50代記者の介護体験記「介護の司令塔ケアマネの支え」 救われたシンプルな一文
※写真はイメージです (GettyImages)
老老介護の両親の生活に本格介入するも特養(特別養護老人ホーム)へ→体調悪化で退去→在宅介護再び→コロナにより母だけ施設入居……。これが前回まで。そして、とうとう父までまた施設に入れてしまった。その前後の葛藤をまとめる。
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第3回【父と行った喫茶店】
私は2度苦しんだ。
1度目は、2020年の夏、両親を特養に入れた時。2度目は、今年の6月に父を再び施設(今度は有料老人ホーム)に入れた時だ。
6月の昼下がり。
「コーヒーを飲みに行こう」と父に声をかけて夫と3人で近所のカフェに向かった。父から「なぜそんなに荷物が多いんだ」と聞かれたが、私は無言で車椅子を押した。晴れた日だった。
「いつものアメリカン」。父はうれしそうだったが、私はいつものパンケーキがのどを通らなかった。「やっぱり喫茶店はいいなあ」と喜ぶ父。
しかし、わずか30分ほどで店を出て、タクシーに乗り、ホームに向かった。
「どこに行くんだ?」
「ママがいるホーム」(実際もうここにはいない)
これしか言わなかった。「今日からあなたは老人ホームで暮らします」とは言えなかった。
ホームに到着し、現地に来てくれた姉とともにホームの1階の会議室で契約書を交わしている間、夫には父の居室にいてもらった。夫は静かな人。
「説明してくれよぅぅ。何でここにいるんだ」
不安そうに父が夫に聞く。夫はただ寄り添った。私はこんなふうに父をホームに入れてしまった。父の日だった。
その3カ月前──。
父の本格在宅介護が始まった。私は毎日朝から午後4時過ぎまで授業がある(両親を特養に入れた翌春から介護福祉士養成の専門学校に通っている)。毎日8時間近く父を一人にするのは心配だったので、契約中の「看護小規模多機能型居宅介護」(看多機)のサービスの中の「通い」(いわゆるデイサービス)を連日利用するようにした。しかし、父にとってはこれがよくなかった。移動のストレスと環境の変化(リロケーションダメージ)で認知症も進み、体力も極端に落ちた。
週刊朝日 2022年12月16日号より
日中は学校、夕方以降は仕事(取材や執筆)。せっかく父と一緒に家にいられるというのに、私はいつも慌ただしく余裕がなかった。結果、父のささいな言動に(すべて認知症のせいなのに)イライラすることが増えた。そんな自分がすごく嫌だった。
「ぽーっとしてて、ごめんな」。
ふとした時に、父が言うようになった。
「親が長生きすると、子どもは大変だよな」
そんなふうに思わないで。そう思っているのに、父がテレビを見ながら無意識に指を食卓の上でトントントントンとたたき続ける小さな連続音がなぜか耐えられず、「うるさい、それやめて」と言ったり、大音量でテレビを見るので、「テレビは聞くものじゃなく、見るものなの」と言ってテレビの音量を切ったりした。父は「あれ? 聞こえないなぁ」と言いながらテレビを見るようになった(なんと意地悪な娘だろう)。何度も同じことを聞いてくるので、「それさっき説明した」と冷ややかに答えるようになった。そのつど父は悲しそうな顔をするが、それもまたすぐに忘れて、「今日は何月何日か」とまた聞いてくる。父は好奇心旺盛で知りたいことは何でも聞く。テレビを見ていてもどこからどこまでがCMなのかわからない。CMの文字を読んでいるうちに次の番組が始まり、頭が混乱し「どうなっているのか」と聞いてくる。字幕を見ても内容がわからない。いつも「教えてくれよ」だった。
父は画面に向かって「おぉ、頑張れぇ」と懸命に声をかけたり、「あぁかわいそう」と泣きそうな表情になったり、大自然の映像を見て「ここに、ママと行ったな」と目を細めたりした。感情が豊かで、そんな父を見て、毎日忘れ物を拾っているような気分だった。
■布団をかけて「風邪ひくなよ」
食事中は、咀嚼やのみ込みに集中するためテレビは消した。父は食事のたびに「一人じゃなくて幸せだな」「娘と一緒にご飯が食べられるなんて」と言った。両親と長いつきあいの近所の人が、父の好物のレンコンやちくわをよくもってきてくれた。
ただ排泄(はいせつ)ケアは大変だった。認知症なのか、膀胱の機能低下なのか、トイレに行ってもまたトイレに行く(トイレから出て手を洗ってそのまままたトイレに戻る感じ)。
「今行ったよ」と言っても「行っていないよ」と言う。夜間は1~2時間おきだ。そのつど私も起きて便器インできない尿を拭いた。滑ってしまったり、ズボンの裾まで尿で汚れたりするからだ。いつも「便器に近づいてね」と言ったが近づいてもこぼれることも多かった。私まで寝不足になり、疲労がたまって、いつからか2階で寝るようになった。
一度、「おやすみ」と言い階段を上がろうとすると「2階で寝るのか」と背後から声をかけられたことがある。「一人はやだよ。一人は寂しいよ」。施設ならば、こんな寂しい、不安な思いはないのかもしれない。
1階で寝る時は、母が使っていた介護ベッドを使った。ある日、ベッドに入ると、父のベッドから「幸せ! 娘と一緒に家で眠れるなんて!」と大きな声が聞こえた。
「やっぱり、家はいいな」
父はそうつぶやきながら布団に入った。
最初のうちは父がトイレに起きると私も起きて一緒にトイレまで行っていたが、ある時から、それもやめた。トイレからベッドに戻れず、食卓でお茶を飲みだしたり、ずっと立ち尽くしたりしていた時は布団の中から、「ベッドに戻りましょう。今は夜です」と声をかけた。起き上がらずエコモードで介護した。長く続けるためだ。
そんなある夜、トイレから戻ってきた父が私のベッドに近づいてきた。私は寝たふりをした。すると父は「背中が出ているよ」と言い、掛け布団を首元までかけてくれた。懐かしい感覚だった。
「風邪ひくなよ」
そう言って父は自分のベッドにちゃんと戻っていった。あぁ父だ。どんなに認知症になっても、父は父。大切な父なのだ。
それなのに今年6月、父をホームに入れてしまった。7月から介護実習が始まり父を丸1カ月家で介護するのが厳しくなる、というのが一番の理由だった。ケアマネジャー(以下、ケアマネ)や看護師に相談すると「もう十分やってきたと思うし、そろそろなんじゃないかな」「お父さんにとって落ち着く環境のほうがいい」という言葉が返ってきた。
もう引き際なのかもしれない。
入れるにはあそこしかない、と浮かんだのが母が入居中の有料老人ホームだ(第2回を参照)。父は「骨髄異形成症候群」という疾患があるため、定期的に注射と輸血をしている。医療依存度が高いので特養に入るのは難しい。介護老人保健施設(老健)も同様だ。母には悪いが、父を入れるために、母を別の施設に移すことにした。事業所の紹介もあり意外と早く入居が決まった。老健だった。母は「夫のためなら」と了解してくれた。そして母が使っていた居室に父が入った。これが父の日のプレゼント、と後で笑って振り返られたらと、今思っている。
あれから5カ月。時々父の携帯に電話をすると、大音量のテレビの音が聞こえてくる。「何してた?」と聞くと、笑って「くつろいで、部屋でテレビ見ていたんだよ~」と言う。その後ろで「座って話しましょうか」との職員の優しい声が聞こえてくる。
ここなら安心だ。
寂しがり屋の父なので、時々「寂しいよ」と電話口で言うこともあるが、頻繁に会いに行き、通院にも付き添っている。実家で一緒に過ごしていた時より優しくできていると思う。
以前、同世代の友人に親のことを聞かれて、施設に入れた時の気持ちを「天国との中間に親が行ってしまった気がする」と返したことを覚えている。「すごい遠くではないけれど、あぁ遠いとこに行っちゃったんだな、って。そういう気持ち」と。でも今は違う。時々、父や母と会うとこう言う。
「同じ世界で生きていてくれてありがとう」
少し離れているけれど、同じ陽を浴び、同じ月を見ている。一昨日は、遠方の歯科医への通院に母を連れ出し長時間の介護タクシーの中で母と一緒に童謡などを20曲近く歌った。YouTubeで母の好きな伴久美子の音声を流すと歌詞をほとんど覚えていて、話す声よりも大きな声で歌うので驚いた。
母は「ぼくらはみんな、生きている。生きているからかなしいんだ。手のひらを太陽にー」と歌いながら、手のひらを顔の前に出していた。日も暮れて夕焼けがきれいだった。母の顔がオレンジ色になった。すごく、うれしかった。
施設より在宅のほうがいいに決まっている。その気持ちは変わらない。でもけんかをしながら一緒に暮らしてボロボロになるよりも、施設に預けて他人の力を借りながら平和に過ごせる方法があり、それができるならそれもいい。それに気づくまで3年もかかってしまった。
振り返れば、施設に入れた後も、出した後も、私はいつも苦しかった。そんな私をいつも支えてくれた職員の一人が介護の司令塔・ケアマネだ。介護生活がうまくいくかは、ケアマネの手腕にかかっている。ここから先は、ケアマネについて考えていきたい。
ケアマネの資格を持つ、東洋大学ライフデザイン学部生活支援学科准教授の高野龍昭さんに話を聞く。
「ケアマネもいろんなタイプがいますが、ありがちなのが、利用者と一緒に悩む『寄り添い型』。『何でも私に任せて』という『お任せ型』、実はこのどちらも良くないんです。一緒に悩んでくれるのはその場では心地よいかもしれませんが、ケアマネの能力としてはダメ。受け止めるだけのタイプもダメ。そこから具体的な提案ができなければケアマネとしては不十分。大事なのは『傾聴力』、リスクの『判断力』『解決力』の三つをもちあわせているということ。これを私はケアマネに求められる三つの力、と言っています」
■経験の共有化 肝は多職種連携
利用する側も(本人も家族も)しっかり「お困りごと」をケアマネに伝えるべきだという。
また家族で意見が一致していないとケアマネも動きづらい。窓口を一本化するなどして混乱させないように注意すべきだ。
どうすれば良いケアマネに出会えるのか。高野さんによると、ケアマネの背景を知ることも一つの手段という。
「現在ケアマネの資格を持っている方のおよそ6割が介護系の資格を持っている方で、看護系が2割、社会福祉士やソーシャルワーカーの資格を持っている方が1割強ぐらいです。このようにケアマネになる前に持っていた資格、もともとやっていた仕事というのはその人にとっての得意分野といえるでしょう。利用者のお困りのポイントにあわせて、ケアマネのもともとの職種を聞いた上で、地域包括支援センターに紹介してもらうのが良いと思います」
地域包括支援センターは、担当エリア内のケアマネを大体把握しており、センターが紹介するケアマネであればある程度の信頼はおけるという。
「たとえば、現在胃ろうをつけていたり、排尿障害があり尿道カテーテルの留置の予定があったり、近い将来医療的な問題が出る可能性がある人の場合は、看護師資格を持つケアマネが良いでしょうし、認知症で家族介護が大変になり、今後は生活面や福祉面での支援が必要となる人であれば介護福祉士や社会福祉士の資格とキャリアを持ったケアマネが良いと思います。そのほうがいろんなネットワークを広げやすい傾向にあるからです」
上級資格もある。
「まだ数は少ないのですが、日本ケアマネジメント学会が認定する『認定ケアマネジャー資格』を持っているケアマネは、かなり信頼できると思います。自分からその資格を取りに行く志の高さも評価できます」
ケアマネを統括するシニアケアマネジャーを経て、現在は国際医療福祉大学大学院教授の石山麗子さんは、こう話す。
「ケアマネには、ケアプランの作成や調整だけでなく、日々変化する利用者の生活を困難にさせるものをすくいあげ、それにあわせたサービスの提供のため、他職種の専門家(医療職や福祉用具専門相談員など)と連携することなどが求められます。誰もが標準的なレベルで実践できるようにと『適切なケアマネジメント手法』が最近誕生しました」
ケアマネの現場で感覚的に行っていたことを体系的に整理したものだ。
「これに即してアセスメントやケアプランの原案を作成すれば、たとえ新人であっても、利用者の生活の将来予測を行い、リスクを見極め、先回りしたケアの調整ができるようになるのです。これからのケアマネの質がこれによって上がることを私自身も期待しています」
石山さんは厚生労働省老健局振興課の介護支援専門官としてこの手法の策定、普及推進に向けた調査研究事業に携わった。この手法を学ぶ研修は今後展開されていくという。
「目指したのは『介護支援専門員の経験値の共有化』です。集めた情報をもとに理学療法士や歯科衛生士、福祉用具専門相談員など多職種の専門職を巻き込んでケアを展開していく。まさに多職種連携が肝なんです」
週刊朝日 2022年12月16日号より
■父のケアマネが救いのメール
ケアマネを探す際には、所属する事業所の特性も見るべきだと石山さんは補足する。
「少し専門的な表現になってしまいますが、『居宅介護支援事業所の特定事業所加算』というのを算定している事業所のケアマネは統計データで見ると主任ケアマネとか管理者のOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)を受けたり、退院カンファレンスに同席をしたりという比率が高い。つまりそういう事業所を選ぶと質の高いケアマネに出会える可能性が高いともいえるでしょう」
厚生労働省のホームページ(介護サービス情報公表システム)で全国の居宅介護事業所を確認できる。そこから「特定事業所加算」と書かれた事業所を選ぶと良いという。
「そこには、事業所で抱える主任介護支援専門員の人数も公開されていますので、そこで主任が多いかどうかも見ても良いと思います。事例の共有が積極的に行われていて、ケアマネの資質向上に努めていると期待できます」
昨年の夏、父が誤嚥性肺炎で1カ月入院した。看多機の「泊まり」を利用している時だった。看多機から救急車で運ばれた。翌日入院手続きを済ませ、「危ないかもしれない。まだわからない。大丈夫かもしれない」といった内容のメールをケアマネに送ると、「お父さんは戻ってくると信じています」と返事が来た。シンプルな一文だったが、あの時どれだけこのメールに救われたことか。
良い事業所には良いケアマネがいる。今、父や母がそれぞれお世話になっているケアマネもすごく優秀だ。それだけで介護生活の50%が成功しているようなものだ。(本誌・大崎百紀)
■介護保険、基本のキ
プラン作成するケアマネジャー
ケアマネジャーとは、介護保険制度開始とともに誕生した職種だ。正式名称は介護支援専門員。
国家資格ではないが、年に1回行われる「介護支援専門員実務研修受講試験」に合格後、「介護支援専門員実務研修」の課程を修了し、「介護支援専門員証」の交付を受けなければなれない。「介護支援専門員実務研修受講試験」を受けるには、保健や医療、福祉分野での実務経験が5年以上という条件がある。
業務内容は、居宅ケアマネの場合は、ケアプランの作成や居宅サービス事業者等との連絡調整、入所を必要とした場合の介護保険施設への紹介など。
施設ケアマネの場合は、施設サービス計画等を作成し、利用者が自立した日常生活を営むことができるよう支援する。関係機関と利用者をつなぐパイプ役でもある。
「主任介護支援専門員」とは、ケアマネの実務経験が5年以上あって主任介護支援専門員研修を修了した者のこと。ケアマネの上級資格といえる。※週刊朝日 2022年12月16日号
週刊朝日
2022/12/12 11:00