撮影:鈴木賢武
撮影:鈴木賢武

■始まりは「やさしい写真教室」

 鈴木さんが写真を撮り始めたのは1996年、56歳のときだった。

「若いころは実業団のバスケットボールの選手だったんですよ。写真は家族の記念写真くらいしか撮っていなかった」

 そんな鈴木さんが写真を始めたきっかけは、近づいてきた定年だった。

「定年後は毎朝、散歩をしようと考えたとき、手ぶらでは面白くないので、カメラでも持って歩こうと思ったんです」

 そんな軽い気持ちで地元の「やさしい写真教室」に参加した。

「木村仲久さんという方が講師を務めていて、そこで3カ月ほど写真を学びました」

 静岡県は全国的にもアマチュア写真家の活動が盛んな地域で、実力のあるリーダーが写真クラブを立ち上げ、活動を引っぱっていた。木村さんもその一人だった。

 鈴木さんは木村さんが主宰する写真クラブの一員となり、カメラ誌の月例写真コンテストに応募して腕を磨いた。

撮影:鈴木賢武
撮影:鈴木賢武

 実は、筆者は「アサヒカメラ」の編集部員時代から鈴木さんの作品を見続けてきた。

 鈴木さんの作品は、日常目にする何げないものを写しただけなのに、それが何か不思議なもののように見え、強く印象に残った。

 入選者の常連となった鈴木さんは月例写真コンテストのなかでも特に強豪が競う「組み写真」の部で、2004年度賞1位を受賞する。

「私が撮ったのは、ほかの人に『えっ、そんなものを撮るの?』と、言われるようなものだったんです。何でもない石ころにもなんとなく愛着を覚えて、『あなたも生きているね』という感じでレンズを向ける。そんなことを人に言うと、笑われるんですけれど、自分としては、それが面白いんです」

■富士山を「お山」とした理由

 ところが、8年ほど前から鈴木さんはコンテストの写真から距離を置き始める。

「コンテストに入選するために撮っていると、どうしても、何かを見つけて撮ろう、という意識が強くなってしまった」

 そんな気持ちを当時「アサヒカメラ」でコンテストの選者を務めていた写真家・宮嶋康彦さんに相談した。

「そうしたら、『もっと身近なものを素直に撮ったらどうですか』と、アドバイスされたんです。それから、自分の目に、ぱっと映ったものをありのままに撮る、というふうに切り替えた。それで、いまのような写真になったんです」

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富士山は見えなくてもそこにある