撮影:鈴木賢武
撮影:鈴木賢武
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 写真家・鈴木賢武さんの作品展「きょうもお山が見える」が12月7日から東京・新宿のニコンプラザ東京 ニコンサロンで開催される。鈴木さんに聞いた。

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 鈴木さんは日々の暮らしのなかで富士山が見えると、ささやかな幸せを感じるという。

「富士山は自分が見ると同時に、向こうからも自分が見られているんじゃないか、と思うんです。富士山に見守られながら暮らしているというか、そんな感じがします」

 静岡市の中心部、駿府城公園から北に伸びる尾根の裾野には今川家の菩提(ぼだい)寺で、竹千代時代の徳川家康が人質として預けられていた臨済寺がある。

 そこからさらに北へ2キロほど離れた岳美地区に鈴木さん夫妻が終の棲家を建てたのは25年ほど前。

「2人とも清水市(現静岡市清水区)の出身で、富士山を見て育ったものですから、『富士山が見えるところに住みたいね』って、ここに家を建てたんです」

撮影:鈴木賢武
撮影:鈴木賢武

■富士山とともに生活してきた

 毎朝、鈴木さんは家の屋上に上がり、低い山の連なりの向こうに見える富士山を向いて一礼する。晴れた日も、曇りの日も、あいさつを欠かさない。

「今日は見えるよ」と、妻に報告してから朝食の箸をとる。

 カメラを持って散歩に出かけるのは朝食の後と、夕食の前の1時間ほど。

「歩くのは家から半径3キロくらい。今日は東に行こうか、西にいこうか、という感じで、その日の気分で道順を変えて、よほどの雨でないかぎり、毎日歩きます」

 鈴木さんが引っ越してきた当時、岳美地区は新興住宅地だった。

「今川さんのころ、このあたりは全部、沼だったと思うんです」

 かつての麻機(あさばた)沼の名残で、周囲には名産の「麻機レンコン」をつくるハス沼が点在する。

 そんな新興の土地で住民は「今日はよく見えるね」「真っ白だね」と、あいさつ代わりに富士山の姿を口にする。

「振り返ってみますと、私と富士山との付き合いは、生まれたときからで、生きる支えとして肉親や友だちのように、いっしょに生活してきた気がします。会社員だったころ、転勤で静岡を離れたとき、富士山が恋しくて、何度、帰りたいと思ったか、わかりません」

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始まりは「やさしい写真教室」