しばらく味が安定しない日々が続いたが、これまで培った技術で何とかラーメンを完成させる。資金もなく、最初は100円ショップで買った丼を使っていた。「初めて出た儲けで、きちんとした丼を買ったのはいい思い出」と田中さんは話す。
噂を聞きつけ、「金太郎」時代のお客さんも食べに来てくれた。その後もどんどん客足は伸び、東京を代表する豚骨ラーメン店に成長。今やお客の8割は常連客である。
そんな田中さんが08年にセカンドブランドとして出したのが「中華そば専門 田中そば店」である。「田中商店」の隣の物件が空いたタイミングで、新たなラーメンを作ることにしたのだ。
■普通のラーメンの最強を目指して
「田中そば店」のラーメンは、いつでも食べられる気軽な田舎っぽい一杯があってもいいんじゃないかという発想で完成した。イメージしたのは佐野や喜多方といった北のラーメン。東京のラーメン戦争からは外れた、落ち着いた一杯にしたかったのだという。
「自分も歳をとって、常連の皆さんの年齢も上がってきました。そうなると濃厚な豚骨だけでなく、シンプルな中華そばも食べたくなる。シンプルだけど美味しい“普通”のラーメンの“最強”を目指して作りました」(田中さん)
ゲンコツに豚の背脂、そして鶏油を合わせた塩ラーメンで、麺は平打ちの縮れ麺。清湯(ちんたん)ながら麺にしっかりとスープが絡み、ほっとする味わいだ。本店だけでなく、秋葉原や浅草にも進出。今や12店舗を展開する人気店になった。
「潤」の松本さんはこの「田中そば店」の中華そばの大ファンだ。
「味の説得力にやられました。喜多方っぽい懐かしさがありながら、今のラーメン界でもしっかり勝負できる一杯です。田中さんは世間のお客さんがどういうラーメンを求めているかを明確に汲み取り、求められているものに対して真っ直ぐなラーメンを作れる人です。なかなかできることではありません。このラーメンは全国どこで出しても受け入れられると思います。一見、普通っぽく見せて実はすごい一杯。職人として悔しくなってきますね」(松本さん)
田中さんも日本のご当地ラーメンの代表格として「潤」のラーメンに敬意を払っている。
「新潟の背脂系を東京に持ってくるのは並大抵の努力では成し得なかったことだと思います。見た目以上に作るのが難しいラーメンです。味の持っていき方、落とし込み方が非常に難しいはずですが、とてもよく仕上がっています。あれ以外になりようのない一杯だと思うんですよね。ご当地ラーメンを守りながら、ラーメン界の将来もしっかり見ている人だと思っています」(田中さん)
奇をてらわず、愚直にシンプルな一杯を作り続ける二人。そこに隠された技術やプライドが味に表れ、食べ手にも伝わっている。新たなラーメンももちろん楽しいが、老舗の作ってきた土台があってこそ。これからも後進を引っ張っていってもらいたい。(ラーメンライター・井手隊長)
○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて18年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。
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