「最期は自宅で迎えたい」と願う人は多いものの、それをかなえられている人はそれほど多くはありません。現実には、自宅で介護する家族、おもに子ども世代のことも考慮する必要があり、自分の理想ばかりを追い求められません。子ども世代の負担を考えて、有料老人ホームなどの高齢者ホームに入居する人もいます。
長年、介護の現場に携わってきた介護アドバイザーで、『介護施設で死ぬということ』などの著書がある高口光子氏は、最期を迎える場所として自宅がいいか、高齢者ホームがいいかを決めるのは、自分自身が老い衰えた姿を誰に見せて介護してもらいたいか、在宅とホーム、どちらの人間関係を受け入れられるかだと言います。
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■自身が介護を受ける姿は想像しにくい
人生の最期をどこで迎えるか。
現状、病院で死を迎える人が圧倒的多数ですが、病院は病気の治療をする場所であって、生活をする場ではありません。人生の最期の生活を送る場所としては、住み慣れた自宅か、介護スタッフがいる高齢者ホームか、というのが主な選択肢になります。
長年、最前線に立って介護に携わってきた高口光子氏は「最期の居場所を決めるために最初に考えなければいけないことは、人間関係」と言います。
「最期のときを在宅、あるいは高齢者ホーム、どちらで迎えるにしても、ほとんどの人は『どんなサービスを受けられるか』『どんな不便・不都合があるか』『介護保険制度の限界は?』『そのことで家族がどんな苦労をするか』など、サービスや制度、経済的な面について心配し、それらの点についてアドバイスを求めます。しかし最も重要なのは、介護を受ける自分と、介護をしてくれる側の人間関係です」(高口氏)
自分が変わってしまったのですから、当然、周囲の人との関係も変わらざるを得ないのですが、“介護の場での人間関係”といわれてもピンときません。それは、変わってしまった自分を想像できない、実際に生身の自分の老いた姿や介護を受ける状態を想像しにくいからだといいます。親や親族の介護を経験した人なら、老いていく過程や、介護の大変さ、悩み、葛藤、達成感など、少しはわかるかもしれません。それでも、自身に置き換えて思い浮かべることは難しいようです。