人々に深刻な健康被害がもたらされた食中毒事件。発症の主因はPCB類、及びPCBが加熱され、酸化したポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF/ダイオキシン類の一種)など。吹出物、色素沈着、目やになどの皮膚症状のほか、全身倦怠感、しびれ感、食欲不振などの症状があり、改善には長い時間がかかる。 (構成/保田さえ子)
SDGs書籍朝日新聞出版の本枝元なほみ読書
dot. 2022/10/18 17:00
【ベストの睡眠時間は?】結果を出せる人は、 何時に寝て何時に起きているのか?
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※写真はイメージです(GettyImages)  今回は、結果を出せる人は、何時に寝て何時に起きているのか?、ベストな睡眠時間についてお伝えします。  レコード会社の社員時代はプロデューサーとして、ミリオンヒットを10回記録するなどトレンドを牽引し、絶調期にニュージーランドに移住。その後、12年かけてリモートワーク術を構築してきた四角大輔氏。彼のベストセラー『自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと』は、次世代のミニマリストのバイブルにもなった。  四角氏のあたらしい著書『超ミニマル主義』の中から、「仕事術」「ワークスペース」「働き方」「スケジュールとタスク」「デバイスと情報」「思考と習慣」……etc を「手放し、効率化し、超集中する」ための【全技法】を紹介していきます。 「毎日同じ時間に寝る習慣」を身につける  1日の計画は、「その日の就寝時間」から逆算式で組み立てるといい。では、何時に寝るのが理想なのか。  定時が決まっているなら、「毎日同じ時間に寝る習慣」を身につけること(※1)。そうすれば、毎夜のリカバリータイムが最適化され、疲労感ゼロで朝を迎えられるようになる。  そして、「毎日同じ長さの、充分な睡眠時間」を確保することが重要となる。では、何時間眠ればいいのか。 世界の長寿の人たちの平均睡眠が7時間、死亡率が一番低いのが6時間半~7時間半  7時間前後を境に、長くても短くても生活習慣病の罹患率が高まると複数の研究が示している(※2)。 「長くてもダメなのか」と驚かれたかもしれないが、ダラダラと寝過ぎて「体がダルい。頭がボーッとする」という経験は誰もがしているはず。  だがやはり、短い方がダメージは大きい。ある研究では、6時間睡眠を2週間続けた人たちは、2日徹夜したのと同レベルの認知障害をきたし―恐ろしいことに「その著しいパフォーマンス低下と疲労を自覚できなかった」というのだ(※3)。  なお、世界の長寿の人たちの平均睡眠が7時間、死亡率が一番低いのが6時間半~7時間半(※1)、AmazonのCEOジェフ・ペゾスなど多くの有名CEOは約8時間寝ている(※4)。  スタンフォード大学教授で睡眠学の権威、西野精治氏によると「指標として7時間程度を目安にするのがいい」とのこと。 就寝シフトを守るための「逆算式プランニング術」  日本の平均通勤時間は片道約40分(※5)だが、次の理由から、通勤時間を「1時間」とし、一般的な「8時~17時」勤務の例で説明していく。  通勤時間とは一般的に、「家の玄関を出てから会社着まで」とされる。だが実は、「(1)靴を履いて鍵を閉める時間」と「(2)会社の入口から席に座るまでの時間」が意外にある。自転車や車通勤の人は、ハンドルを握って動きはじめるまでが(1)に含まれ、会社の駐車(輪)場から席に座るまでが(2)となる。  (1)(2)を合わせて「10~20分」で計算し、それを通勤時間に加えるだけで、朝の慌ただしさがなくなる。ぼくもある時期まで、(1)(2)の計算が抜け落ちていて、約束の時間に「間一髪アウト!」をよくやっていた。  8時の始業に間に合うべく、7時に自宅を出るためには、起床時間は何時になるか。多くの人が「ざっくり1時間前」にしがちだが、それだと余白がなくなりバタバタしてしまう。  理由はあらためて解説するが―本連載の提案は「リラックスの1時間+朝のルーティン30分=計1時間半」なので、5時半起床とする。前述の西野教授の指標「7時間程度の睡眠」を採用するならば、遅くとも22時半には入眠したい。  そして、遅くとも眠る1時間前には、日中の仕事で「交感神経」が高まって緊張状態にある自律神経を、リラックスモードである「副交感神経」にシフトする必要がある。  夜の明るい照明は交感神経を刺激するため、「消灯時間」を決めて、21時半までには部屋の照明を落とすこと。男性は30歳、女性は40歳以上になると、加齢によって交感神経が優位になりがちだと知っておいてほしい(※6)。  当然、キャンドルや間接照明で過ごす穏やな時間は、極上のセルフケアタイムとなる。「毎晩キャンドルタイムを過ごす」。そう考えるだけで、幸せな気持ちにならないだろうか。 ※1 西野精治『大学教授が教える 熟睡の習慣』PHP新書(2019)※2 三島和夫「長く眠ると健康に悪い? 死亡率と睡眠の意外な関係」National Geographic日本版(2019)※3 Hans P.A. Van Dongen, Greg Maislin, Janet M. Mullington, David F. Dinges(2003) “The cumulative cost of additional wakefulness” Sleep,26(2): 117-126.※4 Arianna Huffington「短時間睡眠は時代遅れ 名だたるCEOが8時間宣言」日経スタイル(2016)※5 総務省統計局「平成28年社会生活基本調査―生活時間に関する結果」※6 順天堂大学小林弘幸『なぜ、「これ」は健康にいいのか?』サンマーク出版(2011) 『超ミニマル主義』では、「手放し、効率化し、超集中」するための全技法を紹介しています。ぜひチェックしてみてください。 (本原稿は、四角大輔著『超ミニマル主義』から一部抜粋したものです) 四角大輔(よすみ・だいすけ)執筆家・環境保護アンバサダー1970年、大阪の外れで生まれ、自然児として育つ。91年、獨協大学英語科入学後、バックパッキング登山とバンライフの虜になる。95年、ひどい赤面症のままソニーミュージック入社。社会性も音楽知識もないダメ営業マンから、異端のプロデューサーになり、削ぎ落とす技法でミリオンヒット10回を記録。2010年、すべてをリセットしてニュージーランドに移住し、湖畔の森でサステナブルな自給自足ライフを営む。年の数ヵ月を移動生活に費やし、65ヵ国を訪れる。19年、約10年ぶりのリセットを敢行。CO2排出を省みて移動生活を中断。会社役員、プロデュース、連載など仕事の大半を手放し、自著の執筆、環境活動に専念する。21年、第一子誕生を受けて、ミニマル仕事術をさらに極め――週3日・午前中だけ働く――育児のための超時短ワークスタイルを実践。著書に、『自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと』(サンクチュアリ出版)、『人生やらなくていいリスト』(講談社)、『モバイルボヘミアン』(本田直之氏と共著、ライツ社)、『バックパッキング登山入門』(エイ出版社)など。
ダイヤモンド・オンライン 2022/10/17 18:00
内村航平の母・周子さんが都内で体操教室を開くワケ 「航平にも教えた」”周子メソッド”と過去の反省
内村航平の母・周子さんが都内で体操教室を開くワケ 「航平にも教えた」”周子メソッド”と過去の反省
内村周子さん(撮影/写真映像部・高野楓奈)  体操男子の五輪金メダリスト・内村航平さんの母、内村周子さん(60)。故郷・長崎で、航平さんも学んだ「スポーツクラブ内村」にて体操やバレエを指導するかたわら、実は都内でも毎週、渋谷区と江東区で子ども向けの「内村周子体操教室」を開いている。「365日中、休み0日」という超多忙な日々を分刻みのスケジュールで駆け抜ける周子さん。都内でのレッスンをのぞき、航平さんのころから続いている“周子メソッド”について聞いた。 *  *  * (撮影/写真映像部・高野楓奈) ――2017年から東京都渋谷区で未就学児とその親を対象に、今年4月からは江東区で未就学児・小学生を対象にしたレッスンをされています。都内でも指導を始めようと思った理由は?  自分から都内で教室を開こうと思ったのではなく、声をかけてもらったからです。長崎に住んでいる私が都内でお仕事をするというのは大変なこと。でも、必要としてくれる人がいるならぜひやってみよう、と思いました。 ――長崎と東京を毎週、往復されているのでしょうか。  月曜の夜に長崎から移動し、火、水は東京で指導、そしてまた長崎に帰って長崎の子どもたちを教えています。合間に全国での講演などもあります。今年は365日休みなしです。  ――ご自身も選手として大会に出場し、9月18日に第55回全日本シニア・マスターズ体操競技選手権大会のマスターズ60代女子個人総合で、1位を取られました。 全日本シニア選手権60代の部で優勝した内村周子さん  ありがとうございます(笑)。自分の時間は朝しかないので、コーチの夫に見てもらいながら朝に走ったりしたのですが、最近は本当に練習時間が取れなくて。でも、日々子どもたちとの授業で体を動かしていますので、それが練習代わりですね。 ――4月から始まった江東区の教室は、子どものみを対象としたレッスンです。どんなことをされていますか。  3~4歳児の年少クラス、4~6歳の年中・年長クラス、小学生クラスを持っています。“周子メソッド”では、体操の技術を身に付ける前に、気力、忍耐力、非認知能力を育てることを一番大切にしています。 絵本を使って集中力を育てるのが、周子メソッドの一つ(撮影/写真映像部・高野楓奈)  非認知能力とは何かというと、集中力、空間認知能力、状況を判断する力、協調性などです。テストの点で出てこない能力ですね。実は航平も、幼いころは運動神経が飛び抜けてよかったわけではなく、周りと比べても体操がすごくできるという感じではなかったのです。小学校1年生で、体操の団体戦に出たときは、一人だけバック転ができなかった。でも、幼いころから集中力だけはズバ抜けていたんです。  その集中力をどうやって養うかというと、私は「絵本」を使ったんです。『こぐまちゃんのみずあそび』とか『のりものいっぱい』とか、昔からありますよね? ああいう絵本を使って読み聞かせたあと、パッと本を開いて、「そこに何が描かれていた?」「クマちゃんがいたねー」というようにクイズを出して子どもたちに説明してもらうのです。それを繰り返すことで集中力が鍛えられ、右脳のトレーニングにもなる。  複雑な体操の技を実現するには、その技の一コマ一コマを切り取って体の動きを理解することが重要なのですが、航平は昔、体操のビデオを繰り返し見ながら、紙にコマ割りの絵を描いて覚えていました。「集中して瞬時に場面を覚える」という当時の絵本トレーニングが役立っていたのかなと思います。実際に今、年少クラスでも、長崎では小学生にも、運動を始める前に絵本を読み聞かせています。 江東区のレッスンで子どもたちにお手本を見せる内村周子さん(撮影/写真映像部・高野楓奈) ――レッスンを見ていたら、1~2分ごとに子どもたちに違う動きをさせていました。  大切なのは、子どもを飽きさせないこと。次から次へと、前回りだ開脚だ鉄棒だ……とテンポよくやっていくのが“周子メソッド”です。説明も長くしてはダメ。さっと聞いて、体で理解するのが一番だと思っています。  あとは、【人の話を聞き、そして、お友達のわきを通って鉄棒にぶら下がったあと、自分の場所につく】というような、一連の動作も大切にしています。「ここを通ると人とぶつからないんだ」と理解することで、空間認知能力が育ちます。順番を守り、きちんと座るといったルールを何度も繰り返すのは協調性や状況判断力を鍛えるためです。レッスンの様々な動作が、非認知能力を育てることにつながるように工夫しています。 一人ひとりの性格に合った声掛けをしている(撮影/写真映像部・高野楓奈)  だってね、災害時や緊急事態が起きたとき、状況を正しく判断できなければ死んでしまいますよね。体操の技ができる・できないは、実は二の次。まずは人として、生きることに必要な能力を身に付けてほしいと思っています。体操の前に、この世を生きていかなきゃいけない。「生きていればなんとかなる」が私のモットーです。 ――レッスンのなかで、「よくできたね~」と大きな声で子どもを褒める姿が印象的でした。  あまり大げさに褒めすぎるのもよくないんですが(苦笑)。褒めすぎてもダメだという性格の子は控えめに褒め、もともと運動が苦手で「自分はできないもん」と言っていた子には「やればできるじゃない。あなたはできるんだよ!」とプラスで褒めて自信をつけてあげます。それぞれの子で求めるもの、必要なことが違うんです。それを見極めるのは指導者の力量。   私はたくさんの子どもを見てきているので、しばらく様子を見ていると、その子どもの特徴を理解できるようになりました。ただ、多くの指導経験はあるけれど、学問的な知識がない。もっと指導者として向上したい、子どもの心を理解することは絶対に必要だと考え、2020年4月から今現在も、長崎純心大の大学院に通って児童心理学を勉強しています。 ――航平さんが幼かったころと今とで、“周子メソッド”は変わっているのでしょうか。  基本的には変わっていません。英才教育をするのではなく、「一つのことに集中する」ってことだけを徹底してきました。でも昔は、もうちょっと叱っていたかな? 今のほうが私も経験を積んだぶん、うまくやれているような気がします(笑)。  過去の反省は一つだけ。怖がってやらない子に、できるまでやらせたことがあったんです。その子は結局、数年後に体操をやめてしまった。我が子だったら、「まあいいか」となっていたと思うのですが、ほかのご家庭の大切なお子さまだからこそ、結果を出さなければいけないと思ってしまいました。「この演技を入れないと試合に勝てない、じゃあやらなきゃいけないでしょ」と。今は、やりたいならとことん付き合うけど、怖くてやりたくないなら別の得意な技を伸ばそう、という考えができるようになりました。 (撮影/写真映像部・高野楓奈)  彼が辞めたことを、ずっと自分のせいだと悔いていました。でも先日、20年ぶりに彼に会いました。航平と同い年の子です。「12歳で辞めてしまったけれど、体操は楽しかった、辞めなきゃよかった」と言ってくれました。つらい思い出でなく、楽しい思い出になっていたと知って、私は泣きました。  ――航平さんも3月に引退され新たな道へ進まれました。親として思うことは。  どんな新しい人生を歩むのか、親としても楽しみにしています。もし必要とされることがあるならば、応えられるようにしておきたいなと思います。  体操しかしてこなかった子ですので、これから大変だと思います。でも、体操以外にもいろいろな世界があるということを知っていってほしい。この間、「ゴルフが楽しい」と話していました。すごく下手らしいですが(笑)、楽しいと思えることに出合えて、「ああよかったな」と思いました。  世界は広いです。人生も長い。一度、航平に「お母さんは長く生きているぶんだけ、伝えられることもあるかもしれないよ」と言ったことがあります。子どもが必要としているとき、母として言葉を送るなどして、子どもが安心できる人生を送るサポートをしてあげられたらと思っています。 ――保護者への講演会活動で全国を飛び回る周子さん。人を育てるうえで大切なことはどんなことだと思われますか。  よく講演会でお母さん・お父さんたちにお伝えするのは、「あなたらしくいてください」ということです。自分の子どものことを一番よく知っているのは、お父さんお母さん。人を参考にするのはよいですが、真似をしたり比べたりするのはきついですよね。子ども一人ひとり、特性がまったく違うのですから。子どもとしっかり向き合い、心を理解するように努めて自分流に努力していけば、きっとお子さんも安心していろいろな世界に飛び込んでいけるのではないでしょうか。 (取材・文/AERAdot.編集部・平井啓子) 〇内村周子(うちむら・しゅうこ)/元体操選手・内村航平さんの母。1992年に夫・和久氏とともにスポーツクラブ内村を開設。1歳から大人までの体操を指導。クラシックバレエも教える。2017年4月から東京都渋谷区で、2022年4月から東京都江東区で幼児・児童の体操教室の指導も行う。また、指導者・母親として、子育てに悩む保護者や一般向けに全国で講演会も行っている。
体操内村航平
AERA with Kids+ 2022/10/16 09:00
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