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50代記者の介護体験記「介護の司令塔ケアマネの支え」 救われたシンプルな一文
50代記者の介護体験記「介護の司令塔ケアマネの支え」 救われたシンプルな一文
※写真はイメージです (GettyImages)  老老介護の両親の生活に本格介入するも特養(特別養護老人ホーム)へ→体調悪化で退去→在宅介護再び→コロナにより母だけ施設入居……。これが前回まで。そして、とうとう父までまた施設に入れてしまった。その前後の葛藤をまとめる。 *  *  * 第3回【父と行った喫茶店】  私は2度苦しんだ。  1度目は、2020年の夏、両親を特養に入れた時。2度目は、今年の6月に父を再び施設(今度は有料老人ホーム)に入れた時だ。  6月の昼下がり。 「コーヒーを飲みに行こう」と父に声をかけて夫と3人で近所のカフェに向かった。父から「なぜそんなに荷物が多いんだ」と聞かれたが、私は無言で車椅子を押した。晴れた日だった。 「いつものアメリカン」。父はうれしそうだったが、私はいつものパンケーキがのどを通らなかった。「やっぱり喫茶店はいいなあ」と喜ぶ父。  しかし、わずか30分ほどで店を出て、タクシーに乗り、ホームに向かった。 「どこに行くんだ?」 「ママがいるホーム」(実際もうここにはいない)  これしか言わなかった。「今日からあなたは老人ホームで暮らします」とは言えなかった。  ホームに到着し、現地に来てくれた姉とともにホームの1階の会議室で契約書を交わしている間、夫には父の居室にいてもらった。夫は静かな人。 「説明してくれよぅぅ。何でここにいるんだ」  不安そうに父が夫に聞く。夫はただ寄り添った。私はこんなふうに父をホームに入れてしまった。父の日だった。  その3カ月前──。  父の本格在宅介護が始まった。私は毎日朝から午後4時過ぎまで授業がある(両親を特養に入れた翌春から介護福祉士養成の専門学校に通っている)。毎日8時間近く父を一人にするのは心配だったので、契約中の「看護小規模多機能型居宅介護」(看多機)のサービスの中の「通い」(いわゆるデイサービス)を連日利用するようにした。しかし、父にとってはこれがよくなかった。移動のストレスと環境の変化(リロケーションダメージ)で認知症も進み、体力も極端に落ちた。 週刊朝日 2022年12月16日号より  日中は学校、夕方以降は仕事(取材や執筆)。せっかく父と一緒に家にいられるというのに、私はいつも慌ただしく余裕がなかった。結果、父のささいな言動に(すべて認知症のせいなのに)イライラすることが増えた。そんな自分がすごく嫌だった。 「ぽーっとしてて、ごめんな」。 ふとした時に、父が言うようになった。 「親が長生きすると、子どもは大変だよな」  そんなふうに思わないで。そう思っているのに、父がテレビを見ながら無意識に指を食卓の上でトントントントンとたたき続ける小さな連続音がなぜか耐えられず、「うるさい、それやめて」と言ったり、大音量でテレビを見るので、「テレビは聞くものじゃなく、見るものなの」と言ってテレビの音量を切ったりした。父は「あれ? 聞こえないなぁ」と言いながらテレビを見るようになった(なんと意地悪な娘だろう)。何度も同じことを聞いてくるので、「それさっき説明した」と冷ややかに答えるようになった。そのつど父は悲しそうな顔をするが、それもまたすぐに忘れて、「今日は何月何日か」とまた聞いてくる。父は好奇心旺盛で知りたいことは何でも聞く。テレビを見ていてもどこからどこまでがCMなのかわからない。CMの文字を読んでいるうちに次の番組が始まり、頭が混乱し「どうなっているのか」と聞いてくる。字幕を見ても内容がわからない。いつも「教えてくれよ」だった。  父は画面に向かって「おぉ、頑張れぇ」と懸命に声をかけたり、「あぁかわいそう」と泣きそうな表情になったり、大自然の映像を見て「ここに、ママと行ったな」と目を細めたりした。感情が豊かで、そんな父を見て、毎日忘れ物を拾っているような気分だった。 ■布団をかけて「風邪ひくなよ」  食事中は、咀嚼やのみ込みに集中するためテレビは消した。父は食事のたびに「一人じゃなくて幸せだな」「娘と一緒にご飯が食べられるなんて」と言った。両親と長いつきあいの近所の人が、父の好物のレンコンやちくわをよくもってきてくれた。  ただ排泄(はいせつ)ケアは大変だった。認知症なのか、膀胱の機能低下なのか、トイレに行ってもまたトイレに行く(トイレから出て手を洗ってそのまままたトイレに戻る感じ)。 「今行ったよ」と言っても「行っていないよ」と言う。夜間は1~2時間おきだ。そのつど私も起きて便器インできない尿を拭いた。滑ってしまったり、ズボンの裾まで尿で汚れたりするからだ。いつも「便器に近づいてね」と言ったが近づいてもこぼれることも多かった。私まで寝不足になり、疲労がたまって、いつからか2階で寝るようになった。  一度、「おやすみ」と言い階段を上がろうとすると「2階で寝るのか」と背後から声をかけられたことがある。「一人はやだよ。一人は寂しいよ」。施設ならば、こんな寂しい、不安な思いはないのかもしれない。  1階で寝る時は、母が使っていた介護ベッドを使った。ある日、ベッドに入ると、父のベッドから「幸せ! 娘と一緒に家で眠れるなんて!」と大きな声が聞こえた。 「やっぱり、家はいいな」  父はそうつぶやきながら布団に入った。  最初のうちは父がトイレに起きると私も起きて一緒にトイレまで行っていたが、ある時から、それもやめた。トイレからベッドに戻れず、食卓でお茶を飲みだしたり、ずっと立ち尽くしたりしていた時は布団の中から、「ベッドに戻りましょう。今は夜です」と声をかけた。起き上がらずエコモードで介護した。長く続けるためだ。  そんなある夜、トイレから戻ってきた父が私のベッドに近づいてきた。私は寝たふりをした。すると父は「背中が出ているよ」と言い、掛け布団を首元までかけてくれた。懐かしい感覚だった。 「風邪ひくなよ」  そう言って父は自分のベッドにちゃんと戻っていった。あぁ父だ。どんなに認知症になっても、父は父。大切な父なのだ。  それなのに今年6月、父をホームに入れてしまった。7月から介護実習が始まり父を丸1カ月家で介護するのが厳しくなる、というのが一番の理由だった。ケアマネジャー(以下、ケアマネ)や看護師に相談すると「もう十分やってきたと思うし、そろそろなんじゃないかな」「お父さんにとって落ち着く環境のほうがいい」という言葉が返ってきた。  もう引き際なのかもしれない。  入れるにはあそこしかない、と浮かんだのが母が入居中の有料老人ホームだ(第2回を参照)。父は「骨髄異形成症候群」という疾患があるため、定期的に注射と輸血をしている。医療依存度が高いので特養に入るのは難しい。介護老人保健施設(老健)も同様だ。母には悪いが、父を入れるために、母を別の施設に移すことにした。事業所の紹介もあり意外と早く入居が決まった。老健だった。母は「夫のためなら」と了解してくれた。そして母が使っていた居室に父が入った。これが父の日のプレゼント、と後で笑って振り返られたらと、今思っている。  あれから5カ月。時々父の携帯に電話をすると、大音量のテレビの音が聞こえてくる。「何してた?」と聞くと、笑って「くつろいで、部屋でテレビ見ていたんだよ~」と言う。その後ろで「座って話しましょうか」との職員の優しい声が聞こえてくる。  ここなら安心だ。  寂しがり屋の父なので、時々「寂しいよ」と電話口で言うこともあるが、頻繁に会いに行き、通院にも付き添っている。実家で一緒に過ごしていた時より優しくできていると思う。  以前、同世代の友人に親のことを聞かれて、施設に入れた時の気持ちを「天国との中間に親が行ってしまった気がする」と返したことを覚えている。「すごい遠くではないけれど、あぁ遠いとこに行っちゃったんだな、って。そういう気持ち」と。でも今は違う。時々、父や母と会うとこう言う。 「同じ世界で生きていてくれてありがとう」  少し離れているけれど、同じ陽を浴び、同じ月を見ている。一昨日は、遠方の歯科医への通院に母を連れ出し長時間の介護タクシーの中で母と一緒に童謡などを20曲近く歌った。YouTubeで母の好きな伴久美子の音声を流すと歌詞をほとんど覚えていて、話す声よりも大きな声で歌うので驚いた。  母は「ぼくらはみんな、生きている。生きているからかなしいんだ。手のひらを太陽にー」と歌いながら、手のひらを顔の前に出していた。日も暮れて夕焼けがきれいだった。母の顔がオレンジ色になった。すごく、うれしかった。  施設より在宅のほうがいいに決まっている。その気持ちは変わらない。でもけんかをしながら一緒に暮らしてボロボロになるよりも、施設に預けて他人の力を借りながら平和に過ごせる方法があり、それができるならそれもいい。それに気づくまで3年もかかってしまった。  振り返れば、施設に入れた後も、出した後も、私はいつも苦しかった。そんな私をいつも支えてくれた職員の一人が介護の司令塔・ケアマネだ。介護生活がうまくいくかは、ケアマネの手腕にかかっている。ここから先は、ケアマネについて考えていきたい。  ケアマネの資格を持つ、東洋大学ライフデザイン学部生活支援学科准教授の高野龍昭さんに話を聞く。 「ケアマネもいろんなタイプがいますが、ありがちなのが、利用者と一緒に悩む『寄り添い型』。『何でも私に任せて』という『お任せ型』、実はこのどちらも良くないんです。一緒に悩んでくれるのはその場では心地よいかもしれませんが、ケアマネの能力としてはダメ。受け止めるだけのタイプもダメ。そこから具体的な提案ができなければケアマネとしては不十分。大事なのは『傾聴力』、リスクの『判断力』『解決力』の三つをもちあわせているということ。これを私はケアマネに求められる三つの力、と言っています」 ■経験の共有化 肝は多職種連携  利用する側も(本人も家族も)しっかり「お困りごと」をケアマネに伝えるべきだという。  また家族で意見が一致していないとケアマネも動きづらい。窓口を一本化するなどして混乱させないように注意すべきだ。  どうすれば良いケアマネに出会えるのか。高野さんによると、ケアマネの背景を知ることも一つの手段という。 「現在ケアマネの資格を持っている方のおよそ6割が介護系の資格を持っている方で、看護系が2割、社会福祉士やソーシャルワーカーの資格を持っている方が1割強ぐらいです。このようにケアマネになる前に持っていた資格、もともとやっていた仕事というのはその人にとっての得意分野といえるでしょう。利用者のお困りのポイントにあわせて、ケアマネのもともとの職種を聞いた上で、地域包括支援センターに紹介してもらうのが良いと思います」  地域包括支援センターは、担当エリア内のケアマネを大体把握しており、センターが紹介するケアマネであればある程度の信頼はおけるという。 「たとえば、現在胃ろうをつけていたり、排尿障害があり尿道カテーテルの留置の予定があったり、近い将来医療的な問題が出る可能性がある人の場合は、看護師資格を持つケアマネが良いでしょうし、認知症で家族介護が大変になり、今後は生活面や福祉面での支援が必要となる人であれば介護福祉士や社会福祉士の資格とキャリアを持ったケアマネが良いと思います。そのほうがいろんなネットワークを広げやすい傾向にあるからです」  上級資格もある。 「まだ数は少ないのですが、日本ケアマネジメント学会が認定する『認定ケアマネジャー資格』を持っているケアマネは、かなり信頼できると思います。自分からその資格を取りに行く志の高さも評価できます」  ケアマネを統括するシニアケアマネジャーを経て、現在は国際医療福祉大学大学院教授の石山麗子さんは、こう話す。 「ケアマネには、ケアプランの作成や調整だけでなく、日々変化する利用者の生活を困難にさせるものをすくいあげ、それにあわせたサービスの提供のため、他職種の専門家(医療職や福祉用具専門相談員など)と連携することなどが求められます。誰もが標準的なレベルで実践できるようにと『適切なケアマネジメント手法』が最近誕生しました」  ケアマネの現場で感覚的に行っていたことを体系的に整理したものだ。 「これに即してアセスメントやケアプランの原案を作成すれば、たとえ新人であっても、利用者の生活の将来予測を行い、リスクを見極め、先回りしたケアの調整ができるようになるのです。これからのケアマネの質がこれによって上がることを私自身も期待しています」  石山さんは厚生労働省老健局振興課の介護支援専門官としてこの手法の策定、普及推進に向けた調査研究事業に携わった。この手法を学ぶ研修は今後展開されていくという。 「目指したのは『介護支援専門員の経験値の共有化』です。集めた情報をもとに理学療法士や歯科衛生士、福祉用具専門相談員など多職種の専門職を巻き込んでケアを展開していく。まさに多職種連携が肝なんです」 週刊朝日 2022年12月16日号より ■父のケアマネが救いのメール  ケアマネを探す際には、所属する事業所の特性も見るべきだと石山さんは補足する。 「少し専門的な表現になってしまいますが、『居宅介護支援事業所の特定事業所加算』というのを算定している事業所のケアマネは統計データで見ると主任ケアマネとか管理者のOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)を受けたり、退院カンファレンスに同席をしたりという比率が高い。つまりそういう事業所を選ぶと質の高いケアマネに出会える可能性が高いともいえるでしょう」  厚生労働省のホームページ(介護サービス情報公表システム)で全国の居宅介護事業所を確認できる。そこから「特定事業所加算」と書かれた事業所を選ぶと良いという。 「そこには、事業所で抱える主任介護支援専門員の人数も公開されていますので、そこで主任が多いかどうかも見ても良いと思います。事例の共有が積極的に行われていて、ケアマネの資質向上に努めていると期待できます」  昨年の夏、父が誤嚥性肺炎で1カ月入院した。看多機の「泊まり」を利用している時だった。看多機から救急車で運ばれた。翌日入院手続きを済ませ、「危ないかもしれない。まだわからない。大丈夫かもしれない」といった内容のメールをケアマネに送ると、「お父さんは戻ってくると信じています」と返事が来た。シンプルな一文だったが、あの時どれだけこのメールに救われたことか。  良い事業所には良いケアマネがいる。今、父や母がそれぞれお世話になっているケアマネもすごく優秀だ。それだけで介護生活の50%が成功しているようなものだ。(本誌・大崎百紀) ■介護保険、基本のキ プラン作成するケアマネジャー  ケアマネジャーとは、介護保険制度開始とともに誕生した職種だ。正式名称は介護支援専門員。  国家資格ではないが、年に1回行われる「介護支援専門員実務研修受講試験」に合格後、「介護支援専門員実務研修」の課程を修了し、「介護支援専門員証」の交付を受けなければなれない。「介護支援専門員実務研修受講試験」を受けるには、保健や医療、福祉分野での実務経験が5年以上という条件がある。  業務内容は、居宅ケアマネの場合は、ケアプランの作成や居宅サービス事業者等との連絡調整、入所を必要とした場合の介護保険施設への紹介など。  施設ケアマネの場合は、施設サービス計画等を作成し、利用者が自立した日常生活を営むことができるよう支援する。関係機関と利用者をつなぐパイプ役でもある。 「主任介護支援専門員」とは、ケアマネの実務経験が5年以上あって主任介護支援専門員研修を修了した者のこと。ケアマネの上級資格といえる。※週刊朝日  2022年12月16日号
介護
週刊朝日 2022/12/12 11:00
生産者や職人までも報われる料理界を作るために 「エテ」オーナーシェフ・庄司夏子
生産者や職人までも報われる料理界を作るために 「エテ」オーナーシェフ・庄司夏子
コックコートは着ない。ファッションブランド「アツシ ナカシマ」のエプロンがトレードマークだ(撮影/岡田晃奈)  「エテ」オーナーシェフ、庄司夏子。今年、「アジアのベストレストラン50」での最優秀女性シェフ賞をはじめ、国際的な賞を次々と受賞した庄司夏子。料理の世界でこういった賞に、日本人の女性シェフがノミネートされることすらほとんどない。その扉を庄司は、こじ開けてきた。店と料理がすべて。自分の名前を世界で高めることで、生産者や職人までも報われる料理界を作りたい。 *  *  *  東京・代々木上原の住宅街の一角。秘密めいた入り口でインターホンを押すと、静かに扉が開かれる。小径を通った先のレセプションで村上隆のシルクスクリーンに迎えられ、そこからインゴ・マウラーのライトが照らすシックなダイニングルームへ。窓の向こうの庭園には、先鋭的なオブジェが光の中に浮き上がる。  わずか70平方メートル、最大客席6人というレストラン「エテ」が今、世界中の美食家たちから熱い視線を浴びている。美食の館といえば、有名シェフを頂点とするピラミッド体制で大人数のスタッフを回す、本場フランスの「グランメゾン」が料理界の標準だが、その対極にあるミニマムな空間で、それらに挑んでいるのがオーナーシェフの庄司夏子(しょうじなつこ)(33)である。  メニューを追っていこう。前菜は塩とスパイスをきかせた雲丹(うに)のタルト。次にメイヤーレモンをくりぬいたカップに、エシャロットソースであえた甘鯛(あまだい)のタルタル。カップにはグレープフルーツの果肉を一つひとつ張りつけて、マーガレットのようにこしらえた蓋(ふた)が、色鮮やかな花々に埋もれてのっている。  タコスの皮で巻いた秋刀魚(さんま)のフィンガーフードと和梨のソース、甘鯛のうろこ揚げを目の前で松茸(まつたけ)のスープにジュッと落とし込む香ばしい一品……とコースは進み、圧巻は庄司の代名詞であるデザート「フルール・ド・エテ」。鮮やかなマンゴーのタルトが漆黒のテーブルに置かれ、その周囲に大輪のバラが、庄司の手によってちりばめられると、ストイックな空間がパリ・オペラ座のようなゴージャスな世界に一瞬で変化した。 ■男性シェフは認められても 女性は通過できない  庄司は今年3月、料理界のワールドカップと称される「アジアのベストレストラン50」で「最優秀女性シェフ賞」を、9月にはシェフに焦点をあてた国際賞「ザ・ベスト・シェフ・アワーズ」で特別賞の「フードアート賞」を獲得。2020年に「アジアのベストレストラン50」で受賞した「ベストパティシエ賞」と合わせて三冠を達成した。いずれも日本人女性初という輝かしい形容詞付きだ。 厨房のスタッフは女性3人。庄司は料理、接客、掃除すべてを担当し、表と裏双方に立つ。海外出張時は店を閉めてスタッフも連れていく。「お客さんのためにも、お金のためにも、高いモチベーションを持ってもらいたいし、将来のために勉強してもらいたいから」(撮影/岡田晃奈) 「どの賞でも特別か、いちばんいい賞を狙っていました。そうやって名前を覚えてもらうことが、今の私にはとても大事だから」  170センチの長身に、均整の取れたスタイル。授賞式では、脇腹が大胆に開いたロングドレスや、全身に深紅のバラを散らしたスパッツドレスという装いでレッドカーペットを歩く。愛想笑いをしない口元から出る言葉は不敵だが、その真意は、料理界に次の一ページを開きたい、というひたすらな思いにある。 「日本人に限らず男性シェフは世界で認められていますが、こういう場でノミネートされる日本人女性はいません。差別というよりも、料理界における“ふるい”の目が細かすぎて、それを通過できるのが男性だけだからなんです。私は、その目を少しでも粗くしたい。私のような小さなロールモデルでも、そして女性でも、ランクインできるって、みんなに知ってもらいたいんです」  料理の世界は経済と同期しながら、グローバル化、ボーダーレス化が激しく進んでいる。それとともに、お金に糸目をつけず美食体験に邁進(まいしん)するガストロノミスト、フーディーと称される人たちの、独特な市場が世界規模で形成されている。前述の料理アワードや、ミシュランのようなガイドブックがランク付けをすることで、レストランとシェフ間の競争は激化する一方、頂に至る道は年々、狭く、険しく、時に迷路のようにもなっている。  今年、ザ・ベスト・シェフ・アワーズで特別賞を受けたシェフ11人のうち、女性は庄司を入れた4人だった。アンヌ=ソフィー・ピックはフランスの著名な三ツ星レストランの後継、アナ・ロスはスロベニアというフーディー未踏地からの新星、ジェシカ・ロスバルは移民女性に料理を教えるNPOの共同創設者と、料理以外にそれぞれの強いアピールポイントを持つ。「世界のベストレストラン50」で5回、世界一に輝いたコペンハーゲンの「ノーマ」は、蟻(あり)や苔(こけ)を食材に加えるという衝撃的な創意で注目を集め、そこにマケドニア系移民というオーナーシェフ、レネ・レゼピの物語が重なっていた。  世界に打って出るには「日本人」「女性」というキーワードは、もはや何ほどのインパクトでもない。言葉を換えれば、庄司はほとんど徒手空拳で世界に挑んでいる。今年は7月から11月までロンドン、ドバイ、マドリード、メキシコ、LA、モルディブと、息もつかずに世界中を渡り歩き、美食イベントに登壇しながら顔を売った。 「今年と来年前半がマジ勝負だと思っているんです。世界的なアワードをとれば、スタッフと食材の生産者さん、店を支えてくれる人たちに報いることができる。私のような人間が注目されることで、未来も開けていくはずだ、って」 素の自分と、仕事モードの「エテ子」の二つの人格を使い分けているという。「今は、ほぼ『エテ子』で占められています。公私の『私』の時間ができても、すべて店のことに使いたい。店と関係ないことをしたくない」(撮影/岡田晃奈) ■出勤途中も栗の皮むき 満員電車で束の間の睡眠  燃える野心の原点は、中学生の時に家庭科の授業で作ったシュークリームだった。オーブンの中でシュー生地が膨れる様子に感動し、家で作ったものを友人に配ったら、みなから「おいしい」と喜ばれた。  それをきっかけに、食物調理科がある駒場学園高校に進学。菓子作りの腕を磨くとともに、料理の綿密さを身につけられるフレンチのシェフを目指すことにした。同校は「フロリレージュ」(東京・青山)の川手寛康らモダンフレンチの旗手が輩出していた。庄司を教えた副校長の戸塚哲夫は、庄司の中に「個性的で、負けん気が強くて、貪欲」というシェフの条件を見る一方で、気持ちは少し複雑だった。 「シェフになるなら雇われでなく、独立を目指せ、と生徒たちを鼓舞していましたが、レストランは過酷な割に儲(もう)けにならない世界。効率を考えると質が落ちるし、質が低ければ評価もされない。大半の女子生徒が選ぶ栄養士の道を勧めるべきか、と迷っていました」  高校時代の後半は、都内のブライダルレストランで、就職を前提にしたインターンを務めた。それが出発点となるはずだったが、研修期間中に経営が破綻し、調理人は全員解雇に。何が起こったかも分からないまま、「1時間以内に退去してください」という非情な通告を聞いた。  その後、戸塚のつてで代官山の「ル・ジュー・ドゥ・ラシエット」(現レクテ)を経て、フロリレージュに入店。パティシエとシェフの右腕であるスーシェフを務めることになる。  現場は聞きしにまさる厳しさだった。前夜の仕事が深夜を回っても、朝は7時台に店に入り、ガラス磨きや掃除などの立ち上げ準備と、仕込みを行う。デザート補助だった当初は、栗の皮むきのような単純作業が割り当てられる。時間が足りなくて、出勤途中の信号待ちでも、手を休めずに皮むきを続けていた。 「1日14時間以上働いて、それが週6日。いつもヘトヘトで、満員電車で通勤する朝は、人に挟まれて、立ったまま、ちょっとだけ眠れる。それがうれしかった」  人が次々と辞める中、庄司が続けられたのには、料理への理想とともに、もう一つの理由があった。 「妹と暮らしていた時の方がずっと大変だった。その経験があったからですね」  2歳年下の妹には重度の知的障害があり、少しでも不安なことが起きると、パニックに陥り暴れ出すので、24時間の見守りが必要だった。 「電車に乗っている時なんかにパニックが起こると、みんなが私たちを見る。その視線におびえながら、私は思春期を過ごしました。そのことは今も自分の中に残っていますし、母も私もずっと緊張の中にいました」  庄司が高校に入学した時に、妹の介護施設入居が決まり、緊張は一時緩んだが、他方で父のアルコール依存が進んでいた。忙し過ぎた庄司は、それに気付くこともできなかった。父の余命が1週間と告げられた時でも仕事は休めず、最期を看取(みと)ることはできなかった。その現実に心が折れ、川手への恩義もそこそこに、3年半でフロリレージュを飛び出した。  先が見えないまま、シティーホテルのレストランでホール担当のアルバイトをする中、一通のメールが庄司の進む道を開いていく。 「なっちゃんのお菓子が忘れられない。私の結婚式で、ウェディングケーキを作ってもらえませんか」  メールの送り主は、フリーエディターの山本久美。庄司とはフロリレージュ時代に、女性誌の人気シェフレシピの連載記事を通して親しくなり、街場の名店を一緒に食べ歩いてもいた。 ■美しいフルーツのケーキが 話題になり予約殺到 「撮影用のお菓子を現場で作っていたのがなっちゃん。それがとてもおいしかった。おいしいだけではなく、見せ方までを納得するまで作り込む。彼女自身、スター性を秘めていて、お父さんのことで弱って、現場を離れてしまうのは、あまりにもったいなかった」(山本)  ウェディングケーキは大好評だった。「自分が作ったもので人が喜ぶ」という原点を目の当たりにして、料理への闘志が再び湧きあがってきた。しかし、不義理をした川手の店にはもう戻れない。独立するしかない、と心を決めた。23歳の時だ。  通常、レストランを開店するには、小規模でも4千万円の初期資金が必要といわれている。だが、若く、女性である庄司に、そんな資金を貸してくれるところはどこもない。母からの援助を元手に、日本政策金融公庫でようやく1千万円の融資を得て、代々木公園の裏手にあるマンションの一室を借り、たった一人で店づくりを始めた。 (文中敬称略) (文・清野由美) ※記事の続きはAERA 2022年12月12日号でご覧いただけます。
現代の肖像
AERA 2022/12/09 18:00
「さらば青春の光」個人事務所で前代未聞の“ぼろ儲け”の真相
藤原三星 藤原三星
「さらば青春の光」個人事務所で前代未聞の“ぼろ儲け”の真相
「さらば青春の光」の森田哲矢(左)と東ブクロ  最近、お笑いコンビ・さらば青春の光の勢いがすごい。各局のバラエティー番組に引っ張りだこで、11月からはテレビ東京系でMCを務める番組も始まった。22日放送予定の関西ローカルのバラエティー特番の収録で森田哲矢(41)は「ひと言でいえば儲かりました」と述べ、個人事務所「ザ・森東」の業績は順調だと語っている。  2008年に森田と東ブクロ(37)が結成したさらば青春の光は、2013年に所属していた松竹芸能を退社。フリー芸人として東京進出し、その後自ら事務所を興した。キングオブコントをはじめとする賞レースで結果を残しつつ、気づけばテレビでも引く手あまたの存在に。最近でも『あちこちオードリー』(テレビ東京、11月2日放送)に出演した際、「こんだけ働いても(年収が)億いかないってなると、メンタルは削られます」と発言し、話題になった。この発言の真意について、民放バラエティー番組のプロデューサーはこう明かす。 「この年収発言は業界内でも話題になりましたが、要は『ちゃんとした事務所なら億越えするほどの出演本数なのに、まだ働かないといけないのか』という思いなのでしょう。彼らの個人事務所のギャラ配分は、マネージャーと3等分というのは有名な話。しかも小さい個人事務所ですから足元を見られやすく、ギャラ交渉もできない。森田さんいわく、『テレビでギャラ交渉をしても3万が5万に上がるだけ。だったらすべて言い値でやって、テレビ露出を増やしたい』という戦略を取っているそうです、今のテレビ業界はお金がないですから、安くてうまい森田さんにオファーが殺到するのは当然といえば当然。彼らの場合、YouTubeが好調なので、テレビで知名度を上げてYouTubeや単独ライブの動員の集客につなげる考えなんです」  現在、YouTubeは6チャンネルも運営。メインチャンネルは登録者数85万人を突破し、彼らの主戦場としてしっかり機能している。 「6チャンネルをあわせると150万人ほどの登録者数になりますから、YouTubeだけでおそらく年間5000万円前後の売り上げになる計算です。相当成功している部類でしょう。彼らのチャンネルの魅力は『地上波では絶対にできない』ことを全力でやっているということ。『屁をこける女性をTwitterで募集 屁こきダービー』『東ブクロの私生活をGPSでガチ追跡』『GPS追跡風俗』など、テレビの企画会議には危なくてあげられないようなものばかり。当然リスクはありますが、YouTubeなので炎上覚悟でやれますし、個人事務所なのでスレスレの企画もノリで通してしまう。YouTubeとはいえ、大手芸能事務所所属ならばここまで下品なものはOKが出ない。なので、他の芸人は羨望(せんぼう)のまなざしで彼らを見ていて、コンプライアンスという重荷に苦しんでいる若いディレクターもまた憧れてしまう。予算も削られ、自由度も低くなり、『面白くなくなった』と言われて久しいテレビのカウンターとして、彼らの芸風が求められているのだと思います」  とはいえ、「本人たちは現状には満足してないはずだ」と言うのは、バラエティー番組を多く手掛ける放送作家だ。 「YouTubeでは過激なことをやればやるほどバズりますが、彼らはあくまでも“昔の深夜番組”くらいのレベルにとどめており、そのバランス感覚はお見事です。それがここまで人気コンテンツになるのだから、テレビ離れの恩恵を最も受けているのは、このコンビかもしれません。とはいえ、彼らはコントで世に出てきた芸人。『キングオブコント』では6回も決勝に進出しています。無冠のまま2018年に自ら卒業しましたが、やはり忸怩たる思いはあるでしょう。しかし、賞レースを自ら卒業したことでテレビ露出が増えたとも言える。今後、彼らのコントが単独ライブでしか見られない状況になれば、当然ライブの動員は増えるはずです。そのラインを狙っているのかもしれません」 ■東ブクロの次なる醜聞対策もバッチリ!?  そんな彼らにも“弱点”はある。東ブクロは2013年に先輩芸人の妻との不倫スキャンダルを起こし、昨年も週刊誌で複数の元彼女に対し、中絶をさせていたと報じられた。 「最大のネックは、東ブクロさんがいつスキャンダルを起こしてもおかしくないこと。自ら女性好きを公言し、下半身にだらしないことをネタにしていますが、昨年の中絶スキャンダルでは収録したバラエティー番組がお蔵入りになるなど、実害も出ています。今春からようやくコンビでのテレビ出演がかないましたが、各局はかなり警戒しています。今、地上波のバラエティーに出るとき、森田さんは『スキャンダルがいつあっても編集しやすいように』と東ブクロを一番端に座らせるようお願いしているといいます。戦略家の森田さんだからこそ、リスクの高い相方自体を武器にしている面がありますが、次に大きなスキャンダルが出たときどうなるかは心配ですね」(前出の放送作家)  お笑い評論家のラリー遠田氏はこう述べる。 「さらば青春の光は、もともとネタに定評があり『キングオブコント』では前人未到の6回の決勝進出という記録を持っています。ネタ作りを得意としているだけでなく、トーク力や演技力、企画力にも秀でていて、YouTubeでも笑える企画を量産しています。彼らは何よりもまず“面白さ”という一点で突出しているからこそ、芸人や業界関係者、お笑いファンから一目置かれているのです。さらに言えば、大手事務所からの独立騒動、東ブクロさんの女性スキャンダルなどの逆風があっても、それを逆手に取って開き直ることで、独特のポジションを確立することにも成功しました。東ブクロさんだけでなく、森田さんも女性好き、風俗好き、ゴシップ好きのゲスいキャラクターをあえて前面に出すことで、そういう路線の仕事を総取りしています。転んでもただでは起きない“雑草魂”を持っていることが彼らの強みでしょう」  スキャンダルという“爆弾”を抱えながらも、徹底的に面白い笑いを追求していこうとする姿勢が、多くの人に支持されているのかもしれない。(藤原三星)
さらば青春の光東ブクロ森田哲矢
dot. 2022/12/09 11:30
「下半身をもっと洗って」 介護職へのセクハラが深刻化
松岡かすみ 松岡かすみ
「下半身をもっと洗って」 介護職へのセクハラが深刻化
※写真はイメージです  介護現場で、利用者や家族から介護者に対するセクハラ問題が深刻化している。当事者の声を聞くと、世代間の意識のギャップによる泣き寝入りや、ハラスメントのグレーゾーンに悩む声が浮かび上がった。現場では、何が起きているのか。 *  *  * 「今思えば、あれはセクハラだったかもしれないと思います」  訪問看護師としての経験もある看護師のアヤコさん(仮名)。チームで利用者宅を訪問してケアを行う訪問看護師として働き始めた20代の頃、利用者の言動によって戸惑う経験をした。  部屋に簡易式の浴槽を設置し、利用者が全裸になって浴槽に入る訪問入浴では、陰部も含めて隅々までスタッフが利用者の体を清潔にする。  要介護状態にある50代男性宅を訪問し、男性を入浴させ、一通り体を洗ったときのこと。男性から「下半身をもっと洗ってほしい」と言われた。一度洗った後ではあるが、利用者から「もっと洗って」と言われると、「洗い足りなかったかな」と思った。そのとき男性を見ると、どこか不敵な笑みを浮かべており、動揺を隠しきれなかった。当時、仕事を始めたばかりだったアヤコさんは、「利用者さんから言われたら、満足度を上げるためにもしっかり仕事をしないといけないんだ」と自分を奮い立たせた。看護師の仕事には、身体的なケアも含まれているので、むげにできないと思った。  訪問入浴では、利用者の体を洗う際に“素手”であることが多いという。病院では入浴の際、基本的に手袋をして患者の体を洗うが、訪問入浴では体を洗うタオルも使わず、手だけを使って洗う場合もある。いわば陰部にも直接、素手で触れることになる。「もうちょっと、こうやって洗ってほしい」「かゆいから、もう少し強く」などと言われ、セクハラ的なニュアンスを感じたとしても、グレーゾーンであることが多いという。  看護師や介護職員は、利用者の体に直接触れる仕事だ。ケアをする側は当然、業務としてやっているのだが、中にはケアという行為を、利用者がどこか性的な感情を含んで見ていると感じる場面があるという。  例えば、やろうと思えば自分でできるのに、利用者から「かゆいから、デリケートゾーンに薬を塗ってほしい」などと言われるとき。入浴後に着替えさせるとき。裸の利用者をベッドに横たわらせるとき──。 「それが本当に必要なケアなのか、測りかねる微妙なラインというシーンは多い。例えば胸を触られたり、抱きつかれたりと、明らかなセクハラ行為とまではいかないグレーな要望に悩むことがあります。しかし、たとえ別の意味での要望が含まれている感じがしても、それが明らかでない限りは、基本的に要求に応じます。グレーであるほど、問題にしづらいのです」(アヤコさん)  介護職員でつくる労働組合「日本介護クラフトユニオン」の調査(2018年)によれば、介護職員の約7割が、利用者やその家族から性的な嫌がらせや暴言、暴力などのハラスメント被害に遭っている。セクハラでは「不必要に身体に触れる」(54%)、「性的な冗談を繰り返す」(53%)、「性的な関係の要求」(14%)などが見られた。こうした被害に遭った介護職員の多くが強いストレスを感じており、精神疾患になった人もいる。職場の上司に相談しても状況が変わらないケースも多く、対策が求められている。 「上司に相談しても、流されてしまった」と話すのは、介護職員のサトコさん(仮名・46歳)。週に2~3日訪問する70代の男性利用者宅で、セクハラだと感じる言動が目にあまるようになった。 「昨日の夜は何してたの?」「彼氏はいるの?」「家はどこなの?」など、プライベートについてしつこく聞いてくる。鬱陶しいと感じながらも、「コミュニケーションのつもりなのだろう」と適当に流していた。だが「俺は一人でいるのが寂しい」「君が家に来てくれた日は、すごく嬉しい」と話す目は、どこかねっとりとしていて、徐々に男性宅に足を運ぶのが億劫になっていった。 ■介護職員側にも世代間ギャップ  サトコさんの中で「これは無理」と決定的だったのが、訪問時に、アダルトビデオが流れていたとき。部屋に成人雑誌やビデオが無造作に転がっていることも一度や二度ではなかったが、それは「生活の場なのだから」と流すことができた。だがその日は、「自分に見せるために、わざとビデオを流している」と確信した。男性はビデオの音量を上げ、ニヤつきながら、サトコさんの表情を見ていたという。  男性上司に男性宅であった出来事を話し、「これ以上は、あの利用者の家に行きたくない」と言った。すると上司から、「お尻を触られたとか、何かされたわけじゃないんでしょ?」と耳を疑う反応が返ってきた。そして「年をとって、本能が出ちゃってるだけ」「適当に流していかないと、この仕事は務まらない」と言われた。 「言ってもわかってもらえない」と感じたサトコさんは、勤めていた事業所を辞めて転職した。今も介護職を続けているが、以来、男性の利用者宅を訪れるのが怖くなった。 「辞める決定打になったのは、組織で対応してもらえないとわかったとき。人手不足が深刻な業界ということもあり、事を大きくして仕事を増やしたくないというのもあると思います。問題を顕在化させたくないから、声を上げた人が悪者みたいに見られることもある。上司も上の年代になるほど、ハラスメント意識が低いというか、“それぐらい流して当然”という感じがどこかにある。セクハラに遭っても、自分の内に秘めて泣き寝入りするか、辞めるかのどちらかになるケースが多いと思う」(サトコさん)  介護現場におけるハラスメント問題に詳しい結城康博教授(淑徳大学)は、世代間におけるハラスメント意識の違いが問題を深刻化させていると指摘する。 「今の50~60代の世代が福祉を学んだ時代は、介護を必要とする高齢者がセクハラ行為をするのは、ある種“当たり前”ともされていた。心身機能の低下や寂しさなどから、そうした行動に出ることは“よくあること”で、それを受け入れるのも福祉の仕事というところがあった」(結城教授)  ゆえに前出のサトコさんの上司のように、「ハラスメントがあっても、流していかないと務まらない」という感覚の持ち主も珍しくはないという。 「感覚のズレから、利用者からセクハラを受けた当事者にとっては、上司の発言が二次的加害にもなりうる」(同)  セクハラは、受け手である当事者がどう捉えたかという点が大きなポイントだ。「相手が不快に感じた時点でハラスメント」とされることも多いが、言動や行為が明らかでなかったり、証拠などがない場合には、問題にする難しさもある。20年を超えるケアマネジャー歴があり、現在は事業所に所属するケアマネジャーのマネジメントも行うヨウコさんは言う。 「ハラスメントは、許容範囲が個人によって違ってくるため、一概に断定しづらい難しさがある。特に困るのが、ハラスメントに対する許容範囲が広い人。いわば何かあっても流してしまえる人がいると、職場としてのリスク管理がしづらくなるのです」 ■非言語の行為も対策に試行錯誤  訪問介護の現場は、一人の利用者に対し、チームで体制を組んで動くのが主だ。そのため、利用者からのハラスメント行為があっても、流すことができたり、見逃したりできる“許容範囲が広い人”がチームにいると、他の介護従事者も被害に遭ったり、「これぐらい許されたから、まだ大丈夫だろう」などと利用者の行為がエスカレートしてしまいかねない。 「例えば利用者から抱きつかれても平気な人もいれば、成人雑誌が部屋にあるだけで無理という人もいる。この辺りの線引きは個人の感覚によって違いますが、私たちの事業所では、“これをしたら線を引く”というラインを、チームのメンバーで決めるようにしています」(ヨウコさん)  難しいのが、やはり冒頭のアヤコさんのようなグレーゾーン。認知症の場合には、それが意図的なのか測りづらい部分も大きい。また体は動かせないが、頭はクリアという人もいる。利用者から「そんなつもりはない」と言われると、それまでになってしまうこともある。特に、不快と感じる行為が“非言語”である場合、対策の取り方には試行錯誤している。  例えば、こんなことがあった。ある利用者宅を訪問した際、職員が家の中に入ると、同居する息子が玄関の鍵をかけ、通された部屋の鍵も全てかけられている。昼間でもカーテンを閉め切っているため、外から中の様子をうかがうこともできない閉ざされた空間だ。そこで職員が利用者のケアをする一挙手一投足を、息子が至近距離からじっと見ている。何をされたわけでも言われたわけでもないが、職員はえも言われぬ恐怖を感じたという。 「おそらく職員がきちんとケアをしているか、監視の意味合いで見ていたのだと思いますが、職員が恐怖を感じたり不快に思ったことは、なるべく改善したい。この場合は、それとなく窓を開けさせてもらうようにお願いし、もし何かがあっても声を出したら外に聞こえるようにしました」(同)  声を上げやすい環境をつくるための取り組みもある。例えば、ヨウコさんの事業所では、毎週行うミーティングの際には、議事録に残さない“フリートークタイム”を設け、どんなことでも話してよい時間を作っている。相談のハードルを低くする試みだ。  もし利用者からのハラスメントに悩む職員がいたら、まずは本人がどれだけの不快感やストレスを感じているのかをしっかり聞く。ヨウコさんはマネジメントとして声を聞く立場にもあるが、そのときに「自分基準で判断しない」ことを心がけているという。 ■介護サービスは信頼関係が肝 「大切なのは、ハラスメント的な言動を受けた人が、どう感じているか。そのときに、上司自身の価値観を押し付けてしまうと、結果的に職員を守れない。職員を守るためには、職員の心の声と考えを聞かなくてはなりません。本人がストレスを感じている場合には、担当や現場を変えるなどして対応するようにしています」(同)  利用者からのハラスメントに対する対策は、個々の事業所や個人の判断に委ねられている部分も大きい。今後、介護を必要とする人がますます増えることが予想される中、ハラスメントに胸を痛めて業界を去る人がいるのは深刻な問題だ。深刻化する問題に対し、利用者やその家族はどんなことに気をつける必要があるのか。 「介護サービスを受けるには、最低限のマナーを守る義務があることを、利用者側も職員側もしっかり認識しなければならない」と話すのは、前出の結城教授。結城教授が指摘するのは、「職員が福祉の視点で利用者と関わることが、声を上げづらい環境につながっている」という点だ。いわく、相手が“介護を必要としている人”となると、「どこまで問題にしていいのか」「弱い立場の人を相手に、声を上げてよいのか」と迷う職員も少なくないという。 「まずは、いくら介護を必要としている人といえど、最低限のマナーは必要で、配慮することも当然の義務。それが守れない人は介護を受ける資格がないことを、利用者も介護者も認識すべきです。介護は、いわば究極の対人サービスで、信頼関係が何より大切。その信頼関係は、相手への配慮やマナーなしには成り立ちません。特に公的な制度による介護サービスを利用する以上、今後は介護者に対して最低限のマナーが守れない利用者に対し、罰則を設けるなどの規定も必要になってくるかもしれません」(結城教授)  冒頭のアヤコさんは、20代のころの経験を思い出しながら、こう語った。 「“あのとき、あんなことがあって複雑な思いでした”と言うこと自体、とても勇気がいることだから、20代の私は誰にも言えなかった。ですが今は現場で働いている人が違和感を感じたり、おかしいと思うことがあれば、声を上げたり信頼できる人に相談してほしいと願います」  あのときいろいろと思うことはあったが、仕事にやりがいを見いだし、利用者らとの信頼関係を築きながら、長年にわたって看護師の仕事を続けることができた。振り返ると、「人の役に立てる仕事だし、続けてきてよかったと思う」とほほ笑む。 「後に続く人のためにも、今現場で働いている人、あるいは今後働く人が、ため込まずに声を上げられる環境になってほしい。そのためにも、ハラスメント意識が業界や利用者側に浸透し、変わっていくことを願っています」 (フリーランス記者・松岡かすみ)※週刊朝日  2022年12月9日号
週刊朝日 2022/12/05 11:30
50代記者の介護体験記 「在宅か施設か」で悩み特養へ、罪悪感の果てに
50代記者の介護体験記 「在宅か施設か」で悩み特養へ、罪悪感の果てに
写真はイメージ(Sirintra_Pumsopa/Getty)  東京都内の実家で暮らす80代の認知症の両親を50代の娘が介護する本誌記者の体験記第2弾。実家で老老介護を続けてきた両親の生活に本格介入するまでのストーリーが前回。今回は両親を「施設」に入れる前と後の葛藤の日々をまとめる。 *  *  * 第2回「夏の日の家族写真」  ここに一枚の写真がある。  車椅子に乗せられた母の隣に穏やかな表情の父。母はまだふくよかで、父の顔色も良い。その後ろに立つ姉はノースリーブ姿だ。その横に私。久しぶりの家族4人ショット。父と母が長年暮らした家を離れ、東京都下に新しくできた特別養護老人ホーム(以下、特養)に入居した日にロビーで撮った一枚だ。  一昨年8月上旬の猛暑日だった。熱中症が心配でとにかく一日でも早く、と入居を急いだ。入居の理由はただ一つ。認知症同士の老老介護の二人暮らしが厳しくなり日常生活に危険が及びそうだったからだ。母の深夜の転倒と昼夜逆転で、夜間は近所の住民の助けを借りて暮らす日々。もうあれが限界だった。施設に入れる。これ以外の選択肢がなかった。 「ここなら大丈夫だからね。安心してね」  自分に言い聞かせるように両親に声をかけ、別れ際に撮った。今でもこの写真を見ると胸が痛む。  母はこの日を境に急激に生きる意欲を失い、車椅子生活になった。母が歩ける姿を見たのはこの日が最後だ。 「もう帰る。やっぱり家がいい。ここはつらい」  入居してすぐ、母に持たせた携帯に電話をかけると、こうこぼした。 「ご飯もおいしくない。お風呂もゆっくり入れない。職員の優しさが表面的なの」  そんなところなのか。胸が張り裂けそうになり、「ごめんね、ごめんね」と返すしかできなかった。  一方、(あえて母とは違うフロアに入居した)父は長年の会社員生活で身についていた社交性と持ち前のユーモアが自然と出たのか、フロアの職員との関係も良好で、「いつもコーヒーを淹(い)れてくれる」と満足そうだった。職員からは「ドリップ式のコーヒーを出してあげたいので、今度お父さまにおいしいコーヒーを差し入れてくださいね」と言われた。 週刊朝日 2022年12月9日号より 「意外なもんだねぇ」  姉と驚いた。  入居前日まで施設に入ることを強く拒んでいた父と、「仕方ないわね」と諦めていた母。母のほうがすぐになじめると思っていた。できないことを諦める潔さと、できることを単純に喜べる力が施設暮らしには求められるのだろう。  その後、このホームの食事は入居者からのクレームが多く、外注先が変わり多少おいしくなったらしい。しかし入浴は希望どおりにはいかない。特養に限らず高齢者施設での入浴は週2回、時間は3~5分ほどが一般的。食事時間も排泄(はいせつ)の誘導時間もほぼ決められており、生活のリズムは基本、受け身だ。好きな日に大好きなお風呂に何分も入り、好きな時に好きなモノを食べていた食いしん坊の母にとっては「できないことのオンパレード」の生活に圧倒されていったに違いない。  入居した8月、母の転落・転倒事故が施設から2週間の間に4回も報告があった。電話が鳴るたび、「あぁまたか」と、あきれてきた。うち数回は頭部を打撲。9月になると「お母さんが嘔吐(おうと)している。病院に連れていきますか」とフロア職員からじかに電話があった。すぐに大きな病院で診てもらった。大きな問題はなかったが、1カ月ぶりに見た母。生きることを全身で拒否しているみたいに見えた。  その年の年末。今度は父が入浴中に意識を失ったと施設から連絡があった。職員が目を離した隙のようだった。安定している父がそんなふうになるはずはない。不思議に思い、看護師とやりとりをするうちに、入所以来(5カ月間)大事な注射を打たれていなかったことが判明した。父は骨髄異形成症候群で極度の貧血をネスプという注射で対処していた。入居時にこの情報が正しく引き継がれていなかった。  その前後だったと思う。施設の看護師に言われた一言が忘れられない。 「施設でよくなることを期待しないでほしい。ここでできるのは現状維持」  今ならその言葉の意味は理解できる。施設は病院ではないからだ。でも当時は、「施設に入れれば父と母は元気になる」と強く信じていたので、その言葉は衝撃的だった。  ここから施設側への不信感が拭えなくなり、改善を求めて施設がある市の高齢福祉課に相談もした。そこからは、(特養の苦情窓口である)国民健康保険団体連合会(国保連)を紹介された。弁護士にも相談した。 ■こんな場所で死なせるもんか  年が明け、3月のある寒い日。今度は母の容体が急変したので病院に搬送すると施設から電話があった。病院の近くに住む姉が入院手続きに行きガラス越しに母を見た。もうだめかもしれない。姉妹で母の死を覚悟した。  ここからは姉妹の連携が力を発揮した。特養の契約を解除しよう。意見も一致して姉がすぐに退去の申し入れをし、私が看護小規模多機能型居宅介護(以下、看多機)の事業所に連絡をした。  私は「在宅介護に戻したい」という思いが捨てきれず、特養に入ってからも地域包括支援センターや行政(高齢福祉課の担当者)に問い合わせをしたりインターネットで調べたりしていろいろな在宅介護の選択肢を持っていた。中でも看取(みと)りにも強く、看護の手厚い看多機は、手の施しようがなかった母の受け入れ先としては最高だった。看多機は定員制で29人までしか契約ができないので誰かが解約(残念ながら亡くなるなど)しなければ新規の受け入れができない。母があの看多機に入れたのは本当に運が良かった。枠が空いていたのだ。  母の大好きな桜の季節。看多機の建物の前に大きな介護タクシーが止まり、病院から付き添ってきた姉とともにストレッチャーに乗せられた母が降りてきた。半年ぶりぐらいに見た母。「ママ」と声をかけると「あぁぁ」と言葉にならない声。すぐにベッドに移され、看護師たちが、褥瘡(じょくそう)はないか、呼吸状態はどうか、嚥下(えんげ)はどうか、と全身を丁寧に観察、処置していくのを、引いた場所で見ながら「ここなら安心」、そう確信した。その後母は、酸素も吸入し、少しずつだが食事をし、水分をとるようになった。私はほぼ毎日通って介護した。  母は少しずつ話をするようになり顔色も良くなった。すぐそばにあるキッチンの匂いや、スタッフの笑い声も届く。家庭的な雰囲気の中で、母は家を思い出したのだろう。周囲の予想をいい意味で裏切ってくれ今も健在。83歳。父も89歳になった。  あの時全力で母を看てくれた看多機の看護師がたまに「だってお母さん、あの時死ぬと思ったから」と思い出したように笑う。私も母はあの時死ぬと思った。でも生きてくれた。きっと母はあの時自分が死んだら、私がこの先ずっと苦しむと思ったのだろう。  母の退去に続き、父も特養を退去させた。母8カ月、父10カ月の特養生活だった。父を迎えに行った日、小さな花束を担当職員に渡し「ありがとうございました。お世話になりました」と父の頭を押し一緒に礼を言った。すると介護職員から「娘さん大丈夫ですか」と言われた。 「一人で看られます」  ──こんなところで死なせるもんか。  父をタクシーに乗せた。父の手は温かかった。久しぶりに見る外の世界に父は喜んでいた。遺体の引き取りじゃなくて本当によかった。あのまま二人が亡くなっていたら私はきっと一生自分を責めていただろう。  介護アドバイザーで「元気がでる介護研究所」代表の高口光子さんは、特養やデイサービスを経て、介護老人保健施設(老健)の立ち上げにも携わるなど長く高齢者施設で働いてきた。高口さんはこう話す。 「私が施設で働いていた時、ご家族にこうお尋ねして意思を確認することがありました。『もし今夜お父(母)さまがうちの施設で亡くなられたら、なんでこんなところで死なせてしまったのかとあなたは後悔しませんか』。私たちの仕事は、信頼関係の中で人生を見届ける仕事だからです。めったには聞きませんでしたが、(ご家族の)ご要望と介護の方向性が違うな、と感じた時は確認をしていました。亡くなってしまってからでは取り返しがつかないからです」  晴れて父と母を特養から出し、また介護ベッド(福祉用具貸与)などを入れて環境を整えたものの、まだこの時点では「在宅介護」とは言い難かった。というのも、父も母も看多機の「泊まり」が中心で家に帰る日数は少なかったからだ(注)。  それでも10カ月ぶりに母が家に帰った日のことはよく覚えている。 「家だぁ~!」  母はすごく大きな声を出した。 「家に帰ってきたのね。家なのね」  父と母の会話は相変わらずチグハグだったが、やっぱりこの家にはこの二人が似合う。そんな当たり前のことを思った。  施設に入る前と明らかに違う。要介護5の寝たきりのミキサー食になり認知症も進んだ母。一人でベッドから立ち上がることも、トイレに行くこともできない。食事も排泄もすべてベッド上。そのため素人の私が2、3時間置きにパッド交換をしたり、(寝返りが打てないので)褥瘡防止の体位変換をしたりした。体温調節がうまくできなくなってしまったので熱がこもらぬようにと布団もかけたり外したりした。「気にしなくていい」「大丈夫よ」と気遣ってくれることもあったが、「オムツがずれてる。ヘタ」 と言われることもあった。  父は尿意便意もあり、 トイレ誘導をすれば自立してトイレで排泄ができる。しかしリハビリパンツや下着が濡れることも多く、失禁もあったので、頻繁に衣類の交換を行った。そのつど父は「何で着替えなくちゃならないんだ」と聞いてきた。貧血で着替え中にふらっと倒れ込みそうになることもあった。父も嚥下機能が落ちていたのでむせ込み防止に飲み物にはとろみをつけて出した。食事の用意は、母にはミキサー食、父には通常食。入浴は自宅ではせずに全身清拭(せいしき)のみ。これだけでも一人で二人を看るのはいっぱい、いっぱい。自分の夕食を食べ忘れていたことを布団に入ってから気づいたこともある。夜も数時間おきに二人の寝息を確認した。 ■30分でもいいゆっくりしたい  30分でいいからゆっくりしたい。誰か1時間でも家に来てもらえたら、といつも願っていた。「お風呂に入る時間もない」と廊下でこぼすと、ベッド上の母から「風呂なんか入らなければいい」の声がやりのように飛んできた。本来は人に気を使う優しい人。私も母も、あの頃はぎりぎりだった。 「市販のミキサー食を利用して適度に力を抜いて」と看多機の職員から助言をもらっていたが、これまで特養で我慢させてしまった負い目から、なるべく母の好きなものを食べさせたかった。ミキサー食専用ハンドブレンダーを買って、どら焼きやらあんぱんやらを緑茶を加えてミキサー状にして出した。母は「おいしー!」と喜んだ。 音楽好きの母に贈ったカリンバ(撮影/写真映像部・高野楓菜)  昨年9月の父88歳の誕生日は実家で、両親と夫の4人で迎えることができた。ホールのショートケーキを前に母は「スポンジも食べたい」と言ったが生クリームをなめるにとどめてもらい、スポンジ部分は父と私と夫の3人で平らげた。息も苦しそうな父だが、「吹いて」と言うと、ろうそくの火を一気に吹き消した。  2月になりこの看多機職員と利用者にコロナ感染者が多数出たことで突然事業所がクローズとなった(1カ月後に再開)。やむをえず、母だけを有料老人ホームに入れることにした。私がネットで探して複数の施設を見学し比較検討して決めた。実家から車で10分ぐらいの立地。近くに公園があり、環境面の良さだけでなく、物腰が柔らかで明るい職員にも惹(ひ)かれた。入居説明の時に副ホーム長から「ここは料理がおいしい。個人的にはてんぷらが」と聞いて、「ここだ!」と思った。経済的なことを考えると特養のほうがいい。しかし1年前の苦い体験がある。母に説明すると意外なほどすんなり。「また新しい人間関係を築くのね」とそれだけが気になっていたようだ。 ■老人ホームで心落ち着いた母  とはいえ入居した当時はここでもベッドから転落することもあった。しかしホーム側の素早い連絡や、根気強い対応が好意的に映った。起きたことよりも、起きた後が大切なのだと感じた。  母が「ここは嫌。もう帰る。迎えに来て」とホームの電話を借りて連絡してくることもあった。私が「そうか。わかった。でも今日はそこでご飯食べようよ」と言うと「えっ。ご飯予約してくれてるの?」と言う(母はホテルだと思っている)。 「うん。予約済み。安心して」 「じゃ、帰るの、明日にしようかな。明日迎えに来てくれる?」  こんなやりとりをほぼ毎日繰り返した。そしてある時から電話が来なくなり、母が落ち着いてきたと知り安心した。ホーム長がとても優しくて母がその彼を大好きになった。面会に行くと私に「孫なの」と紹介する。ホーム長も「孫です(笑)」といつも母の手を握ってくれた。ちなみにホーム長は私の世代よりちょっと下(40代らしい)。孫は言いすぎだろう。  特養を利用していた時、何かお願いごとを伝えると、「それはできない。希望するなら有料(老人ホーム)に行ってください」とよく言われたのを覚えている。その意味が少しわかった気がする。要求にこたえるかどうかというよりも、寄り添い方の根本が違う気がする。  もちろん全国に素晴らしい特養はいっぱいある。たまたま両親が入ったところと残念なやりとりが多かっただけだ。  介護だけでなく人生は選択の連続。選択を誤ることもあるが、軌道修正だってやり直しだって、なんだって命がある限りできる。大事なのは「悔い」を引きずらないことだと思う。  特養に入れたばかりの頃の私は罪悪感に押し潰されそうだった。誰もいない実家に帰り、二人が座っていたソファに身を沈めて庭を眺めた。猫が来るのを待ったけど、いくら待っても猫は来なかった。  3月に父の本格在宅介護が始まった。ある晴れた日、「庭に出ようか」と父と二人で庭に椅子を出して並んで座り、コーヒーを飲みながら日なたぼっこをした。父は嬉しそうで、 「ぜいたくだねえ」  を繰り返した。  見上げると隣の家の塀の上にちょこんと猫が座り警戒もせずにずっとこちらを眺めている。父からよく牛乳をもらっていた猫がやってきた。やっと来た。牛乳を昔のように出すと、ごくごくと飲んでミャーと言った。この時だと思う。私の罪悪感が消えたのは。特養に入れる前の状態に家が戻ったと感じた瞬間だからだ。隣には父もいる。  しかし、この3カ月後に父はこの家を出てまたホームに入る。続きは第3回で。(本誌・大崎百紀) <注>本来、看護小規模多機能型居宅介護のサービスは居宅が基本であり、「泊まり」の連続利用は望ましくない。母は重度のため特別だったが、月1回は帰宅できるよう調整した ■介護保険、基本のキ 知っておきたい施設ごとの特徴  介護保険が使える公的な入所施設の中でもよく知られているのが、特別養護老人ホーム(特養)という名称で知られる「介護老人福祉施設」と、「介護老人保健施設」(老健)だろう。  特養は2015年4月以降、入所者を原則要介護3以上に限定している(例外もある)。全国的に待機者が多く、一概には言えないが、要介護度が高いほうが入居しやすく、要介護3は敬遠されやすいという面もある。  一方、老健は在宅復帰を目指し、居宅生活を営むことができるようにするための支援を行う施設であり、医師も常駐でリハビリテーションも積極的。とはいえ看取りまでケアするところもある。  18年に新設された「介護医療院」は、医療が必要な人のための長期療養施設。  特養のスモール版ともいえる「地域密着型介護老人福祉施設」は入所定員29人以下の特別養護老人ホーム。「介護療養型医療施設」は、24年3月末に廃止予定。  国は高齢者が最後まで住み慣れた地域で暮らせるよう、「地域密着型」のサービスをすすめる施策を打ち出している。 「通い」と「訪問」と「泊まり」を自由に使える「小規模多機能型居宅介護」や本文でも触れた「看護小規模多機能型居宅介護」、「認知症対応型共同生活介護」(いわゆるグループホーム)は、住民票がある市区町村のサービスしか使えない。 【介護保険サービスに関する苦情の相談先】 ■サービス事業者・施設 利用者からの苦情に迅速・適切に対応するための窓口などがある。 市区町村や国保連の調査などに協力し、指導や助言を受けた場合には必要な改善を図るとともに、市区町村・国保連から求めがあった時は改善状況を報告することとなっている。 ■市区町村 事業者などに対する調査・指導・助言を行う、第一次的な窓口。 ■国民健康保険団体連合会(国保連) 制度上の苦情処理機関として、苦情申し立てなどに関連して、事業者などに対する調査・指導・助言の権限を持つ。 *厚生労働省の資料をもとに編集部作成※週刊朝日  2022年12月9日号
介護
週刊朝日 2022/12/05 08:00
「東京ネズミ大戦争」のゆくえ 築地のネズミ大移動説は本当か?
「東京ネズミ大戦争」のゆくえ 築地のネズミ大移動説は本当か?
コードを食いちぎる被害も  今年9月初旬、新宿・歌舞伎町では巨大ネズミ捕獲大作戦が展開された。新宿に限らず、盛り場ではネズミの目撃情報が急増中だ。飲食店に人が戻ってきたことと関係があるのか、はたまた築地市場に巣くっていた「ヤツら」が移動してきたのか? *  *  *  外国人観光客の受け入れが緩和された10月某日、取材を終えて東京・築地の編集部を出て新橋の駅前広場を歩いていた夜のこと。視界の隅に動くものを感じて目を向けると、歩道の隅を走り抜けるネズミを発見した。  それだけじゃない。新橋を抜けて銀座へ入ると、今度はビルの隙間の駐車場の壁際でもやや大きめのネズミを見た。さすがに短時間で2回遭遇したのには驚いたが、どうやら界隈では珍しい光景ではないようだ。  目当てのバーに入り、あいさつ代わりに目撃談を報告したら、カウンターに並んだ数人の客が、右から左から「俺も見た」と言ったのだ。バーのマスターも「夜、店を閉めた帰り道ではもう当たり前の光景。間違いなく昔より増えていると感じている」と教えてくれた。この夜のネズミ談議では「やっぱり築地市場のネズミが移動してきたのかもね」という結論になったのだが……。  築地市場が閉鎖されたのは2018年10月。閉鎖に伴い、1万匹以上はいるとも推定された市場に巣くうネズミの一大駆除作戦が展開された。粘着シート数万枚を敷き詰め、大量の殺鼠(さっそ)剤を投入し、2千匹弱のネズミが捕獲される一定の成果を上げた。  とはいえ、相手はネズミだ。わずかな隙間や地下の配管を通って生き延びた“敵”も相当数あったはずだ。  だが、ネズミ駆除を含む建物の環境衛生管理事業を行うシー・アイ・シー(CIC)の執行役員・研究開発部長の小松謙之博士は「都内の繁華街では今、たくさんのネズミが目撃されていますが、築地のネズミが移ってきた可能性は低いと思います」と言う。  小松さんが続ける。 「築地市場にいたネズミの9割はドブネズミです。一部、果物を売っていた場所にはクマネズミがいましたが、ほとんどは生モノや肉類をエサとするドブネズミです。警戒心が強いクマネズミと違い、ドブネズミは殺鼠剤をホイホイ食べ、ホイホイ死んでしまう。築地では大量の殺鼠剤を使いましたから、大半はすみかの穴蔵の中で死んでしまったと考えています」 上がクマネズミ、下がドブネズミ(いずれもねずみ駆除協議会提供)  粘着シートで捕獲しきれなかった理由もそこにあると小松さんは言う。 「ドブネズミは穴を掘ったり、毛にホコリがついていたりで、粘着シートでは捕まえにくいというのもあります。エサ場を求めての移動距離もせいぜい100メートルとされているので、新橋や銀座に移動したとは考えにくいですね」  東京都や各区、保健所などに寄せられたネズミ被害の相談件数でみると、クマネズミとドブネズミがほとんど。最多数を占める「その他」は「種類が不明なネズミで、おそらくはクマネズミかドブネズミでしょう」(都環境保健衛生課)という。  素人目には大きさで見分けるくらいしかできないが、両者の生態はかなり異なる。クマネズミは臆病で用心深いのでワナにかかりにくいうえ、殺鼠剤も食べてくれない。対してドブネズミは警戒心が弱く、ワナにかかりやすいが凶暴なので、追いつめられると向かってきて噛みつくこともある。  また、クマネズミは上下の移動に長け、パイプ伝いに建物の地下から屋上までを行き来できるが、ドブネズミは1階の天井より上には行かない。クマネズミは建物内にいることが多いが、ドブネズミは建物なら1階以下、屋外なら土中にすむ。 「ドブネズミは渋谷のハチ公前や高田馬場、池袋の駅周りの花壇に穴を掘ってすんでいたり、幹線道路の植栽帯に潜んでいたりすることが多いです。一方のクマネズミは主に飲み屋街の雑居ビルにすんでいます」  築地市場が閉鎖した翌年に渋谷のコンビニで複数発見され、その模様がSNSで拡散されて店が閉店に追い込まれる“ネズミ騒動”が起きたが、小松さんによると、これはクマネズミだという。一方の築地はドブネズミが中心。最近、繁華街で目撃談が増えたように感じるネズミたちは、おそらくは昔から繁華街にいたのだ。 ■飲食店の休業でエサを求め外へ  不動産事業プロデューサーでオラガ総研代表の牧野知弘氏がおもしろいエピソードを紹介してくれた。20年以上前、牧野氏が西新宿の高層ビルで管理の仕事をしていたときのことだ。 週刊朝日 202212月9日号より 「着任早々でした。消毒会社が定期的に実施する『殺鼠殺虫』の報告書を見ると、ネズミ60匹を捕獲退治したと書かれていました。その数に驚いて消毒会社に聞くと『念のためもう一回やりましょう』と言うので、お願いしたんです。なんと2度目の殺鼠報告書にも57匹捕獲とあった」  数の多さを心配した牧野氏が上司に報告すると、上司は「高層ビル群の下に人間よりも多くのネズミが生息している。うちのビルで殺鼠剤を使っても、ヤツらは隣のビルに逃げ込むんだ。逃げ遅れた60匹くらいのバカなネズミが捕まっているだけだ」と言ったそうだ。 「上司が言うには、『ネズミを殲滅(せんめつ)しようとしても無駄だ。人前に出てこないようにしつけるんだ。そのための警告が殺鼠剤なんだ』って。互いのエリアから出ないで共存共栄するしかないのかもしれませんね」  しかし、そんな共存共栄状態がコロナ禍の影響で破綻した可能性もあると小松さんはみている。 「感染対策で飲食店が営業できずにいた時期に、クマネズミは厨房でエサを得られなくなりました。他の害虫や仲間の死骸を食べるなどして飢えをしのいでいたが、それも限界になって外へ出て、ゴミをあさっているところを目撃されたという事例は世界中の都市から報告されています」  飲食店の営業が再び活発になっている今、飢えていたネズミたちは食料にありつけホッとしているかもしれない。彼らが飲食店の店内などをわが物顔で物色しないようにするにはどうしたらいいのか?  小松さんによると「駐車場の入り口や自動ドアの隙間など、小さな隙間や穴をふさぎ、侵入させない。それが最大の防御でしょう」とのこと。  ネズミとの戦いは長期戦になりそうだ。(本誌・鈴木裕也)※週刊朝日  2022年12月9日号
週刊朝日 2022/11/30 11:30
高橋文哉 ドラマで歌とダンスに初挑戦 仲のいい友に「『ツンデレ』って言われます」【君の花になる】
高橋文哉 ドラマで歌とダンスに初挑戦 仲のいい友に「『ツンデレ』って言われます」【君の花になる】
撮影/岡田晃奈 ヘアメイク/大木利保 スタイリスト/Shinya Tokita/シャツ 51,700円 シューズ 89,100円 アワーレガシー(エドストローム オフィス)その他スタイリスト私物 現在放送中の本田翼主演TBS系火曜ドラマ「君の花になる」(毎週火曜夜10時~)の劇中に登場する7人組ボーイズグループ8LOOM(ブルーム)のリーダー・佐神弾(さがみ・だん/通称:弾)役を演じる高橋文哉さん(21)。ドラマの中だけのボーイズグループにとどまらず、期間限定で実際にデビューも果たした。2019年の『仮面ライダーゼロワン』の主演に抜てきされ、以降も人気を集めている俳優・高橋さんに話を聞いた。 *  *  *  ドラマ第1話のオープニングではアコースティックギターを片手に歌うシーンがあった。てっきり、歌もダンスも得意なのかと思っていたら、実は未経験者。しかも、音楽そのものもあまり興味がなかったと明かす。 「もともと歌は苦手意識があって、普段、あまり音楽を聴くタイプでもなければ、カラオケに行くこともない。周りの他の人に比べて、音楽に触れてきたことが圧倒的に少なくて……。そんな僕が今回のドラマでこの役をいただいて。今や人前で歌わせていただいているのですが、まだまだだなと思いますね……」  高橋さんが演じる弾は、グループの音楽を作るリーダーで作詞作曲を独学するほど音楽への情熱と才能の持ち主だ。それゆえに「物理的な役作りが大変だった」と話す。このドラマのための歌とダンスのレッスンにかけた期間は「1年半」。ドラマの進行とともにいまもレッスンは継続しているという。  冒頭の歌やダンスにあまり興味のなかった頃を語る面持ちとは別の顔、自信ののぞく表情でキッパリと言い切り、この役に出合えたことで、音楽にも関心が芽生えたと話す。 「歌番組とか SNSなどをすごく見るようになりました! ダンサーの動画を見て『うまいな~』と思ったり、今までは、ただとばしていたものが目にとまって『この人、カッコいいな』とか『こういうアーティストの方がいるんだ』とか知るようになりました。この役に出合わなければ、歌もダンスもやることはなかった。それこそ歌うことなんて一生自信を持つこともなくて、こうやって人前で披露する機会なんてなかった」 撮影/岡田晃奈 ヘアメイク/大木利保 スタイリスト/Shinya Tokita/シャツ 51,700円 シューズ 89,100円 アワーレガシー(エドストローム オフィス)その他スタイリスト私物 【サイン入りチェキプレゼント】>>高橋文哉さんサイン入りチェキプレゼントのおしらせ フォトギャラリーはこちら(10枚)>>高橋文哉スペシャルフォトギャラリー【君の花になる】  歌やダンスの経験がなかったからこそ、のびしろが無限大のようだ。ドラマが進行していく中で、佐神弾が、いや高橋さんが「進化」していく姿も楽しみでならない。  弾は、一匹おおかみに見えて、若さと青さが残る人物だ。いうなれば”一匹ワンちゃん”だろう。仲間思いのリーダーではあるが、周りに伝えるのが苦手で、ツンが多めのツンデレという性格。実際の性格について「ツン多め?」と聞くと「はい」と即答しつつ笑顔でこう話す。 「ツンは友達に対してだけです。仲のいい友達には、『ツンデレ』って言われますね。なんか、弾ほどじゃないけど『だったらもういいよ!』なんて、心から思っていないのに言ってしまう。その反面、寂しがり屋だったり、甘えたがりなところがあるのでツンデレと言われます」  役作りについては「最初の頃はなかなか入ってこなかったです」と語る。転機となったのは、主演の本田翼さん演じる仲町あす花との出会いだ。 「最初に台本を読んだときに、自分が演じている姿を想像することが難しかった。いつもなら、『どういう人なんだろう』と客観視し、インプットできる部分が多かったんですけど、それが、この役には見つからなくて。自分がやっているビジュアルも姿も表情も声のトーンも想像ができなかった。クランクイン前の本読みなどには役のイメージはつかんで現場に行ってるんですが……今回はリハーサルでも『まだ、これ違うな』『これも、違う』っていうのがあった。いざ、クランクインして、本田翼さん演じる、仲町あす花を目の前にしたときに、『これだな』ってものがひとつストンと入ってきた。あす花の人物像が自分の中に一気に入り込んできて、弾の気持ちがすごくわかったというか、あす花を見て、寄り添えたというか、そういう瞬間があったんです」  今回のドラマではボーイズグループのセンターという立場でもあり、劇中以外でも「リーダー」として振る舞うことを自分に課している。 撮影/岡田晃奈 ヘアメイク/大木利保 スタイリスト/Shinya Tokita/シャツ 51,700円 シューズ 89,100円 アワーレガシー(エドストローム オフィス)その他スタイリスト私物 【サイン入りチェキプレゼント】>>高橋文哉さんサイン入りチェキプレゼントのおしらせ フォトギャラリーはこちら(10枚)>>高橋文哉スペシャルフォトギャラリー【君の花になる】 「今回のドラマのような同世代の役者さんたちとの共演って、ほとんどないんですよね。いままでは年上の方たちとするお仕事ばかりだったので。お芝居についてメンバーから『ここどうしたらいいのかな? こう思うんだよね』と相談されることもあるのですが、何がいいのか僕もどういうふうに向き合うのがいいのか考えながらやっていたりします。お芝居って、他人から言われて動くよりも、自分の感性とか気持ちとかをぶつけて、それで、自分の色が出てきたら一番素敵だなと思う。だから、アドバイスを求められたら『俺だったらこうするかな』とか『こういうパターンもあるよね』とか、自分が持っている引き出しを全部出すようにしています」  言葉の端々から芝居が好きということがあふれ出ている高橋さん。今後の俳優人生について聞いた。 「確固たる具体的なものはないんですが、自分が作り上げたものがいろいろな人たちのおかげでたくさんの人に見ていただけたり、評価していただけたりしていることを忘れたくない。自分が仕事に向き合っていくなかで、お芝居に対しての思いが腐っていくようなことにはなりたくないなと思います。お芝居が楽しいと思っていたい。そして、僕の作品を見てくださっている人が感動するとか泣けるとか、逆に怒りを覚えるとか、僕がやっている役に対して何かしらの感情を抱いて、その世界に引き込まれてくれたら、作品に関わっている者としては本望だなと思います。誰かの人生に手を添えられるような役者になりたいと思います」 高橋文哉(たかはし・ふみや)2001年3月12日生まれ。埼玉県出身。調理師免許取得。2019年『仮面ライダーゼロワン』にて飛電或人・仮面ライダーゼロワン役で主演/22年 TV LIFE年間ドラマ大賞 新人賞(ドラマ「最愛」/TBS)、第32回 ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2022ニューウェーブアワード男優部門を受賞/趣味はカメラ、特技は料理/現在放送中の火曜ドラマ「君の花になる」(TBS系/毎週火曜夜10時)で佐神弾(さがみ・だん 役)として出演中/2023年1月スタート月9ドラマ『女神の教室~リーガル青春白書~』(読み:てみすのきょうしつ/フジテレビ/毎週月曜夜9時)に出演が決定
8LOOM君の花になる高橋文哉
dot. 2022/11/29 21:00
「生活保護」だった少年時代のアルバイト経験が「パックン」という人間を完成させた 新聞配達が教えてくれた一番大事なこととは?
「生活保護」だった少年時代のアルバイト経験が「パックン」という人間を完成させた 新聞配達が教えてくれた一番大事なこととは?
パトリック・ハーランさん 「生活保護」の状態から、奨学金や借金でハーバード大学に進学したパトリック・ハーラン(パックン)。現在では東京都心に邸宅を構え、お金に悩まされずに、家族と楽しく過ごしています。この大逆転の理由を、パックンは「お金を育てる方法」を知っていたから、と語ります。最新刊『パックン式 お金の育て方』では、誰にでもマネできるお金との付き合い方を紹介しています。パックンが10歳から行っていた新聞配達。この習慣が、現在のパックンという人間の基礎になったと言います。「お金の本当の価値を知るための労働」とは? 本質が分かるから、安心してお金と付き合えるパックン式メソッドを、本書から一部を抜粋・再編して大公開します。 *  *  *■「人の役に立てばお金がもらえる」とわかった新聞配達のバイト  僕がお金を稼ぐことの大変さ、そして面白さを知ったのは、やはり10歳から続けた新聞配達のおかげです。  10歳から高校卒業までの8年間は、大事な試験がある日も、夏休み最初の日も、同級生たちがスキー合宿に行っている間も、友達がお泊り会やホームパーティーで遊び疲れて朝寝坊している週末にも、雨の日も雪の日も、毎日欠かさずやりました。  初めての配達先の数は、44軒でした。この数字は決して忘れることはありません。  あの日から僕は、毎朝5時に起きて、配達の準備に取り組みました。  僕の家の玄関には、毎朝、営業所から束になった新聞が届きました。  まずはそれをリビングまで持って行って、広告を新聞に1つずつ折り込んでまとめ、それぞれを輪ゴムでパチンと留めます。  雨の日は新聞をビニール袋に入れなくてはならないので、少し大変でした。  そして、大きな専用の袋に入れて、自転車のハンドルにかける。そこからロッキー山脈のふもとにある近所の山道を走りながら、1軒ずつ玄関先まで、自転車から新聞をフリスビーのように投げました!  新聞は朝6時半までに全部配り切らないといけないという決まりもありました。  あのときに僕が学んだのは、仕事をうまくやって、たくさんの人の役に立てば、それだけ収入が増えるということ。  できるだけ多くの人に新聞を配れば、僕の財布もその分だけ膨らむ。  努力が報われるし、自分の生活を支えているお金が社会とつながっていることもわかりました。 パトリック・ハーラン著『賢く貯めて手堅く増やす パックン式 お金の育て方』※Amazonで本の詳細を見る ■苦労してバイトをしたからわかった、「働いて稼ぐ」の限界  そして、だんだん新聞配達のコツをつかんだ僕は、12歳の頃には自転車で毎朝125軒も配れるようになっていました。1年目の約3倍です。結構すごくない?  そして、高校生になると約16万円で中古車を買いました。それを使ったおかげで、ピークのときは、配達先を445軒まで増やせました。  収入を増やすためには、設備投資も大切ですね。  車を「商売道具」として買ったのは、当時の僕にとって大正解でした。  だけど、それからが大変でした。  さすがに400軒分以上の新聞を、僕の家の玄関で受け取るわけにもいきません。  なので、僕が3時半に起きて、営業所に取りに行かないといけなくなりました。  その400部以上の新聞をリビングで広げて、準備して、近くの家は自転車で、遠い家は車で回り(手を窓から出して)新聞を玄関先に投げ込みまくりました。  すべてを終えて、6時40分。学校に着く頃には、僕はもうヘトヘト。  廊下でシリアルを食べて、30分だけ仮眠をしてから、7時20分から授業に出ます。  午後の授業中はちょっとだけ寝ちゃって、放課後はスポーツや演劇、合唱団などをやって、夜は友達と遊ぶ。そして、9時ぐらいに就寝。  そして、翌日も同じことを繰り返す。  振り返ると、「若さってすごいな~」と思います。  今の僕は、この説明を文章で書いただけで、ヘロヘロです。  当時の経験は、アクティブインカムで稼ぐことの限界を知る機会にもなったと思います。  たしかに、配達先が増えるほど収入が増えるけれど、無限に増やせるわけではありません。僕の身体は一つしかないからね。 「じゃあ、どうすればいいの」って、思うよね。  そのあたりのことを『パックン式 お金の育て方』でしっかり、細か~く説明しました。  将来の自分が困ったときに備えるなら、知っておいた方が良いお金の知識は、この一冊で身につくはずですよ!  多分、この本の値段の1650円以上の価値はあるはずだから! もしかしたら、人によっては、プラス100円くらいの価値かもしれないけれど!笑 パトリック・ハーラン著『賢く貯めて手堅く増やす パックン式 お金の育て方』※Amazonで本の詳細を見る ■でも、一番大切なのは「働くことの喜び」を大切にすること  さっき説明したとおり、新聞配達はすごく大変でした。  でも、苦労してアクティブインカムで稼いだ経験は、今も僕を助けてくれています。  僕はあれからいろいろな仕事をしてきましたが、どんなに大変なことを頼まれても、「新聞配達に比べたら楽勝!」だと思えます。  そして、新聞配達が教えてくれた一番大事なことは、働くことの喜び。  毎日かなりの苦労はしましたが、その分「人の役に立っている」「自分で頑張ってお金を稼いでいる」「お母さんの助けになっている」という達成感や充実感も感じていました。  今の僕は芸能人としていろいろな仕事をしています。  だけど、僕にとって「仕事」といえば、なんと言っても、やっぱり毎日続けていた新聞配達です!(偶然にも、テレビで初めてレギュラーをもらえたのは、「新聞を読むコーナー」だったし)  ペーパーボーイ(新聞配達員)が「パトリック・ハーラン」という人間の基礎となっている部分なのです。 (構成/増田侑真) パックン本名:パトリック・ハーラン。芸人・東京工業大学非常勤講師。1970年11月14日生まれ。アメリカ・コロラド州出身。93年ハーバード大学比較宗教学部卒業。同年来日。97年、吉田眞とお笑いコンビ「パックンマックン」を結成。NHK「英語でしゃべらナイト」「爆笑オンエアバトル」をはじめ、多くのテレビ番組に出演し、注目を集める。「AbemaPrime」「報道1930」でコメンテーターを務めるなど、報道番組にも多数出演。2012年10月より池上彰氏の推薦で東京工業大学の非常勤講師に就任。コミュニケーションと国際関係についての講義も行っている。二児のパパ。25年以上の投資歴があり、金融教育の講師として全国各地で講演会も行っている。最新刊の『お金の育て方』では、「生活保護」状態から「お金持ち」になるまでに身につけた、誰にでもマネできる、お金との付き合い方を詰め込んだ。
お金お金の育て方パックン書籍朝日新聞出版の本読書
dot. 2022/11/28 08:00
貧乏を経験したパックンだからわかる「大金を使うべきタイミング」 思い出には投資すべき!と断言する理由
貧乏を経験したパックンだからわかる「大金を使うべきタイミング」 思い出には投資すべき!と断言する理由
パトリック・ハーランさん 「生活保護」の状態から、奨学金や借金でハーバード大学に進学したパトリック・ハーラン(パックン)。現在では東京都心に邸宅を構え、お金に悩まされずに、家族と楽しく過ごしています。この大逆転の理由を、パックンは「お金を育てる方法」を知っていたから、と語ります。最新刊『パックン式 お金の育て方』では、誰にでもマネできるお金との付き合い方を紹介しています。厳しい貧乏生活も知っているパックンは、どのように「お金を使う」判断をしていたのでしょうか? パックン式のお金の使うコツを本書から一部を抜粋・再編して大公開します。 *  *  *■節約していたら、人生つまらないの!?  インタビューとかで「節約」についてたくさん語っているから、「パックンって人生を楽しんでいないのでは?」と思った人も、もしかしたらいるのかな?  でも、そんなことは全然ないよ!  たしかに僕は高級車に乗ったり、高いブランド品を身につけたりはしません。豪華なディナーもほとんど食べないし、派手な飲み会にもあまり参加しません。  でも、決して我慢しているのではなくて、どちらかというと、自らの選択によって、もっと豊かな「人生」を優先している感覚に近いのです。  少しだけ工夫をしているから、最高に楽しい夜を友達とも過ごせています。もちろん、数万円の飲み会にも全然劣っていません。  しかも、その工夫のおかげで経済的な安定も手に入れて、資産の形成もできているのです。 「目的のある我慢」をしたおかげで、家の頭金も蓄積できたし、(楽しいけど)不安定な面もある芸能の仕事に挑戦し続けられています。 ■お金を使うときは、「自分の喜び」に素直になろう  でも僕だって、場合によっては、自分の喜びにつながることに大金をかけることもあります。  たとえば、今は家族で行く海外旅行には割とお金を使っています。  家族も4人いるから、物価の安い国に旅行しても100万円くらいはかかってしまいます。 パトリック・ハーラン著『賢く貯めて手堅く増やす パックン式 お金の育て方』※Amazonで本の詳細を見る  でも、20代から積み重ねてきた、日々の節約と投資のおかげで、安心して大好きな家族と素敵な思い出作りに励めます。 「今から老後のために備えなきゃ!」と思っていたら、そんなに高額な出費は我慢せざるを得ないかもしれません。  でも、それよりも僕は、今の自分にとって価値があるものにお金を使いたい。  僕が日本に来て、最初にした大きな買い物は、ずっと憧れていた750ccの大型バイクでした。たしか、当時、15万円で買いました。  あのときは、友人のツテを使って、市場価格よりもさらに安く買えたのでラッキーでした。  あのバイクは、当時の僕にとって手が震えるほど高い買い物でしたが、後悔したことは一度もありません。  感覚的には、あのバイクから得られた幸福は500万円をはるかに超えています。  これは「投資」と考えても、高い利益率だと思います。  15万円のバイクは、僕をいろいろなところに連れて行ってくれました。  日本のいろいろな場所に僕の思い出を作ってくれたし、奥さんとデートした思い出も残っています。それに、バイクは家の前に置いているだけでかっこいいもんね!  こんなふうに、自分が心から喜べることにお金を使うなら、僕は大賛成です。そのお金を節約してまで投資をすべきとは思わない。 ■「思い出への投資」なら、お金を使ったっていい!   普段から節約しているならば、「思い出には投資すべき」です。  タクシーに乗ったこと、ボトルウォーターを買ったこと、外食したことなどは、数年どころか、数日経ったら忘れてしまうはずです。  でも、海外旅行した記憶は、死ぬ日まで残ると思います。  だったら、そちらにお金を回しませんか?  もう一つ、「お金をかけただけでは、幸せになれるとは限らない」ということも、頭に置いておきましょう。喜びを得られないものにお金をかけたってしょうがない。  自分の価値観で測ってみて、価値があると思えるものにだけお金を使うのがポイントです。 パトリック・ハーラン著『賢く貯めて手堅く増やす パックン式 お金の育て方』※Amazonで本の詳細を見る  そして、せっかく喜びを感じているなら、長く使いましょうね。モノを長持ちさせるのは、昔から日本の美徳でもあります。しかも、今の環境意識にも投資家意識にも合う考え方です。温故知新!  ここまで僕の考えをたくさん話しましたが、答えはもちろん人それぞれです。  何が自分を幸せにしてくれるのか、何が無駄遣いなのか。  試行錯誤をして、ときには失敗をしながら、「節約筋」を鍛えていきましょう!  もし「節約筋」ってどうしたら鍛えたらいいかわからない、という人は、『パックン式 お金の育て方』を手に取ってみてください。  イラストいっぱいで見やすく、節約のポイントをしっかりまとめています。 (構成/増田侑真) パックン本名:パトリック・ハーラン。芸人・東京工業大学非常勤講師。1970年11月14日生まれ。アメリカ・コロラド州出身。93年ハーバード大学比較宗教学部卒業。同年来日。97年、吉田眞とお笑いコンビ「パックンマックン」を結成。NHK「英語でしゃべらナイト」「爆笑オンエアバトル」をはじめ、多くのテレビ番組に出演し、注目を集める。「AbemaPrime」「報道1930」でコメンテーターを務めるなど、報道番組にも多数出演。2012年10月より池上彰氏の推薦で東京工業大学の非常勤講師に就任。コミュニケーションと国際関係についての講義も行っている。二児のパパ。25年以上の投資歴があり、金融教育の講師として全国各地で講演会も行っている。最新刊の『お金の育て方』では、「生活保護」状態から「お金持ち」になるまでに身につけた、誰にでもマネできる、お金との付き合い方を詰め込んだ。
お金お金の育て方パックン書籍朝日新聞出版の本読書
dot. 2022/11/26 08:00
夢は心身のパラメーター? 悪夢と結びつきやすい“疾患”とは
夢は心身のパラメーター? 悪夢と結びつきやすい“疾患”とは
写真はイメージ(Getty Images)  寝ている間に夢を見ない人はいないだろう。自分の意思ではコントロールできず、不思議な展開をすることも多い夢には、一体どのような意味があるのか。夢研究の第一人者として知られる研究者に聞いた。 *  *  *  悪夢を見て夜中に目を覚まし、「この夢にはどんな意味があるのか」と考え込んでしまった経験はあるだろうか。  大手出版社に勤める40代の編集者・アユミさんには、最近見た中でひときわ印象に残った悪夢がある。夢の中で、アユミさんは職場の上長から指示を受け、見も知らぬ誰かを殺している。自分が殺されないために誰かを殺した──そう言い訳をし、現場から一目散に逃げていく。場面は変わり、アユミさんは車の中。隣には実父が座っているが、実家で一緒に暮らしていた頃に比べ、明らかに痩せている。そう指摘すると父親は急に泣きだし、「自分はPTSD(心的外傷後ストレス障害)だ」「人生を振り返るとこうならざるを得なかった」とアユミさんに訴えてきた。「殺したから、殺されない。もう大丈夫だよ」と父親に声をかけ、車は走り抜けていく。そこで夢は途切れ、目が覚めた。アユミさんは、「人を殺したり、『PTSD』という具体的な単語が出てきたりと、生々しい感じがしました。数日前に担当した本が校了し、解放感を抱いていたところで、このタイミングでどうして悪夢を見るのかも不思議でした」と振り返る。  自分の脳内の現象なのに、いつ悪夢を見るかは予測できず、筋書きも内容も決められない。考えてみれば不思議だが、そもそも夢にはどんな役割があるのか。臨床心理学の立場から夢についての聞き取り調査や悪夢を減らすための心理療法を行う東洋大学社会学部の松田英子教授(博士・人文科学)はこう指摘する。 「人の脳は日中、膨大な量の情報をインプットし続けていますが、睡眠中は活動が縮小し、入ってきた情報を整理している。図書館の客足が途切れた時間帯のような状況下、情報を弁別し、いらなくなった記憶を処分したり、新しい記憶を古い記憶と関連づけたりすることが夢の役割だと言われています」  夢を読み解く上では「トリガー」と呼ばれるきっかけへの注目が必要だと、松田教授は話す。 「トリガーとなりやすいのは1週間くらい前までの経験で、連想をもとに関連素材が引っ張り出され、一つのストーリーになる。それがストレスフルなイベントや、自分の中で気にかかっていることだと、なおさら悪夢になりやすい。殺される夢は一般的ですが、アユミさんの場合、校了まで一生懸命仕事に打ち込んでいたからこそ考えなくて済んでいた課題との関係が考えられます。しかし逃げ切って大丈夫と励ますという結末なので、課題にも対応できそうです」  アユミさんは、悪夢を見る数日前までは「締め切りに間に合わなければ自分は首になるのでは」というプレッシャーを常に感じていた。そういった心境が、夢に影響した可能性も考えられる。  ところで、いわゆる「夢占い」のように、夢を潜在意識や欲求の象徴と捉える見方は根強い。アユミさんの夢にも同種の解釈を当てはめたくなるが、「その見方はもう古い」と松田教授は指摘する。 「夢とは連想のつなぎ合わせのようなもの。悪夢ならば自分の状態を知るのに役立ちますが、ほとんどのものはそうではなく、出てくるものすべてに意味があるとも限りません。例えば『PTSD』は、すでに一般的に使われる言葉。自分が知っている病気の単語に『PTSD』が含まれていて、何かのはずみに刺激されて出てきただけという可能性もあります」 『悪夢障害』(幻冬舎新書)などの著書を持ち、現在も精神科医として学生などを対象とした臨床活動を行う早稲田大学スポーツ科学部の西多昌規准教授も、「試験など、プレッシャーを感じる出来事がある前後に悪夢を見る人は多くいます。夢を見て一晩ぐらいうなされたからといって、さほど気にする必要はありません」と断った上で、「ただし、疾患によっては悪夢が重要な兆候となっている場合もあります」と続ける。  どのような場合に疾患の可能性を疑うべきか。 「目安は『悪夢が連日続いているか』『睡眠不足が日中の生活を妨害しているか』の2点。悪夢を見て眠れない状態が週に3~4日以上続き、仕事など日常生活に支障が出る状態が続くと心配です。精神科の受診を検討してみてください」 ■睡眠中に妻殴打 神経疾患が関係  悪夢と結びつきやすい疾患には、どのようなものがあるのか。よく名前が挙がるのはうつ病だが、「実は精神科医の間でも、悪夢とうつとは関連が高いとはそれほど思われていません。うつの場合は、気分が沈んだり、意欲が出なかったり、食欲や睡眠、体調の問題、極度の後ろ向きな思考など、確かなサインを伴っていることが多いです」と西多准教授は言う。  他方、悪夢との関連性が高いのがPTSDだ。 「戦争や災害の文脈で語られることが多いですが、いじめやハラスメントを受けても発症することがある。悪夢に加え昼間のフラッシュバックなど過覚醒を伴う場合、可能性が疑われます」(西多准教授)  そのほか、高齢者の男性に多い障害にレム睡眠行動障害がある。人間の睡眠には眼球がキョロキョロと動く「レム睡眠」と、レム睡眠以外の「ノンレム睡眠」という二つの状態があり、特にレム睡眠の時ほど、鮮明な夢が生じやすいと言われる。レム睡眠の最中は脳からの運動指令を遮断する機能が働き、腕や脚などの筋肉を活発に動かすことができない。ところがレム睡眠行動障害では、夢と行動とが結びつき、「睡眠中に怒鳴り散らす」「誰かから逃げ回るように徘徊する」「隣で寝ているパートナーを殴りつける」といった症状が表れる。  会社員の場合、部下に指示しているような言動が見られることもあるという。背景には脳の神経疾患が関係していると見られ、特にパーキンソン病、レビー小体型認知症、多系統萎縮症など、脳や脊髄にある特定の神経細胞が徐々に障害を受け、脱落してしまう病気の前駆症状である可能性が指摘されている。 「レム睡眠行動障害の場合、本人には自覚がなく、ケロッとしていることも少なくありません。下の階で寝ていても夫や父親の寝言が聞こえるとか、徘徊していて近所から苦情が来たといったことがあれば、可能性を疑っていただけたらと思います」(同)  夢は自分の心身の状態を教えてくれる目安のようなもの。ぜひ一度、現実的に向き合ってはいかがだろう。(本誌・松岡瑛理)※週刊朝日  2022年12月2日号
週刊朝日 2022/11/25 11:00
“ウェブテ替え玉受検”容疑の関電社員 約4千件で「通過率95%以上」「めっちゃ依頼増えています」
今西憲之 今西憲之
“ウェブテ替え玉受検”容疑の関電社員 約4千件で「通過率95%以上」「めっちゃ依頼増えています」
※写真はイメージです  外資系や国内大手企業の採用試験で実施される「ウェブテ」と呼ばれるWEBテストで“替え玉受検”をしたとして、私電磁的記録不正作出・同供用の疑いで警視庁に逮捕された大阪市北区の関西電力社員、田中信人容疑者(28)。自身のツイッターには、通過実績のある企業として、だれもが知る大手企業の名前が並んでいた。  田中容疑者は今年4月、東京都内の女子大学生からSNSを通じて依頼を受け、クレジットカード会社の新卒採用のWEBテストで、会社から付与されたIDとパスワードを女子大学生から教えてもらい、代わりに受検した疑いが持たれている。2科目で報酬計4千円を受け取ったという。  田中容疑者のツイッターを見ると、 「ウェブテスト代行@元一件15000円の雇われ京大生代行員」  というアカウントで、プロフィールには、 「京都大学大学院卒/元外コン勤務/ウェブテ請負経験約4年、1人で計4000件以上、通過率95%以上 /23卒、24卒、中途、どんな方でも募集中/2科目4000円でウェブテスト代行します。オプションでZOOM画面共有も可能、時間合えば出張も可」  と学歴やこれまでの経験、実績、料金も提示していた。  警視庁は、田中容疑者はこれまで、全国から依頼を受けて4年間で約300人の替え玉受検を手掛け、計約400万円の報酬を得ていたとみている。  田中容疑者のツイッターには、これまでのWEBテスト替え玉受検の「実績」として、ゴールドマンサックス、マッキンゼー、ボストンコンサルティンググループなどの外資系から、三菱地所、三井不動産、三菱商事、三井物産、丸紅、博報堂、NTT西日本、農林中央金庫など、誰もが知っている大手企業の名がずらっと並んでいた。  “商売繁盛”だったようで、ツイッターに、 「今テストラッシュでめっちゃ依頼が増えていますので、もし枠いっぱいになったらすいません」 「今日も日中業務後めっちゃ溜まっているウェブテストを受けて行こうかと思います。夜からも8件ありがとうございます」  と記した。さらには企業側を揶揄(やゆ)するように、 「今受けたSPI新しい問題多すぎてビビりました、全然余裕で全部解けましたが。笑」 「テストで落ちるのバカらしいと思うので悩まれてる方は気軽にご連絡下さい!」  と書いていた。  田中容疑者の大学院生時代の知人は、 「田中容疑者は滋賀県の高校から京都大、大学院と進んで関西電力に入社しました。専門は化学でしたね。ウェブテの替え玉受検は、大学院時代から誰かに誘われてやるようになったと言ってました。『ウェブテなんて楽勝』とか自慢していました。大学入試の替え玉受験は、たまに発覚して大きな事件として報じられますけど、ウェブテならバレにくいので、うまくやるなと思いました」  と話す。  田中容疑者の自宅は、関西電力から徒歩圏内の高層マンション。社内の同僚が、田中容疑者についてこう話す。 「仕事ぶりはいたってまじめで、気のいいやつ。コロナ禍もあって、出社制限、テレワークがかなり続きました。田中容疑者のツイッターを見ると、テレワークやフレックス勤務を使って替え玉受検をやっているというような内容もあります。今思えば、コロナ禍なのに忙しいと言って、すぐに家の方に歩いて帰っていたのはWEBテストのためだったのでしょうかね」  田中容疑者が「実績」として挙げていた企業の担当に聞くと、 「WEBテストの時に、周囲に人の気配がないか、スマートフォンを近くに置いていないかなど、チェックしています。使用するアプリも年々、セキュリティーが向上しています。専門業者とは常にコミュニケーションをとり、不正対策を講じていました」  と話す。  それだけに今回の事件を知り、 「田中容疑者のツイッターにうちの会社名があって、ひっくり返りそうになりました。こうして会社名を出され、PRに使われているとは恥ずかしい。新型コロナの感染拡大もあって、採用はWEBテストが主流です。今後は対面も必ず組み込むべきだとの意見も出ています」  と述べ、もし「ウェブテ不正」で入社した社員が確認できた場合は、厳正な対処も検討しているという。 「田中容疑者は、女性なら事前に打ち合わせて、イヤホンを髪の毛で隠すように指示、練習までさせていた。田中容疑者自身もWEBテストのシステム、使用するアプリの特性や出題傾向などを熟知していたようで、巧みにすり抜けていた。受注が多くて枠がいっぱいになると知人にまわして、手数料をとっていたようだ」(捜査関係者)  田中容疑者は容疑を認め、動機として、 「依頼者に感謝され、やりがいがあった」  と供述しているという。  先の大学院時代の知人は、田中容疑者から聞いた言葉が忘れられない。 「こんな簡単で楽なバイトでもうかるんだから。おまけに感謝までしてもらえる」 (AERA dot.編集部・今西憲之) ●田中容疑者のツイッター
ウェブテ替え玉受検
dot. 2022/11/25 07:00
今田耕司の言うとおりに。50歳の鈴木おさむの体に数日で起きた「肺と薬指と血便」
鈴木おさむ 鈴木おさむ
今田耕司の言うとおりに。50歳の鈴木おさむの体に数日で起きた「肺と薬指と血便」
放送作家の鈴木おさむさん  放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、年齢と体と生活習慣について。  *  *  *  今年50歳になった僕ですが、僕より6歳年上の今田耕司さんは、時折、健康水先案内人のように、「〇〇歳になると、こうなりますよ~」と教えてくれる。  今田さんが「45歳になると体の色んなところ、一気にきますよ~」と言っていた。40代になってからもまだ気持ちは30代のままでいたのだが、確かに45歳を超えた途端に、  老眼が一気にひどくなったり、おしっこのキレも悪くなったり、肺の病気も患ったりと、体の色んな所にガタがきた。  今田さんは「大事なのは体力です」と。だから色々なトレーニングをしているのだろう。  僕が今田さんに「確かに45歳超えると、一気に体にきますね~」と言うと、「50歳になると、さらにキますよ!」と言った。今田さんの言うことは当たってきたので、気を付けてはいたが、この1週間で、一気に体が故障した。  まず風邪をひき、肺がやられた。肺炎にはならなかったが、明らかに肺がおかしいのがわかった。風邪のダメージが前よりもでかい気がする。なかなか落ち着かない。そんな中、トイレに行くと、血便が出た。見事な鮮血。かなり焦った。便も赤く染まっている。ネットですぐに検索「血便 鮮やか」と入れたら、広告で「その日に内視鏡診断」と書かれていて、病院を探す。一時間後に内視鏡の診察を受けられるところを見つけて病院に。  大腸の癌だったらどうしよう・・・と悪い妄想は続く。病院につき、先生と話し、すぐに肛門に内視鏡を入れてチェックすることに。今まで大腸検査などで肛門に内視鏡を入れたことはあったが、簡単な麻酔はしてもらっていた。今度は麻酔なし。いきなり肛門から突入してくる内視鏡に「うっつ!!!!」と気合が入ったが、検査は数分で終了。  肛門の中にいぼ痔的なものがあり、風邪による下痢で、そこから血が出ているようだと。  ちょっとだけ安心。  肺と血便。50歳は体にガタがくるな~と思っていたら、夜、机の端に右手の薬指をぶつけた。別に痛みは感じなかったのだが、薬指の第一関節が曲がったまま力が入らなくなってしまった。バネ指のように。まっすぐ伸ばせないし、全然力が入らない。  たかが薬指と思っていたが、モノを持つときに力が入らないし、なによりワープロを打つときにめちゃめちゃ困る。  数日で「肺と薬指と血便」。「部屋とYシャツと私」みたいな感じで書いてみたが、こんなに一気にガタがくるものかな~と。  でも、これって何かのサイン。生活習慣を本当に改善しないと、ダメなのだと痛感。  とは言っても、なかなか行動に移せないのも現実。  と、よくお仕事をしているGENERATIONSのボーカル、数原龍友君からLINEが来た。僕の体の状況を聞いたと。そこには、熱い言葉。そして「おさむさんは自分が思ってるよりもおっさんなんすよ!!」と。  そうなんだよ。おっさんなんだよ。だけどおっさんであることを忘れてしまうんだよな~。  20代の若者にこんな熱い言葉をいただいたからには、おっさんだともっと自覚し、体をいたわります。こんなことを言ってくれる若者がいることに感謝です。 ■鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)が好評発売中。漫画原作も多数で、ラブホラー漫画「お化けと風鈴」は、毎週金曜更新で自身のインスタグラムで公開、またLINE漫画でも連載中。「インフル怨サー。 ~顔を焼かれた私が復讐を誓った日~」は各種主要電子書店で販売中。「愛の掛け惨」がLINE漫画で連載中。コミック「ティラノ部長」(マガジンマウス)、長編小説『僕の種がない』(幻冬舎)が発売中。企画・脚本を担当したABEMAオリジナル連続ドラマ「覆面D」が配信中!
dot. 2022/11/24 16:00
フードロス問題への“もやもや”の正体 <料理研究家・枝元なほみ×京大准教授・藤原辰史対談>
フードロス問題への“もやもや”の正体 <料理研究家・枝元なほみ×京大准教授・藤原辰史対談>
枝元なほみさん(撮影/朝日新聞出版 写真映像部 松永卓也)  料理研究家の枝元なほみさんは、農業生産者のサポートや「夜のパン屋さん」「大人食堂」などフードロス×飢餓ゼロ運動に力を注いでいます。枝元さんは、これまでの価値観のままで暮らしていては未来を食べ散らかすことになる、と危惧しています。枝元さんの新刊『捨てない未来――キッチンから、ゆるく、おいしく、フードロスを打ち返す』から、現代史、特に食と農の歴史を専門とする藤原辰史さん(京都大学人文科学研究所准教授)との対談を一部を抜粋・改変して公開します。暮らしの「豊かさ」とは何か、いまだからこそ、考えてみませんか。 *  *  *■対症療法と、根源的な変革 枝元なほみ(以下、枝元):私は、食まわりのこと全般に関してずうっと、藤原先生と近しいところに立っているように感じていました。フードロスというテーマを考えていくにあたって、まず先生といろいろとお話しするところから始めたかったのです。 藤原辰史(以下、藤原):ありがとうございます。 枝元:フードロスの問題について、私は「対症療法」的な感じもして、もやっとするのです。キッチンの女に押し付けられ、小さな問題に押し込められるような。イラッとすると言ってもいいかもしれません。もうひとつロス、つまり「捨てる」「ごみにする」ことで考えるのは、プラスチックの問題をはじめ、消えてなくならないものを廃棄する問題です。今から30年近く前、まだ若かったころに、どなただったか女性の作家の方が書いていて印象的だったのは、庭で落ち葉と一緒に家のごみを燃やしているとき、プラスチックのものが燃えなくて、土に還らなくて疎ましいと。人間が、それを便利だと思ってどんどんつくっていったものであるにもかかわらず、です。  藤原先生は、『縁食論――孤食と共食のあいだ』(ミシマ社、2020年)の中で、フードロスを「ひとりひとりの心がけの問題」とすることに疑問を呈していらっしゃいました。私は、うんうん、とうなずいて力をいただきました。でも今、次々とものを捨てていく文化、分解されるものとされないものの問題、プラスチックの環境への影響など、すべてが絡まり合って、問題がもうエッジのところまで来ちゃっている。その状況と、東京オリンピックの会場で起きた食品廃棄(注1)のような問題を重ね合わせて考えたとき、自分は、今まさに起きているこの問題に対して何もできないのか、どうしたらいいのだろうと、気持ちが鬱に入りかけたりもしてしまって。 藤原辰史さん 藤原:お聞きしながら感じたことを、まず大きな話からしますと、目の前に何か問題があるときには、常に二つの目線を持って対応しなければならないということです。ひとつは対症療法、もうひとつは根源的な問題に立ち向かっていくことです。  枝元さんの中にある「もやもや」というのは、医者が目の前の病に対して「痛みを止めますよ」と応急処置をするようなこと。他方で、その病を根絶するには、1カ月なり1年なりの入院、または長い間の投薬で治していく、あるいは付き合っていくというプランがある。それを両方とも考えればいいと思うんです。目の前の問題を思って感情が鬱になるような状況に対しては、それこそ、食品廃棄をやめさせるための署名から始める、というように。  フードロスというのは、経済システムそのものを根源から変えなければ、おそらく永遠になくならない問題であって、かなり根深い。一方で、オリンピックのようにいろんなところで次々起こる問題に対しては、まさに応急処置なり、対症療法なり、または小さな抵抗運動による意見表明なりをして闘わなければならない。そう考えると、フードロスというのは、今のこの世の中の生きにくさを象徴していますね。  枝元さんは、食べることのアイディアを生み出し、文化として手渡すドリームメーカーのような仕事をしている一方で、食べられないまま捨てられるものに、あえて注目している。料理をつくる人は、基本的に「このにんじんの切れ端のほうはどうなったの?」と消費者側、食べる側から聞かれることはないですよね。そこは聞かないことになっているこの社会で、枝元さんが、それでは納得がいかずに目を向けているのは、稀有なことだと思うんです。ごはんを食べることの楽しさをわいわいと伝える一方で、なぜ、隠しておいてもよかったはずの、この食文化の暗部にわざわざ着目したのか。そこはもっと驚いてよいことだと思いながら聞いていました。 枝元なほみ『捨てない未来――キッチンから、ゆるく、おいしく、フードロス打ち返す』好評発売中!※Amazonで本の詳細を見る ■楽しく食べること。誰かを傷つけずに食べること 枝元:私は、料理をもう30年くらいやってきました。そうすると、ひととおりのことはやったな、と。楽しそうなもの、安くできるもの、おいしそうなもの、早くできるもの、栄養があるもの、と何巡もやってきちゃったな、と思ったんです。私の仕事は家庭料理を作ることですが、家庭料理は、さまざまな意味でちょうど転換点にあったと思っています。主婦と呼ばれる人が家の中を切り盛りして、そこの中心的な食を担い、家族全員のごはんを作っていた時代から、女も外に出て働く時代へ。この変化の中で、日々の料理は簡単にできることが求められ、製品としてでき上がっているものもどんどん利用される形に変わってきました。私が若いころは、まだコンビニもあんまりなかったです、えへへ。  では今、料理研究家の自分は何をするのかと考えたとき、早くできる、安くできるなど、言ってしまえば食の表層の部分、ある意味で派手やかな部分はもういいのかなと。そこから進むのか、戻るのか、「人が飢えない」ということを考えていきたいと思ったんです。  気候危機や戦争などで、これからさらにたくさんの人が飢える可能性もあります。そういう中で、タネや農薬の問題なども含め、誰もが必要とする食というものが企業に独占されていって、同時にロスもつくり出していく。この大量生産・大量消費・大量廃棄のループから降りないとヤバいという思いと、高度成長期にプラスチックとともに育ってきた責任みたいなものが、自分の中にすごくあるのだと思います。 藤原:私はまさに、プラスチックがあふれ、捨てられる時代に、プラスチックに欲望して生きてきた人間です。おもちゃも全部、プラスチックや超合金で、少し経つと身の回りはいつの間にかペットボトルだらけ。あのカチカチ、つるつるしたプラスチックが、おそらく精神にまで深く根差してしまっている世代です。私ももう40代半ばなので、本当に責任を感じていて、もう一度、修理しやすく分解しやすい素材を中心にものを考えたいと思っていたところでした。だから、枝元さんの今の振り返りは、とても心にしみるんですね。  今後、プラスチックに包装された食べ物をなくしていく。飢餓をなくしていく。農薬害に苦しむ子どもたちのことを考えなおす。パーム油やバナナ、アボカドの農園のために熱帯雨林を切り開くことを減らしていく……。こういった運動は、実は、枝元さんがこれまで伝えてきた「食べ物を楽しむ」こととつながっていると、僕は思っているんです。それができるのは、料理の現場にいる人だと思います。  だから今回は、料理という文化が人類にとって本当に大事で欠かせないということ、その楽しさをみんなで味わおうよということを、枝元さんとお話しできればと思っていました。楽しく食べることと、誰かを傷つけずに食べることは、実は両立するし、両立させなくてはいけないことなんだと。  お話ししたいことのひとつは、プラスチックと防腐剤というものがなければ、つまり食べ物が個別に商品化されることがなければ、これだけ大量の食料廃棄が起きることはないという根源的な部分。さらに根源的なのは、日本人が年間で捨てる食べ物の金額を合計すると、日本列島の年間の農業生産額よりも2兆円多い(注2)という現実。農家を侮辱しているというか……要はつくったものをすべて捨てているのに等しいという、わけのわからない経済システムになっています。私は、ちょっとずつでもロードマップをつくってそれを変えていけるようにと願って、『分解の哲学――腐敗と発酵をめぐる思考』(青土社、2019年)などを書いてきました。枝元さんとは、そういう大きな話と小さい話の両方をしていきたいと思います。 (構成/保田さえ子) -------------------------------注1) 東京オリンピック開会式(2021年7月23日)の会場で、大会関係者用に準備された弁当約1万食分のうち、約4000食分が処分された問題。注2) 京都市の試算によると、1世帯(4人)あたりの年間の食品廃棄量を金額換算すると約6万円、処理費用約5000円を足すと6万5000円となる。これを全国換算すると11.1兆円となる(井出留美『賞味期限のウソ 食品ロスはなぜ生まれるのか』幻冬舎、2016年)。日本の農業総産出額(2020年)は8兆9370億円(「農業総産出額及び生産農業所得(全国)」農林水産省)。
フードロス問題書籍朝日新聞出版の本枝元なほみ藤原辰史読書
dot. 2022/11/24 08:00
知の先端を学べる充実した10研究科を擁する国士舘大学大学院。社会人も学びやすい環境を用意!
【PR】知の先端を学べる充実した10研究科を擁する国士舘大学大学院。社会人も学びやすい環境を用意!
 国士舘大学大学院は、1965年に政治学研究科と経済学研究科を開設以来、時代とともに高度な教育研究を推進してきた。現在では、10研究科を設置し、高度な理論探究と実践的研究との両面から真理を究明し、それぞれの分野におけるプロフェッショナルの養成を目指している。また、社会人選考試験を各研究科で行っており、研究意欲の高い社会人を積極的に受け入れている。 国士舘大学大学院の詳細や2023年度入試情報について、詳しくはこちら > 願書・資料請求 >  国士舘大学大学院は10研究科15専攻を擁しており、学生一人ひとりの目的やライフスタイルに合わせて様々な研究に取り組むことができる。現在、人文科学研究科で歴史考古学を学んでいる学生に、大学院に進学するきっかけや授業について、また今後の目標などについて話を聞いてみた。 ◇研究を楽しむ!国士舘大学大学院生インタビュー 『文化財に関わる職業に就くために、歴史考古学を学修中。発掘された瓦の文様から、当時のあり様を研究しています』 国士舘大学大学院 人文科学研究科 人文科学専攻 修士課程2年宇髙 美友子 さん ■下野国分寺創建期の瓦の生産地ごとの供給量の違いを研究  大学時代に考古学を一から学びはじめた宇髙さんは、卒業論文を執筆する中で、考古学の奥深さや面白さに気づき、大学院に進学することにした。 「将来、埋蔵文化財に関わる職業に就きたいと考えるようになり、そのために必要な専門性の高い知識を身につけたいという思いもありました」  大学時代に、学芸員資格を取得したほか、大学院で所定の科目を修得することでワンランクアップする考古調査士資格に必要な科目も修得し、埋蔵文化財に関わる職業に就くための下準備を整えた。 「人文科学専攻に入学したのは、考古学を専門に学べる考古・歴史学コースがあり、私が研究対象にしている『古代』『寺院』『瓦』などを専門にする教授から質の高い指導を受けることができ、研究内容を高められると考えたからです。また、フィールドワークが多く、現地に行き、現物に触れる機会が多いことも国士舘大学大学院を選んだ理由です」 『古瓦の考古学』の著者の一人でもある眞保昌弘教授から、現在、研究指導を受けている。 「歴史考古学という、文字が使われた時代について、遺跡・遺構の調査によって歴史的事実の裏付けを行ったり、住居など建築物の出土品から日常生活のあり様を考究したりする考古学について学んでいます。  私は下野(現在の栃木県)に建立された下野国分寺の創建期にふかれた瓦について研究しています。  瓦は、文様や胎土、製作技法などの違いから、生産場所を特定することができ、下野国分寺創建期の瓦は、下野国内のいくつかの郡の窯跡で生産されて供給していたことが明らかになっています。私が注目しているのは、近年の発掘調査により明らかになった、郡ごとの供給量の違いについてです」 ■大学院修了後も文化財研究を続けていきたい  大学院での授業は、いずれも少人数によるゼミ形式が多く、幅広い知識を吸収するのに役立っている。宇髙さんの研究力を高めるのに役立っている科目の一つに、「考古学演習Ⅰ・Ⅱ」がある。 「先生が講演会で発表した内容について講義を受けた上で討論したり、各自が取り組んでいる研究の進み具合や成果、課題などを発表し、先生から指導を受けたり、学生間で意見を交わしたりする授業です。講義では考古学の学術的な話だけでなく、文化財行政の仕事をされていた時の経験などを聞くこともでき、とても参考になります」  現在、文化財に関わる職業に就くために、納得のいく修士論文を書き上げることを目標にしている。 「修了後も研究を続け、文化財の保護と活用に貢献できる力を常に高めていきたいと思っています」 国士舘大学 世田谷キャンパス *   *   *  国士舘大学大学院では、実務経験豊かな教員を配置し、大学院教育の充実強化を図っている。2023年4月からは、経済学研究科で新カリキュラムがスタート。そこで、新しいカリキュラムについて研究科長に話を聞いてみた。 ◇研究科長インタビュー(経済学研究科) ~新カリキュラムがスタート!~ 『社会に貢献できる経済分野の研究者と高度専門職業人の養成を目指し、多様な選択肢を提供しています』 国士舘大学大学院 経済学研究科許 海珠 研究科長・教授 ■経済学の「奥深さ」を理論、歴史、政策から探究  国士舘大学大学院経済学研究科では、経済学という学問の「奥深さ」について理解を深められるように、経済学の基本となる理論、歴史、政策分野から、実社会経済の激しい変化に対応できる専門研究領域をカバーする応用経済学や租税法・会計学関連の分野まで、幅広い研究領域に科目を配置し、基礎から応用まで体系的に学修することができる。 ■領域横断的な研究意欲にも応える、新しいカリキュラムがスタート  2023年4月から、将来の進路やキャリアにつながる研究・学修ができ、多様な選択肢を提供する新カリキュラムが修士課程でスタートする。 『セメスター制』の導入により、科目履修期間が半期になることで、自分に合った科目の選択と学修がしやすくなる。併せて、1年次は5つの研究領域から自由に科目を選択し、2年次に自分に合ったコースの選択ができる『コース制』を取り入れる。  5つの研究領域に配置される科目数は45科目にわたることから、自らの関心や将来目的に合わせて各領域を深く研究することも、領域横断的な研究を進めることも可能。現代社会のITが生み出した課題の解決策を文理融合の多面的視点で議論する「情報産業論研究」「情報社会・情報倫理研究」をはじめ、「環境経済論研究」といった社会ニーズに応じた新しい学びも提供。  コースには、研究者を目指す『研究コース』、専門スキルが求められる職業に就くための『特定課題研究コース』、税理士国家試験の試験科目一部免除認定申請が可能な『租税法・会計コース』を設置。本研究科は、これまでに試験科目免除申請を受けた修了生が多く輩出してきたように、指導にあたる教員陣が充実しているのも特色の一つだ。 ■社会人が学びやすい環境を整備  社会人が学びやすいように、入学試験に社会人選考を設けているほか、いずれのコースでも、平日夜間と土曜日に科目を開講。  授業は目的に応じて、コンピュータ教室やプレゼンテーションに適した教室を使用するなど、多様に展開している。 経済学研究科 新カリキュラムについて、詳しくはこちらへ > 国士舘大学 中央図書館(世田谷キャンパス) ◆国士舘大学大学院 10研究科の概要 ○政治学研究科 政治学専攻[修士、博士] 政治学研究科は、専門的な研究者や教育者の養成を目指し、政治の主要分野をはじめ、政治行政やアジアを取り巻く政治・文化をテーマにした問題にも取り組んでいる。また、高度な専門的知識を身につける社会人のリカレント教育の場として活況を呈するとともに、教職免許の専修免許も取得が可能。【昼間・夜間/土曜日開講】 ○経済学研究科 経済学専攻[修士、博士]  経済学研究科は、2023年度から新しいカリキュラムがスタートする。修士課程では「セメスター制」と「コース制(研究コース、特定課題研究コース、租税法・会計コース)」が導入され、博士課程では研究領域・分野別に科目が配置される。学位取得に向けた研究・学修を積極的にサポートし、社会人、留学生も積極的に受け入れている。【昼間・夜間/土曜日開講】 ○経営学研究科 経営学専攻[修士、博士] 経営学研究科は、経営・会計の高度職業人および研究者の養成を目指している。「修士論文研究コース」と「特定課題研究コース」を設け、最新の経営理論・研究成果・ケーススタディーを学ぶ授業を通じて、実社会で活躍する社会人のリフレッシュ教育を行っている。経営グローバル化に対応する教育・研究も行っている。【昼間・夜間/土曜日開講】 ○法学研究科 法学専攻[修士、博士] 法学研究科の修士課程では、「基幹法コース」「税法・ビジネス法コース」「スポーツ法コース」の3コース制を導入。社会の要請に応えて、より高度の法理論および実務理論の教授・研究を通して、高度な専門職業人の養成に取り組んでいる。社会人も積極的に受け入れ、法理論に裏付けられた事務処理能力を身につけられるように指導している。【昼間・夜間/土曜日開講】 ○総合知的財産法学研究科 総合知的財産法学専攻[修士] 法律の基礎である憲法、行政法、民法、民事訴訟法などを修得した上で、経営学や工学などを包括的に学ぶことで、知的財産法の専門家を育成している。内外で知的財産の実務に携わる専門家を教授陣に迎え、理論と実践の融合を図る指導を行っている。特許事務所における実務研修「エクスターンシップ」も取り入れている。【昼間・夜間/土曜日開講】 ○工学研究科 機械工学専攻/電気工学専攻/建設工学専攻[修士]、応用システム工学専攻[博士] 工学研究科は、応用学力を身につけ、優れた応用開発能力を有し、創造性豊かでユニークな技術者、研究者の養成を目的としている。修士課程では、機械工学専攻、電気工学専攻、建設工学専攻を設置し、各専攻に2~5コースを設けている【昼間・夜間/土曜日開講】。また博士課程は、修士3専攻を統合する形で応用システム工学専攻のみを設けている。【昼間/土曜日開講】 ○人文科学研究科 人文科学専攻/教育学専攻[修士、博士] 人文科学研究科は人文科学の諸分野研究を究められるように、修士課程および博士課程から構成されている。修士課程では研究能力開発とともに時代の要請に応える高度な知見を身につけた職業人の養成を目指し、博士課程では特に研究者養成に力を入れている。【昼間・夜間/土曜日開講】 ○スポーツ・システム研究科 スポーツ・システム専攻[修士、博士] スポーツ教育コースとスポーツ科学コースを設置し、競技スポーツから生涯スポーツまで、多種多様なスポーツ事象を研究対象とし、院生の興味や関心に応じた研究活動ができる環境を整えている。世界各国・地域が抱えるスポーツの諸問題をシステム的にとらえ、それを解決できる高度職業人や研究者の育成を目指している。【昼間・夜間/土曜日開講】 ○救急システム研究科 救急救命システム専攻[修士、博士]、救急救命システム専攻(1年制コース)[修士] 医師や看護師、救急救命士といった病院前救急医療に携わる国家資格有資格者に対する高度な教育と研究を行う。日本のみならず、世界各国・地域が抱える病院前救急医療に関する諸問題をシステム的にとらえ、それを解決できる専門能力と豊かな学識を有する高度専門職業人の育成を目指している。【昼間・夜間/土曜日開講】 ○グローバルアジア研究科 グローバルアジア専攻[修士]、グローバルアジア研究専攻[博士] グローバルアジア研究科では、グローバル化が進むアジアを研究対象とするため、経済学、経営学、歴史学、国際関係論、言語教育、文化研究、先史学、考古学、保存科学、文化政策論といったさまざまな学問領域が連携・融合する、総合的かつ先端的な研究に取り組むことができる。【修士:昼間/土曜日開講、博士:昼間開講】 各研究科の詳細や2023年度入試情報について、詳しくはこちら > 願書・資料請求 > 【お問い合わせ】 国士舘大学 教務部 大学院課 所在地/〒154-8515 東京都世田谷区世田谷4-28-1 TEL/03-5481-3140 提供:国士舘大学大学院
2022/11/24 00:00
ITで進化する温泉宿 手書き帳簿から「自前システム」導入、借金10億からV字回復
池田正史 池田正史
ITで進化する温泉宿 手書き帳簿から「自前システム」導入、借金10億からV字回復
利用客でにぎわう城崎温泉の町並み(兵庫県豊岡市提供)  寒さが増すにつれ、恋しくなるのが湯けむりの情緒あふれる温泉宿だ。だが新型コロナウイルス禍に見舞われ、打撃を受けた旅館やホテルは少なくない。逆境に負けずにITやデジタル化を進め、起死回生を図る取り組みを紹介しよう。 *  *  * 「システムの導入で最も大きく変わったのは従業員の働き方です」  そう話すのは鶴巻温泉(神奈川県秦野市)にある1918年創業の老舗旅館、「元湯 陣屋」で女将(おかみ)を務める宮崎知子さんだ。将棋や囲碁のタイトル戦の舞台としてファンになじみ深い陣屋は、かつて10億円もの借金を抱えて倒産寸前だった経営を立て直し、復活を遂げた旅館としても知る人ぞ知る存在だ。  宮崎さんが経営に加わったのは2009年。先代が亡くなり、ホンダのエンジニアを務めていた夫の富夫さんが跡を継いだのがきっかけだ。経営改善のため夫婦が最初に目をつけたのがITだった。宮崎さんはこう振り返る。 「料理に使う食材の在庫管理も、人件費も、当時は何から何まで手書きの帳簿につけてあり、経営分析しようにも、データをそろえるのに時間がかかる状況でした。そこで予約から従業員の勤怠や給料の計算、売り上げや利益の管理、設備の状況まで一元管理できるシステムを自前で作ることにしたのです」  たまたま応募してきた元システムエンジニアの従業員を採用できた幸運もあって、システムは翌10年に運営を始めた。従業員一人ひとりにタブレットを配り、全員がほぼ毎日更新される予約や経理のデータを見られるようにした。  一般に旅館では、利用客の情報は予約係やフロント係に集まり、接客や清掃にあたる従業員に伝わるまで時間差がある。その結果、本来は同じ立場の従業員の間でも、より多く情報を持つ人が優越感を覚えやすい。情報が少ない立場の人は、指示を待つ受け身の姿勢になりがちだ。 「システム導入後は自分で必要な情報を調べ、やるべきことをやる習慣が徐々に身についていきました。限りのある人数で効率的に業務を回すためには『マルチタスク化』が必要。社内も新しいことにチャレンジする積極的な人に仕事が集まり、重宝するムードができました」(宮崎さん)  コロナ禍でも、マルチタスク化が功を奏した。濃厚接触者の発生を避けるためパートやアルバイトを含む従業員40人を4チームにわけ、日勤と夜勤2交代の輪番出勤制に。雇用や給料を維持したまま、少ない人数で業務を回せる体制にした。夜間の警備も兼ねる深夜勤務のメンバーにそれまで担当していなかった調理部門の従業員を充てたことで、ほかの部門の早朝勤務の負担が分散される副産物もあった。現在は輪番制から労働時間を柔軟に変えられる変形労働制に改めたが、2交代制は維持している。  直近の21年度のグループ全体の売り上げは6.9億円。宮崎さんが女将に就任した直後の10年度(2.9億円)の倍以上だ。コロナ禍の影響を受けた20、21年度は日帰りや宴会、ブライダル部門の打撃が大きかった一方、宿泊部門の売り上げは2億円前後で推移し、コロナ前の水準を維持した。  自前のシステムは12年から外部にも販売し、今では同業者を中心に450社が導入。その売り上げは21年度に約3億円と、経営を支えるまでに育った。  復活の理由はもちろんITだけではない。経営再生に向けて打ち出した高級化路線に必要な設備投資や、経費削減のための仕入れ先や原価の見直しといった取り組みもコツコツ積み重ねてきた。宮崎さんは言う。 「ITはあくまで道具で、すべての課題を解決できるわけではありません。特に高級化路線を取る陣屋では、くつろぎやおもてなしといったお客様とのふれあいや人の手によるサービスを重視しています。ITで効率化できた余力をそうした面の努力に充て、これからもお客様の求めに応えられるよう努めていきたい」  最近は、町ぐるみでITの活用を進める例も目立つようになってきた。城崎温泉(兵庫県豊岡市)は今年6月、宿泊データを温泉街全体で共有し、各旅館の値決めや営業に生かす取り組みを始めた。  城崎温泉の旅館経営者や豊岡市などが3月に立ち上げた「豊岡観光DX推進協議会」が中心的な役割を担う。旅館に自社や旅行サイト、旅行会社などを通じて予約が入ると、日程や人数、金額、客室の稼働状況といったデータを協議会が構築したシステムで自動的に収集・分析。地域全体の客の動きがわかる情報や指標として、各旅館は見られる。11月時点で加盟する旅館77軒のうち32軒が参加する。 週刊朝日 2022年11月25日号より  各旅館は、データを参考に自らの需要予測や宿泊プランを練ることができる。需要の見通しが立てば、客が多い時期は料金を上げて利益率を高め、少ないタイミングは逆に料金を下げ、集客を強めることができる。食材、商品の仕入れやスタッフの調整がしやすくなる利点も大きい。  予約や宿泊情報は本来、旅館にとって重要なデータで、他施設と共有するのは難しい。しかし、協議会によると「城崎にはもともと『町全体が一つの温泉旅館』というコンセプトがあり、理解が得られやすい面があった」という。今後は地域の飲食店や土産物店に参加を促したり、近くの観光地と連携したりして温泉街や市の観光戦略に役立てる考えだ。  下呂温泉(岐阜県下呂市)でも地元の観光協会が中心となり、旅館同士で宿泊データの活用を進める。データの集計そのものは約40年前から手がけていたものの、施設によって異なる形式で集めた情報を手作業で集計していたため、旅館側が見られるまでに時間のラグが生じていた。  これを20年度にデジタル技術を使って効率的に集められるよう改め、基本的に日次単位で把握できるようにした。  効果はすでに出ている。宿泊データを分析したところ、下呂温泉を訪れる観光客は、実は愛知県など県外からの客が思っていたより多いとわかり、同県向けの宿泊プランを用意した。ほかの施設に比べて平日の需要が見込めるとわかり、宿泊料金の設定方法を見直したところもある。  さらに協会は、地域の観光情報を載せたアプリを開発した。登録した観光客が買い物の際にQRコードを提示すれば、額に応じてポイントを与える。どんな客がいつ、どこで買い物したかといった消費データをきめ細かく把握できる。アプリを通じ、客に対して直接呼びかけや働きかけができる点も大きなメリットだ。  一般的に、旅館側には「旅行サイトや旅行会社を通じて利用する客の連絡先や属性はなかなか把握できない」(別の地域の温泉旅館)といった不満があるとされる。直接アプローチできれば客との関係を深め、リピート客も増えると期待する。 天の丸で客を出迎えるaibo(海栄RYOKANS提供)  キャッシュレス決済や配膳ロボットを導入する宿泊施設も目立つ。草津温泉(群馬県草津町)は19年、地元の商工会がスマホ決済サービス「PayPay(ペイペイ)」と連携協定を結び、老舗を含めた旅館や地域の店での普及を進めている。若者や外国人客らへの対応が主眼だが、使える店が広がれば、温泉街でより手軽に買い物や飲食が楽しめる。  阿寒湖温泉(北海道釧路市)で鶴雅(つるが)リゾートが運営するホテル「あかん遊久の里 鶴雅」などは、レストランの食事の配膳や下膳に自律走行型の配送ロボットを使う。人手不足を補い、導入によって生まれる余力をサービスの質向上に充てる狙いがあるという。  客からの問い合わせに答え、需要予測や部屋割りをサポートするAIのシステム開発・導入も進んでいる。  ロボットを使ったユニークな取り組みもある。海栄RYOKANS(愛知県南知多町)が蒲郡温泉(同蒲郡市)で運営する「天の丸」(同幸田町)は11月から、ソニーグループのペット型ロボット「aibo(アイボ)」を核とした町おこしの取り組みを本格的に始めた。  チェックイン時には天の丸が保有するアイボが客を出迎え、客室でも触れ合える。11月17日から来年1月末までの期間限定で用意した宿泊プランでは、掛け軸や羽織や浴衣、湯飲みなどアイボをあしらったデザインに囲まれた特別客室に泊まれる。「アイボのオーナーはもちろん、そうでないお客様もアイボと一緒にくつろいでほしい」(広報担当者)  幸田町にはアイボを作るソニーグループの工場があり、オーナーやファンの間で「アイボのふるさと」として知られる。町役場にアイボがいるカフェを設け、どら焼きやタオルなどの限定商品を販売する。同グループも11月18日、町内の猿田彦三河神社で「七五三」イベントを、19日にはファンミーティングを開く。  ホテルをはじめ宿泊・旅行業界に詳しいホテル評論家の瀧澤信秋さんはこう話す。 「ネット上で予約できるオンラインエージェントが主流になると、多くの宿泊施設にとって基幹システムの整備が必須になりました。高級ホテルを中心に、人の手によるサービスを重視する施設も省人化できるものはITに任せ、効率化でさらなるサービス向上に注力する例もある。それぞれの戦略や方針に合った形でIT利用はこれからも進むでしょう」  古き良き温泉宿の風情や伝統を生かしつつ、進化するサービスに期待しよう。(本誌・池田正史)※週刊朝日  2022年11月25日号
週刊朝日 2022/11/22 17:00
ももクロ主催の年越しカウントダウン【第6回 ももいろ歌合戦】開催 ABEMAにて“8時間ぶっ通し”の無料生放送も決定
ももクロ主催の年越しカウントダウン【第6回 ももいろ歌合戦】開催 ABEMAにて“8時間ぶっ通し”の無料生放送も決定
ももクロ主催の年越しカウントダウン【第6回 ももいろ歌合戦】開催 ABEMAにて“8時間ぶっ通し”の無料生放送も決定  ももいろクローバーZ(以下、ももクロ)が大晦日に日本武道館にて有観客で【第6回 ももいろ歌合戦】を開催する。  ももクロメンバーが豪華アーティストと共に「紅組」と「白組」に分かれて対決する【ももいろ歌合戦】。ももクロのスペシャルライブはもちろん、日本を代表する大御所歌手をはじめ、ヒットチャートの最前線で活躍するアーティストも続々と登場し、レアなフル尺歌唱や一夜限りのコラボライブなどを披露する様子が、ABEMAで“8時間ぶっ通し”のノーカットで特別番組『第6回 ももいろ歌合戦~50組以上の超豪華出場者と年越し8時間無料生放送~』として生放送される。さらに、BS日テレ、ニッポン放送での放送も決定している。  2022年のチーム分けは、2021年に引き続き「紅組」に玉井詩織と佐々木彩夏、「白組」に百田夏菜子と高城れにがそれぞれ決定。応援団長には3年連続出演となる舘ひろしが就任することが発表された。さらに、第1弾出場者として、=LOVE、ukka、オテンキ、かが屋、THE SUPER FRUIT、湘南乃風、鈴木愛理、SOPHIA、TEAM SHACHI、超特急、土佐兄弟、nobodyknows+、Novelbright、BUDDiiS、ばんばんざい、THE BEAT GARDEN、FANTASTICS from EXILE TRIBE、ヘラヘラ三銃士、ミュージカル『刀剣乱舞』刀剣男士(豊前江/桑名江/松井江/五月雨江/村雲江/水心子正秀)、山本譲二の初出場が決定。  また、昨年に続き、五木ひろしやさだまさし、水前寺清子、松崎しげるといった大物歌手をはじめ、氣志團など近年の音楽界を代表する人気アーティストや、人気作品『ウマ娘 プリティーダービー』から誕生した声優ユニットなど、ジャンルも世代も超えた豪華な顔ぶれが登場する。さらに。毎年大好評の『30分超えノンストップ最強アイドルメドレー』や『世代を超えたアニソンメドレー』に加え、『ももいろクローバーZによるマー君が今、ライブで観たい田中将大応援歌メドレー』やミュージカル『刀剣乱舞』刀剣男士の応援パフォーマンスなど、この番組でしか観ることができない貴重なコラボ歌唱やバラエティーに富んだコーナー企画も、本番組の見どころのひとつとなっている。  特別番組『第6回 ももいろ歌合戦~50組以上の超豪華出場者と年越し8時間無料生放送~』について、メンバーの百田夏菜子は「年々『ももいろ歌合戦』の存在をいろんな方に知っていただけているなと感じていて、最近はお仕事でご一緒したアーティストさんから“逆オファー”をいただくこともあるんです。関わってくださるすべてのかたに感謝をしながら、わたしが抱いている幸せな気持ち以上の気持ちをみなさんにお届けしたい」、玉井詩織は「【ももいろ歌合戦】が新しい年末の風物詩として少しずつ定着していて、楽しみにしてくださっている皆さんがたくさんいらっしゃると思うので、来てくださるアーティストにも楽しんでいただけるような素敵なステージにできたら」、佐々木彩夏は「こうしてまた開催できること嬉しく思います。こんなに豪華なアーティストのみなさんが出てくださる番組の名前がわたしたちの名前でいいのかと不安なところもすごくあるんですが、これだけ素敵な皆さんとお届けできるのは心強いなと思いますし、会場に来てくださる皆さんとももちろん、素敵な年越しにしたいな」、高城れには「豪華な皆さんに囲まれての年越しが今回で6回目となるので、わたしたち自身もうれしいですし、最高な年越しがまた今年もできそうなので今からどきどきわくわくしている。感謝の気持ちを忘れずに全力で楽しんでいければ」とコメントした。 ◎公演情報 【第6回 ももいろ歌合戦】 2022年12月31日(土)東京・日本武道館 開場 15:30 / 開演 17:00 <チケット> 席種 〇スタンド席 ¥8,500 (税込) ※お一人様4枚まで 〇アリーナ席 ¥15,000 (税込) ※お一人様2枚まで 〇アリーナSS席 ¥50,000 (税込) ※お一人様1枚まで <放送> ・ABEMA – 午後5時~生放送 ・B S日テレ 午後7時~ ・ニッポン放送 午後7時~ ※各放送メディアの終了時間は番組表をご確認ください。 <総合司会> 東京03 飯塚悟志[5] <応援団長> 舘ひろし[3] <第1弾出場者 (50音順、[ ]内は出場回数)> Anna[2] いぎなり東北産[2] =LOVE [初] 石川柊太[4] 泉谷しげる[4] 五木ひろし[2] ukka[初] ウマ娘 プリティーダービー[2] オーイシマサヨシ[3] 岡田将生 [4] オテンキ[初] かが屋[初] 華原朋美[2] 氣志團[6] サイプレス上野とロベルト吉野[6] THE SUPER FRUIT[初] さだまさし[6] 塩乃華織[6] 湘南乃風[初] 笑福亭鶴瓶[6] 私立恵比寿中学[4] 水前寺清子[6] SUPER★DRAGON[4] 鈴木愛理[初] SOPHIA [初] 田中将大[6] TEAM SHACHI[初] 超ときめき□宣伝部[3] 超特急[初] 東京女子流[5] 土佐兄弟[初] 戸田恵子[3] 703号室 [3] 西川貴教[4] nobodyknows+[初] Novelbright[初] BUDDiiS [初] ばんばんざい[初] THE BEAT GARDEN[初] ファーストサマーウイカ[3] FANTASTICS from EXILE TRIBE[初] ヘラヘラ三銃士[初] 松崎しげる[5] 松本明子[6] ミュージカル『刀剣乱舞』刀剣男士(豊前江/桑名江/松井江/五月雨江/村雲江/水心子正秀)[初] 森口博子[6] 山本譲二[初] ※一部出演者はVTRでの出演となります。 ※□=ハートの絵文字
billboardnews 2022/11/22 00:00
「服も肩書も脱ぐ」コクヨの社長秘書は「サウナ部長」 企業サウナ部が脚光を浴びる理由
「服も肩書も脱ぐ」コクヨの社長秘書は「サウナ部長」 企業サウナ部が脚光を浴びる理由
上野の「サウナ&カプセルホテル北欧」での川田さん https://www.saunahokuou.com/  企業の部活動として「サウナ部」が脚光を浴びている。そのブームを牽引し、プライベートの領域と思われていたサウナのビジネス的価値を押し上げてきたのは、一人のサウナ好き会社員だ。コクヨサウナ部部長の川田直樹さん(37歳)、通称“カワちゃん”。コクヨに勤務しながら、複業としてサウナプロデュースも手がける。すでにサウナ歴30年というその生い立ちや、サウナが課題解決の糸口になっていく過程、サウナ部立ち上げの経緯など、「サウナ伝道師」への道のり<前編>をお届けする。 *  *  * 「川田さん、週末行ってきました! めっちゃ、よかったです」  月曜朝、同僚のそんな呼びかけから川田さんの会話は始まる。現在、コクヨの社長の秘書を務めながら、一級建築士として多くのオフィス空間構築の工事管理や新規事業構築に携わる川田さんだが、もう一つの顔は、サウナの魅力を世に発信する「サウナ伝道師」。企業サウナ部ブームの牽引者でもある。  パソコンにいくつもキャッチーな“サウナステッカー”を貼る川田さんのまわりには、さまざまな部署からサウナがらみの相談者がひっきりなしに訪れる。 「通りすがりに、『あの~、今度初めてサウナに行くんですけど、どんなところがいいと思います?』みたいに、ふらっと来る人が多いです。サウナ初心者の場合は希望を聞いて、こちらでいくつかセレクトしてあげるのですが、行ってきた後の感想を聞くのはいつもドキドキです。ソムリエの気持ちがわかります」  複業として活動しているサウナプロデュース業でも、その人の好みに合わせた最高のサウナ体験を「さがす、つなげる、なんやったらつくる」という熱い姿勢で向き合う。まさに、サウナー目線と設計者目線の両方を持ち合わせる「カワちゃんにしかできない」仕事をこなす。 ■サウナで不規則だった生活がととのった  2022年、川田さんはサウナーにとって特別な“サウ(3)ナー(7)年”の37歳を迎えた。ここまでの道のりはけっして平坦なものではなかったという。 「新卒で最初に配属されたのはオフィス空間の建築工事などを管理するチームでした。法人企業であるお客様が稼働していない週末や平日夜間に現場に行くなど、とにかく不規則な働き方が当たり前。20代は充実していた一方でストレスも多く、その唯一の発散は飲みに行くこと。飲んで夜遅くなって結局、眠りが浅いまま、翌朝また仕事に向かう。このままではよくないなと感じていました」  あるときから、仕事終わりに飲みに行かずに、サウナに行ってリフレッシュして帰る、という習慣を作ってみた。するとまず、寝付きがよくなった。 「サウナに入るとよく眠れるため一日の節目をしっかりと作ることができる。何かその区切りの良さが自分の中でちょうどいいな、と感じましたね」 2022年5月、富山県に完成した地方創生サウナ計画のモデル「The Hive」。極上のサウナタイムを過ごすため、土の中に作られた一棟貸切りサウナホテル https://the-hive.jp/?fbclid=IwAR2sHw1ugQADXJiYpDZ80uG6t1Ze6dyDpF_EFvUzJ1Nbe7JpUW1Go2uEJP8  そもそも、サウナ歴はすでに長かった。大阪で家族みんなサウナ好きという環境に育った。とくにサウナが好きだった祖父に連れられ、5歳にして健康ランドでサウナデビュー。思い出の中のサウナは大好きな祖父とともに過ごすキラキラした場所だった。 「小学生のころは放課後、カバンにタオルだけをつめて、お小遣いを握りしめて近所の銭湯に行くのが何より楽しくて。400~500円という銭湯価格も子どもながらにハッピーでした」  銭湯やサウナはなじみのおじいちゃんたちとなんてことのない会話を楽しむ場所。そして、一人になって考え事もできるお気に入りの場所だったという。 「サウナ後に飲むスポーツ飲料と、さっぱりしたからだで自転車をこぎながら肌に当たる風がまた心地よかった。いまでいう外気浴ですよね。びしょびしょのタオルをカバンに入れたままにして、親によく怒られていました」 ■サウナによる「切り替え」がビジネスにも効く  社会人になり、そのサウナがビジネスの場面でのさまざまな課題を健康的に解決する糸口になった。  20代の最後に一級建築士の資格を取ることになり、「試験合格に必要な年間700時間ぐらいの勉強時間を、仕事をしながら確保するのは大変だな」、そんなことをサウナに入りながら考えていた。川田さんはついに、サウナでうまくスイッチを切り替えながら仕事と勉強を両立する方法を編み出す。 「朝から集中して仕事を終えるとぐったりしてしまいついつい勉強に手がつかない。その原因はモードを切り替えることができないから。そこで夜には会社からスパ施設に訪問しサウナでリセット、というサイクルを作ってみたら、サウナを出てから、また新たな一日が始まる感覚になった。デジタルデトックスと脳のリフレッシュが効果的でした。そこから勉強の時間を作ってみよう、と思い立ったわけです」  サウナによる切り替えが功を奏し、仕事と勉強をうまく両立させて猛勉強した結果、無事に一級建築士の資格を取得。ほぼ同時に、社内で当時最年少の29歳で課長に昇進した。だが今度はマネジメントの壁にぶち当たってしまう。 「それまでは、ただがむしゃらに自分のコンディションを整えながら成果を出すことに集中していた人間でした。それが今度は、自分だけではなくて他のメンバーのモチベーションをマネジメントしながらチームで成果を上げていくという新たなテーマを与えられた。正直、戸惑いましたね」 「スカイスパYOKOHAMA」のコワーキングサウナ。サウナ後に館内着を着たままリラックスした雰囲気でミーティングが可能 https://www.skyspa.co.jp/  かつては社内の“宴会部長”としても有名だったという川田さん。飲み会を主催し、お酒を酌み交わすことで人脈を広げ、ビジネスにも役立ててきた経験があった。しかし、ちょうど若者の飲み会離れが進んでいることも認識し始めたころ。グループの中に、何かと遠慮がちで仕事へのモチベーションも低く、仕事のミスも増えていて、ちょっと気になる1年目の若手メンバーがいた。 「いったいどうしたものかと思ってある日、居酒屋でなく、行きつけの横浜のサウナに誘ってみたんです。そうしたら、サウナに入りながら彼が、『川田さん、僕ね……』とぽつりぽつりとしゃべり始めて。お互いにプライベートな話をしていくなかで、何か仕事で悩んでいるのかと思いきや、恋愛で悩んでいたんです。そんなこと、会社の会議室ではもちろん打ち明けられないですよね」  人と人との関係性がしっかり作られていないなかで物事を機械的に進めるのではなくて、必要に応じて場所やモードを変えながら進めることの大切さにあらためて気づいたという。 「サウナで『服だけでなく肩書も脱ぐ』ことで、からだと心がほぐれて、より仲も深まった。それから仕事の話をし、上司と部下の関係性を構築する。そんなステップ感ってやはり大切だな、と。この翌日には、その若手の彼ともう一人仲間を引き入れ、ウチの部署だけで勝手にサウナ部を始めました」 ■サウナ部のモットーは「ゆるく集まりゆるく解散」  2016年4月、川田さん31歳。チーム内の3人でスタートしたのがサウナ部だった。創設後たちまち、サウナをネタに話しかけてくる人が増えていった。サウナ部員もいつしか100人近くに。 「今の時代は、コミュニティー形成には自律的な個人の意識が重要。強引に巻き込むというスタイルはあまり相性が良くないと思っているので、サウナ部は出入り自由。合言葉も『ゆるく集まりゆるく解散』です」  おもな活動は、オンラインでの定期ミーティングにソロ会、ペア会、新規サウナ開拓旅……。横浜のホームサウナ施設をベースに、ゆるい感じの交流を大事にしているという。  このあと、サウナブームを背景に、 “コクヨのサウナ部長カワちゃん”は、社内だけにとどまらず、多くの企業のサウナ部創設ブームを牽引する存在へと進化していくことになる。  (文・石川美香子) 【後編はこちら】>>1人の会社員が始めた「サウナ部」は150社加盟の企業連合へ 伝道師“カワちゃん”の挑戦 川田直樹(かわた・なおき)大阪府立大学工業高等専門学校卒業後、オフィス空間の設計・工事を手掛けるコクヨエンジニアリング&テクノロジー株式会社に入社。29歳で当時最年少課長となり、副部長、部長を歴任。現在はコクヨ株式会社の秘書室の社長秘書 兼 イノベーションセンター所属。一級建築士の資格を持ち、企業のオフィス構築などを手掛けるなか、社内にサウナ部を創設。企業サウナ部ブームの礎を築く。フィンランドサウナアンバサダー、JAPAN SAUNA-BU ALLIANCE共同代表。パラレルワークとしてサウナプロデュース、イベント、サウナ関連グッズの開発、地方創生にも携わる。
サウナサウナ部
dot. 2022/11/18 16:00
「YOASOBI」は頂点を目指しているわけではない プロデュースに見た「人と違うことをやる」ソニーの本質
「YOASOBI」は頂点を目指しているわけではない プロデュースに見た「人と違うことをやる」ソニーの本質
屋代陽平(やしろ・ようへい、右):1989年生まれ。2012年ソニーミュージックグループ入社。19年YOASOBIプロジェクトを発足/山本秀哉(やまもと・しゅうや):1988年生まれ。2012年ソニーミュージックグループ入社。19年からYOASOBIプロジェクトの立ち上げに参画(撮影/写真映像部・東川哲也)  ソニーグループが営業利益1兆2023億円(2022年3月期決算)をたたき出した。営業利益1兆円超えは国内製造業ではトヨタ自動車に次ぐ2社目だ。家電の不振から復活した原動力は、そこで働く「ソニーな人たち」だ。  短期集中連載の第1回は、人気ユニット「YOASOBI」を生み出した30代の2人。ソニー・ミュージックエンタテインメントデジタルコンテンツ本部の屋代陽平さん(33)とソニー・ミュージックレーベルズ第3レーベルグループエピックレコードジャパンの山本秀哉さん(34)だ。AERA 2022年11月21日号の記事を紹介する。(前後編の後編) *  *  *  YOASOBIのファンの多くはデジタルネイティブ世代である。  東京都世田谷区内のある小学校で、こんなシーンが見られた。20年3月のことだ。コロナ禍で給食時間の校内放送が中止され、会話も禁止になった。5年生の教室で“黙食”は寂しいからYOASOBIの曲を流そうとなり、担任も許可を出した。給食の時間になると毎日、「夜に駆ける」が流れた……。  彼らは、ゲーム、スマホとともに育った。ヒット曲は、SNS(交流サイト)で最初に知る。彼らにとって、YOASOBIは“常識”だった。つまり、時代の背景を抜きにヒットは考えられない。 人気ユニットYOASOBIの誕生は元気なソニーの象徴だ(撮影/写真映像部・戸嶋日菜乃)  そういえば、屋代がAyaseを、Ayaseがikuraを見つけたのはニコニコ動画やInstagramだし、Ayaseの曲づくりはコンピューター一台で完結するいわゆるDTM(デスクトップミュージック)だ。さらにマーケティングもひと昔前とは異なる。従来のプロモーションは、お金を使ってテレビやネット上で「告知」するのが主流だったが、YOASOBIは違う。SNSを駆使し、デジタルネイティブたちに訴えてファンの熱量を高めていく。その過程にはマーケティングDX(デジタル・トランスフォーメーション)が実践されている。  彼らの働き方は、じつにスマートだ。バランス感覚に優れているといったらいいか。超多忙なはずなのに、「汗」や「涙」の悲愴感はない。「必ず成功してやる」という欲深さもない。平成の「低成長」や「停滞」の単語に象徴される暗さもない。 屋代陽平(右)、山本秀哉(撮影/写真映像部・東川哲也) 「僕たちは、恵まれている」と語る。謙虚で客観的な目線がある。あくまでも自然体だ。かといって、冷めているわけでもない。仕事に対する熱量は人一倍高いし、努力も惜しまない。生き生き、伸び伸びと仕事をしている。プロとしての自負もある。仕事をしながら遊び、遊びながら仕事をするというのはこういうことか。  YOASOBIは、どこまでいくのだろうか。この先、何を目指すのだろうか。  海外のファンも増えている。まずは、台湾や韓国などのアジア市場に力を入れていく方針だ。「世界に羽ばたくのは、それからでいい」という。屋代の次の言葉は、印象的だ。 「頂点を目指しているわけではない。YOASOBIは、スペイン・バルセロナのガウディのサグラダ・ファミリア教会のように、常につくり続けていくものだと考えています」 人と違うことをやる  22年8月、ソニーミュージック所属の歌手である郷ひろみのレコードデビュー50周年の記念式典が、抽選で選ばれた50人のファンを集め、東京都港区のソニーグループ本社で開かれた。日ごろ、記者会見などを開く会場だ。CEOの吉田、専務の神戸司郎らが出迎え、郷の名前を刻んだデジタルカメラなど最新のソニー製品を贈って、感謝の意を伝えた。  郷は記者の質問に答えて、ソニーと長続きした理由をこう語った。 「人と違うことをする発想がソニーグループの皆さんに根付いている」  人のやらないことをやる。それは、ソニーの本質だ。YOASOBIをプロデュースした屋代と山本もまた、「人と違うことをやる人」であるのは間違いない。 (文中敬称略)(ジャーナリスト・片山修) ※AERA 2022年11月21日号より抜粋
AERA 2022/11/18 11:30
「YOASOBI」生んだソニーの「やりたいことを思う存分やらせる」文化 30代の生みの親が明かす舞台裏
「YOASOBI」生んだソニーの「やりたいことを思う存分やらせる」文化 30代の生みの親が明かす舞台裏
人気ユニットYOASOBIの誕生は元気なソニーの象徴だ(撮影/写真映像部・戸嶋日菜乃)  ソニーグループが営業利益1兆2023億円(2022年3月期決算)をたたき出した。営業利益1兆円超えは国内製造業ではトヨタ自動車に次ぐ2社目だ。家電の不振から復活した原動力は、そこで働く「ソニーな人たち」だ。短期集中連載の第1回は、人気ユニット「YOASOBI」を生み出した30代の2人。AERA 2022年11月21日号の記事を紹介する。(前後編の前編) *  *  *  音楽業界の“文化革命”だ。  3年弱にわたるコロナ禍。  人々の暮らしや働き方が激変する中で、社会現象といわれるほどの爆発的人気ユニットが誕生した。「YOASOBI」だ。  2019年12月にリリースされたYOASOBIの第1弾楽曲「夜に駆ける」は、わずか5カ月でストリーミングサービス再生回数が1千万回を超えた。20年と21年にはNHK紅白歌合戦に出場、21年12月には日本武道館でライブを開催した。現在、同楽曲の累計再生回数は、史上初の8億回を突破している。ソニー・ミュージックエンタテインメントによって、はじめて成し遂げられた快挙である。元気なソニーの象徴そのものといっていい。  ソニーグループ会長兼社長CEO(最高経営責任者)の吉田憲一郎は、YOASOBIが21年2月、初のオンラインワンマンライブを配信した際、「妻と一緒に、ワインを傾けながら楽しみました」と、担当者にメールを送って労をねぎらった。 ■積極的な支援が文化  その担当者とは、ソニー・ミュージックエンタテインメントデジタルコンテンツ本部の屋代陽平(33)だ。YOASOBIの生みの親の一人である。  2012年に大学卒業後、入社し、3年間、iTunesやレコチョクといった音楽配信サイトに曲を売り込む仕事をした後、中長期の戦略を立てるための資料作成の裏方など、経営幹部のサポート業務に従事。そして、「新規事業創出」のミッションを与えられた。  読書好きだった屋代は、小説投稿サイト「monogatary.com(モノガタリードットコム)」を17年に立ち上げた。  小説投稿サイト自体は珍しくないが、いまなお、毎日200~300本が投稿されている。優秀作品を商品化するコンテストも開催されており、最終的な審査をするのは、屋代含む運営チームだ。 屋代陽平(やしろ・ようへい、右):1989年生まれ。2012年ソニーミュージックグループ入社。19年YOASOBIプロジェクトを発足/山本秀哉(やまもと・しゅうや):1988年生まれ。2012年ソニーミュージックグループ入社。19年からYOASOBIプロジェクトの立ち上げに参画(撮影/写真映像部・東川哲也) 「ウェブサイトの初期投資としてそれなりの費用がかかりますから、事業計画を出す必要がありました。3年後、5年後の展望とかを書いて、それっぽいことをいって、上の方には納得してもらった感じです」  やりたいことを思う存分やらせるのが、「ソニーの法則」だ。「これだ!」というものを持っている人を積極的に支援する。放任に近い。それは、ソニーミュージックの文化でもある。 「小説は、音楽、映像、アニメーションなど、ビジネス展開の大きな可能性を秘めています。現に、ソニーミュージックはその分野の事業を展開していますからね」  4歳から18歳までピアノを習っていた屋代の脳内に、あるアイデアが浮かぶ。小説は、言葉による説明になりがちだ。いっそのこと、小説を生の感覚の音楽にできないか。彼のセンスは並ではない。 ■とがった感性の賜物  YOASOBI誕生には、もう一人の才人を紹介しなければならない。屋代の同期で、ソニー・ミュージックレーベルズ第3レーベルグループエピックレコードジャパンの山本秀哉(34)だ。屋代は、小説の楽曲化の企画を進めるにあたり、山本に一緒にやらないかと声をかけた。彼はいま、YOASOBIのA&R(アーティスト&レパートリー)を務める。  山本は、自分が演奏するより聴くのを好む。それも、なぜその曲が売れているのか、なぜ自分が「いい」と感じる曲が売れないのか、そんな背景を深掘りして考えるのがおもしろいという。入社以来、CDやゲームのパッケージの制作やゲーム会社に販促物や店頭ポップを提案して回る仕事をしていたが、一方で、そんなことをブログに書いて発信していた。  ある日、屋代から「これ、いいよ」という言葉とともに、山本のもとに一本の動画が送られてきた。それが、ウェブ発信を続けていたAyaseの音楽で、彼の発掘につながる。とがった屋代の感性の賜物である。  Ayaseは山口県出身で、地元ではピアノの腕前は神童と称されていた。後日、出演したテレビ番組の「情熱大陸」の中で、「音楽でご飯を食べるなんて夢だと思っていた。初給料で『バイトがやめられる』と思ってめちゃくちゃ嬉しかった」と語っている。  YOASOBIという不思議なユニット名は、彼の発案だ。ボーカロイド(ボカロ=歌声を合成するソフトウェア)プロデューサーを“正規の顔”とすると、新たに始める活動は、いわば“非正規の顔”だ。 AERA 2022年11月21日号より ■時代の波すくい取る  一種の「夜遊び」のようなものではないか。命名の由来だ。近年、一般的なビジネスパーソンにも「兼業」や「副業」が浸透しつつある。YOASOBIのネーミングは、そうした時代の波をすくい取っているのだ。 ボーカルのikuraに目をつけたのも、彼だ。彼女は、シンガー・ソングライターである。 「小説を音楽に組み替えてアウトプットするなど聞いたこともない。物語の主人公はどんな感情を抱いているのか、その人になりきることにしました」  と、ikuraは、あるインタビューで語っている。  チームを組んだ4人は、グループLINEを使って、屋代が「思考停止するくらい」と表現するほど、何時間にもわたって議論を交わし、およそ3カ月かけて原作の星野舞夜作「タナトス(注・ギリシャ神話に登場する死神)の誘惑」の若い男女のストーリーをもとに歌詞をつくり込んでいった。  山本は、次のように振り返る。 「Ayaseには強い思いがあったし、すごい努力をするタイプだから成長する。ikuraもそうですね。YOASOBIが爆発的にワッといったのは、そうした思いや努力や才能が掛け算され、とてつもない熱量が生じたから。それが、僕たちが提供するものにうまくハマった」  昭和世代は、YOASOBIの曲はアップテンポ過ぎて、歌詞がうまく聞き取れない。雑音、騒音……にさえ思える。お手上げだ。  それでも聞いていると、ゲーム、アニメのシーンが頭の中に断片的に浮かんでくる。これが今流の音楽か……。  ♪沈むように溶けてゆくように  二人だけの空が広がる夜に── 「夜に駆ける」は、イントロなしでいきなり始まる。小説の音楽化だから、1番とか2番とかの区切りがない。延々と詞が続く。「明けない夜に落ちてゆく前に」「二人でいよう」「君の為に用意した言葉どれも届かない」──。ikuraの透き通った歌声とテンポの良いリズム。YOASOBIの数々のヒット曲は、魂の叫びとは異なる。時代に抗議するでもない。先を見通せない、生きづらい「今」の時代の若者たちの不安や寂しさ、焦りの中で揺れ動く心情に寄り添う。(文中敬称略)(ジャーナリスト・片山修) ※AERA 2022年11月21日号より抜粋
AERA 2022/11/17 11:30
性被害あってもすぐに認識できず「平均で約7年」 警察に相談せず埋もれるケースも
古田真梨子 古田真梨子
性被害あってもすぐに認識できず「平均で約7年」 警察に相談せず埋もれるケースも
撮影/写真映像部・松永卓也  令和になっても、セクハラや性暴力は依然あちこちにはびこっている。もし被害に遭っても、警察に相談する人は少ないという。なぜ、性被害は埋もれてしまうのか。AERA 2022年11月21日号の記事を紹介する。 *  *  *  大阪府の営業職の女性(40)は3年前、勤務先の50代の社長から性被害を受けた。年1回の社長や役員を交えた会議があった日の夜のことだ。  懇親会と称した飲み会は深夜まで続き、酔った社長を数人で抱えながら宿泊先のホテルまで送ることになった。同じホテルに泊まる役員と支社長、課長と女性の計5人でホテルまで移動。なぜか課長と支社長はロビーに残り、女性だけが社長を部屋まで送っていくことに。役員は違う階の自室にさっさと1人で帰っていったという。  社長の部屋の前で帰ろうとしたものの、「異動のことで話があるから入れ」と言われ、部屋の中へ。話をするうちに、ベッドに押し倒された。身体を舐められ、服を脱がされかけた。大柄で、かつ人事の全権を握っている社長が相手では、抵抗したものの恐怖心が強く、ほとんど身体が動かなかったという。ロビーにいる支社長から携帯電話に何度か着信があったが、社長は、 「あいつは俺の舎弟だ。出なくていい」  女性はもがくうちにベッドから転がり落ち、社長の身体が離れた一瞬の隙に逃げ出した。ワンピースのリボンが破れ、髪はぼさぼさ。膝には青あざが残った。時間にして1時間ほど。支社長と課長は向かいの居酒屋で、のんきに飲み直していたという。女性は、 「あの時、どうして私だけが部屋まで送り、さらに中に入ってしまったのか。ずっと自分を責めています」 ■誰にも言えないまま  翌朝、社長からは題名のないメールが届いた。謝罪らしき文言は「昨夜は失礼しました」のひとことだけ。続けて「異動の件ですが」と仕事の話題ばかりが書かれていた。社内の相談窓口に通報しようとしたものの、担当者一覧にある社員の名前を見て、味方になってくれる人はいないと感じ、やめた。 「私は独身で、もしかすると今後も1人で生きていくかもしれない。悔しさはもちろんあるけれど、職を失う恐怖が強い」  女性は、新卒で入社して以来、おかしいと思ったことは積極的に発言する「モノ言う社員」だったが、あの夜のことは今も誰にも言えないままだという。  こうして埋もれていく性被害は、いったいどのくらいあるのだろうか。 AERA 2022年11月21日号より  内閣府が2021年に公表した調査結果では、女性の14人に1人(6.9%)、男性の100人に1人(1.0%)が、無理やり性交などをされた経験を持つことが明らかになった。単純計算で被害者数は数百万人にも及ぶ。いまの日本は、性被害に遭うことが決して珍しいことではないと言えるだろう。一方で「被害がある」と答えた人の中で、警察に相談したのはたった5%にとどまっている。 ■被害の認識に時間  被害者らによる一般社団法人「Spring」の佐藤由紀子代表理事は、 「多くの人は被害後、生き延びるだけで精一杯になり、警察に行く勇気を持つことができません。加害者の部屋に行ったということを同意したとみなされるかもしれない。性犯罪被害だと認めてもらえないかもしれない、と葛藤し、繰り返し自分を責めます。その結果、被害を被害だと認識することに時間がかかるケースが多い」  と話す。同法人が20年8~9月に実施した「性被害の実態調査アンケート」によると、報告された5899件の被害のうち、半数以上の人が「すぐに被害だと認識できなかった」と回答。被害の認識まで平均で7.01年かかることがわかっている。  いま、セクハラや性加害をめぐるニュースが、連日多く報じられている。ジャーナリストの伊藤詩織さん、元自衛官の五ノ井里奈さんなど、自身の被害を実名と顔出しで告発する人の登場や、ハリウッドのプロデューサーへの性的被害の大量告発を機に世界的に広まる「#MeToo」運動が気運をつくっている。  冒頭の女性は言う。 「でも、私は一切見ていないし、記事を読むこともありません。直視できない。思い出してしまうとつらいから」  被害に遭った場所で流れていた曲、加害者の勤務先が販売している商品──。ありとあらゆるものがフラッシュバックにつながるという。回復は非常に難しい課題だ。 「性被害による心の傷は風邪とは違うので、100%治ることはありません」  と話すのは、性暴力をなくそうと活動するNPO法人「しあわせなみだ」(東京)の千谷直史理事だ。同NPOの中野宏美代表は、多くの被害者と向き合う中で気づいたこととして、 「被害を受けたことによって出会えた人に感謝したり、他人の痛みに気づけるようになったりすることを無駄ではないと思えるようになると、少しずつ心のフタを調整できるようになる。がんの寛解に近い」 (編集部・古田真梨子) ※AERA 2022年11月21日号より抜粋
AERA 2022/11/17 11:00
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