健康であった41歳の中年男性が下痢と腹痛を訴えた場合、まず考えねばならないのは食中毒。9月といえばまだ気温が高く、食物は傷みやすい。しかし、石田陣中で他に発病者がいないことや、生来用心深い三成が大事な天下分け目の合戦前に不衛生な食物を摂ったとは考え難い。潰瘍性大腸炎やクローン病、腸結核なども既往歴からして考え難いとなると、最も可能性が高いのはIBS(過敏性腸症候群)ではなかろうか。
IBSは症候的には炎症性の腸疾患に類似するが、器質的な炎症は伴わない。原因は不明な点が多いが、過剰なストレスによるものと考えられ、真面目な性格の者に多いという。環境の変化や将来に対する不安、不安定な人間関係などに加えて、過労や不規則な食生活が誘因となる。
消化器症状に加えて、頭重感、頭痛、不眠、易疲労性や動悸、不安感、鬱状態などの精神神経症状がしばしば特徴的とされ、三成と同時代のフランスの名医パレの著書『美容と健康の鏡』にも「鼓腸を伴う疝痛」として記載されているが、疾患概念として確立したのは1944年のことである。
西軍の実質的責任者となった三成は、本来は文官であるにもかかわらず主将として向背定かならぬ自分より官位、石高、経歴とも上の諸将を調整し、作戦計画の立案など、この上ないストレスを抱えていたものと思われる。そして、冒頭の柿の話にもどる。三成としてはいかに覚悟の上とはいえ、処刑前には極度の緊張状態にあったはずだ。
近年、過敏性腸症候群は果糖の吸収障害であり、果物の過剰摂取が悪化要因という説がある。柿には果糖が多く含まれるので、これを口にすれば腸管運動の亢進をきたし、みっともない姿をさらすことになりかねない……という配慮だったのではなかろうか。さらに、水を所望する受刑者に柿を与えるという見当はずれな対応をした三河の田舎侍に対する、彼の最後の皮肉だった。
司馬遼太郎は「三成には、近代人のにおいがする」という。堺屋太一は「上を立て、人と金を集める日本式プロジェクトの元祖であり、彼がいなければ徳川の安定も明治維新も大阪万博もなかった」としている。太閤検地の実施や全国的な商業活動の整備、朝鮮半島への兵站管理などは彼がいなければ不可能だった。早すぎた現代人が図らずも天下分け目の大合戦に一方の旗頭となってしまったのが悲劇だろう。
【出典】
1 今井林太郎『人物叢書 石田三成』吉川弘文館、1988
2 白川亨『石田三成とその一族』新人物往来社、1997
3 桑田忠親『石田三成』講談社文庫、1982
4 服部敏良『室町安土桃山時代医学史の研究』吉川弘文館、1971
5 Fedewa A, Rao SS. Dietary fructose intolerance, fructan intolerance and FODMAPs. Curr Gastroenterol
Rep. 2014 Jan ; 16(1):370.
6 DiNicolantonio JJ, Lucan SC. Is fructose malabsorption a cause of irritable bowel syndrome Med
Hypotheses. 2015 Sep ; 85(3):295-7.